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[29380] 【習作】 アルケミストちさめ (千雨魔改造・チート・世界樹の迷宮モドキ・ネギま)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:50
ここでは作者の短編を適当に投下するスレです。
今の所ネギましか無いですが。
感想頂けたら嬉しいです。
ちなみに作者は「千雨の世界」という泥沼多重クロスも書いてるので、よろしければ。

●更新履歴
2011/08/21 「ネギまのラブコメ」投稿。
2011/09/18 「アイアン・ステッチ(千雨魔改造)」投稿。
2011/09/20 「追憶の長谷川千雨」を三話分投稿。
2011/09/24 「アイアン・ステッチ2」投稿。
2011/11/19 「THE GAME」投稿。削除。
2011/11/28 「U touch me」投稿。
2011/12/07 「U touch me」削除。「ユー・タッチ・ミー」投稿。
2012/02/21 「ユー・タッチ・ミー2」投稿。
2012/02/23 「アルケミストちさめ1」投稿。
2012/02/25 「アルケミストちさめ2」投稿。
2012/02/26 「アルケミストちさめ3」投稿。
2012/02/28 「アルケミストちさめ4」投稿。
2012/02/29 「アルケミストちさめ5」投稿。
2012/03/02 「アルケミストちさめ6」投稿。
2012/03/03 「アルケミストちさめ7」投稿。


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■関連スレ
●千雨の世界(千雨魔改造・ネギま・多重クロス・熱血・百合成分)
泥沼多重クロス。

http:/
/www.mai-net.
net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=all&all=21114&n=0&count=1


●るいことめい(佐天魔改造・禁書×ネギま『千雨の世界』)
佐天涙子魔改造。2章の裏話みたいなヤツなんですが、千雨の世界進めるのに凍結中。

http:/
/www.mai-net.
net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=all&all=25216&n=0&count=1

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[29380] 【一発ネタ】ネギまのラブコメ(オリ主・ネギまSS)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/18 20:56
【一発ネタ】ネギまのラブコメ (オリ主・ネギまSS・雪広あやかヒロイン)

 主人公は麻帆良学園の男子高校生。
 ある日、市内で見かけた雪広あやかに恋をしてしまう。
 しかし、彼女の家は金持ちだった。
 主人公は格差社会に嘆きつつ、自らも金持ちになり、この恋を成就させる事を誓う。
 バイトをして貯めた金で海を渡った。行く先はアメリカ。
 アメリカには彼がいる。そう、あの有名な会社を築き上げた某・ゲイツだ。
 ビル・ゲイツの邸宅をどうにか突き止め、近くの林で息を潜め、主人公は待った。
 門が開き、出てくるゲイツ車。
 主人公は車の前に飛び出した。
 道路の真ん中にはアメフトボールが落ちていた。
 たまたま道路の真ん中でアメフトをしていた主人公がゲイツ車に跳ねられる。
 全ての非はゲイツにあった。なぜなら主人公はアメフトをしていただけだからだ。
 しかし、それは主人公の作戦であった。計画的当り屋アタック。
 法廷闘争にまで持ち込み、示談にまで持ち込み小金を手に入れる主人公。
 されとて当り屋としてはまだ始まったばかり。
 再びゲイツに戦いを挑もうとするも、ゲイツ車の周囲1キロは警備により封鎖されていた。
 主人公は警備外から一気に車に当たりにいかなくてはならなくなった。
 必然、主人公は自らの肉体改造に着手した。
 何にぶつかっても倒れない強靭な体を目指す。
 高たんぱく、低脂肪の食品をがっつき、一日30時間のトレーニングを課した。
 オーバーワークが限界を超え、体はボディービルダーの様に膨れ上がる。
 身長は170余りながら体重は200を越え、体脂肪率は5%を切った。
 綿密な筋肉を纏いつつ、それを小麦色の肌が覆っている。
 体は完成した、しかし……

「体が重い。そして遅い」

 筋肉を重視する余り、以前のスピードが無くなってしまった。
 これでは1キロも先の的へ、すばやくぶつかる事はできない。
 悲嘆にくれる主人公は、河を見つめたそがれる。
 そこでは少年達が石を川面に投げる姿があった。

「そうか、水切りッ!」

 天啓だった。
 水の上を走る特訓をすれば、以前以上の速さを身につけれるかもしれない。
 テレビで見たことのある、水面を走るトカゲの姿を思い出す。

「これだ!」

 グリーンバジリスクと同じポーズで走るものの、200キロの巨体は水に浮かばず沈むばかり。
 だが、主人公はあきらめなかった。
 数年の後、ついに浅い川の水面を走りきる事に成功する。
 涙を流しながら喜ぶ主人公。
 そして彼は水上を走り続ける姿は、YouTubeで世界中に配信され、連日マスコミに取材される様になる。
 もちろん日本テレビからも取材が来るが、楠田枝里子がいないまる見えに興味は無く、オファーはキャンセルした。
 時の人となった主人公だが、ふと思い出した事があった。

「なんてことだ」

 彼は浮かれるばかりで、当初の目的を忘れていた。
 そう、当り屋として車にぶつかる事だ。自らのプライドをかけた訓練を、いつの間にか忘れていたのだ。
 彼は決意する、悪を断罪し、自らの当り屋としてのプライドを世界に示す事を。
 修行期間にアイダホで出会った恋人のキャサリンと別れのキスをする。

「行くの? ジョージ」
「あぁ、行かなくては行けない」

 主人公の名前は佐藤譲治。普通の名前だった。

「どうしてそこまで当りにいくの!」
「そこに、車があるからだ」

 キャサリンはジョージの金が目当てだった。ジョージが小切手を渡したら、何も言わなくなった。
 ジョージの目指す先は太平洋の向こう、日本。
 日本の裏のボスとも言える某新聞社ネベツネの車がターゲットだ。
 しかし、彼の車にはICBMのボタンまで完備されているという徹底振りだ。
 だからこそ、ジョージはアメリカ西海岸をスタート地点に決めた。
 地球半周分にも等しい、太平洋を跨いだ当り屋アタックである。
 ジョージの筋肉はピクピクと動き、足裏が大地を掴んだ。
 多くの人間が太平洋の横断を目指す。だが、生身、ましてや自らの足でそこを越えた人間はいまい。
 ジョージは人の限界に挑戦しようとしていた。狙う頂は遠く、高い。
 ペロリと下唇を舐め、呼気を整える。

「大丈夫かジョージ」

 後ろで心配そうに言うのは、アイダホで知り合った小児科医のワトソンだ。真性のペドでジョージと気が合ったのだ。
 彼にはもしもの時のハードディスクの破壊を頼んでいる。

「あぁ、最高だぜワトソン。見てみろよ、この大腸の動きをさ」
「わからんよ」

 さすがのワトソンも、ジョージの内臓の調子を外見からは判断出来なかった。

「じゃあさ、直接触ってみるか?」
「――ッ! いいのか、ジョージ」

 ワトソンはゲイでもあった。ジョージの言葉をOKと受け止めたワトソンが、興奮のあまり服を脱ぎ出すと。

「ギャアアアア」
「わ、ワトソーン!」

 ワトソンの額が撃ち抜かれた。即死だ。
 ネベツネの雇ったスナイパーが、ジョージを殺そうとしたのだが、射線上にたまたま入ったワトソンに弾が当たったのだ。
 ワトソンの亡骸に崩れ落ちるジョージ、そこへロサンゼルス警察がやって来て、ジョージを逮捕する。

「俺は無実だ!」

 彼の言葉はむなしく響いた。
 ワトソン殺害だけでは無く、キャサリンへの婦女暴行の疑いもかけられた。

「あの人が無理やり……」

 涙ながらにかたるキャサリンに、陪審員達は同情した。ちなみにキャサリンは金を貰って嘘の証言をしたのだ。
 ジョージは実刑60年を言い渡され、刑務所へ収監される。
 刑務所は地獄だった。筋肉質だが弱気な彼は絶好のイジメの対象となっていた。
 しかし殴れば殴った方の拳が砕け、掘ろうとすると掘ろうとした方の竿が折れるという状況により、彼の周囲に人は近づかなくなった。
 孤独なジョージは脱走を決意する。刑務所に入って59年目の事だった。

「もう限界だ。俺は、俺は出るぞネベツネェェェ!」

 だが、もうネベツネは死んでいた。40年も前に。



 おしまい。



[29380] アイアン・ステッチ (長谷川千雨魔改造)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/24 20:24
アイアン・ステッチ(長谷川千雨魔改造)

「はぁぁぁ~」
 長谷川千雨は背中を書架に預けながら、深い溜息を吐いた。
 尻餅を突き、大股に開いた膝の間に顔を沈める。
 顔を上に向ければ、上空を飛びまくる光線の数々。それが薄暗いこの図書館島の奥底で、光を散乱させていた。
 耳朶を叩くのは衝撃音。
 光は物にぶつかると、激しい音と共に弾けるのだ。
「一体何なんだよ……」
 千雨は今、光線の嵐を、どうにか書架をバリケードにする事で防いでいた。幸い、図書館島のこのフロアには、本棚が溢れていた。
 天井を見上げれば、おそらく二十メートル以上、三・四階建ての建物ならすっぽり入ってしまいそうな広大な空間に、押し込む様に本棚が散乱している。
 千雨はその書架の森の中に、身を潜めていた。
 這いつくばりながら、本棚の端から光線の根源を見てみると――。
「ははははは、さぁどうです! 早く出てこないと、色々大変ですよ~」
 手から光線を放っている人影が、空中にプカプカと浮かんでいた。頭をすっぽり覆うフードに仮面、そして足元まで伸びるコート。奇妙な格好をした人間だった。
 自称「仮面の司書」らしい。景気良く手から光線を放っているが、どうにも当てる気があるのかすら分からない。むしろ台詞といい、どこかわざとらしかった。
「もう! 一体なんなのよ、あのカメンシショは!」
 千雨の隣で憤慨する声が上がった。
 背中まで伸びる赤い髪を、左右で束ねている。可愛らしい容姿の少女であり、十四歳である千雨よりも年下だ。
 だが恐ろしい事に、彼女こそが千雨のクラスの担任教師なのだ。
「なぁ、アーニャ先生。さっさと逃げない?」
「逃げる? 何言ってるのよチサメ! そんな事出来るわけないじゃない!」
 アーニャがガミガミとわめき出したので、千雨は耳を塞いだ。
 相変わらず頭上には光が飛び交っていた。
「本当に……どうしてこうなったんだか……」



     ◆



 思い出されるのは一ヶ月ほど前。二月の寒い時期
 新しい担任が来るとのお達しにより、クラスは賑わっていた。
 あれやこれやと様々な予想がされてたが、その多くが外れる形で新任教師はやって来た。
「アンナ・ユーリエウナ・ココロウァです。これから皆さんの担任をやらせて貰います。よろしくお願いします」
 練習したのだろう、ぎこちない挨拶ではあったが、イントネーションなどは流暢な日本語で挨拶をした。
 ペコリとお辞儀をすると、少女の長い髪が宙を舞った。
 アンナ――自称アーニャはなんと十一歳のイギリスから来た少女であり、なおかつ担任教師であるという。
 クラスは一気に騒がしなり、可愛らしい容姿のアーニャは揉みくちゃにされた。
 そんな中、長谷川千雨一人だけは、呆れた様に事態を見つめていた。
「いや、おかしいだろ」
 そんなツッコミも、誰に聞かれること無く虚空に消えた。
(まぁ今更か……)
 そう思いながら、千雨は視線を窓の外に向けた。彼女にとって理不尽などは慣れっこであり、自分に害さえ無ければいいのだ。
 話を聞けば、どうやら一ヶ月だけの研修という形らしい。それを聞けば少し納得する。このクラスは飛び級の天才児の実験台になっているのだろう、と邪推した。
 ともかく、千雨にすれば一ヶ月だけの我慢だった。幸い落第する程の成績では無い。副担任に源先生が入るらしいので、致命的な授業の遅延にはならないだろう。
 だが、千雨にとっての不幸はアーニャが単なる天才児では無く、彼女が魔法使いであったという点であった。
「え……」
「あ……」
 それは不幸な遭遇であった。
 人目を避けて校舎裏で本を読もうとしていた千雨と、人気の無いところで子猫の怪我を治そうと杖を振るったアーニャとかち合ったのだ。
 最初は何かごっこ遊びでもしてるのかと思ったが、アーニャの杖先から飛び出した光が、子猫の傷をみるみる治している光景に、千雨は目を見張った。
「……」
 一瞬の沈黙。
 アーニャが魔法を使っている所を見てしまった千雨は、見ないふりをして逃げ出した。逃げ出したといっても、結果的にはある理由で逃げられなかったのだが。
 自室に戻った千雨は、魔法の事を忘れるために、自らの趣味であるコスプレに精を出していた。
 寮の自室で、フラッシュをガンガンに効かせてアニメのコスプレ姿を撮影する。
「ちうだよ~!」
 甘ったるい声でポージングをする。ちなみに「ちう」とは、千雨ののネットアイドル時のハンドルネームだ。
 そんな至福の時、唐突なノックと共に自室のドアが開かれた。鍵が掛かってたはずなのだが、相手は合鍵を貰っていたのだ。
「え……」
「あ……」
 ドアから出てきたのはアーニャ。千雨とアーニャは再び硬直した。
 アーニャはどうやら職員寮で無く、女子寮に住むらしい。学園長曰く「同世代の者と一緒の方がいいじゃろう」と気を使ったらしい。確かに十一歳の少女が、一人異国の部屋に住むともなれば寂しかろう。
 だが女子寮には一人部屋が無く、必然アーニャは誰かと相部屋となる。そこで白羽の矢が立ったのは千雨だった。
 なにしろ千雨は二人部屋を一人部屋で使っていた。その理由も色々あるのだが、割愛する。
 何はともあれ、千雨とアーニャはルームメイトという関係になってしまった。
 着替えた千雨はアーニャと向かい合い、お互いの現状を一つ一つ話しあっていく。そこには件の魔法の事もあった。
 半信半疑な千雨だったが、アーニャが言うにはどうやら本物らしい。
 お互い落ち着いて話をすると、どうやら魔法は秘匿する必要があるとの事。一般人に魔法がバレると処罰があるらしいのだ。
「いや、じゃあ処罰されてこいよ」
 と千雨は言ったのだが。
「う、うるさいわね! いい、もし魔法の事バラしたら、この写真もバラ撒いてやるんだから!」
「あ、あーーーー! その写真は!」
 アーニャの手には千雨のコスプレ写真があった。先程の撮影時に、机の上に置いてあったプリントアウトした写真である。
 アーニャも千雨にとってコスプレが趣味であり、なおかつウィークポイントであるのを、早速察したらしい。
「わ、わかった! 魔法の事は忘れよう、うん」
「そ、そうよね。それが一番だわ。私もこの写真の事は忘れてあげる」
 そう言いながらも、ポケットに写真をしまうアーニャだった。
 こうして二人はお互いの秘密を握り合う、云わば共闘関係になったのである。



     ◆



 その後も千雨にとっては苦難続きであった。
 幾ら天才とはいえ、まだ子供。浅慮とも思える魔法の使い方をして、その度に千雨が尻拭いで奔走した。
 さらに悪い事に、尻拭いをする度に、千雨は魔法へと深入りしていってしまったのだ。
 千雨としては余計な事を聞きたくないのだが、同室であり魔法を知っているのもいい事に、アーニャはペラペラと余計な事を喋りまくったのだ。
「私ね、ここに魔法使いの修行として来たの」
「本当は大学出てないんだ。飛び級は本当よ、でも魔法学校の事ね」
「ここって認識阻害、って魔法がかかってるみたい。変なの」
「私の幼馴染のガキんちょがいるんだけどね、そいつも今修行中なのよ。しかも生意気に私より一歳年下なのに、二年も飛び級してるのよ、もう!」
「この麻帆良ってね、魔法協会の――」
「だぁぁぁぁあ、うるせぇぇぇぇ!!!」
 ってな感じで、千雨は一般人のラインの崖っぷちに立たされていたのだ。
 そしてアーニャの研修期間の終わりも近づき、残るイベントは期末テストという時期に事件が起きたのだ。
「クラスメイトが行方不明!?」
 何やらクラスでもバカで有名な一部の人間達が消えたらしい。千雨としては「どうせろくでも無い事企んでるんだろう」とか思ってた。何しろ消えた面子が面子だ、神楽坂やら長瀬など大人顔向けの身体能力であり、攫われるなどという事はありそうも無かった。
 それに色々話を聞いてると、図書館島の地下に向かったらしいタレコミが出てくる。
「生徒に何かあったのかも、行かなきゃ!」
 そう言いながら、アーニャは立ち上がって千雨の襟首を掴んだ。
「ちょ! おま! 何で私も連れていくんだよ!」
「何よ、チサメ! 私一人行かせる気!」
「当たり前だろ、私は一般人だぞ!」
 アーニャは話を聞かず、ズルズルと千雨を引っ張っていく。どうにか引き離そうとするものの、アーニャは体格の割りに力がすごいのだ。後で聞いた話によれば、どうやら肉体を魔力で強化してるとか何とか。
 とにかく色々あって、千雨は行方不明の生徒捜索のために、図書館島の地下まで連れて行かれたのだ。
 地下一階で見つけたのは、神楽坂の生徒手帳。それに益々確信を深めたアーニャは、千雨を抱えながら、本当の意味で脱兎の如く、図書館島を力の限り駆け抜けたのだ。
「ももももも、もっと、ゆゆゆゆゆゆっくりははは走れ!」
 肩に担がれた千雨は、ガクガクと絶え間ない震動に、喋る事すらままならない。
「え、何か言った?」
 対してアーニャは走る事に夢中で、千雨の事など気にしない。
 そんなこんなで、二人は巨大なアスレチックの様な図書館島を奥深くまでやって来たのだ。
 二人を出迎えたのは、空中に浮かぶ人影。自らを「仮面の司書」と呼ぶ、謎の人間だった。
「ふふふふふふふ、あなたの生徒は私が預かっています。返してほしければ、私を倒す事です」
 そんな事をのたまいつつ、仮面の司書は手から光線を放ったのだ。そして冒頭へと繋がる。


     ◆



 二人は相変わらず、書架を背に座り込んでいた。
「何なのよ、この魔法の矢の量は!」
 アーニャの言葉で、千雨はこの光線が魔法らしい事を知った。
「邪魔で近づけないじゃない!」
 アーニャは千雨の横でグチグチと文句を言い続けている。
 千雨はそんな中、どこか他人事といった感じで周囲を観察していた。
(あの魔法の矢だっけ、やっぱりなんかおかしいぞ)
 魔法の矢は壁や本棚にぶつかると、激しい音と光を放ったが、実際はそれだけだった。
 傷が無い――とまでは言わないが、せいぜい小さな傷がつくくらい。見た目よりもずっと威力が低そうだ。
(なんでこんな事してるんだ。あのわざとらしい台詞。確かアーニャ先生の目的って魔法使いの修行。もしかして――いや、考えるまい。これ以上首なんてつっこみたくないし)
 なんとなく仕掛けが分かった気がするが、千雨はそれを忘れようとする。
「こうなったらやるわよ千雨。私も嫌だけど、これしか無いわ」
「これって何だよ」
「仮契約(パクティオー)よ!」
「ぱ、ぱくてぃおー?」
 頭に疑問符を浮かべる千雨に対し、アーニャは簡単に説明する。
 要は魔法使いにとっての弱点となる詠唱をサポートするため、前衛となって守る人間と主従な契約をして、相互的に力を高めましょうよ、って事らしい。
 RPGゲームも嗜む千雨としては、おおよそ理解が出来た。
「つまりなんだ。私に戦士やらモンクやらみたいに戦えってーのか。無理! 絶対に無理!」
「それぐらい分かってるわよ。千雨の運動音痴っぷりは担任として知ってるわ。そうじゃなくて、ここで重要なのがあの魔法の矢なの」
 アーニャは頭上を指差す。未だに魔法の矢は途切れなく放たれ続けていた。
「私の得意技ってのはね、魔法を使った近接格闘なのよ。そうなると相手に近づかなきゃいけない。でもあれじゃ無理でしょ。だから――」
「だから?」
「チサメに囮になって貰おうかと」
 その瞬間、千雨はアーニャの頭を殴りつけた。
「ば、バカか! お前先生のくせに、何平気に生徒を囮にしようとしてるんだよ!」
「だってしょうがないでしょ! それに仮契約をするのはチサメを守るためなのよ!」
 話を聞くと、仮契約とやらをすれば魔力で体を守れるらしい。
「守るたって、それで私があの魔法の嵐の中を走れと。無理に決まってるだろう!」
「……でも、このままでどうすんのよ。これじゃあいつまで経っても終わらないじゃない。それにチサメ、今日見たい深夜あにめ、ってのがあるんでしょ」
「うっ……」
 千雨は言葉に詰まった。確かに今日、見たいアニメがあったのだ。ナイターの延長などで、放映時間が分からなかったため、予約録画もしていない。そう、早く帰って録画をせねば、今日のアニメを見損なう。
 千雨は意を決した。
「わ、わかったよ。その仮契約とやらする。『仮』って付いてるんだから、解除もできるんだろ」
「う、うん。そのはずよ、たぶん」
 アーニャはコクコクと頷きながら、ウェストポーチの中をガサガサと漁った。彼女のポーチの中には、魔法使いらしい気味の悪いものが沢山入っているのを、千雨は知っていた。
「あった!」
 アーニャが取り出したのは一本のチョークだった。
 チョークを持ったまま、魔法の矢に当たらないように背を低くしつつ立ち上がる。そして手に持ったチョークを地面に叩きつけた。
「おぉ!」
 千雨も思わず声を漏らした。
 アーニャの砕いたチョークは光を放ちながら、床に魔方陣を自動的に描いていく。円形の魔方陣はあっという間に書きあがり、淡い光が灯っていた。
「ほら、チサメ。入って」
「あぁ……」
 千雨は淡く光る魔方陣に、おそるおそるといった様に入った。
 そこで顔を赤らめたアーニャがコホンと一つ咳をする。
「えーと、じゃあ契約をするから。チサメ、目をつぶってて」
「ん? こうか?」
 アーニャの態度を訝しく思いつつ、千雨は目をつぶった。
「……」
 沈黙。アーニャからは魔法の詠唱も何も聞こえない。邪魔をするのも悪いと思い、千雨は目をつぶり続けてた。
 数秒ほど経った時、目の前の気配に動きがあり――。
「むぐっ!」
「~~~~~~~っ!」
 唇に感触。
 千雨は思わず目を開けば、アーニャの顔が目前にあった。
 千雨の唇と、アーニャの唇が重なっている。
 魔方陣の光がより強くなり、二人を包み込んだ。
「ぷ、ぷはぁ!」
 千雨はアーニャの体を跳ね除け、ぺっぺっと唾を吐いた。
「お、おいクソガキ! 何て事しやがるんだ!」
 さすがの千雨も顔を真っ赤にして起こっていた。
 対してアーニャも顔面を赤くして、涙目を浮かんでいた。
「な、何よ! 私だってファーストキスだったのよ! う、う~~~、幾ら自分で言ったからって、何で千雨にキスなんか……」
「それはこっちの台詞だ!」
 二人はおでこを突きつけあって唸りあってたが、やや冷静になれば馬鹿らしくなり、止めた。
「あぁ、もういいや。蚊に刺されたと思って忘れるよ」
「そうね、忘れましょ」
 そうして二人揃って溜息。
「ともかく、これでさっさと帰れるんだろ」
「うん、大丈夫。このアーニャに任せなさい!」
 アーニャはそう言いながら、手に何かカードを持っていた。
 カードの表面にはメガネをかけた千雨の姿が描かれている。それがどうやら仮契約の証の様だった。
「このカードを通して、チサメに魔力を送るわ。そうすればチサメも超人ばりの動きが出来るはずよ」
「へぇへぇ……」
 幾らおだてられても、千雨はこれから弾幕の嵐を走って、相手の攻撃を引き寄せねばならないのだ。気も重くなった。
 一応、魔法の矢がさほどの威力じゃない事も理解してたが、それでもあの中に入って行くのは気が引ける。
「いい、チサメ。あなたが飛び出した瞬間から魔力を送るから、そうしたら一心不乱に走ってね」
「あぁ、せいぜい頑張るさ」
 なにせアニメが掛かってるからな、とは言わない。
 アーニャと合図をし終わった後、千雨は書架の影から飛び出した。その姿が仮面の司書の射線上に入り、千雨に向けて魔法の矢が次々と放たれていく。
「契約執行15秒間! アーニャの従者『長谷川千雨』!」
 アーニャの詠唱と共に、千雨の体に熱いものが入ってきた。
 そして――。
「え? え? え? な、何だよこれぇぇぇぇ!」
 千雨が絶叫を上げて立ち止まってしまった。
 魔法の矢はすぐ近くまで迫っている。
「ちょ、何やってるのよ!」
 アーニャはそういうが、千雨は自らの左腕を、右手で押さえている。
「う、腕がぁぁぁ、腕が勝手に疼くんだぁぁぁぁぁ!」
「はぁ?」
 千雨がもじもじと体を捻りながら、必死に暴れる左腕を押さえようとしている。その姿は中学生特有の病気を発症した様な姿だった。
 そのまま左腕を押さえようと動いてたら、魔法の矢が千雨に直撃しそうになる。その時。
「うあぁぁぁぁぁぁぁl!」
 蠢いてた千雨の左腕、その手の平から細い光が飛び出した。魔力のレーザーともいえるそれは、直撃間近だった魔法の矢を破壊し、そのまま仮面の司書へと突き刺さる。
「へ?」
 手からレーザーが出たおかげで、どこかスッキリとした千雨は、もじもじと体を動かすのをやめていた。
 仮面の司書の顔面にレーザーがあたり、その仮面を破壊するのを、呆然と見ていた。
 仮面が割れた途端、仮面の使者は「あ~れ~」と言いながら落ちていく。負けっぷりまでわざとらしかったのだが――。
「や、やったぁ! チサメ、私達の勝利よ! さすが私達ね!」
「え、これって勝ったの?」
 アーニャには充分だったらしい。
 なんだか意味が分からなく、千雨はただただ呆然とするばかりだった。
 仮面の司書は「彼女らが監禁されているのは、そこの角を曲がった所にある階段の先です。ちなみに途中に鍵も置いてあります。ぐあ~」とか、説明台詞を吐きながら消えていった。
 その後、仮面の司書の通りの場所に向かうと、南国ビーチの様な場所に辿り着き、そこで勉強している行方不明者達を見つけ、一緒に地上へ出る事となった。



     ◆



「なるほどね」
 女子寮の部屋に戻った千雨は、即座にアニメの予約をして一息入れた。
 そこへ、学園長などに連絡し終わったアーニャが戻ってきて、なぜか千雨の身体検査をする事になったのだ。
「なにが「なるほど」なんだよ」
「決まってるでしょ。例のレーザーよ、レーザー」
 千雨ももちろん覚えている。数時間前に、自分の手の平から放たれた、不思議な光線。今は暫定的に『レーザー』と呼んでいた。
「でね、今千雨の体をザっと見て、その正体が分かったの」
「え、分かったのか」
「うん。なにせ私だからね~」
 フフン、と偉そうにアーニャは鼻息を荒くした。
「はいはい、天才乙。んで、どうしてなんだよ」
「ふふふ、教えてあげるわ。ずばりチサメ、あなたの体は――」
 千雨は多少緊張した。
「魔力経路が細いのよ! それも洒落にならないくらい!」
「ふーん……」
 良く分からなかったので、千雨のテンションは一気に落ちた。
「え、もっと驚きなさいよ!」
「いや、驚けつっても、意味分からないし……」
 そこでアーニャは図を書いたりしながら、色々と説明し出した。
 要点を言えば、魔力を体に通す経路、つまり魔力にとっての血管の様なものが、千雨は極端に細いのだという。
 そして、そんな中にアーニャの潤沢な魔力が注ぎ込まれてしまい、本来なら千雨の魔力経路はズタズタになるはずだったらしい。
「こ、恐いこというな!」
「いや、ほら。チサメ、あの時もじもじしてたでしょ。たぶんあれ、魔力が注ぎ込まれて、体中の経路に負担が掛かってたのよ」
 だが、なぜか持ちこたえてしまった千雨の魔力経路は、どうにかアーニャの魔力を押さえ込んだらしいが、おかげでとんでもない密度に魔力が圧縮されたという。
「そう、私不思議に思ったのよね。あれだけの威力がありながらも、魔法っぽく無いんだもん。あのレーザーって、恐らく密度の高い魔力を、そのまま放り投げただけよ」
 圧縮された魔力が、千雨の左腕に集まり、最終的には手の平から発射される。それが一連のプロセスの様だった。
「チサメ、確か左利きでしょ。だから左手から発射されたんだと思う。魔法って手の平から出すことが多いのは、普通に生活していく上で手を使う機会が多いからなの。そうすると自然に手の平、特に利き腕側に魔力経路の出口が出来上がっちゃうの」
 アーニャの長々とした解説を聞き、千雨は今日何度目になるか分からない溜息を吐く。
「リアル邪気眼かよ……」
「ジャキガン? 何それ」
 アーニャはさっぱり分からないという表情をしていた。
「でもチサメってレアね~。驚くべき魔力の少なさよ」
「私ってそんなに少ないのか?」
「うーん、正直あんまり気にしてなかったんだけど、改めて見るととんでもなく少ないわよ。一般人を10とすると、チサメは1くらい。私は大体200の前後って所かしら」
 余りの少なさに、千雨は唖然とする。
「普通はね、少ないっていっても5~6前後あるのは当たり前なの。なにせ生物には多かれ少なかれ魔力ってのが必要だから。でも1前後ってのは前代未聞かもね。ある意味すごい才能よ。絶対に魔法使いになれないわ」
「なりたかねーよ!」
 馬鹿にされている様で、千雨は悪態をついた。
「うーんでも、これで千雨が認識阻害にかかり難いのも分かったかも。体内にある魔力って、多かれ少なかれ魔法の行使に影響があるのよ。千雨が認識阻害にかかり難いのは、魔力が少なすぎるからね」
 そんな事をアーニャは得意気にいってたが、千雨は心底どうでも良かった。
 ただ、ほんの少し、ほんの少しだけ憧れていた『リアル魔法少女』の道が完全に閉ざされた事だけを知った。



     ◆



「あとこれ渡しておくわね」
「あ、これって例のカード」
 アーニャに渡されたのは一枚のカード。カードは二枚あり、マスター用と従者用らしい。
 そしてこのカードがあれば、お互い念話とやらが出来るとの事。
「電話代がかからない携帯電話か。ネットは出来ないのか?」
「出来るわけないでしょ!」
 更に、このカードを使って『アデアット』と言えば、なんと魔法の道具『アーティファクト』という物が出るとの事。
「おぉ! すげぇじゃん!」
 千雨もちょっとわくわくし出した。
「よし、『アデアット』!」
 ポワン、という音と共に、カードが姿を変えた。
 現れたのは、フチ無しのメガネだった。
「え……メガネ?」
 千雨はメガネといえど、なんかすごい能力があるのじゃないかと、色々見たが、やはりメガネにしか見えない。
 もう一枚のカードの表記を色々見ていたアーニャが突如噴出した。
「ぷっ! プハハハハハ! チサメ、さすがね」
 アーニャはベッドに倒れながら、お腹を抱えて笑っている。
「お、おい! 一体何がおかしいんだよ!」
「ぷふふふ、そのアーティファクトの名前はね『悠久で健やかなる眼鏡(がんきょう)』っていうの」
「おぉぉ、なんか凄そうな名前だな」
 アーニャは目尻に溜めた涙を指ですくいながら、説明を続ける。
「まず、そのメガネをかけた後、右耳の上辺りのフレームを擦ってみて」
 千雨はいそいそとメガネをかけて、アーニャの言うとおりにした。
「おぉぉぉ、すげーー! ズームになるぞ!」
「で、あと左耳の上を擦れば元に戻るわ」
「おぉぉぉ、本当だ! ……で?」
 千雨は先を促した。
「えーとね、確か、フレームから溢れる魔力で、首元の筋肉やら肩をほぐす効果があって、首コリ肩コリにならないらしいわ」
「おぉ、それもすごいな! ……で?」
「うん、それだけ」
 千雨はそのまま地面に突っ伏した。
「ちょ、ちょっと待てよ! アーティファクトとか言うからさ、なんかすげーの想像したら、単なる健康メガネじゃねーか!」
 千雨はアーニャににじり寄って文句を言う。
「だって仕方ないでしょ。仮契約なんてほとんどノーリスクなのよ。それなのにすごいアーティファクトなんて出るわけないじゃない」
「う……」
 千雨とてこのメガネをタダで貰ったのだ。確かに文句を言う筋合いは無いかもしれない。
 ちなみにメガネのズームの倍率は、三世代くらい前のデジカメレベルである。
「そのアーティファクトも、魔法の教科書に出てくる代表的なアーティファクトよ。大体仮契約って、ノーリスクな上に、制約もほとんど無いのよ。だから一人で十人と契約なんて事が簡単に出来ちゃうの。そんな中ですんごいアーティファクトが容易に出てきたら大変でしょ。悪いやつが使えば、インスタントで兵士が沢山作れちゃうじゃない」
 千雨としても、それには納得が出来た。
 アーニャが言うには、仮に十人のグループがあり、十人が片っ端から仮契約を結んでいけば、グループ内で各自九個ものアーティファクトが貰える計算になる。そして、その九個の中に一つでもすごいアーティファクトがあれば、様々な悪い事が出来るだろう、と。何より仮契約は「誰でも出来る」のだ。もちろん、魔法使いが一人でもいればの話だが。まさに無尽蔵に兵器を量産出来るといっても過言じゃない。
「わけわかんねぇな、ファンタジーは」
「まぁそんなわけで制限かけられてるのよ。ある程度の実力者がやらないと、ロクなの出てこないわよ。一応、主従の資質なんかも関係あるらしいけど、チサメじゃあねぇ~」
 ニヒヒ、と笑うアーニャ。
「いや、主従って言ったらお前も含まれてるだろう」
「う……」
 お互い固まる。
 そして――。
「ネットでもやるか……」
「私お風呂はーいろ」
 千雨はパソコンに向かい、起動ボタンを押す。対してアーニャはお風呂セットを持って部屋から出た。部屋にも備え付けのシャワーがあるが、アーニャは最近大浴場がお気に入りだった。
 二人ともアーティファクトは気にしない事にした様だ。
 しかし、千雨はふとアーティファクトのメガネを持ち上げると、手の平に置いてじっと見つめた。
「へへ、でも魔法の道具か~」
 ニヘラ、と笑う。どうやらなんだかんだ言いつつ、アーティファクトは嬉しかったようだ。
 だが、千雨は知らない。
 自分が一般人の崖っぷちから一歩を踏み出してしまった事を。
 新学年になってもアーニャが本当の担任になり、麻帆良にいる事を。
 春先に、吸血鬼エヴァンジェリンが自らの呪いからの開放を賭けて、麻帆良に存在する魔法使い全員に果たし状を送りつけた戦い『大停電バトルロワイヤル』に巻き込まれる事を。
 一学期の中盤に修学旅行で京都に行き、旅館の風呂でアーニャが間違って持ってきた惚れ薬をかぶり、クラス全員と仮契約するはめになる『長谷川ジゴロ事件』を巻き起こす事を。
 そして、京都で鬼神リョウメンスクナノカミが現れ、それに対抗するために奈良の大仏の封印を解き、京都全域を炎上させる『大仏VS鬼神、京都炎上事件』の中心にいる事を。
 一学期終盤の文化祭で、未来人超鈴音の計画に巻き込まれ、鬼神の呪いにより、アーニャと二人で幕末の京都にタイムスリップする事を。
 そこで明治維新の手伝いをしつつ、炎上する京都で再び鬼神と対峙する事を。
 長谷川千雨はこの時点でまったく知らなかったのだ。



 つづかない。





あとがき

 「千雨の世界」の合間に書いてみた、千雨魔改造です。
 邪気眼兼サイコガンで魔改造です。ヒュー。
 もちろん続きません。
 感想をひっそりと待ってます。



[29380] アイアン・ステッチ2~長谷川ジゴロ事件~
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/24 20:34
アイアン・ステッチ2~長谷川ジゴロ事件~



「お風呂~、お風呂~」
 京都の旅館の一室。千雨の背後では嬉々としてお風呂の準備をするアーニャの姿があった。
「呑気だよなぁ~、アーニャ先生は。あんな事があったのにさ。……まぁ、私には関係無いか」
 千雨もお風呂の準備をしながら、今日の出来事を思い返した。
 四月某日。
 千雨達のクラスは無事三学年に進級し、修学旅行のため京都に来ていた。
 本来なら和気あいあいと進むはずの旅行であったが、京都に着いた途端、謎の女性『天ヶ崎千草』に一方的な宣戦布告を受けてしまう。
 京都駅に着いて観光バスに乗り換える間、3-Aのクラスの前に現れた天ヶ崎千草なる女性は、クラスメイトの桜咲刹那に対し「木乃香お嬢様は我々が頂く、返して欲しくばお前が来い」などという謎の宣告をするのだった。
 その後、突如京都駅に現れた大量のちっちゃい妖怪の数々に、クラスメイト含む多くの人々が混乱した。
 その混乱している間に行なわれた近衛木乃香を巡る攻防を、千雨は他人事の様に眺めていた。
 多くのクラスメイトは、足元に現れた低級妖怪なるものに「きゃー!」とか「わー!」とか言いながら、半笑い半泣きといった感じで慌てふためくばかりだった。
 そんな中、千雨は大したもので、足元にまとわり付く妖怪を、足裏で踏み潰し、蹴り倒し、まるでハエでも叩き潰すかの様に見事に追っ払った。
 千雨とて、つい数週間前にあった激動の『大停電バトルロワイヤル』を生き残ったくちだ。神経は図太く成長していた。
 ちなみにあの夜、絡繰茶々丸の攻撃を肛門で受けてしまったガンドルフィーニ先生は、未だ入院中だそうだ。傷自体は魔法で治療されたものの、PTSDを発症したとか何とか。
 そんなこんながありつつ、3-Aの武闘派の面々に追い返された天ヶ崎千草だったが、その後も彼女の妨害と思わしき所業は続く事になる。
 能天気な3-Aの面々は天ヶ崎の所業を頭の隅に追いやりつつ、軽快にバスに乗って京都の観光名所へと出向いた。その先々でもやはり色々とあったのだが割愛。
 夕方、千雨達はクタクタになり旅館に辿り着いたのだ。
 その後、夕食で日本旅館お決まりの和膳に舌鼓を打った。
 そして、現在は丁度部屋で一休みをし、入浴の順番待ちをしている所だった。
 ちなみにアーニャはこれまた千雨達との同室であった。相変わらずのいい加減ぶりである。
「これと、これと、あとこれでしょー」
 フンフンと、鼻歌混じりにアーニャは風呂の準備をしている。
 アーニャはわざわざ持ってきたマイ洗面器に、色々なボトルを入れていた。同室の千雨はそのボトル類が、アーニャ自作の魔法薬なのを知っている。
 寮の自室には、千雨の撮影器具だけでは無く、最近はアーニャの実験器具まで置くようになっていた。薬やら何やらを自作するのは、アーニャの趣味らしい。
 千雨もアーニャの作った魔法シャンプーを使わせて貰った事あるが、使った時の余りの効果に驚いたのは記憶に新しい。風呂上りの髪はツヤッツヤになり、翌朝にもキューティクルが消えない程であった。
 まさに『魔法』。
 千雨としては魔法の有用性をやっと実感したのが、この魔法シャンプーだったりする。
 そんな事を思いつつアーニャを見てると、洗面器にいつも持ち歩いているポーチも入れ始めた。
「おいおい先生。そのポーチまで持ってくのかよ。大事なもんなんだろ、濡らすぞ」
 ポーチの中に色々なマジックアイテムが入っているのを千雨は知っていた。されど、今部屋には魔法を知らない雪広あやかを含む数人が一緒にいる。「魔法」とはさすがに口に出さなかった。
「ふふーん、心配無用よチサメ。これね、完全防水なの。すごいでしょ」
 中には様々な香油なども入ってるらしい。
 おそらく魔法による何かしらの措置が為されてるのだろう。自慢げなアーニャだが、千雨からすればそこらへんで売ってるビニールポーチ程度にしか思えなかった。
「それは凄いな、うん」
「でしょ、でしょー!」
 その時、部屋の入り口に女性が立った。クラスの副担任の源だ。
「アーニャ先生。A組の入浴の時間になったみたいですよ。クラスの皆に知らせてきてください」
「はーい、源先生!」
 アーニャは洗面器を持ったまま、パタパタと走り出した。彼女はどうやら、日本に来てから大きなお風呂が気に入ったらしく、今回の旅行も旅館のお風呂を楽しみにしていたようなのだ。
 他のクラスメイトに知らせるべく部屋を飛び出したアーニャを、同室の面々は暖かな視線で見つめていた。
「まぁまぁ、アーニャ先生それほどお風呂が楽しみでしたのね」
 などと千雨の後ろで委員長のあやかが喋っていた。
 千雨も風呂は嫌いでは無いが、そこまで楽しみなものでは無い。むしろクラスメイトと一緒に入るとなると、少し気が引けた。
 だが、さすがに入らないわけにもいかないので、着替えやタオルを持ち、千雨も立ち上がった。



     ◆



「うわー、おっ風呂ー!」
 脱衣所からいち早く抜け出したのは鳴滝姉妹……とアーニャだった。先生なのに、生徒と混じって飛び跳ねながら浴場に突入している。
「おいおい、誰か止めろよ」
 千雨の呟きに対し、幾人かの視線が千雨に返された。
 「それはお前の仕事だろ」と暗に言っているのだ。なんだかんだで、千雨のクラス内では「アーニャ先生の保護者」という認識をされていた。
 実際の所、アーニャにコスプレ写真を握られ、嫌々世話を焼いていたのだが、多くの面々は子供先生を甲斐甲斐しく世話する少女に見えたらしい。
 湯船に浸かる前に軽く体を洗う。アーニャも女子寮で日本式の風呂の入り方を学んでいたので、同じように体を洗っていた。
 そしてとっぷりと湯船に浸かる。
「ふひゃ~、染みる~」
 あご先まで湯に浸かったアーニャが、とろける様な声を出した。
「なんか親父くさいよな、アーニャ先生って」
 対して千雨は肩までお湯に浸からず、浴槽の淵に腕を出していた。
「あ、そうだチサメ! 頭洗ってあげようか!」
「えぇ、いいよ。つか、なんで私がアーニャ先生に洗って貰わなきゃいけないんだよ」
「今回ね、新作のシャンプー作ってきたんだ! チサメの髪で試してみたいの」
「うげぇ、実験台かよ。ご免だね」
 苦虫を噛み潰した様な表情で、千雨はプイと顔を背けた。
「むふふ、チサメだって私のシャンプー褒めてたでしょ。今度のはピッカピカでツヤツヤでテカテカになるよ!」
「ピッカピカでツヤツヤでテカテカ……」
 アーニャの売り文句に、千雨は少し反応する。
「そそ、ほらチサメ、上がって上がって」
 アーニャは千雨の肩を掴み、湯船から出そうとする。
「い、いや~、しょ、しょうがねぇな。そこまで言うなら」
 千雨も口では仕方ないといった風だが、興味深々の様だ。
 アーニャに促され、シャワーの前に座らされる。アーニャは持ってきたマイ洗面器を持ち出し、何やらボトルをゴソゴソと漁り出した。
「あ、あった! よーし、じゃあ行くわよ~」
 千雨の髪を濡らし、アーニャは自作のシャンプーをドボドボとかける。そして髪をゴシゴシと洗い出した。
「あぁ~、いい感じだぜ、先生」
 千雨は目を瞑って、頭を洗ってもらう感触に身をゆだねた。チラリと薄目を開ければ、目の前の鏡越しに、千雨の背後で一生懸命頭を洗っているアーニャが見えた。
(こういうのも悪くは無いよな)
 何か妹が出来た様な感覚に、千雨は少し嬉しくなった。
 一通り髪を洗い終わり、お湯で流すと、千雨の髪はいつも異常にツヤツヤになっていた。
「おぉ、すごいじゃん」
「でしょー!」
 素直に褒めれば、アーニャはニコニコと笑った。
「なんや、アーニャ先生。これって先生の自作なん?」
 千雨の隣で体を洗ってた近衛木乃香が、興味深そうに聞いてきた。
「そうよコノカ。メイド・バイ・アーニャの自信作なの。使ってみる?」
「えぇんか?」
「うん、いいわよ。まだそこそこ量はあるし」
「ほな、ちょっと使ってみるわ~」
 木乃香はアーニャに渡されたシャンプーで髪を洗い始めた。
「あ、そういえばあと仕上げがあったわね」
 今度は自作のトリートメントを出して、千雨の髪にかけようとするが……。
「あっ!」
 アーニャの「しまった」と言わんばかりの声が上がる。
 手に持った小さなボトルは、奇妙な色の液体をトプトプと千雨の髪に垂らしていた。
「ちょ! な、何だよその反応! 何を私の髪にかけたんだよ」
「だだ大丈夫よチサメ。うん、ほんの少し髪の色が変わる液体だから。すぐに中和液出すから!」
「ちゅ、中和って何だよ!」
 アーニャはゴソゴソとポーチを漁るが、なかなか目当てのものが見つからないらしい。
 苛立った千雨は背後を振り返った。
「えーと、これでも無い! これでも無い!」
「ちょっと、アーニャ先――」
 ポーチから取り出した幾つもの小瓶。その一つがアーニャの手を滑り、空中で蓋が開いてしまう。千雨はその小瓶に収まった液体を顔で浴びてしまう。
「――うわっぷ! ペッ、何だこれ、苦い!」
「う――」
 ころころと足元を転がる小瓶を見て、アーニャは固まった。瓶にはラテン語で『惚れ薬』と書かれていた。
 これはアーニャが以前試しに作った試薬品だ。
 もちろん人間用では無い。魔法生物の家畜の繁殖用に使われる薬であり、アーニャがかつて飼っていた使い魔を交配させるために使用した残りでもある。
 本来人間には無害なものだった。例え服用しても、異性に対してわずかに好感が上がりやすい程度のものだ。
 だが、この惚れ薬を飲み込んでしまったのは千雨である。
 魔力経路が極端に細い千雨は、効力の薄い魔法薬でさえ、体内でとんでもなく凝縮してしまった。本来異性にしか影響を与えないはずの効果を、同性に与えるほどに。
 その時間僅かに五秒。
 数千倍に圧縮された惚れ薬は、千雨の体からフェロモンとして体外に排出された。
「けほっけほっ! うぇぇ気持ち悪い。おい、アーニャ先生、こ――」
 アーニャがズイっと顔を寄せてきた。頬は紅潮し、瞳は潤んでいる。
「チサメ! 私と仮契約して!」
「ちょ、お前何言ってるんだよ!」
 千雨がキョロキョロと周囲を見渡せば、クラスメイトのほとんどがボーっとした顔でこちらを向いていた。千雨は顔をアーニャの耳元に近づけた。
「おい、何いきなり言ってるんだよ。ここは人目があるんだぞ、魔法に関する事を言うなよ。それに仮契約はとっくにしただろ」
 千雨はアーニャの耳元でボソボソと呟く。対してアーニャは耳元に当たる千雨の吐息に、頬の赤味を強くした。
「……あっ。ち、違うの、私はマスターじゃなくて、チサメの従者になりたいの! 全部チサメのものになりたいの!」
「はっ、はぁぁぁぁぁぁ?」
 アーニャが急に大声でわめき出した。その行動に千雨は驚き、目を見開いた。
「ほらチサメ! 来て!」
「うわ、何すんだ、離せ!」
 アーニャの怪力で、千雨は洗い場の中央までズルズルと連れて行かれてしまう。その間、クラスメイトは無言で千雨を見つめていた。
 アーニャはそこで持ち歩いていたポーチから、仮契約用のチョークを取り出した。
「えい!」
 前回と同じくチョークを床に叩きつけ、仮契約用の魔方陣を作る。そして千雨を主として設定した。
 千雨も逃げ出そうとするものの、その四肢をクラスメイトに押さえられた。
「え?」
 右手を見れば、同じ班の那波千鶴がいた。
「長谷川さんの手。良く見れば綺麗ねぇ……」
 千鶴は千雨の手の指一本一本を艶かしく触った。くすぐったい感触に、千雨は声を上げようとするが――。
「ひぐ!」
 左の太ももに違和感。
 今度は木乃香が千雨の太ももに頬擦りしていた。
「千雨ちゃんの肌、気持ちええわぁ~」
 それだけでは無かった。
「千雨ちゃんの髪可愛い」
「長谷川殿の体、引き締まってるでゴザルなぁ」
「長谷川の事見てると、頭がボーッとなるアルよ」
 クラスメイトがぞろぞろと千雨の周りに集まっていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待てぇぇぇ! お前ら頭沸いてるのか! 助けろ、私を助けろよ!」
 千雨は騒ぐが、周りの誰もが相手をしない。それどころか――。
「おい、アーニャ先生――ムグ」
 アーニャが千雨に覆い被さり、口付けをした。魔方陣が輝き、空中にカードが現れる。
 今度は主従逆転した形で、アーニャとの仮契約が成された。
 しかし前回とは違い、口付けは長い。アーニャの舌が千雨の口内を弄り、千雨は半泣きで目を見開いていた。
 ちなみに仮契約とは、仮契約用の魔方陣で精霊によって呪的ラインを構築する作業である。
 その際、仮契約用の精霊は唇による粘膜接触により、ラインの構築の合否を決めているのだ。
 だが、唇同士の接触で無くでも、不完全な形での契約は出来た。その場合は正式な仮契約のカード、『パクティオーカード』は現れず、通称『スカカード』というものが現れた。
 何が言いたいのかと言うと、アーニャとのキスの間、千雨の肌に唇を付けているクラスメイトにより、空中にはひっきり無しにスカカードが現れていた。
 アーニャは満足したのか、唇を離した。二人の間には唾液の糸が引いていた。
 疲れたのか、そのまま千雨に伸し掛かるようにアーニャは倒れて、気を失った。
「おぉぉい! 何寝てるんだクソガキ! いい加減目を覚まして私を――」
「……」
 今度はどこか口数の少ないザジ・レイニーデイが、アーニャを押しのけて千雨に口付けをしてきた。
「――――ッ!!」
 千雨は声無き悲鳴を上げる。
 頭上にまたパクティオーカードが現れた。
 ザジも数秒経つと満足したのか、倒れてしまう。
 どうにも濃縮した惚れ薬が千雨との粘膜接触を通して直接体内に流れ込み、その刺激の強さゆえ失神してしまう様だった。
 この時の千雨は、もちろんそこまで分からない。だが、周囲のゾンビの様な群れが、自分の唇により倒せる事が分かってしまった。
(これってやっぱりさっきの液体の効果なのか? それに……おいおい、嘘だろ……これしか方法無いのかよ)
 見れば、長瀬楓も龍宮真名も桜咲刹那も大河内アキラも、千雨に縋りつこうと這い寄ってきてる。
 どれもがクラス内で超人と恐れられている生徒である。
 彼女らを千雨が自力で撃退出来るとは思えない。それに逃げられるとも思えなかった。
 ならば、やる事は一つだった。
「ち、ちくしょー、お、覚えてろよぉ!」
 千雨は覚悟を決める。
 その後、浴場からは嬌声が響き続けた。
 旅館の女中も、修学旅行生がうるさいのはいつもの事、と特に気にしなかった。



     ◆



 三十分後。
 そろそろ次のクラスが入浴のためにやって来るだろう時間に、浴場の引き戸が開かれた。
 そこから出てきたのは全裸の千雨だ。
 ふらふらとしながら、壁にもたれる様にして立っている。
 見れば普段は白いはずの肌が、真っ赤なまだら模様になっていた。白が三、赤が七という割合である。
 千雨は無言のまま、脱衣所に置いておいた浴衣に着替え、浴場を後にした。
 ちなみに浴場には千雨を除く3-Aのクラスメイトと、アーニャが全裸で倒れていた。そして、その横にはカードの山が出来上がっていた。
 パクティオーカード42枚。(うち、ダブリ15枚)
 スカカード921枚。
 それが本日の長谷川千雨の戦果であった。大戦果である。
 千雨は出来るだけ先程の出来事を思い出さないように、自室まで歩いた。
「あら、長谷川さん。他のクラスメイトはどうしたの?」
 副担任の源が千雨に話しかけてくる。
「……みんなまだ風呂じゃないですかね」
 千雨は素っ気無く返した。そのまま自室に入っていってしまう。
 源はキョトンとしながら、千雨の反応に首を傾げた。
 自室に戻った千雨は、押入れにあった布団を引きずり出し、一人で布団に入ってしまう。
 そして布団の中で唸り声を上げた。
「あ~~~~~ッッ!」
 ゴロゴロと布団で転がり、目尻に涙を溜め、その後疲れたのか寝入ってしまう。
 次の日、千雨は意外とあっけらかんとしていた。自分の痛い過去をうまく処理する、千雨の処世術でもあった。
 ちなみにアーニャの風呂の経緯を説明した所、アーニャからの謝辞があったりした。その時教えて貰ったのが、惚れ薬による記憶の混乱であった。おそらくあの薬の効果のあった人達は、薬が効いていた時の記憶が無いだろうという説明である。なにせアーニャも昨日の事はうろ覚えらしい。なんとも都合の良い効果だなー、とか千雨は思った。
 だが千雨は知らなかった。
 アーニャが髪にかけた薬の効果で、数日後に千雨の髪の色が緑になり、「なんだ、この間違ったキャラデザ変更した様な髪の色は!」と嘆くことになる事を。
 クラスメイト内で、おぼろげに風呂の記憶が残った人々により、千雨のファンクラブが立ち上がる事を。
 アーニャが『アフラマズダー様がみてる』なるライトノベルに手を出し、千雨の事を『お姉さま』と呼び始める事を。
 実は桜咲刹那が鳥人のハーフであり、なおかつ背中の羽の封印を解くと、股間からおにゃんにゃんが生えてくる両性具有である事を。
 更に天ヶ崎千草が、ショタコンであり、幼少の時から刹那に懸想していた事を。
 そして刹那が木乃香と共に麻帆良に出奔した事を、勝手に駆け落ちと勘違いしていた天ヶ崎千草の怒りの矛先が、刹那と仮契約してしまった千雨に向く事を。
 京都から帰って来た折、千雨を巡ってクラスの人間関係がギスギスする事を。
 後に、仮契約を解除しようとするものの、千雨の周囲には千本近い呪的ラインが構築され、それらがクラスメイト中に混線し、解除が不可能である事を。
 長谷川千雨はこの時点でまったく知らなかったのだ。



 つづかない。





あとがき

 二話では無く、2(ツー)です。
 今度こそつづかないはず。
 時系列関係無く、要所だけ切り取りました。
 感想をひっそりと待ってます。



[29380] 追憶の長谷川千雨 1 (千雨魔改造)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/21 00:54
※この作品は「千雨の世界」と微クロスしてます。電波を受信したとか、そんな感じのクロスです。


   追憶の長谷川千雨 1



 彼女、長谷川千雨はある記憶に苦しんでいた。
 なにも彼女の部屋にある、痛々しいポエムや日記、更にはコスプレ写真についての記憶ではない。
 彼女にあるのは、不思議な世界での記憶だった。
 千雨の両親が殺され、彼女は肉体改造を受けたあげく、昔住んでいた麻帆良に戻ってくるという記憶だ。荒唐無稽も甚だしい。
 だが詳細ははっきりとはしない。おぼろげに様々な人々が見え、断片的なワードが脳内にちらつく程度だ。
 クラスメイトの大河内アキラや綾瀬夕映と共に、様々な事件へと立ち向かう。その際に小さなマスコット風のネズミや、メガネに白衣を着たあからさまな科学者風の人間も出てきた。

「漫画かよ」

 チープで良くあるバトル漫画の主要人物の様だ。
 記憶、と言うのには語弊がある。これを正確に言うのなら『妄想』と言うのだろう。もしくは『夢』だろうか。
 なにせ千雨の両親は健在だし、大河内とはろくに話をした事が無い。綾瀬は席が近いだけあり、挨拶くらいは交わすものの親しいとは言えないだろう。ネズミやエセ科学者に至っては、まったくと言って知らない。
 故に長谷川千雨はそれを『夢』と結論づけた。
 ときおり見てしまう不可思議な夢、本来ならすぐ忘れてしまうのに、余りに印象が強すぎて覚えてしまう。そんな感覚なのだろう。
 自分が大河内や綾瀬と共に、麻帆良を騒がす猟奇殺人の犯人を倒す、など夢想でしかない。

「だってなぁ」

 麻帆良学園、女子中等部の寮の自室で、千雨はパソコンチェアに座りながら、近くにあったテレビの電源をつけた。
 そこに映るのは、最近麻帆良で話題となっている猟奇殺人事件の報道ニュースだ。
 ニュースではスタジオ内で事件の経過が、フリップを使って説明されている。千雨からすれば耳からタコがでるくらい、聞き飽きた報道内容だ。
 確か、事件は今年の文化祭の終わりくらいだろうか、夏休みの少し前に麻帆良市内で女性の手首無し遺体が発見された。
 警察の発表によれば、死因は第三者によると思われる外傷――つまりは殺人事件だ。
 麻帆良は騒然とし、報道陣が一気に押し寄せた。被害者はウルスラ女子の高校生らしいが、千雨の通う女子中等部にも報道が押し寄せた。
 学校では「インタビューに答えないこと」と生徒に厳命を出し、寮との登下校には集団登校が義務付けられた。休みの日の一人での外出も禁止とされた。
 とは言っても、夏休みになった途端、ほとんどの生徒が実家に帰省してしまうわけだが。
 その後、犯人の音沙汰は無く、テレビでの報道も減る一方。集団下校は続いていたが、その事件は徐々に忘れられていく事となる。
 だが、一ヶ月ほど前の十月に事態は一変する。また新しい遺体が発見されたのだ。
 同じく手首の無い遺体、警察の発表によれば同一犯との見方だそうだ。
 再び麻帆良は混乱の渦となり、件の報道陣がまた帰って来た。
 ニュースの映像は麻帆良市内を映している。千雨も見覚えのある通りだった。

「あそこでの買い食いも、なかなか出来そうにねーな」

 お気に入りのクレープ屋が映ったが、この寮からは距離がある。よく休みの日に、買出しがてらに寄っていた店だ。
 千雨の『夢』は昨日朝起きた時に、いつの間にか脳内へそっと入り込んでいた。思わずベッドで三十分ほど固まってしまった程だ。
 しかし、冷静に考えれば『夢』も理解できる。その内容は一部を除き、千雨の周囲にあるものを寄り合わせて作られているからだ。

「クラスメイトに、殺人事件ねぇ」

 思わずニュース番組に悪態をつきたくなる。「お前らが毎日殺人事件なんか報道してるから、あたしが悪夢を見てしまう」と。
 テレビを見ていたら苛立ちが募ってきたので、その電源を落とした。

「――ったく。それよりネット、ネット」

 カタカタとキーボードの音だけが室内に響いた。机の上にはデスクトップパソコンが一つ。
 女子寮は相部屋だ。千雨の部屋も例外では無いが、部屋にいるのは千雨一人だった。
 もう一人の住人は部屋に帰ってこない事が多く、ベッドや私物が幾つかあるものの、ほとんど千雨の一人部屋だった。

「んー、やっぱアクセスの伸びがいまいちだな。少しブログのデザインも変えてみるか」

 余り友達のいない千雨は、ネットにはまり込んでいた。趣味が高じてついにはコスプレにも手を出してしまっている。
 以前、目線で顔は隠したものの、コスプレした画像をネット上に投稿してら、予想以上の反響があった。
 褒められるその気持ちよさといったら、想像以上の快感だった。
 よって、千雨はネットアイドルになろうと決意する。

「でも、にわかにゃなりたくない。なるなら一番だ、うひひひ」

 気味の悪い笑い声を上げながら、ブログのデザインをイジるために、テキストエディタを起動してソースをいじっていく。
 凝り性な性格により、千雨はネットアイドルの下準備として、様々な専門知識を獲得していった。そこそこのプログラムも最近ではすぐに組める様になったし、ブログのデザイン程度ならわざわざ実物を見なくてもプログラムソ-スだけで理解できるぐらいだ。
 現在は実験的にブログを立ち上げて、様々な事を試していってる。
 来年、ネットアイドルとしてデビューした際に失敗を犯さない様にするためだ。
 その日の夜、寮の一室では不気味な笑い声がひっそりと響き続けていた。



     ◆



 明けて月曜日。
 ねぼけ眼の千雨は、伊達メガネの下から手を突っ込み、目元をグジグジと擦った。

「――あふ」

 あくびをなんとか噛み殺すも、その吐息までは消せない。
 朝のホームルームに間に合うように2-Aの教室に辿り着き、ふらふらしながら自分の席へと向かう。

「おはようございます、長谷川さん」
「ん、あぁおはよう、綾瀬」

 隣の席の綾瀬夕映と目が合い、挨拶をする。
 挨拶をするだけすれば綾瀬の興味は失せた様で、彼女は同じ部活のクラスメイトの輪へと入っていった。
 千雨は頬杖をつきながら、先日の『夢』を思い出した。

(やっぱり夢だよなぁ)

 『夢』の中では綾瀬はいたく自分にご執心だったらしい。
 とは言っても、千雨にその〝ケ〟は無い。男性同士のものなら多少二次元で嗜むが、正直リアルでそんなのはご免だった。

(つか、ありえねぇだろ。女同士って……)

 眠気も合わさり、想像するだけで気持ちが悪くなった。
 だが、同時に寂しさもあった。『夢』の中ではあれだけ自分と親しかった存在が、現実ではああもそっけない。まぁ、無理もなかろうが。
 千雨はふと教室を見渡し、ある人物を見つけた。
 長身のクラスメイト、大河内アキラだ。
 水泳部期待のホープで二年生ながら次期エースだとか、高等部の人間も目をつけてるとか、男子生徒のファンが多いとか、なんとかかんとか。千雨がたまたま小耳に挟んだ内容だが、彼女はそんな感じらしい。
 淡い期待。彼女ももしかしたら――、と話しかけてみる事にした。
 他のクラスメイトと談笑する大河内に近づき、後ろからそっと声をかける。

「な、なぁ大河内……」

 余り自分から話しかけた事が無いために、少しどもった。
 大河内は千雨の声に気付き、そっと振り向いた。まさか千雨に話かけられるとは思わなかったらしく、ちょっと表情に驚きが混じっていた。

「なに、長谷川」

 サバサバとした返事。されど、この一言で充分だった。

「あ、いやごめん。間違いだった、何でも無い」
「? そう」

 少し眉間に皺を寄せながらも、大河内は千雨の事を気にせずに、クラスメイトとの談笑の輪に戻っていった。

(『長谷川』、ねぇ)

 余り話した事の無いクラスメイトを、いきなり下の名前で呼ぶ人間は少ないだろう。
 それに――。

(あたしは何言うつもりだったんだ。大河内とあたしは幼馴染で、なんかすごい前世っぽい記憶が云々――、電波過ぎるだろ)

 自分の思考に、ぴくぴくと口元が引きつった。
 大体、幼馴染、というのが麻帆良では当てにならない。麻帆良は中高一貫どころでは無く、幼稚舎から大学までの一貫教育まで行っている。
 このクラスの半分程が麻帆良の幼稚舎出身であり、千雨もその半分に含まれていた。必然、広義の意味ではクラスメイトの半分が千雨の『幼馴染』なのだ。
 実際の所、『幼馴染』という程親しい人は、千雨にはいない。若干人間不信であり、人との触れ合いを苦手としている千雨には、その様な気軽な相手はクラスにいなかった。
 いや、寮の同居人とは多少だが親しい関係を保てている……のか?

(まぁ、喧嘩はしないわな。部屋にもあんまり居ないし)

 寮の同居人をそっと見るが、いつも通り静かに座っていた。

(あいつと一緒にいると、なーんか居心地良いんだよな)

 家族以外の人物と、一緒の部屋にいると若干萎縮してしまうのを、千雨は自覚していた。だが、彼女と一緒にいる時は、なぜかその兆候が無かった。

(まぁ、『夢』は『夢』って事だな)

 数日苛まれていた、脳にこびりつく『夢』に、千雨は多少の折り合いをつけるのであった。



     ◆



 ズズズ、と紙パックの中のフルーツ牛乳をすすりながら、体がブルリと震えた。

「やっぱ温かいものにしとくべきだったかな。うぅ、寒い」

 場所は屋上。もう十一月となり、秋の彩が徐々に失われていってる。
 そのため、昼休みに屋上で昼食を取る人間も減り、周囲はまばらだ。
 千雨はわざわざコートを羽織り、更にはフードまでかぶってここで食事を取っていた。
 手には空の菓子パンの袋が一つ。あと奮発したデザート用のゼリーもあった。

「ゼリーって。なんであたしはもっと温かいデザートを選ばなかったんだ」

 十数分前の、売店にいた自分を恨みたくなる。
 どうにも千雨はクラスの喧騒が苦手だ。昼休みとなると、それは一層酷くなる。

「ここは幼稚園かよ」

 どたばた走り回ったり、机をなぎ倒したり、そんな風になりながらもニコニコと笑うクラスメイト。頭が狂いそうになる光景だ。
 そのため昼休みになるとクラスから逃げ出し、この屋上で朝食を取るのが千雨の毎回のパターンだった。

「ここも限界だな」

 もうすぐ真冬になる。時期的にもそろそろ屋上は潮時だろうと、千雨は思う。
 ベンチから立ち上がり、近くの手すりに寄りかかった。
 さすがに屋上というだけあり、麻帆良が遠くまで見渡せた。

「魔法使い、ねぇ」

 『夢』によればここは魔法使いの街らしい。しかし、千雨は幼稚舎からこの街で過ごしているが、魔法なんてものは見た事が無かった。
 視線を遠く、千雨は東京方面へと向けた。

「超能力に《学園都市》って聞いたことねぇぞ。それに《学園都市》って紛らわしすぎんだろ」

 ここ麻帆良は『麻帆良学園都市』と呼ばれている。そして千雨の『夢』には東京西部を中心んした独立都市《学園都市》なるものが出てきたらしい。超能力を開発している、とかそんな設定らしいが、これらの与太話も同じく、千雨の現実の記憶とは合致しなかった。

「多摩に住んでる親戚の叔母さんちも、《学園都市》ってのに入っちまうわけか、ハハハ」

 余り親しく無いが、数年前の正月に母方の叔母の家に遊びにいった事がある。確かそれが奥多摩の方だったと記憶していた。
 文部省当りがもしかしたら東京西部に学園都市を作る計画をしているかもしれないが、少なくとも千雨は知らない。

「超能力ってのがあるなら行ってみたいかもな、少なくともここよりはマシだろう」

 千雨は自分の人間不信の原因を、なんとなく理解している。自分の弱さを他者に擦り付けるのは嫌だが、実際のところこの麻帆良は千雨に合っていないのだ。
 この街そのものが持つ空気が、千雨の波長と合致しない。価値観の乖離は、幼い子供同士の場合極端なコミュニケーション不全に至る。
 幸いイジメにまではならなかったが、昔の千雨は子供の持つコミュニティにはうまく入り込めなかった。
 今ならば、作ろうと思えば友人関係を作れるだろう。それでも、千雨は一人を選んでいる。彼女なりの処世術であり、他者に対する慈しみでもあった。
 話しあう事さえしなければ傷つきあう事も無いだろう、という暴論にも似た帰結である。
 千雨はゼリーのフィルムをペリペリと剥がし、小さなプラスチックスプーンで一気にがっついた。マンゴー入りのゼリーを、ものの数分で食べ終わる。
 胃に冷たいゼリーが入ると、必然体も冷えた。

「うっ……さすがにダメだわ」

 コートの襟を合わせて、体を縮める。昼食のゴミを屋上のゴミ箱に捨て、校舎内へ戻っていく。

(昼休みが終わるまであと二十分。どうしたもんかな)

 教室に戻る、という選択肢は無い。
 千雨は生徒もまばらな廊下を、コツコツと足音を立てながら歩き出した。


 つづく。



[29380] 追憶の長谷川千雨 2
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/27 22:48
   追憶の長谷川千雨 2



「ちうだよ~~~」

 甘ったるい様なわざとらしい猫撫で声を出しながら、カメラに向かってポージングする。
 千雨の服装はいつもの地味な私服でも、ましてや制服でもない。やたらにレースとリボンが多用されているブラウスに、傘の様に広がるスカート、頭には大きな帽子が被さり、長い髪も左右で二つに纏められている。
 正直、外を普通に歩けるような格好では無かった。
 それはそうだ、これはアニメのキャラクターコスチュームを模した、所謂コスプレというやつだからだ。ちなみにコスプレをしている時だけ、千雨は伊達メガネを外している。
 千雨はコスチュームの元となったキャラを脳内で想像しながら、なりきった様にポージングを決めていく。決めたポーズと共にリモコンでカメラのシャッターを切り、出来栄えを確認しながら何度も撮影を行なった。
 ときおり決めポーズと共に、自分の決め台詞なんかも叫んでみる。
 本人は楽しくてしょうがないが、第三者が見たらかなり痛い現場なのは明白だ。

「ふぅ、今日はこんな所か」

 撮影が終わり、カメラの画像データをパソコンで表示させ、スライドショウで次々と見ていく。

「ふふふふ、我ながら良いじゃないか」

 自画自賛。
 自分の写った写真を見ながら、ニタニタと笑みを深めた。

「おっと、皺になる前に服着替えないとな」

 千雨はコスチュームをゆっくりと脱ぎ出す。このコスチュームは千雨が数ヶ月かかって自作したものだ。そのため市販品に比べて明らかに脆い。装飾過多なのもその理由の一つだろう。
 千雨は下着姿になる。さすがに肌寒さを感じるものの、それより気になるのはコスチュームの状態だった。

「やべ、肩口のところ、糸がほつれてきてるよ……」

 クローゼットの中からミシンを取り出し、下着姿のまま修復を始めてしまう。
 更には楽しくなりだし、あれやこれやと様々な変更もし始めてしまった。

「――へっ、くしゅん」

 くしゃみが一つ。

「あ、あたしは裸で何やってんだよ」

 自分の姿を思い出した途端、部屋の冷気が一気に押し寄せてきた。

「こ、このままじゃ風邪引いちまう」

 千雨は新しい下着とパジャマを取り出し、そのままシャワールームへ飛び込んだ。
 十分後、千雨は肌を上気させながら、ほっとした表情でシャワールームから出てくる。バスタオルで髪をごしごししながら、ハンドドライヤーを出し始めた。
 湯冷めしない様に、エアコンの温度も高くする。

「今日も頑張ったぜー」

 ドライヤーを使いながら、自分のコスプレ写真の出来栄えに、再び笑みを強くしてしまう。風呂上りにミネラルウォーターのペットボトルのラッパ飲みもした。
 髪も乾ききり、さぁ寝ようと思っても、それはすぐに出来ない。

「この時が一番面倒だよな」

 部屋は煩わしい状態だ。デジカメは三脚に固定され、撮影用の背景シートが壁と地面に貼られている。更には光源用のライトまである。どれもこれも機材としての質は低いものの、中学生という千雨の身分を考えればかなりの高級品だ。
 親の仕送りと、お年玉などのお小遣い、更には試験用に立ち上げたブログの広告収入などを合わせ、千雨がなんとか買い揃えた機材だった。

「よっと、ほっ」

 機材の一つ一つを解体し、綺麗にまとめていく。一応、千雨の部屋は二人部屋だ。同居人がそうそう帰って来ないと言っても、その人間のパーソナルスペースを侵略するつもりは千雨に無かった。
 部屋にあるスライド式のクローゼットは、中央を基点に左右でニ分割。右側が千雨の領分だ。
 そこに入りきるように、機材をうまく入れていく。
 おそらくこの部屋の同居人には千雨の趣味がバレているだろう。だが無口な上に、他者にわざわざ喋るような性格じゃないので、千雨はその点安心していた。

「よし、入りきった」

 クローゼットの片側に、機材は綺麗にみっちりと収まっている。
 そこで一安心したものの、そこで一つ思い出した事があった。

「あ……国語の宿題」

 漢字の書き取りがかなりあったのを思い出してしまう。しかも担当は「鬼の新田」だ。忘れたら倍返しの上に居残りである。

「なんで、あたしはもっと早く気付かないんだよぉ!」

 慌ててカバンを漁りノートとテキストを取り出す。宿題のページを確認して、サァーっと血の気が引いた。二時間近くかかりそうな量だ。
 現在時刻は十二時過ぎ、普段なら寝ている時間だ。

「く、くっそぉぉぉ~!」

 先ほどまで「ちうだよ~~」などと言っていた面影は消え、半泣きになりながら千雨は宿題をやり出す。
 ちなみに、宿題はやっている途中で寝てしまった上に、翌日は寝坊で遅刻した。更には宿題忘れにより、新田により居残りにされる事となるのだった。



     ◆



 秋も終わりを向かえ、冬になろうとするこの頃、日が落ちるのがめっきり早くなっていた。
 今年の一学期の終わりから強制されている集団登下校だが、下校時にはそのシステムはニ分割されていた。
 当初は部活禁止令まで出たものの、一ヶ月を過ぎても解決しない事件に業を煮やし、部活は再開される事となった。
 そのため授業後に帰寮する『帰宅組』と、部活後に帰る『部活組』、二つの集団下校時間が作られ、生徒はそのどちらかの時間で帰るのが義務付けられた。
 そんな中、居残りをした千雨は微妙な時間帯に手が空くこととなっている。
 空は薄暗くなり、夕焼けも沈もうとしている時間帯ながら、体育館からは元気な声が聞こえてくる。さすがにグラウンドを使う部活はそろそろ上がる様だが。
 まだ部活組の帰宅時間まで三十分程ある。千雨としては正直言ってさっさと帰りたかった。

「帰っちまうか」

 どうせ三十分もすれば自分の後ろを運動部の集団が歩いてくるのだ、襲われるなんて事は無いだろうとタカをくくる。
 そうと決まればコートを羽織り、カバンを持って教室を飛び出した。そのまま昇降口で外履きに履き替えて、そろそろと校門目指して歩いていく。
 幸いな事に集団下校の監督をする教師はまだいない様だ。

「よし!」

 そのまま自然な振りをしながら校門を通った。千雨を呼び止めるものなどいない。

「なんとか脱出成功、って所か」

 校舎内から見えないようにしながら、そそくさと通りを進んでいった。

(あ、そういえば)

 千雨は昨晩コスチュームを弄っていた時に、欲しい色の生地が無いのを思い出した。あと、色々な小物も出来れば作りたい。
 むずむずと欲望が沸きあがり、千雨は決断する。

「――寄っていっちまうか」

 現在、寮での門限や外出はかなり厳しく制限されている。今から帰ったのでは、おそらく外出は許可されないだろう。それに一人では外出許可は出ない。一緒に行ってくれるような、同種の友人などもいない。
 そうと決まれば急げ、と千雨は一路コンビニへ向かった。お金を下ろすためだ。
 コンビニのATMで生地に必要な分の貯金を下ろし、商店街にある大きめの手芸店へ向かった。個人商店だが、ヘタなお店より遥かに品揃えが良い。店員が過剰に対応しないのも、千雨が気に入ってる所だった。
 店に入るなり「いらっしゃいませー」と挨拶はされるものの、中等部制服を着ている千雨を見ても特に対応は変えない。
 殺人事件が起きる前だったら、おそらく自分と同じように帰りに寄り道する生徒は珍しくなかっただろうが、事件を機にその数は激減している。
 それでも何人かは千雨と同じ様に、集団下校を抜け出して寄り道するのだろう。
 店員は千雨に気にも留めずに、店内の商品棚の整理をし始めた。
 千雨はほっとしながら、目当てのコーナーへ向かう。

「ふふふ、これであのコスもより完璧に……」

 ヒクヒクと口角を吊り上げながら、必死に笑いをこらえる千雨は、ぶっちゃけキモかった。



     ◆



「ありがとうございましたー」

 店員の声を背中に浴びながら、ほくほく顔で千雨は店を出た。
 紙袋を腕の中で抱える様に持っている。中身は言わずもがな、だ。

「まさかあの形のボタンまで見つかるとはなー。コス専門店まで出張らなきゃ駄目かと思ってたぜ」

 どうやらかなりの収穫があったらしい。
 見るからに上機嫌といった風で、千雨は通りを歩いている。
 街灯の下、人はまばらだ。
 まだ殺人事件が解決していないため、住人も夜の外出は控えているらしい。

「――って、あぁ、またあたしは!」

 パサリ、と紙袋を落としながら、千雨は頭を両手で抱える。
 手芸店で熱中するあまり、千雨は時間を忘れていた。時間を確認するために携帯を見るが――。

「げっ……」

 そこには何度もコールされた後があった。表示は「女子寮」と書かれている。まぎれもなく寮監からだ。

「ど、どどどどどうしよう」

 門限はとっくに過ぎていた。
 昨日に続く失態。冷気が首筋から入り込み、ヒヤリと背中を撫ぜた気がする。

「こ、こうしちゃいられない」

 千雨は手芸店の紙袋をカバンに詰めた。紙袋を露出させたまま帰ったら、取り上げられるのは目に見えていた。持ち物検査されたら結果は同じだが、どうにかその事態は回避せねばならない。
 更にはこのコール回数の多さもごまかさねば。

「と、とりあえずバッテリー切れという事にしておくか」

 携帯の電源をプチリと切っておく。
 そして猛然と走り出した。
 目指すは女子寮、門限を三十分以上過ぎているが、せめて一時間には至らないようにしたい。というかしないとエライ事になる気がする。
 元々体力の無い千雨だが、必死に走り続けた。
 普段使わない小道まで駆使し、寮まで一直線に向かう。
 だが、さすがに全力で走り続けていたら、ものの五分でバテてしまった。

「ぜーはー、ぜーはー」

 口をだらしなく開きながら、必死で呼吸する。足はがくがくで、近くにある壁に背中を預けた。夜になり気温も冷えて、白い吐息が空中に舞った。冷気が喉下をザラザラにする。

「休んでる、暇、なんて、無い、のに……」

 独り言も途切れ途切れだ。
 なんかもう怒られたっていいかなー。大体三十分も一時間も大して変わらない様なー。どうせ怒られるんだからもうゆっくり帰ればいいんじゃねー。
 そんな誘惑が千雨を襲う。

「うん、そうだよな」

 そしてあっさりと千雨は誘惑に負けた。
 今更ジタバタしたってしょうがない、なる様になれだ。と虚勢を張る。
 そんな時、少し薄暗い近くの路地に動く影があった。

「ひっ!」

 千雨はビクリ、と過剰な反応をしめした。そして思い出すのだ『未だ猟奇殺人事件の犯人が見つかっていない』という事を。
 バクバクと心音が強くなり、サァーっと血の気が引いた。
 よく見れば千雨のいる路地は薄暗い。
 麻帆良のご多分に漏れず、石畳の引かれた道は車道として機能してなく、必然道は細い。
 そのため街灯の数も最低限だ。
 街灯の影になり横道となっている路地裏を、千雨は硬直しながら見つめ続けた。
 ポケットにある携帯に手を当てるも、電源が入ってないのを思い出した。

(な、なんで電源切っちまうんだよ、あたしは~)

 急いで電源を入れようとするも――。

「ニャー」
「にゃー?」

 聞こえてきた声をオウム返ししてしまう。
 路地から出てきたのは黒猫だ。冷静に考えれば、動いた影だってかなり小さかった。人のはずなど無いのだ。

「な、なんだよ。そうだよな、いきなり出くわすなんてあるはずねぇ……」
「ニャ~~」

 猫は声を上げながら、千雨に寄って来る。

「――、お前、ドラのくせに嫌に人懐っこいな」

 千雨の足元に、黒猫がすりすりと擦り寄ってくる。
 女子寮の裏にもドラ猫が数匹いるのを思い出す。どうやら寮の誰かが餌付けしているらしいが、あの猫達は千雨を見るなり親の仇を見るように牙をむき出しに威嚇する。その上、さっさと逃げ出してしまうのだ。
 それを考えれば、目の前の黒猫はとても可愛く思えた。

「よし、じゃあせっかくだからお前に施しをやろう」

 ごそごそとカバンを漁れば、千雨の秘蔵しているスティック型の菓子『ポッチー』が出てきた。ポッチーを一本出し、そのチョコ部分の半分を自分でかじり、残った半分を猫に向けて放り投げた。

「ニャー」

 猫はかりかりとポッチーを食べ出す。
 千雨はしゃがみながら、食べている猫の頭を撫でた。

「お前も飼い主か、ちゃんとした寝床を見つけねーと、冬が越せないぞ。今年は寒いらしいしな」

 猫は相変わらず食べている。そんな猫を見ていると、千雨の心も癒された。
 ピクリ、と猫の耳が動いた。

「お、どうし――」

 千雨が何も言う間も無く、猫は食いかけのポッチーを置いて、脱兎の如く走りだした。

「??」

 しゃがんでいる千雨の背後には街灯がある。そのためしゃがんでいる千雨の目の前には、自らの影があった。そしてその影に、もう一つの人影が重なった。

「え――」

 背後に人がいる。地面に作られたシルエット――見覚えがあった。それは確か『夢』で――。

「――――ッ!!!!!!!!!」

 ザクリ、という音と共に千雨の背中の一部が焼け付いた。コートと制服が何か鋭いもので突き破られ、激痛が体中を襲った。
 余りの痛さに、自分が何を叫んだのかすら聞き取れなかった。
 視界が黒と白に明滅する。まるで炎の中に飛び込んだ様だった。
 気付いたら千雨は地面に倒れていた。
 ざらりとした石畳の感触が、顔の側面をやすりの様に削っている。男に圧し掛かれている様だった。
 体に力は全然入らないし、男に少しでも力を入れられたら、背中から激痛が体中に走った。目からぼろぼろと涙が溢れる。
 痛みをごまかそうと叫び声を上げようとするものの、無骨な男の手に口元をふさがれ、何も叫べない。

(男――、こいつ男)

 逆光で顔は見えないものの、シルエットは屈強な男の形をしていた、明滅する視界の中、なぜか男のシルエットだけははっきりと確認できた。

(嫌だ、恐い、嫌だ、助けて、助けてよ。もう、『わたし』は、もう――なぁウ――ック)

 脳内に激しいノイズが入る。混乱と恐怖と激痛のため、思考は纏まらず、ただ涙だけが溢れた。

(あぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!)

 先ほどを越える激痛と共に、ゴリゴリという耳障りな音が体の中から聞こえていた。
 いつの間にか口の中には布が押し込まれ、上半身は男の足と膝で固定されていた。伸し掛かれる状態だった。
 激痛の根源は右腕。痛みの余り、千雨はガンガンと石畳に頭を打ち付ける。とてもじゃないが、耐えられる様な代物では無い。
 視界の片隅で、男が自分の右手を、巨大なナイフで切り落とそうとしているのが見えた。

「――ヒッ!」

 口に布を詰められながらも、息を呑む自分の声が聞こえた。手を切ろうとする恐怖が、激痛と共に脳内を駆け巡る。
 あぁ、これで意識を失えたらどれほど楽なのだろう。だが、現実は無情だった。
 千雨が意識を失えど、激痛で再び起きてしまう。
 一時間だろうか、十時間だろうか、それとも十秒なのか。千雨に時間の感覚は無い。ただ、ひたすら長く感じられた。
 ゴリゴリと骨を削る音が聴覚を支配し、体の内側全てを針が貫いてるような激痛が絶え間なく襲った。
 右手を切り取る。生きている千雨を押さえつけながら、それを行なう男。異常な光景だった。

(やメロ、ヤめろ、ヤメろ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、オ願イダカラヤメテクレ!)

 目は見開き、涙が滂沱の如く溢れ、鼻水も飛び散り、布を敷き詰められた口の端からは涎が跳ねた。
 痛みを誤魔化すために、痛みを自らに課した。ゴツゴツと頭を石畳に叩きつけるのが、無意識の衝動だ。
 全身が恐怖に浸される。
 そんな千雨を、男は『笑いながら』見ていた。

(ワラッテイル――)

 千雨の視界は定まらない、だが男の口元が三日月を描いてる事だけは分かった。

「――――――ァァァァァァァッッッ!!!」

 ゴトリ、と何かが落ちた音がする。もはや右手の先の感覚は無くなっていた。千雨の周囲には巨大な血溜まりが出来ている。
 寒いのは冷気のせいだけではないだろう。
 男は無言のまま、その手に持つ血に濡れたナイフを振り上げた。

(あっ――)

 光景が、ゆっくりと過ぎていく。千雨はなぜかそのナイフが待ち遠しく感じられた。もうすぐこの体を覆う苦痛から解放される、そう本能が求めるのだ。
 そして脳内に様々な人の顔が過ぎった。両親、数少ない友人、クラスメイト、寮の同居人、そして――声。金色の小さな影。動物、なのだろうか。

(あの『ネズミ』は、何て言った――)

 漆黒。
 千雨の意識はそこで切れた。



     ◆



『えー、只今緊急のニュースが入りました。
 今年の七月より続いている『麻帆良連続殺人事件』の続報です。
 つい先ほど、埼玉県麻帆良市において新たな遺体が発見されました。
 被害者は麻帆良学園中等部に在籍する『長谷川千雨』さん、十四歳です。
 遺体は今日の午後七時半頃、長谷川さんの住む寮の近くの通りで発見されました。
 遺体には過去の殺人事件と同じく、右手の欠損が有り、同一犯との見方がされています。
 警察の発表によれば、まだ死亡時刻は特定出来ないものの、長谷川さんが午後五時に学園を出たとの証言を得ているそうです。
 他にも続報が入り次第お伝えしようと思います。では次の――』



 つづく。



[29380] 追憶の長谷川千雨 3
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/12/07 14:44
   追憶の長谷川千雨 3



 ぽやぽやとぼやけた意識を振り払う。
 なんだかいつの間にか寝ていた様だ、と千雨は思い出す。
 どうにも記憶が曖昧だった。なにか恐ろしい『夢』を見たような気がする。

(いや、今はそれどころじゃないな)

 なにせ授業中だ。
 さすがに板書もせずにしていたら、教師から大目玉を喰らうだろう。

「あれ?」

 そう思い、黒板を見て違和感に気付く。

(あんな公式やったっけ)

 数学の時間、黒板には見覚えの無い公式が書かれていた。前回やった授業とは大分違う。

(おかしいなー、もしかして教師がページ間違えてるんじゃ)

 周囲を見渡すが、クラスメイトの誰もが普通に板書をしていた。こういう時に率先して教師に質問をする雪広あやかも、平然と授業を受けている。

(え? もしかしてあたしって遅れてるのか? もうすぐ期末だってのに、得意な数学すら付いていけないなんて――)

 思わずショックを受ける。
 そこで更に衝撃的な事に気づいた。
 黒板の端に書かれている日にち、それは――。

「じゅうにがつ……」

 十二月。窓の外は曇天模様で、まさに冬といった様相をしていた。

(いや、だって昨日まで十一月だったろ、なんでもう十二月。それにこの日にちじゃ期末なん
て終わってるし。あたしは期末を受けた記憶なんて――)
 自分のノートを確認しようと、机を見た。だが、そこにノートなど無い。
 あるのは花瓶と、花瓶に挿されている一輪の菊の花だけだ。

「えっ――」

 千雨は言葉を失う。思考すら固まった。
 周囲のカリカリというノートとシャープペンが擦れる音と、教師のボソボソと喋る声だけが響く。

「おい! これは何だよ!」

 千雨は立ち上がり叫んだ。だが、周囲は無言。千雨の声にも一顧だにしない。

「くっ――」

 その反応に、千雨は恐怖する。まるで周囲の人間には自分が見えてない様な――。

「おい、綾瀬。これはどんないたずらなんだよ、悪趣味すぎるぞ!」

 隣の席の綾瀬夕映の肩を強く揺する。しかし、小柄なはずの綾瀬だが、まるで岩の様に硬く、微かにしか体は揺れなかった。

「なんか言えよ、頼むからさぁ!」

 綾瀬を諦め、周囲の人間に呼びかけるも無言。

「くそ! くそ! どうなってるんだ!」

 千雨は教室を飛び出すために、後ろのドアを開けようとするが。

「くっ、堅い」

 まるで引き戸が接着剤で固定されている様だった。
 だが全身の力を振り絞り、体重を掛ける事で、引き戸が少しだけ開いた。

「よし!」

 どうにかその隙間に身を滑らせ、千雨は廊下に飛び出した。



     ◆



 綾瀬はピクリと体を震わせる。違和感、それはここ最近無かった感覚だった。
 驚きを隠しながら、綾瀬はクラスメイトである少女に視線を送る。褐色の肌に黒い瞳。
 その彼女がコクリと頷いた時――。
 ガラリ、という音。ドアが開かれた音だった。
 クラス全員が後ろを振り返る。

「え、何? 今の音」
「何でドア開いてるの」
「おいおい、誰だ誰だ、ドアを開けた奴は」

 クラスの喧騒を、教師がピシャリと押し留めた。クラス内を見渡すが、誰一人欠席はいないし、教室を出て行った生徒もいない。
 だが、教室の後ろのドアは少しだけ開いていた。
 引き戸とはいえ、風で動くような代物では無いだろう。

「お、おい。誰がやったんだ。今言えば先生は怒らないぞ」

 廊下に人影も無い。足音もしなかった。ただドアだけが動いたのだ。

「嘘! マジでドアだけ動いたの」
「だって誰も席から離れなかったじゃん」
「も、もしかして――」

 クラスメイトの視線が一つの席に向けられた。
 花瓶が置かれた席、そこは先日殺人事件に巻き込まれた少女の席だった。

「ま、まさかー」
「いや、でもそれくらいしか」
「お喋りはそれくらいにしろ! 先生はこういうイタズラは嫌いだぞ! やった者はさっさと白状なさい」

 教師の言葉に再び皆が黙り込む。
 ドアが開いた時、クラスの全員が前方の黒板を見ていた。ただ二人を除いて――。
 そのうちの一人は、無言ながらもその現象に内心驚いていた。
 だが、周囲に話す事はしない。なぜなら、彼女には確信があったのだ――。



     ◆



 千雨はどうにか学校を抜け出し、街中に来ていた。
 あの場所にいたら気が狂いそうだったからだ。

「なんなんだ。本当にわけわかんねぇ」

 街を歩く人達は皆厚着をしている。そんな中、千雨だけはブレザーにスカートといういつも通りの制服だ。しかし、不思議と寒さは感じなかった。
 通りすがりの人物は、千雨の姿を見ても不思議に思わない。いや、まるで視界にすら入ってないかの様に。

「おい、まさか。嘘だろ」

 試しに近くの人間に話しかけてみる。

「なぁ、おばさん。あたしが見えるよな! なぁ!」

 買い物をしに着たのだろう、手にエコバッグを持っている中年の女性は、千雨の声に一切反応しない。それどころか顔の前で手を振っているのに、瞬きすら自然なままだった。

「は、ははは。どうなってんだよ……お父さん、お母さん、助けてよ」

 弱気になって呟き、気付く。そうだ、両親に連絡をしよう。

「携帯電話、携帯……」

 スカートのポケットに〝右手〟を突っ込む。

「は……」

 何故今まで気付かなかったのだろう。右腕の先、ブレザーの裾から先には〝何も無かった〟。
 文字通り、右手首から先が、綺麗に切断されていた。
 そうだ、綾瀬の肩を揺すった時にも、教室のドアを開けた時にも、右手は使っていなかった。

「う……あ……」

 混乱。グルグルと思考が逆流し、記憶を刺激する。千雨の網膜に、あの時の出来事がまざまざと蘇った。

「そうだ、あたしはあの時――」

 逆光の中の男性、体を巡る激痛、黒猫、血、大振りのナイフ、刃の光、口に詰められた布、骨が削られる音。

「あたしは、死んでいるのか――」

 体から力が抜ける。
 千雨は地べたに座り込んだ。冬にも関わらず、地面の冷たさすら、今の千雨には伝わらない。



     ◆



 千雨は通りの中央で、呆然としながら座り続けた。
 猛烈な孤独感に襲われ、とても人のいない場所に行く気になれなかったからだ。
 ここに居たからといって、誰かに気付いてもらえるわけではない。それでも、人波に埋まる事で、少しだけ渇きが癒えた気がする。
 あの時の光景がフラッシュバックする度に、恐怖が蘇ってくるのだが、不思議と恐怖は少しずつ和らいできた。
 座りながら自分の持ち物を確認するが、ポケットの中には何も入っていなかった。
 右手が無くて不便だったが、体中探したものの、携帯電話も財布も寮の鍵も無い。

「どうしよう」

 「自分が幽霊だ」という想像も、現状を省みれば信じざるを得ない。そしてそれを自覚すると、誰かの携帯電話を使えばいいのではという結論に行き着く。

「そうだ、緊急事態なんだ。多少我慢してもらおう」

 とにかく両親の声が聞きたかった。
 近くを歩いている不良の様な男子高校生を見つける。不貞の輩なら、多少罪悪感も紛れると思い、彼の後ろポケットからはみ出る携帯電話を取ろうとした。

「悪いが、借りるぜ」

 携帯電話を手で掴むも、その堅さにビックリした。まるでポケットに完全に固定されている様だ。

「ちょ、どうなってやがる! この、くそ!」

 携帯電話を掴んだまま、千雨は男子高校生にずるずると引っ張られる形となる。
 そして地面に盛大に転んだ。

「う、嘘だろ」

 男子高校生は普通に歩いており、千雨が携帯電話に触れた事すら気付いてなさそうだ。

「クソ、クソ。どうすれば良いんだよ」

 帰りたい、そういう気持ちが沸く。そして、自分の寮の部屋が気になりだす。

「そうだ! あたしの部屋!」

 千雨は寮を目指して走る。
 いつの間にか日は沈み、周囲は薄闇に覆われていた。
 まるであの日の様だ。とは言っても、千雨にとってはつい先ほどの様に感じられるが。
 あの時とは違う、安全な道筋を進みながら、女子寮へとやってくる。
 エントランスは自動ドアだ。案の定、千雨には反応しない。

「……待つか」

 千雨は誰かが通るのを待った。五分ほど経ち、ちょっと買い物にでも行くのだろうか、財布を持った二人組みの女子が、内側から自動ドアを開けた。

「今だ!」

 二人とすれ違う形で、千雨は女子寮へと潜りこんだ。
 ずんずんと廊下を進みながら、自分の部屋へと向かう。
 見慣れたドアの前で、千雨はとりあえずドアノブを回してみた。だが、堅くてピクリとも動かない。
 部屋の鍵も無い。

「どうしよう」

 インターフォンを押せるか分からないが、どうせ中には誰もいないだろう。
 千雨は苛立ちを隠そうともせず、ドアを蹴った。

「この! クソ! なんで! あたしが! こんな目に! 遭うんだよ!」

 蹴りながら、目に涙が溜まっていった。
 だが、千雨が全力で蹴ったせいか、ドアが少しだけ動いた。カチカチと金属が擦れる音がした。
 そして、内側からガチャリという音が聞こえる。

「え?」

 鍵を開ける音。まさか住人がいるのか、と目を見張れば。
 開けられたドアの先には、千雨の寮での相方――同居人が立っていた。
 どうせ見えまい、とタカをくくり、ドアの隙間から内側に入ろうとするも。
 ガツン、と見えない壁の様なモノに千雨はぶつかり、痛みにうずくまってしまう。

「な、なんだこれ」

 ペタペタと触る。ドアは開いているのに、ドアを境に透明な壁が存在していた。
 そして、千雨の同居人がそんな〝千雨を見ていた〟。

「え?」

 千雨は同居人の視線に気付く。

「お前、まさかあたしが見えるのか」

 千雨は自分を指差し、相手に呼びかける。同居人はコクンと頷いた後、ドアを開いて千雨を招き入れた。

――《寮の部屋の入室許可》を入手しました。



     ◆



 千雨は部屋に入り同居人――ザジ・レイニーデイを見つめた。
 彼女は今日、初めて千雨と視線を合わせた人物だった。

「お前、本当にあたしが見えるんだな。良かった、良かったよぉ」

 うわぁ~ん、と涙を流しながら、千雨はザジに抱きつく。
 ザジは千雨の背中をぽんぽんと擦った。
 熱を今まで感じなかった千雨だが、ザジの体の暖かさだけは感じられた。その暖かさは、千雨の存在そのものを包み込んだ。
 十分ほど達、千雨はザジから離れた。

「うぐ、すまねぇ。でもあたし嬉しくてさ」

 涙を流しながらも、千雨の顔には苦笑いが浮かんでいた。

「なぁザジ、あたしはどうなったんだ。あたしが死んだのはわかったんだが、それから今まで何があったんだ」

 千雨は口早に質問するも、ザジは首を傾けるばかりだ。

「おい、何とか言ってくれよ!」

 また不安が過ぎる。

「おいってば!」
「ごめん。聞こえない」

 ポツリ、とザジが言葉を漏らした。

「え、聞こえない?」

 千雨は自らの口元を指差す。そうするとザジはコクコクと頷く。

「あ、あたしの姿は見えるが、声は聞こえないっていうのかよ……」

 せっかく光明が見えたと思ったが、反動で再び落ち込む。

「で、でも。だったら――」

 部屋を見渡した。だが、部屋の中に物は少ない。
 本来、千雨の私物が大量にあるはずなのだが、千雨の物だけ綺麗に無くなっている。おそらくこの一ヶ月の空白の間に片されたのだろう。ザジの私物が少し置いてあるばかりだ。
 ザジは普段、麻帆良に常設されているサーカス団で寝起きをしている。一応学園の規則上、寮生活を送っている形になっているが、学園から特別許可を貰い、あちらでの生活を主としているのだ。
 そのためザジの私物は少ない。幾つかの着替えに、部屋に最初から置かれている勉強机とベッドの上に、幾つかの小物が載るばかり。
 千雨はザジの机の上に目当てのものを見つけた。
 ボールペンとメモ帳だ。

「ちょっと借りるぜ」

 千雨はボールペンを掴むが、とんでもなく重い。

「な、なんて重さだ」

 力を振り絞り、どうにか持ちながら、メモ帳に何かを書こうとする。されど、インクはまったく出なかった。

「ふ、不良品かよ!」

 ザジが横からポイ、っと千雨の持っているボールペンを取った。メモ帳にペンを走らせれば、さらさらとインクの跡が残る。

「あ、あれ。普通だな」

 千雨は腕を組んだ。一体どうなっているんだろう。

「このボールペン、あげる」
「え?」

 ザジにボールペンを手渡しされた。そうしたら、先ほどまで重かったボールペンは、普通と同じように片手で悠々と持てていた。

――《ザジのボールペン》を入手しました。

「おぉ、今度は書ける」

 幸い千雨は左利きだ。右手がないために紙は押さえられないものの、ザジが協力してくれた。
 さらさらとボールペンで書ける事を確認した後、千雨は筆談でザジに聞ける事を片っ端から聞いていく。
 千雨が殺された後、麻帆良はやはり大騒ぎになったらしい。
 一週間ほど学校は休校となり、部活禁止令も出された。
 その間に、千雨の告別式も隣の市で行なわれ、クラスメイト全員が参加してくれた様だ。
 ちなみに千雨の両親は、麻帆良の隣の市で生活している。電車で十分もかからないだろう。だからこそ、麻帆良での幼稚舎からの一貫教育を受けさせているのだ。
 寮の同居人であるザジにも、千雨の両親は挨拶に来たらしい。そして部屋の遺品の片付けも一緒にやったとか。

「だから何も無いのか。つか、あたしのパソコンにコスチュームも」

 死んだ後とは言え、まさか自分の秘密の私物を両親に見られるかと思うと、羞恥が走る。
 その後はいつも通りに時間は過ぎたとの事。どうやら、またもや犯人は捕まってないらしい。

「まだ、捕まってないのか」

 ギリリ、と残った左拳を握り締めた。
 そして異常があったのは今日だったらしい。ザジが言うには、ふと気付いたら授業中に千雨が席に座ってたらしい。
 最初は驚いたものの、まるでホログラムの様に揺れ、少し経ってから形が保たれたらしい。
 だが、クラスの誰もが千雨を見ない。ザジも最初は幻覚か何かと思ったが、教室のドアが開いた事で、千雨の存在を確信したらしい。そしておそらく千雨が寮の部屋に戻ってくる事も予測し、珍しくこの場所で待っていたとの事。

「そっか。お前はあたしの事見えてたのか。そりゃ教室であたしの事指摘されたら変人扱いだよな、まぁとにかくありがとう。待っててくれてさ」

 ペンでさらさらとお礼の言葉を書くと、ザジはコクンと頷いた。

「でも、なんでザジだけ見えるんだ。他にも誰か――」

 と思い考える。誰が自分を見てくれるのだろう、親しい人物だろうか。クラスでザジ以外に親しくした人間がいただろうか――いや、いない。大抵の場合、千雨は一人で行動していた。
 そのため、週に数回だけ部屋に帰ってくるザジと、一番行動を共にしていた気がする。

「……ぼっちだったからか」

 ズーン、と重い沈黙が過ぎった。声は聞こえずとも、ザジもなんとなく察したらしい。
 落ち込む千雨の頭を、無言のまま撫でた。

「これからどうしよう」

 千雨は考える。自分が死んだという事は、痛いほど良く分かった。
 ならば、なぜ自分は幽霊などになったのだろう。そしてこれから何をすればいいのか。
 ザジが気を利かせて、部屋に備え付けのテレビの電源を入れた。
 映ったのはニュース番組、そして千雨の写真だった。

「あ、あたし――」

 ザジがチャンネルを変えようとするのを、千雨が制した。そしてモニター画面をじっと凝視する。
 ニュースキャスターが、千雨について話している。どうやら麻帆良の殺人事件の特集をやってるらしい。
 件の名物学園長が映り、千雨を「優秀で社交的な生徒だった」などと言っていた。
 今度は告別式の映像に切り替わり、クラスメイトが参列している。
 そしてその中央には遺影を抱えた千雨の両親がいた。

「お父さん、お母さん」

 また涙が溢れた。
 二人は気丈に振る舞いながら、報道陣に向けて頭を下げた。
 マイクを向けられると、どうにか言葉を綴って答えていたが、途中で泣き崩れてしまう。

「うぅ……うわぁぁぁぁぁ」

 床に千雨の涙がぼたぼたと落ちる。だが、涙は床に触れると綺麗に消えてしまった。
 ほんの数分程の映像だったが、それだけで充分だった。
 泣き崩れる千雨の背中を、ザジはまた撫で続けた。ザジには千雨の嗚咽は聞こえない、だが聞こえなくても分かっていた。
 ふと声が聞こえた。

――〈千雨、お前はそうやって泣き続けるのか〉

 違う、このままでいられるか。
 悔しい。一方的に何もかもを奪われたのが悔しい。
 千雨の中にある『夢』の断片が、様々なモノを千雨に見せ始めた。その多くが理解できない。されど、その中に光るモノだけはわかった気がする。それは自分も持っていた。

「そうだ終わらせない。終わらせるか!」

 唯一残った左手で、自分の胸元を強く叩いた。
 目に、微かな光があった。意志、千雨が貫き通そうとする、〝光〟の断片。
 自分を殺した男のシルエットが過ぎった。あの男、自分の右手を奪い去った男。
 考えると、傷口がずきずきと傷んだ。
 その痛みが、ぼやけそうになる思考をクリアにする。
 自分は死んだ、だが存在はしている。
 奇跡としか言えない可能性。それでも、まだやれる。

「あたし――いや、〝わたし〟が捕まえるんだ!」

 テレビには、千雨が襲われた現場が映されていた。それを凝視する。
 そう、まだ終わってはいないのだ。



 了。



[29380] ユー・タッチ・ミー(ネギま・夕映魔改造・百合・『追憶』続編)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/21 15:08
ユー・タッチ・ミー



 果たして切っ掛けは何だったのだろうか。
 そっと彼女の肌に触れた時の喜びを、どう表現すればいいのか分からない。
 ただ失われていく、その温かみをすくい取る事が、今の自分に出来る最善であった。
 願わくば――。



     ◆



 涙も出ない。
 口腔はただの一言も音を発せず、慟哭は空気を振動させなかった。
 綾瀬夕映はただ身を震わせるのみ。いや、震えているのかすら分からない。
 月明かりが放課後の教室を照らしていた。
 この時間だ、クラスメイトは全員帰寮している。
 同年代の少女よりも幼い体躯、背中まで伸びた髪は、先っぽを縛って二つの房にしている。
 ブレザーにチェック柄のスカート、麻帆良学園中等部の制服を着たその少女は、何処にでもいる学生の一人に過ぎないはずである。
 そんな綾瀬夕映の姿は教室に無かった。厳密には存在しているが、〝見る事が出来ない〟状態である。
 通称『幽霊病』、正式名称はエイドス消失症候群と呼ばれる病。
 発症すると、その場で肉体が幽霊の様に消えてしまう事から名付けられた病気である。
 意識はある。肉体を失いながらも、その場にプカプカと水面に浮かんでいるかの如く、その場に意識が残留するのだ。
 放課後、クラスメイトが教室にまばらになった時、夕映はこの病気の発作を起こしてしまった。
 夕映は三年程前からこの病気と闘ってきた。しかし、この病は現在根治が不可能であり、発作が起きさえしなければ日常生活に支障はきたさない。
 発作とて半年に一、二回という所だ。
 それに発作が起これど、対処療法は〝ある〟。
 だが、今回ばかりはタイミングが悪かった。誰にも見られず、発作が起きてしまった。
 それに、明日明後日は土日で学校も休み。自分の消失に気付かず、〝彼女〟が遠出をしてしまったら――。
 夕映に恐怖が過ぎる。
 そして、それは容易く心を覆う。
 この『幽霊病』の恐ろしい所はそこであった。
 体を失い、意識だけの存在になった発病者は、心が剥き出しになる。
 発作の間は肉体を失うため、生理現象は必要とされない。食事も、睡眠も、便意も無くなる。
 ただずっと、絶え間ない孤独感、絶え間ない恐怖に襲われ続けるだけだ。そして、酷ければそのまま心を壊してしまうのだ。
(――)
 声は出ない。心の言葉も纏まらない。ただただ恐ろしく、ただ不安になる。
 存在しない心臓が、氷水に沈められた様な感覚。芯が冷えていく。
 泣ければスッキリするかもしれないが、あいにく涙も存在しない。
 眼球も消えているはずなのに、夕映はなぜか教室が見えたままだ。意識だけの存在になり、空虚な教室をずっと見つめ、不安に心を刈られ続ける。
 その時、教室のドアが開いた。
 ガラリと音がした後、長身のシルエットが薄暗い教室に入ってくる。
 その人間の息は荒い。
 腰まで伸びる黒髪に褐色の肌。まるでモデルの様なスタイルは、幼い体躯の夕映とは正反対だ。
 教室に入ってきた人物は龍宮真名、夕映のクラスメイトの少女だ。
「――はぁ、はぁ、すまない。遅くなってしまったね」
 真名は特に表情も変えず言うが、呼吸は乱れている。月明かりが、肌の上に浮いた汗を光らせた。
 ここまで急いできたのが、容易に想像出来た。
「ふぅ、探したよ。まさか教室だったとはね、盲点だった」
 真名は夕映の元へ真っ直ぐ歩いていく。
 肉眼では見えないはずの夕映へと近づく、まるで確信がある様に。
 その時、真名の瞳が光った。
 彼女の瞳に魔力が集まり、独自の力場を作り出す。
 魔眼。そう呼ばれる特殊能力だ。
 真名の持つ魔眼が、本来見えないはずの夕映の姿を克明に写し出す。
「さぁ、帰ろう。皆心配している」
 真名はそう言いながら、夕映に〝触れた〟。
 そして呼びかける。
「な、『綾瀬』」
 夕映の名を呼んだ瞬間、パキンと小さな音がした。
 小さな光の粒が周囲に現れ、それが真名の触れた先に集まっていく。
 光が一人の少女の輪郭を作り出すと、そこに肉体が生まれ始め、ほんの数秒で夕映の姿が現れた。
 帰宅のために鞄を持ち、いつもの制服を着ている。それは発作直前の夕映の姿に他ならない。
 ――唯一の対処法。
 それは、第三者が患者の存在しないはずの肉体に触れ、名前を呼びかけてあげる事である。患者に自らの存在を示してあげるのだ。
 一見何の事でも無い様に思われるが、これが患者に与える影響は大きい。一説には第三者の副交感神経の状態を察知し、自らの交感神経に影響を与えるとも言われていた。
「あ……」
 肉体が戻った夕映は安堵し、口から声を漏らす。
 そして、表情がクシャリと潰れ、ボロボロと涙を流し始めた。
「う、うあ~~~~~~ん……」
 発作を起こしていた時の恐怖や孤独感が、枷が外れた様に溢れ出した。
 そんな夕映を、真名は軽く抱きしめてあげる。
 身長差のある二人だ。夕映の頭はすっぽりと真名の胸に収まった。
「ふぇ、お、遅いんです! わ、私がどれだけ……」
「すまない。てっきり図書館島に行ったのかと思ってね」
 夕映は泣きながら文句を言う。そんな夕映に対し、真名は表情一つ変えずに、背中を擦ってやった。
 夕映とて、真名に当たりたいわけでは無い。それでも、今は彼女への甘えが口から溢れ出てしまうのだ。
 見れば真名の姿は汚れていた。肌に幾つも小さな生傷があり、服にも埃や土が付着している。
 彼女の体から汗の匂いもした。
 おそらく必死に探してくれたのだろう。
 文句を言い続けるが、それでも夕映の心は落ち着きを取り戻していた。
 多くの『幽霊病』患者は、この発作後に押し寄せる感情の波により、自殺に至る者が多いという。
 夕映も一時期自殺を考えた。まるで世界中で自分だけが一人ぼっちの様な感覚。
 それでも、今は――。
 ぐしぐしと、夕映の頭が撫でられた。
「落ち着いたか、綾瀬」
「……ぐす、はい。すいませんでした龍宮さん。ありがとうございます」
 体を離す。少し寂しい気もしたが、さっきの〝波〟程では無い。
「気にするな。私は好きでやってる事だ」
 いつの間にか涙は収まっていた。
 先程の失態に頬を染めながら、夕映は制服の袖で涙を拭う。
「早乙女や宮崎が心配しているぞ。それに病院にも連絡を入れないとな」
 そう言いながら真名は夕映を促しながら、背中を見せる。
 この背中を見るのは何度目だろうか。
 夕映が麻帆良学園に入学してもう二年近くになる。真名は普段は素っ気無いのに、困った時があると世話を焼いてくれる。
 特に、夕映が発作を起こすと、毎回彼女が発作を止めてくれた。
 夕映は思うのだ。
 彼女がいるからこそ、だからこそ自分は生きていられるのでは、と。
 それは甘い囁きだったのかもしれない。甘美な誘惑。
 だが聞いて、壊れてしまうのが恐い。
 それでも、いや、今だからこそ――。
「ん?」
 真名は違和感に振り向いた。
 自分の服の裾先が、夕映に握られている。
 夕映は顔を俯けたまま、真名に問いかけた。
「……その、た、龍宮さんは心配、してくれたですか?」
 態度から、その質問には言外の意味がある事が真名にも分かった。
 夕映の問いかけに対し、真名は無言。
 たた裾を握った夕映の手を解いた。
「あ……」
 そのまま真名は背中を向けたまま、教室のドアに向かう。
 後悔。
 また泣きそうになった。
 夕映は再び顔を俯けた。そんな夕映の耳朶に声が届く。
「――心配しないわけないだろ」
 そう言いながら真名は教室を出て行く。
「え……」
 その言葉に、夕映はポカンとした。
「おい、綾瀬どうした。早く帰るぞ。私は空腹でもあるんだ。さすがに腹に何かを入れたい」
 廊下から真名の呼びかけが聞こえる。
 夕映は表情を明るくして、真名を追いかけた。
「はい、今いきます!」



     ◆



 木枯らしが吹くと、コートを羽織っていても思わずブルリと体が震えた。
 スカートの下の剥き出しの足から、冷気が体を昇って伝わる。
「寒くなりましたね」
「そうだな」
 夕映と真名は麻帆良内にある大学病院から出てきた。
 月曜の午後、夕映達は早退して病院に来ている。
 夕映だけで無く、真名も早退出来たのは、何より事情を知っている担任教師のお陰でもある。むしろ真名がいたからこそ、夕映の早退が許可されたとも言えた。
 春先から物騒な昨今、通常ならば集団下校が強制される。特に、一人での帰宅や外出は禁じられていた。
 病院に行くのは、発作があった時のお決まりでもある。行ったところで何か処方がある分けでは無く、発作後の検査に過ぎない。
 魔法医療を専門とする医師に体を検査され、ほんの一時間程で診察は終わった。
 その帰り道、二人は並んで寮へ向けて歩いている。
 夕映が寮への近道である脇道に入ろうとした時、真名に止められた。
「もう一本先の道から行こう」
「居るんですか?」
「あぁ」
 問いかける夕映に対し、真名は瞳を薄く光らせながら答える。
「――はぁ。最近多いですね。やっぱりあの事件ですか?」
「それだけとも言えんよ。余り他言して貰っては困るがな、どうやら世界樹が腐り始めているらしい」
「世界樹が?」
 夕映は促されるままに、脇道を通るのを止める。チラリと脇道を覗いたが、じっと目をこらすと遠くに薄っすらと奇妙な〝影〟が見えた気がした。
(う、嫌ですね)
 あれら〝影〟は、普通の人間だったら気付かず通り過ぎるか、気付いても多少寒気が走る程度だ。
 霊や残留思念と呼ぶもの。それが〝影〟の正体であった。
 夕映は自らの持病の影響で、それらに敏感になっていた。触れてしまえば、それらの恐怖や孤独、不安といったものが自分に流れてきて、碌なことにはならない。
「春先の麻帆良祭か。あの時期に世界樹に腐敗が見つかったらしい。お陰で麻帆良の上層部や業界のお偉いさんはてんてこ舞いさ。腐敗が酷くてどうにもならないらしい。切り倒すにも、世界樹には色々としがらみがある様だしね」
「そうなんですか」
 言われて見れば、去年は一年中青々と繁っていた世界樹の葉だったが、今年の冬には寂しい装いとなっている。
「でもそれとアレは関係があるんですか?」
 アレ、と言いながら夕映は先程の影を思い出す。
「元々、麻帆良は魔力が多い土地柄だ。幽霊や怨霊の類が発生しやすいのさ。それを浄化していたのが、あの世界樹って分けだ。霊地と呼ばれる場所には、大なり小なりそういうものがあるんだよ。だが浄化装置が壊れれば必然、淀みが溜まるって分けだ」
 真名の言葉に夕映は頷いた。
 麻帆良で治療を受けるに当り、夕映は魔法について大まかに知らされていた。何やら世界樹が重要だという事も。
「はぁ、本当に物騒ですね」
「今に始まった事では無い。いつの世も物騒なものさ。ただそれに気付かないだけだ」
「そんなものですか」
 どんよりと暗くなりそうな夕映の頭を、真名の大きな手が撫でた。
 真名の手はゴツゴツと硬い。どうやら彼女は本物の銃を扱うらしく、その身なりの割りに男らしい手をしている。
「落ち込むな綾瀬。君ぐらい、私が守ってやる。安心して学生生活を送ってくれ」
「……はい」
 思わぬ言葉に、夕映は顔が紅潮してしまう。
 そんな夕映の表情を見た真名は、薄っすらと笑みを浮かべる。
 夕映にはそれが悔しくて、恥ずかしくて、地団駄を踏んだ。
「あ~~、もうッ!」
「おー、恐い恐い」
 真名はパっと離れ、クスクスと笑っていた。



     ◆



 どうにも魔法やオカルトという類のものは秘匿しなくていけないらしく、夕映の疾患もそれに類するらしい。
 小学校高学年で発病してからは、秘匿義務を強制されつつ特例で多額の保険金が国から支給されていた。明確な治療法が無いので、それは口止め料とも言うべきものであった。
 しかし、年に数回という発作ながら、いつ起こるか分からない病気では秘匿もままならない。
 それだったら、という分けで夕映が連れられたのは、実家のある市の隣、麻帆良学園都市であった。
 ここは魔法使いが運営する都市でもあるらしい。盆地になっているこの場所には、数多くの教育施設が存在しており、その中には大学の付属病院もあった。
 表向きは真っ当な病院ではあるが、案内板に無い診療室では魔法診療なるものも行なわれている。
 夕映の不思議な病も、この診療室で見てもらっている。
 国からの薦めも有り、夕映はこの都市で学園生活を続ける事となった。
 麻帆良では夕映の病気に対し、出来る限りの便宜が行なわれている。
 便宜の一つには本来親族以外に明かす事が出来なかった病気について、寮のルームメイトへの開示の許可も上げられる。
 入学した当初はさすがに気が引けたものの、夕映のルームメイトである二人は気の良い友人であった。
 そのため、入学してから三ヶ月ぐらい経った頃、親友とも呼べる程仲良くなった二人に対し、夕映は自らの病気を明かし、協力の快諾を得ていた。
「それでどうだったのよ夕映」
 ベッドの上からニヤニヤしながら夕映に問いかけるのは、ルームメイトの一人、早乙女ハルナだ。
「どうって、いつもの通り病院に行ってきただけですよ」
「またまたー。龍宮さんとベッタリしてるじゃん、そっちが聞きたいのよ」
「あ、あれは!」
 ハルナの言葉に返答しようとするものの、言葉に詰まってしまう。
 先週、発作が起きて以来、真名は夕映に張り付くように行動を共にしている。
 今までとてそれなりに一緒だったが、土日含めての三日間はまさに『ベッタリ』と形容が付く程であった。
「でも良かったよ。ゆえゆえがすぐ見つかって。てっきり発作じゃなくて……」
「……のどか」
 そう言いながら悲しそうな顔を浮かべるのは、ルームメイトの宮崎のどかだ。
 風呂上りの少し湿った髪をタオルで拭いながら、お気に入りのパジャマを着ている。
「そうだよ夕映。あんたはチビなんだから気をつけな。まぁ、まだ発作の方で本当に良かったわね」
 夕映としては発作の苦しみを考えれば言い返したいものだったが、二人が本気で心配してくれてるのが分かり口をつぐむ。
 ハルナがベッドでゴロリと転がりながら、テレビのリモコンを弄る。
 丁度、ニュース番組に当たった様だ。
「うわー、噂をすれば、って所かしら」
 テレビでは見慣れた風景が映し出されていた。
 緑の多い街中、石畳の通り、赤い屋根の家々。報道されているのは間違いなく麻帆良であった。
「早く捕まってくれないかね」
「そうですね」
 一ヶ月も経てば報道は下火になるものの、こうやって時々この街はテレビで報道されていた。
 文化祭後に起きたあの事件、そして先月の事件。
 犯行の手口から同一犯と言われているが――。
「やめやめ。辛気臭いからチャンネル変えるよ~」
 ハルナがリモコンを押し、バラエティ番組に切り替えた。
「あ、これって」
 のどかが指差したのは、テレビに映ったファミレスの料理だ。
「この前入ったマズイファミレスじゃん」
 どうやらファミレスチェーンの料理を格付けする番組らしい。そういえば先日図書館探検部の帰りに入ったファミレスだ。
 そこの季節メニューを頼んだハルナは、よほど舌が合わなかったのは、かなりブーブー言ってた気がする。
「うぇ、コイツ何言ってるの。あの料理に八十点とか、信じられないんだけど。そう思わない、のどか」
「う、うーん。私はけっこうあの味、好きかも」
「嘘でしょー」
 そんなやり取りを聞きながら、夕映も寝るための準備をする。
「電気消しますよー」
「あいよー」
「うん」
 夕映の言葉に、二人からの返事がある。
 電灯のスイッチを切った時、自分の机の上にあった携帯の点滅に気付いた。
 暗くなった部屋で、折りたたみ式の携帯をパカっと開けて確認すると、どうやらメールの着信の様だった。
 相手はもちろん――。
 夕映はおやすみのメールを送るため、ポチポチとボタンを押した。
 そんな夕映の姿を、ベットの毛布から頭だけ出したハルナがニヤニヤしながら見つめていた。
「おやおや、ゆえっち殿。お盛んだねー」
「なっ――」
 ハルナの視線に気付き、夕映は携帯を背中で隠すようにする。
「う、うるさいです、バカハルナ! さっさと寝るです!」
「へいへい。寝ればいいんでしょ。寝れば」
 そう言いながらも、ハルナはニタニタと笑っている。夕映はそれが悔しくて、自分のベッドに飛び込み、毛布を頭から被ってしまう。
 毛布の隙間からは、テレビの光とハルナとのどかの話し声がまだ聞こえた。
 その薄闇の中で夕映は再び携帯を開き、メールの続きを打った。
「――おやすみなさいです」
 そう呟き、メールを送信した。
 未だ発作の恐怖はある。それでも、友人や大切な人の温かみがあった。
 だからこそ夕映は――。
 その日、夕映は心地よい眠りに身を委ねた。










     ◆










 そして数日後、夕映は衝撃的な出来事を耳にする。
 クラスメイトである長谷川千雨の死がそれであった。



 つづく。



[29380] ユー・タッチ・ミー 2
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/21 15:07
ユー・タッチ・ミー 2



 その日は曇天だった。
 クラスメイトである長谷川千雨の葬儀は、彼女の両親が住む隣街で行なわれる事となった。
 電車で十分程の距離。
 2年A組の生徒達は、葬儀場に整然と並べられたパイプ椅子に腰を下ろしていた。
 悲哀、混乱、戸惑い。突然の訃報に、年端もいかない少女達は感情の処理が追いつかない様だった。
 夕映も困惑はしていた。
 身近な人間の死、ましてや長谷川千雨と言えば、夕映の隣の席の人間である。つい先日まで普通に会話し、普通に挨拶していた。
 なのに、今は――。
「長谷川さん」
 視線の先、正面には花束に囲まれた長谷川千雨の遺影があった。モノクロの写真、少し幼く見えるのは間違いない。
 おそらく遺影に相応しい写真を探した結果、一・二年前の写真になったのだろう。
 目線を少し反らすと、葬儀にやって来た人間に頭を下げる長谷川の両親の姿が見えた。
 喪服の人間が増えていく中、夕映達は小豆色の制服姿であり、どこか浮いている気がした。
 外にはマスコミが集い眩いくらいにフラッシュをたいていた。反面、葬儀場の中には冷たい空気が漂っている。単純な寒さだけでは無い、たやすく肌に切り傷が出来そうな、そんな雰囲気だ。
 クラスメイトも同じなのだろう。何を話していいのか、何を話せばいいのか分からず、ただ口をつぐんでいた。
 涙をボロボロ流す生徒もいる。皆が一様に長谷川の死を惜しんでいる様だった。
 そんな中でも夕映は。
(おかしいですね。悲しまないといけないはずなのに)
 涙は出ない。
 心はもやもやとするものの、悲しいとまで至らない。
 周囲には激しい感情が渦巻いているのに、多少の困惑はあるものの、夕映の心は静かであった。そう、自身で結論づける。
 自分が寂しい時や不安な時には容易く泣けるのに、他者が死んだ時には涙が出ない。
 酷く冷徹な気がして、夕映は情けなくなった。
「どうした」
 隣に座る真名が小さく呟いた。夕映は顔を前に向けたまま、言葉を返す。
「涙が出ないんです。長谷川さんが死んだはずなのに、寂しい気持ちがあるのに、悲しいのか良く分からないんです」
「そうか」
 葬儀は粛々と進んでいた。静かではあるが、さすがにこれだけの人数がいるだけに、小さな囁き声はそこかしこから聞こえている。
「それが、そんな自分が凄く情けなく感じます。私は普段わんわん泣くくせに、友人が死んでしまっても、泣くことすら出来ない。それが――」
「長谷川とは仲良かったのか?」
 夕映の言葉を、真名が遮った。
「どうでしょうか。私は友人のつもりでした。席も隣だし、でも彼女は余り人付き合いが好きではなさそうでした」
 夕映は長谷川の事を思い出すが、それはいつもの教室で自分の話に相槌を打つ姿だった。
「安っぽい話ですが、「もっと優しくしておけば」とか「もっと話しておけば」なんて思ってしまいます。後悔なのでしょうか、それとも罪悪感なのでしょうか。どちらにしろ、私は自分ばかりが可愛い、冷徹な人間な気がしてしまいます」
 そうやって吐露するのも自分の事で、夕映はやはり心を沈ませてしまう。
 そっと真名の手が伸び、夕映の手を掴んだ。
「そうでもないさ。人間なんて自分が可愛くてしょうがないもんだ。他人の事ばかり構えるのは聖人か、極端な博愛主義者だけだ。自分の余力を他人に割けるのは、それだけでも立派な事だよ。周囲の空気に合わせて泣くばかりが悲しさじゃない。そうやって故人を通して色々思う事も、手向け方の一つさ」
「手向け方、ですか」
「あぁ、そうだ。これは私なりの教訓さ」
 そう言って真名は話を打ち切ってしまうが、手は繋がれたままだった。
 長谷川の遺影をもう一度見た。
(手向け方。人との縁なんていつか切れるものなのですね。私は久しくそれを忘れていました)
 夕映は孤独を極端に嫌う。きっとそれは病気のせいもあるのだろう。
(いつか大事な人との別れが来る。私はその時、ちゃんと別れる事が出来るのでしょうか)
 幼稚な死生観が夕映の心を巡った。死の意味を、夕映は祖父の急逝で知ったのだ。あの日も確か寒い日だったはずだ。祖父に抱きついた時の、あの独特の匂いは、今でも夕映は思い出せた。
 あの時はまだ夕映は別れ方を知らなかった。ただただ泣き叫び、両親に怒りをぶつけるばかりだった。幼児がデパートのおもちゃコーナーで駄々をこねる様に、夕映も祖父の死に駄々をこねたのだ。絶対に実らない嘆願、祖父との別れ方は時間が過ぎるのみに頼ったやり方だった。
 遠く、窓の先の曇天を見つめた。そこに黒煙が混じる。どうやら同じ葬儀場で火葬が始まった様だ。
 灰色の雲を黒い煙が覆っていく。寒さも手伝ったのだろう、夕映は無性に寂しくなり、繋いだ手を強く握り締めたのだった。



     ◆



 葬儀から一ヶ月程経った、十二月のある日の数学の時間だった。
 床の冷気は上履きを通り足先を覆う。ブルリと体を震わせた時、夕映は妙な感覚に襲われ、隣の席――長谷川の席を見た。彼女の席には献花が飾られている。
 いつも通りだ。何の違和感もないはず。そう思い、夕映は黒板に視線を戻した。
 その時、肩口にチクリと些細な違和感が走った。
 何も見えない、ならば危険では無いのだろうと思い、慌てず真名の方向を見た。どうやら彼女も何かに気付いたようで、こくりと頷きで返された。
 心に緊張感が走った時、ガラリと音がした。誰かが入ってきたのか、と皆が一斉に音の方向、教室の後ろのドアを振り返った。
 そこには誰もいなかった。足音も特に無い。
 ただほんの少しだけ開かれたドアがあっただけだった。ほんの少し、細身の中学生がやっと通れるくらいの隙間だ。
「え、何? 今の音」
「何でドア開いてるの」
 ガヤガヤと騒がしくなる生徒達を制したのは、数学教師の声だった。
「おいおい、誰だ誰だ、ドアを開けた奴は」
 どんなイタズラをしたんだ、と言わんばかりの顔だった。事実、この2-Aの生徒は、教師にイタズラを何度も仕掛けている。
 されど、その言葉に明確に返事をする者はいない。喧騒はやがて一つの懸念に行き着き、視線は夕映の隣の席――長谷川の席に集まった。
「ま、まさか……」
「いや、でも……」
 生徒達の言葉を教師が一喝する中、夕映はやはり真名を見つめていた。なぜなら彼女の瞳はほのかに光り、ずっと教室のドアに向いていたから。



     ◆



「長谷川だった」
 寒空の屋上に他の人間の姿は無い。真名は特に声量も落とさず、堂々と喋れた。
「――。やはり長谷川さんだったんですか。でも私には見えませんでしたよ」
「かなり希薄だった。縁が強く、なおかつ素養がある人間くらいしか見る事は出来ない程、薄い。恨みつらみで霊となっているなら夕映にも見えていただろう。むしろ何故自分が死んだのかすら理解していない様子だったな」
 真名は先刻の状況を、しっかりとその瞳で見ていた一人だった。
「理解していない……」
 その様子を思い浮かべると背中が凍りつくようだった。周りの人物が自分を認識出来なく、その上自分が実は存在していない。死んでいる、そう宣告された時、自分はどうするだろうか。
 奇しくも長谷川の状況は夕映の病気に似ていた。
「でもなんで一ヶ月も経ってから現れたんでしょう。それに幾つかの霊を見てきましたが、霊は『死んだ場所に現れる事が多い』気がしました」
「無意識か。長谷川にとって印象の強い場所だったのかもな、教室は。それに地縛霊や怨霊になるのに時間は関係無い。死んでから数分、時には数百年かかる事もある。だが今回は異常だ。本来あの程度の希薄さなら、地脈に吸収されるか、自然と浄化するはずだ」
「でも、ならどうして長谷川さんは霊になったんでしょう」
「考えられる可能性は三つ程ある。一つは内的要因、長谷川自身に特殊な素養があったり、もしくは強い怨念や意志があったりした場合だ。今回の状況を見る限り、その可能性は無さそうだが。二つ目は外的要因。誰かが長谷川に何かをした、という状況だ」
「何か……ですか。それは降霊術とかそういう類の?」
 夕映は寒風に体を震わせながら、先程買った缶コーヒーをそっと飲んだ。
「まぁそういう事だ。呼びつける術は沢山ある。悪魔の召喚――いや、よそう。この場合こっくりさんでもかまわんさ。浄化されるはずだった長谷川が呼び出された、という可能性だ。この場合、意図的か、そうでないかで状況は変わってくるな。本来この手の術法は対価や代償が伴う。仮にそうだとした場合、素人がやったとは思いたくないな。そして三つ目は……」
「三つ目は何なんですか?」
 真名は表情を変えなかったが、どこかためらいがちだ。
「三つ目は状況的要因、とでも言うかな。先刻話した世界樹の話は覚えているか?」
「はい……つまり龍宮さんは、世界樹が原因の淀みが、長谷川さんを霊にしてしまったと考えているんですね」
 夕映は一呼吸置き、真名の言いたい事を推察した。
「その通りだ。正直ここまで酷い状況だとは思わなかった。ましてや、魔法使いが管理する都市が、これほど霊的に荒れるとはな。最近協会の方が慌しい理由が分かったよ」
「そう言えば高畑先生も出張が多いですね」
 夕映は、担任教師が病気を含めて色々気にかけてくれてる事を知っている。そこからおそらく、彼が魔法に何かしら関係しているだろう、と推察していた。
「綾瀬は知らないだろうが、一応うちの担任は業界で中々顔を利かせている有名人でね。おそらく世界樹の事で色々飛び回ってるんだろうさ」
 屋上の欄干から世界樹を見る。緑は消え、枝だけが空を突かんばかりに伸びている。他の木々と同じ姿なのに、どこか寒々しい印象を強く抱かせた。
「状況は最悪だ。特に綾瀬、君とってな」
「……はい」
 病気のため夕映は幽霊などに対し敏感だ。触れてしまえばその思いが流れ込み、最悪の場合、心すら壊れてしまう。
 夕映は状況を良く理解している。
 世界樹の状況が改善されない限り、淀みは増え続け、夕映にとっての環境は悪化していく。ましてや今麻帆良には殺人鬼までいるのだ。もし長谷川の霊化と殺人鬼に繋がりがあるのなら、容易に状況が好転しないのは明白であった。
「私としては転校を進めたい。魔法診療を受けるだけなら他の場所でも出来る。発作が起きたなら、連絡があれば私が――」
「嫌です」
 そんな言葉を、夕映は最後まで聞きたくなかった。
「龍宮さん、私邪魔ですか? 迷惑をかけているのは知ってます。だけど、龍宮さんは私がいなくて――」
 その瞬間、頭頂部にポンと手が置かれた。寒空の中、冷え切った真名の手が夕映の髪をゴシゴシと撫でた。
「よしよし。悪かったな綾瀬。なーに、これでも神社の巫女もやってるからな、雑霊の百や二百から君を守るくらいは出来るさ」
「う……うーッ! 子供みたいな扱いは止めてください! 私達は同い年ですよ!」
 夕映は両手を挙げてブンブンと振る。同い年、とは言うものの夕映と真名ではかなりの身長差があり、姉妹と言っても通用するくらいだ。もちろん妹役が夕映である。
「はは、いやすまないね。どうにも綾瀬の頭は手が置きやすくてな」
 暗に身長差の事を言っている様な気がして、夕映はふくれっ面をした。
「さぁ、秘密の話はお終いだ。寒いからいい加減校舎に戻って、帰る支度をしようじゃないか」
 欄干の下ではぞろぞろと人が集まり、授業後に帰寮する『帰宅組』の集団下校が始まろうとしている。
「あ、急がなくちゃいけませんね」
 慌てて屋上の入り口に向かう夕映に、真名が声をかけた。
「――綾瀬、長谷川の事は忘れろ」
 夕映の足がピタリと止まった。
「長谷川さんを、ですか」
「あぁそうだ。君が長谷川に対し、引け目を感じているのは知っている。心の底では思ってるんじゃないか、幽霊となった長谷川を哀れみつつ、〝助けたい〟と」
「――ッ」
 どこかそういう思いがあった。今日の数学の時間、夕映は肩にほんの少しの違和感があったのだ。おそらくあれは長谷川が触れるか何かしたものだろうと思う。
 真名の言葉を聞く限り、周囲の人間は長谷川が触れても感じる事すら出来ないだろう。
 長谷川の孤独を救えるのは、魔眼を持つ真名と、霊に敏感な自分しかいないのでは、と夕映は思っていた。
「やめておけ。きっとお互いが不幸になる。今は自分の事だけを考えるんだ。いいな」
「……はい」
 真名の言葉は夕映を心配するが故だ。そのため無碍にも出来ず、夕映は納得出来ないまま頷くしか無かった。



     ◆



「し、失礼します」
「いらっしゃい、とでも言えばいいのかな」
 その日の夜、夕映は寮の真名の部屋にお邪魔していた。
 手には着替えや生活用品が入ったバッグ。肩には宿題のノートを含め、明日の授業のための用意が入ったトートバッグを下げている。
 部屋はシンプルな装いだった。物は全て棚に収納され、最低限の小物しか視界に入らない。本好きのルームメイトと、創作活動が好きなルームメイトのせいで、雑然としている自室とは大違いであった。
「まぁそこらで楽にしててくれ。飲み物でも持って来よう」
「はぁ」
 夕映は部屋の中央に置かれたテーブルの端にちょこんと座り、きょろきょろと部屋を見回す。部屋の大きさやベッドの位置は同じだが、真名達は三人部屋を二人で使っているせいか、空間が広く感じられる。
 夕映の前にことんと緑茶が置かれた。
「ありがとうございます……そういえば桜咲さんは?」
「ん、刹那か。彼女はちょっと所用でね。今夜は帰ってこないよ」
 刹那――桜咲刹那とは真名のルームメイトである少女だ。小柄ながら稟としており、武道に秀でているらしい。
 真名と刹那は二人でこの三人部屋に住んでいる。以前聞いた話によれば、どうやらそれにも色々と理由があるらしい。
「刹那、か……」
 真名の刹那への親しい呼び方を聞き、夕映の口から呟きが自然と漏れていた。
「ん、何か言ったか?」
「い、いえ。何でもありません!」
 慌てて否定し、どうにか話を逸らそうと、思案を巡らせた。
「そ、そういえば良いんでしょうか。その、私が龍宮さんの部屋にお泊りなんてして」
「当分の処置さ。今となってはこの寮も安全圏では無いからな、とりあえず何かしらの対策が立てられるまでは、ここで寝泊りしてもらう。学校側にも連絡は入れてある。寮監に予備の寝具も用意してもらったしな」
 と、真名が視線で示した先には、真新しいシーツが掛けられているベッドがある。
「少し不便だとは思うが、我慢してくれ」
「が、我慢だなんてそんな」
 真名の要請により、夕映は当分この部屋で寝起きを共にする事になったのだ。ちなみに夕映は自分の部屋から荷物を持って出て行く時、嫌にニコニコとしたハルナに見送られている。
(う、う~。なんか緊張しますね)
 夕映と真名の付き合いは二年に及ぶが、そのくせお互いの部屋を行き来したりはしていない。メールの交換などは頻繁にしていたが、それでもあまりお互いの領域に踏み込まなかったのだ。
 周囲が驚くほどベタベタしたのはここ一ヶ月だ。もっとも本人達にすれば、必要に駆られて、という事になるが。
 夕食も済んでいる時間帯とあり、二人は他愛無い会話をした後に就寝する事となった。
 暗闇の中、夕映は真新しいシーツに包まり、慣れない枕に後頭部を静めながら、ぼーっと天井を見ていた。
(なんか不思議な感じがしますね。目が冴えて、眠れそうにありません)
 そっと視線を横に向ければ、真名が寝ているベッドのふくらみがある。
「龍宮さん……」
「何だ?」
 小さな呟きを即座に返され、夕映はビクリと肩をすくめた。
「起きてたんですね」
「昔の職業柄、眠りは浅いほうなんだ」
「そうなんですか」
 夕映はこの部屋にあるもう一つのベッド、刹那のベッドを見た。どうやら本当に刹那は今夜帰って来ないらしい。
「桜咲さんもやっぱり、関係者なんでしょうか」
「あぁそうだ。刹那も色々あってね、複雑なんだよ」
 また〝刹那〟だ、と夕映は内心ぼやく。
「龍宮さんは、桜咲さんと親しいのですね」
「そうだな。中学に入ってからの付き合いだが、お互い似ていてね。どこか親近感が沸くんだ」
「似ている? お二人がですか?」
 真名と刹那、凛々しい雰囲気を二人とも持ってるが、他に似ているような共通点を夕映は見いだせなかった。
「……そうだな。綾瀬は『みにくいアヒルの子』を知っているか?」
「はい。アヒルの群れに紛れた一羽のひな鳥が醜い姿のためにイジメられ、逃げた先、白鳥の群れで自分が美しい白鳥だと気付く話ですよね」
「そのひな鳥は白鳥の群れに行けて幸せだったのかな。イジメられても、ひなが育ったのはやはりアヒルの群れだったはずだ。共に大きくなっていったアヒルと共に、ひなは生きたかったんじゃないかな」
 人は産まれる環境を選べない。それでも産まれた土地には、環境には郷愁を持ってしまう。
「そうかもしれませんね。同じ姿の白鳥の群れに辿り着いた時、ひな鳥は安堵したかもしれません。でも、やはり悔恨はあったはずです」
「――そういう事だ。私も刹那も難儀なものでね。色々とその郷愁ってやつがあるのさ」
 真名はそう言って話を打ち切った。夕映は何となく察した。真名の肌の色は日本人のそれと明らかに違う褐色。そして魔眼、どうやらあの力を持つ人間は稀な様である。
 そういう種々の事から推察すれば、真名の言いたい事が分かった気がした。
 それでも――。
(龍宮さんはそういう苦しみを、桜咲さんと共有しているのですね)
 チクリと胸が痛んだ。
 その痛みを、夕映はこの時吐露すべきだったが、静謐な空気漂う部屋の中で口を開く事が出来なかった。
 夕映は後々まで、その事を後悔する事となる。



     ◆



 次の日からは二人きりという事は無く、刹那を含めた三人での共同生活が始まった。
 教室にいる時は常にクールな印象を抱かせる刹那だったが、部屋で真名と共にいる時はくだけた物言いもする、打ち解けた雰囲気を醸し出していた。
 夕映も表面上はいつも通りに対応していたが、どこか心にもやもやするものが溜まっていった。
 それを吐き出す機会は訪れず、夕映が一方的に距離感を感じ続けたまま、運命の日は訪れた。
 集団下校での帰り道。日が短くなった最近では、この時間でも薄暗くなってしまう。
 真名と刹那が談笑する後ろで、夕映は口数少なくくっ付いていた。
 どうにも二人の会話に入っていく気が起こらず、夕映は気を紛らわすように視線を遠くに向けた。
(あれは――)
 路地裏を走り抜けていく人影。その横顔を夕映は知っていた。
(長谷川さんッ!)
 自然と足がその方向へ向いていた。
 幸か不幸か、真名に悟られる事も無く、夕映の体はスルリと路地裏に滑り込んだ。
 真名も完全な人間ではない。この数日、夕映は常に共にいた。そのため自分の近くにいる事を当たり前だと認識していたため、夕映そのものへの警戒が緩んでいたのだ。
 真名がその事に気づいたのは、ほんの数分後。しかしその数分こそが、取り返しのつかない事態を呼び込んだのだ。



     ◆



 息を荒くしながら路地裏を走る。
 普段の夕映だったらしない様な無謀な行いだったが、今の彼女は冷静さを欠いていた。
 吐く息は白く、冷気が喉元をキリキリと締め付けるようだった。
 長谷川の姿はもう見えない。
 しかし、夕映は確かに見たのだ。彼女を追いかける事は、寂しさに、孤独に打ち震える自分を助けるような代償行為だったのかもしれない。
 やがて足は重くなり、止まってしまう。
「はぁ……はぁ……」
 鞄を地面に置き、手を壁に付いて息を整える。
 薄暗い路地裏には表通りの街灯の明りは届かない。頭上に見える狭い空の色は青から紺へと変わっていた。
「何をやっているのでしょう、私は……」
 馬鹿馬鹿しさが心に沸き起こる。長谷川を見た時の咄嗟の衝動、それは真名に戒められていた事のはずだ。
「怒られてしまいますね。それとも愛想を尽かされてしまうのでしょうか」
 愛想を尽かされる。その想像をした時、夕映の体を強い悪寒が走る。
 孤独、不安、恐怖、それらが無い混ぜになった感情が溢れてくる。
(まさか――だって発作はこの前――)
 発作の感覚は数ヶ月から半年。前回の発作からまだ一ヶ月しか経っていない。
 夕映は発作の衝動を感知し、ドクドクと脈打つ自分の心臓の音を聞いた。極度の緊張感から震える手で、携帯を取り出そうとする。
「は、はやく連絡を――」
 その時、携帯に着信が入った。着信音から真名だと判断出来た。
「龍み――」
 着信ボタンを押すまでに至らず、夕映の『幽霊病』は、体の幽体化を始めてしまう。
 ほんの一瞬であった。夕映の体も、服も、手に持っていた携帯ですら、瞬時に空間から消えうせ、ただそこには夕映の意識だけが残留した。
 剥き出しになった心が、負の感情によりないまぜになっていく。吹雪の中に裸で立っている様な、嵐の海で何の目印も無く船を進めるような、そんな恐怖が夕映を覆いつくす。
 声は出ない。
 こうなったら夕映はもう待ち続けるしかないのだ。
 何秒、何分、何時間経ったのか。
 それでも、彼女は来てくれた。
 いつかの様に息を切らしながら、必死になって自分を探してくれたのだ。
「――ふぅ、まったく。君にはいつも困るな」
 路地裏に立つ真名は、地面に置かれた夕映の鞄を確認し、夕映が居るだろう方向へ視線を向ける。
「いなくなった矢先にまた発作か。だから私の傍にいろと言ったのにな。まぁ、いい。お説教は帰ってからにしよう」
 そう言いながら真名は微笑んだ。
 真名の安堵は、剥き出しになった夕映の心へも伝わる。じんわりと温もりが広がり、夕映を落ち着かせた。
「さぁ、帰ろう」
 真名の瞳が淡い光を灯し、彼女の手がそっと夕映へ向けて伸ばされる。
 存在しないはずの夕映の肌に触れ、彼女は言葉を紡ごうとした。
「綾――」
 黒いもやが、真名の背後で瞬時に男性の形を作った。手にはナイフ。薄闇の中、ナイフが創り出す光の軌跡が、真名の右手首を切断する。
 吹き出る鮮血。
「ぐぅッ! なッ――!」
 真名は慌てて振り向く。至近距離に立つ男。戦場を長く経験していた真名にとっては、ありえない失態。
 男の顔は暗闇に包まれて分からない。
 激痛を押し殺す。真名は無事な左手を懐に入れ、拳銃を取り出した。同時に魔眼で男の正体を見極めようとするものの――。
(何だコイツはッ!)
 瞬時に麻帆良を騒がせている殺人鬼が思い浮かんだ。
 男に肉体は存在してなかった。怨霊に近い。概念とも呼ぶべきものが寄り集まり、人の姿をかたどっているだけである。
(ki……ller? キラー? 名前なのか?)
 男の体内を魔眼で見た真名には、その概念の中心に浮かぶ幾つものアルファベットを見つけた。
 ためらい無く引き金をひく。放たれた弾丸には破邪の効果もある。男に命中したが、弾丸は全てすり抜けるように背後の壁に突き刺さった。
 男は真名の右手首を広い、体にスルリと飲み込んだ。空洞の様な目が笑っている。ギュルリと視線を真名の瞳に合わせて、更に笑みを強めた。
「ちぃッ!」
 ズキズキとした痛みが、真名を冷静にさせてくれた。
 背後には動けないたゆたう夕映がいる。ただ呆然と成り行きを見詰めるしかない夕映は、恐慌を起こしていた。
 この場を動くわけにはいかない。それが真名の決断だった。
 なぜならば、目の前の男は夕映をもチラチラと見ているのだから。魔眼を持ってしてやっと見える夕映の幽体を、男を見ることが出来ている。
 本来機敏な機動力を活かしながら、間合いを取って攻撃するのが真名の戦闘スタイルである。それが封じられていた。
 男は顔を真名の鼻先にまで近づけ、空洞の瞳でジロジロと彼女の瞳を見つめた。
「違ウ。コレジャナイ、コレはあのヒカリじゃ――」
 男の口元から、ブツブツと声が漏れた。
 興味を失った男は、今度は夕映を見つめた。存在しないはずの夕映にしっかりと焦点を合わし、ニタリと微笑みながら、手のナイフを振り上げた。
 振り下ろされたナイフは肉を抉る。
 虚空に抱きついた真名は、自らの背中で夕映を守ったのだ。
 じょぶじょぶと肉を掻き分けるナイフ。黒いもやが真名の体へと入っていく。
「がぁぁぁぁぁあああああ!!」
 真名の絶叫。
 夕映の恐慌は極限に達し、存在しない瞳は恐怖一色に染まった。
 男の顔が夕映の視界いっぱいに広がる。空洞がつまらないものを見たように興味を失った。
「違ウ違ウ。コレモ」
 その時、男は驚いた様に首をすくめ、キョロキョロと周囲を見回した。
「見ツケタ」
 どこか遠くを見つめた後、男は喜びを露にしたたままもやになって消えた。
 静寂が路地裏に戻ってくる。
 ――静寂では無い。
 真名の荒い息遣いだけが残っていた。それは命の吐息だ。
 夕映はただ視界で息絶えようとしている真名を見つめるばかりだ。
 彼女の背からは血が溢れ、背骨すら剥き出しになっている。
 いや、剥き出しの骨も消えていた。真名の背中にキラキラと小さな光の粒子が舞う。
 真名の体がゆっくりと、光の粒子に変わっていく。
 ピクリ、と指が動いた。
「……はは、参ったな。あの殺人鬼、只者じゃないよ。まさか私の魂まで喰らうとはね」
 魂。それは真名にとって核だった。心臓よりも大事な、彼女自身を証明する存在。
 口から血が溢れる。地面を這うようにして、夕映へ近づく。
「それでも、君が無事で良かった」
 背中だけでは無い。足先も消え始めている。
 光の粒子は風に乗り、淀みきった麻帆良中へと散らばっていく。
 真名は存在しないはずの夕映の頬に手を添えた。
「私はね、きっと、君が、羨ましかったんだ。所詮、私は、醜いアヒルのなんたら、ってヤツでね――」
 声はか細く途切れ途切れだ。
「でも、君と共にいたいという思いは、きっと、そんな事とは、関係なかったのだろうね」
 真名の額と、夕映の額が重なる。
「急な事で、君は悲しむだろう。だからこそ、これはお礼さ――」
 瞳の明りが小さくなり、代わりに夕映の中へと何かが流れ込んでいった。
「ありがとう、〝夕映〟――」
 肌に触れ、名を呼ぶ。それはエイドス消失症候群と呼ばれるこの病の、唯一の特効薬。
 夕映の体が徐々に構成されていく。代わりに真名の体は消えていった。
 目から涙を溢れさせる夕映に対し、真名はにっこりと笑い、何かを話そうとするが――。
 風が吹いた。
 その小さな風が、光の粒子となった真名の輪郭を全て吹き飛ばした。
「あっ……あっ……」
 笑顔は砂絵の様に消える。
 夕映は愕然と膝を突いた。そして自らの顔を両手で強く掴む。爪が頬に、額に食い込み、血が溢れてくる。
「あああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!」
 慟哭が響く。
 夕映はまるで狂ったように叫んだ。
 瞳が淡く光っている。
 そして夕映は流れ込んできたモノの意味を理解していく。それは記憶だった、真名の断片的な記憶。
 彼女を構成していた、僅かな欠片。
「あぁぁぁぁあああああああああああ!!」

――果たして切っ掛けは何だったのだろうか。

 悔恨がとめどなく責めぎたてる。周囲に溢れる血には、まだかすかな温もりが残っていた。

――そっと彼女の肌に触れた時の喜びを、どう表現すればいいのか分からない。

 夕映が困った時、寂しくなった時、彼女はいつの間にかそっと手を握ってくれた。

――ただ失われていく、その温かみをすくい取る事が、今の自分に出来る最善であった。

 しかし、もうその手は存在しない。

――願わくば――。

 心が思いを巡らしていく。
 慟哭は途切れなく続きながら、夕映は受け継いだ知識から、希望を掬い取ろうとした。
(――魔、――召喚、――禁呪、――代償、――魂)
 周囲の血は冷めていった。再び温もりを得るために、夕映は心を壊していく。
 慟哭はやがて笑い声へと変わっていた。
「ははははははあはああははははははは!!!!」
 数分後、駆けつけた刹那が見たのは、血の海で膝を突き狂ったように笑い続ける夕映の姿だけだった。



     ◆



 遠く、この麻帆良のネットワークからその光景を見つめる一人の少女がいた。
「アナタは、やはりどこでも不思議な目を持つのですね」
 黒い髪を肩口で揃え、不気味なくらいに白い肌を持つ少女は呟く。
「そして、アナタも――」
 もう一つのモニターには、栗色の髪をした少女が映っていた。受け継がれるべきものは受け継がれていた。ただ発芽が遅かっただけ。
 そう、たったそれだけなのに。
 少女は表情すら変えず、そっと瞳を閉じた。



 ユー・タッチ・ミー 了。










●キャラ紹介

・ユーさん(夕映)
なんか良く分からない病気の人。
ラストで完治。良かったね。

・タッチミーさん(龍宮)
復活フラグが立ったよ。

・遺影の人
とにかく役に立たない。出番も無い。

・黒い髪の少女
『世界』の方が進むと分かるかも。
現時点で察しちゃう人がいたら異常。

・killerさん
手首大好き。


●あとがき



なんか書いてみました。
ついでに『追憶』の続編というのを明記しておきました。
この『追憶』関連では色々実験してるのですが、今回の話だとほぼ二人の人間の会話分だけで話を構成してみよう、というものをやってみました。
作者はどうしても地の文に頼りきりになってしまうクセがあるので、逆にセリフ量を多く意識してみました。
大体二人がダベっておしまいって感じです。



[29380] アルケミストちさめ 1(千雨魔改造・チート・世界樹の迷宮モドキ・ネギま)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/25 14:10
※※※※※※注意事項※※※※※※
・このSSは相変わらず千雨魔改造です。
・全7話です。
・世界樹の迷宮〝モドキ〟の表記通り、完全に『モドキ』です。
 ゲームやりながら書いてたので、上っ面だけ借りてます。公式資料とかはサッパリ知りません。
・時系列が錯綜しています。冒頭の番号が時系列を示しています。
※※※※※※※※※※※※※※※※


アルケミストちさめ/The Game.

●2
 宙を舞う試験管。
 それが地面に当たって割れ、中の液体が周囲に散らばる。
「《火の術式》!」
 綾瀬夕映の言葉と共に、液体が一気に燃え上がる。
 炎は周囲にいた魔物――モンスターを焼いた。
「ピギィィィ!」
 身の丈五十センチ程のウサギが悲鳴を上げる。
 『森ウサギ』と呼ばれるモンスターだ。
 三匹いるウサギのうちの一匹が、《火の術式》の餌食になっていた。
「今です!」
「まかせて」
 夕映の合図に答えるのは、狩人の格好をした宮崎のどかだ。手に持つショートボウの狙いを、火達磨になっているウサギに定める。
「――ッ、そこ!」
 弦のしなる音。
 放たれた矢は、狙いたがわずウサギの頭部に当たった。
 火達磨だった『森ウサギ』は、悲鳴を上げながら光の粒へと変わっていく。
「キシャァァァァァ!」
 同胞の死に怒りを露にした残りの二匹が、歯をむき出しにして夕映とのどかに襲い掛かろうとする。
「《パリング》! ほいっと。通行止めだよ」
 その進路を塞ぐように、早乙女ハルナが立ちはだかった。金属製の鎧に身を包み、手には盾を持っている。
 ハルナの持つ盾が、一匹のウサギの攻撃を受け止める。
「ぐぅぅ、重い!」
 衝撃にぐらつくハルナ。その隙を見逃さずにもう一匹が肉薄し、ハルナの腕と頬に切り傷を作る。
「痛ッ!」
「ハルナ!」
 飛び散った血を見て、夕映は思わず声を上げた。
「まかしといてな」
 負傷したハルナに近づく影がある。
 大きな鞄をガサゴソと漁りながら走るのは、近衛木乃香だ。
 手に持った薬品をハルナに投げ、「《キュアI》!」と声を出す。
 それだけでハルナの傷はあっという間に塞がった。
「サンキュー、このか!」
 ハルナは木乃香に礼を言いながら、右手に持った剣を盾の隙間から突き出した。
 ウサギの腹を浅く抉る。二匹は形勢不利と見て、一旦間合いを取るが――。
「遅いです」
 呟く夕映の両手にはそれぞれ二本の試験管。合計四本になるそれを、二匹のウサギに向けて放り投げた。
「《大爆炎の術式》!」
 試験管同士がぶつかり合い、空中で大きな火になった。火は膨らみ、弾けた。
 炎が三メートル程の円状に広がり、中の物体を焼いていく。
「ピギィィィィイイイ!」
 二匹の悲鳴が木霊した。ブスブスと肉が焦げる臭いがしたと思ったら、ウサギ二体の体が耐えられなかったのだろう、光の粒となって消えていった。
 そして間もなく火も消える。
「ふぅ」
 夕映は額に流れる汗を拭った。
「お疲れ夕映。大活躍だったじゃん」
 ハルナが夕映の背中を叩く。
「うんうん凄かったよ」
「ほんまやで」
 のどかと木乃香がそれに頷く。
「ですが、かなり薬品を使ってしまいました。今後を考えると、少し心許ないですね」
 先程の戦闘で、夕映は試験管を五本も使用していた。残りは六本程、同じペースで使い続ければ一、二度の戦闘で試験管が尽きる。
「そっかー。やっぱうちのパーティーは火力不足だねぇ」
 ハルナは持っていた盾を地面に突き刺し、それによりかかる。
「あ、ドロップアイテムが出てる」
 火が消えた場所に、歯の様な物が残っていた。『森ウサギ』が良く残す『小さな牙』だ。戻って組合なり商店で売れば金になる、いわば夕映達の生命線である。
 のどかはドロップアイテムに近づき、素早く回収した。
「ほな、今日はもう戻らへん? 帰りの時間考えると、丁度いいと思うんや」
 木乃香の提案に、ハルナものる。
「だねぇ。じゃ戻ろうか。『糸』使う?」
「駆け出しの私達には『糸』も高級品です。まだ余力があるなら、足で戻りましょう」
 ハルナが取り出したのは『アリアドネの糸』。ギルド組合が提供している、迷宮探索必須のアイテムだ。
 しかし、その価格は日本円にすれば十万円程となる。駆け出しパーティーの夕映達からすれば、それは温存したい代物だ。幸い、自分達がいるのは迷宮の地下三階。直通経路を辿れば、戦闘を考えても二時間ほどで地上へ戻れる算段だ。
「よし、方針も決まったし、行こうか」
 ハルナの呼びかけに三人は「うん」と答える。
 来た道を戻り出した仲間の背を追いながら、夕映はふと天井を見上げた。
「ほんとうに不思議ですね、ここは」
 周囲はまるで森の様だ。夕映の頭上は鬱蒼と繁る木々に覆われているが、葉の隙間からは陽光が降り注いでる。鼻につく濃い緑の香り。
 まるでどこかの森林地帯の様だが、ここはあくまで〝地下〟なのだ。
 周囲の木々も、陽光も、全て麻帆良地下に突如現れた『迷宮』により作り出された代物だ。
 この不思議で、凄惨で、無慈悲な場所にいながら、夕映の心は躍っていた。
 元々ファンタジーやその手のフィクションには目が無い。それに――。
「やはりコレも関係しているのでしょうか?」
 厳つい金属篭手――ガントレット――を裏返せば、自らの左手首にある緑の模様が見えた。
 ある日を境に夕映達四人に刻まれた、左手首の文様。それは木のツルを描いたタトゥーにも思える。
 このツルを持つ人を『魅入られた者』と言うらしい。
 まさに『迷宮』に魅入られてしまったのだ。『魅入られた者』は迷宮がある都市から離れると強いストレスを感じる。また、迷宮探索への強い欲求を持つ事にもなる。
 本来、只の学生であった夕映が、幾ら切っ掛けがあったとは言え、無防備にこんな危険な探索を始める分けが無い。ましてや命が掛かっていると考えればなおさらだ。
(おそらく、それもこの『呪い』のせいなのでしょうね)
 夕映はギュッと拳を握りこむ。
 例えどんな経緯だろうが、夕映はこの場所に心躍っているのだ。
 見た事も無いモンスター、様々な罠、その先に眠る数々の宝。ここに日常は無い、変わりにそれ以外全てがあった。
 ここは『世界樹の迷宮』。埼玉県麻帆良市に現れた、巨大な地下迷宮である。












あとがき

 読んで頂きありがとうございます。
 これは以前投稿した『The Game』のリメイクなんですが、以前の名残は欠片も残ってません。

 そういえば世界樹の迷宮4が出るそうで。なんかタイミングが良いですね。

 あと話ごとの時系列が多少前後してまして、冒頭の番号が時系列順になってます。本来一話分の話を、場面ごとに七分割しているので、話の長さにムラがあります。
 全7話と短い話ですが、お付き合い願えたら嬉しいです。
 少女達によるほのぼの迷宮探索ライフが始まったりします。



[29380] アルケミストちさめ 2
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/25 14:05
●3
 切っ掛けは些細な事だった。
 図書館探検部として、麻帆良にある巨大な図書館の地下を探索した日の夜であった。
「あれ? これ何だろう」
 綾瀬夕映、宮崎のどか、早乙女ハルナ、近衛木乃香の四人は、部活動で付いた埃を落とすため、仲良く大浴場に入っていた。
 体を洗う際、手首に奇妙な模様をのどかが見つけたのが発端であった。
 気付けば四人とも、左右の違いはあれど、手首に緑色のツタの様な模様が肌に出来ていた。
 洗っても落ちない奇妙な模様に首を傾げつつも、四人は特に気に留めることも無く、その日を過ごした。
 翌日、四人は奇妙な現象に陥いる事となる。
 放課後、各々が分かれて帰寮の途についたはずなのに、四人がまったく同じ場所で出会ってしまったのだ。
 四人の目前には麻帆良が誇る巨大樹木、通称『世界樹』がある。
 少し丘になっている『世界樹広場』で、四人は示し合わせた様に再会したのだ。
 それぞれの言い分から察すれば、『なんとなく』ここへ来たらしい。
 特に目的も無いので、「とりあえず一緒に帰ろう」と話し合った四人の前に、一人の女性が現れた。
 髪をピシリと纏め、きっちりとしたスーツを着こなすキャリアウーマン、という印象の女性である。
 そして、彼女はこう言ったのだ。
「皆様、迷宮に興味はおありでしょうか?」
 女性の浮かべたアルカイックスマイルを、夕映は今でも覚えていた。
 これこそが転機であったと、今でも思えてしょうがない。



     ◆



 女性に連れられて、四人は世界樹広場の片隅に連れて行かれた。
 そこはなんとも無い、広場にある石壁の一つであった。
 女性は「どうぞ」と言いながら、壁を示す。疑問符を浮かべる四人に、女性は笑顔で返し「どうぞ触れてみてください」と言った。
 なにがなんだか分からぬまま、夕映達は壁に触れようとするが、触れようとした指先はそのまま感触無く壁に飲み込まれた。
「わわわ!」
 驚きながらたたらを踏む。気付けば四人は壁の中に吸い込まれていた。
 そして視界に広がる風景に、夕映達は感嘆の声を漏らした。
「うわぁ」
 天井が十メートルはある地下街。石造りの壁に、石造りの家々が並ぶ風景は、中世ヨーロッパの城塞都市を思わせた。
「な、何これ。どっかの遊園地か何か?」
 ハルナが疑問の声を上げる。
 石造りの閉ざされた空間なので薄暗い。しかし天井はライトすら無いのに、ぼんやりと薄く光っていた。
 その光の下、様々な商店が並んでいる。軒先に肉が吊るされていたり、むき出しの果実が山を作っていたり、およそ衛生管理の厳しい日本ではなかなか見かけない店の姿だ。
 そんな店の並ぶ通りを、これまた時代錯誤の格好で歩く人達がいた。
 体に金属製の鎧を着て、剣を腰に差している男。皮製の外套を纏い、大きな弓を背負う女性。
 それらの姿は夕映の好きなファンタジー映画に出てくる人間の様だ。映画と同じく、明らかに欧米系だと分かる顔立ちも多い。
 もちろんちらほらとと現代的な様相の人間もいる。
 そして、そのほとんどの人が手にデジタル端末を持っていた。買い物姿を見れば、商品の売買も電子マネーで行なっているようだった。
 近代化された中世ヨーロッパ、そんな矛盾した印象を夕映達は持った。
 いつの間にか背後に、先ほどの女性が立っている。
「ようこそ、『迷宮街』へ。ギルド組合はあなた方を歓迎いたします」
 女性がまた笑顔を浮かべた。



     ◆



 それからの時間はあっという間であった。
 夕映達は『迷宮街』と呼ばれる場所を通り歩き、ギルド組合支部なる建物へ連れられて説明を受けた。
 女性が言うには、夕映達は迷宮と呼ばれるものに〝魅入られた〟らしい。
 話を聞けば、一年ほど前に麻帆良の地下には『迷宮』と呼ばれる、ゲームで言う巨大なダンジョンが現れたとの事。
 『迷宮』では内部にいるモンスターを倒す事により、質の良い様々な資源が取れる。その資源を得るために、また『迷宮』を管理するために作られたのが、この『ギルド組合』なるものだ。
「私達、ギルド組合は探索者を求めています。最も誰でも良いという分けで無く、幾つかの条件を付けさせて貰っています」
 女性は更に説明した。
 『迷宮』や『迷宮街』については、原則存在自体が一般非公開とされ、メディアでもその情報は規制されている。いわばこの業界は薄いカーテンに区切られ、公の窓口が存在していないのだ。
 また関係者が『迷宮』について、存在を知らない人間に漏らす事は原則禁止されている。もし漏らした場合には厳罰があり、更に莫大な違約金まで支払わされるのだ。
 そんな情報統制化にありながら、探索者になるのは大変だ。
 探索者になる方法は二つある。
 一つ目は『迷宮』と『迷宮街』を探す事だ。
 探索者志望の人間は、存在するか分からない迷宮まで、〝自力〟で辿り着かねばならない。たくさんの情報ノイズを掻き分けながら、根気をむき出しにして『迷宮街』にまで辿り着く人間をギルド組合は歓迎するのだ。
 そしてもう一つの方法が、『迷宮』に〝魅入られる〟事だ。
 探索者を欲するのは、何も組合ばかりでは無い。迷宮自身も欲し、自分の周囲にいる素養のあるものに『呪い』にも似たマーキングをするという。その呪われた者こそ夕映達『魅入られた者』だった。
 ギルド組合は『魅入られた者』を探し、見つけた場合には勧誘するらしい。
「もっとも無理強いはしません。『呪い』とて『迷宮』が攻略されれば解放されます。一つの『迷宮』が攻略されるまで、平均三・四年と言われていますので、あと二年ほど不自由をかけますが、それであなた達は何事も無く生活出来ますよ」
 つまり、最低でも二年間は麻帆良から出る事が困難という事だ。例え出ても、過度のストレスに悩まされて生活もままならくなるらしい。
「あのー、ちょっと不思議に思うのですがよろしいですか?」
 夕映は疑問の声を上げた。
「どうぞ、こちらで答えられる事柄なら」
「はい。えーと、私達はその『迷宮』とやらに見初められた分けですよね。なのに、私達が迷宮をクリアしなくてもよろしいのでしょうか。ちょっと恥ずかしいのですが、その手の設定のフィクションだと、選ばれた人間で無ければ攻略できないとか、良く見かけるのですが」
 夕映の質問に対し、女性は馬鹿にせず答える。
「その疑問を持つ方は多いので、お気になさらず。実はほとんど問題ありません。『迷宮』に挑戦する条件とは、実を言うとまったく無いのです。ただ我々『組合』がある程度の選定をしているだけで、『迷宮』そのものはえり好みを一切しません。現在、世界中に『迷宮』は六つありまして、それら『迷宮』に挑戦する人間は数万人います。では何故わざわざ『迷宮』がマーキングをするのか、その実態は私達も分かりませんが、予測は出来ます」
 女性は壁にあるディスプレイを弄り、何かの表を出した。
「これはマーキングされた人間が解放された後の『迷宮』への挑戦率を表しています。ご覧の通り、リピート率が異常に高いのです。おそらく〝魅入られている〟間はお試し期間なのです。そして〝魅入られる〟事により、今度は自分が迷宮に〝魅入ってしまう〟のでしょうね。『迷宮』は恐らく探索される事を望んでいるのでしょう」
 また表示されたグラフが切り替わった。
「それに迷宮探索は常には無いスリルと興奮を探索者様に与えます。そして、莫大な収入も得られるのです。このグラフは探索者の平均収入を表しています」
「えーと、そのグラフの金額単位は何なのでしょうか? G$?」
「はい、そちらもご説明させて頂きますね。これらはG$(ギルド・ドル)と呼ばれる、我々『ギルド組合』が提供する『迷宮街』のみで使われる独自通貨です。探索者様は略してG(ゴールド)などと呼びますね。もちろん、これらは各国と国連との契約により、一般の流通貨幣との換金も行なえます。日本円ですと、現在は1G当り1000円前後のレートでお取引出来ます」
 その金額を聞き、ハルナが色めきだって立ち上がった。
「せ、千円! ってーことはそのグラフはいちじゅうひゃく……」
「落ち着くです、ハルナ」
 パシン、とハルナの頭が叩かれた。
 夕映は叩きながらも、色めきだつ気持ちは理解出来ている。目の前に示された金額は、莫大なのだ。しかし、そんなうまい話ばかりではないだろう、と疑う気持ちもある。
「でも、それだとそのG$のみで市場を維持する事は難しいんじゃないですか。どこか資本のある所が参入すれば、貨幣価値が簡単に下落すると思うんですが……」
「はい、そのために流通貨幣からGへの換金は一切行なっていません。個人間での換金を防ぐため、貨幣の流通は電子マネーのみで、『組合』側で管轄しています。また『迷宮街』を含めた探索者に必須の物資も、こちらで独占的に管轄させて貰ってます」
 女性は当たり前の様に笑った。
 先ほど見た街並みで、人々が端末を通して売買する光景が思い出される。
(なるほど、外部資本を完全に切り離しているのですか。資源を産み出す『迷宮』側からのみ扉を開け、相手側から開けさせない。うまく出来ていますね。それに、このシステムだとおおよそ簡単に換金をしない、いや出来ないでしょう)
 夕映はこの『迷宮』の中については大雑把にしか知らされてないため、テレビゲームを例に考えていた。
(探索は命懸け。そしてその命を繋ぐ物資はG$でしか買えない。一度流通貨幣に換金したら、G$には戻せない。よほど潤沢で無い限り、換金したら自分の命でツケを払う事になりません。閉鎖的な市場で成立するはずですね)
 もちろん、夕映が考える程、市場が閉鎖されている分けでは無かった。
 夕映は知らなかったが、この『迷宮』で取れる資源のほとんどが、『魔法世界』と呼ばれる魔法使いによる異世界、業界で消費されていた。また『迷宮』産の薬の一部などは、現代の化学薬品を超えるものもある。経済界の富裕層などは、大枚を叩いて買い漁ってたりする。
 それに幾ら『迷宮』が資源の宝庫と言えど、様々な外部の物資は必要となる。そのため夕映達も知っている幾つかの大きな企業もこの業界には参入してたりする。
 もっとも『組合』の強権の元で行なわれるため、企業が得た利益の幾らかを運営側が回収していたりするが。
「他にご質問はありますか?」
「えーと、そうですね。『迷宮』の安全性とかはどの程度なのでしょうか。大雑把に聞きましたが、その怪我とか……死ぬ度合いとか」
 夕映の質問に、少し表情を硬くしながら女性は答える。今回はディスプレイを弄らなかった。
「そうですね、この『迷宮』の探索はもちろん安全ではありません。多くの人が怪我をします。綾瀬様は死亡者の数が知りたいのですか?」
「あ、はい。もしよろしければどの程度なのか、参考に……」
「はい。別にお隠しする事じゃ無いので言いますと、今年度に至っては世界中の『迷宮』で合わせて57名程の死者が出ています」
 57名という人数が多いのか少ないのか、夕映達は一瞬判断がつかなかった。
「少し驚くかと思いますが、これは実は驚異的な数なのです。年間数万人という探索者が、命懸けで探索をしながら、死者がたった二桁というのは、安全性から見ればかなりのものと、組合は自負しています。この驚異的な死者の低下には、探索職であるメディックの技術強化や、『迷宮』資源から作れる薬品の品質向上を上げられると思います」
「なるほど……」
 夕映は頷く。話を聞く限り、数千人という死者が出ていてもおかしくないのが迷宮だ。なのに、予想はそれより遥かに軽い。
「ご質問が無ければ、次の説明に移ってよろしいでしょうか……」
 そして夕映達は簡単なオリエンテーションを受けた。
 およそ二時間程の説明の後、夕映達四人は探索者になる事を決意する。
 その際に聞かされたのが、『迷宮』には『迷宮』のルールがある、という事だ。
 まるでゲームの様だが、探索者として力を発揮するためには、『迷宮』側のルールにある探索職というものを身に付けなくてはならない。
 そして、『迷宮』内のモンスターには、『迷宮』の資源を使った武具でなければ傷つける事が難しく、守ることも難しいとの事。
 簡単に言えば、銃器を持ち込んで連射しても、低層のモンスターにすら苦戦するらしいのだ。
 夕映達四人は各々の探索職を決め、放課後に『迷宮街』で学べる短期研修を受ける事となった。
 その際、ハルナが『パラディン』、のどかが『レンジャー』と決まり、夕映と木乃香が『メディック』を希望したものの、夕映が譲る形で木乃香が『メディック』になった。
「せっかくなので、私は『アルケミスト』にしてみますよ」
 アルケミスト。錬金術師と呼ばれる探索職だ。彼らは自らが調合した薬品を使い、独自の術式で不可思議な現象を起こす。テレビゲームでいう『魔法使い』の立ち位置であった。
 四人は研修を受けた後、簡単な実技試験と筆記試験に合格し、探索者としての許可証を得る事となる。その際に最低限の武具を『組合』が揃えてくれた。
 探索者を選定するのは、武具や端末といった最低限の物資を初心者に無料で提供するため、という理由もあるらしい。要は希望者が増えすぎると、皆に無償で分け与えられないという事だ。
 ちなみに研修期間をハルナやのどか、木乃香などは一週間で終えていたが、夕映の『アルケミスト』だけはどうやら難関らしく、夕映は唸りながら現実の物理法則と異なる、『迷宮』だけに起こる自然科学を学び、二週間で許可を得た。
 こうして夕映達は、探索者としての生活を始める事となる。およそ週二回を目安に、部活の延長線上の冒険が始まり、一ヶ月が過ぎた。
 そして夕映達は、地下三階という場所にまで足を踏み入れたのだった。



[29380] アルケミストちさめ 3
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/26 12:55
●4
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 息が荒い、喉が無性にズキズキする。
 腰のバッグがガチャガチャと揺れて痛いが、走るのをやめるわけにはいかなかった。
「ハルナ、早く!」
「わ、わかってるよ!!」
 背後ではモンスターの攻撃を盾で受けながら、ハルナが走っている。
 現在夕映達は逃げていた。
 地下三階、というのを甘く見ていたのかもしれないが、下調べはしてきたつもりだ。大抵のモンスターの情報は仕入れている。だが――。
(なんであのモンスターがいるのですか。あれは、もっと下層にいるはずなのに!)
 『フォレストウルフ』と呼ばれる白い体毛をした狼であった。しかも群れ。本来一匹でも厄介なはずの敵が、総勢二十匹もの群れを為し、夕映達に襲い掛かろうとしている。
 だが、夕映の機転で大多数の狼は足止め出来た。狭い通路を《大爆炎の術式》の術式で燃やしたのだ。『フォレストウルフ』は火が苦手、という事前の情報通りに、ほとんどの狼が炎を前にしてうろうろしていた。
 それでも二匹程は足止め出来ず、未だに夕映達に執拗な攻撃を仕掛けている。
 現在戦闘を走るのは、パーティーの生命線であるメディックの木乃香。二番目には弓矢による長距離のサポートが出来るのどか。三番目に夕映で、殿がハルナだ。
 ハルナの役割はもちろん盾。パラディンたる職は分厚い鎧と盾を使い、味方を守るのが仕事だ。
「ハルナ、耐えて下さい! もうすぐ階段に着きます。そうすればモンスターは追いかけてこれません」
「って言っても、本当にヤバイんだけど。夕映、『糸』、『アリアドネの糸』は!」
 瞬時に『迷宮街』へ戻してくれるアイテム『アリアドネの糸』を、夕映達は一個だけだが持っていた。
「あれは発動までの間、動くことが出来ないですし、効果範囲が狭いので皆が固まらなくてはなりません。使おうとすれば、その間に皆食い殺されます!」
「う、嘘ー!」
 泣き言を叫ぶハルナを援護するため、夕映は残り少ない試験管を背後に投げた。
「《火の術式》!」
 ボワッと火が広がり、二匹の追跡者の足が鈍る。
「今のうちです。この通路を抜ければ、階段のある広場です」
 前方を見れば、木乃香とのどかが広場へ入っていく。夕映もそれに続こうとすると、何かにぶつかってしまう。
「わぷッ!」
 転びそうになるが、どうにか踏ん張って耐える。
 どうやらぶつかったのはのどかの背中の様だった。木乃香も隣に棒立ちになっている。
「ど、どうしたのですか二人とも。急ぐのです――」
 嫌な予感がした。視界が二人の背中に邪魔されて見えない。
「夕映、どうしよう……」
 のどかの体をどけて前方をみると。
「えッ――」
 そこには階段を取り囲む様に、モンスターがいた。白い狼、先ほど足止めした『フォレストウルフ』の群れだった。
「回り込まれた、というわけですか」
 『迷宮』には隠された小道も多いという。おそらく自分たちが知らないルートを通ったのだろう、と予測する。
 背後からは走るハルナ、それを追いかける二匹の狼。
 前方には二十匹の狼。
「強行突破、しかありませんね」
「夕映、せやけど……」
「このままじゃ取り囲まれてお終いです。それに私達の足じゃ、追いかけっこで勝つのは不可能。だったら強行突破で階段まで辿り着きましょう」
 誰かを囮にして『糸』を使う、という提案を夕映はしない。心に過ぎった案の一つだが、夕映はそれを即座に捨てた。
(出来るわけありません。皆と地上に戻るのです)
 夕映は震えそうになる拳を、必死に握った。恐くて涙が溢れそうになるが、今はまだ駄目だ。
「背後のハルナが追いついたら、四人で一斉に階段まで向かいましょう」
 見れば、ハルナも広場の入り口に近づいてくる。
「ハルナ! 階段まで強行突破します! 付いてきてください!」
「つ、付いてきてって、無茶言うな!」
 ハルナは一番の重装備であり、殿まで勤めている。四人の中で一番体力を消耗していた。
「無茶でも付いてきてください!」
 それでも夕映は言わねばならない。
 四人が一斉に走り出すと、階段の周囲を囲んでいた狼も、夕映達に向かい走ってきた。
「木乃香! 今から最後の術式を前方に放ちます。うまく避けてください! のどかは側面に回りこまれない様に牽制を!」
「わ、わかったえ!」
「う、うん」
 木乃香は走りながら、慣れないワンドを握り締める。一応の武具として持ってきてるが、木乃香がこれを実戦で振るったのは数回に過ぎない。
 のどかも走りながら、どうにか矢を番えて放とうとしている。狙いは甘いが、それでも牽制にはなっている。
 夕映は最後の試験管を、前方へ向けて投げた。
「《火の、術式》!!」
 力を込めて唱える。いつもより多少大きい火が上がった気がするが、狼達はそれを少し迂回する程度だ。
 狼達の牙が、夕映達を襲う。
「きゃー!」
「うわ!」
「ぐッ!」
 牙が夕映達の体から肉を削いでいく。血飛沫が舞うなか、それでも夕映達は足を止めなかった。
「ぐッ、ハルナ! 付いてきてますか!」
 背後を振り向く余裕など、夕映には無かった。
「ハァ、ハァ、な、なんとかね。でも、かなーりヤバイかも」
 金属が軋む音が聞こえる。剣を振り回す音も。
「階段まで、もう少し。これならばどうにか……」
 四人とも満身創痍ながら、なんとか生きていた。
 視界に見える階段に、ほのかな希望が過ぎる。
 その時、狼の一匹の牙が夕映の足を抉った。
「ぐっ!」
 痛みで力が抜け、夕映はゴロゴロと地面を転がってしまう。
 その間に走っていた三人と離されてしまった。三人は夕映の元へ戻ろうとするが、狼が壁となり進めないでいる。
(これは、本当に駄目かもしれませんね)
 夕映が諦めかけた時、前方の階段から人影が降りてきた。
「あれ、お前らは――」
 聞いたことのある声。
 小豆色のブレザー、首元にリボン、黒いタイツ、足元のローファー。夕映達にとって見慣れた姿だ。
 それは紛れも無い、麻帆良学園女子中等部の制服。
 その人影も夕映達は知っていた。クラスメイトであり、余り目立たない人柄の人物。
 大きなメガネが特徴の少女、階段を降りてきた人影は長谷川千雨であった。



     ◆



「なんで、長谷川さんが……」
 夕映の中で疑問が沸く。本来であれば、そんな悠長な事を言っている間に食い殺される状況なのだが、千雨が現れてから『フォレストウルフ』達は、唸り声を上げながら千雨を見ている。
「へぇ、お前ら探索者やってたのか」
 千雨の表情は軽い。まるでこの状況を理解して無いかの様に。
「はやく、逃げてください! のどか達と一緒に、早く!」
 制服などでは『迷宮』では丸腰同然だ。千雨は武具の一つも持っていないようだ。そんななりではモンスターに簡単に殺されるだろう。ここ一ヶ月で得た、夕映の教訓だ。
「まぁクラスメイトのよしみだ。助けてやるよ」
 夕映の言葉など何処吹く風。千雨は階段から降り、軽やかな足取りで狼へ向かっていく。
 そのままのどか達を囲む狼に対し、千雨は殴りかかった。
「へ?」
 キャイン、という悲鳴の後、狼が吹き飛ばされる。
「ほら、宮崎達はさっさと階段まで逃げろ」
「で、でもゆえゆえが……」
「綾瀬も今助けてやるよ」
 千雨は狼を殴りながら、夕映の元へ近づいてくる。良く見ると、千雨の両腕には金属の光沢があった。
(あれは――ガントレット!)
 金属篭手、ガントレットはアルケミストにとって、必須のアイテムだ。防具や装飾品としての価値ばかりでは無い、その機能にこそ意味があった。
 千雨のガントレットは細かい傷が沢山あった。夕映のガントレットとて、この一ヶ月でかなり酷使したものの、比にすらならない。
 千雨が夕映に近づいていくと、狼達は標的を夕映に変え、襲いかかろうとした。
「チッ、おとなしく私だけ狙ってりゃいいものを」
 千雨が呟き、自らのガントレットに手を伸ばす。
 ガントレットがスライドし、試験管が何本か飛び出してくる。
 ガントレットの本来の機能、それは薬品の保管だ。『迷宮』の過酷な条件下でも薬品が変質しないように、様々な温度で保管するのだ。また、試験管を破損させないように、強固にも出来ている。だからといって、ガントレットでモンスターを殴りつける輩など、千雨以外にはいないのだが。
 一本の試験管を引き抜き、千雨は夕映に襲い掛かろうとする狼の口元へ放った。
「《火の術式》」
 ゴウ、っと火のサイズは小さいながらも、極限まで圧縮された火の玉が空中に出来、狼の一匹を黒こげにした。
 驚きながらも、夕映は這うようにして千雨の足元まで逃げる。
「あ、ありがとうございます、長谷川さん」
「ん? あぁ」
 素っ気無く、雑な態度。それはクラスで挨拶する時と、同じ様な対応だった。
 これで帰れると夕映は思ったが、周囲にはまた狼が集まり出している。
 千雨に殴られて吹き飛ばされた狼も、続々と起き上がっていた。
「やっぱり殴るだけじゃ無理か。私は《火》の系統、苦手なんだけどなー。まぁ、しょうがないか」
 千雨は面倒くさいとばかりに頭を掻き毟りながら、ガントレットから三本の試験管を取り出す。
(三本。やはり《大爆炎の術式》でしょうか。でも、私より使用する薬品の量が少ない――)
「おい綾瀬。いいか、私の足元から動くなよ。動くと、死ぬぞ」
 千雨の呼びかけに、夕映の思考は遮られた。
「は、はい!」
 夕映はコクコクと頷いた。
 千雨がチラリと背後を振り返ると、階段からこちらを伺うのどか達の姿があった。
「まぁ、階段にいるなら大丈夫か」
 片手に持った三本の試験管を、千雨は真上に放り投げる。
(真上? なんで?)
 術式を使う時、薬品を標的に向けて投げるのは定石だ。少なくとも夕映は研修でそう学んでいる。
「炎術――」
 千雨がボソリと言うと、真上に投げた試験管の一つ一つが巨大な火の玉になった。
(な、なんて大きさ。一個一個が私の《大爆炎の術式》並のサイズ)
 縦に三つに並ぶ火の玉。それらが凝縮されていく。小さくなる代わりに、火力は増した。
 千雨の頭上に現れた炎の塔。それが周囲を取り囲む狼達を威圧する。
「――術式《大瀑布》」
 千雨が唱えると同時に、指を弾いた。それを切っ掛けにして、火の玉の一つが千雨の目前に落ちてくる。
 地面にぶつかった火の玉は弾け、一瞬で広場全体、周囲五十メートルを火の海にする。
「なッ――」
 余りの威力に、夕映は驚愕した。
 しかし、まだ終わらない。
 千雨の頭上に残っているニ発目の火の玉が落ちて、また破裂した。
 炎が更に燃え上がり、狼達の体が焼かれていく。
 更に。
「ほい、トドメ」
 三発目が落ちた。
 それと共に、周囲は炎の壁へと変わる。部屋全体が業火に焼かれ、狼は光の粒にすらならず、瞬時に消滅した。
 目前の光景に呆然としながら、夕映は千雨の後ろ姿を仰ぎ見た。
 黒タイツに包まれた艶やかなラインの細い脚の根元には、爆風により揺れるスカートの裾がある。更に視線を上げれば横顔。炎に焼かれるモンスターを見つめながら、千雨は口元に弧を描いている。
 夕映はゾクリとした悪寒に身を震わせながらも、違和感を覚えた。
(この火力。なのになんで私達は無事なんですか)
 目前に炎の壁がある。なのに、その熱量がここまで伝わってこない。
 地面を見ると、まるでここだけ切り取られた様に火が来ていなかった。それだけじゃない、良く見ればそこらには霜や氷の粒がある。
(氷……)
 仕組みは分からない。
 それでも夕映は、目の前の少女が同じ『アルケミスト』である事。そしてその実力に天と地の差がある事だけは悟ったのだ。



[29380] アルケミストちさめ 4
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/28 13:51
●5
 九死に一生を得た夕映達は、千雨の《帰還の術式》により、『迷宮街』まで戻っていた。
「うわー、助かったぁ」
「うん、良かった。私、私……」
「ほんまやわ。長谷川さん、ありがとな」
 ハルナは安堵し、のどかは目尻に涙を浮かべ、木乃香は謝辞を千雨に述べている。
 そんな中、夕映は先程の《帰還の術式》に驚いていた。
(おかしいです。私が習った《帰還の術式》は、確か……)
 驚きを隠せない夕映は、千雨の冷めた視線に気付かない。
「ここでいいだろ。じゃあな」
 そう言って何事も無かったかの様に立ち去ろうとする千雨を、夕映達は呼び止めた。
「あ、あの長谷川さん。お礼をしたいのです。あと、出来れば話を聞かせてもらえませんか?」
「礼? 話?」
 千雨は特に表情を変える事無く夕映の言葉を聞き、少し黙考をした。
「礼はいらない。あと話す事も特に無いな」
 そうやって踵を返そうとする千雨を、四人は必死に引き止めた。
「いえ、それじゃ私達の気が済みません! お礼がしたいので時間を作ってくれませんか! さすがに今日はもう時間が遅いですし……明日! 明日大通りのカフェテリアでお話を聞かせてください! もちろん奢りです!」
 振り返った千雨は面倒くさいといった表情を一瞬するが、あきらめた様に「わかった」と返した。
 そして千雨は迷宮街の人込みへ消えていった。
 了承の意を受けてほっとした夕映に、ハルナが話しかけた。
「それにしても、まさか長谷川ちゃんがねー。相変わらずドライで話しにくくてしょうがないけど」
 ハルナ達の千雨への印象は「地味な子」であった。話しかけたからといって特に棘があるわけでは無い。しかし、彼女は特に誰かと親しくするという事はせず、いつも静かに席に座っている姿ばかりが思い浮かぶ。
「でも、長谷川さん凄かったよ。あんなすごいの見たこと無かったよ」
 のどかも話しに加わる。
「せやなぁ。何度か他のパーティーと遭遇してるけど、あそこまですごいのは見たこと無かったわ。やっぱり上級者なんやろか」
 手をあごに添えながら、木乃香が唸るように考えている。
「アルケミストなのは間違いありません。実力もおそらく私達とは桁外れです。それに――」
 夕映は少しためらい、首を振る。
「――いえ、やめましょう。あした話を聞けば何か分かるかもしれません。それよりホームに戻って着替えましょう。門限が迫ってますよ」
 夕映の言葉を切っ掛けに、四人は迷宮街で借りているパーティーのホームへと戻る事にした。
 ホームとは夕映達四人が使っている賃貸のワンルームだ。パーティーの根拠地として、探索用の物資や着替え、アルケミスト用の薬品調合器具などが置いてある。
 門限が近いこともあり、四人は慌てた様子で走り始めた。



     ◆



 明けて翌日。
 夕映達四人と千雨の姿は大通りに面したオープンカフェにあった。
 日曜日という事もあり夕映達の服装は私服だ。
 四人の対面に千雨は座りながら、奢りという事で遠慮なく注文したマスクメロンパフェを黙々と食べている。
「えーと、長谷川さん。昨日は本当にありがとうございました」
 夕映が述べた謝辞に合わせ、四人はペコリと頭を下げる。
「ん、あぁ。別にいいよ」
 対して千雨は興味なさげに返事をし、再びスプーンをパフェに伸ばす。
「その、長谷川さんに色々聞いてみたいんですが……」
 口ごもる夕映を助けようと、木乃香がテーブルに乗り出すように千雨に迫った。
「な、なぁ長谷川さん。長谷川さんって探索者やったんか?」
「あぁ、昔な」
「そ、そうなんや」
 どうにも取っ付きにくい千雨の態度に、木乃香は困惑する。
 ハルナは隣に座る夕映にコソコソと話しかけた。
「夕映、長谷川ってこんな感じだったっけ」
「そうですね。大体いつもこんな感じですが、いつも以上に対応が淡白というか、何というか」
 クラスでの夕映の席は千雨の隣だ。朝はいつも挨拶するし、時折雑談もする。大抵は夕映が話しかけ、千雨が相槌をするという形だが。
 気を取り直し、夕映は再び千雨に話しかけた。
「長谷川さん。私達は色々とあなたから話を聞いてみたいのです。私達は探索者になって一ヶ月余りです。そんな私達から見ても長谷川さんの実力がすごいのは分かりました。出来ればコツというか、どうやったらあんな事が出来るのかを教えてもらえれば――」
「お前ら本気でそう言ってるのか?」
 ピタリとスプーンの動きを止めた千雨が、険しい目つきで夕映達を見つめる。
 その凍てつく視線に夕映の背中が粟立った。
「あの、わ、私達は、探索が安全だって聞いてました。死者が年間五十名程しか出ないと聞いていたので、安心していました。けれどその油断で、昨日私達はあやうく全滅する憂き目に遭いそうになったのです。これからも探索を続けるのかは分かりませんが、今後のためにも色々聞いておきたいのです」
 どもりそうになりながら、夕映は一気に捲くし立てた。
 夕映が喋っている間、ハルナが声を落とす様にと告げなければ、周囲の人間に聞かれてしまうかもしれない勢いだ。
「……」
 千雨は無言。顔を伏せ、口元に手を当てている。
 そのまるで泣いている様な仕草に、夕映達は疑問符を浮かべた。
「あの、長谷川さん」
「ん。いや、すまない。分かった、そういう事なら協力しよう」
 そう言いながら、千雨は微笑を浮かべた。



[29380] アルケミストちさめ 5
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/29 23:43
●6
「――今後のためにも色々聞いておきたいのです」
 夕映の言葉を受け、千雨は笑いが堪えきれなくなっていた。
(ぷはッ! 死者が五十名? コイツら馬鹿なのか?)
 視線を走らせれば、呑気な馬鹿面をしている四人が並んでいる。
(五十人? それぐらいの死体、私はしょっちゅう見てたっつーの)
 千雨は口元を押さえつつ、必死に思考する。
(死者云々は組合の勧誘の謳い文句だろ。『迷宮街』である程度の伝手が出来ればすぐ分かるだろうに。こいつら組合の口車に乗ってるばかりで、全然分かってねぇ。完全に初心者――カモだわ)
 ギルド組合は公表上、迷宮探索者の死者数を毎年五十名前後と発表している。しかしそれは組合が〝死者〟と認めた場合だけなのだ。
 この場合の死者とは、遺体があり、身元が確認され、蘇生不可能な者を指す。それ以外は全て『行方不明者』として扱われる。
 迷宮探索は過酷だ。その中で一週間連続で活動出来れば上級者として認められるだろう。そしてその中には更に例外がいるのだ。かつて迷宮探索に赴いた人間で、一年余を迷宮内で過ごして生還した人間がいた。
 ギルド組合はそれを盾に取り、迷宮に入ったまま戻らない人間を『行方不明者』として扱っている。
 強力無比なモンスターがばっこする迷宮では遺体が残る事の方が少ない。モンスターの餌にされ、迷宮内の食物連鎖に組み込まれるのが常だ。
 そんな『行方不明者』は年間およそ数千名、多い年だと数万人に及ぶ。おおよそ探索者の三割から五割が命を落としている計算になる。
 それでも探索者の総数は減らない。成功すれば得られる莫大な富と名声、それに引かれて毎年『行方不明者』以上の人間が探索者になるのだ。
(クラスメイトだから面倒で助けたが……)
 昨日学園長から受けた依頼のため、下見のつもりで千雨は迷宮に赴いたのだ。往年の感覚を確認するため、低層を散歩していた時、夕映達と遭遇してしまった。
 見過ごす選択肢もあったが、クラスメイトが行方不明になったりして、自分の身の回りが慌しくなるのを嫌ったのだ。
 ふと、視線を周囲から感じた。まるで自分を観察しているような――体を舐め回される感覚。恐らくこの場所の会話は麻帆良側に見張られている。
(ハッ、ジジイ。昨日の私の言葉を早速忘れたのか)
 千雨は笑みが怒りに変わり、口元は少し釣りあがり微笑している様な表情になった。
「あの、長谷川さん」
「ん。いや、すまない。分かった、そういう事なら協力しよう」
 快諾した傍ら、ある程度の打算も含んでいた。
(こいつらがどの程度育つか分からないが、囮ぐらいにはなってもらいたいもんだ)
 迷宮には幾つものルールがあり、迷宮探索のパーティーは六人以上だと不利になるというものがある。
 探索者が身に着けた力やスキルは、ルールに則り迷宮が付与するものだ。
 六人以上で探索する場合、それを大幅に削られてしまう。
 そのため、五人以内で探索するのは探索者にとって常識であった。
 しかし抜け道はある。六人以上での探索はルールに触れても、別のパーティーと探索中に遭遇する分には問題無い。実際問題無いどころかパーティー同士での殺し合いや、人間を狙う強盗紛いの探索者もいるのだ。
 よって、複数のパーティーが別行動を取りながら同じフロアを攻略するというのも行なわれている。その場合、利益の分配などで良く揉めたりするのだが。
 千雨が考えたのはそれだ。
 探索に置いて味方を作っておく事は、時には強いアドバンテージになる。
 千雨に与えられた猶予は一年。それ以内に迷宮最下層にいる主の首を討てばいいのだ。
(そう。こいつらがそこそこに削ってくれた上で、私が討ち取ってもいい)
 肉の壁。そんな言葉を思い描く。夕映達への対応は決まった。
(あとは――どっかから見てる監視者か)
 どうやって制裁するかを考えながら、千雨は夕映に問いかけた。
「で、何が知りたいんだ?」
「……率直に聞くのですが、長谷川さんの探索職はアルケミストで間違い無いのですよね?」
「そうだ」
「では、昨日の《帰還の術式》やあの巨大な炎の術式は何なのですか」
 夕映の質問に千雨は感心した。
(へぇ、単なるマヌケってわけでも無さそうだ。一応頭は回ってるな。今一歩足りてないが)
 内心ほくそ笑みながら、無関心を装い問い返した。
「あれがどうかしたのか?」
「私達は組合で探索職について講義を受けました。探索職の役割や、それぞれが取得出来る《スキル》まで。特に自分の職の《スキル》については把握しています。その上で、私はあの炎の術式を知らないしですし、あの時点で《帰還の術式》の発動条件を満たしていないはずです」
 夕映の言葉にハルナ達がぽかんとなる。
「え、あれって《大爆炎の術式》の術式じゃなかったの?」
「そういえば私も《帰還の術式》について聞いたかも」
「確か《迷宮磁軸》に転送する、やったっけ」
 三人は各々言葉を口にして相談している。
 夕映はそんなハルナ達に構わず、じっと千雨を見つめて言葉を続けた。
「探索職の《スキル》は全て判明しており、おそらくこれ以上増える事は無いだろう、と私は教えられました。しかし、長谷川さんの《スキル》は明らかに《スキル》のルールを逸脱しています。もしかしてあのスキルは新しいスキルなのではないですか?」
 《帰還の術式》とは文字通り、自分が探索開始した場所へと帰還するスキルだ。
 しかしその発動条件は幾つかあり、その大前提には《迷宮磁軸》に転送されるというものがある。
 《迷宮磁軸》は迷宮の五階ごとに置かれているワープポイントだ。地上と深層を繋げており、探索者はこれを活用して深部へと向かう事となる。
 そして《帰還の術式》は自分が利用した《迷宮磁軸》へ戻るのであって、夕映達や千雨は《迷宮磁軸》を利用せずに探索をしていたため、術式の発動条件を満たしていないはずなのである。
「仮にそうだとしたらどうするんだ。それを教えろ、って言うのか?」
 千雨の目がまた鋭くなった。
「探索のノウハウや技術は命を削って得るもんだ。私の術式だって1万G$でも安すぎる。綾瀬、お前はそれだけ払えるのか?」
「あ、あう……いや、その……」
 口をぱくぱくとする夕映。千雨はこれ見よがしに溜息をした。
「まぁいいさ。どうせ意味無いだろうから答えてやる。私のスキルが新しいスキルか、だったな。答えはノーだ。私のスキルは断じて『ルールを逸脱していない』」
「そ、そんな。それじゃどうして……」
 こちらを監視している視線に注意する。せっかくなので目の前の夕映達を利用しよう、と決断した。
「おまけで教えといてやる。アルケミストの《術式》にはそれぞれ骨子がある。安定した術式の行使のために色々と肉付けされてるが、骨子だけでも発動可能だ。意味は分かるか?」
 千雨の言葉を吟味し、夕映はしばし考えた。
「……骨子。無駄な物を削る、そういう事ですか」
「そうだ。それぞれの《術式》を最低限まで削れば、応用の幅が広がる」
「それでも《帰還の術式》が使える説明にはなりません!」
「なるさ。《帰還の術式》が《迷宮磁軸》にしか転送出来ないのは、それ以外目印が無いからだ。私は迷宮に入る時、入り口に薬品でマーキングを作る様にしている。まぁ簡易的なものだから半日あれば消えてしまうがな。術式を最低限まで削り、対象を《迷宮磁軸》から自分のマークに変える。それだけで可能なんだよ」
 この一ヶ月余で得た知識がガラガラと崩れていく音を夕映は聞いた。
 ちなみに千雨はサラリと言うが、その《術式》に成功しているのは現在世界で千雨だけである。
 千雨はバッグを漁り、一本の試験管を取り出した。
「これが何か分かるか?」
「それは……アルケミストが習う標準術式用薬品Aかと」
「あぁ、確かにそんな名前だったな。Aなんて付いてるが、これだけで術式は全部使えたりするんだがな」
 試験管のコルク栓を取り、千雨は目の前にあるティーカップへトクトクと試験管の中身をスプーン一杯分程入れた。
「うわわ! そんな事やって大丈夫なの?」
 ハルナが慌てて言う。ハルナにすれば、あの薬品が燃えたり爆発したりをしょっちゅう見ているのだ。目の前の行いを見て慌てるのは当たり前であった。
「大丈夫だよ。ほらな」
 スプーンでクルクルと紅茶と薬品を混ぜ、千雨はティーカップを一気にあおった。
「ん、味はまぁまぁだな。ほら、舐めてみろよ」
 薬品が残ってる試験管を、ポイと四人に投げた。四人は恐る恐る試験管の中身をソーサーに垂らし、指先で舐めてみる。
「あれ、甘い」
「ハチミツに似てるかも」
「ホンマやわぁ」
 夕映も驚いていた。薬品そのものが人体に影響無いとは聞いていたものの、まさか普段戦闘で使っている物体に、こんな甘さがあるとは思わなかったらしい。
「たいそうな名前で言ってるが、そいつは迷宮産の資源で合成した甘味料みたいなもんなんだよ。実際それが燃えたり凍ったり毒になったりするわけじゃない。その薬品がアルケミストの術式発動の〝ルール〟であるだけだ」
 そう言いつつ、千雨は先程紅茶を介して摂取した薬品が体内に回ってきているのを感じていた。
(頃合だな。《千里眼の術式》)
 メガネのブリッジを上げる素振りをしながら、《千里眼の術式》を発動させる。瞳が淡い光を灯したが、誰もそれには気付かなかった。
 本来なら迷宮内で周囲の強力なモンスターを探知する術式を、千雨は街中で使った。
(どこだ。誰が見ている)
 このオープンカフェを見下ろすように、千雨の視界は広がった。
 視点を移動させながら、注意深く周囲の人間を点検していく。
(いた。背後、五席ほど離れた位置に座る黒人。確か教師の、ガンドルフィーニ、だったか?)
 風貌が目立つため覚えていた教師だった。
 ガンドルフィーニは新聞を何気なく読みながら、オープンカフェで寛いでいる。だが千雨からすれば彼の注意がこちらに向いている事は明白だった。
 長谷川千雨は〝男の視線に敏感〟なのだ。
(――虫唾が走る)
 位置は分かった。それならばやり様がある。釣り上がりそうな口元をどうにか押さえ、無表情を装った。
「私達アルケミストはわざわざその薬品を自分で調合したり、出来によって階級付けしたりするが、薬品によっての術式の効果には差が無い。粗悪だと術式が発動しなかったりするが、ルールに沿った最低限の調合率ならば問題無い。ヘタに調合するより、組合の窓口で売ってる規格品を買った方が良かったりするぜ」
「え……そうなんですか?」
 夕映はまたショックを受けた。ホームに調合器具まで揃え、チマチマとビーカーで量りながら調合してきたが、その意味がほとんど無いと言われればショックではあるだろう。
「そう、迷宮が提示するルールは敵では無い。そしてルールに沿ってさえいれば、迷宮探索で応用が効くって事だ」
 千雨はハルナ達から試験管を返してもらい、バッグに仕舞うフリをしながら中に残った薬品で術式を発動する。
 先程千雨は《帰還の術式》の発動条件を話していたが、千雨はもっと応用の効く発動も出来るのだ。
 それは『視界の届く場所に人や物体を転送出来る』というものだ。
 本来、探索職のスキルや力は迷宮でのみ発揮される。それは『迷宮』自身が持つ力を探索者に貸与しているからだ。
 例外的に迷宮に隣接して作られる『迷宮街』では、その力の余波によりスキルを扱える様になる事が多く、酒場では喧嘩の種になってたりもする。
 しかし千雨は違った。限界まで《術式》を軽量化したため、『迷宮街』だけで無く余波の薄い麻帆良市内でも発動可能だった。
 それは傍から見れば無謀な術式だろう。
 四輪車のパーツを分解して一輪車に変え、なおかつ平坦なアスファルトの道路では無く、緩く張られた細いロープの上を走るようなものなのだ。
 かつてその《術式》の秘密を、ギルド組合の嘆願により莫大な対価と引き換えに提供したものの、余りの無謀さに組合がそのノウハウ会得を放棄した程の代物だ。
(《帰還の術式》)
 テーブルの下で術式を発動させ、ガンドルフィーニのカップの中への入り口を開く。
 そして――。
(《毒の術式》)
 指先に紫色の雫が出来上がった。それを《帰還の術式》を使い、ガンドルフィーニのカップの中に落とした。
(完了、っと)
 これでガンドルフィーニがカップに口付けをしたら、毒が発動するはずだ。直接命を脅かす程の毒では無い。一時間程体を痺れさせる程度の、千雨からすれば〝柔〟な毒だ。
「とりあえず私が教えられるのはこんな所だ。探索せいぜい頑張ってくれ。――あと、ごちそうさま」
 千雨はそう言って立ち上がった。夕映達が何か言いたそうにしていたが、気付かないふりをして立ち去る。
 未だ《千里眼の術式》は発動していた。
 そして去り際、ガンドルフィーニがカップに口を付けたのを、千雨はしっかりと確認した。


     ◆



 足早にオープンカフェを離れた千雨は、人通りの少ない路地裏へと入っていた。
 《千里眼の術式》で見ている限り、ガンドルフィーニは少し離れて追いかけて来ている。
 だがその足取りは危うい。
(効いてるみたいだな)
 ポケットから手袋を出してはめた。
「さて、やるか。《帰還の術式》」
 千雨の頭上に空間の歪みが出きる。そこに千雨は手を突っ込み何かを掴んだ。
 そして――。
「よっと!」
 一気に引き抜く。
 千雨が掴んだのは人間の足首。それは千雨を監視していたガンドルフィーニのものだった。
「ぐ、な、何だ!」
 突如地面に吸い込まれ、次の瞬間に空中に放り出されたガンドルフィーニは慌てた。彼はそのまま地面に叩きつけられる。
「がッ……」
 本来の体調であれば防御の仕様もあったのだろうが、今の彼は毒により体の自由を侵されていた。
 痛みと毒により地面にうずくまるガンドルフィーニを、千雨は見下ろした。
「おいおい、教師がさぁ、ストーキングとかってマズイんじゃないのか」
「ぐ……」
「なぁ、何とか言えよ! なぁッ!」
 足を振りかぶり、爪先をガンドルフィーニの腹にぶち込んだ。
「がッ!」
「おい、何とか言えって言ってんだよ!」
 ガンドルフィーニの顔や肩、腰や足なども次々と蹴り飛ばしていく。その度にガンドルフィーニの鈍い呻き声が漏れた。
「ぐ……長谷川千雨。君は一体……」
 ガンドルフィーニが腫れた目蓋から視線を千雨に向ける。
 男に見られている、それだけで千雨の神経は荒れ狂った。ある程度の耐性は出来たものの、視線に敵意が含まれれば千雨は敏感に反応してしまう。
 長谷川千雨は男に恐怖していた。
 普段から肌の露出はしない。制服を着るときもスカートの下に黒タイツを履き、私服も長袖とパンツルックがほとんどであった。先程も男に触れるのが嫌で、手袋まではめた。
 それでも男の視線は彼女を恐怖させる。おぞましい記憶が彼女の視界に明滅して映し出された。
 薬品すら使っていないのに、千雨の右手には氷の膜が出来ていた。それらが形を成し、ナイフへと姿を変える。
 氷のナイフをガンドルフィーニの首元に当てながら、千雨は言った。
「おい! あのクソジジイから聞いているんだろ。もう一度言うぞ、私に干渉するな! 次は無い、次は殺す!」
 ガンドルフィーニからすればその時の千雨の表情は不可思議でしかなかった。
 狂気と怒りに塗れながらも、千雨の瞳は揺れていた。自分の娘が泣きながら癇癪を起こす様を思い出す。
 こういう状態の人間には論理などが通用しない。
 ガンドルフィーニは搾り出すように「わかった」と返した。
 千雨はその言葉を聞き、ガンドルフィーニに嘲るような視線を送った後、汚物を扱うかの様に手袋を脱ぎ捨て、路地裏から消えた。
 取り残されたのは傷だらけのガンドルフィーニだけであった。



[29380] アルケミストちさめ 6
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/04 01:46
※ここから時系列遡ります。1話の数時間前、千雨視点での話です。
●0
「君にこの迷宮を埋めて欲しい」
 目の前の老爺の発言に、長谷川千雨は「はっ」と嘲るように吐き返す。
「ここ最近、嗅ぎ回ってると思ってたが、呼びつけた途端にそれかよ。モウロクしてるのか、学園長」
 馬鹿馬鹿しいといった表情をし、千雨は踵を返そうとする。
「我々は君が何を探しているのか、知っている」
 その学園長の言葉に、千雨の足は止まった。
「――何言ってやがる」
 振り向いた千雨の瞳には苛立ちがあった。いきなり学園長室に呼ばれ、不躾な申し入れの後、今度は飴を与えようとする。自分を畜生か何かと勘違いしてるのか。
「長谷川千雨君。君の事は調べさせてもらったの。正直半信半疑、という所じゃ」
 学園長は指をパチリと弾いた。そうすると空中に何枚かの書類が現れた。
(やっぱりか。こいつも魔法使い、ってやつか)
 かつて自分がいた迷宮街では良く見かけた。迷宮街へ産出物を買い付けに来るバイヤー、その多くが魔法使いだった。千雨の記憶にも、迷宮街で魔法を使っていた人物を何人か思い出す事が出来る。
「五年前、ハワイ島に出現した迷宮。『業火の迷宮』と呼ばれる、活火山と一体化した珍しいタイプの迷宮らしいのぉ」
 突如語り出した学園長に対し、千雨は舌打ちをする。
「そして四年前、君は家族旅行でハワイに向かう。オアフ島を数日観光した後、火山観光で訪れたハワイ島で失踪する。当時わずか十歳であった君が、どの様にしたのかはわからんが、両親に置手紙だけを残して消えたそうじゃな。君の失踪騒ぎは一時期テレビでも取り上げられとったのぉ。誘拐事件として、連日ワイドショーを賑わしてたもんじゃ」
 当時の状況を思い出し、千雨は眉をしかめた。あの後、この事件の過熱報道を抑えるために、千雨はコネを使いながら大枚をばら撒いたのだ。ガキだという事で、足元を見られたのも大きかった。
「そして二年前、君は何事も無かったの如く一人で帰国した。ハワイの州警察もまるで事件性が無いと言わんばかりに無言を通していた。君は日本にさざなみ一つ立てずに戻ってきた」
 千雨は近くの来賓用のソファーに、どかりと座った。柔らかなソファーにふでぶてしく体を沈ませている。もちろん肌は黒タイツで隠されていた。
「要件は手短にしろ。私にはその長ったらしい朗読を聞き続ける忍耐はないぜ」
「それは先ほど言ったじゃろ、『ミリアム』の長谷川千雨君」
 ――『ミリアム』、その名前を他人から聞くのは久しぶりであった。
「『業火の迷宮』をわずか二年で攻略して〝埋め〟、一躍業界トップランカーに躍り出た新進気鋭の探索パーティー『ミリアム』。その初代メンバーであり、当時パーティーの最年少だったのが君、長谷川千雨君じゃな」
 千雨は答えず、明後日の方向を見つめた。
「ギルド組合からの情報提供が貰えず、苦労したわい。こちらとて当事者なのに、相変わらず閉鎖的な世界じゃな」
「へぇ」
 てっきりギルド組合が裏切ったのかと思いきや、どうもそうでは無いらしい。
「こちらもの、唐突に迷宮が出現しててんてこ舞いなんじゃよ。しかも今は時期が悪い。正直なりふり構ってられないのじゃ」
「それはそっちの事情だろ」
「君も無関係とは思えんがのぉ」
 伸びたあごひげを撫でながら、学園長は言う。
「現在麻帆良にある『世界樹の迷宮』は、中規模の迷宮と予測されている。おそらく最奥は地下三十から五十階前後と言われておる。出てくる迷宮資源も豊富で、現在〝再建〟された迷宮街は活性化しておる。これだけ見れば問題ないなんじゃがのぉ」
 学園長は指を三本立てた。
「問題は三つ。一つ、この迷宮が麻帆良にとって二度目の出現という事じゃ。一度〝埋めた〟はずの迷宮が再出現するなど、前代未聞らしくての。何が起こるのかさっぱりわからん。更には以前と『迷宮』の形が違って、以前の資料が役に立たん」
 指が一本折られる。
「二つ。知っておると思うが、迷宮はいずれ資源が枯渇する。そうならないために、出来るだけ早く迷宮は〝埋め〟無くてはならない。じゃが、迷宮の中には一つだけ例外があり、資源が枯渇しないものもある。パリにある『大迷宮』がそれじゃの。そして間が悪い事に、今現在『大迷宮』が活性期に入り、探索パーティーの上位者は皆あちらに集まっておる。麻帆良に集まるのは中堅どころがいいとこじゃ」
 『迷宮』は出現してから年月を経ると、次第に資源が取れなくなってくる。資源が取れなくなれば、探索者が減っていき、迷宮の攻略は進まなくなる。
 迷宮探索は時間との勝負なのだ。莫大な経済活性化は一時のお祭りであり、総じて災害に区分されるのが『迷宮』だ。負のスパイラルに陥る前に、出来るだけ早く処理をする。それはかつての為政者達が学んだ訓戒でもある。
 最悪、そのまま放置される様になれば、モンスターは無限に沸き続け、迷宮の外へ溢れる様になってしまうのだ。
 そんな状況を防ぐために『ギルド組合』がある。『ギルド組合』は迷宮に付随して作られる『迷宮街』の運営を一手に請け負い、その利権を独占している。だが変わりに迷宮を〝埋める〟義務を持っているのだ。
 もしも迷宮の資源が枯渇したならば、『ギルド組合』はトップクラスの探索パーティーに多額の報酬を与え、迷宮をどうにか〝埋めて〟貰うのだ。
「そして三つ。これが最悪なのじゃよ。迷宮が巣食っているのは世界樹の根元なのじゃ」
「最悪? どういう事だ?」
 『迷宮』というものは、出現した時、周囲にあるものと合わさりながら、巨大な迷宮を作る。しかし、作るといいながらも、その実際の規模は小さい。
 探索者にとって広大な迷宮の内部も、外部から見ればほんの数メートルの立方体なのだ。そのメカニズムは未だ分かっていないが、『迷宮』自身により作られた、しかるべき入り口を通る事により、探索者は巨大な迷宮へと足を踏み入れる事が出来ている。
「ふむ。君は魔法については門外漢だったのぉ。この麻帆良にある世界樹……神木《蟠桃》は二十二年に一度巨大な魔力を発する、いわば魔法の木なのじゃ」
「ふーん」
 チラリと窓の外を見れば、巨大な木がある。千雨にすれば「やっぱり魔法の木なのか」という思いがあった。
「本来であったらその魔力活性化は再来年のはずなのじゃが、どうにも来年活性化が起こる兆候があるのじゃ。そして迷宮は世界樹の根元に寄り添う様に出現しておる。ほれ」
 学園長が示したのは、世界樹の地質調査の結果の様だ。
 世界樹の地下が断面図で現されていた。世界樹を中心に地表に作られた広場。その広場の地下一階・二階には迷宮街がある。更に迷宮街の下には『世界樹の迷宮』に繋がる階段、階段の先には小さな立方体。およそ三メートル程の立方体がここの迷宮の本体らしい。本体は世界樹の幹の真下に、根に包まれる様にして存在していた。
「世界樹に巣食う様にして『迷宮』は存在しておる。このまま来年の世界樹活性化に至れば、何が起こるかわからんのじゃ。最悪……、いや、よそう」
 無関心に千雨は紙を見続けた。千雨からすれば、麻帆良などどうでもいい。ここに住む人間が、地下から押し寄せるモンスターに食い殺されようと関係無い。
(出来れば、隣町のクソ親がいるとこまで這い出てくれるとありがたいな)
 その想像をすると、不思議と口元が釣り上がる。
 千雨は今でも覚えている。
 あの陰惨な両親が家族旅行と称して、ハワイくんだりまで何故自分を連れて行ったのか。
 あの場から、千雨は如何様にして逃げ出したのか。
 生きる為に、囚われたために、迷宮に潜る事になった日々を。
 汚辱と陵辱に満ちた、あの迷宮の時間を。
 女としての尊厳を永劫に奪われた屈辱を。
 どす黒い思いを心に宿しながらも、千雨は〝あの少女〟が望んだ日常に戻ったのだ。
 顔を見れば吐き気のする両親には、金と家を見繕い、対外的には自分を心配する両親のふりをさせている。今頃奴らは遊び呆けているはずだが、いずれは全てを奪い取ってやるつもりだ。
 おもちゃを取り上げられたガキが泣き叫ぶ。
 その時の顔を、千雨は楽しみにしているのだ。
 ふと、学園長が自分を見つめているのに気付き、千雨は表情を戻す。
「ふん、私には関係無いな。だったらギルド組合に掛け合えよ。そうすりゃトップランカーの一組か二組、まわして貰えるだろ」
「それは何度も要請した。しかし、組合の反応が重いのじゃよ」
 千雨は現存する迷宮を幾つか思い出す。
 確か現在攻略中の迷宮は世界に五つ、いや六つだったろうか。
 迷宮が枯渇するまでムラがあるが、大体三年から五年というのが平均だ。『大迷宮』を除けば、そのほとんどの『迷宮』が期限に近づいている。
(なるほどな。組合もてんやわんや、って事か)
 一年ほど前に出現した『世界樹の迷宮』は優先順位が低いのだ。
 上級探索者は皆『大迷宮』や、組合の要請で期限間近の『迷宮』に向かっているのだろう。
(おそらく新人育成ってのもあるのか)
 探索が進んでいる迷宮では、新しい探索者は育ちにくい。探索とはその名の通り『未知の場所を進む』事に意味があるのだ。
 そのため、まだ出来たばかりの『世界樹の迷宮』に新人や中堅を送り込んでいるのだろう。麻帆良の事情を考えなければ頷ける処理だ。
「しからば我々で、『迷宮』の深奥に至る可能性のある者を探さねばならん」
「それに私が引っ掛かっちまった、ってワケか。くだらねぇ」
「こちらの事情はこんな所じゃ。報酬は出す、おそらく君の望んでいるものを差し出せるだろう」
「ふん、口だけだったら何とでも言える」
 学園長は背もたれに体を沈めた。
「――君は、ある人間を探しているそうじゃな」
 ピクリと千雨の眉が動いた。
「探索職の、メディックの少女じゃったか。君はそれを探しておるの」
「……」
 千雨は無言で言葉を待った。
「こちらの者を、当時の『業火の迷宮』関係者に当てさせて調べて貰った。その少女の名前は不明。容姿も、出身も、何もかもが分からない」
「ふん」
「そして彼女が〝いた〟と証言しているのは君一人、そうじゃったな」
 学園長の探るような目に、千雨は苛立ちを感じる。
「あぁ、そうだ。私だけだよ。アイツを、アイツを覚えているのは私だけだ。『ミリアム』のヤツらも、アイツなんていないと言いやがる。だけどな、それは〝おかしい〟んだ」
 千雨はソファーから立ち上がった。
「『迷宮』を六人以上で固まって探索するのは、『迷宮』側のルールに触れて不利になる。だから私達は五人組を作って探索する。そう、五人いなければ深奥に至れるはずが無い。なのに、『迷宮』を〝埋めた〟時に、私達は〝四人〟しかいなかったんだ。ましてや、どのパーティーにとっても生命線となるメディックを欠いて深奥に至る。そんなの不可能に決まっている」
 迷宮を〝埋めた〟後、〝あの少女〟は消えていた。一緒に取った写真からも、戦友達の記憶からも消えた。
 世界中からその存在自体が消えてしまったのだ。
 唯一、千雨だけがおぼろげに彼女を覚えている。彼女に救われた事も、彼女に――。
「考えられるのは一つだけだ。『迷宮』が私の願いを叶えた。たぶん、それだ」
「ふむ、あれは噂ではないのかの」
 『迷宮を埋めた者達は、迷宮により願い事を叶えて貰える』。そんな噂がある。眉唾ものだが、どうやらそれは事実らしい。
 もちろん『どうやら』と言うには理由がある。
 願った者に対し『願い』は実行されるが、その『願い』を受け取った者は『願い』そのものを自覚出来ないのだ。
 つまり一人っ子の人間が『兄弟が欲しい』と願えば、元々『兄弟がいた』事に置き換わる。願った本人には『兄弟がいる』事は当たり前になり、その願いが叶った事を思い出せないのだ。
 だが、それが本当ならば『願いを叶える』という事を確認出来ないはずだった。
 しかし、これらの『願い』には補え切れない様々な矛盾が発生する。
 その矛盾を探り、ギルド組合は様々な観点から調査し、『迷宮は願いを叶える』と判断した。
 これらの情報は〝埋めた〟者達のみに知らされる極秘情報だ。
 〝あの少女〟が消え、錯乱した千雨に対し、ギルド組合の幹部が懇切丁寧に説明した事柄だった。
「噂なら苦労しない。私は今でも探してるぜ。未だに毎月調査会社から大枚を搾り取られてる。まぁ、幸い蓄えは大量にあるけどな」
 名前も、容姿も分からない〝あの少女〟を探すため、千雨は調査会社に依頼し、世界中に飛んで貰っている。
 〝埋めた〟後、〝あの少女〟を探し、千雨が唯一見つけた痕跡は靴だった。千雨達のパーティーの下宿先では、何故か千雨は一人で二人部屋を使っていた。そこにあった千雨が履けないサイズの靴、買った覚えも無いその靴こそが、〝あの少女〟の唯一の痕跡あった。
 現在、その靴に残った細胞を検査し、世界中の人間から対象を絞り込んでいる。気が遠くなるような話だ。
「おそらくわしら、いや、関東魔法協会の長たるわしが、君の調査に対し多大な援助をしよう。魔法による痕跡調査なら、多いに役立つと思うが、どうじゃね」
「魔法、か」
 魔法世界への窓口は狭い。千雨とて魔法による調査は望んでいたものの、それを何処へ依頼すれば良いのか分からなかった。
 しかし、今回の申し出はお互いにとって利がある。利は信頼出来た。
「それにじゃ、君も〝魅入られている〟んじゃないかね」
「何言ってるんだ?」
 とぼけた様に言いながら、千雨は右手首を見せびらかすように、頭を掻く。
 かつてそこにあった『呪い』はもはや無い。しかし、腰に当てた左手首には腕時計が巻かれていた。
「まぁ、いい。いいだろう、いけ好かないがその依頼受けてやる」
「ありがたい事じゃ。方法はまかせる。期限は一年、それまでに『世界樹の迷宮』を〝埋めて〟欲しい。こちらとしても出来る限りの便宜をはかろう」
「便宜だ? そんなもんいらねぇな」
 千雨は目を見開き、歯をむき出しにして笑う。
「ジイさん、お前はアイツを探せ。いいか、コイツに連絡すれば詳細は教えるはずだ。テメェの権力使って、魔法使いとやらをどんどん差し出せ」
 千雨が放り投げた名刺には、英語で書かれた会社名と人の名前があった。
「そして、私が迷宮を攻略するに当たり、一切の文句を言うな。やり方は全部私が決める。どれだけ人が野垂れ死のうが、傍観してろ。干渉するな、いいな」
 千雨の顔は狂気に満ちていた。口元がガパリと醜悪に開く。
 学園長はそんな千雨に驚きつつ、首肯で返す。
「いいだろう。もはや手段は選ぶまい」
「言質は取ったぜ。違えるなよ。書類はこちらで用意しておく、もちろんギルド組合立会いの下で、後日契約してもらう」
「了解じゃ」
 ギルド組合は大きな経済基盤だ。その立会いの下で為された契約となれば、容易に反古出来ない。
「いい返事だ。じゃあな、ジイさん」
 千雨はそのまま学園長室を出て行った。
 残された学園長は、千雨の歪さに冷や汗をかいていた。
「迷宮か。あれはそれほど人を狂わすものなのかのぉ」
 自分の孫娘が『迷宮』に赴いている事は聞き及んでいる。
 孫娘は出自故に、今後様々な火種を抱えるはずだ。その予行演習と考えれば、『迷宮』の低層はアトラクション程度で丁度良いだろうと思っていた。
 その考えも、変えなくてはいけないかもしれない。
「木乃香には控えて貰うしかないかのぉ」
 『探索者』の管理は、ギルド組合に契約で一任している。その『探索者』を学園長が引き止めるとなれば、問題になるはずだった。しかし、血縁者としてならば無理ではない。
 様々な思索にふけりながらも、学園長の口からは自然と溜息が漏れていた。



[29380] アルケミストちさめ 7《完》
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:49
●1
 学園長室を出た千雨は、寮に寄った後『迷宮街』へと向かった。
 久しぶりに見た『迷宮街』に不思議な感情が沸く。憐憫と懐古。あの辛い日々がありながらも、迷宮は〝あの少女〟との日々でもあったのだ。
 『迷宮街』は広い。石造りで二階層になった地下街ながらも、ここは地下街だけで約二万人の生活を賄えるように作られている。空間拡張などの魔法の恩恵なのだろう。
 制服姿で歩きながらも余り注視はされない。
 千雨は久しぶりに迷宮街用の端末を起動させ、ガイドマップをダウンロードした。
 目指すはギルド組合の麻帆良支部。
 肩に掛けたデイバッグがガチャガチャと音を鳴らした。バッグの中には金属製の篭手、ガントレットが入っている。
 『業火の迷宮』を埋めた後、千雨はほとんどの装備を処分してしまったが、この篭手だけは処分出来なかった。
 ガントレットは千雨の戦いの日々をずっと共に戦ってきた相棒でもあった。金色だった塗装は幾度も剥がれ落ち、大きな修理痕も沢山ある。
 それでも機能は落ちていない。千雨のアルケミストたる矜持が全て詰まっているのだ。
 端末で確認しながら数分歩けば、ギルド組合の建物が見えてきた。
 入り口脇には組合が提供するATMへ行列が出来ている。それらを横目に見つつ建物へ入れば、地下街とは思えぬ高い天井のフロアに迎えられた。
 フロアにはびっしりと受付のカウンターがあった。そのどれもが鉄格子の様な厳重な敷居が置かれ、受付と客の間を仕切っている。
 そして、そのどの受付もが人で溢れていた。
 おそらく『迷宮』資源の買取の窓口なのだろう。
 市場に直接流す方が価格は高くなるものの、入手した迷宮資源の全てを買い取ってくれる人間は少ない。
 反面、ギルド組合では探索者が得た資源の全てを買い取ってくれるのだ。
 そのためギルド組合の窓口が混みあうのは常であった。
 千雨は手馴れた様に人の波を掻き分け、目当てのカウンターに向かう。
 ポツンと空白が出来ている場所こそが、千雨の目指す所だった。
 『探索者受付窓口』。
 探索志望者などを受け付けている場所だ。そこの窓口にドカリと端末を置いた。
「休養申請していたんだが、探索者としての復帰手続きをお願いしたい」
 受付嬢は眠たそうな目をしながら、千雨を見定めた。どこにでもいる様な地味な子供、おそらくそんな印象を持ったのだろう。
「はい、復帰申請ですね。では端末をお預かりして確認させて頂きます」
 女性はそう言いながらも、渡された端末が四年程前の旧式なのと、その汚れ具合に驚いていた。千雨が渡した端末は衝撃吸収様のフレームにまでヒビが入り、細かな傷など数え切れないものだ。
「あと、出来れば端末の方を新品で欲しいんだ。幾つかリスト見せて欲しいんだけど」
「はい、了解しました。ですが端末となりますとご予算によっては機種が限られてしまいますが、どの程度のご予算をお持ちですか?」
 女性としてはいつも通りの対応であった。目の前の子供が大金など持っているはずが無い、と言う先入観があった。
「予算は特に問題無い。出来れば一番良い奴を適当に見せてくれ。凍結してあった口座からの引き落としでたのむ」
「はぁ……」
 一番良い端末がどれ程の値か知っているのか、と女性は言いそうになるが堪えた。最新の探索者端末には、魔法世界の協力の元、様々な道具や物資を電子端末に魔法で収納出きる高級品まである。
 一個一個ハンドメイドのため、その値段は一般の端末とは値が数桁違うのだ。
 女性は千雨の渡した端末を機器に繋げ、そのユーザー情報を照会していく。
 そしてその口座残高を見た時に目を丸くした。
「――え?」
「ん、どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません!」
 口座に出た金額は、探索において一流と言われる〝パーティー〟の資産と同じくらいなのだ。
 女性は慌てて復帰申請に入っていく。
「あ、あのお名前をよろしいでしょうか?」
「あぁ、長谷川千雨だ」
「ハ、ハセガワ!」
 女性は更に驚いた。
 ギルド組合に数年勤めた人間で、その名前を知らぬものはいない。
 たった二年でギルド組合が提供してきた『アルケミスト』という職の概念を変えてしまった異端。
 組合は彼女に大金を融通した上で、その技術提供を願ったものの、提示された技術の余りの難解さに、結局は匙を投げてしまったという逸話は真偽はともかく流布している。
 名前を語ったイタズラか、と女性は思ったものの、その後の指紋と網膜照合で本人と認定された。
 個人情報の規制が激しい迷宮業界に置いても、「長谷川千雨」の名は大きかった。
 カウンターから聞こえた「ハセガワ」の声に、周囲の人間も千雨を注視し始めた。
 慌てた受付の女性の背後に、幾らか年配の女性が立った。
「あなたは下がってなさい」
「あ、支店長~」
 女性は藁にもすがるといった感じで支店長に声をかけるも、厳しい視線で諌められ、肩を竦めた。
 支店長が女性と入れ替わる形で千雨の前に立った。
「申し訳有りませんでした長谷川様。復帰手続き、及び端末のご購入などは別室で承りたいと思います。申し訳ないですがこちらへ――」
「わかった」
 そのまま千雨は人込みから遠ざけられる様に別室へと案内され、そこで探索者としての復帰手続きと、新しい端末の購入をするのだった。



     ◆



「ふーん。今はこんな機能まであるのか」
 最新型の電子端末をポチポチと適当に弄り、五分ほどで千雨はある程度の機能を理解した。
 この電子端末は『迷宮街』に置いて個人証明にもなる大事なものだ。物の売買に置いても必須であり、ここにやってくる人間で端末を所持していない人間はいないと言っても過言ではない。
 千雨は端末を弄り、ある画面を表示させる。
「しっかりと認証されてるみたいだな」
 英字だらけの画面。それを訳すなら『迷宮探索許可証』とでも言えるだろう。ギルド組合が発行する『迷宮』への入場許可証だ。
「とりあえず行ってみるか」
 千雨の姿は軽装だ。未だ装備すらまともに整えていないが、それでも低層ならば問題無いという確信があった。
 『迷宮』は深く潜れば潜る程、その厳しさは指数関数の様に跳ね上がっていく。深層に一度潜った探索者ならば、例え低層で昼寝していても死ぬ事などまずありえないのだ。
 それは油断では無い。紛れも無い自信。
 あの過酷な迷宮探索を潜り抜けた自負は、確かに千雨の中に根付いているのだ。
 千雨はバッグからガントレットを取り出し、内部にギルド組合で購入した出来合いの薬品を入れていく。
 バッグを貸しロッカーに押し込み、千雨は『迷宮』の入り口に向かった。
 迷宮への入り口には守衛が二人立っていた。
 彼らの役割は不法な探索者の侵入を防ぐ事、そして内部からモンスターが出てくるのを止める役割も持っている。
 モンスターに対し近代兵器の効果が薄い事から、守衛の姿もさながら中世ヨーロッパの騎士を思わせる格好だ。
 千雨は電子端末を取り出し、入場ゲートにスキャンをかける。
 開いたゲートをくぐり、守衛の横をすり抜けた。
 守衛二人は千雨の軽装に驚くものの、わざわざ止めたりなどはしない。
 千雨の手に持つガントレットの数多の傷が、彼女の戦歴の多さを示していたからだ。
 ゲートの先にあったのは細い石造りの階段。これを降りていけばまもなく『迷宮』の地下一階に着くはずだ。
 階段の下からムンとした湿気と、濃い緑の匂いがした。
「へぇ」
 どうやら情報通りの迷宮らしい。
 かつて探索した『迷宮』よりは遥かに潤いがある場所の様だ。
 階段を降りた先には、陽光降り注ぐ森が広がっていた。
 地下とは思えない空間の広がり方に、千雨は懐かしさを感じてしまう。
「戻ってきちまったか」
 薄々予感はしていた。
 この残酷な世界に一度身を浸してしまった自分が、温和な世界にじっとしていられるはずが無いのだ。
「そうだ。そうなんだよな」
 千雨が呆然としていると、それを油断と見たのか、この地下一階でも最弱のモンスター、体長四十センチ程の『森ネズミ』がキーッと奇声を上げながら飛び掛ってきた。
 それに気付いて避けるも、千雨は頬に小さな傷を付けられてしまう。
「――ッ。ククク。あぁそうだ。油断してない、なんて思いつつ私は何を見とれていたんだ」
 その小さな傷が千雨の探索者としてのスイッチを押した。冷えていく思考。目の前のモンスターを殲滅する事だけを考えていく。
 今の千雨にはブランクがあり、かつての実力には程遠かった。
 それでも――。
「キィッーー!」
 再び飛び掛ってきた『森ネズミ』を手で鷲掴みにし、地面に叩きつけた。
 『森ネズミ』は断末魔の悲鳴すら上げずに、光の粒へと戻り、『迷宮』の持つ循環機構へと取り込まれていく。
「この感覚、そうだこの感覚だ」
 左手首、腕時計の下がズクズクと鈍く脈打つ。
 森を睨み付ければ、そこには低層とは思えない程のモンスターの群れがあった。
 低層で一度に襲ってくるモンスターがこれ程沢山いる事は稀だ。
 千雨はその姿を見て、ニヤリと笑う。
「どうやら私を〝歓迎〟してくれてるみたいだな」
 再び左手首が脈打つ。
 千雨はそのまま、まるで散歩でもするかの様な気楽さで地下二階への階段へ向けて歩いた。
 そのまま二階へと降り、そこでの〝歓迎〟も事如くを跳ね返す。
 彼女の通った道には、モンスターが残した血の痕と、大量のドロップアイテムが残されていた。
 千雨は地下三階への階段を降りていく。
 体にはまだ熱さが残っていた。
 『迷宮』の〝歓迎〟が、体を火照らせている。
 そして地下三階へ降りた千雨が見たものは、狼の群れに襲われたクラスメイトの姿だった。
「あれ、お前らは――」
 途端体の芯が冷えていくのを感じた。
 千雨の冷静な部分が、その場での状況や打算を計算していく。

 ――君は彼女達がモンスターに襲われているの見つけてしまった。
 ――彼女達に救いの手を差し伸べるのも、このまま見捨てるのも君の自由だ。
 ――どうしますか?

 千雨の選択は――。



  第0階層 END











あとがき



 読了感謝です。
 今回の千雨さんも色々ありますが、コンセプトは最強系という感じです。
 作者は『世界樹の迷宮』の1しかやってないので、他シリーズは知らないのですが、この1でのアルケミストの立ち位置を色々な意味で魔改造したのが今回のです。
 1でのアルケミさんは、序盤から属性攻撃が出来て強い反面、後半になると他職業のスキルの伸びなどから、決定力不足で頭打ちになっていく職業な様です。wikiなどから察すれば。
 ちなみに作者は四階層で止まってますが、その時点でもアルケミさんの頭打ちはヒシヒシと感じられました。
 この千雨さんも同じく、『業火の迷宮』なる、明らかに火属性に偏ってる迷宮で頭打ちに陥った設定です。ちなみに氷属性が得意なのもやはりその迷宮のせい。
 レベルカンストで頭打ちになった千雨さんが取った行動は、スキルの発動条件の見直しでした。メタファー視点で見れば、コードの改造、いわばチーター的な行動です。
 その結果、多大なリスク(スキル発動不安定など)を背負いながらも、第一線で活躍出来るまでに返り咲きました。
 作中の時点では、一度休養してるためレベルが下がり、多少伸び白が戻った状態で復帰しています。
 と、そんな感じに完璧くさい千雨さんですが、反面性格的にはかなり酷く捻くれかえってます。
 おそらく作者が完璧超人が嫌いために、ここまで酷く歪んでしまいました。
 ここまで歪むからには、階層ごとクリアしていくなんて、まっとうな探索するとは思えません。
 いや、本当にどうやって最下層にまで行くんでしょうね。誰か続きかいてくれないかなー。
 そんなわけでおしまいです。


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