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[29737] 試される大地【北海道→異世界】
Name: 石達◆48473f24 ID:a194d791
Date: 2012/11/29 01:19
一度削除した身の上ですが、お騒がせしてすみません。

削除した後に、何で趣味で書いているのに他人の意見を気にして消さなきゃならねーんだと思ったら、イライラしてきたので全面改訂しました。
(後半部分のストーリー改変はあまりありませんが…)

2011年の夏ごろから50話位書いてたのですが、改定後は1話を1万~2万文字に纏めたので大幅に話数が減りました。
まだまだ話は続きます。プロット上、今の3倍くらい長さがあるので完結は数年先かもしれません。

削除前より話が進んだんでage投稿させていただきました。

なろうにも投稿してます。



[29737] 序章
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:05
序章


ある大陸の片隅で、空に向かって黒い筋が何本も昇っていく。
その筋をたどってみると、そこにはいくつもの集落が燃えていた。
太古より人間と亜人との小競り合いは幾度となくあったが、今回のそれは規模が違い、何より徹底していた。

「くそ!なんだというのだ人間どもめ!そこまで我らの土地が欲しいのか!」

逃れてきた東へと向かう難民の中で、ドワーフの族長が激怒していた。

「どうやら奴らは徹底的にやるようです。
先ほど合流した部族の話によりますと、降伏した者、落伍した者、すべてを斬り捨てているそうです。」

あちらこちらに血のにじんだ戦士の一人が答えると、族長は奥歯を噛みしめ、そして呟いた。

「戦に敗れ、海峡の向こうに逃れるための舟を造らせているが、奴らが来るまで間に合うかどうか…
なによりこの人数を海峡の向こうの部族が許容できるはずもない。
逃げた先でも戦いは避けられぬか」

「…」

族長の消沈した声に何も言い返すことができなかった。
逃れた先でも戦が待っている。
それも、こちらは人間との戦で消耗しきっていた。
まず、勝ち目は無いだろう。
そんな絶望の中、一つの声が響いた。

「族長!」

「なんだ?」

「先ほど合流した部族が、付近の森で妙なものを見たと」

「妙なもの?」

「はい。何やら古い神殿のようだったと」

「こんな所にか?」

「ここいらに住んでいた部族の話では、その森には精霊が住んでいるという伝承があり、普段は聖域として出入りが禁じられてるそうです。
神殿は、その精霊のものかと」

「精霊…どのような精霊かわかるか?」

族長は縋る様な思い出部下に尋ねる。
だが、部下もその詳細までは知らないようだった。

「さぁ そこまでは…」

そこまで聞くと、少々の沈黙の後、族長は走り出した。

「そこに案内しろ!いそげ!時間はないぞ!」

「ええ!?でも、海峡を渡る準備は?」

「任せる!もし俺が戻らない場合は、先に出発しろ!」

そこまで伝えると少数の供を連れて族長は森に入っていった。
深い森の中、一行は走った。
枝を払い、木々の間をぬい、けもの道を抜けると、男たちの前に古い建物が現れた。
木々の根に埋もれるようにして立つ石造りの建物がそれだった。

「族長。ここが例の神殿のようです。」

配下の男に先導され、一人の族長が前にでる。

「ここがそうか…
もはや精霊の気まぐれに縋るより道はない。
既に、帰る場所は失われたのだ。
さぁ!いくぞ!」

族長はそう言うと先陣を切って建物の中へと入っていく。
数名の部下を引き連れて族長が飾り気のない小さな建物に入ってみると、中は何もないホールだった。
周りを見渡しながら一歩一歩慎重に歩き、ホールの真ん中に立つと、力の限りの声で族長は叫んだ。

「おねがいだ!精霊よ!姿を現してくれ!」

シーン…

何も起きない…

「精霊よ!我らの願いを聞いてくれ!」

もう一度叫ぶが、やはり同じだった。
何か変化が無いかあたりを探してみるが、ゴミすら落ちていない室内に一行は絶望感を味わいその場にへたり込んでしまった

「やはり無駄だったか…」

ため息が出た。
藁にもすがる思いでここまで来てみたが、徒労に終わったと感じたのだ。
そうガックリと肩を落とす彼らだったが、静かな室内に何かが聞こえる。


ザ… ザザザ…

「ん?何の音だ」

「ョ…ぅこ・・ソ イらっしゃいました。どのような土地をお望みですか?」

最初はかすれ気味だったが、やがてはっきりと人の声が聞こえる。

「精霊よ!伝承は本当だった!あなた様は実在したのですね!」

族長の男は歓喜した。目には涙も浮かべている。

「どのような土地をお望みですか?」

声は繰り返す。

「土地?精霊様は我らに土地をお与え下さるのですか!ならば聞いてください!実はつい20日ほど前になりますか、この一帯の亜人種に対して、いきなり人間どもが襲ってきたのです。
既に数々の集落が焼かれ、蹂躙された集落の者共は悉く殺されました。今!この時にも奴らの軍勢は迫っております。
仲間たちは海峡まで達し、船を作っておりますが、海峡の向こうには他の部族が既におり、争いは避けられないでしょう…
精霊よ!我らに新たな土地をお与え下さるのならば、鉱物に恵まれた誰も住んでいない土地を!その慈悲で与えては下さいませんでしょうか!
なにとぞ!なにとぞ聞き届けてくだされ!精霊よ!」

「…お望みの土地を承りました。これより召喚します。」

声が終わるとホール全体が輝き始めた。

「おぉ!これが精霊の力か!すごいぞ!おい!このことを皆に伝えるぞ!すぐさま伝令に向かえ!」

族長は歓喜し配下に向かって叫び振り返った。
苦しい状況を打開できる。
恐らくは後ろで聞いていた部下たちも喜びの涙を流しているに違いない。

そう思って族長は涙をにじませながら振り返ったが

だが、そこにいたのは配下の男ではなく

血に濡れた人種の兵士たちと男の死体だった。


「な!?」


驚愕する族長をよそに兵士をかき分けて、初老の貴族風の男が一人現れる。

「はっはっは!下等種にしては中々面白いことをやってるではないか」

「貴様ら、どうしてここへ!?」

怒りの視線を向けるが、その男は笑いながら答える。

「いやなに。これから海岸へお前らを駆除しに行こうと思ったら。嬉しそうに森に入っていくお前らを見つけてな
この状況下で何を企んでいるのか探ってみたらこの結果だ。」

「くっ!」

「精霊を使って土地を召喚とは実に面白い。おい精霊!俺の望む土地も出せるか?」

「条件にもよりますが、先ほどの召喚が終わった後なら可能です。」

精霊の声があたりに響く。
兵士たちは姿の見えぬ精霊の声に狼狽していたが、この貴族は肝が据わっているようだった。

「そんなもの無視しろ!俺に征服地として麦で黄金に染まる実り豊かな大地を与えろ!」

「召喚を変更しますが、何が起きるかわかりませんがよろしいですか?」

「くどい!」

その精霊に対し余りに不遜なやり取りに、しばし呆然としていた族長も男の願いの内容に我を取り戻した。

「キサマ!なんてことを!」

「礼を言うぞ下等種。おかげで我が領地が更に増えそうだ。
その感謝の印としてキサマを始末した後に、海岸の仲間も寂しくないよう一人残らずあの世に送ってやるさ」

男の言葉が終わると同時に、兵士の剣が族長に突き刺さる。

「ぐぅ…」

「さらばだ。下等種の長殿」

「ぐ・・ぅ…貴様ら全員…地獄に落ちろ……」

「はっはっは。
かまうものか!
地獄でもお前らを征服してやるから、楽しみにしておけ」

男が笑いながら族長の最後を眺めていると、不意にホールの光の色が赤に変わった。

「!! なにごとだ!」

「さ、さぁ?分かりません」

付近の兵士が混乱気味に答えるが、男がその兵士を殴りつけて言葉をつづけた。

「キサマらには言っておらん!おい精霊!どうなってる!?」

「召喚に成功しましたが、途中で召喚を変更した影響で想定外の暴走が発生しました。これ以上、施設の維持が出来ません」

「なんだと!?」

聖霊の言葉に驚愕の表情を浮かべる男。
男は聖霊に向かい何とかするように喚くが、聖霊からの満足の行く答えは無い。
いよいよ駄目かと思い、逃げようとした男が爆発に包まれる前の一瞬。
最後に瞼に焼付いたのは、血だまりの中で満面の笑みを浮かべる族長の顔だった。







…ドーーーーーーン



遠くの森で火の手が上がった。

「…族長…」

族長に海峡を越える準備を任された男が、悲痛な面持ちで、しばしその方角を眺めてた。

「戦士長様。舟の準備ができました。出発できます。それと気になるのですが…」

作業を終えた男の一人が、おずおずと声をかけてきた。

「何だ言ってみろ?」

「何と言いますか、先ほどより南方に見たこともない島影が現れたのですが、あれは一体…」

戦士長と呼ばれた男は押し黙りその方角を見る。

あれは、精霊の下に赴いた族長の仕業か…

なんにしろ他にこれ以上の選択肢はないか。
意を決し、男は船に飛び乗り皆に向かって叫んだ。

「さぁ 皆の者!南方を見よ!我らが族長様が精霊のもとに赴いた事により
あの島が現れた!すべては族長の導きの下にある!
人種に迫害されし全ての種族よ!船出の準備はいいか?
さぁ!行こう!新天地へ!!」


号令の下、人の波が動き出す。
南に見える、この世界の誰も知らぬ島へと。



[29737] 起業編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:06
   転移



西暦2025年8月

道東 北見市


石津拓也(27歳)名古屋でサラリーマンをしている男が、道東の一軒の家の前に立っている。
2年ぶりの帰省だった。
ただし、今回の帰省はいつもとちょっと違った。

「たーだいまー」

ドアを開け、家の中に向かって叫ぶと同時に、母が迎えに出てきた。
待ってましたと言わんばかりの笑顔で家から出てくると一瞬で俺から息子の武(1歳)を奪っていく。

「おかえり、よく帰ってきたね」

親にとってみれば、三人息子の中で初めてできた孫
その初孫を連れた帰省は、親のテンションをおかしくしているようだった。
おかえりと返事をしてはくれるが、それ以外はほぼ無視で孫に付きっ切りである。
まぁ初孫だからしょうがないかと思いながら二人の様子を眺めていると
後ろから拓也に向けて怒りの声が飛んでくる。

「あんた!ボケっとしてないで荷物下すの手伝ってよ!」

嫁がキレていた。
拓也としては1分程度ボサッとしてただったのだが、車から一人で荷物を降ろし始めたお嫁様はそれが気に入らないらしい。
短気な嫁は拓也がぼさっとしている事には非寛容だった。

「あー ちょっと待ってて。重いのは俺が下すから。」

甲斐性の無い夫は、肉体労働で嫁の機嫌を取ることにしたが、彼女にしてみればさも当然というように荷物を押し付けてくる。


彼女の名はエレナ。
ロシア人で、拓也の嫁でもある一児の母。
海外旅行が趣味だった拓也は、ロシア旅行中に彼女と出会った。
日本のヴィジュアル系バンドの大ファンだったのが切っ掛けで、大の親日家だったエレナと意気投合し、そのまま勢いで結婚。
その時に会社の同僚は、まだ若いのに人生の墓場へようこそ等と言っていたが
その意味に拓也が気付いたのは、彼の小遣いが2000円に制限された時だった。


話は戻るが、遠くはシベリア出身の嫁さんは普段は美人だが、怒ると表情がサタンの如し、たぶん視線で人を殺せる。
そんな視線を背中に感じつつ、内心冷や汗をかきながら車から荷物を降ろしていると、他の家族にも一通り初孫を披露し終わった母が玄関先まで戻ってきた。

「まぁ、疲れてるだろうから、二人ともゆっくり休んでてね。
もうご飯も用意してあるよ。」

子連れの長距離移動は疲れるだろうと察してくれてか母の声は優しかった。




一時間後



荷物を下し終えた拓也は客間で寝転がっていた。

「はぁー… 実家は落ち着くわ」

本当に落ち着く
子供は親があやしてるから大丈夫だし、嫁は疲れて寝たし。
俺も寝るかなぁ…
拓也は用意された部屋で大の字に寝転がりながら、そんなことを考える。
やはり、実家を出て何年たとうとも居心地の良さは変わらない
そんな事を思いながら、だらけていると
不意にドアをノックする音が聞こえた。


コンコン

「ん?」

誰か来たな?
ノックの後にゆっくり扉が開くと、母親がにゅっと顔を出す。

「拓也、ちょっと悪いんだけどさ。畑まで兄ちゃん迎えに行ってくれない?
今日はあんたらが帰ってくるから早く帰ってこいって朝言ったんだけど、
たぶんあのバカ息子は忘れてるだろうから」

申し訳なさそうに母が言う。

「えー。親父は?」

正直、めんどうくさい行きたくないので誰か他の人に行ってほしい
拓也は他に使える人間が無いのか尋ねるが、母は手を横に振る。

「今夜は武田勤の後援会に行った」

武田勤。北海道12区の参議院議員だ
ウチの一家は北見市長時代から彼の事を応援していることで彼とは親交があった。

「参院選が近いから?」

地元に選挙のお願いをしつつ、選挙資金にパーティ券をさばきに来たのだろう。
地場を固めて小選挙区で勝っていれば、比例の枠を使うことも無い。
それに地元民としても、こういった会合に出ていることは人脈の形成に有効だ。
まぁ 地元を既に離れて何年もたつ拓也にとっては、全く係わり合いの無い話だが…

「そゆこと。で、行ってくれる?」

拒否は許さんとばかりに迫りくる母。
多分、孫から離れたくないんだろう。はなから自分が行くという選択肢はないようだ。

「ん~ だるいけど… まぁ、いいよ。車かして」

そうして拓也は「仕方たねぇか・・」呟きながら気合を入れてから起き上がる。
見れば母の手には、さっさと行けと言わんばかりに車の鍵が準備されていた。






それからしばらくして
夕方の麦畑に囲まれた農道を、一台の軽トラが進む。
周りを見れば遠くの畑に麦作組合の大型コンバインが列をなして収穫を行っている。
内地の人間が見れば、コンバインの大きさに驚いたりもするのだろうが、北海道の農家に生まれた身にとっては
何のことは無い退屈な風景であった。
そんな暇なドライブの退屈を紛らわそうにも、軽トラなのでロクなオーディオもない
しかたないのでラジオで流行曲を聴きながらハンドルを握る。
そんな対向車のほとんど無い農道で、左右に過ぎ去る黄金色の波を傍目に運転していると、曲が終わって夕方のニュースが流れてくる。


『……次のニュースです。ロシアとの日本の共同で開発が行われている国後島沖油田の歯舞経由パイプライン完成しました。
パイプラインは新設された釧路の製油施設に接続され、我が国のエネルギー供給の一翼を担うことが期待されます。
これに伴いロシア側よりニコライ・ステパーシン氏が完成式典に参加。2島返還後初めてとなるロシア高官の来島となりました』


「おぉ やっと完成か。
ついに道東エリアに石油だよ。
しっかし、サハリン2の事があるのによく共同開発に参加したもんだわ。」

拓也はラジオを聴きながら率直な感想を漏らす。
期待と驚き半分で拓也が聞いていたラジオから流れてくる内容。
それは、国後島南東沖に眠る石油天然ガスの開発が遂に本格稼動し始めた事を知らせるものだった。
前世紀の大戦の結果、南千島はソビエトの手に落ちた。
その後、ソビエト崩壊のどさくさ等に何度かの返還の機会は会ったものの、四島一括に拘る日本は機会を逃し続け
そのまま永久に返還は無いかと思われたが、国後南東沖の石油開発に東アジア諸国の資本が手を上げる段階に至ってようやく二島先行・残りは追加協議という妥協を飲むに至った。
そもそもオホーツク海はロシア海軍の庭。
国後、択捉の返還は現実味が低かったのと、このまま座視していては本来は日本の国益のために使われる資源が、他の東アジアに流れることを危惧した政府の判断だった。
まぁ その妥結に至るまでは一括全島返還論じゃの厳しい批判があったが、もっとも現実的な判断であった。
そこまで妥協してやっと手に入れた地下資源。
これが北海道経済に良い刺激を与えることは疑いようも無かったが、それでも不安の材料はある。
それは、サハリン2の開発時にロシアは開発の資金を欧米と日本に出させ
施設が出来上がったとたんに利権を奪い、日本に供給するはずの天然ガスを中国に売りつけた前科があったのだ。
だが、今回は政府にも保険がかけてあった。石油開発の資金を日本側が持つ代わりに返還された歯舞、色丹。
その歯舞に処理施設を建設し、パイプラインを日本に引くというものであった。
歯舞群島の勇留島は、陸上処理施設と石油輸出ターミナルが整備され、志発島には石油備蓄基地が作られた。
さらに勇留島から伸びたパイプラインは、釧路に新設された精油所に接続され、道東に一大石油産業が整備されていった。

拓也は、そのニュースを聞いてしみじみ思う

これで、万年不景気の北海道経済が少し上向いてくれるといいんだがなぁ。地元が過疎って寂れるのはつらいもんがあるし。

そんな事に思慮を巡らせてると、軽トラは目的地の畑に到着した。
畑は広いが遮蔽物が無いため見渡しは良い。
見れば、迎えに来た拓也の兄は、自分の畑に入ってきた車から拓也が出てくるのを見つけると
作業を止めてすぐに駆けつけてきてくれた。

「おー すまん すまん。帰ってくるのすっかり忘れてたわ」

あまり悪いと思ってなさそうな笑顔で謝罪してくる兄
その顔をみて、どうしょうもないなと思いながら拓也は言う

「にーちゃん。どうでもいいけどさ、早くかえんべ。俺、腹減ったよ」

名古屋からの長距離移動の後、せっかく休めると思ったら兄の迎えに出されて少々不満がたまっていた拓也は兄に向かってぶーたれる。
その不満そうな様子を見て、さすがに申し訳なくなってきたのか

「そうすっか。ちょっと、まってろよ」

といって、おもむろに無線を取り出し、指示を飛ばす。

『HQから各機へ。俺ちょっと先戻るから片づけよろしくな』

若い農家は高確率でオタになる。
兄もその例に漏れていなかった。
それにしても各機なんて言って、なんかのゲームの真似だろうか。アラサーなのに未だに中二病的な思考回路が維持されている兄は、実の弟からみても実に痛々しかった。

『ザザ… 了解しましたマスター』

…はい?

拓也はすごい違和感を感じた。
兄が無線で帰ることを伝えると、すぐさま若い女の声で返事が来た。
てっきり相手は近所に住んでるオタ農家仲間のヒロキだと思ったのだが…
これは遂に念願の農家の嫁が来たのであろうか?
農家の跡取りの問題は実に切実な問題である。だが、親父もかーちゃんも今までそんなことは一切言わなかった。
拓也は一体何事かと兄に詰め寄る。

「…マスター? それと何?HQ?まぁ兄ちゃんが中二病をこじらせてるのは平常運転って事でいいとして
え?遂に兄嫁できた?それとも、女の子雇って遊んでんの?」

眉を潜めて兄貴をじっと見る。
兄嫁フラグであれば嬉しいが、妙に金のある本家の跡取りとして農家をやっているこいつの事だ。
最悪、バイトで雇ったねーちゃんと遊んでいる可能性もある。

「いやいや。遊んでねーよ。それに人雇ってもいねーし」

こんな言い訳をしているが、では兄嫁だろうか…
でも、兄貴の事をマスターとか言ってる女が親戚になるのも嫌だなぁ
ノリノリでやっているような奴なら頭のネジがぶっ飛んでそうだし
嫌々ならば、表情は悔しそうに、それでいて声は平然を装いつつ… 弱みを握った糞な兄貴の命令に従い顔を真っ赤にして「マスター…」と言わされる美女

 …いかん。ゾクソクしてきた。妄想はこの辺にしよう。
拓也は頭を切り替えて兄に質問する。

「んじゃ、あれは誰だよ」

その拓也の質問に、兄は待ってましたとばかりに声を上げる。

「あれは道内企業の雄。キセノンフューチャー製の作業用ロボット、農家ロイド39型だ。ちなみに4体買った。」

兄はふふんと鼻を鳴らしながらドヤ顔で畑を指差す。
そしてその先には、コンバインとトラックを運転する青い髪をした人影が二体見える。

「買った!?高いんじゃないの?金はどっから?4体?」

驚くのも当然だ、名古屋でも人型ロボットを使う会社はまだ珍しい。
たしか、一体で一千万位した筈だ。
それがどうして、北海道の農家に4体もいるのか。
本家の経済状況を考えても安い買い物じゃないし、労働力なら機械化の進んだ北海道農業なら、農繁期に一人二人の暇な大学生でもバイトで雇えば事足りるはず。
まさか…最悪の想定だが、自分の趣味の為に借金して買ったのではないだろうか?
はたして、実家の経済状況は大丈夫なのか?
そうして実家の未来に深い憂慮を抱きながら拓也は兄に金の出所を聞く。
だが、それに対する兄の態度は、此方の質問を丸っきり読んでいたといわんばかりのものだった。

「安心しろ。国の農業振興助成金を使って8割引きだ。それに道からも1割出たぞ」

にっこり笑って答える兄貴。
だが、その内容には愕然とした。
農業振興に国がばら撒いている金。それが…こんな事に使われていたのか…
確かに、長期的なビジョンで見た場合、労働力の確保としては正しい気もする。
だが、あきらかにコイツは趣味がメインのオーラが漂っている。
汗水たらして得た給料から天引きされた国民の税金が、こんな趣味の世界に使われてるとなると情けなくなる。

「なんだろう、この気持ち… すごい不公平感を感じる… まぁ、それはいいとして、なんでマスターって呼ばせてるの?」

国民の血税の行く先に酷い不平を感じつつ、ジト目で睨む。
だが、目の前の兄はそれに臆するどころか、堂々と胸を張って言い切った。

「もちろん趣味だ。ロボットの主人をマスターと呼ばせるのは、古のマルチ、セリオより続く日本の伝統だからしかたない」

予感は的中した。
まぁ マスターと聞いて拓也はてっきり某騎士王かと思ったが、由来がお漏らし掃除ロボだった事については予想外だったが…

「ちなみに調教の結果、歌って踊れるようにもカスタムしてある。」

「補助金使ったんだから、用途を農作業用に限定しろよ!」

動画サイトにもアップしたから今度見てくれよと兄は言うが
そのドヤ顔を見ているとイライラが溜まってくる。
なぜ、世の中の金の流れはこうも不公平なのか…
こんな馬鹿が数千万の補助金で遊んでいることへの嫉妬とドヤ顔で語る兄の相手をするのに疲れた拓也は、うんざりした気持ちで一杯だった。

「OKOK。分かった兄ちゃん。とりあえず、もう帰るべ」

これ以上話を聞いていても疲れるだけだと判断した拓也は投げやり気味に帰宅を促して踵を返す。
もうさっさと帰ろうと軽トラに乗り込み、エンジンを掛けつつ兄の様子を見てみるが、何をしているのか帰ろうとする気配が無い。

「なぁ さっさと帰るべ」

ボケッと突っ立っている兄の姿に拓也は痺れを切らし、窓から顔を出して声を掛けるが、それでも兄は空を見ながら固まっていた。
そして、その視線は拓也の後ろの空を凝視していた。

「あぁ…それはいいが。おい…拓也。ありゃ何だ?」

信じられないものを見たかのような口ぶりで兄が夕空を指差す。
拓也の頭越しに指差されるその方向、その先には信じられない光景が広がっていた。

夕日で黄金色に染まった畑の上空、天頂からじわじわと白く空の色が変わり始めていた。




異変より6時間後
北海道庁 緊急対策本部



本来は地震等に備えて作られた災害対策本部に道庁の主要な面々が集まっていた。
真ん中に座るのは、北海道で2代目の女性知事。「高木はるか」スーツから溢れんばかりの色香が溢れ、政治学の博士号を持っているという
30代での若さで知事に選ばれた才色兼備の政治家として有名だったが、その表情は暗い。

「現状は何か掴めましたか?」

この日、何度目かの質問が飛ぶ。

「いえ本日17:00頃に出現した半透明の膜は、依然として本道全域を包んでおります。
それと、膜の通過を試みた旅客機の一機が墜落し、現在生存者の捜索に当たっておりますが、絶望的との報告が消防より入りました。現在空港は全便欠航、港にも出航を見合わせるよう通達を出しています。
青函トンネルについても同様の膜が確認されたため通行禁止になりました。」

「一切の出入りが出来ないの?」

職員の報告に高木知事が問い正す。

「は、これについて空自の偵察機が確認を行いましたが。無人機では問題ないのですが
有人機が突入した場合、同様に墜落したとのことです。
それと、まだ未確認の情報ですが、膜が降りて以降に道内に侵入した貨物船が座礁しました。
海保が乗員の救助に向かいましたが。死亡しているとの情報があり、現在確認を急いでいます」

高木は余りの突拍子もない事態に眉間に皺を作り考えてみるが、何が起きたかはっきりしない以上、対策の取りようがない。
現在下した命令も原因究明と道外へのの出入りを全部止めただけ。
航空機の墜落等のこれ以上の被害拡大を食い止めたが、根本的には何も解決していない。

「政府からの連絡は?」

せめて、政府は少しでも情報を掴んでいることを願いたい。
だが、高木の思いとは裏腹に、職員の報告はその期待を裏切る。

「政府も混乱しています。非常事態を宣言し調査を続けていますが、情報収取衛星からの映像では
膜の範囲は北海道全域と南千島が包まれている模様です。
その他の情報は、あまり我々と大差がありません。ただ"原因不明"と…」

報告によれば、この問題は北海道だけに留まらないらしい。
国境を越えた問題ならばと、知事は質問を続ける。

「南千島もですか。ロシア側の情報はありますか?」

だが、職員は難しい顔をしたまま高木の質問に首を横に振って答えた。

「今はお互いの本国同士が連絡を取り合っている状態なので
今のところ政府から降りてきた情報はありません。」

当事者同士が話合いを上に丸投げしているのか…
これはいけない。
既に犠牲者が出ている事態なのに、仮に向こうで何かしらの兆候があった時に情報が回ってくるのが何時になるかわからない。
国家としては問題があるのだろうが、非常時だ。
現場の裁量で少しでも打てる手は打っておくべきだろう。

「南千島側と独自に接触を持ってください。情報は今は何よりも大事です。」

「ですが、道庁には適当なパイプを持つ人間がおりません。今までの交流は外務省のお膳立ての下でしたし」

職員は管轄外だから無理だと全力でアピールする。
なにせ今までは、ビザなし交流だろうと外務省の管理下で行ってきた。
現地の人間と交流と言っても、国に舞台を用意してもらった上での話でしかなかった。
いきなりやれと言われても、無理に違いない。
だが、そんな彼の言い分を高木は無視する。
やったことが無いから出来ないではすまない。やるしかないのだ。

「あら?ロシアとのパイプなら根室に良い人材がいるじゃない。たぶん日本で彼以上にロシア側とパイプを持つ人はいないわ」

高木の"根室"と"ロシアとのパイプ"という言葉、にその場の全員が一人の人物を思い浮かべる。


鈴谷宗明。
小柄でエネルギッシュな顔の男は、日露間の外交に絶大な影響力を持っていた。
だが、過去に政権与党に在籍していた際、当時の人気取りに走った無能な外相と衝突し
マスコミから徹底的に嫌われて失脚し、当時の与党から離党までしていた。
だが、ころころ首相が変わり、外交方針の定まらない日本政府より鈴谷の方がロシア側からの信頼は厚かった。


「では、すぐさま鈴谷氏と連絡を取ります。」

パイプ役が居るのであればと、職員はすぐに行動を起こそうと退出しようとするが、ある事を思いついた知事が職員を呼び止める。

「あぁでも… あの人って、もう与党の議員じゃないのよね。
いくら非公式でも、野党の議員一人じゃ弱いわよね。
誰かサポートにいい人いないかしらね…」

政治力学上、野党議員と与党議員では影響力がまるで違う。
高木が唸りながら呟くと、それならばと人材に心当たりのある他の職員がポンと手を叩く。

「知事、それなら武田氏はどうでしょうか。あの人は南千島交流促進議連の会長ですし
今は、北見で後援会のパーティに出席中のはずです。」



武田勤。
大柄で熊のような参議院議員
かつては政権与党の幹事長を務めていた。
一時は野党転落時に自分の派閥議員の2/3が落選してしまうなどの事があったが
政権交代後の与党があまりに無能過ぎ、与党が選挙でほぼ全滅したため
派閥を率いて返り咲いていた。


「良いですね。対露接触はその二人に同席をお願いしてください。」

「はっ!」

その高木の指示を受けた職員が足早に対策室から去ってゆく。
とりあえずの行動は決まった。
といっても、現段階で決定できる事項が情報収集くらいなのでその範囲拡大だけなのだ…

「みなさん。では、引き続き持ち場で情報収集に当たってください。
政府からの情報及びロシア側の情報は特に注視してください」

そう高木は対策を話合っていた全員に指示し、視線を対策室に設置したモニターに戻す。
そこに写されているのは北海道を囲む正体不明の白い境界線。

「それにしても…」

高木が生唾を飲む。

「一体どうなるのかしらね」

その日を境に、道庁の長い一か月がはじまった。






同日









択捉島 ユジノクリリスク



「いったい!どうなってるんだ!」

ダン!と机を叩く音が部屋に響き渡り、神経質そうな男が激高している。
男は凄まじい形相で報告を持ってきた軍の将校を睨み、それを真正面から受ける将校も一歩引いてしまうほどの勢いであった。

「現状では不明です。
本国から飛来した偵察機は膜を通過直後に墜落し、こちらから出た偵察機も墜落しました。
本国からは膜のエリアぐらいしか情報が来ておりません。
そして日本政府も相当混乱しているようで、日本側の報道と合わせても我々以上の情報はありません。」

理不尽な怒りの矛先を向けられても淡々と答える将校。
男もその報告を聞き、それ以上哀れな将校に怒りの矛先を向けるのを止める。

「クソ!」

悪態をつく男の名はニコライ・ステパーシン。
ロシア連邦防諜庁、ロシア連邦首相を務めたが、時の大統領の利権を守れないと判断されたため解任され、現大統領のプーシキン氏と交代させられた経歴を持つ。
そんな彼は、露日経済協議会代表の肩書があるため、歯舞での石油パイプラインの完成式典の為に丁度南クリルにまで来ていた所だった。

「こんな辺境に閉じ込められるとは…」

ステパーシンは眉間に皺を寄せたまま片手で頭を抑える。
ロシア側の領域の内、異変によって隔離されたのは国後、択捉の二島だけ。
緊急時の対応をしようにも、此処はサハリン州の州都ユジノサハリスクからも遠く離れている僻地であり、現地に取りまとめをできる地位の人材がいなかった。
そのため、臨時で現地の指揮を取るようにとのモスクワからの指令を受けたのだが、正直なところこんな僻地を抜け出して早く本国に帰りたいと彼は思っていた。
国後、択捉の二島は、『クリル(千島)社会経済発展計画』でインフラが少々整ったとはいえド田舎の辺境であることには変わりがない。
その上、臨時の肩書な上に自身の基盤がない土地であるため居心地が悪い。
特に一緒に式典に参加した国営ガス企業の奴らが気に入らない。
自分の首相の座を奪った現大統領の息のかかった奴らは、こちらの言うことを全然聞かないのだ。
本社とモスクワには連絡を取っているようだが、こちらの指示に対しては「本社に聞いてみます」とさらりと流しやがる。
こんなことなら偵察機代わりにまとめて送りだしてやればよかった。
有能なパイロットが犠牲になるより、唾棄すべき政敵の犬が犠牲になるほうが何倍もマシだ。
例え、その犠牲に意味は無くも…
そんな感じでステパーシンが半ば本気で彼らの絶滅を祈っていると、電話の出し音が部屋に響いた。

トゥルルルルルル…

即座に将校が電話に出る

「アリョー こちら臨時対策室。…・あぁ…分かった。ご苦労」

「どうした?」

将校が電話を置くのを確認すると、ステパーシンが何事かと尋ねる。

「北海道側が非公式に接触を打診してきました。相手方の代表は、あの鈴谷と武田議員だそうです。」

ステパーシンはその名前に思い当るところがあった

「鈴谷? あぁ、首相時代にモスクワで何度かあったよ。
そうか… 彼も閉じ込められたか」

幾分か落ち着きを取り戻したステパーシンは、どっしりと椅子に腰掛けながら鈴谷のことを思い出す。
彼は確か日本側の領土返還運動で先頭に立ち、なおかつ現実を見れている人物だった。
此方の文化にも精通し、中々の好人物だったな。
それに武田。彼は国後の油田開発の際に面識があったな
最悪、ここに閉じ込められた場合、北海道側とのコネを作っておけば、大統領の息のかかった奴らと渡り合う時に有利になるだろう。
なにせ本国は直接干渉はできないからな。
ステパーシンは現在の己の置かれている状況と、これから先にすべき事に一瞬で思慮をめぐらせ決断した。
クリルでのイニシアチブを確実にするために動くなら早い方がいい。

「よし、会うぞ!すぐさまセッティングを頼む!」

北海道側からの接触とステパーシンの決断。
それは異変前は近くて遠い存在だった両者が、生き残りを賭けて歩みだした最初の瞬間であった。





3日後




その日の同庁は、膜発生の混乱が発生した異変初日に並ぶくらいの慌ただしかった。
その理由はちょっと窓を開けて空を見れば誰もが理解できた。
発生から3日間特に消失するでもなく変化の無かった膜が、夜明けとともに変化が現れたのだ。
最初は半透明だった膜が、天頂部から徐々に真っ白な膜に代わりだし、
変異から3時間後には空をすっぽり蓋ってしまった。
変化は見た目だけではなかった。電波の送受信も遮断されたため、衛星通信が使用できなくなったのだ。
それに今までは無人機が膜を超えて情報収集に当たっていたが、白い膜に変化してからは物理的な越境もできなくなっていた。

「政府は何と言ってるの?」

対策本部の会議室で、目の下にクマを作り疲労の色が濃い高木知事が職員に尋ねる。

「米軍のグローバルホークが膜に衝突して墜落しました。海上からも接触してみたそうなのですが、変化後の膜に対する物理的通過はできないとのことです。
調査には米軍も協力し、膜の一部に艦砲射撃等の破壊工作を実施しましたが、膜に変化は見られなかったとのことです」

最悪だ。
高木は職員の説明を聞き、思わず目頭をつかむ。
職員の報告は事態の悪化を告げている。
人が通れないだけならば、まだ遠隔操作で物資を運ぶ手段がった。
だが、変化後の白い膜は物理的に越えられないという。
これでは、物流が完全に止まり、北海道経済や文明そのものが維持できず破綻する。

「通信障害の方は?」

「白い膜は電波も完全に遮断している模様です。 
それよりも膜の変化ですが、膜は海面に達すると変化のスピードを変えました。
現在は毎時40cm程度で海底へ向かい変化中ですが、海底到達後も同じスピードを維持した場合、27日後には青函トンネルも塞がれてしまいます。」

「最後の生命線も時間の問題というわけね」

最後の生命線。
無人車両を使っての貨物輸送。
おそらく、これ以外に実用的な物資輸送手段は残っていない。
そして、それが使える最終リミット予告が出され、膜が無くなるという確証がない以上、もうここは腹をくくるしかない。
施政者として常に最悪に備えたリスク管理は必要不可欠。そして、今こそ、その最悪に備えて行動するとき…
高木は一度深く深呼吸をすると、それまでの疲労感漂う表情から決意を含んだものへと表情を変える。

「物資を完全に遮断された場合、北海道経済への影響は?」

「短期では景気の悪化により倒産が増え失業率が悪化します。
長期では、皆さんもご存じの通り北海道経済は第一次産業と第三次産業の割合が大きく、第二次産業…とりわけ製造業の規模が小さいです。
これにより産業の基幹技術や機械の購入元が失われ、産業技術を体系的に保持していない北海道では産業文明が崩壊します。
ただ幸いなのが国後沖油田のパイプラインは既に稼働していますので、しばらくは燃料を自給できますが、…それだけです。
文明崩壊後は油田の維持も困難になり、いずれ全てが失われるでしょう」

淡々と事実を報告する職員。
その事実は実に厳しかった。

「今までの農業とサービス業一辺倒だったツケが来たってわけね。」

手で顔を蓋いながら知事が呟く、頭の痛い話だった。
そして、それに追い打ちをするような報告が続く

「特に道外からの観光客が絶たれた為に、観光に関わる産業は壊滅でしょう。大量の失業者は生活保護では賄いきれません。道の財政が破綻し、餓死者も出るでしょう。
しかし、例外的にハイテク関連については望みがあります。道内には汎用ロボット及びマイクロマシン工場の誘致に成功したため最先端ロボットの技術体系は保持しています。
ですが、半導体関連については生産設備が一切ありません。他の製造業は規模こそ小さいものの多少は存在していますから規模拡大で対応できますが
こちらは工場そのものが無いため、長期に隔離された場合には高度情報化社会が崩壊し、社会インフラが40年は後退します。
まぁ 文明崩壊の際は40年どころでは済まないのですが…」

職員の報告の内容から考えるに、北海道の未来には最早一刻の猶予もなかった。
対応が後手に回れば、北海道の文明社会が崩壊する。
27日という限られた時間制限の中で産業の種を蒔かなければ全てが終わるのだ。
北海道存亡の自体だという報告を聞いて、同席する全ての人間からの視線が高木に集まる。
この難局をどう乗り切るか…
高木は、皆の視線に答えるように、ゆっくりと其れでいて決意を持って話始める。

「…施政者たるもの、常に最悪に備えなければなりません。
これより道として、完全隔離後に文明を維持するためにあらゆる手段を講じます。
先ずは混乱収集のための物資統制と、将来的な文明崩壊回避のための基幹技術体系の取得を行います。
技術の収集については政府に大規模な支援を要請しますし、これは全道民が一致して取り組まなければならない事案です。
これについては、道民の皆さんにも現在我々が置かれている状況と我々に一体何が必要になるのか説明し、理解を得なければなりません。
そのためにも事実を全道民に発表する記者会見を行いますので、3時間後にプレスルームにマスコミを集めてください。
…我々は挙道一致で進む以外に道は無いのです」


慌ただしかった道庁が更に慌ただしくなる。
だがしかし、先ほどまでの慌しさとは明らかに違う。
庁内を慌しく歩き回る職員の表情一つとっても混乱とパニックを含んだ悲壮感は既に無く、今は一つの方向性に向かっての動く使命感を持った表情に変わっている。
それは、北海道が一つの方針に向けて動き出した瞬間だった。





その日の晩のニュースは全道民にとって一生忘れられないものとなった。
緊急の記者会見が開かれ、その中で知事が内地との行き来が不可能になった事を説明し、約一ヶ月後の完全隔離後に備えて物資統制を開始すること、文明維持のために必要な産業には大規模な支援を行うこと、
道民の道外資産を売却しそれを道内開発へ回す官製ファンドの創出を発表した。
当然にして、テレビに映し出されるプレスルームの様子は、驚愕した記者たちの質問攻めで騒然となっていた。
その様子を、晩飯を食べながら見ていた拓也と家族はしばし呆然としてしまった。

「…マジかよ」

他に言葉が出てこなかった。
あまりに突拍子もない事態に思考が追い付いていかない。
そしてそれは、嫁のエレナも同じだった。

「あんた?一体どういうこと?」

混乱したエレナは拓也に問いかけてくる。
拓也も全てを飲み込めた訳ではないが、テレビで説明されている事を簡単に説明した。

「なんだか、北海道から出られなくなったみたいだ。」

要点だけを簡潔にエレナに説明するが、あまりに突拍子も無い答えに、彼女は何をバカなという視線を拓也に向ける。

「まったまた、そんな事があるわけないでしょ? あんたの冗談は面白くないわね」

笑いなが冗談でしょ?と話すエレナ
その情報源がTVでの知事の発表であった以上、ただ事でない事が起きたのはわかるが、言葉の上では理解しても実際のイメージとして理解することが出来なかった。
エレナは半分笑いながら拓也に言う。

「あんた、いつまでそんな顔してるの? そんな何時までも出れないなんてあるわけ無いでしょ?
その内元通りになるわよ」

「まぁ 知事も最悪の想定だといっているけどさ…」

「なら、まだ別に決まったわけじゃないんでしょ?心配要らないわ。」

心配要らないとエレナは拓也に言うが、その表情は笑っているようでどこかぎこちない。
元が白いので余り気づかなかったが、よくよく見れば少々顔面が蒼白している。

「ふぅ… なんかちょっと驚いて疲れちゃった。
今日はもう寝るね。あなた、武のことお願いしても良い?」

「あぁ 飯食ったら、お風呂に入れて寝かすよ。
それにしても、本当に大丈夫か?」

「…うん。ちょっと休めば大丈夫だと思う」

そう言って、しずしずエレナが食堂から出て行く。
エレナは少し休めば大丈夫と言っていたが、結局その日は起き上がってくることは無かった。


翌日、朝食の時間になっても元気の無いエレナに見かねた拓也は、唐突にエレナに一つの提案をした。

「サロマ湖行こうぜ」

ベビーにご飯をあげている最中のエレナに唐突に話す拓也。
朝食を食べ終わった拓也が、何の脈略も無く言い出した事にエレナはきょとんとして聞き返す。

「サロマ湖?なんで?」

「いや、なんか元気が無いように見えたからさ。
ちょっと気晴らしにサロマ湖行こう」

「別に良いけど。サロマ湖って何があるの?」

「いや、別に何も… 景色が良い以外何も無いけど。
あと、ほら。近いし…」

「近いって… まぁ、近場だと美幌峠も屈斜路湖も何回も行ったから、たまにはそういうのも良いかも知れないわね」

「じゃぁ 今日はサロマ湖な。距離は50kmないし30分強くらいでつくよ」

そうと決まればと、拓也は準備を始める。
北見から見た場合、サロマ湖はそう遠い場所ではない。
というか、市内の名所を回るだけである。
まぁ東西に110kmの長さ誇る北見市の市内という表現は、イロイロと普通じゃないのだが…
そんなこんなで一行はあっという間にサロマ湖へと着いた。
途中ほとんど信号も無く、渋滞などありえない道路事情からすれば当然であったのだが。

「臨時休業…」

「閉まってるわね」

サロマ湖の観光名所のひとつ、ワッカ原生公園についた拓也を待ち受けていたのは一枚の札。
片道5km近くある遊歩道用の貸し自転車屋に下げられた臨時休業の文字だった。

「やっぱり、こんな非常時に遊びに出かける人なんていないのよ」

ふぅ… とエレナはベビーを抱きながら溜息を吐く。

「いや、でも、ホラ。遊歩道自体は開いてるから武の散歩には問題ないよ」

「片道5kmも?」

予想外の事態に若干あせりながら拓也は弁明するが、それに対するエレナの視線は冷たい。

「そこまで行かなくても途中から海岸に出られるし。
武も海は初めてだから、砂浜で遊ばせてやろうよ」

エレナは拓也のベビーを遊ばせてやろうという提案に、少し考えるも分ったと頷く。

「まぁ たまには長い散歩もいいかもね」

エレナはそう言って、拓也に先んじて遊歩道に向かって歩き出した。
とはいってもサロマ湖の遊歩道は長い。オホーツクと湖を隔てる地峡のような地形の上に若干のアップダウンがありつつも延々と道が続く。
季節は夏。北海道の肌寒い夏の空気の中、拓也らの他にそこを訪れる客の姿は一切無い。
遊歩道の周りにエゾスカシユリの大規模な群生が既に花を散らした姿で広がっており、明らかに来るシーズンを間違っていた。
それでも遊歩道の入り口から数百mも進むと海岸へ続く横道が現れ、拓也達は迷わず横道にそれる。
長い長いオホーツクの海岸線、曇り空のためか海は少々冷たい色をしているが、誰も居ない広大な海岸は心を解き放って開放的な気分にしてくれる。
白い波、浜辺に落ちた海草や貝殻、漂着したさまざまな言葉でかがれたゴミ類に座礁船…

「座礁船!?」

拓也は浜辺に広がる光景に目を疑う。
浜辺に打ち上げられた各種漂着物に混じって船が一隻砂浜に乗り上げている。
さほど大きくない中型の漁船程度の船体が波を受けて大きく傾き、船底の一部を晒した格好になっている。

「すごい物が漂着しているのね…」

拓也の横からそれを眺めるエレナも、予想外の漂着物に驚く。

「あれ?でも見ろよ。電気がついてるよ。
船体も新しいし、もしかしたら海難事故じゃないか?」

初めてこの場所に来た拓也達には、その座礁船が何時からあったのかは分らない。
だが、遠くから見ても船のブリッチに未だに明かりがついていることから、座礁したのはつい最近だと想像出来た。

「ちょっと、見てくる」

「え?」

もし事故か何かなら救助を求める人がいるかもしれない。
そう思って一人で見に行こうとするが、驚いたエレナに腕を掴まれる。

「危ないかもしれないし、ここは警察に電話よ?別にあなたが行く必要ないじゃない」

確かに状況が不明だし、駆け寄ったとして拓也に何が出来るのかという問題もある。
しかし、一種のヒロイズムと好奇心からか拓也の考えは変わらなかった。

「大丈夫。ちょっと見に行くだけだから。
とりあえず、エレナは警察に電話してここで待ってて。直ぐに戻るよ」

そう言って拓也は掴まれた手を優しく包みながらエレナを諭すと、不安そうな表情を残すエレナを置いて船へと進む。
近づいてみると、船の喫水は意外に深く大きな船体であったが、大きく傾いている事もあって無理して弦側を上る必要も無く、すんなりと船上へと到達することが出来た。

「人影は無いな。もう避難したのかな?」

拓也は周りを見渡してみるが船上に人影は無い。
所々に漁具が散乱しているだけであった。
誰かいませんかと何度か拓也は呼びかけるものの、其れに対する反応もゼロ。
拓也は不審に思いつつも船上を徘徊する。

「ブリッジにも誰もいない… うあぁ!!」

窓越しにブリッチを見るも人影は無い。
だが一応ということで拓也はブリッジを覗き込むと、床にうつ伏せに倒れる人影があった。

「大丈夫ですか!?」

すぐさま駆け寄り声を掛けるが、反応が無い。
拓也は気が動転して倒れている体をゆすり、仰向けにした。

「うわ!」

だが、その倒れていた人物の顔を見るなり、拓也は思わずその体を放り出して後ずさる。
思えば、体を掴んだときに気づくべきであった。
その体が、予想に反して軽かったのを…

「ミ… ミイラ化してる!?」

見れば倒れていた人影は、まるで干物のように乾燥して死んでいる男の死体だった。

「つ、作り物じゃないよね?」

拓也は改めて観察してみるが、細かい箇所を見ても目の前の其れは作り物とは思えない。
だが、色々と不審な点はある。
何というか…新しいのだ。
持ち物や服はつい先ほどまで来てたような感じで、死体の顔についても傷一つ無く、体から水分だけを抜き取ったような感じであった。

「とりあえず、警察はエレナが呼んでるからいいとして、他にも探してみるか…」

拓也はそう言ってその場を離れる。
目の前の死んでいる男には、実は瀕死で生きていたなんて可能性は万に一つも無さそうだし、下手に死体を触ると警察の対応も面倒くさそうだ。
そう考えた拓也は、どこか生存者はいないかと船上を歩き回る。

「倒れた網カゴの下とかは大丈夫かな…」

仮に誰かが散乱した漁具の下敷きになっていないか拓也は入念に船上を調べる。
倒れたカゴを浮かし、散乱した魚網を持ち上げる。
だが、これといって他の乗組員は見つからない。
そう広くない船内だ、もう他はいないのかなと探索を打ち切ろうとした時、拓也の視界にあるものが入った。
小さく開いた生簀の蓋。そしてその中に光る小さな光。

「ん?生簀の中に何かあるのか?」

不審に思った拓也は生簀の蓋を開け、息を呑んだ。

「なんだよこれ、密輸船か?」

拓也の目に映ったのは、生簀に偽装された船室だった。
見れば、昇降用の梯子があり、中にパソコンや複数の箱が置かれている。
一体これは何なのか。
好奇心に駆られた拓也は、その隠し船室のはしごを下る。

「さっき見えた光はこれだったか…」

暗闇の中で光る赤や青のLED
その大元は船室の机の上に置かれたノートパソコンだった。

「しかし、暗くてよく見えないな。電気はどこだよ」

一応開けっ放しの蓋からは日光が入ってきているが、薄暗い船室の様子を詳しくうかがい知ることは出来ない。
拓也は壁を伝いながら電気のスイッチを探し、室内の壁にかかった調度品かなにかをボトボトと落としつつも其れを見つけた。

「スイッチは…これだな。 って、うわ!」

明るくなった室内に浮かび上がったのは、イスに座ったまま干からびて死んでいる男の死体。
辺りを見れば、もう何体かの死体も床に転がっていた。

「ふぅ… ビックリしたな。
っていうか、こいつら一体なんなんだ?偽装漁船なんかに乗ってるってことはヤバそうな匂いがプンプンするけど…」

そういって拓也は、死んでいる男たちの正体を想像しつつ、室内に詰まれた木箱の一つを開けてみた。

「これは… MP7か!」

拓也は目を丸くした。
木箱の中に緩衝材と一緒にギッシリと詰め込まれていたのはドイツ製の短機関銃。
趣味でそういった知識を齧っていた拓也は、その独特の形から一発で判断した。

「うわ、武器密輸?想像以上にヤバイ船だわ…」

拓也はそう呟きつつも、船内に積まれている他の箱も開けてみた。
そうすると出るわ出るわ手榴弾から拳銃至るまでザックザクと見つかる。
拓也は趣味人としては一つくらい失敬したい衝動に駆られるが、どうにかそれを押さえ込む。

「うーん。一つくらい欲しいけど、絶対これってマフィアとかヤクザ向けだよな。
それに警察ももう直ぐ来ると思うし我慢我慢…」

発見した武器の内容から推測するに軍用というよりはマフィアの抗争用といった趣が強い武器の数々
一通り中身を確認して箱を元に戻した拓也は、ある一つのものに注目した。

「そういえば、パソコンが起動しっぱなしだけど何やってたんだ?」

疑問にも思った拓也は机の前に座る死体をどけると、起動していたノートパソコンのマウスを動かす。
すると、スリープモードから解除されたパソコンが再び立ち上がった。
モニターを覗き込むとなにやら作業中だったらしい。
起草中のメールが送信されずに残っていた。
メールに対する返事を書こうとしていたのか、メールの記入画面には返信用の履歴が入っている。
その日時は4日前。
ちょうど異変が起こり始めた日だ。

「そういや、膜を超えると死ぬとかネットやニュースでやってたな」

拓也はこの船も運悪く膜を超えてしまったのかと想像しながら書きかけのメールを読み進む
英語で書かれていたそれは、この船の目的がズバリと書き込まれていた。

「うは、半島の軍閥へのセールスか… 図面と武器一式を積んだ船の入港予定日の連絡?この船のことかな…」

拓也は好奇心に駆られて書きかけ中のメールを閉じると、他のメールフォルダも漁る。

「フリーランスの武器商人なんて、漫画か映画の世界だと思ってたけど本当にいるんだな。
えーと、アメリカの西海岸で武器を積み込んで… マダガンで何かを受け取り、そして入港予定は羅津?半島情勢に油を注ぐ気満々だなぁ」

半島情勢
南北に分断されていた半島国家は、改革解放を新たなスローガンに掲げた若い独裁者の急な病死によって新たな局面を迎えていた。
中国のように改革解放によって豊かになりたい北の人民、そして民族統一は悲願とする南の国民と安い労働力を求める経済界。
その両者の欲求は、遂に根強い反対派を押し切り、遂に北の王朝の瓦解という形で民族統一が実現した。
だが、そこから始まる国家運営は非常に難しいものだった。
北の人民は豊かな暮らしを求めるが、南の経済界が新たに建設した工場では、安価な労働力として期待される余り奴隷のような賃金を押し付けられた。
あまりの南北の賃金格差に北の人民は当然反発し、南にいけば南の国民と同じ待遇になれるという何処からともなく広まったデマにより、数十万もの北の人民が続々と南下をはじめた。
それを受けて統一政府は慌ててかつての国境を再び封鎖しようとしたが、南を目指す北の人民の津波を押し戻すにはまるでパワーが足りなかった。
元々南側の首都攻略用に作られた南進トンネルから不法越境者が続々と浸透し、金儲けに目がくらんだ南の企業経営者の一部がそれを雇用することによって、南の国民の失業率は右肩上がりが続いた。
だが、失業率の悪化くらいならば、それはまだマシな方だった。
武装し越境してくる北の国軍崩れの一部は、各地で民間人に紛れつつもマフィアとして浸透し、半島全域の治安が急速に悪化した。
特に元々不倶戴天の敵同士という事もあっただけに彼らは殺しあうことに容赦が無かった。
その上、各地の軍閥やマフィアがメキシコ流の対政府対応を取りはじめると歯止めも一切利かなくる。
警察関係者は家族も含めて脅迫され、軍の高官といえども暗殺されるのが日常茶飯事となり、マフィア間の抗争は日に日に激化していた
そのような経緯もあり、今の半島は無尽蔵に血と武器を求める鉄火場と成り果てていた。

「はぁ 何というか、住んでる世界が違うわ」

拓也は溜息を漏らしながら後ろで干乾びて死んでいる男を一瞥すると、再度メールボックスを漁る。

「そして、次は何があるかな?」

非日常のシチュエーションに拓也はワクワクしながら適当にメールを閲覧していると、不意にある一文に目が留まる

「ん? 介入の準備完了?株価の推移に情報が漏れた形跡なし?
何だこりゃ?株の不正操作か?」

拓也が見つけた短いメール。
そこには株価だの介入だのの文字が並んでいる。
なんとなくではあるか株の不正操作っぽいニュアンスが書かれているが、ターゲットや時期などは書かれていないため詳細は分らない。

「あっ、クソ!これ以前のメールは削除されてるな。
でも、アーカイブしたログがあるから何処かに隠されてるのかもしれん」

そうして拓也は好奇心に従って隠されたアーカイブを探そうと、更にマウスをホイールさせようとしたその時だった。

バーン!

重量のありそうなナニカが入り口から船室に落ちてくる。
急に響いた大きな音と、完全に油断していたのも相まって拓也は飛び上がって驚く。

「うわぁ!!」

思わず大声を上げ、心臓をバクバクさせながら身構えると、入り口から聞こえた見知った声が聞こえる。

「あ、ごめーん。甲板に落ちてた浮き落としちゃった。大丈夫?」

見れば、てへっと笑いながら入り口からエレナが覗き込んでいる。

「びっくりしたなぁ、もう。
こっちは大丈夫だけど、エレナまでこっちに来たの?武はどうした?」

「もちろん、一緒にいるよ」

そう言ってエレナは船室への入り口から拓也にベビーが見えるように抱きかかえて拓也に手を振る。
そして、それに答えるようにエレナに抱きかかえられた1歳半児もあぶあぶあうーとか言いながら拓也に向かって手を伸ばしていた。

「そうか、でもここは危ないからさっさと浜に戻れ。
それと、ちゃんと警察は呼んでくれた?」

「もうすぐ到着するって」

「そう、じゃぁ俺もそっちに戻るから先行ってて。
…あと、その様子じゃブリッジは見てないよね?」

拓也は眉を顰めてエレナに聞く
だが、その問いに対してエレナは何で?と言いたげに首をかしげた。

「え?まだ見てないけど…」

「じゃあ、絶対にブリッジには行くな。何も探らずに真っ直ぐ浜まで帰るんだ」

拓也は強く、念を押すようにエレナに言う。
まだ見ていないのならば、人間の死体なんて見ないに越したことはない。
それに対するエレナも拓也の言うことに何かを感じ取ったのか素直に言うことを聞いた。

「わかった。じゃぁ 先に行って待ってるからね。すぐ戻ってきてよ?」

「あぁ わかった」

エレナの言葉に了解と頷くと、エレナは船室への隠し入り口から離れて見ええなくなる。
拓也はエレナが視界からいなくなると一つ溜息を吐いた。

「それにしてもビックリしたな」

他人のメール漁りに熱中してたら、周りの様子が見えなくなっていた。
今回はやってきたのがエレナで助かったが、仮に警察だったら面倒くさかった。
偶然に漂着船を見つけたとはいえ、死体と同じ部屋でパソコンの中身を漁ってる姿を見られたら怪しさ抜群である。
拓也はそろそろ切り上げて帰ろうと、持っていたハンカチでマウスの指紋を拭う。
とりあえず、警察の説明には偶然漂着船で死体を見つけただけで、積荷を見た以外には何もしていないと言っておこう。
拓也は一通りマウスの指紋を拭き終わると、何か忘れ物はないかと一歩机から離れようとした所でコツンと足に当たる感触に気づく。

「ありゃ、さっき飛び上がって驚いたときに携帯落としちゃってたか」

足元を見れば、自分の持っている携帯と同じスマートフォンが落ちていた。
拓也は携帯を持ち上げると、土ぼこりを払ってポケットにしまい込む。

「さて、じゃぁ戻る…「きゃーーーー!!」…」

拓也が丁度浜へ戻ろうとした時に響くエレナの悲鳴。

「何も見ずに帰れって行ったのに…」

おそらく忠告を無視して死体を見つけたのだろう。
拓也はまた一つ溜息を吐くと甲板へと戻っていくのだった。






拓也が船室を出た後。
拓也にとって、そこからの展開が非常に疲れるモノだった。
まず、死体を見つけて騒いでいる嫁を落ち着け、警察の到着を待ち、船内の死体と銃器の存在を知らせると
網走管区の全警察が集まってきたのではないかというくらいに警察が集まり、一通りの事情聴取を終えて開放されたのは日もとっぷり暮れた後だった。
拓也は帰りの車の中で、チャイルドシートの横でウトウトとしているエレナに声をかける。

「それにしても、今日は大変な一日だったな」

疲れてぐっすり眠っている子供の寝顔を見ながら、自らも半ば眠っていたエレナは、拓也の言葉に薄目を開ける。

「そうね」

拓也の言葉に答えるその声は、抑揚がなく酷く疲れている。

「それにしても、漂着船が銃器の密輸船とか、すっごいもん見つけちゃったな。
船内で死んでた奴、警察の話だと結構あくどい武器商人で有名だったらしいし」

「…」

エレナは拓也の言葉が耳に入らないかのように、目をつぶって何も答えない。

「あれ?寝ちゃった?」

余りに静かな様子に拓也はルームミラー越しにエレナの姿をみる。
本当に疲れて寝てしまったのかと何度かルームミラーでエレナの顔を確認していると
ふと目を開けたエレナは、真っ暗な車外の景色を見ながら呟いた。

「少し考えていたんだけどね。
あなた、昨日ニュースで北海道から出られなくなったってニュースで言ってたの覚えてる?
私ね、そんなの絶対に嘘だって思ってた。
もしそれが本当だったら、向こうに残してきたママやパパ、それに他の兄弟や友達にも永遠に会えなくなっちゃうもん。
でもね、今日。あの船で死んでいる人を見て実感したの。
もう生きては外に出られないんだって…」

窓の外を見ながら淡々と語るエレナのブラウンの瞳から一筋の筋が流れ、彼女はまた淡々と語り続ける。

「もう皆に会えないのは本当に悲しい。
でも、もう一つ思ったことがあるの。
船の死体と腕の中で元気いっぱいの武ちゃんを見て、どんなことがあっても、この子の為に頑張って生きていこうって…
そう… 決めてたんだけどね…
でもやっぱり、一段落して落ち着いてみると、もう会えない人たちを思い出しちゃって、涙が… 止まらないの…」

車の中にエレナのすすり泣く声が充満する。
死体を見てしまったことで現実を直視してしまい、騒ぎが落ち着いたことで考えの整理が出来てしまったのだろう。
時折、ママと声に出してエレナはすすり泣く。
そんな彼女に、拓也は腕を伸ばして優しく頭をなでることしか出来なかった。

「大丈夫、俺がついてるから」



[29737] 起業編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:07
一夜明け、拓也はパソコンの前で頭を抱えていた。
何やら悩んでいると思いきや、その表情は少しにやけている

「こりゃスゲぇわ…」

拓也は画面を見ながら一人呟いた。
事の発端は昨日の夜に遡る。
家に帰ってきた拓也は、その日の出来事を家族に話すと、さっさと寝てしまいたい衝動に駆られて布団に向かう。
布団では、拓也が家族に説明している間に既に布団に移動していた嫁と子供が寝息を立てている。
拓也も一緒に寝ようかと布団に潜り込むが、寝てしまう前にある事を思い出した拓也は、布団に寝そべりつつポケットから携帯を取り出した。
日課のネット小説の更新チェック。
全く金のかからない趣味として、ネット小説を漁るのは拓也にとって非常に魅力的な趣味だった。
しかし、北海道に起きた異変を考えると何時までも読めるかは分らない。
もし、内地との通信も遮断されれば、追いかけていた全ての作品の続きも永遠に読めなくなってしまうかもしれない。
そんな不安と寂しさを胸に、拓也は携帯のボタンを押すとあることに気がついた。

「あれ?壁紙変わってる?それに、パスが通らない…」

拓也が携帯の画面を覗くと、そこに表示される画面の壁紙は自分の設定したものと違っていた。
何よりロックのパスワードが通らない。

「あれ?これって俺のじゃない…」

不審に思って布団から起き上がると、その視線の先にはある筈がないものがあった。
充電コードに刺さったまま寂しく忘れ去られている拓也の持っている携帯と同型の携帯。
拓也は、コードに刺さったままのそれと自分の手元にあるソレを見比べて顔を青くする。

「やっべ、船から持ってきちゃった…」

恐らくは船内で死んでいた誰かのであろう携帯。
拾った場所的には死んでいた武器商人のものである可能性が高いのだが、それを持ってきてしまった。

「どうしよっかなぁ。警察に届けるとややこしそうだし…」

いらぬ面倒事を持って帰ってきてしまったと拓也は頭を抱えるが、それとは別にある一つの思いも頭によぎる。
エレナに呼ばれ最後までパソコンは漁れなかったが、もしかしたらこの携帯の中にも秘密の情報があるのでは?
まるで映画の中のようであった非日常の情報の数々に、船内ではワクワクが止まらなかった事を思い出し、拓也はしばし考える。

「まぁ、警察に届ける前に、ちょっとだけ見せてもらうくらい良いよね?」

好奇心の誘惑に負けた拓也は、携帯の裏蓋を開け、内部に差し込まれていたSDカードを取り出す。
携帯自身にロックが掛けられていても、SDカード単体であればその中身が見れるはず。
拓也は嫁と子供を起こさないように他の部屋に移動すると、すぐさま実家まで持ってきていた自分のネットブックを立ち上げて、カードを挿入する。
そして、その結果は驚くべきものだった。

「ここに隠してあったよ… アーカイブ。それに、図面??」

拓也が見つけたのは、船内で探しきれなかったメールのアーカイブと謎の図面ファイル。

「おぉ 株価の不正操作のターゲットから操作の予定株価、それに仲間の名前まで出てくる出てくる…」

拓也は先ほどまでの眠気も忘れ、目を輝かせながらパソコンに向かって中身を漁る。
時間も忘れて大容量のSDカードの中身を一通り目を通した時には、黄色い太陽とご対面という有様だった。
ドタバタの後で徹夜は非常につらかったが、それでも得た情報は非常にエキサイティングだった。
情報を整理してみると、死んでいた武器商人の名はユーリ・オルロフ。世界を股に駆けるユダヤ人商人だった。
彼はアメリカ西海岸で短機関銃と数種類の銃器の図面を仕入れ、北鮮のマフィアと密造銃業者に売りに行く途中だったらしい。
それ自体はいつもの彼の商売だったが、今回はそれ以外の商売にも一枚かんでいた。
粉飾決算をしている東欧の軍需企業相手に相場操縦を仕掛ける不正取引。
ただ告発をするだけでも株価は暴落するだろうが、彼らは不当に株価を吊り上げた上で空売りを仕掛けようとしていた。
実際の株取引は彼の兄弟が行っているようなのだが、この件には彼もあることに協力していた。
粉飾の証拠を彼らに売ってロシアのマダガンまで逃げてきた社員の逃走支援と、証拠の受け取り。
そしてその目論見は非常にスムーズに進んでいるらしい。
既に社員の確保と証拠のデータは送信済み、後は粉飾の情報を各方面にリークするだけという状況であった。
一つ誤算があったとすれば、社員と証拠データを積んだ船が運悪く膜に触れ、乗組員が全員死亡し漂流した後に北海道に流れ着いたということだろう。
それに今となっては膜も変異し物理的な越境は不可能となったことで、船の状況すら謎の膜が外の世界から隠してしまう。
だが、既に準備も完了しているとなれば、予定通りに事は進むだろう。
そんなSDカードに残っていた情報は、ワクワクの域を飛び越え、非常に刺激的なものだった。
拓也はそれらの情報を得ると、一晩かけて考えぬく。
これらの情報を生かすべきかどうするか…
株価操縦の件については拓也には荷が重過ぎるとしても、SDカードに入っていたもう一つのデータが拓也を大いに悩ませる。
密造業者に売るためだろう、SDカード内にはいくつかの銃器の図面が入っていた。
カラシニコフの各種型から、MP7やMG4といったドイツ製短・軽機関銃等といったものまで様々だった。
データ自体はCATIA等の3D図面ではなく2D CADの形であったため、フリーの閲覧ソフトを使えば見ることが出来る。
拓也はマウスを弄りながらそれらの図面を眺めていると、スーっと閉めていた引き戸が開けられ、そこに嫁が立っていた。

「いないと思ったら… 朝っぱらからパソコンしてるの?」

エレナが眉を顰めて拓也に聞く。

「いや、朝っぱらからというか、昨日の晩からというか…」

拓也は若干徹夜ハイになっている事もあってか、ハハハと笑いながらエレナに答える。

「もぅ、そんな一晩中何見てたのよ? …ん、何これ?設計図?」

エレナが呆れる様にしてモニターを覗き込み、そこに映る銃の子部品図面を見ながら首をかしげる。
まぁ子部品を見ただけで銃だとわかる人間は少ない。エレナもそれが何かは分らず首をかしげる。

「これは… 鉄砲の図面だよ。他にも一式が何種類かある」

鉄砲という言葉が拓也の口から出た途端、エレナの表情が怪訝なものになる。
なぜそんな物を持っているのか?そんな言葉が表情からも読み取れた。

「なんで、あなたがそんなの持ってるの?」

「船でデータの入った携帯拾った」

「…えぇ!?」

エレナの問いに密輸船から拾ってきたと淡々と答える拓也に、エレナは一瞬固まりつつも盛大に驚いた。

「駄目よ。何があるか分らないから、さっさと警察に返してきてよ。
そもそも、何でそんなもの盗んできてるのよ馬鹿!」

「いや、拾ってきたこと自体は偶然だったんだ。
同じ携帯が落ちてたから、てっきり自分が落としたのかと思って拾ってきたんだよ。
そんで、昨日の晩に自分のじゃないって気づいて中身の確認をしてたんだ」

拓也は不可抗力だったとエレナに言い訳し、プンスカと怒るエレナを宥める。

「うぅ… わかったわ。拾ってきたのは偶然だったとして…
でも、いつまでもそんなの持ってないで警察に渡してきてよ」

拓也の説明を聞いてその怒りもトーンダウンしてきたエレナは、拓也に早く返してくるように言うが
それに対する拓也の返事は短い一言だった。

「断る」

「は?」

拓也の予想外の一言に、エレナが目をぱちくりする。

「なんでよ!?さっさと戻してきてよ!」

「まぁ ちょっと落ち着いて聞いてくれ。
これは一晩考えた末の結論なんだけどね。
北海道に隔離され、会社のある名古屋に戻れなくなってしまった俺は無職になってしまう。
さて、これからどうしよう?」

拓也はエレナの肩に手を当てて、どうどうと抑えながらゆっくり話す。
それに対してエレナも押さえつけられた暴れ馬のように、だんだん冷静さを取り戻すと拓也の話にも耳を傾けだした。

「そんなのハロワにでも行けばいいでしょ?駄目ならあなたの実家の手伝いでもしてよ」

「んん、ハ、ハロワね… まぁ そういう方向性も無しではないけど、この図面類を見ながら一つの事を思いついたんだ」

「何よ」

「武器工場をつくろう」

「武器工場!?」

エレナは拓也の突拍子も無い提案に声を上ずらせて驚く

「あんたそんなのどうやって、っていうか大丈夫なの?
まぁ 確かに設計図の一部はあるけど、許可とか色々いるんじゃないの?」

「まぁ 平時に武器工場なんてやろうと思っても無理だね。普通に捕まる」

「じゃぁ 一体どうやって?」

「エレナ、今、北海道の状況は普通じゃない。
そして、内地から隔離された状況が改善されるかは誰もわからない上、銃の製造会社は北海道には無い。
これって、チャンスじゃない?」

「チャンスって…」

「例え、世界が北海道だけになっても銃はいるよ。
警察から自衛隊…まぁ 北海道だけの世界で自衛隊が銃を使うようになったら、内乱みたいな事態だと思うけどさ。
それに害獣のエゾシカを狩るにも猟銃がいるよね」

「まぁ そうだけど…」

「ここは一つ、混乱のドサクサに会社を立ち上げ、北海道の市場を独占してやろうと思う。
まぁ仮に、異変が元に戻った場合は、猟銃メーカーにでもなって細々とやろうと思うけどさ。
エレナはこの提案、どう思う?」

「どうって言われても…」

拓也の突然すぎる提案にエレナは言葉に困る。
確かに名古屋に帰れない以上、こっちで働き口を探さねばならないとは思っていたが、それがこんな事になるとは思っても見なかった。

「仮に会社を立ち上げるとして、お金はどうするの?
私達そんなに貯金もないじゃない。むしろ名古屋のマンションのローンがあるのに」

エレナの疑問は至極全うだった。
ただの会社ではない工場を作るのだ。
設備投資は並々ならぬ金額がいるはずである。
今の二人の貯金額はどう考えても十分とはお世辞にも思えなかった。

「あぁ それについては不動産屋にマンション売却のメール送った」

「売却?」

エレナが信じられないという顔で聞き返す。

「うん、だって、もう帰れないなら要らないでしょ?
あと、家財道具はこっちに送る手段が本当に無いなら売却して処分してもらう事にした」

「まぁ 確かに帰れないなら持っていても仕方ないけど、それにしたって私に一言あってもいいじゃない?」

「いやぁ、愛着があるから売りたくないとかゴネられて、売る機会を逃したら丸まる損だなぁと思ってさ
それならいっそ既に決めたよって言うほうが決心つくかなって思って」

「うぅぅ…」

どこか釈然といない表情でエレナは拓也を睨むが、その拓也の言にも一理あると思ったエレナは何やら丸め込まれた?と思いつつも抗議の声を閉ざす。

「まぁ それを種銭として色々揃えつつ、銀行から金を借りようと思う。
ところでエレナ。実家のあるバルナウルって大規模な兵器工場があったよね?」

「え?まぁ… 鉄砲の工場があったような気がするけど…」

「あるんだよ。
既にネットで取扱商品まで調べた。ちゃんとISO認証も取ってるところだったよ。
そこでさ。どうにか治具図面や作業手順書を手に入れれない?」

「治具?作業手順?なにそれ」

拓也の言う聞きなれない言葉にエレナが首を捻る。

「治具ってのはモノを作る時に使う道具で、例えばものに穴を開けるときに一々穴位置を測っていたら面倒でしょ?
そんな時に穴位置を決める為の道具を予め作っておいて、後は毎回穴位置を測らなくても治具にセットするだけで穴が開けられるようにするんだ。
言うなれば、モノを作るサポートをする道具だよ。
作業手順書は簡単に言うと取説だね。
製品の作り方が書かれている書類だよ。
あ、それと、せっかくゲットして貰うんだからQC工程表と検査手順書もお願いね」

北海道に封鎖される前、一応拓也は名古屋で製造業で品質保証に従事していた。
拓也は製造に必要な書類は何かと考え、最低限必要そうな書類を思い浮かべる。
適当にえいやぁでモノを作る会社と違いバルナウルの工場は国際認証も取った大工場である。
拓也は当然、それらの書類は作られているだろうと予想しエレナに注文した。

「…うーん。よく分んないけど、それって簡単に手に入りそうじゃないわよね?」

エレナが不信感の積もった視線で拓也を見つめる。

「当たり前だよ。何処の馬の骨とも分らない奴にハイと見せる会社は無いよ」

「じゃぁ どうするの?」

「うむ。それにはマンションを売ったマネーを使う。
まぁ ローン差し引いても、だいたい売却額は1300万くらいになるから、そのうちの500万くらいをコスチャに託す」

「コスチャに?」

思いもしなかった名前が出てきたことにエレナは困惑する。
コスチャことコンスタンティン君はエレナの実の弟にして拓也のネトゲ仲間。
エレナは弟も巻き込むの?と信じられないような表情で訴える。

「うん。実はこれも昨晩それとなく聞いてみたら一発okだったよ。
昨晩も何時もの如くディ○ブロⅤにログインしてたから、500万で書類集めてくれないってお願いしたら即決だったよ。
集める方法も金に困った奴を探していくらか渡せば一発だろうって言ってたね。
まぁ 図面の管理は厳重そうだけど、そこらへんの書類なら普通はそこまで管理は厳重じゃないからね。
多分、奴は仕事をこなしてくれるよ」

既に根回しは済んでるぜとドヤ顔で語る拓也にエレナも最初は呆れたといった様子であったが
ふーむ、と落ち着いて考えてみるとエレナは拓也に対して呆れを通り越して怒りを感じてきた。

「なんで、そんな犯罪に加担するようなことに人の弟を勝手に使ってるの!?」

エレナが静かな怒気を含めて拓也に言う。

「え? いや、何というか、駄目元で話てみたら予想以上に向こうもノリノリだったというか…」

「これから人の実家を使うときには私にも一言言ってよね!!」

ギロリと睨むエレナ。
そのドギツイ視線に拓也も気圧されて目を泳がす。

「あぁ、ハイ。スイマセン…」

エレナもタジタジとなった拓也の姿を見て満足したのか、一つ大きな溜息を吐くと両手を腰に当てて諦めたように言う。

「ふぅ… まぁいいわ
あんた時々暴走するけど、私が右も左も知らないこの国に来た時からずっと手をひっぱて来てくれたじゃない。
今までも色々と馬鹿なこともして失敗もあったけど、最終的には、全部あんたの言うとおりにしてきて大丈夫だったんだから、これからも信頼してるわ。
わたしは、鉄砲の作り方なんてサッパリわからないし、あなたの考えが理解できないこともあると思う。
でもね、わたしはあなたを信じてるから。
あなたが道を示してくれれば、私も全力でお手伝いするわ。」

嫁の意外な言葉にドキドキする。
おそらく、顔も真っ赤だろう。
だがしかし、嫁にここまで言わせた以上、最早失敗は出来なくなった事も事実であり
拓也は輝ける家族の未来のために、決意を新たにするのだった。



「…一つ思ったんだけど」

「ん?」

「武器製造って許可とかどうするの?」

エレナの率直な疑問。
なにせ製造を予定しているのは銃器であり、一般工業製品とは違う。
当然それなりの許可なりが必要となるだろう。
だが、拓也はその言葉を予想してたかのようにニヤリと笑う。

「まぁ そこらへんは持てるコネを全部使うよ。任せとけ!」

拓也はそう言ってフフフーンと自信ありげに笑うのであった。






異変から7日後

在札幌ロシア領事館


その中の特別に用意された一室にニコライ・ステパーシンはいた。
というのも、膜が変異してから本国との衛星回線が使用不能になり、外部との連絡はまだ使用可能な北海道-本州間の海底ケーブル経由のみとなっていたからだ。
択捉にいたのでは、本国との連絡は取れない。
その為、札幌にあるロシア領事館に臨時の対策室を移していた。
そんな彼に今日は来客があった。


武田勤と鈴谷宗明。
会談の内容は「完全に本国と切り離された場合の想定」
これについては、答えは決まっていた。
なにせ国後と択捉には合わせて5万人しか人口がなく、石油はあるが他の産業は水産加工業と観光業だ
これでは、今ある資材が底をついたら中世に戻ってしまう。
そんな危機的状況下では北海道と共同歩調を取るより仕方ない。
だが、問題はその度合いだ
今日は、その事について三者協議に入っていた。

「北海道と南千島側の双方が本国より切り離されるのであるから、別個の国家として協力するよりいっそ統一国家になるべきでは?」

会議のしょっぱなから最終的な結論はこれしかないと武田が言う。
おそらく、最終的にはそれが一番なのでろうが、現状ではそれに同意できない理由があった。
そのため、武田の意見にステパーシンが反論する。

「それでは本国からの独立となってしまい、本国からの支援が受けられない。
仮にもし膜が消えすべてが元通りになった場合、私は間違いなく死刑台を登るだろう。」

そうなのだ、仮に最終的に何も起こらなかった場合、本国から分離独立を求める運動をしてると捉えられてしまい、チェチェンと本質的には同じになってしまう。
そうなった時の予想は簡単だ。現大統領が私を殺しに来るだろう。
かつてチェチェンの武装組織に対し「たとえ便所に隠れていても、息の根を止めてやる」と言い放った大統領だ。
もしかしたら、ショットガン片手に自ら殺しに来るかもしれない。

「では、非公式の準備委員会を設立し、双方の本国に悟られぬよう全ては水面下で進めるとしようか」

ステパーシンの回答も予測していたという態度で、鈴谷が自分の顎を触りながら言う。
だがこれはステパーシンにとっても同じである。
協議をする上での暗黙の了解であった前提条件を双方が確認したという意味合いに過ぎない。
双方がこれについて了解していると確認すると、ステパーシンは話を続ける。

「そうだな。
とりあえずは水面下で協議を進めよう。
中央には感づかれてはいけないので参加者は最小限に留める必要があるが…」

ロシア側にとって、これが中央にバレれば即ご破算になるのだ慎重に事を進める必要がある。
そのための人材の選定は細心の注意が必要だ。

「まぁ準備委員会の詳細については後程詰めよう。
だが、情報漏洩についてはご心配なく、国内で泳がせておいたスパイはこの異変を機に拘束済みだ。
道庁内においても厳しい情報統制が敷かれたし、記録上、我々は貴方のオフィスには来ていない。
まぁ 不安があるようでしたら、そちらの浸透工作員のリストでも頂ければ確実性は高まりますが…」

武田が情報統制に余程の自信があるのか、ニヤリと笑いながらステパーシンに言う。
だが、ステパーシンが苦い顔をすると思っていた武田は、予想に反してステパーシンが笑い出したことに戸惑う。

「はっはっは。あぁ その件は知ってます。対外情報庁の職員の一部が捕まったのでしょう?
私もね、過去に連邦保安庁の長官など色々な仕事をさせてもらった事から、色々な耳がありましてね。
彼らの拘束は問題ない。本国の命令のみを忠実に守っている職員だ。異変の終了までは休暇という事にしときましょう。
あぁ あと、リストについては駄目ですね。何があろうと渡すわけには行かない。
仮に渡した場合、明日の朝までに私は変死してるだろうから」

死ぬならば青酸ガス等よりも銃でポックリ逝きたい等とステパーシンは笑うが、相手をしている武田と鈴谷は笑えなかった。
ドヤ顔で工作員は拘束し、こちらが優位な立場にいると暗に示したかったのだが、どうやら完全ではなかったらしい。
彼の口ぶりからすると、ステパーシンの息のかかった工作員がまだ道内にいて、活動していと言っている様なものだ。
対外情報活動は、NKVDやKGBの頃より伝統のあるロシア側のほうが何枚も上手であった。
ステパーシンを揺さぶるはずが、逆にしてやられてしまった苦笑いを浮かべる武田だが、いつまでも相手のペースに呑まれる訳には行かない。
今この場で確認する必要のある事があるのだ。

「ま、まぁ では情報の管理についてはそちら側からの助言も取り入れて進めることにしよう。
話を戻すが、今回、我々が協議を持つにあたる大前提として確認したい事がある。
それは最悪の場合、両者が統合する意思があるかということだ。」

武田が真摯にステパーシンを見つめ、それに対してステパーシンは笑って答えた。

「本国からの支援が無くなった後、それ以外に道はあるのかね?」

もったいぶったように言うその答えに、武田が満面の笑みでステパーシンの手を握った。

「では決まりだな!これ以後の話は準備委員会でするとしよう。委員会は私が長として取りまとめる。
鈴谷君とステパーシン氏はそれぞれロシア側および日ロ間の窓口を取りまとめてくれ。道内は私が委員長となる以上、責任を持って事に当たらせてもらう」

かつての政権与党幹事長の経験もある武田が、道内は俺が纏めると息巻いて見せた。

「いいでしょう。では後程、道庁の方に実務者をお送りしますので、詳細はそちらでお願いします」

ステパーシンの返事により、話は纏まる。
今後の大方針は決まった。
あとは担当が詰めるので現段階での自分たちの仕事はここまでだ。
会談が終わると、鈴谷は急ぎ道庁に戻るといってステパーシンの部屋を後にする。
統合後について道庁の中で水面下の作業部会を開くのだろう。
実に精力的に仕事をしている。
下野していた時期もあっただけに、日ロ間の交渉に参加できることを非常に喜んでいるのだろうか。
一方、鈴谷が帰った後、武田はまだ領事館にいた。

「私事で済まんが、ちょっとあって欲しい人物がいるんだ。」

「あって欲しい人物?」

この状況で日本側から私的に接触してくるとは何事だろうか、それについて武田が苦笑いを浮かべながら説明する。

「実は、私の選挙区の後援会長の息子なんだが、南千島と北海道を結ぶビジネスについて是非とも話たいといってるんだよ。
内容はともかく、私の顔を立てる意味でも一度会ってくれないか?」

ステパーシンは理解した。
なるほど、民主主義の宿命というやつだな。
いくら、国政で勢いがあっても地元を蔑にするようなら選挙には勝てない。
比例で勝つという手もあるが、小選挙区で勝てるならそれに越したことはない。

「いいでしょう。それで何時ですか?」

「いや。じつは外で待っているんだ。
それに今日、私がココを訪れた目的は、秘密協議の為ではなく、支持者のお願いによってロシア側との間を取り持つためとなっている。
まぁ そういうことで一つ頼むよ」

武田は、すまんねと苦笑いを浮かべる。
だが、お願いされた方としてステパーシンは考える。
それほどにまで私に会いたいという人物はどういった人物であろうか。

「なるほど… まぁ 会談が予想以上にスムーズに終わったのでスケジュールには余裕がありますから別に構わないでしょう。
その方に来てもらえるように言ってもらえますか?」

「恩に着るよ」




領事館の廊下



うっは…
ドキドキする。

領事館の職員に先導され、建物のなかを移動中、拓也の緊張はMAXとなっていた。

親の脛を齧りまくってコネは使った。
先日、コスチャから作業手順書の一部を入手した。
(流石に一部だろうとここまで早く手に入るとは拓也も予想していなかったが)
それに数日かけてステパーシン氏の身辺も調べた。
ハッタリ用には大丈夫だろう。
多分…
でも、根がチキン野郎なもんだから、VIPと会うとなると緊張する…

拓也は、強張った表情のまま廊下を歩いている途中、そんな事を考えていた。

「あんた。大丈夫なの?」

拓也の今まで見たことが無いような緊張した面持ちを見て、通訳として連れてきたエレナが心配している。
おそらく死にそうなほど青い顔でもしているのであろう。

「大丈夫。大丈夫。こんくらい楽勝だよ?」

無理にでも頑張らないとね。一世一代のハッタリの張時だからね。
拓也はそうエレナに息巻いて見せるが、その挙動は明らかにぎこちない。
そして建屋内を歩き回り、案内された一室に入ると、デスク越しにステパーシン氏が此方を向いて座っていた。

「ようこそ。石津さん。お待ちしておりましたよ。」

入室してきた拓也を確認すると、ステパーシン氏は立ち上がりこちらに近づいてきた。
にこやかに手を差し出すステパーシンに拓也も握手で返す。

「ありがとうございます。Mr.ステパーシン。」

「いえいえ、なんでも両島間のビジネスがおありとか。さぁ どうぞ腰かけてください」

ステパーシン氏に勧められソファーに座ると、平静を装って鼻で静かに深呼吸すると
エレナの通訳を挟み会談が始まった。

「いやー それにしても、今回の騒動は大変ですね。どうですか、そちら側の様子は?」

いきなり本題に入る前に取りあえずは普通の話でもと、拓也はステパーシンに話かける。

「こちらとおなじですよ。ですが、北海道側と違い、本国との直接の連絡が遮断されたために内心は穏やかじゃないですがね。
でも、軍が警戒にあたってますので静かなもんですよ。」

「ロシア軍が警備を?」

そういえば、海外では自然災害等が発生すると、よく暴動が起きるとかつてニュースで見た記憶がある
戒厳令でも出しているのだろうか?

「なにがおきるかわかりませんからね」

ただの万が一の備えですよと笑いながらステパーシンは語る。
ステパーシンにとっては既に報道もされている何でもない事だったので、さらりと話ていたが、拓也の目の色は変わっていた。
軍の話題が出た。
会談が始まって殆ど時間がたっていないのに本題を切り出すのは流石にどうかと思ったが、会談の残り時間には限りがある。
ここは、単刀直入に本題を切り出そう。

「ところで、ロシア軍の方々は本国と切り離され、補給はどうなっておりますか?」

急に拓也が軍の実情について質問してきたため、ステパーシンの顔色が変わった。
まぁ 軍の問題に切り込んでいったのだから当然か。

「詳細は機密につきお教えできませんが、本土と切り離されたということで大体は察してください。」

なかなか頭の痛い問題ですな。と、ステパーシンは苦笑いを浮かべた。


…やっぱり。
国後にも択捉にも軍需工場なんてないから、今ある物資が底をついたら終わりだろう。
拓也がそんな事を考えていると、話題を変えようとステパーシンの方から切り出してきた。

「それよりも、新しいビジネスの話を伺いたいのですが?」

拓也は内心でニヤリとすると、テーブル上に一枚の資料を差し出した。

「!? これは?」

ステパーシンは驚く。その驚き様をみて拓也は説明を始めた。

「AK74の技術資料です。」

そこにはAK74の作業手順書があった。
これは拓也自身もコスチャの仕事の速さには驚く。
酒と女でこさえた借金で首が回らなくなったアホを見つけたら余裕だったとコスチャは言っていたが
まさか数日で、一部であるが本当に作業手順書の一部の入手に成功してしまうとは…

「これをどこで入手しましたか?」

さすがに警戒するステパーシン。
まぁ 当然である。自国の兵器の技術資料を他国の人間が持ってきたのだから。

「それについては回答できかねますが、これが私共の提案するビジネスです。
単刀直入に申しますと、国後に製造工場を建てる認可を特別にいただきたい。
それに、もし本国からの支援が完全に途絶えても、これによってロシア軍も補給の問題が解決するのでは?
もちろん弾薬についても製造を予定してます。」

ステパーシンが予想外の提案をされ一瞬驚きの表情を見せたが、その重要性を理解したのか食いついてくる。

「なるほど、それはこちら側にとっては願ってもないですな。しかし、なぜ国後で?北海道側ではいけないのですかな?」

こちら側に利があるが、いまいち怪しいヤポンスキーの話だと思ってるのだろう。
疑いの視線の中、拓也は答える。

「ご存じのとおり、日本側は厳しい銃規制があり、なによりも北海道は左派の平和運動が盛んな地でしてね。
死の商人の真似事をしたら、即座にデモ隊が会社を潰しにくるでしょう。」

少々誇張されていたが、左派の市民団体に知れたら確実に似たようなことが起きるだろう。
なにせ北海道の"赤い大地"という異名は伊達ではない

「なるほど、それで国後にですか。」

ステパーシンも納得がいったようだ。
ソ連時代から日本の社会党などに資金を渡して反戦運動を煽っていたのは他でもない彼らである。
彼としても日本の特殊事情については良く理解していた。

「はい。ただし、問題が一つありまして、妻はロシア人ですが、何分ロシアでの商売は初めてでお国事情には明るくありません。
そこで提案なのですが、これから設立する新会社に相応のポストを用意しますので、もし、北海道に滞在中のご子息がよろしければ
役員として我が社に来ていただきたいのですが、どうでしょうか?」

ステパーシン氏が目を丸くする。
許可を求めてくるのに袖の下を用意してくることは想像できた。
だが、息子を役員として迎え入れる?
たしかに、不運にもこちらに来ていた息子共々膜に隔離されてしまったが、しかし何故、息子の事を知っている?
どこまでこちらの事を知っているんだ?

その彼の疑問はもっともだった。
彼の息子もこちら側に隔離されている。
そして、彼はいい年をしているのだが、定職についていない。
かつてはロシア国内の大企業にコネで何度か入社しているようだったが長続きしなかった。
そして、それにまつわる詳細な情報は、あるところからエレナが入手してきたのだった。

某世界的SNS

日本と違い、海外では実名登録が主であり、ネットで調べたステパーシン氏の家族を検索してみると、一発で出た。
そして、仕事が長続きしない理由も日記に全部怨念と共に記されており、
親の脛を齧りに齧って豪華客船で太平洋クルーズに出たところ、小樽に寄港したところで運悪くこの騒動に巻き込まれていたことも書いてあった。
なんでも、このステパーシン氏の息子アレクサンドル・ステパーシンは
一言でいうならばオタクであった。
仕事が長続きしない理由も、会社でアニメ談義と布教を繰り返していたら女性社員に白い目で見られ、鬱になり辞めたそうだ。
北海道に隔離されるきっかけとなったクルーズも、小樽寄港時にもらえる"豪華客船で行く太平洋クルーズver雪ミク"のフィギュア目当てだと
日記に記されたのを見たときは、フィギュア目当てで太平洋クルーズか…とエレナと夫婦そろって呆れ果てた。
しかし、頭は良いようで機械工学の博士号をもっているらしい。
それらを嫁から聞いた瞬間、拓也は決めた。

「彼を取ろう」

向こうで白い目で見られていたとしても、もう日本じゃアニオタは普通に社会に浸透している。
相手を無視して自分の好きなアニメの布教する度を越したのオタも前の会社でも普通にいたから
その対応法はすでに習得済み。
なにより拓也自身も軍オタを隠れ蓑にした隠れアニオタであるので問題はない。
むしろ価値観は共有できる…ハズ。
それに工学博士号を持っているなら頭は良い筈でこれは意外な掘り出し物かもしれないと拓也は思った。
そして、この決断には他にも理由があった。


サハリン2事件。
日本と欧米の石油メジャーがサハリンで開発したガス田。
ロシア側は開発に対して資金は出していなかったがある一つの不満があった。
自国の資源開発なのに利益の6%しか入ってこないのだ、そして資源は外資にもっていかれる。
この件に対する対応は実にロシア的であった。
環境問題をちらつかせ開発を中止させると、最終的に国営ガス起業のガスブランが採掘会社の株式のうち50%+1株を強引に取っていったのだ。
つまり、ロシアで商売するにはロシア人の利益も考えないと痛い目を見るということである。

アレキサンドルを取るメインの理由がこれだった。
ロシア側トップの親族を縁故採用。
まぁ、まだ事業がはじまってないので資金の余裕がない拓也らにとっては、袖の下を渡すほど余裕が無いので、ポストを与えて将来に期待してもらうしかないというのが実情なのだが…
だが、ステパーシンは予想以上に食いついてきた。

「…良いでしょう。認可を与えましょう。」

「え?」

更にプレゼンに入ろうとしていた拓也は、予想外の認可の速さに驚いた。
さすがに、縁故採用だけでは弱いと思っていたからだ。

「ですから、認可が欲しいのでしょう? いいでしょう。書面は後日郵送します。
ですが、息子には相応のポストをお願いしますよ。」

にこやかにステパーシン氏は言う。
実をいうと、彼も息子の扱いに困っていた。
三十路目前なのに、いまだに定職につかずブラブラしている。それもヤポンスキーのアニメが原因で…
せっかくコネで入れた企業も辞めてしまう始末。
そこにヤポンスキーの会社から息子をくれと言ってきたのだ。
まだ、会社を立ち上げていないというが北海道にもクリルにも軍需工場はない
適切な支援をすれば急成長するだろうという思惑があったのだ。

「「ありがとうございます!」」

ステパーシンの言葉を聞いた拓也とエレナは、座っていたソファーから飛び上がって喜んだ。
まさか、ここまでうまくいくとは思ってもみなかった。
最悪、借金してでも袖の下を用意しなければならないかとも思っていた。
ひとしきり喜ぶと拓也は話を続ける。

「認可を頂きありがとうございます。そして、図々しい話ですが、もう一つお願いがあるのです」

「なんですか?」

拓也達は、すまなそうな笑顔を浮かべてお願いに入る。

「現在、バルナウル市で妻の弟が技術資料を集めているのですが、それに便宜を図っていただけないでしょうか?
正直なところ、我々もいくつかの図面と技術資料は持っていますが、残された時間で全てを集めるのは難しい。
隔離の時間までに必要な書類を集めきることが出来れば、我々の提供できる製品の幅も広がり、軍の補給にも一役買うことが出来ると思うのです」

ステパーシンは拓也の話を聞くと軽く頷いて話を進める。

「そのくらいなら、別に構わんよ。ただし、こちらもお願いがあるのですが」

「なんでしょうか?」

ステパーシン氏からお願い?流石にギブアンドテイクということで息子の雇用は保証したが、それだけでは弱かっただろうか。
色々お願いして認可を貰えるといった手前、断るわけにもいかない、拓也は面倒なお願いだと嫌だなぁと思いつつも笑顔で応対する。

「今、小樽に寄港しているアルカディアオブザシーズという客船に私の息子がいるのだが、全く持って連絡がつかない。
一体何をしているのか見てきて欲しいのと、新しい仕事を見つけたと伝えて連れ帰ってくれないか?」

聞けば、息子の願いで客船に乗せてやったのに、連絡の一つもよこさないそうだ。
拓也達は憤るステパーシンを見て、良い年した息子相手に過保護すぎやしないかと思いつつ、申し出自体は快諾すると、すぐさま領事館を飛び出していった。
目指すは、未だ見ぬロシア人アニオタが滞在しているという小樽へ。
自分たちの目標に向け、彼を社会復帰させるために…





小樽港埠頭

ステパーシンの依頼により彼の息子を社会復帰させに来た拓也たちは、埠頭に係留された一隻の船を見て呆然としている。
大きい…
事前にネットで調べたところによると、海外のクルーズ会社インペリアル・カリビアン・インターナショナル所有の船では比較的小さいほうだというが
実際に自分の目で見てみると、総排水量9万トン越えの純白の船体は、圧巻であった。

「凄い…」

エレナが思わず息を呑む。
パナマ運河を通行できるギリギリのサイズで建造された船ではあるが、岸壁から望むその船体はまさに壁。
その上、デザイン性も重視されているその造りは、見るもの誰しもが美しいと感じる外観だった。

「成り行きでココまで来ちゃったけど、普通に働いていたら一生乗る事は無かったね」

「うん」

恐らくは、短期ツアーの一番安い部屋でも一人20万はするだろう。
金額的には少々無理をすれば申し込めないことも無いが、なんというか客船の持つ気迫に押されてしまいそうである。

「ま、まぁ惚けるのはこの位にしておいて、中に入ってみようか。
せっかくステパーシンさんが乗船の手回しをしてくれたんだし、色々見て回ろう」

「…そうね」

そう言って拓也が踵を返してボーディングブリッチに向かって歩を進めると、エレナもポケーっと開けた口を閉じ拓也の後ろを付いて歩く。
そして入口ゲートまでやってきた拓也たちは、係員に身元を証明する。
普通であれば、豪華客船は例え乗船客の知り合いであっても乗客以外の乗船は認めない。
だがしかし、今回は既にステパーシン氏の手回しが会ったため、スルリと船内に入ることが出来た。

「しっかし、中身も凄いね」

拓也はその内装の素晴らしさに自然に足が止まってしまう。
洗練されたデザインの電飾や内装が施された吹き抜けのレセプションエリアにアーケードショップ。
さらには劇場から小規模ながらゴルフコースもあり言うなれば海上のリゾート都市といった感じであった。
そんな純粋に驚いている拓也の横で、エレナも驚きの表情はするものの何所か冷めた言葉で拓也に話かける。

「確かに素晴らしいけど、私たちの目当ての人物はバカンスじゃなく特典のフィギュア目当てでこの船に乗ったんでしょ?
ある意味、素晴らしいクルーズに対する冒涜よね」

エレナの言葉に拓也も黙って頷く。

「まぁ そんな事言っていても始まらない。とにかく、アレクサンドルを探そう」

「ええ」

拓也達は船内を歩き回る。
最初は受付で教えられた彼の部屋を訪れるも、留守のようであったので困った拓也達は船内を虱潰しに歩き回る。
映画館からラウンジ、バーと歩き回り、途中プールサイドでアレクサンドルを探し回りつつ、ビキニのねーちゃんを凝視してたら
エレナに滅茶苦茶睨まれたりもしたが、船内にあるインターネットカフェに来たところで目当ての人物を見つけることが出来た。

「ホシを見つけた」

ターゲットは、せっかくの客船内でも一日中ネットに嵌ってるようだ。
デスクの横に積み重ねられた飲食物のゴミの山が、その滞在時間の長さを物語る。

「見つけたはいいけど、どうやって話を切り出すの?あなた」

エレナの疑問に拓也は悩む。
いきなりお前を雇いに来たと言っても、そんな怪しい人間には誰しも警戒するだろう。
フレンドリーに打ち解けてから、迎えに来たという方向に話を持って行きたい。
拓也は、さてどうするかと考えるが、ふと視界にあるものが止まった。
アレクサンドルの机に置いてある読みっぱなしでページが開かれたまま置いてある雑誌。
拓也はその中身を見てアレクサンドルとのコンタクト法を思いついた。

「良いアイデアを思いついた。
ちょっとここで待っててくれる?」

そういうと拓也はアレクサンドルの傍らまで歩いていく、対してアレクサンドルは自らの至近まで接近してくる存在を気にも留めない。
まぁ 人が寄っただけで気にするような性格なら、公衆の面前でMEG○MIマガジンを開けっぴろげに置いておく事は無い。
それに、閲覧しているページはロシアふたば… 恐らく彼には羞恥心という心が欠如しているのではないかと拓也は疑うが、
拓也は気を取り直してアレクサンドルに向かって呟く。

「What lies in the furthest reaches of sky?(空の彼方にあるものは?)」

耳元で呟くある物語の一節にアレクサンドルはビクンと反応し、一瞬の呼吸の後にモニターに向かったままの姿勢で次に続く言葉を口にする。

「That which wi guide the lost child back to her mother's arms…」

かかった!
拓也はにやりと笑うと後に続く言葉を紡ぐ。
淡々と紡ぐ物語の一節に、知っているものだけしか答えれない対になる言葉をアレクサンドルは拓也の言葉に淡々と答えを返す
椅子をくるりと回転させてこちらに向き直るアレクサンドル。
拓也はアレクサンドルの視線を真正面から受け止め、更に言葉を続ける。

「What lies in furthest depths of memory?」

物語から引用した最後の言葉、其れに対し、アレクサンドルはスクッと立ち上がると笑顔に言葉を返した。

「The place where all are born and where all will return: a blue star.(全てが生まれ、全てが帰る場所。青い星)」

アレクサンドルのやりきったぞという満足そうなドヤ顔。
拓也はその表情をみて右手を出す。

「何処の誰かは知らないけど、あんたが良い奴だって事は分る」

アレクサンドルは拓也の握手に答えると、ニカっと笑ってそう答える。

「俺の名前は石津拓也。君を迎えに来た」

「何の用かは知らないが、話は聞こう。まぁ座ってくれ」

拓也は近くにあった椅子を持ってくると、アレクサンドルの隣に座り、エレナを呼び寄せるように手招きする。
其れに対して、手招きされたエレナは、何かをやりきったドヤ顔で堂々としている二人の様子を尻目に若干引いていた。
なぜなら、彼女もまた彼らが何を言っていたか理解できてしまったのだ。
数週間前、拓也と一緒に見ていた日本のアニメ。
その台詞を大の大人二人が諳んじてドヤ顔を決めている。
正直な所、余り一緒にいたくはないとエレナは思った。
そんなエレナとは対照的に、ドヤ顔で椅子に腰掛ける拓也は良いヒントがあったもんだと机に置かれた雑誌に目をやる。
そこに開かれていたのは、数年ぶりに続編が作られたラ○トエグザイル第三期のキャラたちの水着イラスト。
外人って、大抵このアニメ大好きだよなぁと再確認しつつ、拓也はファーストコンタクトが成功したことに安堵した。


「…という事で、君のお父さんに話を付けて君を雇いに来た訳さ」

第一期の素晴らしさや第二期の糞っぷり、そして第三期の今後の期待についてエレナの通訳を介して語っているうちに
すっかり打ち解けた拓也は、忘れられていた拓也たちがココに来た目的をアレクサンドルに話す。
そして、それに対する彼の回答は非常に明瞭なものだった。

「うむ。断る」

即答だった。
にべもない。
まぁ本人の承諾抜きで話を進めてるのは悪いと思ったが、もうちょっと話を聞こうぜ?と拓也は思う。

「何か嫌な理由でも?」

せめて理由は知りたい
その拓也の問いかけに対し、彼はさも当然のように語りだした。

「何を言ってるんだ。君は日本人だろ。日本には素晴らしい格言があるじゃないか
『働いたら負けかな』僕は、日本でこの言葉を知った後、座右の銘にしたよ」

その返事を聞いた拓也は頭が痛くなる。
…駄目だ。
いろんな意味で終わってる。

「でも、何時までも無収入というわけにもいかないだろ。
この後この世界がどうなるか未知数だし、それに日本にはもっと良い格言もある。
『いつまでも、あるとおもうな、親の金』
これは親の脛がいつまで持つか分らないので、有る内に搾り取っとけって意味だったかな?
まぁ 細かいことはどうでもいいけど、将来的に自分で稼がないと机の上においてある雪ミクみたいなグッツも買えなくなる」

その言葉を聞いたアレクサンドルは唸りながら机の上に置かれた雪ミクフィギュアを見る。
彼も理解しているのだ。
だが、前職のトラウマから未だに社会復帰が出来ない。

「それに自分たちが立ち上げる銃器製造会社は、ほぼ独占企業。
軌道に乗った後の給料は安心してもらっていいよ」

アレクサンドルに拓也はにっこり笑って右手を伸ばす。
一瞬、アレクサンドルも戸惑いはしたが、その胸にある不安感からか、ちらりと視線を泳がせた先に置いてあった雪ミクから
『ミクダヨー。金稼いで来いよー。グッツ買えよー』と言っている様なオーラを感じてしまう。
まぁ すべては気のせいなのだが、それでもアレクサンドルにとってはここらが年貢の納め時のようだった。

「作るのは銃器製造といったよね?」

アレクサンドルは諦めたように俯きながら拓也に質問する。

「そうだけど」

「…新型の開発はする?」

「将来的には」

「趣味に走っていいか?」

「……実用性と予算の範囲内でなら」

拓也も一瞬アレクサンドルの言葉に返答に困ったが、まぁココは相手の機嫌を損ねないことを重要視した。
アレクサンドルも拓也の返事を肯定と受け取ると、顔を上げ拓也の顔を見据えながら話を続けた。

「それと、もう一つ」

「…今度は何?」

「部下の人事権は俺にくれ。俺の好きなように部下を集めたい」

ふむ。
特殊な人材だけに、其れを受け入れるだけの素質を持った部下が欲しいということか。
その位であれば、部下の人事権を譲って多少人員過剰になったとしても問題ないだろう。
何せ、彼を採らなければ操業許可が出ないのだから。
拓也はアレクサンドルの要求をそのように解釈した。

「わかった。部下は好きに集めていいよ。
但し、人数枠だけは此方で決めさせてもらうけどね」

拓也のokという言葉にアレクサンドルは満面の笑みで拓也と握手する。

「よし、じゃぁよろしく頼む。
それと、俺のことはアレクサンドルじゃなく、愛称のサーシャでいい」

「あぁ 此方からもよろしく。サーシャ」

そうして話合いは実を結ぶにいたると、サーシャは気持ちを切り替えるようにパンと手を打つ。

「じゃぁもう、何時までもネットサーフィンしている場合じゃないな」

サーシャは机の上に散乱していた私物をまとめると、スクッと立ち上がった。

「じゃぁ 俺はこれから前々から気になっていた貧乳さんに仲間にならないかと声を掛けてくる。
この船内だけでも何名か良いなぁと思ってた人材はいるんだ」

「え? 何、そんな仕事デキそうな人がいたの?」

拓也は急なことにキョトンとしながら、サーシャに聞くが、其れに対してのサーシャは何を言っているんだとばかりに首をかしげた。

「何言ってるんだ?
話たことも無いのにそんな事分るわけないだろ」

「じゃぁ 何が気になってたんだよ?」

「さっきも言っただろ。良い感じの貧乳さんがいたんだ。
流石にロリを雇うのは子供の権利ウンヌンで駄目だろ?
時代は合法ロリなのだよ」

そこまで聞いて拓也は理解した。
このお方、真面目に人集める気がないなと
拓也は片手を振って颯爽と走り去るサーシャを見送ると、これはポストだけ与えた名誉職にしてやろうか本気で悩む。
そんな悩みに頭を抱えだした拓也に、今まで通訳に徹していたエレナが拓也に声を掛ける。

「…本当にあの人取るの?」

「まぁ操業許可のためだよ。しかし、頭は良い筈なんで仕事は出来そうだと思ったけど、これはどうか分らんね…」

拓也は疲れた表情でサーシャの走り去っていった方向を見つめている。

「まぁ これで目的は達成したし、これからどうしようか
船内を散策する?それとも、もう帰る?」

そう言いながら拓也はエレナのほうに振り返ると、何時の間にやらエレナの後ろに一人の白人の老人が立っていた。
見た目は白い髭を蓄え、ポロシャツにハーフパンツという、いかにもバカンスの外人さんらしい、ラフであるが小奇麗な身なりをしたおじいさん。
最初は自分たちが通行の邪魔になっているものかと拓也は考えたが、その老人は拓也に向かって話かけてきた。

「すまないが、ちょっといいかね。
先ほどまで近くの机に座っていたんだが、色々と話は聞こえていたよ。
盗み聞きは余り褒められた趣味では無いと自覚しているが、何分面白そうな話をしていたので、ちょっと話てみたくなってしまってね。
時間は取れるかい?」

非常に丁寧かつ優しげに話す謎の老人。
だが、拓也は身構える。相手の正体が分らないのだ。
特に秘密にするようなことはサーシャとは話さなかったが、無関係な人にまでペラペラと「これから銃器を作ります!」等と話す必要は無い。
老人は身構える拓也の姿勢を見て、「あぁ済まなかった」と言いながらポロシャツのポケットから名詞を一枚取り出した。

「私はショーン・リコネ。
とある証券会社の役員をしている。
現在は妻と一緒にバカンス中でね。まぁこんな状況になってはしまっているが長い休暇の真っ最中だよ」

そう言って差し出された名刺を拓也は「はぁ」と言って受け取る。

「まぁ 時間があるなら少し座りたまえ。
ちょっと、先ほどの君たちがしていた話に興味があってね。何でも起業するとか?」

そう言って、ショーンは店員を呼び3人分のコーヒーを注文する。
拓也達は自分たちの分まで注文し、自然かつ強引に話を聞こうとする彼に、少々あっけに取られもしたが、
拓也たちも、まぁいいかと諦めて椅子に座り、受け取った名刺を見る。

「…投資ファンド。の方ですか…
初めまして。私は石津拓也といいます。そして此方が妻のエレナ。
まぁ 別に合法的に武器メーカーを立ち上げようって事なので、お話するくらいは良いですよ」

そうして拓也は彼に大まかな事業概要を説明する。
もちろん図面などの入手経路は秘匿してあるが、技術資料は持っているのと国後での操業許可の内示を受けていること
今は立ち上げの準備中であることなどを彼に語る。

「なるほど、今は一から準備をしている所といった所だね」

ショーンは中々面白い話を聞いたという表情でうんうんと頷く。

「そうなんです。
このまま膜の閉鎖が続けば成長することは間違いなしだと思うんですが、まぁちょっとした賭けでもありますね」

「いや、だからこそ面白い。
世の中、一寸先は闇だ。だが、危機にあってもそれをチャンスに変えようと行動するのは非常に素晴らしい」

ショーンは大げさな身振りを交えつつ拓也に持論を展開する。

「だが、起業するにあたり資金のほうはどうなっているのかね?
銀行には既に相談したのかい?」

ショーンは拓也に尋ねる。
資金の問題。
正直な所、拓也は事業許可の内示を貰ってから銀行に行こうと思っていたため、未だ融資の相談はしていない。
資金の問題は未だにクリアしていないという痛いところを突かれたと拓也は思ったが、どうせ隠してもしょうがないと拓也は話すことにした。

「いえ、まだ融資が受けられると決まったわけではないです。
まだ、その段階まで計画が進んでおりませんので…」

「そうか、では何か資金で困ったことがあれば、私のところに相談しに来るといい。
これでも人生経験だけは豊富でね。何かとアドバイス出来る事があるかもしれない。
それに、この船の中にいる私の友人たちの中には、既に現役はリタイアしたものの、マーケティング、経理、法務とその道で企業経営に尽力していた者達も結構いるんだ。
まぁ そういったジジババの力が欲しいときも私に一言言ってくれれば紹介するよ」

そう言ってショーンは楽しそうに笑う。

「あ、ありがとうございます。
でも、ショーンさんは何故そこまで自分たちに良くしてくれるんです?」

ショーンの援助の気持ちは嬉しい、だがしかし、拓也は一つの疑念を感じる。
見ず知らずの、それもさっきそこで会ったばかりの自分たちに何故そこまで便宜を図ってくれるのか?
拓也のショーンに対する疑問に、彼はまるで悪戯小僧のような笑みを浮かべて答える。

「まぁ なんというか此れでも嗅覚は鋭いほうでね」

「嗅覚?」

拓也とエレナは首をかしげる。
それに対して、ショーンは自らの鼻を呼び差してニヤリと笑った。

「そうだ嗅覚だ。これでもお金の匂いには敏感なんだよ。
まぁ 時々外れることもあるが、頼れるものだと自負しているよ」

「つまり、お金の匂いに寄ってきたと言うことですね」

ショーンが笑いながら自身の嗅覚を自慢していると、今まで余りしゃべらなかったエレナが何を思ったのかあけすけに言い放つ。

「ちょ、おまっ、  す、すいません。妻が失礼な事を言ってしまって」

エレナの言葉に拓也はあわてて謝るが、その言葉を聞いてショーンは大きく噴出して笑いだした。

「ハッハハ。
いや、謝ることはない。全くそのとおりだよ。チャンスに抜け目が無いことが成功の鉄則だからな。
まぁでも、実は理由はそれだけじゃないんだ」

ショーンがさして気にしていない様子を見て拓也は安堵している横で、エレナが更にショーンに問う。

「他の理由…、ですか?」

「あぁ 何というか、君たちの姿を見ていたら何だが自分の若い頃を思い出してね。
成功に向かって賭けに出た貪欲な姿勢は評価に値するよ。
そんな姿を見ていたら、ちょっと手助けをしてみるのも一興かなと思ったわけだ」

「ショーンさんの若い頃ですか…」

「そうだとも。
まぁ そんな訳で、何か相談があったらいつでも来るといい。
それと、若者を何時までも老人の長話に付き合せるのも気が引けるから、私はこれにて退散するよ」

そう言ってショーンは店員を呼んで支払いの為に部屋番号を告げると一人席を立つ。

「ショーンさん!」

拓也は去ろうとするショーンを呼び止めようとするが、彼の足は店の外に向かったまま止まらない。

「色々と有難うございます。近いうちにまた挨拶に伺います!」

拓也の声にショーンは一度だけこちらを振り向いて手を振るが、彼はそのまま去ってしまった。
後には拓也とエレナの二人が残される。

「なんだか凄いことになってきたわね」

エレナがショーンが去っていったほうを見つめながら拓也に話す。

「あぁ なんというか、お金もチャンスも勢いの有る所に自然と集まるんだなって実感したよ。
最初はちょっと親父のコネを使っただけだったけど、色んな人脈が藁しべ長者みたいに増えていくな…」

拓也はそう言うと視線をショーンのいた方向からエレナに戻して彼女の手を握る。

「まぁ何にせよ、これで事業許可までの準備は整った!
まだまだやる事は多いけど、なんとかなりそうだって気がしてきたよ」

「うふふ。そうね。
まだまだ色々と大変そうだけど、一緒に頑張りましょ」」

拓也の言葉にエレナも笑顔で答える。
二人の栄華への道のりは、一歩一歩確実に進んでいるのだった。



[29737] 起業編3
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:08



ロシア領事館


兵器工場の認可を求めてきた二人組が去った日の晩、息子のアレクサンドルが戻ってきた。
父であるニコライがいくら言っても連絡すら寄越さなかった息子に、あの二人組はどんな魔法を使ったのだろうか。
ニコライがその事について聞こうとするが、息子は帰ってくるなり就職の世話の礼を言うと、荷造りしてまた出て行ってしまった。

「それにしても、宜しかったのですか?」

窓辺で息子が出ていくのを見ていたステパーシンの後ろから、一人の将校が声をかける。
ウラジーミル・ツィリコ大佐。
国後・択捉島に展開する第18機関銃・砲兵師団の師団長だ。
彼もまた、本国との連絡のために領事館に来ていた。

「兵器工場の事か? しかたあるまい。どちらにしろ、クリルの産業構造では全て自前で調達するのは不可能だ。」

「でも、材料はともかく製造まで任せることは無かったのでは?」

ツィリコ大佐がもっともな疑問を口にする。
兵器製造という重要なことに対し、あえてヤポンスキーに任せずとも自前でやればいいのではないか?
その疑問に対し、彼はこう答えた。


「大佐。考えてもみたまえ。今回の異変で我々は外界から隔離された。
しかし、すぐに元に戻るかもしれん。そこのところは誰にもわからんがね。
そのなかで、日本人が我々の補給を引き受けるといってきたのだ。
それも、我々の首輪付きでな。
仮に異変がすぐに解消し、全てが無駄に終わっても、大損するのは日本人であり我々には何も損はない。
そして、このまま異変が続いても我々は武器の製造ラインを維持できる。
安全保障上、物資の貯蔵と同じくらい製造ラインを保持し続けることが重要なのは君も知ってのとおりだろう。
それに、彼らは我々の認可の下で製造を行うのだ。
もし、コントロールが利かなくなった場合、認可を取り消して工場を接収することも可能なのだよ。
まぁ 私としては、息子の勤務先にそんな国営ガス企業みないな真似をする気は無いがね。」

ニヤリと笑うステパーシンに、ツィリコ大佐も納得がいったように笑って応えた。
全てが手の上の事。
この時、ふたりはそう信じていた。






異変14日目


北見市


その日、地元では最大の信金から、拓也とエレナの二人が出てきた。
だが、その表情はどこか暗い。

「Fuck!たった2千万でどうしろってのよ!」

自動ドアが閉じたのを見計らって、エレナの口から思わず悪態が出る。
2千万円。億に届きもしない金額が、現在の拓也達への評価だった。
事業許可を得て以降、様々な金融機関の開業資金担当部署を回り、全ての融資可能額を足しても1億に届くか怪しい。
平和な日本の金融業者は、銃器メーカーを起こそうと言う者への信頼は低いものだった。

「ねぇ、あなたもそう思わないの?」

エレナは拓也に向かって叫ぶ。
だがしかし、当の拓也は片手でエレナを静止させると、携帯でどこかに電話を掛け始めている。
流石に電話中の相手に突っかかるのはどうかと思ったのか、エレナは頬を膨らませながら拓也の電話が終わるまでソッポを向く。

「…ええ、メールでお送りした通りです。 …はい。 
…そこは其方の判断に任せますので、ご満足頂けた分だけ…」、

拓也はツンケンするエレナを放置しながら電話に集中する。
パッと見、片手であしらったことで怒ってるなとは思いつつも、そちらは後回しだ。
そして、ようやっと電話が終わると、それまでそっぽを向いていたエレナがくるりと拓也のほうに振り返る。

「で!あなたはどう思うのよ!」

ガルル…と唸るように拓也に詰め寄るエレナ。

「あ?えっと、融資に関する話だっけ?
まぁ 仕方ないんじゃない?
事業経験もない奴らがイキナリ図面持ってきて『これ作りたいから金貸して』なんて言っても厳しいよ」

融資の依頼当たって、拓也達は事業計画及びに例の図面一式を用意していた。
ステパーシンの助けもあってか、コスチャから送られてきた電子化された図面類。
コスチャ曰く、手順書は手に入れることは出来たが、なかなか治具図面類が手に入らなくて困ってきたところに、一人の黒服の男が家に尋ねてきたそうだ。
その男は、電子化された製品や治具の図面類を拓也に送るよう頼むと、他にデータが流出した場合、命の保証はできないと言葉を残して消えたそうだ。
ビビるコスチャに感謝を伝えつつ、拓也はエレナの助けを得て最低限のQC工程表や作業手順書類を和訳。
そしてそれらを持って幾つかの金融機関を回っては見たが、結果は厳しいものだった。

「あなた分ってたの?! じゃぁこれから一体どうするのよ」

エレナがヒステリックに拓也に詰め寄る。
だが、拓也はそれをどぅどぅと暴れ馬を落ち着けるようにいなし、その心のうちを説明する。

「まぁ、待て。
資金については、まだ策はある。とりあえず、結果が出るまで一時保留だ。
それよりも考えなきゃならない事はほかにもある。
用地買収から機械設備の目処をつけなきゃならないしね」

「う~…。でも、お金が無きゃ全部絵に描いたもちじゃない」

エレナが心配そうに拓也に聞く。

「まぁ そうなんだけどね。
でもまぁ、予想では数億はゲットしたい。いや、する。むしろ出来るはずだ!…と思うので
それを念頭に行動します」

「……なんか今、希望的観測で失敗する典型例みたいな言葉があったけど本当に大丈夫?」

「まぁ 何にせよ。今は立ち止まらず積極的に前進するべきだよ。
気分的にはスターリングラードを思い浮かべてもらえればいいよ。
成功のためには競合他社が現れる前に一心不乱に走るしかない。そして資金という名の弾は突撃の最中にゲットすればいい」

「大祖国戦争の激戦地の例で例えられると嫌な感じね。
でも、それならベルリン占領っていう最終的な成功は約束されたような感じもするわ」

大丈夫という根拠はない。
だが、そんな中でも笑いかけてくる拓也の笑顔を見ているとエレナも不思議と安心してきた。
5月4日という勝利の日は道のりは険しいけども必ずやってくるような気がしてくる。

「まぁ そんな訳でさ。
今ちょうど良い催しが札幌であるんだ。
なんでも、道庁のほうで道外資産を売却して買いあさってる産業機械類を格安でリースする説明会なんだそうだけどね。
まぁとりあえず話を聞いて、欲しい機械類について粉掛けておけば、資金調達後の行動もスムーズだしね。
仮に資金調達に失敗したらキャンセルしちゃえばいい」

「ふぅん。
まぁ そういう事なら、一度行って見た方がいいかもね。
それにしても、もうそんなのが始まってるの?
お役所とは思えない行動の速さね。」

「なんでも、知事がその決定を下した後、行動が遅いと散々マスコミに叩かれた政府が本気で後押ししてるらしい。
ニュースでは、内地から中古の工作機械が消えて、続々と青函トンネルからこっちに送られているらしいよ」

「じゃぁ また札幌行きね。
せっかく北見に戻ってきたのに、また武ちゃんと離ればなれだわ」

エレナは、子供と離れるのが寂しいと話ながらも、これも子供の将来の為だと割り切る。
色々は不安や葛藤を抱えつつも、彼女は未来へ一歩づつと進もうとする夫を信じて、彼の背中についていくのだった。



異変15日目


札幌 

札幌流通総合会館



この日、拓也とエレナは、道庁が中心となり設立した道外売却資産運用ファンドの企業向け説明会に来ていた。
この説明会は、ファンドが道内の産業振興のために内地で買いあさった工作機械のリースに関する説明が主だったのだが、
全道から工作機械を求めてやってきた企業はもとより、その集まった企業に対する自社製品の売り込み目当ての企業も集まるという北海道史上空前の大商談会場となっていた。
本来は商談会ではないのだが、ちゃっかりブースを構える企業がでて会場の運営側がそれを黙認すると、他の企業もそれに続き、今では会場外にまで企業ブースが立っている。
そんな熱気の中、格安でリースされる機械類は、すぐに契約済みとなって「ご成約」と書かれた札が貼られ会場から搬出されていくのだが、道も政府も本気になって全国から買いあさった機材を次々と運び込むため、3日目を迎えても熱気は一向に覚める気配はなかった。
そんな、熱気あふれる会場内に拓也達はいた。

「これで、だいたい揃ったかな。プレス機、大熊の横旋盤、ヤマダマザックのNC加工機にマシニングセンタまでリースできたよ。」

拓也は満足げな顔でエレナに話かけると、エレナは逆に心配そうな顔で言った。

「そんなに確保して大丈夫なの?あとで、資金調達に失敗したとか嫌よ?」

「それが、このリース契約は最初の5年は無償で、その後もリース費用はそれほど高くないんだよ。
ちなみに希望すれば、格安で買い取れるって説明会の資料にもあるよ。
まぁ、資金調達の秘策が失敗したら、金融機関から借りた資金だけで工場建屋も中古を借りて体裁を整えつつ、5年以内に軌道に乗せるよ」

心配すんなとエレナに語る拓也
全く根拠のない自信だが、その嬉しそうな顔を見て、エレナもまったくもうと表情を緩める。

「それでこれからどうするの?他に要るものはないの?」

エレナが次の予定について聞いてくる

「本当は個人的な趣味からすると結構な数が入荷されてる金属粉末積層加工機ってのが欲しいんだけど、使いどころが無いので諦めた」

「金属粉末?」

エレナが首を傾げる

「金属粉末積層造形って技術があるんだけど、簡単に言うと金属用の3Dプリンタだよ」

「3Dプリンタ?」

「そう!従来の焼結法じゃなく粉末金属を溶融させて積層するから強度も高いし、従来技術では面粗度に問題があったけど昨今の技術革新で三角4つ、つまりRa0.05クラスも出来るようになっているんだ。
いいなぁ… 欲しいなぁ… 3Dプリンタ…」

拓也は饒舌に加工機の素晴らしさを語るが、製造業についてズブの素人のエレナには何を言っているかは理解できなかった
だが、当の拓也は視線の向こうに転がる機械類を見ながら、まるで玩具を欲しがる子供のような目で見つめる。

「そんなに欲しいなら貰ってこればいいじゃない?」

「うーん、でもねー。あまり量産に向かないんだよ。
試作品作りとかで、部品作りたいけど金型作る予算までは無いときに重宝しそうだけどね。
それにチタンとか難削材にも使えるのが魅力なんだけどねー。
うぁー… でも、何に使うかは別としても個人的には欲しいなぁ
それに、欲しいといえばヨツトヨ社の三次元測定機も良いなぁ…」

そういって拓也はまた機械群へその熱い眼差しを送る。
その様子は、まんま玩具が諦めきれない子供のようであった。
エレナはその様子を見て、呆れながらに言う。

「そういうのは儲かってからにしなさい。
んで?今日はこれでおしまい?」

エレナのその言葉に、拓也は名残惜しそうに機械からエレナへと視線を戻す。

「いや、用件はまだあって、こんだけ沢山の企業が集まってるんだから、製品を製造するのに必要な外注企業を探したいんだ」

「さっきの機械だけじゃ駄目なの?」

先ほどまでに色々と仕入れた機械だけでは不足なのかとエレナは拓也に疑問をぶつける。
そもそも、エレナはロシア在住時代は元ナースで現在は専業主婦。
製造業にかんしては予備知識も何もなかった為、一体どういった設備が要るのか余りイメージできていないようであった。
この事に関しては帰ったら一から教える必要があるなぁと思いつつも拓也が説明を始める。

「さっき買った機械は金属加工用だけだよ。たとえばウチの製品一つ作るにしても色々な工程があるんだ。
まず規格の素材を調達し、部品加工後は表面処理、それにグリップには樹脂が使われてるし、銃弾に至っては火薬も調達しなければならない。
そして、それらを組み立てるには専用の機械を用意しなければならないよね」

説明する拓也は、理解してるのかは疑問だが相槌をうつエレナ相手にさらに説明を続けた。

「その中で、ウチがやるのは金属部品加工と組み立てだ。あとは他の会社から買う予定だよ。
たとえば、樹脂については釧路の新興樹脂メーカーを見つけたんで、さっき名刺交換して会社案内を貰ったし、火薬については美唄にある北海道帝国油脂って会社が自衛隊用にガンパウダーを作ってるって話なので、後日伺うアポを取ったよ。
なんでも、このメーカーは前までは産業用爆薬とかだけだったんだけど、最近になって雷管とかガンパウダーも作り始めたんだって。
正直なところ、あんまり詳細を詰めずに事を始めたもんだから、この会社がなかったら、危なかったよ。」

はっはっはと笑う拓也。
だが、話ている内容とその呑気さのギャップに、エレナは怒りの声を上げた

「こんの馬鹿!!笑い事じゃないでしょ!?もし、その会社が作ってなかったらどうするつもりだったの?
子供の未来もかかってるんだから、もうちょっとしっかりやってよ!」

犬歯をむき出しにして怒るエレナの余りの迫力にビビる拓也。
ヤバい、地雷を踏んだ!
拓也は彼女の表情をみて身構える。
大筋の計画は立てたけど、その後はその場その場で考えて行動してるなんてバレたら、本気で殺されるかもしれない。
そんな事を考えながらビビる拓也に更に大激怒しているエレナ
その恐ろしさに周囲からも注目され始め、拓也の周囲から人々が避けるように離れ始めるている。

「ま、まぁ、結果オーライって事でさ。他の人も見てるし抑えて抑えて…」

いまだ唸り声をあげてるエレナも、周囲に注目されてはこれ以上怒ることもできず、なんとか怒りを抑える。

「まぁ このことについてはもういいわ。
あともう一つ質問なんだけど、組み立てには専用の機械がいるって言ってたけど、それは調達して無いわよね? どうするつもりなの?」

エレナの圧力から解放された拓也は、助かったとばかりに溜息を一つ吹いた後に答えた。

「AKについては手作業で組み立てで問題ないんだよ。ロシアの工場でも途上国の町工場でもそうだし。
それより弾薬の製造用に必要なんだ。あれは、量を作ってナンボだからね。
幸いにしてラインの図面はあるので、それの小規模版を産業機械の製作会社に発注しようと思ってる」

「特注品ってわけね」

そういうことなのねと納得したエレナに言葉を続ける。

「他の汎用機械類についてはここでリースできたけど、これは受注生産になるからね
多分、設備投資の中で一番高くなる。まだ見積もり依頼した段階だけど、ちょっと価格面で心配だよ」

恐らくはこれから細々とした設備も色々と揃えなければならない。
資金調達に失敗したら本当にどうしようかと拓也は思いつつ、次々に出るエレナの質問に拓也は答えていった。




同日

同会場内


多くの企業人でごった返す会場内を、高木はるか知事が秘書と視察に来ていた。
北海道だけでも経済が成り立つように、道が全力で取り組んでいる事業だっただけに、彼女はその成り行きが気になっていた。

「随分と企業が集まっているわね。リース目的じゃない企業までブースを開いてるし」

大商談会と化した会場の盛況ぶりに気を取られながら、後ろに続く秘書に声をかける。

「そうですね。第二次産業が弱かった北海道が、これで大幅に製造業を増強できます。
もし、仮に膜が消え去った時に、これならば内地と製造業で張り合えるかもしれませんね」

秘書もその熱気に半ば飲まれたようだ。
興奮気味に高木の言葉に返答する。

「まぁでも、工作機械の導入で中小企業は発展するでしょうけど、…問題は技術力ね。
技術力のある大企業に対し、政府を通じて道内の子会社に技術情報を集積するようにしてもらったけど、道内に拠点のない産業界から技術を引き出すのは流石に難しいわ。
無理に技術の開示を求めても、膜が元に戻った時は自社技術が漏洩してしまうので絶対に拒否するし、残る手段はM&Aで強制的に技術を奪うしかなくなるわ。
それに奪ったとしても産業拠点を一から作らなければならないので時間も必要になるし… ふぅ、物資統制はまだまだ続きそうね」

高木知事が言っているのは北海道には無い半導体等の工場の事だ。
北海道には小規模な半導体メーカーもあるにはあるが、DRAM等の大規模メーカー工場は存在していなかった。
そこで、内地のメーカーに技術援助を要求したが、要請された側にしてみれば北海道が仮に戻ってくることがあった場合、自社技術が大々的に漏洩している事態になる。
半導体技術の漏洩と産業スパイ行為で過去に隣国の国策メーカーから苦い経験を受けていた為に全て断られた。
次に行われたのが、中国などの供給過剰で会社が傾きかけた海外メーカーに対するM&Aだった。
性能は世界の先端からは劣っても、ほどほどの物が作れれば良かったので事業規模が小さく買いたたくことができたメーカーから、技術は劣るものの製造に関するすべての技術を奪うことに成功した。
だが、技術があっても生産ラインがなければ何もならない。
既に道内に官製工場の用地選定を急がせているが、物が出来上がってくるのは早くても3年後という予測が出されていたう。
それまでは、PC等の機器は新たに製造できなくなる。
在庫でどうにかするしかないのだ。
道民の皆さんにはこれから数年は物資統制による様々な不便を感受してもらわなくてはならないだろう。
そんな暗い話題について秘書と話ていると、会場の一角から大きな叫び声が聞こえた。

『こんの馬鹿!!笑い事じゃないでしょ!?』

なにやら、二人の男女が喧嘩をしているようだ(まぁ喧嘩と言っても男の方が一方的に怒られているだけのようだが)
その二人の手には、色々な企業の会社案内などが握られているのが見えた。

「結構若い人にも見えるけど、起業するのかしら?
ちょっと興味が湧いたわ。ベンチャー企業にエールを送りましょうか」

そう決めた知事は、二人のもとに人の波をかき分けて近づいて行った。



一方で、拓也とエレナはというと、落ち着きを取り戻したエレナの質問に対し、拓也の色々と説明している。

「…というように、製造業では工作機械の他にも検査道具も一式そろえなければならないんだよ。
某重工系の軍需やってるところは、だいたいヨツトヨ社製で揃えてるから、ウチもそうしようと思う」

エレナへの講義はいまだ続いていた。
今話ている内容は、『品質保証と計測器について』
正直なところ、エレナが理解しているかは二の次で、拓也の自己満足に近かった。
明らかに(もういい加減にしてよ)という表情をエレナは浮かべているが、それが分っていても拓也は止まらない。
定期校正とトレーサビリティの重要性。それらを語り尽くし、拓也が更にヒートアップしてきたところで不意に視界の外から声をかけられた。

「あなた達、ちょっといいかしら?」

自分の世界にトリップしていた拓也が、その声のした方向に振り向くと、落ち着いた雰囲気の女性と、そのお供と思われる男性が立っていた。
ん?どこかで見たことがある気がする。
拓也はその女性が記憶のどこかに引っかかると思い、そして思い出した。

「も、もしかして高木知事ですか?」

その女性は、ええそうよと答えると、にっこり微笑んできた。

「あなた達、お若いのに積極的に動き回っているようね。ベンチャー企業の方?」

なぜかは知らないが、知事がこちらに興味をもって声をかけてきてくれた。
著名人と会話する機会があって嬉しいのが半分と、道のトップに名前を知ってもらって損は無いなと思う打算半分に、拓也はにこやかに返す。

「ええ!これから新しく工場を作ろうと思いまして、本日はその機械の調達と商談をしに来ました。
それと申し遅れました。私、石津拓也と申します。こちらは妻のエレナです。」

拓也の紹介にエレナもどうもと会釈する。
それを見て、高木も気づいたようだ。

「あら、お嫁さんは外国の方?」

その問いかけに、エレナも緊張気味に答える。

「はい、ロシアから来ました。」

「二人で日本とロシアの間に立ったビジネスをと思いましてね」

エレナの自己紹介と拓也の補足を聞いて、高木は驚いたように目を見開いて拓也達をまじまじと見る。
彼女も意外だったようだ。

「今回の騒動で、南千島と北海道が一緒に隔離されてしまったけど、あなた達みたいなのが間を取り持ってくれると両地域にとっても好ましい事ね。
ところで、何の商売を始めるのかしら?差支えがなければ教えて下さる?」

同じ境遇にたった両地域の交流は望ましい。
そう思い笑顔を浮かべながら聞く高木に、拓也が笑顔を崩さずに平然と答えた。

「銃火器の製造です。」

「…」

誰しもが予想だにしなかった答えに、一瞬空気が凍る。
高木にしてみても、まさか銃を作るなど予想の遥かに上だったのだろう。
平然を装いながらも、どこかぎこちなく見える。

「じゅっ銃ですか? でも、許認可の類はどうしたんですか?
誰でも作れるようなものではないと思いますが…」

その質問に対して得意げな表情で拓也は答える。

「既にロシア側の許可は頂いております。製造工場も国後ですし」

知事の表情が曇っていく、道が集めた機材を使いロシアの武器を製造するというのだ
この男は一体何を考えているのだろうか?
疑惑の眼差しが拓也に突き刺さる。

「あなたの事業はロシア側に一方的に利益を与えているように見えるわね。
自衛隊の補給も先が見えない中で、こんなことが許されると思うの?
この場で、私がリースの取り消しを命じたらどうなるかしら?」


もし、本当に売国奴なら… この青年には報いを受けてもらおう


そう考えながら高木は拓也に質問するが、その言葉を予想してたかのように拓也は答える。

「えぇ。確かに今はロシア向けの製造のみですね。
私どもはロシアの兵器メーカーから各種の図面から技術資料まで入手しておりますので、資金と設備の支援があれば大抵のロシア製小火器は製造できるでしょう。
それと、知事。ご存知ですか?
ロシアは東側規格の武器を世界に売っていると思われますが、実はNATO規格の弾薬も輸出しているのですよ。
当然、私どもの入手した資料の中にもそれはありました。
自衛隊の89式小銃は確か、NATO規格の互換性がありましたね。
まぁ あくまで仮定の話ですが、将来的に道内でも許認可がいただけるのであれば、道の安全保障にとって有益だと思いますよ。」

満面の笑顔で語る拓也。
だが、高木の疑惑の目は未だに晴れた訳ではない。

「しかし、なぜ武器なのです? もっと平和的なビジネスもあったはずでしょ?」

もっともな疑問であったが、拓也にとってみれば取るに足らない疑問でもあった。

「例え、自分たちがやらなくても他の人がやることです。
それに、内地と分断された今、北海道にない産業に参入を起こすのはチャンスなんですよ。
無論、許認可等の利権の関係上、困難もありますが。
向こう側は、私たちを自分たちの許認可の下でコントロールできると思っているでしょうが、サプライチェーンは道の影響下にあります。
つまり、道と南千島の友好が保たれている間でしか私たちのビジネスは機能しません。
いいかえると、向こう側の弾薬補給は、北海道と友好関係を結んでる状況に限り維持できるという事です。
そして、この二つの地域がそれぞれ別々に独立を保つってのは並々ならぬ困難があると思うんです。
北海道は南千島の石油が、向こうはこちらの物資が必要ですし、いずれ二つの地域は統合するんじゃないかと読んでいます。
そうなれば、私たちは安泰ですね。
武器弾薬の製造が平和の維持に一役買うことになるのです」

拓也の話を聞き、高木知事は驚いた。
目の前の青年は、殺人兵器を作り出すことによって平和を演出しようとしているのだ。
まぁ 建前が本音かは別としてもだ。
彼の話を聞く限りは、別に彼らがやらなくても同じ状況は作れそうな気がしたが、すでに向こう側の許可を受けているという。
そうなれば、製造元を絞った方が監視も用意だろう。
短い時間で高木はそう結論付ける。

「なかなかいい話が聞けたわ。実に興味深かったし、もうちょっとお話たいのだけれど
私はこの後のスケジュールが詰まっているので行かなければならないの。だけど、また機会があればお話しましょう。
がんばってねお二人さん。」

満足げに高木は感謝を伝えると、彼女は二人にエールを送ってその場を離れていく。
振り返れば拓也ら二人が、こちらの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
それから道庁への帰り道。
秘書の運転する車内で、窓の外から会場を眺めつつ知事は呟いた。

「なかなか面白い人と出会えたわね」

その言葉を聞いて、秘書はルームミラーで窓の外を眺める知事の様子を見る。

「銃を製造しようという二人組ですか?」

フフ…と秘書の言葉を聞いて高木が笑う。

「私の予想だけどね。 彼、この二つの地域をつなぐキーパーソンに成長する気がするわ」

高木はそう秘書に告げると笑みを浮かべたまま再び口を閉じる。
二人を乗せた車は、そのまま静かに道庁へと戻っていくのだった。




[29737] 国後編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:08
異変18日目


道内某所 スーパーにて




異変後、道内では物資統制が始まり、生活必需品に関しては完全な配給制になっていた。
しかし、一見するとスーパー等の商店への客の量はあまり変わっていない。
そんな中、一人の初老の婦人が買い物に来ていた。

「はぁ… スーパーがそのまま配給品の交換所になったから見た目には変化はあまりないけど、
配給外の品物の物価はすごい事になっているわね」

道は、道内で自給できる食品については配給制を敷き道民の食糧事情を保障したが、再入荷の見込みの無い食品は早々に統制をやめた。
生鮮食品の場合は腐るのですぐに無くなるし、何より南国の果物等が少々無くなっても命にかかわるというものではない。
そんな事情もあり、彼女は驚きの表情で値札を見る。
みかんやパイナップルの缶詰が恐ろしい価格になっていた。
すでに定価の10倍を超えている。
生のバナナなどは既に姿を消し幻の食品となっている。
温暖な地域の果物は北海道では取れない為、在庫が無くなればそれまでだった。
彼女は、そんな事を考えながら店内を回っていると、前方から見知った女性がやってきた。

「あら、奥さん。こんにちわ。
奥さんも配給を受けに来たの?
それにしても大変よね。さっき鮮魚コーナーを見てきたけど、沿岸の魚ばっかりで外洋の魚がさっぱり無かったわ。
配給券では、冷凍マグロとかは対象外だし…」

まったく!嫌になっちゃうわねとその女性が自分に語ってくる。
そうか、お魚も種類が減っちゃったのね。
そうがっくりしながら老婦人は目の前の主婦と話を続ける。

「でもそうなると、お肉はどうかしら?
北海道には牧場もいっぱい有るし…」

その疑問に対し、目の前の女性は手を横に振りながら答える。

「お肉のコーナーも見たんだけど、確かに一通りはあるんだけど一パックごとの量が少ないわ。
まぁ アメリカ牛もオーストラリア牛も入ってこないんじゃ、道民全てに行渡らせるには量を削るしかないそうよ。
店員さんもそう言ってたもの」

「じゃぁ 一体、何を食べればいいのかしら?」

老婦人が不満を口にする。
魚も種類が限られ肉も量はない。
いったい今日のおかずは何にすればいいのか。

「じゃがいも、たまねぎなんかは大量に配給されてるわね。あと、大豆も大量に配ってたわ。」

そういって主婦は、先ほどゲットしてきた食品を老婦人に見せる。

「なんでも、道内産の農産物が出荷できないんで大量に余っているそうよ。
しばらくは豆腐ハンバーグでも作って乗り切るしかないわね」

そういって苦笑を浮かべるながら話す主婦に、老婦人も苦笑いを浮かべるしかなかった。
なんたって非常事態である。
困っているのは自分だけじゃない。
そんな状況下では、日本人の忍耐力は強かった。

「それはそうと、お宅の息子さん達って帰省中でしょ?
こんな事になって、北海道に閉じ込められちゃったらどうするの?」

主婦は食料の話を打ち切ると、唐突に老婦人の息子の事を質問する。
彼女は、老婦人の子供たちが夏の帰省シーズンに帰ってきた事を前に会った時に聞いていたが、その後どうなったかは聞いていなかった。
それについて聞かれた老婦人は、それについてはねと頬に片手を当てながら説明する。

「この間、役所から調査が来てね。
家族構成から職業、仕事の内容まで根掘り葉掘り聞いた後に冊子を置いて行ったわ。
なんでも、道内に取り残された帰省中の人や観光客を集めて保護してるらしいの。
閑古鳥が鳴いている道内の観光地の宿泊施設を住居として一時的に開放するらしいわ。
なんでも、業界ごとに地域を分けて保護してるんですって」

それを聞いた主婦は、昼間に見たワイドショーを思い出した。
番組内では、道が道内の技術者を強制的に移住させている反権力的な思想のコメンテーターが批判をしていた。
彼女は、それが嘘かホントかわからないがテレビのいう事に疑問は持たなかった。
何より、目の前の老婦人の子供たちが其処に引っ越していったそうである。
テレビの言葉を借り、強制移住であると決めつけた女性は、非常時に強権を発動する道が悪者であるというイメージのまま話をする。

「息子さん、騙されているんじゃないの?
そもそも、食糧の不足も道が機械の輸送だか何だか知らないけれど、汽車の輸送を独占してるのが悪いのよ。
機械だの戦略物資?だの送る余裕があるなら、市民生活を守るために食料品を送るべきだわ」

不満を口にする女性に、そうなの?と疑問を口にする老婦人だが、次第に彼女も主婦の愚痴に感化されていった。
その老婦人も息子たちと一緒に孫まで出ていってしまった事に少なからず不満があったからだ。

物資統制後の北海道では、このような光景が道内各所で見られた。
異変前と変わらず、無責任な報道をするマスコミ。
そして、物資の欠乏と先の見えない不安感は道民の忍耐でなんとか抑えられているが、内部に発生した不満はゆっくりと、そして確実に溜まっていくのだった。













異変20日目




国後島 ユジノクリリスク



ロシア人が来る前は、古釜布と呼ばれた場所。
眼前に広がる海。
その中へちょこんと飛び出したかのような半島に、その町はあった。
そんな町の中に、一台の車が港から高台へ向かって走っていた。
アスファルトの上を滑る様に進む車内には、拓也達と案内人の男の3人が乗っている。
そんな車内の後部座席に座っていた拓也が、案内人の男に声をかける。

「いやぁ~ すいませんね。工場用地の斡旋までしてもらっちゃって。
それにしても、ステパーシン氏には後でお礼を言っとかなきゃダメですね。」

ホント、助かるなぁとエレナと笑顔で語る拓也。
彼らは、ほんの一時間前までは独力で用地を探そうと考えていた。
地図は見たが、初めて来る土地である。
そんな所で工業用地なんていう重要な物件を探そうというのだ。
彼らは好物件を探そうと気合を入れ上陸した。
だが、予想外にもそんな彼らを港で待っていたのは、ステパーシン氏から拓也達の案内を頼まれたという男だった。
彼は、名前ををエドワルド・コンドラチェンコと名乗ると、既に島内で好物件を何件か見繕っており、それを紹介してくれるといって二人を車に押し込んだ。
あれよあれよという間に、島内を案内されながら2件ほど物件を回り、最後の物件へと向かおうとしているところでエレナが指をさして拓也に言う。

「見てよ拓也。あっちに埠頭のすぐそばに工場が出来てるわよ。
なんだか凄い大きな機械を搬入してるし。
私たちも港のそばの方が便利なんじゃないの?」

その疑問に対し、エドワルドが横から説明する。

「あぁ あれは、国営のガスブランの工場ですね。
資金に物を言わせて立派な工場を建ててますが、当初は油田の修理部品を作るって話でしたね。
それと、あの立地は本来は港の倉庫を建てる予定だったのを、奴らが中央に話をつけて強引に取得したとか。
まぁ 一般の人には真似できませんね。
でも、異変のせいで、機械積んだ船が入港できなくなってしまって建物が浮いてしまったって噂ですよ」

「ふーん。でも、何か搬入してるみたいだね?」

彼の話では搬入する予定の機械が手に入らなかったというのだが、実際は目の前で何かを搬入している。
その疑問を拓也は口にしてみたが、エドワルドの口から期待するような答えは返ってこなかった。

「さぁ? あの連中が何を運んでるのか自分にはわかりませんよ」

案内人にも分からないと言われれば、これ以上知りようがない。
それに、たいして自分たちに関わりがなさそうな話だったので、拓也はこの話は終わりと話題を変え、次の物件へ向かう。
そうして着いた最後の物件は、町の外れにある工場跡地だった。
工場が閉じてからさほど時間は経っていないらしく、少々の割られたガラス等を修理をすれば直ぐにでも使えそうだった。

「ここは、以前は何だったの?」

中々よさげな物件をみて、エレナが詳細を訪ねる。

「資料によると、以前は水産加工場だったようです。
しかし、事業者が欲を出して不動産の投機に手を出した結果、手放したと書いてあります。
ちなみに、建物の裏に小さな桟橋があって、小舟程度なら繋留できるそうですよ」

桟橋?そんなものまであるのか。
どの程度の物だろうかと、拓也がワクワクしながら裏へ回ると、そこには小さな桟橋と倉庫があった。
倉庫のカギは壊れているようで、中を開けてみると台車に乗った小さなモーターボートが一艘あった。

「これも付いてくるの?」

拓也の質問にエドワルドが資料を読み返しながら説明する。

「えー 敷地内の全ての物の付で賃貸に出されてますから、これらも付いてきますね。」

正直なところ、船舶の免許は持っていなかったが、思わぬオプション付きの物件に拓也は心ひかれた。

「エドワルドさん。ここに決めました。即決です。」

まぁ 建物については他の物件も大差なかったが、拓也はそのオプションが気に入った。
拓也がこれを借りることを決めるとことを伝えると、普段は相談なしに物事を決める拓也に対し、彼の独断専行にしょっちゅう怒っていたエレナも同意して頷く。
どうやら彼女も気に入ってくれたようだ。
もっとも、彼女は「桟橋があるなんて素敵ね。今度、子供を連れて三人でクルーズでもしたいわね」
とビジネス以外の事を想像していたのだが。
そんな彼らを満足げに見たエドワルドは「では、契約に関することは不動産屋の事務所でしましょう」と、そそくさと車に乗り込んでいった。
その彼に続いて車に乗り込もうとする二人だが、乗り込む直前、エレナが何かに気付いた。

「ねぇ。さっきから、あの人たち私たちの事監視してない?」

エレナが指差すと300mほど離れた所に一台の車が止まっており、その周囲で2人組の男たちがこちらを向いているのが見えた。
しかし、距離が離れているため、ハッキリと確認できない。
拓也は気のせいだよとエレナに言い聞かせて、エレナを車に押し込むが、彼女は彼らが視界から消えるまでじーっと見つめていた。

「まぁ このあたりも石油が出るようになってからチンピラが増えましたからね。
注意するに越したことはないですよ」

エドワルドはチンピラなんて珍しくも無いと言うと、島内に用意した事務所まで車を走らせる。
エレナも「ふーん」とその言葉を聞くと、それまでの興味を失ったようだった。
そして、あれよあれよという間にエドワルドの事務所に着くと、その後の展開は早かった。
既にステパーシン氏の手回しで契約書類などがすべて揃っていたため、必要書類にサインし、小切手で支払いを済ませた。
物件自体が地価が恐ろしく低いために格安の賃料であった為、賃貸料を支払ってもかなりの金額が手元に残る。
機械設備も格安で手に入れたし、とりあえずは需要の高い弾薬の製造を始めれば、何とか事業は軌道に乗せられるはず。
そんな事を考えつつ全ての手続きがおわると、ホテルにチェックインして今日はもう休むと二人は決めた。

「これで、拠点が手に入ったわね。」

ホテルの部屋で、窓辺に腰かけながらエレナが満足そうに言った。

「そうだね。あとは機材を運ぶだけだから、道庁と運送屋に連絡するだけさ。
これで機材が到着するまで、少しだけの休暇というわけさ。」

本来は工員の採用から、社則の制定など、やることは色々あるのだが
拓也はあえて考えないようにした。
何せ、異変の開始から今日にいたるまで精力的に道内を飛び回り、果てには国後島まで来ていた。
少しばかりの休息が必要だった。

「でも、こんなに自然が綺麗なところなら、武ちゃんも連れて来たら良かったわね。」

実家に預けてきた子供を思いエレナが寂しそうな顔をする。

「全部の準備が整えば、いつでも来れるよ」

拓也はエレナに優しく声を掛けつつ彼女の肩に手を置いた。
そんな二人を窓の外から見つめる影がある。
しばらくすると、新たな影がやってきて、もう一方の影が離れていく
だが、正確に言えば、その影を見つめるもう一つの影があった。
エドワルドである。
彼は拓也達を見つめている影から巧妙に姿を隠しつつ、その後をつける。
尾行されているとも知らず、その影は一つの建物に入っていき、その様子をエドワルドはバッチリ見ていた。

「やはり、奴らか…」

影が入っていった建物は、昼間に拓也達に説明した真新しい工場だった。
拓也達に島内を案内してる途中、エレナが不審に思うずっと前からエドワルドは尾行に気付いていた。
そもそも、なぜ彼がこんな事をしてるかというと、それは数日前に遡る。



札幌

ロシア領事館


この日、彼はツィリコ大佐に呼ばれていた。
出頭に応じ、案内された一室に入ると
そこには、ステパーシン南クリル臨時代表とツィリコ大佐が立っていた。

「やぁ よく来たね。コンドラチェンコ大尉。
どうだね?君も一杯飲むかね?」

ステパーシンがウォッカのグラスを片手に声をかけてくる。
それを丁重に断りつつ、敬礼を返すとエドワルドに対しツィリコ大佐が今回の呼び出しの説明を始めた。

「忙しいところすまんな大尉。
今日呼び出したのは、君にある人物の護衛をしてもらいたい。」

「護衛…ですか?」

エドワルドが聞き返す。
それは一体どのような任務なのであろうか。

「あぁ それも、護衛対象には秘密でだ。
護衛対象は石津拓也という日本人と、彼の妻のエレナ。ちなみに彼女はロシア人だ」

そういって、大佐は二人の写真をエドワルドに見せた。

「この二人ですか… しかして、この二人は一体何者ですか?」

エドワルドは率直な疑問を口にする。
すると、グラスを持ったまま椅子に腰掛けたステパーシンが説明を始めた。

「彼らは、国後に我々の補給を担う武器工場を作ろうとしている。
君の任務は、私から工場用地の紹介を依頼された案内人として彼らに接触し、彼らに感づかれないように護衛してくれ」

なるほど、武器商人か。
エドワルドは彼らが何者かは納得がいった。
だがしかし、それが分ると当然次の疑問が湧いてくる。

「しかし、彼らは一体何から狙われているんですか?それに護衛していることを隠す意味は?」

護衛をする以上、必要な情報は多い方がいい。彼の疑問の内容はもっともだった。

「単刀直入に言おう。
ガスブランの奴らが不穏な動きをしている。
つい先日、奴らもまた武器製造の許可を求めてきた。
だが、すでに彼らにも許可を与えていることを知ると、強硬に認可の取り消しを要求してきたよ。
なぜだかわかるかね?」

その質問にエドワルドは率直に答えた。

「武器生産を独占する為ですか?」

その答えを聞いて、フフンと鼻で笑うとステパーシンは続けていった。

「半分は当たりだ。だが奴らにはもう一つ思惑がある。
奴らは武器の生産を独占することで軍との関係を強化し、十分な手回しの後に私を失脚させる腹積もりだ」

エドワルドは驚いた。
一介の国営企業がそこまでやるのか。
それに何の証拠があって臨時代表はそう断言できたのか。
その表情を見て、今度はツィリコ大佐が説明をする。

「実はな、私の所に一部の士官からタレこみがあった。
ガスブランの幹部の一人が内密に接触してきたそうだ。
賄賂と一緒にその計画を語り、その計画では臨時代表はもとより、軍内部でも中央の息のかかってないものを一掃しようというものだったそうだ。
その後、士官は贈賄を受け取って承諾の返事をしたそうだが、奴らの思惑が外れたのは、その士官がそのままこっちへ報告に来たことだな」

その話を聞き、難しい顔を崩さずにエドワルドは質問を続ける。

「しかし、彼らはなぜ其処までしようとするのでしょうか。
派閥は違えども同じロシア人同士じゃないですか」

それを聞いたステパーシンは、愉快な話をするかのように笑って答えた。

「なに、それは簡単なことだ。
異変前、奴らは大統領の後ろ盾を得て、さも極東の支配者のようにふるまってきた。
それが膜に隔離されるや否や、大統領の息のかかっていない者が首班となり、今までのような強権が使えなくなった。
奴らは、それがたまらなく気に入らないのだよ。」

難儀な奴らだと呟きながらステパーシンは持っていたグラスを空けた。
あのクソ共めとステパーシンは悪態をつく、エドワルドはそうした全ての説明が終わった時、とんでもない騒動に巻き込まれたことを悟るのだった。



異変21日目



拓也は、その日の朝から取得した工場に来ていた。
その工場は、傍目にはまだ十分使えそうだったが、所々窓ガラスが割れていたり、床に結構な雨漏りの跡もあったりした。
そんなわけで、現地の工務店に修理を依頼し、現在は見積の為の調査中だった。

「この程度なら、工期は5日程度ですね。」

工務店の社員が言う。
まぁ そんなもんか…
素人目には大がかりな修理は要らないかなと思ってはいたが、工務店に見てもらったところ、窓ガラスの交換と屋根の補修だけで大丈夫なようだった。

「これなら、補修している横で機材の搬入を行っても大丈夫ですかね?」

拓也が質問に工務店の社員は、にこやかに答えた。

「大丈夫ですよ。
それにしても、この島で何を始める気なんですか?
この前も、ガスブランの方が工場建ててましたけども、やっぱり石油関係ですか?」

「いや、石油じゃないんですけどね。
ちょっとした機械類ですよ。」

拓也ははぐらかして答える。
何せ兵器工場だ。
正式に稼働するまでは余りベラベラと関係者以外に喋るべきではない

「へぇ~… で、何時ごろ搬入されるんです?」

「既に機械類は北海道で出荷準備は終わってるので、連絡を入れれば3日で搬入できますね。
工場の補修の方も並行作業で大丈夫という事ですので、これから連絡しようかと思います。」

拓也がそう教えると、工務店の社員は「3日後ですか…」と呟きながら頷き、見積は後程お送りしますと挨拶をして帰って行った。
それを見送った拓也にエレナが後ろから話かける。

「で、これから搬入を運送屋さんにお願いするとして、その後は?」

「そうだね~ まぁ 社則や品質マニュアルといった決まり事を作りつつ、人を雇う準備をしよう。
俺は、社標準を作ってるから、エレナは島の職業安定所で求人を出してきてくれ。」

「わかったわ!で、何人くらい集めてくればいいの?」

「まぁ 最初は工場作るから面接やるよって感じで告知だけしてきてよ。
設備が全部来た後で面接やって、それで必要数だけ採用するから。」

分かったわと言って、エレナは張り切りながらエドワルドの車に乗ると国後の職業安定所へ向かう。
土ぼこりをあげて車が走り去った後、一人残った拓也は背伸びを一回すると、「じゃぁ 俺は俺の仕事をやりますか」と独り言を呟いて工場の中に入っていった。
工場の中は、前の所有者の機械等は既になかったものの事務所の机や椅子などは、そのまま残っていた。
拓也はその内の一つの埃を払うと、椅子に座ってノートパソコンを広げた。

「さて、社則から品質マニュアルの作成まで、事務仕事もいっぱいあるなぁ」

転移後、会社に出られなくなったが故に事務仕事から解放されていた拓也であったが、こちらでも働かなければならない以上、それらから逃げることはできなかった。
凄く面倒くささがにじみ出た表情で、観念したかのように1枚のSDカードを取り出すと拓也は中に入っている書類の確認を始める。
このSDカードは、国後に渡る前、なんとか連絡を取った会社の後輩に頼んで送ってもらった前の会社での仕事データだった。
拓也は異変の前はメーカーで品質保証をしていたが、その内容は部品検査から外注業者の監査まで多岐に渡った。
その中で、拓也は外注業者の品質システム監査記録を全部スキャンさせ送らせていた。
まぁ 後輩は机の中で山となった書類をスキャンするので文句を垂れていたが、個人持ちの道具類を全部譲ることで渋々やってくれた。
そんな訳で、拓也が今作ろうとしているのは品質マニュアルと呼ばれる文書だ。
これは、簡単に説明するなら、安定した品質を維持するための会社全体としての決まりである。
もし、今後、自衛隊との取引があった場合(拓也はやる気満々だ)、品質が低いと自衛隊の検査に通らない。
何せ官需の顧客検査では、提出書類に少々の誤記があっただけで検査中止である。
そんな非常に厳しい顧客要求に備え、会社を立ち上げる時から形を整えなくてはならないと拓也は思っていた。
まぁ 実際やってることは、似た業務形態の会社の品質マニュアルを自分たちに合わせて切り貼りしているだけなのだが…
そんな作業を1時間ばかりしていると、不意に工場内に物音が響いた。



カコーーーン…



工場内で何か倒れた音がする。

「エレナたちは、もう帰ってきたのかな?」

そう思い拓也が事務所のドアを開けようとすると、完全に閉まり切っていなかったドアの隙間から見知らぬ男たちが見えた。


!!!!


咄嗟にドアを開けるのをやめ、拓也は隙間から様子を伺う。
そこには屈強な体つきをした2人組が工場内を物色していた。

なんだ??泥棒か?
やばい!やばいぞ!!取られるものは特に無いがあんなゴツいやつと喧嘩して勝てるとは思えない。
それも複数だ。
下手したら、口封じに殴り殺されるかもしれない…

拓也は縮こまりながらその様子を伺うと、この状況をどう乗り切るか考えていた。

「逃げるか?」

入口は奴らがいるし、窓から逃げるしかないか…
そう決めた拓也は、息を殺しノートパソコンを回収すると、静かに窓を開け、そのサッシに手をかける。

その時だった。

ガチャリと開くドア。
一瞬、ドアを開けた男と目があった。

……

凍る空気

次の瞬間、拓也は一心不乱に窓から飛び出した。

「ヤバイヤバイヤバイ!見つかった!」

全力で駆け出す拓也、後ろで男も大声で何かを叫び追いかけてくる。
いかん!普段から運動不足の上、ノートパソコンまで持ってる。このまま捕まったら、殺されてケツを掘られた上で殴られる!
拓也は混乱した思考のまま全力疾走した。
走って走って足の筋肉が悲鳴をあげても走り続けた。
そして、追手の姿を確認しようと一瞬だけ後ろを向くと、そこには既に追手の姿は無かった。

ブロロロロ…

近くで車のエンジン音が聞こえる。
その音の方角を見ると、すぐそこまでエレナ達の車が来ていた。
尋常じゃない拓也の様子を見て、エレナが車から降りると心配して駆け寄ってくる。

「どうしたの!?」

全体力を使い切った拓也はその場にへたり込み、エレナに何が起きたか説明を試みる。

「ど…ど…どど…」

全力疾走の後の為、なかなか声が出ない。

「どど? ドドリアさん?」

「違う!どっ泥棒が出た!」

ようやく落ち着いた拓也はエレナ達に事情を説明する。
事務所で仕事をしていた事。
物音に気付いてドアの外をのぞいたら見知らぬ二人組がいた事。
窓から逃げようとしたら、一人が入ってきて全力疾走で逃げた事。
全てを話終えた後、介抱してくるエレナの後ろに立っていたエドワルドが、拓也の話を聞いて真剣な顔つきで口を開く。

「とりあえず、警察に電話しましょう。それと、今日はもうホテルに戻りましょうか。」

拓也はエドワルドの提案に乗ることにした。
何にせよ、今日はもう仕事をする気にならなかったので、早くホテルで休みたかった。
エドワルドは即座に携帯で警察に連絡をすると、通報を受け駆けつけた警官がパトカーに乗って現れる。
拓也は警官らと一緒に一度工場に戻り、特に何も盗まれていなかった事を確認したのち工場を離れてホテルへ向かった。

「ここら辺ってそんなに治安が悪いの?」

エレナがエドワルドに聞く。

「いや、もともと人口の少ない町なので、泥棒すら滅多にないんですが…」

「でも、不審者が出たわ。
それにしても、まだ何にもない工場に何しに来たのかしら? 不思議ね」

エレナが疑問を口にする。
その通りである。
あの工場自体、今朝までは施錠されて閉鎖された工場だった。
それがまた稼働するので、住民に求人をだして告知したのは、不審者が現れたのとほぼ同時刻
泥棒なら、何もない工場に来るだろうか…
まぁ若者がアンパンを吸うために集まったっていうなら話は分るが、あの場にいた不審者はとてもそんな感じには見えなかった。
拓也はそんな事を考えつつ、不審者の正体について憶測を広げていると、何時の間にやらホテルのそばまで車は来ていた。
そして拓也は目を疑った。

「ストップ!!!」

車内に拓也の声が響く。
あわててエドワルドがブレーキを踏み急停車し、不意に急停車したため姿勢を崩したエレナが起き上がりざまに拓也に問う。

「いったい何よ?」

「あ あいつだ!!」

拓也がホテルの入口に立つ集団を指差す。

「いったい、どいつよ?」

「あの!集団の真ん中に立ってる奴!間違いない!今日見た奴だ!」

拓也の指差す先には、ホテルの前で取り巻きに指示を出している男がいた。

「なんであいつがホテルの前にいるんだよ!」

拓也が叫ぶ。
そしてエドワルドは拓也の叫びを聞きつつ、声のトーンを落として拓也に話かける。

「…なんにせよ、今はホテルに戻らない方が良いでしょう。
とりあえず、工場に戻って対策を考えましょうか。」

そうしてそのまま完全にビビってる拓也を気遣いながら、一行は来た道を引き返す事にした。









その日の夜。


工場の応接室のソファーでエレナが寝息を立てている横で、エドワルドが持ち込んだランタンの明かりを囲むように拓也とエドワルドが座っていた。
その手にはグラスが握られ、足元には蓋の開いたウイスキーが置いてある。
エドワルド曰く、栄養ドリンク替わりだそうだが、飲みすぎて潰れても困るし、断っても失礼だと思ったので、一杯だけという断りを入れてグラスを受け取った。

「一体、奴らは何だと思う?」

グラスのウイスキーを見つめながら拓也が聞く。

「さぁ 私にはサッパリ見当がつきませんな。
まぁ しかし、警察も付近を巡回してくれるといったし、用心棒も雇ったので今晩の所は大丈夫でしょう」

どこかとぼけた様に応えると、エドワルドは拓也に大丈夫だと言って気遣ってくる。

用心棒

今、彼らは工場の周囲を見張っている。
ホテルの前に不審者がうろついてるのを見つけた後、エドワルドはホテルに戻るのを取りやめて、警察と、ある人物に電話をかけた。
その電話からしばらくすると、3人の男が工場にやってきて、待っていたとばかりにエドワルドが出迎えた。
聞けば、この4人は兄弟だという。
その割には顔が全然似てないような気もしたが、工場の周りを見張っていてくれるというので是非にとお願いした。
見れば、手に猟銃を持っている。
実に頼もしかった。

「しかし何故、兵器工場を?」

グラスを口につけながらエドワルドは質問する。
前にも聞かれたような質問だった。
もっと普通の事でも良かったんでは?と聞いてくるエドワルドに少し飲んでることもあってか、拓也はどこか照れながら話す。

「正直なところ、安全保障だの両地域の友好だの建前はどうでもいいんだ。
ただ、ちょっと自分の運に賭けてみたというか、生きている実感が欲しかったというか…」

拓也が見つめるウイスキーのグラス越しに、拓也は淡々とエドワルドの質問に答える。

「生きている実感?」

興味深そうに聞くエドワルド。

「あぁ 実は、結婚する前は海外旅行が趣味でね。
バックパック一つあれば世界中どこにでも行ったよ。
まぁ その中で、エレナに出会って結婚したんだけどね。
そんな海外旅行の中で一番楽しかったと思ったのが、内戦中のスリランカや戦争直後のグルジアだね。
カンボジアはプノンペンの夜なんて特に良かった。
自分が、何かに巻き込まれてあっけなく死ぬんじゃないかというスリルが堪らなかった。
今日も、ちょっとビビりつつも興奮してたよ。
そんな、どうしようも無い趣向もあって、こんなことをしてるんだ」

馬鹿だよと呟きながら拓也は語る。

「でも、あんたは家族持ちだろ?いつまでも、そんな事じゃ駄目じゃないか。」

エドワルドの言葉に拓也は眼を閉じて一瞬考えた後、再び言葉を返す。

「あぁ わかっちゃいるんだ。
でも、やめられない。
だが、エレナも息子の武も愛してる。
そこまで分かってるから、スリルを求める自分と、家族を守りたい矛盾した欲張った考えを本気でもってる。
本当にどうしようもない馬鹿だよ。」

そこまで呟くと、拓也はウィスキーのグラスに口を付ける。
エドワルドは、それを聞いて口元だけで笑っていた。

まぁ 男なんて馬鹿でなんぼだよ。

何も言わず、静かに笑う男の顔がそう言っているように感じた。
ランタンの明かりの中で、薄暗い室内に静寂が訪れる。


タン!タタタタン!!


そう遠くない場所で、急に発生した連続音が静寂を切り裂く。
何の前触れも無く発生したその音に、エドワルドと拓也は身構え、エレナは飛び起きてあたりを確認する。

「ななな何?」

エレナが動転しながら拓也達に聞く。
拓也達も何が起きたのか分からない。
連続音はすぐにやみ、ドタドタ階段を駆け上がる音が聞こえた。
とっさに拓也はエレナを庇う体勢に入ったが、エドワルドは何時の間に出したのか、拳銃をドアに向けていた。

「大尉!入ります!」

その声とともにドアが開くと、入ってきた人物の顔を見てエドワルドは銃を下した。

「何事だ!?」

エドワルドが聞く。

「武装した集団がこの工場を囲んでいます。斥候と思われる小集団と接敵し、向こうが発砲してきたため応戦。これを無力化しました。
現在、イワンとビクトルが入口を押さえています。」

確か、名前はセルゲイとかいったか、エドワルドの兄弟だと聞いていた男が、エドワルドに敬礼して報告した後、鹵獲品ですといって数挺の自動小銃とマガジンを部屋に持ち込む。
それらの銃には少々の血がついていた。
そのまだ血の乾いていない銃を手に取ったエドワルドは、作動を確認した後、鋭い眼光でこちらに質問する。

「銃を使った事は?」

その質問に対し、拓也とエレナは、ほぼ同時に返事をした。

「カンボジアの射撃場で、拳銃で的を撃った程度…」

「バルナウルの大学で、軍事教練の単位を履修して以来よ」

タイミングは同じだったが、内容は歴然の差だった。
それを聞くと、エドワルドは自分の持っていたトカレフを拓也に、鹵獲品のAKをエレナに渡した。

「小銃なんて学生以来ね…」

それを受け取ったエレナは、緊張した面持ちで作動を確かめる。
状況は良く分らないものの銃を手にしてエレナの中で何かのスイッチが切り替わったようだ。
そして彼女は小さく覚悟を決ると、拓也を見つめながら言い放つ。

「大丈夫よ。あなたは私が守ってみせるわ」

…あれ?
こういうのって、普通、夫が嫁を守るもんじゃないの?
拓也は役回りが逆なような気がして仕方なかったが、拓也はふと思い出した。
ロシアでは大学の単位に軍事教練があり、嫁が白衣でAKを構えてる写真を見せてもらったことがあった。
それに以前エレナは、子供の頃にはシベリアで父親とライフルで鳥撃ちをよくやり、すごく楽しかったという話をしていたので銃を扱えることは知っていた。
だが、実際に銃を構える嫁を見ると、普段の姿とのギャップに中々言葉をかけられない。

「敵の数は?」

エドワルドがセルゲイに問う。

「夜間の為、詳しくは不明ですが20人以上はいるかと…
陸側はすべて囲まれています。」

エドワルドの質問にセルゲイがキビキビと答え、その情報を聞いてエドワルドはしばし考える。
20人以上…
それに対してこっちは6人… いや、二人は戦力として期待できないので、戦力差は4:20。
5倍以上の敵と渡り合わなければならないのは分が悪過ぎる…
護衛対象を守り切るにはどうすればよいか。
陸路を強行突破…
囲まれた上、敵の総数もわからない以上、自殺行為以外の何物でもない。
電話で助けを呼び、籠城する。
…駄目だ。例え助けを呼べても、町から離れたこの工場に応援が来るまでこの人数を支えきる自信は無い。
だが待てよ?
そういえば、この工場の裏にある倉庫にモーターボートがあったはずだ。
もし、燃料が残っていれば海から脱出できるな。
そう閃いたエドワルドは決断した。

「軍曹。イワンを連れて裏の倉庫にあるボートの燃料を確認してこい。
そしてビクトルにはそのまま警戒を続け、いつでも埠頭に後退できるよう準備しろと伝えろ。」

「了解しました。大尉殿」

ビシっと敬礼し、すぐさま動き始めるセルゲイ。

「あぁ 後それからな…」

部屋から数歩出たところで、エドワルドが呼び止め、ドアの向こうで何かを伝えている。
全てを伝え終わったのかセルゲイが再度、了解しました。と言うと風の様に走って行った。

「で、大尉殿。我々は如何すればいいんですか?」

エドワルドに対し拓也が聞く。

「生き残りたければ、今から俺が言うとおりにするんだ。
今、セルゲイに船の確認に行ってもらった。
もし、船が大丈夫なら海側から脱出する。
それと、他にも色々と聞きたいことがあるようだが、それは無事脱出できた時まで取っておけ」

エドワルドがニッ笑って拓也達に言う。

何このおっさん
俺もこんな風に格好つけてみてぇな畜生
拓也はこんな状況下でも堂々としているエドワルドを見て少々の憧れと共にそう思い
エドワルドの指示に、羨ましさ半分、生き残るための必死さ半分で頷く拓也。
そんな拓也達が了解するのを確認すると、エドワルドは早速行動に移す。

「よし。とりあえずは工場の裏手口へ移動だ。そこでセルゲイを待つ。行くぞ!」

三人は、エドワルド、拓也、エレナの順番で工場内を腰を低くして移動する。
途中、入口で警戒を続けるビクトルにハンドサインを送り、エドワルド達は工場内を静かに進む。
そうしてやっと見えた裏口に、あと10歩で届くというところまで来たその時だった。

カチャリ…

静かにドアのノブが回る。

エドワルド達は急停止し、それぞれが物陰に隠れた。
薄暗い工場内に月明かりに照らされた黒い影が、足音を消して入ってくる。

1人…2人…3人…4人…

そろりそろりと入ってくる人影の四人目が完全に室内に入り、ドアが閉じた瞬間。
エドワルドのAK74が日を吹いた。

「アゴーン(ファイヤ)!!」

その声と共に、マズルフラッシュの光の点滅が辺りを支配する。
その光に照らされ最初の二人が赤い液体を吹き出しながら倒れるのが見え、エドワルドに続いて拓也とエレナも発砲する。
初めての実戦である。
狙いなんてつけてられない。
拓也は敵のいる方に向かってとにかく引き金を引き続けた。
だが、初撃を回避した残りの敵が、物陰に隠れつつ、こちらに向かって応射を始めた。
工場の鉄骨の陰に隠れていた拓也の周囲に無数の火花が散る。
頭のすぐ横を銃弾がかすめる音がした。
その応射を受けて、付近を弾丸が掠め飛ぶ恐怖に拓也は動けなくなった。
拓也は横目でエレナを見る。
彼女は、少し離れた鉄骨の陰に隠れている。
傍目には特に外傷もないようで無事だった。
だが、その眼はドライアイスより冷たい視線で敵の方角を見ていた。
それはまるで、獲物を狙う狼のように…
そんな身を縮めて隠れる拓也に対して敵の射撃が集中すると、その隙を突いてエドワルドが応射する。
AKの連続した発射音と火花が敵を包み込み、遮蔽物に隠れた奴らを釘付けにする。

タッ!

そして、その瞬間を待っていたようにエレナが駆け出した。
横目でその光景を見ていた拓也は、彼女の名前を呼ぼうとするが、咄嗟の事で声が出ない。
彼女の背を目で追う拓也。
その後の展開は、まるでスローモーションのように拓也の網膜に焼付いた。
敵の潜む遮蔽物を飛び越えながら、別の敵へ向けて一連射。
横から射撃を食らった敵は、血潮を飛び散らせながら崩れ落ちていく。
そして、そのままの勢いで敵の後ろに着地したエレナ。
突然自分の後ろに回った彼女に対し、銃口を向けようとする敵。

だが、彼の銃口が彼女をとらえる前に

彼女の放った5.45x39mm弾が

彼の頭を打ち砕いた。




拓也はその光景に呆然としていた。
いや、正しくは見とれていた。
彼女が飛び出し即座に二人を射殺した。
その彼女は、返り血を拭うこともせず、死体を見下ろしている。
月明かりに照らされたその光景は、暴力的であり、どこか非現実的であり、そして、…美しかった。

どれほどそれを見つめていただろうか、
恐らく、実時間は数秒だろう
ひどく長く感じたその時間は、一つの声で打ち破られた。

「大尉!!」

イワンがドアを蹴破り、セルゲイが銃を構えながら入ってくる。
そして、エドワルドらの姿を確認すると、銃を下して報告する。

「大尉。ボートの燃料は十分です。いつでも脱出できます。」

それを聞いて、エドワルドが満足げに答える。

「ご苦労! だがしかし、時間がない。先ほどの銃撃戦の音を聞いて敵は裏口に集まってくるだろう。

お前たちは、ビクトルと合流し陽動として工場正面で敵を牽制した後、埠頭まで後退しろ。
我々が後退した後、5分だけ待つ。
その間に役目を果たせ!」

セルゲイとイワンは了解と返事をすると、すぐさまビクトルのいる正面へ向かう。

「さぁ 我々は、倉庫まで後退するぞ!」

その合図で拓也達も脱出を開始する。
幸い、裏へ回ったのは、先ほどの4人だけだったようだ。
接敵することなく拓也らは移動時、無事に倉庫までたどり着いた。
離れた場所で銃撃戦の音が聞こえる。
セルゲイたちがその役目を果たしているようだ。
そこでハッとする。
先ほど敵に突っ込んでいったエレナに怪我はないだろうか。
撤退することに夢中で、そこまで考える余裕のなかった拓也は、一息ついたところでエレナの方を振り返る。
当の彼女は、見た目はやはり怪我などはなさそうだが、その目は呆然と空を仰いでいた。

「大丈夫か!?エレナ!」

彼女の肩を掴んで呼びかける。

「え!?えぇ… 大丈夫よ。大丈夫。どこも怪我はないわ。
ただちょっと、初めてなんで驚いちゃって」

心配しなくても大丈夫よとエレナは言う。
だが、その言葉とは裏腹に、その様子はどこか魂が抜けたかのようだった

「お二人さん。乳繰り合ってるところ悪いが、3人が戻ってきた。エンジンをかけろ!」

その言葉を聞き、拓也が慌ててエンジンスターターのひもを引く。
一発ではかからなかったエンジンも、3度目のトライでエンジンがかかったのと同時に彼らが戻ってきた。

「奴ら、倉庫の近くまで追いかけてきてます。早く脱出しましょう」

エドワルドも銃撃音からそれを心得ていたのか、イワンの進言とほぼ同時に倉庫のドアを蹴り破る。
エレナをボートに乗せ、男4人がかりでボートの台車を押した。
台車はゆっくり動きだし、海へのスロープに到達すると勢いをつけて滑り出す。
そのまま勢いよく進水したボートに、男たちが埠頭からジャンプして飛び乗っていく。

「全員乗ったな!脱出するぞ!」

その号令と共にフルスロットルのボートは、水の上を滑るように岸から離れていく。
後方から銃声が聞こえ、弾の通過する音と共に小さな水柱が周囲に立つ。
実に恐ろしい経験であったが、それもある程度の距離を離れるとすぐに静かになった。

「射程外に逃げれたのか?」

「あぁ 撤退は成功した。」

拓也の質問にもう大丈夫だというエドワルド。
だが、その表情は硬かった。
彼は岸を見つめている。
拓也もそれにならって岸をみると

空と一帯が赤く染まり、工場から火の手が上がっていた。

「燃えてらぁ…」

力なく拓也が言う。
その様子を見てエレナが拓也に声をかける。

「でも、命はあるわ。またやり直せばいいでしょ?」

「あぁ…」

力なく拓也が言う。
よほどショックだったのか、腑抜けてしまったような拓也を見て、エレナが怒った。

「あんなボロ工場の一つや二つ!何だっていうの?
あんたなら幾らでもやり直せるでしょ?信頼してるんだからシッカリしてよ!」

拓也の肩をガクガク揺らす。
そのおかげで拓也も目が覚めた。

「あ… あぁ スマン。ちょっとボーっとしてた。
そうだな。 そう!あんなクソ工場の一つや二つ!何とでもなる!
機械はまだ搬入してないから無事だし、金が足りないなら全道を回って、また金借りてきたらいいさ!」

拓也はエレナに感謝する。
こういう時、一人より二人の方が助かる。
恐らく、一人なら暫く鬱になってたかもしれない。

「で、大尉殿。これからどちらに?」

調子を戻した拓也がエドワルドに尋ねる。

「そうだな。町にも奴らが潜んでると思うからユジノクリリスクには帰れない。
となると、安全が確保されるまで島外に出るしかないな。」

「島外?」

「あぁ とりあえずは、一番近い色丹島に向かう。そこで、俺の仲間の連絡を待つ
まぁ 近いといっても海路じゃしばらくかかるからな。
一応、国境警備隊に連絡して迎えの船を出してもらうが、すぐには来るまい。」

まぁ ゆっくり休んでいてくれというエドワルドの言葉を聞き、やっと安心した拓也とエレナはお互いに支えあうようにして船に座る。
なにせ人生始まって以来の危機を二人は乗り越えたのだ。
いつの間にか寝てしまった二人の顔は、疲れ切ったようであり、安らかな寝顔だった。



[29737] 国後編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:09
襲撃の翌日



エドワルドは拓也達を色丹島まで送り、セルゲイを拓也達の護衛につけると、自分たちは国後島に戻っていた。
彼が警察の検問を抜け封鎖された工場に戻ると、そこでは軍が現場の後始末をしていた。
もう昼過ぎになっていた為、既に死体は袋に詰められて並べられていた。
兵士が武器等の物品を付近を捜索しながら集めている。
その兵士たちの中心には、配下の兵に指示を出しているツィリコ大佐が立っていた。

「おぉ!ご苦労だったな。コンドラチェンコ大尉」

大佐がエドワルドの姿を見つめると笑顔で声をかけてきた。
駆け足に近寄るエドワルドを大佐は握手で迎える。

「報告します。昨晩、正体不明の敵より襲撃を受けました。
おそらくはガスブランの手によるものと思われますが、その繋がりを証明できる物は、昨晩の時点では確認できていません。
護衛対象は国後脱出後、国境軍の艦艇にて色丹にある日本政府施設に護送しました。
現在は、そちらで休息を取っております。」

短い敬礼の後、エドワルドは大佐に報告する。
対象を守り切り、安全圏まで送ったというのだ。
色丹島は、既に日本に返還されていたので、ガスブランと言えども無理はできない。
対象の護衛任務としては成功していた。
だが、エドワルドは苦虫を潰したように語る。

「ですが、対象の護衛には成功しましたが、対象…石津氏の工場は脱出後に焼き討ちされたようですね…」

横目でいまだ燻っている工場を見つめながら悔しそうに語る。
だが、そんなエドワルドを見る大佐の反応は何処かおかしい。
何故か、目が泳いでいる。

「あー それについてだがね。
建屋が燃えたのは、奴らが火を付けたわけじゃないんだ。」

大佐が申し訳なさそうに語る。

「君らが襲撃を受けた後、君の部下からの連絡を受けて基地より3個小隊が現場に到着したんだが、
敵が海に逃げた君たちに意識を集中していたため、我々は効果的に後ろから襲い掛かることができた。
第一撃は奴らにとっては完全な奇襲となり、すぐに潰走し始めたよ。
その中で我々の銃弾を掻い潜り、車で逃走するものがあったんだが
兵達の正確無比な射撃は、ドライバーを蜂の巣にしてやったそうだ。」

大佐は、蜂の巣にしてやった所を誇らしく語る。
が、何故かすぐに声のトーンを落とした。

「その結果が… まぁ あれだ」

大佐が、工場に半ば突き刺さり黒焦げになった車を指差す。

なるほど…
そういう事だったか
その光景を見てエドワルドは納得がいった。
まぁ 拓也達には奴らに燃やされたと説明した方が面倒がないかなと思いつつ
そのエドワルドの表情を読んでか、大佐が彼に言う。

「まぁ 彼らには君からよしなに説明しといてくれ!」

ニッコリ笑って肩を叩く大佐。
おそらく"よしなに"と言うのは、全部奴らの仕業にしろということなのだろう。
わざわざ面倒事を増やすのが嫌だったエドワルドは、それを承諾する。
色々と状況が理解できたエドワルドは、話を戻し真顔で大佐に疑問をぶつける。

「それで、大佐。こいつ等の詳細は分かったのですか?」

エドワルドが死体袋を指差して言う。

「あぁ 既に調査も済んでいる。こいつらは国後に石油が出たことで金の匂いを嗅ぎつけてきた大陸のマフィアやごろつき共だ。
ガスブランが、金でそういった連中を雇い、武器を供与してけしかけてきたのだ」

なるほど、ごろつきの集まりだったのか、道理であれだけの連中相手に対象を護衛し切れたものだ。
これが、傭兵や民間軍事会社だったら、自分もただじゃ済まなかったはずだ。
膜の存在が外部の人間を呼ぶことを阻止しているおかげで、連中も島内にいる人間でどうにかするしかなかったのだろう。
だが、一つ疑問がある
あれだけの武装をガスブランは異変前から所持していたのか?
エドワルドはその疑問を大佐に聞いてみた。

「武器も供与ですか… あれだけの武器をガスブランは異変前から持っていたのですか?」

その疑問に大佐は苦い顔をして答える。

「武器については軍内部からの横流しだったよ。
だが、問題ない。既に買収された犯人は拘束した。
ガスブランから掴んだ情報を基に、今後は軍内部の綱紀粛正を進めるつもりだ。」

大佐は鼻息を荒くし、不届き者は粛清だ!と息巻いているがエドワルドは別の点に注目する

「ガスブランから掴んだ情報?」

内通者の情報を奴らが吐いたというのか。
信じられないようにエドワルドは聞く。

「あぁ 君には、まだ言ってなかったね。
襲撃部隊は何も全員制圧したわけじゃない。
追手付きで数名泳がせておいたよ。
すると、やはり素人なのだろう。
無事に軍の包囲から脱出したと思った奴らは、依頼主の元に戻っていったよ。
港にある奴らの工場にね。」

大佐が楽しそうに笑って言う。

「そこから先は実に簡単だったよ。
私の部下が、工場内にいたガスブランの幹部ごと全員を拘束。
"紳士的"な話し合いの末、今回の計画からガスブランの戦略や各人の性癖まですべて洗いざらい教えてもらった後、全員を適切に処置させてもらった。
まぁ 彼らはマフィアと取引をしていたからね。
もしかしたら、山中でガス自殺を装って奴らに殺されているかもしれない。
まぁ 発見される時に乗っていた車がマフィアの物なら、殺したのも奴らの仕業だろう。
それに殺人が露見すれば、マフィアも島から逃げるはずさ。
マフィアと取引していたガスブランの幹部が死に、マフィアやゴロツキ共が一人残さず島から姿を消す。
実にシンプルな事件だ。」

エドワルドは大佐の話を黙って聞く。
黒幕は襲撃犯ごと"適切に処理"されているそうだ。
ならば、もう護衛の任務も終わりだろう。
そう思ってエドワルドは肩の力を抜いて大佐に聞いた。

「では、私の護衛任務も終わりですね。」

その問いに対し、大佐は エドワルドの予測に反し「そのことについてだがね」と断りを入れて話を続ける。

「今回の事件で不穏分子の粛清は済んだが、武器生産を行おうとしたガスブラン側の計画が
責任者不在の為に頓挫したため、我々の弾薬供給元が一つのメーカーに限られる事が確定してしまった。
そこで、大尉には引き続き彼らと接触を続け軍とのパイプを作ることを命じる。
なお、今後は所属を隠す必要はない。」

一仕事終えたと思ったら、いまだ私の仕事は続いているようだった。
だが、これはこれで面白いかもなと彼は、護衛対象だった二人の顔を思い浮かべてそう思った。



異変24日目


事件から2日後、拓也は、エドワルドからの連絡で島内の安全が確保されたと伝えられた。
彼と別れて以後、色丹で新たに開設された警察署に保護され、十分な休息を取った。
あれだけの事があったので、トラウマになっていないか気にしていたのだが、医師より簡単なカウンセリングを受けた結果、特に問題なしとの判断だった。
その判定を受けて、拓也はエレナと共に国後に戻ることを決めた。




船上にて

エレナが甲板に立って遠くに見える国後を見つめている。
拓也もしばらく一緒に見つめていたのだが、エレナの表情が気になって声をかけた。

「大丈夫?」

その声を聞いて我に返ったエレナが、慌てたように拓也に答える。

「え? えぇ 大丈夫よ。心配ないわ!」

「…・」

拓也がエレナの顔を心配そうに見つめる。
眉間に皺を作り、何も言わずに見つめてくるその視線に耐えかねたのか、エレナは視線を海に戻して静かに語る。

「実はね。
あの時、私… あまり怖くなかったの」

「怖くなかった?」

拓也が聞き返す。

「そうなの。周りに銃弾が飛び交って、とっても危険だったのに不思議と頭は冷静だったわ。
なんていうか、昔、父と鳥を撃ちに行った時を思い出した。
人を殺しちゃったのに、獲物を狩るのと同じ気持ちだったの。
死体を見下ろしながら、特に怖いとも思わなかった。
でも、倉庫まで逃げた後、気づいちゃったの
何で私、人を殺したのに平然としているんだろうって…
それに気づいた途端… 私… 自分の事が不安になったわ」

両腕で自らを抱え俯きながら彼女は話す。

「でも、あなたの仕事の邪魔しちゃいけないと思ってカウンセリングでは黙ってたけど、また、あの島を見てたら思い出しちゃって…」

島を見つめるエレナのその目には涙が浮かんでいた。
そうか…
それであの時、様子が変だったのか。
そして、彼女は自分の邪魔をしてはいけないとそれを黙っていた。
拓也は許せなかった。
確かに新しく起業するために困難もあるし負担を掛けることもあるだろう。
だが、つらい時はつらいと言ってほしかった。
拓也は後ろからそっとエレナを抱きしめる。

「大丈夫。俺にとってはエレナはエレナだ。
何も変わっちゃいない。不安なら俺が傍にいて支えてやる。
だから…つらい時や不安な時は、迷わず素直に話してくれ」

エレナは黙ってそれを聞き、拓也の手を取ると振り返ってニッコリと笑う。

「そうね。私は私、それ以外の何物でもないわ。私の知らない内面が出てきても、あなたは笑って許してくれそうだもの。
これからは、何かあったら黙ってないで相談することにするわ。
それに、あなたが私を支えてくれるなら、私はあなたを守ってあげる!
なにせあの時、あなたは丸っきり役に立たなかったしね」

手でライフルを握るポーズをしてエレナが笑いながら言う。
ほっとけと呟く拓也をエレナが逆になぐさめる。
何時も間にか立場が逆転していた。
そんな絆が更に深まり、二人が笑っているところに不意に拓也の携帯が鳴る。

ブブブブブブ…

「あ、ちょっとまって」

拓也は振動を続ける携帯を手に取り、メールを確認する。
拓也はその差出人に一瞬眉を顰めるが、メールを読み進めるうちにドンドンその表情が変わる。
エレナは何事かと拓也の顔を覗こうとするが、逆に拓也がエレナのほうを向き直る。

「や…」

「や?ヤポンスキー?」

「やったぁ!!!!」

拓也は諸手を挙げてエレナに抱きつく。

「きゃぁ!」

いきなり抱きつかれた事でエレナは小さな悲鳴をあげるが、そのまま拓也に抱えられて振り回される。
ぐるんぐるんと回る拓也。エレナは振りほどこうにも、船上で不安定なまま動き回られているためどうすることも出来ない。

「ちょ、ちょっと、一体どうしたって言うの?」

エレナは豹変した拓也に事情を聞く。
だが、拓也は一向にエレナを解放しようとはしない。

「うはははは。凄いぞ。これで金の心配は要らないぞ!」

そう言って、ようやく満足したのか拓也はエレナを地面に下ろす。

「ふぅ。ようやく元に戻ったわね。
それで?一体どうしたの?お金の心配が要らないって一体どういうこと?」

エレナが首を捻りながら拓也に尋ねる。

「それについて話す前に、一つエレナに隠していることがあるんだ」

「隠している事?」

「あぁ、実は座礁船から持ってきちゃったデータの中には図面以外のものもあったんだ。
だけど、その時点ではその情報を生かす事ができなかったから保留にしてたんだけど、この前ショーンの爺さんに会った後
彼にその情報を教えたんだ」

拓也はニヤケた顔を頑張って抑えつつもエレナに説明する。
だが、当のエレナは詳細がぼかされたままの説明に到底満足することは出来なかった。

「もう、もったいぶらないで教えてよ。
一体何の情報があったの?」

「フフーフ。それはね。とある海外大手企業に対するインサイダー取引だったんだよ」

「インサイダー取引?
それで何?あなたはショーンさんにその情報を伝えて不正取引を潰したの?」

「いやまさか。そんな力も無ければその会社に対する義理もないよ。
こっちとしてはただ単に、その情報を使ってくれとショーンさんに伝えてもし儲かったらそれ相応の情報料を頂戴といっただけさ」

拓也はアメリカンスキーのように両手を広げて肩をすくめる。
俺はそれ以上関係ないというジェスチャーだろう。

「ふーん。で、ショーンさんは悪人を成敗してその会社から謝礼を貰ったとか?」」

「あはは。それがさ、なんとあのジジイ。
インサイダー取引を潰すどころか便乗して大もうけしてやがんの。
なんたって情報料としてこっちに振り込まれたのが10億だよ!?
一体、どのくらい儲けたんだって話だよね」

「ふーん。そう、10億も… え゛?10億?」

エレナが目を点にして聞き返す。
拓也の言うとんでもない金額に、思考が追いついていないようだった。

「そう、10億だよ。
こんだけあれば、別に賃貸じゃなくても中古の工場丸ごと買えるよ!」

「じょ、冗談でしょ?」

「冗談なもんか!ほら俺のネット口座の残高見てくれよ。
一の後にゼロが9個もあるだろ?
夢なんかじゃない!
これで国後に帰ったら、もっと良いガードマン付きの工場が買えるよ!」

エレナは拓也から突き出された携帯を見る。
そこには拓也の口座の残高が記されており、その言葉通りの額面が記入されている。

「まぁ なんにせよ。これで工場は続けられそうね」

諸手を挙げて喜ぶ拓也を見ながら、エレナは安堵の溜息を吐く。
一時はどうなるかと思ったが、どうやらまだ運から見放されていないようだった。
そんな喜びに満ちた彼らを乗せた船は、ゆっくりと国後島に向かって進んでいくのだった。



国後島

ユジノクリリスク


拓也達が工場に帰ると、黒く焦げた工場の建屋があるだけで、死体などは綺麗に片づけられていた。
港で待っていたエドワルド曰く。

「全て綺麗サッパリ終わったから大丈夫」

だそうである。
確かに、死体や武器などは綺麗サッパリ見つからない。
だが、焦げた工場はそのままである。
拓也は軽くブルーな気持ちになった。

「焼けちゃったなぁ。
これって、現状復帰の金はこっち持ち?
火災保険、まだ入っていないんだけどなぁ…
まぁそれはそれとして、大尉殿。事の顛末を説明してよ」

一応、当事者としては出来るだけ詳細な原因が知りたい。
でも、色々な思惑が関わってそうなので全てを話してくれることは無いだろう。
それでも、全く説明できないことは無いはずだと思い拓也は聞く。
それに対し、エドワルドは予想以上にペラペラと語ってくれた。
国営ガス企業ガスブランが、ステパーシンを失脚させるために軍と関係強化に乗り出そうとしたこと。
その為に武器製造を始めようとしたが、拓也達の存在があり、独占を狙うガスブランが拓也らの認可取り消しの圧力をかけたが
ステパーシンが首を縦に振らず、軍のリークによりその情報が筒抜けであったこと。
また、それにともない自分が護衛として派遣されたこと。
機械搬入後に襲撃して機材の破壊を計画してたが、拓也らが工場から引き上げたと思い工場内の間取りを調べていたら
拓也と鉢合わせになった為、予定を拓也の殺害に切り替えたこと。
拓也脱出後に軍の部隊と交戦し逃走時に火を放ったこと。
その後、全員を拘束し適切に処置したと彼は語った。
その時、"ガスブランが工場に火を放った。"と特に強調していたが
拓也にとってみればどうでもよかった。
どちらにしろ、建屋は燃えてしまったのである。
エドワルドの話を聞いた後に、今後の事を考えながら工場を眺めていると、後ろから拓也に声がかかる。

「お!君が噂の石津君だね。」

その声に振り向くと、後ろから一人の将校が歩いてくる。

「私は、南クリルで第18機関銃・砲兵師団の師団長を務めるウラジーミル・ツィリコ大佐だ。
よければ覚えておいてくれ」

そういって拓也に握手を求めるツィリコ大佐。
拓也もそれに応え自己紹介する。

「石津拓也と言います。今度、こちらで武器の製造を営もうと思っていたのですが…・」

視線で燃えた工場跡を見る。

「あぁ 今回は災難だったね。
だが、ビジネスを辞める気は無いだろう?ちょっと一緒に来てくれないかね?」

どこか白々しい感じで大佐は喋るが、拓也としても襲撃されたくらいで起業を諦める気はさらさら無かったので、大佐についていくことにした。




大佐の用意した車に乗り、拓也は港に来ていた。
それも、先日、エドワルドに説明されたガスブランの工場だ。

「じゃぁ 早速中に入ってみてくれ」

ガスブランの工場というだけあって、拓也もエレナも緊張しながら大佐についていく。
そして、大佐が工場の白銀灯を付けると、光に照らされた機械類を見て拓也は息を飲んだ

そこには、コスチャが送ってきた図面にあった弾薬の生産機械が鎮座していた。
さらに工場の奥には、銃器の製造用だろうか、各種工作機械が並び、色々な金型が棚に並んでいた。

「こ… これは?」

拓也が大佐に聞く。

「どうやら奴らは異変直後から準備を開始していたようでね。
我々に認可を取りに来る以前から、金の力で本国から集めた機材を青函トンネル経由で集めていたそうなんだ。
異変以後、政府間交渉で青函トンネルでの輸送量の内、一定の割合が我々に割り当てられたが、その枠を優先的に使ったらしい。
まぁ 奴らにしてみれば、本国とのコネがあるため、認可なんぞ後回しで十分とでも考えていたんだろう。」

実にけしからんなと言い拓也の方を見る大佐。
そんな大佐に対し拓也は質問する。

「この工場については良くわかりました。
ですが、一体なぜ私に見せるんです?」

その問いを待っていたかのように、大佐は芝居がかった調子で話す。

「実は、今回の事件後にこの物件の所有者について調べてみた。
そうしたら、実に面白い事が分かったよ。
この物件の所有者はガスブランではなく、ガスブランの幹部だ。
彼は先の事件に深く関与が疑われ、現在は行方不明なのだが、その事を含めて奴らの本社に問い合わせてみた。
すると、向こうから"我々は本件について何も知らないし、そもそもそんな人物は弊社には居ない"と回答が来たよ」

「つまり?」

拓也が結論を求める。

「つまるところ、この施設は個人の所有物であり、その人物は犯罪組織と繋がりがある。
そのため、ステパーシン臨時代表は当該施設を接収し民間に払い下げると決定を下した。」

拓也の目が点になる。
これほど機材が集まった施設が売りに出される?

「払下げはいつですか?」

拓也が大佐に食いつかんばかりの勢いで尋ねる。
それを見た大佐は、さらに芝居がかった様子で話を続ける。

「それについては昨日付でネット上に掲載したよ。
まぁ 国後-北海道間は海底ケーブルがないため、島内でのみ閲覧可能なんだがね。」

大佐はそういいながら時計を見る。
時間は午後3時を少し過ぎたところだった。

「おおっとこれはイカン!払下げの競売の時間になってしまった。」

拓也が大佐に掴みかかって尋ねる。

「大佐!一体!会場はドコなんですか!
金なら!金なら用意できます!!」

工場を失ったかと思えば不意に到来したこの超優良物件の購入チャンス。拓也はもう必死である。
その必死の拓也をみて満足したのか大佐は答えた。

「会場はココだよ。」



え?

「会場はココだ。」

大佐が再度言う。

「ここですか?」

目を点にして拓也は質問する。

「そうだとも。だがしかし、ネット告知はしたが、君たちぐらいしか来ていないようだね。
まぁいい。さっそく競売を始めようか。
最低落札金額は… まぁ 私の飲み代くらいでいいよ」

そういって大佐は拓也の背中をバシバシと叩きながら笑う。

こうして拓也は新しい工場と機材を手に入れた。
茶番だった。
茶番であったが拓也にとっては天の助けであった。
それも、所有する設備が大幅に向上するのである。
これは、しばらくは頭が上がらないなと思ったりもしたが、その表情は明るかった。



「大佐。うまくいきましたね。」

「公式には彼らの工場を焼いたのは奴らだ。
我々は、補償として工場を与えるのではなく犯人の工場を接収して払い下げる形式をとるため
彼らにはタダで大きな貸しが出来た事になる。
これで、全て丸く収まったな」

二人は拓也らに聞こえないようにコッソリと呟き、笑うのだった。
まぁ 後日、工場を失ってスッカンピンだと思われた拓也が、予想以上に金を持っているのを大佐が知ると
もっと吹っかけておけば良かったと後悔する事になるのだが、それはまた別の話である。





そんな風に新工場の取得ができて、拓也達が踊りながら喜ぶ、そんな時だった。
膜の為に、白かった空が急に暗転する。
イキナリの事だった。
世界が暗黒に包まれる。

「キャァ!!」

エレナがびっくりして声をあげる。

「一体何なの?」

急に失われた陽光のせいで辺りの様子は全くつかめない。
見えるといえば、明るさが落ちたために夜になったと勘違いした街路灯に電気が入り始める。
そんな暗闇の世界で、どれほどの時間だったろうか。
20秒ほどだっただろうか、急に空からすべての光が失われ、世界の終りが来たと錯覚する。
突然の出来事に永遠にも感じられた時間が過ぎると、あたりに光が戻ってきた。

「見てよ拓也」

「あぁ…」

二人が空を見上げる。

そこには、失われた光が戻るのと同時に、約1か月に渡り空を覆っていた膜が消え、透き通るような青空が広がっていた。



[29737] 転移と難民集団就職編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:09


道庁

緊急対策本部



状況の急変後、道庁内の対策本部は膜発生時以来の慌ただしさを迎えていた。
各地より入る連絡。メモを片手に駆け回る職員。
完全分離後の混乱に備えて、道庁では行動マニュアルも作成したし、その訓練も行っていた。
それ故、大抵の事態が起きても対応出来る筈だった。
想定外のファクターが無ければ…



「それにしても、時間は1か月は有ったのでは無いのですか?
まだ五日近く完全隔離まで時間があったと思いますが」

対策本部の中心で、怒り半分に高木が言う。
というか、実態は完全に怒っていた。
「話が違う」と…
高木は、キッと睨みながら対策室に詰めている学者連中に話を振る。
それに対して、対策室に詰めている学者の一人が知らんがなとでも言いたげにひょうひょうと答える。

「確かにあの膜の変化スピードなら、青函トンネルが塞がるまでには時間がありました。
だが、実際にはそれ以前に変化が起きた。
現在の所、何が起きたのかは不明ですがね…
報告では、トンネル内の膜があった地点より、浅い深度の所の所で変化があったそうです。
なんでも地下約200mの地点で、それ以下が水平な岩盤によって塞がってしまったとか。
まぁ 詳しい調査をしようにも、トンネル内の湧水の為、青函トンネル自体が水没しつつある現状では確認のしようがありませんな」

我々にもお手上げですといった感じで、説明を行っていた学者が言葉を止める。
そんな俺の責任じゃないというオーラを全身から漂わせている彼らの様子を見て高木は思う。
肝心な時に役に立たない
まぁ 前例のない事態なので誰にもわからないのは当然だと思うが、手におえなくなったのでそれ以上は知らんと言わんばかりの態度には腹が立った。
その様子を忌々しく思いながらも、高木は黙って今後の事を考える。

「一体、何が起こっているの?」

そう誰となく言葉を放った高木は、正面を向きなおす。
その視線の先、対策室正面のスクリーンには、異変後の状況が時系列的に映されていた。

15:05 膜消失
15:06 政府との連絡途絶。
15:10 道外・衛星から一切応答なし 
15:15 千歳基地より空自機がスクランブル発進
15:30 青函トンネルより本土側に続くトンネルが消失し、浸水発生
15:35 千歳より発進したF-15、函館沖に本州が確認できず
15:40 全道に非常事態宣言
15:45 海保より、稚内沖で領海を超えて進んでくる国籍不明の小型船舶を多数発見…








稚内沖



海上




穏やかな海上を小さな船の船団が進む。
船団というのもおかしいかもしれない。
実際には小舟や筏が多数だ。
最大の物でも20人が乗れる程度、小さいものだと丸太に跨って曳航されている者までいる。
その中でも一番大きい船に彼はいた。

「ラバシ様 波が穏やかで助かりましたな。」

老いたドワーフが声をかける。

「あぁ もし波が高ければ、筏の者たちの8割は波間に消えていたかも知れぬ。」

南方に浮かぶ陸地を見ながら一人のドワーフが応える。

ラバシ・マルドゥク

彼方此方に傷があるが威厳を失っていない男。
彼はドワーフの中の一部族で戦士長をしていた。
平穏だった彼の村では、時々現れる大型の獣を退治するのと村祭りの武術大会くらいしか活躍の場がなかったが
人種共が村に攻めてきたことで全てが変わった。
巨大な斧を繰り、一騎当千の技を持つ村の戦士たちも、集団で組織的に狩り立ててくる人種の兵隊の前に、一人、また一人と打ち取られていった。
彼は逃げる村人の盾となりながら、他の避難してきた部族と合流し、ついには避難民と共に海の上にまで来ていた。

「それにしても、あの陸地は本当に我らの安住の地たり得るのでしょうか?」

老いたドワーフが不安な表情で波間のかなたに浮かぶ陸地を見る。
その問いは、ラバシも何度も考えていた。
族長が精霊の神殿へと向かい、その直後に陸地が現れた。
族長のおかげだという確証はなかったが、無関係とも思えない。
そして、自分の指示のもとで船団の進路を新たに表れた陸地に向けている以上、下手なことは言えなかった。
むしろ、無理にでも信じるより他は無い。

「あぁ!間違いない!族長が精霊より賜った土地だ!これより、かの地が我らの新たな故郷となる!」

彼は、周囲の船にも聞こえるように大声で答える。
先導者は弱気を見せてはいけない。
さらに周囲を見渡しながら、ラバシは大声で皆を鼓舞する。

「さぁ もっと帆を張れ!櫂を漕げ!安住の土地はすぐそこだぞ!」

それを聞いた船の全員と、周囲の船からも"おぉーー!!!"と声がこだまする。
それを見て、声が聞こえなかった船や筏からも歓声が木霊し、ラバシの船に向かって手を振っている。
…族長無き今、この俺が彼らの為にも彼の地を安住の地にせねばならぬ。
ラバシは船団の端に向かって歓声が広がっているのを見て決意を固めた。
その時だった。

「戦士長さま! 前方から船が来ます! すごい速さです!」

見張りの一人が声をあげる。
彼が指差す方向をみると、陸地の方から白い一層の船が白波を立てながらこちらに向かっているのが見えた。

「…すでに先住の民が居るのか。」

ラバシは小さく呟きながら舌打ちをする。
だが、もうこの流れは止められない。船団は既に動いている。
どんなことをしてでも、安住の地を手に入れねばならない…






同時刻



稚内沖


海上保安庁

巡視船 なつかぜ



膜の発生後も、海上保安庁はその任務を継続していた。
その活動領域は、膜によりかなり制限されていたが、その日も巡視艇なつかぜは稚内沖で職務を遂行していた。
そして、いつもの哨戒中に突如として膜が消失する。
久方ぶりに見る膜の無い海。
だが、その光景は見慣れたものとは随分と違っていた。
稚内から見えた樺太。
だが、膜の消失後は明らかに樺太より広大な大地が広がっているように見える。

「艇長… あれは…」

部下の一人が呆然としている。

「とりあえず、署に連絡だ。それと、これより北へ進路を取る。
何が起きているのか少しでも確認せねばならない。」

宜候との声の後、船の進路は北へと変わる。
穏やかな波を切り裂き、白波と航跡を残しながら船は進む。
そして、見張り員が移動する虫の群れのような船団を発見するのにさほどの時間は要らなかった。

「艇長!前方1kmに小型の船舶多数!道の方向へ進路を取ってる模様です!」

「なに?船だと? 漁船じゃないのか?」

「それが、小型の帆船が数隻と後は小型のボートです。数は…わかりませんが百隻はありそうです!」

艇長が双眼鏡を覗く。
そこには多数の小舟の集団があった。
見れば、オールを漕ぐような動きをしている。
動力付きの船じゃない?
まさか、脱北者か? 
だがしかし、こんな海域にあんな小舟で到達できるとは思えない。
それに、あの集団は樺太の代わりに現れた陸地から来たように見える。
一体彼らは何なのか…
いや、考えても仕方ない。
艇長は頭を振って余計な雑念を振り払う。
己の職分を忘れてはいけない。
謎の船団が日本の領海に向かっている以上、我々は職務を遂行するだけだ

「署に連絡だ!稚内沖に国籍不明の小型船多数が北海道方面に向けて南下中。我々はこれより、彼らに接触する。」

その号令と共に巡視艇は速度を上げ、波を切って船団に向かってゆくのであった。






難民船団

ラバシ座乗船


船上で彼は迫りくる白い船を見ていた。
大きさは自分の乗っている船くらいあるだろうか。
だが、帆が立っていないにもかかわらず、恐るべき速度でこちらへ向かってくる。

「魔法船か…」

ラバシは考える。
帆もなく、オールもないそんな船が動いている。
聞くところによれば、何処かの大国で魔法によって動く船があると聞いていたが、ラバシはこの船の事かと思っていた。
だが直ぐに別なことも考える

魔術師が居るのか… これは不味いな

この世界には魔法がある。
それは大まかに3つ、エルフの使う大魔法。人間の使う魔術。そして亜人の使う精霊魔法に分かれる。
その中のエルフは、大魔法と言う強力な魔法を生身で使うため、特に魔法の道具は作らない。
亜人の精霊魔法に至っては、亜人の部族ごとによって使える魔法が狭く限定されているのと、文明のレベルが人種より劣るので、魔法の道具は作れない。
それに比べて人種は、強力ではないものの個々の適性によって様々な魔法が使えた。
そんな彼らは、更に強力な魔法を使うべく魔道具の開発に心血を注いでいた。
そんなこともあり、魔法の道具を使用してくるのは、まず人種だと思ってよかった。
だが、ラバシ達にとってみればそれが不味かった。
人間の魔術師は、人種達の教会が管理しているらしい。
そして、教会は亜人たちを人間とは認めていなかった。
彼ら曰く、神の愛を忘れた人の形をした獣だそうだ。
そんな彼らが我らを見つければどうなるか…

「…全員に戦いの用意をさせろ。ただし、感づかれるなよ。
戦いは交渉が決裂した場合だ。」

それを聞いて部下の一人が黙って頷くと、船の縁に隠しながら全員に武器を配る。

「負傷者と女子供ばかりの船団だ。なんとしても戦いだけは回避せねばならぬ。
ここはどうしても、話し合いで済ましたいのだがな…」

静かに重く呟くとラバシは接近する船を睨んだ。






海上保安庁

巡視艇 なつかぜ


「艇長!前方の船団に進路変更の動きはありません」

「スピーカーで呼びかけろ」

「は!」

命令を受け、部下がマイクを取る。

『前方の船団に告げる。これより先は日本国の領海である。速やかに停船するか進路を変更せよ。繰り返す…・』

英語、ロシア語、中国語、韓国語、言語を変えて繰り返し呼びかける。
何度目かの呼びかけの末、先頭の船から一人の男がこちらに向かい何かを叫んでいた。
その後ろでは、乗組員が帆を畳んでいる。少なくとも話し合いの意図はあるようだ。

「○▽■×◆◎!!○▽■×■×◆◎!!」

「艇長。なにやら代表と思われる男が叫んでいます。
如何いたしましょうか?」

「停船して話し合いの意図があるようにみえる。
とりあえず、臨検の準備をしたまえ。乗り込むぞ」

謎の船への臨検の指示に、艇内がにわかに慌ただしくなった。




難民船団

ラバシ座乗船



近寄ってきた船は、先ほどから人種とは思えないほど大きな声で何かを呼びかけている。

「ラバシ様。何を言っているのでしょうか?」

老いたドワーフがラバシに尋ねる。

「わからん。だが、いきなり攻撃をかけてこないところを見ると、話し合いの余地はありそうだな…
よし!全船一時停船!これより前方の船と交渉する!」

その声を聞いて、乗組員が周りの船に停船を呼びかける。
その命令が伝わっていくのを見るとラバシは船首に登って白い船に向かって叫んだ。

「私は、ドワーフがゴタニア族の戦士 ラバシ・マルドゥク!
我々は訳あって故郷を追われた一団を率いている!
もし、そちらに慈悲の心があるならば、このまま、そちらの土地へ向かわせてほしい。
我々はそちらに害は与えぬことを約束しよう!
お願いだ!このまま進めさせてくれ!」

ラバシが力の限り叫ぶ。
しかし、ラバシの叫びにもかかわらず、白い船からの反応は無い。

…駄目か
ラバシがそう思いかけた時、沈黙を保っていた白い船が動いた。
その船はノロノロとラバシの船に接舷すると、中から紺色の服を着た数名の人種が出てくる。
彼らは我々を見ると酷く驚いていたようだが、その中で船長と思われる男が表情を無理に固めて、平然を装いながら話しかけてきた。

「teisen no gokyouryoku kannsyasuru.
kokuseki.shimei.koukoumokuteki wo kikasetekurenaidarouka.」

…なんだこの言葉は

さっきの船から聞こえた大声といい、聞いたことがない。

「すまんが、何を言ってるのかわからない。
こちらの分かる言葉で喋ってくれないか?」

ラバシはそう話すが、向こうもさっぱり分からないらしく部下と思しき男と顔を合わせて戸惑っている。
ラバシは、しばらく彼らと色々なコミニュケーションを模索してみたが、結果はやっぱり駄目であった。

「ラバシ様。言葉が全く通じませぬな。いかがいたしましょう?」

「う~ん。そうだな。このままでは埒が開かない。何か良い手は無いものか…」

そう考え込んでいると、後ろからラバシの服を引っ張る者が居た。

「ラバシ様!任せてよ!僕たちの事をこの人たちに説明すればいいんだよね?」

二人のドワーフと獣人の子供がラバシに笑って言う。

「あぁ だが、どうやって?」

二人は簡単だよ!と元気よく言うと小芝居を始めた。
最初は木こりの真似をし、普通に働いている芝居をする子供に、もう一人の子供が武器を持って襲い掛かる演技をする。
そして木こりは逃げ出し、追いかけられ、ついには海岸に到達。
絶望する子供に、今にも襲い掛かろうとする子供。
そして逃げる子供が何かに気付く、指差す先には陸地があり、船で逃げる様子を演技した。
最初はあっけにとられて全員がそれを見ていたが、紺色の服を着た男たちも理解したようで、納得した表情の船長が部下を残して一旦船に戻っていく。

「ね?上手く言ったでしょ?」

こういう時の子供は凄いもんだ。
ラバシは感心しながら子供を撫でてやった。
しかし、かれらは何者であろうか。
こんな格好は見たことがない
それに、彼らが着ている服の生地も上等な物であった。
まるで貴族がきるような生地である。
そして、驚いているのは彼らも同様であった
特に獣人に興味があるようである。
ネコ族の獣人の子供の耳をしきりに眺めている。
あるものは後ろに回って尻尾を観察している。
舐め回される様に観察され、獣人の子供が戸惑っていると、船から船長と思しき男が戻ってきて、部下に何かを言っている。
それを聞いて部下たちはそそくさと船に戻っていき、残った男は陸地を指差した。

「進んでも良いということか?」

「そのようにも見えますね」

ラバシはドワーフの老人に自分の判断を確認すると、後続の船団に向かって声をあげる。

「よし!問題は無くなった!進むぞ!帆を張れ!」

船団は歓声に包まれ、ある船は帆を張り、ある船は櫂を漕ぎだし、船団は再び前進を開始するのだった。




海保の職員は、船上からその光景を見ていた。

「いいんですか?艇長。」

本当に大丈夫なのか?そんな目で艇長を見る。

「道知事が許可した。まぁ 一隻ではこの数は止められん。
それに、彼らの話…というかボディランゲージでは、難民だそうだ。
向こうも命がけだよ。帰れと言って帰るわけがない。
我々の仕事は、道の指定した上陸ポイントに彼らを誘導するだけさ」

艇長は政治的な話は上が考えるから、我々は黙って職務を遂行すればいいと尋ねてきた部下の背中を叩きながら言うのだった。






同時刻


道庁

緊急対策本部

海保の連絡を受け、高木知事は苦虫を噛み潰したような表情で頭を抱えた。

「道外の全てが消えたと思ったら、稚内には難民…
その先には陸地が見えるというけど、これからどうなるのかしら…」

何というか、すべてが想定外かつ急すぎた。
道としては、何も起こらず元に戻るという想定を筆頭に、某東京ジュピターのように隔離されたり、戦国自衛隊のように
異なる時代の何処かに飛ばされるというフィクションのような事まで一応は検討はしていた。
だがしかし、何処かに飛ばされた上、いきなり難民が押し寄せるような自体までは想定していなかった。
彼女は、もう現実を受け入れるより仕方ないかと抱えていた頭をブンブンと雑念を振り払うかのように左右に振り覚悟を決めた。

「とりあえず。
、稚内に難民が押し寄せて我々にそれを止める手段がない以上、彼らを一時保護します。
小型の船で100隻以上という話ですので、港ではなく砂浜等に上陸させてください。
詳細は宗谷支庁に一任します。
稚内市と連携して対処に当たるようお願いします。
それと、陸自に出動を依頼します。保護の名目で彼らが拡散しないよう監視してください。
各課各員の働きに期待します。」

本当にどうなってしまったのか。
指示を飛ばしながらも高木は冷静に考える。
内地の消滅に新たな陸地の出現。
北海道は一体何処に漂着したのだろうか。

「せめて安心して暮らせる所がいいわね」

北海道の将来を憂いつつ、知事はそう願うのであった。

















国道238号

膜が消え、久々に表れた青い空の下。
宗谷湾に沿って通っている道路上に一台のトラックが走っていた。
見れば荷台が改造され店舗のようになっている。
その移動販売らしきトラックの運転席に、一人の初老の男が座っていた。

「おぉ~ 久々に見る青空だべや~」

異変が消えた直後、付近の車はラジオをつけるか路肩に止めてテレビの情報に釘付けになっていたが、この男は特に気にした様子もなく運転を続けていた。

「しっかし、こんな良い天気なら俺のフレンチドッグも一杯うれるべなぁ」

異変後、道内の観光客は道の用意した施設に保護され、めっきりと観光地を訪れる人は減っていたが、この男はそれでも客を求めて全道を巡りながら商売を続けていた。
まぁ この男の場合、少ない退職金の殆どをつぎ込んで移動販売トラックを手に入れた為に、他に生活する道がなかったというのが本音だが…
そんなこんなで、彼の車が国道を走っていると、ある光景が目に止まった。
海岸に多数の人が集まっている。
そして物凄い数の船が砂浜に乗り上げていた。

「おぉ ヨットか何かのイベントだべか?」

これぞチャンスと思った男はちょうど集団の中心近くの道路にトラックを停め、その集団に向かって歩いて行った。
だが、近くに寄ってみると、男のイメージとはかけ離れたその光景に男は驚いた。
海岸に次々と上陸してくる人々は、全員がボロボロの服を着ている。
それはまるで、映画で見た昔のヨーロッパ人の様な格好であった。
だが、それ以上に気になるのが、彼らのかなりの割合で何かしら動物の仮装をしている。
それは実にさまざまで、耳と尻尾を付けただけの少女がいれば、もう二足歩行の動物そのままの男まで色々である。

「こんな北の果てで、こすぷれのイベントとは時代は進んだもんだなぁ」

男はそう呟くが、彼らをよく観察してみるとその顔色が変わった。
かなりの人数が怪我をしている。
それも重傷だと一目でわかるようなのもいた。
何だ?事故か!?そう思った男は、これは大変だと男は怪我人の一人に駆け寄る。

「おめーら、なした? こんな怪我して。
ああぁ おめー腕が変な方向いてるべや。なんもちょすなや。
ぼっこ当てておとなしくしとけ。それと119番に電話したか?」

男が心配して尋ねるが、彼らは難しい顔をしてお互いの顔を見るだけで意思が通じないようだった。

「外人さんか!こりゃまいったな~ とりあえず、俺が救急車呼んでやるからおとなしくしとけ。な?」

そういって身振り手振りで座るように促すと119番に電話する男。

実はこの時、稚内の警察署は道庁から難民の連絡は受け取っていたが、膜消失後の混乱にて人員が市内各所に散らばっていたために満足な初動が取れていなかった。
その為、警察があたりを封鎖する前に男が接触できたのである。
そんな彼らの下に電話を終えた男が戻ってくる。

「すぐに救急車来るそうだから、そのまんま動くなよ?」

そういって改めてあたりを見渡す男。
海岸には続々と新手が上陸してきおり、遠くの沖を見ると海保の船が見える。
何やら、彼らを誘導しているようである。

「海保までいるとなると、お前たち船が難破でもしたんか?」

男が問いかけるが、言葉が通じず誰も答えない。
そして、その全員の顔には酷く疲労の色が見えた。

「よっし!困った時はお互い様だ!俺のトラックにあるフレンチドッグ振る舞ってやるから元気だせや!
日本人は災害があった時は、皆が協力するって有名なんだわ。だから安心しとけ!」

男はニカっと笑うとトラックを変形させて調理を始めた。




『フレンチドッグ』
アメリカンドッグに似たその食べ物は、もともとは道東の名物ジャンクフードであった。
内地ではアメリカンドックにはケチャップだが、こちらでは魚肉ソーセージが入った本体に砂糖をまぶす。
その美味たるや天下一品であり、2025年現在、各地のB1グランプリを制したフレンチドッグは、道内にとどまらず全国を制覇する勢いで勢力を拡大する
道東発の超一級ジャンクフードである。

――――――道東のフリーペーパー "伝書鶏"の特集記事より抜粋




ラバシは男が荷車に戻っていく様子を黙って見ていた。
最初は、馬も竜も引いていない荷車が走っているのを見て魔術師が魔法の車を操っていると思い警戒したが、その中から、出てきた何とも人のよさそうな顔をした男は、心配した様子で此方の事を気遣ってくれた。
何を言っているのかは分からないが、敵意は感じない。
とりあえず、後続が到着するまで海岸で待機しようと思っていた。
だが、しばらくすると海岸で起こったある変化に待機していた全員の注目が集まる。
男が戻っていった魔法の荷車から、何とも言えぬいい香りが漂ってきた。
その匂いを嗅いで、ぞくぞくと皆が集まる。
もちろんラバシもその先頭にいた。
見れば荷車の中では、男が何かを揚げていた。
全員が疲労困憊の中、その匂いは麻薬以上の誘惑だった。
ごくりと皆ののどが鳴る。
その腹ペコの集まりを代表して、ラバシが男に話しかけた。

「すまないが、これを皆に振る舞ってはくれぬだろうか。
もちろんただとは言わない。出来る限りの礼はしよう。
なぁ、どうだろうか?」

ラバシの言葉に対し、男は静かに笑うだけである。
やっぱり言葉が分からない為、意思疎通が難しかった。
ラバシが何とか意思疎通に勤めようと頑張るが、相手の男は串に刺さった何かを揚げ終ると、その内の一本を黙ってラバシに差し出した。
ラバシはまじまじと見る。

「小麦を揚げたように見えるが… この表面の粒は砂糖か!なんと、そんな高級な食べ物だったのか!」

見た目は小麦を揚げたシンプルな何か。
しかし、その表面はこれでもかというくらいに砂糖がまぶしてある。
ラバシが驚愕の顔をしていると、男はさして気にした様子も無く他の皆にも配り始める。
だが、ラバシは一体、対価がいくら必要になるのか考えていた。
飢えているとはいえ、そんな高級な食物を振舞われて、一体いくら支払えばよいのだろうか。
そんな串を持ちながら考え込んでしまうラバシを見て、男は身振りで食べろとでも言うかのように促してくる。
流石にラバシも限界だった。
疲労困憊で空腹の上、手には見たこともない美味そうな食べ物。
支払いの事など忘れると心に決め、一口噛り付く。

「…!!!!」

うまい!
表面の小麦の衣も絶品だが中に入っている肉の腸詰と砂糖が絶妙なハーモニーを作り出している。
ラバシが食べたのを見て、他のみんなも貪りつくように食べ始めた。
その顔は、至福の表情に包まれていた。


「いやぁ~ 疲れているときは甘いものに限るべな!」

男が次々に揚げながら、皆の表情を見て満足げに言う。

「ブヒブヒブヒ!!」

このイノシシ頭の男など、既に何本目であろうか。
満面の笑顔で中のソーセージを指差し何かを言っている。

「お! 気づいたか!普通はフレンチドッグは魚肉ソーセージを使うんだが、俺の店は特別でな!
なんと道産ポーク100%のソーセージだ!うまいだろう!」

そういって男は紙に豚の絵を描いて見せた。
だが、笑顔で語る男の絵を見た直後、イノシシ頭の男の顔色が悪くなる。
そして次の瞬間にはドーンと地面に倒れてしまった。

「おい!どうした!?のどに詰まったか!」

心配して駆け寄る男の声は、もうイノシシ男には届いていなかった。

「ラバシ様!ティンゼーイ族のオットゥクヌシ殿が倒れました!
いかがいたしましょう!?」

…豚の腸詰だったか。

「とりあえず、横に移動させろ。こんな所で横になっていたら邪魔でかなわん。
それと、彼の部族の連中には、中身は豚なので気になるなら周りだけを食べるよういっておけ」

それを聞いた部下たちが、巨大なイノシシ男の手足を持って移動させ始める。
せっかく皆でおいしく食べているときに、怪我でもないのにぶっ倒れているような奴は邪魔だ。
そうしてズルズルと引きづりながらやっとのことで、片づけていると、彼らを囲むように騒々しい音を響かせ赤い光を放つ魔法の荷車が道路に集まってきていた。
おそらく、この地の兵隊か何かであろう。

「さて、やっとお出ましか。一世一代の交渉だ。絶対に成功させなければな」

ラバシは続々と集まってくるそれらを見ると、キッと覚悟を決め、男に一言礼を言いながら集まってきた荷車に向けて一人歩き出した。

「指揮官はどなたか!?話をさせてくれ!」

ラバシが集まってきた集団に向かって叫ぶ。
だが、それに対する回答はない。
彼らは淡々とラバシらに対する包囲を築く作業に追われるだけ。
ラバシは困った。
彼は何度目か叫び、道路を封鎖するこの地の兵隊らしき者達に近づいて、近くにいた一人に身振り手振りで話を試みるが、どうにも通じなかった。


おかしい…
船上で子供らがやった時は、もっとすんなり通じたではないか一体何が違うのか?
それに彼らも彼らである。
海岸に集まっている中で、ただ一人接触を試みているのだから、もう少し関心を払ってほしいのだが、彼らは等間隔で我らを囲み監視するだけだった。
それに彼らは、全員が鼻と口を蓋う仮面をつけるため表情が読めない。
彼らの包囲を出ようとすると当然の如く身振りで制止を求めてくるが、それだけだった。
特に攻撃的に扱われるわけでもなく、かといって相手にもされない。
いいかげん埒が開かないとイライラしていると、後ろから食糧を振る舞ってくれた男が近寄ってきた。
彼は、なかなか戻ってこない私を見て心配しているようだ。
ラバシは、彼なら何とかできるのではと、根拠もなく期待して彼に託すことにする。
どうにも私の演技は絶望的に何かが欠けているようだし。

「後は任せた!」

ラバシは、ドンと彼の肩を叩いた。



男は急に肩を叩かれた。
フレンチドッグを揚げていると、さっきまで集団の先頭にいた男が、集まってきた警官の方に向かっていくのが見えた。
だが、その後は芳しくない
男が身振り手振りで話しているが、警官に伝わってるようには見えなかった。
ちょっくら助け舟をだしてくるか。
そう思って在庫のフレンチドックをあらかた揚げ終えると、男は彼らの方へ向かっていき、男に声をかける
すると、天の助けとばかりに満面の笑みで男は肩を叩いてくる。

「○*▽#☆!」

ドン!

ガタイのいい男から繰り出される一撃は初老の男には中々厳しいものがあった。

「痛ぅ… もうちょっと加減しろや。ちくしょうめ」

男は肩を摩りながら付近を囲む警官に声をかけた。

「あー お巡りさん。ご苦労様です。」

その声を聞き、日本語が話せる人がこの中にいた事にほっとした様に警官も返事を返す。

「こりゃどーも。こんにちわ。
それはそうと、失礼ですがあなたは?
あなたも海岸から来ましたけど、彼らの知り合いですか?」

「いんやぁ 俺はたまたま通りかかっただけだよ。
したっけ、怪我人がわらわら居るし、みんな疲れた顔してるから、ボランティアでフレンチドッグ振る舞ってやったさ。
あぁ そんで、俺は北島五郎っつってフレンチドックの移動販売やってるモンです。
身振り手振りで俺のフレンチドッグ振る舞ってやったら仲良くなってな。
こいつらを何とかしてやりたいんで救急車は呼んでやったけど、この人数だし、怪我人も一杯なんでお巡りさんも介抱手伝ってくれんべか?」

五郎は笑って警官に頼むが、その依頼にたいして警官はすまなそうに言う。

「申し訳ないですが、手伝うことはできないし、救急車も来ませんよ」

「え!?」

五郎は警官の言葉に耳を疑った。

「なしてさ!?なして救急車が来ないんだ?」

五郎は驚愕し警官に掴みかかろうとするが、他の警官に制止される。
それをなだめる様に警官が言葉を続ける。

「知事命令で防疫の為にココは隔離しました。
海保からの報告で、正体不明の難民が向かってると知った知事の命令があり、今、名寄の駐屯地から自衛隊が向かってきていますので、それまで待ってください。」

「防疫?」

「そう 海保の報告映像を見た学者さんが進言したらしいんです。
まぁ 私らも対策室に詰めてる上の人間から聞いた話で詳細はわかりませんがね
彼らの中に明らかに普通の人間じゃない方も混じってますよね?
まぁ そこらが原因だと思いますよ。我々のガスマスクも防疫上の処置です」

それを聞いて五郎の疑問の一つが消える。
確かに、ここで警備している警官たちは全員がマスクをしていた。
そのことに気がついてはいたが、質問の優先度が低かったため特に聞かなかったのだが
今の警官の話で理解が出来てしまった。

「それであんたらは、そんなマスクしてるのか」

「はい。もし悪性の病原菌やウイルスが居た場合に備えての処置です。
それと、そういった理由で今後は我々の許可無しに出入りは禁止となります。
…つまり、あなたも出入りが制限されます。」

警官は気の毒そうに言う。
親切心で助けに入ったら、自分まで隔離されてしまったのだ。
普通ならショックを受け激怒することもあるだろう。
だが、意外にも男はそれほどショックは受けていなかった。

「えぇ~ 俺も隔離か!
まいったなぁ~…
これからどうすっべなぁ。
まぁ でも、嫁さんも死んじまって居ないし仕事っつっても移動販売だけだし、カゼでも引いたと思って、まぁ 諦めるか。
どうせ問題ないって分れば、また自由になるんだろ?」

仕方ねぇな~と愚痴を零すも、ひょうひょうと事実を受け入れている。
男はなかなかメンタル面でも強かった。
そして、彼は警官たちから離れた所で見守っているラバシの所に戻ると、彼に警官の言葉を伝え始める
もちろん、言葉ではなく手に持っているメモに絵を書いて伝える。
まぁ 絵を書いて説明するので細かくは伝わらないが、以外に絵心のあるそれは、これから他に人の集団が来ること、それまで待たなければならない事
五郎も一緒に隔離された事は伝わったようだった。
だが、それが伝わると同時にラバシも申し訳なさそうな表情になる。

「どうやら、我々のせいで貴方にも迷惑をかけてしまったようだな。…申し訳ない」

ラバシが目を瞑って謝罪するが、言葉は通じなくても五郎には雰囲気からラバシが何を言いたいのか伝わったようである。

「まぁ 気にすんなや。もうちょい俺と一緒に待とうや」

まぁ 好きで助けたんだからしゃーねーべやと言いながら、今度は五郎がラバシの肩を叩く。

「あぁ そういえば、自己紹介はまだだったな。
俺は北島五郎。五郎だ。ゴロー。わかるか?」

思い出したように語りだす五郎が、自分を指差しながら名前を連呼する。
ラバシもそれを見て理解する。

「ラバシ・マルドゥク。ラバシでいい」

同じように自分を指差しながら名前を連呼する。

「ラバシか!良い名前だな!」

現実を受け入れた男たちは、仕方が無いと笑いながら海岸に向かって歩き始めた。
何も全てが悪いほうに流れると決まったわけではないのだ。
それよりも、海岸ではラバシの部下が後続の介抱を行ってはいるが、いまだ続々と避難民の上陸は続いている。
その様子を見ながら移動販売車へ戻っていく五郎だが、ふと何か思いついたように警官の元に戻ってくる。

「そうそう!隔離はされたけども、物の搬入は大丈夫だべか?」

笑って警官に尋ねる五郎に警官は戸惑いながら答える。

「それは問題ないですが、一体何ですか?」

ニッと笑って五郎は言う。

「それなら、フレンチドックの材料や水を調達してきてくれ。
あんたらも、自衛隊待ってる間に彼らが衰弱死したら困るでしょう?」

警官達はそれを聞き頷くと、そそくさと無線で署に連絡を取り始める。
確かに自分たちが隔離しているせいで死人が出ては色々と不味い。
そんな責任回避のための公務員の仕事は非常に速かった。
程なくして、稚内署名義で海岸に大量のフレンチドックの材料が届けられることになったのだが、
それらはあっという間に難民の胃袋に納まってしまうのであった。





その日の夜

道庁

緊急対策本部


「獣人ですか…」

海保から上がってきた映像を見ながら知事が呟く。
それに応える様に、対策室に詰めている学者が説明する。

「はい。明らかにホモ・サピエンスと異なります。
それどころか、類人猿かすら疑問です。
明らかに二足歩行している他種動物もおりますし…
それに、この事と、空自の撮影した周辺の地形等の情報から総合的に判断しますと、我々は違う世界に転移した可能性が高いと思われます。
まぁ何より、後ほどの休憩時にでも外に出てもらえれば分りますが、星座すら全く違うというのは同じ地球ではあり得ませんからな。
何せ天の川が十時にクロスしておりますし、このような事態は数十億年後のアンドロメダと銀河系の衝突時に起きるかどうか…
まぁその頃には地球の海洋は全てマントルに吸い取られていますから、未来という可能性もない。
よって、異世界か別の星系であろうと推測されるわけですな」

そう説明する彼の名は、矢追純二博士
異変後、道内にいた各界の専門家が対策室に招聘され
その中でも彼は飛びきりの天才であった。
その彼が言う
ここは元の地球ではないと…
その答えに知事は眉をひそめて聞き直す

「違う世界?」

「そうです。異世界ですな。
膜消失後の地形の大幅な変化。それに元の地球ではありえなかった生物種の出現。
数ある並行世界のどこか、まぁこれが5次元平面上に分岐した世界なのか、6次元上の別の宇宙なのかは定かではありませんが…
又は元の世界内でも異なる時空間に転移したのではないかと推測します。」

「それが本当なら、一部地域を隔離して防疫体制を敷いただけでは弱いんじゃないかしら?
人間を隔離しても、鳥や小動物から病原性ウイルスが入ってくるのではなくて?」

矢追博士の進言に従い難民は隔離した。
彼が言うには正体不明の人種?の集団はどんな病気を持っているかわからない。
下手をしたらヨーロッパ人上陸後のアメリカ大陸先住民と同じ運命をたどるかもしれないとの話だった。
この世界に対するイレギュラーが彼らだけならそれで良かった。
だがイレギュラーが自分たちであったなら、鳥インフルエンザよろしく野生動物から伝播もあり得るのではないか。
そう考えて知事が発言したが、それに対する答えは、すぐに博士から出た。

「それについては、彼らを徹底的に調べることにしましょう。
彼らの中には人間とあまり変わらぬ姿の者たちもいますし、動物に似た姿をしている者もいます。
何かしらの免疫を持っている事でしょう。
既に我々はワクチンだけではなく、免疫細胞自体を大量に培養して移植する技術があります。
これで最悪でも、人間と彼らの種に対応する家畜は守れます。まぁ 道内の野生動物に対しては見捨てるしかありませんが…
その為にも、多少の非人道的な扱いも止むをえません。
我々の生存が最優先です。」

彼は断言した。

----多少の非人道的な扱いも止むをえない----

少々心に引っ掛かることがあるが、施政者としてこの判断を避けることはできない。
道民の生命と財産を保護するためには多少の犠牲には目を瞑らねばならない。
政治とは大を守るために小を見捨てることなのだから。
今回の事で、高木知事は改めてそれを認識し心に深く刻み込んだ。
そう、我らの生存のためには手段は選んではいられない。
本国と…元の世界と切り離された事が現実味を帯びている今、我々に許される選択肢は多くは無い。
知事として、高木はるかとして心を決めた。

「…わかりました。
防疫に必要な物資・人材は道が集積して支援します。
自衛隊による彼らの保護後、私たちに出来ることを全て行いましょう。
それと、今後の方針を決めます。
各組織の代表者を集めてください。
もちろん、ステパーシン氏を含むロシア側もです。
我々は新しい一歩を踏み出さねばならないでしょう。」

転移、そして決断。
北海道は新たな一歩を踏み出したのだった。




道庁でそんなやり取りが行われている頃から時は少し遡る。
稚内沖に見える陸地で、一つの集団が海を渡る難民を眺めていた。
既に難民は岸から遠く離れているが、その行く先は明らかだった
船団というのもおこがましい小舟と筏の群れが蟻の行進のように一筋の線となって沖に浮かぶ未知の陸地へと続いている。

「逃げられましたな」

海を眺めていた集団の中で騎士の一人が呟く。
その言葉を聞いて集団を統率していると思われる若い騎士がフンと鼻を鳴らす。

「なに、仕方ないさ。父上が満身創痍の蛮族どもを駆除しようと追って入った森の奥で逆に打ち取られるとは予想外だった。
奴らめ…。どんな魔法を使ったか知らんが覚えておけ。
地の果てまで駆り立ててくれる!」

若い騎士は奥歯を噛みしめ海上の船団を睨む。
過去最大の規模で始まった今回の亜人討伐は、開始から順調に推移していた。
亜人に占拠されている土地を奪還し、この地から亜人を追い出すという目的は完璧に達成出来たと思われた。
最後に海岸に集まる亜人どもに突撃し、これを殲滅する最終段階で父であるエルヴィス辺境伯は、森の奥へと向かうドワーフを見つけてしまい。
それを追いかけていってしまった。
その結果は、轟音と火の手。その後に見つかる父の焼死体。
予定外の司令官の死亡により討伐軍は混乱に陥った。
その混乱を息子のアルドが収拾したときには、亜人は海の上だった。

「悔しいが、一度本拠に戻るぞ。
父の葬儀と家督の相続、それが終わり次第、再度討伐軍を出す」

「目的地はあの謎の陸地ですか?」

アルドの横に立っている肥満気味の騎士が笑みを浮かべて確認する。

「勿論!他にどこがある!
父が死に、謎の陸地が出現し、そこに獲物が逃げ込んだ。
私には、これが神が私に辺境伯家の当主として領地を拡大せよといっているように思える。
これは神の試練であり恵みだ!と」

それを聞いて家臣達も色めき出す。
今回の亜人討伐で領地が加増されるが、更に加増のチャンスが目の前の海上に広がっているからだ。

「では、一度帰還いたしましょう。
若が家督相続の手続きを行っている間、私めは軍船の準備を致します。
我らの力、更に見せつけてやりましょうぞ!」

肥満の騎士は闘志を燃やす。
あの未知の土地を征服する先にある栄華を求めて…








3日後


道庁内会議室

この日、道庁には道内にある各機関からの代表者が一同に会していた。
会議室の中央に高木知事が座り、その両翼に日露の代表が座っている。
会議室内に全員が揃ったことを確認し高木知事が開始の挨拶をする。

「みなさん集まりましたね?
それでは、これより我々の今後を検討する会議を始めたいと思います。」

その声と皮切りに北海道の今後を決める会議が始まった。

「お手元の資料にもある通り、水面下での調整の結果、北海道と南千島の合併は決定事項で了解しているかと思います。
ですが、国家体制、軍事、法制度等の決定に皆さんのご協力が必要と思い、本日の会議を招集しました。
ですが、それを決める前に、現在の我々の置かれている状況を整理してみましょう。」

会議室のスクリーンに数枚の写真が写される。
何名かの初めてその写真を見る者はどよめいた。
有るはずのものが無く、有るはずの無いものが有る写真だった。
それは、松前半島上空から南を眺めた本州の写っていない写真と稚内沖にあるサハリンより遥かに広大な陸地が写った航空写真だった。

「現在、空自の偵察機による観測では、本州の消滅と稚内沖20kmに未知の大陸が出現したことが判明しております。
更に詳細は不明ですが、北海道南方200kmにも陸地があるという情報も入っております。
その中でも、特に北方の大陸について特筆すべき点があります。
ご存知の方もいらっしゃいますが、3日前、稚内沿岸に大陸から渡ってきたと思われる多数の難民が漂着しました。
現在は、稚内CCを接収して作った難民キャンプにて保護しておりますが、注目すべきは彼らの姿です。」

スクリーンに獣人やドワーフの写真が写される。
それを見て、先ほどとは比較にならないどよめきが上がった。

「ご覧のとおり、彼らは現生人類とは著しく異なります。
わりかし我々に近い個体でも、やはり詳しく調べてみるとホモサピエンスとは別種だと報告がありました。
現在は、防疫上隔離に近い処置を取っていますが、彼らが大陸から来た以上、今後は彼らとの大々的な接触は不可避でしょう。」

スクリーンがまた変わり、再度航空写真が写る。
そこには、集落らしきものが写っていた。

「これは空自が撮影した大陸沿岸部の集落の写真です。
これが示すのは、我々とは異なる文明が存在しているという事実です。
彼らの政治体制、文化レベルは不明ですが、そこから難民が大挙して押し寄せた以上、必ずしも平和的な政権であるとは言い切れません。
よって、我々は生存を賭けてあらゆる手を講じなければなりません。
過去の確執、個別の利権は捨て去り、新国家を創造することが我々に課せられた使命であることを心に刻みましょう。」

高木の説明とその大儀の確認に室内に拍手が溢れる。
この場に出席した全員が再確認した。
もはやなりふり構っている時ではないと…

だが、高木知事の説明から始まった新国家建設の為の会議は、初っ端から紛糾した。
丸2日に渡る喧々諤々の議論が巻き起こり、時には殴り合いにまで発展しそうになったが、大まかには以下の事が決定した。


・統一国家の政治体制

なりふり構ってられないといっても、もともと日露は別国家である。
双方ともに自らの政治体制をメインとした政治体制を主張した。
北海道側は議院内閣制、南千島側は連邦制の大統領制。
最初は譲らなかった北海道側も南千島側の一言で何も言えなくなった。

「この有事に、日本の議院内閣制を導入して毎年政府首班が交代したら国が亡びる。
あなた方は、まだ懲りていないのか?」

言い返せる人物はいなかった。
日本の政治はコロコロと首相が変わり、特に2010年代からは特にひどかった。
転移前の国内の混乱を思い出した北海道側はこれに押し切られてしまった。
これにより、北海道は南千島との連邦国家として大統領制を選択することになる。


・安全保障

これについては双方の兵力によって主導権が分かれた。
陸上兵力については指揮権の統一については異論は無く、総司令部が道内に設置すると兵力で圧倒する陸自が押し通した。
だが、装備の統一で揉めに揉めた。
兵力では陸自が圧倒的であるものの、陸自の小火器については、道内への生産設備移転が事実上断念していた。
何故なら、何度か道内に工場を誘致する計画が上がったものの、その度に何処から情報が漏れたのか市民団体が殺到。
しまいには火炎瓶まで出てくる始末で1か月では準備できなかった。
此れには、ロシア側がリークしていたとの噂もあったが確たる証拠は無かった。
その点、ロシア側は国後に生産能力を手に入れていた。
そんな事もあり、自衛隊の物資を有効活用するためにも自衛隊はNATO弾規格のAK74を89式の補充として導入し
最終的には一本化すること、ロシア側もNATO弾規格の物に交換することで両軍の規格統一が最終的には同意した。
そして、大型兵器については、両軍ともに生産設備が無かったので、後日、北海道の生産基盤整備の際は日本側装備をメインとすることになった。
だが、航空兵力や海上兵力については主導権は逆だった。
空自は2個飛行隊のF15を配備していたが、機体寿命が切れかかっていた。
F4の時のFX騒動を踏まえ、F15の機種交換では国産の新型戦闘機F3を量産することが早々に決まっていたが
配備は西側方面が優先され、千歳に配備が始まる前に転移してしまった。
それに対し、ロシア側はかつてPAKFAと呼ばれたステルス戦闘機Su51を一個飛行隊20機配備している。
だが、双方ともに航空産業の基盤が無い。
在庫の交換部品が切れたら終わりである。
そこで、双方からリバースエンジニアリング用に機体を出し合うことにし、部品の供給を行うことにした。
だが戦力価値により、補給部品はSu51が優先されることになり一応は話がまとまるのだが、海上に至っては更に日露の差がついた。
海保とロシアの国境警備隊については余り差が無く、すんなりと統合に向かったが、問題の海自の装備は、道内にはミサイル艇2隻と掃海艇だけだった。
それに対し、ロシア側は偶々択捉に寄港していたステレグシュチイ級コルベットが一隻あった。
双方ともにあまりに貧弱な海上兵力だったが、海上兵力整備の際はステレグシュチイ級をドッグ入りさせそのコピーを量産することになった。
それに伴い海兵の教育もドッグ入りした際にロシア式で行うことが決まった。



その他にも法制度は、2年は準備期間として両地域の現行を維持し、その後で統一する事や、転移後のロストテクノロジーを回復するために科学技術復興機構の創設が決まった。
内容としては、道内の技術者・科学者を一元的に管理し、科学技術の復興を迅速かつ効果的に行うというものだった。
これについては、武田勤氏が裏で調整していたようで、初代理事長には彼が収まった。

「ふぅ… なかなかしんどいわね」

高木が額の汗をぬぐう。
その様子をみて鈴谷宗明がそれ以上に汗の浮いた顔で彼女を励ます。

「なに。最初にうんと苦労すれば後は屁みたいなもんだよ。
だがしかし、予定では初代大統領になるお方がこの程度で疲れてちゃいかん。
君はもっともっと苦労する予定なのだからな」

笑いながら鈴谷は高木に言う。
それを聞いて高木は少々げんなりした。
まぁ この状況下になってしまった以上、政治的空白を作らずに新体制へ移行するには、自分がこのまま横滑りしなければならないのはわかっている。
だけど…やっぱりしんどい…
そんな事を思いながらため息を一つ吐きながら会議の進展を見ていると、会議室の外から一人の職員が早足でやってきて高木の耳元で静かに報告する。

「稚内の矢追博士から連絡です。
隔離地域で何やら進展があったようです」

「博士は免疫のテストで現地へ行ってた筈だけど、何があったの?」

「何でも免疫細胞移植後に想定外の反応があったそうです。詳細は博士が直に説明するそうです。」

一体何だろうか、手段を選ばないと決めた後、難民と一緒に隔離された不幸な市民を使って免疫系の人体実験が非公式に行われていることは知っていた。
想定外とは一体何であろうか…










稚内CC


難民上陸後、到着した陸自の部隊により、市街より離れたこのゴルフ場に難民キャンプが築かれた。
周囲はフェンスで囲まれ、その中に無数に立つテントの中に2万人もの亜人達が保護されている。
そんなテントの一つに五郎はいた。

「すごいぞ!ラバシ!言葉が通じる!」

「いったいどうしたんだゴロー!すばらしいぞ!」

人種のおっさんとドワーフの男が手を組んで踊っている。
そして、その周りでは数人の研究者たちがその様子を見ていた。

「博士… これは一体…」

「原理はわからん。だが、彼本人には難民の言語が翻訳されて聞こえているようだ。
だが、発音は全く違うし、はたから見る我々には双方共に別言語を話しているようにしか見えない。
おそらくはテレパシーの一種かもしれない」

矢追博士は目の前で起こっている現象を真剣に観察しだした。
もはや、なぜ起きたかは重要ではなく、なぜ会話できているのかに興味が移っているようである。
だが、一緒にいる研究員は思う。
一体なぜこうなったのか、と…
警官から隔離されると聞いた後、五郎は自衛隊と一緒に難民キャンプにやってきていた。
難民は血液検査ということで全員採血され、負傷している者は治療を受けた後、彼も一緒に数日をキャンプ内で過ごした。
その後、矢追博士と名乗る人物と出会い、伝染病の予防と称して彼らの持ってきた注射を打って貰ったのだが、想定外の効果は数時間後に現れた。

「いやぁ 言葉が通じるって良いもんだべや」

彼らの言葉が分かる。
最初は何だかわかる気がする程度だったが、時間を置くと徐々にハッキリわかるようになった。
その結果が、今、ラバシと二人で踊っている状況になっていた。


「おそらくだが」

唐突に博士が研究員に話しかける

「彼らの免疫細胞という体組織を移植したことにより、未知の要素が五郎君の体に宿ったのだ。
彼らの体に他にも秘密があるのなら、まだまだ未知の現象が見れるかもしれんな。実に楽しみだよ。
それに君も見ただろう、あの免疫細胞を。
我々の知りうる病原菌、ウイルスを無効化してしまった強靭な免疫だよ。
今の所、被験者に副作用やショックといった異常もなく容態は落ち着いている。
もしかしたら、全道民に処方することになるかもしれないな。
何より移植後に言葉が通じるようになるという未知の現象が素晴らしい。
あぁ!…もう我慢できん!君!早速、私の分を用意したまえ。
私自ら実験を行う!」

ドタバタと人体実験の用意を始める博士。そしてそれを押しとどめる研究員たち。
そんな踊ってるかのような喧騒劇を繰り広げる博士たちを横目に、五郎たちも踊る。
その後、やっと観念した博士たちが次の実験の準備のためにテントから出ていきテント内に静寂が戻ると
五郎たちも気が済んだのか踊りをやめた。
そこでやっと一段落付いたような気がした五郎は、ラバシと出会った時から思っていた疑問をぶつけてみた。

「話が分かるようになったんで聞くが、お前ら一体どこから来たんだ?」

にこやかに笑いながら五郎が訪ねる。
その瞬間、ラバシの表情が明らかに暗く凍る。
そして、重くなった口を開きラバシは五郎に語った。

「俺たちは大陸の人種共に迫害され、命からがら逃げてきた避難民だ。
奴らは俺たちを根絶やしにする気でいたから、最早故郷には戻れない。
この土地で暮らさせてほしいんだ。
その為にゴロー、是が非でも君たちの長に合わせてくれないか?」

その告白を聞き、五郎の顔からも笑いが消える。
彼らの事情は予想以上に深刻で、悲しいものだった。
五郎は、ラバシの話を聞いているうちに、それがあたかも自分に起こったことのように彼らの苦難を悲しみ、怒り、同情していった。

「そうか… そんな事があったのか
残念ながら俺は使えるツテとかは無いけども、取り敢えず博士に相談してみるべか?」

「あぁ 是非とも私の話を伝えてほしい」

ラバシが頭を下げる。
それを見て五郎は。おう 任せとけ!と胸を叩き、二人は早速、博士のいるテントへ向かう。
彼のテントは一発でわかった。
赤十字のマークが入ったテントから、博士と助手の研究者の騒がしい声が聞こえる。

「待ってください博士!もう少し経過を見てからにしましょう!」

「君は馬鹿かね?あんな面白い現象を前にして黙って待っていられる筈がなかろう!」

テントの外にまで漏れるその声に、五郎はつい呆気にとられてしまったが、気を取り直して入り口をあける。

「博士。ちょいとお邪魔しますよ」

見れば、今まさに注射器を自分の腕に刺そうとしている博士だったが、自分のテントを訪れた五郎とラバシを見て手を止める。

「おぉ 君たちか!どうしたのかね?
まぁ そんな所に立っていないで、ゆっくり座ってくれ」

彼らを笑って迎え入れる博士。
五郎達は勧められるままに椅子にこしかけると真剣な表情でラバシの話を始めた。

「博士、ご相談なんですが………」


…………


「そうか… 海を渡って来たのはそういう事情だったのか。
まぁ ちょうど良い、私もこれから知事に連絡しなければいけない用があったから、一緒に話してみるとしよう」

その言葉を五郎から通訳してもらったラバシは、博士の手を取りブンブンと振り回して喜んだ。
急に手を捕まれ振り回されて若干ビックリした表情になる博士だったが、解放されるなり電話を取り、その言葉通り道庁に電話をかけ始める。


一方その頃。

道庁
会議室内

「知事、博士とテレビ電話が繋がりした」

「スクリーンに出してちょうだい」

知事の指示に従い、職員が映像を会議室のスクリーンに繋げる。
そのスクリーンには博士が映っていた。
画面の中で博士は、「お!映った」と呟きながら知事に挨拶する。

『どうもお疲れ様です知事。会議はどうですか?』

博士のその言葉を聞いて高木は溜め息を漏らす。

「順調に紛糾中です。
会議は踊る。されど進まず。…みたいなウィーン会議よりはマシと言っときましょうか。
まぁ、そちらはそんな事は気にしなくていいです。
それより博士。報告事項があると伺いましたが?」

その返事に博士は興奮して説明を始める。

『そうなんですよ知事!
免疫の人体実験に使った後ろにいる五郎君なんですが、免疫細胞を移植後に面白い変化が現れました!』

そう言って、博士は後ろに立っている北島氏を指さす。
というか博士、非公式の人体実験をそんなにペラペラ喋らないでほしい
高木はそんな事を考えながら、人払いせずに博士との電話をつないだことに後悔した。
当の北島氏は、あまり自分の立場を理解していないようで、手を頭に当てて照れながら挨拶しているが、この事を知らなかった職員がこちらに厳しい視線を送っている

「…それで、どんな変化が起こったのですか?」

高木は、一部職員の視線を無視しつつ話を続ける

『それが、移植後に五郎君と彼らの言葉が通じるようになったのですよ!
彼らの発音している言葉自体は別言語ですが、原因不明のファクターにより、意志疎通が出来ている。
おそらくテレパシーの一種ではと推論しますが、仮に全道民に予防接種として免疫細胞を移植した場合、我々と彼らの言語の壁はぐぐっと下がるでしょう!』

なるほど… この世界は我々の予想を越える事が多々あるようだと高木は思った。
そもそも難民のなかにいる獣人達だって、我々の知っている進化論からは考えられない存在だ。
もう、転移前の常識は捨て去るべきかもしれない…

「そうですか。もしそれの安全性が確立すれば、これからの交流に非常に有用でしょうね。
ありがとうございます。引き続き調査をお願いします」

実に有益そうな想定外に知事は笑って労う。
こういう役に立つ系統の想定外なら、いつでも大歓迎だ。
だが通信を終える前に博士が話を続ける。

『それと、言葉が通じるようになったことで、彼らが是非とも知事と話たいといっていますが、よろしいですかな?』

「そうですね。私も彼らの話を聞きたいと思ってました。こちらこそお願いします」

その言葉を聞いてすぐ、五郎がラバシを呼ぶ。
会議室内はスクリーンに入って来た髭を蓄えた男に注視する。
その中で、緊張した面持ちで五郎はラバシの話を通訳して話始めた…


……


「……つまり、あなた方は武装勢力に追われている難民なのですか?」

『ああ だが、我々は船でこの土地に逃れてきたが、奴らは船を用意していなかったから追跡は無理だ。よって暫くはこちらも安全だと思う」

ラバシの言葉に高木の頭痛の種が又一つ増えた。
つまり、我々は敵対する勢力がある難民を保護しているのか…
これは不味い…
外交安全保障上の不安定要素だ。

「出来れば、あなた方を襲った集団について詳しく教えて頂けませんか?」

『あぁ… 奴らは我々の勢力圏と隣接するゴートルム王国のエルヴィス辺境伯の軍勢だろう。
何度か戦ったが辺境伯家の旗しか無かった。まず間違いない』

「王国とは敵対関係にあったのですか?」

『いや王国内で我々亜人は差別される事はあっても、本格的に敵対する事はなかった。
だが、あの辺境伯は違う、土地をめぐって度々小競り合いを起こしていた。
なんでも、神に与えられた土地を神の恵みを知らぬまつろわぬ者から奪還するとのたまっている。
実に自分勝手な理由だ。奪還するも何も、元々あそこは我々の土地だ!』

説明するラバシがヒートアップする。
五郎も忠実に演技付きでそれを伝え、彼の心情を的確に表現している。

「そうですか… となると、いずれこちらにも火の粉が飛んできそうですね」

高木は、むふぅ…と息を吐き、深く椅子に身を預ける。
その様子が、ラバシには彼女が此方を見限るかのように見えて、顔が青ざめる。
自分たちの安全ばかりを気にして、彼らが巻き込まれるとは考えていなかった。
見捨てられては困る。最早、行き場など無い。

『頼む!どうにかこの土地に住まわせて頂けないだろうか!我らの力と精霊の加護は、あなた方に必ず役立つと約束する。
だから… 頼む!』

そう言って、役に立つと売り込むラバシの力をこめて握った拳が紫色に光る。


!!!!!!!


突然の変化にラバシ以外の全員がざわめく。
当然、画面越しに見ていた知事も、目を見開いてその拳を見つめる。

「!? そっそれは一体何ですか?」

予想外の反応が返ってきたため、ラバシも困惑気味に言う。

『いや、決意表明のつもりだったんだが…
頼む!我らは必ず役に立つ!お願いだ!』

「いや そんな事ではなく、その光った手は何だったんですか!?」

見当外れのラバシの回答は無視して知事は聞く。
ラバシは「これか?」拳とモニターを交互に見つめ、さも当然のようにラバシは答えた。

『これか?こんなのは唯の精霊魔法だが…』

「魔法!?」

会議室の全員から声が上がる。
その様子を見て、ラバシは戸惑いながらも左手を紫色の光を灯したり消したりしながら説明する。

『あぁ 私のようなドワーフの場合は、肉体強化の魔法だ。
これがあるお陰で、他の種族が茹で上がってしまうような地底の環境をものともせずに大鉱山が作れる。
人種と違い、我ら亜人は一種類の魔法しか使えぬが、その分強力だ。
難民のなかの各部族も、それぞれ精霊魔法が使えるぞ』

その説明を聞いて全員が信じられないといった表情を浮かべる。

魔法である。
この世界は、こんなことまでアリなのか…
だが、それを見せつけられると信じざるを得ない。
というか、最早何でもありだ。
既に常識というベースラインは自分たちの足元には存在していない。
他ならぬ彼らの元に流れている常識こそ、この世界の常識であるのだ。
だが、これを見た高木には、ある一つの考えが生まれる。
おとぎ話通りに便利な力が実在するなら、北海道の産業に革命をもたらすかもしれない。
高木は声には出さずにそう考えると、ニヤリと笑いながらラバシに言う。

「良いでしょう。あなた方が此処で生きていけるように手を打ちましょう。
しかし、しばらくは準備のために窮屈な生活になると思いますが、それは我慢していただきたい。
そして、新たな隣人として改めて言います。
ようこそ 北海道に!」

その言葉にスクリーンの向こうで歓声が溢れる。
見れば、テントの膜越しに中の様子を伺っていたのか、他の亜人も歓声を上げながら彼らのテントに流れ込んできている。
ラバシと五郎は、何時の間に…とあっけに取られつつも、高木に何度も礼を言いながら通信を終えた。

「と、ご覧頂いたようになりましたが、この会議で議論すべき事が増えましたね。
彼の処遇ですが如何しましょう」

知事の問いに、出席者の一人が待ってたとばかりに発言する。

「是非とも労働力として活用しましょう!
彼らの特殊能力は産業振興に打ってつけです!」

経済界からの代表できていた一人が、これぞ天佑とばかりに提案する。
だが、それに対して公安関係の出席者が反論の手を上げた。

「だがしかし、犯罪や暴動に使われれば脅威だ。
想像してみたまえ、2万の暴徒が魔法なんて未知の力を振り回すのを…
それに防疫体制も整っていないではないじゃないか」

「だが、それにしても魅力だよ。
君は知っているか?
異変後、道内の労働者・失業者を対象とした調査によると、失業した場合に次の職に鉱山労働は考慮に含まれるかとの問いに対し
鉱山もやむ無しと答えたのは殆ど居なかったそうだよ。
内地との経済活動が途切れ、道内の労働人口の大部分を占めるサービス業から大量の失業者が出ることも予想されるが、ホワイトカラーから、鉱山労働者へ転換するのは不可能に等しい。
それに彼らを投入出来れば、我らの資源自給はかなり改善できる」

「だが、市民の安全もないがしろにはできん!」

そのまま議論は慎重派と推進派が平行線をたどる。
どうにもなかなか結論は出そうにない。
これはいけないなと、双方が譲らない議論に知事が割って入った。

「色々意見ありがとうございます。
皆さんの考えはとても参考になりました。
そこで、こういったのは如何でしょうか。
まず、彼らを小グループに分けます。
暴動が起きても対処できる人数が好ましいですね。
次に彼らを必要とする産業界に振り分けましょう。
名目は”産業文明になれるための研修”。これで、同化政策と経済対策を一度に行います。
転移前に各地の事業者が途上国の労働者を研修と称して招聘し、法定外の低賃金で働かせていたことが問題になっていましたが、今回はそれを道が主導で行います。
もちろん法定内の賃金は払いますが、あくまで研修なので最低限です。
彼らには、衣食住を保証し我々の文化になれる為に研修を行うと説明すればよいでしょう。
その後、相互に連携が取れないよう道内各地に分散させます。
防疫上、若干の不安がありますから人口密集地を避け、郊外に隔離した宿舎を事業者に建設させた方が良いですね。
その時、事業者にも治験として免疫細胞の移植を難民導入の条件として提示します。
隔離の期限は、都市部の人間の予防接種が終わるまで。
その間に難民には文明社会を叩きこみ、相互依存の関係を作ります。
…と、こんな感じでは如何かしら?」

双方の妥協できそうな中間ライン。
高木はそれを念頭に、このような草案はどうかと双方に尋ねる。

「まぁ 最初は仕方ありませんな。ですが、鉱山開発にはまとまった人数が必要ですぞ?」

「では、そういった特例的な場所については、公安の監視を張り付けさせましょう。
ですが、人数についてはこちらで一定の上限は決めさせていただく」

ココまで来て、会議は収束に向かっていく。
新体制の発足と難民の道内への導入という方針に向けて…



[29737] 転移と難民集団就職編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:10
国後島

拓也の工場



工場内に電気が灯った。
目新しい機械類が並び、その役目を果たす時を今か今かと待っている。
だが、機械類の充実ぶりとは裏腹に、工場内の人影は疎らだった。


ドン!!

「人が足りない!!!!」

拓也が机を叩いて絶叫する。

「うるさいわね。求人かけても島内の人があまり集まらなかったんだから、しょうがないでしょ」

うるさい馬鹿と言わんばかりに返すエレナ。
現在、工場で雇っているのは、北海道から連れてきた熟練の工員のおっちゃんが数人(彼らは、40超えると再就職口が無いとかで喜んで来てくれた)
それと、懸命な勧誘活動の末、やっと来てもらった現地のパートのおばちゃんが数人である。(給料は割高になったが…)
なぜ、このような事になったのか…
それには理由があった。
前の工場を買ってすぐ、拓也達は求人を出した。
だが面接の日時が不味かった。
命からがら島外を脱出したため、求人広告を訂正する時間などなく、面接に集まった人々は、燃え尽きた工場を見ることになった。
それも死体の後片付けをする兵士に聞くところによると、マフィアに襲撃されたらしい…
その事件の後、町の中で外から来たマフィアやごろつきの姿を見ることは無くなったが、そんな危ない会社に応募する物好きはなかなか居なかった。

「こんな下らん事で頓挫しちまうのか!」

拓也が頭を抱えて机に突っ伏す。

「うるさいなぁ 拓也。そんな事よりテレビ見ろ。獣人だぞ獣人。
ちなみに俺はウサギ娘が好みだぞ」

テレビでは知事が新体制発表の会見を開いている。
その中で出た難民の映像に、サーシャが聞いてもいない感想付きで熱く語る。
彼も工場取得に合わせてこちらに呼んでいたが、従業員の不足で工場が稼働できない為、未だにブラブラさせていた。

「アレキサンドル君は悩みが無さそうで幸せそうだなぁ」

拓也は机に突っ伏しながら彼に言う。

「おいおい 堅苦しいのは無しにしてくれ。
俺の事はサーシャでいい。それより見ろ、今度は猫系の獣人が映ったぞ!」

それに促されるように拓也もテレビを見る。
画面の中で、いつだったか話をした知事がカメラに向かって話している。

『…以上の理由により、北海道連邦政府は難民の保護を行います。
この就労研修プログラムにて、彼らを導入したい企業の皆様には、一定の条件がありますが道の方が斡旋をさせていただきます。
後日、稚内にて説明会を行いますので、詳細はそちらでお伺いください』


研修? 導入?

「サーシャ。すまないが何の話なんだ?」

拓也はテレビを指差して言う。

「んなこと知るかよ。俺、日本語なんてわかんねーし、ケモノ娘みてるだけだもん」

まぁ 英語とロシア語しか分からない彼に日本の番組の事を聞いても無駄だった。
だが、もう一人、テレビを見てる人物がいた。

「なんでも、難民の就労研修として企業に雇ってもらうらしいわ」

流石、俺の嫁。ちゃんと要点を聞いていたようだ。
だが就労研修? 彼らを雇えるのか?
もしかしたら、この労働力不足の解決の糸口かもしれない。
説明会にだけでも行ってみる価値があるな。

「みんな良く聞け!」

拓也が立ち上がり、二人の視線が集まる。

「稚内の説明会に行くぞ。ケモノ娘を雇う!」

拓也は拳を握りしめて宣言する。
それを聞いてサーシャは飛んで喜んだ。ネコミミ!ウサミミ!と叫んで踊っている。
それに対してエレナは、怒りをにじませた表情で拓也の胸ぐらを掴み、ケモノ娘?なんで娘限定なの?と問い詰めだす。
踊るあほぅと怒るあほぅ。
そんな二人に挟まれつつも、拓也は稚内行きを早々に決めるのであった。



説明会当日

稚内太陽ホテル内説明会場



その日、拓也達一行は説明会に来ていた。
他の企業に人を取られないようにと気合を入れてきたのだが、そこには予想に反して参加企業は疎らだった。
会場には空席もちらほら見える。

「あっれ?あんまり人いないなぁ」

拓也はあるぇ~?と会場内を見渡す。
てっきり札幌の商談会のような盛況ぶりかと思ったら、蓋を開けてみれば何とも活気の感じられない集まりだった。
ちょっと見ただけで、出席者の全員の顔が確認できる。
そんな中、拓也は出席者の中に見知った顔を見つけ、その人物に近づいていった。

「ここで何やってんだよ、兄ちゃん」

隣席と雑談中だったため、拓也の存在に気付いていなかった兄はその声に驚いて振り返る。

「お? おぉ!拓也じゃんか!どうしたお前こそ」

「俺は起業したんで人集めに来たんだよ。そっちは何でいるんだよ?」

「あぁ そういえば、カーチャンがお前が会社作ったって言ってたな。
こっちも人集めだよ。農業の」

農業の人集め?
余り機械化の進んでいなかった時代はともかく、機械化の進んだ今では家族内だけで特に問題なくやれていたのに
なぜ人がいるのだろうかと拓也は首を傾げる。

「実家に高価なお人形さんがいるじゃん。それで足りんの?」

「ありゃー 高いしな。農地の規模拡大には労働力が要るが、あれは簡単には増やせん。
やっぱ草取りとかそういう事にもマンパワーが要る。それと、今日はウチの為だけに来たわけじゃない。
オホーツク地区の農協青年部を代表して来た。ゆくゆくは地域全体に導入したい。
この先、農家もどうなるか分らんからな。
北見の農家数件で農業法人を立ち上げた後、徹底的な合理化と規模拡大で生き残りに掛けてるんだ。
つーことで、導入予定の安価な労働力の下見に来たわけだよ」

みれば、兄の横に知った顔が居る。
数年前に農家を継いだ同級生でオタのヤマちゃんが座ってる。
青年部を代表ね。農家のオタ代表の間違いじゃないのか?
拓也は着ている顔ぶれを見て、本当かと疑う。

「そんなの農協に任せとけばいいじゃん」

今までも、外人研修生の導入は農協などの仲介の下でやっていた。
なぜ、あんたが来る必要があるのか?拓也がそう兄に疑問をぶつけると、兄は真剣な表情で拓也に熱く語る。

「こんな大事なこと奴らに任せておけん!奴ら、前にもビートの作付枠を他の地域に取られるチョンボやらかしたし
なにより、奴らは人を見る目がない。
そこで!青年部の中でもイヌっ娘やらケモノ娘萌えに一家言持つ我々が直に来たのだ!」

それは人を見る目ではなく、趣味趣向の世界じゃないのか?
ツッコミが喉まで出掛かるが、あまり突っ込むとドツボに嵌りそうな気がした拓也はグッと言葉を飲み込む。

「それにしても、周りも似たような奴らばっかりじゃ無いよな?」

「いや、俺らみたいな獣人の選別眼を持つ人間は少ないと思うぞ。
例えば、あそこのハゲ。
あれは太平洋コールマインだな。
道と道内の金融機関から大規模融資を受けて道内の主要な鉱山開発に彼らを使うらしい。
その為に大勢雇う気だから、可愛い子が取られないようにこっちも気をつけねばならん」

鼻息を荒くして語る兄

「だけど、なんで兄ちゃんがそんなこと知ってんだ?」

「あぁ ここに来る前に駅前の信金が教えてくれたよ。難民使って大規模に農地広げる話してたら、あそこも奴らに随分と投資したらしく、色々と話してたよ」

「なるほどねぇ… お 説明が始まるみたいだ。そんじゃ、席に戻るわ」

意外にも兄がそんな情報を持っていたことに拓也は驚く。
そしてそのまま兄に手をふり席に戻ると、ちょうど道庁の職員が説明会の開始の挨拶を始めた。
その職員の説明によると、なんでも今回の就労研修の条件とは、郊外の事業者であることと難民を隔離するのはこちらの負担らしい。
それに加え、彼らは魔法と言う未知の力があり、防疫の一部として治験の予防接種まであるそうだ。
これを聞いて、数少なかった亜人導入希望の事業者はさらに減っていた。
治験… つまりは人体実験に協力しろとの事である。
二の足を踏むものがいて当然だ。(兄たちは超余裕!とか叫んでいたが、気にしない事にする)

「それでは、彼らの斡旋についてですが、一部の団体・事業主様以外は各種族混合の小グループにて斡旋させていただきます。
ちなみに、事業者が難民を選抜して人を集めることはできません」

まぁ 特定部族だけ余ったりしても駄目だろうからな。
これくらいはしょうがないのか…
それに一部事業主って多分、太平洋コールマインだろうか。
まぁ 地下で作業するのに鳥系が来ても駄目だし、そのための処置だろう。
あと、これを聞いて、会場のどこからか"ふざけるな!"と怒号が飛んでいるが、多分知らない人だと思う。
見ないでおこう。
他人だ。他人。絶対に身内ではない。

そんなこんなで、一部事業者に不満を残しつつも説明会は終わった。
会場から出てくる拓也に外で待っていたエレナが駆け寄る。

「全部オッケー?」

「あぁ 今、必要書類を全て提出してきた。彼らが来るのは一週間後だそうだ。
それにしても、最終的に申請したのは俺らの他にはコールマインと兄貴たちの北見農協の他は、新しく出来た科学技術復興機構とかいう団体だけだったよ。」

「やっぱり、なにか問題でもあったの?」

「あぁ
雇用の条件に治験に協力することと条件が出ていたんだ。
それを踏まえて、みんな今回は様子見にするみたいだよ。
まぁ ウチはもう他に選べる選択肢は無いからね。突き進むだけだけど…」

拓也が心配するなとエレナに言う。
するとどこから沸いたのか、空気の読めないサーシャが後ろから口を挟んだ。

「まぁ いいじゃないか拓也!これで獣人ハーレムは俺たちのもんだ!」


…勘弁してほしい
本当に空気読めないなコイツ
いらぬ言葉に反応して、お嫁様が冷たい目で睨んでいる。

「ま まぁ ともかく、どんな奴らが来るのか楽しみだな。
早速帰って社員寮の準備をしようか!」

拓也が逃げるように歩き出す。

「ま、待ってよ!」

不要な揉め事はうやむやにしたかった拓也は足早にその場を離脱する。
急に歩き出す拓也を追う様に、二人も国後への帰路についたのだった。

今回の難民の割り振りにより、ドワーフの大部分とパワーのある亜人の大部分が太平洋コールマインへ。
科学技術復興機構には、全ての種を少人数送られ、拓也とオホーツク地区の農家へは残りが割り振られる事になった。
亜人達と道民の交流が本格的に始まりを告げたのだった。









一週間後





この日、知床半島沖は9月の青く澄み渡った空の下、穏やかなディープブルーの海原が広がっていた。
そんな中、一筋の白波が、緑豊かな知床半島に沿って青い水面のキャンパスを切り裂いていく。
その白波の先端では、一隻の船が船首から絶え間なく白波を立てていた。
そして船は海上を駆け抜け、船が半島の岬を回り、国後島が肉眼で確認できるようになった頃、船内から小さな影がのそのそと這い出てきた。
船の揺れのせいか、それとも足取りが覚束無いのか、その影はフラフラ歩いてやっとの思いで弦側に立った瞬間
体をくの字に曲げ、弦側から乗り出したその身から、太陽の反射を受けキラキラ光る物体を海面に流している。
その影が、この日食べていた朝食だった物体が魚の餌として海を豊かにしていく。
ひとしきり吐き終えたのか、ふぅと口元を拭いながら人影が顔を上げた。

「海を越えてきたと思ったのに、また海の上か…」

汚れた口をゴシゴシと袖で拭って綺麗にすると、そこには一人の少女がいた。
未だに少々青い顔をしているが、見た目は10代前半のロングヘアをした背の低い美しい少女だった。
彼女は「まだ着かんのか~」と呟きつつその場にへたり込んだ。
弦側に背を預け、甲板に両足を放り出しながら空を見る。

「色んな事があったなぁ…」

ぼーっと青空を見つめながら少女はそう呟き回想する。


難民となる前、私はドワーフ族の中で、人種や他の部族へドワーフの作った武器を売る商いをしていた。
ドワーフ族と言っても全部が全部鉱山を掘ったり、武器などの道具を作っているわけではない。
確かに、ドワーフの優れた道具を求めて各種族の商人が訪れて来はしたが、それで食糧や道具の装飾に必要な材料が、彼らが必要とするときに手に入るわけではなかった。
なにせ、ドワーフと一括りに言えども、その内実は数多の部族があり、その部族ごとに道具や武器加工の得手不得手があった。
ある部族は道具の装飾が優れており、またある部族は斧の強度がピカイチであると言った感じである。
そんな理由で、ドワーフの中でも武器の行商をしながら自分の部族の道具を各方面に宣伝し、必要なものを調達することを生業とする者も必然的に生まれていた。
私はそんな行商を専門にしているドワーフであった。
あの日、私は仲間と得意先の村落を回り、部族の集落へ帰ろうとした所で人種の侵攻に巻き込まれた。
帰るべき集落から煙が上がっている。
その黒煙の大きさから、唯事では無いのは直ぐに分かった。
まさか火事か?
仲間の一人が様子を見に行ってくると走り出す。
もし、黒煙の正体が盗賊などの襲撃だとしたら… 
そう考えた私達は、万一に備え残った仲間たちと荷車で待つことにした。
半刻ほど待ったであろうか、あたりは夕方を迎え暗くなり始めている。
そんな時、やっとの事で物見に行った仲間が帰ってきた。
随分とフラフラした足取りである。
よっぽど全速力で走ったのであろうか。
私は、到着と共に崩れ落ちそうになる仲間を抱きかかえ、腰を下ろすのを手伝ってやった。
息も絶え絶えの体を荷車の車輪に背をもたれさせてやり、背中を支えた手を引き抜いた所で気づいた。
自分の掌が鮮血に染まっている。
思わず短い悲鳴と共に身を仰け反らせてしまい、それで彼が負傷しているの事に気付いた他の仲間が、血を流す彼の肩を掴んで何があったかを問いただす。
血の気が引いて真っ青な顔をした彼が言うには、集落が人種の襲撃を受けて老若男女を問わず殺されていたそうだ。
男は頭を落とされ、若い女は犯された上で屍をさらしていたらしい。
彼は、略奪中の人種の兵隊に見つかり背を斬られつつも、なんとか逃げてきたそうだ。
だが、せっかく逃げてきた彼の背中は傷は、どう控えめに見ても出血が酷く、致命傷だった。
そんな重傷を負いつつも皆に伝えようと走ってきた彼は、一通りの説明を終えると、一回深く息をして、それっきり目を覚まさなかった。

私たちは逃げた。

人種の国と反対方向。西へ。西へと。
途中、他の難民と合流し、何度か人種の襲撃を受け、仲間を減らしながら逃げていると、ついには行商をしていた仲間はすべて斃れ、私は一人になっていた。
だが、それでも私は逃げた。
他の集団に混ざり、果てには海峡まで達した。
だが、人種の追撃は終わらない。
海峡の向こうに逃げようにも、その先には既に他の亜人が住んでいる。
今度は、自分たちが彼らを追い立てて住処を得ねばならないのか?
だが、着の身着のままで逃げている難民が勝てるとも思えない。
絶望が私の顔を暗く染める。
だが、その時

奇跡は起きた。

南の海上に陸地が現れたのである。
その時は、これで救われたと本気で思った。
難民となってから一度も洗っていない土埃で汚れた顔に涙が落ちる。
仲間が死んだときにも流れなかった涙が、その時ばかりはとどめなく流れた。
それを隠すように、手で顔を蓋いながら海上の陸地を見ていると、後ろから声が聞こえた。
難民を率いるラバシ様があの地へ行こうと言っている。
それを聞いて、私は生き残るために覚悟を決め、皆と共に船に乗り込んだ。
波飛沫を浴びながら船に乗り込む小柄な体。
その時、私の顔には、もう絶望の色は無かった。

それからは、信じられない事の連続だった。
陸地に近づくと帆の無い魔法の船が凄い速さでやってきた。
ラバシ様が話をつけたようで、その後は落伍する船を助けたりしながら、私たちを海岸まで誘導してくれたのである。
海岸に上陸すると、こんどは人の良さそうな人種のおじさんが食べ物を振る舞ってくれた。
なんと、豚の腸詰を小麦粉で包んだものを揚げた料理らしかったが、なにより凄かったのが、これでもかと言う位に砂糖が塗してあることだった。
白い砂糖なんて、お祭りの時に食べれるかどうかの代物である。
まぁ 町に行けば砂糖を使った菓子は見ることは出来たが、皆の為に稼いだお金をそんな事の為に使える筈もなく、匂いだけで満足していた。
それが、まんべんなくかけられた食べ物が難民に振る舞われている。
このおじさんは、顔に似合わず、とんでもないお金持ちであることは間違いないように思われた。
これだけの砂糖を振る舞って笑顔なんて、並みの金持ちではありえない
そんなこんなを思いながら、2本目を頬張っていると、緑の服をきた人たちが大勢海岸にやってきた。
変な格好だが、この地の兵隊だろうか。
人影に隠れながらその様子を伺っていると、ラバシ様が彼らは危害を加えないので付いていくように言われた。
横には、あのお金持ちのおじさんもいる。
私たちには信頼するよりもう他に手は無いので、黙って彼らの幌馬車に乗り込んだ。
馬や竜でも無理ではないかというスピードで疾走する幌馬車。
でも、馬も竜も繋がれていない。多分、魔法の幌馬車だ。
風の様に走る車に身を任せ、あっという間に目的地に着いた所で、私は更に気がついた。
来る途中、振動がほとんどなかった。
足元を見れば、道が全部一枚の石畳であった。
それが、延々と続いている。
ここは一体なんという所なんだろう。
まるで夢の国にいるようだった。
食事の提供や(これがとんでもなく美味しい!)湯あみまでさせてもらって、まるで貴族みたいと落ち着かなかったが、寝床として数人に一つのテントを与えられた時は
これぞ難民だねっと思って逆に安心したりもした。(そのテントもかなり上等だったが)
それからは、しばらくは休養生活だった。
特にすることもなく、ブラブラと過ごす。
やることと言えば、難民キャンプとして与えられた土地の草が
一定の短さに切りそろえられているのを見て、ここが何に使われているところなのだろうかと想像するくらいだった。
所々、砂地や旗の立った穴があったが、全くの意味不明であった。
後から聞いた話だが、あそこは"ゴルフ場"という球遊び専用の広場だったそうだ。
たかが遊びにあんな敷地を整備するだなんて、この土地の人間は贅沢にすぎるよね。
だが、そんな無職生活も終わりは唐突に訪れた。
ラバシ様が、皆を集めていう。
なんでも、我々はこの地で生きることを許されたが、それはこの地に住む者達の役に立たねばならぬとか。
そのために、集団ごとに分かれ、働きに出なければならないそうだ。
まぁ、生きていくために働くのは当たり前の事、でも奴隷みたいなのは嫌だった。
出発の夜、私は本気で精霊様にお願いした。
”せめて人間扱いされますように!”
その願いが効いたかどうかは分からないが、私はまだ船上にいる。
まだ見ぬ雇い主を思い、虚空を見上げて、そのままボーっとしていると、船内からもう一人青い顔をした人物が甲板に出てくる。
おぼつかない足取りで一人の猫人族の女性が近寄ってきた。
一口に猫人族と言っても、部族によってその度合いは様々だ。
まんま二足歩行の猫そのものの部族もあれば、猫耳と尻尾以外は人種そのままといった部族もある。
彼女はその前者に近かった。骨格と体型は人種だが、体は灰と白の毛皮に覆われ、顔は猫っぽい
それにワッカナイのキャンプで貰ったのか"たんくとっぷ"とかいう上着に"ほっとぱんつ"という短いズボンを履いている。
(キャンプ内であまりにボロボロで汚かった衣類の難民には、衣類の差し入れが行われていた。)
そんな彼女は、隣まで来ると

「お嬢ちゃん。横座るね」

と一言断りを入れて隣に座る。

「別にいいけど、もうお嬢ちゃんって歳じゃないわ」

「あ?あぁ 気にすんなよ。ドワーフの女って外見から子供か判断つかんし」

そういって笑いながら肩を叩いてくる。
なれなれしい猫だ。

「まぁ いいわ。こう見えても29でまだ若いし」

彼女の言うとおり、私達ドワーフ族の女性は年齢が分かりずらい。
150年くらい生きる長寿の上、外見が10代前半のまま変化が止まってしまう。
年齢を探ろうとするなら、その物腰を見ておおよそ判断するしかないのである。

「で、何か用?」

「そんなにツンツンすんなよ。同僚になるんだし。
ただ、船の揺れで気分が悪いから風に当たりに来ただけさ」

あっそうと呟き、またボーっと空を見上げだす私。

「…・で、あんた名前は?」

私はそのまま雲の流れを眺めているつもりであったが、私のそっけない態度を気にもせず、唐突に猫娘が切り出した。

「え?」

「だから名前」

唐突に人の名前を聞いてくる礼儀知らずな猫。

「まず、あんたから名乗りなさいよ」

「そりゃそうだね。あたしはアコニー。で、あんたは?」

「…ヘルガ」

「ヘルガね。 いい名前じゃない。船酔い同士仲良くしよう。」

アコニーが握手を求めて手を出す。
それに応えてヘルガも恥ずかしげに手を出す。
ヘルガにとって、難民になって以降、初めて友達が出来た瞬間だった。
ふたりは弦側に背をもたれ掛けたまま、他愛のないおしゃべりを続けていると船の中から声がかかった。

「おーい! そろそろ着くから準備しろよ!」

二人に向かって一人の男が声をかける。

「わかりましたエドワルドさん」

彼は船に乗り込んだアバシリの港から同行しているこちらの人種だ。
彼は、事前に"ヨボウセッシュ”とかいうのを受けたらしく言葉が通じる。
この"ヨボウセッシュ"という儀式は、精霊の祝福をこの土地の民に分け与えるものらしい。
そんな彼は、私たちの雇い主に用があるようで、私たち亜人の集団と道中を共にしている。
正直なところ、この船の船員は言葉が通じないので彼の存在はありがたかった。
アコニーとヘルガは荷物を取りに行くために立ち上がる。
そして見た。
船首方向に広がる、これから住むことになる島を。





ユジノクリリスク




真新しい埠頭の上で拓也とエレナがこちらに進んでくる船を見ている。

「やっときたわね」

「あぁ 一応、従業員の予防接種もしたし
プレハブだけど彼らの住居も間に合ったし、あとは、受け入れだけだ」

そう言って二人は視線を船に戻す。
拓也は正直言って不安であった。
いくら労働力不足とはいえ、未知の種族を使うのである。
一応、外国人労働者向けと同じように言葉が分からなくても理解できる写真付きの作業手順書等は用意したが、怠けてばっかりで労働意欲に欠ける集団だったら全てが水泡に帰す。
エレナもエレナで悩んでいた。
工場移転に伴い、本格的に此方に移住してきたが、連れてきた息子に手を出されないか心配である。
受け入れ直前になって、色々な心配が頭に浮かんでは消える二人だが、船はこちらに向かってきている以上、もう止まらない。
そんな悶々としていると、船が埠頭に接舷した。
船内からはぞろぞろを亜人が出てくる。
拓也は、そのなかに見知った顔があるのをみつけた。

「いよう!拓也!元気か?」

エドワルド大尉がにこやかに挨拶してくる。

「大尉!? なんでまたここに?」

エドワルドは船を飛び下りると拓也の方に駆け寄ってくる。

「いやなに、彼らを送り届けただけだよ」

そう言った後に亜人には聞こえないように拓也達に話す。

「任務は二つあってな。一つはこいつらの監視だ」

真顔で話すエドワルド。
それを聞いて拓也も真顔になる。
やはり、危険性が未知数なのだろう道としても難民にフリーハンドを与える気はさらさら無いようだった。

「そうですか。 それで、もう一つは?」

拓也が真顔になったのを見て、エドワルドも真剣な顔で彼らを見る。

「もう一つは…、お前の工場に居座ってタダ飯を食うことかな」

エドワルドは真剣だった顔を崩してハッハッハと豪快に笑う。
そんなエドワルドの変わりように、折角のシリアスモードを潰された拓也は、不満げな表情になった。

「なんですかそれは? そんなことで軍の仕事はどうするんです?」

「お? 言ってなかったか? 俺は軍を辞めたぞ?」

唐突なエドワルドの言葉に、拓也は思考が追いつかない。
拓也は目が点になった。

「は?辞めた?」

「あぁ。今は新政府で内務省警察にいる。内務大臣に就任したステパーシンが新設した組織だ。
普通の犯罪捜査はしないが、主に国内の治安維持や重要施設の警備が仕事だ。
だが警察と言っても装備は正規軍並みだ。ロシア国内軍と同じような組織だと思ってくれていい
そんな事もあってか、南クリルの部隊からかなりの数がこっちに流れたよ。」

なんでも、ロシアとの合併は北海道にただならぬ影響を与えているらしい。
そのうちKGBみたいな秘密警察ちっくなものも出来るんだろうなぁと拓也は思った。
そんなこんなの遣り取りをしている内に、拓也は大切なことを思い出した。

「おっと、そんな事より、早く彼らを上陸させないと」

「おお!そうだったな。 で、拓也。いきなり工場に入れたらいいのか?」

「それについては、燃えた工場の跡地を買い取って、新たに社宅作っているんだけど
それまでの繋ぎとして町の中の宿泊施設を長期で借りたんだ。
まずは、そこに彼らを移動させようと思う。」

そういって拓也が指差す埠頭の外れには、何台かのミニバスが止まっている。

「さぁ 彼らを歓迎してやりましょう」







そんな拓也達の遣り取りを甲板から眺めているアコニーとヘルガの二人は、拓也達の姿を見て色々と憶測を膨らませていた。

「ねぇ ヘルガ。もしかしてあの人が雇い主?」

「多分… まぁ 人の良さげな若旦那って感じだし。
人並みに扱ってくれることを祈るわ」

そういってヘルガは目を瞑って祈る。
この人が見かけどおりならばそれでいいが、人は必ずしも見かけどおりの性格とは限らない。
ヘルガは、そういった例は行商中に幾度と無く見てきた。
見た目が非常に凶悪な極悪人にしか見えないオークの大男が、実は花を愛でる心を持つ優しい紳士であったり
逆に、非常にお淑やかで優しそうなダークエルフのお姉さんが、実は自分の何倍もあるオークまで襲う凶悪な逆レイプ犯であったりと
人は見かけによらない。ならばこの雇い主の男性は一体どうなのだろうか。

「でも、見るからに若い男の人だもんね。
ちょっと手を出されるくらいは覚悟しといたほうがいいかもね」

「え?手って…?」

ヘルガの話を聞き、アコニーが顔を赤らめる。
どうやらこの猫は意外にもウブな所があるようだった。
ヘルガはしょうがないなと両頬に手を当てて恥ずかしがっているアコニーに具体的に説明しようとすると、彼女が話すよりも早く横から割り込む声があった。

「そんなん決まってるじゃない。
古今東西世界広しと言えど、若旦那は妙齢の女中に手を出すものよ。
貴方たちなんてきっと朝から晩まで粘液漬けにされるわね」

ヘルガとアコニーは突然会話に割って入ってきた人物を見る。
そこには青髪の美しいグラマラスな女が立っていた。

「いや、そこまで断定するのは如何なものかと…
それに私たちは女中じゃなく、普通の奉公人だと聞いてるし…
というか、貴方は誰です?」

謎の女の粘液漬け発言に若干引きつつもヘルガが聞く。

「あぁ 自己紹介がまだだったわね。
私の名はカノエ。これから一緒に働くことになるわ。
それと、一つ貴方たちにアドバイスするなら、ヤリ捨てられる位なら子供を身ごもって妾になりなさい。
堂々と愛人の座を射止めれば、この先、楽して安泰よね。
それと、貴方たちが必要ならば特製魔法薬の"一発必中"軟膏をあげるけど、いる?」

「いりません!
っていうか、なんでカノエさんは、そんなの持ってるの?」

「あら、別に"さん"なんて付けないで、もっと親しみをこめてカノエでいいわよ。
あと、なんで私がそんな薬を持ってるかってのはヒ・ミ・ツ。
最初から手の内を全て見せる必要はないわよね」

「むぅ、なんで秘密かは知らないけど、わけありなら聞かないどいてあげる」

はぐらかされるヘルガはむぅ…とむくれるが、それに対しカノエは「ありがと」といって微笑を浮かべた。

「まぁ 馬鹿なことやってないで、さっさと上陸しましょうか。
チンタラ行動して印象悪くしてもしょうがないしね」

そう言ってヘルガはアコニーの手を取り渡し板へと向かい埠頭に降り立つ。
正にこの時が、彼女らの新しい人生が始まった最初の一歩であった。




あたしたちは大きな魔法の荷車で移動していた。
港を出て、町の中にあるという私たちの新しい家へ向かうらしい。
丘を登り町の中を突き進む。
どうやら此処は小さな町のようだ。(それでも、あたしの住んでた村より大きくて建物も立派)
それでも、ワッカナイからここに来るまでに乗っていた"キシャ"という乗り物の窓から見た、"アサヒカワ"や"キタミ"とかいう都市に比べたら、建物も人もまばらだ。
特にすることが無いので、無心で窓の外を眺めていると、何時の間にやら目的地についたらしい。
車は道を外れて建物の脇に止まった。
するとすぐに、前の方に座っていた雇い主の旦那が立ち上がり皆のほうを向く。

「ついたぞ~ ここが、新しい家が完成するまでの仮住まいだ」

バンバンと手を叩きつつ、さぁ 降りろ~と旦那が言う。
あたしたちは、順番に車を降りるが皆が皆、降りてすぐに立ち止まってしまう。

「見てよヘルガ。窓にガラスがいっぱい付いてるよ。すごいお屋敷だね」

「…そうね。でも、今まで乗ってきた魔法の荷馬車や"キシャ"って乗り物にも大きなガラスが一杯付いてたでしょ?」

「それはそうだけど、実際にそんな家に住むとなると、やっぱり気分が変わるよ」

アコニーはあんぐりと口を開けたまま建物を見ている。
だが、バスの出入り口で立ち止まっていたため、旦那に注意をされてしまった。

「はいはい!立ち止まってないで全員入口に集まって!」

「は~い」

旦那の注意に生返事で返してしまったが、視線は建物に向いたまま、皆と一緒に歩き出す。
そんなこんなで、ようやく全員が入口に集まると、旦那があたしらの前に出て説明を始めた。

「ここが君たちが今日から住む宿舎だ。まぁ 社宅が完成するまでの仮だけどね。
ここは昔、"日本人とロシア人の友好の家"通称を"ムネアキハウス"って呼ばれてたところなんだけども
大人数が泊まれる簡易宿舎として作られているから、特に不便は無いと思うが、風呂、トイレ、キッチンだけは共同だから我慢して使ってくれ。
じゃぁ 部屋割りを決めようか…」

それから中に入った後は、難民キャンプ以上に驚きの連続だった。

「すごいよヘルガ! この”蛇口”ってのを回すと水が出るよ!」

「それよりアコニー!こっち見てよ!この部屋、穴の開いた管からお湯が出て
毎日お湯で水浴びが出来るんですって!こんなの何処の貴族よって感じだわ!」

部屋が決まり、二人はきゃいきゃいと騒ぎながら施設内を物色し始めた。(というか、亜人全員が施設中を探検している)
割り当てられた部屋は8人用の大部屋だった。旦那の配慮により未婚の女子は全部この部屋に集められた。
難民キャンプでは、そこら辺までの配慮が無かったので、これからは安心して寝れる。
でもまぁ、不届き物が寝込みに入ってきたら、あたしの爪の餌食にしてやるんだけど…
あらかた施設内を回り、部屋に戻って寝具の物色をしていると
一人だけ興味なさげにベッドに座っている人がいた。
先ほど船上で知り合いになった女の人。
カノエという名前だそうだが、青い髪に透き通るような白い肌。
何の種族か分からないが、かなり美人である。
それに、その落ち着き払った物腰に紺色のローブの上からでも分かるグラマラスなボディ。
多分、胸のボリュームはアコニーより上かもしれない
アコニーは、スタイルは私の方が上と心の中で言い聞かせながらカノエに声をかける

「あんたも色々見て回ろうよ。変わった物が沢山あって面白いよ。」

だが、やはり興味がわかないのか素っ気なく答える。

「いやいい。私はあとから見て回るわ。それより、私は雇い主の方が気になるんだけども」

「旦那が?」

「分からない?なかなか面白そうな人物よ?」

カノエは窓の外でエレナと何やら話をしている拓也を見てフフフと笑いながら彼女は答える。
それに対し、アコニーはどこら辺が?と聞き返すが、彼女は笑ったままそれ以上は答えてくれない。
アコニーとしては、旦那は、悪い人じゃなさそうだけど、なんというか普通かなぁと思う
面白そうという理由が良く分らない。
アコニーがうーんと唸りながら、その理由を考えている丁度その時。

「昼食の準備が出来たので、全員食堂に集合!」

旦那が各部屋を回ってみんなに声をかけている。

「!! ごはん!ごはんだってさ!早く行こう!ヘルガ、カノエ!」

昼食という言葉を聞いた途端、アコニーは待ってましたと言わんばかりの笑顔でそれまでの話を打ち切る。
此方で食べられる美味しい食事の魔力の前には、それまで考えていたことなど些細なことに過ぎない。
もう待ちきれないといった様子のアコニーは、満面の笑みを浮かべて二人の手を引いて食堂へ消えていくのだった。
そうして一番乗りで食堂で待っていると、しばらくして旦那が皆を連れて食堂に戻ってきた。
テーブルには初めて見る料理が並んでいる。
一人一皿の料理だったが、白い穀物の上に茶色のドロドロがのった料理は、この世のものとは思えない良い香りだ。
いつの間にか、口元からドバドバと涎が落ちる。
それをヘルガに指摘されて我に返ったが、これ以上待つのは拷問だと思った。

「じゃぁ みんな席についてくれ。今日は従業員全員に集まってもらった。
食事の前に全員の自己紹介をしよう。
とりあえず、自分から始めようか…・・」

アコニーにとって拷問の時間が始まった。
目の前に美味しそうな料理。それを見ながら手を付けずに一人ひとりの自己紹介を聞いている。
旦那が、俺の事は社長と呼んでねとか言っていた気がするが、もう耳に入っていかない。
旦那のお嫁さんの紹介以降はもう覚えていなかった。
誰かが何かを言っているが、聞こえない。
それでも自分の番は来るので、急に現実に引き戻されたアコニーは、わたわたと自己紹介をしてようやく我に返る事が出来た。
気が付くと、口から垂れ下がった唾液の糸が、テーブルに水たまりを作り始めている。
アコニーは慌てて自分の毛皮でテーブルの涎を掃除していると、何処からか来る気配に気が付いた。

…誰かに見られてる?

内なる野生の感から視線を感じ取ったアコニーは、目だけを動かしてその元を探る。
そして、それは一発で分かった。
社長の横に座っている人物がこっちを凝視している。
それはまるで、狩人が獲物を狙うかのような視線。
よくよく見ると、どうやら私ではなくヘルガを見ているらしい。
その証拠に、ヘルガが自己紹介を始めると、その男は、顔を紅潮させ何とも言えぬ笑顔で彼女を凝視していた。
変なのがいるなぁ… 誰だ?アレ?
目の前の料理に気を奪われて、他の人の紹介なんて一切聞いてなかったのが災いした。
だが、こちらに来て初めて出来た友達のヘルガに何かあっては堪らないと思って、”ナンダコノヤロウ”と言わんばかりに睨んでやったが、まるで効果が無かった。

「良くわからないけど、気を付けた方がいいな。ヘルガを粘液漬けの危機から救うのは私しかいない」

アコニーは小さく呟くと、そう強く心に決めるのであった。






昼食後
武器工場にて



港に隣接して建つ一軒の工場。
入口に”石津製作所”と書かれた真新しい看板が付けられた工場内に、約30人ほどの人影がある。
その中の10人は拓也らの他に北海道から雇ってきた熟練工と現地のパートさん。
残りの20人は実に多彩だった。
まんま二足歩行の猫、猫っぽい人、ロリ、イヌ耳少女、青髪美人、デカイうさぎ、イヌっぽい人に下半身が蛇等々
見た目でいえばサーカスか何かと思えるくらいバラバラだった。
まぁ 新政府曰く、難民の少数派をまとめてグループを編成したそうなので統一感が無いのは当たり前だったが
特に種族もバラバラの為、彼らには支給した作業服が明らかに着れていない者もいる。
これは安全衛生上、非常に問題なので後で特注せねば…
そんな事を思いながら、彼らを前に拓也は説明を開始していた。

「…ということで、全ては手順書どおりに作業する事!勝手な手順変更は許さん!
まぁ 今日は初日ということもあって終日教育に時間を使うが、みんな早く仕事を覚えてくれ。
そのためにベテランを何人か雇っているんだから、質問が有ったら彼らに聞くように。
それでは、俺の後に続いて大きな声で復唱!

今日も一日、ご安全に!」

「「「「ご安全に!」」」」





社長の号令の後、アコニーとヘルガ達は機械の説明を受けていた。
正直、どれもこれもが凄すぎて何に驚いていいのか分からない。
アコニー達が来る前からこちらに来て、先に機械の習熟を済ませたという人種のおっちゃんが、丁寧に操作を教えてくれる。
だが、アコニーは自動で動く機械の動きに目を奪われて、ちょくちょく作業が止まってしまう。
金属製の盾の向こうで甲高い音を立てながら、螺旋状の金属棒が回転しながら素材の金属を削っていく。
それも、”たっちぱねる”とかいうのを操作するだけで後は自動だ。
ヘルガに聞いてみても、今までに各地を行商で訪れた時に色々な魔法道具の工房やドワーフの工房のを見たが、こんな凄いのは初めてだという。
例え魔法の工房でも、物を作るときは絶えず人が付っきりで魔力を制御しなければならないが、この機械類は初めに命令を入力すれば、人が絶えず操作する必要が無いそうだ。
まぁ 入力画面に何が書いてあるのかは分からなかったが、絵付の作業手順書とかいうもののおかげで、なんとか操作は理解できた。
それにしても、魔法抜きで何故こんな事ができるのか不思議で仕方なかった。
その事を聞くと、どこからともなく社長が現れて目を輝かせながら長々と機械の説明を始めたので、二度と聞かない事にした。
産業文明がどうのこうのと、よくわからない話を長々とされて非常に疲れる。
社長には悪いが、なんだかすごく時間を無駄にした気がする。


ぐるるるるる……

げんなりした表情で教育に戻ろうとすると、アコニーのおなかが盛大に鳴る。

「うん? なんだかお腹が痛くなってきた…」

まぁ 理由は察しが付く。
昼食の”かれーらいす”とかいう料理が非常においしかった。
香辛料やお肉まで入っていて、夢のような美味しい料理。
おかわり自由との事だったので、ついつい大盛り5杯も食べたのが悪かった。
アコニーのお腹の調子がぐるるという音と共に急降下する。
これはヤバイと思ったアコニーは、青い顔をしながらヨロヨロと手を上げた。

「すいません… 食べ過ぎてお腹が…」

「ん?なんだトイレか? 仕方ない。行って全部出してこい。」

「…それで、どこに行ったらいいでしょう?」

デリカシーの欠片もない発言に不満を感じつつも大切な事なので、あえて何も言わずに話を続ける。
お腹の急降下具合は、乙女心を消し去るほどに悪化しているのだ。

「あ~ あそこに立ってるオリガさんの後ろがトイレだ。わかるか?あの樽みたいな女の人だ」

確かにドアの前に樽みたいなおばさんが立っている。
かなり失礼な事を言ってた気もするが、非常に分かりやすいのでありがたかった。
アコニーはなるべく静かに、けれど素早くそこへ向かう。
ドアの前に来ると、一応近くにいたオリガさんに確認した。

「ここが”といれ”でいいんですよね?」

ドアを指差してアコニーが言う。

「ん? あぁ そこだよ。
それと、用が済んだら便座の横にあるボタンを押してみな。
この工場はウォシュレットだからソレできれいになるよ。」

うぉしゅれっと?
アコニーの頭に?マークが浮かぶが、まずは、自分の戦場に向かうことが先である。
彼女にお礼をそそくさとドアの向こうに消えていった。



………はぁ
間に合った。
それにしても、この国のトイレの形は落ち着く。
椅子に座る姿勢で用が足せるのが良い。
ウンコ座りで用を足すのも別に苦ではないが、何というか椅子に座ったほうが楽である。
なにか考え事するときは、ここに篭ろうかなぁ
そんなことを考えながら用を足し終わったアコニーは、オリガさんに言われた事を思い出した。

「便座の横のボタンを押せって言ったけど、これかなぁ?」

色々とボタンがある中、どのボタンを押したらいいのか分らなかったが
アコニーは適当にボタンを押してみる事にした。


ウィィィィィン…・

お? 何だ?

シャァァァァァァ…

「うっひゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」

いきなりお尻のクリティカルポイントに向けてダイレクトに噴射された水流に、アコニーは思わず大声を上げて飛び上がる。

「なになになになになに!?」

お尻を刺激する水流に半狂乱になりながら押したボタンを連打する。

「うぁああん 止まらないよう!!」

水の止め方が分からない。
思わず逃げようとするが、水が止まらない為逃げられない。
半泣きの状態であちこちのボタンを出鱈目に押し続けた結果、偶然にも"止"のボタンを押すことが出来たため、やっとの事で水流は止まった。
だが、余りに想定外の出来事に、アコニーの心臓はバクバクだった。

「はぁ…・はぁ…・はぁ… まさか、水が出てお尻を洗うとは…・」

全くの予想外の出来事に大いに取り乱したが、水の止め方が分かった以上、もう怖くは無い。

「すごいなぁ。よく、こんなこと思いつくなぁ」

アコニーが感心してトイレを覗きこむ。
よく見れば、ボタンは他にも数種類あるみたいだ。

「せっかくだから、全部試してみよっと!」

好奇心でいっぱいの笑顔でアコニーがトイレに跨る。
そして"洗浄"再度ボタンを押すのであった。



あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……………








しばらくしてアコニーがトイレから戻ってきた。

「ふぅ…・ 思った以上に長居してしまった。」

見れば、顔が火照って真っ赤である。
何というか、今まで気付かなかった自分の新感覚スポットの探求に時間をかけてしまた。
あまりに長くトイレにいたため、これは怒られるかなぁと思いながら現場に戻るが、いつの間にか休憩になったのか、皆が思い思いに休んでいる

「怒られなくて済んで助かった…」

しかし、ヘルガやカノエはどこだろうか?
一緒に休憩したいんだけどなぁ
そんな事を思いながらアコニーが視線で二人を探すと、ヘルガを見つけると同時に、変な光景が目に入る。
そこには、ヘルガの横に昼食時の不審な男が立っている。
どうやら口説いているようでヘルガも微妙な苦笑いをしている。
その内、ヘルガもこっちに気付いたようで横目でこっちをチラチラ見てきた。
その光景に、アコニーは一つの結論に至る。
見た目が子供以外の何物でもないドワーフのヘルガを口説くとは、何て変態!
それも、ヘルガが嫌そうな表情をしている。
これは何としても助けなくては…
アコニーは、キッ!と真面目な顔になるとヘルガ救出に向かって駆け出した。
猫科特有の俊敏にして足音もない動きで変態の後ろを取ると、大きく息を吸い込み、そして叫んだ。

「こらー!!ヘルガに何するんだお前!!!!」

いきなり後ろから響く怒鳴り声。
流石にその男もビックリして飛び上がり、後ろを振り向いたところで牙を剥き出しにしながら喉を鳴らして威嚇する。
余りの気迫に男は尻餅をつき、アコニーが畳み掛けるように咆哮すると、脱兎の如く逃げ出していくのであった。

「ふふん!二度とヘルガに近寄るなよ変態!」

逃げていく男に向かって勝ち誇ったようにアコニーは言う。
だが、当の助けてもらったヘルガは、口を開けたまま呆然としていた。

「あ…あ、あんた!何してんの!?」

ヘルガが問いただす。
アコニーはてっきりお礼の言葉が来るかと思ってたので、ヘルガの言葉に目が点になる。

「え? マズかった?」

「あの人、副社長じゃない!あんなことして… どうなっても知らないわよ!」

アコニーの顔が青くなる。

「え゛… 本当?」

「あんた、自己紹介で何聞いてたのよ。本当よ!」

「でも、でも、ヘルガも嫌そうにしてたじゃん!」

「たしかに少し気持ち悪いとは思ったけど、無下に扱うわけにもいかないから適当に会話してたのよ」

「……どうしよう」

しゅーんと項垂れるアコニー。
耳まで垂れて悩む彼女に、それを終始傍から見ていたカノエが彼女の肩に手を置いて声をかける。

「まぁ 済んだことだし、後で謝りにいきましょう。」

「大丈夫かなぁ?追い出されたりしないかなぁ?」

アコニーが青い顔のまま心配する。
ここを追い出されれば、他にいくところなど無いのだ。
だが、アコニーのそんな心配をよそに、カノエは別に謝れば対した事ないと彼女に告げる。

「そんなに気にする必要はないと思うわ。
まぁ、そんな事より、妙に時間かかったわね。トイレで何してたの?」

その一言で、ブルーになっていたアコニーの顔が一瞬で真っ赤になり、シャキッと背が伸びる。

「えっとね…・ その…・」

「その何?」

恥ずかしそうにモジモジとしながらアコニーは白状する事にした。

「天国への階段が見えた。」

「「はぁ!?」」

恥ずかしそうに指先を弄りながら答えたアコニーに、ヘルガとカノエの二人は怪訝な顔する。
何を言っているんだ?この猫娘は…
オブラートに包みすぎて理解できないアコニーの言葉に、二人の頭には?マークが浮かぶ。
トイレで天国?その時、二人は何を馬鹿なと思って話を終わらせたが
この日の夜、二人はその意味を十二分に知ることになった。


「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛………………」」


石津製作所
工場内事務所

亜人達の合流により、やっと人数の集まった拓也の工場であったが、未だ従業員の教育が始まったばかりで正式稼働とは言えない状態であった。
その為、今日も拓也らは作らねばならぬ書類作りに追われていた。
拓也が社内規定を整備している(といっても、前の会社の物のパクリが多かったが)横で、エレナが拓也の作った文書を翻訳したり、亜人達のスケジュールを作っている。
まだまだ作らなければならない物が山積みである。
正直言って、事務員が足りない…
工場内にいる拓也とエレナを除く工員以外の人間は何をしているのかと言うと、エドワルドのおっさんは警備だと言って巡回する以外は筋トレしかしないし
サーシャは声を掛けた人材が到着するとかで、昼に空港に出て行ったまま帰ってこない。
役に立たない事この上なかった。
特にサーシャは何をやっているんだ?
自分のグループを作るのは許可したが、せめて使える人に来て欲しい。
というか、早く手伝って欲しいと拓也は切実に思った。
いくらコネの為に入社してもらったとはいえ、今のウチの会社には人を遊ばせておく余裕はない(主に労働量的に)
帰ってきたらネチネチ言ってやろうと拓也が考えていると、弾けるかのような音と共にドアが勢い良く開く。

「おっおい!拓也!獣人にすごく凶暴な奴がいるぞ!
なんとかしてくれ!」

サーシャがよほど慌てて戻ってきたのだろう、息を切れ切れに拓也に言う。

「それよりも、あんたの部下は一体どうなったんだ?迎えに行ったんじゃないのか?」

拓也は目の前のパソコンから視線を外さず、作業したままサーシャに言う。

「あぁ それは機材の不具合で飛行機が欠航になったそうだよ。
何でも、到着は明日になるって連絡があった」

「そうか。
なら、いつまでもぼさっとしてないで手伝ってよ。
サボタージュは銃殺刑だよ?」

ギロリと睨んで拓也が冷たく言い放つ。
さっさと働けというオーラを拓也は全身から発しているつもりであったが、残念ながら、当のサーシャには空気を読むというスキルは無かった。

「そんな些細な事は今はどうでもいい!
それより聞いてくれ、さっき空港から戻ってきた時に、昼飯を食べている時から目をつけていた合法ロリのヘルガちゃんを見つけたんだよ。
そんで、これは近づくチャンスと思って年齢、趣味から食べ物の好み、はたまた仮に俺の嫁になったらどう思うかまで色々聞いたんだ」

…そんな事まで聞いてるのかコイツは。
拓也とエレナは呆れの余り声も出ない。

「そしたら、あの外見で29と俺と同い年な上、ドワーフの娘は外見の成長は一定の年齢で止まるとか、夢のロリババァきた!っと思ったよ。
そんで、いよいよ最後の俺の嫁云々の答えを聞けるところで!!!
…・・クッ、野獣が現れたんだ。」

「野獣?」

悔しそうに語るサーシャに拓也が聞き返す。

「あぁ 野獣だ。
後ろから グルァァァァ!と咆哮がしたと思ったら、俺の後ろに、両手を上げ、今にも腸を食いちぎらんとする野獣がいたんだ。
俺は逃げたよ… いやマジで。あの野生の咆哮を聞いたときは、本当に食われるかと思った」

「見間違いじゃないのか?」

「間違いない! あと、今になって思い返してみると、あいつは飯の時にヘルガちゃんの横に座ってたケモノ娘だな。」

ヘルガの横?それを聞いて拓也も食事の時の自己紹介を思いだす。
何秒か考え、拓也も思い当たったのかサーシャに言う。

「あ~ あの良いオッパイをもった猫娘か。あれは良いスタイルだった。
肉感がムチムチしててケモノ属性に目覚めそうになったのは覚えてる。
サーシャもロリなんて変態性欲は卒業して、ムチムチ系に目覚めるべきだと俺は思うよ。
柔らかそうな肉の付き方とかいいよね」

「それは断る。この美学は譲るわけにはいかん。
とまぁ、その話は長くなりそうだから置いといて、俺はその野獣に食われそうになったんだ。
おっかないからエドワルドのおっさんに言って何とかしてもらってくれ。
害獣駆除はおっさんの役目だろ」

サーシャは、ドンと机を叩いて拓也に訴えかける。
だが、拓也は、しばしサーシャの顔を見た後、また作業に没頭する。

「無理」

「なんで!?」

そっけない拒絶にサーシャが更に詰め寄る。

「あんな良いおっぱ……・じゃない、貴重な人材を簡単にクビにできん。
これについては、政府とグループ一括雇用という契約なんでどうにもならん」

少々性癖談義に花が咲きかけたのが原因の横から刺さる暗黒の視線に気づいた拓也は、つい出そうになった本音を隠して説明する。
まぁ 話を真面目に戻しても、未だにエレナ様は漆黒のオーラを纏っていたが…・
そんな彼らをドアの隙間から覗く2対の目があった。

「アンニャロウ…」

アコニーが聞き耳を立てながら、ぐぬぬ…と歯を食いしばる。

「まぁ 落ち着きなさい。
仮にも副社長よ。問題を悪化させても損にしかならないわ。
それに、あんたは私を守ろうとしてあんな行動を取ったわけでしょ?
正直に話してごめんなさいって言えば許してくれるわよ。
あと、社長もあんたのスタイル褒めてたし、悪い事ばかりじゃないわ。
穏便にいくわよ? いい?」

「ぐぬぬ… 
…うん、わかった。」

サーシャに害獣呼ばわりされて頭にきていたアコニーであったが、拓也に褒められて嬉しかったのもあったのか、アコニーの怒りは次第に中和され、冷静にヘルガのいう事を聞き始める。
ヘルガはアコニーが落ち着いてきたのを確認すると、じゃぁ いくわよと言ってドアをノックする。
ガチャリと開けられるドア。
一方の部屋の中では、ドアからヘルガが見えた瞬間、サーシャが驚きと喜びの顔を見せるが、アコニーが見えた瞬間、拓也の後ろに脱兎のごとく隠れた。

「きっ来たぞ! 拓也!食われるぞ!」

サーシャが拓也を盾にしながら叫ぶ。
それを聞いたアコニーが「グァァ!」と犬歯を見せて威嚇するが、ヘルガにどうどうと暴れ馬をあやすかのように止められて何とか動きを抑える。
一方、サーシャは拓也の後ろで完全にヘタレていた。

「…で、とりあえず話を聞こうか。何があった?」

拓也は色々と面倒くさいなと思ったが、折角当事者が揃っているのだからと、震えるサーシャを無視して話を進めることにした。

「…………という事があって、アコニーに悪気があったわけじゃないんで許してほしいんです。」

「なるほど。そういうことか。ヘルガが変態に付きまとわれているのを見て助けに入ったと」

ヘルガに事情を説明してもらうと、その横でアコニーはごめんなさいと謝ってしゅんとしている。

「よくわかった。
…・・真相はこんな感じだが、何か言いたいことはあるかい?サーシャ」

「まっ、まぁ誤解だったんならしょうがないね。うん。しょうがない」

いまだビビっているのか、目を合わせようとしない。
だが、ヘルガの前とあってか無理矢理にでも懐の深いところを見せて堂々としようと頑張っているが、どうにも声が上ずっていた。
そんなサーシャを見てヘルガが更に謝罪の言葉を述べる。

「怖がらせて本当にすみません。
でも、クビにはしないで下さい。私たち、もう本当に行き場が無いんです!
人種の兵隊に追われ、この国に保護して貰っていますが、ここを出たらきっと殺されてしまう。
だから…お願いです!」

嘆願するヘルガ。
見ればその目には涙が滲んでいる。

「大丈夫、クビになんてしないわ。だから安心していいのよ?」

涙を浮かべる様子が心に響いたのか、エレナがヘルガに近寄り優しく言う。

「その通り。それに君らを襲った兵隊達もここまでは追ってこれないさ。安心したらいいよ。
従業員の安全は、社長である私が何としてでも守るから」

拓也も後に続いて言う。
追ってこない根拠なんて何もなかったが、ただ、二人を安心させるために拓也は誓う。

絶対に皆を守ってやると…



[29737] 礼文騒乱編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:10
拓也が決意を決めたのと同時刻

エルヴィス辺境伯領
港町 プラナス





大陸の先端にほど近い、鉤爪のような半島に囲まれた湾の奥にその港町はある。
辺境伯領最大の町にして、領主の居城もある大きな港町だった。
イグニス教を国教とする国家群の中で、最東端でもあるこの港は、かねてから東方の異教徒との密貿易で栄えていた。
東方からの珍しい物品は巨万の富を生む。
だがしかし、イグニス教の教会が異教徒との取引を禁止していた。
過去には、特にそういった規制は無かったのだが、30年ほど前から教会は公式な交流はおろか、交易にまで口を出してきた。
これに対し、各方面から不満が噴出したが、この世界力の源泉である魔法を管理する教会に対して公然と不満を言えるものはついに現れなかった。
それにより、それまで東方との交易にて生計を立てていたものの大半は海賊に身を落とした。
東方とは交易が出来なくなり、イグニス教諸国間の交易に転向しようとしても、すでに諸国間交易はグレスデン商人同盟が独占し、大量の船団が組合に新規加入するのは拒否された。
こうなった以上、残る手は二つ。
廃業か、非合法か。
堅気で商売している以上は教会の影響は排除できなかったが、海賊となれば別である。
結果として密貿易から東方で本当に海賊行為をするものまで現れ、この町に集積される富は途絶えることは無かった。
本来なら密貿易が行われていることが咎められるのだが、領主を間に挟んだ町の教会への断続的な多額の寄付により、プラナスの司祭は見て見ぬふりを決めているし、領主も特に何も言わなかった。
その為、この港町の春は、資金が動いている限りは終わる気配は見えなかった。
そんな活気にあふれた港の一角に、10隻の軍船が停泊している。
見れば物資を運びこみ、出航に向けての準備を行っている。
その中でも特に大きい一隻。巨大な三本のマストに四角帆と三角帆を張り、船腹から多数のオールを生やした軍船。
その前楼閣に、煌びやかな甲冑に身を包んだ集団が作業の進行を眺めている。

「アルド様。もう二刻もすれば出航準備が完了します。
漕ぎ手のゴーレムも調整は完了しておりますし、バリスタ用の魔力槍も十分な数が用意できております。」

太めの騎士が誇るように報告する。
それを聞いたアルドは彼の肩をバシバシと叩きながら労をねぎらった。

「おぉ!よくやった。
私が家督の相続に追われている間、一切こちらに構う事が出来なかったが、そなたのお蔭で時間を無駄にせず軍備が整えられたようだな
此度の遠征が成功した際には、そなたに新領地を下賜しよう!」

「はは! ありがとうございます!」

アルドの言葉に、満面の笑顔で片手を伸ばした敬礼で返す騎士。
これだけの準備をしたのだ。負けるはずがない。
彼はそう思いながら、新たに得るだろう領地の事を想像し、期待に胸を膨らませながら、作業の進捗の説明を続けている。
その説明によると、旗艦以外は既に兵員の乗船も完了し、いつでも出航できるそうだ。
旗艦より一回り小さいガレー船4隻に、兵員輸送用のずんぐりとした帆船5隻が兵士を満載して、その旺盛な戦闘意欲を発揮する機会を今か今かと待っていた。
だが、それを見ていた一人がアルドに意見する。

「兄上。しかし、良かったのですか? 民の新たな入植地として亜人の居住地を平定しましたが、そこの治安を維持するはずの兵を全てこちらに回したようですが
大丈夫なのでしょうか?」

それを聞いて、アルドが折角の意気揚々とした気分に水を差されたと口元を曲げる。

「心配はいらん。彼の地には既に一人の亜人もおらん。
根切りにしてやったからな。
ありもしない事に心配するとは、本当にお前は臆病だな。
無き父上も、クラウスは外見は元より心も女のようだと言っていたが、まさにその通りだな」

ふうやれやれといった具合にアルドは疑問を投げかけた弟のクラウスに答える。
対してクラウスは兄の言葉に顔を真っ赤にして反論する。

「私は恐れてなどいない! …ただ気になったから言ってみただけだ。」

クラウスは頬を膨らませてそっぽを向く。
本人は否定しているが、線の細い体型の上、整った女顔に長い髪を後ろで束ねている外見ではどこからどう見ても女騎士にしか見えない。
宗教上の理由によりそう育てられたとはいえ、そんな膨れているのもどこか愛らしい彼を見ると、どこか男同士では生まれてはならない感情が生まれそうになる。
アルドを含めてその場にいた者たちは一瞬あってはならない感情を抱いてしまうが、咳払いを一つしてそれが幻想であることを確認する。
一瞬頭によぎった感覚は何かの間違いであり、気のせいに違いないとアルド達は心の中で自分自身に念を押した。

「ふん。 まぁ その真偽は戦場で証明することだな。
それよりも気を取り直して軍議を始める。
これより我々は、出航後に東に進路を取る。目的地は亜人共の向かった陸地だ。
亜人共の抵抗も予想されるが、手負いの難民に出来る抵抗等限られている。
上陸後、5隻の輸送船に載せている兵士1000と騎兵50が橋頭堡を確保したのち、護衛のガレー船からも兵力を順次上陸させる。
その後は… まぁ 戦果の早い者勝ちだな。乱取りも許可する。
むしろ推奨するところだ」

アルドがこんなもんだろと軽く周りに話を振る。
女子供まで抱え込んだ手負いの亜人の群れ。
恐れる必要など何もない。

「それでは、私がガレー船から上陸するまで皆様には海岸で待っていてもらわなければなりませんな」

太めの騎士が笑いながら言う。
戦働きの機会を無理にでも作ってもらわないと恩賞が減ってしまう。
そんな軽口を叩いて笑うと、それにつられて周りの騎士もそれは断ると冗談で返して軍議は笑いにあふれた。
だが、そんな朗らかな空気も関係なしの者が一名。クラウスがアルドに向かって手を揚げる。

「兄上、一つ宜しいですか?」

「…なんだ? クラウス」

空気を無視して質問があるというクラウスにアルドは面倒くさそうに応える。

「あの陸地の事ですが、仮に逃げた亜人以外の住人がいた場合は如何いたしますか?」

なんだそんな事かと思いながら、アルドは不敵な笑みを浮かべてその答えを言う。

「乱取りの褒美が増えるだけだな。
彼の地の富はすべて我々の物と考えよ。
エーア神への信仰をもたぬ亜人から奪って何が悪い。
そんな奴らを匿う奴らも同じだ。
邪を滅して聖なる版図を拡大せよ。神がそれを望んでおられる!」

その言葉に全員が息を呑む。
アルドはこの戦いが聖戦であると宣言したのだ。
辺境伯家への忠誠。神への信仰。全てがこの戦いを肯定するといっているのだ。
その言葉は家臣たち伝って各艦に乗り込む全将兵に伝えられた。
アルドの鼓舞によって欲望の炎が更に燃え上がった艦隊が、今、静かに港を出ようとしていた。





辺境伯艦隊出航翌日 0900

とから級巡視船"しらかみ"船上



稚内沖の海上は朝を迎えていた。
朝の陽光が海をキラキラと照らす中、しらかみは単艦で利尻島の南西を航行している。
稚内沖に謎の大陸が出現して以降、その任務領域はかなり縮小してしまったが、目と鼻の先に陸地が現れたため、そこからの難民や密航船が無いよう目を光らせていた。
まぁ 難民については最初の受け入れ以降、パタリと止んだが、今度は、勝手に上陸する者が無いように海上を監視している。
これまでに何度か商船とみられる船が宗谷海峡を越えたが、そのすべてに対してぴったりと張り付き、亜人の声で録音した上陸は現状では許可できない旨のメッセージを送ることで上陸を阻止していた。
(亜人の声を録音したのには理由があり、体組織の移植で確かに意思疎通は出来るようになったが
それはお互いが一定の距離にいる条件下だけであり、電話などを使った遠隔地とのやり取りは出来なかった。
これは、この効果がテレパシーの一種であり、多言語を脳単体で変換しているわけではないことが原因だった。
余談だが、この効果は日本語-ロシア語の会話でも見られたため、両地域の交流に多大な貢献をもたらしている。)

接近船を全て阻止しているのは、いまだ札幌では外地に対する情報を収集している段階であり、対外方針が定まっていない。
本来ならば、そういった船に積極的に接触すべきなのだが、難民の処遇もあり内部をまとめる時間が欲しかったのである。
何でもかんでも受け入れたところで、それを捌く体制が確立されていなければ管理など無理である。
その為の消極策だった。

この日も、しらかみは近海を航行する漁船や商船を警戒していた。
だが、その日、最初の異変はレーダー上に現れた。

「レーダーに感!10隻の船舶が単縦陣で稚内方面に向け東進中」

画面に目を光らせていた電探員が船長に対して報告し、それを聞いた船長が眉をひそめて確認する。

「それは艦隊行動をとっているのか?」

「間違いありません。5ノットの速度で方位〇九〇へ航行中。単縦陣です!」

これまで接近してくる船はあるにはあったが、それでも単艦もしくは多くても2~3隻であり、10隻もの船で接近してくるものは無かった。
大商船団だろうか?だが、軍艦だった場合、その目的地は?
船長の脳裏に嫌な予想が思い浮かぶ。

「船の進路を船団にむけろ。まずは、通常通りに警告を行う」

船団の正体と進路。
それを確かめるため、しらかみは北西に向け進路を切るのだった。




稚内東方海上 1030

辺境伯艦隊 旗艦カサドラ

巨大な帆をパンパンに張って、巨大なガレアス船を先頭に艦隊が東へ進む。
威風堂々と波を切る衝角の付いた船首。
力強い風を受ける巨大な帆。
それに船腹から伸びる無数のオールが突き出すこの船は、この国最大の軍船であり、天下無双と彼らが信じる旗艦カサドラ。
その雄雄しい姿は、この世にこの船より強い船はいるはずがないと艦隊の全ての乗組員に強い共通認識を与えていた。

「蛮族相手に豪華過ぎたか?」

アルドは言う。
難民は雑多な小舟と筏ばかり、最大でも20メイル程のコグしか持たない。
あのサイズの船と小舟の集団なら、ガレー船の2隻もつければ十分だったかもしれない。

「だが、海戦の機会は少ないからな。コイツにも血を吸わせないといかん」

独り言を言いながらアルドはカサドラのメインマストをポンポンと叩く。
既に軍議のメンバーはそれぞれの船に戻っている。
その為、暇を持て余したアルドは、一人で甲板に立っていた。
そのまましばらくマストに手を掛けながら遠くの海上を眺めていると、直上の見張り台から叫ぶ声がした。

「南方より船が近づいてくるぞー!」

マスト上の見張りが甲板に向かって有らん限りの声で叫んだ。
その言葉に、遂に戦か!と興奮気味にアルドは弦側に走る。
そうして目を細めながら水平線上を見ると、一隻の船がこちらへ向かっているようだった。
水平線上に見える影からすると、なかなか大きい船体のようだ。

「各員戦闘用意!!!」

アルドが嬉々として号令を発する。
船の乗組員が持ち場に向かって走る中、近くにいた船長がアルドに向かって聞き返す。

「敵味方の確認はいいのですか?」

そんな船長の問いに、アルドは笑いながら言う。

「あの方向から来る味方なんぞいるか!
敵だ!敵に違いない!喜べ!戦が出来るぞ!」

そして、さぁ行け!とその場に通りかかった不運な船員の尻に蹴りを入れると、アルドは自身も船内へ走る。
アルドが向かった前艦橋の片隅。
そこには、テーブルの上に布で固定された一個の水晶玉が置いてあった。
アルドはその前のイスに座ると水晶玉に向かって話し始める

「クラウス!聞こえるか!クラウス!」

イグニス教諸国の軍船にはこの種の魔法の水晶玉が通信装置として乗っていることは珍しくなかった。
知っている相手が水晶玉の前にいるときにしか使えないという制約があったが、
諸国の軍船では、水晶玉を常に艦橋に置くという運用でカバーしている。
アルドは、その水晶玉を通してクラウスを呼ぶ。
その呼び声に答え、艦橋で待機していたのかクラウスの返事がすぐに返ってきた。

「どうしました?兄上」

「船だ!船戦ができるぞ!俺は、この後ガレー船を率いてその船の方角へ向かう。
お前は輸送船団を率い、東進して先に兵を揚陸しろ。わかったか?」

「わかりましたが、性急すぎやしませんか?もっと…」

「うるさい!お前は俺に従っていればいいんだ!」

アルドはクラウスの質問を遮り、一方的に通信を終わらせる。

「口うるさい奴め…」

そう言うとアルドは自身の武装を取りに自室へ向かっていくのだった。





1100

巡視船しらかみ


海上に木造のガレー船が5隻航行している。
しらかみは、その先頭艦に並走しながら警告を送っていた。
30分ほど前、目視距離に入った船団は隊を2分した。
一隊はこちらに接近してきたガレー船。
もう一隊は進路をそのままで東進を続けているそうだ。

…まずい

船長は思う。
ここで時間を喰っていては、もう一隊の接近を防げない。
船団発見の際に署に連絡をしたから、稚内港のもとぶ型巡視船"れぶん"が応援に向かってくれるそうだが、このままでは間に合いそうもない。
船長は再度の警告の為、船を更に先頭艦に近づける。
是が非でも警告の内に立ち去って貰わねば、船長がそう祈った…・その時だった。
弦側の木製の窓が開き、甲板にローブを纏った人間がわらわら出てくる。
巡視船内の誰もが一体何事だと身構える。
そして、次の瞬間、木製の窓から何かが飛び出したかとおもうと、それがこちらの船体に突き刺さり爆炎を上げた。
それも一本だけではなく複数が飛んでくる。更には甲板上の人間が手から火の玉を繰り出し甲板を火の海に変えた。
乗員にとっては敵船から飛んできた物体、バリスタから射出された魔力槍が甚大な被害を与えた。
およそ500km/hで船体に衝突した1.5mはある巨大な矢は、外壁を貫いた瞬間に秘められた魔力を解放した。
船内を紅蓮の爆炎が駆け巡り、船員を殺傷。最初の一撃で艦橋は地獄と化した。
炎が乗員を殺傷する中、船に対してはもう一つの要因が船体を攻め立てる。
巡視船に向けて発射された魔力槍。その中でも外れたり、外板にはじかれて海に落下したものが、それを発射したものの意図しない効果を生み出す。
矢につけられた鉄の矢尻。敵船を貫く為に重厚に作られたそれは、海に落ちて魔力が解放された瞬間、白熱する液体へと変わる。
海水中に落ちる白熱した液体金属。一瞬の間の後、付近の水を多量の水蒸気に変えて爆発を起こした。
巨大な水柱が連続して水面下の船体に耐えがたい衝撃を与え、それは亀裂となり巡視船内への浸水へと繋がる。
バリスタと魔術師の攻撃が止む頃、しらかみの船体は業火につつまれ、その進路を海底へと向かわせつつあったのだった。

「はっはっは!大したことないな!やはり、この船は素晴らしい!力の権化だ!」

アルドは燃え盛る船をみながら高笑いを浮かべる。
最初、近寄ってきた船がマストも無く、オールもないのをみて魔法の船かと思い警戒したが、今では我らの攻撃の前に、なすすべもなく沈もうとしている。
亜人共の船ではないようだが、このような船では何隻あっても物の数ではない。
我々の行く手を阻めるものなど何もないのだ。
アルドはそう思いながら満足そうに波間から消える燃え盛る船を見送った

「まだ他に敵はいないのか?俺はまだまだ食い足りないぞ!」

先頭の興奮冷めやらぬ甲板でアルドが叫ぶ。
それに呼応するように兵士たちの勝鬨が船上を支配するのであった。








11:20

北海道連邦政府ビル  


赤レンガの旧北海道庁舎の横にそびえ立つ、少し前までは道庁と呼ばれた少々デザイン性に欠ける直方体の建物は、現在は北海道連邦政府ビルと名前を変えていた。
その中の知事室から名を変えた大統領室で、初代北海道連邦大統領 高木はるかは執務を取っていた。
既に新政府移行の会合は実務者協議に移っており、彼女は溜まった実務を処理していた。
新たに起きる細々とした問題は部下に投げていることもあり、転移後の混乱で溜まった仕事量は殺人的だったが、それなりに平穏に午前の仕事を片づける事ができた。、
時刻はそろそろお昼を迎えるという頃、慌ただしく部屋に入ってきた秘書官の報告により、彼女の短い平穏な時間は終わりを告げた。

「大統領!海保より連絡です。稚内方面へ向け航行中の未確認船団に、海保の巡視船が警告の為に接近したところ
武力行使を受け巡視船が沈没したそうです! 現在は稚内より出航した巡視船れぶんが向かっておりますが
地元警察から、既に武装勢力の一部が礼文島に着岸しているとの報告も上がってきているそうです」

「沈没!? 攻撃を受けたのですか?」

「そのようです。海保から攻撃直後の映像が上がってきております。こちらをご覧ください」

秘書官が彼女にタブレット端末を見せる。
そこには巡視船から見る大型の木造船が映っている。
巨大なマスト、船腹に並ぶオール、その船に対し巡視船が警告を発しながら近づいていく。

「ガレー船?ですか」

「そのようです。ですが、彼らは強力な武装を持っているようです。
弦側の窓と甲板にご注目ください。」

秘書官に言われた通り映像を注視していると、ガレー船に動きがあった。
甲板にローブを纏った人影が現れ、船腹にある木製の窓が一斉に開く
次の瞬間、画面は飛んできた火の玉や巨大な矢が発生させた爆炎を映して映像は終わった。

「この映像は15分前に巡視船しらかみから、リアルタイムで稚内署に送られていた映像です。
現在、しらかみはレーダー上から消え、船団は二手に分かれて東進している模様です。」

高木は片手で口元を蓋いながら考える。
確かに難民の話を聞き、この世界には好戦的な勢力が居るのは分かっていた。
だが、早すぎる。こちらは未だ組織改編すら途中の状況だ。
しかし、事態は既に進行している。打つべき手は全て打たなくては…

「緊急の安全保障会議を招集します。関係各位に至急連絡を。
稚内の海保には本道への着上陸を絶対に阻止するよう連絡してください。
既に相手が明確な敵対行動をとっている以上、威嚇無しでの船体射撃を許可します。
それと、防空軍及び道北の駐屯地に出動準備をお願いします。」


それにしても…
どんな世界でも争いは尽きないものね。
もしかしたら、戦争こそ三千世界で唯一の共通言語なのかしれないわ。
緊迫した状況の中、ある種の悟りのような心境で彼女は思うのだった。






同時刻

礼文島

船泊湾


緩やかな弧を描く岬に囲まれた湾は、爽やかな青空を水面に映し
沿岸の村は、いつもと変わらぬ静かな昼時を迎えていた。
人々は昼食を取るために昼休みに入り、各家庭では調理もしくは食事の真っ最中だ。
だがこの日、そんな平和な時間は唐突に終わりを告げた。
村内各所にある防災無線からサイレンが鳴り響き、音声によるアナウンスが流れる。

『着上陸侵攻警報。着上陸侵攻警報。当地域に着上陸侵攻の可能性があります。直ちに島南部へ避難してください』

転移により衛星が使えない今、J-ALERTは機能せず、役場の職員による放送であった。
だが、想定外の事態に焦燥感が伝わる職員の肉声放送は、全島民に緊迫感を伝播させるのに効果的に作用した。
明らかに焦り、戸惑っているアナウンスの声。その声色はただ事ではないという雰囲気を島民たちに広めていく。
サイレンとアナウンスが交互に連続して続き、あちこちの家で避難のために車に貴重品を運び込む光景が見られた。
ある者は隣家の老人の安否を確認しに行き、またある者は職場から家族の下に駆けもどる。
そんな中、漁船で逃げようと港に出た者は、その混乱の元凶を見た。
湾内に侵入する5隻の帆船。
元の世界ではキャラックと言う名の船に似た外観を持った船が、西方から湾を舐める様に侵入する。
その様子を呆然と見ていた村人は、真後ろから発生した爆炎により吹き飛ばされ強制的に意識を現実に戻された。
何事だと起き上がりながら振りかえると、後ろにあった船が燃えていた。
見れば、向かってくる船から大きな矢のようなものが飛んでくる。
降り注いだその物体は着弾すると爆炎を上げて燃え上がり、小さな漁港はあっという間に火の海と化した。

「停泊中の船を全て沈めた後、湾の反対側の埠頭に接舷する!総員上陸用意!」

燃える岸を見ながら、クラウスが甲板に待機する兵や水夫に向かって指示を飛ばす。
それに応え、甲板からは男たちから歓声が上がった。
慣れぬ船に揺られてやっとついた戦場である。
それにアルドが乱取りを奨励していたため、その士気は十二分であった。
そんな彼らを満載した船は、ゆっくりと埠頭に向かう。
そしていよいよ上陸と言う所でクラウスは兵に向かって叫んだ。

「兄上の言った通り、乱取りは構わぬ。だが、剣を持たぬ者、抵抗せぬ者に対して不必要な殺生は避けよ!
我らはエーア神の名の下、その名を汚さぬ行動をせねばならぬ。不要な虐殺を好むものは暗黒神アリマに魅入られると心せよ!
さぁ行くぞ!勝利を我らに!!」

その声に合わせ、兵士たちは雄たけびを上げながら飛び出していった。
兵士たちの背を見ながらクラウスは思う。

大陸で散々亜人達を虐殺したのに、今さら無抵抗の者を殺すなとは私は何を言っているんだろう。
既に港や船に向かって魔力槍を撃ち込んでいるし、なにより間違いなく他の船の騎士や兵は容赦なく住民に襲い掛かるだろう。
こんなことをやっているから、兄上に甘ちゃんだと馬鹿にされるのは百も承知だ。
だが、兄上は洋上で今はいない。
ならば、この時だけでも自己満足を通させてもらおう。
言い訳は、後で考えればいいや。
無抵抗の者を殺す後味の悪さよりはマシだから…


そんな、おおよそ侵略を行う軍勢を率いているものとは思えぬ事を考えながら、クラウスは護衛と共に船を飛び出していった。







11:50

礼文島沖東海上
巡視船れぶん

しらかみの連絡を受け、稚内を出航したれぶんの船内は、ただならぬ空気が漂っていた。
不明船団の発見と接触を行ったしらかみが攻撃を受け撃沈されたと署から連絡があったのは、つい先程。
その直後に入った命令には、それまで違法漁船の拿捕や密航船の取り締まりを任務としてきたれぶんにとって、すぐには信じられない内容だった。

「着上陸の阻止と威嚇無しの発砲許可か…
本来、こういった仕事は海自の仕事だと思ったんだがな」

れぶんの船長が副長に向かって呟く。

「転移以降、船の数が足りないんですよ。
自衛隊なんてミサイル艇が2隻だけ、ロシア側はフリゲートが一隻あるそうですが今頃、函館のドックです。
武装の無いCL型の巡視艇も含めて40隻に満たない我々が最大勢力となれば、今後は様々な面倒事がこっちに来ますよ。」

犯罪の取り締まりや領海の警備が海保の仕事だと思っていたが、どうやらそういった考えは既に古いようだった

「まぁ 今後の任務については色々と難しい事も多くなりそうだが、今回ばかりは、周囲に海自…今は連邦海軍だったな。
彼らがいないことは神様に感謝しなければならないな。
なんたって、我々海保の手で、しらかみの敵が打てるのだから」

そう言うと船長は手に持っていた双眼鏡を覗き。
水平線上に浮かぶ憎き相手を凝視する。
我等が仲間に手をかけ、それでいて悠々と航行する船団。
今に見てろよと船長が思っていると、水上レーダーを見ている部下から報告があがる。

「目標との距離、6000!あと900で射程に入ります!」

その報告を聞き、船長は双眼鏡を覗きながら呟いた。

「見てろよ。しらかみ… 敵は取ってやる」





礼文島沖南東海上 

辺境伯艦隊 旗艦カサドラ


敵船を一隻沈めた事で、船内は笑い声に満ちていた。
どうやら敵は大したことは無いらしい、魔法船を一隻、抵抗らしい抵抗もさせずに撃沈できた。
余裕だったとはいえ通常の船ではなく魔法船を沈めたのである。これで今回の遠征が成功に終われば、給金が弾む事は間違いなし。
願わくば戦果拡大の為に更に敵船を狩り立てたいところである。
マストの上では財宝を探すかのように見張り員が目を光らせている。
そんな水夫たちの期待を一身に背負い、見張員がそれを発見したときは叫び声に歓喜の響きが混じっていた。

「2時の方向に船影!一隻がこっちに向かってくるぞー!!」

「おおぉぉぉ!!!」

歓喜が伝播する。
その歓喜の波はアルドにも伝わり、笑みを浮かべながら指示を飛ばす。

「進路を敵船に向けろ!そして船首バリスタの準備だ!
奴らも海の藻屑に変えてやろうぞ!
僚艦にも伝えろ、最初にバリスタを命中させた船には、一人当たりペニー銀貨10枚だ!」

船員の目の色が変わる。
一般の水兵の約3倍の日当と同じ額である。
彼らの顔から笑顔は消えなかったが、無駄な動きは一切消えた。
全員が一丸となって目の前の船を沈めるべく動き出した。
ある者は船倉から魔力槍を運び、またある者はバリスタの調整と初弾の装填を行う。
中でも皆の期待を一身に受ける魔力槍の誘導を行う魔術師は、目を閉じて精神の集中を行っていた。
このバリスタから発射される魔力槍は只の大威力の矢ではない。
バリスタより発射された魔力槍は、魔術師の目視誘導により目標へ向かう。
放物線を描く矢を目標に向ける事は簡単だが、遠距離で目視誘導するのは、かなりの部分で術師の技量に頼る所が有り熟練を要したが、それでも通常のバリスタ等に比べれば非常に高い命中率を誇っていた。
まぁ 高位の魔術師であればバリスタを用いずに投擲できるのだが、投射を機械にし、術師は魔力消費の少ない誘導だけに徹することで低位の魔術師でも運用が可能だった。
現在では、魔力槍はイグニス教諸国の軍船の標準装備となっている。
そんなバリスタの準備を完了したのとほぼ同時に、それは飛来してきた。
敵船の船首から薄い煙が上がったかに見えた次の瞬間。
光る水飛沫のようなものがこちらに降りかかる。
風切音と木の砕ける音が船上を支配し、その飛沫を受ける度に大量の木片を振りまきながらメインマストが根元から折れる。
甲板には折れたマストに潰された者の内臓や、運悪く直接飛沫を受けバラバラの肉片と化した者。
それに加え、飛び散った木片が刺さった者の絶叫が重なり、甲板上は地獄と化した。
遅れて連続した炸裂音が届く。
遠い雷のような音に全員が恐怖した。

「一体、何が起きた!? 奴らの攻撃だというのか! あんな距離から奴らは撃てるのか?!」

アルドの問いに誰も答えることは出来なかった。
何故ならば、このような攻撃は今までに誰も経験したことが無く、死体や負傷者の絶叫でパニックを起こしかけていた。

「バリスタは撃てるか!? 反撃だ!反撃!」

「無理です!あんな遠距離は届きません!」

「いいからさっさと撃て!命令だ!」

アルドは無理だという船員の尻を蹴り上げ命令する。
何としても一矢報いてやる
アルドはこちらに向かってくる船を睨みバリスタを撃つように再度命令する
距離なんて関係ない、相手の攻撃圏内に入っているのに、射程に入るまで待つなどという事は彼にはできなかった。
ダン!と弦が弾かれる音と共に赤く光る魔力槍が飛んでいく。
当たれ!当たれ!そう叫ぶ彼の願いとは裏腹に、敵船のかなり前に着弾した魔力槍は盛大な水柱を上げた。






巡視船れぶん



船の前方に水柱が上がる。
パニックになり射程外にもかかわらず、手持ちの武器を発射したところだろうか。

「敵の射程は1000mと言ったところか」

船長が水柱と敵船の距離を見て言う。

「ですが、その割には大きな水柱です。しらかみを沈めた事といい。
結構な威力があると思われます。
敵船の船首にある巨大なクロスボウから投射しておりますが、弾頭に爆薬でも取り付けているのでしょう」

船長が再度双眼鏡を覗く。
確かに船首に巨大なクロスボウのようなものが有る。
射撃後に打ち返してきたという事は未だ健在なのだろう。

「敵甲板を狙い、投射機を破壊しろ。
射撃後は順次、後続船のマストと投射機を破壊し足と手を抑えるんだ。」

船体射撃を許可されても、やはり海保は海保たらんとしていた。
船長は船を撃沈するより、敵の足と反撃手段を封じる射撃を命令している。
そして巡視船の正確な射撃は、その命令を忠実に守っていた。
第2射の後、先頭艦の投射装置は積み木を崩すかの様に吹き飛んだ。
マストを失ったため先頭艦の船足が鈍る。
その速力の落ちた船の横を後続艦が追い抜き、更にこちらに向けて突撃を仕掛けてくる。
そんな彼らに対して、れぶんの30mm機関砲は此方に向かってくる順位で差別することなく、彼らに平等に降り注いでいった。
木製のマストは折れ、巨大クロスボウは吹き飛んでいく、だが彼らの突進は止まらない。
マストは無くなったが、オールが力強く船に推進力を与えている

「止まらんな…」

「敵は櫂を備えている為、マストを失っても移動が可能な模様です。
ここは船体射撃での撃沈を進言します。」

「そうだな。
オールだけを狙っての射撃は標的が細い上に数が多い。
ここは撃沈にて敵の接近を阻止する。射撃再開せよ!」






辺境伯艦隊 旗艦カサドラ


先ほどの射撃にてマストとバリスタを失った船は、旗艦を追い越して行った僚艦の後を追う様に敵船に向かって突撃を続けていた。
「もっとオールを漕げ!何のためにゴーレムを漕手に使ってると思っているんだ!
魔力が尽きるまで酷使しろ!」

アルドが叫ぶ。
…忌々しい。
なんだあの敵船の攻撃は!
あの長距離で正確にバリスタを破壊してきた。
こうなれば、僚艦のマストとバリスタを犠牲に接近し、直接の魔法攻撃か斬込みしかあるまい。
隻数では此方が上である。それを利用しなければ、まずあの船には勝てない事は感情では認めたくはないが、本能で理解していた。
アルドは僚艦がマストとバリスタを破壊される姿を眺めつつ、その相対距離を詰めることに全てを賭けていた。
速く!速くと部下に怒号を飛ばしながら勝利に向かって掛け金である船団をBETするアルドであったが
その賭けの結果は無情なものだった。
全船のマストとバリスタを奪った敵船から、一番先頭を航行するガレー船に新たな攻撃が降り注ぐ。
それは先ほどまでのマスト等を狙った攻撃とは違い、直接船体を狙った物だった。
敵の弾がガレー船に吸い込まれる。
その瞬間、ガレー船は巨大な火球に包まれ爆炎がキノコのように立ち上る。

!!??

「船倉の魔力槍に当たったか!?」

一撃だった。
船の中でも魔力槍の保管庫は魔法で強化された堅牢なオーク材で作られるのが一般的であるが、それが只の一撃で貫かれた。

「これは… 勝てんな…」

アルドは決断する。
このままではやられる…
撤退しかない。
だが、マストをやられている以上、なにか策を打たなくては、アルドは通信用の水晶玉の所まで駆け戻ると、すぐさま叫ぶ。

「全船に連絡!怯むことなく突撃だ!」

各艦へ向けた突撃命令。
そのあまりに無謀すぎる命令に、それを聞いた部下が正気かとばかりに問いただす。

「突撃でございますか!?アルド様」

「奴らは囮として使う。だが、我らは生き残らねばならぬ。
敵の火力から察するに、船団を組んで撤退していたのでは、この船まで敵に補足される。
ならば、味方に距離を稼がせてその間に逃げるよりほかはあるまい。
撤退だ!僚船が進出次第、船を回頭させろ!
こんな所で死んでたまるか!」




僚艦のガレー船の一隻

旗艦を追い抜き敵船へ向かう戦隊の最後尾に、この遠征の準備をした太った騎士は乗っている。
彼は船上を見渡して激高していた。

「一体何なんだこの敵は!なぜ一方的に叩かれる!」

最初に沈めた敵とは違い、こちらの射程外から一方的に叩かれる。
既に船首のバリスタは奇怪な木製のオブジェに変わり、船体中央にあった大きな三角帆は、折れたマストごと海中に落ちていった
今や船団全てが似た姿に変わっていたが、旗艦は未だに戦意旺盛なのか突撃命令を下してくる。

「こんなところで死ぬなんて冗談じゃないぞ…」

そう呟きながら前方を見ると、3番艦に敵の射撃が集中している。
木片を水飛沫のように飛び散らせ、徐々にその船体が解体される光景が彼の目に映った。

これは無理だ。
敵に到達する前に全艦が沈められてしまう。
旗艦は、こんな状況でもなお突撃を命令してくるのか。
正気を疑うぞ

そんな事を思いながら、いつまでも来ない撤退の命令に彼は焦っていた。

「撤退命令は、まだ無いのか!」

そう叫びながら後続の旗艦に視線をやるが、その光景を見て、信じられないものを見たかのように、彼の開いた口は塞がらなくなった。
我々に突撃を命令した旗艦が、回頭既に終え逃走に入っている。

「旗艦が逃げるだと!?
我々はあの若造に逃走用の囮に使われたのか!」

この瞬間、彼の心にあった領主への忠誠心は露と消えた。
敵前逃亡。彼の主の行いはまさしくそれであった。
見方に殿を任せての撤退ならばまだ理解は出来る。
だが、状況が余りにも悪いと見て味方を囮に逃走に入るなど、彼は許すことは出来なかった。
仮にも聖戦を宣言しておいて、この無様な逃げっぷりは戦いを尊いものとといた神のお言葉にも反する。
逃走する領主の船を見ながら沸々と沸く怒りを抑えて彼は叫ぶ。

「回頭!全速離脱する!」

「ですが、命令は突撃ですが…」

副官の声に彼は、貴様は馬鹿かと怒鳴り散らす。

「あの若造は、我らを見捨てて逃げたのだぞ!
そんな命令に律儀に従えるか!
この無様な有様は教皇庁に報告して断罪されるべきものだぞ」

そんな彼の独断による回頭命令により船は大きく動きだす。
船内では生き残ることに必死な奴隷たちが、突撃の命令時よりも更に力を入れてオールを漕ぐ。
旗艦のように贅沢なゴーレムを積んではいないが、必死に逃げる時の奴隷たちは、ゴーレム以上にいい仕事をしている。
ドラムに合わせて統一した動きで波をかき分けるオールは、船をどんどん加速させた。
そのおかげで、4番艦が敵によって単なる流木の集まりに変えられた時には、彼我の距離を少々稼ぐことができた。

「このまま本国まで逃げるぞ」

安堵の混じった顔で彼は指示を出す。
いくら敵が魔法船といえど、この速度ならば逃げ切れるかと思い。再度確認のため敵艦の方を振り返った時。
彼の表情は絶望に染まった。
敵は船首に大きな白波を作り、想像をはるかに超える加速力で追撃してくる。
4番艦の犠牲で稼いだ距離は、見る見るうちに縮まっていく。

「敵は化物か…・」

武装、速力、すべての面で叶わない。
既に3隻がやられているが、我々は未だ敵に対して一発の命中弾も与えていない。
まさに海の魔物が迫ってくるようだった。
だが、彼の恐怖も長くは続かなかった。
彼が口惜しげに敵船への呪詛を呟いた次の瞬間
その魔物より飛来した30mm機関砲弾によって、彼は物言わぬ肉片と化えられていた。




その様子をアルドは船尾より歯を食いしばって見つめる。
最後の囮がやられた…
このままでは追い付かれる。

「もっと速力を出せ!死にたいのか!」

焦りの表情を浮かべたアルドが絶叫するが、すでに限界を超えてゴーレムを酷使している。
これ以上、速度の上がりようが無かった。

「せめて… せめてクラウスの船団と合流出来れば…」

輸送船の集まりであるクラウスの船団に何ができるかは疑問であったが、使えるものは何でも使う藁にもすがる思いであった。
だが、それもあと一歩のところで叶わない。
クラウスが向かった上陸地点が見えるまで、あと一歩と言う所まで来たとき、見張りが悲痛な絶叫をあげる。

「敵艦発砲!!」

見張員の声を聞きつつ、アルドは恐怖と現実を認めないという思いから、きつく唇をかむ。

辺境伯になったばかりだというのに、こんな所で終わるのか…
嫌だ!絶対に認めん!
死んでたまるか!!

「くそぉぉぉぉ!!!! 」

アルドの叫びがあたりに轟く。

だがそれは、それは30mm機関砲弾の着弾で吹き飛ぶ魔力槍の誘爆により、吹き飛ぶ船の轟音の前には余りに小さいものだった。




[29737] 礼文騒乱編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:11
礼文島

船泊港


沿岸部への攻撃の後、北海道側から船泊港と呼ばれる港にクラウスは降り立っていた。
兄上の指示通りガレー船と別れた輸送船団は、目につく陸地の中でも一番近い陸地に上陸し、先陣を切って海岸に展開したクラウスの手勢は最寄りの集落を制圧すべく即座に南下を始めた。
辺りには警報なのか、けたたましい音が鳴り響いている。
既に近隣の建物からは人影は無く、付近の建物を兵士が捜索しているが、やはりもぬけの殻だった。
クラウスも占拠した建屋や港を見て回り、驚きの目であたりを物色している。
というのも、今回上陸した港を見た時から、クラウスはその港に目を奪われていた。
傍目は小さな集落だが、その港の整備状況には驚きを隠せない。
活気と言った面では寂しいが、その岸壁の丈夫なつくりはプラナスの港以上である。
石積みの埠頭ではなくモルタルの様な岩の塊で作られている。
それを見たクラウスは似たような物の伝聞を思い出した。
以前、税を納めに来た密貿易を商う商会(海賊の表向きの顔なのだが)の会頭が東方の異教徒の国で使われている、火山灰を練って作る巨大建造物の事を話してくれたことがあったが
おそらく、これもその一種だろう。
モルタルなんてレンガの間に挟むだけの弱いものだと思っていたが、実際に目にしてみるとその技術力に驚く。
触ってみるそれは、まるで本物の岩のように頑丈であり、船着場として理想的な形に自由に形作られている。
是非とも、この技術を我が領内に使えないだろうか。
そのためには職人を多数捕縛しなくては…
そう考えた、クラウスは部下に命令を発する。

「よし、進軍だ!ただし、住民は殺すな!すべて生かしたまま捕縛するんだ!」

次々に上陸する軍勢が南下していく、クラウスの知らぬところで海上の戦闘は終わり向かっていったが、
陸上の戦いは今これから始まろうとしていた。






侵攻軍襲来1時間前


礼文島

船泊村



島の北側に位置する船泊村。
この村に一つだけある駐在所に平田信吾巡査部長(27)は勤務していた。
道内が転移後のゴタゴタでてんてこ舞いになっている中、コンブ漁を主産業とするこの村には特別な変化は無かった。
いや、変化と言えば海の向こうに巨大な陸地が現れたという大変化はあったのだが、少子化と高齢化が進んだ静かな村には

「ありゃ なんだべな~。まぁ、役場が調べてくれるっしょ」

くらいの騒ぎにしかならなかった。
そんな静かな村で、今日も平田巡査部長は勤務に励む。
まぁ、犯罪と言う言葉が村人の辞書から消えそうなほど平和な村では、一人暮らしの高齢者の見回りがメインの仕事なのだが…
そんなこんなで、朝から自転車で数件の家を回って、未だ極楽浄土へ旅行に出た人がいない事を確認し、次の旅行準備者宅へ行こうとしたところで、前方から一台の軽自動車がやってきた。
見れば、運転席の窓ガラスを全開にしながら走る車内から手を振っている。

「しんちゃ~ん」

乗っていた女性ドライバーがこっちに声を掛けながら横に止まる。

「さとちゃんじゃないの。なしたの?」

「いんや。姿見えたから、声かけただけ~」

彼女の名は林野さと子。
同じ礼文島で育ち小学から高校まで同じクラスだった同級生だ。(まぁ一学年が10名弱しかいないので当然だったが)
そんな彼女は高校卒業後、札幌の専門学校へ進学し、そのまま向こうで結婚していた。
当時、結婚式の招待状を貰った信吾は、おめでとうと言いつつも仕事があると言って式には出なかった。
出来る事ならば彼女を祝福してやりたかったが、未だ彼女に抱いていた淡い感情の反動が彼にそれをさせなかった。
それから数年がたち、信吾も彼女の事を忘れかけた頃に、彼女は島に戻ってきた。
偶然、フェリー乗り場に来ていた信吾は桟橋から降りてくる彼女を見つけた。
最初は声をかけるか悩んだが、もう吹っ切れたと自分に言い聞かせて彼女に声をかけた。
声を掛けられた彼女は最初は驚いていたが、昔と変わらぬ笑顔で信吾に言う。

「帰って来ちゃった。」

てへっと表情では笑う彼女だったが、その目は赤い。
彼女曰く、旦那がクソ過ぎて別れてきたそうだが、その時は、信吾は黙って長々と続く愚痴を聞いてやることにした。
そんなこんなで、彼女も今は実家に戻り、礼文島の観光ガイドの職に就いていた。

「仕事はもういいの?」

信吾が聞く。

「観光客が激減したのにガイドもないべさ。
転職の考え時かなぁ~」

「でも、島の仕事っつたって、なんか良いのあるか?」

さと子は口を人差し指で押さえながら考える。

「ん~~、色々と厳しいよね~
もう島外には出たくないし、誰かの嫁にでも貰ってもらうかなぁ」

「バツイチですが宜しくって?」

「うっさいわ!馬鹿ぁ」

笑いながら信吾が言い、さと子も笑いながら拳を振り上げる。

「まぁ 冗談はいいとして、これからお父さんのいる漁港にお弁当持っていくから、もう行くね。」

「あぁ こっちもあと一件ほど昼前に回るんだわ。それじゃぁ またな」

「うん、ばいばーい」

彼女を乗せた軽自動車が走りさる。

「嫁ね…」

信吾はそう呟くと、少し物思いにふけりながら自転車に跨って次の巡回先へ向かうのだった。




………

「…でねぇ、お巡りさんが来てくれるのが楽しみでねぇ。
毎日こうやってまってるんだわ」

人付き合いに飢えている人ほど話が長い。
この岡田のばぁちゃんもその例に漏れない人だった。
既に何十分滞在しているだろうか…

「じゃぁ おばあちゃん。俺、そろそろ…」

申し訳なさそうお暇しようと信吾が言うが、立ち去ろうとする彼を押しとどめて彼女は話を続ける。

「あぁ そういえば、おはぎ作ったんだけど食べてってくんないかい?
一人じゃ食べきれなくてね」

「いや、俺、そろそろ戻らないといけないんだけど…」

「今回は特別出来がいいんだよ」

帰ろうとするたびに、何かしらの理由を作って引き止める彼女に信吾は思う。
…うーん、意図的に聞いてねぇなこりゃ
そう思った信吾は、どうやって逃げようか本気で考え始めた時、警察無線が唐突になった。

『香深駐在所より、平田巡査部長へ。 
香深駐在所より、平田巡査部長へ 応答求む』

無線から聞こえる自分を呼ぶ声。
信吾は、これでこのばぁちゃんから逃げられるなと思い無線に応答する。

「こちら平田。 なにかありましたか?」

『稚内署から連絡だ。
現在、本島へむけ西方海上から武装集団の船が向かっている。
ついさっき島の北側に避難勧告が出されたから住民を島の南部へ誘導をしてくれ。
言っとくが悪い冗談の類じゃないぞ。大マジだ!』

武装集団?冗談じゃないのか?
余りに唐突な連絡に信吾の思考は止まるが、それとほぼ同時に周囲に響く防災無線から鳴るサイレンで現実に引き戻された。

『着上陸侵攻情報。着上陸侵攻情報。当地域に着上陸侵攻の可能性…』

「マジかよ…」

けたたましく鳴るサイレンと繰り返されるアナウンスが、無線連絡が本当だと証明し、信吾はそれを呆然と聞く。

『分かったか?平田!』

しばらく黙って放送に耳を傾けていたせいで、無線に返事をするのを忘れていた。

「了解しました。これより、住民の避難誘導に入ります」

信吾は無線を戻すと真面目な顔で目の前の岡田のばぁちゃんに向き直る。

「聞いてたか?ばぁちゃん!避難だよ避難!」

激しく動揺しているばぁちゃんは、あわあわと返事をする。

「ちょ、ちょっと待ってね。着替えやら用意してくるよ」

「そんなのいいから!貴重品だけ持ってさっさと逃げるよ!
俺は他の世帯を見に行くけど、ばぁちゃんは貴重品もったら早く避難してね!」

そういって信吾は家の外に飛び出した。
外では、放送を聞いた村人が何事かと表に集まってきている。
一体何の冗談かと住民たちが話し合っていると役場支所からスピーカーの付いた車が走り出てきた。

『避難警報が発令されました。住民の皆様は貴重品だけ形態して島南部へ避難してください。
車のある方は自主避難をお願いします。車の無い方は役場が車を出しますので、中学校グラウンドへお集まりください…」

最初は誤報かと思ったが、同じ内容を役場の車が流している。
表に出ている皆は、未だ信じられないのか固まっていた。
これはいけない。それを見た信吾は、手を叩いて皆の目を覚まさせるように叫ぶ。

「みなさん!放送のあったように避難警報が出ました!すぐさま貴重品だけ持って避難してくださーい!」

信吾がそう叫んだ瞬間だった。
遠くで連続した爆発音が聞こえる
その場の全員が何事かと海岸へ走ると、湾の西端にある漁港から黒煙が上がっている。
閃光が走り、遅れて爆発音が響く。
見れば数隻の帆船が湾内に侵入し始めていた。

「避難!避難だ!急げ!」

その声に目が覚めた村人は蜘蛛の子を散らすように貴重品を取りに家々に戻っていった。

「なんてこった。もうそこまで来てんべさ。
急いで住民を避難させなきゃヤバいべや」

信吾は急いで周囲の家々を回り、住民が避難を始めていることを確認して回る。
役場の放送などがかかっているが、耳の悪い年寄が聞き漏らしている可能性もある。
集落の北側から役場支所にかけて、避難状況を確かめながら信吾は駆け回った。
一通り回って、住民が避難を始めるのを見ると信吾はその列に加わる。

「誰かいない人はいませんかー!
ご家族、近所の方はちゃんといますかー!」

避難民の最後尾について叫ぶが、特に申告は無くどうやら皆避難できているらしい。
だが、順調な避難とは裏腹に爆発音はどんどん近づいてくる。
最初は西側のスコトン岬に近い漁港から爆発音と黒煙が登っていたが、今では湾の中心の港からも黒煙が登っていた。

「あぁ 浜中港が…」

漁港が攻撃され、停泊していた船が燃えている。
一同は建物の間から海を眺めつつその光景に息を飲んでいた。

駄目だ。皆、その光景に目を奪われて足取りが止まってしまった。早く避難しなくちゃならんのに!
信吾は歩みが止まってしまった避難民の列に力の限り叫ぶ。

「みなさん!止まらずに避難してください!役場支所までもうすぐです!
役場の車が待機してますので早く逃げてください!」

信吾がせかす。
それに動かされて皆が再び動き出す。
老人が多いため、決して早い移動ではなかったが、それでもやっと支所についた。
すぐさま役場の職員が、用意した車に避難民を乗せていく。
もちろん役場の車だけでは数が足りない、地元の有志の車に便乗させる形でなんとか数を確保していた。
信吾は職員の一人を捕まえて現状を聞く。

「村の北半分は避難してきたさ。残りはどうなってるべ?」

「浜中より西は避難完了です。ですがそれ以東は、地元の有志が近隣のホテルからマイクロバスを借りて
車の無い高齢者世帯の救出に向かいましたよ。」

「そうか。わかった!ありがとさん!」

刻一刻と謎の船団は近づいているが、避難自体は順調に進みそうだ。
信吾とその職員は発車する車に乗った村人を見送る。
そして最後の車を見送った時に、あることに気が付いた。

「あれ?岡田のばーちゃんは?」

「岡田さんの所のおばあちゃんですか?
いや、見てませんが、他の車に便乗して避難されたのでは?」

新語の言葉に、自分たちも逃げる準備をしていた職員が答える。
信吾は嫌な予感がした。
確かに、あのばーちゃんには最初に声をかけたが避難しているところを見ていない。
もしかしたら、未だ避難していないのでは…

「ちょっと、俺、見に行ってくる。戻ってくるまで車一台残しておいてくれ」

「え? ちょっと!」

職員の返事も聞かず信吾は駆け出した。
道なりに住宅地を抜け、ばぁちゃんの家を目指す。

「まだ時間は大丈夫だろうか」

こうしている間にも、謎の船団は近づいてくる。
あとどれほどの猶予があるのか。
気になった信吾は家々の隙間からちらりと海を見た。
だが、そこには既に信吾の願望を裏切るかのように、真っ白な帆を掲げた船が港に入港する姿が見えた。
甲板には多数の人影が蠢いている。時折反射する光は、彼らの手にある大型の刃物の反射光だとすぐに分かった。

「あいつら、船泊港に上陸する気かよ… 冗談じゃないぞ」

焦った信吾は必死に走る。
頭の血管が切れそうになるほど必死にダッシュして、ようやく集落の北側に近づいた所で、目の前の道路上に小さな後ろ姿が見えた。

「ばっ…・ばぁ…っちゃん! 何…してん…だ!

信吾は目の前の後姿に向かって本気で叫ぶ。
全力で走ったため中々声が出ないが、それでも岡田のばぁちゃんは気づいてくれた。

「あら、お巡りさんどうしたの?そんなに息切らして」

現在の状況が余り理解できていないのか、特にあわてた様子も無く彼女は信吾に聞く。
そんな落ち着いた様子の彼女に、肩で呼吸をしながら信吾は彼女の肩を掴んだ。

「どしたのじゃないよ! ばーちゃんこそ何してるの!早く避難しなきゃ!」

「いや、ちょっと忘れ物を取りにね。年取ると忘れっぽくていかんわ」

彼女は、はっはっはと能天気に笑うが、それに対して信吾は語気を強めて叱る。

「忘れ物じゃないよ!もうすぐそこまでワケの判んないやつらが来てるんだから
そんなものほっといてさっさと逃げるよ!」

「駄目」

彼女は首を振って言い放つ。

「駄目!?一体、何を忘れたの?」

もうそんなに時間は無いのにと焦りつつ、呆れたように信吾が聞く。

「おじいちゃん」

「おじいちゃん?」

おじいちゃんを忘れた?
信吾の頭に?マークが浮かぶ。

「去年死んだあの人を残して行けないよ」

「何言ってるんだよ。ばぁちゃん!」

「せめて位牌くらいは持っていかないと、一人にしちゃ可哀想だし…」

彼女の目には、悲しげな光が宿っていた。
おそらく、この雰囲気は諦めるように説得しても聞かないだろう。
そう思った信吾は、今一度大きな深呼吸をした。

「よし!じゃぁ俺が取ってきてあげるから、ばぁちゃんは役場の支所まで逃げろ
そこに役場の人が待ってるから早く逃げるんだ。いいね?」

「で、でも…」

「いいから、まかせて。そのかわり、ばぁちゃんも必死に逃げるんだよ?」

信吾は岡田のばぁちゃんを回れ右させて背中を叩くと、その反対方向へ駆け出した。
岡田家は村の北側に位置する。
彼女と会えた地点が既に彼女の家からさほど離れていない場所だったため、200mばかり走るとすぐに目的地に到着した。
幸い玄関に鍵はかかっていない(というか鍵なんて無かった)
信吾は土足で家の中に上がり、すぐさま目的の物を探す。
あまり大きくない家だったため、目的の物はすぐに見つかった。
位牌は、仏間の小さな仏壇にちょこんと置かれていた。
信吾は一応仏壇に手を合わせた後、それを懐にしまう。

「よし!位牌は回収したし、俺も逃げるか!」

そう気合をいれて玄関から出た瞬間だった。
丁度、此方の家に侵入しようとしていた鉄の鎧を着た髭面の男と目があう。

「ヒャッハーーー!!!」

男は、信吾が言葉を掛ける暇も無く、風切音と共に男は剣を振り下ろしてくる。
なんとか間一髪で信吾はそれをよけたが、イキナリの事なので体勢を崩してしまった。

「な!ななな何だ!お前!」

尻餅をつく信吾は男に問うが、その答えは更に続く斬撃だった。
横に跳び、転げまわって避けるが相手は止める素振りをみせない。
何度かの斬撃を避けると、その男は無様な逃げ様を面白がってか、笑いながら剣を構えて近づいてくる。
これはヤバイ。
そう思った信吾は、取り出した銃を構え男に向けた。

「止まれ!止まらないと撃つぞ!」

男はにやけた顔のまま近づいてくる。
全く怯む様な様子はない。
それどころか信吾の姿を見ながらニヤニヤと笑っている始末。
そして雄たけびと共に再び剣を再度振り上げたところで、信吾は撃った。

パァン!

最初は威嚇として空に撃ったが、いきなり響いた大きな音に、流石に驚いた男は慌てて身構える。
目を丸く見開いてこちらの様子を伺っている。
だが、大きな音がしただけで、特にこれといった怪我が無い事を男は確認すると、男はニヤリと笑って再び剣を振りかぶる。
信吾の頭を叩き割らんと振りかぶる男。
その男に、信吾の二発目の弾丸が放たれた。

パァン!

「グァァァアァ!!!」

着弾と共に、太ももを押さえて男が倒れる。

「やったか!?」

初めて人を撃った。
本来ならば、その事に対する葛藤があってもよかったのだが、状況がそれを許さなかった。
最初の銃声を聞きつけ、付近の家を荒らしていた他の仲間が通りに出てくる。
そして二回目の銃声で仲間が倒れるのを見ると、怒りの表情を浮かべて此方に走り出してきた、

「やっべ。逃げるぞ!」

信吾はダッシュした。
流石に鎧兜で武装した集団と、制服だけの信吾とでは速さが違う。
みるみる武装集団を引き離す。
これなら逃げ切れるかと思った瞬間、信吾の視界に岡田のばぁちゃんの後ろ姿が目に飛び込んできた。

「いかん!ばぁちゃんコッチに気付いてない!」

耳が遠いのか異変に気付いていない様子でひょっこりひょっこり歩いている彼女に、信吾は力の限り叫んだ。

「おーい!!ばぁちゃん!逃げろー!!」

信吾の何度目かの呼びかけにようやっと気付いたのか、彼女は一度こちらを振くと血相を変えて走り出した。
だが老婆の全速力は強歩と大差なかった。
既にかなり近くまで来ていたこともあり、あっという間に信吾が追い付く。

「ばぁちゃん!掴まってろよ!」

「うひゃぁ」

信吾は、説明も無しに彼女を肩に担ぐと再び走り出す。
だが、人一人担いで走るのは、信吾の速力を大いに落とした。
先ほどまでに稼いだ武装集団との差もみるみる内に縮まっていく。

「畜生!こんな所で死んでたまるか!」

そう気合を入れるが状況を変わらない。
もう十数mの所まで奴らが追いかけてきている

「あと300m!」

このままでは追いつかれてしまう。
流石の信吾も老婆を担いだ全力疾走でスタミナもとことん使い果たし、もうだめかと思われたその時、
数十m前方の橋の周囲に緑色の集団が小走りに並ぶのが見えた。
信吾は最後の力を振り絞りその方向へ駆け抜ける。
信吾が走りきり、その集団の横を通過した瞬間だった。
ゴールテープの代わりに、辺りに耳をつんざく銃声が鳴り響く。
体力の限界からか崩れ落ちる信吾。
振り向くと迷彩服の男たちが追ってくる集団に銃撃を加えている。
それにより、信吾を追いかけていた者達が血潮の花を咲かせながら道路に積み重なっていった。

「自衛隊ですか」

老婆を背負った全力疾走に、息も絶え絶えになった信吾は聞く。

「あぁ よく頑張った。
我々はここに防衛線を張って持ちこたえるから、君らは島南部へ避難してくれ。
役場の車も後方で待っているから、疲れているかと思うがもうひと踏ん張りだ」

指揮官と思しき人が信吾に手を貸して引っ張り起こす。
そう、まだ助かった訳ではない。
あの職員が待っててくれている。早く戻らねば…
信吾は足に鞭打ち岡田のばあちゃんを連れて急ぐ。
防衛線から役場の支所まではさほど離れていなかった。
拓也が彼らと会った場所から100mほど移動すると支所の駐車場についた。
そこでは、車をアイドリング状態にした職員が一人で待っていてくれた。

「ご苦労様です!ささ!早く乗ってください」

そういって彼がスライドドアを開けると、信吾は急いでばぁちゃんを押し込む。
信吾もフラフラとした足取りで助手席に乗り込むと、やっと落ち着くことが出来たため、懐に持っていた位牌をばぁちゃんに渡した。

「おばぁちゃん。これだろ?おじいちゃんはちゃんと連れてきたよ」

信吾は金色で縁取られた黒い位牌を彼女に渡すと。
岡田のばぁちゃんは、両手で大事に受け取り涙ホロリとを流して頭を下げた。

「ありがとう。ありがとうね」

何度も繰り返される彼女の感謝の言葉。
その言葉を聞き信吾もやり遂げた気分になり、疲れが若干引くかのような感じを覚えた。

「じゃぁ 行きますか」

運転席からそのやり取りを見ていた職員は、一度信吾の顔を笑ってチラリと見るとゆっくり車を出した。

「ふう これで避難は完了か…」

一息ついて信吾が言う。

「そうですね西側の地域へ向かったマイクロバスが戻れば完了です。
あ!見てください!ちょうどこっちへ戻ってきましたよ!」

見れば前方からマイクロバスが戻ってくる。
東南部へ向かうには道道40号線の一本道なので、西方からの車は全てこっちを通過しなければならない
信吾らは交差点にてバスを待つと、戻ってきたバスに避難状況の確認するため車を降りた。
だが、バスの運転手が窓を開ける前に信吾の携帯が着信を知らせる。

「誰だ?こんな時に…」

画面に表示された名前は、"林野さと子"

「ん?さとちゃん?なしたんだべ?」

不審に思った信吾は電話を取る。

「さとちゃん!大丈夫か!?」

「あぁ!良かった!しんちゃん助けて!」

電話の向こうから緊迫した声が聞こえる。
相手の声色からしてただ事でないのはすぐに感じ取れた。

「いったいなした!?」

信吾が真面目な顔になり聞き返すが、信吾が電話をするその横でも緊迫した会話がなされていた。

「バスが向かえない!? 一体どうしたって言うんですか!」

職員が叫ぶ。
それに対するバスの運転手の答えと電話の向こうのさとちゃんの答えは奇しくも重なった

「「攻撃で燃えた車が道を塞いでて避難できないの(んだべ)」」

信吾と職員はお互いの顔を見合わせて絶句した。
かれらの長い一日は、まだ始まったばかりだった。









信吾たちを追う集団を撃退した元陸上自衛隊 第301沿岸監視隊派遣隊は、礼文島の北側、久種湖から流れ出る大備川に沿って展開していた。
現在は組織名が連邦軍へと肩書は変わったが、編成的には何ら変化は無い。
だが、そんな彼らも、自分たちを取り巻く戦略環境がガラリと変わってしまった事を橋の上に転がる敵の死体を見ながら実感していた。
そんな防衛線を展開する部隊の中に、一人の隊員が駆け寄ってきた。
彼は一直線に、階級が一番高い人物の所まで駆けてくると、彼に向き直って敬礼をしながら報告する。

「隊長!報告します。船泊湾西部の集落が道路上の火災の為、孤立している模様です。
先ほど走ってきた警官と役場の職員が、住民の救出に向かいましたが如何しますか?」

その報告を受けた辻3等陸佐は島北部の地形をイメージすると考えるまでも無く指示を出した。

「分屯地の通信隊に連絡して応援を出してもらえ。
防衛地点からは人員をこれ以上割けん」

この場で援軍が現れるまで持久しなければならない以上、前線から救助に割く人員を抽出する余裕はない。
5隻の船に満載された武装集団を相手にするには、彼らは少なすぎる編成だった。
それに、彼らは敵の規模を現状で一番熟知している。
なぜなら、今回の騒乱で異変を一番最初に察知したのは彼らのレーダーだった。
不明船団の接近、海保の接触、そして沈没に至るまでを彼らは監視し報告し、リアルタイムで敵の情報を集めている。
そして敵船団の一部がこちらに向かってくるのを見た時は、部隊に非常呼集をかけられたが、その時点ではまだ敵が上陸してくるとは本気で思ってはいなかった。
冷戦時から現代まで、礼文島の戦略的価値はレーダーサイトであり、それに対する航空攻撃は十分なリアリティを持って考えられていたが
島自体の占拠は、あるとしても北海道の占領後。
実際の所、隊員たちはそのくらいにしか考えられていなかった。
だが、彼らの先入観は転移後には通用しなかった。
敵船団の湾内突入という事態が、彼らの予想をぶち壊す。
ここに来てやっと、敵上陸部隊との陸戦を想定した臨戦態勢が敷かれたが、もともと分屯地全員で40名ほどしかいない。
その内訳も、沿岸監視隊派遣隊・基地通信中隊礼文派遣隊そして業務隊の3つを合わせて40名である。
最小限のレーダー運用要員と守備を除いて、ほぼ全力出撃の臨時編成を行ったが、それでも3個分隊が精一杯だった。(これには業務隊も守備にぶち込んだ。)
その甲斐あってか、水際での上陸阻止こそできなかったものの、川を防御陣地として敵の阻止には成功したようである。
だが、彼らは知っている。
5隻もの船に満載された兵員があの程度では無いことを…

報告に来た隊員に指示を出した辻三佐が、視線を眼前の橋に戻して皆に聞こえるよう大きな声で隊員を鼓舞する。

「さぁ 次がお出ましだぞ!民間人の避難が終わるまで、死んでも奴らをここから通すな!わかったか!」

各所に展開する隊員から、それに応えるように威勢のいい返事が返ってくる。

稚内には難民監視の部隊がまだいるはずだ。
増援が間に合えば勝てる。間に合えさえすれば…

辻三佐はそんな事を考えながら、続々と現れた敵の集団に向かって次の射撃を命令する。
命令と共に耳をつんざく銃声があたりを支配し、橋の上に赤い血を流す肉袋が積み重なっていく。
だが、幾ら倒しても敵の流れは止まらない。
戦争は数だと古来より言われているが、それを質でカバーする。
旧自衛隊の是とした理念の本懐を見せる時が来たのだった。




船泊港


もぬけの殻だった港で、クラウスは物資の揚陸の指示を取っていた。
既に斥候と、揚陸の終わった歩兵主体の貴族の部隊から順に南方に見える集落に向かっている。
今の所、制圧した港も付近の集落も、住民全てが逃げた後であった。
逃げた住民も未だに補足出来てはいない。
これは間違いなく、この島の領主に我々が上陸したという情報が行ったと見て良いであろう。
その確信の下、クラウスはいずれ来る守備兵の来襲に備えて、揚陸される兵を逐次集落へ向かうのではなく、港に残って物資の揚陸を優先した。
他の貴族の兵が嬉々として乱取りに向かうのを見て、配下の兵は、焦る気持ちが体から溢れんばかりになっているが
クラウスは「命令違反は即座に斬り捨てる」と宣言してそれを抑え込んだ。
乱取りは早い者勝ちである。
兵達の焦燥感もわからないでもない。
だが、準備不足のまま兵力を投入するなど愚の骨頂である。
一部の馬鹿貴族は、先陣を切って乱取りに向かい、統率なんて有って無いの如し。
配下の兵も、船を降りた順に集落へ走って向かう。
あれで敵の待ち伏せにあったら如何するんだろうか。
いきなり頭を潰されて潰走なんて事態になったら目も当てられない。

「伝令!あのバカ共に単独で突っ込み過ぎるのは危険だと言ってこい!」

そもそも今回の遠征は、指揮系統がおかしい。
兄上が未だ戻ってこぬため、我々の輸送船団は頭を失った状態になっている。
クラウスの船以外は兄上の直臣ばかりであり、そして、そのどれもが影響力の強い家臣ばかり。
抜きんでている者もいなければ、特に序列が低いものもいない。
言い換えるならば、誰もが主導権を握れずにいる。
その為、先ほどのような独断専行がまかり通ってしまった。
どうしようもないなと思いながらも、クラウスは着々と進撃の準備を整える。
そんなクラウスの船から10羽ほどの軍鳥が渡し板を伝って揚陸されてくるのが見えた。
人の背丈を超える体躯に、頭部を覆う純白の羽毛と胴体を覆う漆黒の羽毛が、強靭な足と、人の頭くらい平気で噛み砕く巨大な黄色い嘴を相まって勇壮な姿を晒している。
その中の一羽。
一際煌びやかな面蓋いを被った個体にクラウスは近づく。
そしてクラウスは、その横顔を撫でながら語りかけた。

「待ってろよ。すぐに思う存分働いて貰うからな」

鳥は「クェーーー」と主人に返事をするかの如く鳴く。

そして、丁度その時だった。
斥候や一部の馬鹿貴族が先行した集落の方向から連続した炸裂音が聞こえた。
まるで鉄板をハンマーで叩いたかのような連続音があたりに木霊する。
クラウスは鳥の横顔を撫でながら真剣な表情で音のした方角を見た。

「やはり来たか… 残りの荷揚げは水兵に任せ、騎兵は直ちに騎乗!
歩兵、魔術兵も装備を確認しろ!準備完了次第、敵の掃討へ向かう!」

その命に、兵達からは待ってましたと声が上がる。
士気旺盛、戦意も上々。王国でも屈指の練度を誇るクラウスの兵。
鎧袖一触。
誰もが勝利を確信していた。
兵たちは素早く隊列を組み、揚陸を終えた他の貴族や騎士と合流しながら集落へ向けて南下する。
だが意気揚々と進軍した彼らであったが、それも集落の入り口に来たところで彼らの足が止まってしまった。
先行していた兵が我先にと逃げ戻ってきたのだ。
わらわらと蜘蛛の子をを散らしたように戻ってくる男たち、そんな彼らを見て何事かと思っていると
逃げ戻る彼らに交じってクラウスの放った斥候が戻ってきた。

「先行していたパヘロ様、待ち伏せしていた敵の陣に果敢に切り込むも、あえなく討死なされました!」

斥候がクラウスに状況を知らせる。
なるほど
言わんこっちゃない。
聞けば勢いのまま突撃し、配下の兵の1/4数を道連れにやられたとか。
彼の兵は総勢で200名ほどだったから、いきなり50名も無駄に浪費したことになる。
クラウスは勝手に突っ込んで死んでいった馬鹿に呆れ返ったが、50名の代価で、軍を乱す無能な馬鹿が一人排除されたと前向きに考えてみる事にした。
武人にとって無駄死にこそ最も恥ずべきことの一つである。
そう考えてやらなければ、彼に道連れにされた兵達が無念すぎる。

「それで、敵の詳細は?」

無能のために道連れにされた兵たちの無念を思いつつも、クラウスは、軽く頭を振り思考を切り替えて斥候に問う。

「この先の川に沿って陣を張っている模様で、橋へ殺到したパへロ様の兵に対し付近の家や障害物の陰から攻撃してきます。
見た目にはさほど数は多くないようですが、未知の武器を持っているようです。
破裂音の後、兵がバタバタ倒れたのを見る限り、新手の魔道具かと思われます。」

「敵は魔術師か?」

一人の貴族が斥候に尋ねる。

「おそらくは… 私はあのような魔術は初めて見たので、わかりかねます。」

詳しい事は分からないという斥候の様子を横目に、クラウスの横に立つ騎士が小さく呟く。

「もしかすると… 噂のアレか…」

「なにか御存じなのですか?ルイス様」

何か思い当ることがあるような表情の白髪の混じった口髭を蓄えた騎士にクラウスは聞く。
それに対し、ルイスは確証は無いのだがとの前置きの下、話し出した。

「破裂音のする飛び道具の武器と聞いて、子飼いの商人から聞いた話を思い出してな。
東方の異教徒の国に、彼の国で作られた燃える粉を使った武器が有るそうなんだが
それが斥候の報告に似ていると思ってな。」

「燃える粉?」

そんなもので一体どうするのか。
粉が燃える程度でどうにかなるとは思えない。
クラウスはルイスの説明にいまいちイメージが掴めなかった。

「あぁ 何でもそれで魔法の真似事をするそうだ。
イグニス教を認めないがために魔法が使えない彼の国の奥の手らしい。
実際に見た商人の話では、我々の魔法には遠く及ばないというのだが…」

商人の話では大した脅威ではなかったはず、そう聞かされていたルイスだったが、実物を見ない限りは何ともいえなかった。
そんなルイスの言葉に横で聞いていた貴族の一人が口を挟む。

「その遠く及ばない謎の武器に、パヘロ殿の部隊が叩きのめされてしまったというのか」

既に損害が出ている以上、侮ってかかるわけにはいかない。
そう遠まわしに語る言葉にクラウスも同調する。

「敵の攻撃が、魔法にしろ未知の武器にしろ、我々の知らぬモノである以上、それを見極めねば無駄に損害が広がるだけだ。」

「だが、こんな所でいつまでも道草を食っているわけにはいくまい。」

クラウスの消極的な意見に他の貴族から即座に突っ込みが入る。
ではどうするか、双方が黙りこくって考え始めたとき、そのやり取りを聞いてたルイスが口を開く。

「ではこういうのはどうだろうか。
まずは魔術師と弓兵の援護の下、パヘロの残存兵を突撃させ、敵の攻撃の特性を見極めた上で、我々の本体が敵を叩く。
これで、我々の配下の無駄な出血は抑えられると思うが、どうだろうか?
もちろん、統率を失った彼の兵は、私自ら督戦を行うので安心してくれ。
一人残さず戦意溢れる兵士として突撃に加えさせようぞ」

ルイスのこの意見に一同が頷く。
当のパヘロの配下の兵達は、この場にいないため異議の出しようもなかったが、恐らくは、無駄ではない意義ある死を迎えられると泣いて喜んでくれるだろう。
一度は潰走したものの、再び最前線に立てるのだ。
その恐れを知らぬ行動に神もお喜びになるはず。
クラウス達はのルイスの案に同意すると、潰走したパヘロの兵を集結させる様に配下の兵に指示する。
戦いの本番はこれからなのだ。





船泊村

大備川沿い第301沿岸監視隊陣地


最初の敵の突撃をしのいだ後、あたりには不思議な静寂が広がっていた。
立ち込める硝煙の匂いと、それに混じる血と臓物の匂い。
それらが潮風に乗り、あたりに展開する隊員の鼻腔をくすぐる。
あまり好ましいとは言えないその匂いは、隊員たちの緊張を維持するのに一役買っていた。

「来ませんね」

辻の隣で小銃を構える隊員が言う。

「あれで終わりでしょうか?」

更に言葉を続ける隊員に辻は答える。

「敵は船5隻で上陸してきたんだぞ。たったあれだけの訳がない。
無駄口聞かずに黙って構えろ」

敵の襲撃は、戦略もない力押しだった。
次々に向かってくる敵を、まるでゲームか何かのように淡々と撃つ。
高ぶる緊張とは裏腹に、その様子は単純作業そのものだった。
真っ直ぐ突っ込んでくる敵を照準に捉え、撃つ。
その繰り返し。
だがそれも、一際目立った甲冑の騎士を撃ち取ったのを境にピタリとやんだ。
指揮官だったのだろう。
その騎士が銃撃に倒れ、血だまりの中でピクリとも動かないのを見ると、残りの敵は潮が引くかのように撤退していった。
今、この場に残っているのは隊員を除けは、物言わぬ敵の死者しかいない。
どのくらい静寂が訪れただろうか、実時間にして10分程度かと思うが、臨戦態勢で待ち受ける彼らには数時間にも思えるくらいに長く感じた。
銃を構える彼らの周りで羽虫が踊り、彼らの皮膚の上で休み始める頃。
その静寂は、大地に響き渡る喊声によって破られた。


ヴァアアアァァァァ…・!!!

響き渡る軍勢の咆哮を聞き即座に辻は身構える。

「来るぞ!射撃用意!」

その言葉に反応し、隊員たちは気を引き締めて銃を構え直した。
そして家々の影から敵の第二陣が現れた瞬間から、地獄の第二幕が始まった。

「撃てー!!」

タン!タタタン!タタンタタタン…

乾いた連続音が続き、バタバタと人影が倒れる。
だが、それにひるまず敵も突撃を続ける。
此方に向けて走り出したそばから一人、また一人と血潮をまき散らして倒れていく。
まるで先ほどの再現。
あまりに単純で張り合いの無い攻勢に辻の表情に余裕が現れ始めていたが、それもある時を境に一変した。
突撃してくる敵の後方から幾つもの光弾が飛来し、彼らの展開している川縁の一部から、轟音と共に炎が上がる。

「一体何だ!?何が飛んできた?」

「わかりません!グレネードか何かでしょうか?」

辻は着弾点を見る。
そこには赤々と燃え上がる炎があった。

「火炎瓶か何かか?」

未知の攻撃に思考を巡らせようとするが、それも目の前を掠める矢の襲来によって遮られた。

ヒュ… タス!

「!!!」

振り返ると光弾を撃つ謎のローブを纏った敵と共に、弓兵が展開してきていた。
ただ突撃してくるだけの敵ならば、一方的な展開が期待できたが、飛び道具を使うとなるとこちらも危険にさらされてしまう。
何より、ここは地形的に障害物が多いため、銃の射程の優位性は失われている。
新たな敵の出現に、辻は新たな指示を出した。

「第一分隊と第二分隊は敵の阻止、第三分隊は敵弓兵とローブを着た奴らを狙え!」

獲物を指示された隊員達の射撃により、新たに表れた弓兵とローブを着た兵が次々に血を吹いて倒れていく。
襲ってくるものを着実に打ち倒してはいるが、それを上回る速度で増えていく敵兵は、隊員たちに少なくない出血を強要する。

「ぐぁぁああぁ!!」

辻の横で絶叫が上がる。
見ると部下の一人の腕に深々と矢が刺さっていた。

「隊長!松崎が負傷しました。左腕に矢が…」

そこまで言ったところで、伏せながら報告する部下に、放物線を描いた光弾が飛来した。

「ぎゃぁぁあああぁ 熱い!あつい!熱い!」

一瞬で火包まれのた打ち回る隊員。

「白石!」

目の前で火だるまになった隊員に、辻は隠れるのも忘れて火を消そうとする。
だが、叩いても土をかけても全身に広がった火は消えない。
そして辻の努力むなしく、のた打ち回った末に彼は遂に火が付いたまま動かなくなった。

「畜生!なんだこの火は?ナパームか!?」

消火を諦め、配置に戻って射撃に戻った辻は、横目で黒ずんだ塊になりつつある白石隊員をみて言った。
少なくても普通の炎ではない。
周りを見ると、撃ち込まれるその炎は隊員達の周りで燃え盛り、彼らの行動範囲を炎の壁によって狭めていく
その壁のすぐ近くでは、矢にやられたのか負傷した隊員が少なからず蹲っている。


このままではすり潰される。
だが、住民の避難は完了してない…
最早、市街への損害を考えてる余裕は無いな。

辻は考えた。
国民の生命と財産を守ることが自分たちの使命だが、状況が悪すぎる以上、市街地の損害を配慮して戦うことは無理だと。
このままいけば、自分たちはおろか後方の民間人にも犠牲者が出てしまう

辻は決断した。

「第三分隊!対岸の民家にある灯油タンクを狙え!」

その号令と共に、それまで弓兵とローブの兵士を狙っていた射撃が、対岸の家々に付けられている灯油タンクに集中する。
それによって、各世帯ごとに設置されている冬の暖房用に設置された大型のタンクは、鈍い金属音を立てながら文字通り蜂の巣となり、噴水のごとく中の灯油をまき散らした。

「よし、全員伏せろ!絶対頭を上げるなよ!」

その命令と共に辻を覗く全員が身を隠す。
ただ一人射撃姿勢を維持した辻は、敵が展開している付近にあった民家のプロパンボンベに射撃を集中する。
辻の行動の意味が分からない敵は、自分たちへの射撃が止まったのを見て、ここぞとばかりに殺到してくる。
それまで物陰に隠れていた後続も、射撃に怯えながら突撃を繰り返していた前衛も一丸となって向かってくる。
兵士が塊となり、川となって隊員に襲い掛かろうと橋へ向かった時。
今まで彼らが経験したことのない大爆発が彼らを吹き飛ばした。

大音響と共に人が木の葉のように吹き飛び、飛び散る破片が彼らの肉を抉る。
千切れた肉片が宙を舞い、ぶちまかれた臓物が地面に広がる。
そしてそれに追い打ちをかける様に、先ほどの射撃により噴水と化していた灯油タンクに炎が引火し、巨大な炎が彼らを包んでいく。
その炎は大量の火の粉をまき散らし、更に爆発で損傷を負った他のタンクにも燃え移る。
辻は続けざまに他のボンベに対しても射撃を加えた。

「うぉぉぉぉおお!」

辻の咆哮と共に爆発音が続き、更なる延焼がおきる。
視界に入るボンベを粗方撃ち尽くした時には、彼らの眼前には巨大な炎の防護壁が作られていた。

「よし、今だ!負傷者を後方のトラックへ運べ!手の空いている者は弾薬を補充しろ!」

何時まで持つか分からないが、集落の北側を焼き払ってまで作った時間だ。
無駄にするわけにはいかない。
増援が来るまで、いや、せめて西部の住民の避難が完了するまでは時間を稼がねばならない。
じりじりと肌を焼く熱気を放つ炎の壁を見ながら、辻は次の手を考えていた。



船泊村北

上陸軍部隊



突然の爆発と、立ち上る巨大な炎の壁を目にしてクラウス達は言葉を失っていた。
急な事態にその場の全員が言葉を失っている。

「…なっなんだ!?敵の魔法か!」

やっとこさで言葉を取り戻した一人が口にする。
それによって、目の前の爆炎に当てられて硬直していた周囲の将兵の意識も呼び戻され、驚きの言葉が口ぐちから漏れた。

「どうやら敵側にも強力な魔術師がいるようですな」

ルイスが冷静に語る。

「どうやら一筋縄ではいきませんね。」

ルイスの言葉に頷くように答えると、クラウスは考える。
先ほどまでは、敵は強力な飛び道具を使うが寡兵であり、弓兵と魔術兵の援護の下で突撃をかければ、十分に粉砕できると思っていた。
いくら強力な武器でも遠距離攻撃にて牽制し、敵の対応能力を超える兵で突撃をかければ一撃で勝負は決まるというのが彼らの予想だったのだが、
それは目の前で起こった大爆発によって打ち砕かれた。
この惨状、よほどの大魔術師が敵にいるに違いない。
次々と前線から入る連絡が、そのクラウスの考えを確信に変えた。

「報告します!前線に展開していたパヘロ様の残存兵全滅!
そして、他の部隊より抽出されていた弓兵と魔術兵の半数が負傷もしくは死亡した模様です!」

その報告を聞いて貴族の一人が思わず叫ぶ。

「なんて事だ!状況が一発でひっくり返されたぞ。
パヘロの残存兵と我らの弓・魔術兵の半数とは…
一撃で300名近くやられたというのか!」

まさに大損害である。
思わず継戦意欲が挫けそうになるが、そんな動揺する彼らの様子を見てクラウスが発言する。

「敵にはかなりの魔術師がいるようですね。
だがしかし、寡兵であることには変わりなく、先ほどまでの戦闘で奴らにも少なからぬ損害を与えているでしょう。
ここは、ひとつ敵の陣地へ突入し、接近戦でもって敵魔術師を討ち取れば、我らの勝利は揺るぎないでしょう」

「突入か… だが一体どうやって?」

「奴らの作った炎の壁を利用します。
見たところ、奴らも炎と黒煙に遮られて攻撃出来ないでいる。
これを利用して敵へ一撃を決めて見せましょう」

クラウスの言葉に全員が傾注する。
クラウスは堂々とその場の全員の視線を一身に受け止めると、自身の策を語りだした。





船泊村

大備川沿い第301沿岸監視隊陣地


炎の壁のお蔭で攻勢が一時的に止んだ彼らの陣地では、負傷者の移送と弾薬の補給が行われていた。
少し離れた所に止められたトラックへ負傷者を収容し、荷台から弾薬を取り出して各々へ配っていく。

「何人やられた?」

辻が負傷者の収容作業を終えた隊員に尋ねる。

「は!現在までの所、死亡2、重傷4、軽傷3です。死亡と重傷者の半数は、例の光弾による火傷が原因です。
軽傷の3名については、手当の後、戦闘可能です。」

それを聞いて辻は唸る。

「死亡2、重傷4か…」

唯でさえ少ない戦力が更に減ってしまった。
元々3個分隊、24名の戦力しか無かったのが、今では18名になり、これ以上の持久は更に厳しいものとなっていくのは明白だった。
眼前に転がる死体から察するに、既に敵を200名以上始末したと思われるが、敵船団の規模から察するにまだまだいるはずだと辻は予想する。
重火器があればもっと持久できるのかもしれないが、虎の子の12.7mmは稚内の本隊に配備されているくらいで、分遣隊として配置された島内には無い装備であった。

それに、人数的・時間的制約上、川沿いに防衛ラインを張ったが、川沿いの民家が障害となり

小銃の射程が制限されて、弓や例の光弾とまともに撃ち合っている様相になっている。

「これは、正面戦闘だと持たんな…
おい!分屯地に連絡して増援の状況を… !?」

辻がそう部下に指示を出した時に、配備に付いている隊員からどよめきの声が上がった。
辻が振り返ると、海から何本もの水柱が何本も伸び、まるで蛇のようにのた打ち回りながら、炎の壁に向かって落下する。
大量の水が落下した後には、炎の壁を切り裂いて何本もの焼け焦げた突破口が彼らの正面に出現した。

「総員戦闘準備!!」

辻が絶叫する。
何だあれは?これは現実なのか?
俺たちは一体、何と戦っているんだ!?
これまでの常識を覆す敵の戦いぶりに辻は若干の混乱に陥っていた。
だが、敵は現実を受け入れるための猶予など待ってくれない。
敵は果敢にも燃え盛る炎の中に出来た道を渡り、突撃を繰り返してくる。
敵の突撃は正面のみ、残りの隊員を正面に集中して辻は対応した。
先ほどより更に限定したルートを敵は突っ込んでくる。
水柱が次々と道を切り開き、突入路の数を増やしつつあるが、その阻止は、先ほどの戦闘より格段に容易いものだった。
何より、燃え盛る炎のお蔭で、敵は満足に弓や光弾を狙って放てない。
時より矢が降り注ぐが、その着弾地点は的外れな物ばかりだった。

これはいけるか

隊員の誰もがそう思い始めた時、予想外の方向からズシンと重量物が落下したかのような音が部隊側面の山側より響いた。
そこには何条もの土色の柱がそびえ立ち、ズシンと低く響く音を立てながら燃え盛る炎を押しつぶす光景があった。
大量の土砂が炎を鎮火させ、その道の上を新たな敵が向かってくる。

「しまった!!」

辻がそれをみて叫ぶがもう遅かった。
正面に戦力を抽出したため、手薄になった左翼から敵の突撃が始まる。
それを食い止めようにも、正面の敵の勢いは一向に弱まらない為、対応が不足する。

「うわぁぁあぁ!!!」

左翼に展開していた数少ない隊員が絶叫しながら発砲するが、数に押し切られ、目の前の敵を始末しても横から襲い掛かってきた敵によって首と胴を両断される。
ゴロゴロと転がる首。
敵の一人がその首を掴んで頭上に掲げ声高に何かを叫ぶ。
今まで一方的にやられてきた敵も、その光景を見て一層勢いづいた。
より積極的に、より果敢に敵は突撃を繰り返す。
その旺盛な戦意と防衛ラインの一部が破られた事により、辻はついに撤退を決意した。

「総員トラックに搭乗!撤退する!」

その命令により、展開していた隊員は発砲を続けながら後退し後方に控えているトラックへ向かう。
だが、敵もその隙を見逃さなかった。
左翼から侵入した敵は、撤退する隊員によって数を減らしつつも、一人、また一人と退避の遅れた隊員に群がり、その命を奪っていく。

「急げ!全員早く乗り込め!」

次々にトラックに乗り込んでいく隊員。
辻は荷台の前に立ち、残る隊員に向かって叫ぶ。
だが、最後の隊員がトラックにたどり着く前に、敵によって切り伏せられると、辻は奥歯が割れんばかりに噛みしめ荷台へと飛び乗った。

「よし。出せ!」

「どこに向かいますか?」

「道道40号側を敵に抑えられた。
これによって、島南部への退避は最早不可能だ。
よって、我々はこれより西進し避難民の最後の盾となる」

辻は全員にも聞こえるよう荷台から運転席に向かって指示を出す。
それを聞いた運転席の隊員は唇を強く噛みしめアクセルペダルを踏む。
その間も後方から敵が追いかけてくるが、荷台からの射撃と投擲された手榴弾により次々と吹き飛ばされる。
なおも後方から追いかけて来るが、急発進するトラックによって、全て巻くことに成功した。
だが、このままではいずれ追い付かれる。
何かいい手は無いものか…
そう考える辻の目に、役場支所の駐車場にあるものが映り込んだ。
道側からガソリンスタンドに燃料を供給するためのタンクローリー。
非難のドサクサで事故でも起こしたのか、側面が損傷し、近くには突っ込んだと見られる乗用車が前部を大破させて乗り捨てられていた。
辻は運命の女神に生残るチャンスを与えてくれた事を感謝すると、前部座席に座っている部下に向かって叫ぶ。

「タンクローリー目掛けて発煙筒を投げ込め!」

一体何事かと前部の座席に座っていた隊員は驚いたが、すぐさま指示にしたがって、助手席に乗っていた隊員が発煙筒を点火して投擲する。
そして辻はトラックが駐車場を通過すると、射界がとれるギリギリの距離でタンクローリーに向かって発砲する。
カンカンカンという音と共にタンクに穴が開き、そこからジョボジョボとガソリンが漏れる。
そうして破損したタンクから小さな小川を作って流れ出たガソリンは、赤く燃える発煙筒に到達すると、その秘められたエネルギーを解放した。
先ほどの爆発とは比べ物にならない巨大な爆炎が辺りを照らす。
小さな爆発の炎にきらめくキノコ雲が上がり、付近の家々に延焼する。
キノコ雲が大きな黒煙に変わる頃には、あたり一面火の海と化していた。
凄まじい熱量が敵との間の道を塞ぐ。

これで暫くは時間を稼げるだろう。
だが… これでこの集落は終わりだな。
辻はそんな光景を見ながら心の中で呟く。
集落の中心部で起こった爆発は、徐々にその周囲に広がっていく。
これでは、仮に敵を撃退しても、ここには廃墟しか残らないであろう。
辻は悲しげな表情で燃える集落を見ながら、しばしトラックの揺れに身を任せる事にした。

避難の時間を稼ぐため町を焼き払った。
だが、それをもってしても防衛線は敵に押し切られ、避難経路も抑えられてしまった。
他にやりようは無かったのか。
一息ついたことで、彼の頭の中にそんな自責の念が渦巻き始める。
気づくと荷台の全員が辻の顔を見ていた。

いかん、部下の前で不安にさせる表情になるべきじゃないな。

辻はそう思うと、ピシャリと頬を叩いて気持ちを切り替える。
なにせ、彼らの戦いは未だ終わっていない。
自責の念で悩んでいる余裕など今の彼には許されていないのだから。







道道507号線


一台のマイクロバスが西へ向かって進む。
平田信吾巡査部長と役場職員の二人は、岡田のばぁちゃんをマイクロバスに乗ってきた住民に託すと、車を交換して避難民の救助に向かっていた。
一刻も早く向かわなければという気持ちが、アクセルを踏む右足に力を入れる。
その為、燃える車が道路を塞いでいる地点まで、信号も横断歩道もない道のりだった事もあり、ほんの数分で目的地に到着することができた。
車を降りた二人は、道路をふさぐ燃える車の位置の悪さに思わず額を抑えた。
片方は崖、もう片方は海という道路が一番狭くなっている部分。
そこを塞ぐように車が横転して燃えていて、その向こうには立ち往生する車列が見える。
迂回しようにも崖の斜面はキツ過ぎ、海側は波消しブロックが積まれた護岸なので、車での通行は完全に無理という有様だった。
それを見て、二人がどうしようか考えていると、炎の向こうから知った声が聞こえてくる。

「しんちゃーん!」

炎の向こう側で、さと子が叫びながら手を振っている。

「おーい!さとちゃーん!大ー丈ー夫かー!」

信吾も大きな声で返事をする。
さと子は、信吾が自分に気付いたのを確認すると状況を伝えてきた。

「私は大丈夫だけど、怪我人とジジババが多くて車無しじゃ避難できないのー!」

「待ってろよー!今、何とかしてやっからなー!」

信吾は、さと子が「待ってるねー」と間延びした声で返事をするのを確認すると
さて、一体どうしたものかと考え始めた。

「さて、どうすんべか。怪我人やジジババが多いとなると、徒歩で崖登るのは無理だし
波消しブロックの方に迂回させたら、おそらく半分以上は其のまま岸を離れて彼岸に行っちまう気がするな」

信吾は職員に意見を聞く。

「やっぱり、車をどけるしか無いんじゃないですかね?」

「んなら、まず車に何が載ってるか確認するべ。車どけるにしても最低牽引ロープが必要だべさ」

信吾のその一言で、二人は車内の捜索を始めた。
車内を引っ掻き回した末、二人は幸運にもなんとか工具類と牽引ロープを見つけることができた。
だが、見つけたそれには一つ問題があった。

「ナイロン製ですよ。コレ…」

職員が牽引ロープを手に取って言う。

「燃える車に引っ掛けるのは不安だなぁ…」

「あ、でも車体への引っ掛けは漁網用のロープを使ってみたらどうですかね?
幸い漁港はすぐ横だし、多重にかければきっと持ちますよ!」

職員は閃いたとばかりに笑顔で言う。
それを聞いた信吾は、特に他にアイデアも無かったので、じゃぁ とりあえずやってみるかと動き出そうとして足踏みするが、一つ気にかかることがあった。

「でも、流石に二人だけは時間的に辛そうだなぁ」

頑丈な漁網を繋ぐロープ。
イカにも重量がありそうであり、それを二人で燃える車に引っ掛けるのは骨が折れそうであった。
だが、そんな信吾に職員は笑って言葉を続ける。

「それについては解決しそうですよ。ほら、あれを見てください」

彼は信吾の後方を指さす。
そこには一台のオリーブグリーン色をした車がこちらに向かってきていた。

「ありゃ 陸自のパジェロだな。丁度良かった。」

人通りの無い一本道を疾走して一台の車が信吾らの車の後方に停車する。
エンジンが停止するのと同時に、応援にきたと思しき隊員が二名、すぐさま信吾たちの下へ駆け寄ってきた。

「応援に駆け付けました鈴木3等陸曹と石井1等陸士です。
避難民の状況はどうですか?」

敬礼して応援に来たことを告げる隊員に、信吾も敬礼で返しながら状況を伝える。

「船泊駐在所の平田です。現状ですが、炎上した車が道路を塞いでいるんだわ。
その向こうに避難民がいるんだが、怪我人とジジババが多くて徒歩での避難は無理。
そこで、どうしても車をどかさなければならないんだが、すまないけど手を貸してくれ」

更に漁網を引っ掛けたらどうかという信吾の話に、隊員達もすぐさま手伝い始めた。
重い漁網を4人で引っ張り、崖を超えて反対側へ回す。
そして反対側は、残りのロープの端を海側から回収する事で作業は10分程度で完了した。

「やっぱ、男4人だと早いべや」

信吾は一息つくと職員とそう話す。
正直、漁網を抱えての崖越えなど、二人ではやっていたらどのくらい時間が掛かったのか分からない。
そう感心する彼らから少し離れた所で、鈴木3曹はパジェロに牽引ロープで繋いだ漁網をセットした。

「よし!引っ張っていいぞ!」

それを合図に動き出す車。
引っ張られる漁網の太い綱は、炎上する車を引き摺られながら巻き込み、それをずるずると道の脇へ移動させた。

「やったぁ!」

信吾と職員はお互いに抱き合って喜ぶ。

「後は、路面で未だ燃えてる火を消すだけですね!」

「じゃぁ 俺はすぐそこの漁協事務所から消火器取ってくるわ」

そう言って信吾は、襲撃された漁港の中で唯一破壊を免れた建屋に向かって駆け出す。
その時だった。
駆け出した先の方角から、赤い爆炎が立ち上るのが見えた。

「!!?」

全員の動きが止まる。
10秒ほど経っただろうか、遅れて低い爆発音が聞こえる。

「な!?村の北側の方じゃないか?」

「え?何?爆発?」

それを見ていた避難民にも動揺が広がる。

「こりゃ いよいよヤバイべぇ…」

信吾は思う、向こうでは軍と武装集団が交戦しているはずだが、あんな爆発が起きたという事は、ただ事ではない。

「一体、何が起きた!?」

信吾は石井の元に駆け戻り、無線で情報を貰うように言う。
見れば、すでに鈴木3曹が車載無線で分屯地と連絡を取り合っている。
何度かのやり取りの後、彼はこちらに戻ってきて状況を告げた。

「交戦中の部隊が、敵の侵攻を阻止する為にやったそうです。
詳しくは分かりませんが、予想以上に敵の圧力が強いと…
もう、ぐずぐずはしてられません。
一刻も早く非難民を誘導しましょう。」

それを聞いた信吾も覚悟を決める。

「もう、路面を消火する時間も惜しい。彼らには車で一気に突破してもらうべ。
したっけ、俺ら二人で向こうに渡って事情を説明するから、合図を出したら彼らを先導してくれ」

その信吾の声に全員が黙って頷き、一斉に行動を開始した。
信吾らの乗り込んだマイクロバスは、強引に燃える路面を突破。
避難民の側に着くと彼らに掻い摘んで状況を説明した。

「只今、武装勢力が南下中です!みなさん一刻も早く非難しなければなりません!
これより、前方の炎を突破し軍車両の先導の元で避難を開始します。
高齢者の方等で運転に不安のある方は、マイクロバスに移乗してくださーい!」

何度か同じ呼びかけを行うと、高齢者ドライバーの車等から人々がバスに集まってきた。

「みなさん!ゆっくり奥に詰めて乗ってくださいね。」

高齢者を気遣いながら車に乗せていると、信吾の目の前にさと子が怪我をした彼女の父親を連れて現れた。

「しんちゃん。お父さんをお願い。それと… 私も乗っていい?」

さと子は、父親を信吾に託した後、上目使いにで信吾に聞く。

「ああ 座席は足りると思うから大丈夫だべ。そんなら、さとちゃんも他の年寄乗せるのも手伝ってよ」

「うん」

そういうと嬉しそうに笑ってさと子は、他の老人の手を引いて手伝い始めた。
相手に老人と怪我人が多い以上、無理に急かせる事が出来ない。
無理して転んだりしたら簡単に骨折してしまう危険もあるからだ。
過去に自分のばぁちゃんが転倒して簡単に骨を折ったのを思い出した信吾は、彼らに出来る無理のない最大限のスピード(はたから見れば、かなりもたついているのだが)で移乗を行った為
移乗希望者を全員収容すると15分も時間をくってしまった事に気が付いた。

…やっぱ、個々の車で行かせた方が良かったかな?
でも、パニックになって事故でも起こされたら逆に面倒だし、これで良いはずだべ。
信吾はそう一人納得すると、運転席に乗ってクラクションを鳴らす。
それを合図に避難民の車列が、一台づつ未だに燃える路面を越えてゆく。

「これで助かる?」

すぐ横の補助席に座るさと子が不安げに信吾に聞く。
信吾も安心させようと笑って答えた。

「ああ、後は避難するだけだから安心…」

安心してやと続くはずだった言葉が止まる。
その視線の先には、赤々と上る巨大な爆炎。
それにやや遅れて到達する大音響の中、信吾はさと子に向けて呟いた。

「…必ず守ってやるさ」



[29737] 礼文騒乱編3
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:11
船泊中学校グラウンド

侵攻軍本営



村中心部を制圧後、クラウスらは延焼の炎が届いていない船泊中のグラウンドに本営を移していた。
丁度いい広さの敷地が、部隊の再編に打ってつけだったのである。
敵が撤退し、集落全域を制圧した今、彼らは負傷者の手当てと軍議を行っていた。

「今回の戦闘により、350名ほどの損害が出ています。
内訳は、パヘロ様隷下の200名全滅。各部隊より抽出された弓兵と魔術兵に100名、それと敵の追撃時に爆発に巻き込まれ歩兵50名に損害が出ました。」

損害の多さにその場の全員が唸る。
敵は寡兵、撤退する敵を見た兵によると20名ほどのようであったという。
地の利は敵にあるとはいえ、このような一方的な展開は信じられなかった。
その重苦しい雰囲気を打ち破るかのようにルイスが口を開く。

「確かに敵兵は強力なようだが、無敵ではない。みろ、我が方も奴らを討ち取っている。」

ルイスが積み上げられた敵兵の死体を指差して言う。

「それに囮に使ったパヘロの部隊以外の損害は、例の爆発によるのが大半だ。
私の副官であるメディアが検分を行っているが、どうも燃えているのは特殊な油だそうだ。
それさえどうにかできれば、数を武器に圧殺してしまえるのではないかね?」

全員がその意見に聞き入る。
敵は無敵ではなく、矢が当たれば倒れ、魔法で焼かれるのだ。
ならば、多少の損害が出ようとも、征服後の領地配分を考えて積極的な攻勢が得ではないか。
ここで、怖気づいては配分が削られる可能性が高い。

「では、兵達全員へ鼓舞の魔法を掛けた後、進軍を再開しましょう。」

貴族の一人が欲にまみれた笑顔を浮かべながら言う。

「うむ。メディアが検分から戻り次第、全軍に魔法の支援を行う事にしよう。」

彼の副官は、高位魔術師であり一般の魔術兵が使えぬような魔法も使えた。
その一つ、鼓舞の魔法は遥昔より戦場で使われてきたが、鼓舞という名とは裏腹に、その真実の効果は別であった。

”死の恐怖の抑制”

完全に恐怖を消すことは出来ないが、これを抑制することにより、どんな弱兵も勇猛な戦士に変わった。
ゆえに太古より戦場で使用され、この世界では玉砕するまで戦うのは珍しい事ではなかった。
パヘロの部隊は独断専行により一度潰走したが、ルイスの督戦とこの魔法により、見事に玉砕するまで戦闘を続けたのであった。
そんな高位魔術師のメディアがしばらくすると検分を終えて戻ってきた。

「ルイス様。どうやらこの油は、家々の横にある箱に詰められているようです。
それらを避けて戦えば、再度火炎にまかれることは無いかと」

キリっと凛々しく姿勢を正し報告するメディア。
ルイスはご苦労と彼女の肩を叩いた。

「諸君。聞いての通りだ。
我々は、その点に注意しながら敵を追撃し殲滅する。なにか意見はあるかね?」

軍議に参加している騎士や貴族は、異論はないとして早く敵を叩き潰そうと息巻いている。
そんな空気の中、一本の腕が軍議の中にスラリとあがる。

「クラウス殿。何かおありかな?」

まだ何かあるかねと言いたげにルイスはクラウスに尋ねる。

「敵の追撃自体には異論はありません。ですが、一つ気になる点が」

「気になる点?」

全員の注目が集まるが、クラウスは東の山の尾根を指差す。

「ここからも見えるが、あの山の尾根に大きな建物がある。
この集落の家の形から察するに、おそらく普通の住居などではない。
あのような見晴らしの良い山の上にある事からも砦か何かだと思う。」

「なるほど…」

「仮に軍事施設だった場合、敵の追撃に出ている間に船団が襲われる可能性が捨てきれないと思うのだが、皆はどう思うだろうか?」

全員の顔が険しくなる。
現在、船団は食糧等の揚陸中であり、もし襲われでもしたらひとたまりもない。

「ですが、軍を分割するのは出来れば避けたいですな」

貴族の一人が言う。
戦力の集中という戦術のセオリーから見れば真っ当な意見だが、補給の遮断はそれ以上に忌むべきものだ。

「そこで、戦力の分割は最小限にするため、私の部隊が単独で事に当たろうと思う。」

この一言に全員が驚いた。

「単独ですか?それは逆に危ないのでは…」

もっともな疑問だった。
先ほどの戦闘で敵は寡兵でも十分な戦闘力を見せた。
それに対し200名足らずの部隊ではパヘロの二の舞ではないのか。
その疑問に対し、クラウスは淡々と己の策を語る。

「単独で向かうが、包囲のみに留め攻勢は行わない。
あくまでも船団襲撃への備えであり、攻略は皆と合流後だ」

なるほど、あえて包囲のみで睨み合うのであれば、敵の動きを拘束できる上に損害も出ない。
その答えに全員が納得した。
これで安心して追撃が行えると。
そんな皆の心の内を代弁してルイスがクラウスに言う。

「では、クラウス殿は敵砦への対処へ向かい。
その間に我々は敵の残存兵を追撃する。異議のあるものはいるか?」

全員が頷きながらルイスを見つめている。
異議など出ようは無い。
確かに敵の別働隊に対する備えは重要だが、積極的な攻勢に加わらないのであれば戦果が得られぬ。
戦後の論功行賞を思えば、クラウスがここで貧乏くじをあえて名乗り出るのは、他の者達にとっても有難かった。

「では、異議は無し。
さぁ 戦場に戻ろうではないか!
敵兵が我々の蹂躙を待ちわびているぞ!」





礼文島船泊村

道道507号上


赤々と燃える集落を尻目に一台のトラックが西へ向かって走っている。
荷台には負傷した兵士と意気消沈した兵士が立ち上る黒煙を眺めていた。

「クソ!」

彼らを率いる辻三佐は悔しげに吐き捨てる。
寡兵であるが故、敵の攻勢圧力に耐え切れず正に撤退中という状況であるから無理もない。

防衛線を再構築しなければ…

辻はそう考えながら、脳内に広げた島の地図から防衛に適した地点を考える。

未だ避難民は西側に取り残され、南部への唯一の道は敵に抑えられた。
となれば、海から脱出させるしかないか。
湾内の港はやられているから、そうすれば残るは一つしかないな…

考えを纏めた辻は、部下の隊員に無線をよこすように言う。

「礼文分屯地。礼文分屯地。こちら辻三佐。聞こえるか?」

その呼びかけに、少し掠れた音声で、返信が直ぐに返ってきた。

「こちら礼文分屯地。辻三佐ご無事でしたか?」

「あぁ 村を焼き払っておきながら、のうのうと生きてるよ」

自分への皮肉をたっぷり込めて返事をするが、無線の相手は、本当に自分たちを心配してくれていたようだ。

「こちらからも爆炎が見えましたから心配してました。それで要件は何でしょうか?」

「あぁ それなんだが、道道40号線が敵に抑えられた。
戦力的に陸路での避難は不可能。よって海路での避難を行うため船を寄越してほしい」

「船ですか?」

「あぁ これより我々は道道507号上のホロナイ川に防衛線を張り、住民の避難が終わるまで持久する。
その間に礼文西漁港から避難民を回収してほしい。それと、避難民の所へ向かった奴らにもこの事を伝えてくれ」

それを聞いた分屯地の無線員は、しばしの沈黙の後に辻に返信する。

「分かりました。すぐさま上へ救援要請を行います。
ですが…・ 辻三佐。」

「なんだ?」

「生きて戻ってくださいね」

それを聞いて辻は吹き出した。
よほど可笑しかったのか、彼は笑いながら返事をする。

「はっは! 当たり前だろ、俺にはまだ、家が燃えた住民のクレームの矢面に立つという仕事が残ってるしな!
それとも何か?俺が死ぬとでも思ってたのか?」

笑いながら辻は返す。
それに無線の向こうでも小さな笑い声が聞こえ、杞憂だったですねと一言謝りの言葉があった後に連絡は終わった。
無線機を置くと、辻はトラックに搭乗している隊員らに向かって振り返る。

「聞いてた通りだ!俺たちにはまだまだ仕事が残ってるぞ!
特に貴様らは、マスコミに叩かれる俺を慰めるという重要な任務がある。
任務放棄するような奴が出たら、連帯責任で制裁だから覚悟しとけ!」

辻の言葉にさっきまでの沈んだ表情をしていた隊員達の顔に笑みが戻る。
そう、彼らにはまだやるべきことが残っている。
沈んでいられるような余裕は、彼らにはまだ与えられていないのだ。







分屯地からの連絡を受け、避難車両の先頭を走る鈴木らに緊張が走った。

「既に40号を抑えられたか…」

「分屯地からの連絡では、上が船を調達するという話ですが大丈夫ですかね?」

下唇を噛み呟く鈴木に石井が運転席から不安げに聞く。

「その点については、上を信用するしかないな
それよりも、そろそろホロナイ川だけど… お!いたぞ!」

鈴木が指さす先。
そこには、今まさに陣地構築中の友軍の姿が見えた。

「おい、交差点で止めろ。俺は後続車に進路変更を伝えるから、お前は先導して漁港を目指せ」

降りると言い出した鈴木に石井は慌てて聞く。

「え!?でも、3曹殿はどうするんですか?」

「俺は、最後尾の車両に乗るから心配するな」

そういって鈴木は交差点に差し掛かると、減速した車からスタリと道路に降りた。
そして、急な進路変更に戸惑う後続の避難車両に、事情を説明しながら交差点を曲がるように誘導する。
彼の言葉と誘導により、後続車は次々に漁港へ向かって進路を変えていく。
そして最後尾のマイクロバスが来たところで、鈴木はそれに乗り込んだ。

「なしたんですか?」

マイクロバスを運転する信吾が、何が起きたのかと鈴木に聞く。

「40号線が敵に抑えられたんです。これから船で脱出するため礼文西漁港へ向かいます。」

淡々と答える鈴木の言葉に、信吾は驚きを隠せなかった。

「え?船?それって間に合うんですか?」

その驚きも、鈴木は心配をかけないように冷静に説明する。

「上からの報告によると、迎えの船が向かっています。
大丈夫。みんな助かりますよ」

鈴木は車内を見渡し、他の避難民にも聞こえるよう助かるという言葉を強調して伝えた。
大丈夫。
彼らが我々の盾になって必死に戦ってくれる。
そんな彼らを疑うなど、誰が出来るか。
鈴木は、車窓から徐々に離れていく彼らの陣地を見ながら、彼らを信じると心に決めたのだ。







礼文島北方海上

巡視船れぶん




今まさに戦闘が起きている島の沖をれぶんは航行していた。
その姿は、先ほどの戦闘前と寸分かわらず、白い船体にブルーの帯が入った瑕一つ無い勇姿を保っている。
だが、見かけの姿は変わらずとも戦闘続行は厳しい状況に置かれていた。
なぜならば、先ほどの戦闘で敵船を撃滅したはいいが、搭載している弾薬の大部分を消費していた。
陸上部隊を支援する為、湾内に突入し残りの弾薬を撃ち尽くすことも考慮されたが、上からの指示は、洋上警戒に徹せよとの事だった。

「船長。こうしている間にも上陸した武装勢力が進撃していきます。
せめて、味方と交戦している敵に射撃許可を!」

苛立ちを隠せない副長が船長に詰め寄る。
そんな彼を、船長は落ち着いた様子で宥めた。

「まぁ待て、上は狭い湾内での戦闘に難色を示している。
弾薬が枯渇寸前の我々が、射程のアドバンテージが取れない狭い湾内で損害を受けることを恐れているんだ」

それを聞いて副長は落ち着くどころか逆に激高する。

「そんな!上は我々に、この状況を見過ごせというのですか!
敢闘精神が不足しているんじゃないでしょうか!?」

先ほどの戦闘の興奮が冷めやらず、まるで関東軍か何かのような過激な物言いをする副長に、なおも船長は冷静に語りかける。

「なにも我々は決戦を行っているわけではない。
もし仮に、このれぶんまで沈む事態になった時、誰が北海道沿岸を守るのかね?
今の我々にこれ以上の船舶を喪失できる余裕は無いよ。
我々に出来ることは、増援の到着まで陸の連中が持久するのを祈ることと、上からの命令を待つことだけだ。」

今の我々には可能な限りリスクを避け、最大の効果を上げる義務がある。
増援が向かってきているならば、それを信じて各々の職分に全力を傾ける必要がある。

「ですが…」

それでも頭では分かっているが、感情では納得できないといった様子で副官は言葉を漏らす。
かれは奥歯を噛みしめて前方を見つめる。
その視線の先は、前方の島から黒々とした煙が空に広がるように立ち上っている様子が見える。
礼文島が燃えている。
守るべきモノが、目の前で侵されている現実に、胸を潰す感情が溢れかえる。
その胸を焦がす焦燥感は、体感時間を限りなく引き伸ばす。
その為、上から新たな連絡が来たときは何時間も待ち焦がれていたかのような感覚にとらわれた。

「本部から連絡!取り残された避難民救助の為、至急礼文西魚港へ向かうよう指示が出されました!」

無線員の報告に副長は飛び上がって船長に詰め寄る。

「船長!」

その声に船長は無言でうなずき命令を発した。

「これより、避難民救助の為、礼文西魚港へ向かう。全速前進!」

れぶんは、その船首を力強い加速によって生み出された大きな純白の白波に染める。
皆が待っている。その思いを背負って、れぶんは再度戦場へと舞い戻るのだった。








道道507号線

ホロナイ川陣地


船泊村内での戦いとは違い、見晴らしの良い海岸線に沿った道路に彼らは布陣していた。
海と山に挟まれ、川という自然の要害が守備側にアドバンテージを与える。
そんな万全の体勢で迎える彼らの後方を、避難民の車列が通過していった。

「隊長。車列の通過を確認しました。」

辻の部下が報告をあげる。
辻はそれを確認し、不敵な笑いを浮かべて言った。

「よし、後は船が来るまでここで粘るだけだな。
なに、先ほどとは違って射程を生かせるから、こんどはこっちが叩き潰してやる番さ」

先ほどの戦いは、集落を守ることも念頭に入れたため、小銃の射程を生かせる場所に布陣できなかった。
だが、今回は違う。
避難する時間を稼ぐため、限りなくこちらが有利な地点に布陣した。
これならば、弾薬の続く限り持久できるだろう。
辻はそう言って部下を鼓舞し、視界を前方へとを戻す。
そこにはこちらに向けて進撃する敵の姿が現れ始めていた。

「みろ、敵さんお出でになったぞ。 総員射撃準備!
絶対にここを通すな!死ぬ気で守れ!」

そして、ゆっくりと前進する敵の軍勢が射程に入ると同時に、再び戦闘の火ぶたが切って落とされた。

「撃てぇ!!!」

その号令と共に道路上の敵がバタバタと倒れる。
予想外の距離からの攻撃だったのか、身構える暇もなく先頭を歩く兵から血潮を吹いてその場に倒れ
それに続く兵も逃げる間もなく同じ末路を辿る。
一斉射が終わるころには、先頭集団は積み重なった死体に変わり、後続は我先にと物陰へ隠れて動けなくなっていた。

「よし!各自好きに撃て。近づく敵には容赦するな。
だが、無駄弾撃つなよ。時間稼ぎが俺たちの仕事だからな!」

その言葉の後は、一方的な殺惨だった。
まるで、第一次世界大戦の塹壕戦のように万全の陣地を目指し突撃してくる敵。
それを防御側が一方的に射殺する単純作業。
絶対的な防御側有利に、全てはうまくいくかに思われた。
だが、その淡い願いも目の前で起こる怪異によって暗雲が立ち込める。

「…来やがったな」

辻はその怪異を凝視する。
道の向こうに人の背丈ほどの土壁がのそりと現れる。

「なんだよありゃ」

辻は目を疑う。
長さは3mほどの壁が、まるでバリケードのようにアスファルトを突き破って地面から生えていく。
敵もよほど慎重なのか、かなり離れた距離から壁を作っている。
射程で負けている事を悟り、弾除けの壁を作って徐々に距離を詰めていく作戦のようだ。
辻たちにとって幸運だったのは、その進撃スピードは非常にゆっくりとしていた。
それを見て辻は考える。
一つの壁が生えた後、次の壁が発生するまでおよそ30秒。
恐らく、ここまで到達するのには暫く猶予はあるはず。
だが、あんなもんに隠れられたら、小銃じゃ役に立たんし手榴弾には限りがある。
何か使えそうなものは無いか…
そこまで考えて、辻の目にあるものが留まった。
彼は部下を呼びつける。

「これから各分隊から一人抽出して、俺の言うものを準備しろ。
材料は付近の物資を接収してかまわん。いいか、よく聞け……」

そうして辻の伝令を聞いた部下は、各分隊に向かって走り出す。

「これで、少しはマシになるはずだ」

己の策を信じ、辻は満足げに呟いた。







新たな防衛線との接敵から時は少々遡る。

同道路上
侵攻軍本隊

クラウスの隊と別れたルイス率いる侵攻軍本隊は、辻の部隊の追撃に向かっていた。
真っ直ぐに伸びる街道に沿って西へ西へと隊列は進み、その後方に騎鳥に乗ったルイスらが続く。

「敵の奇襲に備えよ。奴らはきっと何処かに潜んでいるはずだ。」

ルイスから兵に向かって言う。
いかに精強とはいえこの兵力差だ。
敵は何かしらの策を仕掛けてくるはず。
そう考えるルイスは、特に家々に付いている油の入った鉄の箱には近づかないように兵に厳命していた。
敵の襲撃を警戒し、兵の緊張が適度に維持されているのを見て満足したルイスは、隊列の先に視線を向ける。

「ルイス様。それにしても、ここは不思議な島ですね。」

通り沿いの家々を見ながらメディアがルイスに言う。

「あぁ 家々の作りやこの街道。このような作りは見た事も聞いたこともない。
恐らくは、未知の異民族の文化がこの地に根付いているのだな」

先ほどまでの戦闘中は気づかなかったが、この島では、どんなみすぼらしい小屋も鉄板の屋根を持っていた。
それも唯の鉄ではなく、全てに塗料が塗られている。
普通、下層の領民の家など茅葺か、上等な民家でも木の板か素焼きの屋根である。
それに、この地に来てから思うのだが、道沿いの柱に吊るされたロープは一体何だろうか。
延々と道沿いに張られているので結界の類かと思ったが、特に何も感じない。
分からない事だらけである。
その様な感じでメディアが辺りの風景を眺めていると、隊列の先から斥候が戻ってきた。

「報告します。半ミリャほど先に敵が陣を張っています。
先ほどと同じく、川を自然の堀として利用しているようです」

先ほどまで島の文化について思いを巡らせていたルイス達は、その報告により一瞬で戦場の顔つきに戻る。

「ご苦労だった!では、これより我々は敵200パッスス手前で一度隊形を整え、しかる後に突撃する。
貴様らは伝令として先頭集団にこれを伝え、その後は本隊に合流しろ。」

「は!」

斥候は大声で返事をすると、そのまま先頭集団へ向かって走っていった。

「敵も芸が無いな。」

斥候を目で追いながらルイスは言う。

「そうですね。確かに歩兵の突撃は多数の損害を受けましたが、魔法の打ち合いでは我々の数にすり潰されるのは自明の理でしょうに」

メディアも敵を哀れむかのように答える。
彼らの判断は、確かに弓兵と魔術兵の有効射程が50~100パッススであるというこの世界の常識からすれば間違いは無い。
それに、先ほどの戦いでは、民家の陰から撃ち合うという射程を生かし切れない戦闘だったため、彼らが誤解するのも無理は無かった。
だが、このわずか数分後に、その常識がこの敵には通用しない事が将兵の血を持って証明された。
断続的な炸裂音と共に先頭集団から阿鼻叫喚の断末魔が響く。
ルイスは、驚愕の顔を浮かべる。

「何だと!?奴らは、この距離で攻撃できるのか!」

敵との距離は未だ目視で300パッススはある。
攻城兵器でなら理解できない事もないが、兵士の携帯する武器でこの射程は異様だった。
だが無情にも、これが現実だと証明するように、ルイスらが現状を把握しようとしている間に前方の兵がバタバタと倒れていく。

「くっ!魔術兵!防壁を張れ!」

命令が配下の魔術兵へ飛ぶ。
しかし、焦る声と裏腹に魔法は一向に発動しない。

「一体何をやってる!」

ルイスの怒号が飛ぶ。

「先ほどの戦闘で、土系統を得意とする魔術師があらかた戦死しました。
残った土系統の魔術師はクラウス様の配下だったため、こちらには残っておりません。
現在、他の系統の魔術師が作業に当たっています。しばしお待ちを!」

「なんだと!?」

奥歯を噛みしめ怒りを抑えるが、それは何の役にも立たない。
結局、防壁の展開が終わったのは、先頭集団が犠牲になった後だった。

「40名程やられましたね」

メディアが苦々しく言う。

「だが、対処法は確立した。奴らにこれ以上の策が無ければ、我々の勝ちだ」

そう言ったルイスの視線の先では魔術兵が斜めに構築した防壁を交互に張り、敵への進撃路を築いている。
だが、土系統は齧った程度の魔術師たちではその作業は非常に遅いものだった。

「でも、これでは敵が後退した場合、如何なさるおつもりですか?」

メディアの疑問はもっともだ、敵が後退した場合、更に時間と労力を掛けねばならないし、そんな時間を敵に与えたところで良い事など何もない。

「まぁ これ自体は囮だ。対処法の真の答えは別の所にある。」

「別の所?」

メディアが首をかしげる。

「まぁ 見ていればわかる。それより突撃の準備をしろ。次が敵の最後だ。」







道道507号線

ホロナイ川陣地


2回目の接触から20分が経とうとした頃、陣地では各隊員に火炎瓶が配られていた。
辻の命令により、物資を調達してきた隊員が持ってきたのは様々な形状の容器で作った火炎瓶。
まぁ、灯油は付近の民家で大量に調達できる上、混合するガソリンも付近の倉庫に無施錠で置いてある家庭用除雪機や、農機具等の燃料タンクから調達したもので必要量は確保できた。
それに、ボトルはゴミを漁れば結構な量が確保できたため、簡易武器としては申し分無いものだった。

「敵はまだまだ時間が掛かりそうだな」

辻が前方でにょきにょきと生えてくる防壁を見ながら言う。
敵との距離は未だ200m程あり、しかも壁の生成スピードは徐々に遅くなっているようにも見える。
その様子を横で一緒に見ていた隊員が、射撃姿勢を崩さずに呟いた。

「壁の向こうで何やっているのか見えないのが気になりますが、敵がもたついた分だけ避難の時間が稼げますからね。
時間稼ぎが目的の我々には、願ったり叶ったりですよ」

口元だけで笑う隊員。
死線を乗り越えた事で、精神に余裕が出てきたらしい。
だが油断は禁物である。辻は皆にも聞こえる様に彼を注意する。

「確かにこのまま敵がノロノロしてくれるに越したことは無いが、別働隊なり何なりの策を用意しているかもしれん。特に山側に注意しろ。
森のお蔭で大部隊の移動は出来んが、少数の斥候や工作の兵が浸透してくるかもしれん。
特に少人数でああいう視認しにくい茂みに…」

辻が例を示そうと指をさして固まる。
その視線の丁度先、木陰の暗闇の中に人影が一つ。
手で印を組み、口をパクつかせて何かを喋っている。
まさか、適当に指差した所にいるとは思わず、一瞬固まってしまった辻だが、即座にその人影に向かって発砲を開始していた。

「いたぞ!敵だぁ!」

敵本隊に向けていた銃の先を翻しながら咆哮する。
その銃身から放たれた弾丸は、木立の中に潜む人影の周りに砕けた木々の破片が舞わせたが、仕留めるより先に敵の魔法が発動してしまった。
彼らが展開している場所よりすぐ手前、敵から自分たちの方向へと続く道路のアスファルトが割れ、その隙間の地面から分厚い土の壁が出現する。

「なに!!?」

その壁は、人の背丈を超えたぐらいで成長を止めたが、新たに出現した障害により、辻たちの位置から敵の姿が完全に見えなくなってしまった。

くそ! これでは射界が封じられる!
糞、だが逆に防塁として利用… 駄目だ!高さがありすぎる。

辻は思慮を巡らせたが、一つの結論に至るのには時間はかからなかった。

「第一及び第二分隊!手榴弾及び火炎瓶投擲用意!第三分隊は射撃にて壁を超える敵の頭を抑えろ!!」

そう叫んで命令を下すが、壁の向こうからは、その辻の声を掻き消さんばかりの雄叫びが、徐々に大きくなりつつあった。

「くるぞ!構えぇい!」

接近する敵の咆哮。
姿が見えない分、その声だけが相対距離を教えてくれる唯一の情報となる。
そして、隊員たちの緊張と敵の咆哮が最大になった時、壁を乗り越えた敵の波が現れた。

「撃てぇぇ!」

敵の咆哮を更に掻き消す全力射撃。
敵の先頭が崩れたところに火炎瓶と手榴弾が降り注ぐ
重なり合う爆発音と炎。
防塁は肉片と炎に包まれるが、敵の戦意は衰えない。
屍を超え、炎の合間を縫い、続々と殺到する。

「くっ! 射撃しつつ後退!無理をせず足止めに終始しろ!」

突出する敵を血だまりに沈めつつ、じりじりと後退する。
このままではいつまでも持たない。

迎えの船はまだか!?

辻は敵を撃ちながら願うが、その連絡はなかなか来ない。
一人殺して手近な物陰まで後退し、味方の後退を援護するため又殺す。
そのローテーションを繰り返し、200mは後退しただろうかという時、ついに待ち望んだ無線が入った。

「分屯地より連絡!海保の巡視船が接舷し、避難民の収容を始めた模様です!!」

その報告を聞いて辻の顔に歓喜が湧く。

「よし!あとは俺たちも撤退するだけだ!この先に停めたトラックまで後退!我々も一時脱出する!」

その号令により、後退のスピードが加速する。
遅延の為の後退から、撤退の為の後退へ。
そして最初の一人がトラックまで戻った時、それは起きた。

辻らの頭上を飛び越え飛来する光弾。

それらはトラックに吸い込まれるかのごとく命中し、次の瞬間、トラックは炎に包まれた。
運転席に手を掛けた隊員は吹き飛ばされただけで無事だったが、荷台に乗っていた重傷者は、逃げることは叶わなかった。
耳を塞ぎたくなる断末魔と共に、生きたままその身を焼かれていく。
もともと衰弱していたためか、すぐにその声も聞こえなくなる。
炎に包まれるトラックから聞こえたうめき声は、まるで焼け落ちるトラック自身の断末魔のようであった。

「畜生!トラックまでやられたか!」

辻は舌打ちする。

敵を巻ける移動手段が失われてしまった。
このまま普通に走ったら、港まで敵を誘引するだけだ。
最悪、船に乗り込まれでもしたら、今まで何のために戦ってきたのか分からなくなる。

辻は決めた。

選択肢は少なくなったが、諦めはしない。

「総員、必要な装備以外投棄しろ!これより漁港まで走る!
なに、たったの2kmぐらいだ!家の中で便所に行くような距離だろ!
死ぬ気で走れ!落伍は許さん!」

撤退するなら少しでも距離を離しておきたい。
そう思った辻は、率先して水筒等の装備を捨てる。今必要なのは走る事と敵を撃つ事。
それ以外の目的の装備はデッドウエイトになるだけだ。
流石に無線機だけは残したが、部下の装備も同じように捨てさせた。

「よし!一斉射撃の後、総員漁港まで走れ!
弾切れになった小銃は投棄してかまわん!いくぞ!」

その号令と共に、全員が振り返って追撃してくる敵に射撃を加える。
全力射撃を前に敵が崩れ落ちるが、その倒れこむ様子を確認する前に、彼ら再度振り返っては走り出す。
これが、後にこの戦いを生き残った者達が語る死の2km走であった。









辻とルイスが死闘を繰り広げている頃、また別の所でも戦が始まろうとしていた。
旧陸上自衛隊礼文分屯地。
島の北側、見晴らしの良いなだらかな尾根の上に建つ、現在は連邦軍の施設となっているレーダーサイト。
普段ならば隊員以外は余り近寄らない場所なのだが、この日はいつもと空気が違った。
じりじりと施設を包囲する影。
あきらかな敵意を持ったその群れは、施設から伸びる道を塞ぎ、退路を完全に絶ちつつ、包囲を狭めている。
これが攻城戦ならば、矢の一つでも射かけているところだが、包囲した集団は包囲が完全に完了すると、そこからぱったりと動かなくなった。
まるでこれから絞める鶏を、ゆったりと籠の外から眺める様に静かに包囲を続けているが、包囲を続けている個々の兵たちは、また違う状況であった。

「おい。突撃はまだか? あんな堀も防壁もない砦なんてすぐに落とせるぞ?」

一人の兵がしびれを切らして誰となく聞く。

「まぁ待て、クラウス様は包囲しつつ停止と仰っておられる以上、勝手な真似はできんさ」

それを聞いて、最初に口を開いた兵士は、んなこと判ってる!と言葉を返すが、餌を前にしてお預けを食らった犬の如く地団太を踏む。

「だが、折角の乱取り自由でも本隊の奴らが返ってきたら俺らの取り分が減っちまうんだぜ?」

そう言いながら男は、腰に付けた袋から金色に光る仏像を取り出した。

「これを見ろよ。ここに来るまでの間にあった民家で見つけたんだ。
何の神かは知らんが、この金ピカの光ようは金だろ?
あんな小さな家の祭壇に祭ってあったんだ、この砦にはもっと凄いお宝が眠っているとみて間違いないだろ」

満面の笑みで戦利品を誇る男の像を、横に立っていた兵士が奪い、齧る。

「何すんだお前!! これは俺のだぞ! 返せ!!!」

いきなり自分の戦利品を齧られた男が慌てて掴みかかるが、齧った兵士はすんなりと像を返した。

「鍍金だな」

その口から語られた言葉に、男は怪訝な顔をする。

「はい?」

「いやだから、鍍金だよ。金ぴかは表面だけ。中身は別もんだ。
なんだお前知らなかったのか?」

そういって兵士は哀れむ視線を男に送る。
それを周りで見ていた他の兵士が、ニタニタと男をバカにするように笑うのを見て、男は、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

「う、うるせぇ!しかたねーだろ。
普段、金貨すら殆ど拝んだこと無ぇんだよ!
他の奴らも同じだろ?銀貨や銅貨しか見た事の無い貧乏人ばっかりだろ?
むしろ、商人でもないのに、そんな事を知ってるお前がおかしい!!」

俺は普通。おかしいのはお前と訳の分からない理論を展開してくる男に、噛み付かれた兵士はやれやれといった具合で答える。

「お前が貧乏なのは給料を飲み代で使い果たすからだし、金貨をまじまじと見た事が無いのは戦でロクな戦功を立てた無いからだろうが。
俺なんか、前の戦で敵の頭を討ち取った褒賞に金貨2枚もらったぞ?」

お前の無知は、放蕩と無能の結果であると結論づけられ、泣きたくなる男であったが
その事実を受け入れてしまうと、もう立ち直れなくなりそうな気がしたため、更に男は兵士にかみついた。

「そういうお前はどうなんだ?まさか目利きが効くとかいいつつ、オケラじゃあるまいな?」

男は半泣きで睨みつけるが、逆に待っていたかとばかりに兵士は袋から戦利品を取り出す。

「おぉ。…なんだこりゃ!?」

男が驚くのを横目に、彼は戦利品を地面に並べて見せた。
見た事もない透明な袋に入った白い粉。
金属製で出来た腕輪のような工芸品。
そして、色鮮やかな色彩で染められた本。
兵士は男が驚くのをみてニヤリと笑いながら説明を始める。

「まずは、この袋だが… 聞いて驚け。砂糖だ。
初めは塩かと思って舐めてみたら、驚くほど甘い。
こんな上等な砂糖が2ポンド近く…おそらく80ペンスにはなるだろう。」
それを聞いて男は目を丸くした。

「80ペンス!!なかなか良い額だな!」

男が驚くのも無理はない。
豚の丸焼きが1頭で8ペンスぐらいが相場の世の中で、80ペンスはちょっとした額である。
男の声により更に集まってきた仲間たちに見せつけるかの様に、彼は説明を続けた。

「次はこの腕輪だが… 恐らく魔導具の一種だな。
なにやら文字盤が埋め込まれていて、中で針が回転している。
用途は分からんが、さぞかし値の張る一品だろう。
精巧な作りだし、値段は… 見当もつかんな。 金貨3枚か… 4枚は欲しいところだ」

「金貨4枚!?」

男が一際大きな声で驚き、そして思う。

くそ!
俺はこんなガラクタ掴まされたのに、何でコイツばっかり堅実に値の張るもん抑えてやがるんだ。
畜生!こいつ実は商人が化けてるんじゃないのか?

悔しさを滲ませた羨望の眼差しで、男は戦利品を見せびらかす兵士を睨むが、同時に複数の同様の視線が兵士に突き刺さる。
男の他にも、金色に輝く仏壇を荒らし、金メッキどころか金塗装の仏具を嬉々として持ち出したものが少なからずいたし、そもそも半分以上が燃えた集落で、乱取りすら出来なかった者も多数いた。

「まぁまぁ 俺がその位は欲しいと言ってるだけで、いくらで売れるかはわからん。
もっとも、安値で売りさばくつもりはないがね。」

嫉妬の視線を物ともせず自慢する兵士に、妬みの視線の嵐は最高潮に達した。

「ふん!せいぜいガラクタじゃ無い事を祈るんだな。
で、最後のこれは何だ?本か?」

男は表紙に少女の絵が描かれた本を指差す。
その絵はデフォルメされつつも特に胸を強調された肉感あふれる官能的な代物であった。
知る人がみればモグだとかそういう単語が出るかもしれないが、今の彼らに知る由もなかった。
その本について説明を求められた兵士は、これまでで最高の笑みを浮かべて説明する。

「これは… 売るつもりはない。 俺の宝にする。」

そう言って彼はページを開く。
そこにはアンリアルなデフォルメでありながらも、性欲をそそる絵が並ぶ。
物語を綴るかのように絵が配置されているが、言葉が読めないのが残念であった。

「これを見たら、今までに見た裸体画が全てゴミ屑に思えてならない。
市場などで売ってる木版画は当然のこと、娼館に飾ってるような絵やレリーフも屑みたいなもんだ」

賢者のような眼差しで熱く語る彼を傍目に、最後の戦利品には賛否両論が巻き起こったが、それまでに自慢した物のせいか、かれらの付近では異常な興奮状態が広がった。
彼らの思う所は一つである。

『絶対にコイツより金目の物を手に入れる!』

嫉妬という油を注がれた欲望の炎は、今まさに燃え広がらんとしていた。








同時刻

礼文分屯地施設内


守備隊が出払い、最低限の技官等しか残されていない駐屯地内はかつてない緊張に包まれていた。
緑の草が生え茂る尾根にポンと立つレーダーサイトと白い建屋。
その周りを鉄色の鎧兜を身にまとった集団が一定の距離を保ったまま取り巻いている。
そもそも、日常的な戦闘訓練を受けていない彼らが、接近している敵の姿に気が付いたのは完全に囲まれて退路を断たれた後だった。
彼らに残された手は、既に施設全体を守り切れる人数を切っている為、レーダーサイト以外の施設棟を放棄し
出入り口にバリケードを設置して援軍の到着まで持久するのみ。
このまま敵が動かなければ、時間が彼らの味方をするのだが、実際に小銃を持って二階の窓から構える彼らにはそういった事を考えている心の余裕は残されていなかった。

「畜生!俺は業務隊だぞ。なんで小銃構えて戦わなくちゃならねぇんだ!」

小銃を構えた一人が愚痴をこぼす。
見れば彼の銃口は小刻みに震えている。

「うるせぇ、それは俺も同じだ!それに、そんな事言ったって敵が来てるんだから仕方無いだろ。
死にたくなかったら黙って銃構えろ馬鹿が」

その横から愚痴を聞いてた仲間が相手をしてやるが、彼の緊張は収まる様子は無かった。

「畜生。怖くなんかねーぞ。
来るなら来てみろ、脳味噌ぶち抜いてやる… 畜生… 畜生…」

照門から覗く彼の視線が敵の集団の方を向く。
そして照門の間から見える照星が、なにやら賑やかな敵の一角の中心に立っている人物と合わさった時
彼はこう呟いた。

「この屑共… やられる前に… やってやる!」





それはクラウスが布陣を完了し、ルイスらと本隊の到着を待とうと腰を落ち着けた直後の事だった。
見たところ敵は少数、内部にどの程度の兵が潜んでいるかはわからないが、向こうから仕掛けてくることは無いだろうとクラウスは読んでいた。

「あとは、本隊の合流を待つだけだな」

クラウスは眼前の敵の建物を見ながら言うが、その言葉に、部下が不思議そうに首をかしげる。

「クラウス様。見たところ敵は少数。それに防御らしい設備もございません。
本隊の到着を待たなくとも制圧可能なのではないでしょうか?」

彼の意見はもっともである。
施設には堀も防壁も無ければ、窓から見える敵兵も数名程度。
なにも恐れる必要などないのではないか。
だが、クラウスが返した答えは、また別の理由であった。

「たしかに、本隊と別れたとはいえ200名の兵力があれば、あのような防御など無きに等しい建物など
鎧袖一触で制圧できる。
だが、私はルイス殿らと約束したのだ。抜け駆けせず、本隊を待つと。
戦場での約束をたがえることがあれば、神は私の信仰に疑いを持つだろう」

その言葉を聞いた部下の表情は非常に残念そうなものになる。

「ですが、兵達の戦意が高まりすぎて、これ以上抑えられるかどうか…」

クラウスの思いとは裏腹に、兵たちは本隊到着前に自分たちだけで目の前の獲物を平らげたいと切に思っているのだが、その思いは一向に伝わる気配が無い。
何故ならば、辺境伯家で何不自由なく暮らしていたクラウスは、金銭的な執着があまりなかった。
それよりも戦を是とする神の教義を重んじていたため、戦場での誓いを何よりも重視し、本隊合流したら分け前が減るという彼らの焦燥感を理解できずにいた。

「兵達には、敵の逃げ道は絶ったので合戦の機会は残っているから安心しろと言っておけ」

クラウスは、兵達の動揺を鎮めようとしたが、その口から発せられた言葉は全くの見当違いであった。
彼らが今欲しいのは、戦功でも闘いの場でもなく、金銭欲を満たす乱取りである。
そんな焦らされて緊迫感の漂う状態は、ただの一発の銃弾によってダムを決壊させるかのごとく状況を変えられた。
乾いた銃声が響き、戦利品を広げていた兵士の周りに立っていた兵士の一人が、口から血を吹いて倒れこむ。
突然の事で、周りの兵士は一時呆然としてしまったが、攻撃を受けた事を認識してからの彼らの動きは早かった。
銃撃を受けた兵の周囲にいた者達を先頭に、雪崩をうって兵士たちが突入していく。
命令違反ではあったが、これ以上先を越されては堪らないという思いと、先に手を出したのは敵であるという理由が、統制の鎖を引きちぎり彼らの足を前に進めた。
その光景を見てクラウスは慌てて配置に戻るように指示を出すが、一度動き始めた流れは容易には変わらない。

「くっ! 仕方ない… 総員突撃!敵は出来るだけ生かして捕えよ!だが抵抗する場合は斬ってかまわん!」

その声と共に、未だクラウスの統制下にあった側近たちも目の前にそびえる建物に向かって走り出した。
彼らが隠れていた斜面から建物までは数十m。
途中、丸い構造物が載った建物から敵の攻撃が行われているが、窓から乾いた連続音が聞こえ、走る兵士たちの周囲に土埃が立つだけだった。
先ほどの戦闘と違って明らかに兵の被害が少なかった。
敵の守備兵の練度が低いためか、真っ直ぐに敵に突っ込む馬鹿は討ち取られもしたが敵の射撃位置に対して、横移動も加わった方向から突っ込む味方には殆ど損害は出ていない。

「敵の狙いは甘いぞ!恐れることは無い!吶喊!」

その号令により、ここを守る守備兵はたいした事が無いと確信した兵達は、更に嬉々として走る速度を上げる。
すると直ぐに最初に走り出した集団が建物に到達し内部へと侵入していく。
付随する施設は次々に制圧し乱取りの対象となったが、敵が布陣する建屋だけは強固な鉄の扉に阻まれ攻めあぐねていた。
それはクラウスが、やっと制圧した施設に到達しても変わらなかった。

「クラウス様!大方の敵施設を制圧しました。
ですが、敵が篭る建物だけが突破できません。現在、扉を破ろうとしておりますが、なかなか頑丈なため時間が掛かりそうです」

鉄の扉… どのくらいのシロモノかは見ていないので何とも言えないが、今回は攻城兵器を持ち込んでいない為、歩兵のみでそれを破るのは中々に骨だろう。

「魔術兵を使え。土の魔法で扉を、火の魔法と弓兵で二階の敵を黙らせろ」

クラウスは残る建物を眺めながら部下の報告を聞き、すべき事を即座に命令する。
命を受けた部下が去った後、その命令の効果はすぐに表れた。
敵が潜んでいた窓に向かい弓兵が矢を乱射し、同じく魔術兵の火球が窓に向かってほとばしる。
圧倒的な数と練度の差は、数少ない敵兵を無数の矢で射ぬき、火だるまにした。
そして敵からの反撃が無くなったところで、地面から無数の岩石が浮かび上がり、鉄の扉に向かって飛ぶ。
外界を拒絶する扉を開けんとして衝突する岩は、衝突するたびに扉を歪め、遂には壁に止める蝶番ごと、扉を壁から引きはがした。
ごわんと音を立てながら倒れる扉を踏み越え、クラウスも兵達と一緒に室内へと突入する。
一部屋づつ内部を制圧し、中枢となる部屋のドアを蹴破ると、中にいた全員が驚愕の顔でこちらを向く。
そこにいたのは文官か何かなのか、剣を向けると全員が手を上げ投降の意思を示した。

「それにしても…」

クラウスは敵を縛り上げた後、まじまじとその部屋を見渡す。

「一体、なんだここは…」

巨大な地図が書かれた薄く光る壁に、色々な印がかかれている。
恐らくはこの島の地図を中心とした魔法の地図か何かだろう。
見覚えのある湾に赤い印があるが、あれは私の船団だろうか?
島の周りを青い印が動いているが、兄上の艦隊はどこだろう?
疑問は尽きなかったが、その地図の中に特に目を引く印があった。
それは他とは比較にならないスピードで地図の上を滑る青い印。
一方はクラウスの艦隊へ、もう一方はルイスの向かったと思われる方向へ吸い寄せられるように動いて行った。

「!? まさか!」

嫌な予感がする。
クラウスは不穏な気配を感じとり、急いで建物の窓辺へ走り港に停泊している船団に視線を向ける。

「無事か…」

視線の先には特に何も無く健在な味方船団。
杞憂だったかとクラウスが、そう安心した瞬間だった。

頭上を、竜の咆哮の様な音と共にナニカが通過していく。

「!?」

クラウスが驚いた時は既に遅かった。
船団に向かって飛んでいく物体から何かが零れ落ち、次の瞬間、船団は紅蓮の炎と黒煙に包まれた。
それは辺り一帯を多数の爆発で覆い、揚陸した物資ごと船団は廃材の山と化して燃え始めた。
突然の事でクラウスは言葉を失う。
空に視線を戻すと、攻撃を終えたその物体は進行方向を変え、その姿を再度クラウスに誇示する。
それは盾のような形状の物体が空を舞っていた。
飛龍もかくやという速度で、力強く、優雅に、そして我が物顔で大空を支配している。
その光景に思わず見とれていたクラウスが思考を取り戻したのは、別の方向から聞こえる2発目の爆発音によってだった。



[29737] 礼文騒乱編4
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:12
礼文西漁港

島の西側に存在する小さな漁港。
普段ならば漁船しかいない港に大きな白い船体が停泊し、その周りを複数の車が乱雑に囲っている。

巡視船れぶん

先ほどまで、敵の船団を血祭りにあげていたその船は、弾薬切れ後も戦線を離脱せず避難民の収容に当たっている。
避難してきたさと子も、乗組員の補助の下怪我した父親を船に乗せ、一息ついた所で信吾の姿を探す。
見渡してみると彼の姿は船上には無く、いまだ陸上で軍の隊員と何かを話ていた。

「しんちゃーん。何してるのー?早くおいでよー!」

船の上から大声で声をかけるさと子。
その声に気付いた信吾は振り返るとともに、非常に難しい顔をしていた。

「…これは、助けに行った方がいんでないかい?」

パジェロのボンネットに置いた無線機を囲んで信吾は二人の隊員と話ていた。
役場の職員は既に船上で避難民の取りまとめ役になっており、現在は陸上に残っているのは彼ら3人だ。
そんな彼らの中心に置いてある無線から、自分たちの盾となり戦っている辻たちの状況が伝えられてくる。
防衛線を破られ、トラックを失いながらもこちらへ撤退中らしい。

「ですが、自分たちはいいとしても、軍の人間ではない平田さんは残るべきでは?」

実にもっともな意見であるが、信吾はこれが受け入れられなかった。

「んでも、俺だって親方日の丸…はもう違うけど公務員だしさ。
それに、命を張って守ってくれた人たちを見殺しにはできんべ。
なんなら運転手として一緒に行くよ。それなら君ら2人とも援護が出来るっしょ?」

真面目な顔で語る信吾に隊員達が折れる方が早かった。
何よりもこんな事で時間を潰していられないし、信吾のいう事にも一理あったからだ。
信吾は、話がまとまると船の方に駆け寄り、さと子に向かって叫ぶ。

「さとちゃん!ちょっと役場の人呼んで来て!」

その信吾の声に何かを感じたのか、さと子は避難民の所を回っていた職員をすぐさま連れてきた。

「どうしましたか?」

急な呼び出しに戸惑うかのように職員が弦側から顔を出す。

「ちょっくら、後ろで戦ってる部隊の撤退を支援してくっから、海保の人に出航の準備を頼むと伝えておいて!」

「あなたもですか!?」

「命がけで頑張ってくれた人たちを見殺しにはできんっしょ。
それと、さとちゃん!」

急に名前を呼ばれたさと子が背筋を伸ばして返事をする。

「なに?しんちゃん」

言葉を待つ彼女に向け、信吾は照れつつも意を決したように言った。

「今回のゴタゴタが終わったら… 嫁にもらってやるから覚悟しろ!」

ニカっと笑って信吾が言う。
それを聞いたさと子は、急な告白に戸惑いと嬉しさの混じりの顔を真っ赤にする。

「なんで今、そんな事いうかなぁ 馬鹿ぁ!
もうちょっとムード作れ!バツイチだからって返品は不可だかんね!」

返品は不可。
最後まで面倒を見ろという彼女の同意。
彼女としてはもうちょっとムードのあるときにその言葉が欲しかったが、信吾の申し出を受けた彼女の顔には自然に笑みが溢れた。
その顔に満足したのか、信吾は隊員達と共にマイクロバスへ走る。
待っていたとばかりに信吾が乗り込むと同時に勢いよく走りだしたバスは、荒っぽい加速で再び島の内陸へと向かっていった。
さと子は土煙をあげて視界から消えるバスを見ながら、ひとり呟く。

「ちゃんと、帰ってきてよね…」



信吾がバスで辻たちの救援に向かった頃、当の辻たちも危機的な状況を迎えていた。
走れない負傷者はトラックごと敵の餌食となり、走れる者は邪魔な装備を可能な限り捨てて走っているにもかかわらず、敵の追跡を振り切る事が出来ていなかった。
いや、確かに重装備な敵本隊は振り切ることに成功している。
だがしかし、敵の中でも装備の悪い者… 皮の鎧に剣一本のような出立の兵士が執拗に食らいついてきた。
追い付かれそうになる度に、振り返りざまに小銃で薙ぎ払っていたが、つい先ほど、最後の弾薬も底尽きた。
残すは拳銃のみ。
このままでは全員が補足される。
そう思った辻は、残った部下を逃がすため、捨て奸として最後の壁にならんと走りを止めた。

もう十分だろう。
最後にもう数人道連れに死んでやろう。
走る部下に背を向け、辻は追跡してくる敵に向かって拳銃を構える。
必中の距離に近づいた者から、その心臓を狙って音速を超えた弾丸を叩きこんでいく。
1人、2人と崩れていき、敵を食い止めているかのように思えたが、数発撃った所で拳銃のスライドが引き切ったまま停止し、射撃がとまる。
弾切れである。
最早これまでと辻は覚悟を決めた。

辻に向かい殺到してくる敵兵。
数秒後には自分の首は胴体から離れているだろうと目を閉じようとしたその時、辻の目には予想外の出来事が映った。
こちらへ向かっていた敵兵が一瞬怯んだかと思った直後、辻を掠める様にして背後から現れたバスが敵兵を次々と撥ねた。
ドンという鈍い音と共に2~3人の敵兵が腕や足を不自然な方向へ曲げて吹き飛んだ。
その直後、バスから降りてきた隊員が小銃の射撃で牽制しつつこちらに向かって叫ぶ。

「迎えに来ましたよ!早く乗ってください!」

一瞬の事で呆然としてしまったが、降りてきた隊員の言葉で辻は現実に意識を戻す。

「全員搭乗! さぁ 逃げるぞ!」

先ほどまで死を覚悟していた辻の顔は、一転して希望に満ちていた。
彼は、戻ってきた部下の背中を叩きながら一人づつバスに乗せ、最後に自分も乗り込んで撤退の援護をしている隊員に収容完了を伝えようとした丁度その時、先ほどまで警官なのに人轢いちゃったとぶつくさ言っていた運転手の呟きを聞いた。

「なんだありゃ…」

運転手の警官の視線の先、そこには今まさに突撃せんとする騎馬集団があった。
いや、この言葉は適当ではない。
なぜならば、その集団が乗っているのは馬ではなく、巨大な嘴を持った鳥であった。
それらが一斉にこちらに向かって走り出す。
土煙を上げてこちらに向かってくるその集団を見て、辻は未だ外にいた援護の二人に本能的に叫ぶ。

「逃げるぞ!早く乗れ!!」

絶叫に近いその声と同時にバスに駆け込む隊員を確認すると、バスはドアも締めずに動き出す。
だが、狭い道でUターンをしようとするバスの挙動は非常にもどかしいものだった。

「はやく!はやく!はやく!」

車内の全員が運転席に向かって叫ぶ。
最早、車内の音は信吾を急かす声一色に染まり、外からくる全ての音をかき消す。
やっとバスの転回が終わり、これで逃げ切れるかと全員が思った瞬間だった。

急な衝撃と浮遊感。
凄まじい音と衝撃波バス後部の窓を吹き飛ばし、車体がゴロンと横に一回転する。
突然の事で全員が身を屈めて体を丸くしとっさに身構える。
そして… いったいどの位時間が経ったであろうか。
数分だった気もするし、数秒だった気もする。
だが、自分が生きている事が確認できた事で、辻は現状の確認をする。
彼はしばらく後方を見つめていた後、イテテテテ…と頭をさする信吾の肩を叩く。

「大丈夫か…。 とりあえず、まずはここを離れるぞ」

辻の言葉で、とりあえず自分の仕事を思い出した信吾はアクセルを踏み込む。
車は衝撃に耐え、ガラスの一部が破損し車体がベコベコになっただけで、エンジン音を吹かしながらスルスルと動き出す。
現場を離れるバス、そしてそれを運転する信吾の目に、バックミラー越しに背後の風景が映った。
立ち上る煙と視界を奪う土埃…
その中で、先ほどまで追跡していた騎鳥と敵兵は辺り一面に倒れたままピクリとも動かない。
中には肉片となり、物言わぬ屍と化している者もある。
一体、何が起きたのか…
だが、その答えは上空を通過するソレの音が教えてくれた。

「友軍機か…
それもロシア機だな」

辻が思わず空を見上げて呟く。

上空を舞う2機の獰猛な翼。
それは10年前はPAK FAと呼ばれたステルス機。
10年という月日は、かの機体の完成度をマルチロールファイターとして傑作の域にまで高めていた。
過去には仮想敵として想定された機体だったが、幸いにも今は友軍である。
今、猛禽の獲物は自分らではなく、目の前で焼き払われた敵である。
助かった。と息を吐く辻。
これで地上部隊の増援が来れば残敵を完全に制圧できるだろう。
そう考える緊張の緩んだ彼の耳に、その期待に応えるかのように新たな音が聞こえる。
遠くから伝わる連続した空気の振動。
空気を切り裂くローター音は、礼文島に更なる強者が舞い降りた事をつげていた。







どこまでも澄む青空の下、獲物を狩り終えた2羽の猛禽が黒煙の立ち上る島の上空を飛び回る。
そのうちの一機より投下された2発のRBK-250 クラスター爆弾は、港に停泊していた敵船団を揚陸物資ごと吹き飛ばした。
無数の爆発は、停泊している船舶の上部構造物を瓦礫の山に変えた。
被害を受けた船は、辛うじて浮かんでいるもののズタボロの甲板上に散乱する無数の可燃物に広がりつつある炎は沈没が時間の問題であることを物語っている。
爆撃を終えた機体が戦果を確認する為に旋回に入ると、別の場所からも爆炎が立ち上る。
場所は、味方地上部隊を追撃する敵上陸部隊が進軍しているあたり。
通信が途切れる前の分屯地から送られた要請通りのポイントに、もう一機のSu-51は爆撃を行っていた。

『こちらルーシ2、 敵部隊への爆撃完了』

『よくやった。敵主力を始末できれば、残りはヤポンスキーのヘリ部隊が始末してくれる。
これより、CAPに移行する』

『了解』

爆撃を終えた二機は編隊を組んで高度を上げる。
たった一度の爆撃であった為、少々の狩り残しがある事は分かっているが、彼らはそれでも問題が無い事を知っていた。
眼下に見える島の景色に魚の群れのようなヘリの編隊が、地表を這うように爆撃ポイントへと集まっていく。
択捉から飛来したSu-51と本道から飛来したヘリ部隊。
速度に圧倒的な差があったものの、移動距離の差がほぼ同時の攻撃という状況を作り出していた。
もし仮に千歳の航空基地に対地攻撃可能な機体が配備されたいたら、敵上陸部隊はもっと早くに壊滅していただろう。
しかし、転移以後も千歳は要撃機であるF15の基地であり続けていた。

『ルーシ1へ、それにしても、まるで標的訓練だな。敵の反撃もまるでない』

『まぁ この世界の奴らがどんな文明レベルかは知らんが、まともに俺たちの相手が出来るのはチトセの奴らくらいだろ』

『でも、今は味方だぜ?』

『先の事なんて分からないさ。転移前、奴らと同じ軍で働くなんて、誰が予想した?』

『違いない。では、空にいるのは俺らと鳥くらいだと思うが、CAPに専念するか』

『まぁ 何がいるか分からない世界だ。とりあえず、気は抜くなよ』

『ルーシ2、了解』

緩やかなバンクをかけて雲を引きながら旋回する2機の猛禽。
そんな圧倒的な速度と力を見せつけた彼らの言う"狩り残し"が、空に刻まれる白い筋を見上げている。

クラウスは眼前に広がる光景に言葉を失いながら空を見上げていた。
突如飛来した2つの物体は、たった二回の攻撃で侵攻軍を撃滅してしまった。
一発目の爆発で船団と橋頭堡を、2発目の爆発で主力が向かっていた方角に黒煙が立ち上る。
恐らく、あの爆心地にはルイス達の部隊がいて、甚大な被害を受けただろう。
呆然自失とするクラウスだが、敵はそんな暇さえも彼らに与えてくれない。
遠くから空気を震わす振動が聞こえる。
その奇妙な音どんどんと近くなり、音のする方向を向いたクラウスは、地を這うようにして先ほどの爆発地点へと向かう群れを目にした。
先ほどのが空飛ぶ盾だとしたら、これは一体何だろう。
奇妙な羽を付けた巨大な空飛ぶ魚であろうか。しかも、それが耳をつんざく音と共に群れをなして飛んでいる。
クラウスを含む分屯地を取り囲む全員が、口をあけてその光景に見入ってしまう。
後方から接近する新たな群れに気付かないほど眼前の光景に呆然と佇む彼らを現実に引き戻したのは、爆ぜる大地と鉄の雨によってであった。
腹に響く重い連続音と共に、建物の外でかたまっていた兵士たちが、爆ぜる地面と共にミンチへと変わり地面に赤い塊となって散乱していく
かつてない攻撃にさらされつつも、魔法による補助があれば兵士たちも動揺を少しは抑えられたのかもしれない。
だが、不運にもその魔法を得意とする魔術師達が固まって待機していた事で、それを行使できる者がまとめて吹き飛ばされていた。
目の前の恐るべき光景と、抑えられていた感情が解き放たれ、施設の外にいた兵士たちが恐慌状態に陥ったのは一瞬の事だった。
蜘蛛の子を散らすように我先にと斜面を下る兵士たち。
だが、頭上を飛び交う魚達はそれを許してくれない。
まとまって逃げた者達には、シャープな形状の空飛ぶ魚から煙を引く極太の矢を撃ち込まれて吹き飛び、
散り散りになって逃げた者達には、寸胴な魚の横腹から打ち付ける鉄の雨によって強制的にその生涯を閉じられていった。
空飛ぶ魚の横腹に先ほど戦闘を行った敵兵と同じ格好の人間が見える。
逃げた兵士をなおも追うシャープな魚を横目に、寸胴な魚は平地に着地するやいなや、その腹から敵兵をわらわらと吐き出して飛び去っていく
新たな敵兵が現れたのを見て、ただ茫然と窓の外の光景をみていたクラウスの思考は、本来の回転を取り戻した。

「敵が来るぞ!扉を閉めてバリケードを張れ!」

既に手勢は建物内に残る二十名弱となってしまっているが、クラウスの命令を遂行すべく全員が機敏に動き出す。
まず、破壊されていた扉を魔法によって生成した土壁で塞ぎ、机やら棚を使ったバリケードで塞いでいく。
元々、外部からの侵入に対して備えられた作りであったため、限られた出入り口を塞ぐのには大した時間はかからなかった。

「これで、兄上の援軍が来るまで持久できるか・・・」

クラウスは人質にする捕虜の姿を見ながら呟く。
だが、ここまで圧倒的な力を見せつけた相手に兄上の軍勢だけでどうにかなるであろうか。
しかし、自分たちの船が燃えた以上、兄上に期待する以外に帰る手段が無い・・・
考えれば考えるほど厳しい状況にクラウスの顔色は青ざめていく。
見れば捕虜を監視するために同じ室内に残った部下たちの顔も一様に暗い。
本当に来るかどうかも分からない援軍をあてにした籠城。
消沈する空気が終わりなく続くとも思われたが、それは悪い意味で裏切られた。
突如として響く爆発音が建物内部に響き、それに続く連続音と兵士たちの悲鳴が続く。

「バリケードが破られたか!」

クラウスの顔を驚愕と焦りの色が支配する。

「部屋の扉を塞げ!それと捕虜に何か叫ばせろ!こっちには捕虜がいることを奴らに教えるんだ!」

連続音や小規模な爆発音が続き、軍靴の響きが部屋に向かって近づいてくる。
最早一刻の猶予も許されない。
このままでは扉をバリケードで塞ぐ前に敵が到達する。
だが、近づく足音に猿轡を解いた捕虜の一部が何かを叫ぶと、部屋のすぐ手前まで近づいてきた足音がふっと止まった。

「今のうちだ!扉を塞げ!」

そういってクラウスは、一瞬の隙に最後の防壁を築こうと試みるも、最終的にはそれら全ての試みは無駄に終わった。
室外から敵が何かを叫び、捕虜が一斉に身を屈めたと思った時、ゆがんだ扉の隙間から握りこぶし大の何かが転がり込んできた。
その後、クラウスには何が何だか分からなかった。
転がり込んだ何かに視線を向けた直後、視界は真っ白に染まり、凄まじい耳鳴りに聴力を奪われ悶絶する。
目と耳を奪われうずくまる事しかできない。
そんな彼が意識を失う前に最後に感じたのは、首筋を襲う強い衝撃だった。











一体、どのくらい意識を失っていただろうか…
目が覚めると、クラウスは両手を後ろ手に縛られ地面に転がされていた。
周りには同じ室内にいた部下たちが、同じように縛られている。

「生きてる・・・」

そう呟いてみるが、ボーっとした頭では他に何も考えられない。
生きているという安堵感と、全てを失った喪失感はクラウスの体から気力を奪い去っていく
横たわったまま視線を巡らせると、緑の服を纏った敵兵が動かなくなった配下の兵を一か所に集めているのが見えた。

「みんな・・・死んだか・・・」

ぼそりと呟いた事で、周りに座っていた部下がクラウスが目を覚ましたことに気付いた。

「クラウス様。気が付かれましたか」

隣で座っていた一人がクラウスに声をかける。

「あぁ・・・ 生き残ったのはこれだけか?」

体を起こし、同じく捕虜になった部下の数を確認してクラウスが言う。

「残念ながら、われら5人以外は皆向こうでございます。」

そう言って、集められた兵士たちの死体をアゴで指す。
敵によって一か所に集められた味方の死体。
いや、原形をとどめているのは屋内に籠城して戦った少数だけであり
大多数はちぎれた腕や足と言った只の肉片であった。
生き残ったのは、最後まで側にいた側近たちだけで、残りは皆死んだらしい。

「ルイス殿達の本隊は?」

「さぁ・・・ あの後、一体どうなったのか誰も分かりませぬ。
ここには、死者も生者も我らの部隊だけですゆえ・・・」

それを聞き、クラウスは暫く項垂れながら何かを考えていたが、ふと顔をあげると、そのまま倒れこむかのように横になった。

「クラウス様!?」

「お前も寝ておけ。あの爆発と空飛ぶ魚の襲撃で、本隊も無事ではあるまい。
あとは、兄上に救出を願いたいところだが、それも難しいと思う。
奴らが捕虜をどんな待遇で扱うかは知らんが、総じて捕虜生活は過酷なものだ。
寝れるときに寝ておいた方が良い。」

救助を諦めたと思える言葉を吐いて顔をそむけて横になるクラウスだが、その体はかすかに震えている。
捕虜など、生きてさえいれば多少の虐待は許される世界のルールを知っている以上
これから自身に降りかかる境遇に青くなるクラウスであったが、せめて最後に残った部下達にはそれを気付かれぬよう
あえて諦めに入ったフリをして、彼らから顔を隠していた。


それから日暮れまで横になっていると、急に敵の兵士に引き摺り起こされた。
何事かと辺りを見ると、目の前には緑の服を着た敵兵と一緒に一人のドワーフが立っていた。

「なんだ? 彼らに泣きついて故郷を追われた復讐に来たか?」

クラウスはドワーフに未だ精神は屈伏していないのを示すように挑発的に聞く。
だが、言葉を向けられたドワーフは静かなものだった。

「我々が彼らに頼っているのは事実だが、後ろ手に縛られた者をいびる趣味は無い。
こうしてきたのは彼らに通訳を頼まれたからだ。」

「通訳? お前は彼らの言葉が分かるのか?」

クラウスは横になりながらも、近くを通る敵兵の言葉に耳を傾けていたが、その言葉は、今までに聞いたこともないものだった。
大抵、面と向かって話合えば何処の国の民でも言葉が通じたので、そもそも言葉が通じないというのは、この島に来て初めての事だった。

「私が分かるわけではないが、彼らの中の一部に我々の言葉を理解する者達がいる。
私の役目は会話の内容を聞き、この世界の常識から外れていないか助言することだ。」

「? この世界の常識? 彼らは一体何なのだ?」

「実際の所は分からんが、一つ分かるとすれば、高い文明と技術を持った異世界の国が我々の世界に迷い込んだという事だ。
そして、我らのような難民を手厚く迎えるという優しさを持つとともに、降りかかる火の粉はそれ以上の火でもって振り払う力がある。」

クラウスはその説明に息を飲む。
その力を間近で見たため、その話を信じる以外に選択肢はなかった。
そして、その秘めた力がこの世界に如何なる影響を与えるかなど、今の時点では想像もつかなかった。

「そんな彼らがお前たちに聞きたいことがあるそうだ。で、この中で一番位の高いものは?」

最後の言葉に皆の視線が一人に集まる。
だが、クラウスはその視線を一身に受け、堂々と名乗って見せた。

「・・・私だ。」

「で、名はなんと言う?」

「エルヴィス辺境伯爵アルド・エルヴィスの弟。クラウス・エルヴィス。
伯爵家の者だ。捕虜の身になったとはいえ、言葉遣いには気を付けろ」

クラウスは覚悟を決めた。どのような境遇に落ちようとも生き残り、この未知の国の情報を探るだけ探って兄に報告しようと
その為には、尋問に協力しつつも対話の中から情報を引き出す必要がある。
相手に舐められぬよう、たとえ捕虜の立場でも堂々としていなければならない。
その凛としたクラウスの自己紹介に、ドワーフも改めて向き直る。

「そうか、ではそうしようクラウス殿。
それと、私の名はラバシ。ラバシ・マルドゥク。
貴様らによって難民となった者達を束ねている。難民の恨みに取り殺されぬよう気を付けろ」

お互いににらみ合う二人であったが、十数秒のにらみ合いで先に折れたのはラバシだった。

「貴様らには恨みがあるが、彼らに捕虜の虐待は禁じられてる。
それに、尋問する為に本島まで移送しなければならんので、下らない事にいつまでも構っていられん。
わかったら車に乗れ。港に船が待っている」

ラバシはトラックに乗るように急かすが、クラウスは更に質問を続けた。

「本島?彼らの本拠地は別にあるのか?」

その質問にラバシは一瞬言ってもいいものか考えるが、静かに口を開いた。

「・・・ホッカイドウ。それが彼らの島であり国の名前だ。わかったら、さっさと歩け。ク・ラ・ウ・ス・殿」

いちおう殿付きで呼ばれているが、クラウスは乱暴な扱いで荷台に投げ込まれる。

「貴様!○×pwg@o!!」

抗議の声を上げようとするが、次々に投げ込まれる部下の体に抑え込まれて続く声があげられない。

「よし、全員乗ったな。」

荷台に放り投げたラバシは満足げに助手席に乗り込み、全員を乗せたトラックは港に向かって走り出すのであった。
そんな港に向かって移動するトラックの荷台で、開けっ放しの後部の幌からクラウスは後ろに向かって流れる風景を見つめていた。
見張り付きで捕縛されている身である。既に無駄な抵抗は諦めている。
今できることは、尋問までおとなしく待っている事と、彼らを観察することくらいである。
車の外では、先ほどから鉄で覆った重厚感のある車両や"トラック"と呼ばれる今乗っている車両の列と何度かすれ違う。
一体どんな原理で動いているのか、そういった疑問を最初は持っていたが、空飛ぶ魚の群れや空飛ぶ盾を見ている内に消えてなくなった。
別に原理を理解したわけではない。
ただ、そういう物なのだと自分の中で折り合いを付け、考えるのを止めた。
質問する機会はこれが最後ではない。気が向いたときに聞いてみるかと、ぼんやりと景色のほうに目を向けている。
外の景色は、秋の到来を感じさせる虫の鳴き声が夕方の空に響いていた。
哀愁を感じさせる虫の鳴き声を聞いていると死んだ部下の顔が頭に浮かぶ。
そのまましばらく外を眺めていると、ふと目に青い色が飛び込んでくる。
海だ。
そこでクラウスは思い出した。
兄上の艦隊はどうなったであろうか。
クラウスは荷台と運転席を隔てる窓から、助手席に座るラバシに向かって叫ぶ。

「おい!一つ聞きたいんだが、いいか?」

その声を聞いたラバシは、一度目だけで振り返ってクラウスの顔を見ると、面倒くさそうに振り返って窓を開けた。

「何だ?」

「兄上の艦隊はどうなった?上陸する前に別れてから、その後どうなったかは知らないんだ」

それを聞いたラバシは、横に座っている兵士と何やら小声話てから改めてクラウスの方を向き答えた。

「我々はワッカナイから船で来た。
途中で何隻かのお前たちの船の残骸を見たが、まともに原形を留めているのは一隻もなかったぞ」

ラバシの答えに数秒押し黙ってしまうクラウスであったが、それでも言葉を捻り出した。

「・・・何隻くらい沈んでた?」

「さぁ そこまでは分からん。
だが、我々が来る途中で一切の敵襲を受けなかったから、少なくとも近くにはお前たちの味方はいない」

それを聞いて、うすうすは感づいていたが、兄の艦隊も敗北したのだとクラウスは確信した。
救援は来ない。
仮に兄上が無事でも、今回の戦で領内の軍船の大半を失った為、再侵攻は無理である。
そして王国に助けを求めようにも、今回の遠征は王国の中でも辺境領家の単独行動であり、王家の承認は得ていない以上、
普通に助けを求めたのでは動かないだろう。
以前より、東方との貿易で王家より資金力で勝る辺境領は、王家に睨まれていたし、もしかしたら、これ幸いにとお家取り潰しにかかってくるかもしれない。
残る手は身代金の支払いで済ますにも国交がない以上、交渉が妥結するにはかなりの時間を要するだろう。
まぁ、人一倍プライドの高い兄上が、素直に身代金を払うかは不透明だが…

「そうか…」

クラウスはラバシに礼を言い、荷台に座りなおした。
そして力が抜けた様にのけぞり、天井に張られた緑の幌を見ながらつぶやく

「兄上… 無事だといいが」

そう呟いた姿勢のまま、クラウスは揺れるトラックに身を任せるのだった。








巡視船 れぶん



一連の戦闘の後、巡視船れぶんは避難民と辻の部隊を収容して足早に岸壁を離れていた。
そんな母港である稚内へ戻る船上に、あちこち煤けた制服を着た信吾の姿があった。
船腹の柵に手を付き、離れ行く礼文島の島影を見ている。
その視線の先には今でも黒煙が上がり、その上にはヘリが島上空を飛び回っている。
ロータの空気を切る振動と、時折上空をパスする戦闘機のエンジン音が、あの島が戦場であった事を思い出させてくれる。

「ここにいたのか?」

不意に後ろから声がかかる。
信吾が振り向くと、そこには辻が歩きながら近寄ってきた。

「まだちゃんと礼を言ってなかったな。先ほどは助かった。バスが迎えに来なけりゃ、俺らは死んでたかもしれん。」

そう言って辻は右手を信吾に差し出す。
その右手を信吾は躊躇いがちに握ると、謙遜しながら言葉を返した。

「いや、自分は他の二人に付いて行っただけですし、運転していただけで戦ってませんよ。」

「でも、助けに来てくれた事には変わりあるまい?」

ニカっと笑って辻は感謝の言葉を述べ、信吾も素直に感謝されることにした。

「それに聞いたぞ、俺たちを助けに来る前にプロポーズしたんだって?
そんな事してたら、命がいくつあっても足りないぞ?なんたって映画や漫画ではお約束だからな」

「いやぁ フィクションの中にはそういうお約束があるのは知ってますが、どうせ迷信ですよ。
それに、生きて帰れるか分からないからこそ、言っておかないと悔いが残ると思いまして…」

信吾はそう言って照れながら頭を掻いた。

「で、いいのか?お前さんの彼女放ってこんな所でボーっとしていて」

「あー 彼女は親父さんが怪我してるのでそちらに行ってます。
それと、プロポーズはしたものの急すぎるので、二人で話合った結果、とりあえず付き合う所から始めました」

それを聞いて辻は声を上げて笑った。曰く高校生の恋愛だの、港に戻ったら速攻でホテルに行って来いだの好き勝手言ってくるが一通り笑った所で満足したのか、笑い顔を引きずりつつも話題を変えてきた。

「で、今は一人で何をしてるんだ?」

少々馬鹿にされて不機嫌ぎみな信吾であったが、とりあえず質問には素直に答えた。

「島を見てるんですよ。生まれ育った故郷が燃えているのは、とても… 辛いです」

そう言って再び視線を島に戻す信吾に、辻も悲しげな眼差しで島を見つめながら言う。

「今回の衝突で私もたくさんの部下を失った。
初めは30名弱いた部下も、今この船に乗っているのは両手で数えられるくらいだ。
もう二度とこんな失態は許されん。
死んだ部下の為にも、死ぬ気で上に対策を進言しなきゃならんな。」

その二人は無言で島を見つめる。
守るべきモノ
それを守れなかった屈辱感が彼らの決意を固めていく。
この悲劇が繰り返されないことを願って更なる危機管理の向上を、全力で上層部へ働きかけ、それが足らない時は自分が上に立って導いていこうと。
この時の彼らの決意は、後の北海道に大きく影響するのだった。
そんな二人がそう心に刻みつけていると、にわかに船上が慌ただしくなる。

「前方の敵船の残骸に漂流者!」

見張り員が叫んでいる。
二人は船の前方へ目を向ける。
その先には、沈んだ敵船の残骸に数名の生き残りと思われる敵兵が必死にしがみついていた。

「敵兵か。出来れば海の藻屑と消えて欲しいが、残念ながら俺の希望は叶わないんだろうなぁ」

辻は残念そうに言う。
そう彼の言うとおり、船は減速を始めていた。
海保は漂流者を救助するつもりなのだろう。
巡視船は彼らの予想を裏切らず、するすると船を停船させると、小艇を降ろして救助に入った。
しかし、船の本体が蜂の巣となっており生き残りは非常に少なかった。
一応ボディーチェックをして収容し、仲間に抱えられた意識の無い生き残りは武器を没収した後に甲板に寝かされた。
そうこうしていると、救助した捕虜の周りにはいつの間にか避難民たちの輪が出来ている。
故郷を焼いた憎き敵が目の前にいる。
怨嗟の視線が彼らに突き刺さり、捕虜たちも酷く怯えている。

「これはマズイな。」

信吾は思う、今は海保の船員が周りを囲っているから抑えられているが、もし、何かの弾みでタガが外れたらリンチが発生しそうな雰囲気である。
そう信吾が思っていると、丁度先ほどまで意識が無く甲板に寝かせられてた捕虜が目を覚ました。
目を覚ましたものの状況を掴めないのか辺りをボーっと見渡している。
そしてゆっくり立ち上がったかと思うと、バランスを崩して倒れそうになったのを見て、とっさに信吾は支えの手を伸ばした。
咄嗟に支えに入ったのは無意識であったが、その構図は偶然にも避難民と捕虜との間に割って入った形になる。
信吾が避難民の前で捕虜を介抱した事で、避難民も睨みつける以上のことはしてこない。
信吾はこのまま間に入って介抱すれば、皆の怒りを暴発させずにすむかと考えると、相手を刺激しないよう笑顔を浮かべて介抱することにした。





アルドは騒がしい物音に目を覚ました。
体を起こそうとするが、ズキンと体中が痛む。
それでもアルドは、スッキリとしない頭で顔だけ動かして辺りを見渡してみた。
見慣れぬ者たちが聞きなれぬ言葉で慌ただしく自分たちを取り巻いている。
ボーっとそれを見みながらスッキリしない頭で立ち上がろうとするが、想像以上に疲労のたまった体は、二本の足を絡ませる。
あわや転倒すると思ったとき、周囲でこちらを見ていた一人の男がアルドの体を支える。

「daijoubuka?」



アルドは男が何を言っているのか分からない。
それに何がおかしいのか人の顔を見て笑っているようだ。
なんだこのなれなれしい奴は?俺を辺境伯爵だと分かってやっているのか。
それより、何で俺はこんな所に…
そこまで思考を巡らせたところでアルドは思い出した。
海戦に敗れ、船が沈んだこと。
途中から意識を失ったのか、それからどうやって助かったのかは分からない。
だが、一つハッキリすることがある。
今乗っているこの船の船体の白。これはまさしく敵船と同じ色であった。

!?

それに気づいて、アルドは完全に覚醒した。
見渡せば周りには数名の部下や水兵が拘束されている。

「アルド様、お気づきになりましたか。」

縛られていた配下の魔術師がアルドの顔を見上げて言う。

「他の奴らはどうした?」

魔術師は静かに顔を横に振る。

「我らの船で、生き残ったのは我らだけにございます。」

「そうか…」

その言葉によってアルドの表情が暗くなる。
すると目の前の男が一層積極的に声をかけてきた。

「toriaezu inotiha tasukattanndakara anshinnsiro」

サッパリ何を言っているのか分からない。
それにヘラヘラした笑い顔で語りかけているところを見ると
敗れた我らを嗤っているのではないだろうか、それ以外で敵兵に馴れ馴れしく笑い顔を見せる状況が考えられない。

「触るな下郎」

そう言ってアルドは手を払う。
それでも目の前の男は馴れ馴れしく肩を叩いてくる。

「触るなと言ってるだろうが!」

アルドにとって敵の捕虜となる初めての屈辱に加え、辺境伯に向かってあまりに馴れ馴れしい態度にアルドの怒りは頂点に達する。
アルドは腰の剣に手を伸ばそうとするが、その手は宙を切る。
意識を失っている間に武装解除されたのであろう。腰にあるはずの剣も短刀も無くなっていた。
だがそれが、アルドにある結論を結びつかせた。

丸腰だと思って舐めているのか… 

ドン!

アルドは短い詠唱と共に手刀から炎の短刀を作り出し、目にもとまらぬ速さで目の前の男の腹に深々と突き刺した。
何が起こったのか分からない、そんな表情で目の前の男は崩れ落ちた。

「例え捕えられようとも、下級兵風情が気軽に触っていい我が身ではないわ!」

そう吐き捨てて更に蹴りを入れる。
一瞬の出来事に周りの空気は凍りついたが、目の前の男から赤い血だまりが広がると空気は一変した。

「kisama!」

そう言って近くに立っていた緑の服を着た男が腰に手を伸ばす。
だが、男が腰の物を引き抜き終わるより早く、部下の一人がアルドとの間に割って入った。

ドン!ドン!

緑の服を着た男の手から閃光と音が弾け、部下の魔術師は苦悶の表情を浮かべながらアルドに体当たりし、自らの体ごと彼を海へと突き落とした。

「アルド様、お逃げを…」

そう耳元で呟き、魔法の詠唱と共に海面に着水する。
青い水の中、両の手を縛られた魔術師は口と背中から赤い染みを水中に広げながら沈んでいく。
アルドは助けの手を差し伸ばすが、沈んでいく彼には届かない。
満足げな顔を浮かべて沈んでいく姿が深青の底に消えたのを見て、アルドは助けを諦めた。
息が続かない。
アルドは海面目指して必死に泳ぎ、浮かんでいる船の破片にしがみ付く。

「ぶはぁ!」

肺一杯に息を吸い込み、呼吸を整える。

「はぁ…はぁ… くそっ!」

目の前には未だ白い船体が壁の様にあり、船員が海を覗きこんで自分を探している。
隠れようにも掴まっているのは一本の木材、隠れる所など何処にもない。
アルドは再度捕まることを覚悟したが、想像に反して船員たちの行動はおかしかった。
こんな近くに浮かんでいるのに、自分に気付く素振りが無い
明らかにあちらからも見えると思うのだが、彼らは一向に気付くことは無かった。

「そうか、気配封じか…」

海に転落する直前、アルドを庇った魔術師は何かの詠唱をしていた。
おそらく、あれは気配を消す魔法だろう。
それを掛けられたものは、目には映っていてもその存在を認識されない。
船上の船員たちは、目には見えていてもアルドの存在を気付けずにいた。

「すまない。そなたの忠誠に感謝する。」

そう呟き、アルドはわだつみに沈んだ魔術師に黙祷をささげる。
静かに長くアルドは気配を消して漂流し続け、目の前の船が探索を諦めて視界から消えるまでアルドは最後の忠誠を見せた魔術師に祈るのだった。



れぶん船上


それは完全な油断だった。
倒れそうになる捕虜へ近づく信吾。
既に武装解除は済ませたし、魔法のようなものを使うローブを着た奴はふん縛った。
その上、この人数に囲まれては大したことは出来ないだろうと思っていた。
だから、信吾の目の前にいた男が彼にぶつかり、信吾がうずくまるようにして倒れた時は、何が起きたのかは何が起きたのかは一瞬わからなかった。
崩れ落ちる信吾、そしてそこから広がる血だまりを見た時、辻は男が何か武器を持っている事に気が付いた。

「貴様!」

倒れている信吾に蹴りを入れる男に向かって、腰に付けたホルスターから素早く銃を抜く。
男の胸を狙った2発の銃声が立て続けに響く。
放たれた銃弾は男の胸を撃ち抜き、その命でもって落とし前をつける……はずだった。
だが、辻が引き金を引くその刹那、ローブを纏った別の男が割って入り、必殺の銃弾はその男の背中に消える。
ローブの男は苦悶のうめき声をあげ、そのまま信吾を刺した男と一緒に海に落ちた。

「くそ!」

辻は弦側に向かって走る。
柵から身を乗り出して下を覗くが、そこには海面に赤い染みが広がるばかりで人影は一つも見当たらなかった。

「何処に逃げた!?」

逃げた捕虜を巡って船員が総出で周囲の海面を探索する。
二人とも沈んでしまったのだろうか。それとも残骸の陰に隠れているのだろうか
海面を探す船員の喧騒と悲痛な叫び声が狭い船上を支配した。


船上の余りの煩さに、崩れ落ちた信吾は辛うじて意識を保っていた。
何時の間に仰向けになっただろうか、知らぬ間に誰かに抱きかかえられている。
信吾は顔にかかる冷たい滴を感じ、うっすら目を開けるとそこには泣き叫ぶさと子の姿があった。

「しんちゃん!死んじゃ駄目だよ!私を貰ってくれるって約束でしょ?」

そんな悲しい顔すんなよ、さとちゃん。

「…ったりめーだべ? こんなんツバつけときゃ治るべさ」

信吾は血の気の引いた顔で笑って言う。

「だが、ちょっと失敗したなぁ。つい励ましに言ったつもりが怒らせちまった。
異文化こみゅにけーしょん?って難しいもんだべや」

そう言ってニコっと笑ってみせるが、さと子は泣き止まない。

「なに馬鹿なこと言ってるのよ! あぁ!血が止まらない。誰か止血手伝って!」

さと子は、医療セットを持ってきた船員と一緒になって信吾の傷口を塞ぐ。


あぁ いい子だなぁ さとちゃん。
昔から、そんな… 優しいところが… 好きだったよ。

信吾は、誰に聞こえることもないほど小さな声でそう呟いた後
深い闇の深淵にその意識を手放した。



[29737] 戦後処理と接触編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:12
札幌

北海道連邦政府ビル


夕方、定時の退社時間を過ぎたビル内に、慌ただしく職員や報道関係者が走り回る。
その2階、記者会見室と看板がつけられた室内は異様な熱気に包まれていた。
ざわつく室内は、新政府発足時の会見にも勝るとも劣らない混雑ぶりである。
そんな雑音で溢れる会見場も、職員のこれから会見を始めるというアナウンスにより空気は一変した。
壇上に向かい歩いてくる高木に、報道陣のフラッシュの嵐が襲い掛かかる。
高木は、暴力的な光の氾濫に臆することなく、咳払いを一つした後に会見を始めた。

「えー 皆さんの中には断片的な情報をお持ちの方もおられると思いますが、国民の皆様に重要なお知らせがあります。
本日 午前11時頃、北方の大陸から出発したとみられる船団が、海保の巡視船と接触、領海外への退去を通告するも、巡視船へ向け武力行使が行われるという事態が発生しました。」

室内がどよめく、転移早々に"武力行使"を受けるという衝撃の政府発表に、報道陣の目の色は大きく変わる。
高木は彼らのどよめきを余所に発表を続ける。

「巡視船攻撃後の武装集団は船団の一部を礼文島に上陸させ、残る船団は礼文島東方沖で稚内より駆けつけた巡視船と戦闘に入りました。
結果、船団は無力化出来ましたが、礼文島に上陸した武装集団により民間人に多大な被害を出しながら南下を試みたものの、空軍と陸軍部隊の奮闘により、現在は完全に上陸した武装勢力を制圧・拘束いたしました。
本件について、多大な被害を受けた礼文島 船泊地区の被災住民の方々に対する支援は国が約束いたしますが、詳細は別途ご報告させていただきます」

高木が言葉を区切ると、会場内のざわめきは更に大きくなる。
転移後いきなりの武力侵攻。
とんでもないニュースである。
記者たちの興奮は天井知らずに大きくなり、司会の職員が「これより質疑応答に入ります。」と言ったとたん、襲い掛からんばかりに挙手をする記者たちの姿が関心の高さを物語っている。

「北見日日新聞です。武装集団からの攻撃とありましたが、軍隊等の侵略と思ってよいのでしょうか?それとも海賊等のならず者なのでしょうか?」

「それに関してですが、現在、拘束した構成員の取り調べを行っていますが、彼らはゴートルム王国エルヴィス辺境伯の兵士を名乗っており
海賊などではありません。詳しくは取り調べが進み次第、発表の場を設けさせていただきます。」

「そのエルヴィス辺境伯?とやらの軍隊との衝突は、戦争を意味するのでしょうか?」

「現在、この世界のどの国とも国交を樹立していない為、宣戦布告の通告も受けていません。
まぁ これについては此方の世界に宣戦布告の概念や慣例があるのかは分かりませんが…
再度の侵攻が有るか否かは現在調査中ですが、全軍の警戒レベルを引き上げましたので、今後の着上陸侵攻は一切許しません」

「それは先制攻撃を認めるという事ですか?」

「着上陸の可能性がある場合、先制攻撃も辞しません。国民の生命・財産を守ることが国家の使命です」

先制攻撃の解禁。これは既に北海道がロシアと混ざりあい、東シナ紛争でも守り抜いた古き日本の国是との決別を意味していた。
時代の変化を記者たちは肌で感じる。
こんな言葉、転移前なら即座に左派やマスコミに叩かれた。
それが今は国のトップが公然と宣言している。
「では次の方」と司会が次の質問を促すと、記者たちの興奮は留まるところを知らなかった。

「しんぶん赤星です。民間人に被害が出ているという事ですが、どのくらいの被害が出ているのでしょうか。
これについて、軍の対応に問題は無かったのですか?」

「現段階までに寄せられた情報によりますと、十名弱の負傷者が出ていますが、幸いなことに死者はありません。
ですが、物的な損失はかなりのものになるでしょう。現在も消化活動が続いていますが、船泊地区で大規模な火災が発生した模様です。
それと、軍の対応ですが、礼文分屯地の部隊及び現地警察の協力により、損害を受けつつも武装集団の南下を食い止めた事で、民間人全員の退避が完了しました。
よって、適切な対応が取れたものと思います。」

「そもそも、着上陸侵攻を許した時点で不手際では?」

「対応に当たった部隊の行動は適切な物であったと考えますが、何処が悪かったかを探るとなると
着上陸侵攻を許した原因は、大まかに言えば2点。
一つは、接触した巡視船が撃沈されたポイントが本土に近すぎた事が原因となります。
現在、本土に接近する全ての船に音声による警告を行っていますが、明確な侵略の意思がある場合、第一撃は甘受せねばなりません。
事前に侵略部隊の出港情報を掴めればその限りではありませんが、国外の情報が極度に不足している現状では難しいでしょう。
二つ目は、防衛戦力の絶対的な不足。
最初の巡視船が撃沈された時、現場付近に対処可能な船は無く、一番近い船で稚内に停泊していた巡視船一隻のみという有様です。
現有の海上兵力は、巡視船を除くとミサイル艇2隻及びコルベット1隻のみ。これでは対応能力に限界があります。
これらの事から我々の取るべき方針は、周辺地域に調査部隊を派遣し情報を収集する事と、対処可能な戦力の拡充。
せめて沿岸海軍と呼べる程度の戦力を保持することです。」

それを聞いた記者は、椅子から立ち上がり、興奮した声で質問する。

「それは軍拡という事ですか?
対処できないから軍を拡大するのでは、将来的に軍事国家への道を歩む危険性があるのでは!?
それに武力に頼らなくても周辺国との話合いを密にすることで防げるのではないのですか?」

その質問に高木はこめかみを押えながら答える。

「必要な防衛力の整備は必須です。
これを怠るのは、国民の安全を守るのを怠るのと同義であり、主権国家にとって許される事ではありません。
それと話合いと仰られましたが、国交の樹立はおろか情勢すら不明な状況下では現実的ではありません。」

「ですが、軍拡は、軍事的緊張を増せど平和には繋がらないのではないのですか!?
そもそも、未だ民主的な選挙が行われてない新政府の行動は、独裁国家への序曲だという市民の声もありますが
そんな中で軍拡を推し進めることを如何お考えでしょうか!?」

ヒステリックなに叫ぶ記者を見て、自称リベラルを謳うメディア達から同調するヤジが飛ぶ。
反論を封じるかのようなヤジの中、高木はメディアの圧力に若干押されつつも、答弁を返した。

「軍拡と仰られましたが、不足するものを必要数確保するだけであり、生存圏を確保する以上の戦力は保持いたしません。
それに選挙は混乱が収まり、国家の基礎が出来次第実施すると以前より広報から告知していますが、その方針に変わりはありません。
恐らくあなた方は、我々が軍拡の末に侵略戦争を起こすと想像しているのかと思われますが、現在の北海道と南千島にはそのような余力はありません。」

おわかりになられましたか?と高木は言葉を区切ったが、記者の興奮は収まらなかった。

「現在と仰られましたが、未来の戦争の可能性は否定しないわけですね!?
その生存圏の確保とやらが、かつての大戦のように侵略を肯定する方便にならない保証はあるのですか?」

鬼の首取ったと言わんばかりに記者は高木に質問をぶつける。
だが、それに対して高木の対応は素っ気ないものだった。

「…まぁ 民主的な選挙の結果誕生する未来の政権が侵略戦争を行う可能性は否定しません。
ですが、我々の政権では侵略戦争を行う意思も余力も無いことは記憶に置いてもらえればと思います。
それと生存圏の確保については、全て戦争でもぎ取るかのような誤解をなさっておられるようですが、戦争は外交上の一形態に過ぎません。
他勢力と生存圏の競合がある場合、協議や取引等あらゆる手を尽くす所存です」

このような記者たちとの遣り取りの結果、記者会見は罵声や質問を求める記者達の攻勢により、傍から見たら暴動かと思えるような格好にまでヒートアップしたが、
高木の次のスケジュールを優先するという事で、終了予定時刻を大幅に超えて幕を下ろした。
高木は足早に記者会見室を去ると、次なる目的地である大統領室に隣接した会議室へ向かった。
バタンとSPを引き連れて室内に入ると高木は大きく息を吐く。

「ふぅ~ 取り殺されるかと思ったわ。」

耳を澄ませば、階下の記者会見室の喧騒がかすかに聞こえる。
そんなどっと疲れた高木を見て、室内から声を掛けられる。

「まぁ いつの世もメディアはそんなもんだよ。
時代が変わるような大ニュースは奴らの飯のタネの中でも特上の御馳走だからな。
これからは、これまで以上にメディアに叩かれることも覚悟せにゃならん」

ははっと壮年の男達が笑う。
武田勤、鈴谷宗明、いずれもメディアに痛い目に遭わされた事のある人物だった。
声を掛けた鈴谷が笑いながら言葉を続ける。

「だが、スキャンダル等には特に注意してくださいよ、大統領閣下。
大統領制を敷いたことで任期の間は世論に振り回されなくて済むが、あまりに支持率が下がりすぎると次の選挙で勝てなくなる。
特に大統領は色気が溢れてますからな」

鈴谷はそう言って、高木のタイトスカートからツンと突き出した形のいいヒップに笑いながら目を向ける。
それを横で聞いてたステパーシンも笑いながら口を開いた。

「まぁ 私生活をスッパ抜かれた時は、下手に弁明するよりは開き直られた方が宜しいかと
日本人はスキャンダルに対して異常に過敏ですが、私が"英雄色を好む"とコメントして擁護しますよ。
不倫程度で大臣が変わる日本の伝統は、ここでも引き摺って欲しくは無いですからね。」

そこかしこから笑いが噴き出す、高木は眉をひそめながら席に着いた。

「これ以上のセクハラ発言を続ける方は更迭しますよ?
馬鹿な事はこの位にして、会議の方を始めましょう。
皆様、お手元の資料をご覧ください。」

高木は強引に話を打ち切って会議を始める。
先ほどまで笑っていた者達も顔つきが真剣に変わった。

「まずは今回の紛争についての戦闘経過とその結果についてのおさらいです。
経過の詳細は資料にありますので割愛しますが、問題はその結果です。」

高木がそう言うと会議室のスクリーンに数字が表れる。


(民間)
被災世帯:220世帯
負傷者:8名
死者・行方不明者:0名

(軍・警察)
礼文分屯地:半壊
負傷者:16名(警察1名)
戦死:21名

(敵武装集団)
捕虜:23名
死者:500名以上


「まず、我が方の損害ですが、先ほどの発表でも言いました通り、礼文島北部は完全に焼けました。
一から町を作り直すレベルの復旧計画が必要です。
そして軍・警察の被害ですが、彼らは技官等も含めて40名弱しか配置されていなかったのにもかかわらず
寡兵でよく持久してくれました。
報告によれば、防御戦闘に打って出た部隊では無傷の者はいないとか…
それに現地の警察は、敵が迫る中で住民の避難を支援し、その後も軍と共に脱出の協力を行ったと聞いております。
後日、彼らを英雄として表彰を行いたいと思います。」

高木の言葉に全員が頷く。
少なく見積もっても10倍以上の敵と戦い、民間人の避難に貢献したことは賞賛されてしかるべきだ
そんな全員が同意する中、ステパーシンが一つの提案をする。


「これについては、例えばソ連邦英雄やロシア連邦英雄等の称号を参考に、称号制度を創設するのはどうだろうか?
おそらくこちらのメディアは死者数の事で捲し立てるだろうが、大々的に彼らに英雄称号の授与を宣伝することで国民の意識はそちらに流れる。
それに称号の特典により、彼らと遺族も手厚い支援を受けられると知れば、国民に新国家への愛国心を根付かせるきっかけになると、私は考えるよ。
まぁ これは転移前の東側での制度だが、もう今となっては西も東もあるまい?」

それを聞いた全員が頷きかけるが、そのなかの一人、熊のような顔つきの武田がある懸念を口にする。

「制度としては申し分無い。しかし、感情的な問題となると右の連中がいささか五月蠅いぞ?
先日もロシア側と率先して協力しようという私の下に、斬奸状なんて時代錯誤のモノが届いたよ。」

今の新政府は、ロシアと協力して(相応のポストも用意して)連邦軍を創設した結果、新政府の主要人物は自称平和団体の極左を始め、日本人中心の国作りを目指す極右から狙われ始めていた。
曰く、「新政府は軍国主義者のファッショ」、「新政府はロシアの手先である売国奴」等様々である。
それだけではない、未だ国の形態がハッキリと固まっていない時期という事もあり、国内の様々な団体の活動が活性化していた。
良い制度は何でも取り入れていきたい。
だが、蓄積する不満によって貴重な人材が失われるような事態は何としても避けたかった。
そんな思いを感じてか、ステパーシンは不安を払しょくするよう穏やかに言った。

「国内の不穏分子の扱いは、我が内務省警察の役割だよ。
既に南クリル内にいた国民ボルシェビキ党をはじめとする過激派の中でも、特に危険だと思われる人物は新政府発足の発表前に処理済みだ。
何、グロズヌイから来る連中に比べれば実に易しい相手だ。
大統領の命さえあれば、ホッカイドウ内の不穏分子も一掃して御覧に入れますよ?」

ステパーシンはニッコリ笑って答えるが、高木を初めとした周りは若干引いていた。
これからやってのけると言うのではなく既に一部は実行済みと言うあたりが、言葉では生存のためには何でもやると決めたものの、未だに日本人としての感性を引き摺っていた者達には些か刺激が強かった。

「と、とりあえず、その件に関してはまた別途協議しましょう。
ですが、今回の功労者に対して称号を授与するのは中々いいと思います。
これに関しては前向きに検討するとしましょう。
彼らを英雄として前面に押し出すことは統治上も好ましいでしょうし」

高木がそこまで言ったところで、今度は別サイドから手が上がる。
その手の主は道警のトップ、安浦吉之介。

「英雄称号については良いですが、唯一の警察の人間が重体だという報告があります。
医師の話では、内臓をやられていていつ死んでもおかしくないとか…
損傷した臓器を移植で取り替えようにも、損傷個所が多くそれだけの臓器が集まるかは未知数。
全身義体化という手段も転移前には有り得たが、道内にはいまだ設備が無い。
だが、このまま彼を亡くすのは惜しい。
何か手は無いものですかな? 矢追博士、なんとかなりませんか?」

天才に聞けば何とかなるのではないか、そう淡い期待を抱いて安浦は聞く。
対して矢追は、政治的な話が続いていたので自分の出番は無いと半ば船を漕ぎ始めていたのだが
急に振られた話に"う~む…"と少々考えるふりをしつつ、頭の中を整理して口を開いた。

「まぁ なくは無いですな。
様は本人に適合する臓器を培養すればよい。その程度であれば実用化された再生医療の範囲内だ。
普通に考えれば、培養だけで数か月は必要とされるが、それは細胞を普通に培養した場合の事。
遺伝子操作した細胞による促成培養なら短期間で技術的には可能だが、一つハードルがある。」

天才の口から希望の言葉が出る。
それを聞いて安浦の顔に笑みが浮かぶ。
ハードルがあるとか言っているがそんな事は安浦には些細なことだ。
生きている英雄と死んだ英雄では影響力がまるで違う。
このままでは軍に生きた英雄を独占されると危惧していた彼にとって、矢追の言葉はまさに希望の光だった。

「それは何ですか博士!技術的な問題ですか?」

詰め寄る安浦に矢追は気圧されつつも説明した。

「技術的な問題は低いよ。
iPS細胞技術や遺伝子操作の効果的な手法は2010年代の後半には確立されている。
人一人分の培養ならば、既存の研究設備で事足りる。
問題は、それを実行するという事だ。
遺伝子操作の細胞培養は、新たな種の創造に繋がる技術だ。
生命は神によって作られたという欧米の倫理観に沿えば認められるものではない。
まぁ 他人の価値観を押し付けられて、それを律儀に守るなんて本当に馬鹿らしいと私は思うがね。
それでも転移前は、その倫理に従わなければ国から予算がもらえなかったので大ぴらには研究しなかったが、今となっては、そんな配慮をする必要はない。
いい機会だから、言わせてもらうよ。
これからは、欧米の倫理観によって抑制された技術開発を認めるべきだ。
デザイナーズベイビーしかり、クローンしかり、というか認可を要求する。」

矢追はドンと机を叩いて高木を睨む。
"NO MORE 規制"と矢追は要求するが、高木には一つ気がかりがあった。
現在、国家の主要人物は日本的な価値観を持つ人物だけではない。
その思想信条的な違いも考え、高木は確認を取ることにした。

「ですが、キリスト教的な価値観といえばロシアは正教会でしたよね?
ステパーシンさん、そちら側は本件に対してどう思いますか?」

そんな高木にステパーシンは要らぬ気遣いだと言わんばかりに答えた。

「我々の主要な宗教はロシア正教ですが、毎週ミサに行くような敬虔な教徒は全人口の5%程度ですよ。
それに政教分離を謳っているなら、宗教界からの口出しを気にする必要はないでしょう。
それに彼らも分かっている。
宗教は国家の支援が無ければ、非常に辛い運命が待っているとソ連時代に身に染みたはずだ。
少々の反感はあれど大々的に反対を口にすることは無いでしょう。
なにせ、ハリストスへの祈りはレーニンを止める事は出来なかったのだから」

ステパーシンは言う。
そんな些細なことを気にする必要はないと。

「そうですか。
では、倫理問題から来る規制解除については、作業チームを作るとしましょう。」

「素晴らしい!」

高木の言葉に矢追は歓喜する。

「では、取りまとめを決めるとしましょうか。それでは…」

作業チームの取りまとめの部署を決めるべく、高木は室内を見渡す。
転移前では諦めてかけた倫理規定の再検討。
矢追はそれを待ってたかのように満面の笑みで挙手をした。

「まかせ「武田さんでお願いします」てくれ!!」

「!!?」

矢追は驚愕する。
てっきり自分が倫理規定改定の首班になると思っていたからだ。
だが、驚いているのは彼一人である。
片やマッドサイエンティスト、片や新設された科学技術復興機構の理事長。
どちらに倫理規定の検討チームを任せるかは明白だった。
その任を命じられた武田は「あぁ 任せておけ」と一言言うと、こちらを凝視してくる矢追から目を逸らした。

「では、話が逸れましたが本筋に戻しましょう。
彼らの英雄称号の授与は、もう決定でよろしいですね。
あぁ それとステパーシンさん。
こういう事については、映画にあるように逸話をかなり脚色して広報すべきなんですよね?」

「英雄はそれに相応しい逸話が必要になる。失敗は改変し、成功は10割増しで発表するのがキモだよ」

新しい土地でも自分たちの古き制度が利用されると決まり、ステパーシンは満足げにプロパガンダのコツを語る。

「なかなか参考になりました。ありがとうございます。
では次の議題としましては、政府発表を行った防衛力の整備と情報収集についてですが
どちらも人員の問題がネックですね。
大規模な殖産興業を推進しているため労働人口すら不足気味の現状で、これを打開する方案が鈴谷外務大臣より提出されています。
では、鈴谷さん。ご説明お願いします」



先の戦後処理と北海道の今後を考える会議の席で、鈴谷は高木に北海道の将来像の試案をプレゼンするためにガタリと席を立つ。

「それでは、現在の問題点とその解決案について、ご説明させていただきます。
皆さんもご存じのとおり、大規模な殖産興業を推し進めている現状で、最大の問題点は人材の確保であります。
現在は、需要の無くなった業種からの転換を進めていますが、それも一朝一夕にできる事ではありません。
そんな中、防衛力の整備で若い人材が大量に必要になるという場合、取るべき手段は限られてきます。
一つは、かつてイランイラク戦争時にイランがやった様な国家圧力による出生率の増加。
…これは論外、まず不可能ですな。
仮に実施したとしても、時間が掛かりすぎる上に若年層の急激な増加は社会の不安定材料になる。
2000年代から2010年代にかけて、イランが強行な態度を取り続けたのもこの為です。
血気盛んな若者が、自らの主張を押し通そうと暴動を起こすんですな。
まぁ これは、規模さえ違えど我が国の団塊の世代に対しても同じことが言えたでしょう。
そして二つ目、徴兵制の実施。
これは経済問題として難しいです。
今は国のゴリ押しで産業の整備を進めている時期、早期の熟練労働者育成を行っている中で、若者を軍に拘束するのは経済的に好ましくありません。
それに徴兵を実施する場合、「軍靴の音が聞こえる」とマスコミ全体が反対に回る事が予想されます。
そして三つ目、これが本命です。
移民の導入とグリーンカード兵士の育成。
現在、難民の産業界への導入が試験的に行われていますが、彼らの特徴は中々に興味深いものが有ります。
例えば、ドワーフ族を例を挙げると、魔法による身体強化をした彼らの鉱業への適応性は素晴らしい。
高温多湿の坑道を物ともせずに作業し、多少の低酸素状態にも耐えると太平洋コールマインより報告もあります。
他の亜人達の魔法についても、科学技術復興機構の方で産業への導入を検討されているのは皆様もご存知かと思います。
そんな亜人達を、移民として大々的に受け入れます。」

移民の導入。
転移前の世界で何度か議論され全て立ち消えになった言葉に、議場の全員が顔をしかめる。

「一ついいかしら?
移民の導入は社会の不安定化と失業率の上昇に直結するとして、前の世界では立ち消えになったと思いますが
そんなにホイホイと導入して大丈夫なのですか?」

高木の質問に全員が頷く。

「もっともな質問ですね。
では、まずそれからご説明しましょう。
先ほど大統領閣下が仰られた懸念は、ヨーロッパが移民を導入し、後に「間違いだった」と語ったものと同一のモノだと思いますが
今回の移民は、まずコンセプトが違います。
かの移民政策は、移民の大半が低賃金労働者として労働力を提供していますが、我々が募集する移民は昔のアメリカ型と言いましょうか、夢と希望を抱いた移民を兵役の義務の後、一般の国民と同様の将来の内需として期待できる労働力に育て上げます。
この新世界では、中国のような価格競争の相手もおらず、適正価格で商売が出来る上、有事という事で部分的統制経済を実施していることがコレを可能にします。
軍での基礎教育の後、光る人材は民間へ。希望者はそのまま軍に。
あぶれた人材については国営農場や工場を新設し雇用して失業者によるスラムの形成を阻止します。」

鈴谷は熱く語るが、高木らは未だにこの案を信じられなかった。
なので、高木は少々のトゲのある言い方で鈴谷に質問をぶつける。

「とても良い事を仰られているとは思うんですが、少し理想的すぎませんか?
未だこちらの事を殆ど知らない亜人達が、どうやってこちらに夢や希望を抱くんです?」

だが、鈴谷はその質問も想定済みとニッコリ笑って説明した。

「大統領閣下は、転移前の日本で世界に最も影響力を持っていたモノは何だと思いますか?」

急な質問返しに高木は言葉を詰まらせる。

「え? …科学技術と経済力でしょうか?」

高木はオーソドックスな答えをしたつもりだったが、鈴谷に鼻で笑われた。

「違いますな。確かに、科学は世界の先端を走っていましたが、他国を圧倒する程の差ではない。
それに経済についても世界3位といえども、独走する米中とは3倍以上の差があり、更に4位に浮上した破竹の勢いのインドに比べれば勢いがない。
そんな中、ひときわ世界に輝いていたのはコンテンツ産業です。
これはもう、自覚無き文化帝国主義と言っていいくらい世界に浸透し影響力をもっていました。
この世界でも、これを使います。
まず、産業文明と我らの文化にドップリと漬けこんだ難民を、行商に扮して北方の大陸へ送り込みます。
幸い北方の大陸には、国家の支配が及んでいない亜人の地があるそうな。
そこに送り込んだ難民の工作隊で集落を廻り、各地で北海道の食品や酒、嗜好品を売りさばき、歌や噂でこちらの宣伝をする。
さらに、酒場などの人の集まるところにラジオや色っぽい電子ポスターを配布すれば、人々は酒場で此方の歌や情報を聞き、壁に張られたポスター等から想像力を膨らませ、その憧れは居住権を得るための兵役を決意させる。
軍の生活で接触する産業文明は、彼らから故郷に戻るという選択肢を放棄させるでしょう。
正にアメリカンドリームを抱いて市民権の獲得を目指すグリーンカード兵士の新世界版です。」

鈴谷は拳をギュッと握って力説する。

「はぁ… それにしてもラジオですか?テレビの方が良いのではないのですか?
それに、移民を受け入れるとして、その準備施設がいると思いますが、用地の候補は考えているのですか?」

移民を受け入れ軍で教育すると言っても、移民にも家族がいる。
高齢者や子供まで軍に入れるのは無理だし、こちらの常識を身に着ける為の教化施設が要ることは明白だ。
だが、鈴谷は、かなり案を揉んだようで、全く戸惑うことなく質問に答える。

「ラジオと電子ポスターという案にしたのは、単純に電力の問題です。
テレビを導入しようと思うと、どうしても発電設備などの導入も必要になりますが、
流石にそこまで供与となると、財政的な負担が大きい。
それに比べラジオであれば資源・経済的にコストが低く、電池で手軽に動きます。
配布を受けた側としても、娯楽を維持するために定期的な電池を入手しなければならず、こちらへの依存度は高まるでしょう。
電子ポスターも同様です。あれも消費電力が低く、此方からの電波で表示を一斉に操作できるのが利点です。
同時にこれらの工作隊にこちらからの人材を混ぜることで、現地の情報収集にも役立ちます。
ここで、ノウハウを築いておけば、いずれは亜人の地以外にも情報収集を目的とした工作隊の派遣に役立ちます。
それと移民導入の為の準備・教化施設ですが、道内や大陸等色々と検討させていただきましたが
道内に設置する保安上のリスクや、大陸に設置する場合の安保上のコスト等を勘定しつつ、そんな最中に起こった今回の事件によって有力な候補地を選定できました。」

「今回の事件によって?」

今回の事件により、礼文島は多大な損害を受けた。
それによって示唆を受けることがあるとすれば、その候補地は一つである。

「礼文島。
今回の事件によって壊滅的な打撃を受けた礼文島北部を、亜人の教化・移民準備地区として復興させる事を進言します。
元の住民と施設と陸続きになる南部の島民に補償が必要になると思いますが、本道と海で隔てられ、場所も大陸との間とロケーションも良く
最低限のインフラもあるが住民は居ないという条件が、本案の要求すべき立地条件を満たしています。
新生礼文は、我らと新世界の架け橋となるでしょう。」

鈴谷がやり切った顔で説明を終えると、室内からパラパラと拍手が聞こえ。
やがてそれは全員に伝播していく。

「ご説明ありがとうございます。
色々と考えさせられる所が多々ありました。
将来の内需… これは重要ですね。
いずれにしても、500万の人口で産業文明の維持は難しい。
移民受け入れの問題は、この世界に来た我々がいずれ避けては通れぬ問題だと思います。
それに、現地情報の入手も今は喉から手が出るほど欲しい。
難民の話から西にゴートルム王国と、東に何らかの帝国がある事は分かりましたが、その詳細及び"その先"は不明です。
ある程度の情報は捕虜から入手することも出来そうですが、現地に工作部隊を送って情報を集めるというのは直ぐにでも必要でしょう。
せめて使節を送るべき首都の位置くらいは押さえておきたいものです。
移民の是非については、更に案を議論しなければならないと思いますが、情報収集については、直ぐに準備に入ってもらって構いません。
大統領としてこれを許可します。鈴谷さん、よろしいですか?」

大統領の許可を得た鈴谷は、改めて大統領に向き直り任せておけと言って席に着く
その顔は、元々の精力絶倫とした丸顔が更にエネルギッシュになったようなヤル気に満ち溢れていた。
そんな重要事項が話合われた会議は、続々と寄せられる被害情報や捕虜の情報を受け、更に夜更けまで続くのであった。






数日後

陸上自衛隊 札幌駐屯地 

この日、礼文から移送された一人の捕虜が尋問を受けていた。
尋問と言っても、直接相手と話すのではない。
捕虜の魔法を警戒し、マジックミラー越しに尋問が進められていた。

「では… 繰り返しになるが、名前は?」

姿の見えない相手の質問にクラウスはぶっきら棒に答える。

「一体何度目の質問だ!?
エルヴィス辺境伯領主アルド・エルヴィスの弟。クラウス・エルヴィスだ!」

捕虜になってから幾度となく同じ質問が続いたが、今回は尋問する側の顔ぶれが違った。

「彼、男という割には綺麗な顔してるわね」

頬に人差し指をあて、クラウスを舐める様に高木は見る。
しかし、そんな事を露とも知らず、マジックミラー越しのクラウスは、同じ質問に飽き飽きしていた。

「身体検査の結果、生殖器に一部人工的な術式の跡が有りました。
多分、それが原因でホルモンバランスが崩れているのでしょう。」

検査に当たった医師が高木にそう説明する。

「へぇ~… 文化的なものかしら?…後で聞いてみたいわね。
まぁ それは置いといて、質問を続けてください。」

職員は分かりましたと言った後、事前に決められた質問をしていく。

「貴方の国は何という国ですか?」

「ゴートルム王国エルヴィス辺境伯領」

「今回の侵略は王国の命令?」

「辺境伯家単独の行動だ」

「侵略の意図は?」

「亜人の討伐と新たに出現した土地の平定のため」

「亜人とあなた方の関係は?」

「神の祝福を受けた人種と、神の愛を受け入れぬ亜人に特別な関係などない」

「今回の首謀者は?」

「……」

「今回の侵略の首謀者は?」

「いい加減にしてくれ!
貴様らの国を見せてくれたら、何でも話てやるって言っているだろう。
それなのに同じ質問ばかりで、一向にこちらの事を教えてくれぬ!王を出せ!会わせるまでは何も話さん!」

クラウスは椅子に手錠で拘束された状態のまま、頬を膨らませてそっぽを向く。

「今回の侵略の首謀者は?」

「………」

クラウスは完全に黙秘に入ってしまう。
彼にしてみれば、この地を深く知ることで、今後の辺境伯領の発展にいかせられると思い、最初は協力的に質問に答えていたのだが
いくら質問に答えても見返りが無い。
そもそも彼が取引を持ちかけたのは、初めての捕虜生活が想像していた(この世界の捕虜の扱いとして一般的な)劣悪環境とは違い、檻はある物の三食の食事と寝床が用意されていた事で
彼の中では特別待遇を受けているものだと勘違いしていたからだった。
その為、いくら尋問に協力しても一向に与えられない見返りに、彼はスネた。

「どうしましょうか?」

職員は高木を見る。
高木にしてみても、急に黙秘を始めた捕虜をどうするか聞かれても言葉に詰まる。
一緒に連れてきた秘書官に目配せするが、彼も肩をすくめるだけだった。
そんな時だった。
陽気な声と共に廊下を歩いてくる足音が聞こえる。
廊下の角を曲がり、姿を現した声の主はステパーシン内務相とツィリコ大佐だった。

「やぁ 大統領。
大統領も捕虜の尋問に来たのですか?」

その声はどことなく楽しそうである。

「えぇ でも、ステパーシンさんは何故ここに?」

その質問を聞き、ステパーシンとツィリコはお互いの顔を見て楽しそうに語る。

「私らも捕虜の尋問ですよ。
捕虜の尋問をやってると聞いて、何とも懐かしくなりましてね。
昔はよくやらされたものです。
そこで、ツィリコ君と一緒に捕虜尋問の手本を見せようと思いましてね。駆けつけたわけですよ。
どうせ、旧自衛隊の面々はそういう事に対して不慣れでしょうから。」

ステパーシンはそう言って、ペンチや漏斗等様々な道具を鞄から取り出す。
彼の横にいるツィリコ大佐も「コーカサスで最新の流行を取り入れた尋問です。効果はバッチリですよ。」と高木に笑ってみせる。
満面の笑みを浮かべる二人に高木は眩暈がした。

「いえ!お気持ちは結構です!我々だけで尋問の目途はついていますから、どうぞ道具は仕舞ってください。」

高木は両手を突き出して必死に二人が余計な事をしないように抑えるが、二人はなかなか諦めようとしない。

「だが、捕虜はあまり喋る様な態度ではありませんよ?」

ツィリコは未だに顔をそむけた状態のクラウスを指差す。

「大丈夫です!彼は早く喋りたいと思ってるだけです。
そのコーカサス流とかいう尋問方法は要りませんのでお引き取り願います!」

そのまま高木は彼らの背中を押し、頼み込むように帰ってくれと言う。
そう言われた二人も非常に残念そうに渋々と従うが、どうにも諦めきれないようである。

「では道具はお貸ししますので、ご自由にお使いください、大統領閣下」

「もういいから、帰ってください!」

高木は二人の背中を睨みながら叫ぶ。
そんな二人の姿が視界から消えると、どっと疲れが襲ってくるようだった。

「で、大統領閣下。いかがなさいますか?」

そのやり取りを離れて伺っていた秘書官が高木に声をかける。

「ふぅ…
そうですね。向こうもこちら側の情報が知りたいようですし、機密に触れない程度の情報は与えましょう。
聞けば、貴族の一員のようですし、外交チャンネルを開くのに使えそうですしね。
外に出して街を見せるわけにはいきませんが、映像位なら良いでしょう。」

「では、その通りに」

そして、高木が取引に応じるとクラウスに伝えると、彼は喜んでこの世界の概要を語って見せた。
逆に、こちらの情報については、プロジェクターで映し出された巨大産業文明の都市の映像や軍の映像に驚愕の眼差しで目に焼付け、
政治体制の概要については注意深く聞いているようだった。

「魔法も無しにこの様な文明が築けるものなのか…」

クラウスは映像を見ながら呟く。
この高度な文明、その"科学"の力とやらを領地の発展に生かせたら、どんなに素晴らしいだろうか。
映像を見終わった時、クラウスの心はこの未知の文明に絡みつかれるように捕らわれていた。


「随分と喋ってくれたわね。」

高木は、口を空けながら映像に見入るクラウスを見て言う。

「えぇ これで今後の戦略が立てやすくなりました。」

高木の後ろから秘書官が言う。

「では、戻るとしましょうか。」

高木はくるりと振り返り、出口へ向かおうとするが、床に鞄が一つ転がっているのを見つけた。

「これは… ステパーシンさんのね。後で届けてあげましょう。」

そういって、おもむろに高木は鞄を持ち上げると、口が開いていたのか中身がボトボトと落ちた。
それを後ろから見ていた秘書官の目に映ったのは、先ほど見た漏斗やペンチの他に、鞭や針金に生々しい造形の極太張型…
何に使うのだろうか… あまり考えたくないと彼は思う。
それに、落ちたものを拾い上げる時、一瞬、高木がクラウスと張型を交互に見ながらゴクリと喉を鳴らしたような気がしたが、それも幻聴か何かだろう。
何にせよ、この捕虜の存在により、これから北海道とこの世界との関係は、新たな局面に入るのは間違いない。
秘書官は目の前の光景から目をそむけ、今後降りかかる様々な事象に想像を巡らせ、気合を入れるのだった。



[29737] 戦後処理と接触編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:13
季節は冬。

転移後の冬も例年と変わらぬ白銀の世界に覆われた大地は、深雪に全ての音を吸収されたかの如く穏やかだった。
もっとも、礼文の一件以来、武力衝突は起きていないとはいえ、様々な勢力と接触すべく札幌の一部ではお祭り騒ぎが続いているのだが
ここ北見市の朝は静寂に包まれていた。
雪に覆われた白樺の森の中、エゾシカが餌を求めて走り回り真っ白なキャンパスに足跡を残しながら樹木の皮を齧っている。
そんな変わる事のない自然の情景を、ヘルガは森から少し離れたホテルから見ていた。


12月末。
現地で雇ったパートのおばちゃんをはじめとするロシア人達は、ヨールカと呼ばれるロシア式のクリスマスと正月が合わさった行事を家族で過ごす文化が有り
その為、国後の石津製作所は2週間の冬季休業に入っていた。
だが、雇った亜人達は新年を祝う風習はあるものの、まだ移住から日が無い事から生活にそれほど余裕が無く(それに、そもそも暦の新年の始まりが転移してきた北海道とずれていた!)
何もせず暇に休暇を過ごすと思われたが、社長である拓也の一言により彼らの休暇は非常に賑やかなものとなった。

「正月だし帰省する。でも、彼らを置いていくのは可哀想だから一緒に連れて行くか。
どうせ、兄ちゃんの農場も彼らを使ってるし一緒に宴会やろう」

そんな太っ腹な拓也の思いつきと、ノリの良い彼の兄の計らいにより、ヘルガ達一行は北見の外れにある古ぼけた宿泊施設に訪れていた。
ヘルガにとって雪を見るのは初めてでは無いが、ここまで寒い冬は今までに体験したことが無かった。
南に行けばいくほど寒くなるのは知っていたが、大陸の南海岸より海を越えて南下したことは無かったし、ここ北海道の家は、何故か南向きの建物が多い。
なぜ太陽の動く方向とは逆に家を建てるのかと聞いたら、この世界に来る前は太陽は南側を通過していたから南向きの家が多いそうだ。
社長は南半球と北半球がどうのこうのと言って、世界は球体をしていると言っていたが、世界がそんな形をしていたら、世界の端に住んでいる人は断崖絶壁の急斜面に住んでいるのであろうか
色々と興味深かったが、社長の説明が勝手に脱線を始め、宇宙やら公転やら何やら訳のわからない事を熱く語り始めたので、ヘルガはそれ以上聞くのは止め、今度話を聞くときは社長の奥さんか誰かにしようとヘルガは心に決めた。
そんなこんなで日当たりの悪い室内の窓から外の銀世界を眺めていると、2台の車がホテルに戻ってきた。
先頭の荷台付きの小さな車には、運転席に社長、その横にエドワルドさん、後続の車にはアコニーと社長の奥さんであるエレナさん達が乗っていた。
ヘルガが彼らが車から降りるところを見ていると、アコニーがそれに気付いて手を振ってきた。

「ヘルガー!鹿獲ったよ!お肉だよー!」

満面の笑みでエレナさんと共に獲物の鹿を荷台から引きずりおろすアコニー。
その大声で目が覚めたのか、同室だったカノエものそのそと起きてきた。

「……何の騒ぎ?」

「アコニー達が鹿獲って来たそうよ。まぁ 行ってみましょ」

ヘルガは北海道にやってきて買ったお気に入りのダッフルコートを手に取ると、未だに目覚め切っていないカノエを誘う。

「…みんな寒いのに元気だね」

布団に戻ろうとするカノエをヘルガは無理やり引っ張りだす。

「まぁ ちょっと見に行きましょうよ。ほら、さっさと上着来て」

布団から引きずり出したカノエに上着を放り投げるが、彼女は再び布団に戻ってしまう。

「もうちょっと…」

そんな際限なくだらけるカノエを引き摺ってヘルガたちがホテルのエントランスまで来るころには
アコニー達の周りに人だかりが出来ていた。

「遅いよヘルガ達… 何してたの?」

アコニーが頬を膨らませて尋ねる。
その問いに対して、カノエはどこか遠くを見て答えた。

「…すべては、ココの寝具が快適すぎるのがいけないのよ。
ふっかふかの毛布や布団に包まれて、朝起きれる方が異常なのよ。
…ここに慣れてしまったら、もう大陸に戻るなんて無理ね」

仕方が無かったんだと言わんばかりにカノエが説明するが、ヘルガもアコニーも既にまともに聞いていなかった。

「ふぅ… もうそれはいいよ。
それよか見てよ!鹿獲ったよ!鹿!
この銃を使ってみたら、一発で仕留めれたよ。
これって凄いなぁ。今まで試し打ちで木の板しか撃ったことが無かったけど、生き物に対しても凄い威力だね」

アコニーは満面の笑みで肩にかけていた銃のケースを降ろした。
その中身は、いつも工場で作っているAKとは少し違っている。
石津製作所は、5.56mm弾用のAK100シリーズへ装備の更新を進めるロシア軍から、7.62mm弾を使用する中古の小銃を格安で購入していた。
その用途はと言うと、供給の途絶えたレミントン等の猟銃の代替として民間用にフルオート機能を無くしたセミオート銃へ改造を施し、市場に出すことを狙っていた。
事実として礼文島の事件以来、道民の安全に対する意識は変わり始めており、郊外の人間ほど自分の身を守る最低限の用意を欲し、更に道内の食糧事情として肉類が不足する中で猟師が鹿肉を食べている姿は、中古の猟銃市場を高騰させるのに十分だった。

「それにしても、まだ訓練を始めて日が浅いのに、よく飛び道具を扱えるわね」

ヘルガが鹿の首筋に開いた銃創を突きながらアコニーに聞く。

「そりゃ 毎日いっぱい鍛えられたもん。
射撃練習で的はずしたら尻尾踏まれるし。エドワルドのおっさんは人族の皮を被った悪魔かダークエルフに違いないね」

よほど踏まれたのだろうか、その尻尾の毛並みは所々乱れていた。
アコニーは尻尾をさすりながら声を小さくして二人と話ているつもりだったが、悪口の部分も含めていつの間にか真後ろに立っていたエドワルドに全て筒抜けであった。

「踏まれたくなかったら、的を外すんじゃない!」

そう後ろからアコニーの耳元で怒鳴るようにエドワルドが言うと、アコニーは驚いた猫の様に毛並みを逆立たせて気を付けの姿勢をとる。
同時に「ハイ!教官殿!」と反射的に叫んでいるあたり、本当にしごかれているんだなとヘルガ達は思った。

「パッキーを見ろ。余計な事も言わず作業しているぞ」

エドワルドは、捌く為に鹿を運んでいる兎型の獣人を指差しながらアコニーの尻を叩く。
急に尻を叩かれたアコニーは「きゃん!」と短い悲鳴を漏らすと、きゃいきゃいと鹿を引きずって裏手へ消えていった
そんな彼女らを尻目に、エドワルドは拓也に話かける。

「まぁ 頼まれた通り鍛えているけど、本当にいいのか?」

「もう決めた事だから、このまま石津製作所 警備部の設立は続行で頼みます」

エドワルドの問いに拓也は迷いなく答える。
石津製作所 警備部。
全ては礼文の騒動の後に始まった。
あの日、拓也らが皆と共に夕食を取っている時、宿舎の食堂に備え付けられたテレビから外部の勢力に礼文島が侵攻を受けるというニュースが飛び込んできた。
既に大半は制圧し、残敵の掃討を行っているというニュースだったが、その直前に難民たちに対して『守ってやるから安心しろ』的な事を約束していた拓也には、非常に重い内容だった。
周りを見れば、彼らが不安げな表情で拓也に視線を送っている。
対人同士しか言葉が翻訳される力が働かない為、テレビから流れる日本語を彼らは理解できなかったが、燃える集落や捕虜となった敵兵の姿を見て、何事が起こったかは大筋で理解したようだった。
一瞬、食堂内は重苦しい空気に包まれたが、拓也は残りの夕食をかきこむとガタリと席を立った。

「えー、今のニュースによると、大陸からやってきた武装勢力が此方の島の一つに侵攻したそうだ。
でも、既に制圧して騒動も沈静化に向かっているらしい。
こういった事で色々と不安になると思うけども、君らの安全は自分が責任を持つ。
具体的なことは後程発表するけど、安心してもらって構わない」

そう一言皆に告げると、拓也はエレナやサーシャ達に後で自室に来るよう耳打ちして、そそくさと自室に消えていった。
そうこうするうちに少々重苦しい雰囲気の夕食も終わり、拓也から声を掛けられたメンバーは彼の部屋に集まっていた。
拓也、エレナ、サーシャ、エドワルド、この四人が揃った所でデスクに腰かけた拓也が口を開いた。

「さっきのニュースの事だけど、皆はどう思う?」

拓也の口から出たのは、先ほどのニュースであった大陸からの侵略についてだった。

「彼らが言うには大陸で大規模な侵略に遭い、それで難民化したという事だから
その大陸から来た好戦的な軍勢… おそらくは、彼らを襲ったものと同一と見て良いだろう。
大規模な侵攻については軍に任せればいいが、一度上陸を許したって事実が彼らを不安にさせるだろうな」

エドワルドは腕を組んで思った事をそのまま言った。

「それに工場設立時に他の勢力から襲撃を受けてる事も、パートのロシア人経由で聞いているそうよ。
かれらは表面上は隠しているけど、やっぱり不安でしょうね」

エレナもニュースの件以外にも不安材料はあるとして過去に工場を襲撃された件を口にする。

「まぁ 皆が言う安全面での懸念は前々からあった訳だ。
そして、彼ら相手に大見得切った手前、何もしないという訳にはいかないので、以前から温めていた腹案があるので皆に聞いてほしい」

「というと?」

拓也の腹案とやらにエレナが食いつく。
そんな話があるなんて、全く聞いていなかった。

「武装した警備部の設立と将来的な民間軍事会社(PMC)化。
自分の身は自分たちで守りつつ、警備だけで人材を遊ばせておくのも勿体無いので、なおかつそれで商売しようと思ってる。
どうせいつまでも道内だけで自給なんて出来ないんだし、その内、道外と交流を深めるなら護衛のニーズはあるんじゃないかな。
難民が発生する紛争地帯が近くにあるのは確実。
それにこの世界の文明レベルはあまり高いとは言え無さそうだし、山賊や海賊が居てもおかしくない。」

「治安が意外にも安定していたら?」

エドワルドはその前提が崩れていた時の懸念を口にする。

「その時は、連邦軍の補給屋か、PMCとして独自の国際協力するだけだよ。
火種があれば叩き潰し、紛争があれば戦局をひっくり返す感じで。
でも、あくまで政府の意向に沿う感じで行動するよ。
南アフリカのEO社みたいに会社を解体されたくないしさ」

楽しそうに拓也は話出すが、あくまで政府の掌の上でと強調するあたりがチキンだった。

「でも、誰が訓練するの? トップは? 人材は?」

一体誰が音頭を取ってやるんだというエレナの質問に拓也は笑う。

「それはもう決まってる。
教官は、エドワルドのおっさん。
どうせ監視とか言いつつ、エロ本読んで寝てるだけなんだから、人の役に立ってもらいます」

「いや、俺は内務省警察所属で「授業料は給料の1.5倍出します」…まぁ ちょとくらい手伝ってやってもいいかな」

エドワルドの言葉を金の力で黙らせると、拓也はエレナの方を向く。

「んでだ。 事業部長はエレナ。君に決定」

全く知らされていなかったエレナは目を丸くして驚く。

「え? 私?何で?」

その問いに拓也は目を閉じ、言い聞かせるように説明する。

「武器屋の統轄はサーシャ、傭兵屋の総轄はエレナ。
んで、それを取りまとめるのが俺。
いや、商売柄政治工作がいるし、そうなると本道に行きっぱなしって事もあるから、俺抜きでも事業は回る体制にしたい。
それに、エレナさん銃持たせたらマジ強いし」

だが、その説明を聞いてもエレナは渋る

「でも、そんな事業部なんて纏めれる自信ないし…」

そんな自信なさげな彼女の元に拓也はズカズカと近寄ってその手を掴む。

「成せば成る!成さねば成らぬ何事も!」

「え… でも…」

「まだ計画の段階だから、問題点はこれから出してくれればいいよ!」

拓也はエレナの肩を両腕で叩いた。
満面の笑みで任されたエレナはそれ以上の言葉を封じられてしまった。

「と、いう事で動こうと思うけど、最初は少数を訓練して軌道に乗ったら
一部隊作ってみたい。まぁ 当然人数が要るわけだから、中央に追加の難民派遣を頼まなきゃならない。
まぁ 人材については今でも少し不足気味だし、経営の収支予測的にも人を増やす余力はある。
何か質問は?」

くるりと振り返り、拓也は残りの二人を見まわした。
すると、いままで黙っていたサーシャが静かに手を上げる。

「何かな?サーシャ」

サーシャは、これ以上ないほど真面目な顔つきで拓也に言う。

「今回の件、よくわかった。
特に僕にはやることは無いが、警備部の制服のデザインは任せてくれ。
タイトなミニスカートを基調とした良い案が浮かんだよ」

サーシャは拓也にニヤリと笑う。
実に良い笑顔だった。
本気モードのサーシャは良い仕事をするに違いない。
拓也はデザインが出来上がったら詳細を詰めようと親指を立てて応える。
礼文での事件後の夜、拓也の自室でそのようなやり取りが有り、石津製作所 警備部の設立は始動した。



その後、色々な試行錯誤の末、生産業務に支障をきたさない範囲で志願者の募集が行われ
数人の亜人とエレナを加えたメンバーで訓練も行われていた。
本来ならば管理職であるエレナは訓練に加わる必要性は無いのだが、健康(ダイエット)の為との本人の要望により一緒に訓練に参加している。
今回のエゾシカ猟も、猟銃に改造した小銃のテストを兼ねた冬季訓練という名目で行われていた。

「そういえば、エドワルドさん。
ステパーシンさんにアポ取れます?ツィリコ大佐でもいいや」

鹿が引きずられた雪の跡の上を歩きながら拓也はエドワルドに話を振る。

「まぁ 出来んことは無いが、何故?」

「一応、立ち上げる時に連絡は入れたけども、まだ面と向かい合って話て無いでしょ。
色々と役に立ちますよーと売り込んでおけば、組織として安泰だし、仕事が来るかも。
それに、今の内に政府に役立つと認識させて既成事実化しておけば、本道とクリルの法制度完全統合時に不利な法律は作られにくいでしょ」

それを聞いてエドワルドは一理あるなと頷き言葉を返した。

「まぁ それもそうだな。一応上には話をしてみる。
もう正月だから、年明けでいいか?」

それを聞いて拓也は満足そうに答えた。

「それでいいよ。というかあまり急がれても困る。
今夜は大みそかだから皆で宴会、明日は正月で宴会、その後はコネの為に親父と兄貴について行って武田勤主催の新年会と民自党北見支部の新年会…
正直、毎日宴会で死ぬかもわからんね」

「まぁ それも全て会社の為だ。諦めることだな」

エドワルドは笑って拓也の背中を叩くが、当の拓也はひきつった笑顔を浮かべる事しかできなかった。




大晦日の晩。

すでに日が落ちた北海道の空は、街の光とそれを反射する深雪により深い紺色に包まれていた。
時折、雪もちらつく寒い夜だったが、川辺にぽつんと佇む建物の窓からは、明かりと大きな笑い声が漏れている。
大宴会。
北海道の大晦日に質素という文字はない。
豪勢な夕食を、囲み飲んで騒ぐのが北海道の伝統だった。
そういった意味では、100人近い亜人と道民そしてロシア人達による大宴会は、非常に正しい北海道の大晦日の風景だった。
最早何度目かわからない乾杯の声と共に、ビールや日本酒、ウォッカなど各々の手に握られていた飲料が皆の喉を鳴らす。
見ればテーブルの上には豪勢な料理と共に空のビンがいくつも転がっている。
サッポロから、エールや黒ビールといった地ビールに紫蘇焼酎など銘柄もさまざまである。
亜人たちはこんな美味しいエールは初めてと喜び、ピルスナーや焼酎、ウォッカ等の初めて飲む酒に喜んでいたが、上質なビールやエールに自然と杯が進み、若干酒が回ったところに同じペースで物珍しい焼酎やウォッカをガブガブと飲む。
そしてビールと度数の高い酒等をちゃんぽんで飲のむという愚行の結果、会場全体がとんでもない乱痴気騒ぎと化してしまった。
抑えて飲もうとしていた者達も、既に酒に飲まれた者達に強制的にジョッキに焼酎等を注がれ次々に酒ゾンビの仲間入りを果たす
そんな様子を上座に座る二人が眺めていた。

「どうしようかね。兄ちゃん」

「どうしようもねぇべ。拓也。
まぁ ホテルに出入り禁止を食らわない程度に楽しむのがいいべさ」

そういって、最早制御不能な宴会を見ながら兄はビールを煽る。

「それより、よく鹿なんて取ってきたな。
物資統制下で鳥以外の肉類がちっとも手に入らねぇから、肉の塊にホテル側も驚いてたぞ。
…だが、ちゃんと捌いてから持ってくるのはいいけど、ホテルの敷地で捌くのは止めてくれ
さっき、代表者って事でフロントに呼ばれて怒られたべや。
ホテル裏の雪が血で染まってるって」

「あー… 次からは気をつけるわ」

拓也は鹿を捌いている光景を思い出した。
亜人たちによってホテルの裏へ引きずられていった鹿はあっという間にバラバラに解体され肉の塊へと変化していった。
あまりに上手に解体するものだから、片付けは任せて一足先にホテル内に戻ったのだが…
奴ら… 内臓とかはどう処理したんだろうか?
あまり宜しくない想像が頭の中を駆け巡るが、今は宴会中である。
後で後処理はどうしたのか彼らに聞こうと拓也は考え、目の前のビールに口をつけた。

「それより、すごい量の料理だわ。兄ちゃんの農場とウチの工場で100人近くの宴会になったけど、よく食材を調達できたね。」

拓也は素直に感心して目の前におかれた刺身の船盛に手を付ける。

「まぁ 足りないのは牛や豚の肉類と従来の外洋魚だしな。他の野菜とかは結構あるし
あと、足りない食材は持ち込みって事で、今日の宴会代はかなり安くしてもらった。
お前が食ってる魚だって、俺が網走で仕入れてきたやつだよ」

拓也は食べていた刺身のひとつを箸で摘むとまじまじと見る。

「へぇ これ兄ちゃんが仕入れたのか。切り身じゃ何の魚かわかんないけど旨いね。
これ、なんて魚?」

感心したように拓也は言い、持っていた魚を口へ運ぶ。
拓也の疑問に兄は素っ気なく答える

「知らん」

「え?」

「いやだから、名前は知らん。
獲った漁師も今までこの辺じゃ見たことなかったそうだ」

予想外の答えに拓也の目が点になる。

「・・・は?」

そんな訳のわからないものを食わされていたという事実を聞かされても、突然の事で、拓也は言葉が出てこなかった。

「でも、安心しろ。
仕入れる前に、漁師さん達から『見たこと無いけど旨かった』と聞いてから持ってきたから、味は大丈夫だったろ。
それに毒があるなら、既に漁港が滅んでいるはずだから」

普通、得体の知れないものは調べるのが先だべ、いきなり食ってみた漁師の度胸はハンパねーやと
兄は笑って答える。
その能天気な笑顔をみて拓也も次第に考えることが馬鹿らしくなってきた。

「まぁ 一度食っちまったんなら、山盛り食おうが同じだよね。
もう覚悟決めて食っちまおう!」

そう言って拓也は謎の刺身を摘むとバクバクと口へ運ぶ。

「そういや、変な食材といえばトド食った事あるか?」

話題を変えて兄が拓也に聞く。

「トド?観光地に売ってるトドカレーの缶とかそんなのなら少し」

「漁師の話によると、異世界だから冬の風物詩のトド撃ちが無くなるかと思ったら、海から別なもんが来るらしい。
んで、その別もんも同じように漁具を荒らすもんだから、それをトドと呼称して駆除しているそうだ。」

「・・・まさか、その謎の生物をトドと言って売ってるとか?」

拓也の言葉に兄はニンマリを笑って答える。

「正解!でも、役場に見つかったら怒られるかも知れないと言ってたから、食べたいなら早いとこ行ったほうがいいぞ。
俺も網走で、首長竜の串焼きを食べるなんて貴重な体験をできるとは思わなかったべや。」

答えを言い当てられた兄は笑って拓也の肩を叩く。

「この世界はそんなモンまでいるのか。
だけど、本当にそんな変なもん食べて大丈夫なの?病気になったらどうすんの?」

「まぁ 十分焼いて食えば大丈夫っしょ。不安なら征露丸飲めばいい。」

「そういうもんかね」

「そういうもんだ。
それより見ろよ。お前の所の猫娘がテーブルの上に載って踊ってるぞ。」

既に謎の魚を食べる箸を止め、やっぱり不安な拓也。
そんな彼に兄は宴会場の一角を指差した。
見れば石津製作所のかしまし娘の一人であるアコニーが、兄が連れてきた農家ロイド39型達の歌声をバックに踊っている。

「それにしても、歌うまいなぁ あのロボット集団」

アンドロイド達は、アカペラでケルト調の曲を絶妙なハーモニーで紡いでいた。

「そりゃ 音声系はボーカロイド系譜だもんよ。
彼女らに歌わせたら一級品だよ。まぁ 俺の調教の賜物でもあるんだが」

妙に自慢げに兄は言うが、拓也はクルクルと曲に合わせて見事なタップを踏む彼女らに魅入ってしまった。
流れるように舞い、コーラスに合わせて激しいタップを刻む。
時に激しく、時に官能的に、そんな彼女の踊りに、拓也は閉じるのを忘れて凝視してしまう。
だが、タップの度にギシギシと悲鳴を立てるテーブルの音で、無理やりに拓也の意識は引き戻されてしまった。

「アコニー踊るなら、テーブルの上じゃなく前の壇上で踊れ!」

拓也の叫びにアコニーも「はーい」と応えて踊りながら前に出てくる。

「しゃっちょー。飲んでます~?」

タップを踏みながら拓也の横を通るアコニーが、すれ違いざまに絡んでくる。

「エレナはどうした?絶対に何かやらかすと思ってお前らの監視役に付けたのに」

よほど飲んだのだろう、焦点の合わない目つきでアコニーが答える。

「奥さんなら~ あそこでカノエと飲み比べしてますよ。
あの二人は信じられません。正直、化物かなにかです~」

そう言って、テーブルの一角を指差して彼女は壇上に向かって去っていった。
その指先の方向には、見覚えのある栗色の髪と目立つ青色の頭の二人が居た。

「なんだ拓也? 嫁と飲まないのか?」

兄が夫婦で別々に飲んでいる拓也に質問する。

「エレナは監視役として向こうに入れた。
つーか、ロシアにいた頃、友達と二人で瓶ビール40本あけたとかいう猛者だよ?
最初から一緒に飲んだら死ぬし。程良い頃合いまで待つよ」

拓也の言葉通り、テーブル上には無数の空のショットグラスとウオッカ
まるで酒の神バッカスの化身というかのようなウワバミだった。
だが、その前に座るカノエも負けてはいない。
フフフ…と笑うと飲み干したショットグラスを音を立てて机に置く。
そんな常軌を逸した二人の周囲には、おそらく下心で飲み比べに参加したのであろう男共が何人も青い顔をして床に伏している。
もし最初から彼女らと一緒に飲んでいたら、拓也もあの中の一員となっていただろう。

「そういえば、3人娘が一人足りんな?」

拓也は周りを見渡すが、どこにも一人見つからない。

「おい、アコニー。
ヘルガはどこ行った?トイレか?」

微妙に女性への配慮に欠ける拓也の問いに、アコニーは踊りながら答える。

「え~? ヘルガなら副社長とどこかに行きましたよ?」

「サーシャと?」

拓也の脳裏に悪い予感がする。
前々からロリコンの気が有るサーシャは、ロリ体形のヘルガに好意を寄せていた。
それが二人でいずこかに消えた。
最早、介抱に見せかけた犯罪的お医者さんごっこしかイメージできない。

「いかん!ヘルガを助けねば!」

拓也は慌てて席から立ち上がったが、それと同時にロボット達の歌声が止まる。

「今度は何だ?」

急に音楽が止まった事で踊っていたアコニーも何が起きたのが分からないという感じだったが、その一瞬の混乱も、宴会場に置かれていたスピーカーから聞こえてくる声によって静まった。

『北の大地は 別れの地 故郷を離れ 何思う
北の大地は 女の心 酒と人肌 氷を溶かす
雪の大地に女が一人

ヘルガが歌います。

スターリングラード冬景色』

サーシャの口上と共に室内に入ってきた浴衣姿のヘルガが、イントロにのってマイクを持ちながら壇上へ、皆あっけにとられている。
当の歌っている本人は酒のせいもあるのか自分だけの世界へトリップしていた。

「サーシャに襲われたんじゃなかったのか…
そういや彼女、よく演歌が好みに合うって言ってたな」

着々とこちらの文化に染まっていく亜人達
演歌を歌うドワーフ娘を見ながら拓也は彼らの順応具合を知り
初日の出が見えるまで続く乱痴気騒ぎの中、彼女の歌声を皆で聞き入る事で、一時の休息を得るのだった。







年も明け、異世界での2026年は無事平穏に過ぎていこうとしていた。
統制経済の中、町では初売りのセールが始まり、比較的数に余裕のある規制のかかっていない商品をつめた福袋に、長蛇の列が出来ていたのも数日前の話だ。
そんな正月ムードも終わりに近づきつつある中、拓也、エドワルド、サーシャの三人は丘珠空港に降り立っていた。
北見―札幌間は特急で4時間半、車で行った場合は冬の石北峠を超える為に更に時間が掛かるが、最寄りの女満別空港と丘珠空港を結ぶ空路なら、45分と短時間で移動が可能だった。
短い空旅の後、駐機場で停止したプロペラ機から降り立った拓也は、エドワルドに話かける。

「いやー、やっぱ飛行機は早いわ。
これなら特急の倍の料金でも喜んで払うよ。北海道エアコミューター最高!」

笑顔で感想を述べる拓也にエドワルドも笑いながら言うが、その感動はあまり共有できていなかった。

「旅費は全部そちら持ちだから、俺は快適であれば何でもいいよ。」

「まぁ それについては会社も順調に動き始めてるし、旅費なんて経費で落とせばいいよ。
今、政府からきている注文を何事も無く収めた場合、利益も結構な金額になるから、チマチマと節税対策しないとね」

そういって笑顔でタラップを降りる二人だが、それに遅れて覚束無い足取りの人影が現れる。
青い顔のロシア人
タラップの手すりに縋りつくように、よろよろとサーシャが降りてくる。

「ちょ… 待って…」

彼を置いてズンズン進む二人にサーシャは擦れそうな声で助けを求める。
だが振り返った二人の返事は冷たかった。

「調子に乗って飲み過ぎるからだろ。たかが二日酔いでだらしない」

「ロシア人たるもの、少々の酒くらいでへばるな!」

全く同情する事のない二人にサーシャは涙目になる。
その様子に流石に哀れになったのか拓也はタラップまで戻っていった。

「仕方ないなぁ 肩貸すけど、元旦の朝みたいなことは本当にやめてね?」

やれやれと拓也はサーシャに肩を貸し、最悪だった元旦の朝を思い出した。
年越しの宴会の夜、適度に飲んで部屋に戻って寝た拓也は、翌朝、朝食を取るために起きてくると、その惨状に目を覆った。
宴会用の広間ではほぼ全員が酔いつぶれて寝ている。
所々で備品も壊れており、衣服が肌蹴たまま廊下で寝てる奴までいる。
拓也は、とりあえず廊下で寝てる奴をどうにかするため近寄るが思わず声を掛けるのを躊躇ってしまう。
なぜならば、廊下で寝ていたのは、昨晩は嫁のエレナと飲み比べをしていたカノエであった。
肌蹴た豊満な胸元から桜色の何かが自己主張しているが、このまま放置というのも不味い。
拓也は目の保養として十数秒の至福のひと時を堪能すると、一言「ご馳走様でした」と手を合わせて礼を言ってからカノエの肩をガクガクと揺らした。

「おい!こんな所で寝たら風邪ひくぞ!さっさと部屋に戻れ!」

ガクガクと起きるまで頭を揺らすと流石の彼女も目を覚ます。

「…あぁ? あ、社長… おはようございます…」

「一体何だ!このありまさは? エレナに皆の面倒を頼んだのに、奴はどこへ行った?それにサーシャは?エドワルドのおっさんは?」

「えー… エドワルドさんは途中でもう寝ると言って部屋に戻っていきました。
サーシャさんは知りません。そこらで潰れてませんか?
奥さんは… あれ? 昨晩は一緒にトイレに行こうとして席を立ったんですが、そこから先が思い出せません」

カノエは額に人差し指を当てて昨晩の事を思い出そうとするが、どうにも覚えていないようである。

「じゃぁ とりあえずトイレを探してみようか。一緒に来てくれ」

拓也はカノエの手を握って引っ張り起こすと、一緒にトイレへ向かう。
そして、二人でトイレへやってくると、案の定、女子トイレのエリアからイビキが聞こえた。

「…カノエ。連れてきてくれ」

「あ、はい」

流石に拓也が女子トイレに入るわけにはいかないのでカノエに頼む。
そのカノエも拓也に頼まれると女子トイレへスタコラと入っていった。

「…しっかし、サーシャはどこに行った?」

拓也は、カノエがエレナを連れて戻ってくるまで待つ間、ふと男子トイレを覗いてみる。
そして拓也は後悔した。
トイレの床のあちらこちらに積もる嘔吐物の山。
量的に恐らく一人二人ではない。恐らく、調子に乗って飲み過ぎた馬鹿共が所構わず粗相したのだろう。
現に馬鹿の一人であるサーシャがむせ返る吐瀉物の海の中で寝息を立てていた。
この事が原因で、後にホテルから石津製作所は出入り禁止を食らうのだが、そんな人生の汚点となる出来事を、拓也の肩を借りて歩くサーシャは思い出していた。

「大丈夫。もう、あんな事にはならないよ…」

息も切れ切れにサーシャは言うが、拓也は信用していない。

「じゃぁ 今の体たらくは何だよ?
あの日から毎晩正月気分で飲んでるけど、本当に大丈夫か?」

「あの晩が異常だっただけで、それ以降は吐いてない。大丈夫。大丈夫…」

「これからお前の親父さんに挨拶するんだから、ちゃんとしてくれよ?」

「あぁ…任せろ…」

そんな未だに顔の青いサーシャを連れ、拓也達は空港の外に出ると、ステパーシン内務相のいる連邦政府ビルへと向かうためタクシーに乗った。
途中、あまりに青い顔をしているので、何か飲み物をくれと言うサーシャにガラナドリンクを与えると目的地の到着する頃には、顔色は幾分かマシになっていた。

「これ良いな。うまいよ。何だこれ?帰りに箱で買っていこうぜ」

ペットボトルに残る赤茶色の液体を揺らしながらサーシャは言う。

「そうか、ガラナは北海道でポピュラーなドリンクだけど、飲めるのは今だけだぞ」

「何故?」

「原材料が南米産だから。もっと飲みたかったら、この世界で似た植物を探すしかないんじゃないか?」

「マジか…」

せっかく気に入った飲料を見つけた瞬間、もう生産は無いと言われた絶望感でサーシャの口元が情けなくへの字に曲がるが、サーシャは再度ガラナを口へ運ぶ。

「まぁ 無いなら探すまでだな。それにしても、この味… 癖になりそうだ」

サーシャはこの一件でガラナ飲料を非常に気に入り、「ガラナは命の水(アクアウイタエ)」とロシア人に宣伝しまくった。
その事が原因で後日発見されたガラナに似た植物の炭酸飲料は、この世界の代表的な飲料になるのだが、又それは別の話である。
そんなこんなで拓也達一行はステパーシン内務相の部屋にやってきていた。
ノックして扉を開くと、そこには机に座ったステパーシン内務相と、その横にはツィリコ大佐が立っていた。

「お、来たようだな」

ステパーシンは読んでいた書類から顔を上げると拓也達を見る。

「あけましておめでとうございます。ステパーシンさん。それと大佐も」

「おめでとう石津君。それと愚息の面倒を見てくれていつもありがとう」

拓也達は挨拶と握手の後に応接間へ案内され、お茶を持ってきた女性職員が退室するまで軽い世間話で間を潰すと、拓也は本題を語りだした。

「今回来たのは、新年のあいさつと一つお願いがあって来たのですが」

若干身を乗り出して説明を始めようとする拓也に、ステパーシンは全てを見越したように笑って答える。

「あぁ 言わなくても分かる。PMCの件だろう。
エドワルド君からの報告書に色々と書いてあったよ。
まぁ 設立から連邦の法制度の統一までは便宜を図ってやろう」

警護と監視という名目でエドワルドが来ている事から、此方の情報は筒抜けなのは当然だった。
拓也も好意的な回答が来ることを予想していたので、ステパーシンの話の途中から既に笑顔を隠していない。

「まぁ 国家に属さない部隊というのも色々と必要になってくるのだよ。
特に此方の人民は、国軍に対する姿勢が厳しい。
そんな中、国軍よりフットワークの軽い民間は使い勝手がいいわけだ。
とりあえず、この資料に目を通してくれ」

ステパーシンは持っていた電子ペーパーをバサッと拓也の前に置いた。
拓也も「なんですか?」と書類を拾い上げると、その最初のページには次のような文面が並んでいた。



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第25回 北海道連邦戦略会議資料

短期的対外戦略と国内開発について

1、礼文島戦後処理と和平交渉準備
  ・エルヴィス辺境伯領及びゴートルム王国との窓口構築
  ・大陸からの移民教化地域としての礼文島再開発

2、新世界の調査隊派遣準備と派遣地域選定
  ・北方大陸と亜人居住地域の探検と調査
  ・人種国家の文化、宗教面での学術的調査
  ・資源分布調査

3、他勢力との国交樹立の準備開始
  ・西方人種国家との交渉と国交樹立準備
  ・西方国家群と対立する東方諸国家、部族と国交樹立準備


4、魔法研究と技術的応用
  ・亜人の産業導入の研究
  ・礼文戦捕虜からの魔法技術導入

5、新世界の人体及び環境への影響
  ・ワクチン接種の副作用による魔法力の付与
  ・非ワクチン接種動物の肉体変化







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拓也は手に取った電子ペーパーをタッチし、気になるトピックの詳細を読んでいくが
内容が連邦政府の機密にかかわりそうな文面が載っており、それに驚いた。

「これは… いいんですか?自分に見せちゃって。
機密に類するものもあるのでは?」

拓也は見せられた文書に戸惑うが、ステパーシンは別にどうってことないといった感じで拓也に言う。

「まぁ 真に秘密となるような事は、この書類には載ってないよ。
それに、どれもこれも調査等が済み次第、公表される予定のものばかりだ。
そんな事より、2番目の項目を開いてみてくれ」

拓也はステパーシンに言われるままに該当する項目をタップする。
すると電子ペーパー上の画面が切り替わり、新たな文面が現れた。


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2、新世界の調査隊派遣準備と派遣地域選定

  2-1 北方大陸と亜人居住地域の探検と調査
     将来の労働力供給地及び市場として開発するための調査を行う。
     これには民間の学識経験者を混じえた調査隊を複数編成し、現地情報の収集に当たる。
     亜人居住地域については、統一国家は存在せず、集落・部族単位で自治をしている為
     長期に渡り各集落へ調査隊を派遣する


  2-2 人種国家の文化、宗教面での学術的調査
     捕虜の本国である西方諸国との交流を念頭にした文化的背景の調査を行う。
     国家間交渉を円滑に進める為、相手方の文化的バックボーンを体系的に研究する。
     現地宗教団体(イグニス教)との接触による相互理解促進


  2-3 資源分布調査
     戦略資源の確保を目指し、あらゆる資源情報を収集しその確保の準備行動を行う。
     本項目は2-1、2-2を目的に派遣された調査隊も、主任務に支障のない範囲で対応する。



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「資料のとおり、新世界調査のための調査隊が編成されるが、その範囲には他の主権国家の勢力下も含まれる
本来なら大々的な軍の護衛を付けたいのだが、侵略だのなんだのと五月蠅い団体がこちらに数多くあってね。
亜人の居住地域は主権国家が存在しないという事で問題は薄れるが、その他は色々と問題がある。
無論、水面下で調査活動も行うが、スペツナズやKGBの居ない連邦からは大規模な調査隊は抽出出来ないだろう。
そこで国家の軍事力ではないPMCの使い勝手の良さが必要となるわけだ。
亜人居住地は軍の護衛で大々的に、他国の調査は民間の護衛を付けた学者らが行う。
まぁ 対世論の建前でしかないんだが、それでも今は重要なことだよ」

ステパーシンは溜息を一つ吐いてソファーにどっしりと背を預ける。
恐らくは、北海道での政治を見ている内に、過剰なまでの平和主義を唱える団体の相手もさせられたのか色々とストレスを溜めているのだろう。
そんな疲れの色を見せるステパーシンに対して拓也は満面の笑みだった。

「海外調査の護衛ですか!
こちらも、そういった需要を見込んで事業を立ち上げたのですが丁度良かった。
自分も早く新世界に行ってみたくてウズウズしてたんですよ。
あぁ… でも、それはいつからですか?
現在は未だ訓練中で、更に追加で人材を補充しようと思っているので戦力化はまだ先ですよ?」

身を乗り出し、目を輝かせノリノリで喋る拓也。
特に自分が行ってみたいと言った辺りで目の輝きが違った。

「それについては、そう直ぐに派遣という事ではないから安心してくれ。
緊急性の高いエルヴィス辺境伯領との停戦交渉は既に準備が行われているが、その他については
これから準備を開始する所だ。
なんなら新兵訓練の施設などを貸し出すが、
ツィリコ大佐、問題ないかね?」

「別段問題はありません。」

ステパーシンの後ろに立つツィリコ大佐は特に笑顔を崩すことなく答える。

「だ、そうだ。
他に何か要るものはあるかい?」

拓也達にとって、ステパーシンの至れり尽くせりの援助の申し出は非常にありがたかった。
他に何か必要な物は無いか拓也が考えていると、横にいるエドワルドが話に加わった。

「大佐。こちらに転移した者の中でスペツナズの経験者を調べることは出来ませんか?
クリル在住の退役軍人の中に経験者がおれば特殊工作の指導に役立つのですが」

「ふむ、それについては調べてみる事にしよう。」

それからステパーシンとツィリコ大佐は、拓也らに他に要求は無いか聞いてくるが
拓也としても、今回は事業立ち上げの後ろ盾を貰いに来ただけだったので、そこまでは考えていなかった。

「そうですね・・・ とりあえず、必要なものは無いか帰ってから検討させていただいても良いですか?
口頭でチョロチョロとお願いするよりも、そちらの方が纏めやすいのですが」

「何、別に構わんさ。
それじゃ、次は此方から頼みが有るんだが、聞いてくれるかね?」

ステパーシンがもたれ掛っていたソファーから身を乗り出してくる。
どうやらこっちが彼らの本題のようだった。
拓也がもちろんですと答えると、待ってた様にステパーシンの横に立つツィリコ大佐が彼に代わって喋りだした。

「現在、クリルの部隊にて装備の更新が始まっているが、それに伴い大量の弾薬が余る事になる。
連邦の方には在庫は実弾射撃の訓練で全て使用すると言ってあるのだが、膨大な数の為に完全な管理は難しいな
間違って君たちが猟銃に改造している小銃の梱包箱に混ざってしまうかもしれない。
所で、話は変わるが君たちが改造する銃の弾について生産計画は十分かね?
銃規制については今後は緩和の方向に動くと予想されるが、消耗品の在庫は大事だよ」

非常に回りくどくツィリコ大佐は言っているが、要するにコレは弾薬の横流しの取引である事に拓也は気づいた。
実弾射撃で弾を撃ち尽くしたと中央に報告しつつ、一部をこちらに流し、拓也らが販売を始める猟銃の弾薬として使用させる気だろう。
そこで得た資金を何に使うかは知らないが、どうせ最初からこちらに拒否権は無いのだろうと拓也は予想した。

「そうですね。
生産計画については一度考えさせて頂きます。
ですが、ここまで助言していただいて業績が伸びた場合、どのように還元させて頂こうか考えてしまいますね」

資金の流れは重要である。
場合によっては綺麗に洗ってから渡さないといけない。
拓也はそんな心配をするが、答えは意外に身近にあった。

「いや、それには及ばないよ。
まぁ どうしてもというならば、ウチの愚息の給料を弾んでくれたまえ」
ステパーシンから急に話題に出されたサーシャは「え?俺?」といった顔をしているが、既に資金のやり取りは息子を通じて行う気なのだろう。
何も知らされていなかったサーシャは哀れとしか言えなかったが、拓也は今回の取引の大まかな流れは掴むことが出来た。
詳しい"助言"は後日、ツィリコ大佐からエドワルド経由で連絡が来るという事になったので、今回の会談はこれにて終わり、雑談を交えながら礼を言って席を立つ拓也にステパーシンは一言

「政治活動には金という名の実弾がいるんだよ」

と、去り際にステパーシンは拓也に言ったが、この言葉の意味を彼が実感するのはしばらく後になってからだった。




それから拓也達は、連邦ビルを離れ、北見へ戻るために丘珠空港のロビーで帰りの便を待っていた。
男三人で横並びに待合席に座り、端に座るエドワルドのおっさんは雑誌を顔の上に乗せてイビキを立てている。
残る二人も待っている間は特にすることが無いので、出発ロビーのテレビをぼけっと見ていると
唐突に真ん中に座る拓也に向かってサーシャが声を掛けた。

「それにしても、横流しに協力させられるとは思わなかったな」

「そう? 俺は、いつかはあると思ってたよ。
色々と便宜を図ってもらってるんだし、貰うばっかりでいられるわけがないってね」

サーシャの言葉に対して拓也はひょうひょうと答える。

「そうか、まぁ 多少の事はしょうがないのかな」

「それもそうさ、それに俺らは武器商人だよ。
清廉潔白なままで商売はできないさ」

拓也は自分を納得させるように言う。
これからは、自分たちの作った武器で多くの人命が失われるだろう。
とても、潔癖症な精神では死の商人はやっていけないのだ。

「それにここまで来た以上、従業員の生活も全部背負ってるんだ。
皆を食わすために頑張らないと。官民癒着上等だよ!
それにサーシャもヘルガ達を路頭に迷わすわけにはいかんだろ?
やるなら皆で栄華を極めよう」

ヘルガの名前が出た事で一方的な恋心を持つサーシャの顔も真面目になる。

「そうだな… 後悔やら何やらは警察に捕まってからで十分か!」

「いや、むしろ捕まえられないくらいにズブズブの関係を構築するのがいいかも!」

笑いながら二人は語るが、今回の札幌出張により、サーシャの心には大きな変化があらわれた。
今まではコネでの入社という事もあり、どこかのほほんとしていたサーシャであったが
将来を見据えた事で、仕事にも本腰を入れようと心に決めるのだった。





ゴートルム王国

首都 トレトゥム


北海道より遥か北西、エルヴィス辺境伯領を超え、更に北西へ進んだところにその都はあった。
蛇行する川沿いに囲まれるようゴートルムの首都として建設されてから、およそ二千年の長きにわたりゆっくりと発展してきたその都市は、古都特有の美しさがあった。
素焼き瓦の赤茶けた家々の屋根は町全体の色彩に統一感を持たせ、丘の上に立つ大きな聖堂は、独自の美意識によって作られた天を突く鋭い尖塔を市民に誇らしげに見せている。
そんなトレトゥムの中心に立つひときわ大きく、防御よりも威厳を重視したスタイルの宮殿を一人の男が歩いていた。
日の光がさす長い回廊の先、ひときわ大きな扉を目指して彼は歩を進める。
回廊の両脇に立つ衛兵たちの横を通り抜け、煌びやかな装飾を施した扉の前に彼が立つと、衛兵の大きな衛兵の声と共に軋む音を立てながら扉が開いた。

「アルド エルヴィス辺境泊様御入来!」

重く軋む扉の音が止み、完全に扉が開いたのを見計らってアルドは謁見の間へ入室する。
謁見の間の奥に鎮座する金銀玉をふんだんに使った玉座から、無礼に当たらないくらい離れた位置でアルドが跪くと、跪いた先から野太い声がかかる。

「辺境伯殿、面をあげよ」

アルドは声の主から許しを頂くと、その方向に向かって顔をあげる。
キッと見つめるアルドの視線の先、そこには赤髭を蓄え精力に満ち溢れた目をした男が玉座に座っていた。
彼こそゴートルム王国の諸侯を束ね、その頂点に立つレガルド6世であった。

「して、此度は何用だったか?」

王の問いにアルドはかしこみながら答える。

「は、此度は国王陛下に兵をお借りしたく参りました」

兵を借りる。
つまりは増援である。
辺境伯が亜人の居住地を平定したということは知っていたが、その際は大した損害を出したとは聞いていない。
その後、軍船を仕立てて何処かに出征したと聞いたが、王として許可したのは亜人居住地の平定だけであり
一体どこに向かい、誰に敗れたのか。
仮に王国内の他の諸国領に攻め込んだなら辺境伯家の取り潰しも有り得るのだが、諸侯からそのような連絡は無い。
王はその疑問をアルドにそのままぶつけた。

「事と次第によっては兵を貸すのも構わんが、それで一体どこを攻める?
亜人の地は平定したのであろう。一体、諸侯の中で一番勢いのある辺境伯でも敵わぬ相手とはどこぞ?」

アルドは"敵わぬ相手"というフレーズに、一瞬顔をしかめるが王の御前でもあり無理にでも平静を取り繕って説明する。

「此度、陛下のお力をお借りしたい相手は、我らが平定した亜人の地の南方に浮かぶ島にございます。
この島は、亜人の地を平定した際に突如として現れた島にございまして出現前に亡き父上が亜人を追って古代の神殿に立ち入った後、神殿の爆発と共に現れました。
恐らくは神殿の力によるものかとは思いますが、ここの島民が中々に脅威でございます。
島に逃れた亜人を追い、我らも軍船10隻を仕立てて攻めましたが、敵の船一隻を沈めるも、新たに表れた敵船にガレー船5隻を瞬く間に沈められ
敵地に上陸した弟の軍勢も今では消息がわかりません」

敗北の屈辱を思い出し、それを淡々と語る事でアルドの瞳に怒りの色が増していく。
だが、忌々しい記憶に歯を食いしばりながら話すアルドの言葉に、王は興味を持った。

「ほう、辺境伯家には大型のガレアスもあったと思うが、それもやられたのか?」

「…はい。敵の船は一隻でしたが、敵の武器の射程・威力共に我々を凌駕しております。
我々のバリスタの届かぬところから撃たれ、逃げ様にも速力で向こうが勝っていたため、悔しながら一方的に沈められました」

「たった一隻に一方的に負けたのか?」

辺境伯の軍船は王国内でも良い部類の船である。
それがたった一隻の船にやられたというのは流石に王も予想外だった。

「悔しながら… それに私が逃げ帰った後、敵地に上陸した弟が戻ってくる様子も連絡もありません。
恐らくは死んだか捕縛されたと思います。
このような屈辱、我が兄弟は耐えがたきものがありますが、先の戦いで手持ちの船は失ってしまったために雪辱を晴らす事が出来ませぬ。
そこで、陛下に兵をお借りし、徹底的に敵軍を叩いた後、かの地を征服してゴートルム王国の徳にて治める地にしたいと思います」

復讐。
つまるところ、これが彼の思考のすべてだった。
彼に敗北を味あわせた蛮族の地を徹底的に破壊しつくしてやりたい。
この欲求のためならば、征服後の土地は王家に丸々差し出してもいい。彼はそう思っていた。

「ふむ、確かに王家の軍船は総動員ならば100隻は用意できるが、敵の船の武装は我々より長射程で大威力なのだろう?
ましてや1隻で5隻のガレーやガレアスを葬った船が何隻いるかもこちらは掴んでいない。
現状、このまま侵攻したなら甚大な被害が出るのは火を見るよりも明らかだ。
ホイホイと軍は出してやれんな」

アルドの期待とは裏腹に、王から返ってきた答えはやわらかな拒否だった。
だが、アルドもそうなることは予想していたし、次に王へ頼む事柄も事前に予定した物だった。

「なれば、"神の箱船"のお力を貸して頂きたく思います」

アルドの言葉に王は目を見開いて驚いた。

「"神の箱舟"だと?
あれはならん!軽々しく使えるものではない!
それに、アレはキィーフ帝国の南進を抑える要、あれを動かすと国境の軍備に穴が出来てしまうぞ!」

レガルド王はまさかアルドが其処までの願いをしてくるとは思っていなかった。
兵を貸すと言っても最初は渋り、交易で莫大な富を得ている辺境伯領からの金と引き換えに軍船を都合しようと思っていたくらいだった。
それが"神の箱舟"を出せとの事である。
確かに長きにわたり、北の帝国の圧力を受け止め続けたアレならば、どのような戦も楽だろうが、神という名がつく通り神代に王家が神より賜ったという由緒正しいシロモノをつまらぬ紛争に使いたくは無い
だが、アルドもおとなしく引き下がることは無かった。

「無論、ただでとは申しません。
お力をお貸しいただく代わりに、フロー金貨20万枚を国庫にお納めします。
それと北方の警備については、我が陸上兵力はほぼ無傷で残っておりますので、半分の1万を国境警備へと回します。
それに彼の島の軍船は脅威です。
あれが相手では我が方の軍船をいくら集めても相手にはならないでしょう。
そんな奴らが我らが王国の目と鼻の先にいるのは危険ではありませぬか?
ここは一つ、早めに潰しておくのが得策かと思われます」

アルドは王に侵攻を進言するが、その代償は辺境領にとっても軽いものではなかった。
王国内で一番豊かな辺境領でも、フロー金貨20万枚というのは蓄えた財貨の1/4を占めるものだし、兵力の半分を国境へ抽出するのも簡単な事ではなかった。
しかし、彼の傷ついたプライドは、それらを天秤にかけた以上に重かった。

「ほぅ フロー金貨20万枚か…
まぁ それはそれとして、そこまでにそちはその蛮族が危険だと?」

まず金額を口にした王の反応に、レガルド王の心も動き始めているとアルドは感じた。
それもそのはず、王家は辺境伯領から毎年税として莫大な金を吸い上げており、日頃から良い収入源とみられている。
日ごろから吸い取られた富は王家の贅沢と首都の発展に使われ、王の放蕩振りは国内に知らぬものがいないほど有名な事実であった。
そんな王の態度に納得して、アルドは言葉を続ける。

「神の下僕以外に強大な力は要りません。
即刻、滅ぼすべきでしょう」

金で釣り、大義名分として神の名を出す。
アルドの言葉にレガルド王は目を瞑り、しばらく考えた後に括目してアルドに言う。

「よかろう。辺境伯の熱意には勝てんな。
神の力を見せつければ、蛮族も悔い改めるかもしれん。」

「陛下!それでは!」

その言葉にアルドの顔に笑みがこぼれる。
思わず感謝の言葉を言おうとするが、それを言う前に王が言葉を続けた。

「だが、しかし!
軍を発するにはもう少し金がいる。
フロー金貨30万枚だ。
なに、"神の箱舟"がある以上、我々の勝利は揺るがない。安心したまえ」

ニヤリと笑うレガルド王。
アルドは心の中で王に罵声を浴びせつつもそれに頷く。
足元を見られはしたが、これで神の箱舟を動員できる。

彼がそう思ったそんな時だった。

謁見の間の扉が開き、二人の前に一人の役人が割り込んでくる。

「陛下、報告します!
南方を航海していた王国の船が、未知の国の軍船に拿捕されたそうです。
その結果、王国宛の手紙を託されて解放されましたが、その手紙によると、ある国家が我々との交渉を希望している模様です。
手紙に書いてある内容によりますと、国名はホッカイドウ。
我が国から南東に現れた国とあります」

報告を聞き、レガルド王とアルドは目を合わせる。

「蛮族が向こうから来たようだな」

王は口元に笑みを浮かべたままアルドに話かける。

「では、どうします?」

「我々の方針は決まっている。
交渉で従属させることが出来れば最良だが、出来なければ予定通りに事を進める。
唯一つハッキリしているのは、彼らに最終的な運命の選択権は無いという事だ」

勝利を確信する二人の笑い声はいつまでも謁見の間に響く、奢りと狂気の混じったその声は、宮殿と王国の空に消えていく。
そして彼らの選択は、後に世界情勢を激変させる最初の切っ掛けとなるのだった。




北海道連邦政府ビル

会議室


ゴートルム王国との交渉を行うため、付近を航行していた王国籍の船を拿捕する数日前。
政府ビルの一室で定例の会議が行われていた。
出席者は高木大統領をはじめとする政府閣僚と有識者の面々。
会議の内容は、現在の懸案とその処置、及び新たに発生した問題や変化の報告が主であった。

「…と以上が、現在の道内の産業再建進捗度と戦略資源の備蓄状況です。」

一人の職員がプロジェクターから映し出されるグラフと表を前に、北海道経済の状況を説明する。
転移後にガクンと落ちた道内生産は徐々に持ち直し、ようやっと上昇局面に入っていた。
文明崩壊の瀬戸際な状況は今でも続いているが、明るい兆しが見え始めていることに会議に出席している一同はホッとする。

「このように、電子部品を初めとする産業クラスターは、
転移前に移送した生産設備と科学技術復興機構が道外企業から接収した技術及び権利の喪失した海外企業の特許により稼働を始めましたが、問題は資源です。
道内の地下資源についてですが、転移の影響によるものか一定深度以下の地層が採掘前の状況に戻りました。」

「? 地層が戻ったというのは?」

地下資源が元に戻るという不可解な職員の説明に高木が首をひねって質問する。

「えぇと、何と言いますか。言葉通りの意味です。
一定深度以下の鉱道が消え、元の手つかずの地層に戻っています。
これにより、温泉の一部でパイプの消失により温水の供給の停止などが起こりましたが、依然として使用可能な温泉や南千島の油井が稼働していることから、入れ替わった深さにはムラがあるようです。
矢追博士の話によると、転移時に何らかのイレギュラーな事態があったのではと予想されていました。
消失した坑道付近の地層のズレはほぼ無く、我々が採掘する以前の状態に戻っていることから、我々がいた北海道とは異なる北海道の地層が、地底に眠っていると思われます。
異なる時空間の2つの北海道が転移したことに何か意味があるのかは不明ですが、ともあれ枯渇したと思われた鉱脈が復活し、労働力としてドワーフを導入したことにより、手始めとして石炭の採掘が始まっております。
今後は大規模に労働者を導入し、道内に存在する金・銀・銅・亜鉛・水銀などの各種鉱山の操業を目指したいと思います。」

職員の話す矢追博士の仮説に、その場の空気はざわめいた。
この大地の下に、我々の住んでいた北海道とは別の大地が横たわっている。
只でさえ異世界に転移したという状況を納得するのに苦労したというのに、足元には別の北海道が有るという仮説は全員の頭を再度混乱させるのには十分だった。
その為、説明を続けたい職員も全員の関心がそちらに向いてしまったために口が止まる。
そんなざわめきの中、皆のざわめきを切り裂くように高木が言う。

「そうですか、やはり鉱山施設の整備と労働力の確保は急務ですね。」

高木が確認するように職員の話を聞いて頷く、その姿を見て先ほどまでざわついていた室内は静けさを取り戻し、職員は更に説明を付け加えた。

「はい。それと、鉄等の戦略資源は道内の鉱山では必要量は確保しきれません。
道外に鉱山を建設するか、鉄鉱石の輸入が必要不可欠となります。
古くから鉄は国家なりといいますが、やはり、これ抜きでは産業文明の維持は不可能だと思います。」

現在、道内では統制経済を行っているが、それでも100%道外の顧客を狙ったサービス業や一部製造業など廃業や業界の再編が行われていた。
その為、配給という形で生活は保障されているが、失業者は確実に増加した。
これらの失業者の大半は、新たに事業展開した製造業各社に吸収されているが、鉱業に関しては殆ど労働力が集まっていなかった。

「ふむ、ではそろそろ本格的対外接触計画の始動を始めなければなりませんね。
労働力として亜人種の移民を受け入れるにしろ、資源の輸入にしろ、先の紛争の交渉にしろ、外界との接触が必要ですが、その準備はどうなっていますでしょうか」

高木の質問に鈴谷外務大臣が手を上げて立ち上がる。

「その件に関しては、既に準備は進んでおります。
特に先の紛争に関しては礼文島の一部村落が完全に焼失し、被災世帯200世帯及び4か所の漁港が焼き討ちに遭った結果、被害総額が40億円に上りました。
捕虜の処遇や賠償金の請求も含めて交渉を行いたいと思います。
その窓口についてですが、現在捕虜として尋問を行っているクラウス・エルヴィス氏から情報を収集しております。
氏によれば、兄であるエルヴィス辺境伯の座乗船が沈没し、生死が不明であるならば、ゴートルム王家を相手に交渉を持った方が今後の為になると話ています。
今回の紛争は一部地方の独断専行だったとの事ですが、今後国交を樹立するならばその中央と交渉を持つのは当然ですな。
そして、氏の話によればゴートルム王家は辺境伯家とは比較にならない軍事力を持っているとの事です。
氏は、王家とだけは絶対に争ってはならないと言っておりましたが、その根拠をご説明します。
まずは、此方の写真をご覧ください。」

鈴谷の合図により会議室のプロジェクターに一枚の写真が現れる。
そこに写っていたのは、遠距離の高高度から撮影した地表の様子。
しかし、そこには違和感があった。
中央部に城塞のようなものが写っているが、その真下に巨大な円を描くような影が出来ている。
その大きさは直径が300mはあるだろうか、巨大な空飛ぶ要塞である。

「これは?」

あまりに非現実的な写真に、高木も一体ココに写っているのが何なのか判らないでいた。

「我々には未だ長距離を飛行できる偵察機が無いため、国際線のB787旅客機の窓から遠距離で撮影した写真なので
不鮮明かと思いますが、中央部に浮遊している物体こそクラウス氏の言うゴートルム王家の軍事力。
"神の箱舟 オドアケル"です。」

「神の… 箱舟?」

鈴谷の説明する写真の空飛ぶ城塞の写真を見て一同が言葉を失う中、高木が鈴谷に質問する。

「氏の言うには、神々が居た時代に王家が神から授かったと言っておりましたが、由来はともあれ
空飛ぶ城塞などという我々の理解を超える存在は脅威です。」

鈴谷の問題提起に、ずっと黙って聞いていたステパーシンも静かに手を上げて質問する。

「このラピュタに、我々の火力は通用するのですか?」

「クラウス氏曰く、このオドアケルには強固な魔法障壁があるそうです。
古代には物量攻撃に突破された前例が有る為、万能では無いようです。
ですが、やはりその防御は未知数ですな」

その説明を聞いてステパーシンは「ふむ…」と考え込む。
バリアか何か知らないが、敵には強力な防御がある。
場合によっては、それを破るのにはそれなりの物量がいる可能性もある。
状況によっては、かつて強力な防空網に守られた米空母に対し、ミサイルの飽和攻撃で対抗しようとしたソビエトの戦術が、この異世界でも必要になるかもしれない。
ステパーシンは、世界が変われどもやることは変わらないなと一人静かに失笑する。

「それにしても、彼はよくそこまで教えてくれたな。
こんな防衛機密の塊のようなことを平然と話すなんて信じられん」

ステパーシンのいう事はもっともであった。
彼の周りの幾人かも、そうだそうだと同調している。

「それについてですが、彼は我々の文明を吸収する為に進んで情報の交換を希望しているのと、神の箱舟の話については、現地宗教の聖典に載っており子供でも知っている話だと語っておりました。
確認の為、他の捕虜にも質問しましたが、皆、箱舟の話は知っている様子でした。
と、以上の事から、紛争解決について交渉の準備を行うとともに、この浮遊要塞に対して事を交える事になった場合の対策も進めていくべきかと思います。
他の亜人種移民の募集や資源獲得については、調査隊の準備を軍と有識者の協力で進めておりますが、これの詳細については、
現在同時進行で検討している北海道南方及び東方の大陸との接触案と共に次回の定例会議にて報告させていただきます」

「…そうですか。ご報告ありがとうございます」

鈴谷が話終ると高木がゆっくりとした口調で口を開く。
それは、今後起きる事への覚悟と全ての責任を負う事への改めての決意表明であった。

「恐らく、このゴートルムとの交渉が北海道連邦初の対外交渉となるようです。
万事抜かりなく、そして一分の隙も見せぬように準備を進めてください。
ですが、我々の第一主義は平和ではなく生存です。
これが脅かされる時には、あらゆる手段を大統領として肯定します。
各員の努力に我々の未来がかかっている事を認識し、職務を遂行してください」


この会議の後、北海道沖を航行していた一隻の王国船籍の船が拿捕され、その船長へゴートルム王宛の手紙が託された。
北海道とこの世界の本格的な国家間接触が今始まるのだった。



[29737] 嵐の前編
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:14
初めに荒廃した世界があった。
水は枯れ、生物は存在すら許されず、ただ乾燥した大地があった。
神はそれを嘆き、まず最初に空に雲を創った。
その雲から落ちる雨が大地を満たし、巨大な一つの海を作ると、次に神は木々を植えた。
草が茂り、森が出来きてやがて緑の波が大地を覆うと、神は獣を野に放ち、空には鳥を放った。
神は大地の剪定人としてエルフを作り、その過程で亜人が生まれた。
エルフは常に神に忠実で、世界の調和をもたらした。
そうして世界は美しく清らかになった所で、最後の仕上げに神は人をこの地に住まわせた。
キィーフ、ゴートルム、セレウコス、ネウストリア、アーンドラ、ティワナク
神から与えられた大地に人は6つの国を作り、神の庇護の下で人々は幸せな時間を過ごしていた。
だが、人々は神の愛を知らずにいた。
人々は神ならぬ者を神と信じ、真の神の存在に気付いてはいなかった。
そんな中、セレウコスのロアストレースは信仰の丘で瞑想中に神と出会った。
神は断食で弱ったロアストレースの体を癒やし、世界の理を語った。
啓示を受けたロアストレースは、すぐさま町に戻り人々に正しい教えを説いた。
清き者には優しく語り、誤った信仰を捨てない者には時に剣を取った。
正しき信仰は国を覆い、国境を越え、やがて世界に広まった。
正しき信仰に満ちた世界。
皆が正しく神を崇め、正しい教えの下で幸せに暮らした。
しかし、それは長くは続かなかった。
神が南方大陸に7つ目の国を作ろうとした時、神の卵から現れたのは人々ではなく、異形の悪魔達だった。
悪魔は際限なく溢れ出し、南方大陸の全てを覆った。
神は悪魔を滅ぼすためエルフの軍勢を差し向けたが、波の様に押し寄せる悪魔の前には押し留めるのが精一杯だった。
そこで神は、人の力を使う事にした。
南方大陸までの足として神は人々に6隻の箱舟を与え、聖なる炎の武器と知性を授けた。
人々の軍勢はネウストリアの地に集まり、人々と神の祝福を得て大陸へと向かった。
ロアストレース率いる人の軍勢は、大地の悪魔どもを押し返し、半年にも及ぶ戦いの末
神は悪魔達の首領たる大悪魔アリマとの決戦に臨んだ。
三日三晩続いた壮絶なる死闘の末、神の炎はアリマの体を大地諸共砕き、その肉片を焼き尽くした。
だが、神もまた、代償として大きな傷を負ってしまった。
神の炎は悪魔と共に己自身も焼き、傷を癒す為に神は永い眠りについた。
この戦いで、ロアストレースを含む軍勢の大半は死に、わずかに残ったのは箱舟に残った者達だけであった。
彼らは出発したネウストリアの地に戻り、そこを聖地として定め、神の言葉を伝道する使徒となった。
これが世界の始まりと、神の時代の話である。


…と、以上がこの世界の天地創造だよ。 理解できたかな?」

取調室の椅子に座り、クラウスが満足げに諳んじる。
協力的な態度を取っていることもあり、既に彼の手に手錠は無く、北海道側の監視も室外に警護官が控えている程度で特に威圧的な様子もない。
彼は非常にリラックスした様子で、この世界の宗教における天地創造を語って見せた。

「で、その神話にある神の箱舟というのがコレなのですね?」

取り調べに当たっている職員が机に置かれた写真を指差す。

「あぁ これだよ。ゴートルム王家のオドアケル。王家の力の象徴だ。」

クラウスは写真を手に取り、高高度かつ遠距離から撮影された画像を見て言う。

「それにしても、空からこんな絵が描けるとは凄いな。やはり此方の技術力は驚くばかりだ」

クラウスが写真を見て驚くの見て、職員は自慢げに言う。

「もっと接近すれば、より鮮明な写真がとれますよ。
それは30km… えーとこちらの距離で約20ミリャくらいで撮影したものです。」

「! 20ミリャ!?そんな遠くから…」

クラウスが驚く、そんな遠くのモノなど肉眼では到底見ることも敵わない。

「こちらの飛行機の存在を、あまり知られたくなかったのでという理由があるので」

「そうか、だがそれは賢明だな。
余り近寄ると、箱舟に居る竜人の傭兵共がドラゴンで飛び立ってくるかもしれない」

クラウスは写真から目を離さずに語るが、その発言の中には、未だ北海道側にとって知らない情報があった。

「傭兵?ドラゴン?」

それまで笑顔でクラウスの話を聞いていた職員が、眉間に皺をよせる。

「あぁ 言ってなかったか?
あの箱舟には王家と契約した竜人と、その騎獣であるドラゴンが居る。
あれこそが、あの箱舟最大の攻撃力だよ。
元々、箱舟には武装はついていない。
それを神の聖戦から2000年もの長い時間をかけ、王家が大悪魔の再来に備えて増築と強化をした結果があの姿だ。
王家はあれを使って反乱が有れば箱舟で向かい、古の契約を結んだドラゴン達で叛徒を鎮圧しているんだよ。
そもそも王家の直轄領は首都くらいで、王国内での規模なら我が辺境伯領の方が上だ。
それでも王家がこの国の頂点でいられるのは、箱舟と竜人達のお蔭だよ。
面倒な領地経営は貴族に任せ、王家は財貨だけを吸い上げていく。
王家に不満を持つものは多いが、それを公然と口にできる貴族は皆無だ。
なぜならば、箱舟と竜人の組み合わせに勝てる存在が、王国内には無いからな」

職員はメモを取りながら話を聞く。

「ドラゴンに関する詳しい事は、また別途で詳しく聞きます。
それとやっぱり、その箱舟と竜人は他の国にも居るんですか?」

「そりゃぁ あるさ。
箱舟の形状そのものは2000年にも渡る各国の改造で、外観は大きく違うが、基本的な性能は変わらない。
それと古の契約も古代の聖戦時に結ばれたものが未だ生きているので、各国ともに竜人の傭兵はいる」

クラウスは、各国の名前を言いながら未だこの世界に存在する6つの箱舟の名前を順にいう。

「あぁ だが、各国に一つという訳ではないよ。
およそ500年前、ティワナクが王家の婚姻によりキィーフに吸収された。
よってあの帝国は2隻の箱舟が有る」

クラウスはこの世界の情勢や歴史を、まるで講義でもするかのようにスラスラと職員に答えた。

「2隻の箱舟を持っているとは中々に脅威ですね。
 …それにしても貴方は博識でらっしゃる。宗教から歴史まで幅広い知識をお持ちだ。
これは貴族としては常識的な知識なのですか?」

当初、質問をする職員は相手が貴族であっても、中世レベルの人間の教育水準は低いものだと思っていた。
だが、特に宗教や歴史の話など、この世界の聖職者や学者にでもならないと知らないと思っていたが、予想に反してクラウスはそれらに対しても深い知識を持っていた。
そんな彼に職員は率直な疑問をぶつけると、帰ってきた答えは予想の遥かに上だった。

「いや、こういった知識は貴族というより教会の高位の聖職者が持ち合わせているものだよ。
一般の民やら何かは、天地創造の話を教会で聞くことはあっても今みたいに暗唱は出来ないだろうし、ティワナクがキィーフに吸収された経緯を知っているのも一握りの人間だろう」

「では、あなたは何処でその知識を?」

クラウスはその質問を聞いてニヤリと笑う。

「今は虜囚の身だが、これでも次期教皇候補の一人だからな。
今の教皇がいつくたばるかは分からないから何時機会がくるかも分からないし、まぁ 死んだとしても、この敗戦で捕えられたという経歴では、とても教皇選挙には勝てないな」
職員は目を丸くする。

「教皇!?」

「候補だよ。候補」

教皇と聞いて職員が想像するのはローマ教皇のような存在だった。
コンクラーベで教皇として選ばれ、世界に絶大な影響力を及ぼす、そんな存在。
その存在の可能性が目の前にいる。

「慣例により、王家の人間は教皇にはなれない。
よって、各国の貴族から候補者が立てられるが、これにも条件がある。
教皇は神に純潔を捧げ、神の尖兵として聖戦時には軍を率いなければならない。
そのため、候補者は教皇の世襲を制限する為、子種の袋を切り取られる。
よって、大体は家を継がない貴族の次男が候補に立てられる。
また、神に仕える者は美しくあるべきという考えから、体が男として成長する前に切り取られることが一般的だ。
君も私を見た時、女だと思わなかったか?
この姿もこの髪もそういう理由がある。
今は、まるで呪縛から解き放たれたような気分なので、男らしく髪を切りたくてたまらないよ。
あぁ 話がそれたが、教皇選挙の大切な最後の条件は、戦場での経験だ。
教皇は、清く、美しく、それでいて英雄でなければならない。
私は長年、女のような容姿が嫌でたまらなかった。
だが、教皇選挙に勝てる見込みが無くなったため、これからは私の好きな格好が出来る。
これについては嬉しくてたまらない。
この呪縛から逃れられた今後は、両国の橋渡しとして働いていきたいよ」

クラウスは目を閉じ、さも嬉しそうに語る。

「でも、今回の紛争であなたの部下も数多く亡くなってますよね?
そんなに早く気持ちを切り替えられるのですか?」

職員は思った。
クラウスは今後の平和な関係を見据えているが、礼文の紛争では全滅に近い形で部下を失っている。
親しい者が死んだことに関する心のわだかまり等は無いのだろうか?
その問いに対して、クラウスは職員に向き直り、真顔で話す。

「戦で兵が死ぬのは戦場の常だ。
確かに親しかった部下が死んだのは悲しいが、彼らは勇敢に戦って死んだんだ。
これが拷問や虐殺で殺されたなら敵を恨むが、戦いの末に死んだのなら、これで敵を恨み貶めるのは戦士に対する冒涜だ。
それよりも、生き残ったのなら、これから何が出来るかを考えるべきだ。
私は、虜囚の身となり此方の文化と技術に触れた。
その結果、今では再戦を願うより、この技術を何とかして辺境領の発展に生かしたいと思っている。
私の今の望みは、いつの日か、我が愛すべきプラナスの町をサッポロのような摩天楼の町にしたい」

クラウスは、目を閉じ想像する。
ホッカイドウとの交流により、富の流れは加速し、大陸中に名声を轟かすまでに発展する我が故郷を。

「…と、このような夢が私にはあるよ。
長々と喋らせてもらったが、次は私の番でいいかな?
勉強の時間だ。もっと、君たちの事を教えてほしい」





択捉島


クラウスが北海道側の知識を貪欲に吸収している頃
高木大統領一向は単冠湾沿いに建設されたブレベストニク空軍基地に来ていた。
この基地の傍には、真珠湾攻撃へと向かう日本海軍機動部隊が最終終結の場所と選んだ湾があり、現在はその上空で戦いに備えた大規模な演習が繰り広げられていた。
そこで高木は基地に設置された演習司令部より、その推移を見ている。
想定は敵大型空中兵器を使用した侵攻に対する連邦軍の連携の確認。
直径400mの飛行要塞などという未知なる敵に対峙する時、不測の事態が発生する事も十分に考えられる。
先の紛争では発足したばかりの札幌の政府と、元々指揮系統の違う此方との連絡が上手くいかずに初動が遅れることもあったが、二度とそのようなことが起きぬよう旧自衛隊部隊と旧ロシア軍部隊の連携に力を入れて演習を行っていた。
かつては仮想敵だった機体達が、一つの統制のもとに行動を行っている。

高木はスクリーン上に表示されるマーカー達の演舞に、この国を守る力の頼もしさを感じていた。

「交渉の如何によっては紛争の再燃も懸念されます。
ですが、万全の準備を整えた彼らであれば、きっと我が国を守れ通せますね」

薄暗い部屋の中で光るコンソール類に照らされながら、高木は笑って後ろからスクリーンを見ていた鈴谷とステパーシンに振り返る。

「前回の紛争は此方の対応が後手後手に回った結果でした。
ですが、万全の準備の下でなら、また結果は違っていたでしょう。
今回、敵には未知の兵器が有るため油断は大敵ですが、その為の演習です。
もし、武力衝突のような事態が再度起こるならば、魔法文明に対し機械文明からの手厚い挨拶が出来るでしょう」

「ステパーシン君。だが、今回のメインは交渉だよ。
紛争の解決から今後の国交樹立まで協議しないとならない。
今は肥料に必要なリンや鉄と言った鉱物資源から、綿や茶葉といった天然素材に至るまで大いに不足している。
しかしながら、肥料の不足によって食糧生産が落ちても、一部農産物の総生産量は需要を大きく上回る。
これらの輸出先の市場を確保する為にも、外交による解決が一番望ましいよ」
笑って敵の粉砕を想像するステパーシンに、鈴谷があくまで主役は外交である事を重ねて言う。
それに対し、ステパーシンは、もちろん交渉で解決するのが一番だと弁明するが
白々しい彼の言葉に二人は苦笑する。

「鈴谷さんの言うとおりね。
物資統制と代用品にも限界があるわ。
廃棄物リサイクルと有機肥料じゃ資源の絶対数は確保できないし、北海道で生産しない嗜好品が無くなれば
国民の不満も高まるものね。
特に例を挙げるならコーヒーね。
この世界にコーヒーの木はあるのかしら?
私も代用コーヒーは、味的にもう限界…
精神安定のためにも、大陸の調査隊の編成作業を急がなきゃならないわね」

高木は冗談交じりに言い、そんな彼女に対し二人からも笑いが起きる。
戦略資源だけじゃなく嗜好品も足りない。
酒類は自給できているが、コーヒー・茶・タバコやカカオを使ったチョコレートなど、生活に彩りを添える嗜好品の大部分は道内の在庫を残すのみとなっている。
高木達にとってもそれらの欠いた生活はストレスとなりつつあったのに、一般の国民の不満は如何ほどのものだろうか。
政権の安定化の為にも国民の不満は抑えた方が良い。
そうしてしばらく彼らが不足する嗜好品について話込んでいると、秘書官から次の視察場所へ行く時間だと促された。
高木達は敬礼する士官たちに礼を言って退室し、車の待機している野外に出ると、頭上の蒼空にF15の編隊が飛んでいくのが見えた。

「…相手はバリア付の飛行要塞。
どこまで通用するのかしらね」

高木は車に乗りこむと窓の外に見える飛行機雲を見ながら言う。

「情報によれば、自慢の魔法障壁とやらも万能じゃない。
準備さえ万全なら結果はおのずと付いてくるよ」

高木は鈴谷の声を聞きながら窓の外を眺めている。
車は空軍基地施設から離れ、敷地外に出ようとした時、高木の目にある人物が止まった。

「ちょっと止めて頂戴」

高木のその一言で彼女らの乗る車は進行を止め、車が制止したのを確認すると高木はドアを開けて車外に出た。
彼女の歩いていく方向にあるのは古ぼけた倉庫。
その手前で何人かの男が古ぼけた車両の前で話をしていた。

「こいつは良い車両だよ。
こんな所の倉庫に眠ってた品だが、一応屋根の下だったことで目立った腐食も無いし、エンジンもかかる。
本来は中古でアフリカへ送る予定だったんだが、仲介業者のトラブルで何年もこの倉庫に眠ったままなんだ。
既に所有権は向こうなので、手を付けずに放置されてたんだが、保守部品やら何やらもキット化してあるし、ツィリコ大佐も直ぐに持って行ってもらっても構わんと言ってるよ」

そう言って整備の兵士は車両の横に立つと、客の男たちを見ながらポンポンとボディーを叩く。

BTR-80
彼がボディを叩く車両は、8輪のタイヤを持つソ連が開発した装甲兵員輸送車。
ソ連のアフガン侵攻の際、その前に配備されていたBTR-70の欠点を実戦の経験を元に改良した装輪装甲車であり、旧東側諸国等を中心に5000両以上生産された傑作装甲車である。
現在は更に新型のBTR-82等に主役の座を奪われているが、転移前の世界では依然として世界各地の紛争地で活躍していた。

そんな頼れる鋼鉄の車体を見ながら客の一人が話す。

「なぁ 拓也。
俺としては不整地走破性に優れるキャタピラの方が好きなんだが、装輪式の車両でいいのか?
大陸で調査隊の護衛をすると言っても、この世界に舗装道路なんて有るとは思えんし、何より無限軌道は男のロマンだ」

そういってエドワルドは自己の好みを主張し、拓也とBTR-80の双方を見比べる。

「うん、確かにさ。
BMPとかのキャタピラの歩兵戦闘車の方が不整地には良いって分るけど、何も俺らは戦争しに行くわけじゃないんだ。
政府系の調査隊は資源調査が主だけど、俺たちは風俗・文化といった調査がメインのだろ。
なら行程は殆ど集落を結ぶ道路だし、未舗装道路と少々の悪路を行く位ならこれで十分。
こちらにも荷車や馬車系の乗り物が普及しているっていうし、それ位の水準の道路事情ならアフガンとかアフリカで実戦証明済みじゃないか」

「…うーむ。
まぁ 今回は調査の護衛だが、後々には最低でもBMPは欲しいな。
報道によるとこの世界には魔法が有るらしいし、もし、そのような敵に襲われた場合には
より強力な火力で殲滅できるくらいの装備がいい」

身を守るためにも火力は重要である。
そう力説するエドワルドだったが、拓也は彼に火力より重要な現実を語る。

「そりゃ、後々には色々欲しいさ。
男は大砲が大好きだからね。
だけど…」

「だけど?」

「だけど、金が!
事業は好調に動き出したけど、未だにソコまで揃えるカネがないんだよ。
工場は動いてて注文もあるけど、工員の熟練度がまだ低いからチョンボした仕損費が馬鹿にならないし
精度が低くても作動するカラシニコフだからまだ大丈夫だけど、精度モノの部品だったら大変なことになってるよ。
それと、コイツの他にも色々買ったから予算が厳しいんだ。
車両だけでも、紛争地で大活躍な日本車のピックアップとトラックに、給油車。
それも全部、東南アジアの中古車並みにオフロード用改造するから全部で中々の金額になるし、向こうじゃ補給なんて一切できない事を前提で物を揃えているのもあって、結構大きな集団になるよ」

拓也がそう言って趣味で物を買えぬ金銭的な事情を語る。
話の途中から、非常に物欲しそうな目で空軍基地に駐機する攻撃ヘリ群を見ていたが、その目はまるで子供のようだった。
拓也たちがそんな話をしていると、不意に後ろから声がかかる。

「改造日本車とロシア兵器の組み合わせなんて、まるでアフリカの紛争地帯ね」

突然の声に彼らが振り向くと、そこにはタイトなグレーのスーツに身を通し、数人の男を従えた高木大統領が立っていた。

「なっ!大統領!? なぜこんな所に?!」

拓也は驚く。
なんでこんな基地の外れにあるボロい倉庫に彼女が居るのか。
恐らくその場で商談をしていた全員が思った疑問について、彼女の方から話てくれた。

「演習の視察で基地の司令部に来ていたのよ。
それで次の視察地へ向かう途中で貴方の姿が見えたから寄ったのよ。今日は奥さんはいないの?」

高木は笑って拓也に話かける。

「妻は今日は会社に置いてきました。子供が小さい時はあまり遠出は嫌だそうで…
それより、よく自分のことを覚えてましたね?前に一度お会いしただけだと思いましたが」

拓也は素直に驚いてみせた。
こっちは毎日テレビで彼女の姿を見ているが、向こうは、札幌で生産設備購入の際に一度会っただけである。

「フフフ…
政治家ってのは人の顔を覚えるのも仕事の内なのよ。
それにあなた達の会社って、道内では結構有名よ?
一般の機械じゃなく、武器の製造をやってるのはごく少数だし。
何度か安全保障の会議資料にもあなた達の会社名が載っていたわ。
それより、そちらこそ今日は何故ここへ?」

高木は品のある笑顔を崩さず、拓也に質問する。

「今日は、いずれ調査隊の護衛で大陸へ渡る準備として車両の調達に来ました。
最近は将来を見据えて警備部門を立ち上げたんですが、その商売の準備です。」

「あら、情報が早いわね。
その様子じゃ調査隊派遣の概要についても知ってるのかしら?
それにしても、こういった事に民間の協力が期待できるのは嬉しいわ。
現在の我々の状況では、政府が全部抱え込むには余力が足りないもの。
官民の両方が手をつないで危機に対処できるのは素晴らしい事よ」

「そうですね。
我々も力の限り政府のお手伝いをさせて頂きます」

「ウフフ… 頼もしいわね。
じゃぁ 政府よりの企業さんの為に、一つ忠告してあげる。
これからは、調査隊の護衛の他にも、身辺の警備も考えた方が良いわ。
先日逮捕された過激な市民運動家の拠点で発見されたとあるリストに、貴方の会社の名前があったわ。
内容は"平和の敵ブラックリスト"。
私が筆頭だけど、貴方の名前も民間人としては高ランクよ。
聞く所によると、平和主義者には悪魔だと思われてるから夜道には気を付けた方が良いわね。
彼ら、新体制に自分たちの理想を盛り込もうと活発に動き出しているから」

「過激派ですか… それも平和主義者の…
なんだか、思想と行動が矛盾してますね」

「彼らの言によると、ほかに手段が無ければ、理想の為の手段は全て正当化されるそうよ。
まぁこれは、彼らだけじゃないけどね。
過激な手段を使いそうな団体は他にも数多くいるわ。
例えば、今の政権はロシア人と協調した政策を取っているけど、人口比で圧倒的な北海道が彼らを併合して旧来の日本の延長線的な政権を目指す民族主義者とか
外征してこの世界に覇を唱えようとする極右、果てには共産主義政権を目指す極左など
今の北海道は表面的には落ち着いているけど、闇じゃ魑魅魍魎が跋扈しているわ」

拓也は自分の安全より、カオスな状況になりつつある北海道の内情に心配してしまう。
今は挙国一致で難局に向かわなければいけないのに何やってんだか…

「今はそんな事をやってる場合じゃないと思うんですがね。
まぁ 彼らが何を考えようと私は自分のやりたい事をするだけです。
それはそれとして、ご忠告は今後の警備に活かそうと思います。
ありがとうございました。」

拓也はそう言って高木に礼をする。
高木は畏まった拓也をみて、そんなのはいいと手を横に振った。

「いえいえ、大した事じゃないわ。
それより、これからも北海道の為に頑張って頂戴ね」

高木はそう言って、拓也にそれじゃぁと別れを告げると車に戻っていく。
拓也は走り去る車列を見送っていると、横にいたエドワルドが声を掛けてきた。

「なんだ、一丁前に過激派の標的になったのか?」

エドワルドが笑って言う。

「それだけ事業が成功しつつあるってことだね。
まぁ 過激派だろうが何だろうが、会社がPMCとして成長したら迂闊に手出しも出来んしね。
その時は、合法的に圧倒的な火力が有るわけだし、それでも手を出してくるようなら徹底的に闇でぶっ潰してやんよ。
でも、そんな事になる前に内務省警察が影で血祭りにしそうだけど…」

「まぁ ステパーシンのおっさんなら間違いなくやるだろうな」

自分たちに危害を与えようとして来る者達が不憫に思うほど、内務省警察の噂は道内の一部に広がっている。
二人は内務省警察に睨まれた者達の行く末を案じ、拓也は合掌し、エドワルドは胸に十字を切った。
だが、演技くさいお互いのやり取りに、二人は堪え切れなくなって噴き出し笑う。
そんな二人が笑い声はいつまでも択捉の空に木霊するのだった。





一方その頃、札幌の捕虜収容所

これまで、旧自衛隊の営倉を利用して収監されていた捕虜は、この頃には新たに建設された捕虜収容所に身柄を移されていた。
その建物内部、監房棟の廊下に一人の人物が立っていた。
オレンジの囚人服に身を包んだその人物は、廊下からある一室を覗いている。

「止まるな。歩け」

後ろに立つ看守からそう言われて一人の美女は再び廊下を歩き始める。
彼女の名はメディア。
先の紛争にルイスの配下として加わっていた魔術師。
国にいた頃は、彼女に求婚を申し込むものも多かったその美貌も、現在は美しさより痛々しさが勝っていた。
先の戦いでの空爆により片目が潰れ、顔の半分に包帯を纏っていたが、彼女の心は己の顔の傷よりも別の事に向いていた。
先ほど覗き込んでいた部屋。
鉄格子の向うに一人の男が寝かされていた。
静かに寝息を立てるその男も、よく見れば毛布越しに見える体のラインが酷く歪になっていた。
本来あるはずの左腕と左足が半分を残して消えている。
かつてはメディアの主として勇猛さを誇った彼も、今では枯れ果てた老人の様になり
その意識は空爆の暴力的な爆風に飲み込まれて以降、戻ってはいない。
そんな彼を見つめるメディアは看守に連れられて面会室へと向かっていた。

遡る事数日前、私の前にこの国の役人が一人現れた。
彼曰く、これから王国との交渉を行うため、使節派遣のパイプを探していると彼は言った。
聞く所によると、クラウス様も生き残っているそうだが、彼は交渉の本番で出てきてもらう為、交渉をセッティングする為の下準備としての案内人が欲しいと言っていた。
一度は敵に利用されるのを嫌い、それを断ったが、いつまでも意識の戻らないルイスを思うとその心境にも変化が現れた。
恐らくは他の捕虜から聞いたのだろう、説得の最中に何度も彼の名前が出来た事から、役人達は私と主の関係を知っている。
そんな状況下で、役人側からもし引き受けてくれるのであれば、彼にもっと高度な医療を受けさせられる事が出来るかもしれないという一言が、最終的に私の意思を変えさせた。
孤児の私をここまで育ててくれたルイス様の為にも、敵に協力するしかない…

彼女はそう思いながら、長い廊下を歩いていく。

『ルイス様の為』

この一言が、彼女の敵に協力するという罪悪感を和らげていた。
そんな葛藤を抱えた彼女が面会室に到着すると、そこには既にいつもの役人がガラス越しに座っていた。

「待ってたぞ。君の協力に感謝する」

彼はそう挨拶するが、当のメディアは無表情のまま席に着く。

「それで?私のすべきことは何?」

抑揚のない私の言葉にも彼は笑顔を崩さない。

「そう焦るなよ。せっかく意思疎通のために得体の知れないワクチン注射までしたんだ。
美女とはゆっくり話させてくれよ」

茶化すように男は言うが、それでもメディアの表情は変わらなかった。
この男は何をヘラヘラ笑っているの?
そう心の中で侮蔑するメディアは男に冷たい視線を送る。

「…はいはい。わかった、わかった。
じゃぁ 本題に入ろう。
先日、我が国からのメッセージが拿捕した王国の商船経由で送られた。
君にお願いしたいのは、交渉の為の交渉として現地へ向かう外務省職員の案内及び、我々の事を正確に向うに伝えてもらう事にある」

「あなた方の事を?」

「そうだ。幾ら初めての交渉と言ってもお互いに相手を知らなさすぎる。
あまり舐められた対応をされても紛争の火種となるからな。
そこで、君を通じて我が国の潜在力を向う側に伝えてほしい。
我々は対等な交渉を望んでいる。
未知の文明に舐めてかかって戦争に発展するのは、我々の元の世界の歴史では度々あった事だ。
我々はこれ以上の不要な紛争は望まない」

いつのまにか真面目な顔に戻っている彼の顔を見て、メディアは冷めた視線から真面目な眼差しへと戻す。
彼らの軍事力をその身で経験した彼女にとって、この国との戦争は非常に困難だという事は知っている。
今までは、その強さを疑わなかった神の箱舟も、自身を襲ったあの爆風の前にはどうなるか予想がつかない。

「分かったわ。私の役目は王国側にも適度な緊張を持たせることね」

「理解が早くて助かる。
あぁ だが、不必要に危機を煽るのも止めてくれ。
我々の目的は交渉。紛争ではないのだから」

メディアは思う。
再度の戦いになれば、勝敗は別としても王国に多大な損害が出る。
それを予見して回避することに、果たしてルイス様はどう思うだろうか。
目を覚ました後で、私を褒めて下さるだろうか。
いや、例え怒られようと、ルイス様が目覚めて下さるのならば、私はどうなっても…

この面会の後、全てがうまくいった時の事を想像しながらメディアが王国に向かったのは、それから間もなくの事であった。




ゴートルム王国
首都 トレトゥム

現在、王国の首都たるこの都ではある話が持ちきりになっていた。
このところ久しく戦乱の無かったこの国に、矛を向ける国があるという。
噂では蛮族から始まって東の異教徒、はたまた北の帝国が攻めて来るだの、市井では様々な噂が飛び交っていた。
そのすべての話に共通しているのが『戦になるかもしれない』という事だった。
事実、王軍と諸侯軍に動員がかかり、食糧や武器の相場がジリジリと上昇していた。
だが、物価上昇への不満以外に住民の不安などは感じられない。
盗賊の討伐や国境での小規模な小競り合い以外、久しく無かった戦乱に彼らの危機感などとうに消え失せているようであった。
そんな空気の中、メディアは王城へ向かう馬車の中から市井の様子を眺めている。

「何を見ているんだ?」

馬車の中で、向かい合っている男がメディアに声を掛ける。
王都の物流の中心、王都に沿うように流れるタホ河の船着き場から、王都の中心にある王城までの道程の中、庶民から貴族の別邸といった様々な区域の営みを彼女は横目で見ていた。

「街の様子をね。
彼らには戦なんて、まるで別世界の出来事の様にしか捉えてないのかしらね」

彼女は、憂いを帯びた顔のまま、振り返りもせず、外を向いたまま答えた。
礼文では燃える家々の中、死闘を演じていたのが嘘のように平和な世界がそこにはある。
騎士の英雄譚とはかけ離れた、人がまるでゴミ屑のように命を散らした地獄を知らない彼らが、その場の流れで蛮族討つべしと唱えている様子を見て、メディアは物思いにふける。

「まぁ 我が国と違い、参政権も知る権利も無い貴国の国民ならそんなもんだろ」

だが、そんな彼女の内心を知らずに、目の前の男は少々馬鹿にしたように言葉を返す。
捕虜収容所でメディアに協力を頼んできた男は、今、彼女の目の前に座っていた。

「サトー。貴方は共和制の素晴らしさを説くが、この世界では貴方達の政体こそ少数派よ。
共和制の国も無くは無いけど、それは蒙昧な市井が無条件に参加できるモノじゃなく、賢人や豪氏の集まりだもの。
私たちからすれば、無知な市民の意思に国を委ねるなんて愚行としか言えないわ。
だから貴方の国では、共和制でも大統領なんていう独裁官がいるのでしょう?」

彼女のその言葉に、外務省から派遣された佐藤は言葉に詰まった。
確かに民主主義にはポピュリズムという弊害も存在する。
だが、転移前の世界では、民主化は先進国に仲間入りする条件であり、一部の超大国がゴリ押ししていたという内情もあったが、それが世界の是であった。
その"民主化は正義"という前世界の理は、この世界では愚行として捕えられている。
佐藤は、メディアの言葉から、世界の理が変わった事を感じさせられる。

「まぁ 俺の世界でも、民主主義は最悪の政治形態だという言葉もある。
だが、これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制の中では最良とされている。
だから、何が一番良いかは後の歴史家が語ってくれるさ」

あくまで民主主義の優越を説きつつお茶を濁す佐藤だが、メディアもあまり気にした話題ではないのか特にそれ以上言及はしない。
その為しばしの間車内は沈黙が支配ししたが、それも長くは続かなかった。
佐藤は沈黙を嫌ってか話題を変える。

「それにしても…」

彼もまた車窓からの景色を見る。

「剣や槍を持った君らの装備から、もっと遅れた文明かと思っていたが、なかなかに綺麗な街並みじゃないか」

石畳の路面を走る馬車の車窓から見える街並みは、まるで南欧の歴史ある街並みを切り取って来たかのような建物がズラリと並んでいるようだった。
大通り沿いには、4階建ての白い漆喰の壁と赤茶の瓦が敷き詰められた洒落たデザインの建物が並び、所々に聖堂と思われる美しい建物が立っている。
時々、通り抜ける広場には美しい彫刻の飾られた噴水などもあり、高いレベルの文明であることが分かる。

「王都は王国中の富が集まる街ですもの。
王が王国中から集めた税をこの町を芸術品として仕上げる為に使い、その富に誘われて人と商人が集まり、また更に発展しているわ」

「ほぅ… 王は中々に善政を敷いているんだな」

佐藤は感心するように呟きながら、窓の外に広がる街を見る。

「…でも、こんなに発展しているのは王の直轄領たる王都だけよ。
王は王城と王都の発展にご執心しておられるし、他の土地では税を取られても、貴族たちが王都の発展具合に見合うよう自分の屋敷に富を使うから、その土地に富は残らないわ。
まぁ 我らが辺境伯領では、歴代の領主様が王都の屋敷より自領の開発に富を使ったおかげで他より発展しているけどね」

メディアがため息交じりに補足する。

「首都だけの発展か… さしずめここは異世界の平壌といったところだな。
君の話では、この国の支配階級は自分のキレイな箱庭にご執心なようだが、そんなんで箱庭の外の現実と向き合えるのか?」

佐藤は、眉間に皺をよせながらこの国の問題点をメディアに話す。
紫禁城やクレムリンの綺麗な世界から外を見ていた時の君主達は、国外の現状や国内の革命の芽を正しく認識することは出来なかった。
自ら望んで自分の箱庭に篭っている者は、いったいどのくらい現状を正しく認識できるだろうか。
佐藤のその疑問に、メディアは目を伏せる。

「それは… その内、嫌でもわかるわ。
見て、丁度王城に着いたわ」

その言葉通り、馬車は目の前にそびえる城門を抜け、城の一角に止まった。
佐藤はガクンと馬車が停止するのを見計らうと、メディアの手を取り気持ちを切り替える

「さてと、労働の時間だ。では取次ぎをお願いする」






メディアに取次ぎを依頼してから一体何日がたっただろうか
佐藤の気合とは裏腹に停戦協定と国交正常化交渉の準備は遅々として進んでいなかった。
いや、その表現には少し間違いがある。
メディアを介した王国との接触後、既に何度かの会合は行われている。
最初など、王国の宰相自らお出ましになったほどだ。
だが、肝心の中身が無い。
何度かの調整の末、一か月後に北海道側からの使節団が派遣される事で決まったが、その後は、のらりくらりと細部の調整をはぐらかし、場所や日時の詳細についてはなかなか決まらない。
それでいて、こちらから会談を申し込めば、取次ぎの手間賃だの何だのと露骨に賄賂を要求してくる。
此方としては、あまり相手に刺激を与えぬよう、接収した100ftクラスの改造クルーザーで此方に来たため贈賄用の金品や物資にも限りがあるし、まるでこちらにたかる事が主目的じゃないかと思える役人たちの態度に心底うんざりさせられていた。
そんな佐藤達の様子を見かねてか、ある日、メディアは単身で宰相の下へと謁見に向かっていた。


「ロドリーゴ閣下、差し出がましいのですが、なぜ彼らをあのように扱うのです?
仮にも一国の使節が来るのですから、緊密な調整を行うのは当然の事かと」

広々とした宰相の執務室にて、メディアは机の上の書類から目を離そうともしない中年の男に直立不動で質問する。
それに対し、彼はペンを走らせつつ、視線も上げようとはしない

「それが王の御意向だからだよ。
聞けば、人口も500万程度の小国。王国と対等に交渉しようなどというのがおこがましい。」

「ですが、彼らには高度な文明があり、侮るべきではないかと…」

「高度な文明?正直なところ眉唾な話だ。
小国の文化レベルが、人口4000万を超える王国の、この王都と比べて勝っているとでもいうのかね?
ただ単に、君の辺境伯領が小国にも勝てないレベルに田舎なだけではないのかね?」

メディアは唇を噛み、屈辱に耐える。
自分が馬鹿にされるのは聞き流せばよい。
しかし、辺境伯領を馬鹿にされるのは、そこに仕える主を馬鹿にされたも同然であった。
メディアは胸の内に宿った黒い炎を隠しつつ、なおも説得を続ける。

「お言葉ですが、彼らの力は本物です。
寡兵の彼らに1000名を数えた我らが敗退したのは事実です。
それに…」

「もうよい!」

ロドリーゴは、北海道側の力を伝えようとするメディアの言葉をうんざりするように遮る。

「どのような敵であろうと、神の箱舟"オドアケル"を持つ我々の勝利は揺るぎない。
それに、君には言っていなかったが彼の地への侵攻は既に王命により決定している」

その言葉にメディアは衝撃を受けた。

「そ、それでは何のために交渉の席を設けると決められたのです!?」

再侵攻。
かつての彼女なら王国の勝利を疑わなかったろう、だが今は彼らの軍事力を見てからは、その優位性にも確信が得られないでいる。
勝敗がどちらに傾くにせよ、また多大な犠牲がでるだろう。
それに、そうなった場合、ルイス様に高度な治療を受けさせてもらう約束を反故にされかねない。

「彼らは停戦だの国交だのと言っているが、我々としては彼らと本格的な交渉を行う時は、降伏勧告の交渉だと思っている。
全土を制圧するより、力を見せつけ、外交で併合する方が労力は少ないからな。
ならば、必要以上に彼らの相手をする必要もあるまい。
まぁ この事は他言無用だ。
だが、もし… 彼らにこの事が漏れた場合、君が犯人かどうかに関わらず君を拘束する」

「そんな…」

ロドリーゴの言葉に、メディアは何もいう事が出来ない。
もし、北海道が戦場になった場合、彼らはルイスを生かしておくだろうか
その事を考えるだけで、彼女の顔は蒼白となった。


そんな二人の会話を、人知れず聞く耳が王都の中にはあった。

「やっぱり、連中はもう一戦やる気だな」

王都に沿って流れる大きな川の船着き場に停泊する一隻の船。
北海道から派遣された改造クルーザーに佐藤の姿はあった。

「それにしても、連中は盗聴器への警戒は全くないですね」

スピーカーから流れる二人の会話を通訳として連れて来たドワーフから聞かされて、乗組員の一人が佐藤に言う。

「奴ら、魔法を使った防諜には気を使っているが、電波に関してはからっきしだ。
それに対し、こっちは難民が持ってた結界のアイテムで防諜対策はしてるし、一方的に盗聴が出来るってもんだ。
それにしても、メディア嬢の服に付けた盗聴器が驚くほど役に立ったな」

当人は知る由もないが、彼女が身に着けている衣類からアクセサリーに至る様々なものに盗聴器が仕掛けられていた
基本的に防諜と言えば魔法的な道具や術を結界で防ぐこの世界で、魔力の無い電波機器など理解の外だった。
まぁ 電波を介すると魔法的な翻訳がなされないために亜人の協力が必要不可欠であったが、それでも十分すぎる成果を上げていた。

「よし、本国に敵はあくまでやる気だと無電で連絡だ。
それと、我々が下手に対応を変えるとメディア嬢が危険になる。各員は引き続き交渉の下準備を行え。
くれぐれも我々が敵の手の内を知っていると感づかれるんじゃないぞ」

その言葉に、乗組員たちが黙って首を振る。
この日を境に佐藤の真の任務は交渉に向けた調整から諜報活動へと主軸が変わった。
後に彼らの仕掛けた盗聴器の数々は、王国が電波の存在を知る日まで北海道側に有利な情報を流し続けることになるのだった。







王城からゴートルム側の情報が北海道側へ垂れ流しになって暫くした後、アルドはレガルド王と共に神の箱舟へ乗り込んでいた。
空飛ぶ要塞の中央部にそびえ立つ堅牢な城塞の上から、眼下に広がる要塞の中庭で訓練に励む兵士たちを二人は眺めると、彼らの上を大きな影が横切った。
二人が空を見上げると、そこには影の主たる大きな竜が空を舞っている。
その姿は空飛ぶトカゲというよりも、鳥に羽毛の代わりに鱗と皮の羽を与えたような鋭く流れるような体躯だった。
巨大な翼を広げ、それに負けないくらい立派なトサカ付の頭から甲高い鳴き声を発して飛んでいる。

「竜騎兵も獲物が待ちきれん様子だな」

レガルド王は、編隊を組んで飛んでいく竜の姿を見ながら満足げに呟く

「しかし、竜"騎兵"と言う割に、竜人達が竜に跨っていないのは何度見ても違和感を覚えます」

アルドは王の後ろから空を見上げて空を飛ぶその勇姿を見ながら呟く。

「何を言っておる。本当に跨って乗っていたら直ぐに振り落されてしまうであろう」

王は短く笑いながらアルドの呟きに言葉を返すが、箱舟に来たのは初めてであり、竜騎兵を見るのも数度しかなかったアルドは、空を飛ぶ竜の姿を見ながら違和感を感じていた。


"竜騎兵"
この世界において、竜人だけが扱える箱舟を除けば唯一の航空兵力。
だが、その操り方は非常に特殊だった。
高速で空を駆り、凄まじい機動をする竜には馬や鳥の様に跨っては乗れない。
そこで竜人達は秘術により、精神を一時的に竜に宿らせた。
精神が移っている間は、竜人達は眠っている事しかできないが、その代わり竜自体を自分の体の様に操れる。
それに、一度に複数の竜に秘術をかければ、乗り移った竜が死んでも、本体が無事な限り何度でも他の竜に乗り換えられる。
しかも、乗り移っている間は竜の体を使って魔力を行使できるため、それにより魔法による遠距離攻撃も思いのままだった。


「それにしても、空を飛ぶ竜たちは凄まじく恐ろしげですが、術者たちは恐ろしく無防備ですね」

アルドがそう言って振り向いた視線を向ける先には、角と尻尾のある数人の竜人が術者用の簡易寝台の上で眠っている。
彼らはよほど深く繋がっているのか、此方の話声にも一向に目を覚ます気配はない。

「まぁ 何事にも欠点はある。
だからこそ、オドアケルの魔法障壁が役に立つ。
神代の御世ならいざ知らず、この時代にこの鉄壁の防御が破られることはあるまい」

王は杞憂にすぎんと一蹴し、空を縦横無尽に駆ける竜に視線を戻し、またしばらく空を眺めていると
この広間に通じる通路の方から、軍事施設には場違いな明るい声が近づいてきた。

「あら あなた。こんな所にいらしたのね」

その声の主は、部屋に入って王の姿を見るなり笑顔で近づいてくる。

「お后様ではありませんか。それに姫様方も」

これにはアルドも驚いた。
これから戦場へ行こうとするのに、女子供が同行するなんて聞いていない。

「あぁ 言ってなかったな。
私が英雄譚の様に蛮族を蹴散らす様が見たいと言って聞かなくてね。
つい、連れてきてしまったのだ。
なに、この鉄壁のオドアケルの中から眺めるくらいなら危険はあるまい」

この王は箱舟の力を信じるあまり、戦に対する緊張感がどうも欠けている。
箱舟の防御力は本物だが、ちょっと危険な行楽程度の意識では何とも頼りない。
アルドは、きゃっきゃと騒いでいる后や姫たちの姿をみてそう思うが、既に出発してしまっている以上、ヘタに騒いだところでどうすることも出来ないと割り切り、何も言わないでおくことに決めた。

「お父様。竜騎士たちの勇姿の何とも頼もしい事ね」

「こんな大きなお城が空を飛んでいるなんて信じられないわ」

やって来た彼女らは、広間の窓辺から半身を乗り出し、好き勝手に騒いでいる。
王に対して何も言わないまでも、その光景にアルドはやはり眉を顰める。
血肉が飛び、場合によっては命の危険がある戦場に、物見遊山で来るとは王家の戦に対する意識はそこまで堕落しているのか。
アルドはそう思うが、彼らにしてみても危機感が薄れていくのには理由があった。
王家が興ってから1000年以上の長きにわたり、他国との大規模な戦乱は無く、小競り合いがあったとしても安全な箱舟から指揮を取り、地上で指揮を取ることは一切無い。
この事が、賊の討伐や亜人との衝突など自らも戦場を駆り、多くの死闘と無残な死体を見てきた諸侯と王家には、決定的な意識の相違を生じさせていた。
死体や血を見る事もなく、圧倒的な力のみを保持してきた彼らの危機意識はとうの昔に腐り落ちている。
その象徴ともいえるのが彼女たちである。
王は后や姫に甘いともっぱらの評判であるが、今回も彼女らの要望を二つ返事で許可したのであろう。
そんな複雑な表情で彼女らを見つめるアルドとは裏腹に、王を中心に彼女らは実に楽しげに景色を眺めている。
そうやって暫くきゃいきゃいと騒いでた彼女たちだが、その内一人がある物を見つけた。

「あっ 海の方にも沢山のお船が見えてきたわ」

姫の一人が指をさすその先には、海原に浮かぶ沢山の点が集まっていた。
見れば、その一つ一つが船であり、その帆には様々な諸侯の紋章が描かれている。

「陛下、どうやら諸侯の軍船と合流したようです。
彼らの直上に到着次第、一路、東へと参りましょう」

アルドの言葉に、娘たちの前であるからか、王が一段と威厳を感じさせる佇まいで言葉を紡ぐ。

「うむ、蛮族に神の軍勢の偉大さを教えてやろう。
神の威光に平伏すことこそが、奴らに残されたただ一つの道である」

賽は投げられた。
最早、争いは不可避の運命であった。








箱舟が諸侯の軍船と合流し、東進を始めてから暫くして。
夕暮れの千歳空軍基地は、かつてない緊張状況に包まれていた。
これに似たような事例があるとすれば、遥か冷戦前に函館空港にソ連のMig25が飛来した折り、ソ連の侵攻を覚悟していた時のような緊迫感。
基地内の全員が、これから敵の侵攻があると確信し準備を進めている。
そんな基地内の一角に同じように緊迫感と熱気と人の群れで溢れている個所があった。
特設のプレス会場。
今回の侵攻を察知した連邦政府が、国民に対し声明を発表するべく臨時に基地内に設置した会場であった。
最早、敵の侵攻は始まっており、交渉する気も無いとなれば残る手段は限られている。
それならば、という事で、政府はこの事を通じて国民の団結を促すためにこのプレス会場を設置した。
作戦の推移を報道しても敵に放送を傍受される心配が無いので、作戦内容が敵側に漏れる事も無い。
むしろ、メディアと言うフィルターを通さず、国民に今そこにある危機を正確に伝える為に、政府と軍は作戦の推移を中継することを決めた。
ざわつく会場内に夕闇が迫る頃、報道陣が囲む壇上にライトが向けられる。
強力な光に照らし出された旧道庁(現在は連邦政府の国旗)が入ったひな壇に一人の姿が向かう。
強烈な報道陣のフラッシュの洗礼を受けながら、その人物は壇上から彼らに向かい合う。

「では、時刻となりましたので、高木大統領より重大な声明の発表を行っていただきます」

会場に響き渡るアナウンスの声に促され、高木は決意に満ちた口調で話始める。

「本日は皆さんに重大なお話があります。
昨年、礼文島に武装勢力の侵攻があった事は記憶に新しいかと思います。
我々は、紛争後も相手側と幾度となく平和の可能性を模索しました。
平和の交渉に本腰を入れない相手にも諦めず、接触を続けました。
しかし、ここに来て、そのすべての努力が無駄となったのです」

高木の発表に会場にざわめきが起きる。
メディア側も空軍基地内での記者会見や軍の動きから大よその事は察していたが、国のトップから語られるキナ臭い発表には動揺を隠せなかった。
高木は彼らの反応を見て一呼吸置くと再び言葉を紡ぎ始める。

「現在、北海道の西方を新たな武装勢力が東進を続けています。
その数は、船の数だけで前回の数倍。さらには未知の飛行要塞が含まれています。
このままでは礼文の二の舞… いえ、敵の数からいって更に酷い惨事になるでしょう。
しかし、この世界には頼るべき友軍であった米軍も内地からの援軍もない。
ですが、だからと言って我々は座して死を待つわけにはいかない。
これ以上、礼文の悲劇を繰り返してはいけない。
ならば自ら剣を取り、身にかかる火の粉は自らの力で振り払わねばなりません。
そこで我々は、かねてより準備を行ってきた本道防衛作戦"大地の怒り"の発動をここに宣言します。
作戦目的は敵侵攻の阻止。
本作戦には保有する海・空軍力のほぼ全力を投入する大規模なものになるでしょう。
敵が如何なる存在だろうと、我々の自由、生命、未来を侵すことは許されません。
我々の生存権は、何人たりとも犯すことの出来ない神聖にして不可侵なものです。
それに対し、邪悪な魔の手が迫っている以上、我々のすべき事は唯一つ!
さぁ 皆さん!
我々を侮るこの世界に教育してあげましょう。
暴虐には毅然として立ち向かう我々の意思を!
そして、新たな時代が始まったという事を!」

高木の演説により、周囲は熱気と拍手に包まれた。
ある者は息を飲んで複雑な表情を浮かべ、ある者は気勢をあげて熱烈な拍手を送る。
テレビのゴールデンタイムを狙って行われたこの会見の映像は、今も全道に流されている。
見たものの思いは様々だが、礼文の騒乱も何処か他人ごとだった国民も、戦闘の推移が報道されることで意識が変わり、全国民がより一層団結するだろう。
そんな政権側の思惑が成功しつつある会見場を遠目に、基地の誘導路上には兵装を満載したF-15の群れが列を作っていた。

『Bear1より各機へ、大統領閣下のお話が終わったようだ。
管制塔から離陸許可が下り次第、西に進路を取り択捉の連中と合流する。
飛行隊創設以来の実戦だが、訓練通り落ち着いて飛べ』

『『Rog』』

出撃を今か今かと待ちわびた彼らへの管制塔からの離陸許可は、各機からの返信がきてすぐに下りた。

『Bear1, Wind is clam.Clear for take off』
(ベア1へ、風は穏やかだ。離陸を許可する)

離陸許可と共に、青い炎を曳いた荒鷹達が一機、また一機と夕闇の中に舞い上がっていく。
会見場に集まった報道陣と基地の兵に見送られ、力強い轟音と共に飛び立っていく光点。
高木はそれを半ばまで見送ると、会見場を離れ作戦司令部へと歩を進めた。
司令部内では既に展開している味方と敵の位置がスクリーンに示されている。

「閣下。王国内に派遣していた職員の一時退避完了しました」

駆け寄ってきた秘書官が高木に最新の情報を報告する。

「ご苦労様。それにしても、この国際法やその類のものが無いと宣戦の布告すら難儀するのね」

「外交特権など有るかすら怪しい世界です。それに今回は協力員や派遣した職員の身の安全が心配されましたので致し方ないでしょう」

本来ならば、国家間の戦争では宣戦布告が行われるのが前の世界のルールであったが、今回の戦役ではそれは行われない。
何故ならば、北海道側は未だこの世界の国際慣例は熟知していない上、捕虜の話を合わせても外交官の身の安全を保障するルールは無い事が分かった。
前の世界でも歴史を紐解けば、宣戦に向かった使者が斬られる等はよくあった。
そんな中に貴重な人材を送り込むわけにはいかない。それに王国側は何かあった場合、メディア嬢を拘束すると発言している(盗聴ではあったが)
数少ない協力員の安全も考えねばならなかった。
よって、今回の作戦は国家間の全面戦争ではなく局地的な紛争であるとするのが、政府の公式見解であった。

「まぁ そもそも未だ国交を結んでない上に、相手を国家と承認していない以上、宣戦布告もあまり意味は無いけど…
それよりも、二度と愚かな真似をしないよう完膚なきまでに叩いてやりましょう。
傲慢な魔法世界に機械産業文明の力を見せつけるのよ」


そう言って高木はスクリーンの一つに目を向ける。
そこにはカメラを取り付けた一機から、空に浮かぶ光の大編隊の映像が送られてきている。
その光景はメディアのカメラを通じて各世帯に届けられ、全道民がそれを注視していた。
500万の視線が集まる中、今ここに、新世界に対する最初の大規模作戦が幕を開けたのである。



[29737] 北海道西方沖航空戦
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:14







北海道からの大規模な航空部隊が飛び立った夜。
最初の変化に気付いたのは竜と竜人達だった。
日も暮れた為、厩舎で休んでいた竜たちだったが、殆どの竜が寝藁から起き上がり東の方角を向いている。
そして、竜に同調していた竜人の一部も今までにない変化に気が付いた。
いや、小さな変化自体は前々から感じていたが、敵地に近づくにつれその変化は急速に増大していったというのが正しいだろう。
その竜人達の不安は、竜人の長が王族とその配下の宴へ無粋に踏み入るのに戸惑うことはさせなかった。

「王よ!報告が有ります」

王を呼ぶ声と共に、歴戦の勇士といった出立の竜人の長が室内に乱入すると、それまで楽しく飲食していた王や姫たちの手が止まる。

「何事だ!?」

竜人の長の突然の乱入に楽しい一時を邪魔された王は不満げに尋ねる。

「東の空が謎の輝きに包まれておる。コレは何かの予兆かと思うのだ」

「輝いている?」

長の言葉に王も顔をしかめる。
今の時間からして日はとうに沈んでいる。
なにか大きな火災だろうか?
王は一体それは何かと思慮を巡らそうとするが、実際に見た方が早いと席を立ち、アルドと配下を連れて城塞の上へと駆け上がった。
城壁の上にたどり着いた王は、箱舟の進む先、東の方角の空を凝視する。

「真っ暗だぞ。何もないではないか」

王はいつもと変わらぬ東の星空を見ながら、ふざけた報告をしてきた長を睨む。

「この光は人には見えぬ。
我らは竜光と呼んでいるが、竜だけが見える光がある。
そもそもこの竜光と言うのは、竜が大空を飛ぶ時に遠くの仲間や獲物を探す時に発するものなのだが、それが今、東の方角からこちらを照らし出すように放たれている。
最初ははぐれ竜でもいるのかと思っておったが、目的地に近づくにつれ徐々に大きくなり、つい先ほどからまるでこちらを照らすかのように急激に輝き始めたのだ」

「こちらを照らし出すように?」

長の言葉に横で聞いていたアルドも質問する。

「うむ。竜はこの光で空を照らし、たとえ月の無い闇夜であっても、この光の反射で獲物の位置を感じ取れる。
今はまるで、こちらが竜に狙われる獲物が如く照らし出されている。
勝手ではあるが、既に配下にはいつでも出れるように待機を命じているが、どうする?王よ」

長の言葉を黙って顎鬚を撫でながら聞いていた王であったが、その決断は早かった。

「竜を上げろ。お前が気になると言うのであれば、出さぬ訳にもいくまい。
不安が無くなるまで好きにするがいい」

「うむ。その言葉、待っておったわ」

長は短く礼をするとすぐさま厩舎にかけていく。
その姿を見送りながら王は呟いた。

「敵に竜が居るとなると、少々面倒くさいな」

そう言って王はアルドを睨む。
彼からの情報では、敵に竜が居るなど聞いていない。
王は、事態が少々面倒くさくなる事の落とし前として、辺境領から巻き上げる予定の財貨にいくら上乗せしようかと考えつつ、
厩舎より飛び立ち始める竜を見送るのであった。




箱舟の進行方向の先、石狩湾上空の星空に数多の猛禽が編隊を組んで旋回している。
青白い炎を曳いて飛び回るその光景は、まるで星座がダンスを踊っているようであった。
だが、その翼は決して踊っているわけではない、迫りくる脅威が此方の罠に嵌るのを今か今かと待っている肉食獣の群れであった。

『bear1より各機。
地上からの連絡だ。目標は射程圏内に侵入した。我々の飛行隊は、これより敵の梅雨払いを開始する』

猛禽たちが待ちに待った命令。
敵は、我らのキリングフィールドに愚かにも舞い込んできた。
編隊は進路を敵飛行要塞に向け、レーダーサイトとのデータリンクにより映し出された攻撃目標を選択する。
最初の目標は、此方の動向に感付いたのか、わらわらと舞い上がり始めた竜と呼ばれる飛行生物。

『怪獣退治は自衛隊の伝統だ。択捉の奴らに手本を見せてやれ』

そう言ってbear1がミサイルの引き金を引く。
ミサイルが機体を離れ、同時に炎を吹いて夜空を突き進む。
予想外のアラートが鳴ったのはそんな時だった。
見れば、計器の一つに緑色のマーカーが現れている。

『!? レーダー警報だと? 奴ら、トカゲのくせに電波を使うのか!』

レーダー波を感じた際に反応するレーダー警報装置。
それが今、ミサイルが向かった方角からの反応を示していた。





王とアルドらに見送られた竜たちは、次々と厩舎から飛び立っていく
大きな翼と魔法の力を借りた上昇力で、竜たちはぐんぐんと高度をあげた。

『凄いな。東からとんでもない量の竜光を感じるぞ』

十分な高度を稼いで水平飛行に移った後、竜達を束ねている一匹(正確には竜を操る竜人だが)が言う。
彼の言うとおり、他の竜たちも東の方から雑多な色の竜光の中に、ひときわ大きな点がいくつもある事が感じられた。
だが、特に気になるのが東の空に感じる異質な存在、微かではあるが竜光を発する何かが空を舞っている。

『竜の竜光とは何か違うな。』

その言葉の通り、東から来る竜光は、竜のモノとは違い特定の色だけを放っているものが多い
普通、竜光はどんなに集中しても多少の他の色が混ざる物だが、向かう先の発光源は様々な色があるものの一つの点からは同じ色の光しか出ていなかった。

『よし、こちらからも照らしてみろ。何が飛んでるのか探ってみよう』

その言葉により、竜たちの中で一番大きい個体が大出力で竜光を放とうとしたそんな時だった。
東の空に浮かぶ微かな輝きは、突然十数個もの大きな輝きに変わり、此方を照らし始めた。

『!!? 狙われている? こちらも照らせ!相手を探るんだ!」

その言葉に先ほど竜光を放ちかけた個体が慌てて東へ向けて竜光を放ち、その結果に誰もが息を飲んだ。
輝いている十数個だけではない、その後ろも含めて数十の飛行体がこちらに向かっている。

『敵だ! 全員、遠距離戦用意!敵を丸焦げにしてやれ!』

その号令と共に竜たちは魔力を練り、鼻先に超高温の火球を生成する。

『放て!』

全員の火球が準備できたのを見計らい、統率する竜が一斉攻撃を命じる。
魔力によって生成され、魔力によって高速移動する火球は、術者の誘導の下に確実に前方の正体不明の敵へと向かう。
高速で相対する彼我の距離は急速に縮まっていき、そろそろ着弾するかと思われたその時、竜たちにとって最悪の光景が現れた。

それは突然だった。
彼らの前方に竜光を放つ点が多数現れ、超高速で此方に向かって突っ込んでくる。
ある者は火球の誘導を止めて急機動により回避に入るが、それでも火球の誘導を続けた者は、次の瞬間には飛んできた何かに貫かれ、爆炎と共に肉片を飛散した。

『クソ!』

竜の一匹が炎に包まれて墜落する仲間の死骸を見て悪態をつくが、その意識も突然に途切れた。

『!?』

それまで墜落した仲間を見ていた視界がいきなり切り替わる。
見渡せば、先ほどまで意識を乗り映させていた竜が、見ていた竜と同じように落ちていく
そこでやっと、彼は敵に撃墜され、あらかじめ秘術をかけていた別の竜に意識がシフトしたことを認識する。

『何匹やられた!?』

生れて初めて乗り移っていた竜を撃墜されたことに驚愕を隠しきれない彼に、指揮を取る竜から念が来る。
それにハッとして、即座に秘術のつながりを感じる竜を探すが、既に自分の分だけでも2匹足りない

『2匹やられました』

そう彼が報告すると、指揮を取っている竜は回避行動と同時に他の竜にも別途で話ているのか返事は無い。

『…チッ!いきなり半分喰われ…』

個別に回避行動を取る群れの損害をやっと確認できたのか、指揮竜から全員に向けて何かを指示しようとするも、それは途中で爆発と共に途切れた。
数秒の沈黙の後、意識を乗り換えた彼の声も復活したが、その声には微かな混乱と怒りが混じっている。

『クソ!何だ?奴らの攻撃は!?
全員、敵の攻撃は紙一重で避けるな!直撃せずとも爆発するぞ』

一方的な殺戮に遭いつつも、必死に回避行動をとる竜たち。
彼らが己の事で手一杯になっているころ、彼らの混乱など無視するかのように戦いは新たなステージを迎えていた。

戦端が開かれている空域に最も近い海岸
かつて日本海があった方面にひょっこりと飛び出た積丹半島は、元々人口が希薄な上、敵の着上陸が予想される地域の住民は既に避難済みということもあり、ひっそりとした闇に包まれていた。
野生の動物たちはいつもと変わらぬ静かな夜を過ごしている様だが、その安眠も突如として終わりを告げる。
地を揺らすかのごとき轟音と共に、夜の森が日中の如く明るく照らし出され、大量の煙を吐きながら垂直にたくさんの炎が空に飛び上がる。
そんな、この世の終わりのような光景を動物たちに見せた炎の柱は、そのまま海のかなたへと凄まじい速度で消えていった。

「SSM-1改 発射完了」

動物たちにトラウマを植えつけたその物体は、指令所のスクリーンの地図上で簡単な記号の移動物体として映し出されている
高木はそのマーカーを見ながら、兵士からミサイルの正常な発射の報告を受ける。

「今のところ正常に動作してますね。
今回の作戦では改修された対艦ミサイルの比重が大きい分、連日夜を徹してミサイルのシステム改修に当たってくれた技術者たちには、作戦後に国から表彰させてもらいましょう」

高木のその言葉に、横に立っている幕僚の一人が頷きながら言葉をかける。

「しかし閣下、設計・プログラミング支援AI技術が進んでいて本当に良かったですな。
これで呼び出されたのが2010年代の我々であれば、いささか対応が難しかったですよ。
何せロシア製ミサイルの飛行プログラム改修もありましたから」

その言葉の通り、本作戦では飛行する要塞への打撃手段として、対艦ミサイルに上空を飛行する目標への突入を可能にする為の改修が行われた。
その数は、対艦ミサイル一個連隊96発、ミサイル艇2隻の8発,ステレグシュチイ級コルベットの8発、ロシア機の空対艦ミサイル約40発と、本作戦に投入するだけで150発を超えるミサイルである。

「でも、これで本当に足りるのかしら」

高木の疑問に二人の話を聞いていた基地指令もスクリーンを睨み付けながら話に加わる。

「足りてもらわなければ困る。
矢追博士の話によれば、火力を集中し敵が魔力切れになれば障壁は消えるとの事だが、敵の容量がわからない以上、我々は全火力を投入するしかない。
これでも足りないのであれば、もう我々には奴等を叩き落す火力は無いですな」


魔法障壁
この未知なるバリアに対し、北海道では礼文の騒乱以降から調査が行われていた。
難民や捕虜の魔術師を使い発生の原理を究明しようと様々な試みがなされたが、その原理については未だに糸口すら掴めていなかった。
だが、その利用法ならば話は別である。
これは、難民の代表のラバシ氏の協力のもと矢追博士の人体実験が幾度と無く行われた成果である。
捕虜の魔術師に障壁を張らせ、最初は石を投げ、次にラバシ氏の魔法による一撃、さらには銃で撃ってみたりと数々のテストが行われた。
その結果わかった事は、術者の魔力量が十分なときは、どんな攻撃も完全に防御して見せるが、魔力量の限界に近づくにつれ障壁が薄くなり、終いには貫通するというものだった。
実験では魔力消費は障壁の強さと時間に比例する事がわかったが、それは人間の魔術師が張ったものでの実験結果であり、本当に通用するかは未知数というのが実情であったが…


高木は博士の説明を思い出し、スクリーンを注視する。
これが駄目ならば、もうあのラピュタを止める手立ては無い。
そんな彼女の祈りともいえる視線を受け、スクリーン上のマーカー達は更なる動きを見せ始めた。
SSMの発射にあわせ、上空を飛ぶSu-51の飛行隊から数多のミサイルのマーカーが現れ、同時に海上に展開する艦艇からもマーカーが現れる。
後の戦史研究が行われるならば、箱舟の運命は、正にこの時に決したのかもしれない。



『また敵の反応が増えたぞ!?』

上空を乱舞する竜達に混乱が広がる。
東の空から飛来した敵とは別の方角から照射を受け、そちらの方角へこちらから照らしてみると、また新たに数十の飛行体が接近している。
方向からして箱舟の方角に向かっているようだが、今の彼らには対処する余裕は無い。
先ほど接敵した敵の翼は、旋回能力こそ、こちらの足元にも及ばないが、その速度は我々をはるかに凌駕している。
何度か後ろに喰らいついて、一撃をかまそうとしたがその速度差にあっという間に逃げられる。
幸いにも敵は格闘戦に移行して以降、最初に竜達が大きな被害を受けた武器は使っていない。
必死に飛び続ける竜達はなんとかそこに勝機を見出したいと粘るが、こちらも決定打にかけている。
そんな時だった、箱舟の方角に真っ赤な炎が立ち上がる。

『糞!やりやがったな!』

統率する竜が炎に包まれる箱舟を見て叫ぶ。

『全員聞け、これより箱舟の守りに向かう、敵の足止めに数羽残して残りは箱舟に向かえ
魔法障壁があるため大丈夫かとは思うが、俺たちの本体に危険が及ぶ可能性は摘み取らねばならん!
足止めは嫌がらせに終始しろ、敵を撃墜できなくてもかまわん。
さぁ! いくぞ!』

竜達を束ねる彼は焦っていた。
例え、魔法障壁で守られていても、本体が眠る場所から断続的に爆炎があがっているのは見過ごしておけない。
一刻も早く、敵の攻撃を止める。
彼の頭は、そのことで一杯だった。
だからだろう、迫りくる光弾のシャワーをもろに浴びてしまったのは。
急に意識が切り替わり竜を率いていた彼は軽く混乱する。
視界の隅には肉片となり落ち行く竜の姿が見えるが、彼にとって重要なのはそこではない

『一体、どこから…』

打たれた直前、彼の周囲には射線を確保できる敵の姿は無かった。
正体不明の敵の攻撃に周囲に竜光を放っていると、鼻先を敵の飛行体がかすめて通過する

『あいつか!』

彼はあわてて視線で追い竜光を放つが、その結果に彼は驚愕した。
竜光が反射しない…
いや、反射するにはしているがそれはとても小さなものだった。
先ほどまで戦っていた敵と明らかに違う。

『気をつけろ、竜光に写らない敵がいるぞ!』

彼らは知るはずも無かったが、それは改修した対艦ミサイルを打ち終えたSu-51であった。
メインの役目を終えた彼らは、残りの燃料と機銃弾を使い尽くすべく、空戦の真只中に舞い戻ってきたのだった。
新たな敵の増援。
竜達の救援が絶望的になる。
一方で、その頃の箱舟は、いまだ地獄の蓋が開いたばかりだった。


『目標上空に到達、敵航空部隊の脅威なし。
これより、爆撃工程に入る』

竜達が箱舟より引き剥がされた後、爆装した一個飛行隊のF15が箱舟に対する爆撃を開始した。
次々に投弾し、代わる代わる現れる荒鷹達に箱舟は炎の傘に包まれる。
だが、もちろんその攻撃は本体には届いていない。
攻撃側のF15もそれを分かってやっていた。
誘導爆弾の使えないF15に搭載された各機16発づつの500lb爆弾による爆撃は、唯単にミサイルの雨が到達する前に少しでも敵に魔力を消費させる為の準備に過ぎない。
だが、直径400mの飛行物体に対する爆弾のバラまきともいえる攻撃は視覚効果としては十分だった。
よく見れば、障壁により攻撃が到達していないようだが、端から見れば爆発の度に箱舟は炎に包まれている。

『クリオネ2より、クリオネ1へ
すごい光景ですね。俺があの場所にいたら小便ちびって逃げますよ』

『クリオネ2。馬鹿なこと言ってないで投弾が終わったら基地に帰投するぞ』

『了解。しかし、俺らは択捉の奴等みたいに空戦に行かなくて本当に良いんですか?』

『そういう命令だ。しかし、無線で聞く限りだと、201飛行隊の奴ら、竜相手じゃ赤外線追尾の短距離ミサイルが使えなくて苦労しているらしいな』

『正直言って、夜間に機銃で空戦とか無理じゃないですか?』

『やつらもトカゲどもを引き剥がす為に無理を承知でやってるんだ。
現に、トカゲは戻ってきてないだろ?無理が通れば道理は引っ込むんだよ。』

『そんなもんですかね』

『そんなもんだ。クリオネ2無駄口もここまでだ、全機の投弾が完了した。
これより編隊を組んで帰投する』




彼らの話ていた通り、箱舟の中は大変な騒ぎになっていた。
障壁があるため、実害こそ出ていないが、兵士の相当数が空を覆う炎に恐怖し身を屈めている。
そして、その混乱は、城砦内の豪華な一部屋が一番大きかった。

「お父様!もういや!いやなの!帰る!」

「いゃぁぁあぁああぁぁぁ!!!」

それまで宴席が行われていた一室で、王を囲うように、その王妃やら姫達が泣き叫んでいる。
両腕をきつく握られて身動きの取れない状況の中、姫たちのあまりの狼狽振りをみて、同じように驚くこともできなかった王が優しく彼女らを諭す。

「案ずることは無い。障壁がある限り、この程度の攻撃でオドアケルが傷つくなどありえないのだよ」

心配は要らないと王はできる限り優しく接するが、既にヒステリーの域にまで達した彼女らの恐慌は止まらない。

「いやなの!私は帰るって言ってるの!もう帰して!帰して!帰して!」

「うぁあああぁぁあん!!!」

「いや、だから大丈夫だと… 窓の外を見てみるがよい
あれほどの爆発でも、箱舟は無傷だぞ?」

「嫌!!!」

王室で何不自由なくぬくぬくと過ごしてきた為か、姫たちは自分の嫌がるものを決して直視しようとしない。
そんな彼女らの聞き分けの無さに嫌気が差したのか、王は縋る彼女らを振り払って席を立つ。

「ならば、大丈夫であることを、余自らが確認してくる。
アルド、ついてまいれ」

そう言って、姫たちが泣き叫ぶ光景を黙ってみていたアルドに目を配らせると、行かないでと叫ぶ彼女らをおいて王は階段を上る。

「良かったのですか?」

アルドは王に尋ねる。
その言葉に、王はため息を一つついて答える。

「聞き分けが無いのだからしょうがなかろう。
それに一番安全なのは城内だ。あの場でじっとしていてくれる分にはかまわぬ」

王は溜息を吐き、忌々しげに爆発音を聞きながら歩いていると、さほど時間もかからずに彼らは屋上に着いた。

「なんとも不思議な光景であるな・・・」

そういって二人は空を見上げる。
そこには敵が上空を通過するたびに炎が空を包む光景が広がっている。
障壁の為、爆風はおろか熱も届いていない。
時折、遠く爆発音が聞こえる程度である。
暫く二人でその光景を見ていたが、それもじきに下火となった。

「お?奴らの攻撃もこれで終わりのようですね。
しかし、我らの鉄壁の守りの前には、どんな攻撃も無意味と言ったところですか」

空を見上げながら言うアルドの言葉に王も頷く、だが彼等は気付いていなかった。
最初は光り輝いていた障壁も、攻撃の最後では、その輝きが若干色あせていた事に…
そして今まで上空で花開いていた爆炎から打って変って、新たに前方で花開く炎の大輪が、戦いの新たなステージが始まった事を告げていた。



用意周到な作戦の下で放たれたミサイルの雨は、ほぼ同時刻に箱舟へと殺到する。
その内訳は、積丹半島より放たれたSSM-1改が96発、はやぶさ型ミサイル艇より放たれたSSM-1Bが8発、コルベットから発射されたP-800が6発(残りの二発はリバースエンジニアリング用に降ろされた)、
そして本来は予備機を除く14機の全力出撃したかったのだが、本国からの部品供給が途絶え、稼働率が下がったため10機で出撃したSu-51の各機2発づつのKh-31AMが20発、計130発であった。
目標に向かう途中、急な改修の為に不具合が生じたのか、正常に作動しなかったものが13発あったが、この世界には電波妨害も米艦隊のような濃密な防空網は存在しない。
正常に作動した残りの117発は、そのまま目標に吸い込まれた。
夜空に白煙を曳くミサイルが着弾する度に、新たに殺到するミサイルが爆発の光に照らされてその姿を現す。
10発、20発と絶え間なく続く爆発は、鉄壁の魔法障壁を少しづつ、そして確実に消耗させていった。
だが、50発、60発と着弾しても中々抜ける気配が無い、全軍がその動向に注目する。
そして着弾が100発を超え、スクリーン或いはコックピット越しにその光景を見る者達が焦りの色を濃くした時、それは訪れた。
最後尾で着弾したP-800ミサイル。
固体ロケット・ラムジェット統合推進システムを用いてマッハ2.5で飛翔するその物体は、3トンの質量を持って障壁に衝突し、そしてついに鉄壁を誇ったその防壁を撃ち抜いた。
それまでの攻撃により限界にまで薄くなっていた障壁は、丸い波紋を残して消失し、それを突き抜けたミサイルは城塞の一部に衝突して250kgの弾頭に火を付ける。
遂に内部に到達した破壊の炎により、箱舟の構造物の一部が爆発に呑まれて倒壊する。
ある者は爆発に巻き込まれて絶命し、またある者は倒壊した瓦礫に押しつぶされて命を散らした。
箱舟に乗り込んだ者の中で、誰がこの事態を想像できただろうか。
誰も彼もが慌てふためき、満足な消火活動等出来てはいなかった。
そんな中、一番冷静であったのは意外にもレガルド王だった。

「はやく火を消せ!
損害は!?どこをやられた?」

炎によってオレンジ色に照らされる城塞上で、王は兵達に懸命に指示を出す。
その危機によって発揮された王たる者の振る舞いを見て、若干腰を抜かしていたアルドも正気を取り戻した。
即座にアルドは王を補佐するべく声を掛けようとするが、その声は後ろから迫る悲鳴にも似た鳴き声に掻き消された。

「お父様!!! もう嫌よ! 城に戻りましょう!!!」

そう言って姫たちが城塞内から走り寄ってくると、王の足に縋る。
そんな彼女らに王は優しく諭す。

「お前たち、ココは危ないから中に戻るんだ」

「でも!でも!」

「今は父の言う事を聞きなさい。わかったね?」

未だに燃え盛る城塞を背景に、優しくかけられる父の言葉、これにより姫たちも落ち着きを取り戻し、王の顔にも余裕が出てくる。
だが、その直後に現れた伝令の報告により、王の顔から余裕が完全に消え去った。

「陛下、報告します!敵の攻撃は竜人の待機室を直撃。箱舟本体は無傷ですが増築部分の一部が倒壊したことにより損害が多数出ている模様です!」

「何!?」

竜人の待機室。
そこは、今出撃している竜たちを操る竜人の本体が眠っている場所。
そこがやられたという事は…


「クケェェェェ!!!!!」

報告を受けた王達の頭上に一匹の竜が飛び去っていく。

「本体がやられて術が解けたのか」

その言葉の示す通り、先ほどまで力及ばずとも果敢に空中戦を繰り広げていた竜達が四方八方に潰走していく。
その様子は、本能に赴くまま必死に逃げているようである。

「…くっ」

王は悔しげにその様子を眺め、また再度縋りつく姫たちの顔を見て決断した。
箱舟の本体が無事であるならば、障壁はいずれ回復するが、竜達はそうはいかない。
手持ちの最強の攻撃力だったために、それが失われては今回の遠征自体が難しくなる。
何より、愛すべき王妃や姫たちの泣き叫ぶ顔を見るのは彼にとって苦痛であった。

「…撤退だ」

「は?」

小さく呟くように言った王の言葉に、報告に来た兵が聞き返す。

「撤退すると言ったのだ。進路変更。王都に戻るぞ!」

「は!」

王の叫び声と共に兵達が動き出す。
伝令が走り、この戦役も最早これまでと思われたその時だった。

「撤退など認めん!」

先ほどまで従順に王に従っていたアルドが、まるで悪魔のような形相で王を睨んでいる。
睨まれた王も、突然のアルドの変わりように戸惑いを隠せない。

「何を言っているのだ?」

王は眉間に皺を寄せてアルドに問いかける。

「撤退など認めん!まだ一発貰っただけだ!何より未だ蛮族共を血祭りに上げていないのに撤退とは何事か!」

「貴様、王に対してその物言いは何だ」

アルドの王に対してのあまりに不遜な物言いに、流石の王も憤りを隠さない。

「黙れ無能王!戦に女子供まで連れてくる馬鹿が。
ここでおめおめと逃げ帰ったら、何のために箱舟まで繰り出させたと思ってるんだ。
俺に敗北の屈辱を味あわせた奴らに、まだ代価は支払わせてない!
城塞の一部が崩れたのが何だ!そんな事、戦では些細な物ではないか!」

彼は狂っていた。
最初の敗戦の後、今まで敗北を知らなかった彼が、無様に波間を漂っている中で培われた復讐心は、莫大な財貨を使って今回の遠征を企てるほどに歪んだ物だった。
それが、あともう少しで敵地に差し掛かるという所での撤退という王の決断は、彼にとって到底容認できるものではなかった。

「…アルドよ。先ほどの攻撃で気がふれたか?
部屋に戻れ。今ならまだ、先ほどの無礼も不問にしてやろう」

王は明らかに狂気が宿った目をしているアルドに穏やかに語りかけるが、最早、彼は聞く耳を持ってはいない。

「黙れ!」

シュ…

アルドは腰から鈍く光る剣を抜くと、王の首筋に充てる。

「突撃だ!引き返すことは許さん!」

「きゃぁあぁあぁ!」

いきなり抜刀して王に剣を向けた事に対し、それを見ていた女たちから悲鳴が上がる。
そして、首筋に切っ先を当てられ不用意に動けなくなった王も、背筋が凍り微動だに出来なくなった。

「くぅ… 本気で狂ったか…」

「さぁ 命令しろ!蹂躙だ!撤退などではなく、徹底的な蹂躙を命じるんだ!」

場に緊迫した空気が漂う中、アルドは高らかに笑う。
最早彼の目には先の事など写っていないようだった。
王を人質に取られ全員が凍ったように固まるが、それも長くは続かなかった。
丁度その時、箱舟の上空では統制を失って本能の赴くままに四方に逃走を図ってい竜たちの一匹が箱舟の方角に向かって落ちていく
撃墜されたのか、爆発に巻き込まれたのかは定かではないが、その皮膜で出来た翼には大きな穴が開いている。
落ちてきた竜は、元々持っていた速度に加え、重力の加速も加えながら城塞の屋上に突っ込んだ。
どぉんという衝撃と共に発生した土埃を巻き上げ、肉片を飛び散らせながら転げまわる竜の骸は、あたりの人間を何人か巻き込む。
不幸な兵士の一人は、転がってきた胴体に吹き飛ばされて絶命し、細かい肉塊の雨はアルドたちに容赦なく降り注いだ。
急な出来事に皆が目を瞑って屈みやり過ごし、舞い上がった土煙が晴れる頃、また再度何かが崩れ落ちるような音が辺りに響く。
竜の血や土埃で汚れた皆の中心。
視界が戻ったその場所には、血に染まり立ち尽くすアルドと崩れ落ちた王の姿があった。
竜の肉片が彼に衝突したのだろうか、彼の足もとには竜の指と思われるものが落ちている。
そして、その結果だろう。
喉元に刃を向けている時に加えられた衝撃により、仰向けに倒れる王の首には真一文字の裂け目が出来ていた。

「いやぁあぁぁあ!」

「陛下!!!」

王妃たちが叫び、抜刀した兵士たちがアルドに斬りかかる。
急な出来事に困惑したアルドは、その刃を避けきる事が出来なかった。
袈裟がけに斬られ、そのまま崩れる様にして倒れこむアルド。
倒れた体に蹴りを入れられ、王の体から放されるように転がされる。
危険が排除されたことにより、兵士や王妃たちが王の亡骸に集まるが、王の瞼は開くことは無い。
だが、諦めずに手を尽くそうと兵や姫たちも王に呼びかけたり、止血を止めることは無かった。

アルドは、そんな王の周りで泣き叫ぶ王妃達や必死に傷口を抑える兵達を地面に転がりながら眺めていた。
何が彼をここまで狂気に駆り立てたのであろうか。
高すぎたプライドの代償は、王国全体を巻き込んだ紛争に発展させ、最悪に近い結末を迎えつつある。

「父上… クラウス・・・」

そんな騒動の中心にあった彼が、誰にも届かないほど小さな声で死んだ父と敵の捕虜になった弟の名を呼ぶ。
死の直前、彼は少しの間でも正気に戻れたのであろうか、だが彼の目から命の灯が消えた今では、誰も知る由は無かった。







「閣下、敵飛行物体反転。
後続の船団と共に撤退していきます」

司令部のスクリーンに映し出されたマーカーが反転していくのを見て、司令官は高木に報告する。

「ご苦労様です。
撃墜こそできなかったものの、なんとか敵の上陸は防げそうですね」

戦闘の推移を手に汗を握りながら見つめていた高木は、敵が反転したとの報告にほっとする。
そんな高木に、司令官は言葉を続けた。

「ですが、逃走に入った敵残存部隊に対する処遇は如何になされますか?
確かに敵主力は損傷を受けたようですが、海上の敵船団は無傷です」

それを聞いて高木は悩む。
追撃を出すか深追いを止めるか…
しばらく悩んだ後、高木は一つの結論を出した。

「司令は如何すべきと思いますか?」

餅は餅屋。
高木は自分が軍事戦略は素人であるなら、戦略眼を持つ人間の助言を得るのが一番良いと判断し、司令官に尋ねた。

「そうですね。
戦術的には追撃戦を行った方が戦果は拡大できますが…
やはり、補給の問題から、追撃戦を行うと後々の行動に支障が出ます。
特に一隻しかないステレグシュチイ級は、現状の残弾は船内に残されているのみです。
それに巡視船やミサイル艇用の大口径砲弾も未だに生産は軌道にのっておりません。
倉庫に眠っている分もありますが、それほど豊富なわけではありません。
唯一補給の期待できるのは、国後に工場の出来た小火器用の弾薬くらいでしょうか。
確かに今が戦果拡大のチャンスではありますが、その後の海上兵力の実効性を失ってまで拘る必要は無いかと。
この世界の国家がゴートルムだけならば問題ありませんが、更に他にも複数の国があるとか。
ならば、我々は余力を残しておかねばならないでしょう」

司令官の話を高木は黙って頷きながら聞く。

「補給の縛りによって、行動のフリーハンドが大きく制限されているわけね」

「その通りです」

「そうですか。深追いは止めて置いたほうがいいですね」

高木は司令官の助言に従って命令する。
警戒は維持するも深追いする必要はないと。
それを聞いて司令部が各所へ命令の伝達を始め、高木は黙ってそのキビキビとした動きを見つめる。
そんな高木の背後から、司令部内で戦況を注視していたステパーシンが彼女の肩をポンとたたく。

「まずは戦勝おめでとう大統領。
だが、これからが大変ですよ。今回の戦闘で我らのミサイルの備蓄はほぼ枯渇してしまった。
準備爆撃と100発以上のミサイルでやっと損傷させられるような相手に二回戦目は出来まい。
軍備の拡充とそれを可能にするための産業の育成がこれまで以上に急務になる。
これはもう、大統領には過労死を覚悟して貰わねばなりませんね」

ステパーシンの言葉に高木はウウ…と表情が曇る。

「うっ… それは私も痛感しました。
あの防御を破るには大威力な兵器を量産するしかないって…
ソレについてですが、実はロシア側がやっぱり反応兵器を隠し持ってましたとかは無いんですか?
駄目なら弾道ミサイルでもいいんですが」

高木はロシア側も報告にあった武器以外に何か持ってないか縋るように聞くが
ステパーシンは高木の質問を鼻で笑うだけだった。

「我々の装備は新政府の樹立前に伝えたモノのみです。
残念ながら冷戦時には反応兵器もありましたが、核軍縮後はありませんよ。
それにスカッドもイスカンダルも南クリルには配備してません。
仮にあったとしても、核アレルギーのそちら側の住民が五月蠅いでしょう?」

「…まぁ そうですね。
無い物ねだりは止めましょう。
それに軍備で言うなら、現在の転移前の装備をそのまま引き継いだ偏った装備品の編成を何とかしなければなりませんしね」

「流石に爆撃機や早期警戒機を始め、輸送機すら無いのでは論外ですね」

ステパーシンは高木の言葉にうなずく。
その言葉通り、今の北海道の軍備は凄まじく歪な物になっている。
今回の作戦でも、F15を爆撃に使ったくらいだ。
本来ならそのような役目は支援戦闘機であるF2の役目であるが、それらはみんな転移前は内地に配備されていた。

「まぁ、時間のかかる軍備の話は閣議ででも行いましょう。
とりあえずは、今行うべき方策としては、大陸でも資源獲得のための調査隊編成を前倒しでしょうか。
産業の育成に資源が無い事には進みませんし、あまり時間をかけると経済が崩壊してしまう。
すべては時間との勝負です」

「そうですね。これからはどれだけ早く産業基盤を築き上げれるかが生死の分かれ目ですからね。
もっともっと頑張らねばならないですね」

高木は戦況のスクリーンを見ながら気合を入れる。
全ては生存のために…



「あ、それから大統領」

気合いを入れる高木をよそに、戦況が収束しつつある司令部を退出しようとしたステパーシンが、ふと思い出したように振り返る。

「どうしましたか?」

「先ほどの追撃中止命令ですが、あれは助かりました」

「はぁ。何故です?」

「今は世論の共感が得られずに、なりを潜めている反戦団体の動きが活発化しています。
仮に大量の敵兵の死体が流れ着いて、大々的な反戦運動を始めたら、連邦の社会秩序が少々乱れていたことでした。
今は内務省警察が過激派の摘発に精力を注いでおりますが、ソフトな連中は取り締まりにくい。
敵は外だけではないことも頭の片隅に置いといて頂きたい」

「…肝に銘じます」

そうやって、言いたい事を言うとステパーシンは司令部を後にする。
後に残ったのは、司令部の人間を除けば、高木と頭の痛い問題だけだった。



この後、ニュースでは防衛戦の戦勝と調査隊派遣の前倒しが全国民に対して報道された。
それは、道民に勝利の喜びを味あわせるのと共に、新たな騒動の始まりを告げるものだった。










ゴートルム王国の宰相であるロドリーゴにとって、その報告は予想を超えて最悪なものだった。
遠征軍の敗北の情報は、王国の各地に張り巡らされた魔法による通信網により翌日には中央に入っていた。

「まさか、こんな事が…」

彼は苦悩する。
なぜならば、神代から続く安定していた王朝が、ある日、ポッと出現した蛮人たちによって、その根幹が揺らいでいるからだ。
無敵を誇った箱舟は、大軍を従えた諸侯の目の前で敗北し、何より王を失ったのが痛かった。
王は後継ぎとして男児を残さなかった。
二人の子供はいたが両方ともに姫であり、王妃は目の前で夫が殺された事で心が壊れてしまったと報告にはある。
男系の血統が途絶え、心の壊れた王妃の代わりに未だ少女と言っても過言ではない長女が女王として王位につく予定だが、今まで王城の箱庭でぬくぬくと暮らしていた彼女に政が出来る筈もない。
王宮内ではそれを見越して、新女王に代わり政を行う必要から官僚同士の派閥抗争が激化し、貴族社会では王家に婿入りし王家を我が物とせんがために貴族同士の水面下での争いが勃発するだろう。
その中で王家への婿入りのみを考えた場合、順当な流れで対処するならば国内で最も力のある貴族から婿を取ったであろう。
しかし、それには如何ともしがたい問題があった。
何故ならば王殺しの犯人は、貴族の中でも最大の力と領地を持つエルヴィス辺境伯。
捕縛する際に当主のアルドは命を落としたが、辺境伯家の改易は疑いようが無い。
他の貴族たちにとってみれば最大の障害は消えてなくなった。
特に頭一つ飛び出す者の居ない中での貴族たちの主導権争い。
そのため、王の死という報告からさほどの時間がたっていないにもかかわらず、王国内の貴族社会は数多の毒蛇が王座を狙い蠢動を始めていた。
実際、何人かの貴族が既に王の死を悼む振りをしつつ、ロドリーゴに袖の下を持って挨拶に来ている。
だが、特に目立った差のない彼らの中から一人選ぶとなれば、選ばれなかった者達の不満は想像に易い。
最悪、国が割れる事態になりかねない。
それに改易になる予定の辺境伯領にしても、あの忠誠心の高い家臣団が素直に応じるだろうか。
彼らの軍勢は箱舟不在の穴を埋める為、北の帝国との国境に張り付かせているが、仮に丸ごと帝国に取り込まれるようなことになれば非常に面倒くさい事態に発展するだろう。
ロドリーゴは、思慮を巡らせた末に、帝国との紛争の可能性まで出現したことで自身の胃に強烈な痛みを感じていた。

「うっ、胃が… いたたた…」

そんな彼が激痛に耐え机に突っ伏した姿勢で苦悶の表情を浮かべていると、重厚な扉の向こうからノックが聞こえる。

「ぬぅ…、 入れ」

ロドリーゴは痛みに耐え、一呼吸おいて姿勢を正すと、ドアの向こうに向かって入室を許可する。

「失礼します」

そういって一人の役人が入室して彼の前に立つと、持っていた書状を広げて読み上げる。

「閣下、報告します。
先日まで我が国と交渉を希望していた蛮人たちですが、遠征軍の侵攻の際に一度は逃げたかと思われましたが、再び戻って来たようです。
報告によりますと、今度は交渉のための交渉ではなく、休戦勧告であり本交渉の日時と場所を指定してきました。
場所はエルヴィス辺境伯領のプリナスに寄港する船上。日時は今日から丁度10日後だそうです。
そして、もし交渉の席に着かない場合、拡大する戦火の責任は王国側にあると通達してきております」

「休戦だと?」

「はっ、報告によりますと、向こうはあくまで無益な戦乱の拡大は望まないと申しているようです」

「ふむ…」

ロドリーゴは思案する。
現在の戦況は、蛮人共が此方の切り札を退けた事で向こう側が優勢なはず。
それにもかかわらず、反攻ではなく休戦を求めてくるという事は、向こうにも紛争を継続できない何らかの理由があるのか…
それが小国ゆえに兵站を維持できない為か、何らかの内患を抱えている為か、はたまた先の紛争で損害を受けていたのかどうかは
情報が少なすぎる為に知りようが無いが、この事は体制が不安定化してしまった今の王国には好機とみるべきだろう。
再侵攻にしても、損耗した竜人達の代わりを新たに竜の地から招聘するにも時間と出費がかかるし、何より軍の統帥権を握っているのは
ついこの間まで、この世の穢れを知らなかったような少女である姫様だ。
此方としても国内問題を解決するまで下手には動けない…

「よかろう。一時休戦だ。
姫さ… もう既に女王陛下だったな。陛下にすぐさま上奏だ。
王国宰相として休戦交渉の全権委任を陛下から頂かなくてはならん」

彼は決断する。
今は誰も彼もが王国の未来より己の栄達のみに執着している。
なれば宰相の持つ権限を越えて行動を起こさねばならぬと



[29737] 大陸と調査隊編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:15
そんな宰相の決意から暫く後
北海道の沖を一隻の船が北に向かっていた。
青い海原を白い航跡を残して進む船の上には、何台もの車両が積まれている。
そんな所狭しと物資と車両の並んだ甲板上から、海原に向けて一本の釣り糸が垂れている。
大陸へ向かう航路にて、到着まで暇を持て余した拓也は、船員から借りた釣竿を振るっていた。

「釣れますか?社長」

釣り針を垂らしていると、後ろから聞こえた調子を尋ねる声に、拓也はくるりと振り向いた。

「あぁ カノエか。
ぜーんぜん釣れないよ。
というか釣り自体余りやったことが無いから、航行中の船から釣り針を垂らして、果たして本当に釣れるのかもわかんね」

そう言って拓也は釣り竿のリールを巻き上げてみるが、やはり針に獲物は付いていない。

「じゃぁ何故、釣りなんてしてるんです?」

「いや、暇だっただけだよ。
上陸の細かい準備はエドワルドのおっさんに任せたし。
国後の工場はエレナや新しく雇った経理のばぁちゃんに任せておけばいいし。
暴走しがちなサーシャは、奴が見つけてきた部下に任せておけば大丈夫。
ぶっちゃけ、自分がいなくても全て丸く収まるんじゃないかってくらいにやる事が無い」

そう言って拓也は再び竿を振るって針を投げる。

「あぁ 新しく来た人たちですね。
あの人たちって、そんなにシッカリ者なんですか?」

拓也達が出発する少し前、石津製作所には3人の新たな仲間が加わっていた。
一人は客船で出会ったショーンの紹介で、シルバー採用した経理担当のバァちゃん。
そして残りはサーシャが客船の乗客からスカウトしてきた中国人の双子の姉弟であった。
聞けば全員がもう少し客船暮らしをエンジョイしようと思っていたそうだが、何でも紛争のゴタゴタで政府に船を接収されて
仕方なくこっちを頼ってきたらしい。
そんな彼らであったが、仕事のほうはバリバリであった。
経理のバァちゃんは現役時代の経験を生かして知恵袋的な存在となり、双子の中国人も富裕層の子息でありながら機械工学の高等教育を受けていた。
そんな中で一番驚いたのが、サーシャは意外にも仕事は出来るらしいということだった。
双子の話によるとサーシャの設計センスは素晴らしいという話で、いままでその能力に疑問符が付いていた人物が、外から人材を入れる事でようやく評価を受けることができたのだった。
拓也はそんな彼らを思い出してカノエと話す。

「あぁ 彼らはウチの会社に足りていなかったところに丁度収まったし重宝してるよ。
やっぱ、人材集めるってのは大事だね。いい人が集まれば集まるほど上が楽できるし」

「社長。それはちょっと… 楽したいために雇ったんですか?」

カノエが呆れたように拓也に言う。

「まぁ それが全てじゃないけど否定はしないよ。
やっぱり、せっかく金稼ぐなら使う暇も欲しいし…」

と、拓也がそこまで言いかけた所で思わぬ乱入者が現れる。
バタンと船内から甲板へと繋がる扉が荒々しく開き、そこから現れた小柄な人影は、自分の横まで走ってくると海に向かって色々な物を放出し、そのまま甲板に倒れた。

「!? ヘルガ!大丈夫か?」

急に現れ、隣で口からゲロの滴を垂らしているドワーフの娘を揺するが、小動物の様に頭を小刻みに振るだけで返事は無い。

「り…陸は、まだ…ですか?」

まるで瀕死の重病人みたいな虚ろな目でヘルガは訴えかける。
拓也はヘルガの問いを受けて、ブリッジにいる船長に大声で聞くが、ブリッジからヒョッコリ顔を出した船長の言葉は厳しかった。

「ん~、あと2時間ってところだな。まぁ 頑張れ。
遠くの景色を見てると酔わないぞ」

船長は船酔いでダウンしているヘルガにそう答えると、どうしようもないという感じでまたブリッジに戻ってしまう。

「そん…なに…」

絶望の言葉と聞いて、ヘルガの体から再度力が抜ける。
ガクリと頭を垂らし、最早起き上がる気力もないようだ。

「おい!こんな所で寝るな!起きろ馬鹿!」

そう言って、ガックンガックンとヘルガの体を揺すってみるが、顔色がどんどん青くなるだけで起きる気配が無い。
正直な所、船室のベットで休ませるのが良いのだろうが、おぶって移動中に背中をゲロまみれにされるのは御免こうむる。
かといって横にいるカノエは見るからに力が無さそうな細腕である。
誰か丁度いい人物はいないかと拓也が甲板上を見回していると、丁度いいケモ耳が目についた。
白色の毛並みの猫耳が一匹、甲板上にワイヤーで固定されたトラックの上で寝ていた。
迷彩のズボンと黒のタンクトップが良く似合っているが、無防備にもブラなし仰向けで寝転がっている為
重力に負けた二つのメロンが、呼吸する度に上下する。
薄いタンクトップの為、その表面には何やらポッチが浮き出ているのが健全なエロスで良い。
これが社内であればサーシャを呼んで巨乳の良さについて講義をする所だが、今は船上で、ある意味非常時である。

「おい!アコニー!ちょっと来てくれ!」

その場からアコニーに向かって何度か呼びかけるが、当の猫耳娘は起きる気配が無い
それどころか、寝返りを打ってこちらに背中を向けている。
大声を張り上げているのに、全くそれに気付いて貰えないのは何となくムカつく。
それから数度呼びかけたが、全く起きる素振りも無いので、つい怒りに任せてそこらに落ちていた空き缶を投げつけた。
…そして、スコーンと小気味良い音と共に、アコニーが車両から転落する。

「!!? うぐぅぅぅ!!」

トラックの上という結構な高さから転落したため、のた打ち回って悶絶する猫娘。
見た目の半分くらいがケモノでも、猫みたいにシュタッと着地するのは無理なようだった。
まぁ 寝てるところを落とされたら普通の猫でも無理そうな気はするが…
暫くして痛みも治まったのか、あたりを見渡して自分たちに気付いたアコニーは、照れくさそうに近寄ってくる。

「えへへ~ 社長、見てました?なんか寝ぼけて落ちちゃったみたいです」

どうやら、寝ぼけて自分で転落したと思っているアコニーは、「恥ずかしー」と頬に手を当てているが
今はアコニーの純粋な瞳を直視することが出来ない…
ちょっと起こすつもりで空き缶を投げたが、まさか落ちるとは思わなかった。
本人は気づいてないのか、滴る鼻血がより一層罪悪感を感じさせる。

「あ?あぁ… まぁ、昼寝はもっと安全な所でしろよ。
それより頼みがあるんだ。
ヘルガを船室まで連れていってやってくれ」

アコニーはその言葉で、倒れているヘルガに気付く。
口元の酸っぱい匂いから何かを思い出したのか、アコニーは瞬時に状況を理解してヘルガに話かける。

「ヘルガ~ 大丈夫~?また船酔いとは、だらしないぞ~」

そう間の伸びた声を掛けながら、ヘルガを起こそうと彼女の前に座り、その体を抱え起こして顔をぺしぺしと叩く。
頬を叩かれ、少々正気を取り戻したヘルガが、顔を守ろうと弱弱しく手を上げる。

「ちょ… やめ… って、あんた平気なの? 前に船に乗った時は一緒に吐いてたのに…」

「あははー ここんところ鍛えまくってるから色々とタフになったんじゃない?」

そう言って、アコニーはポンと自分のおなかを叩く。
見れば、腹筋がうっすらと割れている。
ほんの数か月前までは、ぽっちゃりケモ娘を代表する体形であったが、今では若干ながらメスゴリラ化への道を進み始めている。
出来ればあまりメスゴリラ化はして欲しくないのだが。目の保養的に…
そんな体つきを見ながら、筋肉隆々のケモノ娘の未来図を想像していると、じっくり見過ぎたのかアコニーが抗議の声を上げてきた。

「社長。めっちゃ見過ぎ!流石にじっくり見られると恥ずかしいです」

そういってモジモジと自分の体を抱くように体を隠すが、それで逆に寄せて上げて効果により胸の谷間が強調されてしまっている。

「いや、すまん。そんなじっくり見てるつもりは無かったんだが…」

そう言いつつも、視線は新たに強調された胸の谷間に行ってしまうのは最早不可抗力だ。
そんなあまり反省の色のない拓也に、アコニーは顔を膨らませて立ち上がる

「社長ってば全然反省してないじゃないですか!」

ぷんすかと怒る彼女、だが彼女は重要な事を忘れていた。

「どうでもいいが、急に手を放したから、相棒が頭ぶつけて倒れてるぞ?」

案の上、急に手を放されたために甲板に後頭部から落ちるヘルガ。
それに気付いたアコニーは慌てて彼女を抱え起こす。

「あー!!ヘルガー!」

見ればヘルガは巨大なたんこぶを作って目を回していた。
そんな感じでギャーギャーと騒いでいると、当然の如く船内の注目が彼らに集まり、いつのまにか拓也達の周りには何人もの人が集まってきていた。
大半が、また奴らかというノリで片づけていたが、野次馬の中でも少々毛色の違う二人組が心配そうに拓也達の方に近寄っていく。

「一体どうしたんですか~?」

「あ、荻沼さん、それに教授まで!お騒がせしてすみません、ちょっと船酔いが酷い者がおりまして…」

「まぁ 船酔いですか~
よろしければ、薬とかいりますか~?実は私も飲んでいるので持ってますよ~」

そう言って荻沼と呼ばれた女性がピルケースから錠剤を取り出す。
良い人だ。
ちょっと見た目がおっとりし過ぎている残念美人かと思っていたが、意外にしっかりしている。

「あぁ、ありがとうございます。彼女の目が覚めたら飲ませておきます。
それにしても、護衛が護衛対象から心配されるなんて何だかあべこべですね」

そう苦笑いしながら薬を受け取る。
拓也はヘルガに薬を飲ませるが、その間にアコニーは彼女に礼を言うとそのまま談笑を始めている。
彼等とは、まだ出会って日が浅いはずだが、みんな結構打ち解けているようだった。






遡る事数日前

国後島

石津製作所

日に日に夜明けが早くなり、朝焼けに照らされる街の中
その外縁の一角を形作る港の片隅。
朝日の中の石津製作所の前に、多数の人影が整列している。
おしゃべりに講じる者、眠たそうな目を擦る者など様々だが、その全員が突如として始まった軽快なピアノの音に合わせ身なりを正す。

『腕を前に大きく上げて背伸びの運動からー』

あらかじめタイマーでセットされたラジカセから日本人になじみの深いラジオ体操の声が聞こえてくる。
時刻は7時50分。
石津製作所では10時の休憩分10分が、始業時間を10分早めることで確保されている。(書類上は8時始業だが)
操業開始から約半年、石津製作所は立派な中小企業のとしての道を歩んでいた。
そして短い体操の後、社長の拓也が前に出てくることでその日の朝礼が始まった。

「おはようございます」

「「おはようございます」」

拓也の挨拶と同時に皆が唱和する。
声がぴったり合っているあたり5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾の5つの頭文字のS)の躾が良く出来ていることがうかがえる。

「えー 年度も新しくなりまして、4月最初の全体朝礼を始めます。
皆も知っての通り、来週から私と警備事業部のメンバーで大陸の調査に向かいますが、今日はその件で皆さんに紹介したい人たちが居ます。では、どうぞ」

拓也のその合図で三人の人影が前に出る。
最初に出てきた二人は何処か普通の感じだったが、最後の一人は別だった。
髭面にドレッドヘアー、それにぎらっとした鋭い眼光。
明らかに普通じゃない…
そんな皆の注目が一人に集中しているのを無視して拓也は話出す。

「えー 出てきていただいた順に紹介します。
初めに、今回の大陸行きの護衛対象である北大から来ていただいた漆沢教授と助手の荻沼さんです」

拓也の紹介に教授と呼ばれた壮年の男性と、どこかおっとりした風体の助手の女性が会釈する。

「特に教授は農獣医学部で教鞭をとりつつ、アフリカなどでのフィールドワーク経験が豊富な逸材だそうで、国からの推薦があったそうです。
今回の我々は大陸での生態系や風俗を調査する教授の護衛です。
鉱物資源の探査は国の方が大々的に開始していますので、我々はそれ以外の調査活動がメインですね。
これから出発までの間にこちらに滞在して準備を進めますので、何か手助けが必要と思われる時は進んで手伝いをお願いします」

その後、教授たちから短い挨拶が有るたび拍手で迎えられるが、社員たちの視線は彼らには向いていない
教授たちの紹介中も自分のドレッドヘアーを弄っていたあの場違いな男は何か… 皆の意識はそこに集まっていた。

「えー そして、その横に立っているのが酌 須波朗(しゃく すぱろう)船長です。」

「酌です。よろしく」

その破天荒な見た目とは裏腹に短く丁寧に挨拶をする酌船長

「彼は、今回の大陸行きの為にチャーターした船の船長です。
酌さんは、転移前から蟹を巡ってロシアの国境警備隊相手に立ちまわっていた、日本人としては珍しい実戦証明付きの船長です。
オホーツクの蟹が不良の時は、長躯ベーリング海まで足を延ばし、アメリカの蟹漁船の縄張りを荒らしまくったというのが面白いですね。
まぁ その時、運悪くアメリカの蟹漁船を襲っているのをテレビ番組のカメラに撮られてしまったため、それ以降は貨物船に鞍替えしているそうですが、実に逸話が格好良いです。
今後も海を渡るときは船長の船を使おうと思いますので、これからもちょくちょく来社されますから見かけた際は挨拶をお願いします」

そういって拓也の紹介は締めくくられる。
え?海賊?漁師?
明らかに堅気ではない雰囲気を纏った人物の登場に皆が戸惑う。

「あぁ それと、今回の大陸行のメンバーは朝礼後に会議室に集合。
事前の打ち合わせを行います。なにか質問はありますか?」

拓也はそう言って聞きたいことがある奴は手を上げるように言うが、質問と言われても有りすぎて困る。
何から質問すべきかと皆が迷っていると、手が上がらない事に特に質問なしとみなした拓也がそれを打ち切った。

「特に質問もないですね。
じゃぁ本日も業務を頑張ってください。
では、今日も一日。ご安全に!」

「「ご安全に!」」

皆が「あぁ 聞きそびれた」と色々な事を思いながら復唱する。
朝礼は終わりだと自分の持ち場に着くよう拓也に追い散らされ、そんな皆が好奇心を満たされることなく解散させられた後
警備事業部の面々と彼らは会議室に集まっていた。





「…と、いうことで我々の向かうエリアは、軍の先発調査団の後に続き辺境伯領内を巡ることになります。
ですが、我々の調査エリアには旧亜人居留地は含まれてないので、今回は残念ながら今回は素通りです」

政府から開示された地図を元に、ホワイトボードに描いた大陸の一部を拓也は丸で囲む。

「え~~~ 故郷の様子が見たかったのに…」

アコニーが不満そうに叫ぶ。
そして、今回の大陸行予定の他の亜人達も同意するように頷いた。

「今回の契約にそのエリアが含まれてないからしょうがない。
契約の調査は現地文化風俗と生態系の調査。
人口が激減した旧居留地で風俗を調べるより、辺境伯領を調査した方が良いと言うのがお上の判断です。
まぁ旧居留地の調査は軍の資源調査隊がやるそうだけど、そのうち仕事が有れば行けるかもね。
それとも何?やっぱり故郷に帰りたい気持ちが強い?」

拓也の帰りたいかの問いに亜人達全員が考え込む。
その中で最初に口を開いたのは、不満を叫んだアコニーではなくヘルガだった。

「確かに故郷は恋しいけれど、こっちの生活に慣れた以上、もう昔の生活には戻れないわ。
電気も水道もネットもお菓子も手ごろな価格で服が買える"ファッションセンターしもむら"も無いあそこには、もう暮らすなんて無理よ」

彼女の意見に考え込んでいた全員が頷く、文明の利器と言える電化製品から、楽に安全な水が手に入る水道に安価で手に入る菓子類
それに最近はファッションセンターしもむら国後店がユジノクリルスクに出来た事により、彼らの服装に革命が起きていた。
それまでは服と言うのは高価なもので、そう何着も持っていなかった。
それが毎月のお給金から、生活費を引いた後でも何着も買える!(木綿や羊毛の供給が止まった今、合成繊維の服しかなかったが)
ヘルガ・アコニー・カノエの三人組など可処分所得の大部分を服飾費に充てている。
特にヘルガはスウェットの着心地が気に入ったのか、休日は大抵それである。
髪の毛が金髪なこともあり、少々尖ったドワーフの耳を隠せばドソキホー〒によくいそうなギャルそのものと言っていいほど日本の服飾文化になじんでいた。
ちなみに亜人達が買い物へ行くのに一番好きな所はイヲンだそうだ。
時々北海道へと渡る拓也達の荷物持ちとして同行し、そのついでにイヲンに連れて行ってもらうのが彼らの憧れとなっている。
この前など、あまりにイヲンが好きすぎて、覚えたての字で「イヲン北見店まで直線距離150km」とか勝手に看板を立てていたのには驚かされた。
そして、そんな物質面の憧れ以外で彼らの心を捉えているのが、インターネットの普及である。
ネットを使用するに辺り日本語能力は必須であるが、就業上の必要により、彼らには日本語教育が業務外で行われている。
本来は語学教育は長い時間が掛かる物だが、ある偶然とネットの組み合わせにより驚くべき速さでそれは進んでいた。


石津製作所での従業員への教育にて、語学教育が始まってから暫くしての事
頭の出来の良いものと悪いものとで習得に差が開きつつあった時期に、有る人物の提案からすべては始まった。

「社長。皆に勉学をさせるなら、いい秘薬が有りますよ?」

そう声を上げたのは、何かと騒動を起こす三人娘の一人、カノエであった。
彼女から聞く所によると一時的に記憶力を増す薬らしい。
これを飲んで授業を受ければ、効率的に理解が進むそうだ。
正直な所、ケモノ娘とロリドワーフとつるんでるオッパイの大きいだけのねーちゃんかと思っていたら、意外な特技を持っていた。
他にも魔法薬の調合が出来るとの事なので、ちょっと人事異動をしようかと拓也は思った。
こんな特技を持っているのに、部品のキット化作業(部品を製品の組み立てに必要な量をパック詰めする単純労働)をやらせておくのは勿体無い。
ちなみに、ここに来る前は何をしていたのか聞くと、「色々」と答えるだけで答えをはぐらかす。
まぁ しつこく追及して、仮にヘルスで働いてました系の返事が返ってきたら此方も気まずいので、答えたくないのならあまり深くは追及しない。
そんなこんながあり、日本語の授業前に亜人全員にその秘薬を服用させてみたところ、効果は覿面だった。
今まで、何度教えても忘れただの判んないだの言っていた某ケモノ娘を含め、全員が一度教えた個所は完璧にマスターしていく
特に漢字の勉強等、暗記が必要とされるところには効果抜群だった。
しかし、物事には光と影がある様に、この薬にも欠点がある。
薬の効果が表れている間は服用者の脳にかなりの負荷がかかっているのか、ほぼ例外なく目から生気が抜け半開きの口から涎がしたたっている。
それでいて授業内容を口の中でモゴモゴ喋って復唱しているもんだから、知らない人から見れば集団でラリッているようにしか見えない。
一発で通報されかねない光景である。
授業光景は非常に難があるが、それを補って余りある勢いで日本語を習得していく彼ら。
そんな彼らが高度化したネット社会に触れるのには、さほど時間はかからなかった。
寮に置かれたパソコンを使い、最初は此方の世界の事を調べてみたりする程度であったが、その内徐々にネット文化に毒されていく
チャットや掲示板などで外部とコミュニケーションを取り、意地の悪い輩にからかわれては煽り耐性を身に着けていく彼ら
一度、一部の馬鹿がエロサイト巡りでウィルスに引っ掛かり、使用禁止令を出したところ、寮の全員が犯人を簀巻きにして使用再開を懇願してきたときは、
インターネットの影響の大きさに大いに驚いた。


そんな出来事も有り、社内の亜人達は確実に此方の文化に染まりつつある。


「そうか… まぁ会社としては帰られると教育に費やした分だけ無駄になるので、絶対に逃がさんと思ってたからその方が都合がいい。
…って、そんな話はさておき調査の話に流れを戻すが、政府から依頼された主な任務は二つ。
一つは、教授たちの護衛による生態系(というか生物資源)の調査。
そして二つ目が、現地住民への文化調査及び此方の文化の伝播。
政府はハッキリ言ってないけど、絶対これって文化帝国主義を実践しようと思ってるね。
武力じゃなく文化による拡大。まぁ ある意味平和な生存圏拡張政策だわ」

はっはっはと笑いながら政府の意図を予想する拓也。
だが、それはおっとりとした声に遮られる。

「え~ でも~ それだと、文化の独自性が失われるんじゃないでしょうか~」

どこか抜けたように間延びした抗議の意見。
文化の伝播は、受ける側からすれば文化侵略と言う一面を持つ。

「荻沼君の言いたいことは良くわかる。
下手に干渉せずにいた方が、文化の独自性が保持されるのだろう?
学者としてはそちらが正しいように思えるが、今回の調査には札幌の政府の思惑が一枚噛んでいるから多少は我慢しよう。
なに、強い芯の通った文化であれば、機械文明の利点を吸収し、更に高次の文化に昇華する。
まぁ 我々はメインの目的である生態系の調査に尽力しようじゃないか」

「漆沢教授…」

おそらく教授も似たようなことを前々から考えていたのだろう。
荻沼さんの横に座っていた漆沢教授は、既に自分の中で回答を見つけていたのかスラスラと彼女の危惧に対して回答する。
芯の通った文化であればと言う前提条件付きの解答だが、今の北海道にはあまりそこらに対して配慮している余裕は無い。
獣医としてアフリカなどの途上国を駆け回った若かりし頃、その土地の人々と触れ合い、相手の文化に対し敬意を払う事の意味を誰よりも理解していた教授の言葉は
不確定な希望に縋るようであり、そう語る教授ははにかんだ笑顔を浮かべていたが、それにはどこか暗い影が感じられた。

「こまけぇ事は良いんだよ。
どんな事情が有ろうと仕事はキッチリやるのが俺のポリシーだ。
今話すべきことは、何時何処に何を俺は運べばいいのかという事だ」

微妙な空気を感じ取ったのか、それを打ち破る様にして、ふんぞり返りながら自分の言いたいことを言うのは酌船長。
その一言で空気が変わった事は有難かったが、その様子を見て拓也は思う。
ふんぞり返るのは良いが、机の上に足を載せるのはヤメロ…
人の会社の会議机に足を載せるという行為は気に入らなかったが、彼が流れを変えてくれたことで、その後の打ち合わせはつつがなく進行していく。
大体の概要は政府との契約により固まっていたため、話合いの内容としては大陸に渡るメンバーの紹介がメインのような感じになった。

*調査隊メンバー*

漆沢教授(団長)
荻沼研究員(副団長)

石津拓也(護衛隊リーダー:社の方針決定)
エドワルド(戦闘指揮)
アコニー(護衛その1)
ヘルガ(元行商人の為、現地情報に精通しているとして抜擢)
カノエ(魔法薬などの知識から)

その他に戦闘要員としてエドワルドの部下であるセルゲイとイワン(内務省警察から応援と言う形でエドワルドが呼び寄せた)、そして警備部の獣人が6名
最初は嫁のエレナから、社長自ら危険な大陸行に参加するのはどうかと言う意見もあったが、既に各事業部の維持だけならサーシャとエレナでも回るような体制にはしている。
それに警備部の初仕事から躓くわけにもいかないので、自分も同行すると尤もらしい説明でそれらを黙らせた。
まぁ 本音の所は元バックパッカー旅行者だった時の思い出がよみがえり、未知の大地の探検と言うイベントにワクワクが止まらなかっただけなのだが…
そして危険があると言っても、武装したエドワルド達ロシア人兵が居れば、戦闘経験の浅い亜人達をカバーするどころか、彼らだけでも十分な気もするし…


と、そんな形で会議も終わり、場面は北海道沖を航行する船へと戻る。
先ほどまでやんややんやと騒がしかった甲板も、酔い止めを飲まされたヘルガがアコニーに背負われて船室に戻った事で、船のエンジン音と波の音が支配する元の平穏な空間に戻っていた。
その静かな甲板で拓也と船長は船首から海を眺めていた。
ヘルガと同じく酔い止めを飲んだ拓也の顔色も、今では随分と良くなっている。
そんな彼らの視線の先にあるのは、緑の多い海岸線。
そして、その進路の先には、喫水の深い船でも着岸できるよう先行した軍が築いた艀を連結して作った仮設の埠頭と、停泊している輸送船が見える。

「ようやっと着いた…」

待ちくたびれたかのように拓也が言う。

「そうだな。
よし、そろそろ到着の準備をするためにブリッジへ戻るとするか。
そっちも上陸準備するよう他の連中に言っとけよ。まぁ 俺も他の連中を見かけたらそろそろだと言っておくが」

そう言って船長は拓也の肩を叩くと、ブリッジに戻ろうと踵を返す。
だが、そこで拓也はある事に気が付いた。

「そういえば船長。船長はいつワクチンを打ったんです?」

「は?ワクチン?インフルエンザとかか?」

何で今、そんな事を?といった表情で船長は拓也を見る。

「いや、アコニーやヘルガ達と普通に話てましたよね?」

「だから?」

「いや、言葉が通じるようになるのは、亜人の免疫から作ったワクチンの作用だと聞いていたので…
見れば船長普通に話せるし、ウチとの仕事の前に打ったのかなぁと」

そこまで拓也は説明するが、船長の頭にははてなマークが浮かんでいる。

「いや、そんな変なモンは打った事無い」

「…え?」

船長は何だそれはと聞いてくるが、拓也はその船長の言葉に驚いた。
ワクチンを接種する以前は確かに彼らの言葉は通じなかった。
その為、他の従業員に手当まで出してワクチンの接種に行かせたものである。
それが、船長はワクチンを接種してないのに言葉が通じている。
それでは、彼女たちが覚えたての日本語を使っていたのかと思い返すが、いや、彼女たちの発音は日本語の物ではなかった。
翻訳されて脳が認識する為、意思疎通は出来るが、発音だけを思い出してみると日本語のそれとは違う。
おそらくは、未だ政府も掴んでいない何らかの現象が起きているのかと拓也は仮定するが、一番の心配事はそれではない。

「ワクチンなしでも意思疎通可能とか… なんの為に金払ってワクチン打ったんだよ…
…まぁ、効果が出るのが数か月早かったからソコは割り切るとしても、副作用とか大丈夫か?…」

そう言って拓也は項垂れる
船長はその拓也の姿を見て不憫に思ったのか、ドンマイと声を掛け「まぁ 死にはせんだろ」と極端に楽観的な気遣いをしてくれた。
その後、船長がブリッジに戻り、拓也も「まぁ もう打っちまったもんはしょうがない」と吹っ切れ上陸準備のために船内へと消えていったのだが
この時、かれらはまだ知らなかった。

ワクチン無しでもこの世界に適応できるという事。接種者と非接種者の差異。

これらの事が、後に北海道を二分する大事件の前兆となる事を…











見仰げば木々の間から見える、透き通るような青空。
そしてその下の森の中を一直線に一本の街道が通っている。
まぁ 街道と言っても大したモノではない。
荷馬車か何かが通れるだけの幅しかない轍が続いている。
だが、それでも道には変わりない。
そんな木々に囲まれた道の上をエンジン音を響かせた車列が通過していく。
先頭は無骨な装甲車両、続いて屋根まで荷物を載せたバンにトラック、最後尾にはピックアップトラックが続いている。

「なぁ ヘルガ。随分と来たが、もうそろそろ最初の集落じゃないか?」

バンの運転席から、拓也が助手席のヘルガに尋ねる。

「この先の丘を越えたら村が見えるはず。行商で何度か来た事あるもの…」

懐かしい光景に、ヘルガはフロントガラスにへばり付く様にして前方を見つめながら拓也の質問に答えるが、その声は決して笑っていない
なぜならば、以前と山野は同じであるが、そこに住む人々は既に別物であることを上陸後に先行している軍から聞いていたからだ。

上陸後、拓也達の取った最初の行動は、先行している軍との情報交換だった。
車両の揚陸を船長に任せ軍の担当者を探すが、拓也は海岸の様子を見て驚いた。
橋頭堡を確保した軍は、海岸に調査隊の現地本部を設営し、最低限の陣地を造成すると、彼らに護衛され道内から来た土建屋が施設課とは別にインフラの整備を始めていた。
日頃の大型公共事業で腕を磨いた土建屋によって怒涛の勢いで拡張されていく施設群、そして同時進行で行われている現地調査の方も、かなり足を延ばしているらしかった。
やっと見つけた軍の担当者から聞いたところによると、この地域は紛争に対する賠償の一環で99年の租借をすることになったそうだ。
捕虜になった辺境伯は未だに北海道にいるが、彼の決定はすぐさま領地に伝達され北海道側のスムーズな進駐に繋がった。
その為、進駐に伴ういざこざも無く、既に周辺の集落は懐柔され非常に協力的らしい。
軍の担当者の言によれば、気分は日本降伏後の米軍だとか。
色々と辺境伯領に支援の予定はあるが、それらは全て勝者の余裕だと言う(実際、物資面の余裕は余り無いのだが)
更に話を聞くと、事前情報では周囲は戦乱で荒廃した亜人の居住地と言う話だったが、どうも現状は異なるようだ。
辺境伯の亜人討伐の後、殺されたり故郷を追われた亜人達に代わり、かなりの数の人族が入植してきているらしい。
亜人達の故郷は、既に彼らが知る物とは様変わりしていたのだった。

そんな事前情報があったため、懐かしい土地を見ても彼女の表情が晴れることは無い。
恐らく、故郷が人族に占拠されている姿を想像しているのだろう。
そんな彼女発する空気を読んで、少々暗くなってしまった車内を何とかしようと拓也が思っていると、先頭を走るBTR-80装輪装甲車から無線で連絡が入った。

『社長ぉ!前方に軍の設置した気球が見えます!もうすぐ到着ですよ』

その無線の通り、丘を登っていくと、その頂上から遠目には小さな気球が浮かんでいるのが見え始めた。

「お、見えてきたな。ヘルガ、ちょっと俺のタブレットPC取ってくれ。ネットワークに繋がってる?」

気球を視認した拓也は、ヘルガにタブレットを確認させる。
スリープを解除したタブレットには、ネットワークに繋がっていることを示すマークがついていた。

拓也達が視認した気球は、只の気球ではない。
気球無線中継システム
本来は災害時、ネットワークが寸断された時の為に道内各地に配置されていた物だった。
2010年代の中ごろに災害対策として全国に配置されたこのシステムは、10年の歳月をかけて改良され続け、更なる進化を遂げていた。
気球は2種類の通信機器を搭載している。
一つは半径5km以内の末端機器と通信し、もう一つは他の中継システムと通信している。
これは近くに基地局が無くても他の気球を介して情報が伝達され、ネットへの接続が可能となっている。
本来は災害用のシステムであったが、未開の地での通信用装備としての有用性を見いだされ、各集落に設置されることとなっていた。

「社長、ちゃんと繋がってます。それにしても、こちらでもネットに接続できるとか夢のようですね」

「だからって、あんまり変な情報をネットに流すなよ。政府から目を付けられるから」

「わかってますよー」

調査隊の一員として大陸に渡ってきたヘルガだが、その大陸でもネットにつながる事を確認すると、さっきまでのシリアスな表情から一転して笑顔になる。
ネットの有無で士気が激変するあたり、もう中毒なんだろうと拓也は思った。
運転席から横目でみると、人のタブレットPCを勝手に使って『大陸でネットなう』とか打っている。
それを見て「就業中にネットで遊ぶな!」と怒ろうと思ったが、それはこちらが怒るより先にヘルガの「集落が見えましたよ!」の声で掻き消された。
車列が丘を越えたため、前方に畑に囲まれた集落が広がるのが見えたのだった。

「おぉ、拓也君!着いたかね!?」

景色が変わったのと同時に歓喜を帯びた声が車内に響く
後部座席に座っていた教授は、嬉々としながら前方に身を乗り出してきたのだ。

「そうですねー。見たところあまり大きな集落じゃないようですがー… おっ 村の手前の畑に第一村人発見!
教授、声をかけます?」

「是非ともそうしてくれ」

教授の言葉にラジャーと拓也は朗らかに答え、拓也達の車列はしばらく道を進んだ。
そうして、街道の脇の畑で鍬をふるう男の近くまで近づいた所で車列を止めた。
普通、見慣れない連中が接近してきたら、逃げるなり警戒するなりすると思うのだが、意外にも男には警戒した様子は無い。鍬を立てて此方の様子を見ているだけだった。

「すみませーん」

車から降りた教授と拓也らは、数人の護衛と共に男に近寄っていく。

「なんでぇ、またお前らか。用があるなら村長の所に行ってくんろ」

男は手拭いで汗を拭きながら集落の方を指差す。
この村に来たのは初めてなのだが、男はうんざりした様子で答える
そんな、男の意外な反応に漆畑教授はどういうことかと聞き返した。

「また?我々は初めてこの村に来たんだが…」

「ん?お前ら、村にあの浮かぶ変なの置いていった奴らの仲間でないんか?
そんな変な乗り物に乗ってるから、てっきり仲間だと思ったんだが…」

「あぁ それは軍の先行隊の事だな。
まぁ 仲間って言ったら仲間か。系統は違うんだが、同じ国から来たんだよ」

「そんなら、やっぱり村長の所に行ってくれ。
おらぁ今、これからカブ畑を開墾するのに忙しいんでよ」

そういって、男は鍬を手に取ると大きく振りかぶる。
ガっという音と共に種蒔き用の溝が掘られていくのを見て、教授の後ろに控えていた拓也が声を掛けた。

「はぁ カブねぇ… 他には何を作るんです?」

今では工場経営をやっているが、元は農家の次男。
拓也も新世界の農業には少々の興味があった。

「うん? そうだな。麦、カブ、それからジャガイモやカボチャとかの野菜だな。
今から作付するカブは、冬にやる羊の餌だよ」

それを聞いて拓也は少し考えてから教授に耳打ちする。

「教授… 聞きました?」

「ん?あぁ 聞いてたよ」

「自分はてっきり、暗黒時代のヨーロッパ的な農業を想像してたんですが、断片的な情報ですが既に混合農業レベルの事をやってそうですね。
それに、カボチャとかジャガイモとか… あれって自分らの世界では南米原産でしたよね?
一体、こっちの植生ってどうなってるんでしょうか」

「わからん。だが、分からんからこそ知的好奇心が湧いてくるものじゃないかね?後で家畜も見せてもらおう」

「そうですね」

そこまで拓也は教授と話すと、拓也は再度男に向かって話かける。

「すいません。出来れば、羊とか家畜も見せて欲しいんですが、大丈夫です?」

「うーん… それは構わんが、まずは村長に聞いてからにしてくれ。
今なら丁度、家畜小屋の拡張作業しているはずだよ。
いやー、亜人から土地を奪っておいて何だが、奴らの家畜小屋は小さくて駄目だ。
やつらは馬鹿だから、いつまでも時代遅れの農法でやってたんだろうな。
教会を拒否するもんだから、いつまでも新しい農業が広まらん。全く馬鹿な奴らだよ」

男は、亜人を馬鹿にしたように笑うが、それを聞いていた拓也らは作り笑顔のまま笑えない。
後ろの車列にその亜人がわんさかいるのに、一緒になって笑っていたら何されるかわからない。
そんな中、不意に背後でカシャっという金属音がしたので振り返ると、装甲車の砲塔から半身を乗り出したアコニーが、AKのコッキングレバーを引いて装弾を確認している。

『撃って良いですか?社長』

レシーバー越しに聞こえるアコニーの抑揚のない声

「駄目だ!撃つなよ。絶対に撃つな!」

拓也は、慌ててレシーバーを使って自制を求めるよう言うが、良く見れば他の亜人達も目が座っている。
元々ここは奪われた彼らの土地であるうえ、馬鹿馬鹿と言われて、かなり頭に来ているうだ。
拓也は、ファーストコンタクトでトラブル起こすのは本当に止めてほしいと思い、目の前の農夫がこれ以上何か言う前にさっさと立ち去ろうと決めた。

「じゃ、じゃぁ言われた通り村長に会ってみるよ。色々ありがとう」

そう言って、拓也らは農夫の返事を待たずに逃げる様に踵を返す。
そして、車に戻る途中、拓也は教授に並んで歩きながら小声で話かけた。

「教授、コッチの都合で申し訳ないんですが、早く辺境伯領に向かった方が良いですよ。
みんなやっぱりピリピリしてるし…」

「う~む… 仕方ない。騒動を起こされたら後々困るし、ちょっと家畜を見せてもらってから出発するか…
本当は現地の風俗とかも堪能したかったんだが」

「それは、もう少し時間が経ってからにしましょう。
今はまだ、彼らの精神的な傷が癒され切っていないので…
彼等も、こっちより北海道の文明に留まる方が良いと思っているから自制していますが、そうじゃなかったら何が起きたかわかったもんじゃないですよ」

「そうだな。今回は触り程度にしておくか…」

そう言って彼らは車内に戻り、村長の居所を教えてくれた農夫に手を振って村の中へと向かう。
村は、畑に囲まれた中心に家や村の共同の建物が立っている小さなものだった。
それも入植者たちは亜人達の建物をそのまま利用しているようで、未だ入植から間もないと言うのに既に村としての体裁を整えている。
そんな集落の中でも、探している村長の家はすぐに見つける事が出来た。
なぜならば他の家に比べて若干大きい(おそらく亜人の集落だったころから集落の長が暮らしていたのだろう)のと無線用の気球から繋がれた索が家の横に置かれた機材に繋がれていたので良く目立った。
そして、目当ての村長の方も、拓也達の車列が村の中に入るなり、聞きなれない複数台のディーゼルエンジンの音を聞いて、母屋の裏から飛んで出てくる。
音の発生源の拓也達を見るなり、一人近づいてくる白髪で髭を生やした痩身の老人。

「わしはこのトーレス村の村長をやっている者じゃが、あんたらは何の用じゃ?」

"最早何が来ても驚かない"といった表情で、村長が開口一番に発したのはそんな言葉だった。

村長に聞く所によると、拓也達の前に来た軍の調査隊は、村長に付近に何か知っている資源が無いかどうかを聞いた後、村長の許可を得て例の気球や電源としてのソーラーパネル等を設置していったそうだ。
それも土地の使用料という事で、小麦や砂糖といった食糧やラジオなどの機械を代価として置いていったそうだ。
初めてみる車や通信機器など、最初は色々な物に驚いていたそうだが、何隊かの調査隊が通過するうちに、いちいち驚くのにも疲れたそうだ。
いまでは、見るもの全てをあるがままに受け入れようと悟りの境地に達しているらしい。

「まぁ そんな事で、お主等の国の人間には色々と必要な物を貰ったからの、家畜ぐらい幾らでも見せてやるさ。ついてこい」

そう言って、村長は踵を返すと拓也達に付いてくるよう言う。
拓也達は車を降りると村長の後ろを付いていくが、ふと途中で村長の家から歌が聞こえてくるのに気が付いた。
開いたまんまの戸口から家の中が見える。
そこにあったのは台座の上に置かれたラジオとその周りを囲む子供たち。
流石に大人達は働きに出て行っているようで姿は見えないが、まだ幼い子供たちは目新しいラジオに興味津々らしい。
どうやら、文明の機器であるラジオは彼らの心を捉えたようだ。
ラジオから流れる音楽に子供たちは皆笑顔で聞き入っている。

「教授~。子供たちがラジオの歌を聞いてますよ~。何を聞いているんですかね~」

「う~む。私は流行の歌には疎くてね… それにしても政府は色んな物資で住民の懐柔を行ってるな。
物資統制下で配れるものは限られるとはいえ、実に効果的に彼らの心を捉えている」

「簡単なラジオなら部品も少ないですしね~。それに砂糖なら道内で大量に作ってますし、小麦も自給可能なレベルですから、コッチにばら撒いても平気ですしね~」

「うむ。特に砂糖は道内需要の6倍も生産力が有るからなあ…って荻沼君、見えたぞ」

村長に導かれるままに母屋の離れに来てみると、そこは一面白と茶色のもふもふであった。

もふもふもふもふ…
ふわふわの毛の塊が平べったい団子の様になっている
柵で囲われた大量の羊。白や茶色の毛をした羊が大量にいた。

「おぉ 羊が一杯いますよ。一体、何匹くらいいるんですかね?」

拓也の感嘆の声に村長は少し機嫌よさげに答えてくれる

「ここには100頭くらいかのう。
元々この小屋にいた家畜は、兵士たちに食われちまっとるが、今いる羊の為にこれから家畜小屋も広げてもっともっと数を増やしていこうと思うとるんじゃ。
沢山の家畜を飼う事が、ここに来る前からの夢じゃったからのう」

そう言って、うんうんと村長は頷いて夢を語る。

「しかし、村長。この羊たちは入植時に連れてきたのですか?小屋に入らないとなると結構な数を持ってたんですね」

家畜小屋に入りきらないという事は、もともといた家畜より多い数を何処からか連れてきたはずだ。
教授は柵に囲まれた羊たちを見て言う。

「いんや、わし等は入植民は大概が水飲百姓だったよ。
わしの親父の代の時に、教会から新しい農法やら北の帝国で栽培されている作物が紹介されてな。
口減らしするほど食う物に困らなくなってからは、人が増えすぎて働ける畑が足りなくなっての。
街に出ても仕事は無いし、農村に残っても人は余ってるから地主の所で汗水たらして働いても給金は雀の涙。
それでも人が増えるから、楽に稼げる野盗に身を落とす奴もかなりに数になってな。
飢え死にはしない程度に貧しい民が増え、野盗がいくら潰しても湧いてくる有様を見かねた前の領主様が、この地を征服してわしらに与えてくださったんじゃ。
それも、入植者の為に羊を買い集めて貸し与えて下さるという心遣いには、みんな泣いて感謝したよ。
1家族に付き10頭。ここの村では10家族で100頭の羊じゃ。今は村の羊をまとめて飼育して増やしての、早く領主様に借りた分の羊をお返ししようと頑張っているところじゃよ。
聞く所によると、亜人征伐の途中で領主様は亡くなられたそうだが、この恩は辺境伯家へ絶対に返すんじゃ」


そう言って村長は幸せそうな笑みを浮かべる。
その後、教授らが家畜の種類や健康状態、畜産のスタイルを確認し、村を離れるまで村長は終始笑顔であった。
拓也達は調査対象を調べ終わると、村長に礼を言って車列に戻る。
そして、いざ出発と言う時にも、村長は見送りに村の入り口まで来てくれた。

「おう、お主ら。
辺境伯領に行くなら盗賊に気を付けるんじゃ。
今は戦の後で兵隊の警備が手薄なのと、故郷を追われた亜人の盗賊が復讐に領内を荒らしているって噂がある」

「はぁ ありがとうございます。
でも、盗賊とかが跋扈しててこの村は大丈夫なんですか?」

拓也は、礼を言いつつもこの村の心配をする。
そんな亜人の盗賊が暴れまわっているなら、真っ先に入植地が狙われそうな気がするのだが…

「わしらは武装して入植してきたからな。
そんじょそこらの村よりは、武器が充実してるよ。まぁこれも兵隊の使ってた中古品を領主様がくれたんじゃがな」

「屯田兵みたいなもんですか… わかりました。では、また帰りに寄ると思いますが、我々はこれで失礼します」

そういって拓也が手を振るのと同時に車列が動き出した。
村長は車列が見えなくなるまで見送ってくれたが、見送られた当の車内では、不穏な空気が流れていた。

「社長。やっぱり、どんな事情を聞こうが彼らに感情移入は出来ません。
私たちの土地を奪ったという意味で、私たちから見れば彼らも盗賊と大差が無いですし…」

そう不機嫌そうに語るのは助手席に座るヘルガ。
彼女には拓也らが村長から聞いた話を話てみたのだ。

「やっぱり、遺恨の根は深いか…」

「当たり前です!
私はまだ、仕事が工房の生産物を売る行商だったからこの程度の怒りですが、元々地場にべったりで畑やってた人たちの怒りはこんなもんじゃないと思いますよ。
アコニーとか、ここから見ても目が怖かったですし」

「どうにかならんもんかなぁ… 教授、こりゃ北海道開拓期のアイヌもこんな感じだったんでしょうかね?
いや、なんでそんな事聞くかって言うと、北海道の農家って大抵が内地からの入植者でしょ。
自分の実家もその家系なので、夢を抱いて入植してきた彼らの気持ちも何となくわかる気がするんです」

そう言って拓也はどうにもならないものかと尋ねる。

「う~ん、どうだろうかな石津君。
北海道の場合はアイヌを追い出して土地を奪ったというより、彼らを同化させ大自然と戦いながら開拓したという感じだからな。
まぁ 彼らの狩場を奪って文化を破壊したという点は侵略と変わりはないが…
だが、コッチの場合は、住民を完全に追い出して入植を行っているから、ガザ等のパレスチナ情勢に近い気がする。
まぁ 何にせよ火種になるのは間違いないよ」

拓也達は、平穏そうに思えない亜人達の未来を想像して表情が曇る。
難民と入植者の紛争… まぁ 自分の会社的には儲かりそうであるが、社員の精神安定を考えた場合、あまり歓迎されないのは明らかだった。







拓也達が大陸でそんなやり取りをしている頃、辺境伯領の中心都市プラナスでは王国と北海道側の交渉が行われていた。
もっと正しく補足するならば、プラナスが接する湾の上、北海道側が用意した船上である。
その転移前は太平洋を行き来したフェリー内に特設した会議室に両国の代表が集まっている。
北海道側の鈴谷宗明を団長とする交渉団と、王国側のロドリーゴを団長とした交渉団が対峙する様にテーブルに座っている。

「何度も言うようだが、平和を愛する我々としては停戦する事には異存はない。
だがしかし、この要求は断固として受諾しかねる!」

ドンッとロドリーゴは握りこぶしでテーブルを叩く。
数日前から始まった停戦交渉は、ヒートアップしたまま平行線をたどっていた。
双方が譲らない懸案…
それは辺境伯領の処遇であった。
王国側としては領主が王殺しという大罪人の為、改易してその領地を取り上げる算段であるが
北海道側としても今回の騒乱の責任と礼文の賠償を辺境伯領から求める為、取り潰されるわけにもいかない
(最も、礼文と北海道西方沖での紛争の責任者であるゴートルム王と辺境伯領は死亡しているため、損害賠償のみになる予定だが…)
そして何より、アルド亡き後、辺境伯領の家督を継ぐべきクラウスは北海道で虜囚の身である。
それも北海道の技術を身に着けようと日夜勉強に励んでいる。
北海道の後ろ盾を得た自領発展を夢見るクラウス。
辺境伯領を資源の供給源及び将来の市場と見込んで大陸への足掛かりとしたい北海道連邦政府…
当然の事として、改易を素直に受け入れるわけは無かった。

「今回の紛争により、我々は多大な損害を受けた。
戦費に加え、領土の一部を焼き払われたのだ。損害賠償を求める権利がある」

鈴谷は睨みつけるようなロドリーゴの視線を真っ向から受け止めて応える。

「それについて、我々は降伏したわけではない。
支払いは一切拒否する。
それに、このエルヴィス辺境伯領の独立承認という要求は何だ!?
改易の決まった辺境伯領を安堵して、王殺しの大罪を見逃せと言うのか?」

「この件について、そちらの法はどうなっているかは知らないが、我々の価値観では罪は犯した者が償うべきで、その家族が背負うべきものではないと考える。
それに辺境伯領では現当主であるクラウス・エルヴィス氏の許可の下、我が軍の調査隊が既に多数上陸している。
仮にそちらが武力にて辺境伯領を制圧した場合、何かの手違いで戦端が開かれるのはお互いにとって不幸な事態になる可能性があり
よって、王国側には調査隊の安全を確保するために辺境伯領の独立を承認し、今後は不干渉の姿勢を取ってもらう必要があると我々は考える。
なお、この独立は、改易の命令を拒絶したクラウス・エルヴィス氏の提案である。
まぁ そちらが改易を取り下げ、我々の活動に不干渉を確約するのならば、我々の要求もまた違ったものになるが…」

鈴谷が含みを持たせた物言いでロドリーゴに対峙する。
つまるところ、辺境伯領は既に俺たちが手を出しているから関わるなという事である。
それに、北海道側は先の戦勝の影響が残っている内に大々的な資源探査を認めさせ、紛争の賠償金として道内の産業を生き返らせるための資源開発を行うつもりなのだ
その為には調査隊の安全と友好的な地域の確保が必須となる。
亜人の居住地も飲み込んだ広大な辺境伯領内での自由の確保は、まさに北海道存続への第一歩だった。


「そちらの価値観など関係ない。これは我々の問題だ。
それに軍が上陸だと?停戦を呼びかけながら、戦線を拡大しようというのか!」

鼻息を荒くしてロドリーゴは鈴谷に問い詰めるが、彼は涼しげな顔色を崩さない

「別にこちらに領土的な野心はありませんよ。
我々は此方の世界に来て日が浅い。よって此方の事をより理解する為にも色々と学ぶ必要がある。その為の調査隊です。
だが、しかし彼らも自衛のために武装はしていますから、手を出された場合、そちらの安全は保障できない。
なぜならば、既に先の戦闘で我々の力の一端を垣間見たと思われますが、我が軍は航空兵力と同じく陸上兵力も同様に精強ですから」

「ぐぬぅ… ふん!だが、我々の竜人部隊の再編もすぐに完了する。
いかな精強な軍とて、竜の対地攻撃からは逃れられまい」

ロドリーゴは鈴谷の恫喝とも取れる物言いに昂ぶる気持ち抑え、平然たる態度で手持ちの竜人部隊のカードを切るが、その胸中は複雑であった。
なぜならば、竜人部隊の再編は完全なるブラフであり、未だ再編のめどは立っていない。
その上、箱舟の修理も終わらず、諸侯の軍勢が所領に戻ってしまった(辺境伯領の占領の為に)今、早急な軍の動員は出来ないのが現状であった。
例えブラフだろうと外交は舐められたら負けである。
ロドリーゴは、王国の実情はどうあれ決して侮られるような態度は見せない。

「ふむ、何か勘違いをなさっているようなのでもう一度言わせてもらいますが
我々の辺境伯領での活動は、侵略ではなく辺境伯の許可のもとに行っている調査である事を忘れないでいただきたい。
我々は、不要な戦線の拡大は望んでいない。
降りかかる火の粉は完膚なきまでに叩き潰すが、寛容な態度には寛容で対応させていただく。
具体的に言えば、そちらがエルヴィス家の改易を取り下げ、辺境伯領の周囲で蠢いている軍を引かせれば、強硬に辺境伯領の独立を要求することは無い」

「辺境伯領周囲の軍だと?」

「我々の偵察によれば、周辺のエリアに複数の軍が準備を重ねている事が確認されている」

先の戦闘後、諸侯には目立った損害は無い。
そんな彼らは、王家の統制が低下したこともあり、独自の軍事行動を開始していた。

「それは諸侯が改易後の分割を当て込んで行っていることだ。王軍の指示ではない」

「それを止めて頂きたい」

鈴谷は食い入るようにロドリーゴを見つめ要求する。
確かに北海道側の装備であれば陸戦に於いても王国側の軍を易々と討ち滅ぼすだろう。
だが、それを行う遠征には兵数も兵站も全てが足りていなかった。
局地戦で片付けばいいが、仮に深みにはまり、泥沼化すれば占領地を確保できるほどの兵は居ない。
それに空軍の備蓄弾薬は先の戦闘により底を尽きかけているし、大規模な遠征は、物資統制経済の微妙なバランスの上で命脈を保っている北海道の産業に深刻なダメージを与えかねない。
何より今回の紛争で国民にある種の一体感が芽生え始めた事に危惧した左派やリベラルが、今まで以上にメディアを使って厭戦気分を醸し出す攻勢を行っている。
王国側の継戦能力の低下分以上に、北海道の継戦能力は物資の面でも世論の面でも深刻な問題を抱えていた。

「…既に改易の布告は行われている。今さら撤回しても間に合うとは思えん」

「諦めは行動の前に言うべきではない!これ以上の紛争拡大が望みでないのであれば、最善をもって事に当たるべきだ。
王国が諸侯を束ねているんじゃないのか!?」

ロドリーゴの諦めたような物言いに鈴谷が強い口調で問う。
その鬼気迫る表情にロドリーゴも多少気後れしつつも反論する。

「我々としてもこれ以上の紛争拡大は望んではおらぬが、辺境伯領改易に介入してきたのはそちらだろう?
それに王は諸侯の上に君臨するが、諸侯の軍の指揮権はあくまでも諸侯にある。王の死により王家の権威が失墜しつつある今、どれだけの諸侯が命を聞くか…」

ロドリーゴは、ハっとする。
権威の失墜…この問題について日々悩み、心労がたたったからだろうか
つい愚痴のように敵の前で王家の内情について口を滑らせてしまった。
本来なら自国に不利になる情報はあえて出す必要はない。
ロドリーゴは内心激しく後悔していたが、幸か不幸か鈴谷は別の情報について考えていた。

「う~む… このまま諸侯が止まらないとなると、我々は再度矛を交えなくてはならなくなりそうだ。
諸侯を止められぬ代償は… 覚悟していただきたい」

眉間を抑えながらしばし考え込んだ鈴谷が、ロドリーゴを睨みながら言い放つ

両国とも様々な問題を抱えこれ以上の戦乱の拡大は望まない
だがしかし、そんな両国の願いとは裏腹に、北海道に絡みつく戦乱の雲は、未だ晴れそうになかった。



[29737] 大陸と調査隊編2
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:16
大陸のとある街道。
未だ初夏だと言うのにガンガンと照りつける太陽によって、ジリジリと焼けるような暑さの中
一台の荷馬車がゴトゴトと荷物を揺らして、岩がゴロゴロし草が生い茂る荒地の中を突っ切る道を進んでいる。
御者の席に座る男は行商人という風体で、その横には用心棒らしき、がっちりとした体格の男が座っている。

「しっかし、あちぃな…」

用心棒と思われる男が、汗を拭きながらだれた様に悪態をつく。

「暑いのはこっちも同じですよ。
それでも、最近は戦やら何やらがあったせいで色々と物騒な話も聞くんだから、しっかりしてくださいよ」

行商人も汗を拭きつつ、横目で男を見ながら言う。

「なんだぁ?この俺様の腕が信じられないってか?
俺の剣にかかれば、盗賊の10人や20人あっという間に切り伏せてやるよ!」

どうにも話を盛る傾向にある男の話を聞き流しながら、行商人の男は「はいはい」と相槌を打って手綱を捌くことに集中するが、その顔はどこか不満そうだった。
そもそも、辺境伯の領内は他と比べて治安が良く、あまり盗賊に警戒する必要が無かった。
だが、昨年の亜人の地への遠征後、目に見えて治安が悪化している。
彼が他の商人仲間から聞いた話によれば、本来ならば遠征に投入された兵士が、情勢が安定するまで彼の地にて治安維持にあたる予定だったが、その兵力の大部分が北の帝国との国境線に動かされたそうだ。
その結果、故郷を追われた亜人の一部が盗賊化し、復讐のために領内を荒らしているそうだ。
男はそんな話を思い出しながら、想定外の出費となった用心棒代を恨めしく思い、横に座る男をジト目で見る。
しかし、暑さでダレ始めた用心棒の男は、そんな視線にはお構いなしといった感じで、手拭いで汗を拭いていた。

「お? おい、旦那。前方に変なのがいるぜ?」

「え?どこだって?」

「ほら、あの木陰」

行商人の男は、ダレているようで一応きちんと周囲に気を配っていた男に少々感心したが、意識はすぐさま前方に移す。
男たちは何が起きてもいいように、装備を確認しながらゆっくりと荷馬車で近寄っていく。

「なんだあ?ガキの行き倒れか?」

見れば木陰に、一人の子供が蹲っている。

「なんだってこんな所に… あやしいな…
旦那、どうする?荷馬車じゃこんな岩だらけの所を迂回できねぇし、一旦戻るか?」

人里からこんなに離れた所に子供が一人…
乞食か行き倒れか…それにしては怪しすぎる。
男は、盗賊か何かの罠である可能性を考え、行商人の男にどうするのか問う。

「今から戻って迂回路を探していたら、約束の期限までに商品が届けられない。
どうにか、このまま行けんのですか?商人は信用が第一なんだよ。
それに、あんた言ってたじゃないか。
自分が腕が立つだの何だのと… ありゃ嘘かい?」

「んむ… 嘘じゃねぇ!俺が強いのは本当だ。決してビビってるわけじゃねぇ
俺はどうするか雇い主であるあんたに聞いているだけだ。」

「なら、このままいこう。
一応、いつでも駆け抜けられるようにしたいから、後ろの荷物の固定は確認してくれますか?」

そうして男たちは、警戒しつつも木の陰でうずくまる子供を素通りしようとするが、丁度真横を通過しようとしたところで、行商人の男はその子供とめが合ってしまった。

「たす… け…て…」

商人にしては人の良すぎた彼に、その言葉は良く響いてしまった。
男は子供から少し通り過ぎたところで荷馬車を止め、用心棒の男に言う

「なぁ ちょっと様子を見てやりましょう。
どうにも何か事情がありそうだし、見たところ、そこそこの身なりをしているし乞食とは思えない。
それに盗賊どもの罠なら、もうとっくの間にやられているはず…」

行商人の頼み込む視線と説得に、用心棒の男も嫌そうな顔をしつつも渋々答える。

「えぇ? 俺としては、あんなガキ放っておいて先に進みたいんですがね。
まぁ 雇い主の願いってんなら仕方ない。
だが、俺が様子を見てきますんで、旦那はいつでも逃げれるようにそこを動かないでくださいね」

行商人の男は「すみませんね」と一言言い、用心棒の男も腰の剣に手を当てながら馬車から降りて子供に近寄っていく。

「おい、坊主。一体どうした?」

男は座り込んでいる子供に声をかける。
みれば帽子を深くかぶっている為、男児か女児かの区別はつかないが、そこそこキレイな服装をしている。
そして、男の接近に気付いた子供は、力なく口をパクパク動かして何かを言っているようだが、男の耳まで声が届かなかった。

「あ?なんて言った?
もっと大きい声で言わんと聞こえねーぞ」

男は腰の剣に片手を置いたまま、片膝をついて子供に聞き返す。
そうして男の顔が、子供の手の届く範囲に近づいた。その時だった。

「WHOOOOEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEP!!!!」

まるで地獄の底から湧きだしたような不気味な雄叫びがその場に響く。
思わず身が竦んでしまった男は、雄叫びの主を探して振り返るが、そこで男は気づいてしまった。
周りを見渡そうと振り向いた瞬間、目と鼻の先にいた子供の手が素早く動き、そして自らの首から鮮やかな血潮が噴き出した事を。

「おま…ぇ… ゴボッ…」

男は血泡を吹きながら崩れ落ちる。
そして見た、先ほどまで弱っているように見えた子供がナイフを片手にスラリと立ち
立ち上がった股の隙間から茶色のブチが入った尻尾が垂れているのを

「ケケケケケケケケ! ねーちゃん!やったよ!」

そう言って顔に付いた返り血を拭いながら子供は笑いながら叫ぶ

「な!?亜人!」

子供は幼さの残る亜人の少年だった。
人相が分からないくらい深くかぶっていた帽子は、用心棒の首を掻き切った時に飛んでしまい、その頭には茶色く大きな犬のような耳が有る。
亜人の盗賊… 行商人の男がハッと気づき、すぐさま逃げようと手綱を手に前を向くが
そのときには既に全てが遅すぎた。
進路、退路ともいつの間にか現れたナイフや短剣、弓で武装した様々な種族が入り混じった亜人達に囲まれている。
もし、強引に荷馬車で突破を図ろうものなら、忽ち彼らの矢で殺されてしまうだろう。
男の顔色が絶望に染まり、恐怖で体をすくませていると、一人の亜人が男の前に出てくる。

「人族のおっさん。ついてなかったね。
命か荷物、好きな方を選びな。
おっさん個人には恨みは無いが、あたいらは人族のクソ共に十二分に恨みが有るんでね。
仮に荷物を選んだら惨たらしく殺してあげるよ。
まぁ 命を選んでもダークエルフの人買い共に売っぱらうんだけどね。
さぁ?どっちにする?」

そう言って一人のブチの入った茶色い尾と耳のある亜人の女が男に言う。
恐らくこの盗賊どもの頭だろう。実に堂々とした風体だった。
"上手くいった"女はそんな表情で不敵に笑い、それとは対照的に行商人の男は女の言葉を聞き、全てを諦めて捕縛される道を選んだ。

「ねーちゃん。手筈通り用心棒のおっさんを始末したよ!」

行商人の男をふん縛り、荷台に投げ入れたところで、女の元に先ほどの少年がかけてくる。

「おーよしよし。あんたはデキる弟だねぇ」

そう言って女は少年の頭を胸に抱き、そのまま頭をワシャワシャと撫でまわした。

「あはは。ねーちゃん痛いよ」

「あぁ すまなかったね。
しかし、あんたの演技は良かったね。それに仕事の手際もいい。
こりゃ、ちょっとご褒美やらないとね」

「ご褒美!?」

女の言葉に少年は目を輝かせる

「そうだね。次に襲う予定の村で、あんたの気に入ったものが有れば、好きにしていいよ。
やっぱり、ちょっと早いけど綺麗どころの村娘を捕まえて筆卸しといくかい?」

女はニヘラと笑って少年に言うが、対する少年は顔を真っ赤にして首を左右にぶんぶんと振った。

「女の子なんていらないよ!何言っているんだよ。ねーちゃん!」

「おー 照れちゃって。耳まで真っ赤なのが可愛いなぁ」

そういって女は、少年の頭を撫でまくる。
そして心ゆくまで少年を弄った後、周りの亜人達に向かって言った。

「よーし、お前たち。
とりあえず、奪った荷馬車とコイツを連れて、いったん隠れ家に戻るよ。
チビ達とジジババが腹空かして待ってるからね。さぁ しゅっぱーつ!」

そうして亜人達は、身ぐるみを剥いだ用心棒の死体を道の脇に隠すと、奪った荷馬車共々去ってゆく。
辺境領の治安は、目に見えて悪化しているようであった。





一方、そこからさほど遠くない他の街道では…

「教授!やはりラム肉には松雄ジンギスカンのタレですね」

「そうだな。オーストラリア産の羊肉の輸入が無くなってから久しぶりに食べたが、やっぱり野外で肉を食べるのはジンギスカンに限る」

「そんなにがっつかないでください教授~。肉なんて~一頭丸ごと有るんですから~」

拓也達一行は、調査の途中で立ち寄った村で仕入れて羊を使い現地家畜食味調査という名のBBQを行っていた。
この大陸に広く流通している羊は品種改良の進んだ元の世界の品種とは違い、より原種に近い中央アジアに見られるような品種であった。
羊の群れを見ながら拓也が漏らした「あれって、味はどうなんですかね?」の一言と、突然の教授の思い付きにより拓也達一行は街道の脇で急遽大試食会が始まったのだった。

「それにしても、羊も美味しいですが、あのデッカイ鳥も美味いですね」

拓也がそう言って箸の先で地面に横たわる5m近い巨大な鳥を指差す。

「うむ。前の世界のモアに近いようだが、これだけジューシーで美味ければアボリジニに食い尽くされて絶滅したのも頷ける。
アコニー君やヘルガ君達は大陸時代にはこんな美味いものを良く食べていたのかね?」

そういって豪快すぎる山賊焼きを頬張る教授の質問に亜人たちは首をブンブンと左右に振る。

「普通、走り鳥なんて食べないですよ。
足が速い上にでデカくて強いし、狩をするには危険が大きすぎます。
もっと小さくて温和な種だと、今度は移動手段として重宝されますから食べるなんて殆ど無いですよ。
今回私たちが仕留めれたのだって、強力な武器があってこそです」

そう言ってヘルガは串焼きにした鶏肉を持ちつつ巨大モア(仮)の頭を蹴る。
そんなヘルガの蹴りにも動じないほど大きな頭。
だが、その鳥の頭は、嘴から上が無くなっていた。

「社長。それにしても凄いですよ。
BTRの14mmで撃ったら、こんなでっかい走り鳥も一撃ですもん。
これなら、大王馬とかも余裕かも」

アコニーが、ジンギスカン鍋から肉だけ選んで取りながら笑って言う。

「大王馬?」

「でっかい馬ですよ。
肩までの高さが、この走り鳥と同じくらいで、頭まで含めたらもっと大きいです」

「…そんなにデカイ野生動物がいるのか。この大陸には…」

拓也はアコニーの説明に少し唖然となりながらもその話を聞く。
少なく見積もって5m以上の馬。
ファンタジー過ぎる…

「でも、草ばっかり食べてる連中ですから大人しいですよ。
恐ろしい肉食獣は人間の魔術師とかが徹底的に狩っちゃったので、殆どいなくなっちゃったそうだけど。
そうだよね?カノエ」

「えぇ、毛皮や名声目当てに人族がパーティを組んであっちこっちで凶暴な獣を狩りまくった為、今では殆ど姿を見ませんわ
世界の創世から、一体何種類の動物たちが人族に絶滅させられたことか…」

へぇ~と感心しながら拓也は彼女らの言葉を聞く。
どうやら此方の世界にも当然の如く人間によって絶滅させられる動物がいるらしい。
拓也は、どこも同じだなと思いながら聞いていたが、どうやらそうでない人物もいたらしい。

「石津君…」

急に真面目な顔をして教授が拓也のほうを向く。

「こうしてはおれん。まだ見ぬ種が絶滅する前に、調査を再開しよう」

そう言ってそそくさと食器を片付けだす教授に、拓也はえぇ?!と驚く。

「でも、教授。
今から探すったって、片付けしてからじゃすぐに日も暮れちゃいますよ?
それに何が絶滅寸前かも分らないじゃないですか?」

そう言って拓也はチラリと横たわる巨鳥の死体を見る。
自然保護も分るが、目に入った鳥を食っちまおうといい始めたのは教授じゃないか。
もし、カノエ達が何も言わなかったら、絶滅危惧種だろうと胃袋に治まっていた気がする。

「何が絶滅危惧種かわからなくても、目に入る全てを調査すればそれで記録は残る。
分ったらさっさと準備に入りたまえ」

「うええぇ~…」

教授以外の全員が抗議の声をあげる。
まだ肉は沢山あるのに…
だが、その抗議は教授の心には届かない。
顔を見合わせる一同。
日は当に昼を通り過ぎているが、拓也達の調査は、まだまだ始まったばかりだった。









辺境伯領の情勢が悪化の一途をたどる中、辺境伯領の中心都市プラナスに、その渦中の中心となる人物はいた。
領主だったアルドが死んだ今、後継者たるクラウスは正式に家督を継ぐために戻ってきたのだった。
しかし、捕虜だったはずの彼が何故こんなにも簡単に戻ってこれたかと言うと、その答えは彼の引き連れてきた者達であった。
捕虜の仮釈放の監視と言う名目で付いてきた連邦からの顧問団。
その正体は、辺境伯領を完全に北海道側の陣営に組み込むために送られてきた連邦政府の人間だった。
彼等は、軍事、経済、社会システム、様々な分野の専門家であり、未だ封建制の続く辺境伯領を改革するため(顧問団の派遣はクラウスの希望でもあった)に乗り込んできた。
これが平時であれば既得権益との衝突により各方面より反発が起きたのであろうが、辺境伯領を取り巻く情勢がそれを許さなかった。


亜人の居住地の平定も含めると、たて続けに続いた3度の戦役と2人の領主の死、それに王殺しの罪での改易令。
周辺の諸侯が虎視眈々と辺境伯の領地を狙う中、それまで辺境伯家に仕えていた家臣たちは先の見えない自分たちのこれからに嘆き、右往左往するしかなかった。
そんな絶望的な空気が領主の城の中に蔓延する中、見た事も無い巨大で美しい白船に乗ってクラウスは帰還した。
白船には劣るが、それでも大きい灰色の大型船と数隻の小型船に守られてプラナスの港にその船団が現れた時、一時は敵の襲来かと市内全域が大騒ぎになり
その船団から轟音と共に飛んできた未知の飛行物体が城の上に現れた時は、場内はパニックに陥った。
場内にいた家臣達は鎧は何処だと探し回り、女中は何処へ逃げようかとオロオロするばかり。
だが、攻撃なども何事もなく城門前に着陸したソレから人影が城の前に降り立つと、今度は逆に一体何事だと城内の者達が城壁の上や窓から数多の視線が集まった。
出征した時と同じ甲冑に身を包み、ヘリのローターが作り出すダウンウォッシュの中、綺麗にまとめられた後ろ髪をはためかせながら、威風堂々とした態度で城門の前に立つクラウス
凛々しくも美しいその姿を見た城内では、人々の間にざわめきが起った。
敵の捕虜になったと情報だけが伝わっていたクラウスの堂々たる帰還は驚きだった。
それと、飛行体は海から真っ直ぐに城に飛んできたため、場内の者達は飛行体が降り立つまで気付かなかったが、よく見ればクラウスの乗機である事を表す為に大きな辺境伯家の紋章を吊り下げている。
市民はこれでクラウスの帰還を知ることになったであろう。
飛行体はクラウスを降ろすと、轟音と突風を巻き起こしながら飛び去り、今度はプラナスの上空を旋回し始めた。
それに吊り下げられているのはなじみ深い辺境伯家の紋章。
だが、次の瞬間、旗を吊り下げている紐が伸び、もう一枚の旗が現れた。
辺境伯家の上につりさげられた紺地に赤と白の七光星。
誰もが思う、『あれは何処の旗だ?』、『王家じゃないぞ?』
人々がそんな疑問を口々にしたときだった。

『あー テステス… 聞こえてるな?』

城門前のクラウスが喋ると、上空を飛ぶソレからも大音量でクラウスの声が市内全域に響く。

『愛すべき臣民諸君。クラウス・エルヴィスは、今ここにその帰還を告げるものである』

クラウスが帰還したことを改めて伝えるが、城内からは歓迎の声は起きない。
使えるべき領主の帰還、本来は喜ぶべきところだが、改易が決まった領主だという事実が彼らの忠義心に重くのしかかる。

『諸君らも既に知っていると思うが、我が兄の不徳故に此度は王家より改易の沙汰を受けた。
これについては、皆に申し訳なく思う』

重苦しい空気が一層濃くなる。
まるで空気自体が水あめのような粘度を持ったように絡み付き、皆の表情は諦念の色に染まった。

『だがしかし、私はそれを公然と拒否する!』


!!?

クラウスの口から出た予想外の言葉に、皆の表情が変わる
王家の改易令を拒否とは反乱と同義である。
予想外の言葉に驚きが満ちた。


『なぜならば、私には夢が、そして使命がある!
この戦役で私は敗れ、沢山の部下や仲間を失い捕虜となった。
戦火を交えたその相手の名はホッカイドウ。
世界の彼方より現れ、我々の新しい隣人となった国だ。
私は彼らに囚われながらも、彼らについて学び、その高度に発展した技術と、このプラナスや王国の王都を遥かに凌ぐ都市を見た。
悔しいが現状の我々は彼らの足元にも及ばない、だがしかし、私には夢が出来た。
このプラナスを!辺境領を!彼らに並ぶ豊かな土地に変えたいと!
今まで王国は、箱舟オドアケルの軍事力を持って我々から富を収奪してきた。
だが、王国は何をしてくれた?領地の安堵?そう、それだけだ。
しかし、今となっては王国の軍事力も絶対ではない。
ホッカイドウに侵攻した箱舟は、逆に彼らの軍事力によって撃退され、箱舟に乗り込んでいた竜人達は洋上で屍をさらすことになった。
最早、王国を!箱舟を恐れる事は無い!
その古の無敵神話は既に過去のものとなり、新たな秩序がこの世に出現したのだ。
そして、私は、今ここにホッカイドウからの支援を受け入れ、王国からの独立を宣言する!
想像して見て欲しい。
このプラナスが100万の人口を抱える都市に成長し、大地には天を突く摩天楼、人々には豊かな暮らしで笑顔があふれる未来を!
そしてそれは夢物語ではない。私が臣民諸君に約束し、皆で実現させる未来であるのだ!』

突然の独立宣言に静まりかえる場内。
クラウスも突然すぎたかなと一瞬冷や汗をかくが
一瞬の空白の後、城内は大喝采に包まれた。
いや、城内だけではない。
市街全域、クラウスの声を聞いた全市民が熱狂し、彼を名を口々に讃える。
今まで、プラナスは王国の商業の中心として多大な富を生むも、王家に税としてかなりの金を収奪されていた。
それが改易の命令を跳ね返し、独立を成し遂げるというのだ。
市民たちはクラウスの演説に熱狂し、その歓声の大きさは付近の村々にも響き渡たっていった。



そういった騒動があったのが十数日前。
クラウスの連れてきた顧問団は、既に城内で絶大な影響力を持っている。
だが、旧来の家臣は自らの持つ権益が侵されそうになっても不満は口にしなかった。
下手に不満を口にして、市内に吊るされている(これはクラウスが捕縛するより先に市民のリンチで吊るされた)王国から派遣されていた官吏達を同じ道を辿るのは嫌だったし
それよりも、顧問団の各専門家が開く勉強会に参加し、新たな自らの立ち位置を確保しようと躍起になっていた。
そう言った事情もあり、現在城で行われている評定でも、円卓に座る半数が北海道からの顧問団であったが、誰も不満は言わない。


「…以上のような事により、現在、辺境伯領の置かれている状況は思わしくありません。
周辺の諸侯は、我らが領地を狙って兵の動員を行い、未確認ではありますが一部の部隊が国境近くの集落を襲っているとの情報もあります。
それに対して我が方は、先の戦役の代償として兵力の大部分を北の帝国との国境に移動させたため、兵力が不足しております」

文官の一人が、現在の状況を評定で報告する。
これが辺境伯家単独で独立する事態であれば、非常に厳しい事態であったろう。
だが、評定にてクラウスらと同じ円卓に座る12人の内の半分の存在により、悲観的な空気は流れていなかった。

「ふむ…
これは、既に周辺諸侯はヤル気まんまんだと思って良いな。
王国との交渉でも話たが、王家には最早止める力は無いらしい。
ならば、遠慮はいらないな。
国境の兵1万を呼び戻せ。
速度が第一だ、移動の邪魔になる投石器などは破棄してかまわん。」

クラウスは溜息を一つ吐く。
国境から辺境伯領までは結構な距離がある。
恐らくは何度か足止めを食らい、集落のいくつかは敵に食われるだろう。
誰しもがそれを憂慮し、家臣の一人がクラウスに発言する。

「殿下、今から兵を戻しても、救援の間に合わない領地もあるでしょう。
そこでここは一つ、箱舟をも退けたという彼らの力に支援を求めるのは如何でしょうか?」

その言葉に家臣団の全員が頷く
だが、それに対し、評定に参加している顧問団の代表であり北海道からの使者である鈴谷の回頭は彼等の思っているものではなかった。

「あぁ… その軍事支援についてだが、当面は王国との大規模な軍事衝突は避けたい。
今現在、大規模な遠征を行える準備が出来ていないのでね。
だが、辺境伯領上空の制空権の確保は約束しよう。
それと、我々の調査隊が此方で活動している事もあるので、小規模なヘリボーン部隊による支援くらいならば可能だよ」

鈴谷は口には出さなかったものの、これが現在の北海道に出来る限界であった。
先の紛争により、道内のミサイル類は粗方撃ち尽くしてしまったため、生産の目途が立つまでは大規模な行動は出来なかった。
仮に王国側が無理をしてでも箱舟を駆りだしてきた場合、今の北海道にあの強力な魔法防壁を突破できる手段は無い。
ならば取れる手段は只一つ、大規模な衝突は避けつつも此方の軍事力は健全だとブラフにてアピールし、箱舟に対する抑止力を維持する事である。

「そんな!?
敵の軍勢が迫っているのですよ?
我らを後見していただけるなら、その軍事力をもって我らを支援していただきたい」

辺境伯側の家臣一人が嘆願する。
だが、鈴谷を始めとする北海道側は渋い顔をするだけであった。

「こちらにしても事情がある。
遠征の準備についてもそうだが、ついこの間まで民間人に被害まで出して交戦していた相手を守るのに大軍を出すのは世論の同意が得られない。
だが、一切の支援をしないとは言っていない。
重ねて言わせてもらうが、上空の制空権の確保、小規模部隊による支援及び軍事顧問団の派遣にて支援させていただく。」

食ってかかった家臣の一人は未だ何か言いたそうだったが、彼が更に食ってからる前にクラウスがそれを制した。

「まぁ ホッカイドウ側にも事情がある事は理解しなければいけないさ。
まして何より、自分たちの領土を守るのに人に頼り切るのは如何なものか…
まずは、率先して我々が血を流す必要がある。違うか?」

「むぅ… その通りにございます」

そういって家臣の男は引っ込んだ。

「それより、諸国の状況はどうなっている?
我々の独立の動きに反応しているところはあるか?」

クラウスの質問に別の文官が立ち上がって報告する

「それについては、未だ独立宣言から日も浅い事もあり、各国の動きは伝わってきておりません。
文官たちの予測では、各国との貿易額が辺境伯領だけで王国の他の地域を圧倒していることから
表だって敵対することは無いと予測しております。
ですが、一つだけ例外がありまして…」

「なんだそれは?」

クラウスが眉間に皺を寄せて聞く。

「ネウストリア教皇領です。
流石、教会は対応が早いです
教皇庁から『独立が教義に照らして正しいか、観戦司祭を派遣する』と申し入れてきました」

「なんだと!?
う゛ううぅ~ん…
まぁ異端の独立と思われても厄介だし… 仕方ないか。
だがこれで、大々的にホッカイドウへ協力要請は出来なくなってしまった」

「宗教的な制約ですか。それはまた厄介ですね」

元の世界でもそうだったが、宗教が絡んだ戦争は、どちらも引くに引けなくなり泥沼化することが常である。
この独立が宗教戦争の色合いを帯び、それに巻き込まれるのは御免だ。
異教徒が片方に肩入れしているのを見て、こちらの教会とやらは絶対に良い顔はしないであろう。
鈴谷はそんな事を考えながらクラウスの苦悩を察した。

「まぁ 厄介は厄介なんですが、それは向こうにとっても同じこと。
よし、周辺諸侯に使者を出そう。
我々は教皇庁の介入を理由に会戦を行う。
決戦の日時と場所は… そうだな、20日後のプラナスの北西10ミリャ(16km)の平原とする」

「殿下!?
プラナスからたった10ミリャの位置で会戦を行うのですか!?」

クラウスの言葉に家臣たちが驚愕する。

「我らの喉元で決戦を呼びかければ、奴らも会戦の申し出を拒否しまい。
我らの兵が未だに戻っていない現状は彼らに有利。これくらいしなければ例え教会へ工作しても奴らは乗ってこないよ。
だが、悪い事ばかりじゃない。
奴らも会戦の為に戦力を一点に集めなければならないから、略奪などの被害は限定的だ。
特に戦力の損耗を恐れて城壁のある都市への攻撃も控えるだろう。
まぁ 奴らの進軍上にある小さな集落には泣いて貰わなければならないが…」

クラウスは多少の被害は仕方ないと苦い顔をしながら語る。
諸侯がバラバラに侵攻してきて領内を勝手気ままに荒らされるよりは、多少の損害は覚悟し、敵を一点に集めて叩き潰した方が良い
その場の皆もその事を理解したのか、難しい顔をするも誰も反対意見は無い。

「まぁ 諸侯の寄せ集め何ぞに、我らが精鋭が負けるなんてのは有り得ないが、もしもの場合は、ホッカイドウへ亡命するよ。
今、あちらは労働力が不足しているというし、君らも一度はサッポロに行ってみると良い。
私は捕虜だったから護送車の窓からしか見ることは出来なかったが、彼の町は驚きの連続だったよ。
それに向うで食べた『すーぷかれー』や『みそらーめん』は絶品だった。
向うの係員から聞いた『いくらどん』、『じんぎすかん』、『まるせいばたーさんど』は未だ食べた事は無いが、これも美味いそうだ。
うーん…
これらが毎日食べられるなら、亡命もそんなに悪くは…」

「殿下!!」

「あっ あぁ… 冗談だよ。冗談。
食べ物につられて亡命なんて無い。無いよ?…」

忘れ得ぬ味の記憶と、まだ見ぬ夢のグルメに、若干意識がトリップしかけていたクラウス。
言葉では否定しているが、実際はちょっぴり本気だったことは秘密だった。

「まぁ ふざけるのはココまでとして、我々の方針として会戦を行う事に異議は無いな?
鈴谷さん、ホッカイドウ側も宜しいですか?」

「特に問題は無いですよ」

「では、これより我々は会戦へ向けた準備に取り掛かる。
ホッカイドウ側の言葉を借りれば『公国の興廃、この一戦にあり』だ。
独立し、エルヴィス辺境伯領からエルヴィス公国となるか、諸侯の食い物になるかは諸君らの頑張りにかかっている。
皆が皆、己の役割を全うせよ。勝利万歳!」

「「勝利万歳!」」

クラウスの締めの言葉に家臣全員が片手を前に伸ばして唱和する。
彼らにとって長い20日間が始まったのだった。







一方、その頃


プラナスから離れた街路上
一台の商人の荷車が猛スピードで走っている。
顔面蒼白とした商人が鞭を飛ばし、牽引している獣に活を入れる。
どうやら何かから追われているらしい、必死の形相で逃げるがどうやらそれも時間の問題だった。

「ヒャッハァァ!」

そんな世紀末的な叫び声と共に、大きな影が彼の真横に現れる。

「教授!馬の代わりにでっかい鹿が引っ張ってますよ!ヤックルみたいな角してます!」

「うむ、石津君!是非ともデータを取らなくては!」

「了解です!任せてください!
…こんにちわー!すみませーん!あなたの鹿?見せてもらって良いですか~?」

拓也は商人に向かって叫ぶが、一方の商人は謎の集団に追いかけられている恐怖で
拓也の声が全く耳に入っていなかった。

「石津君!全然止まってくれないじゃないか!」

「え~…仕方ない。アコニー!聞こえるか?飛び移って停めさせろ」

「了~解~」

拓也の指示があると同時に、荷馬車を挟む形で拓也の車の反対側にアコニーの乗る装甲車が現れる。

「せい!」

掛け声と共に装甲車の上から荷馬車に乗り移ったアコニーの対応は早かった。
商人から手綱を奪うと、それを引いて急制動をかける。
するとみるみる荷馬車のスピードは落ち、ついには止まってしまった。

「でかしたぞ!アコニー君!
よし、荻沼君、来たまえ!調査だ!」

「はい!」

拓也の運転するハイエースから二人が飛び出す。
そこからはもう、凄い勢いだった。
写真撮影から大きさの計測、DNA採集と言いながら毛の一部を切っている。
そんな急に現れた謎の集団を見て、運悪く捕まった商人は恐怖に震えていた。

「騎獣も荷物もあげますから、どうか命だけは…」

うずくまり、小さくなって祈る様に嘆願するも、彼の言葉を誰も聞いては居なかった。
荷馬車を止めた目的は教授らによる動物の調査であり、商人の事などどうでもよかった。
だが、商人も恐怖の為か周りが見えていない。
蹲りながら命乞いを続けている。

「よし、十分だ。
石津君、彼に謝礼を渡して次に行こう」

「了解です。
おっさん、足止めしちゃって悪かったね。
あんなスピード出してたんだ、急ぎだったんだろ?
何処に行く予定だったんです?」

拓也は商人に優しく語りかけるが、恐慌状態になっている彼には、その笑顔も邪悪な笑みに見えてしまう。

「こっ、この先にあるメリダの村です。
あそこに塩を売って、毛皮と毛織物の買い付けに行くところでした。
どどど…どうか命だけは…」

「毛皮!?毛織物?」

「はっ!はい!」

それを聞いて拓也はにっこりと笑って教授の方を向く

「教授、この先の村で毛皮や毛織物を扱っているそうです。
珍しい動物が居そうな匂いがプンプンしますよ!」

「何!?
よし分かった!すぐに出発しよう」

「了解です!
…って事で、長々と引き留めて悪かったよ。
お詫びにこれあげるから食べて機嫌治してね」

そういって拓也は透明な袋にはいったあるものを手渡した。

「これは地元で名産の『薄荷豆』ってお菓子でさ。うまいんだよ。
道中で摘んで食べてね。
それじゃぁもう行くんで、お世話になりました。」

そういって拓也は手を振りながら車に戻る。
彼らが走り去った後、その場に残された商人は、手に薄荷豆の袋を持って呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
ふと商人が正気に戻り、現状を確認してみる
命はある。
五体満足で、何も盗られてはいない。
それどころか、何やら菓子を貰った。

「一体、なんだったんだ…」

訳が分からぬといった様子で、商人は手に持った袋を見る。

「そういえば、菓子と言ってたな。
どれ、味はどうかな…」

そう言って商人が袋を開けようとして、両手を袋に掛けた時だった。

「ヒャッハァー!」

再度聞こえる世紀末的な叫び声
その声の主を探して商人は周囲を見渡すが誰もいない。
彼は再び怖くなり、急いでこの場を離れようと荷馬車に乗ろうとしたその時だった。

荷馬車に足をかけたと同時に首筋に当たる冷たい感触。

「おっさん。両手を上げな。
護衛も無しに一人で旅とは不用心だね。
厳しい渡世の授業料として、荷物から残りの人生まで全部もらうよ」

いつの間に後ろに接近したのか。
ゆっくりと彼が振り返ると、そこには茶色の犬のような耳をした亜人の女が
彼の首元に短剣を当てていた。
しかもどこから湧いたのか、周囲は亜人達に包囲されていた。

「お?何だいそりゃ」

女は商人の手にあった袋を奪い取る。

「菓子だそうです」

「へぇ… 珍しい袋に入っているね。どれ…」

そういって女は袋を破り、中身を一粒出して口に入れる

「おぉ!これは… なかなか… うん…
おい!おっさん、これをどこで手に入れた?」

「さきほど変な集団に絡まれてもらいました」

「あぁ さっきの変な奴らか。
凄いスピードで走り去るから取り逃がしちまったけどさ…
おっさん、あいつらが何処に行ったか知ってるかい?」

「おそらく、この先のメリダの村です」

商人の言葉を聞いて女は上機嫌になった。

「となると、あまり遠くじゃないね…
よし!決まりだ!みんな良く聞いておくれ!
次の目的地はメリダの村!
ちょっと大きめの村だから、一度アジトに戻ってから他の仲間も集めて襲撃するよ!
覚悟はいいか野郎ども!!」

女の声に他の亜人達も「応ぅ!」と叫ぶ。
辺境伯内の盗賊達は今日も元気いっぱいだった。



[29737] 大陸と調査隊編3
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:16
反省する。
少し、羽目を外し過ぎた。
前世界では見た事もない動物やら何やらで、気分はサファリツアーだったのと
知的好奇心が刺激され過ぎて、テンションが常にハイ状態で維持されている教授たちと一緒に居たのが不味かった。
というか、初めての調査任務で緊張してた皆に、カノエが「リラックスできるお茶ですよ」と言って水筒を回してたのがそもそもの始まりな気がする。
あれを飲んだ後は、今思ってもホントに狂ってたとしか思えない。
ここに来る途中で川を一つ渡った時も、ほぼ減速なしで車列が橋に突入したせいで、荷重と衝撃に耐えかねた橋が半ば崩落していく中を、皆笑いながら強引に渡って行ったし。
新しい村を見つければ、「ヒャッハァー!村だぁ!」とか車にハコ乗りしながら叫んで接近して、見事に警戒されてしまったし。
あのお茶って実は覚醒剤か何かが混じっていたんじゃないのか?
まぁ そんな状態で村に接近したもんだから、当然のごとく警戒され爆走する車列に向かって矢を射られ、急停止。
急激なGによりミックスされた車内で、トリップしていた皆の脳が正常化する頃には
村の入り口に、ひっくり返した荷車等で作られた即席バリケードが構築されていた。
まぁ 訳のわからん連中が奇声を上げながら近づいてきたら、当然警戒しますよね。わかります。
村の外周は、入口以外は積み上げた石の壁で囲まれていて、やはり村に入るには入口は一つしかない。
…中に入るのはなかなか難しそうだ。
だが、諦めようにも、せっかく村を見つけたのに引き返すのは勿体無い。
うーむ、この状況… 
一体、どうするかな。

…と、拓也がこんがり始めた状況に頭を悩ませていると、不意に後ろから声がかかる。

「社長… 村人は絶対、私たちの事を盗賊か何かだと思ってますよ」

半ば呆れたようにヘルガが言う。

「というか、動物やら家畜程度で騒ぎ過ぎですよ。
普通の家畜やら獣見て何であんなに興奮できるのか理解できません。
あと、流石にあのテンションはドン引きでした」

「だが、そうはいっても教授らみたいな動物専門の学者にしてみれば、こっちの動物たちは宝の山みたいなもんだよ。
そんなものに周りを囲まれて、何だか一緒に楽しくなってしまったのは悪いと思ってるけどさ。
それにテンションのヤバさ的には、カノエのお茶がすべての元凶だと思っている」

「あぁ… 確かに」

ヘルガは水筒ごと地面にぶちまけられた水たまりを見つめながら相槌をする。
それは、お茶の効果が切れた後、即座にカノエから取り上げて捨てたものだが、どうにも甘ったるいような苦いような不思議な匂いが漂っていた。
投げるてる時にカノエが涙目で「あぁん」とか抗議の声を上げていたが、そんなものは無視する。
最初、リラックスできるお茶と聞いてハーブティーか何かを想像していたが、実は覚醒剤的な作用のあるお茶でしたとか極悪すぎる
そんなものを社員の皆に飲ませるなど、社長として断じて認めない。ダメゼッタイ。No薬物。

「まぁ それはそれでいいとして、とりあえず目の前で殺気立てている村人の誤解をとかなきゃいけない。
…よし!みんな、サファリ気分は終わりだ。気持ちを切り替えていくぞ。
とりあえず… そうだな、ヘルガ。一緒に来い。」

「え゛ぇ? 私もですか?」

いきなり指名されたヘルガは驚いた顔をするが、そうやって如何にも嫌そうな顔をしないで欲しいと拓也は思った。

「何のために連れてきたと思ってるんだ。
元行商人だから、こっちの常識には詳しいだろ?
話合いのサポートに入ってくれ。それに、見た目が子供だから向こうも気が緩むだろ」

なんだか凄く嫌そうな顔で渋々頷いて見せるヘルガだが、給料払っている以上、社畜として十二分に働いて貰わねば。
それに、仮に他のメンバーを連れていくとしても、教授らはお客様なので危険の矢面に立てるのは論外だし
アコニーその他の亜人は脳筋すぎるし、エドワルドのおっさんは何処の傭兵だよって顔なので、和やかな空気を作るのは難しそうだ…
となると限られた人材の中で一番的確なのは彼女である。
何より目の前にいるんで丁度良かった

「…見た目は人族の子供でも、実年齢は社長より上なんだけどなぁ」

何事も初対面は見た目が重要である。
ヘルガの呟きは意図的に無視することにして、拓也はバリケードに向かって歩き出した。
誤解を解く為に拓也とヘルガは両手を上げてバリケードの前に進む。
だが、結果はあまり思わしくなかった…

「私たち、決して怪しい者じゃありません!
話合いにそちらへ伺ってもいいですか?」

「『ヒャッハー!』とか叫んで現れた正体不明の奴らが、怪しくないと言って信用できるか!」

うん、村人の言い分にも一理ある
ヘルガの呼びかけにも全く応じない。
それならばと、拓也は背中に背負っていた布袋を手に掲げ、再度村人に話かける。

「とりあえず、話だけでも聞いてください。
敵意がない証拠に、自分ら二人は丸腰です。それと手土産も持参しました」

そう言って、持っていた袋を頭上に掲げると彼らの表情が変わる。
どうやら彼らの興味を引くことに成功しているようだ。
拓也は手持ちの袋を投げ渡し、村人が中を改めると彼らの中から驚きの声が聞こえた。
袋を持った村人が、その中身を彼らの代表と思われる人物に渡し、何やら話合いをしている。
しばらくすると、話合いがしたいという事で自分とヘルガに村へ入る許可が出た。
まぁ 話合いと言うより、一行がどんな物を持っているのか知りたいというようだったのだが…
彼らに見せた手土産として持参した物資の内訳は、砂糖や塩と言った食品から、簡単に火を起こせる百円ライターや市販の常備薬
これは何かと尋ねる村人に色々な薬ですと説明すると、村人の一人の表情が変わる。
その変化を見逃さずに誰か病気なのかと尋ねると、村長の孫が病気だそうな。
聞く所によると、熱が出て色々と薬草を試したが回復せず、プラナスまで薬を買いに行こうにも、ここ数年の不作の影響と戦の影響で薬が軒並み値上がりしていることもありで
高価な薬に手を出せるほどの余裕がないそうだ。
そんな中での「お近づきの印に、我々の薬を少々お分けしましょうか?」の言葉は効果覿面だった。
まぁ医者じゃないので市販薬を適当に渡す程度しかできないのだが、村長はまさか薬が手に入るとは思っていなかったのか大いに驚いていた。

それならばと村長に引かれるままに村の奥に案内されそうになるが、すぐに連れて行こうとする村長の手を引き留めた。

「ちょっと待ってください。
それならもう一人、薬の調合が出来る人物を連れて行ってもいいですか?」

「なんと薬師もいるのか。それは願っても無い事だ。
是非とも連れてきてくれ」

それを聞いて、村長はすぐに連れてくるように促してくる。
その顔をみると、先ほどまでの警戒感が随分と薄れているように思える。
それほどにまで孫が可愛いのだろう。
まぁ こちらは丸腰なので、変な動きをすればそのまま人質に出来るという思惑もあるのだろうが
此方は変な動きをするつもりはないし、村側が自分らに危害を加えれば、バリケードの外に待機してる社員たちによって多分村一つが浄化されるであろう。
村側は気付いていないが、絶対的な火力の差は簡単に村一つ虐殺できてしまう。
という物騒な考えは置いといて、まずは信頼関係を築くのが第一。
薬の調合(薬と言っても副作用不明の魔法薬だが)ができるカノエを呼んで来よう。
医者じゃないが、病人の病状位は軽く見れるだろう。

「ヘルガ、そういう訳だからカノエを連れてきてくれ。
あと車内の医療キットも頼む」

「了解です」

例え、カノエが役に立たなかった場合、手持ちの薬&タブレットにインスコしてある家庭の医学電子版でなんとかしよう。
そんな事を考えていると、ヘルガはカノエを連れて戻ってきた。
3人は村長に連れられて村の奥へと入る。
案内されたその先には、一軒の家があった。
南欧を思わす素焼きの屋根瓦に漆喰などは無い石積み壁の二階建て。
突然の客人の来訪に家人は驚いているようであったが、村長が一言二言、言葉を交わすと此方を見つめながら頷いて招き入れてくれた。
室内に案内され、孫の部屋に案内されると、寝床で横になる村長の孫と思しき男の子が息を荒くして横になっている。

「孫のベニートだ。
どうだ?何とかなりそうか?」

そう言って村長が横たわる男の子を紹介する。

熱があるようだが、医術の心得があるわけじゃないので何の病気かは分からない。
一応、タブレットで"家庭の医学"電子版を読んでみるが、素人には病名の断定は無理だったので、全てをカノエに丸投げすることにした。

「カノエ。病状はどんな感じ?」

横になる男の子の横に座って呼吸などを見ているカノエ
どうやら一通り検診が終わった様なので、彼女に病状を聞いてみた。

「そうですね。少し熱があるので解熱薬でも飲ませた後、滋養のあるものを取って安静にしてたら治るでしょう。
病状はそう大した事はありませんが、無理は禁物ですよ」

「本当か!?」

カノエの言葉に喜ぶ村長。
そんな彼にカノエは優しく笑って返した。

「そうか、じゃぁ 解熱剤を渡せばいいんだな。カノエ」

「えぇ あと、私の薬は強すぎるので北海道から持ってきた薬が良いと思います。
たしか、あすぴりんでしたっけ?いい薬がありましたよね」

そう言ってカノエは持ってきた医療キットからアスピリンの箱を取り出し、横になっているベニートと言う男の子に水と一緒に飲ませた。
そうして弱弱しくも男の子が薬を飲み下したのを確認し、後ろで様子を伺っていた村長の方を振り返ると、
いつのまにやら家人や他の村人たちが集まって村長の後ろから此方の様子を伺っていた。

「あの子は大丈夫ですか?」

恐らくは母親だろう。村長の後ろから心配そうな顔をした女性が尋ねてくる。

「熱があったんで、一応解熱剤を与えたから楽にはなるかと思います。
あとは滋養の良いものを食べさせてやってください」

「そうですか… それでも、あの子の苦しんでいる姿を見るのは不憫だったんで
熱が下がってくれるだけでもありがたいです。」

そういって女性は頭を下げて感謝していたのだが、顔を上げると、ふと思いついたのか胸の前で手を打ち鳴らすと微笑みながら言った。

「そうだ。お礼にお茶でもいかがですか?
あまり大したおもてなしは出来ませんが。それくらいは良いでしょう?お父様」

「うん?そうだな。色々聞きたい事もある。茶でも飲みながらゆっくり話を聞こうか」

娘の言葉に村長も賛成し、茶の用意に台所へと向かった娘の後を追う様に、村長達は客間の方へぞろぞろと移動していった。
拓也もそれに続き客間へと移動しようとするが、皆が部屋から去った所でカノエに手を掴まれた。

「社長… ちょっとお話が」

拓也を引き留めたカノエは誰にも聞こえないよう小声で拓也に話かける。

「あの子の病状ですが、正直サッパリわかりません」

「なに?!」

カノエの一言に思わず大きな声が出そうになったが、咄嗟にカノエに口をふさがれた。

「社長!声が大きいです」

そう言われて落ち着きを取り戻した拓也は静かにカノエに聞き返す。

「でも、さっきは普通に診断してただろ」

「一つ社長は誤解してます。
確かに、こっちの一般的な薬師は病人にあった薬を配合する為、医術の心得がある事も多いですが、
私はそういう系統じゃありません。
私は色々と薬を調合できますが、それは肉体強化だったり精神薬だったりで、病気用じゃありません」

自信満々で診断した後で、実は専門外ですと告白する彼女に拓也は開いた口がふさがらなかった。

「それじゃ、さっきの診断は出鱈目って訳か?」

「いや、熱があるのは確かですから解熱剤を投与すれば一時的に熱は下がると思いますよ。
ここは一つ、ヤブ医者とばれる前にちゃんとした医師に診せるべきです。
大丈夫、最終的に治れば誤診したかどうかなんてバレませんって。
仮に病状が悪化しても、先に"油断は禁物"ってまだ不安定な事を匂わせておきましたし、なんとかなりますよ」

そういってカノエは胸の前でグッと拳を握りニヤリと笑った。

「この娘は…」

不敵な笑みを浮かべる彼女に、拓也はただただ呆れるしかなかった。



その後、皆に遅れて拓也達がやってくると、客間はお茶会という名の質疑応答の場となった。

「自己紹介がまだだったな。
私はこのメリダ村の村長をしているエルナンという。そして助けてもらった孫はベニート。
それと今更だが、そもそもお前さんたちは何者だね?
あまり商人には見えんし、盗賊なら薬を分けるなんて回りくどい事もせんだろう」

テーブルの真ん中に座り、コップで茶を啜りながら村長がいう。

「申し遅れました。自分たちは北海道から派遣されてきました動物や家畜を調べている調査隊で
自分はその調査隊の護衛の代表をしています石津といいます。
横に座っているが社員のヘルガとカノエです」

拓也の紹介に二人は「どうも」と頭を下げる。

「ホッカイドウ?はて…この辺りでは聞かない名だな?
結構遠くから来たのかい?」

「北海道自体は元々この世界の島ではありませんでした。
おおよそ一年前、謎の膜が私たちの島を覆い、それが消えたと思ったらこの世界にいました。
そして右も左もわからない世界を調べる為に、一番近くにあった陸地に我々のような調査隊が送り込まれ
そのいちばん近い陸地と言うのが、この辺境伯領だったわけです」

「ほぅ… 良くは分からんがそれは難儀なことだな。
それでお前さんが、調査の為にこの村に来たと。
だが残念ながら、この村には珍しい物も特産品も何も無くてな。
見てもあまり面白い物は無いと思うぞ」

「まぁ 面白いかどうかを決めるのは私の雇い主であって
私は護衛として粛々と用心棒に努めるだけですよ。
もし、私を信用していただけるなら、街道のバリケードを撤去していただけるなら、私の雇い主に会ってもらえませんか?
我々も色んな物資を持っているので、村にとっても損にはならないと思います」

というか、ここまで友好的に対応しておいて、仮に拒否されたら、その時はこの村をどうしてくれよう?
そんな事を考えつつ、拓也は村長に笑って調査隊の入村許可を求める。

「そうだな。いつまでも待たせることもあるまい。
村の者達に道を開けるように言おう」

村長はそう言うと、近くにいた村の男を呼んであれこれと指示をする。
そして男がバリケードの方まで使いに走ると、程なくしてバリケードも撤去されたのか、車列のエンジン音がゆっくりと村の中心に響いてきた。
先頭を走るBTR装甲車に先導されてやって来たバンが村長の家の前に止まると、スライドドアを開けて教授が車から降りてくる。

「やぁ 石津君。なんとか話はついたようだね」

そう言って教授は笑みを浮かべながら拓也達の方へ近づいてきた。

「村長、ご紹介します。
こちらが調査隊の団長である漆沢教授です」

「どうも漆沢です」

そういって右手を差し出した教授は、どうしていいのか戸惑う村長の手を取って握手する

「あぁ 私はメリダ村の村長のエルナンだ。
この度は孫の病気に薬を分けて頂いたことに礼を言いたい。ありがとう」

拓也は教授に此方で行った処置を説明した。

「…なるほど、お孫さんが病気でしたか。
いやぁ コレが動物なら獣医師の資格のある私が診る事が出来たんですがね。
でもまぁ、ウチに医術の心得のある人材が居て良かった良かった」

それを聞いて拓也の顔が引きつる。
対して当のヘルガは全く同じた様子も無い。
この娘、綺麗な顔してとんでもなくツラの皮が厚いなと拓也は思った。

「貰った薬のお蔭で孫の熱も下がってきたようだ。
後は彼女の忠告通りに滋養を付けさせて安静にさせることにするよ」

村長は人の良い笑顔で感謝の言葉をのべる。
だが、拓也はそれを聞いて良心が痛む

「あぁ でも、やっぱり本職のお医者さんに診てもらった方が良いですよ。
彼女も本職の医者じゃないし…
あと、滋養を付けるなら良いものが有ります。
自分の国じゃ、病気の時は桃缶…桃のシロップ漬けを食べるんですが、持ってきた物資の中にも有ったはずなんで
分けて上げますよ」

そう言って拓也は止まっていたトラックまで走ると、荷台から桃缶を一つ手に取り、それを村長へと渡した。

「おおこれはどうもありがとう。
…だが、医者の件は少し難しいな。
なんせプラナスから医者を呼んでくる金が無い…」

村長は溜息を吐いてうな垂れる

「今年はイモが害虫にやられてな。収穫が少なかったうえにイモの価格は、他が豊作だったから下がる一方…
金さえあれば、医者でも魔術師でも診てもらえるんだが、金がない以上どうにもならん」

何処の世界でも貧困は人間の最大の敵であるようだった。
金が無いと言い表情の曇る村長。
そんな村長を見て、拓也はある一つの提案を思いついた。

「なら我々の医者に診てもらいますか?」

「でも金が…」

「そんなの別に良いですよ。
本来は調査団の健康の為の支援プログラムですが、事情の説明すればおそらく大丈夫でしょう」

「なんと!無償で診てくれるのか」

「ええ。ですが、それには一つ許可を頂きたいのです…」



村長に求めた許可。
それは気球無線中継システムを村に設置する事だった。
本来は軍の調査隊が訪れる村々に設置していっているのだが、軍より先に民間の調査隊が未調査の集落に到達した時用に
設備を1セットほど政府から押し付けられていた。
元が災害用と言うだけあって設置もさほど難しくない。
マニュアルを見ながら組み立てれば、特に問題なく設置できる。
ネットワークさえ確立すれば、簡単な診断であればオンラインで道内に待機する軍の医師からやってもらえる。
それでも駄目なら最悪、男の子を連邦軍の橋頭堡にある簡易診療所へと運べばいいだろう。
そう言った事情を村長に説明すると、村長は二つ返事で許可をくれた。まぁ説明の大半は何を言っているのか理解できていないようであったが…

許可が出れば後は早い。
早速、拓也らは施設の設営に取り掛かった。

「拓也。基部の固定が終わったから気球にヘリウム入れるぞ」

「りょうかーい」

エドワルドのおっさんの確認の声と共に通信装置の付いた気球が上空へと登っていく。
それが静かに空へと登っていく様子を見て、周囲で作業を観察していた村人から歓声が上がった。

「おぉ!これはなんと。布袋が空に飛びよった」

多分、空飛ぶ生き物でも何でもない人間の作った道具が空を飛ぶのを見るのは初めてなんだろう
村長は感心したように空高く上がった気球を見ている。

「これで後は太陽電池と風車で充電するだけなんだけど…」

そこまで言いかけて拓也の言葉が止まる。

「曇ってるな。それに雨も降りそうだ」

そう答えたエドワルド一緒に空を見つめるが、何時の間にやら上空には濃密な雲がかかり始め
西の空を見ると、既にそちらの方では雨が降っているのか灰色のもやに覆われていた。
設置した装置は、フル充電されていれば半月は悪天候が続いても電源を供給できる高性能な蓄電池を持っているのだが
いかんせん、初期状態では蓄電池は空。稼働の為には充電が必要であった。

「マニュアルには緊急時には車載バッテリーからも起動できるって書いてあるけど… わざわざ雨に濡れてまでやりたくは無いわ。
非定常作業で漏電しても嫌だし」

「同感だ。とりあえず、雨が通り過ぎるのを待ってから作業しよう」

「じゃぁ 作業はいったん中断して、雨の凌げる滞在用の宿を確保しようか」

流石にいつ止むかも分からない雨を、じっと車の中で待つのは嫌だ。
せっかく集落があるんだから、屋根の下で休みたい。
そんな風に思いながら村長にこの村に宿は無いかと尋ねたところ、さほど大くはないが一軒だけ旅人向けの宿があった。
それも、村長の家のすぐ裏手に。
宿側としても、凶作の影響で村を訪れる商人や旅人が減っていたところに大口の宿泊客が訪れたという事で、大慌てで部屋を用意してくれた。
だが、元々さほど大きくない村の宿。全員が泊まれるほど部屋数は無かったので、女性陣は村長の家に泊めてもらう事になった。
拓也が村長と宿の親父に話を付け必要な荷物を宿に運び込んだのと、大粒の雨粒が空から降り始めたのはほぼ同時だった。
降り始めた雨は時間が経つにつれ激しくなり、日が落ちた後も一向にやむ気配がない。
低く響く雨音は、外界からの一切を拒む様に村を取り囲む。

「なんというゲリラ豪雨…」

窓の外を見ながら拓也が呟く

「いやぁ 雨が降り出す前に撤収してよかったな」

「ホントだよ。こんな雨の中で外にいたら、パンツまでグチュグチュに濡れちまうよ。
濡れていいパンツは女性用だけだ」

「なんだ、女どもが居なくなった途端に下ネタか?」

エドワルドが呆れるように笑って言う。

「久しぶりに女性陣に気をつかわなくてもいい時間なんだ。
男が集まったら酒と下ネタと馬鹿騒ぎと相場は決まっている。
そして、それはどれも最近の自分に不足していた物…
雨が止むまでする事も無いし、宿の酒場で飲み明かそう!」

そう言って拓也は拳を握って力説するとエドワルドを飲みに誘う。
普通なら、就業中の飲酒はご法度だが、エドワルドはロシア人。体のつくりが違う。
大陸系のアルコール分解酵素は伊達ではないことを、拓也はエレナや他のロシア人との飲み会で知っていた。
それに、警戒に誰か飲まない人間を決めておけば大丈夫だろうし、問題があればエドワルドが指摘するはずだ。

「まぁ 元ロシア軍の俺たちが居るから、少々酒が入った所で教授の護衛には支障はない。
歩哨は…。そうだな、酒の弱いラッツか誰かは飲ませずに警戒させとこうか。
それでこっちは良いとしても、女どもは放って置いていいのか?
向うにも護衛対象も一人いるんだろ。
あまり騒ぎが起こると、今後の仕事の受注が不味いんじゃないのか?」

村長の家とはいえ、拓也達の目の届かない所で寝床を確保した女性陣に、最初は拓也も大丈夫かとの思いもあった。
だがよくよく考えてみると、その中には最近メスゴリラ化の進んだケモノ娘、アコニーを筆頭に護身用の拳銃を持ったヘルガやカノエがいる。
仮に村長やその家人が彼女らに手を出したら、逆に彼らの命が危なそうな気がする。
女性陣に迫りくる欲望をむき出しにした悪漢。筋力と速度に物を言わせたアコニのベアクロー。宙を舞う悪漢のナニ…
そこまで想像して拓也は想像の中の悪漢に深く同情した。

「まぁ 彼女らの安否については近接格闘戦が最強に近いのが一匹いるから大丈夫でしょ」

拓也はそう答えるが、エドワルドはそういう事じゃないと否定する。

「いや、だから鎖につないでおいた方が良いんじゃないのか?
放って置いたら何しでかすか分からんぞ」

「あーね…」

心配すべきは身内が暴れるかどうかだった。
そんな心配を拓也らがしていると、入口の扉が勢いよく開いた音が宿に響いた。
何事かと拓也達が身構えると、入口の方から村長の声が聞こえる

「おーい みんな集まってくれ~」

宿屋に滞在する拓也達を集める声を聞いて、他の部屋に滞在していた社員たちもぞろぞろと部屋から出てくる。
酒場も兼ねている宿の入り口に集まると、そこに立っていたのは少々雨に濡れた村長と何かの包みを持ったわが社の女性陣。
村長は大体皆が集まった事を確認すると、皆に向かって高らかに宣言する。

「皆さん!昼間は孫を診察してくれてどうもありがとう。
そのお礼と言っては何だが、新たな出会いと治療のお礼に一杯やろうと思ってね。
余り量は無いが、この村の蜂蜜酒を持ってきたから一緒に飲もう。
大盤振る舞いは出来ないが、これは我々からのお礼の気持ちだ
肴はあまり用意できないが、まぁ気にせずに飲んでくれ」

そう村長が言うと、後ろに付いてきていたウチの女性陣が、持っていた包みから何本もボトルを取り出す。
その言葉に、酒場に居合わせた全員から歓声が上がった。

「飲み会なら我々も盛り上げさせてもらいますよ。
おい、何人かトラックへ行って焼酎やウィスキーやらを箱ごと持って来てくれ。
それと、何か摘むものを… まぁ 適当にドバっと持ってきたらいいよ」

村長の思いにこたえる様に、拓也も負けじと近くにいた亜人の社員を捕まえて物資を持ってくるように指示するが
その大盤振る舞いに心配になったヘルガが拓也に問いただした。

「社長、本当にいいんですか?
箱ごと飲んじゃったら手持ちの酒類が無くなっちゃいますよ」

「なに、もともと現地での交換・接待用として持ってきたんだ。
別に出し惜しみはしないよ。
それに、燃料的にもこの村の調査が終わったら、一度橋頭堡に戻って補給しなけりゃならないし
今頃、国後島じゃ酒やら何やらの補給物資を満載した酌船長が、出航準備をしている頃だよ」

「はぁ まぁ大丈夫なら何も言いませんよ」

「ハハハ。流石に元行商人は無駄遣いは気になるか?」

「う~ん。まぁ コレだけの食糧を無償で譲渡ってのは気が引けますね」

「そうか。だが心配無用。
調査隊用の支出は、全額必要経費として税務署が認めてくれるそうだから節税対策に役立つし
なにより、飲む・食う・女は接待の基本。
まぁ"女"に関しては、ウチの社員をそんな業務に就かせるわけにはいかないから今回は使わないけど、他は出し惜しみしないよ。
なぜならこの村は、他の調査隊との接触はまだなので、北海道としてじゃなく石津製作所として接して友好関係を築ければ
後々の大陸進出に大いに役立つかもしれないしな」

「はぁ そんなものですか」

「そんなもんだよ。
景気の良い時代は、肝臓壊すまで会社の為に連日接待する営業の人が多かったそうだ」

「お酒を飲むのも仕事ですか。営業さんって大変なんですねぇ」

そう言ってヘルガは未だ見ぬ職種を想像してその苦労を偲ぶ
行商人時代、打算で人に一杯奢る事はあったが、奢って飲むのが仕事と言うのは想像したことも無かったし
何より、大陸と北海道では税の仕組みが大きく違うため、節税と称して浪費した方が得などという考え方は思いもしなかった。

「そういやまだ言ってなかったけど、ヘルガは北海道に帰還後、札幌のビジネスセミナーで強化合宿だから。
大陸での営業担当として教育する予定だから覚悟しといてね」

「う…う~ん。また商人が出来るのは嬉しいですが、その話を聞いた後だとちょっと不安が…
それって、拒否は出来ないんですよね?」

「当然。既にセミナーも予約済みだ」

拓也はニコリと笑ってヘルガの肩を叩く
それに対して、ヘルガはぎこちない笑みを浮かべる事しかできなかった。









「ほう… それでこっちの世界に現れたばっかりのホッカイドウとやらから
学者先生を連れてやって来た訳か」

「そういうことですね」

村長と拓也はテーブルに座って酒を交わしている。
周りでは、ドンチャン飲めや歌えの大騒ぎになっているが、一応護衛期間中なので自制する様にと全社員に通達してあるので
主に飲んで大騒ぎしているのは村の連中であった。

「んで、あんたらはその用心棒をしていると…
失礼かもしれんが、その頭のあんたは余り腕が立ちそうに見えんが、大丈夫なのかい?」

村長が値踏みするように拓也を見る。

「いやぁ、そもそも自分は軍需企業…えーと武器工房の経営者です。
最近は傭兵業も始めたんで、最初の仕事は責任を持って監督しようと同行したわけなんですよ。
と言っても、戦いはからっきしですから、荒事の指揮は他の人間にとらせます。
自分のやることは会社の方針の決定ですね」

「なるほど…
最初の仕事はしっかり見届けようってのか。お前さん、若いのに中々しっかりしとるようだ。
商売がうまくいくよう祈っとるよ。
と、まぁ。そんなことより、あんたらから貰ったこれは良いな。
"でんしぽすたー"とかいったか?
こんな腐ったような酒場も、これのおかげで華やかになったよ」

拓也の説明を聞くのもほどほどに、村長は壁に貼られたA0サイズのポスターに視線を向ける。
そこには、露出の高いブラジル水着姿の美女が挑発的な笑みを浮かべていた。

「あぁ 今は水着の女の子の写真ですが、ネットワークに繋がったら定期的に絵柄が変わりますよ。
設定によっては、子供らの起きている昼間は読み書きの練習のために文字や算数の問題が表示されたり
夜はエロいポスターやらニュースの掲示板にすることだってできます」

「ほぉ なんだか良くは分からんが凄い魔導具だ。
さぞかし高かったんじゃないのか?それをこんな村に分けて大丈夫なのか?」

本来、魔導具は高級品である。
魔導具を作る魔術師たちが価格を高値で据え置いているという事情もあるが、何より絶対量が少ない。
おいそれと人に贈る様なものではなかった。

「まぁこれは政府が配ってこいと押し付けてきたものですからね。
それに魔法じゃなく科学の力です。
そもそも電子ペーパーなんて、2020年代に入ってから価格が暴落してゴミみたいに安いですよ。
コッチの世界に転移後も、構造が単純だもんで既に生産ラインも復旧してると新聞で読んだなぁ」

拓也が村長になんてことないと説明する。
その説明にはこちらの人間には分からない単語も多かったが、村長も拓也も酒が回ってきているのか
あまり気にしてはいないようだった。

「うむ、言っている事はよくはわからんが、ホッカイドウとやらではそんな扱いなのか…
だが、素晴らしい物には違いない。有難く貰っておくよ」

そういって、村長はコップに新たな一杯を注ぎ、一気に飲み干した。

「…ぷはぁ!そんな話よりもこっちの方が良く知りたい。
こんな酒、初めて飲んだよ!」

村長が今飲んだ酒のボトルを手に取りまじまじと見て言う。

「あぁ それは米から作った蒸留酒に紫蘇のエキスが入ってる奴ですね。
タンタカタンタンだったか、そんな名前の焼酎です。
まだまだあるんで遠慮なく飲んでください」

そういって拓也は村長のコップに焼酎を注ぐ。

「ホッカイドウは酒も変わってるんだな」

「いやぁ それは特別ですよ。
向うでも、その銘柄以外に紫蘇焼酎なんて見たことないですもん」

拓也はそう言って、テーブルの上に並べられた他の銘柄を見る。
十勝のワイン、余市のウィスキー、どれも品質は素晴らしいが至って普通の酒である。
まぁ 村長は焼酎自体が初めてだったので、それ自体に新鮮味を感じられたのかもしれない。

「しかし、こんな色々としてもらっても、我が村としては大したお礼も出来ないぞ?
先に言った通り最近の不作の影響で金もないし、特にこれと言った特産品も無い」

「別にお礼は良いですよ。
何度も言ったように半分は政府からの仕事で、もう半分は今後の仕事の為の挨拶回りみたいなもんですから
まぁ 対価といったら… あえていえば、今後とも良いお付き合いをお願いしたいのと、情報が欲しいですね」

「情報?」

村長が真面目な顔で尋ねる。

「そうです。例えばこの世界の地理、どこの国やら町の特産は何だとか、変わった物やら動物がいるやら色々です。
そう言うのを教えて頂けると、うちのお客さんが喜ぶんで」

「うーん、わしも余り村の外に関することは詳しくない。
それなら教会に行って神父様に聞いた方が良いかもしれんな」

「神父様?」

「そうだ。
今この場には来ていないが、村の西側… お前さんたちが来た方と反対方向だな。そこに村の教会がある。
明日の朝になったらそこを訪れてみると良い。神父様だけあって村一番の物知りだよ」

「そうですか、じゃぁ 明日、教授を連れて行ってみます」

「神父様には、村長の紹介と言っておけば良いはずだ。
…っと、それよりも。お前さんコップが空じゃないかい?」

そう言って村長は拓也のコップになみなみと焼酎を注ぐ。

「何にせよ。全ては明日になってからだ。
若いんだからこの位は余裕だろう?さぁ かんぱーい!」

乾杯の掛け声と共に拓也は村長と一緒にコップを煽る。
喉を焼くアルコール。
鼻腔を刺激する紫蘇の風味。
回りだす世界の中、アルコールというビックウェーブに拓也の意識は急速に飲まれていった。







う…ん…
体がだるい
頭がボーっとする。
拓也は目覚めるなり、体の不調に気付いた。
おかしい、昨日はチャンポンせずに飲んでいたはず… 普段ならここまで体調は悪化しない。
そんな事を考えながらも拓也は再度起きようと試みるが、意識がもうろうとするためにバランスを崩し、盛大な音と共にベッドから落下した。

「社長!大丈夫ですか?」

拓也の倒れる音を聞いて、いつもの三人組がなだれ込んできた。

「教授達やエドワルドさん達も軒並みダウンしているので、まさかと思えば社長もですか」

「教授達も?」

拓也は怪訝な表情で報告を聞く

「えぇ!私ら元々こっちの人間以外は皆起きて来ません。
昨晩一緒だった村人もピンピンしてます。
社長たちだけがダウンしてますよ」

おかしい…只の飲み過ぎであれば、彼女ら亜人達にも影響がありそうだが(事実、浴びる様にして飲んでいた物も数名いた)
ピンポイントで地球からきた人間だけが体調の不良に陥っている。
これは…何かの風土病だろうか?

「とりあえず、連絡を… あぁ!そういえばネットワークの設定がまだだったな…
指示を出すからネットワークの設定をやるぞ。
すまないけど、気球の下まで連れて行ってくれ」

「了解!」

そうして彼女らの肩を借りて宿の外に出てみるが、そこで拓也は息を飲んだ。
ドアの向こうは一面の白だった。
昨日の雨はすっかり止んでいるが、外はまるで牛乳のような濃密な霧。
視界は5mもあるだろうか。
目と鼻の先にあった村長の家も、霧に覆われてみる事が出来ない。

「なんだこりゃ」

「あぁ これは聖なる霧です」

「聖なる霧?」

「なんでも神様か精霊が、地上のあらゆる物に触れて調べるために作られたとか言い伝えはありますが
大体、一年に一度発生するんですよ。年によって時期はまちまちですが、大体10日くらい続きます」

「こんな霧が10日も!?」

「そうですよ」

さも当たり前のようにヘルガが言うが、拓也にとってこれは想定外だった。

「これじゃヘタに動けないな…
まぁいい。取りあえず建物伝いに気球の所まで行こう」

そういって気球の下にまでやってくると、基礎の部分にある設備のカバーを開け、ネットワークにつなぐ設定を開始する。
ハード的な工事は昨日終わらせた。あとは、ソフト面での設定だけのはずだったのだが…

「バッテリーが少なすぎるな」

コンソールを見てみると、濃密すぎる霧で太陽電池パネルは役に立たず、サブの風車も昨日から無風に近かったのか余り充電できてはいないようだった。
だが、何はともあれ調査隊に異常が発生したことを政府に報告しなければならない。
拓也は、他の亜人の社員も呼び、車から取り外したバッテリーで非常電源を確保して通信システムを起動してみるが
いくらやっても通信が成功しない。

「マニュアル通りに設定はしたよな… なにが悪いんだ?」

何度確認してもマニュアル通りに設置されている。
非常用に取り付けたバッテリーも正しく接続されている。
全く持って悪い個所が見つからない。
時間と共に朦朧とする意識の中、拓也は別の手を使うことにした。

「カノエ、BTRまで連れてってくれ、車載無線で軍に呼びかけてみる。
ヘルガはそのままアコニーと一緒に、教えたとおりにネットワークの設定を試してみてくれ。
何かあったらレシーバーで連絡する」

ネットワークに接続できない。
ならば、頼るのはこれしかない。
拓也はそう思って装甲車まで戻り、無線のスイッチを入れた。

『調査隊12より調査隊4。応答願う』

『ザー…』

『こちら調査隊12、調査隊4聞こえますか?』

『ザー…』

…おかしい
それから幾度も拓也は無線を送り続けるが、一向に返事がない。
この村に来る前、最後にネットワークで確認した時は、軍の第4調査隊がこの付近で活動していたはずだ。
かれらの活動予定範囲は十分に無線の範囲内のはずだ…
もしかしたら、彼等にも何かあったのだろうか
拓也は最悪の想像をしつつ、なおも無線を送り続ける。

『こちら調査隊12.誰か聞こえるか?』

『ザー…』

「何の反応も無いですね」

全く反応の無い無線をカノエも心配そうに見つめる。

「あぁ…一体どうなっているんだ?」

「ヘルガ達も同じですかね?」

「そうだな。一応聞いてみるか。」

そう言って拓也は持っているレシーバーを使い、ヘルガに状況を聞くことにした。

『ヘルガ。そっちはどうだ?ネットワークに接続できたか?』

『ザー…』

『ヘルガ!』

『ザー…』

「レシーバーも駄目だ」

いくら問いかけても応答がない。

「如何します?」

「とりあえず、一旦宿に戻ろう。
今後の対応を考える必要がある」

拓也はそう言って宿まで戻る為にカノエの肩を借りようとするが、足取りは先ほどよりも酷くなっている。

くそ!こんな時に限って通信がイカレて孤立するとか最悪だ!

拓也は不安を伝播させないよう誰にも聞かれないように心の中で叫ぶが、その表情は本人も気付かぬうちに険しいものになっていた。
その為、宿に戻ると拓也達を見つけた他の社員が心配そうにこちらを見て来るが、その表情を見るなり誰も話かけてはこない。

「カノエ、みんなを集めてくれ。話さなきゃならない事がある。
あぁ だが、起き上がれない人は無理に連れてこなくてもいい」

カノエは拓也を椅子に座らせると即座に駆け出した。
暫くすると、カノエに呼ばれた亜人の社員たちが集まってくるが、他の人間の姿は無い。
唯一、エドワルドがカノエに付き添われて現れたが、教授や他の人間は動けそうにないようだった。
拓也はエドワルドが着席し、他に現れる人が無さそうな事を確認すると。
皆に現状を説明しだした。

「……何度もやってみたが機械に故障らしい故障も無い上、無線を使う機器が軒並み駄目だ。
政府に応援を要請したいところだが、通信が出来ない以上どうする事も出来ない」

「原因はこの霧か…」

拓也の説明を聞いてエドワルドが呟く。
原因不明の体調不良、無線機器の障害、その全てはこの霧の発生から始まっていた。
何かしらの関係があるのだろう。

「普通の霧ならばすぐに晴れるんだろうが、厄介なことにこの霧は普通のモノじゃなく晴れるには時間が掛かるそうだ」

「ええ、この霧は毎年発生してまして晴れるのに10日前後かかりますよ」

拓也の言葉の後にカノエが補足する。
それを聞いて、エドワルドの眉間に皺が寄る。

「そうなると動けないな。こんな深い霧の中で移動するなんて危険すぎる。」

「なら村人を案内に立てて別働隊を出しては?
幸い、辺境伯領は昔の領主様が魔法で街道を整備したために、それなりの道が整備されてます。
案内板を辿れば、前に通った軍のキャンプあたりまで戻る事も可能ですよ」

エドワルドと拓也が苦虫を噛み潰した表情でどうした物かと思案していると
ヘルガが伝令を出したらどうかと進言するが、拓也はそれを却下する。

「駄目だな。俺たちが車の運転も出来ない状況じゃ、初心者ドライバーの君らだけになる。
そんな君らに視界ゼロのなかを運転とか自殺行為だ。
こんな霧の中で仮に事故でも起こしたら、助けに行くこともままならない。」

「それじゃぁ徒歩は?」

ヘルガは何とか自分たちに何か出来ないかと思案するが、今度はそれをエドワルドが否定する。

「最後の軍の中継キャンプから距離がありすぎる。
それにこの村の手前にあった橋は崩落してしまった上、昨日の雨で増水もしてるだろう。
ここは、霧が晴れるまで宿で安静にしているほかにないと思うんだが、どうだろう拓也」

「ああ、自分も同じ事を思っていたよ。
原因不明の病気も不安だが、動けない以上仕方ない。
霧が晴れるまで、現在地で待機となるが、自分もエドワルドもこんな状況だ。
可能な限りは自分が指示を出すが、自分もエドワルドも駄目なときは、ヘルガ。君が皆を統率しろ」

「え!?私ですか?」

いきなりの指名にヘルガが飛び上がる。

「ヘルガが頭で、カノエが補佐。
もし荒事になったらアコニーが指揮を取れ。みんな分かったか?」

「「了解」」

全員が戸惑いながらも返事を返すが、名前の出た三人は明らかに動揺していた。

「じゃぁ ヘルガ。部屋で寝込んでいる教授達に方針を伝えにいってくれ。
本来なら自分が伝えに行きたいんだが、もう無理だ。
瞼が重い…」

そう言うと拓也は、椅子からバランスを崩して倒れこむ。

「ちょっと!しゃ、社長!大丈夫です!?」

急に倒れた拓也を咄嗟にヘルガは抱えるが、拓也の体を揺すっても目を覚ます兆候は無い。
これは大変だとエドワルドの方も確認してみるが、どうやら向こうも同じような状況だった。
椅子に腰かけたままピクリとも動かない。

「社長ー!!」

ヘルガが叫ぶ。
だが、拓也から目に見える反応は返ってこない。
拓也はヘルガの叫びを聞きつつも、微かに掴んでいた意識の手綱を手放したのだった。





一方その頃、村から然程離れていない森の中では…

「おーい。ただいまー!」

いつぞやの盗賊の女の亜人が、捕まえた人質と奪った荷物を荷車に乗せて森の中にある天幕に向かって叫ぶ。
見れば、森の中とはいっても木を切り開いて広場が作られており、複数の天幕が並んでいた。
そして、彼らが広場に入ると一番大きい天幕から出てきた人影が彼らを出迎える。
ブチの入った茶色い尻尾に、イヌのような形の茶色い耳の亜人の女。
その特徴は盗賊のリーダーをしていた女と似ているが、こちらはそれよりも年を喰っているようだった。
彼女は帰ってきた一行に近づくと、リーダー格の女に話かける。

「首尾は?」

「上々だよ。かーちゃん。
特にイラクリなんて一人で用心棒野郎の首を掻っ切ってやったよ」

そう言って女は横に座る弟の頭を撫でる。

「おー あんたも仕事を覚えたかい。いい子だねぇ。
まぁ それはそれとして、タマリ。稼ぎを見せてもらうよ」

彼らの母親だという女は、ズカズカと乗り込んで荷台を見る。

「ん~ あまり値の張る物は無いね。
金になるっていったら、攫ってきた奴を人買いに売るくらいさね」

女は荷台を見渡した後、長い溜息を吐いた。

「え~。かーちゃん、それは無いよぅ。
わたしら頑張って奪ってきたんだよ?」

「頑張りってのは結果が無けりゃ無駄なんだよ」

「むぅ~…」

タマリは母親の言い草に口を突き出してむくれるが、一つある事を思い出した。

「そう言えば、かーちゃん。凄く珍しい物を持ってる奴らを見たよ」

「珍しい物?」

「見た事も無い魔法の荷車に乗って、これまた食べた事も無い菓子とか持ってたよ。
追いかける途中、霧が出たんでこっちに戻って来たけど、奴らこの先の村に行くって言ってたよ」

タマリは、これならどうだと胸を張って報告する。

「そうかい… 村か…
今は聖なる霧の時期だから、村人たちも大した警戒は出来ないだろうね。
それに私たちゃ人族と違って鼻と耳が効く…」

「かーちゃん、やろうよ。ね?」

タマリがニヤリと笑う。

「そうだね。襲うなら今だ。
とりあえず、あんたらは帰って来たばかりだから少し休みな。
たんと休んだ後は… 分かってるね?」

「そりゃもちろん!」

「そうと決まったら、荷解きは私らに任せて、お前たちは飯でも食って休みな。いいね?」

「おーう!」

そう言ってタマリとイラクリは、飯炊き場に向かおうと馬車を降りる。

「じゃぁ あたしは人質を牢にでも… ん? こりゃ、なかなか可愛い顔した子も混じってるね」

捕まえた人質を検分して牢へ移動させようとする女だが、その中の一人が彼女の目に留まった。
むさ苦しい商人の男などが荷台に転がる中、少年が一人、泣きそうな瞳で彼女を見上げている。
彼女はその顔を見て、じゅるりと舌を舐めた。

「あ!だめだよ、かーちゃん。それ、あたし用に捕まえたの!」

「五月蠅いよ!あんたは黙って飯食って寝ちまいな!
人質の検分はあたしの役目だよ。あんたの所には後で回してやるからそれで我慢しな!」

「え゛ぇ~」

タマリはそりゃないよと言いたげに不満感を露わにするが、それ以上の反抗は出来ない。
それがタマリとこの集団の長であるニノとの力関係の証左であった。

「良いからあんたはさっさと休みな。
次は小さいとは言え、村一つだよ。
それが上手くいけば、何でも好きな物を取っていいから、それで我慢しな」

「うむぅ~… はぁ~い…」

ニノはそう言ってタマリを納得させると、少年を連れて天幕へと消えていく。

「ねーちゃんも大変だね」

がっくりとうな垂れるタマリを見てイラクリが慰める。

「う~ん あんたは良い子だね。
はぁ… かーちゃんに取られたら絶対にあの奴隷壊されちゃうよ。
折角捕まえたのに…」

「よくわかんないけど、次の村を襲った時に、また捕まえればいいじゃん。
ねーちゃんなら奴隷も一杯捕まえられるよ」

そう言ってイラクリはタマリに子供らしい笑顔で笑う。
それを見て、タマリも励まされたようだ。

「そうだね!
人族の村なんて、あたしにかかれば只の餌場みたいなもんだよ。
おねーちゃん頑張るから、あんたも応援してね!」

「うん!」

そうして二人は飯炊き場に向かって歩いていく。
次なる獲物に備え、しばしの休息を取るために…



[29737] 魔法と盗賊編1
Name: 石達◆48473f24 ID:a6acac8b
Date: 2012/11/29 01:17
拓也は夢を見ていた。
長いまどろみから覚醒すると、かつて働いていた名古屋の会社にあった自分の机に、拓也は座っていた。
自分の格好を見てみれば、いつものブルーの作業着に安全靴を履いている。
PCのデスクトップに表示される日時は、去年の盆休み前。
拓也は明日から北海道に帰省する予定の為、手を付けたら面倒そうな仕事には手を付けず、
机の上の整理整頓をして定時待ちモードとなっていた。

「なんだ。全部夢だったのか」

そう言って拓也は溜息を吐く。
何とも不思議で長い夢だった気がする。
だが、拓也はある事を思い出しハッとして周りを見渡した。
幾ら盆休み直前とはいえ、就業時間中に居眠りをしている所を見つかれば何と言われるか分からない。
だが、幸いにも周りの人間でおかしな素振りを見せている者はいない。
居眠りしていたのはバレてはいないようだった。

「それにしても変な夢だったな」

拓也は小声で独り言を呟くとクスリと笑った。
北海道に帰省したら、異世界への転移に巻き込まれ、色んな人たちの助けを借りて起業。
それに国後島での銃撃戦や、異世界での調査隊派遣など荒唐無稽も良いところだ。
拓也は余りに現実離れした夢の内容を思いだし、「最近、マンガの読み過ぎかな~」等と思っていると、工場内に響き渡る様にチャイムが響く。
そのチャイムを聞いて時計を見れば、待ちに待った五時の定時になっていた。

「仕事終了~。さてと、盆休みだし家に帰るか」

どうせ他の会社も盆休み直前なんてロクに稼働していない。
入ってくる部品が無ければ、品質管理なんて居ても意味がないので、さっさと帰る事にしよう
そう思って拓也が自分のカバンを手に取り家に帰ろうとした時だった。

「石津くん。帰るのちょっと待って」

もうすっかり帰宅モードとなっている拓也に、背後から声がかかる。

「…本日の営業は終了しました。御用の方は盆明けにお願いします」

「そう言うなって。
今、加工屋から電話があって、鋳物部品の加工面に素材不良が見つかったそうだ。
んで、使用可否の指示が欲しいってさ」

ギギギ…と首を回して振り向くと、そこには製造課のリーダーが手招きをしている。

「今からですか?」

「そう、今から。
加工屋が言うには、今日判定を貰えれば盆明けの納入に間に合うそうだ。
生産スケジュールも遅れ気味だし、ちょっと頼むよ」

「もう帰る気満々だったのに… しょうがない、わかりましたよ」

諦め加減に承諾する。
するとリーダーの方も、逃がさずに捕まえられたとでも言いたげな笑顔で話を続けた。

「いやぁ すまないね、品管さん。じゃぁ、後はよろしく」

「ふむぅ… ちょっと待ってください。嫁に帰りが遅くなるって電話してからそっち行きます」

あともう少し早く帰っていれば逃げられたのにと思いながら拓也は電話を取る。
ダイヤル先はマンションで拓也の帰りを待つ嫁のエレナ。
幾ら仕事とはいえ、ウチのお嫁様は連絡なしに残業すると、せっかく作った晩飯が冷めると怒るため
残業の際、拓也は出来る限り彼女に電話していた。

プルルルル…… プルルルル…… ガチャ

『Aлло?』

何度かのコールの後に電話がつながり、電話越しに嫁の声が聞こえる

「あ、エレナ。拓也だけど」

『どうしたの?今、晩御飯の準備中であまり手が離せないんだけど』

「それなんだけどさ、今日ちょっと残業で遅くなりそうなんだ」

『え~。タケルもあなたの事待ってるのに、何とかならないの?』

電話越しからもわかる不満の声、時折電話の向こうから「パパは~?」と子供の声が聞こえるのがつらい所である。

「まぁ そんな訳だから、帰るのはちょっと遅くなるわ」

そう言って拓也は説明するが、返ってきた声のトーンはそれまでとはまるで違っていた。

『…え、帰る?あなた一体どこに帰るの?』

ビックリしたような、それでいてどこか冷めた声でエレナが言う。

「は?家に決まってるじゃん。そんなふざけてないで機嫌治してよ」

『いやだから一体どこに帰るの?帰る所なんて… もうないのに…』

一体、彼女は何を言っているのだろうか。
だが、嫁の声にふざけている素振りは無い。

「帰るっていったら、俺らのマンションしか無いだろ。一体何を…」

そこまで言って拓也は気付いた。
周りの風景がおかしい。
さっきまで沢山人が居たのに、人っ子一人いない所か物音すら聞こえない。
よく見れば、何時の間に工場の電気を落としたのか、事務室の外が真っ暗で何も見えない。

「ちょっと待ってて…」

そう言って拓也は受話器を机の上に置くと、事務所の扉を開け放つ。

「何だよこれ…」

拓也は絶句した。
そこには何もなかった。
先ほどまで工場の敷地が広がっていた所は、真っ暗の、漆黒の無が広がっているだけだった。
その光景に呆然としていると、机に置いた受話器からエレナの声が聞こえる。

『帰る所なんてもうないの。 それに私たち…  …もう人間じゃないでしょ?』

受話器から聞こえる不吉な言葉。
拓也は恐ろしくなって電話を切ろうと受話器を持ち、手が止まった。
そこには先ほどまで普通の手だった自分の手が、筋肉質で異質なナニモノかに変わっている。

「うわぁ!」

拓也は電話を投げ捨て、体の他の部位も確認する。
見れば手足の長さも変わり、その爪はまるで魔女の様に長く鋭くなっている。
顔は?顔はどうなった?
拓也は自分の顔をまさぐるが、触感だけではどうにもよくわからない。
拓也は鏡は無いかとあたりを見渡し、そして見てしまった。
事務所の壁にかかる身嗜みをチェックする為の鏡、そしてそこに写る… 変わり果てた自分を…





「うわぁぁああぁぁあああぁぁぁ!!!!!」

叫び声と共に拓也は飛び起きた。
荒れる息を何とか沈め、ビクビクしながら辺りを見渡す。
かなりシッカリした石造りの壁に天井。

「ここは… どこだ?」

先ほどまでのリアルな夢?のせいで何処から何処までが現実なのか分からない。
とりあえず自分の現状を確かめようと視線を自分の体に戻した瞬間、バーンという音と共に勢いよく扉が開け放たれた。
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