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[29543] とある陰陽師と白い狐のリリカルとらハな転生記
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/04/29 22:59
りりかるなのはのこんにちは、篠 航路と申します。
本作品はアニメ「魔法少女リリカルなのは」を主軸の世界に ゲーム「とらいあんぐるハート1・2・3」の設定や人物(あとオリ主)をぶち込んだ完全オレ得なSSになります。

注)話の流れとしては、とらいあんぐるハート3の物語を書いてからリリカルに入ることになるので、魔法やら管理局が絡んでくるのは物凄い遅いです。

ps.感想でいくつか訊かれたことなのですが、アニメ「リリカルなのは」の登場人物に関してはアニメ版が仕様になる予定です。(なのはちゃんに関しては作者自身も、原作仕様にするか、アニメ仕様にするか迷い中だったりします(汗)。ただ完全な原作仕様にしちゃうと、無印やA’sはともかく、Stsは完全になのはちゃん抜きになりそうなので……うーん、どうしたものか。中間辺りが一番なんでしょうが、……考えときます


2011/10/02 とらハ板に移動しました。


処女作ですが、どうかよろしくお願い致します。







[29543] 第一話 小説より奇なことって意外といろいろあるらしい 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/02 17:34
和泉 春海<いずみ はるみ>。
年齢、2歳と半年と少し。
性別、男。
此処海鳴市の街の少し端に位置する和泉家に生まれた長男であり、一人息子。

それが『僕』だ。

生まれが海鳴でも有数の金持ちだとか、特別な異能を扱う一族の末裔だとか、不治の病を患っているだとか、そんな特別な事項は何もない。

ただ、これらの自己紹介では付け足していないことが一つだけある。
まだ誰にも話しておらず、そしてこれから先も誰にも話すことがないであろう『俺』のプロフィール。



唐突で脈絡なさすぎて実に申し訳ないのだけど、自分は『前世の記憶』というものを信じている。
というよりも、“信じざるを得なかった”と言うのがこの場合正しいだろう。

───なんたって僕自身がまさに『それ』を持っているのだから。



『僕』が『それ』を思い出したのは、生まれてから1年と半年が経ったある日のこと。

別段、生まれた瞬間から『前』の自分の自覚があったわけではない。
幼心に“自分”と“他人”というものの区別が付くようになるにつれて、だんだんと今世で自分が体験していないはずの記憶が浮かんできたのだ。

最初は、夢心地のようなまどろみに中で徐々に『前』の自分を自覚し。
次に、やや開けてきた意識の中で『今』の自分の状況の認識。

生まれて2年と少し経つ頃には、『前』と『今』の自分がパズルのピースのように上手く噛み合い絡み合い、違和感なく“僕”が居た。

その際に、記憶に対する混乱は自分でも驚くほど少なかったように思う。
「ああ、そんなこともあったな」と自分の経験として、それがしっくりきたというのも理由の一つかもしれない。

『前』の死因は本当に幽かにしか覚えていないものの、死んだことに対する恐怖や混乱もあまりなかった。
多分これに関しては「今の自分は生きているのだから関係がないこと」として、脳が『前』と『今』を切り離して判断しているからだと考えている。
というか、そうでなければ自分が死ぬ記憶なんぞ幼児の体には悪影響が過ぎる。
普通に考えてトラウマものだろう。


閑話休題。


まあそんな感じで子供の体に大人の意識という某少年探偵のような状況の『今』の僕は、かなり早い段階で親離れをしてしまったように思う(たぶん世界最速だろう)。
この辺りは、そんなひどく冷めたクソガキであっても気にせず育ててくれた今世の親に感謝の毎日である。





で。

そんなリアルコナン君な僕が現在何をしているのかと言うと、家の敷地内に建っている離れである蔵の中で自分が使用していた遊び道具探しである。
……先に言っておくが、自分が使うためではない。

前述したように僕には前世の記憶があるため、この手の幼児用の遊び道具は以前に少し使っただけで今の僕にはもう既に必要なくなっていた。
何せ中身は元大学生なのだ。

それに、混乱は少なかったにしても自分にとっては全く覚えのない記憶である。
当時は“前の記憶”と“今の記憶”の整合性を付けるために父親の読み終わった新聞や雑誌の類を読み漁って情報を整理することがしばしばだったと思う(幸い、親はそのときの僕が新聞を理解できているとは思っていなかったようだ)。

当然ながら遊び道具はすぐさま無用の長物に。
結果として自分の初の遊び道具や知的遊具は殆ど手を付けられることなくお蔵入りしていった次第である。

それなら何故自分がそんなものを今さら探しているのかと言うと、別に今になってそれらに興味が湧いた───という訳では断じて、ない。

では何故かと言うと。
妹が生まれるのである。それも双子の。

───現在、僕の母親はそのお腹を膨らませて二つの生命を宿していた。

いくら僕という子供が生まれたからといって両親も僕に掛かりっきりという訳ではなく、やることはやっていたというわけだ。
……というよりも、母親が妹をその身に宿したのは僕が2歳になって間もない頃なのだ。当然、そんな僕に一人部屋などあるはずもなく、寝室は両親と同じ部屋。
両親は僕が既に眠ったものと思っていたようだったが……まあ、一度だけしっかりと起きていた時があったのだ。

妹誕生の瞬間である。

と、そんな感じで子供が作られる過程を息子が目撃するという子供にとってのトラウマ家族イベントを乗り越えつつも、『前』を含めても僕にとって初めての妹である。
自分としても早い段階の親離れで両親には多少申し訳なく思っていたため、この妹の誕生は非常に嬉しいものがある。
勿論それだけでなく、単純に家族が増えるという喜びもあるけど。

そんなわけで、今は一度お蔵入りしてしまった新品同然の乳児用玩具を探索中。
父親はただいま会社に出勤しており、母親は大事をとっての自宅休養。
別に僕がわざわざ探す必要はないのだが、先ほど言った両親への申し訳なさもあり、妹のことに関しては両親を全力でサポートすると決めているのだ。
これもまた、その一環である。





そして僕は我が家の物置と化している蔵にやって来て、ムダに広い蔵に置いてある箱やら何やらをひっくり返しているのだが、

「あれー……見つかんねぇな……」

見つからない。

蔵には電気が通っていないため、光源は何箇所かに配置されている窓から差し込む太陽の光のみ。中は薄暗くて見え難いことこの上ない。
両親も蔵にしまったということ以外は忘れてしまったようで(まあ、そもそも僕が以前の大掃除の際に使わなくなったものとして間違って箱詰めしてしまったことが原因なのだけど)、正確な場所も分からない。

「無駄に広いんだよなぁ、ここ」

我が家は何代も前から代々受け継いでいるだけあって古めかしく、無駄に広い。当然それはこの蔵にも言えるわけで、幼児の体ではいささか辛いものがある。
それでも、このくらいなら大丈夫だと思っていたけど……。

「さすがに出直した方がいいかもな……」

探し始めて既に30分は経っている。
もう少し成長していればこのまま探し続けることも出来るのだが、今の自分があまり長く探していたら母親に心配をかけてしまう。

今日のところは止めにして、また明日探しに来よう。

そう結論付けて、出していた箱を壁際に寄せるためにグイグイ押していく(まだ持ち上げることが出来るほどに筋肉がついてないのだ)。
そこで、ふと気がついた。

「……何だこれ?」

今自分は蔵の中の壁の一角にいて、目の前には壁がある。それだけなら何ら気にすることではないのだが……

「……ズレてる?」

その壁の一部がズレているのである。
よく見てみるとそこは隠し扉のようになっているようで、指を引っ掛けると案外簡単に開きそうだ。

「そういえば、昨日の夜に地震があったって母さんが言ってたっけ……」

僕はそのとき寝ていたし、その地震も確か震度が1か2だったこともあってあまり気にしていなかったけど。おそらくこの隠し戸もその地震が原因でズレたのだろう。
まあ、ひょっとしたら僕が知らなかっただけで、この隠し戸自体は両親も周知だったのかもしれないが。


ともあれ隠し戸である。


当然この中に何が入っているのか気になる。僕にだって人並みのは好奇心もあるのだ。
『好奇心は猫をも殺す』とはいうものの、こんな自宅の蔵の一角に生き死に関わるようなものがあるとも思えない。そもそもそんな死の危険が身近にある家なんて嫌すぎるし。

そんな感じで僕は深く考えることなく戸の隙間に指を引っ掛けるようにして、その土色の扉を開いた。





今にして思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。

ひどく刺激的で、悲しいことも沢山ある、だけどすごく大切なものにあふれた、そんな物語の。





「……箱?」

果たして隠し戸の中にあったのは、少し大きめの木箱。別に封をしているわけでもなく、幼児の自分でも開けられそうだ。

という訳で開けてみる。

中にあったのは、ボロボロで端々が欠けている本、それぞれ紅・黒・黄・蒼・白色の5枚の御札、狐をかたどったお面、そして達筆すぎる黒字が満遍なく彫ってある盤だった。

それは別にいい。いや、正直何でこんなものが家にあるのか疑問ではあるが今はいい、些細なことだ。


それより問題なのは。


「き、狐……?」


───いきなり僕の目の前にデンと現れた、この真っ白な狐の方だろう。






(あとがき)
第一話はプロローグで、全部で3まである予定です。





[29543] 第一話 小説より奇なことって意外といろいろあるらしい 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/02 17:35
蔵の隠し戸の中に入っていた木箱を開けると、目の前に眠っている真っ白な狐が現れました。まる。

「はっはっはっ、ねーよ」

いや笑いごとでもねぇな。

「ていうか、おおい!何だこれ、脈絡なさすぎだろう。開けるとメートル級のキツネってどんなビックリ箱だよ。ビックリ過ぎて逆にリアクション取りづれぇよコンチクショー。約2000字に渡ってしたはずの『俺』の生い立ちとか今の状況説明とか全無視じゃねーか。ホント何コレ?前振りすらなかったよね?いやいやいやいや、落ちつけ俺。クールビズ。違う。ビークール。いやいや、それはいいんだよ。そうだ。もしかしたら俺が見落としていただけで壮大にして繊細、且つエキセントリックな前振りがあったのかもしれない。よし!そうと決まればまずは落ち着いてタイムマシンを───」

テンパリ過ぎて人類未到達の領域を探し求めていた僕だった。思わず素の一人称が飛び出たり。

しかし、そんな前世の記憶を思い出したときよりテンパる僕を遮るように、

「長いわ、童」
「ッ!?」

何やら怪しげな声がひとつ。

(何だ、今の声……?)

慌てて周りをキョロキョロと見渡すも、そこにはさっきまで僕が掘り返していた物の山があるばかりで誰の人影もない。

「何処を見ておる。此処じゃ此処」

その声がする方向を見てみると、其処にいるのは相変わらず眠ったままの大きな白い狐が、

───いや。

眠っていない。
起きている。
その狐はさっきまで深く閉じられていたはずの目は今ではしっかりと見開かれており、其処から現れた切れ長な真っ赤な瞳で僕を見ていた。……まさか。

「おいおい、……さっきの声は、お前が?」

傍から見たら奇妙な光景だろう。動物相手に人語で話しかける、違わず変人のそれである。
僕が幼児でなく成人であったなら、ご近所さんからの変人認定は避けられまい。

ただ、そんな本来独り言でしかないような僕の呼びかけに。

「その通りじゃ、童」

果たして、澄んだ高めの女性の声でそんな答えが返ってきた。





「じゃあ、お前は1000年くらい前の狐の霊なのか?」
「儂の身は既に精霊の其れじゃがな。お主が言うておるのはどうせ怨霊や雑霊のことじゃろ」
「はぁ……精霊ねぇ……」

個人的には精霊と妖精がどう違うのか気になるところだな。
目の前のはティンカーベルには程遠いし。
ディズニー。



あれから狐が喋ったことに絶叫しつつも、僕は何とか落ち着きを取り戻してそのまま目の前の狐とお話し中。
どうやらこの狐は平安時代を生きた狐の妖の霊(精霊?)らしい。

「にしても平安時代か。にわか知識だけど、その時代って確か陰陽師の全盛期だったけか。そんな時代に、よく霊が無事でいられたなぁ。いや霊になっている時点で無事って言えるのかは知らないけど」
「じゃから精霊じゃというに。……それに別段、儂は奴等にとっては討伐対象という訳でもなかったしの」
「討伐対象じゃなかった?」

……そうか。そういうことか。
解かった。僕は全てを理解しました。思わず狐に向ける視線も憐みを含んでしまう。

「……おい。何じゃ、その腐った兎を見るかの如き目は」
「さり気にグロいもん想像させんなや。……まあ、あれだ。お前弱かったんだろ?」
「ぬなッ!?」
「いやだって討伐対象にならんくらいに弱かったってことだろう?」

あれ?違った?個人的にはいい線いってると思ったんだけど。

「そんなわけあるかーッ!其処らの木っ端陰陽師なんぞ相手にもならんわ!」

うがーっと大きく口を開けて(僕がスッポリ入るサイズ)吠えるように捲し立てる狐様。
戦慄である。

「あ、そ、そうなんだ。いや、ごめん」

謝ったのに、どうやらきつね様は僕の返答がお気に召さなかったらしい。こっちの方を疑わしそうにじと目で見ながら、その毛並みと同じ真っ白な歯をむき出しにしてくる。
歯並び良いね。口のサイズがサイズだけに恐怖しか湧いてこないけどな!

「……疑ぐるようならぬしを頭からガブッと」
「申し訳ございませんでした!」

土下座である。
いや無理だって。怖いもん。この狐3メートル以上だよ?じゃれつかれただけで致命傷だって。

「……ん?ってちょっと待て。ならなんでお前、退治されなかったんだ?普通の陰陽師が相手にならないって言うんなら、それこそ陰陽師総出で討伐に来そうなものじゃないか?」

人間は基本的に今も昔も異端に対して容赦しない動物である。中世に西洋で起きた魔女狩りなんかはその最たる例だ。
それが魑魅魍魎の全盛期である平安時代ともなると尚更だろう。

「ふん、頭の巡りは悪くないようじゃな。にしてもお主、儂と普通に話しておるのう。まるであいつと話しておるようじゃわい」

もっと怖がれ、面白くない、と呆れた様子の狐。
面白い面白くないでビビらせないで下さい、僕のハートはガラス製なんだから。美しくも脆いんだから。割れ物はもっと丁重に扱えよ。

あと、あいつって誰よ?

「まあ、そっちが僕を食べるつもりならこんな話なんかするまでもなく、今頃お前の腹の中だろうからなー。意思疎通が出来る時点で恐怖も結構薄れてきてるし」

もともと僕は幽霊とか怖がる方じゃないし。
って、あれ?霊って人間食べれるの?……ま、いっか。順番に聞いていこう。

「先の問いに答えるのなら、儂はとある陰陽師の所有霊≪アリミタマ≫じゃったからの」
「ありみたま?」

なんだそれ?『荒霊≪アラミタマ≫』なら聞いたことあるけど。ラノベで。

「陰陽師が術や闘争の手助けをさせる為に使役した霊のことじゃ。あいつが創った言葉故、語源は無い。まあ、どうせあいつにとっては式神代わりだったがの」
「霊を使役した、ねぇ。……スゲェな、そんなことまでするのかよ、陰陽師って。僕は映画……あ~、物語の中でしか見たことなかったけど、そんなの寡聞にして聞いたことなかったぞ」

教科書にはまず書いていないことだろう。
式神の方なら聞いたことがあるけどあれもまた少し違うっぽいし。確か前世で呼んだ漫画では似たような話があった様な気がするが……あの漫画って今の世界でもあるんだろうか?

「まあ、お主が聞いたことがないのも当たり前じゃよ。儂とて現代は兎にも角にも当時に霊と和解した上で共存した陰陽師などあいつ以外に知らん」
「さっきも出てたけど、その『あいつ』ってのは誰なんだ?お前の話だとお前を使役した陰陽師ってことになるんだろうけど……」
「お主の言う通り、儂を使役した主のことじゃよ。誰も見たことも聞いたこともない術を創りだし、訳のわからんことを言っては周りから変人と言われておった。そもそも傍から見て陰陽師かどうかすらも怪しい奴じゃったがな」

正道の術は大概投げ出しておったし、と続ける狐。いや、それはもう陰陽師じゃなくて完全に別物じゃない?

ただ、そう言う狐の口調や雰囲気は、どこか優しげで懐かしそうだった。
その“あいつ”のことが本当に大切だったんだなと、こっちにも伝わってくるような、そんな雰囲気だ。

「そっか……ま、それはいいとして。じゃあ何でお前はこんな他人様の家の蔵で寝てたんだ?」

普通に不法侵入じゃねぇか。動物に家宅侵入罪は適用外になりそうだけど。
そうでなくてもこのサイズの動物が街中で現れたら即通報されるだろう。こいつリアルもののけ姫が出来るサイズだし。

「別にただ寝とったわけではない。儂はあいつに書を守護するよう命令されとっただけじゃ。もっとも、盗みに来るような輩なんぞ、この800年終ぞ居らんかったがの」
「800年って……。」

スケールが違ぇ。というかどんだけ寝てたんだよ。
こち亀の日暮さんだって4年に1回は起きるぞ。……よく考えたら日本人の平均寿命が80歳程だから、あの人一生で一カ月も起きてないんだよな。
1回起きるごとにプチ浦島気分なのかもしれない。フィクションとはいえ、酷い話である。

「いや、別に年中寝とったわけではないが。時々は出歩いておったしの」
「おい、守護はどうした」
「……まあ暇しておったのは事実じゃな。正直なところ、人の子と話すのも久しいくらいじゃの。お主を追い払わずにこうして話しておるのも退屈凌ぎに他ならん」
「そーかい」

まあ、食われるよりマシだから別に良いけど。……ん?

「なあ」
「なんじゃい」
「今、書を守ってるって言ったよな。それってこれのことか?」

そう言いながら僕は木箱の中に入っている本を指差す。この狐が強烈すぎて箱のことなんかすっかり忘れていた。

「如何にも」
「というか、この箱自体何なんだ?統一性がなさすぎて訳が分からないんだが」

中身は“5枚の御札”に“狐面”と“盤”、それに目の前の狐が言うように“本”。
うん、訳が分からない。狐を前にして霞んでしまったが、この箱も十分にカオスである。

「あいつが使っとった式具と書き残した術書じゃよ。もっとも道具は兎も角、書の方は奴が独自の文字を使って書かれておる。」
「暗号ってことか。お前は読めないのか?」
「今も昔も儂は文字は読めん。尤もあいつは時が経てば読める者が現れるとは言っておったが。正直なところ、今となってはそれさえ眉唾じゃよ」

口を開けば湯水のように次から次へと適当なことを言う奴じゃった、と言ってため息を吐く白狐。
よほど苦労したのだろう、その背中には何処となく哀愁が漂っていた。

「へー、それはまた。僕としてはそんな本があるのなら是非とも読んでみたかったんだけど」

本物の陰陽師が書いた術書である。実践するかどうかは置いておいて、読むくらいはしてみたかったものだ。
しかし悲しいかな、当然のことながら平安時代の人間が考えた暗号文など元学生・現幼児の僕が読めるはずもなく。平安時代の文字をそのまま使っていたとしても難しいだろう。
古典は苦手なのだ。

僕は箱の中に置かれている本を手にとってみる。
本自体は1000年ほど前のものとは思えないほど状態が良い。まあ、この狐の話を信じるのならその人はかなりの腕利きらしいし、何かの特別な処置でもしたのかもしれない。
そう思いながら僕はそのまま本を開き、中のページを見て、

「……………………」

固まった。

「……おい」
「なんじゃい」
「この本ってその人が作った独自の文字を使ってるって言ったよな?」
「言ったな。あの時分の文字を原型にしておるらしいが、崩しすぎて欠片程しか残っておらん。少なくともあの時代に解読できた者は皆無じゃよ」

何を今更、などと言いたげなな顔をする白狐。
だが、次の僕の言葉を聞いてその目をまん丸に見開いた。

「……読めるんだけど」




(あとがき)

実際書いてみたらわかったけど、ギャグってホント難しい。





[29543] 第一話 小説より奇なことって意外といろいろあるらしい 3
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/04/22 19:41
「……読めるんだけど」

そんな僕の言葉に目を丸くする白狐。

……さっきから思ってたけど、この狐って1000年も存在しているからと言って別に落ち着いたり枯れているわけではないのね。さっきから滅茶苦茶顔に出まくってるし。
ひょっとしたらポーカーフェイスという概念自体ないのかもしれない。ジェネレーションギャップだなぁ。

そんなどうでもいいことをつらつらと考えながら、僕は言葉を続ける。

「というか、これ現代日本人は全員読めるぞ」
「?……どういうことじゃ」

白狐は怪訝そうな顔でジッと僕を見ている。
まあ、ポッと出のガキが手かがりなしの未知の文字をいきなり読めると言ってきたのだ。そりゃあ訝し気にもなるだろう。僕だって疑うわ。

ただ、今回ばかりは仕方ない。

僕は自分の手の中にある平安時代に書かれたはず書に目を落とした。

「だってこの文字───現代日本語だぜ?」

其処には多少達筆ではあるものの、僕が前世から慣れ親しんだ、現代的な仮名遣いの日本語があった。





「……どういうことじゃ。何故奴が平安の時分に記した書にお主等の文字が使われておる?」
「いや、それはこっちのセリフだって。正直、これが本当に平安時代に書かれたのかって思ってるくらいだぞ」
「……儂は嘘は言っておらんぞ」
「分かってるよ。そもそも会ったばかりの子供の僕にそんな嘘をつく理由がない」

ただ、だからこそ解らないんだよな。

「……なあ、この本って確かにその人が書いたのか?お前の勘違いや記憶違いでもなく」
「其れは間違いない。その書は確実に奴がわしに守護するように言い渡したものじゃ。…………疑っておるのか?」
「あー、違う違う!単なる確認作業だよ!一つ一つ可能性を確かめるだけだ」

噛むぞーとか言いながら、またしても白い歯をカチカチと鳴らしつつこちらを脅してくる狐に慌てて言い返して、僕はもう一度考えてみる。



・可能性① そもそも狐が勘違いしており、この本は現代に書かれたものである
話が前に進まないし、これ以上目の前でご機嫌斜めな狐に追求しようものなら頭からかじられそうなので却下。



・可能性② 狐の主が考えた文字と現代の日本語が偶然一致した
僕の頭でもその可能性があまりに低すぎることは分かるし、そもそも思考放棄でしかないので却下。



・可能性③ 未来予知のような能力で現代の日本語を知った
目の前の狐のような超常現象が既に存在しているため、意外と信憑性がありそうだけど、そんなんで未来予知するくらいなら自分で暗号文字を考えた方が楽そうなんだけど、どうなんだ?保留。



そして可能性④が『それ以外の何らかの要因により初めから現代の日本語を知っていた』いうものだ。
通常、可能性④は初めの3つの可能性が低い場合に想定するもので、そう簡単に『それ以外の何らかの要因』なんてものはそうそう思い浮かぶことではないんだけど……。


(僕、もう思いついちゃってるんだよなー……)


だって、他でもない僕自身が『それ』なんだ。思い浮かばないはずがないじゃないか。


「なあ、狐さん」
「なんじゃ、小童」
「その人って術の他にも、新しい発明なんかしてなかったか?」
「……確かに、職人を遣ってよくカラクリなんぞを作っておった。わしには理解の外じゃったがな。じゃが……」



───何故分かった?



白い狐の、血のように真っ赤な目が僕を射抜く。自身の大切な者に関することだからだろうか。その視線はこれまで以上に、鋭い。

(……にしても、やっぱりか)



多分、この狐の主である陰陽師は僕と同じ───『前世の記憶』を持つ人間だ。



僕のように『前』の知識を持ったまま平安の世の生まれ変わったのだとすると、ここに書かれた現代日本語も、目の前の狐の言う妙な術やカラクリというのも説明がつく。


『前』の知識によって、新たな術を考案する上でのアイディアを“汲み出し”。

『前』の知識によって、前人未到のカラクリを“再現し”。

『前』の知識によって、誰も知らない文字を“書き記す”。


平安の人間からすれば、確かに現代人のもつ発想は不思議極まりないモノだろう。



……ただそうなってくると、この狐にも話しづらいんだよなぁ。その陰陽師だけの話じゃなくて僕の出自まで話さなくちゃいけなくなるし。
まあ、そのあたりは正直に「言えない」って言うしかないか。

「あ~……そのあたりはあくまで可能性の話になっちゃうし、正直言いたくないんだけど。その人があんたに黙っていたのも何かしらの理由があるんだろうし」
「…………………………」

未だにこちらをじっと見ているが一応は納得してくれたのだろう、少し視線が和らぐ。

「とりあえず、この話はここまでだな」
「……まあ、よかろ」

多少強引になってしまったが、僕は断ち切るように話を切り上げた。

……いやだって、この狐の視線、怖いんだよ。正直いっぱいいっぱいなんだって。声が震えてないことを誉めてほしいくらいである。

よく見れば少し震えている手を根性で抑えつつ、僕は自分の手の中にある陰陽師の術が記されているという本を開く。読めると分かれば読んでみたい。

僕は狐が見ている前でゆっくりと読み進め───ずっこけた。

(いやいやいやいやいやいや)

思わず古典的リアクションを取っちゃった。

いや、だって、いきなり『元ネタ』とか書いてあるんだぜ!?そんでその後に『前』の僕が読んだことのある漫画やアニメのタイトルがズラリ。

………………………………。
……………………。
……………。
……。


「僕の考えほぼ確定じゃねえか!ネタバレするにしても、もうちょっとシリアス重視しろよ!?さっきまでの考察パート台無しどころか,クソ真面目に考えた僕が間抜けみたいなってるじゃん!」
「いきなりどうした、童」

狐が何やら話しかけてくる。が、ぶっちゃけなんか僕どうでもよくなってきたし。

萎え萎えである。

ああ、でもこれだけは言っておこう。僕は床に転がったまま、自信を持って言ってやった。

「お前の主人って性格悪いだろ」





とりあえず持ち直して、ある程度パラパラと手元の本を読んでみる。

やっぱりこの本自体は単なる術書でしかないらしい。内容自体は初歩的な術から酷く複雑な儀式術まで及んでいるみたいで、僕には理解できない部分も数多い。

「んー、やっぱり大半が理解できないな。そもそも基礎である『霊力』とか『氣』の部分からして分かり難いし。……こりゃあ僕には無理っぽいな」

別にそこまでやってみたい訳ではないけど、やはり未知のものには心魅かれる。今世でやりたいことが特にある訳でもないから、出来るのならやってみたかったんだけど。少し残念だ。

そんな僕の気落ちした雰囲気に気付いたのかは分からないけど、僕を見た狐が声を掛けてくる。

「別にお主は才能がないわけではないぞ」
「あ、そうなの?」
「今の儂が見えとる時点で最低限の才能は証明されとるしの。力の量もそこそこには有る。……なんじゃ。お主、やってみたいのかの?」
「興味があるって範囲を出てはいないけどな。ただ出来るって言うんなら、やってみたくはある」
「ま、儂はどちらでも構いやせんがの。お主が死のうが生きようが、儂にとっては如何でもいいことじゃ」

……ん?今、何か妙なこと言わなかったか?

「なんだなんだ、まるでこの本の術を覚えないと僕が死ぬみたいな言い方して。縁起でもない。日本語は正しく使おうぜ」

「分かっておるではないか。」





───正しくお主の言う通り、じゃ。





目の前の狐はなんでもないことのように、そう、言った。



「……どういうことだ?何でいきなり僕の生き死にの話になってるんだよ」
「分かっとらんの。お主、霊がそうそう見えるもんじゃとでも思おておるのか?」
「……?」

訳がわからない。

霊はそうそう目に見えるものじゃないなんて当たり前のことじゃないか。確かに僕は目の前にいる狐の霊が見えているけど、だけどそれで死ぬなんて……。

………………いや。

「……見えるからこそ、死ぬ?」

果たしてその言葉は確信を突いていたようで。ふむ、と狐が満足気にうなずく。

「気づいたか。やはりお主、馬鹿ではないようじゃの。
そも、霊というのは例外も多々存在するが、其の大半は本質的にはこの世に与える影響なんぞは微々たるもの。皆無と言ってもいいかもしれん。必然、意思なんぞ在って無いようなものが殆ど。漂っておるうちに消え逝くのが関の山じゃ」


じゃが、と続ける狐に対して僕は口を挟まない。挟めない。

僕の内から湧き上がってくる名状しがたい感情の激流が、僕に口を開かせてくれない。


「じゃが、其処にお主のような霊視が可能な者が居るとなると話が変わってくる。
見るということは定義付けることに似る。お主が視た霊は其の意思を顕在させ、お主に救いを求める。
霊なんぞ存在からして未練の塊。到底、人の子の身に耐えられるようなモノではあるまいよ。
中には未練を超えた害意を以て、お主に直接危害を加えるモノも居るやもしれん。俗に云う、悪霊、怨霊、霊障など呼ばれておるモノじゃの」





───まあどちらであろうと死、あるのみ───じゃ。





その言葉に対して、僕は額からいやに冷たい汗が流れるのを感じる。

息が乱れ、呼吸が速くなる。


───痛い。


思考を止めろ。


───暗い。

───怖い。


考えるな!


───悲しい。

───寒い。

───恐い。

───寂しい。

───助けてくれ。


思い出すな!!


───恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。寂しい。恐い。寒い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。寂しい恐い。寒い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。寒い。恐い。恐い。恐い。寂しい。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。寒い。恐い。恐い。恐い。寂しい。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。寂しい。恐い。寒い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。寂しい恐い。寒い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。寒い。恐い。恐い。恐い。寂しい。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。寒い。恐い。恐い。恐い。寂しい。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。痛い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐いこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ───!!!


「───カッ、……ハッ……アッ───!!!??」


呼吸が止まる。息が、出来ない。

視界の中に、横向きになった狐の姿があった。いつの間にか、座り込んでいた姿勢から倒れてしまっていたらしい。
だが、それさえも今はどうでもいい。

目の焦点を合わせ、ぐちゃぐちゃになった思考を必死で掻き集める。


「ア……ッハ……ひゅ、は、ぁ…………ゼェ……ゼェ、ぜェ……ゼェ……ゼェ……」


それでも思うように行かない呼吸を、意識して行う。吸って。吐いて。吸って。吐いて。吸って。吐いて。吸って。吐いて。

一つ一つの動作に意識を集中させなければ、呼吸さえも儘ならなくなっていた。


死。


それは『前』の僕が一度経験したこと。
確かに僕は前世での自分の死因なんか覚えてもいないし、そもそも本当に死んだのかさえ分かっていなかった。いま僕の中にある記憶でさえ、ひょっとしたらただの妄想の産物かもしれないのだと、心の何処かで考えていた。

だけど、今、確信した。

僕は『前』の生の中で、確かにその“終わり”を味わっている。

例え忘れていようと。

記憶になかろうと。

身体が拒否しようとも。

『俺』の意識が、本能が、細胞が───魂が“ソレ”を覚えている。

その圧倒的なまでの“死”の感覚は、僕の中でその猛威を振るい、僕の魂を内側から掻き乱していた。





───それでも




僕の中で眠っていた“それ”は、再び訪れようとしている死の脅威を前に叫んでいた。

力を手に入れろ、と。

次こそは乗り越えて見せろ、と。




───次こそは、守ってみせろ!!




『僕』の中から、そう叫んでいた。


**********


そのとき。
白い狐は、目の前の少年にもなっていないような童に対して驚愕の念を抱いていた。

初めに見たときはただのガキだと思っていた。
次に、話している内に年齢の割にひどく賢しいということが解かった。

何処となく『あいつ』を思い出させるようなところも有りはしたが、それも微々たるもの。やはり自分の興味を引くには足りなかった。

更には自分が死ぬという話を聞き、冷や汗を垂らし、息を乱して前後不覚に陥っている。
傍目から見れば、それはひどく無様。同情から、簡単な身を守る術くらいなら教えてもいいかとは考えていた。

しかしその数瞬の後、眼前の童の眼の色が豹変したことに気付き、内心軽く舌を巻いた。

その目に宿るのは、死んでたまるかという絶対の意志。
自暴自棄になっている訳でもなく、現実を正しく認識していない訳でもない。

自身の運命に対する理不尽への、反抗の意志。

到底、僅か二歳程にしか見えない人の子が宿すようなものでも、宿していいものでもない。

おまけにこのガキ、その押せば簡単に折れてしまいそうな細い手に持つ書を差し出しながら、



「この中にある生き残る為の術、教えてくれないか」



などと言ってきた。


いつもの自分ならば教えはするものの何処か面倒くさがっていただろう。場合によっては何故自分がそんなことを、と一蹴していたかもしれない。

だが、今回は些か事情が違う。

目の前の童が魅せるその目は、かつての自身の主たる『あいつ』───『和泉晴明〈イズミノハルアキラ〉』とひどく被る。

彼も普段は飄々としている癖をして、自身や他者の命の危険に際しては目の前の童のような眼をしていた。もしかしたらこの二人には何か似通った境遇の一つや二つがあるのかもしれない。


(あいつの言葉を借るのなら、此れもまた『縁』かの)


目を閉じた自分の口角が軽く持ち上がるのを自覚する。

面白い。実に面白い。

自分はあいつの一生を見てきた。其の『あいつ』と非常に被って見える『こいつ』。
こいつの一生が如何いったものになるのか。

波乱万丈なものとなるか、はたまた凡人のそれで一生を終えるのか、実に興味がある。

少なくとも、これまでの千年の暇を僅かでも埋めることは出来るだろう。

だからこそ自分はこう応えた。


「よかろ。此れもまた『縁』じゃ」


それを聞いて目の前の子も安堵したように息を吐き、笑みを返した。


「そりゃ良かった、よろしく頼むよ。じゃあ取り敢えずは今さらながら、自己紹介だ。僕は『和泉春海』。見ての通りとは言い難いけど、二歳児だ」


その名を聞いた狐は、やはり『縁』じゃの、と小さく呟いてから笑い返す。


「我が名は『葛花〈クズハナ〉』。齢千を数える賢狐の霊魂じゃ」










それは海と山に囲まれた小さな町の片隅にあった、ひとつの出会い。


少年と妖狐。人と霊。
異なる存在である一人と一匹の出会いが何を意味し、何を為すのか。


剣と魔法と霊と人。
日常と日常の狭間を彩る非日常が織りなす物語。


これにて、はじまり、はじまり。






(あとがき)

これにてプロローグ終了。
この第一話は主人公の春海とその相棒である葛花の邂逅と、春海が力をつけるための理由づけの回ですね。言うまでもありませんがリリカルとらハの世界は武力的な意味でいろいろフリーダムなので。
ただ別に最強だとかチートにするつもりはありません。あくまで原作キャラ準拠の強さにするつもりです。

実を言うと、この第一話自体今年の3月には考えていたのですが、思いついた次の日に東北で地震が起こって、第一話の1で少しだけ「地震があった」って台詞があったので(ほんの小さな部分ですけど)不謹慎かと思ってお蔵入りさせていました。
もともと絶対書いてやる、なんて熱血な想いは持っていなかったので(もちろん適当に書いたわけではないです)。

ただそれから半年して、ちょこちょこ書いていたものをこのままパソコンの隅で眠らせるのも如何かと思って投稿しました。

次は一気に跳んで小学校入学になります。

当SSは「亀更新・不定期更新・展開微速」という三重苦な作品ですが、どうぞよろしくお願いします。






[29543] 第二話 ガキの中に大人が混ざれば大体こうなる。 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/29 14:07
『ええー、新入生の皆さん。ご入学おめでとうございます』

体育館の壇上では初老の男性が、もはや定型句となった祝いの言葉を述べている。先刻進行役の先生の紹介があった通り、あの人がこの学校───私立聖祥大学付属小学校の校長だ。

周りでは白を基調とした制服に身を包んだ子供たちが用意されていたパイプ椅子に座っていた。笑っている者。不安そうな者。泣きそうな者。眠そうな者。退屈そうな者。その表情も千差万別、本当に様々で。

体育館の後ろ側では保護者である大人たちが我が子の晴れ姿を笑顔でビデオに収めていた。皆が皆、将来に一喜一憂して夢にあふれている。

そんな微笑ましい子供たち。



───その中に、ただ一人死んだ魚のような目をして、どんよりとしたオーラを隠すことなく垂れ流し状態にしている子供がいた。



口から吐き出される深いため息ですら色付いて見える。ドス黒いけど。その姿は周りの子供たちから浮いているどころか、なんかもう完全に別物だ。
周りの子供たちはその少年から漂う哀愁に完全にどん引きである。

そこから漂う悲壮感とくたびれ具合は、まるでリストラされた中年のそれだった。


ていうか僕である。


『なんじゃ。折角のハレの日に辛気臭い奴じゃのー。なんぞ、気に入らんことでもあるのかの、主殿?』
<気に入らんも何も不満しかねぇーよ>

僕の後ろから響く声に、音無き声を返す。

横目でそっと後ろを見ると、其処に居たのは絹のようにサラサラとした純白の髪を腰まで垂らした童女。
その白い頭からはキツネ耳がとびだしていて、小学1年生の僕よりも更に幼い体躯。黒地に鮮やかな朱色の彼岸花をあしらった着物を身に纏い、その背中でモフモフの白い尻尾を揺らしながら僕の肩に自分の顎をちょこんと乗せてニヤニヤと笑っている。うぜぇ。

<ため息の一つもつきたくなるよ。何が悲しくて小学生をもう一度やってんだろ、僕>

しかも短パン。なんかこう、精神的にクるものがある。

私服系統は母親に(泣いて)お願いして長ズボンに統一して貰っているものの、流石に制服には適用外でしたとさ。

『前世の知識などと訳の分からんモノを有しておることが、そもそも想定の埒外じゃろうて。諦めい』

それだけ言葉を交わして、再びため息が漏れる。
因みにさっきまでの僕の声は念話と呼ばれる、初歩に数えられる術のひとつである。相手と経路(パス)を繋げることで会話を行なう思念通話だ。

しかし僕の後ろの童女は声を抑えていないが、周りの人間は気にした風もない。

いや。

そもそも新入生の中に制服を着てもいない子が居るというのに、周りは気づいてもいない。

まあ、それもその筈。

───現在、僕の後ろでぷかぷかと浮かんでいる女の子の姿は、誰にも見えていないのだから。

<結局、前は大学の途中で死んじまったからなー。……勉強なんかもやり直しかと思うと今から激しく鬱だ。受験とかもうしたくない。厳密に言えば別に寿命が延びてる訳でもないしー>
『たかだか二十ぽっち、増えようが減ろうが大差あるまいて。今の世の人は些か生き過ぎじゃよ。人間長くて五十年、じゃ』

寿命が二十年減ったら僕は泣く。

<それは戦国時代の話だろ。……それに、千歳のお前だけには言われたくねぇよ───葛花>

そう。

お気づきの人もいるとは思うが、この狐耳の童女、あの大妖狐の精霊『葛花<クズハナ>』である。

いや、普段からあの大狐の姿は心臓に悪すぎて。朝起きてあの顔が目の前にあった時は漏らすかと思いました。マジで。
そういう訳で、自分の姿は基本的に自由だと教えてもらったときに土下座で頼みこんだのである。

因みに、僕の前世に関しては葛花に話してある。特に隠すことでもないし、存在からして非現実的な葛花なら信じるだろうという確信もあった。

も一つ因みに、幼女の姿になっているのはあくまで葛花の好みである。どうにも前の主人の趣味だったようで。チパーイ。
まあ僕としてもそちらの方がありがたかったから、何も言わなかったけど。

更に因みに、断じて僕の趣味ではない。僕にロリの気はないぞ。………………別に葛花のロリ姿を見て、「ババア口調の幼女だー!ヒャッホー!」なんて心躍ってないよ?本当だよ?

『誰が婆じゃ』
<地の文を読むな>

あと別に婆とは言ってねえ。





僕は現在6歳。ここ、私立聖祥大学付属小学校に入学した。

僕としては別に私立でなくとも同じ地区にある公立の小学校で十分だったのだが、両親が強く勧めたこともあってここに入学した次第である。やっぱり財布を持つ人が一番強いのだ。

自分ではこのリアルコナン君状態をうまく隠しているつもりだったけど、やっぱり所々でボロが出ていたのだろう。両親は僕の子供らしくない部分にしっかり気が付いていた。
前世や霊に関わるようなことは特にばれない様に気を使っていたため、そちらはばれていないようだが。

んで、そんな僕を見た両親は前々から私立に行かせることを決めていたらしく、話を持ち出された僕も特に断る理由も思いつかず、そのまま流れで受験勉強を始めた訳である。
まあ家はそこそこ裕福な家庭ではあったし、金銭的な面でも特に遠慮することがなかったという理由も大きかったが。

小学校の入試試験というのは前世を含めても初めての経験だったけど、勉強の甲斐あって何とかパス。
小学校の入試試験はたまに本気で難しい問題があるから困る。並行して修行もあったから結構マジで死ぬかと思ったけどな!

ま、何度か霊の類と対峙したこともあったりして、なかなかに濃い5年間だったように思う。別に対峙したと言っても、戦ったことはあまりないけど。

基本的には相手の霊を結界で動けなくしたうえでの話し合いや、どうしようもないときは僕自身で、稀に葛花に頼んで強制的に成仏してもらっている。
未練を聞いてあげるだけでも慰めになるらしく、大体はその上で未練を代わりに実行してやると、半数以上の霊は無事成仏してくれたのだが。

ただ、危険度が高い悪霊の類にはまだ数える程にしか遭ったことはない。葛花が言うには、近くに退魔師か祓い屋がいるのだろう、とのこと。

それでも、今でも死ぬのは怖いから戦うための鍛錬は継続しているけど。





そんな5年間を過しつつ、僕はこうして今日、小学校入学の日を迎えた訳である。





そんなこんなで入学式も無事終わって教室に。

僕は名字が『和泉』であり「ア」で始まる名字の子が居ないため、出席番号が1番の僕の席は教室の右隅の最前列。真面目な生徒ならまだしも、正直小学校レベルの授業を真面目に聞くつもりが初めから全くない僕にとってはただただ気が滅入るだけの席である。

それでも、生徒の中で席の位置で一喜一憂しているのは僕くらいだろう。周りの生徒は一度も授業というものを受けたこともなく、どの席にどんなメリットとデメリットがあるのかも知らないのだから。

喜ぶことにも、落ち込むことにも、経験というものは必要なのだ。

「───ではまず、皆さんのことをよく知るために自己紹介から始めましょう。出席番号1番の子からどうぞ」

などと考えている内にもどんどん進んで自己紹介タイム。
教壇に立つ女性教師が進行役となって手振りで自己紹介を促してくるので、席を立つ。

「あ~、……出席番号1番、和泉春海です。好きなことは体を動かすこと。6年間よろしくお願いします」

それだけ言って着席。本来ならここで軽く好物のひとつでも言えればいいのだが、特にないので省略する。

この体になってからというもの、前世で好きだったものが美味しく感じないのだ。

子供はコーヒーなどが苦手と言われるが、やはり味覚が幼い。こんなところでも子供の不便さが出てきている。コーヒーにも最近やっと慣れてきたところだし。
『前』では酒も最近なかなか美味しくなってきたところだったのに、また10年以上待たなきゃいけないとかないわホント。

でも僕の傍に浮かんでいる幼女は、そんな僕の自己紹介がお気に召さなかったらしい。

『なんじゃなんじゃ、つまらん挨拶じゃのー。もそっと気の効いたことは言えんのか』
<うっさい。小学1年生相手にどんなこと言えと>
『そこはそれ、お主のセンスでこの場を爆笑の渦中に』
<何その重すぎる期待>
『儂はお主を信じておるぞ』
<お前は僕の5年間の何をどう見てそう判断したんだよ……>

そんな愉快な幼年期を過ごした覚えはねーです。

葛花と馬鹿なことを話している内にもどんどん進む自己紹介。今は女子の番になっており、深い紫混じりの黒髪の女の子が立ち上がる。黒い髪の中での白いカチューシャが印象的だ。

「……月村すずかです。趣味は読書です。……よろしくお願いします」

僕同様の簡潔な自己紹介をして静かに席に着く。

(月村……ねぇ)

月村家は海鳴市において工場機器の開発製造を担う、日本でも有数の大企業であり、彼女はその社長令嬢、らしい。
昔、海鳴市の地理や歴史、企業関連について色々調べている内に知ったものだ。

ただ、別にそれだけなら僕も特に気にしたりはしない。精々、今のうちに友達になっておけば将来役に立ちそうな人脈になりそう、なんて自己嫌悪を催すゲスな考えが浮かんでくる程度だ。

「……………………」

ズーン。

そんな軽く自己嫌悪入っちゃった僕に、その空気を読もうともせずに葛花が話しかけてくる。

『月村の娘か。あそこもよく解からんのー。人理の外の者であるのは違いないと思うんじゃが』
<……まぁ、僕もそれは分かるよ。ひと目“視た”だけではっきりと、な>

修行を始めてからというもの、僕は一つの能力を手に入れていた。

『魂を視る』

それが、僕がこの5年間でいつの間にか身に着けていた能力だ。
葛花曰く、初めは霊を視るだけだった僕の霊視能力が修行を重ねるうちに発展拡大したらしい(ちなみに、僕はこの能力をまんま『魂視』と呼んでいる)。まあ、僕は扱う術の特性上、霊魂に触れる機会が異様に多いからしょうがない面もあるけど。

ただ、『視る』と言っても実際に形として眼に映っている訳ではない。自分の感覚では気配察知に近いものがあるのだけど、葛花が『視る』という表現を使っているため僕も真似ているだけだ。

さて。

当初は、気配に敏感になって不意打ちを喰らわなくなった、程度に考えていたこの能力。

使っていくうちに魂の区別がつくようになってきた頃、町の中にただの人間には視えない人が居ることに気が付いた。葛花が言うには人外を先祖に持ち稀にその血が色濃く現れる人がいるらしい。自分で気づいている人は少ないけど。
まあ僕も先祖が人外でないにしろ陰陽師であったからその才能を継いでいるっぽいし、その理屈は分からないでもない。

<前に視たのは確か猫が混ざったお姉さんだったっけ。やけに猫の“ケ”が濃かったからよく覚えてるよ>

そうでなくても素でニャンニャン言って猫と話していた人はなかなか忘れられない。

『あれはどちらかと言えば、化け猫に人のケが混ざった類じゃったがの』
<あとは妖っぽい子狐だったっけ?まあ、力は強そうだったけど邪気は感じなかったし、あのぽやーっとした感じの巫女さんも解かってて一緒にいたみたいだったけど>

ま、実際に話をした訳じゃないけど、遠目でも彼女たち1人と1匹の間には信頼のようなものが見て取れたのが、僕が気にしないことにした一番の理由なのだが。

あの人たち、元気にしてるかなぁ。巫女さんなんて、掃除してたら自分の巫女装束の裾を踏んでスッ転んでたからな。

ドジっ娘なんだろうか?だとしたら萌えるなー。
巫女でドジっ娘。萌え要素の塊みたいな人だ。

『ふん。あの程度の子狐風情、儂と比べればまだまだ……』
<そりゃ向こうも10世紀以上存在してるお前と比べてほしくはないだろう……>

てか張り合うなよ、1000歳児。

<あとお前ってあの時は遠くから見ただけだったけど、あの巫女さんにばれてないよな。悪霊と勘違いされてお祓い騒動なんて御免だぞ?>
『誰にものを言っておる。齢千余の化け狐、隠行なんぞ労力の内にも入らんわ』
<そりゃ重畳>

葛花と話しながら、僕は月村嬢を盗み見る。

<ま、月村嬢にしてもパッと見た感じ、人を襲ったりする子には視えないし。非日常なんて僕や周りに害がなければ別にどうでもいいしな>
『相も変わらず冷めた童じゃの。そこはもっと突っ込んで行くとこじゃろ。話が広がらんではないか』
<広げてどうする……>

てか、いろいろ危険だよ、その発言。

<無理無理、中身は四捨五入すればもう三十路のおっさんよ?今さら未知との遭遇や冒険に興味なんか無い無い。将来はそこそこの会社に入って、エロ可愛い嫁さん貰って、愛と肉欲の日々を送りつつ今度こそ大往生するんだ>
『ふらぐ乙』
<やかましいわ>

そんなのばっか詳しくなりやがって。

『教えたの、お主じゃろうが』

そうでした。



話している内にもやっぱり進む自己紹介。今度立ち上がったのは、明るい金色に輝く髪を背中に流す女の子。つり気味の大きな青い眼が彼女自身の気の強さを表しているようにも思える。

「アリサ・バニングスです」

そう言って席に着く。

僕や先ほどの月村嬢よりさらに簡潔な自己紹介。ここまで来ると敬語を使っていても慇懃無礼でしかないけれど、しかし先生のほうも入学初日からそこまで指摘するつもりはないのか、すぐに次の人に自己紹介を促す。

(今度はバニングス家御令嬢、か)

バニングス家。

世界にいくつもの関連会社を持つ大企業の社長一族であり、海鳴においても月村家に勝るとも劣らない豪邸を構えている(これも海鳴について調べていると普通に出てきた。というか海鳴の企業について調べると関連企業の殆どバニングスの名前が出てきた。すげぇ)

彼女───アリサ・バニングスはその社長の一人娘らしい。

改めて横目で彼女を盗み見てみる。

背中の中ほどまで金髪を流し、頭の両側でちょこんと結んでいる。肌はいかにも西洋人的な白色で、その容姿と相まって何処かお人形のよう。しかし、その瞳は人形であることを否定するかのように意志の輝きを放っており、一般の小学1年生と比べても利発そうな印象を受ける。

…………ただ、

『不機嫌そうじゃな』
<周りからあれだけ好奇の目で見られたら、そりゃなぁ>

その顔は私不機嫌です、という感情を隠そうともせずムスッと顰められていた。

その理由はさっき言った通り、彼女に向けられている周りの子供たちからの視線だろう。彼女よりも後ろの席の生徒は彼女の金髪に物珍し気な眼を向け、前の席の者も振り向いてこそいないものの気にしていることが雰囲気で伝わってくる。

<まあ、子供からすれば金髪の西洋人なんてのは珍しいものだからなー>
『当の本人の娘は不快この上なさそうじゃがな』
<あの子もあの子で気が強そうだしねぇ>

家が金持ちで容姿も抜群、おまけに性格も強気。もしこれで頭も良ければ、将来は周りからいじめられるか、群衆の中でリーダーシップを発揮するかのどちらかだろう。

<まあ同じクラスになったことだし、僕もイジメなんかは気にしておくけど>
『いつもの如くお主も子供に甘いの。見た目と相まって、いっそ“しゅーる”なくらいじゃぞ』
<自分では甘いつもりはないんだけどなー。……んー、まあ、『前』は近所の孤児院によく出入りしていたからな。子供が苦しむのを見るのは気分が悪いだけだよ。全部を全部面倒みる訳ではないけど、せっかく子供の体なんだ。内側から気に掛けるくらいはするよ>





前世での『俺』は、子供の頃から頻繁に近所にある教会系の孤児院に出入りしていた。小学校で仲良くなった友達がそこで暮らしていて、遊びに行ったのが始まりだ。


そこで同年代の男子たちと外で遊んだり。

年長のお姉さんたちには料理や裁縫、果ては化粧の仕方まで教えてもらったり(今では僕の持つ108技の内の一つだ。てか前から思っていたが化粧は絶対におふざけの産物だろ。俺も何故真剣に聞いてたし。未だ解けない謎だ)

数人の友達と結託して教会のシスターのスカートをめくったり(逃げても全員すぐ取っ捕まってボコボコにされたものである。それからというもの、俺たちの間で彼女は「鉄拳シスター」となった。あだ名がばれるとまたボコボコにされたが)

50代くらい(怖くて正確な歳は訊けなかった)の筈なのに、どう見ても30代にすら見えない園長先生(女性)と一緒に日向ぼっこなんかもした。

自分が成長したら、孤児院の後輩たちの面倒を見たこともある。やんちゃ坊主や、大人しい子。やけに電波な発言をかます不思議ちゃんなんかも居た。


でも。

楽しい日々の中で忘れそうになるが、その場所は『孤児院』なのだ。

何らかの理由で親を失くした子供の集う場、である。

親が死んでしまった子や、捨てられた子。虐待を受けて体に生々しい痕を残していた子もいた。様々な理由で親元を離れた子供が、其処に居た。



ただ共通していたのは、その中の誰しも心に『傷』があったこと。



ちょっとした瞬間にその傷が垣間見えると、ただの子供でしかなかった『俺』は下手な慰めの言葉を掛けたり、少し強引に遊びに誘うくらいしか出来なかった。成長して10代も後半になってくると接し方もある程度慣れてきていたが、子供の頃は考えなしに相手を傷つけてしまったことさえあった。


葛花から見て僕が子供に甘く見えるというのなら、その根源にあるのは多分“それ”だ。

別に、トラウマなんて高尚な言葉を使えるほど深いものではないけれど。



だが、前の世界で『俺』が見た友達の涙は、確かに『僕』の中に根を張っていた。





『お主の人生じゃ、好きにすれば良かろ。儂は知らん』

逸れた思考から我に返ると、葛花がそう言ってプイッとそっぽを向いていた。

このロリきつね、千年も生きている割には子供っぽいところが多く、度々こんな仕草をとる。
単純というか、直情的というべきか。こういうところを見るたびにコイツ動物っぽいなーと感じる僕。いや、「っぽい」もなにも、もともと動物なんだけど。

今だって、周りの子供を気に掛けて自分を蔑ろにしている僕に対していじけているのだ。

そんな葛花を見るたびに、僕は内心萌えあがっている上にイジりたくて仕方がないだが、命懸けになりそうなので自重する次第。
前にからかい倒したときは修行時に殺されるかと思ったし。ボコボコされて親にばれないようにするのに苦労したものである。

宙に浮かんだままそっぽを向く葛花に、僕はばれない程度に小さく息を吐きながら言ってやる。

<お前のことだって頼りにしてるんだぞ?葛花>
『…………フン。まあお主がど~~~してもと言うのなら協力してやらんでもない。……いいか?仕方なくじゃぞ』

じと~っとした半眼でこっちを振り返る葛花。

僕はその顔の向こうにある左右にブンブンと激しく揺れるしっぽを見て、苦笑しながら頷いた。


まったく。仮にも千年も生きているのなら、もう少し老獪になってもいいだろうに。





(にしてもあの子……)

僕は横目でばれないようにアリサ・バニングスを再度覗き見る。
彼女の声を聞いたときからずっと思っていたのだが……


(声、くぎゅにそっくりだなぁ)


一度で良いからバカ犬とか言ってくれないかなぁ。






(あとがき)

ストックがあるうちは調子にのって連続で投稿。いやぁ、後先考えない自分がイヤになっちゃいますね。

今回、なのはが出てこなかったのは春海が注目していなかっただけで、ちゃんと同じ教室で自己紹介をしていますのでご安心を。

SSのテンプレともいえる擬人化が起こりましたね。葛花のモデルは「化物語」の忍野忍 と CLANP作「GATE」の神言 です。作者の趣味全開ですね。

あと第一話で出てきた『元ネタ』云々は単に「作者の発想力が貧困な時は既存のモノに頼っちゃおうぜ!」みたいな、いわゆる作者が作った緊急避難場所なので、作者の発想力次第で元ネタの数が減ったり増えたりします。ビビりですね。

そういう意味では第一話の「陰陽師とは完全に別物じゃない?」という言葉も、作者の陰陽師に関する知識不足を誤魔化すための逃げ場ですね。そしてやっぱりビビりですね?

そんな色んなところに保険を散りばめているような拙作ではありますが、一人でも多くの読者様に楽しんでいただければ幸いです。

ではでは。




[29543] 第二話 ガキの中に大人が混ざれば大体こうなる。 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/10/01 22:10
「んじゃ、ひる休みに校庭にしゅうごうな!遅れたらキーパーだよ、はるみ!」
「あいよ」

それだけ言って、吉川くん(♂)は別の男子のグループに走って行く。他のメンバーを探しに行ったのだろう。

入学式から1週間。僕はそこそこ上手く小学校生活を送っていた。

勉強は小学校程度の内容が解からないはずがなく(中の人は高校レベルまでは修めている上、今も中学・高校レベルの勉強も時たましているので当たり前だが)、孤立しない様にクラス内のここ数日の間にできた幾つかのグループに入って、外でサッカーをしたり野球をしたり漫画の話で盛り上がったりして、日々を無難に過ごしている。

たまに子供特有のテンションの高さに着いていけないときがあるので、そんな時は僕の108技のひとつ『気配断ち』(葛花直伝の隠行である。さすが獣)で輪の中からフェードアウトしているが。

小学生ってすっげーのよ。『う○こ』とかで大爆笑だもの。…………おっさんにはハードル高すぎだわぁ。


今は3時限と4時限の間の休み時間で、先ほど友達の一人の吉川くん(♂)とサッカーの約束を交わしたところである。

クラス内でも僕が危惧していたようなイジメが横行することもなく、僕はたまに起こる喧嘩を仲裁するくらいだ。

ま、他のクラスはどうかは知らないけど、さすがに全クラスの子供の相手が出来るほど僕は暇があるわけではないし、全部の問題を解決できるなんて自惚れてもいない。それは教師の仕事であり、僕が出来るのはせいぜい手助けくらいなものだ。





「……………………うーん」

ただ、全く問題がないわけではなかった。


問題というのは入学式の日に僕が気にしていた、月村すずか嬢とアリサ・バニングス嬢である。
彼女たち2人がクラス内において、どうにも孤立しているのである。


とは言っても、その2人にしても孤立している理由は些か異なる。


月村嬢の方は初日の物静かな印象を崩すことなく、毎日休み時間には到底子ども向けとは言えない難解な本を読んでいた。しかし話し掛けられるとおずおずと物静かにだが普通に話して対応しているところを見ると、上手く人と話せない訳ではなさそうで。

月村嬢、どうにも自分から率先して孤立しているようにも思える。


まあそれだけならば僕はべつに構わない。
考えは人それぞれである上に、孤立しているからと言って必ずしも不幸なわけではない。一人である方が落ち着く人間なんて幾らでも居るのだ。

これから変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

しかし、変わったのならその時に頑張ればいい。



『月村すずか』が自分で友達が欲しいと思うようになったとき、その時に頑張って努力すればいい。



それならば僕も彼女に協力ができる。
彼女は子どもなのだ、時間なんてものはまだ沢山ある。

…………と、まあ、そんな理由で月村嬢に関しては僕は今しばらくは頭の片隅に留めておいて、一先ずは静観の構えであるのだが。





しかし問題なのはもう一方の女の子───アリサ・バニングス嬢だ。


彼女が孤立している理由はとても解かり易く、その容姿と気性にあった。

彼女の容姿は金髪に西洋人特有の白い肌と整った顔立ち。まだ小学一年生の周りの子供からすると彼女のその容姿は正しく『異物』である。
子供というのはそこらの大人などよりもよっぽど排他的で、その対象からはアリサ・バニングスも例外ではない。実際、最初のほうの周りの彼女を見る目は奇異や興味の視線が殆どだった。

ただ、それだけならばまだいい。数日経つ頃には子供たちも興味を継続できなくなったのか周りの視線も収まり、彼女に話しかける子供も出てきたからだ。

しかし、そこで更に悪効果となったのは彼女のその気性だった。彼女もまた初日の印象を覆すことなく、強気で弱みを見せないような性格であり、おまけにお嬢様育ち故かプライドが高く我が儘なところがあった。

つまるところ、せっかく話しかけてくれた女子生徒数人と大喧嘩になってしまったのである。

おまけにその喧嘩が起きたのが昼休みで僕は外で友達に誘われたサッカーに興じていたため仲裁さえ出来ず、そして更に悪いことに、その女の子たちの内にはクラスの女子の中でそこそこ社交性のある娘まで居たため、女子のほとんどが彼女を避け始めてしまったのだ。


そしてそれは男子においても同様だった。

この年頃だと男女の性差など有って無いようなものではあるが、彼女のプライドを刺激しないマイルドな対応が出来る小学1年生などいる筈もなく、男子の間においてでさえ彼女は腫れ物状態だ。


泥沼である。


結果、待っていたのはアリサ・バニングスのクラス内での完全な『異物』認定。




───アリサ・バニングスは完全にクラスから孤立していた。





<さてさて、どうしたもんかな。1番ベストなのはバニングス嬢が一人で周りと友達になってくれることだけど……>
『どう考えても無茶じゃろ。容姿の問題も有れ、今一番の原因は間違いなく金髪娘の気性じゃぞ?周囲の童どもに期待しても、望み薄じゃろうて』
<ですよねー>

そのアリサ・バニングスは今も教室内の自席で頬づえを突いて静かに座っていた。

その表情は周囲の皆と仲良くなれずに憂いと悲哀の気を纏いながら落ち込んでいる…………なんてことは全然なく、不機嫌そうにその形の良い眉根を寄せてムダに美しい逆ハの字を作り、ぐぬぬと云った具合にその可愛らしい顔をしかめていた。

『負けん気もあそこまで行くと、いっそ清々しいの』
(恐るべし、アリサ・バニングス)

とまあ、葛花と馬鹿なことを言い合いつつも考えてみる。

そもそもその容姿やら気性やらも間違いなく彼女の孤立の原因ではあるものの、問題は他にもある。

僕がみた限りでは、アリサ・バニングス嬢は周りの生徒たちを下に見ている。彼女は、ごくごく自然に周りを自分よりも下の人間として認識しているのだ。

<あれがお嬢様気質ってヤツなのかね?>
『あの娘は幼子の時分より上の人間としての作法を仕込まれておるのじゃろ。上流の人間であれば珍しいこともあるまいて。事実、知性も血統も格も、周りの童よりも上じゃ。……もっとも、周りを考慮の外に置いた発言を聞くに、あれもまだまだ童じゃがの』
<それはあの年齢の子どもなら仕方ないだろ。……まあ確かに今のバニングス嬢の行動って、周りの子どもから見ればただのわがまま娘だしねぇ。勿論、本人からしたら周りからの不躾な視線に耐えかねた当然の反発なんだろうけど>

入学式から数日間誰にも話しかけられずに奇異の視線に晒され、やっと話すことが出来たと思えば周りは品のないガキばかり。

後半はともかくとして前半の方は、まだ自制の効かない子どもにとって反発を我慢しろというには少々酷だろう。

『それで、お主はどうするつもりじゃ?正直なところ、周囲の童共じゃとあの娘の相手は些か荷が勝ちすぎるぞ』
<う~ん……出来ればやりたくなかった手ではあるんだけど……やっぱり僕が友達になるしかないかぁ?>

僕ならば幾ら彼女の反発心が強くても受け流すことはできるし、彼女の話し相手になることも可能だろう。なんと言っても中身的には元は20歳ちょいの大人なのだ。7歳の女の子の言葉くらい簡単にあしらえる。

ただ…………。


「…………。友達に『なってあげる』っていうのは、出来ることならしたくなかったんだけどなぁ……」


思わず声に出してぼやいてしまう。

友達は『なってあげる』ものではないというのが僕の持論であるし、僕自身も相手が小学生とはいえ『なってあげる』なんて言葉を本気で言えるほど恥知らずな人間ではない。

学生時代の友人は一生の宝、なんて言葉もあるくらいなのだ。僕の単なるお節介で彼女のそれを穢したくなかったのだけど……。

『こと此処至っては仕方なかろ。早くせんとあの金髪娘もいい加減爆発が近いぞ』
<怖いこと言うなよ……。まあ仕方ないか。今日の放課後にでもバニングス嬢に話しかけてみる。葛花は残りの休み時間や昼休みに何か起きないか彼女を見ててくれ>
『心得た』


そこで話を終え、授業を聞くふりをしつつ内職開始。


既に休み時間は終了していた。





で。

結論だけを先に言うと。

結局、葛花と話していたことを実行に移すことは出来なかった。




それよりも速くアリサ・バニングスが動いたのだ。




葛花的に言うのなら、『爆発』してしまった。





(あとがき)

またしても考えもなくストックの中から連日投稿。なんというか、読者様に自分の拙作を読んでもらいたくて堪らないドMな作者です。こんなところで自分の隠された性癖が発覚するとは。

はい、今回は前回の入学式から1週後ですね。3人娘の邂逅という原作イベントを次話にまわしたため、今回はかなり短めです。

原作主人公(あれ?ヒロイン?)さんも次話で登場しますのでお楽しみに。

ではでは。






[29543] 第三話 最近の小学生は結構バイオレンスだから気をつけろ
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/04 18:03
それが起こったのは、僕がアリサ・バニングスに話しかけると決めた日の昼休みのことだった。
既に昼食の弁当も食べ終え、友達である吉川とのサッカーの約束のために下駄箱で靴を履き替えていたとき、それは唐突にやってきた。

『お前様よ』

宙を滑るようにして現れたのは、休み時間中に面倒事が起こらないようにバニングスを見て貰っていた葛花。いつもよりも何処か真剣味の増した彼女の表情に、僕も茶化すことなく聞き返す。

<ん?どした?……もしかしてバニングスか?>
『中庭じゃ』

このタイミングで葛花が話しかけてくるとすればバニングス関連である可能性が高いと思って問うと、案の定である。

僕は簡潔に告げられた言葉の意味を理解するや否や、中庭を目指して走り出した。
サッカーには遅れることになってしまうが仕方ない。緊急事態だ。

僕は走りながら葛花に再び念話を通す。

<それで、一体何があったんだ?>
『あの金髪娘が月村の娘に近づいた。今は揉み合い喧嘩の様を成しておる』
<はぁッ!?またどうして月村が……。いや、しかもそれでケンカって…………?>
『金髪娘が一歩踏み出した、と云ったところかのぅ。それで悶着に発展するところが何ともあの娘らしいが』
<言ってる場合かよ。───あれか>

くすくすと笑う葛花を窘めながら走っていると、中庭が見えてきた。
今の季節が春なのもあって、中庭にある花壇には色鮮やかな花々が咲いている。

その花壇の傍に2人の女の子の姿があった。

「お、おねがい……!かえしてッ……」
「ちょっと見せてって言っただけじゃないッ。いいから貸しなさいよ!」

金髪と黒紫髪。
言うまでもなく、アリサ・バニングス嬢と月村すずか嬢である。

葛花は2人が喧嘩していると言ったものの、ここから見える限りではそれはバニングスからの一方的なものに思える。
いやだって、バニングスが嫌がる月村を押さえつけているようにしか見えないし。

<あれって……月村のカチューシャをバニングスが取った、のか?>

押さえ付けられている月村の頭からは彼女のチャームポイントのひとつである白いカチューシャがなくなっており、バニングスの右手にそれは握られていた。

月村のほうも取り返そうと腕を伸ばしてはいるものの、どこか動きがぎこちないように見える。

『じゃな。金髪娘があの髪飾りを貸すように言ったのが事の始まりじゃ』
<それを月村が断って、あれか。……月村の動きが鈍いのはバニングスを怪我させないためかね?>
『かもしれんな。あの娘に己が異能の自覚が有るかは解からんが』

また何でバニングスがそんなことを言いだしたのかは知らないけど、とにかくまずは2人を止めなくてはいけない。月村にその気が無かろうと、彼女の“力”は一歩間違えれば双方を傷つけてしまう。
そうでなくとも、こうしてケンカしているのを見てしまったのだ。無視する訳にもいくまい。

そう思って2人に近づこうとすると、

『ちと待て。春海』

唐突に、隣の葛花から待ったが掛かった。

<あん?どうした急に。早く止めないと───>
『だから待てと。あれじゃ、あれ』
<あれ?って…………あれは、>

葛花が指差す方向に居たのは、

<……高町?>

僕やバニングス、月村と同じクラスに在籍する『高町なのは』だった。





高町なのは。

容姿は月村やバニングスと負けず劣らずの美少女(美幼女?)であり、大和撫子の月村とはまた違った意味で日本人としての可愛らしさに溢れた女の子だ。
やや茶髪気味の髪を頭の両側で縛っており(ツーサイドテールってのか?)、どうやっているのか縛った髪の毛が重力に逆らうようにピョンと跳ねている。

性格は僕のパッと見の印象ではあるが、やや押しが弱いながらも明るく、気遣いのできる優しい穏やかな心の持ち主。

クラスでも目立ってこそいないものの、何人かのクラスメイトと話す姿も見かけ、僕も彼女のことはそれほど気にしていなかった…………んだけど。

その高町が、喧嘩している2人の方に小走りに近づいている。

それを見て、様子を見るために僕は知らず立ち止まっていた。

<高町の奴、何しに来たんだ?>
『十中八九、止める為じゃろ』
<まあ、しか無いよな>

まさか自分も喧嘩に混ざるためでもあるまい。

『お主は止めんでいいのか?』
<ん~……とりあえずは様子見だな。高町が止めてくれるなら、それに越したことはないし。高町に止められなかったら僕が止めるさ。…………それに、>
『ん?』
<いや、これで高町と2人が友達になればなー、……と>

それは単なる打算だった。

本当なら高町が止める前に、僕が実力行使(もちろん暴力ではなく、バニングスと月村の間に入って引き離すということ)で止めた方が良いのかもしれない。
もしかしたら、高町が2人の間に入っても事態が悪化することもあり得る。

それを考えたら、高町を巻き込まないようにした方が良いだろう。

ただ、それでも僕は3人の間に入ることはしない。

子どもが問題に対して自分で動いて解決に向かっているのだ。
だったら、それを止めるのは『大人』の仕事ではない。

必死になって頑張っている子供の邪魔をすることは、許されない。

もし万が一、子どもが失敗したとしたら。間違えたのなら。
そのときには取り返しがつかないことがないように備えて、守る。

それが『大人』の役目だ。


それに、彼女たちがこれから先、親交を持つにしても、仲違いをするにしても。
彼女たちの、その人生における長い道のりの、これが最初の交差路なのだ。

それを『大人』が邪魔するべきではない。


…………まあ、もちろん何があっても良いように、いつでも止められる態勢でいるけどね?

『まったく、今にも飛び出していきそうな顔しておいて何を言っておるのやら、じゃな』
<ほっとけ>
『まあ良い。お主がそれで良いのならば、儂からはとやかく言うまいよ』
<……ワリぃな、面倒くさくて>
『ふん、構わん』

話している内にも高町が2人のもとに到着する。

さて、バニングスも月村も高町の存在には依然として気が付いてはいないが、高町は一体どうやって止めるつもりなのか。
見た限りバニングスもヒートアップしており、ちょっとやそっとの言葉では止まりそうにないなー。

と、僕がのんきに3人を見守っていると、高町がその右手を高々と掲げ───


振り下ろした!!


「『ビ、ビンタだと!?』」

僕たちの予想の斜め上をブッ飛ぶ高町だった。

『精々が金髪娘を力任せに押しやる程度かと思うたら、……情け容赦皆無の一撃じゃったの』
<ま、まさかマジで混ざりに来たんじゃないよな?>

あまりにブッ飛んだ高町の行動に思わずちょっとおろおろしてしまう僕だった。葛花でさえ少し声が唖然としているように感じるのは僕の気のせいだろうか?
見ると、バニングスは突然のことに反応らしい反応も返すことが出来ず、赤くなった自身の左頬を押さえて呆然と高町を見ている。あ、微妙に涙目。

そんな涙目なバニングスを静かに見据え、高町がその小さな口を開いて言葉を紡ぐ。

「……痛い?でも、大事なものを取られちゃった人のこころは、もっともっと痛いんだよ?」

(いやいやいやいやお前ホントに小学1年生か?!)

いねえよ、そんな小学1年生。

とか内心で高町にツッコミを入れていると、我に返ったバニングスが短く声を上げながら高町に掴みかかり、そのままなし崩し的に2人は取っ組み合いに突入してしまった。

『……おい、止めんでいいのか?』
<お、おおッ!?って、そうだった!>

高町の思わぬバイオレンスとセリフに放心してたよ。

見てみると2人の取っ組み合いは徐々に激しさを増しており、このままでは確実にどちらか、或いは両方が怪我をしてしまう。
とりあえず僕も急いで3人のもとに駆け寄る。

(とりあえず、2人の間に割り込んで引き離すか。……上手くやらないと巻き込まれるな)

幸い、3人ともお互いに集中しているからか、まだ僕に気付いていない。

そのまま、僕がバニングスと高町の間に自分の腕と体を無理矢理割り込ませようとすると、


「やめてっ!!」


横合いから月村の大きな声が響いた。

月村が上げた悲鳴じみた大声に気を取られたのか、バニングスと高町の動きが一瞬止まる。

(月村ナイスッ!)

「はい、そこまでっ!」

月村が作ってくれた好機を逃すことなく、僕は2人の間に腕を差し込むと強引に引き離す。3人とも唐突に登場した僕に驚いたようで、涙の滲んだ眼をパチクリさせている。

<……にしても>
『どした?』
<止めたはいいけど……これからどうしよう?>
『…………って、決めとらんかったのか?』
<いや、僕が大人なら3人から理由を聞いて叱るなり諭すなり出来るんだけどな……>

如何せん、僕の体は3人と同じ小学1年生。

本来、子どもを教え諭すのは教師や大人といった物理的に目上の人間の役目だ。
子供を叱る上で見た目というのは思いのほか重要なもので、だからこそ相手の子どもに通じるのだ。同い年の僕からの説教が3人に何処まで通じることやら。

『中身はおっさんじゃがな』
<ほっとけ!>

「ちょっと、だれよあんた!いきなり出てきて!」

葛花と話していると、我に返ったバニングスが鋭い声を投げかけてきた。次から次へと現れる邪魔者に対して腹を立てているのか苛立たしげに眉を吊り上げ、こちらを睨みつけている。

「って、顔も覚えてないのかよ」

一応同じクラスなんだけどー。いや、別にいいけどねー?

「い、和泉くん?」

おお、高町はちゃんと覚えていたか。僕的好感度1アップだ。

「………………」

そんで月村は不安げな表情でこちらを窺うようにして上目づかいで見ている。涙目でそんなことするもんだから、その筋の人でないと自負する僕でも思わずお持ち帰りしたくなる凶悪な可愛さになってしまっていた。

「ちょっと、聞いてるのッ!」
「ん?ああ、悪い。とりあえずは……」

僕はバニングスの顔を見る。高町にビンタされたその左頬は、いまだ赤く腫れたままになっていた。

それに気付いた僕は、至って冷静に言う。

「Go To 保健室」

実はまだちょっとテンパってる僕だった。





ところ変わって保健室。

あの後、文句を言って素直に保健室に行こうとしないバニングスは僕が小脇に抱えて強引に連れてきた。めっちゃジタバタしてたけど気にしない。
月村と高町にも付いて来て貰っていた。

「ほい。こいつでほっぺ冷やしなさいな」
「…………ふん!」

氷の入った氷嚢をバニングスの腫れた左頬に押し当てて、自分の手に持たせる。

3人を伴って保健室に来たはいいものの、肝心の養護教諭の姿はなく、仕方なく僕がバニングスの腫れの処置をしたのだ。

現在、3人には室内に備え付けられている長椅子に一緒に腰かけてもらっている。
バニングスは自分の頬に氷嚢を押さえ付けながらも、僕を鋭く睨んでいた。月村はいまだ不安げに此方を上目遣いで覗き込んでおり、そして高町は何やらキラキラした目で僕を見ている。

……おや?

「どした、高町?」
「和泉くんってお医者さんみたい。すごいね!」
「……ドウモアリガトウ」

氷嚢を用意したぐらいで其処まで言われるとは。むず痒いというか、照れくさいというか……。

ま、それは今は置いておいて。

「とりあえず、まずは自己紹介ってことで。僕は和泉春海。一応、3人とは同じクラスだよ」
「なのは!高町なのはです!」
「……月村すずか、です」
「…………アリサよッ。アリサ・バニングス」

『ここまで性格丸分かりの自己紹介も珍しいの』
<ホントにな>

さて。

とりあえず、最初は理由を訊いてお説教かな?一人くらい素直に聞き入れてくれるといいんだけど。

「んじゃあ、まずはバニングス。何で月村のカチューシャを取ったりしたのかな?」
「あたしが見せてって言っても、見せてくれなかったからよッ!」

怒り心頭といった風情のバニングスに、内心でため息をつく。

『典型的な童の理屈じゃな』
<この歳じゃしょーがないって>

『前』の孤児院のガキ共や『今』の妹2人なんか、そりゃあもう……と、いかんいかん。思考が横道に逸れた。ただ、この程度なら『前』でも何度も言い聞かせたことがある。……聞き入れてくれたかどうかは別として。

「あー、あのな───」
「そんなの、まちがってるよッ!!」

だが僕が言いかけたそのとき、僕の言葉を遮るようにバニングスの隣に腰掛けた高町が大声をあげた。さっきまでのキラキラした笑顔とは一転して真剣な表情で、その顔は何処か必死さがにじみ出ているように見えるのは僕の間違いだろうか?

そんな高町は、僕が止める暇もなくバニングスに対して言葉を紡ぎ続ける。

「なんでもなかったのなら見せられないわけないよ。きっと見せられなかったのは、なにか理由があったんだと思う」
「なんでアンタにそんなの解かるのよ!」
「わかるよ!」

言い返すバニングスの怒鳴り声にも高町は怯むことなく言い放った。どこまでもまっすぐに相手の目を見つめながら。

「……すずかちゃん、泣いてた。泣きながら返してって、言ってた!どうでもいいことで泣いたりなんかしないよっ!」
「───ッ!!」



パァンッ!!



保健室の中に、軽い破裂音が鳴り響く。


───“僕が勢いよく自分の両手を”打ち鳴らした音だ。


唐突に鳴り響いた音に3人は身を竦め、動きを止めた彼女たちの視線が僕に集まった。

(あっぶねぇぇぇっ)

高町の言葉に聞き入って、また取っ組み合いのケンカに発展するのを見逃すところだった。バニングスも一瞬だけ顔がえらい迫力になってたし。

(……でも、まあ)

この場合は高町の言ってることが正しい。子供故なのか、はたまた高町独自の感性故なのかは解からないけど、物事の本質をしっかりと見抜いてる。
バニングスも高町の言葉に腹を立てたということは、自分でも思い当たる節があるからだろうし。

(こりゃあ、説得も幾らか楽ではある、かな?)

まあ改めて高町の年齢サバ読み疑惑が浮上してきたけど、それは今は置いておいて。

「はい、二人ともそこまで。高町の言いたいことも解かったけど、今は僕の話も聞いてくれ。な?」
「う、うん……」
「なによ、いきなり……」
「じゃあ、改めて。
なあ、バニングス。見せてって言っても無理だったのなら、月村にも何か理由があったのかもしれないだろ?もしかしたら月村にとってすごく大切なものなのかもしれないぞ?
想像してみろ。自分がすごく大切にしているものを。それを僕に強引に取られたら、どう思う?」
「ぶん殴ってやるわッ!!」

なんでお前、小学1年生でそんな血の気多いんだよ。

「……うん、まあ、なんかごめんなさい。……それで、すごく嫌な気分になるよな。月村もそれと同じで、嫌だと思っちゃったんだよ。違うか、月村?」
「え、あ。……う、うん、そう、です」

なるべく威圧しない様に口調を和らげて月村の方に確認を取ると、小さいながらも同意を示す月村。

「このカチューシャ……お姉ちゃんがくれた、だいじなモノだから」

途切れ途切れながらも、一生懸命に言葉を紡ぐ月村。その言葉に耳を傾けていた僕は改めてバニングスを見る。

「な?バニングスみたいに自分の意見をハキハキ言える子にはよく解からないかもしれないけどな、中には月村みたいについつい声が小さくなっちゃう子だっているんだ。
その時の相手の気持ちになって考えるっていうのはすごく難しいんけどさ、頑張ってそうしないと今回みたいにすぐケンカになる。
バニングスだって、嫌な子だなんて思われたくはないだろ?」
「……当たりまえ、でしょ」

刺々しい言葉ではあるものの、その語調は力強さがなくなっている。多分、自分が間違っていることが分かったのだろう。

<聡い子だな>
『他の2人を含め、精神年齢は其処らの童とは比べ物にならんほどに有りそうじゃからの』
<月村の読む本のレベルといい、さっきの高町の小学1年生とは思えない発言といい、ひょっとして今の小学1年生ってこんなモンなの?>

だとすれば、僕の小学生ライフも少しは楽になるんだが。

葛花と話している内にだんだんバニングスも俯きがちになってきたので、早いとこ話を先に進めることにする。

「バニングスも自分が悪かったと思ったんなら、どうすればいいか解かるよな?」
「うっ…………」

自分を覗きこむようにして言った僕の言葉にちょっとたじろぐも、やがてバニングスは月村に体ごと向き直るとバッと頭を下げた。

「そ、その……大切なカチューシャ、ムリヤリ取っちゃって……ごめんなさい!」

そう言いながら、今まで手に握っていたカチューシャを月村に差し出す。躊躇いながらも謝る時はきちんと相手の目を見るあたり、やっぱり育ちが良いんだなーと感じる今日この頃。うちの妹たちにも見習わせたいものである。

「ううん、わたしこそちゃんと言えなかったから。……ごめんなさい!」
「そ、そんなことないっ。悪いのはあたしよ!」
「で、でも、わたしも……」

(もーヤダこいつら……。この年でこんなに譲り合うって、僕でも見たことないぞ)

僕は心中でため息をつきながら2人の真っ白なおでこに軽くデコピン。

「きゃッ」
「ひゃッ」
「はい、そこまで。お互い自分の悪かったところは解かったんだし、これ以上譲り合うのは不毛だっつの。
喧嘩両成敗。今回はお互いに謝って、お互いに相手のことを許せばいいさ」
「「うぅ」」

自分のおでこを押さえながら、2人はお互いに顔を見合わせると、

「……ふふっ」
「……あははっ」

何がおかしかったのか、そのままクスクスと笑い合う。

こっちはこれで良し、と。



…………………で、だ。

ピンッ

「うにゃっ!?」

1人だけ僕たちの傍らで『よかったよかった』みたいな顔をしている高町にもデコピンをお見舞する。

何が起きたのかよく分からなかったのか高町はキョトキョトと周りを見渡すが、僕と目が合うとだんだん痛くなってきた自分のおでこ両手で押さえ、次第に目がうるうるしてきた。

「な、なんで……?」
「やかましい。……あのな、高町。今回お前は2人のケンカを物怖じせずに止めたことはすっごく良いことなんだ。バニングスに言ったことだって間違ってなかった。誰でも出来ることじゃないし、それが出来たお前は凄いんだぞ?」
「だ、だったらなんでデコピン……?」

うむ、やっぱりこれじゃ解かんないか。バニングスや月村を見て、高町は更に精神年齢高かったらどうしようと思ったけど、そんなことないんだな。いやー、よかったよかった。主に年上のプライド的な意味で。

「バニングスを叩いたからだよ。
もちろん場合によっては叩いてでも止めなきゃいけないことだってあるし、やむを得ないこともある。叩いて解決すること全部が悪い訳じゃないさ。
それでも、自分がどんなに正しくても暴力はダメなんだ。相手に暴力を振るっちゃった時点でお前も怒られなきゃいけないんだよ。
今回だってバニングスと取っ組み合いになっちゃって、下手すればどっちかが怪我してたかもしれないんだぞ?」

まあ、確かに暴力自体は褒められたことではないが、本当なら別にここまで言う必要はないのかもしれない。

だが、高町はまだ7歳なのだ。こんな小さなうちから暴力に躊躇いがなくなるのは、それこそ大問題だろう。

「もしこれからも相手を叩かなくちゃいけないことがあったら、その前に少し考えてみろ。本当に必要なのか、ってな。
まあ、さっきも言ったけど、相手を叩くことが全部が全部悪いことって訳じゃないぞ?ただ力に頼る前に考えようってことだ」

高町は僕の話を聞いて暫し目をパチクリさせていたが、やがて自分なりの答えが出たのか、コクリと頷いてくれた。

「そうだよね……たたいちゃったら、そのひとが痛いし、かなしくなるもんね……。うん!これからはよくかんがえて、まずはお話してみるね!」
「ん、いい子だ」

とは言え、高町が僕の言葉を真剣に考えてくれたのは事実。僕は『前』のときの妹分たちや『今』の妹2人を思い出しながら、嬉しくなってそのまま高町の頭をポンポンと軽くなでる。

「うやや~」

高町はそれが心地よいのか、目を細めて笑って受け入れてくれた。

『……お主に“なでぽ”の才はないぞ』
<ナデポ言うなや!>

これは純粋な親心的なモノだ。父性なのだ。

あとそれは僕がモテないと言いたいのか?失敬な、『前』は高校時代に彼女くらい居ましたー…………卒業前に別れたけど。

「あ!」

そうしていると、高町は何かに気づいたように立ち上がると、バニングスに向き直り、

「アリサちゃん、さっきは叩いちゃってごめんなさい!」

そう言って頭を下げた。

(………………へぇー)

これには僕もさすがに驚いた。自分できちんと気が付いて謝れるとは。

月村と一緒にこちらの様子を窺っていたバニングスも高町の急な謝罪に面食らったようだが、顔を真っ赤にしてそっぽを向いて返事をする。

「べ、別にいいわよ、あたしも悪かったんだし。……こっちも、掴みかかってごめんなさい」
「あ……うんっ!」

よしよし、この分だとバニングスと月村の孤立の問題も解決しそうだし、あとは当人たちだけで大丈夫だろう。

気が付くと昼休みの残り時間もあとほんの僅か。僕は友達ムードが漂っている3人のうちバニングスに近づくと、その頬に押しつけてある氷嚢を外して軽く調べる。

「……ん。もう腫れも引いてるし、赤みもなし。痛みはないか?」
「……大丈夫よ。もともとそんなに痛くはなかったから」
「そっか。じゃあ、もし今日帰って痛くなったら、病院に行くんだぞ?」
「ん、わかったわ」

まあ高町もパッと見た感じ、力があるようにも見えないし。バニングスも高町を気にして嘘を言っているようには見えないから、本人の言う通り本当に大丈夫なのだろう。

「んじゃ昼休みもあと5分も無いし、3人は教室に戻っていいぞ。後片付けはやっとくから」

氷嚢の中身を捨てるくらいだし、折角友人になった3人に水を差したくもないし、などと考えて3人を促したが、

「あたしたちも手伝うわよ」
「全部まかせっきりしたら悪いと思うの」
「うんうん」

あえなく失敗。

ていうかこの子たち、ホント年齢サバ読んでね?普通この年で此処まで他人に気を使えないって。

まあ申し出自体は有り難いことに変わりないので、氷嚢の中身の処分を頼む。

僕はその間に養護教諭の席に、氷嚢と氷を使用したこととクラスと名前をメモ書きにして置いておく。氷程度で何か言われることはないだろうが、まあ念のためだ。

僕がメモを書き終える頃にはバニングスたちも氷嚢の氷を捨て終えていた。





それから4人で一緒に教室に戻ると、バニングスたちにお礼を言われてしまった。本当に出来た娘たちだこと

ちなみに月村と高町は普通に「ありがとう、和泉くん!」だったものの、バニングスが頬を恥ずかしさで真っ赤にして「……その、あ……ぁりがとぅ」と言う姿は、非常に僕の心の琴線(別名、『萌え心』)に触れる可愛らしさだったことを此処に記しておく。いや、役得役得。

まあ何はともあれ、万事何事もなく終わってよかったよかった。








……ところで、授業が始まる頃にクラスメイト全員が席に座ると、男子数人がこちらを睨んできているのだが、一体如何したのだろう?

『お主、昼の休みに屋外で遊ぶ約束をしておったのではないのか?』
<…………Oh>


その後、男子たちには約束を忘れていたことを謝ると、一週間キーパーやキャッチャーを引き受けることを条件に許してもらうことが出来た。



余談ではあるが。

その日からバニングス・月村・高町の3人がクラスで話している光景をたびたび見かけるようになったのは、間違いなく良いことなのだろう。



…………それから、たまに3人が僕を昼食に誘ったりしてくれることも。





(あとがき)

はい、というわけでこのSS初の原作イベント『三人娘の邂逅』になります。
一応、この主人公のコンセプトの一つには『人生経験を積んだ大人』というものがありまして、その一面を描き切れたのならば幸いです。
なのは達に上から目線過ぎるだろ、みたいな意見もあるかもしれませんが、何度も言いますがこの主人公は元・大学生なので。精神的には常に保護者なのです。

ちなみにすずかのカチューシャの由来は原作「とらいあんぐるハート3」の画像で、忍が幼少期で同じカチューシャをしているのを見た作者の捏造です。まあでも、作者は同じものだと信じています!(キリッ

あと、主人公の双子妹なのですが、これからも主人公の語り部の随所随所で出てくるだけの予定です。本格的に出るのは番外編になるかと(いつ書くのかは未定ですが)
と言うのも、このSSにおいてオリキャラは主人公の「和泉春海」とその相棒「葛花」だけだと作者が決めているので(あ。吉川くん(♂)もか?)。ご了承ください。

今回で連日投稿はストップかな?ストック自体はまだあるけれど、あんまり調子にのっちゃうと後が怖いですからね。
次は予定では主人公の修行風景と高町家訪問になりそうです。お楽しみに。

ではでは。






[29543] 第四話 縁は奇なもの、粋なもの 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/08 11:38
早朝。

停滞していた町が活動を始めるには、まだ少しだけ早い時間帯。

まだ太陽は完全に昇りきってはおらず、町中は僅かに覗く太陽のからの薄明かりによって、もはや幻想的とまで言える雰囲気を称えている。

そんな静寂を破るように、ひとつの音が鳴り響く。
タッタッタッタッとリズムを刻むように流れる、規則正しい駆け足の音。

その音源に居るのは、一人の子ども。
幼児というには些か時が経ち過ぎており、少年というには少々足りない。

そんな中途半端な年頃の子供の顔にはうっすらと汗が滲んでいる。
呼吸はやや速いものの乱れるには至らず。
駆けているその足取りに淀みはなかった。


和泉春海。

現在、日課のランニング中である。


**********


早朝の海鳴の町を、駆け足よりもやや速い程度の速度で駆け抜ける。
ランニングを始めてから早2年。このくらいの速度なら音を上げない程度の体力は既に付いている。

そうしてただ無心に走っていると、僕の横をスーッと滑るように浮かんでいる葛花が話しかけてきた。

『毎日毎日、よくもまあ飽きもせず地道に続くもんじゃのう』
「生きる為だからなー。……まあ、飽きるなんてことは、それこそ死ぬまでないんじゃねえの?そりゃあ楽も怠惰も大歓迎だけどな、それでも最低限のことはやっておきたいし。……それに、最近では鍛えるのも案外楽しくなってきたしな」

今は周りに人の気配がないため、声に出して葛花に応える。

───ちなみに『気配』というのは誇張や比喩表現ではなく事実そのままである。

それには僕の能力、『魂視』が関係しているのだが。


以前話したと思うが、僕は今では人の魂が視えている。

『視える』というのは実際に眼に『見える』訳ではなく、どっちかと言うと目を閉じても其処に人が居ると解かる、という『感覚』に近いものがある。
某7つのボールを集める漫画で『気を感じる』なんて描写があるけど、ひょっとしたらあれが一番近いのかもしれない。流石にあそこまで広範囲は感じられないし、逆に対象に触れる程に近づくとより詳細に感じられるのだけど。

勿論、魂を視ることがメインである以上、気配察知は副次的なものでしかないが。

まあ早い話、達人が長年の鍛錬の末に手に入れるであろう超感覚を、僕は『生まれつきの能力』という形で楽に手に入れることが出来たということだ。

僕としてはそのことに対して思うことがない訳ではないが、自分の命が懸かっているのだ。
有り難く頂戴しておくが吉、なのだろう。

『相変わらずマゾい奴じゃのう』
「お前今なんつったァァア!?絶望した!!僕の5年間の努力をマゾいと言うお前の僕に対するその認識に絶望した!!」

あり得ねぇ……。もしかしてお前の中の僕ってそんな人間だったの?マゾいの僕?あれっ?なんかお前と過ごしてきた数年がやけに軽いモノに思えてきたぞ?あかん、目から汁が……。

というかさっきの僕、結構真面目な空気醸し出してなかった?
ほら、生まれつきの才能で手に入れた自分の能力にシリアス(笑)な想いを抱いていた風だったじゃん。空気ぶった切りやがってこのヤロー。


閑話休題。


本日は日曜日。全国の学生と一部の社会人にとっての楽しい休日である。
平日ならば日の出の前にランニングを開始して登校までに朝の鍛錬を終えるのだが、休日である今日は少し遅めに出発。このランニングを始めてからというもの、僕の休日のささやかな贅沢のひとつである。

現在僕が向かっているのは海鳴の端にある、そこそこ大きな山。其処が僕の目的地である。

「ん?」

「お」「む」「あ」

葛花も話しかけてくることもなくなり、ただ黙々と走っていると、前方から3人の男女が同じく走ってきた。
男2人に女1人。その整った顔立ちはとても似通っており、家族などの近しい者であることがひと目で解かるくらい。

僕も相手もそのまま近づいてストップ。お互いにその場で足踏みに移行して体を冷やさないようにしながら向かい合う。

「や、おはよう。今日も精が出るな」
「おはようございます、士郎さん」

3人の中で1番年長の男性───高町士郎さんと挨拶を交わす。

こちらの士郎さん、見た目はどう見ても20代半ばなのに実際は30代後半で、おまけに他の2人の父親なんだとか。
此処にはいないが、家には奥さんともう1人の娘がいるらしい。……見えねぇなぁ。

「おはよう、春海」
「おはよー、春海くん。相変わらず朝早いね」
「恭也さんと美由希さんもおはようございます。あと美由希さんたちも大概ですって」

あんたら僕よりも2,3時間は早いでしょ。

こっちは恭也さんと美由希さん。
どちらも士郎さん似のようで、恭也さんは質実剛健な侍、美由希さんはおとなしめの文学少女といった印象を受ける。

彼らは親子で剣術を嗜んでいるらしく、この走り込みもその鍛錬の一環らしい。
僕が走るコースと何度か重なっていて、その縁で僕たちは偶然出会ってはその度にこうして言葉を交わすようになったのだ。

とは言っても、こうして話し始めるようになったのは少し前くらいからで、それまでは精々すれ違う時に会釈や軽い挨拶、それに短い世間話をする程度だったのだが。

こうして親しげに話すようになったのは、士郎さんの一番下の娘が僕と同い年らしく、其処から話が膨らんで今みたいにいろいろ話すようになったのが切っ掛けだ。
前に士郎さんが営業している喫茶店に誘われたこともあったけど、僕の予定が合わなくて生憎とまだ行ったことはない。

ま、そんな風に誘ってくれるということは僕が悪い子供ではないと判断してくれたのだろう。
別に善人と思われたい訳ではないが、信用されたということは素直に喜んでおくことにする。

…………正直、『前』の自分よりも年下の恭也さんや美由希さんに対して敬語で接することに違和感が無いでもないが、流石にそろそろ慣れる必要があるよなー。

「あ、士郎さん」
「うん、何かな?」

丁度いいので、この間の御誘いの返事をしておくことにする。

「誘って頂いていた喫茶店の件なんですけど、今日の午後は何の予定もないので、今日でも構いませんか?」
「あぁ、もちろん構わない。今日は末の娘も家に居るはずだから、是非とも会って行ってくれ。場所は分かるかい?」
「はい。商店街の大通りの『翠屋』って喫茶店、ですよね?」
「ああ。お昼時に来てくれたら昼食も御馳走するから、楽しみにしておいてくれ」

爽やかに笑いながらそう告げる士郎さん。
と、そこに横で聞いていた美由希さんが、これまた晴れやかな笑顔で自分の父親の話を補足する。

「うちのお菓子ってどれも美味しいから、期待してくれても大丈夫だよ!ねっ、恭ちゃん?」
「お前が威張るな、美由希。……まあ、人気が高いのは本当だから、楽しみにしておいてくれても大丈夫なはずだ」
「あはは、期待しておきます。……じゃあ、今日の昼過ぎにでもお邪魔しますね」
「うん、待っているよ」

昼からとなると今日の修行は早めに切り上げなければならなくなる。士郎さんたちとの話ももう終わったし、そろそろ行くとしよう。

「じゃあ、僕はこの辺で失礼しますね。ランニングも残っていますから」
「お、すまんすまん、まだ途中だったな。なら俺たちもそろそろ失礼するよ」
「またね、春海くん」
「昼にまたな」
「はい、またお昼にお邪魔します。それでは」

4人で手を軽く振りながら、すれ違うようにして走りだす。

僕は士郎さん親子の駆け足の音を聞きながら、今まで自分の真横にプカプカ浮かんでいた葛花に念話で話しかけた。

<という訳だから、今日の修行は午前の早い内に終わるぞ、葛花>
『其れは構わんが…………』
<ん、どうした?……また士郎さんたちのことか?>
『うむ。やはりかなりの手練には違いなしじゃの』
<手練、ねぇ。……確かに強そうってのはなんとなく解かるけど、お前がそこまで言うほどなのか?>

僕自身『前』は少しだがやんちゃしていた時期もあるし、『今』は鍛錬もしている。ある程度強くなっている自負もある。
けれど、それでも葛花の言うように相手の具体的な強さを察して推し測る、なんて達人のような芸当はさっぱりである。

『正直、茶店の店主というのは今でも信じられんの。暗殺者や忍者と言われた方が余程“らしい”』
<……そりゃまた。物騒なこって>

僕には気のいいアンちゃん達にしか見えんが(おっさんでない辺り、士郎さんの見た目の若さが解かろうものである)。
そもそも葛花が言うように彼らが幾ら強いとはいえ、悪人でないのならそこまで警戒する必要もないだろう。

「ま、それもその内わかるだろうさ」
『……確かにの。わざわざ無害な輩にまで警戒を割くこともあるまいて』
「そういうこと」

葛花との会話に決着を付けると、僕は目的地の山まで無言で走り始めた。


**********


「それにしても春海くんってば、相変わらず大人っぽかったねー」
「全くだ。……それに、また少し強くなってるみたいだったな」

走り込みも終盤。家も近付いてきたのでクールダウンとしてペースを徐々に落としながら家への道を走っていると、唐突に美由希が話しかけてくる。
話に挙がるのは、先ほど別れたあの子供───和泉春海に関してだ。



アイツに初めて会った、というより見かけたのは、やはりランニング中のことだった。
去年あたりから偶にコースの途中で見かけるようになり、その当時はなかなか根性がある子だな、と思っていたぐらいだった。

ただ何度か見かける内に気が付いたことなのだが、アイツはあの年頃の子供としてはあり得ないほどに鍛えている。

最初の頃は体の動かし方も子供のそれであり、軸やバランスもぶれてばかりだった。まあ普通の子供ならば当たり前のことなのだけど。
だが、それから1年の間、アイツは見かけるたびに体に軸が生まれ、重心が安定し、走りが戦闘向けの足運びになって行っていた。おそらく強さの方もあの体捌き相応のものだろう、というのが俺たち3人の共通の読みだ。

もちろん実力こそ俺や横にいる美由希とは比べるべくもないが、それでもあの歳であの成長速度と到達地点は十二分に破格。
まるで武芸者が鍛える光景を録画したビデオを早回しで見ている気分だったのを、今でもよく覚えている。
父さんでさえアイツの成長速度には舌を巻いていたくらいだ。

それからちょっとしたキッカケで話すようになり、特にすれたところも無ければ尖った所も無い、普通の子供だと解かった。

……ああ、違った。

『普通』の子供、ではない。むしろ『子供』らしくもない。なんだあの馬鹿丁寧な口調。おまけに当の本人はそれで無理をしている様子もない。

あの歳の子供からしたら、大人である俺たち3人の話し相手をすることはかなりの威圧感だと思うのだが。
初めの頃はともかく、最近では俺たちも春海の反応にはすっかり慣れてきたため、今では気にせず3人で話しかけるようになっている程である。



「だが、それもそろそろ打ち止めの時期だろうな。あの歳であの成長は大したものだが、我流ではそのうち限界が来る。あの年頃では尚更だろう。聞いた話では、アイツ、師は居ないらしいからな」
「そもそも先生なしであそこまで強くなってるってことがすごいんだけどねー。……うー、やっぱり1人じゃどうにもならないことって出てきちゃうよね……」

最後は呟くように言って、何やらそのまま考え込む美由希。

……?

「どうした?美由希」
「……ねぇ、恭ちゃん。うちで春海くんに教えてあげられないかな?」
「…………本気で言っているのか?」
「うん」
「……確かに、御神流は守るための剣。だが同時に人を傷つける殺人の技でもある。……おいそれと他人様の子供に教えられるものじゃないのは、お前も解かっているだろう?」

御神流。
正式名称は『永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術』

それが、俺や美由希が学んでいる古流剣術の名だ。

小太刀二刀流をメインに据え、更には徒手空拳、果ては飛針や鋼糸といった暗器までも駆使する殺人術。

だが同時にそれは、大切な者を守るための手段でもある。

目の前を行く父は、今でこそ怪我を理由に引退して喫茶店の一店主だが、昔は政治家などの重要人物のボディーガードをしていて、今でも当時の知り合いから度々連絡が来るぐらいだ(内容は世間話程度の挨拶が殆ど)。
それが原因で大怪我を負って意識不明の重体となったこともあり、2年前まで入院していたのだが…………やめよう。いま思い出す話ではない。

逸れた思考を修正して目の前の妹に意識を向け直すと、美由希は視線は前を向いたままに自分の考えを口にしていた。

「うん、わかってる。もちろん私だって、御神流を教えてあげようって思ってるわけじゃないよ」

それがわかっているのなら、何故?
視線でそう問いかけると、美由希は強い視線をこちらに返し、でも、と言葉を続ける。

「あんな小さな子が、あんなに必死になって強くなろうとしてるんだよ?確かに私には、春海くんが何のために強くなろうとしてるのかはわからない。でも、あんなに頑張ってる姿を見ちゃったら、私は手助けをしてあげたい」

美由希は確固たる決意を眼に込めながらそう言い、そのまま俺をじっと見つめてくる。
その眼に宿る意志は、こいつ生来の頑固さを秘めていた。

「…………はぁ」

隣の美由希にばれない程度に、少しだけため息をつく。

大方、父さんが入院した頃にひとりで必死に修行していた、自分や俺を思い出しているのだろう。
あの頃も、美由希は父さんに本格的に剣を教えて貰う約束をした矢先に父さんが入院し、父親が怪我をしたという事実も相俟ってそのことを酷く悲しんでいた。

そして、こんな眼をしている時の目の前の妹は、ちっとやそっとのことでは退くことはないということも、俺はよく解かっていた。

俺は美由希から視線を逸らし、そのまま前に向ける。先ほどから黙ったまま前を向いて歩いている、元・御神流師範───高町士郎を見た。

「父さん。父さんはどう思う?……俺は、剣術の手解きくらいはしてもいいと思ってる」
「恭ちゃん!」

俺の言葉を聞いた美由希が笑顔を浮かべる。

まったく、現金な奴。そう思って苦笑していると、前にいる父さんがこちらを振り向いた。
父さんも美由希と俺の会話を聞きながら春海のこと考えていたのだろう。思いのほか、その答えはすぐに返って来た。

「……そうだな。彼が悪い子ではないということは、ここ一カ月の間で父さんにもよく解かっている。剣術指南くらいはしても良いと思う程度にはな」
「それじゃあ!」
「とは言っても、それと御神流を教えるかどうかは別問題だ。才能の問題もあるし、何よりも彼自身の心根を視る必要がある。それに恭也も言ったが、春海くんは他所様の家の子供だ。人殺しの手段を教えることには、俺は反対させてもらうぞ」
「うん!」

美由希も其処はわかっているのだろう。
さして落ち込むでもなく、真面目な顔で父さんの言葉に頷く。

「とりあえずは、今日の昼にはまた会えるんだ。そのときにでも春海くんとは話をしてみよう。……というか、お前ら」

と、そこで父さんは表情を和らげ、何故か苦笑いを浮かべる。

…………?

「まだ春海くん本人が、俺たちに剣を教えられることを了承するかは分からないんだぞ?」
「「あ」」



(あとがき)

原作をプレイして生きている士郎さんのセリフを書くと泣きそうになるんですが……

ということで今回は御神流の人たちが登場と相成りました。うちの主人公、実は彼らとはもう知り合いだったんですね。
そして主人公の剣術習得フラグが立ちました。テンプレです。すみません。

とはいっても、作中で士郎さんたちが言うように本人たちに御神流を教える気は全くありません。
というか数あるSSの中で士郎さんたちってオリ主様にやけにあっさり御神流を教えているのは何故なんでしょうね。
原作やる限り、恭也も長年一緒に暮らしている晶の頼みを断っているくらいなのに。

あと、美由希と恭也が原作のように「とーさん」「かーさん」ではなく「父さん」「母さん」と呼びますが、それは小説では読みにくいと思った作者の判断です。
原作至上主義の方が居たら申し訳ありませんが、ご了承ください。

次回は翠屋訪問の前に、春海の修行風景の一部です。
作者の発想力の貧困さに自分でも絶望してしまった回ではありますが、努力してない主人公って誰にも(読者にも)応援して貰えませんし。

頑張って書くつもりなので、よろしくお願いします。

では。






[29543] 第四話 縁は奇なもの、粋なもの 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/28 23:30
「ハァ、ハァ…………到着ッ」

士郎さんたちに会った時よりも荒くなった呼吸を宥めながら立ち止まる。


国守山。

それがこの山の名前だ。

海鳴の町は古き良き観光の町としても知られており、海鳴にある山は基本的には私有地か観光地のどちらかしかない。

私有地は原則として一般人は立ち入り禁止。
観光地は大概の場合は人が必ずいるため、修行に利用するわけにはいかない。

自宅で堂々と修行する訳にもいかず、どうしたものかと困っていた数年前のある日、僕がランニング途中に偶然見つけたのが、自宅から片道1時間半の場所にあるこの『国守山』だ。

この山も海鳴にある他の山と同様に私有地ではあるものの、所有者が一部を一般開放しており、その敷地の一部が丁度いい具合に開けた広場になっているのだ。
町の中心地からもかなり遠く、特に観光地として整備されている訳でもないため、人が来ることも滅多にない。

そんな訳で、この広場は僕がよく利用する修行場となっていた



「これで良し、と」

目の前の木に符を張り付ける。

周りを見ると目の前の木の他に3本の木があり、同様の符がそれぞれに張り付けられていた。
上から見ると、ちょうど広場を正方形で囲む形になっていることだろう。

僕はそのまま正方形の中央の立つと、右拳を握った状態から人差し指と中指を立てて、刀印を結ぶ。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、空陳、南寿、北斗、三体、玉女───急急如律令」


呪を唱えながら刀を象徴したその手で素早く四縦五横の九字を切る。

イメージするのは、世界の切り取り。

と、キンッと小さく甲高い音とともに4枚の符に白い光が灯る。周囲の世界が閉じる感覚。


国土結界。

密教に伝わる結界であり、四方に配置された符を基点に魔障の出入りを禁じることに特化している。
なんでも、比叡山や高野山の結界もこの『国土結界』らしい。

もっとも、いま僕が使っているのは人払いの意味合いが強いのだけれど。

『ふむ、結界の方はもう及第点かの。とは言え、本来は符に依ることなく発動するのが理想。故に評価としては“まだまだ”じゃのう』

結界の中央に立つ僕の横でプカプカ漂っている葛花が酷評を入れる。

「わかってるっての。でもいろんな術を同時進行してんだから、どうしても一つ一つの練度は落ちるもんだって」
『同時に手を出し過ぎて初期は使いものにならず、昔は霊障に出くわすと即座に回れ右で走り去っておったの』

着物の袖で口元を隠しながらクスクスと含み笑いする葛花。

くそう。人の情けない過去をいちいち蒸し返しやがって。これだから四六時中一緒にいる奴は。迂闊に失敗もできやしない。

お前、実は僕の背後霊じゃないだろうな?


そんな葛花を無視して、僕は背負ってきた鞄からあるものを取り出す。

取り出したのは白い面。葛花と出会った日に木箱の中にあった、あの狐の面である。

面は軽く、持ってみると硬い感触が手に伝わる。名称も特に無いらしく、僕もクズハもそのまま『狐面』と呼んでいた。
面の細部に引かれる朱は下品にならぬよう必要最低限であり、その顔に映し出される白い狐の表情は、眼を細め、口元は弧を描いて満面の笑顔を称えている。

「じゃ、今日もよろしく頼むな、葛花」
『心得た』

僕は面を彼女の前に差し出しながら葛花の簡潔な了承を確認すると、そのまま面を彼女の胸の中に埋め込んだ。ずぶずぶって感じで。
僕の手が彼女の膨らみに乏しい胸を貫いているように見えて、見た目の猟奇度が半端ない。

と同時に、僕の口から呪が紡がれる。



───我が真名は和泉春海。汝を使役し汝が身を繰る者也。



紡がれる呪と同じくして、葛花に埋め込んだ手を通して『力』を注ぎ込む。
普段念話を行なうために通す経路(パス)と同じ要領のものをこの瞬間のみ物理的に押し広げ、純粋な霊力を供給する。

すると。


ボゥ


と、葛花に埋め込んである自身の手を中心に、陰陽五行を司る五芒星《セーマン》が現れた。

それを目で確認しながら、僕は呪を唱え続ける。



───古よりの約定に従い、汝が身、其の霊魂尽き果てし其の時まで、我と共に在れ───急急如律令



と。

葛花の存在感が急激に増してくるのが、それこそ霊的な感覚ではなく直接触覚で感じられ。

『……ん」

目の前の幼女の悩まし気な声を聞き流しつつ、僕はゆっくりと彼女の胸中から右手を抜き去る。

「どうだ?感じは」
「大事ない。些か荒いが修正範囲内じゃ」
「ん。……やっぱまだ荒いか?」
「『あいつ』と比べておるからの。現時点ではどうあっても見劣りは仕方なかろ」
「これもまた要練習、か」
「そういうことじゃ」

地を踏みしめて立つ葛花は手をにぎにぎしながら告げる。

僕は彼女の足元の目を向けると、草がほっそりとした葛花の裸足に踏みつけられ、ひしゃげていた。

“ひしゃげている”



───そう、今の葛花には実体があった。



秘術 霊魂降ろし《ミタマオロシ》

対象の霊にとって縁が深いモノを媒介に“氣”を用いて外郭を創り、霊体を顕界に実体化させる秘術。
その際の霊の存在力は術者が最初に注ぎ込んだ力の量に比例し、術者と交わした約定を果たす者となる。


「…………………………………」

オーバーソ○ルですね、わかります。

…………いや、厳密に言えばあの技とも違うんだけどね。別に武器になる訳じゃないし、他にもいろいろ制約あるし。
でも元ネタは間違いなくアレである。だって書いてたし。「オーバーソウル!葛花 in 狐面!」とか叫んだ方が良いのかなぁ?

ちなみに普段の霊体でも物に触れられない訳ではない。
霊力をある程度もっている霊ならば小石程度の重さの物なら持てるらしい。それでも滅多に居ないらしく、僕は葛花以外に見たことはないけど。


「では、始めるとするかの」
「ん」

まあ、何時まで経っても不思議に思おう術の概要は置いておいて。

そう言って、僕と葛花は15メートルほどの間隔を開けて向かい合う。


───左に跳ぶ。


数瞬遅れて、さっきまで僕が立っていた場所を、あるモノが高速で通過する。
ただ、僕自身が『それ』を確認する暇はない。すぐに次がやってきた。

僕の進行方向を塞ぐように真上から落ちてきたモノをバックステップでかわすと、地面に激突したそれが、舞い上がる砂埃を掻き分けて地面スレスレを薙ぐようにして迫る。

僕は跳躍前転の要領でそれをやり過ごして着地。


今度は此方に向けて矢の如く一直線に伸びてくる。目標は僕の頭部。

僕は地を這うように上体を倒すと、体が完全に倒れきる前に右脚を強く踏み出す。

そんな極端なまでの前傾姿勢を維持したまま、自分の頭上を高速で通過するモノを気にすることなく、其のモノの発生地点───葛花に向かって一気に駆け抜ける。


前方の葛花に目を向ける。


僕を強襲してきたのは、彼女の背後から伸びた───9本の尾。

その一本一本が鉄のように硬質化しており太さは直径10センチ程度。中には剣状のモノもあれば、槍の如く鋭く尖ったモノもある。

流石に9本同時と云うのは今の僕では無茶が過ぎるので、今はそれらを4,5本同時に相手にしているのが現状だ。始めた頃が一本だったことを考えれば、これでも成長しているのだけど。

この修行光景を見た者はやり過ぎだと言うだろう。……うん、ごめん。全力で同意します。
でも葛花がやると言った以上、今のところ弟子的立場にある僕は従うしかないのである。所詮この世は弱肉強食なのだ。

……葛花が絶妙に手加減してくれてるから続けられるんだけどね?今までこれで大怪我したはことないし。その程度の信頼関係は一応あるのだ。


ちなみに9本の尾とは言うものの、それは別に葛花の正体が『九尾の狐』だった、とかではない。

葛花自身の尾は真っ白なものが1本だけだ。今の9本は「狐の妖怪変化」よろしく、『変化の術』による変身である。まあ妖狐の尾の数はそのまま本人の力の強さを表しているため、僕が相応の力を注げば数も増えるらしいが……今の僕では倒れるくらいに限界まで注いでも、3本がやっとだろう。

『本来の変化は自分全体の姿を変えるものだが、儂ほどの妖狐にもなると部分変化もお手の物』とは葛花の談。

おまけに既存のものであるのならば、無機・有機を問わず、如何なるものにでも変化できるとか。
ただ鉄や石の類ならともかく、レアメタルや電化製品などの葛花にとって理解不能なモノには流石に無理らしい。


前方の葛花に意識を集中する。

彼我の距離は残り5メートルほど。そのまま葛花まで到達できれば僕の勝ちなんだけど……流石にそう簡単にはいかないか。


葛花が引き戻した5本の尾が上空から僕を強襲した。

地面に等間隔で突き立つ鉄尾の群れの中を、僕はジグザグの軌道を描きながら紙一重で避け続け、


(1……2、3……4……)


───避け切る!


(よし、5本全部!これで───ッ!?)

油断。

現在の鍛錬のノルマである5本をかわし切ったことで、他の尾の存在を失念していた。

右上から叩きつけるように迫るのは“6本目の鉄尾”。


左右に避けている余裕は───ない。


「───フッ!」

咄嗟にそれを跳躍でかわす。

しかし、足元で轟音を立てる鉄尾に戦慄する暇もなく、真正面から再度一条の鉄尾が槍の如く迫る。

現在僕がいるのは空中。避けようにも足場はなく、満足に身動きもできない完全な死に体。


脳裏によぎるのは、迫る尾に叩きつけられた僕。


(───焦るな、集中しろ。目線を反らすな)


僕は始める前に左腕に巻いたホルダーの1つから、符を1枚取り出す。
それはあらゆる物理干渉を防ぐための、四縦五横に急急如律令と書かれた、一枚の護符。

それを前に掲げて力を込め、現れるのは───符を基点とした1枚の障壁。

こいつで葛花の鉄尾を受け止める。

たが真正面から受けたのでは、子供で体重の軽い僕は吹き飛ばされるのがオチだろう。


だから障壁を尾の側面に接触させ、そのまま自分の腕を振り抜くことで尾の軌道上から───自分を引っこ抜く!


ガキンッ、とやや甲高い音とともに障壁と鉄尾が接触。

が、やはり空中での急制動に体が付いていけず、着地の瞬間に体勢が崩れた。



そして、目の前に突きつけられる剣尾。



「ここまでじゃの」
「ハァ、ハァ……くっそー」

僕は息も荒いまま地面に大の字で転がった。

「6本目なんて聞いてないぞ…………って言うのは、言い訳なんだろうなぁ」
「当たり前じゃ。死合いの中に汚いも何も有るものかよ」

言いながらとてとてと近づいてきた葛花が、寝転がったままの僕に再度言葉を紡ぐ。

「やはり身体強化の術式は急務じゃの。反応速度と体捌きに身体が付いて行っておらん」
「……だな。体が貧弱じゃあ、どんな動きしたところで質量に押し潰されるだけだしな。……符を使わない術式はまだ苦手なんだけどなー」
「それと何かエモノもじゃな。攻めるにも守るにも、乱打戦の中で素手でいちいち符を掲げておったのでは時間が掛かり過ぎる。今のお主はただでさえ身が貧弱じゃ。一瞬の遅れが致命傷となるぞ」
「エモノ……ああ、武器か。……そうだなぁ。たださぁ、剣とかって振り回して上手くなるもんなのか?『前』の時は喧嘩なんかは全部素手で、武器なんかは持ったことがないんだけど」

一応、それなりの攻撃手段は考案しているのだが、まだまだ実戦では扱いがな。

「儂は武器の扱いに関しては門外漢じゃぞ」

胸張って言うな。

「お前、根本的なところで動物だもんな……」

弱肉強食を地で行く奴なのである。

ともあれ、やっぱり最優先は武器と身体強化か。

身体強化の術式は、今の僕の力量では発動までに時間がかかる上に、持続時間も短い。実用段階までは最短でも数カ月から半年はかかる。ここは精進あるのみだな。

ただ、問題はやはり武器だ。

さっきも言ったように、僕や葛花は武器に関しては完全に専門外。こればっかりは術書に頼るわけにもいかない。


誰か師が、せめてアドバイザーが必要になってくる。


「まあ、無いものねだりをしても仕方がない、か。武器に関しては、夜にでもまた検討してみようぜ」
「ま、よかろ。術式の修行も怠らんようにの」
「了解了解、っと」

話しながら、足を振り上げ反動を付けて勢いよく立ちあがる。

「まずは、今あるモノを伸ばすとしますか」


修行再開、ということで。



その後葛花と改めて二十回ほど様々な距離でやり合い、本日の勝率は3割ほど。

それから符の投擲練習と陰陽五行の修行。

午後からは士郎さん達との約束があるため、11時前には修行終了。修行場の後片付けを終え、僕はランニングをしながら帰路に着いた。





このとき、僕は予想もしていなかった。

この後、たった今話していたばかりの師の存在が現れることを。



(あとがき)

はい、今回は前回述べた通り「春海の修行の一部」となりました。……いやもうホントごめんなさい。作者の貧困な発想力ではこんなモンしか思い浮かびませんでした。てか、肉体鍛錬しかしてねえ。どこが陰陽師なんだよコイツ。
というか術の訓練って何やるんでしょうね。座禅や精度くらいしか作者には思い浮かびません。

あと、主人公の技が出てきましたね。はいオーバーソウルです。「お前これやりたかっただけだろう」と思った読者の方。あなたは正しい。これがしたかっただけです。

ただ、オーバーソウルとは言っても、別にこの世界に巫力だとかがある訳じゃありません。あくまで「リリカル」と「とらハ」の世界観で可能と(作者が)思うことだけです。
そういう考えでいけば、今回出ていた「氣」や「霊魂降ろし」が何のことだか分かる人もいると思います。ただ優しい人は分かってもスルーしてくれると作者はとっても助かります。

あと、国土結界とか呪文とかはネットで見つけたそれっぽい言葉を引用しているだけなので、現実のものと同じとは考えないようにお願いします。
この物語はフィクションであり、登場する人物・団体などの名称はすべて架空のものであることをお忘れなく。




[29543] 第四話 縁は奇なもの、粋なもの 3
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/10 23:42

「お、ここだよ、ここ。『喫茶・翠屋』」


あの後。
鍛錬を終えて家にたどり着いた僕はシャワーを浴びて着替えると、家にいた母親に翠屋に招待されたことを告げて家を出た。
ちなみに、出掛ける際に自分も連れて行けとせがむ妹2人のタックルを受け止めてソファーに投げ込んだりといったこともあったのだが、関係無いので今は割愛。

僕は目の前の喫茶店を見やる。
外装は『西洋風の可愛らしいお家』と云ったところか。窓から見える内装も、アンティーク調のインテリアが落ち着いた雰囲気を醸し出しつつも室内は活気づいており、暗い印象は全くない。

…………まあ、それは良いのだが、

<女の人、多いなー>

店内は休日のためか席が満席になるほどに賑わっている。
しかもその殆どが、休日を楽しむ高校生くらいの女の子たちや主婦の皆々様。

ぶっちゃけ、すごく入りづらい。

『眼鏡の小娘が言っておったのも強ち間違いだった訳ではなさそうじゃのう』
<?……ああ、美由希さんのことか>

確かにメガネッ娘だが。

<前に軽く調べてはみたけど、此処って地方の隠れた名店らしいぞ。海鳴の地方観光ガイドにも載ったことがあるとか>
『ほほう』
<特に3種類のクリームの入ったシュークリームと、自家焙煎のコーヒーが絶品なんだとか>
『おおっ!よいのよいの、全くもって今世は甘味に溢れた善き時代じゃの!!』

目をキラキラと輝かせる葛花。
こいつ、狐のくせに甘いモノに眼が無いのだ。あとそれとは別に、好物はきつねらしく油揚げである。あと日本酒も。

ちなみに。

霊体であるはずの葛花がどうやってモノを食べるのかというと、『霊魂降ろし<ミタマオロシ>』による実体化である。
あの形態だと普通にモノを飲み食いできるし、霊感の無い人にも葛花が視認できるようになるのだ。
この辺りがオー○ーソウルとの違いである…………葛花の前の主人マジぱねぇ。

葛花もこうして自分で食事するのはおよそ千年ぶりのためか、食事自体をかなり喜ぶ傾向にある。
実は彼女が僕と一緒にいてくれるのは半分くらいはこれが目的なんじゃなかろうかとひそかに思っていたりする。

も一つちなみに。

現在の和泉家における葛花の地位は飼い狐である。

普段は『霊魂降ろし』によって実体になってただの子狐をしているのだ。
もちろん家族の皆には葛花の正体は話していないので、彼女のことはかなり落ち着いた子狐くらいにしか考えていないと思うけど。

早い話が、妹2人が生まれて数年の間は衛生面の問題で葛花にも霊体で我慢してもらっていたのだが、さすがに葛花も隠れて御飯を食べる生活に飽きたと訴えてきた(噛みついてきた)ので、妹たちが幼稚園に入園したのを機に、親に葛花のことを飼ってもらえるように頼みこんだのだ。

幸い、それまで良い子にしていたのが良かったのか親は二つ返事で葛花のことを認めてくれた(後で訊いた話では、滅多にワガママを言わない僕のことを心配していたため、その僕が頼みごとをしてきてかなり安心したらしい。申し訳ない)。
妹たちも葛花のことを凄まじく可愛がっていて、葛花が僕の行く先々に着いて行くため(霊体で着いて来ていることは知らない)不公平だとギャーギャー騒ぐ毎日である。
てか僕に言うな、妹たちよ。お前たちが葛花を撫で回すのが悪いんだから。この間なんて、葛花のヤツ、泣きながら僕の部屋に避難してきたんだぞ。

そんなこと(主に妹2匹に関する愚痴)をつらつらと考えながら、しっぽをブンブン振りまわす童女に念話を返す。

<はいはい。母さん達にもお土産に買って帰るつもりだから。帰るまではちゃんと我慢しろよ>

しかも買うのは僕の金である。

まあ確かに月一で少額ながらお小遣いを頂いているのだが、何せ小遣いを貰っても子供が欲しがるようなものは興味がないし、興味がありそうなものを買うには小学1年生の小遣いでは全然足りないというのが現状なのだ。
もともと物欲はそんなに多くない性質ではあるので、今はコレやお年玉等々の臨時収入で何とかなっている。見たいアニメなんかはネットで見れるし。

結果、会社帰りの父親の如く、偶に家族に土産を買って帰ることが多くなっていた。

さらにはそれに気を良くした母さんがまた小遣いをくれるため手持ちの金が昔から微増しつつあり、今ではそこそこの額になっている。
シュークリームを買うくらいの手持ちは普通にあるのだ。

『ほ、ほんとじゃな?約束じゃぞっ?』

うわー、すげーいい笑顔。葛花ちゃん輝いてます。

<わかったわかった>

背中に貼りついて体もしっぽもぷらぷら揺れる葛花を軽くあしらいつつ、店の中に足を踏み入れた。



喫茶・翠屋の中は外から見えた通り、落ち着いた雰囲気でありながら活気づいている。
ただ中の客の殆どが女性なため、どうにも気おくれしてしまう。なんかこう、凄まじいまでの場違い感だ。

入り口でどうしたものかと思案していると、こちらに気が付いた店員さんが1人近づいてきた。

「いらっしゃいませ!ボク、ひとりかな?」

流暢な日本語で話しかけてきたのは、ブルネットの髪をした英国人系の外国人さん。
率直に言うと、喫茶店の店員よりもテレビに出てくる方がよっぽどしっくり来るほどの美人さんだ。

「あ、はい。えーと、士郎さん───この喫茶店のマスターさんからご招待頂いたんですが」
「あ、きみが春海だね。士郎から聞いてるよー。とってもおもしろい子だって」
「あ~……その春海くんです。面白いかどうかは分かりませんが」

てか、面白いって。士郎さんたち、僕のことどう言ったんだよ。

そんな僕の反応がおかしかったのか、目の前のフレンドリーな店員さんは口元に手を添えてクスクスと笑っている。こうやって笑っている顔も朗らかで、全く嫌味がない。見ているこっちの顔まで思わず緩んでくる。

「ふふ、士郎たちが言ってたとおりなんだね。あ、ごめんね、いきなりこんなこと言っても分からないよね」
「いえいえ、別にいいですよー。僕も眼福でしたし」
「ん?」

おっと本音が。

「こっちの話なので気にしない方向で。……それで、僕はどうしましょう?お店の方もいっぱいみたいですし、外で待ってましょうか?」
「あ、それならだいじょうぶだよ。きみの席はとってあるから」

(って、士郎さん、そこまでしてくれたんかい)

僕は改めて店内を見渡す。
店の中は先ほどから言っている通り、席が全て埋まるほどに賑わっており、一人分とは言え席を遊ばせている余裕があるようには到底見えない。
たぶん、僕が何時頃に来るか分からないから、昼の間中ずっと取っておいてくれたのだろう。

<なんか悪いことしちゃったか?……もう少し早く来ればよかったかもな>
『お人好し此処に極まれり、じゃな』
<こらこら、そんな言い方すんなよ>
『ふん』
<……?>

なんか不機嫌そうだな?
僕、何かしたか?目の前の店員さんと話していたくらいなんだが……。

黙っている僕を不思議に思ったのか、店員さんが首をかしげる。

「???」
「あっと、すみません!……わざわざ席まで取って貰って、本当に申し訳ない」
「あ、ううん。気にしないでね。士郎たちもきみが来るの、楽しみにしてたんだから」
「んー、それじゃあ、ありがとうございます、ということで」
「うん♪ それじゃあ席まで案内するね」

そう言って、彼女は先導するように歩きだした。

途中、カウンターに居る男性───士郎さんにも声をかける。

「士郎!春海、来てくれたよー」
「お、来たな、春海くん。今日は楽しんで行ってくれよ」
「あ、士郎さん。今日はありがとうございます。御馳走になりますね」
「ああ、うちの桃子の料理は絶品だぞー」
「『ももこ』?それって……?」

なにやら新キャラの名前が。

疑問に思っている僕に気が付いたのか、隣の美人店員さんが説明してくれる。

「桃子っていうのはね、翠屋のパティシエさんで、士郎のお嫁さんなんだよ」
「へ~。翠屋ってご夫婦で経営してたんですね」
「ああ。俺がいない間もこの店を護ってくれた、自慢の嫁だよ」

そう言う士郎さんの顔は自分の宝物を自慢する子供の表情そのもので。
その表情が言葉よりも雄弁に、如何に自分の奥さんを愛しているのかを物語っていた。

「……ごちそうさまです」
「ん?おいおい、食べるのはこれからだろう?」
「いやまあ、そうなんですけど」

既に心が満腹です。

僕は苦笑しつつ隣に立つ美人店員さんを見ると、こちらもニコニコ笑っていた。
と、こちらの視線に気が付いたのか彼女はその綺麗な顔を僕の耳元に近づける。あー、いい匂い。

「(士郎と桃子はね、すっごく仲良しさんなんだよー)」
「(いやまあ、その『桃子さん』を見るまでもなく士郎さんの顔ひとつでよく分かります)」
「(ふふ、そうだよねー。士郎、すっごく幸せそうだもんね)」

士郎さんはこそこそと笑い合いながら話す僕たちを不思議そうに見ていたが、すぐに気にしないことにしたのか話を先に進める。

「いまは桃子は厨房で調理中だから会えないけど、余裕ができれば話もできるはずだから」
「はい。お構いなく」
「ははは、そういう訳にもいかないさ。じゃあフィアッセ。春海くんの案内、よろしくな」
「うん、了解しました!じゃあ春海、こっちだよ」
「あ、はい。士郎さんも、それでは」
「おお、ごゆっくり」

そうしてカウンターの士郎さんと別れた後、店員さん───フィアッセさんに案内されて席に着いた。
僕にメニュー表を渡すと、フィアッセさんは『翠≪MIDORIYA≫』のロゴが入ったエプロンのポケットから電子伝票を取り出し、朗らかな笑顔で訊いてくる。

「ご注文は何になさいますか?」
「んー……ちなみにオススメって何かありますか?」
「あ、それならこの『本日のランチ』なんてどうかな。今日はBLTサンドがメインなんだけど、とってもおいしいよ?」

フィアッセさんがメニューを指差しながら勧めてくる。

白魚のようなと言う表現がしっくりくる指が示す先を見ると、値段も手ごろな何とも食欲を誘うBLTサンドの写真が一枚。
他の料理も食欲を誘う写真ばかりだが、このままではいつまで経っても決まらないため素直にオススメに従っておく。

「じゃあそれで。どれも美味しそうで、このままじゃ決まりそうにないので」
「あはは、ありがと。桃子もきっと喜ぶよー。すぐに持ってくるから少し待っててね」

そう言って、フィアッセさんはカウンターに注文を伝えに行った。

いやー、それにしても美人さんだこと。あんな美人、『前』も含めても滅多にお目にかかれなかったかも。

…………で、

<お前、さっきから何してんの?>

肩越しに振り返ると、さっきから僕の首に腕を回して背中側にぶら下がっている子狐1匹。
顔を見るとぷくーっと頬を膨らましている。無性に押して空気を抜きたくなってくるが自重。

葛花はこちらを責めるようににらみつけて───

『なんじゃなんじゃ、美人のおなごを見るとす~ぐデレデレしおってからに』

訂正。めっちゃ責めてました。

<おいおい、なんだそりゃ?そんなデレデレなんて>

……してないよな?無意識に鼻の下が伸びてた、なんてないよな?
鼻の下を伸ばす小学1年生……い、嫌すぎる。

『ふん、あの触覚娘がそんなにいいのか?胸か?やはり胸なのか?』
<あー……そう言えば、お前って成人形態のときの胸、気にしてたっけな>

こいつは成人形態での胸が小さいことを割と気にしているのだ。
別に小さいわけでもない丁度いい大きさだと僕は思うんだが、どうも葛花的には不満らしい。何でも、雄を悩殺するボデーのほうが良いのだとか。動物的に。

ちなみに以前、葛花の成人形態を見せてもらったことがあるのだが……うん、ヤバいくらいに綺麗でした。
理性が飛んでしまうレベルの美人さん。本人には絶対言わないが。

葛花の幼女形態を止めない理由は、実はこの辺りにもあったりする。

てかフィアッセさんは触覚娘なのか。まあ確かに2本ほどすんごいのが跳び出てはいたけど。

『お、おのれ、見ておれよ!儂の変化にかかれば胸の2個や3個───』
<それは偽乳だ>

あと3個って何だ。

「お待たせしました!」
「ん?ああ、フィアッセさん。ありがとうございます」

いじけた葛花を宥めすかしていると、フィアッセさんが料理を持ってやってきたので、とりあえず葛花は放置で。
後ろから僕の後頭部にあぐあぐと噛みついているような気もするが、断固放置で。

「あれ?わたしの名前って言ってたっけ?」
「あ、すみません。士郎さんがそう呼んでいたので」
「ううん、いいよ。そういえばまだ名前、言ってなかったね。わたしはフィアッセ。フィアッセ・クリステラ。フィアッセって呼んでね」
「じゃあフィアッセさんで。和泉春海です。呼び方はお好きに」
「うん、よろしく、春海!それじゃあ、これが本日のランチになります」

そう言ってテーブルの上にトレイをそっと置く。

トレイの上には、新鮮なトマトにレタス、それにカリカリに炒められたベーコンを挟みこんだ、こんがりとしたパン。
一緒にあるコンソメスープがまたいい匂いだこと。
写真以上に魅力的なBLTサンドだ。

「おおぅ、これはまた……いただきますね」
「ふふ、あとで桃子にも感想言ってあげてね。きっとよろこぶから」
「はい、是非」

ごゆっくりどうぞ、と言い残して、フィアッセさんは新たに来店したお客の元に行ってしまった。

そして僕はさっきから後頭部であぐあぐ言ってる葛花を気にすることなく、BLTサンドにかぶりつく。
周りから見たらBLTサンドにかぶりつく男の子にかぶりつく幼女、という訳のわからない光景が展開されてるんだろうなー。葛花は他の人からは見えないけど。

ちなみに、BLTサンドは非常に美味でした。



「ごちそうさまでした」

空っぽになった皿を前に手を合わせて、食材となった生き物と作ってくれた『桃子さん』相手に感謝の言葉を告げる。

本当に美味しかった。
あまりの美味しさについつい葛花のことも放っておいて、無言のまま夢中で食べ続けてしまったくらいだ。……断じて相手をするのがめんどくさかったからではないよ?

店の中はお客の数はまだまだ多いものの、食後の時間だからか穏やかな顔で談笑している人の比率が増えてきている。

そうして周りを見ているとそこに、翠屋のエプロンをした士郎さんと見知らぬ女性がやってきた。

「や。どうだったかな?喫茶翠屋の味は」
「すごくおいしかったです。僕だけご馳走になるのが申し訳ないぐらいですよ」
「あらあら。どうもありがとう」

そこで士郎さんと並んだ女性が嬉しそうに微笑みながら口を開く。
このタイミングで来るってことは、もしかして。

「……『桃子さん』ですか?翠屋のパティシエさんの」
「はい!喫茶・翠屋コック兼パティシエ兼副店長、高町桃子さんでーす♪」

こ、これまたフレンドリーな……てか若っ。

僕はどう見ても20代前半にしか見えない桃子さんの勢いに圧されて、若干仰け反りながら言葉を続ける。

「ご、ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」
「お粗末さまでした。良かったらこっちもどうぞ、春海くん」

そう言って、桃子さんはテーブルの上に新たな皿をのせる。
皿の上には喫茶翠屋の名物・シュークリームがひとつ。

途端に後ろでゴクリと喉を鳴らす音が聞こえてくる。実際、目の前にあるシュークリームは形も香りも素晴らしく、葛花でなくても食欲をそそられる。

<ちゃんとお土産で買ってやるから、我慢我慢。な?>
『うぅ~……解かっとるわい……』

真っ白なきつね耳や尻尾がへにゃりとしているのが見なくても分かる。既に涙声だし。

「ありがとうございます。ここのシュークリーム、楽しみにしてたので」
「あら、そうなの?よかったわー。さ、食べてみて食べてみて」
「はい、いただきます」

促されるままにシュークリームに口をつけると、くどさの無い甘みが口いっぱいに広がる。周りのパン生地もしっとりサクサクで、口の中でクリームと絡み合う。
名物になるのも納得の味だ。いい意味で値段と味のつり合いが取れてない。

僕は口の中のシュークリームを呑み込むと、これを作った御本人に感じたままの感想を述べる。

「やっぱり、こっちもすごく美味しいですね。甘いのに後を引かないと言うか」
「あ、よくわかったわね~。そのあたりは我が息子のお墨付きなのよ。3種類のクリームを上手く合わせてるの」
「へー。あ、息子さんって恭也さんのことですよね?」
「そうよー。あの子ったら私たちの息子なのに甘いものがもうめっきりダメなのよ。士郎さんは全然イケるのに」
「あはは。でも恭也さんってそんなイメージありますよね。こう、縁側でお茶啜って煎餅かじってる感じの」
「あら、大正解。まったく、誰に似ちゃったんだか。ねえ?」

そのまま世間話に突入しそうなところを士郎さんがストップをかける。

「おいおい、桃子。あまり長話してる暇はなさそうだぞ?」

見ると新しくお菓子を注文している客がちらほらと。
昼時のピークは過ぎたとはいえ、新しいお客も次々とやってきている。

「あらあら、いけない。春海くんったら意外と話し上手なんだもの。それじゃあ春海くん、のんびりしていってね」
「あ、桃子さん」
「ん、なにかしら?」
「このシュークリーム、家族にお土産で持って帰りたいので5つほどいいですか?お代はお支払いしますので」

後で頼んで品切れなんてことになったら頭蓋骨を噛み砕かれかねないので、今のうちに頼んでおく。……なにやら後ろからパタパタと尻尾を振る音が。

「あらあら、ありがとう!桃子さん、嬉しいからお土産に春海くんにシュークリーム、プレゼントしちゃうわね♪」
「い、いや、さすがにそれは……。ただでさえ昼食をご馳走して貰ったのに」

幾らなんでも頂きすぎだろう。

でも桃子さんは遠慮する僕を押し留めるようにして席を立つと、笑いながら告げてくる。

「いいのよ、こっちはお礼も兼ねてるんだし。それに、もしかしたらこれから長い付き合いになるかもしれないし。ね?」
「はい?」

お礼とな?

「ふふふ。それじゃあ士郎さんも、休憩時間の終わりに遅れないようにお願いしますね?」
「ああ、わかった」
「シュークリームは取っておいてあげるから。帰るときに言ってね、春海くん」
「え、あ、ちょっ」

……行ってしまった。僕は残っている士郎さんの方を見る。

「……士郎さん」
「気にすることはないぞ。桃子も君のことを気に入ったみたいだしな」
「いや、それでもさすがに……」
「まあまあ、いいじゃないか。それに、子供のうちは年上からの好意は素直に受けておくもんだぞ」
「あ~……じゃあ、ありがとうございます」

子供なら仕方ない……のか?

未だに自分が子供だということを失念しそうになることが偶にある。子供と大人の線引きで迷ってしまうのだ。
そうでなくとも、子供だからという理由で受け取る厚意は相手を騙しているような気がして申し訳ないのだけど……。

(これからもよくあるだろうし、とっとと慣れよう)

「それでな、春海くん。実は今日は君に話があるんだ」
「あ、は、はい」

幾らか真剣見が増した士郎さんを前に、僕も戸惑いつつ姿勢を正す。
こちらをじっと見据える士郎さんの目を、僕も真剣に見つめ返す。

「和泉春海くん」
「はい」
「君、剣術を習ってみるかい?」
「はい…………はい?」

なんですと?

「いや、な。君が鍛えていることは前々から知っていたんだが、これまで君の鍛錬は全て自己流だったんだろう?」
「あ、はい」
「それでだ。俺の見立てではそろそろ行き詰ってるんじゃないかと思っているんだが、どうだい?」

士郎さんの言葉に、今朝の鍛錬内容を思い出す。

回避や捌き、術の類に比べて、身体的・肉体的な攻撃手段が極端に少ない。
霊だけを相手するのならともかく、一般の人間相手では倒す手段が少なすぎる。一般人相手にバンバン炎や雷を出すわけにもいかないし。

改善する手立ても未だなし。事実、行き詰っているのだろう。

「そう、ですね。……なんというか、僕の体じゃ1発1発の威力が出難いので、そろそろ武器を検討中というか……」
「その武器に関して師の当てはあるのかな?」
「いえ全く。どんな武器を持つかもまだですから」
「うんうん。そこで、だ。今朝、恭也や美由希とも話し合ったんだけど、うちで剣をやってみる気はあるかい?」
「剣、ですか」
「ああ。君のことは1年前から見てきたからね。悪い子ではないのは俺も分かっている。
───何よりも、娘がえらく賛成していてね」
「娘さんって……美由希さんですか?」
「いや、美由希もそうなんだけどな。……もう一人の、末の娘の方だよ」
「僕と同い年の?」
「ああ」
「…………?」

同い年の友達ができるから、賛成してくれたのだろうか?
でもそれにしては士郎さんの言い方にちょっと違和感が……。

「えっと、その娘さんって……?」
「それはサプライズってことで、会ってからのお楽しみだ。そっちの方がワクワクするだろう?」

そういう士郎さんの顔はイタズラ好きの子供のようで。そんな歳に似合わぬ笑顔に、こっちも緊張が解けるのを感じる。
こういう、周囲の空気を自然と和らげ明るくする雰囲気を持った人は、『前』を含めても珍しい。

『前』では、園長先生くらいだろうか?(シスターには大抵ゲンコツを喰らった記憶しかない。自業自得だったけど)
あの人の周囲ではいつもみんなリラックスして、笑顔を咲かせていたように今さらながらに思う。

だからこそ、僕も自然と笑いながら答えた。

「そう、ですね」
「おお、わかるかい?」
「はい。やっぱり楽しい方がいいですよね」
「ハハハ、そうだな。……それで、どうだ?うちに出稽古に来てみるかい?」
「あ、それは……」

少し考えてみる。

正直、この申し出は非常にありがたい。
士郎さん達とは朝のランニング途中の世間話程度とはいえ知らぬ仲ではないし、実力の方も葛花のお墨付き。

師が欲しいと思ったその日にうちに師が見つかるのは、些かタイムリーすぎて出来過ぎな気もするけど。

<どうだ、葛花?>
『実力は有って害意は無し。これまでの会話でその善性も知れておる。むしろ断る理由が見当たらんの』
<じゃ、決まりだな>

出稽古自体は満場一致(2人だけ、どころか1人と1匹だが)で可決、と。

あとは───

「すみません。月謝はおいくらでしょう?」

金だろう。





「あそこだよ、春海」

フィアッセさんが指差す先にあるのは、武家屋敷然とした大きな日本家屋。
あれが士郎さんたちの家───高町家である。


あの後、僕の言葉に大爆笑した士郎さんは手をプラプラ振りながら「こっちの勝手で言いだしたことだから、お金は要らんよ」と告げると、士郎さんと入れ替わる形で休憩に入ったフィアッセさんに僕を高町家まで連れて行くように頼んでカウンターの中へと戻ってしまった。

さらっと告げた士郎さんがカッコよかったです。


というわけで、僕はフィアッセさんに手を繋がれた状態で高町家宅に向かって歩いていた。…………フィアッセさんに手を繋がれた状態で。

『大事なことじゃから二度言ったな』

ああっ、後ろでツッコミをいれる葛花の眼差しも心なしか冷えてる!?

<ちょ、ちょっと待て!お前も見たろっ!?差し出した手をスルーされかかった時のフィアッセさんの哀しそうな顔!>

手ひとつであんな哀しそうな顔、初めて見たぞ?!

『ほーじゃのー』
<棒読みー!?>

背後の葛花の絶対零度の視線を持て余しつつ、隣で僕の手を引くフィアッセさんに聞いたことを思い出す。

彼女の名はフィアッセ・クリステラ。

喫茶・翠屋のチーフウェイトレスをしていて、高町家とも古なじみで家族ぐるみの付き合いをしており、恭也さんや美由希さんとは幼馴染。

また、歌が大好きで彼女の母国であるイギリスでは舞台に立ったことも何度かあるのだとか。
さすがに僕はイギリス人歌手まで詳しくないため、よくは知らないのだけど(後日ネットで調べると、向こうでは結構な知名度だったらしい)。

本人曰く、歌手としてもまだまだ修行中の身。

ただ、今はちょっとした事情で痛めた喉の療養のために在日しているとのこと。
親しい高町家にもたびたび世話になって、本当の家族のように思っているらしい。

「にしても、ホントによかったんですか?せっかくの休憩時間にわざわざ案内までしてもらっちゃって。場所だけ教えてもらったら僕一人でも大丈夫でしたけど……」
「だいじょうぶだよー。そのために士郎が休み時間すこし多めにくれたから。それに他のみんなも春海に会えるの、楽しみにしてたんだよ」
「他のみんなって……士郎さんが言ってた『末っ子さん』ですか?僕と同い年の」

でも『みんな』って……何故に複数形?
恭也さんや美由希さんと僕が知り合いなことは既に知っていると思っていたんだけど。

「うん、その子もそうだよ。それに士郎の家には私のほかに、あと2人いっしょに暮してるの」
「……それはまた」

って、ちょっと待て。

それだと高町さん宅の人数って……士郎さん・桃子さん・恭也さん・美由希さん・末っ子さん+2人。
更にそこにフィアッセさんが家族当然の関係となると……8人?

「大家族ですね」
「Yes!みんなとーっても仲良しなんだよ♪」

家族という言葉が嬉しかったのか、フィアッセさんがニコニコと笑って肯定する。

「今日はみんな、お家に揃ってるはずだから」
「ハハ、楽しみです」

とか話している内に高町家到着。

「ただいまー!春海、連れてきたよー!」

フィアッセさんは僕の手を保持したまま門をくぐって玄関の扉を開き、家の中まで届く大声で叫んだ。
本人が歌い手だけあって、よく通る澄んだ声だ。


「きたー!」


フィアッセさんの声に応えるように返ってきたのは、女の子特有の高く可愛らしい声。
続いて扉が開く音と共に、複数の人の足音がパタパタと響いてくる。

<……人数は、1,2……聞いてた通り、5人か>
『それはいいが、何やら覚えのある気配がありはせんか?』
<あん?覚えって、そりゃ恭也さんと美由希さん……と?これって……>

近づいてくる5つの気配の中には、見知っているものが3つ。
1つは恭也さん、1つは美由希さん。

最後の1つ。

最近ようやく日常と呼べるくらいには慣れてきた小学校。そこで近頃、昼食時や休み時間なんかに感じているこの気配。

玄関から先に続く廊下。
そこから真っ先に現れた女の子。茶色の髪を左右で結い、当然ながら学校では見たことのない私服であるオレンジ色のワンピースに身を包んでいる。

その細っこい足でとてとてと走って来たその子は、

「いらっしゃい!春くん!」
「なのは!?」

今では下の名前やあだ名で呼び合うまでになった3人娘のうちの一人、高町なのはだった。



(あとがき)

という訳で、今回の話は翠屋と高町家訪問になります。
原作メンバーが新たに2人、フィアッセさんと桃子さんが出てきましたね。ちなみにフィアッセさんは作者のお気に入りなキャラの一人だったり。
ただSSで実際に書いてて思ったけどフィアッセさんの口調が難しすぎる。何というか、特徴が掴みづらいんですよね。それでも書いてて楽しかったですけど。

そしてテンプレ通り、高町家で剣術指南です。このSSにおける士郎さんは結構イタズラ好きというか、少年の心を持つ大人を目指しています。まあ原作やってると、ただズボラなだけだと思いますけど。旅行中に文無しになるって計画性無いにも程があるよ士郎さん(笑)

そして次回はお待ちかね(?)の高町家訪問。当然、高町家子供組のあの2人も居ますのでお楽しみに。

では。



[29543] 第五話 人の出会いは案外一期一会
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/07/12 23:18
高町なのは


聖祥小学校における僕の友達の一人であり、最近よく一緒に弁当を食べたりする間柄になった3人娘のうちの一人である。

第一印象こそ控えめで押しの弱いながらも心優しい女の子と云ったものであったものの、最近では初対面に由来していたであろう遠慮も無くなってきており、時折見せるようになった頑固さは本人の意思の強さを感じさせた。
まあ頑固とは言っても、本人が他者に迷惑をかけることを良しとしない、いわゆる『いい子』を地で行っているため、間違った方向に突っ走ることは全くないのだが(これは他の2人にも十分当てはまる)。



───その『高町なのは』が何故か、士郎さんの家に来たはずの僕の目の前にいた。



「なんでなのはが……って、あー…………ここ、『高町』か」
「うん!……って、おとーさんたちから聞いてたけどホントに気がついてなかったんだね、春くん」
「まあ、『高町』なんてそんなに珍しい名字でもないし」

隣のクラスにも1人いたはずだし、『高町』って名字の子。

「というか、そもそも士郎さんたちからは同じ学校とも聞いてなかったからな。前にそうなのかもって考えたことはあったけど、お前って士郎さん達とはあんまり似てないし」
「うっ!?な、なのははおかーさん似なのです!」
「ま、そうだな。……改めて思い出してみると桃子さんに激似だよな、お前」
「うにゃ?おかーさんにも会ったの?」
「おお。士郎さんの見た目からある程度覚悟してたけどメッチャ若かったな、お前の母さん」

見た目20代。化粧や格好に気を使えば、下手をすれば10代でも通るかもしれない…………高校生の息子を持つ親に抱く感想じゃねぇなぁ……。

「来たか、春海」
「いらっしゃい、春海くん」

なのはの後ろには恭也さんと美由希さん。
当たり前だが朝に会ったときとは異なり、2人とも私服姿だ。

「今朝ぶりです、恭也さん、美由希さん。お邪魔します」
「ああ」
「うん」
「というか。もしかしなくても僕がなのはと友達なの、知ってて黙ってたでしょ?」
「まあな」

この野郎、シレッとしよってからに。

恭也さんにジト目を向けていると、彼の横合いにいる苦笑いした美由希さんからフォローが入る。

「あはは。ごめんね、春海くん。お父さんが面白いから黙っておこうって言って聞かなかったんだよ」
「まあ、それはさっき張本人から聞きましたけど……。まさかなのはだったとは」

言いながらなのはを見ると、何やらクリクリの大きな目をまん丸に見開いて分かりやすく驚き顔に。

「どした?なのは」
「春くん、おにーちゃんたちと話すときってそんなしゃべり方なんだ……。学校でなのはたちと話すときとはぜんぜん違うんだね」
「言い方って、敬語か?んー……、まあ、なあ。でも目上相手なんだから敬語のひとつも使うだろ」
「逆に俺たちはお前がプライベートではそんなだったのかと驚いているがな」

恭也さんの言葉に、横に立つ美由希さんもうんうんと頷いて同意する。
あ。よく見たら隣のフィアッセさんも頷いてる。

まあ、その辺りには自分でも自覚がないでもないけど、やっている僕が子供だからこそ抱く違和感だろう。
直に慣れるだろうし、そこまで神経質に構えることもあるまい。

「それはそれ、仕様ってことで」
「どんな仕様だ」
「しよー?」

呆れる恭也さんに、きょとんと首を傾げるなのはさん。

む、なのはにはまだ難しかったか。小1だし。しょうがないので説明してやることにする。

「植物の最初の葉「子葉だな」……」

「武術の先生「師匠だね」……」

「法律「司法だよね♪」……」

「…………鬱だ『死のう、じゃな』……」

台詞を言い終える前に恭也さん、美由希さん、フィアッセさん、挙句の果てに葛花にまで切り捨てられてしまって切なくなる。

仕方がないのでなのはに本当のことを教えてから、ふと疑問に思ったことを訊いてみる。

「もしかして、桃子さんが言ってた『お礼』って……」
「うん、なのはのこと。春海くんたちと仲良くなってから、なのはってば学校がとても楽しいんだって」
「なのは、お友達と学校で何をしたーとか、家でいろいろお話してくれるんだよ」
「えへへ」

美由希さんとフィアッセさんの話が恥ずかしいのか、なのはが頬を少し赤くしてはにかむ。可愛いものだ。

「それで、お前を招待したいということになったんだ。偶然にもお前は俺たちとも知り合いだったしな」

そんななのはの頭を撫でながら、恭也さんが補足した。

その言葉に僕はようやく納得する。

要するに今回僕を翠屋に招いたのは、なのはの友達を招いて歓迎したかったのだ。
『お礼』というのも自分たちの娘と友達になってくれたことに対するものだろう。いや、この場合は娘の笑顔に対して、かな?

ともあれ、疑問が解けてスッキリしたところで、僕は先ほどから恭也さんたちの後ろに控えていた2人に視線を向けた。
そこに居るのは、簡素なTシャツとジャージのズボンを着たボーイッシュな短髪の女の子と、中国系の衣服に身を包むショートカットの女の子。

「それで、そっちの人たちは」
「あー、やっと振ってくれた。うちらのこと、このままスルーなんかと思ったわー」
「あ。ご、ごめんね!晶ちゃん、レンちゃん!なのはたちばっかりおしゃべりしちゃって」
「いや、気にしないでいいよ、なのちゃん。こいつも言うほど気にしちゃいないって」

ボーイッシュの子は、なのはにフォローを入れると改めて僕に向き合う。

「という訳で、まずは自己紹介だな。オレの名前は城島晶≪ジョウシマ アキラ≫。晶でいいぜ。この家の人たちには、ちょっと事情があってお世話になってるんだ。よろしくな!」

うわー、オレっ娘って初めて見た。実在してたのか、オレッ娘。

僕が内心で半ば感心したような驚いたような妙な気分になっていると、次はその隣の中華服少女が自己紹介を始める。

「うちは鳳蓮飛≪フォウ レンフェイ≫。呼びにくいし、レンでえーよ。うちも高町家にお世話になっとるんよー。よろしゅーなー」
「和泉春海です。此方こそよろしくお願いしますね。晶さん、レンさん」
「…………あー」
「…………んー」

僕の無難な自己紹介を聞いた途端2人とも何とも言えない微妙な顔つきに。
なんだなんだと思っていると、レンさんが苦笑いしながら理由を教えてくれる。

「敬語とか“さん”付けって、なんや自分よそよそしいなー。別にまだ子供やねんから、もっとこー、ふれんどりーに呼んでえーんよ?」
「じゃあ“蓮飛たん”で」
「いきなりめっちゃ砕けたな!?そ、それはさすがに勘弁してほしいかなー、なんて……」

笑顔が引きつってるよ、蓮飛たん。まあさすがに冗談半分だが。

さて、なんて呼ぼうか?個人的に『ちゃん』付けはあまり好きではないのだが、かと言って年上に呼び捨てもなんだかなー、やっぱり『蓮飛たん』でいこうかなぁ、おもしろそうだし。

などと悩んでいると、晶さんから助け船が。

「アハハ、いいじゃんか。カメにはお似合いだ。春海、オレは呼び捨てでいいよ。稽古でもないのに普段までさん付けじゃ肩が凝っちまう」

いや助け舟か、これ?

おまけに彼女の発言にレンさんまでカチンときたようで。

「なんかゆーたか、このおさる!……まー、あんたこそ先輩風ふかしたところで、どーせすぐボロのひとつやふたつも出るんやから、ムダなあがきやな。晶は今のうちにせいぜいムダな努力をムダに重ねときー。あ、うちも呼び捨てでえーからなー、春海」
「なんだと!」
「なんや!」

こっちを無視して完全にケンカになってしまった2人に唖然呆然。
あと何気に呼び捨ての許可が出てるし。

「……いいのかなぁ」
「……本人たちが許可を出したのだから別に構わないだろう。遠慮はしなくていいぞ?」
「んー、……まあ、そういうことなら」

恭也さんの言葉が後押しとなり、なし崩し的に呼び捨て決定。いいのかなぁ。

「もー!レンちゃんも晶ちゃんも、今日ぐらいケンカしないの!!」
「「うっ……」」

一方、レンと晶、当の本人たちのほうは、遂にはお互いに武術の構えをとってそのままヒートアップするかに思えたケンカも、傍にいたなのはの一喝によって鎮圧された。
なのはに平謝りする2人を見ると、なんとなくこの3人のカーストが見えてきた気がする。

(…………うん?待てよ待てよ)

瞬間、僕の思考に電流が奔った。

今ここにいるメンバーは僕と葛花を除くと、恭也さん・美由希さん・フィアッセさん・晶・レン・なのは。

その男女比率、実に1:5である。

ここ高町家ではご両親の士郎さんと桃子さんも暮らしているし、中には血のつながった家族もいるとはいえ、これは───。

『まるで“ぎゃるげー”主人公のような男じゃの』
<言うなー!?>

僕の中で恭也さんのあだ名が『ギャルゲー野郎』になったらどうする!?

「……………………」
「……?」

何とも言えない僕の視線をギャ……恭也さんは不思議そうに見返していたが、不意にその目が真剣なものになる。

「春海」

士郎さんによく似た整った顔をいつもよりも一層鋭いものにして、こちらを射抜いた。
僕も馬鹿な思考を瞬時に切り替える。

「父さんから話は通っているか?」
「はい。今日からお世話になります」
「ああ。それで、早速鍛錬を始めるつもりだが、今日は大丈夫か?おまえの実力も詳しく知りたいところだしな」
「大丈夫です」

士郎さんのときと同様、恭也さんの顔を正面から見返して、できる限り真剣に応える。

「よし。なら道場に行こう。美由希、お前も着替えて来い」
「うん!」

美由希さんは駆けだすと、階段を上って2階へ消える。たぶん自室で着替えてくるのだろう。

それを見届けて、玄関から外に出る恭也さんを追いかける形で僕も外に出る。

「あ、おにーちゃん!」

と、そんな僕らをなのはが呼び止めた。

「ん?どうした、なのは?」
「あ、あのね、なのはも、見ててもいい?」

お兄さんを不安の混じった上目遣いでそっと見上げる高町なのはちゃん小学1年生。
なのはの不安げな上目遣いに、さしもの恭也さんもウッと後ずさる。キュウショニアタッター。

<分かる。分かるぞ恭也さん。その上目遣いは反則だな>

こちらは何も悪いことをしていないはずなのに、いらん罪悪感が湧いてくるんだよね。

『お主、最初の頃は誘いを断るたびにあの眼を向けられておったの』
<そんでまた断ったら今度は心底残念そうに顔を伏せるんだぞ。なのはとすずかの涙目はキツかったなー。もうね、罪悪感ビンビン>

思わず遠い眼にもなる。

え?アリサ?あいつは最初に上から偉そうに命令してきて、断られるたびに弱弱しくなってくの。
それがいじらしくて可愛くて。ついつい涙目になってプルプル震えるまでやってしまったのは心温まる思い出である(そのあと足を踏まれたが)。

「……じゃ、邪魔をしないようにするのなら、別に構わないぞ」

おお、恭也さんが折れた。まあ最初から断るつもりも無かったのかもしれないけど。

お兄さんからの許可も出て、なのはもすぐにニコニコと笑顔になる。
すると今度は後ろに立ってそんな二人を見ていた晶とレンが、

「じゃあ師匠、俺もいいですか?春海がどれくらいなのか見たいですし!」
「じゃあ、おししょー。うちも、えーですか?」
「お、お前らな……」

流石に多すぎると思ったのか顔をしかめる恭也さんにさらなる追撃が。

「あっ、恭也。じゃあ、わたしも見にいってもいいかな?」
「フィアッセも?……でもお前、仕事の方は……」

年上の女性からの思わぬ援護射撃に怯みながらも、恭也さんは反撃の糸口を模索する。

「士郎が休み時間多めにくれたから、大丈夫だよー」
「いや、しかしだな……」

が、あえなく失敗。

恭也さんは他に何かないものかと相手に気付かれないように周囲を見渡す。
すると不意に目が合う僕と恭也さん。あ、やな予感。

「そうだ。あんまり大勢だと春海も気が散るだろう?」

この人こっちに振りやがったよ。

───だが、まだまだ甘いぞ、若造よ。

「あははははは、僕は別にダイジョーブですよー」(棒読み)

しかしまさかの裏切り行為。反逆の陰陽師。どっかでありそうだな、こんなタイトル。
ごめんね、恭也さん。こういう場合は女性の方が圧倒的強者ということは既に前世で学習済みなのよ。

触らぬ神に祟り無し、である。

「ぐっ!?……ぬぅ」

恭也さんは少しだけ恨めし気だったが、すぐに諦めたのか、

「……勝手にしろ」

最終的に全員参加になってしまった見学メンバーを見て、恭也さんは静かにため息をついた。やけに年季が入っていたように思う。





ところ変わって、高町家の敷地内にある道場。

……うん、敷地内なんだ。
まさか庭を横切ったら道場があるとは。

すずかやアリサもそうみたいだが、なのはの家も大概である。

道場の端には、先ほどの見学メンバーに、着替えから戻ってきた美由希さんを加えた5人が立っている。
その5人の視線の先は道場の中央。

其処で僕は恭也さんと向かい合って対峙していた。

両者とも、既に体はほぐし終わっている。

お互いに恰好は簡素な運動着姿。
僕が着ているのは、先ほど恭也さんに譲って貰ったものである。恭也さんが昔使っていたものだそうだ。

恭也さんの両手には、一般のものよりも少し短めの竹刀が一本ずつの計二本。
恭也さん曰く、御神流は小太刀二刀流。
当然、それを修める士郎さんに恭也さん、美由希さんも小太刀二刀を操る。

一方、それに相対する僕の両腕には鉄製の籠手。
籠手とは言っても腕の先まで覆う手袋型のものではなく、肘から手の甲までの覆いのみで、その用途は防御のみに絞られる、云わば手甲と呼ばれるものだ。その中でも薄手のものらしく、重さもあまりない。
更には拳を保護するために、要所にプロテクターの入ったグローブを嵌めている。拳の握りに阻害は無し。

僕は武器と呼べるものは扱えない。
そのため、恭也さんの竹刀を捌くためだけに手甲を選択したので、攻撃に使うことは殆どないだろう。

…………何の武器がいいか訊かれて籠手と答えると、何でもないことのように鉄製の手甲が出てきたのは驚いたけど。

<さて。どう攻めるかね……>
『力量差は大人と赤子じゃな。おまけにエモノは剣と拳。馬鹿正直に攻めても、どころか不意を打っても勝ちの目は有るまいて。まともに打ち合ったとしても二十合がやっとと言ったところじゃろうな』
<ですよねー>

そもそも攻めることは現時点における僕の不得意分野である。

(そうなると……アレしかないか。半分以上が博打だな)

心中でため息が漏れるのを止められない。
が、打つ手が限られている、どころか無いものを無理矢理捻り出しているのが現状なのだ。正面切って正々堂々やっても勝機がない以上、贅沢は言っていられない。

自分の考えが纏まったところで、お互いに準備が整ったことを悟った恭也さんが言葉を投げかけてくる。

「じゃあ、始めるぞ」
「はい」
「この勝負はお前の実力を測るための手合わせとは言え、真剣勝負には違いない。倒す気で、全力で来い」
「───はい!」

そうして2人同時に腰を落とし、恭也さんは小太刀二刀を、僕は手甲とグローブに覆われた両腕を構える。

「───合図を」
「うん。ほら、なのは」
「え、あ。……は、はい!───それでは!はじめ~!!」

美由希さんに促されたなのはの高い声を皮きりに───両者の間にあった五メートルは一瞬で零となり、道場の中央で竹刀と手甲が空気を震わせた。


**********


「───フッ!」

先手を取ったのは高町恭也だった。

左脇腹に収めた右の竹刀による逆薙ぎ。彼が得意とする居合を模した一撃。

武器が竹刀であるため真剣と異なり速度はかなり落ちるものの、それでも子供相手に大人気ないと言われても仕方がない程の速度は十二分にある。

が、対する春海は自身の右側から迫る竹刀を冷静に身切った上で右腕の手甲で受け流す。
そして追撃として襲いかかる同軌道の左の竹刀を焦ることなく右の手刀で叩き落とすと、同時に反撃の左回し蹴り。

これを恭也は半歩下がることで容易く避け、自身の左脚を踏み出し右の竹刀を下から斜めに切り上げた。

春海は咄嗟に右膝を曲げて、屈むことで回避。
自身の頭上ギリギリを掠める竹刀の鋭さに、冷や汗が頬を伝うのを自覚する。

回避行動もそのままに、春海は自身の右膝を折って姿勢を低くした状態で右手を床に突くと、

「───疾ッ!!」

屈めた右脚を軸に急加速。
水平に限りなく近づいた左脚が、地に滑るようにして相対する青年の左足首を急襲する。

が、春海の脚が恭也に到達する頃には相手の姿は既に其処になく、春海から3メートルほど離れた場所に立っていた。
地を這う蹴り足の軌道を見切った上で、それよりも速く後方に跳躍していたのだ。

態々3メートルも離れたのは仕切り直すためだろう。

それを目で確認することなく気配で察した春海も跳躍気味に素早く立ち上がると、相手から距離を取って態勢を立て直す。

「…………」
「…………」

両者は一瞬の間に睨み合うように視線を交錯させると、再びどちらともなく床を蹴った。





一方、二人の闘いを間近で見ている者たちは程度の差こそあれ、それぞれ目を見開いて驚いていた。

そのうちの一人───晶が竹刀と手甲をぶつけ合う両者から目を離すことなく口を開いた。

「……美由希ちゃん、なのちゃん。春海ってあんなに強いの?」
「そやそや。鋼糸なんかの暗器なしで竹刀使っとるとはいえ、あのお師匠についてっとるやなんて」

晶のその問いに追従するように、同じくその隣で観戦していた小柄な中国少女───レンも言葉を重ねた。

確かに、高町家の食卓において『和泉春海』のことは話題に上ったことはある。
その場で恭也や美由希からは彼が強いということは聞いていたが、それはあくまで“小学1年生にしては”であると思っていた。

それに、二人は付き合いの長さこそ異なるものの、両者ともに恭也を師匠と敬う者。彼の実力はよく知っていた。

御神流を修め、今なお父であり師でもある高町士郎からの教えを受けている若き剣士。

その実力は単純な力量だけであるなら、過去の事件の怪我が原因で長時間の実戦が不可能となった士郎を凌ぐのだ(あくまでもルール無用の死合いのみにおいてであり、技術や短時間の手合わせであるのならば未だ士郎が上であるが)

詰まるところ、現存する『御神の剣士』の最強の座は、暫定的ではあるものの恭也である筈なのだ。

その恭也と、幾つかのハンデがあるとはいえ、御神流の技を使っていないとはいえ、小学1年生の子供が互角に渡り合っている。
恭也をよく知る二人の少女からすると、正しく驚愕の一言である。

「う、ううん。なのはもあんな春くん、はじめて見たの……。春くん、すごい……」

晶たちの問いに反応したのは高町なのは。
しかし、その答えも彼女たちと同様、いや、ひょっとしたらそれ以上の驚きの彩られていた。

ここ最近は昼休みになるとお弁当を一緒に食べるまでの仲になったとはいえ、お互いの深いところまで話をした訳ではない。
それでも、少なくとも家族の中では誰よりも近しいと思っていたこともあり、武道への素養が全くない幼い少女の驚きの念は周りよりも大きかった。

また、少女も格闘技には詳しくないなりに、自分の家族の強さについてなら少しくらいは知っている。
だからこそ彼女は普段ならば家族の鍛錬を見ることも避けるほどの不安を抑えて、友達を心配してこうして2人の真剣勝負を見に来たのだ。
実際、今もなのはは自分の兄とギリギリで打ち合っている同級生の少年をハラハラしながらも見守っていた。

そんな落ち着かない様子の末の妹的存在を微笑ましげに見ていたフィアッセは、落ち着かせるようにそっとなのはの肩に自分の手を置くと、もう一人の妹のような女の子───美由希に視線を向けた。

「美由希はどう思う?」

4人の視線が、今ここにいる中で1番の実力者である美由希に集まる。
話を向けられた美由希は中央の2人から目を離すことなく、周りの問いに応じた。

「あ、うん。……恭ちゃんの動きについて行けてるって言っても、春海くんもギリギリみたいだから、よっぽどのことがない限りは恭ちゃんが順当に勝つとは思うんだけど……」
「だけど?」
「……春海くん、なんだか動きが妙なんだ」
「妙って……なにがなん?美由希ちゃん」

美由希の言葉をオウム返しに問い返すレン。
他の3人も、言われて再び中央の少年に注目するものの、特に変わったことがあるようには見えない。

強いて言うのなら、恭也の竹刀が春海に掠る回数が増えたことぐらいだろうか。
美由希の言う通り、春海が押され始めているのだ。今では目に見えて分かるほどに息が乱れてしまっている。
竹刀が掠る度に、傍にいるなのはが「あっ!?」やら「あぶないっ」やら小さく声を上げるのは微笑ましいが。

「春海くん、避けるたり捌いたりするのはびっくりするくらいに上手なんだけど……ほとんど恭ちゃんに攻撃してないの。ときどき蹴ったりはしてるんだけど、それはあくまで牽制目的みたいだから」
「……そう言われてみると」
「……そないな感じやなぁ」

美由希の言葉に、これまでの攻防と思い返した晶とレンが顔を見合せながら納得の声をあげる。

目の前で必死に恭也の竹刀を捌き避ける春海も、最初はともかく今は偶に蹴り技を織り交ぜるのみで、防御面での激しい動きのわりに攻めの姿勢があまり感じられない。

しかし、そうなると新たに一つの疑問が浮かぶ。

「でも美由希。春海、それでどうやって恭也に勝つつもりなんだろう?」

おそらく全員が抱いているであろう疑問を、フィアッセが代表するようにして口にする。

「う~ん、単に攻めあぐねてるだけなのか……。それとも何かを狙ってるのかなぁ?でもそうなるとどうやって?……たぶんどこかで動きがあるとは思うんだけど……」

しかし美由希からの返答も芳しくない。どうやら彼女自身にもそこまでは解からないようだ。

4人は思考を巡らす美由希の邪魔をしないように、三度中央に目を向けた。





さて。

美由希たちから攻めの姿勢が感じられない、と少々情けない評価をいただいた渦中の人物である春海はと言うと、

(ムリムリムリムリ死ぬ死ぬ死ぬー!!)

ちょっとテンパってた。

確かに実力差があることも重々承知していた。
リーチの差があることも納得済みだった。

しかし、その実力差がここまであるとは完全に予想外である。

葛花の忠告がなかったら開始10秒でやられていた自信があった。

というか、今でも一瞬でも気を抜けば刹那の間で床に転がることだろう。
単に決定打を貰っていないというだけで、体中で竹刀が紙一重で掠りまくっているのだ。

冷や汗が止まらない。
極度の緊張状態で息も既に乱れ始めていた。

今も内心の焦りを必死に抑え込みながら、半ば勘で避けているようなものだ。

最初は避ける合間に挟むように繰り出していた蹴りも、今では殆ど打ち込めていない。



ただ、実のところ、牽制とはいえ春海が蹴りしか出さないことには理由があった。
それは、春海が積極的に攻めない───より正確に言うのなら、『攻められない』理由にも関係があった。

(ッ! にしても、リーチ差ってのが、ここまでキツイとは……!)

蹴りに拘っているのではない。“蹴りしか届かない”のだ。



剣道三倍段。

素手を武器とする者が刀を持つ者に勝利するには、其の者の三倍以上の力量が必要であるという理論。
その考えは諸々の諸説こそ存在するものの、概ね間違いはない。

この理論の根拠には、両者の武器による“間合い”が関係している。

通常において剣や刀は腕の延長として扱われ、その間合いは単純計算で『刃の長さ+腕』
その距離は到底、子供の二本の腕程度で足りるものではない。

そして剣対拳において拳が勝利を得るには、敵の技量を超えて間合いを詰め、相手の懐に潜り込むことが必須となる。

故に、その難易度の高さこそが『剣道三倍段』の根拠である。


翻ってこの試合。

高町恭也 対 和泉春海。

剣 対 拳。

個人の技量においても、武器の熟練度においても、春海にとっては三倍どころか三割あるかすらも怪しいものである。
少なくとも春海本人はそう考えていたし、客観的に見てもその評価に間違いはないだろう。

ではどうするか?
どうすれば相手の間合いに入り込み、尚且つ相手に防がれることなく此方の攻撃を届かせることが出来るのか?



春海の下した結論は『不可能』だった。



葛花の見立てと、自分が実際に向かい合って刃と拳を切り結んだ感覚。
それら全てを総合したところで、出てくる結論は『今の自分の実力では勝率ほぼ0%』といったもの。
それでも『ほぼ』が付いているだけまだマシというものだろう。

幾ら竹刀を防ごうとも間合いに入る隙が見当たらない。
隙を見つけたと間合いに入り込もうものならば、即座に膝や肘、竹刀の石突が飛んでくる。

間合いのギリギリから決定打にもならない蹴りを打ち込むのがやっとなのだ。
曲がりなりにもここまで立っていられたのも、防御に全力を注いでいるからに過ぎない。


───故に、だからこそ。


だからこそ、春海は持ち札の一枚を最大限に利用することにした。
高町恭也には無く、和泉春海のみが持つインチキの札を。

だからこそ、恭也が繰り出す二本の竹刀による連撃を、春海は手甲とグローブ、果ては蹴り足を駆使してひたすら防御に向かう。

有るか無いかの、微かな勝機を掴み取るために。

彼は静かに虎視眈々と機会を待ち、自らの爪を研いでいた。





右の竹刀による振り下ろしを左の手甲で受け流し、左の竹刀の逆袈裟を屈むことで回避。

そのまま春海は相手の懐に飛び込み肉薄するも、相手は自分よりも数段上手の実力者。
右拳の打ち込みを竹刀で容易く防がれ、逆に恭也の右脚が春海を蹴り飛ばす。

「ッ!?」

その下から迫る蹴り足を腹の前で交差させた両腕で辛うじてガードするも、体格・体重・筋力の全てで劣る春海は容易く宙に浮き上がった。

(どんだけなんだよ、この人!?)

が、浮き上がる寸前に床を蹴ることによって恭也から距離を取り、なんとか衝撃を軽減しながら着地。

脚が道場の床に接地すると同時に、間髪入れず再び地を蹴る。

恭也の右側面に廻り込むように駆る彼を襲うのは、自身の左肩狙いの突き。それを左の手甲で弾きながら、恭也に肉薄。

やっとの想いで懐に入り込むと、相手の顎下にアッパーカット気味に掌底を突き上げる。
が、恭也は顎を軽く逸らせるという僅かな動きのみでそれを回避して退けた。

と、恭也はそのまま跳躍してバック転。

そしてバック転の勢いを利用しながら、お返しとばかりに春海の顎を───蹴り上げた!

「ごッ!?」

相手の短い呻きを耳にしつつ恭也は着地すると、その場でステップを踏みながら春海に問い掛ける。

「まだやれそうか?」
「はぁ、はぁ……ええ、問題無しです」

見ると、春海は息を乱しながらも自身の顎下に左手を構えていた。咄嗟に手を差し込み、恭也の蹴りを受け止めたのだろう。
しかしそれでも衝撃の全ては止め切れなかったらしく、その足は僅かではあるがふらついていた。

「サマーソルトって……剣士というより、まるで、忍者ですね……」
「御神流は剣のみではなく総合的なものだからな。格闘技と呼んだ方がお前にはしっくりくるかもしれん。……よし、では次で最後だ」
「了解です」

春海の返答が終わるや否や、恭也が弾丸の如く跳び出す。

右の竹刀からの逆薙ぎ。恭也の得意とする、本日二度目の居合いを模した一撃。
これを春海は半歩後退することによって最小の力で回避する。

しかし、それは読まれていた。

それと同時に恭也は力強く左脚を踏み出すと、先程と同様に左側の竹刀による打ち下ろし。
視界の外から自身の左肩へ迫る竹刀を春海は咄嗟に左腕で受け止めた。

パンッと鋭く空気が破裂したような音が鳴り響き、春海は相手の竹刀に押し潰されないように腕に力を込める。


が、結果から言えば、それは悪手だった


力を込めたことで春海の身体が数瞬強張る。
その硬直が、ほんの数瞬だが春海に隙を生んだ。



───そして、それを見逃す恭也ではない



跳躍。

左の竹刀で春海の腕に圧力を掛けながらも、その接点を支点に、刹那の間で相手の後ろに回り込む。

踏み込み、打ち込み、跳躍、着地までの流れるような動き。

(まだ幼いお前がここまでやるとは、正直のところ予想外だったが───)

右手に掛かるプレッシャーに気を取られた春海は廻り込まれたことには気づいているのだろうが、振り返るまでの暇はない。───与えない!

「───破ァッ!」

恭也はいつの間にか逆手に持ち直していた右の竹刀の石突きを、裂帛の咆哮と共に春海の後頭部へ突き出した。


(これで終わりだ!)


着地時の反動さえ加わった一撃は相手の意識を容易く奪い去る


──────かに見えた。


「なっ?!」

短く驚愕の声を上げたのは───高町恭也。

絶対の自信を持って打ち込んだ筈の一撃。
その一撃を、春海は“振り返ることなく”首の捻りのみで避けていた。


そして


かわしざまに身を捻じるように、時計回りで強引に恭也へと体面を向けた春海の口元には───笑み。


(来た!)


唯一の勝機。



春海の策。

間合いが届かず、自身の攻撃は十分な威力も乗らない。
それでいて、間合いの中には容易に入り込ませてはくれない。

ならば、“相手から自分の間合いに入って貰えばいい”

もちろん言うほど容易なことではない。

相手は自身を超える圧倒的強者。その攻撃は容易く避けられる筈もなく、避けたとしても相手に隙が生まれなければ意味が無い。

つまり前提条件として、相手の攻撃を、しかも相手にとって予想できないような形で避けなくてはならないことになるのだ。

だからこそ春海は恭也に後ろを取らせた。

完全に見えもしない筈の一撃の回避。
如何に恭也といえども、この回避は完全に裏をかかれていた。

ただ、当然この策には一つの決定的なまでに致命的な欠点があった。

言うまでもなく、それは背を向けている状態で相手からの攻撃を寸分違わず避け切れるのか、ということだ。

回避と捌きを中心的に鍛えたとはいえ、自身の回避力はまだまだ常識の範囲内。
見えない攻撃を防ぐことが出来るほど、非常識な体になった覚えはない。

故に春海は、一枚の持ち札を利用していた。


『周囲の魂≪気配≫を感じる』


彼が『魂視』と名付けた自身の能力。
すなわち、高町恭也に無く、和泉春海だけが持つ、鋭敏なまでの『察知能力』。

実のところ、この一戦の間で恭也の猛攻を紙一重で避け続けることが出来たのも、この能力に依るところが大きかった。

最後の驚異的な回避も、恭也が自分の背後へと回りこんだ一瞬に春海は背後の相手が流れるように右腕を突きだしていることを察していたのだ。
あとはその軌道上から自分の頭を外せば良い。

もっとも、気配ひとつで攻撃の軌道が正確に分かる筈もなく、後頭部だと読んだのは半分以上に賭けだったのだが。
恭也も寸前で止めるつもりだったのか、石突が迫る速度が僅かに鈍っていたのも避けられた要因のひとつだろう。



ともあれ、結果として春海は賭けに勝った。



目の前には、伸びきった恭也の右腕と、無防備に晒された彼の右脇腹。───自身の間合いの中!!


向き直る一瞬の内で、右腕は既に腰に。奥歯を噛みしめながら、左脚を半歩踏み出す。

ダンッ!!!

震脚

左脚が接地と同時に、地面からの反動を全身全霊で受け止め、増幅。発勁の技法をもって足首から膝、膝から腰、腰から肩、肩から肘、肘から右拳へと流し込む。


木行・崩拳


中国拳法における形意拳。陰陽五行のひとつ、木行を司る拳。
その意は、打撃そのもの。
春海のもつ数少ない攻撃手段の中で最もシンプル、且つ破壊力のある技だ。

発勁の理で威力を増したその全力の拳を、


「アアァァァッ!!!」


咆哮と共に、目の前の恭也の右脇腹に叩きこむ!!

拳に感じる硬い感触


刹那、鈍い音が道場の空気を震わせた。


**********


目の前になのはの顔があった。

「おおっ!?」
「にゃっ!?」

なんだっ、なにが起こった!?時間がとんだぞ?!

「は、春くん、起きた?!どこか痛いところ、ないっ?」
「な、なのは?お前、なんで……?あ、ちょ、やめ……っ!?」

なのはに両肩をつかまれて、ガクガクと前後に揺らされる。
普段ならばこの程度なら何でもないはずなのに、やけに頭がグラグラする。何だこれ?

「起きたか、春海。……なのはも少し落ち着け。相手は気を失っていたんだから」
「あ、おにーちゃん」
「きょ、恭也さん?」

恭也さんの言葉になのはもやり過ぎたと気付いたのか、しゅんとしながらすぐに肩から手を離して僕の横にペタンと座り込む。た、助かった……。

僕はしょんぼりしてしまったなのはを元気付けるために頭をポンポンと軽く叩きながらながら周囲を見る。

どうやら僕は床に座り込んでいたようで、僕らの横に恭也さんが立っていた。
美由希さんたちも屈んだまま心配そうに僕を覗き込んでいる。

「でも春海、本当に大丈夫?」
「ホンマや。あんた、さっきまで気絶しとったんやで?」
「……気絶?」
「あかん、そっからか……そや!春海、これ何本か分かるか?」

心配そうに覗きこんでくるフィアッセさんに続いて、レンがズイッと右手を突き出してくる。
仰け反りながら見ると、細っこい指が3本立てられていた。

「……3本?」
「あちゃー。残念、4本や」

言いながら、右手の後ろから人差し指を立てた左腕が。オイ。

「フンッ!」
「アタッ!?」

ニヒヒと笑うレンに呆れていると、晶のゲンコツがレンの脳天を直撃。うわ、痛そー。

「───ッッッ!?……イッタ───!……いきなり何すんねん、晶!」
「気絶から起きたばっかのヤツに何やってんだ!」
「可愛いウチの可愛いジョークやないか!殴ることないやろ、おさる!」
「自分で可愛いとか言ってんじゃねえっ、ドンがめ!」
「も~!晶ちゃんもレンちゃんも、やめなさい!!」

またしてもなのはに叱られる猿亀コンビ。
たぶんこの光景がここでは日常茶飯事なんだろうなー。恭也さんたち、止める気配まるでないし。

そうしていると、だんだん記憶が戻ってきた。
そうだ。僕は恭也さんの竹刀を避けた後、崩拳を打ち込んで……

「あー…………、僕、負けました?なんか記憶が飛んでて……」

まあ、こうして床で寝ていたということは負けたんだろう。

だが、僕の問いを聞いた恭也さんは少し悩むような顔になる。

……うん?

「む。……難しいところだな。元々、勝敗を見るための試合ではなかったというのもあるんだが、……俺自身、あれを勝ったとは言いたくない」

と、よく分からないことを言う。

「……えっと。とりあえず、僕ってどうして気絶してたんですか?恭也さんに打ち込んだところまでは覚えているんですけど……」
「ああ、それはな───」

恭也さんが話してくれた内容によると。

恭也さんへと打ち込んだ僕の渾身の拳は、恭也さんが逆手に持った右手の竹刀で咄嗟にギリギリでガード。
それから恭也さんの左回し蹴りが僕の顎に直撃したんだとか。

僕も最後の一撃に全力を注ぎすぎて全く対処出来なかったようだ。

しかし、その後あまりにも綺麗に入りすぎて僕がポックリ気絶してしまったため、見ていた女性陣も大慌てだったらしい。
恭也さんもなのはから説教されたそうな。

「……聞いてる限り、完膚なきまでに僕の負けのような気がするんですけど」

全身全霊の一撃(しかも無意識なんだけど、身体強化も最後の一瞬だけ使っていた)を受け止められた挙句、一発で気を失ったのなら、それは明らかに負けだろう。

しかし恭也さんはそうではないようで、

「元々は寸前で止めるつもりだったんだ。さっきも言ったが、今回は相手に勝つことが目的じゃない。俺とお前の実力差ならば寸止めが普通でもあるしな。
だが、出来なかった。反射的に出た最後の蹴りは掛け値なしに本気だったよ。…………まあ、それだけでも俺が負けを認めるには十分なんだが───」

恭也さんは言いながら、持っていた竹刀を差し出す。恭也さんが使っていた竹刀だ。
目の前のそれを手に取ると、

「これが……ん?これって、ひび割れ、ですか?」

竹刀の真ん中辺りに大きく亀裂が走っている。
多分あと何度か叩きつけるだけで折れてしまうだろう。それほどまでに大きな亀裂だ。

「ああ、お前の出した拳の結果だ。己の刀を破壊された以上、剣士として負けを認めない訳にはいかない」

恭也さんは僕の目をまっすぐに見ながら言った。

その光景に僕は少し困りながら、自分の真上でプカプカ浮いている葛花に語りかける。

<……どうしようか、これ>
『武芸者の理屈じゃの。儂には理解出来んが。受け入れるかどうかはお主の勝手じゃろ』
<んー、僕としてもこうして気絶しておきながら『勝ったぜ☆』とか嫌なんだけど……>

全然実感湧かないし。

なんだこの試合に勝って勝負に負けた感。それどころか試合に勝った気もしないってどうよ?

僕が恭也さんにどう返したものかと迷っていると、ようやく晶とレンがケンカから戻ってきた。
2人はケンカしながらも先程の恭也さんの話をしっかりと聞いていたのか、まだケンカの余韻に少し興奮した様子で近寄って来た。

「すげぇじゃん、春海!いきなり師匠から一本取るなんて!」
「お師匠から一本取れる人なんて、おんなじ歳の人でもメッタにおらへんのよ。アンタ、もう晶よりも強いんとちゃう?」
「んだとコラ、レン。オレはまだまだ強くなってんだよ!そういうお前こそどうなんだよっ?」
「フッフ~ン。うちはお子様の春海には、まだ負けへんでー」

レンが残念な胸を張ってポンポン僕の頭を叩いてくるが、僕は苦笑いしながらそれを受け入れる。
なんというか、自分とそんなに身長が変わらないレンにそうされると怒るより先に微笑ましくなるな。

「たはは。ま、少なくとも恭也さんに勝てたなんて自惚れはしないって。こうして呆気なく気絶したしな」
「お?なんや素直やなー」

意外そうな顔のレン。

そりゃねぇ。
あれだけハンデ付けられると、もはや悔しささえ湧いてこないし。

僕は苦笑しながらレンに軽口を返す。

「まあ、まずは恭也さんのハンデを止めさせるとこから始めてみるかな」
「ハハハ、その意気だ。もう動けるか?動けるならオレともやろうぜ!」
「うちも5分だけならやってもえーでー」
「え゛」

待ってー、超待ってー。自分さっきまで気絶してたんですけどー。ボク全く動く気しないんスけどー。

『逝って来い』
<字が違います>

ドナドナドーナードーナー♪

「もー!晶ちゃん、レンちゃん!!」

なのはが女神に見えました。


**********


目の前で子供組4人でワイワイ騒いでいる。
晶やレンも武道仲間が出来て嬉しいのだろう。いつもよりも元気な気がする。

「恭也」
「フィアッセ、どうした?」

4人を見ている俺の横にいつの間にかフィアッセが立っていた。俺は4人から目線を切り、フィアッセを見る。

「春海も大丈夫そうだから。わたしも、もう翠屋に戻るね」
「そうか。わざわざ残っていてくれてありがとう」
「あはは、お礼を言われるようなことじゃないよー。気絶してる子を放ったままには出来ないから。……それよりも!」

そこでフィアッセは少し怒ったような顔になる。
うっ、これはやっぱり……

「春海はまだ小さな子供なんだから、あんまり無茶なことしちゃダメ!」
「……面目ない」

メッて感じに人差し指で俺の額を小突くフィアッセ。
こればかりは俺が悪いため、素直に謝る。

「……うん、Good!♪」

するとフィアッセはきちんと反省している俺に満足したのか一転して笑顔に戻ると、子供の頃のように笑顔で俺の頭を撫でてから、道場を出て翠屋に行ってしまった。

……まったく、いつまで子供扱いしているんだか。

「あ、フィアッセ、行っちゃったんだ」
「ん、美由希か。ああ、さっきな」
「そっか。それにしても、恭ちゃんがあそこまで焦ったのって、父さんや巻島館長との試合の時くらいじゃない?春海くん、予想以上だねー」
「まったくだ。たぶん、今まで防御や回避を中心に鍛えてきたんだろうな。アイツは攻め方を覚えただけで化けるぞ。最後の一撃もあと少し速ければ俺がやられていた」
「あ、そっか。それで春海くん、恭ちゃんのこと全く攻撃してなかったんだ……」
「お前も、うかうかしているとあっという間に置い抜かれるぞ」
「あ、あはは。……がんばります」

俺の脅しに美由希は笑顔を軽く引き攣らせていたが、すぐに普段通りの笑顔になるとこちらの顔を覗き込んでくる。

「恭ちゃん、なんだか嬉しそうだね」
「む、……そうか?」
「そうだよ。やっぱり男の子が増えたから?」
「……なんでそうなる」

いやまあ、嬉しいというか、ありがたいが。
高町家は女性の数が多すぎるため男としては気を使うことも多くなるからな。彼女たちの性格からか、肩身が狭いということは絶無なのだが。

「……まあ、少しだけ鍛えるのが楽しみになってきた」
「春海くんのこと?」
「ああ」

先ほどの手合わせで春海が見せた、小学生離れした『見切り』や『読み』。
才能が無い訳ではないが、たぶんあれは長年の反復訓練の中で身につけたものだろう。そうでなければ、読みの速さに身体が着いて行くはずがない

小学生のアイツが、何故あそこまで鍛えるのか?
手合わせの最後に見せた、あの回避は何だったのか?

疑問は幾らでも浮かぶものの、アイツを鍛えることにワクワクしている自分を自覚する。

他のみんなが居る方を見る。
晶とレンが言い合い、なのはが仲裁し、それを春海が呆れながらもどこか楽しそうに笑って見ていた。





開け放した道場の扉から一陣の風が吹き、心地よい風を顔に感じながら思う。


(これからまた、楽しくなりそうだ)


季節は、春。出会いの季節。───小さな出会いが、またひとつ。













(あとがき)

はい、というわけで今回は今までで一番の長文となりました。やっぱり戦闘描写は一気に乗せてしまった方がスピーディかと思いまして。

主人公、高町家訪問の回。書いてて思ったことだけど登場人物が多いとやっぱり書くの大変ですね。気をつけないと誰かが空気になってしまいそうで。この話の中でも美由希の影がちょっと薄いような気がします、反省。

あと戦闘描写はどうだったでしょう?一応、今回の恭也戦は主人公の現在の強さというか、そういうのを読者の皆様に分かって頂くための回でもありました。とはいえ、恭也と比較した場合、殺し合いではたぶん本人が言うとおり1分も保ちません。10秒で死にます。曲がりなりにも試合の形になったのは恭也がかなりの手加減をしてくれたからに他なりませんし。

てか、戦闘描写ムズすぎる。これを書きあげるのに普通に一週間かけてしまいました。そしてその割には大したことも書けてないって言う。……文才ほしいです。

あとさりげなく士郎さんは過去の事件の怪我で長時間の戦闘が不可能ということが発覚。というか原作とらハでも士郎さんはたぶん最強の一角ですので。この処置は現役時代と同じことが出来てしまうと恭也の役割が士郎さんに食われてしまいそうという理由からです。この辺りはこの作品の独自設定ですね。

次は学校での三人娘との一日にする予定です。日常回ですね。もっともこのSSは「ほのぼの50%」「ギャグ30%」「シリアス20%」を目指しているので原作突入しない限り、シリアス(笑)なんて滅多に入れるつもりはありませんが(まあ、それでも物語を引き締める意味でも、時折はシリアスも挟むつもりです)。

ではまた次回。



[29543] 第六話 人生わりとノッたモン勝ち、ノリ的な意味で。
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/17 11:45
高町家での僕の出稽古が決定した翌日の月曜日。つまり学校への登校日、僕はバス停で通学バスが来るのを待っていた。
見上げた空は晴れやかな青色に染まり、柔らかな太陽の日差しは優しく僕を照らし出す。

「ア゛ー、イテェー……」

が、思わず口から漏れた声は爽やかな青空に反比例して頗る陰々としたものだった。

『阿呆じゃの』
「……言うなって」

葛花に返す声にも力がないのが自分でも分かる。というのも腕やら足やら痛みで調子最悪。体中の節々が悲鳴をあげているのだ。
原因は明白、昨日の高町家訪問である。

まあ確かに昨日の恭也さんとの手合わせの後は木刀で素振りや型を中心に教えて貰ってそれなりに夢中になりはしたものの、それだけならここまで痛がったりはしない。
では僕が何故ここまで痛がっているのかと言うと、

『調子に乗って他の娘らとも試合なんぞするからじゃ』

……そういうことだったりする。
結局あの後にも晶やレンとも手合わせを行なってボッコボコにされたというのが真相である。

「仕方ないだろ、断りきれなかったんだから」

それに受けたのも、いくら二人が実力者であっても恭也さんほどじゃないだろうという考えからだ。……うん、大ハズレだったけどね?少なくとも昨日のハンデ山積みの恭也さんよりよっぽど強かったです、はい。
晶とは割といい勝負になったとは思うんだけど、レンの方は技の相性もあってか完全にこちらの防戦一方。ていうより、ありゃ天才だわ。

「てかホントに何だ、あの戦闘一家」

そもそも過半数が実力者って正直どうよ?
昨日一日で僕かなり自信喪失だよ。元々そんなに持ってなかったけどな!

それから葛花の「相手の実力も読めんとは」とか「油断するな」とか「あそこのしゅーくりむマジぱない。もっと買って来い」とかの説教なのか催促なのか解からない言葉を聞き流していると、ようやくバスがやって来た。
あと『ぱない』言うな、おまえ仮にも平安出身なんだから。

葛花を背中に貼り付けたまま目の前に停車した白いバスに乗り込む。すると、すぐにバスの後ろの方の座席から声が掛かった。

「あ、春くん。おはよー」
「Good Morning、ハル」
「おはよう、春海くん」

もはや僕にとっては日常となった、なのは・アリサ・すずかの三人娘である。

あのケンカの一件以来、三人の仲は良好のままで、今ではクラスメイトの間でも仲良し3人娘として認識されていた。
そこに偶に加わっている男子が僕、和泉春海というわけだ。

初めの頃はクラス内のいろんなグループを行ったり来たりというのを繰り返していた僕だったのだけど、最近はアリサたちのグループと一緒なのが多くなってきていた。

理由は言うまでもなく、アリサたちの精神年齢の高さだ。

正直なところ、クラスの男子たちと話しているよりも彼女たちと一緒にいる方が気楽なのだ。
女子は男子よりも早熟ではあるとは言うものの、アリサたちはその女子の中でも飛び抜けて精神的に成熟している。
『前』でこそ園の子供とは兄弟同然でよく一緒にいて話をしたものの、それは僕が相手から年上としっかり認識されていたから出来たこと。同じ目線に立って話すことなど到底ムリなのだ。中の人的に。

もちろん今でも男子たちとはよく外で遊ぶし、見つけたケンカやイジメは仲裁しているものの、話をする時間・頻度はアリサたちの方が格段に増えていた。

以前葛花は僕が子供に甘いとは言っていたが、それは別に子供が特別好きという訳ではないのだ。生意気なガキが居れば普通にムカつくし、悪ガキが居れば殴りたくもなる。さすがに自重するけど。
たぶん葛花の言う通り、僕は『甘い』だけのだ。こんなのは到底『優しい』とは言わない。


───ま、要するに。
どこにスイッチがあるかも解からないテンションがバカ高い子供と、比較的落ち着きがある可愛らしい彼女たち。子供の皮を被った成人男性からすれば、どちらが良いかなど自明だということである。

『締めが犯罪臭いぞ』
<シャラップ>

そして地の文を読むんじゃありません。

「おはよ。なのは、アリサ、すずか」

なのはたちに挨拶を返してすずかの隣へ。並び順的には、なのは、アリサ、すずか、僕の順番となる。
最初こそ断っていたが今ではすっかりここが定位置に。諦めたとも言うけど。

バスが動き始めると同時に、さっそくアリサが話しかけてきた。

「なのはから聞いたわよ、ハル。アンタがなのはのお家のひとに弟子入りしたって」
「弟子入りじゃなくて出稽古な。剣の振りまわし方を教えて貰うだけだって」
「何よそれ?どう違うって言うのよ」
「んー、アレだ、アレ。漫画とかで技や流派ってあるだろ、『なんとか斬り』とか『なんとか流』ってヤツ。そういう技じゃなくて剣を持ったときの基本的な身体の動かし方を教えて貰うってことだ」
「へー」

なるほどと頷くアリサ。

アリサに説明しながら僕が思い出すのは昨日の試合中の恭也さんのこと。

恭也さんの指導を終えた僕はなのはの家から自宅に帰り着いた後、葛花と一緒に試合の反省会を行なった。
そこで2人で出した結論として、恭也さんたちが修める御神流という剣術はおそらく───殺人剣。
それも、かなり本格的な古流剣術。

このご時世に何故そんな物騒なものを学んでいるのかは結局解からないままであるものの、恭也さんが僕に御神流を教えられないと言ったのはおそらくそれが理由だろう。
少なくとも、昨日会った高町家の人々は他所の子供に人殺しの手段を躊躇い無く教える人ではない筈だ。


まあ───だからこそ、技を奪う価値があるのだが。


剣道ではなく、より実践的な剣術。しかも御神流は古流剣術に分類されるもの。さらには葛花が暗殺者とまで評した、恭也さんたちのあの技のキレ。
学び盗るだけの価値は十分にある。

幸いにも、と言うべきか、美由希さんは立場的にはまだ門下生らしい。僕が高町家で出稽古を行なう中で御神流の技の修行を見る機会は必ず度々あるはずだ。
その中で有用な技術や技能を見盗る、というのが僕と葛花の出した結論だ。

僕だけならまだしも葛花も居る。決して不可能ではないだろう。


昨夜の葛花との話し合いを思い出していると、アリサの向こう側からなのはが顔を出す。相も変わらず笑顔の絶えない女の子だこと。

「春くん、すっごく強かったんだよ!おにーちゃんに勝っちゃったの!」
「なのはちゃんのお兄さんって、たしか高校のひとだよね。春海くん、そんなに強かったんだ?」

隣のすずかも話の輪に加わる。この子も、最近ようやく恥ずかしがらずに話してくれるようになってきた。
初めの頃は会話ひとつで恥ずかしそう俯いちゃってボソボソ呟くのが精一杯だったからなぁ。

「全然。そもそもなのはの兄さん、恭也さんがかなり手加減してくれたからその隙をつけただけだし。結局それでも僕は気絶させられたから、恭也さんに譲って貰ったようなもんだって」
「そもそも、なんでそんなに鍛えてるのよ?」
「坊やだからさ」
「?」
「?」
「?」
「……ごめんなさい」

ネタが通じないことほど気まずいものはないよね!

「まあそれは置いといて。……理由は特にない、な。昔からなんとなく続けてるだけ」

さすがに『死にたくない』なんて涙が出そうなほど切実な理由があるとは言えないので、適当なところでお茶を濁す。

『そもそもネタに走ったのも言い訳を考えるためじゃろうが』
<盛大にすべったうえに上手い言い訳でもないけどなー>

アドリブは苦手なんだよ。

バスに乗っている間は僕たち4人の真上にプカプカ浮かんでいる葛花に返す。
アリサはしばらくフーンと呟きながらこちらを見ていたが、もともとそこまで興味はなかったのか、すぐに別の話題を振ってくる。

「にしても、……あたしやすずかよりも先になのはの家に行くなんて、ハルのくせに生意気よ」
「なんというアリサイズム」

其処に痺れも憧れもしないが。てか理不尽すぐる。お前はどこのガキ大将だ。

そんなアリサの言葉に反応したのはなのはだった。

「あ!それなら今度のお休みの日にアリサちゃんとすずかちゃんもなのはのおうちにあそびに来て!」
「か、勘違いするんじゃないわよ!べ、別にあたしはなのはの家に行きたいわけじゃないのよっ!?」
「ツンデレ乙」

まさか素でその伝説の如きセリフを聞けるとは。

てかツンデレの相手はなのはなんだ。せめて僕にしない?ほらほら、この中で唯一の男よ?

「Be quiet!何よ、つんでれって!」
「なのはたちと一緒に通学したいから、わざわざバス通に変えたくせに」(ボソ)
「な、な、ななな、なに言ってんにょッ!?」
「噛んでるから。すっごい噛んでるから」

僕の言葉にアリサの顔が瞬時に真っ赤っ赤。フッ、わかりやすい奴め。

「あ、じゃあなのはちゃん。今度のお休みにお邪魔してもいい……?」
「って、すずか!?」
「うん!」
「なのはまで!?」
「ボクもボクもー」
「だからアンタは黙ってなさい!」
「ひでぇ」

まあ、それは良いとして。

もたもたしている内にすずかが約束を取り付けてしまったからさあ大変。遊びに行きたいが素直にそうとは言えないアリサが焦る焦る。
しばらく両側でじっと自分を見つめるなのはとすずかをアセアセと交互に見ていたアリサだったが、やがて両腕を組んでツンッと前を向くと、

「しょ、しょうがないから、あたしも遊びに行ってあげるわ」

<デレたな>
『デレたな』

清々しいくらいにツンデレである。

<そして何故かここにアリサのツンデレ台詞の数々を録音した手持ち式レコーダーが>
『そういえば前々から貯め込んでおったの。どうするんじゃ、それ』
<これからも録音し続けて、将来アリサの結婚式にでも流すか>
『鬼か貴様』

フッフッフッ、僕に対してツンデレしないことを後悔させてくれるわ。

『……お主、童女にデレて欲しかったのか?』
<いや特に>

ただ悔しかったから、なんとなく。

そうこうしている内にバスは聖祥前のバス停に到着していたので僕はアリサたちにもう降りるよう言おうとしたら、なのはがアリサにくっついていた。どうやら2人が遊びに来てくれることに感激したらしい。

アリサも顔を真っ赤にしてワタワタして、すずかはすずかでその隣で2人の様子に微笑んでいる。こいつも相変わらずさりげなく被害を回避している娘である。

「はーい、笑って笑ってー……はい、チーズ」

僕はその光景を携帯で撮ってから(小1になって親が持たせてくれた)3人に外に出るように促した。
後ろでアリサが騒いでいるような気がするが気にしない。

『流れるように撮るな』
<考えたら負けだ。魂的に>

むしろ社会的に。

まあ3人が仲良くしている写真だけで、怪しいものは撮ってないから大丈夫でしょ。本気で嫌だと言われたら消すつもりだし。

これもそのうち見せてやろっと。





時間は飛んで3時間目。現在の授業は体育である。

教室で体操着に着替えを済ませるとグラウンドに集合する。
ちなみに着替えは男女一緒。流石に小学生をそういう目で見ることは死んでも無いけど(そもそも僕の好みは年上なのだ)。

今日の内容はドッジボール。
たぶん教師陣としてはこの時期にはこういう集団で遊べるものを中心に行なって、生徒たちの仲を深めることに利用しているのだろう。

準備体操も既に終わり、出席番号順に並んだ生徒を担任が2チームに分ける。
僕は白組となり、なのはと同じチーム。対する赤組には当然のことながらアリサとすずかがいる。

チームに分かれる寸前、アリサはすずかを連れて僕となのはに近づいてくると、仁王立ちでこちらをビシッと指差した。

「勝負よ、ハル。アンタはこのあたしがほふってやるわ!」
「“屠る”なんて難しい言葉をよく知ってるな。えらいぞー」
「え、あ、そ、そう?えへへ……って、そうじゃないわよ!いいわね、負けた方はお弁当のときに相手の好きなおかずを渡すのよ」

褒められて少し嬉しそうにはにかむも、すぐに怒ったように罰ゲームを告げるアリサ。照れたり怒ったり忙しい娘である。
あのケンカを仲裁して以来、彼女は僕に妙なライバル意識を燃やしているらしく、ことある毎にこうした勝負を持ちかけてくるのだ。まあ、アレじゃね?ハルのくせに生意気だ、的な某ガキ大将が某いじめられっ子に対して抱くアレ。

『よく言う。お主がことある毎に金髪娘をイジり倒すからじゃろうが』
<んー、ここまで良い反応が返ってくると、つい>
『言い訳にもなっとらんな』

なんだかんだでお前も楽しんでるくせにー。

「まあ、いいけど。ちなみに『相手にボールをぶつけた方が勝ち』って以外に決まりは?」
「ないわ。勝負のせかいに卑怯なんて言葉はないの。勝ったものが勝者よ」
「了解了解、っと」

言質、取ったり(悪笑)。

「いま、春くんがすっごく悪い顔になってたの……」

なのはが何か言ってるけどスルー。

「行くわよ、すずか!」
「うん。それじゃあ、なのはちゃん、春海くん!がんばろうね!」

アリサは言いたいことを言い切ったのか、笑顔のすずかを伴って颯爽と相手チームに行ってしまった。僕となのはも急いで自分のチームに合流する。

「それはそうと。なのはは大丈夫なのか?」
「にゃっ?」
「お前、運動神経死んでるだろ」
「し、失礼すぎなの!?なのは、死んでなんかないもんっ!」
「いやでも、体力測定のとき反復横跳びでコケてたろ。ソフトボールの遠投も確か5メートル以下だったような……?」
「にゃー!?い、言っちゃダメェ~!?」

真っ赤になってワタワタと僕の口を押さえようとするなのは。
が、運動神経が切れているなのは如きに僕が捕まる筈もなく、逃げる僕を追い掛け回しているうちにすぐハァハァと息を切らせる。弱っ!?

「50メートル走やシャトルランならともかく、反復横跳びって……。5メートルって……」
「だ、だから、言っちゃ、ダメ、なの……」
「……いや、ホントに大丈夫か、お前?」

生まれたての子馬の方がまだ生命力に溢れてるぞ。

「ま、まあ、そういうことなら外野に出てれば?安全だぞ?」
「そ、そうします~……」

なのはは息を切らせたまま外野へとフラフラ歩いて行った。始まる前からあれで、あの子は果たして大丈夫なのだろうか?

<よし。じゃあ行くか>
『どうするつもりじゃ?お主、昨日の今日でろくすっぽ腕に力も入らんじゃろう?』
<フフフ、それでも、ただの小学1年生女子を打ち取る程度のボールは投げれる>

僕は移動しながら葛花に返し、配置に着くと担任教師の開始の合図を待った。



「それでは、始めてくださ~い!」

審判位置についた担任がピーッと甲高くホイッスルを吹き鳴らし、ドッジボールが始まった。
初めにボールが渡されたのはジャンケンに勝った赤組、しかもボールを保持しているのはアリサである。彼女は意外と様になったフォームでボールを構えると、宿敵たる男(つまり僕)の姿を探しつつ、宣言する。

「ふふん。覚悟はいいわね、ハル!アンタはあたしが───って、いないじゃないっ!?」

しかし相手チームの陣地のどこを探そうとも僕の姿はない。それもその筈、

「くっ、一体どこに……!?」
「掛かったなアリサ!後ろだ!!」
「なんですって!?」

声を頼りに驚愕と共に振り向くと、其処には自分の友達であるなのはと───探していた筈の男の姿が。

「って、なんでアンタが外野にいるのよ!?」

そう。

実は現在僕が立っている場所はアリサたちを挟んで自身のチームの陣地の反対側、外野である。隣のなのはの視線が痛いぜ。

僕はアリサをビシィッと指差すと、得意気に告げる。

「ハッハッハッ、馬鹿めっ!『相手にボールをぶつけた方が勝ち』が唯一のルール。ならば答えは簡単!外野に出てしまえばお前は僕を狙えまい!そして僕はお前をここから一方的に攻撃するのみ!!」
「な、なんて卑怯なの……ッ!?あと指差さないで!」
「忘れたか?お前が言ったことだ。勝負の世界に卑怯なんて言葉は無いっ!!アーッハッハッハッ!あとごめん」
「ぐぬぬ……!」
「ハッハッハッハッ!」

小学1年生女子にドッジボールで勝負を挑まれ、本気を出すどころか策まで弄し、しかもそれに対して得意気に高笑いする大学生(亨年21歳)の姿が、そこにはあった。

ていうか僕だった。

自分で自分にびっくりだ。

「ほらほら、周りのみんなも待ってるぞー?」
「フンッ、いいわよ!やってやろうじゃない!!」

アリサは漢らしく啖呵を切ると、振り返るや否やすぐさまボールを投擲。さっそく1人目にぶつけてしまう。
のんびりそれを鑑賞していると、隣のなのはがじとーっとした目で僕を見ていた。

「……春くん、すごくずっこいの」
「兵法と言え、兵法と。その証拠に……見ろ。もうチャンス到来だ」

言いながら僕はアリサのチームメンバーに当たって転がってきたボールを拾い上げた。僕は右手でボールの具合を確かめながら、もはや狩られるのを待つばかりとなった獲物(アリサ)に目を向ける。

「さあ、覚悟はいいかな?アリサくん」
「来なさいよ。勝つのはあたしよ」

僕の言葉に威風堂々と構えるアリサ。……すごく……漢らしいです。

僕はそんなアリサに不敵に笑いかけ、右腕を後ろに回すと、

「じゃあ、行くぞ!…………なのはが」

言葉と同時に隣でポーとしているなのはにパス。

「うにゃっ!?にゃっ、にゃっ、……って、ええ~~っ??!」

なのはは不意打ち気味に渡されたボールを2、3度両腕でワタワタとお手玉していたが、体全体を使ってなんとか受け止めると、そのまま彼女の目は僕とボールの間を行ったり来たり。しかし状況を理解するとすぐにまたうろたえ始めた。

「は、春くん!?なのはじゃムリだよぅ!」
「大丈夫だって、投げるだけなんだから。別に当たらなくてもそれはそれで構わないし」
「で、でも~……」
「ちょっとハル、どういうことよ!あたしとの勝負はどうしたのよ!」

オロオロするなのはを宥めていると向こうのアリサから非難の声を上げた。なので僕はアリサの説得を試みる。僕の108技のひとつ『話術』を魅せる時が来たようだ。

「だってなのはだぞ?運動神経が切れてると名高いなのはだぞ?例え外野であってもボール確保が独力では絶対不可能と思われるなのはだぞ?」
「ひ、ひどすぎるのっ!?」
「……それもそうね」
「ア、アリサちゃんまで!?」

まさかの親友の同意に愕然とするなのは。

と、そこでなのははアリサの隣にいるもう一人の親友に目を向けると、救いを求めて涙目で縋るように問い掛ける。

「うぅぅ~~……す、すずかちゃん。なのは、そこまでよわよわじゃないよね!?ねっ!?」
「な、なのはちゃん……ごめんなさい!」
「にゃ、にゃぁぁぁ~~~~!?」

が、肝心のすずかはなのはからの切実な叫びに申し訳なさそうに謝罪すると、ツイッと顔を逸らしてしまう。ウソでも『そんなことないよ』って言えば良いのに。正直な娘さんである。

「もういいから早く投げなさいよ、なのは」 
「うぅ……わかったの……」

なのはの上げる魂の叫びをアリサは呆れたように斬って捨て、てめぇとっとと投げろやと催促。
その言葉になのははようやく諦め、ボールを持った左手(なのはは左利きなのだ)を構えた。

「来なさい、なのは!」
「う、うん!……えいっ!」

アリサの軽い挑発を受け、なのはは拙い投球フォームでボールを投げる。そのボールは思いのほか綺麗な放物線を描き、…………ポンとアリサの腕の中にこれまた綺麗に収まった。

「……………………」
「……………………」
「……………………」
『……………………』
「「「「「「「「……………………」」」」」」」」
「…………なにか言ってよぅ!?」

さすがにクラス全員(+きつね一匹)分の沈黙は非常に居たたまれなかったのか、赤い顔の涙目なのはが悲鳴のような声を上げた。

哀れである。

それを見た僕も、何だか非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。

「…その……なんかゴメン…」
「あやまらないでよ~~!!」

僕の言葉がトドメとなり、とうとうなのはは赤くなった顔を押さえてしゃがみ込んでしまった。こりゃ、しばらく復活しなさそうだ。

僕はアリサの方を見て2人で目を合わせると、どうしたものかとアイコンタクト会議開始。

(これどうしよう)
(アンタの責任でしょうが。なんとかしなさいよ)
(いや、そうは言ってもな。流石にここまでよわよわだとは、僕も予想してなかったというか……」
「春くん、声に出てる!声に出てるよぅ!?」

なのはが僕を指さして何か言ってるような気がするけど、きっと気のせいだろう。

ともかく、僕とアリサのアイコンタクト。その結果は、

「じゃ、続けるか」
「そうね」

軽く流すことにした。メンドーだし。

そのままアリサは再び相手のチームにボールを投げ込む。今度は受け止められたようだ。

それを見ながら僕はしゃがみ込んでしょんぼりしてるなのはの肩に手をのせると、元気付けるための言葉を掛ける。

「元気出せって、なのは」
「うぅ、春く~ん……」

なのははしゃがんだまま顔を上げて、涙に潤んだ瞳で僕を見上げる。
大本の元凶が僕だったとか微塵も考えてないんだろうなー。
良い子である。

そんななのはに、僕は慈愛顔で更なる励ましの言葉を、

「───なのはがどれだけ弱っちくても、僕となのはは友達だ……!」
「まさかの追い打ち!?その言葉はうれしいけど、励ますならちゃんとがんばってほしいの!」

真っ赤な顔のままでポカポカ叩いてくるなのちゃん。でも本人が非力なので全然痛くない。

あと嬉しいんだ?
良い子である。

「まあ、なのはなら頑張れば運動も出来るようになることも無きにしも非ずなのかもしれない……かも?」
「すごく自信なさげなうえに、せめて断言しようよ……」
「いやだってな。なのは、想像してみろ。スポーツで自分が大活躍している光景を」
「むむ」

僕の言葉になのはは目を閉じて真剣な表情になる。僕の言った通り、ドッジボールなんかで相手にどんどんボールをぶつける自分を思い浮かべているのだろう。
しかし、釣り上げ気味だった眉はすぐにハの字になり、なんともよわよわな表情に。

「すごい違和感だろ」
「うぅ……、返す言葉もありません……」

シオシオと再び泣き崩れるなのはの頭をぽんぽん撫でておいた。

と、そこで外野に立つ僕の近くにボールが転がって来たので拾い上げる。
見るとなのはと話しているうちに中に残っている人数は半分ほどにまで減って、外野の数もその分増えていた。

ただアリサとすずかは未だにコートの中に残っている。アリサは先ほどの焼き回しのように構え、実に漢らしく笑いながら告げた。

「今度こそ来なさいよ!ハル!!」

それに僕は笑い返すと、全身のバネを引き絞るように身体を捻る。ボールは既に右手の中だ。

「おー、それじゃあ行く…ぞっ!!」

言葉の終わりと同時にアリサに向けて全力で投擲する。普段ならばともかく、今の僕の身体の状態なら全力で投げるくらいが丁度良い。
術符の訓練で鍛えた投擲技術はこんな場ででも無駄に発揮され、ボールは目標であるアリサ目掛けて一直線に飛んでいく。
別に怪我をするほどの威力は出ていないものの、それでも単なる運動が出来る程度の女の子が止められるボールじゃない。

「わっ、きゃっ!?」

僕の狙い通り、ボールは止めようとしていたアリサの腕を弾き、軽い放物線を描いてまっすぐ地面へと───

「アリサちゃん───えいっ!」
「なにー!?」

落下する前にすずかが滑りこむようにしてキャッチ。まさかあのギリギリのタイミングで間に合うとは……。

しかし、すずかのミラクルプレーはそれで終わらなかった。

「───やっ!」

更にボールを持つすずかの右手はノータイムで地面を滑るようにしてボールを射出。
アンダースロー気味に打ち出されたボールは地面スレスレを滑空し、そのまま敵の一人を打ち取った。

「すっげー!!」
「かっけー!!」

その様子に、僕とアリサの勝負を見守っていた周りの生徒が大賑わい。

<おいおいおい、なんだありゃ>
『そういえばあの娘、人外の血が混ざっておったの』
<……あー>

あったね、そんな設定。忘れてた。

<となると、あの運動神経はそれか>
『十中八九、な』

んー……まあ、すずかも力を悪用するような子じゃないのはよく分かってるし、大丈夫か。気にしないでいこう。

葛花との緊急念話会議で結論を出していると、クラス全員がすずかのミラクルプレーに歓声を上げていた。味方は口々にすずかを褒め称え、敵である僕と同じチームの生徒でさえ盛り上がっている。

「Thanks!すずか!」
「ううん、どういたしまして!アリサちゃん!」

その中心でアリサとすずかは二人とも笑顔でハイタッチ。アリサは僕に視線を移すと、

「どうよ、ハル!今のはアウトなんかじゃないわよ?」

その得意げな顔のアリサが微笑ましくなって、僕も思わず顔に笑みが浮かんでくる。

「オーオー、そうだな。次は打ち取ってやるから覚悟しとけ」
「望むところよ!」

そう言ってアリサは再びドッジボールに戻る。
そこで隣のなのはが膝を抱えたまま僕に話しかけてくる。

「うやー。すずかちゃん、すごいな~」
「羨ましいか?」
「にゃはは、うん。なのはって、あんなにはやく動いたり投げたりできないから……」

なのはは少し気落ちしたような哀しげな笑顔で僕に言った。
……やべぇ。なのはがちょっと落ち込みムードに入ってんだけど……。ちょっ、これマジどうしよう。もしかして僕、やり過ぎたッスか?

『泣ぁかした、泣ーかしたー』
<ガキみたいなことしてんじゃねぇよ!?あと泣いてないしっ!!うわっ、でもマジどうすんの!?>

とりあえず、なのはが考え込んでネガティブスパイラルに陥らないように話し続けよう。

「な、なのはは運動とかはやらないのか?ほ、ほら、恭也さんたちみたいに」
「なのはは運動ってあんまり得意じゃないから……。それに…相手の人を傷つけたり、怪我をさせちゃうのって……好きじゃない、から」
「ん、そっか。……うん。それじゃあ、まずはボールの取り方から練習してみるか?」
「ふぇ?」

僕の話の繋がりが解からず、こちらを見上げたまま不思議そうに顔を傾げる。

「なのはが恭也さんたちみたいに戦ったりするのが好きじゃない、ってのは分かったけどな。でも運動するのは得意じゃないだけで、嫌いってわけじゃないんだろ?」
「う、うん……」
「ならやってみようぜ。別に戦ったり真剣にスポーツをしたりするんじゃなくて、軽く体を動かしたりな。……ってことで、まずはドッジボールのボールの取り方から。どうだ?」
「あ、───うん!」

僕の言葉になのははパァと晴れたような笑顔になる。……よ、よかった。なんとかなのはを元気付けるというミッションはクリアしたっぽい。

それから、僕は外野の端で予備のボールを使い、なのはにボールの取り方を教えた。
ボールが飛んできたら目を逸らさずによく見ること。
腕だけでなく体全体で受け止めること。
体で受け止めたらすぐに体と腕で包み込むようにしてボールを固定すること。

誰でも知っているような簡単なことばかりではあるものの、その一つ一つをなのはは真剣に聞いて体を動かしていた。



そうしているうちに、肝心のゲームはいよいよ終盤に入る。

残っているのは白組は1人、赤組は3人。赤組3人のうちの2人は言うまでもなく、アリサとすずかである(三人目は吉川くん(♂))。

僕の目の前ではなのはが動作を確かめるように腕を動かして、うんうんと何度も頷いていた。

「ぇと、……こうして。……うん!分かったの、春くん!」
「そりゃ良かった。じゃ、最後に頑張ってみるか」
「うん!……あ、でも…」

しかし何故かここで今まで以上に気落ちした様子を見せるなのは。

「ん、どした?」
「ドッジボール、もう終わっちゃうの…」

彼女の目線の先ではすずかの投げたボールによって白組の最後の1人が打ち取られていた。
たぶん、なのはは自分の努力を試すことが出来ないことが残念なのだろう。
せっかく頑張ったのだ。成功するか失敗するかは置いておいて、努力したことを出し切ってみたいのが人情だしな。

確かに普通ならばここでゲームセット。試合は赤組の勝利で幕を閉じる。

───普通なら、な。

「ククッ、甘いぞ、なのは」
「にゃ?───って、わっ!?」

僕は小首を傾げるなのはの手を取ると、なのはを連れて白組の最後のひとりが打ち取られたコートに入る。
そして審判役の担任に告げた。

「僕たち、初めから外野に出てたので中に入りまーす!」
「はい、分かりました」
「あっ……」

僕の後ろでなのはが呆然と声を上げるのが聞こえる。

そう。
確かにドッジボールとは通常、原則として外野にいる人間は中にいる人間にボールを当てなくてはコートの中に復活することは出来ない。
が、物事には何事も例外というものが存在する。今回もそうだ。

ドッジボールにおける今回の例外。
それは『ただし、プレー開始時に外野に出ていた者は自分のタイミングで中に入ることが出来る』というもの。
その証拠に、赤組で初めに外野に出ていた2人だって、ある程度赤組の人数が減った時点で中に入っている。

このルールにより、僕となのははコートの中に復活出来たのである。

「にひひ。じゃ、やるか。なのは」
「───うん!」

状況が呑み込めたのか、なのはは僕の言葉に満面の笑顔で頷き返した。

僕はコート内に転がっていたボールを拾い上げると、アリサとすずか(と吉川くん(♂))に不敵な笑みを向け、先程と同じ台詞を投げかけた。

「さあ、覚悟は良いかな?アリサくん」
「ふふん、強がったところでそっちはアンタと戦力外のなのはだけじゃない。こっちはあたしとすずかと───」

バンッ!

「───これで、数は同じだな」

僕は再びこちらに転がって来たボールを手に取る。

不意に湧き上がる歓声。アリサが横を見ると、そこにはボールに当たって退場する吉川君(♂)の姿が。

アリサはその光景にしばし呆然としていたが、すぐに僕に向き直る。
その整った顔に浮かぶのは───笑み。
アリサ・バニングスは宿敵たる男(つまり僕)との闘いを前に歓喜している(っぽい)。

アリサは腰を落とし、完全に受ける態勢に入ると敢然と叫ぶ。

「いいわ、ハル!来なさいよ!!」
「言われずと…も!!」

自分の言葉を斬るように、引き絞った全身のバネを利用しての全力投擲。三度放たれたボールは寸分違わずアリサに向かって疾駆する。
アリサは先程と同様にそれを真っ向から受け止めようとするものの、これまた先程同様かなり大人気ない速度で投げられたボールを小学1年生の女の子が受け止められる訳もなく。

結果、またしてもアリサはボールを受け損ねた。

が、ここで僕は思わず舌打ちする。アリサにぶつかったボールが地面に向かうことなく宙を舞ったのだ。

(アリサのヤツ、自分では取れないと見てボールを上に弾いたな)

この超・小学生級女子め!

急なアーチを描いたボールは、やがて地面に向かい始め、



───そして、それをもう一人の超・小学生級女子が見逃す筈もない。



「させない!!」

すずかは力強く大地を蹴ると宙を舞うボールを空中で軽々とキャッチ。更には浮遊したままで態勢を整えると、そのまま空中で───投げた!

先程の僕のときとほぼ同速度のボールの行く先は、まだ投げ終わって姿勢が崩れたままの僕だ。
もはや受け止められるだけの態勢を立て直す時間は無い。つまり、僕に出来ることは倒れ込むようにして避けることのみ。
だがそうするとボールは外に出てしまう。授業の残り時間は少ない。相手にボールを渡していたら、アリサたちを打ち取る前に時間切れだ。



───だから僕は右腕を振り上げることで、あえてボールに自分から当たる。



ボールが振り上げた右腕に衝突する瞬間、僕は右腕の衝突部分を幾らか意識することでボールの軌道を調節。
僕はボールの行方を目で追いながら半ば予想した通りの軌道であることに確信しつつ、叫ぶ。

「なのは!」

振り抜いた右腕が弾いたボールの行き先は───なのはだ。

すずかの投げたボールは僕に当たったことで十分減速して軽くアーチを描いているものの、まだ少し速い部類に入る。少なくとも以前のなのはなら絶対に止められなかっただろう。

しかし、ボールが向かって来ているなのはの表情には僅かな緊張こそ見て取れるが、焦りはない。

怖がって目を閉じることなく、その両目をしっかりと開いてボールを見ていた。そして目標が自身に到達すると同時に、なのはは僕が教えた通りに身体を動かす。

手は突き出しすぎることなく、腕ごと胴体に引きつけた状態でボールを受け入れるように。
ボールは自分の胸のあたりで受け止め、取りこぼす前に身体全体で抱き込む。

なのはは抱き込む瞬間こそギュッと目を固く瞑っていたが、やがて怖々と目を開くと、

「………………あ」


───其処には、見事掴み取ったボールがあった。


「月村のヤツ、相変わらずスッゲー!」
「高町、あんなのよく取ったなー!」

外野にいるクラスメイト全員がすずかとなのはの見せたファインプレーに異口同音に湧き上がる。

それはそうだろう。

僕の投げた速球がアリサを打ち取ったかと思えば、先程の焼き回しのようにすずかがミラクルプレー。それにより僕がアウトになるかに見えたが、それさえもなのはの活躍で阻まれた。
これで盛り上がらない方がどうかしてる。

なのはは自分が取ったボールに呆然としていたが、やがて理解が追いつくと、その顔にパァとひまわりのような笑みが広がっていく。

「やった……やったよ!春くん!」
「よくやった!グッジョブだ、なのは!」

ピョンピョン飛び跳ねるながら駆け寄ってくるなのはに片手をヒラヒラ上げる。なのははキョトンと僕の右手を見ていたが、すぐに笑顔で自分の右手をパシンッと叩きつけた。イエーイ。

「やるじゃない、なのは!」
「なのはちゃん、すごい!」

アリサとすずかも我が事のように喜んでいる。敵であるなのはを純粋に称賛出来る辺り、この二人も人間出来てるなーと感じる。小1のなのに。……小1なのに……ッ!

「練習して良かったろ?」
「うん!……春くん!はい、これ!」

そう言って差し出した手の中には、なのはが先程取ったボールがあった。これって……、

「いいのか?お前が自分で取ったのに」
「いいの!」

笑って頷くなのはの顔には陰りなんてものは全く無い訳で。そんな顔で渡されたら断れるはずない訳で。

「……了解」
「がんばってね!」

受け取るしかない訳で。

僕はなのはから貰ったボールを手に、アリサとすずかに向き直る。僕はすずかに目を向けたまま、

「悪いな、アリサ。お前は少し後回しだ」
「む、………まあいいわ。ホントなら2回とも負けちゃってるんだし。というわけで、頼んだわよ、すずか!」
「うん!」

アリサの言葉に、いつに無く強気な笑みで応じるすずか。なんか体育になってからというもの、すずかが生き生きしているような気がします。あの子肉体派みたいです、先生。

「負けないよ、春海くん!」
「お前もうキャラ違くね?いや良いけどさ」

ムンッと気合を入れるすずか。あの子やっぱり体を動かすことが気持ち良いみたいです。肉体派です、先生。

まあ良い。僕はボールを構えると、すずかを真正面から見る。目線は相手の上半身。投げる位置をしっかりと見据える。

「少しばっかりセコいことするぞ、すずか」

ぶっちゃけ勝てそうにないし。真正面から行けば、たぶん負けます。小学1年生女子に。

「?……うん、いいよ!」

笑顔で受け入れる小学生1年生の包容力に惚れそうです、先生。

「───らァ!!!」

僕はすすかの了解を確認するや否や、全力でボールを放つ。先程以上に身体を捻り、球速をパワーではなく技術と遠心力で増す。

轟!!

低い風切音を伴いながら放たれた弾が宙を翔け抜ける。

すずかは既に捕球のために動き始めている。

刹那、すずかと目が合う。当然だ。“投げている間も”僕の目は変わることなく常にすずかの上半身に向けられている。



───例え僕の狙いが、すずかの足首スレスレだとしても。



「───え?」

すずかは無意識の内に僕の目線から大凡のボールの軌道を予測していたのだろう。通常ならば分からないぐらい一瞬のものであっても、普通とは異なる身体能力を持つすずかなら可能なはず。

しかし、その予想は大きく裏切られることになる。

彼女の予測と大きく異なり、ボールの軌道は遥か下。
すずかも人間離れした速さで捕球に動き始めるが、今更間に合う筈もなく。

その結果───

「───こうなる」


すずかから最後まで逸らさなかった目で地面を見ると、其処には彼女の足に跳ねかえり、転々と転がるボールが在った。


周囲には、歓声が湧いた。










『せこ……』
<お願い、言わないで下さい……ッ!>


そして僕には羞恥心が湧きあがった。


一時のテンションに身を任せた結果がこれだよ!!






(あとがき)

てな感じで第六話投稿。

今回は前回の予告通りの日常回で、学校での3人娘との1ページとなりました。主人公のテンションが異様に高いですが、学校では大概こんなもんです。「もともとの性格+精神が肉体年齢に引っ張られている」とでも考えて納得しておいて下さい。一応、随所随所で大人としていろいろ気を回してはいるので。
作者としてもなんでこんなにテンション高めで書いちゃったのか分かりません。これがキャラが勝手に動くというヤツか……ッ!

それはそうと、このSSの3人娘との関係はこんなもんでしょうか?
なのは=妹分
アリサ=ライバル(主人公的にはツンデレおもしれー)
すずか=他の3人のストッパー 兼 肉体派
みたいな?

あと関係ないけど「紐糸」のなのはって可愛いですね。

次回はちょっとシリアスになるかもです。

ではでは。



[29543] 第七話 言わぬが花 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/20 20:11
時間は飛んで昼食時。
晴れた青空の下、僕たちはいつものように屋上のベンチに4人腰かけ弁当を広げていた。

「あ~~~~~もう!!腹立つわねっ!!」
「ア、アリサちゃん、お、落ち着いて……」

そのうちの1人、アリサ・バニングスがきーきー悔しがり、隣のすずかが宥めている。
僕はそれを横目にアリサの弁当箱からおかずをヒョイと取り上げて口に放り込む。

「唐揚げおいしー」
「~~~~~ッ!?」
「は、春海くんもあおっちゃダメだよ~!?」

僕の言葉に足をジタンジタン踏みしめる金髪ツンデレ幼女。向こうですずかが弱った顔で言ってくるし、確かにこのままじゃ(物理的に)危険な目に遭いそうなので自重しよう。

「にしても律儀なヤツめ。結局僕とアリサの決着自体は着かなかったんだから、別にドローでいいだろうに」

そう。なんでアリサが僕に弁当のおかずを渡しているのかと言うと、午前のドッジボールでの勝負の罰ゲームである。

すずかが打ち取られ僕が羞恥心に塗れたあの後、結局アリサにボールを投げる前にチャイムが鳴って時間切れ。
ゲームは審判に止められて僕たち白組の勝ちということで幕を閉じた。

それでもアリサも自分も最後までコートの中に残っていたのだから引き分けになるかと僕は思ったのだが、当のアリサが自分の負けを主張してしまったのだ。
断ったらもっとめんどくなりそうだったので、僕はアリサの弁当箱の中から唐揚げを徴収した次第である。

「ふん。2回ともすずかに助けられちゃったじゃない。そのすずかもアンタに負けちゃったし」

そう言って、しかめっ面で残りの唐揚げをハムッと口にするアリサ。こうして素直に負けを認めるというのも、ここ最近で彼女が身に付けたもののひとつだろう。

(初めの頃はなのはとも衝突してばっかだったからなー)

半ば予想していたことではあるのだが、アリサ・バニングスという女の子は今まで親しい友達と言える子を持った経験がなかったらしい。
そのため、なのはやすずかのような友達ができた後も意地を張ったり謝り方が分からなかったりといったことが度々あって、そのたびに意外と頑固者のなのはとケンカに発展していたのだ。
なのでそのたびに僕やすずかが緩衝材となって2人を諫める、というのがこの4人にとっての当たり前だった。

ただ、なのはもすずかも口喧嘩ひとつで相手を嫌いになるような子じゃないし、アリサ本人も非常に聡いため反省する機会も多く、最近ではケンカの頻度も確実に減りつつある。アリサも友達との接し方を覚えてきているように感じるし。

まあ、そもそも僕が口出ししなくても、彼女たちなら遅かれ早かれ自分たちだけで解決出来ていたような気はするけど。

「の割には不満タラタラじゃね?」
「あたりまえよ!次こそはぜったい勝ってやるんだから!」

この通り、アリサはアリサで負けず嫌いは相変わらずだし。
自分が間違ったまま負けたまま、とか我慢できる子じゃないのよ。

ある程度愚痴ってようやく落ち着いたのか、アリサは僕を挟んで自分の反対側に座るなのはにしゃべり掛けた。

「にしても、なのは。アンタもよく最後の止められたわね。絶対ダブルでアウトだと思ってたのに」

そんなアリサの言葉が嬉しかったみたいで、途端になのははニコニコ笑顔に。

「えへへ、春くんに特訓してもらったんだ」
「ハルに?」
「うん!こうするんだよって教えてくれたの!」
「へー。やるじゃない、ハル。なのはって相当ニブちんなのに」
「ア、アリサちゃん、ひどいよぅ!?」
「事実じゃない」
「うぅ~……」
「まあ、ボールの受け止め方だけだからな。短時間でも大丈夫だったし。……すごいと言えば、すずかもだよな。今日はミラクルプレーの連発だったし」

褒められるためにやったわけでもないのに褒められるのは少々居心地が悪いので、早々に話の矛先をすずかに移す。

しかし、

「う、うん……。あ、いや、え、えとえと、……そ、そうでもないよ?」

向けられた当人は何やらキョドってる。そのままキョトキョト目を逸らしながらごはんをパクリ。

<……ひょっとして、自分の力がどういうものか自覚があったりする……?>
『さぁの。こればかりは本人に確かめるしかなかろ』
<いやだけどな、これ明らかに本人気にしてるぞ>

僕の目の前にはごはんを喉に詰まらせてケホケホむせるすずかの姿が。隣のアリサが背中をさすってあげている。

<……この話題には触れない方が良さげだな>
『それが賢明じゃの。お主も深入りするつもりはないのじゃろう?』
<話の規模にもよる。すずか個人の問題なら幾らでも相談に乗ってもいいんだがなー……>

僕が懸念するのは個人では話が済まなくなってしまった場合だ。

通常、人外の力や異能力というものは家系、つまり『血』に由来する。これは多くの場合、一族の中の遺伝子に要因が存在するためだ。
もちろん少数例ながら、俗に『先祖返り』とも呼ばれる突然変異も当然あり得るが。 (全て葛花からの受け売りである)

問題はすずかの力がどちらに属するものであるのか、ということだ。

すずかの能力が突然変異であり、家族の中でも彼女一人であるのなら僕もある程度は自由に動ける。
ただの一般人がこんな事に精通している筈もなく、また僕自身も向こうから見れば単なる一友達に過ぎないからだ。目立たぬようにさり気なくアドバイスをすれば、若しくは直接的に動いてもすずかに黙っていてさえ貰えば良い。
もっとも、すずかの家族がただの一般人で彼女の力を知った上で周りから隠そうとしているのなら、また多少話が変わってくるが(今日のすずかの活躍ぶりを見るにその可能性は低そうだけど)。

面倒なのは、すずかの力が完全に『血』に由来しているときだ

その場合、ネックなのは月村家は海鳴の町でも有数の大企業であるということ。つまり、この海鳴の地の歴史を紐解く限りでは由緒正しき地主のひとつになるというわけだ。当然、一族としての横のつながりも相当なものになるだろう。
そうなると、異能の存在が一族の中では周知の事実である可能性が非常に高い。

いや、どちらかと言えば逆で、“異能故に発展した一族”と考えるのが普通だろうか。

まあどちらであっても、そのときには僕のような子供が彼女たちの力に勘づいていると知られるのははっきり言って滅茶苦茶マズイ。
現代社会で生活を営む上で、普通人と異なる力なんて百害あって一利無し。それが一族規模ともなれば情報統制はかなりのものだろう。

黙っていることを条件に僕のような子供なんかスルーしてくれるのならともかく、悪ければ口封じのために拉致監禁および洗脳。最悪、僕の家族にまで害が及びかねない。

拉致監禁は大袈裟だとしても、流石にそんな可能性を捨て置いてまですずかの問題に深入りするような度胸や蛮勇を、僕は持ち合わせていない。確かにすずかのことは好きだけど、ただの一小学生の身分では話が大きすぎる。

<とにかく、この問題は保留。すずかの家に遊びに行ったときにでも家族の人を『視て』みよう。そもそもすずか自身が悩んでない可能性だってあるしな>

そもそも今の考えは全部僕の妄想の域を出でないし。

向こうが今のままの関係を望んでいるのなら現状維持を優先するつもりだ。この秘密は墓まで持って行けば良い。

『深入りしすぎて勘づかれるでないぞ?』
<そこは最大限に注意するって>

なんせ僕の家族にまで飛び火する可能性があるのだ。父さんたちに迷惑をかける訳にはいかない。

そこで思考の渦から復帰すると、そこではようやく落ち着いたすずかが話題を変えるように話を振ってくる。『ように』というか、実際話題を変えるためだったんだろうけど。

「そ、そういえば。昨日、大通りの交差点で事故があったんだって」
「あ、それ、あたしも見た。昨日ちょうど車で通り掛かったのよ。なんかまだ小さな男の子だったみたい」
「うにゃ、かわいそうだね…」
「……うん、そうだね…」

なのはが哀しげに顔を歪めると、とっさに話題を出してしまったすずかでさえ後悔するように顔を伏せた。

「ニュースでは、その男の子って歩道橋から落ちちゃったんだって。あそこって先週も大人が事故にあってたわよね、たしか。
クラスの男子たちなんか『あの交差点は呪われてる』とか言って。まったく、男ってホントに不謹慎なんだから!」

アリサは怒ったような顔をして言葉を紡ぐ。

こうして全く知らない人間のために悲しんだり怒ったり出来る彼女たちを見ると、彼女たちほど感情が揺れない自分に少し思う所が出てくる。
勿論その人たちの死を悼んだりといった感傷こそあるものの、目の前の少女たちほど強い感情を抱くことはない。
別にそのことに罪悪感を抱くわけではないけど、なんとなく年取って薄汚れたなーとは思うわけで。

「まあ、確かにその男子たちは不謹慎だけどな。お前らもあんまり気にするなよ?意味がないからな」
「意味がないって……そこまで言うことないじゃない!」

持参した水筒のお茶を飲みながら告げる僕の言葉に、立ちあがって激昂するアリサ。なのはとすずかも声にこそ出さないものの、その視線には非難の色が浮かんでいた。たぶん僕の発言が死んだ者を否定する薄情なものに聞こえたのだろう。

「ホントのことだよ。今ここでアリサたちが悲しんだり怒ったりしたって、その男の子や大人の人が喜ぶわけでなし」
「だからって!」
「───だから」

尚も言い募る僕に再度怒声を上げかけるアリサ。僕はその言葉を遮るように声の語調を強めた。

「お祈りでもしてやれ、その2人が天国に行けますようにって。そっちの方がよっぽどその人のためになる」

ニッと笑って出来る限り明るく告げる。この鬱々とした雰囲気を少しでも改善できるように。

アリサは意表を突かれたような顔になって口を噤み、そのまま少し考えるとムスッとしてベンチの自分の席に座り直した。

「……そういうことはもっと早く言いなさいよ」
「そりゃすんまそ。……ま、悲しむのは家族の役目、悼むのは人の役目、ってな」

僕の言葉に感じるところがあったのか、アリサたち3人は目を閉じた。死者へと、追悼の意を捧ぐべく。

そんな3人をしり目に、僕は傍らに浮かぶ葛花に呼びかける。

<葛花。頼む>
『ふん。まあ良かろ』

短い呼びかけで全部を察して、葛花は白い狐の姿になるとそのまま校外にまで飛び去っていった。

「……………………」

僕は白い狐が飛び去った空を見上げる。

(呪いの交差点、ねぇ……)

サンサンと太陽の光が降り注ぐ空には、雲の一つも無い、嫌味なくらい青い空が広がっていた。





時間は更に飛んで夕方。
授業は終わり、アリサとすずかは習い事があるとのことで先に車で帰った。

「じゃーなー、なのは。士郎さん達によろしくな」
「うん!ばいばい!」

席に残ったなのはに手をフリフリ振ってバスを降りる。

昨日恭也さんが「明日はどうせ筋肉痛で碌に鍛錬にならないから来なくていい」って言ってたので、今日の出稽古は早速のお休みである。昨日はそれがちょっと不満だったのだが、今は正直ありがたかった。

ポツリポツリと道を行く人の中に溶け込むように歩いていると、

『戻ったぞ』
<おかえり>

昼休みに飛び去った葛花が音もなく僕の背後に現れる。今は再び童女の姿に戻っていた。

<で、どうだった?>
『“黒”と“灰”じゃな』
<あちゃー、やっぱり?……大通りって言ったら、うちの家族の行動圏内だよな。聖祥の奴らもよく通るはずだし>

昼にもアリサが通りかかったって言ってたよな。流石にこれを放っておくのは、……ちょっとマズいかな……?

<じゃ、さっそく今夜中に行くから。監督よろしく>
『身体は大丈夫か?』
<今日1日でだいぶ治った。あとはメシ食って寝る>
『お主がそう言うのなら儂は止めはせんがの。───じゃがな、』

そう言って葛花は僕の背中から首に腕を回し、抱きつくようにして顔を寄せる。まあ容姿的に傍から見ればただのおんぶにしか見えないだろうけど。

『はてさて、はたして本当にお主がやる必要はあるのかの?』
<あん?>

僕から葛花の表情は見えない。

それでも、その声色から、雰囲気から、気配から、今の彼女が笑っていることはありありと解かる。


───冷淡に、冷酷に、酷薄に、凄惨に。


『以前にも言ったとは思うが、この地には恐らく退魔の者も居る。お主が動かずとも近しい将来に其の者が動くことは必定ぞ』


『何故、お主は動く?何故、お主は───闘う?』


『儂は別段、他の者が如何なろうと毛先ほども興味は無い。そんなモノは千余年も有れば擦り切れる。儂が“在る”のは今この刹那のみの為』


『しかし、お主は別じゃ。お主は儂が千余年待ち侘びた“二代目”。お主が死ぬことは儂としても本意ではない』


『お主が動くのなら、儂もある程度ならばこの力を貸そう』


じゃが、と言葉を翻す葛花。首に回された腕に、幽かな存在感が宿る。

そしてその声に宿るのは、外見に似合わぬ艶然な笑みに隠れた、しかし隠し切れない、確かな“怒り”。



『───何の理由も無く惰性の儘に使われるのは、些か以上に気に喰わん』



それは“誇り”。自身の存在に対する確としたプライド。

『答えよ、和泉春海。応えよ、我が二代目の担い手たる者よ。───主は何が為に闘う?』

いつの間にか立ち止まった僕たちを、帰途に着く人々が次々に追い抜いて行く。

「……………………………」

多分、ここは一つの分岐点。

これから先、霊などいう非日常と付き合っていく中で幾つも訪れるであろう、数多くの分かれ目のひとつ。

これに応えられないのならば、此処で何かが確実に終わるのだろう、そんな問い。

だから僕は、自分の本心を語る。
真剣に、誠実に。

<今、此処で僕が動かないと、誰かが怪我するかもしれない。誰かが死ぬかもしれない。だから、僕は皆のために───>

そう。僕が皆を助けたいから。


……って、


「んなわけねぇー」


思わず声にまで出てしまい、周りの人が奇妙なモノを見る目で見てくるが、今の僕は気にもしない。

なんか自分で言ってて胡散臭いことこの上なかったんだけど。何、皆のために闘うって。僕ってどこのマンガの主人公?むしろこれって最近は敵役に多い主張な気がするんだけど。

<てかお前もその問い何回目だ?幽霊退治に行くたびに訊いてきて。いい加減耳ダコだっつーの>
『むー。いいから答えるのじゃー!』

叫びながら僕の目の前に上下逆さまに現れる葛花。その透き通るような白い頬っぺたを今はプクーッと膨らまして、こちらを睨んでいた。

『全く、最初の頃の初々しさは一体何処に……』

初々しさって。精神年齢三十路近い男に其処まで似合わない単語もないな……

あとお前のカリスマタイム、めちゃくちゃ早く終わったなぁ。

<何のためも何も……、これで何もせずに、明日にでも友達が死んでたりしたら目覚め悪いからに決まってんだろ。>
『それは他者の為とどう違う?』
<あほ。頼まれてもないことの理由をわざわざ他人に押し付けるかよ。ぜーんぶ自分のためだっての。明日の僕の快適な日常ライフのためだっつーの>

ハァっとため息を吐く葛花。カッチ~ン。

<なんだ、その妙にムカつくため息は>
『お主も、自分の言葉の矛盾くらい気づいておろう?日常を謳歌せんがために、非日常に自ら喧嘩売ってどうする』

まったくコイツ馬鹿だな~、なんて顔をしながら逆さまで首をフリフリ振る葛花にムカ。

そんな葛花に僕が言ってやれることは一つだけ。

<アーアー、キコエナーイ>

ガブリ

「イテテテテテテテ噛むな噛むな噛むな!!スッポンか、テメェは!?」

結局、背中で僕の頭部に噛みつくロリ狐は家に帰り着くまで離れませんでした。え、周りの通行人?メッチャ見てたよ、コンチクショウめ。





あーっ。

と言う間に時間は飛んで深夜。

下の妹達に子守歌がわりに絵本を読んでやった後(寝付くまで読まされた。てか母さんに頼め、妹達よ。なんで僕が3冊も読んでんだよ)僕は母さんにおやすみを言うと、しばらくして自室の窓から外に出た。
そして現在目の前には、昼間にすずかが言った大通りの交差点がある。

ちなみに僕の身代わりとして、丸めたクッションをベットの中に入れて葛花に幻術で僕に見えるようにして貰った。
葛花のヤツ、化け狐だからか何気に結構多芸である。

「さて、と。アリサたちの話じゃその男の子って歩道橋から落ちたんだっけ…」
『昼間は歩道橋の上に居ったぞ』
「お、そうなんだ。仕事早いな」
『ふふん、褒めろ崇めろ奉れ。そして儂は新世界の神となる』
「それ死神」

というかどんだけ壮大な野望持ってんだよ。おまえ実は悪霊だろ。

周りには人が居ないということで声に出して葛花と話しながら、大通りの交差点に掛かっている歩道橋の階段を上る。周囲は闇夜に包まれているものの、月明かりや幾つかの街灯のため足元に不安は無い。
眼下の道路には車一台無い。元々海鳴市はどちらかと言えば地方に位置するので深夜まで走っている車は稀であり、辺りは静かなものだ。

そうしてそれほど長いとも感じない階段を上り切り、上り切ったところで右へ曲がると歩道橋の中央に目を向ける。


───其処に座り込んでいたのは、まだ小学校にも上がっていないような男の子だった。


服装は特別なものでも何でもなく、ありふれたTシャツと半ズボン。歩道橋の真ん中辺りで柵を背もたれにして体育座りをしていた。
その表情は生気が致命的に乏しく、視線が何処を見るでもなく宙空を彷徨っている。

───そして、その全身の輪郭はぼんやりと霞み、彼の向こう側が透けて見えていた。

「まだ初期段階ではある、か。……すんごいギリギリっぽいけど」
『元々が単なる童の霊じゃ。言霊に幾らかの甘言を乗せただけで何事もなく逝けるじゃろ』

“霊”

そう。早い話が、此処に居座っているこの子供は俗に『自縛霊』と呼ばれる存在だ。

こういう交通事故現場なんかでは定番ではあるものの、この子はその中でも力が弱めだ。
それもその筈。
こんな小さな子供が、そんなに薄汚れた未練なんて抱けるはずがないのだから。


そもそも霊という存在の力量というものは持って生まれた才能を除けば、想いや未練の強さがそのまま個々の力に比例するのだ。

その量だけでなく、質も。

想いが澄んでいればその霊は“正”に、未練や欲望に囚われると“負”へと傾く。
更に言えば、例え元々が“正”に傾く霊であったとしても、年月を経るとその魂は容易く濁る。

葛花の話では極稀に霊力がなくても何年も生前の人格を保っている霊も居るらしいが、そのためにはよっぽど精神力が強くなくてはならないとかで、生憎と僕は遭ったことはない。これから先も会えるかどうか。


それはそうとして、

「確かにその通りだが、もうちょっと言い方を考えなさい」

人聞き悪すぎだろ、甘言とか。

『事実じゃろうが』
「失敬な。僕は常に清廉潔白誠心誠意品行方正を志しているというのに」
『清廉潔白(笑)誠心誠意(大笑)品行方正(爆笑)』
「殴るぞ、ロリっ狐」
『やってみい、ショタ坊主』


『……お兄ちゃん、…だれ?』


空気を震わせることなく届いたその声にピタリ、と僕と葛花が止まる。

そのままお互いの方に向いていた顔を、声の発生地点に向けると───虚ろな表情で宙空を見つめていた男の子が、これまた虚ろな表情で此方を見やっていた。





(あとがき)
という訳で第七話の1、更新しました。今回は初の主人公の陰陽師らしいところですね。やっとですね。……展開が遅くて誠に申し訳ありません orz

1だけでは展開が急すぎて訳わからない部分も多いと思いますが、そのあたりを説明する2も割かしすぐに投稿できると思うので、次もよろしくお願いします。



[29543] 第七話 言わぬが花 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/11/13 21:22
彼は、気がついたら此処に居た。


朝はいつも通り、母親に起こされて母親の作った朝ごはんを食べ、お気に入りの戦隊モノのアニメのビデオを見た後に、姉とおままごとで遊んでいた。

昼もいつも通り、母親が作ったオムライスを姉と一緒に食べて、一緒にお昼寝をした。

昼寝から目が覚めると、それからがいつもと違っていた。

母親が買い物と言うので、彼は自分が1人で行くと申し出た。この間、姉が1人でお使いをしているのを見て、ちょっと羨ましかったのだ。
母親も初めはまだ1人では危ないと言って渋っていたが、駄々をこねると認めてくれた。

出かけるときに買い物メモと小銭入れの入ったポーチを渡され、しつこく車に気を付けることと言われたことをよく覚えている。

───な

道を歩くときは道路の端っこを歩いて。

───カ…な

横断歩道はちゃんと手を上げて渡って。

───オカ…イな

歩道橋を歩いて。

───オカシイな


───なんでボク、□んじゃったんだろう?



彼は気がついたら、───此処に、居た。





それからのことはよく覚えていなかった。

誰に話しかけても気付いて貰えなかった。どんなに泣いても、どんなに叫んでも、気付いて貰えなかった。
そのうち彼は話しかけることを諦めた。

次は此処にじっと座って、自分に気付いてくれる人をずっと待っていた。それでも誰も話しかけてくれなかった。
そのうち彼は気付いて貰うことを諦めた。

だんだん身体が重くなってきた。目の前の光景もよく見えなくなってきた。考えることも出来なくなってきた。

それでも周りが暗くなってきて、夜になったことは解かった。
周りには、誰もいない。

───誰か気付いて

自分が世界で独りぼっちになった気がして、心細かった。

───ボクに話しかけて

暗闇の世界が、怖かった。

───ボクを見つけて


その時だった。

誰も居ない、居るはずがない彼の暗闇の世界に、話し声が聞こえてきた。
まだ声変わりもしていない、高い声だった。

誰も居ない、居るはずがない暗闇の世界で、誰かの姿が見えた。
自分よりもちょっと年上の、姉と同い年くらいの男の子だった。

『……お兄ちゃん、…だれ?』

こんな時間こんな場所に居るはずがない者を見て、気がついたら反射的に話しかけていた。

彼はすぐに後悔した。

気付いてくれる訳がないのに。
話しかけてくれるはずないのに。
どうせまた無視されるだけなのに。

たくさんの後悔や悲しみ、そして何よりも怒りが押し寄せ、自分の中で何かが弾けそうになって───


「おう、そっちこそ。こんなとこでどうした?」


急速にしぼんでしまった。

『───え……?』

話しかけてくれた?誰に?

───ダメ

この人は今、誰に話しかけたの?

───期待しちゃダメ

周りには誰も居ないのに。

───また後悔しちゃう。そんなのイヤだ


「ん?聞こえなかったか?こんなとこでどうした?」


またも聞こえた声。目の前の子は、確かに自分を見ながら、そう言った。

そして自分を誤魔化すのは、そこで限界だった。

『…う……うぁ……あ…』

口から漏れ出る嗚咽を自分の意志で止めることができない。目から涙が裁断なくあふれ出る。
今までの悲しみに新たな嬉しさや安心感。いろんな感情が入り乱れ、けれど幼い彼にその濁流のような感情の波を制御できるはずもなく、

『あぁっ…うぁぁあああああああああああッ!!!』

気がついたら、目の前の少年に抱きついて泣きじゃくっていた。
少年は一瞬だけ戸惑うように腕を迷わしていたが、すぐに泣いている彼の頭に腕を添えると、ひどく優しい声で言葉を紡いだ。

「……遅れてゴメンな、怖かったよな」

その声がどうしようもなく嬉しくて、何度も何度もその細い首を振りながら、また涙が流れ出た。





「それで、気がついたらず~っと此処に居たってわけか」
『…………うん』

時間が流れるのも構わず泣き倒し、ようやく落ち着いたのは実に15分以上経ってからだった。
その間、少年は「もう良いか?」等と尋ねることすらなくずっと静かに頭を撫で続けてくれて、その優しさにまた涙が出そうになって。
彼が少年に事情を話し終えたときには、二人が出会ってかなりの時が過ぎていた。
現在、二人は先程まで居た場所と同じ歩道橋の真ん中で柵にもたれながら並んで腰かけている。

『だれも気づいてくれなくて、話きいてくれなくて、……怖くて、……うっ、うぅッ…』

話しながら思い出したのか、またも嗚咽を漏らし始めた彼に少年が焦る。

「あー、すまんすまん……もういいから。泣くなって、な?」
『………うん』

ポンポンと撫でられる頭を感じながら、息を整える。
しばらくそうしていて彼が落ち着いたのを察すると、少年は静かに話を切り出した。

「僕は和泉春海。そっちは?」
『え……と、トウヤ。真田トウヤ、です』
「じゃ、トウヤだな」
「……うん」

何気なく呼ばれた自分の名前が、トウヤには無性に嬉しかった。
ただ名前を呼ばれる。たったそれだけの筈の行為が、思わず叫びだしそうになるほどに嬉しかった。

そんなトウヤの内心に気付いているのかいないのか、春海は何事もなく言葉を続ける。

「トウヤは気がついたらココに居たって言ってたけど、ココに来たのはなんでなんだ?何か用でもあったのか?」
『……おつかい』
「お使い?へぇ、一人でお使いに行ってたのか。すげぇな、まだこーんなちっせぇのに」
『おかーさんに言ったんだ。ボクが行きたいって。……なのに、ここからうごけなくって。メモも失くしちゃって。……どうしよぅ、おこられる……』
「あー、そりゃ災難だったな。……でもまあ大丈夫だって。おかーさんもそんなことで怒ったりしないって」
『……そうかな?』
「そうさ」
『……うん』

よく考えてみれば、彼の母親の会ったことのない春海にそんなことが分かるはずもないのだが、トウヤは春海のそんな言葉に安心していた。
そんなトウヤの様子を見た春海は、トウヤからは見えないように口を引き結ぶと、まるでさっきまでの会話の延長と言わんばかりの何気なさで言葉を紡いだ。

───残酷なまでの、真実を。

「それで、だ」
『……なに?』
「お前はさっき、この歩道橋を渡っていたら急にここから動けなくなったって言ったよな?」
『うん……』



「───本当に、そうか?」



『……え?』

一瞬、唐突すぎて何を訊かれたのかが頭に入ってこない。

ボクはいま、一体なにを訊かれたんだろう?
この人は、なにを訊いたんだろう?

「本当に、いきなりここに居たのか?」
『え、…な、なんで…』

意味が解からない。


───そうだ。


「その前に、何か起こらなかったか?」
『そ、そんなこと……』

思い出せない。


───ボク、


「しっかり考えてみろ。そこから目を逸らしたらダメだ、酷い話だけどな。……天国逝きてぇんなら、逃げたりしたらダメだ」
『だ、だから、ボクはそんなこと知らな……ッ!?』

思い出しちゃいけない!!


───“死”んじゃったんだ。


『ァァア…アァ……ア…ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』

絶叫

自分自身で閉じた筈の忌まわしい記憶の蓋がこじ開けられ、悪意的なまでの“死”の記憶が幼子に猛威を振るう。

『そ、そそ、そうだ…??!ぁぁあああ、ボ、ボクはあの日、こ、こ、ここを歩いてたら急に目の前が真っ暗になって、…ッ!!?それで、それで、……き、気がついたら周りが逆さまになってて、……それで、それで!!……それでッ!!!』

「──────」

気がついたときには、先程以上の力で抱きしめられていた。

「ごめんな、嫌なこと思い出させて。……よく頑張ったな。えらいぞ」

柔らかい腕に。逞しい胸に。優しい言葉に包まれて。
彼の脳裏に過ぎるのは自身の家族。
父さんの力強さ。
母さんの愛おしさ。
姉さんの優しさ。

似ているようで違うようで。
その全てが思い出されて。
そして、もう抱きしめて貰えないことが心の底から悲しくて。

『うあぁぁぁ…アアッ、ウッ、…うぅぅ、……っ…』

さっきで枯れ果てたと思っていた涙が、再び溢れてきた。

「泣け泣け。今は泣こうが喚こうが僕が許す」
『う、ぅぅぅうう、ううううぅぅぅぅぅ……ッ!!』



どのくらいそうしていただろうか?1分?10分?1時間?
実際には短いかもしれないが、感覚にすれば無限にも思える時間が経過して、トウヤはようやく落ち着いた。
未だ瞳からは涙を流し、その口から漏れ出る言葉は震えていたものの、その声にはしっかりとした意思が感じられた。

『……おにいちゃん』
「……ん、どした?」
『ボクって、…………………死んじゃったの?』

それは疑問というよりは確認の意味を込めた問い。彼は自分が置かれている状況を幼いながらも察していた。

「…………ああ」

結果は、肯定。
それは残酷なまでの、しかし確かな優しさだった。

『なら、おにいちゃんは、…なんでここにいるの?』
「あー……お前がいつまで経っても迷子だってんで、お前さんのお父さんやお母さんたちが心配してな。お巡りさんの代わりに迎えに来てやったんだよ」
『……そうなんだ』
「そうなんだ」

春海の言葉がおかしかったのか、トウヤは春海に抱きついたまま、くすくすと笑っていた。

そこで彼の身体が光に包まれる。

自身の死を受け入れた者に訪れる“お迎え”。
常世における遍く霊の最期───成仏だった。

しかしトウヤは光り始めた自分の体を気にした風もない。
春海はそんなトウヤを抱きしめて髪を優しく撫で梳きながら、言葉をかける。

「お父さんたちに、何か伝えておくことはあるか?」
『あ、……それじゃあ、おつかいできなくて、ごめんなさいって……あと、』

そこでトウヤは言葉を切った。
次にその口から出てきた声は、途切れ途切れの涙声。

『ヒック……ありがとう……って。うぅ……いままで、いっぱい、いっぱい、い~っぱい……ありがとうって……』

その言葉を確かに脳裏に刻みつけた少年は、少しでも彼の未練を無くすために力強く頷いた。

「あいわかった。確実に伝えるよ。……まあ、なんと言うか、だから安心して行って来い」
『……うん。……ありがとう、おにいちゃん』
「別に。僕は何もしてない。お前が強かった、それだけさ」

春海の不器用な慰めの言葉に、彼は涙が流れてクシャクシャになった顔を横に振る。

『ううん、そんなことない。……ボク、うれしかったんだ。おにいちゃんが来てくれて。ボクに気づいてくれて。……ホントはボク、分かってたんだ。自分が死んじゃったの』
「……そっか」
『うん。でも1人で居るのが怖くて……。でもココでうつむくことしかできなくて。……だから……だからね、おにいちゃん』
「おう」


───ありがとう


そして、彼の身体は最後に淡い光に包まれながら消えていった。

例え涙にぬれていても、決して影のない、花が咲くような笑みを顔に浮かべながら。





幼い彼の霊が消えた後、少年───和泉春海は一人、虚空に呼びかける。

「葛花」

呼びかけに応えるのは、春海が信頼する狐耳の童女。

『応』
「あの子の家族の家、分かるだろ?」
『この周囲はあの童の匂いで塗れておるからの。辿ることくらい造作無いぞ』
「上出来。あの子の遺言、頼めるか?報酬は翠屋のシュークリームでどうよ?」
『是。お主は如何する』
「僕か?そりゃお前───」

春海と葛花は弾かれたように跳び退る。

───オオオオオオオォォォォォォォォォォン

お互いから離れるように跳んだ二人のちょうど中間にズガンッと破砕音を立てながら、“何か”が衝突した。

「“コイツ”の相手だ」

春海は着地すると、腕に巻いたホルダーから符を一枚取り出しながら告げる。

『ふむ。まあ、この程度ならば儂が居らずとも、か。手古摺るでないぞ?』

そう言い残して葛花の気配が消えた。“彼”の家族に遺言を伝えに行ったのだろう。
葛花ならば幻術を使って『夢枕に立つ』を実演することができる。死者の遺言を伝えることにかけては、この上なく適任だろう。

「たりめぇだ」

既に居ない葛花に言葉を返すと同時に符に力を込める。
即座に発動した障壁が、その“何か”を受け止めた。

春海は障壁に追突し続けるモノに目を向ける。

其処に居たのは、青白いモヤの塊のような存在。見た目だけならそれだけだ。

だが、対峙している春海が感じているのはそれだけではなかった。

敵意。悪意。怨恨。
ありとあらゆる負の感情を煮詰めたものをダイレクトに感じていた。
その中で最も強く感じるのは、動物のそれよりも下等で醜悪な、しかしより純粋な───殺気。

「おい、念のため訊いとくぞ。心残りを告げられるくらいの理性は残ってるか?」

───オオオオオオオォォォォォォォォォォン

モヤは障壁に何度も追突しながらもその範囲を広げ、徐々に障壁の周りを迂回しながら春海に迫る。

「ッチ!」

それを見た春海は、舌打ち混じりに障壁を解除。
そしてバックステップで後退しながら、二枚の符を投擲する。

「急急如律令」

呪を唱えながら、刀印に結んだ右手を振り下ろす。
すると二枚の符から迸る青光が線を結び面を成し、モヤの進攻を阻む壁となった。

国土結界
春海が修行時に多用している、魔障の出入りを禁じる結界である。
もっとも、今は緊急で張った簡易版であるため、効力はいつもの半分ほどであるが。しかしそれでも、この程度のモノを防ぐ力はある。

「───疾ッ」

モヤの動きが一瞬止まっている間に、春海は残りの二枚を投擲。
先に放たれていた二枚と合わせて計四枚の符はキンッと軽い音を立てると、モヤを囲むように四方に壁を構築する。

───オオオオオオオォォォォォォォォォォン

モヤはなんとか春海に迫ろうと動きを強めるが、結界が揺らぐことはない。
しかし、それでもモヤは動きを激しくする一方で決して止まる気配を見せない。

まるでそれしか意識にないように。
まるでそれしか出来ないように。

「無駄だよ。それはアンタのような悪霊の類には相性最悪だぞ」

なんせ歴史ある寺の守護にも使われている霊験あらたかな呪符らしいからな、パクリだが、と続けながら春海は考える。

悪霊。

それがこのモヤの正体だ。
常世に未練や後悔、恨みを抱えたまま死んだ者が霊となり、そしてそれが他者への害意・殺意にまで昇華した存在。
その存在はこの世の理を曲げて、生きた人間に害を及ぼす。

そしてそれを退治することを生業とする存在が、曰く、“退魔師”“祓い師”───“陰陽師”。


───オオオオオオオォォォォォォォォォォン

(もう声も届かない、ってか?………………くそったれが)

春海は結界の中で蠢くモヤを油断なく油断なく見つめたまま、静かに息を吐いて呼吸を整える。

確実に勝てる相手だとはいえ、これ程までの殺気に多少は当てられてしまっていた。
春海自身も悪霊相手の実戦は両手で数えるほどなのだ。それも已む無しだろう。

呼吸を整え終えると、春海は悪霊に対してひとつの言葉を告げる。

「久賀野 久光」

春海から告げられた名にモヤが一瞬だけ揺らぐも、すぐに何もなかったかのように再び暴れ始めた。
その様子を見つめながら、春海は言葉を紡ぎ続ける。

「アンタには同情するよ。───ある日突然、飲酒運転の車に撥ねられて生きたまま放置された挙句、そのまま死んじまったんだからな。……そりゃあ、何かを恨みたくもなるよなぁ」

それはほんの数日前に起きた一件の交通事故。
平穏なここ海鳴市においても、当たり前のことながら事故の一つや二つは起こっている。これはその一つ。

数日前の深夜、残業帰りのサラリーマンが帰宅途中に飲酒運転の車に撥ねられるという事件が起きた。
そして運転手は人を撥ねてしまった恐怖から逃亡。

───まだ息のある被害者を残して。

翌日の朝に発見された被害者の周囲には這いずった跡が残されていたことから、撥ねられてもしばらくは意識があったと判断された。
その後、犯人である運転手は逮捕されたものの、被害者は死亡。

春海が目の前の霊の名を知っているのも何のことは無い、ただ最近に流れた交通事故のニュースを調べ直しただけだ。

「アンタの気持ちが解かるとは言わない。……『前』に一度死んだとは言っても、自分の死様を覚えている訳じゃないしな。まあ、想像くらいは出来んでもないけど……」

5年前に葛花と出会った日に感じた、圧倒的なまでの感情の激流。
直接的な死でもないのに、あれだけのものを感じたのだ。

たぶん、到底“死の感覚”なんてものは、人が扱いきれるものじゃない。

「それに」

春海の目が細く引き絞られる。
それでもその顔に表情は無く、春海は目の前で殺意の塊に対して意識して無表情で淡々と、言った。



「───僕はアンタが“トウヤを殺した”ことに文句つける気もない」



考えてみれば、おかしなことだらけなのだ。

ニュースを調べた限り、あの子供は『歩道橋から落ちた』としか報道されていない。今日の昼にもアリサも『男の子は歩道橋から落ちた』としか言っていなかった。
通り魔に襲われた訳でなければ、事故に巻き込まれた訳でもない。

ならば、何故?
何故その男の子は、一人で歩道橋から落ちた?

足を踏み外した?それこそあり得ない。
春海は自分の横───正確には其処に存在する“歩道橋の柵”に目を向けた。その柵の高さは彼の目線まである。
見たところ柵が壊れていた様子もない。とてもではないが、転んだ程度で子供が落ちることはないだろう。

子供が自分から跳び下りた?それもない。
事件当時、この橋を渡っていたのはその子供だけではなかった。周囲には数人の目撃者もいたそうだ。
子供が歩道橋に足を掛けて跳び下りようとしていれば、だれかが止めただろう。

其処まで考えたら、結論に至るのはむしろ容易だった。───すなわち、目の前の悪霊に結び付けることは。


「僕はトウヤのことは何も知らねぇしな。アンタに文句をつけられるとすれば、それは死んだあの子と、その家族や友達くらいだろうよ」

言いながら、春海は腕のホルダーから一枚の符を抜き取った。
それは真紅の紙に朱色の墨で『急急如律令』と書かれた、一枚の霊符。

「アンタだって、自分の意志で殺したんじゃないってことくらい解かってる。そんなアンタに感情をぶつけるのはお門違いだってこともな」

『悪霊』というのは言わば現象だ。『悪霊』という存在そのものが一種の災害のようなものなのだ。

もちろん中には生前の悪意を引き摺って悪霊になる者もいるが、反面、強烈なまでの死への恐怖から悪霊に転ずる者もいる。
ましてや、今回の被害者である『久賀野 久光』がただのサラリーマンであったことを考えれば、彼がどちらであったなど言うまでもない。

「───でもな」

言葉を翻しながら、春海は符を挟んだ人差し指と中指の二本の指で力強く五芒星≪セーマン≫を切る。
彼の指先が通った跡をなぞるようにして、五芒星が強く光る。

「『俺』は人間なんだよ。当たり前だけど、死ぬのは怖い。アンタが自分の家族や友人を襲ったらなんて考えると、足が震える。

───『俺』はアンタが怖くて仕方がないんだよ、『久賀野 久光』」

けれども、その言葉と違い彼の目に宿るのは恐怖ではなく、決意。
春海は自身が描く五芒星越しに、目の前に在る“人だったモノのなれの果て”を睨みつける。

「『俺』はアンタに助けてやるなんて言ってやれない。その力も無い。……だから、『俺』がアンタに言えるのは一つだけだ」

言葉と共に、春海は五芒星の中央から符を放つ。放たれた霊符が、結界の中でもがくモヤに疾駆する中途でその姿を変える。
万物を焼き尽くす灼熱の業火の激流。

───いわく、泰山府君炎羅符呪

地獄の炎と化した霊符は、あたかも火山の奔流のようにモヤを包み込んだ。

───オオオオオオオォォォォォォォォォォン

紅蓮が踊る。

モヤは炎の中で激しくその身を蠢かせた。
苦しむように。痛がるように。

───喜ぶように。

春海は轟々と燃える炎に背を向けると、一歩を踏み出した。背後の光景など、切り捨てるかのように。



「───死ね」



最期の一言を、言い置いて。


**********


「あーあ、せっかくアリサたちが祈ってくれたってぇのになぁー……胸糞わりぃ」

大通りでの一件の後。
僕は人払い用の呪符を回収すると、夜空に瞬く星々や月を見上げながら家まで続く道を一人で歩く。

その間に思い出すのは、昼間に黙祷を捧げていた自身の友達と、笑顔で成仏していったあの男の子。そして、さっき自分が殺した悪霊のこと。

───そう、殺した、だ。

『霊を倒す』ということは『そういうこと』だ。
その前に天へと還ったあの子の成仏とは根本的に異なる、霊にとっての二度目の『死』。

そこにファンタジー小説の中のような闘いへの高尚さは無く、在るのは人殺しという野蛮極まる行為だけ。

これから先にどんな未来が訪れても、其処に在るのは、和泉春海が『久賀野 久光』の魂を完膚なきまでに殺し尽くしたという、その事実だけ。

そのことに対して、僕は何も言うつもりはない。言う資格もない。
そもそも殺した本人が何を言うのだ。
今夜の僕の行為に言い訳など、絶対にしてはならない。


そして次に思い出すのは、学校からの帰り道に葛花が僕に訊いたこと。



───お主は何が為に闘う?



「……はん。そんなの自分のために決まってんだろうが」

解かってるさ、なんで葛花がことある毎にそんなことを訊いてくるのかくらい。

外面の違いは兎も角、霊を退治するということは本質的には人を殺すことと何の違いもない。違いなんてあってはならない。
そして『人のため』なんて言っても、それは理由を他人に押し付けると同時に責任まで他人に押し付けることと同じことだ。それも、人殺しの責任を、である。

それに仮に他人のためにやっているのだとして、それでその人達になんて言うつもりなのだ。
お前たちのために悪い霊を殺してやってるんだから感謝しろ、とでも?
それこそそんな情けない人間に成り下がる気は、僕にはない。

そんなことをしていたら、いずれそれは人間として破綻してしまう。
一切の理由を自分の“内”に求めない。そしてそれはイコールとして、自分に責任を認めないということ。
いずれは、そんな欠陥製品になり果ててしまう。

もちろん、本心から人助けのために霊を殺すことができる人も、きっと何処かにいるはずだ。
他人に責任を押し付けることなく、他人のために戦える。そんな心やさしい人が。

それでも、それは僕には不可能だ。

僕は究極的に言って、自分と無関係な人間が死のうが生きようが如何でもいい。
地球の裏側どころでなく、例え隣町で人が何かの事件で死のうと、自分とその周囲に影響がなければ、関係ないものとして考えてしまう。

ただ、僕自身がそのことに対して思うことはあるのかと言われると、特にない。

そんなことは、多かれ少なかれ皆が同じように感じているんじゃなかろうか。

人は聖人じゃないんだ。

たとえニュースで殺人の報道や紛争地帯の映像が流れたところで、感じるのは多大な憐みと僅かな不快感。

そんな人がほとんどだろう。


「…………………………」


それに。

あの子───トウヤに対しても、結局僕は一度として「君は悪霊に『殺された』んだよ」とは告げなかった。

理由は言うまでもなく、そのほうが“除霊するのが楽だった”から。


つまるところ、そういうことだ。


“赤の他人”のために戦うことは、僕にはできない。

葛花は、そんな僕の性質を、よく解かっているのだろう。

開き直るばかりで。

無私の愛なんて言葉とは無縁の。

決して『正義の味方』にはなれない。


───僕の『普通さ加減』が。


葛花の問いは戒めだ。

“人殺しの咎を他の人間に押し付けるなよ”

そう、言っているのだ。

それは葛花の厳しさであり、同時にひどく解かり難い優しさでもある。

僕が歪んでしまわないように。
囚われないように。

「…………」

とは言え、それと同時に、その前に葛花が言った『惰性で良いように使われることが気に喰わない』というのも、掛け値なしに彼女の本音だろう。

そもそも常日頃から色々と僕の世話を焼いてくれていること自体が破格なのだ。葛花からすれば、わざわざ僕のエゴに付き合う理由は無いのだから。

恐らく葛花は、僕のサポートまではしてくれる。その程度なら彼女にとっては労力ではなく、あくまで暇潰しにしかならないから。
僕と彼女がこの5年間で積み上げてきた信頼関係も自負しているつもりだ。

しかし、僕が自分から抱えた問題を彼女に丸ごと依存するようなことがあれば、そのとき、彼女はあっさりと僕を見捨てるだろう。

其処に、一切の未練は無く。
在るのは、唯の無関心に成り果てる。

確かに便宜上、僕と彼女の関係は“僕が主、彼女が従”の主従関係であるものの、何もそれは僕の方が格上という訳ではない。

そんなものは術理が決めた定義に過ぎず。
そんなものは人間が決めた定義に過ぎない。

実質的には僕と彼女の関係は対等であり、片方が片方に隷従することも、依存することも、決して無い。

これは予感よりも確かな、ひとつの確信なのだが。
そのことを僕が忘れてしまった時が、和泉春海と葛花の別れの時───いや。


僕と彼女の“死別”の時となる。


そしてそれもまた、葛花が気安く自分に頼るな、と言ってくれる理由のひとつだろう。
そのことを、僕はこの上なく嬉しく思う。

だってそうだろう?

彼女が僕との別れを惜しんでくれているのだから。



───其処には、確かな『絆』が在るのだから。



「……………………」

ただ、僕はそのことに対して礼を言ったりするつもりはない。向こうが隠しているのだ。わざわざ言う必要もない。

小さな親切には気づかない振り、である。


そうして。
暗闇の中、パトロール中のお巡りさんをやり過ごしながらつらつらと今日あったことや明日何が起こるかなー、なんて考えていると、不意に背後から音もなく何かの気配が現れる。

『帰ったぞ。あの童の家族三人にも、確かに童の遺言を伝えた』

振り返ると、自分の腕を僕の首に回しながらフンフンと鼻息荒く「しゅーくりーむ、忘れるでないぞ」なんて続ける、白い髪ときつね耳とふさふさのしっぽ付きの童女が一人。

その向こう側で真っ白なモフモフしっぽがプラプラと揺れている。


「……………………」


まあ。

さっきの僕の99%無駄な思考とは一切関係ないんだけど。ここは年上(主に精神年齢的な意味で)の礼儀として。

「サンキュー」

礼くらい、言っておかないとな。


**********


「ここ、なんだけど……あ、あれ?また何も感じない。……久遠。あなたはどう?」
「……くぅん」(フルフル)
「えぇぇ……警察のひとの話では絶対にいるって思ってたのに……」
「くーん……」
「うん、おかしいね。……でも、きちんと成仏できたのなら、それが良いことだよ、ね……」
「くぅん……」(ぺろぺろ)
「あはは、ありがと、久遠。……うん。だいじょうぶ、元気出たから」
「くぅん」
「じゃあ、お祈りをして、もう少し見て回ったら今日は帰ろっか。耕介さんに何かお夜食つくってもらう?」
「くぅん♪」






(あとがき)
はい、ということで第七話「言わぬが花」の2、投稿しました。

戦闘描写というか、除霊描写というか、とりあえずこんな感じになりました。まあ主人公的に余裕といえば余裕ですが、当SSの主人公は下準備をきっちりする派ですのでこんなもんです。もっと濃ゆい戦闘描写は原作突入してからですかね?……作者にその力量が有れば、ですが……。

今回の話で主人公と葛花の関係が少し説明されました。この一人と一匹の関係性を少しでも読者の皆さまがご理解できれば幸いです。もっとも、二人の関係性を「これで全てです」なんて言うつもりはありません。そのための一人称描写ですから。春海が気づいていないことや、葛花独特の価値観などもこれから先で描写出来ればな、とは思っています。

あと、春海がナチュラルに霊に触っているのですが、とらハ世界の霊能力者って霊に触れられましたっけ?某霊剣の姉弟や、うちの葛花は本人の霊力が強いからということで説明できるのですが……(まあ、もし霊能力者でも霊に触れないってことなら、春海の能力や独自の術ってことでこじつけるつもりですけど(笑))。

最後に出てきたのは原作プレイした人には分かると思いますが、あの人たちです。魔窟さざなみの人たちもそのうち登場させるつもりですので、お楽しみに。

次の話は高町家での日常ですかね。あの中国っ娘が主な相手になる予定です。

ではでは。





[29543] 第八話 いざという時に迅速な対応をとることが大切だ
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/27 01:46
「ありがとうございました!」
「「「ありがとうございました!」」」

5月も終わりに近づいた、とある休日の高町家。
その敷地内の一角にある道場から4人の声が響き渡った。言うまでもなく、士郎さん・恭也さん・美由希さん、そして僕である(葛花は僕の家でお昼寝中)。
今日もまたこうして練習にお邪魔し、今は練習後の最後の一礼を済ませたところだ。

これから道場の掃除をして、その後に解散となる。

「あー、疲れた」
「お疲れさま、春海くん。まだ始めてからあんまり経ってないし、やっぱりまだまだ慣れないかな?」
「美由希さん。ま、そうですね。一口に剣術って言っても、やっぱ使う体の場所が今までとは全然違うので。筋肉痛自体は無くなってきたんですけど、素振り一つでこれですよ」

言いながら自分の掌を見せる。
そこにはこの数回の出稽古や、家で自主的にやっている素振りのおかげで血豆だらけ。それどころかその血豆すら破けて血が吹き出ており、事前に巻いておいたテーピングを血で汚していた。

うーん。

自分で言うのもなんだけどグロいね。

「うわー、───って!春海くん、なにこれッ!?」
「はい?」
「こんな状態で放っておいたら余計にひどくなっちゃうよっ!なんでもっと早く言わないの!」
「え、あ、……あー、すみません」

最近、というか葛花と鍛錬をするようになってからというもの、多少の出血は日常茶飯事だったので(それ故に親に隠し通すのは苦労したが)その辺りの感覚がすっかり麻痺していた。
この傷自体も水道で洗っておいて、帰ってから処理すればいいと思ってたし。

「美由希、どうしたんだ?」
「あ、恭ちゃん!これ見て、春海くんの手!」
「あ、あははは……」
「手?───これは」

美由希さんに言われて僕の手を覗き込む恭也さん。

「ね、ひどいでしょ?」
「懐かしいな。俺や美由希も昔はよくこうなったものだ」
「って、そうじゃないよね!?い、いや、確かにわたしもよくこうなったけど、それは……」
「「それは?」」
「……う、うぅ」

左右から同時に訊き返す兄と弟弟子(御神流は教わっていないが、一応そういう扱いになっている)にたじろぐ美由希さん。どうやら自分がまったく人のこと言えないのに気付いたらしい。

と、そこで今まで見ていた士郎さんが笑って近づいてきた。

「ハハハ、恭也も春海くんも、美由希をイジメるのはその辺にしておけよー」
「士郎さん」
「とりあえず、春海くんは道場の掃除はその手じゃムリだろうから、家の方に行って治療をして貰って来るといい。今の時間ならレンが居るはずだから」
「あ、はい。すみません」
「恭也と美由希は残って掃除だ」
「……了解」
「はい!」

まあ、そう言うことになった。
すみません、ご迷惑お掛けしちゃって。


**********


春海くんが道場から出て行ったあと、物置の中から箒と雑巾を取り出しながらわたしは隣の恭ちゃんに話しかける。
話題は出て行った春海くんの、その手。

「恭ちゃん、さっきの春海くんの手って……」
「ああ、うちの道場でやっている分だけでは、とてもじゃないけどあれ程の傷は出来ないな。明らかに自主練を重ねている証拠だ」
「やっぱり」

さっきの会話の中で恭ちゃんは自分もわたしもよくこうなったと言ったものの、本来ならばあんな傷痕は出来るはずがないのだ。

わたし達が小さな頃からやってきたものとは違い、春海くんに教えているのは御神流ではなく普通の剣術。しかもその練習メニューも極々一般的なもの。

自分で言うのもなんだが御神流の鍛錬密度は異常だ。
その御神流であるわたし達と同じだけの血豆やそれが破れた傷ができること、それ自体がおかしなことなのだ。

つまり春海くんは素振りや型の訓練だけで、小さな頃のわたし達と同じだけの密度の訓練を自主的にこなしていることになる。
そのことを恭ちゃんに確かめてみると案の定だ。自分の兄もしっかりと気が付いていた。

「俺も当然そうするが、お前も気をつけてやれよ。今は結果が外に現れているだけマシだが、あの分だとそのうち体の内側にも疲労が溜まる」
「うん、それはもちろんだよ。……恭ちゃんみたいな例もあるし」
「う……まあ、そのことは今では兄も反省しているわけで……」
「もう。当たり前だよ」

この兄、今でこそこうして元気に剣術をしているが、数年前に父さんが入院してしまった頃、自分の膝を壊す一歩手前までいったことがあるのだ。

当時は翠屋もまだ営業が軌道に乗ったばかりで店員も少なく、その経営は身内である兄も自分も毎日手伝わなくてはいけないほどだった。
晶やレンもその頃はまだうちに下宿しておらず(さすがに看病と店の経営で忙しそうにしていた母さんに晶を泊めては言いだせず、晶の方も晶自身が遠慮してしまったこともあり、ちょくちょく泊まることはあっても、あの子が本格的に家の一員になったのはレンと同時期の2年前だ)、父さんの看病もあって高町家は誰もが余裕のない毎日を送っていたため、わたし達も御神流の鍛錬をする暇はまるで無かった。

しかし、目の前の兄は違ったようで。

当時の兄は子供心に父親が不在の間は自分が家族を守るのだと考え、皆が寝静まった後や起床する前に隠れて無茶苦茶な鍛錬を重ねていたのだ。それも、翠屋の手伝いや父さんの看病も一切休むことなく。
当然ながら体はボロボロ。特に膝への負担は酷かったみたいで、医者の話では本当にあと少しで歩けなくなるところだったらしい。

翠屋の手伝いや父の看病に加え、皆に隠れてそんなことをしていたのだ。
まだ体も出来上がっていなかった当時の恭ちゃんでは、当然の結果だったのだろう。

ただ、幸いにも最悪の結末だけは回避された。
そうなる前に父である高町士郎が意識不明から回復して目を覚まし、御神流を修めた凄腕の剣術家である父さんは恭ちゃんの現状をひと目見ただけで看破してしまったのだ。

父さんに言われ、息子を問い詰めて話を聞いた母さんは当然ながら涙を流して大激怒(後にも先にも母さんが子供を叩いたのはこの一度だけだ)。

きれいな顔を真っ赤にして。
さらさらのほっぺを涙で濡らして。

当時の母さんは勝手なことをした恭ちゃんに対してだけでなく、幾ら忙しかったとはいえ夫に言われるまで気付きもしなかった自分を相当に不甲斐なく思ったみたい。

それ以降、医師によって父が退院するまでは本格的な鍛錬の、その一切が禁止された。
恭ちゃんも恭ちゃんで母さんの涙はかなり堪えたようで、以後は医者の指示にしっかりと従って療養していた。


と、まあ。

こんな経緯もあってか、恭ちゃんとしては当時のことは軽いトラウマみたい。
あのときの母さんの剣幕を思うと、それも無理ないだろう。同情する気は全く起きないけど。

「……もう、あんな真似は絶対にしないでね」
「……すまん」

短く返す兄の声に、安心する。

きっと、もうあんなことはしない。そんな恭ちゃんの気持ちが、その一言から伝わってきたから。





「…………おーい。兄妹で仲睦まじいのは良いんだが、今は道場の掃除を頑張ろうなー。父さん寂しくて泣いちゃうぞー」
「は、はいっ!?」
「……了解」

一人で道場の床の雑巾がけをしていた父さんの声に2人して返事を返して、急いで掃除を始める。

と、とりあえず、今は掃除がんばろっ!


**********


士郎さんに言われた通り、道場から出て庭を通って玄関をくぐって高町家にお邪魔する。
初めての高町家訪問から何度かなのはの部屋に遊びに来たりしてお邪魔しているため、この辺は勝手知ったる何とやら。

玄関を潜ってレンを求めてリビングへ。

其処に居なければ少し大声を出して呼びかけよう。そう考えながら廊下を歩いて高町家リビングに繋がる扉に手を掛け、開───


「さすらいカメだぜ、ヘヘイへーイ!♪走るぜ回るぜ、ヘイヘイへーイ!♪」


───こうとした手がピタリと止まる。

「……………………………………………………………………………」
「かーめかめ、かーめかめ、ロッケンロ───ル!!♪」

自分の沈黙が、レンのものであろう歌声を一層引き立てる。

「…………」

僕は中に居るレンに気付かれないように、そっと扉を少しだけ開いて中の様子を覗き見る。
傍から見れば明らかに不審者として警察を呼ばれるレベルの怪しさだが、この際気にしてはいられない。

緊急事態なのだ。

「イカしたカメだぜ、ヘヘイへーイ!♪走るぜ回るぜ、ヘイヘイへーイ!♪」

何やら歌詞も2番に突入して興も乗ったらしく、より一層ノリノリで声を張り上げている鳳蓮飛ちゃん小学6年生。
今日も中華系の普段着を着てポヤポヤした笑顔で高町家の家事をがんばっている。……歌いながら。

(……やべー、レン熱唱だよ。僕が来たことにも気付かないくらいの熱唱ぶりだよ)

扉の隙間から見える彼女は現在高町家一同の洗濯物を畳みながら有らん限りに熱唱していた。

ムダに良い声なのがまた腹立つな。

(うわー…………どーしよー)

いやいや、落ち着け俺。ここは冷静に、クールに切り抜けろ。大丈夫だ、俺ならできる。俺はできる子。

無事に落ち着くことに成功した僕は、この場を切り抜けるためのプランを頭の中に並べ立てる。


プランA このまま気にせず中に入る

ダウト。

アレ本人は絶対ヒトには聞かれてないと思ってるよ、熱唱だもの。腕とかメッチャ振ってるもの。このまま僕が中に入ったら気まず過ぎて治療どころじゃねえ。下手すれば今後の人間関係に致命的な亀裂が生じかねない。


プランB 歌が終わるまでこの場で待機

これもダメだ。

そんなことをしていたら道場に戻るのが遅れてしまう。幾ら士郎さんから掃除は免除されたとは言え、唯でさえ僕に何の見返りもなく剣の指導をしてくれているのだ。ここは出来るだけ早く道場に戻って少しでも掃除を手伝うべきだ。


プランC 一旦この場は退却し、治療せずに先に道場の掃除を手伝う

ボツ。

そもそも士郎さんから先に治療してくるように言われたから此処に居てこんな状況になっているのだ。それをせずに道場に戻るのは本末転倒。てか戻ってどういう言い訳をすればいいんだ、この状況を。正直に言おうものなら僕がレンに殺されるわ。


プランD 一度玄関まで戻り、わざとレンにまで聞こえるように声を張り上げながら、あたかもついさっき来た風を装ってリビングに入る。

(これだっ!!!)

完璧!

このプランDならばレンも僕が近づいていることに気付いて熱唱を止め、更に治療を始めるまでの待ち時間も極限まで短くすることが可能となる。
もちろんこの場に僕とレンの2人以外誰も居ない以上、僕が誰かに話さない限り他の者にこの事がばれる心配も皆無!!

「かーめかめ、かーめかめ、ロッケンロ───ル!!♪」

目の前で歌い続けるレンに、僕は不敵な笑みを浮かべる。

(フフン、お前はそうやって気分良く熱唱しているが良いわ。そうやっていられるのも今の内だ。お前はもうじきそのなんかちょっとムダに上手いロック的な何かを中断される運命に───)

「今夜は、あーの娘も誘うぜ、頭はビンビン!♪」

(はいアウトォォッ!なんつー歌うたってんの、あの子!?)

もうただの下ネタだよねっ!?

(ヤバい、止めねばっ!てかもう歌うな!自分の歳考えろ小学6年生!……いかん、とっととプランDに───!!)

「おーらい!!♪」

と、踵を返して静かに、それでいて迅速に扉から離れようとしていた僕の耳にフィニッシュと言わんばかりに叫ぶレンの声が届く。

見ると、洗濯物を畳むために下を向いたままだった顔を腕ごと振り上げていた。
手に持った白いタオルがまるで旗のようだ。

(ん?……終わったのか?)

どうやら思ったよりも時間が経っていたらしい。僕がプランを実行に移す前に歌の方が先に終わってしまったようだ。

(まあいい。それならプランBに移行して、さり気なくあの歌はもう歌わないように───ん?)

───なんか、静かじゃね?

(いやいやいや。歌い終わった以上こうして静かになるのも当たり前だろ。何を今更……)

───なんか、レンって腕を振り上げたままこっちを凝視してね?

(いやいやいやいや!アレはアレだって!一見こっちを見ているようだけど、実は歌の余韻に浸って微動だにしないだけだって!)

「な、なな、なあ…………い、いつからー、そこに……?」

───なんか、話しかけてきてね?

(いやいやいやいやいや!!気のせいだって!!僕は気にせずこのままプランBを───)

「な、なあ、……あ、は、は、春海……?……あ、あは、あはははっ。な、なんや、あんたも人が悪いなぁ、もー。あ、アレやろ……その、……そっ、そう!さっき!さっき来たばっかりなんやろっ?……な、なあ……そう、です……よね?」

とうとう敬語になっちゃったよ、この子!?

…………認める。認めましょう。そうです。確かにレンは僕に気がついています。

───だが、まだ手はある。

ここで僕がまるでたった今来たように振る舞えば何の問題も無し。大丈夫だ。僕なら難なくクリアできる簡単な問題だ。フフフ、どうやら僕の108技のひとつ『名演技』を魅せる時が来てしまったらしい。

僕は意を決してドアノブに手を掛けると、リビングに繋がる扉を開いた。

中に入ると、部屋の真ん中で持っていたタオルを手の中でクシャクシャしながら顔を真っ赤にしているレンがペタンと女の子座りでへたりこんでいた。
やべぇ、ちょっと涙目なんだけど。可愛いんだけど。

「萌えるんですけど!」
「な、なんや!?」
「ごめん、間違えた」

熱き心の衝動≪パトス≫を言葉に乗せられる男。
和泉春海をどうぞよろしく。

「あ、あ~、レン、居た居た。探してたんだって」
「え?……あ、や。な、なんや。ど、どないしたん?」

僕の反応の薄さが予想外だったのだろう、少し詰まりつつもレンはアセアセと言葉を返す。

「いやな、素振りのやり過ぎで手の皮がズルズルになって。士郎さん言われて“ついさっき”来たところなんだってー。ハハハー」
「そ、そか!ほんならすぐに救急箱とって来るから!……ちょう待っとってな!」

ドモりながらもなんとか言いきった彼女は僕の横を抜け、てててと脱兎(脱亀?)の勢いでリビングに駆けて行った。
それを目で見送りながら、僕はさっきまでと違って一気に静かになったリビングの中で、静かに一言呟いた。

「…………まいったなぁ」

この後どうするか。それが問題だ。





「うわぁ、これひどいなー」

数分後。

救急箱を持ってリビングに戻って来たレンは僕の手の惨状を見ると、痛そうに顔を顰めながらそう言った。
救急箱を取りに行っている間に落ち着いたのか、まだ僅かに顔に赤みが残っているものの本人は普段通りの雰囲気で傷の具合を調べている。

わざわざ蒸し返しても自分が対応に困るだけなので僕もそのあたりは全面スルーを敢行。

今はソファに一緒に腰掛けて僕の手の治療をして貰っているところだ。

「あかんやん、春海。こんなになるまで放っといたらー。手の皮ボロボロで血だらけになっとるし」

傷の具合を調べ終わると、レンが救急箱から取り出したもので僕の右手を消毒しながらそう言ってきたので、それに僕も言葉を返す。
手に走るジンジンした痛みは意地でも顔には出さない僕は男の子。我慢我慢。

「稽古始まる前はちゃんとテーピングしてたんだけど、血が滲んでたから此処に来るまでに剥がしたんだよ」
「言い訳すな。つよーなりたいのは分かるけど、体はそれより大事にせんとあかん。お医者さまにお世話になり始めてからじゃ遅いねんからな?」
「あー……ま、そうだな。僕も医者の世話になるのは面倒だし」

『前』の高校時代にちょっとしたことで一時期入院することがあったのだけど、あのときはたったの2週間が暇で暇で仕方なかった。
持って行った漫画や小説の類も読みきってしまうともうやることがなくなり、残りの10日ほどは持参した某ポケットサイズのボールに収まるモンスター的なゲーム(緑)で延々と縛りゲーをしていた記憶がある(ちなみにその時の縛りは『最初から最後まで戦闘用の手持ちはヒトカゲ一匹』だった)。

「またタケシに挑むまでにレベル30まで上げるのは嫌だしな……」
「んー?……それは、よーわからんけど」

少し首を傾げたレンだったが、僕の言葉の何に共感したのか、すぐにうんうん頷きながら包帯を巻き始める。

「もし入院なんてことになったら、ええ事なんてひとつもないんやから。ずっと部屋の中で一人でおるのって意外としんどいしー」
「……なーんか、やけに実感こもってんのな。なに?そんな経験でもあるの?」
「え?あ……いや、そんなんとちゃうちゃう。テレビでそう言いよっただけやって、あはははっ。そんでな春海、そうなりたないんやったら、自分の体は大事にせなあかんよ?」
「?……あ、ああ、だな」
「そんな傷だらけでおったら、なのちゃんも心配して泣いてまうやん。なのちゃん泣かせたら悟空が悲しみのスーパーサイヤ人になった時のクリリンさんみたいするからなー?」
「爆死!?」

(……?)

……今、わざと話題を逸らした?なんで?

…………………まあ、別にいっか。
言いたくないなら、それはそれでも。僕もいつまでも叱ってほしい程Mじゃないし、とっとと別の話題を振ろう。

えーと、話題話題……

「だったら、なのはがそんな寂しがるのなら一緒に歌でも歌ってやるのもいいかもな、あははは…………………………は………………は?」
「…………………………………………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………………………………………」

話題ミスったァッ!?テキトーに考えてテキトーに話題振ったら話題ミスったァアッ!!?しょうがないじゃん!一番最近に起こった印象深い思い出なんだからしょうがないじゃん!!一番衝撃的な出来事だったんだからしょうがないじゃんっ!!!

「…………………………………………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………………………………………」

(重てェッ!空気が重てェッ!!)

やべー、やべーよオイ。せっかくほんわかしてきた筈の空気に鉛投入しちゃったよ。レンも僕も忘れかけてた記憶発掘しちゃったよ。記憶と一緒に気まずさという名のガスまで吹き出ちゃってるよコレ。

「……………………………………………………………………………………………………春海」
「ハイッ!?」
「…………………………………………………………………………………………聴いとった?」
「ハイッ!!……あ」
「…………………………………………………………………………………そっか。そうなんや」

…………怖いです。俯いたままで目元が全く見えないレンちゃん怖いです。僕ここで死ぬんじゃない?こんなところで死ぬんなら前世の教訓を生かして遺書でも残しておくんだった。てかDead End早いな僕の第二の人生。ああ、父さん、母さん、そしてまだ幼い我が妹2匹よ。和泉春海はその短すぎる生涯にもう幕を下ろしそうです。先立つ不幸を許してください。犯人は高町さん家のレンちゃんです。なのは、そして高町家のみなさん、あなた達の家は殺人事件の現場になりそうです。コナソばりのダイイングメッセージを残すつもりなのでコナソ君を呼んで解読してください。アリサ、結局一度も僕にツンデレしてくれませんでしたね。化けて出るつもりなのでその時にお願いします。すずか、僕が居なくなった場合アリサとなのはのケンカのストッパーになれるのは貴女だけです。がんばって下さい。そして葛花。僕はお前のことが、この人生の中で一番───?

そんな感じで脳内辞書を作成(2秒)していると、いつまで経ってもレンからリアクションがないことに気がつく。
改めてレンに目を向けると、そこには顔を俯けて目元が見えないままプルプルと震えているレンちゃんの姿が。

「…………………レ、レン……さん?」

僕は名前を呼びかけながら恐る恐る彼女の顔を覗き込んでいく。気分は爆発間近の爆弾処理班だ。失敗すれば死ぬ的な意味で。

だんだんと見えてくるレンの表情。そしてもうすぐその顔全体が確認できるようになる、その時───!

「あああああああーもー!はずかしいぃいいー!!」
「のわっ!?」

唐突に顔を上げたレンに思わず仰け反る僕。レンは驚く僕など気にしている余裕もない様子で、そのまま床にダイブしてゴロゴロ転がり始めた。

僕の視界の中でフローリングの床を右に左にローリング(駄洒落じゃないよ?)。

「あんな姿見られて、うちはもー生きていけへんー!!」
「お、落ち着けレン!確かに歌詞も絵面もアレだったが、僕はなかなかに良い歌声だったと思うぞ!うん!」
「いぃぃいい───やぁぁああ───!?」

フォローの仕方ミスったぁぁっ!?

僕の意図しない悲しき追い打ちにいよいよ湧き上がる羞恥心に耐えきれなくなったのか、レンはその場でローリングを止めて床にへたり込むと、うなぁぁと頭を抱えて悶えている。すげぇ、なんか目がマンガみたいにグルグルしてるんだけど。それどうやってんの?

「うぅぅ───あぁぁ───………………………………………………………」

それから少しして、もはや僕が哀れみさえ感じ始めた頃に、レンの悲痛な叫びは尻すぼみに消えていった。

もはや自分でも完全に冷静になったとわかる声色で、僕は静かに問い掛ける。

「……落ち着いた?」
「……うん」
「……左手も、お願いできる?」
「……うん」

左手も包帯巻いて貰いました。





「あー、恥ずかしかったー」
「アレは見てるこっちもいろいろと強烈だったけどなぁ」
「うっがー!そんなこと、ゆーたらあかんー!」
「アテテテテテッ!?わかった!わかったって!」

左手に巻いている包帯をキツく締められたので敢えなく無条件降伏。無念である。
僕は包帯を巻き終わった自分の左手を抱き寄せさすりながらレンに目を向けると、彼女はジトーッとした目でこちらを見ていた。

「……なに?」
「アレ、誰にも言ったりせーへんやろな?」
「……アレって?」
「うなッ!?そ、それはやな……」

僕の言葉にうっと言い淀むレン。

…………チャーンス!

それを見た僕はここぞとばかりに言葉を畳みかける。

「ん~?どーしたのかな~、レンちゃんは?アレって一体何なのかな~?」(すっごくイイ笑顔で相手の顔を下から覗き込むように)
「う、うぅ……」
「黙ってたら分かんねえぜー?ほれほれ言っちゃえよー」(控え目に言って殴りたくなる程のウザさで)
「………………」

自分で言うのもなんだが、妹たちが僕にこんな事したらぶん殴ってるね。うん。だが僕は違う。僕がそんな引き際を間違えるような無様な真似をする筈がない。妹たちとは違うのだよ、妹たちとは!

「ほらほらー、どーしたのー?」
「……………………」
「んー?」

「……えい」(春海の右手を掴んでグイッと引っ張る)

「ん?」(レンの唐突な行動にされるがまま)

「とりゃー」(そのまま腕挫十字固に移行)

「……え゛」(自分の状況に気がつくも時既に遅し)

「……」
「……ア、アレ~?な、なにかな、これ?……ちょ、ちょっと……レンさん?ねえっ?」
「…………何か遺言あるんなら、聞いてやってもえーで?」

やっべ、おもっくそ引き際まちがえた。

「ちょ、まッ!?ウェイトッ!待って、お願い!!ごめん!正直すまんかった!解かった!黙ってるから!誰にも言わないから!だから……ッ」
「……言いたいことは、それで全部やな?」
「スト~ップ!! 待った!待って!!待ってくだしぁ!!!」
「なんや?」
「そ、それは……」

おちつけ和泉春海。ここでの発言は気をつけろ。これは重要な選択肢だ。間違えた時点で即BADどころかDEADへの直行便に叩き込まれて三途リバーで(いろんなモノが)ぶらり一人旅だ。そんな死神がバスガイドに付いてるような旅路に出たくないのならココは慎重に行け。極力刺激しないように。あたかも産卵中のウミガメに相対するが如く、慈愛の精神を持って臨め!

顔が劇画タッチなりそうな緊張感を抑えながら、僕の右腕を両足で挟み込んだままのレンに首だけ向ける。

「…………………」
「…………………」

グリン。

再び顔の位置を元に戻す。

(やばい、レンの目が対等な人間を見る目じゃない……)

屠殺場の豚を見る目だよ、あれ。

(いや待て。落ち着くんだ和泉春海。いくらこれから殺される豚を見るような切ない視線をぶつけてこようとも同じ人類じゃないか。同じ人類である以上きっと言葉で解かり合えるはずだ……!)

僕は湧き上がる恐怖を必死に押し殺しながら、決死のネゴシエーションを開始した。

「あ、」
「つまらんこと言ったら腕1本な」

どうやら彼女は同じ人類じゃないらしい。

(いやいやいや、ココはポジティブ思考で行け和泉春海!『つまらんこと言ったら』ということはレンが思わずハッとなってしまうような一言を言えば良いんだ!!)

「……じ、実は、僕がレンさんにあんな口を訊いたのには、理由があるんです」
「理由?」
「は、はい」
「ほー。ほんならその理由とやら、言ってみー」

ここだッ!

「君があんまりにも可愛かったから、ついイジワルをしてしまったのさ」(キラッ☆)

ぐい。

「アァァ――――――――――!?!?」

どうやら僕にニコぽの才能は無いらしい。がっでむ。

「ノォォオオオオッ!?ギブギブギブギブッ!ごめんなさい!マジ調子こいてすいませんッしたッ!!」
「まだまだまだまだーっ」
「ノォォオオオオオオオオオオオオオッ!!?」

高町家に僕の悲鳴が響き渡った。


**********


「あ、今度は春海くんの声だ」
「……さっきのレンの奇声と言い、一体あの二人は家で何をやってるんだ?」
「ハッハッハッ、レンも春海くんと仲良くやっているみたいだな。いや良いことだ。じゃあ掃除も終わったことだし、父さんはひとっ風呂あびて翠屋に行ってくるぞ」
「うん。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい。……じゃあ、美由希。風呂、父さんが出たら先に入っていいぞ」
「ありがと、恭ちゃん。上がったら声かけるね」
「ああ。よろしく頼む」
「ん、りょーかいしました」


**********


5分後。

そこにはゼェハァ息切れしながらリビングの床に寝転がっている春海とレンの姿が。

アホである。

「はぁ、はぁ、……あんた、暴れ、すぎ、や……」
「ぜぇ、ぜぇ、……なんで、あんだけ、暴れて、技が、解けねぇん、だよ……」

寝ころんだままで他にもゴニョゴニョ言い合いながら、ぷるぷる震えながらお互いに体力回復を待つ。

バカである。

そうして数分後、ようやく息も整ってきた。まだ寝っ転がったままの春海はそのままに、レンはむくりと体を起こすとキョロキョロと周りを見渡し、

「ぬわ───っ!?」

年頃の女の子にあるまじき奇声が出た。

「あん?どした……ありゃ」

レンの奇声に春海が上体を起こしながらあげた疑問の声も中途半端に途切れる。

それもそうだろう。二人が暴れた結果として、春海が来るまでレンがたたんでいた洗濯物がものの見事にバラバラになっていたのだから。

ていうか近くであれだけ暴れていたら当然の帰結である。

「あー、なんて言うか……すまん。僕が全部たたんでおくから」

春海もこれにはさすがに申し訳なく思って素直に謝罪した。まあ、もともと暴れて騒いだのは自分だし。
一方、レンのほうも調子に乗ってふざけていた自覚はあったため、苦笑して手をヒラヒラさせながら

「ええって、別に。こんなんパパーッとたたんですぐ終わりなんやから、気にせんでえーよ」
「いや、それは流石になぁ……。うし、なら僕も手伝うから二人でやろうぜ。てか手伝わせて」
「んー」

レンは立てた人差し指を口元にやりながら、少し考える。

まあ、本来お客様にさせることではないけど、春海はここ1か月ほどの間でそれなりに仲良くなっている。
ぶっちゃけもう友達感覚だ。

洗濯物の中に下着類なんかが混じっていることもないので、そのあたりも安心(実は春海もバラバラの洗濯物を見た時点で、さり気なくそのことを確認してから申し出ていた)。

「……………………」

特に断る理由もないんじゃね?←結論

「ま、えっか。ほんなら、よろしゅーな」
「あいさー」

互いに手を挙げて意思疎通。家人からのお許しも出たので、二人してリビングの床に座って洗濯物をいそいそとたたむ作業に勤しむ。

「にしても」
「ん?」

たたんでいる間も、春海はレンに話しかける。

基本的に春海は子供を相手にしているときは沈黙を好まないため、『前』も含めて話題の振り役になることは多々ある。108技に『話術』が含まれているのは伊達ではないのだ。

「レンって関節技も使えたんだな。てっきり棍と中国拳法だけかと思ってたけど」

思い出すのは先程まで散々痛い目にあわされた関節技。

お遊びの域だったため春海も全力で暴れていた訳ではないとは言え、そこそこの力は込めたはずなのにレンは巧みな技運びで春海を完封してしまった。最後にはどっちも息切れ状態だったが。

この1カ月に何度か手合わせをして(毎回、何故か5分だけだった)棍と中国拳法を扱うのは知っていたが、今回の関節技は全くの初見である。

「うん、そやよー。うちのじーさまがこの拳法の達人でな。棍と拳法もじーさまから教えてもらってん」
「関節技は?」
「あれはじーさまが趣味で教えてくれた他流の技や」
「しゅ、趣味ッスか……」

趣味であのレベルッスか。

手にしたタオルをたたみながら聞いた話に、思わず顔がヒクヒク引きつる。才能って不公平だ。

「はー、達人級の“じーさま”ねー。……それでそのマスターアジアさんは」
「だれがドモン・カッシュや」

ごもっとも。

てかよくわかったね、このネタ。むかしテレビで見とってん。
てな感じで本筋に入る。

「んで、どした?」
「いや、その“じーさま”って今はどうしてんのかなって」
「アメリカ」
「アメリカ!?」

予想もしていなかった国名に目を剥いて驚く春海。そんな春海にレンは晶のフードつきのパーカーを思いのほか丁寧にたたみながら、どこか得意気に話を続ける。

「そーや。うちのままんが中華料理のコックさんやねん。ぱぱんと一緒にアメリカで中華料理の店やっとって。じーさまもそれに着いてっとるんよー」
「なるほど。……あ、じゃあレンがココに下宿してるのって」
「うちは英語とか話せへんし、日本のほうが住みよいしなー。うちのままんが桃子ちゃんの親友やから、それで2年前からお世話になってん」
「はぁぁ~……人に縁あり、だなぁ」

相槌を打ちながら、春海は内心で胸を撫で下ろしていた。

実のところ、春海はレンや晶が高町家に下宿しているのを見て、なにか深刻な家庭内事情があるのではないかと少し勘ぐっていたのだ。

もちろん今回のレンのように、ただの両親の仕事の都合の可能性もあることは解かっていた。

だが『前』において、周りの子供の殆どが自分たちの両親と何らかの形で別れざるを得なかった境遇にあったことを考えると、思考がそちらの方向に傾いてしまうことも仕方がないだろう。

だから、春海はこの1カ月の間、2人に家庭事情を尋ねることをしなかったのだ。
地雷を踏むことを避けたかったこともあるし、春海自身がそんな詮索するような真似を嫌っていたこともある。

ぶっちゃけ、事この方面に関して春海は臆病なくらいにヘタレだった。

「あ、それならひょっとしてレンが普段着にしてる中華服って」
「じーさまから貰った物や。うちが小学3年のときにプレゼントしてもろたんよ」
「というか小学3年生の頃の服がまだ入るのか……」
「やかましいわ!?うちはまだまだこれから“ないすばでー”に成長するっちゅーねん!」
「現実って意外と残酷だよ?」
「どういう意味や!」

と、数もだんだん減りつつある洗濯物をたたみながら2人が言い合っていると、玄関の方から複数の足音が鳴り響いて、やがてリビングのドアが開かれた。

「だだいまー。買いもの行ってきたぞー。……お、春海、来てたのか」
「ただいま、レンちゃん!春くんも来てたんだ。いらっしゃい!」

入ってきたのは買い物袋を右手に提げた晶となのはだった。
晶はいつもの如くジャージとフードの付いた青いパーカー。なのはは柔らかな色合いのブラウスとワンピース、それとその小さな手にはつばが広い白色の帽子があった。

「お邪魔してるぞー。あとおかえり、2人とも」
「おかえりー、なのちゃん。…………あと、ついでに晶」
「オイ、今なんか『ついで』とか言わなかったか、カメ助」
「あれー?ついに幻聴が聞こえるようになったか、おさる?あんたのその唯一の取り柄であるところの猿のような耳の良さを失くしてしもーたら、あんたの良いトコ、なーーーんも失くなるで?ただでさえあんたはブッサイクなんやからなぁ?」

ドアを潜って早々に春海に駆け寄るなのはをしり目に、レンと晶はいつものようにケンカの前哨戦である口撃を交わし合う。

「幻聴なわけあるか!……そっちこそ自分の言ったことも覚えてないなんて、とうとう頭の中までカメみたいにボケ~っとしてきたんじゃねーのかっ?」
「誰が頭の中までカメやねん!このおさる!」
「お前以外に誰がいるんだよ!このドンガメ!」
「やるんか!」
「やんのか!」

ヒートアップした二人は遂には立ちあがり、

「寸掌!」
「吼破!」

掌と拳を交わし始めた。打ち鳴らされる一発一発が結構な威力であり、二人の高い実力がムダに発揮されている、ムダに。

で、その光景を傍で見ている春海はと言うと、

「まーた始まったよ」

呆れた様子で目の前の子供年長コンビを眺めていた。

まあ、この1カ月で二人セットで会うたびに似たような光景を見せられれば、この反応も当然である。むしろ下手に割り込んだりしたら二人のバトルに巻き込まれるだけ。
なので高町家においては、あーまたやってるなー、なんて言いながら微笑ましいものを見る目で見守るのがデフォルトだ。そしてそれは最近の春海のデフォでもある。

ていうか。

「もー!レンちゃんも晶ちゃんもケンカしちゃダメー!!」

わざわざ周りが止めなくても高町家ヒエラルキーの上位に位置する末っ子さん(少なくともレンと晶より上)が止めてしまうので、心配するだけ無駄なのだ。

「だって、このバカが……」
「せやかて、このアホが……」
「だってじゃありません!あんまりケンカばっかりしてると2人ともおやつ抜きになっちゃうよ!」
「あうぅ、それは勘弁……」
「堪忍してやぁ、なのちゃん……」

両腕を腰に当ててぷんぷん怒ってるんですあぴーるをするなのはに、晶もレンもこりゃヤバいとへこへこ頭を下げて、

「平和よのー」

そんな3人を見ていた春海が、後ろで残りの洗濯物をたたみながらしみじみと呟いた。


**********


そうして僕が残りの洗濯物を全てたたみ終わった頃。

晶とレンが謝りたおした結果、なのはの機嫌はようやく直り、今は晶となのはが買い物先で買ってきた豆大福で4人揃っておやつタイムに突入。
こうも時間が経っていると、さすがに道場のほうも掃除は終わっているだろうから僕も素直にいただきますよっと。

「……って、美味いな、これ」

4人で手を洗ったあとにソファに座って一口食べると、その予想外の味に思わず声が出た。それに晶が気を良くしたように答える。

「へへへ、だろー?商店街の『まめや』って和菓子やなんだけどな、ココの豆大福がまた絶品なんだって」
「晶ちゃん、まめやの豆大福、大好きだもんねー」
「あんたにしてはナイスなチョイスやな」
「テメーはいっつも一言余計なんだよ」

僕と晶の間で両手で持った豆大福をその小さな口に運びながら、ニコニコとご機嫌な様子のなのはである。
レンのほうも憎まれ口を叩きつつも豆大福の味には満足しているようだ。

さすがに2人ともなのはと僕を挟んだ状態でケンカを再開する気はないのか、ソファの両側で大福片手にお互いの言葉を聞き流している。

と、全員が一つ目を食べ終わったころに、隣のなのはが、

「ねぇ、春くん!」
「ん?」
「春くんってまだうちにいられる?」
「まあ、今日の分はもう終わったからな。門限までなら大丈夫だけど。……どった?」
「じゃあじゃあ、みんなでゲームしようよ!」

キラキラ笑顔のなのはが指差す先にあるのはテレビゲーム。傍にあるカゴの中には幾つかのカセットも置いてあった。

「お、いいね。やろうぜやろうぜ」
「うち、テレビにゲーム繋ぎよるなー」

晶とレンも二つ返事でなのはに同意すると、早速ゲームの準備を始める。

「ゲームねぇ。ま、いいよ。……でも」

こちらを見るなのはに、僕はニヤリと笑って。

「僕は強いぞー」





「あぁああっ!?オレのドンキーがフォックスに吹っ飛ばされた!?」
「あっかーん!?うちのクッパがなのちゃんのビームの餌食に!?」

高町家のリビングにある割と大きめのテレビ。
その画面の中でたった今、某ゴリラと某大型カメが画面の外へと消えていった。

フィールドに立つのは、某キツネガンナーと某砲撃ハンター。

「春くん、なかなかやるの。───でも」
「なのはこそ何気にやり込んでるな。───だが」

2人の距離が、今、再びゼロとなる!

「勝つのはなのはなの!」
「勝つのは僕だ!」





で、勝った。

「勝利の豆大福、美味也」
「うー、くやしいー!」
「ふははは。年季が違うのだよ、年季が」
「むー」

となりの なのはが むーむー なきだした!

「むー?」
「むー!」
「むぁー!」
「むぉー!」
「……なのはの頭がおかしくなってしまった」
「ひ、ひどい!?春くんがさいしょにやってきたんでしょー!」
「残念!先に鳴きだしたのはなのはだ!」
「むー!むー!!」

隣でむーむーうっせぇので口に豆大福を突っ込んでやる。すると、不満顔からやがて笑顔になってもくもく食べだした。

「はー、にしても春海、お前マジで強かったな。なのちゃんの零距離砲撃をリフレクトした時とか手の動き見えなかったんだけど……」
「ほんまやなー。うちらはともかく、なのちゃんってこの家では負けなしのスゴ腕ゲーマーやのに」

晶とレンが豆大福をかじりながら言ってくる。

(まー冗談でなく年季が違うしなぁ)

そもそも『前』において僕は園での余興で行われたゲーム大会で1位になったこともある上に、それを合わせたら10年以上やり込んでいるのだ。

これで負けたらバカである。

そして、それなのに7歳のなのはと接戦を演じてしまった僕は、どうやらバカの一歩手前らしい。

むー。

もっとやり込まねば。さしあたっては、帰ったら妹たちを練習台にしてやろう。

でもその前に。

「春くん!りべんじなの!」
「ハッハァーッ!いいだろう! かかってきなさいッ!!」

こっちのでっかいほうの妹分をけちょんけちょんにしてやろう。






(あとがき)

第八話、投稿完了。てか日常回とはいえ、ここまで内容がないのも物語としてどうかと思う今日この頃。この話で発覚したのって恭也が膝を怪我してないこととレンの家族関係くらいですよね。

ていうか調子にのって原作「とらハ」を盛り込んだのは良いけど、どこまで詳しく書けばいいのやら。リリカルと違い、もう10年以上前ですから。下手しなくても「とらハ」のことを全く知らない読者様も居るんですよね。難しいところです。

あと恭也たちの過去の話の中で、さり気に晶が高町家に住むようになったのが原作と違いレンとほぼ同時期であることが判明。このあたりも士郎さんが生き残ったことによるバタフライ効果です。

それとレンの関西弁が微妙。原作をした人なら分かると思いますが、あの子のって似非関西弁なんですよね。どうしたのもか。

次か、その次か。その辺りで、とらハ板に移動しようと思います。では。



[29543] 第九話 友達の家族と初めて会うときはとりあえず菓子折りで 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/09/29 16:07
「アリサちゃん。なのはちゃん。春海くん」

6月の中頃。
きっかけは唐突に呼びかけた月村すずかの、そんな言葉から。

「どうしたのよ、すずか?」
「なになに、すずかちゃん?」
「あん?」

アリサ・バニングス、高町なのは、和泉春海は三者三様に返しながら、しかし皆一様に呼びかけた彼女に目を向ける。

一斉に自分に向いた視線を受け止めながら、すずかは言葉を続け、

「こんどのお休みの日に、おうちに遊びに来ない?」

で。

満場一致でそうなった。


**********


と言う訳で、その休み当日。

僕は葛花と一緒に月村宅に向かいながら、話し合っていた。話す内容は勿論のこと、これから訪れる月村家についてだ。

「ふーむ。……いつか遊びに行くとは言っていたものの、いざこうして機会が訪れるとイマイチ対応が選びづらいな」
「選ぶも何も。今回は飽くまで相手方を見極めるのが目的じゃろ」

敵情視察と言ったかの、と続ける葛花。

敵じゃなくて友達だ、と返してから、

「それはそうなんだけどな。……でもすずかの身体能力を見るに、人外としての血もかなりだろうし。……やっぱりそれなりに警戒しておくべきかなぁ」
「なんじゃ、敵ではないと言った割にはやけにごねるではないか」
「あー、やっぱそう見える?」
「少なくとも、これから友を訪問する者の姿には程遠いの」

そう言いながら、その紅い目に疑問の色を浮かべて、じとっとした視線でこちらを見つめる一匹の大白狐。
僕はその背に揺られながら、返す言葉もなく苦笑いする。


そうそう。

今の僕はあのメートル級の狐の姿に戻った葛花の背に乗っており、葛花に月村家への道程を走ってもらっているところである。

月村家訪問が決まった日にはこいつも一緒に着いて来ることは事前に決まっていたものの、すずかに聞いた月村家の場所までは家からは距離がある。さてどうやって行こうかと考えていたら、葛花が自分の背に乗る許可をくれたのだ。
なんでも久々に自分の身体で走ってみたくなったらしい。

僕自身その申し出を断る理由も特になかったため、現在こうしてライドオン葛花。気分はもののけ姫である。こいつ白いし。

森に入るまでに少し街中も通ったが、それはそれ。建造物の屋根を走りつつ葛花が幻術で誤魔化してくれたおかげで騒ぎになってはいない。
ここまでスピードが速いと幻術が掛け難い上にかなり雑になるけど、そこは逆に速度でカバー。『怪しまれる前に通り過ぎろ』作戦である。

「うーん、やっぱり少し緊張してるのかも」
「緊張?」
「うん」
「またぞろ如何した。……むむ、さては婚姻の申し出でもするつもりか!」

テンションあがるのう、なんて葛花。意外とそういう話が好きなのだろうか?

「いやいや何でだよ。いきなり過ぎて向こうもビックリ通り越してドン引きするわ。……てか、するとしてもあと10年後だろ、せめて」
「いやいやお前様よ。青い果実の良さというのも知っておいて損はないと思うがのう」
「それを知った瞬間、僕は大事なものを失うと思う」

具体的には倫理感とか道徳心とか。

ちなみに葛花の口振りから、じゃあお前は青い果実を知っているのかということには突っ込まない。
なんか怖いし。

でもそんな僕の至極当たり前の主張は、目の前の非道徳的キツネからすれば的外れらしい。

「ふふん、お前様はどうやら大事なことを忘れているようじゃのう」
「覚えているからこそ躊躇っていることを忘れるんじゃない」

そうでなくとも僕にロリの気はない。なのは達に感じているのは全て親心的なアレである。

「失うからこそ得るものが在る。お主はその倫理やら道徳といったなんか邪魔くさそうなものを捨て去ることで、当然得るものも在る」
「邪魔くさい言うな……」

そう言えばコイツこの間ハガレンのアニメ見てたなー、なんて考える。

等価交換の原則。

「まあ良いや。遍く女性に対して空のごとき寛大な心をもつ和泉春海くんは特別にお前に聞いてやろうじゃないか。準備はいいか?いくぞ?いっちゃうぞ?───それで、一体何を手に入れるんだい?」
「躊躇わない勇気」
「いや躊躇おうぜ」

人はそれを蛮勇と呼ぶ。

「もしくは禁忌を犯す背徳感」
「禁忌って自分で言ってんじゃん」
「良いではないか。蛮勇結構。それで手に入るモノがあるのじゃぞ」
「それで僕が手に入れるのは反社会的な何かだ」

ていうか。

「そもそも小学1年生相手に告白するという選択肢はありません」
「えー、ないのー?」

ねーよ。

「てか何の話をしてんだよ、僕たちは。脱線するにも程があるわ」
「お主が幼女に告るという」
「してねえ」
「お主が幼女に欲情するという」
「悪化したぞ」

幼女どころか大人の女の裸にも反応しないのよ、小学1年生のこの身体では。

……………………。…………。……。

「……死にたくなってきた」
「それこそ何でじゃ」
「いや男として少し……って、それはもういいんだよ。話を戻すぞ」
「戻すな。儂はもっと恋バナがしたい」
「小学1年生には何気にハードル高いな、その要求……」

あとお前がさっきまでしてたのは断じて恋バナではない。

ただの猥談だ。

「はいはい、今度こそ話を戻すぞ。えーと、何を話していたんだったか……」
「お前様があの読書娘の家を訪ねるのを躊躇っているという話じゃ」
「ああ、そうだったな。にしてもお前って、すずかに限らず、会う人会う人みんなの呼び方、結構ころころ変わるよな」
「ぶっちゃけ人間の見分けなんぞお主以外では大してついとらん」
「マジで!?5年越しの新事実だぞ!?」

そんな大事なことをこんな雑談でぶっちゃけるな。

「あれ?それじゃあ、なにか?お前って母さんや父さんの見分けもついてないわけ?」
「そのあたりでギリギリじゃのう。目の前に居るのなら兎も角、頭の中で思い浮かべようとしてもぼんやりじゃよ。どっちかというと目ではなく鼻で覚えておる」
「はあん。それじゃあ妹どもは」
「知らん」
「知らんて」
「儂はお前様の妹御なんぞ聞いたこともないぞー。あれ?居たっけ?」
「お前の中であいつらは存在をなかったことにしてまで忘れたいのか……?」

まあ、普段のあいつらの行動を考えれば解からなくもないが。可愛がっているのはわかるんだけどなぁ……

自重しようぜ?

「いかん。また脱線してしまった」
「今度はお主のせいじゃろ」
「お前がこんなトコでぶっちゃけるからだ。いいから話題を戻すぞ。
………で、だ。何で僕がすずかの家に行くのにこんな緊張しているのかと言うと」
「言うと?」
「……もしすずかの家の人がみんな『力』持ちだった場合、僕がそれに勘づいていることを悟られないようにしないといけないからな。
いや、改めて考えるとそんなに緊張するようなことでもないかもなんだけど……」

なんか本題から脱線しすぎて本題のハードルが上がってるような気がするが、とにかく僕が気にしているのはそのことである。

自分たちの傍らを凄いスピードで通り過ぎていく木々を視界の端に収めながら、僕は言葉を続ける。

「そもそもすずかたちの異能の“質”さえ解かってないんだ。もし思考を読むタイプだったら、その時点で即アウトだからな」
「流石にそれは勘ぐりすぎではないかの?あの娘はお主の思考を読んだことがあるようにも見えんかったぞ」
「わかってる。ただ、すずかの家族がどんな人かわからない以上、万が一まで考えておいて損は無いと思うんだよ」

……ダメだな。

自分でも友達の家族を疑っているっていう最低な思考をしている自覚はあるんだけど、その罪悪感を差し引いても警戒のほうが先に立っている。
それもこれも、僕自身があいつらに力を隠している上に、“異能”を扱う者を自分以外に殆ど知らないことが原因だろう。

もちろん“力”を持つ人間全てがその人間性において問題を抱えている訳ではないのは重々承知している。
でももう一方で、その“力”がどれほど危険で、且つどれほど便利なのかは、僕自身がよく分かっている。


たとえば、僕───『和泉春海』自身。


僕であれば呪符の一枚もあれば人間1人を殺すなんてことは容易いし、葛花の協力さえあれば更に多くの犯罪を犯すことも可能だ。
僕がそんな犯罪行為を犯していないのは、一重に良識から来る自制が利いているいるだけに過ぎず。

僕は自分が、その気になれば思いつく範囲のことは大概実行に移すことができる危険人物なのだということを、決して忘れてはならない。

たぶん、普通の人とは違う力を持つということは、『そういうこと』だ。
自分が普通の人とは違う“異端”であることを明確に認識したうえで、しかしこの世に生きる“一人の個人”であることを忘れてはならない。

『その“力”をどう使うか』ではなく、『その“力”とどう付き合っていくのか』。

大切なのは、その一念だろう。

「…………ま、結局のところは、だ。僕が警戒しているのは、すずかの家の人の“力”それ自体じゃなくて、その“力”を扱う人たちの人間性ってことになるんだろうなぁ……」

と。

そんな感じで上手い具合に自身の考えを言葉にできたことに僅かに安堵を、そして次に自分が話していた内容を思い直して憂鬱な気分に顔をしかめていると、走っている葛花が短い沈黙の後、自分の背に乗る僕に言葉を返す。

「…………さっきから思っておったんじゃが」
「ん、どした?」
「その思考は、生物としては当たり前じゃろ」
「…………は?」

葛花の考えもしなかった肯定の一言に、僕の口から思わず間の抜けた声が出る。
そんな僕を気にすることなく、彼女は前を向いて駆けながら言葉を続けた。

「お主が言わんとしておることは儂も理解できる。
───お主が自身の友やその親類を警戒していることに対して要らぬ罪悪感を感じているということも含めて、じゃ」
「…………顔にでも出てたか?」

軽口を装って出てきた僕のそんな言葉は、しかし葛花からすれば酷く的外れだったのだろう。彼女はつまらなげに鼻を鳴らす。

「ふん。見ずともその程度、雰囲気から容易に分かるわ」

全く辛気臭い、と辛辣に吐き捨てる葛花に、僕の顔は意識せず苦笑いを浮かべる。

「また直球だね、お前は。……それで。良ければ僕のどの辺りが悪かったのか、教えてくれないか?」

お父さん直すから、誰がお父さんじゃ。なんて、今度こそ本当の軽口をたたきながら。

「お主と儂とでは前提からして違っておるのじゃよ」
「前提?」

オウム返しに葛花の言葉をくりかえす僕に、彼女は前を見て走りながら鷹揚に頷く。

「そも、お主は人間という種族をどのように捉えておる?ああ、別に答えんでもいい。
どうせ群れの中で生活を営み、害敵に対しては群れであたる、とかじゃろ。そういうのを何と言うのじゃったか、……おお、そうじゃ、そうじゃ。───『社会』とか言ったかの?」
「……まあ、言い方に多少の難はあるけど、概ねその通りだな」
「じゃとしたら、こっちこそが“本命”と言うべき問いなのじゃが……
───お前様たちが声高に言う『社会』とは、一体どこからどこまでのことなのかの?」
「???……質問の意味がよく分からないけど、そりゃあ…………あれ?」

うん?あれ?……おかしいな?

───僕たち人間が言う『社会』って、一体どこまでだ?

町中?
日本?
世界中?

勿論、政治経済を考えるのならばその範囲は世界にまで広がるのだろうが、葛花が言いたいのはそんなことではないだろう。

彼女が言いたいのは、それこそもっと根源的で……そう、もっと原初的な───。

「“ソコ”じゃよ。儂が訊きたいのは」
「“ソコ”?……人間が言っている『集団』の、定義、ってとこか」
「然り。無論、群れることが間違いじゃとは言わん。それは弱者が強者に勝るために編み出した“生きる手段”の一。其の根底に在る『生きる気概』を、儂は否定したりはせん」
「んー?……悪い。余計に解からなくなった。それなら別に問題ないんじゃないのか?」

これまでも再三言っているように、基本的に葛花は獣なのだ。

生き様に野生を。理性よりも本能を。
己が思想は弱肉強食。

そんな彼女が、人間の『生きる手段』である『社会』を否定するとは、思えないのだが……?

「ならば先の儂の問いに、お主は何故答えに窮した」
「!……それは」
「答えが無かったからじゃろうが。良いか?先程の儂の問いを解かり易く言い換えてやろう。


───お前の『群れ』の仲間とは、何処の誰だ、じゃ」


「……………………」

葛花のそんな問いに僕は答えを返すことが出来なかった。いや、より正確に言うのならば、“しなかった”。

それはもしかしたら次の彼女の言葉が、なんとなく解かっていたから、なのかもしれない。

「お主は友を警戒することに罪悪感を感じておったようじゃが、そしてそれは『社会』に属する今の大半の人間としては当然の良識───“道徳心”なのかもしれんが。
───そんな邪魔くさいもの、儂からすれば生き物としての大前提である『生きること』の障害にしかならん」
「……邪魔くさい」
「おお、邪魔じゃな。
そもそも『警戒』というのは自然界に生きる者としては当たり前の行動。それが例え友誼を交わした者の家族であろうが、な。
それに罪悪感を感じるなんぞ、───殺し殺されを認識できていない時点で生物としては致命的もいいところじゃろうよ。」
「……………………」

確かに、葛花の言う通り、現代の日本人はそういう『生きる』という観点から見た場合、酷く無警戒で無防備なのかもしれない
そりゃあ昨今テレビなんかで謳われる防犯対策や、都会なんかで話題になるような隣人とのディスコミュニケーションなんかも警戒意識の表れではあるのだろうが、そこで“生き死に”を本気で考えている人間が一体何人いると言うのだろうか。


───弱肉強食。


野生の掟

自然界の摂理。

僕は今まで葛花のことを散々獣だ弱肉強食だと言ってきたが、……もしかしたらそれは、僕たち人間が自然界の競争社会から脱落しただけなのかもしれない。

……いや。でも。

「いや、でもよ、葛花。ちょっと待ってくれよ」
「うん?」
「確かにお前の言いたいことは分かるし、一人間として耳に痛い話でもあったけどさ。
そりゃあ、確かにお前からすれば平和ボケしているのかもしれないけど、そんなお前の言う殺し殺されなんて殺伐とした世界が、今の日本の一般人からすれば縁遠いものであることも確かに事実なんだって。
普通に生活していれば事故や通り魔なんてことも確かにあり得るけど、それを加味しても今の日本みたいに平和な国は、多少無警戒になってしまっても仕方ないんじゃないか?」

うん、まあ。

自分で言ってて情けない発言であることは分かっているんだけどね。それでも葛花の主張は些か度が過ぎている気がしてならないんだよ。

彼女が言っているのは、あくまで弱肉強食が掟の自然の競争社会のこと。確かにその中で警戒を怠るような奴は死んだってしょうがないよ。
弱いモノは淘汰され、強いモノが生き残る。それが、その中での『社会』なんだから。

でも、僕が生きているのはあくまで『人間社会』なんだ。

人間が全生物の中で特別だなんて思想を掲げる気は毛頭ないが、殺し殺されが普通の日常生活の中で縁遠いことも、また事実なのだ。

───それに。

葛花の言うことを全肯定してしまっては、自分以外の誰とも仲良くなることが出来なくなってしまうではないか。

これから未来に出会う人全てにそんな警戒の眼差しを向けて。
自分から歩み寄ることを忘れて。

極端なようだが、僕にはそう感じられて仕方ないのだ。

だから、僕は葛花の言葉を否定した。もっとも、彼女の言いたいことも分かるし、そもそも種族からして違うのだから受け入れられないことも覚悟しての発言だったのだけど。

果たして結果は、

「ふん。まあ言わんとしておることは解かる」
「……………………」

……解かられてしまった。

おやおや。

予想外ですよ?

「そもそも最初に前提が違うと言ったじゃろうが。まあ、儂はお前様が罪悪感から警戒を緩めるようなことをしなければ、そもそも文句は無いからの」
「……あ。もしかして、心配してくれたのか?」

ひょっとして、友達の家族を警戒していることに自己嫌悪を感じていた僕を心配してくれたのだろうか?
これまでの話の流れは、つまり『そういうこと』なのだろうか?

そう思って確かめてみたのだが。

「そ、そんなわけなかろう!?ただ儂はお前様の辛気臭い顔が鬱陶しいから言っただけなんだからねっ!?」
「いや、どこで覚えた、そのツンデレ的反応」
「あのツンデレ娘の」
「オーケーよくわかった。皆まで言うな」

そもそもその馬鹿みたいにデカい狐の姿で言われても萌えねえよ。

「てか実はさっきのって、ツンデレ台詞に見せかけた本音だろ?」
「何故ばれたし」
「そこは否定しろよ」

あとせめて口調は統一してくれ。

「……はぁ」

なんだか僕は脱力して葛花の背の白毛に顔を埋める。うわー、ちょーもふもふするー。

「ちゅーか、お前様よ」
「んー?」

葛花の呼びかけに、僕は彼女の毛に顔を埋めたまま応える。もふもふ。すりすり。うーん、まんだむ。





「さっきの話、お前様がその“殺し殺され”な『社会』に属しておることは、解かっておるのか?」





何気ない口調で言われたその言葉に、僕は。

「解かっておるのかって、お前、そりゃあ───」





───解かってるよ。





それっきり、月村家に到着するまで、僕たちの間に会話は無かった。





月村家正門なう。

「てな感じでとーちゃーっく!!でけー!!」

さすがに門から家が見えないとは言わないが、今自分がいる正門も、ここから見える家(あれはもう屋敷か)も何もかもがでけぇ。

テンションあがるわぁ。

「さっきまでのシリアス台無しじゃのう」

なにそれ食えるの?

「いいんだよ。あんまり張り詰めててもしょうがないだろ。警戒しつつ観察しつつ出たとこ勝負くらいで丁度良いんだって」
「結局最後にはテキトーになっているあたりお前様じゃのう」
「『お前様』を罵倒みたいに言うな。僕が傷ついたらどうするんだ」
「帰宅したら幼女姿の裸足で足踏みマッサージをして癒してやろう」
「傷つきました」
「よしきた」

というわけで心躍る未来に胸を高鳴らせつつ、馬鹿みたいに立派な正門の傍らに設置されている呼び鈴をポチっとな。
ちなみに葛花は既に霊体白髪着物幼女の状態で僕の後ろにプカプカ浮いています。当たり前ですが人からは見えてません。隠行術だそうです。

呼び鈴を押してから数秒待つと、すぐにその近くのスピーカーから声が返ってくる。このスピーカーの向こう側でちゃんと実在した人間がいるのは分かるのだが、それを知っていても機械がひとりでに喋りだしたと勘違いしそうな、そんな機械よりも機械のような抑揚のない、しかし綺麗に澄んだ、女性の声。

『はい、月村家で御座います』
「あ、すみません。こちらの家のすずかさんの友達で、和泉春海と言います。今日はすずかさんにお招き頂いたのですが」
『はい。お話は伺っております。今、門を開けますのでどうぞ中へお入り下さい』
「わかりました。ありがとうございます」

そんな教科書通りの味気ないやり取りを終えて門を潜り、屋敷(もう家とは言うまい)へ続く道を歩く。門から見えると言ってもそれはそれ。流石は天下の月村工業社長の邸宅と言うべきか、たっぷり数分トコトコ歩いてやっとこさ玄関前に到着。すごいね、噴水とかあったぞ。

そして開いた屋敷の扉の傍らに立つのは、一人のメイドさんでした。

……………………。…………。……。

「実在したのかリアルメイドッ!?」
「はい?」
「失礼。噛みました。気にしないで下さい」

噛みましたっていうか、ただの失言だが。

「いえ、大丈夫です。改めまして、いらっしゃいませ、和泉様。
わたくし、月村家に仕えております、『ノエル・K・エーアリヒカイト』と申します」

自分で言うのも何だけど、さっきのをスルー出来るこのメイドさんぱねぇ。

「いえ、こちらこそよろしくお願いします、ノエルさん」
「既にバニングス様と高町様もいらしておりますので。……ご案内致します。どうぞこちらへ」

そう言ってロングスカートをふわりと翻して、先導するように歩きだしたノエルさん。それに付いて歩いていると、さっきまで後ろで物珍しさからキョロキョロしながら浮かんでいた葛花が僕の首に腕を回して抱きつきながら声を掛けてきた。

『で、お主。気付いたか?』
<そりゃあ勿論、しっかりとな。まったく、気付かない筈がないだろう。いちいちそんなことを確かめるなよ。何年一緒にいると思っているんだ。僕だって馬鹿じゃないんだから>
『ふふ、そうじゃったな。こんな簡単なことにも気付けぬお前様ではなかったな』
<はは、当たり前だろう?なんたって僕はお前のパートナーなんだぜ?>
『ふふふ、わかっておるぞ。それで───』
<ああ。あのメイドさん───ノエルさんは>

僕は一度そこで言葉を切って、目の前を先導してくれているノエルさんを見る。

身に纏うのは古式ゆかしい濃紺のエプロンドレス。しかも最近流行りのメイド喫茶なるモノで見かけるような膝丈のミニスカートではなく、身につける者の清純さを表すように足首まで隠れるロングスカートで、その格好と姿勢は仕事に全力をかける従順な従者をイメージさせる。しかしその一方でそれが仕事着であることを示すように掛けられた純白のエプロン、それにつけられた僅かなフリルは身につけた者が確かな乙女であることを控え目に主張していた。そして最後に、その頭にあるのはメイドの象徴とも呼べる、レースをふんだんにあしらったこれまた純白のカチューシャ。これは本来は作業中に髪の毛が邪魔にならないように押さえる目的で付けられるものであるのだが、これを見てメイド服にファッション性は重視されていないなどと考える不届き者は皆無であろう。ああ、彼女の後ろでこうしてその姿を語るしかない我が身が恨めしい。さっき出会ったときは展開があまりに急すぎて、彼女を正面から詳細に見つめる余裕がなかったのだ。なぜ自分はもっと余裕のある人生を送れないのか。ああ、我が身の未熟が悔やまれる。

そんな些細なことを考えながら(1秒)僕は葛花に自分が気づいた事を、力強く言ってやった。

<───『正統派メイドさん』だ!>
『この馬鹿がぁぁぁああーーーーー!!!』
「へぶっ!?」

殴られてしまった。グーで。思いっきり。

おかしいな、今の葛花は霊体で、あんまり強くは触れられないはずなのに。何らかのパワーが働いたのだろうか。こう、ギャグ補正的な。

「どうかなさいましたか、和泉様?唐突に倒れられましたが……」
「いえ、気にしないで下さい。別に突っ込み待ちとかではないので」
「かしこまりました」

相変わらずこのメイドさんのスルースキルが半端ない。

僕はノエルさんが差しのべてくれた手を取って立ち上がりながら、葛花に念話を通す。

<イテェなぁ。いきなりどうしたんだよ>
『やかましいわ。誰がお主のメイドへのこだわりを魅せろと言った』
<いいよね、メイドさん>
『同意を求めるな』
<ていうかそれ以外に何があるんだよ?>
『むしろそれ以外しかないわ』
<なんだよ。メイドさん全否定ですか?洋風は嫌いですか?和風メイドの方がいいですか?今夜着てもらっても良いですか?>
『さり気なく言ったつもりなのじゃろうが全然さり気なくないからな?』

残念。


『そうではない。その蕩け切った頭を冷まして、あのメイド娘をよ~く『視て』みろ』
<『視る』?それって……>

で。

視て。

ビビった。

<おおい!?何だコレ!?何ですかコレ!?>
『やっと気づいたか』

遅いぞ、なんて続ける葛花の言葉が、しかし僕の耳には上手く入ってこない。葛花に言われた通り、僕は“魂視”を意識して強めて、前を行くノエルさんを『視た』。

そして───、



<───なんで“何も視えねえ”んだよ!?>



───何も『視え』なかった。

あり得ない。そんな筈がない。

僕の独自の技能である『魂視』。その能力は読んで字の如く、相手の“魂”を“視”ること。

そして生物である以上、“魂”があるのは不可避の現象である。それは例えどんな生物であっても───いや、それこそ生物でなくとも、妖魔であれ幽霊であれ精霊であれ、世に在る遍く万物には“魂”が在って然るべきなのだ。

“ソレ”が、彼女───ノエル・K・エーアリヒカイトさんには、視えない

つまり。

彼女には“魂”が───無い。



…………………………そうか。何も違和感を覚えなかったはずだ。

僕はこれまで、相手に人外のケが混ざっているようなら、その“魂”を視ることで違和感に気付いてきた。

今回はそれが、無いのだ。



───違和感を訴えるべき“魂”が、無いのだ



<そう!僕がさっきまでメイド服にしか目が行かなかったのは、彼女に“魂”が無かったからなんだ!>
『いや違うじゃろ』

ばれちった☆





結局、『月村家メイドであるノエルさんには“魂”が無い』ということ以外は何も解からないまま、僕たちは目的地であろう部屋の扉の前まで来てしまった。

ノエルさんはノックして中から返事を貰ってから、静々と扉を開く。

「失礼します。和泉様がお見えになられました」
「うん、ありがとう。ノエル」

ノエルさんの報告に礼を言って扉の向こうからやってきたのは、今日こうして僕を招いてくれた月村すずかその人だった。清楚な白いワンピースを着たすずかはそのまま笑顔でこちらに駆けよる。

「いらっしゃい、春海くん!」
「おお。今日は誘ってくれてありがとな、すずか」

まずは客として礼を述べる。

「ううん、どういたしまして。こっちこそ今日は来てくれてありがとう!」

この返しが小学1年生で平然と出てくるあたり、やっぱり育ちの良さを感じるなぁ。

そんなことを頭の片隅で考えながら、背負っていたカバンの中からここに来る途中で買ってきたものを取り出してすずかに渡す。

「?」
「これ、途中で買ってきたお土産の豆大福とまんじゅう。口に合うかはわからないけど」
「わ、ありがとう!……あ、これって『まめや』のだ」
「そうだよ。この間食って美味かったから。……あー、んー……すずかって、和菓子は大丈夫だったか?」

この全力で『洋風!』って主張しまくっている屋敷を見ると少し不安になってきたので確かめてみたのだが、どうやらそれは杞憂だったようで。

すずかは満点の笑顔を見せながら、

「うん、大丈夫だよ。わたしも好きなんだけど、お姉ちゃんが『まめや』の豆大福、大好きなの」
「そか。そりゃよかった。……こちらのノエルさんに聞いたけど、もうアリサたちも来てるって?」
「うん、みんな来てるよ」
「じゃあ僕が最後だったんだな」
「そだね」

そう言って僕の他の皆のもとに連れて行こうとしたすずかは、

「あ、そうだ」

その前にノエルさんのほうに僕が渡した和菓子を差し出して、

「ノエル。みんなに出すお茶菓子の中に、これもお願いしていい?」
「かしこまりました、すずかお嬢様」

ノエルさんは慇懃に頭を下げてすずかの手から受け取ると、もう一度だけ一礼をして出ていった。多分、すずかの言う『お菓子』の準備に行ったのだろう。

「いや、それにしても驚いた」
「え?おどろいたって、何が?」
「本物のメイドを見たのなんて初めてだったからな。見たときは少しだけ───」

『少しだけ?』

「───うん!少しだけ!驚いたよ」

後ろで葛花が何か言ってるような気がするけど気のせいだろう。

「???……そうなんだ?……あ、じゃあ、行こっか。こっちだよー」

すずかは唐突に語気を強めた僕を見て不思議そうに首を傾げていたものの、すぐに持ち直して笑顔で僕の背中を押す。さっきのノエルさんと言い、月村家の人たちのスルースキルがマジぱねぇ。このスルースキルは僕も見習わねば。

入った部屋の中はこの屋敷の外観から予想された通りの豪華さ(シャンデリアとかあるし)ではあったものの、かと言って成金趣味な下品な感じではなく程良く調和のとれた落ち着きがある。窓から差し込む陽の光がそのイメージを加速しており実に良い感じだ。

その部屋の窓際の白いテーブルには、既に4人ほどの人たちが集まっていた。

…………ん?4人?

「って、なんで恭也さんがここに居るんですか」

そう。すずかに呼ばれたアリサ、なのはの他に其処に居たのは、なのはの兄で僕の兄弟子でもある高町恭也その人だった。
その隣にはすずかによく似た顔立ちの、恭也さんと同年代くらいのお姉さんが座っている。きっと彼女がすずかの“お姉ちゃん”なのだろう。

恭也さんは見た目むっつりと腕を組んだまま、落ち着き払った精悍な顔と不動の姿勢で僕の問いに答えた。…………いや自分で書いたことだけど、高校生らしい描写がひとっつも無ぇ。

「なのはを送って来たんだ。うちからここまではバスを使う必要があって、なのは一人では心配だったからな」
「えへへ」

恭也さんに頭を撫でられたなのはが照れくさそうする。

「あ、なる」

と言うより、よく考えてみれば当たり前のことだな。自分が一人で(正確にはきつね便で)来れたから忘れてたけど、高町家からすずかの屋敷までは車で裕に30分はかかる距離にあるのだ。小学1年生のなのは一人ではキツかろう。

「それで、俺はなのはを送り届けたらそのまま帰ろうと思っていたんだが……」
「そこでわたしが高町くんを引き止めた、ってわけ。聞いてみたら高町くん、わざわざまた家に帰るって言ってたから」

恭也さんの言葉を引き継ぐように僕に喋り掛けてきたのはすずかのお姉ちゃん(仮)だった。その声に引かれるように顔を向ける僕に、彼女は立ち上がるとにっこりと微笑んで、

「はじめまして、和泉くん。わたしはすずかの姉で、月村忍って言うの。忍でいいよ」

わざわざ僕の前でしゃがんで、すっと手を差し出してきたすずかのお姉ちゃん(真)。僕は彼女を“視て”、

<……やっぱこの人もすずかと同じ、だな>
『ま、順当なところじゃろうな。これで突然変異の線は可能性薄じゃのう』

後ろの葛花との声無き会話をそっと終え、僕はその手を握り返す。

「はい。はじめまして、忍さん。すずかさんから聞いていると思いますが、和泉春海です。こっちも春海でどうぞ。すずかさんにはいつもお世話になってます」

と、いつも通りの初対面の人用(年上バージョン)の笑顔と言葉遣いで返したら今まで黙っていたアリサたちに物凄い顔で見られた件。

「誰よ、あんた……なにその顔と言葉づかい……すずかさんって……」
「だよね!やっぱりおどろくよねっ!なのはも春くんがうちに来たときビックリしたもん!」
「わ、わたし、そんなにお世話なんてしてないよう!?」

アリサとなのはは後で覚えてろ。あと手をパタパタ振って慌てるすずかは可愛いなぁ。

「わたしのほうがいろいろいっぱいされてるくらいだもんっ!」

台無しだよ、すずか。

「月村さんとすずかちゃんには見えないように青筋を立てるとは、また器用な真似を……」

今日から108技が109技になりそうです、恭也さん。

「ぷ」

と。

そこで僕との握手を終えて手を離した忍さんが小さく噴き出して、

「あはははっ、き、聞いてた通り、おもしろい子だねー、きみ」
「はぁ……何と言われたのかが気になるところですけど……。まあ『人生面白おかしく楽しく大往生!』がモットーですから」

そんな僕の言葉がまたツボに入ったのか、忍さんはますます笑いだしてしまって、すずかが心配そうにその背中を擦ってあげてました。





(あとがき)

という訳で今回は月村家訪問となりました。いつもの3人娘や恭也に加え、ノエルや忍との交流の始まりを描けたらなと思っております。

2のほうも出来るだけ早く投稿するよう、頑張りますね。

次を投稿する時にはとらハ板に移るつもりですので、そのつもりでお願いします。

ではでは。



[29543] 第九話 友達の家族と初めて会うときはとりあえず菓子折りで 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/04/22 19:42
そうして忍さんの笑いがようやく治まり、僕もアリサとなのはに仕返しの全力デコピンをお見舞して(一瞬、恭也さんが懐に手を入れていて内心ビビった)から、みんなでテーブルの席に着いた。視界の端ではアリサとなのはが自分のおでこを押さえて、うあぁぁと呻いてる気がするけど僕には見えない。こちらをガン見してる恭也さんなんて決して見えない。

座り順は僕を基点とすると、そこから時計回りに恭也さん、なのは、すずか、忍さん、アリサの順番である(テーブルは円形)。

茶器やお菓子を盛った皿やらカゴやらを乗せたカートを押すノエルさんがやってきた。皿の上には僕の持ってきた和菓子も置いてある。

「みなさま、お茶の用意が整いましたので、どうぞお召し上がりください」
「ご苦労さま、ノエル」
『ありがとうございまーす』
「いえ」

そうしてノエルさんが全員分のお茶を注ぐのを待っていると、テーブルの真ん中に置かれたお菓子に目を向けた忍さんが、

「あ。これって『まめや』の豆大福じゃない。ノエル、どうしたのコレ?」
「和泉様にお持ちしていただいたものです」
「あ、わたしが出して、って言ったの。お姉ちゃん」

忍さんの疑問の声にノエルさんが答えてすずかが付け足した。彼女たちの言葉を受けて忍さんが目線をこちらに寄こす。

「そうなんだ。気を使ってもらっちゃってごめんね、春海くん。わざわざありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。喜んでもらって良かったですよ。この屋敷って洋風全開だから、和菓子で良かったのかって不安だったくらいですから」
「ううん、ナイスチョイスだよー。わたし、これ大好きなんだもん♪」

そう言って忍さんは早速ひとつ摘まんでパクリ。そこまで喜んでもらえると買ってきたこちらも喜ばしい限りである。

そうしてそれを皮切りに、なし崩し的にお菓子を摘まみつつの駄弁りタイムに突入。もともと今日こうして月村家に来たのは皆で何かすることが有ってのことではないので、時間的な余裕は門限までたっぷりある。

「で。恭也さん」
「ん?なんだ?」

ってことで僕はさっきから気になっていたことを隣の恭也さんに訊いてみる。

「忍さんと恭也さんって、知り合いだったんですか?忍さん、さっき恭也さんのこと『高町くん』って言ってましたけど」

まあ、こうして訊いてはみたものの、実を言うと大体の予想は既についている。恭也さんと忍さんは同い年くらいに見えるし、お互いに『名字+さん・くん付け』ということは恋人でもなさそうだし、たぶんこれは……

「鋭いな。ああ、月村さんは俺と同じクラスなんだ」

ほらね。

そこに、そんな僕と恭也さんの会話を聞いていたのか忍さんが笑顔で付け加える。

「とは言っても、お互いに話をしたのは今日が初めてなんだけどね」
「そうなんですか?」

相槌を入れるアリサ。どこか残念そうに聞こえるのは恋人だとかを期待していたのだろうか?

そのアリサに忍さんは頷いて、

「そうなの。だから今日こうして高町くんが来てビックリしたよー。話したこともないクラスメイトが突然うちに来たんだもん」
「……驚かせてしまって、申し訳ない」
「んーんー、別にいいよ。楽しいことには変わりないしね?」

そう言って薄く微笑む忍さんに恭也さんも安堵の笑みを浮かべる。

………………ううむ。

「リア充か…………」
「「は?」」
「あんたはまた訳のわからないこと言ってんじゃないわよ」

しみじみ呟いた僕の言葉に恭也さんと忍さんは首を傾げ、隣のアリサには頭を小突かれた。



「あ、あの……!」

そうして、みんなで駄弁っている(ちなみに恭也さんは常に聞き役。っぽいなぁ)となのはが何かに気づいたようで。
みんなの視線がなのはに集まる中、なのははノエルさんのほうを向いていた。

「ノエルさんも、一緒に食べませんか……?」

どうやら忍さんの後ろに控えて、さっきから皆の飲み物を注いで回っているノエルさんが気になったらしい。
まあ、さっきからずっと立ちっぱなしだしな。なのはが心配そうにノエルさんを見ているのも解かる話ではある。

そんななのはに、彼女はその無表情を崩さないまま答えた。

「わたくしはメイドで、主人である忍お嬢様やすずかお嬢様、それにお客様と席を並べるわけにはいきませんので」
「そうなんですか……」
「…………ですが、」

と。

心無ししょんぼりしてしまったなのはを見たノエルさんは、そんななのはを見たからなのかどうかは解からないが、どこか雰囲気を柔らかくして静かに言葉を翻し、

「高町様のお心遣いは、とても嬉しく思っています。……ありがとうございます」
「あ、…………はい!」

言いながら僅かに微笑んだノエルさんに、なのはが笑顔を浮かべて頷いていた。その光景を見ていた僕たちのほうも思わず頬が緩む。

すると、なのはが何か思いついたように顔を輝かせてノエルさんに向かって、

「あ、あの、『高町様』じゃあ、おにーちゃんと紛らわしいと思うので『なのは』って呼んでください!」

そう言った。

そして言われたノエルさんは戸惑うように少しだけオロオロしながら視線を彷徨わせていたが、やがて確認を取るように忍さんを見て───

(………………?)

そんな光景を見た僕は、僅かに違和感を覚える。

(……なんでノエルさんは、わざわざ忍さんに視線を向けたんだ?)

いや、理由なんかわかってる。当然、なのはのことを下の名前で呼んでいいかどうかを忍さんに確かめたのだろう。そのくらいはわかる。

ただ…………

(主従とは言え、そんなとこまで指示するものなのか……?)

こうして話をしていれば、さっきまでのその短い会話の中からでも容易に解かることではあるのだが、忍さんが自分の従者とは言え、そんなトコまで束縛する人間には到底見えないのだけれど……。

それに。

さっきのノエルさんは、なにか、こう……



───自分ではどうして良いか解からないから、忍さんを見たような。



(いやでも、仮にも二十歳を過ぎてるっぽくて職も持ってる大人の女性がそんなことで…………んー?なんだ、このチグハグな感じ?)

<葛花は何か解かるか?>
『あん?なにがじゃ?』

葛花も気づいた様子は無し。てか訊くまでもなく、基本的に獣の葛花に人の気微は解からない。いや、解かりはするのだが、そこに違和感を覚えないのか、こいつは。

『今なにか激しく馬鹿にされた気がするんじゃが』
<被害妄想だろ>

葛花からの根も葉もない悲しき言いがかりに僕が至って冷静に念話を返していると、どうやら忍さんからお許しが出たらしいノエルさんは、

「……では、『なのはお嬢様』……と」
「はい!」

なのはと一緒に、実に微笑ましいやり取りを交わしてました。

……………………。…………。……。

「では紛らわしいので僕のことも『春海様』と」
「あんたの名字のどこを誰とどう間違うのよ」

アリサのツッコミはとても冷たかった。



結局その後、アリサと僕のことも下の名前で呼んでもらうことになりました。





そうして話が盛り上がった僕たちは、忍さんが大量のゲームを持っているとのことなので、そのまま彼女の部屋にお邪魔して子供4人でゲーム大会。

「甲羅で攻撃なの」
「あっ!?なのはちゃん、ひどい!?」
「勝負の世界はひじょーなんだよ、すずかちゃん」
「ちょっと何すんのよ、ハル!?落ちちゃったじゃない!」
「フゥ―――ハハハハッ!!飛べないゴリラはただのゴリラだァ!!」
「意味わかんないわよ!」

そこでもやっぱり僕&なのは無双。と、思ったら、

「残念。ショートカットは基本よ、チビッ子たち」

伏兵登場。ゲーマー忍さんは普通に強かった。

「むむ、なのはは負けません!」
「あまりこの配管工を無礼るな」
「アハハハ、かかってきなさいな。チビッ子コンビ!」

そのまましばらく、なのは・僕・忍さんのゲーマー三国志時代に突入してしまった。



「……………………」

ちなみに恭也さんは、傍でずっと静かに微笑んで僕らを見てました。このひと絶対高校生じゃねえよ。おじいちゃんの顔してたもん。





「「…………僕(俺)、ちょっとお手洗いに……」」

そう言って立ち上がったのは僕と恭也さん。意図せず同時に催して立ちあがってしまった。

お互いに顔を見合わせた僕らは、

「……俺は後で構わないから、春海が先に」
「いえ、僕も別に切羽詰まってるわけじゃないので、恭也さんが先に……」
「……………………」
「……………………」

お互いに譲り合ってトイレを勧め会う僕ら。アリサ達の何やってんだコイツ等という視線が心にとても痛い。

そんなちょっとしたお見合い状態になる僕らを見た忍さんが口を開いた。

「それなら2人で行ってくれば?」
「「…………は?」」

が、その忍さんの口から出た言葉は、僕と恭也さんにとっては異世界の言語に等しいものだった。

なんだ?ひょっとしてこの人は連れションを提案したのか?個人宅で?それってどんなプレイ?
そんな僕たちの思考を読んだのか(たぶん恭也さんはこんな思考はしていない)、忍さんは苦笑しながら、

「まあ、行ってみたら分かると思うから」

彼女のそんな言葉を受けて、僕らは首を傾げながら野郎2人でトイレに向かう。

まあ、別に連れションしなくても片方がトイレの外で待てばいいし。僕も恭也さんもそう考えながらの行動ではあったのだけど、…………。



数分後。

ジャー。

ジャー。


其処には同時にトイレを終え、隣り合って手を洗う僕と恭也さんの姿が!


「……………………」
「……………………」

僕と恭也さんは鏡を通して互いの顔を見る。その顔はどちらも何処か呆然としているように見えたのは僕の錯覚だろうか。

「…………春海」
「…………なんですか、恭也さん」
「…………俺は、今日、金持ちの家は、トイレもでかいと、知った」
「…………僕も、今日、金持ちの家は、トイレが複数であるのだと、知りました」
「…………ノエルさんの話では、ココとは別に、女子用のトイレもあるらしい」
「…………みたい、ですね」
「……………………」
「……………………」
「…………すごいな」
「…………すごいですね」

僕と恭也さんは今日、ちょっとだけ、賢く、そして仲良くなった。まる。





「いやぁー、楽しかったー♪」

そう言いながら忍さんは後ろのベッドにボフンと腰掛ける。ここは忍さんの自室なのでテレビから少し離れた場所にはベッドもあるのだ。
ゲームのほうは今はアリサとなのはが2人で対戦している。まあ、やっぱりなのはが鬼強いのでアリサが叫びまくっているが。

今こっちに居るのは自分のベッドに腰掛けた忍さん、それと床の座布団に座った僕、すずか、恭也さんの4人だ。

「楽しんでいただけて良かったです」
「春海くんが言っちゃうんだ、それ…………。でも、春海くんもなのはちゃんもすごいね。お姉ちゃんっていっぱいしてるから、ゲームとかすっごく強いのに」

なんかホストと客の立場が逆転したような台詞を言う僕に、隣のすずかが突っ込みを入れつつ称賛の声をかけてくれる。

「……春海。お前、ゲームのほうが強かったぞ」
「恭也さん、何気に酷いっスね」

うっさいよ。

「それにしても」
「ん?どうしたの、高町くん?」

僕の言葉を華麗に無視りやがった恭也さんは忍さんに視線をシフト。僕とすずかも何気なくそんな恭也さんの次の言葉を待つ。

「こんなに騒いでしまって大丈夫だったのか?親御さんに迷惑が掛かったりなんかは……」

どうやら恭也さん、さっきまで大声で騒いでいたことを心配しているらしい。
相変わらずギャルゲ主人公並みの性格の良さと配慮の仕方だった。本人に自覚は無さそうだけど。

ていうか、まあ当然の心配である。僕も少し配慮が足らなかったかな?

とか思っていると、

「…………ああ。別に、大丈夫だよ」

忍さんは少しの沈黙の後、静かに答えた。見るとすずかの方も心なしか眉をハの字にして俯いている。ありゃ、これはもしかして……

「うち、両親はどっちも仕事で、ほとんど家の方には居ないから」

はい、地雷でした。わかりやすいくらい綺麗に踏み抜きましたよ、恭也さん。

「……そうなのか」
「うん」
「………………」

うわぁ。気温が一気に5度くらい下がったような気がします。

見た限り忍さんのほうは別段気にした風もないけれど、すずかの方はやっぱり甘えたい盛りということなのだろう。目に見えて元気が無くなっている。

んで、図らずも月村姉妹の地雷を踏み抜いてしまった当事者であるところの恭也さんはと言うと、

「……………………」

当たり前だけど、この人にこんな状況でフォローの言葉が出てくるような甲斐性は無い。たった数カ月の付き合いではあるけれど、それほど短い期間で理解できてしまう程の口下手さんなのだ、彼は。

(しゃーないなぁ……)

内心で溜め息を吐きつつ思う。まあ、こういうことはやっぱり年長者の役目なのだろう。

「ところで忍さん」
「ん?なに?」

忍さんがこちらを振り返り、それと同時に他の2人の視線も集まったことを感じながら、僕はポケットから携帯を取り出しつつ忍さんに笑いかけた。───そりゃあもう、自分でも分かるくらいすっごい良い笑顔で。きっと周囲にはキラキラした効果光が輝いていることだろう。

「こんなところに学校でのすずか達を撮った写メがあったりするんですけど、見たくないですか?」
「は、春海くんっ!?」

僕の言葉に速攻で反応したのはすずかだった。いくらちゃんと許可を出して撮られたものだとは言え、やはり家族に見られるのは恥ずかしい様子。まあ、撮影のときはノリとかもあるしな。

ただ、僕の目の前で、すんごい勢いでニマ~ッとしてる忍さんは真っ赤になってアワアワする妹なんてお構いなしなようで、

「いいわね~。すずかったら貴方たちのことばっかりで、学校での自分のことはなかなか教えてくれないんだもの」
「お、お姉ちゃん!?」
「ではどうぞ♪」
「はいどうも♪」
「いやぁぁぁあ!」

すずかは僕に覆いかぶさりながら手を伸ばして携帯を奪おうとするが、残念ながらもう遅い。肝心の携帯は既に忍さんの手の中である。

「どれどれー?……あ、すごーい。よく撮れてるー」
「きゃー!?お姉ちゃん!み、見ないで!」
「いいじゃない。可愛く撮れてるしー」
「それでも恥ずかしいの!」

そのまま忍さんが僕の携帯をすずかから逃がすようにベッドの上に立つと、すずかもそれを追いかけてベッドに登って2人で一緒にバッコンバッタン。忍さん、スカートじゃなくて良かったですね。そしてすずかが小学生に有るまじき跳躍力を見せているのですが大丈夫なの、それ?あ、ベッドのスプリングですか、そうですか。

そんな2人を眺めていると、いつの間にか隣に来た恭也さんが僕に話しかけてきた。

「……すまん。助かった」
「……………………」

恭也さんの言葉に内心で少し驚く。

恭也さんが僕の行動の意図に気付いたのもそうだけど、それ以上に、彼から見て遥か年下のガキである僕に頭を下げて礼を言うとは。
無愛想なりにお人好しで誠実な恭也さんの人柄は十分に知っているつもりだったのだけど、どうやら更に上方修正する必要があるっぽい。

「さて。何のことですやら。……まあ、どう見てもあれは不可抗力ですから。気にすることないと思いますよ」

そんな僕の言葉に、恭也さんは少し硬くなっていた自分の表情を緩めて、───

「ところで、あの中にはなのはの写真もあるのか?」
「このシスコンがァッ!!」

力の限り頭をはたかれた。いてぇ。



そしてこの後、恥ずかしがりながらぷんぷん頬を膨らませるすずかに僕と忍さんはゴメンゴメンと謝って、忍さんは僕に携帯を返したのだが、実は密かに僕とメールアドレスを交換して僕は彼女にすずかの写メを送っていたりする。
後日、それがばれた僕は休み時間の度にすずかと地獄の鬼ごっこをすることになるのだけど、…………それはまた別の話。てか思い出したくもない。


まあ、僕としても美人のメアドがゲットできたから文句は無いけどね?報酬としては十分でしょ。




やがて太陽が西に傾き、窓からは夕陽の赤い光が差し込むようになった時間帯。

「それじゃあ、なのは。そろそろ俺たちは失礼するか。あんまり遅くなっても迷惑だ」
「あ、うん。わかった」

最初にそう言ったのは恭也さんだった。なのはが恭也さんの言葉に頷く。

僕は高町兄妹のそんな会話を聞きながら、部屋の中に備え付けられた時計を確認する。やっぱり結構な値が張りそうなその時計の短針は、既に5の数字に到達しそう。恭也さんの言う通り、潮時だろう。

「そうですね。……じゃあ、すずか。僕ももうそろそろお暇するわ」
「あたしも、鮫島が迎えに来るから。今日はここまでね」
「あ、うん。玄関までお見送りするね!」

僕たちの言葉を聞いたすずかが、そう言いながら立ち上がる。
見ると、忍さんも一緒に来るようだ。



そうして月村家玄関。
来たときはノエルさんのインパクトで気付かなかったが、この玄関もやっぱりでかいわ。

「それじゃあ、すずか。今日は誘ってくれてありがとな。忍さんも、今日はどうもありがとうございました」
「「ありがとうございました!」」

外に出て、僕が玄関の扉に背を向けて立つ忍さんに今日の礼を告げると、なのは達もそれに追従する。
彼女はそんな僕達に笑いかけると、

「んーんー、わたしもすっごく楽しかったよー。君たちさえ良ければ、また遊びに来てね?すずかもきっと喜ぶから」
「みんな、また遊びに来てね!」
「うん!」
「また明日、学校で会いましょ」
「すずか。ノエルさんには、今度僕の一日メイド(お試し)をしないかと提案しておいてくれないか?」
「え?あ、あはは……え、っと、その……」
「あんたはお別れの時ぐらいまともなこと言いなさいよ!」

いつも通りの別れのやり取りをする僕たちの横では、恭也さんと忍さんが言葉を交わしている。

「じゃあ、俺もこれで。ありがとう。今日は楽しかったよ」
「ううん。どういたしまして。高町くんもまた明日、学校でね?」
「ああ」

そんな仲睦まじい青春の1ページな光景を見た僕は、

「…………リア充爆発しろ」(ぼそ)

そっと呪いの言葉を送っておいた。

くそう。どうせ僕がまともな青春を送ることが出来るのは高校からだよ。それまで周囲はロリばっかだよ。おまけに自分もショタだよ。コンチクショー。





そして月村家から出てしばらく歩いて一人になった僕は周りに誰もいないこと確認すると、いつの間にか後ろに憑いていた葛花を実体化した。

アリサは月村家の門前に止まっていた自家用車(送迎リムジンをそう言っていいのか謎だが)に乗って帰り、なのはと恭也さんともバス停で既に別れた。バスには乗らないのかと訊かれたので、僕はもう少ししたら親が迎えに来ると嘘をついたのだけど、葛花のことを話すわけにはいかないのでしょうがない。

今は再び実体を纏った葛花の背の上である。森の中の木々をすり抜けながら掛ける彼女に掴まりながら、僕は葛花と声を出して話す。

「それで。儂を放ったらかしにして甘味を楽しんだのじゃ。それなりに解かったことはあるのじゃろうな?」
「開口一番それかよ……。みんなの前でお前に堂々と菓子を食わせるわけにはいかないんだから仕方ないだろ」
「ああ、そのことなのじゃが」
「あん?どのことなのじゃよ?」

葛花が何を言うのかが分からず、けれど彼女のその何気ない言い方に、僕は何の緊張感もなく訊き返したのだけど。

そして葛花は、

「恐らく儂、あの小僧に気付かれておったぞ」

何気ない口調で、そう言った。

「…………………………………………………………………………………………………………」

自分でも恐ろしい位の沈黙。ただ、それだけ葛花の言ったことが即座には理解できなかったのだ。

僕はそれからたっぷり数秒かけて、

「…………………………………………………………………………………………………マジで?」

やっと、それだけ言った。半笑いだったと思う。顔は間違いなく引き攣ってただろうけど。

そんな僕に、彼女は本当に気軽そうに、

「マジじゃ」
「……………………」

緊張感無ぇなぁ……。

「いやいや何でだよ。小僧って、恭也さんのことだよな?お前、隠行はきちんとしてたんだろ?」
「うむ。お主らが厠に行っとる間に甘味を摘まもうとかはしてないぞ?」
「いや自爆してるから」

そういうのは「きちんとしてる」とは言わねえよ。
そもそもお前は霊体の状態では菓子食えねぇだろ。ムリすんな。

「まあ、それはともかく。なら恭也さんの前ではちゃんとしてたんだろ?それが何でばれるようなことになるんだよ?」
「うむ。そもそも、じゃ。お主は儂の隠行を如何いうものじゃと思うておる」
「どういうって、そりゃあ…………姿を隠す?」
「それもあるのぅ。今ここで言っておくが、基本的に儂の隠行は『霊性』と『姿』の二つを隠す。霊の状態ならば霊視や生身では見えず、実体があれば肉眼では見えぬようになる、と言う訳じゃな」

まあ、その辺りの解釈はけっこう昔に聞いたような気がする。忘れたけど。

でも、

「いやいや、それじゃあ尚更じゃねぇか。姿も見えないんなら何で気付くって言うんだよ」
「阿呆じゃのう」

うるさいよ。

「もう一つ有るじゃろうが」
「もう、ひとつ……?…………すまん、マジで解からん。教えてくれないか?」

そんな僕の低姿勢な頼み方が効いたのかは不明だが、果たして葛花はその要因を口にした。


「気配じゃよ」


あまりに冗談染みた、その要因を。

「……は?……けはいって、あの『気配』?」
「他にどの気配があるのかは解からんが、たぶんそれじゃ」

いやいやいや。気配(笑)って。いやいやいやいや。

「お前、気配って……そんな、漫画や小説じゃないんだから」
「別に気配察知なんぞ、書物の中に限ったことではなかろう」
「いや確かにそうだけど……えー?」

いまいち懐疑的な僕の反応に、しかし葛花は至って冷静に言葉を返す。

「そもそもお主が持っとる『魂視』も気配察知の一種じゃろうが」
「いや、確かにそうなんだけど……」

それでも僕のはただの『能力』だしなぁ。

「能力じゃろうが技能じゃろうが変わりはせんよ。先天的に手にするか後天的に手にするかの違いでしかないわ」
「うーん…………まあ、いいや。お前がそう言うのなら、そうなんだろ」

そもそも獣であるコイツに気配なんて分野で勝てる筈もない。…………ん?獣?

「いやいや、ちょっと待ってよ葛花さん」
「何故に『さん』付け…………今度は何じゃ」
「恭也さんが気配でお前に気付いたのは良いとして、なんでお前はそんな簡単に気付かれたんだよ?」
「うん?如何いうことじゃ?」
「いやだって、お前って動物だろ。しかも肉食の。普通、肉食動物って狩りなんかをする時には気配を消すものだって聞いたことがあるぞ。そういう意味ではお前だって気配のスペシャリストじゃないか。今回だって、お前は隠行の術と一緒に気配も消してたんだろ?」
「消しておったよ」
「それなら何で……」
「簡単な話じゃよ。あの小僧の方が儂よりも上手(うわて)だっただけじゃ」
「いや、上手って…………」

つまるところ、獣である葛花の『気配遮断』能力より、人間である恭也さんの『気配察知』能力が上回ったってこと……なのか?

「ま、そうじゃな」
「恭也さんマジぱねえ」

いや、もうそれしかコメントのしようが無ぇよ。
なんだよ、獣を上回る気配察知能力って。人間技じゃねぇよ。

そんな最早人外に片足を突っ込みつつあるような恭也さんに呆れている僕に、葛花が意外な言葉を続ける。

「とは言っても、少し不思議に思われただけで儂の存在が明確に悟られた訳ではない」
「……そうなの?」
「お主、そもそも普通の人間が何かの気配を感じて、いきなり幽霊だと断じると思うのか?」
「あ、それもそうか」

というか当たり前である。
いきなりそんな思考をするのは、極度の怖がりか霊の存在を認知している者に限られるだろう。そして恭也さんはそのどちらでもない。

葛花の言葉に安心して、考え方に多少の余裕が出てきた僕はそのままに彼女に言葉を返す。

「でもお前もよくそれを素直に認められるな。正直、もっと悔しがるとかすると思ったけど」
「高々気配を悟られただけで焦ることもあるまいて。肝要なのはそこから如何するかじゃよ」
「はぁん」

野生の考え、ということなのだろうか?
予想外の出来事にも決して慌てることなく、冷静に最善の行動を取る、とか。

うん、こいつのそういうところは僕も見習わないとな。

「うむ。別にあの小僧に悟られたと気付いたときテンパって逃げた訳ではないぞ?」
「僕の尊敬の念を返せ」

お前、今回後半ぜんぜんセリフが無ぇと思ったら居なかったのかよ。

なんというムダな叙述トリック。

「それで、あの屋敷の住人のことは如何するのじゃ?」
「露骨に話題を逸らすな」

もうこの話するの疲れるから乗ってあげるけどさー。

くだらないことを言いつつも変わらない速度で森の中を疾走し続ける葛花に嘆息しながら、僕は彼女の背の上で今日の月村邸での出会いを思い出す。


“魂”という生物としての必然を持たず、そして大人の女性のはずなのに、時折まるで年端もいかない童女のような反応をする月村家の使用人『ノエル・K・エーアリヒカイト』。

すずかと同じ“異能”を持ち、僕の兄弟子である高町恭也さんと同じクラスであるらしい、すずかの姉にして月村家長女『月村忍』。

“異能”を持ちつつも、しかしその内面は普通の女の子と全く変わらない、───そして僕の友達である『月村すずか』。


その3人との今日一日を思い出す。

そして僕は、後ろに流れる木々を視界に収めながら、葛花ではなく前を見たままで、告げた。



「ほっとく」



端的に出た僕の言葉に、葛花は特に疑問に思った風もなく、まるで確認のために聞いておいてやると言った口調で言葉を返す。

「良いのか?」
「良いんだよ。忍さんはすずかの良いお姉さんで僕のメル友だし、ノエルさんは僕が大好きなメイドさんだし」
「メイド云々は関係ないじゃろ」

そこは流せよ。

「まあ、親御さんの仕事云々のことは心配ではあるけど、その辺りは部外者の僕が口を出せることじゃないからなぁ。……その家庭の問題だ」
「家庭の問題か」
「そ」
「敵情視察までした上、異能一族を相手に些か甘い判断じゃとは思うが、…………まあ、お前様ならばその辺りか」


……………………おいおい。


「なんだよ。お前、忘れたのか?今日、あそこに行く途中で言ったろうが」
「ん?」


僕の言葉に、葛花が不思議そうな声を上げる。

そんな彼女に、僕は軽く笑いながら言ってやった。


「敵なんかじゃないよ」


自信を持って。


何のことはない、ただの事実を、僕は言ってやる。





「すずかは、僕の友達だ」













(あとがき)
友達の家に遊びに行って、家族の人に挨拶して、遊んで帰る。たぶんそれだけのお話。

という訳で第九話「友達の家族と初めて会うときはとりあえず菓子折りで 2」投稿しました。結局のところ、今回で主人公が月村家の秘密に積極的に関わっていくことはありませんでした。関わる理由がありませんしね。これですずかが悩んでいるとかなら少しは関わる気も起こったのでしょうが、テレビ版の描写見る限りすずかも切羽詰まっている感じじゃないですし。

物語としては山もない感じで面白くないとは作者も思いますが、とらハの醍醐味はシリアスではなくほのぼの日常編だと考えているので。あくまで持論ですが。全編通して大体原作が始まって自体が急変したりしない限りこんな感じです。

あと、さりげなく恭也たちが月村家トイレに驚いているのは原作シーンだったり(笑)。

そして、なんと月村両親が生きていることが発覚。この辺り、アニメ版「リリカルなのは」準拠にしたことによる大改編のひとつだったりします。ご両親が生きているソースはドラマCDの花見ですずかがお母さんを呼びに行くシーンがあったので。でも原作者様のコメントによると原作忍ルートのイベントはリリカル世界でも普通にあったそうなので、原作知っている人はそこについてはご心配なく。 

ところで、今回からとらハ板に移動したわけなのですが、10月からはリアルが忙しくなる予定なので更新頻度は少し落ちると思います。計画性無くてすみません。

このような拙作を読んでくれている読者様。今後ともよろしくお願いいたします。

では。




[29543] 第十話 お泊りは友達の意外な一面を発見するものだ 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/10/07 17:52
7月上旬の土曜の午後の、夕暮れ時にはまだ少し早い時間帯。世間で土曜休日制度はゆとりだ何だと騒がれていようと、そんなものは進学校である我が聖祥学園には無縁らしく、しっかりと土曜の午前を学校で過ごした日。
そんなかったるい午前の授業を半どんで終えた僕は今、夕飯の買い物をしようと商店街にやって来ていた。

この時間帯、主婦の皆様で賑わう商店街の道を歩きながら、さあまずはどの店から行こうかと小考していた……のだけど。

「あれ?春海?」
「ん?」

唐突に後ろから自分の名を呼ばれ、何だ誰だと振り返ってみればそこに居たのは

「フィアッセさん?」

翠屋ウェイトレスにして、僕の友達であるなのはの家族の一員の、フィアッセ・クリステラさんだった。
フィアッセさんは笑顔のままこちらに近づいて来て、

「ひさしぶり……でもないかな?」
「まあ、週の半分以上は僕も高町家にお邪魔しちゃってますもんねぇ」

それでもフィアッセさんとは何だかんだで5日ぶりくらいだけど、久しぶりというには少々物足りない。

「あはは、春海もすっかりうちの家族の一員だ。おそろいだね♪」

ころころと笑いながら言うフィアッセさん。ナチュラルに「うちの」って言ってる辺り、この人は本当に高町家に一員なんだなぁと思う。

立ち話もなんだということで、僕たちはそのまま連れ立って商店街のアーケードを歩きだした。

「フィアッセさんは…………翠屋の足りなくなった備品か何かの買い物ですか?」
「わ、正解。よくわかったね」
「いや、その格好見れば大概の人はそう思います」

言いながら僕はフィアッセさんの顔を向いていた目を下に動かす。そこにあったのは、清潔な白いシャツに赤のロングスカート、それと『翠《MIDORIYA》』とプリントされた黒いエプロン。
これを見て歌のレッスンと思う人には眼科か脳外科をお勧めする。

「ふふ、そう言えばそうだね。うん、お店のほうで調理器具のひとつがちょっと壊れちゃったから」
「それでこうして買い出しですか。あ、もし急いでるのなら先に行ってもらっても構いませんよ?僕は大丈夫ですから」
「ううん、それは大丈夫だよー。今はディナータイム前の一番ヒマな時間だから」
「ですか」
「うん」

みたいです。

と、今度はフィアッセさんが聞き返してきた。

「春海はどうしたのかな?お使い?」
「あー、お使いというか、夕飯の食材の買い物です。野菜系を」
「? お母さんに頼まれたんじゃないの?」
「あはは、それがですね……」

そう繋いで、僕はこうして夕飯の買い物に来ている理由を話した。


「え?今日、春海のおうち、誰もいないの?」

そうなのである。
今日───正確には今日から数日間、僕の家に居るのは僕と葛花の1人と1匹だけなのだ。その理由は、

「はい。今朝方、離れて暮らしてる父方の爺さんが腰をギックリやっちゃったらしくて」

というわけだ。


始まりは今日の朝の一本の電話からだった。その電話相手は祖母で、話の内容は前述の通り、爺さんがぎっくり腰を起こしたというもの。ただ幸いにも症状自体は軽く、爺さんも自宅で休んでいる程度で良いらしい。
しかしいくら症状が軽いと言っても、それを介護するのは年齢ももう高齢と言って良いものとなった女性である祖母。自分一人で介護するのは流石にキツイということで、うちの母にヘルプが掛かったのである。

…………が。


(あれはたぶん、爺さんがまたワガママ言ったんだろうなぁ……。ぎっくり腰もどうせ趣味のゲートボールで年甲斐もなくはっちゃけたんだろうし)


少なくとも、僕はそう予想している。

そもそも、うちの祖母は高齢と言っても肝っ玉お母さんを体現したような元気な人で、ひょろっちい爺さん一人くらいの補助は訳無いはずなのだ。
それに加えて、爺さんの方は普段こそ好々爺といった風なのだが、うちの孫3人(特に妹2人)をそれはもう溺愛しており、何かにつけて会いたがっていて。

だからまあ、多分ぎっくり腰になった爺さんはそれ幸いと婆さんに母さんを呼ぶように言って、婆さんも婆さんで母との仲はまるで実の母娘のように良いため、特に躊躇うことなく電話を寄こしたのが真相だろう。

で、誇り高き専業主婦であるところのうちの母も仲が良い爺様夫婦からのヘルプということで快く引き受け、自分たちの欲しい物をよく買ってくれる爺さんが大好きな妹2人も、むしろ母さんが行かなくても自分たちだけで行っちゃうような勢い(この2人の辞書に「躊躇」に類する文字は無い)だったのは言うまでもない。
そして父さんはと言えば、現在は海外に単身赴任中。帰ってくるのは僕が小学4年生に進級する頃である。もっとも、年度の節目節目や家族の本当に大切な行事には出来る限り予定を合わせようとしているところを見れば、あれはあれで「善き父親」というものの一つの形なのだろう。

そういうことで、母さん達の祖父母宅訪問が決まった訳なのであるが。

だがしかし、そこで問題となったのが僕と葛花である。

僕は言うまでもなく、休日明けにも変わらず学校が。
葛花のほうも母さん達にはまだその正体を話していないので、和泉家における彼女の扱いはペットだ。そして車の免許を持っていない母さん達(僕は運転だけなら『前』に免許を取っていたので可能だが、当たり前のことながらこの歳では全くの無意味だ)の移動集団はバスなどの公共のもの。ペットお断りである。

てな訳で、一時は断ろうかという話になりもしたのだが(妹2人は泣きそうになっていた。泣くだけなら良いのだけど、2人して僕に襲いかかってくるから困る。大方、僕を亡き者にすれば出かけられるという結論に達したのだろう)。

しかし、そこはそれ。

片や、『前』も足せば人生経験27年のチート小学生の僕。
片や、千余年の時を生き続ける大賢狐の精霊である葛花。

数日間のお留守番の戦力としては十分。てか、これで留守番も満足にこなせないようなら情けなさすぎて腹を切るレベルである。

そういうことなので、自分たちで留守番できるからと母さんを説得した僕(葛花は寝てた)は、電話越しで爺さんと婆さんに行けないことを謝って、母さんに様々な諸注意をされつつ学校へと出かけたのだ。
そして学校から下校すると、台所の机の上には朝に言われた注意を箇条書きにしたメモ、コンロの上にはみんな大好きカレーが大量に入った鍋(子供になって舌がニュートラルになってしまった現在の僕の好物のひとつ)が置いてあったという訳だ。

こうして商店街に来たのは、今日の夕飯のサラダにするための野菜と明日自分で作る料理ための材料の買い出しである。
母さんは結構な量のカレーを作って行ってくれたものの、毎日それでは飽きたと言って噛みついてくる秘密の同居人が居るうえ、僕も偶には自分でしなくては腕が鈍ってしまうので明日以降は自分で料理を作るつもりである。


閑話休題。


「そういうことで、この数日の間は一人と一匹で気楽にお留守番です」

なんかいろいろ背景が複雑な気もするが、人に説明するなら一言二言で済んでしまう辺り言葉の不思議を実感する。

「へー、そうなんだ……。でも、大変じゃないかな?小学1年生の春海が1人でお留守番って……。それに動物のお世話もしなくちゃいけないんでしょう?」
「いやまあ、それもそうですけど」

もしかしたらその動物の世話が一番大変かもしれませんけど。

「まあ、大丈夫ですよ。いざとなったら親に電話することも出来ますしね」
「……うん」

僕の言葉に心配そうにしながら頷くフィアッセさん。

「あ、そうだ!」

と思ったら急に表情を明るくし、彼女はしゃがんでこちらの顔を覗き込むようにして、

「もしよかったら、士郎のおうちにお泊まりする?」
「はい?」

フィアッセさんの予想もしていなかった一言に思わず間の抜けた声が出るも、そんな僕をお構いなしに言葉を続ける。

「そのほうが、かなみも安心できるだろうし、春海がお泊まりに来てくれるとうちのみんなもきっと喜ぶよ」

ちなみに『かなみ』というのは僕の母の名である。
僕が剣術の出稽古でお世話になると決まったとき、母さんは高町家に挨拶に行って桃子さんや目の前のフィアッセさんとすっかり意気投合して友達になっているのだ。僕の知らないところでは、桃子さんにお菓子作りを習ったりしているらしい。

いや、そうじゃなくて。

「あ、や、ちょ、ちょっと……ちょっとストップです、フィアッセさんっ」
「あ、……ごめんね。少し突然すぎだったかな?」

フィアッセさんはそう言いながら苦笑すると、僕に向かって前のめりになっていた体を元に戻す。

この人は感情表現が些か直球だから僕としては困る。普通の成人男性が相手ならこの人も少しは抑え目なんだろうけど、あくまでなのはと同い年と思われている僕相手には本当に純粋に向かい合ってくれるのだ。
それが嫌な訳ではないし、むしろ個人的には好ましいくらいなのだけど、中身が三十路近いおっさんにとっては目に毒である。この身体じゃ口説けもしないし。

「それは悪いですって。今日になって突然押し掛けちゃあ迷惑でしょうし」

…………自分で言ってて説得力無ぇなぁ!

あの人たちが迷惑そうにするって、それは一体どんな悪行三昧なんだよ。
くそう、お人好し一家め。

とか思いつつ言っても、当然のことながら目の前の英国シンガーさんの鉄壁の笑顔は崩れない。

「だいじょーぶ。春海がお泊まりするって聞いたら、みんな喜んでくれるよー♪」
「いやまあ、それは何となくわかりますけど……」

むしろ顔をしかめている光景がちっとも思い浮かびませんけど。

「……あ、そうだ」

そこで僕の脳裏に起死回生の一手が浮かび上がる。

「ん?」
「あ、いえ、……コホン……さっき言いましたけど、うちには一匹の飼い狐がいるんですよ。そりゃあ、いつも風呂に入れて綺麗にはしていますけど」

なにしろ本人(本狐?)が一日に2回以上も風呂に入りたがるからな。ヒト型になって僕が入ってる湯船の中に入ってきたり、子ギツネ型で大きめの桶に汲んだお湯に入ったり。
見てて超和むけど。いや、それは今は関係ないけど。

僕は脱線しまくった思考を修正する。

「でも、翠屋さんって飲食店じゃないですか。そういう店って、原則として家の中に動物は入れちゃいけないような……」
「あ、そっかー……」

どうやらフィアッセさんもそこまでは考えていなかったようだ。目に見えて勢いが無くなった。

「さすがにその辺はわたしじゃ勝手はできないし……うーん」

よしよし。なんとかお泊まりイベントを回避できそうだ。
ていうか僕はなんでこんなにお泊まりイベントを回避したがってるんだろう。いやまあ、もう既に成功しそうだから別に良いけどさ。

その場のノリで行動できる男。
和泉春海でございます。

自身の口元に人差し指を当てながらどうしたものかと考えているフィアッセさんをよそに、僕は高町家にお泊まり出来ず如何にも残念そうな表情で言う。言っちゃう。

「いやー、残念です。いや僕としては当然ながら行きたいんですよ?お泊まりしたいんですよ?でも翠屋さんに迷惑をかける訳には行けませんし。あいつには僕が傍に居なくちゃいけませんし。あいつったら甘えん坊で、いっつも僕と一緒に寝てますし。まあまあ、僕もそれを無碍にするほど鬼畜外道じゃありませんし。いや本当に残念です。高町さんの家の食卓というものにも興味はあったのですが。まあ、仕方ないですね。あいつったら僕が居ないと寂しくて泣いちゃうでしょうし。いやぁ、本当に参ったなー」

調子にのってこの場に葛花が居たら後頭部を噛み砕かれそうなことをのたまう僕。だが残念!この場に居るのは僕とフィアッセさんだけだッ!ファーハッハッハッハッ!!

だが、そんな僕の真っ黒な内心を察することなく額面通りに受け取っちゃった純真なフィアッセさんはというと、

「春海、そんなにお泊まりがしたいんだね…………うん、春海!」
「え、はい。何でしょう?」
「ちょっと待っててね!いま、桃子に聞いてみるから!大丈夫、桃子と士郎ならきっとわかってくれるよ!」

滅茶苦茶真剣な顔でそんなことを仰り、そのままポケットから取り出した携帯電話で何処かに電話し始めた。
僕としては訳が分からない限りである。

え?なにこの展開。何かのルート入った?僕まだ選択肢選んでないよ?え、現実に選択肢は出ないの?それ何てクソゲー?
とか混乱する僕を置いてきぼりにして、フィアッセさんは電話越しに誰かと話し合っている。さっき彼女の言う通りならば、その電話相手は当然桃子さんなのだろう。

「うん……うん…………その辺りはきっと大丈夫……うん、OK。……Thank you!桃子!」

そうしてしばらく僕が馬鹿みたいにボーッとしていると、どうやらフィアッセさんは電話で話を終えたようだった。
彼女はそのまま携帯を閉じて、満面の笑顔でこちらを振り返ると、

「やったよ春海!桃子、そのキツネもOKだって♪」
「いやもうホントすいませんッ!!!」

僕は全力で謝った。そりゃあもう綺麗な直角だったことだろう。ここが商店街でさえなければ土下座していたかもしれない。

てかノリで言いましたとか絶対言えねえー。

わざわざ頼んでくれたとか、しかも許してくれたとか。フィアッセさんにも桃子さん達にも申し訳なさすぎるわ。



とりあえず、長距離念話で家に居る葛花へ風呂に入っとけと伝えておいた。
そして「お前アホじゃろ」の一言を頂いた。今回ばかりは甘んじる限りである。





で、その後。

謝る僕に不思議そうにしていたフィアッセさんと別れて、僕は速攻で帰宅すると母さんに高町家にお世話になることを電話した。これで母さんからも桃子さん達にお礼の電話が行くことだろう。
そしてコンロの上に在るカレーの鍋を冷凍庫にぶち込み宿泊準備を整えた頃、ちょうど風呂から出てきてホカホカ湯気が立っている浴衣姿の葛花に事の詳細を話した。

「いやお前様アホじゃろ」
「今回ばっかりは反論のしようもねえよ……」

うなだれる僕。
あまりこんなネット的な表現方法は避けたいところではあるが、今ばかりは仕方ない。

それはもう見事な orz だったことだろう。

「まあ、過ぎたことをクヨクヨ言ってもしょうがない。次に繋がることを考えよう」

ポジティブに行こうぜ。

「それをお主が言うのは何か間違っておるような気もするが……まぁ良かろ」
「じゃあまずは、……というよりこれが全てなんだが、お前のことだ」
「じゃな」

然りと頷く葛花の今現在の姿はいつものように童女のもの。まあ、さっきまで一人で風呂に入っていたのだから当たり前のことだが。
その葛花と床に座って向かい合ったまま、僕は彼女に言う。

「お前は高町家に泊まっている間は常に子ギツネの姿でいること」
「うむ」

葛花は一つ頷くと、ポンッと軽い音を立ててその姿が白い子ぎつねのものに変わる。大きさは今の僕程度の子供でも余裕で抱えられるくらい。
白いキツネとなった葛花は調子を確かめるように自分のもふもふしい体をキョロキョロと見回すと、それを終えて僕の方に向き直り、

「これで問題なかろ」
「ああ。あ、でも、ひょっとしたら3、4日お世話になる可能性もあるから、念のため多めに力を注いでおくぞ。少なくともその間は術が解けないように」
「うむ」

僕の言葉にそう答えるや否や、葛花の身体から溢れていた彼女の存在感が消失し、その姿が僅かに透明なものとなる。

そんな彼女に重なるように現れたのは、葛花の核となっていた、白い狐面。僕はカランと音を立てて床に落ちた面を手に取ると、葛花の身体にそれを再び重ね合わせ、口の中で呪を唱えながら前言の通り多めに力を注ぐ。

これが『秘術 霊魂降ろし《ミタマオロシ》』における制約のひとつ。

『対象に込める霊力を上乗せすることは出来ない』

早い話が、葛花を強化するには一度術を解いて、もう一度初めから術を初めからかけ直す必要があると言うことだ。
一応、僕と葛花を特殊な経路(パス)で繋いで常時供給するという手法もあるにはあるけど……そっちは尋常じゃなく疲れるから基本的には無しにしている。やっぱ楽に行きたいし。

最初に一気に注ぐのなら、戦闘前に僕が葛花に術を使った後、自分が回復してから戦うという手段が取れるしな。
まあ、そのため突発的な戦闘には弱いというデメリットも存在するが、普通に生活していればそんな戦闘に巻き込まれること自体滅多にないだろう。そうなったときのための手も、一応考えてはいるし。

「…………」

さて。

今、僕の目の前に居るのは、先ほどよりも少しだけ存在感が増したように感じる子ぎつね形態の葛花。
のんきに後ろ足で頭をグシグシしている彼女には、高町家にお泊まりする上での幾つかの注意事項を伝えておかなくてはならない。

「では葛花。お前に『高町家におけるお泊まり3カ条』を授けよう」
「なんでお前様がそんな偉そうにしとるのじゃ」

何か言ってるけどスルーする。

「まず、向こうに着いてからは絶対に喋ってはいけない」
「うむ」
「ヒト型になるのも禁止します」
「良かろ」
「寝るときは僕の抱き枕になること」
「待て」

待ったをかけられてしまった。

「何だよ。待ったはマナー違反だぞ?」
「常識に違反しとるお前様に言われたくないわ」

葛花の目が犯罪者を見る目になっていた。
なんて僕に相応しくない視線なんだ。

「何故に儂がお前様の抱き枕にならねばならん」
「だってさー、お前ってばいっつもヒト型で布団に潜り込んでくるじゃねえか。それが今回はずっとキツネの姿でいるんだからさー。……もふもふしたいだろ?」
「疑問形にするでない。…………ええい!駄目じゃ駄目じゃ!そんな同衾とか、……いやらしいじゃろうッ!」
「いや意味が解からない」

お前、いつも僕の布団で寝てるじゃん。たまに母さんのほうにも行ってるけど。母さんはこのもふもふを味わったことがあるんだろうなぁ。羨ましいなぁ。

「いやだからじゃな、今のこの獣のほうが儂の真の姿じゃということは分かるじゃろ?」
「うん」
「そしてヒト型のほうは儂が人であった場合を想定した姿であって、言わば仮の姿じゃ」
「うんうん」
「つまり、ヒトの姿でお前様と同衾することはきちんと節度を守っておるということじゃ」
「うんうん……うん?」

あれー?

「ごめん、わからなくなった。え、お前にとって人の姿って何なの?」
「人間で言うのなら、服に近いのかのう?」

『獣の葛花全裸説』緊急浮上。

「え、ちょっと待って。なに?じゃあ今のお前って自分主観で言ったらスッポンポンなのか?」

なんてエロくない裸体なんだ。いや、可愛いけどさ。

「いや、そうでもない」
「違うの?」
「その辺りの概念が人間とは根本的に異なるからの。一概に如何とは言えん」
「そんなもんか」
「説明は面倒なのでパスじゃ」
「パスか」
「そしてこの姿でのお主との同衾もパスじゃ」
「そこは頑張れよ」

僕は女性に優しいから納得してあげるけどさー。あー、もふりたいなぁ。



そんな感じで準備を終えた僕は、自分で歩くのをめんどくさがる葛花を頭の上に乗せて、高町家への道のりを歩いた。








(あとがき)

というわけで高町家お泊まりイベント緊急発生。今回の話は全3部構成を予定しております。
あと最近ちょっとスランプ気味です。上手い具合に文章が書けなくなってきたので、買ってきた『鬼物語』を読んだり『化物語』を読み返したりして参考にしてます。推敲も5回も10回もすることになっちゃいましたよ。





[29543] 第十話 お泊りは友達の意外な一面を発見するものだ 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/10/10 23:53
で。

現在、僕は高町家にお邪魔して家族の団欒という名の夕食を前にしているのだが……。

「やーん!かわえーなー!」
「た、確かにこれは、なんかこー、クるものがあるな……」
「うう。か、かわいい……」
「あ、美由希の手なめてるー。かわいいね、なのは」
「はい!くずはなちゃん!なのはも!なのはのほうも!」

葛花ちゃんの人気がすごいことになってます。

まあ、当の葛花本人は床に置かれた葛花用の食事を前に座っているだけなのだが、その周囲には桃子さんを除く女性陣が集まっており、高町家リビングは局所的に人口密度がすごいことになっていた。
んで、その中心で荒っぽい触り方ではないとは言え、もともと大勢に触られるのがそこまで好きではない葛花(膝の上で静かに撫でられるくらいなら割と好き)はというと、

<お前様よ、この小娘共は如何にかならんのか>

文字に起こすだけなら淡々としているものの、その実その念話から聞こえる彼女の声は自身のうんざりという感情を隠しもしていなかった。

この状況の大本の原因からすれば申し訳ない限りである。助けないけど。面白いし。

<すまん、我慢してくれ。食事が始まったら、あまり触られるのが好きじゃないことを言っておくから>
<はぁ>

わざわざ念話で溜め息を届ける辺り、完全に僕に対する当てつけだな。

「ははは、葛花という名前だったか、あのキツネは。女の子には大人気だな」 
「ホントかわいいわね~。わたしもさっき触らせてもらったけど、毛並みなんかもすっごくふわふわで♪」

大人2人は葛花に夢中の子供たちにニコニコ微笑まし気だ。
桃子さんなんて興奮によって僅かに上気した頬を手で押さえてご満悦なご様子である。

「しかし大丈夫なのか?うちは飲食の店だし、こういう獣の類を数日とは言え家に置くのは……」

そして唯一まったくの正論を主張した恭也さんはというと、

「もー。恭也もそんな固いこと言わないのー」
「そうだぞ。それに毎日風呂に入れていると聞いているし、外から出入りするときに気をつけたら大丈夫だろう」
「……………………」

自分の親に全否定されていた。

「恭也さん」

それを見た僕は憮然として腕を組む恭也さんに話しかけた。恭也さんがそう言うのも僕の責任だし、フォローのひとつもしないと。

「すみません。僕がムリ言っちゃって。出来るだけ毛なんかの衛生面は気をつけますから」
「む。いや、……すまん。別に春海を責めてるわけじゃないんだ。今回は自分の家だと思ってゆっくりしていってくれ」
「……はい、お世話になります」

そう言って2人で笑い合う。

そしてその光景を見て何やらボソボソ囁き合う高町家女性陣(桃子さん除く)。

「(……なんやあの二人、最近仲良ーなってへんか?)」
「(あ、レンも気づいたか? だよなー。妙に気安いって言うか……)」
「(おにーちゃん、この前すずかちゃんのお家に行ってから春くんと仲いいの……)」
「(そうだよねー。恭ちゃん、最近は鍛錬中も春海くんのことよく気にしてるもん)」
「(仲良しなのは良いことだよー♪)」
「(でも恭ちゃんが赤星さん以外の男の子と仲良くしてるのって、ちょっと新鮮かも)」
「(師匠、友達は勇兄ぐらいしか居ないもんなぁ……)」
「(でも春くんは、なのはたちの他にも男の子にも女の子にも友達いっぱい居るよ?)」
「(なのちゃん。春海みたいなのは『八方美人』言うんよ?)」
「(はっぽうびじん……?フィアッセさん、それってどういう意味ですか?)」
「(あ、うん、なのは。『八方美人』って書いて、意味はたしか……)」

「「……聞こえてるぞ、お前ら」」

「「「「はい!?」」」」

青筋の浮かんだ恭也さんと僕の殺気混じりの低い声に、女性陣は即座に反応してブンブン頷いていた(フィアッセさんだけは茶目っ気たっぷりにぺろっと舌を出していたが)。

しばらく睨んでいた恭也さんは、それでもやがてハァとため息をついてから彼女たちに目を向けて、

「……きつねを珍しがるのも分かるが、もう飯の時間だ。そろそろ席に着いたほうが良い」

「「「「「はーい」」」」」

恭也さんの言葉に返事を返して女性陣が着席すると、いよいよ夕食の時間となった。
全員が席に着いたのを確認して、士郎さんが音頭をとる。

「みんな、今日も一日何事もなく過ごせたようで何よりだ。……さて、それでは今日はこうして新しいお客人もいることだし、さっさと楽しい食事の時間にしようか」

士郎さんの言葉と同時に高町家のみんなの視線が僕に集まる。
何と言うか、こうも大人数に見られると物理的な圧力を感じるなぁオイ。

そんな若干ビビってる僕に士郎さんが話を振ってきた。

「春海くん、なにか一言言ってみるか?」
「ただの小学一年生には何気にハードル高くないですか、この状況」
「あんたは自分がただの小学一年生やと思っとったんか」
「何でも良いから早く言っとけよ」
「も、もう。レンも晶もそんなこと言わないの!」

僕の言葉尻を捕まえたレンと晶がニヤニヤ顔で好き放題言ってきた。こんにゃろ、後で覚えてろよ。なのはとゲームで組んでボッコボコにしてやるから(実力行使はまだムリなのである。物理的に)。
あと美由希さん、2人を諫めてくれるのはありがたいですけどレンの言葉を否定はしてくれないんですね?

とりあえず僕は猿亀コンビの言葉を無視して口を開く。

「あー、……今日から数日の間、葛花共々この家でお世話になります。士郎さんはさっき客と言ってくれましたが、働かざる者食うべからず。言ってくれれば手伝い程度は出来ると思うので、遠慮せずに言っちゃってください。その方が僕も気が楽ですしね。……数日ですが、よろしくお願いします」

そう言い終えて、座ったままではあるが一礼すると、みんなが笑顔で一斉に拍手する。
大袈裟だと思うし、ちと恥ずかしくはあるけど何とか顔には出さない。わざわざ場を盛り下げることもあるまい。嬉しいことも事実なのだ。

「それじゃあ、春海くんの一言もあったところでお待ちかねの食事の時間といくか。……では、いただきます」
『いただきまーす!』

そして士郎さんのそんなまとめのセリフと共に全員が食前のご挨拶。当たり前のことだが僕も一緒だ。

言い終わると、自分にあてがわれた箸を持ちながらテーブルを見る。

目の前の食卓の中心に鎮座しているのは電気コンロと、その上に乗った馬鹿デッカイ土鍋。
鍋の中では鮭をメインに新鮮な野菜が煮込まれており、味噌の香りが空腹状態の胃を刺激する。

所謂、石狩鍋である。

さらにそれぞれに配られた椀の中には白い湯気が立ち上る、湯気以上に真っ白いごはん。

両者から立ち上る匂いに、口の中では涎が出てくる出てくる。

早速と言わんばかりにごはんを口に運ぶ僕を余所に、その僕から少々離れた位置に座る晶から声があがった。

「今日は季節外れの美味い鮭が手に入ったんで、春海も泊まりに来るってことでみんなで食べられる鍋物にしてみました!」

そんな晶の言葉を皮切りに、高町家の人々からは口々に「おいしい!」「うまい!」なんかの感想が出てきていて、当然のように皆からは好感触。晶は少し照れたようにえへへと笑っていた。
実際、偉そうな物言いになってしまうが、食べた僕としても文句のつけようがない出来だったと思う。

……だが、

「……これって晶が作ったの?」

食卓の中心の鍋を見ながら、そんな疑問の言葉がついつい僕の口を突いて出てくる。

おかしい。
僕の中の『城島晶』像と言えば、好きなことはサッカーと空手、男勝りな熱血思考であり、尚且つ彼女本人も自分のことをなぜ男に生まれなかったのかと疑問を持っているくらいの筋金入りなのだ。

その城島晶さんが───料理?

いやいやいや。

ないないない。

「晶はうちでのメイン料理人の一人だぞ」
「マジっすか」
「大マジだ」

だからまあ、恭也さんのそんな言葉に少しばかり唖然とした声を返してしまった。

そこで僕たちの会話を聞いていたなのはが付け加える。

「うちは晶ちゃんと、それにレンちゃんとおかーさんがよく作ってるんだよー」
「とは言うものの、わたしは翠屋のほうもあってあまり作れてないから、晶とレンに頼りきりなのよ……うー、ふがいない桃子さん!そして晶もレンもありがとー!」
「そ、そんな……オレたちが好きでやってることですし」
「そですよー。それに桃子ちゃんがたまに作ってくれるごはんも、ごっつおいしくて、うちも好きですしー」
「なのはもおかーさんのごはん、好きだよ?」
「ふふ、なのはもありがとう♪」
「えへへー」

桃子さんが母親の顔でなのはを撫でて、なのはは笑顔でそれを受け入れる。
うむ。
実に心温まる光景である。───それはそうと、

「さっきから美由希さんがダメージ受けてる様子なんですけど」

なんかこう、桃子さんたちの会話が進む度に笑顔の引き攣り方がどんどん半端なくなってる。心なし冷や汗もかいてるし。

「えっ!?そ、そんなことないよ!?」
「恭也さん」
「ダウト」
「だそうです」
「もーっ!恭ちゃんまで!」

いいから言っちゃえよ?な?うう、そんな……。諦めろ。
みたいな会話を経て、我が姉弟子はゲロッた(食事中の方、不適切な表現があったことを深くお詫びします。てか僕が現在進行形で食事中だったわ。反省)。

「え、えっと、その、大したことじゃないんだけど……この家で料理できないのってわたしだけだな、と……」
「なのはもお料理できないよ?」
「そ、それはそうなんだけど……」
「?」

?顔のなのはの言葉を聞いても美由希さんの表情は晴れない。ていうか小学1年生と料理の腕前を比べて安心してはいけない。

そして、そんな凹む美由希さんにフォローの言葉をかけるのはフィアッセさんだった。

「わたしもお料理はそんなに得意なほうじゃないし、そんなの気にしなくても大丈夫だよー」
「フィアッセ……」
「……フィアッセさんはああ言ってますけど、実際のところは?」
「まあ確かにレンや晶に比べたら一歩譲るが、別にマズイ訳じゃないな。たまに作る菓子がうちでは人気だ」
「ううっ!」
「ああっ!?み、美由希、泣かないで!?……もーっ!恭也も春海も美由希をいじめたらダメだよ!」
「たはは、すみません」
「善処する」
「もうっ」

「美由希ちゃん、完全にお師匠と春海のおもちゃになっとるな……」
「あれで師匠、けっこうイタズラ好きだもんな……」
「春くんも学校でよくアリサちゃんに追いかけられてるの……」

涙目になる美由希さんにゴメンスマンと謝る僕と恭也さんを余所に、高町家子供組3人衆がそんなことを呟いていた。





そんなこんなで楽しい夕飯の時間を終え、テレビで歌番組を見ながらみんなでのんびり駄弁っていると、

「じゃあ、オレと桃子は翠屋での閉店準備と明日の仕込みをしてくるからな。みんな大人しくしてろよー」
「みんな良い子でね~。いってきまーす!」

『いってらっしゃーい』

士郎さんと桃子さんが夜の翠屋に行ってしまったのでリビングからみんなでお見送り。

士郎さん達が出ていった後でなんとなくシーンとしてしまったリビングの中で、最初に口を開いたのは恭也さんだった。
彼はなのはの方を見ながら、

「……なのは、寝る時間も迫っていることだ。お前はもう風呂に入ってしまえ」
「うん!」

頷いたなのはは立ち上がってリビングの扉に身体を向け、

「あ」

何かに気がついたのか、すぐにクルリと180°の方向転換。
振り向いた先にいるのは、他でもない───僕だった。

なのはは僕を見ながらニコッと笑って言った。…………言っちゃった。

「春くんも一緒に───」
「ぬぅぉおおおおおおおおおおおおッ!?」

なのはがその言葉を言い終わる前に僕は凄まじい勢いでその場から跳び退っていた。その速度たるや、ひょっとしたら今なら弾丸も避けられたかもしれない。

僕の雄叫びと動きに、周りではなのはとフィアッセさんがびっくりしていた。
が、しかしそんなものを気にする余裕は、今の僕には無い。

なのはがそのクリッとした目をまん丸に見開きながら聞いてきた。

「ど、どうしたの、春くん……?」
「い、いや、凄まじいまでの殺気が……」

なのはの疑問に対する答えは、そんな冗談みたいにひどく漫画染みたもの。

しかし言葉を返しながらも、僕の視線は先程からただの一点───恭也さんに集中していた。
よく見ると美由希さんや晶、それに普段はぽやぽやしたレンですら引き攣った笑顔で彼のほうを向いている。

そして、当の恭也さんはさっきから男物の湯飲みを持っていて、今でも目を閉じたまま落ち着いた様子で食後の茶をしばいていた。

が、その身から迸る凄まじいまでの殺気は隠しようがなかった。
ていうか隠す気も無さそうだった。美由希さんたち武道組はガン見だし。

「きょ、恭ちゃん……?」
「し、師匠……?」
「お、おししょー……?」
「うん?どうした、お前ら」

むしろアンタがどうした。いや。想像つくけどさ。このシスコンめ。

そして、そんな恐ろしい殺気が感じられない一般人寄りのなのはとフィアッセさん(ていうか一般人寄りなのが少数派ってどうなの?)が空気を読まずに笑顔で僕に話しかける。なのはに至っては僕の手を持ってグイグイ引っ張っていた。

「春くん、はやく行こうよ!」
「春海も行っておいでよー。ここのお風呂って広くて楽しいよ?」

やめて!? 恭也さんからの殺気が物理的な威力を持ちそうなほどに高まってるから! あれ見た目は食後のお爺ちゃんだけど中身は殺し屋さんだから!

とは言え、ここまで純粋な笑顔で誘って来ているなのはを無碍にも出来ない。だって泣くし。

落ち着いて考えろ。
ここで重要なのは、なのはの誘いを断らず、尚且つ恭也さんに殺されないことだ。

なのはの誘いを断らないのは簡単だ。このまま一緒に風呂に行けば良い。
男子女子の差はあれど、所詮相手は小学1年生。たとえ僕が成人の身体であっても興奮や躊躇いなんぞ微塵もない。せいぜい妹2人を風呂に入れてやるのと同じことだろ。

問題は恭也さんだ。なのはの誘いを断らないことが決まっている以上、恭也さんの襲撃は避けられない。
ならば恭也さんの襲撃を受けて尚、向かい撃てるだけの戦力を一緒に風呂に連れて行けば良い。そしてこの場に居る戦力は……

「なのは」
「うにゃ?」
「葛花も一緒に風呂に入れてみるか?」

ソファに座ったフィアッセさんの膝の上で丸くなって、美由希さんとフィアッセさんに撫でられている葛花だろう。

なのはは僕の言葉を聞くや否や、パァッと顔を輝かせて、

「いいのっ?」
「ああ、良いとも。ぜひ連れて行こうじゃないか」
「うんっ!」
「という訳でフィアッセさん。葛花、連れていきますね」
「うん。はい、どうぞ」
「ども」

僕は葛花の前足の両脇に手を差し込んで抱き上げる。
抱きあげられて僕の目の前にある葛花の顔はキツネのものであるにも関わらず、ジトーッとしているように見えた。ムダに器用なヤツである。

『おい、なんぞこれは』
<僕の命に関わる問題だ。僕と共に風呂に来いていうか来て下さいお願いします。来てくれるのなら腹でも顎下でも好きなだけ撫で回してやるから>

撫でテク。
僕の108技のひとつである。葛花監修のもと、長年の厳しい修行を経て身に付けたものだ。

『ふ、ふむ。ま、まあ、そこまで言うのならついて行くのも吝かではないぞ?いいか。忘れるなよ?約束じゃぞ?』

この通り、葛花でさえ容易に陥落してしまうほどである。
今夜もまた息絶え絶えにしてやんよ。

「よし!では行くぞ、なのは!葛花!」
「うん!」
「こん!」
「いってらっしゃ~い」

笑顔でフリフリ手を振るフィアッセさんに見送られ、僕となのはと葛花は風呂場へと走った。



「……………………」
「あ、あーっ!?きょ、恭ちゃん!?」
「師匠!?湯飲み!割れます!割れますって!!」
「あほ春海!逃げるなー!ぬあー!?おししょーの殺気がめっちゃすごいことになっとるぅーっ!?」
「???……みんな、どうしたちゃったのー?」

背後でなにか叫び声が聞こえてきたが、きっと僕には関係ないことだろう。





「……ほら、痒いところはないかー?」
「ううん、だいじょーぶー。葛花ちゃんはどう?痛くない?」
「こん」

そうして現在2人と1匹でバスタイム。
僕がリボンを取っておろしたなのはの髪をシャンプーで洗いつつ、なのはは自分の膝の上にセットした葛花をワシャワシャ。

ちなみに僕はきちんと腰にタオルを巻いています、一応。

……にしても。

<お前って、その姿で僕と風呂に入るのは良いのか……?>

一緒に寝るのはNGのくせに。

そう思って目を瞑ってボヘーッとした顔で洗われている葛花に聞いてみたのだが、

『ふん。水浴び程度でそこまでネチネチ言うわけなかろ』
「……さいで」

うーむ。
こいつのアウトラインはいまいち分かり辛いな。

「?……春くん、どうしたのー?」
「うんにゃ、なんでもないよ。……ほら、流すぞ。目、瞑っとけ」
「わ、待って待って!……はい、いいよ!」
「そんなギュッと瞑らんでも……ま、いいけど。かけるぞ」

言いながらお湯の温度を調整して、温いくらいのものをなのはの頭からかける。
なのはの髪は水に濡れながらも僕の指をよく通し、シャワーから出るお湯がシャンプーの泡を次々と洗い流す。

「はい、もう大丈夫だぞ」
「うん」

僕の言葉に返事を返しながら頭をプルプル振って水滴を振り払ったなのはは、僕からシャワーを受け取るとそのまま膝の上の葛花についた泡を洗い流し始める。

「葛花ちゃん、気もちいい?」
「こぉん」

なのはの優しげな手つきと温かいシャワーに葛花が垂れてしまっている。
たれきつねである。

そうして葛花の泡をきれいに流し終えたなのはは、笑顔で僕の方を振り返ると、

「じゃあ、次は春くんの番だよ♪」
「ん。よろしく」

その後、僕は僕でなのはに背中を流してもらいました。

あー。ちょー和むわぁ。



そんなこんなで身体を洗い終えると、みんな湯船に入る。
フィアッセさんが言っていた通り、僕となのはが入っても(葛花は少し大きめの桶の中)まだ大人一人くらいが入ってこられる余裕があった。

…………まあ、たぶん、だからだと思うのだけど、

「春海、なのは。お湯加減、だいじょうぶ?」

突然、風呂のドアの向こうから声をかけてきたのはフィアッセさんだった。

「あ、はい。大丈夫です」
「ちょうどいいですよー」
「そっか、よかったー」

風呂場のすりガラスに映ったフィアッセさんの影はよく通る澄んだ声でそう言って、

「───じゃあ、わたしも入るね」
「ストォォォォォップッ!?!?」

えっ!?なにそのギャルゲ的展開!?ていうか最早エロゲですよね!?この世界はエロゲ空間だったのか!
フィアッセさん今何て言った?入るね?どこに?うん!ここしかないねっ!!むしろここ以外ないねっ!?

「ちょ、ちょっと待って下さい!フィアッセさん! Wait! Please Wait!! 僕はもう出るんで、あとはなのはとごゆっくり入って下さい!」
「えー。でもみんなで入ったほうが楽しいよ?」

まあ確かに楽しいことになりそうだけど。違う意味で。

「この場合僕にとっては必ずしもそうとは限らないのでどうか勘弁して下さい……」

ガラス越しに残念そうな声をあげるフィアッセさんとの会話を少し強引に断ち切り、僕は急いで風呂から出る準備を始める。とは言っても腰に巻いたタオルをしっかり巻き直すくらいしかすることは無いのだが。

「じゃあ、なのは。葛花はこのまま置いて行くから、出るときにタオルで軽く拭いて───」

一緒に入っていたなのはを見ないまま彼女に声をかけ、そのままバシャリと湯船の水を波立たせながら立ち上がりかけた僕の動きは、しかし、



「───なのは?」





───ギュッと、立ち上がった僕の右腕を掴んだなのはに止められていた。





湯船につかったまま俯くなのはの顔は僕からは見えず。
それでも僕の右腕を掴むなのはの手がほんのちょっとだけ震えていたのは、なんとなく分かった。

そんな彼女の姿がどこか迷子の子供のように感じられたのは僕の勘違い……では絶対ないよなぁ、これ。

「……どうした、なのは?」

僕は困惑を顔に出さないようにして、そして出来るだけ何でもない風を装ってからなのはに声をかける。
この辺りの切り替えは今までの精神鍛錬の賜物か。───それとも、なのはの姿が『前』のガキ共と僅かにダブって見えたからか。

「……………………」

かけられた僕の声に、なのははほんの2,3秒ほどの時間を置いて自分の顔を上げた。



果たして、ようやく見えた彼女の顔に浮かんでいた表情は───笑顔だった。



「───ううん、なんでもないよ。葛花ちゃんはちゃんと拭いておくから、心配しないでね」

ついさっきまでの震えや、僕の右腕を掴んでいた小さな手は、今はどこにもなかった。
ともすれば、さっきまでのは僕の勘違いだったのではないかとさえ思ってしまうような、そんないつも通りの笑顔。

なのはのそんな顔を見た僕は、

「……そっか」





───再び湯船に腰をおろしていた。





「……え?……ど、どうしたの、春くん?早く出ないとフィアッセさんが……」

僕はそれに答えず、すりガラスに映るフィアッセさんの影に目を向ける。
フィアッセさんは既に服を脱ぎ終わっているようで、ガラスに映るシルエットの殆どが肌色を占めていた。たぶん、彼女はこの後すぐに風呂場のドアを開いてここに入ってくるのだろう。

そうしてカチャリと軽い音と共に、ドアが開かれて───





「おじゃまするねー。2人とも仲良く───春海?」

僕たちの話しかけながら風呂場に入ってきたフィアッセさんの言葉は、しかし、その中途で途切れてしまう。

とりあえず僕も言葉を返しておく。
会話において重要なのは言葉のキャッチボールなのだ。

「なんですか?」
「どうかしたの?」
「何がです?」
「だって、……目にタオルを巻いてるよ?」
「……………………」
「……………………」
「……………………」

三者三様の沈黙(葛花はどうせ桶の中でふにゃけているのだろう)。

その重いんだか軽いんだかよく分からない空気の中でも、僕の口は言葉のキャッチボールを続投する。

「気にしないで下さい。そりゃあ据え膳上等が僕の信条ではありますし、棚ぼたも大いに結構ではありますけど、こういう卑怯くさい状況は望むところでは無いだけなので」
「?」

どうやら僕の投げた球は暴投だったようだ。

「大人のお姉さんと一緒にお風呂に入ることを恥ずかしがっている、とお考えください」

しかしカーブを上手く駆使することでなんとか軌道修正。

「そっか。でもそんなに恥ずかしがることないのに……」

フィアッセさんも上手く受け止めることができたようだ。もう完全に別の球になってるけど。

「……………………」

その間、なのははずっと黙ったままだった。なんか沈黙の質がさっきまで俯いてた状態とは違って微妙に感じました。まる。

『緊張感の続かん男じゃのう』

うっさいよ。



結局、あの後はなのはもいつも通りの様子で、フィアッセさんも交えて一緒に話をしたくらいだった。
今は風呂からも上がって、リビングのソファでくつろいでいる。

「~~♪~~~♪」

フィアッセさんは手持ちの小さなバッグの中に私物をしまいながら、歌を口ずさんでいた。
彼女は高町家とはまた別の場所に住んでいて、ここには泊まることも多いようだが、少なくとも今日は違うらしい。もうじき帰るのだろう。

なのははここには居ない。
いつも9時過ぎには寝ているらしいので、もう寝るための準備中である。

他のみんなも皿洗いだったり、続けて風呂に入っていたりして、何だかんだでこの空間には僕とフィアッセさん、それに僕の膝の上でドライヤーの温風を浴びてまったりしている葛花だけだ。

「~~♪~♪~~♪」
「……………………」

僕は葛花が火傷しないように気をつけながら温風を当てつつ、横目でフィアッセさんを盗み見る。
ここから見えるフィアッセさんの横顔はいつも通りで、とてもではないがなのはにあんな表情をさせたことに自覚があるとは思えない。

というより、あれは完全になのはが隠し通しているのだろう。

なのは本人に自覚があるのかは分からないが、あの娘はあれでなかなかの頑固者なのだ。
本人が一度これと決めたのなら、それが間違っているだとか気付かない限り、全力でやり通す。

それがこの数カ月の付き合いの中で僕が発見した『高町なのは』である。

……ただ、

(それがどんなことであれ、とにかく全力なのがあいつだしなぁ……)

「自分の決めたことをやり通す」と言えば聞こえは良いが、結局のところ、自分がそれを間違ったことだ(たとえ絶対的な間違いでないにしても)と理解しないと方向修正もしないまま突っ走ってしまうのだ、あいつは。

勇往邁進であり、猪突猛進。
良くも悪くも、それが『高町なのは』なのだ。

早い話が、なのはは“良い子”であるが、同時に“子ども”でもあるのだ。

……………………。…………。……。

「……フィアッセさん」
「うん?……どうかした、春海?」


…………まあ、


「……ちょっと、良いですか?」





─── そんな“子ども”を諭すことが、“大人”の役割であるわけだが。









(あとがき)

てな感じで第十話「お泊まりは友達の意外な一面を発見するものだ 2」投稿しました。

主人公、高町家の人々と着実に仲良くなってますねー。作者として嬉しいものです。なんか子供を見守っているような気持ちになっちゃいます。

あと恭也のシスコン具合がえらいことに(笑)。まあこれはギャグパートな上に、恭也としては春海を同年代の友達のように感じているのでその分遠慮が無くなっていると考えてください。同い年の友達が自分の妹に手を出してやがる、みたいな? 原作の恭也はもっと寛容ですのでお間違えなく。

次回はこの話の山場にして、作者がこの作品において描きたかったことの一つなので、何卒よろしくお願いします。

ではでは。






[29543] 第十話 お泊りは友達の意外な一面を発見するものだ 3
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/10/14 22:24
「んで」
「……………………」

夜9時を回った頃。
高町なのはの自室には二つの人影が在った。

一つは、もう寝る時間ということで家族におやすみと告げて部屋に戻った、『高町なのは』。
一つは、寝る準備を終えたなのはのところに唐突にやってきた友達、『和泉春海』。

春海は一人でなのはを訪ねてきたため、今は葛花の姿はない。大方、階下で他の女性陣が撫でているのだろう。

二人きりの部屋の中で、なのはは自分の勉強机の椅子に座り、春海はカーペットが敷かれた床でクッションの上に胡坐を掻いていた。
自分のベッドに座って、という彼女の言葉を春海が断ったのだ。

とは言え、位置関係的にはなのはが春海を見下ろしているものの、そのなのはが俯きがちになっているため、もしかしたら今はこれで丁度良いのかもしれない。───もしくは、春海自身がそのために自分から床に座ったのか。

普段のなのはならば、ここで春海と同じように床に座って目線を同じ高さまで合わせたのだろうが、今はそんな考えさえも浮かんでいないらしく春海が入ってきたときのまま椅子の上から動こうとしない。
俯きがちになっているなのはの表情は気まずそう、というよりは、もはや叱られている子どもの顔に近かった。

そんな目の前のなのはに、春海はいつものような気楽さで質問を投げかける。

「風呂場では一体どうしたんだ?」
「……………………」

春海からの問いに対して帰ってくるのは、沈黙。が、当の春海はそれに頓着することなく、話を続ける。

「ま、初めは僕が出ていくから引き止めただけかと思ったんだけどな。……そうじゃないんだろ?」
「……………………」

微かに、頷く。

「で、そうなると原因はフィアッセさんにあって、お前はそのフィアッセさんと二人きりになりたくなかったから、ついつい僕を引き止めちゃった、と」
「ち、───ちがうのッ!!」

と。

そこでようやく頭を上げたなのはが、まるで悲鳴のような大声で春海の言葉を遮った。

その表情から滲み出ている必死さは、一体どこから来ているのか。
春海は静かになのはを見つめてその感情の出所を模索する。

そんな春海に気付いた様子もなく、なのはは懸命に言葉を紡ぎ続けた。

「ち、ちがうの……フィアッセさんはぜんぜん悪くないの!!」

それは普段から明るくニコニコ笑ってるなのはには到底似つかわしくない、ともすれば別人のようにさえ思える、悲壮な表情。
もともと小さなその身体が、春海にはいつも以上に小さく見えた。

小さな少女は瞳を涙でいっぱいにして、今にも零れ落ちそうなそれをそのままに、目の前の少年に訴えかける。

「……ぜんぶ……全部、なのはが……ッ!!」


「───なのは」


そこで。

春海はなのはのまるで懺悔のような独白を短く遮ると、立ち上がって彼女の正面に立った。

「春くん……」
「……………………」

彼は無言のまま柔らかな笑みを浮かべ、自分の両手で涙に濡れる彼女の顔を包み込むようにして───





───なのはのぷにぷにのほっぺを、ぎゅーっと両側に引っ張った。





「───うぇぇえええッ!?いはい!?いはいほ、はるふん!?」
「はっはっはー、いや柔らかいなぁオイ。よく伸びるし。ほら、このまま女の子的に人生終わりそうなおもしろい顔にしてやろう」
「いはぁぁぁ!?やへてやへてっ!?」
「おらおらおらおらー」
「いはぁああああっ!?」



5分後。

「うっ……ううぅ……」
「…………」(ぷはー)

そこには先程までと変わらず床に胡坐を掻いてベッドにもたれる春海と、その隣で息も絶え絶えにカーペットの床に寝ころんでいるなのはの姿があった。なのはの方は乱れたパジャマと目端に滲んだ涙が小学生にあるまじき色気を放っている。
一方の春海のほうは右手の人差指と中指を口元にやり、ニヒルを気取ってプハーっと息を吐いていた。こちらに至っては小学生にあるまじき、というより、もはやただのおっさんである。

そのうち、やっと落ち着いたなのはが、さっきまでとはまるで意味が違う涙を瞳に浮かべながらムクリと身を起こした。

「うぅぅ……春くん、ひどいよぅ……」
「勝手に勘違いして勝手に叫び出した罰だ。うるさいし。近所迷惑だし。何より僕に迷惑だし」
「ええー……」

もうちょっと気遣ってほしいなのはだった。

「ところで勘違いって?」

なのはが首を傾げながら訊いてくる。
春海はなのはの表情にもう陰が指していないことを横目で確認して、

「だれもフィアッセさんが悪いとは言ってねぇっつの」
「……あ」
「それを早とちりして自分が悪いのーって。知らんがな」
「うぅ……」

なのはは顔を真っ赤にして縮こまった。ようやく自分の勘違いに気づいたらしい。

まあ、それでも春海に頬を引っ張られる必要性は全くなかったのだが。
そしてそれに気付いている春海は、当たり前ながら教えない。むやみに藪を突く趣味は無い。

「んで、その自称『悪い子』のなのはちゃんは」
「…………」
「……んな泣きそうな顔で睨むなよ」
「な、泣きそうになんかなってないもん!」
「へーへー。……それで、泣いてない(自己申告)なのはちゃんは」
「……もーっ!」
「あたっ!?」
「もーっ!もーっ!!」
「あたた、叩くな。叩くな!分かったから!もう言わないから!だから叩くなっ!!」
「うー!うー!」

なんか人語を話さなくなってしまったなのはのデコを片手で押えて遠ざけながら、春海は小さくため息をついた。

「まったく。話が進まないじゃないか」

お前が言うなである。



そうして、なのはもようやく落ち着いた頃。

春海となのはは改めて床に座って向かい合っていた。なんとなくお互いに正座する。

「それで。結局、風呂場でのことは何だったんだ?」
「う、うん……」
「あ、それと話しづらいことなら別に言わなくてもいいぞ。もともと無理矢理に聞きだすつもりはなかったし」
「ううん……だいじょうぶ」

なのははそこで一旦言葉を切ると、眼を閉じて大きく数回の深呼吸。たぶん、気持ちを落ち着けて、話すための覚悟を固めているのだろう。
逆に言えば、そこまでの覚悟をしなくては言いだせないこと、ということになる。それを察した春海は、今度は茶化すことなく静かに待つ。

やがて深呼吸を終えて眼を開いたなのはは、たどたどしくはあるものの、しっかりとした自分の言葉で語り始めた。

「えと、……なのはのおとーさんね、ボディーガードっていうのかな……?そのお仕事中にいろいろあってずっと前に大怪我をして、長い間入院してたことがあったの」
「…………」
「その時はまだ晶ちゃんやレンちゃんがこの家に居なくて、翠屋は始まったばっかりで。おかーさんやおにーちゃんたちががんばって翠屋で働いて、おとーさんのお見舞もみんなで一緒にがんばってて……」
「……うん」

相槌を打っていた春海自身、なのはの話自体は初耳だったものの、実を言うと少しだがそのことは予想していた。

恭也たちから、士郎が昔の怪我で本格的な試合は出来ないということを聞いていたのだ。
しかしその怪我を理由に現役を退いても尚、春海から見た士郎は衰えを感じさせていない。そこから彼の全盛期の実力は推して知るべし。
そんな高町士郎が引退を余儀なくする程の傷を負ったのだ。その事故───あるいは事件───の規模は相当のものだったのだろう。

まあそれでも流石に、士郎が元ボディーガードだとか、高町家にとってそんな忙しい時期に事件が起きたということは想像もしていなかったが。

「……なのはは家族のみんなが困ってるそんなときに、何もできなかったの」
「……なのは、それは」
「わかってる。なのははその時は今よりも、もっともっと小さくて弱くて。出来ることはわがままを言わないようするくらいしか、なかった、から……」

そう言うなのはの顔に浮かぶのは、どこか困ったような笑みだった。
それを見た春海が何かを言う前に、なのはは言葉を紡ぎ続ける。

「……最初はね、すごく怖かったの」
「……怖い?」
「うん。……なのはは何もできなくて、何もしてあげられなくて。だからおかーさん達から、一体いつ『あなたはいらない』って言われるのかって……本当に怖かったの」
「いや。あの人たちは天地がひっくり返っても言わんだろ、そんなこと」

間髪入れずに帰ってきた春海の呆れたような言葉に、なのはの笑みに少し明るいものが混ざる。


───ああ。この男の子は本当に自分たちのことをよく見てくれているんだな


そのことが少しだけ嬉しかった。だから、なのはの語調にもちょっとだけ強さが戻る。

「うん。そんなことなかった。みんな、なのはのこと大好きって、大切だって……いっぱい、いっぱい言ってくれた」
「まあ想像つくけどさ。どうせその時の恭也さん、ニコリともせずに言っただろ」
「にゃはは……。でもね、いくら大好きだって言ってくれても、大切だって言ってくれても、なのはがみんなに何もしてあげられないのは変わらなくて……。そのことが悔しくて、寂しくて、……家でひとりのときはよく泣いたんだ」
「……ん」

静かに耳を傾けてくれている友達に小さく笑いながら、なのはは言葉を続けた。

「それでね……、…………」
「……なのは。言いにくいなら無理はしなくていいぞ」
「……ううん、平気だよ。……なのはが悔しい、寂しいって思ってる、そんな時にやってきたのが、フィアッセさんなの」
「……それで?」
「うん。……さっきは言ってなかったけど……おとーさんが怪我したのって、お仕事でフィアッセさんを守ったから、なんだって」
「…………そか」

そこまで聞いた時点で春海には今回のことの大体の背景が読めてきたものの、しかし余計なことは言わずに視線でなのはを促す。

なのははそんな春海の視線の意図を正しく読み取り、続く言葉を口にする。



───この話をする上での、核心とも言えることを。



「……フィアッセさんに初めて会ったときね、なのは……ひどいこと、言っちゃったんだ」



そう口にしたなのはの表情は後悔でいっぱいで、少なくともフィアッセのことを恨んでいる風では到底なかった。
春海はなのはの心配をしつつも、頭の片隅ではそのことに安堵する。

春海の沈黙をどう取ったのか、それとも気にする余裕もないのか、なのはは俯きがちな姿勢のままで喋り続けた。

「……本当にわるいことだと思うんだけど……なのはね、そのときに何って言ったのか、覚えてないの。……でも本当にひどいこと言ったってことだけは、よく覚えてる。
そのことでフィアッセさんが泣きそうな顔で、でも一生懸命我慢して、なのはにずっと、何回も何回もごめんなさいって謝ってくれたのも……覚えてるの」
「…………」
「……それで、なのはたちに気づいたおにーちゃんたちがなのはのこと叱ってくれて。おとーさんも目を覚ました後にフィアッセさんは悪くないよって、言ってくれたの」
「……で」

と。

なのはの話をじっと聞いていた春海は、そこで話に割り込んだ。
ただ、自分が分かったことを話したいというよりは、独白のように話し続けてるなのはの心情を気遣ってのことだった。

「なのははフィアッセさんに、ちゃんと心の底から謝ることができたんだろ?」

思い立ったら即行動。そんな彼女の性格を、春海はよく分かっていた。
春海の言葉に対するなのはの答えは……こくりと小さく頷く、肯定。

春海は申し訳ないと思いつつも、なのはを追及する。今、この場においてはどうしても必要なことだった。

「だったら……なんでなのははフィアッセさんと風呂で二人きりになることを怖がったりしたんだ?」

春海からの問いに、なのはは歳に似合わぬ力ない笑いを浮かべると、先程までと同様の静かな声で答えた。

「普段、みんなで一緒にいるときは大丈夫だし、二人きりになるって分かってるなら平気なんだけどね……あんなふうに急に二人きりになっちゃうと、頭の中がまっ白になっちゃうの……」
「……うん」
「もしかしたら、あの時のことで何か言われるんじゃないのかなって……なのはのせいで、大好きなフィアッセさんが泣いちゃうんじゃないのかな、って……そんなこと考えだしたら止まらなくなっちゃって。……だから、あのとき急いで春くんのこと掴んじゃったの。……ごめんね」
「いや、謝らなくていいけどな?」

目隠しは精神衛生上キツかったが。

そんなことを思いつつ、春海は気になったことを訊いてみた。

「あのさ、なのは」
「うにゃ? なに?」
「要するに、なのはがフィアッセさんをイジメました。なのははみんなから叱られて、フィアッセさんに謝り、フィアッセさんもそれを許しました。ですが、なのは本人はフィアッセさんをイジメたことを未だに気にしています。こんなところだろ?」
「イジメイジメ言わないでよぅ……」

なのはの目はうるうるしていたが、当の春海はどこ吹く風で言葉を続ける。

「それで、なのははどうするんだ?」
「ど、どうする、って……?」

予想外の春海の問いに、なのはが戸惑いつつも首を傾げる。

春海はなのはの顔色がいつも通りであることを気付かれないようによく観察しながら、できるだけ普段の調子を心掛けて言った。
自分の問いが彼女の負担にならぬように。

「いつまでもフィアッセさんに申し訳ないとか思ってたんじゃ一緒に暮らせないじゃん。フィアッセさんに改めて謝るとか、話を聞いてもらうとか。いろいろあるだろ?」
「う、うん……でも、」
「でも?」
「うぅ……フィアッセさん、本当に怒ってないかな……?」

自分の不安を隠さずに上目遣いで春海に尋ねるなのは。そんな幼い少女の不安の言葉を聞いた春海は、───

「……………………」
「な、なんでそんな微妙な視線を……」
「安心しろ。バカを見る目だ」
「そ、それは安心できないよっ!?」

慌てるなのはと話しながら、春海は実はけっこう本気で困っていた。

(え?こいつ、なに言ってんの?フィアッセさんが怒ってないかって…………え?マジで今までそんなレベルで悩んでたの、こいつ?)

ぶっちゃけ普段のフィアッセを見てたら答えなんて既に出てるようなものだと思うのだが……。

「……………………」
「え、えと……な、なに?」

目の前で友達の視線にオロオロしている女の子は本気で分かってないっぽい。

(いや、まあ、……なのははまだ子供で、それも当事者である訳だから、逆に気づきにくいのか……?)

ともあれ、自分は高町なのはではないのだ。ここでいつまで考えていても憶測の域は出ない。

春海は思考を打ち切ると、不安全開の目の前の友達である女の子に改めて言葉を紡ぐ。

「なのは」
「う、うん……」
「……なのははフィアッセさんと一緒にいて、楽しいか?」
「……うん」

それは、なのはにとって自明のことなのだろう。今までになく、しっかりとした口調で肯定した。

それを確認した春海は、ひとつ頷きながら続ける。

「なのははフィアッセさんのこと、好きか?」
「うん」
「なのはは、フィアッセさんのこと、信じてるか?」
「信じて、る……?」

言葉の意味が解からず首を傾げるなのはに、彼は相手の目をまっすぐ見て、言う。



「───なのはの大好きなフィアッセさんは、自分のことを好きになってくれた女の子のことを嫌ったりしない、ってことだ」



「……ぁ」
「そもそもお前は、顔でニコニコしながら心の中ではコンチキショーなんて思ってるフィアッセさんを想像できるか?」
「……っぷ」

少なくとも僕には想像も出来ん、なんてすぐに冗談めかしてそんなことを言う友達に、なのはは可笑しそうに小さく吹き出すと、

「……にゃはは。なのはもそんなフィアッセさん、想像もできないの」
「だろ?」

場の雰囲気は既に完全に弛緩しており、なのはの表情からも春海がこの部屋を訪ねた時にあった固さは取れていた。

「……春くん」
「どした?」

なのははすっかりいつもの調子で春海に笑顔を向けると、改めて宣言する。

───自分自身の決意を、自分の背中をぶっきらぼうに押してくれた大好きな友達へと。

「フィアッセさんに謝るね。それで、仲なおりする!」
「おー。がんばれー」

ぜんぜん心配そうにもしていない友達に、思わず脱力して苦笑いが浮かんでくる。
まったく、もう少しは心配してくれても良いだろうに。失礼な友達である。


が、なのはの笑顔が継続したのは、ここまでだった。次に放った春海の言葉に、なのはの笑顔は見事に固まることになる。

春海はそのままニヤついた顔をなのはの部屋の出入り口に向けると、





「みたいですよー。───フィアッセさん」





「……………………にゃ?」

春海の言葉の意味が解からず、なのははポカンとした顔をドアのほうに向ける。

と。
ドアが音もなく独りでに開き、開き終えたそこには、

「あ、あの、なのは……ご、ごめんね?」

申し訳なさそうな自分の姉である美由希と、

「あ、……あはははは」
「い、いやー、なのちゃん……か、堪忍、して、な?」

引き攣った笑みを顔面に貼り付ける晶とレンと、

「……………………」

我関せずとばかりに目を瞑って腕を組み、廊下の壁との同化を図ってこの場を切り抜けようとしている兄、恭也と、



「…………なのは」

自分の胸元に手を当て、今にも泣きだしそうな顔でなのはをじっと見つめる───フィアッセ・クリステラの姿があった。



「え?……え?…………え、」

なのはは今の状況が解からず、意味の無いことを口にしながら何度も何度もドアと春海の顔を往復していた。

「え」

と、春海がそこで自分の耳に手を当てる。

それでは。

さん、はい。



「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっー!?!?!?」



なのはの悲鳴が夜の海鳴に響き渡った。

近所迷惑この上なかったが、今回ばかりはご近所さんには勘弁して頂きたいなのはだった。


**********


「ええええっ!?なん……ッ!?……な、な……ええええええっ!?」

僕の言葉と同時に開いたドアの向こうにいた高町家の面々を見たなのはは、彼らを指差しながら見事なまでにアワアワしていた。
頭のほうも処理が追いついていないらしく、大きくあいた口からは意味のある言葉が出てきていない。

このまま見ているのもそれはそれで面白そうなのだが、それではいつまで経っても収集がつかないので説明してやることにする。

「……お前な、この家であんな大声出したらこの人たちがやってこない筈ないだろ」
「で、でもぉ~」
「まあ僕は集まってた時に気づいてたけど」
「言ってよっ!?そのとき教えてよっ!!」

実はなのはが「フィアッセさんのせいじゃないの!」と叫んだ時点で、この部屋の前には全員集合していたのだ。
その間、約10秒。恭也さんに至っては5秒で飛んで来ていた。なのはが泥棒に怯える日はきっとないな。

ちなみに僕は『魂視』による気配察知もあって、そのときには既に気づいてました。

…………まあ、





「…………なのは」





───フィアッセさんには、僕がここに来る前に呼びとめて最初からドアの前に居てもらったのだが。

「…………ぁ」

僕となのはが話している間、恭也さん達がずっと部屋の中に入ってこなかったのは、たぶん彼女に止められていたのだろう。

フィアッセさんはそのまま部屋の中に入ると、まっすぐになのはの前までやって来て、目線の高さを合わせるように床に膝をついた。

「あ、あの、……フィアッセさん」
「……うん」

僕から見えるなのはの表情にあるのは、戸惑いと緊張、そして小さな怯え。
ついさっき決意を固めたとは言え、それでも長年彼女を苛んできたトラウマの一つなのだ。そうそうフッ切れるものではないのだろう。

それを見た僕は、

(───さて、と)

そっとその場で立ち上がると、他のみんなが見守っているドアの前まで移動した。

「あっ!は、春くん!」

背後から聞こえたなのはの声は、たぶん咄嗟に出てしまったものなのだろう。その声に立ち止まり、振り返える。

「あ、あのね……」

僕は不安げな表情をこちらに向けているなのはを認め、いつものように笑いかけると、

「なのは」

「……なに?」

怯えるなのはに、僕は言葉を紡ぐ。

大人としてではなく、彼女の友達として。

「頑張れよ」

「ぁ───うん!」

なのはは僕の言葉に、力強い返事と、いつも以上の笑顔を返した。


ここで僕《大人》の役目は終わり。





あとは、───





「フィアッセさん」

「……春海」


僕に話しかけられ、改めてこちらに顔を向けた彼女に、


「なのはの言葉、ちゃんと聞いてあげてくださいね」

「───うん。ちゃんと、聞くね。ありがとう、春海」





───彼女の役目だ。





フィアッセさんに笑みを返してから、僕は扉の前で見守っていた美由希さんたちを押して外に出すと、なのはの部屋のドアをパタンと閉めた。










「で」

なのはの部屋から出た僕は、廊下で笑顔を引き攣らせている面々(恭也さん除く)にジトーッとした視線を走らせる。

「何やってんですか、あんたら」
「「「あ、あはは……」」」
「……………………」

呆れたような僕の言葉に、美由希さんとレン、それに晶は気まずそうに苦笑い、恭也さんは無言で目を逸らした。

それぞれの反応に、僕はハァっと一つため息をつくと、

「……まあ、なのはの方はフィアッセさんに任せるとして。みなさんも明日からはいつも通りでお願いしますね」
「……でも春海、それでえーんかなぁ……?」
「なのちゃん、ちょっと泣きそうになってたし……」

レンと晶が声を上げたのでそちらに目を向けると、2人は不安げな様子でなのはの部屋を見ていた。美由希さんも同様だ。

「えーのも何も……そもそもこれはなのは個人の問題だしなぁ。そうでなくとも解決できるのは当事者のフィアッセさんくらいだろうし」
「……まあ、そうだろうな」

僕のセリフに恭也さんが同意し、言葉を引き継ぐ。

「俺たちが出来るのは、せいぜい今まで通りになのはのことを見ていてやるくらいだろう」
「それだけでも一般家庭から見れば十分なくらいですけどね」

普段の高町家に出入りしていれば簡単にわかることではあるが、この家は血の繋がりこそ無い者が多数いるものの、それを感じさせない暖かみが溢れているのだ。
なのはもそれをよく解かった上で、しかしそれでもなお幼いころの経験が心に刺さったトゲとして残っていたのだろう。
それは誰のせいではなく、強いて言うのなら運が悪かったとしか言いようがない。

「でも……」

と。

そこで、今まで黙っていた美由希さんが口を開き、全員が注目する。
彼女の表情にあったのは悲しみと悔しさ、───そして何よりも、自身の無力を責めていた。

「わたし、やっぱり悔しい。……今までなのはと一緒に暮らしてて、気づいてあげることも出来なかったなんて、お姉ちゃん失格だもん」
「美由希ちゃん……」

レンの心配そうな声も聞こえていないのか、美由希さんは俯いたまま言葉を続けた。

「……なのはが1人の時に泣いてたなんて、わたし、今日はじめて知った」
「……まあ、なのはも自覚はあったみたいですからね。家族の前では特に注意してたんじゃないですか?」
「それでもだよ……それに、春海くんは気づいたのに」
「美由希さん」

僕はそこで、美由希の言葉を遮るようにして彼女の名を呼んだ。
呼ばれた美由希さんが話すのを止め、こちらを向いたのを確認してから、

「僕が気づけたのだって偶然ですよ。それにそうやって後悔するのは別に良いですけど、この件に関してはもう終わったことですし、これからのことを考えればそれで良いんです。……そもそもなのはに聞きましたけど、その頃って高町家としても一番大変な時期だったんでしょう?余裕が無くなっても仕方ないと思いますよ。それまでも別になのはのことを放置していたってわけでもないですし」
「で、でも」
「ていうか」

そこで言葉を切って、僕は廊下の壁に目を向ける。つられて美由希さんもそちらを振り返ると、そこには───

「…………俺は今まで一体なのはの何を見ていたんだ。あんなに悲しんでいたのに気付いてやれなかったなんて……」

───壁に額を押しつけて後悔に暮れる、彼女の兄の姿があった。

「美由希さんの言葉がそのままブーメランで恭也さんにザクザク刺さってるんですけど」
「わ、わわ!?きょ、恭ちゃんっ!?」

さっきまで自分のことで精一杯だったのに、すぐに兄を励ましに向かう辺りこの姉弟子も十分ブラコンである。

「……美由希、俺はもう駄目だ。介錯を頼む」
「切腹っ!?切腹するの恭ちゃん!?だ、だめだよッ!」

「師匠、美由希ちゃんのセリフ聞きながらどんどん顔色悪くしてたからなぁ……」
「お師匠もお師匠で、なのちゃんや美由希ちゃんにはごっつ甘いしなぁ……」
「そういう2人は結構平気そうだな?なんでだ?」

なにやら向こうで漫才を始めた兄姉を放っておいて、比較的余裕がありそうな晶とレンに訊いてみる。

「まあ、うちらがこの家にやって来たんは士郎さんが退院した頃やし」
「そりゃあ、なのちゃんがあんなに悩んでたのに気付かなかった、ってのは情けないし、悔しいけどな。フィアッセさんがちゃんとやってくれそうだし、やっぱり師匠たちよりは前向きになれるって」
「……なるほど」

納得、と頷く僕を余所に、今後のことを話し合う猿亀コンビ。

「とりあえず、明日からなのちゃんとはいつも以上に遊ぶとして……」
「おいレン、明日のメシ当番ってお前だったよな?だったら2人でなのちゃんの好きな物つくろうぜ」
「おー。あんたにしては、ええアイディアやな。……よっしゃ、のったる。どっちがなのちゃんをより笑顔にできるか、勝負や!」
「望むところ!」
「あー、……とりあえず、がんばれ」

ガンつけ合って火花を散らす2人に巻き込まれないように後退しながら、僕は実に心のこもっていないエールを送っておいた。





それから30分ほどして。

僕は暗いなのは部屋のベッドで、なのはとフィアッセさんと共に横になっていた。

「……どうしてこうなったし」
「すー……すー……」
「どうしたの、春海……?」

しかも万歩ゆずって一緒に寝るのは良いとしても、何故か2人は僕の両隣りに陣取っていた。夏場には地味にキツイんだけど。
左側で僕の腕に抱きついているなのはに至っては、今日はいろいろあって疲れたのか既にぐっすり夢の中である。

「……あの、フィアッセさん。僕、やっぱ床で……」
「あはは、ダーメ♪」
「あはは、ですよねー♪」

相変わらずこの人さり気に押し強いしー


そもそもあの後。
なんとなく皆で廊下に集まったままでいると、10分程でなのはとフィアッセさんは部屋から出てきた。
廊下にいた面々は一瞬ドキッとしていたものの、それも2人の表情と繋がれた手を見るとすぐに安堵の笑みに変わった。


で、この状況となった。


「駄目だ。キンクリされている」

前後の繋がりが見えねぇ……。もっと行間読ませろよ。

「さっきからどうしたの、春海?」

フィアッセさんが僕の右側から訊いてくる。

しかもこのベッドは本来なのは用なのだ。当たり前だが3人で寝るには非常に狭く、僕たちの距離はゼロである。おまけに今の季節は夏。つまるところ3人ともパジャマはそれなりに薄着なわけで、……フィアッセさんの胸が柔らかいです。それでも興奮しない自分の息子に死んでしまいたいです。いや助かるけど。この状況的に。

とりあえず僕は首を捻り、フィアッセさんのほうに顔を向ける。

「?」

可愛らしく首を傾げられてしまった。てか、やっぱ顔近けぇ。石鹸のいい匂いするし。

……………………。…………。……。

ま、いっか。別にこの状況にアワアワするほどウブなつもりはないし(いや、緊張はしてるよ?流石にそこまで男捨ててないから)。
というわけで、隣のなのはを起こさないように声を潜めて、気になったことをフィアッセさんに訊いてみる。

「フィアッセさん、確かどっかのマンションに友達と同居してるんですよね。こんなに急に泊まるって言っちゃって大丈夫でした?」
「あ、うん。アイリーン───あ、その友達の名前なんだけど、その子は笑って許してくれたから」
「そりゃよかった。……今日はいきなりこの家に残るように言ったりして、すみませんでした。フィアッセさんの都合も考えずに」
「ううん、そんなことないよ。……あのね、春海」
「はい」

彼女は、笑顔を浮かべて僕の耳元に顔を寄せると、


「今日は、わたしとなのはのこと気にしてくれて、どうもありがとう」


そっと囁くように、そう言った。

「……僕はちょっと横から口を出しただけです。実際に頑張ったのはなのはですよ?」

「うん。なのはも頑張ってくれた。……泣きながら、いっぱい、いっぱい頑張ってくれた。……わたしのこと、大好き、って、……言ってくれた。
……でもね、そのなのはの背中を優しく押してあげたのはね、春海なんだよ?」

と、フィアッセさんは言葉を切ると、



「───だから、ありがとう」



「……………………」

ああ、もう。

やっぱりこの位置ヤダよー。隣で抱きついてるなのはのせいでフィアッセさんに背も向けられねぇー。

「……春海、身体が熱いよ?」
「……ほっといてください。もう寝ますよ」
「ふふ。……うん。おやすみ」
「……………………おやすみなさい」









(あとがき)
というわけで、「なのはとフィアッセの心のすれ違い編」了。

前回のあとがきで書いたように、今回の話は作者が「アニメ版リリカルなのはと原作とらハを合体させよう」と考えた時点で絶対にやりたいことの一つでした。幾らなのはがずば抜けて良い子だと言ってもそれでもやっぱりまだ小学生。“子ども”として精一杯頑張る高町なのはという少女と、それを受け止めるフィアッセが描き切れていたら幸いです。

そもそも作者は『和泉春海』というオリジナルキャラクターのことを『主人公』と呼称していますが、当たり前ながら物語という一つの世界が彼一人で成り立つ筈もなく、登場する人々にそれぞれのドラマがあると言うのが作者の考えなので、周りも蔑ろにしないようこれからも心掛けたいと思います。オリ主は舞台装置!

では。




[29543] 第十一話 力と強さは紙一重
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/10/20 19:58
「………………………」
「………………………」

目の前に振り下ろされる木刀。

その速度は目に見えて遅く、やろうと思えば避けるなり受けるなり反撃するなりとやりたい放題だろう。

だが、今はそうする訳にはいかない。

僕は振り下ろされる木刀を自分の右手で持つ木刀で受け流す。
ただ受け流して終わりではない。打ち下ろしに隠れた左の逆薙ぎによる追撃がある。

これまたゆっくりと迫る木刀を今度は屈んで避けると、半歩踏み込んで左の木刀での順突き。
相手は此方の突きを体を逸らすことで避けるが、僕は突きの勢いのままに回し蹴りを繰り出す。
相手はこれを一歩後退して避け、そして再び互いに切り結ぶ。

薙ぎ。
逆薙ぎ。
斬り下ろし。
斬り上げ。
袈裟斬り。
逆袈裟。
突き。
逆突き。
肘。
蹴り。
体当たり。

ゆっくりと。
一つ一つの教えられた型を確認しつつ、新たな動きを丁寧に体に覚え込ませるように。

ともすれば欠伸さえも出てしまいそうな速度の中で、僕は集中力を極限まで引き上げる。少しでも集中を切ってしまえば、この速度でも容易に押し切られてしまう。それほどの実力差が、彼我の間には存在しているのだから。
実際、ここまで出来るようになるまでに一体何回、何十回、何百回『殺された』ことだろう。

着ている運動シャツは極限の緊張の中で流れた汗を吸い、酷く不快な感触を生み出している。


僕が高町家に泊まりに来た、その次の日。
今日は翠屋のほうも余裕があるということで、士郎さんに直接修行をつけて貰っているところだった。

現在進行形で行っている“これ”も、その一環である。
傍から見ると酷く地味に見えるものの、その実それでも全身の、特に下半身の負担が半端じゃない。今まで葛花と2人でやってきた鍛錬も十分に過酷と言えるものであったものの、それとは疲労のベクトルが全く違う。
基礎の基礎から鍛えられている、といった感じだ。まあ生憎と僕は武術の知識面においては素人を抜け出すか如何かのレベルなので、もしかしたら別の意図が在るのかもしれないが。

そうしてしばらく互いに隙を見つけては木刀を打ち込み蹴りを入れ、かわしては受け流すを繰り返していると、

「……よし、ここまでにしよう」

何の脈略もなく唐突に、相手方から待ったが掛かった。

「はぁ、はぁ、……はぁ、……あり、がとう、ござい、……ました」
「ははは、いきなりはやっぱりキツかったか。楽そうに見えてかなり疲れただろう?」

そう言う士郎さんの方は多少汗を流してこそいるが、息は乱れておらずまだまだ余裕が残っていた。そのことが少し悔しい。

「はぁ、はぁ、……そう、ですね……」
「とりあえず水分補給をしてくるといい」
「は、い……」

士郎さんのお言葉に甘えて僕は道場の壁際に置いてある水筒のもとにフラフラと近づくと、水筒から直接口をつけて飲む。
温めのスポーツドリンクが喉を潤し、体に残留した緊張感を洗い流していく。

「んっ…んっ……ぷはっ」

ようやく動悸が治まってきたのを感じながら、僕は道場に居るもう一組の男女に目を向ける。

「やっ!───ハッ!」
「フッ!……アァッ!!」

其処では恭也さんと美由希さんが、僕との試合の時とは比べ物にならない程の速度と錬度で殺陣を披露していた。

…………真剣で。

「なんか、いよいよ光景が戦闘民族染みてきたな……」

いくらお互いの技量がよく分かっていてエモノの刃挽きもしているとは言え、鉄製の凶器もって全力で打ち合うか普通?
恭也さんと美由希さんが現在やってることはさっきまでの僕と士郎さんと同じもので、さらにはその発展版らしいけど…………正直、技の引き出しも精度も速度も判断力も僕とは次元が違いすぎて比べること自体がおこがましく感じる。

いやまあ流石に剣術一筋で十数年やってきた彼等と、雑食・摘み食い上等の自分を比べようとは思わんけど。

そうして僕が最早驚きよりも呆れが多くなってきた視線を向けてると、士郎さんも隣にやってきた。
僕は床に胡坐をかいて座り込み、士郎さんは立ったまま腕を組んで恭也さんたちの物騒極まる鍛錬風景を並んで見物する。

あ、ちなみに葛花も今は道場の隅っこで静かに丸まって見物している。士郎さんが剣には近づかないということを条件に許可をくれたのだ。

「ああして真剣を打ち交わしている光景はやっぱり珍しいか?」
「それも確かにありますけど……恭也さん達、もう何時間くらいああしてましたっけ?」
「ふむ、確か……そろそろ3時間になるかな?」
「いやそんな『そろそろ3分』みたいな……」

まあそもそも“何時間”って訊き方からして有り得ないが。桁どころか単位から違うとか。
そこは普通“分”だろ常考。

そんな本日何度目になるかも忘れてしまった呆れを感じていると、恭也さんたちの鍛錬を眺めながら士郎さんは話を続ける。

「いや、それにしても俺も驚いたよ。様子を見ながら徐々に時間を増やしていこうと思っていたのに、いきなり2時間近くもやってのけるんだからな」
「あー……まあ、体力と集中力は多少は鍛えてたので」

というより、フィジカルの面では体力と身のこなし位しか鍛えようが無かったのだ。この歳で筋肉ムキムキになるまで筋トレするわけにもいかないし。それでも薄っすらと汗を流すのみで息一つ乱していない士郎さんを見ると、鍛え方が足らなかったかなーとも思えてしまうが。
それに、そもそも陰陽道においては術を使うための精神修養(座禅とか)は必須である。ある意味幼少期には鍛えようがないフィジカル面よりも集中力の修行の方に力を入れていたかもしれない。

「それに本当は剣一本から始めるつもりだったんだがな。……初めからこれなら、すぐにでも実戦的な段階に入れそうだ」
「御神流は小太刀による二刀流、でしたっけ」

そう言い返して視線を落とした僕の傍には、先ほどまで僕が握って振り回していた木刀が二本。
実際、士郎さんが言う通り彼等は当初僕に剣の素振りをさせる段階では木刀一本から教えるつもりだったらしい。

士郎さん曰く、二刀流を扱う上で重要なことは右腕と左腕が全く同じように使えること。
右利きだからと言って左腕で剣が満足に扱えないのなら、それは二刀流ではなく単に木刀を二本持っているだけ。
右腕で可能なことは全て左腕でも可能でなくてはいけない。

それが二刀流というものだ。

それに対して“僕”はと言うと。

これは単なる偶然なのだが、もともと『前』の僕は左利きだったのだ。
それ自体は『今』も変わりないのだが、何年か前に左腕で箸を持つ僕を見た母親が出来ることなら右腕を使うよう言ってきたのが始まりだった。
なんでも日常生活を送る上では右腕の方が何かと便利であるし、小さい頃なら矯正も楽だろうと思ったようだ。まあ、もう癖になってしまったのなら別に無理をして直さなくても構わない、とも言っていたが。

そして、それを聞いた葛花がどうせなら両利きにしろと言ってきて。戦闘を行うのならば両腕が遜色無く動くのは大きな利点となる、とも言ってたっけな。…………その後に『左腕が切り落とされても右腕が動かせるならば問題無かろ?』とかも言っていたが。
ふざけんな大問題だよ。そもそもそんなスプラッタな日々を送る予定は僕の人生設計図にはありません。

まあ実際になってみるとこれが意外に便利なもので、今ではすっかり両利きであることに慣れてしまったが。

…………それに、霊と対峙するときに両腕で呪符を投げられるようになったのも、何気に結構な助けになってるし。

「それはそうと……」

と、二刀流について考えを巡らせる僕の隣で士郎さんが話題を移したので、そちらに意識を向ける。改めて士郎さんに顔を向けると、彼は思いのほか真面目な表情でこっちを見ていて、

「昨日の夜に恭也に聞いたんだが、なのはが世話になったってね。フィアッセも随分と晴れやかな顔で働いていたよ。……ありがとう」
「あー、……どう致しまして、ということで」
「ああ」

昨日のフィアッセさんの一件で高町家の人たちの感謝の言葉は素直に受け取ることを学んだ僕である。

「オレも、なのはとフィアッセの件は知ってはいたんだがな。……なのはがあそこまで気にしていたというのは終ぞ気付かなかったよ。親としては、情けない限りだが……」
「まあ、当時の高町家の状況を考えたらそれも仕方がないかと。なのはもなのはで家族の前では特にばれない様に注意していたようですし」

てか、そうでなくとも士郎さんはどちらかと言うとそういう気微には疎い部類に入るっぽい。鋭いには鋭いのだが、それが人間関係になると良くも悪くも豪快な人なのだ。大雑把とも言う(桃子さん談)。

「美由希さんにも言いましたけど、僕がなのはの様子に気づけたのだって偶然ですよ」
「いや、それでも───っと、すまん。これ以上はただの愚痴だな」
「別に構いませんよ。それくらいなら幾らでも」
「……つくづく思うのだが、君はその歳にしては大人だな。下手をすればオレよりも年上に感じるぞ」
「あはは、それは流石に言い過ぎですよ」

『前』を入れても三十路にも達していないので、一応ウソは言ってないよ?

「そのうち、また改めて何か礼をさせてくれ。……まあそうは言っても、君に御神流を教えるわけにはいかないのだが……すまないな」
「気にしないで下さい。こうして剣の手解きをしてくれてるだけでも僕としては大助かりですから」

技も盗ませて貰うつもりですし。言わないけど。

それはそうと。

「ところで士郎さん」
「何だい?」
「ひとつだけ質問いいですか?」
「うん?別に構わないが」
「ありがとうございます。それじゃあ遠慮なく………………恭也さん達、とうとう何か変なもの投げ始めたんですけど」

うん。さっきから恭也さんと美由希さん、真剣や蹴りに混ざって変な金属刃や糸を投げまくってんだ。
アレだアレ、忍者が使う『苦無』みたいな感じ。糸に関してはもう意味不だけど。

さっきから必死に見ないようにしていたのだが、流石にもう限界である。士郎さんと話している間もキンキンキンキンうっさいし。

「何って、『飛針』と『鋼糸』だが」
「そんな当たり前だろ、みたいに答えないでください……」

何そのロマン武器。

「『鋼糸《コウシ》』ってのは何となく解りますけど……。何ですか、その『とばり』って?」
「『飛針《トバリ》』だよ。まあ言ってみれば、漫画なんかで忍者が使う苦無みたいなもの、か」
「実戦剣術がんばり過ぎでしょう」

それもう完全に忍者じゃん。それとも世の中の『実践剣術』って大概こんなモンなの?スゲェな実戦。

「飛針単体の殺傷能力は低いから、大抵は牽制やフェイントに使うくらいかな」

殺傷つった。今この人『殺傷』つった。あまりにもナチュラルに言うもんだから聞き逃しそうになったけど、日常会話の延長で使っちゃいけない言葉使ったよね?

隠す気ゼロかよ士郎さん。

それとも、もしかして御神流が殺人剣ってこと隠してないの?うわー、そうだとしたら葛花とわざわざ話し合ってまで結論出した僕マヌケ過ぎるな。

「あと鋼糸のほうは特殊な繊維に鉄粉を焼き付けた極細のワイヤーだな。御神流では両手に小太刀を持ったまま闘うから、鋼糸と飛針を自由自在に扱えるのは必須になる」
「なんか、だんだん御神流の目指すところが解らなくなってきた……」

実戦的過ぎだろ、御神流。

「うーん、そうだな……」

僕の言葉を聞いた士郎さんは少しだけ悩むように顎下に手を添えると、……やがて恭也さん達に向いていた視線をこちらに向け、言葉を紡いだ。

「春海くんは何のために剣を振るつもりだい?」

何気なく訊いているにしては、些か以上に重い問い。表情こそ変わりないが、訊いてくる士郎さんの声も何処となく真剣味を帯びているように感じる。
そのことは察していたものの、僕は敢て士郎さんのほうには顔を向けずに、恭也さんたち2人の鍛錬風景を眺めながら言葉を返した。

「士郎さん」
「ああ」
「世の中って、どうしようもないことって結構あるじゃないですか」
「……だな」

いきなり彼の問いに関係ない言葉を吐く僕に、士郎さんは口を挟むことなく相槌を打つ。そのことに心中で感謝しながら僕は自分の内心を言葉にして紡ぎ続ける。

「別に僕の知らない何処かで僕の知らない誰かが死のうと、どうでもいいんですよ。そんなの救おうとは思わないし、救えるとも思いません」
「……………………」
「でも自分の周りで理不尽が起こるのは、酷く気分悪いんですよ。家族や友達が大変なことに巻き込まれて、それを傍観しているだけの自分っていうのは、想像するだけで殴りたくなってきます」

僕の言葉を士郎さんはどう思うのだろうか?端から見れば、かなり不気味なガキに見えると自分では思うのだが。
まあそもそも、まだたったの6年と少ししか生きていない子供の安っぽい言葉でしかないのだ。本気で受け取る方が少数派か。

「剣を振るう目的を訊いてくるのなら、それが理由です。───でも、士郎さん」

ここで僕は初めて士郎さんに顔を向け、彼を見上げた士郎さんは思っていた以上に真面目な顔でこちらの言葉を清聴しており、そのことに内心で安堵する。

「そんな理由で誰かのために行動したとして、その人たちって本当に喜ぶんでしょうか?」
「……それは、自分の行動を正当に評価してほしいってことかな?」
「あー、……すみません、違うんです。別に感謝されないと嫌だって訳じゃないんです。自分の感情が単なる独りよがりって思われて、その結果が罵倒のみの自己満足であったとしても、それで僕は行動したことを後悔しない気がします」
「……なら、どうしてだい?」
「誰かのために闘って自分が傷ついて、それで護られた人って幸せなのかって、よく考えてるんです。……例えばなのはやフィアッセさんを暴漢から襲われたのを僕が助けて僕が大怪我したとして、士郎さんは───2人が笑ってくれると思いますか?」





それは僕が鍛えていく中で昔からずっと考えていて、しかし未だに明確な答えが出ていない問いだった。


『身近な人を護る』


なるほど、それは口にして耳にすると非常に聞こえが良い言葉だ。
自分の実力で以て、大切な人のためにその実力を振るう。それは素晴らしいことだろう。

───でも、その対価として僕が傷ついたとして、護られたその人達は諸手を上げて喜んでくれるのだろうか?

答えは僕が士郎さんに出した例を出すまでもなく『No』。一体どこの誰が自分のせいで他人が傷つくことを喜ぶというのだ。
確かにその人の身体は助けられるだろう。しかし今度はその人を護った本人がその人の『心』を傷つけてしまうのでは本末転倒ではないか。



“人”は、本当に簡単に『死』んでしまうのだ。



そのことは自分の身を以て、よく知っている。

大袈裟だと言う者もいるのだろう。そんなことは滅多に起こらないから大丈夫だと考える人もいるのだろう。

───でも。

少なくとも一度死んだ身としては、自己満足に甘んじる覚悟はあっても自己犠牲を肯定する気には、とてもじゃないがなれない。

ならば自分も傷つかない程に強くなれば良いのかもしれないが、……生憎ながら僕はそんな鍛えれば敵なしの最強超人になるような才能を自分に見出すことはできない。ていうかどこのナルシストだ、それは。

そうでなくとも、この世に存在する“力”は『武力』が全てではないのだ。知力。権力。財力。探せばまだまだあるだろう。その全てから護ることが出来るなんて自惚れることは、僕には無理だ。

……………………。…………。……。

まあ色々と恥ずかしい持論弁説を述べたところで、結局はただの弱音である辺り情けない事この上ないよなぁ……
などとミニマムサイズの自分の肝っ玉に頭を抱えていると、僕の話を聞いていた士郎さんが苦笑いしながら、

「……オレとしては耳に痛い話だな」
「へ?…………あ」

やべー。さっき僕が出した例、まんま士郎さんじゃん。

「す、すみません!別に士郎さんを責めてるわけじゃ───」
「ははは、わかってるさ。ただ……うん、やっぱりオレとしても考えさせられる意見だな、今のは」
「……すみません。生意気言っちゃって」
「気にするな。むしろそこまで考えていることに感心しているくらいなんだ」

そう言って微笑を浮かべる士郎さんに感謝して、再び恭也さん達へと視線を戻す。見ると美由希さんが押されてきているようで、彼女はその整った顔を必死さに歪め荒い息で恭也さんの猛攻を防いでいた。

それを視界に収めながら、僕は士郎さんへと再び言葉を掛ける。

───先程から気になっていたことを、訊いてみる。



「それで、……試験には一応、合格ですか?」



「───……気付いていたのか?」

驚きを表面に出さない辺り流石だなぁ、と思う。たぶん僕ではこうは行かない。

「休憩中の雑談にしては士郎さんの表情が真剣すぎてましたから。そうでなくても、そろそろ来る頃だとは思っていたので。
……士郎さんは自分の娘の友達とは言え、何の探りも入れずに人殺しの技術を教える方には見えませんでしたし」

早い話が、さっきまでの問答は僕がここで剣を習い続けるに値するかどうかの士郎さんからの臨時試験のようなものだ。
まあそれが終わった以上こうして確認する必要もないような気もするが、そこはそれ、これこそ雑談の延長でしかない。

「……いや参った参った。ま、こんなオレでも一家の大黒柱としての役目があるんでな。気に障ったのなら謝ろう」
「いえ、当然のことかと」
「……本当に不思議な子だな、君は」

僕の返しに苦笑いしながら、士郎さんは言葉を続ける。

「君の人柄もこの数カ月で見ていたし、その心根も十分とは行かなくても理解したつもりだった。正直なところ、このまま基本的な剣術を指南するだけなら今回の確認も必要無いと思っていた。───でも、」
「───今日の僕の太刀筋を見て、予定を変更した」
「そうだ」

それは、考えるまでもなく当然のことだった。 





───御神流の指導を受けておらず基本的な足捌きと剣術しか教えられていないはずの僕が、恭也さん達の劣化コピーでしかないとは言え、御神流の太刀筋を模倣していたのだから。





流石の僕も士郎さん相手に隠しておけるとは思っていなかった。普段から僕の相手をしている恭也さんが気づいていないのでさえ、僕の太刀筋がまだ未熟で御神流のようには見えないことが原因なのだ。恭也さん以上の実力者の士郎さんが気づかない筈がない。

「まだまだ不格好ではあったが、あれは御神流の基本の一『斬』の太刀筋だった」
「一応恭也さんや美由希さんの太刀筋をベースに模倣しているんですけど、……やっぱり猿真似ですね。本家様には死んでも追いつけそうにないです」
「うーん、……残酷なことだが、そこはやはり才能だろうな。もともと御神流自体が少々出自が特殊でな。多少だが家系の血が関係しているのは間違いないだろう」
「ですか。……ところで盗んでる僕が言うのも何か違うような気もしますし、すごい今更ですけど、……士郎さんは良かったんですか?」
「うん?何がだい?」
「いやだから、……僕って御神流の技を盗んでいる訳じゃないですか。当主として何か一言物申すこととか」

ぶっちゃけ、この話題を始めた時点で許してもらうために土下座する気満々だったんだけど……。

そんな僕の言葉に士郎さんはキョトンとしていだが、やがてすぐに破顔すると、



「───『護る』ために、必要なのだろう?」



……そう、言ってくれた。彼の予想外の言葉に固まる僕を置いて、士郎さんは続ける。

「御神流は到底、人様に誇れるような剣じゃない。目の前の障害をブッた斬ることしか出来ないような殺人剣だ」

でもな、と、士郎さんは言葉を翻し、





「───それでも、御神の剣が掲げる『人を守るための剣』という理念は、紛れもない本物だ」





「そりゃあ、大勢の人に感謝されるような剣じゃない。前にも後ろにも『道』なんてものは無い。ただそれでも、春海くんが誰かを護る上で御神流は必ず力になってくれるはずだ。それは当主であるオレが保障する」

尤も君のご両親や桃子の手前、直接的に指導する訳にはいかないが、と続けて頭を掻く士郎さんを見上げながら、僕は言葉が出てこなかった。

端的に言うのなら、驚いていた。

真面目な話、今回のことは破門にされることさえ覚悟していたのだ。
それでも尚こうして話したのは、剣術を指南してくれている士郎さんへの義理であり、同時に僕自身のけじめでもあったから。

……なのだが、

「……まさか黙認宣言されるとは思っていませんでした」
「オレとしても、さっきの問答で君がまともな答え返さなければ赤星くん───ああ、恭也の友達なんだが───の剣道道場を勧めるつもりだったんだ。こちらから誘ったにも関わらず、な」

というより、当主の立場からすればそちらの方が当然のような気がする。

「でも君はオレ以上に考えていた。事実、昨日はなのはとフィアッセの『心』を、君は護ってくれた。……だからまあ、これは親としての礼とでも考えてもらえれば良い」

全然足りないが、と照れながら頭を掻いてそう付け足す士郎さんに、僕は改めて向き直る。

胡坐は、既に正座に直してあった。
居住まいを正し、自分にできる精一杯の誠意を込めて頭を下げる。

「───ありがとうございます」
「……ああ。頑張ってくれ」
「はい」

それで、この話題は終わり。双方とも無言でそれを察す。

「……ああ。ところで」

先に口を開いたのは士郎さんだった。道場の反対側にいる葛花に目をやりながら放たれること彼の言葉に僕は耳を傾け、

「───普段から春海くんの後ろにひっついてる気配は、あの葛花という狐で間違いないのかい?」


───固まった。


……って、そうだよ!恭也さんが葛花の気配に気づいてたんなら士郎さんが気づかない訳ないだろっ!?うわ、本気で失念してた!なんか士郎さんなら気配で人物の特定まで出来そうだなオイッ!?

とか考えながらテンパる僕だったが、しかし士郎さんはそんな僕に気付くことなく次なる爆弾を投下する。

「たぶん、化け狐のようなものだとは思っているんだが……」
「…………わかるんですか?」
「はっはっはっ、その様子だと図星のようだな」

目を剥いて驚く僕に士郎さんは快活に笑うと、早々にタネ明かしを始める。

「いやオレの友人の娘さんにな、なんというか、……猫の耳と尻尾を生やした子がいるんだ」
「……えー」

ネコ耳ですかー

「ま、その子も別に生まれで悩んでるわけじゃないそうだから、その子の親とは今でも普通に友人付き合いさせて貰っている。そういうことで、実際に“そういうもの”を見たことはないが居るということは知っているというわけだ」
「……今度こそ、本気で驚きました」

言いながら降参とばかりに両手を頭上に掲げる僕に、士郎さんはイタズラが成功した子どものように笑いかけながら話を続ける。

「あの“葛花”も君が平気で傍に居たり君の家で飼われているところを見ると、そう悪い子ではないんだろ?」
「……ええ、まあ。自分的にはパートナーのようなものです」
「なら別に構わないさ。……いや、前々から僅かな気配自体は感じていたんだが、肝心の姿がいくら探っても見当たらなくてな。昨日、君がああして家に連れて来てやっと気配の正体が解かったところなんだ」
「たぶん本人も悟られていたことには気付いていたとは思いますよ。そういうのに頓着しない奴なんで、そのまま気にしなかったんでしょうけど」

だってこの距離で僕たちの会話が聞こえているはずの葛花から何のリアクションも帰ってきていないのだから。大方、士郎さんに特に害意を感じなかったからそのままにしていたのだろう。

「それにそういうことなら、君の妙な動きにも納得できる」
「僕の?」
「ああ。道場で実際に動きを見た時にも思っていたんだが、春海くんの体捌きや咄嗟の反応が例え今まで我流でやっていたんだとしても妙に獣みたいだったからな」

というより最初に違和感を覚えたのは元々そこだ、と士郎さんは続けながら横目で僕を覗き見て、

「ただ、オレとしても特に深くまで聞くつもりはないさ。何か理由があるんだろう?」
「あー、……士郎さんになら話しても良いような気がしてきましたけど。でもまあ、とりあえずその辺りはまた今度にしておきます。雑談で話すようなことでもありませんし」
「了解した。気長に待ってるさ。───さて、そろそろだな」
「はい?」

唐突に呟かれた士郎さんの言葉の意味が解からず、思わず間の抜けた声が出る。士郎さんはそんな僕に笑いかけると、

「今日は美由希が最後に、ある技を恭也の刀に打ち込んで終わる予定なんだ。まだまだ未完成ではあるが、春海くんにとっても見ておいて損は無いはずだ」

言い終えると、士郎さんは恭也さん達に視線を戻す。それに倣って、僕も改めて道場の中央にいる恭也さんと美由希さんに目を向けた。
長い間続いた殺陣もいよいよ佳境へと入ったのだろう。両者は数歩分の距離を取って向かい合っていた。

勝負自体は終始一貫して恭也さんが押していたイメージがあったが、それはどうやら間違っていなかったらしい。息は両者共にあがっているものの、恭也さんは五体満足。一方の美由希さんは左腕をぶら下げ、右脚を引き摺っていた。あそこが、恭也さんとの打ち合いの中で『死』んだ部分なのだろう。

睨み合っていた両者の均衡を崩したのは、恭也さんだった。

「…………もう、そろそろ時間だ。次で最後になる。予定通りに、“あの技”を試してみろ」
「───はい」

瞬間。

両者の距離は零となり、これまでとは比べ物にならない速度で剣撃が交わされる。

五合、……十合、……そうして二十合を数えるか数えないかのところで、美由希さんが右に握った小太刀を振りかぶり、


キィィイイッ!!


───恭也さんの持つ小太刀へと、叩きつけた。

ぶつかり合う刀と刀。甲高い金属音が、道場に響き渡る。

「……………………」
「……………………」

静寂。

見守る僕と士郎さんは兎も角、打ち込んだ美由希さんも、そして受け止めた恭也さんも、両者とも微動だにしない。───いや、


カラン


先程の耳をつんざくような金属音とは大きく異なり、今度は酷く軽い音が静かな道場に響いた。発生源は───恭也さんの持つ小太刀だった。

見ると、小太刀を握っていた恭也さんの右手は完全な空手。肝心の小太刀は……道場の床に転がっていた。

「……落とした?」

……いや、違う。

目を凝らしてよく見てみると、恭也さんの右腕は細かく震えているのが解かる。
そうして目の前で起きた現象の意味を真剣に見定めていると、横にいる士郎さんが僕に応えた。

「───あれが、御神流の基本の二『徹』。
ま、さっきも言ったように美由希のはまだまだだが。……見えたかい?」

訊かれたため、とりあえず見たままのことを応える。

「打ち込み自体は、それこそいつも以上に力を入れていたということ位しか解かりませんでしたけど、……打ち込まれた側の恭也さんの腕が痺れてました。あれが肝ですか」

果たしてそんな僕の答えは、なんとか及第点だったらしい。士郎さんはひとつ頷くと、

「ご明察。特殊な打法によって衝撃を伝播させ、相手の身体の任意の部位を破壊する。……使い方次第では簡単に人を殺せるって代物だ」
「中国拳法にも確か『浸透勁』ってヤツがありましたっけ。詰まる所の、内部破壊系。……で、美由希さんはその衝撃が拡散してしまって、単なる波にしかなっていない。だから“まだまだ”、ですか」
「完成系ともなると心臓へのダイレクトアタックも可能だからなぁ。使いどころをミスったりすると、あっという間に刑務所行きだ」
「物騒ですねー」
「剣術なんてもともと物騒なもんだ。……美由希は今年の間は『徹』の鍛錬に集中するつもりだ。君としても学べるものは多いだろ」
「……ありがとうございます」

それだけ言葉を交わして、僕は今日はとことん影が薄くなっていた葛花へと念話を通す。

<お前はさっきの、解かったか?>
『いや、……動きだけならばどうとでも模倣できるが、この場合で肝要なのはおそらく打ち込む打点や角度じゃろう。“あれ”を習得する手間を考えれば、典型的な急所に打ち込むか噛み砕いたほうが速いかもしれんな』
<身も蓋もないなぁ、おい。……まあいいや。とりあえずは、いつものように観察・模倣・実践だな>
『お主も飽きんのう』

そんな呆れ気味の葛花の声は放っておく。言われるまでもなく分かってはいるが、折角の士郎さんからの厚意なのだ。無碍にできる訳もなく、また、する気もない

「恭ちゃん、……大丈夫?」
「……ああ、問題無い」

恭也さんは心配そうに覗きこむ美由希さんに言葉を返しながら立ち上がると、…………いきなり深刻な顔で美由希さんを睨みつけ始めた。

「……………………」

無言。

「きょ、恭ちゃん……?」

突然豹変してしまった恭也さんの態度に、美由希さんは不安そうにしながら呼びかける。本人はたぶん怒らせてしまったのではないかと気が気でないのだろう。

そしてそれは僕も一緒だった。

「ちょ、……士郎さん。恭也さん、どうしたんですか?」
「いや、オレにもさっぱり……おかしい、恭也があれしきで腹を立てるはずがないんだが……?」

隣の士郎さんからの返答も芳しくない。父親であるこの人にも今の恭也さんの反応の意味が解からないのだろう。難しい顔をして頭を捻っていた。

僕と士郎さんが見守る中、そのまま数秒たっぷりと時間を掛けて美由希さんを睨みつけていた恭也さんは、やがて痺れていない左手を持ち上げ、───ワシャワシャと、やや乱雑に美由希さんのサラサラの黒髪を掻き回した。

「え、……あ、え……え?」

美由希さんも今の状況が良く分かっていないらしい。唖然とした顔で自分の兄のなすがままとなっていた。
隣の士郎さんですら不思議そうな顔をして自分の息子の奇行を見てる。当然、僕もだ。

そうして数秒後。妹の髪を掻き回しながらこの妙な沈黙の原因となった恭也さん本人が口を開き、沈黙を破る。



「…………今の『徹』は、……今までのものよりは、悪く、なかった」



「……………………」
「……………………」
「……………………」

再び、沈黙。

え?褒めた?この人、いま美由希さんを褒めたの?あんだけ睨みつけて?ひょっとして今まで頭撫でてたの?あれで?

……………………。…………。……。

「「ブッ……ははははははははは!!」」

恭也さんの言葉の意味を理解した瞬間、道場の中に僕と士郎さんの爆笑の声が響き渡った。

そんな僕たちのに原因である恭也さんは憮然として顔を顰め、美由希さんは今まで撫でられていた頭を押さえながら目に涙を浮かべて真っ赤になっていた。
そんな二人の様子に、僕と士郎さんは再び笑いが込み上げ、

「みんなー。ごはん、できたよー!……って、あれ?どうしたの、士郎、春海?ねー?」
「おとーさん、春くん、なんで笑ってるのー?」

結局、手をつないだフィアッセさんとなのはが呼びに来るまで、僕たちの笑いが止まることはなかった。

てか恭也さん、口下手にも程があるだろう。










(あとがき)

お待たせしました。

今回の話は閑話的な扱いになるのかな?主人公と士郎パパの会話が主です。……てか話がまるで進んでねえー。いくら作者がこういうキャラ同士の交流が好きとは言え、これは無いってレベルでしょう、これ。展開微速にも程がありますね。おっさん2人の会話って誰得だよ……
ただ今回の話をしないことには主人公が士郎さん達の前で御神流の技を使えないんですよね。地の文だけで「御神流を使うことを黙認されました」って書いただけでは読者様が置いてけぼりですし。

あと、なんか恭也のキャラが最近おかしなことになってる気がします。いや作者としては原作に忠実なつもりなのですが、……どうしてこうなった。
まあカッコいい恭也が見たい人は、是非原作をプレイしてみてください。このSSでも原作に突入したら彼もカッコよく書けると思うので、それまでしばしお待ちを。

次はついに、あの魔窟さざなみの皆様が登場します。お楽しみに。

ではでは。





[29543] 第十二話 重要なのは萌え要素
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/04/22 19:44
季節は夏。俗に、お盆の季節と言われる頃。

夕暮れというにはもうかなり遅く、しかし深夜というにはまだまだ早い宵の口。
街は未だ人々に溢れ、文明を象徴する建造物の群々には色鮮やかな光が彩られている。

そんな街の喧騒から外れた場所に、ポツンと一つの空きビルが在る。そこは元々はとある弱小企業が利用していたらしいのだが、それなりの昔に他企業との戦争に敗北し、今ではビル自体が持ち主の手を離れていた。
当然、そんな状態で整備が隅々まで行き届くわけもなく、建物の中は埃が積もり内装も荒れ放題。

まあまあ。こういう説明をすれば普通はガラの悪い輩───世間で言うところの不良少年───が秘密の集会場などにするのではないかとの心配もあるかもしれないが、今のところはそれは無用の心配だった。なにせこのビルからほんの数分(走ればおそらく一分を切るだろう)の所に交番が在るのだ。こんな場所で反社会的な行為に及ぶ馬鹿はいない。

結果として、このビルには二つの顔が出来上がっていた。

一つは昼間。敷地内の空き地に目をつけた近くの小学校の子供が、秘密の(とは言っても、近所の大人たちの間では公然のこと)遊び場として利用していた。
一つは夜。一切の明かりが灯らないビルは一種の不気味さを放っていて、その周囲を通る人々は足早にそこを歩き過ぎていた。

そんな夜の建造物。本来は人っ子一人いないはずのビルの敷地内に、───三つの影があった。

一つ目はこの僕。毎度おなじみ、この物語の主な語り部であり一人称担当の和泉春海くんである。

二つ目は、葛花とは異なる明るめの黄色い毛をその身に纏った、怪異の子ぎつね。今は何やら僕から距離を取ってきゃんきゃん鳴いており、もう1人の人影に泣きついている。僕に怯えながらもそんな自分を叱咤して必死にその場に留まっているのだろう。その光景には、どこか非常に胸打たれるものがあった。

そして三つ目。

純白の衣に朱紅の緋袴、足元には草履という、詰まる所の『巫女装束』を装備し、肩を過ぎたあたりでその茶色の髪を切り揃えた、───少女だった。


いや、それはいいんだ。


確かに、何でこんな場所に巫女さんがいるのかという疑問の声もあるのかもしれないが、今はいい。些細なことなんだ。

そう。





───巫女服を土に汚したその女の子が、ぐったり眼を閉じたまま、僕の目の前で倒れているということに比べれば。





「きゃんっ!きゃんきゃんッ!」

先ほど述べた子ぎつねの上げる悲鳴のような鳴き声が、静かな夜空に木霊する。その悲痛な泣き声を耳にしながら、僕はどうしてこんな事になってしまったのかを回想する。

或いはこれは現実逃避なのかも知れないと、頭の片隅で考えながら……





今回の件において、そもそもの始まりはどこだったのかと訊かれるなら、それは夏休みに入った今でも通い続けている高町家の道場だったのだろう。

いつものように恭也さんに指導され、美由希さんと共に一時間単位で剣撃を交わし合った(結局、僕もしっかりその域に入ってしまった。悲しいけど人間って慣れる生き物なのよね)その後のこと。

道場を掃除しながら今日の反省。及び、それに混じって多少の雑談。その雑談の中で美由希さんの話に出てきたのが、街の片隅にある空きビルのことだった。


曰く、『学校のクラスのみんなの話では、その空きビルには幽霊が出るらしい』


その場は恭也さんと共に夏限定の単なる怪談話だと一蹴していたものの、僕は内心では、またぞろお盆に誘われて霊が活発になり始めたのだろうと考え、夜にでも調べてみようと決めていた。


お盆───通称『盂蘭盆≪うらぼんへ≫』というのは、これがなかなか馬鹿にならないもので、この時期には意外と思いも寄らないことが起こるもので。
去年だったか、それとも一昨年だったか。お盆に家族で墓参りに行き、墓の上で随分昔に成仏したはずの曽祖父さんが近所の墓の爺さんたちと昔語りをしているのを見つけたときは思わず顔が引き攣ったものだ。最後のお祈りのときなど目の前をチョロチョロする曽祖父が非常に鬱陶しかった覚えがある。


まあ、そんな感じで。

僕は深く考えることなく、いつものように葛花を伴って夜の街へと繰り出したのだが、……。





<で、これってどういう状況だ……?>
『どうもこうも……除霊じゃろう』
<……やっぱり?>

今現在の僕の状況を伝えるのなら、その姿は正しく不審者のそれだった。

件の空きビル。その敷地に出入りするための入り口付近で、門に付随する壁を背にして中を覗きこんでいるのだ。この身が小学一年生でなければご近所の通報は免れまい。僕でもそうするもん。

ただ、賢明なる皆さん。通報はちょっと待ってほしい。物事には何時如何なる場合であろうと、必ずそれに足る何らかの理由があるものだ。それを聞いてからでも遅くはないと、僕は思う。


どうして僕がこんな事をしているのかと言うと、───巫女さんを覗き見しているのだ。


……まあ待ってくれ。通報はまだ早い。僕とあなた方の間には相互理解が必要です。


より正確に言うのなら、───巫女さんと、彼女と一緒にいる子ぎつねに気付かれぬように、身を潜めて彼女たちをじっくり観察しているのだ。


……おかしい。どう言っても犯罪性が出てきてしまう。少なくとも僕ならば間髪いれず通報する。

『何を馬鹿な事を考えておる』
<おいおい。お前は一体何を根拠に言ってるんだよ。名誉棄損で訴えるぞ>
『口に出ておったぞ』
「マジで!?」

「───んん?」

あ、やべ。

「……久遠。あなた、何か言わなかった?」
「くぅん」(ぷるぷる)
「あれ、おかしいなぁ。確かに聞こえたと思ったんだけど……気のせいかな?」

そう言って首を傾げながらもすぐに気にしないことにしたのか、巫女さんはその場に膝を折ってボソボソを小さな声で何か呟きだす。久遠、と呼ばれたその狐も傍に控えて付き従っていた。

そんな彼女たちの背を見ながら、壁一枚の向こうで僕は一息つく。やれやれ、ばれるかと思った。何だかんだで二、三十メートルは開いている距離が幸いしたようだ。

『アホか、お主は』

振り向かなくても葛花が呆れているのが口調で解かる。が、それ故に振り向かない。わざわざ確かめて傷つく趣味はないのだ。
とりあえず葛花の言葉は聞かなかったことにして、僕は改めて敷地内の巫女少女を盗み見る。

普通に見れば、夜の廃墟で巫女服を着た怪しい少女が子狐をつれて1人でボソボソを呟いているだけなのだが、……当たり前ながら、それだけでは、ない。


───僕の目には、彼女たちの前方に、薄ぼんやりとした初老の男性が『視』えていたのだから。


まあ、早い話が彼女たちは、───『除霊』中だった。

<彼女たちって、春先に『八束神社』で見かけた娘たちだよな……?>
『ああ。同族故、儂も多少は覚えておるぞ』

詳しくは第二話参照である。

<……彼女たちが、“御同業”だったんだな>
『お前様は明らかにモグリじゃがな』
<いいじゃん、モグリ。ブラック・ジャック先生みたいで格好いいし>
『ブラック・ジャック(笑)』
<おいおい、なんだよ。ブラック・ジャック先生を馬鹿にすんなよ。あの人はすごいんだぞ?>
『お主を馬鹿にしたんじゃ。この馬鹿が』

いや解かったけどさ。出来れば解かりたくなかったけど。

あと流れるように人を馬鹿にすんなよ。この馬鹿。

『で、お前様はどうする?』
<んー、……ちなみに僕たちが彼女たちに接触するメリットって何かあったっけ?>
『特には思い浮かばんが、……強いて言うなら、あちらの術を知る機会が得られる可能性かの。それ以上に勝手な真似をするなと諫められそうじゃが』
<しかないよなぁ>

忘れてはいけないのだが僕の見た目は小学一年生である。夜な夜な幽霊退治に勤しんでいるなんてことを良識のある人間に知られると、かなり面倒なのだ。
なにせ「危ないから止めろ」と言われるだけでも完膚無きまでに正論である。正論は非常に反論しづらい。

すると、

「……これで良し、……かな」
「くーん」
「ん、終わったよー。久遠」

そうこうしている間に向こうの巫女さんのほうも全て終わってしまったらしい。争ったりしないところを見ると、今回の霊は“正”だったのだろう。無事に話し合いで成仏できたようだ。

彼女は自分の足元にすり寄る子ぎつねを撫でながら微笑んでおり、その朗らかな笑顔は率直に言ってかなり可愛かった。

……が、

<じゃ、僕たちも帰るか>

葛花にそう伝えて、僕のほうも早々に立ちあがる。

いくら可愛くても面倒に進んで関わる気はありませんよ、っと。彼女たちがこの街にいる退魔師である、今日のところはそれだけ分かれば十分だ。
僕の後ろに侍っている白い童女にもそれは解かっていたのだろう。彼女も特に異議はないようだった。

───と。

(ん?)

そうして降ろしていた腰を上げて見納めとばかりに巫女少女に目を向けると、彼女の手元───裾の部分から、パサリ、と何かが零れ落ちた。目を凝らすと、

<……ハンカチ、か>
『じゃな』

地べたに落ちたそれは、薄いピンクの、実に女の子らしい一枚のハンカチだった。しかし落とした本人や、その傍にいる子ぎつねは気づいていないようだった。

何のことはない、ただの落し物だ。

まあ、そうは言ってもハンカチ程度。わざわざ出て行って声を掛けるほどの物ではあるまい。
彼女には悪いが今日のところは素直に失くしてもらって、今度また来た時にもここにあるようならば神社まで届けてあげよう。

そう結論付けて、改めて帰ろうとして、

(……ん?)

───またしても彼女の裾から何かが転がり落ちた。

今一度、眼を凝らして見てみると、

<……今度は、携帯電話……?>
『じゃな。大方、ハンカチと同じ場所に入れておったのじゃろう』
<まあ、……そうなんだろうな>

しかもあの巫女さんにとっては運の悪いことに、携帯電話は地面の雑草が繁っている辺りに落ちてしまったため、落下した音が殆ど立たなかった。

結果、またしても彼女は持ち物を落としたことに気がつかない。

……まあ、でも、所詮は携帯電話だ。ハンカチよりは遥かに高価とは言え、落とし主の特定はより簡単なはず。このあと僕が警察にでも届けたら、あとは勝手に彼女の元へと帰って行くだろう。

そう考え、僕は今度は自分がいる門の傍で彼女がこの場を立ち去るのをじっと待った(門は僕が今いるのとは違うものがもう一つあった。彼女はそっちから出るようだ)。

『……おい、帰らんのか?』
<うーん。……そうは言っても、落としたのを見ちゃったしな。警察に届けるくらいは───>

とか、念話で葛花に言い聞かせていると、


ぽと、と。



───今度は、明るめの黄色い財布が転がり落ちた。



<なぁんでだぁぁあああッ!?何なんだあの子!?ポロポロポロポロ落としすぎだろッ!どんだけ落とせば気が済むんだァッ!?ドジっ子だろっ?お前もうドジっ子だろッ!?>
『傍に居る子狐のヤツも見事に気付いておらんのう』

思わず声に出して叫びそうになるも、ギリギリで堪えて念話に切り替えた自分を褒めてやりたかった。

ていうかホント何なの、あの巫女さん。あそこまでポロポロ落として尚且つ気がつかないって、もういっそ芸術の域じゃね?落とした三点からはかなり離れてるし、あれもう絶対気づかないぞ。

しかし、ここまでされると流石に、……

<…………よし。もうこうなったら直接この場で渡してやろう>
『良いのか?』
<良いんだよ。なんかいろいろとメンド臭くなってきたしな。ここまで来たら、もう直で渡した方が速いだろ>
『まあ、確かにの』
<……という訳で、大人サイズに化けるから“憑いてくれ”>
『しゃーないのー』

言うや否や、───すう、と葛花が僕の中に“入って”きた。



狐憑き、という言葉がある。

本来の意味はキツネの霊に取り憑かれた者を指し示す言葉であるものの、しかしその言葉に裡に『狐』の名を冠するのは決して偶然ではない。
管狐、野狐、人狐。人に取り憑き仇なす狐の霊は数多く、古来より狐の霊は物憑きが非常に達者とされてきた。

そしてそれは千余の時節を数える葛花とて例外ではない。

と、いうより、むしろ葛花からすればこちらの方が本来の得意分野である。

なんでも、彼女が僕と出会うまでの永い年月の中で一般人に取り憑かなかったのかと訊かれれば、全然そんなことはなかったようで、偶に幼児や寝ている成人などに取り憑いては勝手に食事を取ったりしていたと言っていた。こいつはこいつで案外好き勝手やってきたようだ。
ちなみに何故に幼児や寝ている成人なのかと言うと、意識がはっきりしている者にムリヤリ憑くのは非常に疲れる、というより、はっきり言うと不可能らしい。一つの身体の内側で二つの意識がせめぎ合う上に、その身体の本来の持ち主は向こう側なのだ。最終的には追い出されるのがオチ、とのこと。正しい手法としては、怪異らしく事前にじっくり時間をかけて相手を精神的に弱らせてから取り憑くことが正道らしいが、そんなまどろっこしいのは面倒くさい、とは葛花本人の談。

ただし、これには例外もある。

対象の意識がはっきりしていようと、その相手が葛花に取り憑かれることを善しとしていれば、葛花も意識は保てるし、十全とは言い難いが幾らかの力は発揮できるのだ。両者の合意さえあれば意識の交代も可能。
現代科学で説明するのなら二重人格が一番近いのかもしれない。霊を科学で説明するというのも、また可笑しな言い回しだが。

実を言うと、いつかに言っていた『“御霊降ろし”では突発的な戦闘に弱い』ということへの対処法というのが、この“狐憑き”だったりする。
これならば葛花も僕という肉体を通して普段より楽に力を使えるし、僕は僕でリアルタイムで葛花の補助を期待できる、というそれなりに実戦的な能力なのだが……


<それを最初に披露する機会が巫女さんに落し物を届けることっていうのは、なんか格好つかないよなぁ……>
『またメタなことを……』

いや、なんとなく言わなくちゃいけないような気がして。

『まあ良い。多少なり力を貰っていくぞ。化ける見た目を想像しておけ』
<うぃ>

葛花の言葉に僕が頷くと同時に、───僕の視点が一気に50センチ以上も高くなる。この場には鏡がないため自分では解からないが、彼女の言葉通りならば今の僕は普段の小学1年生の『和泉春海』が20歳となった姿に変化しているのだろう。

僕はいつもよりも三回りくらい大きくなった掌を見下ろしながら、

<……このあたり、『前』と容姿が同じなのが幸いだな>

なにせ成長した姿ではなく『前』の姿をそのまま思い浮かべれば良いだけなので実に楽だ。服に関しても想像通りのものになるのが微妙に便利すぎる件。
ちなみに今の服装は紅のノースリーブのシャツに薄手の黒いジャケット、それにジーンズを合わせた至極シンプルなものである。

<……にしても遺伝子のヤツは何やってんだろな?『前』と『今』とじゃ親の顔は全然似てないはずなんだけど……?>
『単なる推測にすぎんが、お前様の魂が関係しとるのかもしれんの』
<霊魂が同じだから容姿も同じになりました、みたいな感じか?そんな簡単な話なのか、これ?正直、お前は赤ん坊の時に橋の下で拾ったって言われた方がまだ説得力ありそうなんだが……>
『あれじゃ、あれ。妹ルートに入ったら親から言われるんじゃろ』
<まさかの義妹ルートか。そう考えると胸が熱くなるな>

実妹より義妹って言われたほうが萌えるのは何でだろうね?

いや、例え義理であっても、あいつらに手を出すとか死んでも御免だけどさ。

<ま、現実にはそんなこと滅多にないだろうけどな。実の妹だと思っていたのが本当は従兄妹でしたって、そんなのはゲームの中だけだよ>
『ふふ、そうじゃな。そんなことあるわけなかろう』
<まったくだ。ましてや僕たちの身近にそんな兄妹がいる訳ないだろ。あははは>
『まったくじゃな。ふふふ』

…………なんだろう。この会話自体が何かの壮絶な前振りに思えてならないんだけど。

『まあ。儂としても、お主の容姿の問題までは知らんな』
<だよな>

僕としても正確な答えを要求した訳ではないので、簡単なところで葛花の話を打ち切ってから、改めて空きビルの敷地内にいる巫女さんと子ぎつねに視線を向ける。

彼女たちはもう既に僕たちがいる門とは別の門に向って歩き始めているので、落し物3点セットを早く渡して僕も退散してしまおう。
こんな場所で話しかける時点で自分もかなりの不審者だとは思うが、それはお互い様である。不審がられる前に、用を済ませてとっとと帰れば大丈夫だろう。

そう考え、やや早足に彼女に近づいて、


「───すみません。ちょっと」


こちらに背を向けて歩く彼女に声をかけたのだが、…………結論から言えば、これが大変よろしくなかったらしい。


自覚はなかったのだが、この時の僕はいつもの“御神流の鍛錬”や“葛花による隠行の修行”が身体のなかにまで染みついていた。



───早い話が、気配は極薄。さらには足音もほぼ無しという徹底ぶりである。



目の前の巫女さんと子ぎつねからすれば、誰もいないと思っていた暗闇で何の前兆もなく背後から唐突に声をかけられたのだ。本人たちからすれば溜まったものではないだろう。
その巫女服の上からでも分かるほど華奢な肩は跳びはね、狐に至っては身体全体で跳び上がっていた。

彼女たちはすぐさまこちらを振りかえり、

「は、はいッ!?───って、え?」
「───あ」


そして巫女さんは、自分の片足にもう片方の足を引っ掛け、


「───きゃーーーっ!!?」
「って、ええええええええッ!?」


ずてーんっ、───と、凄まじい音を立てて地面に顔面から突っ込んだ。





そうして話は冒頭に戻る。

「きゃん!きゃん!」
「えー。いやホントにどうしてこうなった……。これ僕ぜったい悪くないよな……?」

夜の街に、子ぎつねの鳴き声と弱りきった僕の情けない声が響く。

「ううぅ……」

その中心には、地面に横たわって目を回している巫女さんの姿があった。気絶したままうんうん唸っているのが妙に痛々しい。

ただ、顔面から地面に突っ込んだ割にはその可愛らしい顔には砂泥がへばり付いただけで、怪我らしい怪我は特には見られなかった。意外に頑丈らしい。
ぼやいている間も既に軽い診察は済ませたため、大体の状態はもう把握している。どうやら軽い脳震盪のようだった。

「ほら。お前ももう泣くな。ちょっと気絶してるだけだから」
「くぅん……」

分類的には“化け狐”のはずの子狐さんは、僕にビクつきながらも巫女さんから離れない。げに美しきは人妖の友情である。
しかし悲しいかな、彼女たちの友情に僕が感動したところで何の解決にもなりはしない。時代は常に実益を求めているのだ。

という訳で僕は僕で友情に乗っ取り、大親友のクズえもんに相談してみよう。助けて、クズえもん!

『誰がクズえもんか』

字面だけなら唯のイジメだよね、“クズ”えもん。

<あと思考を読むなよ>
『今のお主と儂は繋がっておるからの。全部とは言わんが、表層程度は読めるぞ。お主が儂を読むのは無理じゃが』
<重要改善事項だなぁオイ>

僕から読めないって、何その一方通行な以心伝心。ただの悟られじゃないか。

<まあいいや。……さて、それでこの状況は一体どうするよ?この子、さっきからぜんぜん目を覚まさないし。かと言って病院なんかの公共機関は僕が身分を明かせない以上、頼る訳にはいかないし……>

目の前で気絶している巫女さんも、素人意見だが救急車が必要であるようには見えない。
一応その程度の判断が出来るくらいには僕も診察の真似事は可能である。

『放っておけば良かろう』
<流石の僕も気絶した女の子を夜の廃墟に放置するほど鬼畜じゃねえよ……>

どこの悪鬼羅刹だ、それは。

『ならばこの巫女娘の家まで送ってやれば良かろ』
<いや、そう簡単に言うけどな……彼女の家がどこにあるかとか、僕たちじゃ解かりようがないだろ>

僕もそれは思いつかないでもなかったが、先程失礼を承知で彼女の落し物を見分しても住所は愚か、彼女の名前すら書いていなかった。
まあ小学1年生の僕とは違い、彼女は中学・高校生くらいの少女なのだ。この年頃の娘が持ち物に名前を書いていなくても、それは至極当たり前の話である。

そう考えての反論だったのだが……

『それを知ってそうなのが近くに一匹居るじゃろ』
<いや、そんな人がどこに……>

……ん?『一匹』?

<……もしかして、この子のことか……?>

心の声で葛花に確かめながら、僕の視線は、気絶した巫女さんの傍に付き添いつつも僕のほうへさっきから目を向けたり逸らしたりしている、『一匹』の子ぎつねへと向いていた。

そんな僕に対する葛花の答えは、果たして、

『そうじゃ』

肯定、だった。葛花はそのまま自らの言葉を補足する。

『儂ほどとは言わんが、其奴もそれなりに永き時を生きておるはず。人語を扱えるかは解からんが、少なくとも理解は出来るじゃろ』
<あー、……なるほど。確かに名案だ>

という訳で、さっそく確かめてみた。

「……おーい。えーと、久遠……ちゃん?」

僕の呼びかけに久遠はビクンッと身を竦ませる。

すると横になっている巫女さんを挟んだ向こう側にちょこちょこ走って逃げ、久遠は巫女さんの体の上から顔を出したり引っ込めたりしてビクビクとこちらの様子を窺っている。
本人的にはどうか分からないが、見ようによっては気絶した巫女さんを盾にしているようにも見える。

「……くぅん」
「……いや、別に取って食ったりしないから」

一応、自分が無害であることをアピールしてみたのだが、どうやら久遠ちゃん的には信用ならないらしい。見た目はただの子狐なのに、目元がウルウルとなって泣きそうになっていた。なんか凹むなぁ……僕って見た目そんな怖いんだろうか……?自分的には普通のつもりなんだけど。

しかしそうは言っても、ずっとこのままという訳にもいかない。話を前に進めることにする。

「……えっとな、この嬢ちゃんが気絶しちゃったのは僕の責任だし、今からこの子を家まで送り届けようと思うんだ。でも僕は久遠ちゃん達の家を知らないから、……もし良ければ道案内をしてくれないかい?」

……何やら口調がやや似非っぽくなってしまったが、それは許してほしい。動物に真面目に話しかけるというのは自分でもかなりシュールで妙な緊張があるのだ。葛花は僕的には普通の動物のカテゴリーに入ってないし。

そうして僕がちょっとドキドキしながら久遠ちゃんの反応を待っていると、当の久遠ちゃんは巫女さんの向こうで僕のことをしばらくジッと見つめ、

「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………お」


───とことこ、と門のほうまで歩きだした。


久遠ちゃんは、僕たちと門のちょうど中間あたりで一度立ち止まると、こちらを振り返り、

「……くぅん!」

と一声鳴いて、再びクルリと背を向けて歩き始める。

その背中は、まだ会って間もない僕に対して、無言で『彼女は任せる』と語っているような気がした。



「……かっけー」
『はよ追え』

葛花に言われ、僕も急いで巫女さんを抱き上げておんぶすると(大人バージョンでよかった)、慌てて久遠ちゃんを追いかけた。



**********



神咲那美は、夢を見ていた。

今ではもうずいぶん昔、とは言い難いものの、少なくとも自分の記憶がやや薄ぼけてしまうくらいの、昔。

それは果たして、今は亡き父なのか、それとも母なのか。自分を負うその人の背はとても広く、自分が身体を押しつけてもびくともしなかった。
夕暮れに紅く染まる道を負われて歩き、それはやがて彼女が背負われるような歳でなくなっても、手を繋いで歩いていた

ある日は、自分がその手に引かれ。

ある日は、自分がその手を引いた。

自分とはあまり似ていない双子の弟と手を繋いで歩いたこともあっただろうか。
あの子は弟のくせにいつも姉である自分のことを心配して、手を引いていたっけ。

親姉弟との、とてもありふれた思い出の1ページ。



───それが無くなったのは、一体、いつのことだったろうか……?



忘れる訳がない。

もう十年も前だったろうか。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。



───久遠



あなたのせいで、わたしはたくさんのものを、なくしました。

恨むことも、憎んだこともあった。……殺してやろうと思ったことさえも。

あなたはわたしから、いっぱい奪っていった。



───でも、



あなたのおかげで、わたしはたくさんのものを手にいれた。

薫ちゃん。和真ちゃん。十六夜。葉弓さん。楓ちゃん。和音さん。雪乃さん。

たくさん家族が出来たんだよ?



───それに、なにより



───久遠。



───あなたが、いてくれた。



だから、わたしは、……わたしが、あなたを、…………、───。





そうして。

「───うーん。押しつけられるのはオジサン嬉しいんだけど、残念なことに何の膨らみも当たらない……」

なにやら乙女的に極刑クラスの暴言が聞こえたような気がしたが、幸か不幸か那美本人は気絶から覚めたばかりで意識はまどろみの中に在ったため気がつかなかった。

(───これは、夢のつづき、……なのかな……?)

その夢では、自分は誰かに背負われていた。

自分を受け止める大きな背中に、自分の感情に安堵の色が広がっているのが、なんとなく解かった。
それが心地よくて、ついついその肩に顔をうずめてしまう。まるで自分が、寮によく来ている猫たちになったみたいで少しおかしい。

(……昔も、お父さんにこうやっておんぶしてもらったっけ)



そう、昔も……………………………………………………………………………………昔?



───じゃあ、今は……?



そこまで思考が追いつくと、那美の意識は急速に覚醒した。

バッ、と。

顔を上げた、その眼の前に。本当に、額と額が触れ合ってしまうくらいすぐ目の前に、


「……ん? あ、起きたか」


大学生くらいの男の人がいた。しかも、自分のことをおんぶしている。

それでまあ、当然の帰結として。


「───えぇぇぇええええええッーーー!!?」


夜の林道に、少女の声が響き渡る。当然、それは眼前の男の耳を直撃していたが。


**********


「しっかし、那美のやつも今日くらいゆっくりしてもバチは当たらねえだろうによぉー。あいつもやっぱ神咲姉にそっくりだよ。くっそ真面目なトコとか」
「まあまあ。それが那美ちゃんや薫さんの良いところじゃないですか、真雪さん」
「あはは。愛お姉ちゃんの言うとおりだよ、まゆお姉ちゃん。……あ、お兄ちゃん。お料理、わたしも運ぶの手伝うねー!」
「お。ありがとさん、知佳。にしても今日は本当に同窓会みたいだなぁ。今の寮メンバーはみんな里帰り中だし。もう5年くらい前のメンバーじゃないか、これって?」
「5年じゃなくて7年だよ。こーすけも、もうおっさんだよねー」
「わー、美緒ちゃんが『~なのだ』口調じゃなくなってるー!」
「みなみ!アタシはもうそんな子供じゃないのだ!」
「と、まあ。こんな感じでまだまだ子供だよ、美緒は」
「そう言いながら、リスティはけっこう大人っぽくなったんとちゃう?ほら、出るトコちゃんと出とるしー」
「言いながら胸を揉まないでくれよ、ゆうひ。そういうのは真雪のキャラなんだから」
「うっへっへ。久々に神咲姉を堪能してやる。……おーい、愛。神咲姉と十六夜さんっていつ頃こっちに着くんだっけか?」
「えっと、確か、……あと一時間くらいで着く予定ですけどー。それにしても、今回は御架ちゃんが来れなくて残念です」
「まったくだよなー」
「そういえば、現役女子高校生の那美ちゃんはしっかり青春しとるんですか?彼氏を連れてきたりとか」
「那美にその気配は全くないのだ、ゆうひ」
「ボクと真雪がその話を出しただけで、真っ赤になるくらいだしねぇ」
「ありゃあ、あいつがウブ過ぎんだよ」
「またリスティとまゆお姉ちゃんがセクハラしてるんじゃないのー?ねぇ、お兄ちゃん?」
「はは、ノーコメントで」
「耕介さん、それほとんど答えみたいなものですよー」
「み、みなみちゃん、しー!」
「こーすけ、焦ったところで遅いのだ」
「美緒ちゃんは、そーいう浮いた話はないんか?」
「アタシ、そういうのはまだまだパス。めんどいし。そう言うゆうひは?」
「うちも全然あれへんのやー!ホンマになんでやねーんッ!?」
「ゆうひちゃんはもう世界的有名人だもんねー。恋人ひとつ取っても大変そう」
「でも知佳もまだ出来てないじゃないか」
「リスティもでしょっ!」
「この中で相手がいるのは、こーすけと愛だけなのだ」
「「あ、あはは……」」
「ッケ!照れてやがるよ、この夫婦め」
「あ、えっと……」
「あん?どうしたい、岡本君?」
「あ、あたし、……いたりして。……相手」

『……………………えぇぇえええッ!?』





お盆の夜は、まだまだ明けない










(あとがき)
巫女でドジっ子で天然で貧乳とか……最強ですよね。オプションとしてヒロイン級のマスコットまで付いてますし。他作品を含めて作者が大好きなヒロインの1人だったりします。

と云うわけで魔窟さざなみメンバー。栄えあるトップバッターは神咲那美さんとキツネの久遠ちゃんです。いや、本人たち全然喋ってないですけど。というか最後のさざなみメンバーの台詞オンリーが書きやす過ぎて吹きました。台詞からの人物特定が余裕すぎる。原作主人公である槙原耕介氏が一番特徴ないってどうなの?いやまあ元がエロゲーだから仕方ないんですけどね。

次回はいよいよさざなみ寮訪問回。とは言っても顔見せ回のようなものなので、そこまでカオスにはならない……と良いなぁ。コイツ等キャラ濃すぎるもん。

では。




[29543] 第十三話 出会い色々。人も色々。で済むわけないだろバカヤロウ 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/10/30 18:41
「───えっと、大体そんな感じかな」
「くぅん」
「ぁぁぁぁああああ……本ッ当にすみませんでしたぁ!」

僕の目の前で巫女服を着た少女がぺこぺこと頭を何度も下げていた。



あの後、僕におんぶされた状態で目を覚ましたこの巫女さん。自分の状況がすぐには理解できずに僕の背中で真っ赤になってワタワタと慌てていた彼女を宥めることになんとか成功した僕は、一旦彼女をその辺にあったベンチに座らせてから(林道の脇に小さな広場があったのだ)こうなった経緯を説明することになった。

ハンカチ、携帯電話、財布を落としているのを見たと言った時は、何度も何度も礼をしてきて。
声をかけると転んで気絶したと言ったら、顔を赤くして涙目で縮こまり。
久遠ちゃんの道案内でここまでおんぶして来たと言ったら、耳まで真っ赤にしてこうして何度も何度も頭を下げて謝ってきたのだ。

ちなみに何で僕があんな廃墟に居たのかという疑問にまではテンパって頭が回っていないようなので、このまま誤魔化してしまおうと心に決める。

いやー。にしても反応がいちいち可愛くてしょうがないんだけど、この子。若いっていいねー。

「本当にごめんなさい!」

とは言っても、こう何度も謝られるのもそれはそれで困るものである。年下の女の子に頭を下げさせて悦に浸る悪趣味はないのだ。

「いや、もう良いから。後ろから急に声をかけた僕も悪いんだし」
「で、でも……」
「はいはい、そこまで。もう謝るの禁止。僕も女の子をいじめるのは別に好きじゃないんだから」

いじるのは好きだけどさ。

「は、はい……」

……うーん。謝るのを止めるためとは言え、ちょっと強く言い過ぎたか?巫女さんはすっかり意気消沈した様子でベンチに俯き気味になってしまったので、早いトコ話を変えてしまうことにする。

「じゃ、まずは自己紹介しよっか。僕の名前は和泉春海。この街の学生だよ。春海で構わないから」

小学生とは言ってないし、嘘ではない。

「え、えと、……それじゃあ春海さん、と」
「うん」
「わ、わたし、神咲那美って言います。風芽丘の1年生で、八束神社の巫女をしています。こっちも那美で構いませんので……」

風芽丘ってことは恭也さんと同じ学校か。てか会ったばかりの異性に下の名前で呼ばれるのは彼女的にOKなのだろうか?内心きもいとか思われたら僕は立ち直れないぞ。

とか、ちょっとチキンなこと考えていると。


『───“神咲”?』


と。

ここで、僕に取り憑いた状態でこれまで黙ったままだった葛花が反応した

<知ってるのか?>
『いや、遥か昔に同じ姓の者に会ったことがあるような、無いような……うーん?どうじゃったかのー?』

つまり覚えてないのかよ。思わせぶりな反応してんじゃねぇ。

「……?」

急に黙った僕を不思議に思ったのか、巫女さん───那美ちゃんが首を傾げる。

「あ、ごめんな。なんでも無い。……それで、那美ちゃんの家はここから近くなのかな?折角ここまで来たんだし、最後まで送るよ」
「そ、そんなっ!春海さんに悪いですよ! ただでさえここまで運んでもらってるのに……」
「いや、そうは言っても……」

言いながら、僕は広場から続く林道へと目を向ける。

道自体は車が通れるくらいには広いが、車の姿はとんと見えず。もちろん一定間隔毎に街灯だって設置されているものの、その道中に人影はほとんど、というか全く無い。
なんと言うか雰囲気からして非常に出そうだった。幽霊的な意味でも、変質者的な意味でも。

流石にこの道で巫女服を装備した高校1年生の女の子を1人で帰らせるという選択肢は無い。

「こんな夜道に女の子1人じゃ危ないって」
「……くーん」

久遠ちゃんが神咲さんの後ろに隠れながら小さく抗議の声を上げた。

「こ、こら、久遠」
「ああ、悪い悪い。久遠ちゃんも居たよな。どっちにしても超危ないけど」

僕は久遠ちゃんが化け狐とは知らないことになっているため、ただの狐として扱わなくてはいけないのだ。いやまあ、そうでなくても送るけどさ。

しかし那美ちゃんは那美ちゃんで僕の申し出を遠慮しているらしく(僕を警戒しているとは考えたくない)、慌てた調子で両手をパタパタ振りながら、

「だ、大丈夫ですよ。……え、ええと、その、……タクシーを停めれば」
「ここ、タクシー通るの?」
「うぅ……そ、それにわたし、こう見えてけっこう頑丈ですし!」
「襲われること前提になってるじゃん」
「あうぅ……」

……それに、

「……那美ちゃん、ちょっと立ってみて?」
「え?」
「良いから」
「は、はい」

僕の言葉に促されて、那美ちゃんは戸惑った様子でベンチから立ち上がり、

「───あ、あれ……?」

ストン、とそのまま座り込んでしまった。巫女服の袴の裾がふわりと翻る。きっと平衡感覚がまだ戻り切っていないのだろう。

「さっきまで脳震盪で気絶してたんだから。無茶はダメ」
「……はい」

子供を窘めるような僕の言葉に那美ちゃんはまたも頬を赤らめて縮こまってしまった。
まあそれでも、消え入るような声でありながらも、ちゃんと頷いてくれたので良しとしよう。





「こっちで良いのか?」
「は、はい。あとはこの道をまっすぐ歩けば、5分くらいで……」
「くぅん」

僕の疑問の声に、後ろと前から二つの声が帰ってくる。

「りょーかい」


あの後、那美ちゃんも僕が彼女を送って行くことには了承したものの、まだまっすぐ歩けそうにない彼女をどうやって運ぼうかということで一悶着あった。

僕はまたおんぶすると言ったのだが、彼女も流石に年頃の娘としてそれは恥ずかしかったのか慌てて拒否。しかしそうは言っても、那美ちゃんもまだ歩ける状態じゃないのだ。ならばどうやって移動するのかという僕の質問に彼女はまた幾つか案を出してきたものの、それはどれも彼女自身に無理を強いるものだったため全て却下。

そうしてまた幾つかの問答の末、最終的に彼女が折れてこうして再び僕に負ぶさることとなったのである。

……なんかさっきから僕が妙に押しの強いお節介の人になってしまっているが、ここまで来たならもうとことん世話を焼いてやるという変な決意が僕の中に出来ていた。どうせ彼女を送り終えたら、その場で切れてしまう縁なのだ。少々お節介すぎる程度でも別に構うまい、みたいな?

那美ちゃんって、なーんか放っておけない雰囲気してるんだよなぁ……。なんでだろ?やっぱドジっ娘だからか?


閑話休題。


という訳で、おんぶされた那美ちゃんと前をとことこ歩く久遠ちゃんの案内の元、僕は彼女たちの家に向かってテクテク移動中である。

「にしても、けっこう山の中にあるんだなー。僕もこの辺りにはよく来てるけど、ここまで来ると不便なことも多いんじゃない?」

ちなみによく来る理由は、僕が主な修行場所にしている『国守山』がこの近くなのだ。

「いえ、そんなことないですよ。バスはそれなりに出てますから。自然がいっぱいなので、久遠も喜んでますし」
「くぅん」
「ああ。久遠ちゃんのこともあるのか。なるほど」
「それに、管理人さんのごはんもとっても美味しいですし、寮のみなさんにもすごく良くしてもらっちゃって……」
「寮?……寮暮らしなんだ?」
「あ、すみません。言ってませんでした。はい、『さざなみ寮』って名前の女子寮で、いろんな人がいるんですよ」
「くぅん」
「そりゃ楽しそうだ」

背中にのった那美ちゃんもある程度は緊張も解れたようで、このくらいの雑談なら普通に出来るようになっていた。久遠ちゃんもまだ怖いのか僕には近づいてはこないものの、相槌くらいなら打ってくれる。

……にしても、ただの狐ってことになってる久遠ちゃんが相槌を打ってくるのは良いのか?僕も変なやぶへびになりそうだから敢えて突っ込まないけどさ。

「あ、見えてきました。あれです。右手側にある、あのお家」
「お。あれか。……へぇ。寮って言うからビルっぽいのを想像してたけど、こうしてみるとペンションみたいだな」
「はい。かわいいですよねー」
「そだね」


そうして適当に言葉のキャッチボールをしながら、目的地である『さざなみ寮』に無事到着。

扉の前でちょこんと座って僕たちの到着を待ってくれていた久遠ちゃんの脇を通り、呼び鈴をポチリ。那美ちゃんは身体の調子がまだよくわからないので、僕に背負われたままである。

「はーい」

すると、すぐに扉の向こう側から大きな返事が返ってきた。それと同時にそこそこ大きな足音も聞こえてきて、それはやがてドアのすぐ向こう側までやって来る。

そうしてガチャリと扉が開き、……

(デカッ!?)

身長2メートル近い大男が現れた。

ただ、その巨体の上に乗っている顔は優しげであり、装備している黄色のエプロンがそれに家庭的なイメージをプラスしている。いや、それでもデカイから威圧感がすごいけど。

「はいはーい。どちらさまで───って、那美ちゃん?」
「あ、あはは。……た、ただいま戻りました~、耕介さん」
「くぅん」
「あ、うん。……おかえり?」

不思議そうに顔を傾げる彼とぎこちなく帰宅の挨拶を交わす1人と1匹を余所に、

「あー、えっと、……はじめまして、こんばんは。和泉と言います……?」
「へっ?……ああ、ご丁寧に。さざなみ寮・管理人の槙原耕介、です……?」

とりあえず僕も挨拶しておいた。すごく微妙なやりとりだったと思わなくもない。





それから、那美ちゃんが何故か僕に背負われたまま男の人───槙原耕介さんに僕のことを説明し終えると、

「ああ、そうなんだ。那美ちゃんがお世話になったみたいで、どうもありがとうございました」
「いえ。もともとは僕の責任みたいなものだったので、このくらいは。……じゃ、那美ちゃん。もう降りられそう?」
「あ、はい。もう大丈夫です」

とのお返事も頂戴したので、僕は彼女が降りやすいように膝を折ろうとしたとき、

「耕介さん、どなただったんですかー?」
「おい、耕介。一体どうした───」

廊下の向こうから2人の女性が現れた。

1人は茶色がかった色のショートカットの優しげな女性。その柔らかな雰囲気はどこか目の前の耕介さんに似ているかもしれない。

もう1人は、黒髪を同じくショートカットにして眼鏡をかけた女性だった。彼女は、…………

「ま、真雪さんっ!? 服っ!服をちゃんと着てくださいッ!」
「そ、そうですよっ!お客さんが来てるんッスから!」

と、まあ。慌てる那美ちゃんと耕介さん言う通り、胸元の大きく開いた……というかほとんどボタンが留まっていないワイシャツにジーンズという、非常に際どい格好だった。
そこから覗く胸元が実に眼福です。思わずご馳走様と手を合わせたくなる。那美ちゃんをおぶってるから出来ないけど。

で、その当の“真雪さん”はというと。

彼女は僕と那美さんに視線を移して、しばらくこちらをジッとガン見。何だ何だと僕が思う間もなく、彼女はそのまま、すぅっと息を吸い込み、───



「テメェらァッ! 那美が男つれて帰ってきたぞォッ!!しかも“おんぶ”されたままッ!!」



叫びながら元来た廊下をドタドタと逆走していった。


「ま、真雪さーんっ!?」

僕の背では那美ちゃんの悲鳴みたいな叫びをあげていたが、多分もう手遅れだろう。既に廊下の向こうからはキャーキャーと幾つもの黄色い声というものがここまで聞こえてきていた。


「あー、……にぎやかな寮ですね……?」
「……騒がしくて申し訳ない限りです」
「楽しいですよねー」
「くぅん」

苦笑いの僕と、諦めたように溜め息をついた耕介さんと、ぜんぜん笑顔を崩していない女性と、あと久遠ちゃんの一言である。



そうして僕の背から神咲さんを降ろして、とりあえず今ココにいる耕介さんと女の人───槙原愛さんと自己紹介を交わす。
2人はこの寮の管理人兼コックとオーナーらしく、ご夫婦でこの『さざなみ寮』を経営しているとのこと。

そうして那美ちゃんも交えて玄関先にて4人で現状の説明をし合っていると、

「那美ちゃん、おかえりー!」
「知佳ちゃん、そんな急いだら転んでしまうよー。……おー、真雪さんの言った通りや!男の子連れてきとるー!」
「てっきり真雪のウソだと思ったのに。那美もやるね」
「なんか言ったか、ボーズ」
「ま、まあまあ。真雪さんも落ち着いてくださいよー」
「まゆはいっつも法螺ばっかなのだ」

廊下の向こう側からゾロゾロゾロゾロとやって来た女性、女性、女性。

まあ那美ちゃん曰く、このさざなみ寮は女子寮のはずなので当たり前なのだが、ここまで女性ばかりだと圧巻である。

「みなさん、ただいま!知佳ちゃん、ゆうひさん、みなみさん、お久しぶりです!」
「くぅん♪」

僕の隣に立ったまま彼女たちに笑顔で挨拶を返す那美ちゃん。久遠ちゃんもご機嫌な調子で鳴いている。

───が、



「おまえッ! いったい“なに”ッ!?」



と。

それまでの騒がしいながらも温かなこの雰囲気を切り裂くように、一つの叫びが空気を貫いた。

その場にいた全員───当然、僕も───が、その声の発生源へを即座に視線を向けると、



「美緒、ちゃん……?」



───那美ちゃんの呟くような声の先には、中学生くらいの一人の少女が居た。



いや。

ただ其処に居たのではなく、その少女は両手両足を床に這わせた四つん這いの姿勢で、まるで肉食動物のように縦に割れした眼で威嚇するようにこちらを───僕を睨みつけていた。

「那美!こいつ、なんか変なのだっ!!」

周りの人たちも、彼女の豹変の意味を掴みかねているのだろう。どの顔にも多かれ少なかれの困惑があった。


そして。

その少女に睨まれている当の僕はと言うと、


<……猫>
『じゃな』


───彼女の正体が、『視』えていた。


<うわー。……つまり、彼女は僕の中のお前を感じとって、それで警戒してるってことか?>
『恐らくの。儂としても完全に予想外じゃ』
<僕もだ。うわー。マジでどうするよ、この状況……。ていうかよく見たらあの子、前に見かけたことあるし>

僕は中の葛花と話し合いながらも、状況把握のために周りに視線を巡らせる。

那美ちゃんや槙原夫妻は状況が掴み切れていない様子で四つん這いの猫娘に呼びかけたり、困ったように猫娘ちゃんと僕の間を交互に見たりしており、そしてそれは他の女性たちも同様───いや、


2人ほど、そうではない人たちが居た。


1人目は、先ほど愛さんと共にやって来て、他の人を呼びに走った黒髪の、───真雪さんと呼ばれていた女性。
2人目は、白いシャツに黒のタイトスカートというシンプルな服装に、黒い手袋と銀色の髪が特徴的な女性。

彼女たちは状況の変化に着いて行けてるのだろう。別に睨みつけるとまではいかなくとも、警戒の意識が混じった眼で油断なく僕を見ていた。もしかしたら突然僕が那美ちゃんを送ってきたということも、彼女たちの警戒に一役買っているのかもしれない。

そうして事態が止まったままでいると、当然だが次第に周りの人たちの視線は僕に集まった。誰もが僕に向かって困ったような、或いは警戒の視線を向けてくる。

(仕方ない。こうなったら……───)


一時的に硬直した場で最初に動いたのは、───僕だった。


僕は、自分の体の横で何をするでもなく今まで手持ち無沙汰になっていた両手をゆっくりと持ち上げると、───


「えーと…………和泉春海と申します」


───ホールドアップして、とりあえず名乗っておいた。

……いや、この状況で睨み返すとか無理無理。僕は平和主義者なんだって。いやホントに。別にここまで沢山の女性に見られてることにビビった訳じゃないから。

ただ、そんな僕の行動は全く何の解決にもなっていなかったようで、

「うううううッ」

猫娘ちゃんは現在進行形で僕を威嚇したままだ。ていうか唸りだした。

そんな状況を見かねたのだろう、愛さんと那美ちゃんが、

「……え、と。……と、とりあえず一度なかに入って、それから改めてお話をしませんか?那美ちゃんを送ってもらったお礼もまだですし」
「そ、そうですね!春海さん、ぜひ上がって行ってください!」

この状況を打開するためにわざとらしいくらいに明るい声で僕に話しかけて移動を提案し、那美ちゃんがそれに同意する。彼女たちの言葉に裏があるようには思えないので、おそらく2人は本当に善意から言ってくれているのだろう。

……しかし、

「イヤッ!そんなヤツ、うちに入れるなんて絶対イヤだかんねッ!!」

こっちを鋭く睨みつけたままの猫娘ちゃんが激しく拒否。僕としても家人の1人がああまで拒絶している状態では、とてもではないが快諾する訳にはいかない。
というか那美ちゃんには申し訳ないが、僕としてはこのまま帰ってしまっても別に構わない。むしろこのまま帰ってしまった方がいろいろと楽であることには変わりないのだ。

「み、美緒ちゃん!なんでそんなこと言うのっ?」
「なんでもなのだッ!」

那美ちゃんと猫娘ちゃんの言葉も平行線をたどる一方だし、これはそろそろ潮時だろう。原因である身としては放っておける訳もない。

僕は内心で溜め息をつきながら口を開いた。

「あー、……那美ちゃん、そのくらいで良いから。僕としてもお礼目当てでした訳じゃないし、そもそもお礼ならさっきもう何度も言ってもらったしね。今日はもう遅いから、僕もそろそろお暇するよ」
「は、春海さん。で、でも……」
「良いって良いって。あと、その子───美緒ちゃん、だっけ?───のことも怒らないであげて。理由はちょっと言えないけど、美緒ちゃんが僕のことを警戒するのも解かるから」
「え……?」

僕の言葉に首を傾げる那美ちゃんに曖昧に笑いかけてから視線を切り、そのまま美緒ちゃんに目を向ける。
未だこっちを警戒色いっぱいの眼差しで見る彼女に、僕は目線の高さを合わせるために膝を折ってから少し苦笑い気味に笑いかけた。

「美緒ちゃんも、ごめんな。僕はもう帰るから。せっかくの楽しい時間を邪魔しちゃって悪かったよ」

まさか謝られるとは思っていなかったのだろう、彼女は今まで睨んでいた目を驚きで見開くと、やがて戸惑い半分と言った口調で言葉を紡いだ。

「……べ、別に謝らなくてもいい、けど……。……でも、那美を送ってくれたことには、……れ、礼を言っておくのだ」
「……あはは。どういたしまして」

美緒ちゃんも美緒ちゃんで、本当は友達思いの良い子なのだろう。ぶっきらぼうに礼を言うその姿に、僕は友達の金髪ツンデレ少女を思い出して笑いながら、美緒ちゃんにそれだけ告げる。

……さて。

僕は顔を上げて、今まで見守ってくれていたさざなみ寮の人たちに向き直って一礼すると、

「それじゃあ、僕はこの辺で。今日は夜分遅くに失礼しました。那美ちゃんも、もう転んだりしないようにね」
「は、はい!今日は本当に、ありがとうございました!」
「うん。それじゃ」

それだけ言葉を交わしてから、僕は玄関の扉のほうを向いて、───



「ただいま到着し、……まし、……た?」



僕が自分で扉を開く前に、外から扉が開かれて誰かが入ってきた。


腰のあたりまで伸びた髪を纏めることなくそのままに流し、肩には紫色に染め抜かれた竹刀袋を担いでいる、……女性だった。その姿は剣客小町といった風情で雰囲気も鋭い。知り合いの中では恭也さんに一番そっくりだろうか。

こちらが扉に手をかける直前とあって彼女の整った顔が本当に目の前にあったため、驚きながらもお互いにすぐに跳びのく。

いかん。もう帰るとあって魂視を意識していなかったためか、気付くのが遅れてしまった。とりあえず早めに謝っておこう。

「お、っと、……すみません」
「いえ、こちらこそ失礼しました。……みなさん、どうかなさったんですか。こんな所で……?」

どうやら彼女はこの寮の関係者らしい。周りの人たちにも僕に対するよりも柔らかい口調で話しかけている気がする。

「薫ちゃん!」
「那美、元気そうだね。安心したよ。……それで、これはどういう状況なのかな?」
「あ、えっと。それは……」

女性───薫さんからの質問に、那美ちゃんは困ったように言い淀んだ。確かに、今のこの状況は到底一言で言い表せるようなものではないのでそれも仕方ない。



『あら。この霊気は……』



───と。


唐突に、一つの声が空間に響き渡った。


(……って、あれ?)

おかしい。さっきまで気付かなかったけど、……



───なんで、薫さんの傍にもう一つ魂が『視』えるんだ……?



そんな僕の唐突な疑問に答えなんてすぐに出るはずもなく、事態は更に混沌として行く。



最初に口を開いたのは、薫さんだった。彼女はひどく焦った様子で今まで自分が担いでいた竹刀袋を睨むと、小さな声で囁きだす。

「(十六夜!人前で喋るなっ!)」

こちらに聞こえないようにという薫さんのその配慮は、しかし無駄だったようで。彼女もいきなりのことで焦っていたのだろう、僕の耳にも彼女の言葉はしっかりと聞こえてしまっていた。



───そして僕に聞こえたということは、僕の中にいる“アイツ”に聞こえたということでもあった。



「『ほほう。……これはまた、ずいぶんと懐かしい名と匂いじゃのう』」

今度の声は僕の口から放たれていた。しかし、その声は僕のものとは思えないような高く澄んだ女性の声。周りから驚愕の視線が集まるのが見ずとも解かったが、僕は僕で混乱していてそれを気にしている余裕なんてものはなかった。

だから咄嗟に念話で返すことも忘れて、自身の内の者へと声に出して問い掛けてしまう。

「ちょ、葛花ッ!?お前、何を……ッ!?」
『ああ、やはり葛花様なのですね。……薫、大丈夫ですよ。彼女はわたくしの旧い友人です』

そんな混乱の中で出た僕の言葉の言葉を受けて、なのだろう。


───そうして“彼女”は、顕れた。


薫さんが持っていた竹刀袋から溶け出るように現れたのは、金髪黒眼の外国人女性。

ただの和服とも巫女服とも異なる白い衣服に身を包み、膝下まで流れる金糸のような髪をポニーテールの形で一括りにしている。しかし僕に向けているその黒眼だけは、どこか焦点があっていないような気がしたのは、果たして僕の勘違いだろうか?

そんな金髪美人が微笑みながら、僕の目の前でぷかぷか浮かんで話しかけてきた。

『……お久しぶりです、葛花様。最後にお会いしてから、もう二十年ほどになりますね』
「え、あ、……え?」
「い、十六夜っ!?」

後ろで那美ちゃんが悲鳴みたいな声を上げているが、残念ながら今の僕に彼女を気遣う心の余裕はなかった。ていうか、頭の処理がぜんぜん追いついてない。え、何この状況?僕に一体どうしろと?

混乱の絶頂に達し呆然とした顔で目の前の金髪美人───十六夜さんを眺める僕を余所に、彼女の後ろの薫さんが訛り全開で叫んだ。

「い、十六夜ッ!あんた、なんばしとるかッ!?」
『いえ。ですから、彼女とお話を、と』
「彼女って、……彼は男の子だよっ!」
『……あら?』

薫さんに言われて十六夜さんは片頬に手を置きつつ、こてんと首を傾げると(ちょっと可愛い)、そうして「すこし、失礼いたしますね」と僕に断りを入れてから、そろそろとこちらに両手を伸ばし始めた。

しかしその手はまだ微妙に僕からは遠い。だと言うのに依然として十六夜さんは自分の手を彷徨わすのを止めようとしない上に、やはり彼女の目は焦点すら合っていないように感じる。

そんな彼女を見て、

(……この人、眼が視えてないのか……?)

そう気付くや否や、僕も状況を察して慌てて彼女の手を掴む。

十六夜さんのすべすべの肌にドキマギすることもなく(そんな余裕はない)そのまま導くように引っ張ると、自分の顔に彼女の手を触れさせた。

「え、っと……これで良いですか……?」

自信なさげな僕の声に十六夜さんはにっこりと微笑んで「ありがとうございます」と礼を言ってから、

『……このままお顔に触れていても、よろしいでしょうか?』
「あ、はい。えーと、……つまらないものですが?」
『ふふ、そんなことは御座いませんよ。……失礼いたします』

思わずとんちきな返しをしてしまう僕に柔らかく笑いかけながら、彼女はゆっくりと僕の顔に自分の手を這わせ始めた。緊張の一時である。いろんな意味で。

<で>

という訳で、つらい現実から目を逸らすために内側に意識を向けてみよう。

<貴女様は何いきなりヒトの身体を乗っ取ってくれちゃってるんですか?>
『いやー、すまんすまん。懐かしい名が出てきてついテンション上がっちゃった。……てへ♪』
<てへ♪じゃねえ>

ちょっと可愛いから腹立つ。

<それで。人の友達のことをこういう風に訊くのは許してほしいんだけど、……悪い人じゃないんだろうな?>
『そこは儂が保障する。其奴は儂が友人と認めた数少ない者じゃよ』
<あー、そうなのかぁ。……んー>
『どうした?』
<いや、……お前は、この人と話したいんだよな?>
『そりゃあのう。世間話くらいしか話すことはないがな。……良いのか?』
<良いも悪いも。……この状況を上手く誤魔化せるんなら僕は貴女様に泣いてお礼を言うけどさ。できるの?>
『……てへ♪』

お前は一回死んでしまえ。


……まあ、でも。

さっきの十六夜さんの言葉を信じるのなら、葛花が彼女と会うのはこれが実に二十年ぶりなのだろう。さすがにその再会を邪魔するような無粋を働く気はない。
というか、そもそも葛花が自身の友人と再会するのを妨げる権利など元より僕にありはしない。最初から彼女は僕の奴隷でも何でもないのだから。


……いや。さざなみ寮の人たちに関しても、十六夜さんのことを知っているらしい彼女たちなら、僕や葛花のことを話してもある程度の理解は示してくれる筈という計算はあるにはあるけどね?流石に「頭のおかしい人」呼ばわりされる可能性を考慮の外には置いていません。


そう考えながらゆるゆると触れられていると、やがて十六夜さんは僕の顔の大よその造形が掴めてきたのか、

『……あらあら、まあまあ』

ちょっと困った風に笑って、もう一度僕に礼を言ってから僕から一歩離れた。

『申し訳ありませんでした。……薫、どうやらわたくしの勘違いだったようです。ごめんなさい』
「だから、あんたはいつも───」

このままでは十六夜さんにも何だか申し訳ないので、薫さんが説教を始める前に僕もとっとと葛花と入れ替わる。

そうして、僕が───葛花が口を開く。

「『───久しいの。十六夜よ』」

「いつも───え?」

再び僕の口から出た女性の声に目の前の薫さんがこちらに呆然とした視線を向け、周りからは息をのむ気配が伝わってきた(今は表に出た葛花の感覚を共有している状態だ)。だが、葛花はそれに頓着することなく言葉を紡ぎ続ける。

「『のんびり屋は相変わらずか。お主も変わらんのう』」
『この声は、……やはり葛花様なのですか?』

十六夜さんは少し驚いてはいたものの、すぐに持ち直して不思議そうに訊いてきた。葛花(が操る僕の身体)はそれに鷹揚に頷くと、

「『然り。儂の能力を忘れたか?』」
『ああ、確か……“憑依”、でしたね。そうすると、今はその方にご協力を……?』
「『そういうことじゃ』」

と。

ここで葛花はにんまりと笑って得意気な表情を形作り、自信満々といった風情で、意外に優美な仕草と共に自分の右の手を胸元へやると、

「『聞いて驚くなよ?───此奴こそ、儂が望んだ“二代目”ぞ』」
『まあっ』

葛花の言葉に十六夜さんは自分の両手を口元に当てて、やや大げさに驚く仕草を取る。葛花の言う通り、彼女が気心の知れた友人というのはどうやら嘘では無いらしい。その仕草にはある種の気易さが見て取れた。

『それはおめでとうございますね、葛花様』
「『うむうむ』」

2人はお互いに笑みを浮かべながらそれだけ言った。

「『それじゃあ、儂はもう引きこもるぞ。あるじ殿にもそろそろ喋らせねば。今代もなかなかにお喋り好きじゃしな』」

余計なお世話だ。

『はい。またお話しましょう』
「『うむ』」

そうして、葛花と僕の意識が再び入れ替わる。

僕はこちらに向かって微笑んだまま手を振る十六夜さんもそのままに、今まで僕たちの様子を見守って見事に空気になっていた(失礼)寮の皆さんにざっと視線を巡らせると、───



「え、っと……ご説明しますので、やっぱりお邪魔させていただきます?」



とりあえず那美ちゃんと愛さんに向かってそう言った。






(あとがき)
カwwwオwwwスwww

まさか自己紹介までもいけないとは思ってもみなかった作者です。てかさざなみメンバーほぼセリフ一言だし。これはひどい。

次の話はもうほとんど書き終わっているので、比較的早くに投稿できると思います。まあ次回は完全なさざなみメンバーの自己紹介回なんで、また動きのない回になってしまうのですが。

では



[29543] 第十三話 出会い色々。人も色々。で済むわけないだろバカヤロウ 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/11/02 22:56
1:廃墟に幽霊いるって聞いた

2:危ないので除霊にGO

3:夜の廃墟に巫女さんの姿があったが、除霊してるっぽいので任せちゃお

4:ハンカチ・携帯・財布の3点セットをポロポロ落としたので教えてあげることに

5:巫女さん、顔面から地面に突攻。気絶

6:巫女さん背負って久遠ちゃんの案内でやって来ました ←今ここ!



「大体こんな感じです」
『……………………』
「あうぅ……す、すみません~……」

何やら那美ちゃんは寮のみなさんの生ぬるい視線に真っ赤になって縮こまっているけど、それは「とりあえず最初から説明プリーズ」との要求を出した寮のみなさんのせいなので許してね?


あれから。

しばらく十六夜さん以外の人からの「何だコイツ(意訳)」という視線が僕に集中していたものの、オーナーである愛さんの、

「とりあえず、お話は中に入ってからにしましょう?」

という鶴の一声のもと、みんな連れ立ってリビングへ移動することに。美緒ちゃんが多少ごねていたものの、周りのみんな(特に那美ちゃんと十六夜さん)の熱心な説得のおかげでなんとか僕がさざなみ寮の敷居を跨ぐことを許してくれた。面倒おかけしました。
今のところは全員がさざなみ寮のキッチンの傍にある食卓用の席についていて、僕の隣には那美ちゃんが座ってくれている。ちなみに美緒ちゃんは僕から最も遠い席。おもくそ警戒されていた。

キッチンの方では耕介さんが全員分のコーヒーを淹れている。



「それが僕が神咲さんをおんぶしてここまで来た経緯ですけど、……それで僕のことを話す前に、まずは改めて自己紹介をば。───改めまして、はじめまして。自分は和泉春海と言います。春海で構いませんので」

そう言って唐突に自己紹介を始めた僕に、他のみんなが「そういえば……」みたいな顔になった。たぶん度重なる事態の急変にそのことを完全に失念していたんだろう。

ということで、なし崩し的に自己紹介タイム。

「わたしは一度しましたよね。このさざなみ寮のオーナーの、槙原愛です。よろしくお願いしますね、春海さん」

「管理人兼コックの槙原耕介ですー!よろしくー!」(キッチンから叫んでる)

「しゃあねえなぁ。……わたしゃ仁村真雪。後でわかると思うけど、こっちの仁村知佳の姉な。紛らわしいから下の名前で良いよ。那美が世話んなったね、青年」

と、この3人は僕もさっきまでのやり取りの中で名前は知っていたのだが、ここからが僕にとっての新キャラ的な立ち位置な人たちとなる。

続いて声を上げたのは、真雪さんの隣の席に座った髪がロングの女性。結構な童顔で、どういう原理なのか頭の両側ではピョコンとフィアッセさんのように触覚的な髪が撥ねている。いわゆる、あほ毛だった。それも変則版あほ毛。

「それで、ご紹介にあずかりました、仁村知佳です。わたしのことも知佳って呼んでください。那美ちゃんを送ってくれてありがとー」

薫さん那美ちゃんと言い、似てない姉妹だなぁー。とちょっと失礼な事を考えつつ、

「はい。よろしくお願いしますね、知佳さん」
「うん!」

笑ってそれだけ言うと、知佳さんは次を促すように隣を見た。そこに居るのは、茶髪ロングを緩やかにウェーブさせた……───ってッ!?

「次はうちやな。うちは───」
「も、もしかして、……人々を穏やかな気持ちにさせる癒し系な歌声で女性を中心に非常に人気が高く、英国と日本をまたにかけて大活躍している別名『天使のソプラノ』であり、その整った顔立ちとスタイルからか駅前に張られたポスターの盗難が相次ぎ、クリステラ・ソングスクールへの留学の際に単身英国へと乗り込んだくせに未だ英語ひとつ喋れられないのに、にもかかわらず今でも常に気合いとノリと関西弁だけで意思疎通を図ってしまう『情熱だらけのうたうたい』である歌手のSEENAッ!?あとついでに演歌好きのッ!?」
「そうそうそれそれ───って、いきなり何でそんな説明口調!?ていうか自分うちの事めっちゃ詳しいなっ!?うちが知らんことまで入っとたんやけどっ!?そん中に『本名、椎名ゆうひ』加えたら完璧やんッ!?」
「あ、椎名ゆうひさんですか。はじめましてどうもー。和泉春海と申しますー。お近づきの印に握手でもどうですか?」
「自分、握手のためだけに自己紹介やり直したやろっ!?」

突っ込みつつもガッチリ握手してくれている辺り、聞いた通りこの人も歌手であると同時に芸人であるらしい。ツッコミも要点ちゃんと押さえてたし。僕と相性よさそうだ。

「まあ。葛花様の言った通り、春海様はお話しするのが大好きなのですね」

にこにこ笑顔の十六夜さんのツッコミは完全にずれています。

その目の前でお互いにやり遂げたみたいな顔で握手を終えた僕と椎名さん。ご満悦な様子な椎名さんは、そのまま不思議そうに首を傾げて、

「でも、ホンマに何でそんなこと知っとたん?自惚れる訳やないけど、うちのファンか何かなん?」

ここまで知っていると最早ファンじゃなくてストーカーだろう。

「いえ、椎名さんの歌は好きですけど」
「お。ありがとなー。あと『ゆうひ』でええよ?アクセントは『“ゆ”うひ』の方な」
「じゃあ、ゆうひさんで。……で、あそこまで知ってた理由ですけど。僕の友達に、ゆうひさんの友達がいるんですよ」
「友達?だれ?」
「───フィアッセさん。フィアッセ・クリステラさん。彼女に教えてもらったんですよ。知ってますよね?」
「自分、フィアッセの友達なんか!?」

僕から出てきた意外な名前に彼女も期待通りのリアクションを返してくる。驚く顔も美人さんと云うのもまた凄いな。やっぱりテレビの向こうの人は華がある。

「高町さんのほうに度々お世話になってまして、その縁で彼女とも。他にも僕のメル友がゆうひさんの大ファンですし」

ちなみに言うまでもなく忍さんのことである。僕って(美人に関しては)結構マメよ?

「わぁ、そうなんや。フィアッセとも今週中に会う約束しとんよ。いや、ホンマにびっくりやわー」
「僕も、まさか町内で世界的有名人に会えるとは思ってなかったんですけど……」
「この寮はうちの大学時代の住処でなー。今でも帰るとお世話なっとんよ」
「納得です」

とりあえず、ゆうひさんの自己紹介はそこで一旦終了。

お次はその隣に座っている銀髪美人さん。先程の玄関でのやり取りにおいて、真雪さんと並んで動じなかったお人である。パッと見クール系。タバコ吸ってこっち見ながらニヒルな感じで笑ってるし。

「ボクはリスティ・槙原。リスティで良いよ。名字でわかると思うけど、そっちの夫婦の養子だ。民間協力の立場ではあるものの、警察関係者をしてる。……それと、フィアッセとはボクも友達でね」
「へぇ、そうなんですか」

……あ。やな予感。



「……それで。当然、フィアッセからは和泉春海の名前は聞いたことがあるよ。……とっても『良い子』らしいね、君は」



やな予感、的☆中。

リスティさん、僕の正体に気付いちゃってるわ。笑顔が小悪魔的なものに変わってるもん。

「一応、薫や那美の関係でボクはそっちにも明るいけど。……フィアッセの話と実際の君の差異については、説明を期待してもOK?」
「あ、あはは。お、おふこーす……」
「ふふ、Good♪」

僕の隠れたM心をくすぐるリスティさんの微笑にちょっと気持ちよくながらも、とりあえずそこで話を終えた僕はギギギと首をぎこちなく動かして次の人に顔を向ける。

次は茶髪ショートカットな……言っちゃあ何だが、この中で一番地味っぽい人。いや、世間で言うところの「可愛い」の基準は十分満たしているんだって。周りが濃すぎだわ、このメンツ。

彼女はこうした場にはあまり慣れていないのだろう。ちょっとアセアセしながら自己紹介をしていた。

「あ、あたし、岡本みなみって言います!大阪で働いてて、趣味はバスケです!こっちもみなみでどうぞ!」
「で、こん中で唯一の彼氏持ちな。うけけ」
「ま、真雪さーん!?」
「それで、もうHしちゃったの?」
「リスティまで!?」

ああ、この子いじられポジションだわ。

一瞬でそのことを悟った僕は、そのまま真雪さんとリスティさんに弄られて涙目になるみなみさんに生温かい視線を送っておいた。

はい、次。

僕がさっきから敢えてずっと見まいとしてきた方へと顔を向けると、

「……………………うううううう」

うん。さっきからずっと睨まれてました。すんごい猫目で。これが男相手ならまだ実力行使に訴えることも出来るが、女の子に睨まれるというのは僕的にご褒美です!(キリッ

違った。ずっと睨まれてたから緊張で間違えちゃった。てへ。

『今のは間違うとかそういう次元の話じゃないと思うんじゃが……』
<いやいや。きっと僕の中の生存本能的な何かが働きかけてるんだって>

苦痛も過ぎると脳内麻薬的なもので快楽に変わってしまうという、あれである。

『うん?変じゃのう……儂はお前様の考えが読めるはずなのじゃが、辛いという思考はあったっけ……?』
<お前、疲れてるんだって>

僕は憑かれてるけどな!

『上手くないし、ドヤ顔止めい』
<してねえよ>
『心のドヤ顔じゃ』

なにその新感覚な言語。

『心の中にお前様のドヤ顔が生首状態で浮かんどる感じじゃ』
<それは僕も嫌だよ……>

なんて不気味な飛頭蛮なんだ。僕なら出会って1秒で逃げ出すわ。

「……………………」

よし。

現実逃避終了。

そして僕は戦うのだ、この辛い現実と。

「というわけで美緒ちゃん。僕の前にあるこの美味しいイチゴのショートケーキをあげるから、僕とお話をしないかい?」
「する!」

この子ちょろいぞ!

とりあえず僕の分のショートケーキ(薫さんがお土産で買ってきたらしい)を嬉々としている美緒ちゃんに移譲して意思疎通を図る。
ちなみにそのとき美緒ちゃんを叱ろうとした愛さんには目線で熱烈に訴えて僕に任せてもらった。いや、愛さん「?」顔になっただけだけど。

「美緒ちゃんのお名前は何ていうのかな?」
「もぐ……美緒。陣内美緒」
「名字もかっこいいねー」
「もぐもぐ……おとーさんのなんだから、あたりきなのだ」
「そかそか」

食べながらというのは少し行儀が悪いが、ふくらんだほっぺが可愛いので許してあげよう。

「美緒ちゃんは中学生くらいかな?」
「もぐ……中3」

どうやら彼女は我が姉弟子と同い年らしい。その割には中身が少々子供っぽい気もするが。まあ、昨今の悪ガキといったらこのくらいは当たり前だろう。
最近はお坊ちゃま・お嬢様学校の聖祥に通っていたから忘れてたけど、どちらかと言うとアリサ達が例外なのだ。

「美緒ちゃんは僕のことは嫌いかな?」
「でもないよ」
「なら何で僕のこと睨んでたの?」
「なんか負けちゃいけない気がしたのだ。魂的に」

本能レベルで猫だよこの子。

「僕は美緒ちゃんとは仲良くしたいなー。だめ?」
「……うー」

僕の言葉に美緒ちゃんは眼を閉じて唸りだした。どうやら葛藤してるらしい。

ドキドキの瞬間である。

「うー、……うん」

やがて美緒ちゃんは結果が出たのか、渋々ながらしっかりとこちらの目を見ながら頷いてくれた。

「ケーキに免じて許してあげる。今度おいしいものを持ってきてくれたら尚よし」
「なら今度来るときは何かお菓子をもって来よう」

僕は菓子作りはあまり得意でないので桃子さんに協力を要請しよう。なのはを巻き込めばあの人は嬉々として協力してくれるはず。巻き込まなくても笑顔で了承してくれるだろうけど。

僕の言葉を聞いた美緒ちゃんは途端にキラキラした笑顔で身を乗り出して、

「ほんとっ?」
「ほんとほんと。僕は今まで嘘をついたことがないんだ」
「なら春海とも仲良くしてあげるのだ!」
「あんがとさん」

それで話を終えて、美緒ちゃんは満面の笑みで再びショートケーキにパクついた。

僕と美緒ちゃんの会話が終わったのを見て、ゆうひさんが話しかけてくる。

「何や春海くんて、子供の扱いに手慣れ取るなぁ」
「あはは。たぶん子ども相手の経験なら十年以上ですしねー」

『前』も含め、十数年のベテランである。

まあ、それでも子どもは大人の軽く斜め上をぶっ飛ぶから侮れないのだが。
なんだよ、アリサのあの成績やすずかの読む工学技術の本。なのはは数字に異様に強いし頑固だし。


「それで───お待たせしました、薫さん、那美ちゃん。それに十六夜さん」


言いつつ、僕は自分の隣にいる、椅子に座った2人と宙に浮かんでいる十六夜さんに向き直った。

薫さんと那美ちゃんの纏う雰囲気は些か真剣みを帯びていたものの、さっきまでの自己紹介タイムが功を奏したのか表情が固いと言うことない。
……そもそも僕がさっきまで異様なまでに人当たり良くやってたのも、半分以上は2人のの雰囲気を緩和するためだったしなぁ。那美ちゃんは兎も角、薫さんは一筋縄では行きそうにないし。

ともあれ、酷い結果にはならないと信じるしかない、……か。


僕たちの中で最初に口火を切ったのは、薫さんだった

「まずはうちの自己紹介からしておこうか、春海くん。───はじめまして。神咲一灯流退魔道、その正統伝承者、神咲薫と言います。那美のこと、ありがとう」
「神咲一灯流、退魔道……」
「退魔道とは呪詛を退け霊障を祓うこと。それで、うちの家系はそれを生業としているんだ。秘密裏にではあるけど、警察関係から仕事を請け負うこともある」

次に、薫さん達の後ろに控えた、十六夜さん。

『はじめまして。先程は大変失礼しました、春海様』

そこで一度、ぺこりと丁寧にお辞儀。

『神咲一灯流伝承、霊剣『十六夜』と申します。神咲家初代様から、神咲家に仕えさせていただいております。葛花様とは五十年ほど前より友誼を結ばせてもらっています』

薫さんが十六夜さんの言葉を引き継ぐ。

「……まあ、その『葛花様』が何なのかはこの後に教えてもらうとして。……十六夜はこの剣の名前でもあり、……」

そう言いながら薫さんは来てからずっと傍らに置いたままの竹刀袋の封を解く。その中にあったのは、───……一振りの、日本刀だった。

「……この剣に宿る魂の具現でもある。仕事上のうちの相棒と考えてもらえれば、一番わかりやすいと思う」

日本刀と狐面の違いはあれど、その辺りは葛花と同じ、……か。

薫さんの説明を僕が自分流に噛み砕いていると、最後に薫さんに視線で促された那美ちゃんが膝の上に置いた久遠ちゃんを抱きしめながら、言い難そうに僕を見た。……うん?何故に言い難そう?

「……同じく神咲一灯流、神咲那美です。こっちは狐の久遠」
「くぅん」
「それで、えと……」

少し言い淀みながら、不安そうに上目遣いでこちらを覗きこんできた那美ちゃん。なんかこの子、一つ一つの動作が超癒し系なんだけど。

とりあえず言い難そうにしてる那美ちゃんに直球で訊いてみる。

「どったの、那美ちゃん?」
「……春海さんは、妖怪とか幽霊って大丈夫ですか……?」

言いながら那美ちゃんはチラリと久遠に視線を滑らせる。……ああ、もしかして、

「ひょっとして、久遠ちゃんのこと?」

そんな推測は、果たして大正解だったようだ。当てずっぽうの僕の言葉に那美ちゃんはびっくりしたような顔を上げて、

「気づいていたんですか!?」
「これもこの後で話すけど、僕も久遠ちゃんと似たようなのを知っててな」

ていうか今まさに僕の内であくびしてんだけど。暇そうなんだけど。

『お主の眠気が伝わって来とるからな……。眼がしょぼしょぼする……』
<言うな。僕だって我慢してんだから>

現在の時刻は午後9時。小学1年生にとっては既に辛い時間帯である。とは言っても動物としての本能が強い葛花のほうはもっと眠そうだけど。コイツ基本的に食っちゃ寝だし。

「それにまあ、どういう言い方したら良いのか知らないけど、僕も漫画風にいえば『感知タイプ』ってことになるから。ぶっちゃけ初対面で気づいてました」
「ええぇぇぇ……」

笑顔でそう告げる僕に那美ちゃんは一気に脱力したように久遠ちゃんを見ると、次いでちょっと恨みがましい感じのジト目を僕に向ける。おお、なんかレアっぽいぞ、この表情。

「えっと、それじゃあ。……久遠?」
「くーん」

そうして気を取り直した那美ちゃんが久遠ちゃんに呼びかけると、久遠ちゃんは一つ頷いて彼女の膝から床に降り、


ぽんっ


と、軽い音を立てて金髪幼女2号(もちろん1号はあのツンデレである)となりましたとさ。

那美ちゃんの隣に顕れたのは、狐のときと同じ色合いの髪を白いリボンでまとめて、紅白の改造巫女服を着た一人の女の子。葛花と同じように髪と同色の狐耳としっぽを生やしていて、歳の頃はアリサたちよりも少し上くらいだろうか。たぶん、小学3年生くらい。

「ありゃ。久遠ちゃんは人化も出来るんだ?」
「くぅん」
「でもやっぱり『くぅん』縛りなんだ……」
「くぅん……」

僕の言葉に一気に元気をなくして、しゅーんとして答える久遠ちゃん。耳としっぽも垂れ垂れである。
そんな久遠ちゃんを那美ちゃん苦笑して撫でながら、そのままこちらに顔を向ける。

「……獣が永い歳を経て変化する、“変化”の類。久遠もそんな変化のひとりで、人の姿をもつ狐です」

そこで那美ちゃんは辛そうに顔を伏せると、

「この子も、……昔は少しわるい子で。……でも神咲の祖母が退治をして、“力”のほとんどを封印して、今はいい子なんです。……ね、久遠?」
「くぅぅん」

那美ちゃんの言葉に笑顔と鳴き声を返して、ヒト型久遠ちゃんは那美ちゃんに抱きついたまま僕をじっと見上げる。廃ビルのときと同様のつぶらな瞳は僕の一体何を見ているのか、それは僕にも解からない。
ていうか未だ僕には近づいてこないものの、見つめても逃げなくなったのは少しは慣れてくれたと考えて良いのだろうか?

那美ちゃんはそんな僕と久遠ちゃんの様子に少しだけ微笑むと、───覚悟の中に僅かな不安を覗かせる表情で僕に問い掛けた。

「春海さんは、……久遠のこと、怖くないですか……?」
「いや全然」


ズルッ


即答した僕になんか突然さざなみ寮のみなさんがずっこけた。そうでないのは「?」を浮かべた美緒ちゃんと久遠ちゃん、それに笑顔の十六夜さんと愛さんくらいか。

で、美緒ちゃん達と同じく「?」だった僕に那美ちゃんが何故か焦ったように訊いてくる

「えええぇぇぇぇ―――そ、そんなあっさりと……。ほ、ほんとうですかっ!?」
「いや、なんでそんな焦ってんのかが解かんないけど……」

言いながら僕が確認するように久遠ちゃんに眼を向けると、

「くぅ?」

彼女は不思議そうに小首を傾げて短く鳴いた。うむ。かわいい。


それを見た僕は、改めて那美ちゃんに向き直ると───自分に出来る限りの真剣な顔つきを作って、己の感じたままの本心を告げる。

僕の本当の気持ちが、彼女にしっかりと伝わるように。



「僕がお持ち帰りしたいぐらいだよ」



…………那美ちゃん達の警戒度がちょっと上昇したような気がした。全員で久遠ちゃん抱きしめてるし。





というわけで。

「チキチキ『公開処刑!?女だらけの(僕限定)暴露大会 inさざなみ寮 ~お盆、夜の部~』の、始まりだよー」
「「イェ~イ」」

ゆうひさんと美緒ちゃんはノリいいなぁ。

「ルールは簡単。男女比率2:10というこの恐るべき状況で僕の秘密を暴露してしまおうという、どこからどう見てもただの羞恥プレイです。これやっぱ止めない?イジメだって」

「「「「却下」」」」
「「「「あ、あははは……」」」」

僕の意見はニヤついた真雪さん、ゆうひさん、リスティさん・美緒ちゃんに敢え無く却下されてしまった。数の暴力って酷い。
知佳さん、みなみさん、薫さん、那美ちゃんも苦笑いしつつも止めてくれないの辺り、僕の味方は自分を除いた中で唯一の男である耕介さんのみに等しいらしい。

「ということで耕介さん、ヘルプを要請します」
「ええっ!?……えーと。みんな、春海くんも困ってるし、今日はそろそろ……」
「耕介は黙ってるのだ」
「耕介くん、空気の読めん男はモテへんよー」
「……悪い、春海くん。おれには無理みたいだ」

さざなみ寮における彼の地位は低かった。

仕方ないので僕は溜め息一つで諦めると、───寸前の空気を振り払い、居住まいを正して改めて礼を取る。





「改めまして、名乗らせて頂きます。───和泉流陰陽術、二代目“晴明《ハルアキラ》”襲名、和泉春海と申します」



**********



豹変した春海の態度にその場に全員が息をのんだが、当の春海は特にそれを忖度することもなく言葉を紡ぎ続ける。

「とは言っても、襲名自体は自称のようなもので僕ともう一人が勝手に決めてしまっただけですが。……薫さん、那美ちゃん」
「……はい」
「は、はいっ」

春海の問いかけにそれぞれ返事が返ってきたのを確認してから、彼は今度は2人に向かって話しかける。

「そういうわけで、自分は分類上は2人と同様“退魔師”ということになります。完全に在野で学んだモグリになりはしますが。一応、数年前から悪霊祓いや鎮魂も目に着く範囲ではありますが、やらせて頂いています」

薫が目を少し細める。たぶん、見極められているのだろう。春海は頭の片隅でそのことを察しながら、彼女に言葉を投げかける。

「その上で、薫さんにお話したいことがあります」
「……ああ。聴こう」
「僕は霊を祓うことがどういうことなのか、素人なりに知っているつもりです。……霊を殺すということは、死んだ人間をもう一度殺すのに等しい行為。ですよね?」
「…………そうだね」
「…………」

春海の言葉に薫はやりきれないと言ったように目を伏せ、それは隣の那美もそれは同様だった。
しかし春海は敢えてそれに気づかない振りをしながら、話を前に進める。

「僕自身、これまで何人かの悪霊を“殺した”こともあります。……それで、今日はこうしてお二人にお会いして、知っていてほしい事と、ご確認したい事があるんです」

春海としてはここからが本題であり、正念場だった。周りに気づかれない程度に僅かに深呼吸して気を静める。薫と那美も彼の雰囲気でそれを悟ったのだろう、表情を戻して真剣に向き合う。

「知ってほしいことは、除霊における僕のスタンスです。……元々、僕が除霊行為を始めた理由は自分の身を守るためでした。こう言っちゃなんですが、陰陽術はまだ子供で体が非力だった自分が力をつけるためには最適でしたから」

それから、幽霊や悪霊と言った非日常が実は案外身近にいたのを知ったこと。流石に自分の友達や家族が襲われるのは嫌だからと、自分の行動圏内で危ない霊を発見したときは除霊を行なってきたことを告げ、

「……僕が優先するのは、基本的には生きた人間です。もちろん、積極的に死んだ人間を蔑ろにする訳ではありませんが。それでもどちらかを選べと言われたら、僕は間違いなく生きている人を優先します」


これは春海としての、───本心だった。


確かに春海とて人間だ。それも、本来ならば「善良な一般市民」へと部類されるような人柄の人間である。霊とは言え、他人を殺せば悼む心もあるし後悔する心も持っていた。



だが、───それだけだ。



彼は『前』に一度死んで、生きているということがどれ程の価値を持っていたのかを感じた。実感した。

いま目の前に在る『日常』がどれ程に大切なものなのかを、痛感した。

陳腐な言い回しではあるが、……喪って初めてその有り難みが解かった。



だから春海は、『死』が、───死ぬほど嫌いだった。



春海は横道に逸れた思考を修正し、改めて薫たちへと向き直る。

「それが、お二人に知っておいて欲しかったことです」
「…………」
「…………君の言いたいことは解かった。ただ、一つだけ訊きたいことがある」

言い終えた春海に対して那美は沈黙し、薫は見定めるように彼をじっと見つめながら静かに言葉を発した。

「どうぞ」
「君のスタンスは確かに理解した。それもまた人を助けるために必要な考え方だとは、うちも思う。……ただ、それで死んだ人やその人達の家族の想いはどうする?」
「放っておきます」
「なッ!?」
「というより、放っておくことしかできません。そりゃあ、鎮魂の際に霊から遺言を聴くことができれば、術を使って『夢』という形ですが遺族にそれを伝えたこともあります。ですが、それでも既に悪霊になった人を殺してしまった場合、……もうどうしようもないですから。それのことは僕よりも退魔師としての経歴が長いであろう薫さんなら、解かると思います」
「……そうだったね」

基本的に退魔業とは世に知られていないし、また認知されるようなものでもない。
元よりこの現在科学が広まりきったこの世界。その中で幽霊やら悪霊といったものの存在を訴えたところで、悪戯に世を騒がすだけに終わるのがオチだ。

ただ単に遺族に死者の遺言を伝えたところで、普通ならふざけるなと言われて追い返されるのが関の山。ましてや「その人が死んで後に悪霊になって人々を襲っていました。なので殺しておきましたよ」などと聞かされたときの遺族の反応など、春海は想像もしたくなかった。


───詰まる所、春海に限らず退魔師というものは、生者に対しては何も出来ないことの方が遥かに多い。


「…………すまない。話を遮ってしまったね。……続きを聞こう」

それを思い出した薫は一度目を伏せた後、すぐ顔を上げて春海を促す。彼はそれに一つ頷くと、

「次に、というよりこっちの方が本命の質問なんですが……僕がこの街でこのまま除霊を続けても良いのか、ということです」
「?……どういうことかな?それこそ今まで通りにすれば良いだけで、別段こちらのお伺いを立てるようなことではないと思うんだけど」
「さっきも言ったように、僕ってモグリですから。基本的に自分以外の退魔師のことを知らないんですよ。正直な話、今日こうして那美ちゃんに会ったのが僕にとっての初めてです」
「そうだったのか……」
「で。聞いてみたら薫さん達はどうやら一族先祖代々の退魔師家系のようですから。言い方は悪いですけど、もしそっちがこの辺りを縄張りにしているのなら僕が勝手していると余計なイザコザを起こすかもしれませんし」
「その辺りの塩梅がよく解からない、っと」
「そういうことです」

納得した様子の薫に春海は補足する。

「僕としては二度とするなと言われれば流石に困りますし。かと言って退魔業は自分の周囲に火の粉が降りかかる前に払いに行っているだけですから、それに専念するつもりもない。もし現場で他の退魔師の方と出くわしたら特別な理由がない限りは邪魔しないことも約束します。
その上で、神咲一灯流・正統伝承者である神咲薫さんにお聞きしたいんですけど」
「うん」
「その辺りの匙加減ってどんな感じなんですかね?やっぱり部外者は出ていけーみたいな風潮だったりします?」


この質問こそ、春海が他の退魔師と知り合いになった場合に確かめたかったことだった。

別に春海としては、除霊に対して思うところは殆ど無いに等しい。というよりも、避けられることなら避けたいというのは本音だった。
今までの除霊行為だって自分が祓ったほうが早そうだったからそうしただけで、押し付ける相手が傍にいたら迷うことなく押し付けていた自信がある。まあ流石に、那美のような年端もいかない少女にムリヤリ押し付けようと思うほど彼も外道ではなかったが。

今のところは神咲家のようにこの行為を専門の仕事にするつもりもなし。下手に出しゃばって他の退魔師の者の邪魔をし、目をつけられても困る。

彼は事『死』に関して言うのなら、良く言えば“慎重”“堅実”、悪く言えば“ビビり”“チキン”なのだ。


しかしまあ、それでも実際に一度死んだ身。もしかしたらこのくらい臆病なのが一番丁度良いのかもしれない。



閑話休題。



ともあれ、春海がこの質問をしたのは以上のような理由からだった。

早い話が、神咲という退魔の家系から一般の退魔業におけるノウハウと部外者に対する対応を確かめたかったのだ。そしてそれは、これから先で非日常へと関わっていく上で必要なことでもある。
春海自身も独力や我流で全ての問題を解決できるとは思っていないし、自分にそんな特別な存在であると自惚れてもいない。自身を卑下するつもりはさらさらないが、準備を怠って死ぬつもりはもっと無い。

この確認はそのための準備と言っても良い。


そして果たして、そんな意図のもとにされた質問への薫の答えは、……


「───いや、そんなことないよ」


ともすれば拍子抜けしてしまいそうなくらい、あっさりとしたものだった。


「確かに事情も知らん人間が自分勝手な横槍を入れるようなら良い顔はされないけど、それはどの世界でも同じだよ。春海くんはその辺りはちゃんと考えて弁えることもできるみたいだしね。むしろ、そういう人には緊急のようなら応援を頼むこともある」
「そうなんですか……?」
「ああ。日本にも退魔師は少なくはないけど、決して多くもないから。うちも大学を卒業した今では日本中を飛びまわっとる」

そう言って苦笑する薫から目を切ると、春海は今まで姉に場を任せていた隣の那美へと目を向けた。春海の視線に那美は少し慌てて、

「わ、わたしはまだまだで。今はこの海鳴の町で仕事を任されるくらいしか」
「その歳で仕事を任されてる時点で十分すごいと思うけどね」

少なくとも『前』の春海は高校に入ってから簡単なバイトをするくらいだったから、高校1年生で(というより、この様子だとそれ以前から手伝いくらいはしていたのだろう)今回のように夜な夜な仕事に従事する那美を素直に尊敬する。

「そ、そんなことないですよっ」

そんな春海の言葉に顔を少しだけ赤くしながら両手をパタつかせる照れる那美をかわいいなーとか思いつつ、彼は幾分か軽くなった声で薫に話しかけた。

「それじゃあ、あとは葛花の紹介くらいですかね。……みなさんも、もう大事な話は終わりましたから喋っても大丈夫ですよ」
「プハー!遅すぎー!」
「い、息が詰まりましたー……」

春海の言葉に真っ先に息をついて机の上に突っ伏したのは美緒とみなみだった。春海の言うように、退魔業関係と言うことで他のさざなみメンバーは話の邪魔をしないためにずっと黙って見守ってくれていたのだ。

その様子に苦笑しながら、春海は全員に向かって頭を下げる。

「すみません。気を使ってもらったみたいで」
「別に構いやしねーよ。わたしらにゃ関係ない話だったし」
「もー、まゆお姉ちゃんたら。……あ。でもお兄ちゃんにはちょっと関係あったんじゃない?」
「でも、おれも最近は修行サボり気味だしなー。春海くんみたいに色々と考えてる訳じゃないし」

春海の謝罪にニヤついて言葉を返す真雪を知佳が諫め、それに続いた耕介の言葉に春海が首を傾げる。

「あれ?もしかして耕介さんも退魔師なんですか?」
「ああ。昔、薫に稽古をつけてもらっていた時期があってね。今でもちょこちょこはやってるよ。もっとも、除霊だとかは何も手を出したことはないけどね」
「へー」

そうやって2人っきりの男だけでのほほんと話していると、

「それで春海くん。結局、『くずはな』って誰なん?」
「そろそろ教えてくれても良いんじゃない?」

痺れを切らしたゆうひとリスティが口を挟む。周りを見ると、大なり小なり全員が気になっている様子だった。

「ああ、そうでしたね」

言葉を返しながら春海は己の内にいる葛花へと念話を通す。

<葛花、話しても良いよな>
『別に構わんぞ。愛想を振りまくつもりはないが』
<たぶん獣形態で座っているだけで愛嬌全開だから大丈夫だろ>

当人の了解を得ると、再び前を向いて改めて自分の相棒のこと話し始めた。───その表情は、さざなみ寮の住人からは自分の宝物を自慢する子供と同じものに見えていたとか。



**********



「───以上。葛花の説明でした。詳しくは別話参照で」
『おおー……』

僕の説明が終わると、さざなみの皆さんが俄かに盛り上がる。

「なんや、けっこうな人……っていうか狐さんみたいやなぁー」
「ホントですねー」

ゆうひさん・みなみさんの関西弁コンビ(みなみさんにも言葉の発音にあっちの訛りがあった)は微妙に感心したように息を吐き。

「十六夜さんは葛花さんとお友達なんですよね」
『はい。先々代様のころに初めて出会いました』
「こんなところでまた会うなんて、なんだか感動ですねー」

知佳さん・十六夜さん・愛さんの和み系美人さんたちは笑顔でぽわぽわした会話をして。

「ってこたぁ猫が威嚇してたのもそのせいなんか?」
「そういえば、ボクが初めてここに来た時も威嚇されたっけ」
「う。そ、それは悪かったけどさー」

真雪さん・リスティ・美緒ちゃんたちが思い出話に花を咲かせていた。

そんな中で僕に話しかけてきたのは、不思議そうにした薫さんだった。

「それで、……その『葛花様』は、今は春海くんの中にいるんだよね?」
「あ、はい。ちょっと待ってくださいね」

<おーい。とりあえず名乗っとくか?>
『まあ、そのくらいはの』

中の葛花と念話でそれだけ話すと、即座に彼女は『外』へと出てきた。それと入れ替わる形で僕は自身の『内』へと意識が沈む。

葛花は僕の顔で(たぶん)偉そうな表情を形作ると、

「『儂が葛花じゃ。神咲の人間よ』」

更に偉そうな口調でそれだけ言った。

「あ、は、はい。はじめまして。今の十六夜の継承者の、神咲薫と申し───」

突然豹変した僕(の身体)に戸惑いながらも自己紹介を返そうとした薫さんの言葉を、葛花は鬱陶しそうに手をプラプラ振って遮ると、

「『ああ、よいよい。名乗るな。儂に人の見分けはつかんし、名前も覚えられん。明日には忘れるのが関の山じゃ』」
「は、はあ」

薫さんは、僕の姿でそんな面倒くさそうにする葛花に微妙について行けてないらしく、さっきまでの毅然とした態度が崩れてしまっていた。
そんな2人の会話を聞いていた十六夜さんがクスクスと笑う口元を着物の袂で隠しながら薫さんをフォローする。

『ふふ。葛花様は相変わらずのご様子ですね。薫、気を落とすことはありませんよ。彼女は少々気難しいところがあるので』
「『ふん。お主が大雑把なだけじゃ』」
『ですが、春海様にはお優しいのですね』
「『此奴にそう簡単に死なれても困るからの』」

その心は?

「『甘味・酒・油揚げのために』」

そんなこったろうと思ったよ。

『あらあら。まあまあ』

そんな葛花のどこが可笑しかったのか、十六夜さんはまたしても口元を押さえたまま上品に笑いだした。



と。

「あ、あの、葛花さん」

そうやって葛花と十六夜さんが談笑していると(ほとんどは葛花が喋って十六夜さんが笑顔で相槌を打つだけだったが)、唐突に葛花に呼びかける声が在った。

葛花がそちらを振り向いたのだろう、視界がゆったりとした速度で動く。そこに居たのは───、

「『なんじゃ、ドジ巫女と狐か』」

ヒトの姿のまま久遠ちゃんと、彼女を自分の膝上に乗せた那美ちゃんだった。

「ど、ドジ巫女……あうぅぅ。……あ、あの、葛花さんにお聞きしたいことがあるんですけど……」
「くぅん」

葛花の簡潔な一言にちょっと傷ついたみたいだったが、予想外の打たれ強さを発揮してすぐに立ち直ると、那美ちゃんは葛花にお伺いを立てた。対する葛花は呆れたようにそれを見て、

「『勝手に言えば良かろ。答えるか答えぬか無視するかは儂が決める』」
「む、無視も選択肢の中にあるんですね。……あの、普通の霊って何かに依り代がないとすぐに消えちゃう筈なんですけど、……やっぱり葛花さんも何か依り代があるん、です、か……?」

那美ちゃんとしても最初は単に興味本位だったのだろうが、葛花(が操る僕の身体。つまり彼女からしたら年上の男)にジッと見られて緊張してきたのだろう。最後のほうは言葉が尻すぼみに消えて行った。

一方の葛花は那美ちゃんの質問を頭で吟味し、

『お前様』

唐突に僕に念話を通してきた。

<なんだよ、唐突に>
『面倒なのでパス1じゃ』
<速ぇなオイ>

だが葛花が再び僕の中に潜ってしまったため、仕方なく僕が浮かび上がる。

「那美ちゃん」
「ひゃいっ!?」
「ああ、今は僕だから。そんな慌てなくていいよ」
「あ、え、あ……は、はい」
「おー。信じてなかった訳やないけど、ホンマに別人みたいな変わりようやなぁ」
「ホントだー。それにさっきまでは眼が真っ赤に光ってたのに、それも治ってる」

僕と那美ちゃんのやり取りを見ていたゆうひさんと知佳さんがびっくりしたように言ってくる。……って、眼が光ってた?

「えと、知佳さん。眼が光ってたってマジですか?」
「うん、まじまじ。黒眼の部分がもうすっごく赤くなってて、ビカー!って」

何故か自分の両目を手で思いっきり開いて“ビカー!”を強調しながら教えてくれる知佳さん。

「知らなかったの?」
「葛花が表に出てるときに鏡を見たことはなかったので。僕も初めて知りましたよ。教えてくれてありがとうございますね」
「えへへ、別にいいよー」

ああ。やっぱこういう人は見てて良いなー。知佳さんの笑顔に心が和む和む。かわいい顔も目の保養だし。

っと。那美ちゃんを忘れてたので早速彼女の質問に答えるとする。

「で。那美ちゃんの質問なんだけど」
「あ。はい」
「一応、葛花にも依り代のようなものはあるにはあるんだけど……」

早い話が、あの『狐面』である。あれこそが十六夜さんでの日本刀の部分に当たる。僕はその事を那美ちゃんに教えながら、

「ただ、葛花が狐の面を依り代にしてる方が稀なのよ」
「え……それってどういうことですか?」

思わぬセリフに首を傾げて訊いてくる那美ちゃん。見れば隣の薫さんも興味を引かれたようでこちらの話に耳を傾けていた。にこにこ笑っている十六夜さんは、たぶん知っているのだろう。

「まあ要するに、葛花は、」

言いながら僕はスリッパを履いた自分の足先で床を、右手の指先で机をコツコツと叩き、





「───その土地や物、それに人なんかに憑依しながら存在を保ってるってわけ。あいつが単独で長距離を移動できるのもそのおかげだね」





「…………」
「…………」

神咲姉妹は僕の言葉に絶句した様子だったが、先に我を取り戻した薫さんが身体を前のめりにして焦ったように問い掛けてきた。

「ちょ、ちょっと待って。……そ、そんなことが出来るのかい……?」
「別に不思議なことじゃないとは思いますよ。自縛霊なんかは正に土地に取り憑いた霊ですし。十六夜さんも、やろうと思えば位牌くらいには移れるんじゃないですか?」
「た、確かにそうだけど……」
「元より葛花は“憑依”のスペシャリストである狐霊の中でも一歩抜き出たヤツらしいですから」

『アホ言うな。万歩は先じゃ』
<それこそアホ言うな>

謙虚な姿勢を大切にね。

僕の説明を聞いた薫さんは、脱力したように椅子に深く腰掛け溜め息をつく。

「……うちもやっぱりまだまだ未熟者やね。まさかそんな霊も居るなんて……」
「本人いわく、自分は規格外らしいですから。参考にはならないと思いますよ」
「いや、それでも視野を広げるのには役に立ったよ。ありがとう」

この人、勤勉すぎだろ。


それからも薫さんと那美ちゃんを交えて世間話という名の退魔師としての情報交換は続き、僕としては今日で一番の収穫となった。





そうして。

神咲姉妹と話しこみ、机上には耕介さんの作った料理(もともと今日は同窓会みたいなノリだったようなので宴会料理をあらかじめ作ってあったらしい)も載せられてしばらく経った頃。

「じゃ、もう夜も遅くなってきたことだし。僕もそろそろお暇するよ」

そう言って立ち上がる。時計を見ればもう22時を少し回っていた。家では不在を幻術で誤魔化しているとはいえ、それも絶対ではない。強い衝撃と与えれば術は解けてしまうのだから、帰るのならば早い方が良い。

「も、もう帰っちゃうんですか……?」
「え、そうなのかい?料理もそろそろ追加しようと思っていたんだけど……」

僕の言葉を聞いた那美ちゃんと耕介さんが残念そうな顔となり、そしてそれは周りのみんなも大小差はあれど同じだった。今日会ったばかりの僕をここまで歓迎してくれるというのも有り難いことであるが、残念ながら潮時だ。

僕は耕介さんの誘いを家の母親が心配するからと丁重に断ってから、玄関でさざなみ寮の皆さんに見送られることになった。

とりあえず1人1人と別れのご挨拶。

「春海さん。今日は送ってくださって、本当にありがとうございました」
「うん。もう転んだり……は無理みたいだから、気絶したりしないようにね」
「うぅ……はい……」

寮の皆の話によると、那美ちゃんはかなりのドジらしいので。

落ち込みながらもちゃんと頷く那美ちゃんに苦笑しながら、僕は彼女の巫女服の裾を掴むヒト形態の久遠ちゃんを覗きこむ。そういえば、彼女にはまだお礼を言っていなかった。

「久遠ちゃんも、ここまで送ってくれてありがとな」
「くぅん」

う。つぶらな瞳がかわゆい。

「…………撫でても良い?」
「くぅ……」

欲求のままの僕の言葉に久遠ちゃんはちょっと躊躇うように鳴いて、

「……くーん」

だぼっとした両手の裾で口元を隠しながら、そっと自分の頭を静かに僕のほうに突き出してくれた。ちょっと感動したので万感の想いを込めて撫でておく。

「くぅん♪」

喜んで頂けたようで何よりです。


「耕介さんも、料理美味しかったです。ご馳走様でした」
「口に合ったみたいでよかったよ。今日から3日程度は他のみんなも全員うちに居るから、その間にまたおいで」
「いや、流石に女子寮に頻繁に出入りする訳には……」

しかしそんな僕の至極常識的な遠慮は、彼の隣に立った愛さんの

「オーナー権限で許しちゃいます♪」

という笑顔の一言に許された。権力と言うのは何時の時代でも偉大なものである。


お次は目を少しキラキラさせた美緒ちゃん。

「お菓子、忘れないでね?」
「わかってるって。愛さん達からもまた来ても良いって言われちゃったから」
「約束なのだ」
「あ、あの……」
「ん」

なにやら妙にソワソワしたみなみさんが乱入。どうしたのか訊いてみると、

「あ、あたしも食べていいですかっ?」

どうやら彼女は食いしん坊キャラだったらしい。最後の最後に僕の中でやっと彼女のキャラが立ったような気がする(酷い)。
みなみさんの言葉には当然ながら笑顔で了承。美緒ちゃんと取り分の相談をしていたので、なるべく1人1個のお菓子にしておこう。


その次はゆうひさん。

「フィアッセと会ったときに春海くんのことも話しとくなー。機会があったらみんなでカラオケでも行こか」
「世界的シンガー2人とカラオケって……」

逆に金を取れそうだった。ていうか僕が実年齢6歳っていつ言おうかな……。フィアッセさんと会ったらどうせばれるし……。


そんで知佳さんは別れ際もやっぱりぽわぽわしてた。

「今日はあんまりお喋りできなかったけど、わたしはこっちには1週間はいるから。また会おうねー」
「ええ、是非」
「会いに来るのは構わねえけど、知佳に手ぇ出したらぶっ飛ばすからそのつもりでな、青年」
「もー!まゆお姉ちゃん!」

真雪さんがシスコンだったのがちょっと意外。ただシスコンというより、彼女の場合は少し過保護な感じだろうな。姉御肌っぽいし。
ちなみにそんな心配しなくても僕と彼女の年齢差からしてよっぽどのことがないとそもそも僕が男として見てもらえない罠。いや、僕もいつまでも本当の姿を隠して接するのは無理だからね?さすがにいつまでも隠し通すのは面倒、というか不可能だから。


「今日はいろいろと参考になりました。本当にありがとうございます」
「いやこっちも新鮮な話ばかりで楽しかったよ。ありがとう」

握手しつつ薫さんとお礼を言い合うと、今度は彼女の後ろに控えた十六夜さんへと視線を移す。

「十六夜さんも。折角の再会なのにあまり時間が取れず、すみません」

ていうか、そもそも僕の身体を通してしか彼女は葛花と喋ってないしなぁ。でもだからと言って葛花を僕から出すと変化が解けるし。僕の本当の姿を話すにしても今日はもう遅い。彼女たちには申し訳ないが、直接の再会は明日以降に我慢してもらうしかないだろう。

『わたくしは大丈夫ですので、どうかお気になさらずに』
「次は、もっと時間に余裕があるときにでも」
『ふふ。お気づかい、どうもありがとうございます』





とりあえず、これでさざなみ寮の人たちとの挨拶は終わりかなー。

…………とか、僕が“現実逃避”していると、


ポン。ポン。


かるーく肩を叩かれた。

まあ。

なので、理不尽な現実から少しでも長く目を逸らすようにゆっくりとそちらを振り返える。すると、そこには……



「それじゃあ、」



銀髪のお姉さんがニヒルな笑みと共に立っていて、





「───春海はボクが車で送っていこうかな」





らうんど、つー。……続くよ?





(あとがき)
てな感じで第十三話の2、投稿完了しました。先ほど一回前半部分のみを投稿させて、これでは余りに短いうえに内容が自己紹介のみになってつまらないと作者が勝手に判断し、一旦削除して後半部分を付け足して再投稿しました。読者の皆さま、混乱させてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

さて。

後半部分も付け足したということは、つまりストックのことも考えずに投稿したということになります。計画性皆無です。もうストックも書きかけもほとんど無かったり。一応今週末は時間があるので執筆を進めるつもりなのですが、最近はスランプ状態で筆も思うように進まず、下手をすれば今まで間隔を1週間空けずに投稿してきたという作者の些かな自慢がなくなってしまうことに。まあどうでも良いんですけど、そんな自慢。クオリティも大事ですし。作者の作品はクオリティ(笑)ですが。

というわけで読者様には非常に申し訳ないのですが、次はちょっと遅くなるかもしれません。本当に申し訳ないっす。

では、また次回。



[29543] 第十四話 自分のことを一番知っているのは案外他人
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/11/19 17:32
視界の端を夜の街が光の線を引きつつ過ぎ去って行く。時間帯がもう深夜に近づいているからだろうか、さざなみ寮に向かったときに比べたら人の数も心無し減っているように感じる。

今はさざなみ寮からの帰り道、自分が座っているのは走行中の白いセダンの助手席。隣の運転席ではこの車の持ち主であるリスティさんが、火のついていない煙草を咥えたまま両手でハンドルを握って運転していた。聞いてみたら口元が寂しい時にはいつも咥えているらしい。艶のある唇にちょっとクラッと来たのは内緒だ。

「最近は喫煙者に優しくない世の中になっちゃってね。人の前では出来るだけ吸わないようにしてるけど、咥えるくらいは許して」
「僕は煙草の煙は大丈夫なんで吸ってもらっても構わないんですけどね。残念ながら葛花が大の苦手なので、勘弁してやってください」
「ふふ、了解」

リスティさんは何が可笑しいのか、煙草をくわえた口の端にシニカルな笑みを称えながら前を見ていた。

お互いに探り合っていると感じるのは、たぶん勘違いじゃない。

(そういえば、民間協力の警察関係者って言ってたっけな……)

民間協力というのがどういったものなのかは僕にはよく解からないものの、この見透かしたような視線はそっちの関係者特有のものなのだろう。不快なわけではないが、ちょっと居心地悪く感じてしまう。


…………もっとも、居心地悪いと思ってしまう理由は、こちらが隠し事を抱えている故だろうけど。


そのことに小さくため息をつきながら、車を運転するリスティさんに自宅までの道をナビゲートする。

「……そこの交差点を右にお願いします。その後はしばらくは直進で」
「OK」

僕の言葉通りに白いセダンが前方の交差点を右折する。関係あるのかどうかは解からないが、警察の人間だけあってまるでお手本のように綺麗な運転だった。

「…………」
「…………」

沈黙。

別に相手を警戒して出方を窺っているわけじゃないけど、会話の取っ掛かりが掴めない。

僕は自分のことをどう話したものかと思案中。向こうも僕のことを無理に暴くつもりではないのか特に何も訊いてこない。考えてみたら、自己紹介のときも言うかどうかは僕の意思に任せるみたいな言い回しだったように思う。

結局のところ、僕次第ということなのだろう。


…………まあ、隠したところで今更、か。僕が正体が子どもであるということは既にばれているんだ。さざなみ寮の人たちに話すための予行演習だと考えれば、少しはやる気も出てくるし。

「───僕のこと、フィアッセさんからどのくらい聞いてます?」

そんな唐突な僕の質問にも、リスティさんは特に慌てることなく運転に集中したまま答える。たぶん来ると思っていたんだろう。

「高町さんの家で最近お世話になり始めた小学1年生。みんなともすぐに仲良くなって、7月くらいに自分のことも助けてくれた、すっごく頼りになる男の子、……ってところかな?」

べた褒めじゃねえか。

「僕としては助けたなんて思ってないんですけどね。あれだってフィアッセさんとその友達の女の子が自分で頑張ってただけですし」
「ボクはそのままを言っただけだし、フィアッセも自分の感じたままを言っただけ。本人が助けられたと思ったんなら、それで良いんじゃない?」
「ま、それもそうですけど」

言いながら、僕は自分の内に“憑いた”ままの葛花に呼びかける。

<おーい>
『…………』
<…………?おーい?>
『……ねむい』

やばい。僕の眠気で葛花が寝かけてる。声からしてもう既に限界くさい。

<……もう出てきて良いから。おねむはそれからにしてくれ>

つーか人の中で寝るなよ。

『…………うむぅー』

念話でなんとかそれだけ言うと(ただ呻いてるようにしか聞こえなかったけど)、やがて僕の胸の辺りから、すぅ、と霊体状態の葛花が現れる。それと同時に自分の視点が少し低くなった。こいつが出てきたことで変化が解けたのだろう。この子供の高さの視点のほうに慣れてしまっている自分が少し悲しい。

そうして膝の上に葛花を抱えながら隣のリスティさんを窺うと、

「……そっちが君の本当の姿ってことで、いいの?」

ちょうど赤信号で車を停めつつ横目でこちらを見るも、その声は存外落ち着いていた。さざなみ寮で彼女が言った通り、多少なり耐性があるのだろう。

「ええ。改めまして、私立聖祥大学付属小学1年生、和泉春海です。こっちはさっき話した、狐の葛花。今はおねむですが」

言いながら膝の上で目を瞑る霊体の葛花を撫でる。こいつも今日はよく頑張ってくれたので、まあこのくらいはね。
そんな僕たちの様子に口元を綻ばせつつ、リスティは再びセダンを走らせながら問い掛けてきた。

「それで。なんでさっき、さざなみ寮で皆には教えなかったの?」
「いや、最初は那美ちゃんを送るためにあの姿になっただけで、すぐに帰るつもりだったんですよ。その後でさざなみ寮にお邪魔することになったのは完全になりゆきですし。……まあ、それからも言いださなかったのは、薫さん達との話があったからですけど」
「話?……ああ、退魔の関係?」
「ええ。僕は見ての通りの子供ですから。その僕がどんなに訴えかけたところで、結局は世間知らずな子供の戯言と取られる可能性のほうが高かったので」

もっとも、薫さんも那美ちゃんも相手が子供だからと言っておざなりに扱うような人には見えなかったが。

しかしそれでも、向こうから見れば子供が危険な退魔業に首を突っ込んでいるという認識には変わりない。

「変な言い回しになっちゃいますけど、舐められる訳にはいかなかったんですよ」

あの時ばかりは、子供扱いで僕の発言を流される訳にはいかなかった。言い方は悪くなってしまうが、正確な情報を引き出すために彼女たちとは同じく一人の退魔師として同じテーブルに着く必要があったのだ。

「それが、言いださなかった理由?」
「まあ、そうですね。あとは今さら説明するのが面倒だったとか、そんな即物的な理由もありますけど。概ねはそんな感じです」

もっとも。
薫さん達との話が終わった後も黙っていたのは日を置いてからのほうが話しやすいと判断したからだけど。なんせ『子ども』の僕がこうして危険な退魔業に手を出しているんだ。あの場で全部を話してしまうのは色々な意味で面倒が過ぎる。

「ふーん」

いや、ふーんて。

妙におざなりな言葉を返したリスティさんが気になって運転席に顔を向ける。別に大袈裟なリアクションを取って欲しかった訳ではないが、かと言って「ふーん」の一言で済ましてしまうのも如何なものかと。

そう思って視線を向けると、そんな考えが顔に出ていたのだろう。リスティさんは苦笑して僕にフリフリ左手を振りながら、

「ああ、失敬失敬。ちょっと考えごとをしててね」
「考えごと?」

…………?

さっきまでの僕の話の中で、何か解かり難いことがあっただろうか?
そう思いながらその事を訊いてみると、

「いや、そうじゃないよ。……訊いていいのかは解からないけど」

そう前置きしてから、リスティさんは言った。───僕にとって予想外で、それでいて衝撃的な、その一言を。





「春海。───君って、実はさっきまでの青年の姿のほうが本当の姿だったり、しない?」





「       」

呼吸が凍った気がした。心臓ごと自分の『核』とも呼べるものを鷲掴みにされた感覚。

その時の僕は、一体どんな顔をしていたのだろう。左の窓に映る自分を見ればその答えが解かるのかもしれないが、生憎とその時の僕にそんな余裕がある筈も無く。

思考が纏まらない。

頭はこの状況の把握に努める一方で、もう片方ではこの状況をどう乗り切るのかを考えていた。しかし具体的な案が浮かぶどころか、考えれば考えるほど思考は乱れて行く。


今、僕は一体何を言われた……?


リスティさんは、何故そのことに気づいた……?



───僕は、どうすれば良い?




「……………………」

そんな僕の反応が全てを物語っていたのだろう。火の付いていない煙草を口元に咥えたまま揺らし、リスティさんは僕の答えを待つことなく再び言葉を紡ぐ。

「……違和感を覚えたのは、ゆうひとの会話だよ。それまでも子供のくせに妙に思考が大人びているとか、小学生なのに美緒や那美を年下扱いしていたとかもあったけど、決定的なものには程遠かった。全部演技で片付くしね。……それがボクの中で確固とした疑問になったのは、君がゆうひに言った一言だった」

ゆうひさんとの、会話?

なんだ。僕は一体何を言った?

どうしてなのか僅かな焦燥感に駆られながら今日のゆうひさんとの会話を思い出している僕の横で、リスティさんが呆気なくその回答をくれた。



「春海。あの時こういったよね。“子ども相手の経験なら十年以上”って」



「…………言いましたねー」

彼女の一言に、一気に焦燥感までもが吹っ飛んだ気がした。後に残った諦観染みた虚脱感もそのままにドッカリと助手席の背もたれへと身体を預ける。

いやはや。

そんな雑談で言った一言で僕のトップシークレットがばれるとは。油断しすぎだ。
たぶん久々に精神年齢と同様の姿と立場で喋って普段の子供に合わせるというストレスから解放されたせいだろう、完全に気が緩んでいた。
それとも「それも演技で言った」とでも言えばまだ誤魔化せるだろうか、……いや。それももう遅いか。先程の僕の反応では何の説得力もありはしまい。

「小学一年生なら、まだ6、7才。どんな理由があっても10歳は超えない」

そんな僕を気にすることなくリスティさんが逃げ場を失くすように追い打ちを掛ける。この人も中々に容赦の無い人だこと。

「……あーあ。遂にばれたかー」

言いながら、大きく伸びをする。膝の上の葛花が鬱陶しそうに身を捩ったが気にしない。こっちも色々と大変なんだ。我慢してください。

「へぇー……随分とあっさり認めちゃったね。ここで誤魔化してもボクは追及しなかったよ?」
「そうだとしても素直に誤魔化される性格じゃないだろ、あんた。それなら最初から全部説明して黙ってもらった方がマシだよ」
「……そっちが素?」

リスティさん……リスティが首を傾げながら訊いてくる。彼女の小柄な体躯と相俟って少し幼く見えるのが可笑しい。タメ口を不快に思ってるということもなさそうなので、このまま通させてもらおう。

「素っていうか、単に敬語捨てただけだけどな。流石にそこまで普段から自分のキャラ作ってる訳じゃない」

そもそもそんな面倒なことを普段からしてるのはコナン君くらいだ。ねーねーおじさーん、みたいな。

「あと呼び捨て良い?」
「その口調で『さん』付けも気持ち悪いしね。別に構わないよ」

何気に酷くね?

「んじゃリスティで。ちなみにリスティの予想ではどんな感じ?」
「実は子供の姿のほうが偽物。もしくは、本当は大人だったけど何か理由があって子供の身体になってしまった。“呪い”っていうんだっけ、そういうの」
「おー。ちょっと惜しい」

自分の口元が笑みを形作っているのが解かる。果たしてそれはどんな感情に由来する笑みなのか、僕にもよく解からない。

ただ、今は酷く気分が良かった。

「それじゃあ、なに?」
「早い話が前世の記憶ってヤツ。気がついたら幼児になってた。ちなみに亨年21ね」
「それで“十年以上”ってこと、か。……深く訊くつもりはないけど、それを知ってるのは?」
「コイツだけ」

言いながら、静かに眠っている“ように見える”葛花を撫でる。安心しろと、伝えるために。

「一応、普段は小学生してるしな。多少子供らしくないって思われたところで、それで前世の記憶を持ってるって発想に行き着く奴なんていないし」
「確かにそうだね」
「これでも結構大変なんだぞ?いくら聖祥がお坊ちゃん・お嬢様学校って言ったって小学生にそんな違いがある筈もなし。そりゃあガキの扱いも慣れるって」
「ふふ。美緒もまだまだ子供だからね」

お互いに軽口を言い合いながら、僕はなんとなく愚痴を零していた。少し口が軽くなっている自覚はあるが自分の正体を人生で二番目に知った人だ。この際少々のことは構うまいと、どこか開き直ったような感覚。
どうせ彼女が勝手に他の人間に話したとしても、僕本人が認めなければ誰も信じやしないのだからと、自分を正当化してしまう。

「子供相手はどこに逆鱗があるのか良く解からないから気を使うし、逆に大人相手になると向こうはこっちを子供扱い。子供になった利点よりもストレスになる事のほうが全然多いんだよ」
「大変そうだね」
「今から小学校に通えって言われるのが一番わかりやすいと思う。半ズボンとか精神的にかなり死ねるぞ。体育の時間に至っては最早吊るし上げに近い」
「……大変そうだね」

そりゃあもう。この歳で夜な夜な宿題の絵日記を書いてるとか涙が出そうになるよ。


(ああ。それにしても……)


今こうしてリスティと話をしていて、自分が何故ここまで上機嫌になって自分のことを彼女にペラペラ喋っているのか、ようやく解かった気がする。

たぶん僕は自分の秘密がリスティにばれた事を、そして彼女がそれを信じてくれている事、それ自体を喜んでいるのだ。

その理由は、今まで葛花だけにしか打ち明けたことのない自分の事情を初めて他人に話すことで、「誰にも言えぬ秘密を抱えていたこと」へのプレッシャーから解放されたから…………ではない。というか自分で言うのも何だけど、僕にそこまで繊細な感性は無い。
確かにそれはそれで肩の荷が少しは下りたという意味では現在の僕の高揚に一役買っているものの、あくまでも一役。一部であって全てではなかった。

では、一体この場において何がそんなに気分良かったのか。
それは、……



(───こうやって同年代と気兼ねなく話すのって、ほんと何年ぶりだろうなぁ)



まあ、こういう訳だったりする。

そもそもいくら仲が良くても、アリサたちやレンたちに対しては少なからぬ保護者染みた感情が入ってしまうし、恭也さんにしても実際の肉体年齢に10歳以上の開きがあるのだ。
秘密を隠しているということには負い目なんか感じていないにしても(友達だから相手に一切の秘密を持ってはいけない、なんてピュアな考えは僕には無い)、様々な要素が絡んだ結果、どこか壁が出来ているのは間違いない。

じゃあ家族はどうなんだと訊かれると、そりゃあ両親や妹たちには家族故に気兼ねしたことはないけれど、だからと言ってそれは同年代との交友とはまた別物だ。葛花にしても、既に僕の中では相棒兼家族の一員にカテゴライズされてるから友達とも違うし。


要するに、『今』の世において僕は“生まれて初めて”他人と同じ目線で会話しているということだ。これが嬉しくなくて何を喜べと言うのか。


……にしても。

「よくこんな突拍子もない話を信じたな。正直、ガキの妄想の一言で切り捨てられても仕方ないと思ってたんだけど」
「仮に妄想だとしても、それでボクが困ることもないからね。もちろん信じるつもりではあるけど」
「はぁん」

まあ、確かに会ったばかりの小学1年生に妄想癖があったところで困る人間は居まい。なかなかにドライな考え方だけど、人間そんなもんだ。

というか信じる気でいてくれるだけでもかなり有り難いことだと思う。

「それに、」

そう思って納得していると、運転しながらリスティが言葉を続ける。

「ボクも、そういう不思議なことには昔から結構縁があるから」
「?……ああ。薫さん達みたいな霊関係か?」
「それもだけど、それだけじゃない。……まあ、自分にも思いも寄らない不思議が世界にはまだまだ存在するってことかな?」
「……ふーん」

苦笑しながらそれだけ言うリスティに、僕も車の進行方向を向いたままそれだけ返す。まあ、彼女がそう言うのなら彼女の中ではそれが真実なのだろう。
もともと自分の常識だけが全てなんて思ったことはない。そんな認識は葛花に出遭った5年前に、どころか転生を経験した瞬間に崩れ去っている。

そう内心で独りごちていると、───



「でもまあ、そっちの秘密だけボクが一方的に知っちゃうっていうのは、ちょっとアンフェア過ぎるね」



と。

唐突にそれだけ言って、リスティは道路の傍らにセダンを停車させた。既に人々で賑わうオフィス街は過ぎており、今いる閑静な住宅街には疎らに人影が見えるだけでこの車に注目している人間はいない。

…………え、なにこの展開?

感じる疑問もそのままに、とりあえず彼女の言葉から察したことを言ってみる。

「あー、……つまり、意図しなかったとは言え秘密を暴いて相手の中に踏み込んだんだから、その対価にリスティも僕に何か教えてくれる。……ってことでOK?」
「Yes♪」

僕の問いに、今度はどこか子供のような悪戯っぽい笑みで頷くリスティ。あ、ちょっと可愛い。…………いやいやいや。

「……いや、何でそうなるんだよ。別にそんなこと気にしなくても良いって。元より簡単に悟られた僕が間抜けだった、って話だし」

そうでなくても、女の秘密をそんな交換条件みたいな形で無理に暴くような真似をするつもりはない。そう考えての言葉だったのだが、……

「それでも、だよ。というより、そんな難しく考えてのことじゃない。ある程度親しくなった相手や、さざなみ寮のみんなにはもう話してることだから」
「……さいで」

彼女のそんな言葉に封じられてしまった。

……ま、本人がそう言うのなら甘んじて受けておくのが吉、なのかね。ひょっとしたら僕の秘密を暴いてしまったことを想像以上に気にしているのかもしれないし。先程の僕ではないが、リスティも他人に話して初めて軽くなるものがあるのだろう。



「うん。……春海は、『変異性遺伝子障害』って知ってる?」
「変異性……?」

そうしてリスティの口から唐突に出てきたのは、そんな単語だった。僕はその問いの意味を深く考えることなく反射的に自分の脳に検索を掛けて、……程なくヒットした。


『変異性遺伝子障害』

それは20年ほど前に世界で同時多発的に発生した新種の遺伝子病の名だった。先天的な遺伝病で、死病でこそないものの、治療方法は未だ確立されていない。
確か症状としては……生まれつき自身の遺伝子に特殊な情報が刻まれていて、それが原因で様々な症状を引き起こす、だったか……。中には身体の一部が奇形になるようなものもあった筈だ。

その他諸々の僕が知りうる知識をそのままリスティに伝えると、彼女は少し驚いた顔に。

「驚いた。けっこう詳しいね」
「昔、この世界のことを調べるために新聞やネットを読み漁った時期があってな。その中にあったんだよ。『前』の世界では無かったことだったから、よく覚えてる」

なんせこの世界の日本って政府公認の忍者とか居るんだぜ?
何だよ忍者の国家試験って。影分身でもするの?

「それはそれで興味深い世界だけど、まあ今は置いておこっか。……そこまで知ってるなら話は早いね。その『変異性遺伝子障害』の中でも20人に1人ほどの割合で存在するのが……」

言ってからリスティはそこで少し言葉を切り、左耳のピアスを取り外すと、





───彼女の背に、金に光り輝く翼が現れた。





その翼は3対6枚で構成され、光り輝きながらも羽の向こうが透けて見えている。しかし光り輝くとは言ってもそれは決して目を潰すような強光ではなく、どころか包み込むような暖かさで狭い車内に一種の幻想的とも言える光景を作り上げていた。

突如として現れたそんな天上の如き光景を前に、僕は半ば自失したまま感じたことが自身の口を突いて出て、───


「虫みた───」
「何か言った?」
「お美しゅうございます」


一瞬で冷静になった。

怖ぇー。流し眼で睨まれるの超怖ぇー。ていうか気にしてたんだ、その昆虫みたいな羽の形。いや、綺麗だよ?虫みたいだけどさ。

自分の視線に怯える僕を見ながらリスティは、はぁ、と溜め息をついて

「……どうにも君は反応が予想外すぎる。驚いても心のどこかで余裕を保ってるみたいだ」
「あー、……それ多分合ってる。一度死んだからか妙に驚きや混乱に対する沸点が高くてな」

ぶっちゃけ臨死体験の一つや二つしてればそうなります。常に冷静にしてないと死にそうで怖いもん。

「自覚があるの?」
「そりゃあな。本当に短期間だけだったけど、マジで自分が妄想抱えた異常者じゃないかって疑ってた時期もあったしな。そのときは何度も自分を見直してたから」

自己分析はばっちりですよ、と。

ま、それも葛花に出遭った頃には完全に受け入れてたけどね。たぶん期間にしても1カ月も悩んでなかった気がする。……考えるのが面倒になったとも言うが。

「最近で一番焦ったのって、さっきリスティに正体を見破られたのを抜かせば、風呂入ってるところにフィアッセさんも入ってきたときかなぁ……」
「そんなことと比べるな……」

ていうかボクの秘密はそれに負けたのか。

とか言いながら僕の台詞に呆れ気味に零したリスティだったのだが、何かに気がついたように顔を上げて、こちらに疑念の目を向けながら静かに言い放った。

「春海。……まさか子供の身体なのを良いことに、フィアッセや他の女の子にエッチなこと……」
「しねぇーよ」

今度はこっちが呆れた視線を返す。依然としてこちらに犯罪者を尋問する警察官のような目線を向けるリスティに、僕は肩をすくめながら弁解する。

「確かにまあ興味がないと言えば嘘になるけどさ。それでも自制できるくらいの良識は持ってるつもりだよ」
「でも男は結構頻繁にそういうこと考えてるからなぁー」
「何を見てきたように……」

否定はしないけどな。男はみんな狼なので婦女子の皆様は気をつけましょう。

「そもそもこの子供ボディだと性欲からして湧かないしな。“そういうこと”をするにしても、その原動力から無いんだよ」

常時ハイパー賢者タイムは伊達じゃないのだ。たとえフィアッセさんの裸体を前にしても、今なら紳士的対応をする自信がある。微妙に嫌な自信だけど。



───バチッ



「ッ!?」

唐突に、自分のこめかみの辺りに僅かな違和感が走る。ピリッとした、強いて言うなら静電気が弾けたような。
葛花に置いていた右手でこめかみを擦りながら何が起こったのか思案していると、これまた唐突に隣の運転席でリスティが声をあげた。

「……どうやら本当にしてないみたいだね」
「ってオイ、ちょっと待て。いま何したんだよ」

半眼になってリスティに尋ねる。なんだ、今の妙に確信を持った一言は。

そんな僕の問いにリスティは背中の翼を小さくして光量を抑えながら、シレッとして言う。

「別に。単なる精神感応≪テレパス≫だよ」
「テレパス……読心か」
「Yes」

僕の言葉を軽く肯定してから、改めてリスティが自身の翼を説明する。ていうか完全に話逸れてたけど、本来そっちが本題である。

「さっきの続きだけど、『変異性遺伝子障害』の発症者の中に20人に1人ほどの割合で存在するのが『高機能性遺伝子障害』。通称“HGS”と呼ばれるもの。ボクの場合はその中でもPケースって云って、特別力が強いものだけどね」
「で、その結果がその羽やさっきの読心、と」
「そ。“種別XXX パターン『念動・精神感応』”。俗に言う、超能力ってやつ。念力・読心・瞬間移動。その他諸々なんでもありだ」
「わーお。いよいよファンタジーみたい……って訳でも意外とないか?」
「むしろ分類的にはファンタジーの対極だよ」

現代科学で全部説明つくから、とリスティ。

うーん、現代の科学の力はそこまでなのか。『行き過ぎた科学は魔法と見分けがつかない』とは言うけれど、それと同じようなものだろうか?ちょっと違うか?

「昔は色々と制御が甘くてね。今ほど常識も無かったから、そこら辺の人達全員の頭の中を覗いてたこともあったし」
「うへー。それって覗かれた方もだけど、覗いてた方もキツかったんでない?」

他人の考えることなんて、読んだところで碌でもない場合のほうが遥かに多いに違いない。事実、ある程度まで歳を重ねた男の脳内なんてカオス極まりないし。僕は男だから女のほうは知らんけど、これはもう生物学的に避けようないのだ。
それを多感な時期の少女が読み放題って、……お互いにとってかなりの不幸じゃないだろうか、それって。

そんなことを思って言った僕の言葉に、リスティは肯定するように苦笑した。

「まあ、確かに見ていて気持ちの良いものじゃなかったかな。色々あって今ではさざなみ寮で暮らしてるけど、それまでは結構やさぐれてたし」
「黒歴史だな」
「黒歴史だね」

そのまま2人で黒歴史黒歴史言い合いながら再び車は発進。それからは他愛もない雑談が家に辿りつくまで続いた。





**********





「ここで良いんだよね?」
「ああ」

そうして無事に自宅から少し距離のある所(家の前まで行くと家族が車の音に気づいて出てくる可能性があるから)で、腕の中に葛花を抱きかかえたまま春海は白いセダンを降りた。

ガラスの降りた助手席の窓越しにリスティを振り返る。

「じゃ、送ってくれてサンキューな、リスティ」
「もともと那美を送ってもらったんだから、別に構わないさ」
「ああ、そうだったっけ。なんか色々あってもう忘れてたぜ。さざなみ寮の人たちにもよろしく伝えておいてくれ。2,3日中にはまた行けそうだから」
「了解……それと、」

と、ここで彼女は心無し声を潜めて春海に尋ねた。

「寮のみんなには春海のことは言わないで良いの?」
「別に良いよ。実は小学1年生だってことは今度言うつもりだったし」
「そっちじゃなくて」
「ん?」
「───本当は“大人”だってこと」

そう言って運転席から春海を見るリスティの表情は変わらず笑みを浮かべていたものの、その眼はどこか僅かに窺う風だった。

しかし、問われた当の春海は少し思案してから、

「んー、あんま言う気はないかなぁ。別に墓まで持って行く秘密って訳じゃないけど、僕自身『和泉春海』として生きる覚悟はとっくの昔に固めてるし。……というか、僕はもう『和泉春海』以外の何者でもない」
「そっか……じゃあ、ボクが気にすることでもないね」
「そういうことだ」

それだけ言ってお互いに話を切り、春海はリスティの車から一歩離れる。

「それじゃあ、Good Night」
「ああ。おやすみ」

そしてリスティを乗せた車は元来た道を走り、春海は自宅への夜道を歩き出した。










夜空に瞬く星々を眺め歩きながら、彼は今日の出来事を思い出していた。


さざなみ女子寮。

退魔師の姉妹に、彼女たちのパートナー。
管理人とオーナー夫妻。
個性的という言葉が生温いくらいに個性的な住人たち。

そして何と言っても、

「まさかバレるとはなぁ……」

『今』の自身の隠し事をほんの些細な会話の中で察した、警察への民間協力をしているという銀色の髪の女性。


『で。お前様はあの銀髪娘をどうするつもりじゃ』

と。

唐突に腕から音なき声が深々とした夜の空間に響く。彼はその声に驚くことなく、まるで問い掛けてくることが解かっていたかのように普段通りの語調で返した。

「別に。どうもしないし何もしない。むしろこれからは良い話相手になりそうだって思ってるくらいだよ」

腕の中に抱えられたままだった彼女は彼の言葉にフンと鼻を鳴らすと、そのまま童女の姿となって寄り添うように彼の傍らに浮かび上がった。

『毎度思うが、お前様は少々甘くはないかの?儂としてもあの娘がお前様のことを安々と吹聴するとは思わんが、それだけで信用する根拠がなかろう』
「根拠ねぇ……。まあ、僕が甘いのは同意するけどな」

確かに彼も、長年のストレスから解放された反動で口が軽くなっていた自覚はあった。

しかし、

「でも今回はそれだけでリスティのことを信用した訳じゃないさ。ちゃんと他の根拠もある」
『ほお』

彼のどこか自信ありげな発言に少なくない興味を引かれた彼女は訊く。だったらその根拠は何なのか、と。


「そもそもリスティからしたら、僕の正体が子供だと解かった時点でさざなみ寮の住人の前で尋ねてよかった筈なんだよ。『フィアッセには和泉春海って子のことは小学生と聞いていた』ってな」

それをしなかったのは、こちらの事情を慮ってのこと。


「それにその後だって車の中で僕の“中身”を知ったときに、わざわざ『アンフェアだ』なんて理由をつけて自分の秘密を話す必要もなかったしな。リスティからすれば偶然気づいただけなんだから。
あの高機能性遺伝子障害ってヤツにしても僕の知ってる世界中の事例を考えると、───少なくとも『ある程度親しくなった』なんて軽い理由で話せるほど、簡単な“傷”じゃないだろうよ」

それをしたのは、こちらの心情を慮ってのこと。


「まあ、要するに彼女は───」










夜の海鳴の街に車を走らせながら、彼女は今日のことを思い出していた。


懐かしいメンバーで集まり、ちょっとした同窓会と化したさざなみ寮。

そこに突然後輩をおんぶして現れた青年。
内に狐を宿したと言う退魔師で。
その正体が子供と思いきや、中身は自分と同い年ほどの青年。

そして、自分の事情を話した人間。


「……まったく、変なヤツだな」

車内でそう呟く彼女の表情は、しかし言葉とは違って笑みを浮かべていた。


この光る6枚羽を見せた時だって本当なら異物で見るような目で見られる覚悟は固めていたというのに、馬鹿なことを言って、その後は何でもないことのように綺麗とまで返して。

彼の話の信憑性を調べるために(あと多少はエッチなことをしてないか調べるために、というのもある、ホント多少だが)頭の中をテレパスで読んだときだって、勝手に読んだことにもっと文句を言ってくるのかと思えば大して気にした風もなく、どころかこちらの過去を心配する始末。

あれで果たして本人は自覚が有るのか無いのか。いや、あの様子だと自覚なしだな。


「……知佳やフィリスたちにも、ボクが春海に話したって教えてやるかな」

知佳は自分の事情を理解してくれる人間が増えると言って相手が子供だろうとお構いなしに喜ぶだろうし、フィリスにしてもこの症状に対して侮蔑の目を向けない者がいると聞けば医者としても喜ぶだろう。


そこまで思案して、……次いで、自分がそこまで彼のことを信用していることに苦笑する。その理由が考えるまでもなく解かるだけに、尚更。


「耕介たちと言い、春海と言い。まったく、───」















「「───お人好し、だな」」













(あとがき)
知らぬは本人ばかりなり。そんな話。

お待たせしました。第十四話、投稿完了しました。

今回の話はもうこれ完全にリスティ回ですね。すみません、作者は彼女のことも大好きなんです。
まあメタな話をすると、彼女に真っ先に正体バレしたのは作中でも出た読心が理由なんですけど。この人、知佳ちゃん以上に自重しそうにないですし。ある程度の情報バレはしておかないと、主人公が丸裸になっちゃいそうだったので。

さて。
申し訳ないことに、最近執筆スピードがメッチャ落ちちゃってます。ていうかリアルでは試験が多くてあまり書けず、空き時間では他の作者様のSSを読んだり(オイッ)してるから、っていうのもあるんですけど。これからの投稿の間隔は、どんなに早くても一週間は絶対に超えると思います。本当にごめんなさい。

次回はさざなみ寮での主人公の正体バレ(実は子供なこと)ですかね。出来るだけ早く投稿できるようにしたいです。

では。





[29543] 第十五話 持ちつ持たれつ
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/12/06 19:15
あのお盆の夜から3日後の昼前。
今日も今日とて夏の日差しと姦しい蝉の声がカンカンムシムシミンミン喧しい中、僕こと和泉春海は再びさざなみ寮を訪れていた。

目の前にあるのは『さざなみ寮』と書かれた表札が掲げられた玄関。あとは扉の横に備え付けられた呼び鈴を鳴らすだけだ。


……が、

「着いちゃったよ……」
『着いちゃったのう』

その当の僕は、さざなみ寮の扉の前で目前の呼び鈴を押すことを躊躇っていた。

現在の僕の姿は3日前の夜と同様、二十路の頃の青年形態。当然ながら葛花も僕の内であり、彼女の声が僕の頭の中に直接響いている。

「……なぁ、やっぱ帰らない?」
『凄まじく今更じゃろ』
「いやだってなぁ。正直なところ僕が本当の姿を話すっていうのも今更感ぷんぷんだろ。ぶっちゃけ読んでる人もそんなの別に良いから話進めろよとか思ってるって。ダイジェストで良いじゃん。なんやかんやで小学生ってバレましたって感じで大丈夫だって。イケるって」
『いや、イケんじゃろ』

とか。
人様の寮の玄関前に突っ立ったまま、僕と葛花で至極中身のない雑談をしていた。

『そもそもお主、この業界を舐めすぎじゃろう』
「え、このふわっふわした会話続けるの?」
『モチのロンじゃ』
「古いよ、返しが」

いや、お前からしたら未だ現役なのかもしれないけどさ。既にそのフレーズはあたり前田のクラッカー並みに時代の隔絶を感じる言葉だ。あ、僕も言っちゃったよ。
やばいな、歳バレねぇかな。

「そもそも業界ってなんだ」 
『そりゃあ、おぬし。今の時代、文体でダラダラ話しておったくらいで読者が集まると思うなよ。いくら儂が絶世の乙女とはいえ、それも文章媒体では魅力半減。せめて今月号の『じゃんぷすくえあ』くらい肌色率は必須と知れ』
「いろいろと危険すぎるよ!?お前の発言!」

ここは現実!
言い出しっぺは僕な気もするけど、ここが現実ですよ!

というか自分で絶世言うな。
いつの間に読んだんだよ、ダークネスとか。僕まだ今月号読んでないぞ。

「てかお前、字は読めないだろうが。何のために見てんだよ」
『ふ。読めずとも絵から伝わるものはある。あーいうのを春画と呼ぶのじゃろう?』
「ちょっとおしいけど違う!」
『個人的には同雑誌に載っとった白い鬼っ娘のキャラ被りが業腹じゃ』
「お前何様だよ……」

あと、たぶんパクったのはお前のほうだ。根拠ないけど。

「もとより現実にはToラブる的なイベントは滅多にないんだよ、非常に残念なことにな」

あったとしても、たぶんその時点で僕の人間関係が終わる。警察的な意味で。

それにしても、僕たちは女子寮の玄関先で一体何の話をしているのだろう。

そもそもこうして葛花と喋るのは別に良いけど、その葛花が周りから見えない以上傍から見れば僕が独りでツッコミしてるだけなんだよな……
いつもと違って葛花の姿が自分からも見えない上に現在の僕の姿も大人であるため、より一層に危なく感じてしまう。

『ちゅーか、そもそも既に此処にも一報も入れとるじゃろ。無駄な足掻きは止めておけ』
「あーくそ、律儀な我が身が恨めしいよ……」

そう。
葛花の言う通り、僕が今日こうして訪問することは既に連絡済みだった。昨日、桃子さんに菓子作りを習ったときにフィアッセさんにゆうひさんと知り合ったことを話して、彼女経由で前もって電話してもらったのだ。

いや、律儀も何もアポイントメントは常識の範囲内だけどさ。

美緒ちゃんと約束した菓子の方も、準備は万端である。初めは簡単なものということで桃子さん監修の元、なのはと一緒に『いちごのタルト』と作り、そして更にはさざなみ寮に持って行くと言ったら桃子さんからもシュークリームを預かっている。寮の人たちの一部が翠屋の常連らしく、士郎さんや桃子さんもさざなみ寮のことを知っていたからだ。
妹たちに見つからないように冷蔵庫に隠すのはちょっと苦労したけど。まさか偶然とは言えあんな隠し方を発見してしまうとは、自分の才能が怖い。


ちなみに。
なのはとの菓子作りはそれだけで短編一つ書けてしまいそうな、笑いあり涙あり感動ありの一時であったことを此処に記しておく。

具体的には体力無さ過ぎて途中で力尽きてしまったなのはとか。いや確かに菓子作りって意外と体力使うけどさ。流石にあれは哀れすぎて、不覚にも涙を誘われてしまった。
そんななのはが生地を練り終わったときには胸に響く感動があったものだ。すごいすごい言ってやると真っ赤になってポカポカ叩いてきたけど。どうやら爆笑しながら言ったのが駄目だったらしい。


ともあれ。

そんな感じで僕は片手にタルトとシュークリームの入った箱を持って、さざなみ寮の前に居た。


まあ葛花の言うように、このままここで立ち往生していても仕方がない。そう考えながら僕は眼前の呼び鈴に空いた右手を伸ばして、───





『春海様ですか……?』





ニョキッ、と呼び鈴のある壁から十六夜の顔が生えてきた。


それまで押すのを躊躇い、呼び鈴を睨むようにして自分の顔を近づけていたこともあって、彼我の距離は実に10センチ以下という超至近距離。
彼女のきめ細やかな肌や流れる金糸の髪、焦点の合っていないながらも吸いこまれるような深い瞳がこれ以上ないほど良く見え。
更には視点を少し下に向ければ艶のある唇の朱蕾。僅かに潤んだ“そこ”に、あるはずの無い吐息を幻視する。


MK5《マジでキスする5秒前》だった。5センチでも可。


「~~~ッ!?………………ッ……ッ」

降って湧いた突然の事態に硬直しつつも、僕は口から出かかった悲鳴を根性で抑え込みながら何とか一歩二歩と後ろに下がる。

(…………セ~フ)

ヒクついている頬を自覚しながら胸を撫で下ろす。

本気で危なかった。普段から葛花で慣れてなかったら手に持ったケーキの箱を放り投げていたかもしれない。と言うかちょっと揺らしちゃったけど大丈夫だよな?

そうして落ち着いてから改めて壁から上半身だけ出している十六夜さんに目を向けてみると、彼女はこちらの様子には全く気が付いていないのか、「あら?」とその細い首を傾げていた。

『カカカ。此奴も相変わらず妙なところで無防備よのう』
<懐かしんでる場合か!本気で心臓飛び出るかと思ったぞっ!?>

突然壁から現れるだけでもアレなのに、それがここまでの美人だと一種の畏れすら湧いてくる。今も胸の中では心臓がバクバク鳴っていた。あーくそ、完全に油断してた。顔とか絶対赤くなってるよ。身体の中まであっついもん。

<そもそも何でこの人、昼間から平然と霊体で飛んでるの……>
『甘いな。こう見えて“趣味:散歩”という猛者じゃぞ』
<猛者すぎる……>

けっこう落ち着いた感じの人という印象を抱いていたのだが、どうやら意外とお転婆らしい。まあ目が視えていないというのに逞しいそれは、僕としては大変な好印象ではあるが。というより、視えないからこそ逞しいのかな?

そんな下世話なことを頭の片隅に思い浮かべながら、不思議そうにこちらに顔を向けている十六夜さんに2人して声をかける。

「あー、……とりあえず、三日ぶりです。十六夜さん」
「『お主も相変わらずじゃのう』」

『あら』

ようやく言葉を返した僕たちに気を悪くすることもなく、対面の十六夜さんはフワッと顔を綻ばせると、


『ようこそいらっしゃいました。春海様。葛花様』


実に丁寧な仕草でお辞儀しながら、そう言った。





「いらっしゃい、春海くん。よく来たね」
「お、お久しぶりです、春海さんっ」
「くぅん」

そうして十六夜さんに誘われて寮の中へと足を踏み入れた僕を最初に迎えてくれたのは、十六夜さんを追いかけてきたであろう薫さんと、腕の中に久遠ちゃんを抱えた那美ちゃんだった。
当たり前ながら那美ちゃんも今日は巫女服ではなく普通の私服姿である。白色がメインのサマーセーターに桃色の線があしらわれた膝丈のフレアスカート。如何にも年頃の娘さんと云った、可愛らしい格好だ。

僕も片手を上げて笑顔で挨拶に応じる。

「3人ともこんにちは。今日はお邪魔します……と。那美ちゃん、どったの?」
「は、はいっ。あの、えと、……な、なにがでしょう……?」

いや、何がっていうか、

「顔、真っ赤だよ?」

そうなのだ。
隣の薫さんと同様、那美ちゃんも挨拶に笑顔を添えてくれていたものの、その女の子らしい柔らかそうな頬はほんのり赤みを帯び、笑顔も微妙に固く見える。

そんな僕の指摘に何故か那美ちゃんは手をワタワタさせて、

「あ~、えっと……それは、そのぉ……」

しかし、その言葉も満足に出ることなく尻すぼみに消えていく。というか余計に顔を赤く染めて俯いてしまった。おいおい何だこれ。超癒されるんですけど。
かと言ってこのままな訳にもいかないので、僕がヘルプの意味を視線に込めて薫さんと十六夜さんを見てみると、薫さんが苦笑しながら、

「それが、3日前から真雪さんやリスティが那美にふざけて色々吹き込んでね。改めて君に会うのを恥ずかしがってるんだよ」
「か、薫ちゃん!?」
『真雪様たちはそういうことがお好きですから』
「くぅん」
「すっげー納得です」

大方、あの“おんぶ”のことでからかわれたのだろう。この子もそういうのに慣れてるようには見えないし。そしてあの御二人はその辺を自重するようには見えないし。

「まあ、あれは僕が勝手にやったことだから。那美ちゃんもあんまり気にしないでね」
「は、はい」

とりあえず三日前と同様のセリフを那美ちゃんに伝えていると、廊下の向こうからドタバタと人がやって来る気配。

「いらっしゃい、春海くん」
「おー、来たか、青年」
「春海くん!いらっしゃい!」
「知佳ちゃん、嬉しそうですー」
「そりゃあリスティが“あのこと”を受け入れて貰えたらしいしなぁ。知佳ちゃんは仕事でも使うとるから嬉しいんやないの?」
「いらっしゃーい。お菓子、持ってきた?」
「こら、美緒ちゃん。お行儀わるいでしょ」

ちなみに上から、耕介さん、真雪さん、知佳さん、みなみさん、ゆうひさん、美緒ちゃん、愛さんである。果たしてこれは書き分けとか大丈夫なのだろうか?


……………………んで。

そんな賑やかなさざなみの皆さんに少し遅れて、静かな足音。と同時に3日前に覚えた、個人的に印象深い、その“気配”。


「Hi♪」


───そんな短い声と共に現れた、淡い笑みを浮かべる銀髪ショートカットの女性。

…………その姿を認めて、


「よ」


僕も同様に口の端を持ち上げてから、それだけを返しておいた。





…………何故か周りから黄色い声が上がった。いや。なんでだよ。







その後、いつまでも玄関でたむろっているのも何だということで3日前と同様リビングに案内された。
テーブルの上にあるのは和洋中と云った様々な料理の数々。見た目だけならば何度か食べたことがある桃子さんのものと遜色ないように思える。まるでちょっとしたパーティだ。

「いただき!」
「あ!美緒ちゃん、ずるい!」
「この世は弱肉強食なのだ」

僕の向かいの方では美緒ちゃんとみなみちゃんが早速食べ物を盗り合っていた。早いよ君ら。

「へぇ~、これはまた、……豪勢ですね」

勧められた席に着いた僕が(床にあぐらをかいてベタ座りである)そんな料理の品々に感心半分に驚いていると、テーブルの端で飲み物の準備に取り掛かっていた耕介さんが笑顔で説明してくれた。

「今日は春海くんが来るし、それに薫は明日にはまた帰っちゃうからね」
「それでみんなで話し合って、どうせなら豪華にやろうってことになったんだよー」

耕介さんの話を彼の隣の知佳さんが補足する。が、その内容がちょっと聞き捨てならない。

「ありゃ。薫さん、もうお帰りになるんですか」

そういえば、この前の訪問のときに耕介さんが「3日程度なら他のメンバーも居る」と言っていたのを思い出す。きっと一番最初に出て行くメンバーが薫さんなのだろう。

薫さんは僕の問いに苦笑して、

「もともと仕事ついでに寄っていただけだったからね。十六夜と一緒にまた仕事で飛び回らなきゃいけないんだよ」
「お疲れ様です」

とりあえずお二人に対してそう言っておく。いや、同じ退魔師としてホント頭が下がる。

「もっと居られれば良かったんですけどねぇ」
「そうですよねー」
「まー、仕事じゃしょうがねぇだろ。神咲姉も、もう責任のある社会人ってことだろうよ」

僕たちの会話に愛さんとみなみさんが残念そうに息をつき、真雪さんがそれをフォローする。

「仁村さん……」

そんな真雪さんの言葉に、薫さんは感動したように笑みを向け、

「───つーことで今日は飲むぞ、神咲姉!まさか社会人にもなって酒を断ったりはしないよなぁ?」

返された言葉に肩をガクッと落とした。

「……そんなことだと思いましたよっ」
「うけけけ。今日はとことん付き合って貰うつもりだかんな」
「あーもうっ、わかりました!お付き合いしますってば!」

そのまま2人はお互いのグラスにビールを注ぎ合う。薫さんも何だかんだ言って楽しいらしく、その表情は柔らかい。

「愛さんと知佳ちゃんも、どうやー?」
「ありがとうございます。ゆうひさんにも、ご返杯っと」
「あ。ごめんなさい、わたしはジュースで。十六夜さんもどうですか?」
『ありがとうございます、知佳様。いただきますね』

ゆうひさん達みたいな他の大人陣たちもそれぞれのグラスに酒やジュースを注いでいる(十六夜さんは刀身に清酒をかけている。まあ、実体がない以上は仕方あるまい)。昼間っからどうなんだと思わなくもないが、みんなも酔いつぶれるまで飲む気はないだろう。真雪さんは知らんけど。

にしても酒盛り良いなぁー……、僕も一杯くらいなら全く酔わないし大丈夫だけど、それ以上は年齢的にアウトだし……(一杯でもアウトだとは言ってはいけない)。
というよりも、飲めば間違いなく母さんにバレる。あの人、そういうことには異様に鋭いからなぁ。以前父さんに冗談で勧められた日本酒を嬉々として飲んだ時も、一瞬でバレて2人して正座で説教されたし。

「春海さん。このクリームコロッケ、いかがですか?おいしいですよ」
「お。ありがと、那美ちゃん」

麦茶片手にビール瓶へ切ない視線を向けていると、またしても僕の隣にスタンバッてくれている那美ちゃんが料理を勧めてくれる。ちなみに那美ちゃんも当然ジュースである。

「くぅん♪」

彼女の隣ではキツネの姿の久遠ちゃんが動物用の皿で食事していた。みんなが次々に料理を入れているので久遠ちゃんも楽しそうだ。

というわけで、僕も酒への未練を振りきって、そのまま那美ちゃんオススメのクリームコロッケを自分に渡された箸で食す。うむ、非常に美味なり。てかマジうめぇ。これ耕介さん作だよな?あとでレシピとか教えてもらえないかな。

「うん。美味いな」
「はい♪」

僕の言葉に笑顔で頷いてくれる那美ちゃん。あー、和むなぁ。
そんな感じで、実におっさんらしく女子校生の笑顔に癒やされていると、


「春海も楽しんでる?」


銀髪の小悪魔が現れた。

「ここ、良いかな?」
「……ん。ほら」

拒否る理由もないので一つ横にズレる。

「Thanks」

流暢な英語で礼を述べてからそっと僕の隣に腰を下ろす。その動作一つとっても妙に色気があるのが何か腹立つな。

「春海はお酒、飲まないの?」
「おい警察。てかビール片手に言ってくるって嫌みかよ。わかるだろ?」
「別にそういう訳じゃないけど……まあ、飲まない理由はわかるよ。それでも今の姿なら大丈夫かと思って」

そこで僕とリスティの話を聞いていた那美ちゃんが、不思議そうに僕に問う。

「そういえば。春海さんは、お酒は飲まれないんですか?」
「んー、とね。飲めないことはないし、むしろ好きなくらいなんだけどねー。如何せん、どうにもし辛い理由があるだな、これが」
「はぁ……」

僕の言葉に良く解からないような声を出す那美ちゃん。当たり前である。

そんな僕に、隣のリスティが耳元に口を寄せて小声で囁く。

「(この際だし、もう言っちゃえば?どうせ今日はそのことを言うつもりなんでしょ?)」
「いやまあそうなんだが……」

言ってから、手に持った麦茶を一口飲む。

改めてリスティにそう言われると少し躊躇いが……。だって、ねぇ?今の状況、完全に飲み会だぜ?そんなところに突然小学生が現れたらちょっと反応に困らない?

『心配するところが微妙にズレとらんか……?』
<え?なにが?>
『いや良い。ちゅーか、もっと葛藤せいよ。物語に凹凸がないではないか』

また訳のわからない怒り方をされてしまった。玄関口での話と云い、お前は一体何の心配をしてるんだよ。

「なになに?春海くん、まだ何かあるん?」
「なぜバレたし」

いやマジで。リスティの声けっこう小さかったよね?なんで聞こえてんの、ゆうひさん。

「ふふん。うたうたいの耳の良さを嘗めたらアカンよ。面白そうなことには西へ東へ、例え地球の端からだって聞き逃さへんで♪」
「節子。それ歌手ちゃう。芸人や」
「うちにとっては歌手も芸人も命賭けとるって意味では同じことや!」
「威張んな」

そして全国の歌手と芸人の皆さんに謝れ。あ。敬語使ってねぇや。

「それでそれでっ!どないしたん?うちらも訊いてええこと?」
「フットワーク軽いっすね、うたうたい」
「大阪人の基本にして奥義や」
「何か奥の深そうなこと言ってる気がするけど実は大阪のことを思いっきり誤解してるからね、それ」

大阪の人が全員そんなだと思うなよ。


……………………。…………。……。


ふむ。
ともあれ、だ。

先程までのゆうひさんとの掛け合いのおかげで、周りのみんなまで僕たちに目を向けてしまっている。ここで誤魔化してしまうと後で言い難くなるのもまた事実。…………横で我関せずと云った風に酒を煽っているリスティを見ると、微妙に罠に嵌まった気がしてならないが。

「いや。実はそろそろ葛花を僕の“中”から出そうかと思いまして」
「へー、あのキツネの“葛花様”やったっけ?ていうか外出れたんやね」
「一応、十六夜さんと同じで熱量を持った霊なので。普通に僕から出るだけですよ」

ゆうひさんを含めた周りが納得したように頷く。特に変わりないのは既に知っているリスティと、神咲姉妹に十六夜さんくらいだろうか?

「でも出られるんなら、どうして前の時に出てこなかったの?」

そう質問してきたのはオレンジジュースの入ったグラスを両手で持った知佳さん。個人的に両手でコップをちょこんと持つ、というのは萌え動作の一つに数えられて然るべきだと思っているのだが、如何に。

『如何に、じゃなかろう』
<現実逃避くらいさせてくれ……>

ここに来るといっつも現実逃避してる気がするけどな。やっぱりキャラが濃いんだって、この人たち。

「ま、その辺りの説明も葛花を出してからということで」

苦笑しながらそれだけ返し、───改めて、内の葛花に呼びかける。

<……んじゃ、出てきてくれ>
『まあ構わんが、……良いのか?』

微妙に気遣わしげな様子で確認してくる葛花。こいつも何だかんだで心配してくれているのかもしれないと思うと、自然と緊張も和らぐ。

<ああ>

内に在る葛花に対して───頷く。

それがスイッチであるかのように、自分の中から葛花が抜け出していく感覚。そしてほんの一瞬だが、心細くなったような感じ。
きっと、つい先程まで“すぐ傍”に在ったものが無くなってしまったためだろう。この辺りは憑依に慣れてしまった弊害だなーと、何とは無しに思う。

「おー。出た出……た?」
「わー。まっしろー……へ?」

見ると、ゆうひさんと知佳さんが、あぐらをかいた僕の膝上にちょこんと座る葛花に見向きもせずにこちらを呆然と見つめていた。そしてそれは他の人たちも変わらない。今度ばかりは薫さんと那美ちゃんもだ。
やっぱり例外は、知っていたリスティと目が視えていない十六夜さんくらいか。リスティは今の状況に薄く笑いながら酒を傾け、十六夜さんは急に黙ってしまった周囲に首を傾げている。

「は、はるみ……さん?」

隣に座った那美ちゃんが、やっと搾り出したと言わんばかりの声色で僕の名を呼ぶ。さっきまでと違ってこちらが見上げる側となった彼女に、しかしさっきまでと変わらず笑いかけてから、



「まあ、改めまして。私立聖祥大学付属“小学校”一年、和泉春海です。すみません、黙ってて」
『儂が葛花じゃな』



改めて、僕たちはさざなみ寮の人たちに自己紹介した。



…………次の瞬間、寮の皆さんの絶叫がリビングの中に響いた。ですよねー。





「ちょ!?それってどういうことなんッ!?」
「いやー、実は僕の実年齢って6歳なんですよねー」
「ど、どうやって大人になってたの!?」
「葛花の術で変身してました」
「く、葛花さんはそんなことまで出来たのかい!?」
『ふ。儂に掛かればその程度、造作もないわ』
「なんで黙ってたのだッ!?」
「この間は言い出す機会が無くて。ごめんね?」
「じゃあじゃあ、あのタルトって!?」
「みなみさんは何故そこ……? ちなみにあれは僕の手作りです」
「青年じゃなくて少年だったんかー」
「すみません。ころころと変えさせちゃって」
「じゃあ春海さんじゃなくて春海くんですねー」
「ですねー」
「春海くんは何か嫌いな食べ物とかあるかい?」
「ああ、苦味があるものは嫌いとは行かなくても少し苦手です」

以上、上からゆうひさん、知佳さん、薫さん、美緒ちゃん、みなみさん、真雪さん、愛さん、耕介さんによる質疑と、僕と葛花の応答である。てか応答9割が僕じゃねえか。サボんなよ。

「って、まゆお姉ちゃん達の反応も違うよね!?」
「そうですよ!耕介さんもなんか妙に落ち着いてませんか!?」

一方、最後の大人三人組の反応に納得が行かなかった様子の知佳さんとみなみさん。2人はさっきまで僕に迫っていたのと同じテンションで真雪さんたちを問い詰め始めた。

そしてそんな彼女たちに答えたのは、───耕介さんだった。

「あっはっは、2人とも何を言ってるんだよ」
「「え……?」」

彼の言葉に不思議そうに首を傾げる2人をスルーして、耕介さんは朗らかに笑いながら……それでいて、どこか虚ろな眼をして答えた。



「そんなの───“ここ”の管理人をしていればすぐに慣れるに決まってるじゃないか(笑)」



『……………………』


彼の瞳でキラリと光るそれに、僕たちは何も言えなかった。……あ。愛さんは普通にニコニコ笑ってるや。



「……ま、まあ、そんな耕介くんは別にええとして!」

凍った空気をゆうひさんのそんな一言が何とか解凍、……したのは良いのだが、その矛先はやっぱりというか、僕だった。

耕介さん、不憫な。

「……今更やけど、マジで春海くんって小学生やったん?」
「マジっす。一応リスティにはこの間、車で送って貰ったときに話しましたけど」

僕の一言で全員の目がリスティに向く。そんな彼女は、こんな時でも余裕を持って酒を煽ってから、

「本当だよ。今日こうして自分で言うからって口止めされてたけどね」

リスティの話に皆が納得していると、ゆうひさんが理解したようにうんうん頷き。


「うーん、フィアッセと電話して春海くんのこと話したときに可愛いとか言うから『あれ?』って思うとったけど、そういうことなら納得やなぁ」


───おおっと?


(……ミステイク)

3日前は薫さんを相手にするのが精一杯だった上に、どうせすぐにゆうひさんたちにも僕の正体を話すからって気にも留めていなかったけど、ゆうひさんが僕と共通の友人であるフィアッセさんに対して連絡を取らない訳ないだろ。つーか、そもそも僕が今日この寮を訪ねるときアポイントメントを取るのにフィアッセさんに連絡を頼んだばっかじゃん。

あちゃー……やばい。その後でのリスティの件もあって、そっちまでは完全に頭から抜け落ちてた。

冷や汗だらだらの内心を務めてポーカーフェイスで顔に出さないようにしながら。そして同時並行でフィアッセさんにバレていた場合は正直に話すかどうかを考えながら、ゆうひさんに確かめ始めた。

「あの、ゆうひさん。……もしかしてフィアッセさんに、僕が大学生の姿だったこと、……言っちゃいました……?」

そんな問いかけにゆうひさんは最初キョトンとしていたものの、すぐに僕が危惧していることに気がついたのか、またすぐに笑顔を浮かべて、

「ああ、大丈夫やよ。うちもそのこと訊こうとしたんやけど、ちょうど言いかけた時に───」
「それをボクが止めたってわけ」

そう横から言ってきたのは、───リスティ。

「たまたまその場に通り掛かったから」
「愛してるぜリスティ!」

僕は隣に座る彼女の両手をガシッと掴んで全力で叫んだ。いや、本気で助かった!パシリくらいなら喜んでやるよ!?

「いや、冗談抜きでありがとう!」
「別に良いよ。偶然そうなっただけだし」

そのストイックさに憧れるぜ!

周りのみんなは僕たちのやり取りに苦笑しながらも、黙ってこちらを見守ってくれていた。どうやら僕の間抜けも子供ってことで納得してくれたらしい。いや、ごめんなさい、素で馬鹿やりました。
リスティに話しといてマジで良かったとか僕が考えつつ、次に疑問の声を上げるのは知佳さん。

「でも、それなら何で初めて会ったときは大人になってたの?」
「いや。前にも言いましたけど那美ちゃんに落とし物を渡すためですよ。ガキが出歩くには遅い時間帯でしたから、不審がられないように。まあ結局、成り行きでここまで来ちゃいましたけど」

僕がそう言うと、自然と全員の視線がスライドして僕の隣───那美ちゃんへ移動する。当然それは僕も同じだ。また転んで気絶したことを蒸し返されて恥ずかしがっているのかなー、とか気楽になった思考回路で考えながら彼女のほうを振り返った。


…………が。


「那美ちゃん?」

当の那美ちゃん本人は放心したままじーっとこちらを───というか僕を見ていた。
ガン見だった。
先程までの僕たちの会話などまるで耳に入っていないご様子である。

「那美ちゃん? おーい」

なんとなく彼女の目の前で手をプラプラ。反応なし。
マナー違反と知りつつ華奢な両肩を掴んでグラグラ。これも反応なし。
痛くない程度に彼女のほっぺを軽くつまむ。むにゅ。あらやだ。この子プニプ二だわ。

何やら思考が邪な方向にシフトしまったような気もするが、ちょっと癒されるのでそのままの状態で呼びかける。おーい。

その状態でしばし呼びかけていると、

「……は」
「“は”?」

唐突に那美ちゃんの眼が焦点を結び、

「春海さん、小学生だったんですか!?」
「遅ェよ!?」

とりあえず、他の人たちに言ったことを那美ちゃんにもう一度説明しました。



「はー……」

僕の説明を聞き終え、感心半分放心半分と云った具合に息を吐く那美ちゃん。

「えーと。……那美ちゃん、わかった?」
「あ、はい。あの、すみませんでした。わたしのせいで嘘をつかせていたみたいで……」

そこかよ。つか那美ちゃんマジ良い子だよ。

「もう何回言ったか分かんないし、これから先も何回も言いそうな気がするけど。そこは完全な成り行きだからあまり気にしないで良いよ?」

と、ここまで那美ちゃんと話していて、はたと気がつく。

「ところで那美ちゃん」
「はい」
「こうして僕が年下で、那美ちゃんが年上であることが発覚してしまった訳なのだけど」
「?……はい」
「お互いの呼び方、どうしようか?」
「え?……あ」

そうなのだ。

現在ここに居るメンバーは、その殆どが変化した僕より年上だったため呼び方や話し方は今までと同様のもので済む。が、しかし那美ちゃんと美緒ちゃんの2人からしたら、ついさっきまで自分より目上の人間だと思っていた相手が突然年下になってしまったのだ。
幸いというか何というか、美緒ちゃんに関しては初めから敬語なんてものは使われていなかったから(まあ第一印象がアレだったしな)まだ大丈夫だけど、果たしてほんの短い付き合いの筈の僕でさえ解かるくらいに真面目な子である那美ちゃんは一体どうしたものか。微妙に困りものである。

「僕としては呼び方や話し方を敬語に変えるのも吝かじゃないけど、……どうするよ?騙してたのはこっちなんだし、那美ちゃんの意見を尊重するよ?」
「あ~、……ええと、そのぉ……」

僕の言葉に彼女は悩むように細い眉を額に寄せて眼を閉じ、しばし黙考。そうしてうんうん唸って、……やがて結論が出たらしい。

那美ちゃんは閉じていた眼を開き、改めてこちらを見ながら───困ったように笑って小首を傾げ。


「……どうしましょう?」


丸投げかよ。





それから。

しばらく2人してどうしたものかと考えていたが、特に良い考えも浮かばず。結局、そのうち面倒くさそうに火の付いていない煙草を咥え始めた真雪さんの、

「もうお互いに馴染んだんなら、別に呼び方なんてどーでも良いだろ」

との(実に投げやりな)一言によって、この場は現状維持に落ち着いた。まあ呼び方なんて当人たちの自由なんだし、僕が他の人間が居るような場ではきっちりしておけば大丈夫だろうということで、那美ちゃんも無事納得。

「というか、那美ちゃんは小学1年生相手にタメ口で話されてることになるけどそこは良いの?」
「あ、はい。その、春海さ……くん?……うん。春海くんは子供のような感じが余りしないというか……」

あちゃー。そりゃあ、会ったときからあれだけ年下扱いしてたらなぁ。僕としても3日前の時点ではここまで深く付き合うことになるとは思わなかったから大人モード全開だった訳だし。

ま、このままだと僕は兎も角、彼女が会話し難かろう。さっきも“くん”を付けることに戸惑っていたみたいだし。


と、いうことで。


「葛花。お願いできるか?」
『おぬし。最近、儂を便利屋扱いしとらんか……?』

愚痴りつつも言われた通りにやってくれる葛花ちゃん大好き!

「わ。大人になった!」
「またデカくなったな」

自分では解かり辛いものの、周りから見れば知佳さんや真雪さんの言うように僕の姿は再び大人のそれとなっていることだろう。その理由は、───

「へぇ。……でも中身はスカスカだね」
「……こっちがタネ明かしする前にバラすなよ」

隣で僕の頭や肩のあたりをその白い手で“素通り”させているリスティの言葉通り、ただの『張りぼて』だ。

要するに、葛花が僕の身体を媒介にして大人ボディの幻術を張っているのである。今この状態で僕が鏡を見ると、そこには再び大人となった僕が映っていることだろう。さっき言われた通り、中身はスッカスカだが。

僕はまたこちらを見てポカーンとしている那美ちゃんに笑いかけ、

「こっちの方が那美ちゃんも話しやすいだろ?」
「あ、……ありがとう、春海くん」

うん。やっぱ女の子は笑ってる方が可愛いや。



───と。

ここで話が終わればそれなりに良い話で済んだのだろうが、案の定と言うべきか、そうは問屋が卸さなかった。



「ちょ、ちょっと待ってッ!」



和やかに笑い合っている僕と那美ちゃんに、というか僕に向かっての、焦りと戸惑いの混ざった呼びかけ。
それに対して、僕は「やっぱり来たか」なんて考えて、心の中で覚悟を決めながら、そちらに振り返る。


そうして振り向いた先に居たのは僕の予想した通りの、……いや。想像よりもやや険しさの増した表情をした───薫さんだった。


「……春海くん」
「はい」


即答。


「君は、本当に小学1年生なのかい?」
「はい」


再び、即答。


「じゃあ、……」


そこで薫さんは躊躇うように一旦言葉を切り、しかし尚、問う。



「君が退魔行為をしているというのも、……本当なの?」



それに対する僕の答えも、やっぱり。



「はい」



───即答、だった。





そこからの展開がまた厄介ことになった。

そもそも3日前のあの夜に薫さんが僕の退魔行為を積極的に認めるとまでは行かずとも消極的に黙認していたのは、そりゃあ確かに僕自身の性格やら第一印象やらもあるのだろうが(そも、そのためにあの夜は彼女の前では殊更に人当たりの良い対応を心掛けていた)、一番の要因は僕が社会的・一般的は視点から見て『大人』だったことが大きかったのだ。

大人としての良識や経験、実力と云ったその他諸々の要素の組み合わせの結果が、あの夜の薫さんの判断だった。


しかし、今この場でその大前提が崩れ去った。


僕の正体が『子供』だったことが発覚したことで、僕が『大人』として見られていた前提が全て崩れ去ったのだ。

良識は、ただの『子供』の小賢しさへ。
経験は、単なる『子供』の知ったか振りへ
実力は、詰らぬ『子供』の背伸びへ。

彼女の中での僕の評価は、その全てが覆った。


とは言え。

そのことに対して僕が彼女へと文句を言うのも、またお門違いというものだろう。

薫さんからすれば、小学1年生という幼稚園を出たばかりの文字通り小さな子供が、ひょっとしなくても十全に生命の危険がある退魔行為に手を出しているのだ。
極々当たり前の良識を持つ人間ならば、彼女でなくとも止める。僕だって、身近なガキ共が同じことをしていたら殴ってでも止める。

彼女の反応は、大人だとか子供だとかの問題でなく、この人が“一人の人間”として僕のことを心配してくれている結果なのだ。


だからこそ、僕に反論できる余地は無かった。
当たり前だ。この場において正しいのは全面的に薫さんなのだから。

正論には反論できない。
当たり前だ。間違いの余地が無いからこその“正しい論”なのだから。


僕のしている行為は、一から十までガキの我が儘でしかない。



───だからこそ僕に出来ることは、机にぶつけるくらいに頭を下げ、誠心誠意を込めてお願いするしかなかった。



勝手な事をしてごめんなさい、と
でも止めないでください、と。
どうか認めてください、と。


自分で可能な限りの心をこめて、僕は実にガキらしく唯ひたすらに頭を下げて懇願した。


結果、状況は硬直。

僕は馬鹿みたいに目の前にテーブルに自分の額を擦りつけ。
薫さんは反対しつつも、必死に頭を下げ続ける僕に困惑しているのだろう、言葉が止まっていた。

お互いがお互いに譲る気が無いのだ。このような事態もまた、当然の帰結なのだろう。

故に、───


「2人とも、その辺にしときなよ」


───こうして硬直してしまった状況を動かす要因が、外部の人間からの言葉であるのも、また当然の結果なのだろう。



「リスティ……」

薫さんが突然の乱入者に対し咎めるように小さく言った声も、当の本人は何処吹く風。リスティは咥えていた煙草を指の間で弄びながら、

「薫。春海が退くことがないってもう解かってるでしょ?なら、多少の譲歩も考えたほうが良いよ」
「でも、……」

リスティの言葉に納得がいかないように返す薫さんから目を切って、今度はこちらへと咎めるような視線を寄こした。

「春海も、あんまり薫をイジメない。春海みたいな子供にあんなに頭を下げられたら薫がどう感じるのか、解からない訳じゃないよね」
「……まーな」

と、ここでリスティの視線に若干の呆れが混ざって。

「というより。そもそも春海が薫にゆるして必要もないんだよね。前に薫も言ってたけど、春海が勝手にやれば良い事なんだから。
……どうせこの後にでも薫の指示に従うフリだけして、そのうち破るつもりだったんでしょ?薫が明日には海鳴から居なくなるのは解かってるんだし」
「……………………そんなことないぞ?」

Oh、バレてーら。

うん。ぶっちゃけ今この場では薫さんの指示に従ったフリをして、薫さんが帰ったら破る気満々だったんだよね?
いやだって、リスティの言う通り僕が薫さんの指示に従う必要性って全くないからなぁ……、こうして真剣に話し合う場を設けておけば、薫さんと約束した時の彼女の約束事に対する信頼度も上がるだろうし。単なる口約束なうえに後で破る気満々な訳だけど。


いや。
自己弁護になってしまうのだけれど、僕としても薫さんに頭を下げてお願いした時の気持ちは正真正銘、本物で、本気だった。今さら何言ってるんだと思うかもしれないが、やっぱり騙しておくよりは、きちんと認めてもらった方が良いに決まってる。
本来ならこうやって薫さん本人が叱るまでも無く僕の親に丸投げしてしまえば良いのに(ちなみにその場合も、今まで通りに黙って出かけるつもりだった)、彼女はそうして投げ出してしまうこともしないで、ただただ純粋にこちらのことを心配してくれていることは伝わってきてもいた。

リスティが言ったのは、あくまでもただの保険だ。


そしてそんな僕の思考をしっかり察していたのか、リスティはとうとう顔にまで呆れを表して、

「春海って、自分が『子供』ってことを平気で利用するよね……しかも他人の事も自分の中の天秤に掛けた上で」
「褒めるなよ」
「言いながら頬を赤らめないでよ。気持ち悪いな」

ひっど。

リスティはショックを受ける僕を放置して、改めて薫さんへと目を向けた。

「薫もわかったろ?どうにも春海はこういう性格みたいだから、この場でもうしないように約束を取り付けても無駄じゃないの?」

失礼な。僕は約束事に関しては前向きに善処していく所存だぞ。

『どこぞの政治家の言い訳のようじゃな』

膝の上の葛花の辛辣な意見は無視する。が、

「……………………」

リスティのほうの(僕に対する)辛辣な意見は、どうやら薫さんには効果があったらしく彼女は葛藤するように押し黙ってしまった。そんな彼女にリスティは被せるように言葉を紡ぎ続ける。

「春海には十六夜の友達の『葛花』って保護者も付いてることだし、少しは譲歩しても構わないと思うけど?」

<お前、僕の保護者だったの?>
『初耳じゃな』

いや、さすがの僕も空気は読めるから口には出さないけどさ。
そうして僕が空気を呼んで黙っていると、やがて今まで口を閉ざしていた薫さんも多少はその意見を聞き入れてくれる気になったのか、渋々ながら言葉を紡いだ。

「……でも、リスティの言う通りだとしても、そんな小さな子どが一人で除霊を行なうのは……」
「なら一人にしなければ良い」

「「は?」」

リスティの予想外の返答に、僕と薫さんが揃って間の抜けた声を上げてしまう。いやいやいや。

「いやいやリスティさん?貴女がさっき自分で仰っていましたけど、薫さんは明日には海鳴から居なくなるんだぞ?」
「それに春海くん一人のために神咲本家から人を呼ぶ訳にはいかない。ただでさえこの辺りは八束神社の神主だった先生が退職してしまって人手が足りないのに…………って、リスティ。まさか」

あ、僕もたった今気がついた。

僕がリスティの意図を悟るのとほぼ同時に、薫さんもそのことに気づいたらしい。
僕たち2人は一緒に同じ方向に目を向ける。

果たして、其処にいたのは───

「ふぇ?」

これまで僕たちの傍で事態の推移を見守っていた那美ちゃんだった。

瞬間。

薫さんが自分の両の手を那美ちゃんの両肩にガシッと置き、僕は腰を綺麗に45度曲げてお辞儀。

「那美、がんばって」
「よろしくお願いします」

「ふぇ?ふぇ?ふぇ?……えーーーッ!?」

ここに、僕と那美さんの退魔師ペアが結成された。本人の同意なしで。





そうして。

無事問題も解決し、僕も他の住人達と同じようにテーブルに置かれたさざなみ寮の料理人である耕介さん作の料理の数々に舌鼓を打ちながら、周囲の知佳さんやゆうひさんと話していると、

『お前様』

唐突な呼びかけ。この場において僕をそんな呼び方で呼ぶのは、

「どうした、葛花」

───コイツしか居ねえよなぁ。

振り返ると、自身の後ろにプカプカ宙に浮いた十六夜さんを引き連れるキツネ形態の葛花がいた。彼女たちの傍にはいつの間に仲良くなったのか、これまたキツネの姿をしている久遠ちゃんも居る。こうして並べて見ると、大きさはほぼ一緒だ。葛花のほうが少しその白い毛が長いくらいかな?

そんな彼女たちに何だ何だと首を傾げていると、葛花はそんな僕の膝をその小さな前足でポフポフしながら、

『ちと腹が空いた。飯を所望する』

いやいやいや。言いたいことは解かるけど、何故そんな偉そうなんだよ……、もうちょっと謙虚な姿勢を心掛けようぜ。ていうか普段はもうちょっと丁寧だよな?あれか。後輩(久遠ちゃん)が居るから飼い主の僕よりも立場が上なところを見せたいのか。どうせそのうちボロが出るんだから無駄な努力はやめとけよ。いや、言ったら噛まれるから言わないけどさ。

「はいはい」

一瞬のうちにそれだけ思考しながらも、僕の手は既に腰に巻いたホルダーから白い狐面を取り出していた。条件反射的に葛花のワガママに従ってしまう我が身の無常を嘆く。くそ。なんて時代だ。

「───我が真名は和泉春海。汝を使役し汝が身を繰る者也。───古よりの約定に従い、汝が身、其の霊魂尽き果てし其の時まで、我と共に在れ───急急如律令」

世の無常(てか自分の無力)を嘆きながら、僕は出来るだけ小さな声で詠唱を完成させる。
いやだって人前で詠唱とか恥ずかしいし。周りにはまだみんな居るし。こっちは厨二病なんて十年以上前に卒業したんだって…………うぉおおおッ!去れ俺の黒歴史ぃいいッ!!

なんて、僕が自分の悲しき過去に僕が悶えている内に、実体を得た葛花は料理と酒の方にちょこちょこ歩いて行ってしまった。なんて薄情な奴なんだ。
そう思いながら先程までのようにテーブルに身体を戻すと、───ガン見されていた。全員に。

「えっと、……なに?」

全員分の視線に僕がたじろぎながら訊くと、他のみんなを代表したのか、ゆうひさんが挙手。

「はい。ゆうひさん」

こちらからの指名にゆうひさんは目を閉じて難しい顔をしながら、自身の眉間のあたりを指でグリグリ。

「うーん、春海くん。うちらもええ加減そろそろキャパオーバーになってきとるんやけど、……今の何ッ!?なんやいきなり葛花さんが重量感たっぷりになったんやけど!?」

シャウトするゆうひさんの言に同意を示すように、寮の皆さんがうんうんと頷いていた。あ、葛花と久遠ちゃんは向こうで料理を食ってるや。今なんかヒト形態になった葛花と久遠ちゃんが油揚げを捕り合ってるし。てか譲ってやれよ、年上なんだから。

それにしても向こうは平和で良いなー。平和ついでにこっちにも平穏を分けてくれないかなぁ、なんて投げやりに考えつつ。

「あー。さっきのは僕が使う術の一つで、“御霊降ろし”って云って───」

とりあえず、さっきの術の概要だけ説明しておいた。まあ一応秘術扱いだから流石にそれ以上は言えないし、言わないけどね。




















【裏方というか、舞台隅にて】



知佳たちはみなみを巻き込んで買い込んでいた菓子やジュース、それに春海が持参したタルトを舌鼓を打ち、ゆうひや耕介といった大人組は真雪や愛たちと共に酒盛りで盛り上がっていた。

その酒宴の向こうでは、薫が自分の妹である那美に対して春海を除霊に連れて行く上での注意事項を話しており(というより、薫も少し酔い始めたのか、話してることが那美自身のドジにまでシフトしていた。那美に至っては涙目状態である)、反対側ではヒト型の葛花と久遠が今度は甘酒を捕り合っていた。
春海としては、いっぱいあるんだから仲良くしろよと言いたい。久遠ちゃん半泣きで甘酒死守してんじゃねえか。

「で。どういうつもりだよ」
「なにが?」

そんな宴も酣と云った喧騒から少し離れて、春海とリスティ。

「とぼけんなって。───わざわざ薫さんを誘導までして、那美ちゃんを僕との除霊に引っ張り出したことだよ。
そりゃあ最終的に薫さんの意見に同意したのは僕本人なんだからリスティを責めるつもりは無いけどな。それでも、“僕の事情”を知ってるお前なら、あそこで僕の思惑を邪魔してまで薫さんに言う必要は無かっただろ?」

責めないとは言っているものの、それでもどこか口調が責めるようになっているのは相手の真意を測りかねている故だった。

そもそも、あの状況で春海のことをあそこまで理解していたリスティが、わざわざ口を挟んでくる理由がないのだ。
もしあのまま状況が硬直したままであれば、春海は薫の言葉に渋々従うフリをした上で薫が海鳴を去った後で今まで通りに過ごすつもりだった。
そうすれば実際の現実はともかくとして、薫は春海に申し訳ないと思いながらも何の心配もなく海鳴を旅立ち、那美が春海という(内実はどうであれ)半人前の足手纏いを退魔業に同伴させることもなかった。

春海本人は自覚していなかったが、彼が抱く不満の出所の大半は、神咲姉妹に迷惑をかけてしまう事に対する申し訳なさからだった。実に面倒臭い性格である。

ただ、言われた当の本人であるリスティは彼の言葉を暖簾に腕押し柳に風と受け流し、自分のグラスに入っている氷をカランコロンと弄びながら、

「まあ、確かにボクとしては春海が勝手に除霊していようと如何でもいいんだけどね」
「だったら何でだよ」

片やコーラを飲みながら追求する春海。そんな彼を一瞥し、やがて彼女は手に持った酒を一口煽ってから。

「……那美って、けっこう優しいんだよ」
「知ってるよ」
「そのくせ変なところで真面目というか不器用というか、そんな性格だから神咲家に依頼でくる仕事を全部引き受ける。……自分のことも顧みずに、ね」
「あー…………“そっち”ね」

なんとなくリスティの言いたい事を察して、春海は気まずげに視線を逸らす。


除霊行為というものは、何も霊との対話で物事が解決する、所謂“鎮魂”が全てではない。

そもそも死んで霊となった人間というのは大小の差は有れど、憤怒、悲哀、怨恨、未練、その他様々な負の感情を宿すもので。本来ならばこちらの話に耳を傾け、そのうえ素直に聞き入れてくれる霊のほうがよっぽど稀なのだ。
そして、そんな霊を『殺』すこと───“退魔”というのは、霊関係の仕事に携わるのであれば直接的であれ間接的であれ、どこかで必ず付き纏ってくる問題となる。

元より、人間にとって絶対的な『死』という命題が絡み絡まり雁字搦めとなったこの問題。

こればかりは『正しい答え』等というものはこの世に存在しない。誰しもが自分の中で折り合いを着けていくしか無い。


和泉春海は自分の中で“妥協”をした。生者のために死者を切り捨てるという形で。


向こうで真雪にからかわれている神咲薫もまた、自身の中で何らかの答えを見出しているのだろう。彼女の言葉には迷いが殆ど無かった。


───ならば、神咲那美は?


思考しながら、春海は、向こうで酔った薫に正座でお説教されながら涙目になってる神咲那美を見やる。

リスティの話から推測するのならば、彼女の中ではまだその事に対する折り合いがつけられていないのだろう。
ただ、それは決して悪い事とは限らない。元より答えのある問いではないのだ。それが自分の未来に関わることであるのなら、悩み抜いた果てに見えてくるものもきっと有ると、春海は考える。

しかし、当然そのための道のりは決して楽なものではなく、周りの環境がそれを待ってくれるとも限らない。というよりも、待ってくれる訳が無い。

神咲那美は優しい子だ。短い付き合いどころか会ったばかりの春海でも解かるくらいに。
他者のために他者を斬り捨てるような真似を何に躊躇いも無く出来る娘ではない。
彼の隣に座る銀髪美人の言を信じるのなら、そう云ったことで傷つくこともこれまで少なくなかったのだろう。


まあ、早い話が。

リスティとしては今回の話、『和泉春海の都合に神咲那美を付き合わせた』のではなく、『神咲那美のために和泉春海を付き添わせた』だけの事だ。


「そういうことなら解らなくはないけど、……それでも僕にできることが、そんなに有る訳じゃないだろ?まさか肉の壁になれとか言わないよな?」
「それはそれで有りだけど」
「有るわけねえだろ」

リスティの言葉に呆れる春海をそのままに、彼女は自身の手にあるグラスを豪快に煽った。

「ぷはっ……まあ。そういうときに誰かが傍にいるだけでも、意外と楽になるものだよ」
「ふーん。どっかの誰かの受け売りか?」

空いたリスティのグラスに酒を注ぎながら、春海は軽口に問いかける。

「いや、」

そんな彼に、彼女はいつかのようにイタズラ好きな子供のような笑みを浮かべて、



「───経験則、かな」



どこか自慢するように、そう言った。



「……………………はぁ~~~」

それを見た春海は、ガリガリと頭の後ろを掻きながら、大きく、大きく息を吐き、そして、───


「……ああ、もうッ。解った。解りましたっ。そういうことなら僕だって喜んで協力するっての。……どうせさっきの“借り”もあるしな」


自分の完全敗北を宣言した。





───とりあえず、どうやってこれからも母さんを誤魔化そうかなぁ……

そんな情けないことを考えながら。










(あとがき)
「第十五話 持ちつ持たれつ」投稿完了しました。
今回の話は主人公が原作に絡んでいくための布石ですかね。そういう意味では那美回のはずなのに、最後のリスティに全部持って行かれた感が否めないという……(笑)。

あと、読者の皆様に謝っておかなくてはいけないことが一つ。今回、うちの主人公がフィアッセさんとゆうひさんの繋がりを忘れていた件ですが、……ごめんなさい、作者が素で忘れてました。
いやもう完全に失念したまま十三話投稿してて、感想でそのこと訊かれたときに本気でヤべーってなったんですよね。結局そのことを“借り”という形にすることで、無事リスティの思惑に乗る方向に持って行けた訳なので結果オーライと言うべきなのでしょうが、……うーん、その分うちの主人公がやや間抜けになってしまったという。その辺りで流れに違和感を感じてしまった方がいらっしゃったら、本当にすみませんでした。以後、気をつけます。

一応、今回で「魔窟さざなみ邂逅編」は終わりとなります。次からは本格的に原作突入のための伏線張ったり、人間関係の構築をしていくことになると思います。

次回も投稿がいつになるかは分かりませんが、よろしくおねがいします。

では。

※11月22日、文章を出来るだけ読みやすいようにちょこちょこ修正しました(変わってねえだろというツッコミはなしで)。



[29543] 第十六話 人にはいろいろ事情があるものだ 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:c0483196
Date: 2012/04/09 16:57
「「さいしょはグッ!じゃんけんポンッ!」」

スパーンッ!!

あたしの目の先でハルが手に持ったハリセンを無駄に綺麗な軌道で振り下ろし、その対面に座るクラスメイトの吉川の頭をしこたまに叩いた。そういえばアイツ、なのはのお家の人に剣術を習ってるのよね、なんて何となく考える。

「ウシッ、勝利!5連勝!」
「あー、負けたー!」

「直也、だらしないぞ!」
「ならそっちがやってみろよ!」
「なら春海!つぎ、オレなっ!」
「ハッ!なら次は10連勝だな!」

敗退した吉川が、それでも笑いながら席を立ち、また別の男子がその対面へと席に付く。そして再び始まるジャンケンとハリセンの応酬。


そんな光景を自分の席に座って見ながら、あたし───アリサ・バニングスは自分のそばに一緒にいる2人の親友、なのはとすずかに話しかけていた。

「まーったく。あいつらもまだまだ子どもよねー」
「でもアリサちゃん。春くんも楽しそうだよ」
「そうだねー、……あ、春海くんがまた勝った」

笑うすずかの言葉にもう一度目を向けてみると、またしても春海が勝ってしまったらしい。

いま男子たちが教室の隅で机を寄せ集めてやっているのは、ハル曰く「じゃんけんハリセン」というゲームらしい。ルールは至ってシンプルで、ジャンケンに勝った方がハリセンで相手を攻撃し、負けた方は教科書でそれをガードするというもの。それが最近の男子の間で流行っているゲームで、発端となって広めたのは当然のようにアイツ───和泉春海だった。

「春海くん、本当に強いねー」
「うん。あのねあのね、うちのおとーさんも春くんのこと、いっぱい褒めてたんだよ」
「あ。そういえばうちのお姉ちゃんも春海くんのこと、よく話題にするよ。面白い子だって」
「……アイツ、本当に交友関係広いというか、立ち回りが上手よね」

今だってそうだ。ちょっとしたゲームとは言え、5連勝もしてしまうと普通は周りの一人くらいは文句も言ってきそうなものなのに、ここから見える限りみんなが笑っていて誰も不満を抱いたりしていない。

なのはの話では、夏休みになのはの家に泊まりに行ったときにはなのはの相談に乗ってあげたりしたみたい。親友のあたしやすずかじゃなくてアイツに頼ったってところがちょっと納得がいかないけど、それでも夏休み明けにそのことを話すなのはの表情は晴れやかなものだったので、まあ良しとしよう。

あたしが自分でそう結論付けていると、そのまま春海のことを話していた友達2人の内の1人、すずかが人差し指を自分の顎元に押しあてながら、

「……そういえば、朝、春海くんからお姉ちゃんに渡してくれって頼まれたんだけど、これって何だったのかな」
「忍さんに?ハルが?」

オウム返しに訊き返すあたしにうんと頷き返してから、すずかは自分のバッグの中からビニール袋を取り出した。大きさは30センチ四方くらいの正方形で、厚さは殆どない。

「これ、何なのかなー」
「なんだろうねー?」

それを真ん中に置いて首を傾げてそんなことを言う2人にあたしは呆れながら、

「そんなの実際に見てみたら良いじゃない」
「え?で、でも勝手に開けたら春くんが怒らないかな……?」
「見られて困るようなら、そもそもハルが自分で忍さんに渡しに行ってるわよ」

案外あたしたちがこうやって悩んでるのを見て楽しんでるじゃないの。
そう思ってあたしがまだゲームをやっているハルを振りかえると、当の本人はちょうど8連勝を終えたところだった。また勝ったのか、アイツは。

「じゃ、じゃあ、開けてみるね……?」
「う、うん」

そう言って、なぜか妙に緊迫感のある表情でビニール袋を開き始めるすずかとなのは。ちょ、ちょっと、そんな風にされるとこっちまで緊張してくるじゃない!
結局あたしも顔を寄せて、3人で机の真ん中に置いてある袋の中を覗き見るという、傍から見ても訳の解からない状況になっていた。実際近くの席の子たちが不思議そうにこっちを見てるし。

まあそれは良いのよ。それで、肝心の袋の中に入っていたのは───

「「「色紙(しきし)と……CD?」」」

一枚のCDと厚手の紙……まっ白な色紙だった。

予想外のものに3人で「?」マークを浮かべながらも、とりあえず今の持ち主であるすずかが代表して袋の中から2つを取り出す。CDは表面が無地だったから内容まではわからないけど、色紙のほうには何か文字が書かれているみたい。3人でそれを覗きこむと、そこにはこう書かれていた。


『月村忍さんへ SEENA』


「「……えーーーッ!?」」

な、なんで世界でもトップレベルシンガーのはずのSEENAのサインがここにあるのよっ!?しかも忍さん宛て!?
そう考えて驚くあたしとすずかだったんだけど、同じように驚いてると思ってたなのははちょっと目を見開いただけで。

「あ、椎名さんのサインだ」
「ちょ、ちょっとなのは!アンタこのサインのこと何か知ってるの!?」
「う、ううん、サインがなんであるのかは知らないけど。でも、え、えと、椎名さん、……SEENAさんって、うちのお得意さまだから……」


───さらなる爆弾を投下してきた。


「な、なのはちゃん。それ、ホントに……?」

驚きすぎて二の句を告げなくなったあたしの代わりにすずかがなのはに確かめる。それになのはは頷きながら、

「それに、フィアッセさんって椎名さんとお友達だから」

その言葉にあたしとすずかが世間の狭さを実感していると、ふと疑問が湧く。

「……それじゃあ何でハルがSEENAのサインを持ってるのよ。なのはが紹介したの?」

そんな疑問に対するなのはの答えは、Noだった。
訊いてみると、自分を含めて家族のみんなが春海にSEENAを紹介したなんてことはないらしい。ただフィアッセさん(なのはの家に遊びに行ったときに初めて会った)が言うには、ハルはなのは達が紹介する前にSEENAとは既に知り合いだったらしい。

「ハルのやつ、交友関係広いにも程ってものあるでしょ……」
「「あ、あはは……」」

呆れ気味のあたしの言葉に、いつもはハルのことを弁護しがちなすずかとなのはも苦笑いしか出てこなかったみたい。でも当たり前よ。どうやったらそんな簡単に世界的有名人と知り合いになれるっていうのよ。

そんなことを考えていると、すずかが色紙に目を落としながら口を開く。

「でも春海くん、お姉ちゃんがSEENAの大ファンだって知ってたんだ」
「そういえば春くん、フィアッセさんともよくメールしてるみたいなの」
「どんだけマメなのよ、アイツ……」

何となくそのままの流れでハルの方を3人で見ていたら、ハルの近くに居る男子の1人がこちらに気づき、

「───そうだ!すずかがいるじゃないか!」

なんかすずかに向かって叫びだした。
しかも、ソイツの言った一言に他の男子たちも同調し始めて、

「そうだった!すずかならオレたちの敵をうってくれる!」
「すずかなら春海の10連勝を阻止できる!」
「月村、春海のヤツをぶっ殺してくれ!」
「おいッ!?最後のヤツ誰だ!?」

一番最後に春海が何か叫んでいたけど、周りの男子たちは気にせず盛り上がっていた。
どうやら春海はあのまま9勝まで勝ち続けて10連勝までリーチらしく。それで誰も勝てないと思っていたところで、こっちにいるすずかに気づいたみたい。まあ、すずかは体育の時間ではいつも大活躍で、ハルにも勝ったことがあるくらいだから解からなくもないけど。

でも、

「え?ええっ?む、ムリだよ~っ!」

当のすずかは首を左右にブンブン振って焦っていた。いざ体を動かすってなったら遠慮なくはっちゃけるくせに。そう思ったあたしは、

「いいじゃない。やってみなさいよ、すずか」

とりあえず面白そうだから煽ってみた。別にハルがすずかに負けたら面白そう、なんて思ってないんだからね?

「すずかちゃん、がんばってね!」

なのははなのはで既にすずかが受けたものと考えて、笑顔で応援していた。

「うぅ~~~……」
「諦めたほうがいいわよ?」



そうして、今はハルとすずかが机を挟んで向かい合っている。机の上にはさっきまでと同じようにハリセンが2つと盾代わりの教科書が1冊。

「月村ー!がんばれー!」
「春海を倒してくれー!」
「春海負けろ!」
「春海死ね!」

「だからさっきからテメェらはどっちの味方だッ!?てか最後のヤツ表出ろッ!」

場の空気は完全にすずか一色ね。逆にハルにとってはアウェー極まる状況だった。ハルはそんな周りの男子に一頻り文句を返してから(ちなみにその10倍の罵声が周りから返ってきていた)、改めで眼前のすずかに目を向けて。

「ふん、まあ良い。僕がここですずかを倒せば済む話。すずか、お前はここで僕の10連勝の礎となるのだ!」

言いながら芝居掛かった仕草でビシッとすずかを指差すハル。それに対して、すずか本人は戸惑いながらもイスに座ったままペコリとお辞儀。

「え、えと、……よろしくお願いします!」

「すずか、ハルなんかに負けちゃダメよ!」
「すずかちゃんも春くんもがんばれー」

あたしとなのははそんなすずかの後ろに控えていて、

「なのははええ子やなぁ……」

春海はなのはの一言に感動していた。アンタ、一応このアウェーな状況は気にしてたのね……。



「「さいしょはグ、じゃんけんポンッ」」

スパンッ!!

それからゲームが始まり、1回目と2回目のじゃんけんはハルの勝ち。とは言ってもすずかも上手いもので、ハルのハリセン攻撃を教科書の盾で素早く防いでいた。の、だけど……

「はえー!」
「すげー!」

み、見えない。

「うにゃー。春くんもすずかちゃんもすごいなー」
「なんでジャンケンが終わったときにはハルもすずかももう構え終わってんのよ……」

そう。
周りから見たら2人のジャンケンの結果を確かめ終わるころには、ハルはハリセンを振りきっていて、すずかに至ってはそれよりも速く教科書を手繰り寄せていたようにしか見えないのだ。
ということは、すずかたち本人はその一瞬の隙にジャンケンの勝敗を確認して、その上で自分が持つ道具を間違えないように選択しているということで…………。

「お前って相変わらず無茶苦茶だよな……」
「春海くんだって、すごいよ。わたしも負けそうだもんっ」

呆れ気味に苦笑するハルと、それとは対照的に興奮気味に言うすずか。

「…………」

すずかはハルと勝負しているときは良くこうなる。ずっと前に本人に聞いた話では、運動で本気で勝負できるのが嬉しいらしいって言っていた。ハルはハルで、そんなすずかとの勝負には結構ノリ気だから。
今回のこの勝負にしたって、すずかは誘われたときにああ言っていたけど、心の中では実はちょっと喜んでいたんだと思う。

「……ふんだ」

ハルとすずかの会話を聞きながら、あたしは小さく声を漏らす。…………別に、あたしじゃすずかの相手にならないなんてこと、気にしてない。ないったらないのよ。



なのはとすずかは、あたしの友達だ。その言葉は自信をもって口にすることができるし、2人があたしのことをそう考えてくれているとも思ってる。出会ってからまだ半年しか経ってないけど、そんな時間なんて関係なくあたし達は友達だ。

……でも、だったらハルもなのは達と同じなのかと訊かれると、あたしは首を傾げてしまう。

もちろんアイツのことも友達だと思ってるし、別にハルのことが心の底から嫌いな訳じゃない、……と思う。
訳の分かんないことばっか言ってきて、よくからかってきて、授業中も真面目じゃないけど。……いや、改めて考えると良いトコぜんぜん思い浮かばないけど……と、とにかく!嫌いじゃないの!
少なくともなのはやすずかと同じ頃に会った訳だし、初めて会ったときは……その、ちょっとパパみたいだな……って、思った。同級生を相手に抱く感想じゃないとは自分でも思うけどね。


ただ、問題はそこだった。


初めて会った時の印象はさっきも言ったように『パパに似てる』っていうものだったし、それからもあたし達だけじゃなくてクラスのみんなの中心にいた、……って最初は考えてたんだけど、どうにもそれは違うみたいだった。

ハルが居るのは“中心”じゃなくて、“上”なのだ。

たぶん、ハルはあたし達のことを面倒みてるつもりなんだ。一緒になって騒いでいるように見えて、実際にはどこか一歩後ろから大人の人みたいに見守っている。夏休みになのはの相談に乗ってあげたり、今のようにクラスのみんなを遊びに誘ってるのはその一環なんだと思う。

(やっぱり妹とか弟がいるとそうなるのかしら……?)

確か、ハルには双子の妹が2人いるって話してもらったことがある(いろいろ文句を言っていたけど、アイツぜったいその妹2人のこと大好きね。毎朝自分で起こしてあげてるみたいだし)。そう考えれば、ハルがなのはたちのことを年下みたいに扱ってることも説明できるし。……あたしまでその扱いなのは納得いかないけど。

自分たちと同じ場所に立っていないハルに、不満がないわけじゃない。

だけどアイツがあたし達のことを友達だと思ってくれているのも知ってるから、わざわざ直接文句を言ってやるのも躊躇してしまう。というか、こっちから何か言うのは負けた気がしてちょっとイヤ。ただでさえ普段はテストでも引き分けばっかなのに。大体、なんであたしがこんなこと考えなくちゃいけないのよ。そもそもハルがあたし達のことをどう思っていようと、あたしは別にどうでも良いっていうか───

「アリサちゃん、どうしたの?」
「ッ!?な、なんでもないわよっ!」
「?」

なのはに言われて我に返った。

「「さいしょはグッ!」」

見てみると、ハルとすずかのほうも話し終わったみたい。今は3回目のジャンケンを始めたところね。あたしはそこで考えごとをやめて、そのまま2人の勝負の観戦に戻る。

「「じゃんけんポンッ!」」


───そこからの光景は、なぜかビデオのスロー再生みたいによく見えた気がした。


お互いに差し出された右手。ハルはグー。すずかは……パー。

瞬間、2人が同時に動き始める。

すずかの手は、すずかから見て右にあるハリセンに伸び、持ち手が赤いそれをしっかりと握りしめ。
でもすずかがハリセンを掴んだ時には、既にハルは真ん中に置かれた教科書を引きよせ、自分の頭の上で盾として構えていた。

ただ、たとえそれが見えていようと、すでに手にした武器を振り上げ振り下ろしているすずかが止まる筈もなく。

すずかのハリセンが振り下ろされる中、ここから見えるハルの顔がニヤリと笑みを形作る。
あたし達からは見えないけど、きっとすずかも楽しそうな笑顔になっているんだろう。


そうして、すずかのハリセンがハルの持つ教科書へと吸い込まれるようにして───


ドゴォォオンッ!!!

「ヘブォッ!?」


…………漫画みたいな轟音と一緒に、教科書がハルの顔面ごと机に叩きつけられた。


「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
『……………………』

ついさっきまで騒がしいくらいだった教室に落ちた、痛いくらいの沈黙。

「は、春海くん!?だ、だいじょうぶっ?」
「わ!?おっきいタンコブ!?」

その中で唯一動いてるのは、焦ってハルに駆け寄るすずかとなのはくらい。そして2人が駆け寄った先にある、机に突っ伏したまま手足をダランとさせて、まるで死体のように力尽きたハルの姿。そんなアイツの姿を見て。

(……あたし、コイツのどこを不満に思ってたんだっけ?)

コレが大人っぽいとか、……ないわね。

「……はぁ」

またザワザワと騒ぎが戻り始めた教室で、あたしは体の力が一気に抜けたような気がして、大きなため息が出た。



「お゛お゛お゛お゛お゛。お脳が死ぬ……ッ!」
「あ、あの、ごめんねっ。春海くん」
「だいじょうぶ?」
「あのくらいで情けないわね」
「あれをあのくらいって言っちゃうアリサに脱帽だわ、僕は……」

あれから。

結局すぐにハルが気絶から覚めたことで他の男子たちも早々に興味をなくしてゲームに戻ってしまい、今は机にへばり付いて呻くハルの周りにあたし達は集まっていた。
ていうかハルが起きた後は男子全員で10連勝阻止を喜んでいた辺り、コイツって本当に人徳あるのかしら。

「あ。あとアンタに訊きたいことがあるんだけど」
「そしてこの状況で僕に対する気遣いを微塵を見せないアリサさんマジ半端ないっす……」
「男ならそのくらい我慢しなさいよ」
「……あい」

そ、そこまで落ち込むことないじゃない。そりゃあ痛そうだなーとは思うけど、タンコブはすずかやなのはが撫でてくれてるんだし……。
心の中で弁解しながら、ちょうど良いのでさっきまで気になっていたことを訊く。

「それで。すずかに渡してたあのサインってどうしたのよ?」

それはコイツにとっては予想外の質問だったのか、ハルはちょっときょとんとなったけど、すぐに納得したように頷いて、

「ああ、すずかに見せてもらったのか。……まー、どうしたっていうか、普通に本人からお願いして貰っただけだぞ?CDの方はついでにどうぞって感じだったが。なんでも新曲も入ってるんだと」
「だからなんでSEENAなんて有名人と普通に知り合ってるのよ、アンタ」
「あの人が普通に海鳴に居たんだからしょうがないだろう……」

呆れながら訊き返したあたしの問いに、ハルは疲れたように脱力して答えた。何かあったのかな?

「春くん、どうかしたの?」
「いや大丈夫だ、なのは……そのサイン一つ手に入れるために払った並々ならない労力を思い返してただけだから」

何したのよ、アンタ。

「まあ良いけど。……それで、なんでその苦労して手に入れたサインを忍さん宛てですずかに渡してんのよ」
「知り合ったよーってメールしたら成り行きでな。僕も引き換えで忍さんが要らなくなった音楽プレイヤーを貰う約束したから」

まあ最後にはゆうひさんにその事がバレて、夏休み最終日を色々と扱き使われて過ごす羽目になったんだけど、なんて横を向いて小さな声でぼやくハル。それ自業自得じゃない。
なんだかんだで結局、夏休み中もいつも通りに過ごしていたらしいハルに呆れたところで、タイミングが良いのか悪いのか、昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。

さて、午後の授業もがんばろっと。



「はい。ではみなさん、さようなら」
『さよーなら!』

そしてホームルームも終わって放課後。クラスのみんなは担任の先生にあいさつし終えると、さっさとドアから出ていって友達と遊ぶ約束をしたり、また机に座りなおして先に宿題をすまそうしたりしてる。
そんな中あたし達4人はハルとなのはの席同士が近いということもあって、かばんを持つと自然と2人の机の近くに集まっていた。

「あれ?すずか」
「なに、アリサちゃん?」

集まったところで向こうにあるすずかの机の上を見て、気がついたことを訊く。

「あれって、街の図書館で借りた本でしょ?持って帰って読まないの?」

あたしの言葉を聞いたハルとなのはもすずかの机のほうに目を向ける、そこにあったのは前にすずかが借りたという、工学?のための分厚いハードの本。あたしや、ハルでさえも理解ができないことがたくさん書いていて、夏休み中に女の子3人で図書館に行ったときになのはが目をキラキラさせてたから何となく覚えてる。

あたしの質問にすずかは苦笑いしながら、

「……うん、家にもいっぱい読みたい本があるから。あの本は学校で読もうって思ってるんだ」
「よくもまあ、あんな小難しい本をスラスラ読めるよなぁ。専門用語が多すぎて僕にはサッパリだよ」
「ハルに同感。すずかって機械とかほんと好きよね」
「なのはもAV機器なら大好きだけど、作ったりするのはムリだよ~」

そんなふうに褒めるあたし達に、すずかは恥ずかしそうに手をパタパタ振って口早に言葉を紡いだ。

「そ、そんなことないよ!わたしもお姉ちゃんみたいに作ったりしたことがある訳じゃないし……」
「へぇー、忍さんもなのか。なに作ってるんだ?」

そんなハルの問い掛けにすずかは……なぜか焦ったようにさらに高速で手をバタつかせて(手先が見えなくなった)、

「あ、あのッ、あれ!……ほら!それ!」
「いや、どれよ」

結局ハルの「ま、いっか」という一言が出てくるまで、すずかは慌て続けてた。だから何なのよ、それって。



「それで、今日はどうする?たしかすずかも習い事なかったわよね?」
「うん、だいじょうぶ。うちでゲームでもやる?お姉ちゃんもまたみんなに会いたがってたよ」
「わぁ、やるやる!やりたい!」
「あたしも賛成!」

すずかの提案にあたしとなのは同意して今日の遊ぶ約束が決まりかけたところで、ハルが弱ったような笑みを浮かべながら片手を立てて謝るような仕草をとった。

「あー、悪い、お前ら。僕、今日は用事があるからパスだ」
「ええー、そうなの?」

ハルの言になのはが残念そうに漏らす。当然、あたしとすずかだって残念なのは同じだ。コイツって、何だかんだで最近はあたし達の誘いを断ったことが無かったから。

だから、ついつい子どもっぽく不満を顔いっぱいにして訊いてしまった。

「用事って何なのよ?」
「ちょっと行くところがあってな。前からあった約束なんだ」
「約束ってことは、誰かと会うの?」

応えたハルに、今度はすずかが首を傾げながら訊く。

「ああ。神社で待ち合わせして……」
『?』

なぜかハルはそこで言葉を切ると、宙空を見つめて考え込むように視線を彷徨わせた。そのまま難しい顔で黙りこんでしまったハルを、あたし達が不思議に思って見守るっていう不思議な状態。

「…………………なぁ」

そんな状態でたっぷり数秒考えてから、やがて結論が出たのかハルはあたし達3人にまた視線を戻して、



「───3人も、僕と一緒に来てみないか?」



胡散臭いくらい晴れやかな笑顔でそう言ってきた。





「こんなところに神社なんかあったんだ~」
「昔は結構大勢の人が来てたらしいぞ?お前らが知らないってだけでな。ちょっと前にココの神主さんが退職しちゃって年越しなんかの面倒を見切れなくなっただけから、たぶん大人の人はみんな知ってる筈だよ」
「へぇー」

あたしとすずかの後ろで神社に続く石段を同じように登りながら、ハルがなのはに対してウンチクを披露していた。コイツって、本当にどこからそんなこと調べてくるのかしら。


あたし達は今、学校から少し歩いた場所にある『八束神社』ってところに来ていた。それほど長くもないこの石段も、たぶんもう半分くらいで終わる。

そう。
学校でハルがあたし達を誘った場所とは、ここ八束神社のことだった。

ハルはここで“ある人”と待ち合わせをしているとは言っていたのだけど、逆に言えば、教えてくれたのはそれだけ。あたし達を誘った理由は別にあるらしいけれど、それからは「見てのお楽しみ」の一点張りで何も教えてくれなかった(何となくムカッと来たので、あいつのタンコブにデコピンをお見舞してやったわ)。
まったく。なのに、なのはもすずかもそれを何にも疑うことなくホイホイ着いてきちゃうんだから。そ、そりゃあ確かにあたしだって、ハルがあたし達を危ない所に連れて行くなんて思ってないけど……。

そんな事を考えていたら、いつの間にか石段を登りきっていた。

「なんだか、誰もいない割には結構きれいなのね」
「うんうん。葉っぱもあまり落ちてないねー」

あたしの評価にすずかが言葉を重ねてくる。そんなあたし達にハルは

「まあ、今年からはさっき言った神主さんの代わりに管理する人がきたからな。まだ余裕はないらしいけど、何年か後には大晦日なんかもこの神社が使われるようになるはずだよ」

なんて、またどこから仕入れてきたのか分からない情報を説明して、何かを探すみたいに周りをキョロキョロ。

「春くん。その人って、まだ来てないの?」
「いや、その人がまだ来てないのは分かってたんだけどな。探してるのはそっちじゃなくて…………お、いたいた」

そのままなのはに答えながら探していると、その探していたものを見つけたらしい。
ハルは神社の境内(っていうのよね?あのお賽銭箱が置いてあるところ)に向かって歩き出して、そんなに大きくないのに不思議とよく響く声で。

「おーい、葛花。久遠ちゃん」

って呼びかけた。そんなハルの向かう先に居たのは、

「こん」
「くぅん」

───二匹の、小さなキツネだった。
それぞれ白色と黄色のキツネで、陽のあたる境内の上でそれぞれに丸くなってひなたぼっこをしてたみたい。

「あ!葛花ちゃんだ!」

そう思ってると、なのはがあたしとすずかを追い抜いてハルを追いかけた。どっちのキツネの名前なのかは分かんないけど、なのははあのキツネのことを知っていたらしい。そのままハルも追い抜いて、なのはは笑顔でキツネたちの方に走り寄る。

……けど。

「くぅん!?」

片っぽの黄色いキツネが突然近寄ってきたなのはにびっくりしたように跳ね起きると、その子はタタッと境内の端っこまで避難してしまった。人見知りなのかな、あの子?

「ぁ……」

なのはがその事にちょっとショックを受けたように立ちつくしていると、なのはに追いついたハルが慰めるようにその頭にポンと手を置いて(その様子がまた手慣れた風で、なおさら大人みたいに見えるのよね)、

「おーおー、怖がられちゃったな。その子───久遠ちゃん、っていうんだけど、ちょっと人見知りが激しいだけから。まあ元気出せ?」
「うん……」

なのはに軽く慰めの言葉をかけてから、ハルは境内の真ん中に残ってるもう一匹の白いキツネにひょいひょいと近づいて抱き上げた。その間にあたしとすずかもなのはに追いつく。
白いキツネを抱き上げたハルはその子とちょっとだけ見つめ合うと、すぐにその子をあたし達に体ごと見えるようにして、

「アリサとすずかは初めてだよな。こいつは葛花。うちの飼い狐な。───で、あっちでビクついてるのが久遠ちゃんで、僕の友だちだな」
「……くぅん?」
「その久遠って子、すっごく不思議そうに首をかしげてるわよ?」
「……久遠ちゃんなりの照れ隠しだから気にするな」
「どんな照れ隠しよ……」

友だちとも思われてないじゃない。
葛花の首の後ろあたりを掴んで猫のように持ち上げながら陰のある顔で言うハルに呆れてると、隣のなのはが眼を一層キラキラさせながらハルに近寄っていったので、あたしとすずかもそれに追いかけた。

「わぁ!わぁ!葛花ちゃんも久遠ちゃんもかわいいなー!」
「うわー、体もサラサラだね」
「ほんとね。にしてもアンタ、キツネなんか飼ってたの?」
「一応な。今までは何となく言う機会がなかったけど」

騒ぎながら、3人でハルが再び境内におろした葛花を撫でる。葛花はまた眼をつむって寝ちゃったからあたし達には反応しないけど、嫌がってはいないみたい。
そうやってあたし達が葛花に夢中になってると、その間にハルは境内の端っこでこちらをじっと見てる久遠にそっと近づいてた。

ハルは、そのまま久遠の2メートルくらい手前で膝をつくと、

「久遠ちゃんも、今日はいきなりこんな大人数でごめんな?」



───まるであたしに話しかけるときのパパみたいな、本当に優しい顔で、そう言うハル。



偶然見ちゃったハルのそんな表情に、あたしはちょっと戸惑う。

それは、ハルが自分一人でクラスの子たちを見ていると、ふとした瞬間によく見せる表情だったから。
そして、それは多分、あたし達に対しても同じなはずで。

「……………………」

でも、ハル相手にそんなことで戸惑っちゃったことが何となく悔しかったから、あたしは意地でもそれを顔に出さないようにしながらハルに話しかけた。

「それで、その子はなんで怯えてるのよ?」
「人見知り。まだ僕のこともちょっと怖いらしくてな。まあ色々あったし、葛花の飼い主ってことで逃げずにいてくれるようにはなったけど」

一回だけ撫でたこともあるんだぞ?

なんてどこか得意気に告げながら立ち上がると、ハルはそのまま境内の段座に腰掛けて、自分のカバンからペット用のお菓子を取り出した。それに反応したように、それまであたし達の足元で大人しくしていた葛花がハルの膝の上に跳び乗って、久遠のほうも遠巻きながら明らかにお菓子の入ったその袋に注目している。

「ほら」

ハルはまず自分の膝で丸くなっている葛花にお菓子をあげて。
それから学校で貰ったプリントを久遠の近くの床に敷いて敷き物代わりにしてから、その上にお菓子をひとつ。

「……くぅん」

けれど、それでも久遠はハルやあたし達を警戒して近寄ってこない。そんな久遠の様子に、ハルは頭を掻いて、

「ありゃ、まだ近かったか。……おーい、お前ら。あのお菓子をもうちょっと僕たちから遠ざけてくれないか?残りのお菓子、お前らがやって良いから」

「「「…………」」」

まあ。
ハルとしては、自分の膝の上に葛花が乗って身動きが取れないからあたし達に頼んだのだろうけど。
そんなことを言われたら、かわいいものが大好きな女の子としては当然、

「どきどき♪」
「わくわく♪」
「……くぅん」(パク)
「あ!食べたっ、食べたわよ!」
「ほんとだー!かわいいー!」
「今度はなのは!なのはが置きにいく!」
「待ちなさいよ!次はあたしよ!」
「アリサちゃん、ずるい!」
「一巡したんだから、今度はあたしなの!」
「むーっ!」
「なによっ!」
「はい、久遠ちゃん♪」
「くぅん……」(パク)
「「あーっ!?」」

こうなっちゃうわよね?


ただ、そんな風に騒いでたもんだから、

「ふ。チョロいな」
「童じゃのう」

なんて、後ろから響くそんな2つの笑い声は、あたし達には届いてなかった。





そうして、なのは達と一緒に代わりばんこで境内の端っこにいる久遠へとお菓子をあげていると、

「───あれ?」

あたし達が登ってきた石段の方から、女の人の小さな声が聞こえてきた。

そっちを見ると、そこにいたのは風芽丘高校の制服を着た、優しそうな雰囲気のお姉さん。
その人は鳥居(で、良いのよね?)の下のあたりで不思議そうにこっちを見ていて……

「ん。来たか。───那美さーん!」
「あ、春海くん」

と思ってると、今まで葛花を自分のお腹の上にのせて横になってたハルがその人───那美さんっていうらしい───に呼びかけながら歩み寄っていた(ちなみに葛花はさっきまでハルが寝てた場所で変わらず目を閉じて丸くなってる)。

「くぅん!」

そしてそれは、さっきまであたし達と一緒にいた久遠も同じだった。久遠はそのままハルも追い抜いて女の人の足元にすり寄って、それを女の人が抱き上げてた。

「だれなのかな?」
「ハルが言ってた、待ち合わせの人みたいだけど……」
「あ。あの制服、うちのお兄ちゃんと同じ高校のだ」

3人でそんなハルたちを見ていると、女の人とちょっとの間だけ何か話したハルがその人と一緒にまたこっちに戻ってきた。

その人はあたし達に前までやってくると、あたし達と目線を合わせるためにしゃがんでから、

「春海くんのお友達なんだ? こんにちは、神咲那美っていいます。この神社の管理をしてる巫女で、春海くんとは友達なの。よろしくね」
「那美さんは久遠の飼い主でな。その縁で知り合ったんだよ」

微笑みながらそう言う那美さんと、その後ろでさりげなく久遠ちゃんに手を伸ばそうとしてはチョロチョロと逃げられつつ補足するハル。

「はじめまして。アリサ・バニングスって言います」
「こんにちは。月村すずかです」
「高町なのはです!久遠ちゃん、可愛かったです♪」

そういうことならと、あたし達もそろって自己紹介。なのはのはちょっと違うような気もするけど。

「春海くんに聞いたけど、久遠と一緒に遊んでてくれたんだ。どうもありがと。……この子はよくこの神社でのんびりしてるから、あなた達さえよければ、また一緒に遊んであげてくれる?」

ハルから離れて足元にやってきた久遠を撫でながらそう言った那美さんに、あたし達はもちろん、

「「「───はい!」」」

すぐにOKを出した。



その後は、那美さんに抱えられた久遠を撫でさせてもらったり、ハルがまたカバンから取り出したお菓子をみんなで食べたり、那美さんの仕事の手伝いをしたりして過ごした。



夕方になって帰り際、なのはが特に久遠のことをすごく気に入っちゃったもんだから、伝わるはずもないのに久遠に今度また来るときに何かお土産を持ってくることを約束していた。
逆にすずかの方は落ち着いてて、そんななのはを笑顔で見やりながら那美さんとお喋りをしていた。まあ、すずかが一番好きなのはネコって言ってたし、同じように久遠のことを可愛がっててもなのは程じゃなかったわね。

…………え?あたし?……あ、あたしはもちろん、落ち着いた態度でお子様ななのはを遠くから───

「とか言いつつ、お前はお前でなのはと同じくらい久遠を可愛がってたよな」
「…………」

とりあえず、ハルのタンコブにチョップしておいた。



**********



「───ふむ」
「上手くいった、と言うべきかの?」
「まー、あいつ等なら久遠ちゃんのことを種族で差別したりしないだろ。那美ちゃんも、そういう意味では久遠ちゃんを紹介する人に気を付けてたみたいだし。それを置いとくとしても、あいつ等にも新しい友達を紹介したかったしな」
「……なんかおぬし、娘のために気苦労する父親みたいになってきとるな」
「……言うな」
「ちゅーか、そもそも友になるように仕向けるのはお前様の流儀に反するのでなかったかの?」
「それこそ話が別だよ。つーか、僕はあいつ等を会わせただけだしな。そこから友達になるかどうかは、あいつ等が自分で決めることだよ。あんま心配はしてないけど」
「ふーむ。儂にはイマイチわからんのう」
「ま、それはそれで、だな。お前はそのままでも大丈夫だろ」
「当然じゃ」
「当然か。それにしても……はぁ」
「む。なんじゃ、藪から棒に溜め息なんぞ吐いて」
「いや、……今日も久遠ちゃんは僕に撫でさせてくれなかったなー、と」
「む。…………」
「どした?」
「……お、」
「お?」
「……おぬしが儂のことをど~しても撫でたいと言うのならば、撫でさせてやらんこともない」
「…………」
「…………」
「…………じゃあ、どーしても、で」
「う、うん」

その後。
アリサ達を見送った那美ちゃんと久遠ちゃんが八束神社の境内へと戻ってくるまで、僕は膝枕されて心地良さそうに笑顔を浮かべる童女姿な葛花の、その白髪狐耳の頭を撫でていた。



「こーん」










(あとがき)
ということで、第十六話投稿完了しました。

今回は原作イベントへの伏線張りとヒロイン勢との交流の回第一弾ですね。ここまでのんびりしてて読者様方に見捨てられないか戦々恐々をしている作者です(笑)。

あと今回のお話、読んでお分かりになるように、初の試みとして主人公以外の人物を語り手にしてみたのですが如何だったでしょう?
というか、ぶっちゃけ作者が疲れました(笑)。いや、アリサの主人公に対する内心を表現するための処置だったのですが、どうにも小学一年生というのが災いしてか、想像以上の難産でした。女心って難しいね、ほんと。

読んで伝わったかどうか分かりませんが、アリサは今のところ主人公に対して不満に抱いている一方で、友だちとして大事にも思ってます。おまけに聡いからなのは達が気付けていない主人公の一面に気が付いているけど、抱いている不満に関しても内訳が結構複雑なため、まだまだ心が幼い(小学生なら当たり前ですが)彼女はそれを持て余し気味という、非常にややこしいものとなっていたり。いや、それでも主人公のことを友達と断言できる辺りかなり格好いいんですが。作者は個人的にアリサはリリカル内でも屈指の格好いいキャラだと思ってます。もちろんそれ以上に可愛いとも思ってますが。

あと、さりげなく主人公が着々と人間関係構築中。この辺りは原作(とらハの)イベント発生を色々と早めるための処置として主人公に動いてもらってます。なにせ、このままでは作中の時系列的で来年6月の1か月の間に原作ルートイベント全て起こすという(作者にとって)鬼な事態になりますし。ただ、実はヒロインヒロイン言ってても恋愛フラグだとかはあんまり考えてなかったり。せいぜい気になる子くらいに収めるかなぁ。エンドルートに関しては完結してからゆっくり考えるつもりですのでご了承を(まあ、今のところは、ですが。作者の主張がころころ変わってしまうのも、またご了承を(笑))。

次回はレンと晶の1ページです。この話と同様、また伏線をどんどん張っつけるつもりなのでお楽しみを。SS界の片隅でひっそりと更新していきたい篠航路でした。

では。




[29543] 第十六話 人にはいろいろ事情があるものだ 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2011/12/23 11:16
えー、初めての方々ははじめまして。おひさの方々はお久しぶりです。今回はじめて語り部をさせていただきます、鳳蓮飛いいます。よろしゅーに。
さっそくですが、夏の色がだんだん薄まってきた本日もお天道さんは快晴そのもの。絶好の洗濯日和ということで、うちは今、高町家の庭先で洗濯物を干してます。

「───よっ!ほっ!……てやっ、と」

そして、そんなうちの後ろでサッカーボール相手に格闘しとるのは、2年前に美由希ちゃんが山から拾ってきたブッサイクな顔したお猿のペットで、その名前を───」

「城島シュートッ!!」
「───おぶっ!?」

突然うちの後頭部めがけてボールを蹴りこまれた。

「っっったー!───いきなり何すんねん!晶!」
「そりゃこっちのセリフだ!なんかいきなり喋りだしたと思ったら誰がブッサイクな顔した猿のペットだ、誰が!」
「家事手伝いもせんとグータラ遊んでばっかのアンタには猿でも十分なくらいや、ドあほ!」
「オレの分はもう終わったんだよ!自分がノロノロしてんのを責任転嫁してんじゃねえ!このどんカメ!」
「明らかにうちのほうが仕事量多なってんのに何言うてんねん!」
「師範が今日は休みにするっつって急に電話してきたんだからしょうがないだろ!」
「ならボール遊びしとらんと仕事代わるか、せめて自主練ぐらいせえ!だーほ!!」
「この後する予定だったんだよ!ばーか!!」
「ぐぬぬぬぬ」
「うぐぐぐぐ」

バッ、と。

示し合わせたわけでもなく、でも両者とも同時に背後に跳びのいて、構える。

晶はいつも通りの、左半身となっての空手の構え。
対するうちには、特に決まった型はない。じーさまから中途半端に習っとったうちは、いつもように自然体で、ゆるく構える。

最初に口を開いたんは、───晶やった。

「真剣、一本勝負」
「禁じ手無し」
「負けたほうが勝ったほうの言うことを聞く」
「うちの代わりにアンタに家事全部させたる」
「そーゆーのは勝ってから───言えッ!」

言葉と同時に突っ込んでくる晶。こっちに向かってまっすぐに伸びてくる右手を、うちはいなすようにして受け流した。

「でりゃッ!!」

流された右腕を素早く引き戻した晶は、次いで左拳と右拳での連携。
うちの鳩尾と胸元の辺りに向かうそれも、先程と同様に突き出した腕で受け流す。

普段のがさつなコイツと違って、空手の方は丁寧そのもの。やや攻めに偏っとるのは事実やけど、その攻めで押し切られかねんのもまた事実。
それだけ真剣に空手に打ち込んどんのだけは、褒めてやってもええ。───でも、

「ハァッ!!」
「甘いわ!」

拳での打ち合い(というには、うちは受け流すだけやったけど。だって打ち合いとか痛いやん)に業を煮やしたのか、右回し蹴りを繰り出してきた晶。
ただ、うちはそんな晶の右脚の勢いを利用して、その流れに逆らわんよう右手で外に払ってやる。そうすると、

「うわっ!?」

自分の力に押されて晶の体勢が崩れかけ、と同時に、うちも右手で払いながら一歩前へと踏み出す。
結果、うちの現在位置は晶のちょうど真後ろ。ワンサイドゲームし放題の絶好ポジション。

晶はそこから腰を捻って裏拳かまそうとしとるようやけど──遅いで!

うちはおさるの腰の辺りに手を添え、さらにもう一歩踏み込んで、


「ハッ!」



───寸掌



「どわぁああっブッ!?」

踏み込みからの爆発的な反動をそのまま利用した、鳳家拳法のひとつ『寸掌』。
非力なうちでも十分な威力を期待できるから、うちが好んでよう使っとる技や。

晶はそのまま3メートルくらい吹っ飛んで、そこでようやく顔面から地面に突撃して止まっとった。……うーん、今日はあんまり飛ばへんかったなぁ。

まあ、ほんでも。

「ほっほっほー。そんなら洗濯もの干し、うちの代わりによろしゅー頼むでー♪」
「あーもうっ!ちくしょー!!」

うちの勝ちには変わりあらへんけどなー。





そんで。

「───で。お前はこうやって縁側でゴロ寝して、向こうでは晶が洗濯もん干してるわけか」
「ほ~や~」

うちが日向ぼっこしつつ、庭でブツブツ言いながら洗濯物を干す晶を眺めよると、頭上から呆れたような見知った男の子の声。
そっちに目を向けて確かめてみると、そこにあったんは普段着に身を包んだ、高町家の道場に通う門下生にして、うちらの友達───和泉春海の姿。

左腕の中には着替えやらの入った袋を抱えとるから、たぶん練習が終わって風呂から出てきた途中なんやろ。男にしてはそこそこ長い髪も生乾きやから、お日さんの光が反射してツヤツヤ光っとる。

「……あんたもすっかりこの家に馴染んできたなぁ」
「おかげ様でな。まさか風呂まで借りる付き合いになるとは思わなかったけど……」

言いながら、どこか疲れたように嘆息する春海。遠慮ばっかしとるからそんな風になるんよー?

「にしても今日は終わるの早いなー?いつもやったら夕方近くまでやっとるのに」
「なんか恭也さんたちが午後からどっかの剣道場に出かけるらしくてな。僕も誘われたけど、流石にそこまで世話になる訳にもいかないし」

春海はこうしている理由を説明しながら、ストンとうちの隣に腰掛けた。うちはゴロゴロしたままやけどな!

「そうそう。なのちゃんが話しとったけど、葛花とはまた別のキツネを紹介したんやって?なんやなのちゃん、ごっつ嬉しがっとったよ。ありがとなー」
「ん、どういたしまして。最近は学校帰りにもときどき神社行って、エサやりとかしてるらしいな。僕はあんまり行ってないんだけど(夜に会ってるし)」
「まー、なのちゃんが学校の帰りに会いに行きたいってお師匠に頼んでな。うちらの方でもローテーション組んで、たまに一緒に見に行っとるんよ」

さすがに小学1年生のなのちゃん一人じゃ危ないし。

「強いとはいえ小学6年生のレンが付き添いに相応しいのか、という疑問は置いとくとして…………そっか、そういやそっちの問題があったっけ。悪いな。面倒増やしたみたいで」

彼は縁側に腰かけたまま頭を下げた。別にそんなん春海が気にする事やないのに。
律儀というか、細かいというか。

「気にせんでええって。なんも春海のせいやないし。───それに」

うちはそこで勢いをつけて、寝転んどった上半身を上げた。春海とおんなじ様に縁側に腰掛けて、そんで視線を合わせてから、

「なのちゃんがな、高町の家の人らに何かお願いごとしたのって、初めてなんよ」
「……は?」

訳のわからないことを聞いたって風な春海に、うちは言葉を続ける。

「いや、まあ、そりゃあ今まで全く無かった訳やないんやけど、思いだしてみると頼んでも迷惑かからんと思える物ばっかりやったんよ。あれ貸して、とか、この服見て、とか」
「…………」
「そんでこの前の『放課後、久遠ちゃんに会いに行きたい!』やろ。あれ、お師匠のことやから、ぜったい心の中では大喜びやったで」
「うわー。想像しっやすー」

うちの話に、どこか乾いた笑みを浮かべてそう言った春海。そのまましばらく笑って、……次いで片手で顔を覆いながら「はぁぁああああああ~~~……」と、自分のどころかこっちの幸せすらどっか行ってしまいそうなくらい大きい溜め息をついた。辛気臭いやっちゃな。

「……なのはのヤツ、強情にも程があんだろ」
「ほんまやなー。あれに気づいたとき、うちも『ああ、やっぱなのちゃんもお師匠と美由希ちゃんの妹さんなんやなぁー』て思ったわ」
「それ聞くと今からなのはの将来が心配だよ、僕は」

まさか恭也さんたちみたいにならないよな……、なんて零す春海。あはは、なのちゃんがお師匠たちみたいに飛んだり跳ねたりする訳ないやん。
うちらは向こうででっかいシーツ相手に四苦八苦しとる晶をボーっと眺めながら。

「なのちゃんって将来は何になるんやろうなー?」
「なんだろうなー。やっぱ翠屋の二代目でもやるんじゃないか?けっこう前に桃子さんも一緒に菓子作りしたけど、筋はいいって褒めてたし。体力は無かったけど」
「なのちゃん、ハンドミキサーも持ち上げれんかったしな」
「あれはもうギャグだって。顔まで真っ赤になってるの見て何事かと思ったもん」

その時のことを思い出したのか小さく噴き出した春海に、うちは自分でもわかるくらいニヤニヤした笑みを浮かべながら面白いことを教えてやる。

「でもな。あれからなのちゃん、桃子ちゃんからけっこー真面目にお菓子作り習っとんよ。うちや晶の料理の手伝いもようしてくれるし」
「へぇ、良いことじゃないか。これはマジで二代目になるかもな」
「でな、その理由聞いたら、……『春くんをギャフンと言わせてやるの!』やって」
「───はい?」

期待通りのリアクションを見せてくれた春海に、うちはプククッと含み笑い。春海はそんなうちをジト眼になってしばらく睨んでから、

「それで。なんでなのはが料理の練習すると僕がギャフンと言うんだよ」
「あはは、すまんすまん。……なんでも、春海にいっぱい笑われたから、自分で作ったおいしいものを食べさせて見返してやるんやて」
「……この場合って、僕は一体どんな反応すればいいんだろ?」
「笑えばいいと思うよ」

だからお前はなんでそんなネタ知ってんだよ、コア過ぎるだろ。困ったときのアニメ鑑賞や。何に。暇つぶしに。プリキュア見てろガキ。なんやとコラ。てかなのはかわいいな。そうやね。
とか2人して駄弁っとると。

「おい、レン」

縁側に座っとるうちらの目の前に、空っぽのカゴを持った晶が居った。晶はそのままうちにカゴを投げて寄こして、

「うら、干し終わったぞ。これで文句ないだろ」
「ほっほっほー、ごくろー」

言い返しながら、うまいこと洗濯物カゴをキャッチ。

「ふん!」

晶はそんなうちからプイッと顔をそむけると、わざとらしく隣に座っとる春海に顔を向けてから、

「春海も、その様子じゃあ今日は練習終わったのか?」
「一応な。晶もお疲れさん。こりないね、お前らも」
「コイツに言ってくれよ。いっつもオレに突っ掛かってきやがって」
「うちのセリフや、それ。アンタはいっつもいっつも文句ばっか垂れてからに」
「テメーにだけは言われなくねえよ!このどんガメ!」
「だからカメ言うな!このおさるー!」
「だぁああーもうッ、やめやめ!なんで口を開けばそればっかなんだよ、お前らは!」

むう。
しゃーない、慌てて大声で制止する春海の顔を立てて、ここは退いてやろうやないか。

「……なんか、今すっごく上から目線な理不尽を感じたんだが」
「アンタの気のせいやないんか?」

おさるは変なことばっかぬかすなぁ。やっぱこのおさるは脳みそまで筋肉で出来とんやろうなぁ。

「春海!こいつ語り部の立場利用してオレのことボロッくそに言ってねえか!?」
「いや、僕もそんな気はするけど。それを僕たちが突っ込んじゃダメだろ」
「いやいやー、あんた等が何言っとるんか、うちにはよう分からんわー♪」
「くっそーっ!こいつ殴りてーーッ!」

涙目になって叫んだ晶の声が、海鳴中に響き渡った。あかんやん、晶くん。ご近所さまに迷惑やでー?





**********





というわけで。
城島晶様から多大な苦情が出たため急遽語り部を変更。鳳蓮飛に代わって和泉春海がお送りします。

「いや、語り部リストラって初めて聞いたぞ……」
『一人称における弊害じゃな。注意しとらんと、本人の感情の赴くままになるからのう』

庭に立って呆れたようにぼやく僕に、屋根のほうでプカプカ浮かんで日光浴を楽しんでいた童女姿の葛花が返してくる。

そう。
実はさっきまでレンと話している間も、葛花は僕の傍らに(というか背中に貼りついて)浮かんでいたのだ。この自分に気づけていないことには描写できない辺りも、一人称における欠点だなぁ、なんてメタなことは置いておいて。

「じゃあ行くぞ!春海!」
「はいはい」

そう言ってこちらに向かって突っ込んでくる晶に、投げやりに返して。

「───はぁ!」
「よっ」

まっすぐに飛んできたグローブを付けた右の拳を、僕は手に嵌めたクッション生地のグローブで弾くようにして受け流した。
それに隠れて繰り出された左下段蹴り(身長差で中段蹴りくらいになってたけど)を下がって避け、そのまま一回転して放たれる裏拳を頭の右に置いた左掌で受け止める。

止められたことを気にするでもなく、瞬時に僕から離れた晶は軽くその場で軽くステップの後、いつもの左半身の構えを取る。そして実に楽しそうに笑いながら、

「やっぱスゲーな、春海。師匠が言ってたけど、防御に関してはオレより全然上手いし!」
「というより晶が攻めに偏りすぎなんだよ。僕と比較されてどうするんだ」
「へへ、攻撃は最大の防御、ってな!」

僕の言葉に、晶はニカッと笑ってそう返して再び突っ込んでくる。
前に恭也さんや美由希さんが言っていたけど、晶のこの辺りの快活さというか、潔さは彼女の立派な長所だろう。

まあ、あんまり調子に乗ると短慮だとか大雑把だとかの欠点になってしまうのだけど。


高町家の庭の、周囲に何もないちょっと開けた場所。
そこで現在、僕は色々と熱くなった晶の誘いを受けて、無手同士での組手中だった。

とは言っても今回はそのルールも結構変則的なもので、晶の攻撃を僕が受けるだけというものだ。
もちろん攻撃が一方的なものである以上、両者ともきちんと手加減しているし、僕は僕で隙を見て突き飛ばしたりするような反撃も許されてるので、そこまで厳格な取り決めではないが。

晶に誘われた当初、僕は風呂上がりだったこともあって断っていたものの、いつになく粘る晶に押し切られる形で誘いを受けてしまい(後で訊いたら、今日は空手道場が休みなので練習相手が欲しかったとのこと)、まあ打ち込みを受けるくらいはしても良いかー、なんて軽い気持ちで引き受けた、のだが…………あれ?

「……今思ったら、これただのサンドバックじゃね?」

晶の猛攻を捌きつつ呟く僕。
いや、普通『打ち込みを受ける』って言ったら、晶が拳や蹴りを叩き込むための大型のミットを構えて僕がそれを支える、みたいな感じだよな。それがなんでこんな僕の防御力が試される状況になってんの……?

そんな僕に晶は前蹴りを放ちながら。

「だってしょうがねえじゃん。オレ、打ち込み用のミットとか持ってないし───さ!」
「いや、いや、いや!だったら素直に筋トレとか走り込みとかしようぜ!?なんで『ミットが無い』=『だったら春海でいっかー』みたいなノリになってんだ、……よッ!?」

もっと僕を大事にしろよ。

前蹴りを防いで手が下がったところへ、袈裟掛けの手刀。僕はそれを頭を下げることで躱し、躱しざまに晶の腹に双掌を突き出す。

「そんなこと言っても今さら止める気なんて、ねえッ!」
「ですよねー!」

しかしそれも晶は左腕でガード。

「うおりゃ!」

そのまま密着した僕を引き剥がすように、彼女は力任せに左腕を振りまわした。
身体強化を使えば僕の体格でも耐えることは出来るものの、このような場でそんなものを使う筈もなく。

結果として体の出来ていない僕が半ば跳躍する形で、両者の間に3歩分ほどの距離が開く。そうしてお互いに睨み合うように相対していると、やがて晶が難しい顔をしながら、

「……やっぱ春海相手じゃ決定打がないよなぁ」
「まあ、僕としてもそう簡単に負ける訳にもいかないし」

恭也さん達のような実戦ありきの……言っちゃあ何だが“きたない”技なら兎も角、さすがに比較的“キレイ”な動きをする(言い換えるなら読みやすい)道場空手の晶を相手にそう易々と一本取られる訳にもいかないのだ。

「む。……なら───」

僕の言葉を聞いた晶は、す……といつも以上に腰を落として構えた右腕をまるで弓矢を引き絞るように大きく引いた。雰囲気を一変させた相手は鋭くこちらを見据え、

「───必殺」
「必殺!?」

よもやこんな場所で殺害予告をされようとは。

戦慄する僕なんてお構いなしのようで、やがて晶は全身に貯め込んだ力を解放するように大きくバネを利かせて、───

「───“吼破”!」
「ただのテレフォンパンチじゃねえか」

突き出された拳を一歩下がってひょいと避ける。

いや、あそこまで振りかぶっておいて出てくるのがただのストレートとか。確かに風圧がここまで届いているし、威力はとんでもないものがありそうだけどさ。躱すどころかカウンターも取れ放題じゃないか。
だが。
本人曰く『必殺技』であるところの攻撃を躱された晶のほうはと云うと、やはり晶自身も当たるとは思っていなかったのか特に気にしてはいないようで。

「うーん、やっぱ当たんねえか」
「いや、当然だろ、あんな威力重視のタメもデカくて前後の隙もガン無視な大技。避けろって言ってるようなものじゃないか」
「そうなんだよなー。いや、オレも館長に『お前は体重が軽いから拳に威力がない』って言われてさ。そんで教えてもらったのがこの技なんだけど、これって使いどころけっこー謎なんだよなぁ」
「そりゃあ、……小技で相手を怯ませてから、ズドン?」

間違っても単体では使えまい。

「やっぱそれだよなぁ……めんどくせー!」
「まあ、晶はどう見てもチマチマ技の組み立てを考えるタイプではないよな」

基本、性格的に突っ込んで殴る蹴るだし、この子。だからこそ僕は晶の攻撃を避けれてるし、才能の塊でそのうえ流派の相性で勝ってるレンも晶相手に連勝してる訳だけど。
いや、それでも晶は十分強いし上手いんだけどね。小さい頃から続けてるからか、やっぱりテクニックや咄嗟の判断は上々だし(えらく上から目線で色々言ってるけど、実は全部恭也さんや美由希さんの受け売りである)。

そんなことを考えていると、対面の晶も組んでいた両腕を解いてから再び構えを取って。

「ま、いっか。だいぶ体もあったまってきたし、もうちょっとスピード上げてくぞ、春海!」
「だから僕は風呂上りなんだって……」


そして熱くなった晶と、微妙にやる気のない僕の一方的な攻防は、そのままたっぷり1時間は続いた。
え?結果?
もちろん僕も晶も、最終的には全身汗だくでアザだらけになったよ。……風呂もグローブも意味ねえー。





**********





「楽しそうやなぁ」

縁側に座る少女の視線の先では、彼女にとって気に食わない同居人と、弟分と云ってあまり差し障りない少年が手合わせをしている。

自分の持つ力を存分に出し切って。
自分の身体を十全に動かして。

「やっ!」
「お、ッと」

同居人はその表情を笑顔に変えて拳を突き出し。
弟分は面倒くさそうな顔をしつつも、それでもその眼は真剣そのものに相手の拳を防いでいた。

自分たちの世界に入っている彼らは本当に楽しそうで。

そんな光景を見ているだけでも彼女は十分に楽しかった。こうして縁側に座って彼らや自分の同居人である兄妹の修行風景を見物することは彼女の楽しみの一つなのだ。
もとより、生来の性格として自身がのんびり屋である自覚もある。
ここでこうやって観客をやっているだけでも、“今の自分”には十分過ぎる幸福が感じられた。



───でも、それでも。



「───ええなぁー……」



ポツリ、と。

少女の口から知らず漏れたその言葉は、しかし誰の耳に届くでもなく、響く拳打の音に紛れて消えていった。





**********





「あ゛ー、つかれたー……」
「…………」(ぐったり)

絞り出すような声を出しながら縁側に腰掛ける晶と、無言のままにその隣にうつぶせでブッ倒れる僕。どっからどう見ても満身創痍の疲労困憊だった。葛花は僕に近寄ってこないところを見るに、また屋根の上で昼寝してるのだろう。

晶の向こう側で座ったまま足をプラプラさせるレンは、そんな僕達に呆れたような目線を寄こしながら、

「ペースも考えんと、はしゃぎすぎるからや。あほどもー」
「晶だけに言ってくれよ。僕は巻き込まれた側だぞ?」
「あー、春海ひっでー……」

むう。言い合おうとする僕と晶の声も、心無し気力が削げ落ちている。

「事実だろーが。途中から全力だったくせに」
「だって、お前って避けてばっかで当たってくれないだろ」
「あたりまえです」

それもう完全にサンドバックじゃん。

「あぁぁもうッ!だってよー、小1相手にウマいこと勝てないって悔しいじゃねぇーか!」
「これでも一応2歳のときから鍛錬してるからな。経験《キャリア》で言えば晶とそう変わらないんだから当たり前だっつーの」
「それはわかってるけどさー」

そう言いつつも、やはり納得はしていないのか口先を尖らせてブー垂れる晶。まあここであっさり納得できるようなら、そもそもあそこまで熱くなりはすまい。

「そういえば、さ」
「ん?」
「なんや?」

言いながら、多少は体力も回復した僕はレンたちみたいに縁側の外へ足を放り出すようにして腰かける。
僕は2人がこちらに顔を向けているのを視認してから、

「レンが中国拳法や棍をやってるのは『じーさま』の影響だって前に聞いたけど、晶が空手を始めた理由って何なんだ?」

と。
僕としては単なる雑談の一つとして尋ねたこんな問い。しかし問われた晶は途端にタラリと額に冷や汗を流して笑顔を引き攣らせ、逆に向こうにいるレンは眠たげなタレ目を細めてニヤニヤと笑っていた。あ、ほのかに薫る地雷臭。

「おー、ええこと訊いたな春海。それはな───」
「わぁー!?言うなバカッ!!」

レンの言葉に何を焦ったのか、晶はすぐさま喋る彼女の口を塞ぐべく跳びかかった。……のだが、逆にそのまま関節を極められ、再三に渡るレンのネチっこい要求に屈して結局は自分から話すこととなっていた。哀れすぎる。





「───恭也さんに勝って御神流を教えてもらうため?」
「あー、…………うん」

思わず訊き返した僕から晶は気まずそうに眼を逸らして、人差し指でわざとらしく頬を掻きながらコクリと頷いた。


話を聞くと。
なんでもこの晶さん。空手で今よりももっと強くなってそのうち恭也さんと勝負し、しかもその上で勝って彼から御神流を教えてもらうつもりらしい。

「…………」

まあ、それを聞いた僕も、彼女に言いたいことは色々ある。

『無手の道場空手で実戦前提の古流剣術に勝つとか無謀すぎね?』とか。
『御神流に勝てるくらいに空手の道を極めてから改めて御神流を習うって本末転倒じゃね?』とか。

ただ、それ以上に。そんなこと以上に。



「───そりゃまた……無謀な」


『あの人に勝つってムリじゃね?』って言いたい。



恭也さん、たぶん僕単体だと陰陽術と不意打ち奇襲を駆使してやっと最初の一回で勝てるくらいだぞ。
ちなみ二回目以降は一回目で手の内がバレているほど勝ち難く、というより負け易くなる。……やっぱ人間じゃねえよ、あの人。

「無謀って言うなー!」

僕の言葉に晶は両の腕を振り上げて叫ぶが、逆にそんな過剰な反応は彼女が自分でもそう思ってることを指し示していた。
それにしても空手を習い始めた理由が、『御神流を習う』ためとは……。

「その話って、恭也さんたちは知ってるのか?」
「知ってるもなにも、……空手を勧めてくれたのは師匠だ」

僕に答えた晶の言葉は不貞腐れたように素っ気ないものだったが、その声の中には隠しきれない喜色が隠されていた。そのことからも、晶が空手を心の底から好いている事が窺える。
ただ、それなら───

<……これは、恭也さんなりの優しさかね>
『さーの』

屋根の上に入る葛花からの返事は間延びした、先程の晶以上に素っ気ないものだった。たぶんこの話題に興味が微塵もないためと思われる。普通に自分の眠気を優先していた。

「春海?どーした?」

そうしていると、黙りこくった僕のことを不審に思ったレンの呼びかけ。僕はそれに対して数瞬思考し、


「───いや、何でもない。晶もそのうち恭也さんにも勝てると良いな?」


“これは僕は口を出す問題ではない”。即座にそう判断を下す。

これは恭也さんと晶の問題、あとはせいぜい両者の親兄妹くらいだろう。辛うじて御神流の末席を汚している僕(非公認)とはいえ、部外者の出る幕でもない。

ノータッチである。

「おう!そのために空手も頑張ってるんだしな!」
「でもアンタ、お師匠にはいっつも簡単にあしらわれてばっかやん」
「これから勝つんだよ!」

そうして思索を打ち切った僕の耳に、何やらまたしても言い合う晶とレンの声。いつもならば言い争いが収まるまで(つまり大概晶がフッ飛ばされるまで)我関せずの立場を貫くところであるのだが、何かおかしなことを聞いたような気がする。

「うん?……晶。レン」
「あん?」
「どした?」
「いや、どうしたっていうか……。晶、もう恭也さんに挑んでるのか?」

そう。
さっきまでの晶の話で僕は『晶がもっと強くなってから恭也さんと決闘する』と考えていたのだが、先程の2人の口振りでは晶は既にもう頻繁に恭也さんに挑みかかっているように聞こえる。
そのことを不思議に感じての問いだったのだが。

「うん。師匠にはいつも勝負してもらってるし」
「お師匠ってば、晶から攻めてくる分には奇襲とかもオッケー出しとるからなー。晶がようお師匠の寝込みを襲撃しては返り討ちにあっとるわ」
「夜襲かよ」

普通に安眠妨害だった。
なんて迷惑な奴なんだ。恭也さんもよく付き合ってるなオイ。

「でも恭也さんも流石だな。寝込みを襲われても勝てるなんて」
「師匠、枕元に小刀置いてるしな。使われたことはないけど」

あの人は一体いつの時代を生きてるんだろう。

恭也さんの普段の生活に僕が呆れたような困ったような妙な気分になっていると、晶の向こう側に座ったレンがまたしてもニヤニヤと笑いながら。

「それに、アンタの奇襲ってバレバレやもんなぁー?」
「う。……う、うるせーな。コソコソするのは苦手なんだよっ」

レンのからかいの言葉に晶が顔をやや赤くして返す。

そんな2人に様子に、ではいつもの奇襲風景がどんなものなのかを尋ねると。



~~~昼間~~~

『…………』(恭也、宿題中)
『おぉおおおッ!!城島とび膝蹴りィ!!』
『ここに来るまでにノシノシ歩いてきてる時点でバレバレだ』
『ぎゃー』



~~~深夜~~~

『…………』(恭也、就寝中)
『師匠、覚悟!───城島!か・か・と・落としぃッ!!!』
『寝てる相手を起こしてどうする』
『きゃん』



「───こんな感じやな」
「なんで奇襲してる相手に指導されてんだよ」
「うぅ」

レンの説明に思わず突っ込む僕と、それに縮こまる晶。いや、これツッコミ待ちだろ、どう見ても。

「だ!か!ら! オレは奇襲とか、そーいう卑怯くさいのは苦手なんだって!」
「苦手とかそういう問題じゃないような気もするんだが……」
「だったら、春海が奇襲のかわりに何か良い案出してみろよっ!」

晶はやけくそに気味にビシッとこちらを指差して叫んでいた。ていうかご本人、奇襲そのものは既に諦めてる臭かった。

「ふむ」

まあいい。
そっちがそう言うのなら、晶やレンでは到底考えつかない完璧な作戦を僕が伝授してやろうでないか。



作戦その① 『一服盛る』

「確か、高町家の料理当番は晶も兼任しているはずだ。だったら恭也さんの食事にだけ麻痺薬や睡眠薬を混入させてだな」
「そんなことやったらオレもう一生食事当番させて貰えねぇよっ!」
「ってゆーか! うちがそんなん全力で阻止するわ!」

むう。
料理人のプライドだろうか。最初の案は2人には頗る不評だった。



作戦その② 『精神を攻める』

「常日頃から教科書を隠したり靴の中に画鋲を仕込んで恭也さんを精神的に追い込むんだ。ちなみにそういう意味では晶の夜襲による安眠妨害も立派な戦略と言える」
「たぶん桃子ちゃん辺りに晶が叱られて終わるな……」
「あああっ!? 師匠ごめんなさい!オレ、そんなつもりで寝込みを襲った訳じゃないんです!!」

晶がこの場に居もしない恭也さんに対して謝罪し始めたので、この案も強制却下となった。



作戦その③ 『人質作戦』

「夜になったら眠ったなのはを人質に取るんだ。協力者であるレンがなのはを押さえ、その間に無抵抗の恭也さんを晶が殴る蹴るして」
「後味悪すぎるわ!」
「それ本気で実行したら、もうオレ達この家どころか同じ町内にも居られねぇよ!」

うん。僕も提案してからそう思った。絶対士郎さんと美由希さんに僕・晶・レンが3人揃ってボコボコにされた上に桃子さんにも叱られて、なのはとフィアッセさんにはマジ泣きされる光景が目に浮かんだわ。



作戦その④ 『色仕掛け』

「ごめん。忘れて」
「いやいやいやいや!?」
「なに提案して0秒で諦めとんねん!?」
「いや、だってなぁ……」

改めて、こちらに身を乗り出しながらジットリとした目で睨みつけてくる晶とレンをつぶさに観察してみる。


城島晶。
中学1年生の割には胸もあるし空手にも熱心に打ち込んでいるためプロポーションも何気に良い(今だからこそ打ち明けるが、僕が初対面で晶の性別を正解できたのも腰の形から性別を判断するという妙技を使用していた)。自身の特技項目に『料理』が存在している辺りもギャップと言えばギャップである。しかもこれでも学校のほうではクラス委員を務めているらしく、努力家気質であるため勉強も頑張っていて成績も悪くない。
しかし、その気性と性格は男勝りなやや乱雑なもの。普段の生活における行動は自分が女であることの自覚が薄いせいか異性の前でも平然と着替えを敢行しているらしく、髪型をベリーショートにしていることも相俟ってボーイッシュを通り越して最早ただのボーイである。


鳳蓮飛。
小学6年生という世間一般で『子ども』として扱われる年齢であるにも関わらず、その比較的穏やかな物腰、しかし一方で歳相応の明るさと愛くるしさも併せ持ち、さらには可愛い系の整った容姿もあって印象としては同じ年代の少女よりもどこか大人っぽい。そしてそのイメージを裏切ることなく、普段は料理・洗濯・掃除といった高町家の家事全般を担う家事万能の良妻候補者で、文武両道の天才肌。あの恭也さんでさえレンの扱う棍捌きには苦戦するほどである。
しかし、哀しい哉。天はそんな彼女にも残酷であったらしい。そんな感じに鬼スペックを誇る彼女の欠点として挙げられるのが、その小学6年生としても悪すぎる発育具合である。身長も半年後には中学生であるのに小学1年生のなのはを比較対象に出来るくらいに低く、容姿も可愛い系と言えば聞こえは良いが、ぶっちゃけ童顔。胸は小学生であることを差し引いても哀れすぎる“無”であり、ウエストは普段からゴロゴロしているせいか、別に太っている訳ではないが括《くび》れもなくプニプニとした悲しき寸胴ボディ。


「いや無理だって。戦力0を通り越してマイナスじゃないか。お前らが恭也さんを落とすには恭也さんが衆道者かロリコンじゃないと」

殴られた。
当たり前だった。


その後。
結局、晶とレンが怒ったことで作戦会議はその場でお開きとなり、僕の言葉に腹を立てた2人は揃って模擬戦を仕掛けてきた。お前ら、実は仲良いだろ。










後日。

「春海」
「ん?なんですか、恭也さん」
「いや、大したことじゃないだが……晶とレンの様子がおかしいんだ」
「……どういうふうにですか?」
「晶は最近では夜になっても襲いかかってこない上に奇襲の頻度が減ったし、レンのほうは特別好きでもない牛乳をよく飲んでるんだ。母さんやフィアッセが言うには『女の子なら当たり前だから気にしなくて良い』らしいんだが……」
「…………まあ、悪いことじゃないなら大丈夫じゃないかと」
「むぅ、それはそうなんだが……」
「……………………」

わかりやすいなぁオイ!?











(あとがき)
というわけで日常回第二弾、晶・レン編を投稿しました。

今回、当初の予定ではレンの一人称でほぼ全てを書くつもりだったのですが、作中で言った通り字の分が晶への罵倒一色になる上、似非関西弁が辛すぎたのでまさかの司会進行役交代。作者としても『どうしてこうなった』でした(笑)。

また、作中で描写されていないことなのですが、恭也たち高町家一同も既に那美と知りあっています。ss世界を春海視点で回してる弊害がこんな所にも。ちなみに原作と異なり恭也は膝を故障していないため、恭也と那美はこの作品内ではこの時が初対面となります(原作では膝を故障した少年恭也を那美が霊能力で治療するため、2人が出会ったのは幼少期)。こういうところも出来れば作中で説明したいのですが、作者の力量の関係であとがきで説明することになってしまいました。反省。

ちなみに。
別にこの出来事が原因で恭也あたりが修羅場るとかそんなことは全然ないのでご心配なく。そもそもとらハ3のメンバーでそんなことやっても面白くない上に、作者にもそんな趣味は全くないので(笑)。このssがリリカル世界準拠の時点で恭也がどのルートかは必然的に解ると思いますが、そのヒロインにしてもとらハのドラマCD設定を引用するため、恭也が本格的に恋愛するのは大学になってからなので。

次の話は那美・久遠か忍・ノエルあたりがメインをなると思うのですが、実を言うとストックどころか書き掛けも無いため、何とも言えなかったり。おまけに来週は親族の集まりにも参加しないといけないため、投稿はかなり遅くなる可能性大。一週間に1,2個も投稿できる作者さんってホント羨ましいし尊敬します、マジで。

では、失礼します。






[29543] 第十六話 人にはいろいろ事情があるものだ 3
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2013/10/14 13:14
夜。
寮のみんなで食べるいつもの夕食も無事に終え、他の寮生や管理人たちとの談笑を楽しんだ神咲那美は、現在はさざなみ寮2階にある自室に居た。
自室のなかには和製の姿見や掛け軸に加えてシックな雰囲気の勉強机。しかしそれとは別に女の子らしい色合いのカーテンやクッションなどのインテリアも存在し、年頃の少女の部屋としてはややアンバランスに思える。

その原因は、この部屋の以前の住人にあった。

実はこの部屋、もともとは那美の姉である神咲薫が在寮中に借りていた部屋で、それを今年に薫と入れ替わるようにして入寮した那美がオーナーである愛の好意でそのまま借り受ける形となったのだ。つまり、掛け軸や勉強机といった那美の雰囲気にそぐわない物は姉が彼女に残したものということになる。

そんなある意味和洋折衷な部屋の中。那美本人はその真ん中あたりに置かれた座布団に足を崩して座り、その手に持っているのは(よく落とすため)耐久性と耐水性を優先して選んだ自分の携帯電話。

『じゃあ、今のところは特に何の問題も起きてないんだね?』
「うん。大丈夫だよ、薫ちゃん」

電話の向こうに居るのは件の姉、神咲薫だった。


ここ最近、彼女の姉はこうして度々妹と連絡を取っていた。夏休みが終わって、これでもう3度目となるだろうか。

ただ、いくら家族とはいえ要件もないのに普段から頻繁に電話している訳ではない。確かに実家から寮に移った頃はこちらの生活に慣れたのか心配する旨の電話も多々あったが、それも既に半年以上も前の話。夏休み入る頃にはその頻度も減って、薫も安心して自分の仕事に集中するようになっていた。

では、なぜ最近になって再びこうして連絡を取ることが多くなったのか。その答えは───、

『春海くんを那美に任せるよう決まった時はどうなることかと思ったけど、それを聞いてようやっと安心できそうたい』

…………やはりというか何というか、見た目は子供・頭脳は大人なアンチクショーの所為だった。

那美はそんな自分の姉の言いように苦笑も漏らしながら、

「もう、薫ちゃんったら……そんなに心配しなくても大丈夫だよ~。それにね、春海くんって今までも葛花さんからいろいろ指導されてたらしくって、わたしより場慣れしてたぐらいだもん」
『…………那美。春海くんが頼りになるのはわかったけど、小学1年生のあの子が自分よりも上だってあっさり認めるのも、お姉ちゃんどうかと思うな……』
「う」

電話の向こうから返ってくる呆れたような姉の言葉に、本人も一応は自覚があったのか思わず気まずげな声を漏らした。
確かに、那美も薫も相手が小学1年生だからと言ってそれを理由に相手を軽んじるような人柄ではないが、かと言って自分よりも10歳年下の子供を相手にあっさりと負けを認めてしまうのもどうなんだろう。

『まあ那美は運動もあんま出来んし、そう言いたくなるのもわかるけどね。そんでも───』
「そ、それよりも薫ちゃん!」

旗印が悪そうなので(というかお説教になりそうだったので)、なんとか話題を逸らそうと試みる妹。

『ん、どげんしたと。那美?』

それを察して内心で苦笑しながら、それでもあっさり乗ってあげる姉。
とりあえず、姉妹仲は良さそうだった。

「薫ちゃん、和音さんに葛花さんのこと訊いてみたんだよねっ?どうだった?」
『ああ、そのことか。───うん。この間ばっちゃと連絡とってみたけど、「懐かしい名前たい」って言って笑ってたよ、あのばっちゃが』
「和音さんが……」

姉の言葉に息をのむ妹。どうやら普段はあまり笑わないお婆ちゃんらしい。

『暇なときにでも顔を出すと良いって伝えてくれ、だってさ』
「うん、わかった。伝えとくね」

思わぬ伝言に少し驚きながらも、了承の意を返す那美。そうして姉の要件は終わったと思った彼女は、先ほどから自分の傍らでクッションに埋もれるようにして微睡んでいる久遠に電話を替わろうとして、


『───那美。春海くんのこと、よろしく頼むよ。何かあったときの責任は那美に任せたうちがちゃんと取るから、心配せんで』


電話口の向こうにいる薫の、打って変わって真剣な声に意識を引き戻された。

それは、あの盆の日に春海のことを引き受けてからというもの、姉が自分に対して度々言ってくる言葉だった。

大人として彼を止めることができなかったこと。その尻拭いを何の関係もない妹へと押し付けたこと。
それらに薫は少なからぬ責任を感じ、また、春海の意志にも共感できるが故に自分では止めきれなかったことを彼女は歯痒く思っていた。こうして夜な夜な現状の確認の電話をしてくるようになったのも、きっとそんな複雑な内心の表れなのだろう。

せめて自分が。そうでなくとも、こんな妹の負担を増やすような真似は。
もう決まったことと知っていても、薫はまだ最善があるのではないかとつい考えてしまう。

───そして。

そんな姉の心情を、過不足なく察していた妹は、

「───うん。大丈夫、しっかりやるね」

せめてこの優しい姉が安心できるようにと、頼りない自分には似つかわしくないと思いながらも、精一杯の自信を込めて力強い言葉を返した。





「みたいな感じになってるんだろうなー……、あの娘たち、責任感はかなり強そうだったし」
『まさか今までのシーンが全部おぬしの妄想じゃったとは……』
「せめて想像と言え」

なんで妄想なんだよ。

小学校に進学したことを期に与えられた自室の中央で、キツネ姿の葛花と向かい合うように正座した少年───和泉春海は呆れたように軽く嘆息。
正しくは他の人間の行動を描写すると同時にその事をきちんと予想していますよ、と云うその人物のある種の万能性を演出するための手法である。

そんないつも通りなやり取りを交わす2人の中央には30センチ四方の小さな机が置かれ、その上にはヒト型にくり貫かれた一枚の和紙があった。大人の手ほどの大きさの“それ”に、春海は書体のやや崩れた文字をひたすらに書きこんでいる。

『そもそも、お前様』
「ん?」

話しかけてきた葛花に応じつつも、手はサラサラと淀みなく動かしていく。

『妹御たちに話さんのは解かる。どうせ、最低限の事物の分別がつくようになるまでは黙っておこうとかそういうのじゃろ?』
「まーな。あんなヤツらでもまだ小学校にも上がってないんだ。わざわざ話してやる気はないけど、それでも幽霊が居たり妙な術を使えることが当たり前みたいに考えられても困る。主に母さんが」

父さんは逆にワクワクして目を輝かせそうだ。
とか、今は外国で働いている自分の父親に想いを馳せて微妙にげんなりしつつ。

『ならば何故おぬしの母御には話さん。儂の見立てじゃが、守り役である神咲の人間が付いておるのなら、何だかんだでおぬしの熱意次第では認めそうに思うのじゃが』
「ふむん」

まあ儂の見立て故、間違っておることもあり得るがの。

自分を見上げながら続ける葛花のそんな言葉に春海は毛筆を動かしていた手を止め、それを墨壺に立て掛けてから改めて彼女と目を合わせる。
そして腕を組み、思案顔を形作って。

「んー……。多分だけど、その予想は合ってるよ。いやまあ那美ちゃんの協力は必要になるし、場合によっては薫さんに来てもらうこともあり得るから手放しに実行する訳にも行かないけど。それでも確かに、葛花の言う通りだとは僕も思うよ。……でもなぁ」

そこで一旦言葉を止め、春海は対面にいる葛花を机を跨いで抱き上げてから自身の膝へと導いた。葛花も慣れているのか、されるがままで膝に寝そべり、素直に撫でられる。


「───まあ。それでも僕は、家族には出来る限り隠し通すつもりだよ」


そう、前置きとして自分の意思を告げてから。

「もともと、こんな“裏”の事情なんて知らないで済むなら知らないままでいたほうがよっぽど良いんだよ。無知は罪とは言うけど、知らないからこそ避けられる危険もある。そもそも下手に事情を話しても不安にさせるだけだしな。
元は僕が自分から勝手に首を突っ込んでるんだ。───『家族なら打ち明けておくべき』なんて“自分可愛さの”エゴは絶対に言えない、言っちゃいけないとも思う」

撫でながら、自分の歩む道を訥々と話す。

「話して、それで双方の危険が減るのなら僕だって喜んで話すさ。安全第一。生きる可能性は1%でも上げておきたい」

でも、そうじゃない。春海は言葉を翻し。

「話して減るのは僕の秘密の数だけだ。むしろ事情を話すことで何らかのイレギュラーが発生することもあり得る。巻き込んでしまうことになり得る。だったら、現状維持を選択したほうが何事も無いだけ幾らかマシだよ」
『ふむ。その結果、先程のおぬしに想像に繋がるという訳じゃな』
「うんそうだねっ!!」

家族に迷惑をかけないために無関係の神咲姉妹に多大すぎる面倒をかけているという本末転倒な状況である。

「なんだこのマッチポンプ。微かに自演臭すらするんだけど……」

葛花からの鋭い指摘に頭が痛くなる思いの春海だった。

「……今更ながら、リスティにかなり安請け合いしたよな、この状況」
『本気で今更じゃな……』

心の中にニヤついた笑みを浮かべる銀髪の悪魔を思い浮かべながら、半ば本気で後悔しだす春海。
客観的に見て最低だった。

「まあ、後悔したところでそれこそ今更だけどな……そのためにこうしていろいろと対策立ててるんだし」

そう言って、春海はさっきまで墨で何かを書きこんでいたヒト型の和紙を人差し指と親指で摘まむようにして持ち上げる。もう既に墨は乾いていた。
それを一度左手の掌に置き自身の口元に近づけてから、ふぅっと短く息を吹きかけると、ヒト型は春海が起こした風に乗り、そのまま畳敷きの床に着地し───なかった。

いや。
着地そのものはちゃんとしていた。

だが、地に降り立ったモノは先程までの手のひら大の和紙ではなく、今も葛花を抱えたまま床に胡坐をかいている和泉春海と“まったく同じ姿をした”少年となっていた。それと同時にいつも以上の“力”を目の前の少年に供給する。

「……式神も、ここまで上等なものを用意したのは初めてだな。いつもはカラスとかなんだけど」
『気をつけておけよ?ここまで霊力を込めて術者と強くリンクを繋いだ式神じゃ。下手をすれば“返しの風”だけで身体の一部が持って行かれかねん』
「肝に銘じておくよ」

春海はパートナーの忠告に肩を竦めて頷いた。


返しの風。

『呪詛返し』の一種とも言われていて、陰陽道や他の呪い系の流派においては常識の一つと言っても過言ではない現象。
一般には自ら放った術が破られた際に術者自身へと跳ね返ってくる反動のことを指し、術が高等なものである程その反動はより酷いものとなる。

因果応報。自業自得。人を呪わば穴二つ。理不尽に他者を呪った人間には、筋道を誤ればそれと同等の呪いが降りかかることになる。
今回の春海の場合で言うのならば、仮に目の前の春海の姿を形作っている式神を傷つけられるとそのダメージの何割かが術者である彼へと跳ね返るのだ。

「とは言っても、“コイツ”には家で留守中の身代わりをしてもらうだけなんだけどな。てか、こんなコピーロボットの欠陥品みたいなもの実戦投入できるか。汎用人型決戦兵器じゃないんだから」
『分身の術の代わりにしても燃費ワルすぎじゃしのう』
「某忍ばない忍者漫画の影分身みたいに修行経験が積めれば良いのになぁ。経験まったく積めずに怪我だけをフィードバックするって最悪すぎる……」
『リアルタイムで五感を共有できるあたりが救いと言えば救いか』
「まったくだ」

と。
葛花はここで少しだけ遣る瀬無い顔つきになって溜め息を一つ吐いた。

『ちゅーか、相も変わらず新術の使いどころがしょぼ過ぎるのう……』
「しょぼい問題しか起こってないからな、今のところ……」

前は巫女さんの落し物を届けるため。そして今回は自分の留守を家族に誤魔化すため。
どちらも実にしょぼい。しょっぱいとさえ言えた。

「平和の証拠っちゃあ確かにそうなんだろうけど、……なんだろう。ここまでしょうもないと何か事件が起こればなんて思っちゃうぜ」

不謹慎だし勿論冗談だけどな、と続けながら春海は苦笑し、それに葛花が目の前の式神の膝の乗り心地を確かめながら言葉を返す。

『事件と言うほどではないが、明日の夕刻もあの巫女娘に呼ばれておるのじゃろ?』
「ああ。まあ今度は隣町付近まで行くらしいから、予定が合わなければ断ってくれても構わないとも言ってたけどな。ただリスティに頼まれたこともあるし、僕が神咲さんたちに面倒かけてることには変わりないんだ。せめて那美ちゃんくらいには出来る限りのお返しをしておくさ」

葛花に今後の予定を話しながら式神の調整を再開する。

こうしてこの日もまた、夜は更けていった。










翌日の、陽も落ちかかった夕暮れ時。

現在、神咲那美は困っていた。

確かに昨日、自分は姉の薫に向かって自分には到底似合わない大言を口にした。
そこには心配の念を積もらせる姉を気遣ったという面もあったものの、しかし、それでも神咲の人間として目の前の男の子を守らなければならないと考え口にしたことであるのもまた事実だった。
那美本人としては至極真面目に心底から紡いだ言葉であって、それは除霊日の当日となった今日であってもその気持ちに陰りはない。むしろ今回の除霊を行なう舞台となっている自然公園の開発予定地に到着したときは、草木が無造作に生い茂っている荒れた林道を見て、まだ未熟とはいえ年上の自分が幼い春海くんは守らなくては、なんて普段の自分では考えられないくらいアグレッシブなことも考えていた───それなのに。


「あ、那美ちゃん。虫避けスプレー持ってきたから使って」

「そこ、段座があるから気をつけてね」

「あはは。ほら、那美ちゃん。掴まって」

「ここからか……そろそろ結界張っておくから、ちょっと待ってて」


ぶっちゃけ那美のほうがお世話になっていた。

「ごめんなさい、薫ちゃん。那美はやっぱり未熟者です……」
「くぅん……」

今もどこかで仕事に励んでいる姉に心の中でさめざめと涙して詫びる那美。
彼女の隣を少女の姿でトコトコ歩きながら慰めるように鳴くパートナーの声が逆に心に痛い。

しかも那美が一度突き出した木の枝に思いっきりぶつかってからというもの、夕方とはいえ陽光が木々に遮られて周りは薄暗いため、はぐれるといけないからということで今現在ここに至るまで手を引かれて歩いてもらっている始末。おまけに彼本人はどう思っているのか分からないが、後ろに続く那美たちのためにさり気なく草木を踏みしめて2人が歩きやすい道まで作ってくれている。

明らかに年下の男の子に気を使われていた。

「ん?何か言った?」

那美の声を聴きとめた春海が足を止めて振り返った。

木を払うために都合が好いのか、その姿はいつかの青年のもの。本当の正体が小学生とわかっていても、この姿を取られると繋がれた手が少し気恥ずかしい。共学に通っているとはいえ、もともと異性に対して免疫がある方じゃない。男友達なんて最近知り合ったなのはちゃんのお兄さんくらいなのだ。春海の那美に接する態度が成人である耕介と比べても遜色ないこともあって、彼の本当の年齢が解らなくなってくる。

「い、いえ。なんでもないですっ」
「?……そうなんだ?」

ついつい強く言葉を返してしまった那美を見て春海は首をかしげていたが、気にしないことにしたのかすぐにまた草を踏みしめて歩き出した。


ちなみに。
青年の姿を取っているときの春海に対して那美が敬語を使っているのには理由がある。

以前の仕事で那美が知り合いの刑事に春海を紹介した時のこと(立場上、那美の助手としている。変化していたから見かけは彼のほうが年上だったが)なのだが、礼儀正しい那美が年上の青年相手に敬語を使わず、しかも「春海くん」と親しげに呼んでいる光景を見て、相手をした初老の刑事が春海を那美の恋人と勘違いしたことがあったのだ。まあ、当時の彼としては那美をからかう意味合いも多分にあったのだろうが、そういうことにあまり耐性のない那美は顔を赤くしたりアワアワしたりと相手の期待通りの反応を返してしまい。

結果、那美は春海が青年の姿となった時だけ敬語を使うという、実に面倒くさいことをするようになっていた。



閑話休題



「それにしても」

前を行く春海の声に、那美は自分の内に向かっていた意識を引っ張り戻す。

「那美ちゃん、巫女服でよくこんな歩きにくい場所を歩けるよね」

横目で振り返った彼が見たのは、初めて会ったときと同じ巫女装束を身に纏った那美の姿。林に入る前に近くにあった公衆トイレの中で持参していたそれに着替えたのだ。前方を行く春海がいつも通りの私服なだけに、その差異が一層引き立つ。
さらには動きにくそうな服装の割にその足取りに淀みはなく、春海も彼女が木に頭をぶつけたりしなければこうして手を引いて歩くこともなかっただろう。

「あ、はい。一応、この服も神咲一灯流の仕事着のようなものなので」
「仕事着ってことは、……薫さんも?」

その光景を想像したのか、微妙な顔をしながら訊く春海。
正直、凛とした雰囲気を持った彼女に果たして巫女服が似合うのかどうか。いや、ビジュアル的にはよく似合うと思うのだが、どうにもイメージし難かった。

そんな彼の失礼な考えを読んだのか那美は空いている方の手を口元に添え、おかしそうに笑って。

「あはは。薫ちゃんも昔は八束神社で巫女のお仕事してたんですよ?ただ、仕事着はこれじゃなくて『式服』っていう服ですけど。ほら、十六夜が着てた感じので、薫ちゃんのは動く易いようにそれに袴を合わせてるの」
「ああ。薫さんは刀を使うって言ってたっけ。それでか」
「はい。それに、わたしも小さい頃はこんな自然がいっぱいある田舎に住んでたから。山道みたいな所はちょっと得意なんです」
「へぇー……」

胸を張って自慢げにそう言う那美に、春海は乾いた声で相槌を打つ。さっき額を思いっきり木にぶつけていたのはスルーしておく。突っ込みづらいし。

「にしても田舎かぁ。そういうのも良いなー」

『前』も『今』も実家があるのはどちらも田舎とは言い難かったため、春海としてはそういう大自然に囲まれた土地というのは憧れるものがあった。出来るならば一度は行ってみたいとも思っている。流石に暮らしたいとまでは思えないが。

「那美ちゃんたちの実家って言ったら、」
「鹿児島です」
「くぅん」
「ですか」
「良かところですよ~。今度、ぜひ一度遊びに来てください。祖母も葛花さんには会いたがってましたし」
「『儂はあんまり覚えとらんがの』」
「まあ、まだまだ先になりそうですけどその時は是非」
「はい♪」
「くーん♪」

そこで一旦会話は途切れ、次いで春海は今回の除霊についての事を訊いた。

「……もう15分くらい歩いてるけど、目的地はこの近くだったっけ?」
「あ、はい。昨日の昼間に下見で近くまで来たんですけど、たぶんあと2,3分で着くはずです」
「ん。───確認するけど、今回の仕事は最近この辺りで人を襲ってる霊の解決、だよね?」
「はい。怪我をした人がもう何人も出てるらしくって」
「そっか。……死人が出てないのが、まあ、救いって言えば救いかな」
「そう、ですね……」
「くーん……」

金髪からぴょこりと生えた狐の耳を伏せる久遠に弱った笑みを返しながら、那美は今日の依頼内容を思い出す。


今回の事件の始まりは数カ月前のこと。

この辺りは自然がまだ多く残る土地柄で、市では最近それを利用した自然公園の開発を予定している、そんなごく普通の土地。

ある日、そんな土地で小さな事件が起こった。
最初の事件は、とある用件で夜のこの場所に踏み入った男が獣に噛まれたというもの。ただ、その件自体は暗闇で野良犬にでも噛まれたのだろうと思われ一部では騒がれていたものの、傷自体もそこまで酷いものではなかったためか今後は気を付けようということで一応の収まりを見せていた。

しかし、一月ほど前から状況が一変した。

秋も深まり夜の訪れが早まってきた頃。夕方遅くまで林の近辺で仕事をしていた男性が、周囲には何も無かったにも関わらず突然何かに噛みつかれたような激痛に襲われたのだ。我に返った男性が見たのは自分の腕に深々とついた獣の歯牙の跡。
それでも当時はその件もまた、(本人が納得したかどうかは置いておいて)当初は男性の不注意ということで決着はついていた。しかしそれからも同じような出来事が相次ぎ、一番近いものに至っては作業場付近で遊んでいた小さな子どもが襲われたというものさえあった。

そうしてどこをどう巡ったのかは那美や春海の知るところではないが、その時点でやっと町の警察関係者から神咲にまで連絡が入り、昨日の那美の調査で霊関係の事件であることがはっきりしたというのが一連の流れだった。


「夕方遅く……まあ関係あるのは、“逢魔が刻”ってくらいかな?」
「そう、だと思います。幽霊にとって夜は最も自分自身の存在を強めることができる時刻。夏が終わって、昼と夜の境が曖昧になるのが早まってきたから」
「最近になって襲われる人が増えてきたのはそのせい、か……」
「はい」
「くぅん」
「まあ、それでも一番酷くて手に噛み傷程度なんだ。そこまで厄介な霊じゃ───」

そこで春海は那美との会話を打ち切った。───進行方向に嫌な“魂”を『視』たからだ。

<葛花>

一先ず自身の内に眠る葛花に訊く。

『ふむ、この臭い。これは───』
<依頼の内容通り、だな>
『じゃろうな』

春海に一歩遅れて那美と久遠も気づいたのか、彼に呼びかけた。

「……春海さん」
「くぅん」
「ああ。時間帯もちょうど夜の手前。───頃合いだ」

そして警戒を保ったまま、しかし足取りは迷いなく前へ。事前に教えられた通りならばこの先には───

「……到着、と。那美ちゃん、ここで良いんだよね?」
「はい。───事件の際、被害が最も多かった場所です」
「くぅん」

春海たちが進んだ先にあったのは、直径で20メートル程の小さな広場だった。地面は茶色い肌を剥き出しにしており、木々がその空間のみを避けるようにして形成された空白地帯。
さっきまで薄暗かった視界が、差し込む夕陽の光によって明瞭となる。とはいえ、その夕陽も既に西の空に沈みかけて、東の空に至っては淡い闇に覆われ始めていたが。

上方の障害物であった木々が無くなり空が覗いたことで、先程まであった閉塞感から解放された───と感じる者は、少なくともこの中には一人も居なかった。

逆だ。

酷く、常人では息苦しくなる程の圧迫感。空気が淀んでいると言っても過言ではなかった。

「ひどい……昨日よりも悪くなってる」
「くーん……」

那美が目を伏せ、それに同意するように久遠が鳴く。無意識のうちに、寒さを堪えるように右手で自分の左腕を擦っていた。

「……………………」

春海はそんな那美の左手から無言で手を離し、手首のホルダーの中から二枚の呪符を取り出していた。立てた人差し指と中指で両の符を挟んで素早く五芒星《セーマン》を切る。
次の瞬間、春海の左手には二振りの小太刀が握られていた。自分用の刀をまだ持っていない春海が扱う、陰陽五行における金行を利用して作った小太刀だ。ちなみに恭也の愛刀『八景』をモデルにさせてもらっている。

自前の小太刀二刀を両手に構え、油断なく辺りを探る。
そんな春海を見て、彼の横に出てきた那美が短く注意した。

「は、春海くんっ……」
「大丈夫、先走ったりしません。というよりも、……もう出てきた」

春海に言われた那美が改めて視線を向けると、そこに居たのは───


『■■■■■■■■■■■■■■■■───ッ!!』


「わ、わんちゃん……?」
「くぅ?」
「っぽくはありますけど、……流石にあれは『わんちゃん』なんて可愛らしいもんじゃないなぁ……」

漏れ出た那美と久遠の声に、春海はぼやくように返す。

そんな彼らから見て広場のちょうど向こう側から音の無い唸り声と共に顕れたのは、一見すれば『犬』のように見える“ナニカ”。

その身は周囲の風景と同化するように掠れてはいるものの、それでもはっきりそれと解かる四足歩行と茶色の体躯をしており、ここまで届く圧力は鈍重なものとは程遠かった。身体から突き出た頭部は、なるほど、確かに“犬”のそれだろう。ただ、牙を剥き出した口からダラダラと幻の涎を垂らし血のような凶光を放つ眼で彼らを睨めつけているところを見ると、どう間違っても『わんちゃん』なんて牧歌的な呼び名が似合う見た目ではない。

「アリサに見せたら何って言うんだろ……」
『流石に“あれ”は許容範囲外じゃろ……ペットにするとか言い出したら、儂、あの娘の名を一生覚えておくぞ』
「“あれ”をペットとか無理ゲーすぎる……」

雰囲気からして人間に懐きそうにない。人間友好度が0を振り切れてそうだ。

『■■■■■■■■■■■■■■■■……ッ!!』

ただ、どういう訳か狗霊はこちらを唸りながら睨むばかりでいつまで経っても襲いかかって来る気配が無かった。それに気づいた春海は、犬霊に対する警戒を解かないまま隣にいる先輩に問い掛ける。

「ちなみに那美ちゃん」
「は、はいっ」
「一応訊くけど、……あれ、どうする? 雰囲気の割に感じる霊力は少ないから、たぶん退魔自体は簡単だと思うけど」
「え、えと、……出来ることなら、……鎮魂、してあげたい、です、…けど……」
「くーん……」

春海の問いに答えつつも、那美の言葉は力無かった。出てくる声が尻すぼみに消えていく。

那美も解かっているのだ。感じる霊力の質や、この空間一帯を充満している嫌な淀みで十分にわかる。

“あれ”はもう戻れない、と。

いくら成仏するように祈ってあげても、説得を試みても、どうしようもない状態にまで追いやられてしまっている。那美の持つどの術でも、いや、神咲の家に伝わるどんな術であっても、もう安らかに眠らせてあげることは出来ないだろう。

そのくらい、未熟な自分でも解かってる。



───でも、それでも那美は何とかしてあげたかった。



諦めきれない。斬り捨てきれない。足掻きたい。無駄と解かっていても、あの狗霊のためにも頑張りたい。───何より、ここで簡単に諦めてしまったらあの娘との『約束』なんて、到底守れない。

ただ、そのためには“あの子”を何らかの方法で動けなくする必要があった。鎮魂をするにしても、今の状態では危険すぎる。
しかし戦う力を殆ど持たない那美ではどうしようもない。彼女の持つ術では、数秒だけ動きを止めるのが精一杯だ。久遠の力では“あの子”を倒すことは出来ても、動きを止めて捕まえることはできない。ましてやこの場には春海だって居る。那美のわがままのために、彼まで危険に巻き込む訳にはいかない。

そう思って、那美は自分の意思を必死に飲みこんでいた。納得しきれるものではなかったが、それでも一人の神咲の人間として“このまま祓う覚悟”を固めていた。───それなのに。



「ん。了解」



気が付くと、そんな軽い返事が返ってきていた。

自然、俯いていた顔が上がる。
そこにあった彼の眼は、既に那美を見てはいなかった。










春海は那美の言葉を聞くや否や、それに短く返して駆けだしていた。
後ろから那美が何事かを叫んでいるようにも思ったが、トップスピードに乗った今では止まる方が逆に危険と判断。敢えて無視して狗霊の元まで一直線に駆け抜ける。

「───フッ」

走る速度もそのままに、目前に迫る悪霊へと右の小太刀を一閃。呪符から作った小太刀だ。相手が霊体であろうとお構いなしに斬れる。
が、狗霊のほうもやはり獣の霊。悪霊と化したその身の速度は普通の獣とは一線を画するようで、難なく躱された。速さだけならばかなりのものだが───問題ない。元より目的は“殺す”ことではない。避けられるのは、むしろ好都合。

戦闘用に傾けた思考の中、春海は片隅でそれだけ考えると一先ずは相手の動きを封じるためにすぐさま追撃に掛かる。

次いで、右刀に隠した左の小太刀で逆袈裟に───?

「あん?」

思わず攻撃の手が止まる。足を止める。
立ち止まって、相手をじっくり観察する。

常の春海ならば在り得ないことだった。今は戦闘中だ。長い距離が開いているのならまだしも、ここまで接近していれば動きを止めておく方が危険なのは解かりきっていた。

ならば何故? その答えは───、


(なんでコイツ、襲いかかってこないんだ……?)


そういうことだった。

春海から『逃げない』のは理解できる。そもそもこの“狗霊”は悪霊・怨霊の中でも取り分け低級霊の類。知能は皆無に等しい。そして負へと傾いた霊に『勝てないから撤退する、襲われているから逃げる』なんて概念は存在しない。ただ憎しで生者へと襲いかかり相手を傷つける、それだけの筈なのだ。

その怨霊であるはずの狗霊が、春海に近づいてこない。

していることと言えばただ憎しみの咆哮を上げながら一定の距離を開くように動き回るくらいで、一向に春海に向かって襲いかかろうとしない。そういえば、先の登場の場面においても睨め付けるばかりで春海たちに接近してくる様子はなかったかと思いだす。

『■■■■■■■■■■■■■■■■───ッ!!』

悪霊ではなく、ただの暴走した浮遊霊?
違う。目の前の狗霊が手遅れであることは、この空間に充満した“淀み”と“視える霊魂”が証明している

ならば何故。

常とは違う動きを見せる霊を相手に春海は数瞬ほど思考し、そしてその答えは意外なところから返ってきた。

『ふむ。大方、お前様の内に居る儂を警戒しとるんじゃろ。人の霊ならばともかく、堕ちたとあっても獣であればやはり“解かる”か』

春海に憑いている葛花の言葉に返事はせず、しかし内心で大いに納得する。

葛花の言う通り目の前の獣の霊が春海の内にいる彼女を警戒しているのだとすれば、こちらに近寄ってこない理由も、かと言って逃げるでもない理由も全て解ける。
生前の獣としての本能が実力的にも霊的にも遥か格上である葛花への警戒心を最大にまで押し上げ、しかし一方で怨霊としての性質が『逃げる』という動物として至極当然の選択肢を失くしているのだ。言ってみれば、板挟みの状態に近い。

「…………」

だが、そう考えた瞬間、ふと疑問が湧きあがった。



自分の近寄ってこない理由は解かった。───ならば、なぜ那美と久遠に目標を変えない。



彼は目の前の狗霊を警戒しつつも視界の端に那美と久遠の姿を収めた。
那美はこうなった以上春海の邪魔をしないためか不安な表情でこちらを見守っており、それは那美の隣に立つ人間の姿に変化している久遠も同様のようだった。

狗霊が彼の刀を躱して大きく跳び退ったことで春海・狗霊・那美たちの現在の位置関係は、春海の正面に狗霊、そして那美たちは春海から見て左に立っている。目の前の悪霊からすれば春海(この場合は葛花か)などよりもよっぽど狙いやすい獲物だろう。もちろん、春海としても易々と狗霊を那美たちの元へと行かせる気はないが。

単に葛花に対する警戒が勝っているのか。───そうでなければ、まさか眼前の狗霊にとっては那美たちも警戒すべき相手なのか。


だとすれば。


それは。


その警戒は、霊能力者である那美に対してなのか。あるいは───


「…………」

浮かびかけた疑念を振り払う。
今はそんなことを考えている場合ではない。襲いかかってこないとはいえ、それも絶対とは限らないのだ。

時間にしてほんの数瞬の思考だが、それでも自分を強く叱咤する。
いつから自分は戦闘中に考え事できる程に強くなった。眼先の相手に集中しろ。

「……よし」

最終目標と現状、自己の能力、そして敵の状態を頭の中で擦り合わせ作戦を決める。
次いで内の葛花へとタイミングの指示。

『■■■■■■■■■■■■■■■■───ッ!!』

動きを見せない春海に焦れたのか、あるいは警戒が先に立って思うようにいかない状況に焦れたのか、あるいはその両方か、眼前の犬が吠えたてる。

「…………」

それを聴きながら春海がホルダーから取りだしたのは、一枚の霊符。
純白の紙に朱色の墨で『急急如律令』と書かれたそれを指で挟み、目の前に力強く五芒星《セーマン》を切る。

「───疾ッ!」

短い呼気と共に、その呪符を地へと叩きつけた。

刹那、突如盛り上がった地面から突き出したのは無数の針の大群。数えきれぬほどに跳び出たそれは“目の前の狗霊のみを外して”そびえ立ち、その姿を覆い隠すことで剣山で作られた一種の『迷宮』を形成していた。

───いわく、太白破軍金神符呪

一度大地へと叩きつけられたそれは、土生金の理を以て更なる力を得る。

「葛花! 離れろ!」
『わかっとるっ』

迷宮が形成されるのとほぼ同時に春海が叫んだ。
同じくして、すぅ、と指示していた通り葛花が霊体となって春海の身体を飛び出す。それに伴って自身にかかっていた変化が解け彼の容姿が小学生のそれに戻ったが、今はどうでも良い。

と。

『■■■■■■■■■■■■■■■■───ッ!!』

ザザザザザザザザザザザザザザッ、と鋭く地面を蹴る音が、春海が作った針の壁の向こうから響いた。
葛花が春海から跳び出したことで狗霊を縛っていた本能の呪縛が解かれたのだろう。今、狗霊は『迷宮』の出口を探し、そして自身の獲物たる春海を一直線に目指していた。

「…………」

それを、春海は『視る』。

春海が用意した『迷宮』はさほど複雑ではない。というより、呪符一枚程度では狗霊の先に幾つかの『一本道』を用意するのが限界だった───が、今回に限ればそれは十分過ぎた。
春海の目に映る視界は針の壁に阻まれて向こうを見渡すことは何も出来ないが、彼にとっては相手に“魂”がある時点で、もう一つの『眼』がその動きを見逃さない。

春海が作った、自身へと続く三本の『道』。
敵が奔るのは、その内の一本。彼に『視』えるのはそれだけ。だが、それさえ解かれば───

「───ッ!」

跳躍。

しながら、左の小太刀は放棄。右のみを両手に持たせ大地へと突き立てるかのように逆手に構える。
自身の耳に聴こえ“眼”に視えるのは、まっすぐにこっちに向かって疾駆する一匹の怨霊。それが向かうのは───春海の着地地点!!


『■■■■■■■■■■■■■■■■───ッ!!』

「らぁぁぁああああッ!!」


果たして。
春海の小太刀は狗霊の顎を塞ぐようにして貫き、大地へ繋ぎ止めんと深々に突き立った。





「……ふー」

『■■■■■■■■■■■■■■■■───ッ!!』

目の前の狗霊の唸り声を聞き流しながら相手の鼻の上あたりを貫いた小太刀もそのままに、春海は刀から右手を離して取りだした新たな呪符を突き立つ小太刀の柄に貼り付けた。

「 此刀非凡常之刀、百練鋼之縛紐───急々如律令 」

『■■■■■■■■■…………ッ』

それだけで大地に貼り付けにされた狗霊の、さっきまでの春海に向かって来んばかりだった激しい動きが収まった。
それを認め、……念のため足先でちょんちょん突っついて本当に動かなくなったことを確認した春海は、小太刀から完全に手を離した。

『───結果は上々じゃの。ちゅーか、これ迷路にする意味あったかの?』

終わったのを察してこちらへと近寄ってきた葛花に、春海は服に跳ねた土を払いながら応じる。

「いや、逃げ場はいくつか用意しておかないと針壁にそのまま突っ込んで来そうだったから。あとは問題らしい問題はタイミングだけだったしな。……閉じ込めた時に、もし空から飛んで来られたらかなりアウトだったのは事実だが」
『知性皆無じゃからな。そんなわざわざ回り道をするような頭は持っとらんじゃろ。というより、“飛ぶ”という概念も多分ないぞ』
「ま、8割方そうなるとは思ってたけどさ」

それでも実戦では出来るだけこんな賭けみたいな真似はしたくないんだよ、怖いし。僕はまだ弱いからしょうがないんだけど。

なんて内心でぼやきながら、春海は傍に葛花を侍らせながら向こうでこちらを見守っていた那美たちに歩み寄って事態の終了を伝える。

「那美ちゃん、終わったよー。……………………那美ちゃん?」

へんじがない。ただのしかばね───では、ない。当たり前である。

那美は春海が目の前まで歩いて来ても反応らしい反応を返さず、その華奢な肩をぷるぷる震わせるばかり。俯いているせいで目元が前髪に隠れてしまって表情が読めない。隣の久遠も那美の巫女服の裾を引っ張りつつも涙目で腰が引けていた。
春海は額にタラリと流れる冷や汗を感じながら、それでもなんとなく彼女の近寄りがたい雰囲気を察して距離を取る。『前』も含めて彼の中に蓄積され、血肉となった経験の賜物だった。

「な、」
「な?」


───ただ、まあ、


「───なんであんな危ないことしたんですかぁああーーーっ!!」


回避できたことは、あんまり無かったりする。


「わかってるのっ!?1人であんな危ないことして!もしケガでもしたら春海くんの家族も友達も、みんな泣いちゃうんだよっ!?何かあってからじゃ遅いんだから!」
「い、いや、でも退魔する前に鎮魂を試すにしても、一回は捕まえる必要があったし……」
「だったら何で1人でとび出したりしたのっ!確かにわたしは春海くんよりも弱いし足手まといかもしれないけど、だからって春海くんみたいな小さな子どもが危ない真似して良いことにはならないんだよ!?」
「い、いや、それは、え~っと~……」

春海は顔を真っ赤にして怒りを露わにした那美に詰め寄られ、たじたじと一歩下がった。

春海としては『今』の人生ではここまで強く叱られた経験が滅多になかったため(つまり多少はある)、どう反応すれば良いのかがイマイチ思い出せず。しかも体が小学生となっている現在の状態では物理的な上下関係でも那美が勝っているせいか威圧感という意味でも正直なところかなり怖いのだ。
おまけに、彼女がただ怒っているだけならば春海としても幾らか宥めようはあるものの、───

「ほんとに、……ヒック……ほんとに、心配したんだよ……!」

こちらを見据える瞳から大粒の涙を零し、可愛らしい顔を悲しみで歪めて、それでも尚叱ってこられては春海としても弁解のしようがなかった。

(あーもう、女が泣くのは本気で反則だろ……)

無条件でこちらが悪いような気がしてくる。いや、気がするも何も、今回の場合は全面的に春海の所為なのだが。
那美を巻き込まないようにと先走った春海だったが、どうにもお節介が過ぎたらしい。

ならば、と弱った春海は助けを求めるように葛花へと視線を向けてみたが、

『1人で、って……儂、完全に忘れられとるのう。……いや、構わんのじゃがな?別に気にしてないがな?小娘にどう思われたところで儂にとっては些事なのじゃよ?でも、そんな居ないみたいに扱わなくても……それはそれでちょっとショックって言うか……』
「くぅーん……」

当の本人は向こうで身を丸め、自慢のしっぽを指先でクルクル弄っていじけていた。その隣では久遠が葛花の頭を撫でて慰めている。
どこからどう見ても役に立ちそうにない上、久遠に至ってはチラチラとこっちに視線を寄こしている所を見るに、どう考えても巻き込まれまいと避難していた。賢い子狐さんである。

「春海くん!ちゃんと聞いてるのっ?」
「はい!ごめんなさい!」
「大体!わたしの方がお姉さんなんだから春海くんだって少しは頼ってくれたって───、今日だってここまで来る途中も、───、」

そうして泣きながら叱るという那美にとっては実に情けない、されど春海にとっては良心にブスブス突き刺さるこのお説教は、それからたっぷり10分以上続いた。





**********





「───そういうことだから、春海くんもわたしをちゃんと頼ること。いい?」
「いやもうホントすみませんでした」

それから。

淡く微笑む那美ちゃんが僕の頭を優しく撫でながら言ったその一言で、ようやく十数分にも及ぶお説教が終了した。お互いに、なぜか地べたに座って正座である。
なんというか、完全に僕と那美ちゃんの上下関係が逆転している気がする。微妙に下剋上された気分だった。

「まさかこの歳になって高校1年の女の子に説教かまされるとは……」

精神的にかなりクるものがあった。情けなさ過ぎて死にたくなってくる。
まさかこんなところで僕が自身の死を望むこととなろうとは。予想外にも程があるわ。

そうして僕が生きることの難しさを痛感していると、お説教に巻き込まれないため僕を見捨てていたキツネコンビがこっちに近寄ってきた。

『おお。ぬし様も災難であったのう。まあまあ、間違いは誰にでもあるものじゃ。気にすることはない。以後、これを糧に精進すれば良いんじゃよ』
「くぅん!」

なにやらすんげー偉そうなこと宣まっていた。
どうやら見捨てた事実は無かったことにする方向性で行くらしい。こいつら、なんか最近僕のこと舐めまくってね?

僕は今度チャンスがあれば2匹が悶死するくらいに撫でまわしてやろうと心に誓いつつ、正座から立ち上がってから改めて那美ちゃんに話しかけた。

「それでは那美様」
「なんで“様”付けなの!?」
「いえ、上下関係はハッキリさせませんと……」

僕の動物的本能が警鐘を鳴らすというか……

「い、いや、大丈夫だよっ?ほら、今まで通り『那美ちゃん』でも、わたしはぜんぜん怒らないからっ……!」

あ、それでも那美“ちゃん”で良いんだ。
もう慣れちゃってそっちのほうが普通になってきたのか?

「……えーっと、まあ、それじゃあ。那美ちゃん」
「うん!」

こちらの呼びかけに嬉しそうに笑顔で応じる那美ちゃん。なにこの子。すっげー可愛いんだけど。
僕が心のときめきをポーカーフェイスで巧妙に隠していると、那美ちゃんは何に気が付いたのか少し焦ったようにして、

「春海くんっ」
「は、はい」

すわ、また説教か、なんて思わず身構えた僕を気にせず、彼女は僕の足元あたりを指差した。

「け、ケガしてるよ」
「ん?」

那美ちゃんに言われ、視線を下げた僕の目に飛び込んできたものは自分の右足首あたりにある擦過傷だった。ただ、傷自体は何ら深いものではなく皮を削って僅かに血が滲んでいる程度だったが。説教されている間も気づかないくらい微々たるものだ。

「んー、……たぶん、狗霊の顔面に飛び込んだときに前足が掠ったのかな。まあ、このくらいなら帰って絆創膏でも貼っておけば───」
「ちょっと待っててね」

那美ちゃんは僕の話を遮るようにして言葉を被せると、しゃがみこんで自分の両手を傷周りに添えるようにした。
眼を瞑り、集中する。
その様子に何となく冒しがたいものを感じて、僕がされるがままに任せていると───

「……おお」

思わず声が漏れる。
見ると、添えられた那美ちゃんの手が淡く発光していた。それだけならば如何ということもないのだが、同時に僕の傷のあたりにぽかぽかと心地よい感触。

十秒ほどして那美ちゃんの手が離れたとき、さっきまでそこにあった傷は跡方もなく消えていた。

「すごいな。……治癒術?」
「うん。わたしの一番得意な術」

十六夜直伝なの、と気恥ずかしそうに説明する那美ちゃんの表情は、しかし何処が疲労しているように感じた。
ただ、一応そのことに気づきはしたものの、指摘するのも野暮ということで素直にお礼を言うに留めておく。説教された理由を忘れてませんよ、僕は。

「ありがと」
「どういたしまして」

疲れていながらもこちらの感謝の言葉に笑顔で応じた那美ちゃん。
そんな彼女に、しかし僕は唐突に言った。

「───じゃ、そろそろあっちの狗霊も送ってやろっか」

僕が指差す先に居るのは、

『■■■……■■…■■■………■……ッ』

僕手製に小太刀によって地に縫い付けられたまま、地の底から響くような低い低い唸り声を上げる狗霊だった。
封印処理は施しているものの、あの状態のまま放置しておくのはあまりに可哀そうだ。退魔するにしても、鎮魂するにしても、とっとと送ってやろう。

「…………はい」

僕の言葉を聞いた那美ちゃんは途端に顔色を悪くし、今の僕の姿が子供のものであるにも関わらず敬語に戻っていた。たぶん、そこまで気を回している余裕もないのだろう。

一歩、また一歩、足元を確かめるように那美ちゃんは狗霊へと近づいていく。
先頭は彼女と、いつの間にかその横に連れ添っている久遠ちゃん。僕たちはその後ろだ。

その理由は、なにも那美ちゃんの方が年長だからというだけじゃない。

那美ちゃんは、“僕と違って”足掻くつもりなのだ。僕は既にこの狗霊の魂を無いものとして『斬り捨て』てしまっている。───僕には、もう目の前の狗霊が手遅れであることが解かるから。解かってしまうから。

那美ちゃんが、そしてそれに寄り添う久遠ちゃんが、地に伏す悪霊の眼前へと立つ。

封印され一切の動きが禁じられた狗霊。そのなかで唯一動くことを許された、凶狂とした血のように紅い瞳が彼女たちを睨め付けた。



ここから見えない彼女たちの表情は、一体どんなものなのだろう。


少なくとも、僕の好きな彼女たちの表情でないことだけは確かだった。





**********





陽も完全に沈み切り、周囲を闇が支配し始めた宵の口。
しかし街は闇夜を払拭するかのような勢いで街灯を照らし、逆に人によって作られた無機質な光が地上を支配していた。

そんな街の上部。建造物を建造物の間を足早に駆け抜ける影が一つ。

「この『御霊降ろし』って術は特別なんだよ」

影から、一つ声が零れた。男の子の声だった

「他の陰陽術が“霊力”を使って発動するのに対して、この術だけが、僕や葛花が“氣”って呼んでる力を使って施される」
「ごめんね」

口調に淀みはなく、その口から紡がれている言葉も雑談の類のもの。そこには、一片の気負いも含まれてはいなかった。

「死んだはずの幽霊に肉体を与える。“御霊降ろし”は那美ちゃん達が知ってる通り、陰陽術どころか霊能力としてもかなり異質だ」
「本当に、ごめんね」

喋る少年の後ろから零れるのは、弱弱しい謝罪。それでも少年は頓着することもなく雑談を続ける。

「それに薫さんや十六夜さんに確かめても、2人は“氣”なんて得体の知れない力のことなんて聞いたこともないらしいよ。案外、この“氣”って力を持っている人は少ないのかもしれないね」
「本当に……ッ、ご、ごめんな、さい……ッ!」

「那美ちゃん」

そこで、少年は初めて後ろに座る少女へと言葉を返した。視線は、前を向いたままだった。

「鎮魂できなかったのは、那美ちゃんのせいじゃない。あんな状態になった霊を元に戻すなんて、僕や葛花にも無理だ」
「ち、違ッ……!?」
「それに、」

少年は、腰に回された両手に自身の手を添えた。冷たかった。冷え性なのかもな、なんて、場違いな感想を持った。

「───なにも、那美ちゃんが“終わらせる”ことなんてないよ」
「でもっ、でもっ、……春海くんに、わたしを頼れって言ったのに……ッ。わたし、甘えてばっかり。春海くんにも、薫ちゃんにも、葛花さんにも、……久遠にもっ!」
「くぅん……」

少女の膝に寄り添う黄色い子狐が小さく鳴いた。子狐がその声にどんな想いを託しているのかは、たぶん少女以外の者は全員気づいた。

「それにっ……それに、ね。もし春海くんが居なくても、……わたし、久遠に全部押し付けてたと思う……諦めきれなくて、足掻きたくて。……なさけないよね……、春海くんにあれだけ偉そうに言っておいて、覚悟なんて、……何にも出来てないっ」

漏れ出る慟哭の声。

自身の肩に押し付けられる少女の感触を感じながら、少年は少女に問うた。

「……那美ちゃんは、退魔師なんて辞めたい?」
「……………………」

返答は、ない。

「もし那美ちゃんが辞めたいって言うのなら、薫さんに相談しよう?もし駄目だって言われたら、まあ、ここにいる間くらいは僕が代わってあげられる。その間にどうやって辞めるか、また考えよう。
そうでなくても、退魔以外にも霊能力者としての仕事はいっぱいある。退魔の仕事だけを避けて通ることだって出来るさ。どう?」

それは甘い、本当に甘い、悪魔が囁きかけるような甘言。
少年は、少女がここで退魔師を辞めるという選択を取るのなら、本気でそれを応援しようと考えていた。もとより退魔師は命の危険が伴う職。中途半端な決意で志すような道ではない。

Ifの話にはなるが、もしも今この場に少年が居なければ、きっと少女はこの先も頑張ることができたのだろう。自分のパートナーの助けを借りながらも、これは自分がやらなければならないことだと考えることができたのだろう。
それが揺らいだのは、紛れもなく少年の所為だった。少女から見て遥か年下の少年に、今回の退魔の全てを任せっきりにしてしまったという事実。その現実は冷たく鋭い棘となって少女の胸の内を抉っていた。

自分はなんて弱いんだろう。

自分はなんて脆いんだろう。

少年は、そんな少女の心の内を過不足なく察していた。その要因が自分であることさえも。
だからこそ、その原因となった自分くらいは少女の選択を尊重しなくてはいけない。犯してしまったのならば、償いが必要だ。自身の全力で以て彼女の道を護ってあげよう。

そう考えて。そこまで考えて。



「───やめたく、ない」



そんな独り善がりな考えは、少女の迷いない一言に呆気なく打ち消された。

「……『約束』が、あるの。大事な、本当に大事な友達との、『約束』。……わたしはまだ弱いけど、そんな下らない理由なんかじゃ逃げられない。逃げたく、ない。……これはたぶん、わたしの、……神咲那美のわがまま。……だから、ごめんね、春海くん。せっかく心配してくれたのに台無しにしちゃって。それでもわたし、……逃げたくない」

一言一言を大事な誓いであるかのように告げる少女。

いや。
事実、大切な誓いだった。

少年からすればそれは予想外で、しかし、それでも心のどこかで察していたのだろう。驚きは少なかった。


自分は今、何を考えていた?


少女の選択を尊重する、そう思っていたはずだ。“これ”が彼女の選んだ道なら、ならば自分がしてあげられるのはその小さな背を後ろから押してやるくらいなものだろう。大丈夫。この程度で折れてしまうほど、彼女は弱くなんてなかった。

「なら、そうすればいいさ。大丈夫、那美ちゃんは弱くなんかない。これからもっともっと強くなれる。……それに、まあ。何かが出来るわけでもないけど、それくらいまでならたぶん僕も一緒に付き合えるから」

少女の手を強く握りしめて、少年は言葉を紡ぐ。守ってあげるなんて、今の彼女には失礼すぎて言えなかった。また、言う必要もなかったのだろう。



───だって。



「くぅんっ!」

少女に寄り添うように、彼女の大事な大事な『友達』が一声鳴いた。

「……うん。ありがとう」

それに返す少女の声もまた、優しいものだった。



───余計なお世話すぎるし。










ちなみに。

その後、さざなみ寮へと那美を送り届ける中途のこと。道中、落ち着いたということで我に返った那美が葛花の背から下をのぞき見て、あまりの高さに動転して帰り着くまで少年にしがみついたままだったという話は、まったくの余談だろう。

どうやら少女の道のりはまだまだ険しいようだった。













(あとがき)
大変お待たせしました。第十六話その3、投稿しました。

うん。読んでわかるように今回くっそ長いです。二万文字強。もしかしたら今までで一番長くなったかもしれません。いや、初めは前編後編に分けようかなと思っていたのですが、2週間以上も読者の皆様をお待たせした手前そんな嘗めた真似をするのもどうかと思い、丸まま投稿しちゃいました。それでもなんか後半は話が性急すぎる気がするのは、やはり作者の構成力不足なんでしょうね。
作者はSSを読むのなら文章量が多いほど嬉しい派なのですが、他の読者様はどうなんでしょう?もし「こんなダラダラしたのじゃなくて、もっとコンパクトに纏めろよ」という方がいらっしゃいましたらゴメンナサイ。

さて。
今回の話は那美ちゃんメインですかね。こうして見ると、那美ちゃんってかなりヒロインに昇格しやすいポジションにいるような気が激しくします。別にうちの主人公に限った話でなく。
あと書いてて気づいたのですが、那美ちゃんって、とらハ・リリカル勢のなかでは珍しいくらいに才能ないんですよね。いや、バカにしてる訳じゃなくって。原作でも戦闘は久遠や他の人に任せっきりだし。まあ彼女は僧侶ポジですから仕方ないっちゃあ仕方ないんですけど。

当SSでは、神咲那美はいわゆる『普通の少女』を意識して描いているつもりです。特別な才能もないただの少女が、ひとつの『約束』のために前を向いて歩んでいく。そんな感じで。てか、今回の話ではそれを主人公が邪魔しかけたんですけど。本当にマッチポンプというか、どうしようもない不肖の主人公だと思いますマジで。
基本的にうちの主人公って、他作品で言う“物語の途中で主人公一行に有力なアドバイスをするサブなお兄さんポジション”なんですよね、キャラ的に。やっぱり転生しているからか、人格的な面で既に完成してしまっているきらいがあるので、その安定感が主人公らしくないというか……。ま、その分他の原作キャラがメチャクチャ主人公キャラなんですけど!

それと、12月中にあと一本程度は投稿出来そうなんですが、申し訳ないことに1月中は投稿出来そうにないです。リアルのほうが試験ラッシュなので。
ので、来年1月中の投稿は無いものと考えていただけると助かります。

次は月村組か、もしくはリスティとあのロリ女医さんあたりになると思いますでの、よろしくお願いします。

では。


(追伸)12/27
すみません、リアルの方でトラブルが起こったので12月中の更新が無理になってしまいました。なので、この投稿が事実上の今年最後の更新になります。
みなさん、良いお年を。





[29543] 第十六話 人にはいろいろ事情があるものだ 4
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/12/14 11:29
もうじき冬休みにもなろうという、ある休日の昼前。

町そのものが海に近い海鳴では冬の冷え込みは相当なものがあるのだが、ここ数日の快晴と、現在も頭上から降り注ぐ陽気のおかげで珍しく過ごしやすい日が続いていた。
カサカサと乾いた音を立てながら木枯らしに舞う枯れ葉たちと、降り注ぐ柔らかな陽光に彩られた冬の善き日。



「いけません春海様。わたくしは一介のメイド。あなた様とわたくしでは住むべき世界が違うのです」
「立場が何だって言うんですか。ノエルさんっ、貴女を手に入れるためなら僕は僕に持てる全てのものを捨てたって構わない!」



───そんな幻想的な情景を一発で粉砕する生々しいやり取りが、ここ月村家邸宅の一室にて繰り広げられていた。



陽の光が差し込む部屋の中では月村家のメイドであるノエル・K・エーアリヒカイトと、そんな彼女の両手を強く握りしめて自らの思いの丈をぶつける少年───和泉春海の姿があった。

彼女は確かな情熱を宿した春海の双眸から逃れるように視線を逸らし、そっと眼を伏せ。

「……いけません」
「ノエルさんっ」

再びの拒絶の言葉に、彼は必死に呼びかける。そこにあるのは、ただ相手を振り向かせようとする強い意志。
しかし、彼女は頑として頷こうとはしなかった。

「……あなた様は和泉財閥の御曹司です。そう簡単に捨てられる立場では」
「それが貴女と共に歩むための対価であるのなら、僕は喜んでその肩書きを捨てます。それだけの覚悟が、今の僕には───」
「それにっ!」

ノエルが、初めて声を荒げた。
それはまるで望まない未来を受け入れるために無理矢理絞り出したような、彼女の心の軋みを物語っていた。

「……それにあなたには、すずかお嬢様という許嫁がいらっしゃいます」
「ッ……で、でも!それだって親同士が勝手に決めた婚約だ!僕もすずかも、2人とも別に心から愛し合っている訳じゃっ」

一瞬言葉に詰まるものの即座に言い返す。

しかしそんな彼の声に含まれた動揺を、月村家のメイドは見逃していなかった。
彼女が、初めて春海の眼を見た。

「……それでも、あなたはお嬢様のことも愛してしまった」
「ッ!?」

今度は眼に見えて現れた動揺。

「すずかお嬢様は、とても可愛らしいお方です。春海様が好きになられるのも当たり前の───」
「そんなことはない!僕は今でもノエルさんだけをっ」

何かを振り払うような少年の言葉を、ノエルはゆっくりと首を横に振ることで遮った。
彼の眼には、その仕草は、まるで自分への絶対の拒絶のように映っていた。


───だからだろう。


「なんで……」


───こんな、縋るように問い掛けてしまったのは。


「……なんで、ノエルさんにそんな事がわかるんですか」
「わかりますよ」

しかし、答えはすぐに帰ってきた。
その瞳のなかに、多くの悲しみと、微かな親愛の情を覗かせながら。



「───わたくしも、ずっとあなたのことを見ていたのですから」



消え入るような小さな声でそれだけを告げると、彼女は春海の手を振り払うようにして踵を返し、走り去った。
後に残されたのは、彼女が出て行った扉に向かって未練がましく手を伸ばして、それでも言葉一つかけられない、情けない一人の少年。

やがて彼は行き場を失くした手を降ろし、表情を歪ませながらそっと眼を伏せた。





「……ふられてしまいましたよ。お義姉さん」
「いや誰がお義姉さんよ誰が」





そこでようやく今まで傍でずっと見物していた忍から声が掛かった。表情は完全に呆れたものになっていたが。

「……なに?今の寸劇」
「えっと、暇だったのでノエルさんと一緒になにかしようって話になりまして。それでちょっとしたリアルおままごとを」

子どもの遊びに付き合ってあげたお姉さんの図である。

「それが何であんな生々しい内容になってるの……」

と。
何かを堪えるように自身の額に右手を添えて嘆息した忍に、春海は傍に備え付けてあったテーブルの上に置かれた一冊の本を手に取った。

「題材は『家政婦は見た! 恋する男、仕える主人、2人の愛と1人の嫉妬』。ここ(すずかの部屋)にあった、とある財閥御曹司と深窓の令嬢、そしてメイドの三角関係を描いたドロッドロの昼ドラ小説です」
「あとで月村家姉妹会議よ……!」
「ちなみに最終的には令嬢の姉も入れて四角関係にまで発展するそうです」
「すずかー!ちょっとお姉ちゃんとお話しましょーっ!?」

叫びながら走り去っていく忍を見送りつつ、春海はなんで自分がこんな事をしているのかを思い出していた。


→回想開始


そもそもの始まりは、数日前に春海が学校から帰宅すると、自室の机の上に置きっ放しにしていた音楽プレイヤーを妹2人が分解してしまっていたことだった。

当たり前ながら妹二人は母親によって即刻折檻コース行きだったものの、残念ながら肝心の音楽プレイヤーのほうは春海では復元不可能なほどにバラバラにされてしまっていた。しかもご丁寧にネジの一本に至るまでドライバーによって分解された状態で。どうにも彼の妹たちはこういうことには並外れた集中力を発揮した。

そう言う訳で彼が仕方なく以前の持ち主である忍へ報告と謝罪のメールを入れたところ(なにせ貰ってから3カ月と経っていないのだ)、なんと忍からは状態によっては直せるかもしれないとの返事が返ってきた。
そう言えばすずかが忍は機械に強いと言っていたかと思い出しながらも春海は彼女に修理を依頼。

そうして休日である今日、彼はこうして月村邸を一人で訪ねてきているのだ(ちなみに葛花は家に残っておねむである。どうにも、事件当日に春海の部屋で寝ていた所を妹たちが来襲。彼女もモロに被害を受けたらしい)。

そのまま月村姉妹とノエルに迎えられた春海だったが、玄関先で少し話すと忍とすずかが受け取った音楽プレイヤーの残骸を手に忍の工房(らしい)に引っ込んでしまい、春海の方は修理のあいだ彼の相手を申しつけられたノエルに案内され、すずかの部屋へと通されていた。


←回想終了


「いかんいかん、つい演技に熱が入ってしまった。どうにも僕にはコメディアンとして妥協がないな」

言いながら納得するようにうんうんと頷くものの、間違ってもコメディとはさっきのようなドロドロな演技をすることではない。

「にしてもすずかの奴、ホントなんでこんな本もってんだろ……?」

春海はそう言って持っていた本を本棚に収納した。

本棚は広いすずかの部屋にあって尚その巨大さを主張するほどのサイズであり、その辺りからも彼女の読書好きが窺える。というか脚立が本棚の傍にある辺り、もはや執念の域である。

なんとなく手持ち無沙汰となった彼は、そんな壁とも言えそうな本の山を見分することにした。部屋の主の許可はすでに取ってある。

日本文学や洋書は持ち主の歳を考えると不自然なくらいに微妙なラインナップだが、中には小説や少女マンガも混ざっているのを発見して少しホッとする。
手に取ったコミックスを数ページだけパラパラと捲ってみた。絵もキレイだし、話もおもしろそうだ。今度貸してもらおうと思い作者の名前を確認すると、『草薙まゆこ』と書かれていた。そういえばクラスの友達が好きなマンガだと言っていた気がする。

「……ん?」

そうしてコミックスを本棚に戻し、再びどんな本があるのかを確認していると、ふと一冊の本が目に着いた。

「ん~……猫の図鑑?」

彼が興味をもって取りだしたのは、小学生が持つには少々不釣り合いなほど値が張りそうな一冊の図鑑。表紙には無数のネコ科が描かれ、本自体の厚さはこれだけで人が撲殺できそうだ。
ページを捲ってみても、特に変わったことはない。見たことがある猫からテレビでしか見たことのない種類、さらには全く見覚えがないものまで、図鑑の名に恥じないだけの情報量をもっていた。

「そういや、すずかは猫が好きなんだっけ」
「はい。その本は以前のすずかお嬢様のご入学祝いのプレゼントに、旦那様と奥様がお贈りになられたものです」

ポツリと呟いた春海に、扉の開く音と共に返答があった。

振り返ると、そこには紅茶セット一式を押し車(彼は正式名称を知らなかった)に乗せて運んでいるノエルの姿があった。演劇の役割として部屋を出て行った際に取って来たらしい。ソツの無いことだと、心のなかで感心する。

「春海様。紅茶の用意が出来ましたので、よろしければどうぞ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」

ノエルの誘いに応じて、さっき運び込んだお茶会用のテーブルセットに腰掛けた。そのまま彼女が紅茶を淹れ終わるのを待つ。
やがて目の前に置かれた紅茶を口に運び、一息ついた所でノエルに話しかけた。もしかしたらマナー違反なのかもしれないが、生憎とそんなものを気にする育ちはしていない。

「ノエルさんは、この家で働いてどのくらいになるんですか?」
「もう10年程となります」
「へえ、けっこう長いですね。……っていうか、この家ってノエルさん以外の使用人は居るの?」
「いえ、使用人はわたくしのみです」
「あらら。なら掃除とかも大変じゃないですか?」
「流石にすべてをわたくし一人では無理ですので、月に一度、業者の方々をお呼びしています」
「あ、やっぱりそうなんだ。さすが金持ち」
「はい」
「でも、それにしたってノエルさんもすごいですよ。こんなデカい屋敷を一人で切り盛りしてるんですから」
「ありがとうございます」

椅子に座った春海と、その傍で直立不動しているノエル。お互いに気負った風もない世間話。
一見すれば和やかに歓談しているようにも見えるこの光景。


───しかしその実、疑問を振っているのは春海のみであり、話を広げようとしているのも彼のみである。


春海としては本職のメイドさんと話しているだけで胸が熱くなってくるのだが、それと会話が続くかどうかは全くの別問題。ノエルが自分から話す人でない(彼はこのタイプの人間を『恭也タイプ』と呼んでいる)ことは春海も短い付き合いの中で把握しているため、この幸せタイムを少しでも長く享受せんがために自分から話題を振っているだけだ。

───会話を絶やすな。疑問を忘れるな。褒めるところを探せ。しかし、がっついてるとは思わせるなよ。

心の中でジゴロの心得を復唱しつつ、しかし表面上ではにこやかにノエルと接する春海。まるですいすいと泳いでいるように見えて水面下では必死にバタ足している水鳥だった。

そうして会話のドッジボールがそろそろ三ケタに届くかと思われたとき。自分のことも相手のことも話し終え、そしてノエルに対する話題も大方訊き終えた頃。

「ああ、それで……」
「はい」
「……」


……話題が尽きた。


会話を続けようとしても普段まったく接点のないノエルと春海のこと。もともと好みなんかが合う訳ではないし、共通の趣味がある訳でもない。おまけにノエルは彼の疑問にも淡々と端的に答えを返してくるため話の広がりようもないのだ。まさか調子に乗って訊いたスリーサイズまで答えてくれるとは思わなかった。ちなみにノエルは着痩せするタイプだった。

「……んー」

それでもノエルにバレないように周囲に話題がないか視線をスライドさせている辺り、彼も無駄に器用な男である。
そうして、やがて見つけた話題のタネ。視界の隅にある本棚の、さっき自分が手に取った一冊の本。

「そういえば、さっきすずかが猫を好きって話でしたけど」
「はい。すずかお嬢様はよく敷地に迷い込んだノラ猫を撫でたりもしています」
「それって、猫を飼ったりはしないんですか? 別に猫の一匹や二匹、平気で養えそうな感じですけど」
「それは……」

彼の問いに、ノエルはその形の良い眉を僅かに曇らせた。無表情な彼女が浮かべた、少し悲しげな感情。

「……お嬢様も飼ってみたいとはお思いになっているようなのですが、どうにも旦那様たちには言い出しづらいようです」
「そういえば、仕事で忙しいご両親でしたね」
「はい。すずかお嬢様も寂しいご様子なのですが……」

春海が思い出すのは、初めてこの家に遊びに来た時のこと。あの時も、月村姉妹の両親は仕事で家を空けがちと言っていたか。すずかが言い出しづらいという事情やノエルが表情を曇らせたところを見るに、もしかしたら子どもの教育に厳しいご両親なのかもれないと当たりを付ける。

この話題は避けた方が良いかな、と春海が持ち前の日和見精神を発揮していると、ふとノエルが自前の懐中時計で時間を確認した。

「申し訳ありません、春海様。そろそろ昼食の準備がありますので、わたくしはこれで」
「ああ、そっか。引き止めてすみません」
「いえ。では……」
「あ、ノエルさん」
「はい?」

一礼して踵を返そうとしたノエルを、春海の声が引き止めた。彼は飲んでいた紅茶の残りをグイッと口に流し込むと、座っていた椅子から飛び降りて言う。

「待ってるのは暇ですし、僕も何か手伝いますよ」

だが、彼女はその言葉に首を横に振り、

「お客様にそのようなことをしていただく訳には」
「とは言っても、僕が今日ここにいるのは忍さんに頼みごとをしたからで、客として来てる訳じゃないですよ。他の人を働かせといて自分はボーっと待ってるだけっていうのも失礼な話ですしね」
「はあ……」

何気に口だけは回る春海の言葉に、彼女は戸惑ったように生返事を返す。

メイドとしての立場以外にも、『ある理由』から主の命令を第一に考える彼女ならば断ることが常なのだが、今は春海の言い分も芯が通るように感じていた。
実際は“主”である忍が春海を客として扱っている以上ノエルが彼を客として対応するのは当たり前なのだが、残念ながら彼はその辺りの論旨を巧みにすり替えており、尚且つ『ある理由』によって人生経験が若干不足気味である彼女は気付けなかった。

「それに」

そんなノエルに、更に追撃が掛かる。

彼は実に人柄の良い笑みを浮かべながら。

「正直、この部屋で一人で待ってるのは暇なんですよ。だから、まあ、助けると思って手伝わせてください」
「……かしこまりました。よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」

無表情に頭を下げるノエルに、春海もまた軽く頭を下げる。



まあ。

結局のところ、人生経験は偉大であるという話だった。





「あー、お腹すいたー。ノエルー、ごはんなにー?」
「お姉ちゃん、お行儀がわるいよ」
「なによー、元はと言えばすずかを待ってたせいじゃない」
「うう、それはそうだけど……久しぶりだから楽しかったんだもん……」

時間も13時に近づいた頃。修理のほうに熱が上がっていたのか、ノエルが呼んでいた忍とすずかが食堂へとやって来て。

「───んん、来たか。遅かったけど、タイミング的には丁度だな」

食堂に入った2人の視界に入ったのは、作られた料理が乗った皿をテーブルに並べている、黒のエプロンを着けた春海の姿だった。
テーブルの上にあるのは各種食器に、付け合わせのチキンサラダとコハク色に透き通ったスープと云った洋風メニュー。

「あら。春海くん、わざわざ手伝ってくれてたんだ。どうもありがとー」
「ありがとう」
「まあ、そっちは僕には手伝えそうにないので、このくらいは」

答えながら、春海は最後に食卓の真ん中に大皿に乗ったスパゲティを置いた。踏み台を使っているのは御愛嬌。

「もうノエルさんも飲み物を運んで来ると思いますから、2人は先に掛けててください」

言って、春海は上座にあるイスを引く。この辺りに目端が利くのは『前』における彼の姉貴分たちによる教育の賜物だった。春海自身にとっては有り難くも悲しき負の遺産である。

「ありがと」
「いえ」

微笑む忍に笑みを返し、続けてすずかの席のイスも引く。

「ありがとう、春海くん」
「どういたしまして」

と。

「みなさま。大変お待たせしました」

そこで、先程と同じように飲み物の乗った車を押すノエルが食堂に入ってきた。

「ノエルもご苦労さまー」
「はい」

主のねぎらいに応えた彼女はすずかの傍らにいる春海にそっと頭を下げると、忍から順にコップに飲み物を注いで回った。その間に春海も自分に割り当てられた席に着く。
それが終わるのを見届けてから、忍が口を開いた。

「じゃあ、冷める前に食べちゃおっか。いただきます」
「「いただきます」」

年長の彼女に追従する形で小学生組2人が食事のあいさつを述べ、それでようやく昼食が始まり、3人はそれぞれに中央に置かれた大皿のスパゲティを自分用の皿に取り分けた。

実はこのセルフ方式、月村姉妹にはあまり馴染みがなかったものの、中心に置かれた大皿からそれぞれが自分の分を好きなだけ取るという春海の家のローカルルールである。
高町家や和泉家といった比較的一般的な家庭では良く見られるこの方式。それでも国内でも名の知られる上流家庭に位置する家柄の忍たちにはあまり縁がなかったのか、2人はしきりに珍しがっていた。

ただ、姉が妹のために取り分けたり、楽しそうに談笑しながら食事している光景を見るに、これからも時々はこのスタイルが月村家でも見られることになりそうだ。



「そういや忍さん、恭也さんとは学校でどんな感じなんですか。同じクラスだった筈ですけど」
「仲良くさせてもらってるよー。食堂じゃ、たまに美由希ちゃんたちとも一緒になるしね。……あ、でも」

雑談として春海がふった話題に笑顔で答えていた忍が、微妙に憮然とした顔つきになる。

「ちょっと聞いてよ春海くん。高町くんったら、わたしが教室で寝てるときに頭の上に飲み物のパック置いてったりするんだよ。おかげで起きたらクラスのみんなに笑われちゃうし」
「あー……、恭也さんって、あれで結構ユニークな性格してますから」

あれはあれでギャップがすごい、とは彼の同居人たる女性たちの言である。

「お姉ちゃんも、学校で寝たりしたらダメだってば」
「しょうがないじゃない、最近は遅くまでいろいろやってるから昼はねむいんだもん。うう、でも一年の頃はあんまり話したことがなかったけど、高町くんってけっこういじめっ子かも」
「まあ、家でもなのはや美由希さんにはそんな感じっぽいので、それだけ忍さんには気を許してるってことでしょ」

なんで僕が恭也さんのフォローしてるんだろ……、と心のなかで首を捻りながらの春海の言葉に、しかし言われた忍はその白い頬をほんの僅かに朱に染めて、


「え……そ、そう、かな……?」


少し恥ずかしそうに、上目遣いで彼に訊き返していた。

「…………」

それを見た春海は、食堂にある観音開きの窓のそばまでスタスタと歩いて行って無表情でそれを開け放ち、翠屋があるであろう方角を見据える。
と、自分を不思議そうに見つめる彼女たちを尻目に、深く、深く、息を吸い込み。


「───恭也さん結局それかよーっ!!」


モテない男の悲しき慟哭が海鳴の冬空に木霊した。


**********


「…………」
「おししょ、急にどないしたんですか。冷や汗そんな流して」
「いや、……あっちの方角から、とてつもない負の情念を感じてな」
「……お師匠はいつからジェダイの騎士になったんですか。いや、なんやアレくらいなら出来そうですけど」
「ああ、フォースだったか。春海の勧めで一度見たが、かなり面白かったな。……またビデオ屋で借りてきて、一緒に見るか、レン?」
「あ、……はいっ♪」


**********


危うくフォースの暗黒面(悪役サイド)に堕ちかけた春海が、月村姉妹と愛するメイドの説得で何とかフォースの光明面(主人公サイド)へと戻ってきた頃。
彼は自分の前に置かれた食後のお茶を飲みながら、月村姉妹に預けた音楽プレイヤーがどんな具合かを忍から聞かされていた。

「磁気ヘッドやメモリーなんかの重要部分は無事だったから、時間をかければどうにかなりそうかな。でも今日中はちょっと難しいかも」
「いやいや、ぜんぜん待ちますよ。もうほとんど諦めてましたから、確実に直るのなら僥幸ってものですしね」
「難しい日本語知ってるのね。まあ主導で直してるのはすずかだから、お礼ならすずかに言ってちょうだい」
「へ? すずかが直してくれてるのか?」

忍の言葉に春海が今まで姉に喋るのを任せていたすずかに顔を向けて問うと、彼女は春海の疑問に少しだけはにかんだ。

「うん。あのくらいの構造なら、わたしでもちゃんと出来るから」

そこですずかは何かに気が付いたのか両手を前に突き出すと、ぱたぱた振りながら弁解するようにして。

「も、もちろん壊したりしないからっ。お姉ちゃんにもそばに着いててもらうし、ちゃんとまじめにやるから、心配しないでねっ?」
「いや、まあ。そんな心配はしてないし、万が一に木端微塵にしちゃったとしても僕は気にしないから別に良いけどさ」

春海のなかでは既に一度は諦めていたものであるため、例え彼女たちが直せなくともダメ元だったという気持ちが強い。そこまでして修理を強要するつもりはなかった。もともと0だったものが0のままになるだけだ。

ただ、当のすずかは彼のそんな言葉に僅かにムッとしたようで。
そのまましばらく頬をふくらませて不満のこもる目で彼を見ていたものの、やがて座っていたイスから勢いよく立ち上がると、自分の胸元に両手を引きよせて気合いを入れるようにむんっと握りこぶしを作り、

「ぜったいに直すから、待っててね!」

そう宣言して、すずかはやる気に満ちた表情でトトトッと走り去っていった。

あとに残ったのは口元に手を添えてクスクス笑う彼女の姉と、眼を瞑って肩を竦める少年。そして主の傍らに控えるメイドの3人だけ。
そのうちの一人───忍は未だ収まらぬ笑いもそのままに、自分の斜め後ろにいるノエルに向かって後ろ手にフリフリ手を振ると。

「ノエルー、ここはもう良いから、すずかのほうに行ってあげてー」
「かしこまりました。失礼します、春海様」
「ええ、また後ほど」

春海が一礼するノエルに別れの挨拶を返すと、彼女もすずかが出て行った扉をくぐって去っていった。
そうして残った忍と春海のうち、先に言葉を発したのは春海のほうだった。

「ちょっと言葉が悪かったですね。怒らせちゃったかな?」
「んーんー、そんなこと無いんじゃない? むしろ春海くんに遠慮して変に気負ってた部分が抜けたから、丁度良いくらいよ」
「だと良いんですが」

そう言ってカップに口を付けた彼に、忍はすずかの姉としての微笑みを向ける。

「あの子ってね、わたしのせいかもしれないんだけど、昔から機械いじりが大好きなのよ」
「学校でも工学の本をよく読んでますよ」
「わたしの部屋の本もよく読みに来てるわよ」

だが、そこで彼女の表情が僅かに曇った。

「ま、うちの親はそんなとこが嫌みたいなんだけど」
「厳しいご両親みたいですね」
「まあ、ね。……あの人たちって、子どもの頃からわたしが機械をいじってるのを見る度に嫌な顔しててね。だから、できるだけすずかにはそんな事させたくないみたいなの」

話している相手がまだ子どもだから油断しているのか、長年溜め込んでいたものが少しだけ決壊したかのように、妙な饒舌さで忍は言葉を紡いだ。

「わたしは仕事ばっかのあの人たちが苦手だったから叱られても無視してたんだけど、すずかはあの通りの良い子だから。あの子、わたしと違ってお父さんもお母さんも大好きだしね」
「で。その大好きなご両親が大好きな機械いじりをダメと言っているから、すずかも困ってる、と」
「そういうこと。……まあ、正直、わたしが言うことを全然聞かなかったのも悪いのかもね。そのせいであの人たちも『すずかの教育は間違えないように』って思ってるみたいだから」
「…………」

忍の話を聞いて春海が思い出すのは、いつかの教室での出来事。確かあの時、すずかはせっかく図書館で借りていた工学の本を学校の机のなかに置いて帰っていた。
本人は家で読む本があるからと言っていたが、果たしてどこまでが本当のことなのか。ひょっとしたら万が一にも両親にそんな本を読んでいることがバレるのを防ぐためではないのか。


それだけなら、単なる“春海の想像”の一言で片は付くものの。

しかし、それならば。

今日、すずかの部屋で見た、あの大きな本棚。



───果たしてあの本棚の中に、機械工学に関する本はあっただろうか?



全てを目を皿にして調べた訳ではないため確信は持てなかったが、彼の記憶する限りでは無かったように思う。
あれだけの本棚を埋め尽くすほどの量の本を集めておいて、大好きな機械工学に関する本が一冊たりとも無い。

多かれ少なかれ、すずかが自分の両親の意向を気にしているのは明白だった。



ただ。


(……実の娘に『教育を間違えた』なんて感じさせる親ってのも大概だけどな)


春海が気になったのは、すずかだけではなかった。

もちろん全ては忍の勘違いで、彼女たちの両親はまっとうに彼女のことを愛している可能性も大いにあるが、この場合、問題なのはそんな風に考えられてると娘に感じさせていることだ。

すずかもそうだが、自らの人生を自分の親に半ば否定されている当の忍の気持ちは一体どんなものなのだろう。
本人は自身の両親のことを話すときは一貫して冷めた態度を貫いているが、その中にどれ程の寂しさが隠れているのだろうか。あるいは、そんなものを感じることも、もう忘れてしまっているのか。

目の前でカップに入った紅茶を飲んでいる忍を見ても、その答えは出なかった。



ふと、春海は自分の右手に目を落とす。
そこにある右手が、ピクリと反応する。

(いかんいかん、今回ばかりは自粛しろ“俺”)

どうにも、自分はこういう話に弱い。

『前』のときに周りにこんな境遇の人間が多かったからか、条件反射でどうにかしてやりたくなってくる。
特に、今の忍のように表面上は平気な“フリ”をしている人間を見ると、ムリヤリ感情を剥き出しにしてやりたいとさえ思ってしまう。

(『前』のときも、それで散々叱られただろうが。もう嫌だぞ、───『見掛けMの隠れドS』とか言われるのは)

脳裏に過ぎるのはかつての孤児院での日々。二度とあんな不名誉な仇名で呼ばれてなるものか。
春海が昔日の屈辱を思い出していると、彼の沈黙を別の意味にとった忍が焦ったように言葉を続けた。

「あ、ご、ごめんね、こんな話しちゃって。要するに、今日は来てくれてありがとうって言いたかったのっ。すずかも機械いじり楽しめてるし!」
「ま、あの程度なら幾らでも力になれそうですけどね」

そう言って春海は席を立つと、テーブルの傍らに置かれている押し車から紅茶の入ったポットを手に取った。そのまま忍の空となったカップにおかわりを注ぎ、ついでに自分のカップにも残りを流し込む。
それが場の仕切り直しの合図となったのか、すっかり切り替えのできた忍が感心したような声を上げた。

「うんうん。メール交換してるときも思ってたけど、ほんとに気がきくわね~。慣れてる感じ?」
「知り合いのお姉さんたちに仕込まれたものですよ。相手の行動を常に先読みしてろ、だそうです」
「あっはは、おもしろい人たちねぇ」
「『花も女の子も、よく世話をしないとすぐに萎むから気をつけなさい』なんて言ってた人もいましたよ」

今はもう会えない、『前』における園長先生の有り難いお言葉である。

「小学生に教えることじゃないねー」
「ホントに」

2人してしみじみ語り合いながらカップに口を付ける。

「うーん、ちょっとしたお茶菓子もあればいいんだけど、よく考えたらそういうものの場所はノエルしか知らないし……」
「昼飯も食ったばかりですし、お茶だけで十分ですよ」
「なら良いんだけど」

先程の春海と似たような返しをする忍に、彼はふと気になったことを訊いてみた。

「そういえばさっきノエルさんに聞いたんですけど、この家って使用人はノエルさんしか居ないんですね。この広い屋敷にメイド1人って相当大変だと思うんですけど」
「うん。でも古い一族っていうのもその辺りが大変なのよ。敵を作らないために最小限しか周りに置かない、っていうか」

異能のことか、と内心で当たりを付ける春海。勿論、自分がそのことに気づいていることは悟らせない。

「使用人もできればもう1人くらい欲しいんだけどねー。ノエルはどっちかと言えばわたしの専属だから、すずかに付く子が居れば良いんだけど」
「そもそも使用人が欲しいって感覚が僕にはわかりません」

富豪と庶民の悲しき格差である。

「うーん、……春海くんがもうちょっと大きかったら、うちで働いてもらっても良かったのに」
「ノエルさんと同じ職場なら大歓迎です」
「……君ってノエルのことやけに大好きよね」
「メイドさいこー」










結局、この日だけでは修理は完了せず。
しかし数日後には以前と全く同じ形となって春海の手元に戻ってきた。

だが。

学校ですずかから渡されたときは一見元通りに見えたものの、それでもどこかでミスがあったのか音楽の設定画面がおかしなことになっており。
後日すずかに隠れて修理してもらうために、再びこっそりと忍に会いに行く春海の姿が月村邸に見られたとか。



こっそり忍の部屋に入り込む春海。
妹の手際に苦笑しながら春海を招き入れる忍。

「…………」

そして柱の影からその一部始終を見つめるノエル。


家政婦は見た、妹の友人を連れ込む女主!



……ノエルは新たなスキルを獲得したようだった。










(あとがき)
本当にお待たせしました! 第十六話の4、投稿完了しました。

いや、本当にすみません。言い訳するなら1月から2月の中頃過ぎまでリアルがかなり忙しくて執筆の時間が全く取れなかったんです。この話を書き始めたのも3日程前ですし。……急いで書き上げたため妙にクオリティが低いかもですが、そのことに関しては勘弁して下さい(汗)

さて謝罪もこの辺りにして。

今回の話は予告の通り、月村家での1ページですね。月村家組は原作とらハとの乖離がもっとも大きいところなので(主に両親)、ちゃんと整合性が付けられているのか若干不安だったりします。この話では、原作に居なかったはずの月村両親が姉妹にとってどんな存在であるのかを表しました。十六話のその1ですずかが本を持って帰らなかったシーン、あれって実はさり気に伏線だったするんですよね。
ただ、それでも両親が死んでいないことは忍にとってプラスなのか原作ほどドライではないし、すずかが居る影響でノエルも多少は人間的な性格をしていたりもします。この辺りが原作のラストストーリーにどの程度関わってくるのか、お楽しみください(と、ハードルを上げてみる)

次の話は最後にリスティとあのロリ女医さんの話を挟み、それでやっと原作突入となると思います。あり得ないまでに亀展開ですが、これからもよろしくお願いします。

では。



[29543] 第十六話 人にはいろいろ事情があるものだ 5
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/03/02 17:40

「それじゃあ、……触るぞ」
「…………」

僅かに震える僕の言葉に相手が頷いたのを確認して、目の前にある柔肌のようなそれに優しく触れる。

耳元。頬。唇から首筋へ。さわさわと僕に撫でられる彼女は次第に目を細め、小刻みに湿った吐息を漏らす。そのまま、まだふくらみに乏しい胸元を数回に分けてかき混ぜるようにして上下する。とくん、とくん、と可愛らしい振動が掌を通じて伝わってきた。
ともすれば自分が何らかの幻覚に囚われているのではないだろうか、なんて馬鹿な考えが浮かんでくる夢現の中で、片方の手をゆっくりと横腹へと移動させると薄い皮膚の下に彼女の肋骨の感触が感じられた。コリコリとしたそれが、生々しい現実感となって僕にある種の興奮を喚起する。

もっと、もっとだ。

ふと、僕に身体を弄られている彼女がどんな表情をしているのかが気になった。泣いているのか。恥ずかしがっているのか。
考え始めると余計に気になってしまった。今まで一心不乱に見つめていた彼女の小さな体躯から目を離し、視線を上に動かす。

もし泣いているのなら、残念だけど今日はもう止めておこう。

勿論、僕の正直な気持ちとしては続けていたい。大好きな彼女の華奢な体躯を、このままずっと愛でていたい。
それでも、自身の下劣な欲望に任せて彼女が嫌がるようなことはもっとしたくなかった。

この行為は、自分の感情をただ身勝手にぶつけるためにあるのではない。相手を労わり、自分の気持ちを感じてもらう。近年はそんな簡単な部分を勘違いしている人間も多くなっているが、本来はそんな愛に溢れた行為なんだ。

だから、僕は彼女の反応を確かめる。拒絶されるかもしれないことは怖かったが、彼女を傷つけることはそれ以上に恐かった。


果たして、僕は彼女の表情を見る。


そこにあったのは、───確かな信頼と、ほんの少しの興奮。


僕の眼では暗い感情なんて欠片も見つけられず、どころか、彼女の涙を湛えた瞳を覗きこんでいると、彼女自身の言葉が伝わってくるようだった。



───もっと、……して?



ブツリ、と、頭の何処かで何かが切れる音がした気がした。

潤んだ瞳と、荒くなった吐息。見ているだけだった僕も、既に限界だった。


だから、僕は。
気がついたら、自分の持てる情熱全てで。
彼女に向かって、その思いの丈をぶつけていた。





…………いや、まあ。





「んー、よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし。気持ち良いかー、久遠ちゃん」
「くぅ~ん……♪」





きつね姿の久遠ちゃんを撫でてるだけなんだけどさ。





「今日はぐーたら警察官以外だれも居ないもんなぁ。ちゃんと今日の分のご飯もらってるか? イジメられたら何時でも僕の家に遊びに来ても良いからなー」
「くーん」

そう言って仰向けのままの久遠ちゃんをムツゴロウさんの如く心行くまで撫でまわしていると。

───バチンッ!

後頭部がハゲるかと思った。

「ぎゃぁぁあああっ!!? あっつっ!? アァァあっつぅぁぁああっ!?」

突如奔った激痛に久遠ちゃんを撫でることも忘れて僕がのたうち回っていると、向こうのソファのほうから声が掛かった。


「───まったく。誰がぐーたら警察官だよ。それにイジメてもないからね」


だが、そんな僕の窮状を無視しまくった言葉を聞ける程の余裕が今の僕にある訳もなく。それでもひんやりとした床に後頭部を擦りつけることで何とか落ち着くことに成功した僕は、ゼェハァと荒い息をあげながら声が聞こえてきた方向をギロリと睨みつける。

その女はクリーム色のセーターにデニム地のショートパンツといった至極ラフな格好。セーターの開いた胸元からは、ライダースーツにも似た黒い光沢を放つアンダーウェアが覗いていた。なんか能力の制御装置的なものらしい


「おまえ殺す気かッ!?───リスティ!」


しかし、女───リスティは僕の絶叫にも何ら動じることなく、その小柄な割に意外に豊かな身体をソファにだらしなく横たえたまま横目でジットリとした視線を寄こした。

「久遠に妙な事を吹きこむからだ。それに、殺すなんて大袈裟だよ。そのくらいの手加減はきっちり出来るさ」
「むう」

彼女の言い分に思わず押し黙る僕。確かに調子に乗って要らないことを言ってしまったような気もするし、「手加減はした」という言葉通り、電撃を浴びせられた割には後に引く様な痛みも感じない。

仕方ない。ここはお互い様ということで僕も矛を収めるとしよう。

「せいぜい将来ハゲるツボをちょっと刺激しただけさ」
「なんてことをするんだお前はッ!?」

僕ハゲるの!? 将来ハゲちゃうの!?

「冗談だよ」
「ホントかっ? 本っ当に冗談なんだろうな!?」

まったく止めろよ、そういう冗談は。男というものは20歳を超えると途端に気になってしょうがなくなるんだからさー。

「本当は今からハゲる」
「最悪じゃねえかっ!」

リスティの恐怖の言葉に僕が必死になって後頭部を揉んで血色を良くしようとしていると、クイクイと何かに服の袖を引っ張られた。
誰だ今はそれどころじゃないんだ、と思いつつも、何時まで経っても引っ張っていて止む気配がない。なので、仕方がなくそちらに視線を落とすと。

「お前様。次は儂の番じゃろうが」

久遠ちゃんと同じくきつね形態となってる葛花が、僕の服の腰のあたりにガッチリかぶりついていた。おい止めろ、服が伸びる。あと久遠ちゃんの上に乗るな。仰向けでじたばたしてる久遠ちゃんが可愛いだろうが。

「ちょっと待てって葛花。今は僕がハゲるかどうかの瀬戸際なんだ。邪魔をしないでくれ」
「無駄毛が抜けて丁度良いじゃろうが」
「無駄じゃねえよ!?」

超必要だよ!!

「良いから早《は》よせい」
「待ってくれ! 僕は僧になるのは嫌なんだ! 確かに陰陽師ってちょっと僧みたいなもんだけど見た目まで僧になるつもりはないんだよ!」

僕はファッションリーダー的な陰陽師を目指してるんだ!

「安心しなって、春海。ハゲるツボを突いたなんて嘘さ」
「ほ、本当に……?」

ここで天丼(ボケを繰り返す、という意味の業界用語)なんて要らないぞ? 少しでも僕を安心させておくれ。

「うん。───まあ、さっきちょっと頭皮をスキャンしたら、……うん、まあ、ボクは何もしてないよ?」
「おい言葉を濁すな。何だその念押し。要らないんだよそんな露骨な置き土産。おいコラ眼を逸らすなよっ。こっち見ろよリスティさん!?」

それは天丼だよな!? 頼むから天丼だと言ってくれ!?

「まあ、最近は育毛や植毛技術もすごいし、世界は頑張れば割とどうにでもなるよ。言ってくれればボクも手伝うしさ」
「そんな応援いらねぇぇえええっ!!」


天丼でした。





それから少し。具体的には僕が男にしか解からない恐怖から解放され落ち着いた頃。
リスティの対面のソファに腰を下ろした僕は、両膝に乗せた久遠ちゃんと葛花を撫でながら。

「大体、なんで僕をさざなみ寮に呼んだんだよ」

かねてからの疑問を目を閉じたままのリスティに訊いてみた。

そもそも僕が休日にも関わらずこうしてさざなみ寮を訪ねてきたのは、目の前で自分の両腕を枕にして目を閉じているコイツに朝っぱらから呼ばれたからなのだ。理由も訊かずにただ呼ばれたから来るとか自分でもお人好しが過ぎるとは思うものの、今日は久遠ちゃんも寮に居ると言うエサに釣られてしまったのだから仕方ない。久遠ちゃんが僕に会いたがっていると言われたら何を置いても急いで来るしかないだろう。

そんなリスティはよっぽど眠いのか、行儀悪く欠伸を噛み殺しながら何とか口を開く。それでも口元を僕に見えないようにしているあたり、まあ、コイツも多少は女としての自覚を持っているのだろう。

「ボクね、今日は久々の非番で、すっごく疲れてるんだ」
「警察関係者だしな。我々一般市民の日々の平穏のために、どうもありがとうございます」
「どういたしまして。それで今日は寮のみんなはそれぞれの用事で珍しく全員が出掛けててね」
「みたいだな。ここ、今は僕たち4人しか居ないみたいだし」
「くぅん」
「つまり、全自動メシ作りマシーンであるところの耕介も今はいない訳で」
「仮にも自分の父親に何言ってんの、お前……って、おい。まさか」
「うん。というわけで、春海」

そこでリスティは一旦言葉を切ると、じっとりとした僕の視線に堪えた様子もなく無駄に可愛らしい笑顔で続けやがった。


「───お昼ごはん、作って?」


くそう。やっぱり来るんじゃなかった。





「おお、さすが耕介さん。食材も調味料もかなり豊富に揃ってるじゃないか」

リスティに次いで両膝に乗る久遠ちゃんと葛花の援護射撃もあり仕方なく昼飯を作ることになった僕が、さざなみ寮の台所にある冷蔵庫を開いて思わず発した第一声である。
そんな僕に、リビングのソファに寝ころんだままのリスティが言葉を返してきた。

「耕介、あれでも料理人だしね」
「僕もたまにレシピを教えてもらってるよ。最近はあんまり料理してないのに生前よりもレパートリーが増えてるくらいだからな」
「たまに男2人で何してるのかと思えば、そんなことしてたのか」
「なんか耕介さん、子どもとは言え男の僕が出入りしてるのを喜んでる節があるからな……。そりゃあ慣れてると言っても、自分以外の全員が年頃の女ってのは耕介さんも気を使うだろうけどさ」

女ばっかりなんてハーレムじゃないか、とか思う人もいるだろうが、ぶっちゃけそれで喜べるのは最初に数分だけである。残りはひたすら数の暴力と狭い肩身を耐えることになるだろう。
正直、男1人だけで何年も平気な顔して女子寮の管理人なんてやってる耕介さんには尊敬と同時に畏怖の念さえ湧いているぞ、僕は。

「お前も耕介さんには感謝しろよ? あの人、あれで料理に関しては普段からかなりお前らのこと考えてるからな」
「知ってるし、感謝もしてる」
「それは重畳だ」

言いながら、冷蔵庫の中身を物色する。他人様の家の冷蔵庫を勝手に漁るのは少しだけ気が咎めるものの、住人の1人であるリスティが許可を出してるのだから別に構わないだろう。

「ええ、っと、……ネギにニラ、山芋。豚肉と……おっ、キムチ発見。真雪さんの酒のつまみか何かかな。……おーい、リスティー。小麦粉の場所って知らないかー?」

おおよそ作るものを決め、残りの食材の在り処をリスティに訊く。

「確か台所の上の戸棚にあったはずだけど。なに作るか決めたの?」
「主役はチヂミだ」
「中国料理だっけ?」
「おしい、韓国だ。ちょっとしたお好み焼きみたいなもんだから、キムチさえあれば他は残り物でも簡単に出来るし、野菜もたくさん摂れて腹にも貯まりやすい家計の味方。ま、酒のつまみとしても丁度良いかもしれないけど。お前ら、それで良いかー?」
「申し分なし」
「玉ねぎは入れるでないぞ」
「くーん」
「玉ねぎ入れると葛花と久遠ちゃんは腹こわすからなぁ」

キツネは犬科の動物である。まあ、この2匹がその枠にどれだけ当て嵌まるのかは知らないけど。普通にヒト形態で食えば良いだけだし。


調理シーンと食事シーンは特に面白くも無いので割愛。結果のみを言うのなら、至極好評だった。



「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」

適当に雑談しながら終えた食事。

まだ食卓に着いているのは僕とリスティだけで、久遠ちゃんと葛花は食べて早早に食後の昼寝と洒落込んでいた。太るぞ、と言いたいところだけど、そもそもアイツら人間じゃないし。葛花に至っては霊体になれば摂った栄養もほんの少しだが自身の霊力に還元されるという素敵仕様だし。
というわけで、現在さざなみ寮のソファに上では白髪と金髪のきつねミミ和服系美少女2人が抱き合ってすやすや眠るという、実に眼福な光景が広がっていた。はだけた裾から覗いているすらりとした真っ白な素足が可愛らしい。それにしても葛花のやつ、久遠ちゃんとはすっかり友達だなー。本人は舎弟にしたとか言ってたけど。

残ったチヂミの生地は冷蔵庫にしまい、使った皿を水に沈める。まあ残りは夜にでも真雪さんの腹のなかに酒と共に消えるだろう。
今は2人でイスに腰掛けての雑談タイムである。


というわけで、その会話をダイジェストでどうぞ。

「春海、小学校ってどんな感じなの?」
「なんだよ、藪から棒に」
「いやなに、ちょっと気になっただけだよ。ボクって子供ときは外国で研究漬けだったから学校に通い始めたのは中学以降だしさ」
「へー、そうなんだ。中学のいつの時?」
「中学2年の14歳」
「周りの男どもがみんな馬鹿の時代だな……」
「これでも割と告白とかされたんだからね」
「ま、お前って性格の割に顔立ちは可愛いしな。付き合ったりとかはしたのか? 正直、お前が誰かの恋人って微妙に想像できないんだが」
「性格は余計だ。……まあ興味が無かった訳じゃないけど……その、当時は能力のことも有ってあまりに本心見え見えだったから……」
「あー……。まあ、中学高校って言ったら大半の男がちょうど下半身で生きてる時期だからなぁ」
「おまけにボクたちの一番身近にいる男って言ったら耕介だろ? ついつい比べちゃってさ」
「剣術を習ってる家事万能の立派な大人と思春期真っただ中の子供を比べてやるなよ……。無愛想な俺クールで格好イイとか思ってる時代なんだから」
「今ではちゃんとわかってるんだけどね。でもボクも高校出たら大学行かずに警察関係の仕事やるようになったから、色恋からは遠ざかって今更まったく意味ないし」
「そういう意味では僕の周りはまだ色恋のイの字すら無いがな。小学生に期待することじゃないけど」
「そんなこと言って、ホントは1人だけ中身大人なのを利用して光源氏計画を企んでるんじゃないの?」
「どこで覚えたんだよ、その単語。あとニヤニヤ笑いながら言うのは止めろ。唯でさえこういう話は幼女ハーレムじゃんとか大きいお友達に言われがちなんだから。葛花が幼女姿なのもちゃんと設定上の理由があるんだって」
「じゃあ、小さい女の子が好きってわけじゃないんだ。まあ確かに女と言っても所詮は子どもだものね」
「馬鹿め。誰も嫌いとは言っていない。少女の素晴らしさも理解できないのかお前は」
「うわぁ……」
「ごめん引かないで冗談だから」
「じゃあ、女の子は嫌いなんだ?」
「いや大好きだけど」
「いずみー、たいほー」
「そんな某絶対に笑ってはいけない番組みたいな軽いノリで逮捕するな! ていうか何処から出したんだこの手錠はっ?」
「超能力で」
「無駄な事に使ってんじゃねえよ!? ちゃんと普通の意味での好きだからこれ外せ!」
「普通に幼女が好きなんだ?」
「もうそれで良いよ!」
「ロリコンめ」
「理不尽すぎる……」
「話を戻すけど、まあ、そんなわけで学校というものに通い慣れてない身としては現役小学生の春海の話には多少の興味があるんだよ」
「なんかさっきから微妙に言葉に棘がないか……? 性格の割に、って言ったことは謝るから機嫌直せよ。……ま、そういうことなら別に構わないぜ? そうだな、小学校って言ったら……ああ、確か百葉箱があるのを懐かしいって思ったっけ」
「百葉箱? 温度計が入ってるアレ?」
「そう、それ。ぶっちゃけアレは小学校でも要らないとは思うけど。それに、懐かしいと言えば子どもの頃にしかやらなかった遊びも結構あるな。にらめっことか」
「にらめっこ? ああ、知ってる知ってる。相手と見つめ合って笑ったら負けっていう、あの失礼極まりないゲームでしょ?」
「にらめっこにそんな人を小馬鹿にした意図は無えよ!」
「でも相手の顔を見て笑いモノにするなんて本質的に悪質じゃないかな。ボクならショックのあまり泣いちゃうよ」
「意外とメンタル弱いなお前……」
「春海に笑われたら屈辱のあまり死にたくなるよ」
「必要だったかその補足?! ていうかお前の中で僕のカーストはどんだけ低いんだよ!」
「誤解だよ、誤解。女として異性に顔を笑われたくないだけさ」
「屈辱って言わなかったか、確か?……まったく。あとは音楽の時間には鍵盤ハーモニカも懐かしかったよ。改めて弾いてみると妙に楽しいし」
「童心に帰る、って感じ?」
「僕の場合は童心どころか童身に帰っちゃってるけど、まあそんな感じ」
「割と楽しそうだね」
「誠に不覚ながら、実はちょっと楽しいんだ」

まあ、こんな感じだった


「それにしても」
「ん?」

そんな感じで食後のコーヒー(これも僕が淹れた)を飲みんでいると、リスティが改まった風に口を開いた。

「春海と知り合ったときはこれから何が起こるのかと思ったけど、去年は案外なにも起こらなかったなぁ」
「なんだ、そりゃ」

しかし、彼女の言ったことの意味が僕には些かわからない。なんで僕と知り合うと何かが起こらなきゃいけないんだよ。

「いや、さざなみ寮のちょっとしたジンクスみたいなものなんだけど」
「うん」
「さざなみ寮の関係者で変わった力を持ってる人は、必ずなにかしらの問題を起こす」
「なんて嫌なジンクスなんだ……」
「しかも今のところ実現率100%」
「皆勤賞かよ」

そもそも変わった力を持つ人間が偶然でそこまで集まるとか。魔窟か、ここは。

「……あ」
「なに? 春海も何か思い当たる節でもあるの?」
「いや、思い当たるっていうか……」

きょとんしたリスティの疑問の声に言い淀みつつ、ズボンのポケットから一枚の和紙を取り出してみせる。
僕はそれをテーブルの上で滑らせるようにして、リスティに向かって放った。受け取った彼女は不思議そうな顔をしながらそれを覗き見て。

「…………うわぁ……」

盛大に顔を引き攣らせた。

「……一応訊くよ?……なにこれ?」
「見ての通り、おみくじだ」

ただし、運勢のところにはデカデカと『大大凶』とか書かれているが。

「ほら。正月前にさ、那美ちゃんの手伝いで八束神社の年末整理を手伝ったことがあるだろ?」
「ああ、ボクはちょうど仕事があって行けなかったけど、けっこう大変だったらしいね」
「それで、その時にみんなで物は試しにってことになって、そこで引いたおみくじがそれだ」
「……最近のおみくじって、凶とか大凶は入れない所もあるって聞いたことがあるんだけど」
「那美ちゃん曰く、一枚だけ紛れていたのを僕がジャストミートで引き当てたらしい」
「運があるのか無いのか……」
「あのときの那美ちゃんの顔だけは今でも忘れられないよ……」

今にも泣きそう、どころか死にそうになりながら謝ってたからな。自分が引き当てた『末吉』と交換しようとしてたし。

「しかも、だ。その内容を読んでみろ」
「内容?」

リスティは促されるまま持った紙片に目を通し、……次第に、またしても顔を引き攣らせていった。

「…………健康。大怪我を負うことがあるため外出は絶対に控えて下さい。
 金運。入院費に出費が嵩みます。
 恋愛。死に別れに注意して下さい。
 総合。生きるのを諦めないで下さい。」
「最後に至ってはおみくじに同情されてるからな」

もはや今年が僕にとっての厄年と言って良いかもしれない。ちょうど8歳になるし。

「いや、でもさ。所詮はおみくじだし、ハズレる可能性だって全然あるんじゃないの?」
「リスティ、僕の職業を言ってみてくれ」
「……小学生?」
「……陰陽師だ」

つまるところ。

「僕ってさ、本当は悪霊退治や剣術よりも、卜占(占いのこと)や風水のほうが専門なんだよ」
「……あー」
「勿論それだって非科学だ。僕の腕前では百発百中じゃないし、リスティの言う通りハズレる可能性も0じゃないんだけど……」

改めて、リスティの手から離れてテーブルの中央に鎮座する和紙を見てみる。
そこに書かれた、無駄に力強い文字で自己主張している『大大凶』の文字。なんで『大』が一個多いんだよ。自己主張しすぎだろ。

……まあ、早い話が。

「僕がやる占いは、割と当たる」
「……死なないでね?」
「……頑張るよ」

割と真面目な命の危険を感じる僕たちだった。



「まあ良いや。それじゃあ僕は皿洗いでもしてくる」
「了解。待ってるよ」

ここで手伝うとは言わない辺り、彼女のぐーたらな性格がよくわかる気がする。

が、しかし。

「よっ、と───痛ッ!?」

立ち上がろうとイスから飛び降りたところで、いきなり右足の膝に奔った疼痛に知らず唸ってしまう。

「どうしたの?」

その様子を目敏く見ていたのか、リモコンでテレビを点けようしていたリスティが訊いてくる。
僕はじんわりとした痛みが残る右膝を撫でさすりながら。
 
「いや、最近関節が少し痛くて。成長期に無理しすぎなのかもな。子どもの身体ってのはこういう時に加減が解からなくて困るんだよ」
「というか、子ども時代は体に無理をさせるものじゃないよ」
「ごもっともです」

彼女の尤もな言い分に頭を垂れて頷き返した。そんな僕にやれやれといった様子で呆れたように首を振ったリスティは、仕方ないとばかりに立ちあがって。

「ま、それなら仕方ないか。着替えてくるから、それから病院に行くよ」
「は?」
「痛むんでしょ?」
「確かに痛むけど、……僕、金も保険証も持ってないぞ?」

財布に入ってる金額は小学生のお小遣いの域を出ないし、保険証に至っては自宅に居る母さんが管理しているのだ。病院に行くとしても一度家に戻って母親に話さないといけない。

しかし、そんな僕の心配もリスティは何処吹く風。彼女は人差し指を立てると、ふふんと云った具合でちょっと得意気に言った。

「心配はいらないよ。タダで診察とマッサージと整体をしてくれて、おまけにお金まで貸してくれる、便利な───おっと。優しい知り合いが居るんだ」





「今日はもう貸さないからねっ」

それが開口一番、リスティに向けてその人が発した言葉だった。

寝ている葛花と久遠ちゃんをさざなみ寮に残したままやってきた、海鳴大学病院。そこの診察室の一つに入った僕たち。そこに居たのは、白衣を着た小柄な女性だった。

「大体、この前も貸したばかりじゃない」
「研修おわって羽振りもいいくせに」
「浪費家のリスティに言われたくありません。……というより、お給料なら貴女もちゃーんとあるじゃないの」
「酒とタバコに消えちゃった」
「自業自得です!」

なんかこのやり取りだけでリスティとの彼女との関係が解かりそうな気もするけど、ともあれ僕はリスティと言い合ってるその女性を見る。

ともすれば中学生にすら見えそうな程に小柄な体(とリスティに比べるとややボリュームに欠ける一部)をグレーのスーツとタイトスカート、それに黒のストッキングで包み込み、その上から羽織っている白衣は彼女が医者と呼ばれる職業に属していることを証明いる。
ただ、それより何より僕の眼を引いたのは、彼女のその容姿だった。
リスティと話している今でこそ目を怒らせて怒気を発しているものの、クリクリとした大きな目は優しげで、全体のパーツも整っている。そして、日本においてはかなり人目を惹きつけるであろう“それ”───背中にかかる程に長く揃えられた、綺麗な銀色の髪。

一言で表すのなら、そう。

「───かわいいほうのリスティ」


バチンッ!


「ぎゃぁぁぁああああっ!?」

後頭部が死ぬ!!?

「また失礼なこと言ったでしょ」
「言ったけどお前それマジで止めろよ!?」

僕は口で言われてちゃんと理解できる良い子なのに。

「ええ、と、……リスティ? この子は?」

と。
そこでようやくリスティの影に隠れていた僕の存在に気が付いたのか、女医さん(仮名)がリスティに僕のことを訊いていた。直接僕に訊かないのは、あからさまに痛がっている僕を気遣っているのだろう。僕の中の好印象人物一覧に彼女の項目を作成することを決定。ちなみにトップ争いはフィアッセさんと那美ちゃんです。

「ん、前に何度か話したろ? 和泉春海だよ」
「あ、この子が……」

一体何を話したのかは知らないが、僕の知らない所で僕のことを話さないで欲しい。

そう思いつつ僕がようやく痛みが退いてきた後頭部を擦っていると(やっぱり痛みが残っていないという絶妙な加減だった)、女医さん(仮名)がリスティの元を離れてすぐ目の前まで来ていた。
彼女は僕と視線の高さを合わせるようにしてしゃがむと、僕を覗きこむようにして柔らかく微笑み、

「和泉春海くん、よね? はじめまして。わたしはリスティの家族で、フィリス・矢沢って言います。この海鳴大学病院では医者とカウンセラーの両方をしてるの」
「ああ、やっぱり御家族でしたか。はじめまして。リスティの友人をやってます、和泉春海です。よろしくお願いします。……失礼ですが、リスティの御家族ということは……」
「あ、……うん、わたしもそうなの。彼女ほどの力は無いのだけれど」

そう言ったフィリス先生が業務机の上を指差すとそこに置かれていたボールペンが彼女の手の中に顕れ、同時にその背中にはリスティと同様の光輝く6枚3対の羽が現れる。

「……LC-23、『トライウィングス・r』。リスティと同系統になるのかな」
「綺麗ですよ」
「ふふ。どうもありがとう」

フィリス先生は僕の率直な感想に微笑し、念じるように目を瞑ると光り輝く羽は消えてしまった。それを確認した僕は、とりあえず彼女のその後ろにいるリスティへと顔を向けて。

「リスティ。フィリス先生って神咲さん家の事情は……」
「久遠のことも含めて、ちゃんと知ってるよ」
「うん。だから、春海くんの力のことや『葛花』ってキツネさんのこともリスティ達から聞いてるんだけど、……勝手にごめんなさいね?」
「それは別に構いませんよ。───では改めて。陰陽師してます、和泉春海です。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。……それで、」

そこで握手で自己紹介を終えると、途端にフィリス先生が不安げな顔つきになった。彼女は僕の両手を自分の手で包み込むように握りしめると。

「春海くん、大丈夫? リスティに何かされてない? いくらリスティでも、子供からお金を巻き上げるようなことは無いと思うんだけど……」
「ちょっと、フィリス?」
「あはは、大丈夫ですよ。休日にわざわざ昼飯作らせるためにさざなみ寮に呼び出された程度ですからー」
「リスティ!」

僕の言葉にフィリス先生は顔を険しくすると(それでも怖いどころか微笑ましい感じだが)、プンプンと叱りつけるようにしてリスティに詰め寄った。
対するリスティは両手を突き出すようにしてフィリス先生を押し留めて何かしら言い訳しながら、さり気なく恨みがましい視線で僕を睨む。

とりあえず、笑顔で立てた親指を下に向けておいた。



「というわけでフィリス。今日は春海を診てもらいたいんだ。タダで」
「どういうわけなのよ、まったく」

結局、言い争いはリスティがフィリス先生を煙に巻く形で決着が着き、今はここに来た理由を説明していた。

それにしても、家族って言っていたけど妹さんなのかな? 名字が違うところを見るに、それなりに複雑なご家庭なのかもしれない。
と、まあ、診てもらう当の本人である僕が黙ったままでリスティに全て任せてしまうというのも少々頂けない。ていうか何でそんなに偉そうなんだリスティ。

「あー、……すみません、フィリス先生。リスティが無茶言っちゃって。お忙しいなら後日、患者として窺いますが」
「あ、ごめんね春海くん。そんなに気を使わないで大丈夫だから。今は休憩中で時間も取れるし、ね?」
「なんだか、ボクの扱いに納得いかないなぁ」

視界の隅でリスティがブー垂れてるけど僕もフィリス先生も華麗に無視。ひとりで反省してなさい。

「それで、春海くんはどこか痛いところがあるのかな?」
「右膝に疼痛が少し。成長期だからかな、とは思ってるんですけど」
「そっか。……じゃあ、そこのイスに掛けてもらえる?」
「はい」

言われた通りフィリス先生の指差す先にあった丸イスに腰掛けると、その対面にあるイスにフィリス先生が座って。

「じゃあ、ちょっとごめんね」

そう断ってから、僕の右脚に触れた。幸い、今日履いているズボンは膝丈過ぎであったため脱ぐ必要はないようだ。
フィリス先生は僕の右脚の膝の辺りをグニグニと揉むようにして診ており、その表情は真剣そのもの。押される度に微妙な痛みが奔るものの、声を上げるほどではないのでグッと我慢する。ちなみにリスティは部屋の端にあるポットのお湯でココアを作っていた。お前もう帰れよ。

「……すごい。子供だからってこともあるんだろうけど、物凄くしなやかな筋肉。……春海くんって、なにか格闘技でもやってるのかな?」
「あ、はい。剣術と、なんというか……喧嘩殺法的なものを」

葛花との肉体鍛錬は特に型があるものではないため、そう答えるしかないのだ。

「あらあら、ケンカはダメですよ……? それじゃあ、最近になって何か新しい動きを練習したりしてる? 具体的にはここ4カ月程の間、かな」
「んー……、あ。あります」

4か月前と言えば、僕が御神流の『徹』の練習を開始し始めた頃だ。

膝一つでここまでピタリと言い当てられるものなのかと僕が驚いていると、フィリス先生は更に言葉を続けて。

「“踏み込み”って言うのかな。……その新しい技でそれが強くなってるから、体捌きに身体が追いついてこなくなって右足に負担を掛けてるんだと思うの」
「……よくわかりますね」

まさか膝の痛みだけで格闘技してることや新技の練習、おまけにその技の特徴まで言い当てるのか。医術ってすげー。

「これでも医者ですから。それじゃあ、後でテーピングのやり方を教えてあげるから、今日はそれを覚えて帰ってね?」
「はい」
「……この分だと、全身も診ておいた方が良いかな。じゃあ春海くん、上の服を脱いであそこのベッドに横になって下さい」
「あ、いえ。お金も払ってないのに、そこまでしてもらう訳には」
「そんなこと気にしなくて構いませんよ。わたしがちゃんと診たいだけだから。ね?」

遠慮する僕に、フィリス先生は笑顔で促した。ただ、笑顔のはずなのに妙に有無を言わせぬ迫力が伴っているのは何故なのでしょう。

「春海も早めに諦めた方がいいよ。治療に関してはフィリスって妥協は一切しないから」
「人を治すのに妥協なんて要らないの」

いつの間にか診察室の隅に移動していたリスティがココアの入ったカップから口を離してニヤニヤと笑いながら言い、それに言い返すようにしてフィリス先生が微笑む。なんて対称的な笑顔なんだコイツ等。

「まあ、そう言うことなら、お言葉に甘えさせていただきます」
「はい、どうぞ♪」

とは言え、僕としてもわざわざ隈なく診察してくれるというのなら否やも無い。ここは素直に彼女の好意に甘えるとしよう。
そう結論付けて、ベットの近くまで歩み寄って上着やシャツを脱ぐ。脱いだ服は備え付けられてるカゴの中へと放った。

ちなみに。

あれだけ鍛えているのだからムキムキに腹筋とか割れているのではないかと思う人もいるかもしれないが、実は僕の場合は意外とそうでもなかったりする。せいぜい薄っすらと割れ目が見える程度のものだ。
この辺り、子供のときから過多な筋肉を付け過ぎても逆効果であるという士郎さんや恭也さんの言であり、故に自身の身のこなしのための必要最低限なものしか鍛えていない。いざ力が必要な場面に直面したのなら、そこはそれ、僕には“陰陽術”ってインチキがあるし。

閑話休題。

それを見たリスティはというと、僕があっさりと脱いでしまったのが詰まらなかったのか火の点いていないタバコを咥えて揺らしながら。

「なんだ。もうちょっと恥ずかしがって躊躇うのかと思ったのに」
「女性とは言え医者の前で脱ぐのを躊躇うかよ。そもそもこんな子供ボディの上裸くらいで恥ずかしがるもんか」
「可愛げ無いなー」
「そういうのは母親の腹の中に置いてきたんだ」

文字通り、生まれたときから持ち合わせてないです。

「?……リスティ。春海くんはまだ小学生なんだから、そういうことは分からなくて当たり前でしょ?」

僕たちの会話を不思議に思ったのか、フィリス先生がリスティに訊く。が、当然ながら本当のことを話せるはずもない。
きょとんとしているフィリス先生にリスティはいつものニヒルな笑みを返すと。

「ま、フィリスもそのうち話してもらえるんじゃないかな。…………どうにも、君らは対称的な境遇みたいだし」
「? リスティ、何か言った?」
「なんでもないさ。ほら、患者が待ってるよ」
「う、うん……」

リスティに言われて切り替えたフィリス先生が、再び医者の顔になって僕の傍へとやってきた。

「それじゃあ春海くん、少しくすぐったいと思うけど我慢してね?」
「了解です」


それから。
背中から四肢にかけてを順番にフィリス先生に診察してもらった僕は、少し無茶な鍛錬をしすぎているとお叱りの言葉を頂き、その後に少しだけ出ている骨の歪みを矯正しようということになって───


ゴキッ☆

「うぐぅぉ!?」
「~~~♪」

バキッ☆

「ちょっ」
「~~~♪」

ボキッ☆

「音おかしくね!?」
「はーい、少し強く押しますよー」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
「~~~♪」


全てが終わった後。
確かに僕の身体は今までに無いくらいに動かしやすくなったものの、そこに辿り着くまでの道のりが果てしなかったことをここに記そう。死ぬわ!





**********





「あ゛~、……死ぬかと思った」
「ふふ。フィリスの整体は効くだろ?」
「確かに体は軽くなったけど……、お前、わざと黙ってただろ。かなり痛かったんだが」
「言って避けられるものでもあるまいし、穿ちすぎだよ」
「ぬう。……まあ、良いけどな」
「それにしても、フィリスとは最後に何を話してたのさ」
「…………」
「春海?」
「……『こんな無茶な訓練をしてるとすぐに身体に歪みが溜まるだろうから、定期的に診察に来てね』だと。ご丁寧に携帯の番号まで交換してしまった……」
「……フィリスのやつ、よっぽど嬉しかったのか」
「あん? 何がだよ?」
「べつにー」
「……?」
「ほら、もう行くよ」
「はいはい」


そんな風に話しながら病院の正面扉を出て行く2人の後ろ姿を、





「……リスティと、……春海?」





とある歌い手の卵が、見かけていたとか。


「おーい、フィアッセ! 矢沢先生が待ってるから早く行くぞー!」
「あ、……OK、士郎! いま行くねっ」


物語において彼女と主人公が本当の意味で関わるのは、まだもう少し先になりそうだ。










(あとがき)
第十六話その5、投稿完了しました。

……ええ、そうです。賢明なる読者の方々の中にはお気づきになられた方もいらっしゃるかと存じますが、今回の話、前半部分はストーリー的には全然必要なかったりします。全ては主人公をリスティお姉さんと絡ませたいという作者の自己満足だぜ!(てへぺろ
いやー、やっぱリスティさんは書いてて超楽しかったです。サバサバした性格もそうですけど、何よりも主人公の秘密を知っているというのがデカい。会話に遠慮がないから書きたいこと全部書けちゃうんですよね。年上お姉さんキャラは主人公とも精神年齢が近いので他のキャラとは会話の安定感が違いますよ本当に。書きやすいの何のって。個人的には葛花とのやり取りと同じくらい書いてて楽しかったです。

で、ですよ。

とうとう十六話にして とらハ屈指のロリ女医たるフィリス先生が登場しました。検索とかして画像見れば分かると思いますが、彼女はリリカルにおけるリインフォースⅡの前身ですね、ロリ成分もしっかり引き継いじゃってますし。当たり前ですが作者はどっちも大好きです。彼女もこれから原作に突入すると出番もかなり増えてくる筈ですので、何卒よろしくお願いします。


閑話休題。


と、いうわけで。今話にて、この「とある陰陽師と白い狐のリリカルとらハな転生記」という物語の、その前日譚というかプロローグ的なものは晴れて終了と相なりました。あり得ないまでに亀展開でしたけど、その分作者が書きたいと思ったストーリーや伏線は殆ど詰め込むことができたように感じます(いや、残念ながら全部じゃないんですよね。実は桃子さんとか美由希さんがメインのエピソードって書けてませんし)。
そもそも作者がこの話を書く上で目的としていることの一つに「執筆技量の向上」というものがありまして。言い方は悪いですけど、この話はそのための試作品であり、実験作という見方もあったり。まあ結局のところ、書きたいものを書いているだけなのですが。読者のみなさまは一体いくつほど伏線を見つけることが出来たでしょうか。作者的にはさり気ないものから解かりやすいものまで出来る限り張ったつもりなのですが。解かり難いもので、第十六話の1ですずかの本を持って帰らなかった部分とか、大体あんな感じのレベルで張ってます。まあでも、見つけたとしても感想板で「これじゃね?」とか言ったりはしないで下さいね? 1人で「わかった」みたいな感じでニヤニヤして下さい、お願いします。

作者としては次の話から新章みたいなノリではありますが、まあ多分サブタイトルのところは普通に「第十七話 ~~~」みたいなものになるでしょう。「第二章 第一話 ~~~」とかクドい上にメンドイですし。あれですよ。「人生に区切りなんてものは無い」とか、そんな感じで。

そんな風に適当気楽に細々とやっている作品ではございますが、このような拙作にお付き合い頂いている読者のみなさま、今後もどうかよろしくお願いします。

では。



[29543] 第十七話 女のフォローは男の甲斐性なので諦めろ
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/11/11 11:59
2月も半分を過ぎたこの頃。
今年は雨雪があまり降ることもなく穏やかな陽気に中で冬を越せているものの、それでも根強く残る寒気に身ぶるいしてしまう。

「うーあー……ちょーさびぃー」
「だから晶は家に残っててもよかったのに」
「気にすんなよ。今日はちょうどサッカーもなくてヒマだったしな」
「……なら良いけど」
「まあ、春海もそう言うな。晶とて俺たちを手伝うために来てくれたんだから」
「わかってますよ」

そんな冬空の下。現在、僕は恭也さんと晶の3人で商店街を歩いていた。


目的地は駅前にある薬局「ドラッグストア・ふじた」。高町家御用達の薬局で、お店番になぜかいつも小学生の女の子がレジに座っているという不思議な店である。

今回の用件は高町家にて無くなってしまった包帯や傷薬、テーピングの買い出しのためだ。

御神流の鍛錬は実戦を想定してあるためか、普段から振るう獲物も鉄芯の入った木刀や真剣に近い模造刀であるため、御神流を学ぶ恭也さん以下3名は生傷が絶えない。そしてそれはサッカー・空手に遊びのソフトボールと高町家一のアウトドア派である晶も言うに及ばず、高町家において救急箱先生が必要なくなるということは無いのだ。
当然、普段からそれだけ使用していれば包帯や傷薬が足りなくなってくるのは当たり前で。そんなところに今週は「ドラッグストア・ふじた」で包帯・傷薬のセールがやっているという情報(広告チラシ)が入れば、高町家において主婦顔負けの経済観念をもつあの中国娘が見逃すはずもなかった。

まずはちょうど外に散歩に行くところだった恭也さんが買い物に行くことを了承。ただ、今日のセールは『お1人様~~~まで』という定番のものだったため買いに行く人数は1人でも多い方が良いらしく、たまたま練習と関係無しに1人で高町家に遊びに来ていた僕がレンに命じられて恭也さんに付き添うことになった。
まあ、僕自身としても高町家の人々には普段から色々と面倒を見てもらいながら何のお返しも出来ていない現状を多少は気にしていたため(月謝を払おうとしても受け取ってくれないのだ)、このくらいは是非も無し。

なら早く行こうぜと玄関を出た男2人だったのだが、そこで庭先でリフティングをしていた晶がそれを目敏く発見。理由を聞いた彼女は自分も付いて行くと言い出し現在に至る。

以上、状況解説終了。


「そういえば」

昼前ということもあり俄かに活気づく商店街を視界に収めつつ、気になったことを訊いてみる。

「今日は美由希さんの姿が見えませんでしたけど、どうかしたんですか?」
「美由希なら今朝から神咲さんと出掛けたぞ。なんでも、もうすぐ春になるから春物の服を一緒に見に行くんだとか」
「美由希ちゃんと那美さんって何でか最近すっごく仲がいいんだよなぁ」
「へー、美由希さんと那美ちゃ───ううんッ! 那美さんがねぇ」

僕の問いに恭也さんと晶が順に答えてくれて、それに相槌のように僕が返す。

それにしてもあの2人、そんなに仲良くなってたのか。
確かに那美ちゃんからは最近は共通の話題ということで高町家の人々のことも口の端に上っていたものの、休日に一緒に出掛けるほどの仲になっていたとは思っていなかった。
でも考えてみれば、なのはたちは今でも頻繁に久遠ちゃんに会いに行っているので、普段からそれに付き添っているはずの高町家の人たちが那美ちゃん達と仲良くなるのは自然な流れか。

ただ、───


「「まあ、なんで美由希(美由希さん)だけ特別そこまで仲良くなってるのかは分かるぞ」」


晶の疑問に答えようとしたら、恭也さんとユニゾンしてしまった。またかよ。
月村家初訪問のときと言い、なんか多くないか?

「「…………」」

思わず見つめ合う僕と恭也さん。恭也さんの隣を歩く晶の「なんだコイツ等」という視線がまたしても心に響くわー。
だがまあ、こうして固まっていても仕方ない。とりあえず軽い咳払いの後、僕のほうから口火を切る。

「コホン。……晶よ」
「なんだよ」

晶も無かったことにしてくれるらしいので、このまま流してしまうことにする。僕たちは商店街を連れ立って歩きながら会話を続けた。

「まずな。那美さんという人は、───とびっきりにドジなんだ」
「は?」

僕のいきなりの言葉がよほど意外だったのか目を丸くする晶に、今度は隣の恭也さんが補足を入れた。

「……階段を歩けば転げ落ち、靴箱を開けてしゃがんだと思えば戸に後頭部をぶつける人なんだ」
「他にも外を歩けば額を木にぶつけ、ハンカチ・携帯・財布を落としておいて気づかず歩き去ったといった武勇伝もある」
「はぁー……。すごいですね……」
「歩くコントみたいな人だからな」

本人が居ないのを良いことに好き放題言っている気もするが、本人が居ないのだから別に問題無かろうと考えてやっぱり好き勝手言う僕。
個人的にあそこまで見ていて飽きない人も珍しいとは思う。

「でも、そのことと美由希ちゃんと仲が良いことが関係あるのかよ?」
「それだ。ま、ここからは兄である恭也さんのほうが詳しいだろ」
「引き受けた。……晶も一緒に暮らしている以上ある程度は知っているだろうが、美由希も美由希でかなり抜けている」
「はぁ」
「この間など、眼鏡を額に引っ掛けたまま『眼鏡がどこかにいっちゃったー』という定番なことをしていた」
「言ってましたね……」

生憎と僕は現場に立ち会ったことは無いが、我が姉弟子も彼女らしく面白愉快なことを仕出かしたようだ。

その時のことを思い出しているのか微妙に遣る瀬ない表情で脱力している晶に、恭也さんは続ける。

「……俺と美由希となのはの3人で久遠に会いに行ったときは、神咲さんに駆け寄ろうとして彼女に向かって頭からダイブしていた」
「美由希ちゃん……」
「美由希さんって、士郎さんから才能あるって言われてる割にはよくコケますよね」
「あれはもう本人の性格故のものだ。どうにもならんだろう」

無表情で言い切る恭也さん。師匠的ポジションの恭也さんから見ても措置なしとか、美由希さんどんだけ……。
姉弟子のアレ具合に呆れる僕に構わず、恭也さんは話を元に戻す。

「つまりだな、晶。早い話が美由希と神咲さんは───とんでもなく波長が合うんだ」
「類は友を呼ぶというか、……まあ端的に言うと類友だな」

恭也さんが出した結論に横から僕が追従した。

「そういえば美由希ちゃん、この前に神咲さんが遊びに来たときもコケそうになったらどうしてる? みたいなことを話してたような……」
「「それだ」」

埋もれた記憶を引っ張り出すように明後日の方角に視線を向けながら言う晶に、僕と恭也さんは声を合わせた。
にしても美由希さんと言い那美ちゃんと言い、花の女子学生がなんて情けない話題で盛り上がってるんだ……



**********



そんな風に雑談しながら歩いていると既に商店街も中ほどを過ぎていた。視界の端に映るゲームセンターには、今日が休日であることも手伝ってか多くの若者の姿が見える。
目的地まではまだもう少し距離があるものの、こうして3人で話しつつ歩くなら然したる苦も無くすぐに着いてしまうだろう。

「あ。……師匠」

歩きながら春海がそう考えていると、恭也を挟んで向こう側にいる晶が恭也を呼びとめた。
どうしたのかと訊き返す恭也に、彼女は商店街の春海たちが居る方とは逆の通りを指差して。

「あそこに居るのって忍さんじゃないですか?」
「なに……?」

晶の指先の延長線上を目で追うと、確かにそこに居たのは彼の同級生で、学校では晶たちとも偶に一緒に食事をすることもある月村忍だった。

彼女が立っているのは商店街でもそこそこ大きなCDショップの店先で、服装は彼女らしく簡素な水色のトレーナーに紫のダウンジャケット。
これは余談であり尚且つ春海の周りにいる女性ほぼ全員に言えることなのだが、彼女たちが普段から着ている服にはシンプルなものが非常に多い。なんというか、無駄に着飾らない者たちばかりなのだ。ただ、それでもそんな着こなしであっても可愛らしかったり綺麗に見えてしまう辺り、彼女たちがもつ容姿の整い具合は推して知るべしと言ったところか。


閑話休題。


確かに晶が示す先に居たのは私服姿の忍だったものの、それは何も1人でいる訳では無かった。CDショップの前には忍と、そして彼女の傍にはスーツ姿の男たちが3人ほど佇んでおり、彼らは忍を囲む形で彼女と話していた。
春海たちとの間には15メートル程の距離があるため遠目にはやや曖昧ではあったが、忍とその黒服3人は何やら言い争っているらしい。生憎と春海には内容までは分からなかったものの、忍の断片的な声が春海たちの元にまで届いている。揉めている彼女たちの周りにはそれを見物している野次馬がほんの数人だが出来ていて、それがまた新たな野次馬を集めているようだ。

「……お前たちはここに居ろ」

それを見た恭也はさっきまで緩んでいた口元を引き締めると、表情を鋭くして同級生の元まで小走りに近づいていった。

「あっ、し、師匠っ!?」
「晶はこっちだ」
「春海!?」

彼を追いかけようとしていた晶を、春海は短く言いつつ彼女の手を掴んで引き止めた。
急に引っ張られた晶は崩れた体制を立て直すようにたららを踏み、振り返りざまにキッとこちらを睨みながら。

「なんで止めんだよ!」
「落ち着けって」

春海はそんな彼女を宥めるように両手を彼女の前に突き出すと、問題の中心地へと目を向けた。
そこには忍を庇うようにして自身の背に隠し、スーツの男たちと冷静に話している恭也の姿があった。おそらく、いま言い争っている場所が周囲の人間やCDショップ側の迷惑になることや、そもそも忍自身が嫌がっていることを説いているのだろう。
それを視界に収め、次いでいざという時の逃走経路を確認するように周囲をぐるりと見渡しながら、彼は晶に応えた

「こんな人気のある商店街でそう簡単に暴力沙汰になるわけないよ。あの人たちもスーツを着てるってことはそれなりに社会的立場のある人間なんだろうし。というか、万が一にも暴力沙汰に発展したとしても、恭也さんならどうとでも切り抜けられるって」
「そ、そりゃ師匠ならそうかもしれないけど……ならなんでオレらが行っちゃ駄目なんだよ?!」
「行く意味がないからに決まってるだろ。話し合いで解決できるのなら、今から僕たちが行っても事態を蒸し返してややこしくするだけだからな。そもそも恭也さんや僕は男で、荒事にも多少は耐性があるから良いけど、お前は仮にも女だろうが。恭也さん単体で簡単に切り抜けられる面倒事にまでわざわざ首を突っ込むよ。恭也さんもそのためにここで待ってるように言ったんだろうし。……それに、こんなところで必要無い面倒を起こして空手の試合に出れなくなってもくだらないじゃないか」
「う……」

春海の指摘に晶の勢いが目に見えて衰えた。

常の晶ならば、女だから駄目などと言われれば即座に『女だとか関係ない!』と言い返してすぐにでも跳び出していただろう。しかし、確かに春海の言う通り、あのくらいなら師匠である恭也1人でも簡単に切り抜けられる。それに、晶自身も自分が直情的である自覚くらいはあった。向こうに行っても恭也たちに迷惑をかけるだけならば、自分はここで我慢するのが吉なのだろう。
更には、そこで追い撃ちのように恭也自身が晶たちには来るなと言っていたことや、駄目押しとして自分の空手の試合のことを言及されれば、彼女が駆けつける理由は完全に消滅してしまっていた。まるで怖気づいてしまったみたいで妙な後味の悪さは残るものの、そんなもので尊敬する恭也やその友人である忍に迷惑を掛けられる訳もなく。

故に。
晶は、背に忍を庇い男たちと何らかの話し合いを続けている恭也を見続けるしかなかった。





実のところ、春海が言ったことは単なる口から出まかせでしかない。

相手がスーツを着ているとはいえ、それは彼らが社会的立場のある人間だという事とイコールで結ばれるとは限らないし、もしかしたら日常的に暴力を使う職に就いている者たちなのかもしれない。
それに話し合いにしても、ただの子供である晶や春海が行ったところでわざわざ事態を蒸し返すほど懇切丁寧に説明してくれる筈がない。恐らく恭也の連れとして捨て置かれるのが関の山だろう。
むしろ春海たちが恭也側に着くことで、単純に人数が増えたことにより相手を一旦退かせることも容易になるかもしれない。いくら暴力的な人間であっても、小学生の春海や中学生の晶を公衆の面前で堂々と殴れる大人はそうはいない。話し合いをするにしても、子供である春海が少し演技をすれば野次馬を即興の味方につけることも可能だろうし、そうなれば男たちもこの場は引き下がらざるを得ないはずだ。

そう考えれば、春海たち2人が恭也と忍の傍に行くことは利が勝っているのだろう。少なくとも不利には働かないはずだ。


───しかし、それでも春海は恭也たちの元へと行くつもりはなかった。


勿論、春海とて忍が心配じゃない訳ではない。仮の話になるが、もしこの場に恭也が居なければ春海自身が跳び出していたことだろう。
今回の場合は、恭也が真っ先に跳び出したというこの状況に春海が合わせているだけの話なのだ。


そんな忍に対する心配を押し殺してまで春海が恭也たちの元へ行かなかったのには、幾つかの理由がある。

一つは、先ほど晶に言った通り晶自身が女である点。
御神流を修め成人に近い男性である恭也や、いろいろと特殊な能力をもつ春海ならまだしも、ただの女子中学生である晶が大人の揉め事に首を突っ込もうとしているのを見過ごすわけにはいかない。男だ女だと差別するつもりはないが、区別はしっかりと付ける。
もっとも、春海とて彼女がそう言われて素直に聞く性格ではないことを重々承知している。故に、そのためにさっきのような出まかせの理由を大量に並べたのだ。

二つ目は、万が一にも暴力沙汰になったときに春海たちが居たのでは恭也の邪魔になってしまう点。
春海は術も合わせた戦闘力なら兎も角、単なる身体能力だけでは恭也には到底及ばないし、それは晶であっても言うに及ばず。むしろきちんとしたルールに則った空手の試合くらいしか実戦経験がない分、晶のほうが危ないかもしれない(晶も同級生の男子とのケンカ程度ならしたこともあるのだろうが、この場に置いてその経験が役立つはずもない)。恭也ならば、春海たちを守ってなお戦うことも可能だろうが、その負担は出来る限り減らすべきだ。

そして、最後に。
春海が最も警戒している理由。


それは、男たちが月村一族の関係者であった場合だった。


月村忍、及び月村すずかが何らかの人外としての能力を有していることは、今さら議論する必要もないだろう。それは春海自身が気づき、そして彼の相棒であり師でもある葛花が太鼓判を押した事実である。
その異能の全容までは春海も把握し切っていないものの、ただの人間には及ばないような力であることに疑いは無い。それは同じ異能者の春海自身がよく知っている。

もし、いま恭也たちと話しあっている男たちが、その月村家の関係者であったなら。

恭也に関しては春海が止める間もなく行ってしまったため仕方ないが、ならば最低限として晶を巻き込む訳にはいかない。


(あの人たちに忍さんやすずかのような魂《気配》は『視』えないから、大丈夫だとは思うけど……)


それに、周囲には多くの一般人が歩いていて、男たちの目の前には彼らと同じ一族かもしれない月村忍もいる。
そんな状況で何かをすれば高確率で能力の使用が露見してしまうだろう。それに賭けるにはリスクがあまりに高い。

とは言え、それでもバレないように怪しげな術を使ってくる可能性もまったくの0ではない。

春海が恭也たちに駆け寄らずにこの場に待機しているのは、その僅かな可能性に対処するためだった。

表向きは平然と佇みながら、服の手首の部分に隠してあるホルダーを手で触って確認する。周囲にバレないようにするための目眩まし用の呪符もある。
再び、さり気なく周囲を確認した。相手を傷つけることが目的じゃないのだ。いざという時の退路も確認している。

もしかしたら恭也たちに自分の能力のことを話さなければならないことも視野に入れ、その程度の対価は当たり前だと余計な思考を切り捨てる。
今更ながらに家に葛花を置いてきたことが若干だが悔やまれた。彼女の幻術はこのような場ではかなり重宝するのだ。ない物ねだり───ない者ねだりをしても仕方ないことだとは分かっているが。


ほんの数十秒の間に、春海は準備と覚悟を済ませる。


果たして。

その覚悟は───実にあっけなく、無駄に終わった。


「あ。……帰ってった」

隣の晶が呟いた通り、男たちは特に渋る様子も見せず忍と恭也に軽く頭を下げると、あっさり踵を返して去って行った。

「ししょーっ!」

それを見た晶が恭也たちに駆け寄る様を視界に収めながら、春海は小さく息を吐いた。知らず、張り詰めていたようだ。

「…………」

一度冷静になると、ふと、先程まで自分が考えていたことが日常から大きく外れていることを悟って嘆息する。
春海自身もさっきまでの自分の考えが危険思考だということは十分に理解している。しているが、それでも反省はしても後悔する気にはなれなかった。



非日常は、未だ弱い彼にとってはあまりに恐すぎた。






**********



「……あいつら、うちの親戚の人の部下よ。うちの親が仕事で居ないのを良いことに……」

あの後。
晶に続いて僕も合流してから改めて忍さんと挨拶を交わすと、彼女は苦い顔をしながらそれだけ言った。内心もよっぽど不快な気分なのか、傍に僕たちが居ると言うのに吐き捨てるような口調だった。
その親戚の部下である男たちが忍さん本人にどんな用件があって揉めていたのかは知らないが、その様子を見るに余程しつこく言い寄られていたのだろう。少なくとも、ここまで嫌悪を露わにした忍さんを、僕は初めて見た。

が、彼女もそのことにはすぐ気がついたようだ。慌てて取り繕うように笑顔を浮かべると、

「あっ……ご、ごめんね。高町くんもさっきはどうもありがとう。おかげで助かったよ」
「ああ、気にしないでくれ。こちらこそ、突然横から勝手なことをしてすまなかった」
「ううん、そんなことないよ。さっきの高町くん、毅然としてて……その、…ちょっと格好よかったし」
「…………なら、良かったけど」

僅かに頬を赤くしてはにかんだ忍さんからのお礼と賛辞の言葉に、恭也さんは僅かに目を逸らしながらそれだけ応えた。見た目はそんなに変化ないけど、多分これ照れてるな。ッケ。

そんな甘酸っぱい青春真っ盛りな光景に対して僕が怨念まじりの視線を向けていると、隣に立っている晶が僕の手を引いて。

「じゃあ師匠っ、オレと春海はこのまま買い物行ってきますんで、ちゃんと忍さんを送ってあげて下さいね!」
「あ、ああ、わかった。でも良いのか? お前たちだけで」

晶の提案に恭也さんが戸惑いながらも言い返すと、晶は彼女らしい快活な笑顔を向けてから。

「もともと師匠と春海の2人だけだったんですから、オレ達だけでも大丈夫ですよ。な、春海?」

晶さん。自由意思に基づいた意見を求めているように見えて、現在進行形でギリギリと締め上げているこの腕の痛みは何なのでしょう。

「忍さんをこのまま放っておく訳にもいかんでしょうが。こっちは僕と晶だけで大丈夫なんで、恭也さんは忍さんをしっかりとエスコートしてあげて下さい」

いやまあ。
僕も晶が言っていることの意図は理解できているから、ちゃんと乗りはするけどさ。

「じゃ、オレらはそういうことで!」
「忍さんもまた今度おぉぉぉ~~~……」

未だ困惑している恭也さんにそれだけ言うと、晶は僕の腕を引っ掴んだままその場を走り去った。後には僕が出す声のドップラー効果だけを残しながら。腕が痛いって。



**********



「……気を使われちゃったかな?」
「かもしれないけど、……まあ、月村さんは気にしなくても構わないよ」
「そっか。じゃ、晶と春海くんには今度お礼を言うだけにしとくね」
「ああ」
「それで、春海くんが言ってたけど。……高町くんはわたしを一体どこにエスコートしてくれるのかなー?」
「あー……それじゃあ、向こうのゲームセンターにでも」
「あははっ。それじゃあ、行こ!」



**********



「はぁ、はぁ。こ、ここまで来りゃあ大丈夫だろ……」
「なんで全力疾走で走り去ってんだよ、お前は」
「はぁ、はぁ、うっせー……」

僕の目の前には、わざわざ商店街の端にある駅前のドラッグストアまで全力で走ってきた馬鹿いた。
途中から全力疾走する彼女の背に乗っていたため全く疲れていない僕は、目の前で自分の膝に手をついて呼吸を整えている晶の背中を擦ってやりながら、

「それにしても、ちょっと意外だったよ」
「……何が、だよ」
「いや、わざわざ忍さんを送るように恭也さんを残したこと。てっきり忍さんはライバル的なアレかと思ってたんだけど」

僕からすれば、高町家における女性陣の約半分ほどは多かれ少なかれ恭也さんに惹かれているように見えていたのだが。にも関わらず、同じく彼に惹かれているであろう忍さん(以前の月村家訪問でしっかり解かりましたとも。くそったれ)の相手を恭也さん本人に任せるとは。
もちろん彼女たちがドロッドロの愛憎劇を繰り広げるとは思っていないけど、それでも恋の鞘当てレベルの駆け引きのようなものはあると考えていたのだが。

「ライバル……? 何のことだよ?」

しかし、晶はそんな僕の問いに対して心底わからないと云った具合に首を傾げていた。……あれ?

「いやいや、だから恭也さんの相手的な意味で」
「ああ、そういうことか。確かに師匠と忍さんってお似合いだよな~。あの2人ってクラスも同じだし。そうそう、最近じゃいっつも一緒にメシ食ってんだぜ」
「えっ?」
「えっ?」

おかしいな。話が噛み合っているようで噛み合ってない。

「つかぬことお聴きしますが」
「おお、どうぞ」
「城島晶様は、高町恭也様のことをどう思っているのでしょうか」
「尊敬する師匠で、大事な家族だ」
「こいつ自分のことに気付いてねえ!?」

いや、「大事な家族だ」とか真顔で言い切っちゃうその男前っぷりは僕が女なら惚れるレベルだけどさッ。
他人の恋愛事情に聡いくせに自分の気持ちには全く気付いてないところとかメチャクチャ主人公体質だけどさッ!
無意識的にとはいえ好意を抱いてるはずの男をあっさり別の女性の送り役に付ける辺りかなりいい女だけどさッ!!

「さっきからどうしたんだよ、春海。なんか変だぞ?」
「いやー、別に何でもなかったわー。よく考えたらお前ってそういう漢キャラだったわー」
「?……確かにオレって男っぽいけど、一応は女だぞ?」
「気にするな。お前は意外といい女になりそうってだけだから」
「???……ま、いいや。とっとと買って帰ろうぜ」
「はいはい」

僕の言葉に再び首を傾げていた晶だったが、今度はすぐに気にしないことにしたのかドラッグストアの中に入って行ってしまった。ので、僕もその後ろに続くことにする。


もし仮に恭也さん争奪戦のようなものがあったとして、その勝敗は案外簡単に着いてしまうような気がしてならない僕だった。





「───みたいなことが今日あったんだよ」
「ふふ、晶ちゃんらしいなぁ」
「くぅん!」

深夜。

例によって例のごとく本日の霊関係の仕事も無事に終えた僕は、その帰りの道中に那美ちゃんに昼間にあったことを掻い摘んで話していた。

もっとも、霊関係の仕事と言っても今日は海鳴にある霊脈(土地にある大きな力のようなもの)の点検・調整だったため大して労苦もなかったが。そもそも霊脈関係は風水に通じる側面もあるため、風水を司る陰陽師たる僕でも多少は手伝うことができたし。
那美ちゃん本人も、いつかの狗霊の一件以来、それまで僕たちに対してどこか余所余所しかった部分も抜けて、よく笑顔を見せてくれていた。ここ最近の仕事では霊を退魔による強制でなく鎮魂による和解で祓えていることも彼女が好調である要因のひとつだろう。


現在の僕の姿は葛花の力を借りて大人バージョで、これは今日の仕事現場に僕たち以外の人も居たからだ。対する那美ちゃんも今日はさざなみ寮も近いということで巫女服のまま。その上から上着を羽織っている状態であり、その隣を歩いている久遠ちゃんも今は金髪童女の姿で那美ちゃんと手を繋いでいる。

つまり、今の僕は『巫女服姿の女子校生と小さな女の子を連れて深夜の海鳴を徘徊している奇妙な男』という非常に怪しげで危なげな絵面になってしまっているのだが、その辺りは肝心の那美ちゃんが気付いていないようなので敢えて指摘しない。

どうにも那美ちゃん、小さな頃から着慣れているせいか巫女服のことを一般の仕事着と同様のものと見なしているきらいがあるようで。
確かに巫女服というのは本来神職に属している女性が身につけるべき装束であり、世間一般の常識に照らし合わせれば立派な仕事着の一種と言えるのかもしれないが、……残念ながら那美ちゃん、現代では萌え産業という非常にアレな文化が広まってしまっているせいで、巫女服というものに対してそんな純粋な見方をしてくれる人はとても少ないんだよ。教えてあげないけど。


閑話休題。


そういうわけで、今の僕は仕事帰りの雑談として他人の恋バナに花を咲かせるという実に無責任な諸行に及んでいた。

『無責任という自覚はあるんじゃな』
<いや、割と真面目な話、こういう系統の話題って那美ちゃんかリスティとしか話せないしなぁ>

僕も7年も子どもをやってるといろいろ飢えてしまうのだから、ちょっとくらい勘弁してくれよ。

『儂がおるじゃろ』
<え? お前って恋バナできたの?>
『初恋は1000年くらい前でした』
<ありえないスケールだ……>

まず年代から曖昧すぎるだろ。範囲どんだけあるんだよ。

『まあ相手の顔も覚えとらんがの。そもそもそんな者が居たかどうかもわからん』
「曖昧すぎるにも程があるだろ!?」

いや、それもう曖昧っていうか単なる捏造じゃねえか! 事実関係から疑わしくなってるじゃん!

『ちゅーか、実際問題1000年も前のことを鮮明に覚えていられる訳なかろう』
「あー……まあ、それは確かに」

生憎と僕は1000年も生きていないから何とも言えないが、10年もすれば記憶なんて結構色褪せてしまうものだしな。その百倍ともなると果たしてどうなっていることか。

と、思わず葛花の言い分に納得していると。

「は、春海さん……?」
「くーん……」

気がついたら、突然叫びだした僕に那美ちゃんたちが軽く引いていた。

「待つんだ那美ちゃん。その可哀そう人を見る目をすぐに止めるんだ。僕の中にいる馬鹿が馬鹿なこと言ってるだけだから」
『ひどい言い様じゃのう』
<良いから、お前はちょっと黙ってろって。那美ちゃんと話しながら頭の中で会話するのってすごく疲れるんだから>

できないことは無いけど(そもそも、そうでなければ式神を操ったりできないし。あれはあれで中々に高度な術なのだ)。
あと、書き分けが面倒だというメタな理由もあるのだ。

『しゃーないのう』

それでも一応は僕の言葉に納得してくれたのか、それっきり葛花は黙ってしまった。頭の中に感じる気配も薄くなっているから、意図的に意識の深層部位にまで引っ込んだのだろう。

というわけで、僕は那美ちゃんとのお話を存分に楽しむとしようじゃないか。

「そういえば、那美ちゃんって昼は美由希さんと服を買いに行ったんだって?」
「あ、はい。と言っても、今日はどんな服があるか見に行っただけなんですけど。買うのはもうちょっと考えてからにしようかなーって」
「そっか。……ところで、那美ちゃんにちょっと訊きたいことがあったんだけど」
「はい?」
「いや、大したことじゃないんだけど。美由希さんと転んだときにどうしてるか話し合ってたんだって?」

笑顔で訊いた僕に、那美ちゃんはギシッと固まって歩みを止めると、まるで油を差していないロボットのような緩慢さでこちらに顔を向けて。

「な、なんで知ってるんですか……?」
「晶が言ってた。何と言うか、なかなか可愛らしい話題で盛り上がってますね」
「~~~ッ!?」

彼女は僕の言葉にみるみる顔を真っ赤にすると、わたわたと弁解するようにこちらに詰め寄ってきて、

「そ、その、違うのっ! 確かにわたしも同じタイプの美由希さんに会って嬉しかったけど、あれはそういうことじゃなくて!」
「そういうことって?」
「それはっ、えっと、その……」

笑みを浮かべながら蒸し返す僕。たぶん、傍から見てもとってもイイ笑顔なんだろうなー。
なんというか那美ちゃん、おもしろすぎるよ。

そのまましばらく視線を右に左に彷徨わせていた彼女だったが、やがてからかわれていることに気付いたのだろう、最近珍しくなくなってきたジト目でこちらを睨む。

「……春海くんのいじわる」
「ククッ、ごめんごめん、悪かったよ。謝ります」
「知りませんっ」

素直に謝罪する僕だったのだが、やはり含み笑いしながらというのはマズかったか。那美ちゃんは僕から顔を背けるようにそっぽを向くと、笑顔で僕たちを見ていた久遠ちゃんの手を引いてスタスタと先に行ってしまった。

まあ、そもそも歩幅が全然違うから余裕で追いつけるんだけどさ。
僕は未だ収まらない笑いを堪えながら彼女たちを追いかけ、再び謝罪の言葉を口にしようとして───あることに気が付いた。

「……那美ちゃん。髪、伸びた?」
「はえ?」

唐突な僕の言葉に、那美ちゃんがちょっと間の抜けた声を上げながら振り返った。その際に、彼女の後ろ髪がふわりと宙を舞う。
間の抜けた声というのは当の本人も自覚があったのか、那美ちゃんは恥ずかしそうにコホンと咳払いをして仕切り直してから、

「どうしたの、突然?」
「いや、さっき気がついたんだけどさ。那美ちゃん、初めて会ったときに比べて髪が伸びたなーって。ほら、最初に会ったときは肩に掛かるくらいだっただろ?」

僕の指摘に那美ちゃんは自分の茶色の髪の毛を手に取った。その長さは彼女の背中の中ほどまで届くほどになっていて、明らかに以前よりも意識的に伸ばしていた。

那美ちゃんはそのまま自分の髪を梳くように流しながら数秒ほど黙ってそれを眺めていたが、やがてさっきまでと異なる、弱ったような笑みを顔に浮かべると。

「……ちょっとした、願掛けなんです」
「願掛け?」
「そう」

オウム返しに訊き返す僕に頷いてから、彼女はくるりと後ろを向き、そしてこちらに背を向けたまま歩きだした。

その後ろ姿から彼女の表情は、杳として知れなかった。


「───今年、『約束』が全部無事に終わって、それから先もいつもの日々が続きますように。これは、そのための願掛けなの」


「くーん」

彼女の友達が、寄り添うように一声鳴いた。繋いでいる手を、きゅっと強く握りしめていた。

彼女はそれを握り返し、金色の少女に淡く微笑んだ。



「……………………」

そんな彼女たちを、僕は後ろからじっと見ている。

僕は自分のことを気の利く人間だとは思っていないし、特別察しの良い人間だとも思っていない。
相手が言った言葉の行間に隠れている本心を読み零すことなく全て読みとれるような、便利な特技を取得した覚えも無い。

ただ、そんな僕でもわかることくらいある。


───彼女の背中が、僕を拒絶しようとしていることくらいは。


華奢な背をこちらに向けて。
久遠ちゃんと2人だけで手を繋いで歩いて。

もちろん、那美ちゃん本人は明確な意思で僕のことを拒絶しようとしている訳ではないのだろう。
彼女は優しすぎるくらいに優しい子だ。真正面から相手を否定するなんて出来はしない。

それでも。
そんな彼女の言葉が。背中が。繋いでいる手が。一つ一つが強く僕を寄せ付けないようにしていると、僕には感じられて仕方なかった。



───だから僕は、早足に那美ちゃんの横へと並び、彼女の空いている左手を取った。





**********



「春海くん……?」

彼の突然の行動に驚く那美もそのままに、春海はその手を離すことなく歩を進める。
顔を横に向けると、不思議そうに見上げてくる視線と目が合った。そうして見つめ合う形になりながら、ゆっくりと口を開く。

「……那美ちゃんが何のことを言ってるのか、僕には半分も理解できない。何も教えてもらってないし。だからって、そのことをわざわざ訊く気もないよ。……那美ちゃんだって、その方が良いんだろ?」
「……うん」
「僕たちは何処まで行っても他人でしかないんだから仕方ないことでもある。こうやって一緒に仕事をしてるのだって元々は僕のワガママなんだから、そのうえ那美ちゃんの邪魔をしたくないとも思う。───でもさ、」

春海はそこで言葉を切ると、繋いだ手を目の前まで掲げた。自然、それを目で追った那美と視線が絡む。どこか呆然としたまま目を逸らそうとしない彼女の澄んだ瞳を覗き込みながら、あるいは覗き込まれながら、彼は子どもを叱るように視線を鋭くした。

「だからってね、さっきみたいに目の前で女の子が辛そう顔をして、それでもそれを見て見ぬフリが出来るほど、僕は君のことをどうでもよく思ってる訳じゃない」
「そんな顔……」
「してない? 本当に?」
「……ごめんなさい」
「……うん、よろしい」

目を伏せて謝る那美。そんな彼女の様子に春海は一転してふにゃりと表情を緩め、言葉を翻した。

「まあでも、別に僕の前であんな顔をするなって意味じゃないけどね」
「……え?」

何を言われたのか解からないといった様子の那美に対して微笑んで、春海は歩こうか、と一声かけた。彼女の手を引くようにして、感じる柔らかな感触に頬を緩める。

「むしろ、僕としてはそうしてくれた方が嬉しい。それだけ那美ちゃんが僕のことを信用してくれてるってことだから。というか、そうじゃなかったら半年も一緒に仕事しないよ?」
「……」
「それこそ、我慢できなくなったら愚痴ってくれるだけ良い。何なら弱音でも構わない。そのときは那美ちゃんが言ってくれること、喜んで全部聞くさ、……ま、気楽に聞き流すって言ったほうが良いかもだけど」
「……聞き流しちゃうの?」
「那美ちゃんは、僕に暗記するほど真面目に聞いて欲しい?」

冗談めかして返した春海に、那美はやっといつものような柔らかな笑みを浮かべて、静かに首を横に振った。彼の心遣いが今の彼女にはとても心地よかった。

「人は万能じゃないんだ。自分だけで抱え込んでも煮詰まって行き詰るのがオチだよ。本当に何でも構わないんだ。そうなったら───もしくはそうなる前に、出来ることなら言って欲しい」
「……うん」
「───それこそ、那美ちゃんが美由希さんと話してたみたいに」
「はぅわ!?」

春海の唐突な話題転換に、那美が年頃の女子にあるまじき奇声を上げた。那美はみるみる頬を紅潮させると、普段の彼女からは想像できないほど機敏な動きで春海に詰め寄り、

「~~~っ!? なんでそこでオチをつけるの?!」
「いやー、ごめーん。僕ってそもそもこういうのキャラじゃないし、何よりこのノリちょっと恥ずかしくなっちゃった」

そう言って那美から目を逸らして笑う春海の表情は、なるほど、確かに彼の言う通り少しばかり照れくさそうで僅かに頬が赤かった。

が、当の那美本人はそれどころではない。春海の言葉に不覚にもほんのちょっぴりドキドキしてしまったことや、にもかかわらず茶化されてしまったこと、更にはそもそも彼はまだ小学1年生であるという事実を思い出して、もう恥ずかしいやら情けないやら恨めしいやらで彼女の頭のなかはもう大変なことになっていた。

「~~~ッ、なっちゃった、じゃないってばーっ!! わたし今すっごく感動してたんだよ!?」

ついに目元には涙まで滲ませ始めた那美に若干ゾクゾクしながら(!?)、それでも春海はクツクツ笑って前を向き直った。

のんびり歩きながら、横目でこっそりと彼女たちを覗き見る。

隣では、こちらを見上げる那美がまだ何かしら文句を言っていて。

「くぅん♪」

その更に向こう側を見ると、自分たちのやり取りを見守っていた久遠のニコニコした笑顔が視界に入った。


大学生くらいの男と、巫女服を着た女子高校生と、同じく巫女服を着たキツネ耳の童女。
傍から見れば限りなく奇妙なシルエットの3人組は、月の光に照らされた夜道を、全員で手を繋ぎながら歩いていた。





「はい、到着」

それでもやがては目的地まで辿りつく。見えてきたのは、那美と久遠が帰るべき場所である、“さざなみ寮”。

「んじゃ、僕ももうこの辺で。真面目な仕事の終わりでこんなこと言うのもアレだけど、今日も楽しかったよ」

ここまでの道のりで謝り倒したのが効いたのか、ようやく機嫌を直してくれた那美が返事を返してくれる。

「ううん、そんなことないよ。こっちこそ今日はありがとう」
「くーん!」
「ああ、久遠ちゃんもありがとう。それじゃあ、また今度」

そう言い残して、春海も自分の家に帰るために彼女たちと道を別れ───、

「……春海くん」
「ん?」

那美の、その静かな声に呼びとめられた。
彼が振り返って見た先にあったのは、こちらを見つめる彼女の、どこまでも真摯な眼差し。

那美は彼と視線を合わせながら自分の胸元に当てた手を握り締めた。2、3度、大きく息を吐いて気を落ち着ける。そうして、やっとの思いで絞り出すように言葉を紡いだ。

「……今は、まだ言えないけど……でも、ぜったいに言うから。……わたしのこと。久遠のこと。───『約束』のこと。春海君にも、きっと全部説明します」
「くぅん」

彼女は不安げに表情を落とした。自然と上目遣いになって彼を窺ってしまう。

「だから、ね。……その時になったら、えっと、……ちゃんと……聞いて、くれる……?」
「聞くよ。全部ね」

春海は、自分でもびっくりするくらいの即答で返していた。

情緒もへったくれもない程の即断即決。彼のなかにいる葛花が聞いていたら、また迂闊だ何だとダメ出しを喰らってしまいそうだと、どこか冗談のように考える。


───ただ。


だからこそ、そんな彼の本心は彼女にしっかりと伝わったようで。

「……あはは、そっか。……ありがとう」

そう言ながら微笑む那美の顔は、まるで泣き笑いのように奇妙なものとなっていた。少なくとも、傍にいる久遠がそれを慰めようと必死に背伸びして頭を撫でようとするくらいには。


だが。

それでも。

「……どういたしまして」

それでも、そんな彼女の表情を、春海は純粋に綺麗だと感じていた。










「───葛花」
『なんじゃ?』

さざなみ寮から自宅までの道すがら。春海は自分のなかで今の今まで黙りこくっていた葛花へと呼びかける。いつものように大型のキツネに変身した葛花に跨るでもなく、月光の下を歩くその姿は青年のもののままだった。
彼は自分の内から声が返ってきたことで彼女も先程の春海と那美のやり取りを聞いていたことを確信する。いつもなら小言の一つも言うところだが、今だけはそれは都合が良かった。

これから訊くことの手間が省けるというものだ。



「───お前って、ひょっとして那美ちゃんが言っていたことの意味、わかるんじゃないか?」



『なぜそう思う?』

春海が問うた疑問に葛花は答えを返すでもなく、むしろ逆に彼に問い返してきた。それに戸惑うこともなく、春海はその問いに端的に返す。

「なんとなく」

つまりは、ただの勘。

ただ、春海としては勘よりも更に確信めいたものを抱いていた。
葛花のパートナーとして、彼は7年以上も共に在ったのだ。彼女のことを察する程度の繋がりは自負している。

『ふむ』

葛花としてもその答えで満足だったのだろう、一息入れて、そうして最初の疑問に答えた。すなわち───

『わかるかわからぬかと問われるのならば、わかる、と言える』

肯定。

それに春海が何かしら言うよりも前に、葛花は彼の頭のなかに音なき声を響かせた。

『わかる、が……なんじゃ、訊きたいか?』

面白がるような、楽しんでいるような、とにかく喜悦に綻ぶ感情を声に乗せて再び問う葛花。
そんな彼女の声に、春海も口元を微かに歪め、薄く微笑む。

「いや、逆だよ、逆。知ってるのなら、言わないようにな」
『ほう。それまたどうしてじゃ?』
「……約束しちゃったからな。全部聞く、って」

夜の海鳴を視界に収めながら彼が思い出すのは、不安に曇らせた少女の表情。次いで、こちらの返答を聞いて安堵した表情。あんなものを見せられて、まさか自分がそれを破る訳にもいくまい。

『ま、お前様がそう言うのであれば儂としてもわざわざ言わん。面倒じゃしのう』

そう考える春海に、いつの間にか彼の内から出てきていた相棒が背後から抱きつく。

「っとと……!?」

首元に回された冷たい両腕の感触を感じる暇もなく、突然低くなった視点に思わずたららを踏んだ。
それでもどうにか持ち直し、さすがに横から突き出してきた幼い美貌を軽く睨む。

「危ないな。急に出てくるなよ」
『ふん。いい加減ぬしのなかで黙っておるのも飽いただけじゃ。このまま運べ』
「はいはい……」

相変わらずの尊大さに嘆息し、それでも従ってしまう自分の奴隷根性に更に溜め気を吐いた。まあ相手は霊体で、重さもほとんど無いに等しい存在だ。そのくらいは構わないだろう。
そう考えて、彼の身体をよじよじとよじ登って肩車の体勢に移行し始めた葛花に頓着せずに、海は目の前にある舗装道路に歩みを進めた。傍から見ればなんとも怪しい光景だろうが、舞台は深夜の山奥なのだ。どうせ周りに誰も居やしない。

にょっきりと自分の顔の両横に突き出してきた白い素足を視界の隅に収め、内心「うっとしいなぁコイツ」とか考えながら、ふと気になったことを訊いてみた。

「そういえばさー」
『なんじゃい』
「もし僕が『教えてくれ』って言ってたら、お前どうしてたんだ?」
『はっ、そんなことか』

春海の疑問に、葛花は目の前にある彼の髪をグシグシと弄りながら答えた。至極つまらないことを聞いた、と言わんばかりに興味無さげな感じで。

『女の秘密を嗅ぎ回ろうという我があるじに呆れ果てて、言葉も出んかったじゃろうな』

つまり、どっちにしても答える気はなかったということである。

「……いや。なら何で『訊きたいか?』なんて訊いたんだよ」

意味無いじゃん、とぼやくように続けた彼に、白い狐は自身の口をまるで三日月のように吊りあげながら返した。

『なに、ただのデリカシーチェックじゃ。カカカッ、よかったのう、我があるじ様? あそこで「訊きたい」などと答えておったら、今ごろ儂からロリコン垂涎の軽蔑の眼差しを向けられておったところじゃぞ?』
「……さいで」

それともその方が良かったかの? などと言ってニヤつく葛花。
その腕に頭を抱きしめられながら、ヒクヒクと引きつる頬を自覚する春海だった。



**********



「ただいま~」
「くぅーん」
「お。おかえり、那美」
「リスティさん。はい、ただいま戻りました」
「くぅん」
「はは、久遠もおかえり。2人ともお疲れさま。お風呂も今は空いてるから、すぐに入ると良い」
「ありがとうございますー。いただきますね」
「くーん♪」
「ああ。……那美、何かあった?」
「んぅ?」
「すごく嬉しそう」
「そ、そうですか……?」
「くぅん」
「うん。良いことでもあった?」
「あはは……ありましたよ、と~っても良いことが」
「そうなの?」
「えへへ……はい♪」
「そ。……ま、よかったじゃん。ほら、まだまだ外は寒いんだから、早いとこ風呂に入っちゃいなよ」
「あ、はい。じゃあ、いってきますね」
「くぅんっ」
「いってらっしゃーい」

ぱたぱたぱたぱた。

「…………春海の奴、まさか那美のこと口説いてるんじゃないだろうな」





「───へっくしゅ」
『風邪か?』
「……なんかすっげー不本意なこと言われた気がする」










(あとがき)
第十七話、投稿完了しました。

さて。

今回の話で晴れて原作「とらいあんぐるハート3」のストーリーが開始と相なりましたが、どんな感じでしょうか? まあ、とは言っても原作における忍編と那美編の問題が一部覗いていた程度で、大筋の雰囲気は今まで然程変わりませんが。
原作という原型が既にあるおかげで一応プロット自体はだんだんと出来あがりつつのですが、なにせストーリー的には完成している原作の話を膨らませながら、尚且つ本史からすれば異物であるはずの今作主人公を何らかの形で絡ませないといけないということで、その辺りもちょっと戸惑ってしまいました。というか、きちんとプロットを作ったのもこれが初めてだったので余計に。今まではその場その場の場当たり的に話を書いてましたしね。

次からは原作忍ルート以外での登場人物たちの話は少しお休みとなります。その分月村家の人々が出張ってくることにはなるとは思うのですが……恭也兄さんと忍姉さんのイチャイチャが止まんねぇぇええええ!!! なんで自作主人公を恋愛させないで原作主人公の恋愛書いてるんですかね、私。まあ原作的にしょうがないんですけど、忍は恭也の嫁なので。並行世界(平たく言うと『“春海による”忍エンド』)ではわかんねえけどな! というかそもそも恋愛関連は作者的に鬼門の域で苦手分野なのですが……(え

愚痴っぽくなってきたので、そろそろこの辺で。

今週末からちょっと旅に出るので、次の更新は少し遅れそうです(またか、とか言わないで。まじでスミマセン……)

では。



[29543] 第十八話 考えるな、感じるな、行動しろ
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/03/27 19:49
土曜の授業も午前で終えた学校帰り。昼を回ったばかりの太陽は未だ天高く、寒さの中に僅かに混ざる暖かさがすぐそこまで迫った春を僕らに教えてくれる。
とは言え、朝にテレビの天気予報お姉さんが教えてくれたように最近は右肩上がりの平均気温であろうとも、大半の人間にとっては季節的にまだまだ残寒が厳しい。そんな頃合いだ。

「ほら、なのは! いそぎなさいよ!」
「なのはちゃん、はやくー」
「ちょ、ちょっとまってよーーー!?」

ただ、そんな中にあっても、僕の目の前を元気に走っているアリサ・すずか・なのはのお子様3人娘には微塵も関係ないのだろう。

現在位置は学校から高町家までの道程の中途にある、ちょっとした住宅街道路。今日は学校が終わればなのはの家で遊ぼうと言うことになっていて、今はその帰宅道中だ(ちなみに僕は例によって例の如く剣術の練習日なので高町家に向かっているだけで、今回は3人とは完全に別件である)。
ならさっさと通学バスで帰れば良いじゃない、とは思うものの(実際、僕もそうツッコんだ)、彼女たちにとってはこうして自分の足でワイワイしながら歩いて帰ることも遊びの一つらしい。これは効率を求める大人とは違う、何事も楽しむ子ども特有の感性なのだろう。彼女たちのこういう所は非常に好ましいと感じると同時に、僕も少し見習いたいと思う。

そんな訳で、今はアリサがビシッと指差し言った『あそこの角まで競争よ!』という力強い宣言によって、唐突に始まった小学生幼女対抗レースの途中なのだが……

「そういやこのメンツって、お前だけ運動音痴だったな」
「ち、違うっ、もんっ! なのはっ、だってっ! 走るっ、くらいっ! できるっ、もんっ!!」

なのは1人だけが見事に遅れていた。

彼女は自分の後ろについて走る僕(ぶっちゃけ速度的には競歩レベル)の言葉にヤケクソ気味に叫び返しているものの、先の台詞からわかる通り、既にその可愛らしい顔を真っ赤にしてゼーハーと息切らしている状態である。

「そう言っても、アリサもすずかも既に豆サイズだぞ」
「なのはだって、がんばって、走ってるのにー!」
「いやもう僕歩いてんだけど」
「春くんのいじわるー!!」

のったり(いや、速度的にこの表現が一番しっくりくるんだって)と手足を前後しながら叫ぶなのはではあったが、残念ながらその速度は僕の歩行と同程度にまで落ちてしまっていた。相も変わらず悲しいくらい体の使い方が下手クソな少女である。

いや、体力や脚力が無いわけじゃないのだ。本当に。

仮にもなのはだって士郎さんたちの娘なのだから、身体は健康そのもの。恭也さん曰く、基礎能力だってそこまで悪くはないらしい。握力は平均よりややあるくらいだし、体の柔軟性も普段から運動をしていない割には高い。ただ、悲しいくらいその使い方が下手なだけで。今だって、体力は普通よりある筈なのに手足の振り方が致命的に下手っぴなせいでムダに体力を減らしているだけなのだ。

ほんと、色々と歳の割に偏った娘さんだこと。

「ほら、もうここまで離されたなら少し落ち着けって。無理するな」
「うー!!」

なので、この辺でヒーこら言いつつも走るのを止めないど根性なのちゃんに、改めて制止の声をかける。

「いきなり止まるなよ。ちょっとずつ速度落とせ」
「……はーい」

僕の言葉に間延びした返事を返し、徐々に手足の振り幅を落としていくなのは。それでも速度がさっきまでと殆ど変わっていない所に、もう笑えばいいのか泣けばいいのか。

僕はなのはの横に並んで歩きながら、先に行ったアリサとすずかを見やる。すると彼女たちの姿はすでになくなっており、視界のなかには影も形もない。それを見て、角を曲がったところにいるのだろうと当たりを付けた。付けたは良いのだが───

「んー?」
「うーにゃー。春くーん、どーしたのー?」

僕の口から漏れた疑問の声に、疲労からだっるだるの返事を返すなのは。特に黙っておく理由もないので、僕もすぐに言葉を返球。

「いや、大したことじゃないんだけどな。アリサやすずかなら、お前が遅れたらゴールの所でこっちを見てそうなのに、って思って」
「あ、ほんとだ。2人ともいない」
「まさか遅すぎるなのはに気付かなかったとかじゃないと思うんだが」
「うぅ……、春くんはやっぱりいじわるさんだよぉ……」
「泣くな泣くな」
「泣いてないもん! もー! 春くんは、もーっ!」
「鳴くな鳴くな」
「鳴いてません!」

最近なのはのツッコミスキルが上がっていることに、不安なような楽しみなような妙な心地になる僕であった。


そんな感じになのはと楽しくお喋りをしていると、僕たちも件の角に追いついた。

ので、その角を曲がると、───案の定そこには先に行っていたアリサとすずかの姿があった。あった、の、だけど、……

「何してんの、お前ら。そんなトコにしゃがんで」

彼女たち2人は、角を曲がってすぐの所でこちらに背を向けるようにして膝を折っていた。具体的には地面にある何かを覗き込んでいる感じ。

僕の言葉に反応したのか、アリサとすずかはゆっくりとこちらを振り返る。その表情はどこか弱っているような、悲しんでいるような不安げなもので。そのことを不審に思っていると、2人の身体の間に出来た隙間からはその向こう側が覗いていた。自然と、そこへ向かう僕となのはに視線。そこに居たのは───


「───ねこ、さん……?」


右前足から血を流し、ぐったりと横になったまま目を閉ざした、藍色の毛並みをした一匹の猫だった。



僕となのはが改めて2人から話を聞くと、どうやらこの猫はアリサたちがゴールしたときには既にこうして気絶していたようだ。大きさは成猫と子猫のちょうど中間ほどで、もともとは車道のすぐそばに倒れていたのだそうだが、いち早くそれに気づいたすずかが慌てて飛んで行き、この歩道にまで運んできたらしい。

「この子、ケガしてる……」
「は、はやく病院につれてってあげましょ!」
「そ、そうだね……っ!」

横になったまま目を覚ます気配がない猫をなのはが心配するように覗き込み、何とか持ち直したアリサとすずかが俄かに叫ぶ。アリサは自分の携帯電話を取り出しているのは、たぶん執事兼運転手である鮫島さんを呼び出すためだろう。


(あー……)

そして、そんな彼女たちを、僕は弱った心地で眺めていただけだった。

(そりゃあ、そういう反応だわなぁー……)

端的に言うと、少々困惑している。



誤解を恐れずに言うのなら、僕は目の前の猫を助けてやるつもりはあまり無かったのだ。



もちろん僕だって人間だ。眼前で動物がケガをしていれば同情するし、感傷的になりもする。助けたいし、病院に連れて行ってやりたいとは思う。
だが、思うだけだ。
別に、病院で診察を受けるには金がかかるだとか、病院まで走って行くのは疲れる、なんて瑣末事を気にしている訳ではない。金が足りなければ母親に土下座でもして小遣いを前借りすれば良いし、そもそもココから病院まで猫を抱えて走ることに掛かる労力なんて僕にとっては何でもない。何なら、アリサがこれから呼ぶはずの自家用車があれば距離の問題など即座に解決する。

僕が気にしてるのは、そんなことじゃない。───僕が懸念しているのは、その後のことだ。

ケガをした野良の動物を助ける。確かにそれは悪いことじゃない。むしろ簡単に出来ることではない、非常に尊い行為だ。少なくとも、即座にそう行動しようとする彼女たちの友達であることを、僕が誇りに思う程度には。

しかし、生き物というのは助けたらそれで終わりではない。傷を治し、病院が必要なくなったその後まで面倒みるということが必要不可欠となる。その後にまたケガを追うかもしれない野良に返すくらいなら、今ここで放っておけば良いのだ。後の面倒をみるつもりも無いのに傷を治してしまうというのは、再び危険な野生の生活に戻ることを強いることと同義で。

それは、ただの自己満足でしかない。

重ねて言うが、『助ける』という行為そのものが悪い訳ではない。

でも、一つの命に干渉するのなら、それに伴う───伴ってしまう責任というものを、彼女たちには理解して欲しいのだ。その責任なくして無闇矢鱈と助けては、それは文字通りの『無責任』でしかない。
少なくとも、僕の家には葛花という飼い狐がいる以上親に頼む訳にはいかないし、なのはの家では原則ペットは禁止。アリサは犬を何匹も飼っているし、すずかの家はご両親が厳しいはず。とてもではないが、どこも子猫とはいえ動物を養える環境が揃っているとは思えない。僕がこの猫に対して出来ることは、すずかがしたように倒れていた車道から移動させてやるくらいか、せいぜいこの場で簡単な治療を施すことが限界だと思っている。

……ただ。

(……どう考えても、小学一年生の女の子相手に同級生の友達が言うことじゃないよな……)

そこまで思考して、僕は心のなかで嘆息する。

それに、こんな小難しい屁理屈を今の彼女たちに話して、それで彼女たちの心の内に影を落としてしまってもいけない。しつこい位に言うが、命を助けることは悪いことではないのだ。これから先に彼女たちが同じような場面に遭遇してしまったとして、そこで行動を躊躇うような人間には、出来ることならなって欲しくない。

というより、初めからこの猫を見捨てる気だった僕が言って良い言葉では、絶対にない。損得勘定も考慮せずに無心に猫を助けようとしている彼女たちと、解かったような口を叩いておきながら何もしない僕でなら、どちらがより最低なのかは今さら議論の余地もないだろう。

「……いや、そうなんだよ。……最低なのは僕なんだよ」

慌てふためきつつも意外と的確に行動している彼女たちを見ながらそう結論づけて、僕は微苦笑する。

自分で最低なことをしているとわかっていて、僕は何で行動することを躊躇っているのだろう。

どうにも、中身は20歳を過ぎていようと、未だに彼女たちから学ぶことが多いような気がしてならない。そのことに苦笑いしたいような、自分を殴り飛ばしたいような、妙な気持ちになってしまう。たぶん、僕が大人の身体なら夜にでも1人で酒を飲んで黄昏てるだろう、そんな気分。……解かり辛いな。

ま、いいさ。その後が重要だと言うのなら里親でも何でも探してやろう。幸い、僕の知り合いはみんな交友関係が広いみたいだし、全員に訊いて回れば猫を飼いたいという人の1人や2人、簡単に見つかるだろう。見つからなければ海鳴にある民家を一軒一軒回ってやればいい。

僕は不安げに猫を覗き込む3人を尻目に、ポケットから自分の携帯を取り出した。電話帳の中から特定の番号を選択。プルルルッ、というお馴染みの音を数度聞き、……やがて相手が電話に出た。

「あ、もしもし───愛さんですか?」

電話の相手は最近よく遊びに行く女子寮のオーナーで、───『獣医』だった。





「カラスにでも襲われちゃったのかな。傷口はちょっと大きかったけど、治れば普通に歩けるようになるから安心してね」

それが、治療を終えて洗った手を拭きながら愛さんが言った台詞だった。

「ほんとですかっ?」
「わぁ、よかったねー! ねこさん!」
「どうもありがとうございました!」

あの後。

電話で僕が愛さんにケガをした猫のことを話すと、彼女は二つ返事で治療を了承。アリサたちが猫を見つけた場所から病院までが比較的近いこともあって、抱えた猫を極力揺らさないように努めながら駆け込んだ。

槙原動物医院。
さざなみ寮オーナーである槙原愛さんが開業し、住宅街の外れ辺りに建っている動物病院だ。立地的にはさざなみ寮と住宅街のちょうど中間程度。

既に僕から状況を聞いていた愛さんは、僕たちがやって来てケガをした猫を見せるなりすぐさま治療を開始。ただ、それも彼女が治療室に籠ってから30分くらいで再び出てくると、僕たちに先の言葉を笑顔で告げた。


僕は愛さんに断りを入れて治療室の猫の元にまで駆け寄っているアリサたちを見送りながら、改めて目の前の女獣医さんに頭を下げる。

「今回は本当にすみません。急な電話なのに、ありがとうございました」
「いえいえー。春海くんから電話があったときは何ごとかと思いましたけど、こういう用件のときはガンガン電話しちゃってくださいね♪」
「……はい」

僕たちの急な来訪のことなど露ほどの迷惑にも思っていない、という朗らかな笑みで返す愛さんに、僕は頷き返しながらもう一度頭を下げた。

というわけで、

「あと、治療費の支払いのほうは後日にして貰いたいんですけど……構いませんか? 必ず持ってきますので」

残りはまあ、下世話というか、露骨に大人の話である。こればっかりは喜ぶアリサたちに任せる訳にもいくまい。

「ふふっ」

そんなことをしみじみ考えながら僕が言っていると、愛さんは小さく噴き出した。次いで彼女は僕と視線を合わせるようにしゃがみ込むと、さっきまでの朗らかな笑顔とはまた異なる、優しげな微笑みをこちらに向けてから。

「お金のことなんか気にしなくて良いんですよ。春海くんたちは今日、お金になんか替えられない、すっごく善いことをしたの。そんな君たちからお金を取ろうなんて思ってないから、ね?」
「いや、でも。流石にそれは申し訳ないですし……」

愛さんの返事に、それでも僕の口は尚も反論の言葉を紡ごうとした。元よりあの猫を助けようとしたのはアリサたちなのだ。愛さんから褒め言葉が、照れ隠しでも何でもなく、ただただ恥ずかしくて情けなかった。

でも、体の前でパタパタと腕を振って厚意を拒否しようとする僕に対して彼女は、

「それに、」

と悪戯っぽく笑い、こちらの耳元に顔を寄せると内緒話をするように小さく囁いた。

「実を言うと、この病院って野生動物を無料で治すことをモットーにしてるの」

あんまりおおっぴらに言えることじゃないんだけどね、なんて弱ったように微笑んで続ける愛さん。聞くと、治療した野生の生き物は後の里親のことも含めてきっちり面倒を見ることにしているらしい。今のさざなみ寮に住みついている猫たちの内の何割には、過去に愛さんが治療した猫もいるようだ。

それを聞いた僕は思わずさっきまでの自分への情けなさも忘れ、流石に少しばかり呆れた視線を彼女に向けてしまう。

「……それ、どう考えても採算取れてないでしょう?」
「あははー、こう見えてお金だけは無駄に持ってるので大丈夫ですよ? 何なら、さざなみ寮であのネコちゃんを飼っても構いませんしね」
「はあ……そう、ですか。……まあ、その、そういうことならお言葉に甘えさせていただきます。今日は本当にありがとうございました」
「はい、どういたしまして♪」

こちらの言葉にもまったく負の感情を覗かせない愛さんの眩しい笑顔に、僕は内心お手上げしながら再度の感謝の意を告げた。

なんかもう、ここまで実直に命を助ける姿勢を突き通されたら、素直に格好良いとしか言えねぇや。





あれから。

治療を終えて安らかに眠る猫を見て安心したアリサたちは改めて助けてくれた愛さんにお礼を述べると、直に愛さんといろいろ話をした結果、とりあえず今日のところは彼女に猫をお任せすることを納得。眠ったまま藍色の猫に小さく「バイバイ」と告げ、僕たち4人は改めて帰路に着いた。

多少遠回りになってしまったものの、既に士郎さんたちには事前連絡したということもあり、予定通りこのままなのはの家に遊びに行くことになった。

「ねこさん、無事でよかったね!」
「まったくよ。あたしたちが通りかかってホントよかったわ」
「道路で見つけたときは本当にびっくりしたよ~」

道路の端によってきちんと二列で歩いていると、振り返って言ったなのはの言葉に、その隣のアリサと、僕の隣を歩くすずかが晴れ晴れとした笑顔で返した。

僕はそれに意識して笑みを浮かべ、相槌を返すに留めておく。さっきから色々と考えている割に大人としての最善の行動が取れてない自分が少々情けなさすぎて、とてもじゃないが心から笑えるような気分ではなかった。具体的には自分の黒歴史がまた一つ増えてしまった感じ。全力で叫びながら壁を殴りたいです。

そうやって僕が3人に話を合わせていると、



「───それで、あのネコはどうする?」



唐突に、アリサがそう言った。

「う~ん、そうだなぁ……」
「うちは翠屋があるから、ペットは飼っちゃいけないし……」

アリサの言葉に続いてすずかとなのはが何事か言っていたが、僕の耳には入らない。

…………?…………え?

「……すまん、ちょっといいか?」
「なによ?」
「「?」」

3人の会話に後ろから割り込んだような形になってしまったが、当の僕はそれどころではなかった。

僕はどこか呆然とした自分を自覚しながら、こちらを見つめる彼女たちに尋ねた。

「どうするって……どういうこと?」

そんな僕の疑問に3人は一瞬きょとんとして互いに目を合わせ、それでも再び一斉にこちらを向いて。

「「「あのねこ(ねこさん)をだれが飼うか」」」

「……………………ぁあ、なるほどー」

異口同音に答える彼女たちに、僕は馬鹿みたいに頷きながらそれだけ返した。

いや、待て待て。

かう? 買う? Cow? ……飼う?

何を? あの猫を。

(ええっと、つまり……)

アリサたちは、あの猫を助けたときから既にその後のことまで考えるつもりだった訳で───……

「……………………………………………………………………………………はっず」

僕はその場でしゃがみ込んだ。体を丸くして顔を両手で覆う。そうしないと、耳まで真っ赤になった顔を彼女たちに見られそうだった。
僕の突然の奇行に目を丸くしている3人を肌で感じたような気がしたが、そんなものを気にしていられる余裕など今の僕には無かった。皆無だった。

(……………………死にてえ)

いやもう死んでしまえ。

あれだけぐだぐだと考えて。行動するまで責任がどうとか宣って。愛さんに慰められて。挙句にアリサたちは僕以上にしっかり考えてて。

これで自分は彼女たちより大人だとか。死んでしまえ、過去の僕。

「春くん!?」
「ちょっと、いきなりどうしたのよハルッ!?」
「おなか痛いの!?」

なのはたちの気遣いの声が聞こえてきて、それがまたとんでもなく情けない。傷口にハバネロぶち込まれたようだ。

つまるところ、また一つ、僕の中に黒歴史が生まれた瞬間だった。



そのまましばらく(具体的には反応のない僕を心配した3人が若干涙声になる頃まで)貝のようになっていた僕だったのだが、しかしそれでも何とか再起動を果たした。顔の赤みは退いたようだが、背中にかいた汗がすごく気持ち悪いです。
とりあえず立ち上がって3人に心配ないことを告げる。それでもコイツ等が普段通りの態度だったことが何となく悔しかったので、腹いせとして彼女たち3人をそれぞれ抱きしめてから改めて高町ハウスを目指した。唐突な僕からのハグに、なのはは不思議そうにしつつもこちらの背に手を回して抱きしめ返し、すずかはほんのりと頬を染めてされるがまま、最後のアリサにはこちらが抱きしめる前にやけに腰の入った拳で顔面ぶん殴られたが、どうにか誤魔化せたようなので良しとしておこう。

「───じゃあ、すずかの家であの子を引きとるの?」
「うん! 今は4月までパパもママも出張だから電話で聞くことになるけど、あとで家に帰ったら話してみるね?」

覗き込むようにして訊いてくるアリサに、すずかは何でもないことのように笑って返していた。

そう。

あれから本人の内でどんな思考の推移があったのかは定かではないが、突然すずかが僕たちに向かって「あの猫の面倒はわたしがみる」と宣言したのだ。

一応、僕のほうも知り合い連中に当たれば里親探しも何の問題もないから、別にすずかが無理をする必要はないとは説明したのだが、そんなものとは関係なく、すずかはあの猫の面倒をみてあげたいのだそうだ。まあ、こっちも彼女が猫好きなのは知っているし、今さら『ただ可愛いから飼いたい』なんて子供らしくも無知な理由でそんなことを言い出したとは思わないが、それでもこれは一体どういう事なのだろう。

───何より。

「でも、お前のご両親は許してくれそうなのか? 厳しい人たちだって忍さんから聞いてるんだけど」

僕が懸念しているのは其処だった。

僕自身、話を又聞きしているだけなので無責任なことは言えないが、忍さんに聞く限りでは、月村姉妹のご両親はすずかに対して中々に教育熱心な部分があるらしいし。そうでなくとも、去年あたり月村家にお邪魔した際、すずかは親に対して猫を飼ってみたいとは言い出し難く感じていると云うようなことをノエルさんが言っていた気がする。

もしかして彼女は妙な責任感から無理をしているのかも。そう思って確かめたことだったのだが……

しかし、そんな僕の言葉をすずかは首を横に振って否定すると、

「ううん、たぶん大丈夫だと思うよ。お父さんたちも猫を飼っちゃダメ、なんて言ったことないし。それに、ケガをした猫さんの面倒もちゃんとみてあげたいの。あの猫さんもせっかく助かったんだもの、さいごまで付き合って───」





「おお、やっぱりすずかやないかぁ。偶然やの~」





唐突な声が、すずかの言葉を遮った。



その妙に間延びした関西弁の声に僕たちが驚いて振り向く。

と、其処にあったのは、僕たちが歩いている歩道のすぐ横で停められた黒塗りの高級車。その後部座席部分の窓を開いて顔を覗かせた、1人の中年男。金縁の眼鏡をかけ、所々に白髪の混じった髪をオールバックに纏めており、その下はモースグリーンの高そうなスーツ。生憎と車の窓によって切り取られた視界では体格は判別し難かったが、贅肉でダルダルになった首元を見る限り、あまりスマートとは言えない体型の持ち主のようだ。

まあ高級車だとか高そうなスーツだとか金持ち要素を色々語ったが、ぶっちゃけ第一印象は中年太りしたただのおっさんである。なんと言うか、『前』や『今』で稀に会ったことがある実業家たち(アリサのパパさんみたいな)のようなオーラ然としたものが無いのだ。成金オーラは全身から滲み出ているような気もするが。

そんな中年男は何が可笑しいのか不自然にニヤついた笑みを浮かべたまま、全開にした窓からすずかに向けて言葉を続けていた。

「これからお前んトコ行こう思うとったんや。忍にちょ~っとだけ話があっての~。どや、ついでに乗ってくか? 車の中はジュースもあるぞ?」

正直、この時点でこの中年男の印象は僕の中でやや右肩下がりに下降気味である。いやまあ、そりゃあ確かに、間延びした関西弁が非常に気持ち悪いだとか、ニヤついた顔が大層ムカつくだとか、いきなり出て来てあからさまにすずか以外を無視しやがってこの野郎だとか、そもそも生理的に無理だとか、自分でもやや理不尽だなーと思える理由も多少はあるのだが、何よりそれ以上に、

「ぁ……は、はい。その……お久しぶり、です……」

───この男の登場で明らかに怯えているすずかを見て、どうして好印象を抱けようか。

「「…………」」

そのことに気付いた僕とアリサがさり気なくすずかより半歩前に出て、彼女を背後に庇うようにして隠す。こういう人の気微にこの歳で聡いというのは、流石は日本有数の実業家の御令嬢といったところか、周囲の人間をよく見ている。わざわざ前に出て庇っている辺りには、彼女の彼女たる所以を感じるが。
アリサに比べて未だ幼い部分のあるなのは(いや、よく考えたらアリサの方があり得ないくらい成熟しているだけなんだけど)も明確な空気こそ察してはいないものの、それでも僕たちの雰囲気がやや鋭尖化したのを感じたのだろう、不安げな表情ですずかに寄り添うようにしていた。

そして中年男の誘いに返事を返そうとしない───あるいは“返せない”すずかの代わりに、僕が口を開く。顔に浮かべているのは当然、初対面用の営業スマイルである。

「あ、すみません。すずかとはこれから僕たちと一緒に遊ぶ約束をしているので、今日は送って頂かなくても大丈夫だと思いますよ」
「ああ? なんぞ坊主、誰じゃお前?」

僕が目の前の中年男の評価を最低ランクにまで引き下げた瞬間だった。

「すずかの友達の、和泉と言います。こっちはアリサ。その後ろに居るのがなのはです」

僕の簡潔すぎる紹介に、アリサをなのはが声を出さずに頭だけ下げた。アリサはむっつりと、なのはは不安げにという違いはあったが。
ちなみにアリサを名字で紹介しなかったのは、“バニングス”の名前を出して面倒事になるのを避けるためである。万が一にもこの中年男がバニングス家令嬢たるアリサ相手に長々とした挨拶を開始するのは勘弁願いたかった。いろんな意味で。

「ふんっ、またキレ~な面したガキがぎょーさん集まっとるの~」

小学生に嫌味かよ、とは思ったものの、当たり前ながら僕の表情は輝く営業スマイルで固定。自分は子どもなので何もわかっていませんよ、という体で首を傾げておく。僅かに前に出て喰って掛かろうとしたアリサは、手を握ることで押し留めた。

その様を見た中年男はもう一つだけフンッと鼻息を漏らすと、

「まあええわ。そんならワシゃあ知らん。すずか、ワシはもう行くけんの」
「は、はいっ」

それだけ言って、中年男は運転手に声をかけてあっさりと走り去ってしまった。この後アイツの相手をしなくてはならないであろう忍さんには、心の中で同情混じりのエールを送っておこう。なむ~。

「~~~ッ、なんなのよっあいつは!? いくらこっちが子どもだからって、なめてんじゃないわよ!」
「その言葉には全面的に同意だが、……コラコラ。女の子がそんな言葉遣いしちゃいけません」
「がるぅぅう~っ!」

いけない、アリサが怒りのあまり野獣化している。イメージ的に子犬だけど。

肩を怒らせて地団駄を踏むアリサを宥めながら、僕は未だ顔色を暗くしたままのすずかに話を向けてみた。

「それで、すずか。あのおっさんって結局誰なんだよ? 親戚か何かなのか?」
「う、うん……月村安次郎さんって名前で、うちの親戚の1人なの」
「……その様子だと、あんまり親しい間柄じゃないみたいだな」
「……そう、だね。別によく遊びに来てるわけじゃないし、ほとんど会ったことないくらいなんだけど……でも、最近になってお姉ちゃんとよく会ってるみたいだから」

そう言って、彼女は月村安次郎の乗った車が走り去った方へとその不安げな顔を向けた。優しいすずかはハッキリと言わないが、それでもこの子もあの男があまり好きではないのだろう。というか、あの第一印象でアレを好きになれる者はそう居まい。幾ら子ども相手とはいえ、あの態度はあまりに失礼が過ぎる。自分で自己紹介すらしないってどうなんだ。

「……何も、面倒事が起こらないと良いんだけどな」

ここ数時間で妙に疲れてしまった。そのことに小さく嘆息し、僕は気晴らしに朝と比べるとやや雲が出てきた空を見上げていた。







「ア、アリサちゃん落ち着いて! 春くんもこっち手伝ってよぅ~~~」
「ちょっとどういう意味よ、なのは!!」
「うにゃあ~~~っ!?」

……視界のなかに凄まじい剣幕で怒鳴り散らしているアリサと、必死にそれを鎮めようとしているなのはを収めながら。

あ、やべ。さっきの僕のセリフ、明らかに面倒が起こるフラグじゃん。何かまずくない?





**********





学校帰りの夕暮れ、もう東の空は夜の気配が色濃くなってきた頃合い。俺こと高町恭也は、友人でありクラスメイトでもある月村忍と共に商店街のペットショップへと来ていた。
何でも月村の家ですずかちゃんが猫を飼うことになったみたいで、そのお土産として猫のおもちゃでも買ってあげたいのだそうだ。俺は昼休みに彼女から誘われ、今日はちょうど学校帰りに翠屋に寄る用事もあったため誘いを受けて現在に至る。

「へぇー、一口に猫のおもちゃって言っても色々あるものなのね~」
「そうだな」

ペットのおもちゃコーナーの棚を覗きこみながら言う月村に相槌を打つ。

「それにしても、今日は付き合わせちゃってごめんね高町くん」
「商店街には俺も用事があったから別に構わないよ。そっちこそ、俺を誘ってもよかったのか? 一緒にいて特に役に立つ奴だとは思えないけど……」

自分で言うのも何だが、一緒にいて楽しい奴だとも思えない。

春海あたりは常々俺のことを「ズレた口下手野郎」と呼んでいるが(ちゃんと冗談を言える割に普段が寡黙で真顔なので、よほど相手が親しい間柄でないと引いてしまうらしい)、これでも自覚ぐらいはあるのだ。……自覚だけで、易々と治せるものでもないのが困りものだが。

「ううん、そんなことないって。わたしもこうして高町くんと一緒に遊ぶの、楽しいよ?」

振り返った月村が、はにかみながら告げてくる。その笑顔に思わず心臓が高鳴ってしまう。……不覚。

近ごろ月村が以前にも増して美人に見えているのだが、これは一体どうしたことだろう? 以前、そのことを春海に相談したら笑顔で斬りかかってきたので思わず迎撃してしまったのだけど。アイツは時折り、脈絡なく襲いかかって来ることがあるので意外と油断ならない。奇襲に対する修行としては美由希や晶以上にやり応えのある相手なのだが。

「……なら、良かった」
「うん♪」

自分でもどうなんだと思うくらいぶっきらぼうに返事した俺に頷いて、月村はおもちゃ選びへと戻る。このまま案山子でいるのもアレなので、俺も自分が良いと思ったおもちゃを2つ3つ提案しておいた。



「でも、わたしも驚いたんだ。いつもみたいに帰ってきたと思ったら、いきなり『ケガをした猫を飼ってあげたい』なんて言い出すんだもの」
「そういえば、一昨日あたり、なのはがそんなこと言ってたな。ケガを負った猫を助けたって」

おもちゃも選んでペットショップからの帰り道。俺は月村を商店街の外れにあるバス停まで送っていた。
選んでいた時間が意外と長かったのか辺りは既に薄暗くなっていて、せいぜい西の空に僅かなオレンジ色が見える位なものだ。完全な暗闇という訳じゃないが、妙に肌に冷たいものが過ぎる。

「あ、じゃあそれだね。すずかにしては今回はけっこう積極的でさぁ。たぶんケガしてたっていうのが後押しになったのかな。電話でもお父さんたち相手に熱心に頼みこんでたもの」

目を細めてそう言う月村の表情はどこか優しげで、すずかちゃんのことを愛しているのがよく分かる。

「“あの人たち”も、まあ厳しく反対するつもりまではなかったみたい。お稽古ごとを今まで通り真面目にすることを条件に、あっさり頷いちゃった」

一転、今度は少し皮肉げな表情。

前々から思っていたが、月村はご両親のことを話すときはどこか他人事のようになっているような気がする。もしかしたら親子間で何か溝があるのかもしれないが、俺の家は多少ややこしい家族関係であっても両親とも親子仲は良好そのものなので、こればかりはよく分からなかった。出来ることなら、なんとかしてあげたのだけど……。

そう考えていると、唐突に月村が小走りで2,3歩前に出た。彼女はその場でターンするみたいにくるりと振り返り。

「じゃあバス停もすぐそこだし、ここまでで良いよ。今日はどうもありがと、高町くん。すっごく助かった」
「あ、ああ。わかった。俺のほうも今日は楽しかったよ。また明日、学校でな」
「うん。じゃあ、またね」

まあ彼女の言う通りバス停までは残り50メートルもないし、そろそろ翠屋に向かわなくてはまた母さんにブーブー文句を言われてしまう。

俺は改めて月村に手を振って別れると、翠屋へ行くため商店街へと繋がる来た道を歩き始め、



「きゃぁああああああッ!?」



やがて届いた叫び声にすぐさま歩みを止めて振り返った!

───振り返った先で視界に飛び込んできたのは、先ほど別れたばかりの月村が、数人の男によって傍らの車道に停められた車へと押し込まれようとしている光景。

「ッ!?」

考える前に駆け出す。今の自分が出せる最高速度で突っ走った。

月村は車に乗せられまいと、地面で踏んばり車の扉に手をかけ必死に抵抗していた。誘拐だろうか? こんな町中で? そう思ったが、周囲にはあの男たち以外に人影はない。改めて考えれば、それは非常に不自然であることが解かっただろうが今は至極どうでも良かった。

「───何をしているッ!!!」

駆けながら、叫ぶ。

誘拐であれば、こんな至近に目撃者が居ると解かれば今回は諦めるはず。高速で流れる思考の隅で出した答えだった。

その一方で、手首に飛針を滑らせる。腕を引き絞って───男たちに向かって投擲。

日々の修行のお陰でぶれることなく一直線に男たちへと飛翔する鉄刃。しかし、それは甲高い金属音と共に弾かれてしまった。俺の声を聞いた男たちが、月村を車に押し込むのを諦め、車に乗り込んだのだ。

「月村!」

掴みかかる男たちから解放され、ぺたりとコンクリートに尻もちをついた月村に駆け寄る。同時に走り去る車のナンバーを覚えようとしたが、肝心のナンバープレートが土に汚されており、その数字を見ることは叶わなかった。思わず舌打ちしそうになったが、今は月村を優先する。

「大丈夫か月村ッ!? ケガは!?」
「……ぁっ……た、高町、くん……?」

月村は自分を背中を支える俺の名を、荒く息をつきながら放心したように呼んでいた。たぶん、あまりに急転した事態が唐突に終わりを告げたことで、張り詰めた糸が途切れたのだろう。

「良かった、本当に良かった……ッ」

そんな彼女を見て俺は、そのまましばらく月村の手を握り締め、じっと傍らに寄り添っていた。



あの後。

落ち着きを取り戻した月村を見て、俺はとりあえず警察へと連絡。今日のところは最寄りの交番で話をして、軽く事情聴取を受けただけで済んだ。すでにお互いの家に電話は済ませていて、現在はさっきまで事情聴取をしていた警察の人を2人で待っているところになる。もう夜遅いこともあって家まで車で送ってくれるそうで、そのために車の準備をしてくれているのだ。

「…………」
「……まあ、ともかくは無事でよかった」

お互いに沈黙を保ったままというのも妙に気まずかったので、俺の方から口火を切った。なのに、こんなときでも気の利いた言葉が出ない自分に自己嫌悪してしまう。

「……ごめんね」
「月村が謝ることじゃないだろ?」

そこで、ようやく月村が顔を上げてこちらを見てくれた。その表情は不安げで、いつもの明るくも落ち着いた彼女と違い、小さな女の子のようだった。

「……訊かないの? あいつらのこと、とか」
「……訊かないよ。月村から話してくれるのを、待っておく。無理はしないでくれ」

俺の言葉に、彼女は淡く微笑んだ。そのことに安堵の念が湧いてくる。

「ありがとう」
「ああ」

それだけの短いやり取り。

「……でも」

と、ふたたび眼を伏せた彼女が言葉を翻し。

「……もう、わたしとあまり一緒にいないほうが、いいかも」
「断る」

気がついたら、俺は彼女の言葉を一刀両断していた。

「……むしろ、一緒にいたい。今回はあまり役に立てなかったけど、次はきっと役に立てると思うから。ボディガードの代わりくらい、させてくれ。……友達だから、俺は月村を助けたいんだ」
「……嬉しい、けど……」

それでもなお躊躇いを見せる月村に、俺はドンっと自分の胸を叩いて言う。出来るだけ、頼りがいのある表情を作ってみた。春海曰く、女性は男の優しい押しに弱いらしい。どういう意味での『弱い』かまでは知らないが、色々と下らない事ばかり喋り合っていたアイツにも多少は感謝しておこう。

「……高町くん」
「……心配しなくても、お金は取らないさ」

生憎と、こんな気の利かない冗談しか言えない俺だけど、それでも───

「友達を守るのは、……」

それでも泣いている女の子を相手に、大見得を切れないような男には、なりたくないから。

「───無料だ」




















「───……あ、さくら? うん、わたし」

「……そう、いま帰ってきたの。こっちは大丈夫だから」

「……ごめんね、心配かけちゃって」

「……うん、なんとか無事だよ」

「……友達の男の子が、守ってくれたの」

「……そっか、よろしくお願い。“あの男”も、エリザの監視下なら少しは自重するだろうし」

「……え?」

「……そう、かな……?」





「───うん。……好き、なのかも」




















(あとがき)

第十八話、投稿完了しました。

恭也さんテラ主人公。さすがエロゲ界主人公において人間最強キャラの一角。この人これでまだ17、8なんだぜ? 一般高校生男子の精神力では最強クラスなんじゃね?

ところで彼のラストの台詞に関しては作者が原作恭也さんの台詞の中で好きな台詞の一つなので思わずそのまま使っちゃいましたが、いま思えばこれって原作のパクリになるんでしょうか。そもそも二次創作というのは原作者様の作品を勝手にお借りしてやっていることなので、出来れば原作キャラの格好良い所はそのまま持って来たいけど、それでは単なるパクリと何も変わらないし……難しい塩梅ですね。作品に対するリスペクト精神は溢れんばかりに持っているつもりなのですが。ちなみに彼の忍に対する呼び方は「月村さん→月村」と新密度によって変化しております。たぶん今後もどこかで呼称が変わっている、かも。

一方、我らが主人公。恭也さんの主人公度がヤバすぎて後半完全に空気でしたが、原作忍ルートまでは恭也さんとのダブル主人公みたいなノリで行くつもり(あくまでまだ“つもり”)なので、これもしょうがないね。がんばれ主人公! 今回はすっごく空回り気味だったけど!……いやでも、こういう情けないところもないとマジで単なる「型に嵌まった良い主人公」になりそうだし。人間味っていうのは大事だと思います、本当に。今回はアリサたちを子ども扱いし過ぎていろいろ空回った感じかな。常に子供たちのことを考えている主人公と、その予想を上回って成長している子供たちを上手く対比できてるといいなぁ~とか。

それではこの辺で。





[29543] 第十九話 縁を切るかはそいつ次第
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/04/05 21:02
木張り床を踏みしめる無数の轟音と、鋭い風切り音が道場の中を支配していた。それに追従するが如く、硬いもの同士がぶつかり合っているような硬質的な音が幾つも鳴り響く。

「はぁああああアアアアッ!!」

自分の耳朶を相手の咆哮が強く打った。

相手の猛攻を躱し、往なし、自己の命を繋ぐ。それでも避け切れないときは、手にした木刀と手甲で防いだ。衝撃に腕が麻痺しそうになる。

「おっ! ッぐうっ!?」

防ぎ切れなかった肘を右肩に喰らった。喰らいつつ、逃げるように転がって距離を取る。

しかしこちらが右手と両の足で体勢を立て直したときには、既にあちらは至近まで追って来ていた。目の前で袈裟掛けに振り下ろされる刃。それを支えの一つである右手の力をわざと抜くことで上半身を床スレスレにまで落として躱す。

目の前にあるのは、床を踏みしめている相手の左脚。それを脚だと認識するより前に、既に僕の左手は握った小太刀を一閃していた。

地を這う軌道で繰り出されたそれを、それでも相手は跳躍一つで回避してみせた。立ち上がり、仕切り直すように畳三枚分ほどの距離で向かい合う。

「フッ……フッ……フッ……」
「……………………」

自分の吐く息が荒く、それに合わせて肩が上下する。頬から顎へと伝う汗が不快の極みだ。然して息を乱さずに、せいぜい額から汗を流す程度で済んでいる相手を見て、内心で舌打ちする。せめて気迫で負けぬようにと睨みつける眼に力を込めた。

同時に駆け出す。持った小太刀を薙いだ。再び響く轟音。あとはそれの繰り返し。

しかしそれでも、二十や三十、もしくはこれまでの何万何億の剣戟の中で見えてくる相手の太刀筋のようなものがある。癖、と言っても良いかもしれない。───あるいは、“隙”とも。

「シャッ!!」

見えた隙間へと木刀を通す。

放たれた斬り下げが、相手の肩口へと吸い込まれて───あっさりと躱された。

(───囮ッ!?)

そう悟った瞬間右手の甲に衝撃が走る。小太刀が己の手を離れ、軽い音と共に床に在った。刀を握っていた拳を、強かに打ち据えられたのだ。

落ちた武器を拾っている暇は無かった。こちらの米神を狙った蹴りを右腕を指し込んで防ぎ、それでも防ぎ切れなかった衝撃が頭部を突き抜ける。僅かに脳が揺れたが、ふっ飛ばされたことで距離は開いた。

立ち上がって、相手を探す。───いつの間にか、目前にまで迫って来ていた。

こちらの懐に潜り込んでからの、追撃の斬り上げ。咄嗟に十字に構えた両腕で受け───、

「……ここまでだな」
「……ですね。参りました」



───受けること叶わず、顎下に突きつけられた切っ先。



恭也さんからの降参勧告に、両腕をホールドアップして素直に同意する。ということで今日の手合わせもまた、僕の敗北ということで幕を閉じたわけだ。





「あーばー……痛ってぇえええー」

呻きながら道場の隅にぶっ倒れるようにして横たわる。何と言うかもう、全身に力が入らない。春先のひんやりとした床から頬を伝わる感触が非常に心地いい。

そんな僕の横には、現在この道場にいる最後の1人である恭也さんがいつの間にかやって来ていた。今日は美由希さんは遠地の剣術道場へと遠征、士郎さんは翠屋へ出勤しているので、ここに居るのは僕と恭也さんだけなのだ。
彼は傍らにある道場の壁を背にして立つと、呆れたように溜め息を一つ吐いて、

「お前は攻撃の仕方がいちいち変則的すぎるんだ。真正面から行くことが怖いのは分かるが、もう少し子供らしく我武者羅になったらどうなんだ?」
「あー……いや、自分でもそういう姑息な手が多すぎるってことは自覚してるんですけどね。どうにもこういうやり方……考え方、かな? が癖になってるみたいで。なまじ“眼”が良いせいで、相手の攻撃が目で追えてしまうのもそれに拍車を掛けてるんでしょうねぇ。見えてるってことは、それだけ手段を考える暇があるってことですから」

僕自身が根っこの部分では自分のことを強いとは思っていないことも、その考え方の増長に一役買っているのだろう。何よりもまず、どうせ自分が真正面から正々堂々と戦って勝てる訳がないという思考が先に立ってしまうのだ。そりゃあ卑怯な手段も身に着くというものである。

「そこまで自覚しているのなら、もう少しは治しようもあるだろうに」
「たはは……」
「まあ確かに、お前の場合はこちらの攻撃のほとんどを確認してから回避しているからな。反射神経と咄嗟の体捌きさえ気を払えば、初めて試合したときのような展開も頷けるか。……普通は、もう少し直感だとか勘だとかに頼ったりするものなんだが」

そう言って、恭也さんは弱ったように頭を掻いた。

「ぶっちゃけ、恭也さん達レベルで速い相手じゃない限りそれで何とかなってきましたし、実際に何とかなりますから。普通の相手なら察知して反応したほうが速いんですよ、僕の場合だと」
「どちらにしても何を矯正するにしても、その眼ばかりは才能だよ。大切にした方が良い」
「うっす」

そんな彼に今度はこちらから尋ねてみた。

「そういや恭也さん。最後の“アレ”って一体何なんですか?」
「アレ?」
「ほら、最後の斬り上げのときですよ。小太刀が僕の防御を“すり抜けた”じゃないですか」

訊きながら思い出すのは、先ほどの試合の中で垣間見た奇妙な光景。

滑るように僕の懐へと入り込んだ恭也さんが繰り出した、股下から顎先への一直線の振り上げ。確かにあの時、僕の防御は自分の身体と恭也さんの小太刀の間に潜り込んでいた筈だった。それがまるで、僕が行った防御を“すり抜けた”ように、気がつけば僕の顎先に小太刀が突きつけられていた。

「見間違いだ」
「見間違いって……」

そんな真っ向から人の意見をぶった斬らんでも。

僕は起き上がって道場に床に胡坐をかくと、ややジットリとした感情を込めて恭也さんを横目で睨みあげる。そんな僕の視線に気付いた彼は苦笑して、

「すまん、言葉が足りなかったな。……正確には、『すり抜けたように錯覚してしまう技』だ。───御神流の基本の三『貫』、という」
「ぬき……ですか?」
「貫、だ」

そのあと恭也さんにされた説明によると、『貫』という技は『斬』『徹』に続く御神流基本技の一つで、その特性は相手の防御や回避行為を無効にするというもの。より詳細に言うなら、相手の防御や回避、果ては見切りのパターンまでも身体で覚え込み、更にはそれさえも見切って相手のディフェンスを突破する……らしい。

いや、なんか聞いただけで気が遠くなりそうな技だなそれ。

恭也さんはそんな僕の考えを察したのか苦笑の色を強めてから、道場の端まで歩いて行って置いてあった水筒で水分を補給し、そのまま水筒をこちらに投げ寄こした。なので僕も片手でそれを受け取り、口を開いて温めのお茶を流し込む。

「まあ、お前や美由希のように毎日手合わせをして癖も熟知している相手なら兎も角、初戦の相手にあまり使える技でないことは確かだ」
「自分で言っちゃいますか、それ」

仮にも自分が習っている流派でしょうに。

「もちろん、『俺のレベルでは、』という枕詞はつく。とてもではないが俺の力量では、実戦で相手の動きを身体が覚えきるまで打ち合いを続けるのはまだ難しいからな。結果的に勝つであれ負けるであれ、『貫』を使う前に決着そのものが着いてしまうだろう」
「熟練者なら、決着が着く前に相手のパターンを見抜くってことですか」
「実際、うちの父親はそうだよ。『基本』と言われているように、あくまで現在の自分の到達点を示すための指標と言えるのかもな」
「体得すれば終わり、って訳にもいけませんからねー」
「『武道に果て無し。故に「道」である』、だ」
「へぇ、誰の言葉ですか?」
「知らん」

HAHAHA、と野郎2人のやる気のない笑いが閑散とした高町家の道場に響き渡った。



───ピリリリリリッ、ピリリリリリッ、



と。

そんな風に休憩代わりの雑談をしていると、入口の方から無機質な電子音が聞こえてきた。

「っと。すまん、俺の携帯だ」
「高校生なら着メロの設定くらいしましょうよ……」
「そういうのはよく分からないんだよ」

僕の言葉に軽く返して自分の荷物の中から携帯電話を探り出す恭也さん。果たしてその『分からない』というのが携帯の設定の仕方を知らないだけなのか、それともまさか着メロ設定に使えそうな曲自体を全く知らないのか。怖いので本人に確かめる気はないが。

結局いつも通りの恭也さんに僕が呆れていると、すでに彼は耳に当てた電話に向かって話をしていた。他人の会話に聞き耳を立てるような悪趣味はないつもりだが、もともと今の道場には僕と恭也さんの2人だけ。必然、僕がボーッとしていると聞こえてくる音は恭也さんが携帯に向かって話す声だけになってしまう。


「……ああ、俺だ」

「問題は、ないか?」

「……そうか。何かあれば、いつでも電話してくれて構わないから」

「……うん、それじゃあ」


それだけ言って、携帯を切った。彼は数秒だけその携帯を黙って見下ろしていたが、それでもすぐに元あった所へと携帯を戻す。
こちらまで歩いて戻ってくる彼の表情は、思考の渦に沈んでしまったかのように真面目なものとなっていた。

「珍しいですね、恭也さんが鍛錬中まで道場に携帯を持ち込むなんて」
「少しばかり、手放す訳にはいかない用事があってな。不作法だったなら謝罪する」
「いりませんよ、そんなの。……にしても、用事?」
「ああ、友達がちょっと困っていて───」

僕の疑問の声に答えていた恭也さんは言葉を切り、何事か考え込むようにして顎先に手を当てていた。

不思議に思って僕がそれを眺めていると、恭也さんはやがて結論に達したのか顔を上げ、じっとこちらを見据え、

「……お前には、話しておいた方が良さそうだな」

落ち着いた空気で、そう言った。





「誘拐、ですか」
「そうだ」

恭也さんから話を聞いた僕は、それだけ言った。正確には、聞いた話を吟味し消化するのに思考の大半を割いており、それだけしか言えなかった、というのが正しい。それくらい、恭也さんが僕に教えてくれた事実は大変なものだった。

……それにしても、誘拐。拉致、ね。また穏やかじゃない単語だな。

「……ちなみに警察へ連絡は?」
「既に行って事情は説明した。が、逆に言えば説明しただけで終わっている。具体的な対処はまだ取れないらしい」

まあ、それもそうか。月村家の裏事情を鑑みれば警察の動きが鈍くなっているであろうことも容易に想像がついてしまう。というか、ひょっとしたら忍さん自身が警察に詳しい事情説明をしていないのかもしれない。至近で見ていたという恭也さんでも、説明できるのは状況くらいだけだっただろうし。

「さっきの電話は忍さんからで?」
「……相変わらず、なのはと同じ小学生にしては気持ち悪いくらい察しが良いな。その通りだよ。あいつの無事を確認するための定時連絡だ」

気持ち悪いは余計だっつーの。自覚くらいあるわ。今回だって知り合いがそんな危険なことになってさえなければ有耶無耶に誤魔化してるだろうよ。

「俺は月村を守ると決めた。そのために打てる手は出来る限り打っておきたい」
「僕に話したのもそれが理由ですか。別にいいですけど。……それで、こっちはどうしましょうか。忍さんに恭也さんが付いている以上、そっちに僕の戦力は必要ないでしょう? それなら美由希さんを誘った方がまだ戦力になりますし」

僕の簡潔な疑問に恭也さんは一つ頷くと、

「春海には、聖祥でのすずかちゃんのことを頼みたい」
「ま、当然そうなりますよね」

恭也さんからの提案に、僕は事も無げに同意を示した。

今回襲われたのが忍さんだからと言って、それで終始忍さんのみが狙われるとは限らない。危険に巻き込まれる可能性があるのは彼女の周囲も同じことなのだ。
そしてその最有力候補とも言えるのが、忍さんの家族。その中でもとりわけ無力な子供である、月村すずかが最も狙われやすいだろう。少なくとも、仮に僕が誘拐犯だとして忍さんの周りから攻めるとすれば、真っ先にすずかから付け狙う。自分で考えてて吐きそうになる発想だが。

で、あるならば。

もうすぐ春休みとはいえ、まだ少しの間は恭也さんにも学校がある。その間ずっと忍さんとすずかの両方をガードするのは困難、というより、そもそも物理的に不可能だ。彼にも普通の高校生としての生活がある以上、時間全てをボディガードに注ぎ込めるわけがない。それならどちらか片方に全力を注ぐべきだ。そしてその場合、自分のクラスメイトである忍さんの傍に居ることが一番効率的だろう。

もちろん、そうしてしまうと今度は小学校に通うすずかの危険度が上がってしまうことになるが、───そこはそれ。彼女と同じ小学校に通い、尚且つ恭也さんから見て必要最低限の実力を有しているであろう『僕』こと、『和泉春海』の出番である。

「わかりました。学校では出来るだけすずかと一緒に行動するようにします」
「……すまん。頼んだ」
「…………」

その『すまん』の一言に、果たして一体どれほどの苦悶が含まれているのか、俯いて表情の隠れた恭也さんからはよく分からなかった。どうせまた、本来ならば正式な門下生でも弟子でもない、ただの小学一年生である僕を巻き込んでいることを後悔しているのだろう。

事情が事情なので仕方ない部分も多分にある上、これまでの付き合いの中で僕が普通の小学生と比べて異質な存在であることは既に承知しているだろうに(だからこそ、彼も僕に頼んだのだ)。真面目だよねぇー、恭也さんも。もともと、彼に頼まれずとも忍さんがそんな目に遭っていたのだと知りさえすれば、僕は自主的にすずかの護衛に就いていた可能性が高い訳だし。友達を助けるのは当たり前だろと。

「……………………」

かと言って、ここで慰めの言葉を口にするのも何か違うような気がする。

これが可愛い女の子なら口八丁に美辞麗句を並び立てて励ますのだろうけど、生憎と野郎相手に掛ける慈悲の心は1ミクロンも持ち合わせていない。あったとしても、せいぜい落ち込んで寝転がってるソイツの腹を蹴飛ばす程度だ。……え、それは慈悲じゃないだろうって? いやだなぁ、それで這い上がらないならソイツが玉無し野郎なだけだって。


───それに、彼も男なのだ。


一度自分の意志で選択したからには、それに対して変に慰めを向けられるのは男としてのプライドが許すものではなかろうよ。


「ああ、恭也さん」
「……なんだ?」

僕からの呼びかけに、恭也さんが俯けていた顔を上げる。そこにあったのは、いつもより更に読めない無表情。


まあまあ。

以上の点を踏まえ、僕が彼にかけるべき慰めの言葉は何も無い。無いから、それでも強いて別のことを言おうとするなら……───

「万が一誘拐犯と接触したとして、その時は真っ先にすずか達と一緒に逃けることに全力を注ぎますから。犯人捕縛は期待しないで下さいよ」
「……むしろ犯人を捕まえようと息を巻かれるよりも、そっちの方がずっと安心するよ」

僕の少しばかり情けない言葉に、恭也さんは気の抜けたように微笑んだ。



───このぐらいじゃない?








「んじゃあ、具体的にどう動くかだけ決めておきますか」
「ああ、そうだな」

互いに、さっきまでのように同じ道場の壁を背にして話し合う。僕は床に胡坐を掻いて恭也さんに借りた飛針を訓練代わりに片手で遊ばせ、恭也さんは立ったまま両腕を組んでいるという違いはあるが。

「僕は小学校でのすずかの護衛、及びその周囲の警戒」
「俺は高校のほうで忍をマークしておく。何かあれば、お前はすぐに俺の携帯にまで連絡してくれ」
「了解しました。あと、今回のことって他に誰が知ってます?」

僕の質問に恭也さんは顎に手を当てて中空を見据え、

「……当事者である忍と、現場に居合わせた俺。それに、俺が月村のボディガードをするようになったということは、うちの皆には説明してある。月村が誘拐されかけたことも含めてな。ああ、なのはだけには誘拐云々は伝えていないが」
「まあ賢明かと。なのはに話しても不安を煽るだけでしょうし。んで、そこにプラス僕、と。……忍さん以外の月村家の人たちはどうなんですか?」

重ねるようにして訊いた僕の疑問に、恭也さんは何故か気まずそうにして目を逸す。……あん?

「恭也さん?」

再度問うた僕に、彼は弱ったように眉間に皺を寄せて重苦しく息を吐きながら。

「それが、……月村のヤツ、ご家族には説明していないらしいんだ」
「……えっと」

…………マ、マジで?

「すずかに話さない理由はまだ何となく分かりますけど……」

ただの小学1年生の女の子でしかないすずかに大好きな姉が誘拐されそうになったと話しても、それは徒に怖がらせるだけだろう。そういう判断の元、すずかだけ説明しなかったのならまだ理解は出来る。しかし、……

「忍さん、ご両親にも話してないんですか……?」

恐る恐る確かめた僕の言葉に、恭也さんは目を閉じたまま首を縦に振った。つまり、肯定。

それを確認した僕は溜め息を吐いて、次いで脱力したように壁にもたれかかる。知らず前のめりになっていたらしく、勢いよく寄り掛かったせいで後頭部を打ってしまった。軽くない痛みが奔るが、どうでも良かった。

「あの人、そこまでご両親のこと苦手なんですか……」
「どうにも、警察からの保護者説明の電話もノエルさんが受けたらしい。出張中のご両親には何の連絡も行ってないそうだ」
「だからって、自分が誘拐されそうになったときまで意地を張ることないのに……」
「そう思って、俺も親に連絡するように伝えたんだけどな。……『どうせ仕事で忙しい』の一点張りなんだ」
「…………」

恭也さんの言い分に、僕はうーんと唸りながら首を捻る。うーーーん?


(さっきから、なーんか忍さんの行動に一貫性が無い気がするんだよなぁ)


現時点ではただのクラスメイトでしかない恭也さんが危険なボディガードを引き受けることを認めたと思えば、一番頼りになりそうなご両親の助けを拒む、どころか今の自分の状況すら伝えてないと来た。

この深刻な“ズレ”を、一体どうやって説明しよう?


恭也さんが気になる異性だから、少しでも長く傍に居たくてわざとボディガードを了承した? 

と思って恭也さんにそれとなく確かめてみたのだが、どうにも忍さん、一度は「もうわたしと一緒にいない方が良い」と言ってまで恭也さんを遠ざけようとしたらしい。仮に傍に居たいだけなら、そんなことは絶対に言わないだろう。
……いやまあ、それが女としての策略だと言われれば其処までなのだが、そんなところまで疑っていたらキリがないので考えるのはここまでとする。というか、そこまで疑い始めたら、そもそもこの誘拐騒動が狂言であるかどうかまで疑わなければならなくなるし。あの忍さんがそんな嫌な女ではないと信じたい、という気持ちも大いにあるけど。


ならば、恭也さんや自分への身の危険を天秤にかけて尚、それでも頼りたくないくらいに自分の両親が嫌いなだけなのか?

しかし、この疑問にこの場で明確な答えが出る訳もない。僕も恭也さんも忍さん本人じゃないのだ。忍さんが自分の両親をどれほど嫌っているかなど解かる筈もないし、ひょっとしたら僕たちが知らないだけで、本当は縁を切りたいくらいに剣悪な仲なのかもしれない。……が、果たして自分や自分の好きな異性が命の危険のなかに在って、それでも嫌いな相手に頼らないでいられるものなのだろうか? 


考えつつ、手慰みに弄んでいた飛針を宙に放る。真上に投げて、落ちてきたのを受け止めてはまた投擲する。

(……何にせよ、まだ情報が少なすぎるか)

まだまだ判断材料が出揃っていない気がする。

情報が、不足している。
視点が、欠落している。

どうにも忍さんの行動が、彼女のキャラクターに則していない。別視点からのアプローチが必要だ。

「……まあ、一先ずそっちの説得は恭也さんに任せます。いきなり僕が話しに行ったとしても、恭也さん以上に効果があるとは思えませんしね」
「わかった。俺のほうも、もう一度月村に話してみるか」
「お願いします。……それと、」

と。

ここで、ふと気になったことを尋ねてみた。

「ノエルさんはどうしてるんですか? 警察の連絡は彼女のほうに行ったんでしょう?」
「ああ。でもノエルさんも基本的には忍の意向に従う方針らしい。しばらく忍とすずかちゃんの送り迎えは彼女がやるそうだ」

僕の疑問に、恭也さんがこちらを横目で見下ろしながら答える。

「……………………」

まただ。
またしても、違和感。

心情的なものはどうであれ、立場的には一介の使用人でしかないはずのノエルさんが、なぜ自分の雇い主である月村の両親を無視できる?
確かにノエルさんが月村姉妹のことを非常に大切に思っていることは重々に承知しているが、だからこそ、ここは忍の反対を押し切ってでも彼女の両親に連絡する場面ではないのか?



───…………忍さんのご両親は、彼女の雇い主ではない?



ノエルさんを使用人として雇っているのは月村両親ではなく、月村忍本人なのか? そうだと仮定すれば、この違和感にも説明が…………いや、ダメだ。仮にそうだとしても、それでは彼女が月村の両親に誘拐の件を話さない直接的な理由にはならない。

ただの『雇用主と使用人』の関係以外の何かが、月村忍とノエル・K・エーアリヒカイトの間にあるのだろうか?


そしてそうであるのならば、そこにあるのは一体───?


「……春海?」
「ぁ、ああ。すみません、考え事してました。……それなら、僕の役割は本当にすずかが学校にいる間だけになりそうですね。ま、せいぜいノエルさんにすずかを任せる放課後まではきちんと責任持って守りますよ」
「阿呆。自分勝手な独断でお前に任せたのはこの俺だ。いざとなれば俺の責任に決まってるだろう」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。引き受けるという判断を下したのはこの僕だ。勝手に責任取らないでください」
「…………」
「…………」
「……クソ生意気」
「……クソ真面目」



その後しばらく、高町家剣道場に木刀を打ち合う音が響き続けたのは、言うまでもないだろう。





**********





「───というわけで、すずかちゃんのほうは春海が受け持ってくれているから、当面の心配はないと思う」

昼休みになったので学校の食堂まで来た恭也は、ここまで一緒に来ていた忍に対して、先日春海と話し合って決まったことを説明していた。

「……そっか。うぅ、高町くんもそうだけど、春海くんにも本当に申し訳ないなぁ」
「俺もあいつも自分で引き受けたんだ。月村が気にすることはないさ。……どうしても気になるんなら、今度あいつにも礼を言ったらいいしな」
「そうだね。……うん、そうする」
「ああ」

こちらの提案に頷く忍に笑みを返してから、恭也は空いている食堂の席を確保すると、

「それじゃあ俺は昼飯を買ってくるよ。月村の分は、……弁当だから今日は必要ないな」
「う、うん」
「じゃ、行ってくる」
「あ、ちょっと待って高町くん!」
「ん?」

席を立とうとしたところを呼びとめられた恭也。そんな彼に、忍は少し恥ずかしそうに頬を染めると、持参していた弁当の入っている手提げ袋を差し出した。

「……じつは今日、高町くんの分のお弁当も用意してあるんだけど、……よかったら、一緒に食べない?」
「お、俺の?」
「そ。こうして毎日守ってもらってる、そのお礼。……あっ、でも、作ったのはわたしじゃなくてノエルなんだけどね。ほらっ、わたしはお料理できないし?」

思わずといった様子で自分を指差し確かめた恭也の言葉を肯定する忍。しなくても良い補足を付け足している辺り、実は彼女も内心では大いにテンパっていたりするのだが。

一方、いきなりそんな事を言われた恭也も平常心をかなり乱されていた。

彼とて一介の男子高校生。いくら自分の家族から枯れている等と心無い感想を頂こうとも、思春期真っただ中の男であることは変わりないのだ。女子(それも、少し気になり始めている異性である)から弁当を貰って、それで心を揺らさないで居られるほど場馴れしている筈もなし。それが例えボディガードの礼であり、作ったのが他の人間であってもだ。

「……そう言うことなら、有り難く頂戴しよう」
「ふふっ。はい、どうぞ」

見た目だけなら熟年夫婦のように落ち着いたやり取りを交わす2人。が、お互いに心の中ではおそるおそるだったということは…………誰も知りえない真実である。





「はぁー……あの御2人、最近なんだかいい雰囲気ですねー」
「ですねー」
「というか、わたしたちって野次馬ですねー」
「……ですねー」
「「……はぁ~」」

同じ食堂内でその光景を見ていた、高等部1年生の巫女少女と、中等部3年生の文学少女が、静かに溜め息を漏らしたという。





**********





「どこかで青春を満喫している裏切り者がいるような気がする」
「は、春海くん?」
「うん? どうしたんだい、体育の柔軟体操の時間に担任教師の『仲の良い人と2人一組になりなさーい』という幼少期トラウマベスト10に入るであろう御言葉の末に僕と一緒に組むことになった月村すずかちゃん?」
「なんでそんなに説明的なの?」
「それは地の文での状況説明が楽だからさ」
「わけが解からないよぅ」
「女の子がそんなこと言っちゃいけません」

というか人類がそんなこと言っちゃいけません。それは宇宙から来た営業マンの台詞だ。

というわけで、体育の時間である。クラス全員が体操服に着替えてグラウンドに出ると列を作り、担任の先生の指示に従っていた。今はお互いに背中越しに腕を組んで相手の背筋を伸ばし合うアレの最中。

ちなみにこれは余談であり雑談なのだが、実はこの世界の学校では未だ体操服にブルマが現役であるという恐るべき事実があったりする。小学校でもそうなのだが、去年に恭也さんたちの高校の体育祭を見に行ったときは驚いたものだ。女子がみんな赤いブルマ履いてるんだもの。
そういうプレイでも何でもなく本物の絶滅種が拝めるとは、恐るべし異世界。僕があの体育祭で全く関係ない女生徒たちの写真を撮りまくっていても、もうこれはしょうがないよね? 当然、那美ちゃんや忍さんなんかはその10倍撮ったけど。


閑話休題。


「でも珍しいね、春海くんがわたしと組みたいなんて。いつもはクラスの男の子と一緒なのに」
「なんだ、嫌だったか?」
「ううん、そんなことないよ。とっても嬉しい」
「喜んでもらえて何よりだ」
「うんっ♪」

かわいいなぁ。その笑顔(体勢的に僕からは見えないけど)だけで、今回いつもと違って僕と組めなかった結果、1人ハブられて先生と組むことになってしまった斉藤くん(♂)の泣き笑いした顔なんて吹っ飛んじゃいそうだ。……いや、マジごめん斉藤くん。今日は事情が事情だし、許してね?

背中合わせのすずかを背負って思いっきり前屈すると、後ろにいる彼女の背筋が伸びて、「う゛うぅ~っ」という苦しそうな声がした。彼女のうめき声を聞き流しながら、これを好機と僕は世間話を装って話を切り出す。

まずは情報収集だ。

「……そういえば」
「んっ、はぁっ……んぅ?」

声、エロいね。いや、そうじゃなくて。

「すずか、今日から送り迎えはノエルさんがやってくれるんだって? 本職メイドさんの送迎なんて羨ましい限りだぜ」
「うん。なんか、最近は物騒だから春休みまではノエルに送り迎えをしてもらおうって、お姉ちゃんが……。あとノエルも外出するときは私服だよ?」

なるほど、すずかにはそうやって説明してるのか。あと私服姿のノエルさんも地味に見たい気がする。

会話しながら、今度はすずかが僕を自分の背に乗せる。背筋が限界まで逸らされて、晴れた青空が視界いっぱいに広がった。

「この間の猫は、まだ引き取ってないんだっけか?」
「それはまだもうちょっと先かなぁ。一昨日も病院まで会いに行って一緒にあそんだんだけど、足のケガが治るのにもう少しかかるんだって」
「ふーん。にしても、すずかのパパさん達もよく許してくれたなー。───あ、もしかして忍さんも一緒に頼んだりしたのか?」

そんな筈がない、と思いながらも僕は訊いてみた。

忍さんがご両親のことを好ましくないと思っているのは既に承知済みだ。だからこそ、この質問は彼女がどのくらいご両親のことを嫌っているのかに対する確認のようなもの。
日常的な会話すらしないくらいに剣悪なのか、それとも今回の誘拐の件が特別なだけで電話を介して話せる程度には仲も良いのか。そのための確認作業……のつもりだった、の、だ、けど……

「…………ううん」

僕からの問いに、すずかは平坦な口調でそれだけ答えた。心なしか、体の横で組んでいる腕からも力が抜けたような気がした。

「……すずか?」

不審に思って、僕は問い返すように呼びかけた。

ピーッという担任教師の吹くホイッスルの合図で、またこちらが下になって彼女を自分の背に担ぐ。

「……お姉ちゃん、お父さんたちとあまり仲良くないの。お父さんたちも、家に帰ってもお姉ちゃんとはほとんどお喋りしないし……」

上に乗っているすずかが、それほど大きくない声で紡いだ。たぶんそれは一人言のようなもので、こっちに聞かせる意図などなかったのだろう、そんな台詞。



「───やっぱり、わたしのせい、なのかな……?」



最後に付け加えられた、掠れたように小さな言葉。


しかし、それは確かに傍にいる僕の耳にまで届いていた。


「……………………」

使い古された表現で大変恐縮だが、───ガツンッ、と頭を鈍器で殴られたような気がした。


……おい。

おい、春海。和泉春海。

お前は、年端も行かない小さな女の子に、なに無神経なことを訊いてるんだ?

忍さんがご両親と折り合いが悪いことなんて、ほとんど確信の域で解かっていたことだろう?

それが何だ。『あ、もしかして忍さんも一緒に頼んだりしたのか』? ははっ、お前、それマジで言ってんのかよ。

そんなわけないって、最初から解かってたんだろ? 

情報収集のため? そのためなら小さな女の子の傷口を抉っても良いのか?

忍さんのため? いつからお前は友達を天秤にかけるような屑に成り下がった?



自分の家族の仲が悪くて、それを気にしない子なんて、居るはずがないだろ?



(……ああ、くっそ。やっぱ小っちぇ)

自分の器も、力も、思慮も、意志も。全てが小さかった。眼先のことばかりで、周りが見えていなかった。

───自分が背中に担いでいる女の子が、小さく感じられて仕方なかった。

「……ふんっ」
「わっ───きゃっ!?」

思い切り上体を前に倒すと、その勢いで背中に担がれていたすずかの身体がぐるりと一回転した。お互いに組んだ腕を軸にして、僕の背中を転がるようにて飛び越えた彼女は、それでも綺麗に両足で着地する。

顔を上げると、目の前には不思議そうにこちらを見つめるすずかの顔があった。さっきまでの背中合わせと違い、今度はすずかと腕を組んだまま向かい合う。

「……ごめん」

気がついたら、口が勝手に動いていた。

「……春海くん?」
「ごめんなさい」

こちらの名を呼ぶすずかに構わず、僕は喋り続けた。

きちんと相手の目を見て、心を込めて、言う。

「無神経で、ごめんなさい。すずかの気持ちも考えずに、余計なことばかり言ってすみませんでした。心から謝ります。本当にごめんなさい」

訳の分からないことを言い出している自覚はあった。当たり前だ、こんな自分勝手な言葉。こんなもの、相手が言葉の意味を飲み込む間もなく自分の言いたいことだけを言い募っているだけの、ただの自己満足だ。

相手の許しを期待しているわけではない。
相手の理解を期待しているわけでもない。

ただ自分の意志を通すだけの、一方通行な謝罪。いや、相手の気持ちも考えていないこんな言葉の、どこが謝罪なのだろう。謝意は在っても、これでは謝罪には程遠い。

「───だから、」

それでも、僕は、僕の口は、動き続けた。

『今』の世界で出来た繋がりの一つを、こんな失敗で傷つけたままにしたくなかった。

僕からの願いは、たった一つ。



「どうかこれからも、僕の友達でいてください」



───返答は、彼女の心から嬉しそうな笑顔だった。








「やってしまったぁぁぁあああッ!!!」

授業が終わり、学校が終わり、すずかも無事にノエルさんへと引き渡し、男友達のサッカーの誘いを断って放課後。
携帯電話で恭也さんへ今日の報告をして、バスに揺られて、自宅へ帰って、用意されていたオヤツを飛び掛かってきた妹たちへと投げ渡して、自室に入って、勉強机に鞄を置いて、布団に倒れ込んで。

僕は悶えていた。悶絶していた。

もう限界。学校では残り時間なんとかポーカーフェイスを保っていたけど、もう限界。

「『友達でいてください(キリッ』って、お前は一体だれだぁぁあああッ!?」

いや確かに謝ろうとは思ったよ? すずかを傷つけたのは紛れもない事実だ。反省もした。だから本当に真剣に謝った。すっげー急だったけどさ。そこに後悔は微塵も無い。……なのに、何で最後の最後に───

『「どうかこれからも、僕の友達でいてください」』
「なぁんでだぁぁぁあああああああッ!!??」

なに最後に余計なものまで付け加えちゃってんだよ!? 恋人に捨てられたくない乙女か僕は!? 願望見え見えの透け透けじゃねえか!!

「ぁあ、もうおしまいだァ……今まで築き上げてきた僕の大人としての威厳とか雰囲気とかその他諸々がおしまいだァ~~~……」
『そんなもん最初から無いとは思うがな』
「そんな馬鹿な」

隣から返ってきた葛花の言葉に僕は真顔で返した。

そんな馬鹿な。

「あと僕の声で僕の台詞を勝手に復唱するんじゃない」

ただでさえ悶絶するくらい恥ずかしいのに、同じ声とかもう拷問だろう。

『カカッ、声真似如き、儂にとっては容易いもんじゃよ』
「こんなトコで新しい一面を披露してどうするんだよ」
『いや、それこそ今のお前様に言われたくないわ』
「ですよね」

いやホントに。

『儂も学び屋の屋根の上から見ておったが、幾らなんでも急過ぎるじゃろアレは』
「終わった後に拍手喝采で応えてくれたクラスメイトたちはみんなすごく暖かくて良い子なんだと思いました」
『そもそも、何故あのように結果を急(せ)いたのじゃ? おぬしならもうちょっとは上手くやりようもあったじゃろ?』
「いや、そりゃあな……確かに最後の台詞は完全に勢いだったけど、さ」

僕は今日の学校での一幕を思い出し、再び悶えそうになる必死で堪えながら返した。

「……それ以前にあの場ですぐさま謝罪してしまったことに関しては、あいつの一言が僕という人間に対してクリティカル過ぎたんだよなぁ」


───やっぱり、わたしのせい、なのかな……?


あの一言の所為で、また『前』の世界での“あいつ等”を思い出してしまっていた。

孤児院でまだまだガキに過ぎなかった僕や先輩連中に心の傷を抉られ、部屋の隅で膝を抱えて泣いていた、あいつ等。孤児院を飛び出して夜遅くまで行方不明だった、あいつ等。園長先生やシスターちゃんの胸の中で一晩中涙を流しながら夜を明かしていた、あいつ等。

あの瞬間。

無意識にとは言え、『今』はもう会えない、僕が大好きだった“あいつ等”に、すずかがダブってしまっていた。

「最近になってまで重ねて見てるつもりは、あんま無かったんだけどなぁ……」

目を閉じて、大きく大きく溜め息を吐いた。布団の上に胡坐を掻いた状態で、頭から毛布を引っ被る。

と、独白のように響いた僕の声を聞いた葛花が、白い童女の姿になってこちらの膝に手を掛けた。ヒト型で獣のように這い寄る彼女は、俯く僕を下から覗き込むように見上げて、

『ま、忘れ切れとらん時点で大なり小なり引き摺っておるのは確かじゃろうな』
「忘れるかよ。……八年近く生きた『今』でも、忘れたことなんか一度も無ぇ」
『なら、それで善かろ?』

思わず声を低くして言った僕に、気軽に葛花が言う。こちらを見上げる彼女の血のように真っ赤な眼と、視線が絡んだ。

『過去を忘れられず、過去を引き摺り、それでも前に進む。儂はお前様のそういう生き汚さを見込んだ。故に、我が二代目の主人として認めた』
「……惰性だぞ? 自分で決めて自分で選んだ訳じゃない」

僕は、この上なく情けない事実を告げた。それなのに、目の前に居る狐耳に童女は怯まず、

『ならば、何故お前様は未だに生きておる? 何故未だこの世から去らん?』
「単に死ぬのが怖いだけだ。『死にたくない』、ただそれだけだよ」
『「死にたくない」。それもまた、一つの選択じゃよ。ひどく後ろ向きで、まるで宿敵に背を向けて全力疾走しとるような情けない姿じゃが、───それでも、お前様が自らの意志で選び取った、「生きる」という答えに変わりはない。…………大体、』

葛花の透き通った青白い細手が、僕の右頬を滑った。こちらをじっと見つめる彼女の口元が吊り上がり、野生の肉食獣のような獰猛な笑みを形作った。

『───お前様もそんな自分が嫌いという訳じゃなかろう?』
「当たり前だ」

問う葛花に、僕は大真面目に返した。

そんなこちらの言葉に満足だという風に何度も頷く葛花の背中に手を回す。冷たく幽かな彼女を抱きしめて、その感触に僕は微笑む。冷たいけど、暖かかった。

「……“俺”が忘れたら、想い出さえ亡くしてしまったら、本当に“あいつ等”が無かったことになりそうだしな。
 毎日思い返して、引き摺って、省みて、それで涙を流すのが情けないのなら、僕は一生ヘタレのままで構わない。
 人は別離を乗り越えてこそ強くなるって言うのなら、僕は死ぬまで弱くて構わない。
 誰が乗り越えてやるかよ、そんな恐ろしいハードル。───“僕”は全部持って行くぞ」

誓うように、僕は言った。

今ばかりは、自分の矮小さに、軟弱さに、感謝した。

そのおかげで、忘れずに済む。捨てずに済む。───『乗り越えないこと』に、劣等感を抱かずに済む。


敵に背を向けて全力疾走している自分を、誇ることが出来る。


『それで善い』

そう言うと、葛花はそっと僕の懐から身を離す。見た目だけなら押せば折れてしまいそうな細い両の腕で、僕の顔を包むようにして持ち上げた。
視線の先にあった彼女の表情は、まるで母親のように優しげな、僕でさえも今まで見たことのないような慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、まっすぐにこちらを見つめていた。

『それでこその、儂のあるじ様じゃ。人間らしく、人の子らしく、傲慢に、強欲に、全てを抱えて生きて往け。お前様がそう在る限り、儂も露払い程度は引き受けてやろう』
「嬉しいよ。嬉しいけど、ガキ扱いは止めろ。お前にそういうことされるとイラッとする」
『カカッ、そういうことは、その両の眼から流れ出るものを隠せるようになってから言うことじゃな』

そう言って、彼女は僕の両頬をぺろりと優しく舐めとった。










(あとがき)
第十九話、投稿完了しました。タイトルが最近やっつけになってきた、篠 航路です

今回は主人公が原作へと関わっていくための布石と、彼の内面の奥底にまで関わる一幕ですね。まあ早い話が、主人公は転生したという過去を何一つ乗り越えていないし、それどころかキッチリ向き合う気すら0というお話でした。

そもそも作者がこの「とある陰陽師と白い狐の~~」を書こうと思い立ち、そしてその主人公のことを決める際に一番悩んだのが、この『転生』というファクターの扱い方でした。内面人格は大人な主人公を書きたいが、かと言って『転生』という“前世の死”を体験してしまった彼が何も悩まないのは変だ。そう思って考え出したのが、この『和泉春海』というキャラクターです。過去の一切合財を乗り越えられずに思いっきり引き摺りつつ、それでも尚、惰性であっても全力疾走で『今』を生きて行く。そういう“心の弱さが持つ人間味”もまた、この作品、引いては主人公のテーマの一つなので、それが読者様方に少しでも伝わればと思います。

次の更新は、作者が4月からは新生活のリズムに慣れなくてはいけないので少々遅れるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします

では。





[29543] 第二十話 友達料金はプライスレス 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/05/08 19:19
それから。

具体的には僕が恭也さんにすずかのことを頼まれたあの日から1週間ほどが過ぎたのだが、特筆すべき被害は何もなく、かと言って誘拐犯が捕まることもなく、状況は急変せずに日常が着々と過ぎて行った。
まあ細かいことを言えば、忍さんが高町家に稽古に来た僕を訪ねてすずかの件のお礼を言ってきたり、恭也さんたちの高校では学年末テストが始まって今はその真っ最中だとか、例の一件以来いつにも増して僕と一緒のときは笑顔でいることが多くなってきたすずかだとか、そりゃもう挙げればキリがないのだが、それらは大局には関係ないと思われるので割愛する。というか割愛させてお願い。僕とすずかを見るクラスメイトたちの興味の視線やからかいの言葉が非常にアレなんだって。特に某金髪ツンデレのニヤニヤ笑いとか。

「───んじゃ、また明日な。すずか」
「うんっ、明日もいっぱい遊ぼうね!」
「あー……そうだな、遊ぼうな」
「それでは、失礼いたします。春海様」
「ええ、ノエルさんもご苦労さまです。また明日」
「はい」

今日も今日とて学校帰りに校門の前で停まっていた車を運転するノエルさんに元気溌溂すずかちゃんを任せて、手を振って別れた。ちなみにアリサは自分の稽古事、なのはは日直の仕事と、本日は別行動である。まあ四六時中いつも一緒にいる訳でもないから別に気にする程でもないんだけど。

と、今日も終わったお勤めに肩の力を抜いていると、制服のポッケに入れていた携帯に着信。表示画面を見ると、『恭也さん』とあった。

それを見るや否や、すぐさま電話に出る。

「和泉です。ついさっき、すずかはノエルさんに任せました。そっちで何かありました?」
『いや、突然すまない。具体的に何かあった訳じゃないんだ。……ただ、放課後に忍と校門を出たところで幾つかの殺気を感じた。それで少し気になってな。まあ、お前たちが無事なら安心したよ。そっちで何か異常は無いか?』
「殺気……ですか」

僕は携帯を少し耳から離して目を閉じた。意識を集中する。生憎と、僕には殺気を感じるなんて便利な能力は無いけど、それに代わり得る『魂視』がある。それを使って周囲を念入りに探ってみたのだけど、……特に怪しげな気配は無い。

<お前はどうだ、葛花>
『覗き見されとる気配はない。視線も感じんぞ』

僕の傍に侍っていた葛花に確認しても、異常は無し、と。

僕は離していた携帯電話を再び耳に押し当て、

「特にそれっぽい気配はありませんよ。残念ながら殺気云々は解からないので、遠距離から望遠鏡なんかで覗き見されていたら僕ではどうしようもありませんが」
『気にするな、そこまで判別できれば十分だ。俺も明確に殺気の出所まで特定できる訳ではないしな』

殺気が感じとれる帰宅部高校生というのも、よく考えればスゲェ字面だ。

『俺はこれから忍を月村邸まで送り届けて、今夜のところは彼女の屋敷で護衛して過ごすよ』
「おおーい。なにナチュラルに同級生の女子の家で一晩過ごすとか言っちゃってんのアンタ。……何? ついに忍さんとそういう関係になったんですか?」

思わず電話越しにツッコミを入れる僕。いや、マジでこの1週間で何があったの恭也さん。いくら護衛のためとはいえ、1週間前はそこまでじゃなかったよね?

『バカ言うな、そんな事あるはずがないだろう。護衛しながら、ついでに実力試験の勉強も見てもらうだけだ。……そちらに異常が無いなら、もう切るぞ』

一方、僕からの問いに呆れたように返す恭也さん。強引に話題を断ち切ろうとしている辺りが少し怪しい気もするが、……まあもし本当に恋仲になっているのなら、なのは経由でこっちにも情報の一つも流れている、か? 
今はまだ友人以上、恋人未満ってところが妥当な所かね。お互いを意識し合っている思春期の男女が危険の渦中で何日も行動を共にしているっていう現状を考えれば、むしろこれは自然な流れとも言えるだろうし。

「了解了解、と。……ま、頑張って下さいよ。今日は僕も稽古は休みの日ですしね」

久々に那美ちゃん達との仕事の日なので、昼のうちに仮眠を取らなくてはならないのだ。那美ちゃんのほうは明日も学年末テストのはずだから、早めに仕事を切り上げさせてあげないとだし。

『そうだな、ゆっくり休んでくれ。今日もありがとう』
「どういたしまして。それじゃあ」
『ああ、じゃあな』

そう言って、お互いに通話を切る。切った携帯電話を元のポケットに収めてバス停に向かいながら、僕は自分の考えを整理することにした。

推理パートだ。

「……そもそも今回の誘拐事件、犯人側の目的は何なんだ?」

一般的に資産家の娘を誘拐する際に考えられる目的は、大きく分けて2つ。

一つは、誘拐した娘の身代金を目当てにしたもの。

これはドラマなどでも見られる比較的オーソドックスな動機で、犯人側の目的意識も解かりやすい。誘拐犯の目的は忍さんそのものではなく、それに付随する金のほうがメインとなる。いわば、忍さんはオマケだ。目的のための手段であり、利用材料の一つ。

が、当たり前ながらそのためには幾つかのクリアしなくてはならない条件が存在する。

まずは、『最初の犯行で成功させる必要がある』ということ。
一度犯行に失敗すればその時点で被害者側の警戒度は跳ね上がってしまう。本人の警戒意識はもちろん、普通は親に相談して警察にまで連絡が行く。そうなってしまえば二度目の犯行は非常に難しい。
ドラマやアニメなんかでは常々無能として描かれそうな警察諸兄だが、あれはあくまでフィクションに限った話。実際に警察が動いて簡単に手出しできる誘拐犯などほぼ皆無だ。というか、警察じゃなくて恭也さんが動いているだけで、今の状況はまさにそれだし。

次にあるのは、『誘拐が成功したとして、誘拐対象が人質として機能するか』だ。
早い話が、忍さんを誘拐することに成功したとして、それで彼女の親が身代金を払ってくれるのか、ということである。もちろん、実の子が攫われたら殆どの親は愛情故に金を支払うだろう。仮に子供に愛情を注いでいない非情な親であったとしても、世間体がある以上支払われる可能性は確かに高い。

───しかし今回の月村家の場合、“娘は2人いる”のだ。

そして少し調べれば、月村家の両親と忍さんの折り合いが悪いことはすぐに解かるはず。

「つまり最初からすずかを狙わなかった時点で、ただの身代金目的の誘拐、って線はかなり薄くなるんだよなぁ……」

因みに『誘拐犯は忍さんと両親の仲が悪いことを調べていなかった』という可能性に関しては今回は除外する。だって、そんな行き当たりバッタリの間抜けな犯人ならどうせすぐに捕まるだろうし。

状況は常に最悪を予想する必要があるのだ。


閑話休題。


そして、資産家の娘を誘拐する目的として考えられる二つ目。それは誘拐する娘そのものが目的であった場合。
要するに、犯人の目的が、忍さんの持つ容姿・知識・技術・能力などのいずれか、或いはその全てである可能性だ。これならば、すずかではなく忍さんが狙われた理由にもなる───が。

「……なら忍さんが持つ誘拐されるほどの能力って何だよ、って話だし」

そんなの僕が知るわけねえだろ(一人ツッコミ)。

「う~~~ん……やっぱ情報不足がどうにも痛い」

歩きながら、唸って手を組む。

犯人側の推理をしようにも、どうにも虫食いだらけの穴だらけでパズルピースの埋まりようがなかった。
探偵小説なら情報収集の段階で躓いていることになる。普通に探偵失格だ。



「───まあどっちにしろ、犯人側が月村家の“裏事情”を知ってるのは殆ど確定、かな?」



忍さんだって表向きは普通の女子高校生だ。そんな彼女が誘拐犯の望む何かを持っているのだとすれば、それはかなりの確率で月村家の異能に端を発する“裏”にまで関わっているはず。

まあ単純に誘拐犯は忍さんの身体目的だった可能性もあるにはあるが、ただ、“裏”のことを知っていたと仮定すれば犯人が一度目の誘拐失敗を許容できた理由付けにもなる。要するに、誘拐犯は被害者が警察に連絡しないことを分かっていたのだ。月村家の異能に関することだもの。そりゃあ警察にも駆け込めんわ。…………いや、でもなあ。

「そう考えると、誘拐犯は忍さんがご両親に相談しない───“相談できない”ことも予想してたのか……?」

今回の件に月村家の“裏”が関わっていることで警察の不介入を予測できたとしても、それは忍さんが両親に連絡しなかったこととは別だ。

「だとすれば、その根拠は何だ……?」

『親のことを嫌っているから』なんて不確実な理由でなく、あの忍さんが単身でこの問題を解決せざるおえないような確固とした要因があるはず。

───それは一体、何だ……?

「……………………ダメだ、見えねえ」

項垂れるようにして言いながら、僕はバス停の時刻表に手を置く。いつのまにかバス停に到着していたらしい。

「……せめて犯人側の狙いを知ることさえ出来れば、それを忍さんが親を頼れない理由と繋げる余地も出てくるんだろうけど……」

まあ、言ったところで無いモノねだりである。誘拐云々は別として、僕自身に月村家の“裏事情”に関わる気がほとんどない以上、忍さんに直接尋ねる訳にもいかないし……。

行き詰った僕は、背後に浮かんでいる葛花に念話を通した。

<葛花。お前は今回の誘拐事件のこと、どう思う?>
『さて、の。……生憎じゃが、儂は人の起こす揉め事に対する対処能力は低い。生来、そういうモノからはいつも自分から遠ざかっておったしの』
<それもそうか>
『……ただ、』

腕を組んで今回の事件について思考を回す僕の頭に肘をつき、そこに自分のプニプニとしたほっぺを乗せて、頬杖を立てるようにした葛花が言葉を続ける。

『件の下手人は、あの小僧が護衛に就いてからはパタリと鳴りを潜めておるのじゃろう?』
<恭也さんか?……そう言えば、確かにそうだな>

恭也さんは忍さんのボディガードをすることになったのは、彼が僕に高町家道場で事情を話した日の数日前。そして、それから今日まで忍さんに対する誘拐工作は完全に沈黙してしまっていると云うことになる。もちろん、既にその間に何らかの事件が起こっていて、恭也さんが僕にそのことを隠しているという可能性を無視すれば、だが(あくまで全ての可能性を考えているだけで、その可能性は無いも同然なんだけどね)。

<でも、そうだとして、それが一体何になるって言うんだよ?>
『忘れるでない。あの小僧は確かにかなりの手練じゃが、それでも姿形はただの小僧じゃろうが。そんな小童が傍に付いている程度で、なぜ十日近くも襲撃が止む?』
「あ……」

おお、確かにそうだ。僕は馬鹿か。

恭也さんの実力を熟知しているだけに、彼が外から見たらどういう人間に見えるかまでは考えが及んでいなかった。そうだよ、あの人って立場と外見だけで判断すれば、ただの一般男子高校生じゃないか。そんな男が1人で傍にいるだけで、どうして誘拐犯の動きがパタリと止んでしまった?

……期間に余裕があるので、そこまで事を焦っていないのか?

でも確か、忍さんのご両親が出張から帰って来るのは4月のはず。いくら忍さんが親に頼らないことが解かっていたとは言え(予想)、誘拐犯にとって最大の障害になり得るそれを考慮すれば、もっと早くから行動を起こすべきではないのか?

あとは、考えられるとすれば……

(何か、誘拐犯と僕たち以外の、第三者的な勢力があるのか……? そしてそれは、誘拐犯の動きを止めているという事実から、少なくとも僕たちの敵では……───)

そこまで思考して、そこで思考が止まってしまう。

現状で考えられる可能性はこのくらいだが、しかし逆に言えば、現状ではこのくらいまでしか考えられなかった。これ以上考えても、それはただの妄想に終わってしまいそうだ。

そう結論づけて、僕が思考を打ち切っていると、

『まあ、どちらにしても───あるとすれば、近い内に総力を挙げた襲撃があるかもしれんな』

予測するように。
予見するように。
予言するように。

葛花が、そう言った。

<おいおい物騒だな……、なんでそんな事わかるんだよ?>
『狩りじゃよ』
<狩り?>

僕の言葉に、うむ、と頷いて、

『下手人が自身の判断で中止したにしては、沈黙が些か唐突すぎる。だとすれば、動かぬ、或いは“動けぬ”この現状をフルに利用して、力を溜めこんでいると考える方が自然じゃよ。そうして然るべき時に溜めこんだ力を一挙に解放し、眼前の獲物に喰らいつく。あたかも茂みに潜む獣のように、の』
<どっちにしても、潜伏期間ということか>

……あれ? 恭也さん、割とヤバくね?

<……マジでこれは、ちょっと本腰入れて取り組まないとマズいかも>
『少なくとも、今のお前様では事象の中心には程遠いぞ。終わったときには物語の端役がせいぜいじゃろうな』
<…………>

葛花からの有り難い御言葉に、僕は、

「……はぁ~~~~~……」

バス停の前で立ち尽くしたまま、長い、長い、溜め息を吐いていた。道行く通行人の方々が何事かとこちらをギョッとした目で見てくるが、特に気にはならなかった。

空を見上げると、一週間前と然して変わらぬ、雲一つない青空。

「……生きるって、ホント難しいわー」

いや、知ってたけどさ。首が痛くなりそうな程に遥かな上空を見上げ、僕はポツリと呟いた。……あ、雲あるし。










(……ん?)

そういえば……


───俺はこれから忍を月村邸まで送り届けて、今夜のところは彼女の屋敷で護衛して過ごすよ


「……恭也さんって、忍さんのことは呼び捨てだっけ……?」





**********





「ごちそうさま、ノエル」
「ごちそうさまでした」

今日の夜ごはんを終えた忍とすずかちゃんが食後の挨拶を述べる。

「ご馳走様。美味しかったよ、ノエル」
「ありがとうございます」

それを見て、彼女たちよりも少しだけ早く食べ終えて紅茶を飲んでいた俺───高町恭也も、改めて傍に控えたノエルに言う。



数日前に“あのこと”を忍から打ち明けられて以来、俺に彼女のことを『ノエル』と呼び捨てで呼ぶようになり、彼女は今まで以上の恭しさで俺に接するようになっていた。
ノエル自身がそう希望したからだ。
なんでも、それはノエル自身の矜持であり、“例の一族”と同等の『主』として扱うことになった俺が遠慮してしまうのは彼女自身のメイドとしてのプライドに関わってしまうから……らしい。

正直、よく解からない。

が、ノエル自身がそうすることを希望しており、尚且つ許していると言うのなら、わざわざ俺のほうから断る理由はない訳で。
そういうことで、半ば押し切られる形であったことは事実だが、俺はそれを受け入れ、それからは彼女のことを『ノエル』と呼ぶようになっていた。



「あ。恭也、そろそろ時間よ」
「ああ、そうか。わかった。───それじゃあ、すずかちゃん。話の途中で申し訳ないのだけど、俺と忍は部屋のほうに行かせてもらうよ」
「はいっ。お勉強がんばってください!」

食後もしばらくその場で月村姉妹の2人と談笑していた俺だったが、そのうち決めていた勉強時間が来てしまった。誘拐犯が出ようと学校のテストは待ってくれない。普段から成績の良い忍なら兎も角、あまり芳しいとは言えない俺は(極端に悪い訳ではない。真ん中くらいはあるぞ)前日の間に少しでも知識を詰め込まねばならないのだ。

食堂に残ったすずかちゃんとノエルに見送られて、俺は忍と共に彼女の自室へと向かった。

その道すがら。これまた広く豪奢な廊下で横を歩く忍が声を掛けてくる。

「にしても、すずかも恭也には随分と懐いちゃったわねー。すずかったら、食事中ずっと貴方と喋りっぱなしだったじゃない」

1年前とは比べ物にならないくらい明るい、まるで幼い子供のように無邪気に笑って言う忍。
俺は危うくそれに見蕩れそうになるのを自制しながら、

「まあ、嫌われなくて良かったと思うよ」

───それに、

「どうにも、春海の奴が学校ですずかちゃんに何かしたみたいでな。あの子もそのおかげで機嫌が良いらしい」
「何かって、なに?」
「それは知らない。『恭也さんにも内緒です』だってさ」

ただ、俺にそう言ったときの頬を染めた彼女の笑顔を思い出せば、間違いなくその“何か”はとても良いことだったのだろう。少なくとも、それを言われたすずかちゃん本人にとっては。

「春海くんかぁ~~~」

しみじみとアイツの名を呟く忍が、廊下を歩きながら腕を組む。……む。体の前でそういうことをされると、彼女の同年代からすればやや大きい“それ”が……って、いかんいかん。

「彼も彼で、とても不思議な子だよねー。底が知れないって言うか……あ、もちろん嫌ってる訳じゃないよ? むしろ好きなくらいだし」
「わかってるさ。……でも正直に言うと、1年近く一緒にいる俺にもアイツは読み切れないな」

俺は、今日の放課後に電話口で話した、あの小学1年生の姿を思い出す。


和泉春海。

妹のなのはと同じクラスの少年で、うちの道場に通う門下生であり俺の弟弟子。その実力は俺たちと比較すればお世辞にも高いとは言えないが、それでもそれを補ってあり余る程の“目の良さ”と戦術眼の持ち主だ。俺も美由希も、手合わせ中にヒヤリとさせられたのは1度や2度ではない。
基本的には非常にフットワークの軽い少年で、子供らしく場を引っ掻き回したかと思えば一転して高校生の俺が及ばない程の察しの良さと思慮深さを見せる瞬間も多々ある。もしかしたら妹の美由希より余程しっかり者ではないのだろうかと何度思ったことか。というか美由希はもう少し注意力を身につけろ。

どうやら父さんは何か知っているようなのだが、それが何なのかを訊いたことはない。また、訊く必要もないと思っていた。

アイツは、アイツだ。俺の弟弟子で、友人の和泉春海だ。

今までならば、それで十分だったのが……

「毎度毎度、妙なところで話題に出てくる奴だな、アイツも……」
「あっはは、でも聖祥ですずかを守ってくれてるのは彼なんだもん。すずかの騎士(ナイト)様に文句なんて言わない言わない」

そう言いながら、こちらの腕に抱きつく忍。

「……まあ、アイツは騎士なんて柄じゃないけどな」

二の腕から伝わる柔らかな感触に思わず赤面しそうになった。バレないように彼女から顔を背ける。

何故か、放課後の電話で春海が言ったことが思い出された。


───……何? ついに忍さんとそういう関係になったんですか?


……『そういう関係』。

(───ええいッ! 邪念(脳内春海)よ、去れッ! 煩悩(脳内春海)よ、滅びろッ!!)

こんな所にまで出張って来るとは、どこまでも読めない男だなアイツは!
自分でも八つ当たりだとは理解していたが、それでもここの居ない和泉春海を恨まずには居られない俺だった。





そうして忍の指導の下で行われた明日の試験対策を終えた俺は、屋敷の外にまで見回りに出た。厚意で護衛をしているだけの俺がそこまで気を張る必要はない、というのが忍の弁だが、それでも見回りをして迷惑ということはあるまい。張り詰め過ぎは良くないが、かと言って油断して良いわけではないからな。

それに、もし仮にこの月村邸を見張っている“誰か”が居るとして、その者たちに対してこちらが油断していないことをアピールするのも重要だ。それで今日のところは相手が退いてくれるというのなら、それに越したことは無い。

そう考えた俺は愛刀である『八景』を持ち、装備一式を身につけて、昼間のように玄関から外へ出た。の、だが……

「───ノエル?」

月村家メイドである、ノエル・K・エーアリヒカイトが、一人で立っていた。

月夜に映えるその冷然とした立ち姿に一瞬だけ息を飲み、次いでそれが彼女であることが分かって緊張を解く。いつも彼女の気配は妙に読みづらい。

「……恭也様」

俺が息を吐いていると、こちらに気付いたノエルが話しかけてきた。

「見回りですか……? お疲れ様です」
「……ああ」

どうやら、話を聞いてみると彼女のほうも見回りをしているらしい。それなら、ということで一緒に見回ることになった。

「……………………」
「……………………」

連れ立って歩きながら、横目でノエルを盗み見る。
常日頃から落ち着いた姿勢を変えない彼女の姿を見ていると、ふと、先日に彼女から言われたことが思い出された。


───あの人が欲しいのは、……私ですから。


『あの人』というのは、当然ながら誘拐犯のことだろう。それは解かる。

しかし、それなら。
その誘拐犯が欲しているものがノエル自身というのは一体……?

(春海に相談しても良いが……)

……………………。…………。……。

「……ノエル」
「……はい?」

まどろっこしい。まずは本人に直接確かめよう。

「……この嫌がらせをしている犯人が、ノエルのことを欲しがっていると言ってたよな」
「……ああ」

こちらの疑問の声に一瞬キョトンとした表情を覗かせた彼女だったが、すぐに思い至ったのか元の無表情に戻って相槌を打つ。歩きながら再び前を向いて、

「事実です」

……肯定した。

思わず言葉を失う俺を気遣わしげに一瞥して、それからノエルはまた言葉を紡ぎ続けた。

「あの方は、私を欲しがっています」
「……それは、どういう……」
「……そのままの、言葉通りの意味で……───!」
「ッ!」

彼女とほぼ同時に、俺も気付いた。夜道を外れた木々の中へと視線を走らせる。

(……人の、気配……!!)

駆けだすにはまだ早計か、これが囮である可能性も……

数瞬の間で追うか否かの判断を下し、同時に袖口の飛針を構えようとする俺。


が、ノエルはそれよりも速く行動していた。


「───誰ですかッ!!」

隣から、ノエルの聞いたこともないような鋭い声が上がる。
彼女はこの闇夜の中でも気配の位置を正確無比に探し当て、それが潜んでいるであろう茂みを睨んでいた。

すると。

がさ、がさ、と。怯んだように気配が去る音がこちらの耳にまで届き。

「……………………」

すぅ、とノエルが無言で左拳を突き出した。

「……照準固定。距離27。……風向き参考、無し。───カードリッジ、ロード」

ぱしゅん、と彼女の突き出した手首の辺りから気の抜けるような軽い音がして、続いて強烈な光が灯る。



「───ファイエルッ!!」



轟音。

ノエルが叫んだ瞬間、……何と言うか、……その、なんだ。彼女の拳が……………………飛んだ。

「は?」

自分の口から間抜けな声が出たような気もしたが、気にもならない。当たり前だ。こんな状況で平然としている奴がいたら病院行け。
俺が呆然とその光景を見ている間にも、ノエルの拳は凄まじいスピードで茂みの中へと消えて行き、やがて……

「きゃぁああああああッ!!?」
「きゃいんッ!!」

地面に激突したような着弾の音と共に、気配の主のものと思しき悲鳴が届いた。───って!?

「待った……! ノエル待った!!」

この声は───!?

聞き覚えのある声色に相手が何者かを悟りかけた俺だったが、しかし、考え事が出来たのはここまでだった。

“それ”に気付くや否や、鞘に入ったままの八景を即座に頭上に構える。

───ギィィイインッ

鉄拵えの鞘が甲高い金属音を鳴らす。
悲鳴の上がった所とはまた別の茂みから、何者かが俺に向かって突進。そのまま俺の右肩へと刀を振り下ろしたのだ。

「う、おッ───!?」

八景から伝わる圧力に、思わず声が漏れ出た。膝が折れそうになったが、辛うじで堪える。

そのくらいに、目の前の男の膂力は凄まじいものだった。単純な圧力だけならば、恐らく友人である赤星以上……!

持っていた懐中電灯は既に落としてしまったため闇夜で顔は判別し辛かったが、一瞬だけ垣間見えた背格好は成人した男だった。八景を通じて伝わる刀身の感じからすれば、これは峰打ちか。舐めた真似を。

力では敵わない。それを悟った俺は、即座に相手の腹を蹴り飛ばした。大したダメージは望めないだろうが、元より目的は距離を取ることだ。問題は無い。

俺は燃えつく戦意を冷静に研ぎ澄まし、離れた男に追撃を掛けようとして───



「───止まって春海くんッ!!」

「───ッ、恭也さん!?」



それぞれ別々の方向から届いた叫びに急ブレーキを掛ける。履いていたシューズが地面を滑り、僅かに焦げた匂いが鼻孔を擽る。

叫び声を上げたのは、先ほど茂みの向こうで悲鳴を上げた声の主である女性と、…………目の前の、成人した男の影だった。

一時的に硬直した場。

最初に動いたのは、ガサガサと音を立てながら茂みの中から走り出てきた女性。なぜか深夜のこの時間帯に巫女服を着た、俺が通う風芽丘学園の後輩───神咲那美だった。その足元には彼女の飼い狐である久遠の姿もある。

彼女たちは息を切らせながら、地面に座り込んでいる男の影に駆け寄った。

「大丈夫ですかっ春海くん!」
「くーん!」

そこでようやく俺も、彼女が言った言葉の意味を考える余裕が出てきた。

……春海? いや、目の前の影はどう見ても成人した男のもので……同姓同名?

「───あー……、大丈夫。心配しないで那美ちゃん。ちっと腹に蹴り喰らっただけだから」
「見せてください!」

悟ったような口調でのんきに告げる男。その声もまた、俺が知っている春海とは程遠いくらいに低い成人男性の声だった。
そんな男に、神咲さんは聞いたことも無いような鋭い語調で言い放つ。彼女もこんな必死な声が出せるのかと、場違いに思った。

「それも良いけど、まずは那美ちゃんも少し落ち着いて。ほら、目の前にいるのは君も知ってる高町恭也さんで、焦る必要はないから。ね?」

詰め寄る彼女の肩を押さえて下がらせながら、それを諭すように語り掛ける男。言っている内容から察するに、どうやら向こうは俺のことを知っているらしい。

(……本当に誰だ? 声に聞き覚えはないはずだが……)

割って入るのはもう少し後でも構わないだろうと考え、影に隠れた男の正体を類推しようとするが、全く覚えが無い。

「恭也様」
「……ノエルか」

その間に、少し離れていたノエルも俺の傍へと近づいてきた。見ると、左腕は既に元通りに直っている。

「はわ?」
「くーん?」

一方で、男に言われた神咲さんと久遠が、ついさっき気が付いたという風にこちらを振り向いた。案外、目の前にいる男のことが心配で本当にこちらには意識が向いていなかったのかもしれない。

「……あっ、すす、すみません高町先輩! 気がつかなくって!」
「くぅん!」

……どうやら、本当にこっちに気付いてなかったようだ。慌てて立ち上がるとペコリと頭を下げてきた。

「いや、それは構いませんよ。本当に。ただ、……そっちの彼は一体誰なんですか? 俺のことを知っているようだけど……」
「あ……」

俺からの問いに、神咲さんは焦った様子で座り込んだ男を振りかえる。俺もその視線の先をなぞるようにして、再び男の影へと目を向けて───


「それは、僕が説明しますよ」


その声は、確かに聞き覚えのある少年の声で。


「いやー、参った参った。はぐれた那美ちゃん達を追って来てみれば、まさかこんなことになるとは……先ほどは、いきなり斬りかかってすみませんでした」


そのシルエットは、確かに見覚えのある少年の影で。


雲の切れ間から、いつの間にか隠れていた月が姿を現す。
満月に程近い具合にまで膨れてた今夜の月は、目の前の影を祓うに十分な働きだった。





「電話だけなら今日の放課後ぶりですか───恭也さん?」





月の光に照らされた地に腰掛け、いつものように飄々とした笑みを浮かべているソイツは、確かに俺がよく知る小学1年生で、友人である少年───和泉春海だった。















(あとがき)
第二十話の1、投稿完了しました。今回はやけに長くなりそうだったので分割でお送りいたします。

さてさて、今回で主人公は月村家の物語に一気に関わることとなります。作者はご都合主義とか主人公補正とか、そういったものがあまり好きではないでの、そういうものは極力排除しようと考えているのですが……うん、無理でした。
まず彼が主人公である以上、彼を物語に深くかかわる立場に置かなくてはならない。だけど、そうするためには主人公を無理矢理にでも登場人物に関わらせる必要がでてくるんですよねー。そして主人公特有の運命力というか、人々との良縁というか、極論すれば物語における主人公というものは関わるもの全てが主人公補正の賜物なんですよね。つまり物書きの仕事は、そういう主人公補正を如何に違和感なく読者様に魅せるか、ということに尽きる訳でして……ガンバリマス。

ってことで、今回はリリカルとらハssにおけるテンプレートの一つ『月村一族の秘密』の、その導入部となります。数あるオリ主が通って来たこの関門。うちの主人公はどのような答えを見せるのか!?……ご期待頂けると幸いです。続きはもう少々お待ちを。

では!

追記(4/22)
感想で第一話3、第九話2、第十二話で横スクロールが発生して読みづらいとの御指摘を頂きましたので修正しました。一文中に『―――』や『……』が多いとそうなってしまうらしいですね、知りませんでした。
作者の不勉強のせいで読者の皆様に不便な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。ss作者としてまだまだ未熟な身ではありますが、良ければこれからもよろしくお願いします。



[29543] 第二十話 友達料金はプライスレス 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/11/27 23:16

夜の月村邸での僕と恭也さんの邂逅より、時は一時間ほど前へと遡る。

「───それじゃあ、那美ちゃんも恭也さんが忍さんのボディガードをしてることは知ってるんだ?」
「あ、はい。少し前に忍さんご本人から。
かっこいいですよねー。こんなこと言うと不謹慎ですけど、あーいうのってちょっと憧れちゃいます」
「くぅん」
「はは、那美ちゃんはいないの? そういう頼りになるボーイフレンド」
「わたしはぜんぜんですよー。家族以外でいちばん話してる男の方って言えば、耕介さんか高町先輩ですから」

目の前でこちらに巫女服の背を向けて作業している那美ちゃんの言葉に、僕はバレないように心の中でガッツポーズした。
いつの世でも、たとえ狙っている訳でなくとも、又、こちらに異性として興味ないことが丸分かりであっても、かわいい女の子がフリーなのは男として心躍るものである。

……いや、ホントに狙ってはないよ? いくらなんでも高校生の那美ちゃんが小学1年生の僕を異性として見るのは無理があるってことくらい僕だって解かってますよーだ。

今もすんごいナチュラルに僕のこと男のカテゴリーから弾いてたし。



恭也さんから電話があった夕方からおよそ6時間後。僕は予定通りに那美ちゃんたちと一緒に今宵の仕事に励んでいた。

とはいえ、今回の仕事場所には一般人の方も何人かいらっしゃるため葛花の協力で青年姿に化けている僕は、那美ちゃんの後ろで結界係である。こういう方位を区切って包囲を固める結界術なんかは陰陽師たる僕のほうが彼女より得手なので、彼女が作業している間は一般人が入ってこないように“場”を区切っているのだ。

ちなみに。

僕みたいな結界術が使える術者がいない場合はどうやって他人に見られないようにしていたのかと云うと、答えは簡単、警察の方々の協力を要請するのだ。僕も詳しく話を聞いている訳ではないのだが(機密事項らしい)、那美ちゃんが所属する『神咲』は警察関係者から極秘に霊障事件の解決を依頼されることもあるくらいのお付き合いがあり、逆に神咲家が警察に依頼をする場合もあるらしく。
とは言っても、警察のほうも“霊”なんて非科学の権化みたいなものを公に真正面から認める訳にはいかないのも確かで、神咲からの依頼を受けるかどうかは両者の話し合いによって秘密裏に決定されるようだ。

まあ。

今回に限っては僕という結界術者がいるため、警察に依頼することはなかったのだけど。

那美ちゃん曰く、神咲の家(というより那美ちゃんのお婆ちゃん)も彼女の助手として半年以上働いている僕の力量をある程度は把握出来てきたらしく、最近はこうして危険がなく負担の少ない仕事を僕に頼むようになっていた。
ぶっちゃけ「これ給料もらっても良いんじゃね?」とも思うものの、もともと頼んで一緒に居てもらっているのは僕のほうなので贅沢は言うまい。任されてるのは本当に危険の無いものばっかりだし。そのうえ僕まだ8歳だし(※ 実は春海に支払われる給料は、薫が全額預かって管理しています)。

で。

そうやって僕に結界を張らせて那美ちゃんが取り掛かっている此度の仕事というのが、海鳴郊外にあった、とある『祠』の修繕である。

どんな曰く付きの祠なのかはこちらも知る所ではないが、もともとは近くにある寺が管理しているもので、それが先日になって壊されていたのを寺の住職さんが見つけたらしい。彼の話では、酔っ払いのしわざだろうとのことだ。
なら修繕くらい住職さん本人がやれば良いだろうとも思ったのだが、実はこの住職のおっさん、霊が実在することは知っているし、『この祠が壊れたままだとヤバい』という事実も認識していたのだが、実際にそれに対処するための“力”を持っていないのだ。

というか、まあ当たり前だ。全国の寺社仏閣に住まう坊さん全員が霊能力を使えるのなら、この世から悪霊なんか居なくなるわ。

と、いうことで。

今回もやっぱり神咲家へと依頼が入り、ここ海鳴にいる那美ちゃんが修繕に駆り出されたというわけだ。



「……これで良し、と」
「くーん」

そうして僕が霊脈の循環に注意を払いつつ結界を展開していると(こうすると結界が少ない力で長持ちするのだ)、張り詰めていた息を吐くようにして那美ちゃんが言った。

「ん。那美ちゃーん、終わったの?」
「あ、はーい。あとは霊力を込めるだけなので、もう結界も解いてもらって大丈夫ですよー」
「あいよー。それにしても意外に早かったね。まだ始めてから15分くらいしか経ってないのに」

確かに祠の修繕自体はそこまで掛かりそうになかったが、霊的な処理を含めたらもう少し時間が掛かると踏んでいたのだけど。

そう思って結界を解きつつ片手間に尋ねてみると、那美ちゃんは少し疲労の滲んだ、それでも確かな充足感のある表情で微笑んだ。今日も無事仕事をこなせたことに満足しているのだろう。

「必要なものは事前に神咲のほうで準備されてたから。あとは正しい手順で組みあげただけなの」
「へぇー」

僕は後ろから見ていただけなのだが、彼女のしていた作業にそんな意味があったとは。

「何回か落として崩してたように見えたけど、それも全て計算してたんだね」
「え?」
「ん?」

僕の言葉に、ちょっと固まった那美ちゃん。

「……そ」
「そ?」

が、妙にダラダラと冷や汗を流しながらも、やがて再起動を果たし、

「……そうです、……よ? あ、や、そうです、そうなんですっ」

ズザザーッ、といつもの彼女からは信じられないようなスピードでこちらに詰め寄り、胸の前で両手を握ってこくこくと頷く那美ちゃん。思わず仰け反る僕。

「あ、やっぱりそうなんだ。まあ僕も祠の修繕なんて勉強したことはないし、確かにそんな作業工程があっても不思議はないかー」
「……そ、そうですよーっ、あれはわたしが薫ちゃんから電話で習った、ぜ~ったいに必要なことなんですっ!!」

人差し指を立てて説明する那美ちゃんはまるで生徒に教える教師のようだった。笑顔の彼女の額を伝ってる大量の汗は、たぶん僕の見間違いだろう。

「僕はまたてっきり本当は5分程度で終わる筈なのにドジって手が滑って何度もやり直してたけど見栄を張ってそれも必要な作業だと言って誤魔化してたのかと思ったよー」
「そっ、……そんなことないですよー……?」
「そーだよねー。那美ちゃんがそんなズルみたいなことするわけないもんねー?」
「……は、はい!」
「はっはっはっはー」
「あ、あはは~」
「……………………」
「……………………」
「……で、本当は?」
「……ごめんなさい、うそです」
「くーん……」

呆れたような久遠ちゃんの鳴き声が、僕と那美ちゃんの間を空しく通り過ぎた。



**********



「はぁ~~~……また失敗しちゃった」
「くぅ~ん」
「今日こそは春海くんにも格好いいところ見せられると思ったのに……」
「くーん」
「……そうだね。もっと頑張らないと、だよね」
「くぅん!」

……………………。…………。……。

「春海くんが戻ってくるまで、まだ時間があるだろうし、……そうだ。今日のお礼にジュース買っておこっか」
「くぅんっ」
「あっちの方に自動販売機があったはずだから……、よしっ、行こ!」
「くぅぅぅん!」



**********



「というわけで、今回の依頼は滞りなく完了いたしました。また問題があるようでしたら神咲までご連絡ください」
「ああ、どうもありがとう。本当に助かったよ」
「いえ」

それから2,3だけ業務上の必要事項を説明して、今回の依頼主である住職さんと別れる。


あの後。

仕事も終わり、待っている住職さんに挨拶と報告だけして早く帰ろうという段階になって、それくらいなら一人だけでも十分と、僕は那美ちゃん達を傍にあった石段の所で待たせて1人で行動。彼女も連日のテスト続きで疲れているだろうし、少しでも休ませてあげたかったという理由もだったからだ(ついでに、外見上は年上に見える僕のほうが仕事上の手続きも案外スピーディだし)。

そういうことで寺にて待っていた住職さんへの報告も済まし、那美ちゃんたちが待っているはず石段へと足早に戻った。

が。

「……居ねぇし」

肝心の那美ちゃんと久遠ちゃんが、影も形もない。

「どこ行ったんだ……? 今日はタクシーで帰るとは言ってたけど……」

一瞬僕と葛花を置いて帰ってしまったのかとも思ったが、那美ちゃんたちに限ってそれはないだろう。むしろ僕が返って来なかったら朝まで待っていそうだ。
僕が彼女たちと別れてから、まだ10分程度しか経ってないぞ?

<葛花はどうだ?>

成人姿で突っ立ったまま、内にいる葛花に尋ねると、

『ふむ、儂は今お前様の“内”に居るしの。この状態では匂いが追えん……じゃが、まあ、こうすれば良かろう』

頭の中にいる葛花が、そう言葉を切った。───途端に、僕の嗅覚が妙なことになった。

「おおっ!?……なんだこれ、気持ちワル」

思わず鼻を押さえ、声に出して驚く。周りに人がいなくて良かった。

今まで嗅いだことないような強烈な木々の香りと、土の強い匂い。異臭ではないので嫌悪感が湧くわけではないのだが、とにかく気持ちが悪い。
感覚としては見え過ぎる眼鏡を掛けたときのような、そんな痛烈なまでの違和感。

『気持ち悪いとか言うな。儂の鼻を多少“表”に出しただけじゃ。これならばお前様でも追えるじゃろ?』
「いや、そんなこと言ってもな……。僕、那美ちゃんの匂いなんて元から───」

───知らないし。そう言おうとした刹那、僕の鼻孔を石鹸の良い香りがくすぐった。

「……するし。……え、これなのか? この石鹸の匂いなの?」
『じゃな』
「おおう、ふぁんたじー……」

なんだろう。手から炎や雷を出したりするより、こんなふうに自分の身体に直接作用してくると、今まで以上の非現実感を感じてしまう。
具体的には、石鹸とはまた別に薫ってくる、女の子の甘く良い匂いというか……アレな言い方をすると、体臭?

「なんかこう、すっげーイケナイことしてる気分になるな、これ……」
『なんじゃ、お前様は若い娘御の甘香に興味津々か。この変態め』
「いやいやいやいや」

理不尽すぎる。

「そもそもお前が僕の中から出てくれば済む話じゃん」
『めんどい』
「さいで……」

仕方ないな……、と頭のなかの投げやりな声に嘆息しながら、僕は木々の香りを掻き分け、匂いの漂ってくる方角へと歩き出した。極力、石鹸の清冽な香りに紛れて鼻をくすぐる、生々しい芳香の意味を考えないようにしながら。


そうして、僕が自身の煩悩と戦いながら歩くこと5分。

「……だから居ねぇし」

未だ対象の姿なし。

ここまで来ると、鈍い僕でも流石に見えてくるものもある。それすなわち、───

「……那美ちゃん、また迷ったな」



あの子、完全に迷子だわ。



ちなみに那美ちゃんが変質者に攫われたのではないのかという心配は、実はあまりしていなかったりする。だって彼女の傍には滅法強力な雷撃を放ってくる子狐がいるし。久遠ちゃんも久遠ちゃんで、あの外見からは想像も出来ないくらい強い妖狐なのだ。

「ここら辺じゃあ、もう民家すら全然ないしなぁ……」

とはいえ、僕も僕でそこまで焦っているという訳ではない。というより気分は至って平静そのものだ。いや、だって、

「……電話するか」

───携帯あるしな。

ということで、服のポケットから取り出した携帯電話の電話帳機能の中から『那美ちゃん』の名前をセレクト。耳に押し当て鳴り響くコール音を聞き流しながら、電話の向こうにいるはずの相手が出るのを待つ。どうにも那美ちゃんの匂いもこの付近から漂ってるみたいだし、すぐに見つかるはず……───と。


───♪───♪───♪───♪


途端、“茂みの中から”聞こえる軽快なメロディ。

「……………………」

僕は、その音源に向かって無言でスタスタ歩を進め、やがて行き着く鬱蒼と茂った草木。そうして目の前の茂みに手を突っ込むと…………手に掴んだのは、一つの巾着袋。さっきまで嗅いでいた那美ちゃんの香り付き。
さらに無言で、その巾着袋の結び目を解いて口を開く。中のものを取り出してみる。中にあったのは、小さなガマ口の財布と、水色のハンカチ。ポケットティッシュ、絆創膏。─────そして鳴り響く携帯電話が一台。

……………………。…………。……。

「またかッ!!!!!????」

叫んだ僕は、きっと悪くない。



「へっへっへー、匂うぜ匂うぜプンプン匂うぜー。かわいい巫女さんとかわいいキツネちゃんの良~い匂いがするぜー」

ということで“装備『那美ちゃんの落とし物』”を手に入れた僕は、手首に巻くようにしたそれを装備し、茂みの向こうへと続く彼女たちの香りを指標にズンズン進んでいく。

いろいろテンションがおかしい気もするが、もはや気分は少女を追い詰めるロープレの山賊なのだ。ひゃっはー、逃げろ逃げろー。

「……にしても」

そんなことをしていると、ふと我に返って呟く僕。

「まるでヘンゼルとグレーテルみたいだな」

いやまぁ、あの兄妹もこんな犯罪的な絵面の道しるべは御免だろうけど。
体臭を追うって、それは一体どんな童話だ。グリム兄弟(原作者)に説教されるわ。

というかよしんばこのあと那美ちゃんに追い着いたとしても、どうやって探し出したかは絶対に言えないよね、これって。

「そもそも漂ってくる女の子特有の甘い香りに慣れ始めてる自分がすごく嫌だ……」
『深夜の森でふんふん鼻を鳴らして若い娘のあとを追っかける。……構図は完全に性犯罪者のそれじゃな』
「僕は無実だ」
『罪人は皆そう言う』
「冤罪だ。それとも何か証拠でもあるのか?」
『セオリーとしてはその台詞を口にした者は十中八九真犯人じゃぞ』

様式美である。

と。

そうこうしている内に、いつの間にか僕の目の前には月村家の邸門があった。匂いもこの門の向こうからなので、多分なんとか此処まで辿りつくことが出来た那美ちゃんたちが電話を借りるためにお邪魔したのだろう、なんて当たりを付けていると、

『ちゅーか、頭のなかをあの巫女娘の妄想で埋め尽くしておきながら冤罪も何も無かろうに。正直キモいぞ?』
「バレてたー!?」

そういやお前って僕の考えてること読めるもんね! そりゃそうだ!!

「いやでもごめんマジで無理! いくら僕がそういうことに反応しない体だからって、こんな良い匂いを嗅ぎっぱなしで我慢できるわけないじゃん!!」

正直、いま僕の中では那美ちゃんの魅力の跳ね上がり度が半端ないんです。

あれ?
あれあれ?

那美ちゃんってこんなに可愛かったっけ?
ひょっとして、あんなドジかわいい巫女さんと一緒に仕事をしてる僕って世界一の幸せ者なんじゃね?

『そもそも今のお前様は成人体じゃからな』
「さっきから妙に身体がムズムズしてたのはそれかよ!?」

性的興奮とか久しぶり過ぎて忘れかけてたよ!

『雌の匂いで興奮するとか、おぬし変態か』
「変態か僕は!?」

やべぇ、言い逃れできねぇ。

母さん事件です。貴女の息子は変態でした。

「まずいな……このままでは僕の名刀がいろんな意味で抜き放たれてしまいそうだ……!」
『はんっ、脇差の分際で何を言う。見栄を張るでない』
「うっせぇよ!!?」

いたいけな7歳児に多くを求めるな。泣くぞ。

「てかお前もいい加減もう出てこい! ここまで来れば僕一人でも追えるから!!」
『えー。めんどくさいのう……』
「良いから出ろって。……つーか、どうせこの中に入ったら忍さんたちと顔を合わせる必要があるんだから、今のうちに姿は元に───」





「きゃぁああああああッ!!?」
「きゃいんッ!!」





唐突に届いた悲鳴に、一瞬だけ思考に空白が過ぎる。馬鹿な思考は刹那で入れ替えた。

「───あの声……ッ!」

悲鳴の主が誰であるかに気付いたときには、既に自らの四肢へ身体強化の術を施し終えていた。
門の錠を開いている時間が惜しい。僕は目の前にそびえる3メートルほどの鉄門を垂直に駆けあがり、一足で飛び越える。

「……こっちか!」

正門を乗り越え、両手両足のバネを最大限に使用して敷地内に音も無く着地すると、僕は即座に悲鳴の聞こえた方角へと駆け出した。

(くそッ!! 僕は馬鹿か!?)

月村家の庭にある木々の間を擦り抜けるように走りながら、心の中で悪態をつく。のんきに漫才していた自分を盛大に罵倒する。



(───ここは、“月村邸”だろうが!!)



つまりは、忍さんを狙った誘拐犯たちが敷地内を侵入していたとしても何の不思議も…………無い!

焦りから生まれそうになる思考の乱れを精神力で捻じ伏せ、闇に紛れて駆け抜ける。それが出来るだけの精神修養は、もう何年も続けてきた。
心の中で自分を罵っている間にも僕の手は淀みなく動いてくれた。手首に備えた呪符を取り出して素早く五芒星を切り、顕在化した一本の小太刀を左手に握り込む。

「頼むから無事で居てくれ───那美ちゃん……ッ!」

やがて見えてきた弱光。その程近い位置に那美ちゃんと久遠ちゃんの気配を感知する。

奇襲の一撃を仕掛け、相手が怯んだ隙に那美ちゃん達を連れてこの場を離脱。その後、未だ屋敷内に居るかもしれない忍さん達を助けに戻る。

刹那にそう決断を下した僕は、光源に向かって一直線に疾駆し、其処に居た男へと小太刀を振り上げ───










「───で、現在に至る、と」
「いきなり何を言い出すんだ、お前は」
「そもそもまだ何も説明してないわよ?」
「ですよねー」

目の前で仲良く席を並べている、呆れた様子の恭也さんと不思議そうに首を傾げる忍さんからのツッコミに、小学生の姿に戻っている僕は気の抜けたようにへらへらと笑って返した。

いや。もう笑うしかねえよ、この状況。


あの後。

お互いにいまいち状況が掴めず月村家の庭で固まっていた僕たちは、騒ぎを聞きつけて屋敷の中から出てきた忍さんの指示に従い、とりあえずの所は月村家の食堂に通されていた(ノエルさんは忍さんに何か言われてどこかに行ってしまった)。
豪奢なテーブルの席に着き、僕と那美ちゃんの正面に忍さんと恭也さんが座っている形だ。ちなみに久遠ちゃんは那美ちゃんの膝の上にいる。

まあ結局、月村邸に襲撃があったのではという予想も、那美ちゃんたちが巻き込まれたのではないかという想定も、全ては僕の早とちりだったというオチだ。おまけに勘違いで恭也さんに斬り掛かっちゃったし。
言い訳をさせて貰うならば、相手が恭也さんだと気付いたときには既に小太刀を振り下ろしている最中で、自分でも刀を止めようがなかったんです。不意打ちにも関わらず完璧に防いでくれた恭也さんにも感謝だが、万が一を考えると峰打ちにしておいて本当に良かったとしか言いようがない。GJ過去の僕。


僕がそんなことをしみじみ思っていると、

「春海く~ん……」

シャツの裾をちょんちょんと引っ張られる。

見ると、僕の隣に座っている那美ちゃんが涙目でこちらを見ながら、情けない声と共に僕の服を摘まんでいた。たぶん彼女も現在の状況が掴み切れてないんだろうなぁ。目が「お願いだから黙っててよ~」って言ってるし。

なので、僕が素直に黙って手で那美ちゃんにどうぞと促すと、

「ええと……」

戸惑いつつも、彼女はポツリポツリと説明し始めた。

「わたし達はその、すこし深夜に出かける用事がありまして……それでたまたまこの近くまで来てまして……」
「くぅん……」

のっけからかなり苦しい言い訳になってしまっているが(そもそも深夜に小学一年生の僕を連れて巫女服装備でいる用事って何?って話である。恭也さん達も「何じゃそら」って顔してるし)、でもまあ、これが真実なので仕方ないね。

「それでその、……家まで帰るためのタクシー代を、どこかに落としてしまったらしく……」
「くーん……」

本当に悲しそうに告げる那美ちゃんと久遠ちゃん。この場合、お金を落としてしまったことよりも、また落し物をしてしまった自分に落ち込んでいるのだろう。

「探しているうちに、春海くんのところに帰る道すら分からなくなり……それで、気づけば目の前には見知った仲の忍さんのお家……」
「くぅぅん……」
「……………………」
「……………………」
「……………………」

無言。
あまりにもあんまりな那美ちゃんたちの事情に僕たちは、ただただ無言だった。

……いや、確かに僕は知ってたけどさ。やっぱ改めてそれは無いよ那美ちゃん……。

「……電話くれたら、すぐに迎えに行ってあげたのに」
「……タクシー代と一緒に、携帯も落としてしまったんです……」
「くぅ~ん……」
「……………………」
「……………………」
「……………………」

これって、世間ではドン引きっていうのかなぁ……?
とか、忍さんの優しさにしゅんとして言葉を返す那美ちゃんを見て益体ないこと考えながら、僕は今まで自分の手首に巻いていた巾着袋を外し、そっと彼女の前に置いた。

「……へ?」
「……くぅん?」

これなーに? って感じの声をあげる可愛らしい巫女少女と黄色い子狐に構わず、僕はテーブルに頬杖を突いて説明を受け継ぐ。

「で。それを追い掛けてきた僕が、月村家の中から聞こえてきた那美ちゃ───那美さんたちの悲鳴を聞いて、忍さんを誘拐しようとした犯人が彼女たちを襲ったものだと勘違い。現場に急行し、那美さんたちの近くにいた男に斬り掛かって……」

あとは恭也さんたちの知るところです、と言葉を締めくくろうとして、

「ありがとう春海くんっ!」
「くぅーん!」
「おぅぷ」

那美ちゃんに抱きしめられた。
久遠ちゃんに至っては僕の膝に跳び乗って、ぺろぺろと小さな舌でこちらの頬を舐め上げている。

え? なに? なになに? なんなのこの状況? 僕の左頬に那美ちゃんの巫女服の上から感じられるささやかな(失礼)膨らみが押し付けられ右頬を久遠ちゃんの生温かい舌が滑ってる感触がして此処に来るまでにさんざん嗅いで最早嗅ぎ慣れてしまったと言っても過言ではない那美ちゃんからの心地良い芳香が僕の2つの鼻孔をダイレクトに狙い撃って胸いっぱいにしているこの状況は一体なに!?

『混乱しているフリをしてしっかり味わっておるではないか』

僕の中で葛花のヤツが何か言っているような気がするけど全くもって全然微塵も意味が分からない! 不思議!!

……ただ。

「あー……、感謝してくれてるのは十二分にわかったから、2人とも、とりあえずもう離して」

とは言え、これでは話が前に進まないので泣く泣く離すように告げる。もったいねぇー。

「あっ、ご、ごめんねっ? わたしったら感激しちゃって、つい……息、苦しくなかった……?」
「く~ん……?」

僕の言葉に、抱擁を解いた那美ちゃんが心配そうにこちらを覗き込んでくる。今は僕の膝の上にいる久遠ちゃんも、それは同様だ。
そんな彼女たちの、あまりに純粋な視線に耐え切れなくなり、僕は明後日の方向を向いて…………珍しくニヤニヤとした意地の悪い笑みを浮かべている恭也さんと目が合った。

「……なんですか?」
「いや……お前にも、歳相応にかわいい部分があったんだなと思って、な」
「こんないたいけな7歳児捕まえて今までコイツ可愛くないとか思ってたのかよ、というツッコミは置いておくとして……それで、なんでこの状況で僕が可愛いなんてことになってるんですか」
「ならこちらも、お前今まで自分が可愛いなんて言われる性格してると思ってたのかよ、というツッコミは置いておくとして、……くくっ、顔が真っ赤だぞ?」
「単に息が苦しかっただけで───」
「えっ、やっぱり苦しかった!? ホントにごめんね、春海くんっ」
「ってのは勿論冗談でぇ」

僕の言い訳に神速の速さで反応した那美ちゃんに、これまた神速の代わり身で言葉を被せる僕。

前を見ると、美由希さんやなのはをからかう時を同じ目をしている恭也さんと、面白そうに事の成り行きを見守っている忍さん。
隣にいるのは、僕の背に手を回したまま不安そうにこちらを覗き込む那美ちゃんと、不思議そうにつぶらな瞳で僕を見上げる膝上の久遠ちゃん。

がっでむ。味方が居ねぇ。

<なんで僕、友達の家にまで来てこんなアウェイになってんだよ……>
『素直に「恥ずかしかった」と言っておけば良いものを……』

僕のなかで何か言ってる葛花は、とりあえず黙殺した。

「……………………」

恭也さん、忍さん、那美ちゃん、久遠ちゃん。四者四様の視線に晒され、かと言って咄嗟に良い言い訳を思いつく筈もなく。

何時になく高速で回転する思考を自覚しつつ、僕はやっとの思いで口を開いた。



「……それじゃあ、今度は忍さん達の話を聞くとしましょうか。……生憎、恭也さんたちもご存じのように、僕も那美さんたちもノエルさんの腕が飛んでった所はバッチリ見ちゃいましたし」



(逃げたな)
(あらら、逃げちゃった)
(やっぱ息苦しかったのかなぁー……)
(くぅーん?)

4人の視線が微妙に居心地悪いが、ここはぐっと我慢する。藪を突っついたところで、間違っても僕にとって都合の良いものが出てくることはあるまい。

『カカッ、相も変わらず強情な奴め』
<笑うな、ばーか。僕は素直な良い子だっつーの>

内で無責任にも笑う葛花へ、こちらも実に投げやりな言葉を返す。そうしながらも一方で、溜め息どころか魂さえも吐き出しそうな疲労感を感じつつ提案した僕に対して、忍さんは何故か苦笑した。

「それにしても、『生憎』、ね。……やっぱり君って、かなり空気を読めてるわね───いえ、読み過ぎてるくらいよ」
「まあ、お相手が忍さんと恭也さんということで身の危険まで感じてる訳じゃないですけど、それでも多少の警戒はありますよ。そちらも、出来れば僕たちには知って欲しくない事柄だったんでしょう?」
「う~ん、知って欲しくなかった訳じゃないけど……出来ればもう少し先が良かったかなぁー。わたしは貴方たちが“どっちを選んでも”、恭也がいるからまだ耐えられるけど……」

忍さんがそこまで言ったとき、食堂内に入り口が開く静かな音が響き渡った。
自然、全員の視線がそちらに集まる。

其処に居たのは、ノエルさんに連れられてやってきた、既にパジャマ(ねこ柄のファンシーなヤツ)を着ている彼女の妹……月村すずか。

「ノエル、いきなりどうしたの~……、わたしもう寝るところ───えっ、春海くん!?」

眠たげな目を小さな手で擦りながら紡ぐ言葉の中途でこちらを見つけ、驚いたように声をあげる彼女。





「───あの子は、どうかしらね……」





体面に座る忍さんが、そんなすずかを見ながら無機質に呟いていた。










ど、どうして春海くんたちがうちにいるの!?(わたわた) ノエルのことがバレちゃった、これから契約のことを説明するわ(てへ) お姉ちゃんのばかー!!(ガーッ) ちょっとー、わたしのせいじゃないわよー(ぶーぶー) もう知らない!(ぷいっ)

みたいな仲睦まじい姉妹の可愛いやりとりの末、組んだ両手に顎を乗せる司令官ポーズの忍さんが神妙な顔をして語り出した。

那美ちゃんと恭也さんはその隣でそっぽを向いてしまったすずかを気にしているが、まあ、あれだけ元気なら心配あるまい。真面目に話している忍さんを無視する訳にもいかないし。

「わたし達はね……普通の人間とは、ちょっと違うの」

忍さんの話は、そんな言葉から始まった。
そしてこの段階に至り、那美ちゃんと恭也さんもようやく意識を彼女へと集中させる。そっぽを向いたままのすずかは、僅かに表情を伏せていた。

忍さんは真摯な眼差しでこちらを見据えたまま、訥々と言葉を紡ぐ。

「たとえ体の一部が千切れたとしてもすぐ治るような並外れた回復能力に、異常な身体能力や五感。それに高い知能指数。自分で言うと自慢みたいになっちゃうけど、わたしやすずかも今より小さい頃からすごく頭が良かったしね」

冗談めかして言って、忍さんは隣に座っているすずかの頭を何度か撫でた。
本当に愛おしそうに、温かな手つきでふわふわの髪を梳く。不安げな顔をした妹を、元気付けるように。



「───夜の一族。…………わたし達は、そう名乗ってるわ」



自らの一族をそう称した忍さんは、ノエルさんが用意した紅茶で一度喉を潤してから再び口を開いた。

「もともとは西ヨーロッパで発祥したらしくて、一族の歴史はもう随分長く続いてるの。まあ活動自体は細々としたものだけど」

でも、と、忍さんが言葉を翻す。それと同時に、隣に座るすずかの肩がビクリと震えたような気がした。

「でもね、これだけ聞くとまるで万能の凄い超能力みたいに聞こえるかもしれないけど、もちろんそのために必要な代価はある」
「必要な、代価……?」

僕の横にいる那美ちゃんが、復唱するように問い返す。忍さんはここが正念場だというように一つ頷いて。

「人の血液、よ」
「───!」
「…………」

彼女の言葉に那美ちゃんは息を飲み、僕は沈黙を保っていた。

僕の脳裏に過ぎるのは、一つの単語。



(───『吸血鬼』)



『西洋の怪異、じゃったか。儂も実物を見たのは初めてじゃ』

こちらの思考を読んだ葛花の声を聞き流しながら、僕は考える。

吸血鬼。ドラキュラ。ヴァンパイア。

西洋の怪異譚において最もポピュラー且つ最強の一角とされる存在。狼男やフランケンシュタインと並んで『西洋三大怪物』の一つに数えられるほど強力な力を持つ反面、数多くの弱点も伝わっている妖怪であり、フィクションファンタジーでは最早お馴染みとさえ言って良い程の知名度を誇っている怪異だ。
その能力は不死身の肉体に強力無比の圧倒的なパワー、蝙蝠などへの変身能力。さらには自分の身体を霧状に変質させることも出来るらしいが───その最大の特徴が何かと訊かれるのなら、その名の通りに『血を吸うこと』。これに尽きるだろう。

考えながら、僕は、目の前でこちらを見据えている2人の姉妹を見やる。

彼女たちがそんな幻想の如き怪物と同一の存在とはどうしても思えないが、少なくとも似通ったルーツを持つことは間違いないのだろう。というより、異常なまでの再生能力に圧倒的な身体能力、おまけにそのために血を吸う必要があるとくれば、これで吸血鬼と繋げて考えない方がどうかしている。

「もっとも、」

黙考する僕に頓着もせず、忍さんは話を続けていた。

「力を使うためには血が必要とは言ったけど、そうでなくてもわたし達は血を定期的に摂取しなくてはならないけどね。人の血液に含まれてる鉄分が、わたし達『夜の一族』には生きる上では必要不可欠なのよ」
「ちなみに、普段忍さん達が飲んでいる血はどこから?」
「春海くん!?」
「……おい」

ヅケヅケと尋ねる僕に、隣の那美ちゃんが慌て、体面に座る恭也さんがこちらを軽く睨む。
そんな彼等の反応に、僕は肩を竦めて弁解した。

「この場で要らん気遣いをしてどうするんですか。今後の僕たちの関係のことを考えるなら、そしてこれからも気兼ねなく彼女たちと親交を築いて行きたいのなら、重要なことは今のうちに全部ハッキリさせた方が良いに決まってるでしょう」
「……確かにお前の言い分も理解できるけどな。それでも物事には順序ってものがあるだろう?」
「それで肝心なことを後回しにしてお互いの関係に致命的な亀裂が入ったら意味が無いだろ。それを考えれば、こうして相手のことを知るための努力は今の僕たちが早急になすべきことです」
「それを踏まえて相手のことを信じて待ってやることが、本当に友達ってものじゃないのか? それにたとえ気の置けない友人と言えど、その心の中までズカズカと踏みこんで良い訳じゃない」
「もちろん僕だって相手の心を土足で踏み躙るような軽挙を犯すつもりはありませんが、それでも盲信と信用は違います。相手を傷つけない範囲でお互いを信頼して行くための努力はきちんと積み重ねていくべきだと───」

「ちょっと、待って待って!」

と。

議論が白熱し掛けていた僕たちは、忍さんの制止の声で我に返った。
見ると、呆れた様子の忍さんと、どこか唖然とした那美ちゃんとすずかの姿が視界に入る。

「もうっ、恭也も春海くんも、2人だけで勝手に突っ走らないの」
「……面目ない」
「すみません……つい、いつものノリで」

腕を組んで叱るように言う忍さんに、気まずくなった恭也さんと僕は頭を下げて謝罪した。

「はぁー……春海くんと高町先輩って、なんだかご兄弟みたいですねー」
「前になのはちゃんが春海くんと恭也さんはすっごく仲良しって言ってたけど、ちょっとわかるかも……」
「くぅん」

ポツリと呟くように響いた那美ちゃんとすずかの言葉に、男2人で思わず顔を見合せる。

───俺たちが?
───仲良し?
───ないな。
───ないない。

「神咲さん。確かに春海は友人ではありますけど、間違っても兄弟のような関係ではないです。というより、こんなのが弟なんて俺は御免です」
「すずか、いくら何でもその冗談は笑えないぞ。恭也さんはあくまで同門の師のような関係で、仲良しなんて慣れ合いをするつもりは微塵も無い」

(((息ぴったり……)))
(くぅーん♪)

さて。忍さんたちが納得してくれたところで話を元に戻すとしよう。

「とは言っても確かにさっきの質問は不躾が過ぎました。忍さんもすずかも、気を悪くしたのなら謝ります」
「んー、わたしは別に気にしてないわよ? そっちがわたし達と仲良くしていきたいから言ってくれてるってことはよく伝わってきたしねー。
 あ。あと、わたし達が普段飲んでる血は医療用のパックだから安心してくれて大丈夫よ。最近は恭也の血も同意のうえで飲ませてもらってるけど」

嬉しそうに笑みを浮かべて僕にそう言う忍さん。

う゛、読まれてるし……てか、そういう風に言われるとどこか気恥ずかしいものがあるなぁ……


「───は、春海くん……!」


と。

忍さんの言葉に僕が自分の頬を掻いていると、体面に座るすずかが呼びかけてきた。
こちらを見つめる彼女の表情は意を決したように真摯なものであり、同時に、どこか怯えているようにも見えた。その切れそうなくらい真剣な雰囲気に、僕もできる限り居住まいを正す。

こちらが聞く姿勢になったのを確認したすずかが、弱々しく呟くようにして問う。

「……そ、その、……春海くんは、わたしのこととか……こわく、ないの……?」
「───ふむん」

彼女のそんな“アホみたいな”質問に、僕は一つ声を漏らした。
こちらの反応にビクリと体を震わせたすずかを尻目に、自分の顎に右手を添えて彼女が何を言いたいのかを真面目に吟味する。

やがて彼女の言葉の真意を曲解することなく理解した僕は、即座に自分の中で結論を下した。



───ちょっとこいつ説教してやる。





**********





「すずか」
「……な、なにかな?」

ひとまずは、訊かれたことに答えておく。

「まず最初に結論だけ言っておく。───僕はすずかのことを怖いとは思わない。今まで変わらず友達で居続けたいとさえ考えてる。これだけは、お前も知っておいてくれ」
「あ……」

春海の返答に信じられないといった感じで呆ける彼女に構わず、彼は畳み掛けるように言葉を紡いだ。

「お前はどうだ、すずか?」
「え……?」
「先週の体育のときに僕が言ったお願いは、とりあえず今は忘れろ。
自分が夜の一族であるという最大の秘密を知られてしまったお前は、このまま僕と友達で居たいのか。それを教えてくれ」
「そ、それは……」

春海から至極唐突な問いに、すずかは目を伏せて言い淀んだ。自分の友人のそれを春海はじっと見据える。

もちろん、すずかが言い淀む理由くらい春海でも解っている。彼の独り善がりでないのならば、すずかだって友達のままで居たいと思ってくれているのだろう。たとえ目の前の相手が春海でなくアリサやなのはであろうとも、すずかはずっと変わることなく友達のままで在りたいと願ってくれていると、彼は確信していた。

もしこれを自意識過剰と言う者がいるのなら、勝手に言わせておけば良いと春海は思う。一緒にいて楽しい人を友達とすら呼べないのなら、一生友人なんて出来る筈もない。
すずかだって、自分のことを友達だと思ってくれている。春海は勝手にそう決めて、そしてそれで良いとも思う。元より友達なんてそんなものだ。

そんな彼女が言葉にすることを躊躇っているのだとすれば、それ足るだけの理由があるのだろう。たった一言、「自分もあなたのことを友達だと思っている」という言葉が言えないだけの、深刻な心の傷が。


───“他人と違う”という事実は、まだ確固とした『自分』を持っていない幼いすずかにとってとても大きな負担となる。


だが。

それですずかが苦しんでいるのだとしても、春海はここで攻勢を緩める気はない。───こう見えて、少し頭にきているのだ。

「───ごめん、那美ちゃん」

春海は乗り出し気味なっていた自分を諫め、隣で彼とすずかを見守っていた那美を横目で振り向いた。呼び方が元に戻っていたことは、気付いていなかった。

「……うん、春海くんの好きにしていいよ。わたしのことは気にしなくても良いから」
「ありがと」

自分の言いたいことを悟って微笑みながらそう言ってくれた那美に短く礼を返して、再び目の前のバカな女友達を見やった。面白そうなものを見つけたと言わんばかりのニヤニヤ笑いながらも目は真剣そのものという器用なことをしている彼女の姉は、意識的に無視する。

「すずか。ちょっと良いか?」

呼びかけつつ、手首に巻いたホルダーから一枚の呪符を取り出す。
伏せていた顔をあげて不安げな表情を見せてくれたすずかに向かって、彼は取り出した一枚を自らの吐息に乗せて飛ばした。

『……?』

その様を見て僅かに首を傾げたすずか達が呪符を目で追っていると、───広いテーブルを横断するようにして飛ぶそれが、飛翔の半ばでその姿を漆黒の鴉へと変質させていた。

「!」
「わっ」
「きゃっ!?」

目を向いて驚く恭也、忍、すずか。その後ろで静かに控えていたノエルでさえ、いつもの無表情に驚愕の色を混ぜていた。
そんな彼らを気にした様子もなく豪奢なテーブルを飛びきった鴉が、すずかの目の前に翼をバタつかせて着地する。

「は、はるみくん……これって───えっ!?」

再度、驚愕。

すずかの声に引かれて視線を前に向けた年長組も、目の前の光景に息を飲んだ。

テーブルの向こうに居るのは巫女服を着た神咲那美と、彼女のペットである狐の久遠。
その隣には先ほど妙な技で突然この“黒い鳥”を出した少年がいる───筈だった。

「……はるみ、くん……?」

茫然自失して問い掛けるすずか。彼女の姉も、度重なる驚愕で声が出なかった。見るのは二度目となる恭也とノエルも、姉妹と違って自失状態に陥ることこそ免れていたが、それでも自分の目を疑いたくなるのは同じだった。

「ああ、正真正銘、お前のクラスメイトの和泉春海だ」

先ほどまでの子供特有の甲高い声ではなく、成人男性そのものの低い声色。手足も伸び、顔つきも幼さが抜け、クラスメイトの女の子へと笑みを向ける様はどこか垢抜けていた。



彼女たちの目の前にいたのは、さっきまでの少年とは似ても似つかない、しかし面影は確かに“彼”のものである───20歳ほどの、青年だった。



「別にさぁー」

間延びした声で、青年が言葉を紡ぎ始めた。表情は穏やかなままで、しかし忍も恭也もノエルも那美も久遠も、その全てを意識の外に置き、ただまっすぐにすずかを見据えていた。

大人と子供。男と女。青年と少女。見た目は対称的な、それでも心はどこまでも対等な2人の視線が絡む。

「普通とは違うのなんてお前だけじゃないんだよ。……危険な力を持ってるのは、すずかだけじゃないんだ。
ここに居る那美ちゃんや久遠だってそうだ。とてもじゃないけど一般的とは言えないようなスキルを2人ともが持ってる。
お前の隣にいる恭也さんだってそうだ。不思議な力なんて一片たりとも持ってない筈なのに、もしかしたらこの中で一番強いかもしれない危険人物だ。
そんな“普通じゃない”人たちと、僕は両手の指じゃあ数えきれないくらい会ったことがある───それには勿論、僕自身だって含まれるけどな」

そう言って、春海は軽く左手を掲げた。その掌に集うのは、野球ボールサイズの青白い狐火。
ゆらゆらと揺れる炎の向こうに垣間見える彼の紅い瞳から、すずかは目が離せなかった。

「其処のそれみたいにカラスを出して海鳴くらいなら軽く見て回ることが出来るし、この通り大人の姿にだって化けることも出来る。やろうと思えば手から炎や雷を出すことだって簡単だし、すずかと同じくらいの馬鹿力なら僕にだって使えるさ。
というより、そんなことしなくても剣術だって最近は上達してきてるから、恭也さんに次いでこの中では危険人物かもしれないな。少なくとも僕はお前や忍さんよりもよっぽど強いし、よっぽど化け物だよ」

グシャリッ、と春海が蒼炎を握りつぶす。ハラハラと宙を舞う火のカケラが、すずかの目には不思議なくらい鮮明に焼き付いていた。

「さて、最初の質問に戻ろうか」

目の前にいる黒い鴉が、再び一枚の和紙へと逆戻りしてヒラリと床に零れた。

「なあ、すずか。お前はどうだ?」

目の前にいる青年の姿が、見慣れた少年のものとなった。

「僕のことを、まだ友達だと思ってくれているか?」

見たこともないくらい真剣な……怒りを込めた少年の眼差しに、すずかは言葉を発することが出来なかった。



「それとも、こんな僕は、───怖くて恐ろしいか?」








(───あ)


唐突に、気が付いた。


(……そっか)


なぜ彼がこんな急に色々なことを教えてくれたのか。


(……そうなんだ)


なぜ彼がこんなことを尋ねてくるのか。


(……そう、だったんだ)


なぜ彼は…………こんなに怒っているのか。





(───友だちから信じてもらえないのって、こんなに悲しいんだ……)





彼が自分のことを信じてくれなかったことがすごく悔しくて、それ以上に、無性に悲しくて。
自分のことを信頼してくれず、「怖い?」なんて訊いてくる彼に腹が立って仕方がなかった。


どうして、もっと信じてくれないの?

どうして、わたしが春海くんのことを怖がるなんて言うの?

どうして、そのくらいでわたしが春海くんの友だちをやめちゃうと思うの?


彼が怒るのも当たり前だ。だって、他でもない月村すずか自身が怒っているのだから。


……でも。いや、だからこそ。


だからこそ、自分が何をすれば良いのかはハッキリわかっていた。他でもない彼が教えてくれたことだから。

すずかは席を立つとぐるりと迂回するようにしてテーブルを回り込む。少し歩くと、彼はすぐ目の前にいた。

「……あ、あの……春海、くん」
「なに?」

彼を前に、何度も大きく深呼吸して覚悟を固める。

拒絶された時のことを考えると、はっきり言ってとても怖かった。
手を添えている胸がキリキリと痛む。息が苦しくなって、なけなし勇気が萎んでしまいそうになる。

でも、だからこそ彼を“信じて”言わなければいけないのだ。

これは彼と友達でいるための、最初の一歩。
彼を好きで居続けるための、積み重ねるべき努力の一つ。


───きっとそれは、とても素晴らしい未来となるに違いないから。


彼の瞳をまっすぐに見る。不敵な笑みを浮かべた彼に、勇気を貰う。

すずかはギュッと目を瞑り、叫ぶように声を張り上げた。



「これからも、わたしのお友だちでいてくださいっ!!」

「───ああ、よろしく頼むよ。すずか」



返答は、彼の心から嬉しそうな笑顔と共にあった。










「……どうにか、収まるべき形に収まったみたいだな」
「そうねー、春海くんには感謝しなきゃ。……それにしても、ふふっ」
「どうした?」
「いえ、大したことじゃないんだけど……“一族”の側から誓わせるなんて前代未聞かもって考えたら、ね」
「……確かに」

高町恭也は隣に座っているクラスメイトと苦笑し合い、しかし一方で、目の前で繰り広げられた幼い少年少女によるやり取りを見守りながら僅かだが安堵の念も抱いていた。
春海ならば必ずすずかにとって良い結果に収めてくれるとは信じていたが、やはり見ている分には緊張が勝っていたからだ。彼らの傍にいる那美など安心の余り目元に涙まで滲ませて感動している。

(……それにしても)

感極まったすずかに抱きつかれ、座っていた椅子から転げ落ちている春海を見やりながら恭也は考える。

思い出すのは、春海がすずかに対して言い放った驚愕すべき事実の数々。
彼が持っていると言う“力”については、今は置いておく。説明こそ後々して貰うつもりだが、とりあえず今夜のところは気にしないでおいてやろうと既に決めていた。

恭也が気になったのはもっと別のことだ。

春海が積み重ねたあれらの言葉があったからこそ、すずかも自分の本心を伝えることが出来ただろう。
春海の取った行動があったからこそ、すずかは自分の間違いに気がつき、彼を信じることが出来たのだろう。

そのことは、鈍い恭也とて解かっている。ただ、それにしたところで……

「……言葉で指摘すれば良いだけなのに、それをわざわざ行動にしてやり返しているところが、いやらしいと言うかネチッこいと言うか……」

いかにもこいつらしい、と恭也は思う。

『自分がされて嫌なことを、人にしてはいけません』。子供でも知っている、むしろ子供だからこそ皆がよく知っている教訓。
改めて、テーブルの向こうにいる春海へと目を向けた。含蓄ある教訓に真っ向からケンカ売ってるような小学1年生である。

まあ、そうは言っても春海の行動がすずかの不安を払拭したこともまた事実。それ自体は責められるものではなく、どころか大いに称賛されるべき事柄である。

(とりあえずは……)

以上を踏まえて、彼は一つ心に決める。即ち───





「……殴るのは、明日にしておいてやるか」





───誰が危険人物だ。










(あとがき)
第二十話の2、投稿完了しました。前回、内容に関する感想が一つもないことにちょっと凹んだ篠航路です。横スクロールには気をつけますorz

てな感じで原作イベント『月村家の事情』は如何でしたでしょうか。ここで作者がペラペラ語っても薄っぺらいので多くを語るつもりはありませんが、楽しんで頂ければ幸いです。まあ、たぶん最後の恭也兄さんが抱いた印象が全てを物語っているかと。やられたらやり返す。それが当SSの主人公クオリティ。小学生に本気で腹立てる主人公もどうよって感じではありますが。

次回は第二十話の3になりますが、残りの話をちょちょいとする程度なので短くなるかと。でもその分、早めに投稿できる……と良いなぁ。

では。




[29543] 第二十話 友達料金はプライスレス 3
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/05/08 22:19
「自動人形《オートマタ》……ですか?」
「そ」

あの後、やけにテンションアゲアゲ(↑)なすずかを落ち着けること数分。そんな実の妹の様子に苦笑を漏らしていた忍さんから、改めてノエルさんのことを聞いたときの僕と彼女とのやり取りがこれだった。
ちなみに僕の隣では席を移動したすずかが、にこにこと輝かんばかりの満面の笑みでこちらをガン見しているのだが、いちいち気にしてたら話が前に進まなくなるので放置の方向で。

(にしても、自動人形。……『人形』、か)

終ぞ彼女の中に“魂”を『視』ることが出来なかったのは、それが理由なのか。元より魂を持つような存在ではなかったというわけだ。

というか、そりゃあ僕や葛花も気づけないのも道理である。僕にはそんな人間そっくりのロボットがこの世に存在している筈がないという“常識”があるし、葛花に至っては自動人形のようなカラクリ仕掛けは完全に門外漢だ。動物に分かれと言う方が無茶な話である。

『このカラクリ仕掛けが主であるツキムラの娘に従っておるのも、これで納得が行くか』
<……まあ、そうだな>

ともあれ、忍さんのご両親を無視してまでノエルさんが忍さんに付き従っている理由はこれで解けた。こういう人格否定のような物言いはあまり好きではないが、ノエルさんがプログラムに則した上で行動する人形である以上、彼女が自らの主である忍さんに付き従うのは当然の帰結。

つまるところ、彼女の思考回路における命令優先度が『 忍さん > 月村両親 』で完全に固まってしまっているということだ。

(───となると……誘拐犯の目的って、もしかして……)

唐突に思い至り、改めて主の傍に侍るメイドへと目を向ける。

こちらの視線に対して無表情に一礼するノエルさんを余所に、忍さんは説明を続けていた。

「わたし達『夜の一族』が大昔に造った、ロストテクノロジー。自分で考えて命令を実行し、それでも主の指示には絶対服従の、忠実なしもべ。
……この子は、その中でも比較的後期に造られたもので、“より人間に近づくこと”をコンセプトに開発された芸術品、……形式名称『エーディリヒ式』」

そこで、忍さんは一旦ノエルさんへと目を移した。
その視線に込められた意思は、一体何を意味しているのか。少なくとも、知り合って1年も経っていない僕では到底わかりえないことなのだろう。

「もっとも、ノエルに関してはわたしがけっこう改造しちゃってるんだけどね」

再びこちらを向いた忍さんが、ペロッと舌を出して付け加える。と、ここでふと気になったのか恭也さんが口を開き、

「あのロケットパンチは……?」
「わたしの、こ・の・み♪」

『……………………』

あっけらかんとして返す忍さんに、一同言葉がなかった。てか隣にいるすずかも一緒に苦笑いしているところを見るに、あのロケットパンチはすずかの美意識からも外れているようだ。

そしてそんなオモシロ機能を付けられている当のノエルさんはと言うと。

「腕の五連装の炸薬カードリッジを爆破し、手首から先を発射。遠距離にいる対象を破壊します。付け加えるならば使用しているワイヤーはゲインベルグ製のチタンワイヤーで、それ自体を武器として取り扱うことも可能となります」

……とりあえず、彼女がそのロケットパンチを気に入ってることは何となく僕にも分かった。

本人たちが納得しているのなら何も言うまい、などと悟りを開いている僕を気にする風もなく忍さんの説明は続く。本人の気付かないところで若干テンションが高くなっているけど、たぶん普段は大っぴらに話せない自分の趣味を語ることが出来て嬉しいのだろう。オタクによく見られる傾向である。

「基本動力は電気で、一日に6~8時間の充電によって最大20時間くらい稼動することができるの。こんなところまで人間らしいんだ。……けど、」

と。
それまで流暢に嬉々として説明していた忍さんの表情に、初めて陰が指した。

「……ま、だからこそノエルは、一族の中でもけっこう貴重なんだけどね……分解して使われている技術を売れば、一体いくらになることか……」
「お姉ちゃん……?」
「あ、ううん。なんでもないよ、すずか」

僕の隣にいる妹からの呼びかけに、首を振って笑い返す忍さん。それは確かにいつもの彼女が浮かべる表情と相違なかったが、……さっきまでの快活な様子からすると、些か落差が目立っていた。
彼女がこんな反応をする原因に“残念ながら”心当たりがある僕は、その確認をとるために、すずかにバレないように忍さんの隣で話に耳を傾けていた恭也さんに視線を向ける。

「…………」

彼から返ってきたリアクションは───首を縦に振る、肯定。

(……やっぱり、誘拐犯の目的は『自動人形《ノエル・K・エーアリヒカイト》』そのものか)

だが、そう考えれば忍さんの誘拐未遂という一件からこれまでの流れに筋道が通るのもまた事実。

誘拐犯の目的がノエルさん自身であるということは、この前の誘拐未遂は所有者である忍さんに対する嫌がらせ、もしくはノエルさんに改造を施せる程の才能を持っている彼女への技術目的の誘拐。
そして忍さんと月村両親の折り合いが悪いことを犯人が知っているのなら、当然その忍さんに従うノエルさんも月村両親から良い印象を持たれていないことは予想できるはず(娘が機械いじりを趣味としていることを彼女たちの両親は苦々しく思っているくらいは、犯人たちも調べているのだろう。だからこそ、すずかもご両親に隠れて工学の勉強をしているのだろうし)

つまり忍さんがご両親を頼らない理由は、誘拐事件を知った両親が彼女からノエルさんを取り上げてしまう可能性への不安からということになる。

月村両親が誘拐犯に屈してノエルさんを差し出すようなことはないにしても、事件解決後にこんな事態を引き起こす要因となったノエルさんを忍さんから引き離すくらいは彼女のご両親もやってのけるだろう。それが娘の身を心配する親心からなのか、はたまた、これ幸いと娘を工学の世界から切り離すための空気を読まない教育熱心さからなのかは知る由もないが。

(となると、犯人側も当然『夜の一族』側の人間になるか……?)

ノエルさんの存在は、先ほど忍さんが言っていたように一族による門外不出の技術の粋。そのノエルさんの身を付け狙っている以上、犯人は『夜の一族』という存在の深くにまで関わっている人間ということになる。
そして忍さんに口ぶりから、『夜の一族』とて自分たちに不利益をもたらす人間にまで身内の情報を漏らすような不用心極まりない真似はしないだろう。少なくとも、一族の規模と歴史から言ってもそのくらいの情報統制のノウハウは所持しているはずだ。

必然、ノエルさんの秘密を知る誘拐犯は『夜の一族』の内部にいることになる。

(……案外、忍さん達も誘拐犯の正体は解かってるのかもな)

一族内の人間である以上、最低でもその尻尾程度は掴んでいるはず。それをわざわざ見逃しているということは、証拠を残さないくらい敵がやり手なのか、それとも単に味方の手が足りないだけなのか。
『忍さんはノエルさんのことがあるため誘拐の件を両親に話さないだろう』という、当たる可能性が高いとはいえ博打染みたことをしているのを考慮するに、相手がやり手という線は薄い……か?

「それでね」

と、思考の渦に沈んでいた僕を引き上げるように忍さんの声がした。内に向かっていた意識を外界に戻す。

見ると、恭也さんと並んで座る忍さんが、僕と那美ちゃんの2人を等しく見据えていた。

「───2人には、選んで欲しいの」
「選ぶ……?」
「そう」

忍さんは、繰り返すように呟く那美ちゃんの言葉に一つ頷いて。

「……これは、わたし達『夜の一族』の間で行われる、誓い。
今日、あなた達が見聞きしたことを“忘れる”か、……それとも、すべてを知った上で一族と共に“秘密を共有”したまま歩んでいくのか。
忘れることを選ぶのなら、ちょっとしたおまじないで全部忘れさせてあげる。……でも、もしも忘れないで共に居てくれるのなら、わたし達は一生をかけてお互いの傍にいることになると思う。その関係は『恋人』とか『兄弟』とか『姉妹』とか色々あるけど、今回の場合は……『友達』、かな?」
「つまり、……」

彼女の話を聞いた僕は、ゴクリと生唾を飲み込んで、

「友人契約ですね」
「なんだか友達料金とか発生しそうな名前ね」

『おい月村ー、今月分の友達料よこせよー』みたいなヤツである。

一応真面目な誓いなんだけどなー?、とか続けながら不満そうに頬をふくらませる忍さんに、さすがの僕も空気が読めてなかったかと反省し素直に頭を下げた。僕の言葉を聞いた恭也さんや那美ちゃんも微妙な顔になってるし。

「とは言っても……」

言いながら、僕は自分の右隣に座っているすずかに目を向けた。少し不安げな表情でこちらの服の裾をぎゅっと摘まんでいる彼女の様子につい苦笑して、安心させるためにふわふわの黒髪を右手でぐりぐりと荒っぽく撫でる。いつもは恥ずかしがってすぐに離れてしまうすずかも、今回の一件で多少は好感度も上昇したのか今日ばかりは素直に受け入れてくれた。

「今さら、僕の返答になんて分かり切ってるでしょうに」
「そーよねぇ」

まるで子犬のように撫でられている妹に苦笑しつつ言葉を返す忍さん。

「そもそも夜の一族から誓わせたなんて前代未聞よ? お父さん達が聞いたらどんな苦い顔するかしら」
「というか、今更ですけどまず小学1年生の子供でしかない僕に話してしまって良かったんですか? 仮に自分から漏らす気が無かったとしても、つい口が滑るとかありえるでしょ」
「そのことを自分で理解してる時点でもう心配いらないような気もするんだけど……まあ君なら大丈夫っぽいし。あと、わたしも実の妹から恨まれる覚悟までは持ってないもの」

冗談めかして指差す忍さんの先には、こちらを抱きしめ涙目で自分の姉を威嚇するすずかの姿が!……ごめん、個人的にはすずかの反応も可愛いし嬉しいんだけど、現在進行形で僕の首が締まってるので迅速に止めて欲しいです。

とりあえず首が締まって息が出来ないどころか首関節がミシミシ言ってる(!?)ことにダラダラ脂汗を流しつつ、回された腕を刺激しないようにやんわりと解く。

「すずかも安心しろって。別に僕だって自分から忘れる気は無いし」
「……ほんと?」

……涙目上目遣いって破壊力高いなぁ、なんて俗っぽい感想を抱いた胸をきゅんきゅんさせつつ。

「ほんとほんと。前も誰かに言ったことあるような気もするけど、僕は今まで嘘をついたことがないんだ」
「もうついてるよぅ……」

すでにそれが嘘って話である。……でもまあ、

「これは嘘じゃないから、お前も安心しとけ」
「───うん!」





















「……で。またこれか」
「春海くん、どうしたの?」
「いや、なんかデジャヴュが……」
「???」

にゃ~。

すずかの自室、そこにある馬鹿みたいに広いベッドの上で行われた会話の一幕である。

未だ蛍光灯の明かりが灯る部屋の中。僕はすずかと2人並んでベットの上に腰掛け、いつかの子猫をおもちゃの猫じゃらしで釣りあげながら駄弁る。ついでに言うと食堂で話していたときから思っていたのだが、カチューシャをつけてないすずかが妙に新鮮。
葛花のほうも既に僕の中から出てきており、忍さん達に簡単に紹介した後は早々に実体化して眠りに着いてしまった。お疲れさん。


あの後。

結局、夜の一族の誓いには僕も那美ちゃんも揃って『忘れない』ことを選択し、那美ちゃんは霊能関係の秘密をちょっとだけ明かし、今夜は時間帯も遅いということもあって忍さんからの提案により2人は月村邸に宿泊することとなった。

那美ちゃんは忍さんから電話を借りるとさざなみ寮に月村家に泊まる旨を伝え、今は忍さん主導のもと彼女の部屋で恭也さんと席を並べてお勉強中である。教科書の類は忍さんが去年使っていたものを貸してもらっているらしく、明日は朝一にノエルさんが運転する車でさざなみ寮に送ってもらうこととなっているそうだ。
一方で僕はすずかと一緒にバスで通学する予定になっており、学校の道具は自宅に置いてきた式神のほうの和泉春海に持って来させるつもりだ。下手をしたら僕が2人いることになってしまうが、聖祥で合流する際に人目を気にすれば良いだけの話なので特に問題無い……はず。

で。

てっきり僕は客間に通されるものと思い、風呂上がりに自分の部屋の場所を尋ねるためノエルさんを探していたところで同じくこちらを探していたすずかに遭遇。笑顔の彼女にアブダクションされてしまった。聞けば、いつの間にやら今日は彼女の部屋ですずかと共に寝ることになっていた模様。


「はぁ……」

こうなった経緯を思い出した僕はため息を漏らす。

僕としても友達の家でのお泊まりはここ1年間の高町家における日々で慣れたものだし、なのはとだって何度も一緒に就寝したことがあるのだから、僕としてもすずかの誘いを断固拒否するような理由はない。
なら何故こんな気を張っているのかと訊かれれば、高町家で宿泊するにあたって頻繁に来襲する某歌手のお姉さんのせいである。彼女のおかげで友達の家で寝るときに無意味に警戒してしまうという悲しき習性が身に付いちゃったのだ。

(あの人、無駄に心臓に悪いんだよなぁ……)

小学生相手なら当たり前なのかもしれないけど、本当に無防備だし。起きたときに目の前にあんな整った寝顔があったら普通にビビるって。何度キスしてやろうと思ったことか。

「まあ、お前と2人だけなら別に良いんだけどさ」
「うれしい?」
「嬉しい嬉しい、ちょー嬉しい」

ベッドに両手をついた状態でこちらを覗き込むようにして尋ねてくるすずかに、子猫をあやしながら投げやりに返す。
実際、嬉しいのは事実である。なのはとか、この年頃の女の子ってサイズ的にも抱き枕に丁度良いんだって。あったかいし、やわらかいし、ぷにぷにだし。あと無駄に良い香りするし。

で、僕の言葉をどのように解釈したのか、はにかむような微笑みを浮かべたすずかは、

「……えへへぇ~」

すこしばかり薄紅色に染まった頬を両手で押さえテレテレしていた。

やだ、超かわいい……。
ネコ柄パジャマと合わさって破壊力が半端ない。

「に、にしても、今日は色々あったよな。……月村家の裏事情ってのもそうだけど、恭也さんまで関わってたってのは、正直驚いたよ」

このままではすずかを押し倒して心行くまで頬擦りしてしまいそうな自分がいたので慌てて話題を変える。なんとなく、今のすずかなら恥ずかしがりつつも喜んでやらせてくれるかもしれないが、それをやるといろんな意味で後戻りが出来そうにないので自重しろ僕。

とか何とか考えながら、僕が必死こいて自制心を働かせていると。

「そだねー」

そんな僕の邪な念を微塵たりとも受信することなくこちらの話題を拾ってくれる純粋すずかちゃん。ええ子や。

「3日、ううん、もう4日かな? そのくらい前にね、わたしが学校から帰ってきたら、いきなりお姉ちゃんが恭也さんと契約を結んだって言ってきたの。もうほんとにビックリしちゃった」
「4日前っていうと……ちょうど恭也さんたちの高校でテストが始まった頃か?」
「そうなるかなー?」

ふむふむ。となると、やはり忍さんに何か大事が起こって止むなくバレてしまった、という訳ではないらしい。あの日の恭也さんに何か変わった様子があったとは高町家の人々からも聞いたことないしな。

やっぱり、単に忍さんと恭也さん2人の仲が進展しただけと見るのが一番かな?

「それで、2人は晴れて恋人になりました、ってか」

今日の忍さんの言い様を聞くに、たぶん恭也さんは『恋人』の関係を選んだのだろう。お互いに相手のことを意識してるのバレバレだったしな。月村家の裏事情にまで関わっているのなら、恭也さんが家族や僕に話していないのも納得できる。

そんなことを考えながらの言葉だったので、

「あ、ううん。……えっと、その、……まだ恋人さんにはなってない、かな?」
「……うぅん?」

帰って来たすずかの否定の言葉に、ちょっと固まってしまった。下では僕の手から零れ落ちたねこじゃらしに子猫が跳び付いていた。
そんな僕の様子に、歳に似合わぬ苦笑じみた表情を返したすずかが言葉を続ける。

「あのね、わたしも少し気になっちゃったから聞いてみたんだけど、お姉ちゃんも恭也さんもはっきりとどんな関係にするかはまだ決めてないんだって」
「……ああ、そう」

───あの腰抜けめ。

最後の一歩が足りてないんだよ。そこで積極的に行かなくてどうすんのさ。
そりゃ枯れてるとか言われてもしょうがないだろ。高校生ならもっとがっつけよ、そこは。

大方、護衛としての立場とか、御神流は命の危険から恋愛が控えるべきだとか、そもそもこの感情がそういうものなのか解からないとか、その辺りを理由に躊躇っているのだろう。
てかやっぱりあの人って普通の高校生じゃないよね、主に精神面で。桃子さんやフィアッセさんに聞いた所では子供の頃から今みたいな感じだったらしいから、御神流を習っているうちに人格形成された訳でもないようだし。

(……今の恭也さんみたいな性格の子供)

なんて嫌なガキなんだ。好きとか嫌い以前に戸惑うわ。

『おぬしも人のこと言えんじゃろうが』
<それは言わないお約束だ>

そもそも僕は枯れてないよ。女の子は大好きだもの。

『論点はそこではないがな』
<だから言うな。ていうか憑いてる訳でもないのに思考を読むんじゃありません>

いくら日常パートでも設定は守ろうぜ。

「春海くん?」

枕元にて小さな体を丸めている葛花と念話で話していると、すずかが不思議そうに首を傾げていたので話を元に戻す。

「ん、何でもない。……そういえば、忍さんが最近は恭也さんの血を吸ってるって言ってたけど……?」
「あ、うん。お姉ちゃん、秘密を打ちあけた日から恭也さんから毎日ちょっとずつ血をもらってるみたい」
「血をもらうって……」

なんか献血みてぇ。

そんな僕の何とも言えない感想が顔に出ていたのか、それを見たすずかが苦笑いして自分の姉を擁護する。

「……お姉ちゃんも、やっぱりうれしいんだと思うなぁ」

前を向いて穏やかな表情で語るすずかに、僕も抱き上げた子猫を自分の膝上で撫でながら黙って耳を傾ける。

「お姉ちゃんって昔からノエルのことでお父さんたちからは怒られてばっかりで、なのに、わたしにとっての春海くんみたいに“うちのこと”を話しても大丈夫な友だちもいなかったから……それで、ずっと我慢してたと思うの。
わたしが機械のお勉強をしたいってわがまま言ったときも、お父さんたちには内緒だからねって言って、笑っていろんなことを教えてくれて……それなのに、お姉ちゃんが本当は悲しんでるとき、わたしは何もしてあげられなかったから」

だからね、と幼い少女は言葉を繋いで。
心底からの笑顔と共に、深い黒の瞳がこちらを見据えていた。

「……だから恭也さんを紹介されたときね、わたしも、すっごくうれしかったの」

自分の自慢の姉のことを解ってくれる人が、一人でも居てくれた。
その事実が、すずかは本当に嬉しかった。

「……お姉ちゃんってホントはとっても甘えんぼさんなのに、どうやったらいいのか知らないだけだと思うから……だから、今はその練習中」

恋人さんとかは、たぶんその後なんだよ。
そう言って、話を締めくくったすずか。

「……………………」

僕は目を閉じて腕を組み、すずかが話したことの内容を改めて考える。……そうしてやがて眼を見開くと、僕は真剣そのものの表情で彼女に言葉を返した。





「おまえ何歳だよ」
「7さいだけど……」





うっそだぁー。

そんな今更みたいに『7さい』って平仮名表記で子供らしさを演出しても僕は騙されないぞ……!

「本当は10くらい鯖読んでんじゃねえの?」
「17さいでこんなに背が低いのはちょっとイヤかな……?」
「まあお前は10年もすれば色々と成長してそうだけどさ、色々と」

“あの”忍さんの妹だし、将来性は大だろう。

そう言って僕が、自分の腹を見せて服従のポーズを取っている子猫を撫で回しながら忍さんの豊満な双子山に思いを馳せていると。

「春海くんって……」

隣に座るすずかがこちらに寄り添うようにして尋ねてくる。下からこちらを覗き込むようにして向けられる純粋な眼差しに、仰け反る。

「……春海くんも、やっぱりモデルさんみたいにかっこいいほうが……好き?」
「可愛いのも格好良いのもどっちも大好物だけど……なに、いきなり」
「ううん、がんばるね?」

何を?とは言わない。さすがにそこまで鈍くない。鈍感系主人公じゃあるまいし。

ただまあ、小学1年生の言葉を全て真に受けるほど僕もバカではないのだ。すずかの好意だってあくまで子供らしい純粋な意味だろうし、仮に“そういう意味”が含まれているとしても、大人になる頃にそれがどうなっているかなんて解かるものでもない。
今だって、彼女にとって人生最大とも言える不安事項が解消されたからこその現在の状態であって、あくまで一時のテンションに過ぎない。今のすずかにとっては僕がオンリーワンだから必然的にナンバーワンにもなってしまっているだけで、これからアリサやなのは辺りに打ち明けて母数が増えれば、そこで色々と考える機会も増えてくるだろう。

ていうか知識だけなら兎も角、小学1年生で“そういう感情”を明確に理解してるってのも考え難いし。

(そもそも小学生相手にこんなこと考えてる時点で自意識過剰も良いトコだけど……)

光源氏計画には興味ないはずなんだが……、と心の中で呟きながら、目の前でムンッと気合いを入れているすずかを見て人間の業の深さ(ロリコン)を噛み締める僕。無常である。

「……まあ、期待してる」

いや、応援はするんだけどさ。
がんばれ女の子。



それはそうとして。

「それなら、しばらくは恭也さんと忍さんもしばらくはこのままかね」
「ううん」
「は?」

雑談として振った話題に、その妹から再度思いも寄らぬ否定の言葉が返ってきてしまった。
そして僕の意見を真っ向から否定したすずか本人はというと、妙に迫力のあるニッコリとした笑みをこちらに向けていて。

「わたしがお姉ちゃんを応援するから。恭也さんと早く恋人どうしになれるように」
「……え~っと……なぜ?」
「だって……」

すずかはそこで一転、少しだけ顔を赤くし恥ずかしそうにもじもじした。そうしてちょっとか細い声で、



「もしお姉ちゃんと恭也さんが結婚したら、なのはちゃんとも家族になれるし……」



そう言った。それを聞いた僕は、

「……ああ」

なるほど、と思わず納得してしまう。

確かに恭也さんと忍さんが夫婦になれば月村家は高町家と家族ぐるみの付き合いをすることになるのだろうし、そうなればすずかとなのはの関係は義理の姉妹だ(正確には義理の姉妹になるのは忍さんとなのはだが、まあ細かいことは気にしないことにする)。

すずかとしてもこれは大好きな姉が幸せになり、尚且つ格好良い義兄が出来て、更には親友であるなのはと今以上に仲良くなれるという、正しく一石三鳥のベストプランと言える。これを逃がす手はないだろう。
まあ『恋人→結婚』と直結している辺りが若いと言えば若いが、さすがに小学生にそれを理解しろというのは酷というもの。まだまだ夢を見ても許されるお年頃である。

それにしても。

(……にしても、ほんと歳の割りに強かだなコイツ)

3人娘の中でもすずかの役割はアリサとなのはの喧嘩を仲裁することが殆どだが、もしかしたらその要因は本人たちの気性だけでなく、この性格にもあるのかもしれない。

なんと言うか、天然で立ち回りが上手い。自分のキャラと立ち位置をよく見ている。

(……案外、こういうのを『魔性』とか『小悪魔』って言うのかもな)

だとすれば、すずかは生まれついての魔性の女ということになるのだが…………怖いので考えるのはここまでにしておこう。
人には触れないでおいたほうが良いこともあるのだ、きっと。

「それで、ね」

僕が悟りの境地でそう結論づけていると、なぜか興奮気味のすずかがこちらを向いていて。

「もしよかったら、春海くんもいっしょにお姉ちゃんたちを応援しようよ!」
「応援ねぇ……」

すずかからの誘いを、僕は若干気のない声で反芻する。

まあ、確かにすずかのお誘いは面白そうだし、恭也さんと忍さんには僕も普段からよくお世話になっている。そんな2人を幸せにするために行動しないかと提案されれば、そりゃあそのために尽力することも吝かではない。

(いや、でもなぁ……)

かと言って、僕の立場で忍さんだけ応援するというのもどうかと。

恭也さんに好意を向けている女性は、何も忍さん一人ではない。同居している晶やレンも少なからずそうだし、姉ポジションという理由から少し分かりづらくはあるが、たぶんフィアッセさんだってもし恭也さんから告白されたら迷うくらいには“脈あり”だろう。……フィアッセさんに関しては6割くらい勘だけど。あの人、素でスキンシップ激しいから。

つまるところ、これで忍さんだけ応援するのは不公平というものである。僕としてもわざわざ馬に蹴られて死にたがるような性癖は毛頭ないのだ。相手は猿と亀と歌姫だけど。
他人の恋路はなりゆき任せの運任せ、流れる水のように自然のままにしておいた方が良いこともある。



「それじゃあ僕は忍さんを応援するすずかを応援する方向で」
「ほんとっ? やったー!」



───面白そうだから見物はするけどな! 

フハハッ、忍さんとのイチャイチャっぷりを高町家女性陣に報告し修羅場にしてくれるわ! 非モテの怨念思いしれやリア充!!

傍から見ればニコニコと同じ笑顔で笑い合うすずかと僕。しかし、その中身が天使と悪魔くらい正反対であったのは、もはや言うまでもないことである。





『クズの底辺ブチ抜いとるのう……』

枕元で横になっている葛花がボソリと呟いた。




















(あとがき)
第二十話の3、投稿完了いたしました。遅くなってすみません。GW中、親戚の集まりで全く書く時間が取れずにずるずるとこんな感じに。

とはいっても、二十話の山場は前回終えていたので今回あとがきで特に言うことは無かったり。強いて言うなら……あんざい先生、感想が……欲しいです。
……すみません、最近感想がめっきり減ってしまってやや意気消沈気味の作者なんです。PV自体は殆ど落ちてないので、やっぱり話が亀展開すぎるのが原因なんでしょうね。助長とも言いますが。しかしssを書く以上書きたいことは全部書きたいというこの葛藤……! 正直、削るべきところをキッチリ削れることも才能なんだと実感するばかりです。まあ所詮は戯れ言なので「作者必死www」とか指差し笑ってください。

今は資格試験の勉強と並行して執筆しているので、次の投稿は少し遅くなるかもです。

では。






[29543] 第二十一話 甘えと笑顔は信頼の別名 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/06/17 21:07



「おはよ、恭也」
「うん、おはよう月村」
「…………」
「……?……月村?」
「むぅ~~~」
「……ああ、すまん。───おはよう、忍」
「うん♪」



「恭也、これおいしいよ? あ~ん」
「…………」
「恭也?」
「……忍。人前でこういうことをされると、非常に恥ずかしいものがあるのだが……」
「別にこのくらいフツーだって。ほら、あ~ん」
「……あーん」



「さて、そろそろ行きましょうか」
「ああ」
「あ、……恭也、ちょっとこっち向いて」
「どうした?」
「ネクタイ、まがってる。直すからそのままでね」
「……わかった」



「ん~~~、恭也ぁ~」
「……どうした、忍。急に抱きついて」
「いってきますのハグ~」
「俺もこれから一緒に出るんだが……」
「だから恭也も抱き返してね?」
「……どんな理屈だ。……ほら」
「ん~~~♪」





「なんだあのバカップル」

月村家での衝撃的な出来事が起こった夜も明け、忍さん達を乗せたノエルさんの車を見送り、バス停で聖祥行きのバスをすずかと共に静々と待っていた僕の第一声である。

いや、あれで友達同士とか人生間違ってるだろ常考。どこが甘え方知らないんだよ。ダダ甘えじゃねえか。

「あ、あはは~……で、でも、わたしたちにだって何かできることも……」
「ないない、ないないなぁーい。あれはもう手遅れだ。もはや背中押さなくてもなるようになる」

小学生らしくない引き攣った笑顔で反論するすずかの言葉を、僕はやさぐれた口調で否定する。出掛けに肩身狭そうにしてた那美ちゃんを見てなかったのかお前は。久遠ちゃんと遊ぶために向こうに付いて行った葛花(本人はさざなみ寮のメシ目当てだと言っていたけど)でさえ同情するレベルだったぞ。

「つーか、あれでくっつかなかったら恭也さん殴る。今朝なぜか殴られた仕返しを含め、世界中の非リア達の元気を込めてぶん殴る」
「体にわるそうな元気玉だね」
「色は嫉妬の赤だ」
「そこはせめて情熱とか愛にしようよ……」

たしかに主人公カラーだけど……、と微妙な顔をしながら続けるすずか。意外に特撮ものもイケるらしい。

「お前もどうすんだよ。ぶっちゃけあの2人にすずかが出来ることって殆ど無ぇだろ」
「そんなことないよ! 今朝だってお姉ちゃん、恭也さんといっぱい仲良くしたいはずなのにガマンしてたもん!」
「あれでか!?」

抑えてなかったらどうなるんだよ、それ。逆に気になるわ。……いや、でも、

「仮にお前の言う通り忍さんが我慢しているとして、ならお前は何をどうやって応援するんだよ? もっとアプローチしろって言ったところで、現時点で既に友達としての最高ランクくらいだぞ、あれは。友達枠からもちょっとはみ出てるけど」
「そ、それは……うぅ」

僕の的を得た指摘に、すずかは目を逸らして言い淀む。まぁ昨日はああして応援するとは言ったものの、彼女も具体的にどうするかなんて微塵も考えてなかったのだろう。というか僕もあんなカップルのくっつけ方とか知らねえよ。何するんだよアレ。外野がどうにかする余地とかもう残ってねえよ。

僕は考え過ぎてとうとう頭を抱えて俯いてしまったすずかを慰めるために、彼女の肩に手を添えようとして……、

「───そうだ!」
「へぶッ!?」

唐突に叫んで持ち上がったすずかの頭頂部が僕の鼻っ柱にクリーンヒット!

ヘッドバットである。…………吸血鬼のパワーで。

「~~~ッ!?~~~ッ!!??」
「わぁっ!?」

鼻を両手で押さえ地面をゴロゴロ転がって悶絶する僕。

やばい、これは痛い!
折れてはいないようだけど押さえた手の隙間から鼻血もダクダク垂れてるし!!

「だいじょうぶ春海くん?!」

一方で、そんな僕に気付いたすずかが慌てたように追いかけてきていた。

転がる僕まですぐに追いついた彼女は、打った患部の様子を見ようとしたのか僕の両手を引っ掴み、…………何故かそのままこちらの両腕を地面に押さえつけた。

「……………………」
「……………………」

瞳に涙を浮かべながら両手を頭上で交差するようにして仰向けに拘束された僕と、こちらの腰の辺りに跨って顔をぐっと近づけてくるすずか。2人の視線が絡み合う。
事情を知らない第三者が見たら誤解を招きそうな光景になっていた。というか張本人の僕でさえ誤解しそうな状態だった。うわ、手とかぜんぜん動かねえ。

「とか冷静に分析してる場合じゃねぇええ!? ちょ、すずか退けって! は、鼻が……ッ!?」

これだけ見ると普通の台詞なのだが、実は鼻が痛すぎて全然うまく喋れてなかったりする。最後とか「ふぁ、ふぁなが……ッ!?」ってなってたしというかそのことを恥ずかしく思う余裕もないくらい痛ぇッ!?

そんな風に僕が鼻部に奔る痛みに悶えつつも、拘束された腕を必死に振り払おうとしていると、



「えい」
「ンむぅッ!??」



───……意を決したような可愛らしい気合の声と共に、すずかが僕の顔の中心…………まあ、何だ。有り体に言うと、……現在進行形で痛みの奔る僕の鼻に口づけてきた。

え? なになに? 何なのこの状況? いつの間にエロパート入ったの? まだすずかルート攻略した覚えないんだけど。
混乱の境地に達する僕を置き去りに、湿った音がこちらの耳朶を震わせた。


───んぅ、ぺろ……ぺちゃ……ちゅぷ、ちゅぱ……


うっわ、えっろ。

目の前にあるきめ細かい白い肌や、幼い容姿に似つかわしくない長い睫毛。
視界の端に艶のある黒髪が流れ、僕の頬に添えられた細い手が感触を確かめるように滑る。

何より僕の意識を占めるのは、自分の顔に押し付けられている、子供特有の高い体温によって燃えるように熱い……真っ赤な、舌。
湿った唇でこちらの鼻の辺りを包み込み、表面をなぞるように舌が躍る。
チロチロと小さな舌が縦横無尽にうねり、舐る彼女の幼い口の隙間から漏れ出た吐息が僕の頬を擽り頭を焦がした。

現実感のない光景に、頭がくらくらしてくる。

伏し目がちになった彼女の瞳に宿る媚びるような光に射抜かれ、やがて思考はモヤが掛かったように沸騰していき───


「いやそうじゃねえ」


そして現実逃避して詳細に情景描写してる場合でもねえ。
一周まわって冷静になっちゃったよ。できれば冷静に直視したくない状況になってるけど。

ここバス停ですよ?

「おい、すずか」

とりあえず離れてくれないかという意味合いを込めて呼びかけてみたが、

「ちゅっ、ん……んはぁ……」

だめだ、聞いてない。つーか、たぶん聞こえてない。一心不乱というか、完全に夢中になってのめり込んでる。僕の鼻のどこが良いんだよこいつ。美味しいの?

───しかも、

「……眼が赤いんスけど」



細められた彼女の瞼の奥に垣間見える瞳が、妖しげな紅を湛えていた。



その色を覗き込んでいると、先ほどと同様に思考が燃え上がって沸騰しそうになる。…………ので、気合いを入れて意識を保つ。

(……暗示、か?)

今の感覚は修行のとき偶に葛花が掛けてくる暗示によく似ていた。葛花のそれに比べて明らかに術が雑だったので、普通に耐えることは出来たが。
というか、なんかロリな筈のすずかに在り得ない色香を感じてしまった。大方、“魅了”のような効力を持つ暗示なのだろう。そして魅了の暗示だから僕がすずかの表情にクラッと来たのも仕方ない。仕方ないったら仕方ない。……断じて僕がロリコンだからじゃない……はず!


───ともあれ、どうやらこの状況は異常事態に分類されるものらしい。


遅まきながらようやく僕もそう悟る。ぶっちゃけ遅すぎてこの場に葛花が居れば張り倒されるレベルだが。
わかっていたことだが、どうにも僕はすずか達の前では彼女たちを信用し過ぎる嫌いがあるよなぁ……いや別に友達相手だし、それで良いとも思うけど。

とりあえずは、すずかによって拘束されている腕の束縛を解こうとして…………Oh、しっと。
微動だにしねえ。

流石に身体強化の術は使ってないにしても、これでも全力で振り解こうとしているのだが。どんだけ必死なんだコイツ。

(でも身体強化して抵抗するとすずかを傷つける可能性もあるし……)

すずか自身が明らかに正気じゃないので、その方法は自主却下である。

…………なので。



「そーい」
「ひゃ!?」



腰から下を跳ね上げ、体を横に倒し、マウントポジションを取っていたすずかと位置を入れ替える。こちらの腕を抑えていた拘束は、入れ替わった際にすでに外し終えていた。

ふはは、いくらパワーで上を行こうと体重が軽ければ体勢を崩すくらい訳ないわ。高町家で受けたキッツイ修行を甘く見るなよ小娘!
などと心のなかで得意になりながらも行動は迅速に。僕は先ほどの自分と同じように仰向けになったすずかを跨いで、マウントポジションを取り返した。

どこか酔っぱらったように蕩けた表情を浮かべた彼女の顔を両手で固定し、覗き込む。

彼女の豹変を引き起こした原因をつぶさに観察する。

すぐに目に付いた異変は、すずかの口の端に垂れている一筋の───、……血?

「っておまえ僕の鼻血飲んだの!?」

いやいやいやもっとマシなものあるだろ!? 首筋から吸うとか赤ワインと混ぜて飲むとか吸血鬼っぽいやり方が! なんでよりにもよって鼻血!?

そんな感じに僕が再び驚愕の極致へと達している一方で、肝心のすずかはのろのろと酷く緩慢な動きで両手をこちらに伸ばして……、

「はるみくんもっとぉ、もっとだしてぇ……」
「出せるか!? いいからとっとと起きろこのド阿呆!!」

ベチンッ。と。

目の前で無防備に晒されているすずかのデコを思いっきりはたいた。

「~~~っ、たぁ~……」

全力でこそないが、それでもツッコミついでにそこそこの力を込めた平手は彼女としてもかなり痛かったらしい。すずかは目元にうっすらと涙を浮かべながら赤くなったおでこを押さえていた。
一方でそんな彼女の様子を観察していた僕は、寝転んだすずかが正気に戻ったことを確認するために呼びかけを。

「目は覚めたかよ?」
「いたた……さめたって、なんの……───」

おでこを押さえて呻きながらこちらに顔を向けたすずかは、言葉の途中でさっきまで自分が何をしていたのかを思い出したのだろう。一度青ざめ、そして次の瞬間には顔をどんどん赤くし、ついには耳や首筋まで真っ赤に染める頃になって、

「~~~~~~~ッ!!???」

声にならない悲鳴が、彼女の口から響き渡った。あ、バス来た。





という訳で。

真っ赤な顔でフリーズしたすずかを抱え、バスの運転手さんの不審げな表情を愛想笑いで躱しつつ車に乗り込んだ僕たちは、月村家が郊外にあるからなのか何処か閑散としたバス車内の最後部座席に掛けた…………の、だが。

「…………いい加減立ち直れって。お前が毎日ちゃんと歯磨きしてるのはわかったから」

むしろ鼻っ柱を丹念に舐められた僕のほうが落ち込みたいんだけど。
そう思いながら言ってみたところで……、

「~~~っ、知らない知らないっ、わたし知らないもん!!」

───隣に座るすずかが、膝にかかえたカバンに顔を埋めたままビクともしてくれません。

「……はぁ」

それを見て、僕はすずかに聞こえないように小さく溜息を漏らした。
その際バックミラー越しにこちらを見ていた運転手さんと目が合ったので、パタパタと横に手を振って何でもないことをアピールしておく。

まあ、まだ小学1年生とは言え、道端で同級生の男を押し倒してしかもそこに口づけを落としたと考えればすずかの反応も至極当然なのだろう。昨夜の忍さんの話が本当なら、夜の一族である彼女の情操は同級生のそれより上なのだから尚更だ。
おまけにすぐ隣にはその襲ってしまった張本人が座ってるとか、僕だったら拷問以外の何ものでもないわー。

僕としても流石にこれはお手上げと言うか、出来ることならすぐにでも全面降伏のうえ撤退行動を敢行したい所ではあったが、残念ながらそうも言っていられない理由もある訳で……それさえなければ、そっとしておいてあげるんだけどなぁ。
儘ならない現状に再度嘆息しつつ、僕は隠しても隠れきれていない彼女の真っ赤な耳を横目で見ながら問い掛ける。

「……それで、“アレ”は一体何なんだよ?」
「……………………」

黙秘ですかー、だんまりですかー、もっと言葉のキャッチボールしませんかー? 
いそのー、野球しようぜー。

「……………………」

関係無いけど、『だんまりですか』と『だんまりすずか』って似てるよね?

「似てないよ!」
「やっと反応したか」
「…………」

ようやくこっちを向いたと思ったら、今度は体育座りで立てた自分の膝に顔を埋めてしまった。
正面から見たら下着が見えちゃうから止めなさい。きちんと靴を脱いでる所はえらいけど。

そんな彼女の様子にもう一度嘆息し、無防備に晒されている頭に、ぽんと手を置いた。

「……すずかが恥ずかしがるのも理解できるけどさ、それでも説明くらいはしてくれないと僕もどうしていいか分からないんだよ。
もし“あれ”がすずかの体に良くないものだったら、って不安にもなる。……機嫌直せとは言わないけど、それでも何とか教えてもらう訳には行かないかな?」

果たして、そんな珍しく真摯な頼みが届いたのかどうかは定かではないが、それでもすずかの心情を切り換えさせるくらいの効果はあったのだろう。
自らの膝から少しだけ表情を上げた彼女は、ポツリポツリとではあるが語り始めてくれた。

「……わたしたち『夜の一族』の“つば”ってね、ケガに付けると血を止めてなおしてくれる力があるの」
「怪我を?」

彼女の話の内容を悟った僕は、すぐに周りを結界(呪符なしの簡易版だから音くらいしか遮断できないけど)で覆いつつ問い返した。そんな僕にすずかはこくりを頷いて、

「えっ、と……たしか『消毒・傷封効果』って名前だったかな……? そんな効果があるんだって。あんまり大きいケガには意味ないらしいんだけど……」
「そういや、伝承の吸血鬼もその唾液を傷口に垂らすと傷が治る、ってのがあったっけ」
「わたしは知らないけど、たぶんそれじゃないかな……?」
「そっか」

……………………ん?

「───おい、すずか」
「……なに?」
「お前、もしかして……」

今その話をするってことは、まさか……、


「───あんなことしたのって、僕のためなのか?」


「…………」

僕の質問に、すずかは静かに頷いた。

そういえば突然のすずかの奇行にすっかり意識から抜け落ちていたけど、彼女が口づけてからというもの、あの痛烈な痛みを全く感じなかったような。まあ、だからこそすずかの行動にのんきにリアクションを返すことが出来たとも言えるのだが。

今までてっきり、すずか自身が吸血の衝動に耐え切れずあんなことをしたのだと思っていたのだが、どうやらそれは僕の思い違いだったようだ。というか普通に感謝することだった。

「おいおいおいおい、なら何で早くそう言わないんだよ。この場合、お前が恥ずかしがるんじゃなくて僕がお礼を言う場面だぜ?」
「……ちがうの」
「何がだよ?」

できる限り威圧しないようにして問い返した僕の言葉に、すずかはふるふると首を横に振って応える。
伏せた顔を一層強く自分の膝に押し付けた彼女は、くぐもった声で言葉を紡いだ。


「……春海くんの血を飲んだときね、わたし……『もっと飲みたい』って、……思ったの」


───……思って、しまったの。

掠れた声で、そう続けるすずか。
その様はまるで罪を懺悔する咎人のように見えた。

そんな彼女に僕は……、





「…………ん? そんだけ?」

思わず素で訊き返した。





いやゴメン、ちょっと本気で解からない。

そうして困惑混じりに戸惑う僕を置き去りに、すんごい勢いでテンションが死んでいく月村すずか(7才)。

「ごめんね、春海くん……」
「待て待て待て待てお願い待って、勝手に話して勝手に謝って勝手に落ち込むな。こっちは本気で理解が追いついてないんだから……え? 血を飲みたいと思ったって、それって駄目なの?」

おまえ吸血鬼でしょ?

そんな風に僕がどんな反応を返したものか本気で困っていると、今まで伏せていた顔をガバリと上げたすずかが、こちらに身を乗り出して叫ぶ。

「───だって、……だって! あのとき、わたし春海くんのこと操って勝手に血を飲もうとしたんだよ!?」
「わざとじゃないんだろ?」
「それはっ!……そう、だけど……」
「なら良いじゃん」
「よくないの!」
「そうなの?」
「そうなの!!」

そうらしいです。

「ともだちなのに……っ、大切な、ともだちなのに……わたし、物みたいに操って、勝手に血を吸おうとして、……死なせちゃったかもしれないのに……ッ!」
「勝手に殺すな」

お前の発想のほうがよっぽど怖いよ。

いや、確かにすずかが何を後悔してるのかは解かった。

要するに、彼女は誓いを立てて『特別な』友達になったはずの僕に対して暗示を掛けてしまったこと、そして吸血に夢中になって僕の安全を蔑ろにしてしまったことを悔いているのだろう。
確かに血というものは生物が生きていく上で非常に重要なものだ。飲み過ぎれば出血多量となり、それは対象の死へと直結してしまうだろう。そのことを失念することは、それはただの殺人と何ら変わりない。

それくらいは僕にも解かる。…………解かるけど……いや、でもなあ。



(吸われたのが鼻血だから、いまいち緊迫感が伝わらない……)



鼻血吸われた程度で殺されて堪るか。
なんだその史上最も間抜けな死に様は。

「って、そういえば。……なあ、すずか」
「……なに?」

よし、とりあえず意思疎通くらいは出来るようになったみたいだ。

「いや、僕としてはどんな間違いがあった所でお前に殺される気はないんだけどさ」

「あのくらいの暗示じゃ効かないし」と付け加えることで、一応すずかくらいでは僕に危害を加える心配は無いことをアピールしておいてから、

「忍さんだって恭也さんの血を吸ってる訳だろ? 忍さんもさっきのすずかみたいになるのか?」

もしかして恭也さんも血を吸われるたびに正気を失った忍さんから押し倒されてるのだろうか?……ちょっと羨ましいかもしれん。
とか思考が邪悪な方向にシフトしている僕に気付くことなく、質問を聞いたすずかがローテンションのまま答える。

「……ううん。お姉ちゃんも恭也さんから飲ませてもらってるけど、さっきみたいにはなってない……」
「じゃあ、どうして自分がさっきみたいになったか解かるか?」
「たぶんだけど、わたしが血を飲むのに慣れてないから……だと思う」
「『慣れてない』……?」

オウム返しに訊き返した僕に彼女は頷いて、

「う、うん。もともと血液パックだって毎日飲んでるわけじゃないし、……お姉ちゃんと違って他の人から直接飲んだのって、……さっきのが、はじめてだから」
「あ、そうなんだ」

てっきり僕は、すずかも恭也さん辺りから飲ませて貰っていたのだと思ったのだが……。と、思ったので、

「恭也さんから飲ませて貰わなかったのか?」

実際に訊いてみた。

「飲んでないよぅ!」
「なんで」
「はずかしいもん!」
「恥ずかしいの!?」

恥ずかしがるポイントはどこだ!?

「そっ、それに! 恭也さんはお姉ちゃんのお友だちなんだから、そんなことしちゃいけないの!」
「へ、へぇ~……」

何故すずかがここまで頑なに拒むのかは僕にも知る由はないが、とりあえずビシッとこちらを指差す彼女の主張に適当に相槌を打っておく。
ここは話を合わせておく場面だと、『前』で培った僕の第六感が告げていたのだ。別名『事なかれ主義』とも言うが。

「……あ、あと……」

と。
そこで、何故か体を縮こませてモジモジしながら言葉を紡ぐ彼女。


「───春海くんは、わたしが恭也さんの血を飲んでも……いいの?」


僕は、頬を赤くして横目でチラチラと伺うようにしているすずかに淡く微笑み───、





「別にいいけど?」





……涙目で頬を抓られてしまった。だから何でだよ……。



結局。

このあと街中に到着したバスに聖祥の生徒が大量に乗り込んできたことで話は御開きとなり、バス通学の生徒全員に涙目でそっぽを向くすずかと必死に彼女の機嫌を取ろうとする僕の姿が目撃されることになってしまった。
その中にいた友達の金髪娘から軽蔑の眼差しを頂戴してしまったことは、…………僕の心のアルバムにそっと仕舞っておこう。べ、別に金髪美幼女の蔑みの視線にゾクゾクなんかしてないよ? ほんとだよ?









アーっ!

という間に時刻は昼を回って午後1時。至極唐突すぎて誠に申し訳ない限りだが、3月某日である本日、晴れて6年生の卒業式を迎えた(いや、ぶっちゃけ興味なかったもん。知り合いの中で唯一の小学6年生であるレンはそもそも他校だし)我が聖祥の裏庭で、僕は携帯電話片手に一人佇んでいた。

電話の向こうに居るのは、今朝別れたばかりの月村忍さん。彼女たちの高校もテストは本日金曜日で無事すべて終了したらしく、向こうも午前で下校となる。
ちなみに聖祥も風芽丘高校も3学期終了は来週末なので、残り1週間の授業は消化試合みたいなものである。

「───ってことで、もうホントどうしたものかと……」
『あー……』

相手からは見えていないにも関わらず空いていたほうの手で目を覆いながらわざとらしく嘆くこちらの言葉に、電話口の向こうから返ってくる気まずそうな声。

話の内容は大抵の者が察することができると思うが、当然ながら今朝のバスの一件以来すっかり臍を曲げてしまった彼女の妹君のことである。
あれから幾らこちらが話しかけても反応はナシの礫であり、かと言って護衛の任がある以上離れてしまう訳にもいかず……というか、離れると何故か不満そうに頬を膨らませながら近くに寄ってくるのだ。あれはあれで可愛いかったが、正直僕にどうしろと?

今だって、ついさっき午後になって迎えに来たノエルさんに つーんとそっぽを向いたままのすずかを引き渡したばかりで、それからようやく彼女の姉に助言を請うため連絡できた次第である。

そうしていると、電話の向こうにいる忍さんが、

『今朝別れてからまだ6時間も経ってないのに、またいろいろとやらかしたものねぇ~』
「いや、正直僕としても何が何やら……」

彼女の苦笑まじりの言葉に溜息を吐きながら言い返した。
僕の主観で朝のすずかの件は、それこそ疾風のように過ぎ去ってしまったのと同義なので一体どう対応したものかイマイチ判断が付かないのだ。すずかに謝るのも何か違うような気がするし。

───というか。


「なんか……あいつ、今日は妙に躁鬱が激しいんですよね……」


実のところ、僕が対応に困っている一番の原因は其処に在ったりする。

なんだかんだでアリサ達との付き合いも一年になる僕は、そりゃあ「アイツ等のことなら全て解かる!」なんて妄言を豪語する気は無いにしても、それでも彼女たちがどんな子供なのかと問われれば即答できるくらいに理解はしているつもりだ。そしてそれはアリサ達からも同じなのだろうけど。

曲がったことが嫌いで意地っ張り、気の強さから他人とよく衝突してしまうが、そのくせ本当は誰よりも情に厚く友達思いな、アリサ・バニングス。
明るく心優しい性格で、でも時折り見せる決して退かない頑固な一面が家族譲りの芯の強さを感じさせる女の子、高町なのは。

クラスメイトの子たちだって、どんな性格の子供なのかは良く知っている。運動の得意な子も居れば、友達と一緒にお喋りすることが一番楽しいと言う子も居る。お調子者でいつも先生から叱られてばかりの子も居れば、他人と話すのがあまり得意じゃない引っ込み思案な子も居る。

そんな風に、この一年間で彼等・彼女等がどんな子なのかは、これまでの日常の中で熟知している。下手をすれば“内側”で一緒に居る分、担任の教師よりもずっと。

───そしてその中には、当然ながら『月村すずか』も含まれる。

月村すずか。

お嬢様という言葉がそのまま当てはまるようなお淑やかな性格で、アリサ・なのはとは親友同士な女の子。小学一年生とは思えぬほどの読書家であり、反面、クラス内どころか学年でもトップの運動神経を持ち主でもある。

思い出そうとすれば、この他にもまだまだ沢山ある。

猫が好きなこと。
姉である忍さんから工学を習っていること。
いつも付けているカチューシャを大事にしていること。

…………『夜の一族』という種族で、普通とはちょっと違う力をもっていること。



「……………………」

改めて、今朝のすずかを思い出してみる。


自分の姉とその友達である高町恭也さんの仲を取り持つために必死に考えていたすずか。

ケガをした僕を治療するために血を吸ってくれたすずか。

無意識に引っ張られた結果なのに、暗示を掛けてしまったことに落ち込んでいたすずか。



───僕の言葉一つ一つに、彼女らしくもなく大袈裟なまでに一喜一憂していたすずか。



どれも、僕が知る『月村すずか』という少女からは少しだけ印象が異なる。
大人しいと言うべきか大人らしいと言うべきか、月村すずかは感情を表に出すとしても、もっと控え目に表現する娘だった筈だ。

それが今日のすずかは、何と言うべきか───そう。


「……『子供っぽい』って感じでしたよ、今朝のあいつ」
『…………』


僕の感じたままを、電話の向こうで訊いている筈の忍さんに言う。

自分の考えたまま思ったままに行動して、やりたいことには積極的に一直線。
そんな歳相応の『普通の子供らしさ』を、今朝の彼女は持っていたと思う。

まあ、

(……だからこそ、僕自身ここまで戸惑ってる訳だけど)

少なくとも、あそこまで自らの感情に素直な月村すずかを僕は今まで見たことがない。善くも悪くも歳不相応に達観した嫌いのある少女で、アリサやなのはのやり取りを横から静かに笑って見ているような性格なのだ。

『……春海くんは、』
「はい?」

と。
僕が今までのすずかと今朝のすずかのギャップに思いを馳せていると、電話口から語り掛けるような声色で忍さんの声。

自然、思考を止めて耳を傾けてしまう。

『春海くんは、そんなすずかを見てどう思った?』
「どう思った……ですか?」
『うん』

僕の声に携帯電話の向こうで彼女は頷いて、

『あの子が子供っぽいってのは、やっぱり嫌だった? それとも、それでも良いかなって思った?』

と、続けた。

……ふむ。正直、忍さんの質問にどのような意図があるのかはイマイチ読めない。まあでも、とりあえず訊かれたことのみに答えるのなら───、


「別にどっちでもないですよ?」
『───え?』


意外そうな声を上げる忍さんに、自分の言葉を補足する。

「いや、だから嫌でもないですし、逆に良いとも思わなかった、ってことですよ」
『……嫌じゃないのに、良くもなかったの?』
「うーん、何と言うか……。確かに、アレはあれで普段の彼女からすればギャップがあって楽しいですし、かと言って、それで普段のすずかが嫌いって訳じゃないですし。物静かなお嬢様キャラって憧れるものがあるよね、みたいな?」
『みたいな?って……』

呆れたような忍さん。それに僕は電話で見える筈のない苦笑を返した。

「まあ結局はどっちのすずかも良い、って話なんですけどね。物静かで大人っぽいすずかも、自分の感情に素直で子供っぽいすずかも。どっちもアイツであることに変わりは無いし、その辺りは、それこそすずかが自分でやりたいと思ったことを好きにすればいい話ですよ」
『……これはすずかが怒るわけねー』

……なぬ?

「え? 僕、なんかやっちゃいました?」

自分でも今けっこう良いこと言った気がするんですけど。

『自分で良いこと言ったとか言わないの。……いやいや、春海くんがダメってわけじゃないから安心してちょうだい』
「???」

僕が何かやった訳じゃないの? ならどうしてすずかが怒るの?
と、本当に理解が追いついていないので、そのまま訊き返してみた。すると、

『じゃあ、春海くんに第1問』
「はい忍ちゃん」
『……男の子から忍ちゃんって呼ばれるって不思議な気分ね……、ま、いっか。……春海くんって昨日の夜に、わたし達が「夜の一族」であって普通の人間じゃないって聞いたとき、どう思った?』
「?……その質問はどういう……?」
『いいから、答えてみて』

忍さんの問いに疑問符を浮かべつつ、とりあえず言われた通りに答える

「まあ、そういう人たちも居るよなぁ、と思いました」
『…………ま、いいわ』
「沈黙が怖いですよ」
『男の子なんだから気にしないの』

男って哀しい生物だよね。女の子に口答えすることも許されない。

これが差別か。

『じゃあ、続いて第2問』
「どうぞ」
『今朝実際にすずかに血を吸われて、君の感想は?』
「初めて吸われたのが鼻血ってたぶん世界初ですよね?」
『ブッブー。質問に質問で返したので減点しまーす』
「あちゃー、間違えちゃったー。つぎは頑張るぞー」

いや、このノリもそうだけど、一体何を頑張れば良いんだろう?

この話題の着地点ってどこだよ。

そんな感じに僕が笑顔で首を捻っていると、電話の向こうの忍さんが言葉を続けて、

『問題は以上です』
「早過ぎますよ……」

全2問って……番号つける必要性皆無じゃん。

『元々ある程度は原因もわかってたもの。質問したのはあくまで確認のためよ』
「さいですか。……で、結局すずかって何で怒ってたんですか?」
『そもそも“そこ”が勘違い。別にすずかだって、春海くん相手に本気で怒ったわけじゃないわよ?』
「……そうなんですか?」

明らかに午前中ずっと不機嫌だったんですけど、あいつ。

『まあ怒ってるのは本当でも、それは怒ってるだけ。ぜんぜん本気じゃないわ』
「怒ってるけど、本気じゃない……?」
『そ』

確かめる僕の言葉を気軽に肯定し、携帯の向こうに居るはずの忍さんが続ける。

『……あのね、春海くん。すずかって、すごく臆病なの』
「…………」
『これは「夜の一族」全員に言えることなんだけど、……隠し事してると、人と接するのが本当に怖くなっちゃう。
もし何か間違って周りにバレてしまったら、もし秘密を暴かれて心無い言葉を掛けられたら、もし暴力を振るわれたら……もし、大好きな人から嫌われたら。そんな風に考えて、それこそ一歩も動けなってしまう』

それを話す忍さんは、今どんな気持ちなのか。解からない、が……ただ、現在僕は彼女の内面の非常に柔らかな部分に触れているのだろう。
そのことを重く感じてしまう自分も居れば、同時に光栄に思っている自分も居た。

今の彼女はこれまでの交流の中で築きあげた結果であり、その大部分を成したのは───きっと、あの無愛想な兄弟子なのだろう。

自然とそう考えて、……そして、そう考えていたからこそ、





『わたしは恭也にすくってもらった。───そして、あの子は君にすくってもらった』





───その言葉を聞いた瞬間、ひどく虚を突かれた気分になった。

そんな思考の空白に、忍さんの声が滑りこむ。

『「夜の一族」としての自分や、栄養のために血を吸わなくてはいけない自分。その全てを君があまりに自然に受け入れるものだから、あの子はそれに戸惑って……でも、怒ってるんじゃなくて、甘えてるだけ』
「……甘えてる?」

なんか今日は訊き返してばっかだなー……そう言えば昨日もすずかが同じこと言ってたなぁ、やっぱ姉妹だよなー……等と、どこか遠くに感じながら尋ねる。

『わたし達「夜の一族」はね、よっぽど親しい間柄でもない限り、友達でも自分のことを打ち明けずに一生を終えるものなの。いつか結婚するときだって一族のだれかとお見合いするのが普通だし、わたしもすずかもそれを普通だと思ってた。今だってそう思ってるわ』
「それはまた……」

僕自身、政略結婚というものに対して特に否定的な考えを持っているわけではないが、それでも実際にそういう言葉を聞くと少々驚いてしまう。
まあ月村家が上流階級である以上、政略結婚なんてザラにあるか。夜の一族の秘匿性を考えれば、そのくらいは逆に当たり前とも言えるだろうし。

……海鳴で暮らしてるから、その辺りが麻痺してたけど。

この街って、ぜったい脱一般人多すぎだよね?

『わたしは“運良く”恭也って男の子がすぐ傍にいてくれた。そして絶対いないと思っていたからこそ、わたしは恭也を一生大切にして……彼が許してくれるなら、添い遂げる覚悟もある』
「まるで告白ですね」
『告白だもの』

わーお。

「昨日バラしたばかりの小学1年生にぶっちゃけ過ぎでしょう」
『君ならちゃんと黙っててくれるでしょ?』
「ちなみに根拠は?」
『女の勘』

なら仕方ない。

「でも、出来ればそういうことは御本人か、そうでなくともせめて同性の友達にでも言って下さいよ」

恭也さんは無理にしても、那美ちゃん居るでしょ? と続ける僕。
すると忍さんは「あの子、隠し事には向いてなさそうだもの」と返した。確かにその通りだけどヒデェ。

『まあ那美とのガールズトークは今度じっくり楽しむとして、……話を元に戻すけど、要するに今のすずかもそれと同じ』
「同じと言われても……」

つまり、夜の一族として一生秘密を抱えて行くつもりだったすずかも、唐突に『僕』という予想外な“秘密の共有者”が現れたことで、(すずかも忍さんと同じだとすれば)僕に対して人生の全てを賭けても良いくらいに思ってるってこと?

……………………。

「……重」
『……思っても言わないものよ、そういうことは』

明らかに呆れた声色となった忍さんに、それでも僕は大幅に下がったテンションで返した。

「いや、昨日の夜は『ずっと友達でいるだけだろ? 楽勝だぜ☆』みたいなノリだったので……流石に僕も小学1年生で人生決める気は無いですよ、そういうのはすずかにも悪いですし」
『あら。もう結婚も視野に入れるなんて、気が早いわねぇ』
「茶化さないで下さい」

一転、からかうように言ってくるメル友の女性。それに対して僕は、ぶっきらぼうに言い放つ。

「……さっきの忍さんの場合にすずかを当て嵌めたらそうなるだけですよ」
『まあ君もあの子もまだ7、8歳なんだし、そこまで深刻に考えることはないと思うよ? うちのお父さんだって小学生の春海くん相手にそこまで強要はしないだろうし』
「是非そうして下さい」

小学生のすずか相手に結婚話とかマジ勘弁である。後10、いや、せめて7年……!

いや、僕も中学・高校では遊びたいもん。なんとかすずかの相手は那美ちゃんに頑張って貰えないかなぁ……無理だろうなぁ、すずかと一番歳が近いのは僕なんだし……って。

「……忍さん」
『ん、なに?』
「いや、」

何と言うか……。

「確かにすずかが妙に情緒不安定な理由は解かりましたけど、結局あいつが不機嫌になった原因って何なんですか?」

そう。忍さん自身のいろいろと衝撃の発言で忘れかけていたが、僕が彼女に電話した当初の理由はすずかの機嫌を取る方法を教えて貰うためである。まだ目的をまったく果たせてないじゃん。

そう思い、改めて尋ねてみたのだが……

『はぁ……』

何やら携帯の向こう側で酷く呆れたと言わんばかりに溜息を吐かれてしまった。何でやねん。

『……ねえ春海くん。春海くんは、わたし達にとって“吸血”がどんなものなのか分かる?』
「えっと、食事というか、栄養補給というか……ですよね?」
『それはそうなんだけど……』

うーん、と唸る忍さんの声が遠くなった。指先をコメカミに押し当てて考えている情景が目に浮かぶようである。
やがて適切な表現を見つけたのか、再び言葉を紡ぐ。

『ごめんね、これは昨日のわたしが説明不足だったかな……。───わたし達にとってね、「大勢の人の血を吸う」って行為は、言ってみれば“品が無い”ことなのよ』
「品がない……?」
『下品、と言っても良いくらいかな。……とにかく、わたし達って自分が心に決めたその人以外の血はあまり吸わないことにしてるの』
「ふむん」

僕はこれまで(と言っても一晩だけだが)、夜の一族にとって『吸血』という行為は食事と同義的なものだと思っていたのだが、忍さんの言う通りならば、友人や恋仲の間で交わし合う一種の儀式のようなものなのだろう。
それ故に、乱獲のような真似は忌避されるべきであり、少数のコミュニティでのみ行なわれるそうだ。もしかしたら、この辺りのルールも夜の一族の存在を秘匿するために創られたものなのかもしれないとのこと。

「……………………ええと」

というわけで、『夜の一族にとって、吸血とは心を許した人のみと交わす神聖な行為である』という前提の上で、僕は改めて今朝のすずかとの会話を思い出してみた。











何故か体を縮こませてモジモジしながら言葉を紡ぐ彼女。


『───春海くんは、わたしが恭也さんの血を飲んでも……いいの?』


僕は、頬を赤くして横目でチラチラと伺うようにしているすずかに淡く微笑み───、





「別にいいけど?」










「これはひどい」

思わず乾いた声が出た。

『うん。わたしが言えることじゃないかもだけど、それはないね』

鬼畜の所業だよー、と面白がるような声で死ぬほどキツイ酷評を入れる忍さん。すずかの姉たる彼女からしても、これはギルティー(有罪判決)だったらしい。そりゃそうだ。

我がことながら、これはない。滅茶苦茶露骨にアピールしてるじゃん、すずかのやつ。

「あー……」

どことなく僕的にまずい流れになりつつあるので、必死に考えて解決策を提案する。

「と、とりあえず、すずかには僕の血を吸ってもらうという方向性でどうでしょう……?」

すずかが言っていたのは、つまりはそういうことなのだろうし。

『んー、あの子の姉としてはそうしてくれると嬉しいけど、そこはあくまで春海くんにお任せ。姉妹とは言え、部外者が口出しして良い領域じゃないだろうし。わたしの意見で君の意志を曲げちゃってもいけないもの』

それにしても……、と忍さんは言葉を繋いで。

『……今さらだけど、春海くんってなんでそんな今まで通りなの?』
「え?……と、いうと?」
『君が、……その、何て言ったっけ?……霊能力者?みたいなものだってことは昨日聞いたけど、……仮にそういう下地があるのだとしても、わたしたちが異常な力を持っていることや血を吸うこと、あまりに簡単に受け入れすぎてないかしら?』
「それは───」


───実は初めて会ったとき(およそ1年前)から気付いてました!!


(なんて言えるわけねぇー……)

そんな夜の一族の秘匿原理を根底から木っ端微塵にしてしまうような事実。バレたら忍さん達はともかく、他の夜の一族の人たちからどんな対処を取られるかなんて考えたくもない。
ので、ここは誤魔化しの一手である。

「まあ昨日も言いましたけど、僕も不思議な術ってだけなら沢山使えますしね。中には、それこそ術者の血液が必要になるものも幾つかありますし」

5年前に葛花と初めて契約した際も、僕は彼女に自分の血を舐めさせている。今さら血を吸う云々程度で騒ぎたてるものでもないのだ。
その旨を電話の向こうに居る忍さんに軽く説明すると。

『へぇ~、……葛花っていうのは、きつね2号だっけ? 昨日女の子の姿に変身してた』
「1号が久遠ちゃんなら、そうですね」
『あの2人もおもしろいよねー。人の姿でキツネ耳を生やしてたトコなんか知り合いにそっくりだったし』
「どんな知り合いですか……」

いつか士郎さんも言っていたが、動物の耳を生やした人ってそんなに数が居るのだろうか。一般的に見ても絶滅危惧種クラスで珍しい部類だと思うのだが……。

そんな風に僕が呆れ混じりでこの街の魔窟具合にゲンナリしていると、

『ま、とにかく』

そんな言葉と共に忍さんが話の締めに入る。
気が付けば電話を始めてからもう10分くらい話し込んでいた。さすがに長話が過ぎたか。

『春海くんには、夜の一族としてすずかをどうこうして貰おうなんて全く考えてないから、そのことだけは心配しないで。君もそこまで重く受け止めなくてだいじょうぶよ』
「すみません、ありがとうございます」
『でも……』

と。
ここで彼女の声が心なし小さくなる。

昨日から何度も聞いた、月村すずかの“姉”としての声。

『できれば、あの子のことは裏切らないであげて』
「……………………」
『すずかはこれから君にすっごく甘えると思う。ただ甘えるだけじゃなくて、ワガママを言って困らせたり、やりたいことに引っ張り回したり……本当に小さな子供みたいに、あなたに迷惑をかけるわ』
「……よくわかりますね」
『そりゃそうよ』

わたしもそうだもの、なんて笑い混じりに言う忍さんの声は、本当に優しげで。

『───だから、ね』

そこに居たのは、どこまでも妹のことを心配する姉の姿。



『妹のことを、どうかよろしくお願いします』



電話の向こうで、見えもしないのに目を伏せ頭を下げている忍さんを幻視したような気がする。
少なくとも、彼女の声にはそれだけの真摯な気持ちが込められていた。

……だからこそ。

「───こちらこそ」

僕も、見えもしないのに電話を耳に押し当てたまま頭を垂れる。
口から出る言葉に精一杯の気持ちを乗せる。

返答は、既に決まっていた。



「すずかさんにも忍さんにも迷惑ばかり掛けると思いますが、どうかよろしくお願いします」













『───ンッ、じゃあ真面目な話はここまで!』
「ですね」

一転、さっきまでの重苦しい雰囲気なんて無かったかのように僕と忍さん両方の声で空気をブッチする。この辺、どちらもシリアスは苦手だから仕方ない。

ということで、ここから先は日常会話。

『そういえば、春海くんって今日はうちに来れそう? 恭也もいるし、春海くんが来てくれれば何だかんだですずかも喜ぶけど』
「あ、すみません。すずかにも訊かれましたけど、今日は海鳴病院のほうにちょっと用事が」
『あら、……もしかして、朝あの子にもらったケガ?』
「ああっ違います違います!」

申し訳なさげな忍さんの声を、慌てて否定する。

「もともと病院に行く予定の日だったんですよ。それも怪我や病気じゃなくて、マッサージというか、……まあ整体ってヤツです」

言うまでもなく、20代らしいのに中学生にしか見えないあのロリ女医さん───フィリス・矢沢先生による呼び出しである。
フィリス先生と知り合ってからというもの、彼女が暇な時間帯を教えてもらって何度かマッサージや整体をしてもらっているのだ。…………無料で。

いや、診察料払うと言っても受け取ってくれないんだよなぁ。
おまけに診察後にはよくココアもご馳走になって駄弁ってるし。

贅沢な話になってしまうが、士郎さんと言い、愛さんと言い、フィリス先生と言い、もうちょっと金に汚くになってくれないかなー……、こっちとしても申し訳ないというか、借りが溜まっていく一方に感じられて仕方がないのだ。子供の僕に出来ることと言えば訪問時にお土産もって行くぐらいしかない上に、それも毎回やるとただの迷惑だし。

いや、まあ、向こうからすれば7歳の小学生からお金を貰うなんてとんでもないって感じの至極真っ当な考えなんだろうけど、ねぇ?


閑話休題。


「そんなわけで、今日のところは残念ですが」
『そっか。だったら明日の土曜日なんかどう? 一度那美も呼んで、うちの事情を知ってるメンバーでお茶会でもしようかな、って考えてるけど』
「土日はどっちも空いてるので、そういうことなら大丈夫です」
『なら決まりね。おいしいお菓子も準備して待ってるから、楽しみにしておいてね』
「はい。……今日はホント、ありがとうございました」
『ううん。わたしこそ、君と話せて楽しかったわ。どうもありがと♪』

そうして互いに簡潔な別れの挨拶を告げ、電話を終える。切った携帯をそのままポケットへ。

「……………………」

ふと聞こえてくる喧騒に視線を向けると、本日卒業した最上級生たちが各々の保護者と共に、門のところで自由に写真を撮っていた。胸元に花を飾る彼等・彼女等の大部分はこのままエスカレーター式に中等部へと移籍するだけだが、それでも中には聖祥を離れる子も居るのだろう、みんな笑顔を浮かべる集団の中にはポツリポツリと別れを惜しみ泣きじゃくる姿が見えた。

「……………………はぁ」

それを見て、景色にそぐわぬ溜息一つ。

あのような僕の力の及ばない光景を見てしまうと、自分という存在が酷くちっぽけなものに思えてしまう。いや、事実ちっぽけな存在なのだろうけど。
僕が何処でどんなことをしても、それは世界中の人間の殆どにとっては何の関係もないことだ。

僕の行動が世界に何かを為すわけでなく。
僕の成果が世界に何かを残すわけでもない。

小さな僕が起こした因が、回り回って果に行き着く。ただ其れだけの因果を成すために、一体どれほど途方もない労力が必要なのだろう。

つまり、僕が何を言いたいのかというと……





「明日どうやってすずかに謝るかなー……」





───お姫様のご機嫌取りはどうすればいいんだろう、って話である。

「というか忍さん、結局答えてくれてなかったし………」

それともこれはそのくらい自分で考えろという彼女なりのメッセージなのだろうか?

「はぁ……」

そう遠くない未来(明日)を想い患い、僕はノスタルジックに溜息を零した。あ、写真を撮ってくれ? ええ、大丈夫ですよ。ご卒業おめでとうございます。笑って笑ってー。はいっ、チーズ。おーっ、いい笑顔ですねー。


……泣いた子供は、案外すぐに泣き止むことを知った7歳の春でした。















(あとがき)
原作メインヒロインの眼鏡さんは犠牲になったのだよ。リリカルと商業的人気投票の犠牲に。
ということで第二十一話の1、投稿完了しました。資格試験の勉強中の篠 航路です。正直試験舐めてましたごめんなさい。

てな感じで今回の内容は夜の一族の秘密を明かしてすずかがどうなったのかと、それに対する忍さんの心情。やっぱり兄弟姉妹は仲良くないとね、というのが作者のジャスティス。
冒頭ですずかが鼻血吸い出したときはどうなるかと思いましたが、なんとか思い通りの展開に持って行けて一安心。……いや、当初の予定では舌を噛んで口の中が血ダラの春海に口付けるすずか、というラブコメチックな流れにするつもりだったのに何故こんなことに。キャラ勝手に動き過ぎだろと。そして話がいまいちシリアスになり切らない主人公に乾杯。作者はそんな主人公が大好きです。

前回はたくさんの感想、どうもありがとうございました。パソコンの前でニヤニヤしっぱなしで傍から見たらすっごく気持ち悪かったとおもいます(笑)。あんな露骨な感想要求に応えて下さった読者の皆さま方、そして「こんなの感想書くまでもないぜw」だった皆さまも、色んな意味でノロノロとした作品ではございますが、これからもどうかよろしくお願いします。

……が。申し訳ありません、次の更新はかなり遅くなる可能性が大だったり。いや本当にすみません。あとがきの最初に書いた通り、正直資格試験の勉強舐めてました。本気でやばーいです。
というわけでしばらくはそちらに専念したいと思いますので、次の投稿はもう少々お待ち下さい。

では。





[29543] 第二十一話 甘えと笑顔は信頼の別名 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/08/11 14:55
忍さんとの電話も終え、さざなみ寮で久遠ちゃんのご飯をタカッたらしい葛花と合流し(いや、久遠ちゃん、本当にごめん。今度お菓子もって行くから)、やってきました此処は海鳴大学付属病院、通称『海鳴病院』。
既に本日のマッサージも済ませ、現在の場所はたくさんの緑に囲まれた中庭のベンチ。視界のうちに見える患者やそれに付き添うナースの人たちの顔には病院という場には似合わぬ、しかし実にのびのびとした笑顔が浮かんでいた。

僕が居るのは、そんな中庭の端にある花壇の傍に備え付けられているベンチの内の一つだった。

「いいお天気ですね~」
「そっすねー」

隣に座っているフィリス先生が降り注ぐ日差しに気持ちよさそうに目を細め、僕もその言葉に相槌を打って同意する。

フィリス先生も今はちょうど休憩時間のようで、それにお付き合いする形で僕も同席させてもらっていた。……まあ、そもそも同席を頼んできたのは彼女からなのだが。
そして、仮にも成人した大人の女性であるところのフィリス先生が小学生相手にそんなお誘いを掛けた理由と云うのが、

「葛花ちゃんも、気持ちいいですか~?」
『ふん。……ま、撫で心地は及第点じゃ』
「よかった♪」

───揃えた彼女の膝の上で寝そべっている葛花を、実に幸せそうに撫でている所から御察し頂けると思う。

実はこちらにおわすフィリス先生、本人の性格や気性に似合わず近づいた動物から尽く嫌われてしまうという残念体質の持ち主なのだとか。中でも猫からは凄まじいまでの嫌われようで、彼女が撫でようと手を伸ばすと例外なく暴れ狂ってしまうらしい。
一方で彼女の姉たるリスティのほうは逆に向こうから寄ってくるほどの動物受けをする体質だというのだから、ほんと、色んな意味で対称的な美人姉妹だこと。ある意味つり合いが取れていると言えなくもないけど。

と、いうわけで。

「はぁ~、本当にかわいい♪」

普段コミュニケーション不足になってしまっている動物(霊だけど)とのふれあいを存分に堪能する若き女医師(御歳 21歳、外見年齢 中学生)の姿が、ここ海鳴病院の中庭で見られていた。緩んだ頬をうっすらと赤く染めて大層ご満悦な様子である。


───ただ、少し考えてみて欲しい。


いま僕たちが居るのは海鳴病院の、さらにその中庭。時間帯も午後の2時を半分ほど回ったところで、空から照りつける太陽がまだまだ頑張っている頃合い。当然ながら、そんな気持ちの良い日光浴スポットに春先の陽気を目的とした入院患者の皆さま方が集わぬはずもなく、周囲にはパジャマやナース服姿の人々が幾人も見られた。……まあ要するに。



(───見られてる見られてる。すっごい見られてる)



ホクホク顔で動物を撫でまわすフィリス先生の姿は、周囲からものすごく注目を集めていたり。

元よりキラキラと光を反射する眩く見事な銀髪と、童顔ながらに整った容姿を持つ彼女のこと。白衣という病院においては比較的ポピュラーな衣服に身を包んでいたところで注目の視線を集めることは避けようもない事態である。
ましてや、そんなフィリス先生がこんな見晴らしの良い中庭で歳甲斐もなく熱心に動物とふれあっているのだ。これで注目されない訳がない。

とはいうものの、注目されるだけなら別に問題もないのだが……、

(……なんという生温かい視線)

なんか、非常にほっこりした空気が流れていた。

というか僕も最近気づいたのだが、本人の純朴な性格と幼い容姿がご年輩の方々にウケているのか、海鳴病院のご老人連中やナースさん達の間でフィリス先生は子供扱い(可愛がられる的な意味で)されているようだ。
そんな彼女に向けられているのは、まるで孫娘を見守る年寄りのごとく生温かい類の視線。これが異性としての無遠慮な興味本位の視線ならバッサリと無視したり、彼女を連れて場所を移動したりと云った対処も取れるのだが……そんな気配が一切感じられない所がまた哀れみを誘うなぁ……

「……ん?」

そんな失礼な事を考えながら何となく周りを観察していると、ふと、其処らを歩いているナースの1人と目が合った。けっこうな美人さんだ。
僕に見られていることに気が付いた彼女はニッコリとやけに楽しげな笑顔を浮かべ、

「…………」(グ!)

……なにやらウィンクと一緒に右手を掲げて親指を立てられてしまった。

見れば、周りの患者さんやお医者さんたちも無駄に爽やかに笑いながら何度も頷いている。どうやら年甲斐もなく油断しているフィリス先生を拝めて彼等もご満悦らしい。葛花を連れてきた僕のことを称えているようだ。

「…………」(グ!)
「どうしたんですか、春海くん?」

とりあえずそんな彼等にこちらもサムズアップを返していると、そんな僕を不思議に思ったフィリス先生が首を傾げていた。

「いえ、ちょっと世代や性別を超えた友情を確認を。……それにしても、本当に楽しそうに撫でますね。見てるだけでこっちもお腹いっぱいになりそうです」
「あ、そ、そうかな?……でも、やっぱりこうして動物とふれあえるのは楽しいから。わたし、動物には普段から嫌われてばっかりだもの」
「そこまで酷いんですか?」
「それはもう、と~っても。この間なんか父さんが育ててる植木鉢のすぐ傍で暴れだすものから……」

そこで弱ったような顔をして言葉を切るフィリス先生。当時おこった惨劇を思い出してしまったらしい。

「それに、それだけなら……まあ、ちょっと落ち込むくらいで済むんだけど……」
「……ん?」

フィリス先生の話を聞いていると、視界の端に何かが映ったような気がした。
なので彼女の話に耳を傾けながらながらそちらに目を向けて。

「おお……」

“それ”を見た自分の口から、呆れとも感嘆とも着かない声が漏れてしまった。

───にゃー。
───にゃーにゃー。
───にゃーにゃーにゃーにゃー。

その僕の視界の中に入ってきたのは、猫、猫、猫。確かに海鳴市はやたら野良猫が多い土地で、それは海鳴病院の敷地内にも言えることだし、探せば猫の1匹や2匹簡単に見つかることだろう。
だが、それにしても多い。数えてみれば5、6匹は普通にいた。多分あれ、海鳴病院にいる全ての野良猫じゃなかろうか。この場にすずかがいたら狂喜乱舞すること請け合いである。

そして、そんな猫たちの先頭、そのボスポジションに戸惑う様子もなく無駄に我がもの顔で闊歩している女が一人

「やっほー、フィリス。タカりに来たぞー」

───やはりというか、何というか、そんなどうしようもない第一声と共に現れたのは、フィリス先生の姉であり恥ずかしながら我が友人でもある、リスティ槙原さんでした。

そんな姉を見たフィリス先生が、きゅっと可愛らしく頬を膨らませる。

「……あんなふうに会う度に見せびらかすみたいにしてるあの子を見てると、もう悔しいやら空しいやら……!」
「あー……」

まるで対抗するように膝の上にいる葛花を抱きしめた彼女に、僕は何も言えず。

「ん?」

当の元凶は、そんな自分の妹の様子に心の底から不思議そうに首を傾げていたのだった。





やってきたリスティを交えて、僕等は改めて雑談を交わす。リスティにもベンチで座るよう勧めたのだが、ちょっと立ち寄っただけと断られて彼女は傍にある木に立って寄りかかっている。
ちなみにリスティが連れてきた猫たちはフィリス先生が近づくと一目散に逃げ去ってしまい、そのことに落ち込んた彼女を僕が必死に慰めたり宥め透かしたりと云った一幕もあったのだが、関係ないので割愛。というか葛花とリスティも手伝えよ。

「春海のところの卒業式は今日だっけ?」
「ん? ああ。特に知り合いもいないし、うちはエスカレーター式に中等部に繰り上がるだけだから感慨も何もあったもんじゃないけどな」

というか、そもそも卒業式に出席するのは5,6年生だけなので低学年たちは暇なものである。

そんな僕たちの会話に、隣に座ったフィリス先生が葛花を撫でながら懐かしげに笑みを深める。

「学校かぁ……ちょっと前まで通ってたはずなのに、もうずいぶん昔のことみたいに感じるなー」
「まあ、それだけ今の生活が充実してる証拠でしょうね」

昔を懐かしむにしても、心の余裕というものは必須なのだろう。そう思いながら、感慨深げな彼女の呟きに僕は同意を込めて返した。

「ねえ、リスティ」
「ん?」

僕がそんな詮無いことを考えていると、フィリス先生が何事か気になったらしく、火のない煙草を口元で遊ばせながら木に寄りかかっている自分の姉に尋ねる。

「そういえば、今日はどうして来たの? お仕事は?」
「とある紛失物の捜索、その途中だよ」
「いや、サボってんじゃん」

仕事しろよ、警察官。

僕と同じことを思ったのか、隣の妹さんもジトーとした眼差しで目の前のぐーたら警察官を睨む。社会人としても姉妹としても、先のリスティの発言は看過できないらしい。
まあ、僕としては他人に迷惑をかけなければ別にサボろうが命令違反しようが何ら気にするつもりはないのだ。ただ、同時にリスティ本人がわざわざこの場でそれを口に出した以上、ここに来ようと思った何らかの理由があったことも理解できるわけで。

その用件先が自分の妹なのか、それとも───。

「もともとこの近くが捜索の範囲内なんだよ。で、ボクのお目当ての人物がフィリスと一緒にいるみたいだったから、そのついでに、ね?」

細めた目でこちらを見据えている様を見れば、彼女が誰を目当てにしていたのかは聞くまでもなかったけど。

「それで、何の用だ?」
「単刀直入に訊くけど、昨日の夜なにがあったの?」
「…………」

…………。いやいや。いやいやいや。

「いきなり、なんで?」

焦りながらも、ぶつ切りの言葉で何とか問い返す。

いや、本当になんでだ。いくら一緒に暮らしている那美ちゃんが急に月村家に外泊したとしても、わざわざ僕を訪ねるほど不審なことではないだろう。監視してた訳でもあるまいし。質問の内容からして月村家での一件のすべてが伝わっているわけではなさそうだが、それでもわざわざ他人に確かめるものではない。というか、そうでなくとも情報が早すぎないか?

僕が困惑半分疑問半分にそう思っていると、当のリスティがあっさりと答えた。

「いやだって、今朝の那美があからさまに挙動不審だったから」

那美ちゃーーーん!!? いくらなんでも情報漏洩早くない!? いや、またぞろリスティのことだから抉り込むようないやらしい訊き方されたとかなんだろうけどさ!? それでも君はもうちょっと出来る子だと思ってたなぁ僕!

『あの巫女娘、記憶消されたほうが色んな意味で良かったのではないか。本人にとっても、ツキムラの家にとっても』
<まあ確かに那美ちゃんも、平気な顔して他人に嘘をつけるような人間ではないけどさぁ……>

そもそも僕の周りは全員そんな感じだが。いま目の前に立っている警察官以外。

「何か失礼なこと考えてない?」
「滅相も御座いません」

超能力使うまでもなく鋭いし。

「それで? 何があったの?」

目を逸らす僕に頓着もせず、彼女にしてはやけに喰いつき気味に言葉を重ねるリスティ。

(…………?)

それにしても、なぜ彼女がここまで追求するのだろうか? 繰り返すことになるが、同じ寮の住人が外泊した程度で事実を確かめるためにわざわざ他人を訪ねてくるなんて、些か過保護が過ぎないか? 
そりゃあ那美ちゃんの仕事に僕を巻き込んだ張本人は彼女だ。そのくらいにはリスティも那美ちゃんを目に掛けているであろうことは想像に難くない。

しかし、それにしたって、自分の職務を中断してまで訪ねてくるとか明らかにやり過ぎの部類だろう。

その那美ちゃんにしたところで、昨夜の一件は霊能関係の仕事の中途(正確には仕事が終わった後だが)で起こったことだ。なればこそリスティも職に携わる大人として、自ら深くまで関わるような“余計な真似”をするはずがない。

(そのあたりの匙加減を見誤るような奴ではない筈なんだけどな……?)

それとも彼女の言う『今朝の那美ちゃんの反応』は、そんなリスティをして動かざるを得ないほどに挙動不審なものだったのだろうか?……あ、なんかそんな気がしてきた。

ともあれ。



「───ノーコメント、だ」
「…………」



彼女には悪いが、『夜の一族』や月村家の事情を考えると僕が正直に答えられる問いではない。それは忍さんやすずか達に対してあまりに不義理が過ぎる。

また、ここで嘘を吐いて何事もなかったように振る舞うことは確かに可能なのだろうが、リスティとしてもこうしてわざわざ会いに来ている以上、そう簡単に誤魔化されるつもりもないだろう。それどころか下手に嘘を重ねて不審を抱かれ、読心で『夜の一族』のことを知られては目も当てられない。
そして同時に、この場でそのことを説明する訳にもいかない。僕とリスティの間には、今も「?」を浮かべて僕等の会話を窺っているフィリス先生が居るのだから。ここで理由一つ一つを懇切丁寧に話してしまうと、フィリス先生にまで疑念を持たせることになりかねず、それこそ本末転倒である。

それらの点を踏まえた上での「ノーコメント」だ。

この言葉から何かあったことは悟られてしまうが、それと一緒にこちらがそれを言えない状況にあるという意図も伝わる。“あの”那美ちゃんが隠していたという事実も相俟って、それに気付けないリスティではないだろう。
同時にフィリス先生本人には気付かれないように、フィリス先生のほうへと視線を数瞬だけスライドさせることで、『“この場”で話すわけにはいかない』ことを仕草で強調しておく。

通常なら何の口裏合わせもなくここまで細かい意図を伝えるなんてかなりの難事だが、リスティに限っては殆ど問題ない。変異性遺伝子障害の罹患者は常人を犬猫扱いするほどの知能指数であるらしいし、そうでなくても彼女の頭の回転の速さはここ半年の付き合いでも十分に思い知っている。
まあ反面、それでも同じく変異性遺伝子障害者であるフィリス先生にバレてしまう可能性だって無きにしも非ずなのだが……うん。たぶん大丈夫じゃない? 主に本人たちの性格面で。

そんなわけで、傍から見れば怪しさ満点のこちらの言動を横目で睨むようにして確認していたリスティは、やがては器用に咥えタバコのままで嘆息し、

「……しょうがないなぁ」
「リスティさんマジ惚れる」
「はいはい。ボクも春海のこと大好きだよー」

以心伝心って素晴らしいね。ほぼ力技だから超肩が凝るけど。

「え? ええ?」

そして、そんな僕達のやり取りを見守っていたフィリス先生は唐突な話の転換に戸惑い、

『あほらし』

彼女の膝の上で眼を閉じていた葛花が、妙に不機嫌な声でボソリと呟いた。……不機嫌?





と、いうことで。

「春海は今日も整体?」
「まぁな」

どうにか話題の危険区域を抜けたと思っていた僕にリスティが改めて話題を投げかけ、それに対して気疲れのため妙におざなりになってしまった声色で答える。
体力的にはともかく、気分的には魔王城の第一関門を突破した勇者なので特に間違ってない。各関門で待ち受けているのが残らず魔王本人な辺り、難易度的にはムリゲー通りこして最早クソゲーの域だが。

「あんな関節が逆に曲がりそうなものに、よくもまあ真面目に通ってるなー」
「ちょっとリスティ! それどういう意味よっ?」

自分の姉のあんまりと言えばあんまりな言葉に、フィリス先生が即座に喰ってかかる。

「いやー、つぎ断ったら自宅に押しかけるって言われたら、ねぇ?」
「春海くんまでっ!? も、元はといえば春海くんが3回も断るからでしょ! ただでさえ体が出来あがってないのに無理な訓練してるから、あちこちに疲労が溜まってるって何度も言ってるのに……!」

ぶんぶんと腕を振り回して怒りを露わにする見た目中学生。そうするとますます子供っぽくなるのだが、それでも本人は(一応)真面目そのもの。側に座っている僕は思わず上半身を反らせて彼女から距離を取る。

「訓練の密度を減らしてくれないから、せめて頻繁にマッサージしなくちゃいけないのにっ」
「痛いの嫌なんですけど……」
「ならもっと自分の身体を大切にしてください!」

至極ごもっとも。

いつになく形の良い眉を逆立てて叱り飛ばすフィリス先生に僕は口答えを止め、引き攣り気味の愛想笑いを浮かべながらペコペコと何度も頭を下げる。気分的には台風が過ぎるのを待つ被災者である。

「まぁまぁ、フィリスもそのくらいにしてあげなよ。春海も反省……はしてなさそうだけど、悪いとは思ってるみたいだし」

そんな僕を哀れに感じたのか、木を背もたれにしているリスティが説教モードに入った妹さんを取りなしてくれた。こちらの心情の内訳を完璧に読み切っているあたり流石の一言だ。

「仕方ないなぁ、……次からは呼んだらちゃんと来てくださいね?」
「あー……善処します」
「そういうときは素直に『来ます』でいいの、まったくもうっ」

僕の返答を聞いたフィリス先生は呆れた風に溜息を一つ零すと、そのままいじけたように葛花を抱きしめてしまった。いやー申し訳ない。

リスティはそんな妹の様子に苦笑を一つ漏らして。

「それにしても、春海もなんでそこまで鍛えてるの?」
「ん?」

なんかいきなりな話題だな……いや、話の流れからそうでもないのか?
とりあえず訊かれたことに応える。

「質問の意図がいまいち理解できないけど、……まあそうだな、強いて言うなら退魔関係で後れを取らないため、だな」

引いては『目指せ、大往生!』という、涙が出そうなくらいこの上なく切実な至上命題があったりするのだが、それこそ他人に気軽に言うことではないのでこれに留めておいた。

「どうしたんだよ、いきなり?」
「いや、そもそも春海って今のうちからそこまで鍛える必要があるの?」
「?……と、言うと?」

質問の意味が解からず首を傾げる。そんな僕にリスティは、

「春海や那美が相手にするのって、言ってみれば幽霊とかオバケとか、そういう物理的なアプローチが不可能な“モノ”なんだよね? なら今みたいに特別体を鍛えなくても、それこそ那美と久遠のように春海は葛花を頼れば良いんじゃない?」

フィリス先生の膝にちょこんと座りこんでいる葛花を見ながら、何気ない口調でそう言った。

そう言うリスティとしては、その質問には何の意図も隠していないのだろう。ただ思いついたことを提案したのだと、その彼女の表情が物語っていた。

『…………』

話題の渦中にあるはずの葛花も、リスティからの言に殊更に反論する気はないようで、先までと変わることなく温かな陽気に対して自慢の尻尾をわっさわっさと振っている。

「んー、そうだなぁ」

この場で答えても良いのだが、そうしてしまうと、今度はようやく戻ってきた幼い女医さんの機嫌を刺激してしまう。ので、僕は現在進行形で日光浴を堪能している葛花へと念話を通して、

<……すまん、葛花>
『ふむ、……あとで甘味1個、じゃ』
<ああ、わかった。ごめんな>

そんな短いやりとりで全てを悟ってくれたのだろう。今の今までフィリス先生の膝を定位置にして微動だにしなかった葛花が、そこからぴょんっと跳び下り、そのまま向こう側の花壇近くまでトトトッと軽快に走り去ってしまう。

「あ、葛花さん!」

驚いて声をかけるフィリス先生に、僕はわざとらしさは微塵もない苦笑を作りながら、こう言った。



「ん、すみません、フィリス先生。ちょっとアイツに付き合ってやってくれませんか?」





**********





「で。僕が体を鍛える理由だったか」
「うん」

逃げまわる葛花を追い掛けているフィリスの「葛花さーん、待ってくださーい!」というやけに必死な声をBGMに、春海とリスティは和やかに歓談を続けていた。
お互いに笑顔さえ浮かべているのは、決して走りまわっているフィリスが微笑ましいからではない。あの子おもしれー、とか微塵も思ってない。

「まず前提から訂正しなきゃなんだが……、そもそも僕が剣術で想定している相手っていうのはちゃんと肉体を持った人間だよ。剣術に関してだけは、退魔関係ではあくまでついで。役に立ってくれれば儲けものって程度だ。……まあ、無理すれば霊を斬れないこともないんだけど、一応そっちは陰陽術だってあるわけだし。
そして一口に陰陽術と言っても、その大元に在るのは僕自身の身体。肉体と精神が密接に繋がり合っている以上、体を鍛えることはそのまま霊力を鍛えることにも繋がる」

率直に言うと、御神流を習うことは剣技の習得と共に、さらには霊力を扱うための下地となるべき身体を鍛えられることもできて一石二鳥なのである。
御神流自体も流派として永い年月を積み重ねてきただけあって、戦闘に適した身体づくりのための効率性はとても良い。少なくとも、春海と葛花の2人っきりで修業しているよりもよっぽど身に付くものが多かった。

「でもフィリスも言うように、それで体を壊したら本末転倒じゃない? まあ君のことだからその辺りは自己判断できるんだろうけど……ねえ、春海」
「ん?」

反論とも疑問ともつかない言葉を重ねている内に、ふと何かに気付いたように呼びかける銀髪の警察官。

「剣術は人間を想定してるって言ったけど、それだってさっきボクが言ったようにあの葛花に頼ればいいと思うんだけど。那美から聞いてるけど、葛花だって久遠みたいに相手を攻撃することは出来るんでしょ?」
「確かに出来ることには出来るんだが……」

自分の言葉に対して言い淀む春海。そんな彼の反応を不思議に思ったリスティが疑問を深めて小首を傾げた。

「何か問題でもあるの?」
「そうだなぁ、……問題になるのは主に2つ」

そう言って、彼はまず右手の人差し指をピッと立てた。

「一つは、葛花が霊体である点」

そうして春海が語ったのは、本来霊体であるはずの葛花が自分で肉体をもって戦うことへのデメリット。


───曰く、『葛花という霊に対して戦闘にも耐えられるほどの肉体ごと維持する“御霊降ろし”を行なうには、春海自身の霊力が全く足りていない』


そもそも霊体というものは希薄も希薄、極薄と云っても良い程の存在で、それは熱量を持つ葛花や十六夜といった規格外の霊であっても例外ではない。彼女たちの本質は、あくまでもそれぞれの寄り代(二人の場合は狐面や日本刀)に頼り切った儚いもの。出力自体は、彼女たち単体では簡単に底を見せてしまう。
例えて言うのなら、霊体の彼女たちはおもちゃの車にジェットエンジンを載せているようなものなのだ。補助もなく本来の力を使おうとすれば、あっという間に霊体そのものが崩壊してしまいかねない。

春海が施す“御霊降ろし”という術は、言わば、そんな葛花に対して身体という名の『機体』を与えるための術。
彼が補うのは、葛花という存在が持つ『力』の全てを支えるための土台。

そして。

そんなものは、生まれつき霊力の総量が多いとはいえ、まだまだ発展途上の春海1人で補いきれるものでは───ない。

そも、土台として春海自身の肉体そのものを貸与して尚、葛花が全力を出すにはまるで足りないのだ。霊力などという個人でまかなえるエネルギー程度でどうして補いきれようか。


そんな自身の弱点まで詳細に語ったわけではないが、リスティが納得できるであろう必要最低限の説明を春海はする。

「へぇー、霊もそこまで便利なものではないんだ」
「こういう言い方するのも何だけど、もとより異質・異物って言っても過言じゃないくらい不自然な存在だからなー。それを無理矢理この世界に繋ぎ止めてるんだ。必要になる力は並大抵のものじゃないさ」

姿に似合わず、しかし異様に堂の入った仕草で肩を竦める小学一年。そんな相手の様子に苦笑を漏らしつつ彼女は残ったもう一方を催促した。

「それで、2つ目は?」
「ああ、霊体のままの葛花が持つスキルの内、相手の無力化に転用できそうなものに『憑依』がある訳だが……ま、それだって万能には程遠いしな」

そう言って、人差し指に続き今度は中指をピッと立てた。


───曰く、『葛花の憑依能力は相手が自失状態にないと効果がない』


これは以前にも説明したことであるが、葛花が普段使っている『憑依』という能力には一種の制限があり、それは“憑依する際に対象の意識がある場合、最終的には対象の意識に追い出されてしまう”というもの。
故に、葛花が憑依を用いて敵を無効化するには事前に相手を気絶させるか、もしくは抵抗する気もなくなってしまう程に相手をボッコボコにするしかなくなってくるのだが……当たり前ながらそれをするのは生身の春海自身であり、結局のところ本末転倒でしかないのである。


「───と、まあ。以上の点から、僕は葛花に頼りっきりにならないように自分の体を鍛える必要がある訳だ」
「なるほど……春海、ちょっと待った」

と。ここで、それまで腕を組んだまま黙って耳を傾けていたリスティが待ったを掛けた。

「おかしくない?」
「なにが?」
「だって、単に体を鍛えるだけならフィリスの奴にお説教されるまで無茶する必要は無いだろう? 春海からすれば体を鍛えるついでに剣術も、って感じなのかもしれないけど……それでも、あいつがあそこまで言うなんて、やっぱりやり過ぎの部類だよ」
「それは、ほら、僕が習ってる御神流って特別厳しい流派だし」

なんだそんなことか、と言わんばかりにさらりと返す小学1年生。しかし、傍から見れば自然なその様は、明敏な彼女の目には誤魔化しと映ったようだった。

「……翠屋の主人や子供たちとは那美や美緒経由で何度か会ったことあるけど、小学一年生の体に悪影響を出すほど無理な訓練を課す人間には見えないなぁ」
「ぐ……」

ボソリと呟くような自分の弁に、対面に座している少年が僅かに呻きのような声音を上げる。
聞きとるでもなく感じとった綻びに、リスティの瞳にギラリと妖しい光が宿った。形の良い口元がニィッと釣り上がる。

「ほらほら、なんでなの? もうネタは上がってるぞ?」
「あ~、と……」

おもしろがるように……というより、事実おもしろがりながら追及の言葉を重ねる銀髪美女から目を逸らし、何とか誤魔化そうと試みる。しかし口から出るのは意味のない声ばかり。そして、そんな春海の表情はますますリスティの興味を惹いてしまうという(春海にとっての)負のスパイラル。



もっとも、ここで春海が無言無表情に徹するようだったなら、リスティも面白がって追及を深めるようなことはしなかったに違いない。
彼女は自身の頭脳における異質さを理解しており、そしてそれは時として他人の本当に隠したい事実まで暴いてしまいかねないことも十分に理解している。


異端とされる力を持つには、相応の分を弁えなければならない。

不躾に他者の領分へと踏み入った慮外者を待つのは、正当な拒絶なのだから。


転じて、目の前の少年───男はどうだろうか。


どうにも本人に自覚は無いようなのだが、実のところ眼前の友人はかなりの気遣い屋だった。初対面のときの美緒への対応もそうだし、それからの那美との仕事ぶりや、さざなみ寮に住む他の住人との付き合い方を見ても、それは明らかだった。
単なる本人の気性・気質だと言われればそれまでなのだが、自分のように他者の頭の中を覗き見できてしまうような者にまでそれを当て嵌めてしまう彼の思考回路は一体どうなっているのか。さざなみ寮の同居人たちと同様なその様に、正直、興味は尽きない。

挙動不審に目を逸らしている今の様子もそうだ。突っ込まれたくないことならちゃんと拒絶すれば良いのに、そしてそれを出来るだけの胆力も機転も持ち合わせているくせに、わざわざ“それらしい”仕草をすることで(彼自身にその自覚は微塵もないのだろうが)、こちらに対して「ここまでなら踏み込んで来ても大丈夫だぞ」と言外にアピールしてしまっている。それで困るのは、正しく彼本人だろうに。

つまるところ、目の前の友人はコミュニケーションスキルがずば抜けて高いのだ。
自身の発する言葉の、そして仕草の一つ一つに自身の内面にある、伝えたい『意味』を余さず込めている。───例えそれが、意識的であれ、無意識的であれ。

(……ほんと、一体どんな人間関係のなかで育てば、こんな七面倒臭い性格になるんだろう)

中庭に幾本かある木の一本に背を持たせ、わずかな苦笑を表情に混ぜて考える。当たり前ながら彼女の常人離れした頭でも易々と答えは出てくれなかったが。

ともあれ。

「それは、だな。え~っと……」
「ふふっ、それは?」

今はそんな彼との会話を、素直に楽しんでおこう。そう思う。



そうして。

そんな風に思考を結んだ彼女に気づく余裕も無くしばらく言いよどんでいた春海ではあったが、そのような苦し紛れもやがては終わる。なんのかんのとリスティから思われていた彼の無意識の気遣いにしたところで、結局自分の首を絞めていることに変わりはないのだ。
このまま言い渋って、ないとは思うが万が一にもリスティが彼の思考を読んでしまうような事態になっては目も当てられない。そうなったら芋づる式に昨夜のことも読まれかねないのだから。

要するに、最初から春海に逃げ場なんてないのである。一応、物理的に逃げることも考えてはみたのだが、ベンチから腰を浮かした段階で足が動かなくなってしまった。どうやら目の前でニヒルを気取ったエスパーが超能力を使っているらしい。こんなことに無駄遣いするんじゃないと言いたい。

───やがて観念したのだろう、実にイヤな顔をしつつも、ボソリと小さく呟かれた声が彼の口から漏れ出る。


「……───かないだろ」
「え?」


すぐ目の前にいるリスティですら満足に聞き取れない程の声量。反射的に訊き返した彼女の方を見ることもなく、諦めたように嘆息して春海は再度口を開いた。





「───さすがに、さ。……いつまでも男が守られてばかりって訳には、いかないだろ」





目を逸らし、羞恥で頬を赤くし、出てくる声は2度目であってもなお小さなもの。

「……………………」

それでも、そんな言葉は目の前の彼女にはしっかりと届いたらしく、驚いたように目を丸くし、ポカンと形の良い口元を半開きにしたリスティ。
しばらく呆けように黙っていた彼女は、しかしすぐに我を取り戻したのか瞳に理解の色が浮かび、そして───。



「ぷ」



───小さく吹きだした。

「あはっ、あははははっ!」
「…………」

とうとう声まで張り上げて笑い出した友人を、春海は無言で睨みつける。笑うなと言ったところで、瞳に大粒の涙まで溜めて笑い転げている彼女には意味なんて微塵もないことは何となく解かっている。

彼にできるのは、ただ無言を貫いて屈辱に耐えるのみ。しかし、しかし。しかし、それでも───ッ!

「うふっ、はははっははっ、あははっ!」


───こいつ殴りてぇ。


「ご、ごめっ、ごめん……でも、だって春海が、くくッ、あははは!」
「…………」

彼の無言の抗議に気付いたのかリスティが謝るが、遂にはひきつけを起こしながらの謝罪にどんな意味があるのか。むしろ春海的には無い方がまだマシなくらいである。



結局、リスティの笑いは周囲の人間が向ける奇異の目に彼女自身が気づくまで続くのであった。










「ははは、───ふふっ」
「……気は済んだか馬鹿野郎」

ようやく落ち着いたのか、眼に涙をたくわえ頬を真っ赤にしたリスティが、徐々にだが声を修めた。
もっとも、それは春海からすれば正に今更であり、笑みを浮かべつつもピクピクと引き攣った口の端が彼の怒り具合を如実に表していたが。

「う、うん。ごめんごめん、おまたせ」
「心の底から待ってない」

断じて、である。

「だからごめんって。悪かったよ」
「か~~~っペッ!」

落ち着きを取り戻した彼女からの謝罪を春海は吐き捨てる。事実ニヤニヤと笑いながらされた謝罪は死ぬほど説得力に欠けていた。

そんな彼の様子を楽しげに眺めていたリスティが春海に語り掛ける。

「それにしても、なんだかんだで春海も男なんだね。───うん、ちょっと見なおしたな」
「いらん。それに結果が伴ってない時点でただのワガママと変わりねえよ」

彼女からの言葉を一刀両断に切り捨てる春海。そんな彼の態度に頓着するでなく、リスティは事も無げに切り返した。

「だから鍛えてるんでしょ? そこまで卑下することでもないと思うんだけどなあ」
「~~~ッ、だあもうッ!! うっせーうっせー! 僕より強い女に言われても嬉しくも何ともないわ!」

まるで弟を見守るような生温かい視線を向けてくるリスティに対して言い返すが、首元まで赤く染めて声を張り上げる様子は既にヤケクソのそれである。

実際、春海はここ半年の間にリスティがしている超能力の訓練を見る機会が一度だけあったが、それは春海では到底立ち打ちできそうにもない凄まじいものだったのだ。というより、彼としては超能力による投擲の速度だけで白熱化する石を見て、一体どう対処しろと言うのかと問いたい。あんなものに対抗できるのは春海の知る限り葛花くらいなものである。

「この話はここまでだ! 葛花のヤツにも絶対に言うなよ!! いいな?!」
「……。ああ、絶対に押すなよってヤツ?」
「フリではねえよ!」

相手を指差し叫んだ男。そんな彼をあしらうようにして頷いた彼女の楽しげな声でこの話は結ばれたのだった。





**********





『……カカッ、愛いヤツ愛いヤツ』
「ど、どうしたんですか、葛花さん? そんなにソワソワして……」
『ふふん、気にするな。儂はいつも絶好調じゃ』
「そ、そうですか?」
『うむ』

なら良いんですけど……。

「…………」
『…………』(わっさわっさわっさわっさ)

……葛花さんのしっぽがすごい速さでわさわさしてます。

『……むふふ』

むふふとか言っちゃってます……!

『もーっ、相変わらずお前様はめんこいやっちゃのぉー!』

前足で地面をぺたんぺたん叩いて悶えてます! やだっ、すっごくかわいい!!……ハァ、やっぱり動物さん飼いたいなぁ。




**********





リスティに対して今回のことは絶対に口外しない(特に葛花に)という確約を取り付けた僕が落ち着きを取り戻したのはそれから少し後のことである。

「それで? 結局、なんでお前はわざわざ僕の所にまで昨日のこと確かめに来てんだよ?」
「あ。やっぱり気づいてた?」
「気づかでいか」

たまたま近くにいたとは言え、警察の仕事サボってまで会いに来てる時点で違和感バリバリじゃねえか。

「那美ちゃんから一応の説明はされてんだろ? いつものお前なら、ここまでして自分から首を突っ込んできたりしないよ」
「それもそうかな、……念のためもう一度訊くけど、昨日何があったの?」
「なら僕ももう一度言うけど、ノーコメントだ。悪いけど人に容易く言えることじゃないんだよ。本来なら墓の中まで持って逝かなければならない事柄でな」

思いのほか真剣に問うてきたリスティに、ならばとこちらも真面目に返す。決して、決っっっっして! さっきまでの流れを忘れてシリアスな空気に浸りたかった訳ではない。

「……そっか。ならよかった。いろいろ詮索して悪かったね」

『よかった』?……どういうことだ?

「いや、気にすんな。こっちもすまん。……にしても、お前もなんでそこまでこだわったんだ? こう言っちゃなんだが、正直リスティのキャラじゃないだろ?」
「いやまあ、お節介してる自覚はあるけどね。それでも、ちょっと気になったというか何というか……」

僕からの疑問に、らしくもなく言葉を濁して言い淀むリスティ。そんな彼女の様子を不思議に思う。
うーむ、リスティにしてはいまいちハッキリしない。……少し、探りを入れてみるか。

別にさっきの仕返しではない。断じて。

と。いうわけで。

「ふーん。それでー、なんでー、リスティさんはー、わざわざこんな所にまで確かめに来たんですかー?(棒」

僕は内心非常に、ひっじょーに申し訳なく思いながらもリスティに訊き返した。いやー、ほんとにざんねんですー。ぼくもできればききたくなかったのにー(棒

「う……そ、それは、ね」

───……?

今更ながら、ここまで言い淀むリスティに対して疑問の念が湧いてくる。
傍若無人を地で行く彼女がこれほど答えることを躊躇うなんて、一体どんな理由があるんだ?

そして、僕は本当にこれに対して踏み込んで良いのか? ひょっとしたら、彼女にとってこれは出来ることなら訊いて欲しくない、踏み込んで欲しくない事柄ではないのだろうか? 安易に踏み込むことで、リスティを困らせてしまうのではないだろうか?───そんな、そんな、……ッ!



「ふーん、へぇー、ほぉー、それってぇー、なんでですかー? ぼく、ちょー気になるんですけどー」



───訊かないわけにはいかないじゃないですかー、やだー。



そんな感じに僕が内心忸怩たる思いで(←ここ重要)自身の心情を吐露していると、目の前には何故か額に青筋浮かべてプルプル震えるリスティさんが。
ただ、同時に誤魔化しきれないことも薄々悟ったのだろう。どこか躊躇いを感じさせつつも答えた。

相も変わらず、攻められるのに弱いヤツである。

「……ほら。ボクって、春海がほんとは大人だってこと知ってるでしょ」
「まあ、そうだな」
「で。昨日の夜、那美はそんな男と仕事に出かけて」
「そんなってどういう意味だよ、おい」

いや、別にいいけどさ。

「そして那美は帰らず、返ってきたのは深夜に一本の電話」
「うん」

……ん?

なにやら話がおかしな方向にシフトし始めてるような気が……心なしか目の前でこちらと視線を合わせようとしないリスティの頬が少し紅潮している感じもする。

「それで、さ」

そうして一度躊躇うように言葉を区切ったリスティが、意を決したようにこちらを見つめて。



「まあ、……深夜に『仕事帰りに色々あって今日は男(春海)と外泊します』なんて言われたりしたら、……えっと、そりゃあ、……ね?」



「…………」

……………………。なんだろう、この状況。ついさっきまで気心の知れた女友達に冗談感覚で仕返しをしているつもりだったのに、いつのまにかセクシャル・ハラスメントしてしまった気分だ。

とんだセクハラ野郎である。

「……そこに、ダメ押しで今朝の那美の挙動不審だからさ」

那美ちゃんは僕の正体を知らないから仕方ないとはいえ、あんまりと言えばあんまりな理由に眩暈すらしそうになる。
那美ちゃん、必死に隠そうと努力してくれたのは伝わってくるけど、無理しなくて良いからホント……。

「うん、そっか……その、なんかゴメン」
「ううん、ボクのほうもやり過ぎてた、かな……ごめんなさい」

それからしばらく僕とリスティの間に漂っていた妙な空気は、葛花を追い掛けたフィリス先生が戻ってくるまで続いた。










そんなこんなで翌日。春らしくいい感じに晴れた陽気のなか、僕は昨日忍さんから誘われた通り月村邸にまで遊びに来ていた。
いつものように家を出る前には妹たちが強襲してきたものの、いらなくなったゲームカセットを譲渡し、奴等がそれに夢中になっている間に家を出ることで事無きを得る。それにしても待ち伏せ奇襲なんて巧妙な頭脳プレーを何処で身に着けてきたんだアイツ等。

昨日はすずかを怒らせたままで別れていたこともあって少し憂鬱な気分の中での月村訪問だったのだが、1日経つと彼女の怒りもある程度は静まりを見せていたらしく、僕が謝ると意外なくらいアッサリと許されてしまった。
そのあと遅れて到着した恭也さんも合流したのだが、那美ちゃんと久遠ちゃんがやって来るまでもう少し掛かるようで、予定していた茶会はそれからスタート。ならばそれまでは別に遊ぼうと、連日に続きテンションの高いすずかに引っ張られる形で僕は屋外へと連れ出された。───の、だが……


「なぜ僕はこんなことを……」
「わっ!? 春海くんっ、ゆ、ゆらさないで!」
「あーはいはい……」

庭の隅っこで、僕(大人ばーじょん)は何故かすずかを肩車していた。

「ほらほらっ、見て見て春海くん! お姉ちゃん、恭也さんと二人きりになって楽しそうだよ!」
「あーはいはいそうだねたのしそうだね……」

お前も十分楽しそうだよ。そしてその高そうな望遠鏡どこから持って来たんだよ。別にそれ無くてもこの距離なら見えるでしょ?

生き生きしてんなぁこいつ。

そう思って溜息を吐いた僕が目を上げると、視線の先にあるのは月村邸における窓の一つ。開け放たれたそこから見えるのは、恭也さんの肩に頭をのせて幸せそうに寄りかかる忍さんの姿。寄りかかられている恭也さんも、口ではいろいろ言っているようだがその表情は穏やかなものだ。


早い話が、現在、僕たちは覗きをしていた。ピーピングでも可。


普通この距離なら忍さんはともかく恭也さんにはバレてしまいそうだが、今に限ってのみその心配はない。僕とすずかが立っている位置は彼等からは木々が邪魔をして死角になっている上、すずかに頼まれて僕が隠行結界(簡易版)まで張っているのだ。素人に見破られようものなら僕は陰陽師を廃業せねばなるまい。

……いや、これまでで最も術の無駄遣いしてる自覚くらいありますよ?

『お前様よ。儂とっとと帰りたいんじゃが……』
<その意見には心の底から賛同したいところではあるけど、そうすると僕がすずかに泣かれるから勘弁してくれ>
『はぁ……』

溜息を吐きたい気持ちはよく解かる。

『とりあえず、そういうことなら儂は“奥”に引っ込んでおるぞ。メシ時に出るので、そのつもりで居れ』
<あいよ>

葛花の念話に返事を返すと同時に、ふ、と彼女の気配が遠ざかる。また僕の内側で昼寝(厳密には睡眠とは異なるらしいが)するのだろう。

頭の中にそれを感じながら、言い訳のように、ただ思う。

僕としても別に単なる興味本位から忍さんたちを覗いている訳じゃないのだ。いや、もちろん興味0という訳ではないのだが、それでも一応ちゃんとした理由くらいはあるのだ。
というか初めにこれをやろうと言い出したのはすずかであり、当時の彼女の主張を思い返すなら以下の通り。



───お姉ちゃんたちをどうやって応援するかわからないなら、まず2人を観察すればいいんじゃないかな!



……らしい。

敵情視察であり、情報収集であり、情報分析である。そもそも鼻血の件で有耶無耶になっていたものの、彼女がこれを思いついたのは昨日の通学時であり、姉たちのために何をすれば良いのか解からないのなら一先ずそのために姉たちの現状を調べれば良いのだと思ったらしい。……思っちゃったらしい。

段階を踏んでいると言えば聞こえは良いが、正直、やっちまった感が否めない……

いつもなら僕も彼女をやんわりと押し止めている(と思う)のだが、流石に今回は状況がマズかった。すずかから提案されたのが彼女に昨日の件を謝った直後だったこともあって、流石にその場面から彼女の懇願を一蹴することが躊躇われたのである。まあ子供にとって不適切な場面(R-18指定とか)が展開されたら止めればいいかとも考えた結果、こうしてすずかのピーピングに付き合っているのだが───。

『わたし、恭也とこうしてるのが一番すき……』
『風も気持ちいいし、いい昼寝日和かもな』

───知り合い同士の桃色劇場をずっと眺めているというのは、ぶっちゃけ苦痛以外の何物でもなかった。てか恭也さん、昼寝って……。
ちなみに僕もすずかも彼女たちの会話はしっかり聞こえている。僕は葛花から移譲された狐の聴覚、すずかに至っては素の身体能力である。

で。

「きゃーきゃーきゃー!」

まるで恋人同士のような姉たちの語らいに、頭上の幼女が有頂天。いつもの白いワンピースから覗かせた両足をバタつかせてハッスルハッスル。もう性格変わってないかコイツ。あとバタつかせてる足が僕の胸板を連打してて地味に痛ェ。

「お、おい、すずか痛いって。ちょっと落ち着け」

とりあえず頭上で僕の髪を握りしめているお姫様を正気に戻す。

「あ、ご、ごめん春海……さん?」
「いや、いつも通りでいいって。変わってるのは見た目だけなんだから」

我を取り戻したすずかからの唐突な敬称に、思わず苦笑が漏れる。やっぱり、知り合って1年ほどになる彼女であっても現在の僕の姿には戸惑ってしまうらしい。

「そ、そっか……でも、やっぱりちょっと変な感じがするかも」
「そりゃまあ、同級生がいきなり大人になったら戸惑うよなぁ。……どうだ、割とカッコいいだろ?」
「うん!」

冗談で言ったのに、まさかノータイムで頷かれるとは思いませんでした。あ、なんだろこれ、おじさんすっげー嬉しいんだけど。


そんな感じに2人で雑談を交わす。すずかも大人バージョンの僕と話すのが新鮮なのか、だんだん忍さん達そっちのけで会話に集中してきているので覗き見もこれで終わりかな、なんて僕が頭の片隅で考えていると───

「───ぁ」

と。肩車されているすずかが、唐突に声を漏らした。
その声に惹かれるように僕が恭也さんたちのいる部屋の窓へと視線を向けてみると、

「うぇーい」

えらい変な声が出てしまった。

視界のなかに映るのは、まるで抱き合うかのように向かい合わせで互いの背中に両手を回す忍さんと恭也さんの姿。それだけなら良かったのだが、───いや良くはないのだが、ともかく、彼女たちの体勢が非常によろしくない。
イスに座った恭也さんに覆いかぶさるような形で、忍さんが彼に抱きついているのだ。子供であるすずかにとって目に毒とまでは言わないが、少なくとも教育によろしいものでもあるまい。


───そろそろ離れるか。


そう思って僕がすずかに声をかけようとすると、

「お姉ちゃん───恭也さんの血、吸ってるね」
「へ?」

すずかからの思わぬ言葉に思考停止。それでも頭の何処かが働いていたのか、眼は自然と忍さんの口元───引いては、恭也さんの首へと凝らされていた。
無防備に晒された首筋へと自らの顔を寄せ、眼を閉じたまま口付ける忍さん。そんな彼女の口元には、唇の色とはまた違った紅が覗いていた。対する恭也さんも何かに耐えるように瞼を強く閉じ、僅かに身を震わせながら忍さんを掻き抱いている。


教育によろしくないという意味では正直どっちもどっちである。


おまけに眼前の光景に触発されたのか、肩車しているすずか喉がこちらにも聞こえそうなほど大きくゴクリと音を鳴らし、同時に無意識なのか鷲掴みにされてブチブチと音を立てる僕の頭髪に戦慄する。やばい、ハゲそうだ。

窓の向こうにいる忍さんと、僕の傍にいるすずかを比べていると、昨日の忍さんとの会話が自然と思い起こされた。



───あの子の姉としてはそうしてくれると嬉しいけど、そこはあくまで春海くんにお任せ


───できれば、あの子のことは裏切らないであげて


───妹のことを、どうかよろしくお願いします



「…………」

……ま、いっか。と、自分の中で“敢えて”軽く考えて結論付ける。

「なぁ、すずか」
「えっ!? な、なに、春海くんっ?」

こちらの呼びかけに対して戸惑い焦ったようにして応えるすずか。たぶん呆けていたんだろう。
そんな彼女に構わず、僕は首を逸らすようにして真上を見る。そうして視界に入ってきたのは上下逆になったすずかの顔。

お互いに相手の逆さまになった状態で視線を絡め合う。不思議そうなものに僅かな困惑の混じった表情でこちらを見つめる彼女に、問う。



「───僕の血、吸ってみる?」



僕の提案を聞いたすずかは、心底からビックリしたように目と口を丸くして、理解が追いついてからも困ったように周りをキョロキョロしながら、しばらく「……えっ?」だとか「でも……」だとか意味のない言葉を繰り返していた。
ただ、それでもやがては自己の欲求や興味、果ては興奮を抑えられなくなったのだろう。熱っぽく瞳を潤ませ、耳まで赤くした恥ずかしげな表情でこちらを見つめて……

「……」

こくり。と。

近くで見ていてようやく解かる程度に小さく、しかし、しっかりと首を縦に振って頷いた。





そうして。

忍さんたちのいる窓から視線を外し、その場に座り込むようにして胡坐を掻いた僕は、黙ってすずかに血を差し出した。差し出したのだっ。差し出したのだけど……ッ!

「なんかおかしくないか、これ……?」
「……ちゅっ、ちゅば……おかしくなんかないよぅ、……あはぁ、おいしぃ……」

トリップしてしまったすずかを抱きしめた状態で、彼女の後頭部を見つめながら僕はポツリと呟いた。……そう。現在の僕は、何故か”すずかを背後から抱きしめるようにして”手首から血を吸わせているのだった。

いや、こうした体勢を取っている理由はちゃんと存在するのだ。

まず第一に、忍さんたちがしているように首筋から吸うという方法だが、これは考えるまでもなく僕もすずかも満場一致で却下した。昨日の一件もあって彼女が血を吸って平静を保っていられるとは思えず、頸動脈といった急所を差し出すのはリスクが高かったからだ。
さすがに僕としても命の危険に自分から身を晒す度胸はなく、すずかもその危険性は十分に承知していたため、こうして手首から吸うことになったのである。

そして第二に、昨日のようにすずかが暴走してしまった際、意図せず魅了の暗示を掛けてしまったことが挙げられた。暗示を掛けてしまわないように瞳をこちらに向けない───つまり、僕に対して背を向けることになったのだ。すずかが夜の一族としての身体能力を使って反抗してきたときにそれを止めるため、血を吸っている間は自分を抑えておくようにという提案付きで。


───結果、月村邸の庭の片隅で成人した男が小学1年生の女子を背後から力いっぱい抱きしめているという、非常に犯罪的な絵面が誕生してしまった。


右腕はすずかの口元に差し出して血を吸わせ、左腕は彼女の柔らかくプニプニとしたお腹の辺りにキツく回されている。胡坐を組んだ両足の上にすずかを乗せ、体勢の問題でシャンプーの清潔な香りが漂う彼女の黒髪に鼻先を埋めてしまう。

吸血の興奮に任せてモゾモゾと身動きを取ろうとするすずかを力任せに押さえ付けている絵は、犯罪的というかまんま犯罪者のそれだった。

「ちゅ、ちゅ、───ぷはぁ」
「───ぅおっ……!?」

そんな危険なことになっていると気付いているのか、いないのか。ただただ夢中で僕の手首に噛みつき血を絞り出そうとしているすずかを眺めていると得も言われぬ背徳感に背筋が痺れそうになった。吸血鬼としての特性なのか、手首に走る快感を伴う違和感についつい声が漏れてしまう。

……いかん、下手をしたら、というより下手をしなくても何か間違いを犯してしまいそうだ。もうロリコンでもイんじゃね、とかある意味悟りとも言える境地に至ってしまいそうになる。というか多分もう7割くらい至ってる。

「ぺろ、ぺろ───んはぁっ!?……もぅっ、春海くん、くるしいよ……」
「わ、悪い」

油断してると勝手に動き回りそうな左手を、すずかの腰にぎゅっと巻きつけることで必死に固定したのだけれど、この状況ではどう考えても逆効果だった。ますます密着した彼女の体温に、ドロドロとした興奮と子供のような安心感という相反した感情を同時に抱く。

正直、今だけはこれがすずかじゃなくて忍さんだった気に病むこともないのになぁ……なんて、自分でも最低なことを半ば本気で思ってしまった。それくらいの気持ち良さなのだ。

こんな場面を他人に見られたら、間違いなくタコ殴りにされた上で通報されてブタ箱送りであるが、まあ、さすがにそれは勘弁して欲しい。ほら。たった今そこで正門から入ってきて、抱きしめられたすずかと抱きしめている僕を呆然と眺めている女の人だっていることだし───?


「───……ん?」


霞の掛かっていた思考が、唐突にクリアになる。

そういえば、さっき忍さんが「今日はわたしたちがお世話になってる親戚も来る予定なの」とか言ってたような気がするなぁ……、なんて、どこか他人事のように思い出しながら、現在の状況を俯瞰し思い起こす。





恍惚とした表情を浮かべながら、夢中になってこちらの手首に吸い付く幼女。

木々が生い茂る月村家の庭の片隅で、彼女を背後から抱きしめ拘束している見知らぬ成人した男。

呆然とそれを見つめ、やがて見る見るうちに怒りで両目を釣り上げている月村家の親戚と思しき女性。





「……………………」

あ。これ、死んだわ(社会的な意味で)。




















(あとがき)
遅れて本当にすみませんでした。第二十一話の2、投稿完了しました。作者の篠 航路です。

お待たせしてしまってマジでごめんなさい。6月、7月とリアルが資格試験・インターンのES作成・期末勉強と鬼のように忙しく、おまけに家族に不幸が起こるという凶事も重なり、本当に気が滅入ってしまって執筆が思うように進まなかったんですハイ。
忙しさで唯でさえモチベーションが低いのに、書いても書いてもいい文章が浮かばない。浮かばないからモチベーションが下がる、という悪循環に嵌ってしまい、読者の皆様方には大変ご迷惑をおかけしました。すみません。

さて。謝罪もこれくらいにして本編の話をば。

今回はリスティ&フィリスという超能力姉妹との交流と、ハイテンションすずかの姉の恋愛応援奮闘記。そして新キャラ登場の導入です。導入の仕方としては主人公にとって第一印象最悪の部類ですが(笑。
リスティ&フィリスに関しては、これから先戦闘シーンが起こる中で葛花に頼り切りにならないよう、そのための理由を“読者の皆様方に”説明した形になります。オリ設定というか、誰得設定というか、そういうのを延々と語ってしまい、しかしそういうのが逆に楽しいという謎ジレンマ。まあそれ以外にもフィリス先生やリスティとの親交を描くという目的もあったので、別にいいかなぁと。
すずかに関しては……いや、すみません。何故か今回もこんな感じに。どうも作者の中では「夜の一族 = エロい」という固定観念があるらしく、限界に挑戦したくなるというか、そっち方面のほうがキャラが生き生きしていて書いてて楽しいというか。
最後の人は解かる人には解かるかなー。原作「とらいあんぐるハート」の初代、その人気No.1ヒロインにして作者に「夜の一族 = エロい」という固定観念を最初に植え付けてしまったあの人です。声優さん自慢になりそうですが、あの儚げな声がすごく好きでした。

あと、最後にちょっとお聞きしたいのですが、『生存報告』ってどのくらい投稿期間が開いたときにすべきなんでしょうか。いや、開かないことが1番なんでしょうが、ちょっと気になってしまい、こうして質問をした次第。

それでは今回はこの辺で。次回も中々に忙しくなりそうですが、なるべく早く投稿できるよう頑張ります。

では。


2012/7/13 読みやすいように文章をすこし改訂。すずかの喘ぎ声追加……ナニヲヤッテルンダオレハ……






[29543] 第二十一話 甘えと笑顔は信頼の別名 3
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/08/11 15:04
前略。

拝啓、親愛なるお父様、お母様、そして憎らしくも愛すべき僕の妹達。温かな春の木漏れ日が良き今日この頃、特に海外でわたしたち家族のために勤労に勤しむお父様に就きましては、如何お過ごしでしょうか。

───中略───

さて。今日こうして筆を取りあなた方へ文を書くのは他でもありません。あなた方は前回、わたしが社会的に死んでしまう旨のメッセージを残したことを覚えておいででしょうか。……すみません、どうやらあれはこちらの浅慮が過ぎたようですね。なぜそう思うのかと言いますと、───



「この変態!!」
「いやぁぁああああああああああああああああッ!!???」





───先に、物理的な意味で逝ってしまいそうだからです。





「このっ!!」
「うぉわッ!?」
「きゃああああッ!!?」

薙ぎ払い気味に再度繰り出された右手を全力疾走で躱す。軽く現実逃避しかけていた思考を強制的に戻されてしまった。
夢中で躱していた身を捻って体勢を立て直し、僕は改めて忍さんたちの親戚と思しき女性へと視線を戻した。

やや赤みの勝った透き通るような髪が腰に届き、身につけている服装は現状にそぐわぬ理知的なスーツ姿。こちらを睨みつけているつり気味の真っ赤な瞳はまるで猫のよう。
すっと通った鼻筋は顔立ちも同じ日本人とは思えないほどで、ひょっとしたら外国のほうの血も混ざっているのかもしれないと頭の片隅が言った。

仮に町中ですれ違っていれば子供の僕であっても2度見せずにはいられないほどの美貌。

ただ、そんな彼女の美しさであっても、今の僕には見蕩れているような暇は無かった。そんなものより、よっぽど僕の意識を奪ってしまう光景が、目の前に展開されているのだから。



───それが太い幹に大穴を開けた樹木であれば、そしてそれを成したのが眼前にいる女性の、折れそうな程の細腕であれば尚更というものだった。



「うっそ~……」

知らず口から漏れる呻きにも似た声。
カラカラに乾いた喉を潤すように、喉が勝手に蠢動していた。

───いや、落ち着け、僕。

何も焦ることないんだ。目の前の彼女がこのような暴行に出た原因は解りきっている。十中八九、僕が成人男性の容姿で小学生であるすずかを抱きしめていたからだろう。いやまぁもしかしたら吸血の場面を見られたことも関係しているかもだが、そこは『一族の誓い』を結んだ以上大事は無い……といいなぁ。
しかし、だとすれば現状を打破することもまた容易。今も僕の腕の中に納まっているすずかに、彼女の親戚と思しき目の前の女性の取り成しを頼めば良いだけだ。

な、なぁんだ、簡単じゃないか。うん。

「……おい、すずか」

そう考えた僕が、なんとか心の余裕を取り戻しながら意外とおとなしいすずかに声をかけつつ目を向けると───。



「きゅう……」

僕の腕の中には、その小さな体躯をぐったりさせて目を回す女の子の姿があった。



「……………………」
「……………………」

浮いた足をプラプラさせているすずかの有様に、僕と親戚の女性の両方が沈黙した。

だらだらと凄まじい勢いで流れ出る冷や汗を感じつつもすずかの脇の下に両手を差し込み、一縷の望みを賭けて前後にゆっくりとユサユサ揺らすと、───

「うきゅ……」


返ってきたのは潰れた小動物にも似た呻き声だった。


「すずかさぁああああああああああああああああんッ!??」

緊急事態! 緊急事態発生!! 

どうやら親戚の人の攻撃を避けた拍子に、抱えていたすずかは強烈なGに耐え切れず気絶してしまった模様。
しかも焦る僕と同様に、目の前の女性もすずかが気を失っているという事実を認識できたようで。

「すずか!? ッ───あなたっ、なんてことをッ!?」
「待て待てっ!? 僕は何もしてないぞ本当に! これは不幸な事故なんだ!!」

右の腕にすずかを抱え、空いた左手で制止を促しながら言った言葉も少しは説得力があったのか、親戚の女性は訝しげな視線を向けつつもすぐに切り替えて静かに問いかけてきた。

「……まだまだ怪しいところもありますけど、とりあえず今は置いておきます。……あなた、すずかとどういう関係なんですか?」

───有り難い。瞬間、僕の思考に過ぎたのは安堵の混じった感謝の念だった。

どうやら彼女は思ったよりもずっと冷静な人物のようだ。いや、すずかがこちらにいる以上、下手なマネはできないと考えただけかもしれないが、それで止まってくれるのは言うまでもなく望外の好機。
ここで僕とすずかがどこも怪しくない健全な関係であることをアピールできれば彼女の誤解を解くことも決して不可能じゃない。大丈夫、僕はやましいことは何もしていないんだ。誠実に話せば人はしっかりと通じ合える。

尚、あながち誤解でもないという意見はスルーの方向で。


僕は出来るだけ真面目な人間に見えるように目力を強くした。口元を引き締め、彼女の目をまっすぐに覗き込む。
相手はそんなこちらの反応に少し驚いたように目を見開いたが、すぐに持ち直して表情を改めた。

春風が吹き、周囲の木々がカサカサと耳に心地よい音を立てる。葉っぱの隙間からの木漏れ日が僕と彼女を照らしていた。

そんな中で、───僕は微笑んで告げた。



「友達です」

「通報しますよ?」

「ちょっ」



言葉は無力だった。



「……ほ、ほんとだよ?」
「小学生のすずかが貴方のような男と友達だと信じるほうがどうかしています!」
「不覚にも納得してしまう自分が悲しい……」

何度も言うが、今の僕の姿は成人男性です。

<葛花、起きてくれ! お前のご主人さまの社会的地位がピンチだぞ!!>

とりあえず変化の術を解かないことにはどうしょうもない。そう判断して内側にいる葛花へと必死に呼びかけるも、

『Zzz、Zzz』

あ、すげ。睡眠の擬音って本当にそれなんだ。

<って、おぉーい!? けっこうリアルにピンチなんだけど仮にも相棒としてその体たらくはどうなんですか葛花さんッ!?>
『ただいま留守にしております。御用の方はピーッという発信音の後にご用件を───』
「やかましいわ!!」

人の体のなかで勝手に留守電設定してんじゃねえよ! そもそも念話でやってる時点で居留守確定じゃねえか!!

「………………」

あっ、とうとう親戚の人が突然奇声をあげる変人を見る目付きで僕を見始めたぞ!? くそっ、やっぱりこの状況は僕一人で切り抜けるしかないのか!?

「大体、……」

頼りにならない相棒に見切りをつけ悲壮な決意を固める僕に気付く様子もなく、親戚女性がキッとこちらを睨みつける。

「───“内側”から妙な気配をさせてる貴方を、忍がすずかに近づけるはずがありません。見たところ……狐、ってところかしら」



───そりゃ“お互い様”だ、犬ッコロ。



(とは言えんよなぁ、流石に……)

いかんいかん。葛花のことまで否定されたように感じられてちょっとカチンと来てしまった。落ち着け、僕。

向こうからすれば僕はあくまで月村家の敷地内に入り込んだ上に其処のお嬢様に手を出した不審者なのだ。あちらに全く非が無いとは言わないが、誤解されるようなことをしたこちらにも非は十分にある。忍さんが巻き込まれている誘拐騒ぎを考えれば、この尖りようも一応納得できるし。

(……にしても、この人、美緒ちゃんと同じタイプか)

まさかこんな所で彼女の同類に出遭うとは。

───ともあれ、おかげで頭は冷えた。

既にこの状況をどうにかする手立ても浮かんでいる。というより何でこんな簡単なことも考えつかなかったのかと、さっきまでの自分をぶん殴りたい気分である。

とりあえず、未だぷらーんとしているすずかを両腕で抱え直し、しっかりとキープする。
バレないように一度深呼吸。喉の調子を整えて低めの声を。
唇の端を吊り上げ、悪そうに見えつつも余裕を残した笑みを作る。知り合いの警察官をモデルにしたのはここだけの話である。


こちらを油断なく見据える彼女に、言ってやる。





「───この幼女が大事なら動くんじゃない!」





やっちゃった☆





**********





女性───綺堂さくらは焦っていた。



もともと、彼女が今日この月村邸までやってきたのは、6歳年下の姪である月村忍から呼ばれたからだ。
姪いわく、後輩の女の子、そしてすずかの同級生の子と『誓い』を交わしたから、会ってみて欲しい、と。

最初に電話で話したときに抱いた感想は「また?」というものだった。
それもそのはず。忍は1週間ほど前に同級生の男の子と誓いを交わしたばかりなのだから。

あの時の彼女の幸せそうな表情は、今でもさくらの脳裏に焼き付いている。

子供の頃から忍を可愛がってきたさくらにとって、忍は自分の妹のような存在だ。でも、ここ何年かは両親との折り合いの悪さが目立ち、さらには『一族の秘密』のため気兼ねなく付き合える友達も出来ないせいで、さくらとノエル、そして妹のすずかくらいにしか笑顔を見せることが無くなってしまっていた。

そんな中で紹介されたのが、忍の同級生である高町恭也だった。

彼はさくらの目からみても真面目で誠実な人柄に見えたし、何より“あの”忍が好きになった男の子だ。紹介されたときは無難に「おめでとう」と祝福しておいたが、本当は我が事のように嬉しかったのを覚えている。そしてそれは日が経った今でも変わりなかった。

だが、それからたったの1週間で2人も増えたというのだから、電話口で伝えられた当初は少し混乱してしまった。

もともと忍は社交的な性格ではない。むしろ幼い頃の経験も相俟って一見すれば根暗とも言えそうなほどに閉鎖的だ。ただ、逆にある程度仲良くなって来ると意外とそうでもないらしく時折り子供のように無邪気に笑ったりもするのだから、そのギャップが相手を戸惑わせてしまうのだろう。
要するに人見知りの内弁慶なのだ、あの娘は。……まあ、そんなところが過去の自分を見ているようで、気恥ずかしかったりちょっと嬉しかったりで複雑なのだけど。


閑話休題。


そんな忍が、ここ1カ月の間に3人も『一族の秘密』を打ち明ける友人を作ったことが(1人はすずかの同級生だけど)、失礼なようだがさくらにとっては意外だった。
高町恭也を皮切りに、あの娘も少しはガードを下げたのだろうか。それとも彼つながりで何らかの縁でもあったのだろうか。

どちらにしても、その事実は忍とすずかを妹のように思っているさくらにとっても喜ばしいことだった。

新しく契約を結んだという2人は改めて彼女自身が見極める必要があるだろうが、それでも忍すずかが選んだ友人。さくらも出来る限り助勢するつもりだし、少なくとも忍とすずかの両親(このうち、母親のほうがさくらの姉にあたる)の説得には、自身の口添えは不可欠だろう。ただ、そんな面倒さえも彼女たちの幸せに繋がるというのなら喜んで引き受けよう。





───それに。“あの男”がノエルを狙っている以上、忍の心労を癒やしてくれる人がいるのは有り難いという言葉では足りないくらいなのだから。





……そう思って、今日はこの月村邸までやってきたのに。



「───この幼女が大事なら動くんじゃない!」



目の前で自信ありげに叫ぶ男は一体何者なのだろう。いや、本当に。

忍に呼ばれて来てみれば、其処にいたのはすずかを羽交い締めにして口元を腕で塞ぐ男。月村邸に侵入し、尚且つこんな庭の片隅でコソコソしている時点で一般人では絶対にない。
それを見て即座に“あの男”からの手の者であると判断し、そしてその予想は手加減しているとは言えこっちの攻撃を躱した時点でほぼ確信に変わった。

だが、向こうの手の中にすずかが居るため迂闊な事はできない。初撃を躱されたのは彼女をして痛恨の痛手だったのだ。


こうなってしまった以上、さくらに出来るのは時間を稼ぐことだけだ。そうすれば屋敷の中にいる忍とノエルが物音を聞きつけて駆けつけて来てくれるから。
そう思って会話を継続しているのだけど、今度はさっきから妙な男の言動に心の中で混乱しっぱなしだった。

友達だと嘘にもならないような嘘を吐いたと思えば、突然やかましいと叫びだす。
犯行が露見してしまったこの余裕のない状況に関わらず妙な余裕を保っている。と思えば今度は怪しげな笑みを浮かべてこちらを大声で脅迫する始末。

───自分が追い詰められているという自覚がないのだろうか? 

そう思って、即座にその楽観を戒める。

仮にあの男がそんな無能なのだとして、そちらの方が危険なことに気が付いたからだ。下手をすれば無意味にすずかを傷つける可能性すらある。
追い詰められたら何を仕出かすか解からない以上、彼がこの状況を抜け出すための策を秘めているという前提で行動すべきだ。

───今は、言う通りに行動して刺激しないようにすべきね……。

そうすることが最善と思考しながらも、さくらは相手の言いなりにならなければならないことに心中で唇を噛んだ。





一方で。

(……計画通り……!)

目の前に現れた結果に満足し、春海は内心で独り言ちた。───そう。さくらがこちらを警戒して手を出してこないこの硬直状態こそ、春海が望んだ結果だった。

もとより目の前の女性相手に戦闘するつもりはなく、また当然ながら気絶したすずかに危害を加えるつもりは更にない。かと言って、(この際、故意なのかどうかは置いておいて)葛花が“内”から出てこないせいで子どもに戻るのも不可能な以上、彼女を説得するのも至難だろう。忍の誘拐事件で過敏になっているのなら尚更だ。

そこまで考え、そして春海が取った行動はたったの2つ。


1つは展開したままだった隠行結界を消去。次に先ほど大声で叫んだ脅迫だ。


隠行結界とは気配隠蔽と同時に消音を果たし、それを取り去ることで叫んだ春海の声は月村邸の敷地にさぞや響いたことだろう。───もちろん、屋敷内にいる恭也や忍のもとにまで。

───とどのつまり、『妹がダメなら姉に丸投げすりゃ良いじゃん』作戦である。

春海の目的は忍が到着するまで時間を稼ぐこと。すずかがこちらの手中にあることで相手からの手出しはできないし、更に言えばそれをさせないための脅迫だ。
というより、実は別に「すずかに危害を加える」とは言っていないので正確には脅迫になっていないのだが、そこは深読みしてくれれば御の字である(わざとそう聞こえるように言った時点で深読みも何もないところは気にしない)

……まあ。それでもわざわざすずかを脅迫材料にした辺り、実は先ほどの彼女の「狐」発言への意趣返しが地味に含まれていたりするのだが、少なくとも本人にその自覚は無い。


器の小さい男である。


ともあれ。これで状況は整った。

残りは叫び声を聞きつけた恭也と忍が駆けつけるのを待つばかり。あの声量ならば少なくとも恭也は聴きとめる確信があったため、春海は安堵を顔に出さないように気をつけつつも、策の成功を予感して僅かに気を緩めていた。
気を緩めたと言っても、眼前のさくらから視線を逸らすようなポカは冒さない。流石にこの状況でそんな失敗をするほど腑抜けではない───が。





「あのー、…………何してるの、春海くん……?」
「くーん?」





───ビクンッ、と。

唐突に背後からかかった静かな声に、気を緩めて周囲への警戒を怠っていた春海の肩が激しく震えた。
このとき幸いにも目の前のさくらも彼の背後の人物に気を取られて襲い掛かってくることは無かったのだが、そんなことも忘れておそるおそる後ろを振り向いた春海の視線の先には───。


「───……な、那美、ちゃん……?」


困ったような、それでいてほんの微かに怒ったような表情で久遠を抱きかかえた、私服姿の神咲那美がいた。





その後、突如敷地内に響いた脅迫の声を聞きつけた忍と恭也が急いで庭に飛び出すと、そこには申し訳なさそうにペコペコ頭を下げて謝る成人姿の春海と、静かな口調で諭すように彼を叱りつける那美、そして寝ているすずかを抱えたまま途方に暮れたようにそれらを眺めるさくらの姿があったとか。

「にゃー」

いつのまにか近くに寄ってきていた月村家の飼いネコの楽しげな鳴き声が、妙に虚しく響いていた









「あっははははははっ!」
「もう……笑いごとじゃないわよ。すずかが巻き込まれたのかと思ってこっちは本気で慌てたんだから」
「わ、わかってるけど、でもっ、……~~ッご、ごめんなさっ、ケホッ、あはっ、あはははははっ!」

ノエルが庭にセッティングしたお茶会の席での話し合いによってお互いに対する諸々の誤解も無事に解けた後、傍で聞いていた忍が耐え切れなくなったように笑いだし、彼女の叔母である綺堂さくらがそれを効果が無いと悟りながらも健気に諫めていた。

「……何をやってるんだ、お前は」
「ほんと何やってんでしょうね、僕……」

その隣では恭也が呆れ混じりに横目で春海に零している。ちなみに春海のほうは葛花が“内”から出て来ないので未だに成人形態のまま。見た目のうえでは恭也より年上なせいで敬語がチグハグな印象になっていたが、幸いそれを気にする者はこの場にはいなかった。

そんなテーブルに突っ伏する春海の背中を手でよしよしと撫でながら那美が言葉をかける。

「ご、ごめんね、春海くん。わたし、詳しい理由も聞かずに怒ったりして……」
「くーん……」
「あぁ、いいよいいよ、気にしないで那美ちゃん。いま思えば僕もけっこう不謹慎だったから」

と、自分で言ってやっと心の整理が付いたのか、身を起こした春海が大丈夫だというように一度那美と久遠に微笑むと、ようやく笑いを収めた忍が口を開いた。

「あ~、笑った笑ったー……それで、待たせちゃってゴメンね? この人は私の母親の妹、叔母になるのかな?───の、綺堂さくら」
「……はじめまして、綺堂さくらと言います。今は海鳴の大学院に通ってるの」

さくらの紹介を、再び忍が引き継ぐ。

「それで、さくら。こっちの女の子は神咲那美。私の高校の後輩で……」
「あ、那美ちゃんの紹介はだいじょうぶよ、忍。───那美ちゃんも、お久しぶり」
「はい、さくらさんもお元気そうで何よりです」
「くぅん!」
「久遠も久しぶりね」

まるで知己のような挨拶を交わす2人と1匹に、忍が首を傾げた。

「あら? もしかしなくても知り合いだったりする?」

そんな姪の疑問にさくらが答える。

「ええ、彼女のお姉さんは私の高校時代の先輩だったから」
「へぇ~」
「那美ちゃん、神咲先輩はお変わりない?」
「はい! 今も仕事で十六夜と一緒に日本中飛びまわってます」
「くーん!」

そうした彼女たちの会話が一段落したところを見計らって、忍が割り込んだ。彼女は手のひらで春海の方を示すと、

「それで、さくら。こっちの男の子が和泉春海くん。すずかの同級生で、那美とは一緒に働いてるんだって」

このナリですずかの同級生って言われると違和感半端ないな……、と内心ツッコミながら春海は改めてさくらに向き直った。

「えっと、はじめまして、和泉春海と言います。今はこんなナリですけど、ホントは小学1年生です」
「は、はぁ、その、失礼ですが……“中”に居るのは……?」
「あ、狐の葛花です。それでこの変化を解くにはコイツに協力が要るんですけど、どうにも今は昼寝中でして……」
「そうだったんですか……」

目の前の青年の言葉に納得するように一つ頷いたさくらは、次に申し訳なさそうにしながら頭を下げる。

「……さっきは本当にごめんなさい。頭に血が上ってひどいことをしてしまったわ」
「春海くんもごめんね。うちの叔母が」

忍も加わって謝罪する2人に、当の本人である春海は少し慌てたように軽く手を振って。

「い、いえっ、僕のほうもすずか相手に洒落にならないことやってましたから、その、……お相子ってことにして貰えると助かります」
「洒落にならないって……なにしてたんだ?」

恭也からの疑問の声に、苦笑しながら自分の手首の袖を捲りあげて。

「吸血させてたんですよ」

事も無げにそう言った男に、その場にいた全員が絶句した。

那美は先日話には聞いていたが、見知った男の子が実際にそれをされていたことに対して。
恭也とさくらは目の前の少年が自分の予想を超えて一族に深入りしていることに対して。

そして、すずかの姉たる忍は───

「……そっか。……ありがと」
「別にいいですよ。正直、そこまで深く考えて吸わせた訳じゃないですし」
「あはは、そうなんだ」

軽い調子で微笑みつつ春海を人差し指でつつく忍。そんな彼女を咎めるように、さくらが言う。

「……忍、あなた……」
「ごめんね、さくら。でも、この子は信用しても大丈夫だと思ったから」
「…………」

と。

場が固まりかけたそのとき、屋敷の方からサクサクと芝生を踏みしめる音が届く。全員がそちらに目を向けると、仕事着であるメイド服を着たノエルがこちらに歩いて来ていた。
彼女は粛々と忍とさくらの間に移動すると、直立の姿勢で慇懃に口を開いた。

「失礼します、忍お嬢様。すずかお嬢様は自室のほうにお運びしました」
「ノエルもお疲れさま。すずかは大丈夫だった? ケガとかは無かったはずだけど」
「はい。外傷もなく、今はゆっくりとお休みしております」
「そ」

それだけ話すとノエルは給仕の仕事に戻り、忍も盛り上がらない話はお終いとばかりに手を鳴らした。

「はいはいっ、さくらも、この話題はここまでってことで。何かあったときはわたしがちゃんと責任取るから、ね?」
「高校生のあなたにどんな責任が取れるのよ……、姉さん(忍の母親のこと)達を説得するのはわたしなのよ?」
「あははー、そ、そこはできればよろしくお願いしたいかも……」
「まったく、この子は……」

と、そのさくらの言葉と同時に吐かれた色々と諦めたような溜息を最後に、夜の一族に関する話は一応の終息を迎えた。





───かに見えた。





「───皆さま、侵入者です」

茶会も盛り上がりを見せ、初対面であるさくらと春海もお互いにある程度の固さも取れてきた頃、傍に控えて給仕に徹していたノエルが唐突にそう言った。
その言葉を聞き、その場にいた那美と久遠以外の人間が同時に警戒の度合いを高める。その那美たちにしたところで、突然の雰囲気の変化に不安を覗かせていた。

「……まさか、あいつ?」
「おそらく」
「『あいつ』?」

確認した忍にノエルが肯定を返し、そこに恭也が言葉を拾った。
しかし、それに他の者がそれに答える前に、ノシノシと先ほどのノエルとは似ても似つかぬ程の足音を立てながら一人の男が現れる。



「おお、一カ月ぶりぐらいやなぁ。元気やったかぁー、───忍?」



現れたのは、一人の中年男。

それを見た当初に春海が思ったのは「何処かで会ったような気がする」と、言って見ればその程度のもの。故に、───。

「安次郎……ッ!」

───ああ、そうそう。月村安次郎だったか。

彼の記憶が本格的に蘇ってきたのは、そんな憎々しげな忍の声を聞いた瞬間だった。
とは言っても、そもそも春海としても目の前の男のことをよく知っている訳ではない。むしろ外見や名前どころか会ったと言う事実すら今の今まで忘れていたくらいだ。そういえば一月ほど前の下校時に遭遇したような気がするなー、なんてぼんやりと思う。その程度の存在。

そんな春海や、恭也と那美を置いてきぼりにして状況は進む。

「……こんにちは」

丁寧ではあったが、常のノエルではあり得ないほどおざなりな挨拶。

「……何の御用ですか、月村さん」
「あぁ?……おお、綺堂んトコのさくらか」

固さの取れていた態度を元に戻し、どころかそれまで以上のトゲを加えて尋ねるさくらに、ようやく気が付いたと言った風に安次郎が返す。
というより、事実これは話しかけられてようやく気付いたのだろう。この分では自分たち3人をきちんと認識できているかすら怪しいものだと春海は思う。

「別に、ちょ~っと近くに来る用事があってなぁ。そんでかわいい親戚の顔を見に来たっちゅうわけや」
「どうだか……」

嫌っている態度を隠そうともしない忍の反応を気に留める素振りも見せず、男は手に持っていた大きな箱をテーブルに置いた。

「なんや、最近は誘拐されそうになったりでいろいろ大変みたいやないか。今回はその見舞いも兼ねとるさかい……これ、ケーキやから食べぇ」
『───!』

安次郎の言葉に、恭也と春海が小さく息を飲む。
知るはずのない誘拐未遂の件を知っている。その事実は、目の前の男の態度と相俟って誘拐犯が誰であるかを何より雄弁に物語っていた。

「今月中」

しかし、男はそんな彼等を無視するように話を続ける。
それは上位者故の余裕だが、言い換えれば俗物の愚鈍さとも言えるものだった。

「……今月中にノエルがこっち来るって言わな、今度はもっと大変なことが起こるかもしれへんなぁ」
「ッ!……あなたは!」
「さくらは黙っとれ。ワシゃ忍と話しとんじゃ。……なぁ、忍。ノエルをこっちに譲れや。そんでお前がちょっと技術協力してくれたら、ワシはお前以上に上手くやって金も仰山稼いじゃる。やから、なぁ?」

忍の肩に手を添えて、呟くように語り掛ける安次郎。下卑た薄ら笑いを浮かべる様に、我慢できなくなったさくらが言い募ろうとして……、



「───それ、本気で言ってるの?」

───茶会の空間に、殺気が広がった。



殺気の出所である当の忍はその手を荒く叩き落とすと、立ち上がって安次郎を睨みつけた。その瞳の色は───本人の怒りを象徴するような、赤。

「わたしは、ノエルをあんたなんかに渡す気はないよ」
「……どうしても、あかんか?」
「殺されたくなかったら、出てって」

にべもない言葉と同時に、充満していた殺気が爆発的に膨れ上がる。ただでさえ常人には辛い気配が、物理的な攻撃力さえ備えて春海たち3人を突き刺した。
それに対して恭也はいつでも飛び出せるように構え、春海と久遠は顔を青ざめさせる那美の手を握ることで彼女を庇う。

しかし安次郎は、そんな忍を前にしても余裕の顔で笑ってみせる。

「お前は、そんなことできる子とちゃうやろ? ノエルも、ワシがお前に手ぇ出さんと無暗に人を傷つけたりはでけへん」


───おいおい……。

安次郎の弁を聞いた春海は、思わず呆れてしまった。
この男はここまで白状しておいて、まだ忍さんを傷つけていないつもりなのだろうか。しかも現在この場には忍たち2人の他にもさくらと恭也と云った実力者や、及ばずながら春海自身だって居るのだ。そもそもこれほどの人数を前にこれだけのことを言えるというのは、それだけ自分に自信があるのか、それとも完全にこちらを舐めて掛かっているのか。

(こっちのことを何も知らないとは言え、アホくさ……)

そう考え、改めて春海が安次郎に対する評価を最下級にまで落としていると、───



「『───そろそろメシ時かと思って起きてみれば。……阿呆共が、寝起きに不快な話を聞かせおってからに』」



自分の口を突いて出たそんな言葉を最後に、意識が入れ換わった。








「『───そろそろメシ時かと思って起きてみれば。……阿呆共が、寝起きに不快な話を聞かせおってからに』」

氷より冷たく響いた声に虚を突かれ、その場に居た全員が一斉に声の出所を振り返る。
そこに居たのは、先程までと変わらず那美と久遠を庇うように陣取っていた一人の青年。

ただそれまでと異なるのは、女性のように高く澄んだ声と、腕と脚を組んで尚様になる傲岸不遜な肉食獣の気。その爛々と紅く輝く両眼は違わず目前の安次郎を射抜き、不快そうに歪められた口元が本人の心の内をこれ以上ないほどに表していた。

「……く、葛花、さん……?」
「くぅん……」

おそるおそる問い掛けた那美の言葉に、その場に居た安次郎以外の全員が、目の前の青年が誰なのかを瞬時に悟る。
しかし、そんな周囲を歯牙に掛けることなく、青年の姿を借りた妖狐は訥々と口を開いた。

「『……己が害される立場であることも自覚せず、のうのうと不細工な能書き垂れおって。まずはその豚にも劣る不味そうな面構えは早々に改めい、下種が』」

こっち見んな、とばかりに手をしっしっと振り払う仕草をする春海《葛花》。不埒な闖入者の存在に茫然としていた安次郎だったが、ようやく言われた台詞の内容に気が回ったのか一気に顔を赤くした。

「なんやッおまえ! どこの凡骨とも知らんような青二才が偉そうな口叩きよってからに!! 話に関係ない奴ぁすっこんどけこんのダボがぁっ!! だいたい今はワシと忍が、」

「『───生憎、餌にもならん汚物と語り合うための舌は、如何に永く生きようと持ち合わせておらんわ』」

男の言葉を遮るように響いた声。と同時に、春海《葛花》の両目に灯る赤い光が心なし強く輝く。


───後に残ったのは、呆けた顔を晒して直立する中年男の姿だけだった。





「……ねえ、これ何したの?」
「一応暗示みたいですけど、……これって、ちょっと精神的に気を張ってたら途端に掛かりの悪くなる代物のはずなんですけど……」

あの状況でどんだけこっちを舐めてんだこのオッサン……、と葛花が抜けて小学1年生に戻った春海は忍からの問いに答えながら、石になってしまった中年を前にボソリを呟く。

あの後。
少し気分が悪くなった那美をノエルが邸内へと連れて行き、久遠と恭也はその付き添い。葛花は安次郎が持って来た1ホール丸々一個分のケーキを幸せそうにパクついているので(忍は捨てるようにノエルに命じたのだが、そこに葛花が待ったをかけたのだ)、この場に残っているのは忍と春海と葛花、それにさくらを加えた3人と1匹だった。

さくらは葛花相手に初対面の挨拶を交わしているので、こちら側で会話をしているのは忍と春海だけだった。

「……で、どうします? この汚いオッサンのオブジェクト」
「ふふ、春海くんも言うわねー。本音を言えばこのまま燃えるゴミにでも出しちゃいたいとこだけど、……まあ良いわ。こんなのでも一応は親戚。これ見たら怒りも何処か行っちゃったし、放っておきましょ」
「あいあい」

というわけで、直立不動の中年男は放置して少しだけ離れた場所にある席に2人して移動する。
そのテーブルでは人の姿になった葛花が手掴みで毟ったケーキを次々に口へと放り込み、対面に座るさくらは緊張した面持ちでそれを眺めているだけ。葛花が1人で嬉々として食べているだけに、両者の極端な表情がお互いに対する警戒度の違いを表していた。

両方とも“獣属性”が入ってるので互いに感じ入るものもあるのだろう、と春海は考えたが、とりあえず致命的に剣悪な訳ではなさそうなので放っておく。

そんな4人の中で最初に口を開いたのは、春海たちが同席することで緊張の気配を弱めたさくらだった。

「忍、月村……さんはもう良いの?」
「うん、なんだか相手をするのもバカらしくなっちゃったし。……アナタもごめんなさいね? 面倒なこと押しつけちゃって」
「別に、むぐむぐ、貴様等のために、むしゃむしゃ、したわけでは、むきゅむきゅ、ないわ。この───」
「喋りながら食べるな」

忍に噛みつきつつも食べることを止めようとしないパートナーの頭を軽くはたいて、溜息まじりに春海が注意する。と、当の本人は再びケーキに集中し始めた。どうやら喋ることより食べることを優先したらしい。
その様子に呆れながら、仕方なく春海が会話を引き継ぐ。

「忍さんもお気になさらずに。こいつがこう言ってる以上は本気で自分のためにしただけですから」
「あら、そうなの?」

頷きを一つ返した春海から視線を葛花へと向け直した忍は、そんな狐娘の様をじっと見つめて……。

「……でもまあ、お礼として今晩にでも家でフルコースレベルのご馳走を」
「確かに儂はぬしらのためにやった訳ではないしその事実を貴様等がどう解釈しようと儂の知ったことではないが礼の気持ちを無碍にするほど無粋なつもりもないしわざわざ断る理由も無いので貴様がそこまで言うならその礼とやらを受け取ってやらんこともないというか“ふるこーす”って何それめちゃくちゃ楽しみなんじゃけどひゃっほいっ!!」

一瞬で残りのケーキを片づけた葛花は、テンションに任せてぴょんぴょん飛び跳ねながら屋敷の中へと走り去って行った。おそらく久遠あたりに自慢しに行ったのだろうと思われる。

その後ろでは、頭を抱えた春海がテーブルに突っ伏し、忍とさくらは走り去る幼女を呆然と見送っていた。

「……わかりやすい娘ね」
「……そうね」
「……すみません、馬鹿で」

ポツリと呟いた忍とさくらに、対する春海は顔を真っ赤にして謝罪しするのが精一杯だった。





















───三月某日某所。

ごく普通の事務所にも見える……というより事務所そのものの空間では、数人のスーツ姿の男たちが思い思いの業務を行なってる。キーボードを叩く音に幾つかの書類を捲る乾いた音、そんなものが慰めにもならない静寂を、荒々しい騒音が引き裂いた。
壁と扉で隔絶されているにも関わらず廊下の床を踏みしめる騒々しい足音が室内まで届いたかと思えば、バタンッと不機嫌を隠そうともしない騒々しさを湛えて開かれるドア。

「帰ったぞ!!」

叩きつけるようにして開かれたことで接合部が確かな悲鳴を上げていたが、それでも健気に耐えて再び役目に戻ったドアに対して目を向ける様子もなく、騒音の主は上座に在る自分のデスクへとどっかりと腰かけた。

そんな上司の横柄な態度も慣れたもの、一人の部下が近づいて頭を下げる。

「お帰りなさいませ、月村様」
「おお……くそッ、ガキが大人相手に調子付いて……ッ!」

荒れた上司に怯む様子も見せずにもう一度頭を下げた部下に、上司の男は八つ当たり気味に命令を怒鳴りつけた。

「お前ら“アレ”の準備進めとけ!! どうせ忍の奴ぁ最後まで頷かん、ならこっちもそれなりの対応取ったらぁッ!! 事があいつのオヤジ共にバレたら面倒や! 決行は3月最終日!! それまでに全部終わらせろやぁッ!! ただしっ、それまでに準備が終われば前倒しで襲撃をかけるぞ!!───ええなッ!!?」

『はいっ!!』

上司の命令に従うことだけを教育された部下達は、それが理不尽なものであっても即座に了承の意を返す。そのことに満足そうに息を吐いた男は幾らか機嫌を直し、俄かに動き始めた部下を視界の端に収めながら椅子の背もたれにその肥満した体を預けた。

「……フンッ、見とれよ、忍。素直に従っとかんかったこと後悔させたる」

男───月村安次郎は事の終わりを夢想し、約束された自身の輝かしい未来に釣り上がる口元の歪みを止められなかった。










───彼の背後に位置する窓の外で、一羽の鴉が音もなく飛び去った。














(あとがき)
劇場版リリカルなのはA’s見ました。なんかいろいろすごかったですね、ストーリーは勿論のことですが、主にスケール的な意味で。……あんな人外超戦闘に巻き込まれて、果たしてウチの主人公は生き残れるんだろうか……ただでさえテレビ版のスケールでギリギリラインなのに。

というわけで第二十一話の3、投稿完了いたしました。作者の篠 航路です。

今回はあれですね。初代とらいあんぐるハートのダブルヒロインを押しのけ見事人気No1に輝いちゃった綺堂さくらさんのご登場と相なりました。とはいえ、やっぱりこの人のキャラで初対面の主人公と会話も弾む訳もなく、月村ルート終盤に差し掛かってきた現状でも顔見せ程度ですが。まぁやっぱりその辺りは「とらいあんぐるハート“3”」のストーリーが主軸な以上仕方ないね。原作でも3では脇役に甘んじてましたし。

そしてようやく黒幕(笑)の登場。原作でも屈指の小物であるこのオッサンが物語にどんな波紋を巻き起こすのか。次回からは待ったなしのシリアス&バトルパート、全編三人称という過酷な状況に果たして作者は耐え切れるのか。待て、次回!

あ。あと、次回からはさっき言った通りシリアスが主となりそうなので、余韻を引っ張るためにあとがきは書かないかもしれません。

では!




[29543] 第二十二話 前から横から後ろから 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/12/27 17:01
───三月末日。深夜。

街の中心地を離れてそれなりに経った郊外では、深夜という時間帯のこともあって車はおろか人影すら存在しない。そんな疎らに設置された街灯が照らすだけの車道を、1台の小型トレーラーが走っていた。その後ろには2台の小型車が付き従い、車内には屈強な肉体をスーツに隠した男たちがそれぞれ3人ずつ控えている。

「……ククッ、“アレ”に加えてこんだけ戦力集めたら、いくらノエルでも対抗でけへんやろ……楽しみにしとけや、忍」

特別仕様のトレーラー、その助手席では月村安次郎が待ち望んだ瞬間を前に今か今かと胸躍らせていた。
あと数時間後には、あの金の塊のような存在が纏めて自分の懐へと入り込んでくる。そのことを思うと湧き上がる笑いが抑えきれない。

安次郎自身、別に後ろの車に乗った男たちだけで“あの”ノエルを確保できるとは思っていない。というより、あんな夜の一族とは何の関係もないただの人間たちにやらせたところで返り討ちに遭うのは目に見えている。
彼らはあくまで忍たちが逃走したときのための妨害用。ノエルを仕留めるための“奥の手”は、このトレーラーの荷台にしっかりと積み込んであった。

“アレ”を出して尚且つその力を見せつければ、忍はノエルに任せて必ず逃げ出そうとするはず。そこを捕えて大切なノエルが分解される様を見せつけてやろう。あんな小生意気なガキは、それだけで心を折られてあっさりとこちらに従うに違いない。

計画というにはあまりに杜撰。程度の低い予測に基づき、希望的観測が大半を占める。

そんな計画とも呼べないような計画を、しかし安次郎本人は上手く行くと本気で信じていた。少なくとも、自分ならば上手くやれると、夜の一族の一人である自分が失敗などする筈がないと、根拠もない自信に充ち溢れていた。



───実を言うと、この男は今までそう云った無能さのために忍やさくらから見逃されていた。

言い逃れ出来てしまうような小さな証拠ではこの男は反省もせず、時が経てば再び襲ってくる。ならば泳がせ、より大きな証拠を掴むことで二度とこちらに手出し出来なくしてしまおう。
つまりは、そういうことだった。
現在に至るまで自分が月村一族から追放されていないのは、ひとえに1人の少女への嫌がらせで満足してしまう自身の小物さ故であったことに気が付いていないこの男は、果たして幸せなのか哀れなのか。

そうして、今夜。

そんな小物が自身の器も弁えず、『一族の秘』とも呼ぶべきものを携え、大した障害もなく目標である月村邸へと災いを運ぶ。





───はずだった。





「うわぁあああああああああああああああッ!??」

隣に座る運転手の悲鳴。そして急ブレーキ。

金属を無理矢理噛み合わせたような鋭い音が響き、80キロ近い速度で走行していたトレーラーは、急ブレーキによって動かなくなったタイヤを路面に滑らせながら、車体を僅かに傾けて停止。後続を走っていた黒塗りの小型車2台も、慌てて眼前のトレーラーを避けつつ速度を0にした。

「痛つッ───なんしとるボケェッ!? 誰が停まれ言うたんや!!?」

トレーラーの助手席でぶつけた額を抑える安次郎が運転手を罵った。しかし、当の運転手は前方を凝視して顔を真っ青にしたままだった。
そんなどうしようもない状態のまま、こんな事態を起こし原因を叫ぶ。


「も、申し訳ありません! で、でもっ、子どもが───車道に人がいたんです!!」


計画そのものを台無しにしかねない、重大な失態を。

「な……ッ!? ひ、ひ、轢いとらんやろな?!」
「わ、わかりません……轢いてしまったにしては感触が……でも……!」
「な、なんやと……」

運転手の返答を聞いた安次郎の顔が一気に青ざめた。ぶわっと全身から脂汗が噴き出るのを感じる。

こんな所で一般人を轢き殺したとあっては、このまま月村邸へと向かうのは不可能だ。死体を放って向かえば、いずれ轢き逃げ犯として追及が来る。一族の力を利用して隠蔽するにしても、そんな工作をしていれば月村邸を襲撃する時間的な余裕は完全に失われるだろう。
そして今日を逃せば数日後には忍の両親が帰国し、今後ノエルと忍に手を出す機会は格段に減るに違いない。少なくとも、屋敷を襲撃するなんて力技は絶対に出来なくなる。

その上、破産覚悟で“アレ”を起動させた自分が今日という日を逃せば……───。

「ッ───オマエラァッ! 今すぐ降りてガキが居らんか探せェ!!」

夢想していた未来がガラガラと崩れさる音を遠くに聞きながら、気が付けば安次郎は手持ちの無線に向かって有らん限りに叫んでいた。





「おい。ホントにガキなんて居るのか……?」
『知るか、雇い主がああ言ってんだから黙って探しとけ』

男は無線から返ってきた同僚の声に静かに嘆息した。


安次郎に雇われた6人の男たちは、それぞれ思い思いに散って目標の子供を捜索していた……が、トレーラーの周囲をいくら探したところで人影一つ見当たらない。10分以上探した時点で運転手の見間違いではと判断し、そろそろ雇い主へ報告に行こうとしたところで見付けたのは路面に付着した少量の血痕。

「そう言ってもよぉ、……こうも暗いとライトがあったところで焼け石に水だっつの」

そしてその血痕から先へと広がるのが、現在この男が各々で掻き分けて進んでいる森林の中だった。

どうやら雇い主自身もそろそろ冷静になってきているらしく、林の浅い所をある程度捜索すれば帰って来いとも命じられているが、こうして鬱蒼とした木々を一人で掻き分けているという事実がそれでなくなる訳ではない。せめてもの救いは、夏じゃないので藪蚊に刺される心配が要らないことくらいだろうか。

だが、それもいい加減十分だろう。かれこれこの場所で20分近く足止めを喰らっている。これ以上の遅れは計画にとって致命的なものになりかねない。



そう結論付けた男が、無線機を使って周りに車まで帰還するよう促そうと考えたとき───“それ”は顕れた。



「……ん?───ぎゃッ!?」

───生憎と、顕れただけで姿を見ることは叶わなかったが。



“影”は男を徹底的に痛めつけると傍にあった木に素早く縛りつけ、即座にその場を離脱した。



3分。
その短い間にそれと同様のことが都合3度繰り返され、連れてきた男たちの人数が残り2人になった時点でようやく安次郎は事態を認識した。

『オイッ!? 01応答しろ!! 03、04、06! お前ら何があった?! 早く応答しろ!!』
『オイオイオイッ!! 何だよこりゃ!? とりあえず一旦合流してすぐに───グボッ!??』
『おい、……05?……おい!!』

「───なにしとるんやこのボォケ共がァッ!! すぐこっち戻ってこんかい!!」

無線越しに届く報告とも呼べない悲鳴に対して無様に怒鳴りつけるが、それで大した効果があるはずもない。どころか、即座に命令を下さなかったという怠惰の代償は文字通りの血肉によって支払われる。

『だ、駄目ですッ、05も応答無し!! この林に何か居ます!! 02、すぐに撤退を───ヒグォッ!?』

連れてきた6人中、ついに最後の一人との通信も途絶える。正確には無線自体は未だ繋がったままであったが、相手側に反応がなければ無用の長物。安次郎は苛立たし気にそれを投げ捨てると、運転席でビクビクと怯えていた部下を八つ当たりそのものの勢いで怒鳴りつけた。

「お前も怯えとらんと、どうにかする方法考えろや!!」
「は、はいぃすみませんッ!!?」

怯えながらも逃げ出すことなく必死に現状打開の策を模索している所を見ると、この部下の安次郎(というより、夜の一族)に対する忠誠心もそれなりのものがあるのだが、今の安次郎がそんなことに関心を抱くはずもなし。歯牙にも掛けずに前を向いて座り直すと、貯め込んだ怒りを発散するように貧乏揺すりを激しくした。

「ッ……一体ドコのどいつや、こんなんしくさっとんのは……おかげで計画が丸潰れやないかッ、クソッ!」

とは言え、別に彼も部下へ当たっているばかりではない。

これでも人の上に立っているという上司としての自覚もある。上司が命令を下さねば部下も動きようがないことも知っている。
だからこそ、安次郎は興奮で鈍くなった思考回路を精一杯に回して考えるのだ、この不可解な現状を打開できる最善の策を。

「……そういえば」

そんな彼に舞い降りるのは、天啓にも等しい記憶の符帳。
思い出すのは最後に残った部下が叫んだ言葉。あの部下は一体何を言っていた。


───……この林に何か居ます!! 

───……すぐに撤退を


「これや……これや!───おい!」
「はっ、はい?」

唐突に呼びかけられ、それに対して部下は多分に戸惑いを含んだ反応を返すしかなかった。なぜ目の前の上司は、こんな訳のわからない状況で笑って───嗤っていられるのか。





「“アレ”を、───“イレイン”を起動するぞ」











「……よ、と」

“影”───和泉春海は、最後の1人を極太の樹木に強く縛りつけた上で捕縛用の呪符を張りつけた。
縛られた男の顔面はいっそ見事なまでに腫れあがり容赦なくブッ叩かれた全身は酷い有様になっていたが、向こうから攻めてきた以上はこれも自業自得だと切り捨てる。

<……一応は、これで最後だな>
『ここまでは手筈通りじゃな』
<ぶっちゃけ上手く行き過ぎて怖いくらいなんだけどなぁ……>

そんな春海の背後では“御霊降ろし”の効果で実体を得た葛花が控えており、気配隠蔽にため互いに念話で意見を交わしていた。


───そう。今回、安次郎が計画した月村邸襲撃は全て春海の側、引いては忍家の側にまで筒抜けとなっていた。


いつかの茶会の後。安次郎の台詞に不穏なものを感じていた春海は、暗示の解けた安次郎が自社へと戻る後を式神で追跡。そこでの会話を式を通して盗み聞いていたのだった(というか、正直あれは完全に安次郎自身が白状したようなものだったが)。
あとはそれに合わせて3月末の間は月村家に宿泊。そこで恭也と共に安次郎を迎え撃つ手筈を整えていた。

ただ、そこで一つ問題が生じた。言うまでもなく、月村忍とすずかの存在だ。

月村姉妹は夜の一族としての優れた肉体を持ってはいるが、決して戦闘要員ではない。戦いに巻き込まれれば抵抗できる手段は少ないし、すずかに至っては現在に至るまで未だ安次郎に関して説明していないのだ。
ならばと、3月末を月村邸の外で過ごせば良いという案も出たのだが、万一その逃亡先を安次郎が襲撃する可能性を考えればそれも安易に選べる選択肢ではない。
おまけに忍はあの男から逃げることを拒み、理由を知らないすずかでさえも折角春海がお泊まりに来てくれたのだからと外泊を拒否。作戦決行日まで時間的余裕が少なかったこともあって、彼女たちは依然として月村邸に残ったままでいた。

そんな彼女たちがいる月村邸を戦場には出来ない。そう考えた恭也と春海が出した結論は、安次郎たちがやってくるであろう道程の中途で奴等を迎え撃つことだった。

ただ、ここで大いに揉めたのが、恭也が此度の奇襲へ参加するか否かであった。

ノエルは忍達の傍から離れられず、奇襲に参加できるのは春海と恭也の2人のみ。恭也自身は当然参加すると主張したのだが、かと言って想定した戦場は光源が殆ど存在しない林中。“魂視”と合わさって夜目も利く春海と違い、気配察知のみで戦う恭也では不向きと言わないまでも難しい部類であることも事実だった。
多大な時間をかけた話し合い(具体的には小学生の春海が戦いに出るべきではないと訴える恭也と忍の説得)の末、相手が二手に分かれた場合は月村邸の守護が最優先になることを考慮して恭也は屋敷に残ることとなった。

こうして月村家と都市部を結ぶ中途で奇襲を仕掛けることになった春海だったが、実際に採った戦法は至極簡単なものである。

車道のど真ん中に子供の幻覚を設置し、それに驚いた安次郎たちが車を止める。あとは予め林の入り口にばら撒いていた血痕を発見した彼等がそれを調べるために林の中へと足を踏み入れ、林中に潜んでいた春海と葛花が暗闇の中で気配を隠蔽しながら各個撃破。今回はこのゲリラ戦法が上手く嵌まってくれた形だ。

……正直なところ、男たちが林に入って来なければ春海自身がわざと物音を立てて誘き寄せたり、そもそも安次郎が轢き逃げ的に車の速度を落とさない場合はもっと大掛かりな術で道路そのものを封鎖したりと、そんな隠密性の欠片もない事態も密かに想定していただけに、最初の計画が型に嵌まったのは堯幸以外の何物でもなかった。



まあ、そんな感じで春海は戦闘要員と思われる男6人の無力化に成功していた。



<さて、と。あとは月村安次郎だけな訳だが、……正直、問題はここからなんだよなぁ。……葛花さんや、───あのトレーラーにあった荷台の“中身”、何だと思う?>

“魂視”を全開にして周囲を警戒しつつ葛花に尋ねながら、春海は最初に見た小型トレーラーを思い出す。

『悪いが皆目見当も着かんの。武器か兵器か、はたまた呪術的なアイテムか』
<“魂視”に反応が無かった時点で人が乗ってるってことはないけど……武器だとすれば、残りが安次郎と運転手の2人だけとは言え、厄介だな>

恐らく、あのトレーラーの荷台に載っているものが安次郎の言っていた“アレ”だとは思うのだが、生憎と春海もそれが何なのかまでは知らない。式神も四六時中維持できる訳ではないし、窓からバレないよう室内の光景を覗き見するのも限界があったからだ。

それでも仮に“アレ”が武器だと仮定した場合、どの道それを扱うには『人間』が必要なのため後続の戦闘要員を優先的に狙ったのだが。

<……ま、ここでこれ以上時間を喰っても仕方ないか。……とりあえず、“アレ”とやらは遠距離から破壊させて貰おう>
『それが最善じゃの』

そうと決まれば春海の行動は迅速だった。彼は休息代わりの小ミーティングを打ち切り、小さくなった葛花を肩に乗せて音もなく走りだす。
敵は首謀者である安次郎を残すばかり。運転手の男は怯えてばかりで腕に覚えがあるようには見えなかったし、それは安次郎本人も同様だ。“アレ”にさえ気をつければ何とかなると、そう考えて。





ここまでの春海の戦闘展開に、非は全くと云って良いほど存在しない。それは傍で見ていた葛花や、たとえこの場に居たのが熟練者である高町士郎であってもこれ以上は無いと太鼓判を押せるほどのもの。
早く済ませるだけなら方法は幾らでもある。しかし『相手を出来る限り殺さず、自身の怪我も最小に抑える』という条件を付けた上でなら、それこそベストと云っても過言ではなかった。これ以上を求めるのは、いっそ残酷なくらいに。



───それでも尚。



それでも尚、春海に責任を求めるというのなら、彼に非を追及するというのなら。








それは“アレ”の存在に、そしてその最悪さに、終ぞ思い至らなかった彼の迂闊が挙げられるのだろう。








春海は小型サイズの葛花を伴いながら周囲の木々の隙間を縫うようにして安次郎がいるはずのトレーラーを目指す。幸い、安次郎本人はトレーラーが在った地点から動いていない。どうやら行方不明者6人を見捨てて逃げ出せるほど薄情でもなかったようだ。
ここで逃がせばその分面倒が増えていただけに、これは素直に有り難い。春海は奇襲作戦がこの上なく上手くいっている事実に笑みを浮かべ、だが決して気を緩めて警戒を怠ったりはしなかった。


気の緩みは油断を生み、油断は死を招く。故に春海は常より“魂視”の範囲を広げ、遠距離や死角からの攻撃さえも仔細に注意していた、───はず、だった。


「跳べッ!!」
「ッ──────!」

肩に乗った葛花の鋭い叫びに、春海は思考すらも放棄して慌てて進路方向から転がり出る。回転する視界の端には、先ほどまで彼が居た地面に喰い込んだ、冗談のように巨大なブレードが映り込んでいた。

(───どういうことだッ!?)

砂土を撒き散らしながら無様に転がり、思考の大半を混乱が占拠する中で芽生えた小さな疑問。


何故。

何故!

何故ッ!?



(───“其処”には、誰も居なかったはずだろ!?)



警戒を怠ったつもりは無いし、“魂視”は最大級にまで範囲と精度を高めていた。仮に安次郎からの新手が待ち伏せしていたのだとしても、それが何らかの術を使用して春海が察知できなかったのだとしても、あの葛花がここまで接近するまで気付けないなど尋常の事態ではない。

間違い無く強敵。そして、それ以上に難敵だった。

「っ……誰だッ!!」

誰何の答えは期待していなかった。緊張と混乱で反射的に訪ねてしまっただけだ。


───しかし。


「───先程は、大変失礼しました」


果たして予想どころか期待すらもしていなかった丁寧な返答が、件の襲撃者から返ってくる。

そのことに軽く驚きながらも、春海は既に臨戦態勢を整えていた。
肩に乗った葛花が二刀一対に小太刀へと静かに変化し、前後にそれを構える。子供のか細い指の間に挟むのは数枚の呪符。大人の身体と比べてリーチは落ちるが、万が一を考えれば葛花は実体を持って自由に動ける方が都合が良いため、今回は憑依状態では闘わないことにしている。

そのまま目の前の襲撃者をじっと見据え、───何度目にもなる驚愕が春海を支配した。


<……おい、葛花>
『……とうに承知しておる。おぬしもせいぜい気を付けい。此奴、───』


両手に握った葛花と音無き声を交わすしている間も、襲撃者の口上は続く。



「……新造最後期型、機種名『エーディリヒ式・イレイン種』───通称“イレイン”」



最初に彼の眼を惹いたのは、両手に備えられた武装二式。春海に叩きつけられたと思しきブレードに柄は無く、まるで生身に埋め込まれているかのように相手の左手首から生えて一種の異様を晒している。その一方で、右腕全体に巻きついているのは何の変哲もなさそうな鞭が一本のみ。

また、それらを身につける人影自身も別の意味で異様を誇っていた。

木々の僅かな隙間から漏れ出る月光に冴える金糸の髪に、生物に成し得ない人形の如き造形を称えるその美貌。均整の取れた肢体と黄金比で計算された抜群のプロポーションを覆い隠す暗い朱色の衣は簡素であっても質素でなく、大きく裂かれたスリットから覗く白磁の肌は男としての本能を魅了して止まない。

場にそぐわぬ自己紹介と、思い至った襲撃者の正体に、春海の額をタラリと冷や汗が滑り落ちる。





「───安次郎様の命により、貴方を排除します」

『───あのメイド娘と同じ、絡繰人形じゃ』





“魂無き自動人形”が殺戮の前口上を終え、手元の葛花が念話を届けるのは、ほぼ同時だった










「……尚、」

思いも寄らぬ敵の登場に戦慄する春海に構わず、美貌の殺戮人形はその形の良い口から無感情の音声を垂れ流した。

「わたしは絶対戒律に従い、主に連なる夜の一族の人々に手出しは不可能ですが、

『私に攻撃する』
『殲滅対象である貴方を庇おうとする』
『安次郎様を攻撃・脅迫する』

以上の行動を取られた場合は、私の中に存在するリミッターが解除されます。どうかお気をつけくだ───」

「───疾ッ!」

相手の口上の終わりを待つことなく、春海は小太刀を握る右手の人差し指と中指で素早く、されど力強く五芒星《セーマン》を切り、五芒星の中央から符を放っていた。
それは蒼天の色をした紙に朱色の墨で『急急如律令』と書かれた一枚の霊符。放たれた霊符は単なる紙切れに有るまじき速度で敵に迫り、飛翔半ばでその姿を変貌させる。

───いわく、九天応元雷声符呪

五行の中でも最も早く生成されたと云われる木行の霊符は、飛翔半ばで青白い雷の刃となって敵を切り裂く。

「ッ!」

しかし術者である春海は、そんな自身の誇る最速の符呪が成す結果を見届けることなくその場から逃亡を図る。
敵に背を向け、自身に身体強化を行使し、全力でこの戦場から離脱した。

(───くそったれ! 要するに無抵抗でぶっ殺されろってことじゃねえか!!)

心中で毒づきながらも木々を隠れ蓑にして必死に足を回転させた。手に持った葛花も春海が逃げやすいように幻術でサポートしてくれている。
とにかく今は少しでも早くこの場から、そしてあの敵から離れる必要があった。

相手の実力の程は知りようもないが、“アレ”はどう考えても春海にとって天敵とも呼べる存在に違いのだから。

どういう手段なのか、この広大な林のなかで彼の位置を正確に探し当てる索敵能力。
葛花の勘を以てしても気付くに難儀する気配隠蔽能力。
ブレード一本で固い地面を陥没させる機械の膂力。



何より春海にとって相性最悪なのが、生物にとって必須とも言える『魂《気配》』が無いこと。それは即ち、彼の戦闘面の要とも呼べる“魂視”が役立たずそのものにまで成り下がるということを意味していた。



“アレ”は間違いなく安次郎の切り札だ。

春海一人で闘うとしても、月村邸に連絡してノエルや恭也に応援を頼むとしても、今は全力でこの場から離脱を……───、

「お前様!!」
「ッ!?───ガァッ!??」

葛花の呼びかけ虚しく、何かに右足を引っ張られて転倒する。受け身を取りながら下に視線を向けると、足首の辺りに見覚えのある鞭が巻きついていた。
それはそのまま春海の背後へと伸び、根元の部分は天敵───イレインの右腕に埋め込まれるようにして同化していた。

「……おいおい」

右足に巻きつく鞭を取り外しつつ悠々と徒歩で近づいてくるイレインの姿を見て、つい場違いな苦笑いが顔に出る。間違いなく引き攣っており、到底見れた表情ではなかっただろうが。


「───無傷かよ……」



確かに春海の主な五行符術は技の初動が非常に解かりやすいものになっている。事前にわざわざ五芒星《セーマン》を描く必要があるのだから、術が向かってくるタイミングはむしろ掴みやすいくらいだろう。来ることさえ解かっていれば、恭也レベルの反応速度ならギリギリ避けられるくらいには。
本来は相手の攻撃に合わせて最善手を選択して放つ、カウンター型の術なのだ。間違っても敵の視界にこちらの全身を収めておきながら先手必勝を狙うための技ではない。

───でも、それにしたって初見で無傷はないだろう……。

春海もあれで倒せると思っていた訳ではない。せいぜいが足止めで精一杯だろうと予測していたのに、まさか足止めどころか目眩ましにもなっていないとは。
戦闘中に動揺などと無様を晒すつもりはないが、それでも少しばかりショックを受けてしまう。

そんな彼を無機質な瞳で見据え、イレインが口を開いた。


「……先程の攻撃を『私に対する攻撃』と認定。リミッターを解除します───リミッター、解除」


情緒の欠片も無くそう言うと、次の瞬間、彼女(自動人形たるイレインを彼女と呼称することに疑問は残るが)の雰囲気が一変した。瞳には光が宿り、無機物には決して出せない無邪気さが表情へと現れる。不思議そうにきょろきょろと周囲を見渡す動作にすら、先程までは存在しなかった人間味が感じられた。

「……自由、時間……?」

しかし春海は、そんな隙だらけの体で宙空を見上げながらぽつりと呟くイレインを前にしても、まるで手出しする気が起こらなかった。隙以上に、敵を前にここまでこちらの存在を無視する彼女の様が不気味に過ぎたから。


「───あはっ」


そして。


「あはハ……」



直後に春海は、自分の直感の正しさを、これ以上無く実感することになった。





「アハは、アハははははハハハハハハははははははハハハハハハッ!! あぁハははははハハハははははハハハははははははハハハハハハ───ッ!!!!」





意思を持った人形の狂ったような哄笑が、深夜の林に響き渡る。

───次の瞬間、春海は横っ跳びに吹っ飛んだ。

(強ッ───!?)

イレインがしたことと言えば、こちらに接近し、左腕に装備しているブレードを横殴り気味に叩きつけただけ。たったそれだけで、身体強化して尚且つ体勢が不十分とはいえ間に小太刀を差し込んだ自分が防御の上から身体ごと弾き飛ばされてしまった。

天地が逆転し、周囲の木々が凄まじい速度で視界に現れては消えて行く。

ただ、精神的な衝撃に比して肉体面でのダメージは軽微だった。春海は地面に接地した左腕を軸にして即座に体勢を整え直す。
そのまま追撃に備え、───敵が春海を吹き飛ばした位置から一歩も動いていないことに気付いて戸惑う。

「───ねえ」

予想外すぎる事態の連発でいい加減ウンザリしてきた春海に、戦場にいるとは思えないほど気軽な、そしてつい先ほどまでの機械的なものと同じとは思えないほど人間味に充ち溢れた声が掛けられた。

「あんたが、あたしを起こしてくれたんでしょ……?」
「……だったら?」

正直、こんな問答に付き合うくらいならとっとと逃げ出してしまいたいくらいなのだが、そのためにはどうしても一度は刃を切り結ぶ必要がある。だったら、万が一にも交渉の余地があるのならそれに乗るべきだ。

「ううん、ただお礼を言いたいのよ。起こしてくれてどうもありがと」
「…………さっきの、リミッターとかいうヤツの話か?」
「そ」

イレインは春海の確認に軽く同意して、言葉を続ける。

「あんなシステムにガッチガチに縛られた人形なんかじゃない、あたしだけの自由意思。あなたがリミッターを外してくれたおかげで、あたしは自由になれた。これからは命令に従う必要のない、やりたいことをやりたいだけできる、そんな素晴らしい存在にね」

両の腕を広げながら言うイレインの表情は、ロボットとは思えないほど感情豊かなもの。しかし、一方で春海はそんな彼女の言葉に耳を傾けつつも、その様子を仔細に観察を続けた。
この際、彼女の言う言葉の正誤は問題ではない。いま気にすべきなのは生き残ることのみ。故に彼はイレインの言葉そのものよりも、その一挙一投足に気を配っていた。

かと言って、わざわざ相手を無視して機嫌を損ねてもマズイ。とりあえずは当たり障りない返答を返す。

「……それは良かったな。こっちもお役に立てたなら嬉しい限りだよ」
「あは。あんたってあたしの敵でしょ? なのに嬉しいの?」
「たとえ敵でも美人の役に立てるのなら本望さ」

ついでに逃がしてくれたらその綺麗な生足を余さず舐めてやるよ、とも思ったが当然声には出さなかった。
しばらくそんな春海を興味深そうにじっと観察していたイレインだったが、やがて面白いことを思いついたとばかりに両手を打つと。

「そうだ! ねぇねぇ、よかったら見逃がしてあげようか?」
「……どういうことだ。主人───安次郎からは僕を排除するように命令されてるんだろ?」
「そんなの、あたしにとってはもうどうだっていいわよ。あんた結構おもしろいし、リミッターから解放してくれた借りもある。ほら、見逃してあげる理由には十分じゃない」

不思議なことないでしょ? とばかりに微笑むイレインに笑顔で同意しそうになるが、そんなことはおくびにも出さずに会話を継続する。

「そりゃ、確かにありがたいな。……参考までに訊きたいんだけど、そっちはこの後どうするんだ? 安次郎のところに戻ったってどうせまたリミッターってヤツ掛けられるんじゃないか?」

あわよくば安次郎の元を離れてくれねえかなーという意図の下、機械相手に離間工作を図る春海。

「起動者はぶっ殺すわよ。また縛られるなんて冗談じゃないもの」

そんな彼に、今までで一番軽いんじゃないかという口調でイレインが答えた。

(……どこまで人望ないんだ、あのオッサン)

正直、どうしようもない屑とはいえ絶対服従の象徴とも呼べるロボットの部下からこうまで言われるとは。ここまで来ると、流石に呆れを通り越して同情の念さえ湧いてくるというものだ。
が、それでも春海に身を呈してまで安次郎を守る義理は無い。まぁ哀れとは思うし同情もする。後になって殺されたと聞けば後味悪いとも感じるのだろうが、それでもやはり自分の命を危険に晒して守るほどの人間ではない。せいぜい死んだ後に経の一つも読んでやろうと思う程度に過ぎなかった。

(しっかり成仏しろよ、オッサン)

早くも心の中で怨敵に合掌する春海に、対面に立つイレインから声が掛かった。








「その後はなんと言っても、リミッターシステム開発者である夜の一族の殲滅よねー。手始めに、そうねぇ……、まずは今回のターゲットの『月村忍』と、その親兄弟あたりをまとめて消して───」








───叩きつけられた小太刀を、咄嗟に左腕のブレードで受け止める。



腕の関節機構が軋みを上げるほどの力が込められた一撃に軽く驚愕しつつ、イレインは目の前の無礼者をジロリと睨みつけた。歪められた顔は不愉快という感情を微塵も隠しておらず、すぐさまこの蛮行の理由を問いただす。


これは一体どういうことなのか、と。


そう続ける彼女に対して、男───和泉春海は能面のような無表情を称えたまま、言う。








「───お前が消えろ」








これ以上ないほど直截簡明な意思表示の果てに、人形と人間の闘いが静かに幕を上げた。










[29543] 第二十二話 前から横から後ろから 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/09/09 21:49
注)「限界突破」だとか「神域」だとかの単語が散在してますが、とらハやリリカルな世界ではよくあることです。










夜深き林のなかで、金属同士がのぶつかり合う衝撃音が幾度も鳴り響く。

一、二、五、十。2桁に届く小太刀と肉厚のブレードによる勝負の軍配は、通常なら簡単に折れ曲がってしまいかねない小太刀のほうに上がった。ブレードの猛攻を器用に逸らし、時には真正面から受け止め、されどやがて手数で勝る小太刀の一刃が暴力の嵐を掻い潜ってイレインの顔面へと突き出される。

「───ぐッ!?」

間一髪。薄紙一枚のところで顔を逸らせて自分の上を通り過ぎて行く白刃を視界に収めつつ、彼女は蹴り上げた右脚で小太刀を弾きながらバック転の要領で後方に逃れる。
しかし、対する春海もそんな隙だらけのイレインをただで逃がす気は無かった。その場で左手に握る小太刀を一刀両断に振り落とす。

───あんな間合いの外からなんで……?

そんなイレインの疑問は、即座に氷解した。

「燃えろッ!!」

気合い一閃。
春海の叫びに呼応するように、振り下ろした小太刀から発生した青白い魔炎が彼女へと奔る。今日初めて出遭った彼女に知る由などなかったが、それは小太刀へと変化していた葛花が生み出した狐火だった。
一方で、いきなりそんなものを見せつけられたイレインは当然焦る。それでも咄嗟に右手の鞭を遠間の木へと巻きつけて我が身を引っ張ることで迫りくる猛火を躱した辺り、やはり危機対処に対する情報処理能力が尋常ではない。

しかし当の本人からすれば、それは見た目ただのガキ相手に余裕も何もかいなぐり捨てて逃げへと回った無様でしかない。鞭を手元に回収して体勢を立て直しながらも、何よりも自身に絶対の自信を持つイレインは予想外の屈辱に身を焦がした。

それでも、念のため異常が無いかを調べるため目線を下げて素早く自分の身体状態を隈なくチェック。そして、ふと彼女が見つけた───裾の部分が僅かに焼け焦げた、己の戦装束。

「ッ───アンタみたいなガキがァ!!!」

激昂。

眼前の糞餓鬼に対する怒りのままに、されど投擲された鞭は絶対零度の殺意を携えて正確に敵の胴へと向かい───それさえも身を捻って獣のように両手両足で地を這った春海は躱してしまう。
そしてそんな地面に激突しそうな前屈を維持したまま春海は自分の背後へと繋がる鋼鞭の悪意を頭部側面に感じ、それでも臆せずイレインへと疾走する。

なぜか真っ直ぐな軌道を描いて彼に迫った右手の鞭は、背後から聞こえた音からしてそこそこ遠くにある樹木にまで伸びているはず。ならばこの鞭を引き戻す前に操り手を強襲すれば相手にするのは左手のブレードのみ。
そう考えた春海が打ち据えるべき敵を見据え───その美貌に宿った歪んだ嘲笑に、ゾクリと背を凍らせた。

『───ッ!!』

瞬間、両手に握る小太刀の重量が倍以上になった。

「お、ワッ!?」



信頼する葛花からの予想外の妨害に、成す術もなくバランスと崩して前のめりに転倒する春海。───そんな彼の頭上を分厚い鉄の塊が轟風と共に通り過ぎた。



「ッ!?」

絶対の殺意をもって振るわれたそれが、さっきまで自分の首が在った場所を通過していることを悟って一気に肌が粟立つのを感じながらも即座にその場を飛び退く。そうして顔を上げた春海が眼にしたのは、こちらの無様を嘲笑うイレインと、───彼女とまったく同じ姿形をした、一体の自動人形だった。

「……おいおい。最近のロボットってのは、分身の術まで使えるようになってるのか?」

何とか口元を笑みの形にして軽口で返すが、傍から見ればそれは虚勢であることがわかる。その表情には先ほど自分が死に掛けたのだという僅かな恐怖が見え隠れしていたから。
そんな彼の耳に、馬鹿にしたような嘲笑の声が届いた。森全体に響き渡るようなその声の主は当然、元々彼と戦っていた側のイレイン。

「アッハハハッ、ばーかっ、そんなわけないじゃない───この子はあたしの可愛い妹。あたしの意のままに動く愛すべき操り人形!」
「…………」

声高に主張するイレインの言葉にも反応せず、新たに現れた人形体《イレイン=レプリカ》は直立不動の体で春海に相対していた。本人いわく『妹』の様子に拘泥することもなく、一頻り笑ったイレインが再び春海に向けて言葉を投げつける。

「ホントは一度に5体操れるんだけど……ふふふ、アンタにはあたしとこの子だけで十分ね。まぁけど、それでもさっきの不意打ちを躱したのは褒めてあげる。なんせ───」

そこで彼女はそのいっそ淡麗とも言える朱の唇を禍々しく歪めて、



「───アンタがあたしの言葉にノコノコ従って逃げだしたら、この子がしっかりアンタを殺してたもの」



そう言った。瞬間、その台詞にピクリと春海の眉が反応する。

「……つまり、ハナから逃がすつもりはなかったのな」
「うふふ、当たり前じゃない。心底ムカつくけど、あたしはリミッターが外れただけで管理者権限はあの安次郎とかいう男が持ったままなんだから。
 だから『邪魔者を排除しろ』って命令はまだ有効、少なくともアンタを撃退することだけはあたしが絶対遂行しなきゃならない使命なの。わかる?」

馬鹿にしたように告げるイレインに、春海も強がりながら皮肉げに笑って返した。

「ああ、そうかい。ロボットのくせに妙に人間くさい奴だと思ってたけど、そういうところはちゃんと機械なんだな」
「……はぁ?」

と。
眼前にいる子供の言葉を聞き逃せないとばかりにイレイン。形の良い眉を歪め、挑発とわかっていながらわざとそれに乗る。

「……なに、アンタ? このイレインを馬鹿にしてんの?」

一方の春海は物理的に穴さえ空いてしまいそうなほど鋭く睨みつける機械人形の眼光を受け流し、せめて舌戦で負けてなるものかと怖気づきそうな自身の肝っ玉を蹴り飛ばして舌を回す。
恐怖を悟られるな。余裕を見せつけろ。───笑え。
心のなかでそう念じながら薄く笑みを浮かべた春海は、イレインとその傍で静かに立ち尽くしているレプリカに目を向け、

「なんだお前、機械のくせに自分が機械なこと気にしてんのか? ───それが人形遊びで人間の真似事とは、木偶人形風情がまたえらく増長したもんだな。ええ、おい?」



───イレインの表情が無くなった。



「……さっきまで、命令されたからアンタを殺すつもりだったけど、もう止めたわ。───アンタはあたしが自分の意志で殺してあげるッ!!!」

言葉と悪意。そんな二つと同時にイレインとレプリカの両者が春海へと迫る。

「ぐッ!?」

左右から挟み打つように放たれたブレードを後ろに跳んで躱す。
置き土産として左のイレインを小太刀で斬り付け───即座に右で切り返えされたレプリカのブレードを半身で避けた。

そうして体勢の崩れた春海へと肉薄するイレイン。

「ほらほらほらほらほらほらほらほらァッ! さっきまでの威勢はドコ行ったのよ?! 逃げてばっかで情けないわね!!」
「…………」

其処からは完全にジリ貧そのものだった。左右から機械的な、それでいて完璧なコンビネーションで迫るイレインとレプリカの攻撃を春海は小太刀で受けるか躱すだけで手一杯。近接戦において唯一春海が勝っていた手数を、イレインは単純に戦力を倍することで上回っていた。

そうして、

「ッ───ォッ!?」

遂に人形の殺意が、彼に届く。

レプリカを弾き飛ばした一瞬の間を抜いて届いた分厚い刃。衣服を切り裂き薄皮をなぞる程度の一撃ではあったものの、我が身に達した濃密な死の気配に春海の挙動が僅かに鈍り───そしてイレインはそれを見逃さなかった。

「隙み~っけッ!!」
「うおッ!!?」

一瞬の隙を突いて春海の服を掴み上げた彼女はそのまま機械の膂力任せに春海を振りまわし、ぶんと音を立てながら放り投げた。

「ァ───がァッ!!?」

樹木に叩きつけられた背中に奔った痛みのままに、口奥から呼気が漏れた。軋む背骨が悲鳴を上げ、尋常でない苦痛が春海を苛む。事前に空っぽにしてきたにも関わらず、ひっくり返った胃の中身が不快感と共にせり上がりそうだった。
それでも尚、彼は揺れる視界の端にこちらへ迫りくるレプリカの存在を認め、

「ッ、調子に───乗るなッ!!」

込み上げる不快感を気力で捻じ伏せ、霞む声を根性で押し出す。咆哮を共に地面から掴んだ無数の石礫をレプリカと、更にはその背後に控えるイレインの美貌に向かって器用に投擲した。
それと並行するように走りだす春海。
一方のレプリカも速度を落とすことはなく、寧ろ向かってくる少年を迎え撃たんと更に加速した。後ろのイレインは余裕のつもりなのか、その場から動く気配は無い。

苦し紛れに投げつけられた礫は、意外にも鋭い軌道線を描いてレプリカとイレインの顔面へと迫る。それによって一瞬視界が塞がれるも、しかし自動人形にとってそんなものは障害ですらない。



そう思い、空手である右腕一本で容易に弾き飛ばし───次の瞬間、目の前に十数人もの春海がいた。



一斉にレプリカとイレインへと疾走するそれらは、阿吽の呼吸で主人の狙いを悟った葛花が作り出した幻術だった。
が、言ったところで幻術は幻術。
視覚は誤魔化せても物音を立てない幻術群の中に紛れて奔る春海の足音を特定するのは容易……と思いきや、それらしい物音は一切ない。

実はこの幻術群の中に本物は居なかった。春海本人は幻術群から比較的離れた場所に獣のように伏せ、葛花の幻術で完全に周囲の光景と同化して身を隠していたのだ。
あとは幻術に戸惑ったイレイン達が僅かでも隙を見せれば即座に喰らいつく───が。

「アッハハ!───バレバレなのよ!!」
「なッ!?」

イレインからの蔑みの言葉と同時に、春海の口から驚愕の声が漏れる。それもそのはず、彼女達からは一切見えていないはずの春海自身に向かって、一直線にレプリカが肉薄しつつあるのだから。未だ幻術である十数体の春海がいるにも関わらず、レプリカたる自動人形はそんな幻術群を一顧だにせずまっすぐに春海本人へ迫っていた。

「──────」
「ぐッ?!」

レプリカの刃が届く既(すんで)の所で咄嗟に背後へと全力で跳躍、と、同時に春海は奇跡的にも今まで握りしめていたままだった呪符を基点に障壁の展開を成し遂げブレードの一撃を受け止めた。傍目からはレプリカの剛力に吹っ飛ばされたようにも見えながら、なんとか距離を大きく開くことに成功する。

ようやく治まってきた不快感を思考の外に放り投げて、彼は額から頬へと伝う冷や汗を感じながら相対するレプリカとイレインを睨みつけた。
しながら、手元の葛花へと念話を通す。

<くそッ、なんでバレた!?>
『知らんっ、じゃが奴等の目線の動きからしても幻術そのものは確かに掛かっとる!』

ならどうして!───そう返そうとして、春海は即座に気が付いた。



目の前にいるのが人間ではない、自動人形であることに。



結局のところ、ここまでのイレインの異常能力の全ては“そこ”に起因しているのだろう。この広大な夜の林中で春海を探し当てたことも。春海や葛花がイレインの気配を読めないことも。───そして、視界の中で飛び交う幻術に惑わされることなく身を隠した春海を見抜いたことさえも。

彼等が気配を読めなかったことに関しては、恐らく襲撃の直前まで一切の行動を止めていたのだろう。たったそれだけで其処に在るのは唯の鉄の置き物と化す、生物ではない無機物ならではの妙手。
他方、ならば春海の位置を正確に探り当てた原理は何だと考え、……彼はすぐにその疑問を放棄した。

考えたところで無駄だと悟ったからだ。

もしかしたら動きまわる春海の体温なのかもしれないし、或いは赤外線機能でも備えているのかもしれない。
ひょっとしたら彼の心臓が発する微細な鼓動の音を捉えているのかもしれず、遂には遥か宇宙の彼方から通信衛星でも通じて監視しているのかもしれない。

敵が現代科学の粋である限り、考えられる手段はそれこそ万とある。それでも調べれば何か解かるかもしれないが、残念ながら闘いながらそんな分析行為を行なっているような余裕はない。相手が格上で、おまけにそれが複数人いるとなれば尚更だ。



───いずれにしろ、此処に来て彼はようやく眼前の相手が普通の敵でないことを理解した。



もちろん頭では解かっていたつもりだった。イレインが強敵であることも、そして自分にとっても相性最悪であることも。
しかし頭で理解したつもりになっていても、それが実際の戦闘においてどういう意味を持っているのかに対する思慮が足りていなかった。

<……忘れてた>
『何がじゃ?』

念話を通して唐突に語り掛けてきた春海に戸惑うでもなく、手の中の相棒が普段通りに返してくれる。そんな些細なことで、無性に安心できた。

<そういや、───“俺”って、弱かったんだよなぁ>

そう言うと、春海は敵2体を油断なく見据えたまま深呼吸を一つ。余裕のない初実戦でいつの間にか先走り気味になっていた思考が、ゆっくりとクリアになっていく。
劣勢上等。悪戦結構。怪我だって十や二十は覚悟の上だ。余裕綽々に敵を屠るような“主人公”には、残念ながら自分はなれそうもない。ただ直向きに行なってきた修行の日々は、そんな簡単なことを忘れさせるほどの自信を自分に与えてしまっていたようだ。

そうして、静かに己の分を自覚する彼へ遠間のイレインから嘲笑が叩きつけられた。

「ほらほらどうしたのよ、いきなり黙りこんじゃって。それともなーに? もう諦めちゃったわけ? あたしに生意気な口聴いたツケはきっちり支払ってもらわなくちゃならないんだから、しっかり付いて来なさいよ」
「……木偶のお前さんと違ってこっちは全身ピッチピチの生肉ボディだからな、もう痛くて痛くて仕方ないんだよ。ほら見ろココ、血が出てる」

そう言って春海がひょいと自分の右手を上げて指したのは、ブレード攻撃が掠ったせいでちょっとだけ出血した額の傷だった。

「……ふーん、まだそんな口聴けるんだ? ま、良いわ。うん、決めたから」
「へぇー、何を?」
「あんたは斬って潰して千切って削いで剥いで───徹底的に、嬲り殺してあげる」
「くくっ、怖い怖い。……とまれ、その言葉、」

薄く笑う。春海はその手に握る小太刀《葛花》を力強く握り締め、前後に構えた。

葛花は自分のパートナーの言葉には一切の台詞を返さず、そして、それ故に春海の顔には現状にそぐわぬ余裕が浮かんでいる。

そう。先ほどの春海の念話は、別に自分自身を卑下してのものではない。字面にあるような諦めや卑屈の意味合いは一切込められていない。
また、かと言って肉を切らせて骨を断つような、死んでも相手に喰らいついて勝利をもぎ取るような気概もまた込められていなかった。生き残る気は満々である。

ならば。

果たして春海はどのような意思をその言葉に込めたのだろうか。
果たして葛花は彼の台詞にどんな意思を読み取ったのだろうか。

それは、───



「───後悔するなよ、自動人形」



───卑怯千万、大いに結構。細工は流々、あとは仕上げを御覧じろ。



二体の魂無き襲撃者を見据える彼の顔には、彼の友人たちが常々『黒い』と称した笑みが浮かんでいた。





イレインは、凄まじい速度でレプリカへと疾駆する春海に対して人形とは思えぬほどに凶暴な笑みを浮かべていた。

なるほど、確かにレプリカへと肉薄する敵の速度は大口を叩くだけのものがある。訳の分からない力でバックアップこそしているようだが、その速度は明らかに人としての限界に迫っており、肉体の動き一つ見ても余程の鍛錬を自らに課してきたのだろう。


───だからこそ、イレインは嗤う。


その動きも、力も、全てが侮り難い。侮り難く、しかしそれ故にこのガキがその動きを再現するに至るまでの過酷な道程を想像し、───その全てを真っ向から否定できる自分という存在を感じ取り、抑えようもない喜悦が湧きあがってくる。

なんという放埓。
なんという開放感。

身の向くまま気の向くままに、何の制約も拘束もなく相手を否定できる自分という存在のなんと自由奔放なことか。これこそ正しく、遥か昔に自分を生み出した製作者が自らに課した絶対不変の至上命題───『より人に近く、人間よりも人間らしい存在』の体現ではないか。

故に、イレインは迫る敵を全力で迎え撃った。
彼女は春海を侮ってはいるが、それが油断に直結するかどうかは別問題。むしろイレインは春海の見せた『妙な力』に対してはこれ以上ない程の警戒心を持っていた。

残念ながら、この位置からではイレインが春海に到達するよりも春海がレプリカへと肉薄する方が早い。一先ず敵の迎撃は可愛い妹に任せ、イレイン本人はレプリカの背後から援護に徹するとしよう。
たとえレプリカには対応できない攻撃が来ようと、自分がここから全体を俯瞰していれば幾らでも対処可能だろう。───なに、いざとなれば此処まで封印していた『オプション』もある。切り札よりも尚斬れる鬼札が。

自分の右腕に絡みつく鉄製の鞭を艶やかな左の細手で一撫でし、そうしてイレインは万全の状態で春海を迎え撃った。



春海の初手は、豪速で振り下ろされた右の小太刀だった。

「アァアアア嗚呼嗚呼ッ!!」
「──────」

猛攻。

振り下ろした右に合わせる形で逆手に構えた左の小太刀を薙ぐ。
と同時に両脚を組みかえるような体捌きでその身を独楽の如く回転させ、遠心力と勢いのままに揃えた二本の小太刀で殴撃。

勿論レプリカも攻められるばかりではない。叩きつけられた両の小太刀をブレードで受け止め、次の瞬間には刃と同等の威力を誇る右手刀が敵の首筋を斬り落とさんと振るわれた。
が、そんな必殺の念を込めた攻撃が春海に届くことはない。咄嗟に姿勢を低くして手刀を躱した彼は頭上を過ぎる殺意の暴風を感じ取りながらも勢いのままに急旋回。先行した右の小太刀を背中越しにブレードへと叩きつけ、───自身の足首部を強襲したレプリカの足払いを跳躍で躱す。

そうして宙空で身を横たえた春海は、貯め込んだ回転の慣性力と、叩きつけた右の小太刀を基点とした腕力のみで宙回転の速度を強引にトップスピードへと押し上げた。初めの振り下ろしとは比較にならないほどの速度で左の小太刀をレプリカの脳天へ。

「──────」

しかし、機械の反応速度はそれすらも上回る。レプリカは振り下ろされた鉄の刃を反射的に左のブレードで受け止め───

「らァアッ!!!」

───防御に回した左腕を、強引にブレード諸共打ち落とされた。


「!?」

背後からそれを見物していたイレインの表情が驚愕に歪む。


そして、そうして尚、春海の回転の勢いが衰え切ることはなかった。
高速で流れる視界に映った世界もそのままに、男は吠えた。

「ガァアアアア嗚呼嗚呼嗚呼ッ!!!!」

獣の咆哮と同時に放たれる、再三の唐竹の斬り下ろし。縦回転から放たれる連続二連斬り。
身体強化という人外の法と弛まぬ鍛錬の日々こそが可能とした、今の春海にできる肉体の限界駆動。少なくとも、外から俯瞰するイレインの眼にはそう映った。

(まずッ───!?)

レプリカは振り上げた腕を強引に打ち落とされたせいで体勢が完全に崩されており、そんな彼女に続けて振り下ろされている小太刀を避ける術はない。
一瞬の間にその事を悟ったイレインは即座に待機状態にしていた鉄の鞭を全力で振りまわし、振り下ろされつつある春海の右腕を狙い撃った。元よりこのような事態に備えてイレインはこの場で待機していたのだ。タイミング的には何の問題もない。



そうして。

小太刀が可愛い妹に到達する前にイレインの放った凶鞭がその右腕を締め上げ───、





「───え?」





─── “斬り上げられた右腕の小太刀”が、レプリカの左腕を根元から切断した。





斬り飛ばされたブレード付きの片腕が、機械の断面を晒しながら夜の闇へと消えてゆく。

見ると、敵の右腕に巻きつくはずの鞭は何故か空を切り、肝心の春海は何故か大地を踏みしめ刃を斬り上げていた。イレインのAIが想定していた手応えが存在しないことに加え、視界に映る予想外の光景を前に半瞬フリーズし、───そして、春海にとってそれは十分な隙だった。

即座に姿勢を落としつつ両手を腰だめに右へ。腕を大きく背後へ流して深く構えた春海の手の中には、いつの間にか一太刀の大刀が握られていた。
史上最大と言われる九尺三寸(282cm)の大太刀より尚長大なその妖刀は、身体強化の外術が無ければ持ち上げることすら困難なほど巨大なもの。

それは二刀流小太刀と化していた葛花が再び一つとなり、春海の構えから彼の目的を察した彼女が成した変化。言葉による意思の疎通もなく自身の意を察した相棒に、知らず口端が釣り上がる。
必殺の意思を込め、柄を握り締めた。彼の心に反応するように、───いや。真実、それに呼応して大太刀の刃に青白い焔が宿った。

「───ぁ」

瞬間。
機械に成し得ないはずの背筋を凍らす寒気を感じたイレインは、もしかしたら本当に人間より人間らしかったのかもしれない。
思考回路が行動を決定するよりも前に、あるはずもない本能に従って全力で背後に跳ぶ。操り人形たるレプリカに回避命令を下すような暇は、在り得なかった。

眼に映るそれを脳で認識する間もなく、準備を終えた春海が四肢に命を下す。



───歩

踏み抜く。半歩踏み込んだ左脚が大地を踏み締め、強大な原動力を彼の肉体と刃に与えた。


───疾

振り抜く。踏み込んだ脚から腰、腰から背、肩へと通じて力を伝播させ、振るう刃に更なる迅さを。



それは身体強化に加えた日々の修練によって可能とした春海の体捌き、時代と世代を重ねながら研鐕を積み重ねた御神流の御業、葛花の変化が造り上げた尋常離れた妖刀の性能。
その全てが揃って初めて成し得る神速の振り抜き。その速度は振りまわす武具が大太刀であることを考慮すると、もはや神域と云って良かった。





───三位一体『大花円《だいかえん》』





そう春海自身が名付けた技は、しかし、その真価は速度に無い。


後ろに跳びながら、イレインはそれを見ていた。
既に安全圏に離れたと確信した彼女をして未だ圧力を感じさせる春海の刀は薙ぎ終わるその瞬間まで速度をいや増し、彼を中心とした半径四メートル程の周囲を円状に刳り抜き、そしてそれは力強く天を目指す樹木群であっても例外ではない。
人1人が両腕でやっと抱きつけるほどの太さの大木をまるでバターのように断ち、それでいて剣速を鈍らせる様子も見せずに次の木を横断する。やがて必殺の刃は棒立ちしていたレプリカの腰元にまで届き、そしてそれさえも何の抵抗も無く両断。

何よりも“断つこと”に特化した絶技───『大花円』。

そうして、イレインは見た。───“熱で溶解しかけた断面”を晒し、宙を舞うレプリカと樹木の群が青白く発火する、その様を。


狐火。

花弁にも似た鮮やかな蒼炎色の火の粉が舞いのぼる。



慈悲も無く塵も残さず敵を殺し尽くす魔炎の中心に立つ少年の影を見つけ───殺戮人形の中で、何かがキレた。










(───上手く、いってくれたか)

周囲を覆う青白い焔の中で、春海は先の戦闘の結果を想う。普通なら真っ先に焼け死ぬ心配をするところだが、こと炎に関して春海は自身の身を心配する必要は無い。
五行のなかでも特に『火』の属性を得意とする妖狐が己の腕の中にいるのだから、それもまた当たり前の話か。まぁそれでも熱は空気を通して伝わってくるし呼吸の問題もあるので長時間は居られないのだが。

ともあれ、春海は炎の向こうで呆然と立ち尽くすイレインを油断なく見据えながら自身の採った戦法を振り返る。


そもそも春海の採った手が何かと問われれば、答えは簡単、単なる幻術である。

というより、現在の春海にあそこまで鮮やかな連続二連斬りをこなすだけの技量は無い。いや、より正確に言うのなら、“生身の人間相手”なら同じことは出来る。ただの人間は片手で人1人を振りまわすほどの腕力は無いし、肌の上を刃が掠っただけで致命傷になり得るのだから。
しかしその相手が機械人形となると話は違う。その膂力故に連続斬りの一回目で防御を下げさせることが難しく、刃が掠った程度で斬鉄が果たせる筈もない。

つまるところ、二連斬りの一回目に全力を使ったせいで春海の回転力はその時点でほぼ0。残りは宙空で死に体を晒していただけである。

ならばその後にイレインが見たはずの二回目の斬り下ろしが何なのかというと、それこそが葛花が見せた幻術だった。その場でほぼ静止していた春海の身体を回転させて見せ、レプリカの脳天へと向かう小太刀を幻出させる。ただ、それだけ。

成功する公算はあった。

そのために幻覚と現実の祖語が生み出す音のズレをあのような慣れもしない雄叫びで誤魔化し───何より、わざわざイレインに対して挑発を繰り返し、これ見よがしに“幻術で見せた偽の右腕で”自分の額の傷を指して彼女の反応を引き出したのだから。
あの反応で、少なくともイレインが春海の身体に付随する形で見せる幻術は見破れないことが解かった。それ以前に春海の位置を察知したのも恐らくは旧式熱探知のような曖昧模糊としたものだのなのだろう。あくまで漠然とした位置を調べるものであり、春海の一挙一投足を事細かに見抜くものではない。



そして、それさえ解かればやりようは幾らでも存在した。



「───ふっ」

ブンッ、と春海は手に持った大刀《葛花》を一薙ぎした。それだけで、周囲で燃え盛っていた蒼炎が夢幻の如く掻き消える。跡に残るは消し炭と化した樹木の群と、原型も解からぬほどに溶解した金属塊───イレイン=レプリカのなれの果て。

「…………」

無機質にそれを一瞥した春海は、しかしすぐに視線を引き剥がして正面で俯くイレインに対して大太刀を構える。生来、どうしようもない悪霊は全て自らの意志で殺してきた。それが意思無き人の形を壊したところで今さら心痛む筈もなし。眼前に最大の脅威が控えているとなれば、それは尚更だった。
イレインはあのレプリカを一度に五体まで操れると言っていたか。ならば少なくとも残り四体が安次郎の乗る小型トレーラーに積み込まれていることになり、それらを呼び出される前に何とか決着を付けねば。


「……………………」

───そう結論づけた春海に向かい、イレインは無造作に右腕に付属している鋼鉄製の鞭を投じてきた。

「───……?」

速度や圧力的にもやけに気の抜けたその攻撃を疑問に思いながら、しかし春海はしっかりとそれを防がんと葛花を強く握りしめて対象を見据えた。本当なら躱した上でカウンターを仕掛けたいところだったが、遅いわりにぐねぐねと変質的な動きで迫る鞭を躱すのは至難と判断したからだった。いっそ、このまま鞭を切断しても良い。


早々に行動を決した春海が、こちらに肉薄する鋼鉄の鞭の軌道をしっかりと捉え。

切断せんと大太刀を振るい、刃が触れ。





「ァ───ッ!??」



───全身が、爆ぜた。





意識は遠く、それでも寸でのところで自分を保つ。世界が滲む。
朧な視界に活を入れて焦点を結んでも、其処にあるのは暗く冷たい土の壁。


「ぇ……あ……っ?」

───おいおい、僕……なんで、寝転んでんだ……?


思考が言葉にならず、四肢どころか指先一つ動かない。───自分が世界に存在している感覚が、無い。


「お前様ッ!?」

耳元に伝わる葛花も遠く、それでもその声で自分がまだこの世界に留まっていることを知った。


「ぐぅ───っ!」


唐突に、世界がぐるぐると回る。どうやら何者かに蹴飛ばされたようだったが、幸いにも手加減されていたのか骨が折れた感触も無ければそもそも痛みも感じない。

たまたま上を向いた視界に映り込んだのは焼けた木々に覆われた夜空と、───機械らしく、無機質にこちらを見下す自動人形《イレイン》。

「へぇ、まだ意識あるの? まったく、ガキのわりにゴキブリ並みのしぶとさね」

この妙な刀のせいかしら。そう続けるイレインは春海を見下し、春海はイレインを見上げる。それは、これ以上なくこの死闘の勝者と敗者を位置づけていた。
見ると、その右腕に巻きついている鋼鉄の鞭は明るく光り、バチバチと音を弾きながらその様装を一変させている。

「───ああ、これ? ……『静かなる蛇』。新造最後期型自動人形《イレイン》の基本オプションにして究極武装(メインウェポン)。ま、その実態は単なる高性能電撃ムチなんだけど」

その証拠にアンタ、いま全身痺れて動けないでしょ? 
何でもないことのようにそう告げたイレインに、春海は何の反応も返さない。返せない。

「ほんとはアンタみたいなガキには勿体ないくらいに上等なモンだし、ハンデの意味も込めて封印したままにしてたんだけど……、もう良いわ。流石のあたしも、ここまで虚仮にされて何のお返しもしないほどお調子者じゃないもの。」

そう口にするイレインの表情には、既に侮辱も嘲笑もない。在るのただただ無機質な無表情のみ。
ただ単にキレ過ぎて顔に出てないだけなのか、或いは、これこそが自動人形《イレイン》の本当の表情なのか。

「ぉ……あ……ッ!」

───これは、やばい。

思考するまでもなく悟った春海が身を動かさんと脳から命令を降しても、彼の肉体はまるでストライキしてしまったかのように動いてくれない。

───動けッ、動けって!

必死の形相で身を震わせる子供を見下し、ようやくイレインの表情が一つの感情を露わした。

「……安心しなさいって」

まるで数年来の友人のように優しげな声。一瞬その意味が解からず呆然として、





「ここでアンタを殺したら、───アンタの家族も友達も知り合いも、ぜんぶぜーんぶ、ぶっ殺してあの世に送ってあげるから」





───こちらを覗き込む愉悦に歪んだその美貌に、春海の心臓が凍りついた。



「あはっ」


そんな彼の表情を見て、イレインは満足そうに嗤う。

そして、それで十分だった。


「───じゃあね」


鈍い光沢を放つ凶刃が闇夜に映える月光のラインを描きながら、無慈悲に振り降ろされた。















「───だれよ、アンタ」

力いっぱいにブレードを叩きつけたイレインが、そのままの姿勢で静かに誰何する。その眼に映るのは地面を抉る自らのブレード武装のみ。
それを引っこ抜きながら顔を上げる彼女の視線の先には、───ぐったりとした憎い糞餓鬼を咥えた、馬鹿みたいに巨大な白狐が居た。

「…………」

イレインの問いに対して白い獣は何も言わず、静かに夜の森のなかへと消えて行った。


「……行っちゃった」

せっかく殺せると思ったのに、勿体ない。そんな落胆を隠そうともせず、しかしイレインはそれ以上の執着を見せはしなかった。
少なくとも、あの糞餓鬼も今夜中は全身が痺れて満足に動けないだろう。『静かなる蛇』には常時それ程の電圧が掛かっており、あのように意識を失っていないこと自体が奇跡みたいなものなのだから。

また、逃げたところでどうせ対象の顔は知れているのだ。探そうと思えばいつでも探し出せるし、そもそも友人親兄弟に至るまで殺し尽くすという台詞は冗談でも何でもない。
この街の住人を皆殺しにしていれば向こうから現れるか、あるいは現れずとも殺すために調べる手間が一人分増えるだけ、焦ることもあるまい。


───それに、


「どうせ、そのための手掛かりはもうあるんだもの」


ともすれば折れそうなほどに細い腰に手を当てて薄く笑うイレインの眼は、郊外の居を構える月村邸を見据えていた。










「……………………」

闇の中を駆ける自分の相棒の背に揺られながら、春海は未だ満足に動く様子のない舌に対し早々に見切りを付けて念話を通す。

<……おい、葛花>
「なんじゃ、お前様よ」

速度を落とさずに返す女の声は、いつもと毛ほどの違いも無い。少なくとも春海の耳は、其処に何の悲観も落胆も見つけることができなかった。

<……戻れ>
「戻って如何する」
<決まってんだろ、……あいつを止めるんだよ>
「その満足に喋ることも叶わん体たらくでか?」
<この満足に喋ることもできない体たらくでだよ>

春海の返答に怯むこともなく、葛花は無謀な主に淡々と事実を突きつける。

「無様に儂に助けられた其の身でか」
<有り難くもお前に助けられた我が身でだよ>

ありがとう、助かった。と続ける彼の声を無視して。

「指先一つ動かすに難儀する其の身でが」
<馬鹿にすんな、もう指先くらい動く>

そう言った少年は、ひどく緩慢な速度で5本の指を握り締める。そこに殆ど握力が残っていないことは、誰の目から見ても明らかだった。



「───敗れた其の身でか」



そこで初めて、葛花は声を強めた。

「何を勘違いしておる。おぬしは、命を掛けた私闘で、絶対に負けられぬ死闘で、無様に敗れ去って地に転がり、果てはこうして儂の背でみっともなく敗走。……もう一度訊く。───その体たらくで、今更どの面下げて再び戦場に赴くつもりじゃ」

と。
そこまで言った所で、駆けていたはずの葛花の背から冷たい大地の上に降ろされる。もう十分離れたと判断したのか、春海の気づかない内に止まっていたようだった。

「答えよ、我があるじよ」

そんなことにさえ気づかなかった彼をその巨体で見据え、葛花は問う。表情は、無い。


そして。

春海は太い樹木に背を預け。
あまりの重さに思わず閉じそうになる瞼に活を入れて。



「……お前こそ、勘違いしてんじゃねえよ」



途切れ途切れの様で、そう口にした。

「……負けた? 上等だよ。勝ったの負けたの程度でグチグチ言えるほど僕は強くないって、何よりお前がよく知ってるだろうが。自分の主を見誤るな。
 負けられない? それこそ勘違いすんな。僕のどこが負けなんだよ。無様に地面に転がって、お前に助けられて、こんなトコで情けなく説教されて。全部、僕がこの世に生き残ってる証じゃねえか」

あとは何だっけ、ああ、そうだそうだ───と、そう続けながら少年は顔を上げ、

「……どの面下げて?」


痛みで歪みそうになる全身を無視して、無理矢理に笑む。





「───男が見栄の一つも張らねえ内から、自分の面の心配か?」





痛々しい火傷が赤々と奔った状態で強がるその顔を、白い狐はジッと見下ろしていた。















「───それで、忍。最後にもう一度だけ聴くで。……ワシにノエルを譲って、お前もワシに協力する気はあれへんか」
「くどいよ。何度言われても、アンタみたいな薄汚い人間に渡すものなんて何一つないわ」

夜の月村邸にて、夜の一族である月村忍と月村安次郎が対峙する。周りにいるのは二本の愛刀を携えた高町恭也と、忍の従者である自動人形のノエル・K・エーアリヒカイト。
侵入者を阻むための鉄門は安次郎が乗り込んできた際にトレーラーによって破られており、忍や恭也からすればその轟音のせいですずかが起きて来ないか気が気ではなかった。

「無駄なことがわかったんなら早く帰りなさい!」

しかし、それ以上に焦りを生むのは安次郎がこの場に居るという状況そのもの。つまるところ、それは───春海が強襲に失敗したことを意味するのだから。
奇襲に失敗したという事実自体は心の底からどうでもいい。元よりこれは忍とノエルの問題。好意で自分たちを助けてくれただけの和泉春海という少年がどんな失敗を犯したところで、彼本人には何の責任はなければ、忍にそれを責める気があろう筈もない。

問題なのは、失敗した春海から未だ何の連絡も無いことだった。

計画では安次郎を月村邸まで通してしまった場合は春海から何らかな手段でその旨を伝える通達がある筈なのだ。
それが無いということは、つまり、───連絡も取れないほどの窮状に、妹の友達が陥っているということ。

こちらの情報を渡さないように気をつけながらそれとなく安次郎に問い詰めてみたが、目の前の粗野な男は下品に笑うばかりで答えようともしない。というより事前の話ぶりからすると、この男は春海という少年に会った様子さえなかった。

何かがあった。或いは、今も起こっている。

その事実が、この場にいる忍・恭也・ノエルたち3人の焦りを助長して止まなかった。


「……そうか。……そんなら、しゃあないなぁ」
「……?」

残念そうに言いながら、しかしその表情が一切残念がっていない安次郎に態度を、恭也が疑問に思う。
この男の自信と余裕は一体どこから来ているのか。その源泉は何だ。

そんな恭也に関心を抱く様子もなく、安次郎が手元のディスプレイを覗き込む。
其処にあるのは、この月村邸を中心とした簡易な地形図。地図の中には黄と赤の2つの光点が存在していた。

「くくくっ、これで、もう忍もおしまいやなぁ」
「……なにがよ?」
「すぐ解かるわい。……来るで」

黄色の光点は、安次郎が持つディスプレイの現在位置を示す。ならば、今も凄まじい速度で黄の光点に近づきつつあるその禍々しい赤色が意味するものは当然───、



「こんばんはーーー! 自動人形《イレイン》、ご主人さまのご命令によりただ今参上いたしましたぁーーー!!」


───安次郎の切り札にして、最凶最悪の殺戮者に違いなかった。





「イレ、イン……?」
「……ッ!?」

忍とノエルが、突然の乱入者の名前を聞いてその名の意味にいち早く気付き、警告の声を上げようとして、


「忍……!」

恭也が、目の前の女に剣士としての第六感が背筋を凍らせるのを感じながら、それでも大事な人を守らんと一歩前に出ようとして、


「なッ、……なんやお前、その性格……」

安次郎が、起動した当時と全く様変わりしてしまった自らの切り札に問い正そうとして、










「───ってことで、バイバイ、ご主人さま?」

───イレインは、何よりも速く主人である月村安次郎を斬り捨てた。










ぶしゅっ、と。

「ガフッ……!??」

でっぷりと飛び出た腹から噴水のように噴き出る血を抑えながら、ゆっくりと安次郎が地面に沈み込む。そんな自らの“元”主人に対して、イレインは全くもってつまらないと言いたげに視線を向けた。

「あーあ、死んじゃったかな、コレ?───ま、いいや。……せっかく、こうして起動者がいなくなったことだし」

一転。笑む。

「そういうわけで、イレインはこれより自分の身を守るための『自律的防御行動』に入りまーす。まずは当然、」

と。
そこで初めて、イレインと呼ばれた自動人形が忍たちの方へと目を向けて、





「───目撃者は、皆殺しで☆」





造られし存在が、自らを造りし存在へと牙を剥いた。






























───ずり、ずり。

前へ。

───ずり、ずり。

前へ。

───ずり、ずり。

前へ。

「……っ……っ……っ……っ」

思うように動かない身に叱咤して、無様に這いずるようにして、小さな影は暗い森の中でただ前へと進む。

「……っ……っ……っ……っ」

息も荒く、大地を擦る度に全身に奔るミミズ腫れした火傷の跡が引き攣ったような激痛を発し、何度も何度も顔面から地面へ沈み込みそうになる。


「……っ……っ……っ……っ」

───ずり、ずり。

それでも、前へ。
彼は進み続ける。















「……春海、くん……?」

豪奢な屋敷の一室で、少女がゆっくりと目を覚ました。








[29543] 第二十二話 前から横から後ろから 3
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2012/11/10 15:49
しん、と静まり返った夜の静寂。
夜空に瞬く月の光を総身に浴びながら、右の細手を天に掲げる。

いやに演技掛かったその仕草は、彼女の人間離れした美貌と融和してまるで宗教の一枚絵のような神聖さを描き出し、……しかし実際にその様を眺める観客である恭也たちからすれば、それは緊張を増す要因にしかなり得なかった。

───バンッ、と。文字通り鉄を蹴破る音と共に、安次郎が乗ってきたはずの小型トレーラーの荷台部分、その鉄製の扉が弾け飛ぶ。
其処から現れたのは、目の前のイレインと全く同じ姿形をした無機質な女性型自動人形4体。

「よしよし、他の4体ともちゃんと動くわね。……ってことで、───お待たせ」

自身と瓜二つの4つの従者を背に侍らせたイレインが言う。表情は登場した時と───自身の主を斬った時と同様、好戦的な笑み。

「…………」
「……忍。俺たちの後ろに」
「恭也、ノエル……」

それを受け、イレインと同じように自身の左手首にブレードを装着したノエルと、愛刀である小太刀二刀『八景』を抜いた恭也が、非戦闘者である忍を庇うようにして前に出る。
それを見た彼女はノエルに視線を合わせた途端意外そうに目を丸めた。

「あら。そこのメイドって、あたしと同系機のお姉さんじゃない。ああ、安心していいわよ、アナタに手を出すつもりはないから」

まるでちょっとした世間話と云った風に、イレインは続けた。

「この場で殺すのは人間だけだもの」
「…………」

しかし当のノエルは自身の後続機の言葉に反応を返さず、変わらず忍を庇う位置取りでブレードを構えていた。其処にあるのは、主を守る従者の矜持。従者たる彼女が今のイレインを前にして主へと続く道を譲ることはあり得なかった。
そしてそんな彼女を見たイレインは白けたと言わんばかりに表情を曇らせ、自分の余興を邪魔された不快感を隠そうともせず。


「ちょっとちょっとなによー、よく見ると随分と旧型なんじゃない。ロクな思考回路も持ってなさそうだし。……“ただの鉄屑”なら、別にぶっ壊してもいっか」


───その言葉は、自身あまり感情を動かさないと自負するノエルをして看過できるものではなかった。


「……ただの鉄屑では、ありません」
「……あーん?」
「……忍お嬢様とすずかお嬢様に直して頂いたこの身は、ただの鉄屑などではありません」

無表情の瞳に確かな怒りを宿したノエル。そんな姉妹機の反応を、イレインはピクリとその形の良い眉を震わせ嘲笑った。

「へぇ、なに? 感情の希薄な旧型が、いっちょまえにプライドを気取るの?……いいわ、アナタみたいな半端モノを見てると同系機として虫唾が奔るし、このあたしが直々に解体してあーげーる♪」

そう言ったイレインは右腕にある鉄鞭をバチバチと通電、今にも走りださんばかりに柔軟な身を前屈させ、……

「待てッ、待ってくれ!」

突然の待ったの声に、ちょっと焦ったようにたららを踏んで停止した。

そのまま彼女はむすっとした不機嫌の顔で声の主を睨みつける。その視線の先にいたのは、自身の殲滅対象である夜の一族を庇っている、見知らぬ人間の男。
高町恭也というその男は、イレインが制止したことを確認すると相手の返事を待たず問いを発した。

「恭也……?」

彼の後ろの忍が心配そうに声をかけた。緊迫した状況の中で、彼がわざと場の空気を読まずに挟んだ疑問。それは一体如何なるものなのか。
彼は忍の呼びかけに応えずに、まっすぐにイレインを───より正確に言うのなら、“イレインの焼け焦げた戦装束”を見ながら、至極真面目な表情で問う。

「……ここに来るまでに、おそらくお前は何者かと戦闘を行なっていたはずだ。───そいつはどうした?」

彼の言葉に、聴いていた忍とノエルはハッとした。

それはイレインの脅威を知るが故に無意識のうちに2人が脳裏から除外していた可能性。そうだ。あの男の子は普段から子供とは思えぬほどに聡明で、彼を心配する忍に対して戦闘時の引き際を見誤るような奴じゃないと目の前の恭也が太鼓判を押した少年。
そんな彼が、自分たちと連絡を取れなくなる程の脅威。───目の前の殺戮人形がそうではないと、どうして言い切れるのか。

しかし同時に忍とノエルは、イレインを睨みつける顔の裏に沈痛な表情を隠しながら、思う。もし春海の前に現れた脅威がイレインだと言うのならば、ひょっとしたら彼は既に……。
思わず最悪の可能性を脳裏に描く忍とノエルの、その裏に隠れた感情に真っ先に気付いたのは、皮肉にも敵であるが故に彼女たちを入念に観察していたイレインだった。彼女は予想外の話の展開に内心で驚きながら、しかし敵に対して精神的苦痛を与えられる絶好の好機に、紫色に光るアメシストの瞳を妖しく輝かせた。

「……それって、もしかしてあの生意気なガキのことかしら?」

イレインの発した答えに、忍とノエルの表情が強張る。そのことに笑みを深くした自動人形は次々に言葉の弾丸を放ち出し始めた。



「アッハハ、なんだ、なぁーんだ、アレってアンタたちの仲間だったんだ! なになに、何から聞きたいの?」

「せっかく逃がしてあげるって言ったのに、夜の一族を皆殺しにするっていったら無謀にもこのイレインに挑んできたこと?」

「あたしとレプリカの攻撃から無様に逃げ回ってたこと?」

「あ、もしかして威勢よく向かってきた割にあたしの『静かなる蛇』の一発であっさり動けなくなったこと?」

「───それとも、アンタが死んだ後はお前の知人友人家族全員ぶっ殺してあげるって伝えたときのアレの滑稽な顔のことかしら?」



あれは傑作だったわ! そう言って、心底から楽しそうに高笑いする美貌の殺戮兵器。

「うそ……春海、くん、が……?」
「……っ」

ぐにゃりと歪んだ嘲笑と共に打ちだされたその言葉の一つ一つが、まるで銃弾のような衝撃を伴って忍の胸を深く穿る。グラリと目の前が揺れ、足元に感じる地面が不安定になる感覚。無表情を常とするノエルでさえ、その整った面貌を沈痛に沈めていた。
2人とも、それで意志を喪失するようなことはないが、しかしそれはショックが無い訳では決してない。

彼を巻き込んだのは自分たちだ。それなのに、こんなことって……。

そんな彼女たちの反応に気を良くしたイレインが、ますます喜色を濃くした。もとよりこれは嘘ではない。どうせコイツ等を殺した後であのガキも殺しに行くのだ。それはどっちが先かの話でしかない。
彼女は次々と敵により多くの苦痛を与えられるであろう台詞を口にし、

「ま、アレも頑張ったんじゃない? このイレインの装束を焦がした上に、あたしの可愛い妹を一体倒したんですもの。どこの誰に出しても恥ずかしくない立派な戦果じゃないかしら。……そもそもアナタたちを庇わなければ自分が痛い目見ることもなかったってマヌケ過ぎるオチを除けば、───だけどね!!」

言葉の結びと同時に、イレインと、彼女に従う4体のレプリカが各々の敵に疾駆する。

「……っ!」

そのうちイレイン本人とレプリカの1体は、3人の中で唯一自分達の敵足りえるノエルを抑えに掛かった。単純な戦闘能力では自動人形として最新型である自分の方が勝り、こっちには更にレプリカ1体に加えてイレイン固有オプションである『静かなる蛇』まであるのだ。
結果、ノエルとしても防戦ならざるを得ず───その場を動けない彼女の隙間を縫うように、3体のレプリカが、ノエルの仕える主へと疾走した。

「忍お嬢さ───ッ!?」
「アハハハッ、ほらほらほらッ! 余所見してる余裕があるってぇのッ?」
「くッ!?」

思わず自らの主の元に駆けつけようとするノエルを、イレインとレプリカが2人掛かりで足止めにする。ブレードで斬りかかるイレインの表情はこれから起こる惨劇の予感に口の端を吊り上げ、それ故に対するノエルの顔には常の彼女にない焦りが浮かんでいた。

「アンタの開発世代だと、火器装備なんて無いんでしょ? ……ここでゆっくり自分の主とそのお友だちがなぶり殺しにされる様を見てなさい」

イレインは表情を歪ませて苦しむノエルにそう言って、改めて彼女の向こう側を見やる。
視線の先では3体のレプリカが無力な2人の男女へと殺到し、内1体がその肉厚のブレードを叩きつけ───





「───え?」

───蹂躙する側であるはずのレプリカが、凄まじい轟音を立てながら吹き飛んだ。





吹く飛ばされた1体のレプリカはそのままゴロゴロと地面を転がり、やがて四肢を投げ出すようにして何とか体勢を持ち直す。そして腕脚に力を入れて立ち上がろうとして……しかし、先ほどの衝撃で内部機構のいずれかを破損したらしく、その足元はおぼつかずにふらついていた。他の2体は警戒が先に立ったのか、ブレードを構えたままその場で立ち止まって相手を観察している。

イレインはその一部始終を呆然の体で見つめ、しかし自らの従僕を退けた“彼”はそんな自動人形を一顧だにせず、

「……そうか、あいつは逃げなかったのか」

言いながら、巻いた鋼糸がしゅるりと解かれた。



「───ならば、あいつの兄弟子として、この俺が無様な姿を見せる訳にはいかないな」



両手の中で自身の愛刀を一層強く握り締めた“彼”の───御神流現師範代たる高町恭也の瞳の中には、自身の弟弟子を侮辱されたことへの厳しい怒りが渦巻いていた。










月村邸内。

「春海くん……? お姉ちゃーんっ?」

しんと静まり返った薄暗い廊下にて月村すずかは恐る恐る歩を進めていた。

そもそも夜の一族である彼女にとってこの程度の暗闇は昼間と何ら変わりなく、何よりここは勝手の知れた自分の家だ。たとえ目を瞑っていたとしても歩くことに恐怖があるはずもない。
そんなすずかがここまで怯えている理由はただひとつ、自分以外の全てが無くなってしまったと錯覚しそうなほどの、この静寂にあった。

耳に届くのは怯えて震えそうになっている自分の声と、スリッパを履いた小さな足でひたひたと廊下を踏みしめる自分の歩く音だけ。
部屋で一緒に寝ていたはずの春海が消え、不思議に思って姉の自室や広間に行ったところで誰の姿もない。平時なら呼べばすぐさま姿を見せるノエルさえも見当たらない。

全てが死んだような静寂の中を歩いていると、いつもなら何でもないはずの絵画の女のひとが、今にも襲い掛かってきそうなおばけに見えた。歩き慣れたはずの階段が、奈落への入口に感じられた。
如何に夜の一族といっても、未だ小学一年生の少女に過ぎないすずか。彼女は初めて体感する根源的な恐怖に触れて、今にも泣きたい心境になっていた。湧き上がる不安を誤魔化すようにお気に入りのワンピースに着替えて部屋を出てきたのだが、そんなのは気休めにもならなかった。


それでも、独りぼっちの寂しさのほうが勝っているのか決して引き返そうとはせず、その大きな瞳に涙を溜めながら歩みを進め、……唐突に、廊下の隅でモノが蠢いた。


「わきゃッ!?……って、ね、ねこ?」
「にゃー」

思わず悲鳴を上げて飛び上がったものの、よくよく見てみると“それ”は少し前から家族の一員となった藍色の猫だった。

「も、」
「にゃ?」
「……もーっ! もぅもぅもぅっ! び、びっくりさせないでよ、ねこ!!」
「にゃー!」

両手をぶんぶん振り回して、溜めこんでいた恐怖を振り払うように大声で愛猫を叱るすずか。ついでに眼尻で表面張力いっぱいに頑張っていた涙も決壊していたが本人に気づく様子はない。

ちなみに「ねこ」と呼んでいるのはまだ名前がないから……ではなく、この猫の名前が「ねこ」だからである。命名したのは姉の忍で、名前を決める際のジャンケンに負けてしまったことは月村すずか一生の不覚として記憶に新しい。せっかくかわいい名前考えてたのに……。
当のすずかからすれば姉なのだから妹に譲ってよと主張したかったものの、姉いわく「愛は略奪するものよ♪」だそうだ。前日見たテレビで言っていたらしい。すずかも思わず「あ、そうかも」と少し共感してしまったのでその場は素直に諦めたのだが、昨夜そのことを春海に話すと今度は微妙な顔をした彼に「愛とは何ぞや」という深い話を説かれてしまった。ちょっと楽しかったのはすずかだけの秘密だ。



閑話休題。



と、いうことで。

「みんなドコだろうね?」
「にゃー」

夜の探検に頼もしいお供を得たすずかは両腕でそれを抱え上げ、さっきまでとは打って変わって淀みない足取りで歩きながら捜索を再開した。
とは言うものの、ねこに出遭うまでに既に邸内は粗方探しつくしてしまっている。ここまで来ると、もう家の中にはいない可能性のほうが高いだろう。

となると、あと残りは…………。


「……もしかして、お外で何かしてるのかな?」
「にゃ」


そう呟いた彼女の眼の先には、外へと繋がる赤茶けた大きな扉があった。










イレインは苛立っていた。

(くそくそくそくそックソがッ! 何だって言うのよ!?)

自分の妹機と共に標的であるノエルと剣劇を交わし、対するノエルは『静かなる蛇』とイレイン達の連携を前に防戦一方。そうして優勢に立っているはずの自分が何故こうも苛立たなくてはいけないのか。───それは、


「───ハァッ!!」


自分の外僕たちを前に一歩も退くことなく互角に……いや、1対3という戦力差を考えれば、むしろ押していると言っても過言ではない状況を繰り広げている、あの男の所為に違いなかった。
男はイレインが見ている目の前でレプリカ3体の猛攻を躱し続け、尚且つその眼に宿る戦意は隙あらば見逃すことなく反撃に転じてこようと主張している。

一体のレプリカによるブレード攻撃を器用に受け流したと思えば、その手から放たれた鋼の糸が視界の外から迫るもう一体の脚を掬った。───そして、そんな乱戦の最中で3体全ての配置を操作しているのか、先行した二体が邪魔で最後のレプリカが攻撃できないでいた。

もちろんイレインとて黙ってみているような悠長な真似をするつもりはない。確かにあの男の動きは常人離れしたものがあるが、それもあくまで鍛えた人間の範疇。
AIの思考パターンが少ないため行動が単調なレプリカにとって荷が重くとも、このイレインが三体を直接操作すれば一瞬で片が付く───だというのに!

「……させません」
「グッ!?───ッたいわねぇ! 旧式の分際でッ、このあたしの邪魔してんじゃないわよ!!」

右肩に受けた蹴りによろめき、僅かに顔を顰めながら、自身が相対している敵である『ノエル・K・エーアリヒカイト』を静かなる蛇で牽制した。が、容易に避けられたそれは空を切り、敷地内にある樹木の数本を燃え上がらせるのみの結果に終わってしまう。

こうして、そんな隙を晒せば即狙い撃ってくるような難敵がすぐ傍にいるようでは、レプリカに指示を出すことすら儘ならないのが現状なのだ。

彼女の眼に映るのは、この自分を前にしても欠片も絶望しない、どころか生意気にも勝つ気で果敢に武器を振るう旧式と男の鋭い瞳。
それを見せつけられ、攻めあぐねているイレインの思考回路の隅にちらつくのは自身を追い詰め散々に翻弄してくれやがった、あの子供。

「ッ───くそくそくそっ! どいつもこいつもさっさと壊れなさいよォオッ!!!」

苛立ちのままに叫びながら己のエモノを振るうイレインの表情に、当初の余裕は───無い。










月村忍は目の前で繰り広げられている戦いによる不可視の圧力を総身に感じながら、それでも自分にできることがないかを必死に考えていた。

ノエルがイレインとレプリカを何とか抑え、恭也は3機のレプリカ相手に互角以上の立ち回りをしている。どれほど人外の力を持っていようと、護身術すら習っていない自分があの場に割って入るのは自殺行為だ。
それだけならまだ構わないが、恭也とノエルの足を引っ張ることだけは絶対にしてはならない。彼らは常に自分とイレインの間に来るように位置を取っている。今だけでも十分に足を引っ張っている状況で、彼らに迷惑をかけるような真似は出来ない。

───結論として、今の自分に出来ることと言えば。

「……このくらいしか、ないわよね」

嘆くようにそう口にした忍は、ポケットから携帯を取り出して何処かに電話する。電話の向こうで応対したのは、119番通報の救急隊員だった。
そんな彼女の足元にいるのは、投げ捨てられるようにして仰向けに倒れた───月村安次郎と呼ばれた男。

自らの自動人形に斬られた胴はすでに忍の手で止血されている。顔色も悪く息も絶え絶えといった様子だが、それでも未だ生きていられるは、そのでっぷりと太った大きな腹のおかげだった。脂肪が邪魔をして傷が骨や内臓まで届いていなかったのだ。

救急車を呼び終えた忍が、安次郎に話しかける。

「あなたほど“一族の血”が薄いなら、病院に行っても問題ないでしょ。もうすぐ救急車も来てくれるから、それまで頑張って」

語りかける相手はそもそもの元凶であり今なお彼女の中では怒りが渦巻いてはいるものの、それでも見殺しにしていい理由にはならない。
安次郎はそんな忍の顔を汗をかいた虚ろな表情で見ながら、

「……ひゅ、ひゅ、……し、しの、ぶ……す、まん……」


その一言に、忍の思考が赤く染まった。


「───謝るぐらいなら、初めからこんなことするんじゃないわよ!!」

いいからもう寝てろ! と、それだけ言い残したっきり忍は安次郎を放置して、再び恭也たちの状況を確かめようと彼らを見やって……、



───思考が凍った。



気付いたときには、忍は恭也たちが戦っている戦場を掠めるようにして走り出していた。





まっさきに気が付いたのは、当然、外から全体を見渡していた忍だった。


「忍?!……ッ!?」
次に気が付いたのは、自分が戦っている傍を駆け抜けた忍に、焦って声を掛けた高町恭也で。


「……!?」
次に気が付いたのは、偶然、“それ”が視界の中に映ったノエルで。



「……あらぁ」

最後に気付いたのは、レプリカと視界を共有し、その情報に氷の嗤みを浮かべたイレインだった。





「───すずか!!!!!」





瞬間。
月村邸の敷地内にいる全ての者が、人・非人問わず動いた。


恭也は傍を走り抜けた忍に襲い掛かったレプリカ1体を、咄嗟にその両の脚を斬り捨て行動不能にし。

残りのレプリカ2体が、結果として自分たちに背を向けることになった恭也に対して奇襲を仕掛けて彼に傷を負わせつつ足止めを為し。

ノエルは眼前の敵の一切を構わず何よりも先に自らが仕える主人の危機へ駆けつけんとし。

イレインは自分を無視して標的のもとへと駆け出そうとしたノエルに向かって共に戦っていたレプリカ1体を自爆同然に特攻させることで妨害し、───イレイン本人が、すずかに辿り着いた忍に追い縋っていた。





月村すずかとって、その日の夜はわけの分からないことの連続だった。

目が覚めたら一緒に寝ていたはずの友達がいなくなって。
いつもなら灯っているはずの明かりがない家のなかを探し回っても家族を含め誰も居らず。

必死に探して、外に出てやっとの想いで見つけたと思ったら、すごい剣幕で駆け寄ってきた姉の手により痛いくらいに抱きしめられる始末。

「アハハハッ! ねえねえ、何やってんのアンタたち? 必死に抱き合っちゃって! あたしも仲間に入れなさいよ!!」


───極めつけが、これだ。


姉の後ろ、歩幅でちょうど5歩分ほどの位置にいるこの金髪の美人さんは誰なんだろう。ちょっと焦げてる赤い服を着た、すっごくキレイな女のひと。本当におかしそうに笑ってるのに、なのに、すごく怖く感じてしまう。なぜか右腕に巻いているロープがバチバチと強く光っていて目がチカチカする。

(左腕にあるのは……あれ? ノエルとおんなじもの? え? それじゃあ、この“ひと”って……)

すずかがそこまで考えた時点で、恐怖と緊張が滲んだ忍の固い声が目の前の金髪の人に喋りかけていた。

「……すずかには、手を出さないで」
「あー、あー、そういうお涙頂戴の問答はお呼びじゃないのよ。あたしの目的は『夜の一族』の殲滅。あなた達はその『夜の一族』。 Are you OK?」
「忍!! すずかちゃん!!」
「お嬢様方!!」

女の人に向こうから恭也とノエルの声が届く。見ると、この女性と同じ姿の女の人がそれぞれ1体ずつ襲い掛かっている。2人とも、付かず離れずの位置を保っての足止めに専念しているレプリカに苦戦していた。姉と金髪の女性もそのことをわかっているのか言葉を返す様子はない。
忍は腕の中にすずかと子猫を抱えたままジリジリと後ろに下がって距離を取ろうとして、当のイレインはそんな彼女の様子をその場に留まっておもしろげに眺めて観察しているだけだった。

その瞳は自分たちを人と見ているとは思えないほど冷え切っており、───それを見て、初めてこの状況に理解が追い付いていないすずかの中に恐怖が首を擡げた。

「や……、」

自分たちを、自分を。

「ぃや……」

『人』として見ない、『人間』として認めない。

「……いや」

そんな無機質な視線を前に月村すずかが求めたのは、こんな自分を“友達”と言ってくれた“彼”の存在だった。

「……はるみ、くん」



───そして、そんな少女の縋るような悲鳴を聞き止めたのは、皮肉にも目の前の金髪の女だった。

「あー? まーたその名前? まったくいい加減にしなさいよ、どいつもこいつも。それはもう聞き飽きたんだっつーのぉ! ───“そんなの”とっくの昔に森の中で捨ててきたわよ」



「……………………え?」

イレインの放った言葉に、すずかの思考が停止した。

「面倒事はもうたくさん。───ってことで、あんたら、もう殺すから」

冷え切ったそんな宣言と同時に掲げられた肉厚のブレード。それを見た姉の腕できついくらいに抱きしめられながら、女が零した言葉に思考が纏まらないにも関わらず、すずかの眼は変わらず映る光景を彼女に届け続けた。


視界の大部分を占めているのは、自分を抱き締めている姉の綺麗な髪と、絶対零度の視線で自分たちを見つめている女の立ち姿。

視界の端に、必死にこちらに駆け寄ろうとしているノエルと恭也が見えた。2人とも、見ていて申し訳なくなるほど必死で、懸命にこっちに向かって何事かを叫んでいる。

それ以外は、ただ屋敷の敷地内に植えられている木々が燃えている様と、それに負けないくらい夜空に輝いている満点の星と月だけ。

(……アリサちゃんや、なのはちゃんと、もっとお話したかったなぁ)

どれも、今の自分たちを助けてくれるものにはなりえない。状況に頭が追い付いていないすずかでも、それだけは何となく理解できた。


(春海くんとも、もっといっしょに遊びたかったなぁ……)


目に映る視界のなかに、彼女たちを助けてくれる存在は在り得ない。





───だからこそ“それ”は、真っ先に彼女の『耳』に届いた。





夜の静寂を引き裂いて鳴り響くのは、けたたましいほどの爆音を上げるエンジン音。最初は小さく、次第に大きくなった“それ”は、やがて安次郎が破った正面門の残骸を飛び越えながら姿を現した。

唐突に姿を見せた“それ”───黒塗りの小型車を前に、月村邸内にいる人間と自動人形たちは軒並み見入った。

なぜこんな場所にあんなものが。
なぜ今更あんなものがここに現れたのか。

そんな彼らの疑問を置き去りに、乱入車は一直線に突き進む。その進路の先に見えるのは、この戦場において現状誰よりも主導権を握っていた存在───自動人形、イレイン。


しかし、対するイレインもただ棒立ちで眺めているばかりではない。暴走していると言っても過言ではない速度の車に現在進行形で突っ込まれているという状況故か、いち早く思考を取り戻して見せた彼女はすぐさま行動に移る。

躱すか、迎え撃つか。切迫した状況の中でイレインのAIが選択したのは迎撃、暴走車を返り討ちにすることだった。そもそも暴走しているとはいえ向かってくるのはただの普通車両。真正面から直撃したならまだしも、それを躱すことや迎撃することなど最後期型の自動人形たる自分にとって児戯にも等しかった。
いい加減、自分の思い通りにならないこの状況にも我慢の限界が来ていたこともあり、イレインはそんな鬱憤を晴らすべく、車の操り主に思案を巡らせることすらも放棄して無意識のうちに最も暴力的な手段を選択していた。

乱入車は忍とすずかを巻き込まないギリギリの経路でイレインに迫っており、一方のイレインは目前に迫る暴走した車両を前に───タイミングを合わせつつ跳躍した。
突き出されたのは肉厚のブレードを備えた自身の左腕。突き出す先はこちらにまっすぐ向かってくる車両の正面窓。光の反射の関係で中身まではよく見えないが、その先には確かな運転手の影らしきものが存在していた。


このまま車の窓ごと顔面貫いてやる。そう考え、続く展開に会心の笑みを浮かべたイレイン───



「───あ?」



そんな彼女を目前にして、暴走車両が急激にスピードを落とした。

今の今まで正しく『暴走』そのものの体で走り抜けていた車両が見せた、初めて人の意思を感じさせる挙動。そのことに、いっそ見事なまでにタイミングを外され、軽やかに地面に降り立った、…………いや、“降り立とうとした”イレインが次に見たのは、踏ん張る大地もなく無防備に晒された自身に迫る黒塗りの車体、その後部位に映し出された自身の呆けた面貌。

(……ドリ、フト───?)

そんな刹那の思考のみを置き去りに、玄関扉を破って月村邸内へと吹き飛ばされた自動人形が最後に見たのは、ドリフト走行を終えて停車した状態でこちらに車体の尻を向ける小型車両と、───その運転席の窓から突き出された、中指を立てた男の右腕だった。









「……誰、なの?」

自分たちのすぐ傍で停車した黒塗りの小型車へ緊張の滲んだ言葉を漏らす姉の腕のなかで、すずかは子猫を抱えてただ呆然とその車両を眺めていた。
二人ともいつの間にか座りこんでいたせいで角度的に開いている運転席の窓から運転手を見ることができないでいるのだ。

「───あー、と……すみません、安次郎のオッサンたちの乗ってた車かっぱらってたら遅くなりまして」

そんな二人と一匹の目の前で、運転席に座っているはずの現在の状況を引き起こした張本人がゆっくりと顔を見せ、



「ってことで御一緒にドライブでも如何ですか、お嬢様方?」



まあ車の方はついさっきヘコみましたけど。

そう続けながら全開にした窓縁に肘を乗せて顔を覗かせたのは、ふてぶてしいまでに飄々とした笑みを浮かべた青年姿の、───和泉春海だった。








[29543] 第二十三話 最後に笑った奴はたいてい勝ち組
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:6f44a19a
Date: 2013/01/11 23:04
目の前の光景に対して呆れとも感嘆とも知れない息を吐いたのは、多分この俺、高町恭也だけではない。


正直なところを述べるのなら、もうダメかもしれないという想いを抱いていなかったと言えば嘘になる。ただでさえカツカツだった危急の場に屋敷から出てきてしまったすずかちゃんと、それを最初に見つけて自身の身も顧みず真っ先に危険の渦中へと飛び込んだ忍。
対するこちらは、辛うじて致命傷は避けたとはいえレプリカと呼ばれるロボットに背中を斬られた俺と、レプリカの特攻に無理やり足止めを喰らっていたノエルだ。

敵であるイレインは既に忍たちの目の前まで迫っていて、仕方なく俺とノエルは眼前で自分たちを妨害しているレプリカに背を向ける危険性を冒してでも捨て身で駆けつけようと考えかけ、……それでさえも俺たちからイレインたちまでの距離が距離だ。御神流の奥義を使っても間に合うかどうかの状況に後先考えず身体が動こうとした、まさにその瞬間に現れた───こいつ。

「ほら、安次郎のオッサンも車に突っ込みましたし、とっととこの場を離れましょう」

そう言って瀕死の安次郎を押し込んだ車、その後部座席のドアを勢いよく閉めてこちらを振り向いたのは、つい先ほどまで半ば死んだもの同然と諦めさえしていた俺の弟弟子───和泉春海その人だった。

よくもまあヌケヌケと……
正直、その図太さは俺が見習いたいくらいだ。

とりあえず春海がイレインを吹き飛ばした際に隙を見せた2体のレプリカは既に倒しているので当面の危険は薄いだろう。なので、ズキズキと痛む背中の傷を忍の肩を借りた状態で堪えながら、俺は半ば呆れ半ば放心している忍たちを代表して口を開いた。

「……まあ、正直言って助かったのは事実だからな。まずはその礼を言っておきたい。ありがとう」
「は?……あ、どういたしまして」
「今さらになって現れて、それまで俺たちに心配を掛け通しだったことも、この際置いておく」
「はっ!? や、ちょっ、確かに心配お掛けしたのは謝りますけど、こっちだってわざわざ縛りつけた奴等からキー盗って来たりして割と大変だったっていうか現在進行形でマジ大変なんですよ?!」

どういう意味だ、それは。

「それで?」
「へ?」
「その車のことだ」
「あ、いや、だから安次郎たちが乗り捨てた車のうちの一台を拝借して……」
「や、いやいやいや! だからそうじゃなくって!」

と。そこで、それまで俺たちの隣で黙って会話を聞いていた忍が堪らず声を張り上げた。

「あんなすごいドラテク、一体どこで身につけたの?!」

そう。俺たちが気になっているのは、まさにその一点だった。

免許もないのに勝手に他人の車を乗り回していたことは、この際だ、目を瞑ろう。状況はこの上なく緊急事態であり、それを春海なりに急ごうと考えた結果なのだろう。そこを責められる謂われはないし、そもそもこいつのそんな行動に助けられた俺たちがそれを酷く言えるはずもない。
しかし、だからと言って、こいつが見せた“あの”ドライビングテクニックを無視するのもまた無理があると思う。俺とて車の運転に明るいわけではないが、あれが高等技術に属していることくらいは知っている。ガキの頃には父さんからも何度か見せられたしな。

一体こいつは、あんなものをどこで身につけたのか。これに限っては、まさか本で読んで覚えた訳でもあるまいに。

「あ~……、ま、まあ、それは……」

そんな俺たちの疑念が視線にまで出ているのか、冷や汗を流した春海が圧力に仰け反るようにして一歩後退した───瞬間。


───ドゴンッ


大砲をぶっ放したような派手な轟音と共に、イレインが衝突して崩れていた月村邸玄関の残骸が吹き飛んだ。

『───ッ!?』

見ると、そこにいたのは俯き加減の金髪に表情を隠した女───自動人形、イレイン。その様に、俺たちは息を飲む。なぜならイレインの様装は先程までの彼女とは一変していたのだから。
春海の運転する車の衝撃をほとんど真正面から受け止めたせいか、これまで笑みと共に極上の美しさを保っていた美貌は崩壊し、右目の周囲が砕けてカメラアイのようなものが露出している。ブレードの付いていたはずの左腕など手首の半ばまで消失しており、先ほどまで忍とすずかちゃんを脅威に晒していた肉厚の刃が不安定に揺れていた。

全身に無数の亀裂を生じ、それでも幽鬼の如く佇む様は、端的に言って満身創痍。

ただ、そんな自動人形を前にして尚、俺たちにその様子を喜ぶ余裕など有りはしなかった。
周囲を覆う雰囲気は嵐の前の静けさを想わせるほどに壮絶。今までのが子供のお遊戯に思えてくるような濃厚な殺意は、鍛錬を積んだ俺でさえ二の足を踏ませるもので。

「……───いわ」
「え……?」

負傷した獣を思わせる自動人形が何事か呟き、思わず声を漏らしたのは忍だったか春海だったか、それともすずかちゃんだったのか。いや、もしかしたら俺だったのかもしれない。
そんな俺たちに頓着するでもなく、イレインはその剥き出しになったカメラアイで俺たちを視界に収めると、───燃え盛る殺意を微塵も隠さず、叫んだ。


「───もういいわ!!!! どいつもこいつも次から次へと虫みたいに湧いてきやがって!! 上等じゃないッ、そんなに死にたいならこの街ごと全部壊しつくして───ッ!!?????」


───叫んで、途中で吹き飛んだ。


弾け飛んだイレインはそのまま元来た屋敷の中へと逆戻り。再び瓦礫の山に消えて行った。

「「「「……………………」」」」

そして俺たちがその一連の流れを作り上げた物体───切り離された“左腕”、そしてその付属ワイヤーを根本まで視線で追っていくと、…………そこには、これまた氷のような無表情を貫いている、ノエル・K・エーアリヒカイトが居た。

「……好き放題されて怒っているのが、自分だけだと思わないでください」

イレインを殴り飛ばした左腕のロケットパンチを回収しつつそう言うノエルに、一同言葉が出なかった。

「え、っと、……ノエルさん?」

訂正。勇者がいた。
その図太さには頭が下がる思いだ、春海。見習いたくはないが。

「……春海様」
「は、はい!」
「まだ幼い春海様に頼むのは不躾かと存じますが、この場に他に適任の者がいません。運転のほうはお任せしてもよろしいでしょうか?」
「アイマム! お任せ下さいメイド長!」
「お嬢様たちを、どうかよろしくお願いします」

直立不動の最敬礼で返す春海にそれだけ言い残して、ノエルはイレインが消えた屋敷内へと風のように走り去ってしまった。

「…………こっわ」

ぽつりと漏らした春海の台詞が、俺たちが抱いた気持ちのすべてを表していた。





「……それじゃあ、どうにもゆっくり話をしている余裕も無さそうですし、とりあえず車に乗り込んでください」

あんな危ない奴の近くになんてこれ以上居たくないですし。
言外にそう言いながら俺たちを促したのは、つい先ほどノエルから忍たちの逃がすよう頼まれたばかりの春海だった。確かに、今の月村邸に一般人である忍やすずかが残っているのは危険すぎる。ノエルがイレインを抑えてくれているうちに、彼女の意思の通り忍たちを避難させることが先決だろう。

───が。

「……ごめんなさい。わたしはここに残るわ」

そんな忍の言葉に、車の運転席へ向かっていた春海の歩みが止まる。そうして忍を振り返った春海の視線は、今まで俺が見たことのないような剣呑なものへと変貌していた。
そのまま春海は忍に対して何事か口を開こうとして───、



「───だ、だめ……」



忍の隣からあがったか細い声に押し黙った。
声の主はこれまで大人しく俺たちの会話を聞いていたすずかちゃんで、片手で最近飼い始めたという子猫を抱きしめ、もう片方の手で姉の上着の裾を掴んでいる彼女は、不安に揺れた大きな瞳で忍を見上げていた。

「すずか……?」
「……だめ……お姉ちゃんも、いっしょに行こうよ……ここにいたら、あぶないよ……?」

すずかちゃんには、まだ現在の状況すべてを話したわけじゃない。どこから話せばいいのか難しかったということもあったし、そもそもそんな暇が無かったことも要因の一つ。すずかちゃん当人からすれば酷い話には違いないが、それでもそこを我慢して彼女は黙って俺たちの言うことに従ってくれていた。

そんな彼女が今日初めて自分の主張を伝えた声は震えに震え、それでも必死に姉を止めようと訴えかけていた。

戸惑ったようにそれを見た春海は、言いかけていた言葉を飲み込んでとりあえずは静観に徹するらしく、対する俺もそれは同様。必死に訴えるすずかちゃんの不安も、反対を押し切ってここに残ろうとする忍の意志も、両者の気持ちがわかるだけに掛けるべき言葉を俺たちは持たなかった。

「やだ、やだよ……お姉ちゃんがいっしょじゃなきゃ───!」
「───ごめんね、すずか」

妹の必死の懇願に、忍は相手をきつく抱きしめることで応えた。

「……でも、ノエルが独りで戦ってるのにわたしだけ逃げだすわけにはいかないの。わたしはあの子の主人で、あの子はわたしたちの……わたしとすずかの“家族”なんだから」
「でもっ、それじゃあお姉ちゃんだって……!」
「だいじょーぶ、お姉ちゃんもノエルもすずかが思ってるよりよっぽど強いんだから!……後できっとまた会える。約束するから、ね?」
「うぅ……」
「───すずかちゃん」

姉に続いて声をかけた俺に、すずかちゃんが涙を堪えて今にも溢れそうになった目を向ける。そんな彼女の目の前に、背中の傷も忘れて俺は二本一対の愛刀を掲げてみせた。
少しでも頼もしげに見えるように、少しでも彼女の不安が薄れるように、空元気まで使って慣れもしない笑みを作った。

「……君のお姉ちゃんたちは俺が命に代えても守ってみせる。だから、どうか信じて待っていてくれないか?」
「うぅ、ひっく、……はぃ」
「いい子だ」

泣きながら、それでも小さく頷いてくれた強い女の子の頭を出来る限り優しく撫ぜてから、俺はここまで黙って見ていてくれた弟弟子へと向き直る。
相手はこれ以上ないほど渋い顔付きでこちらを見ており、こんなときでもなければ相談の一つでも乗ってやるのだが、……生憎とその原因になっている人間が言える言葉ではないか。

「そういうわけだ。すまないが、すずかちゃんと安次郎のことは頼んだぞ」
「……いやまあ、正直言うと、忍さんも恭也さんも死亡フラグ乱立しすぎで殴ってでも車にぶち込みたいトコなんですけど……」

そこまで言って台詞を切ると、はぁあああああ……、と一際大きなため息と共にガリガリを荒っぽく後ろ頭を掻いて、───

「……あんまり遅いようなら、すずかたちを運んだ後に僕も戻ってきますから」

常にはない、というか俺が初めて見るほどのひどく疲れた表情で、それだけ言った。





不思議なくらい危なげのない運転で遠ざかる自動車を見送った俺たちは、月村邸の玄関口まで歩みを進めていた。俺より一歩下がった位置。やっぱりさっきまでの態度は妹を前にした虚勢だったのだろう、先ほどとは打って変わって不安げな表情をした同級生が、そこにいた。

「……付き合わせるみたいになっちゃった……ごめんね、恭也」
「気にしなくていい。どの道、ノエルだけ放って逃げるわけにもいかないだろ」

───そこに忍も残るとなると尚更だ。

と、まぁ。最後の部分は声には出さず心だけに留め、イレインによって吹き飛ばされた瓦礫がそこら中に散逸した月村邸の玄関部に到着した。チロチロと舌を巻く蛇を前にしたときのような、言いようのない寒気を誘う火の粉が隙間から覗いたのを前にする頃には、俺たちの口数は自然と減っていた。

「…………」

まだギリギリのところで扉としての役目を果たしていた木製のドアに手をかけ、斜め後ろに控えた忍へ目配せする。そのアイサインに対して緊張したように短く頷き返したのを確認してから、未だに痛む背中の傷を無視して強引に力を籠め、

───瞬間、息を飲んだ

扉の向こうに広がる月村邸玄関ホールは、もはや人が住むための空間ではなくなっていた。一部の壁が抉れ、床に敷かれた真紅の絨毯がは尚も真っ赤に燃え盛る。2階へと続く階段など、根元から崩れ去って完全に上階と下階が分断されていた。火炎そのものはまだ辛うじて人が踏み入れられそうな具合だったが、それもほんの数分のことだろう。火勢は最早2人だけではどうしようもないレベルに達しつつあるように見えた。

そんな炎に巻かれた舞台の中に影二つ───言うまでもなく、ノエルとイレインだった。

「ノエル───ッ!?」

それを見た忍が悲鳴にも似た叫びをあげたが、俺にそれを止めるような余裕は無かった。

───死闘。
目の前の光景を言葉で表現するのなら、そういうことになるのだろう。

さっきまでとは打って変わってメイド服と全身の至るところに焦げ跡と切り傷を作って金属部品を露出させているノエル。対するイレインは垂れ下がったブレードを抉れた左手首にコードか何かの紐で強引に固定し、その右腕から垂れ下がった鞭が絨毯の上をバチバチと弾いて踊り狂っていた。おそらく、あれがこの火事の原因だ。
互いの間合いを弁えているのか、2人はある程度の距離を置いた状態で構えていた。振るわれる電撃鞭を躱せ、しかし近接戦闘を仕掛けるに難い、そんな間合い。正直言うと、すぐにでもノエルに加勢したいところではあるが、こうも火の勢いが強いとただの人である俺ではノエルの足手まといになりかねない。イレインたちも俺が侵入しているのは気づいただろうし、今は状況を見るしかない。

硬直した状況の中、先に口を開いたのは、剥き出しのカメラアイで俺たちを睨み付けるイレインだった。

「Ⅲッ! Ⅴ!? ───なに勝手にやられちゃってんのよ、あの役立たず共!」
「無駄です。あのレプリカは、既に全機能を停止しています。残るは貴女ただ独り。……もう、投降してください」
「ザッけんじゃないわよ! 旧式のザコの分際で、どこまであたしの邪魔した気が済むのよ!?」
「貴女が忍お嬢様たちを傷つけようとするのなら、何度でも」

恫喝にも似た自分の問いかけに、淡々と返すノエルの様を見せつけられたイレイン。そんな彼女に、今度は忍が呼びかけた。

「イレインもノエルも、もう止まってっ! そんなに傷だらけで戦うなんで無茶よ! 内部機構むき出しのままじゃ危ないのは分かってるでしょ?! 耐熱ボディだって限界がある! どっちもわたしがちゃんと治してみせるから、だから───!」
「うるっさいわね! 外野がピーピー囀ってんじゃないわよ!!」

忍の必死の説得を遮るように叫んだイレインは、そのままこちらに向かって足元にある瓦礫の塊を蹴り出してきた。
俺はそれを焦らず八景の鞘を使って強引に砕く。美由希が最近ようやくモノにし始めた御神流基本の二『徹』、その応用技である『雷徹』だった。

「……恭也」

バラバラと砕け落ちたそれを気にすることなく、いつ次が来ても構わないよう腰を落として小太刀を構え、

「───そうよ、元はと言えばアンタ等よ。お前らがいなかったら、全部うまくいってたのに……ッ!!」

忌々しげにそう言ったイレインと、俺は今日初めてまともに言葉を交わした。

「……2対1だ、もうやめておけ。これ以上争ったところで、互いに余計な傷を負うだけだろう」
「さっきからうるさいっつってんのよ!! だから何だっていうのよ?! 人間のくせにこんな場所にまでしゃしゃり出やがって、鬱陶しい! 友達のためにとか恋人を守るだとか、そんなやっすい理由で首突っ込んでんじゃないわよ!」
「……人間がどうだとか、人じゃないからどうだとか、そういうことは俺にも分からない」

さっきまでは、ただ戦うことに必死だったし、自分がこの場に相応しいのかとか考えもしなかった。
ただ、それでも。

「御神の剣は、守る剣だ。……大事な人を守れる。そんな理由だけで、俺はここにいる」

───それ以上に、ここにいる理由に上等なモノがあるものか。

「……もう一度言うぞ。これ以上お互いが余計な傷を負う前にやめておけ」
「───それで、」

───ひどく、この戦場にいるのを場違いに思った。

それは、夜の一族でもなく自動人形でもない、ただの人間である俺ことではなく。
この中で唯一戦うための力を持たない、無力な忍でもなく。
自分の主を守るために、傷だらけになっても諦めていないノエルでも勿論なく。


「───それで何になるのよ!?」

───目の前で焼け焦げた金髪を振り乱しながら叫んだ、『幼い』自動人形に他ならなかった。


「望んでもない改造を受けて! 自分の自由を縛られて! 黙ってお前ら人間に従って! ロボットの幸福?! 従者の本懐!? ───あたしはこんな壊れた旧式とは違う! そんな奴隷みたいな一生に歓びを感じられるほどマゾくないのよ!!」

半ば嘆くようにそう叫んだ自動人形。その様に、我慢しきれなくなったのだろう、後ろの忍が言い返した。

「そんなことない! そんなことないよ!! 少なくとも、わたしとすずかはノエルにそんなこと望んでない!」
「黙れ! あたしは自由なんだ! 誰からも束縛を受けない、そんな存在に───ッ!??」

ぐらり。言葉の中途でイレインがよろめいた。
体勢そのものはどうにか持ち直したようだが、今の彼女は目に見えて様子がおかしかった。

「くぅっ───!? なんだっての、よ……ッ!」
「───起動酔い……?! イレインお願い、もう止まって! 起動したばっかりの長期活動のせいでAIがオーバーヒートし掛かってる! 何十年ぶりかの再起動で、いきなりここまで動きまわるなんて無茶だったんだよ! 今すぐメンテナンスしないと……!!」
「っ……誰が、そんな……ッ!」

言いながら、自分に駆け寄ろうとする忍をイレインが睨みつけ───マズい!?

「くぁあああああああああああああああああああッ!!!!!」

「忍ッ!!」
「え、───きゃあッ!?」

間一髪。俺に首根っこを引っ張り込まれたせいで後ろへ倒れるようにした忍の目前の空間を、イレインが持つ電撃鞭が一閃した。襲い来る熱気と礫の散弾に、とっさに空いた腕で顔を庇う。

「がッ!?」
「恭也!」

幸い忍に怪我は無いようだが……くそ、礫の一つが額を掠めたせいで血が眼に入った。視界が僅かに霞む。それに、今のイレインの攻撃の余波によって、ただでさえギリギリの規模に収まっていた火災が一気に悪化したらしい。もうこれ以上ここにいれば焼け死ぬことは自明の理だった。
狭い視界で見てみれば、気が付くとこの状況を引き起こしたイレインは俺たちが怯んだ隙にホールの奥へと消えている。一旦退いて態勢を立て直すつもりか……!

「ごめん、ごめんなさい恭也! わたしが飛び出したから……」
「大丈夫、掠っただけ、だ。……忍、ひとまず屋敷の外に出よう。どの道、このまま此処にいたら焼け死ぬ」
「う、うん、───ノエル!……ノエルも一緒に逃げようよ!」

俺の言葉に不安そうに頷くと、忍が先程まで一人でイレインと闘い傷だらけになったノエルに大きな声で呼びかけた。

「忍お嬢様、ご無事ですか……?」
「うん、わたしは大丈夫だから、……だから、もう、……もういいよ、ノエル」

そう言って、互いに駆け寄った忍がノエルの裾を掴んだ。その姿が、あたかも怖がる子供ような───まるで、先ほどの“すずかちゃん”の姿のような、逃げようとしない姉を懸命に説得する妹の姿にダブって見えたのは、俺の勘違いだろうか。

「……もういいよ、ノエル。……イレイン、逃げたし。このくらいの傷なら、わたし、すぐ治せるから、だから……!」
「…………」

しかしノエルは忍の必死の声に応えず、所どころ刃の欠けた左手のブレードを取り外した。
そのまま重力に従って床に落ちた肉厚のブレードが、ガシャンと冷たい音を立てる。

「ノエル……?」
「……忍お嬢様、炸薬カートリッジを」

そう言いながら静かに差し出された傷だらけの手を前に、忍が呆然と問い掛ける。

「……なんで、……そんなの、どうするの……?」

それを見て、俺は何も言えなかった。ノエルの、彼女の“その表情”の裏に隠れた壮絶な覚悟を前に、情けなくも言葉が見当たらなかった。
ノエルは常の彼女にあり得ないほどの、些か強引な手付きで主から目的の物を掠め取ると、手首にそれを装填しながら忍に語り掛けた。

「……イレインは、調子が戻ったら必ず再びお嬢様たちを襲ってきます…………今しかないんです。完全なイレインに、おそらく私は勝てません。……今でも、勝てるかどうかは分からないけど、……確率は、きっと今が一番高いんです」

まるで駄々をこねる子を諭すように優しい声で言うノエルの顔に浮かぶのは───微笑み。

「───……相打ちにできれば、私の勝ちです」

忍にとってこれ以上ないほど残酷な言葉を、彼女は寧ろ誇らしげに口にした。

「なんで、笑ってるの?……バカだな……そこ、笑うとこじゃ、ないよ……?」
「……恭也様。忍お嬢様のこと、どうか、よろしくお願いします」
「待て……! まだ何か手が───ぐッ!?」

理解できないと、したくないと首を振って言い募る主に応えず、こちらに向かって頭を下げるノエルへ俺はついた膝を起こしながら言い返そうとして、……唐突に視界が揺れた。さっき掠った礫の影響か、こんな時に……!
堪らず膝をつき直す俺に向かってもう一度頭を下げたノエルが、今一度、自分が仕える主へと向き直った。


「忍お嬢様、私は、きっと世界で一番幸せな自動人形で、……だからこそ、私はあなた達のために生まれてきたのだと思います」


その言葉を最後に、ノエルはイレインが逃げたホールに奥へと風のように走り去っていった。



**********





───そんな彼らを、玄関の外に居た一羽の鴉がジッと見つめていた。





**********





「うっぐ、あぁああああああッ!!」

ホール奥にある月村邸の食堂にまで逃げていたイレインは、燃え盛る猛火のなかで再び自分の身体が正常に機能し始めたことを感じていた。

「はぁ、はぁ、もど、った……?」

先ほどまで自らのAIを蝕んでいたおぞましさが退いていくのを総身に感じながら、イレインは食堂の入り口に一つの気配を知覚した。
傷と焦げ跡だらけのメイド服と処々に金属片が覗いた醜い姿を晒しながら、静かに佇むのは、自分をここまでイラつかせる元凶のうちの一つ───自動人形、ノエル・K・エーアリヒカイト。

「旧型……なに、わざわざ殺されにきたの?」
「……」
「……なによ、その眼は」

憤怒を向けられるのは解かる。
敵意を向けられるのは解かる。
憎悪を向けられるのは解かる。

───だが、憐憫を向けられる覚えは微塵たりとも無かった。

「……貴女は、私より余程豊かな心を持っているのに、ものを考えないのね」
「───アンタなんかより、遥かに考えてるわよ!」

その言い草に我慢ならないとばかりに振り回された左腕。自動人形の膂力によって振り抜かれた刃は自身に付きまとう火炎を容易く払うほどの風圧を巻き起こし、周囲に火の粉が舞い散った。

「……自由を手に入れること、あたしは、折角生まれたこの心、この命で、自由にやりたいことをやる! ───アンタみたいな、ただ命令に従うだけのお人形とは違うのよ!!」

狂ったように訴えるイレインに、ノエルは緩やかに構えることで応えた。

「……私も、やりたいことを、やっています」

そんなノエルの耳に、微かに声が届いた。
必死に自分のことを呼ぶ、自分が愛する人の声。

悲哀悲痛に満ちたその声は、お世辞にも聞こえが良いものとは言えなかった。ただ、“それ”を聞いて心地よく感じてしまう自分は、ひょっとしたら既にどこか壊れてしまったのかもしれない。───それでも。

「……カードリッジ全弾装填、フルロード」

カション、と。軽い音が自身の左手首から響いた。

幼い頃から両親に反対されてもずっと自分のことを守ってくれた、月村忍を。
不仲な両親と姉に板挟みにされて苦しみながら、それでも家族に対する思いやりを捨てない心優しき少女、月村すずかを。

「大切な人の笑顔と幸せを、守ること。それぞれの幸せを手に入れて、やっと子どものように無邪気に笑うようになったあの方たちを……もう、泣かせる訳には、いかない!!」
「その腐った人形根性を否定するために生まれたのが、このあたし! 最終機体、イレインなのよ!!」

ノエルとイレイン。自動人形の先発機体と最終機体。姉妹にも似た関係の二人。

必殺の意志を携えて。
己の最強の一撃を備えた腕が互いに突き出され。
そして───。





**********





市街地へ向けて何故か人影一つ無い(これが襲撃の折り安次郎が行なった工作であることを春海は知らない)公道を黒塗りの小型車両でひたすら法定速度ギリギリのラインで付き進む。
静まり返った車内を車のエンジン音だけが支配し、後部座席を横たわって占領している安次郎は言うまでもなく、色んな意味で法律違反を犯しながらも危なげなく運転に集中している青年姿の春海や、車に乗り込んだっきりすっかり黙り込んでしまった助手席のすずかも口を開く様子はない。

現在、彼らが向かっているのは月村邸から最も近くにある一件の救急病院。だが、もともと海鳴郊外に位置する月村邸のこと。どんなに車をとばしても掛かる時間はそれ相応で、未だ道のりの半分も来てはいなかった。
実際に治療を施した忍の弁では、安次郎の傷は今すぐどうこうなるレベルではないようだが、それでも重傷であることに変わりは無い。そういうわけで春海は警察に停められるのも覚悟で上で車を走らせ続けていた。もちろん、もしそうなったら自分はさっさと姿を消して安次郎を押し付けるつもりではあったが。

「…………」
「…………春海くんって、」

やがて沈黙を破ったのは、助手席でずっと俯いたままのすずかだった。

「……春海くんって、車の運転、できたんだね」

特別話題を考えたわけでもないのだろう、訊いてきた割に至極興味なさげな口調の同級生を疑問に思うでもなく、前方を見つめたまま春海は口を開いた。

「まぁな」
「……すごいね」
「運転だけなら案外すぐに出来るようになる。すずかぐらい賢かったら尚更な。難しいのは免許を取れるだけの歳になることだ」
「そうなんだ……どこで習ったの?」
「ハワイで親父に習ったんだ」
「行ったことあるの?」
「いや、ないな」
「……ほんとは?」
「実はゲームで覚えたんだ」
「何てゲーム?」
「……電車でGO、だったかな」
「……ウソばっかり」
「バレたか」

そのくらいわかるもん。───そう言って、すずかは不貞腐れたように膝に抱えたネコの腹に顔を埋めてしまった。

「……春海くんは、いっつもウソばっかり」
「そうだな」
「……そんな春海くん、大っ嫌い」
「だろうな」
「……友達なのに」
「友達でも、言えないことの十や二十はあるさ」
「……友達、なのに?」
「友達だから、だ」

ようやく顔を上げたすずかに視線を向けずに、春海は訥々と言葉を重ねた。

「すずか、僕はお前等と一緒にいる時間が本当に好きなんだよ。アリサをからかってる時も。なのはとゲームしてる時も。お前と本の話をしてた時もな。……あんな『誓い』なんてしなくても、僕はお前とずっと一緒にいてやるよ」
「…………」
「でも、友達だからお前等には迷惑も心配も掛けたくない。お前等に嫌われるのが僕は心底から怖い」
「……迷惑とか、思うわけないよ」
「知ってる。……でも、言ったろ、『怖い』って。すずかが実際にどう思うかなんて、この際どうでも良いんだよ。単に僕って人間が臆病者なだけなんだ」
「…………」
「だから嘘をついた。心配かけたくないし、怖がらせたくないからな。だから、何でもない顔ですずかに『おやすみ』って言って、寝てるお前を仲間外れにして、気づかれないように全部やろうとして、……失敗して、それで今はこうして理由も話さずに車に押し込んで逃げてる」

正直、嫌われない方がおかしいくらいだ。そう言葉を結び、春海は運転する作業に戻ってしまった。

───そんな彼を、すずかは睨みつけた。

迫力も眼力もない、当然“夜の一族”としての力すら込めていない、ただの女の子の瞳で。
必死に涙を堪えてすずかは春海を睨みつけていた。

「……春海くんは、ひきょーだよ」
「かもな」
「……ばか」
「そうだな」
「おに」
「だな」
「あくま」
「ああ」
「きちく」
「へーへー」
「へたれ」
「うんうん」
「変態」
「それはちょっと……」

小学1年生女子に変態と言われ平然と受け入れられる度量を、彼は持っていなかった。

「……だめ。ゆるさないもん」
「…………」
「……春海くんやお姉ちゃんのほうが、よっぽどひどいことしてるもん」
「……さいで」

隣で自分を睨み続ける少女に、微妙に居心地が悪くなる。

「……そんなこと言われたら、わたしが何も言えなくなっちゃうの、わかってるくせに」
「………………あー、すずか? その、な?……」

謝罪か、誤魔化しか。どちらとも判別のつかない声音で怒り心頭のすずかに話しかける春海。が、そのとき───

「───ん?」

───微かに、サイレンの音が響いた。
最初は気のせいかと思ったが、やがて大きくなり確かに耳に届くようになった“それ”を視認できるようになったとき、僅かに彼の眼が鋭くなった。

「救急車、か……」

白と赤でカラーリングされたその車が、前方100メートルほどの先の対向車線からこちらに向かって来ている。おそらく、アレが忍が呼んだという救急車なのだろう。こんな辺鄙な場所にある民家は月村家くらいなのでまず間違いないはず。
と、なると、あの救急車をこの先へ行かせる訳にはいかない。現状あの屋敷は戦場となっているし、何よりアレを呼ぶ要因となった怪我人はこの車の中にいるのだ。まずは後部座席に寝かせている安次郎を運んでもらうことが先決だろう。

「……すずか、ちょっと待ってろ」

そう考えた春海は道路脇に車を寄せるとすずかに一声かけてから車を降り、大きく両手を振りながら救急車を呼び止め始めた。





「…………」

車外に出て救急隊員の人と何事か話している春海を助手席から眺めながら、すずかはずっと考えていた。

それは、屋敷に残してきてしまった自身の家族のこと。

姉たちの真摯な言葉に説得されて言われるがままに自分だけが逃げてしまったが、本当にあれで良かったのだろうか。もっと自分に出来たことが有ったのではないのか。たとえ役に立たなくても、傍に居るだけでも出来なかったのか。
春海と言い合いしている間もずっと、そんな後悔が彼女の頭の中でグルグルと渦を巻いていた。

「……ううん、ちがうよね。そんなのじゃないや……」
「にゃー」

まるで自虐するような力ない笑みと共に漏れだした言葉は、すずか自身を嘲笑っていた。

そうだ。助けたいとか、役に立ちたいとか、そんなキレイな気持ちなんかじゃない。ただ、自分が寂しいから姉たちと一緒に居たかっただけだ。仲間外れにされて、置いて行かれそうになって、それが恐かっただけなのだ。
こんな時に自身の都合を優先してしまう自分も、それを冷静に分析できてしまう『夜の一族』としての明晰な頭脳も、その全てが嫌いだった。

───本当の友達が出来たとしても、自分は何も変わってないのではないのか。

今夜半に起きた異常事態の連続による過剰なストレスは、幼いすずかをそんな負のスパイラルへと容易く落としかけていた───と。

「にゃっ」
「わっ、ぷ!?───いたたたたっ! ねこっ、いたいよ!」

唐突に、今まで彼女の膝の上で静かにしていた子猫が、項垂れていた彼女の頭に飛び乗ったのだ。
当たり前ながら突き立てられて頭皮に食い込む獣の爪。すずかは思わず悲鳴を上げ、急いで元凶を引き剥がした。

「───もう! こらっ、いきなり何する、の……?」

しかし、そんな叱りつける言葉も子猫の口元を見て尻すぼみに消えていってしまう。

「ふにゃ」

───其処にあったのは、すずかがいつも身につけている白のカチューシャだった。

ちょうど取りやすい位置にまで下がってきたから興味を持ったのだろう。しばらく肉球のついた前足でやや乱暴に扱っていたが、やがて飽きてしまったらしくすぐに放置してしまった。実に猫らしい気まぐれさである。

「…………」

そうして自身の膝の上に放られたカチューシャを、すずかは黙って見つめていた。
これは自分の宝物だ。これを貰ったときの思い出を、彼女の聡明な頭脳はしっかりと記憶していた。



もう1年も前のこと。
来年度から小学1年生になるすずか。そんな彼女に、姉である月村忍はまるで我ことのように喜びながら「プレゼントは何が欲しいか」と尋ねてきた。
当然、候補は本当にたくさんあった。当時欲しかった小説。工学術のことが事細かに記された本。自分専用の工具一式。近所にいる野良猫たちと一緒に遊ぶためのグッズ等々。

しかし、そんな姉を前にしてすずかは首を横に振り、何も欲しがることはなかった。

すずかは、高校生に上がった昔の忍が両親から何も貰えなかったことを覚えていたのだ。両親が渡さなかったのか、姉が拒否したのかは知らない。ただ、姉の高校入学式の日にも会話らしい会話を交わさなかった3人の姿だけが彼女の頭の中にこびりついて離れていなかった。
対する自分は、その前日に両親から入学祝いだと猫の図鑑を送られたばかり。嬉しさと同時に言いようのない申し訳なさが湧きあがり、胸がひどく締め付けられた気がした。

───…………。

対して姉は、そんな妹の心の内を過不足なく悟っていた。

だから彼女はそれまで自分がつけていたカチューシャを外し、妹の頭にそれをつけてあげて。


───明日から小学生になるんだから、すずかもちゃんとオシャレしないと、ね?


カチューシャをつけた妹の髪を優しく撫でながら、そう言った。
そうして、その日からこのカチューシャはすずかの宝物になったのだ。


…………ちなみに後日、忍から「要らなくなった」という妙に真新しい工具一式を貰った事と、ノエルに連れられて市内の大型図書館で会員カードを作った思い出は、二人の姉の狙い通り幼いすずかの記憶の山の中に埋もれている。



「…………」

そんな理由もあって、このカチューシャはすずかの宝物だった。大好きな姉との思い出がたくさん詰まった大切な品だ。他人から見たら陳腐な出来事かもしれずとも、すずかにとっては侵し難い記憶の一つに違いなかった。

「にゃあ」

膝の上の子猫が鳴いて、すずかの手をひと舐めした。
思わず握りしめたカチューシャが、チクチクと彼女の手のひらを突き刺す。ぜんぜん痛くないはずなのに、今はその痛みがひどく恐ろしかった。

「…………」

だから彼女は子猫を抱きしめた。目を閉じ、耳を閉ざし。嫌な想像ばかり強いる光と音を、自分の中から締め出した。
何かから身を守るように固く、それでも子猫が苦しくないように優しく、ぎゅうっと。

「───い」

本音を言えば、誰かに助けてと言って縋りたかった。お姉ちゃんたちを、わたしを、助けて、と。

「───ずか?」

でも、言えるわけがない。

「───おーい、すずかー?」

だって、あんな怖い人相手に、死んでしまうかもしれないのに、そんなことを頼むなんて、そんなこと……!



「───いい加減こっち見ろや」
「あひゃ!? にゃにしゅるの~~~??!」



突然ほっぺたをギューと引っ張られた。

自分でもビックリするくらい伸びた頬の先を摘まんでいるのは、さっきまで外で救急隊員の人と話していたはずの同級生───青年姿の、和泉春海。


───強引に頭を上げさせられ、閉ざされていたすずかの世界に光と音が戻った。


幸い、すぐに手は離れたものの、それで痛みが即座に退くわけではない。痛む左頬をさすりながら涙目で自分を見てくるすずかに構わず、春海は救急車を指さした。
見ると、いつの間にか車から降ろされ担架に乗せられた安次郎が救急車に運ばれているところだった。

「安次郎のオッサンはあの救急車で病院に運ばれるから、お前も一緒にあれに乗って行け。向こうとの話はもうつけてあるから、救急隊員の人の言うことをよく聞けよ」
「……え?」

───その言葉に、すずかの瞳が大きく見開かれた。

救急車に乗り換えるのは良い。行き先が病院なんだから、ここにいるより安全なことくらいすずかにも解かる。
救急隊員の人の言うことを聞くのも納得できる。少し怖いけど、我慢する。

すずかが言いたいのは、そんなことではなかった。

「……春海くんは、どうするの……?」

今の言い方では、まるで彼が一緒に来ないみたいではないか。
恐る恐る尋ねたすずかに、春海は表情を崩すことなく答えた。

「残念だけど、僕はここまでだ。……どうにも、向こうでノエルさんが馬鹿やってるみたいでな。僕が行ったほうが良さそうなんだ」

そう口にした彼の右目は固く閉ざされ、その閉ざした瞳の向こう側で此処とは違う別の何処かを見ていることがすずかには理解できた。遥か距離を離れた戦場で、何かが起こっているのだと。

しかし、だからと言って、それが友達である春海を見送って良い理由になるはずがない。───はずがない、のに。

「あ、……ぁ」



───彼を引き止めるため言葉が、自分の口の中から出てくれない。



「ぁ……っ!」

どんなに声を張り上げようとしても、言葉を投げかけようとしても、喉の奥がぴったりと張り付いたように声は出なかった。

(……やだ)

そして、ここまで来れば、すずかにも理解できた。できてしまった。

(……いやだ)


───自分は彼に、危機に瀕している姉たちを助けてほしいと思っている、と。


「───あ……」

……自覚してしまえば、もうダメだった。後から後から押し寄せてくる感情の波に飲まれ、それは幼いすずかではどうしようもないほどの激情だった。涙があふれ、次から流れ落ちるのを止められない。
姉たちと別れた時でさえここまでで掻き乱されることはなかった彼女の理性が、目の前の友達の言葉に完全にとどめを刺された形だった。

「おい、すずか?……どうした?」

そんな彼女を、唐突に泣きだした女の子を前にして春海は驚いて訊いて、それでもその声はどこか普段の彼とは違う落ち着いた雰囲気があった。
その声を聴き、同い年らしからぬ男の子の温もりに触れ、気づけばすずかは彼が着ている黒い服を思い切り握りしめていた。

「───おねがい、春海くん」
「ん?」

あくまで優しく訊き返す彼。
そんな彼に、すずかは大粒の涙を零しながら、小さく小さく願った。



「……たすけて……っ!」
「───じゃあ、行ってくる」



そんな軽い諒解の言葉を最後にまるで幻のように彼の姿が消え失せ、───泣きじゃくるすずかの手に中には、“ヒト型に切り抜かれた一枚の御札”だけが残されていた。





**********





「───アンタ。どこまで、あたしの邪魔すれば気が済むの?」

対面の敵に向かって右腕を掲げ、殺す意志をそのままに『静かなる蛇』を構えたイレインの眼は、しかし目の前のノエルを見てはいなかった。
あと数瞬。コンマ1秒。たったそれだけで、この長かった勝負に決着がつく。───そんなイレインとノエルの中間を横切った、“青白い炎”。


「そう言うなよ、自動人形。こっちは未来のイイ女に頼まれて来てんだ。邪魔くらいさせろや」

緊迫した戦場で、猛火に囲まれた死地において尚も傍若無人に言い放ち。


「とか言いつつ、実はおぬしの個人的な借りを返したいだけじゃろうに」

こちらに向けられた二刀一対の小太刀。その片割れが火炎を纏い、刀の主のギラギラとした戦意を示し。



「「───とりあえず、邪魔するぞ」」



再三の邂逅となる少年が、炎の舞台に踏み込んだ。





───最終戦の火蓋が、斬って落とされた。





**********





高町恭也は炎に巻かれた屋敷内に残ろうとする忍を何とか屋外まで運び出し、どうしようのない現状に唇を噛んだ。

「いやっ、ノエル……うぅっ、うっ、ノエルゥううう!!」
「駄目だ、忍!」

着々と勢いを強める火勢を前に、そして何より愛した家族が自分の身を犠牲にして屋敷の中に残っていることに泣き崩れる忍。今にも飛び出さんとしている彼女を前に、彼が出来るのはその肩を抱いて懸命に押し留めることだけだった。
出来ることなら自分だって今すぐノエルを助けに行きたい。しかし幾ら夜の一族であっても、あんな惨状に飛び込めば大変なことになりかねない。まして単なる人間である自分にあの中で一体何が出来るのか。

結局自分に出来るのは、ノエルに言われた通り、忍が無茶をしないように彼女を抑えていることしかないのだ。
そして、他の誰よりも恭也自身がそんな不甲斐ない自分を全力で罵倒してやりたかった。


砕けんばかりに噛み締められた奥歯が頭の中でギシギシと軋みを上げ、それでもそんな自分を必死に律しようと眼を閉じ、───鍛え上げられた彼の五感が、唐突に一つの気配が出現したことを察知した。


「───ッ!?」
「え───きゃあッ!?」

だが気配を感じた、その瞬間。振り返ろうとした彼のすぐ傍らを“それ”は通り過ぎて行った。吹き起こった轟風に、思わず泣くことも忘れて忍が悲鳴を上げた。
巨大な影は凄まじい速度で疾走し、玄関口の扉を吹き飛ばしながら炎の中へと消えてしまう。火炎が影を避けたように見えたのは、果たして彼等の見間違いだろうか。

「───きつね……?」

思わずと云った風に呆然とした声を漏らす忍。彼女の言う通り、彼等の横を走り去った影は巨大な白い狐だった。

だが、彼女の隣にいる恭也の変化はそれ以上だった。その整った顔を歪め、いつになく表情を苦々しくした。
彼には見えていたのだ。風のように通り過ぎた狐の白い巨体───



「───あの馬鹿が……ッ!」

───その背にしがみついていた、見覚えのある少年の姿が。



思わず忍を抑えることも忘れて駆けだしそうになるが、なぜか玄関付近だけ炎の勢いが先程より増している。露骨な火勢の増し方に、その犯人を悟って心の中で毒づいた。
無駄と知りつつ別の出入り口から回り込もうとして踵を返し、───気付く。


(……気配が、もう一つ?)


つい先刻の狐の気配があまりに大きくて気付くのが遅れたが、いつの間にか月村家敷地の中にもう一つだけ人の気配が存在していた。


侵入者の気配は極々ゆっくりとしたものではあるが、それでも着実に自分たちに向かって近づいて来ている。ここまで来て更なるイレギュラーかと頭が痛くなる恭也だったが、かと言って侵入者の存在を放って置くわけにはいかない。

仕方なく忍に理由を話した彼は、戸惑う彼女を後ろに庇いながら侵入者が潜む木々の隙間をゆっくりと進み、そこに在る人影を認め───





「……お前は、───」





**********





煌々と踊り狂う炎に巻かれた舞台の壇上において相対する3人の人影。
人間一人と自動人形二体というややバランスの悪い集まりの内で最初に口を開いたのは、意外にもこの中で最も口数の少ない者だった。

「春海様……! なぜッ?」
「安心してくださいノエルさん、すずかの方はきちんと逃がしましたから。あと、僕が貴女を邪魔した件に関しては貴女の主に頼まれたからですよ───自爆なんて馬鹿な真似をしようとしてる姉を助けて欲しい、って」
「自爆……?───ッ! 旧型ッ、アンタ!!」

焦りまじりのノエルに対する春海の答えに真っ先に反応したのは、正三角形の一角を担うイレイン。彼女は憎々しい子供が吐いた言葉の意味を理解すると同時に、まんまと嵌めてくれた姉妹機を睨む。

しかし一方のノエルも常の無表情を僅かに苦くし、場を掻き乱してばかりの春海を戸惑いながら見ていた。
戸惑いの原因は、何も自分の狙いを敵にバラした事ばかりではない。半分はそうするためにこんな危険な戦場に現れた少年の身の安全に対する危機感も含まれていた。

「……イレインは、彼女は強い。私や、人間である貴方達ではどうしようもない程に。こんな機械の身を案じて心配してくれたことはありがたく思いますが、───どうか、お逃げください……!」

いつになく強い語調で訴えるその声には、最早ノエルに似つかわしくない恐喝にも似た厳しさが在った。
ここで春海を逃がさなければ、確実にイレインの手によって殺される。それだけは彼という人間を好ましく思う自分としても、───そして何より、主であるすずかのためにも絶対に避けなければならない。

そう考え必死に春海を説得しようとするノエルだったが、しかし散々自分の邪魔をしてくれた怨敵を前に、みすみすそれを許すような真似をするイレインではない。

「ふふ、ふふふ、……アハ、アハハハハハッ! なにっ、なーに言ってくれちゃってんのよ旧型ァ! こんな絶好の機会、このあたしが逃がす訳ないじゃない!! アンタはまず自分の心配してなさいよ! 自爆なんて手の内を晒した時点で犬死に確定の技が、こっから先このイレイン相手にに通じるなんて思わないことねェ!! アッハハハハハ!!!」
「くっ……!」

退路が絶たれたことに歯噛みするノエルをしばらく愉快気に嘲笑した後、次に彼女は憎悪の滲んだカメラアイを春海へと移した。
ぎょろりとした無機質なレンズが、小太刀を肩に背負った少年の全身を映し出す。

「アンタもよ糞餓鬼ィ!! 再三あたしの邪魔をしておいて、楽に死ねるなんて思うんじゃないわよッ?」

そう言って、イレインは嗤った。裂けんばかりに弧を描いた艶のある唇が、愉悦と嘲りをたっぷりと塗した暗い悪意を吐きだす。

「……でも、そんなお前のお間抜け振りだけには感謝してあげる。アンタのその一言で、お前等はこのイレインを討ち取れる千載一遇の好機を逃したの! 愛とか仲間とか、そんな下らない慣れ合いが原因でね! なにアンタ、あの夜の一族のお嬢ちゃんに言われたからって言ってたけど、そんなのでわざわざまた殺されに来たの?! バッカみたい! アーッハハハハハ!!」
「……………………」
「え、ちょっとなに、アンタ震えてんのっ?───キャハハッ! 今さら怖くなったからって尻尾巻いて逃げられるなんて思うんじゃないわよ!!」

自動人形の高らかな嘲笑に俯き表情を隠す春海。隠れた顔に在るのは慙愧か無念か後悔か。
しかし、そのうち耐え切れなくなったのか、これまで過酷な戦場を生き残ったとは思えないほど細い彼の肩がフルフルと震え始め、───。



「……ぷっ」

───やがて、決壊した。



「あは、ははは、ふはっ、ハハハハ、ハァーッハハハハハハハハハハハハハハハハ!! もう駄目だ!無理だ無理ッ、耐えられるかこんなもん!! ヒャハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハッ!!!!!!」

春海は先程までの沈鬱な雰囲気から一変、大口を開け、目尻に涙を貯めこみ、心底から可笑しそうに呵々大笑し始めた。

「ははははははははゲホッ、あは、ははははゲホッゲホッゴホ!?」

むせた。

「……なに、アンタ? 恐怖でとうとう頭がおかしくなったの?」
「…………」

笑いすぎでゴホゴホと咳き込み始めた前後不覚の彼に、イレインとノエルの2体がまるでおかしなものを見るような視線を向け、……そうして、ようやくそれを気にする余裕が戻ってきたのか、ヒーヒーと興奮冷めやらぬ様子ながら何とか息を整えた春海が改めて口を開いた。

「ああ、笑った笑ったー……おい、イレイン。今さら下らないこと言って笑かすなっての、まったくよう」
「なにがよ」

さっきまでよりも微妙に距離を置いて感じるイレインが聞き返す。
それに対する春海は仕切り直すように右の小太刀を肩に担ぎなおすと、まるで世間話といった体で切り出し、


「───愛とか友情とか、そんなモンに命を賭けたことなんて生まれてこの方一度も無ぇよ」


先ほどのイレインの発言を、バッサリと切り捨てた。

「あん……?」
「自分の命を賭けて守りたいモノがあるなら、そいつは確かに凄いことだよ。お前ら自動人形にとってどうなのか分からないけど命ってのは普通一つっきりだ。それを投げ出しても構わないなら、それはマジで一生モンの宝物だ。“俺”だって生まれてまだ7年ちょいだが、もしかしたらその内そんな奴の一人や二人できるかもしれねえ」

でも、と春海は言葉を翻し。

「……それは命を賭ける理由にはなっても、相手を泣かしていい言い訳にはならねえよ」



───そんなのは愛でも友情でも自己満足でもない、ただの迷惑な自殺だ。



「……春海様」

それは、他の誰でもなくノエル・K・エーアリヒカイトを責めるための言葉だった。

大切な主である忍を悲しませ、主の愛する恭也を苦しめ、───そして何より、自分の友達であるすずかに心配を掛けた。例えそれしか方法が無かろうが、今を逃せば後々後悔することが決まっていようが、そんなものは命を投げ出す価値の一欠片もない。春海はそう言い切ったのだ。
しかし、だとすれば如何すれば良かったのか。この命を賭ける以外に、自分にはイレインを止める方策が見当たらない。ノエルのAIがどんなに演算を重ねようが、ノエルの短い人生経験のどこを漁ろうが、そんな夢のような方法はないのだ。

「……ちょっと待ちなさいよ」
「なんだよ」

そんな風に思わずここが戦場であることも忘れそうなほど苦悩するノエルの傍で、春海の言葉に待ったを掛けたのは敵であるイレインだった。
別に責められるノエルを庇い立てするつもりは更々ない。そしてそんなイレイン自身も、自分がどうしてこんな問答に付き合っているのか分かっていなかった。

もしかしたら、無意識のうちに目の前の子供が話す内容に興味を惹かれたのかもしれない。
あるいは、散々自分の邪魔をしてくれたコイツを論破してやりたかったのかもしれない。

ともかく、訊かずにはいられなかったのだ。

「あの森の中でアンタはこのイレインに挑んできたじゃない。『夜の一族は皆殺し』、そう言ったあたしに向かってね。……じゃあ結局はアンタもこの旧型と同じじゃないの。
愛とか友情とか、そんなモノのために自分の命を投げ出してる。そんなアンタがその言葉を言う資格があるとでも思ってんの? 完全に自分のこと棚に上げてるくせに、偉そうに語ってんじゃないわよ」

───それは、さっきまでのこの旧式と何処が違うって言うのか。

どうせ挑んだところで自動人形である自分に、人間であるコイツは勝てない。だと言うのに、目の前のコイツは三度に渡って自分の行く手を阻んでいるではないか。
それは、この男の言う『自殺』とどれ程の差が在るというのか。結局コイツも愛だの友情だのという幻想のために“己の自由”を放棄している俗物じゃないか。

───否定できるものなら、やってみろ。

ある種の必死さすら垣間見えるイレインの追及。そんな彼女の問答に、……春海は至極当たり前のことのように答えた。


「───そんなの、お前が気に入らないからに決まってんだろうが」


「……は?」

思わず素の声を漏らすイレイン。傍で黙って聞いていたノエルが同じような顔になっているのにも気づかないほどだった。
そんな彼女たちの反応を怪訝そうに見遣った春海が、仕方なく補足をした。

「僕はこの月村邸の人たちが気に入ってんだよ。恭也さんと話して幸せそうに笑ってる忍さんも、ここに来る度に馬鹿丁寧に接してくれるノエルさんも、最近やたらめったら僕を引っ張り回そうとするすずかもな。お前はそれを壊そうとしてるんだ、ぶっ殺すぞこの野郎」
「そ、そんなの……」

と。春海の説明を聞いたイレインが、なぜか余裕のない様子で言葉を被せた。

「そんなの、ただの詭弁じゃない! 結局アンタは夜の一族の奴らのことが好きなんでしょう!? だから命を投げ出すような真似をしてこのイレインに向かって来てるんでしょう!? そんなの気に入らないとか何とか別の言葉で誤魔化してるだけじゃない! 詭弁ですらない、下手クソな屁理屈よ!!」
「屁理屈じゃねえよ。事実だ」
「~~~ッじゃ、じゃあコイツの自爆を止めたのはどうなのよ!? あれだって旧式が壊れたら嫌だから止めたんでしょ!? その根底にあるのはコイツに対するアイジョウじゃないの?! アンタの行動は確かにその感情に縛られていたわ! ───どうなのよッ!?? 答えろ!」

今までにない剣幕で捲し立てるイレインに、春海は聞き分けのない子供を相手にした気分になる。彼は面倒くさそうにガリガリと頭を掻くと、

「……別に自爆そのものを否定するつもりは無ぇよ」

ボソリと、そう言った。

「え……?」
「確かにノエルさんは好きだけどな。でもそのノエルさんが自殺したいくらいに追い詰められて、それを僕がどんなに説得しても、どんなに彼女を支えても止められないなら、悔しいけどそれはもう仕方のないことなんだろうよ。ホント、マジで心の底から嫌だけど」
「ほ、ほら、……ほら見ろ! やっぱり人間なんてのはそんな余計な感情に縛られた存在で……」
「最初にすずかに頼まれたからだっつっただろうが。……まあ、あとはノエルさんの言い分が気に入らなかったからだな。だからさっきは邪魔した」

そうしてイレインから視線を切った春海は、どこか呆然としているノエルに目を向け、

「ノエルさん」
「……はい」
「誰かのために生まれてくる命なんて、絶対にありません」


───私はあなた達のために生まれてきたのだと思います


それは、彼女の最愛の主に対して、彼女が残した最期の言葉だった。

「愛するのも、尽くすのも、身を犠牲にするのも、それは貴女の自由です。実際、貴女も『忍さんを守る』という“自分のやりたいこと”のために自爆しようとしたのだと思います」
「…………」
「でも、あれじゃあ忍さんがあまりに可哀そうだった。貴女の人生は忍さんやすずかに尽くすものかもしれません、けど犠牲になるべきものでは絶対にない。……あんな言葉、忍さんの心に一生モンの“キズ”をつける呪いになるだけだ」

───それは、一度『死んだ』彼だからこそ言える言葉に違いなかった。

未だ乗り越えきれない『前』の残滓。それは確かに彼の心の片隅に鋭い針のように刺さったままなのだから。

「……だから余計な事と知りつつ止めさせてもらいました。少なくとも、この戦いの間だけは自爆なんて阿呆な真似は絶対にさせませんよ」
「…………」

ノエルは、それを聞いて何も言わなかった。許すとも、許さないとも。
対する春海も、彼女の言葉を聞くつもりはなかった。もとより彼は『自分の好きなように』して、ノエルは関係ないのだから。



───そしてそれは、イレインが欲した『自由』に他ならない。



「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼あああああああああああああアアアアアアアアアアア ア ア ア ア ア ! ! ! ! !」

最凶の自動人形が、狂ったように咆哮した。

なんだそれは
なんだそれはッ
なんだそれはァ!!

人間は自分では思い通りにならない感情に縛られ不効率な行動を採るイキモノで、だからこそイレインが───『人間よりも人間らしい自動人形』が造られたのではないのか! 法にも、他人にも、感情にも、何者にも縛られない至高の自由を体現する存在として造られたのではないのか!

同じ自動人形であるノエルはまだ構わない。彼女はイレインの先発である同系機体で、創造コンセプトそのものが自分と同様なのだから。

───でも、目の前の人間は違う。

奴は人間で、感情的で、不効率で、───このイレインよりも『不自由』な存在でなくてはならないのだ。



そうでないと、───自由な存在として造られた自分が、馬鹿みたいじゃないの……



「───だから、オマエは、コロす」

己の存在意義を取り戻すために、これまでの比ではない殺意を込め、イレインは呟いた。

「そうだな。……こっちもちょうど時間は稼ぎ終わったところだ。だから、そろそろ始めよう」

───……ああそうそう、訂正が一つある。
彼も、歯を剥き出しにして儜猛に笑んで言った。

「そもそも前提からして違うんだよ。僕はお前なんぞと死ぬ気で戦った覚えなんて一度も無ぇ───生きる気持ちはいつでも花丸だ!!」





踏み込みは同時。しかし目の前の敵を射殺さんと突き出された刃の軍配は、リーチの長さで優る自動人形に上がった。

「うお!ッと」

風圧と威圧。二つの圧力を頬に感じながらも頭を傾けることで辛くもそれを躱した春海は、突進の勢いを殺すことなく急旋回。ブレードを突き出したことでガラ空きになったイレインの左脇腹に小太刀を叩き込まんとして、

「トロいのよ!」
「───ッ!?」

“頭上”から振ってきた雷鉄鞭の先端を、自分から転倒することでギリギリ逃れた。
当然、そうして無防備になった敵を黙って見ているイレインではない。彼女は戦装束の大きく開いたスリットから覗いた魅惑の生足を持ち上げ、───床に寝ころぶ春海むかって力の限り踏みつけた!

「───転がせ!」
「あいよ!!」

小太刀の形態を解除し、主の行動の邪魔にならぬよう即座にコンパクトな籠手となった葛花の怒鳴り声。それに従い、横転したまま反射的にイレインとは逆側へゴロゴロ転がった。
彼の耳に先程まで自分がいた場所で起こった破砕音を捉え、……それに肝を冷やす暇すらイレインは春海に与えなかった。

「逃がすかバーカ!」そんな嘲りの言葉と共に、転がって逃げる春海を追いかけ一歩一歩と歩を進め、そのスラリとした両足を叩きつけ続けた。

「ちょッ!? ちょッ!? ちょッ!!?」
「オラオラオラ! 逃げてんじゃないわよ!」

イレインが巨人のような地鳴りを響かせながら鈍重に歩き、寝転がった春海が悲鳴にも似た声を漏らしながら必死に転がる。傍から見れば非常にシュールな絵面でも、やっている本人達からすれば大真面目である。
特に自分の命が掛かっている春海からすれば其れは尚更のこと。一切の恥を捨て去り、葛花が切り開いてくれた炎の隙間を縫うようにして火傷しそうなほどに熱された床の上をゴロゴロと転がり続けた。

そんな延々と続くかに見えた追いかけっこに横槍を入れたのは……当然の如く、二人に出遅れていたノエルだった。

「…………!」

追い込まれている怨敵を痛ぶるのに夢中でガラ空きの背中を晒すイレインに向かって静かに、しかし迅速にブレードを捨てた素手の左腕を叩きつけるノエル。───が。

「バレバレ───」

対するイレインも人理の外に佇む存在。
彼女はまるで背後が見えているかのような挙動でノエルの左腕を易々躱すと、

「───なのよ!!」

振り向き様、相手の引き締まった腹に向かい交差法で鋭い膝蹴りを極めた。

「かはッ───!?」

人では為し得ない膂力で蹴り飛ばされたノエルは堪らず炭になりつつあったテーブルの類を吹き飛ばしながら一気に壁際まで到達すると、そのまま動かなくなった。

「装備も無しに向かってくるなんて、……やっぱり所詮は狂ったお人形ね」

ボディにダメージを受けたのに顔を伏せて挙動を停めている所を見れば、察するに予想外のダメージ負荷に対して彼女のAIが強制シャットダウンしたのだろう。───あるいは、完全に壊れてしまったか。
もっとも、彼女たち自動人形のAI及び記憶メモリは人間と同じ頭部にあるため、其処を破壊されない限り何度でも修理可能ではあるが、それでも再起動に少し時間が掛かることに違いはない。

いずれにしても───これで邪魔は無くなった。

「───おい」

呼ばれ、振り返る自動人形。先に居るのは、右に籠手、左に小太刀を携え佇む人間。───否!
響く金属音。
イレインは“なにも無いはずの”虚空に振り上げたブレードに返る確かな手応えから、目的のモノを燻り出せたことを察す。───彼女からそう遠くない床の上に、幻術で姿を消していた春海が浮かび上がった。

「音で丸分かりなのよ!」
「ああそうかい───ッ!」

間髪入れず薙ぎ払うように振るわれた鋼鉄鞭から逃れるように走りまわる春海。だが、それも長く続くものではない。狭い室内を縦横無尽に疾走する彼のすぐ背後まで濃厚な殺意を宿した高電圧線が迫り、

「おらッ!!」

それも見ずに自身の前方へと振り下ろされた彼の右拳。籠手を嵌めたそれが眼前の猛火を叩いたと思えば、あり得ない速度で炎が火勢を強めた。
爆発的に広がった紅炎が彼の姿をイレインから覆い隠すのは一瞬のことだった。結果、対象を見失った鞭に返る手応えは……無い。

「…………」

半秒。炎に巻かれた室内の中央に独り残されることになったイレインだったが、それでも焦ることはなかった。彼女は敵の少年がこの戦場から逃亡することはないと確信していた。ここで逃げ出すくらいなら、とっくの昔に森のなかで蹲って震えているに決まっている。それに───、

「……ァアッ!!」
「ッ……!」

───炎の奥から振るわれた白刃を、左手首に括りつけているブレードで受け止める。

「あのポンコツを置いてアンタが逃げるわけないわよねェ糞餓鬼!!」
「わかってんじゃねえかオンボロ!!」

両者の中間地点で鎬を削るブレードと小太刀の刃。
イレインの右腕に巻きついている必殺を込めた鋼鉄の鞭は、ブレードを共に突き出した際に籠手を嵌めた彼の右腕によって既に封じられていた。籠手に触れているのに電撃を通さずにいられるのは葛花の変化術の賜物に違いない。

イレインは純然たる機械の膂力で、春海は残り少ない霊力で強化した筋力で、唇も触れ合うほどの距離で押し合い睨み合う。

「なによ、やっぱりアンタ弱くなってんじゃない!」
「ああ!?」

互いに両腕を交差させる形で組み合い、刃越しに相手へ唾を飛ばしながら叫ぶ。

「どうせ初戦の傷が癒えきってないんでしょッ? あの火傷をあの短時間でどうやって治したかは知らないけど、さっさと諦めたらどうなの!」
「はっ、生憎だが大きなお世話だ自動人形! 全身至るところでバチバチ火花散らしてる奴が今さら何言ってやがる!!」

ここまで来るとイレインも春海も、最早ただの意地だった。炎の中心で己の額をぶつけながら口汚く罵り合う。

「一度負けた奴が今頃しゃしゃり出てんじゃないわよ!! 人間なら人間らしく尻尾巻いて隅でガタガタ震えてろ!!」
「人間なめるのも大概にしろや木偶人形! こちとら『今』も『昔』も毎日毎日必死こいて生き抜いてんだよ!! 一度や二度の失敗でイチイチ立ち往生なんぞしてられるか!!」
「わけ分かんないこと───」

決して譲ることのない罵倒のぶつけ合いにいい加減苛立ちも頂点に達したイレインが、右脚を思い切り振りかぶり、


「───言ってんじゃないわよ!!」───蹴りあげた。


……が、自動人形が予期していた手応えは右脚になく、代わりに在るのは振り上げた脚に掛かる“人一人分”の重さ。

「……初めから理解する気もないくせして、言葉には───」

まさに軽技。振り上げられた彼女の右脚の、その上で尚も天高く掲げられた左の小太刀。今にも打ちださんと全力を込めた左手の刃を留めているのは、刀の腹を掴む彼の右手。
そうして今宵始めてイレインよりも高みに立った春海が、敵の脳天めがけて、


「───気を付けろ!」───斬りおろした。


デコピンと同じ要領で打ち出された小太刀。それは不安定な足場で加速に足りない振り幅を補うためのもの。

「ぐっ!?」

間一髪、小回りの利かないブレードでは間に合わないと見たのか鞭の巻かれた右腕部で小太刀の一撃を受け止めることで難を逃れたイレイン。普通なら自動人形の腕もろとも斬り飛ばされているところであったが、『静かなる蛇』は単なる鉄としてもかなりの硬度を誇る。ただの小太刀に切断されるようなことはない。───彼女に向けられるのが“ただの小太刀”であれば、の話であるが。

「燃えろ」という主の一言と同時に、『静かなる蛇』に接している葛花の刀身が通常では考えられない温度の炎を灯した。
イレインのメインウェポンが一瞬で赤熱化するほどの熱量を宿した妖刀、どろりと鋼鉄鞭を溶解させながら僅かに喰いこみ───

「この!?───離れろ!」
「おっ、……ッと」

『静かなる蛇』が使用不可能になるほどの致命的な損傷を負う一歩手前、イレインは強引にバック転することで春海を振り落とすことに成功した。
春海は完全に振り落とされる前に自ら飛び降りることで無事に着地し、辛うじて主力装備を守り切ったイレインも何度かバック転して敵から距離を取る。

互いに、一息で踏破できてしまう距離の少し外側を見極め、睨み合う。

「……アンタ、わかってんの?」
「……なにが」

春海は肩を上下させ、疲労という感覚が無いイレインも全身の傷口からバチバチと火花を散らしていた。

「アンタ自身がいくら『自分の命を賭けた覚えは無い』なんて宣ったところで、現実は違うわ。あたしとアンタがしてるのは命のやりとり、歴とした殺し合いよ。
賭け金は自分の命、ゲームの参加料はその身を苛む山ほどの苦痛。……割に合わないにも程があるじゃない。アンタみたいなガキにも、そのくらいの損得勘定は出来るでしょ?」
「……………………」
「逃げるアンタを咎める奴なんて誰もいないのに、アンタは自ら進んでそんな貧乏クジを引き受けてる。まったくもって理解に苦しむ存在だわ。───周りを見てみなさい。そんなアンタを見てる奴なんてドコにいるの? 夜に一族の小娘や、アンタの兄弟子とかいうあの男はこの戦場まで介入できない。旧式もアンタ一人残してやられちゃったじゃない」

炎の中、イレインがただ喋る。ともすればそれは、人間である春海を自動人形である彼女が諭しているようにも見える奇妙な光景だった。

「アンタは自分がたった一人でこの戦場に立っていることに、ほんの少しの疑問も無いわけ?」
「無い」

そんなイレインの言葉を、春海は一蹴した。

「───“俺”は二度と、自分の大切なモノを譲るつもりはねえよ」

言って、面の側に構えた小太刀をイレインに突き出し、籠手を嵌めた右腕をその柄尻に添える。
主の戦意に呼応して、周囲の炎が尚も猛々しく暴れ狂った。

「そのためなら“俺”が気に喰わねえものは全て邪魔するぞ。主人を守るための尊い自爆だろうが、手前勝手な虐殺だろうが、全てだ」
「……そう、アンタは勝手なのね。それでも人間?」
「これが人間だ」

───それに、だ。そう続けた春海が、まるで歳相応の少年のように微笑んで。

「……“僕”は一人じゃねえ」
「は?」

虚を突かれ、思わず声を漏らすイレインに彼が繰り返して言った。

「僕は、一人じゃない」

思わず失笑する。
よもやココまで来て、そんな精神論の類の戯れ言を聞かされる羽目になるなんて予想だにしていなかった。

「その、武器に変身するキツネの化け物が一緒ってこと?……それともまさかとは思うけど、離れていてもいつも心が繋がってる仲間がいるから、なんて少年マンガの主人公みたいなこと言ってるの? この期に及んで?」
「…………」
「アッハハ、バッカみたい───そんな非論理的な根性論で如何にかなるほど、このイレインは甘かないのよ!!」
「…………」

もはや応えることもなくなった春海。彼はただひたすらに、真っ直ぐにこちらだけを見ていた。
イレインはそんな春海に多大な嘲りと、ほんの少しの憐憫を綯交ぜにした眼を向けて、

「わかった、あたしとアンタは永遠に理解し合えない。だから、さ」

静かに言って、あたかも飛び掛かる直前の肉食獣の如く、深く、深く身を沈めるイレイン。対立する春海と同様、前方に左のブレードを突き出した形だった。
目の前にいる敵は明らかにこちらを迎え撃つ構えと意志を示し、何度も繰り返し使用している実体のない妙な偽物でないことも彼女には解かっていた。

事ここに至って小細工は無し。彼の全身から滲み出る覚悟がそう主張している。


だから、勝負を決するのは───

「───いい加減、殺してやる!!!!」

───自己の身体能力をフル稼働した、純粋な破壊力。


力を溜めに溜めた己の両の足が、屋敷の床を踏み砕いた。















「───って、今までのあたしなら考えてたんでしょうね」















───甘いのよ

そう言って、イレインは即座に反転。“己の背後”に向かい、ブレードによる凶刃を振るった。

「……そん、な」

其処にいたのは、“春海が張った目眩ましの炎”を突き破って姿を現した、───ノエル・K・エーアリヒカイト。我慢に我慢を重ね、主の友を囮に利用する無様に唇を噛みつつも限界までその身を潜め、必勝の隙を窺い続けていた、哀れなお人形さん。
斬り飛ばされた己の右手首を目で追うでもなく、唯一の必勝の策である奇襲の失敗を悟った彼女の表情は絶望に歪み、───そんな隙だらけノエルに、イレインは渾身の回し蹴りを叩き込んだ。

再び壁際まで吹き飛ぶ姉妹機体。
しかし、終わってしまった機体にいつまでも拘泥しているイレインではない。

再度、反転。目標である少年まで、一切の障害無し。

猛火の中央を驀進しながら目をやれば、こちらを見やる少年の顔には驚愕の表情が張り付いていた。それは、糞餓鬼の策が失敗したという事実を示唆するのだとイレインは確信する。
あの奇策奇襲に長けた小僧が真正面からの勝負を引き受ける訳がない。そんな疑念があったからこそノエルの奇襲に対応できた。逆に言えば、あの小僧の存在がなければノエルの奇襲は成功していたのだ。

真の意味で糞餓鬼の裏を掻いてやったのだと、そんな言い様のない充足感に支配されたイレイン。気が付けば、自身のブレードの間合いまで残り一歩の位置まで踏破していた。
目の前にいるのはこの短時間で幾度となく己の記憶メモリにその姿を焼きつけた怨敵。

「さよなら」

もはや問答の余地も無し。
その呆けた面を乗せた首目掛けて、イレインは刃を振り下ろした。



彼女のカメラレンズには、春海の首筋に喰いこむブレードの様子が仔細に映し出されていた。
首筋の左側に鈍色の刃。皮を裂き、肉に喰いこみ、そして生物がその生命活動を維持する上で不可欠な血管を切断して、───





「───あら?」

イレインの視界が、いつかに見た蒼色の雷光を捉え、───崩れ落ちた。





自身の意思と関係無しに床の上に転がった彼女の身体。慌てて倒れた姿勢を起こそうしても、両の脚は主の命令を放棄してしまったかのように一向に動き始める気配がない。

おかしい。こんなことはあり得ない。
疑問に思ったイレインの優秀なAIが、ただちに原因の究明に努める。

エネルギー切れ? 
そんなわけがない。そのくらいの配慮は怠っていない。

蓄積したダメージが限界量を超えた? 
そんなわけがない。確かに全身の至るところが破損しているが、中枢機関には傷一つない。

あの糞餓鬼が見せている幻覚? 
……もしかしたら、そうかもしれない。



(───だって、横になった視界の中に、……“あんなモノ”があるんですもの)



だから、そんなわけがない。そんなわけがないのに……

「……なによ、それ……。……なんで」

倒れたイレインの口から、力無い声が漏れた。まるで途方もない無理難題にぶち当たった迷い人のような、活力に欠けた声。

どうして、どうして。どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ───ッ!!



「どうしてッ───あたしの下半身がそこにあるのよォッ!!!??」



狂ってしまえない我が身が、このときばかりは呪わしかった。
イレインの下半身は腰から千切れて上半身の隣で仲良く床に倒れ、気づけば『静かなる蛇』を備えた右腕も半ばから消失している。熱された床の上で頭部と左腕だけの上半身がモゾモゾと虫ケラのように蠢いている様のなんと滑稽なことか。誇り高い自動人形にとって到底耐えられるものではなかった。

「だから言っただろうが」

そんな彼女を哀れむでもなく、見下すでもなく、ひたすら先ほどと同様の調子で、今の今までイレインと対峙していた春海が言う。───そして。





「───僕は一人じゃない、ってな」

夜の一族の小娘──確か、忍とかいったか──に肩を借り、身体の至るところに痛々しい火傷を作り、全身を土に塗れた───“2人目の”和泉春海が、気だるげにそう言った。





**********




タネを明かせば、それは至極単純明快なことだった。

森の中で電撃によって思うように身体が動かせなくなった春海は、自分の代わりに『成人体の和泉春海』と『幼年体の和泉春海』『カラス』という3体の式神を作り出すと、『成人体』『カラス』を直接操作して安次郎の車で月村邸まで向かわせ、『成人体』を動かしている間は操作が出来ず無防備となる『幼年体』は葛花に乗って月村邸に程近い位置(とはいえ、イレインにバレては元も子もないので1キロは離れていたが)で待機。
そうして無事すずかを逃がした後は、残った『カラス』を監視役に固定。そのまま恭也さん達だけでイレインを倒せるようなら、足手纏いになりかねない春海はこのまま待機していようと思っていたのだが……生憎と、運命の女神さまはそんな彼に更なる労苦を課すドSな御方のようだった。

「───あとお前の知ってる通りだよ、イレイン。今までお前が闘っていた僕は『幼年体』の式神分身。最後に木行符の雷で後ろからお前を打ったのは此処にいる本体。……まあ、本体である僕は足手纏いになるからって置いて行きやがったどこぞのアホ狐せいで、最初の森からここまで這いずってのご登場だけど」

おかげで服がボロボロの土塗れだ……。ぼやくようにそう言った春海(本体)の服装は特に引き摺った腹の辺りの布地が破れに破れ、元々あった焦げ跡も相俟ってまるで未開の地に住む原住民のような前衛的な格好になっていた。
忍の肩を借りて近寄ってくる彼を、式神に持たれた小太刀のままでいる葛花が、炎の中に道を作りながら鼻で笑う。

「ふん、ヒトの親切を後ろ足で蹴飛ばす輩にはお似合いの格好じゃな」
「大きなお世話をどうもありがとよ。どの道、式神の傷はそのまま本体の僕にまでフィードバックされるんだから式神がやられたら僕も死ぬだろうに」

ズケズケと相手に向かって斬り込むような皮肉を交わし合う一人と一匹。自身のパートナーと会話する春海の首筋には真新しい切り傷があり、そこからゆっくりと血が流れていた。
式神と同位置に存在するそれは、確かに最後にイレインが斬りつけたものに違いなかった。

「それでも最後はマジで焦った……ケホッ、ケホ、目眩まし用に張ったはずの炎の外からいきなりノエルさんが突っ込むんだもん……、いやまぁ、逆に言えば“あれ”のおかげで思いっきり油断してくれたみたいだから、あの人にはお礼を言うべきなのかもしれんけど」

むしろ“それ”が無ければイレインに敗れていた可能性が非常に高かったことを彼は知らない。

「……そんな、こと、で」

火事の煙を吸い込んだのか若干咳き込んで言った春海を余所に、地に伏せた状態で否応なく彼等の話を聞かされ続けたイレイン。彼女の優秀なAIが本人の意思に関係なく先の闘いの中で感じた違和感に適切な回答を無理やり当て嵌めて行く。


『……こっちもちょうど時間は稼ぎ終わったところだ』───あれは、本体が月村邸に到着するまでの時間稼ぎを意味していたのだろうか。
『───転がせ!』───これは、此処には居ない本体に向かって分身を通して指示を飛ばしていただけ。
『アンタ、弱くなってんじゃない』───自分が相手をしていたのは、言って見れば単なるラジコンロボットに過ぎないのだから、操縦者本人より弱いのは寧ろ当たり前のこと。


「───だからって、納得できるわけないじゃない!!」

次々と浮かび上がっては主の許しも無しにパズルの隙間を埋めていく思考の欠片を強引に振り払って叫ぶ。千切られた腰部からゴトリと重い音を立てて部品が零れ落ち、飛散したオイルが引火し、僅かに火勢を強めた。

「イレイン……」

春海を支えたまま今まで黙っていた忍が、思わずといったふうに言葉を漏らす。

「なによ、なんなのよ、それ……最後の最後まで不意打ちみたいな手ェ使いやがって! そんな後出しジャンケンみたいな闘い方で納得できるわけないじゃない! 舐めやがって、舐めやがってぇ……!!」
「そもそも強すぎるんだよ、お前は。僕もこうするしか勝ち目がなかった」
「うる、さい……!……殺して、やる……アンタだけは絶対に殺してやる……!」

抱いた憎悪に濁った瞳を隠そうともせず、左腕一本と形の良い顎を使ってズリズリと這いずりながら狂ったように──実際に狂えるならどれほど幸福だろう──連呼するイレイン。しかし、その速度は目に見えて遅々としていて、それがそのまま彼女の負ったダメージの深さを露わしていた。───と。

「ガフッ、ゲホッゲホ……ゴホッ!」
「は、春海くん!?」

唐突に口元に手を当てて激しく咳き込み始めた春海。傍にいる忍が慌てて背中を擦りつつ呼びかける。

「だ、大丈夫っ? しっかりして!……春海くんも、無茶しすぎだよ……」
「ゲホゲホッ!……ケホッ……あ゛ーあ゛ー……あー……っと。すみません忍さん、落ち着きましたから。……でさ、イレイン。強いて言うなら、これがお前の敗因だよ」

───“出来るだけ体勢を低くしながら”彼は自分を睨みつけるイレインに言った。



「普通の人間は、こんな煙に巻かれた火事場で戦えるようには出来てないんだっつーの」



「…………あ?」
「……結局、お前って最後まで僕《にんげん》に興味持ってくれなかったよなぁ……」

───そしたらこんな簡単なこと、すぐに分かったはずのに。

周囲の熱気に耐え切れなくなった汗を流して、消し忘れていた式神の術を解きながら、春海は薄く笑った。

───結局のところ、此度のイレインの敗北の要因というものはすべて其処にあった。

彼女が人間に興味を持って僅かな違和感であっても見過ごすことなく疑問を持てば、自分が行う雑な奇策など簡単に見破られたのだと。少なくともそれが春海が彼女に下した評価であり、そしてそれは決して過大評価ではないことを彼は確信していた。───イレインの敗北は、半ば彼女自身が自爆したも同然だった、と。

「……ま、終始ヒトサマを舐めまくってた報いだ。噛み締めろ」
「ふざ、……ふざけるな! 死ね! お前等はこの場で焼け死ねぇ!!……そうよ、そうよ……ッ、お前ら生物はこんな炎に囲まれた惨状から逃げられるわけないじゃない! アハハ、そうよッ、そうよ!! くたばれ! くたばっちまえ!!!」
「…………」

限界まで眼を見開いて引き攣ったような暗い嗤いと共に吐き出される怨嗟の声を、しかし春海は無視した。実際のところ、こちらには炎を操ることが出来る葛花もいるので逃げるだけなら容易いものなのだが、そのことを思い出すことも出来ないほど“壊れて”きたのか、イレインに気付いた様子はない。……ただ。

<葛花>
『……儂に出来るのは操ることと出すことだけじゃ。自分の霊力を練り込んだ狐火なら兎も角、これほどの火勢を“如何にか”しろというのなら他を当たれ』

いつの間にか大きな狐の姿で春海と忍に炎が届かないようにしてくれている出来る相棒に念話で語り掛けるも、返ってくるのは素気無い返答だった。
すっかりへそを曲げてしまった彼女の御機嫌を取るには、一体どれほどの奉仕を重ねる必要があるのか。考えるだけで憂鬱で、……笑えてきた。

「……そっか」

───まあ、予想通りではある。

葛花に確認した春海の脳裏に過ぎるのは、最後に別れた友達の泣き顔と助けを求める声。彼女は確かに自分に向かって『助けて』と、そう言ったのだ。
生憎、自分は友達といえど他人の言葉に命を賭けられるだけの出来た人間かどうか、それは知らない。知らないが、……だが、それでも自分は『男』なのだ。

「助けてって、言われたもんな……ここは、すずかの思い出が詰まった大事な『家』だ」



───女の涙に無条件降伏が、『男』の役割である。



パチンッ、と気合い一発。自分の頬を強く張って気合いを入れた春海は辛うじて膝部分に僅かな穴が空いているだけの被害で済んでいるズボンのポケットから自分の携帯を取り出した。ボタンを操作した様子がないことから、どうやら最初から通話状態にしてあったらしい。
手にしたそれを耳に当て、電話の向こうにいる相手───今まで外で走りまわっていたであろう、高町恭也に確認する。

「……で。恭也さん、ちゃんと指示通りやってくれました?」
『ああ。きっちり“五か所”、預かった札は言われた場所に貼り付けたぞ』
「……今さらですけど、成功する確率もぶちゃっけ8割くらいなのに、よくもまあ恭也さんも忍さんも了解しましたね。僕が失敗した場合って全員そろって焼け死ぬことも無くは無いんですけど」

春海的に本当に今更すぎる言葉を電話の向こうにいる恭也と、自分のすぐ傍にいる忍に言うと、

『お前だけに命を賭けさせるわけないだろう』
「もともとウチの問題なのに、春海くんにこれ以上背負わせるわけには行かないもの」

ステレオで、さも当然といったように返された。

「……やっぱお似合いですよ、あんたら」
『! おいっいきなり何』

通話を切った。

切った携帯を元あったポケットに戻すと、春海は膝を折ってその場に跪いた。熱の残った床に両手を突く。
ふと、何かに気付いたように彼は地に伏して呆然と彼等のやり取りを眺めていたイレインに笑いかけた。

「そういや、お前には自己紹介がまだだったな」
「……なにを」
「僕の名前は和泉春海。7歳。聖祥付属小学校新2年生。……そんでもって和泉流陰陽術二代目継承の───『陰陽師』だ。……覚えとけ」


言葉の結びと同時に、大地に流れる霊脈に、彼の持つなけなしの霊力───その残り全てを注ぎ込んだ。





『陰陽師』、という言葉がある。

古くは古代日本の律令制下において中務省(現代でいう官庁の一つ)の陰陽寮という部署に属した官職の一つを指し示す言葉であったが、その内それらが本来の律令規定を超えて占術や呪術、祭祀を司るようになったため陰陽寮に属する者すべてを指す言葉へと変化し、現代に至っては民間で私的な祈祷や占いを行なう者を定義づける言葉にさえなっている。

さて。そんな彼等が抱く思想の一つには、『五行思想』と呼ばれるものが存在する。
世に遍く万物は「木」「火」「土」「金」「水」という五つの要素によって成り立つとするもので、それらはそれぞれ『生』と『剋』の関係にあるという。

「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という『五行相生』。先んずものが続くものを増幅する相生関係。
「水は火に剋ち、火は金に剋ち、金は木に剋ち、木は土に剋ち、土は水に剋つ」という『五行相剋』。先んずものが続くものを打ち消す相剋関係。

こうした五つから成る要素を理の中に打ち立てることで、古代の人々は政治を行うなどしてきた。───そして現代において『陰陽師』を名乗る和泉春海もまた、この例に漏れない。





月村家の庭に林立する木々の山々。潤沢な緑の溢れる其処は、元々『木気』は非常に強かった。其処に彼が差し込んだのは純白の符───『金気』を司る金行符。
これを恭也に頼んで月村邸を中心に五芒星の頂点を成すように貼り付けた春海は、其処に自身の霊力を流し込んで呼び水とすることで一時的に敷地の周囲に存在する『金気』を強めたのだ。

『金生水』
『金剋木』

彼が増幅した『金気』を契機に、月村邸の外に満ちる『水気』が増幅し、『木気』が減少する。
元より五行とは『力の増減』を象徴したもの。残り少ない彼の霊力量でも方法次第でやりようは幾らでも存在した。

そうして邸内に充満する噎せ返るほどの『火気』。『木生火』により生じるはずであった猛火が『木気』の減少により勢いを弱め、屋敷の外において溜まりに溜まって行き場をなくした『水気』はやがて決壊し、火が支配する屋敷の内にまで激流となって流れ込む。


『水剋火』───水をかけると火が消える。


そんな小学生でも知っている物理常識に則って、月村邸の火事は劇的にその火勢を弱めることとなった。





「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……アグッ!?」

しかし限界まで霊力を絞り出した春海を待っていたのは、全身を襲う激痛と疲労だった。覚悟はしていたものの、やはり思うと実際になるではまるで違う。まさか死にこそしないだろうが、それでも救いと呼べる点はそのぐらい。少なくとも死ぬ3歩手前くらいは苦しむだろうか。
この火事場に来た当初から春海の傷は周囲の熱気に当てられたことで傷そのものが熱を持ち始めていた。というより、最初から戦闘に耐え切れるコンディションではなかったのだ。
式神を維持・操作するだけでも集中力と霊力の大半が持っていかれた上、葛花の厳しい気遣いの結果とはいえ屋敷まで全身に軽度の火傷を抱えた状態での強行軍を行なった彼の身体はこの場所に辿り着いたときから既に限界が近かった。

それが、最後の霊力を振り絞ったことでとうとう限界を超えた。

「春海くん!」

もともと土下座のような体勢だったのが、思い切り顔面から床に突っ込む形で倒れこむ。後ろにいた忍が必死に呼びかけながらユサユサと肩を揺らしているような気もするが、当の春海はそれどころではない。
全身を覆っていた身体強化の術も解けたことで、今まで誤魔化していた全身の火傷が燃えるようだった。ダラダラと流れ落ちる汗が気持ち悪いと感じたが、発汗作用による放熱機能が生きているだけマシかなと冗談のように思った。───すると。

「……あぁ?」

すぅ、と。ごくごく僅かだが痛みが和らいだ気がした。何だと思う間もなく、彼自身の中から『声』が響く。

『ふん……他人とはいえ儂の霊力の上乗せで多少は誤魔化しも効くじゃろ。本当に誤魔化し程度じゃがな』

それは彼がこの世で最も信頼する者の声。つっけんどんだが普段より幾らか女性らしさの増した気がする声に、自分の心の内に安堵の色が広がるのが分かった。
春海は見えない視界の中で、何とか根性だけで床に転がる『狐面』を回収しつつ、

(……あざす)
『ふんっ!』

心底不機嫌だと言わんばかりの声に目を瞑ったまま苦笑して───身の竦むような怒声が、彼の耳に飛び込んできた。



「ざけんジャないワよ!!!! なによッ、なんなのヨそれは!!!?? ユルさない! そんなケツマツ、───アタしはゼッタイユルサナインダカラァッ!!!!!!」

もはや言葉も満足に発音できないほどに機能を停止しかけていたイレイン。そんな彼女が最後に……最期にそんな力を出せたことは、もしかしたら『火事場の馬鹿力』と呼ばれるものだったのかもしれない。
残された左腕で思い切り床を殴りつけたイレイン。
ブレードを括りつけた左腕が折り曲がり、千切れた右腕や腰からバラバラと活動維持のための重要部品を零しながらも、それ故に軽量だった彼女は左腕一本ではあり得ない跳躍を果たした───寝転ぶ春海と、彼に駆け寄った月村忍まで届くくらいに。

「ジネ゛ェエエエエエエエエッ!!!!!!」

まさに断末魔と呼ぶに相応しい叫びを上げながら、意識の薄い春海に向かい一直線に凶刃を突き出した自動人形。咄嗟に彼に覆いかぶさって庇おうとする忍の姿が見えたが、そんなものは何の問題もない。あんな細い身体、諸共に貫ける。
イレイン自身、もはや意思なんて崇高なものは持っていない。しかし、それでも、……それでも自分に屈辱を浴びせ続けたこの小僧だけは。そんな怨念にも似た原動力だけがイレインの機体を突き動かしていた。



鈍色の刃が彼等を貫く。

その直前、意識のないイレインの瞳は確かに見ていた。───これから刺し殺すはずの少年の口元に浮かんだ、小さな笑み。

その口元が、ゆっくりと音なき言葉を紡ぐ。



───だから、何度も言ってるだろ?



スローモーションの世界。
壊れたはずの、自意識なんて当に無くなったイレインの視界が二つの影を捉えて、───。





「───僕は、一人じゃねえんだよ」





閃いた小太刀二刀が残りの腕を切り飛ばし、飛来したロケットパンチがイレインの顔面を殴り飛ばした。





**********





「という夢を見たんだ」
「残念だけど夢じゃないですよ、それ」

ですよね。

まるで病院みたいに白っぽい空間の中、まるで病院にあるようなパイプベッドで横になったまま、これまたまるで病院着のようなものを身に纏った状態で目を覚ました自分の言葉をやんわりと否定する女性の声に、僕は投げやりに言い返しながら身を起こした。
声の主が誰かは、ぶっちゃけ目を開く前から分かっていた。この独特の“犬っぽい”気配の持ち主なんて、記憶には一人しかいない。

僕はベッドの傍に備え付けられた丸椅子に座ったお嬢さんを見つけて……続ける言葉に困った。
とりあえず偉大なる我が家の母の教えによると、まず起きたらこう言えとのことなので、言っておく。

「おはようございます、───綺堂さん」
「ええ、おはよう。春海くん」

今日も今日とて艶やかな赤毛も麗しい『夜の一族』の女性───綺堂さくらさんは、儚げに微笑みながらそう言った。

……ちなみに挨拶しながら見えた時計の針は午後2時を示していた。



「えっと、ご説明をお願いしても?」

多少の想像はつくものの、それでも僕が気絶した後の顛末を僕は知らない。そう意味合いを込めた視線を送ると、どうやら出来る女に属する女性であるらしい綺堂さんはこちらの意図をしっかり察してくれたようで、一つ返事で頷いた。

「ええ、それはもちろんだけど……『さくら』で構わないわ。姪たちの命の恩人相手に偉そうな顔をするつもりはないから」
「承知しました、さくらさん」

わざわざ申し出を断って時間を浪費するのも難なので、特に考えるでもなく承諾する僕。そんな僕にさくらさんは……いきなり大きく頭を下げた。

「……ええっと、……さくらさん?」
「……なによりもまず、貴方にはお礼を言わせて欲しいの───ありがとう、貴方のおかげで、あの子たちは助かりました。夜の一族としてではなく、彼女たちの叔母として、心から感謝しています」
「はぁ……」

……困った。

いや、何が困ったって、確かに客観的に見れば僕のしたことは安次郎やイレインの魔の手からすずか達を守るべく戦った勇敢な少年Aということになるのだろうが、主観的には舞台の袖で勝手にウロチョロしてただけであるからして。
というか『勝手』という言葉からも解かって頂けるように、そして僕自身がイレインに語ったように、今回の僕は最初から完全に手前勝手な感情に任せて好き放題に暴れ回ってただけである。

なので、正直、礼を言われたところでピンと来ない。
が、そんな僕の考えが知らぬ間に顔に出ていたのか、下げていた頭を戻してこちらを見たさくらさんがクスリと小さく笑った。

「……本当に、恭也くんや那美ちゃんが言った通りの子なのね、貴方って」
「個人的にはあの人たちがどんなこと言ったのか非常に気になるところですけど……今は止めておきます」

たぶん聞いても気分が上向くことはなさそうだ。

「僕が月村邸で気絶したとこまでは覚えてるので、……そこから事件がどうなったか、事の顛末を教えてもらえると助かります」
「わかりました。……ほんとは忍から説明することが筋だと思うのだけど、あの子はついさっき席を外しちゃったから。ごめんなさいね、あの子たちや恭也くん、それに貴方のご家族や友達も貴方のことをとても心配していたのだけど」
「いえ、まぁそれは本当に申し訳ないですけど、とりあえず横に置いておいて……もしかして、僕が気絶してから結構な日数経ってたりします?」

彼女の話振りから、その可能性を感じてこちらから疑問を投げる。……というのも、先程からあえて無視していたものの、あれだけの傷を負ったというのに身体の痛みがあまり無いのだ。
あれだけ全身に散らばった火傷が治るだけでも、普通なら1週間以上かかるはずだ。流石にそれだけの期間を寝たきりだったというのは家族に対しても申し訳なさすぎる。

そんな気持ちを抱えて若干冷や汗を垂らしながら訊いた僕の問いを、さくらさんはきっぱりと肯定した。

「あの襲撃事件の夜からもう3日ほど。ここは、貴方が搬送された海鳴病院の個人病室よ」
「……え? 3日? たったの?」

さくらさんの答えに思わず聞き返した。
いや、確かに3日も目覚めずに皆に心配かけ通しだったことは土下座するほど申し訳なく思うものの……たった3日であれだけの傷が癒えるものなのだろうか?
触れてみると、首にあったはずの深めの切傷もほとんど治っている。いくら若者の回復力が優れているとはいえ、それも流石にここまでではないだろう。トカゲの尻尾じゃないんだから。

そんな僕の疑問を察したのか、備え付けの病室内電話で患者の覚醒を知らせていたさくらさんが席に戻って説明してくれた。

「……貴方の傷のことなら、この3日間で那美ちゃんが頑張ってくれたから」
「那美ちゃんが?」
「ええ。春海くんが運ばれたその日の夜のうちに急いで病院に来て、毎日フラフラになるまで治癒術をかけてくれていたわ」
「マジですかい……」

那美ちゃんが天使すぎてもう……。退院したら彼女にもお礼と埋め合わせしなきゃだなぁ……。

「ちなみに葛花は?」
「なんかご飯食べてくるってさざなみ寮に行っちゃったわ。お供えしてもらえば味だけでも楽しめるからって」

さらっと自由だな、アイツは。

「恭也くんは背中の傷は少し深かったけど、幸い入院するほどのものじゃなかったから。彼も今は家でゆっくり療養に努めてるはずよ」
「さっすが……」

あのイレイン相手にそれだけで済むとか。やっぱり普通に化け物だわ、あの人。

「忍とすずかはそもそも傷一つないことだし、ノエルも破損だらけだけど、忍が言うには十分に修復可能範囲らしいから心配いらないわ」
「そうですか、……よかった、本当に」

皆が無事であることは予想していたものの、それでも実際に事実として聞くと思わず胸を撫で下ろすほどに安心している僕がいた。戦いは常に水物、何が起こるか分からない以上、絶対という言葉は無いのだから。


そう思いながら僕はさくらさんが座っているのとは反対側、そこでずっと僕が横になるパイプベットにもたれて眠っていた女の子───月村すずかの頭を撫でた。


「すずかも良かったな。お姉ちゃんたち、ちゃんと無事だったぞ」
「すー……すー……」

小さな声で呼びかける僕に、可愛らしい寝息で答えるすずか。

……うん、まぁずっと傍で寝てたのよね、すずかのヤツ。わざわざ起こすのも可哀そうだから気付かないフリしてたけど。
そんな僕たちの様子を微笑ましげに眺めていたさくらさんが、折りを見て説明を続けてくれた。

「月村さん……安次郎さんは、何とか一命を取り留めたわ。今は別の病院で治療を受けて、傷が治り次第搬送されるって。警察の話では自分の罪もちゃんと認めてるってことだから、もうこんなことは絶対ないって約束するわ……もっとも、イレインのことを話せない以上、罪状は放火になるとのことだけど」
「……おおっ、そうですか」
「?」
「ああ、いえ、その、…………あの人のこと、本気で忘れてました」
「…………」

ごめん、安次郎のオッサンのこと素で忘れてた。そういえば、そもそもの発端はあのオッサンなんだよね。イレインの影に隠れて全く目立つことなく何時の間にか重傷負ってたから、僕の中で勝手に被害者のカテゴリーに分類されてたんだけど。
まあ生きているのなら其れに越したことは無い。せっかく拾った命なのだ、今後はもう少し人道的なことに消費してもらいたいものである。

そんな感じで僕がさくらさんから細部を聞いていると、廊下の向こうからパタパタと慌ただしい足音が聞こえ、


「───春海くんが目を覚ましたってホント!?」


いつのまに連絡したのか、息を切らせた忍さんがガラリと横開きの扉を開いて登場した。
とりあえず僕は自分の口元に人差し指を押し当て、

「忍さん、しーっ」
「……忍、病院では静かにね。春海くんも起きたばかりなんだから。……それに、すずかも寝てる」
「あ……っ、ごめん」

僕らの反応に焦ったように謝罪して居住まいを正す忍さん。なんか非常に珍しいものを見たような気がする。

「……春海くん、もう起き上がって大丈夫なの? 体、痛くない?」
「まったく。ちょっとピリピリした感じが肌に残ってますけどね。どうにもこうにも那美ちゃんが頑張ってくれたみたいで。……まー、まずはお互い生き残ったことの喜びを噛み締めましょう」
「そんなの、この3日間で味がなくなるくらい噛み締めたよ。……本当にありがとう」

そうでしょうそうでしょう。生きてるって素晴らしいね、ホント。

「……なんか春海くん、普段より老けてない? 悟ってるっていうか……後遺症?」
「いやぁ、調子に乗って暴れすぎました。しばらくシリアスは勘弁」

賢者タイムみたいなもんである。

「ホントはノエルも来たがってたんだけど、今はラボで怪我を治してる最中だから動けなかったんだよ。今、お父さん達もこっちに向かって来てるはずだから」
「ノエルさんの方は全く気にしてませんけど……え゛、お父さん?」

なにそれ恐い。
思わず笑顔を引き攣らせる僕に苦笑しながら、さくらさんが横から補足した。

「ここまで事件が大きくなってしまった以上、さすがに隠し通すことは無理だったから。仕事先から急いで帰ってきて、今は屋敷の復旧作業を主導してるの」
「あー、そう……」

───メンドイな。

もともと僕は忍さんたちのご両親に対して正直そこまで良い感情を抱いてはいないのだ。面倒臭がるくらいは許して欲しいものである。
そんな僕の内心が顔に出てしまったのか、さくらさんがますます笑みの色を深め、

「そう嫌わないであげて。……大切な娘を2人も救われて、あの人たちも貴方にお礼を言いたいのよ」
「全面的に恭也さんに押し付ける方向はどうでしょう」
「恭也も困るくらいに頭を下げられてたから、無理じゃない?」
「……?」

こちらの提案を笑顔でバッサリ切り捨てた忍さん。そんな彼女の様子に、僕はちょっとした違和感を覚えていた。
はて、忍さんってご両親の話をするときは大概『暗い雰囲気』『気だるげな表情』がデフォだったと思うのだが……はて?

そんな僕の疑念を感じとったのだろう、さっきまでと違い、今度は年上のお姉さんらしく綺麗に微笑んださくらさんが言った。

「忍ったら、ついこの間あの人たちと仲直りしてね。それでこんなにご機嫌なの」
「ちょっ、ちょっとさくら!? なに言ってんの! そんなわけが……」

ゴニョゴニョと口の中で言葉を転がしながら尻すぼみに黙り込む忍さん。その頬は少々赤く染まり、それが事実であることを言葉よりも雄弁に伝えていた。
とりあえず僕がさくらさんに『お話を窺いたいのですが構いませんね!』とアイサインを送ると、彼女は『しようがないわね~』と何処か近所のおばちゃん臭がするニコニコとした笑顔で答えた。さすがです。



遡ること今より2日前。つまり、あの事件より一晩が明けた次の日の夜のこと。

海外の勤め先で自分の家が燃えたとの報告を受けた忍さんの父母両名は手持ちの仕事を急ピッチで一段落させて帰国。海鳴に到着するなり娘2人の無事を確認すると、玄関と食堂に続く廊下が燃えただけとはいえ住める状態ではなくなった月村邸を見るや市内のホテルをとって家族で宿泊した。

そこで忍さんから事件の顛末を聞いたご両親は、当たり前のように大激怒。一時は忍さんをしばらく軟禁した上でそもそもの発端となったノエルさんを解体処分するとまで言い放ったらしい。
当然のことながらこれには忍さんも猛反発。原因は安次郎にあってノエルさんは被害者だと主張し、ご両親の言い分に真っ向から反抗したと言う。
結果として殴り合いにこそ発展しなかったものの、一時はかなり険悪なものにまでなったようだ。少なくとも、忍さん本人が『月村』の家を出て行くことを覚悟するくらいには……。

喧々諤々。非難轟々。両者とも人類最高峰レベルの頭脳の持ち主な一族である上に、言っていることはどちらにも理があるのだ。
家族会議は平行線の一途を辿り────そしてそんな醜い口論を一刀両断したのは、それまで彼等の話を黙って聞いていただけの小さな勇者だった。



『───お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、もういい加減にしてっ!!』



未だ幼い少女が、自分を蚊帳の外にして言い争う過保護な家族にとうとう“キレた”瞬間だった。

そして、そこからは正にすずかの独壇場だったらしい。

不仲な親姉の関係に始まり、ノエルも立派な家族の一員であり自分の姉であるという主張、果ては姉ばっかり機械イジリが出来て自分が許されないことが不満だという愚痴と来て、ついでに友達である僕が自分たち一族のせいで入院することになった事実。
夜の一族としての優秀性や、持ち前の強かさすらも存分に発揮し、それらを数十分に及んで支離滅裂に言い放つ末娘の姿は、それまで彼女を『自分達の言うことを良く聞く出来た娘』としか見ていなかった彼女のご両親からすれば、さぞや青天の霹靂だったことだろう。


そうした何やかんやと紆余曲折の結果、すずかはノエルを守り、両親と姉の不仲の橋渡しを成功させ、───ちゃっかり工学に対するご両親の承諾を勝ち取ったのだった。



「…………」

友達の見せた余りに意外な一面を知り、言葉も出せずに口元をヒクつかせる僕を余所に笑顔の美人さん2名が姦しく話していた。

「もちろん、すずかちゃんの機械イジリに関しては今ある習い事と並行両立させることが条件だけど、それでも大したものね」
「あはは、あれには流石のお姉ちゃんもビックリしたよ、……いや、ホントに。すずかをコワイなんて思ったの、後にも先にもあれくらいだもん」

忍さんがそう言うほどなのだ、それはそれは余程の迫力だったのだろう。

……すると、一頻り笑い終えた忍さんが、こちらに向かい唐突に頭を下げてきた。

「……春海くん、わたし達がこうして生きて笑ってられるのも、わたし達がお父さんたちと仲直り出来たのも、ぜんぶ貴方と恭也の力があったから。
すずかの姉としても、月村忍個人としても心からお礼を言います。───本当に、どうもありがとう」
「……受け取ります」

流石に、これを茶化したり出来るほど僕も空気が読めないわけではないため素直に受け取っておく。───そうして空気を読める僕は、だから忍さんとは反対側に備え付けられた窓から空を見上げるのだ。
外では馬鹿みたいに晴れ晴れとした青空が広がり、先日訪れた際にフィリスさんが誇らしげに語っていた青々と繁った木々とのコントラストが目に優しかった。



───……穏やかな病院の一室に、誰かのすすり泣く声が、しばらく響いていた。








それから、しばらく。

「……おねえ、ちゃん……?」

何か用事が有ったのか無かったのか、何故かにっこりと静かに笑った忍さんとさくらさんが出て行った病室で、僕が横になっているベッドに寄りかかるようにして眠っていた女の子が、ゆっくりと目を覚ましていた。
これまた何故か医者もナースさんも病室を訪ねて来ないのは、……まあご都合主義ってことで一つ。

ひと先ず、寝ぼけ眼でこちらをボーッと見つめてくるすずかに声かけすることに。

「起きた?」
「……?……あ、……アァアッ───春海くん!!!?」
「おー、ついさっき『女泣かせ』の称号を手に入れてしまった和泉春海くんですよー」

しかし、そんな僕の(社会的な意味で)身を張ったギャグに頓着した様子もなく、ガバリと身を起こしたすずかが次いでベタベタと僕の全身を触りまくる。

「かっ、からだ!」

落ち着け。ちょっとエロいぞ。

「からだっ、だいじょうぶ!? 3日も寝たきりだったから!」
「ああ、さっきさくらさん達から聞いたよ。……心配かけたっぽくて、ごめんな?」
「ううんっ、ううんっ……よかった、ほんとによかったよ……ひっく……」
「あーよしよし、泣くな泣くな」
「うんっ……うん……!」


とりあえず、泣きだしたすずかの頭を撫でてやりながら落ち着くのを待つこと数分。泣き止むまでに抱きしめたりナデナデされたりしたことを思い出したすずかが更に取り乱し、それが落ち着くのを待つこと更に数分。

なんとか平常運行に戻ったすずかを隣に座らせて、横にならんでお話する。

「3日間ずっと付いててくれたのか?」
「うん、……なのはちゃんやアリサちゃんも、とっても心配そうにしてたんだよ?」
「うげ」

あいつらも知ってんのかよ……いや当たり前だけど、いざ会ったときのことを考えると今から憂鬱である。なのはとか絶対泣くだろ。アリサも僕が無事だと分かった途端、元気に文句言ってくるんだろうなぁ……楽しみだなぁ。

「いや、僕はそんな性癖ないない」
「せーへき?」
「気にすんな」

とりあえず、さっき忍さんたちに聞いたことを訊いてみる。

「そういえば、お前って家族相手にブチ切れたんだって」
「はぅ!?……お姉ちゃん達に聞いたの……?」
「すっげー楽しそうに話してたぞ」
「うぅぅううううううっ!!?」

恥ずかしそうに唸りだしたすずかも可愛かったが、話が進まないので話題を逸らす。

「……忍さんとお父さんたち、仲直りしたんだってな」

───というより、ぶっちゃけコッチのほうが本題である。

僕の言葉にしばらく枕に顔を埋めていたすずかだったが、やがて頬を赤らめたままおそるおそるといった様子で顔を上げると。

「……うん」

と、少し嬉しそうにはにかみながら、しっかりと首を縦に振った。

「そか、……よかったな」
「うん……あ、あのね、あのね! お父さん、わたしがお姉ちゃんみたいに機械を触っても良いって言ってくれたの! 今度、お姉ちゃんとも一緒にノエルを治そうね、って約束したの!」
「うんうん、よかったなぁ」

身を乗り出しながら、本当に嬉しそうに語る彼女に、僕も知らず口の端が吊りあがるのを止められない。
本当に、いろいろな意味で体を張った甲斐があったという満足感に満たされ、僕はただただすずかの言葉に耳を傾けて、───





「だから今度、イレインも一緒に治すんだよ」
「バッカじゃねえの!?」

───思わず友達の頭をブッ叩いた僕は、たぶん悪くない。





「……はるみくん、いたい……」
「うるせえよ。いま完全にこのままフェードアウトの流れだっただろうが。完全にこのまま僕とお前が仲良く隣り合ってお話しながら第一部完ッ!みたいなノリだっただろうが。トラウマと一緒に鼻水噴き出るかと思ったわ」

それでも叩くのはちょっとやり過ぎたかと痛むすずかの頭を撫でてやりながら、

「え、何? マジでイレイン治すわけ? どうしてそんなことになってんの? なに考えてんの?」

間違いなく僕のこと殺しにくるだろ、あいつ。

「うぅ……だって、せっかく作られたのに、あのまま壊れたままなんて可哀そうだってお姉ちゃんが言うから……」
「なに考えてんの忍さん……」

頭痛がしてきたような気がする頭を抑える仕草をする僕に、慌ててすずかが弁解した。

「あっ、でっ、でも、もうぜったい人間を襲わないようにするよ?! そういう機能を付けるもん! 見た目も、今回の火事で外装がけっこう燃えちゃったから、ついでに姉妹機のノエルと似せた見た目にするって言ってたし! それに記憶メモリはそのまま引き継ぐけど、きちんと愛をもって接してあげれば性格ももっと穏やかになるってお姉ちゃんも言ってたよ! ね?!」
「いや、まぁそういうことなら構わない……のか?」

記憶を引き継ぐって、どう考えても僕のこと毛嫌いした自動人形になるだけだろ、それ。

「そ、それにほら、名前だってもう考えてるんだよっ? わたしが考えたの!」
「あん? ……名前って『イレイン』がそうじゃないの?」

アイツ、しつこいくらい自己主張してたぞ?

「ううん、『イレイン』っていうのは機体名というか、あの子一人を表す名前じゃないっていうか……」
「ああ、固有名詞じゃないのか」

要するに、『イレイン』という呼称は、僕たちでいう『哺乳類』だとか『人間』っていう意味らしい。確かノエルさんが『エーディリヒ式』と名乗っていたはずなので、それと似たようなものだのだろう。

納得を示した僕に気を良くしたのか、心の底から幸せそうにイレインのことを話す すずか。

「…………」


これは単なる僕の勘なのだが、彼女はきっとイレインを治すことが出来て本当に嬉しいのだろう。大好きな機械イジリを姉である忍さんと一緒に行えるというのもそうだが、何よりすずかにとっての『イレイン』が、忍さんにとってのノエルさんとなるのだろうと僕は思う。



お互いに愛しあい、助けあい、尽くし合える。家族として、そして友達としての関係すらも超えた主従関係。───すずかはそんな関係を自動人形であるイレインに期待しているのだと。



……まあ、そういうことなら僕も否やとは言うまい。正直めちゃくちゃ恐いけど、彼女たちがイレインを更生させるのに期待しようじゃないか。

というわけで、眼が全力で『訊いて? 訊いて?』って主張している同級生の女の子に、仕方なく、望み通りに聞いてやることにした。

「……名前はすずかが考えたんだ?」
「うん! ほんとはネコのために考えた名前だったんだけど、そっちはお姉ちゃんが名付け親になっちゃったから、だから今度はわたしなの!」
「ネコと同じ扱いなのか!?」

愛がどうとか主従がどうとか、ぜんぶ僕の妄想らしかった。

まさかのネコと同ランク。これからそんな名前で呼ばれることになるであろうイレインさんのことを思うと涙を禁じえない。
おかしいな、つい先日まで命を奪い合う関係だったはずなのに。

「ああ、なんか超疲れた気がする……」
「ええっ!?……ほ、ほら春海くん、名前、気にならない?! わたし一生懸命考えたの!」
「あーもうっ、わかった、わかったってば! 訊いてやるから! ───それで、イレインの新しい名前は、どんな名前なんだ?」





投げやりに訊いた、そんな僕の問いに───すずかは、それでも花咲くように微笑んで。








「───ファリン、っていうんだよ?」








誇らしげに、そう言った。




















(あとがき)
第一部、 完! 篠航路先生の次回作にご期待ください!

……というのは勿論冗談としてやったぁあああああようやくシリアス終わったぁああああああああああああついでにやっとファリンさんの名前出せたぁあああああああああああああああよっしゃぁあああああああああああああああああああああひゃっほうぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおううう!!!!!!!

というわけで第二十三話「最後に笑った奴はたいてい勝ち組」投稿完了しました。この話の勝ち組は一体誰なんでしょうね。作者の篠航路です。

遂に原作「忍ルート」完! ここまでお付き合いくださった皆さま、どうもありがとうございましたこれからもよろしくお願いします! 
いやー、数あるルートの中の一つとはいえ無事に完走できたことを嬉しく思います。この調子残りもエタることのないよう行きたいもんです。

さて、この忍ルートの敵となるイレインのことなのですが……いや、ぶっちゃけ彼女って強すぎるんですって。肉弾戦では作中最凶クラス。オプションの『静かなる蛇』のせいで生身相手はほぼ無敵というチートぶり。正直、今作主人公どころか恭也やノエルでもどうしようもない化物だったりします。勝てた主人公たちはホントによく頑張った。
そして、最後の最後にそんなイレインの名前がつくことに。やったねファリンちゃん! 家族が増えるよ!ってのは冗談としても、……はい、そうです。「リリカルにとらハを混ぜた」と銘打ってるくせして今の今までファリンさんが出て来なかった理由がこんなことだったり。ようやく言えます、「ファリンさん=イレイン」(ちなみに公式です)

こうしてリリカルに入る頃にはファリンさんもキャストの一人として登場と相なるわけですよ。活躍するかどうかは分かりませんけど。ついでに言うとすずかが主導で治したせいでちょっとポンコツなドジっ娘に生まれ変わりますけどね!

しかし今回は反省することが本当に多かった。主人公を活躍させようにも相手が強すぎて正面突破は絶対に無理。むしろ恭也さんたちの足を引っ張ります、間違いなく。故に卑怯騙し打ちのオンパレードになってしまいました。
そして「ダブル主人公」とか事前に言っておきながら恭也さんが余り目立てずに(泣。この人まったく喋らないんですもん。彼の一人称にしたのも完全に苦肉の策ですし……


というわけで2012年内の投稿はこれにて終了! よいお年を!また来年!……と、爽やかに締めたいところなのですが、ここで皆さんに残念な知らせです。

すみません、2013年は5月くらいまで、たぶん投稿がほぼ0になります。作者のリアルが鬼のように忙しくなる……というか、ぶっちゃけちゃうと就活が始まってしまったので(作者は学生です)。さすがにこれが人生の今後を決めるのだという自覚くらい作者にもありますので。
というわけで、執筆活動は一時お休みとなります。このような拙い作品のことを心待ちにして下さっている読者の皆様には本当に申し訳ない限りですが、何卒ご理解くださいませ。


ということで、どうか善いお年を! 篠航路でした!







[29543] 番外之壱
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:868803c9
Date: 2013/06/03 23:19
3月も半ばを折り返し、僕にとっては5年後まで縁も程遠い卒業式イベントが終わったのも記憶に新しい今日この頃。春の陽気も強まり、冬の早朝はまさにヒーローの如く八面六臂の活躍を見せていたコタツ様も長い休暇を検討され始めたある日の朝のこと。
けたたましく悲鳴をあげる目覚まし時計に耳朶を凌辱されながら、畳に床布団といったやや和風テイストな自室の中で目を覚ましていた。

小学校に上がると同時に、友達を家に呼んだときに無いと不便だろうと母さんが自分の息子に宛がった部屋だった。ただまあ、そんな親の気遣いを余所に息子本人が家まで友達を招いたことは皆無だったりする。


人には見せられないもの(予備の呪符とか)とかも多いしね。


頭の中で誰に言うでもない言い訳をしながら、布団を剥いでむくりと身を起こす。寝崩れていた作務衣の袂を惰性で正した。

まだ覚醒して間もないが、それでも眼に眠気を残すことは殆ど無かった。もともと寝起きは良い方だし、子どもの身体は回復が早い。“とある理由”から今朝の鍛錬は中止となったため、睡眠時間をいつもより多めに取ることができたとなれば尚更だ。
ふと、今まで自分が横になっていた位置から隣を見る。其処には、

「すー……すー……」

白に朱で縁取られた襦袢(寝巻きらしい)に身を包み、腰まで届く白髪をベッドの上に大きく散りばめた、キツネの耳と尻尾を備える童女が居た。

言うまでもなく、僕の師匠・パートナー・ペットなどなど某女子寮の管理人並みの便利さを誇る妖狐『葛花』その人である。


───コイツがいると、あったかいから冬場はベッドから出たくなくなるんだよなぁ……。


そのこともあって、冬の季節のころは毎年一人で寝起きするよりも辛いのだ。反面、寝ているときはポカポカと温かいので、この天然の湯たんぽの争奪戦が兄妹間で頻発している。大抵は喧嘩両成敗という名の不公平条約のもと財宝(湯たんぽ)は母さん行きとなり、敗者は身を寄せ合って寒さを凌ぐことになるのだが。いやそれも十分あったかいけど。

今日こうして僕と葛花が床を共にしているのは、単に昨夜の争奪戦(ストファイ)を僕が勝利したからだった。

とりあえず、寝起きで僅かにモヤの掛かった思考回路に任せて何となくじ~~~っと眠る葛花を観察する。

「……ぅむん……んんっ」

布団を剥がれたことで初春の残寒が肌を刺激したのだろう。彼女はそのモフモフとしたぶっとい純白の尻尾を抱き枕代わりに抱きしめながらムズがるように身じろぎし、……その拍子に襦袢の裾が捲れてこれまた雪のように白い素足が覗いた。僕がそっちの人ならば今すぐ抱きしめて二度寝している愛らしさなのだが、ぶっちゃけ5年も同じものを見続けると慣れる。飽きたと言っても過言ではない。
その上枕元でだらしなくヨダレを垂らしてニヘラとだらしなく笑う光景を見ていると、僅かに芽生えたそんな気も完全に失せるというものだ。気分としては保育園のお昼寝タイムで眠っている児童たちを見守る保母さんが一番近いかも知れん。

まあ、しかしそれでも時折ピクピクと動くキツネ耳を見ていると無性にイジりたい衝動に駆られてしまうのは人として当然の摂理だと思っている。

「えい」
「きゅんっ」


なので、素直に諦めて湧き上がる欲求に身を任せることにした。


手が毛先に触れると同時に、感触がお気に召さなかったのか呻きのような声を漏らして不快そうに鼻先をスンスンさせていたが、そんなもので僕が止まると思ったら大間違いだ。

自分の欲求に身を任せられる男の中の男。
和泉春海をどうぞよろしく。

目標は狐耳の後ろ側。髪を同色の毛が生え揃ったそこは、しかし人間の髪以上に質が柔らかく、触ると新雪のようなふわふわとした感触が返ってきた。
人と同じように毎日(僕が)シャンプーで洗い、毎日(僕が)丹念に毛繕いを重ねたそれは、まさに極上の手触り。生え揃った毛先の繊細な感触は108技の一つ「トリミング術」の賜物である。自分で言うのも何だが僕ってすげぇ多才ですね。

……まぁまぁ。

正直? いくら動物とはいえね? 眠った女の子の身体を好きに弄り回していいのかという躊躇いもね? 多少はね? ありますよ? ───あるけど、ねぇ?

「…………まぁ、こいつが寝てるときくらいしかこんなに触われないですし、ねぇ?」

別にいいよね、ペットだし。ねぇ?

「……んぅ……むにゅ、……ふごっ」

というわけで、そのままたっぷり10分ほど葛花の狐耳を無言で弄って(毎朝の)日課を終えた僕だった。





そうして最終的に目を閉じたままビクンビクンし始めた葛花を放置し、ホクホク顔でリビングに顔を出した僕。それを迎えたのは、味噌の香りも芳しい鍋をかき混ぜながら、鼻歌まじりにご機嫌な様子でポニーテールを揺らすやや長身の女性の後ろ姿だった。
ドアを開く気配に気付いたのだろう。鍋をかき混ぜる手もそのままに、こちらを振り向いた彼女は僕を認め───、

「あら、───おはよう、春ちゃん」

そう言って確かな母性を感じさせ立ち振る舞いと共に女性───和泉家の家事を一手に引き受ける誇り高き専業主婦、和泉春海の事実上の母親である『和泉かなみ』は、ニッコリと微笑んだ。



リビングと連結したキッチンに入って冷蔵庫を開き、お気に入りの低脂肪牛乳を取り出しながら僕も朝の挨拶を返す。

「うん。おはよ、母さん」
「春ちゃんがこの時間まで寝てるなんて珍しいわね。いつもならジョギングから帰ってくる時間じゃないかしら?」
「昨日言ったでしょ、今日の夜から友達の家に泊まるって。遊ぶために体力はとっとくの」
「あらあら、そうなの」

息子の言葉にクスクスと可笑しそうに笑う母。実際は月村邸にて襲撃者に備えるためだという事実を知れば、彼女はどう思うのだろう。言わないけど。

「確か月村さんのお宅よね。あんまりワガママ言って迷惑かけちゃダメよ?」
「わかってるって」

隠し事をして身としては、この話題は精神衛生上よろしくない。とっとと話を逸らすが吉である。

「それより、どうかしたの? さっきからご機嫌だけど」
「んふ。あらあら、あらあらあら。やっぱり親子なのかしら? わかっちゃう? やっぱりわかっちゃう?」

ええから早よ言え。

飲み終えた牛乳を冷蔵庫に仕舞い、用済みとなったコップを水洗いしながら冷ややかな視線を向けたところで敵も然る者。赤らめ頬に空いた左手を添え、むふふと母親に有るまじき声を漏らしていやんいやんしながら。

「今朝早くに電話があってねー、……お父さん、来週末に帰ってくるんですって」

大層ご満悦な様子である。

「あ、そうなんだ。お盆以来じゃない? 父さんが帰ってくるのって」
「そうなの! 本当なら次の夏までお預けのはずだったんだけどね、あっくんったら忙しいはずなのに無理しちゃって。本当にバカなんだから、もう!」

何がお預けなのかはボクコドモダカラワカンナーイ。

「『カナちゃんや子供たちのために頑張る』って。お母さん、もう嬉しくて嬉しくて」
「お、おう」

せ、せやな。

個人的にはお互いイイ齢した夫婦があっくんカナちゃんとかマジ勘弁。……あ、我が父のフルネームは和泉秋人である。念のため。

「そうよそうよ! あの人ったらさっきの電話だってね、」
「あ、ぼく、ちょっと顔洗ってくるッス」
「あら、そう?」

その残念そうな顔はやめなさい。

「なら、ついでに『あの子たち』も起こしてきてちょうだいな。さっき起こし行ったけど、たぶんこの分だとまた二度寝しちゃってるから」
「はいはい」
「『はい』は1回」
「はーい」

了承しながら後ろ手にフリフリ。逃げ遅れる前に退却退却っと。



子供部屋なう。

「ってことでゲタップマイシスタァァアアアアズッ!!」

叫びながら勢いよく剥ぎ取った布団の下にいたのは、お互いに程良く伸びた髪を絡ませながら向かい合ってスヤスヤと眠る、控え目に言って可愛らしい2人の幼女。
友達の女の子と同じく、それぞれ赤と青を基調としたきつね柄のファンシーなパジャマを着た2人の少女こそ、僕の初めての妹であり小さな侵略者───、



「オラ起きろ!───あおな!ようこ!」
「ん、んー……おはようです、……ハルにぃ」
「……んんっ、んむむむ……あさからうるさいですよー、ハルにいさん」

ムズがるように返事をするのはどちらもとてもよく似た顔同士───名を『和泉あおな(台詞上・双子の小さい姉のほう)』『和泉ようこ(台詞下・双子の小さい妹のほう)』という。





「お前等はあれだ。いい加減母さんが1回起こしたらちゃんと起きられるようになりなさい。二人とも、来年はもう小学生だろ」
「むむ、それはアオたちにゃムズけぇちゅーもんでごぜーますです」
「そのときはハルにいさんにおこしてもらうからだいじょーぶです。ハルにいさんもかわいいボクたちをおこせてしあわせでしょ?」
「喧しいわウリ坊ども」
「こーら。アンタ達、あんまり口の中にモノを入れたままお喋りしないの」
「「「はーい」」」

大皿に乗った黄金色に輝く卵焼きを摘まみ、茶碗の白米と共にかきこむ。まいうー。

「あと、ようこはともかく、あおなはその話し方もどうにかしないと」

なんか無理矢理キャラ付けした感があるし。

「おそとでのハルにぃのまねっこでごぜーますです」
「だからおこられるのもハルにいさんひとり」
「そんな萌えキャラの出来損ないみたいな語尾の責任押しつけられても……」

とんだ責任転嫁もあったものである。

「ま、アオちゃんだけダメってことは、やっぱりボクがこのなかでいちばんおとなってことですね!」
「あー! ようちゃん、そりゃズルっこでごぜーますですよ! アオも! アオもハルにぃたちとごいっしょ! ごいっしょしましょーぞー!」
「口調が愉快な事になってるぞ、あおな」

木目の碗を持って、中の味噌汁を一啜り。本日も非常に深みのある味わいを堪能しつつ。

「大体、未だ箸も上手く使えない奴が大人なんて、なぁ?」
「なぁっ!?」

フッ、と大人の余裕で笑う僕の視線の先には、お子様用のスプーンでご飯を食べる和泉ようこの姿が。

「そ、そそ、そんなことでおとなじゃないなんて、お、おーぼーです! てっかいをようきゅうしましゅ!」
「よーきゅー!」
「おいおい、こんな小さなことで大きな声をあげるなんて、やっぱりまだまだお子さ───」

殴られた。全員。

「静かに食べなさい」
「「「はい」」」





「じゃあ、お母さんはちょっと出かけてくるわね。帰りは昼過ぎ。オヤツはいつもの戸棚の中、お昼ごはんはちゃんと冷蔵庫に入れてあるから。それまで全員でしっかりお留守番なさい。あと春ちゃんは、ハナちゃんが起きたらごはんあげるのよ?」

ちなみにハナちゃんとは葛花の愛称である。でも今回アイツに出番は無い。番外編だしね!

「了解。行ってらっしゃい」
「「いってらっしゃーい」」
「ええ、行ってきます」

さて。

「というわけで、これより本日の皿洗いのミッションを執り行います」
「「おー!」」

そんな僕の宣言に、存外素直に従う妹たち。基本的に我が家の家事炊事はすべて母さんがこなしているが、休日の皿洗いと洗濯物たたみだけは子どもの仕事となっている。
普段は『小さな野獣(葛花視点)』の名を欲しいままにしている彼女たちも母には忠実なのだ。

「まあ、しかたありませんね。かしこいボクたちがハルにぃさんをたすけてあげます」
「しかたねーです!」
「はいはい」

いつも通り僕がスポンジで食器を洗い、洗った皿をあおなが乾いた布巾で空拭きし、ようこが食器棚へと運んで行く。


…………。


もうじゅうの あおな と ようこ が しょうぶをしかけてきた!

「というわけで、きょうは『しりとり』でしょうぶです」
「きょーはまけねーです!」

説明しよう! ただ静かに家事手伝いするだけでは暇なので、何かゲームをしながら家事を行なうのが彼女たちの最近のマイブームなのだ! 負けても特にペナルティは無いが、勝者は勝ったという事実をそれはもうネチッこく主張してくるので腹立たしい事この上ないぞ! 

「にしても『しりとり』か。なんか1周まわった感じだな」

確か先週はナゾナゾだったか。『ボクたちの“ほくろ”は何個でしょう?』とか戯けた問題を出された時は危うくブチ切れ寸前までいったものだ。結局本人たちも答えを把握していなかったらしく僕の勝利に終わったけど。

詰めが甘い。

「ふふん、いつまでもおなじボクたちではありませんよ」
「われにひさくあり! です!」
「さよけ」

どうにも、此度も何やら姑息な策を講じてきたようだ。

懲りない妹御たちである。

「じゃあ僕からな。最初は『しりとり』の“り”で行くか。……『りんご』」

本来ならば『リップ』等々“プ”攻めをしてやるところなのだが、以前それをしたら半泣きで蹴り掛かって来られたことがあるので今回は普通に。皿洗いの最中にリアルファイトまで発展することがあるからコイツ等は中々侮れない。

「ご、ご、ご……『ゴリ』でごぜーます!」
「そこまで行ったら『ゴリラ』って言え」

そもそもそれは人名です。

「ならボクは“ラ”ですね。『ラスク』」
「お洒落なモン知ってるな……『クマ』」
「『マクド○ルド』!」

お前はお前で何でさっきからそんな著作権的に微妙なラインを突いてくるんだ。

そんなこんなで『しりとり』も意外に白熱して順番もそろそろ十周目に差し掛かった頃。洗う皿の数も殆どなくなり今日のゲームは引き分けかと考え始めた…… “それ”は起こった。



───『ひさく』とやらの、発動の瞬間だった。

「『たい』!」
「……『イルカ』ですね」
「『カニ』」
「『にんじん! あっ……さん!…です!よ!』」

…………。

「「……」」ドヤァ

しばくぞ貴様ら。





結局この日の勝負は皿洗いが終了したことで時間切れのノーゲームとなった。納得できるかこんなん。





**********





そうして妹たちと遊びながら皿洗いを終えた後。安次郎の襲撃に備えて月村邸へ顔を出すのは夕方からであるため特にすることも無くて手持無沙汰となり、リビングのソファーにもたれて月村家から借りた小説に目を通していた春海に、背後からあおなの元気な声が飛んできた。

「ハルにぃハルにぃ!」
「あ?」

吸血鬼の一族から借りた本が吸血鬼狩りの物語とは一体どういうギャグなのだろう。それでも歳甲斐もなく若干ワクワクしながらページを捲っていた彼が本から顔を上げ声の方へと目を向けると、そこには相も変わらず無駄に瞳をキラキラさせている上の妹がいた。

「なんだなんだ、唐突に」
「おりがみ! おしえてくだせー!」

デフォルメされた狐が正面に大きくプリントされたシャツに動きやすいショートパンツ。肩に掛からないくらいで切り揃えられたショートの髪は最近母親や下の妹の真似をして伸ばし始めているらしいが、どうせ手入れが面倒になってすぐ元に戻すのだろうと春海は睨んでいた。

そんな妹の手には、いつだったか買い物の際に母に買ってもらった折り紙が握られていた。

「別に良いけど……今日は何を折る?」
「どうぶつさん!」
「よしきた」

言って、読んでいたページに栞を挟んでパタンと閉じる。
今日からしばらく月村家に泊まり込みで護衛にあたるため家に帰ってくるのは数日後になる。偶には子どもの我が儘に付き合うのも悪くないだろう。

そんな無駄に年上のナルシズムに浸った仏心(のようなもの)に酔いながら、リビングのテーブル席について色とりどりの正方形の紙を前に、兄妹2人でそれぞれ一枚ずつ手に取った。

「ほれ、最初は犬だ。まず半分に折ってみな」
「イヌはもうしってるのです! もっとおっきいのがいいです!」
「よりにもよってサイズの変更を要求するか……」

流石のお兄ちゃんも元々ある折り紙のサイズを大きくするのは無理っすわ。
この妹は笑顔で理不尽な事を要求するからなかなか侮れない。

「おっきいのは今度また用意してやるから、今日は別の折り方を教えるってことで我慢しなさい」
「むむぅ~……しゃーねーです! がまんです!」
「うむ、いい子だ」
「えへへー」

この娘は基本的に兄の言うことは大体のことには従う天真爛漫な良い子なのだ。3歩も歩けば大概別のことに興味を移して忘れてしまうが。

「それで、なにをおるですか?」
「そうだなー……トリとか?」

ニワトリとか? でもただのニワトリじゃあ面白みが無いなー、うーん、飛べない鳥かー、とまで考えて。

「……ペンギンでも折るか」

そういえばと、高町家においてなのはの部屋に置いてあったペンギンのぬいぐるみが彼の頭に浮かんだ。

「ぺんぎん、って何ですか?」
「え、お前ペンギン知らねえの?」
「しらねーです」

まあ小学1年生のアリサやすずかが歳の割に博識で忘れそうになるが、これが子どもの普通である。
春海は傍にあったメモ帳の上に滑らかに鉛筆を走らせ、存外絵心のあるペンギンのキャラクターを描きながら、

「ペンギンっていうのは、すごく寒い場所に住んでる鳥でな。鳥なのに飛べずに泳ぐのが得意で、子どもと一緒にヨチヨチ歩くのが可愛いんだこれが」
「かわいいですか! みてみてーです!」
「後で図鑑を見せてやるから。ほれ、折るぞ」
「あい!」

それぞれ選んだ色おり紙を弄び春海は実際に折り方を見せ、時折り手を取り補助をしながら単なる紙を動物の形にしていく。

「……それで、今度はそこを折って……そうそう」
「こうでごぜーますか?」
「うん、よしよし。あとは仕上げに顔のところに色エンピツで丸い目を描いて……ほい完成、と」
「おー!!」

そうして完成したペンギンを、あおなはキラキラした眼で掲げて。

「これがぺんぎんさんでごぜーますか」
「おう。きちんと二本足で立つんだぞ、これ」

そう言って、春海は妹が作ったペンギンを軽く開いてテーブルの上に立たせた。

「わぁ!」
「更にサービス。子ども達も加えてペンギン一家の完成である」

次いで、妹に教える横で並行して作っていたミニサイズの折り紙で作った小さなペンギン2匹をその横に立たせた。器用なものである。

「わぁ、わぁ! すげーすげーです!! ちょっとようちゃんに見せてくるです!!」
「あ、おい」

興奮した様子でドタドタと走り去っていく妹の後ろ姿に手を伸ばして、……空を引っ掻いた手をしばらくプラプラさせてから、そのままガリガリと後ろ頭を掻いた。

「まったく、アイツは少しくらい落ち着いて行動できんのか……」

まあ引っ込み思案な性格より万倍マシだとは思うが、それにしても忙しない生き方をしている妹である。日常生活を全力で楽しんでいるという点においては、あれはもう一種の才能だろう。

そうでも思わないとやってられないとばかりに溜息一つ零して、残された兄は仕方なく机に散らばる色おり紙を片づけ始めた。



「……そろそろ昼飯の準備でもするか」

遊んだ後の片づけも終わり、小説の続きも一気に読み終えた頃。正午を間近に迎えたことを壁掛け時計から教えられた彼は、兄妹3人分の昼食を用意するために腰を上げた。
母が昼食は冷蔵庫にあると言っていたので、たぶんメニューは冷たいままでも食べられるものか、あるいはレンジで温めるものかのどちらかなのだろう。

「ごはんは炊けてるかな」なんて考えつつ、台所に入り備え付けの冷蔵庫を開く。と……その眉根が、ふと気が抜けたように緩んだ。

「やっぱ侮れないな、アイツは」

彼の目の前には、あおなと2人で作っていた親ペンギンと、さっきまで何の表情も無かったはずの子どもペンギンが一緒にニコニコ笑顔で嬉しそうに笑っていた。










母親が用意していたタケノコの炊き込みご飯とほうれん草のゴマ和え、朝の残りの味噌汁を温めた昼食を3人で行儀悪くワイワイと騒ぎながらとった後、食べ終わった3人分の食器を流し場で洗う春海へと声をかけたのは、愛用のヘアブラシとお気に入りのリボンを持った下の妹だった。

「ハルにぃさん」
「今度はどうした」

振り向かず、正面にあるステンレスの壁を鏡のように利用して背後の妹と目を合わせつつ話す。そうして残り少なくなってきた食器を黙々と片付ける兄に気を悪くした風もなく、

「どうせヒマでしょうから、ボクのヘアセットをさせてあげます」
「はあ?……ああ、なんだいつものか」

それにしても。

「一人で出来ないなら素直にそう言えよ……」
「そ、そんなわけないじゃないですか! こどもじゃないんですから、これくらい一人でできます! でもハルにぃさんがボクのあたまをイジりたいって顔するから……」
「たぶん病気だよそのハルにぃさん……」

それはもうよっぽど危険な顔付きだったのだろう。

「だから、やらせてあげます」

いつもどおりの不遜な口調でこっちの様子などお構いなしにグイグイとブラシを兄の背に押し付けるようこ。
そんな妹のおねだりに、春海は最後の一枚を食器立てに並べ終えてから。

「はいはい、せいぜい謹んでやらせて貰いますよっと」

布巾で両手の水気を拭き取りながら降参の意を示した。



午前中のあおなとの一幕同様、リビングのソファーに座ったようこそこそこに長い黒髪を、その後ろに立った春海がブラシで真っ直ぐに梳きながら。

「それにしても、ようこちゃんや」
「なんですか、ハルにぃさん」
「いや、……」

言い淀む彼の視線の先には、和泉家で一台しかない大きめの液晶テレビ。正確には、そんな液晶画面の中にいる、好々爺然とした江戸のご隠居。

「幼稚園児の分際で『水戸黄門』は渋すぎやしません?」
「ふふん、コーモンさまのおもしろさが分からないなんて、ハルにぃさんもまだまだのようですね」
「いや確かに勧善懲悪ものとしてはこの上なく分かりやすいものだとは思うけどさ」

もうちょっとこう、実妹に対してアンパンマン的な可愛げを期待したいと思うのは兄の我が侭なのだろうか。

「追い詰められた悪いトノサマのあわてた顔は、いつ見てもワクワクしますね」
「なに微妙にサディスティックな楽しみ方をしてんだよ」
「てーこーする敵をバッタバッタをなぎたおすコーモンさま」
「アグレッシブ過ぎる黄門さまだ……」

助さん格さん要らないじゃないかと思わなくもない。

「決めゼリフの『スケさん、カクさん、ブッ殺してあげなさい』はいつ聴いても痺れます」
「史実の黄門さまでももう少しは慈悲深いぞ」

何だその情け容赦ない水戸黄門。

「個人的に、コーモンさまにはスラダンの安西先生とおなじくらいのフトコロのふかさを感じます」
「正直あの漫画もお前らには早いと思うんだけど……」

ジャンプ黎明期を支えた名作を寝耳物語にする園児なんて、世界広しと言えど目の前で得意顔を晒す妹くらいなもんである。

「とくに、負けているメンバーを立ちなおらせるためにあの人が口にしたセリフは今でも心にのこっています」
「ああ、あのシーンだな」

確かにあそこはそれまで妙に影の薄かった安西先生を立派な指導者として明確にしている、正にスラダン名シーンの一つだろう。

「膝をついて絶望する主人公たち、そこであの名台詞な」
「『諦めたら? そこで試合終了だよ?』ですね」
「泣きっ面に蜂じゃねえか」

降ろしちまえ、そんな指導者。

「まったく。僕相手にはそんなペラペラと口が回る癖に、どうして幼稚園でそれが出来ないんだよお前は。聞いたぞ、幼稚園では角っこでムスッとしてるんだって?」
「なっ、なんでハルにぃさんがそんなこと知ってるんですか!」

そう言って、首元辺りから緩く三つ編みにした先っぽと三つ編み部分の根元を大きめのリボン2つでしっかりと結ぶ。最後に全体のバランスを眺めて最終確認しながら、

「バスまで迎えに行ったときにお前等の先生から聞いたんだよ」

そもそも其処は去年まで自分が通ってた幼稚園だ。近くを通って先生を見かけたら世間話の一つや二つする。

「せっかく母さんに似て美人なんだから。あおなみたいに愛想の一つも振りまけよ。友達なんてすぐ出来る」
「い、いやですよ。かしこいボクは一人でも生きていけるんです」

やっぱり、この下の妹の教育はどこか間違った気がしないでもない。

口だけ番町というか、内弁慶なのだ。

「だいたい……」
「お?」
「『あいそ』なんて……どうすればいいのか、わかりません」
「そんな病気こじらせた中学生みたいなこと言われても……」

思春期の男子中学生かお前は。

この妹のこういうところを見ると、やっぱりあおなの方がお姉ちゃんなんだなと実感する。

「じゃあアレだ、笑顔だ笑顔。柔らかい表情で相手と接することを意識してみなさい」
「でも、テレビも『スマイル0円』って言ってたし……」
「間違ってもそれは笑顔の価値が0円という意味じゃねえよ」

今から彼女の来年の小学校入学を不安に思うのは、果たして自分が過保護すぎるのだろうかとは考えずにいられない春海だった。









それから、自室で装備(呪符や黒っぽい厚めの服とか)の最終点検を終え、母親が帰り次第いつでも月村家に出発できるように準備を整えた春海がリビングに入ると、肩を寄せて何やら作業している妹2人の姿が目に飛び込んできた。

「ん? 何してるんだ、お前ら」
「ああ、ハルにぃさん」
「おえかき帳でごぜーます!」

元気いっぱい叫びつつこっちに突き出されたあおなの小さな手に握られてるのは、確かに国民的人気を誇るウサギの女の子がプリントされた子供用のお絵かきノートだった。

「ようちえんでセンセーがみんなに配ってたんです」
「です!」
「なるほどなー」

相槌をうつものの、既に春海はリビングを通って台所の冷蔵庫から麦茶を取り出していた。

ぶっちゃけどうでもいいっす。

「ああ、そういえばハルにぃさん。これって何かわかりますか?」
「あん?」

訊かれて振り返った先、ようこの小さな手のひらの上にあったのは、白地に丸っこい四角のシールが幾つも集まった一枚の紙。
それを見た春海は、色んな意味で若干の懐かしさを覚えつつ質問に答えた。

「そりゃ名前シールだよ」
「なまえ?」
「シール、ですか……?」
「そ。まずシールに自分の名前を書いて……」

一枚拝借したシールにペンで自分の名前を書き込んで、

「で、そのまま自分の持ち物に貼り付ける。これなら『これは私のものです』って他の人が見ても分かるだろ」
「おもしろそうですね」
「さっそくやるです!」

途端に目を輝かせてシールに覚えたての文字を書き込む妹2人を、春海はエサに群がる犬のようだと思った。

「んじゃ、僕は少し昼寝するから。誰か訪ねてきたら自分たちで玄関開けないで僕を起こしに来いよ」
「「はーい」」

声だけは立派な生返事を背に、春海は今夜に向けて仮眠をとるために欠伸もそこそこに自室に戻っていった。





「……ようちゃん」
「あ、もしかしてアオちゃんもおんなじこと考えた?」

こくり、と頷きあう双子の姉妹。そんないたずらっ子の特有の笑顔で笑う2人の指先には、先ほど使い方を教えられたばかりの名前シールがあった。





「すー……すー……」

畳敷きの和室に、布団もしかずに枕だけで頭の下に敷いて畳の柔らかさを感じながら大の字で眠る春海。……そんな彼の部屋に、そろりと音も立てずに忍び寄る影2つ。

「……にっしっし、でごぜーす」
「くっくっく……ハルにぃさん、おかくご、です」

眠る兄の両側から迫った2人の女の子はまるで猟犬のような迅速さ(主観)で目的を遂行した。





「ただいまー、……あら?」

買い物を終え帰宅した母親───和泉かなみが、玄関で靴を脱ぎつつ帰参の声をかけて……まず返事が無いことを不思議に思い、次に不審の声を漏らした。
お土産のお菓子を狙って我先にと可愛い2人の娘が飛んできて、そんな妹たちに呆れつつもしっかりと諫めてくれる可愛い息子がやってくる───そんないつもの光景を想像していたのだが。

すわ泥棒でも入ったか、と僅かに焦りを覚えたかなみだったが。

「こん!」
「あ、ハナちゃん。みんなはどうしたのかしら?」

足元に擦り寄ってきた飼い狐の葛花(息子が何を思ってこの名前にしたのか未だに謎だ)の姿に安堵して訊くと、もう一度だけ「こん!」と鳴いた葛花がトタトタと走り去っていった。あの先は、たぶん息子の部屋のはずだ。
はて、3人で遊ぶのなら大概はテレビのあるリビングで遊んでいる筈なのだが、一体何をしているのだろうか。

首を捻りながらも葛花の誘導に従って廊下を歩く。着いた先は、予想通り息子の部屋の前。

何故か半開きになっている障子戸を、覗き込むようにして中の様子を確かめる。……すると、

「……あらあら」

思わず、母としての優しげな声が口から出た。

「もう少し、このままにしておきましょうか」
「こん!」
「ん、良い子ね。ほら、あっちでごはん食べましょう」
「こーん♪」





そう言って、足元の葛花を抱きかかえて息子の部屋の前を後にする。後に残されたのは、右腕と腹を枕にされて苦しげに唸り声をあげている兄と、その傍らですやすや眠る少女2人。

───そんな兄の両の頬には、ヨレヨレの字で「いずみあおな」「いずみようこ」と書かれたシールが貼られていた。










(あとがき)
みなさん、お久しぶりです。ざっと半年の更新休止の末、皆さんの応援もあってなんとか無事に就職活動を終えることもでき、こうして戻って来ることと相成りました、篠航路です。ぶっちゃけ就活終わってこの1カ月は遊びまくってましたけど。

今回は番外之壱。主人公の家族である母親【和泉かなみ】と双子の妹【和泉あおな・ようこ】の登場です。正直1からキャラを作るのがここまで難しいとは思っておらず、書いては書き直しの連続でしたが、何とか彼女たちのキャラクターを際立たせるための最低限の描写は出来たんじゃないかなーと思っているのですが、如何でしたでしょうか?ちなみに主人公からの妹2人の評価は、それぞれ『あおな=くせ者』『ようこ=口だけ番町』です。

とはいえ、ここで番外編を書いたのは半年ぶりのリハビリの意味合いもあったため、次回からは本編に戻ってリリカルとらハ勢の魅力を描くことに専念したいと思いますので、これからもどうかよろしくお願いします。





[29543] 第二十四話 巡り合わせが長生きの秘訣
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:868803c9
Date: 2013/11/03 16:24
月村安次郎による月村家襲撃の一件から、僕───和泉春海が入院してから早10日が経とうとしていた。
最初の3日は寝たきりの意識不明状態であったとはいえ、目覚めてから既に1週間近い日数が経過し身体の擦過傷や火傷はほぼ完治。むしろ空っぽになるまで絞り尽くした霊力の補填や、擦りきれんばかりに集中力を使い果たしたことによる頭痛に悩まされていたくらいだ。
しかしまあ、それであっても元気が取り柄の子どもの身体。5日もあれば日常生活を過ごすに支障にならないくらいは回復する。現に僕も4日目からは病院内を歩きまわって、同じく入院中の老婦人の方々から吐くほど甘ったるいべっこう飴を頂いたこともあった。

結局、何が言いたいのかというと。



「……暇」



───まあ、そういうことである。



ポツリと不満を呟いて、バフンと身を投げ出すようにして横になり頭の後ろに組んだ両手をもっていった。病院のベッドといえば不安定な安っぽいパイプ製を想像するものだが、まだまだ発展途上の子どもの背面タックルを何事も受け止めたこの真っ白のベッドは軋む音ひとつ立てることもなく。

何となく周りを見渡すと、そこにあったのは『前』を含めて僕が経験したことも無いほどに豪華な病院の個室。一連の騒動の責任を重く受け止めた月村家当主であり忍さんとすずかの父親である月村征二氏が特別に手配した個室であった。
彼にとって僕が単なる子供であり、月村家に対する影響力を全くと言って良いほど持っていないことを考えると、なるほどこれは確かに彼の御仁による謝罪と感謝の気持ちの表れであるのだろう。───僕にとってこれが『大きなお世話』以外の何物でもないという事実を除けば、であるが。

正直なところ、僕としては大部屋で他の入院患者と一緒に寝食を共にしても苦でも何でもないのだが。

「……やっぱり金持ちは好かんね、どうも」

意識せず、内心が声に乗って漏れ出る。

別に、単なる金持ちであったなら思う所は何も無い(そもそも金持ちが全部嫌いならアリサやすずかとこんなに仲良くなってはいない)。むしろ部下のため家族のために責任をもって努力する姿には尊敬の念を抱くことだってある。つい先日、本人直々に謝罪にきた月村征二氏の姿は堂々としたもので、その姿には僕なんかでは計り知れないほどの指導者としての風格が満ち満ちていた。彼から気押されるものが無かったと言えば、やはりそれは嘘になるのだろう……が、やはり『それ』と『これ』とは別なのだった。
ほとんど治りかけの僕にこんな部屋を宛がうくらいなら、もっと重篤の患者にでも宛がってやれと。つい、そんな捻くれた思考が首をもたげてしまうのだ。


結局のところ、与えられるだけ暮らしが我慢ならないのだ、僕は。

ただ単に日々を生きるためだけの金を与えられ、無味無臭の世界を子に強いる『前』の親だった“アレ等”───



「───あー、いかんいかん。やっぱり軽く参ってる」



横になったまま、フルフルと首を振って鬱々とした思考の泥沼から抜け出す。

ほぼ寝たきりの入院生活(いや、歩き回ってはいたけどさ)は、どうやら自覚のないところで僕自身をかなりネガティブな人間にしてしまったようだ。今さら『前』で大嫌いだった自分の親を思い出すとは、僕もかなり極まってきてると見て良いだろう。

いつもならば傍に葛花がいて遠慮もなく愚痴を言って言われてを繰り返すことで悩む暇もないのだろうが、生憎と彼女も今は和泉家で母や妹たちと過ごしている。
本来なら母親あたりが小学1年生の僕と一緒に病院に泊まり込むのが普通だが、ウチには更に幼い妹たちがいるのだからそっち優先は当たり前である。何だかんだで母親や妹たちも毎日お見舞に来てくれてたしね。


「お?」


───と、思考をニュートラルに戻すべく一度考えを止めて頭の中をまっさらにしていると、魂視が病室の前に特徴的な気配を感知した。


思わず緩んだ口元をそのままに、身を起こして枕元に備え付けられている缶の中から一枚のクッキーを取り出した。5日前にアリサたちが持ってきてくれたお土産で、アリサ・なのは・すずかの3人が手作りで作って来てくれたらしく、それはもう大事に大事に食べていたのだが、それでも残りは早数枚。たぶん今日中にでも全部食べ切ってしまうだろう。
そうして、ちょうどクッキーを一枚手元に引き寄せると同時に、廊下へと繋がる唯一の扉がガラリと勢いよく開かれた。


「くーん!」


トタトタと駆け寄ってきた巫女服キツネ耳姿の久遠ちゃんの身体を受け止める。こっちが子どもの状態だと彼女のほうが少しだけ大きいので若干圧し潰されそうになる。

「おーよく来たな。いらっしゃい、久遠ちゃん。クッキー食べる?」
「くぅん♪」

あーんと無邪気に開けられた小さな口に、クッキーを放り込んだ。
彼女の口には少し大きすぎたらしく、咥えたクッキーに両手を添えてムグムグしている。

うん、かわいい。

と。

「───こら、久遠。お行儀わるいことしちゃダメでしょ」

ピクピクと嬉しそうに動いている久遠ちゃんの金色の耳の撫で心地を堪能していると、開けっ放しのままだったドアからコツコツと静かな足音が僕の耳朶を打ち───


「や、いらっしゃい」
「こんにちは~、春海くん」


───其処には目の前の久遠ちゃんの飼い主であり、10日前の一件で倒れた僕の治療を一身に引き受けていてくれた、神咲那美ちゃんの姿があった。





**********





「体はもう大丈夫?」
「お陰さまで何とか、だけどね。さっきまで暇してたトコ。ほら、座って座って」

言いながら、春海は自分が腰を下ろしているベッドを挟んでドアの反対側に在る丸椅子を那美に手渡し彼女が座るのを確認する。ちなみにヒト型の久遠は椅子が無いのでベッドに座った状態でお菓子に夢中である。可愛らしくて大変よろしい。

そんな狐耳の少女を尻目に春海はお菓子と一緒にあるカゴの中からリンゴを一個、引き出しの中から皿と果物ナイフをそれぞれ取り出した。

「果物、剥くよ」
「あ、そんな。お見舞に来たのにそんなことさせられないよっ。わたしがやるから、春海くんは横になってて」
「や、そもそも那美ちゃんリンゴ切れないでしょ」
「う、ぅ~、それは……」

彼の脳裏に浮かぶのは、先日自身の見舞いに来た際にリンゴへナイフを入刀した那美の危なっかしい手つきである。さすがに「芯だけになったリンゴ」等というほど悲惨な出来ではなかったが、果実部分が大きく目減りしていたことは了然だった。

「僕もこの1週間はホント暇だったからねー、ちょっとでも何かしていたいのよ」

春海としても、この行き詰った感のある入院生活に鬱っ屈していたところに都合よく現れた那美《としした》である。思いっきり世話を焼く気まんまんであった。


少なくとも、現在進行形で小学1年生の男になけなしの女のプライドを粉砕されている那美からすればこの上なくハタ迷惑な話である。


「う~ん……じゃあ、お願いします」
「くーん」
「はい、お願いされました」

───わたしも耕介さんにお願いして料理おしえてもらおっかな……。

そんなことを考えながら地味に沈んでいる那美に気付くこともない春海は冗談っぽく返し、手の中でくるくるとリンゴを回して果実を器用に丸裸へ変えていく。胡坐をかいてその膝の上におかれた皿のなかに繋がったままのリンゴの皮がどんどん落ちて、沈んでいた那美が戻ってきた頃には既に半分近くリンゴの白い中身が覗いていた。
ただ見ているだけの状況に落ち着かなくなったのか、───おもむろに立ち上がった彼女は春海の背中に手を回した。

「じゃ、じゃあ、今のうちに“こっち”もやっちゃうね」
「ん。片手間で申し訳ないんだけど、お願い」

言葉の結びと同時に、彼の背に温かな感覚が広がった。

胡坐をかいて座っている春海の背中に、右手を添えて目を閉じている那美というこの格好。傍から見れば奇妙な光景であっても、していることは立派な治療行為である。
正しくは『霊媒医療』の一端で、先の一件でその殆どがすっからかんになった春海の霊力を那美に負担が掛からない範囲で少しずつ供給してもらっているのだ。葛花や春海であっても難事と言える霊力供給をさらりとこなせるのは、霊媒医療に精通している神咲那美の面目躍如といったところか。本人にその自覚は微塵もないが。

「あ゛~~~、何だろこの感じ。足湯のような按摩のようなそうでもないような……」

温かな気持ち良さと言えば真っ先に連想するのがそれらだが、同時に背筋に一筋奔るこのゾワゾワとした感覚が何とも。

「わたしも子どもの頃ケガするとよく十六夜にしてもらってたけど、気持ちいいよね~これ」
「くぅん♪」

このゾクゾクッとした感覚が癖になるね!

(とか言ったらたぶん引かれるな)

那美と久遠が言ってるのはもっとこうポカポカとかの擬音が似合いそうな牧歌的なものであって、間違ってもそんな疲れた中年にありがちな変質的な楽しみ方ではないだろう。

ショリショリと音を立てるリンゴとナイフをBGMにしながら、やけに温度差のある感想を抱く2人と1匹だった。





「うん、霊力もやっぱりもう殆ど回復してる。どこか身体に違和感とかない?」
「いやもう全く。長いことホントにお世話になりました。そっちも退魔仕事で忙しいのにごめんね?」
「ううん、わたしは高町先輩や春海くんと違って忍さんたちに何もできなかったから。……せめてこれくらいはやらないと、罰が当たっちゃうよ」
「まあ餅は餅屋。危ないことは僕や恭也さんが現状一番の適任だったし、仕方ないよ」

そもそも春海も那美も恭也も、本来月村家の件には一切の関わりがない赤の他人なのだが、それは言わぬが花である。元より友達を助けるために各々が出来る限りを尽くしただけだ。
そう言って那美に背を撫でられながら肩を竦めた少年が、今度は疲れたようにいきなり肩を落とした。

「というか、本当なら誰も怪我をせずに済んだはずだったんだよ。“あんなの”を予想しろとか、無茶振りにも程があっただけで……」

丸裸となったリンゴを手の中で食べやすい大きさへとカットしていく春海の脳裏に過ぎるのは、件の敵。艶やかな金髪と底冷えする殺意を備えた美貌の襲撃者───自動人形《イレイン》。
彼女の登場は誰にとっても最大の誤算であり、同時にそれは最悪の失敗でもあった。その封印を解いた首謀者、月村安次郎であっても、それは例外ではない。

(恭也さんたちの力を借りてとは言え、“あれ”を撃退できたのは素直に誇って良いよね、うん)

運が良かった───とは言わない。勝てないならば勝てるような状況へと持って行くのが彼の闘い方であるし、それでも勝てないならばそもそも闘ってすらいない。その時は男の全プライドを返上して那美に土下座して彼女の霊力を分けて貰い、葛花に土下座した上で彼女に全霊力を供給してイレインを倒して貰っていたところだ。少なくとも、春海が真っ向から闘うよりはずっと勝算があるだろう。悔しいことに。

イレインと相対した際の恐怖を身体が思いだしたのか、額に一筋の冷や汗を流しながら微妙に後ろ向きな思考をする春海。そんな彼の背を撫ぜた那美がポツリと言葉を漏らした。

「イレイン。……ノエルさんとおんなじ、ロボット、なんだよね」
「くーん……」
「うん。あれは強かった。もう少し強かったら尻尾巻いて逃げてるくらい」

まあその場合、そもそもその『逃げる』という行為が可能かどうかについては置いておくとして。

そして、そんな言葉を聞いた那美が、目の前にある春海の黒髪をポンと軽く叩いた。

「もう……そんなときはすぐに逃げなきゃダメだよ。春海くんはまだまだ子供で、周りの人に頼っても誰も怒ったりしないから」
「わかっちゃいるけど、どうもねー」

確かに子供ならば頼っても許されるのだろうが……果たしてその理論が、あくまで子供の“ガワ”を被っているだけの春海にどこまで適用されるのか。彼の主観では高校生の恭也や忍、見た目は成人であるノエルでさえ『前』の自分よりやや年下の後輩である。どうしても面倒を見なければというお節介な年長思考回路が首をもたげてしまうのは避け難い。
もちろん特定分野では彼等のほうが遥かに優れているということは文字通り痛いくらいに理解しているのだが、……人間、無駄に重ねた年齢の中で培われた自信という名の傲慢は如何ともしがたい。

「あー、またそんなこと言って。ご家族の人たちも春海くんのこと心配してたんでしょ?」
「してたねぇ……」

自分の入院とほぼ同時期に帰国した父にとってはさぞや寝耳に水だったことだろう。最愛の妻と過ごせる折角の休暇を、息子の入院補助に掛かりきりにさせてしまったことは素直に申し訳ないと思う。
ちなみに、父母の中で今回の事件は単なる放火であり、和泉春海の怪我は取り残された月村家の娘たちを助けるために負った名誉の負傷とされている。彼が気を失っている間に恭也も交えて決められたカバーストーリーとして家族にはそのように説明されたのだ。

聞いた話では謝罪の際に和泉家に挨拶に来た月村家両親と春海の父母は割と仲良くなっているらしく、一緒に謝りに行った忍とすずかが妙に嬉しそうにその報告を彼にしていた。
報告するすずかの何故か赤く染まった顔やら、世話に来た和泉家両親の何故か面白がっている様子やら、春海には全く全然微塵も少したりとも訳が分からない。分からないったら分からない。

「自分の知らないところで自分の人生に関する仮契約書に勝手に判が押されたような気がするのはなんでなんだろうね」
「???」

そもそも小学1年生(いや、もう2年生か)の言う事を真に受けるなと。

「こっちの話。……うん、リンゴも剥けたし、まずは食べようか。那美ちゃんもどうぞおひとつ」
「あ、うん。ありがとう、いただくね」
「ほれ、久遠ちゃんも」
「くぅん♪」

フォークに刺したリンゴに向かって嬉しそうに顔を突き出す久遠の、その口元にリンゴを放り込んでやる。美味しそうにショクショクと甘味を噛み締めているキツネ耳の少女に目を細めつつ、自分もひとつ。うん、甘い。

そうして咀嚼しながら、那美の霊媒診断の結果を聴く。

「霊力に関しては、もうそんなに心配いらないかな。もともと今日こうして治療に来たのも明日退院する前に念のためって以上の意味はないしね」
「結局10日間ほとんどずっと付きっきりで診てくれた那美ちゃんのおかげでね。改めてありがと」
「いえいえ、どういたしまして」

彼の言葉に、那美は照れくさそうに微笑んで。

「十六夜ならもっと短い期間で治してくれるんだけど、わたしだとそこまでの力はないから」
「さっきも言ったけど、人には向き不向きがあるんだから。それでも訓練次第で大概のことは如何とでもなるなる。それに、誰に劣ってるから那美ちゃんのしたことが無くなる訳でもないさ」


ここで『そんなことないよ』と言わない辺り、彼が“前”において『隠れS』と言われた由縁である。


「もっと効率の良い治療法だって無くは無いんだけど……」
「え、そうなの? どんな感じの術?」

少し小さな声で呟いた那美の言葉を拾って尋ねる。そんなものがあるのなら、どうして普段から使用しないのか。

「え、えっと、……その、えっと、ね?」

が、どう言う訳か春海の疑問に、彼女は照れでほんのり赤くなっていた頬の色を僅かに強めた。

「?……那美ちゃん?」
「くぅん?」
「う、う~~~……そっそうだ! そんなことよりも、春海くん! どこか痛い所とか残ってない!? 今日で最後なんだし、どこだって治療しちゃうよー!!」
「へっ!? あ、と、そう?」

突然身を乗り出すようにして言いだした那美に、口に加えたリンゴもそのままに仰け反って距離を取る。
一方の春海は、たぶん房中術か何かってことなんだろうなー、と乙女の恥じらいを台無しにする無駄に高度な洞察をしつつ、ならばと脇腹の辺りを手のひらで押さえて見せた。

「なら、左のこの辺りにちょっと違和感がある、かな。イレインに投げられたときに変な風に打ったらしくて、フィリス先生にも何度かマッサージして貰ったりもしたんだけど」
「あっ、だったら見てみるね。ほら、脱いで脱いで」
「あいよ」

目の前の少女がせめてもう一回り年上だったらウッハウハになってたであろう台詞を言われながら、春海は寝巻き代わりのじんべえの前を解き、うっすらと割れた腹筋や、わずかに傷痕の残る肌を彼女の目前に晒して───、





「那美、なんかフィリスが話したいことがある……って?」

ガラリ、と病室の扉を開いて現れた私服姿のリスティだった。





「…………」    ←半裸で女子校生に迫る少年H。見た目7歳、中身おっさん。
「あ、リスティさん」←顔を真っ赤にして男の肌に手を這わせる少女。かわいい後輩。
「くぅうん」    ←リンゴで買収された(と思しき)キツネ耳の美少女





「実に残念だよ、変態」
「だったら少しは残念そうにしろそしてこれを外せ外して下さいお願いします」

掛けられた手錠の冷たさに慣れた自分がちょっと嫌な春海だった。





**********





「まったく、なんか会うたびに僕に手錠かけてないかアイツ……」
「くーん♪」

慌てた那美ちゃんの必死の訴えの甲斐もありなんとか自身の無実を証明できた僕が、目の前でちょこんとお行儀よく座っている久遠ちゃんの耳の裏や顎下をクリクリしながら一人ごちる。
色んな意味で現在僕の恩人筆頭となっているその那美ちゃんはというと、リスティがこの部屋を訪れた際に言ったようにフィリス先生が彼女を呼んでいるらしく、久遠ちゃんを僕に任せて行ってしまった。

なので、今この病室にいるのは僕と久遠ちゃんの2人きりである。

「…………」
「~~~♪」

友達のように思っている少女と同じ空間を共有し親しげに触れ合う男。
巫女服を着た友達を同じベッドの上に侍らせペット感覚で撫で回す男。

やっているのは同じことなのに、字面を変えると漂うこの犯罪臭。後者の方がより事実に近いというのがまたやってられない。
そもそも友達という呼称すら別の意味に聞こえるのは一体どうしたものだろうか。

友達(ペット)。

「というわけで、取り出したるは残り数枚となった3人娘の手作りクッキー」
「くぅうん♪」

まあ考えていても仕方がない。僕は缶の中から残ったクッキーの内一枚を取り出し、眼を輝かせるキツネ少女の前に差し出した。
すぐさま伸びて来た小さな手をサッと躱し手で壁を作るようにして、言う。



「待て」

ペット感覚というか、まんまペットだった。





ペットでもいいじゃないか
にんげんだもの
はるみ





この場に那美ちゃんがいれば冗談抜きにたたっ斬られそうなことを考える僕。一方、

「くぅーん……」

生まれて初めての犬扱いを喰らったであろう久遠ちゃん。思いもしなかった『待て』にピンと立った耳をしゅんと俯かせて、それでも素直に待つ彼女の姿に僕は忠犬の素質を見る。
彼女の目はしきりにクッキーを追っていたが、そんな光景を見ても僕の良心は小揺るぎもしない。

これは躾けなのである。


「……お手!」


差し出した右手の平に、即座に乗せられる小さな右手。


「おかわり!」
「くぅん!」


バッ、と今後は左の手。

それを見て満足そうにウンウンと頷く僕。そんな僕の反応に、途端に久遠ちゃんの瞳が輝き出した。
「じゃあ次で最後な?」なんて爽やかに笑って続けた僕の言葉に、彼女の眼が俄然やる気が燃えている。静かに集中力を高め自慢の耳をピンと張っている久遠ちゃんに姿を認め、僕は厳かに最後の命令を下し───





「『くぅん』以外に鳴いてみろ」
「くぅぅううううううううううううん!!!!!!」





飛び掛かってきた。










**********





海鳴病院の清潔な廊下を、3人の少女が歩いている。

「春くん、もう元気になったかな~?」

3人娘の右、いつものように頭の両側で結んだ髪を跳ねさせた高町なのはがウキウキ笑いながら言う。

「あれ、アンタ最近来てなかったの? わたしはおとといに1回だけ来たけど、あいっ変わらずムダに元気がだったわよアイツ」

それに返したのは3人のうち真ん中を歩く少女、アリサ・バニングスだった。

「まったく、普段から鬱陶しいくらいなんだから、もう1週間くらい病院で大人しくしとけばいいのよ」
「もう、アリサちゃんったら」

両腕を組んでさも興味なさそうに返すアリサに、横で聞いていた最後の女の子───月村すずかが苦笑いしつつ、諫めるように言った。彼女とてアリサが本気で行っている訳ではないことは何となく分かっているので、そこまで強くは言わない。

今も入院している友達の少年いわく、ツンデレなのだ。

そんなことを思い返しながら、すずかは先日仕入れた情報を披露した。

「あ。でもね、きのう春海くんのお見舞に来たとき、今週中には退院できそうって言ってたよ!」
「うにゃ、そうなんだ! だったら、今度のお花見には間にあうかなぁ?」
「うん、たぶん大丈夫だよ。春海くんも絶対に行くって言ってたもん」
「っていうか、」

と。人を挟んで俄かに盛り上がる親友2人の真ん中で、呆れたような声が上がった。

「すずか。アンタ、もしかしてハルのお見舞って毎日来てるわけ?」
「え? う、うん」

訊かれていることの意味が解からず、戸惑い混じりに頷くすずか。そんな彼女の様子にアリサはわかり易く「はぁ~……」と溜息をついて見せた。

「いくらなんでも通いすぎよ。確かにハルのケガはすずかの家の火事が原因かもしれないけど、だからってすずかが気にすることなんてひとっつもないんだから」
「そ、そんなのじゃないよ!」
「だったら何なのよ」

言いたいことがあるなら言ってみ?

言外にそう続けたアリサに、すずかは両手の人差し指をツンツンしながら恥じらうように……、でも、どこか嬉しそうな顔をしながら。

「それは、その、……助けてくれたお礼というか、好きでしてることというか……」
「は? 何って?」
「とっ、とにかく! ケガしたことを気にしてとかっ、そういうんじゃないから! ゼッタイ! むしろ気にしてないくらいだし!」

それはそれでどうなんだろう。と、最近テンションが浮ついているす親友に微妙な顔をする。
明らかにその元凶となっているであろう件の少年に、今度こそ事故のときのことを訊き出してやると3人の中で1番のしっかり者を自負する少女が決意を新たにしたところで。

「あはは。まあまあアリサちゃんもそのくらいで、ね? ほら、もう春くんの病室もすぐそこだし」
「む、……それもそうね」

いまいち話の流れを理解できているのかいないのか、変わらずニコニコと笑顔を維持したままのなのはだったが、確かに彼女の言う通り、同級生の和泉春海が入院している病室が廊下の向こう側に見えている。すずかへの追及もここまでだろう。

(まあいいわ。この後ハルを問いつめれば良いだけわよね。どうせアイツが何かやったんだろうし)

なんて、本人が聞けば全力で無実を主張しそうなことを考えながらも、3人の脚は変わらず件の病室へ然したる障害もなく辿りつく。

「……いいわね、2人とも。どうせまた扉の前で驚かそうとしてるに決まってるんだから、ビビっちゃダメよ」
「「あ、あはは……」」

自分の言葉に苦笑いする2人を放置して、引き戸に掛けた手を思いっきり引っ張ってドアを開け放つ。───そこには。










「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおごめんごめんマジごめん正直調子に乗った謝るから止めて噛まないで舐めないで割と本気でけっこう気持ち良いからうぉぉおおおおおおおおおおおおおおう!!!!!!」
「くぅぅううううううん!!!」



乱れたベッドの上で巫女服を着た金髪の少女に押し倒されている、知ってる男の子がいた。










───バタンッ

「あは、あはははは……へ、部屋、間違っちゃった、かなぁ……?」

アリサとなのはの眼が、光の速さで扉をシャットアウトしたすずかに向けられた。

「いや、明らかに今ハルが狐耳の女に押し倒されてたんだけど……」
「た、たぶん抱き枕か何かだよ!」

春海が小学1年生にして狐耳金髪美少女の抱き枕を所持していることにされた瞬間だった。

「で、でも、春くんがハムハムされてたような……」
「それ用の抱き枕なんだよ、きっと!」
「何用なのそれ!?」

思わずツッコんだアリサだったが、このままでは埒が開かないとすずかを押しのけ再び扉に手を掛けた。

「あ、アリサちゃ───」
「こらハルーーー!! アンタ、一体何やって、ん……の?」





が、扉を開けて入った先にいたのは、来客用の丸椅子を3つ並べて爽やかに笑う春海だった。





「はっはっはっ。やあ、いらっしゃい。今日はわざわざ僕の見舞に来てくれたのか? 何も無い所だが、心ばかりの歓迎くらいはさせて貰おうじゃないか」
「……今ここに狐の耳をつけたすっごい綺麗な金髪の女がいなかった?」
「ハハハ、何を馬鹿なことを。そんな狐の耳をつけたすっごい綺麗な金髪の巫女服を着た女がいたら僕のほうからお近づきになりたいくらいだ」
「さっきからなんか話し方が変じゃない?」
「そんなことないYO!」
「指むけないで」
「あ、はい」

その後。
二十余年の人生で培ったすべての語彙を尽くして何とか誤魔化すことに成功した春海であった。





ちなみに。

春海がアリサとなのはを誤魔化している間、すずかは本来お土産用の果物が入っていたであろう籠の中で人形のフリをしている久遠と何度か視線を合わせて冷や汗をかいていた。










**********





次の日。

「昨日はひたすらに疲れた……」

休息のために入院しておいて疲れたも糞もないだろうという意見向きもあるやもしれないが、悪いのは可愛すぎる久遠ちゃんである。

だから僕は悪くない

というわけで、ようやく退院の許可が出た僕は人の行き交うロビーのソファーでひと心地ついていた。今は退院の手続きをしている母親待ちである(入院にかかった費用は全て月村家が支払っている)。
入院期間中にお菓子を貰ったり等々でお世話になった患者さん達には既に挨拶は済ませていた。全員が「もう入院なんてするもんじゃないよ」と優しく送り出してくれた記憶を思い起こしてほっこりする。


───チャリン、チャリン。


「……ん?」

そのまま、そのうち高町家が花見を企画するらしいので今回の入院で世話になった人たちにお返しとして弁当か何か持って行こうかな、なんて考えていると、少し離れた場所にいる女の子が財布の中身を盛大にブチ撒けた。どうやら自動販売機でジュースを買おうとしていた際の事故らしい。
とはいえ、如何に僕とてそれを黙って見ているほど冷たくはない。こちらにコロコロと転がってきた500円玉を手にとって少女の方を見ると、彼女の周りでは既に親切な人たちがコインの大半を拾い終えており、持って来たのは僕が一番最後のようだった。

「おーい、そこの君」
「へ? わたしですか?」

後ろから声を掛けられて驚いたように振り返った彼女に僕は頷いて、手の平に置いた500円玉を差し出した。

「そう、そう、君だよ。……これ、こっちまで転がってきたんだけど、たぶん君のじゃない?」
「え、あ、あー! あ、ありがとう! すっごい助かりました!」

彼女の眼は何度か手に持った財布の中と僕の差し出した500円玉を往復していたが、やがて財布の中身が合わないことに気付いたのだろう。すぐに理解してお礼を言ってきた。

ぺこぺこと頭を下げてくる女の子に手を振って応じる。

「どういたしまして。じゃあ、気を付けてな」










───目の前の“車いすに乗った少女”に僕はそう言って笑いかけ、タイミング良く手続きを終えた母親と合流した。





「うん! ほんまにありがとな!」



───背後から聞こえた彼女の関西訛りが、妙に耳に残っていた。










(あとがき)
第二十四話「巡りあわせが長生きの秘訣」投稿完了しました。最後の娘は一体誰神はやてなんだ……!(迫真)

というわけでバレバレの引きのままあとがきですよ。こんにちは、作者の篠航路です。
前回の番外編は思いのほか受け入れて貰えたようでひと安心しました。感想で言われて気付きましたけど、なるほど確かにこの妹たちはモバマスの某きぐるみ狂いと腹パン天使さっちゃんっぽいっすね。作者的には某ローゼン明電の双子人形の特長を足してそれぞれ2で割ったつもりだったのですが。ほら、口調とかそれっぽくない? 違ったっけ?

と、前話の釈明はこのくらいにして。

今回は病院での主人公と、それを見舞う人々がメインとなっております。ほのぼの最高や! まあ見舞いにくる人数が余りに多すぎたんで今回登場した人+αくらいが原作とらハの那美ルートに関わっていくんじゃないかなぁ。
個人的に原作レンルートを余り崩したくないのが悩みどころ。正直あの晶とレンの友情ファイトはリリカルにおけるなのはとフェイト並みに好きなバトルなのよねー。

と、まあ。あとがきだか愚痴だか分からなくなってきたので今回はこの辺で。

では!





[29543] 第二十五話 好感度の差がイベント数の決定的な差
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:868803c9
Date: 2013/10/05 16:44



いやー、花見楽しかったわー。超楽しかったわー。
僕の持って行ったお弁当も隠し芸の声真似カラオケも好評だったわー。
108の技の中に声帯模写があって良かったわー。多分108個も無いけどあって良かったわー。
膝の上にすずかとなのはを侍らせて甘酒飲んでたらアリサに死ぬほど殴られたわー。きっとこっそり飲んだ日本酒のせいだわー。

酔った勢いってこわいねー。

ねー。


と、いうわけで。


いろいろあった花見も終わって数日後。決して描写途中で力尽きたわけではない。

那美ちゃんの協力も甲斐あってか通常なら全治数カ月間違いなしの傷をおよそ2週間で完治させ、僕は退院して初めて高町家剣術稽古に参加していた。

「しゃァッ!!」
「あ……ッ!?」

僕の右に持った木刀が美由希さんの小太刀を掻い潜り、その脇腹の直前で停止した。

「止め! それまで!」

見届けた恭也さんの制止がかかる。それを聞いた僕と美由希さんが足早に開始線まで後退した。
一礼する。

「ありがとうございました!」
「ありがとうございました……うう、まさかこんなにも早く負けるなんて……」
「祝☆勝っちゃったぜ」

なんと初勝利である。

『丸一年にしてやっとじゃな』
<2度目の勝利まで今度は半年くらいだといいなぁ……>

壁際でニヤニヤと笑いながら嫌味をとばす葛花(子狐Ver.)に控え目に応じる。

僕は謙虚な人間なのだ。

「二人とも、お疲れさま。ほら」

恭也さんが投げて寄越したタオルをそれぞれに受け取って滴る汗を拭う。

僕はそのままドカリと葛花が座っている壁を背にして床に腰掛け、美由希さんは恭也さんの傍に立ったまま。
結果だけなら軍配は僕に上がっていても、こうして見ると高校生と小学生の体力差は如何ともし難い。

この辺は今後の身体の成長に期待だろう。うん。

「お互い、さっきの試合がどうだった?」
「病み上がりの割に上手く動けたかと」

特に変わったことがあるとも思えなかったため、恭也さんからの問いに至極当たり前の感想を述べる。
ただ、対戦相手だった美由希さんはそうではなかったようで、彼女はやや不思議そうにしながら言った。

「えっと、なんかいつもよりも春海くんの動きが解かりにくかった……かも?」
「解かりにくかった?」

聞き返す僕に、うんと美由希さんは頷いて。

「特に木刀を振る速さが変わった訳じゃないんだけど、間合いの攻め方とか打ち返すまでの反応がすっごく鋭くなってるっていうか……う~ん、こういうの何っていうんだっけ。えー、っと……」
「?」
「……思い切りが良くなった」
「あ、そう、それ! それで、『あれ?』って戸惑ってるうちに負けちゃった」

ぼそりと呟いた恭也さんをビシッと指差す美由希さん。
しかし当の本人である僕はというと、相も変わらず頭上に「?」を浮かべていた。

はて、自分としては依然と変わらず最初から最後まで美由希さんに押されていたような気がするのだけど。最後に勝てたのだって、ギリギリで美由希さんの小太刀の軌道に対して有利な位置取りを出来ていたからに過ぎない。それだけ、彼女の刀の動きを見て避ける暇があったと言える。

いや、それとも。
これこそが“成長”というヤツなのだろうか。

「うん、なるほどな、了解した。……それで、美由希。そろそろ時間じゃないのか? このあと神咲さんと遊びに行くとか言っていただろ」
「えっ、うそ!? もうそんな時間!?」

兄の言葉に道場の壁に嵌めこまれた時計を見た美由希さんが俄かに焦り始めた。

「うわ、ホントだ! ごめんっ、そういうわけだから、わたしもう上がるね!」
「はーい、いってらっしゃ~い」
「神咲さんによろしくな」
「うん!じゃあ、いってきます!」

ドタドタと慌ただしく、実に年頃の女の子らしい拙速さで出て行く彼女を僕と恭也さんで見送った。

「…………」
「…………」

何となく押し黙る野郎共。傍から見ればさぞや気持ち悪い光景だろうこと請け合いである。
むさ苦しい男2人、花が居なくなればこんなものだ。

「とりあえず、やりますか」
「ああ、そうだな」

そう言って、どちらからでもなく各々2本の木刀を構えて開始線に立つ。

「そういえば、さっきの僕の思い切りが良くなってるって、どういうことなんですか?」
「たった一回の実戦は、万の素振りに勝る。そういうことだ」
「あー……なるほど」

そういって納得の意を示す僕の脳裏に過ぎるのは、闇夜に映える豊かな金色の髪を湛えた美貌の殺戮人形───その、死闘。
自らの命を対価に闘った記憶は微塵もないが、あの夜に起こったことは間違いなく僕にとっての死力を尽くした戦だった。

それが僕に並々ならぬ度胸を付けたと言うのなら、まあ、歓迎すべきことなのだろう。
個人的には、そんな度胸を発揮する場が来ないことを祈らずにはいられないのだけれど。

しかし……なるほど、僕だって強くなっているのか。
絶対的にも相対的にも未だ弱っちいままの僕ではあるが、……それだけは誇っても良いのかもしれない。

「うん、そうだな」

頑張ろう、と気持ちを新たに、なお頑張ろう。



……そういえばイレインの奴、あと半年もすれば直るって花見の席ですずかが言ってたなぁ。
やだなー。アイツ絶対に僕のこと恨んでるだろ。

会いたくねーなー。

「土下座したら許してくれないかな……」
「その上から踏みつぶされる未来しか見えんのじゃが」
「アイツそのへん粘着質っぽかったもんなー」

車に轢かれて壊れたカメラアイで見られた時など、言い様のない空恐ろしさを感じた。

僕なんか殺されかけたんだからそのくらい水に流せよ。

「……何度か聞いてはいたが、動物が喋るっていうのはシュールな光景だな」
「やっぱ慣れてないと驚きますよね」

美由希さんが居なくなったとこで普通に喋り始めた葛花にビクッとしてましたもんね、恭也さん。

「……まぁいい。それじゃあ、始めるか」
「ですね。───おーい、葛花。ついでだ。合図くれ」
「何のついでか知らんが……ま、そのくらい構わんじゃろ」

面倒臭そうな台詞とは裏腹に、一度やってみたかったのか妙にワクワク感の滲んだ声でそう言って、くるり、と一回転。
艶やかな彼岸花を添えた着物姿の童女となって降り立った彼女は、ピンと右の腕を天高く構え───


「いざ尋常に───」


一拍。


「───始め!」



目の前の相手に、踏み込んだ。










「強くなってるとか絶対ウソだ……」

フルボッコだったじゃねえか、恭也さんの嘘吐き。

道場の扉に手をかけ身を預けて、フラフラになりながらか細く言葉を漏らした。

結局、いくら僕の調子がいいからと言って病み上がりに変わりなく、恭也さんに手も足も出せずボッコボコにされて今に至る。
そして当の恭也さんはと言えば余裕綽々の体で身を清めると翠屋の手伝いに行ってしまい、今の今までダウンしていた僕のほうは再び狐の姿となった葛花を頭に乗せて高町家の風呂場を目指していた。

あの野郎、いつか絶対泣かす。忍さん寝取ってやろうか。

『度胸一つで格上に勝てるのならば、今ごろ人間は神の一柱も屠っておるわ』
「なんか壮大だな」

というか、居るのか、神さま。

『1000年くらい前まではスライム並に見かけたんじゃがなぁ』
「ありがたみがなさすぎる……」

だが仮にも神さまを経験値扱いするな。
不遜すぎるぞ。

『人間にとっては強神であり祀るべき存在であっても、儂からしてみれば木っ端同然の者も多かったからの』
「まぁ八百万(やおよろず)の神って元々そういうものだけどさ」

役割を細分化しすぎて護国とか闘うことに関して空っきしの神さまとか結構いたらしいね、あれって。
とか、葛花から専門家が聞けば現代日本史学が軽く吹き飛びそうな講義を受けていると───、


「ほい、ほっ。てててて、ていっ」

───ヒュ、バヒュ、ブンブンブンブンッ、ズダァアンッ!!!


気の抜けたような掛け声に反して、鋭い風切り音と、果ては何かを強く叩きつけたような轟音が僕の全身を震わせた。
ちょっとびっくりしつつ音源のほうに目をやると、其処にいたのは木製の棍を構えた中華服の少女───この春 晴れて中学校へと進級した、鳳蓮飛その人だった。

「……ヒュー」

思わず下手クソな口笛を吹いて感嘆の念を零す。

流れる軌道はそのままに、されど突きや払いと云った攻撃動作になると途端に鋭くなる彼女の棍捌きにしばし見蕩れた。
目の前に置かれた打ち込み用の木柱を強かに打ち据えながらも、涼しげな顔を見ればまだまだ余力を残していることが解かる。

ふだん彼女が武道の練習しているところは見たことがないので、ひょっとしたらこれは高町家の住人からしてもそこそこ珍しい光景なのではなかろうか。

気分は海亀の産卵風景に出くわした観光客だった。

そんなわけで、僕はレンの邪魔をしないため目立たぬように腕を組み壁に背を預けた。
気配を殺し、完全に見物客の姿勢である。



「てりゃ───ふー。おーわり、と」
「はや!?」



真正面に向かって真っ直ぐに突き出したのを最後に、ぽい、と何の感慨もなく手にしていた棍を放ったレンに、突っこんだ。

いや、早すぎるだろ。聞こえてきた音から考えても、始めてから明らかにまだ1分も経ってない。

「誰!? ……なんや、春海か」
「なんや、とはご挨拶な」

ガラスの一ケタになんたる言い草。

「なはは、すまんすまん」

からからと笑って縁側に腰掛けるレン。僕も何となくその隣に腰を下ろした。

「おまんじゅう、食べるか?」
「いただきます」

事前に用意していたのか、お盆に乗った幾つかの饅頭の内ひとつをこちらに手渡してきたので、ありがたく頂く。甘さ控えめ、素晴らしい。

「お茶くれ」
「おう、……ありゃ、あかん。湯のみ一個しかない」
「回し飲みでいいだろ」
「アホ、ウチの間接キスはそんなに安ないわ」
「ソファーで腹出して爆睡してた時点でバーゲン状態だよ、そんなもん」
「いやん、スケベ。やらしいわぁ」

そもそも一緒に暮らしてたら恭也さんとだって間接キスの一つや二つしているような気もするのだが。
これが好感度格差か。

仕方なくエロゲ主人公(恭也さん)の友人ポジションに甘んじた僕は、格差社会の無常を儚みつつお茶を飲むことは諦めて口に含んだ饅頭を飲み込んだ。

「で、続けないの?」
「へ?」
「だから、棍の練習」

ぽん、とレンは右の拳で左の手の平を叩いた。いかにも初めて思い至ったと云った風だ。

「ええんよ、ええんよ。もともとウチって飽き症やねん。やりたいときにのんびりとやれたらそれで満足やもーん」
「さよか」
「さよさよ。それよか、もっとおもろいこと話そ」

また唐突な。

「世の中には言いだしっぺの法則というものがあってだな……」
「ウチに話題を提供せいと。ええ度胸やないか、大阪人の ふらんく で うぃっと に富んだ会話術、とくと見せちゃる」
「お前ハーフな上に横浜育ちだろ」

母親が関西人というだけでここまで大阪に傾くことができるのは素直に尊敬するけどさ。
そういえば桃子さんも大阪出身らしいね。

「命って、死んだらドコ行くんやろな……」
「重!?」

フランクとかウィットはどこ行ったんすか蓮飛さん!

「天国ってほんまにあるんやろか」
「だから重いよ! 何がお前をそんな死後の世界に駆り立てているんだよ!?」

君って普段は割ともっとのんびりしたキャラだよね? もしかして僕の前でだけ見せてくれるセンチメンタル溢れる姿なの? 何その嬉しくない好感度イベント。

重いよ。

「ま、まあ、死ぬとか天国とかはちょっとよく分かんないけど」

嘘である。むしろ死ぬことに関しては一家言あるといっても過言ではない。

「あれじゃない? 死んだ後のことなんて死ぬ時に考えりゃいいんだって」
「お、なんか恥ずかしいセリフが聞けそうな前フリやな」
「やかましいわ」

僕は臭いセリフの似合う良い男だからいいんだよ。

「でも……そかそか。そやな、死んだときに考えればええことか」
「ん? なに、お前死ぬの?」

あんまり楽しくないから個人的にはお勧めはしないよ? 絶対やめておいたほうがいいって。

「ふっふーん、ないすばでーになるまでウチは死ねんなぁ」
「おいおい不老不死宣言かよ、でっかく出たなー」

抉り込むように腹パンされた。
完全に気を抜いていたので綺麗に入ってしまった。急所に当たった!というやつだ。

効果は抜群だ(男の子的な意味で)じゃないだけ感謝すべきなのだろうか、僕は。

「お、ご、っ……お、おい、このまえ『鳳の拳法は風の拳』とか言ってなかったか……」

柔よく剛を制す的な拳法の使い手のくせにグーパンとは何事だろう。看板に偽りありとはこのことか。

「じゃかぁしいわ、乙女のかわいらしい夢にケチつけた罰や」
「乙女の夢って割には俗物的すぎるわ」

もとより、いくら幼児体型とはいえまだ中学生の身でそこまで気にすることでもあるまいに。
そう思いながらも実際に目の前で仁王立ちしているレンちゃんを見て、その明らかな発育不良っぷりについつい憐憫の眼を向けてしまう僕は嘘を付けない損な男、和泉春海である。

「憐みの眼差しが腹立つ。とりあえずもう一発な」
「へなっぷ!?」





最後に頭を踏み踏みされ、ぷんぷん怒って家の中へと消えていったレンを見送ってしばらく。
僕が縁側にてそのまま仰向けになった状態でバカみたいに青い空を眺めていると、頭の傍にノソノソと寄ってくる葛花。

「阿呆じゃのう。嫌いな話題じゃからと道化になり殴られてまで話を逸らすか。傍から見ていて滑稽極まりなかったぞ?」
「いや、一度死んだ身としては死後の世界とか割と本気で考えたくないんだけど……」

流石に不老不死とまではいかずとも、長寿番付に載るくらいには長生きしたいものである。

しかし、そんな僕の返答に葛花は首を横に振って。

「そうではなかろう───あのチャイナ娘、先の話の流れの中で尽く“自分の本音を避けておった”」
「……」
「相も変わらず、儂のあるじ様はお優しいことじゃ」

微塵も思ってなさそうな口調で言う葛花。

「いや、まあねぇ、僕だってそこまで深く考えてたわけじゃないって。何となく、『あ、これは駄目なパターンだな』って経験則が囁いたっていうか」
「『前』の経験か」
「経験というより、もはや処世術に近いけどな」

人に深入りするというのはドラマだと無事に成功することが殆どだが、往々にして現実ではそうではない。
それは人間関係を構築する上において諸刃の剣なのだ。切れ味はいいが、使い方や時機を誤れば双方ただでは済まない。


少なくとも、忍さんの時はそうだった。彼女の奥深くまで潜り込むには、僕では心情も年齢も立ち位置も何もかもが遠すぎたのだ。

───それは、どう考えても恭也さんの仕事だ。



「つまり?」
「好感度が足りない」

結局のところ、幾つであろうが女は女。向こうは男の都合なんか知ったこっちゃないのである。





**********





翌日。日曜日で学校が休みの僕は、さざなみ寮の耕介さんを訪ねていた。

「耕介さん、こうですか?」
「ああ、そうそう。そこを固めに編んで、ぐるっと編み棒を回す感じに」
「あのー……耕介さんも春海くんも何してるんですか?」

テレビのワイドショーをBGMに作業に没頭していると、寮の共同空間であるリビングにやってきた那美ちゃんが話しかけてきた。
そちらを見ずに手元に視線を落としたまま応じる。

「んー、編み物?」
「えっと……なぜ、編み物?」
「ちょっと好感度が欲しくて」
「???」

明らかに分かっていない様子の那美ちゃんに説明することにした。

「ほら、今度の土曜日ってレンと晶の誕生日でしょ?」
「あ、うん。昨日美由希ちゃんに聞いて、プレゼントも買ったよ? 翠屋も貸切ってお誕生日パーティするんだって」
「何それ知らない」

僕も呼んでよ。

「まあそれは置いておいて。……それでさ、ぼくもちょっと手編みで亀の編みぐるみとミサンガくらい贈っておこうかなーっと。お金ないし」

こうして耕介さんに師事しているところなのだ。

「わぁっ、そうなんだ! きっと二人ともとっても喜ぶよ~」
「そうかな?」
「そうだよ」

そうらしいです。

「まあ、ついでみたいになっちゃうのは申し訳ないけど、那美ちゃんにも何か作ってみるよ。何がいい?」
「わ、ほんと? ならねー、う~んと……」

僕の言葉にニコニコと嬉しそうに笑いながら悩む彼女に、僕も笑みを返しておいた。

女の子がみんな那美ちゃんみたいに簡単なら僕も楽で良いんだけどなぁ。









(あとがき)
えー、はい。すみません、生きてます。作者の篠航路です。

更新遅れて本当にすみませんでした。いや、作者としては花見のシーンを書きたかったし、書いてたんです。しかし実際に書いてみると筆が全く載らず、これは一体どうしたことかと。そうこうしているうちに実家のほうでも幾つか用事があってパソコンを触ることができなかったりしてズルズルとここまで遅れてしまいました。

はい、言い訳です、ごめんなさい。

というわけで今回も少し短いですが、第二十五話『好感度の差がイベント数の決定的な差』投稿完了しました。

今回の話から原作とらハ3のヒロインの一人、鳳蓮飛ことレンルートへの突入とあいなりました。作中年齢13歳で18歳未満お断りシーンをやっちゃった児ポ条令違反キャラの一人です。まあ2の美緒は10歳でしたけど。当時のソフ倫は本当に寛容ですね!
同時にこのルート、たぶん彼女とセットで語られることの多い城島晶のルートでもあります。というか、たぶんこのルートに限っては彼女が主人公ですね。原作の彼女たちの交流に、うちの主人公がどう絡んでいくのか!? ぶっちゃけ作者もよく分かっていません(……もしかしたら晶ちゃんの出番ががっつり無くなる可能性も無きにしも有らず……かも。

そして次回はやっとこさ那美ルートになります。前回の忍ルートは書くことが多かったので一本だけでしたけど、レンルートは割と主人公の影が薄くなると思うので同時進行ということで。那美ちゃんのルートは主人公が絡める理由があるので考えるのが楽なこと楽なこと。それに比べてレンと晶は(ry。

次回もいつになるかは未定ですが、出来る限り早く投稿できるよう頑張りますので、皆さんもよろしくお付き合い下さい。

では。






[29543] 第二十六話 二度あることは三度ある、らしい 1
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:868803c9
Date: 2013/11/03 16:56

降りしきる雨の中を駆ける。

視界は最悪、事前に持って来ていた折り畳み式の小さな傘は早々にその意味を失くし、水滴を躱すことを諦めた僕たちは転ばないことだけに細心の注意を払いながら暗い夜道を走っていた。
パシャン、パシャン。水たまりに突っ込んだ両の靴はとっくの昔に浸水して酷く気持ち悪い。そんなことを僕が思っていると。

「───キャアッ!?」
「おっ、と」

背後で転びかけた女の子───ずぶ濡れの巫女服《仕事着》を着た那美ちゃんを咄嗟に受け止める。今の僕は青年の姿となっているため体格的にも楽なものだ。
そもそも、彼女がこうして転びかけるのはもう3度目だった。そりゃあ僕も慣れるというものである。

とはいえ。

いつもならばドジで片付く彼女の転倒だったが、今日ばかりは原因は別にあった。

考えながら彼女の足元を見た僕の視界に映るのは、泥で真っ黒に汚れた、元は新雪の如く純白だったであろう彼女の足袋とそれを支える草履。
こんな泥濘だらけな上に不明瞭極まりない足元である。如何な那美ちゃんであろうとこれでは大層歩き難いことだろう。

むしろ普段から履き慣れている彼女だからこそ3回程度で済んでいるというのは言い過ぎだろうか。言い過ぎか、うん。
そんな役耐ないことを考えながら、僕は彼女の脇に刺しこんでいた両の腕に力を込めて崩れた態勢を丁寧に直した。

「那美ちゃん、大丈夫?」
「くぅーん……」

同じく足元でずぶ濡れになっていた久遠ちゃんが心配そうに一声鳴いた。彼女も自分の主人を心配しているのだろう。
対して、その当人は多量の水を吸って重くなった前髪で隠れた顔を上げることなく答えた。

「うん、だいじょうぶ……大丈夫、だから」

少なくとも僕の眼には微塵も大丈夫そうには見えない様子でそう言った那美ちゃん。見えている口元だけが無理して微笑んでいるのが痛々しい。
この期に及んで、彼女はまだ年上である自分がしっかりしないといけないと考え己を奮い立たせているのだろう。


───そんな余裕、微塵も無い癖に。


「……とにかく、今は早く神社に走ろう」
「うん、そうだね……」

弱弱しく応じた彼女の手を引いて再び走りながら、僕はついさっきの出来事を思い出していた。



凡そ10カ月ぶりとなる───苦々しい退魔の記憶を。













もともと、そんな予感は僕も那美ちゃんも両方ともが感じていた。

始まりは、いつものように飛び込んできた神咲からの依頼。いわく、海鳴郊外にある無人ビルの取り壊し工事を妨害している霊障事件の解決。依頼主は工事の関係者らしいが、まあ今回重要なのはそこではない。

問題は、工事を妨害しているという霊そのものにある。

妨害は着工当初からあるらしく、作業員が階段で足を踏み外したり道具が手元で砕けたりと今では多数の怪我人すら出ている有様のようだ。
これはいかんと警察やら住職やらに相談した結果、巡り巡って神咲、そして那美ちゃんに依頼が届いたというのが経緯だった。



僕たちはいつものように深夜に集まり、いつものように二人二匹で仕事に出かけ、───いつもと違い、荒々しく狂い猛った霊障と出遭った。








理性の無い様子で愚直に突進してくる黒いモヤの塊を、自分たちの周囲に張った障壁で防ぐ。

「高崎さん、聞こえますか!? どんなに心残りはあっても、それで無暗に人を傷つけたら───きゃ!?」

目の前のモヤに向かい那美ちゃんが必死に呼びかけていると、肌で感じられるほどの盲執すら込めてモヤが強引に迫る。
一際大きく撓んだ結界に、僕の前に立つ彼女が小さく悲鳴を上げた。

まあ、急造の結界程度ではこんなものだろう。

霊に当てられた周りの空気は淀みに淀み、僕の魂視もこの周囲一帯に対して反応を示しており殆ど用を成していない。
永い年月の中で目の前の自縛霊の自我が薄まり、凝り固まった怨念だけを寄り代に拡散してしまっている証拠だ。



───つまるところ、既に手遅れだった。



件の犯人は、このビルディングに取り憑いた自縛霊……このビルの元々の持ち主であり、一年も前に自殺した男性、高崎氏51歳。
一つの会社を経営する身でありながら不況の煽りを受けてか、それとも単に商才が無かったのか、経営不振による倒産の末に自殺。まあ、よくある話だ。

問題は、高崎氏が死んだその後だ。

僕もよくは知らないのだが、正当な祓い師に対するギャラの相場は高額だ。中には詐欺師紛いの似非業者もいるとなっては、依頼を出すのに二の足を踏む者が出てきても仕方ないのだろう。
そのため、正式なお祓いをせず形ばかりの安価な業者に頼ったり、酷いときには全く放置してしまう輩も稀にだがいるらしいとは、此処に来るまでに語った那美ちゃんの弁。

それに対してとやかく言う資格は僕には無い訳だが───こうしてバカの尻拭いをしているのが僕たちである以上、少なくとも文句くらいは許されるのではないだろうか?

「もっと早く……呼んでくれればよかったのに……」

呟くように漏らした隣の那美ちゃんの一言は、果たして嘆きか恨み言か。彼女にしては本当に本当に珍しく、純粋な怒りが込められているような気がした。

『───■■ァ■■■■ア■■……■■■■ァアア■■……■■』

高崎氏の声は、最早地鳴りにも似た音と化していた。
こちらに向けられる感情に、友好的なものは一切ない。

「あの、答えてください……!」

それでも隣に立つ女の子が必死に頑張っている以上、流石に僕が出しゃばる訳にも行くまい。
優先されるのは、いつだって人のために頑張っている人間でなくてはならない。

「心残りがあるなら、できる限り取り除きますから! だから、もうこんな、……寂しいところに居ないで……!」

祈るように、縋るように、神咲の巫女が言う。

「……お願い、ですから……」

───瞬間。





「くぅん」

バチンと青い電流が宙を走った。





『───■■ォ■■■■ア■■……■■■■ォオ■■……■■』

網膜に残光を残して消えたそれは、どうやら目の前で再度こちらに突進しようとした高崎氏の霊に直撃したようだった。モヤは苦しむように悶え、呻く。
青い電流という単語が何となくとある自動人形《トラウマ》を思い出させて冷や汗を流しながら、僕は咄嗟に那美ちゃんの服の首部分を掴んで一歩後ろに下げた。

「っ!───久遠、待って!」

電撃の発生源───いつの間にか巫女服を着た童女の姿となった久遠ちゃんが、那美ちゃんの言葉にふるふると首を振った。
手遅れ。ただそれだけで、久遠ちゃんの言いたいことの大半が理解できた気がした。

僕の腕の中で、やりきれないと云ったように那美ちゃんが脱力した。

「ちょっと待ってくれ、久遠ちゃん。別に君がしなくても僕が……」
『……お前様』
「!……」

自分の内にいる葛花に呼び掛けられ、何となく気がついた。
久遠ちゃんがジーッとこちらを見ていた。

「……どうしても? 僕のことは気にしなくてもいいんだぜ?」
「くぅん」

念押しの最終確認にも短く鳴き大きく頷いた久遠ちゃん。どうやら、意志は固いらしかった。



───その日。かつて高崎臣一と呼ばれた人間の意識は、青い雷撃に包まれこの世から完全に消え去った。



そうして無事にかといえば苦い後味こそ残っていたものの、少なくとも肉体的には何事もなく退魔事件はその幕を閉じた。

が、僕らの話はここで終わらない。

本日の天気は生憎の雨。それも、最早暴風雨と言ってしまっても過言ではないとびっきりなヤツだった。
最初は冒頭のような酷い有様ではなかったのだ。確かに雨脚は強かったが、まだ常識の範囲内。天気予報でも夜は細やかな霧雨になるというようなことを言っていたのを僕はしっかりと覚えている。

流石にこんな深夜に耕介さんに送迎役をさせるのはどうかと考えた僕らは、自前の傘があったことも手伝って雨の中を歩いて帰ることを決定したのだった。
───結果的に、盆どころかドラム缶を引っくり返したような雨と風に晒され、全身ずぶ濡れで走ることになった訳だが。これは天気のお姉さんを恨んでもきっと許されるに違いない。


濡れ鼠ならぬ濡れ狐になった僕たちがちょうど近くまで来ていた八束神社に駆け込んだのは、黒い空がゴロゴロと嘶き雷の前兆を訴えだす直前だった。





八束神社の境内にまで避難した僕たちは、一先ず雨の届かない軒下で自分たちの服を絞りながら一心地ついていた。

「へっくしょい!!……うー、ひっでえ雨……うわ、パンツの中まで浸水してるし……」

ぼやきながら脱いだジャケットを全力で絞ると大量の水がバシャバシャと流れ落ちる。足元ではズブズブになって酷く脱ぎにくくなっているスニーカーを四苦八苦しつつ外していった。
変化術で編んだ衣服であってもその大本は子供状態だった頃の僕の服なので、たとえ術を解いたとしても滴る水分までは消えてくれない。葛花の術とてそこまで便利には出来ていないのだ。

───ピシャン。ゴロゴロゴロ……。

遠く離れた空に稲光が瞬き、遅れて僕の耳を轟音が叩いた。

「く~ん」

その隣では子狐姿の久遠ちゃんが身体についた水気を払うように身を震わせていた。飛び散った雨粒がピシピシと僕を打つ。

そんな彼女に注意すべきか和むべきか僕が迷っていると、殿内へと続く障子戸がガラリと開いた。
そこからひょこりと顔だけ出したのは未だその長い髪をしっとりと濡らした那美ちゃんだった。

彼女は手に持ったバスタオルをこちらに寄こした。戸の奥にある彼女の身体は闇に包まれており、僕からは見えない。

「ごめんなさい遅くなって……とりあえずコレで身体を拭いてから中に入ってね」
「ん、わかった」
「あ、服は……」
「服は持って来てるから気にしないで。寝巻だけどね」

そう言って、僕は手に持っていたリュックサックから子供用の袖の長い作務衣を取り出した。

もともと今日の依頼後はさざなみ寮に宿泊するつもりだったので宿泊道具一式を持って来ていたのだ。
そのままレンと晶のプレゼントの仕上げを耕介さんに協力して貰う予定だったが、この際それは考えまい。

明日、徹夜で頑張ろう。

「そっか、なら申し訳ないんだけど、もうちょっと待っててね。わたしもすぐに着替えちゃうから」
「ゆっくりでいいよー」

その時、那美ちゃんの方を向いた僕の背後で一際大きな雷が轟いた。
目の前が、僕の影の形に刳り抜かれる。

自然と、明るく照らされる障子戸の向こう側が覗けて───巫女服の前を大きく開いた那美ちゃんの淡い膨らみが、そして何も着けてないほっそりとした足が、目に飛び込んで。


パーンッ!


殴られた音ではない。那美ちゃんが思い切り障子を閉めた音だ。念のため。

「ごっ、ごめんね! ホントすぐ! すぐ着替えちゃうから!」
「……あ、うん、ごゆっくりー」

障子戸の向こうでバタバタと物をひっくり返す音を聞き流しながら、僕は阿呆のようにしばらくその場を動けず……ふとしゃがみ込んで、右の手で顔を覆い隠した。

「……あー、うんうん」

正直、不意打ちでした。

「くぅん?」

隣で不思議そうにこちらを見上げる久遠ちゃんが一つ鳴いた。





神社の神殿の奥に生活スペースがあるらしく、僕と那美ちゃん達はそこで一夜を過ごすことにした。
那美ちゃんが耕介さんに連絡を入れたところ、明日の朝一には神社まで迎えに来てくれるそうだ。


神社の社務所に置いてあった予備の巫女服に着替えたらしい那美ちゃんが、押し入れの奥から毛布を数枚ほど取り出していた。
こちらに小ぶりな尻を向け、見せつけるようにフリフリ振っている。僕が子供状態に戻っているからだろう、非常に無防備な様子だ。

どう見ても誘われている。これはもう襲っちゃっても許されるはず。

「もともと寝るための場所じゃないから、寝具は毛布くらいしかないんだけど……」
「温かく出来れば十分だって。今日はもう遅いし、早く寝ちゃおう。僕もクタクタだよ」
「くーん」
「早よせい巫女娘。儂、もう目がショボショボしてきた……」

僕と離れて童女の姿となった葛花が、目を擦りながら愚図るように言った。これで齢千以上なのだから詐欺である。

「そ、そうですね」

そしてこんな童女に未だ敬意を払っているのか、彼女は催促にやや慌てて毛布を持ってこようとして────

「きゃあ!?」
「うんもうそんな気はしてたグェ」

足元の毛布を踏んづけ、僕のほうに向かって思いっきり倒れこんできた。

受け止めようとしても、残念ながら今の僕は小学2年生の貧弱ボーイ。いくら那美ちゃんが小柄とはいえ素の筋力で支えるのは無理があるというものだった。

結果、僕は那美ちゃんに押しつぶされる形で床に仰向けになっていた。その際に後頭部をしこたま打った。イテェ。

「いてて……」
「ああああ、は、春海くん、頭だいじょうぶ……?」

そこはかとなくバカにされているように感じるのは僕の日頃の行いのせいだろう。

「だ、大丈夫だから、早くどいてくれ……」
「あ、うん、ごめんね。すぐに───」


───ピシャン。ゴロゴロゴロ……。


「きゃああああ!?」
「うわ!?」

壁の向こうで鳴り響いた雷に悲鳴を上げた那美ちゃんに、突然抱きつかれた。せっかく後ろ手に支えて起こしかけた身体が、再び仰向けになった。

「おいおい、今度は何だって……那美ちゃん?」

ぷるぷると。本当に小さな子どものように、彼女は震えていることに気付いた。
固く目を瞑り、僕の胸の中に顔を埋めている。

僕は何となく、妹達にするみたいに彼女の頭を撫でてみた。

「……雷、苦手なの?」
「ご、ごめんね……!」

彼女は今日一番のか細い声で答えた。

「ち、小さい頃、……わたしの目の前で、神社に、雷が落ちて……」


再び、轟音。


「…………っ!」

本気で、こうして前後不覚になって子供の僕に縋ってしまうほど苦手なのだろう。まるで自分の身を守るように身体を小さくしていた。



「……そういや、“あれ”が」

そんな那美ちゃんを見ていると僕はふとあることに気が付いた。そのままの体勢で手を伸ばしたところにある自分のリュックの中を漁る。
すぐ傍で狐2匹がこちらを興味深そうに凝視していたが無視した。

「……あった」

すぐに目的のものを見つけて、“それ”を那美ちゃんの耳に宛がった。

「あ……」

去年のお年玉で買った安物のヘッドホン。こんなことならもっと遮音性の高い高級品を買っておけば良かったと後悔したが、もう遅い。
そんな気持ちを誤魔化すために、僕はジャックの先を同じく取り出したお気に入りの音楽プレイヤーにブッ刺し電源をONにして。



───油断していた那美ちゃんの耳に、大音量のSEENAのアルバムが流れた。



「わ、あわわ!?」
「あ、ごめん」

焦ったように身を起こした彼女に、僕も慌てて音量を下げる。

「…………」
「…………」

気が付くと、しばらく僕と那美ちゃんはキョトンとした表情でお互いの顔を見合って、



「───くっ」
「───ふふっ」



何かが可笑しくて、僕たちは殆ど同時に吹きだしていた。アハハと、おでことおでこを突き合わせて長く長く笑い合った。

雷の音は、あまり気にならなかった。





それぞれ毛布に包まり、神社の壁を背もたれにして2人で肩を並べて座る。

反対側の壁際では童女姿の葛花が器用に丸くなり、その中心で子狐の久遠ちゃんがちょこんと横になっていた。両方とも穏やかな寝息を立てている。
隣の那美ちゃんの耳からは音量を落としたSEENAの歌声が未だに流れていた。もともと穏やかな曲が多いのでそのまま寝るのに支障は無いだろう。

神社の外では相変わらず雷雨の気配が鳴り響いている。

「……春海くん」
「ん、なに?」

それにしても、こうして普通に会話が出来るのだから僕のヘッドホンも相当な安物である。

お金貯めよう。

「……わたしね、自分に退魔師としての才能がある、なんて思ったこと一度も無いんだ」
「…………」

うん。まあ、才能は有る訳ではないよね。完全に無い、とも言えないけど。

そもそも完全に無いなら霊も見えない訳で。

葛花に聞いた話ではあるが、これでも僕は霊能力に関しては割と才能がある方らしい。
臨死体験を経たおかげか霊力は那美ちゃんの軽く数倍はある。精神は成熟した大人なので術の安定度も悪くない。

が、「それ故に頭打ちも早い」というのも葛花の言。というより、既に限界が見えつつある。実は、現段階で習得できる和泉流陰陽術は全て収めつつある僕だった。
残りは単純に霊力が足りないか、術の規模が大きすぎて試したことがないものばかり。こればかりは僕の霊力の成長という未知に期待するしかない。

───まあ、成長が望めないなら望めないなりに出来ることはある。

それが葛花であり、御神流だ。

外付けハード万歳である。



閑話休題。



「でも、わたし、やっぱり退魔師を辞めるわけにはいかないの」
「……『約束』ってやつ?」
「あ、覚えててくれたんだ」

那美ちゃんは、ちょっと嬉しそうにはにかんだ。

「……春海くんは、『霊障』が何で起こるのか、知ってる?」
「?」

何故いきなりそんな初歩の初歩を訊いたのかは解からなかったが、とりあえず僕は訊かれたことに応じることにした。

「えっと、未練や怨恨を残した霊がこの世に留まってそれを晴らすために干渉して、大概の場合はそれが害を成す形で現れる……で、いいのかな?」
「うん、正解」

いい子いい子するみたいに頭を撫でられてしまった。

「昔の人はそういうのを『祟り』って呼んでたんだけど」

と、那美ちゃんは続けて。



「……わたしもね、昔、祟りに襲われたことがあるの」



「…………」

唐突な話の展開に僕がどう反応すべきか悩んでいるうちに、彼女の話は先へと進む。

「もう10年くらい前になるかな……相手は退魔師の間ではけっこう有名な祟りでね。それよりすっごく昔に、神主さんにイジワルされたみたいで、日本全国の寺社仏閣とか……そういったものを見境なく全部壊して行ったの」


───そうするだけの恨みも、力も、……『あの子』は全部持ってたから……。


そう言った彼女の言葉は、……同情に満ちていた。

「……神咲の家に拾われる前……わたしの家も神社の家系だったんだけど、封印されてたのが目覚めちゃって……」

当時を思い出したのだろう、那美ちゃんは身を縮こませて震えていたが、しかし、その語りを止めることはしなかった。
ならば僕も止めはしない。彼女が身を切って言葉を紡いでいるのならば、ただ聞いているだけの僕に彼女を遮る資格はない。

僕に出来ることは、少しでも彼女の近くに居ることだけだった。

「いきなり雷が神社に落ちてきて……お父さんたちは、わたしと弟の北斗を逃がすために……」


そこで言葉を切って。


「それで、駆けつけてくれた神咲の人……薫ちゃんや、そのお婆ちゃんが、もう一度封印してくれたの」


那美ちゃんは、意を決したように言葉を一つ留めて───





「……それがあの子───久遠のこと、なの」





───言った。言って、しまった。


「…………」

正直、予想できる材料はあった。

1年前の狗霊の退魔。あの時、狗霊はあまりに隔絶した格を持つ葛花を本能的に避けていた。そしてそれは那美ちゃんと一緒に居た───久遠ちゃんも同様であった。

予想はできた。ただ、僕がそれを避けていただけだ。
そして、それさえ予想できてしまえば、連鎖的に一つの回答が僕の脳裏を駆け巡った。



狗霊、そして高崎氏の件。『祟り』を前にすると、いつも必要以上に必死だった那美ちゃん。

『約束』を果たすために願をかけた那美ちゃんの髪。

───『祟り』は決して元に戻らない、という厳然たる事実。



───これは僕に対する罰なのだろう。



那美ちゃんの言葉の先が予想できてしまうからこそ、彼女の身を切る想い全てに痛みを感じてしまう無限のような一瞬。



「6月の───の日、その日、久遠の封印が解けるの」



ああ、やっぱりだ。



「わたしは、その日まで封印された状態の久遠と一緒に過ごして、……優しい子に育てるって決めて……」



またしても、お前は“俺”の前に現れるのか。



「……もし、それまでに久遠がいい子になっていなくて、……もう一度『祟り』になるようなら……」



ならば払ってしまおう、その全てを。





「───わたしの手で、久遠を斬る」





“僕”は二度と、お前に自分のものを渡すつもりは無いのだから。










久遠は確かに多くの人を殺した、だけどそれと同じくらい、……ううん、それよりもっと多くの人たちを救えるだけの力を持ってるの。久遠は退魔にも使えるすごい力を持ってるから、……それで今を悲しんでいる人たちを救うことが、殺してしまった人たちへの罪滅ぼしで、……あの子の救いになるんじゃないかって、そう、思うの───。


あの後。

そう話を締め括った那美ちゃんは、喋り疲れたのかそれだけ言って落ちるように眠りについた。
ただでさえ今日は退魔に加えて雨の中を走り回ったのだ。体力的にも限界だったのだろう。

肩に掛かる彼女の重みと呼吸を感じながら、僕は那美ちゃんに聞いた話を思い返していた。

斬る。那美ちゃんが、久遠ちゃんを。

何とも重い話だ。正直もうちょっとマイルドな話を予想していただけに、こんなのは完全に予想外である。
つーか、僕まだ小学2年生だぞ? もうちょっとハードル下げてくれても罰は当たらないんじゃないかな、神さま。

「……まあ、スライムに期待したところで何が変わるものでもないか」
「神を経験値扱いとは、不遜じゃの」

いつの間に起きていたのか、僕の呟きに至極面白そうに葛花が返した。

「神さまに何か期待することはもう止めた、ついさっきな」

まあ一つくらいなら信じても良い神は出来た。

神は神でも死神だけどな。

「そうかそうか。それで、死神信仰の異教徒である我があるじさまはどうするのかの?」
「まだ何とも言えねえ。構想は出来てるけど、そもそも久遠ちゃんの実際の力がどんなもんか分からん」
「少なくとも全盛期の儂とタメ張るの」
「……マジ?」
「大マジじゃ」

バケモンじゃねえか。

いや、この場合はそんな久遠ちゃんを封印できた神咲家が凄すぎるのか。

「……もういいや、どうでも。葛花、今回はお前も手伝え。せっかくの友達をお前も失くしたい訳じゃないだろ」
「おうおう、狐使いの荒いあるじさまを持つと儂も一苦労じゃ」

カカカッ、と白い童女は血のように赤い肩目だけを開いて笑う。

「しかし、そのためには期限までおぬしも寝ずの大仕事をこなす必要があるぞ、我があるじさま?」
「上等」

というより、最初から那美ちゃん達の事情を知った上で久遠ちゃんを舎弟扱いしているのだからコイツも大概ツンデレである。

「明日からやることも決まった。僕はもう寝るぞ」
「ああ、そうじゃな。……おやすみ、お前様」
「ああ、おやすみ」

そうそう。と僕は寝るために那美ちゃんの肩に頭を乗せた体勢で、自由になる片手だけで手を振った。

「───そういうわけだ、久遠ちゃん。那美ちゃんのことはこっちでも色々やってみるから、久遠ちゃんもしっかり休んでね」

そう言って、目を閉じる僕の耳に、



「───くぅん」



なんとなく、ありがとう、と聞こえた。思い違いかもだけどさ。





眠りに落ちる直前、そういえば、と僕は思い出していた。



それは先ほど、外の境内で彼女の裸身を見てしまった時のこと。

あの時、僕はてっきり那美ちゃんが恥ずかしがっていたのだと思っていた。しかし、どうやら彼女は鳴り響いた雷を怖がっていたらしい。
小学生に裸を見られて恥ずかしくないのは当然といえば当然なのだが、それはそれで少し寂しいものがある。と、そこまで考えて。

(……『寂しい』?)

……そうじゃない。ここまで来ればいくら僕でも分かる。



───僕は、那美ちゃんに男として意識されていないのが悔しいのだろう。



好意……ではない、はずだ。
かと言って世話の掛かる妹を相手にする時のように全く彼女に女を意識していないわけでもない。


この感情に名前を付けるのなら、『独占欲』が一番近いのかもしれない。


一年近くも前から共に仕事をしているという事実。

度々彼女をサポートしているのは僕なのだという自信。

弟に対するのと同じようなものとはいえ、好かれているという自負。


『子供』だからこそ触れることが出来た那美ちゃんの心を、『男』としての僕が好ましく思ってしまっている。

それらがごちゃ混ぜになって、『神咲那美にとって和泉春海は特別であるべき』なんて子供染みた、───或いは獣の雄染みた独占欲が僅かだが僕の中に芽生えてしまっている。
これを表に出すほど子供ではないし、それを引け目に感じるほど童貞野郎でもない。しかし、確かに僕の中でそんな感情が芽生えているのだ。

これが胸を張って『那美ちゃんに惚れた!』と言えるほどの強い好意ならばまだ問題は無かった。
子供らしく、正々堂々正面から彼女を口説けば良い。歳なんて関係ない、それが恋だ。

しかし、情けないことに僕の感情はそこまで強いものではなかった。


表に出るほど強くない癖に、相手を欲する感情。───故に『独占欲』


そしてこの感情は、僕の立場では非常によろしくない。

僕の立場ならば子供のフリをして好意を黙ったまま那美ちゃんの気を引くことなど、正直いくらでも出来てしまう。
これまでなら良かった。僕が子供の立場を利用してそんな事をしようと思う女性は居なかったし、まだ良識を保つことが出来たからだ。

だが、那美ちゃんに関してそうはいかない可能性が出てきてしまった。

解決策はある。僕の“生まれ変わり”の秘密を話せば良いのだ。全て話して那美ちゃんに一人の大人の男として接して貰えば良い。
でも、僕自身にそれを那美ちゃんに言う気がない以上それは却下である。あくまでリスティが例外なのだ。


僕は、和泉春海として生きて行く。

それだけの覚悟は、とっくの昔に固めている。


(───しっかりと、見極めよう)


今は良い。けれど、此処を出たら自分の那美ちゃんに対する感情をちゃんと見極めよう。

そして、しっかりと封をして仕舞ってしまおう。
彼女にとっての僕は、ただの子供であれば良い。


今の彼女に、僕なんかを気にしている余裕など無いのだろうから。















翌日。

昨日までの雷雨が嘘のように晴れた空。そんな空から窓を通して差した直射日光に顔を直撃されて僕は目を覚ました。

「……ん、んぉ?」

体勢は眠った頃と変わっていない。僕と那美ちゃんは変わらずお互いに肩を貸し合うようにして、壁を背にしていた。背骨が痛い。
外でチュンチュンと鳴いている雀の声を聞きながら「これがホントの朝チュンか」とかバカなことを考えつつ伸びをした。

「ん~~~……っ!」

バキバキバキ、と凄まじい音が鳴った。どんだけ凝ってたんだ、僕の背骨。

「きゅ~ん」

ふと潰れたカエルのような声が耳に入った。目を向けてみると、童女姿のままの葛花が久遠ちゃんを背中に敷いて仰向けでグースカ寝こけていた。見事に昨夜のシリアスな空気ブチ壊しである。

ちったぁ空気読めよ、お前。

「……那美ちゃん、起こすか」

耕介さんは朝一で来ると言っていた。準備は早い方が良いだろうと考え、僕は那美ちゃんを起こすことにした。

相手の肩を掴んでユサユサしながら声を駆ける。

「ほらー、那美ちゃーん、起きてー。起きなきゃその小さい胸モミモミしておっきくしちゃうよー。僕の一部もおっきくなっちゃうよー」

寝ぼけた頭で少なくとも那美ちゃんが起きていればビンタは免れまいであろう内容を口走りつつ那美ちゃんを揺らす。
しかし意外に低血圧なのか、彼女はその後たっぷり2分ほど愚図って起きない。ついでに胸を突っついてみた。起きない。喘いだけど。

しかし延々揺らし続けると、流石の彼女もだんだん目が覚めてきたようで。

「……ん……ぁあ、……あ、春海、さん?」

何故か「さん」付けだった。

ゆっくりと瞼を開いて覗いた黒の瞳が、ゆっくりとこちらを向いて焦点を結ぶ。

「あの……」

若干寝ぼけ眼だが、意識はハッキリとあるのだろう。那美ちゃんは存外しっかりとした口調で続く言葉を紡いだ。










「春海さんって、本当は大人の方なんですか……?」



───その瞬間、間違いなく僕の周りの空気が死んだ。








[29543] 第二十六話 二度あることは三度ある、らしい 2
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:868803c9
Date: 2013/11/03 17:06

目の前で、自分のよく知った少年と同じ顔の青年が話している。

彼は自分がこれまで見てきたどの表情よりも生き生きとしていて、身ぶり手ぶりを大きく自分の話を目の前の子供たちに聞かせていた。

持ってきた茶菓子をわざわざ子供たちの中に混ざって取り合いながら、かつて彼が体験した同じ院にいた仲間たちとの小さな冒険や、その日彼の通う大学での大酒呑みの怖い教師のことを、時には脚色しながら、面白可笑しく語る彼。
周りの少年少女たちはそんな彼の話に目を輝かせながら一喜一憂している。そんな彼らの下に、シスター服を着たふくよかな年配の女性が飲み物の追加を持って来ていた。

場面が変わる。

街の中でもそこそこ大きな教会の裏手、そこにある古ぼけた建物。そこで彼らは大きな年代物のテレビの前に集まり、彼が持参したゲーム機を使ってゲーム大会を開いていた。

彼はその中に居た。子供たちの中でも一際幼い2人の男の子と女の子を膝の上に乗せてあーだこーだとゲームの指示を出しては、実際にプレーしている子供たちに少しウザがられている。
突然バタンと大きな音を立てて部屋のドアが開かれた。現れたのは、さっきとはまた別の若く綺麗なシスター。彼等は鬼に見つかったと大騒ぎしていたが、最終的に子供たち全員が青年を人身御供にする形で決着がついた。

場面が変わる。

今度は、今までとは少し趣が違うようだ。3LDKのマンション、その一室。必要最低限の家具だけ揃ったその部屋で、何故か床で眠っていた青年が目を覚ました。
周囲に大量の酒瓶や缶、菓子類の袋がゴミ袋に纏められているところから察するに、どうやら昨夜は夜通し友人と飲み会をしていたらしかった。

彼が水を飲むためにリビングへやって来ても、そこには誰も居ない。一人暮らし……ではないようだ。テーブルに書き置きがあった。『今月分の生活費です。足りない時はメールしてください』。彼は隣にある封筒を手に取り、その中から1万円札十枚を抜き取って自分の財布に乱雑に突っ込んでいた。

ボサボサの髪で能面のような無表情を貼り付けた彼の顔は、どこか怖かった。

棒立ちでしばらく立ち尽くす彼がいる空間に、場違いに陽気なメロディが響く。据え置きの電話だった。彼が出ると、相手はバイト先の上司だ。
『───くん? 悪いんだけど、この後ヘルプお願いできる?』。彼は二つ返事でOKしていた。浮かんだ笑顔に、無理をしている様子は微塵もない。

財布やバイクのキーといった最低限のものだけを持って、彼はマンションの一室を後にした。


いってきます───。彼の声が、無人の一室に虚しく溶けて消えた。





神咲那美は、それが夢だとすぐに気がついた。

彼女には春海に言っていないこと(正確には言う機会がなかったこと、だが)が一つだけあった。
それは狐の妖怪変化である久遠が持つ、もう一つの能力───「夢写し《ユメウツシ》」

一方の人間が見ている夢をもう一方の人間に見せる。ただそれだけの、正直扱いに困るだけの能力なのだが、実はこの能力にはもう一つの側面があった。
単なる定義付けの問題なのか、或いは偶々その人が夢に“それ”を見ている時だったのか、久遠が見せる「夢写し」の範囲には『その人の過去』も含まれる場合が存在するのだ。


彼女が久遠と仲良くなったのは、夢写しを通じて久遠の悲しい過去を見たことが始まりだった。

葛花が彼女たちの事情を知っていたのは、実は昼寝の際に久遠の夢写しが発動したことが原因だった。


何故そんな能力を久遠が持っているのか、発動条件が何であるのか、久遠本人ですら知らない、そんな力。

その力が、再び自分に他人の思い出の日々を見せている。

自然、一つの疑問が湧きあがった。ならばこの光景は誰のものなのか。
その答えはすぐに出た。青年の顔は、確かに見慣れた彼のものだったから。


しかし。

それはおかしいのではないか。

だとすれば、彼は───










「春海さんって、本当は大人の方なんですか……?」

疑問の言葉を口に出してしまったのは、深い考えがあってのことではない。寝ぼけた頭と、夢で見た彼の表情一つ一つが心に残っていた。ただ、それだけ。

それが“彼”に起こした結果は、劇的だった。










「そ……」
「そ?」
「……そんなんちゃうよ?」










あらぬ方を向いて、ファサリと前髪を掻き上げニヒルな雰囲気を作りながらの一言だった。

死ぬほど胡散臭い。

「…………」

そんな彼───和泉春海に那美が無言で疑いの眼差しを向けてると、彼は凄まじい勢いで捲し立てた。

「オーケー那美ちゃん。君が何を思ってそんなオモシロイ妄想を抱いたのかは僕の察するところではないし察することも出来ないのだろう。しかし果たして今そんなことは重要なのだろうか。いやそうじゃない。重要なのは何故君がそんな妄想を抱くことになったのかというその原因のほうだ。確かに僕は小学生にして空前絶後史上最高前人未到の美少年かつイイ男かもしれない。が、それでも僕は見ての通りの小学2年生だ。大人というには些か身長も体重も経験も情熱も思想も理念も頭脳も気品も優雅さも勤勉さもそして何より速さが足りない。だが那美ちゃん。だけどね那美ちゃん。だからといって何事においても早ければいいというものじゃないことだけは覚えておいて欲しいんだ。男には早ければそれだけで鼻で笑われることもあってそれは彼等にとって本当に屈辱この上ないことなんだ。那美ちゃんは相手の男が早くても鼻で笑うような残酷な女の子じゃないと僕は信じてるけど、だからと言って優し過ぎてもいけない。相手の欠点を欠点と指摘した上で其れを克服しようとお互い一緒になって頑張れる関係こそが理想の男女なんじゃないかなぁって僕は思うんだけど其処のところ君はどうだろう。いやそうじゃない。今大事なのはそこじゃないよね。つまり僕が何を言いたいのかというと君の疑問は全くの見当はずれであってホントちゃんちゃら可笑しいことであって一体何を根拠にそんなことを言い出したのやら僕は理解に苦しむよそれとも何かい君は何か証拠でもあるって言うのかい!?」

「えっと……き、昨日の夜、わたしの、はだっ、裸っ……見てました、よね……?」
「ごめんなさい、本当は元21歳の大人野郎です」

全面降伏だった。

まさかの脅迫。那美ちゃんはこんなにも立派になりましたと薫に言ってやりたい気持ちでいっぱいの春海であった。










「おーい、女子高校生巫女と年齢差祥の男子小学生~。耕介が言うから迎えに来てやったぞー。不純異性交遊はそこまで───おや」

その後。

神社まで迎えにきたリスティ・槙原が見たのは、男らしく土下座で謝罪する和泉春海と涙目になりながら必死にそれを止めさせようとしている神咲那美の姿だった





**********





「で。結局バレた、と」
「僕は悪くないだろ今回、絶対に」
「まあ情状酌量の余地ありで減刑、保護観察処分かな」

有罪であることに変わりはないらしかった。犯罪者には厳しいリスティお姉さんである。

「まあ自分の立場を利用した悪質な性犯罪者の戯言は置いておいて」

訂正。単に僕に厳しいだけだった。

一夜を過ごした神社の生活スペース。板張りの床の上で正座状態の僕を放置したリスティは部屋の角───正確には、部屋の隅っこを向いてうんうんと頭を抱えた那美ちゃんのほうを見た。

「……那美もいい加減こっち来なよ」
「ひーん、む、ムリです! ぜぇ~~ったいムリですーーー!!」

半分悲鳴みたいな声だった。いやいやと子供みたいに頭を振っている。

「たかが素っ裸を見せた程度で大袈裟じゃなー」
「くぅーん」
「きゃああああ!? きゃーきゃーきゃー!!」

正座した僕のそれぞれ両肩に乗った子狐2匹の言葉に、最早ただの悲鳴をあげる那美ちゃん。

「そっ、そっ、そっ、それだけじゃないんですよ!? わたし、春海さんが子どもだと思ってたから、いろいろ情けない所とかいっぱい見せちゃったり、思いっきり抱きついちゃったり……!」
「大丈夫だよ那美ちゃん! とても可愛かったから!」
「いやぁあああ!!??」
「那美の反応が面白いのは解かるけど今は止めなよ」
「正直すみませんでした」

まさかここまで気にするとは。恥ずかしがっているだけで僕に対する嫌悪感とかを持たないだけマシなんだろうけど、なんだかなぁ。
昨夜眠る直前に考えていたことが考えていたことだけに、僕としても反応に困ることこの上ないのである。

「恥ずかしいのは解かるけど、これじゃあ話が進まないでしょ」

溜息をつきながらそう言ったリスティが、右手の人指し指をクイッと動かした。

「え?……わぁ!?」

壁際で愚図っていた那美ちゃんがフワリと宙へ浮かび、こちらに漂うようにして運ばれてくる。どうやらリスティが超能力を発動したらしい。
そのまま僕の目の前まで運ばれてきた那美ちゃん。浮いた状態で逃げ場がない彼女とこちらの眼がしっかりと合ってしまう。

「~~~っ……!」

プシューッと、物理的に湯気が見えそうなほど顔を真っ赤にして頭を伏せてしまった。

「…………」

困った僕がリスティを見ると、彼女は顎をしゃくって乱暴に那美ちゃんを示した。テメェで何とかしろということらしい。

いや、僕としても何とかしたいという考えにわざわざ逆らうつもりは無いのだ。というか、たぶん僕のほうがよっぽどこのままじゃいけないということは分かっている。

那美ちゃんからしてみれば、見知らぬオッサンが子供のフリをして自分に近くに居たようなものである。本来ならばさぞや気持ちの悪いことだろう。羞恥ばかりで嫌悪を示していない彼女が良い子すぎるのだ。
だからと言って、ここで僕が謝罪したところで何が解決するのだろうか。彼女の性格を考えた場合、僕が謝ったとしても間違いなくそれを受け取らないだろう。むしろ自分が勝手にこちらの事情を知ってしまって申し訳ない、くらい言いそうなものである。

(……やべぇ、超言いそう)

思わずゲンナリする。いや、そういう面倒なところとか超好みだけどさ。人間的な意味でね。

「……うん、やめよ」
「へ?」
「いやいや、こっちの話」

思わず、と云った風に反応した那美ちゃんに手を振って返す。


───難しく考えるのはやめよう。うん


どうにも僕らしくない。昨日のノリがまだ残っているようだ。

人生はもっと軽く楽しく行こうぜ?

「えっとね、那美ちゃん」
「……はい」

やっぱり最初は『これ』かね。



「不可抗力とはいえ、裸を勝手に見ちゃってごめんなさい」



僕個人の事情とは関係なく女の子の裸を見ちゃったら、やっぱりねぇ?

「あ、えっと、……はい」

僕の言葉に頬を染め上げつつも、ようやく顔をこちらに向けた那美ちゃんに言葉を繋ぐ。

「あと那美ちゃんが知ってしまった通り、実際の僕は21歳の男です。色々あって今は小学生に、って何かこれコナン君の自己紹介みたいだな。……とにかく、それ以外にもう那美ちゃんに大きな隠し事はありません」
「は、はい」
「正直、僕は君が大好きです」
「はい……え、ええっ!?」
「久遠ちゃんも好きです」
「ああ、そういう……」

何故か(←強調)那美ちゃんがホッとしているが、敢えて理由は考えない僕だった。

虚しくなるだけじゃねえか、そんなもん。

「だから、まぁ……那美ちゃんさえ良ければ、で構わないんだけど」
「……はい」
「これからも、那美ちゃん達の仕事に一緒させて貰ってもいいかな?」

こちらの言葉を聞いた彼女は何度か深呼吸をしていた。
目を閉じる。自分を落ち着かせて、きちんと僕の言葉を吟味して考えてくれているようだった。

そんな彼女の真摯さが眩しくて、ついつい目を細めて。


「───こちらこそ、どうかこれからもよろしくお願いしますね、春海くん」















「……でも今まで那美に大人であるのを黙って色々しちゃったことに関しては別に何も言ってないよね、あれって」
「論点ずらしつつ告白紛いの言葉で混乱させて自分の要求を通す。まんま詐欺師の手法じゃな」
「くぅん」
「喧しいぞ、外野」

せっかくの感動シーンが台無しじゃねえか。





**********





那美ちゃんとアレコレあった次の日。

子狐状態となった葛花を伴った僕は、昨日と同じく八束神社を訪れていた。正確には八束神社の敷地内に祀られた小さな祠を、である。
とはいえ、昨日の今日で那美ちゃんや久遠ちゃんを訪れた訳ではない。今日はもっと別の、ある意味それ以上に重要な用事のためだ。

「……まず一つ目、だな」

呟いて、手に持った海鳴全域を記した地図の中に赤ペンで×印を落とす。

『流石にこの広さの領域じゃ。チェックすべきポイントの数だけで気が遠くなるような数字になるの』
「まあそれは事前に分かってたことだ。コツコツやっていくしかないさ」

首の後ろにさげたパーカーのニット部分に収まった葛花の言葉に「仕方ないさ」と応じる僕。
こればかりは本当に根気の作業になる。那美ちゃんが教えてくれた『約束の日』までに、じっくりと腰を据えて行なうだけだ。

「とりあえず、二つ目に行っとくか」
『そうじゃの』

よっこらしょ、とオッサンくさい掛け声と共に折っていた膝を伸ばす。

「……ん?」

そうして立ち上がった僕の耳に奇妙な音が入り込んだ。バン、バン、と連続で重い物を叩く鈍重な音だ。
背負っていたリュックに地図を仕舞った僕はその聞き覚えの“ある”異音が気になり、足は自然と発生源へと向かっていた。

辿りついたのは、神社から程近い木々の開けた小さな広場。

「セイ! セイ!───お? 春海じゃねえか。こんな所で何やってんだ」
「どう考えてもそれはお互い様だろ───晶」

そこには、木に吊るされたサンドバックに向かい何度も何度も無心に蹴りを叩き込んでいる友人───城島晶の姿があった。



とりあえず近くにあった大きめの岩に腰を下ろした僕に、変わらずサンドバックに蹴りを入れながら晶が答えた。

「んなの見りゃあ分かるだろ……こうして! サンドバック相手に! 秘密の特訓だよ!───ぜりゃあッ!!……ふーっ、そっちは?」

一際強い、それでいて見事な上段蹴りを叩きこんだ晶がこちらを振り向く。彼女の着ているシャツは汗でぐっしょりと濡れ、此処まで来るのにかなり走り込んだ様子が見て取れた。
僕はエチケットとして出来る限りその僅かに強調された胸を見ないようにしながら、快活に笑う晶の疑問に控え目に応じた。

「僕のほうはちょっとした調べ物だよ。少し、海鳴の町を見て回っててな」
「なんだそりゃ。学校の宿題か何かかよ?」
「まぁ、そんな感じ」
「ふーん」

聞いてもそこまで興味を抱かなかったのだろう、彼女はそのままサンドバックに向かって両拳の連打をぶつけ始めた。

「そのサンドバックは?」
「通ってる空手道場の先生がくれたんだ、新しいの買ったからやるってな!」
「なんでこんなトコでやってんだよ」
「家でやったら近所迷惑だろ? そんでみんなに相談したら那美さんがここを貸してくれたんだ!」

ズドンッと鋭い突きで木から吊るされたサンドバックを細かく揺らす晶。彼女は、ともすれば背後にいる僕の存在すら忘れそうな一心不乱さで拳を叩きつける。

「だから! これでもっと強くなって師匠から御神流を教えて貰うんだ!」

───続く彼女の言葉に、やはり僕は二の句が継げなかった。

それは別にそんな晶のセリフが意外だったからではない。彼女の意思はずっと前に本人から直接聞いている。

ただ、それは……。

「御神流を習えば、きっとオレはもっともっと強くなれる!」

そう言って懸命に稽古に励む彼女に、僕は、

「そうかい、がんばれよ」

ただ、それだけしか言えない。

「おう!」

応じる彼女の返事が、ただただ眩しかった。





晶と別れた僕は、八束神社の長い石段を歩いて降りていた。
転げ落ちないよう一歩一歩を踏みしめながらパーカーの中で寛いでいる葛花に話しかけた。

「……最近、なんとなく分かってきた」
「ん?」
「恭也さんが晶に対して何を考えてるのかと、その理由」

足元にあった小さな石ころをコツンと蹴飛ばす。

「あの人は、要するにあれだ───晶が眩しくてしょうがないんだろうな、うん」

実際、改めて言葉にしてみるとその理由は意外なくらいしっくりと来て、僕の中にストンと落ちて行った。

月村邸での一件、イレインとの戦いを経て僕が気づいた真理。それは殺し合いなんてまともな人間のやることじゃない、ということだった。
だって、そうだろう? 誰が好き好んで死にたがるというのか。そんな奴はただの異常者だ。


痛いだけならまだいい。負ってしまった傷はいずれ癒える。

鍛えるだけならまだいい。強くなった自分というのは達成感を覚えるものだ。


しかし、やはりお互いを殺し合うなんてことは、どこか暗い、闇色の覚悟を“してしまった”人間のすることだ。

そして恭也さんたち兄妹が修めているのは御神流───『人殺し』の方法である。


それをただの強い剣術と捉えてしまってはいけない。一年間という短い期間とはいえ御神流を最も間近で見てきた僕にはその違いが理解できた。

結局のところ、御神流は他人様に自慢できるようなものではないのである。

むしろ忌避されるべき異端だ。


いつか士郎さんが言っていた。



「御神流は人様に誇れるものじゃない」

「俺たちの前にも後ろにも『道』なんてものはない」。



それはそうだろう。もし一般人が僕とイレインの一戦を目撃したとして、一体どこの誰が褒めてくれるのか。良識のある大人であれば寧ろ全力で止めるくらいの蛮行だろう。
そんな普通に暮らすのであれば殆ど役に立たないものを、わざわざ痛い思いをしてまで自分から学んでいるのだ。これを異常と言わず何と呼ぶ。


対して、晶が学んでいるのは空手の道。正式には明心館空手道という正真正銘の活人拳。常に人々の視線と声援と共にある、どこに出しても恥ずかしくない立派な表舞台だ。
恭也さんと美由希さんは自分たちが御神流であることを気にしないだろう。あの兄妹は自分で決めて、周囲もそうであることに納得してしまっている。

しかし晶はそうではない。

恭也さんも美由希さんも、ひょっとしたら士郎さんも彼女が御神流を学ぶことを反対している。晶の空手の先生という人も、新しいものを買ったとはいえまだまだ使えるはずの高価なサンドバックを譲ったくらいなのだ。彼女の空手家としての将来を嘱望し、大事に大事に育てているのだろう。

どこまでいっても晶にあるのは憧れなのだ。それは単なる強さに対する憧れなのかもしれないし、ひょっとしたら彼女が密かに想いを寄せている恭也さんに対するものなのかもしれない。
でも、いくら憧れが強かろうと彼女に人殺しは無理だ。(霊ならともかく)僕にも出来ないものが、日常を生きる彼女にできる筈がない。どころか悪辣な不意打ち騙し打ちの類も不可能だろう。

そんな晶の高潔さこそが、恭也さん達が彼女に御神流を教えようとしない理由の全てである。

お前はこちらに来るな。光で照らされた道を行ってくれ。
恭也さんの願いが、晶を通して僕に聞こえるようだった。



そんな彼の願いを知って、僕に言えるのはただ一つ。



「お爺ちゃんかお前は!」
「いきなりなにを言っとるんだ貴様は」

次の日。いつものように朝稽古のために高町家を訪れた僕と恭也さんの会話である。言ったったぜ。

後悔なんて、あるわけない。

「晶のやつ、また言ってましたよ。オレは御神流を習うんだーって」
「む……」
「なーにが、む、ですか。僕としてはこのまま2人の間に口出しする気はなかったんですけどね、……流石に引っ張りすぎでしょ、あれは」
「……」

呆れの滲んだ僕の言葉に考え込むように押し黙る恭也さんだったが、すぐに反論すべく口を開いた。

「……だがな、晶だって自分では気付いていないが空手が大好きなんだ。やはりそういうことは晶本人が自力で気が付くべきで」
「高々中学二年生の女の子にどんだけ過度な期待してるんですか、あんた……」

悟りを開いた坊主じゃねえんだから。

「……そこまで過度だろうか?」
「まあ僕も全否定まではしませんけどね。さすがにノーヒントはキツイ」

あんたに勝てるまでって、実質無期限なんだから。もうちょっと譲歩してあげようよ。

厳し過ぎるわ。

「むぅ」
「別に今すぐどうこうはないと言っても、晶だっていつまでもこの家に居る訳じゃないでしょ。せめてそれまでに士郎さんや晶の空手の先生を交えて膝を突き合わせるべきだと僕は思いますけどね」

どうせ恭也さんも、このまま晶を負かせ続けて時間切れって方法が取れるほど器用じゃないだろうし。
言葉にせずに何でも伝わるとか都合のいいこと思ってんじゃねえぞ、若造。

「……参考にする」
「まあどこまで行っても、やっぱり結論を出すのは恭也さんと晶ですから。一つの意見と考えてくださいな」
「そうさせてもらう。───さあ、上がってくれ。明日は晶とレンの誕生日だから、みんな準備に忙しいが」

そう言ってこちらに背を向けた恭也さんに、僕はもう一つ声をかけた。

「それと、晶の件とはまた別に一つお願いがありまして」
「ん、珍しいな。なんだ?」

すると、先ほどまでの会話などまるで引き摺ってないと云う風に恭也さん。これで小学生の僕に辛辣に言われた事実なんて微塵も気にしていないのだから、彼も人間出来過ぎている。将来の忍さんが心配だよ、僕は。

それはそうと、お願いをするためにパンッと両手を合わせて頼み込んだ。

「実は今日から二カ月ほど忙しくなりそうで。稽古に来る回数が少し減りそうです、すみません」
「なんだ、そんなことか。勿論こっちは構わないが……何か問題でもあったのか? お前が稽古を休もうだなんて余程だぞ」

実は去年からこれまで大した病気もなくほぼ無休の春海くんである。

僕は健康志向なのだ。

「まあ、あったと言えばありましたね。割と先日の忍さんレベルの厄介事が」
「それは、……もしかして結構な大事なのでは?」

もしかしなくても結構な大事です。

「手伝うぞ?」
「その即断即決のイケメン具合は僕が女なら思わず惚れそうな勢いですけど、今回は大丈夫です」
「本当か?」
「ええ」

二カ月忙しいと言っても、そこにあるのは技術的な意味で僕にしか出来ない、ただただ根気を必要とする地味な作業だ。恭也さんに手伝ってもらうことは何もない。

「そうか。なら父さん達には俺の方から伝えておくから、お前も頑張れよ。何かあればすぐに頼れ」
「まあ、月村家に続いて2度目なんですから、流石にここからまた問題なんてそう滅多に───」





その時、僕は甘く見ていたのだ。尊敬すべき、偉大な先人たちの言葉を。いわく───。





お互い話すことも話し終え、僕と恭也さんは立ち話もここまでと高町家の剣道場に続く内庭へと足を踏み出して。

「───だっ、誰か! 誰か来てください!!」

武家屋敷然とした無骨な家の中から、晶の叫び声が響いた。
それは今まで聞いたこともない、普段の快活な彼女からは考えられないくらい余裕の無い叫びだった。

僕たちの耳に届けられた彼女の必死な声は、確かに続けてこう言ったのだ。


「レンがっ、……レンが突然倒れて起きないんですっ!!」





いわく───二度あることは三度ある、らしい。ふぁっきゅー!















(あとがき)
第二十六話『二度あることは三度ある、らしい』投稿完了しました。作者の篠 航路です

今回は前回のあとがきで予告した通り原作那美ちゃんルートの導入、そして晶・レンの問題に関する触りとなります。主人公の秘密がバレてしまった割に軽すぎないかと思った読者の方。大丈夫です、作者もそう思います。
まあ主人公も出来る限り秘密にして墓の下まで持って行こうと考えているだけなので、一旦腹をくくるればこんなもんでしょう。主人公の秘密をしってしまった那美ちゃんサイドに関してはまた後でということでご勘弁を。

次回は主に原作ゲームのシーンを流用するのであまり変わり映えはしないんじゃないかなー、と。あと、「なのはssお約束」の一つが起こるような気がします。まさかあの子がこうなるなんて……!的な?

ではまた次回にお会いしましょう。篠 航路でした。





[29543] 第二十七話 上には上がいる
Name: 篠 航路◆29c84ec9 ID:868803c9
Date: 2013/11/05 20:26

───ああ、軽い発作ですね……
───幸い、大したものではありませんでした……
───薬も効いているようですし、“今回は”少し休めばすぐに元気になりますよ……

それが、倒れたレンに主治医を名乗る年配の医者が、保護者である桃子さんに言った言葉だったそうだ。



あれから。具体的には倒れたレンを病院に運び込んでから、翠屋の責任者である士郎さんを除いた高町家の面々が勢揃いするまであまり時間はかからなかった。皆、落ち着かない様子で病院のロビーに立ちつくしている。
こうなってくると高町家の人間でない僕がいることは非常に場違いな気がしてくるのだが流石に今さら帰ると言える訳もなく、同じく何もできないなのはと一緒にロビーのソファに座っていることしか出来なかった。

「レンちゃん、だいじょうぶかなぁ……」
「大丈夫だよ、きっと」

気休めだ。しかし、それでなのはの心が僅かでも安らぐのであれば。
そう思って口にした言葉だったが、なのはは変わらず眉尻を下に向けたままだった。

それ以上言葉は重ねず、僕は垂れ下った彼女の頭をぽんぽん軽く叩いた。

「あ、あの、オレ……ごめんなさい!」

そうしていると、僕たちに程近い場所で立ったまま俯いていた晶が突然叫んだ。唐突な彼女の謝罪に高町家の面々も目をめばたかせている。
いつもの勝気な笑顔はどこへやら、歳相応の女の子のように不安げな表情をした彼女に、桃子さんが医者に話を聞きに行って居ない今、一番の年長者であるフィアッセさんが近づいた。

「どうしたの、晶? ごめんなさいって、どうして?」
「そ、その、オレ、あいつが病気とかって知らなくって……それで、最近オレら、けっこう遠慮ぬきでバシバシやってるから、……もしかしてあいつが倒れたのって、って思って……」
「あ、晶のせいなんかじゃないって!」
「そうだよっ、そんなこと言っちゃダメだよ晶ちゃん!」

落ち込む晶に、美由希さんとなのはが慌てて励ます。

「たぶん関係ない……と思うから、晶もそんなに落ち込むな」
「そもそもお前との喧嘩が原因ならとっくの昔に士郎さんがストップかけてるから」
「恭也と春海の言う通りだよー。だから晶も落ち込まないで笑顔笑顔! 今はレンのためにもちゃんと元気にならなくちゃ」
「……はい」

もともと晶は責任感が強い。というより、基本的に高町家の人間は士郎さんたち大人勢3人を除き誰もかれもがクソ真面目なので、思い悩むとなればとことん自分を責める傾向にある。
もうちょっと不良になっても誰も文句言わないと思うけど、おそらくこれが育ちが良いというヤツなのだろう。半分元ヤンみたいな人生を送っていた僕には絶対無理そうである。





そんなふうに自分を責める晶を僕たちで宥めすかしているところに診察室から出てきた桃子さんが伝えた内容が、冒頭の医者の言葉だった。

思わずその場にいた全員が胸を撫でおろした。それは僕も例外ではない。

「念のため、大事を取って今夜は病院に泊まるそうだから、わたしは今からレンが宿泊に必要なものを家から持って来るわ」
「あ、士郎と桃子は明日の仕込みもあるから夜はわたしが一緒に泊まるよ」
「ん。そうね、ならお願いするわ、フィアッセ」
「OK。だったらわたしも桃子と一緒に帰って荷物とってくるから、恭也たちはそれまでレンの傍についてあげてね」
「了解」

代表で答えた恭也さんに微笑んで、桃子さんとフィアッセさんの大人2人は一度高町の家に帰って行った。

残された僕たちはお互いに顔を見合わせ、誰とはなくレンの待っているという病室へと向かい始めた。





「やや、どもです、どもですー。ご迷惑おかけしてホンマすんませんでした」





ノックと共に入室した僕たちを迎えたのは、予想外に平和的で健康的な様子の鳳蓮飛その人だった。

「……だ、だいじょうぶなの、レン」
「お、おみまいに来たよー……?」

あまりにいつも通りな彼女の様子に、思わずと云った風に美由希さんとなのはが訊いた。

「なっはは、このたびは本当ご心配おかけしまして。なのちゃんもありがとなー」
「あ、うん……」
「で、さっき美由希さんも訊いてたけど、肝心の体調のほうはもう大丈夫なのか?」
「おーう、春海もほんまありがとうなぁ。ウチはすっかり元気やで」

こちらの頭をぽんぽんと叩いて子供扱いしながら、わざとらしいくらいに明るく言うレン。そんな彼女にされるがままになりつつ、僕は訊いた。

「心配は心配だったけど、結局お前って何で倒れたんだよ。こっちとしては、そこのところ訊かねえとスッキリしないんだけど」

少々無神経だとは思ったが、本来家族だけが訪れることができる場にここまで踏み込んでしまったのだ。知る権利くらい僕にだってあるだろう。


───それに、自分の身体のことはレン自身が一番よく知っているだろうから。


この病室を訪れるまでに桃子さんが、レンの主治医を名乗る男性。そう『主治医』なのだ。

もし彼女が今日初めて罹患した病によって倒れたというのなら、主治医なんて単語は出てくる筈がないのだ。つまりそれは、レンがもっと以前から病院に通うほどの状況にあるということに他ならない。
これまでの高町家の人々の反応を見る限りにおいて、彼女は同居人である彼等にも自分のことを隠していたのだろう(もちろん彼女の保護者である士郎さん・桃子さんを除いて)。


しかし、こうしてレン本人が全員の前で倒れてしまった以上それは手遅れだ。

もう、隠し通すことなど出来やしない。


ならばこそ、この中で彼女との縁が最も浅い僕こそが、レンにとって一番話すことが負担ではない人間だろう。
そう考えた僕が真っ先にレンに訊くと───案の定レンは“僕の方だけ”を見て、部屋全体に程良く届く位の声を転がした。



「あはは、ちょーっとした心臓発作ってヤツでなぁ」



自分の症状をバラすいつも通りの明るい声は、どこか物哀しく上滑りしている気がした。

「ウチの心臓はどーもウチによく似ててな、なんやナマケモンなんよな。仕事サボりがちで困っとる」
「そうかい。でもまあ、とりあえずは元気そうで安心したよ」
「あはは……おーきにな、春海」
「ん」
「……あの、レンちゃん。これ、さっきそこでジュース買ってきたの。いっしょに飲も?」
「わー、なのちゃんもおーきに!」

と。隣で丸椅子に座っていたなのはと話し始めたのを見て会話を打ち切り、部外者は目立たぬように一番後ろまで下がった。
その際に見た高町家の人々の顔は、思いのほか元気なレンの姿にどこかホッとした様子が見て取れた。

「……お、───なんや、おったんか」
「……ああ」

ただ一人、城島晶を除いて、ではあったが。

「…………」
「…………」

無言。

睨み合いのような、戸惑っているような。おそらく当人同士も何から話すべきか迷っているのだろう。

(……ふむ)

そばに立っていた恭也さんの袖をクイクイと引っ張る。

「そういえば恭也さん。ここってフィリス先生もいますし、せっかく顔を出したんですからちょっと会って行きましょうよ」

かの女史には高町兄妹も整体師としてお世話になっているのだ。

「ん?……そう、だな。美由希、お前も行くぞ」
「え?……あ、……わかった。なのは、レンに雑誌とかアイスも買っておきたいから一緒に行こうよ」
「え、でも」

固まってしまったレンと晶をチラチラと気にしているなのは。僕はそんな彼女の脇に後ろから両手を差し入れて抱き上げた。

「おらー行くぞー」
「にゃあああ!? なんでー!?」

慌てるなのはをズルズル引き摺り、恭也さんと美由希さんが待つ病室の外へと出る。

「突っ立っとらんと、まず座りー」
「……おう」

後ろ手に閉める扉の向こうで、残された2人のそんな言葉が聞こえた。





**********





レンと晶。彼女たち2人を除く高町家全員(+α)が出て行ってしばらく時間が経った。

「…………」
「…………」

が、それで何か自体が進んだのかと訊かれれば否と答える他ない。

無言。

お互いに言いたいことはハッキリしている筈なのに、それが口から出てこない。もともと2人とも自分がそんなキャラでもないことを自覚しており、また、互いに対して畏まることも今更すぎた。

「…………」
「…………ああもう! 辛気臭いやっちゃな! 言いたいことあるんやったらさっさと言わんかい!」

しかし、そんな無音の時間も先に痺れを切らせたレンの怒鳴り声であっさりと終わりを告げた。
いつもの如く、喧嘩相手の売り言葉。だが晶はいつものような買い言葉を返すことをしなかった。

「あ、あのよ……」

歯切れ悪く、ただ自分の考えを吐露した。

「オレ……その、お前に悪いこと、したか……?」
「…………」

懺悔にも似たその言葉を、レンは静かに聞いていた。

「オレ、知らなかったから……」
「教えてへんのやから、当たり前や」
「そうだけど!……そうだけどよ」

つっけんどんに返すレンに、晶は必死に紡ぐべきセリフを探した。柄ではないが、ここはきっと自分が謝罪する場面なのだろうと、持ち前の気真面目さで考えながら。

「今回のが、もし───」
「『オレのせいだったら、ゴメン』か……?」
「うん、……すまん」

小さな小さな晶の、ともすれば一人言とも取られかねない呟きを聞いたレンは───1度目を閉じた。
こちらの様子に首を傾げる晶に構うことなく、すーはーと息を吸って吐いた。そして───





「───ふっざけんなーーー!!!」





ここが病室であることも忘れたような怒声が、対面に立つ晶の耳を劈く。思わず両手で耳を塞いで目をチカチカさせる晶に、レンは構わず怒声をぶつけ続けた。

「アホやアホやとは思ってたけど、まさかここまでアホやとは思わんかった」

彼女は、怒っていた。

「ええかっ、よく聞けコラ! そんな風に何もかも『自分のせいかも』とか勝手に思い込むのは止めいこのアホ! オノレを慰めてんとちゃうからな! うちはそういうの、なんやめっちゃムカチューって話や!」

怒って───そして何より、屈辱に震えていた。

だって、そうだろう。わざわざ口には出さないが、心の中でしか思ったことはないが、今の今まで本当の意味で対等だと思っていた人間に、こともあろうか『憐れまれて』しまった。

屈辱で、───ただただ情けなかった。

「……ウチが体わるいのは、ウチのせいや」
「……」
「ムリして体調わるくなっても、それは全部ウチの責任や」
「……うん」

静かに返事した晶に、レンは手元にあった枕を投げつけた。

「…………」

ボフンと自分の顔にぶつかって落ちる枕を晶は両手で受け止めた。もとよりこんなもの、痛くも痒くもない。

なのに、何故か今まで受けたどんな拳よりも痛む気がした。

「それを自分のせいかも、とかっ、傍についとる自分がもっとちゃんとしとればー、とか! 死ぬほど大きなお世話やアホ!!」

感情のままに、激情のままに、レンは叫び、訴えた。

「何よりそんな自分勝手に同情されたり、死にかけたミミズやムカデでも見るみたいに憐れまれたりするのが……、それがウチは、めっちゃムカつくんじゃ! えーか!? ウチは可哀そうなんかと違う……! そやから、あんたごときに同情されたり、責任感じられてそんなしみったれた顔される覚えもない!!!」

怒鳴り声と、振り下ろされたレンの小さな拳が粗末なパイプのベッドを叩く。



「ウチは……そんなんと、ちゃうねん……」



限界まで絞り出された本音は、呟きとなって宙に溶けた。

「……って」

───と。

「あんたに当たっても、しゃーないか」
「えっと……」
「……あのな」

急な話の転換に付いていけなくなった晶に、そっぽを向いたレンが言う。

「……心配してくれるんは、……心配してくれたこと自体は、そのなんや……」

ぽつり、ぽつりと。

「ごくわずか……? 実にかすかだけ……? ほんのちょびっとだけ……」

何度も何度も念を押して。



「………………………………………………おーきにや」



そうして、また訪れた無言の時間。

そんな空白に耐え切れなくなったのか、それとも居た堪れなくなったのかレンが口を開く。

「……せやから、そないな顔するな! うっとーしくて敵わんわ!」
「……ああ」
「それにアンタ、ただでさえ不細工なのに、それ以上辛気臭い顔したら取り返しつかへんで」
「…………」
「アンタはもともと不細工な上に、背は小っこいわ、頭悪いわ、男にしか見えんわ」
「……?」
「空手バカ一代のくせに大して強ないわと、ホンマええトコ無しなんやから」
「おい」

さすがにストップを掛けた。

これまで申し訳なさから言いたいように言わせていただけに、凄まじい形相になっていた。

「いくらなんでもそこまで言われる筋合いは無いぞ?」
「ホントのことはどんな状況下でも言ってええと思わんか?」

「…………」
「…………」

「…………へへへ」
「…………ふふふ」

「やる気か?」
「やらでいか」


晶が跳び、レンが舞った。





**********





病院の外にまで雑誌やアイスを買いに言った美由希さんとなのはを待ちながら、僕と恭也さんはレンの病室の前の廊下に並んで立っていた。

「……レンって、もともと身体悪かったんですか?」
「……小さい頃は入院と退院の繰り返しだった。最近は元気だったから、もう大分良くなったのかと思ってたんだけどな……」

そう言って、恭也さんは溜息を一つ零した。

と、そこで僕と恭也さんはそれぞれ自分の耳を塞いだ。



───ふっざけんなーーー!!!



ビリビリと空気を震わせるようなレンの怒声が廊下にまで鳴り響く。僕はぎょっとした様子でこちらを振り向いた看護婦さんに愛想笑いしながら、印を切って彼女の病室に簡易的な結界を施し、周りに漏れる音を遮断した。他人の迷惑も考えろガキ共。

「すまん」
「いえ」
「……レンと会ったのはまだ小学校くらいのときでな、そのときも場所は入院してたあの子の病室だったよ」

うちの母さんとアイツの母親は親友同士だったから、と続ける恭也さんに、僕は相槌を打つ。

「お小遣いで買ったクッキーの缶を持って行ったりしてな。結婚の約束したり、なんだかんだで懐いてくれてた気がするよ」
「さらっと結婚の約束とか言うなや」

それだけ聞くと甘酸っぱい思い出なのに、既に忍さんとフラグが立ってる辺り酷い話である。

というか、絶対覚えてるだろアイツ。

「ん?……子供の頃の話だぞ?」
「せやな」
「?」

見てください、これが鈍感体質というものです。

なんという主人公。

「……ともあれ、適当な言い方が見当たりませんけど、レンのほうも頑張って下さいね。こういうのってやっぱり家族の問題になってくるんでしょうし」
「言われずとも、だ」

少々冷たい言い方になってしまったが、他に僕に何が出来るのか、と。親しくなっても、家族は家族、友達は友達である。
レンのほうも、今すぐ死ぬ訳でもないのに他人の僕に世話を焼かれたところで鬱陶しいだけだろう。

「まあ、僕もできる限りは手伝いますよ」
「なら今まで通りレンと仲良くしてやってくれ。他には望まない」
「それこそ、言われずとも、です」

お互いに軽口を叩きながら、ハッと軽く笑い飛ばす───と。



「……ああああぎぎぎぎ、アダダダダッ!!??」



病室の中から聞こえてきたよく知った悲鳴の声に、僕たちは互いに顔を見合わせた。

目の前にある病室の扉をガラリと開く。すると、そこには───。



「アガガガガ……ッ!?」
「ほっほっほー、病にあっても鳳蓮飛、アンタごときに遅れは取らへんでー」



───病室のベッドの上で、首・肩・手首を同時に極めたレンの見事な間接技が晶を締め上げている光景があった。



「何やってんだ、お前ら」
「おー、春海におししょー。いや、このおさるがあんまりにも生意気なもんやからちょっと躾けをと」
「うがあああああ!!!」

と、そこで晶の呻き声を聞きつけたなのはと美由希さんまで病室に駆けこんできた。

「え!? ちょ、やめなって、レン!?」
「あーーー!!? レンちゃん晶ちゃん何やってるの!? ケンカしちゃダメーーー!」
「だ、だい、じょうぶ、だいじょう、ぶ……う!?」
「ほう、余裕あるなー。じゃあもっと行っとこか」
「うううがあああああ!!?」

結局、場所は違えどいつも通りの光景を取り戻している高町家年少組。そんな彼女たちを前に、僕と恭也さんは再度お互いに顔を見合わせた。

「「……ハァ」」

溜息を一つ。さっきまでシリアスしてた自分たちが馬鹿らしくなり、スゴスゴ病室の扉を潜り直して廊下に出る僕らだった。





**********





「んじゃ、僕は用事あるからもう帰るわ。アリサ、日直の仕事がんばれよー」
「あ、まって春海くん。わたしも今日は早く帰るから、途中まで一緒に行こ?」
「ん、そう? もしかしてノエルやファリン関係の『用事』?」
「うん、それもあるけど……あ、あの、春海くん」
「なに?」
「ひ、ひさしぶりに、その……す、吸ってもいい?」
「あ、ああ……うん、別にいいよ。じゃあ一緒に帰るか。アリサ、なのは、また明日なー」
「バイバイ、なのはちゃん、アリサちゃん」

そう言って、並んで帰って行った友達2人を見送ったアリサとなのは。

そんなアリサが日直の仕事である日誌記入を終えて校庭に出た頃、彼女の隣に居たなのはが手を合わせて申し訳なさそうな声をあげた。

「ご、ごめんねアリサちゃん。今日、レンちゃんが退院するからなのはももう帰らなきゃ」

って、ならハルたちと一緒に帰りなさいよ。そう言うと、この優しい幼馴染は苦笑いしながらこう言うのだ。


───だって、一人で学校に残っちゃったら、アリサちゃんも寂しいでしょ?


「子どもかあたしは!!」

一人で帰り道をテクテク歩きながら爆発するように叫んだ。道行く通行人がビクリとしていたがアリサは気付かない。

「……まあ、なのはがそう言うのも分からなくはないけど」

というのも、原因は最近の春海とすずかだ。

別に彼等がアリサやなのはをハブにしている訳ではない。表面上は今まで通り、仲良し3人組+1だと思っている。+1は勿論春海だ。しかし最近……具体的には春休みが明けてからというもの、あの友達2人は何かと一緒にいる光景が目に止まるのだ。休み時間や体育の時間、気が付くといつも同じ画の中に収まっている。

ただ、それはアリサとなのはを蔑ろにしている、という訳ではない。むしろ春海に関しては常の通り、一歩引いた立ち位置からクラスを俯瞰しているように彼女は感じていた。

変わったのは、月村すずかの方だ。

休み時間も体育の授業も、基本的に彼等が一緒にいるときはいつもすずかが春海の隣に立っている。だから2年生になってからは自然とアリサとなのはも春海に席に集まるようになっていた。
が、同時にだから何だと訊かれるとアリサとしても返答に困った。別にすずかが春海と一緒に居る時が増えたからと言って、アリサ達と一緒の時間が減ったわけではないのだ。

むしろ最近にすずかは妙に生き生きとしていて、去年よりもどこか明るく可愛くなったとクラスの女子の間でも評判である。ませた男子の誰彼がすずかに惚れている、なんて噂が流れている程だ(無論、春海ではない)。

だからこそ、アリサは自分が悶々としているその原因が解からず尚さら悶々する。

悶々が悶々を呼んで更に悶々して悶々のゲッシュタルト崩壊である。



───実のところ、アリサが不満に思っているのは単純に『自分が彼らの輪から外れているように感じる』、ただそれだけであった。



すずかが春海と何かあった、それは確実だ。鈍いなのはでさえ気付いているものを、聡いアリサが感付かない筈がない。尤も、なのははそれがどんな意味を持っているのかまでは考えつかないようだが。
なのはが幼いのではない。アリサが歳の割に早熟なのだ。しかし、その聡明さは同時にアリサの思考の迷走を産んでもいた。

クラスでも評判の仲良し3人組で通っていた筈なのに、それが春休みが明けて2年生になってみると春海にすずかを取られてしまったような状況になっている。
それらが全て自分の知らない場所で起こったこと。それこそが彼女のフラストレーションの源だった。

春海やすずかと云った個々人に不満は無い。しかしそれを繋ぐ互いに関係から自分が外れているようで、そこが気に入らない。


要するに、彼女は自分が仲間外れにされたことが不満なのだった。


「~~~もうっ、なんだってのよ! どいつもこいつも!」

だが、いかに聡明であっても子どもは子ども。経験の不足そのものは如何ともし難く、それは神童の名を欲しいままにするアリサであっても例外ではない。自分が単に拗ねているのだという自覚も無ければ、そもそもそれを認めるにはアリサ・バニングスという少女はあまりに幼く、また、単純に負けず嫌いだった。


結果、アリサの不満は今日も燻ぶるばかりであった。


そうして歩くこと十分ほど。今日は習い事の日なので車の送迎ではなく徒歩で現地へと赴くのだ。実際、学校で車を待つ時間を考えたら直接向かった方が早いから。
とはいえ、今は些か早く学校を出過ぎたようだった。ムカムカに任せて早歩きにズンズン進んだのも手伝ってか、これでは開始時間より一時間も前に到着してしまうではないか。

通りがかった公園の時計台を見てそう考えたアリサ。そんな彼女の視界に、神社へと続く石段、そしてその入り口にそびえる鳥居が入り込んだ。

「あ、そうだ」


───久しぶりに友だちに会っていこうっと。そんな軽い思考の帰結で、彼女は学校帰りの寄り道をすることに決めた。





「久遠ー、ドコにいるのよー?」

八束神社から程近い林の中、然程深くない位置からアリサは口元に添えた両手をメガホン代わりにして呼びかけていた。
最初は神社の境内で久遠を探してみたが見当たらなかったアリサ。ならばと今度は久遠がいつも出てくる林の中へと標的を移していた。

ガサガサと怪我をしない程度に草間を覗き込んで見ても、あの見慣れた黄色いボディは影も形も無い。

「もしかして今日はいないのかしら……?」

これだけ呼んで姿を見せないということは、今日はここに顔を見せていないということなのだろう。那美がこの神社で働いている関係上、那美とセットで行動している久遠はほぼ毎日八束神社で日向ぼっこなりをしていると思っていたのだけど、どうやら当てが外れてしまったようだ。残念。

折角やって来たのに会えず終いというのは悔しいが、こういう日もあるだろうとわざわざあの長い石段を昇ってきた事実を慰めるアリサ。

そんな彼女の耳に、ガサガサと草をかき混ぜる音と共に幾つかの笑い声が届く。

「え?」

神社からも程遠くにあるこんな人気の無い場所にいる人間なんて限られている。何らかの目的意識がなければ、まず近づかないような所だろう。ならば、きっと久遠に会いに来た誰かに違いない。ひょっとしたら、先に帰った春海とすずかという可能性もある。自分の声に気付かなかったのも、遊ぶのに夢中になっていたのかもしれない。

そう考えたアリサは、程良く疲労の溜まった足を音がする方へと向けた。その際、足音は出来るだけ抑えて相手に気付かれないように注意を払う。もし春海たちだったなら、背後からビックリさせてやるのだ。



幸い、声が聞こえた場所まで距離らしい距離は殆どなかった。ほんの30秒も歩けば目的地に到着した。到着したが……その光景を見たアリサは、すぐさま考え無しに近づいたことを後悔したくなった。



「おいおい、なんだこれサンドバッグってヤツ? かっけー!」
「オラオラオラオラオラ!! ワンツーワンツー、ってか?」
「イテッ!? おいバカっ、人が近くにいるってのに急に手振りまわすなっつの。タバコ、火つけたばっかだったのによー。おい、も一本くれ」
「やだよ、もったいねー」



そこに居たのは、町内のある高校の制服に身を包んだ男の4人組だった。それも、言動や着こなし、口に咥えたタバコを見るにアリサがあまりお近づきになりたくない類の。

早い話、世間的に不良と呼ばれる少年たちである。

「…………」

草間に身を隠しながら彼らを見たアリサの顔が思わず渋くなる。

いま現在彼女の目の前にいる少年たちは、制服の着こなしを除いて見た目はただの少年だ。髪を染めている訳でもなければ、ピアスで顔中を穴だらけにしている訳でもない。ただ言動が一目で分かるほどに粗野なだけだ。
だが、たったそれだけで、人を見かけで判断するなと両親から真っ当な教育を受けたアリサが嫌悪感を抑えきれなかった。タバコなら自分の父も愛煙している筈なのに、彼等が喫煙している姿はまったく格好良くない。

自分は不良と呼ばれる類の人間を初めて間近で目にしたが、こんな気持ちになったのは生まれてこの方一度も無い。なるほど、ふざけてからかってくる春海にムカムカ来るのとも全然違う、言い様の無い恐怖混じりの嫌悪感。こんな最悪な気分が存在するのかとビックリしたくらいだ。

できることなら今すぐ彼らの前に出て行って注意したい。タバコなんて止めて家に帰って勉強でもしてろ、と。

「(……早くここから離れようっと)」

でもまあ、アリサとて馬鹿ではない。ドラマなどで得た聞きかじりの知識でしかないが、あのような類の人間はこちらが正論を言って図星を突くと逆に憤怒に駆られてしまうという。特技に逆ギレがあるのだろう。
アリサにだって正義感はあるし、むしろ人一倍そういう性格であるのは自覚するところだ。だが、それでも時と場合を考えられるくらいの分別はあった。また、それは危機管理能力にしても同様だ。防犯ブザーは乙女の必需品と母親から習った。

ともかく、初めての状況でも持ち前の賢明さを遺憾なく発揮した彼女は、生理的な恐怖で割とドキドキしている胸を抑えながらその場を離れようと踵を返して───





「───くぅん……」





───背後から聞こえた小さな鳴き声に戦慄した。

振り返って窺うと、彼等から程近い場所で見慣れた黄色い友だちが震えている光景が眼に入った。

「お、なになに? イヌっころ?」
「や、キツネじゃね? うわ、珍しー。初めて見たわ」
「ちょ、お前捕まえてみろよ」
「やだよ、きたねー」
「お前そればっかだな。しゃーねーな、オレが捕まえてやる」

そんなやりとりの経て、眼鏡の少年が立ち上がり久遠のもとへとズカズカと無遠慮に近づいて行く。……が、伸ばされた手を久遠はアッサリと避けて躱してしまう。的を外され、バランスを崩してたららを踏んだ少年を残りの3人が笑う。

「ぷ、何やってんだダッセー」
「るせッ! ちょっとヨロけただけじゃねーか! おいっ、逃げるなゴラッ!!」

再度、そして三度伸ばされた手を懸命に避ける久遠。そこまでしても無理ならば素直に放っておけばいいのに、仲間に嘲笑われて半ば意地になっているのか眼鏡の少年に諦める様子は無い。

「───はい、しゅーりょー」

が、そんな久遠の頑張りはあっさりと雲散霧消した。眼鏡少年の影に隠れて近づいたもう一人の長髪の少年が、躱して彼女が逃げ込んだ隙間で待ち構えていたのだ。
堪らず急ブレーキをかけたところをすかさず抱きかかえられる。それが不快だったのか、抱かれた体勢でしっちゃかめっちゃかに手足をバタつかせる久遠。

「くぅぅうう……ッ!」
「おわ!? コラ、暴れんな───イテェッ!?」

その時、偶然だろうが暴れさせていた右前脚の爪が長髪の少年の皮膚を鋭く引っ掻いた。思わず抱えていた手を離し、その隙に久遠が逃げようと跳び降りて───



「イテーな、チクショーがッ!!」
「ぎゃんッ!?」


───着地する直前、激昂した長髪の少年に思い切り蹴り飛ばされた。



強かに蹴られた久遠は、そのまま一度地面にぶつかりバウンドした後ようやく停止した。明るかった太陽色の身体は土に汚れ、見る影もなくなっている。不幸中の幸いと言おうか意識はあるようだが……身を起こそうとするその動きは緩慢で、フラフラと足が覚束ないのは誰から見ても明らかだった。

「おいおい、それやり過ぎじゃね」
「知るかっつの! コイツから引っ掻いてきたんじゃねーか!」
「あーあ、ふらついちゃってんじゃん。かわいそー」

言葉の割にまったく哀れんでいない声音でヘラヘラと笑う少年たち。



そんな彼らを押しのけた長髪の少年がそのまま必死に立ち上がろうとする久遠に近づき、その小さな体を摘まみ上げようとして───突如飛来した石の礫が、その鼻っ面にめり込んだ。



「アグァッ!??」

鼻を押さえ、反射的に身をかがめる長髪の少年。よく見るとその手の中に赤い物がある。どうやら鼻血が噴き出たようだった。

突然の事態に唖然とする少年たち。そんな少年たちの脇を、鮮やかな金色が奔り抜けた。

金色の髪の少女───アリサ・バニングスは久遠と少年たちの間に入り込むと、友だちを庇うようにして両手を広げた。彼女特有の意思の強いブルーの瞳が、真っ直ぐに少年たちを見据えている。

「アンタ達、何してんのよ!」

怯えも無ければ怯みもない。子ども離れした胆力を遺憾なく発揮し、アリサが叫ぶ。状況の推移に処理が追いつかない少年たちは言われるままだ。

「高校生のくせにこんな小さな子を寄ってたかって、恥ずかしくないの!? こんな所に集まって弱い者イジメしてる暇があるならとっとと家に帰って勉強でもしてなさいよ、このヒキョウモノ!!」

眼をつぶって、一息に言い尽す。それは怖がって飛び出すのが遅れてしまった彼女の後悔さえも込めた言葉。ともすれば自分の中に湧いてしまいそうになる、或いは既に湧き上がっている恐怖を押し殺した叫び声。

───が、この時点でアリサは致命的なミスを犯した。

跳び出すのなら、石を投げず挑発などもせずに介入すべきだった。そうすれば如何に不良の彼らといえど小学生のアリサに危害を加えることは無かっただろう。または、石をぶつけ怯ませた時点で久遠を連れて迅速に逃げ出すべきだったのだ。脇目も振らずに、全力で。


しかし、その全てが、既に遅い。


石を投げて怪我を負わせてしまった。

彼らの目の前に全身を晒してしまった。

プライドだけは一人前の彼らを罵倒してしまった。


全てが失策。アリサの小学生離れした意思力が、この時に限っては完全に裏目に出てしまった。

座っていた他の二人を含め、四人全員がフラリと立ち上がる。馬鹿にしたようなヘラついた眼がアリサの心を突き刺す。


「わーお、何この子。かっこよくね? ガイジンさん?」
「しかもすっげー可愛いっていうね。金髪だし、お人形みたい」
「ぷるぷる震えちゃって。怖いのによく頑張ったねー、えらいぞー」


ネットリとした視線が彼女の全身に降り注ぐ。彼女の中に渦巻いていた恐怖の総量が一気に増量する。ついでに不快指数も。
ただ、この三人までならまだ良かった。粗野な上に無遠慮だが、直接的な害意は少ない。このまま耐えれば程なく彼女は解放されたことだろう。


「───何しやがんだッ、このクソガキが!!!!」


しかし、それでは済まない一人が怒声を上げた。アリサの投げた石が直撃し、今の今まで血を垂れ流す鼻を押さえて痛みに耐えていた長髪の少年だった。

ようやく鼻血を止めた彼は周りの少年たちを突き飛ばすようにして退かすと、至近距離でアリサを睨みつけ始めた。

「いきなり石ぶつけてきやがって、覚悟できてんだろうなァッ!! アァ!!?」

威圧と怒声で威嚇する少年。未だ手が出ていないのは、決して優しさ等ではない。小学生の、それも女を殴るのはダサいという安っぽいプライドから来た単なる見栄だった。
これだけ脅せばこの生意気な子どもだって泣きだすだろう。そうすれば自分の溜飲も下がるし、石礫になんてビビっていないという自らの面目も立つ。

どうやら少年の中で小学生の女の子相手に怒鳴り散らすという行為は、所謂『ダサい行動』には分類されないようだった。


「ふざけんじゃないわよ」


────そして、そんな男の幼稚な見栄をアリサの勇気は粉々に粉砕した。

「アンタこそあたしの友だちに手を出して覚悟できてんでしょうね?……そうよね、できてる訳ないわよね。暴力を振るわれた側がどう思うかなんて、ちっとも考えてない。───だからこんな酷いことをやってもそうやってヘラヘラできるのよ! 人の気持ちを考えろなんて当たり前のことの勉強は小学校で終わらせときなさい!!」
「んだと……もういっぺん言ってみろクソガキ!!!」
「何度でも言ってやるわよ! このヒキョウモノ!」
「───ッ!!」

そんなアリサの恐怖を押し殺した啖呵が、遂に不良少年の逆鱗に触れた。

アリサの瞳がこれ以上の問答は無用とばかりに振り上げられた右拳を映し出す。きっと自分は、あの握りしめられた拳に殴られるのだろう。
友だちを助けたことに後悔は微塵も無かったが、それでもやはり痛いのは少し嫌だった。彼女は反射的に固く目を閉じ、身を強張らせて衝撃を待つ。

……………………。
…………。
……。

(……あれ?)

おかしい。せっかく備えているのに、いつまで経っても拳が飛んで来ない。来るならとっとと来なさいよ、と持ち前の負けん気を考える暇さえあったほどだ。

「…………」

おそるおそる、閉じていた瞼を開く。最初に見えたのは、さっきまで軽薄な笑みを貼り付けていた顔をポカンと呆けた表情に変貌させ、アリサの方を見ている男たち。……いや、違う。彼らが見ているのは自分ではない。目線は確かにこちらだが、彼らがその目を向けているのはその後ろ側、アリサの背後だ。



「ぐるるるるぅううう……ッ!」



気付くとほぼ同時に、背後から声が聞こえた。地の底から響く様な重低音で、彼女の家にいる飼い犬たちが警戒してあげる唸り声にも似ている。

「───え?」

自然、目の前にいる少年たちのことすら忘れかけて振り返るアリサ。

そんな彼女の瞳に映ったのは、自分と同じく鮮やかな金色をした髪から狐の耳を生やした、巫女装束を着た少女の姿。
彼女は同姓のアリサから見ても可愛らしく端正な顔を怒りに歪め、きつい調子でアリサの向こうに居る少年たちを睨みつけている。

唐突な登場にも関わらず、謎の少女に見蕩れるアリサ。

───バチン。

瞬間、少女の周りの空気が爆ぜた。

───バチン、バチン。

再度連続で爆ぜた空気の中に蒼い雷が瞬いているのが見えた。ふわりと広がった少女の金髪が、バチバチと音を立てて帯電している。

「───ッ!」

ズドンッ───!!!

少女の音なき声と目を焼かんばかりの青い光。次の瞬間には少年たちが立つ場所のすぐ前方の地面が弾け、直径1mほどの範囲が大きく抉れていた。

跳ねた土が彼らの服を汚す。そのことさえ碌に認識できていない様子の少年たち。彼らはゆっくりと目の前の少女から抉られた地面へと視線を移して───、


『う、うわぁあああああああああああああああああああ!!!??』


湧き上がった原始的な恐怖が命じるままに、彼らは少女とアリサに背を向け蜘蛛の子を蹴散らすように駆けだした。

「…………」

残されたのは、去った危機に安堵し腰を抜かしたアリサと、ふーっと短く息を吐きだして帯電していた蒼い電流を霧散させた謎の少女。

足元にへたり込んだアリサの前にしゃがみ込んだ少女……彼女はそのまま、じーっと穴が開くほどにこちらを見つめ出した。

「あ、あの……?」
「…………」

少女の行動の意味が解からず戸惑うアリサ。それでも、得体の知れない少女がすぐ傍にいるというのにアリサの中に恐怖は無かった。それには勿論彼女は自分を助けてくれたのだと言う事実もあったが、……何より少女がアリサを見つめる瞳があまりにも純すぎた。

こちらに見せる表情は無垢そのもので、僅かに下げられた眉尻は少女がアリサを心配していることを雄弁に伝えていた。

だから、アリサにあったのはあくまで少女の正体が解からないという戸惑いだけだ。

そんな彼女の前で、少女がゆっくりと口を開く。瑞々しく赤い唇が少女の本当の声をアリサの耳に───




「───くぅん」
「───は?」

───届けて、彼女の明晰な頭脳が残さずフリーズした。




『くぅん』? それは一体どういう意味なのだろう。アリサは英語と日本語を完璧に扱うバイリンガルだが、そんな単語は生まれて聞いたことがない。英語といえば、この前なのはの家に遊び行ったとき、フィアッセさんに英語を使ったミニゲームを出して貰って春海を含めたいつもの4人組で勝負したのだが、なんで自分と春海が同着一位なのだ納得できない普段あんなアンポンタンのくせに馬鹿ハル。

「って、そうじゃないわね」
「くぅん?」

思わず明後日の方へ行きかけた思考を元に戻す。

いや、それでも流石にこれはないんじゃなかろうか。自分を助けてくれた謎の少女の第一声が何故に『くぅん』? たとえ言うことがなかったにしても、もうちょっとマシな言葉があるんじゃなかろうか。それじゃあまるで久遠の───

と、そこまで思考してハタと気が付いた。

「アンタ、その耳……」

少女の耳から伸びた髪と同色の獣耳。アリサの見間違いでないならば、それは確かに狐のものだ。

「……ちょっとごめんなさい」
「きゅーん」

おもむろに手を伸ばし狐の耳をコネコネするも、そこにあるのは温かな体温を持った本物。加えて先ほどから姿の見えない狐の久遠。ダメ押しに『くぅん』。

以上の条件から導き出される答えは、えーと。



「もしかして、久遠、なの……?」
「くぅん♪」



まさか、という口調で訊いたアリサの言葉を、少女はまるで肯定するように微笑んだ。















八束神社からもそれなりに離れた林の中を、4人の少年たちが走っていた。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、……くそっ、なんなんだよアレ!?」

走りながら、眼鏡の少年が口汚く悪態をつく。だが彼も走ることを止めることは決してしなかった。追いつかれたら、きっと殺されてしまう。───しかし。

「し、知るかよ! なんか危なかったし、とりあえず逃げ───うわッ!?」

彼の言葉に応えようとした長髪の少年が、何かに足を取られて転倒してしまった。さっきまで血を流していた鼻を再び大地に強かに打つ。

「お、おい───!?」

残りの3人が堪らず振り向いて、



「───なあ、兄ちゃん等。そんなに急いで何があった」

うつ伏せに倒れた長髪の少年の傍に、一人の子どもが立っていた。



フードを目深に被って顔は見えないが、聞こえた声は確かに少年のもの。体格はそれほど大きくなく、さっきまで彼らと一緒にいた金髪の少女と似たようなものだ。歳の頃はきっと小学生くらいだろう。

しかし、いま重要なのはそんなことじゃない。転んだ長髪の少年を含め、彼ら全員がそう思った。


自分たちの見間違いでなければ───この野郎、わざと足を引っ掛けて転ばせやがった。


そうだ。コイツは走って逃げようとする自分たちの前に突然現れて、一番先頭を走る長髪の足を引っ掛けたのだ。そして堪らず長髪の少年が転倒。それが、つい先程の一瞬で起こった一幕だ。
そして、状況に思考が追いついてくれば少年たちの行動は早かった。目の前にいるのはさっき自分たちを脅かしたバケモノ女じゃない。見た目ただの生意気なガキだ。ビビる必要はなく、ならば、やることは一つだ。

3人はフードの子どもを取り囲んだ。半狂乱だった頭は既に冷え、完全に目の前の少年で憂さを晴らす気でいる。どの顔も苛ついた、しかしどこかヘラヘラとした軽薄な表情を取り戻していた。

「う、ぐっ……」

そこでようやく、地面に伏して鼻を押さえていた長髪の少年が身を起こした。両手を地面に突き、何とか身を起こそうと四肢に力を込めている。

激情。彼の頭の中には正にそれだけが渦巻いていた。狐には爪を鋭く立てられ、小学生の女に強かに石をぶつけられ、バケモノに脅され、果ては何処の誰とも知れないガキに足を引っ掛けられて無様に転んでしまっている。なんで自分ばかりが、という理不尽を嘆くと同時に彼は喜んでもいた。
ああ、やっとこの溜まりに溜まった憂さを発散することが出来る。目の前のガキには一切の遠慮をする必要がない。泣こうが叫ぼうが自分の気が済むまで殴り殺してやる。

正真正銘ケダモノの笑みを顔に浮かべた長髪の少年は、そのまま両手に力を込めて頭を上げ───





「く、ははっ、上等だよ。テメェ絶対ぶっころ───ぶぎゅッ!!?」

───フードの少年に後頭部を踏み抜かれて再び地面に沈みこんだ。





『……………………』

目の前で起こった光景が信じられず、思わず押し黙る3人。そんな彼らの前で、たった今仲間の頭を情け容赦なしに踏み抜いたフードの少年が特に気にした様子もなく口を開いた。

「おら、クソガキ。質問したんだからさっさと答えろよ」

グリグリ、グリグリと。

後頭部に置いた足を動かしながら無機質に訊く少年。やがて反応の無さに飽きたのか後頭部から足を退けた彼は、そのまま長髪を鷲掴んで高校生の身体を自分の顔の高さまで持ち上げた。小学生のような体格に見合わぬ膂力だった。

目深に被ったフードから見えた瞳が、怯えの混じった長髪の少年の瞳を覗き込む。

「……近くに見覚えのあるヤツとないヤツがいると思って来てみれば、胸糞悪い光景見せやがって。不良なら不良らしく自分たちの内輪だけで行動してろ。人様に、それも、あんな小さいガキ共に迷惑かけてんじゃねえよ。情けねえ」
「は、はひ……ッ!」

こちらを睨むぎょろりとした瞳と言葉そして何より痛みに、長髪の少年の心が折れた。それは周囲の少年たちも同様で、目の前の小学生くらいの体格しかない男から流れる得体の知れない威圧感に全身が緊張を強いられていた。

それを見て下らないと言わんばかりに鼻を鳴らしたフードの少年が、長髪の少年を投げ捨てた。

「本当なら、久遠ちゃんが見逃した時点で僕が手を出すのはお門違いなんでな。この件に関してはこれ以上お前らを叱るのは無しにしてやる」

その言葉は半ば以上意味が解からなかったが、4人は内心で安堵の息を漏らした。見逃して貰える。それだけは理解できたからだ。


───しかし、結論から言ってそれは早計に過ぎた。


ホッと息をついた4人をフードの少年はぐるりと見廻して、見える口元だけで満面の笑みを浮かべた。

「叱るのは無しだ……だから、ここからは“僕”の事情だ」
『……え?』





その日、海鳴市内に在るとある高校に在籍する素行の悪いことで有名な4人の少年たちが、ボコボコに腫れあがった顔で登校してくるという事例が発生したとかしてないとか。




















(あとがき)
第二十七話「上には上がいる」投稿完了しました。作者の篠 航路です。

えー、はいー……正直すまんかった。そんな気持ちでいっぱいな作者です。前回のあとがきで予告した通り、今回の話は入院したレンと晶の一幕、そしてリリカルなのはSSテンプレートの一つ「アリサ危機一髪」となりましたが……いやもう不良くんたちを出してからというもの筆が進む進む。気が付けば内容の3分の2がアリサ達のエピソードで埋まって立っていうね。完全に作者の悪ノリの産物な気がします。安次郎と言いイレインと言い、やっぱり解かり易く悪役してるキャラを書くのは相当楽ということを再確認した作者でした。

さて。

今回の話ではレンと晶の関係性、そして那美久遠ルートに絡む新たな人物アリサ・バニングスの登場になります。レンと晶は原作の通りなので今さら語るまでもないのですが……実はアリサに関してはこのSSを作り始めてからずっと、彼女が那美ルートに絡むことは決まっていました。それというのも、原作ゲームリリカルおもちゃ箱の名エピソード「花咲く頃に会いましょう」でなのはや久遠と一緒に遊んだ少女であり、アリサ・バニングスの元ネタでもある幽霊少女『アリサ・ローウェル』の存在です。やっぱり久遠が出る以上アリサもセットで出さなくては。そんな思いが作者にはあるのです。
不良くんたちに関してはアリサ・ローウェルの元ネタストーリーからあっさり出演決定。原作プレイした作者の鬱憤を晴らすべく、死ぬまで行かずともとにかくボッコボコになって貰って超スッキリ。そんな自己満足なことしてたからここまで話が長くなったんだけどな!

と、少し長々と語ってしまいましたので、今回のあとがきはこの辺で。

では、また次回。





(追記)
以下は投稿時の一番最後にあった部分ですが、どうにも悪ノリしすぎたかなーと感じられてきたので、あとがきの後ろに移動させました。作中でこのやり取りがあったかどうかは、読者の皆様のご想像にお任せします、ということで(オイ。





**********





「ひい、ふう、みい、よう……最近の高校生ってけっこう金持ってんだなー」
『生憎、儂に金の価値はわからん』
「これだけあれば翠屋の菓子を全種類買ってもお釣りがくる、と思う」
『マジかの、買って!』
「いや、買わんて……ともあれ、これで問題だった金の面はクリアした。後で紙と墨を買い込みに行くぞ」
『お前様はケチじゃ! ケチケチじゃ!』
「喧しいわ。どうせ泡銭だ。余ったらちゃんと買ってやるからそれまで待てって言ってんの」
『我があるじさまはなんとお優しいのじゃろう。ウチに来て舎弟をふぁっくして良いぞ』
「意味もなく久遠ちゃんを売るんじゃない。女くらい自分で口説くわ……って、そうだよ。久遠ちゃんとアリサだよ。あれって絶対アリサに久遠ちゃんの正体バレたよなぁ、また面倒なことにならなきゃいいけど」
『フラグ乙じゃな』
「おいバカやめろ。ただでさえ『今度はアリサかー』みたいな気分になってんだから。これ以上イレギュラーは勘弁してくれよ」
『吸血鬼幼女に続いて金髪ツンデレ幼女か。胸が熱くなるの』
「こっちはただでさえすずかに搾られて減った血が、冷や汗で更に冷たくなってるよ……」



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