<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[28780] シークレットゲーム-Paradise Lost-【習作】
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/07/09 02:15


注意事項

・この作品は自分のサイトとの二次投稿になっています。

・『シークレットゲーム-Killer Queen-』というゲームの二次創作です。

・オリジナルキャラが1名投入されていますが主人公は基本的に御剣総一です。今のところ。

・基本は原作と変わりませんが、作者の実力不足のため至らぬところが多々あります。ご指摘いただければ幸いです。

・ジャンルはデスゲーム物です。恋愛要素は期待しない方が幸いです。

・進行速度に期待はしないでください。


如何せん文章力が不足している為に今後が心配です。

ご意見、ご感想、アドバイス等いただければ嬉しいです。

手厳しい意見でもありがたくお受けいたします。
ここ、前書いた事と矛盾してんじゃねーか! とか。

更新速度が遅いので大分先になると思いますが、○○の出番を増やしてほしい! こんなシーンを入れてくれ! などと言われると第三幕以降に影響するかもしれません。

【第一幕】
 前編のみ終了済。
オリジナルキャラの紹介話と思ってください。
後編は第三幕後になる予定。

【第二幕】
 現在連載中。
こっちから見ても問題ない……と思う。


■7月9日(月)「二十二話」更新
ふみかさんのたんじょうびわすれてたわけじゃないのよ。
ほんとだよ。

更新速度がべらぼうに遅いけど絶対にエタらない!
 …エタらない。頑張ります。




[28780] 第一幕(前篇)・一話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/10/01 12:13
 最初に目覚めたとき、そこがまだ夢の中ではないかと疑ってしまった。自分がいるコンクリートの壁に囲まれた部屋に見覚えが無かったからだ。 ……頬を抓ろうと思ったがその前に頭に痛みが走り、ここが現実の世界だと理解した。

「……ぐっ……!」

 その痛みは鈍器で殴られたようなものではなく、内側から来るものだった。

「どうして俺はこんな所にいるんだ……?」

 部活の帰りに友達と別れて、家に帰ってたんだよな。 ……でも、家に着いた覚えがない。

 部屋の中を見回すがやはり記憶は戻らない。部屋に置かれた家具はどれも高価そうだったが、ほとんどはどこか破損していて台無しになっている。ここに誰かが住んでいるのならこれを放っておくだろうか。 ……じゃあ廃屋なのかというと、それにしては小奇麗に思えてくる。
 ……そもそも、こんな場所に来た覚えはない。俺が自分の意思で来たのではないなら……。

「まさか、……誘拐? 俺を? 何の為に?」

 身代金目的?
  ……御剣家の経済状況を考えると誘拐のターゲットとしてはイマイチだ。狙うなら我が家のような中流家庭よりもっとお金持ちの家の子供を……それも俺みたいな図体のでかい男ではなくか弱い女子供の方が楽だ。
 怨恨――の線はないと思う。たかだか17年程の人生で誘拐までされる恨みを買った覚えはない。 ……まあ、俺自身が知らないうちに恨まれてる可能性もあるので保留としておこう。あと考え付くのは――。
 ……いや、それはいくらなんでも……。女性ならあるかも知れないけど……。でも、……そういう趣味の人もいるわけであって……。 …………。
 そこまで考えたとき、首元に感じる僅かな圧迫感に気がついた。

「……首輪……?」

 首と首輪の間には僅かな隙間もなく、首輪というよりチョーカーに近いものかもしれない。普段アクセサリーをあまりつけないのでそれは慣れない感覚だった。
 ……状況が、理解できない。
 ただの誘拐にしては何かがおかしい気がする。部屋の中は俺一人で誘拐犯らしき人間はいない。首輪がついてはいるものの拘束の役目は果たしておらず、逃げ出そうと思えば目の前のドアから簡単に逃げることができるだろう。

 ……今、何か物音が聞こえなかったか……?
何か大きな物を倒した時のような、荒々しい音だった。音があまり大きくなかったのは部屋の中にいるからだろう。
 ……まさか、誘拐犯が来たのか……?
 耳を澄ませれば、足音が近づいてくるのがわかる。何者かはわからないが俺をここまで連れてこれるほどの力はあるはずだ。だとすればここで大人しく待っているのはまずいんじゃないか……?

 足音が止まる。
 ……ドア一枚隔てた向こう側に、誰かが、いる。恐らくこのドアを開けて入ってくるつもりだろう。俺より力の強い相手なら、勝てる見込みはない。
 ……ならば!
 飛び掛るようにしてドアノブを掴む。このドアは外開きだった。 ……ドアノブを回して、勢いよく開けるッ!

「おぶしッ!!」

 鈍い音が辺りに響く。同時にドアの前にいた人間の声も聞くことができた。 ……かなり妙な悲鳴(?)だったが。
 一歩外に出て、その声の主を確認する。頭を抱えながら尻餅をついている人物は……おおよそ想像とはかけ離れた雰囲気だった。まず目についたのはその服装だ。薄い緑色のツナギ――これだけ見れば誘拐犯らしい出で立ちといえる。だがそれを身に纏っている人物は、……多分、俺より年下だ。もうひとつ目についたのは、首から下げている赤色のお守りだった。その恰好が不審である事に変わりはないが、さすがにこいつは誘拐犯ではないだろう……。

「いっててて……。一体何だって……?!」

「だっ……大丈夫か!? いや、俺が悪いんだけど…!」

 俺がドアを開けた勢いで弾き飛ばされたんだろう。知らなかったとは言え、悪いことをしてしまった。

「起き上がれるか?」

 手を差し伸べると、少し躊躇ったがすぐにその手を掴んだ。

「ありがとうございます。……んっと!」

 起き上がると、さっき俺がしていたように俺を観察し始めたようだ。さっき手を差し伸べたからか、そこまで警戒はしていないようだった。互いに何を話せばいいのかわからず、暫しの沈黙が続く。ここは年上の俺が先に話したほうがいいだろうと思い口を開くが、向こうのほうが早く話し始めてしまった。

「……どうも、はじめまして?」

 その表情には困惑の色が見て取れ、こちらに対してどう接すればいいか考えているようだった。だが何かを決めたようで、一回頷いてから再び話しかけてきた。

「あのー、ここがどこだか知りませんか?」

「いや、ごめん、俺もよくわからないんだ。目が覚めたらここにいて、まだよく状況が飲み込めない。君も?」

「私もそんな感じです。買い物に行ったところまでは覚えてるけど、そっから先が思い出せないんですよねー。これって誘拐ですかね?」

 さっきよりも砕けた口調になった。やはり同じ境遇らしい。

「誘拐……なんだろうか。俺もよくわからない」

 誘拐されたのが俺一人じゃないというのは不謹慎ながらも心強い。こんな場所に一人でいたらそのうち不安になるだろう。 ……まあ、既にちょっと不安にはなってたんだけど……。
 などと考えていると、何処かから電子音が聞こえてきた。辺りを見回してみると隅に置かれた机の上に……おお、俺の鞄だ!見慣れない物ばかりの場所では心なしか安心感を与えてくれる。だが……電子音は机の辺りから聞こえてきたが、こんな電子音のするような物は持っていなかった筈だ。

「ああ、やっぱりここにもあるのか」

「え? ……何だこれ?」

 机に近づくと、鞄の横に長方形の黒い板みたいなものがあった。どうやら機械――最近流行りのタッチパネル式の携帯機器のようだが、生憎俺はそんな高価な物は持っていない。

「誰かの忘れ物……か?」

「いや、私のとこにもあったからそれはないと思うよ。……やっぱり、同じみたいだね」

「んー……じゃあこれが何なのか、知らないのか? ……えっと」

「……ああ、もしかして名前?」

こいつの名前を聞いていなかったことを思い出しうろたえるが、どうやら察したようで自分から名乗ってくれた。

「真倉真比留(まくらまひる)。そっちは?」

「俺は御剣総一(みつるぎそういち)。……それで、真比留はこの機械については何か知らない?」

「御剣は今この機械を見つけたんだよね。じゃあ、まずは中を見てよ。そっちのほうが手っ取り早いさ」

 促されるまま機械を手に取り、しげしげと眺める。画面の部分にはトランプの――ハートのクイーンが映し出されている。下に小さなボタンがついているがとりあえずは画面をタッチしてみる。 ……おっ、画面が変わった。なになに……?

 『ルール』『機能』『解除条件』

 多分、どれかの文字をタッチすれば説明文みたいなのが出てくるんだろう。
 まずは『ルール』を押した。想像通り、画面に長い文章の羅列が表示される。ひとつの画面では収まりきらないようで途中で途切れているが、指をスライドさせると続きを見ることができた。タッチパネル式の機械に興味はあったが買うには至らなかったので、これはちょっとした感動だ。

【ルール1】
参加者には特別製の首輪が付けられている。それぞれのPDAに書かれた状態で首輪のコネクタにPDAを読み込ませれば外す事ができる。条件を満たさない状況でPDAを読み込ませると首輪が作動し、15秒間警告を発した後、建物の警備システムと連携して着用者を殺す。一度作動した首輪を止める方法は存在しない。

【ルール2】
参加者には1-9のルールが4つずつ教えられる。与えられる情報はルール1と2と、残りの3-9から2つずつ。およそ5、6人でルールを持ち寄れば全てのルールが判明する。

【ルール3】
PDAは全部で13台存在する。13台にはそれぞれ異なる解除条件が書き込まれており、ゲーム開始時に参加者に1台ずつ配られている。この時のPDAに書かれているものが、ルール1で言う条件にあたる。他人のカードを奪っても良いが、そのカードに書かれた条件で首輪を外すのは不可能で、読み込ませると首輪が作動し着用者は死ぬ。あくまで初期に配布されたもので実行されなければならない。

【ルール8】
開始から6時間以内は全域を戦闘禁止エリアとする。違反した場合、首輪が作動する。正当防衛は除外。

 ――PDAとはタッチパネル式の携帯機器の総称だ。恐らく今文字を表示しているこれのことだろう。
 そして……首輪。
 首に巻きついてるこれがそうなのだとしたら、……。『機能』の項目には白地図があるだけでよくわからなかった。
 そして……。

 『解除条件』
 『Q:2日と23時間の生存』

 ……ちょっと待て。
 "生存"という言葉が入っているってことは裏を返せばそう簡単に"生存"させる気がないってことじゃないのか!?
 ……いやいや、それ以前にこんなこと鵜呑みには出来ない。わけのわからない状況に放り込まれてしまったから冷静な判断が出来てないじゃないか!

「『死ぬ』とか『殺す』とか書かれてるけど……いくらなんでも現実離れしすぎてる。こんな物騒なことが本気で行われてるとは思えないよ」

 現実でこんなことが行われるとは思えないが、『一般人が謎の組織の陰謀に巻き込まれる』というのは映画や漫画の世界ではありそうな話だし、実際俺も何度か見たことがあった。そう考えて、ひとつの結論を出す。

「多分、これは映画か何かの撮影じゃないかな。俺たちはエキストラか、間違って連れてこられたんだよ」

 だが真比留はこの意見には反対のようだった。

「じゃあスタッフは? カメラマンは? それに私はエキストラの契約なんか結んだ覚えないし、間違いで一般人二人を許可なく連れてくるってのは考えづらいと思うなー」

 真比留の言うことももっともだが、これを否定してしまえばPDAに書かれていることが事実ということになってしまう。

「でもそれじゃあ俺たちを誘拐することに何の意味があるっていうんだ? しかもこんな物騒なことを行う理由がわからない」

 結局二人とも明確な答えを出せなかった。

「もしこれがドッキリならそれはそれでいいじゃないか。最悪の場合を考慮するに越したことはないさ」

 ……ふと、真比留の首元に違和感を感じた。ツナギの襟で見えにくくなっていたが、よく見るとそこには銀色の首輪がついていた。薄緑の作業用ツナギと赤いお守りと銀の首輪というのはなかなか愉快な組み合わせだが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「その首輪……真比留の私物じゃないよな? もしかして俺についてるやつとおなじじゃないか?」

「へ? これ? そうそう、これも起きた時からついてたんだよね。自分じゃ見えないからよくわからないけどさ。ルールに書いてあった首輪って多分これだろうねー。怖くて無理矢理外す気になれないよ」

「俺のと同じなのかわからないけど、ちょっと見せてもらっていいかな」

「いいよー。後で私にも見せてね」

 真比留の首元に顔を近付け、眺める。手触りから感じたとおり表面はツルツルしていて、鈍い光沢がある。ひとつ小さい穴が開いているのでこれがコネクタなのだろう。ますますもって真実味を増してきたことで再び不安な気持ちがよみがえる。真比留も俺の首輪を確認したがそれ以上のことはわからないようだった。

「しかし……この細い首輪にPDAに書いてあるような機能がついてるってことが驚きだよ。継ぎ目もないし、かなりの技術で作られてんじゃないかな」

「それを言うならこのPDAもだな。全部で13台あるんだとしたらかなりの金がつぎ込まれてるだろうし、本当に現実味がないよな……。こんなことしてなんの得があるんだか」

 それが一番の謎だ。このゲームが本物だとして誰が得をする?大金をつぎ込んで、13人の人間を誘拐して、建物まで用意した。それは何故だ?

「駄目だ……まったく想像がつかない」

「そう?」

 真比留の反応は、その謎がわかっているような感じだった。こいつは何か知っているのか?

「仮説は結構想像出来るよ。ただそれを絞り込めないだけで」

「……俺には全然わからない。その仮説、話してみてくれるか?」

「んじゃあ仮説の中でも一番自信があるやつを……」

 真比留は自信満々の不敵な笑みを浮かべる。クイズの答えを発表する司会者のような堂々とした雰囲気だ。

「これは………宇宙人の実験なのさ!」

「はあっ!?」

 思わず素っ頓狂な返事を返してしまったが、これは仕方ないだろう。

「ランダムに選んだ地球人13人がそれぞれのPDAの条件を満たす為にどのような行動をとるのか観察……そしてそれを地球侵略の際の参考にするのさ! こういう閉鎖された空間では人間の本性が現れるッ! だからこそこんな拘ったルールをだね……」

「ちょっ……ストップ、ストップ! いくらなんでもそれはないだろ! なんでいきなりSFチックな展開に!?」

 こいつの他の仮説もこんな感じなんだろうか……。面白そうだが今はあまりシャレにならない。

「えー。ここからが肝なのにー。地球防衛軍と宇宙人の涙無しでは語れない因果の物語から身分の……いや、種族の壁を超えた許されぬ恋とか……」

「もはやそれこの状況と関係ないだろ!」

真比留の表情は茶化すようで真剣さが感じられない。さすがに本気で言っているのではないようだ。

「まあ冗談はこのくらいにして……」

「冗談は状況を見てからにしてくれよ……。シャレにならない状況でよくそんな元気でいられるな」

「まあどうせ今の段階じゃほとんどわからないんだし、そんな眉間に皺寄せて考え込むなってことさ。それに下手に現実味のある話したらさらに気が重くなるだろうし」

 眉間に皺寄せて……?
 確かに俺はこの状況を把握しようと必死になっていた。もしかすると、真比留はそんな俺を和ませるためにジョークを言ったのだろうか。会ってからそう時間もたたないが、悪い奴ではない。なんとなくそう感じた。

「……そうだな。……ひとつ提案なんだけど、この建物の出口を探さないか? ここにずっといても何の収穫もなさそうだし。さっき真比留はここの探索をしてたんだな」

「うん。このPDAの機能にあるのがここの地図みたいでさ。でっかいホールみたいなとこが目印になって把握出来たんだけど、どうやらここは相当広い建物みたいだね。ただ……そのホールに出口みたいな場所があったけど、シャッターが下りてて通れそうになかった」

 だが他にあてもなく、もしかしたら出口を探して誰かが来るかも知れないということで俺達はホールへ行くことになった。

「この時の御剣は、まさかあんなことが起ころうとは夢にも思っていなかった……」

「え、何それ」



「ただぁ~僕はねが~ってたぁ~♪」

「………」

「そ~ぅ、ぼぉきゃ~く~をぉ~♪」

「……なあ、その歌って必要? もし誘拐犯にでも聴かれたら俺たちが逃げ出したことばれるんじゃ……」

 逃げ出したといっても建物から出たわけでもないのだが、当初の部屋から出て動き回っている以上あまり目立つ真似はしたくない。

「何言ってんの。本当に閉じ込めておくつもりだったら拘束して鍵かけとくだろうよ。それにもしPDAの通り私たちみたいな境遇の人間があと11人いるってんなら歌を歌ってアピールするのはいい考えだと思うけど?」

「なるほど。じゃあ真比留はそこまで考えて歌ってたってことか?」

何も考えずに行動しているものと思っていた俺は感心する。

「いや、ただ気分を盛り上げようと思って」

「……確かに真比留の言うとおり他にも誘拐されてきた人間がいるなら合流するに越したことはないな。音程に関しては俺がしばらく我慢することにする」

「褒め言葉として受け取っておこう!」

「遠回しに皮肉を言ったつもりだったんだけど?」

 突然誘拐されよくわからない建物につれてこられたにしては呑気なものだ。

「悲しみの~向こうへとぉ~辿りつける~なら~♪」

「……それ、やめてくれないか。なんか……こう……寒気というかなんというか……」

「えーじゃあ何か話題振ってほしいなー。今なら特別サービスで割となんでも答えるよ」

 話題、といっても何を話せばいいのだろうか。個人的な事を聞くべきなのかと考えていると、ふと首からかかったお守りに目がいったのでそれを聞いてみる事にした。

「その赤いお守りには何の効果があるんだ?」

「そこ? ……まあいいや。これは魔除けらしいよ。あとこの色は臙脂色っていう日本の伝統色――」

「助けてくれええぇ! 誰かあぁああ!!」

 真比留の声を遮るように廊下じゅうに悲鳴が響き渡り、それに合わせて謎の轟音も聞こえる。もちろんその音の正体など知る由もないが、助けを求める声が聞こえる以上無視するわけにもいかない。

「行ってみよう! ……って、真比留?!」

 声を掛けようとするより早く真比留は走り出していた。俺もそれに続く。

――居た! あの男だ!

 右足を引き摺った中年男性が必死な形相で走っている。だが右足の怪我のせいか速度は歩くより少し速い程度だ。何かから、逃げている?

「大丈夫ですか?! どうしました!?」

 一足早く真比留が男の元へ辿り着き、質問をしている。俺もすぐにそれに追い着く。俺達を見て、男は安堵の表情を零すがすぐにまた険しい顔に戻る。

「たっ……頼む、助けてくれ! あれに追われてるんだっ!」

 男をよく見ると、服のあちこちが焼け焦げている。汗だくなのは今まで走り続けてきたからだろう――男の言う、"あれ"から逃げて。そして……首元で何かが点滅している。信号で"危険"を表す赤い点滅。自分の首輪は確認できないが真比留の首輪に異常はみられない。男の首輪だけが、"危険"を告げている。

「ひぃっ! き……来た!!」

 男の視線の先にあるのは……ボール?
 サッカーボールより少し小さいくらいの大きさの黒いボールが20個ほど、ゆっくりと転がってくる。歩行速度とたいして変わらない速さのそのボールの群れを、男は恐れているのか?

「あのボールに追われてるんですね?」

「ああ! ……助けてくれ、助けてくれえっ!!」

真比留はその返答を聞くと、男の手を掴み、今来た道を引き返した。

「辛いとは思うが、走れ! 死にたくなければ!」

――死にたくなければ?

 どういう意味かはわからないが、俺もそれについて行く。男を引っ張っているからか真比留の走る速度はそんなに速くないのですぐに追い付けた。男は戸惑いながらも真比留に抵抗するつもりはないようだ。

「おい、真比留! どういうことだよ。あのボールの何が危険なんだ?」

「後で説明する! 御剣はこの先にあった部屋のドアを開けて来てくれ! そこに逃げるッ!!」

 その気迫に押され、言われるがままに行動する。そこに二人が滑り込むのを確認してドアを閉める時、廊下の向こう側からあのボールの群れが追ってきているのが見えた。
 真比留は呼吸が整うと、さっきの質問の答えを口にした。

「はぁ、はぁ……いやさ、あのボール、爆弾なんじゃないかと思って。違いますか、おっちゃん」

「あ、ああ、そうだ、あれがいきなりぶつかって来て、爆発して……」

 あれが爆弾だったこともビックリだがどうしてそれを真比留が気付いたのかが気になる。 ……いや、男の中途半端に焦げた服とボールから逃げていたことを考えれば気付いてもおかしくはないか。

「ルール違反……かね。おっちゃん、一体何したんですか?」

「わ……わしは何もしとらん! 勝手にあれが追いかけて来ただけだ!」

 ルール違反という言葉を聞いてPDAに視線を落とすと、そこにはとんでもないことが書かれていた。

「おい、真比留、これ!」

 三人の視線が一箇所に集まりその文章を目で追う。

 『追跡ボール:体当たりして自爆する、ルール違反者や首輪の解除に失敗した人間を殺す自走地雷。移動速度は時速6キロ。爆発の威力はそれほどでもないから何個か当たらないと死なないし、走って逃げれば大丈夫かも?!』

「……おっちゃん、ここで目が覚めてから今までのことを順番に説明して下さい。断ればこの部屋から叩き出します」

「だから何も……」

「御剣、ドア開けろ」

「わ……わかった! 言うから見捨てないでくれ! 目が覚めたらこんな場所にいて、あとこれがあったから貰っておいて……その後、女の子に会ったんだ。大きいリボンをつけた小学生ぐらいの女の子に……話しかけてたらいきなり、変な声が聞こえて……」

 女の子……?
 このゲームとかいうのに、小さな女の子まで参加させられてるのか!?

「解除条件がどうとか……正確には覚えてないが、機械みたいな声だった。それで例のボールがいきなりぶつかって爆発して、その場から逃げたんだ!」

 だが今の話を聞く限りじゃルール違反らしきことは何もしていない。

「……おっちゃん、その女の子に会ったときのことを詳しく。なんて話しかけた?」

 最初こそ敬語を使っていた真比留も、いつの間にかタメ口になっていた。

「だ、だから、普通に、こんにちはって……」

「御剣、オープン・ザ・ドア!」

「わあああっ! そ、それだけはああぁ!!」

「……じゃあ、私の質問に答えろ。『……あんたはその女の子に対してセクハラ及びそれに準ずることをした』。返事は"はい"か"いいえ"で」

「………………はい……」

 ……このエロオヤジ……。 ……でも、それでどうしてルール違反になるんだ?

「御剣のPDAに書いてあったルールに、開始から6時間以内は戦闘禁止って書いてあったろ。多分そのセクハラがルールに引っかかったんだろうね。自業自得さ」

 冷たく言い放つ。さっきまでは男を助けようとしていた真比留は、もうどうでもいいと言った様子だ。多分、『養豚場のブタを見る目』ってのはこういう目なんだろうな……。 ……まあ、わからないでもないけど……。と言うか、この状況でよくセクハラする余裕があったな、このオヤジ……。

「まあでもここで見殺しにするほど私も鬼じゃないさ。追跡ボールの威力はそんなにないらしいから、ドアで暫くは防げると思う。……ただ、この部屋には他に出口がない。ボールがドアを破ったらすれ違いざまに外に出て走って逃げる。これを繰り返せばいつかはなくなると思うけど……」

「……でも、難しいな。ただでさえこのおっさんは怪我をしてるし、すれ違いざまにボールに当たりそうだ」

「わ、わしの名前は漆山権造(うるしやまごんぞう)だ。……本当にそれ、成功するのか?」

 名前を教えていなかったことを思い出したのか、男――漆山さんは名乗った。確かに成功する可能性は低いが、何もしなければこのまま殺されるだけだ。ドアの向こうから爆発音が聞こえる。金属製のドアに反響してその音はいっそう激しさを増していた。だが一回では壊すには至らないようで、続けて何度か爆発を繰り返す。ドアが破られるのも時間の問題だろう。

「……御剣、体育の成績は?」

「通信簿ではいつも5、部活は卓球部に入ってる。卓球って結構体力使うんだ。真比留は?」

「無遅刻無欠席で通信簿の評価は3、腕立てと坂上がりが未だに出来ない。……女の子ならともかくこんな汗臭いおっさんの手なんか引きたくないかもしれないけど、いざという時には頼むからさ」

 ニヤリと、宇宙人説を話した時と似た笑みを浮かべる。だが今はあの時に比べるとどこか不適に感じる。俺は、漆山さんの手を掴みドアを見据える真比留の前に立ち、先陣を切ろうとする。

「漆山のおっちゃん、絶対に止まるな。……死にたくなければ」

「あ、ああ……」

 その声はどこか弱弱しい。他に選択肢がないから仕方なくといった感じだ。

 ドアを破った爆発音は、今までとは比べものにならないほどの鼓膜を破りそうな大音量だった。ドアが吹き飛んで直接耳に入ったから?
 ……違う、そうじゃない。何個もの爆弾が一斉に爆発したからだ……!
 一個一個の威力はそんなにないが、同時に爆発させれば威力は上がる。その威力は、爆風を生み出すほどで……!

 三人とも、一歩後ずさりをする。その隙を見計らったかのように黒い塊が漆山さんに向かって進んでいく。爆風によって尻餅をついていた漆山さんに群がる追跡ボールは、まず腕を――それも真比留と繋いでいる方を狙う。思わず二人の手が離れ、それを皮切りに次々とボールが寄っていく。まるでそのボールが生物か何かのように、少しずつ、漆山さんの身体を喰らい尽くしていく。
 ……威力が高ければ、苦しむことはなかったのかも知れない。追跡ボールの威力が控えめなのは親切心などではない。 "死"という恐怖をより強く感じさせるための演出に過ぎないのだ……。

『走って逃げれば大丈夫かも?!』という、PDAに書かれていた言葉が脳裏をよぎる。

もう少し考えればわかったはずだ。俺達を誘拐した連中がそんな抜け道を作るはずが無いことに。

彼の断末魔は吹き飛んだドアを抜け、建物の中に響き渡った。






[28780] 二話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:04
 壮絶な死を目にして、暫し呆然とした。
 さっきまで生きていた人間がもう二度と動かない。親しい者の死体を見たことのある俺にとっても、人が死ぬその瞬間を見届けるのは初めてだった。小太りだった男の体からは余計な肉がなくなっていたが首から上はまったくといっていいほど傷ついていない。
 ……だからこそ、漆山さんの苦痛に満ちた表情がより鮮明に記憶に刻まれる。真比留が言ったように自業自得だっただろう。特に漆山さんに襲われそうになった少女のことを考えると彼の行動は許しがたいものだった。だが殺していいなんてことはない。改めてここが狂った場所なのだと思い知らされた。
 真比留も漆山さんを見つめていたが、急に部屋の隅に行き、何かを拾った。

「それ……PDAか。漆山さんのだよな、多分」

「うん。爆弾に襲われてる時にポケットから何か落ちたなって思って。……壊れてはいないみたいだね」

 今度は漆山さんに近づいて、大きく見開いた目を閉ざしてやっていた。その横顔はどこか悲しそうだ。漆山さんのことを非難してはいても、やはりつらいのだろう。俺も真比留の横で、目を閉じ、ささやかな黙祷を捧げる……。

「おい、そこの二人!」

 いきなり声を掛けられ、身体が跳ねた。振り向くとそこには少々ガラの悪い背の高い男がいた。俺達のほうを見ているようだが、その視線にはどこか厳しさがある。

「は……はい! えっと、あなたは……?」

「その前に答えろ。……そこのおっさんを殺したのはお前らか?」

「違います! 漆山さんはルール違反で、警備システムに……」

 さっきの光景を思い出し、気分が悪くなりそうだった。非人道的な警備システム。やっぱりここは普通じゃない……!

「……だろうな。まあいいさ。俺達は今から情報交換をするところだからな。おっさんの事はその時でいいだろ」

――俺達?

 入り口が狭いのでよくは見えないが、男の後ろには何人かの人間が集まっているようだ。

「わかりました。確かに人は多いほうがいいですからね」

 さすがにここで話を進める気にはなれない。部屋を出る前に後ろを振り返り、ここに一人残される男の亡骸を目に焼き付ける。 ……これは決して他人事ではない、ゲームは本物なのだと自分に言い聞かせるために。
 そこに集まった人間には特徴的な共通点がある。真比留や漆山さん、恐らく俺ともお揃いの、銀色の首輪。だが今の俺にはそれよりも目を引かれるものがあった。

――ここは俺が見ている夢の世界に過ぎないんじゃないだろうか……。

「……えっと、あの……」

 ずっと彼女を見ていたので不審に思ったのか、不安そうな表情で声を絞り出した。

「え、あ、ごめん、なんでもない……」

 別人だ。そうわかっていても、………………似過ぎているのだ、あいつに。



 さっきの部屋より少し広い部屋に移ると、俺達は円になって座り、自己紹介を始めた。

「俺は手塚義光、会社員ってとこだ。車に乗ろうとしてたはずなんだが、気がついたらここにいた」

 まずは先ほど俺達に話しかけてきた青年が名乗った。この中ではおそらく年長者だろうと思われ、烏合の衆の中心となっている。

「私は八幡麗佳です。大学のキャンパスにいるときに拉致されたんだと思います」

 次は金髪の女性だった。二つに結った長い髪と真っ白なワンピースが可愛らしい印象を与えているのだが、その鋭い眼光と大人びた雰囲気のせいで可愛いよりも美しいという表現が合っている。

「私は綺堂渚っていいます~。バイトの帰り道から記憶にないんです。今日もバイト入ってたのに、店長におこられちゃいますよ~」

 ゴシック服の女性は間延びした口調でそう答えた。あまり緊張感が感じられないのは彼女のまとっている雰囲気のせいだろう。

「んじゃ次は私かな。私は真倉真比留、大学生。買い物に行こうと家を出たのは覚えてるんだけど、店についた記憶がないからその途中で何かあったんでしょうね」

――だっ、大学生、だと……!? こいつ、俺より年上だったのか……。

「へ~大学生なんだ。じゃあ、麗佳ちゃんと同じくらいの年齢なんだね~」

「あれ? 綺堂さんも同じくらいだと思ってましたが、違うんですか?」

 真比留がそう尋ねると、渚はあわてて訂正した。

「わ、私もそのくらいだよ~。永遠の18歳ってことでお願いします~」

 結構実年齢は上なのだろうか。

「御剣、今失礼な事考えたろ」

「うっ……。……それより、真比留さんって大学生だったんですね」

「別に敬語使わなくてもいいさ。どうせ高校生くらいだと思ってたんでしょ」

 むしろ中学生の可能性もあると思っていた……などとは言えない。

「そこの二人、彼女が自己紹介するわよ」

 麗佳さんに窘められ、口を噤んだ。

「姫萩咲実といいます。……学校帰りに、……その、誘拐されたんだと、思います……」

 やはり、彼女はあいつではない。まあそれも当然なんだが……。

「じゃ、最後は御剣、よろしくー!」

「俺は御剣総一。部活が終わって帰ろうとしてたはずなんですが、そこから先の記憶がありません」

 挨拶が終わると今度は先ほどの死体の話に移った。交互に話してはまとまらないので俺が話すことに真比留が補足するという形で話した。

「じゃあ、ここに書かれていることは本当なの……!?」

「どうやら、次にすることが決まったようだな。幸いここには6人いる。全部のルールが揃う可能性は高い。あんな風にならないためにもルールは把握しとくべきだと思うぜ?」

 それぞれのPDAにはルールの1、2と3~9のうち2個がランダムで配布されているらしい。異論はなかった。

「ルール1と2は全員のに書いてあるみたいだから飛ばすぜ? ……誰か、ルール3が書いてあるやつ、いるか?」

「あるわ」

 俺のPDAにルール3があったことを思い出したが、先に麗佳さんが発言したのでそれに任せることにした。

【ルール3】
PDAは全部で13台存在する。13台にはそれぞれ異なる解除条件が書き込まれており、ゲーム開始時に参加者に1台ずつ配られている。この時のPDAに書かれているものが、ルール1で言う条件にあたる。他人のカードを奪っても良いが、そのカードに書かれた条件で首輪を外すのは不可能で、読み込ませると首輪が作動し着用者は死ぬ。あくまで初期に配布されたもので実行されなければならない。

「ルール4は私のに書いてあるよ」

 真比留の声が麗佳さんに続いた。

【ルール4】
最初に配られる通常の13台のPDAに加えて1台ジョーカーが存在している。これは、通常のPDAとは別に、参加者のうち1名にランダムに配布される。ジョーカーはいわゆるワイルドカードで、トランプのカードをほかの13種のカード全てとそっくりに偽装する機能を持っている。制限時間などは無く、何度でも別のカードに変えることが可能だが、一度使うと1時間絵柄を変えることができない。さらにこのPDAでコネクトして判定をすり抜けることはできず、また、解除条件にPDAの収集や破壊があった場合にもこのPDAでは条件を満たすことができない。

「よし、じゃあルール5は……」

「あ、ちょっと待ってください。ルールをメモしておきたいんですが、いいですか?」

 手塚さんもその意見に同意した。

「ああ、そのほうがいい。出来たら俺にも写させてくれ」

「私も一応書いとくからさ、シャーペンと紙貸してくれない?」

「ルーズリーフでいいか? シャーペン一本しか持ってないから真比留は赤ペンか鉛筆かを使ってくれ。どっちがいい?」

「赤ペンで」

「えっと。いいかな、5番は私のにあるよ~」

 俺達の会話でタイミングを逃した渚さんが次のルールを読み始めた。

【ルール5】
侵入禁止エリアが存在する。初期では屋外のみ。進入禁止エリアに侵入すると首輪が警告を発し、その警告を無視すると首輪が作動し警備システムに殺される。また、2日目になると侵入禁止エリアが1階から上のフロアに向かって広がり始め、最終的には館の全域が侵入禁止エリアとなる。

「出口から出るにしても、この首輪を外す必要がありそうだな……書き終わったか?」

「……はい。次はルール6ですね」

「読むわよ」

 再び麗佳さんの凛とした声が響いた。

【ルール6】
開始から3日間と1時間(73時間)が過ぎた時点で生存している人間を全て勝利者とし20億円の賞金を山分けする。

「にっ……20億!?」

「数が多すぎピンとこないけど、すごいね~!」

「わかりやすく言えば、ごえんがあるよチョコレートが4億個、うまい棒が2億本、百均商品が1億個買えるくらいの金額だよ」

「余計わかりにくい! あと百均は消費税入るから1億個は無理!」

「じゃあサラリーマンの生涯賃金が2億くらいだから、10人が一生働き続けてやっと稼げる金額と考えればいいさ」

 いずれにせよ浮世離れした金額であることには変わりない。そもそも誘拐犯がお金をくれるというのもおかしな話だ。他のルールと違って生死に直結する問題ではないので今は深く考える必要はないだろう。

【ルール7】
指定された戦闘禁止エリアの中で誰かを攻撃した場合、首輪が作動する。

【ルール8】
開始から6時間以内は全域を戦闘禁止エリアとする。違反した場合、首輪が作動する。正当防衛は除外。

 手塚さんと俺が続けてルールを読み上げた。漆山さんがひっかかったのはこの二つのルールだ。PDAの隅には時間経過が表示されていて、今なお時を刻んでいる。

『ゲーム開始から4時間51分経過/残り68時間9分』

 首輪が外せなければ、この残り時間がゼロになった時、問答無用で殺されるのだろう。 ……さっきの漆山さんのように、警備システムで。

 ここで全部のルールを揃えることが出来たのは良かったのだが、その内容はあまりにも現実離れしていた。皮肉にも漆山さんの死がなければこれを信じることは出来なかっただろう。ここまででも十分衝撃的なのだが止めとなったのは真比留が読み上げたルール9の内容だった。

【ルール9】
カードの種類は以下の13通り。
A:QのPDAの所有者を殺害する。手段は問わない。
2:JOKERのPDAの破壊。またPDAの特殊効果で半径1m以内ではJOKERの偽装機能は無効化されて初期化される。
3:3名以上の殺害。首輪の発動は含まない。
4:他のプレイヤーの首輪を3つ取得する。手段を問わない。首を切り取っても良いし、解除の条件を満たして外すのを待っても良い。
5:館全域にある24個のチェックポイントを全て通過する。なお、このPDAにだけ地図に回るべき24のポイントが全て記載されている。
6:JOKERの機能が5回以上使用されている。自分でやる必要は無い。近くで行われる必要も無い。
7:開始から6時間目以降に全員と遭遇。死亡している場合は免除。
8:自分のPDAの半径5m以内でPDAを正確に5台破壊する。手段は問わない。6つ以上破壊した場合には首輪が作動して死ぬ。
9:自分以外の全プレイヤーの死亡。手段は問わない。
10:5個の首輪が作動していて、更に5個目の作動が2日と23時間の時点よりも前で起こっていること。
J:「ゲーム」の開始から24時間以上行動を共にした人間が2日と23時間時点で生存している。
Q:2日と23時間の生存。
K:PDAを5台以上収集する。手段は問わない。

 その場にいる全員が凍りついた。



「麗佳ちゃん、どこ行くの~!?」

「もうこれ以上ここにいる必要はありません。さようなら」

「ミステリーでは単独行動の人から死ぬのがセオリーさね!」

「待ってください麗佳さん! 一人は危険です!」

 ひとつ場違いな言葉が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。

「そんなことはないわ。ここにいるよりは一人のほうがずっと安全よ」

 確かに首輪の解除条件を見てしまえばそうなるのも仕方ない。だが、協力し合えばよりよい解決策が見つかるかもしれないし条件によっては有利に働くかもしれない。

「ひとつ忠告してあげるわ。あなたたちがどうするつもりかは知らないけど、生きて帰りたいなら仲良しごっこはやめたほうがいいわよ」

 麗佳さんが去った後、俺達は一言も発することができなかった。次に行動を開始したのはいつの間にかルールを書き写した手塚さんだった。

「俺も抜けさせてもらうぜ?」

「手塚くんまでこのゲームに乗るつもりなの!?」

 いつもよりはっきりした口調で渚が驚く。

「たとえ条件に問題がなかったとしても、だ。ジョーカーがある限りそう簡単に信用出来ねぇしな……たとえそうでなくても、ぶっ飛んだ額の賞金に目が眩んで殺す奴もいるかも知れないだろ? 頭割りなんだから生存者が減れば取り分は増える……本当に良く出来たルールだ。ま、俺は金には興味ねぇがな」

 手塚さんの言葉にも一理ある。そもそもこのゲームを作った連中はそのためにあんなルールを作ったんだろうから。

「おい、御剣。お前はどうすんだ? そいつらと一緒に行動すんのか?」

「……そのつもりです。手塚さんは、このゲームに参加するんですか?」

「ああ。俺は死にたくはねえ。……せいぜい後ろから刺されないように気をつけるんだな」

 手塚さんはそのまま出ていき、部屋には俺、真比留、渚さん、咲実さんが残された。

「なんで……」

 すすり泣くような声に反応し、声の主に視線を移す。彼女――咲実さんは目尻に涙を溜めながら搾り出すように言葉を発した。

「なんでみんな、そんな簡単に人を疑ったりできるんでしょうか……」

 誰に向けたわけでもない言葉だが、それは俺の心に重くのしかかる。麗佳さんも、手塚さんも、俺達を疑っていたからこの場から去った。そして……下手をすると次に会う時には穏便に話をすることもできないかも知れない。

「……でも、ここに残った人もいる」

 咲実さんを安心させる為というより、俺自身を落ち着ける為の独り言だった。

「それに麗佳さんと手塚さんだってこの状況に怯えてるだけだ。まだ説得できるかも知れない」

 たとえその可能性がどれだけ低くても、このまま彼らの凶行を指をくわえて見過ごすわけにはいかない。

「……あ、そうだ! 私達ホールに行こうとしてたじゃん! とりあえずそこに行こう!」

 ……そういえばそうだった。真比留の発言は唐突だったが、多分、この重苦しい空気に耐えかねてだろう。

「そうだな。まだ会ってない参加者も出口を探してそこに行くかも知れないし、新しい発見があるかも」

「じゃ、れっつらゴー!」

「あの~……私も、一緒にいっていいかな?」

 外に出ようとする真比留に続くと、後ろから渚が声を掛けてきた。

「そりゃあもちろん! というか最初からそのつもりでいたんだけどさ。一人より二人、二人より三人って言うし」

「おい、それじゃ一人足りないだろ。三人より……四人だ。ほら、行こう、咲実さん」

 内気な感じの咲実さんのことだ、このまま放っておいたら自分から言い出せずにいそうだ。そう考え咲実さんに手を伸ばす。すると彼女は僅かに頬を赤らめた。

「えっと、その、お邪魔でないなら……。…………」

「邪魔だなんて! 人数が多いに越したことはないんだからさ! ……?」

 着いてくると言ったのに彼女は手を伸ばそうとも、立ち上がろうともしなかった。その様子を不思議に思っていると、真比留が俺にしか聞こえない声量で呟いた。

「会って間もない見ず知らずの男の手を握るのに抵抗があるんじゃない?」

 確かに、彼女があいつに似ているからといって馴れ馴れしくし過ぎたかも知れない。慌てて手を引っ込めると咲実さんは自分が気を悪くさせたのだと思ったらしい。

「あっ! その、すいません……。別に嫌だとか、そういうわけじゃないんですけど……その、男の人と手を繋いだことがないので……」

「いいんだ、俺もいきなりすぎたし……。だからおあいこってことでさ」

「ありがとうございます。じゃあ私も、皆さんと一緒に行かせて頂きます」

 俺達四人はホールに向かい、歩き出した。

「とりあえずヤバそうになったら御剣を盾にする方針で」

「まあ一応はそうすると思う。咲実さんや渚さんに怪我させたくないからな」

「おっ、紳士的だねー御剣クン。ところで真比留サンの事は守ってくれないのかい?」

「盾の盾にする。真比留って刺されても結構しぶとく生き残ってそうだし」

「そう! 実は昔人魚の肉を食って……」

「はいはい」



 しばらく歩くと真比留の言っていた広いホールのような場所に出た。例えるならば潰れたデパートの跡地といったところだろう。もちろん売り場などはないが倒れた鉢植えや破損した家具などが散乱していた。出口らしき場所があったので進んでみたが残念ながら出口があるべき場所はコンクリートで埋められていた。所々にヒビが入っており、恐らく近くに落ちているツルハシで穴を開けようとしたのだろうと推測した。

「まあ仮に外に出れたとしても首輪が外せなきゃヤバイことになるだろうけどね」

 ルールによれば屋外は戦闘禁止エリアとなっていて侵入すれば首輪が作動し殺されるらしい。さすがにそれを試すわけにはいかず憶測に過ぎないが、信じざるを得ない。

「まったく……プリティキュートな女子高生や天然ゴシックコスプレイヤーを閉じ込めるのはわかるけど、御剣を監禁とか誰得かね」

「その言葉そっくりそのままお前に返す。……自由に動けるからそこまで窮屈には感じなかったけど確かにこれは監禁みたいなもんだよな。どうやって出ればいいんだ?」

「あ、あの、……そのプリティキュートって私のこと、なんですか……?」

「他にいないよね~。でも、コスプレ呼ばわりは失礼じゃないかな~。 これは普段着なの~!」

「普段からその服とは渚さん、あんた只者じゃないね。……ハッ! 実はその格好は私達を油断させるための罠ってことじゃ……! 図ったな、孔明!」

「怪しさでいったら渚さんよりも目の前にいるツナギ姿の不審者のほうが上だけどな」

「くひひっ、そこのかわいいネエちゃん、お茶でもしないィ?」

「えっ……ええと……」

「こら真比留! 咲実さん困ってるだろ!」

 そんなやりとりをしていると、それぞれのPDAが一斉に鳴り出した。

『ゲーム開始から6時間が経過しました。これより全域での戦闘禁止が解除されます』

 戦闘禁止が解除、か……。これから本格的にゲームが始まるのだろう。出口が見つからない以上、俺達が次にとるべき行動は……。

「とりあえずさ、上の階へ行かないか? 確かルールによれば下の階から侵入禁止になるはずだから、これからのことを考えるなら早めに上に上がったほうがいい」

「……真比留サンとしては、階段で待機するのもいいと思うんだけど」

真比留の提案は意外なものだった。

「13人……いや、12人のうち、私達が把握しているのは6人だけ。全員2階に上がる必要があるんだからそこで待っておけばゲームに参加する気がない人をみつけることもできるかも知れない」

 地図に記された5つの階段のうち4つには×印がついている。ここに来る途中、近くに×印のついた階段があったので寄ってみたのだが、瓦礫がバリケードのように積み上がっていてとても通れそうにはなかった。他の3つも多分そうなっているだろう。エレベーターもひとつあるがあまり使う気にはなれない。避難訓練で「緊急時にエレベーターを使うのはやめましょう」と言われるのはエレベーターが故障すればなす術がなくなるからだ。廃墟のエレベーターを使うのは抵抗がある。だから2階に上がるために使える階段はひとつしかない。もちろん危険を顧みずエレベーターを使う人間もいるかも知れないが階段での待ち伏せは効果的だろう。

 階段に行く途中の部屋で休憩をしようと立ち寄ると、その中にあきらかに不自然な埃をかぶってない木箱が置いてあった。古いほうの木箱は一部が破損していて中に入っていたものが飛び出していた。

「まあこんな所にある酒なんて怪しい事この上ないけどねー。このラベル……フランス語? うわっ、あれ樽じゃない? 西部劇とかに出てくるやつ! 保安官バッジまで! プラスチックじゃなくて鉄に金メッキか、なんかカッコイイなあ!」

 真比留が古い木箱に入っているものに目を奪われている間、俺達は新しい木箱をおそるおそる開けてみた。

「食料だね~! ここで3日間何も食べないってわけにもいかないから、良かった~!」

「缶詰とかレトルトばかりですが、賞味期限は大丈夫みたいです。……真比留さんのほうは、役に立ちそうなもの、ありましたか?」

 未だ目を輝かせながら木箱の中身を取り出す真比留は、なんだかおもちゃ箱を漁る子どものようだった。古びた酒の瓶、破れたテーブルクロス、さっき言っていた星型のバッジ、千切れた電気コード……辺りには木箱から取り出したものが散乱しているがほとんどは役に立ちそうもないガラクタだ。

「この大きい布は風呂敷に使えそうだよ。酒は残念ながら開封済みらしいけど……。あとこれは使えるかも」

「それ……持って行くのか?」

 真比留が握っているのは部屋に落ちていた鉄パイプだ。だが鉄パイプなんて持っていては相手に威圧感を与えてしまいそうだ。

「私にも扱えるぐらい軽いし、ナイフ相手でも善戦できると思うから。リーチの差で」

「ナイフって……そんなものがここにあるのか!?」

「レトルト食品を開けるための刃物を武器として使ってくる人がいたらってことも含めて考えといたほうがいいだろうさ」

 これからのことを考えれば真比留の言うとおり武器が必要だということはわかっているのだが……。

「丸腰だったらなおさら穏便に話もできないよ。こっちが積極的に使わなければどんな道具だって安全さ」

「……わかった。じゃあ牽制の意味を込めて、持っててくれ。それなら大丈夫だろ?」

 咲実さんと渚さんに言い聞かせるように言った。暴力に抵抗がありそうな二人は少し困ったような顔をしたが、やがてコクリと頷いた。

「食料はどうする~?」

「それも持っていこう。咲実ちゃんの鞄と御剣の鞄、それと真比留サンのポケットに少し。ツナギのいいところはポケットがたくさんついてるところだよね。渚さんは持てそうにないから、他の人とはぐれないように気をつけてね」

「は~い! 真比留さん、遠足の時の先生みたいだね~!」

「ハッハッハ! 真倉ティーチャーと呼びたまえ! ……とまあ冗談はこのくらいにして、鞄の中身はここで捨てておこうか。ここから先、教科書とか役に立たないし」

 普段教科書類は学校に置いているので俺の鞄はスポーツバッグだけだった。入学の時に買ってもらった学生カバンは今頃自室の勉強机の上で泣いているだろう。逆に咲実さんは学生鞄しか持っていなかった。

「部活には入っていませんし、昨日は体育の授業もなかったのでひとつで済んだんです。……御剣さんは部活に入ってらっしゃるんですか?」

「卓球部にね。そんなにうまくはないけど、楽しくやってるよ」

「卓球か~! 私も温泉でやったことあるよ~!」

 スポーツバッグから体操着と、宿題のために持って帰ろうとした数学のセットを取り出しその場に置いた。帰ったらあの厳しい数学教師にこってり絞られるんだろうな……。咲実さんの鞄に入っていたのはほとんどが勉強道具で、あとは聖書が入っていた。彼女の通う学校はミッシングスクールだそうだ。

「じゃあ咲実さんって実はお嬢様なの~?」

「いえ……そういうわけじゃないんですけど……」

「女の子だけの秘密の花園! 朝の挨拶は『ごきげんよう』!」

「先生には『シスター』ってつけるんだよね~!」

「そうそう、それで庭には色とりどりの薔薇が咲き乱れてて!」

「先輩には『お姉様』~!」

「だけどあんまり目立ちすぎると、靴の中に画鋲が入れられてたり……」

「ストーップ!!」

「……あの、ミッシングスクールといってもみんな良家のお嬢様ってことじゃないですよ。私もクリスチャンじゃないですし、たまに仏教徒の方とかもいます」

 真比留と渚さんの『お嬢様学校』のイメージにも気を悪くすることなく、笑顔で答えてくれた。

「くひひっ、わかってるさ! ……んじゃ、そろそろ行こうか。誰かがもう階段を上ったかも知れないしさ」

 残る食料は元テーブルクロスの風呂敷に包み、そんなに重くないので渚が持つことになった。その様子はまるで弁当を持ってピクニックに行くようだった。



「手塚さん……だよな」

 階段には手塚さんがいた。タバコを吸っており傍から見れば階段の段差を椅子代わりにして休憩しているだけのように見える。だがその右手には木の角柱が握られていた。所々に落ちていた家具をへし折って作ったものなのだろう。

「手塚くん戦う気なのかな? 危なそうなもの持ってるし……」

「まあ私も鉄パイプ持ってるけどね。いいねー、こういうの。山登りの時に無性に木の棒拾いたくなるのと似てるよね」

「真比留はちょっと黙っててくれ」

 雰囲気から言ってすんなりと通してくれそうにはない。人数ではこちらが勝っているが、武器を持った成人男性相手に無傷で済むだろうか。

「真比留、ちょっといいか?」

「…………」

「…………」

「…………」

「……わかった、黙らなくていいから。俺は手塚さんと話してくる。ここで周りを見張っててくれないか」

「アイアイサー」

 それを聞いて一番驚いたのは咲実さんだった。彼女にしては珍しく、強い口調で止めにかかった。とはいっても手塚さんに聞こえないように声は小さくしているのだが。

「危険です! もっと安全な方法を考えましょう!」

「そうだよ~! 総一くん怪我しちゃうかも知れないよ~」

「話し合いの余地がまったくないってわけじゃない。俺達が武器を持っているように手塚さんも護身の為かも知れないし、俺達みたいに参加者把握のためにあそこにいる可能性だってある。……真比留、二人を頼む」

「ん。止めはしないけど、自己責任でね」

「真比留さんは止めないんですか?!」

「他に作戦があればこんな直球勝負オススメしないけどね。それに私には御剣の代わりに手塚さんと交渉する度胸はないし」

 そう言う真比留の視線にはどこか厳しさがある。その視線は「何か作戦があるなら言ってみろ」と暗に非難しているような気がした。咲実さんも渚さんもそれ以上何も言えず、黙って俺を見送った。

 階段に座っていた手塚さんは俺が近づいてきたことに気付きタバコを揉み消し立ち上がった。もちろん、角柱は握り締めたままで。

「……よお、御剣。一人か? 他の連中はどうした?」

「途中ではぐれちゃいまして。先に2階に行ったんじゃないかと思ってここにきたんですが、誰か上りましたか?」

「俺がここに来てから一時間くらい経つが、その間には誰も上らなかったな」

「そうですか……。俺がはぐれて1時間も経っていないと思うので、まだ来てないようですね。ここで待たせてもらってもいいですか?」

「……ああ。好きにしな」

 警戒はしていてもすぐに襲い掛かる気はないようだ。これなら他の三人も意外とすんなり通してくれるんじゃないだろうか。

「……御剣、俺と組む気はねえか?」

 沈黙を破ったのは手塚さんの意外な提案だった。

「手塚さんと、ですか? 心強いですけど、一応みんなの意見も聞いてからじゃないと……」

「俺は"お前ら"と組む気はねえ。"お前"と組みたいんだ。……いつまでもあいつらを庇ってやるつもりか? 今はそれでいいかも知れないが、本格的に戦いが始まればわかるだろうよ。あいつらが足手まといだってことがな」

 そう語る手塚の表情は笑顔だったが、それがどことなく恐ろしく感じられた。

「一緒に行動してるってことはPDAの条件は問題なかったんだろうが、その中にジョーカーで偽装してる奴がいないと言い切れるか? 実はお前を殺すために羊の皮を被ってる狼がいるかも知れないぜ?」

 そういえばみんなのPDAの番号を聞いていなかった。俺はこのまま生存しているだけでいいがそれぞれの条件次第ではこれからの行動を考えなければいけない。だがそんなことを言えば手塚さんに揚げ足を取られることになってしまいそうなので、知っているように振る舞った。

「彼女達が嘘をついているとは思えません。だから、手塚さんと組むことはできません」

 きっぱりと断る。手塚さんは俺以外の……足手まといになると判断した人間を見逃したりはしないだろう。だが手塚さんは不愉快な顔をすることはなかった。むしろさっきより楽しそうに見える。

「そいつは残念だ。……じゃあ、ここで待たせるわけにはいかねえなあッ!!」

 言うや否や、手塚の持っていた角柱が俺の頭上めがけ振り下ろされる。予想はしていたが、その迫力に押され怯んでしまい、右腕に衝撃が走る。

「ッ! ……穏便には済ませてくれないんですか」

「この先もっと強力な武器があるだろうからな。不安要素はここで潰すほうがいいだろ?」

 まずい……今の俺には武器はない。対して手塚さんは本気で俺を倒すつもりだ……!一歩後ずさりすると手塚さんも楽しそうに一歩踏み出す。俺はその時手塚さんの背後に迫る影を見た。俺の視線が自分に向いていないことに気がついたのか、手塚さんは後ろを振り向き、そのまま素早くかわした。

「御剣ッ、二階へ!」

 構えた鉄パイプで手塚さんを牽制しながら、真比留は自分の退路へ体を向けた。武器を持たない俺は言われるがまま階段へ足を掛ける。せめて一人でも仕留めようと思ったのか、手塚さんは容赦なく真比留に攻撃を加える。力の差が歴然としているので鉄パイプで防ぐのは不利と判断したらしく、真比留は必死で避けていた。

バコンッ

「なっ! っ痛ってえ……ッ!」

 手塚さんの後頭部に何かが当たった。階段の上から缶詰が投げられたと気づくのに時間はかからなかった。その隙に俺と真比留は階段を全速力で駆け抜ける。その後ろからもう一人階段を駆け上がる影が見えたがそれを気にする余裕はなく、先に――俺や真比留が足止めをしていた間に二階に上っていた咲実さん、渚さんと共にその場から逃げ出した。

「チッ! ついてねぇぜ……」

 悪態をつく手塚だったが後を追いはせず、足元に転がる鯖味噌の缶詰を拾い上げるのだった。





[28780] 三話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:04
 2階へ着くとすぐに階段を後にしようとしたが、真比留の後ろから上ってきた少年の姿に気づく。首輪がついているので彼も参加者なのだろう。

「とりあえず話は後! ……君もそれでいいね?」

 真比留が少年に問いかける。

「ああ。こっちも聞きたいことがあるしな。どっかの部屋に入ろうぜ」

 あまり近すぎると手塚が追ってくるかも知れないので念のため階段から少し離れた部屋に入った。緊張が解けると、先ほど打ち付けられた右腕の痛みを思い出してしまった。

「ぐうっ……!」

「これ、救急セットじゃないですか!? 御剣さん、今治療します!」

 部屋の木箱から救急セットを見つけ出した咲実さんが駆け寄ってきた。

「血は出てますか?」

「いや、血も出てないし骨も折れてない……と思う。うん、折れてない。打撲で済んだみたいだ。咲実さんたちも無事で良かった」

「……さい、」

「え?」

 咲実の声が小さすぎたためうまく聞き取れなかったが、咲実さんの顔を見るとその目にはうっすらと涙がたまっていた。

「こんな無茶……もう……しないで下さい……! 私たちのためだってことはわかってます……でも……」

 咲実さんは震えていた。
 怒り?
 恐怖?
 そこにある感情は一体なんなのだろうか。 ……だが、これだけはわかる。咲実さんは俺のことを本気で心配してくれているのだと。その涙に思わず目の前の人物から目を逸らす。だが、俺は逃げてはいけない。気を取り直し彼女をじっと見つめ、言う。

「……約束は、出来ない。このゲームの間、俺はきっとこれからも無茶をする。……でも、それは咲実さん達を……そして俺自身を守るためにだ。だから、ここにいる3日間だけそれを許してほしい。そして、頼むから、泣かないでほしい……」

「………」

 咲実さんはまだ何か言いたそうだったが、それを飲み込んだ。

「絶対に、生きて帰すから。だから……」

「えーと、そこのお二人さん、そろそろ話を進めてもよろしいでしょうか?」

 真比留の声で我にかえると、真比留、渚さん、少年の三人とも俺達を見ていた。

「駄目だよ~、真比留さん。せっかくいい雰囲気になってたのに~」

「いやっ、そ、そうだな、あ、あはは……」

 渚さんに茶化されたせいか咲実さんは顔を真っ赤に染めて俯いている。

「いやー、若いっていいねー」

「……あんたも随分若いと思うけど?」

 少年が真比留にツッコミを入れる。そうだ、少年についていろいろと聞かなければならなかった。

「あのタイミングで上ってきたってことは、ずっと隠れて隙を伺ってたってとこか。なかなか抜け目ないね。で、名前を教えてくれるかな、少年クン?」

 だが冗談めかした真比留の言い方が気に入らなかったようで、少年は真比留に食って掛った。

「俺をガキ扱いすんな! 俺は長沢勇治だっ!」

「ああ、ごめんごめん。悪気はないのさ、許してくれ」

「……あんたらも、ここに連れてこられたのか?」

「そう! 私たちは一緒に首輪を外そうとして集まった、運命共同体なのよ~」

「もしかしてルールも全部集まってる?」

「ああ。最初は6人いたんだけど……」

 俺達はここについてからのことを長沢に話した。個室で目が覚めたのは長沢も同じらしい。話が漆山さんの死に及んだとき、長沢は目を丸くした。

「げっ……じゃあやっぱりこのゲームって本物なんだな。まあ俺は疑っちゃいなかったけどさ」

「このゲームが本物って納得してるのか?」

「だって考えてもみろよ! こんな金掛かってそうな建物に13人を集めて全員にPDAを配布してるんだぜ? 冗談にしちゃやりすぎだろ」

 長沢の言い分ももっともだ。このゲームを作った連中は何をしたいんだろうか……いや、それはわかっている。参加者同士の殺し合いだ。だがどうしてそんな必要がある?

 話が終わり、長沢はルーズリーフの1ページをもらいルールを書き写す。それを終えると立ち上がって部屋の扉に近づいた。

「じゃあまたどっかで会おうぜ。ま、敵同士だろうけどな」

「ひとりは危険だよ? 一緒に行こうよ~」

「俺はゲームに参加することにする。かなりの賞金も出るし、人を殺してもペナルティはないんだろ? 問題ねえじゃん!」

「ちょっと待て! お前……人を殺すつもりなのか!?」

 解除条件で殺人が必要となるのは3つある。クイーンを殺さなければならないA、3人殺さなければならない3、あとは皆殺しの9。裏を返せばそれ以外の人物は人を殺す必要がない。

「お前のPDAの条件は人を殺さなきゃならないのか? ……もしかして、9とか……」

「自分のPDAをわざわざ晒すわけないじゃんか! ……でも、さっきの階段の礼代わりにひとつ教えてやるよ。俺は9じゃない。ま、信じるか信じないかは自由だけどな」

「お前……人を殺すってこと、わかってるのか!? ペナルティになるとかならないとか、そういう問題じゃないだろ!?」

 その発言に面食らったような表情をするが、すぐに呆れた表情へと変わる。

「お前ら本当に生き残る気あるのかよ? そんな甘いことばっか言ってると死ぬぜ? ……俺はお前らとは組まない。死にたくないからな」

「あっ! ちょっと待った長沢!」

 真比留が長沢を呼び止める。

「言ったろ! 俺はお前らとは組まねえ!」

「いや、そうじゃなくてさ……飴ちゃんちょうど5個あるんだけど、1個いる?」

「俺をガキ扱いすんなって言っただろうが!」

 長沢は怒って部屋を出て行ってしまった。

「残念ー。4人だと1個余っちゃうんだよねー……」

「真比留、」

「お? ああ、飴ちゃんね? ほれ好きなのを取って……」

「ま・ひ・る!? お前に悪気がないのはわかってる! わかってるから、もう少し考えて発言しろ!」

「いや飴ちゃんあげたら仲良くなれるかなーと考えたうえでの発言だったんだけど……」

「あのタイミングで飴やるやつがどこにいる!? もうちょっと空気を読め!! 子供じゃないんだから!!」

「…………ゴメンナサイ」

 説教が堪えたのか真比留からはさっきまでの元気はなくなり、しょんぼりしている。

「で、でも、真比留ちゃんだって頑張ってるよ~? さっきの階段のところだって真比留ちゃんが頑張らなければ私たち上に上がれなかったかもしれないしね~」

「それはわかってます。俺も真比留には助けられていますし。……だからこそ真面目にやってほしいんです。ここから先、更に厳しくなるだろうから……」

 俺は、無力だ。さっきそれを痛感した。それがわかっているから真比留にも真剣になってほしい。

「……わかってる、わかってるよ……」

 真比留の声はか細く、どことなく悲しそうだ。 ……悲しそう?

「……でも、」

 次に言葉を発したのは咲実さんだった。

「そんなに悪いことじゃないと思います……」

「……え?」

「私は、今のままの真比留さんが好きです。確かに真剣さは欠けていますけど、今までどおり楽しい真比留さんでいてほしいんです」

「……俺もちょっと強く言い過ぎたかもな」

「いやっ! そんなことないって! 御剣の言ってることは正論だし、私もちょっと調子に乗りすぎたかなーって思うし……。悪ノリすると止まらないのは私の悪い癖だってわかってんだけどさ……」

 慌てる真比留。調子に乗っていた自覚はあるらしい。

「じゃあ、自重気味にいつもの調子で、ってことでいいんじゃない~?」

「うんじゃあそれで。いいだろ? 真比留」

「……了解。……よっし! 吹っ切れた! んじゃ、さくさくっと部屋ん中調べよっか!」

「その前に~」

 渚さんが照れたような笑顔で真比留に両手を突き出す。

「飴玉、もらってもいいかな~?」

「もっちろん! 好きなの選んでね! 咲実ちゃんも御剣も、ほれ!」

「くす。じゃあ、このレモン味をいただきますね」

「じゃあ俺はこれで。……へえ、黒糖飴か。初めて食べるよ」

 ――そうだ、俺達はこれでいい。
 無理をしたら気分が重くなるだけだ。本当の意味で"帰る"なら、俺達は変わっちゃいけないんだ。黒い袋に包まれていたそれを口に含むと甘い味が一気に広がった。



 部屋の中からは色々なものが発見された。

「草刈鎌にハンドアックス……。さすがにこれを持ち歩くのはまずいよな。ナイフくらいが限界かな……ん?」

 俺は武器として用意されたであろうものの中から小さな箱のようなものを見つけ出した。

「なんだこれ?」

 箱というよりは板に近いといえるそれはマッチ箱より一回り小さいくらいの大きさで表面に『Tool:Enhanse Map』と書かれていた。

ピピッ、ピピッ

 PDAが電子音を鳴らし、『機能』の文字の点滅を告げる。

『このツールボックスをPDAの側面コネクターに接続することで、PDAに新たな機能を持ったソフトウェアを組み込み、カスタマイズすることが可能です。ソフトウェアを組み込めば他のプレイヤーに対して大きなアドバンテージとなりますが、強力なソフトウェアは起動するとバッテリー消費が早まるように設定されています。使い過ぎてPDAが起動できなくなり、首輪を外せなくなる事がないように注意しましょう。なお、ひとつのツールボックスでインストール可能なPDAは一台のみです。どのPDAにインストールするかは慎重に選びましょう』

『機能』の項目には『PDAの拡張機能』が追加されていて、目の前にあるソフトウェアの写真が表示されていた。

「どうやらPDAのソフトみたいだね。使ってみる?」

「もしかしたら罠かも知れないし、安易に試してみるのもな……」

「真比留ちゃんが一階で拾ったPDAに使ったほうがいいんじゃないかな~? もしかしたら罠かもしれないし」

「そうですね。ほいっとな」

『地図拡張機能 
機能:PDAの地図上に部屋の名前を追加表示する。また、武器等のアイテムが置いてある部屋も表示される。
バッテリー追加消費:極小
インストールしますか?
YES/NO』

 その下には『YES』と『NO』の選択肢が表示されていた。

「バッテリーも大して消費しないみたいだしインストールするか?」

「このPDAにインストールするのはやめたほうがいいと思うよ? もしかしたら交渉で使うかも知れないし。消耗量が少ないなら私たちのPDAにインストールしても大丈夫だと思う」

「じゃあ、誰のにする~?」

「俺のにしよう。どうせ最後まで持ち歩かないといけないんだから」

『インストールしています。しばらくそのままでお待ちください。
*注意* インストール中はコネクタを外さないで下さい。故障の原因となります』

 文字の下に表示されたバーが100%まで来るとインストールが完了した。

『インストールが完了しました。ツールボックスをコネクターから外してください』

 『機能』の項目にあった地図がより詳しくなった。各部屋の説明や武器・食料の位置までわかるようになったのは大きな収穫だ。

「戦闘禁止エリア? ルールにあったやつか。せっかくだからそこまで行ってみないか? ここで休むよりは安全だと思う」

 最初に目が覚めてから今までずっと動きっぱなしだ。今のうちに休息をとっておいたほうがいい。

「もしかしたらそこに逃げ込んでる人もいるかもしれませんね」

「そうだね。もうここには何もないみたいだし、行こっか」

 俺は手に入れたナイフをベルトに刺し、いつでも使えるようにした。もっとも、使う機会がないに越したことはないのだが。



 戦闘禁止エリアまでは誰からも襲われることはなかった。真比留もさすがにこの状況では口数が少なくなり自重しているようだ。

「結構豪華ですね……」

 その部屋には絨毯が引かれており家具も他の部屋と比べて綺麗でしっかりしたものだった。奥には扉があった。

「あの扉はなんなんだい?」

「えーと……キッチンとシャワー室、トイレがあるみたいだ」

 拡張地図にはそこまで書かれていた。

「キッチンがあるなら今までより少しはおいしいものが作れるね~! 私、料理にはちょっと自信あるんだ~。期待してね」

「私も手伝います」

「ちょっと待った! 小部屋に誰かいるかもしれない。一応確かめておこう」

 真比留は鉄パイプを持って小部屋へ近づいていく。

「ひとりで大丈夫ですか?」

「まだ2階だから大した武器はないし、ここは戦闘禁止だからね。もしトイレの花子さんがいたらヤバいかも知れないけどねー」

ガチャッ

キィー……

「!?」

 真比留が冗談めかして言っているとシャワー室の扉がゆっくり開き、男が現れた。さすがの真比留もこれには驚いたらしい。

「シャワー室の花子さん!?」

「……?」

 男はその言葉の意味が分からなかったようで怪訝な目で真比留を見ている。男の首には銀色の首輪がついているので彼も参加者なのだろう。少なくとも幽霊の類ではない。

「あの……あなたも参加者ですよね?」

「ああ。……そう警戒するな。ここで戦闘をするほど馬鹿ではない」

 そうは言うが俺は念のため咲実さんと渚さんの前に立った。真比留は男の言葉に納得し、小部屋のチェックを再開した。

「俺はここで他の参加者と交渉をしようと考えていた。だが一応お前たちの様子を伺っておこうと思って隠れていたんだ。本当はもう少し確かめてからにしたかったが、ここに隠れていることで疑われる可能性もあるから自分から出てきた。そんなところだ」

 男は簡潔に自分の状況を説明した。

「あいにくルールを完全に把握していない。それだけの人数がいればルールがそろってるんじゃないか?」

「はい。ここにルール表を作ってあります」

「そのルールを見せてほしい」

「どうぞ、ルール表です」

「……!」

 渡すと、驚いたような表情をしている。ルールの内容に衝撃を受けたから? いや、ルールに目を通す前に反応していた気がする。

「お前たちは俺に何か要求しないのか?」

「え?」

「ただで情報を教えて、何のメリットがある」

「いや、特にはないですけど」

「……」

 男は何か考えているようだったが、それが何なのかはわからなかった。

「渚さん、咲実ちゃん、非常に恐縮なのですがそろそろご飯の時間というわけにはいかないでしょうか?」

 わざとらしい丁寧口調で随分と図々しいことを言うものだ。

「そうだね~。咲実さん、行こう。えっと、あなたも食べますか~?」

「……高山浩太だ。自己紹介が遅れたな。俺はいら……」

「いるってさ。5人前、ヨロシク!」

 高山さんの返事を聞かず、真比留が元気にそう言った。

「その代わり、高山さんが持ってる食料も出してもらいますよ」

 なるほど、それが狙いか。真比留は有無を言わさぬ瞳で高山さんを見つめる。少々強引すぎるし機嫌を損ねるのではないだろうかと思ったが意外とあっさりと同意してくれた。

「……わかった」

 ポケットから取り出した食料はそんなに多くなかったが、俺達のものと合わせればいい量になるだろう。渚さんと咲実さんが部屋から出るのを待ってから、俺は話し始めた。

「すみません、この馬鹿が勝手なこと言って……ほら、謝れ。さっき自重するって言ったじゃないか」

「気にしてはいない。……お前達は、ずっと4人で行動しているのか?」

「はい。他の人とは……その……別れてしまって……」

「それが当然だろうな。この中ではお前達の方が異質に感じるくらいだ」

「え?」

 俺達が……異質?

「ルールを見る限り、このゲームは他人を信用しないように作られている。だからお前達のように何の疑いも無く他人と一緒に行動するほうが珍しい。どうしてお前達はそこまで他人を信用できる?」

 どうして。それは俺自身わからない。ただ俺の中には彼女達を疑うという選択肢がなかっただけだ。

「……俺は、ここに来て初めて、人の死を見たんです。テレビの中の世界とは違う、現実の死を。……ひどいと思った。そしてもう、誰かがあんな風に死ぬのを見たくない。……それじゃ理由に、なりませんか……?」

 たとえ甘いと言われても、もう、あんな、漆山さんのようなことにはなってほしくない。

 暫くの沈黙の後、その重苦しい空気を破ったのは高山さんだった。

「条件は、どうなっているんだ」

「条件……?」

「首輪の解除条件だ。それ次第では交渉がしたい。……停戦協定の交渉だ」

 そう言えば手塚に条件の話をされた時、俺はみんなの条件を知らないことに気がついた。

「もちろん俺も教える。場合によっては力になってもいい」

「それは嬉しいんですけど……俺も他の人の条件は知らないので……。ちょうどいいから後でみんなに聞きましょう」



「お料理できたよ~!」

「あまり材料がないので大したものは作れませんでしたけど……」

そうは言うもののそこに並んでいたのは元が簡素な非常食とは思えないような料理の数々だった。

「そんなことないよ! ここでこんなに美味しそうなものが食べられるなんて思ってなかったからね。咲実さんが作ったのはどれ?」

「私はほとんど渚さんの手伝いでしたから……」

「あ、でも、これは咲実さんひとりで作ったのよ~! それに手伝いじゃなくて役割分担してただけだから、自信を持っていいと思うよ~」

 テーブルがどんどん皿で埋め尽くされていく。食料自体は高山さんの分を入れてもそこまで多くなかったのにこうすると立派な食事に見える。渚さんが全員に箸を配ると今まで沈黙を守っていた高山さんが口を開く。

「俺はいい。今は腹が減ってないのでな」

「ほら真比留、お前が勝手に言うから高山さんに迷惑かかったじゃないか!」

 そう言って非難の視線を向けるが、真比留は素知らぬ顔で箸を持ち、食事の構えに入った。

「ま、とりあえずメシでも食おうや。オススメある?」

「これはちょっと力を入れたんだ~! 感想聞かせてもらえるとありがたいな~!」

「咲実ちゃんの作品はこれか。……ここは御剣に譲るべきかね。さあッ、食え! お前に拒否権はないっ!!」

「なっ、なんで俺限定!?」

「さっ、総一く~ん? パクっと! 味見したから味は保証するよ~」

「くす。私も御剣さんに食べてもらえると嬉しいです。階段でのお礼と思っていただけませんか?」

「咲実さんが作ってくれた料理を独り占めするのは悪いかと思ったんだけど、そう言われたら喜んで食べさせてもらうよ」

「うわっ! 咲実ちゃんに対する態度と真比留さんに対する態度が違いすぎマセンカー?」

「日頃の行いの違いだ、当然だろ?」

「ふふっ、真比留さんもどうですか?」

「わーい! 食べる食べるー! 皿まで舐めつくすー!」

「それはやめろ、みっともないだろ。ほら、一気に詰め込まない!」

 こんな状況下での食事なのに、それは普段一人で食べるご飯よりもずっとおいしかった。ふと、高山さんのほうを見ると、……食事をじっと見つめていた。

「……食べませんか?」

 期待はしていなかったが、一応声を掛けてみる。毒でも入っているかも知れないと疑っているのだろうか。少しだけ嫌な気分になったがこんな状況では仕方ないのかも知れない。そんなことを考えていると、高山さんはゆっくりと箸を伸ばし、……一番近くにあった料理に少しだけ手をつけた。

「おいしいですか~?」

 渚さんが高山さんに返答を迫る。

「……ああ、うまい。あの手の食料は何度か口にしたが、元がそれとは思えないほどだ」

 偽りない感嘆の声が漏れる。その表情から先ほどの緊張が少し薄れたように思えた。だがすぐに元の表情に戻る。

「……どうしてお前たちはそこまで他人を信用できる? もしこの食事に毒が入っていたらなどとは考えないのか?」

「どうしてって……特に根拠はないですけど。まあおいしいからいいじゃないですか。特にこれなんか、外側サクサク、中はジューシーに焼き上げちゃって! 焼き方ひとつでここまで変わるものなんだねー!」

 答えになっていない答えだったが高山さんは気を悪くしたわけでもなく、また黙って食事を口にした。何か考えているようだったがそれが何なのかはわからない。

「高山さんって、何の仕事をしてるんですか?」

 せっかくだから話をしようと思い、無難な質問をする。正直な話、高山さんの職業については想像もつかないので興味があった。失礼だが、会社員という雰囲気には見えない。

「元傭兵だ」

「……このゲームを作った連中はもうちょいゲームバランス考えるべきだよね。傭兵ってチートじゃね?」

「じゃあ戦いとか、そういうのには慣れてるんですか?」

「まあな。だがこういった形式での戦闘は経験がない。単に戦いに慣れているだけで生き残れるものではないようだしな」

 敵に回すと手塚さん並みに……下手をすると手塚さん以上に厄介かも知れない。ここで味方になってくれれば良いのだが……。



 食事を終え、食後のコーヒーを味わいながらPDAの話をすることになった。インスタントなので味は落ちるが何も無いよりはいいだろう。

「俺から言い出したことだからな。……これが俺のPDAだ」

 高山さんはテーブルの上に自分のPDA――スペードの8を置いた。一番最初に見せてくれたということは俺達のことを少しでも信用してくれたのかと思うと、嬉しくなった。

「俺のPDAは8、自分以外のPDA5台の破壊が条件だ。ジョーカーが混ざることを警戒する必要があるがな」

 参加者はそれぞれがPDAを配布されている。もし高山さんと外で遭遇していたら襲われ全滅していてもおかしくなかった訳か……。

「俺のはこれです。条件は最後まで生き残ることですからそんなに危険はありません」

 クイーンのPDAをテーブルに置く。すぐには渡すことが出来ないが、条件を満たした後でなら問題はないだろう。

「あっ、よかった~! じゃあ私は御剣くんと一緒に行動したほうがいいね~!」

 渚さんはそう言うとスペードのジャックが描かれたPDAを取り出した。

「ジャックの条件は……何だったっけ」

「一日一緒にいた人が最後まで無事ならいいんだって~」

 自分のPDAを切り替え、時間を見ると、8時間41分が経過していた。もうそんなに過ぎたのかと驚いた。

「それで、次は……」

 ふと斜め向かい側の咲実さんの表情が目に入る。青ざめた顔で俯いている。

「咲実さん、大丈夫? 気分でも悪い?」

「えっ! ……あ、あの、………大丈夫、です……」

 それは最初に会った時のようだった。さっきまでは落ち着いていたのに今は何かに怯えたような不安げな表情に戻っている。

「お前の……」

 高山さんも咲実さんの様子が気になったのか、ゆっくりと、しかし力強く話しかける。

「お前のPDAは殺人が必要になるのか?」

 咲実さんはビクッと体を震わせ、視線を逸らす。
 ――そうか、咲実さんのPDAは、Aか3か9……人を殺めなければならないなら、彼女の怯える理由がわかる。

「大丈夫ですよ。たとえ咲実さんのPDAが何であっても、彼女に人を殺すなんて出来る筈がない。そうでしょう、咲実さん」

「……それは勿論です。でも、……」

「それに首輪が正規の方法以外で外せる可能性だってある。俺は時間経過を待つだけなんだからその方法を探す時間もあるからさ」

「……」

 まだ不安そうではあったが、やがてゆっくりと、自分のPDAをテーブルの上に置いた。

「スペードの、エース……」

 彼女がここに書かれた方法で首輪を外すつもりなら、クイーンのPDAの所有者である俺を殺さなくてはならないのか……。

「大丈夫。きっと何か方法があるさ」

 ――それに、最悪の場合は……。
 駄目だ駄目だ、悪い方向に考えていたら本当にそんな風になるだろ!?
 俺は内なる自分を叱咤する。今俺が不安に押しつぶされたら、咲実さんはもっと不安を感じるに違いない。さっきも考えたが、殺人が条件となる人間が3人いる。その彼ら――彼女もいるのだが――を止めるためにはPDAの条件以外で首輪を外せる方法を探さなくてはならないのだ。彼女には悪いがエースを持っているのが咲実さんで本当に良かったと思う。

「そうそう、ほら、なにかペンチみたいなものでグッ!とすれば、外れるかもしれないよ~!」

 渚さんもフォローを入れる。

「……こんな私でも、皆さんと一緒に行動していいんですか?」

「当然だよ。な、みんな」

「もっちろん! 咲実さんにはまだまだ料理のイロハを教えないといけないからね~」

 隣に座っている真比留を見ると、コーヒーの入ったコップを持ってフーフーと息を吹きかけていた。コーヒーの量はまったく減っていない。猫舌なのかも知れないが、こいつは今の話を聞いていたんだろうか。

「真比留? コーヒー冷ますのに必死で何も聞いてなかったってことはないよな?」

「聞いてたよー。だって息を吹きかけるのは口で、話を聞くのは耳じゃないか。高山さんが8、御剣がQ、渚さんがJ、咲実ちゃんがAって話でしょ」

「ああ。で、次は真比留の番なんだけど……」

 ようやくコーヒーを飲み始めた真比留は、ポケットからふたつのPDAを取り出し、テーブルに置いた。

「二台……まさか、ジョーカーか?」

「いや、これは一階で死んだおっちゃんのやつです」

「……ダイヤの2と、ハートの3……。……どっちが真比留のやつなんだ?」

 冷静を装ったが、自分の心臓の音が聞こえるくらい緊張していた。頭の中でルール9のリストを思い出す。2だったら、ジョーカーの所有者を探すだけで済むしジョーカーを警戒しなければならない高山さんとの共闘も出来るだろう。だが3だったら……。

「どっちだと思う?」

 この質問が「どっちの手に飴玉があるでしょう?」などといったものだったら、どんなに良かっただろう。俺は自分の希望を口にした。

「2……で、あってほしい」

「そりゃあそうだよね。でも現実は得てして厳しいものさね。なんちゃって」

 コーヒーを啜りながら何事もないように言う。俺も、渚さんも、咲実さんも、何も言い出すことは出来なかった。




[28780] 四話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:04
「……で、お前はそれを実行する気なのか」

 沈黙を破ったのは高山さんの低くドスのきいた声だった。実行する気なのか、というのはつまり、3人の人間の命を奪うつもりなのか、ということだ。

「んー、どうしましょうかね……」

 四方にはねた髪を掻き毟りながら、困ったような表情を浮かべる。

「殺そうにも、殺せないんですよ」

「どういう意味だ」

 ふたりのやりとりを、俺達は黙って聞いていることしかできなかった。

「いやさー、だっていくらなんでも子供を殺すのはやだし、女の子を殺すのもやだし、だからといって大の男相手に勝てるわけもないし。だから結局誰も殺せないんだよねー。困った、困った」

 この言葉が真に意味することが何なのか、理解出来るようで出来ない。真比留は人を殺すことを前提に言ってるのか、それとも殺さない理由を無理矢理組み立てているだけなのか……。

「どうするつもりだ。このままだとお前はいずれ死ぬぞ」

「とりあえずは、誰かが攻撃してきたら正当防衛を理由に……って思ってるんだけど、まあそううまくはいかないんだろうなー」

「……そこの3人を殺すつもりはなかったのか?」

 そこの3人とは――俺と、咲実さんと、渚さんのことだ。咲実さんと渚さんはその話に、少しだけ緊張したようだ。真比留はのんきに、しかしはっきりと答えた。

「嫌ですよ。だって私、みんなのこと好きだし」

 好きと言われて嫌な気がする筈もない。俺は思い切って真比留に問いかけた。

「お前は、その、……人を殺す気があるのか?」

「……さっき御剣が言ってたようにこれ以外で首輪を外す方法があるならそれに縋るよ。でも無理っぽいなら諦める」

「諦めるって言うのは……死を覚悟するってことか?」

「いや、違う。その時は――3人の人間を、殺す。そういうことさね」

 あっさりと言ってのける。俺はそれを止めるべく言葉を紡ごうとするが、なんと言えばいいのかわからない。だが真比留は俺のそんな感情を読み取ったのだろう。薄く微笑み、複雑な視線を向ける。

「まー真比留サンはいつも口だけだし? 結局そんな覚悟はありませんでしたー、ってことになるだろうさ。……多分」

 残ったコーヒーをぐいっと飲み干し、ため息をつく。

「で、どうする?」

「どうするって……何がだよ」

「真比留サンと行動する? それともここで別れる?」

「一緒に行くに決まってるだろ!」

 もしこいつを一人にしたらそれこそ危険だ。真比留自身も勿論だが、放っておけば本当に殺人に手を染めかねない。

「咲実ちゃんと渚さんは?」

 しばらく躊躇っていたが、やがてしっかりと真比留の目を見据えるに至った。

「行きます。私だって普通の方法じゃ首輪が外れないんですから、むしろ一緒に行動したほうがいい筈です」

「真比留さんの気持ちもわかるけど、やっぱりみんなで行動したほうがいいと思うな~」

「……まったく、本当に……」

 俯き、また大きくため息をつくと、何やら考え込んだ。次に顔を上げた時に真比留が話しかけたのは高山さんだった。

「……これが私達のPDAです。全部で5台ありますが、勿論今壊させるわけにはいきません。たとえ正規の方法で外さなくとも拡張ツ-ルを使用する際に使えますからね」

「お前たちの5台と俺の1台を除くと残りは7台……さらにジョーカーが混ざる可能性もある。もし終盤にお前たちに不要なPDAが出てきたら譲ってもらいたい。俺はその間お前たちを襲わないと約束しよう。……それにしても、お前達は本当にお人よしだな。そのままだとそのうち殺されるぞ」

 咲実さんか真比留が裏切る、ということだろうか。

「させませんよ、そんなこと。絶対に」



「高山さんに頼みがあるんです。無理にとは言いませんが、今から俺達ここで休もうと思ってるんですけど、それまで一緒にいませんか? 交代で見張りを組むなら人数多いほうがいいですから」

「時間は?」

「えーっと……どのくらい睡眠とりたい? 下手したら後半は寝る暇ないかも知れないし、遠慮なく言ってくれ」

「あんまりたくさん寝ちゃうと後で起きれなくなっちゃいそうだから、4時間くらいでどうかな~?」

「睡眠は90分単位でとるとスッキリ起きれるらしいから、180分……3時間でどうだい?」

「見張りも含めて6~8時間か……少々長い気もするが、後のことを考えれば今そのくらい休んでおいてもいいかもな」

 どうやら高山さんも協力してくれるようだ。PDAのこともあってすぐにでもこの場から立ち去る可能性も考えていたのだが、これは嬉しい誤算だった。

「今後こんなにゆっくり休める時間はないかも知れないから、4時間ずつの8時間休憩くらい取ろうか」

 4時間は寝るには短いが起きているには結構長いが仕方無いだろう。

「その前にさ、整理しておかない? 今の状況を」

「整理?」

「そう。今の段階でわかってることを考察してみようと思って」



 俺はノートに今わかっている人間の名前を書き出した。

「俺、真比留、咲実さん、渚さん、高山さん、手塚さん、麗佳さん、長沢……今のところわかっているのは8人だな」

「漆山のおっちゃんを忘れてるよ。死人だけど名前だけでも書いといたほうがいい。あとはおっちゃんが会った少女もね」

「俺は戦闘禁止が解除される前に北条かりんという少女に会った。ルールを確認するとすぐに離れていったがな」

「何歳くらいですか?」

「お前たちよりは下だろう。中学生くらいに見えた」

「そんな子供もこのゲームに参加してるんですか!?」

 咲実さんが悲鳴に近い声を上げる。中学生というと恐らく長沢と同じくらいだろう。長沢の好戦的な様子のせいでそこまで気にしていなかったが、よく考えれば長沢も北条かりんという少女もまだ子供といえる年頃だ。咲実さんはそれが辛くてたまらないらしく、悲しそうな表情を浮かべている。

「これで11人……残り2人はまだ不明か」

「敵になりそうなのは手塚、麗佳ちゃん、長沢、……あとはその北条かりんちゃんはどうだろう。高山さん、その時わかっていたルールってどれです?」

「共通の1と2、それと4、6、7、8だ。そういえば、6に書いてある賞金の話をする時かなり深刻そうな顔をしていた。賞金の為にこのゲームに参加する可能性があるかもしれない」

「賞金って……! だってその子は中学生くらいなんでしょう? そんな大金必要ないと思いますが……」

「家に大量の借金があるとかの可能性もあるし、そうとは言い切れないよ。まあでも賞金目的なら条件次第では交渉の余地があるってこった。幸いと言っていいのか、殺しが必要な条件3つのうち2つがここにあるんだからそう悲観することはないさ」

「今持ち主が判明してるのはA、2、3、8、J、Qだよな?」

 それぞれの名前の横にPDAを記しておく。

「2は漆山さんと真比留、どっちに書いておけばいい?」

「両方に書いて、おっちゃんのほうには×つけとけば?」

「よし……でも他のPDAはまったくといっていいほどわかってないんだよな……。北条さんもPDAについては言ってなかったんですか?」

「敵になるかもしれない相手に無条件でPDAを晒すわけがない。それに必要な賞金の額によっては条件になくても人を殺す可能性もある」

「一番恐ろしいのは9だよねー。持つ人によっては皆殺しを企むかも知れない。でももしノリ気でないなら裏技で首輪を外す方法を一緒に見つけてくれないかなー」

「あるかどうかもはっきりしないもので仲間にするのは難しいかも知れないけど、一応考慮に入れておこう。手塚さんは攻撃してきたってことはPDAを集めるとかそういうのかな?」

「いやぁー、たとえ穏便に済む条件でも攻撃仕掛ける可能性はあるからねー。ただ御剣に交渉持ち掛けたってことは9じゃなさそうだけど」

「ジョーカーについての心当たりはあるか?」

「心当たりはないけど、2、6、8、Kの人間に配布ってのはないと思う。特に2と6はジョーカーあったらそこでクリアだし。2と8は確定してるからあとは6とKか。ジョーカーがあれば高山さん含め和解できそうなんだけどねー。欲に目が眩まない限り」

 そういった可能性も紙の片隅に書いておく。

「ところで、規格外の方法で首輪を外すと言っていたが考えはあるのか?」

「んー……まあなくもないかも……」

「そうなのか? ……悪いが俺にはさっぱり見当がつかない。真比留、話してくれ」

「あくまでも仮説だから、下手に口にしたくはない。情報が集まるまで待ってくれない?」

「でも、アイデアを話すだけでも何かわかることがあるかも知れませんよ」
 口ごもっていた真比留も、咲実さんに言われると弱いのか、渋々といった感じで話し始めた。

「……もしかしたらだけど、このゲームの参加者の中に誘拐犯の仲間がいるんじゃないかなーって思うのさ。で、そいつを見つけ出して交渉できないかと考えてる」

 ――参加者の中に?
 ゲームに必死で忘れかけていたが、俺達は誘拐されて来たのだ。13人の人数を誘拐したこと、かなりの技術が使われているPDA、広大で物騒な仕掛けまでついた建物……どう考えても簡単に出来ることじゃない。かなり大きな組織だろう。

「でも、誘拐犯がこのゲームに参加するメリットなんてあるのか? 下手をしたら自分も危ないってのに……」

「賞金20億なんて言っちゃう連中なんだから、ギャラ弾んでんじゃない?」

「でも……金の為に自分の命をかけるなんて……!」

 ルールにあった賞金はあくまでも参加者同士の争いを焚きつけるためだけのものだと思っていたが、自分の意思でこんなゲームに参加する人間の気が知れなかった。

「……世の中には金のために人を殺せるやつも、自分の命をかけるやつもいる。まだ学生のお前にそれを言うのは酷だが、覚えておいたほうがいい」

 高山さんの言葉は厳しく重みがあった。考えれば傭兵も同じようなものなのだろう。高山さんも"金の為に命をかける"人間なのだ。もっとも、傭兵が実際にどんな仕事をしているのかはわからなかったのだが戦争映画の兵士のようなものなのだろうと想像している。

「現段階でわかるのはこのくらいかな。他に意見は?」

「あの……私には難しかったので。特に意見もありませんし……」

「私も話についていくので精一杯だったから~。結局あんまり分からなかったってことが分かったくらいかな~」

 消極的な咲実さんや天然の渚さんはこの話を聞くので精一杯だったようだ。



「じゃあ休憩にしよう。これ以上は情報不足だ」

「二組に分かれよう。先に寝るか、後に寝るか。万が一も考えて戦力の均衡とるか男女で分けるか。意見のあるひといますかー?」

「戦闘禁止だから大丈夫じゃないかな~?」

「首輪が外れれば戦闘禁止エリアでも攻撃ができる。条件次第ではもう首輪を外し賞金目的で動くやつがいないとも限らないから一応さ」

 今の段階で外す可能性は低いが用心に用心を重ねて悪いことはないだろう。

「どう分けるべきか意見を聞きたいんですが……」

 ここは年長者でもあり戦場慣れした高山さんの意見が重要だろうと思い、アドバイスをもらうことにした。

「こういう状況では俺の戦闘経験はそこまで役に立たない。個人の意見に過ぎないがここはまだ2階だからさほど危険がないとは思う。お前たちが好きに分けろ。俺は一人でもいいんだが、そういうわけにもいかないんだろうな」

「んー、さすがにねー。2:3が妥当だと思うよ。咲実ちゃんと渚さんの希望は?」

「やっぱり女の子だけじゃ危険だからね~。私は誰とでもいいよ~」

「私もお任せします」

「困ったな……これじゃ全然決まらない」

「もういっそジャンケンでいいじゃん。あとくされもないし。どうせ誰もはっきりした希望がないんだからさ」

 ジャンケンの結果、俺と咲実さん、真比留と渚さんと高山さんという組み合わせになった。俺は別に構わないんだが他の三人は気まずいんじゃないだろうか。もし変更の希望があればそれを聞くことにしよう。

「大丈夫~! それより総一くん、咲実ちゃんに変なことしちゃダメだよ~?」

「しませんって! ……真比留はこれでいいか?」

「いいよー」

 特に異論はないようだった。

「どっちが先に休むか、またジャンケンで決めるのか?」

「お前らから先に休むといい。慣れない分疲れも多いだろうからな」

 高山さんの厚意に甘えることにした。

「咲実ちゃんの寝顔写メって送ってよ~御剣ィ!」

「代わりにお前が寝てる時落書きするぞ、油性ペンで」

「油性はダメぇええ!!」

 結局俺と咲実さんが先に休むことになった。高山さん達は食事を取った広い空間で休みつつ見張りをして、4時間後に交代することになっている。

「はあ……疲れたね」

 俺と咲実さんは戦闘禁止エリアの中の寝室にいた。PDAの画面を見ると、『ゲーム開始から14時間11分経過』と表示されている。

「私達が出会ったのは戦闘禁止の時でしたから、10時間も経っていないんですね。……なんだかかなり長い間一緒にいた気がしますけど、たった数時間なんですね」

「俺はむしろすごく長く感じたよ、ここに来てから」

「ずっと同じような景色が続いているからでしょうね」

 少しの違いこそあれ、コンクリート造りの道が延々と続いていては飽きてしまう。 ……それも非日常に慣れさせようとする、誘拐犯達の狙いなのだろうか。

「……ありがとうございます」

「ん? 何が?」

「こんな私を信用してくれて、ありがとうございます。本当は御剣さんが一番疑うべきなのに」

「何言ってるんだよ。咲実さんが俺を殺すわけないだろ?」

「どうして……どうしてそこまで私を信用してくれるんですか? 私とあなたは今日初めて会ったばかりだし、私は信用に足るようなことは何もしていません」

 悲しそうな表情で咲実さんが呟く。

「それを言ったら真比留や渚さんだって同じだよ。……時間なんて関係ない」

 とはいえ咲実さんの存在が俺に大きな影響を与えた事も確かだった。俺がQ、彼女がAだった事は果たして偶然なのだろうか?

「大丈夫、俺が君を守るから」

 ――あいつを守れなかった分、彼女を守る。
 そんな消極的な理由。咲実さんか俺か、どちらかしか生き残れない。ならば、俺は……。




 ――うっ、うぐっ、ひっぐ、えぐ……。

「まったく……ほら、このくらいで泣かない!」

 ――だって、せっかく優希が作ってくれたのに、あいつらが……。

「マドレーヌくらいまた焼いてあげるからっ! なんで総一はすぐに泣くかなぁ!」

 ――でも、……優希が食べられるものを作るのは珍しいし、次いつあんな奇跡が……痛っ!

「一言余計! ……それにあいつらは十分懲らしめたから、もうあんなことしないと思うわ」

 ――優希は強いなあ、女の子なのに……。

「そう思うなら何かある度に泣いて私を呼ぼうとしないでよね」

――だって、おれは優希みたいに喧嘩強くないし。

「とうっ!」

 ――痛っ! だからチョップはやめてって! せめてもうちょっと手加減してよ……。

「だーかーらー! そういうところがズルいのよ! 今はわたしのほうが力も強いし身長も高いけど、すぐに総一にまけちゃうんだから……悔しいけど。そしたらわたしじゃ総一を守ってあげられなくなる」

 ――……。

「だからこんなことでいちいち泣かないの! だいたいいつも総一は……」

 ――じゃあ、おれ……。

「……ん? どうしたの?」

 ――おれ、頑張る。頑張って……今度はおれが優希を守るよ。

「総一はいつも口だけなんだから、あんまり期待は出来ないけど……うん、期待しとく」

 ――だから、おれが優希を守れるようになったら……、……。

「え? 何て言ったの?」

 ――秘密。




 携帯のアラームによって目が覚めた。何の夢を見たのかよく覚えてはいないが、なんだか久しぶりに目覚めがいい。咲実さんはまだ寝ていたのだがこのままにしていくわけにはいかない。

「咲実さん、咲実さん」

「んんっ……、……きゃあっ!」

 まだ脳が目覚めてないのか、混乱した様子で固まっている。しばらくすると落ち着きを取り戻したようでぺこぺこと頭を下げた。

「あっ、すみません! 寝ぼけてて……」

「気にする必要ないよ。眠いとは思うけど、見張りを交代しないと」



「おはようございます」

「本当は夜だからおはようって言うのも変な気がするね~」

「いやいや、夜起きなんてよくあることさ」

「お前の常識が世間で通用すると思うな。……見張り、お疲れ様でした。代わりますよ」

「ああ。次は俺達が休ませてもらおう。今までは何も変わったことはなかったが、もし誰かここに来るようなことがあったら起こしてくれ」

 ふと、高山さんの視線が真比留のほうにいっていることに気がついた。真比留も気づいたようで怪訝そうな顔をした。

「……高山さん、どうしました? 私の顔に何かついてます?」

「……なんでもない」

 そう言うと高山さんは先ほどまで総一達が寝ていた部屋に入っていった。

「じゃあ私たちも行くね~。ずっと話してたら疲れちゃった~」

「私もさ。んじゃあ後はヨロシク」

 そういえば3人はここで何を話していたのだろう?真比留と渚さんは話が合うだろうが高山さんと通じる話は出来ないんじゃないか?詮索するようなことじゃないが少し気になる。
 考えているうちに再び咲実さんと二人きりになった。

「またコーヒーを飲んでいたみたいですね。御剣さんもいかがですか?」

「淹れてくれるならお願いしようかな」

 しばらくして咲実さんがコーヒーの入ったカップを持って出てきた。

「インスタントしかなかったから味は期待しないで下さいね」

 それから4時間、みんなが起きて来るまで世間話をしていた。なんでもない内容だったが、互いが互いを知らなかったので話題が尽きることはなかった。



「じゃあ行こうか。高山さんも、また会いましょう」

「俺はお前達が出て暫くしてから出る。次は4階の戦闘禁止エリアで合流、だったな」

「俺達はジョーカーは必要ありませんし、見つけたらその時に渡します。出来れば6を持ってる人間のために5回使っておきたいです。その後なら壊すなりしてもらっても構いません」

 高山さんを残して戦闘禁止エリアを出た俺達は、3階へ向かうべく階段へ向かうことにした。





[28780] 五話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:04

『ゲーム開始から24時間が経過しました。あと三時間で一階が侵入禁止エリアになります。侵入禁止エリアに入った場合、首輪が作動します』

「24時間……残り2日か」

 ルールによればこれから行動できる範囲がどんどん狭くなっていくらしい。それに比例して、危険も増えていくということだ。

「早いうちに6階に行った方がいいかもね」

「4階で高山さんと合流してから、な」

 高山さんが敵にならないでくれたのはとても嬉しい事だった。今俺達が敵意のある人間と遭遇してしまえばうまく逃げられる自身は無い。

「高山さんと合流か……」

 何故だか真比留が暗そうな表情を浮かべた。真比留は高山さんの事を良く思っていないのだろうか。

「そういえば渚さんと真比留さんは高山さんと何を話してたんですか?」

 咲実さんがなんの気なしにそんな質問をした。

「私はすぐにシャワー浴びに行って、帰ってきたら真比留さんと高山さんが話してたからそれに乗っただけなんだけどね~」

「ああ、うん。まあね……」

「真比留は高山さんの事嫌いなのか?」

 高山さんの話になると真比留の反応が悪いので思い切って聞いてみた。

「嫌いじゃないよ。どちらかといえば好感持てるくらい。ただ……ちょっと苦手なタイプだったから」

「その割には話が盛り上がってたみたいだけど~」

「私が一方的に話題をふってただけさ。渚さんがいなければ間が持たなかっただろうし」

 なるほど。
 話好きな真比留と寡黙で生真面目な印象を受ける高山さんでは話が噛みあわなさそうだ。だから苦手、か。必死で場を盛り上げようとする真比留とそれをスルーしている高山さんの図が易々と想像出来た。

「高山さんについてひとつ分かったことがあるよ。――目玉焼きには塩派だってさ」

一体どんな会話をしていたんだ。

「私は醤油派だよ~」

 渚さんが呑気に話題に乗ってきた。

「私は……家によって違いがあるのでそれに合わせてました。どれもおいしいですよね」

「え? どういうこと~?」

 渚さんが疑問に思ったのは家が変わっているというところだろう。俺はさっき話を聞いたので知っていたが咲実さんにもう一度話させるのもどうかと思い、代わりに説明した。

「咲実さんは家の都合で親戚の家で過ごしてるんだって」

 彼女の両親は既に他界している。元々良家の出身だった彼女に残されたのは多額の財産だけ。だが未成年の少女一人でそれを管理できるはずもない。親戚を転々としながら財産を搾り取られ、彼女は厄介者として扱われる事になったとのことだ。その話をした時の咲実さんの表情は当然ながら明るいものではなかった。

「でもそのおかげでお料理が出来るようになりましたし……」

 ……つまり、家事全般をやらされていたということなのだろう。改めて彼女の辿った人生が平坦なものでは無いと痛感した。

「駄目駄目、あんなのじゃあまだまだよ~! どこにお嫁に出しても恥ずかしくないようにこれからもっとビシバシ鍛えてあげるんだから~!」

 渚さんがビシッと咲実さんを指さす。そのポーズのまま顔だけを俺へと向けた。

「総一くんは試食役! 残したら許さないわよ~!」

「じゃあ私は姑役やるさっ! 貴方なんかとうちの咲実が釣り合うとでも思って?! この泥棒猫!」

「俺が嫁側!?」

 ちらりと横目で咲実さんを見るとくすくすと笑っていた。



 3階への階段の近くまで来たが、ここまで戦闘はなかった。

「2階までの武器で下手に戦うより上の階で強い武器を見つけてからってことなのかもね。1階では木の棒や鉄パイプ、2階では斧や鎌やナイフ……そろそろ銃とか出てきそうだねー。こっちはちょっと武器が少ないんじゃない?」

「積極的に戦うわけじゃないからそこまで強いのはいらないだろうけど、俺達の武器はナイフと鉄パイプだけだからな……」

「でもさっき見つけた拡張ツールは大きかったんじゃないかと思います。あれのおかげで他の人の位置が分かるようになりましたから」

 ここに来るまでに休憩に使った部屋で俺達は新たな拡張ツールを見つけていた。それは首輪の位置を把握できるもので参加者の位置を把握できるということでもあった。どのPDAに入れるかでもめたが、結局バッテリーの消費が多いため2のPDAに入れることになった。

「階段には誰もいない……てっきり手塚みたいに待ち伏せがあるものと思ってたけど……」

「一応首輪サーチで確かめたほうがいいんじゃないかな~。今2階に何人いるのかも分からないし」

「そうだね。これならバッテリー消費もそこまで気にしなくていいし、練習がてら一回使ってみるか」

 真比留が起動させた首輪サーチの画面を全員覗き込んだ。

「1階はなし……そろそろ戦闘禁止になる時間だから当然か。おっちゃんの首輪も壊れてたみたいだね」

 あれだけの爆発に巻き込まれていればそれも不思議ではないだろう。

「2階は私達4人と個別で1、2、3……合計7人か。3階に行ってる人が5人いる」

「待ってください。ここ、……これってこの階段の上ですよね?」

 3階の光点のうちひとつはすぐ近くにある階段のところにあった。

「……もしかして待ち伏せ、か?」

「少し考えてからのほうがよさそうだね。2階の光点は3つとも私達とは離れたところにあるから後ろを心配する必要はないさ。私と総一が先に行くから、咲実ちゃんと渚さんは後ろからついて来て」

「でもっ……それじゃあ2人が怪我をするかも知れないじゃないですか! もっと安全な方法を考えましょう!」

「時間は結構あるからそれでもいいけど、何か考えはあるの?」

「それは……ない、ですけど……。でもみんなで考えれば……!」

 真比留は言葉を返さない。何かあるなら聞いてやるから言ってみろとでもいいたげな目だった。

「今は相手が1人だからいいけど、時間が経ったら数か増えるかもしれない。咲実さん、俺は大丈夫。それに俺達は4人だから相手もそう簡単には襲ってこないさ」

「……無茶はしないで下さいね」

 咲実さんも渋々だが了承した。



 階段を上がっていると、空を切るような音が聞こえた。

「上だッ!!」

 真比留は思い切り体を逸らす。

 真比留が進んでいた位置には2階で見た手斧が刺さっていた。もし気づかなければ今頃真比留の脳天は真っ二つになっていただろう。俺は一足早く階段を上り、奇襲をした人物を見つける。

「れっ……麗佳さん!? 待ってくれ! 俺達は戦う気は……」

 言い終わるより早く、離れた位置からサバイバルナイフを数本投げつけてくる。すべては避けきれず、腹部に鋭い痛みが走る。その間に麗佳さんは逃げの体勢に入っていた。

「戦う気はないとでも言うつもり? そんな言葉信じるとでも?」

 逃げるとばかり思っていた麗佳さんの右手には大きな鉈が握られていた。さっきの行動は逃げるためではなく自分より後ろに置いていた鉈を取るためだと今更ながら気がついた。そして更に目を引くのは彼女の白いワンピース――その一部は赤い血で染まっていた。

「お前が武器を手に入れれば危険……今のうちに手傷を負わせておくに限る!」

 鉈を握り締め俺に向かって走ってくる麗佳さん。鉈相手だとナイフでは勝てないだろう。
 避けるしかない!
 麗佳さんが鉈を振り下ろすのをギリギリで避けるが、どうにかして止めなければならない。このままでは後ろの3人にも被害が出てしまう。後ろから風を切る音が聞こえた。麗佳さんへの警戒を怠ることが出来ないので振り向けないが、何が起こったかはすぐにわかった。目の前の麗佳さんの腕に刺さったあれは、さっき彼女自身が投げたサバイバルナイフだ。

「御剣、こっちへ!」

 真比留は先ほど麗佳さんが投げた手斧を手にしていた。あれならば鉈にも太刀打ちできるだろう。

 それを見た麗佳さんは舌打ちをして後ずさる。俺は真比留の方へ駆け寄り、麗佳さんを睨みつけた。頼むからこれで退いてくれ……!

「……奇襲は失敗みたいね」

「……その血、麗佳ちゃんのじゃないね」

 真比留が静かに呟くと、麗佳さんがきつい視線を返してきた。まさか麗佳さんは既に誰かを殺してしまったのだろうか。麗佳さんは冷たい微笑を浮かべながら血の付いたスカートの裾を持ち上げた。

「ああ、これ? お前が想像してる通りよ」

「へえ。私はまだやった事ないから分かんないけど」

「意外と簡単だったわ。今お前が持ってるそれでね」

 俺は真比留の持っている手斧に視線を向けた。その刀身にはべったりと赤黒い液体がこびりついている。

「……麗佳さん! 条件次第では俺達は首輪を外してやれるんだ! これ以上……」

「馬鹿じゃないの。今更そんなつもりはないわ」

 突き放したように言う。そして鉈をこちらに向けたまま退路を確保して俺達から離れようとする。不意打ちに失敗した以上、このまま対峙し続けるのは危険と判断したようだ。

「麗佳さ……」

「やめとけ。 このまま退いてくれるならそうしてもらおう」

 麗佳さんになおも話しかける俺を真比留が制した。そうだ、後ろには咲実さんと渚さんもいる。ここで無茶をすれば彼女達にも実害が及んでしまう。麗佳さんはこちらに背を向ける事無く、曲がり角へと姿を消した。

「……麗佳、さん……」

 声のした方を振り向くと半泣きの咲実さんが震えており、渚さんも咲実さんの肩を抱きながら悲しそうな表情を浮かべていた。俺の横にいる真比留からも疲れ切った様子が感じられる。恐らく俺自身からも同じような雰囲気が感じ取られているのだろう。

「……ここにいるとまた誰か来るかも知れない。早く戦闘禁止エリアに移ろう」

「そうだね~。総一くん、地図確かめてくれる~?」

 俺は拡張ツールで追加された地図機能の画面を開く。

「ここから一番近い戦闘禁止エリアは……こっちだな」

 重い空気のまま、俺達は戦闘禁止エリアに向かって進んで行った。



 戦闘禁止エリアはいくつかの小部屋と繋がっている。その数は場所によって違い、ここにはキッチンとシャワー室の他に2つの小部屋があった。ひとつはベッドなどが置いてある休憩用の部屋で、拡張地図には医務室と書かれていた。もうひとつは倉庫で、その名の通り段ボール箱や木箱が乱雑に置かれている部屋だ。

「あからさまに怪しいな」

 部屋の中央には段ボール箱が置かれていた。いかにも開けて下さいと言っているようだ。

「罠……でしょうか」

 咲実さんが言った。一番前に出ているのは俺、咲実さんと渚さんを挟んで一番後ろは真比留。いつの間にかこの位置が定位置になってしまった気がする。真比留一人に後ろを任せるというのも少々不安だが、それでも鉄パイプを持っている以上他の二人より戦力になる。その真比留はドアを跨いだ位置にいる。もし誰かが戦闘禁止エリアに入ってきたら分かるようにという考えだそうだ。

「じゃあ開けるよ。二人とも、一応下がってて」

 俺は緊張しながら段ボールに近づく。開けた瞬間に何かが起こるかもしれない、細心の注意を払いながらゆっくりと箱を開いていく――。

「これは……」

 思わず息を飲む。

「総一く~ん? 大丈夫~? 何があったの~?」

「御剣さん?」

 俺は段ボールの中のそれを手に取り、持ち上げる。今までそれを見たことが無い訳ではないが、あくまでテレビや漫画でという事で、実物を見たことは勿論ない。
 ――いつかは出てくると思ってはいた。
 しかしいざ実物を目にするとそれがまるで偽物の――モデルガンか何かのように思える。

「拳銃……」

いつの間にか背後に立っていた咲実さんがそう呟いた。

「本物――なんですか?」

「多分。モデルガンでない事は確かだ」

 腕にずっしりと感じる重さがそれを物語っている。銃には詳しくないのでよく分からないが、西部劇で出てくるような洒落たものではなくアクション物にありそうなデザインだった。

「なんだい? ついに銃でも出てきたのかい?」

 離れたところから真比留が冗談めかして訊ねてきた。あの位置からではこちらが見えないらしい。

「ああ。これは……本物の拳銃だ」

「……マジで? 真比留サンからは見えないんだけど。中に弾は入ってる?」

 言われて確認すると6発の弾が入っていた。

「6発入ってる。ただ、本物かどうかはわからない。試しに廊下で撃ってみるか?」

「いや、ここで一発失うのはもったいない。それに撃った音で誰かが来たら――それがゲームに乗った奴だったら困るよ」

「でもこれが偽物で、いざという時に武器にならなかったらまずいだろ」

「うーん、それもそうか。一応首輪サーチで周囲を確認してからなら大丈夫かねー」

『一階が侵入禁止になりました』

「これからどんどん行動範囲が狭まっていく。いざという時の為に――銃は必要だ」

 PDAの画面に表示された文字を確認してから俺は真比留に向かって言った。だが自分でそう言ったものの、覚悟が出来ているのかどうかも分かってはいなかった。



 全員で確認する必要もないだろうという事で他のみんなは戦闘禁止エリアに残してきた。深呼吸をしてから誰もいない廊下に銃口を向ける。無機質な廊下に銃声が響き、排出された薬莢が高い音を立てて転がる。本物だった事に安心する一方、俺達が今危険地帯にいると改めて実感して寒気が走った。俺達がこれを手に入れたという事は敵が――手塚や麗佳さんなどが銃を持っている可能性もあるのだ。

 確認を終えて部屋に入ると、咲実さんがひとりソファに座っていた。

「あれ? 真比留と渚さんは?」

「倉庫を調べに行きました。あの時確認したのは中央に置かれた段ボールだけでしたから」

 勝手に探索を始めた事が少し不満だったが、よく考えれば今俺達は食料を持っていない。二階の戦闘禁止エリアで全部食べたんだった。PDAで時間を確認する。
『ゲーム開始から27時間19分経過』
覚えている限りでは俺と咲実さんが睡眠をとった時、14時間経過していた。食事を摂ったのはそれより1、2時間前だった。半日以上経過しているのだからそろそろ小腹を満たしたい。

「ちょっとキッチンに行ってきますね。ここにもお茶があるかも知れませんから」

「うん、頼むよ」

 こちらに微笑み返すと咲実さんはキッチンへ向かった。

「はぁ……」

 大きなため息をつき、赤い革張りのソファへ凭れ掛かる。二階への階段で手塚と対峙した時を入れなければ、ここに来てから一人になったのはこれが初めてだ。天井を――天井は壁と比べると薄い灰色だった――何気なく眺める。ここに来てから一日以上経っているにも関わらず、死地にいるという自覚は薄い。一階で漆山さんの死を見ていなければもっと実感が無かったのだろうと思う。今、この建物には一体何人の人間が――生きているのだろう。俺は彼女たちを守れるのだろうか。

 とりとめのない事を考えていると、真比留と渚さんが倉庫から帰ってきた。

「ただいま~! 食べ物たくさんあったよ~!」

 両手いっぱいにレトルト食品を抱えた渚さんは笑顔でそう言った。

「銃は御剣が見つけたひとつだけだったけど、小太刀があったよ。時代劇で切腹に使いそうなやつさ」

 真比留が右手に持っていた白っぽい木の棒を持ち上げた。鞘に入った小太刀だ。

「これ、きっといい包丁になるよ~! さっき段ボールを切ってみたんだけどすごく切れ味がいいの~!」

「あとこれ、PDAの拡張ツール。まだインストールしてないけどさ」

 そう言って真比留は胸ポケットから拡張ツールの入った箱を3つ出し、テーブルに置いた。

『Tool:PlayerCounter』
『Tool:NetworkPhone1』
『Tool:NetworkPhone2』

「咲実ちゃんは?」

「キッチンでお茶を淹れてくれてる。……このプレイヤーカウンターっていうのはもしかして、ここにいる人間の――生きた人間の数が分かるツールなんじゃないか?」

 俺がそう言うと、テーブルを挟んで正面のソファに腰かけた真比留が真剣な表情で返してくる。

「私もそう思う。まずは機能だけでも確かめてみようか」

 真比留はPDAをポケットから取り出し、ツールを使用した。ここからでは見えないが恐らく2のPDAだろう。

「……うん、やっぱりそうだ。使ったPDAに生存者の数が表示されるようになるらしい。どのPDAに使おうか」

 そう言いながら真比留はツールを抜き、別のツールの中身を確認し始めた。

「だったら咲実さんのがいいんじゃないか? 最後まで持ち歩くだろうし」

「……咲実ちゃんの? ……いや、……」

 真比留はそれを聞いて渋るような表情を見せた。

「……こっちのツールは二つセットだって。簡単に言えばPDAにトランシーバー機能がつくって事らしい。単独行動してる人間には必要ないツールだけど私達にはありがたいさね」

「トランシーバー?」

「そう。……最後まで持ち歩くのは渚さんも同じだからさ、そっちに入れた方がいいんじゃないかい? プレイヤーカウンターはさ」

「その――トランシーバーは?」

「私達が分断された場合も考えて、別々の人間が持っておこう。もしそうなったら使うって事で」

 俺達がこれからずっと一緒に行動するのならば無駄にバッテリーを消費する必要もない訳か。後ろでドアが開く音が聞こえた。咲実さんがキッチンから出てきたようだ。

「おかえりなさい、真比留さん、渚さん。どうでしたか?」

「ぼちぼちでんなー」

 真比留のその言葉に咲実さんは顔を綻ばせ、それぞれの前に緑茶を配った。白い湯呑に入ったそれは綺麗な色をしている。俺と渚さんは早速口をつけ、真比留は息を吹きかけて冷ましていた。咲実さんも俺の横に座り――そこしか空いていなかったからだろう――自分の緑茶を飲み始めた。

「生存者数が分かるツールがあったからそれを使おうって話になってたんだ。結局、誰のに入れようか」

「私のでいいよ~」

 渚さんのPDAに入れる事に異論はなかった。

「ああっ! これ!」

 急に渚さんが大きな声を出した。横に座っていた真比留はその画面を覗き込み、渚さんも真比留が見やすいようにPDAを移動させた。

「麗佳ちゃん、かね。でも……」

 その言葉でなんとなく想像がついた。

「死んでるのか? 誰か……」

 横にいる咲実さんの緊張が伝わってくる。真比留は渚さんからPDAを受け取ると、こちら向きでPDAをテーブルに置いた。

『生存者数/10人』



 俺の持っている武器はさっき拾った拳銃一丁、ナイフ一本。真比留は鉄パイプと小太刀。咲実さんと渚さんには食料を持ってもらった。手斧は血がついていたし持ち歩くには重かったので、真比留の提案でキッチンの棚に隠す事にした。ここならば本格的に料理を作らない限り見つけられる心配はないだろう。

「このトランシーバーのやつどうする~?」

「……御剣と渚さんはどう?」

 どうしてそういう意見になったのかはわからないが、俺はその意見には反対だった。

「俺と渚さんは条件の事があるからずっと一緒に行動しなきゃいけない。だから渚さんと誰か――咲実さんに持ってもらった方がいいんじゃないか?」

「それもそうか。じゃあそれでいいかい?」

 真比留が尋ねると、二人とも頷いた。

「インストールするのは分断された時。使わないに越した事はないんだからさ。ところで御剣、拡張地図を見せてくれないかい?」

「いいけど。何か気になる事でもあるのか?」

「確か拡張地図って武器の配置も表示されてるんだったよね。この階にどのくらい銃があるのか調べようと思ってさ」

 俺は画面を切り替え真比留にPDAを手渡した。それを受け取った真比留は地図を見て表情を曇らせる。

「武器の種類は表示されないのか。この赤点が武器で青点が食料ってことみたいだけど。……左上の部屋はあんまり赤点が無いね」

 俺は見下ろすようにして地図を見る。北が上だとして、北西の方角にある部屋には確かに光点が少なかった。

「回収された物は表示されないみたいだから、この辺を拠点にしてる奴がいるって事なのかもね」

 真比留は溜め息をつくとPDAを俺に返した。



 この建物にはいたるところに部屋があった。その中には部屋を通ってでないと行けない部屋もあるが、ほとんどは廊下と面したドアがある。その数が多すぎるので全部を確認するわけにもいかず、首輪サーチを使いながら俺達は4階への階段を目指していた。2のPDAは先頭を歩く俺が持つ事になった。

「……待った。前に出ないで」

 俺は後ろを歩く3人を制した。廊下の数メートル先にある部屋のドアが少し開いていたからだ。誰もいないのは分かっているが、不審ではある。

「首輪サーチには何も映ってないんですよね? じゃあ大丈夫じゃないですか?」

「そう思うんだけど。一応、な」

 俺はゆっくりとそちらに近づく。後ろから咲実さんが止める声が聞こえるが無視した。この距離ならば何かあっても彼女に害が及ぶ事は無い――。ドアノブを掴み、中を覗き込む。

「うっ……これは……」

 滑り込むように中に入った。そこにあったのは――いや、いたのは――。

「う、ああ……」

 背後の呻き声に振り返ると、咲実さんと渚さんがこちらを覗いていた。

「ひっ――」

 咲実さんが悲鳴をあげる前に後ろから手が伸ばされ、口を塞ぐ。渚さんは見るに耐えなかったようで廊下へと出て行った。

「――咲実ちゃん、落ち着いて。渚さん、大丈夫ですか」

 真比留は咲実さんを廊下の外へ出し、口に当てていた手を離した。

「な、なんとか~……。でも、あれ」

「……うっぐ、ひっく……」

「この周囲には誰もいないさ、大丈夫」

 俺もそちらへ行き、咲実さんの様子を確認する。今見たものが衝撃的だったようで、蒼白な表情で体を震わせていた。その姿があまりにも気の毒で、俺は自然に彼女の背中をさすっていた。

「咲実さん、大丈夫だから……」

 よほどショックだったのだろう、彼女は俺の服の裾を掴んできた。俺はその体をゆっくり引き寄せる。

「ちょっと確認して来る。御剣、咲実ちゃんの傍にいてあげてくれるかい?」

「ああ――頼む」

 真比留は確認の為、部屋の中にある――死体に近づいていった。漆山さんの死を目の前で見ていたからだろう、俺と真比留の精神的なダメージは二人ほど酷くは無い。それに今腕の中で震えている咲実さんの為にも俺がうろたえるわけにはいかない。

「ねえ、別の部屋に移らない~? ここにずっといるのは……」

 渚さんの提案に乗り、真比留に一言告げてから俺達は隣の部屋に移った。



 真比留が帰ってくる頃には咲実さんも大分落ち着いていた。

「ありがとう、ございます……」

「気にしないで。俺だってショックである事に変わりないんだから」

 一階の時は咲実さんは廊下にいたから部屋の中にあった漆山さんの死体は見ていないのだろう。彼女はここに来て初めて――もしかしたら人生で初めて――人の死を見たのだ。渚さんも声を出してこそいないが青ざめた顔で腰を下ろしている。

「真比留さん~、その~」

 真比留は渚さんの言わんとする事を理解したらしく俺と向かい合う位置に腰を下ろし、ため息をついた。

「今話しても大丈夫?」

「ああ」

 咲実さんが俺の右手をぎゅっと握ってきた。それに応えるように俺も軽く握り返した。その様子を確認した真比留は俺の目をしっかりと見据え、話し始めた。

「小学生くらいの女の子だったよ。高山さんの言ってた北条かりんって子とは違うと思う。PDAは無かった。首輪は――流れ弾が当たったんだろうね、壊れてた」

「じゃあ銃で?」

「銃弾が4発。その内一発が左胸に当たってたからそれが致命傷だったんじゃないかな。身元が分かる物も無かった」

「なんでっ……! なんでそんな子供まで殺せるんですか!? 酷すぎます……!」

 咲実さんの言葉で気づいたが、少女が死んでいたということは殺した人間がこの建物の中にいるのだ。

「そう。いるんだよ。この建物の中に幼い少女に容赦なく銃口を向けることができる人間が。そしてそいつはあの女の子のPDAを持っている。殺人が条件の3つのPDAのうち2つがここにある以上、そいつのPDAが9であったとしても偽造できる。つまりここから先出会う人間をPDAだけで判断できないってことさね」




[28780] 六話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:05
「ひとつ不思議な事があったよ。あの部屋の木箱に銃が入ってたのさ」

 真比留は右腿の辺りにある大きめのポケットから銃を取り出した。俺が拾ったものとは少し形状が異なっている。

「でもそれがなんで不思議なの~?」

「あの部屋で殺されたとしたら犯人は武器を探索する筈だと思わないかい? でもあそこには銃が――それだけじゃなくて缶詰も残ってた」

「えっとぉ、どういう事~?」

「……うーん、分からないけど。別の場所で殺してあの部屋に放り込んだ……いや、それは意味が無い……」

 別のポケットから缶詰を出しながら真比留はぶつぶつと呟く。

「確かにそれは不思議だけど、その理由を無理して考える必要はないんじゃないか? 別にそれが分かったところで何かが変わるわけでもないし」

「まあそれもそうか。とにかく銃が2丁あるのは有利さ。……真比留サンが持つって事でいいかい?」

 真比留は咲実さんと渚さんの方を順に見ながら言った。俺も二人に武器を持たせるのは危険だと思うので真比留が持つのは妥当だといえた。

「真比留、頼めるか?」

「撃たなくていいに越した事はないんだけどね」

 両手で持った銃を見つめる真比留は苦笑していたが、その瞳には寂しさが宿っているように思えた。真比留だって好んで戦おうなどとは思っていないのだ。



「いやあごめんねー。飴ちゃんもっとあれば良かったんだけどさ」

「そうねぇ~。あれ美味しかったのにね~」

 真比留が場の空気を盛り上げようと色々喋ってくれたが誰も気の利いた応答は出来ない。さっきのショックが後を引いているのだろう。空回りになっているにも関わらず妙な事を口走り続ける真比留の努力がなんだか虚しかった。

「――それを根に持ったのか、こないだ会った時にあったかいコーヒーを渡して来てさー。真夏だよ、真夏!」

「それは大変だったな」

 全然話を聞いていなかったので何の事だかわからないがとりあえず相槌を打っておく。

「あの、そろそろ周りを確認した方がいいんじゃないでしょうか」

 いい加減話し疲れた様子の真比留は咲実さんの提案に乗って2のPDAを取り出した。

「……ッ!」

 真比留は画面を見て目を丸くしたかと思うと急に後ろを振り向いた。そのまま進行方向へ後ずさると俺達に聞こえるよう小声で何かを言った。

「え? なんだって?」

「走れって言ったんだよ、そこに誰かいる」

 俺は真比留が見ていた場所へ視線を移した。俺達がさっき通った道に交差している場所――誰もいなかった筈だが、俺達が歩いている間にあそこに移動したというのだろうか。いずれにせよ背後に迫ろうとしていた人間だ、敵の可能性は高い。真比留はポケットに入れていた銃を取り出し応戦の準備を始めていた。俺も一応ベルトに差していた銃を手に取った。

「進行方向には誰もいない」

「二人とも走るんだ。真比留も」

俺は真比留の前に立ち三人に指示を出す。

「でもっ、御剣さんは!」

「俺なら大丈夫。真比留、二人を連れて――」

 軽快な音を立てて、何かがこちらへ転がってきた。拳大のそれは俺のいる場所より数メートル先で止まった。
 ――手榴弾!?
声を出すより先に白い煙が音を立てて噴き出した。煙幕だと理解した瞬間、破裂音のような音が聞こえてきた。

「下がれ御剣ッ! 撃たれてる! 咲実ちゃん渚さん走って!」

 いきなり後ろに引っ張られ、弱い力ではあったが俺の身体を反らせるには十分だった。左斜め下に真比留の頭が見えたと思った時、すぐ近くでさっきより明瞭な破裂音がした。真比留が銃を撃ったのだと気づくまでそう時間はかからなかった。

「おい真比留!」

 そのまま踵を返す真比留の後に俺はついていった。背後で響く銃声から逃げながら前方を走っていた二人に合流した。

「はっ……はぁっ……」

「ううっ……疲れた~!」

「頑張れ! 今止まったら殺されるぞ!」

 咲実さんと渚さんにとってこの逃走はかなり堪えるものらしく、速度が落ちてきている。一番近くにいた咲実さんを掴み、引っ張る。もう片方の手には銃を持っているため俺は渚さんを引っ張れない。

「真比留! 渚さんを……まひ……る……?」

 真比留の姿が……ない!? ……いや違う、ある。だが……。

「体育3の私に渚さん引っ張る体力があるわけないだろォがああぁあ!!!」

体力の落ちてきた二人よりさらに後ろに真比留はいた。

「ぜえ……ぜぇ……ぐぬううぅうぅッッ!!」

 根性の雄たけびをあげながら必死で着いてこようとしているがお世辞にも速いとは言えない。煙幕が晴れ、奇襲を仕掛けた人間達がこちらへ向かって来るのが目に入った。

「手塚と長沢!? あいつら組んだのか!?」

 今の状況はかなりまずい。銃を持っているとはいえ真比留は体力がかなり減っている。咲実さんと渚さんは戦力にはならない。
 俺がみんなを守らないと……!
 だが2対1では分が悪い。それにこっちは逃げながらの応戦だ、退けるのは難しいだろう。一方追いかけている手塚と長沢はまだ余裕があるようだ。このままでは追い付かれるのも時間の問題……いや、それよりも早く鉛弾の餌食となるだろう。振り返って撃てば当たるかも知れないが、そしたらすぐに返り討ちになるだろうことは理解していたのでただひたすら逃げるしかなかった。

 ――え……?

 途端、俺の足元が少し沈み込んだ。足を取られた俺は思わず転びそうになったがなんとか持ち堪える。咲実さんと繋いでいた左手が俺を冷静にさせた。

「きゃああぁぁっ!!」

 背後から渚さんの悲鳴が聞こえ、振り返るととんでもない光景が広がっていた。俺と咲実さん、真比留と渚さんを分けるように鉄柵が降りていた。更にその奥――手塚と長沢の行く手を阻むようにもうひとつの鉄柵が降りている。一瞬全員の動きが止まったが、最初に行動を開始したのは手塚だった。

「……へっ。運が悪かったと諦めるんだな!」

 逃げ場の無くなった真比留と渚さんは手塚達にとって格好の獲物だった。すると渚さんの頭上辺りにするすると梯子が降りてきた。

「渚さん登れ!」

「うっ、うん!」

 真比留のその声に反応した渚さんは急いで梯子に足をかけた。自身は銃を手塚に向け、迷わず引き金を引いている。俺もここから撃とうかと思ったが間にいる真比留に当てない自信は無い。

「御剣と咲実ちゃんも早く逃げろ!」

「でも……きゃあっ!」

 咲実さんが悲鳴をあげる。真比留に当たらなかった銃弾がどこかに当たったらしい。俺は咲実さんの前に立った。

「う……うあぁあぅぅ……」

「咲実さんそこの角へ!」

「おい小僧! お前は梯子の女を狙え!」

「俺をガキ扱いするなって言ってんだろ!」

 利害が一致したからという理由で手を組んでいたのであろう二人はかなり仲が悪いようだ。だが長沢も結局は手塚の言った通り、梯子を登り終えようとする渚さんに銃口を向けた。それに反応した真比留は手塚ではなく長沢を狙うがそれに気付いた手塚が真比留を撃つ。

「ぐ……っ!」

 身体を反らした真比留だったがその銃弾が命中したようで僅かに呻く。お返しとばかりに手塚に放った銃弾が今度は手塚の右腕に当たった。渚さんが登り終えたのを確認した真比留が梯子に足をかけたので俺も銃を撃って長沢を牽制する。

「……ちぃっ!」

手塚が舌打ちしながら再び真比留を狙おうとするが真比留はすぐに梯子を登り終えた。俺もさっき咲実さんを逃がした曲がり角へと身を隠した。

「咲実さん、怪我は大丈夫!?」

「は……はい……」

 咲実さんは泣きながら頬を擦る。幸い銃弾は頬を掠めただけのようだが普通の少女にとってはそれだけで大きな衝撃となったようだ。

「渚……さん……真比留さん……」

 独り言のように呟くその名前が俺の心にも痛いほど沁み込んだ。俺は彼女の不安を押し込めるようにそっと抱きしめた。 ……俺自身の不安もあったのだろう、咲実さんが抱き返してくれると涙が溢れてきそうになった。

「……手塚達が回り込んで来るかもしれない、逃げよう」



『二階が侵入禁止になりました』

「いつここも侵入禁止になるかわからない。早く4階へ上がった方がいいと思う。真比留達とどこで合流出来るかわからないけど」

 移動先の部屋で咲実さんがひとしきり泣き終えるのを待って、俺はそう提案した。元々4階を目指していたのだから当然の考えだ。

「そう……ですね。多分お二人は高山さんと約束した場所を目指すんじゃないでしょうか」

「なるほど。うまく高山さんと落ち合えてればいいんだけど」

 さっきまでの位置から手塚と長沢、真比留と渚さんの光点がどれなのかは大体わかった。手塚達がいた位置からここまではかなりの遠回りをしなければたどり着けない。どうやら彼らは俺達ではなく上に逃げた二人を狙う事に決めたらしく、階段へと向かっていた。鉄柵のせいで俺達が階段へ向かうのにはかなりの時間がかかりそうだ。
 4階への階段まではこれでもかというくらい慎重に周囲を調べながら進んだ。地図を確認しようとPDAを見たとき、画面に罠の項目が追加されていたからだ。

『踏み板やトリガーワイヤーで起動する罠の1つ。参加者の殺傷よりも集団の分離を目的としたもので、直接死亡する例はまれ』

 こんな罠が他にもある事を警戒して、分断されないように手を繋ぎながら進んで行った。

「あっ!」

 突然咲実さんが驚いたような声をあげた。

「御剣さん、あれです! トランシーバー!」

「そうか!」

 すっかり忘れていたがこういう事態を考慮して咲実さんと渚さんにネットワークフォンの拡張ツールを持ってもらったんだった。咲実さんのPDAにインストールし、画面を確認すると『機能』の項目が追加されていた。早速起動させると文字が点滅していたので咲実さんはそこをタッチした。

「……、駄目です、通じません」

「お互いに起動させないといけないんだろうな。向こうも使ってないと駄目か」

 ひょっとすると向こうはすぐに気が付いて通信を試みたのかも知れない。彼女らと別れてから既に3、4時間程経過しているのだからその間ずっと使っている訳にはいかないだろう。ネットワークフォンの事を忘れていたこっちの落ち度だった。
 首輪サーチでの確認も怠らず、時間は大分かかったものの無事に4階まで到着出来た。前のように階段での待ち伏せが無かったのは良かったが2のPDAのバッテリーが残り40%を切ってしまったのは痛い。約束の戦闘禁止エリアまで行くには更に時間がかかりそうだ。

「他の参加者はみんな俺達より先に上へ移動したみたいだ。5階に2人、4階に俺達を除いて5人……あれ?」

 つまりこの建物の中で9人の人間が生きている事になる。だが3階の戦闘禁止エリアで確認していた時には10人が生存していた。

「御剣さんそれって……」

「ああ。多分――俺達が移動している間に誰か死んだって事だ」

 俺が言うと咲実さんが息を呑んだ。その死亡した一人が渚さんか真比留だったのなら……。

「御剣さんは生存者を首輪の数で確認しているんですよね。じゃあもしかしたら誰かが首輪を外したんじゃないでしょうか」

 外した首輪はPDA上に表示されるのか――それは分からない。だが誰かが外したと考える方が気が楽にはなる。PDAで経過した時間を確認する。

『ゲーム開始から39時間21分経過/残り33時間39分』

 真比留達と離れてから7時間程経っている。二人の安否が心配だ。



 戦闘禁止エリアに着いたが誰の影も無かった。キッチンも調べてみたが使用された痕跡はない。ここも3つの小部屋と繋がっていた。

「みっ……御剣さん! これ!」

 二人で倉庫の木箱を漁っていると咲実さんが声をあげた。その箱の中身を見ると、俺も思わず声をあげてしまった。武器がどんどん強力になっていくのだから予測はしていたがいざ目にしてしまうとその迫力に圧倒された。

「サブマシンガンってやつだな。……やばいな、こんなのを手塚や長沢が持ってる可能性もあるって事だ」

 拳銃ならば撃たれた箇所次第では致命傷にならないだろうが、これから先の武器は文字通り一撃必殺と呼ぶに相応しい戦況になる。そして尚更、穏便に事は進まなくなるだろう。ゲーム開始から半分以上の時間が経過した現在、9人あるいは10人生き残っているのは多い方だと思っていた。

「味方は真比留、渚さん、高山さん。敵は手塚、長沢、麗佳さん。どうにかして他の参加者にも会いたいな」

「ゲームに乗っていない人がいればいいんですが」

「それだけじゃない。このままじゃ咲実さんと真比留の首輪が外せない。真比留が言ったようにこの中に誘拐犯の仲間がいるならどうにかして探さないと」

「そうですね。……御剣さん、この首輪って何か工具のようなもので外せないんでしょうか」

「力づくで外そうとして作動したら困るし、試すわけにはいかないな」

 生きている人間では試せない。だが……、……。
 不謹慎な考えを頭から振り払い、咲実さんに向き直った。

「今の内にここで休んでおこう。外に出れば危険な武器がゴロゴロしてるんだから」

「最後に睡眠をとったのは一日くらい前ですからちょうどいいと思います。それにここで待っていれば渚さん達とも合流出来るかもしれません」



 咲実さんから受け取ったAのPDAでネットワークフォンを起動し、向こうからの連絡を待つ。バッテリーの消費が不安ではあったが今までほとんど電源を入れていなかった事もあり90%程度残っていたので惜しみなく使おうという事になったのだ。咲実さんはキッチンでの調理を終え、戻って来た。

「おいしそうな料理だね。やっぱり咲実さんって料理上手いんだ」

「こういった事でしか御剣さんのお役に立てませんが」

「そんなことないよ。咲実さんがいてくれて助かってる」

 そう言うと咲実さんは少し困ったような表情を浮かべた。

「私は……守られてばかりです。武器を持って戦う事も出来ませんし、荷物だって重い物は持てません」

「でも俺は咲実さんがいてくれて助かってる。もし俺がこんな所にひとりでいたら、今みたいに落ち着いてはいられなかったと思うよ」

 誰かを殺してまで生きながらえようとは思わないが、俺はひとりである事の不安に耐える事が出来ただろうか。 ……あれからずっとひとりだったし、ぽっかり空いた心の穴を誰かで埋める気は欠片ほども無かった。だが……ここに来て彼女達と出会ってから、少しだけ……ほんの少しだけ、その穴が塞がったような気がしていた。それはやはり彼女が――咲実さんが、あいつに似ているからなのだろうか。じゃあ真比留は? 渚さんは?

「強い人なんですね、御剣さんは」

 思考に耽っていた俺を現実に戻したのは咲実さんのそんな言葉だった。

「おれは強くなんかないよ」

「そんな事ありません。――廊下を進む時、さも当たり前のように一番前に立ちました。私だったら足がすくんじゃいます」

 僅かな笑顔を浮かべながら咲実さんが言う。

「手塚さんが一階の階段を塞いでいた時、自分から話し合いに向かいました」

「麗佳さんからの奇襲を受けた時は真比留に助けられた」

「御剣さんひとりですべてが出来る訳じゃないですよ。真比留さんも渚さんも、私達を明るくしてくれました」

「真比留はすぐ調子に乗るけどな」

 その光景を思い出して二人でくすくすと笑いあった。

「真比留は銃を持ってるし、渚さんも一緒だろうから大丈夫だよ。うまくいってたらもう高山さんと合流した後かも」

「もしかしてここに来る前に高山さんと遭遇したんじゃないでしょうか。だからここに来る必要が無くなったとか」

 希望的観測に過ぎないが、そう口にすることで互いの不安が和らぐのを感じた。だが同時に別の問題がある事に気が付いた。

「となると、俺達は向こうの心配をしてる余裕なんてないな」

やはりさっき見つけたサブマシンガンを持っていくべきなのだろうかと考えていると咲実さんが真剣な眼差しを向けてきた。

「御剣さん、さっきの大きな銃は持って行った方がいいんじゃないでしょうか」

「……咲実さんは気にしないのか? 俺があんなものを持つ事を」

「御剣さんなら悪いようには使わないでしょうから」

 咲実さんが俺を信用してくれている――それがなんだが嬉しかった。
見張りを変わりながら一人2時間程の休息を取った。幸か不幸かその間に誰もここを訪れなかった。ひとつ変化があった事といえば、3階が侵入禁止になった事だった。

「いつ4階も侵入禁止になるかわからない。早く上へ登ろう。真比留達も上を目指してるんだからいつかは合流出来るさ」

「あの。思ったんですが、侵入禁止になるまでの時間はずっと同じなんじゃないでしょうか」

「どういう事?」

「1階が侵入禁止になったのは24時間経過した後、3時間後でしたから27時間経過時点でです。2階の侵入禁止は真比留さん達と別れる直前で、さっき3階の侵入禁止になるまでの間隔が同じくらいだった気がするんです。3階が侵入禁止になった時は45時間経過となっていました」

 そうなると45-27=18……それを2で割ると9だから1フロアが侵入禁止になるまで9時間という計算になる。ならば4階は54時間、5階は63時間、6階は72時間。73時間経過時点で生き残った者が勝者なのだから時間配分としてはそれっぽい。

「絶対とは言い切れないけどそれはいい目安になるな」

 今、ゲーム開始から47時間経過している。4階が侵入禁止になるまで残り7時間程度……。だが、5階には更に強い武器が揃っているのだろう。咲実さんを守る為にも早いところみんなと合流したい。



 ……首輪サーチで確認すると、この周辺には俺と咲実さんの分しか光点が存在していない。それもそうだろう、彼の首輪は壊れていたのだから――彼自身と共に。
 人間相手に壊れているというのは適切ではないが、そう表現したくなるほどに無惨なものだった。それを咲実さんに見せないようにしながら俺は隣の部屋へと移った。

「長沢君……ですよね」

「ああ」

 俺もじっくりと観察したわけではないが服装や身長から察するにそうだろうと判断した。調べに行こうかとも思ったが、今の咲実さんを一人にするわけにはいかない。ただ分かるのは、あの死体が凄まじい暴力によって傷つけられていた事だった。銃痕……ではないと思う。大型の刃物で斬られたようでもなかった。そう、あれは……ナイフなどで滅多刺しにして出来たような……そんな死体だった。

「ありがとうございます。もう大丈夫です」

 瞳に怯えの色が宿ってはいるが、俺を心配させまいと立ち直ったふりをしているのがわかった。そんな些細な気遣いがなんだか嬉しかった。

「手塚、かな」

「え?」

「長沢を――その……」

「殺した人が、ですか」

 咲実さんは俺が言い淀んだ言葉をはっきり口にした。彼女には重すぎる単語だと思っていたがそれを気にしないという意思表示なのだろう。

「……そうですね、そうかもしれません。手塚さんは最初からゲームに乗っていましたから」

 だが俺の心の中では一抹の不安が過ぎっていた。追い詰められた真比留か高山さんが長沢を殺してしまったのではないか――そんな嫌な想像をしてしまった。真比留は首輪の解除条件に殺人が含まれているし、追い詰められたら暴挙に出る可能性がある。高山さんは元々傭兵をやっていたのだから銃を向けられれば殺す事に躊躇いはないだろう。

「渚さん達が心配です。無事だといいんですが」

 そう言って咲実さんは自分のPDAを取り出し操作を始めた。ネットワークフォンが通じるかどうか試しているのだろう。

「まだ通じないみたいです」

「やっぱり早く6階に上がった方がいいな。時間と敵に追われてちゃあ咲実さんの首輪を外すどころじゃない」

「私の首輪……」

 自分の首元に輝く銀色の拘束具に触れながら、不安そうに視線を落とす。

「このままだと、死んじゃうんですよね、私」

「そんな事はさせない!」

思わず大声で叫んでしまった。

「ほら、三人寄れば文殊の知恵って言うし、みんなと合流出来ればきっといい案が浮かぶよ」

「3人じゃなくて4人……高山さんもいてくだされば5人ですよ」

「だったらもっといい考えが浮かぶって事だな」

 合流すれば、というのはあながちでたらめではない。渚さんがいるだけで場の空気が和むし、真比留は意外と知恵が回る。高山さんの戦闘能力がずば抜けているのは言うまでもない。

「……私、もしここで誰とも出会えなかったら、って想像してみたんです。そこにいる私は初対面の人に向けて容赦なく銃を撃つような、ひどい人間なんです……」

「そんな事はないよ。たとえ一人でも咲実さんは誰かを傷つけたりなんかしない」

「その言葉だけでも嬉しいです。……でも、怖いんです。もしも真比留さんと渚さんが分断されて、ひとりになってしまったらと思うと……」

「……渚さんはともかく真比留は解除条件の事もあるしな。早まらなければいいけど」

 再び長沢のいる部屋を通らなければ外へは出られない。ふと、足元に首輪が落ちているのに気が付いた。流れ弾で端が壊れてしまったのだろう。 ……確かに長沢は俺達の命を脅かす敵ではあったが、その死に心が痛まない訳ではない。こんな形であれ彼を縛る物が外れている事に少しだけ救われた思いがした。




[28780] 七話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:05

『4階が侵入禁止になりました』

「PDAは……やっぱりないか」

 廊下の真ん中でじっとしていてはいつ襲われるかわからない。俺は服が真っ赤に染まった高山さんの死体を調べるのを早めに終わらせ、一番近くにある部屋に入った。

「……」

 ベッドに腰掛けていた咲実さんは身体を震わせながらシーツの端を握り締めていた。声をかける事も出来ずただそれを眺めていると彼女の口からぽつぽつと言葉が漏れ出した。

「あ、…………おかえりなさい」

 目の周りが赤くなってはいるが幾分か落ち着きを取り戻したようだ。ここに来てから何人もの人間の死体を見てきた。そして残り約一日……たった24時間の間にまた多くの命が奪われるのだろう。それを考えるとこんな所で打ちひしがれる訳にはいかないと思ってしまう。

「私は……慣れて……しまったんでしょうか、……この状況に」

「……高山さんは傭兵だったんだ。死にかけた事も一度や二度じゃなかった筈だ。そして今回はたまたま……運が悪かっただけだ」

 思えば高山さんだって誰かを殺し今まで生きてきたんだ。彼自身にもその覚悟はあっただろう……などと薄情な考えに至ってしまう自分に嫌気がさした。たとえ過去にどんな事があったとしても、俺達が会った高山さんは変わらない。

「高山さんは助けられなかったけど、まだ真比留と渚さんが残ってる」

 こんな所で立ち往生している場合ではないのだ。

「そう……ですね。……せめて渚さんと真比留さんが無事であることを祈りましょう」

 俺達は手を繋ぎながら――分断を恐れてではなく、互いが生きていることを実感したかったのかも知れない――再び廊下へ出た。離れる前に廊下に横たわる高山さんの死体に向き直り、軽くお辞儀をした。今度は咲実さんも顔を背けることなく、じっとそちらを見つめて同じように頭を下げた。

「じゃあ俺達、行きます」



 俺は歩きながら、高山さんの状態を思い出していた。咲実さんと繋いでいない右手に持ったサブマシンガン――俺以外にもこれを持っている人間はいる。その人間が高山さんを殺したのだろう。俺もこの凶悪な武器を持ってはいるがあくまで牽制だと意識している。こんなものを他人に向けて使うなど考えたくもない。
 他に気になるのはほとんどの傷が正面につけられていた事だ。俺はこの建物内で一番強いのは傭兵として数多の戦地を潜り抜けてきた高山さんだと思っていた。だがその高山さんが正面から銃撃を受けたとなると、他にも戦闘慣れした人間がいるのかも知れない。
 もしくは……誰かを庇った?
 考えられない話ではない。俺達の周囲に誰かいないか調べる事にしか注意を払っていなかった。首輪サーチで光点が3つ集まった場所が無いか注意深く確認しておけばよかった、などと先に立たない後悔をしてしまう。もう一度首輪サーチを使おうと思い取り出すと、バッテリーの残量が残り10%を切っていた。一瞬使用を躊躇ったが、高山さんが死んだ今積極的にJOKERを探す必要はない。

「咲実さん、ちょっとそこの部屋で休もう」

 近くの部屋に入り、首輪サーチを作動させる。

「えっと、これが俺達だろ。4階はなし……侵入禁止になったから当然か。5階にはあと2人、6階には3人」

「御剣さん、これって渚さんと真比留さんじゃないでしょうか」

 光点の位置はほとんどバラバラだが、咲実さんの指さす位置には固まった二つの光点があった。6階だ。

「きっとそうだ。……でも、俺達を含めて残り7人しかいないのか」

 生存者が7人、俺が見た死体が4人、ならばまだ見つけていない死体が2人分あるのだろうか。

「誰かが首輪を外して、その後壊したという場合もあるんじゃないでしょうか」

「そうだな……そうだといいんだけど」

 咲実さんは自分のPDAを真剣な表情で操作し始めた。恐らく例のネットワークフォンを試しているのだろう。

「あっ! 御剣さん、通じてるみたいです!」

 咲実さんが声をあげて俺に画面を向けた。四角で囲まれた『接続』の文字が点滅している。なるほど、こういう風に通信を知らせてくれるのか――などと悠長に構えている暇はない。またいつ繋がるかもわからないのだ、俺はその文字に指を乗せた。

「……もしもし」

 つい電話の決まり文句が出てしまう。

「渚さん? 真比留?」

 ふと嫌な想像が頭を過ぎる。
 この向こうにいる相手が渚さんでも真比留でもなかったら?
 ……渚さんのPDAが別の人間に奪われたのだとしたら?
 だがその心配も杞憂に終わった。

『御剣……だよね。もしもしーオレオレー』

 PDA越しなので声が少しわかりにくいが、その言い方は間違いなく真比留だった。

「真比留! 無事だったか!」

『そんなあっさりスルーされると真比留サン寂しくて死んじゃうかもよ』

「それだけ馬鹿なこと言ってられるなら大丈夫そうだな。渚さんも一緒か?」

『渚さんなら今私の隣で寝てるけど?』

「良かった……無事で良かった」

『……渚さん、今ようやく寝れたんだよ。声が聞きたいなら起こそうか?』

「いいよ、また後で連絡すれば。俺達と別れた後、一体何があったんだ?」

『ちょっとここから離れるから待ってて。起こしちゃ悪いし』

 真比留が移動しているであろう間、咲実さんと目が合い互いに微笑みあった。悪い事が連続して起きた後だと、まだ再会出来たわけでもないのに嬉しさが何倍にも膨らむ気がした。

『みーつるぎー? 話しても大丈夫かい?』

「ああ」

 暫くしてまた真比留の声がPDAから聞こえた。

『咲実ちゃんは無事? 声を聞かせてくれるとありがたいんだけど』

 俺はPDAを咲実さんに渡した。

「私は無事です。御剣さんも怪我などは増えていませんよ。真比留さん達は大丈夫でしたか?」

 鉄柵が降りてきた時、真比留は銃弾を受けていた。傷が悪化していたら大変だ。

『平気さね。当たり所と渚さんの処置のお陰でもう大丈夫さ!』

 咲実さんを安心させようと思ったのか元気よく答えた。咲実さんが俺にPDAを返して来たので俺が真比留に質問する事になった。

「で? あれから何があったんだ?」

『知っての通り私達は5階に上がったんだけどさ、その後は高山さんと約束してた戦闘禁止エリアに向かったんだよ』

 やはり俺達の考えは正しかったようだ。

『そういやあの時すぐにネットワークフォン使ったけど通じなかったんだけど……使うの忘れてたろ』

「うっ……ま、まあ、今無事に連絡取れたんだからいいだろ! ……俺達も一応約束の場所には向かったんだけどその時真比留達いなかったぞ!」

『一応待ったよ? そうそう、戦闘禁止エリアに行く途中で先に高山さんに会ったのさ。そのまま一緒に行って4時間くらい……だったかな、待ったよ』

「罠を警戒して大分遅れたからな。真比留達が離れた後に着いたんだと思う」

 やはりあのタイムロスは大きかったようだ。首輪サーチを使ってもう少し真比留達の動向に気を配っておくべきだった。

『だろうね。ゆっくりだなあとは思ってたさ。戦闘禁止エリアでPDAサーチってのを見つけたからそれでそっちの動きを見てたんだけど。そういえば倉庫にあったサブマシンガンはどうした?』

「……一応俺が持ってる。使うつもりはないけど」

『他にもたくさんあったんだけどね。高山さんが持てなかった分は前と同じようにキッチンに隠しといたよ』

 恐らく俺達がそこに来るであろうと理解して武器を残しておいたのだろう。俺達の身を案じてだろうがそれはつまりあの凶器を使えという事だ。悪意がないのは分かっているが複雑な心境だった。

「今真比留はどんな武器を持ってるんだ?」

『前に拾った奴よりゴツい銃と手榴弾。高山さんが持ってたサブマシンガンは壊して換気用のダクトみたいなところに隠しといた。真比留サンは箸より重い物は持てないのさ!』
 PDA越しに相変わらずの人を馬鹿にしたような笑い声が聞こえた。だが前と比べると明らかに覇気がない。

「高山さんが死んだ時お前らと一緒だったのか?」

『……うん。……渚さんを庇うような形だったから、それからずっと渚さん元気なくて……。……私だって何もできなかったんだけどさ』

「相手は?」

『手塚。……気をつけろ、まだ5階にいるから。麗佳さんは6階、もうひとり5階にいるみたいだけど誰かは分からない』

「長沢を殺したのも手塚なのか……?」

『そこまでは分からないけど。……ただ、麗佳ちゃんは下手したら手塚以上に危険だから、説得は諦めた方がいい』

「どういうことだ?」

『麗佳ちゃんの場所に光点が4つある。彼女は自分以外のPDAを3台持ってるって事さ。……他に質問は?』

「そうだな……真比留は死体見たか?」

『うん。長沢のと、……あれは女性だったのかな、焼け焦げたやつ』

 真比留の見たという死体は俺達がまだ発見していないもののようだ。性別の判断に困るほどの焼死体――正直、想像したくもない。

『6階に向かう階段の近く。臭いがきついから場所はわかると思うけど……うん、あれは見ない方がいい』

 どうせ真比留達が調べた後なのだから情報はないだろう。咲実さんを連れてわざわざそれを確かめるのは得策とはいえない。

「でも……じゃあここには火炎放射器でもあるってのか!?」

 思わず声を荒げて真比留に怒鳴ってしまう。

『あれは警備システムの類らしい。部屋に入ったら新しくPDAに表示されたよ。10の人間かな、多分』

 10のPDAの解除条件は5個の首輪の作動。解除条件の中で首輪の作動が関わるのはこれだけだ。

『……悪いね御剣、麗佳ちゃんが行動を始めたみたいだから切るよ。続きはまた後でっ!』

 俺が二の句を告げる暇もなく、真比留はネットワークフォンを切った。電話などでも相手が切るまで切らないタイプとさっさと切るタイプがいるが真比留は後者だろう。たとえ切羽詰まっていなくても電話を切るような気がする……根拠はないが。

「でも、真比留さん達が無事で良かったです。渚さんが心配ですが……」

 真比留の話だと高山さんの死に負い目を感じているようだ。肉体的な疲労は治療で癒えるが精神的なダメージは本人次第だ。だがこんな状況ではそれを癒すのは難しい。

「今は真比留に任せるしかない。俺達は一刻も早く上に向かおう!」



 階段まであと少しというところで真比留の言っていた例の臭いが鼻をつく。それ自体もきついがそれよりもこの臭いの元を想像するだけで気分が悪くなってくる。五感のひとつが塞がっていると他の感覚が鋭くなるとよく言うがそれだったのだろうか、鼻をつまんでいた俺の耳に小さな物音が聞こえた。慌てて後ろのほうを振り向くと、鼻を押さえていた手を離し咲実さんの左腕を掴んで引き寄せた。そちらにサブマシンガンの銃口を向けながらどこか隠れられそうな場所はないかと辺りを見回す。が、その隙に何発かの銃弾がこちらに向かって放たれた。

「咲実さん、後ろに!」

 咲実さんを庇うように前に出て、銃弾が飛んできた位置に向けて威嚇射撃をする。もちろんサブマシンガンではなく腰に差していた銃でだ。
 真比留の話によればこの階にいるのは手塚とまだ会っていない人間だけだ。

「おい! 誰だ!」

 無駄だとは分かっていたが一応大声で叫んだ。角から撃っているのでこちらの位置は見えないのだろう、弾は見当違いの方向へと飛んでいく。やがて撃ち尽くしたのか、攻撃を止め角から出ていた腕を引っ込めた。その手は小さく、成人男性のものには見えない。女性か子どもだろうと推測し、俺は再び説得を試みた。

「俺達は戦うつもりはないんだ! 話し合いでどうにかならないか!?」

 交渉の余地がほとんどないAと3の持ち主が分かっている今、隠れている人物の条件が9でない限り交渉の余地はある。暫くの沈黙の後、その場所から女性の声が聞こえてきた。

「……あんたたちの解除条件は?」

 聞き覚えのない声だった。女性は声変りがないのでそれだけで年齢を判断する事は出来ない。分かるのはその声の主が手塚でも麗佳さんでもない、俺達が今まで出会わなかった人物だという事だけだ。

「俺達はQと……」

 咲実さんのPDAを勝手に教えていいものだろうかと躊躇ってしまう。

「私のPDAはAです! あなたの条件が何であっても迷惑にはなりません!」

 俺の後ろから咲実さんが叫ぶ。

「AとQが一緒に? ……嘘くさい。私にそれを証明できる?」

 俺が返事に窮していると咲実さんが俺の横に立って話しかけてきた。

「私はあの人にPDAを渡そうと思うんです」

「それはいくらなんでも危険だ! もし返って来なかったら……」

「どうせ私の条件は満たせませんから」

 俺はそれ以上何も言えなくなった。彼女の首輪を外す方法は今のところ俺を殺す以外にはない。そう――俺を殺す以外には。

「なあ、あんた! こっちは画面を見せる! 俺達は2を持ってるからJOKERの偽装の心配はない!」

「……」

 その申し出を受けるか否か迷っているのだろう、向こうは言葉を返さなかった。途端、いきなり凄まじい爆音が通路に響いた。

「きゃあああぁっ!!」

 俺達より先にいた――角に隠れていた女性の叫び声が聞こえる。火薬のにおいがした。煙幕ではないようだ。

「御剣さん!」

 咲実さんの声で我に返り、角から女性……いや、少女が飛び出してくるのが目に入った。迷っている暇はない。俺は少女の腕を掴み階段に向かって駈け出した。

「咲実さん後からついて来て! 君、走れるか!?」

「え……あ……、……うん」

 身体の側面にさっき受けた攻撃の痕があったがどうやら走れない程ではないらしい。階段では幸い待伏せは無く、攻撃もそこまでは追ってこなかった。



 早速咲実さんによって少女の治療が行われた。少女が抵抗する事はなく、黙り込んだまま大人しく治療を受けていた。

「……なんで、あたしを」

 先の言葉は出なかったが、何故助けてくれたのか、という意味だろう。

「あそこで君を見捨てても俺達にはなんの得も無いよ」

「助けたって得は無いでしょ!? あたしはあんたたちを殺すかも知れない、っ……!」

「大声を出したら傷に響きますよ! ……あの、あなたはもしかして北条かりんさんじゃないですか?」

 そうか、彼女は高山さんが言っていた北条かりんの特徴にぴったり当てはまる。どうやら正解だったようで少女は驚いた表情を向けてきた。

「高山さんって人から聞いたんだ。1階で君に会ったって」

「……死んでたねあの人」

 彼女――北条さんもあの死体を見たのだろう、それを思い出して表情を曇らせた。

「それで交渉って? AとQなんでしょ。あたしはあんたたちの役には立たないけど」

 諦めたような表情でそう言い捨てる。

「じゃあ君の条件を教えてくれないか?」

「……」

 北条さんは苦々しげな表情を浮かべ自らのPDAをこちらへ向けた。

「じゃあ俺達のどっちかが首輪を外したらそれをあげるよ。それでいいだろ?」

 クラブの4。解除条件は3つ首輪を集める事だ。これを満たすには首輪を外した人間から貰うか、……首を切断するしかない。

「北条さんは今いくつ首輪を集めたんだ?」

「……。……まだ、一個も持ってない。でも手に入れる為ならあたしは首を斬り落とすくらい……!」

「でもそれを実行していない。無理しないで。俺達には仲間がいる。協力し合えばそんなことしなくても君の首輪が外せるんだ」

 北条さんは恐らく俺より年下――真比留の事があったから断定は出来ないが――に見える。そんな少女に残酷な事をさせるわけにはいかない。

「違う! あたしは最初からやるつもりだった! 殺すつもりだった! ただ……見つけた死体に壊れてない首輪が無かっただけ!」

 そういえば俺が見つけた死体もどれも首輪が壊れていた。階が上がって殺傷力の高い武器が使われればそれも当然といえるだろう。

「それにあたしは……生存者が少ない方がいいの! だからあたしは殺す! 殺せる!」

 怒鳴りながらポケットに突っ込んでいた小型の銃を取り出し、その銃口を俺に向けた。だが俺はその瞳の奥に恐怖の色が宿っているように思えた。

「御剣さんっ!」

 銃声が部屋の中に響く。銃弾は俺の左を抜け、後ろの壁に当たったようだ。

「どうして……どうして抵抗しないの!? もしかしたら当たったかも知れないのに……死んだかも知れないのに!」

「……御剣さん、貴方って人は……」

 咲実さんは呆れたように微笑んだ。

「北条さん。御剣さんは貴方を傷つけたりはしませんよ」

「あなただってこの人を殺さなきゃ死んじゃうんでしょ!? どうしてそんなに落ち着いていられるの!?」

「御剣さんがずっと私を信じて下さったからです。もし彼がいなかったら私はとっくの昔に死んでいましたから」

 俺を殺さなければ生きて帰れないのに俺がいなければ死んでいたとはなんだかおかしな話だ。

「それだけじゃありませんよ。私達の仲間には3のPDA――3人を殺さなければいけない条件の人もいます。それでも御剣さんは信じる事が出来る人なんです」

 ここまで褒められるとなんだか照れくさくなってくる。

「君の首輪の件は心配しなくていいよ。他にもJのPDAの人が居るから彼女から貰えるよ」

 これ以上咲実さんに過剰評価されると耐えられないので感情を隠すようにそう付け足した。

「もうひとつは……麗佳さんか手塚と交渉しないといけないのか」

 さっき爆弾を投げてきたのは恐らく手塚だろう。ならば麗佳さんと交渉といきたいところだが、彼女が本当に殺人鬼となってしまったなら穏便に事を済ませるのは難しい。

「え? ……ちょっと待って。あんたたちの仲間は2人なんだよね? じゃあおかしいよ」

 北条さんが怪訝そうな表情を浮かべながらそう言った。彼女は自分のPDAの画面をこちらに見せてくれた。

「ほらここ。生存者は6人の筈でしょ。でもさっきの話だとあたしたち以外に4人残ってる事になる」

 サバイバーカウンターをインストールしたのだろう、画面には渚さんのPDAと同じように生存者の人数が表示されるようになっていた。確実に生きているのは俺達3人、それ以外の4人のうち誰かが死んでいるというのか……?

「……駄目です、連絡はつかないみたいです」

 いち早くそれを察した咲実さんはネットワークフォンが繋がるか試していたらしい。

「首輪サーチはあと一回使えるかどうか、ってとこか」

 最悪バッテリー切れになってもいいPDAだが麗佳さんか手塚と交渉するのならあったほうがいい。

「あたしのPDAに動体センサーがついてる」

 そう言って北条さんは画面を切り替えた。地図の中には丸がいくつかあり、動くものもあった。

「動くものが表示されるんだって。あたしたちは動いてないからだいぶ薄いけど、他のは色が濃いでしょ」

 恐らく先程の奇襲はこれを見て行ったのだろうと推測した。俺達以外の反応は確かに3つあった。6階にある二つは2ブロック離れた距離を保っており、それがどういう組み合わせなのかよく分からない。もうひとつは丁度階段を上っているようで、手塚だろうと思う。

「まずい、手塚の奴こっちに向かってる!」

 彼も探知ツールを持っているのだろう、まっすぐ俺達のいる部屋の方向へ歩いてくる。生存者の推測はひとまず置いて、とりあえず逃げる事を優先しよう。

「……あんたたちとの取引は乗る。もう襲わない。でも悪いけど一緒に行動するつもりはないよ」

「今一人になったら手塚に殺される! 君を一人にはしておけない!」

「だったら尚更よ。あたしは強い武器を見つけて返り討ちにしなきゃいけないんだから」

「やめて下さい北条さん! 無茶です! 手塚さんだって話し合いの余地が――」

「うるさいっ!! あたしはあんたたちとは違う……絶対に生きて帰る! あと一人殺して!」

 彼女の雰囲気は威嚇する動物のようだと思った。北条かりんという少女は恐らくここに来てからずっと孤独だったのだろう。見知らぬ場所でひとり、生きて帰る為には最悪他人の首を切断しなければならない状況、あちこちに転がる死体……冷静でいられるはずがない。ここで支え合える仲間と出会い協力し合って行動出来た俺達は幸運だった。もし俺が誰とも会わなければ……首輪の解除条件が残酷なものだったら……。Qという条件だってAと同時に条件を満たせないという意味では残酷だが、俺は不安は感じていない。
 でももし俺のPDAがAだったら?
 ……覚悟をしていたとしても、俺は変わらずにいられるのだろうか。

「どうせ今は怪我をしてるんだ。戦うのは武器を集めてからでもいいんじゃないか?」

 戦うなと言えば拒絶されるのは分かっていたのでそう言うしかなかった。



「ここまで来れば大丈夫か……?」

「……うん、あいつ、途中で進路を変えたみたい。武器を集めてるんじゃないかな」

 首輪サーチを使わない以上、手塚の位置は北条さんに確かめてもらうしかない。戦闘禁止エリアまで逃げ込んだ俺達はようやく落ち着く事が出来た。

「さっきも言ったけどあたしは……」

「御剣さん、私お茶を淹れてきますね。北条さんにも」

 北条さんの言葉を遮るようにそう言ったのは多分わざとだろう。

「あ、あたしは……」

 反論がある前に咲実さんはさっさとキッチンへ行ってしまった。思っていたより強かだ。

「そうだ北条さん、出来れば他の人の位置を見せてもらっていいかな。俺達の仲間がどこにいるのか知りたいんだ」

「え、あ、……うん。ほら。手塚とかいう人はこれだよ」

 北条さんはPDAから手を離さずにテーブルの上に乗せ、手塚を示す点を指さした。手塚と俺達以外の二つの光点はどちらも大分距離が離れている。渚さんと真比留が分断されたか、……二人の内どちらかが…………死んだか。

「もういいでしょ? あたしは武器を探しに行くから」

 PDAをポケットに戻した北条さんは振り返ることなく別のドア――倉庫へと向かった。入れ替わりに咲実さんがお茶を持って来た。

「あの……北条さんは?」

「倉庫。武器を探しに行くって。大丈夫だよ、彼女が出て行くにはどうしてもここを通らないといけないんだから」

 もし本当に突撃しようとしたら無理にでも止めるつもりだ。だが俺は北条さんがそこまで危険だとは思っていない。人を殺すと言ってはいるが話が通じない訳でもない。このままの調子を保てば暴走する事はないだろう。

「渚さんと繋がった?」

「ちょっと待ってください。……あれ?」

 咲実さんが首を傾げ俺にPDAを見せた。ネットワークフォンの画面はさっき見た時と比べ、『接続』の文字が薄い。試しにそこに指を乗せてみたがなんの反応もない。 ……どうして?

「まさか……渚さんのPDAが壊れたんじゃ……」

 バッテリー切れの可能性もあるが俺達と別れる前、彼女のPDAにはサバイバーカウンターとネットワークフォンしかインストールしていなかった。サバイバーカウンターの消費バッテリーは少ないし、ネットワークフォンも起動していなければ消費しない。あの後消費の大きいツールを使ったと考えるよりは壊れたと考える方が自然じゃないだろうか。

「もしそうだったら、……渚さんの首輪が外せないんじゃないですか?」

 咲実さんは俺を殺すまいとして条件を満たせないだけだが、PDAが壊れてしまったのだとしたら力技で外すしかない。それは彼女に大きなリスクを伴うものだ。真比留も同じような状況なのだからあいつが首輪を外す方法を見つけたならそれが適応できるのだろうか。
 残り四人のうち、ほぼ確実に生存しているのは5階にいた手塚だけだ。そして渚さんのPDAが壊れているのなら彼女が無事であるという保証はない。彼女が確実に生存していたのはネットワークフォンで連絡を取った時まで……。
 ――いやまて、あの時俺は渚さんの声を聞いてないじゃないか。
 だがずっと一緒に行動していた真比留が横で寝ていると言っていた以上、あいつが嘘をついていない限りその時は生きていた筈だ。考えられるのはその後――真比留は麗佳さんが近づいてきていると言っていた。その時に殺されたんじゃないだろうか。

「いつ亡くなったんでしょうか」

「え?」

「真比留さんが教えてくださった時からかりんちゃんのPDAを確認するまでの間のいつ、その、誰かが亡くなったのかと思いまして」

「多分、連絡を取ったすぐ後じゃないかと思うんだ。麗佳さんと真比留が戦ったのなら」

 真比留が死んだのだとしたら今渚さんを守れる人間はいない。麗佳さんならば真比留と渚さんが別行動をしている理由が分からない。やはり死んだのは渚さんじゃないだろうかと思う。だがそれを咲実さんの前で言うのは憚られた。

「北条さんが帰ってきたら聞いてみようか」

 そういえば彼女の帰りが遅い。

「咲実さん、ちょっと北条さんのところに行ってくる」

 さっき北条さんが入っていったドアを開けると、そこには別の階で見たものとほとんど変わらない倉庫になっていた。人の姿は……ない。

「北条さーん!」

 大声で呼んでみたが返事が無い。この部屋から出るには俺達のいた、カーペットの敷かれた部屋を通らなければいけない筈なんだが……。部屋の中を隅々まで探索すると、俺の身長よりも高い位置にある換気用のダクトが目に入った。入口の位置からでは棚の陰に隠れて見えなかったためそこまで気に留めてはいなかったがその真下に木箱が積んであるのを見て確信する。北条さんは武器を手に入れ、俺達に止められる前にここから出て行ったのだ。換気ダクトとは別の場所に蓋を開けられた木箱が余っていた。北条さんが探し終えた後だろうが持ちきれなかった物もあるだろうと考え近づいていった。

「……戦争でも始めるつもりなのか、ここを作った連中は」

 下階にあったサブマシンガンよりも大きな本物のマシンガン、ゴツい外観のライフル銃、手榴弾のようなものにガスマスク……。傍らに捨てられた説明書に目を通すとそれが毒ガスの類である事が分かった。

「御剣さん、北条さんは!?」

 さっき大声で呼んだので異変を察したのだろう、咲実さんが倉庫に入ってきた。俺の方へ視線を向け、足元に転がる物騒な武器を目にして表情が青ざめるのが分かった。

「多分そこの換気ダクトから出て行ったんだ。……くそっ! どうして俺はこんな事にも気付けなかったんだ!」

 彼女は自らの意思で戦地へ赴く事を選んだのだ。俺の想像が正しければ部屋の外には二人の殺人鬼――麗佳さんと手塚が徘徊しているというのに。つまりは俺達の事を信用できなかったという事か。自分の不甲斐無さに嫌気が差してくる。本当なら今すぐにでもここを飛び出して北条さんを止めに行きたい。だがそうすれば咲実さんを一人にしてしまうか、危険な場所に連れて行く事になる。あとはただここで時が来るのを待つだけだというのに。こんな時に誰か頼れる人間がいれば!

「できれば真比留が彼女を保護して……ってのは出来過ぎか」

 思った以上に真比留を頼りにしている自分に驚いた。高山さんを除けば味方の中で戦力になりそうなのが真比留しかいなかったからなのだろうか。首輪の解除条件という不安要素はあったが銃を持つことに未だ躊躇いを持つ俺と比べればずっと頼り甲斐があるのは当然だ。手塚相手に鉄パイプで向かっていった時の動きを見る限り喧嘩慣れしているんじゃなかろうか。

「でも、……。……その、御剣さん、思ったんですが……渚さんは無事なんでしょうか」

 その一言で彼女も俺と同じ結論に至っていたのだと理解する。

「俺もそれは思ってたよ。考えたくはないけどこういう状況だ。渚さんは戦いに向いていないし真比留も自分の身を守るので精一杯だったんじゃないかと思う」

「えっ? あ、そうですよね……」

 咲実さんの反応がおかしい。少し俯いて、やがて決心したかのように俺をじっと見据えた。

「私ずっと気になってることがあるんですが、聞いてくれませんか?」

「ああ。今はより多くの情報が必要なんだからそんなに遠慮しなくてもいいよ」

「ありがとうございます。ネットワークフォンを誰が持つかの話になった時なんですが、真比留さんは最初御剣さんと渚さんに持たせようと言ってましたよね」

 あの時結果としては俺の意見が通った訳だが俺もその組み合わせには少し違和感を感じた事を思い出す。

「真比留さんは条件を満たさずに首輪を外す方法を探している筈です。本当は私を連れて御剣さん達から離れたかったんじゃないかと思ったんです。偶然を装って。ネットワークフォンを――通信手段を殺人が必要ない二人に持たせようと提案したのはお二人を巻き込まないようにじゃないかと……飛躍した考えである事は分かってるんですが」

 確かに咲実さんの意見は考え過ぎではないかと思うが、同時にあり得そうだとも思った。

「……高山さんの死体を見た時、彼の首輪が壊れて転がっていたのを覚えていますか?」

「え? いや、そこまで見てなかった。長沢の首輪だったら確かに壊れてたって言えるんだけど」

 そういえば高山さんの死体にお辞儀をする前、咲実さんがその姿を鮮明に焼き付けようとしていた。あの時は死体に慣れる為だと思っていたが実際は首元を観察していたようだ。

「首輪が床に落ちていたのでつい首に目がいって……首元に傷を負ってたんです、高山さん。最初は流れ弾かと思ったんですが……今思い出せばあれはそういった傷ではなかったように思うんです」

 咲実さんの表情が曇る。首は血管が多いから出血の量も多いと聞いたことがある。思えば撃たれた傷だけなら服が染まるほどの血は出ないんじゃないだろうか。勿論実践した事などないので想像なのだが。

「この首輪にはかなり高度な技術が使われていますし、そう簡単に壊せないようになっていると思います。でも高山さんも長沢君も首輪が壊れてて、3階で見つけた少女も首輪が壊れてると真比留さんが言っていました」

 漆山さんの首輪が警備システムの作動で壊れたのは確実だが、俺達が見た死体は悉く首輪が破損していた。5階の焼死体は首輪が作動しての事だろうから確認は出来ない。

「ずっと考えていたんです。どうやって首輪を外せばいいんだろうって。同じような状況の真比留さんはどうするつもりなんだろうって。……もしかしたら、どうにか首を傷つけずに外そうと試してみたんじゃないでしょうか……」

 最後の方は小さな声だった。想像はしたがそうであって欲しくない、そんな感情が読み取れた。

 他者を殺めなければ生き残れない真比留は死体を見つけ、その首輪に目がいく。
 どうせ死んでいるのだから。
 そう自分に言い聞かせ、真比留は、自分と咲実さんの首輪を外す練習としてそれを壊そうと試みる。
 だがやはり首を傷つけずに外す事は出来ない。
 首から流れ落ちる赤い液体が死体を更に赤く染めていく。
 直接殺した訳ではなくともその光景に徐々に慣れてしまえば――。

 俺を現実に引き戻したのはPDAの電子音だった。画面には5階が侵入禁止になったと表示されている。これで生きている人間達に逃げ場はない。

「もうひとつ、私は御剣さんにお聞きしたい事があります」

 それはさっきの弱々しい声ではなくはっきりとしたものだった。咲実さんの瞳が俺を見据え、何故だか思わず目を背けたくなった。

「私はこのままだと10時間後に死んでしまいます。御剣さんはその方法を探すと言っていましたが今はとても落ち着いていますね」

 詰問するような口調に逃げ出したくなる。俺は分かっているのだ。これから彼女が何を言おうとしているのかを。

「貴方は…………私に貴方を殺させるつもりなんですか?」





[28780] 八話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:05
 AとQのPDAは共存出来ない。
しかしそのふたつには大きな違いがある。Qはただ最後まで生き残るだけで誰かを傷つける必要はない。だが……Aは"殺人"という一線を越えなければならない。
 もし俺のPDAがAで咲実さんがQだったならどんなに良かっただろうか。

「貴方が私に安らかな死を与える為に一緒に行動しているのだと考えた時もありました。でも、私には今の御剣さんがそんな事を考えているとは思えないんです」

「……どうして?」

「女の勘、です」

 なんと頼りないものに縋っているのだろうと思うがそれが正解なのだから笑い飛ばせない。昔優希が教えてくれたが、「女の推量は男の確信よりもずっと確かである」という格言があるらしい。その時は馬鹿馬鹿しいと軽くあしらったがその後、女の推量――いわゆる女の勘というやつの恐ろしさを身をもって体験する事となったんだっけ。

「俺は……」

 反論したいのに言葉が出ない。言い訳が喉につっかえて声にならない。永遠とも思える静寂を破ったのは咲実さんだった。

「私、真比留さんを探してきます」

「だ、駄目だ! 部屋の外には麗佳さんや手塚がいるんだぞ!? 自殺行為だ!」

「今ここでじっとしていても私は死ぬだけですから」

「……分かった。でも俺も一緒に行くよ。あと、これを」

 俺は咲実さんに最初に拾った銃を差し出した。彼女はそれを見て僅かに体を震わせた。

「もし俺に何かあったら、その時に使ってくれ」

「御剣さん!」

「俺だって苦しんで死にたくはないんだ。だからこれは俺の為なんだよ」

 我ながら言い訳がましいと思う。だが俺には咲実さんを見捨てるという選択肢はない。死なないように、致命傷を。ただ生き残るよりよっぽど難しいだろう。

「……どうしてあなたはそんなに生き急いでいるんですか? このまま待っていればあなたの首輪は外れるのに」

「ただ生き残ればいいんじゃないと思うんだ、俺。もし咲実さんを見捨てて帰って……そんな事すれば俺はあいつに怒られる」

 咲実さんはその一言で察したらしい。2階の戦闘禁止エリアでの休憩中、俺に「大切な幼馴染」がいるという事は話した。もしかしたら恋人だったというところまでばれているかも知れないが、一番重要な部分は伏せている。

「でもその人だって御剣さんに生きて帰ってきて欲しいと願っている筈です。私にはそんな人はいないんです。だから御剣さん、あなたが帰った方が――」

「ストップ。分かったよ。俺はもう咲実さんに俺を殺させようなんて考えない。だからこの話はここで終わり。きりがないだろ?」

 そう……これ以上は無用な言い争いだ。今は他にするべきことがある。

「早く真比留と合流して――どうにか円満に解決出来る方法を探そう」

 我ながら白々しい言葉だと思った。



 もはや残り時間も少ない。俺達は恐らく最後となるであろう首輪サーチを作動させた。表示された光点は俺、咲実さん、他には……2つ。咲実さんはそれをじっと凝視して位置を覚えようとしている。間もなく画面がブラックアウトして動かなくなった。

「残り4人、なんですね」

「そうとも限らないよ。誰か首輪を外した人間がいるのかも知れない」

 その可能性が限りなく低い事はなんとなく理解している。条件から考えれば北条さんはあり得ないし、真比留がこの短期間で3人を殺したとも考えにくい。もし焼死体の人物が真比留の推測通り10のPDAを持つ人間によって殺されたのなら犯人は麗佳さんである可能性が高い。あの段階では手塚は5階にいた。6階で待ち伏せする方がやりやすいのだからあれが手塚とは思えない。

「手塚のPDAについてはほとんど手掛かりが無いな」

 俺は前にルーズリーフに書いたリストを取り出した。確実なのは俺がQ、咲実さんがA、真比留が3、渚さんがJ、高山さんが8、北条さんが4、漆山さんが2。俺は今までずっと2を持っていたので偽装機能によるジョーカーの混入は無い。仮説として挙げられるのは麗佳さんの10くらいだ。新たに加わった情報をルーズリーフに書き込みながら考える。

「積極的に攻撃してきたという事は5と7は無さそうなんですが」

「真比留の言う金銭目的を考慮に入れないといけないのは分かってるけど、でも俺はやっぱり解除条件の為に襲って来たんだと思うよ」

 残った条件は6、9、K。

「長沢君と共闘してましたから、6とKのどちらかだと思います。9だったらジョーカーを使わない限り手は組めないでしょうから」

「そうか! 咲実さん冴えてるな。もし6だったら2のPDAが交渉材料になったんだろうけど」

 電池を入れる蓋も見当たらないので他のPDAのバッテリーを使うという訳にはいかないようだ。

「終わった事を言っても仕方ありませんよ。それにこのPDAが無ければ私達はとっくの昔に死んでいたのかも知れません」

 2のPDAをバッグに入れ、俺達は再び戦場へと赴いた。



 他のプレイヤーの居場所を確認する術が無いというのはかなり心細い。真比留がPDAツールを持っていると言っていたから早く合流したい。

「これは……」

 一目見てここで激しい戦闘があったことが分かった。壁の一部が大きく破損しており、所々に銃痕や薬莢がある。さっき倉庫で見つけたような凶悪な武器が使われたのだろう。そんなに多くは無いが血の跡もみられた。

「真比留さんも手榴弾を持っているって言ってましたね」

「確かに。もしかしたらここで使ったのかもな」

 ふと、灰色の床の端で異彩を放つ物を見つけた。

「それって確か真比留さんが首から下げていたお守りですよね」

「ああ。魔除けのお守りとかなんとか」

 俺はそれを拾い上げた。布製のお守りは戦火の中にあって一部が焼け焦げていた。お守りを開けたら効果が無くなると聞いた事があるが、残念ながらこのお守りも中の紙がむき出しになっている。別に信心深いという訳ではないけれど俺は今までお守りの中を見たことが無い。どうせ効果は無いのだろうし、興味本位でその紙を開いてみた。

「いいんですか? そういうのって見ちゃいけないんじゃ……御剣さん?」

「……なんだこれ?」

 てっきりおみくじのようなものが入っていると思っていた。だがそこにあったのはよく分からない言葉の数々だった。霊験あらたかな文字という訳ではない。アルファベットと数字が組み合わされた暗号のようなものだ。あの真比留が持っていたのだから普通のお守りじゃないのも分かるが、これは一体何なのだろう。俺が唯一理解出来たのは紙の端に書かれた名前だった。

「イロジョウ……珍しい苗字だな。下の名前はキョウヘイで間違いないだろうけど」

「何が書いてあったんですか?」

「よく分からない文字と名前が書いてあった。まあ真比留の所有物にあれこれ言うつもりはないよ」

 赤い――真比留は日本の伝統色だと言っていたが名前を忘れた――お守りの中を改めて見ると、他にも機械のチップが入っていた。

「今の状況で役立つ物じゃないし、まあ、真比留に会ったら返しておくか」

 紙とチップを再びお守り袋に入れ、それをポケットに入れる。俺にとっては意味のないものでも真比留にとっては何か重要な物なのかも知れない。

「でもこれで確実に言えることがある。やっぱり真比留はここに居合わせたんだ」

 ここにある血が真比留のものではない事を願うばかりだ。

「あの、あっちから何か聞こえませんか?」

 咲実さんのその言葉に俺も耳を澄ませてみる。かなり小さな音だが、確かに聞こえた。恐らくここから結構離れているのだろう、音の正体までは分からない。だが俺はそれが武器を使う殺し合いの音ではないかと思った。

「行ってみよう。これ以上無用な殺し合いが起こって欲しくない」

「……はい」

 俺達は小走りで音がしたであろう方向へと向かった。音は段々と大きくなり、それがやはり武器による音なのだと確信する。

「咲実さんはそこの部屋に隠れて! 何があっても出たら駄目だ!」

「……っ! わ、分かりました」

 何か言いたそうな表情ではあったが今言い争っている場合ではないと理解したのだろう、咲実さんは近くの部屋に入っていった。俺は改めてサブマシンガンを構え直し、ゆっくりと現場へ歩を進める。



 体育館くらいの広さの部屋で戦っていたのは――北条さんだった。そこに入る為のドアの隙間から中を窺い、俺は現状を把握しようと努めた。だが隙間からはかろうじて北条さんが見えるくらいで、彼女が誰と向き合っているのかはわからなかった。

「ぐっ……がはっ!」

 満身創痍の北条さんは膝をつき、口から大量の血を吐きだした。本当ならば今すぐにでも飛び出して彼女を守りたい。だがもし俺がここであっさり殺されてしまっては咲実さんが……!
 俺のそんな迷いを嘲笑うかのように、連続した破裂音が部屋の中に響き渡った。ここに来てからいくつもの死体を見てきたが、最初の漆山さん以外は俺の与り知らぬところで息絶えていった。今思えばそれはかなり運が良かったのだろう。目の前で誰かが死んでいくところを見るというのは、それほどに衝撃が大きいのだと思い知らされた。
 静寂に包まれた部屋の中で、コツコツという足音がやけに鮮明に響いた。北条さんに近づいたその人影は――麗佳さんだ。屈みこみ、北条さんのPDAを探し当てた麗佳さんはそのPDAからコネクタを引き出し、それを北条さんの首輪と繋ぐ。麗佳さんの表情は冷酷な殺人鬼のものではない。とても楽しそうな、狂ったような、そんな笑顔を浮かべている。

『貴方は首輪の解除条件を満たす事が出来ませんでした』

 麗佳さんは急いでその場から離れ、ドアが閉まる音がした。俺がいる方に来なくて良かった……と、直後、凄まじい轟音が部屋の中に響いた。
 ――見る必要は無い。
 心ではそう分かっていても再び隙間から覗こうとする自分がいる。

「う……」

 すぐに視線を戻す。一時とはいえ俺達と一緒にいた少女は、もはや、ただの肉の塊と成り果てていた。俺は、間違っていなかった、筈だ。あそこで感情に任せて出て行ったところで俺が蜂の巣になり、その後北条さんも同じ末路を辿るだけだった。そしてその後、無防備な咲実さんが次の犠牲となる。これは仕方なかった事なんだ。だから……俺は、間違っていない。ひとりの人間に出来る事など限られているのだから。



「北条さんが……殺された」

 俺は俯きながら咲実さんにそう伝えた。

「やっぱり麗佳さんのPDAは10で間違いない」

「じゃあ麗佳さんが、北条さんを……」

 俺は黙って頷く。もはや首輪の数を確認する手段は無いが、普通に考えれば残っているのは俺達と麗佳さんだけという事になる。

「じゃ、じゃあ、真比留さんはっ……!」

「ひょっとすると、何か首輪を外す方法を見つけたって可能性もある。そんなに悲観しちゃいけない」

 自分でも白々しいと思うが、そう言わずにはいられない。俺がここに来て一番最初に出会ったのが真倉真比留だった。いきなり宇宙人の仕業だなどと言いだした時には頭がおかしいのかと思ったが、それもあいつなりの励ましだったのだろう。あいつが度々冗談を交えて話すお陰で必要以上の緊張に悩まされる事は無かったといっても過言ではない。本人も言っていたように体力は無かったが、その分前に出て俺達を守ろうとしていたように思う。そう、俺なんかよりずっと、咲実さん達を守っていた。俺は内心それに甘えていたのかも知れない。もし俺に何かあっても……その後咲実さんや渚さんを守ってくれる人間がいるという安心があったからこそ、俺は、"自分の役目"を果たすことに迷いが無かった。だがもはやそんな事は言っていられない。俺が死んでしまえば咲実さんは麗佳さんに殺されるかもしれないのだから。

 鞄の中からお守りを取り出し、誓いの意味も込めてそれを握り締める。
 ――俺は絶対に咲実さんを守り抜いてみせるから。

「せめて、真比留さんと渚さんを見つけてあげられればいいんですが」

「……悪いけどそれを認めるわけにはいかない。もし麗佳さんに見つかれば躊躇なく攻撃されるだろうから」

 訊ねる段階から半ば諦めていたのだろう、咲実さんはさしたる反論も無く俯くだけだった。

「どうして私達は、こんなことをしているのでしょうか。なんで……なんでこんな、傷つけあって、……私が一体何をしたっていうんですか」

 独り言だと分かっているがその疑問は俺も持っていた。誰が、どうして、何のためにこんなゲームを催したのだろう。真比留が言っていた"宇宙人の研究"という言葉を思い出す。宇宙人というのはないだろうが、これが何らかの研究である可能性はないだろうか。あの時真比留はなんて言っていたっけ。 ……『人間の本性が現れる』、確かそんな事を言っていた。

 さっきの麗佳さんの表情は最初に彼女に抱いた冷静なイメージとは程遠いものだった。北条さんだってもし出会っていたのがこんな状況じゃなければあんなに追い詰められることもなかっただろう。俺達を殺そうとした手塚や長沢だって出会うところが違っていれば理解し合うことが出来たのかも知れない。

 ――恐怖。
 皆、恐れているだけなんだ。
 誰も悪くない。

「咲実さん、ありがとう」

「え……? なんでしょう、いきなり」

「もし俺がひとりだったら、俺もきっと、恐怖に囚われていた。未練を抱いたまま死んでいくしかなかった」

「……今は未練なく死んでいけるとおもっているんですか?」

「じゃあ咲実さんはどうしたいんだ!? 死にたくないんだろう!? じゃあ俺を殺すしかないだろ!」

 半ばやけになって俺は怒鳴った。俺が咲実さんを守るだけでいいなら楽だが状況はそう甘くない。

「……ごめん、怒鳴りつけて」

「いいえ。私が悪いんです。……私は御剣さんに死んでほしくありません。あなたが私の死を望まないのと同じように。でもだからといって何もすることが出来なかったんですから。……御剣さん、こんな私と一緒にいてくれてありがとうございます」

「そんな! 咲実さんが謝るような事じゃないよ」

「……もしこんな、誰かを傷つけなければ死んでしまうような状況じゃなければ、みんなで仲良くする事は出来たんでしょうか」

 ここにあつめられた13人はみんな被害者なのかも知れない。まるでコロッセウムのようだ。違うのは戦う相手が獣ではなく、人間であるという事。そして観客がいない事。いや、誘拐犯達がこれを見ているのだとしたら、彼らが観客といえるだろう。

 このままだと俺が生き残り、咲実さんが死んでしまう。だが俺にはどうする事も出来ない。
俺は一体、何がしたいんだ……。こうしている間にも最期の時は迫ってくる。

「なんで……俺は……」

 いきなり咲実さんがある方向へ顔を向けた。

「誰かいるんですか!?」

 その声に俺もそちらへ注意を向けた。

「……なかなかに耳聡いね、咲実ちゃんってさ」

「ま、真比留!?」

 換気用ダクトからひょっこりと顔を出したのは真比留だった。

「どうしてお前、生きて……!」

「ちょっとー。勝手に真比留サンを殺さないでくれよー。まあ仕方ないだろうけどさ」

 真比留はダクトの中で頬杖をつきながら笑う。俺が入ったら狭すぎて移動が精一杯だろうが小柄な真比留にはあまり問題ないようだ。

「エアーダクトの見取り図が表示されるツールがあってそれを使ったんだけど、いやー便利だね、ここ。探知系ツールに反応しないみたいだよ」

「なるほど、せっかく隠れた移動通路なのに探知ツールで見つかって撃たれたら世話ないもんな」

「その代わり移動する時に結構音がするみたいだけどね」

「……真比留さん、その事をどうやって知ったんですか? ひとりじゃそんな事分からないんじゃ……」

「これを手に入れたのは渚さんが生きてる内だったからいろいろ試してたのさ」

 その言葉に一瞬息が詰まる。やはり渚さんは死んだのだ。死体こそ見ていないが、改めてその事を突きつけられた気分だった。

「麗佳ちゃんが厄介だけど、御剣達はエアーダクトの移動に慣れてないよね。仕方ない、下から行くか」

 真比留はそう言って、換気ダクトから飛び降りた。

「ま、まひるさっ、そ、それ……」

 咲実さんの声は震えている。それも当然だ、真比留の薄緑色のツナギは一部が暗褐色に染まっていたのだから。

「ああこれ? 大丈夫さ、ほとんど返り血だから」

 安心させようとしたのか、真比留は屈託のない笑みを返したが、それがかえって恐怖に拍車をかけたようだ。咲実さんは俺の手を強く握ってきた。俺は改めて真比留を見る。俺達と別れた時との変化は返り血の他にもあった。
その首元にあるべきものが……無い。

「お前まさか……」

 真比留は穏やかな表情のままポケットに入れていた銃を取り出した。その行動に俺は警戒するが、真比留は気にした様子もなく出口へと向かっていった。

「さ、行こうか。急がないとあと6時間で咲実ちゃん死んじゃうよ」

「行くってどこにだよ……!」

 真比留はこちらへ振り返ると、にっこりと笑って答えた。

「この建物の警備システムを止めに、中央制御室へさ」





[28780] 九話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:05
 真倉真比留は俺達の味方……の筈だ。だが俺は信頼していた真比留に対して警戒心を露わにしている。疑っている。先導して歩くツナギの人物は本当に俺の知っている真倉真比留なのだろうか。

「麗佳ちゃんはこの辺りにはいないみたいだね。大丈夫、もうすぐ着くから。あんまし時間無いから早歩きでね」

 PDAを確認しながら真比留は俺達をどこかへ導く。確か中央制御室とか言っていたが……。真比留はそこに行って首輪を外したのだろうか。

「中央制御室とかいうところに行けば咲実さんの首輪が外せるのか?」

 幅の広い廊下なので3人が横に並んでもかなりの余裕がある。俺が中央で真比留がその右、咲実さんが左。いつでも咲実さんを守れるように……というこの並び方さえ俺の疑心を形にしているようで自己嫌悪を感じる。

「このゲームのネックは首輪が直接参加者を殺すわけじゃないって事さね。殺すのは警備システムなんだから、それを停止させれば全域侵入禁止になっても何ら問題は無い! とまあそういう訳さ」

「なるほど、確かに首輪が爆発とかするんじゃないもんな。でもどうして真比留が中央制御室の場所を知ってるんだ?」

「……重要なのは過程じゃなくて結果だと思わないかい?」

 つまり真比留はその理由を話したくないということか。

「いやまあ私もさ、過程ってのは結構大事だと思うよ。特にここに来てからは」

 真比留は歩みを止めずに言葉を漏らす。

「御剣、咲実ちゃん、君たちはこのゲームがなんの為に行われているんだと思う?」

「……真比留が最初に言ってたろ、何かの実験なんじゃないかって。俺はその意見が正しいんじゃないかと思うんだ。犯人は宇宙人じゃないだろうけど」

「実験、ですか。私には考えも及びませんでした」

 これだけの準備をするには相当な金と時間が掛かる。個人で出来る事じゃないだろう。

「残念、はずれー」

「お前は知ってるのか……このゲームの目的を」

「そりゃあ知ってなきゃあ困るさ」

 知らなければ、困る?
 その言葉の意味を理解しようとするがどうも頭がうまく働かない。だが察するに、真比留は何か重要な事を知っている。

「もしこれが実験とかなら首輪爆発でも良かったと思うよ。でもわざわざ警備システムに殺させ、その前に15秒の猶予を与えている。どうしてだと思う?」

 真比留は俺達の返答を待っているようだがそんなの分かるはずもない。何も返さずにいると真比留は再び話し始めた。

「あと15秒で自分は死ぬ、そうなったら人間冷静じゃいられない。……えげつない事この上ないだろう? そういうのを見て楽しむ人間がいるって事さ」

「楽しむ? この狂ったゲームをか!?」

「昔読んだ本ではゼロサムゲームって言われてたっけ、こういうの。この場合だと勝者はひとりとは限らないから正しい表現かはわからないけど。まあとにかく、もしこれが映画とかの設定だったら面白いとは思わないかい?」

 確かに一時期そういうものが流行っていた気がする。優希が嫌っていたので積極的に見た訳ではないが、そういったデスゲーム物が流行っていたという事はそれだけ需要があるのだろう。

「私はそういうのは苦手です」

咲実さんがぽつりと呟いた。

「まあこういうのって人を選ぶからねー。……そういうのってどうしてもフィクションだから展開が読めたりとかがあるだろう? そこで悪趣味な金持ち連中が作ったのがこのゲーム。本物の人間を使った最高で最低の見世物」

「み、見世物だってのか!? あれか! ローマの剣闘士みたいな!」

「そうそう、その例えはなかなかに的を射てると思うよ。違いがあるとすれば観客かな。コロッセウムは民衆の娯楽だったけどこっちはやんごとなき方々のお遊びだからねー」

 お遊び。それだけのために多くの罪無き人間の命が奪われたっていうのか! 金持ちは須く性格が悪いというのはドラマなどではよくある話だがまさか現実にこんなことがまかり通るなんて!

「……真比留さん、貴方は一体何者なんですか? どうしてそこまで知っているんですか?」

 怒りに震え言葉が出ない俺に代わって咲実さんが一番の疑問を口にしてくれた。俺は横目で真比留を見下ろす。その表情は普段のものと変わらないように思える。

「でも普通の人間をこんな場所にぶち込んだだけじゃあなかなか上手く殺し合いにはならない。だからそれを調整する"ゲームマスター"ってのが用意されてる。ほら、テーブルトークRPGにあるでしょ? そういうの」

 RPG――ロールプレイングゲームなら知っているが、テーブルトークRPGというのは聞いたことが無かった。

「真比留さんが、それだっていうんですか……? でもあなたは私達とずっと一緒に行動していました! そんな事している暇なんて……」

「"ゲームマスター"は二人いた。管理を担当するメインマスターと、メインマスターに何かあった時にサポートするサブマスター。そしてサブマスターは基本的に手持無沙汰だから別の仕事が割り与えられる。参加者の中から人気の高い人間を撮影するっていう仕事がね」

 話を要約するとメインマスターは単独行動が主になり、サブマスターは他の参加者と行動を共にする。

「つまり……お前が、その、サブマスター……俺達を撮影する役目だったって訳か」

 真比留は答えなかったが、その沈黙が肯定の意思を示しているのだろう。それが意味する事は真比留が誘拐犯の仲間……渚さんや、他の参加者たちを殺した連中の仲間だという事だ。最初から、すべて、仕組まれていた事だったっていうのか?

「どうして、……どうして真比留さんがそんな事に加担していたんですか!? 私達を励ましてくれた真比留さんは嘘だったんですか!?」

 咲実さんが立ち止まり、悲鳴に近い叫び声を上げた。一体どこまでが演技でどこまでが本当の真倉真比留だったのだろうか。当の本人も同じように歩みを止めて俺達の方を見た。外見だけなら俺より年下に見え、最初に出会った時と変わらないその顔。俺は今までどうしても聞きたくなかったことを訊ねる覚悟をした。

「……中央制御室に行ったところで首輪が外れる訳じゃないんだよな。じゃあお前は殺したのか」

「うん」

 躊躇うことなく答える真比留の表情に変化はない。だが真比留は間違いなく人を――3人の人間を殺したのだ。俺は思わず咲実さんを庇うようにして真比留に向き直った。

「お前は何がしたいんだよ……。殺さなきゃならなかったことは分かってる! でも……それでも……」

 恐怖よりも、怒りよりも、別の感情が俺の胸を締め付ける。何故俺は……こんなにも悲しいんだろう。

「じゃあ聞くけど御剣はどうするつもりだったのさ? このままだったら咲実ちゃん、死んじゃうんだよ? それとも何かい? 咲実ちゃんに無理矢理銃を握らせて御剣自身を殺させるつもりだったのかい?」

「……ああ。俺はそのつもりだった」

 既に咲実さんに看破された事だ。今更否定するつもりもない。

「それならわざわざ中央制御室まで行く必要はないか。咲実ちゃん、銃は持ってる? 無いなら貸すけど」

 真比留は右手に持った銃を咲実さんに差し出した。だが咲実さんはそれを受け取らない。彼女は既に銃を持っているがそれが理由で無い事は明らかだった。代わりに厳しい視線を真比留にぶつける。

「私に御剣さんを殺せというんですか? お断りします」

「何? 中央制御室が見てみたいの?」

「……もしあなたが本気でそう考えたのなら、私はあなたの正気を疑います」

「いやまあ冗談だけどさ」

 真比留は誤魔化すように肩を竦め、いつもの不敵な笑い顔を浮かべた。

「言っとくけど警備システムを止めたら麗佳ちゃんを野放しにしておく事になるんだよ? いいの?」

「そうなれば麗佳さんにもう戦う理由は無くなる。出来る事ならどうにかしてこの作戦を伝えたい。気付いてると思うけど、麗佳さんのPDAは十中八九、10だ」

「だろうね。ついでに言うと現段階で作動した首輪は4個か5個、下手したら条件満たしてるんだよ、彼女」

「どうしてそれが分かる?」

「まず一つ目は漆山さん。二つ目が麗佳ちゃんが返り血を浴びた相手。これに限っては首輪を作動させたのか、間違って壊れてしまったのか分からない。今も行動を続けてるんだから壊れたと考えるのが妥当かね。三つ目が焼死体になった、多分女性。四つ目が手塚、五つ目が知らない女の子」

 最後の女の子というのは北条さんの事だろう。だが俺には聞き捨てならない一言があった。

「ちょっと待て! 手塚も麗佳さんに殺されたのか!?」

 残りの生存者数から考えれば当然なのだが、あの手塚が死んだというのはいまいち実感が沸かなかった。

「あー、いや。手塚を殺したのは私さ。正確には警備システムが、だけど」

 真比留が殺した内のひとりは手塚のようだ。

「よく倒せたな、手塚を」

 身体能力で確実に劣っている真比留が手塚を仕留めたという事には素直に驚嘆した。一体どうやったんだろうか。

「麗佳ちゃんとの三つ巴だったからこそ殺せたんだけどね。まあ相当厄介だったよ」

 人殺しの話をする真比留にやるせない気持ちを覚えるが、それを誇る気配がないだけまだマシだと自分に言い聞かせた。

「なあ真比留、お前は……」

「そっちばっかり質問するのはフェアじゃないと思わない? 私も聞きたい事があるんだけど」

 俺達が言葉を継ぐ前に真比留がそう言ってきた。とはいえ俺達が真比留に教えてやれる情報などほとんどないのだが。

「……真比留さんの質問が終わったら、私達に全てを話して下さい。あなたが何を考え、何をしたのか」

 決して大きな声ではなかったが力強く、有無を言わせぬ声だった。俺は咲実さんの芯の強さに少し驚きながら同じく真比留を見据える。

「いいよ。どうせ隠す事なんてないんだし。じゃあこっちの質問」

 少し間を置いて、真比留は話を続けた。

「君たちはどう思う? 君たちを欺き続け、今まで幾度も同じように他人を死地に追いやってきた人間を。自分を慰める為に大切だった人を汚し続けた人間を」

 最後の方はよく分からないが、それがサブマスターを――真比留自身を表しているのだとすぐに理解した。俺達が真比留の事をどう思っているか。それが真比留の俺達に対する質問だったのだ。
 俺は咲実さんのほうをちらりと見た。咲実さんも同じだったようで俺達の視線が絡む。互いが互いに微笑むのはほぼ同時だった。そして真比留に向き直り、俺は答えを返した。

「……それでも、俺達にとっての真倉真比留は変わらない。俺達の知ってる真比留は、口を開けばすぐに冗談、でも大切な時には前に立って他人を守れるようなそんな人間だ」

 俺は再び咲実さんに顔を向け、互いの視線が合うと、また微笑みあった。咲実さんも同じ気持ちと思って間違いはないようだった。

「過去がどうであったとしても、私達はあなたを許します。あなたが良い人だって知っていますから」

「御剣……咲実ちゃん……」

 真比留はその返答を聞いて一瞬呆け、俯いたかと思うと、笑い声を漏らし体を震わせた。

「くくっ……はは……あははっ!」

 再び顔をあげた時、真比留は満面の笑みを浮かべていた。

「やっぱりそうなんだね。君たちは」

 真比留は優しげな笑顔のまま、右手に持っていた拳銃を俺に突きつけた。俺はそれに臆することなく立ちはだかる。真比留が引き金を引くことが無い、と信じているからだ。

「やっぱり……御剣や咲実さんとは友達になれそうにないや」

 銃声が通路にこだまする。そして……俺の左肩から、生温い液体が滴り落ちるのが分かった。

「御剣さんっ!」

 咲実さんが慌てて俺の前に立ち両手を広げた。頭に血が行っていないのだろうか。俺は今しがた起きた事が理解できず、呆然と立ち尽くす他なかった。

「大丈夫だって。そんくらいじゃ死なないさ。多分」

 真比留は右腕を下ろす。その表情は変わらない。

「なんで、どうしてっ!?」

 咲実さんの悲痛な叫びがまるで映画の一場面のように感じる。その背中は小刻みに震えていた。

「理由かー。強いて挙げるなら実感させる為かな。君たちの目の前にいるのが殺人鬼だってことを」

 俺は確信する。振る舞いこそ最初となんら変わりはないが、真倉真比留は、狂気に囚われているのだと。それを認めた瞬間、いきなり左肩の痛みが襲ってきた。

「いっ、う、ぐうっ」

 呻き声に咲実さんが振り返り、慌てた様子で肩の傷を確認した。その表情に耐えられず、俺は厳しい視線を真比留へぶつけた。

「あ、そうだ。約束してたね。私が何をしたのか話すって。あんまりこういうの好きじゃないけどまあ、仕方無いか」

「……ひとつ確認しておく。お前は……真倉真比留、なんだよな……?」

 こんな質問に意味などない事は分かっていた。こいつが真比留にそっくりな別人とか――例えば双子だとか、そうならばいいと空想する。
 馬鹿か御剣総一。そんな都合のいい事があるわけはない。現実を見ろ。身体を走る痛みが俺を叱咤しているような気がした。

「そりゃあ正真正銘、真倉真比留サンですよー。まあ私が直接誰かを殺すとこを見た訳じゃないからいきなり現実を受け入れろってのも難しいのかね」

 苦笑しながら銃を持った手を顎に当て、考えるような仕草をする。だがその行動のすべてがわざとらしく感じた。

「まずは長沢だね。不意打ちは厄介だったけど追い詰めたら弱かったよ。ただ渚さんが怪我しちゃって、それで勢いづいたのはあったか。かなり無駄に刺しちゃったよ」

「首輪は、あなたが壊したんですか」

 咲実さんが悲しげな声で訊ねる。信頼していた人間に裏切られた、という事実は思った以上に彼女の心にダメージを与えているようだ。かくいう俺もそのダメージをまざまざと実感しているのだが。

「まあね。今思えば軽率だったよ。下手な事しなければもう麗佳さんが侵入禁止エリアに行ってたかも知れないのに。それに肝心の首輪もうまく壊せなかった。頸動脈切れると返り血が凄いね、これほとんど長沢の血だよ」

 赤く染まった自分のツナギを引っ張る。

「で、次は高山さん」

「高山さんもお前が殺したのか!? でもあの人がお前に後れを取るなんて……」

 確か真比留は手塚が殺したと言っていた筈だ。

「致命傷を負わせたのは、前に言ったように手塚。私は頼まれて介錯をしただけさ」

 そう語る真比留はすこしだけ声のトーンが落ちた。彼の望みとはいえ高山さんを殺めてしまった事は真比留にとっても不本意だったようだ。殺人鬼となってしまった真比留に人の死を悼む心が残っていた事に俺は少しだけ安堵した。長沢や手塚を殺したのは正当防衛。高山さんを殺したのは彼を苦痛から解放する為。俺を容赦なく撃ち抜いた真比留だが、自分が殺人鬼である事を自嘲しているのかも知れない。

「3人目は渚さん。私の事を疑わずに無防備な背後を晒してくれたから楽だったよ」

 ……いまこいつはなんて言った?
 真比留が、渚さんを、……殺した……?

「手塚は、まあ向こうから仕掛けて来たんだから仕方ない……って言い方はいくらなんでも悪いかねー。途中から麗佳ちゃんが割り込んできたお陰でどうにか――」

「お前が渚さんを殺しただって!? そんな馬鹿な事あるか! お前は渚さんを守ってたんだろう!?」

 たまらず俺が叫ぶと、真比留は少しだけ不機嫌な表情を浮かべた。冷徹な、と言った方が正しいのかもしれないと思う、冷たい表情。今まで真比留が一度も見せたことの無い感情。だがそれも一瞬で、すぐにいつもの雰囲気に戻った。

「言ったっけ、そんな事。真比留サンは口だけだって覚えてるけどねー」

 全く悪びれる様子がないせいで、真比留が本当に渚さんを殺したのかいまいち確信が持てないでいた。嘘なのか、高山さんの時のように何か理由があったのか。せめてそのどちらかであってほしい。

「……真比留、渚さんは今どこにいる?」

「南東の方にある部屋。今から行ったら間に合わないよ。そもそも正確な場所覚えてる訳じゃないし」

 聞きたい事は山ほどあったのに。
 もし目の前にいる真比留が見るからに発狂していたのなら怒鳴りつける事も出来ただろう。未だ現実を認められないのは真比留の調子と俺達が実際にその現場を見ていないからだ。気付いた時にはすべてが終わっていた。
 守るチャンスさえも与えられなかった。渚さんの命も。真比留の心も。俺を守ろうとする咲実さんの肩にそっと手を掛け、軽く後ろへ押す。入れ替わりに俺が真比留と対峙する形となった。

「…………ごめん」

「へい? 何がだい?」

「俺はずっと口だけだったなって思って。お前に殺人をさせないと言っておきながら、結果として、最悪の結末を招いた」

「そんなに言うほど悪い状況じゃないって。このままいけば私達ゃ首輪外せんだからさ」

 4人の内、3人が生き残る。数の上では確かに良い方だが、その代償は真比留が渚さんを殺めてしまったという度し難い罪だ。

「ここから帰ったらお前はどうするつもりなんだ?」

「どうするってねー……。まあまずは就活の下調べ、あと卒論についてもそろそろ……」

「もし俺がお前の立場だったらそんな事してる心の余裕は無いぞ」

「ああ大丈夫。真比留サンは打たれ強い事で有名なのさ。あらゆる意味で」

 そう言う割には2階で俺が説教した時にはかなりへこんでいた気がするが。そもそもあらゆる意味でってなんだよ。

「なあ。お前は俺達を殺すつもりがあるのか?」

「ないよー。あるんだったらこんな与太話する間もなく不意打ちしてるって」

「人を撃っておきながらよくそんな事が言えるな」

「それを言うなら撃たれておきながら反撃の素振りも見せない御剣のほうがおかしいって」

 真比留が俺達を殺そうとしている訳じゃないのなら今敵対しても無駄なだけだ。それに警備システムを止めるのならどうしても真比留の協力が必要となってくる。真比留は呆れたように肩を竦め、PDAを手にして俺達に近づいてきた。

「……地図上は壁があるべき場所なのに通路が続いてる場所があるんだけど、その奥に中央制御室がある。別にゲームマスターじゃなくても警備システム止められるらしいからよろしく頼むよ」

 真比留は地図上のある一箇所を指さした。

「お前はどうするんだ?」

「麗佳ちゃんがいつ来るかわからないから、見張りでもやっとくよ。制御室は袋小路だから。彼女だってそろそろ追い詰められてるから強行突破しかねない」

「麗佳さんを殺すつもりなのか」

「うん」

 本人の話を真に受けるのなら、真比留は既に4人もの人間を殺めている。今更ひとり増えたところで変わらないと思っているのだろうか。

「今、これ以上人殺しさせたくないとか思ったろ」

「……ああ」

「でも誰かが止めないといけないんだから諦めなって。御剣にも咲実ちゃんにも麗佳ちゃんと戦うつもりはないんでしょ?」

「そりゃまあ、そうだけど」

「お姫様を守るのは私の柄じゃないのさ。君が騎士役をやってくれ。さて、そろそろ行かないと時間が――」

 風を切るような音が聞こえた。直後、銃声と思しき音が通路に轟く。

「咲実ちゃんっ!?」

 真比留の只事ではない狼狽え様に反応し、すぐに後ろを振り向いた。

「え……あ……」

「咲実さん!」

 血まみれで膝をつく咲実さんは息をするのが精一杯といった感じだった。大きな血の塊を吐き出し、虚ろな瞳は焦点が合っていない。俺は持っていたサブマシンガンを放り出し、咲実さんを抱きかかえた。

「わたし……死ぬん……です……か……」

「そんな事はない! どこかで治療すれば……」

 身体の左半分を染め上げる赤い血は彼女の怪我が尋常ではない事を表している。

「御剣! 咲実ちゃんを抱えて元来た道を引き返せ!」

 真比留は俺が放ったサブマシンガンを拾い上げ、銃弾が放たれたであろう方向へと銃弾の雨を吐き出した。攻撃してきたのは恐らく麗佳さんだ。俺達が廊下で立ち話をしていたのだからさぞやいい的になったのだろう。

「ライフル銃は次弾の装填に時間が掛かる! 早く!」

 俺は言われた通り咲実さんを抱き上げ、曲がり角へと逃げた。通路から聞こえる轟音は真比留が手榴弾でも投げたのだろう。さっき真比留に撃たれた傷が痛むが、この状況ではそこまで気にならなかった。

「ちょっと待ってろ! どこか部屋は……救急セットは……」

 あれだけたくさんの部屋が配置されてるってのに、どうしてこういう時に限ってドアが見つからないんだ!

「いいんです……もう……」

薄く微笑む咲実さんはあまりにも痛ましかった。

「諦めるな! どこか部屋に行けば……!」

「……どうしてでしょう。最初はあんなに怖かったのに……御剣さんを殺してしまうんじゃないかと……思ってたのに……」

「喋ったら駄目だ! 血が……」

「ふふ。……どうして私は……今、……こんなにも安らかなんでしょうか……」

「くそっ! 血が止まらない……!」

 俺は傷口を手で抑え付け、どうにか血流を止めようと努める。だが当然のことながらそれは殆ど意味を成さず、俺の手も血で染まっていくだけだった。

「私、思うんです。……誰からも愛されずに生きるよりは……こうやって……大切にしてくれる人に看取られた方が幸せなんじゃ……無いかって……」

「違う! 生きて幸せを掴むんだ! 生きている限り幸せになるチャンスなんていくらでもある!」

「……ふふっ。私の為に……殺されようと……していた人の言葉とは……思えませんね」

 その言葉に息が詰まる。

「それに……向こうに渚さんが……待っていてくれる……。そう思うだけで……心強いんです……。真比留さんが……渚さんを殺したのだとしても……きっと……何か理由が……ゴホッ」

「もういいから……分かってるから……」

 分かってる。
 もう咲実さんが……助からないって事くらい。真比留と麗佳さんが戦う音が聞こえて来る。なのに……なのにここだけ、やけに静かな気がした。咲実さんの右手が、俺の赤い左手に乗せられる。

「……真比留さんの事、よろしくお願いします」

 俺の脳裏に過る記憶。霊安室に横たわる、見慣れた人物の姿。あの時は最後を看取る事が出来ず、それを後悔した。今は守れなかった人間の命が消えるその瞬間を見届けなければならない。どちらが幸せだったのだろう。俺は優希を二度失うんだ。

「あなたと……あなたたちと会えて……私は幸せでした」

「嫌だ! もう俺をひとりにしないでくれ! 頼む! 頼むから!」

 咲実さんの瞼がゆっくりと降りてゆく。
 俺は、ただ、泣き叫ぶ事しか出来なかった――。





[28780] 十話(エピローグ)
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:06
 目が覚めるとそこはビジネスホテルの一室のようだった。目を見張るほど豪華ではないが、ふわふわとしたベッドと清潔感漂う壁紙が俺の心を落ち着かせる。俺は、どうしてこんなところに。
 そうだ、確か廃墟のような建物で俺は――。

「っ! 咲実さん! 真比留!」

 上体を起こし部屋の中を見回すが俺以外には誰もいない。全てが夢と思いたかったが、左肩に残った痛みがあれは現実に起こった事なのだと証明してくれる。ちゃんと治療が施され前ほどの痛みは感じない。
 治療?
 誰が?
 俺達を誘拐した連中がか?
 ふと、机の上に置かれた紙に目がいった。起き上がり、ふらつく足取りで机まで進む。そこにあったのは10億円分の小切手だった。



 咲実さんが息を引き取った後、戦いを終えた真比留に話しかけられた。

 ――もう残ってるのは2人だけさね。

 一体あの時真比留はどんな顔をしていたんだろう。茫然自失とした俺は何も考えずその言葉を聞き流していた。それにも構わず真比留はなおも俺に話しかけてきた。

 ――せめて咲実ちゃんをベッドで寝かせてあげてくれないかい。私は警備システムを解除しに行くからさ。時間が来たらちゃんと首輪を外すんだよ。

 俺は返事もせず、咲実さんを抱えて立ち上がった。だが周りに部屋は無い。とりあえず適当に進もうとすると真比留が前に立ち、戦闘禁止エリアへ先導した。

 ――もう戦闘禁止エリアに危険は無いだろうしね。

 目的地まで送り届けると、真比留はすぐに部屋を出た。戦闘禁止エリア内にある小部屋に入り、そのベッドに咲実さんを寝かせる。改めて見ると本当にあいつに似ていた。霊安室で見たそれと重なるのが嫌で、白い掛布団を肩の位置までかぶせた。掛布団が血の色を帯びていく事を気にしなければ寝ているだけじゃないかと見紛うだろう。

『貴方は首輪の解除条件を満たしました』

 やがてそんな声が聞こえたが、俺は動くことが出来なかった。このままあと一時間待てば俺は死ぬだろう。

 ――まあ警備システム止めたから首輪を外す必要は無いんだけどさ。

 そんな俺を見て、帰ってきた真比留が呆れたようにそう言ったのを覚えている。



 俺に与えられた賞金が10億円という事は真比留も同じように10億円を受け取っているのだろう。5人もの人間を殺め、最後まで俺と咲実さんの為に戦い続けた真比留と、ただ流されるままでなにひとつ守れなかった俺の評価が同じというのは納得がいかない。
 もはや真比留を責めるつもりはない。渚さんを殺したのだって何か理由があっての事だろう。もう、すべて終わったのだ。俺は誰も守れず、こうしてのうのうと生き延びている。たまらなく惨めで、そんな自分がどこに帰れるというのだろうか。

 真比留は言っていた。あれは見世物なのだと。悪趣味な金持ちが仕組んだ、文字通りの"ゲーム"なのだと。
 そしてゲームマスターの存在。メインマスターが誰だったのかはわからないが、サブマスターは真比留だと本人が暴露した。
 だが――何かがおかしい。
 管理者たるゲームマスターが自ら殺人鬼になったっていうのか? もしあれが見世物なのだとしたら、観客たちは何も知らない人間達が争う事を望むのではないだろうか。内部事情に精通した人間が断然有利に活躍するなど、仮に俺が鑑賞する立場ならあまり面白くは無い。ならば、真比留が嘘をついていた? 真比留はゲームマスターじゃなかった? でもそんな嘘をつく必要がどこにある?

 今更考えても何の意味も無いのは分かっているが、あの馬鹿げた"ゲーム"に関する事を考える事でようやく気力を保てていた。そうでもしないと俺は、……またあの生き地獄に囚われてしまうような気がして。

 小切手の他に手掛かりが残されていないかと調べると、椅子の上に俺のスポーツバッグがあった。中を確かめるがほとんど空で、最初から入っていた物しか残っていない。それらのほとんどを捨ててきてしまったため、残っている物などほとんど無かった。

「あ、これ」

 俺の持ち物ではないのにバッグに残されていた唯一の物――それは一部が破れた赤いお守りだった。真比留に返すつもりでいたのにすっかり忘れていた。だがこれは俺にとって大きな意味を持つ。あいつがどこに住んでいるのかは分からないが、探そう。このお守りを返す為に。

「一度開けちゃったけど、……まあ、許してくれるだろ」

 魔除けのお守りはあの建物の中ではそのご利益が通用しなかった。当然だ。あそこでの敵は魔物ではなく、人間だったのだから。

 他にはあのゲームの痕跡を残すような物はなにひとつ見当たらなかった。まあ誘拐犯達がご丁寧に証拠を残してくれるとは思わないが。そういえば俺は3日間行方不明になっていた筈だが、捜索届は出ていないのだろうか。
 俺だけじゃない。過去何度もあのゲームが行われていたのだとしたら、一回で13人――いや、ゲームマスターを除いて11人の人間が姿を消している事になる。俺のような生存者だっているだろう。だがこの殺人ゲームの存在など聞いた事も無い。つまり、それだけ大きな圧力が掛かっているということか。

 大人は汚い、などとよく言われるが、その深淵を垣間見た気がして脱力する。俺はこれからそんな世界で生き続けなければならないのだ。罰なのかも知れない。誰一人救う事が出来ず、その挙句図々しくも生き残った俺に与えられた罰。ならばあいつは――連続殺人鬼となってまで生にしがみついたあいつには罰が与えられるのだろうか。もしそれがないのなら、……あいつが正しかったという事なのか。
 正しいってなんだ? あそこでどんな道を選んでいれば正しいと胸を張っていられたっていうんだ。
 俺達は最初から負けていたんだ。あの狂ったゲームに放り込まれた時点で勝利なんてものは無かった。ただ命を餌に踊らされるだけ。全ての不条理を打ち破ってくれる正義の味方なんている筈もないのだから。

 とりあえず最初の目的は決まった。真比留を探して――このお守りを届ける。その行為になんの意味も無いのだとしても、せめて、俺と同じ体験をした人間を忘れたくはない。それに何か目標が無ければ、俺はもう動く事も出来ないだろうから。


 小切手とスポーツバッグを持って、俺はホテルを出た。
 家に帰ろうかとも思ったが足はそちらへは向かなかった。
 ただひたすら……見知らぬ地へと向けて歩を進める。
 もうひとりの生還者と再会する、その日まで。




[28780] 第一幕おまけ
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/18 11:08
真比留(以下、比):「この度はシークレットゲーム-Paradise Lost-を読んでくれてありがとうごさいます! ご存じ! 主役の真比留でーす!」



総一(以下、総):「残念ながらこの話の主人公は俺だ。お前はオリジナルのサブキャラだからな。どうも、総一です」



比:「残念ながらこの話に主人公補正は殆ど無いけどね。それに実質戦闘して無いじゃん、御剣」



総:「第一幕はシークレットゲーム(以下、SG)EP1が土台だかららしい」



比:「書けなかった事に対する言い訳がましいけどまあ、ここはスルーしとくさ。真比留サンは優しいからねー」



総:「で、何この結末。まごうとなきバッドエンドだよな」



比:「まあね。ほーら、御剣がいつまで経ってもしっかりしないからー」



総:「……まあそれに関しては否定しないが。一応、最後に咲実さんに殺される為に無茶はしないという考えあっての事らしいけど」



比:「ちなみに真比留サンの方は陰惨イベント盛りだくさんだったのにね。勿体無い」



総:「本当は俺サイドと真比留サイドを同時進行するつもりだったらしいが、色々とネタバレが多かったからカットしたらしい。その辺はまたそのうち書くかもな」



比:「そんな話より本編について語ろうじゃないか! 真比留サンの縦横無尽の大活躍についてさ!」



総:「どちらかというと跳梁跋扈の方が正しいような気が……。悪役なのかよくわからんポジションだったしなあ」



比:「既プレイの人は「あれ?」って思う台詞があっただろうけど、一応念押ししておくと基本設定は原作と変わらないからね? ……これもネタバレになるか」



総:「本来ならヒロインと出会うべき場所でお前と会ったのが悲劇の始まりだったんだよな、俺。途中まではまともだったのに……いや、まともじゃなかったけど」



比:「最初に出会った人がヒロインになるってのがSGのお約束だもんね。その基準で行くと最初に漆山さんと出会っていれば……」



総:「そんなルートはいらん!」



比:「おいおい、全国のGONZOファンが泣くよー? 人気投票1位を敵に回しちゃいかんって」



総:「え? でも人気投票1位は渚さんだったんじゃ」



比:「……あ、ああ、そうだったね。そうさ! 1位は渚さん! そうだよねー、公式でそう言われたんだからそうに決まってますよねー!」



総:「ま、まあこの話はこのくらいにしとこう。……とはいえ第一幕について語る事なんてほとんどないんだけどな」



比:「じゃあ第二幕について少し話そうか。次回予告でもする?」



総:「プロットだけで書き溜めしてないみたいだからいつ公開するか分からないんだが、まあ次回への意気込みとして言っておくのも悪くないか」



比:「第二幕では真比留サンが生き残る!」



総:「ネタバレ? 希望?」



比:「考えてもみなよ。前回悪役だったキャラがヒロインになるのがSGのお約束さ! つまり次回は真比留サンがヒロイン!」



総:「チェンジ!」



比:「即答!?」



総:「第二幕について言える事といったら……そうだな、第一幕と比べればマシな終わり方になるって事くらいか」



比:「スルーですかさいですか。まあ第一幕を読んでその先に興味を持てれば大丈夫だと思うよー」



総:「SGEP2を土台って訳でもないんだけど、まあ、今回出番の無かったキャラが多く出るとだけ言っておくか」



比:「相変わらずの文章力だけど、第四幕の頃にはマシになってるといいねー」



総:「それでは、お付き合いいただきありがとうございました! また第二幕で!」




[28780] 第二幕・一話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/19 10:03
 御剣総一は見知らぬ建物の中をあてもなく彷徨っていた。
目が覚めたらそこは覚えのないベッドの上……とはいえ昼メロによくあるような展開にはなっていない。首には細い首輪、机の上には自分のバッグと自分の物ではないPDA、そんな状況で鍵の閉まっていない部屋にいた。一応携帯電話も確認してみたが当然の事ながら圏外だった。もし通じるのなら誘拐犯達が放っておくわけがないだろう。
 そう――これは誘拐だ。だがそれにしては不可解な点が多すぎる。部屋でじっとしていても何の進展も望めないと判断した総一はバッグと手掛かりになりそうなPDAを持って建物内の探索を始めたのだった。

「なんて広さだよ、ここ……」

 そうぼやくのも無理はない。部屋を出てから時間は30分ほどしか経っていないが、変わり映えのしない景色がひたすら続いていれば感覚が狂ってくるのも当然だ。加えてPDAに書かれていた物騒な事柄。死ぬだの殺すだの、それを見た総一はこれがドッキリか、映画のエキストラと間違われて呼ばれたかではないかと思っていた。

「誘拐犯らしい人間は見当たらないけど……俺以外にも誰かいるのか?」

 PDAによればここには総一を含め13人の人間がいるらしい。だが他にも総一達を誘拐してきた人間がいるだろう。もしこれが本当に何かの企画ならば撮影隊がいたとしてもおかしくはない。声をあげて他の人間を探そうとも思ったが、もし誘拐犯に何らかの悪意があるのなら敵を呼び寄せてしまう事になる。しかし彼らが総一を拘束する事無く放置していたところから考えればそれは杞憂だと言えた。結局総一がそうできないのは、このまま探索を続けていた方が余計な事を考えずにいられるからという理由に尽きるのだ。考えれば考える程にこの誘拐は矛盾に満ちていた。

 壁も、床も、天井も、変わり映えのしない灰色のコンクリート。床には埃が溜まっており、足跡も残っていたが何人分も折り重なっていたので道を示す手掛かりにはなり得なかった。天井には丸い照明が等間隔で配置されているので通路はどこも明るかった。他に目につくのはあちこちに備え付けられた金属製のドアだった。総一もいくつかの部屋を出入りし確かめてみた。総一が寝かされていた部屋より広い部屋が結構な数あるようだ。それだけでもこの建物が相当に広いであろうことが予測された。

 また同じようにドアを開き、部屋の中を確認すると、奥で別のドアに手を掛ける人影があった。人影は総一が入ってきた事に気が付くと、慌ててこちらを振り返り驚いた表情を向けた。

「あ……あなたは誰!? 私をどうするつもりなの!?」

 歳は40前後といったところだろうか。眼鏡を掛けた知的な顔立ちと素人目に見ても上物であると分かるスーツを身に纏う姿は大人の女性の魅力というものを存分に引き出していた。だが彼女が誘拐犯の仲間でないという保証はない。総一は警戒しながら、数メートル離れた位置にいる女性に大声で話しかけた。

「あんたが誘拐犯の仲間じゃないのか!?」

「私が!? そんなわけないでしょう! あなたのほうがよっぽど怪しい……あら?」

 女性は言葉を切ると、視線を僅かに下へずらした。

「その首輪……。じゃああなたは本当に誘拐犯じゃないの?」

 その言葉に、総一も目線を下げ、女性の首元で鈍く光る銀色の首輪に気が付いた。

「……これに見覚えはあるかしら?」

 女性は上品なハンドバッグから総一が部屋で見つけたものと同じPDAを取り出した。その意図を理解した総一もポケットからPDAを取り出す。
 
「これか? 俺が目覚めた部屋の机に置いてあったんだけど」

「……。……どうやら同じ境遇みたいね、あなたと私は」

 PDAをハンドバッグに戻すと、女性は優しげな笑みを浮かべた。その態度に敵意がないと判断した総一も緊張の糸を緩めた。

「私は郷田真弓よ。誘拐された時の記憶は無いけど、恐らくはそういう事なんでしょうね。それにしてはおかしな誘拐だけれど」

 郷田は総一に近づき、それに合わせて総一も彼女に歩み寄った。部屋の片隅に置かれた木箱を椅子代わりにして二人は互いの状況を語り合った。

「御剣さんに会えて良かったわ。一人だったら不安で堪らなかったもの」

「それは俺だって同じですよ。いきなりこんな場所に連れて来られて、郷田さんみたいなしっかりした大人と出会えて心強いです」

「あら、お世辞が上手なのね」

「お世辞だなんてそんな! 社長って事はリーダーシップもあるでしょうし」

 彼女の職業は会社社長とのことだった。本人は小さな会社だと笑っていたが、一国一城の主というだけでも総一にとっては尊敬に値した。端々から感じられる上品な振る舞いも郷田の人柄を良く表していた。

「下で頑張ってくれている人のお陰で会社は成り立つのよ。私なんてただのお飾りに過ぎないわ」

 そこで郷田は表情を少しだけ曇らせた。

「でも……私が急にいなくなったら混乱するかもしれないわ。早くこんな場所から抜け出さないと」

「せめて警察が捜査でもしてくれればいいんですけどね」

「あまり期待出来ないわね。この国の年間行方不明者がどのくらいいるかご存じ?」

「え、と……1万人くらい、かな」

「失踪届が出ている人達だけでも約10万人、本当はもっといるかも知れないわ。御剣さんの年齢なら家出人扱いになるでしょうね」

こんな大層な建物に誘拐してきた人間を閉じ込めるような連中なら、警察に見つかるようなヘマはしないだろう。外からの救援は絶望的だった。

「やっぱりここに書かれている通りにするしかないのかしら」

 郷田は自分のPDAを弄りながらそう呟いた。その表情は暗い。

「郷田さんのPDAにも現実離れした事が書かれてたんですか?」

「ええ。条件を満たさなければ首輪が作動して着用者を殺すとか……信じられないわ」

「とりあえずもう少しこの建物を調べてみませんか? 俺達以外にも誰かいるかも知れません」

 落ち込んだ郷田を勇気づけようと総一は努めて明るくそう言った。

「……そうね。何もしない内から落ち込むなんて駄目よね。それじゃあ御剣さん、私と一緒に行動してくださるかしら?」

「勿論です。そうじゃないと俺の方が怖くて」

総一が苦笑交じりにそう言うと、郷田もつられてくすりと笑った。



 自分以外の人間がいるというだけで随分と心強い。同じような道を進んでいるのにさっきのように気が重くはならない。

「えっと、ここに三叉路があるから……右手にドアが2つ、左にひとつ、……多分ここね」

 郷田はPDAに搭載された地図の一部分を指さし、総一に見せた。先程、迷路のように入り組んだ道を進むのに何か手がかりでもあればと考え、PDAの地図がここの地図ではないかと思い至った。だが二人とも今まで来た道を完璧に覚えているわけではなかったので、ドアと交差路の数を数えながら進んでいた。それでもいまいち確証が持てないでいたが、特徴的な三叉路を目印にすることでようやく現在位置を把握するに至ったのだった。

「でもこの地図が本物だとすると、ますますもってPDAの信憑性が増してきましたね」

 信じがたい、現実離れした話だ。だが現状はそれを無視できない方向へ進んでいる。

「このホールみたいな場所を目指してみたらどうかしら」

 もし自分達と同じように誘拐されてきた人達がいるなら出口を求めてホールに行くだろう。郷田の判断は極めて妥当だと言えた。総一も迷うことなく同意し、二人は地図を頼りにそこまで向かう事にした。その途中で、一応他の部屋も確認しておいた。この辺りの部屋の広さは総一が目覚めた部屋と大きさが変わらないし、内装もほとんど似たものだ。もしかしたら誰かが部屋にいるかも知れない。

「でもこの広さだからなあ。他の人を見つけるのも一苦労ですね」

「本当にね。そう考えればすぐに御剣さんと出会えたのは幸運以外の何物でもないわ」

「ははっ、全くです。何人か集まれば誰か誘拐された時の事を覚えてるかも知れませんよ」

 総一は慣れた手つきでとある部屋のドアを開いた。

 鼻をつく異臭が一気に漏れ出してくる。臭いとともに襲ってきた僅かな熱気が不快感に拍車をかける。

「うっ……な、なんだ……これ……!」

 このままだと吐き気を催してしまいそうだと思った総一は口に手を当て、急いでドアを閉めた。

「この臭い……」

 総一の後ろにいた郷田にまで臭いが伝わったらしい。彼女は身体を震わせながら茫然とドアを見つめた。

「……御剣さん、後ろに下がっていて頂戴」

 郷田はそう言うとドアノブに手を掛けた。それを見た総一は慌てて彼女を止める。

「お、俺が見ますよ! 郷田さんに任せる訳には……」

「いいのよ。あなたはまだ子供といえる年齢だわ。ここは大人に任せておきなさい」

 総一へ振り返りながら、ウインクをして見せる郷田。だがその顔に冷や汗が垂れているのを総一は見逃さなかった。彼女だってこの奥を見るのが怖いのだ。それに耐え、総一に余計な心労を掛けまいと強く振る舞っている。そんな郷田を見て、総一は何も言えなかった。

「もし誰かが飛び出して来たりしたら、すぐに飛び退いて下さい。体力にはそれなりに自信がありますから」

 郷田は総一に頷くと一気にドアを開けた。中の様子は他の部屋とさほど違いは無い――ベッドが焼け焦げている事を除けば。二人は恐る恐る、そこに横たわる"モノ"を確認する。

「こ……こんなの、酷過ぎるわ……!」

「……こ、これ……本物……か? ……でも……」

 郷田に問いかけたというよりは言葉を発しなければ"モノ"の真贋を判断しかねるから声に出したに過ぎない。それを"モノ"と表現するのは失礼だろう。 "モノ"であって欲しいという思いはあったが、鼻から入り全身に行き渡ったのではないかと錯覚させる異臭が、それがかつて"ヒト"であったことを確信させる。その時、それぞれのPDAから電子音が聞こえたので二人は自分のPDAに目を通した。

『火炎放射器:建物の壁に埋め込まれた、ルール違反者や首輪の解除に失敗した人間を殺す仕掛け。火力はそんなに強くないから、焼き加減はレアミディアムってとこかな?』

「つまりこの……人は、首輪が作動して殺された、と……」

 総一は意を決してベッドへと近づいた。服装からして女性、だと思う。セーラー服を着ているという事は総一とそう歳が変わらない学生だったのだろう。特に上半身の損傷が酷く、焼けた衣服の一部は皮膚との区別がつかないような状態で、顔も表情がわからないほどに……凄惨だった。だがそれで良かったのかも知れない。焼死体となった女性にとって苦痛で歪む顔を見られるのはきっと辛いのではないだろうかと思った。

「信じられないけど、やっぱりここに書かれている事は本当だというの……!?」

「まだわかりませんよ。だってほら、これを見てください」

 総一は自分のPDAの画面をルール8に設定し、郷田に見せた。

「開始から6時間以内は戦闘禁止と書かれています。ルールが本当ならこの人を襲った何者かも死んでいる筈じゃないですか?」

「……ちょっと待って。こんなルール、私のPDAには書いてないわ」

 郷田は総一のPDAに書かれた文字を食い入るように見つめた。

「そういえばそれぞれ違うルールが書かれてるって書いてあったような……俺のには1、2、3、8があります」

「こっちには1、2、5、6よ。戦闘禁止エリアっていう場所の存在と、賞金について書いてあるわ」

「賞金? 一体何の……」

「それについては後で話すわ。今考えるべきは御剣さんのPDAにあるルール8についてよ」

 二人は死体のある部屋を出て別の部屋に移ると、さっき見た死体とルールの信憑性について話し合った。もしこのルールが本当なら戦闘禁止の状態でも行動できる、首輪をしていない人間がいて、さっきの女性を殺したのではないだろうかと総一は語った。正当防衛で彼女が抵抗したとしても警備システムは作動しない筈だ。

「それなんだけど……もし戦闘をしなかったのだとしたら、ルールに抵触する事無く彼女の首輪を作動させることが出来るわ」

「えっと、それってどういう事ですか?」

「多分さっきの女性……女の子は私達と同じように誘拐されて、ベッドに寝かされていたと思うの」

 郷田はひとつため息をつくと、あまり考えたくはない自分の考えを口にした。

「そこに何者かが立ち寄って私達より早く彼女を見つけ、迷うことなく……少なくとも彼女を起こすことなく、首輪を作動させたのだとしたら、……戦闘をしたことにはならないんじゃないかしら」

「起こさず首輪を作動させるって、一体どうやって?」

「条件を満たしていない状態で自身のPDAを使うか、他人のPDAを使えば作動するみたいね。ルールを読む限り」

 郷田が言わんとすることの真意を理解するのに少し時間が掛かった。いきなり他人の首輪を作動させることにどんな意味があるのか。そう、意識の無い相手を問答無用で殺害した何者かがいるという事だ。

「まさか、試す為だったのか……? ルールの真偽を確かめる為に……」

 思わず考えている事が口に出てしまい慌てて取り繕おうとしたが、郷田に聞こえていたようだ。郷田もそれを窘めることなく、何もない床に視線を落とした。

「そんなことをする人間がいるなんて思いたくないのだけれど」

 二人とも押し黙るしかなかった。

「……最悪の状況を考えていた方がいいわね。ルールが本物で、殺人鬼となり得る人間がいるということを」

「やはり他の人と合流するのが一番ですか」

 ふと総一が部屋の隅に目をやると、積み重ねられた埃まみれの段ボールがあった。長い間誰も触れていないであろうことは明らかだ。総一の目を引いたのはそのすぐ近くに落ちているものだった。総一はそちらへ歩み寄り、それを拾い上げた。

「誘拐犯が何を考えているのかはさっぱりですけど、こっちも最低限身を守る物を用意した方がいいかも知れません」

 なんでこんなところに落ちているのかは分からないし武器として使うにも心許ないが、何もないよりはマシだと思い、総一は十手を拾い上げた。時代劇で岡っ引きが持っているこれは本来相手の刀を受けた時、手元に滑り落ちて来ないための造りになっている。なのでここでは相手を殴るくらいしか使い道は無い。しかし一階にはまともな武器が落ちていないので、総一がこのタイミングで棍棒代わりの十手を拾ったのは幸運だといえた。

「御用だ! なんて言っても誘拐犯は逃げてくれないんでしょうけど」

 不安をかき消すように総一はそう言って笑った。江戸時代には正義の象徴として警察手帳の役割――同心や岡っ引きの身分証明になったようだが当然現代では通用しない。

「何もないよりはいいわ。私も武器を持った方がいいかしら」

「大丈夫ですよ。いざとなったら体くらい張りますから」

 総一は郷田を不安にさせないよう、胸を張って答えた。郷田も大分緊張が和らいだようで総一に感謝の意を述べると、二人は再びホールを目指し始めた。



 ホールには数人の人だかりが出来ていた。年齢や性別はバラバラで、もしこういう状況以外で出会ったのなら一体何の集まりだろうと訝しがるところだ。向こうは通路から覗き見るこちらに気付かず、何やら口論をしているようだった。

「だが……嘘に決まって……」

「……ここまで……! ……なわけない……」

 遠すぎてこちらまではっきりとした声は聞こえて来ない。

「首元を見て。多分彼らも同じ状況よ。行ってみましょう」

 郷田に言われ目を凝らすと、首元に何か見えた。何もかも違う彼らの共通点と言えば首に同じ首輪が付いていた事で、郷田の首輪と同じ、恐らくは総一自身の首輪も同じものだろう。参加者たちをさっきの女性のような目に遭わせる可能性のある首輪を自分の意思で付けている人間がいるとは思い難い。緊張感を露わにしながら総一達が近寄っていくと、最初に白いワンピースの女性がこちらに気付き、他の人間も総一達を見た。その中で一番身長の高い男がこちらへ声を掛けた。

「お前達も誘拐されて来たのか?」

「はい。首輪があるって事は、ここにいる全員がそうなんですね」

「そのようだな。俺達も全員初対面でな。出口を求めてここに集まったんだ」

 総一は改めてそこにいた人間達と簡単な自己紹介をし合った。
 小太りの中年男が会社員の漆山権造。
 さっき総一達に声を掛けたのが傭兵の高山浩太。
 他の人間と一歩離れた位置に立っている女性が矢幡麗佳。
 長沢勇治と北条かりんは互いに中学生だそうだが、馬が合わないようで嫌味の応酬をしていた。
 やはり皆に共通点は見られない。どういった基準で誘拐されて来たのかさっぱりだった。特に傭兵を生業としている高山などはそう簡単には誘拐出来ない筈だし、そもそも誘拐するメリットが無い。誘拐された時の事を覚えている者もおらず、実りがあるとすればルールが全部そろった事ぐらいだった。

「これ、本当なのかな」

 かりんという少女がルールを眺めながら真剣な表情でだれにともなく訊ねた。

「確かに信じたくはないけど、無視できないとは思う。実はさっき……」

 総一はさっき見た焼死体についてみんなに話した。首輪をしていない殺人鬼がいる可能性、無抵抗の女性を殺す人間がいる可能性、さっき考えたそれらも話して意見を仰ごうと思ったからだ。だが皆の反応は芳しくなかった。

「……もはや疑う余地はないんじゃない?」

「現に死人が出ている以上、穏便に済ませるのは無理だろうな」

 冷淡な口調で矢幡麗佳がそう言い捨て、高山もそれに同意した。

「殺さなきゃ殺されるんだろ? なら仕方ないじゃん!」

「…………そうかもね」

 まだ中学生の長沢勇治とかりんは年相応の順応性があるようで、早くもこの現実を受け入れることに決めたようだった。

「こ、殺し合いをするってことか!? そんな馬鹿な!」

 漆山権造は周りの人間の発言に怯え、更には現状がどれほど恐ろしいものか理解していないようだった。

「だからといってすぐに行動に移るのは早計だと思うわ。とりあえずみんな冷静に……」

 郷田が皆を宥めようとするが誰もそれを聞こうとはしない。既に死者が出ている以上、それに触発されて殺人に手を染める人間が出てもおかしくは無い。最初に行動を開始したのは麗佳だった。ホールにいくつもある通路の内、少し離れた位置にある道へと歩みを進めた。

「麗佳さん!? 一人で行くつもりですか!?」

「当然でしょ。仲間ごっこがしたいならお好きにどうぞ」

「俺も行かせてもらう。生憎だが、馴れ合うつもりはない。戦闘禁止が解除されるまでそう時間もないしな」

「ま、当然だよな。そう簡単に他人を信用できる状況じゃないし。ルールが分かった以上、ここに残る理由なんてない……むしろ危険なくらいだしな」

 高山と長沢も、それぞれ別の通路へと向かっていった。

「ちょっと、みんな待ってちょうだい……あら、北条さんもいなくなってる! 私は麗佳さんを追うわ! 女性だし、ここで一人にするわけにはいかない。また戻ってくるわ!」

 郷田は総一にそう言うと麗佳の進んだ道へと駆けていった。結局その場に残ったのは総一と漆山の2人だけだった。

「お、おい、小僧……どうするんだ?」

「どうすると聞かれても……。……とりあえずここで郷田さんを待ちましょう。彼女ならきっと麗佳さんを連れ戻してくれるはずです」

 本当は総一も誰かを追いかけたかったが、郷田がここに戻って来るつもりなら離れない方がいいだろうと思い、大人しく待っていた。

『ゲーム開始から6時間が経過しました。これより全域での戦闘禁止が解除されます』

 戦闘禁止解除まで待ったが、郷田は帰ってこなかった。

「ま、まさか、本当に、殺し合いが始まるってのか……!?」

 漆山は戦いを嫌うというよりも戦いをすることが怖いのだろう。総一に対しては強気な態度を取っているがこの状況に不安を感じているのは目に見えて分かった。恐らく、さっきここを出て行った人々は殺し合いを始めるのだろう。ここに戻ってきて残った人間を殺そうと考える人もいるかもしれない。
 総一が目覚めた部屋のテーブルにはトランプのスペードのAが描かれていた。総一が生き残るにはQのPDAの所有者を殺さなくてはならないらしい。だが誰かを殺してまで生き残ろうというつもりがない総一にはどうでもいいことだった。

「こ、ここにいたらまずいんじゃないのか!? おい小僧! さっさとここから離れないと……」

「……そうですね。確か下の階から侵入禁止になる筈ですから、階段を使って上を目指しましょうか」

「そうだな! ええと、確かここに地図が……」

 漆山はPDAの機能の項目に表示されている地図に目を通す。その様子を横目で眺めながら総一は郷田の身に何が起こったのか心配していた。いくら年上とはいえ、女性一人がここで彷徨うというのは危険極まりない。せめて麗佳と合流して行動を共にしていればいいがそれならばホールへ戻ってこなかった理由が無い。いや、もしかしたら焦り過ぎて現在位置が分からなくなって戻ってこれなくなったなんてことかも知れない。そう思い直し不安な気持ちを押し隠した総一は、漆山と共に二階への階段へ向かった。





[28780] 二話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/07/27 22:36

 戦闘禁止が解除されてから総一と漆山は二人で灰色の廊下を彷徨っていた。あれ以降他のプレイヤーと会う事もなく、ただ時間だけが過ぎていく。幸か不幸か、彼らは他のプレイヤーに出会う事無く2階へ辿り着くことが出来た。戦闘を覚悟していた人も冷静になって考え直したのか、などと総一は考えたが、それならば廊下を堂々と歩く総一達に気付いて声をかけても良さそうなものだ。襲う側もこちらが男二人という事で警戒していると考えるのが現実的だろう。

「まったく……なんだってこんなことに……」

 総一の横で漆山が始終愚痴っていた。最初の緊張感は時間が経つにつれ薄れていったようだ。

「そういえば漆山さんは会社勤めなんですよね」

 世代の違いもあって会話を弾ませるのは難しい。それに総一は今まで漆山のような年配の男性と話す機会がほとんどなかったし、郷田の時のように現状を考察し合う相手としても適していないと判断していた。

「まあな」

「ここに3日間も閉じ込められたら仕事に影響が出ますよね。俺も学校を無断欠席することになるんですけど……」

「あ、ああっ! 俺がいなかったら会社は立ち回らなくなるだろうな!」

「漆山さんって重役なんですか?」

「いや、まあ、……そんな感じだ」

 目を逸らす漆山。嘘をついているのは明白だったがあえて追求しないことにした。察するに中間管理職が限界だろう。

「それにしても他に人間がいるんだろう? 一階にいた以外にも」

「その筈です。あそこにいたのは7人ですからあと6人……いえ、5人ですね」

 少女の死体を思い出し、嫌な気分になる。もっと早くに会っていれば助けられたのだろうか。

「こんな広い建物でそう簡単に会えるものなのか?」

 地図によれば建物はこの広さで六階まであるらしい。漆山の指摘するようにここで偶然誰かと出会うのは難しい。

「あ、そうだ。漆山さんのPDAはどうなんですか?」

「どうって……何がだ?」

「首輪の解除条件ですよ。教えてもらってもいいですか?」

 どうせやることもないのだし、なるべく多くの参加者が生き残れるように協力してみようという考えだった。

「俺のは6なんだが、ジョーカーとかいうやつが必要らしいな」

「ジョーカーが必要なのは2と6でしたね。8とKの人も探してるでしょうし、その辺りとなら交渉出来そうです」

「2と6は分かるが、どうして8とKが関係してくるんだ?」

「8はPDAの破壊、KはPDAの収集ですが、ルールに書かれているようにジョーカーはこの対象に含まれません。条件を満たしたと思ったら4個しか満たしていなかったとなってしまうんです」

「ジョーカーは参加者の誰かが持っているんだったな。小僧、お前は持っとらんのか?」

「俺は自分のだけでしたから」

 ジョーカーの所有者が戦闘を選んだとしたら交渉は難しい。話を聞いてもらえればいいのだが問答無用で攻撃してくるという事もあるだろう。

「郷田さんくらいですかね。今のところ味方だと断言出来るのは」

 皆が戦闘を決意する中で彼女は最後まで止めに入っていた。麗佳を追っていったまま帰ってこなかったが無事だろうかと心配だった。

「それにしても、本当にここに殺人鬼がいるのか? その、お前が見た死体が作り物だったという事はないのか?」

「あれはそんなんじゃなかったですよ。焼け焦げてない部位は明らかに人間のものでした」

「だが最新の技術とかいうのを使えばなんとか……」

漆山のだんだん小さくなっていく声から、本人もそれが薄い望みだと思っているのが分かる。

「……とにかく上を目指すしかありませんよ。ジョーカーを持ってる人を探しつつ」

 実物を見てしまった総一はこの状況が洒落では済まない事態なのだと判断できたが、直接死体を見た訳でない漆山はまだ疑い半分のようだ。総一だってあれを目にしなければ未だこんな馬鹿げた話を真に受けてはいないだろう。あの死体を思い出すだけで充満していた臭いまでも再び襲ってくるような錯覚に陥り、軽く首を振る。あれはやがての総一の姿なのだ。せめて無意味な死を迎えるのではなく、誰かの為に最期まで生きたい。最期まで――胸を張って生きていかなければ。

「三階への階段は遠いな……くそっ、せめて近くの階段が使えれば……!」

 そう言いながら漆山はPDAの地図を恨めし気に睨みつける。この建物は1フロア毎に5つの階段があったがそのうち4つは×印がついていて、瓦礫でバリケードが敷かれていた。しかも二階へは南西の階段、三階へは北東の階段といった具合でフロアごとに別の階段が使われているのだからたちが悪い。直線距離だけなら10kmもないだろうが、入り組んだ廊下のせいでその数倍の時間がかかってしまう。こう変わり映えのない空間でひたすら歩いているだけでも気が滅入るのに、更には殺人鬼の心配もしなければいけない。

「小僧! チンタラ歩くな! 俺はさっさと上へ行きたいんだ!」

だが一番の心労はこうやって漆山と二人で行動する事かも知れない……総一はそう思っていた。



 とある部屋に入ろうとした時だった。二人のPDAのアラームが鳴る。

『あなたが入ろうとしている部屋は戦闘禁止エリアに指定されています。部屋の中での戦闘行為を禁じます。違反者は例外なく処分されます』

「戦闘禁止……ここがか! 休むにはもってこいだ!」

 嬉しそうに部屋に入る漆山。中は高級感漂う一室になっていて、それが漆山を更に安心させる。奥の方にもいくつか扉があり別の部屋と繋がっているようだ。ソファーで寛いでいる漆山を横目で見て奥の部屋を確認しに行く。

「ここはキッチンか。結構立派な造りだな」

 今まで休憩に使っていた部屋にもキッチンがあったがこれほど立派ではなかった。ここが廃屋であることを忘れさせるような、どこかのマンションにあってもおかしくないキッチンだった。

「ん……?」

 物音が聞こえた気がして辺りを見回す。高い位置に換気用のダクトがあるが音はもっと低い位置からだった。床下の倉庫からでもない。冷蔵庫も人間が隠れるには適さない。そして目の前の収納棚からだと結論を出す。棚自体は総一よりも大きく、収納用のドアは1メートル程。人が隠れる事の出来そうな大きさだった。また音が聞こえた。やはりここに誰かがいる。今更ながら武器を用意していなかったことを悔いる。
 大きく喉を鳴らし、後ずさる。しばらくそのまま構えていたが誰かが出てくる気配はない。

「おい、誰か隠れてるのか!?」

 強くそう言い放つとまた音がする。誰かいるのは確からしいが、よく考えればここは戦闘禁止エリアだ。自分でドアを開けて確認しても大丈夫だろう。

「誰かいたのか?」

 背後から漆山の声。さっきの声が聞こえていたようだ。

「あの収納棚の所に誰かいるみたいなんです」

 ゆっくりと近づき、ドアに手をかける。

「き……きゃああぁあっっ!!!」

 その中には少女がいた。
 年の頃は小学生くらいだろうか、こちらを見て怯えきっている。震える少女を安心させようと微笑みながら少女の目線に合わせる。

「……ごめんね、驚かせて。悪気があったわけじゃないんだ」

 ドア越しとはいえ見知らぬ男に怒鳴られては怯えるのも当然だろう。やはり少女の首にも総一と同じ首輪が付けられている。

「君は一人?」

 少女は答えない。総一を警戒してのことだ。だが総一はなおも少女に優しく話しかける。

「君もここに誘拐されてきたの? 俺達もだよ」

「……」

「怪我とかしてない?」

「……!」

 少女はさらに後ろへ下がった。総一も自分の後ろに影が差したことに気付いた。

「この子は誰だ?」

「俺達と同じで誘拐されてきたんだと思います。首輪がついてますから。さっき怒鳴ったせいで怯えさせちゃって……。漆山さん、下がっててもらえますか。男二人が固まってたらこの子も出てきづらいと思いますから」

 漆山は少女から視線を外さず一歩下がった。はっきり言うつもりはないが漆山は子供受けしそうな人間ではないと総一は思っていた。

「大丈夫だよ、怖くないから」

「……お兄ちゃん達がわたしをここに連れてきたの?」

「違うよ。ほら、首輪が付いてるだろ? 俺も後ろのおじさんも誘拐されてきたみたいなんだ。君もそうなんじゃないか?」

「起きたらね、知らない部屋で……。最初は楽しかったけど変なおじさんに追いかけられて……」

「漆山さん、この子と面識が?」

「無いぞ。……ちょっと待て小僧、お前変なおじさんって聞いて真っ先に俺を思い浮かべたんじゃなかろうな?」

 総一の知るなかで「おじさん」に該当しそうな人物は漆山と高山だけだった。

「そのおじさんじゃないよ。……帽子を被った怖い感じの人だったよ」

 やはり総一の知らない人物のようだ。その人物もゲームに乗って少女を殺そうとしたのだろうか。か弱い少女はPDAを狙うにせよ首輪を狙うにせよ、……命を狙うにせよ、格好の獲物たり得る。今まで総一と漆山が襲われなかったのは男二人という事で警戒されていたに過ぎず、戦いはもう始まっているのだ。
 少女は不安の色を見せながらも収納棚から出てきた。

「……お兄ちゃん達、悪い人じゃないんだよね?」

「うん。大丈夫だよ」

 優しく微笑みかける総一。

「ほ、ほら、お嬢ちゃん、おいで」

 厭らしく笑いかける漆山。少女が総一の服の裾を掴むのに迷いは無かった。

「俺は御剣総一。この人は漆山権造さん。……君の名前を聞いてもいいかな?」

「わたしはゆうきって言うの。色条優希(しきじょうゆうき)。優しいに希望の希って書くんだよ」

「……ゆう、き……?」

 時間が止まったような気がした。総一がその人生を終えるまで3日もないというこの状況で、大切な人と同じ名前の少女に会う。偶然にしても衝撃は大きい。

「ゆ、優希ちゃん、か、可愛い名前だね。ほら、おじさんの所においで」

 漆山が近寄ると更に総一の影に隠れた優希。その言葉で我に返った総一は、漆山が優希に変な事をしないかと警戒した。

「念のため言っときますが、ここは戦闘禁止エリアですからね。妙な事をしたら戦闘とみなされるかも知れませんよ」

「わ、わかっとる! 俺はただ、優希ちゃんと仲良くなりたいと……」

「……」

 総一が冷たい視線を向けると漆山はそれ以上何も言わなくなった。時折優希の方をちらちら見ているが優希は漆山から逃げるように総一を頼っている。



「そうだ優希ちゃん、君もこのPDA、持ってる?」

 ソファで隣り合って座っていた優希に向かい尋ねる。

「ちゃん付けじゃなくて呼び捨てでいいよ、お兄ちゃん!」

「じゃあ遠慮なく呼ばせて……」

「おじさんには言ってないよ。ねー、お兄ちゃん!」

 優希は向かい側に座る漆山に厳しい。既に変質者のレッテルを貼られたようだ。その反動か総一に対しては本当の兄のように懐いている。怨みがましい視線を向けられた総一はこの場の空気が悪くならないように必死だった。

「漆山さん、子供の言う事ですからそんなに気にしないで下さい」

「子供じゃないもん! 立派なレディだもん! ほらお兄ちゃん、これでしょ?」

 優希が取り出したPDAは総一や漆山が持つものと大差ない。違うところと言えば画面に表示されたトランプの模様だけだ。

「7ってことは全員との遭遇か。これなら大丈夫だな」

 3や9のような交渉の余地が無いPDAだったら別の手を考えなくてはならなかったが、これならばPDAに書かれた通りの条件で解除出来る。

「優希の首輪を解除する為に全員と接触して、その時にジョーカーを探そうと思うんですが」

 一応年長者である漆山にも話を振っておく。

「あ、ああ、それで構わんよ。だが小僧、お前の条件は何なんだ?」

「俺のは無理だからいいんです」

 その返事に優希が恐る恐る訊ねる。

「……もしかしてお兄ちゃん、人を殺さないといけないPDAだったの?」

「なっ……! 俺を殺すつもりだったのか!?」

「俺には人は殺せません。だからどんな条件であれ殺人を犯すつもりはありません」

 総一は自分のPDAをテーブルの上に置く。生還する為にはQのPDAの所有者を殺さなければならない過酷な条件。

「なんだったら叩き壊して貰っても結構です。どうせ俺には必要ない物ですし」

 漆山はAのPDAを手に取りまじまじと眺めた。

「駄目だよ! 首輪を外す以外にも何かの役に立つかも知れないでしょ! PDAを集めてる人がいればジョーカーと交換してくれるかも」

「ま、まあ、俺はQじゃないからいいが……」

 PDAをテーブルに置きなおして不安そうに総一を見る漆山。このまま別行動を取りたいと思いながらもひとりで建物をうろつくのは怖かった。余裕を持って振る舞ってはいるが総一や優希にはそれが分かっていた。

「優希は他に誰かと会わなかった?」

「会ってないよ、襲ってきた人以外は。確かここには13人いるんだよね?」

「多分ね。俺達も会ってない人があと4人いる筈だ」

「ねえ、上に登る階段がひとつしかないんだったら、そこで待ってればいいんじゃない?」

「なるほど、それは良いかも知れないね。ただ……戦闘を仕掛けてくる人間がいるかも知れないけど」

 他人の命を奪わなければ生き残れない人間の中にはそれを実行しようとする者がいるかも知れない。AのPDAが配布された総一もそうなのだが、総一は誰かを殺して生き延びるつもりはなかった。だから当面の総一には目的がない。とりあえずは2人の首輪を外す手伝いをすることにした。

「ったく、最近の若い連中は……」

 漆山は面白くないとでも言いたげな表情で視線を二人から逸らした。三人の中で最年長は明らかに自分なのだからもっと尊敬の念を抱いたらどうなんだ。今だけじゃない、会社でだって若い部下達が、まるで邪魔だとでも言わんばかりに冷たい視線をぶつけてくる。一人前に権利ばかりを振りかざして数だけ集まる無能共。こいつらだってそうだ。御剣とかいう小僧は優希が現れてからこっちの事を完全に無視しているし、優希もあからさまにこっちを嫌っている。口だけで何も出来ない癖に……!
 自分の事を棚に上げて漆山はそんなことを考えていた。

「……でも、これが本当だったら怖いよ。わたし達を殺そうとする人が出てくるのかな……」

「優希……。大丈夫、一階ではみんな不安だったからバラバラになったけどいくらなんでもいきなりそんな事にはならないよ」

「もうひとり死んでるんじゃなかったのか」

 聞こえないよう小声で悪態をついたつもりだったがその声は総一達にも届いた。

「まあそうなんですけど、……漆山さん、優希を不安にさせるような事言わないで下さい」

 総一とて今の状況から穏便な解決が難しい事は重々承知していた。だが幼い優希に余計な心労を掛けないようにと気を使っていたのだった。今までは漆山に対してそれなりに気を遣ってきたが、優希が来たことにより少し強気に出ることが出来た。

「……チッ」

 それが気に入らない漆山は立ち上がり、キッチンとは別のドアへ歩き出した。さっき確認した時そこは倉庫のような場所だった。出て行くにはここを通るしかないのだし放っておこうと思い、総一はため息をひとつついた。

「ねえお兄ちゃん、これからもあのおじさんと一緒に行くの?」

「ん……まあ放っておくわけにもいかないしな。漆山さんだってこの状況でひとりになろうなんて思わないだろうし」

 危険な建物の中でひとりになるかも知れない危険を漆山が負うとは思えない。総一もあまり好感が持てないでいたが、下手に怒らせなければ敵に回る度胸もないだろうと判断していた。

「お兄ちゃんは優しいんだね。わたしあの人嫌い」

 優希を発見した時の漆山の反応から下心を持っているのはなんとなく察していたのでその勘はあながち間違いでもないのだろう。

「まあその気持ちもわからないでもないけど……本人の前では言うなよ」

「はぁい。あ、そうだ! キッチンで隠れる場所探してた時にね、お茶があったの。淹れてくるね!」

「ああ。頼む」

 優希の不安を取り払おうと笑顔を向けると、優希も嬉しそうに微笑んだ。暫くしてドアが開く音がしたので振り返るがそれは優希ではなく漆山の入った倉庫のドアだった。

「……お、おい小僧、あのガキはどうした?」

 ガキという言い方が気に入らず、総一は目を合わせずに答えた。

「キッチンです。お茶を淹れてくるって」

「そ、そうか……」

 漆山はさっきまで座っていたソファに座り、袖で額の汗を拭った。互いに視線を合わさず、総一が次に言葉を発したのは優希が帰ってきた時だった。優希も漆山に気付くと表情に影が差し、総一に寄り添うようにして座った。用意されたお茶が二人分なのはさっき漆山がいなかったからであろうか。気まずい空気の中、優希と総一がお茶を啜る音だけが戦闘禁止エリアに響いた。





[28780] 三話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/08/04 16:59


『ソフトウェア一覧』
1、地図を拡張。地図に部屋の名前を追加する。
2、疑似GPS機能。マップ上に現在位置を表示できるようになる。
3、首輪の位置をマップ上に表示する。 注意! バッテリー消費大!
4、JOKERの現在位置を表示する。 注意! バッテリー消費大!
5、PDAの現在位置を表示する。ただしJOKERは除く。 注意! バッテリー消費大!
6、館の動体センサーを利用できるようになる。
7、ネットワークを利用したトランシーバー機能。双方にインストールする必要あり。2個セット。
8、ネットワーク経由で取り付けた武器を遠隔操作できる自動攻撃機械。注意! バッテリー消費大!
9、ドアのリモートコントローラー。
10、爆弾とコントローラーのセット。
11、PDAや首輪を探知する種類のソフトに映らなくなる。 注意! バッテリー消費大!
12、残りの生存者数の表示機能。
13、侵入禁止エリアへの侵入が可能となる。 注意! バッテリー消費大!
14、侵入禁止エリアになるまでのカウントダウン機能。
15、フロアにある罠を探知し、PDAの地図上に表示する。
16、ソフトウェアの一覧表。
17、ルールの一覧表。
18、換気ダクトの見取り図。



「ジョーカー探知やルールの一覧表とかはいらないわね。地図関連と首輪探知はなるべく欲しいところだけど」

 先程拾ったツールにより追加されたソフトウェアの一覧表を眺めながら麗佳はそれらを吟味する。バッテリー消費が大きいものはちゃんと注意が書かれているがその消費がどの程度かは分からない。このソフトウェア一覧表をインストールする時に消費量は「小」と表示された。何段階評価なのかは分からないが同じ「大」でも差があるのだろうか。他にもこのツールのように起動時のみの消費なのだろうか、同じツールがどの程度落ちているのか、などと疑問は尽きない。それでもこれが他の参加者に対するアドバンテージにはなりそうだった。相手の位置――正確にはPDAや首輪の位置――を探知するツールの存在を知らずに行動してしまえば危険極まりない。この建物に罠があるという事も新たに知った情報だった。

「勝負に出るにはまだ早いわね」

 左手に持った小型ナイフを眺め、呟く。万全を期して行動しなければならない。今のところ要注意人物は傭兵をしているという高山だろう。戦闘のプロ相手にそう簡単に敵う筈がない。麗佳の方から狙うつもりはないが向こうが攻撃してきた時の対策は必要だ。
 高山だけではない。麗佳にとってはすべてが敵、あるいは……利用する対象なのだ。

「PDAには触らずに見なさい」

 ソフトウェアの一覧表が表示されたPDAの画面を自分の真正面へ向ける。いきなりPDAを壊されでもすれば麗佳の運命はそこで決まってしまう。

「ねーねー、これ下スクロールしないと見れないんだけど」

「……軽く指で触れるだけよ。妙な真似をしようとすればお前を敵とみなすわ」

「そんなに警戒しなくても手を組んで数時間で裏切りなんてしないさ」

「つまりそのうち裏切るという事かしら」

「麗佳ちゃん裏切って真比留サンに得があるってんなら裏切んじゃないかねー。お互い様さ」

 PDAの文章を読み終えた真比留は顔をあげ、ニヤリと笑みを返す。

「お互い様じゃないわ。私はお前に利用価値が無いと判断した時点で裏切るつもりだもの」

 真比留の笑みに冷たい視線を返し、PDAを仕舞う。

「なんだい? 最近流行りのツンデレってやつかい?」

「待ち伏せをするにしても上階に上がった方がいいわ。逆に待ち伏せされてる可能性もあるけど」

 冗談めいた真比留の発言を完全に無視し、麗佳は三階までの最短ルートを検討する。一介の女子大生に過ぎない麗佳は自分の非力さを理解していたので、まずは武装するべきだと判断したのだ。
 一階にはまともな武器が無かったが二階にはナイフや鎌など、使い方によっては他者を死に至らしめる武器が落ちていた。 落ちていたという表現は正しくないだろう。それらは埃の被っていない段ボール箱や木箱から見つかった。自分たちを誘拐した人間達が殺し合いを促進させる為に仕組んだと考えるのが妥当だ。だが本格的に殺し合いをさせるつもりならばわざわざ殺傷力の低い武器ばかりを与えるのは腑に落ちない。麗佳が出した結論は上の階程強い武器があるのではないだろうかという事だった。

「それよりもさー、食事でもしない?」

「するならもっと上に上がって武器を揃えてからにするわ」

「……それはどうかね」

 真比留は木箱に腰かけ、さっき拾ったカバー付きの鎌で横の木箱をトントンと叩いた。武器としては些か頼りないが抜き身で歩けば牽制にはなるだろう。

「こっちがそれなりの武器を揃える頃には他の奴らも同じくらいの武器を持ってるって事じゃないかい? 緊張感も高まるだろうし今の内に食事くらいは済ませておきたい」

「……一理あるわね。ただし食事だけよ。睡眠は後で」

「それでいいと思うよ。睡眠時は一番危険だろうしね。3日で睡眠一回……ちょっときついかな」

「こんな状況だもの、そのくらいで丁度いいわ」

 先程武器やツールと一緒に箱から取り出した保存食を均等に分け、麗佳は真比留にその半分を回した。

「調理って一緒にした方が光熱費が浮くんだよ?」

 このタイミングで真比留が毒物を仕込むなどとは麗佳も考えていなかった。麗佳が真比留を利用する気でいるように、真比留にとっても麗佳には利用価値がある。組むに値する人間が他に見つかる保証が無い以上、今この関係を崩すのはお互いにデメリットにしかならない。どうせ携帯コンロもひとつしかないのだから真比留が言うように一緒に調理した方が時間の短縮にもなる。
 だが……麗佳は目の前の、ツナギを身に纏った人物から距離を取っていた。信頼など欠片ほども無いのだが、そういったのとは違う、近寄りたくない雰囲気を感じていた。

「加熱が必要なのはレトルトカレーとご飯くらいかな。缶詰のコーン入れたら美味しくなりそう。コーン半分余ると思うからあげるよ」

「……ええ」

 理由はなんとなくわかっていた。警戒心を露わにしながら緊張の糸を張りつめている自分と、同じ状況にも関わらず余裕の色がみえる真比留があまりにも違い過ぎて、……。

「お前は……」

 この状況が怖くないの、と言いかけやめる。目の前の人間に弱みを見せれば向こうはいともたやすく切り捨てるだろう。自分だって今から一緒に殺人を犯そうとする人間が弱音を吐けば足手まといと判断するに違いない。自分以外はすべて敵。覚悟が揺るがぬよう、再び自分に言い聞かせた。

「麗佳ちゃーん」

 そんな麗佳の内心を知ってか知らずか、真比留が呑気な声で呼びかける。

「何?」

「麗佳ちゃんはさー、人殺した事ある?」

「失礼極まりない質問ね。こんな状況じゃなきゃ引っぱたいてるところだわ」

「バイオレンスだね」

「じゃあその言葉をそのまま返してあげるわ。お前は人を殺したことがあるの?」

「あったらとっくの昔に豚箱にぶち込まれてるとこだろうね。日本の殺人検挙率高いんだから。警察だって推理小説ほど無能じゃないさ」

「じゃあ殺せるの? これから」

 麗佳の瞳が真比留を捉え、威圧するように訊き返す。真比留も麗佳に負けぬ強さで視線を返し目を細める。重い沈黙が場を支配する。この場に第三者がいれば彼女らの近寄りがたい雰囲気に気圧される事だろう。
 重苦しい空気を破ったのはお茶用に沸かしていたヤカンの湯が沸騰を始める音だった。真比留は軽くため息をつくと視線を外し、携帯用コンロの火を止める。

「しかし、カレーに紅茶ってのはどうなんだろうね。緑茶用意してくれればいいのにさ」

「私は自分で淹れるわ」

「あいよ」

 ティーパックを入れた紙コップにお湯を注ぎながら答える真比留から視線を外し、麗佳は虚空を見上げる。視線の先にあるのはただ無機質な灰色の天井だった。



 右手に握った大きめの金槌をいつでも使えるように準備しながら高山は問いかける。

「それで俺になんのメリットがある? 俺はすべてルールを知っているがお前は知らない。一方的な取引になるだろう」

「ま、そりゃそうだろうな。不公平な取引なんざ俺だってお断りだ」

 対する手塚の武器は果物ナイフが一本。しかも目の前の男が相当な場数を踏んでいると本能的に感じ取っている。圧倒的不利の立場にも関わらず手塚は余裕の笑みを浮かべていた。高山もまたその手塚の態度を警戒していた。

「俺が知っててあんたが知らない情報ってのは無いからな……あの時のガキくらいか」

 ナイフを手に入れてすぐに見つけた幼い少女を思い出し少しだけ眉をひそめる。全力で追えば捕まえる事が出来ただろうが、その間に他の参加者から追われるリスクを考えて速度が落ちてしまった。そこまで固執する必要はないのだが意外に素早い少女を取り逃してしまった事が僅かながら手塚の自尊心に傷をつけた。

「だが事故に遭ってから保険を掛けたって役には立たねぇ。だろ?」

「お前が保険になると。つまりはそういう事か」

 手塚はここに来てから件の少女と今目の前にいる高山以外の人間には会っていなかった。ルールは殆ど把握していないが、ルール9があったおかげでこれから血生臭い争いが起きるであろうことは十分理解していた。

「まあ結局のところ条件が合わなかったらどうにもならないんだけどな」

 殺人を覚悟している手塚にとって交渉の余地が無いPDAは皆殺しの9だけだ。賞金目的での殺人鬼も厄介なのだが、生憎手塚のPDAにはそのルールが記載されていなかった。手塚とてルールを完全に把握しない内から強硬手段に出るのは危険だと判断している。上辺だけでも取り繕い、少女のPDAを奪ってしまえばもう少しルールを把握出来たのにと少し後悔する。だが過ぎ去った事をぐだぐだ言っても仕方がない。

「俺も無駄に争いをするつもりはない。特にお前のような厄介そうな奴とはな」

「出会って数分しか経ってねぇのに厄介とは失礼な評価だな」

「それだけ胡散臭さが表面に出ているということだ」

「へえ。そいつは気付かなかった。これからはもうちょっと注意しねぇと」

 手塚は相変わらずの笑みを浮かべたまま肩を竦めた。傍から見たら馬鹿にしていると捉えられかねないがそういうつもりが一切無いのだろうと高山は解釈し、非難しなかった。目の前の男は恐怖から道化を演じ、感情を誤魔化している訳ではない。ルールが揃っていないにも関わらず状況を把握し極めて冷静な判断が出来る状態にある。

「ルールとPDA番号の交換ならば乗ろう」

「あんたはルール、俺は解除条件を晒すって事か。そっちが解除条件を教えるつもりは?」

「無い。この条件が嫌なら別の奴にでも頼め。ルールを把握してる奴は他にもいるからな」

「一階のホールに集まったって連中か。話が通じそうな奴らなのか?」

「ゲームに乗る人間が多かったように思う。否定的なのは2、3人といったところか」

「ルールを把握して尚乗らない人間がいる事の方が驚きだな。どんな奴らだ?」

「……素直に他の参加者の情報が欲しいと言ったらどうだ」

「流石だな、旦那。気前が良いぜ」

 高山は無言で煙草を取り出し、火をつける。ここで過ごす3日間、煙草は貴重品になるだろう。たとえ備品として置かれていたとしても銘柄によっては口に合わない。高山が普段吸っているのは軽めの銘柄で喫煙家にあまり好まれないものだった。次に外国に行く時に未練がないようにと考えての事だったが慣れてしまえばこちらの方が口に馴染む。

「集まったのは俺を含め7人。漆山権造、郷田真弓、矢幡麗佳、御剣総一、長沢勇治、北条かれん。矢幡と長沢と北条はほぼ確実にゲームに乗っただろうな」

「特徴は?」

 高山は簡潔に外見上の特徴を説明する。あの中に似通った人物はいないので話を聞いただけの手塚でも間違える事はないだろう。まだ見ぬ参加者の中に似た外観を持つ人間がいれば話は別だがそこまで心配してやる謂れはない。話しを聞き終え、手塚もまた、自分の煙草に火をつけた。

「俺が見かけたガキを含めて、今のところ分かってるのは9人か」

「10人だ。既に1人死んでいる。御剣と郷田が俺達と合流する前に目撃したと言ったので俺も一応確認には行った」

 ホールから出た後、高山はまず落ちていた木製の椅子の脚を壊し武器にしてから、郷田と総一が話した少女の元へと向かった。彼らを疑っていたというより死体から何か情報が得られるのではと思っての事だった。

「死んだ? 戦闘禁止が解除される前にか?」

「寝ている間に首輪を作動させたか、首輪をしていない人間がいるのかだろうと御剣は言っていたな」

「もしくは作動しない偽物の首輪をつけた人間がいるか、だな。しかし……」

 手塚は顎に手を当て何やら思案に沈んでいた。

「ルールを教えてもらってもいいか?」

「ああ。一応手帳に書いておいた」

 黒い安物の手帳を取り出し、雑な字で書いたルールのページを開く。速記の技術を持っているわけではないのであまり他人に見せられるものではないのだが仕方ない。手帳から手を離さず手塚に見せた。手塚も自分のメモ帳を取り出しそれを書き写した。

「……成程、こりゃあ協力して脱出、なんて発想は出ないな」

 ペンと手帳を仕舞うと手塚は自分のPDAを取り出した。画面を高山に向け、約束した通りに番号を示した。勿論距離は取ったうえで、だ。掴みかかられてPDAを壊されたのではたまらない。用心が過ぎるとも思えるが最悪の場合を考慮して動かなければこのゲームでは生き残れないのだと手塚は理解していた。

「あんたのPDAは……まあどうせ教えちゃくれないんだろうな」

「当然だ。たとえ協力する余地があったとしても、お前にそれだけの価値があるかを確認してからだ」

「そりゃ手厳しいこって」

 聞かずとも返答を察していた手塚は茶化すように言った。

「俺としては今後、もし互いに手詰まりだと感じる事があったら協力する程度の関係は保っておきたいんだが」

 高山から聞いた一階に集まった人間の中で役に立ちそうな人間はおらず、残りの3人に期待する程の余裕は無い。手を組むまではいかなくとも停戦協定を結んでおきたいものだと手塚は考えていた。

「今後次第だな。悪いが俺はお前をそう簡単に信用できん」

「俺だってそうさ。だがわざわざ強い奴を狙うつもりはないからな。今のところあんたと対立するつもりはねぇよ」

 PDAをポケットに戻し、手塚は元来た道へ体を向ける。

「じゃあな。縁があればまた会おうぜ」

 高山も手塚とは反対の方向へ向かって歩み始める。

「ああ。その時は敵であって欲しくないものだ」



「え~とぉ、どうします~?」

「……このナイフくらいなら護身用になるんじゃないかな。どこに誘拐犯がいるかわからないからね」

 葉月克己は綺堂渚という女性と共に、二階のとある小部屋で休息を取っていた。傍から見たら親子のようにも見える2人は未だ状況を把握しきれていない。この建物に誘拐されてきたことはわかるのだが、どうして誘拐されたのか、これからどうすればいいのか、わからずに途方に暮れていた。だからこんな状況であっても見るからに人畜無害なおじさんである葉月とマイペースな渚は共に行動したほうが安全だと判断していた。

「多分この機械が手掛かりになると思うんだけどね……」

 葉月も渚もこのPDAの使い方がわからない。そもそもPDAという呼称自体知らず、下手に弄ると問題があるのではと思って未だトランプの図柄の待機画面のままだった。

「僕も歳かな……機械にはてんで弱くてね」

「私もわからないんだからおあいこですよ~」

「偶然二階への階段を見つけたから良かったけど、三階もあるのかな」

「どうでしょう~。でもこことっても広いですから、もっと上の階があるなら本当に迷っちゃいますね~」

「もう迷ってるんだけどね」

 そう言って笑いあう二人は、この殺伐とした状況では本当に貴重な存在だった。彼らはまさか、同じ建物内で今この瞬間、誰かが誰かを殺そうと企んでいるなどと想像もしていなかった。



「あたしは、……勝たなきゃ、いけないんだ」

 右手の小太刀を握り自分を勇気づける。一階にはあまりいい武器はないと判断したかりんは、先に上の階に上り、武器を集めることにした。二階には農作業に使うような刃物が、本来の用途とは別の目的で使うように、木箱に入れられていた。だがそれらは中学生のかりんにとっては少々重く、使いやすそうな小太刀を選んだ。鞘から刀身を抜き出すと、鋭い切っ先が光を反射する。

「勝たなきゃ……殺さ、なきゃ……」

 かりんが首輪を外すには、必ずしも誰かを殺す必要はない。協力者さえいれば穏便に条件を満たすこともできるかもしれない。

――でもそれじゃ、私しか、救えない。

なにに代えても守りたい愛する人のため、かりんは決意するしかなかった。

「大丈夫。きっと……出来るから」

 かりんは自分を勇気づけるように無理矢理言葉を紡ぐ。言葉にしなければ現実に押しつぶされてしまいそうで恐ろしかった。
 総一と郷田が見たという焼死体。それはやがての自分の姿かも知れないと考えると鳥肌が立ち、足が竦みそうになる。
 助けを求めたところでだれも手を差し伸べてなどくれはしない。だから私も助けない。誰かに手を差し伸べれば、その手で本来救う筈だった人間を救えなくなる。それだけは……絶対に嫌だ。
「待っててね、かれん……。あたしは絶対に、お金を持って帰るから……」



「せめてもう少し見やすい地図にしてほしいよなぁ」

 ようやく自分の位置を把握した長沢はエレベーターの前まで来ていた。だがすぐに安易にエレベーターを使うのは危険だと判断し、遠い位置にある階段へ向けて歩き始めた。その辺に落ちてた木の棒だけが彼を守る武器となっていたが、本当に必要としているのはこんなその場しのぎの武器ではない。

「銃とかはもっと後から出てくんだろうな。ほんとにゲームみたいだ」

 この込み入ったルールも、自分の命がかかった首輪の解除も、まったくゲームと呼ぶにふさわしい。そしてそれは長沢にとって本当の"ゲーム"だった。

「でもこれ、俺にとってはラッキーだよなー!」

 普段の長沢が犯罪行為に手を染めないのにはふたつの理由がある。そのうちのひとつ……法律の問題についてはここでは適用されない事が分かっている。直接そうだと言われた訳ではないが13人も誘拐して法の裁きから逃れている人間達が作ったゲームの中なのだから、最悪裁判沙汰になっても不可抗力と捉えられるだろう。

「そういえば例の焼けた死体ってどこだ? 一度見ておきたいな、そういうの!」

 焼死体などなかなかお目にかかれるものではない。生まれてこのかた人の死というものに触れたことが無い長沢にとってそれは興味をそそられるものだった。テレビゲームに出てくるような作られた死体とは違う、人間のなれの果て。生身の人間が中途半端に焼かれた姿がどれほどおぞましいものか、長沢には想像もつかなかった。

「ま、やっぱり自分で殺すのが一番楽しみだけどな!」

 長沢を犯罪の衝動から繋ぎとめていたもうひとつの要因……それは良心の呵責などではない。本来小心者で、口では偉そうなことを言っても何もできないその性格がブレーキとなっていた。だがここには普段の彼を知る者は誰もいない。だからこそ本当になりたい自分、弱者を暴力でねじ伏せる事が出来る自分になれる。長沢は心底楽しそうな表情で歩みを進めていくのだった。



 現在生存している12人の中で一番上階にいたのは郷田だった。だが今五階にいる彼女は階段を順に上っていったのではない。一階から六階までエレベーターで上がり、そこから下るという形をとったのだ。

「でもそろそろ武器を持たないと危険よね。あんまり重いものは持ちたくないから、早く下の階に降りたほうがいいかしら」

 戦闘禁止が解除された今、武器を持たずに俳諧するのは危険この上ない。その時、郷田のPDAから電子音が鳴る。ハンドバックからPDAを取り出すと、その画面を確認しため息をつく。

「一体何事? この忙しいのに……」





[28780] 四話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/09/23 11:30
 総一達は三階への階段に向かう途中、ある一室で体を休めていた。目的は武器と食料の調達だった。これから先優希を守っていかなければならないと考えると、身を守る武器はあった方がいい。二階に配置されているのはナイフや包丁など用途の広い物や、鉈などの大型の刃物、数は少ないがファンタジーに出てきそうな剣などもあり、殺し合いに使うには些か不安な物ばかりだった。だが今の総一の目的はあくまで護身なのでそれでも十分驚異的な武器ばかりだった。その中で遠距離から攻撃が出来るクロスボウを見つけたのはまったく幸運という他ない。

「それ、弓矢?」

「これはクロスボウってやつだよ。ここに矢を番えて引き金を引けば、ピュンって飛んでいくんだ」

 優希に簡単に説明しながら、総一は首筋に冷や汗が流れるのを感じていた。
――こんなもの、日常生活で使うような物じゃない。
 思い浮かぶ用途は山で獣を仕留めるくらいだろうか。だがここにある以上、用意した人間達は別の目的の為に使ってほしいに違いない。獣ではなく、人間を仕留める為に。

「他には……」

 気を紛らす為に再び木箱の中を漁ると、今度は金属製の小さな折り畳みナイフを見つけた。ゆっくりと刃を引き出すと刃渡り10センチ程の刃先が鈍い光を反射する。切れ味は良さそうだ。
 床に置かれたクロスボウを眺めていた優希もそれへ視線を移し、身を硬くする。

「ナイフ……」

 優希が呟くと、別の箱を調べていた漆山も総一の持っているナイフに気が付いた。

「なんだ、武器はそっちにあったのか。こっちの箱は食い物と変な箱だけだ」

「食料……あったんですか」

 未だナイフの刃を出したまま僅かな動揺を隠しきれない総一は近づいて来る漆山に適当な返事を返した。

「肥後守と……なんだそれは? 弓か?」

「ひごのかみ?」

 漆山の口から出た聞き慣れない言葉に疑問を抱く。恐らく今自分が持っているナイフの事を指しているのだろう。

「違うのか? ほれ、そこに書いとらんのか」

 漆山は半ば強引に総一の手からナイフを奪い取り、折りたたんでハンドルの部分を確認する。文字が刻まれた部分を指でなぞると再び刃を出してまじまじと見つめる。

「ちゃんと手入れされとらんじゃないか。それなりには使えそうだが……」

 ここにナイフが置かれている理由を察していないのか、漆山は興味深げにナイフを触っていた。刃物といえばハサミかカッターナイフぐらいしか目にしない総一とは違い、漆山くらいの世代の人間にとっては馴染み深いものだった。同じ建物内の離れた場所で葉月克己という年配の男性が迷わずナイフを持てたのも同じような理由なのだろう。どんな道具でも使い方次第では大いに役立つし、他人を傷つける脅威にもなる。しかし、そんな刃物を使い慣れた漆山の雰囲気は今の総一にとって受け入れがたいものだった。
――もし彼がこれを手にしたら、それで俺を脅して優希に危害を加えるんじゃないだろうか。
 事あるごとに優希に対して嘗めるような視線を向けていた漆山だ。そのくらいの事はやりかねない。

「俺はこれを貰うぞ。そっちの弓はお前にくれてやる。ありがたく思え」

 案の定、漆山はそう言い放った。総一としても出来る事ならナイフを持ちたくは無いが漆山に持たせるのもかなり不安だった。

「あの……漆山さん、武器に関してはまた後でいいじゃないですか」

「なんだ小僧、お前もこれが欲しいのか?」

 漆山はあからさまに嫌そうな顔を総一に向ける。総一が生き残る為に誰か――QのPDAを持つ人間を殺さなくてはならない事を思い出したからだ。自分はQではないから安全だが、最近の若者はキレやすいと言うし、優希を独占したいがために攻撃して来るのではないかという疑念もあった。

「俺も武器は使い慣れていませんし、そういった使いやすい武器を持ちたいんですが」

「だからその弓矢をくれてやると言ってるだろうが! そもそもお前みたいな青二才に刃物が使えるのか!?」

「……必要とあらば」

 優希を守る為なら、覚悟をしなければならない。その気持ちが総一の言葉に重みを持たせた。総一の強気な態度に押され漆山は怯むが、護身用具を手に入れる為となるとそれでも退かなかった。

「俺は優希を守る為にもそれが必要なんです。漆山さんがそれを持つという事は、俺達の前に立ってくれるんですね?」

「ぐっ……」

 言葉を詰まらせる漆山を無言で睨みつける総一。その沈黙を破ったのは腹の虫が鳴く音だった。総一ではない。

「し、仕方無いだろ! ここに来てから何も食べてないんだ!」

 続いて優希の、総一の腹の虫も音を立てる。ここに来て半日、戦闘禁止エリアでのお茶以外何も口にしていないのだから当然だ。

「じゃあご飯にしましょう。食料もありますし。な、優希」

 確かに自分の態度も少々大人げなかったな、と総一は思い、少しだけ肩の力を落とす。無理矢理笑顔を作り箱の底に残っていた食料を取り出していると、PDAの拡張ツールというものを見つけた。これをPDAに差し込めば機能が追加されるらしい。

「トラップサーチ……この建物、罠があったのか」

 どんな罠かはわからないが、今までそれにかからなかったのは幸運だった。このツールを使うとPDAの地図に罠の位置が表示されるらしいが、バッテリーを余分に使うというのが問題だった。

「機能を起動している時だけらしいけど、消費量"小"ってどのくらいなんだろう」

「……どのPDAに入れるんだ?」

 ここにあるPDAは3つ。総一のA、漆山の6、優希の7。

「俺のがいいと思います。どうせ普通の方法じゃ首輪を解除出来ませんし」

 漆山の態度は色々と腹に据えかねる部分もあったが、向こうもこれ以上総一と口論するつもりがないようなのでそこで矛を収めることにした。



 料理、とは言ってもレトルト食品を加熱するくらいが限界だった。小学生の優希に出来る料理は家庭科レベルだし、総一も同じようなものだ。漆山はそもそも料理をする気などなかった。

「お料理出来たら良かったんだけどね」

「最近のレトルト食品っておいしいよな。時々無性に食べたくなる」

 勿論手料理に勝るものはないが種類豊富で様々な工夫を凝らしたカップラーメンには抗いがたい魅力がある。ここにはカップ焼きそば肉味噌味しかなかった。初めて食べたがなかなかにうまい。

「わたしカップラーメン食べるの初めて!」

 焼きそばを頬張りながら優希は本当に嬉しそうな顔で総一に語りかけた。

「優希のお母さんはジャンクフード嫌いなのか?」

「うーん、どうだろう。お料理はいつもシェフさんがやってくれてるから。昔カップラーメン食べたいって言ったら栄養がダメとか言われたの」

 総一の頭の中に料理番組で見たことのある白く長いコック帽を被った人影が浮かんでくる。いつもプロの料理人が料理を作るなどという事は庶民には縁遠い話だ。つまり優希の家はかなりのお金持ちなのだろう、と総一は結論付けた。

「確かにカップラーメンは栄養のバランスが悪いけど、忙しい現代社会の若者には欠かせないものだと思う。味の種類も豊富だし毎日食べても飽きない! 日本人に生まれてきて良かったと思うよ、俺」

 両親が共働きであるせいで即席麺には随分とお世話になっている。他にもレトルトのカレーなども手軽にできてボリュームがあるので好きだ。

「ふん! 食えるもんならまともな飯の方がいいに決まっとる」

 少し離れて座っていた漆山が悪態をつく。総一と優希が仲良くしているのが気に食わないのか、漆山は一緒に行動してはいるが距離を置いて接している。

「漆山さんだってこういうもののお世話になっているんじゃないですか?」

 皮肉も込めて言ってやると、漆山は僅かに顔を紅潮させ、総一を睨みつけた。

「お、俺が毎日インスタントばっかり食ってると言いたいのか!」

「いやほら、こういうのって楽ですから一人暮らししてると重宝するだろうなと思って」

 よく考えれば未婚か否かは聞いていなかったのだが、総一は漆山が結婚しているとは想像できなかった。

「お前なんぞと一緒にするな!」

「悪気があって言ったんじゃないんです」

 機嫌を損ねた漆山を触発しないように対応しながら、謝らない事でささやかな抵抗の意思を示す。漆山は残った焼きそばをいっきに呑み込むと立ち上がり、近くのドアへ向かった。ひとりで行動するのは危険だと思う一方、いっそそのまま出て行って欲しいという感情を持ちながら総一は一応声を掛けた。

「漆山さん、どこに行くんですか」

「ションベンだっ!」

 ……別行動をするつもりはないらしい。
 この建物には結構な数のトイレが備え付けられてる。三日間閉じ込めておくのだから当然といえば当然なのだが、ウォシュレット付きだったり柔らかいダブルの紙を使っていたりと誘拐犯の無駄な拘りを感じた。水洗式であるところから察するにこの建物の下水整備もしっかりしているらしい。一階のホールも病院かデパートのなれの果てのようだったから、もしかしたらその名残りなのかも知れない。総一達のいる部屋にはトイレは無いが、その隣の部屋にはトイレが備え付けてあったのを確認済みだ。漆山もそこへ向かったのだろう。

「ねえ、お兄ちゃん」

 焼きそばを食べ終えた優希は総一に身体を寄せ、凭れ掛かかった。右肩にかかる重さが不安の募る総一の心を慰めてくれる。それは優希も同じで、頼れる人間が他にいない場所で唯一信頼できる相手だった。

「どうして、わたし達誘拐されたのかな」

「うーん、身代金じゃないみたいだけど、どうしてなんだろうね」

 それは総一も疑問に思っていた事だった。迷路のように広大で複雑な建物、行動を制限するルールと首輪、不自然に配置された武器……。それらのいずれもが、これが只の誘拐ではない事を示唆している。

「お兄ちゃんはQの人を殺さないんだよね? じゃあどうやって首輪を外すの?」

「……最悪の場合、どうにか力づくで外せないかなぁと思ってるけど」

「そんな事したら首に怪我しちゃうよ!」

「まあまだ時間はあるんだし、もしかしたらこれから手掛かりが手に入るかも知れないからさ」

 PDAの電源を入れ、経過時間を確認して優希に見せる。

「ほら、まだ15時間くらいしか経ってないし、他に協力し合えそうな人に出会えるかも知れないだろ?」

「……あのおじさんみたいな?」

「みんながみんな、あんな感じじゃないと思うよ。頼りになる大人だっているかも知れない」

 本人のいない場所で悪口を言う事に多少なりとも罪悪感を覚えそうなものだが、さっきまでの漆山の態度を思い出せばどう考えても……邪魔としか言いようがない。せめてこちらの行動に文句を言わずにいてくれるなら良いのだが、何かと口やかましく、優希に対しても劣情を抱いているようなので救いようが無い。

「お兄ちゃんは、もし誰かが襲って来たらどうするの?」

「条件次第では協力し合えるんだし、どうにか交渉したいところだな。仕方なく誰かを襲ってる人もいるだろうし。優希の条件の為にも他の参加者に会わないといけないからな」

 優希の解除条件は開始から6時間以降――つまり戦闘禁止が解除されてから他の参加者全員と出会う事だ。死亡者は免除らしいので最初に死んだ少女は入れなくていい。

「優希を追いかけて来たっていう男は、どのくらい近づいた?」

「んっと、そんなに近づかなかったよ。怖くてすぐに逃げたから」

「遭遇としか書いてないからどの程度近寄ればいいのか分からないな……一応そいつも含めるなら、残りは9人か」

 高山、郷田、麗佳、長沢、かりん、優希が見た帽子の男……まだ遭遇していない人間が3人いる。あの時すぐに姿を消した4人と帽子の男は一筋縄ではいかないだろう。今優先して会いたいのは郷田と、まだ見ぬ3人だった。ルールすら把握していないのならこちらにイニシアチブがあるし、反戦派ならこれほど心強い事は無い。漆山も今のところ積極的に戦うつもりはないようだが、だからといって他の参加者を助けようと思うような人間ではない。
 視線をクロスボウに向ける。同じ木箱に入っていた矢は4本。必ず命中する訳ではない事を考えれば些か頼りない数ではあった。
 そういえば……さっきのナイフはどこに?考えて、漆山が持っていたままだという事を思い出す。隣の部屋は別の通路とも繋がっているから、ひょっとするとそのまま外に出たのかも知れない。総一の心の中では相変わらず漆山に対する反感とそれでも死んでほしくは無いという気持ちが混ぜこぜになっていた。

「ここに表示されてるよ、ほら」

 優希の言葉に一旦思考を打ち切り差し出された優希のPDAを見る。待機画面に総一のPDAにはない文字――生存者数が表示されていた。ルール9には記載されていなかったがこれは7のPDAに最初から入っている機能だった。

「生存者は残り12人……最初の女の子以外は無事みたいだな」

 たとえ敵ではあっても死んでほしくないと願う総一にとってはありがたい情報だった。最初の女の子を救えなかった事が悔しくて堪らないが、今更どうしようとも彼女が生き返る訳ではない。

 バタンと乱暴に扉を開ける音が聞こえ、漆山が帰ってきた。漆山は無言のまま、総一達から離れた位置にある木箱に足を組んで腰を下ろした。煙草に火を点けようとするが、ライターがうまく点火しない。総一はそのまま優希と対話を続けようと思ったがその前に漆山が総一に声を掛けてきた。

「おい! 小僧! 食事は終わったんだ! さっさと階段に行くぞ!」

「ちょっと待ってください。もう少し休憩しましょうよ。これからも暫く歩き続けなければならないんですから」

 総一自身はそこまで無かったが、ひとりで二階へ登り、逃げ回った優希は体力を結構消耗していた。特に今は食後だ。もう少し休憩してもばちは当たらないだろう。

「な……なんだと! 俺の言う事が聞けないのか! 年長者は敬えと教わらなかったのか、貴様!」

 漆山はその言葉を聞いていきなり怒りだした。まさかここまで怒鳴られるとは思っていなかった総一は一瞬驚くが、負けじと睨みつけた。

「俺達と優希じゃ体力が違うんです。これからの事も考えたら、今休んでおいた方が――」

「うるさいっ! こっちが大人しくしていれば調子に乗りやがって! 一階で死んでいた娘というのもお前が殺したんじゃないのか!?」

 いかにも三流のチンピラらしい台詞を吐きながら罵られ、流石に頭に血が昇る。

「なっ……ふざけるな! 言っていい事と悪い事があるだろ!」

「お前が郷田さんに会う前に娘を殺していれば辻褄は合うじゃないか! そうに決まってる! おかしいと思ってたんだ、死体を見たとか言っとる癖にヘラヘラ笑ってばかりで!」

「あの時戦闘禁止だったんだぞ! 俺が首輪を作動させられる訳が無い!」

「目覚める前に作動させればいいとかお前、言ってただろう! そんな事を思いつくのはお前がやったからなんじゃないのか!?」

 その仮説を立てたのは郷田だったのだが、他の参加者に死体の状況含め説明をしたのは総一だった。女性の口から言わせるのは気の毒だと思い総一が話したのだが、漆山がそのような心遣いを知るはずもない。

「その仮説は郷田さんが言ったんです! 俺じゃない!」

「ふん、どうだかな! それをどうやって証明出来る? 郷田さんをここに連れて来るか!?」

「それが出来れば苦労しねぇよっ!!」

 総一もいつの間にか普段口にしないような乱暴な口調で怒鳴った。それが更に漆山を激昂させ、漆山の暴言が総一を煽る。
 そんな堂々巡りが何度行われただろうか。

「お前だってそうだろ! 年食っただけで偉そうにしてるけど実際は何の役にも立たない!」

「なんだと!? たかだか20年も生きとらんガキが偉そうに!」

 これまでの漆山に対する内なる嫌悪感も相まって言葉が止まらない。今、彼の目に映っているのは醜悪な姿を晒す"敵"だけだ。

「や……やめて、……やめてよお兄ちゃんっ!」

 そんな総一を現実に引き戻したのは、やはり第三者の声だった。優希のその声と涙は二人の口論を止めるだけの力があった。そして、自分でも信じられない程爆発していた怒りが、急速に収まっていくのを感じる。 ……そう、信じられない程に。

「ごめん……済まなかった、優希……」

 糸の切れた人形のように全身から力が抜ける。一体どうして自分はここまでヒートアップしていたんだろう。ここまで全力で怒ったのはいつ振りだろうか。少なくとも……彼女が死んでからは一度も感情に溺れることは無かった。

「……」

 漆山も何か言いたげだったが興が冷めたのか、これ以上追従して来る事は無かった。木箱に座ると、さっき点かなかったライターを使って再び煙草を吸おうと試みた。今度は一回で火が点いた。まだ全然言い足りなかったが、少し落ち着いたのか、煙草を吸う事でストレスを発散出来た。

「わたしは……今の……優しいお兄ちゃんが好きだから……」

「……ありがとう」

 泣きながら総一に抱きついてくる優希に救われた気持ちになる。名前が同じというだけなのに、その安心感はなんだか彼女に似ているような気もする。
 ……きっと気のせいだろう。だが総一は、今だけはそれに甘える事にした。さっきの怒鳴り合いで溜まっていたあらゆる負の感情を吐き出したのだろうか、今までにない程に穏やかな気分だった。
――ありがとう、優希。俺の前に……もう一度現れてくれて。
――そして、願わくば……。
 総一の頬に流れる一筋の涙に気付いた者は誰もいなかった。




[28780] 五話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/09/29 22:37
 変わり映えのしない灰色の壁に入り組んだ通路、葉月はかつて、幼い娘と共に入った遊園地の迷路を思い出していた。勿論子ども向けなのでモノトーンの単色という訳ではなく、目に優しい色で明るい絵が描かれていた。迷ってはいても絵にバリエーションがあったため、親子は楽しみながら迷う事が出来た。
 だがここではそうもいかず、今の状況が楽観視出来ないと分かっていても些か脱力気味だった。もし葉月がひとりだったら――渚と出会っていなければ、こんなものでは済まなかっただろう。それは渚も同じで、葉月と出会えていなければ困り果ててしまっただろう。
 一階でのホールへの移動という発想が遅れた二人は、他の参加者と遭遇するチャンスが大分少なかった。

「あ、葉月さん~! あそこ、誰かいますよ~!」

 渚の声に葉月も反応し、視線を横道にずらすと、確かにそこには人影が見えた。

「おーい! そこの君!」

 ようやく他の参加者を見つけた葉月は遠くから大声で呼びかけた。

「良かったですね~、あの子ならこの機械の使い方も分かるかも知れませんし」

「そうだね。若い子はこういうものを使い慣れているからね」

「うう~。そう言われると私が若くないみたいじゃないですか~」

「ははは。そういうつもりで言ったんじゃないよ。誰だって得手不得手があるものさ」

 話しながらゆっくりと歩く二人に怯えの色は見えない。少なくとも目の前にいる年端もゆかぬ少年が誘拐犯などという事は想像もつかなかった。向こうも葉月達に怯える様子はなく、その場に立ち尽くしている。少年が葉月の持っているような刃物を持っている事に気付いたが、自分たちのように誘拐犯に備えてのものだろうと考えて気にしなかった。

「君もここに誘拐されて来たのかい?」

 少年を怯えさせないように優しく語りかけたが、対する少年はにやにやと笑いながら葉月と渚を観察した。一階のあの場に居なかったという事はルールを把握していない可能性が高い。ましてや目の前の二人からは敵意のようなものが感じられず、未だ状況を把握出来ていないのだろうとすぐに分かった。

「まぁね。おじさん達もそうなんだろうね、首輪してるし」

「これの事だね。一体何の意味があるのか分からないんだが……」

「やっぱり何も分かってないんだな、あんた達」

 長沢がすぐにも攻撃を仕掛けなかったのは、葉月もまた鞘に納めたナイフを持っていたからだ。人柄の良さそうな中年男と見るからに能天気そうな女。隙を見てナイフを刺せばひとりくらい殺せるかも知れない……長沢はそんな事を考えていた。

「僕は葉月克己。彼女は綺堂渚さん。君の名前を聞いてもいいかな?」

「長沢勇治」

「長沢君は僕達よりも状況を理解しているようだけど、もしかしてこれの使い方を知ってるんじゃないかな」

「PDAの使い方? もしかしておじさん達、電源も入れてないのかよ?」

 まさかそんな初歩的な事を聞かれるとは思っていなかった長沢は拍子抜けする。同時に、目の前の相手に対して自分の方が優位に立っているという僅かな優越感を感じていた。普段年長者にも同年代の人間にも馬鹿にされ続け、何一つとして実力を示す事が出来ない長沢にとってそれは僅かばかりの快感でもあった。

「今はトランプみたいな画面なんだけど~、このボタン押したら爆発とかしないかな~?」

「するわけねぇじゃん! 馬鹿じゃねぇの!?」

「ひどいよぅ~。でも、爆発しないならこれ押していいのかな~」

 長沢は渚の発言に馬鹿にしたような笑いを返すが、そこには悪意は籠っておらず、本当に面白いと思って笑っていた。 ――ボタンがひとつしかないような機械の使い方も分からないのかよっ!嘲りとも言えるその感情が、かえって葉月と渚を救ったのかも知れない。慢心は油断となりやすいが、それを真に理解していなければ相手に対して甘くなる。

「そ。そのボタンを押したら画面が変わるぜ」

「本当だ。……勝手に持ち出しておいてこんな事言うのもおかしいが、勝手に使っていいんだろうか」

「勝手にも何も、それ、俺達の為に用意された奴だからいいんだって!」

「ルール、機能、解除条件……何の事だろう」

「教えてやろうか?」

 長沢が葉月達にわざわざ情報を教えるのは、自分が誰かに頼られる事で気をよくしたからだった。殺すのはまた後でもいいだろうと思い、今は二人にあれこれと教えていた。ルールの事、一階で出会った参加者の事、実際には見ていないが既に殺されたという少女の事……。その度に葉月と渚が驚き、長沢に感謝する。それが面白くて結局唯一のアドバンテージである情報を二人にすべて話してしまった。

「殺し合いが起きるのか……あまり考えたくは無いが、こんな状況じゃそういう手を打つ人間がいてもおかしくはないか」

「私殺されるの嫌です~」

「あんたはトロそうだからすぐ殺されるだろうな。……葉月のおじさんだってそれで誰か殺すつもりなんだろ?」

「まさか! これは誘拐犯に対する牽制のつもりで持っているだけだ。本気で誰かを傷つけようなんて思っちゃいない」

 そんな葉月の反応を見て、長沢は目の前の二人が確かに人畜無害な存在なのだと確信した。そして……そういった人間が、このゲームの中で長生きする事は不可能だろう。信頼していた人間に殺されるかも知れないし、今の長沢のようにゲームに乗った人間の犠牲となるかも知れない。
 だが、今の長沢にとっては葉月でさえも分が悪い。普段からろくに運動もせず、喧嘩もしたことが無い、そんな長沢が勝てる相手などほとんどいない。そして、自分が彼らに情報を与えたのは失敗だったとようやく気がつき、何も知らない内に襲い掛かれば良かったと後悔する。自分の力量について過大評価している長沢ではあったがそれでも2対1、しかも葉月は使う気は無いとはいえナイフを持っているとなればそう簡単に攻撃は出来ない。するならもっと後で――人数や体格など関係ないほどの強い武器を手に入れてからだ。

「ふーん。じゃあ葉月のおじさんのPDAは殺人が条件じゃないんだな」

「……君は殺人を犯さなければならない解除条件なのかい?」

「ノーコメントで。そんな簡単に条件バラしちゃゲームにならないじゃんか」

「長沢君、確かにこれはゲームと銘打ってあるかも知れないが、事態はそんなに簡単じゃ……」

「分かってるって! 命が掛かってる、って話だろ?」

「……分かっているならいいんだが……」

 葉月は長沢がゲームに乗っているのではないかと考えていた。抜き身のナイフを持ちながら歩いているだけならば姿の見えぬ誘拐犯に怯えているのだろうと思える。だが長沢の余裕に満ちた態度からはそんな感情は読み取れない。むしろ、そう――新しいオモチャを与えられた子どもそのものに見える。

「そうだ~! 長沢くんも私達と一緒に他の人を探さない~?」

「渚の姉ちゃん……それ本気で言ってんの? こんな状況で余裕だな」

「え? なんで~? つまりみんなで一緒なら安心って事でしょ~?」

「今の話のどこを聞いたらそんな結論になるんだよ。どうせ殺人が条件になるような人間がいるんだから、裏切られて殺されるのがオチに決まってるじゃん」

「だからぁ~、みんなで仲良くしてれば裏切りたくないって思うじゃない」

「……で? 殺さなきゃ首輪が外れない奴らは見殺し?」

「……えっと、その~……」

 長沢の質問に、今まで平和そうな笑顔を浮かべていた渚の表情が曇る。既に一人、何者かによって殺害されている。この時点でゲームを平和的に終わらせることなど不可能に近い。長沢の意見は残酷ではあるが、この状況では最も現実的な考え方ともいえる。

「長沢君、もしも僕がPDAを見せたら、君は自分のPDAを見せてくれるかい?」

 渚の不安で満ちた混乱を止めたのは葉月のそんな言葉だった。

「そんな提案するって事は、そんなにヤバい条件じゃないんだ」

「どうだろうね。僕としてはPDA云々はおまけで、本当は君の力を借りたいんだ。知っての通り僕と渚さんは機械には疎いし、頭の回転が速いとも言えない。だからこそ君が一緒に行動してくれれば僕たちにとってはありがたい限りなんだが」

 半分本心、半分建前の言葉だった。このまま一人にすればこの少年は間違いなく誰かを傷つけてしまう。だがこの年頃の子どもに説教をしても、反発を招くだけで、理解はしてもらえないだろう。だから彼を必要な存在とすることで満足させ、他者との交流で早まった考えを改めてもらえないだろうか。それに今の葉月と渚だけではこのゲームについていくのが難しい事も事実だった。もし彼が葉月の狙い通りに協力してくれるなら――確かにそれは願っても無い事だ。

「別におじさん達の事嫌いじゃないけど、一緒に行動もPDAの番号教えるのも嫌だな。頼りないし!」

「長沢くん~……」

「……そうか。残念だよ。でもこんな状況だ、仕方ないだろう。でも覚えておいてほしい。僕達は君と争うつもりはない……他の参加者ともね」

「ほんっとに平和ボケしてるな。ひとつ忠告しとくけど、そんなんじゃすぐに殺されるぜ?」

「そうだね。そうかも知れない」

「ま、勝手にすれば? 言っとくけど、次に会った時は俺、あんたら殺すかも知れないぜ?」

「ええ~!? 嫌だよぅ、そんなの~!」

「……せめて君が無事でいる事を祈っておくよ。殺人は手伝えないけど、他に困ったことがあれば協力するから。長沢君には大きな借りを作ってしまったからね」

 長沢の言葉に眉を寄せる事も無く、葉月は穏やかな返答をする。渚は相変わらずおどおどしていたが、葉月の言葉で諦めたように肩を落とした。



 長沢と別れてすぐに葉月が行ったのは、近くの部屋を調べる事だった。彼の話を信じるのならばこれからは身を守る武器を持った方がいいだろうと考えての事だ。渚も木箱を漁るのを手伝っていた。二人が入った部屋にあった木箱は3つ。どれも中身は少ないが、このゲームで重要な道具が入っているのは多くがこの箱だ。

「……これは、……こんな場所で木を切れ、などと言う訳が無いな……」

 少し眉間に皺を寄せ、葉月は箱の中身を取り出した。渚がそちらを振り向くと床に置かれた斧を指でつついた。

「うわ~、凄いですね~。本当に切れるんでしょうか~」

「……いずれにせよ、これは持っていけないな。僕には重すぎるよ」

 葉月とて命の危機を身近に感じていれば不本意ながらも持ち歩いただろう。だが今の葉月にとって目の前の斧は自分や渚の身を守る為の武器とはなり得なかった。渚もそれを理解しているようで斧から離れ、音を立てて両手を合わせた。

「あ、そういえば~、こっちにもありましたよ~。武器が~」

「本当かい? どんな武器なのかな」

 渚の表情から斧のようにあからさまに危険な物ではないのだろうと考えた葉月は、不安を表に出さずに渚が漁っていた箱に近づいた。一足早く箱に駆け寄った渚は、見つけた宝物を自慢するかのようにそれを差し出した。

「じゃ~ん! これです~!」

「……これは、何なのかな。鉄の塊に見えるけど」

 鉄の塊に4つの穴が並んで開いているそれに見覚えはない。渚はこれを武器だと言った。彼女はこれを何かと間違えているのか、それとも正しい使い方を理解しているのか……。

「これはですね~、こうやって~」

 渚はそれを右手の親指以外の四本の指に通した。葉月もようやく、それの使い方を理解した。

「昔の学園ドラマで不良が使っていたやつだね。喧嘩の時に使うやつだ」

「こんなので殴られたら痛いでしょうね~。これ、なんていう名前でしたっけ~」

「うーん……僕も名前までは覚えてないなあ。残念だけど僕には使いこなせそうにはないな」

 若かりし頃も殴り合いの喧嘩など殆どした事の無い葉月としては、持っているだけで威嚇になりそうな武器――せめてさっき手に入れたナイフなどが欲しかった。ナイフが数本あれば、……あまり考えたくは無いが、投擲武器としても使える。渚はそれを――メリケンサックを指に通したまま、殴る真似事をしていた。その光景を見てクスリを笑いながら葉月は再び役に立ちそうな物を探し始めた。

「えいっ! えいっ! 私が強かったら悪い人達が来ても倒せるのに~!」

「あはは。渚さんのイメージには合わないね」

「戦うヒロインって最近流行ってるらしいですから~」

 残念ながらここにある武器は斧とメリケンサックのみだった。その代わり、二人で食べれば現在の空腹を満たせるだけの食糧があった。これからずっと歩き続けなければいけない事を考えれば、ここで食事を摂っておくのは悪くない選択だ。

「ふんふんふふ~ん♪」

 鼻歌交じりにカップラーメンとお茶の準備をする渚。変化のない移動で疲れていた渚には違った事が出来るだけでも楽しいのだろう。たとえお湯を注ぐだけの料理であっても気分次第で味が変わるような気がする。
 その間、葉月は木箱を壊して、棍棒として確保していた。本当は二本用意して葉月と渚それぞれが持つようにしたかったが、やはり渚に持たせるのは気が引けたので結局葉月の分だけとなった。

「葉月さんは味噌ラーメンと塩ラーメン、どっちがいいですか~?」

「どっちも好きだから決められないな。渚さん、先に決めてくれないかい?」

「じゃあ味噌ラーメンを貰いま~す。野菜が一緒にあればよかったんですけどね~。あとバターも」

「ラーメンにバターを入れるのかい?」

「はい~。味噌ラーメンとはとっても相性がいいんですよ~」

 勿論こんな場所で無い物ねだりをしても仕方がないので渚はそのままラーメンを啜る。相当歩いたからだろう、たとえ即席麺でもその香りが食欲をそそる。

「ん~! おいし~い! 毎日は嫌だけど、たまにはカップラーメンもいいですね~!」

「そうだね。僕も久しぶりに食べたけど、やっぱり美味しいよ」

「ふふっ。いつもは奥さんのお弁当ですか~?」

 葉月には長年連れ添った妻と目に入れても痛くない程大切にしている娘がいる。いきなり誘拐されて、二人に心配を掛けるのが何よりも心苦しい。渚との話題もその殆どが家族に関するものだった。それ以外に話が弾みそうな話題が無かったのもあるが、家族の話をしている時の葉月は本当に幸せそうだった。そんな葉月を見るのが好きで、渚は聞き手に徹していた。

「――それで、まさかと思って確認すると、確かに弁当が無かったんだよ」

「それじゃあその日は愛妻弁当食べられなかったんですね~」

「弁当は帰ってから、晩御飯として食べたよ。その日の昼間かな。最後にカップラーメンを食べたのは」

 自分の話に相槌を打ってくれる渚に、葉月は自分の娘を重ねていた。外見は渚の方が幼く見えるが娘と同い年らしい。
――……渚さんには生き残って欲しい。
 葉月が自分の娘を愛するように、渚にもきっと愛してくれる家族がいるのだろう。勿論すべての家庭がそううまくいっている訳ではない事は理解しているが、それでも、渚が幸せな人生を歩んでいると信じたかった。さっき確認したが、彼女が生きて帰る為には24時間以上行動を共にした人間が生き残らなくてはならない。信頼できる人間が現れる保証は無いのだから、葉月が生き残る事が渚を救う一番の近道だろう。
 出来る事ならばさっきの少年――長沢にも力を貸してやりたいが、それが人道に背くものでない事を願う他ない。これからどうなるのか、想像もつかないが……頑張るしかない。月並みな言葉だが、今の葉月が至る結論はそれだけだった。





[28780] 六話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/10/07 09:19

 右手にクロスボウを、左手に優希の小さな手を掴みながら、総一は三階への道のりを黙々と進んでいた。漆山との溝は埋まらず、その事が優希に更なる不安を与えている事は理解している。だが……この場で彼を突き放して、死んでしまったら……。そうなれば総一と優希は深い後悔に襲われ、己の選択を悔いるだろう。それがたとえ好きではない人間だとしても。だからせめて、漆山が自分から別行動を取りたいと言い出すまで我慢していよう。総一にとっては最大限の譲歩だった。

 共に歩く総一と優希の前を漆山が大股で進んでいるので、優希は少し早歩きになっていた。総一は一言文句を言ってやりたい気分に駆られるが、思いとどまる。漆山も二人の顔を見たくないし、優希の視界になるべく入れないようにという意味も込めて、こういう配列に落ち着いたのだった。勿論、当の漆山にそれをはっきり言える筈も無く、後ろから攻撃された時に危険だからと言い含めた。その話に納得した彼は嫌がることなく総一の意見に同意した。

 三人の揃わない足音が無駄に広い廊下を反響する。やけに大きく聞こえるのは、それだけ総一が神経を周囲に集中しているからだろうか。クロスボウは距離があるからこそ脅威となり得る武器であって、相手に接近を許せば総一はほぼ無力と化す。肝心の漆山が頼りにならないのでその場合は身体を張ってでも優希を守る事を厭うつもりは無い。

 優希と漆山の位置関係を考慮し、背後にも神経を尖らせながら抜かりなく行動していた総一だがそれでも失念していた事があった。相手が武装して来る可能性は考えていたが、……自分とまったく同じ武器、遠くからでも致命傷を与える事が出来るクロスボウが飛んできた時の対処を考えていなかったのだ。
 物音に気付き総一が振り返るのと、5メートル程後ろに隠れていた北条かりんが道に飛び出すのはほぼ同時だった。仮想敵として想像していたのは自分と同じくらいの男だったために、小柄な――言葉を交わした事もある少女が武器を構えているのを見て更に反応が遅れる。

「ほ、北条さん!?」

 総一が何よりも驚いたのはその表情だった。憎悪の籠ったその瞳からは以前感じた少しのあどけなさは欠片ほども感じ取れない。

「死ねッ!」

 自分の感情をたったそれだけの言葉に込め、両手でしっかりと支えたクロスボウを総一に向けて射出した。狙いが自分である事に気付いた総一は横に跳ねたが――あまりに焦っていたため左に優希がいる事を一瞬忘れてしまった。優希がそれについていける筈も無く、優希の体は総一に引っ張られるように転倒してしまった。

「あうっ!」

「優希!」

 かりんは追撃を止め、再び元いた通路へ逃げ込もうとする。クロスボウは新たな矢を番えるのに時間が掛かり、その隙に総一に襲われたらかりんでは勝ち目がない。その判断は妥当だと言えた。

「……っこのクソガキがあッ!」

 だが総一に意識を集中したためだろうか、さっき手に入れたナイフを持って駆け寄る漆山に対する反応が遅れた。かりんから見て、総一達より後ろに位置していた漆山の存在に気付いてはいたものの、殆ど視界には入っていなかった。
 身長の低いかりんが総一の心臓を狙ったせいで、矢は上方へ向かい、漆山の頬を掠めていた。中途半端な襲撃を受けた事により、怯えよりも先に理性が飛び、かりんへと襲い掛かった。別の通路へ逃げるより前に漆山が飛び掛かり、銀に煌くナイフがかりんの方へと吸い込まれるようにして刺さる。

「ひ……ああぁあっ!」

 まさか自分が反撃を受けるとは思っていなかったかりんは予想外の痛みに狼狽し、振り返ってそのまま漆山を蹴り飛ばす。漆山の体重ならばその程度で倒れる事は無い筈だが、その時混乱していたのはかりんだけではなく刺した本人もだった。ナイフで人間を刺すという人生で初めての感覚、自分にかかったかりんの血、それが漆山に動揺を与え、体から力が抜けていた。茫然としたまま尻餅をついた漆山は逃げ行くかりんを見ず、右手に握ったナイフを見ていた。さっきまで光を反射していた刀身には赤い液体がつき、漆山の手へと滴り落ちる。手が、体が、震え、ナイフが軽い音を立てて床に落ちる。

「あ……あ……」

 総一との口論で苛立っていたところでいきなり奇襲を掛けられた。行き場のない怒りが恐怖を上回り、今まで総一と優希に対して抱いていた怒りが、奇襲を掛けたかりんに向いた。そこからは……ただ、……無我夢中だった。我へと返った漆山はまともに思考する事が出来ずにいた。

 一方元の廊下では優希と総一が立ち上がっているところだった。

「あの子……行っちゃったね。わたしは大丈夫だよ、お兄ちゃん」

「あ、うん、良かった……」

 気丈に笑う優希に安堵しつつも、総一は落ち着きを取り戻せずにいた。

 総一は自分の浅はかさを……ただ……後悔する。
 優希を守る?
 笑わせるな。
 確かにさっきはいきなり襲われ、気が動転してしまった。一介の高校生に弓矢で襲われた時の対処法など分かる筈もない。
 …………そんなのは言い訳だ。それを踏まえたうえで優希を守ろうと決意したんじゃないか。
さっきの矢は優希に当たらなかった。優希を転ばせ、痛みを与えてしまったのは他でもない、総一自身だ。
――もし俺に、状況を的確に判断し、行動するだけの力があれば……!
 そんな力が一朝一夕で手に入るのなら誰も苦労はしないだろう。結局これは今まで自分が怠惰に生きてきた結果なのだ。

「……ちゃん、お兄ちゃん!」

「え……」

 意識を戻すと優希の顔がすぐ目の前にあった。

「どうしたの? ボーっとして。怪我はしてないよね?」

「ごめんごめん、ちょっと考えごと。優希の方こそ怪我は無いか?」

「ちょっとコケちゃっただけだから大丈夫だよ。ほら!」

 優希は両手を広げて自分に怪我が無い事をアピールした。

「……ごめんな、優希。俺が不甲斐無くて」

 さっきの少女がすぐに退いてくれたから良かったものの、もし相手が俺達よりも遥かに上回る実力を持っていて、殺そうとしたならば……。総一も優希も今こうして生きてはいられなかっただろう。そしてこのままでは……いつかまた、同じような……いや、さっき考えた最悪の事態になりかねないのだ。

「そんなことないよ! わたしはお兄ちゃんが一緒にいてくれるだけで嬉しいんだもん!」

 悪気は無いのだろうが遠まわしに"一緒にいる以外は役に立たない"と言われたような気がして、少しだけ悲しかった。 ……総一自身も被害妄想だとは分かっているのだが。

「……漆山さん」

 総一は一部始終を見てはいなかったが、かりんの叫び声は今でも耳に残っている。廊下の真ん中でへたり込んでいる漆山に声を掛けるべく近寄ろうとすると、優希が総一の手を掴んだ。優希を近づけるのは気が引けたが、手を振り払う訳にもいかず、繋いだまま漆山の背中へ近付いていった。見下ろしているのだから当然なのかも知れないが、その背はさっきまでより更に小さく見えた。

「……漆山さん」

 彼を責める事は出来ない。それどころか漆山のその行動は、たとえ本人が意図していなかったとしても、結局総一達の助けとなったのだから。声を掛けても返事は無い。大丈夫だろうかと肩を揺さぶると、漆山の意識はようやくこちらへ帰ってきた。

「ッ! さっきの……北条はどこに行った!?」

「北条さんは……多分、逃げました。漆山さんは北条さんを……刺したんですね」

 傍らに落ちている血の付いたナイフがそれを証明している。漆山は総一の言葉に返事をせず、口を結んだまま立ち上がってついてもいない埃を払った。

 さっき襲われた場所より少し進んだ所にかりんが放った矢が落ちていた。漆山は大股でそこまで歩み寄り、右手にさっきの矢を握り締めながら立腹していた。矢は先端が大きく欠けており、たとえ射出しても致命傷にならないのではなかろうか。

「漆山さん、良ければそれ、貰えませんか?」

「だが先端が欠けているぞ?」

「ええ。ですから威嚇にはちょうどいいんじゃないかと思いまして」

「ふん、勝手にしろ」

 先端が折れた矢を受け取り、他の矢と一緒に布で包んでおく。本体と一緒に拾ったものを含めてこれで5本。積極的に攻撃するつもりが無いなら十分な数だ。だが……いざという時、本当に撃てるのだろうか。

「ちょっとこれ、試し撃ちしてみても良いですか?」

「ああ。使うならさっきの壊れたやつにしたらどうだ」

「そうですね。いつ壊れるかも分かりませんし」

 欠けていないものを使い先端を潰しても良かったのだが、壊れた矢がまっすぐ飛ばないかも知れない。それを確かめる意味でも総一は壊れた矢をセットして撃ち出した。 ……残念ながらというか、やはりと言うべきか、矢はすぐに勢いを無くし、かりんの時と比べかなり近い位置で地面へ落ちた。

「……これじゃ使えそうにないな。仕方ない、4本で我慢するか」

 役に立たない矢をそこに捨てておき、総一達3人はさっきよりも慎重に、再び階段へと向かい始めた。 通路を進みながら漆山はかりんに対する不満を口にしていた。

「どういうつもりだ、あの小娘は! 当たったらどうするつもりだったんだ!」

「いや、どう考えても当てるつもりだったんでしょうけど」

 結果として総一達はひとりも怪我をせず、奇襲を掛けたかりんが傷を負ったのだが、漆山は納得していないようだった。総一が漆山に対して強く反論しなくなったのは彼が今手ぶらだからだろう。
 ……あの血に塗れたナイフを、漆山は再び手にしようとはしなかった。忘れていた訳ではなく、それを見ないようにしながらその場を去ったのを、総一は見ていた。たとえかりんがすぐに退いたとはいえ、総一達を攻撃してきた事には変わりない。
 もし矢が当たっていれば……。そう考えると逃げるかりんを追った漆山は正しいのだろう。それに対して……総一は何も出来なかった。今まで内心見下してきた漆山の方が役に立ち、自分は何も出来ないのか。

「……漆山さん、ありがとうございました」

 その言葉が漆山の傲慢な態度を助長するであろう事が分かっていながら、総一は感謝の気持ちを述べた。

「あ……ああ……」

 漆山は視線を逸らし、呟いた。「感謝しろ!」などと返されると思っていた総一は少し驚きながら漆山を見たが、さっきまでかりんを罵っていた勢いを感じない。あれほど総一に攻撃的だった漆山が自分の功績を誇ろうとしないのが意外だった。
 口数の減った漆山の愚痴を流しながら、総一はかりんの事を考えていた。
――……彼女は俺達と別れてからずっと一人だったのだろうか。
 こんな薄ら寒く、だだっ広い建物の中を、十数時間もたった一人で彷徨い続けた彼女の気持ちはどういったものなのだろうか。
どうにか引き止めて一緒に行動出来れば……。そう思いはするが、さっきの事で自分に自信が持てない総一にはそれを口に出すことが憚られた。

 自責の念と反比例するように漆山への反抗心が減ったせいか、さっきよりも長い道程をさっきよりも和やかな雰囲気で進むことが出来た。無論、周囲への関心を薄れさせずに。黙って進むのが一番良いと分かっていながらも、優希に余計な心労を与えない為に他愛もない話を続ける。優希を理由にしてはいるが、本当は総一自身が自分の気持ちを落ち着ける為なのだろう。こんな殺伐とした状況にも関わらず当人たちは穏やかな笑みを浮かべていた。

「――でさ、その時は大変だったよ。父さんは出張だったし、母さんは仕事の後飲み会とかで……。へとへとに疲れてたのに、結局家に入れたのは11時過ぎだったんだ」

「冬だったんでしょ? ずっと外にいて寒くなかったの?」

「かなりヤバかったな。眠いし、寒いし。もしもう少し遅かったら凍死してたかもな。はは」

「あははっ!」

 漆山はそんな二人に白い目を向けながらも、話しかけずにいた。口論をするくらいなら話をしない方がましだ……そう思ってはいるがそれでも不愉快な事には変わりない。

「おいお前達、もう少し静かに歩かんか」

「あ、そうですね。すみません」

 総一はその一言で返し、少し声を小さくして再び談笑を始める。入ってくる声を聞かぬように努めながら、漆山は自分を落ち着かせた。御剣総一など、年端もゆかぬ少女を誑かそうとべったり張り付いているガキだ。色条優希など、無知で愚鈍な役にも立たない小娘だ。だがあいつらは、どうしてこの状況であんなに楽しそうでいられるんだ!?
 そして思い出す。自分にはもう身を守る武器が無い。総一がクロスボウを向けてきた時に抵抗する術が無い……!
――こんな事ならナイフを持って来れば良かった!
 さっきまでの漆山はあのナイフを再び手にする事など考えてもいなかった。「殺してやる」「死ね」……人生で数えきれない程口にしたり、心の中で吐き出してきた言葉だ。だが漆山には今まで直接誰かを傷つけた経験は無かった。
 殴りたいと思った事はあった。それでも一歩を踏み出さなかったのは良心が邪魔をしていたわけではない。社会的地位や評判といったものを崩すのが嫌だっただけだ。特に最近では下心が無くとも体に触れただけでセクハラだなんだと騒ぐ女が多い。 ……もっとも、漆山が騒がれる場合はほとんど本人が悪いのだが。ましてや暴力を振るおうものなら……すぐに警察沙汰にしてしまうだろう。
 実際、漆山の元同僚――昔気質の厳しい男があまりに失礼な態度をとる女性を呼び出して叱りつけた際、他の女性社員数名の訴えにより彼は辞職に追い込まれた。最後まで無実を主張した彼の発言の真偽は分からないが、それが無意識の内にも漆山の行動にある程度の歯止めをかけていたのかも知れない。とはいえ、漆山のセクハラや舐めるような視線は変わらなかったのだが、表立って騒ぎになりそうな事は避けて生きてきた。その一線を踏み越えなかったからこそ、管理職の地位にしがみついていられたのだろう。
 ナイフを持つことに躊躇いは無かった。もし襲われたら相手を傷つける――最悪殺す事まで覚悟した……つもりだった。だが実際にナイフが人間の肉に刺さる感覚が、生暖かい血が手を伝ってくる感覚が、漆山の中の何かを刺激する。人によっては快感と感じるかも知れないそれは漆山にとっては恐ろしいものでしかなかった。
 本人が絶対に認めようとしないであろうその感情が、血の付いたナイフを拒絶した。
 今でこそナイフを手にしたいと思う漆山だが、もしこの場にさっきのナイフがあったとしても結局手にする事は出来ないだろう。

「……うん。最近、お父さんもお母さんも殆ど家に帰ってきてくれないから……」

 漆山の耳に二人の会話が入って来るが直ぐに頭から消えていく。どうせ自分が口を挟めばなにかと言ってくるに決まっている。それに……彼らの余裕が、理解出来ない。
――……やはり、あいつらは……。



 ようやく階段に着いた頃には三人とも足が疲れ切っていた。休憩も無しに歩いていれば当然だろう。

「はー……やっと着いたな」

「疲れたぁ……」

「か、階段を登る前に、どっかで休まんか……?」

 膝に手をつき疲労の色を濃くしている漆山に、総一も同意した。

「そうですね。どこか近くに部屋があると思いますから、そこで」

 階段のある場所は小さなホールのような空間になっており、周りから見れば総一達は無防備この上無い。それに優希も総一に凭れ掛かっている。PDAで時間を確認すると――丁度18時間を経過した頃だった。時の流れを早く思いながらも、これだけ広い空間を歩き続ければそんなものかと納得せざるをえない。

「優希、ほら」

 総一は優希に背を向け、しゃがむ。

「でもお兄ちゃんも疲れてるんでしょ?」

「いいよ。どうせすぐ休むんだから。遠慮するなって」

 少しだけ躊躇いつつも、相当疲れていたのか、優希は総一の厚意に甘える事にした。優希の体重では総一の背にかかる負担はそこまで無かった。もっと早くこうしてあげれば良かったと思いながらも総一は辺りを見回して、どこか部屋が無いかと探す。

「さっきの通路の途中にあった部屋はどうだ?」

「確かにあそこならすぐ近くですね、そうしましょう」

 別の通路に繋がる道もあったが自分たちの把握している通路の方がいいだろうと思い、二人は引き返そうとする。そんな二人を止めたのは聞き覚えのない女性の声だった。

「ああ! ちょっと待ってくださ~い!」

 大きくも間延びした声に驚き振り返ると、ホールに粗大ゴミのように放置された大きな机の影からふたつの人影が出てきた。総一達と大分離れた位置にあった事もあり、そこに人が隠れているなどとはまったく考えていなかった。

「な、なんだお前らは!」

 漆山が大声で怒鳴るが、足を後方へずらすのを総一は見逃さなかった。

「僕達は怪しいものではありません! 多分、あなた方と同じ状況です!」

 カッターシャツにネクタイを締めたその姿はごく普通の会社員に見える。漆山と同年代に見えるその男性は敵意が無い事を示すように両手を顔の横へ挙げた。その横に並ぶ、黒と白を基調としたひらひらしている服を身に纏う女性はこちらの不審を払うように笑顔で話しかけてきた。

「私達、いきなりこの建物に連れて来られて困ってるんだけど、一緒に行動しませんか~?」

 緊張感の無いその声に思わず力が抜けてしまいそうになった。確かに彼らから敵意は感じない。特に歳若い女性はあまりにもこの殺伐とした状況――ゲームにそぐわない。そんな彼女と共に行動出来ているのだから、隣の男性も悪人ではないだろう。

「私は綺堂渚っていいます~。この人は葉月克己さんで、とっても優しい人なんですよ~」

「はは、ありがとう。……こんな状況でいきなり現れた僕達を信用するのが難しいであろう事は理解しています。でも、だからこそ助け合いたいんです」

 葉月は漆山に向かってそう言った。やはり年長者だからなのか、それとも自分が頼りなく見えるのか……。少し不満に思いながらも総一は文句を言わずにいた。

「……ふん、まあいいだろう。俺は漆山権造だ」

「俺は御剣総一で、この子が色条優希です」

 総一は目線を背後に向けるようにして言った。優希が人見知りしたら困ると思い、勝手に自己紹介をしたが良かっただろうか。そう考えながら優希の言葉を待ったが、返事が無い。

「優希? せめて挨拶を……」

「ふふっ、いいのよ~。よっぽどあなたの事を信頼してるのね~」

 渚の言葉を不思議に思っていると、僅かに寝息が聞こえて来る。疲れてしまって眠ったらしい。総一は優希を起こさないように少し声のボリュームを下げて話を再開した。

「俺も一緒に行動するのには賛成です。一応確認しておきますが、葉月さんと渚さんはこのゲームをどう思っているんですか?」

 まさかとは思うが、もし彼らが殺人を厭わないとしている人間だったらと思い、訊ねてみた。

「大丈夫だよ。僕達も誰かを無闇に傷つけようなんて思っちゃいない。そんな事を考えていたら君達に話しかけようなんて思わないよ」

「それに~、女の子をおんぶしてあげてる人が悪い人なわけないもの~!」

「すいません、疑ってた訳じゃないんですけど」

「仕方ないよ、こんな状況だからね。……さっき休むと言っていたけど、一応僕達が使っている部屋が近くにあるんだ。そこならベッドもあるから来ないかい?」

 葉月達はさっきまでの総一達を観察して、信用するに足る人物か見定めていた。数は多い方が良いし、渚と二人ではやはり戦力に不安が残る。戦うつもりは無くとも身を守る為には多少の覚悟が必要だ。さっき、それを身をもって体感した。総一達は葉月の提案に乗り、その部屋へと向かった。



 隣の部屋のベッドに優希を寝かせ、渚がお茶の用意をしている間に三人の男は車座になって話をしていた。ペットボトルの水をヤカンに移し、コンロの上に乗せながら渚は鼻歌を歌っている。

「僕達があそこで他の参加者を待っていたのにはわけがあるんです。……僕達が階段に着いたのは、今から二時間程前でした」

 葉月はその時の事を思い出しながら語り始めた。

「確かに疲れていたけれど、休憩を取るなら三階に上がってからでも遅くは無いと思いまして。一応待ち伏せされていた時の事を考えて、まず僕が先に上りました。彼女は僕から少し離れていたんですが……僕が階段を登り終えて、踊り場にいる渚さんに大丈夫だと声を掛ける為振り返ろうとした時でした。近くの通路に人影が見えたんです。声を掛けようと思った瞬間……。……音が、聞こえました。なんの音なのか気付くのに時間は掛かりませんでした。前から聞こえた音が後ろからも聞こえて、……それは銃弾が壁に当たる音でした」

 葉月はその時の事を思い出しながら渋い声でそう言った。戦いを否定していた葉月にとって、誰かが奇襲を……それも銃を撃ってきた事は、自分が死ぬかも知れないという恐怖よりも落胆の気持ちが強かった。
 それは総一も同じだった。問答無用で銃を撃つという行為は、明らかに危害を加える事を意図したものだ。最悪、殺す事も考えていただろう。
 総一が漆山の方を見ると緊張しているのが分かる。 ……これまで、ゲームの危険性を示すものは一階の死体とかりんの襲撃だけだった。一階の死体は総一と郷田しか確認をしていないし、かりんの奇襲は驚きはしたものの矢が一発飛んできただけだった。

「下に逃げようとした時の事はよく覚えていません。……情けないけど、パニックになっていたんです。渚さんに逃げろとだけ叫んで、二人でさっき通った通路にある部屋――つまりここまで逃げて来たんです」

 渚がお茶を持ってきて総一達の前にひとつずつ置いた。渚の表情もなんだか暗い。

「……鉄砲の音、怖かったわ」

 その時の事を思い出して呟く渚の声に、総一は、優希にそんな思いをさせたくはないと強く思った。さっきのような失態は、絶対に繰り返さない。
――今度こそ、優希を守らなければ。




[28780] 七話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/10/14 10:58

「小太りの男が漆山権造、男子学生が御剣総一、少女は知らないわ」

 総一達が集まっている場所から離れ、麗佳は真比留にさっき増えた人間を説明した。

「これであそこに溜まってるのは5人か。まあ自分達から攻撃仕掛ける雰囲気じゃなかったのが幸いかねー」

 渚と葉月が階段を登ろうとした時、丁度二人は階段近くに辿り着いた。距離を取ってから登るか、背後から奇襲を掛けるかと話している時、上階から乾いた破裂音が聞こえてきた。物陰から階段を観察すると慌てた様子の二人が転げ落ちそうな勢いで降りてきた。そこから状況を把握した麗佳と真比留は離れた場所から渚達を見張り、他の参加者が来るのを待っていたのだ。

「三階には銃があるって事なんでしょうけど、三階への階段で待ち伏せをしてるのは非効率的に思えるわ。仕留められればいいけど銃弾が切れたらその後が面倒だもの」

「逆に言えば開始一日も経たない時点で終わらせるつもりなのかもねー。このまま粘れば二階以下の参加者は全員死んじゃうんだからさ」

「待ち伏せしてる人間の条件次第ね。何かを集めなければいけない条件とかならその前に二階へ降りてきて攻撃するか、待ち伏せを諦める筈よ」

 決まったPDAの持ち主を殺さなければいけないA、ジョーカーが目的の2と6、直接殺害しなければならない3、首輪を手に入れる必要がある4、PDA収集が必要な8とKなど、他の参加者の持ち物を確認しなければならない条件が多い中、このままの状態を維持する可能性は低い。

「……でもそれまで待つのもあまりいい選択とは言えないわ。PDAには2日目に入ると一階から順に侵入禁止エリアになると書いてあったでしょ? その時間経過が一定の間隔だと仮定するとひとつのフロアが侵入禁止になるまで10時間も無い計算になる。……今までだって移動に時間が掛かるのにそんな短い時間で上のフロアに登れるかしら」

「じゃあやっぱり強行突破?」

 真比留が訊ねると麗佳は肩をすくめた。

「それを実行するだけの力がこっちには無い……待ち伏せをしているのがひとりとも限らないものね。もう少し早く行動するべきだったわ」

「私が食事を先に回したことを言ってるのかい?」

 上階で武器を揃えてから食事をするべきだと言った麗佳に先に食事をする事を勧めたのは真比留だ。それに費やした時間は20~30分程だったが、もしかするとそれが無ければ先に三階へ登れていたかも知れない。

「私だってその意見に納得して聞き入れた訳だし、向こうは武器を集めてから待ち伏せしたんだろうから半時間程度で変わらないわ」

「ありがとー。……でもどうしようかねー。他の参加者が突っ込んで自爆してくれればその隙に行けそうなもんだけどさ」

「相手の人数次第ね。一人なら弾切れを狙えるけど、二人なら一人が待ち伏せをしている間にもうひとりが銃を集める事が出来る。今こうしている間にも武器やツールを集めているのかもね」

「そう考えるとやっぱりさっさと上に上がりたいな……うーん……」

 腕組みをしながら大袈裟に考える仕草をする真比留は傍から見れば真剣さが感じられない。だがいくらか言葉を交わした麗佳は真比留がそこまで頭が悪い人間だとは思っていなかった。むしろ、こういった道化じみた言動が真倉真比留の本心を隠しているのではないだろうか。もっとも麗佳には、その隠された本心が良心なのか悪心なのか、そこまでは量る事が出来ないのだが……。
 対する真比留も麗佳の冷静な判断に一目置いていた。恐らく彼女は最善の一択を見つけることが出来る人間だ。目的の為に最も効率良く、確実に行動出来る答えが果たして最善と言えるのかはともかくとして、矢幡麗佳はそれを実行できるだろう。ならば下手に口を出すよりも麗佳の指示を仰いだ方が良い……そう考えていた。

 利害関係が前提の絆。
 互いが互いを評価しているからこそ強く結びつく関係。
 だがこれが美しい絆となる事は無いであろう――その一点に関しては、二人に共通する考えだった。これが果たしてどのような結末を迎えるのか……それは今の段階では知り得ない。

「あ、そうだ」

 PDAを取り出し何やら操作を始める真比留を、麗佳は黙って眺めていた。

「ほら麗佳ちゃん、これ見てよ」

 真比留は麗佳にPDAの画面が見えるように持った。当初は白地図だった地図機能の画面には拡張ツールを入れた時に表示された部屋名が出ていない。代わりに画面のあちこちに赤と青の光点が散らばっていた。『3F』と表示されたそれは文字通り三階の地図で、赤青の光点は拡張地図の機能――それぞれ武器の位置と食料の位置を示すものだった。

「……階段付近に光点が少ない……やっぱりこの辺りの武器と食料はほぼ回収しているようね。……ここ、今赤い光点が消えたわ」

 麗佳が指さすその位置に光点は無い。

「じゃあここに誰かいるって事か。丁度武器を回収した時だったんだろうね」

 対象を初期配置の位置から動かすと光点が表示されなくなるのは既に確認済みだった。だから待ち伏せをしている人間がいくつ武器を持っているのかは大体で予想するしかない。

「この範囲に光点が無いんだから……それが全部銃なら五丁前後といったところかしら。現在進行形で回収してるという事は……」

 麗佳はそこで言葉を切り、真比留へ視線を向けた。試しているのだろうと理解した真比留は自分の考えを口にする。

「二人以上の可能性が高い?」

「ええ。なんの成果も挙げていないのにあの場所を離れるとは考えにくいわ」

「他に三階に上がった人間がいて、戦闘になって止む無く移動したって事は?」
「あり得ない話ではないけど、そんな不確かな可能性に賭けたくはないわ」

 結局ここで話す事は仮定に過ぎない。麗佳たちはその仮定に基づき、これからの行動を思案しなければならない。
 失敗の代償は…………命。だからこそ慎重に、いくつもの可能性を積み上げていかなければならない。

「侵入禁止エリアなんてルールが無ければこんなに悩む必要無いのに。まあそれだとゲーム破綻するんだろうけど」

 ここが侵入禁止エリアになれば、首輪の仕掛けが作動し、警備システムによって殺されるらしい。麗佳は直接見ていないが、総一と郷田の言葉が正しければ火炎放射のような機能で焼き殺されるとの事だ。結局、首輪が外れなければ死ぬまで囚われたままなのだ。

「そう……首輪よ」

「うん、首輪だね」
 麗佳の呟きに意味も分からず相槌を打つ真比留。だが麗佳の様子から、彼女が何かを閃いたのだと考えた。

「他の参加者のうち確実に二階に残ってるのはさっきの五人……他には?」

「私達二人を除くなら後五人、待ち伏せが二人なら三人だね。郷田、長沢、北条、高山、あと一人まだ会ってない人」

 麗佳から聞いた話と照らし合わせ、真比留は今集まった情報を整理する。

「待ち伏せ二人と仮定すれば確実にルールを把握している訳ね。郷田は戦う意思が無さそうだったけど断言は出来ない……そう考えれば結局誰であっても意外じゃないわ」

「麗佳ちゃんにとっては誰が敵になっても意外じゃないだろうさ」

「残った三人が全員上に上がってるのなら面倒だけど、……まあ、五人もいれば十分ね。男三人はともかく、あの派手な女とリボンの少女くらいなら可能性はあると思うわ」

「ん、ああ、なるほど……そういう事ね。でもどっちにしろ男連中も襲わないといけないじゃんか」

「銃を持って待ち伏せをしている相手か、五人組の集団か……どっちにしろ厄介な事には変わりないわよ」

「そう言われれば確かにあの五人はろくに武装もしてないけど、こっちの武器も貧相だからねー。鎌投げる?」

 力の差をカバー出来るだけの武器があればいいのだが、生憎二人の持つ武器は鎌と小型ナイフ四本と、今いる部屋で見つけた中華包丁だけだ。
二対五では到底敵わないだろう。

「いっそさー、あの五人に取り入ってみる?」

「……私達はゲームに乗っていないと言って油断させるって事?」

「そーそー。麗佳ちゃんみたいな美人が涙を溜めて「……私、さっき刃物を持った人に襲われて……怖くて……。お願い……一緒に行動してくれない……?」とでも言えば大丈夫だと思うんだけど」

 真比留は恐らくか弱い少女の真似をしているのだろう、体を震わせ縮こまって説明した。しかもその演技がなかなか真に迫っていて、目元にもうっすら涙が滲んでいる。

「するつもりも無いし、そもそも嘘泣きなんて出来ないわよ。やりたいならお前がやればいいじゃない」

「分かってないなー。美女がやるから効果があるんだよ。真比留サンの溢れる魅力はそっち方面には発揮されて無いからさ」

「むしろお前の魅力がどの方向を向いてるのか聞きたいところだけど。奴らを騙すという意見は却下よ。騙し討ちに失敗すればそれで終わり。……やはりこの段階で首輪を外すのは難しいわね」

 首輪さえ外れてしまえば侵入禁止エリアを気にする必要は無い。だからこそ彼らに勝てる程の実力があればと高望みをしてしまう。 ……自分たちが正面から向かったところで勝てる相手がそういない事は理解している。頭を使わなければ、このゲームで生き残る事など到底不可能。
 そう……頭脳だ。
 いくら喧嘩が強くとも、戦闘技術を身につけようとも、人間である限りは死ぬ。戦略如何によっては弱者の部類に入る麗佳と真比留であってもチャンスがある筈なのだ。無い物を望むよりも、今、自分達が出来る事を最大限生かそうとするべきだ。

「こりゃもうアレしか無いんじゃない?」

 思考による沈黙を打ち破るように真比留が言った。麗佳は話の先を促すように視線を向ける。真比留は自信満々の表情で親指を立てる。

「そうっ! その名はぁっ……エレベーターさッ!!」

「お前だってエレベーターの危険性を理解しているんでしょう? 罠が仕掛けられていたらそこで終わり、待ち伏せをされていれば逃げ場がない」

「でも普通に階段を使おうとすればほぼ確実に奇襲を受ける」

 真比留の意見を一笑に付すつもりだった麗佳は真剣な声色に気を引き締める。表情こそ明るいが、そこには自分の意見に対する自信が溢れている。
 麗佳は最初からエレベーターを使うという考えは捨てていた。一度その事について真比留と話した事もあったが、真比留も同じ理由からエレベーターの使用を拒否した。それなのにこんな提案をするのは……真比留がこの事態を重く見ているからに他ならない。

「……そのリスクを考慮しても、エレベーターを使う方がいいと考えているのね?」

「確実に危険な階段と、危険の可能性があるエレベーターならリスクは後者の方が低いんじゃないかい?」

「確かにね。……でも……」

 真比留の話に半ば納得しつつも完全に心を決められない。誰かに殺されるならばその相手に責任を転嫁する事も出来るが、自ら罠に飛び込み死んでしまっては笑えない。勿論死ぬのは嫌だが、最悪の場合、そんな間抜けな死に方は御免だ。
 ……それに、……危険はそれだけではない。
 今、麗佳と真比留が手を組めているのは、互いが己の力不足を理解しているからだ。エレベーターを使い上階でそれを補う武器――例えば銃でも手に入れたのなら、その均衡が崩れるのではないか?エレベーターという密室の中で、麗佳の裏切りを恐れて真比留が襲い掛かれば、麗佳には勝てる自信が無い。

「麗佳ちゃーん、リスクを恐れてたらなんにも出来ないよー? ハイリスクローリターンが世の常なんだからさ」

 口をすぼめながら真比留が愚痴る。

「……そうね。使いましょう、エレベーターを」

 真比留とて早々に麗佳を切り捨てる事は無いだろう。疑いを捨てずに決断した麗佳は決心する。

「やったね! 麗佳ちゃんが真比留サンの意見を採用してくれて嬉しいよ!」

 心底嬉しそうな表情ではしゃぐ真比留を諌め、麗佳は冷静さを取り戻す。

「ただ、すぐには行かないわ。準備が必要よ」

「武器と食料集め?」

「武器は今あるだけで良いわ。勿論今より良いものがあれば変えてもいいけど持てる量には限りがある。三階で銃が手に入るならそれに越した事はないでしょ。食料はお前のポケットと、さっきの布を風呂敷代わりにして詰めるわ」

「ポ~ケット~のぉ~な~か~に~は~ビスケットォが~――」

「さっきの地図によれば、二階のエレベーター周辺には誰かが手をつけた跡は無いわ。ツールも手に入ればいいんだけど」

 麗佳はこの部屋で集めた物を確認してから包み、ドアへと向かった。

「スルーは寂しいよ麗佳ちゃん……」



 一方その頃、総一達は交代で休息を取っていた。幼い優希に見張りをさせる訳にはいかず、先に総一と渚が休み、三時間で漆山と葉月の二人と交代する事になった。穏やかで人当たりの良い葉月は漆山が相手でも言葉を荒げる事が無く、漆山も歳が近く同じ社会人である葉月にはそこまで反発しなかった。愚痴を聞かされ続ける葉月も慣れたものといった感じで対応している。器の違いに尊敬の念を覚えながら、総一は隣の部屋へと入っていった。

「渚さんはそのベッドを使って下さいね」

「でもそれじゃあ総一くんが寝るベッドが無いじゃ……ああそっか~! 優希ちゃんに添い寝するのね~!」

「違いますよ! 俺は床で十分です。幸い布もありますから」

 この部屋にはベッドがふたつしか無く、優希と渚で埋まってしまう。本当は疲労が溜まっていた総一だったが、流石に女性を床で寝かせる訳にはいかない。流石に優希と添い寝するのも気が引けた。

「でもそれじゃあ背中が痛いんじゃない~? 枕も無いし~」

「ベッドが足りないから仕方ありませんよ。渚さんだって床で寝るのは嫌でしょう?」

「まぁね~。う~ん、困ったわ~」

「だから俺が床で寝ますって。あ、ほら、ここに鉄板と布がありますから、これを組み合わせれば……」

 床に落ちている所々凹んだ鉄板を手に取り、同じように落ちていたつぎはぎの布を上に掛ける。他にも一回り小さな布があったので、それをくるくると巻いて枕にする。

「それはいくらなんでも~」

 総一は結構本気だったのだが、背中が痛くなると言って、渚が苦笑いを浮かべた。そんなやり取りをしていると、ベッドの掛布団がもぞもぞと動き、優希が体を起こした。目を擦りながら総一と渚を交互に見比べている。

「う~……おにいちゃぁん……そのひとだれ……」

 寝ぼけ眼で総一に訊ねる。優希が寝たのは渚達と会う前だったから知らないのも当然だ。

「この人は渚さん。俺達の仲間だよ」

「……いい人、なの?」

 少し身を強張らせ、渚を見ないようにしながら総一を見つめる。優希は総一にこそ懐いていたが、それは不安の中で自分に手を差し伸べてくれたからであって、本来彼女は非常に人見知りが激しかった。たとえ人畜無害に見える渚であっても、優希がすぐに信頼するのは難しい話だった。

「大丈夫、渚さんは良い人だから」

 優希はそのままベッドから降りて、総一の方へ歩み寄り、さっき廊下を歩いていた時のように小さな手でぎゅっと総一の手を握りしめた。

「……総一くん、やっぱり一緒に寝てあげたらどうかしら。あのね優希ちゃん、今、総一くんがベッドで寝たくないって言ったの。私を床で寝させるわけにはいかないって。このままだと総一くん、鉄板の上で寝る事になっちゃうのよ~」

「ちょっと! 渚さん変な事言わないで下さい!」

 渚の優希を誘導するような発言に腹を立て、思わず声を荒げる。

「鉄板? お兄ちゃん、焼肉になっちゃうの?」

 未だ寝ぼけ眼の優希は状況をあまり理解していないようだ。今、優希の脳内では、自分が焼かれているのだろうかとどうでもいい事を考えた。

「いや焼肉じゃなくて、新しくベッドを作るだけだよ」

「……ねぇ、お兄ちゃん、一緒に寝てくれない?」

「ゆ、優希! 俺はいいって!」

「……嫌? わたしと寝るの」

「嫌とかそういう事じゃなくて……」

 優希の手の力が強まり、総一の左手に温もりが伝わってくる。同時に優希が不安そうな瞳で総一を見上げているのが目に入る。総一は別に優希に対して下心を持っている訳ではない。むしろ優希の保護者になったような気持ちになっていた。だからこそ、優希と共に床に就くのはなんだか自分が浅ましい人間になったような気がして嫌だった。

「わたしね、お兄ちゃんに一緒に寝て欲しいの。そしたらよく眠れると思うから」

 懇願する優希の表情を見ると、自分が物凄く酷い人間に思えてくる。

「優希ちゃんは総一くんのこと、大好きなのよね?」

「……うん。大好き」

「あのね総一くん、嫌いな人の背中で眠る事なんて出来ないと思うの。誰かと一緒だと眠れないって言うなら無理にとは言わないけど……」

――ずるい。
 そんな事言われたら断れないじゃないか。でも、確かにあまりにも頑なに優希を拒み過ぎたかも知れない。総一はため息をつくと、優希の目線に合わせてしゃがみ、笑顔で優希の頭を撫でた。

「……ごめんな。ほら、ベッドが狭くなると優希が窮屈だと思ったんだ。俺、無駄に図体がでかいからさ」

「そんなの全然気にしないよ! わたしがちっちゃいからちょうどいいじゃない!」

 結局、総一は優希と共に布団を被っていた。隣のベッドで渚さんがくすくすと笑っているのが聞こえてくる。

「渚さん! 早く寝て下さい!」

「は~い! じゃあ総一くん、優希ちゃん、おやすみぃ~♪」

 胸元に寄り添う優希は既に寝息を立てていた。さっきまでぐっすり眠っていたのだから当然だろう。あどけない表情は自分たちが誘拐されて来たのだという事実を忘れさせる。それを見た総一も顔を綻ばせ、小さな優希の頭を軽く撫でながら夢の世界へと落ちていった。

「おやすみ、優希……」





[28780] 八話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/10/22 19:06


 暗闇の中にいた。
 どうして?
 ここはどこだ?
――そうか、ここは夢の中なんだ。
 だから怖くは無い。
夢ならいつかは醒めるのだから。

 光があった。細い、縦に伸びる光が。
 闇の中だからそれが特に際立ち、抗う事も出来ずにひきつけられる。
 すぐ側まで近寄って覗き込む。するとそれが光ではなく、白い場所と繋がっているだけなのだとわかった。
だがそれ以上を開くことが出来ない。
 指を入れて、左右に開いてみようか。
 でも出来ない。
――だって、……そんなことをしたら、気付かれてしまう。
 白い場所から声が聞こえてきた。

『――悪いわけじゃない。だが――』

『じゃあ、やっぱり、――』

『本人は――。無理にでも――』

『ああ。別に――だからな』

 ――そう、ここは夢の中。
 だからこれは、すべて夢。早く逃げよう。気付かれる前に。

 ゆっくりと歩き慣れた道を進み、扉へ向かう。
 ……歩き慣れた? どうして出口を知っているんだ?
 疑問に答える者は無く、勝手に足が扉へ向かう。闇の中であっても当然迷う事は無い。
 ほら、あった。
 扉を開き、外へ出る。目的地なんてない。ただ……今は……この場から逃げたかった。



「……いちゃん、お兄ちゃん!」

「……へ? あれ?」

 身体を揺さぶられ、ゆっくりと目を開く。自分の部屋のものではない、灰色の天井。少しずつ意識が戻っていくのを感じた。

「大丈夫? お兄ちゃん。すっごくうなされてたけど」

 半身を起こした優希が心配そうに総一を見つめている。

「悪いな。なんか、怖い夢見てたのかもしれない。覚えてないけど」

 誤魔化すように笑いながら優希の頭を撫でると、まだ少し不安そうだったが、優希もそれ以上追及しなかった。怖い夢なら早く忘れるに越したことはない。

「ふわぁ~……。どうしたのぉ~?」

 隣のベッドに寝ていた渚が寝ぼけ眼を擦りながら体を起こした。

「いや、ちょっと俺が寝言言ってたみたいで。優希が起きちゃったんです」

「寝言は言ってなかったよ。ただ、風邪ひいた時みたいに苦しそうだったから」

「うなされちゃったのね~総一くん。お水飲んだらどうかしら~」

 そんな渚の声に続いて、明るい女性の歌声が部屋の中に響いた。いきなりのことに総一は驚くが、意外にもそれに反応したのが優希だった。

「あっ! それってアニメの歌だよね!」

「わかった~? 日曜の朝にやってるアニメなんだけど、お洋服が可愛いのよね~!」

 総一には理解出来ない話になりどうしようかと考えているとドアが開き、葉月が顔を出した。

「いきなり歌が聞こえてきたけど、もしかして目覚ましかい? ちょうど交代の時間だよ」

 ああなるほど、あれは渚が自分の携帯で仕掛けておいたアラームなのかと納得し、総一は二人と一緒に隣の部屋へと移動した。共通の話題を見つけたことで意気投合したのか、渚と優希は楽しそうにおしゃべりを続けていた。そんな様子を微笑ましげに眺めながら、葉月は漆山と共に立ち上がった。次は彼らが休息を取る番だ。

「それじゃあ後は頼んだよ。何か変化があったら遠慮なく起こしていいから」

「三時間しか寝られんというのは厳しいな。命が掛かっとるから文句は言えんが、……」

「……なんでしょうか」

 漆山が忌々しげに睨みつけてくるので問いただすが、返事を返さずそのまま顔を背け、さっさとベッドのある部屋へと向かっていった。総一が漆山に対して不快感を抱いていたように、彼もまた同じだったのだろう。

「……総一君」

「はい」

 葉月に声を掛けられたので総一は素直に返事をした。気難しそうな顔をした葉月は、漆山が部屋に入ったのを見届けてから話を始めた。

「君が漆山さんと気が合わないのはよく分かっているつもりだ。ただ……彼は今、緊張感で押し潰されそうになってるだけなんだ。だから、難しい話だけれど、……君に"大人の対応"をして欲しいんだ」

 本来ならば総一に"大人の対応"を迫るのはおかしな話だ。相当言葉を選んだようだが、彼もまた、漆山に手を焼いているのであろうと総一は思い、頷いた。

「分かりました。俺だって、漆山さんに死んでほしいなんて思っちゃいませんから。誰も犠牲にならないなら、それが一番ですよ」

「……ありがとう。じゃあ、ここは任せたよ。今の内にしっかり休んでおかないとね」

 そう言って柔和な笑みを返す葉月に総一は安心した。実質ひとりで優希や渚を守るのは難しいと思っていただけに、彼の存在は大きい。
――漆山さんにもこのくらいの余裕があればよかったのに。
 そう考え、ああ無理だなと、二秒で諦めた。

 葉月が部屋に入るのを見届けると、総一達はお茶を飲みながらの談笑を始めた。他愛もない話に花を咲かせることが出来るのは渚の才能なのだろう。彼女の話は時として脈絡が無かったがいずれも楽しいものだった。

「やっぱりねぇ~、つぶあんが一番だと思うの~! こしあんだとなんだか物足りない気がして~」

「そうですか? 俺はこしあんの方が好きですよ。舌触りが良いじゃないですか」

「……総一くん、別に敬語使わなくてもいいんだよ~。優希ちゃんには普通に話してるじゃない~」 

「一応、年上だからと思ったんですけど、わかりまし……わかったよ」

「ふふっ、なんだか総一くんと仲良くなれた気がする~」

「駄目だよっ! お兄ちゃんと一番仲良しなのは私なんだからねっ!」

「あら総一くん、モッテモテ~♪ 両手に花ってこういう事をいうのね~」

「あははは。そうです……そうだな、嬉しいよ」

 自分で花なんていうのはどうかと思ったが、渚ならアリなのかも知れないと総一は思う。優希がいたとはいえ、漆山と共に行動するのは総一にとって苦痛以外の何物でもなかった。
 なにより反りが合わない。自分と価値観が合わない。せいぜい「殺し合いなどしたくはない」という感情が共通しているくらいだが、その理由も大分違いがある。互いに悪印象を持ち、合わせようとしなかったのだから、これは当然の結果ともいえる。
 それに比べれば、今現在こうやって優希や渚と会話している時間は天国のようであった。下心云々ではなく、ただ単に心が休まる。
 もし渚とでも最初に出会っていれば、漆山相手に怒号を浴びせる事も無かったのかも知れない。渚でなくとも、もうこの際漆山のように自分の心を荒らす人間じゃなければ誰でもいい。
 ……いや、実際に自分は最初、理解のある大人と出会ったではないか。麗佳を追った筈の郷田。総一は急に、彼女の事が心配になった。

「渚さん達は長沢以外には誰とも会わなかったんだよな」

「うん。長沢くんが色々教えてくれたからとっても助かったわ~。……ただね~、あの子、ナイフ持ってたの。危ない事しなければいいんだけど~」

 葉月と渚が長沢からPDAの使い方を教わったという話は先程聞いていた。だがそれは総一が想像していた長沢の人物像とは違っていた。一階で会った時にもあまり言葉を交わさなかったのだから、正確な事は分からない。総一の印象が間違っていたのか、それとも長沢に何らかの意図があったのか……。今の総一には判断がつかなかった。だがもし、長沢にも交渉の余地があるのなら、一度話してみるのもいいだろう。

「俺が最初に出会った、郷田さんっていう女性の事が心配なんだ。麗佳さんを追い掛けていったまま帰って来なかったから。迷ったのかと思ったけど、もしそうじゃなかったら……。待ち伏せしてる奴にでも……襲われたんだとしたら……」

 不安を口に出すと、渚が慰めるように総一の目を上目づかいで覗き込んできた。優しげに笑みを浮かべる渚を相手に、総一は目を逸らせなかった。

「あのね、きっと大丈夫だと思うわ~。だって葉月さんが三階に上がった時、誰も倒れてなかったみたいだし、その後は私と葉月さんが近くにいたんだもの~。誰かが襲われたら、銃声が聞こえる筈よ~」

「渚さん……。……そう、だよな。それに郷田さんがまだ上に上がってないなら、そのうちここを通る筈だ」

 完全に安心しきったわけではないが、今はそう思い込む事で動揺を隠すべきだ。総一が迷っていては、優希も不安になるのだから。

「お兄ちゃんがそんなに心配してるって事は、その郷田さんって人、良い人なんだね!」

「ああ。頭の回転も速かったし、何かと頼りになる人だけど……やっぱり、ひとりで行動するのは危険だと思う」

「そうね~。私も葉月さんと出会えてなかったらと思うと、怖いわね~」

「私も……怖かったよ」

 優希は総一と出会う以前の事を思い出したのか声のトーンが落ちる。察した総一に肩を寄せられ、優希の顔が綻んだ。それを見て、渚の表情も緩む。

「こうしてると、誘拐されたっていうのが嘘みたいね~」

「ほんとだね。それにこうして、お兄ちゃんとか渚さんに会えたんだから、……えへへ、誘拐されて良かった、のかな?」

 照れたように笑う優希。確かに今の空気は拉致されたという現実を忘れさせるような和やかなものだった。もしここに連れて来られなかったら……総一は、今でも苦痛の渦中に囚われていただろうから。勿論、こんなゲームを許すわけは無いが、それでもこの一時の安らぎが僅かながらも心を溶かす。だから不謹慎ながらも、この状況に少しだけ感謝をするのだった。



「どうだ」

 何が、とは言わない。言わずともこの男はそのくらい理解するだろうと、高山は判断していた。わざわざ近くの部屋から持って来た木箱に座っていた手塚は、階段の見張りを中断し、高山に向き直った。

「誰も。……さっき中途半端に逃がしたせいだろうな。今頃下で人数を集めてるんじゃねえか?」

 だが少々群れた程度では、三階に登ってくる事は出来ない。なぜなら二階と三階には銃という名の大きな壁があるのだから。拳銃があるか否かで、戦況は大きく変わってくる。それに例え二階に銃があったとしても、待ち伏せをしている手塚達の優位に変わりは無い。そんな手塚と高山が探知系の拡張ツールを見つけていなかったのは他の参加者にとって不幸中の幸いという他ない。

「残りの食料は例の場所に固めておいた。新しく見つけた銃は一丁」

 そう言って高山は、ペットボトルに入った水と水分の含まれない携帯食料を床に置いた。

「旦那が持っといてくれ。これで俺が二丁、あんたが三丁。登ってきた奴を仕留めるには十分だと思うが?」

「ああ。これ以上探索の範囲を広げるのは危険だ。そろそろ三階への突破を試みる人間が出てもおかしくはないからな。俺もここで……」

 高山の言葉を遮るかのように、二人のPDAから電子音が鳴った。そろそろだろう、と二人とも思っていたので、さして不審がる事も無く自分のPDAの画面を見る。

「一日経過、一階が侵入禁止になるまであと三時間……思ったより親切に教えてくれるもんだな」

「だがこれからどうするつもりだ? 二階が侵入禁止になる直前まで奴らが粘っていては、今後の行動に影響が出そうなものだが」

「俺だってこんなチンタラしてんのは好きじゃねえさ。だが、一番確実だ。いくら危険だからって、このまま死ぬまでじっとしてる訳はねぇからな」

「そうか。……俺は向こうの通路を塞いでおこう。そうすれば逃げ道になり得るのは一箇所だけだ」

 階段の上には階下と同じ広さのホールが広がっており、そこから三つの通路が伸びている。手塚と高山がいるのは右手に伸びる通路のひとつで、ここからなら階段を登ってきた人間を見逃す事は無い。高山が陣取ろうとしている通路は階段の正面にある通路なので待ち伏せに気付かれる可能性は高い。だが唯一逃げ道となる通路は右手の奥にある。手塚と高山に気付かれずに逃げ込むことは不可能だろう。

「……そうだな。なら……」

 手塚は、自分の提案を嬉々として高山に語る。そんな手塚に対して高山が抱いていたのは、感心と警戒だった。普通、こんな所にいきなり連れて来られれば不安になる。現に修羅場慣れしている高山であっても、慣れないルールに縛られているという事もあって多少なりとも困惑している。それを表に出さないのは、周囲に付け入る隙を与えない為と、それを口に出したところで状況が好転するわけでもないからに過ぎない。
 だが、この男は――手塚義光は、それを隠しているようにはとても思えない。勿論自分のように周囲に悟らせまいとしているのかも知れないが、彼の態度からは、むしろ好奇の色が見え隠れしているような気がしてならないのだ。
 戦地では慢心は命取りだ。しかし手塚の場合、ただ驕っているのではなく、冷静な思考によりその自信が裏打ちされている。それは高山自身が自分に不足していると考えている要素でもあった。急な事態に対応する能力はあっても、他者の能力を活かす――言い方を変えれば、利用する事が得意ではない。

「ふっ」

「……なんだよいきなり。この考えに不満でもあったのか?」

「いや違う。……お前が敵で無くて良かったと思っただけだ」

「そいつはお互い様だ。俺だってあんたを敵に回したくはねぇよ。……そして、今後もそうならない事を願うぜ」

 得意ではないからこそ、油断は出来ない。
 いつ裏切られるか分からないのだから。

「それにしても意外だったぜ。別れてからそんなに経たない内に、あんたの方から手を組みたいなんて言ってくるんだからな」

 互いが警戒心を隠さずに別れたにも関わらず、高山は待ち伏せによる協力を申し出た。手塚にとっても利となる話だと判断しそれに応じたはいいが未だに不信感が残っているのは確かだった。こればかりは彼自身の性分と言うに他ならない。

「三階に銃があるという事が分かったからな。二階までの武器ならばどうにかなるが、銃があれば素人であっても脅威になる。特に女子供ならなまじ非力な分、扱い易い武器を迷わず使いかねない」

「そうか? むしろビビって何も出来ないだろうと思うけどな」

「……慢心するのは構わないが、俺に迷惑だけは掛けるなよ」

 冷たい高山の言葉に、手塚はまだ何やらぶつぶつと文句を言っていた。
 どうもこの手塚という男には、自分より格下とみなした人間を――特に女性を見くびる部分があるようだ。確かに高山も、戦いの場において女性が戦力として期待できず、多くの場合足手まといになるのは分かっていた。戦地で戦うのはいつも男であり、女は一般人くらいしか目にしない。昨今のテレビドラマなどに時折登場する男を圧倒する実力を持つ女など現実では見たことも無い。
 だが、窮鼠猫を噛むというように、普段戦力として劣っていても追い詰められれば捨て身で向かってこないとも限らない。それにこの空間では個人の力量だけではどうにもならない力が働いている。だからいくら高山が戦闘面で優れていたとしても決して自惚れてはいけない。鉛玉一発であっても人を死に至らしめるのには十分なのだから。



 状況が変化を見せたのは、一階が侵入禁止になってすぐだった。情報が与えられていない為彼らは未だ確信に至っていないが、二階が侵入禁止になるまで後九時間しかない。三階で武器を集める事を考えれば、妥当な頃合いだといえただろう。だが総一達を迎え撃つ側――手塚と高山にとって、それは最も予想に近いタイミングだったので、迷いは無かった――筈だった。タイミングというその一点だけを考えれば、全く誤算は無かったのだ。

 遠くから銃で撃たれれば、常人では意図してかわせるものではない。せいぜい当たらない事を祈るのが限界だ。上階を目指すべく総一達が取った対策はとても単純で、あまりにも簡素なものだった。この建物内にはいくつもの廃材や壊れた家具があり、一階では主にそれを壊し、武器とする。だが二階に登るとそのまま武器として使えそうな道具が落ちている為、それらに目をやる事が少なくなる。そんな使われない廃材であっても、鉄の板ならば銃弾を凌ぐ事は不可能ではない。

「傍から見りゃあ馬鹿馬鹿しい……が、悪くはねぇ考えか。だが」

 葉月の話から、銃弾の飛んできた方向は大体分かっていた。だから先頭を進んだ総一は、右側からの攻撃を防ぐように、鉄板を盾にして進んでいた。両手で抱えているせいで銃は握れないが、それを補う為に左側にクロスボウを持った葉月がいた。このまま敵の――手塚のいる通路まで突撃し、追い払ってから残りの三人を登らせる。そんな簡単な作戦だった。
 だが総一達にとって不運だったのは、高山が正面の通路に控えていた事だった。手塚の方向からの攻撃は防げても高山からは格好の的となってしまっている。

「葉月さんっ!」

 それに気付いた総一は葉月に呼びかけ、警戒を促す。高山が危惧していた通り気付くのは早かったが、だからといって今更作戦を変更する事も出来ない。手塚からの銃弾の衝撃に耐えながら葉月を庇う為前に歩を進めようとする。

「総一君はそのまま右を防いでおいてくれ!」

 いくら銃に比べて殺傷能力が劣るとはいえ、人間に対してクロスボウを使いたくはない。だが、今の自分は四人分の命を背負っている。ならば躊躇う事は出来ない。
 銃身――この場合そう表現していいのか定かではないが――を握り締め、引き金に指を掛ける。身体を少し落とし、片目を瞑って照準を定め、高山に狙いを向ける。同じように――しかし異なる武器をもって同じような仕草をする高山と葉月。鉄製の矢が飛ぶ軽い音は銃声によって完全に打ち消された。

 当初の予定では、総一達は厚い鉄板を盾にして、待ち伏せをしている人間に真っ向から突っ込んでいくつもりだった。銃が無いとはいえこちらに遠距離武器があることもあり、かなり強引ではあるがそれがベストだと思えた。こちらは人数で押して、どうにか解除条件を満たす為の交渉を行えないだろうかと淡い希望を抱いていた。
 不幸だったのは待ち伏せをしていたのが二人だったという点に尽きる。しかもそれが殺人を躊躇しない二人組とあってはもはや交渉の余地は無い。今更退いてもいつかは登らなければならない。ならば今しかない。

「登れッ!!」

 一丁の銃を撃ち尽くし時間が空くタイミングを見計らい、踊り場で待っている三人に聞こえるよう、大声で叫んだ。




[28780] 九話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/10/28 16:22
「ひゃあっ!」

 優希が小さく悲鳴を漏らし、耳を塞いでその場に蹲る。渚がその頭を優しく撫でながらも、不安そうな表情を階上に向ける。絶え間なく聞こえる何発もの銃声は総一達が襲撃を受けている音に他ならない。

「ま、まさか失敗したんじゃあるまいな!?」

 漆山の焦る声がその場の空気を煽るが、誰もそれを非難出来ない。さっきは総一が葉月さんの名前を大声で呼んでいた。突撃が穏便にいかなかった事は確かだ。

 総一と葉月が待ち伏せをしている連中と交戦している間、三人は階段の踊り場で待機していた。武器も少ないので大勢で一気に登るよりは安全だと判断したためだ。先に上るメンバーの中に漆山が含まれていない理由は言うまでもない。

「きっと大丈夫ですよ~、総一くんには盾がありますからぁ」

「あんな鉄板で銃弾が防げるものか! あいつらが死んだら俺達はどうやって登ればいいんだ!?」

 総一達の死亡はそのまま漆山達の命に繋がっている。それに待機している三人は誰も武器を持っていない。

「登れッ!!」

 突如、総一の声が降ってきた。怒鳴りつけるかのような大声は、それだけ事態が切羽詰まっている事を教えてくれる。事前に打ち合わせていたように「登れ」という言葉に反応し、三人は急いで階段を駆け上がる。

「右側奥の通路だ! 早く!」

 葉月の指示を受け、三人は指さされた通路を目指すが、その前に渚が僅かに悲鳴をあげる。

「葉月さん! 怪我が!」

「いいから早く! 急いで!」

 高山から受けた銃弾は致命傷とはなっていなかったものの、葉月の行動を大いに鈍らせた。総一のほうも手塚の銃弾を一枚の鉄板で受け続け、その衝撃にいい加減腕が痺れてきた。それでも優希たちを隠すように、残された通路に向かい足を動かす。その通路にさえ入れば銃撃は届かなくなる。

 漆山、渚、優希の後に、総一、葉月が続く。最後尾の葉月が通路に入ると、総一が後ろを塞ぐように鉄板を立てる。何発もの銃弾によりあちこちが大きく凹んではいるが、思ったより丈夫だったようで穴が開いていない。その恰好のまま後退すると、総一の後ろから――行列の前方から、漆山の声が聞こえた。

「な……なんだこれは! 邪魔だッ!」

 総一が振り返ると、通路の先にいくつもの木箱が積み重ねられていた。小部屋にあったものを集めたそれは古く、脆かったが、時間稼ぎには十分だった。背後から攻め入る高山と手塚にとってまさに袋の鼠といえるだろう。

「観念しな! お前らの負けだ!」

 鉄板で姿は見えないが、声高々に叫ぶ手塚は総一達にとって脅威以外の何物でもない。漆山が必死になって木箱を蹴飛ばしてはいるが、人が通れるほどになるまで果たして持つだろうか。
 と、鉄板に今まで感じない程の衝撃が与えられ、予測しなかった力に耐えきれずに総一は後ろへのけ反った。鉄板から手が離れ、身を守るものが何も無くなった。立ち上がろうとする総一の目に入ったのは自分を見下ろし銃口を向ける高山の姿だった。今まで感じたことのない純粋な殺意を感じ、背筋が泡立つのを感じる。まるで邪魔な石ころを蹴飛ばす時のようなその目に躊躇いは無い。確かこの男は、一階で会った時、傭兵を生業としていると話していた。そんな彼にとって人を殺す事はこれほどまでに容易い事なのか。
 だがその瞬間、今の光景がデジャビュのように過去の記憶と重なった。過去という程昔ではない。つい数時間前のあまりにも無様な自分と同じだ。
 あまりにも長く感じた思考は時間にすれば本当に短く、条件反射といえる程の反応だった。ズボンのベルトに差していたナイフを引き抜き、迷わず高山に向かっていく。まさか銃を構えている人間に飛び込んでくるとは思わなかったのか、高山が一瞬だけ怯むが、直ぐに体勢を立て直して頭を狙う。

「……っ」

 しかし総一がナイフを鞘から抜く間に高山の顔が歪む。そしてそのまま後ずさり、飛び掛かろうとしていた総一から距離を取った。そこでようやく、高山が左手を負傷している事に気が付いた。葉月のクロスボウが当たったのだと気づくのに時間はかからなかった。

「よし! これで行けるっ!」

 漆山の声でようやく木箱が除けられたのだと知り、総一も高山を睨みつけながら急いで後退する。高山はそれを静かに見つめるだけでそれ以上は向かってこなかった。その瞳からは、やはり感情を読み取ることが出来なかった。

 手塚が高山の場所へ辿り着いた時には既に総一達は逃げた後だった。高山が前方に出て鉄板を蹴り飛ばしたお陰で盾は無くなったが、今度は高山が邪魔になり手塚は狙撃が出来なかった。今ここで高山を犠牲にするのはあまりにもリスクが高かった。

「チッ。あれだけ待って収穫ゼロかよ!」

 手塚は別に高山を責めている訳では無く、行き場のない不満を言葉にしているだけだった。

「一応痩せ型の男を負傷させたが、しくじったのは確かだな」

「……敗因はなんだと思う?」

「あえて挙げるならば奴らがそこまで腑抜けではなかった事か。だがまだ負けたわけではない。本当の敗北は、死んだ時だ」

「分かってるさ。不愉快なだけだ、気にしねぇでくれ」

 心を少しでも落ち着けようと煙草に手を出す。特にこだわりがある訳では無いが、値段の割に味が馴染むこの銘柄を気に入っていた。口から煙を吐き出すことで幾分か落ち着きを取り戻し、手塚がその一本を吸い終わるまで高山はそれを黙って見ていた。

「どうする? 待ち伏せを続けるか?」

「いや、もう五人も行っちまったんだ。先に厄介な得物を持たれたら困るからな、四階へ上がる事を優先したい」

「待ち伏せをされてなければいいがな」

「ククッ、まったくだ。する側もきついが、される側もきついな、こりゃ」

 いつもの落ち着きを取り戻した手塚は高山と共に次の行動に向けて動き始める。階段の周囲は、先程までの銃声がが嘘のように静寂を取り戻した。



 最初に首輪を外す人間が現れたのは開始から30時間が経過した頃だった。

「ふぅ。どうやら今回は全体的に移動速度も遅いようだし、エレベーターを活用したのは正解だったようね。二階が不安だったけれど」

 ようやく圧迫から解放されたことを確かめるように、郷田の細い指が首筋を這う。もはやこれは癖のようなもので自分が"支配される側"の人間ではない事を確認するお決まりの行為だといえた。
 外れた首輪を床へ落とすと軽い音がする。動きを止めた首輪をヒールの踵で踏むと落ちた時とは違った音がした。これを持っているせいで4の人間に狙われてはたまらない。もっとも、そんな事を確認せずに襲ってくる可能性が高いのだが、首輪探知のツールを持っていた場合を考えると得策といえるだろう。
 まずはこの階から離れた方がいい。二階が侵入禁止になるまで、あと6時間程しかないのだから。もう二階には郷田以外、誰もいない。だからこうやって連絡が来た際も、人目を憚らず会話をすることが出来た。

「首尾はどう?」

『回収部隊は間もなく到着、プランAは問題なし。プランBについては成果が芳しくはなく、続行に不安は残ります。プランCは現在滞りなく進行中』

「プランBにおいて姫様に危害は?」

『ありません。ただ、対象の精神が安定してきたためこちらの想像通りに動かすのは難しいかと。姫様の精神面は概ね良好。回収は是と判断』

 近くにいない者達から聞いた情報を元に、次の手を吟味する。やはり問題はプランBをどうするかだろう。こちらの目的さえ達する事が出来ればこのまま捨て置いても構わないだろうが、せっかく仕込んだのだ。どうにか有効活用したい。

「……エクストラゲームの申請をするわ。丁度ゲームの盛り上がりにも欠けているところだし、問題は無いでしょう? 内容に関してはこちらから指定させてもらうわ」

 一度通信を切り、"支配する側"の人間に与えられた特権を活用すべくPDAを弄る。
 PDAの地図には他参加者の現在位置が点になって表示されている。点から伸びる線の先にはそれぞれの名前が四角で囲まれている。郷田を除く参加者の全員が三階に集まっているというのは、時間経過から考えればかなり珍しい事例だった。しかも参加者13人中、12人が未だ生存している。ゲームも折り返し地点が近づいているのだから、そろそろ人数を削ってもいいだろう。などと考えていると、突然、12個の点の内のひとつが名前と共に画面から消えた。 地図から項目の画面に戻すと、起動した時と比べ、一箇所だけ変化がみられた。

『生存者数/11人』

「これでようやく11人ね。……まあ、これから盛り上がってくるようだし、期待するとしましょうか」

 首輪を外してしまえばもう舞台にいる必要は無い。今回のゲームに関しては立て続けに予定外の事例が続いたのだ、一足早く楽屋に戻っても構わないだろう。再び通信を繋げ、舞台の上では確認できない事柄について細かに質問していく。エクストラゲームの内容についても参加者の位置を確認している間に考えておいた。

「――ええ。それじゃあお互い頑張りましょう? 良きゲームの為に、ね」



 北条かりんが三階へ登ったのは、総一達が登った時より少し後だった。その原因は高山の手塚の待ち伏せではなく、総一達を奇襲した時手傷を負った事だった。

 最初、かりんは今の装備で彼らを相手にするつもりは無かった。離れた場所から様子を窺っていたかりんは見覚えのある漆山、総一と共に、髪を大きなリボンで纏めた小さな人物に気が付いた。背後からなので顔までは見えないが、その恰好から少女だろうと推測した。背格好からして、恐らく妹と――かれんと同じくらいの年齢だろう。
 総一と手を繋ぎながら歩くその姿は場所によっては兄妹にも見えるだろうが、かりんにはそのような雰囲気には見えなかった。誰も一言も発する事無く、総一が少女の手を引いて歩いている……。
 ……もしかすると、彼女は無理矢理捕らえられたのではないだろうか。漆山はともかく、一階での総一を見る限り好青年のように思える。だがそんなのは表面上の性格でしかない。法の手の届かぬ場所で、男二人と少女一人。 ……彼女を助けなくともかりんにはなんの実害も無い。それどころか生存者が減る方が賞金は上がるのだ。

――本当に、それでいいの……?

 顔さえ知らぬ少女の後ろ姿が妹と重なる。

――……もしかれんが同じような状況にあれば……きっと、怖がるだろうな……。

 ……別に皆を殺す必要は無い。少女ひとりを助けたところで、賞金は十分に残る。理不尽なゲームに巻き込まれ、悪意に呑まれるのを見過ごしておくのは……嫌だ。そんな気持ちになったのは、本人が認めたくなくともかりん自身もゲームに対して抵抗があったからかも知れない。

 先程箱の中から見つけたクロスボウを握り締め、矢を番える。PDAの地図を確認して遠回りをしながら、確実に距離を詰めていく。
 替えの矢はあるが一本をセットするのは案外手間がかかる。チャンスは一度きり。外してしまえば急いで逃げるしかない。
 総一達への距離が狭まるにつれ、かりんの決意がだんだんと固まっていく。
――助けなければ、あの少女を!
 これから自分が行おうとしている行為を忘れようとしての行為かも知れない。それでも少女を助けたい――その気持ちだけは一貫していた。同時に、総一と漆山に対する反感は募るばかりだった。
――こんな奴らに好き勝手させてたまるか!

「死ねッ!」

 突然の奇襲に驚く総一の反応が遅れ、かりんの狙い通りの位置に照準が合う。だが総一の反射神経は予想以上に優れており、矢は彼を掠める事無く通路の向こうへと飛んでいった。

「あうっ!」

「優希!」

 少女の呻きと総一の言葉に思わず視線が向いてしまうが、自分の状況を思い出し、すぐに元いた通路へ向かって逃げ出した。角へ近付いた時、背後から怒声が聞こえてきた。

「……っこのクソガキがあッ!」

 まさかここまで追いかけて来るとは思わなかったかりんは目を見開き、背後を振り返る。憤怒の感情のみが体現したかのようなその姿はかりんを怯ませるのには十分だった。漆山が自分の怒りを――その殆どは総一と優希に対するものだったのだが――込めたナイフをかりんへと振り下ろす。その一閃はかりんの右肩へと血飛沫をあげながら吸い込まれていく。

「ひ……ああぁあっ!」

 今まで感じたことのないような痛みに完全に混乱してしまったかりんは、ただその場から逃げる為だけに漆山へ蹴りを食らわせる。漆山が体勢を崩している間に、脇目も振らず、痛みも忘れ、かりんは大して変わらぬ道をひたすらに走り続けた。走るのを止めればまた背後から漆山が――もしくは他の誰かが襲い掛かってくるような気がして、止まることが出来ない。
 かりんが息を切らすまで他の参加者に見つからなかったのは運が良かったとしか言いようがない。

「はぁ……はぁ……、……」

 そのまま廊下の真ん中で倒れ伏す。頬に当たるコンクリートの床は冷たく……かりんの頬を伝う涙で僅かに色が濃くなる。自分の無力さを晒す結果となった覚悟が……どうしようもなく惨めで……悔しかった。
 いつだってそうだ。自分の努力が報われた事など一度も無い。
 両親の死後、誰もがかりんとその妹に同情した。
 なんてかわいそうな姉妹だろう。両親は不慮の事故で亡くなり、妹は重い病に侵されている。
 ……皆が同情した。 ……でも、誰一人手を差し伸べてくれた者はいない。他人の不幸に同情する事は出来ても、自分の平穏な暮らしを犠牲にしてまで助けるというのは簡単に出来る事ではない。
 そして彼女自身もまた……その状況を打開する方法を持ち合わせていなかった。

 自分を責めれば、きりがない。だから今は考えない事にした。自分の行動が――殺人がどのような結果を生むのか、想像したくもない。だが、それによって、かりんが最も必要とするものが手に入るのは事実だ。
 進まなければいけない。
 迷ってはいけない。
 そう決意を新たにして階段を登り、人を殺すという事実を強く実感させてくれる武器も手に入れた。決意もあったし、武器もあった。
 足りなかったのは……実力、なのだろうか。もっと力があったのならば……こんな無様に額を床につける事も無かったのだろうか。床の冷たさが、つい数時間前も同じように倒れたのだと思い出させ、どうしようもなく惨めだった。

――……死んだら私は、何処へ行くのかな。
――あの世があるのなら、そこで死んだお父さんやお母さんに会えるのかな。
――ああ、でも……駄目。
――私が死んだら……かれんがひとりぼっちになっちゃう……。

「ぶき……を、……こ……さ、なく、ちゃ……」

 落とした銃を再び握るべく手を伸ばすが、触れる直前、後頭部に違和感を感じ、思わず体が硬直する。それが何なのか理解するよりも早く……あまりにも簡単に、ひとりの少女の人生は終わりを告げた――。




[28780] 十話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/11/04 21:08
 珍しく自分から見張りを買って出た漆山に――恐らくはひとりで煙草でも吸いたかったのだろう――廊下に繋がる部屋を任せ、他の四人は奥の部屋に移っていた。目的は勿論、先程負傷した葉月の治療だ。総一はそれを渚と優希に任せると、更に続くドアを開き、そこに置いてある物を確認していた。分かりやすい位置に置いてあった救急セットを渚に渡し、再び物色を始める。
 渚は救急セットの中身を確認すると、優希に的確な指示を出しながら必要な薬品を取りだした。

「はい、渚さん。お水はこのくらいでいい?」

 優希が底の浅い片手鍋の半分まで水を入れて渚に見せる。治療目的なので本当は洗面器でもあれば良かったのだが、生憎そんな気の利いたものまで見つからなかった。

「う~ん、もうちょっとあるといいわね~。八分目くらいまで」

 そう言いながら清潔なガーゼを水に浸し、胸元をはだけさせている葉月の傷口に優しく宛がった。相当沁みたが、呻き声をなんとか堪えながら、葉月は渚に礼を言う。優希は再び鍋を持つと、部屋の隅にある水道まで向かった。

「優希ちゃんは気が利いているね。本当に助かるよ」

「えっ? あ、ありがとうございますっ!」

 軽く背伸びをして水を入れていた優希が水を零さないよう注意しながら葉月の方へ振り返る。目的の量の水が溜まると、それを持って渚の横に持っていった。

「ありがとうね~優希ちゃん」

「う、うん……えへへ」

 優希は照れているのを隠すように膝を抱えて蹲る。矢面に立つことも、的確な治療もする事が出来ない優希にとっては、自分が役立っているのだと言ってもらえるのがなにより嬉しかった。この人達と出会えて本当に良かったと思い額を膝小僧に押し付けていると、ドアが開き、いくつかの荷物を抱えた総一が戻って来た。それに合わせて優希は立ち上がり、総一の元へと駆け寄った。
 治療も終わり、ベッドに腰掛けていた葉月は開けさせていた胸元を正す。とはいえ左肩には包帯がしっかりと巻かれているので、締め付けては治りが悪いだろうと思い、一番上のボタンだけは外しておいた。ネクタイもしない方がいいだろう。

「もう大丈夫だよ。足は怪我していないし、移動するには問題ない」

 心配をかけまいと微笑んでも、治療をしていた渚にはまだ不安の色がみてとれた。これ見よがしに軽く腕を回そうかとも思ったが、腕を後ろに回すと軽く痛みが走ったので無理はしない事にする。銃弾が完全には当たらず、体に残らなかったのがせめてもの幸いだといえよう。これは高山の腕の問題ではなく、葉月が迷わずクロスボウを構えた事により誤差が生じたのが原因だった。

「あんまり無茶しないでください~。傷口が悪化したら大変ですよ~」

「なんか、すみません。俺が不甲斐無いばっかりに手負いの葉月さんにクロスボウを撃たせてしまって」

 痛みを堪えながらも総一を救うべく一打を放った葉月に頭を下げる。総一は、やはり今回も役には立てなかったと失念していた。そんな感情が顔に出ていたのか、葉月は優しく語りかけた。

「君が一方を塞いでくれたからこそ、僕達は今こうしてここにいるんだ。あの男性――高山さんにも多少なりとも怪我を負わせる事が出来た。これで彼らは暫く襲ってこないと思う」

 あまり他者を傷つけた事を喜びたくは無いが、相手が相手だけにそうも言ってられないであろう事は葉月も理解していた。

「ありがとう。君のお陰で、僕達は死なずに済んだんだ」

 総一の右手が別の白く華奢な手で包まれる。渚だった。その上から、もっと小さな手が――優希の手が乗せられ、二人は総一に向けて優しく笑いかけた。

「総一くん。私達にとっての勝ちは、誰かを殺すことじゃないわ。誰も欠ける事無く生き残る事でしょう?」

「みんなを守ってくれたお兄ちゃん、かっこよかったよ! わたしだったらあんなにバンバンいってたら逃げちゃうもん!」

「渚さん……優希……。……ありがとう」

 今、この場に彼女達がいる事が心の底から嬉しく思えた。そしてここにいられる事が……嬉しかった。こんな笑顔を浮かべられる彼女達の表情が悲しみに歪んでいい筈が無い。命が無慈悲に奪われていい筈が無い。人生が壊されていい筈が無い。
 戦おう。
 殺す為じゃなく、守る為に。
 総一はベルトの後ろに差していたそれを――簡単に誰かの命を奪う事が出来る拳銃という武器を、葉月に見せた。葉月も一瞬表情が険しくなるが、すぐに落ち着きを取り戻して総一に視線を向けた。

「隣の部屋で見つけたんです。……これを俺が持つ許可をくれませんか」

 本当ならば年長者である葉月に渡すべきなのかも知れないとも思った。しかし、利き腕ではないとはいえ負傷した葉月に、これ以上無理を強いるのは気が引けた。
――守る為に力が必要だというのなら、俺はこれを手にしよう。

「ああ。大丈夫、君ならきっと間違えない。正しく使う事が出来るだろう」

「正しく……」

 拳銃というものが"獲物"を撃つ為に作られたのなら、正しい使い方はそれに尽きるのかも知れない。だが、……今この場において、それとは異なる正しさを葉月と総一は理解していた。

「君はモデルガンを撃った事があるかい?」

「はい。あの時はBB弾でしたから、勝手は違うと思いますけど」

 こうして手にしているだけでもプラスチックではない重さをまざまざと感じている。試し撃ちをしたいという気持ちと、銃弾を無駄にしたくないという気持ちが両方あった。
 やはり衝撃は凄いのだろうか。想像さえつかないその感覚に今の内に慣れた方がいいんじゃないだろうか。

「総一君。試しに一発、撃ってみたらどうだろうか」

 煮え切らない総一を後押しするように葉月が声を掛けてくれた。

「そう、ですね。それじゃあ廊下で撃ってみましょうか」

「でも~。それでさっきの人達が来ちゃったりしないかしら~」

 渚が眉をひそめた。その心配はもっともだ。と、総一はさっき見つけた別の道具を思い出した。

「これ、さっき銃と一緒に見つけたんだけど……名前から察するに、もしかしたらPDAの数が分かるんじゃないかな」

 ポケットから二階で見つけたのと同じ、白く小さいプラスチックの箱を取り出した。

『Tool:PDASearch』

「これが、君達が二階で見つけたっていう、拡張ツールなのかい?」

「はい。あれはトラップサーチでしたけど」

 総一のPDAに搭載された罠を探知する機能は、地味ながらも活躍をしてくれていた。ただ、今まで一度も罠にかかっていないので、この建物に仕掛けられた罠が一体どういう類のものなのか全く分かっていなかった。だがそれを身をもって確認する事など出来る筈も無い。結局は回避し続けるのが一番の良策なのだ。

「でもそれって確か、バッテリーを使うんだよね? またお兄ちゃんのに入れるの?」

 二階で少し話しただけなのに良く覚えているものだと総一は感心した。ひょっとすると優希は総一が考えている以上に頭が良いのかも知れない。

「まあとりあえず、消費量を確認してみよう」

 総一のPDAに入れて確認してみると、消費量は"大"とのことだった。だがあくまでも機能を使用している間だけなのでむやみやたらに使わなければ問題は無い。

「じゃあやっぱり~、最後まで持ち歩く私のに入れた方がいいのかしら~」

「確かに渚さんのJだとPDAを壊さなきゃいけない8との取引には使えないから、その方がいいのかも知れないな」

 総一のAはバッテリーの問題を考慮して避けたい。
 優希の7ならば良さそうだが、幼い彼女に果たしてツールが使いこなせるだろうかという疑問がある。 それになるべく優希に負担を掛けたくはない。
 漆山の6は問題ないが、使用する彼自身に問題がある為除外すべきだろう。
 そして総一が最も頼りになると踏んでいる葉月のPDAだが――これはダイヤの2だった。今後漆山の条件の為にジョーカーを探さなけばならないことを考えれば、葉月が同じ目的を持つ2のPDAを所有していた事は幸運といえるだろう。

「でも~、私、うまく使える自信がないの~。難しいのかな~」

「大丈夫だよ、位置を確認するだけなんだから。それに渚さんは前に立つことが無いんだからPDAも安全だろ? PDAを持ってる人間の位置が分かるツールなんだから重宝するだろうし」

「そうね~。わかったわ~、やってみる」

 渚は画面に表示された指示に従ってPDAサーチの機能をインストールした。これでJのPDA上にはPDAの位置が光点の形で表示されるようになった。

「でもこれ、ジョーカーの位置は表示されないんですって~。残念ね~」

「そうそう上手くはいかないって事だな。まあどうにか判別する方法はあるだろうし、そんなに悲観する事は無いさ」

 総一と渚の会話を聞いて、葉月は思い出したように自分のPDAの『解除条件』の項目を呼び出した。

「これによると、このPDAの半径2m以内にあるジョーカーは無効化されるらしいんだ。だから誰かがジョーカーのPDAを持っていれば分かるんじゃないかな」

「誰かが嘘ついてても分かるんだね。便利~」

 そんな優希の何気ない言葉が総一の耳に刺さる。ジョーカーのPDAの本来の在り方は偽装機能を活用する事にある。他者を欺き、利用する為のPDAなのだ。
 それを悪用しない人間の手に渡っている事を願うが、どうやら総一達五人の中にそれを持っている者はいないらしい。
 らしい――というのも、総一が把握したPDAは殆ど自己申告に近い形なのだ。総一が直接見て確認したのは優希の7だけだが、その時2のPDAは無かった。冷静に考えれば、誰かが嘘をついていてもおかしくないのである。

「ねぇねぇ総一くん! 出来たわ~!」

 渚が嬉しそうに総一に近寄り、自分のPDAの画面を見せる。本当に無邪気な人だなと思いつつ、総一もそれを覗き込んだ。

「これが俺達だな。丁度5台ある。後は……」

 それぞれ離れた位置に単独の光点が3つ、他に一箇所に固まった3つの光点があった。
 ……3つ? 3人で行動している人間がいるのか、それとも……。
 そこで思い出した。一階で死んでいた少女のPDAが見つかっていない事を。首輪無き殺人鬼の仕業なのだとしたら彼女が死んだ時に一緒に壊れた可能性もある。だがもしそうでないのなら、少女を殺した犯人がそれを持っているのでは?

「あれ~? おかしいわ~。どうして11個しか無いのかしら~」

「え? ……あ、本当だ」

 画面に映っている光点は合計11個、ひとり一台のPDAが配布されている筈だから二台足りない計算になる。と思ったが、よく見れば画面の隅に『3F』と表示されていた。別の階にあるPDAは映っていないのだ。

「渚さん、これは三階だけみたいだよ。別の階を確認してみたら?」

「えっと、どうやるのかな~? 総一くん、やってくれない?」

 渚が両手で包んだPDAを総一に近づけた。操作してほしい、という事らしい。安定するように左手で支えようと思ったがそうしたら渚の手に触れてしまう。女性にそれは失礼だろうと思い、苦笑いを浮かべて頼んでみた。

「ちょっと貸してもらってもいいかな。うまく操作出来ないから」

「はいっ」

 そう言いつつPDAを手に取りやすい位置に持ってくるだけで、渚は手を離そうとはしない。確かにPDAは命と同義といっていいものなのだから当然なのだが、彼女の場合はそういう警戒でないのは一目瞭然だった。にこにこと笑いながら総一の行動を待っている。

「じゃあ、ちょっと失礼」

 渚の手の上に自分の左手を軽く添え、その滑らかな肌に少し緊張しながら、地図の階数を変化させていく。『2F』の位置にひとつだけ光点があった。まだ二階に誰か残っていたのが意外だったが、総一にはそれよりも気になることがあった。

「……他の階には何もないし、全部合わせても12個しか無い。つまり……」

 誰かのPDAが既に壊れているという事になる。普通に考えれば、それは一階の少女のものだろう。現在生存している人間のPDAが壊れていないという事実を喜ぶべきか、一部の人間の解除条件となっているPDAの数が減った事を嘆くべきか。

「でもこれを使えばジョーカーが見つけられるんじゃないかい? ジョーカーだったらこれに映らないんだろう?」

「そうですね。確かに役に立ちそうです」

 と、突然漆山がドアを開けてこちらの部屋へ入ってきた。

「おい! 今のが聞こえたか!?」

「へ? どうしたんですか、いきなり」

 強張った表情をしていた漆山は総一の気の抜けた返事に肩の力を落とした。一体何事かと全員の視線が集中したので漆山も少々たじろぐが、それでも告げた方がいいだろうと思い、口にした。

「こっちの部屋には聞こえてなかったのか。どこかから、銃声のような音が聞こえたんだ。廊下のドアを少し開けていたから外だとは思うが……割と近いんじゃないか?」



「さて。じゃあ麗佳ちゃん、後は任せるよ」

 血と硝煙が混じり合う臭いは想像以上に不快さを感じさせなかった。他の人間もそうなのか、それとも自分の神経が麻痺しているだけなのか、真比留には分からない。ひょっとすると単に自分が図太いだけなのかも知れない。昔読んだ小説で、ひとり殺せば後は迷わない、という独白をしている登場人物がいたが、成程そういうものなのか。
 離れた場所から様子を窺っていた麗佳が歩み寄り、物言わぬ屍となった少女を見下ろしていた。麗佳とて覚悟をしていた筈なのだから、この程度で怯んでもらっては困る。

「確実に死んでいるのよね」

「後頭部に風穴開けられて生きている人間がいない限りはね。……じゃ、好きにしてくれ。私はさっきの部屋に戻るから」

「この場を離れるつもり?」

「まーね。いくらなんでも人体切断ショーを好き好んで見る程腐っちゃいないつもりだからさ」

「あそこまで容赦なく殺しておいてよく言ったものだわ。所詮は同じ穴の貉よ」

「死体の損壊で罪状が重くなるんだから同じとは言わんでしょうに。……ああ、その場合殺人の方が罪が重いのかな」

「ここには法律なんてないんだから、考えるだけ無駄よ」

 生きるか死ぬかの状況で麗佳が殺人に対する覚悟を決めたのは法の手が届かないという事に後押しされてだろう。ならば法律の及ぶ空間で殺すか死ぬかの選択を迫られれば麗佳はどうしたのだろうか。意味のない疑問を心にしまうと、真比留は先程自分が殺した少女に近づき、ポケットを探り始めた。

「あった、あった。8は……えっと……」

 自分のPDAに記された解除条件一覧に目を通し、少女の条件を確認した。今更どうにかなる訳ではないが単なる興味本位だ。

「5台のPDAを破壊。ジョーカーは含まない、じゃなかった?」

「さっすが麗佳ちゃん。その通りだよ」

 ルールを確認する事無く他人の条件を言い当てた麗佳に感服する。やはり彼女は頭が良い。同じ大学生でもこうも違うものかと思ったが、自分では比較対象にもならないな、と自嘲した。

「この子は北条かりん。一階のホールに集まった内のひとりよ」

「階段でのロリ……女の子もそうだけど、子どもが犠牲になるのは悲しいね、ホント」

 殺した張本人の言葉とは思えない台詞を吐く真比留に、麗佳は量るように視線を向ける。そんな麗佳の視線に気付いた真比留は取り繕うようにわざとらしく慌てだした。

「いやいや! 確かに真比留サンが殺したけどさ。悲しむくらいしたって悪くはないでしょ。死者は丁重に扱うべきだと思うのさ」

「殺された本人からすれば詭弁もいいところでしょうけどね」

 かりんのPDAを弄っていた真比留は機能の項目に目を通した。

「おっ、このPDA、機能が追加されてる。侵入禁止になるまでの時間が表示されるやつ。三階が侵入禁止になるまで、あと15時間ちょいみたいだよ」

 さっき、麗佳は一階が侵入禁止になった時間から各フロアが9時間で侵入禁止になる可能性が高いと推理していた。真比留はかりんのPDAをしまい、麗佳の行動を待つ。その視線の意図を理解して、麗佳は自分がこれから行わなければならない事を思い出し、かりんを見下ろす。

「……さっきの鎌、捨てない方が良かったわね」

「使い勝手悪いけど、首を切り落とすにはいいのかもね。鎌ってそういうもんじゃないけどさ」

 この階で銃と一緒にナイフを発見した時、真比留は持っていた鎌をナイフに持ち替えた。刀身が湾曲した鎌より片手に収まるサイズのナイフの方が使いやすいのは至極当然だ。

「私が今持ってるナイフでは切れないかも知れないわね。首の骨は太いから」

 麗佳が所有するナイフは細かい作業には向いているが、固い物を切るには心許ない。真比留のコンバットナイフならば麗佳のものよりは楽なのかもしれないが、自らの武器を手放す気は無かった。それがたとえ貸すだけであっても。

「さっきの部屋にあった中華包丁を持ってきましょうか。少し遠いけれど」

「……ん。いいんじゃない?」

 真比留も薄々感づいてはいた。麗佳はなにかと理由をつけて、行為に及ぶ事を引き延ばそうとしている。死体を辱めるという事は殺す事とはまた別の覚悟が必要になる。銃口を向けられ、それを迎え撃つのならば自分に言い訳をするのも簡単だろう。
 北条かりんは既に物言わぬ屍となっている。首輪を入手するには条件を満たすか、首を切り落とすしかない。だが、麗佳と真比留は余分なPDAを五個も持っていないし、それらを壊す気も無かった。だから首を切断しなければならない。

「一気にやろうとすると首輪壊れるかもね」

 他人事のように――実際そうなのだが――真比留が言ったと同時に麗佳の表情が強張った。

「……真倉」

 そして右手の銃を真比留の方へ向ける。すぐに麗佳の標的が自分ではなく、その背後にある事に気付いた真比留は、次の行動を誤らなかった。
 銃を持ったまま麗佳に視線を送り、数メートル先にある木箱の山に視線を移す。アイコンタクトを理解した麗佳が軽く頷くのを確認すると、真比留も体を反転させ、同じ方向に銃口を向けた。しかし本当に撃つつもりは無く、麗佳が撃った後に追撃が来た時の為の保険のようなものだった。

刹那――部屋の中にふたつの銃声が響き渡った。




[28780] 十一話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/11/18 18:50

「これ……爆発の音?」

 優希が不安そうに音がしたと思われる場所を気にする。気を逸らそうと総一は優希と繋いでいる手の力を少し強め、渚が優希の頭を優しく撫でる。

「すこし急ぎましょう。早く四階に上がった方がいい」

 移動中に耳に痛い音が絶え間なく飛び込んできでも、現場に駆けつけるという選択肢は選ばなかった。我ながら薄情だと思ったが、一時の感情に流されて優希や渚の命を危険に晒す事は出来ない。それにあそこで誰かが争っているのだとすれば現在四階への階段の周囲は安全だという可能性が高い。

 かくして総一達は多少の罪悪感に苛まれながらも急ぎ足で階段へ向かい、安全に四階へ辿り着く事が出来たのだった。総一にとっては手に入れた拳銃を使わなくとも済んだのが何よりも嬉しかった。そしてそれは、途中の小部屋で総一のものとは少々形状の異なる、しかし素人でも使えるような拳銃を所有している葉月も同じだったのであろう。緊張と安心が入り混じった微妙な感情は、その場に居る全員の暗黙の了解となっていた。

「渚さん、四階には他に誰か辿り着いてるみたいですか?」

 PDAの位置を探知する事の出来る渚のPDAを頼るべく、総一は訊ねた。

「ちょっと待ってね~……。……あ、誰かいるみたいだよ~。多分ひとりだと思うけど~」

 渚の地図にはPDAを示す光点が自分達を除きひとつだけ表示されていた。それを聞いた葉月は身を乗り出してPDAを覗き込んだ。位置はそう遠くない。このままいけば三十分くらいで接触するんじゃないだろうか。

「ひょっとするとそれは長沢君じゃないのかな」

 長沢という名前を聞いて、総一は一階で出会った育ち盛りの少年の姿を思い出した。

「そうかも知れませんね。葉月さん達が会った時の話を聞く限りでは、あまり誰かと行動したがっていなかったんですよね」

「長沢君の発言には好戦的ととれるものがあったから、誰かに唆されて刺激されたんじゃないかと心配だなあ」

 PDAの件で一度助けられたせいでもあるだろうが、明らかに子供と見てとれる年齢の長沢が非行に走らないかと葉月は心の底から心配していた。たとえ自分となんの関係もなかろうが子供が犠牲になるのは気分のいいものではない。そんな葉月に反論したのが漆山だった。

「ふん。あんなクソガキの心配なんかする必要は無いだろ。思い出すだけでも腹立たしい……!」

「あれ? 漆山さんはそんなに長沢が嫌いなんですか?」

「当然だ! あそこに集まる前のうざったい事といったら! いちいち俺の揚げ足を取りおって!」

 あそこというのは一階のエントランスホールのことだ。よく考えれば総一はあそこに集まる前の彼らを知らない。知らなくても別段困る事ではないのだから当然なのだが。

「漆山さんは最初に長沢と行動してたんですか?」

「いや、最初に出会ったのはあれだ、金髪の女だ。畜生あいつら……」

 漆山は当時の事を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。麗佳を目にしてすぐ、漆山は彼女に言い寄った。その現場をを見かけ、止めたのが高山と長沢の二人だった。それが原因で散々長沢から馬鹿にされていた漆山だが彼らが駆けつけなければ確実に見せしめにされていたであろう。

「銃とか持ってるのかな~」

「多分……いや、確実に持ってるだろうな。誰かを殺す意図が無いとしても絶対に必要になるんだから」

 高山ともう一人の男――手塚が敵に回っていると判明した今、これ以上の不安要素を増やしたくはない。果たして長沢は誰かを殺めるつもりがあるのだろうか。それを判断するにしても長沢とまともに会話していない総一にはあまりにも情報が少なかった。敵とはっきり分かっている方があるいは対応しやすいのかも知れないが仲間に出来るならそれに越した事はない。

「子どもが銃を持たなければならないなんて……惨過ぎる」

 葉月の表情に影が差す。かつてテレビのドキュメンタリーで見た、少年兵の姿が脳裏を過ぎる。悲惨だと思いつつもそれを最後まで観る事が出来たのは、それが自分の住む国とは違う、ある種別世界ともいえる場所で起こっていると理解出来たからに他ならない。
 総一の銃が目につく。彼とてまだ学生の身分であり、こんな場所で血生臭い争いに巻き込まれるべきではないのだ。
 一体どうしてこんなことを。葉月がここに来てから――あるいは抵抗を決意してから、幾度となく考えた事だった。

「わたしが持ってるのは銃じゃないよ」

 優希は総一から譲り受けた十手を葉月に見せた。このくらいの武器なら問題ないだろうと総一も判断して気休め程度に渡したのだが、優希はそれをいたく気に入ったらしかった。

「でもこれって変な形してるね。なんていう名前なの?」

「それは十手(じゅって)っていって、刀を防ぐのに使うんだ。時代劇にも時々出て来るよ」

「おいちょっと待て、小僧。それは十手(じって)だろう。まったく、最近の若い連中は言葉を知らんからいかん!」

 最後尾を歩いていた漆山が話に割り込んできた。漆山もようやくかりんの襲撃の時のトラウマを払拭出来たようで、折り畳み式のナイフをポケットに入れている。彼が銃を求めなかったのは総一にとって幸いといえた。

「私も何か、持っておいた方がいいのかしら~」

 この中で唯一武器らしい武器を所有していない渚が訊ねる。ちなみに途中で見つけたメリケンサックは役に立たないと判断され、発見した場所に戻されていた。優希に十手を渡したのはあくまでも彼女を安心させる為であり、戦いに巻き込む気は毛頭ない。それは渚に対しても同じだった。だが彼女が武器を持たない事で不安を感じているのなら何かを持たせた方がいいだろうか。

「じゃあ次に休憩する部屋で、護身用に良さそうな物を探そうか」

「本当は総一くんがナイトになって華麗に助けてくれたらかっこいいんだけどね~」

 そんな渚の言葉に総一から笑顔が消える。気付いた渚はあわてて言葉を正した。

「違うのよ~! 今の総一くんが悪いんじゃなくて~! 私も一度くらいは守られるお姫様になってみたいなーって~!」

「お姫様?」

「だって~。私だって女の子だもの。ちょっとくらい夢見てもいいと思わない~?」

 渚はうっとりとした表情を浮かべながらドレスを着た自分を想像していた。

「わたしもお姫様になってみたいな! それで、白馬に乗った王子様が現れてっ!」

「いいわよね~。やっぱり女の子なら一度はそういうのに憧れるわ~」

 完全に自分達の世界に入ってしまった二人に、男達は声を掛ける事が出来ない。そういえばあいつも似たようなことを言っていた事があったな、と、目の前にいない優希を思い出す。女性とは皆こういうものなのだろうか。幼馴染以外に親しい女友達がいない総一にはそれを判断しかねた。
 ただひとつだけ分かるのは、自分は決して白馬に乗った王子にもなれないし、姫を守る騎士にもなれないという事だけだ。

「まあ、俺に出来そうなのは盾になることくらいだな。大丈夫、優希も渚さんも怪我ひとつさせるもんか!」

「総一くんかっこい~!」

 総一も渚や優希に褒められるとやはり嬉しい。葉月と漆山は彼らから離れずに近くでそのやり取りを見ていた。漆山としては距離を取りたかったのだが、今の状況でこの集団から抜ける度胸は無く、出来るのはただ悪態をつく事だけだった。

「女の考える事は理解出来んな。姫だなんて馬鹿馬鹿しいだけだろうが。いい歳した女が言う事じゃあないな。もう少し現実を見ろ」

「まあまあ。話が暗い方向に向かうよりはいいじゃないですか」

 葉月はそう言って漆山を宥める。漆山がこうして未だ総一達と共に行動出来ているのはひとえに葉月の人知れぬ奮闘の恩恵だった。

 もしも彼らに足りていないものがあるとすれば、それは死に対する明確な危機感だろう。彼らのうち、ゲームでの犠牲者を見たのは総一だけである。今まで数回他の人間に襲われてはいても、緊張感が欠落しているのは確かだった。

「ねぇねぇ、渚さん、ちょっといい?」

 優希が渚に声を掛ける。一行の中で互いが唯一の女性であることもあって、二人は随分と仲良くなっていた。

「なぁに~?」

「ちょっとこっちに来て……あ、お兄ちゃん駄目だよ! 女同士の秘密の話なんだから!」

 総一達から離れようとする優希を止める事も出来ず、何がなんだか分からず立ちすくむしかなかった。

「やはり女の考える事は理解出来ん」

 漆山が独り言ちた。

 渚は優希の視線に合うように屈み、耳を傾ける。優希は渚にだけ聞こえるように小さな声で話を切り出した。

「渚さんってさ、……お兄ちゃんのこと、好きなの?」

「もちろん大好きよ~。総一くんも、優希ちゃんも、葉月さんも。……漆山さんはちょっと怖いかな~」

「そうじゃなくて。男の人として好きってことだよぉ!」

 心底楽しそうに笑う優希に対し、渚は驚いた表情を見せ、狼狽した。

「え、えっと~……。どうしてわかったの~?」

「やっぱり! だって敬語使わないでって言ったのは、お兄ちゃんともっと仲良くなりたかったからだよね! わたしにはおみとおしなんだから!」

「し~! 優希ちゃん、そういうのは分かっても言っちゃダメよ~!」

「じゃあわたしと競争だね!」

「競争~?」

「わたしもお兄ちゃんのこと好きなんだもん。だから恋のライバルだね!」

「う~! 負けないんだから~! 渚お姉さんの大人の魅力で総一くんなんかメロメロにしちゃうんだから~!」

「わたしだってお兄ちゃんにぎゅーってしたりするからねー!」

 きゃはは、うふふと笑いあう二人の声はもはや隠す気など無いようだった。漆山は更に眉間に皺を寄せ、葉月は苦笑し、総一は照れながら全く関係のない方向を向いていた。

「おい! さっさと先に進むんだろう! 無駄話はそれくらいにしておけ!」

 それに耐えかねた漆山が声を張り上げるが二人は堪えていないようだった。

「は~い! 行こっか優希ちゃん」

「うん!」

 先頭に葉月と漆山が並び、優希と渚を挟むような形で総一が殿を務める。四階には総一達以外一人しかいないのでそこまで危険も無い。内部分裂の原因となりそうだった漆山も落ち着いているし、罠もしっかりと確かめながら進んでいる。この調子ならあっさりと六階に辿り着くだろう。

「だが俺達はジョーカーというやつを探さなければならんのだろう? 心当たりは無いのか?」

 漆山が誰にともなく問うが、誰もそれに明確な回答を返す事が出来ない。葉月の2のPDAがある以上、この五人がジョーカーを持っている可能性は無いだろう。ならば誰が持っている?

「高山やもう一人の男が持っていたら……」

 総一は階段での強行突破を思い出し、気が滅入りそうになった。彼らを説得するのは難しいだろう。もし、彼らのうちどちらかが3や9なのだとしたら……。

「いや、9はいくらなんでも組めないだろうな。利害関係で協力し合ってるのなら」

 殺人が必要になるAを持つ総一がこうやって皆と行動を共に出来るのは、ひとえに彼らが総一を信頼しているからだ。総一は条件からして普通ならばゲームに乗った側にいる筈の人間なのだ。

「私はこのまま葉月さんが無事なら大丈夫なんだけど~」

 渚は既に24時間以上葉月と共に行動している。葉月さえ無事ならば彼女の首輪はやがて外せるようになる。

「優希ちゃんの条件のこともあるし、どうしても他の参加者との接触は必要というわけだな」

 葉月は顎に手を当て、思案深げに目を伏せる。交戦こそしたが、果たして優希が"遭遇"した人間に彼らは含まれているのだろうか。極力彼らと近づきたくないという気持ちもあったが、どの距離からが"遭遇"に含まれるのか分からない以上、無視は出来ない。

「せめて高山達の条件さえ分かれば交渉も出来るかも知れないんですが」

「総一君の首輪についても考えないとな。解体、は無理だろうか」

「失敗しても俺は知らんからな」

「まあ、とりあえずは出来そうな条件から考えましょうよ」

 総一が一番期待していたのは郷田だった。彼女がジョーカーを持っているのならば話は早いし、信の置ける人物だと確信している。
 かりんはこちらに対し警戒心を向けてきたが、どうにか安心させる事は出来ないだろうか。
 麗佳だって、こんな場所をひとりで行動していれば先のかりんのように暴走してしまうかもしれない。
 長沢に関しては、未だ行動に不明な点が多い。果たして味方になり得るのだろうか。
 そして……まだ見ぬ参加者。

「まだ出会ってない参加者があとひとりいる筈ですよね」

「ああ。その人物がこのゲームに乗っていない事を祈るしかないな。もしくは……」

 葉月はそこで言葉を切るが、総一にはその続きが想像出来た。もしくはその人物が既に死亡していたら。

「さっき減ったひとりが誰か分かればいいんですが……」

 葉月を部屋で休ませていた間、一度優希のPDAのアラームが鳴った。それは生存者がひとり減った事を知らせるものだった。その時五人はそれに衝撃を受けつつも、それ以上は語ろうとはしなかった。優希と渚を余計に不安にさせない為でもあったが、どう足掻いたところで今更どうしようもないという絶望を感じたくなかったというのもある。

「それに関しては全く情報が無いからね。……今はPDAサーチを頼りに他の参加者を探そう」

 自分の娘とそう変わらない年頃の子供たちを安心させようと葉月は優しく語りかけた。もはや彼らのリーダーは葉月だと言っても過言ではないだろう。

「総一くん~。ちょっといいかしら~」

 なにやらPDAを弄っていた渚が困ったように総一に歩み寄ってきた。何か使い方について分からないところがあったのだろうか。

「どうしたの?」

「えっと~。地図のここなんだけど~」

 渚がPDAの地図の一点を指さし、総一に見せる。総一がそれを覗き込んだ瞬間だった。

「きゃあああっ!!」

「なっ!」

「うわあああぁっ!!」

 突然聞こえた三人の悲鳴に驚いて総一は前を見た。
 いない。三人とも。

「優希!? 葉月さん、漆山さん!」

「みんな!?」

彼らが居た筈の場所には各辺一メートル程の正方形の穴が開いていた。
――落とし穴か!?
 これがトラップだというのだろうか。だがおかしい。総一は進路上の罠をしっかりと確認していた。ここに罠は無い筈なのだ。
 標的を呑み込んだ落とし穴が閉まるまでに時間はかからなかった。総一が下を確かめるよりも早く穴は消え、そこは今まで通りの道に戻っていた。
「みんな! くそっ! 一体どうして!?」

 今しがた閉まったそこを両拳でドンドン叩きながら、総一は叫び続ける。だが役割を終えた落とし穴はびくともしない。

「優希! ゆうきぃ!!」

「総一くん、落ち着いて!」

 混乱する総一を宥めようと渚が肩に手を乗せる。そのお陰で総一も落ち着きを取り戻し、次にすべきことを考えるに至る。

「優希達は三階にいる筈です。戻りましょう!」

 そう言って立ち上がり、進路をを今歩いてきた方向に向けた。総一の目に銃を構える少年の姿が映る。さっきからPDAに表示されていた光点の正体――長沢だ。

「渚さん!」

「え? きゃっ!」

 総一は自分と向き合っている渚の手を掴むと、思い切り引き寄せた。渚は小さく悲鳴をあげたがそれに構わず総一は素早く逃げ道を探した。長沢が何発も銃を連射するなか、通路から伸びる曲がり角へ身を滑り込ませる。

「畜生、なんで当たらないんだよ! 出てこい!」

 無茶苦茶な事を喚き散らしながら長沢はこちらへ銃を向けている。流石に角に入られては当たらないと思ったのか、出てくる時を狙い打とうとしている。総一は自分のPDAの地図を確認し、長沢から離れて逃走出来るルートを思い描いていた。目的地は三階へ向かう階段だ。

「落ち着け長沢! 俺達は戦う気なんてないんだ!」

 逃げ道を探し終え、未だ何やら叫ぶ長沢に大声で呼びかける。一時でも渚と葉月に良心を見せたのなら、もしかしたら言葉が届くかもしれない。そんな淡い希望を抱いて。

「ねぇやめて、長沢くん! 私達はあなたの敵じゃないのよ!」

「はぁ? まだそんな事言ってるわけ? せっかく忠告してやったのにさ。よく今まで生き残ってこれたな!」

 長沢は心底楽しげに笑いながら言葉を返す。総一には見えていないが彼がニヤニヤと笑みを浮かべているのが容易に想像出来た。やはりこの場は逃げるしかないのだろうか。

「渚の姉ちゃんと……御剣の兄ちゃん、だっけ? 早く出てきてよ! 苦しまないように殺してやるからさあ!」

「長沢くぅ~ん……」

 渚が悲しそうな声を漏らす。

「渚さん、駄目だ、今は逃げよう」

 総一は渚の腕を掴み、逃げの姿勢に入った。下に落とされた優希達の事もある。今は長沢に時間を割きたくない。PDAで確認しておいた道を走り抜け、ただ長沢から遠ざかる為だけに逃げ回る。流石に長沢も足音で気が付いたのか銃を構えたまま総一達を追う。

「逃げないでよ兄ちゃんたちぃ!」

 狙いをつけずに乱射してくるので総一は速度を緩める事が出来ないので、渚の体力でついて来れるか心配だった。こうしている間にも渚の荒い吐息が聞こえて来る。だが止まる事は出来ない。

「はぁっ、はぁ、」

「頑張って渚さん!」

――駄目だ、階段まで渚さんの体力が持たない!
 そこでさっきのPDAの地図を思い出し、総一は作戦を変更する。少々危険だが賭けに出るしかない。幸い"あれ"までそう距離が無かった筈だ。

「渚さん、ちょっと手を離すけど、ついて来れるか!?」

「う、うん! 頑張る!」

総一は持っていた銃をベルトに戻し、PDAを取り出し、操作を始めた。

 暫くすると銃弾が飛んでこなくなった。弾切れだ。長沢は撃ち尽くした銃を投げ捨て、用意していたもう一丁の銃に手を伸ばす。準備を整えながら一発たりとも当たらない銃弾に苛立ちを感じていた。
 どうしてこうも外れる!? 撃つのは簡単なのに!
「さっきの銃が壊れてたんだ、こっちなら!」

 安全装置を外し、再び総一と渚を狙う。標的は渚の背中だ。あれなら簡単に狙えるだろう。しかし、……何度打っても、当たらない。そもそも走りながら、それなりの距離を保っての狙撃が易々と成功する訳もない。

「畜生、なんで!」

 それを受け入れるには、長沢はあまりにも子供だった。ゲームに迷わず乗り、殺人も積極的に行うつもりの長沢に足りないのはそれを補うだけの実力だった。やがて長沢の体力も消耗していくが止まる訳にはいかなかった。総一はともかく、渚ならば自分よりも劣っている筈だと考えていた。だからせめて渚が倒れるまでは追うつもりでいた。

「当たれよクソっ!」

 総一は目的の場所まで辿り着くと、左手でPDAを持ったまま、右手を渚に伸ばす。走りながら作戦を聞いていた渚はそれを迷わず掴み、総一に行動を任せた。

「今だ! 飛べ!」

 何も無い通路上を、総一と渚は走り幅跳びの要領で飛び越えた。長沢は突然の行動に理解出来ず一瞬戸惑うが、これ幸いとばかりに距離を詰めるべく速度を上げた。総一達が振り向くより前に、背後から――長沢のいる場所から鈍い音がした。

「……今度は落とし穴じゃないんだな」

 そこはトラップサーチに示された罠のある位置だった。落とし穴が必ずしも安全ではないと判ってはいたが、それでも長沢がそれにかかり、落ちてくれることを期待してしまった。

『踏み板により起動する罠の1つ。殺傷力は無いが、状況によっては危険を招く可能性がある』

「まさにこういう状況じゃあ、致命傷だよな……」

 総一の目の前には真円の形をした分厚い金属板と、俯せになって倒れ込む長沢がいた。もしこの罠に総一達が掛かっていればたとえ気絶しなかったとしても襲撃を受けていただろう。館内に数ある罠の中でも易しい物だったのがせめてもの救いだった。
 長沢はぴくりとも動かない。総一はおそるおそる、長沢に近づいていった。

「ふふ。なんだか、コントでよく見るタライが上から落ちてくるやつみたいね~」

「これってやっぱり上から落ちてきたのか?」

 罠のあった場所の天井を見上げるが痕跡は無い。だが場の様子からして、渚の表現するような状況で長沢が気絶したに違いない。総一は端から見れば滑稽であろうその光景を想像し苦笑する。

「ん。やっぱり気絶してるだけだ。目立った外傷も無し」

「どうするの~? 優希ちゃん達も迎えに行かないといけないんでしょ~?」

「うーん、そうだなぁ……」

 優希の方は葉月もいるし、漆山だって葉月の前で醜態を見せるつもりは無いだろう。長沢を放っておいてまた襲われてはたまらない。今は四階に自分たち以外の人間はいないが、もしこのまま長沢が目覚めないまま手塚のような好戦的な人間が来てしまったら。

「とりあえずどこかの部屋に連れて行こう。ロープみたいなものがあれば縛っておいて、PDAを確保しておけば長沢だって暴れられないさ」

 長沢を背負い、近くの部屋へと移動を開始する。渚はそんな総一の行動に驚きながらも、何も言わず、付き従うように後ろを歩いていた。だから総一には渚がどんな顔をしているのか分からなかった。

「……ねぇ、総一くん。聞いてもいいかな」

「ああ」

「今君が背負っているその子は、君を殺そうとしたんだよ? ……それなのにどうして」

「……どうして、か。……多分さ、長沢も被害者なんだと思うんだ。こいつだってこんな場所に連れて来られなければここまで思い切った事をしなかった。そう思うと放っておけなくてな」

「でもっ!」

「渚さんの言いたい事も分かる。一歩間違えば俺達は死んでた。本当は今すぐに優希の元に駆けつけたい。でも、もしここで長沢を見捨てたら、きっと優希に怒られちまうから」

「優希ちゃんは怒らないわ。総一くんが急いで助けに来てくれたって喜んでくれるわよ」

 総一がいきなり振り返ったので渚は驚く。総一も渚が予想以上に深刻な表情をしていたのを見て少し困惑した。

「やっぱり渚さんは長沢を許せない? 命を狙われたんだから当然かも知れないけど」

「そうじゃないの。総一くんがあまりにもあっさりと助けようとするから驚いたのよ。優希ちゃん達が心配じゃないの? 葉月さんは分かるけど、漆山さんが優希ちゃんを怯えさせるとは思わないの?」

「まぁ確かに漆山さんの事が不安ではあるけど、一応状況は理解してるみたいだったし、葉月さんもいるから。勿論俺も急いで三階に行くつもりだけど」

 総一は渚の不安を打ち消すように笑顔を浮かべ、再び先へと進んだ。

「あの部屋に入ろうか。渚さん、ドアを開けてくれるかな」

 渚は総一の前へと進みながらもまだ納得していなかったが、二の句を継ぐ前にPDAのアラームがそれを遮った。渚のものではない。

「俺のでもない……って事は長沢のか。渚さん、PDAを探してくれるかい?」

 背負いながらでは探せないので渚に頼む。渚は長沢のポケットの上から固い板のような感触を確かめて取り出した。予想通り音は長沢のPDAから鳴っていた。

「総一くん、これ!」

 渚は目を丸くして総一にその画面を見せた。長沢のPDAには生存者を表示するツール――サバイバーカウンターがインストールされていた。

『生存者数/10名』






[28780] 十二話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/11/25 21:36
「痛たた……。漆山さん、優希ちゃん、怪我は?」

「ん~……大丈夫だよ」

 落下地点にはマットが敷かれていたので、2~3メートルの高さから落下したにも関わらず誰も怪我をせずに済んだ。葉月は自分が落ちてきた場所を見上げた。四階の床――三階にとっては天井となるその位置には他と変わった部分は見受けられない。継ぎ目も見えず、こうして実際に落ちなければ、落とし穴になっている事自体気付かないだろう。
――だが、何故ここに落とし穴が?
 総一が逐一罠の位置を確認し、安全だと判断した道の筈だった。総一が嘘をついていたとは考え難い。彼自身の人格もその根拠となっていたし、そこになんの利害も思い当たらない。ならばトラップサーチに記載されていない罠だという事だ。だがそれならばトラップサーチの意味が無いではないか。

「落とし穴だと! ふざけやがって!」

 漆山が尻をさすりながら天井を睨みつける。だがうまく立てなかったようでつんのめりになり、そのままマットに倒れ込んだ。

「うわー……部屋の真ん中にマットがあるなんて、なんだかおかしいね」

 優希は辺りを見回しながらそんな感想を漏らした。広い部屋の中央に置かれた白いマットはそれだけで違和感を感じさせる。
 勿論常にこんなものが配置されている訳では無い。穴が開くと同時に床からせりあがってくる仕組みになっている。一階層分の高さから落ちても怪我人を出さないために計算し尽くされた柔らかさのマットは、それ自体は参加者を助けるものであっても、ゲームを主催している人間の悪意を感じさせる。

「とにかく、早く総一くん達と合流しましょう。いずれはここも侵入禁止になる筈です」

「く……畜生! これを作った連中、覚えとれよ!」

 誰にともなく文句を言う漆山が再び立ち上がった瞬間。三人のPDAのアラームが一斉に鳴りだした。

「え? なになに?」

 優希は急いで自分のPDAを取り出し、確認する。今まで何度かメッセージが送信される度に聞こえてきたアラームだ。今回もきっと何かを告げる為に鳴っているに違いない。優希より一歩遅れて、葉月と漆山も自身のPDAに目を落とした。

 この時の全員のPDAの画面は一様だった。ゴシック調に縁取られ装飾の施されたそこに書かれているのは二つの文字。
 中央に大きく書かれた『エクストラゲーム』。
 その下に、それより一回り小さい『スタート』のボタン。
 それはコンピューターゲームの開始を想起させるものだった。

「エクストラゲーム? 一体これは……」

 葉月はどうするべきか分からず、それをただ見つめていた。するとこの状況に似つかわしくない、テーマパークで流れそうな軽快な音楽がPDAのスピーカー部分から聞こえてきた。

「あ! 何か出てきたよ!」

 それに合わせて登場したのはカボチャの怪人だった。怪人、という言葉は少々イメージとそぐわない。ハロウィンによくみられるカボチャをデフォルメした愛嬌のあるキャラクターで、おもちゃ売り場にいるのならば違和感のない姿だ。だがそれが、余計この場にそぐわないと感じさせるのも事実だった。
 音楽に合わせて画面の中央に向かう怪人は、『スタート』の横に来ると、それを指さしてアピールする。更に吹き出しが現れ、『Touch!』の文字が表示される。スタートボタンを押せということだ。

「これを押せって事なのかなぁ。ねぇどう思う? 葉月さ――」

「お、お前はっ!」

 優希が葉月の方を見ると、葉月は漆山の方を向いており、漆山はPDAの中の怪人に釘付けになっていた。頬を紅潮させ、怒りを露わにしたその姿は優希にとって恐ろしいものだった。見るに耐えず葉月に視線を移すが、彼もまた、これ以上ない程に真剣な表情をしていた。

「じゃあ漆山さん、これがあの時に言っていた……」

「ああ! 確かスミスとか名乗ってたカボチャ野郎だ! 畜生、人を散々弄びやがって!」

 漆山は憎しみを込め、乱暴に『スタート』を押した。漆山のPDAだけではなく、葉月と優希のPDAの画面もそれに合わせて切り替わった。

『お楽しみ! エクストラッゲーィムッ!!』

 さっきよりも大写しになった怪人は大袈裟に身振り手振りを加えて言葉を発する。合成音声というやつだろうか、本物の人間ほどはっきりした声ではない。それを配慮してか、画面下にはしっかりと字幕がついている。だがCGの動きは驚くほど滑らかで、PDAと同じようにこの存在もまた、巨額の金を利用して作られたのだろうと推測出来る代物だった。

『僕はこのゲームのマスコットキャラクター、ジャックオーランタンのスミスだよ! よろしくね!』

 楽しげな声は場の緊張感を削ぐ為だろうか。しかしこの場では逆効果としか言いようがない。優希には、スミスの言葉が紡がれる度に張りつめた空気が濃度を増していくように感じられた。

「よくもノコノコと顔を出せたもんだ! 御剣の小僧とこの小娘が組織の回し者!? はっ、よくも騙してくれたな! お前の言葉でこっちがどれだけ混乱させられたと思っとる! もうお前の言葉なぞ聞くつもりは無いッ!! 責任者を出せ! 俺が直々に文句を言ってやる! 大体いきなりこんな場所に連れてきて――」

『ちょっとぉ、漆山のおじさん。説教ばっかりしてると女の子に嫌われちゃうよ~?』

「うるさい黙れっ! こいつごと叩き割ってやろうか!」

 漆山はPDAを持つ手に力を込めた。

『そんな事したら困るのは漆山のおじさんでしょ? 首輪を外せずに死んでもいいっていうなら止めないけど?』

「漆山さん、落ち着いて。PDAを壊してもこれは死ぬわけじゃあないですよ」

 葉月が落ち着き払って漆山の激情を押さえる。

『これって言い方は酷いよ! 僕にはスミスっていうエレガントな名前があるんだからぁ~』

 相変わらずのふざけた口調でスミスが葉月に言う。だが葉月は意に介した様子も無く、PDAの中の住人を見据えた。

「スミス。用があるなら手短に頼むよ。君が言うようにPDAを叩き割るのは僕にとってなんの得にもならないんだからね」

 優希はその時の葉月に、漆山以上の恐怖を感じた。
 冷静な瞳。その中に、今までの彼からでは想像もつかないような激しい感情が籠っているように思えた。

「君の話は漆山さんから聞いている。何度も彼に助言をしたらしいね。……総一君と優希ちゃんを襲う為の助言を」

 自分の感情を限界まで押さえて絞り出しているようなその声に最も驚いていたのは他でもない葉月自身だった。友人と喧嘩をした時とも、娘に対して説教をする時とも、部下に注意をする時とも違う、純粋な憤怒。今まで彼が知らなかった感情に呑まれないよう大きく息を吐き出した。
 しかし当のスミスは意に介さないといった態度でPDAの中に存在し続けていた。

『ま、それは置いといて。ここからはエクストラゲームの時間だよ! わー!』

 スミスが拍手のジェスチャーをするとそれに合わせてパチパチという音が鳴り、彼の周りを色とりどりの紙吹雪が舞った。

『内容は至ってシンプル! 名付けて! 『嬉し恥ずかし☆ドキドキ宝探しゲーム』!』

 画面に彼の名付けたゲーム名の書かれた横断幕が現れ、センスの欠片も無い名称が堂々と掲げられた。横幅の都合で二行に分けられている為文字が小さいが高画質なのでしっかりと読み取る事が出来る。もっとも、そうでなくとも字幕として表示されているので実際は意味のない物となっていた。

『ルールを説明したいところなんだけど。……うーん、その前にエクストラゲームを受けるかどうか聞いておかないとね。これをクリアすればなんと! 君達にとって凄く役立つ拡張ツールが手に入るんだ。さあ、君達には挑戦する覚悟があるかな?』

 スミスを挟んで、最前面に『YES』『NO』の選択肢が表示され、余計に画面がごちゃごちゃしてきた。スミスは左右にキョロキョロと視線を彷徨わせ、暫くすると『YES』のボタンにしがみつき、物言いたげにこちらを見つめてきた。この奇怪なカボチャの怪人がそちらを望んでいるのは間違いなかった。

「もう少し詳しく説明して欲しい。このエクストラゲームにはデメリットがあるのかい?」

 優希と漆山の困惑した視線を受け、葉月はスミスに訊ねる。不愉快極まりないが、今は大人しく従うしかないのだ。

『う~ん。今回の場合は割と安全だと思うよ。なんたってただの宝探しなんだからね! 君達に対する優しさから生じるゲームなんだよ!』

 勿論その言葉を鵜呑みにする気は無い。殺し合いをさせている人間が葉月達に慈悲を掛ける必要などある筈も無いのだから。

『そうだねぇ、じゃあひとつだけ教えてあげるよ。このエクストラゲームで手に入る拡張ツールはね……『JOKERサーチ』なんだ!』

「JOKERサーチって、もしかしてJOKERの場所が分かるの!?」

 今まで話に入って来なかった優希が思わず声をあげた。先刻渚のPDAにインストールしたPDAサーチと類似した名前であることから簡単に推測出来た。そして、JOKERが一行にとって大きな意味を持つPDAである事も理解している。
 だが、果たしてこの話に乗ってもいいのだろうか。優希はスミスの事が不気味でならなかった。

「そんなものに乗る必要は無い! そもそもこいつ自体得体が知れんのだ。JOKERなど自力で見つけ出せばいい話じゃないか!」

 漆山もこれが自分達にとって魅力的な提案である事は分かっていた。だが、それでも、スミスに対する個人的な嫌悪感が理性を邪魔する。
 本当ならばPDAを叩き割りたい。スミスと言葉を交わすことさえ忌々しい。今一歩のところでその感情を抑え込んでもなお、ゲームに乗る事が嫌だった。再びスミスに弄ばれる事が嫌で堪らなかった。

「確かに。それにこっちには優希ちゃんもいる。無謀は避けた方がいいでしょう」

 スミスは安全と言ったがそれでも安心は出来ない。現在優先すべきは総一達との合流だ。首輪の解除が重要なのは分かっているが、一時の判断で他者を危険に晒したくはない。総一だってまだ未成年だ。銃を持ち戦おうとしてくれるが、本来ならば守られて然るべきではないか。彼が無茶をする前になんとしても合流したかった。

「じゃあエクストラゲームはやらないの?」

「ああ。だから優希ちゃんも『NO』を押しておくれ。漆山さんもお願いします」

「分かった。JOKERツールとやらも多分一個じゃあ無いだろうしな。その内見つかるかも知れん」

 結論がまとまり、葉月の顔から緊張の色が抜ける。このカボチャの怪人とのやり取りはそれだけで葉月の怒りを増幅させていた。

 総一と漆山では馬が合わないのはなんとなく分かるし、優希が総一に懐いている以上、漆山が孤立していたのは想像に難くない。年齢の違いもあるし、葉月は漆山との会話から彼の社会人としてのモラルが少々歪んでいるとも感じていた。
 葉月のかつての上司にも彼のような人物がいた。年功序列を笠に着て威張り散らす典型的な嫌な上司。葉月とて特別仕事の能力が高かったわけではないが、その誠実な人柄が高く評価されていた。だがその上司は誰からも評価される事が無く、またそれも彼の自業自得といえるものだった。それでも葉月は、彼がいつか自分の過ちに気付き、振る舞いを改めてくれるのではと期待し、それとなく助力した事もあった。
 ……そして、自分がどれだけ無力なのか思い知らされた。
 人を変える事は容易ではない。歳を重ねていれば尚更、他人の言葉に耳を傾ける事は無くなる。反面、モラルを損なう行動には堕ちやすくなる。
 当然だ。堕ちるのはただ身を任せるだけで、努力など必要ないのだから。

 だからこそ許し難い。孤立した漆山を煽り、底の見えない穴に落とそうとした誘拐犯の企みが許せない。
 漆山だけではない。年端もいかぬ長沢のような少年の欲望を刺激し、殺人に駆り立てている。葉月は人間というものがどれだけ脆いか知っているつもりだった。
 誰だって欲望に呑まれそうになることはある。それは性欲であったり、殺人欲であったり、金銭欲であったり様々だ。その瀬戸際で耐え忍び、やがてそこから離れる事が出来ると信じている。信じたい。

『え! 嘘っ、ちょっと待ってよ~! 言っとくけど、JOKERサーチはこの建物の中に二個しか無いんだよ。一フロアにじゃない、建物全体にだ。狙って見つけ出すのは難しいんじゃないかな!』

 スミスはどうしてもエクストラゲームをやりたいらしく、『NO』のボタンの前に出て拒もうとしていた。だがそんな抵抗も虚しく、タッチパネルの認識は彼の画像を超えて行われた。三人は意図せずしてスミスの頭をタッチする事になった。

『あーあ。つ~まんないのぉ。……まぁいいや。エクストラゲームが行われない以上、ここにいる意味は無いからね。それじゃあみんな、また次のエクストラゲームで会おうね! ばいば~い!』

 今までの賑やかな言動からは信じられない程あっさり、スミスは忍者のように煙幕を出して姿を消した。そして三人のPDAがトランプの画像に戻る。
 暫しの間、その場を重苦しい沈黙が支配した。

「お兄ちゃん……」

 優希の悲愴な呟きは二人の男達を正気に戻すに足りるものだった。自分達が今、優先してやらなければならない事。さっき葉月自身が考えたように、早く総一や渚と合流しなければならないのだ。こんな場所で立ち止まっている暇はない。

 葉月は自分のPDAを取り出し、階段の位置を確認しようと努めた。現在位置が分かるツールもあるのだが、それを見つけていない彼らは今までの行動で位置を確認していた。一フロア変われば現在位置の把握も少々時間が掛かる。

「さっき歩いとったのがここだから……ここだな。部屋の形もドアの位置もそんな感じだ」

「どこですか? ……ううむ、やはり階段からは結構距離がありますね」

 大人達が今後の指針を話し合っている間、優希はなんとなしに周囲を見回していた。ここに来てから嫌でも目に入れなければならない、灰色に染まった冷たい世界。
 背筋に悪寒が走る。自分はなんという場所に閉じ込められたのだと、恐怖を自覚せざるを得ない。それを忘れさせてくれていた存在はここにはいないのだから。
――お兄ちゃん。
 当然、血の繋がりなどはない。でも彼は確かに、優希が待ち望んだ存在だった。

――「まあ、俺に出来そうなのは盾になることくらいだな」

 違うよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは私にとって確かに王子様なんだよ。白い馬には乗ってないし、王冠だってないけれど、……それでも私の傍にいてくれた。傍にいてくれるだけで私は幸せなんだよ。

 パパもママも、私の欲しい物はなんでも買ってくれる。でも、……いつだって傍にはいてくれない。プレゼントなんていらないから。
 手を握って欲しい。
 頭を撫でて欲しい。
 名前を呼んで欲しい。
 ……傍にいて欲しい。

「う、おにい、ちゃん……ふぇ、ぐすっ……」

 突然の泣き声に葉月と漆山は驚き、会話を中断させて優希を見た。

「優希ちゃん? いきなりどうしたんだい!?」

「ひっぐ。な、なんでも、ないの。……だいじょぶ、だよ。えへへ」

 気持ちを誤魔化すように笑顔を返す。葉月は優希の気持ちを察し、それ以上を問う事はやめた。しゃがみこんで優希の目線に合わせ、軽く背中をさする。

「はづきさん……」

「さあ、行こう。階段までの道程は分かったからね。すぐに総一君達と会えるよ」

「……うん!」



 相変わらず静まりきった廊下を、三人は緊張の面持ちで進んでいた。優希を間に据え、その左に葉月、右に漆山が立つ。優希に余計な不安を与えない事と、漆山が危険を避けたがる事を考慮するとこの形に落ち着いた。
 問題があるとすれば漆山の態度にあからさまな変化が現れた事だろう。

「俺は騙されていたんだ、あのスミスって奴にな。なあ、優希ちゃん、仲直りをしようじゃないか。な?」

「疑われてたことは気にしてないけど……」

「優希ちゃんは優しいなあ。もっと頼ってもいいんだぞぉ。ほら、手をつないだり」

 漆山が意味深な笑みを浮かべながら左手を優希に伸ばすが優希はあからさまに怯え、葉月に一歩近寄った。今まで心の底でわだかまっていた心配事が暴露されたからだろうか、良くも悪くも本来の漆山に戻ったと言えるだろう。目の上のたんこぶであった総一がいなくなった事もそれに拍車をかけていた。
 葉月は自分の不安が的中した事で緊張を強くしていた。新たな敵を作り出してしまった罪悪感が拭えない。

「漆山さん、次の角は右でしたよね」

「ん? ああ、そうだった筈だ。自分で地図を見て確認すればいいだろうが」

「実は地図を見るの、苦手なんですよ。旅行の時も地図を持っているのに毎回迷ってしまって。漆山さんはそういうのが得意なようで」

「まあな。PDAの地図もシンプルなものだから簡単だろ」

 実際に地図を見るのが苦手というのもあったが、何より漆山の関心を優希から逸らしたかった。漆山も自分に一応敬意を払って接している葉月には寛容なようで、余計に突っかかる事は無かった。

「どうせ銃を持っているのは僕だけなんです。漆山さん、地図を確認して指示を出してくれませんか? 襲われた時に銃とPDAを同時に持つのは危険ですから」

「へ? いや、しかしなぁ……。俺がそちらに集中していては誰が優希ちゃんの面倒をみるというんだ」

「わ、わたしは大丈夫だよ」

「いやいや、遠慮する必要は――」

 漆山が優希に顔を寄せようとした丁度その時だった。軽い連続した破裂音がすぐ傍で聞こえ、漆山の動きが止まる。 ……そしてすぐに、それが自分達に向けられた銃弾の音である事を理解した。

「な……、なあぁぁあ!?」

 情けない叫び声を上げながら漆山は背後を振り返った。通路に反響しているとはいえ、それが前後どちらからの音なのかくらいは分かる。通路上には人影は見えないが、距離にして20メートル程の所に一番近い曲がり角がある。恐らく銃撃を加えてきた何者かはそこに潜んでいるのだろう。瞬時にそれを判断した葉月は銃を持つ手に力を込める。

「ひぃいいいい!! だ、誰だ!」

「漆山さん、優希ちゃん、走って! とにかく前へ!」

 葉月の声に、漆山は正に脱兎のごとく走り出した。普段の彼からは想像もつかない程も早さだった。優希も全力で逃走するが、やはり子供の足ではどうしても限界がある。優希の横を走り続けていた葉月は銃を左手に持ち替え、迷わず右手で優希の手を握り締めた。

「優希ちゃん、頑張れ! 今止まったら危険だ!」

「は、はいっ!」

 葉月に引っ張られるような形で走るのは辛いが、だからといって甘えていては死んでしまうかも知れない。そう考え、今自分に出せる全力を足に注いだ。そうしながらも葉月は背後をちらりと確認した。予想に反し、"敵"は姿を現して葉月達を追いかけて来ていた。
――なんだ、あいつらは!?
 "敵"はあまりにも異様な姿だった。まるで戦争ものの映画に出てくるような、兵隊のような恰好。軽く丈夫なヘルメットと防弾ジャケット。灰色を基調とした迷彩柄はこの建物によく馴染み、目元以外を完全に覆い隠していた。
 遠く離れた位置から、しかも走りながら確認しただけの葉月では細かい部分までは見えなかったが、その異質な雰囲気だけで違和感を感じさせるには十分過ぎた。

「葉月さん、前!」

 優希の声で視線を進行方向に向けるとY字路になっており、道が左右に分かれていた。漆山の姿はもうない。彼は一体どちらに進んだのだろうか。だがそれをすぐに判断する術は無く、その場の勢いに任せて、葉月は左の方へと走り抜けた。

 それからどれだけ走り続けただろうか。再び背後を確認し、追手が居ない事を確認してから、葉月は床に両手をついて息を整えた。優希も尻餅をついて同じように落ち着きを取り戻す。

「はぁ、はぁ……、……運動、不足、かな、……はぁ、」

「つ……疲れたぁ~……。はぁ~」

 どこに敵が潜んでいるのか分からないというのに二人はそこから動けなかった。だがこれではいけないと自らを奮い立たせ、ある程度優希の息が整ったのを見計らってゆっくりと立ち上がった。

「せめて部屋で休憩しようか。大丈夫かい?」

「うん。あの、葉月さん、ありがとうございます」

 未だ繋いだままの手を少しだけ強く握り、優希は満面の笑みを葉月に向けた。葉月も下手に謙遜せず同じように微笑み返す。そんな二人は傍から見れば宛ら親子のようだった。

「あの部屋でいいんじゃないかな?」

 優希が道の先にドアを見つけ、指さした。近い位置にドアが会った事を喜びながら二人はそこへと向かった。
 だが間もなくその足は止まる。ドアのすぐ向こうにある曲がり角から現れた人物に、葉月は心臓が止まるかと思った。同時にさっきまで我慢できていた左肩に痛みが走る。それを連想させる人物の姿を目にした事による反動だろうか。

「……!」

 高山が気付くのは葉月達より少々遅かった。だがその短時間で葉月に出来た事は優希を引き寄せる事だけだった。拳銃はベルトに差したままだ。抜いている暇は無かった。

 現状を理解した後の高山の行動は早く、迷わず葉月達に銃口を向けた。10メートルも離れていないその距離ならばまず外したりはしない。

「ぐぁあぁっ!?」

 連続する銃声と共に聞こえる叫び声。それは葉月――ではなく、高山のものだった。その場に居た三人は皆驚愕を隠しきれない。
 高山は銃弾の勢いに押され、前方へ――葉月達の方へと倒れ込んできた。

「ひっ」

 優希が短く悲鳴をあげてうつ伏せになった高山を見ていたが、葉月は高山に視線を合わせていたため通路の向こうにいるその姿を見る事が出来た。それは紛れも無く、先程葉月達に奇襲を仕掛けてきた兵隊だった。葉月は銃を手にし、兵隊に銃口を向ける。
 だがこうして人が撃たれる瞬間を目にしたばかりの一般人にはその事実は重すぎた。
 拳銃を両手で包むように握り締めているが、その手は小刻みに震えている。目を見開き、体じゅうに感じた事のない感覚が広まるのを感じる。混乱し、何が正しいのか分からなくなる。ただひとつ理解出来るのは……あの兵隊は容赦なく自分達を殺すことが出来るという事だ。

――殺さなければ殺される!
――僕だけじゃない、優希ちゃんの命だって危険に晒される!
――撃たなければ!
――階段では出来たじゃないか!
――し……しかし……!

 そんな葉月の葛藤を知ってか知らずか、兵隊はすぐに姿を消した。暫くは葉月も警戒していたが一向に姿を現す気配は無い。

「ぐふっ」

 足元から血を吐き出す声が聞こえ、慌てて確認する。

「生きているのか!」

 葉月の声に反応して高山は顔だけを葉月の方へと向けた。白い上着は背中の部分が血に染まり、彼が致命傷を負っている事は一目瞭然だった。

「葉月さん!?」

 葉月は高山に銃を向けたまま、悲痛な表情で高山を見つめていた。

――助けた方がいいに決まっている。
――だが、彼は我々を殺そうとしたんだぞ?
――助けたところでまた敵に回るかも知れないんだぞ?

「……撃て。……どうせ俺は……助からん」

 自嘲しながら高山はそう吐き捨てた。

「俺を撃ったのは……誰だ? ……手塚か、麗佳か……それともあのツナギか……」

「……兵隊のような恰好をした人間だった。参加者には見えなかった」

 葉月が言葉を絞り出すと、高山は目を見開き、……そのまま大声で笑い出した。

「ぅ、ぐ……はは……あはははは!! そうか、俺は騙されていたのか! ははは!」

 突然の反応に一瞬気でも違ったのかと思ったが、すぐに高山の言わんとする事を理解した。そして銃をその場に放り出し、高山の元へと駆け寄った。

「成程……それなら俺は間違っていたのだな……ルールなど……意味が無い」

「優希ちゃん、部屋のドアを開けてくれ! 彼を運び込む!」

 ルールに意味が無いのならば彼と争う必要は無い。自分達は同じ立場――誘拐犯に騙されて、殺し合いをさせられているに過ぎないのだ。高山に腕を貸し歩かせようとするが、無駄のない筋肉に覆われた体は想像以上に重すぎた。それでも葉月は諦めず、年齢による腰痛を抑えながら、優希の開いたドアへと半ば引き摺るように進む。

「聞け。……俺と組んでいた男……手塚と、……麗佳と、……ツナギの奴に、気をつけろ……」

 死にゆく高山にしてみれば苦痛に耐えてまで他人に情報を与える意味は無い。 ……それをしたのは、碌な死に方をしないと覚悟していた自分が最期を看取られる事に対する感謝なのだろうか。高山自身、理解出来ていなかった。ただ、……何かを遺していきたかった。

 この男とは一度殺し合った仲だ。あの時、死に物狂いで矢を放った葉月の表情が今も脳裏に焼き付いている。葉月が本来ならば誰かを傷つけられる人物ではないと感じてはいた。 ……出会い方さえ間違わなければ、互いに酒を飲みかわす機会もあったのだろうか。
――いや、ある筈もない。
 たとえ外で出会っていても一般人と自分のような人間が関わる事は無いのだから。
 
「ツナギは……、確か、マクラと呼ばれていた……。……麗佳と共に行動して……ごほっ」

「駄目です高山さん! 無理をするな!」

「……あった! 葉月さん、救急箱!」

 優希が段ボールの山から見慣れた救急セットとタオルを取り出し持って来た。高山をベッドに寝かせる時間も惜しく、仕方無しに床に横たえた。

「無駄だと言ったろう。……手塚のPDAはK、……狙いはPDAだ」

「くそっ……止まれ、止まれ……!」

 葉月はタオルを高山の傷口に押し当て、血を止めようと試みた。だがそんなもので止まる筈も無く。
――こんな事ならば応急処置の方法でも学んでおくんだった……!

「……俺が、言えた、ことではないが……、……」

 階段でクロスボウを向けていた時と同じ真剣な表情で流血を止めようとする葉月を見て、高山は消え入りそうな笑みを浮かべる。
――誰かに最期を看取られるというのも、悪くはないものだな……。

「…………生きろ、よ」

 優希のPDAからのみ鳴るアラームが、彼の命が燃え尽きた事を告げた。






[28780] 十三話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/12/03 08:24

 建物内の照明は目に痛いほどの眩しさは無く、麗佳が寝起きに目にした明かりも彼女を優しく、しかし冷たく包み込んだ。
 一瞬、これまでの事は全部夢だったのではないかと淡い期待を抱く。いや……ひょっとすると、今もまだ夢の中なのではないだろうか。
 ぼんやりと照らし出された天井は灰色では無く白に見え、それがまた麗佳の自室を連想させた。

 知らない場所で目覚め、殺し合いが前提となるゲームに参加させられているなど、現実離れも甚だしい。そして私は……直接手を下さないにしても、ひとりの少女に死をもたらした。もしあの時、高山の襲撃を受けていなければ、私は北条かりんの首を――。

 それらの出来事が紛れも無い現実なのだとゆっくりと認識し始め、麗佳は半身を起こした。
 真っ先に視界に入ったのは、木箱に腰かけている、薄緑色のツナギを身に纏った人物の横顔。真倉真比留は今まで首に下げていたお守りの長すぎる紐を持って、目の前にそれをぶら下げていた。端から見れば奇怪な光景で、沈黙を保ちお守りを見つめる真比留の目から感情は読み取れなかった。

「真倉」

 その空気に耐えかね、麗佳は声を掛けた。真比留はお守りを持っている手を下げ、優しげな笑みを麗佳に向けた。

「まだ痛むかい?」

「……平気よ。それより今、何時?」

 真比留はPDAを取り出して時間を確認した。

「時計持ってないから正確な時間は分からないけど、ゲーム開始から33時間33分……おお、ゾロ目」

「となると……三時間も寝てたの、私は! このタイムロスは痛いわね……。どうして起こさなかったの」

 高山、手塚と一戦交え怪我を負いながらも、かりんを追う前に武器と食料を確保しておいた部屋へ逃げ込み、そこで麗佳の体力は限界を迎えた。エレベーターを使い三階へ移動してそれなりに休息をとったつもりだったが、普段身体を動かす事の少ない分、二人とも消費が激しかった。

「いやだって麗佳ちゃん疲れてるみたいだったし、怪我してるし。私の場合怪我はしてないからいいかなーと」

 銃弾こそ浴びなかったものの、麗佳の左太腿には投げられた小型ナイフが刺さってしまった。傷自体は深くないがそれでも足を負傷したのはまずかった。あの時は必死だったせいか立ち止まらずに済んだが、一息つくとずきずきと痛みだし、少し休もうという結論になった。

「互いに一時間休むと言ったでしょう? お前が休まない事に関して不満を言うつもりは無いけど、結果として予定より一時間余計に時間を取ってしまったわ」

「まーまー、終わった事を言っても仕方ないって。幸い誰も仕掛けて来なかったしさ」

 悪びれる様子も無く、真比留はニヤリと得意げな笑みを浮かべた。真比留が何度となく見せてきた表情だったが、麗佳は彼女のこの顔があまり好きではなかった。実は全てを知っていて、生きようと必死に抗う自分を嘲笑っているのではないか。そんな妄想を駆り立てる不気味な表情だった。
 麗佳もそれに負けぬよう余裕の態度を保つことにしていた。

「……まあいいわ。私が寝ている間、何も変化は無かったのね?」

「うん。ちなみに部屋の中には食料と救急セット以外何も無かったよ。ここらでひとつ拡張ツールでも欲しいところだけどね」

「北条のPDAは?」

「侵入禁止になる時間を表示するやつと、生存者数を数えるやつ。死んでるのは一階の少女とさっきの北条かりんちゃんだけみたいだよ」

 真比留はダイヤの8が表示されたPDAを軽く振って見せた。本当ならば自分が所有しておきたかったが、こうなっては真比留も渡すつもりは無いだろう。

「煙幕は残りひとつよね?」

「うん。こいつがなかったら流石に逃げられなかっただろうねー」

 真比留は缶ジュースのような物体をポケットから取り出した。緑色に塗装され、ピンの付いたそれは簡易式の煙幕弾だ。普通の煙幕よりも効果は劣るが三階の段階では大いに役立つ軽量の道具だった。あまり配置されていないこれを彼女達が見つけ出したのは非常に幸運だといえる。
 ……あるいは、これもまた作為的なものだったのかも知れない。

「休憩はここまでよ。これ以上エレベーターを使うのも危険だから、早く四階へ上がりましょう」

「足の傷は?」

「取るに足らないわ」

 痛みは引かないが、移動速度を下げて不安感を与える訳にはいかない。

「まあとりあえずこれでも飲みな。大丈夫、開封してないから。水は水道があっちにあるよ」

 真比留が小さな紙箱を麗佳に投げ渡した。麗佳はそれをうまく受け取り、パッケージを確認する。

「痛み止め……こんなものがあったのね」

「真比留サンはそれ、薬局で見たことないけど」

「市販されているのは頭痛や歯痛とかを止める薬だものね。多分これはもっと別の――それ以上の痛みを抑える為の薬だわ」

 麗佳はベッドから立ち上がり、水道の水で痛み止めの薬を飲んだ。痛みはすぐに消えるわけではないが水を喉に流したお陰で幾分か気持ちがすっきりした。
 薄汚れた木箱のひとつへと歩み寄り、その裏に隠しておいた武器のうち、拳銃を手に取った。麗佳が使っていた分は残り一発という状態だったのでここで替えたほうがいいだろうと判断したのだ。そしてその横にある中華包丁も外へと出す。予想以上に重く、これを持ち歩くのは些か不安だと感じたが、今後首を切り落とすのに適した武器が手に入るとは限らない。近くに落ちていた破れたテーブルクロスを裂き、刀身に巻きつけて鞘の代わりにした。不本意ではあるが戦闘に関しては真比留に頼らざるを得ない。先程のように追われる立場になったなら、流石に捨てることになるだろうが。

 ……正直、ここで真比留が自分を見捨てずにおいたのが意外ではあった。
 いくら麗佳が気丈に振る舞ったところで足という致命的な部位に傷を負っている事実を知っているのだから、今後を危惧して切り捨ててもおかしくはないのだ。ましてやさっきまでは床に就いていたのだから殺そうと思えば簡単に殺せた筈だ。
 確かに高山と手塚がいる以上、単独行動は危険極まりない。だから麗佳がまだ使えると考えているに違いない。麗佳はそう結論付けた。
 絆が生まれているなどという幻想を抱かぬように、自分に強く言い聞かせるように。



 かりんを追いかけ、高山と手塚から逃げ、今まで忙しなく動いていたからだろうか。自分達の足音以外何も聞こえないというのは息がつまりそうだった。
 麗佳の右側に真比留が立ち、二人とも右手に銃を手にしていた。これは万が一の時、先んじて真比留に銃を向ける事が出来るようにと考えての配列だった。麗佳は利き腕でない左手に中華包丁を持つというリスクを伴っていることもあり、真比留も素直に従った。

「あのさぁ」

 真比留が世間話でもするような感じで話しかけてきた。緊張感が足りないと叱責しようかと思ったが、麗佳自身も無意識のうちに不安を感じていたからだろうか、黙っていることにした。

「ここって多分、何度も使われてるよね。何度も同じように殺人ゲームが行われてるんだろうね」

「そう思うわ。今まで立ち寄ったいくつもの部屋にも、こうして進んでいる道にもうっすらと埃が溜まっている。でも所々に誰かが触れたような痕跡があったから」

 埃の溜まり方は一定ではなく、薄汚れてはいるが誰かが腰を下ろしたであろう木箱や、今しがたついたのではない足跡も見られた。更に麗佳は一階のエントランスホールにあるコンクリートで埋め立てられた出口でその確信を深めていた。何かで――恐らく斧や鉈などの武器でコンクリートを打ち崩そうとした跡があったが、そこにも埃が溜まっていた。以前に誘拐されて来た人物が試みたのだろう。

「……麗佳ちゃんってさ、霊感ある? ……あ、ダジャレじゃないよ?」

 予想外の問いに一瞬唖然とした。

「そんなオカルトあり得ないわ。まさかとは思うけど、ここには今までゲームで死んだ人間の亡霊がいるとでも言うつもりじゃないでしょうね」

「どうだろうねー。いるのかねー」

「……何が言いたいの、真倉」

 話の本筋が見えず少し眉をしかめる。同年代の女子が占いだの生まれ変わりなどと言っているのを見ると内心で嘲笑っていた麗佳としてはあまり関心の無い話だった。

「私は霊感とか無いからよく分からないんだけど、家族にはぼちぼち見える人いるんだよね。だから真比留サンは結構そういうの信じてるよ。で、霊感が強い人がこういう場所に来たら何か感じるのかなって思ってさ」

 キョロキョロと辺りを見回しながらそんな事を呟いた。とはいえ、そういった類の話を信じていない麗佳にしてみればどうでも良かった。
 霊感がある、という人間に会ったことはあるが、麗佳にしてみれば胡散臭いことこの上ない話ばかりだった。だが近親者に霊感のいる人間がいれば信じるのも無理は無いのかも知れない。

「夜、家族で自動車に乗ってる時に、私とお父さん以外の全員が顔を青ざめたことがあってさー。霊感が無くて良かったと心から思ったよ」

「……仮に亡霊というものがいるのだとしたら、確かにこの建物にいてもおかしくは無いわね。未練を抱いて死んだ人間ばかりでしょうし」

 突然こんな場所へ連れて来られ、殺人を許可されたゲームに有無を言わさず参加させられ、誰にも知られずに命を落とす。もし自分がここで死んでしまったら、永遠にこの灰色の牢獄から逃れられないのではないか。
 一瞬そんな妄想に囚われ、強い自己嫌悪に陥る。真比留の言葉に感化され過ぎた。

「……でも、それは私達にはなんの関係も無いわ。死者は生者になんの影響も及ぼさない。それともお前は亡霊が私達を祟り殺すとでも言うつもり?」

「いや別にそこまでは思ってないって。……まあほら、もしもそんなのが襲ってきたとしても大丈夫さ! こっちにはお守りがあるからね!」

 真比留は自信満々に首から下げていたお守りを掲げて見せた。暗い赤色のそれは反対色である薄緑色のツナギの上で確かに浮いた存在ではあったし、首飾りのようにお守りを提げるというのも奇異に映っていた。気にはなっていたが麗佳はそれについて自分から詰問するつもりは無かった。だがこうして真比留から話を振って来たのだ、訊ねても構わないだろう。

「なんなのそれは。神社で売ってそうな安っぽいお守りじゃない」

「まあそれに関しては否定しないが……これ、魔除けの効果があるらしいから。いきなりオカルトな展開になっても大丈夫ってわけさ!」

「とりあえずここから生きて帰ったら、お前は賞金で病院にでも行くことを勧めるわ。金はあってもつける薬がないでしょうけど」

 やはり真比留の話は軽く流すべきだと麗佳は悟ったのだった。真比留の持っているPDAのうち一台から電子音が鳴る。真比留はそれを手に取り、内容を確認した。

「また一人死んだらしい。誰だろうね」

「高山かあの男が消えてくれればありがたいのだけど。そういえばあの二人、今も一緒に行動しているのかしら」

 麗佳達は状況から階段で総一達と争ったのは高山であろうと推測していた。そして彼が単独行動でないと考えていたお陰で逃げる時も挟み撃ちの危険を考慮して動くことが出来た。手塚に関しては名前は知らなかったが、大の男二人が共同戦線を張っている状況は分が悪いのは確かだった。

「どうだろうねー。階段での待ち伏せと、私達との鬼ごっこ……二度も失敗してるわけだし、決裂しててもおかしくはないと思うよ」

「それに期待して動くのは危険よ。……やはりあの二人は厄介、御剣達は数が多い。狙うとすればやはり単独行動をしている人間……郷田と長沢かしらね」

「その二人が組んでるって可能性は?」

「一階での様子を見る限り、互いに手を組むような人間だとは思えなかったわ。……とはいえ、標的を絞れるような立場ではないけれど」

 やはり一番いいのは階段での待ち伏せなのだろうが、既に遅れを取っているのであまり期待できない。こんなことならばエレベーターで一気に六階まで上がってしまうべきだったか。エレベーターの乱用を恐れて誘拐犯が何かを仕込んでいるのではないかと恐れ、ほぼ確実に銃がある三階を選んだ。果たしてその判断は正しかったのだろうか。

「そろそろ階段に着くけど準備はいいかい?」

 真比留が地図を確認しながら問う。銃を持つ右手に力を込め、深呼吸をしてから麗佳はその瞳を通路の先に向けた。

「ええ。行きましょう」



 ポップな花柄のハンカチは彼に似合わないが、それでもせめて顔を隠してやりたかった。薄汚れたベッドに横たわる体躯がどれだけ鍛え上げられていたかは服から覗く腕を見るだけでも分かるほどだ。だが……そんな彼でも簡単に死んでしまう。それなのに自分のような只の公務員が生き延びることなど出来るのだろうか。

「……高山さん、あなたのことは忘れません。それが僕に出来るせめてもの弔いです」

 死した人間に何を言っても無駄だという気持ちもある。それでもこの言葉が高山に届いていることを信じたい。そして、彼の死を無駄にはしたくない。もう一度黙祷を捧げると葉月はその部屋を出た。

 そこも高山が眠る部屋と同じような造りだった。ベッドに腰掛けていた優希は顔をあげ、葉月の顔を見たが、またすぐに俯いた。

「優希ちゃん、疲れてるだろう。今の内に休んでおいた方がいい」

「でも……」

「総一君たちと合流した時、疲れた顔じゃあ心配させてしまうだろう? 優希ちゃんが元気な姿を見せてあげれば総一君も渚さんも嬉しいと思うよ」

 やはり心身共に疲れきっていたのだろう、葉月の言葉に大人しく納得した優希は髪を解き、ベッドに横になった。葉月はそれを見届けるとベッドの近くにある木箱に座った。

 今、葉月にとって一番の心配は漆山だった。武器といえばナイフしか持っていない彼がひとりで彷徨っているのだとしたら、殺人を躊躇わない人間にとっては格好の獲物だろう。ましてや彼の態度は他の参加者に対して不信感を植え付けかねない。早々に合流したほうがいいだろう。
 だが漆山との行動は総一と別れて意気消沈している優希に更なる負担を強いてしまう。総一と渚と合流してから漆山を探すというのがベストだが、階を隔てて別れてしまった以上それは難しい話だ。
 あちらを立てればこちらが立たず。難しい問題だ。

 頭を切り替え、今度は高山の遺した言葉について考えてみた。
 まず、高山と共に行動していた男は手塚というらしく、首輪の解除条件はPDAを五台集めること。これはかなりの朗報で、葉月が仲間達と合流すれば交渉の余地はある。ただし、手塚が賞金目的である場合はそう簡単にはいかない。万全を期して交渉に臨まなければいけないだろう。
 他にも高山は麗佳と、彼女と共に行動をしている人物に関して注意を促した。その人物こそが未だ葉月達が出会っていない最後の参加者だ。ツナギ、は恐らく服装のことだろう。麗佳からは真倉と呼ばれていたという以外の手掛かりは無い。ただ、麗佳と真倉という人物がゲームに乗っているのならあまり楽観視は出来ない。期待していたひとりが敵に回る可能性が高いというのは残念極まりない。

 そして……高山を殺した謎の人物。ルールに示されていないその存在はつまり、このゲームに関する事柄はルールに書かれていることがすべてではないと暗示していた。もし首輪を外せようとも殺されたのでは意味が無い。ルールが絶対でないことを殺人者となりかねない参加者が知ったのなら、無用な争いは避けられるのではないか。

 ……改めて思う。
 自分達は皆、被害者なのだ。
 誘拐され、裏切りと殺人を前提とした遊戯に参加させられ、対立する。だから葉月はたとえ敵対した相手であっても完全には憎めないでいた。だがそれでも殺人に走った人間達を受け入れることは難しい。自分の判断ミスで仲間達が――未来を生きる若者たちが死んでしまったら。そう考えるとやるせない思いでいっぱいだった。

「……葉月さん」

 もう眠ったと思っていた優希がか細い声で名前を呼んだ。

「どうしたんだい?」

「葉月さんは休まないの?」

「僕は大丈夫。歳はとってもまだまだ現役のつもりだからね。まぁ、もっと若かったらって思うことはあるけどね」

 葉月も確かに疲労が溜まってはいたが、優希の前で弱音を吐くわけにはいかないと思い、誤魔化した。

「葉月さんって、奥さんいるんだよね」

「ああ。妻と、娘と。……娘はひとり暮らしを始めたから、今は妻と二人だよ」

「じゃあ、葉月さんは、奥さんにとって王子様なんだね」

「ははは。王子様なんて歳じゃあないさ。それに特別ロマンチックな出会いというわけでもなかった。僕は王子様って柄じゃあないよ」

 優希が渚と白馬に乗った王子様の話をしていたので、これはその延長線上の話題なのだろう。もしも女性が皆それに憧れているのだとしたら、きっと自分は妻の期待を裏切ってしまったのだろうな。そう考えて苦笑する。
 若いうちは恋愛にロマンを求めるのも悪くはないだろう。だが、葉月は自分の結婚が間違っていたとは思わない。ドラマのような展開などいらない。平凡な、当たり前の日常を、愛する人と共に過ごせるだけで幸せなのだ。
――ああ、彼女の料理が食べたいな。
 だから絶対に帰ろう。あの幸せな日々へ。

「……違うよ。きっと、奥さんにとって葉月さんは王子様だったんだと思うな」

「そうかな」

「そうだよ。わたしのママはね、パパのこと、王子様だって言ってたの。それでね、優希もいつか王子様と出会えるんだよって……。……どんな人なのかなぁ、わたしの……」

 優希の声は段々と小さくなり、ついには寝息が聞こえてきた。葉月はそんな優希の寝顔に笑みを零すと、優希を起こさないように気をつけながら部屋の探索を始めるのだった。






[28780] 十四話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/12/11 00:08
 戦闘禁止エリアに隣接した倉庫で見つけたロープを使い、長沢の胴体に腕ごと巻きつける。逃げないようにしっかりと結びたいが、あまり力を入れてしまうと縄が食い込んで痛いかもしれない。当然のことながら今まで人を縛ったことのない総一にその力加減は難しかった。

「よし、と。こんな感じでいいか」

 気絶してからどのくらい経っただろうか。そろそろ長沢が目覚めてしまうかも知れない。
 廊下で作業をしていた総一は縛り上げた長沢を抱え上げ、ドアを開け放った戦闘禁止エリアへと入った。近くでそれを見守っていた渚は総一に代わりドアを閉める。

「おつかれさま、総一くん。それで長沢くんはどうするの~?」

「とりあえずはこの状態で寝かせておいて、目が覚めたら状況を説明しないとな。ここが戦闘禁止エリアだってわかれば長沢だって無茶は出来ないだろうし」

 戦闘禁止となっている赤いカーペットが敷かれた部屋にはベッドが置いてあらず、だからといって隣の部屋から持ってくるわけにもいかない。総一は長沢を横長のソファに横たえ、テーブルを挟んだ向かい側のソファに腰を下ろす。渚は浮かない顔で総一の隣に座った。

「葉月さんたち、無事かなぁ……」

 そんな渚の呟きに総一も表情を曇らせる。優希達と別れてから既に小一時間以上経っている。

「……きっと大丈夫だ。葉月さんは銃を持っているし、男二人が固まっていれば警戒して近付かないかも知れないだろ?」

 総一が無理にでも下に降りて優希達を探し出そうとしなかったのは皮肉にも長沢の存在があったからだった。容赦なく総一達を殺そうとした長沢を放置すれば、ひいては総一が守るべき人間の安全を脅かすだろう。助けた理由として大部分を占めているのはそんな打算的な気持ちだった。
 総一にとって第一に守るべきなのは仲間達――特に女の子である優希と渚なのだ。勿論長沢を救えるのならそれに越したことはない。
 だが……。

 俯いたままだった渚は顔をあげると総一を見つめ、とても悲しそうな顔をした。

「ねえ、総一くん。……もしよ? もし、……QのPDAを持っている人間と出会ったら、君は……」

「殺さない。Qの人間だけじゃない。誰であっても俺は殺したりなんかしない」

 強く、きっぱりと、総一は渚を見据えて言い切った。予想以上の勢いに渚は一瞬たじろぐが、今度は今まで見せたことが無いほどに真剣な表情で向き直った。

「……もし君がここでQの人間を殺したとしても、誰も君を非難出来ないわ。……いいえ、私が非難させない。だって総一くんは誰かを――QのPDAの所有者を殺さなければ、死んでしまう。私は――優希ちゃんだって、葉月さんだって、君が生き残ることを望んでいるのよ?」

 今までの渚からは想像もつかない程厳しい言葉に総一は驚く。総一には自分の知っている綺堂渚ではないように思えた。
――何を馬鹿なことを。
――彼女は間違いなく綺堂渚さんじゃないか。
 すぐに思い直し、深く息を吐き出すと、総一は自嘲気味な笑いを漏らした。

「ありがとう。そう思ってくれるだけで、俺は幸せ者だ。……でも、駄目なんだよ。誰かを犠牲にしてまで生き延びて、……そんな俺はきっと許してもらえないんだからさ」

――そう、あいつに怒られちまうからな。

「ズルい真似はしたくないんだ」

――そんな俺を彼女は愛してくれないだろうから。

「……許してくれないっていうのは……私が、じゃないよね。私じゃない、……大切な人が、なんだよね」

「ああ。俺の大切な友達が、だ」

「……友達なの? 恋人じゃなくて?」

 総一の大切な人が女だとは一言も言っていない。それでも渚は、その人物が"女性"であり……只の友達に収まる存在ではないと知っていた。

「……あはは、そうだな。幼馴染で友達だったけど、ようやく恋人になれたんだった。友達なんて言い方したらまた文句言われそうだ」

 脳裏に浮かぶ彼女の姿。近所に他に近い歳の子供がいなかったという理由で友達になって。 ……いつの間にか、互いが互いにとってかけがえのない存在になっていた。

「俺ってかなりずぼらでさ、すぐに楽な方向に走ろうとしたり、怠けようとしたり、……そんな俺の尻をひっぱたいてくれたのがあいつだったんだ。俺とは逆に正義感が強くて、しっかりしてて、俺はいつだって守られてばっかりで……それでもいつかは俺があいつを守れるようになろうと思ってた」

「その人の名前……聞いてもいい?」

「…………優希。桜姫優希(さくらぎゆうき)。苗字は違うけど名前は一緒なんだ。……だから、ここで"優希"に出会った時、今度こそ守ってやりたいと思った。絶対に、守る。勿論渚さんもだ」

「私は"優希"じゃないのに?」

 少しだけ悲しそうな表情で渚がそう問いかける。

「確かに俺にとって"優希"は特別な存在だけど、俺は"色条優希"も、"綺堂渚"さんも、好きなんだから」

 照れたように笑う総一に渚はようやく表情を綻ばせた。今までの笑顔に戻るとからかうように総一の顔を覗き込む。

「総一く~ん? 女の子にそう簡単に「好き」なんて言っちゃ駄目よ~? それとも総一くんって意外とプレイボーイなのかな~?」

「おっと、これは失言だったかな。それに渚さんだって彼氏がいるんじゃないか?」

 渚の調子がその場の空気に大きく影響を与えているのだと総一はしみじみ感じていた。おっとりとした話し方、優しい声、それらはとても耳に心地よかった。

「それが~いい人いないのよね~。総一くんは年上嫌いかな~?」

「あははは」

 総一は渚が優希と話していた内容を思い出し、これが彼女なりの会話の盛り上げ方なのだろうなと思った。

「ちょっとぉ~。笑って誤魔化さないでよ~! もぅ~!」

「おいお前らッ!」

 突然の声に少し驚いた二人が同時に目をやると、敵意に満ちた目で長沢が総一に向かってこようとしていた。だが頭に血が昇って自分が縛られていたことに気付かなかったのか、テーブルを越えようとした長沢は盛大にこけ、頭からテーブルにぶつかった。

「長沢くん大丈夫!?」

 渚が慌てて駆け寄るが、そんな憐みが気に入らない長沢は痛みを堪えながら今度は渚に食ってかかった。

「解きやがれ! 舐めてんのかよ、ふざけやがって!」

「おい長沢! ここは戦闘禁止エリアだ、攻撃したら死ぬぞ!」

 今にも飛びかからんばかりの長沢を抑えるべく総一は叫んだ。それを聞いた長沢は一瞬凍りつき、目を見開きながら辺りを見回した。彼もここと似たレイアウトの戦闘禁止エリアに入ったことがあるのだろう、総一の言葉が偽りでないと理解したらしかった。渚など眼中にないというように再び総一へ向かいガンを飛ばすが、まだこれから背が伸びるであろう長沢では平均より上の身長である総一に対して睨みが効かない。

「表に出ろ! 殺してやる!」

 しかしそれでも長沢の瞳に宿るギラギラとした感情が確かに伝わってくる。総一は彼の言葉が虚勢でもなんでもなく、本当に殺人を犯そうとしているのだと確信した。粋がる少年を見下ろしながら総一は落ち着き払った態度で接することにした。

「少し落ち着け。今お前が出て行ったって両手が使えないんじゃ勝ち目なんてないだろ?」

「じゃあ解けよ今すぐに! どいつもこいつも俺のことを馬鹿にしやがって! 殺すんでもなく捕まえて馬鹿にしてんだろ!」

「違う。お前は放っといたら人を殺すんだろ? そんなやつを野放しにはしておけない」

「それが馬鹿にしてるって言ってるんだ! 殺さなきゃ殺されるような状況だし、それにここでは誰を殺したっていいんだ。だからさっさとこれを解きやがれ!」

 一発殴って黙らせたい衝動に駆られたが、ここは戦闘禁止エリアであり、たとえ外だとしても危害を加えては長沢の不興を買ってしまう。多少……いやかなり不満だが、今は長沢を挑発しない方がいいだろうと判断した。
 総一は長沢への関心を緩めずに渚へ向き直った。

「渚さん、飲み物を持ってきてもらってもいいかな。俺はコーヒーで。長沢はコーヒーとカフェラテと緑茶、どれがいい?」

 いくら粋がったところで今の長沢には何も出来はしない。少しでも落ち着かなければ話し合いさえも難しいと思い、総一はそう提案した。
 だが総一の考えは甘かったと言わざるを得ない。争い自体を回避しようとする総一達と、殺人を厭わない長沢では現状の認識に大きな違いがあった。

「この……ッ! ふざけんな!」

「ふざけてなんかいない。長沢、これが俺のPDAだ」

 総一は口で説明することを止め、手っ取り早く自分のPDAを見せた。長沢はあっけにとられていたが、とりあえずと思いそれを覗き込み、驚き目を丸くした。

「A……いやでもこれがJOKERの可能性も……」

「JOKERじゃない、と言っても証明は出来ないけどな。葉月さんの2のPDAがあれば信じてもらえたんだろうけど」

「……。……あ! 俺のPDAは……」

 総一は一瞬顔を顰め、さっき回収した長沢のPDAを取り出した。

「おい返せよ御剣の兄ちゃん!」

「本当はこんな真似したくないが、まあ、お前が大人しくするとも思えないからな」

「そうか……! QのPDAを持ってる奴を探すのを手伝えってことか! でも俺はあんな足手まとい連れてるような奴と組む気にはなれないな」

 長沢は渚が消えたキッチンユニットのドアを顎で指すと、さっきまでとはうって変わってニヤニヤと笑みを浮かべた。どうやら総一の意図を勘違いしているらしい……と分かったが、総一はそれよりも渚を足手まとい呼ばわりされたことが不快だった。

「渚さんは足手まといなんかじゃない。俺達の仲間だ。……お前は二階で渚さんと葉月さんに会って、助けてやったんだろ? お前が殺人に走るのも分かるが……」

 そう言いながら総一は長沢のPDAに視線を落とす。命綱であるPDAを確保されているという事実を思い出した長沢の表情が険しくなる。今、総一がこれを壊してしまえば長沢が生き残るにはあるかも分からない未知の手段を探さなければならなくなってしまう。しかし総一は正規の方法で長沢の首輪を外してやることが出来ない。

 渚がトレイに三人分の紙カップを持ってやってきた。インスタントコーヒーの香りと粉末を溶かしたカフェラテの香りが混ざり、渚の鼻を擽る。

「長沢くんはカフェラテで良かったかな~。私も甘いのが飲みたかったからおんなじだよ~!」

 テーブルに三つの飲み物が置かれる。だがそんな無邪気な態度が気に食わなかったのか、長沢は自分の為に置かれた飲み物を思い切り手で払いのけた。戦闘禁止エリアの赤い絨毯にカフェラテが染み、一部分だけ濡れて色が濃くなった。

「長沢お前っ!」

 業を煮やした総一が怒鳴りつけようとするより先に長沢が啖呵を切った。

「俺はお前らと組む気もないし慣れ合うつもりもないっ! 仲間ごっこがやりたいなら勝手にやってろ! その代わり俺はお前らを殺す! 絶対にだ!」

 長沢は野良犬のように威嚇してくるが総一が自分のPDAを持っていること、ここが戦闘禁止エリアであることを忘れてはいなかった。総一もそれ以上何かを返すことも出来ず、ただ睨み合うだけだった。
 やはり自分は間違っていたのだろうか。ここで逃してしまえば長沢は確実に誰かを殺そうとするだろうし、さっきの発言から察するに総一達をピンポイントで狙ってくる可能性も高い。だがこれから優希達と合流しなければならないのにこんな長沢を連れては歩けない。
 ならばいっそPDAを叩き割ってしまうか?どうせこんな条件を実行させるつもりはないのだからそれもいいかも知れない。
 総一はもう一度長沢のPDAを覗き込み、それを持つ右手に少しだけ力を入れた。みしり、と音がする――程に握りしめたつもりだったのだが、意外に固く手ごたえは無かった。元々本気で壊すつもりも無かったとはいえその感覚からPDAが相当丈夫に作れれているのだと分かる。

「や、やめろ! 壊すつもりか!?」

 長沢が慌てて制止する。
 当然だ。これは彼にとって命と同義といっても差し支えないのだから。
 参加者を縛りつけるものでありながら、死の恐怖から解放される為の鍵でもある、PDA。希望と絶望は表裏一体だとはよくいったものだ。総一は手の力を緩め、長沢のPDAを自分のポケットへと仕舞った。

「とりあえずこれは預かっておく。お前が馬鹿なことをしないようにな」

――もしこの場に葉月さんがいれば、うまく長沢を宥めてくれたのだろうか。
 結局解消できない不和を感じながらそう思う。殺人を覚悟した人間を止めるというのはこんなにも難しいことなのか。総一は自分の力量不足にほとほと嫌気が差していた。ここに来てから幾度となく感じてはいるが、それに圧されないと決めたじゃないか。自分を奮い立たせ、とりあえず長沢の処遇について考えを巡らせようとした。

背後で僅かに音がした。ふと廊下へのドアを見ると、少しだけ開いていた。

「あれ? 渚さん、しっかり閉まってなかったんじゃないか?」

「え? あ、ちょっと、総一くん!」

 閉め直そうとドアに向かって歩み寄る。あと一メートル程の位置に来た時、突然その隙間から何かが投げ入れられた。

――え?

「総一くん!」

 総一の足元に転がるそれの実物を目にするのはこれが初めてだった。漫画やテレビやゲームなどでよく見るそれは、紛れも無く――。
 すぐさま理解し急いでその場を逃げようとするが、手榴弾は容赦なく自らの役割を果たした。





[28780] 十五話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/12/20 01:15
 部屋中に響き渡る凄まじい音が鼓膜を破らんばかりの勢いで耳へと襲ってきた。一番近くにいた総一はその場から逃げることを念頭に置いていたため、耳を塞ぐことが出来なかった。頭が割れるかと思うような、形容しがたい音の暴力。堪らず総一は目を閉じ、頭を抱えて蹲った。
 渚は途中で耳を塞ぐことが出来たが、両手を縛られた長沢も距離があったとはいえダメージが大きいようで、必死で目を瞑っていた。

 …………。

「……あれ?」

 総一がゆっくりと目を開くと、そこには今までと何ら変わらぬ風景が広がっていた。
 爆弾が破裂した跡は無い。手榴弾は転がってきた場所にそのまま存在しており、変化は無いように思えた。
 渚と長沢もそれに気付いたようで目を丸くしながら同じ位置を見つめていた。

「不発、か?」

 長沢がさっきまでの威勢が嘘のように呟いた。だが確かに爆発の音がしたのだ。不発弾ならば音もしない、というのは自分の勝手な想像なのだろうかと総一は訝しんだ。

「うう~……。……あれ~? 今のって音だけの爆弾だったの~?」

「……みたいだな。まあ助かって何よりだけど……」

 果たしてこれは手榴弾を投げ入れた人間の意図したことだったのだろうか。音が鳴るだけの手榴弾を投げ入れるだけで、他に何かをしたわけでもない。

「そういえば……ここは戦闘禁止エリアだよな。音だけの攻撃なら戦闘とはみなされない、のか?」

 可能性はあるが、ルールで明確に定められていた訳では無い。投げ入れた何者かはそのことを知っていたということなのか。あるいはこれが戦闘禁止エリアのルールに抵触するリスクを鑑みてまで攻撃を仕掛けたのか。

 総一は恐る恐る手榴弾を拾い上げ、廊下から顔を出した。当然のことながら人の影は見えない。投げ入れてすぐに逃げたと考えるのが妥当だろう。

「渚さん、ちょっと待ってて」

 総一は一応確認しておこうと廊下へ出るが、やはり静寂が広がるのみだった。それにしても一体誰がこんな悪戯じみた攻撃をしたのだろう。あまり敵意の感じられない中途半端な攻撃を行う意味はあったのだろうか。そんなことを考えながら辺りを見回していると、突然渚の叫ぶ声が聞こえてきた。

「ちょっと長沢くん!?」

 何があったのだろうと思った総一は急いで戦闘禁止エリアに戻ろうとした。だがドアに手を掛けるよりも早く、部屋から飛び出してきた長沢が全力で突撃してきた。

「うわっ!」

 まさかいきなりぶつかってくると予想していなかった総一はそのまま後ろに倒れ込んだ。長沢が総一の腹を踏みつけると総一はぐえっと悲鳴をあげた。その拍子に総一のポケットから二台のPDAが転がり落ちたが、すぐには気に留めることができなかった。何度か踏みつけられたが総一も負けじと長沢の足を掴み、そのまま引き倒した。

「このっ……、おい長沢! いい加減にしろよ!」

「畜生離せよッ!」

 じたばたしながらもう片方の足で総一の腕を蹴りつけると、流石の総一も腕の力を緩めざるを得なかった。その隙をついて長沢は総一から距離を取って逃げの姿勢に入った。総一は長沢のPDAを持っているのだから、無茶はしないだろうと思っていた。それに未だ長沢の拘束は解けて……。

「な……ロープが解けてる!?」

 いつの間にか地面に落ちたロープは輪の形になったままだ。つまり長沢がロープを切ったのではなく、単に緩んで落ちたのだろう。説得する時に余計な敵意を与えないように加減をして縛ったのが悪かったのかも知れない。総一は内心舌打ちした。

「はは……あっははは!」

 壊れたテープのように喉から笑い声を漏らす長沢。長沢はぎらぎらとした、憎悪と歪んだ好奇に満ちた笑顔を総一に向けてきた。

「長沢、お前――」

 続く言葉が出ない。どうにか長沢を引き留めようと思考を巡らせるも、どう語りかければこの少年を説得できるのか分からない。

「覚えとけよ……絶対に殺してやるからな……!」

 その目を見て、このまま長沢を逃がしてはいけないと思った。今までの反抗期の延長線上にある殺意ではなく、狂気の感じられる殺意が長沢から感じられた。
 彼をそこまで駆り立てたのは自分なのだろうか。そんなことを考えながらも逃げようとする長沢を追いかけようとした。

「待って長沢くん、ひとりは危ないわ!」

 渚が部屋から出てきて長沢に向かって呼びかける。だが長沢は渚を一瞥しただけですぐに逃げ出した。 総一は急いで長沢を追いかけようとしたが、渚の呼びかける声に足を止めざるを得なかった。

「総一くん! 待って!」

 悲痛な声に心を揺さぶられ、思わずそちらを振り向いてしまう。遠ざかる長沢の足音を耳に入れながらも、ゆっくりとこちらに歩み寄る渚から目が離せずにいた。

「渚さん……」

「……もう、無理よ。ああなったらもう誰の言葉も耳に届かない。……もしこのまま長沢くんを追いかけて、総一くんまでいなくなってしまったら……私は……」

 総一は渚が呼び止めてくれたことに感謝した。感情に任せて長沢を追っていれば、渚はひとりになってしまっていた。たとえ戦闘禁止エリアにいるとはいえ、それは好ましくない。総一にとって優先すべきは仲間を守ることなのだから。

「ありがとうございます。……俺が甘かったんです。もしかしたら長沢とも交渉できるんじゃないか、止められるんじゃないかって考えて、結局長沢を暴走させる結果になってしまった」

 人間ひとりに出来ることなどたかが知れている。二兎を追う者一兎も得ずとは、まさにこのことだ。欲張るべきではない。

「それに俺の言葉は届かなかったけど、葉月さんならもしかしたら……。一度まともに会話しているわけだし」

「それを言ったら私も長沢くんと話してるのに~。嫌われちゃったみたい」

「元々長沢は攻撃的だったからな。渚さんが悪いわけじゃないさ」

「……うん。ありがとう」

 両手が塞がったままなら長沢だって無茶は出来ない筈だ。それにPDAはこちらが持っているのだから――。

「……あれ? PDAは……」

 ポケットをまさぐってみるが中には何も入っていない。どこかに落としたのかと思って辺りを見回すが長沢を縛っていたロープ以外には何も見当たらなかった。

「総一くん?」

「無い、PDAが無い! 長沢のも、……俺のも!」

――まさか……長沢が持っていったのか!?
――いつの間に!
 総一の頬を嫌な汗が伝う。どうせ正規の方法で首輪を外すつもりはなかったのだが、こうも簡単に出し抜かれたことがショックだった。

 PDAを盗まれ、仲間とも離れ離れ、……状況は最悪だった。



「チャンスをしっかりと活かせる子は好きよ? ふふっ、頑張ってね。長沢君」

 総一達のいる位置からそう離れていない場所に郷田はいた。PDAを口元に当て微笑む彼女からは薄気味悪ささえ感じられる。そこには初めに総一と出会った時の物腰柔らかな雰囲気はまったくなかった。変わらないのはその心の底にある感情だけ。絶望に満ちた空間にありながら自分が絶対優位な立場にいることを疑わない、勝者の余裕。だがそれでも、普段の郷田を知る者ならば彼女が感じている不安の色を感じ取ったかも知れない。
 長沢が集中的に総一と渚を狙うようになれば、葉月達と合流するのは更に遅くなるだろう。
――その間に目的を達することが出来ればいいのだけれど。

 すべてがすべて、郷田の思惑通りというわけにはいかない。
 当初の予定では漆山と優希のみを下階に落とすつもりだった。今までの鬱憤を晴らすべく襲い掛かる漆山を、優希が隠し持っていた銃で撃つ。人を殺した事実に錯乱した優希は自らの手で自分の人生に幕を下ろす――そういうシナリオだった。
 更に同じことを葉月で行おうとしたが、高山の乱入により失敗に終わってしまった。連続して成人男性が二人も殺されたとなれば、流石に少女が殺したことにするのは無理がある。恐らく今回のゲームで最も戦闘能力の高かった高山を殺さざるを得ない状況になってしまったこと、姿を見られてはいけない人間達が目撃されてしまったこと……不測の事態が続いてしまった。
 そんな状況だったからこそ、長沢が思い通りに動いてくれたことで幾分冷静になれた。郷田は音響手榴弾で総一を戦闘禁止エリアの外におびき寄せ、長沢が攻撃を仕掛けても大丈夫なように仕向けた。ここで総一が長沢の説得を諦め、危害を加えるか最悪殺してくれれば、それはそれで盛り上がっただろう。長沢の縄が解けるというハプニングのお陰で、状況は郷田にとって好ましい方向に進んだ。

 郷田は歩き慣れた道を進み、目的の場所へと向かう。他の参加者の位置は確認済みなので誰とも出会うことはない。三階にいる参加者達を今後どうするか、目的の存在を確保するために参加者をどう操るか、などと考えることが出来る程の余裕があった。

 ゲーム開始から36時間経過、現在の死亡者は三名。
 他の参加者には名前も知られていない、姫萩咲実。
 矢幡麗佳と真倉真比留に無慈悲に殺された、北条かりん。
 表向きは葉月によって殺されたことになってしまった、高山浩太。
 少ないようにも思えるが、武器が充実してゲームが加速すれば人数などあっという間に減っていく。72時間のちょうど半分――36時間が経過した時点でこの状態ならまずまずといったところだ。
 御剣総一と対立させる為の存在である姫萩咲実が最初に死んでしまったのは非常に厄介だったが、その代わりに別の盛り上がりが期待できるので埋め合わせになるだろう。
 思い通りにいかず迷走気味の御剣総一、それを一番近い位置で見つめている綺堂渚。
 高山の死に触れたことで精神が不安定になっている葉月克己と色条優希。
 一向に条件を満たせず不満が募る矢幡麗佳と、軽口を叩きつつも殺人を迷わない真倉真比留。
 総一達に馬鹿にされたと思い、狂気に駆られ始めた長沢勇治。
 単独行動になり新たに策を練り直している手塚義光。
 葉月達と離れてしまいひとり彷徨う羽目になった漆山権造。
 郷田の口の端が僅かに吊り上がる。勿論自分の思い通りに事が運ぶのはとても気分がいい。だが予想を良い意味で裏切ってくれるのは、それもまた小気味よいことだ。

 そこは一見するとただの空き部屋にしか見えない。たいして広くも無い、倉庫として指定された薄汚い部屋。乱雑に積まれた木箱と段ボール、一部が壊れたアルミ製の棚、場所を取らないように壁に立てかけられたベッド。ドアは今入ってきたものだけで、行き止まりとなっている。
 だが郷田は知っていた。ここには一部の人間しか知ることの許されない通路があることを。
 木箱をどかして部屋の一角へと進む。埃の積もり具合や動かした形跡が無いことから、暫くここが使われていなかったであろうことが窺えた。

「やあね。そんなにしないとはいえ、結構気に入ってたのに、このスーツ」

 濃い灰色のスーツなのでそこまで目立つことはないが、それでも不愉快なことには変わりなかった。軽く手で払うが殆ど落ちず、諦めるしかなかった。
 丁度部屋の角に当たる辺りに、縦二十センチ程の隙間があった。そこに手を掛け、障子を開くように動かすと、ゆっくりと壁の一部が動いた。自分の身体が通る程度の隙間を確保してその中へと入っていく。

 続く灰色の通路。そこは今まで参加者達が通っていた通路と似てはいるが、壁を伝う配線ケーブルや配電盤が剥き出しになっていた。明かりも今までとは違い白色電球で済ませてあった。妙な部分でケチるものだと郷田はいつも思っていた。
 郷田にとってこの通路はあまり好き好んで来たい場所では無かった。建物内より更に汚いからというわけではない。なんの遠慮も無く晒された様々な機器に囲まれていると自分がその一部であるかのような錯覚を覚えてしまうからだ。

 進んだ先にあったのは管理室だった。勿論、この殺人ゲームを操る為の行為をするための管理だ。とはいえ、この場所ではたいしたことは出来ない。監視と一部のシステムに干渉出来る程度で、罠を自由に作動させたりなどは出来ない。
 数十のモニターには各階の様子が映し出されている。コントロールパネルを操り自分が目的とする場所を正面のモニターに映し出した。ベッドの上で布団を被り眠る少女と、それを優しげな眼差しで見つめる中年男性。

「……精神状態が不安ね。壊れた状態で回収して責任を取らされるのも嫌だから、暫くは様子を見ないと。でもあまりもたついていられないし……」

 ふと、モニターのうちひとつに目がいった。場所は四階への階段の手前、丁度麗佳と真比留がそこへ辿り着こうとしているところだった。規則正しく並ぶボタンのうちのひとつを押すと、モニターの幾つかが暗くなる。画面はすぐに色を取り戻したが、今までと比べればかなり薄暗くなっている。



 だが実際にその場に居る人間にとっては薄暗くなったという程度では無かった。

「え……!?」

 麗佳と真比留は揃って目を丸くし、天井を見た。今まで建物内を照らし出していた明かりがなんの前兆もなく消え、二人とも今まで予測できなかった脅威に包まれる。この建物には当然窓も無いので、正に“暗闇”と呼ぶに相応しい状況だった。

「停電……かね」

「……誘拐犯達がそんな不備を犯すとはは思えないけど……。多分、故意的な停電でしょうね。誘拐犯の仕業か、それとも他の参加者か」

 互いの声に緊張を感じながらもそれを指摘することは出来なかった。

「何か明かりになりそうなものは……。麗佳ちゃん、ケータイ持ってる?」

「携帯電話じゃなくてもPDAで明かりになるんじゃないかしら」

 麗佳が自分のPDAの電源を入れると、トランプの画面がぼんやりと浮かび上がる。背景が黒いので思ったほど明るくは無い。真比留のPDAも彼女の手元を不気味に映し出していた。

「こういうのって台風で停電した時みたいだよねー。なんだかドキドキするよ。蝋燭でもあれば更に雰囲気出たのにさ」

「やっぱりPDAでは心許ないわね。真倉、携帯電話を出しなさい」

「ごめん、家に忘れた。充電中」

 視界がほぼ閉ざされた状況だからだろうか、麗佳は会話の相手がいることで僅かに安心感を得ている自分に気付いた。携帯電話を取り出し、カメラを起動してフラッシュを焚くとPDAよりも遥かに明るいライトが灯った。バッテリーは充電されているので暫くはこれで持つだろう。

「くひひひひ」

 真比留がずい、と顔をライトの上に持ってきてニタニタと笑っていた。心の底から不愉快だったが暗闇の中では自分を殺しに来た悪魔の嘲りのようにも思えてしまう。一瞬息を呑むが、すぐに額を後ろに押すと真比留は大袈裟にのけ反りかえった。

「おっとっと」

「電源はどこにあるのかしら。多分管理をしてる部屋があると思うんだけど」

「今までの部屋にはそれっぽいもの無かったと思うけど――」

 真比留の言葉をかき消すように鳴りはじめた軽快な音楽に心臓が飛び上がりそうになる。

「な、何、これ!?」

 その場にそぐわない音楽が思わず麗佳の声を上擦らせた。二人のPDAから聞こえる、明るく心弾ませるBGM。それが状況を好転させるものにはどうしても思えなかった。



[28780] 十六話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/01/20 11:45
『二階が侵入禁止になりました』

 PDAに表示されたその文字を見て、総一の気持ちは更に急かされた。三階が最下層となった今、もたもたしていると優希達が上がってくる前に侵入禁止になるかも知れない。そう考えると階段へ向かう足が自然と早まった。

「総一く~ん、ちょっと速いよ~」

「あ、ごめん。でもなるべく早く階段に着かないと、優希達と入れ違いになっちまうから、このくらいのスピードじゃないと」

 そんなに荷物は多くないし、重そうな荷物はだいたい総一が持っているので、渚の負担はそこまでない筈だ。だが総一はPDAを無くしてしまったので、渚に逐一地図を確認してもらっているのだ。確かに自分は配慮が足りなかったと思い直し、少しだけ速度を緩めつつ、それでも早歩きで歩き続けた。

「渚さん、次の道は?」

 五階へ向かう時と同じ道を通っているから罠の心配は無いが、正確な道筋を覚えているわけではない。しかし渚は意外と記憶力がいいらしく、通った道を大体把握していたらしかった。

「そこの角を左に曲がって~、……ねぇ、ここを通ったら近道出来るんじゃないかな~」

 渚は総一の横に立つと、地図の一部分を指さした。

「なるほど、廊下じゃなくて部屋を突き抜けるのか。でもそうすると罠が不安だな。確かいくつかの部屋には罠があったから」

 だが今渚の示したルートを通れば、推定二十分くらいはショートカットが出来そうだ。それに多分、これらの部屋に罠は無かった。完全に記憶してはいないが、優希達との合流を急ぐことを考えれば捨てがたい提案だった。

「……そういえば渚さん」

「なあに~?」

 総一はふと、あることを思い出した。落とし穴が作動する前、渚は地図について質問があると言っていた。今更かもしれないが彼女は一体何を聞こうとしていたのだろう。

「ほら、落とし穴が作動する前に地図で何かわからないところがあったんじゃなかったっけ」

 渚はぽかんとした表情を浮かべ、すぐに困ったように首を傾げた。

「そういえばそうだったわよね~。あれ? 一体何を聞こうとしたんだったかな~?」

 どうやら彼女は疑問に思ったことを忘れてしまったらしい。あれからすぐ、長沢に襲われたりと忙しかったのだから、それもおかしくはない。

「忘れるってことは大したことじゃなかったんだよ、きっと。……ところで、さっき渚さんが言った近道なんだけど、通ってみようか」

「罠が危ないんじゃなかったの~?」

「俺の記憶が正しければ大丈夫な筈だ。……あんまり頼りにならない記憶なんだけどな」

 総一は照れたように笑った。

「私もいろんなことすぐ忘れちゃうから、おあいこよ~」

 渚も微笑み、二人で笑いあうが、総一はすぐに真剣な顔に戻った。いつ長沢に襲われるかわからないし、他の参加者の中でも既に四階に来ている人間がいるかもしれない。マイペースな渚と共に行動していると忘れそうになるが、現状は決して楽観できたものではないのだ。彼女をなるべく危険に晒さない為にも自重したほうがいいだろう。



 廊下では無く部屋を抜けたお陰で、総一達は予定していたよりも早く階段へ辿り着くことが出来た。階段の上にあるホールを角から注意深く眺めながら、他の人間が登ってくるのを待つ。

「もう少し近寄れないかな」

 総一達の隠れている場所は階段から結構離れているが、誰が登って来たか確認するには問題ない距離だ。だが気持ちの問題としては、なるべく近くにいたかった。

「もういっそのこと、下で待ってたら~?」

「そうしたいのは山々なんだけど……」

 本当なら、すぐにでも三階へ降りて探しに行きたかった。だが入れ違いになってしまっては困るし、渚を危険に晒すことになってしまいかねない。そんな気持ちを本人に面と向かって言えず言葉を濁すが、それがかえって渚を不安にさせたらしかった。
 渚はPDAを取り出し、経過時間を確認した。

「38時間……。早くしないと侵入禁止になっちゃうよね~」

 渚の悪気ない言葉が総一の心を揺さぶる。彼女の言う通り、時間は刻一刻と迫っている。しかしここで待つ以上のことは出来ないというのが現実だった。

「長丁場になるかも知れない。少し落ち着こう」

「そうね。葉月さんも一緒だし、きっと大丈夫よね~」

 本当は自分に言い聞かせるように言ったその言葉を、渚は自分が言われたものと思ったらしい。

「渚さんは葉月さんとずっと一緒にいたから、やっぱり一番頼りにしてるんだ」

「私達の中で一番大人だったってこともあるのかも~。勿論総一くんも頼りになるけどね~」

「そうだなぁ。俺達にとっては親子くらいの年の差があるんだよな、葉月さん」

 漆山も葉月とそう変わらないように思うが、彼から父性のようなものは微塵も感じなかった。あまり年配の人間と親しく話す機会が無い総一だが、彼には他人を臆させない何かがあった。

「私と同じ歳の娘さんがいるって言ってたわ~。だから確かに私のお父さんや総一くんのお父さんと同じくらいの年齢なんじゃないかしら~」

「……そうかもな。……あのさ、大したことじゃないんだけど。聞いていいかな」

 総一は少しだけ言葉を出し渋りながら苦笑を浮かべつつ渚を見た。

「内容言ってくれないとわからないよ~」

「ん。……渚さんのお父さんって、その……葉月さんみたいな感じの人?」

「うちのお父さん? う~ん……。確かに落ち着いたタイプだけど、葉月さんとは違うかなぁ。……頼りない感じっていうか……」

 そう語る渚の表情には複雑な思いが籠っていたが総一は気付いていなかった。ただ、渚の言葉から少しだけ寂しそうな印象を感じ取ることができた。もしかすると彼女はもっと男気溢れる父親が理想だったのかもしれない。
――頼りない感じ、か。
 渚は安心感を感じさせる穏やかさがあるが、頼り甲斐というものは感じられない。彼女自身は父親をあまり評価していないようだが、ひょっとすると渚と同じようにのんびりした性格なんじゃないだろうか。

「もうちょっとしっかりして欲しいとは思うけど……でも結局、嫌いには慣れないのよね。家族だもの」

 しっかりとした口調で己の言葉を噛み締める渚。そんな彼女を見れば、それが本心からくる言葉なのだろうと理解出来た。そんな渚が少しだけ羨ましい。

「お父さんだけじゃないわ。お母さんも、お姉ちゃんも、弟も。ふふっ。……総一くんの家族は?」

 次は渚が総一に問う番になった。何気なく聞いたことだったが、総一の瞳に動揺が走るのを渚は見逃さなかった。

「……俺は……、……兄弟はいない。一人っ子なんだ」

「……そうかぁ。兄弟いないと遊ぶとき寂しかったんじゃない?」

「近所に幼馴染がいてさ、そいつとよく遊んでたんだ。俺が家にいる時でもわざわざ呼びに来て、外に引っ張り出して……。でも、嫌じゃなかったな。だから寂しくは無かった」

 総一の口調に明るさが戻ったので渚は安心して微笑み返した。

「俺がしっかりしてないからほっとけないんだってあいつは言ってたけど、俺から見ればあいつは真っ直ぐ過ぎる奴だったから、俺の方が放っておけなかったんだよ、実際。子供の頃の思い出っていいもんだと思うよ」

「そうね。分かるわ。……過去は変わらないからこそ色褪せない。楽しかった思い出って大事なものだと思うわ」

 これ以上幼馴染と過ごせない総一にとって、その言葉は深く染みるものだった。自分が彼女を忘れずに、想い続けている限り、大切な人と過ごした日々は永遠にあり続けるのだから。
 姉弟と一緒に遊んでいた渚にとっては、家族はかけがえのないものに違いない。渚が家族を慮る様子からそう感じていた。

「……よし!」

 総一は両手で自分の頬を叩き、喝を入れた。

「渚さんを絶対に、家族の元に帰してみせる!」

「いきなりどうしたの総一くん?」

「自分にしっかり言い聞かせようと思って。そういえば渚さんの首輪の解除条件なんだけど、葉月さんとはどのくらい一緒にいたんだっけ? 二十四時間経ってないようなら俺が一緒にいた時間を数えないといけないよな」

「葉月さんに会ったのは戦闘禁止が解除される前だったから~、落とし穴に落っこちるまでずっと一緒だったわ~。だから葉月さんが元気なら私の首輪も外れる筈よ~」

 万が一葉月さんに何かあったら……と言おうと思ったが、渚の前で不吉なことを口に出すのは憚られた。葉月さんが死んでしまうということは優希も無事では済まない可能性がある。そう考えると総一もぞっとしなかった。

「……ごめん渚さん。自分で言っておいてなんだけど、少し下に降りてみよう。あんまり階段から離れるつもりはないから」

 一旦不安になるとそう簡単に払拭は出来なかった。今の位置からはホールを見ることは出来るが、階段の下は全然見えない。降りて、その周囲で見張ろうと総一は提案したのだった。渚の同意を得て二人は三階へ向かうべく階段に近づいていった。
 違和感に気付いたのはあと十メートル程となった頃だった。何の変哲もない階段なのに少しだけ薄ら暗いような気がする。自分の気持ちが後ろ向きだからそう感じるのだろうかと思ったが、覗き込むように階下を見下ろすとそれが勘違いではないとわかった。
 この建物の階段はどれも直角に――踊り場まで来ると真正面では無く右側に階段が続く形になっている。そのため下の様子は一目ではわからない。総一達の位置からは踊り場までが見えた。
 踊り場の三階に降りる階段に面している部分に、黒い鉄の棒が何本も降りている。それはまるで動物園で肉食獣を囲っておくための檻のようだった。

「なにっ! これじゃあ下に行けないじゃないか!」

 あのまま同じ位置で見張っていればそれに気付く事もなかっただろう。焦りを隠せずに踊り場まで来ると、もうひとつの異変に気がついた。まるでそこから世界が切り取られたかのように、階下は暗く、何も見えなかった。

「停電か!」

「ええっ!? ブレーカーを上げないと~!」

 本人はいたって真面目に言ったのだろうが、その発言はかなり場違いなものだった。電気を使い過ぎたことによる停電ならブレーカーを上げれば済むが、この建物でそんなことが起こるとは思えない。そして四階との往来を拒むような丈夫な鉄柵……これは決して偶然で起きたものではないのだ。
 総一は柵を握り締めると思い切り揺さぶったが、当然その程度で壊れるわけがない。

「一体なんで……」

 三階で何かが起こっているのかもしれない。階下に広がる暗闇が総一の鼓動を強くした。
 もしかすると階段の周囲だけが暗いのかも……などと楽観視しようとも思ったが、すぐにそんな呑気な想像を否定する。これは確かに誘拐犯達がなんらかの意図をもって行った停電なのだ。

 何も出来ずに暗闇を睨みつけていると、どこからかPDAのアラームが聞こえた。この場には渚のPDAしかないのだから、誰のものか悩む必要は無かった。

「総一くん、なにか変なのが~」

 渚が困り顔で総一にPDAの画面を見せた。画面上には大きなリボンでラッピングされたプレゼントの箱が表示されている。実写では無く、イラストのテンプレートのような絵柄の箱だ。

「なんだ? プレゼント?」

 ポン、と軽快な音が聞こえたかと思うと、画面の中のプレゼントが煙を立てた。そして、軽快なマーチのような曲がPDAから流れ始めた。

『お楽しみ! エクストラッゲーィムッ!!』

 そう言いながら煙の中からデフォルメされたカボチャの怪人が現れた。こちらはCGを使っているようで三次元的な画像だった。音声がついてはいるが、画面下にはカボチャの台詞が字幕として表示されるようになっていた。

「な、なんだ、これは……」

「PDA壊れちゃったのかな~?」

 カボチャの怪人は爪先立ちでくるくる回り、三回転半したところで画面の向こう――総一達の方を指さした。そんな単純な動作でも決してチープなプログラムでないことがわかる、滑らかな動きだった。

『僕はジャックオーランタンのスミスだよっ! よろしくね!』

 自己紹介を終えると、スミスは顎に手を当てて首を傾げた。

『あれれ~? どうやら君達は四階にいるようだね。残念だなぁ、これは三階にいる人用だから、君達は仲間に入れられないよ!』

「おい、お前は三階で何が起こってるのか知ってるのか?」

 訳の分からぬ内に話を進めていくスミスに戸惑いを隠せない総一は、渚のPDAを掴んでスミスに問いかけた。

『今、三階ではエクストラゲームの真っ最中なんだ!』

「エクストラゲーム?」

 スミスが登場した時にも言った言葉だ。一度も聞いたことが無い単語だが、それがろくなものではないであろうと根拠が無くとも理解出来た。強いて根拠を挙げるとすれば、この場にそぐわぬ態度で話しかけてくる目の前のカボチャの存在だろう。

『そうか、君達は知らないんだもんね。じゃあここは出血大サービス! どうせ参加できない君達にも状況が分かるように教えてあげるよ! 僕は与えられた仕事しか出来ないような奴とは違うんだから!』

 スミスの一挙一動が総一の不安を煽る。だがこうしてPDAに出てきた以上、これは誘拐犯達からのアプローチに他ならない。目的がいまいち掴めないが、今まで参加者達の行動を黙認し続けるだけだった誘拐犯のこの一手は、それを把握すれば現状に対するなんらかの打開策が見いだせるかも知れない。そう考えた総一はスミスの言葉を聞き漏らさないよう、PDAに意識を集中することにした。

『今、ゲーム開始からどのくらいの時間が経ってるかわかる? ……あ、この画面じゃ時計が見れないよね、ごめんごめん。だいたい37時間くらい……もうゲームは折り返し地点に来ているんだ! なのにどうも君達は頑張りに欠けているよねぇ。まあ所詮、管理職の人間には現場の辛さなんてわからないんだろうけどさ。だからみんながやる気を出せるように、ちょっと手助けをしてあげることにしたんだ!』

 顔を模してくり抜かれたカボチャの姿をしているために、目に当たる部分は丸く大きな穴が開いている。感情に応じて目や口の形が変わったりもするが、黒く塗られた空洞であることに変わりはないので薄気味悪さが拭えない。スミスのコミカルな動きがそれを更に印象付ける。

『その柵を見ればわかると思うけど、三階は今外からの侵入が出来ないようになってる。当然二階は侵入禁止だから、密室に近い状態かな。そのうち三階も侵入禁止になっちゃうからみんな四階に上がりたい筈だ。そこでこの柵を外す方法なんだけど……』

 スミスの右手にはいつの間にか槌のようなものが握られていた。軸が黄色、頭が赤色のそれは、おもちゃとして売られているピコピコハンマーに見える。それを振りかざし、正面に向けて打ち付けると、PDAの表面にヒビが入った。勿論これは画面上の演出に過ぎず、本当に渚のPDAが壊れた訳では無い。それがバラバラと崩れ落ちる映像に不吉なものを感じずにはいられなかった。

『いたって簡単! 三階のどこでもいいから、PDAが一台壊れればいいんだ!』

 その時、エクストラゲームが始まってから一時間が経過していた。




[28780] 十七話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/04/18 22:09

 本来、首輪の解除条件を満たす以外にゲームを生き残る方法は無い。首輪を外さずとも時間まで生き延びていればいいのだが、それは殆ど不可能に近い。なので初期に配布されたPDAは所有者の命と直結しているといえる。総一が自分のPDAを失ってもそれ程慌てなかったのは、彼の条件が実行できないものだったからであり、他の参加者からすれば理解し難い感覚なのである。
 このエクストラゲームはつまり、密室の出口を開く代わりに他の参加者の希望を断て、といっているのだ。もし誰もこの条件を満たせなければ三階にいる人間は全員死んでしまう。自分のPDAを壊そうなどと言う酔狂な人間がいでもしない限り、自分以外の誰かのPDAを壊そうと考えるだろう。

「戦いを誘発させる為か……。このエクストラゲームが始まったのはいつだ?」

『三十六時間経過した頃だから、一時間くらいだね。でもまだPDAは壊れてないんだよねぇ』

「わざわざ電気を消したのにはなにか理由があるのか?」

『三階全部が停電になってるわけじゃないんだよ。電気がついてる部屋がいくつかあるから、みんなそこに集まっている筈さ!』

 攻めるにせよ逃げるにせよ、暗闇では自由が効かない。スミスが言うように一箇所に人が集まるようにすれば否が応でも争いに巻き込まれるだろう。電灯に集まる羽虫の如く人間が集まる状況を作り出すことこそが誘拐犯達の目的だったに違いなかった。

『おっと。話し過ぎちゃったかな。僕ってば太っ腹~! 君たちがここで登ってくる人を待ち伏せしたいのなら止めはしないけどさぁ……。そんなことやってる暇があるなら早く五階に登った方がいいんじゃない?』

 当然、総一にはこの場を離れるという選択肢はなかった。どうにかして下の階に降りる方法はないだろうか。もしここに自分のPDAがあれば、それを壊すことも出来たかも知れない。いや、三階で壊れないといけないのだから、いずれにしても仲間がこの付近にいなければいけない。
 三階にいる人間で総一が把握しているのは、仲間である葉月と優希……あと漆山の三人だ。最悪の状況として考えられるのはその三人しかいない場合、仲間割れが起きる可能性もある。特に漆山は争いの火種になりかねない。

『じゃあ僕は忙しいからこのへんで! それじゃあ、まったね~!』

 スミスがバイバイと手を振ると、出てきた時と同じように煙を立てて画面から消え去った。

「ねぇ、総一くん……優希ちゃんたち……」

 今まで黙っていた渚はスミスが消えると総一を不安げに見つめた。彼女が言いたいことはわかる。こうしている間にも下階では殺し合いが勃発しているかも知れない。そしてその場に、葉月や優希も居合わせている可能性は高い。暗い場所にいるのなら、それもまた不意打ちという危険がある。今の三階に戦闘禁止エリア以外に安全な場所は無いに違いない。

「なんだよ、これ……」

 優希が傍にいる間は覚悟が及ばず危険に晒してしまった。素人の総一が出来る事など限られていると理解はしていても、それですべてに納得できる訳では無い。こういった感情は理屈ではない。そして今、優希は総一の手の届かないところにいる。このまま知らぬうちに優希が死んでしまったら……。
――もう二度と、俺は生きていけないだろう。
 非道なゲームに身を置きながらもここでの出会いは総一に暫し忘れていた感情を思い出させていた。大切な人を失う以前は確かに持っていた何か、この半年の間欠落してしまっていた何か、……それは生きる活力なのだろうか。総一自身にもよく分かってはいなかった。

「私達には何も出来ない……」

 渚の声が総一の耳に入る。
 そう、何も出来ない。トラップサーチにかからない落とし穴は不可避のものだった。あの時素早く穴の中に飛び込んでいれば……。今だからこそそう思ってしまうが、実際あの状況で穴に飛び込むなど出来るものではない。
 一体どこで間違ったのか。優希と別離され、救おうとした人間には尚更の敵意を向けられ、PDAを奪われ……まるで運命が総一に敵意を向けているかのように不運が積み重なっていた。

「……もしも神様なんてのがいるんなら……」

 総一は壁に凭れ掛かり、そのまま地べたに座り込んだ。

「俺は相当嫌われてるんだろうな……」

 特に信じている訳でもないのに都合の悪い状況で神様のせいにすれば、それは確かに嫌われるだろうな。自嘲しながらため息を漏らす。こんなゲームに神様なんている訳が無い。なぜなら、これは……。

「人間が作った“ゲーム”なんだよな、これ」

 こんなものを作った連中は頭がどうかしている。何でこんなことが出来る? 優希や渚や葉月のような優しい一般人の心を踏みにじるようなことが出来る? そんな人間がいるなどと、こうして実際に被害に遭わなければ信じられなかった。
――駄目だ、こうしているとすぐに現実逃避に走ってしまう。
 それに、さっき渚を家族の元に帰すと誓ったばかりじゃないか。自分が絶望していては渚にそれが伝染する、決して弱音を吐いてはいけない。そして今、このままじっとしているわけにはいかない。

「渚さん、探そう。下に行く方法を」

「でも~、ここ以外に降りる方法は無いよ~」

 鉄柵は頑丈で、切断するのはチェーンソーでもなければ不可能だろう。幅も狭く、たとえ優希であってもすり抜けることは出来そうにない。ここから三階に降りるのは諦めた方がいいだろう。
 他の四か所の階段はどうだろうか。確認はしていないが一階で見た閉鎖された階段と同じように、コンクリートの瓦礫で塞がれているのだろう。人が通れる程の隙間は無かったように思うし、所々に棘のついた鉄線が巻かれており、無理をして乗り越えようとすれば間違いなく怪我をしてしまう。今更怪我くらいどうということは無いが、いずれにせよ抜けるのは難しいだろう。

「そうだ、エレベーターだ! あれなら下に行けるんじゃないか? 危険だけどこの際贅沢は言ってられない。ちょっと地図を見せてくれないか。場所を確認したい」

「うん。……でも、ここを塞いでるのにエレベーターは塞がないなんて、そんなミスするかな~」

「……多分、無駄だと思う。でも何もせずに後悔するのは嫌なんだ。あなたを危険に晒すかも知れないのはわかってるけど……頼む、渚さん。付き合って欲しい」

 もしここで渚が断っても総一は渚を見捨てて三階に行くかもしれないと考えると、これはなかなか卑怯な質問かも知れない。身の安全を考えれば渚に選択の余地などないのだ。それ以前に渚がこの提案を断ることはありえない。答えは決まっていた。



 “3”のボタンを押すが反応は無い。試しに他のボタンも確認してみたがやはり変化は無かった。現在昇降機がある場所を示す数列のうち“2”の色が変わっているところを見ると、電力が供給されていない訳ではないらしい。そんなことがあり得るのだろうか。一体どういう原理なのか総一にはわからないが、この建物がゲームの為に建築されたのならばそのくらいでは驚くことでもないのかもしれない。
 渚が遠慮がちに総一の肩を叩いた。

「もしかしたら、私達がここに来てる間にエクストラゲームが終わっちゃった、なんてことはないかな~?」

 エレベーターホールに来るまでに早歩きで一時間程かかった。その想像が及ばなかった総一はそれを少しだけ悔やむが、すぐに考えなおした。

「いや、それならエレベーターが再起動する筈じゃないか? ボタンを押しても反応しないってことは三階が封鎖されたままだってことだと思う」

 勿論誘拐犯達がこれ以上エレベーターを利用させないように細工をしている可能性もあるが、それを口にしたところで不安を煽るだけだ。総一は自分が口にした考えを前提に動くことにした。
 希望であったエレベーターが使えず、他に手は無いかと考えるが、いい案が思いつかない。落とし穴を利用することも考えたが、罠の場所もわからないし落とし穴以外の罠があれば命に関わるのですぐに却下となった。
 重く閉ざされたエレベーターの扉が恨めしく、無機物であるとわかっていながら睨みつけてしまう。ボタンを押すだけで開く扉は、そのボタンが無ければ堅牢な壁とそう変わらなかった。

――駄目だ、考えを止めるな、御剣総一!
――お前は優希を助けに行くんだろうがっ!
――何か……何か方法は……!

 それまで黙り込んでいた総一が急に目を見開き、弾かれたように辺りを見回し始めた。突然の挙動に何事かと渚が訝しがるが、総一は意に介さなかった。

「渚さん、手伝って欲しい!」

「え? え?」

 強い瞳で総一に見つめられ、渚はその真意がわからず戸惑った。

「試してみたいことがあるんだ……可能性があるならそれに縋る!」

 駄目で元々、可能な限り抗おう。

 エレベーターホールの近くにある部屋へ向かう。目的のものがあるかは分からないが、探せる場所は片っ端から調べていくつもりで、埃の被っていない段ボール箱や木箱をひっくり返し、中のものをぶちまけた。幸いこの部屋は誰にも触れられておらず、ちゃんと武器や食料などが見つかった。
 食料は下階の頃に比べると確実に減っていた。その代わりとでもいうつもりだろうか、武器の数も、凶悪さも、一階では想像もつかないレベルにまで来ていた。三階で初めて登場した拳銃は当然として、それと形状は似ているが一発の威力は比べ物にならない大型拳銃、想像したくはないが振り下ろすだけで一撃で頭が潰れるであろう大型の鉈、切っ先の鋭い抜き身の日本刀、……だがそれはあくまでもこの部屋にある分に過ぎない。四階には護身用には過ぎた武器が大量に散らばっているのだ。
 総一が手に取ったのは鉈だった。卓球部に――運動系の部活に入っている以上、それなりに筋力には自信があった総一でも、片手で持つのが困難な程の重量がある。照明の光を受けて刃の部分が白く見えた。しっかりと手入れがなされていれば銀色に煌くであろうそれは、切れ味には若干の不安が残る。だが総一にはそれで充分だった。

「これならなんとかなるか……」

 大鉈を手に、総一は渚に向き直った。風体だけ見れば恐ろしいと感じてもおかしくはないのだが、渚はそんな不安を微塵も感じなかった。彼はその刃を自分に向ける事は無いのだと信じることができた。

「それをどうするの~?」

「……これで、エレベーターの扉をこじ開ける」



 ドアの隙間に鉈の刃を差し込み、足を使って体重をかけ、何度も強く蹴りつけた。頑丈そうな扉がこんなもので開くのか総一は不安だった。たとえ確信は出来ずとも何か行動を起こさなければと思いながら一心不乱に蹴り続ける。

「頑張って、総一くん……」

 流石に二人で蹴ることは出来ないので、渚は傍で応援していた。扉が開くとは思えない。だが、開いてほしいと思った。
 何か出来る事は無いだろうかと思い、考えを巡らせる。

「……ちょっと待ってて!」

 さっきの部屋に戻り、総一が使わずに散らかした道具の中から大型拳銃を手に取った。さっきの総一は扉を開けることだけを考えていたせいで、大して重要と思わず放置していた。女性の手には大きすぎるが総一なら反動にも耐えきれるだろう。
 エレベーター前の総一の元へ急いで駆けつけ、それを総一に手渡そうとした。

「渚さん、これで何を……」

「扉の隙間に直接撃ち込むの。そうすれば多分、開きやすくなるわ」

「なるほど。その手があったか。やってみるよ」

 武器としては触れることさえ躊躇われる道具でも、このような理由なら迷わず使うことが出来た。左手でしっかりと支え、エレベーターの扉のちょうど中央の部分に銃口を押し当てる。今までの銃とは比べ物にならない轟音と反動にのけ反り、思わず拳銃を取りこぼしそうになるが、そこをなんとか堪えた。心なしか少し扉が震えたような気がして、さっきのように刺さった鉈を蹴りつけた。

「どお~?」

「いけるかもしれない! もう一発撃ってみる!」

 一度鉈を引き抜き、その箇所に弾を撃ち込んだ。今度は反動が来るのをわかっていたので先程のように体勢を崩すことはなかった。同じ位置に鉈を差し、体重をかけて押し込んだ。てこの原理を利用して扉を開こうとすると、暫くの時間をかけて、金属製の扉がようやく動きを見せた。

「ぐぬぬ……、な、渚さん……、……ちょっと手を、いや……体重を、貸してくれ……!」

「う、うん! わかったわ!」

 銃弾が功を奏したのだろう、一度軋み出すとその後は大分楽になり、総一と渚二人がかりでも目的を達することができた。

「あはは……開いた……」

 総一の口から軽く笑いが零れた。これでようやく優希を助けに行くことが出来るのだと思うと気が抜けそうになるが、むしろ今は気を引き締めなければならない時だ。
 扉の向こうに当然リフトは無く、それを上下させる為の金属製のロープが下がっているだけだった。何人もの人間を乗せるリフトを支えるロープなのだからそう簡単に切れるものではない。登り棒を降りる要領でどうにかなりそうだった。

「これを伝って下に降りよう! リフトは二階に止まってるから、その天井が三階のドアの足場になる筈だ。そこでもう一度銃と鉈を使って扉を開こう!」

 ようやく光明が見えてきたことで、総一も勢いづいていた。

「渚さんは戦闘禁止エリアで待っていた方が……」

 四階と三階、どちらが安全かと聞かれると答えに窮する。だが今三階には明かりが無く、相手のPDAを壊そうとする人間が動いている筈なのである。ならばいっそ、四階の戦闘禁止エリアに待たせておくべきではないだろうか。

「嫌よ! 下には葉月さんと優希ちゃんがいる。でもここに残ればひとりになる……。たとえ危険でも、みんなと一緒の方がいいわ……」

 渚の憂いを帯びたような顔を見て、ひとりにしてはいけないと思った。

「……そうだな。じゃあ一緒に行こう。そんなに高さは無いけど、気を付けて」




[28780] 十八話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/03/17 01:15

 待ち受け画面は半分以上を青空が占めていて、下に少しだけ草原の緑が見える程度。だからその明かりは青く、この暗闇の中ではなんとも心許ないものだった。照らし出される顔もその光を受け、顔色が悪いような印象を与える。
――音?
 普段ならば聞き取れないような微かな音が耳に入ったのは、視界が乏しく聴覚が研ぎ澄まされた証拠だろうか。この場に居るのは自身を含めて二人。本当に守って欲しい人は傍にはいない。優希は葉月の胸に顔を埋め、これ以上の恐怖が訪れないことを切に望んでいた。

 ドアが大きな音を立て蹴り開けられる――。



 スミスの話によるとどこかに明かりがついている区域があるらしいが、今しがた三階に辿り着いた総一達に見当がつく筈もない。そもそも懐中電灯もない暗闇の中では互いの姿さえも見えず、総一は左手を渚の右手と繋ぎながら進んでいた。渚は携帯電話のカメラ機能のフラッシュを焚いて足元を照らしつつ、自分のPDAの地図を確認している。先程鉈と大型拳銃を手に入れた部屋で見つけたPDAの拡張ツールのひとつ、現在位置を地図上に投影する疑似GPSをインストールしたお陰で大分地図が見やすくなったのが救いだった。
 後に四階に上がらなければならないことも考え、二人は周辺の明かりを探しながら階段の方向へ歩みを進めていた。

「でも~。あれじゃあもうエレベーター使えなくなっちゃったよね~」

「四階と三階のドアが壊れただけだからエレベーター自体は動くんだろうけど……。ここが普通のビルだったら訴訟問題になるな、あれ」

「普通のビルだったらエレベーターのドアを壊す、なんてことにはならないわよ~」

「確かにな。……ん? あっちの方から何か聞こえなかったか?」

 遠すぎてなんの音かは分からないが、総一はそれが銃声ではないかと思った。予想が当たれば優希達がいる可能性が高いが、当たらなければ手掛かりが無くなってしまう。期待と不安を孕みつつ、音がしたと思われる方角へ進んで行った。段々と近寄るにつれて連続した破裂音がやはり銃声なのだと確信した。
 真の暗闇だからこそ、僅かな光でも際立って目に入った。右の通路の遥か先の一部がぼんやりと白くなっている。総一は渚を気遣いながらも足を速め、通路の向こうを窺い見た。

「電気がついてるのがあそこだけなのかは分からないけど、人がいる可能性は高い」

 総一ははやる気持ちを抑えつつ、周囲を確認し、一番近い位置にあるドアを開いて駆けこむように部屋の中へ入った。

「……渚さんはここで待っててくれ。……行ってくる」

 総一は右手の銃を握り締めながら、緊張を隠せない様子ですぐに部屋を出ようとする。大型拳銃は弾があと二発しか残っておらず、殺傷能力が高すぎることも十分に理解したので、ここに来る途中の部屋の家具の裏に隠してきた。今総一が手に持っているのは三階で見つけた扱い易い銃だった。

「……総一くん」

 渚が背中に声を掛けてくる。たとえ渚がどんな言葉で引き留めても彼女を連れて行くつもりは無かったし、総一が戦地に赴かないつもりも無かった。だから心を揺さぶられる言葉を掛けられる前にここから離れようと急いでドアを開けた。

「じゃあ、行ってくる」

「総一くん!」

 渚が駆け寄り、総一の腕を掴んで引き止めた。流石にそれを振り払うわけにもいかず、総一は頭だけを渚に向け、……彼女の真剣な瞳に視線を逸らせなくなった。

「渚さん……?」

「…………ありがとう。頑張って、ね」

 暫し見つめあった後、薄く、儚げな笑みを浮かべ、渚はそう言った。
 一体何に対する「ありがとう」なのか総一は一瞬戸惑ったが、下手をすれば無事では済まない総一に今の内に感謝の意を述べておこうという考えなのだろう。

「ああ。……ありがとう」

 様々な意味を込めて礼を言い、総一は決して渚の方を見ずに部屋を出て、自分の携帯電話を取り出した。フラッシュを焚いて明かりを確保しながらさっきの場所へと駆け足で戻っていった。



 視覚が閉ざされているからなのか、黙って明かりのある方へ近寄る総一は自分の感覚が普段以上に過敏になっているのを感じていた。それに比例するように緊張も高まる。銃を握る右手が汗で滑りそうになり、一旦左手に持ち替えて右手を制服の裾で拭うが、今度はすぐに左手が熱くなってくる。
――落ち着け、冷静に。
 着々と近づきつつある光源には果たして誰がいるのだろうか。好戦的な人間同士が戦っているのなら辛くとも納得できるが、もしそこにいるのが葉月や優希だったのなら――。そうであって欲しくは無いと願うが、そこに彼女らがいるからこそ今こうして自分は危険に身を晒す覚悟を固めているんじゃないか。むしろ怪我さえしていないのならこれほど合流に適した機会は無いではないか。

 また銃声が聞こえた。
 明かりが洩れる半開きのドアを音をたてないように引き、中の様子を窺い見る。総一の位置から確認できたのは、階段にいた男達のひとり――手塚義光の姿だった。誰と対峙しているのかはわからないが、彼の銃口の先にいるのは総一の仲間の誰かであるかもしれない。たとえそうでなくともこのまま見過ごすわけにはいかなかった。
 隙間から手塚の足元に狙いを定め、威嚇のつもりで撃つ。こうすれば手塚が総一の方に視線を向けることはわかっていたので、すぐにドアを閉めた。続く銃声。だがこちらに向けて放たれたものではない。
 こちらを気にせず前の相手に撃ったのだろうか。いや、対峙している人間が手塚の隙をみて撃ったのかもしれない。ここにいるのが総一の仲間の誰でもないのなら、互いが殺意をもって撃ち合っていた可能性も高い。
 もしそうなら、自分の威嚇射撃は知らず男を死に導いたことになるのではないか。総一の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「そこにいるのは総一君なのか!?」

「葉月さん!」

 思わず勢いよくドアを開け、すぐに部屋へ飛び込んだ。階段周りのホールと同じくらいの広さがある部屋の中にいるのは葉月ひとりだった。手塚の姿は無い。
 総一は迷わず葉月に駆け寄った。

「あいつは?」

「君が撃ってすぐ、そこのドアから逃げていったよ。……総一君、落ち着いて聞いてくれ」

 総一がそのことを訊ねようとする前に葉月が遮る。

「…………優希ちゃんが――」



■■■■■■■■■■

『エクストラゲーム終了~! みんな、楽しんでくれたかな? もっとドンパチやってくれればいいのにさあ。だからノリの悪い人は嫌なんだよね。ま、これでひとり減ったんだから、ここからはもうちょっとマシになるよね、きっと。みんなもそろそろこんな茶番劇には飽きてきた頃なんじゃない? そんなことない? みんな無事の方がいい? ……そうだよね、口に出しては言えないし、認めたくも無いもんね。でもこうしている間にも賞金の額は着々と上がってるし、制限時間は迫ってくる。PDAとか首輪が必要な人はそれが減るのも困る。さあ諸君! 今こそ立ち上がれ! 輝かしい未来はすぐそこだぁ!』

■■■■■■■■■■



「葉月さん~! 無事で……本当に良かったぁ……」

 渚を待たせていた部屋に戻ると、半泣きになった渚が葉月を見て笑顔になった。電気が回復したことで渚の顔を見ることが出来るのが総一には嬉しかったが、自身の表情は硬いままだった。涙を拭いながら嬉しそうに声を漏らす渚を見て、総一も葉月も複雑な思いに駆られる。彼女が次にする質問が分かっていたからだ。笑顔の彼女が再び悲しみに暮れるであろうことは想像に難くない。

「それで優希ちゃんは~? もしかして~、安全なところに待たせてるの~?」

 彼女の笑顔が総一の心を抉る。総一が口を開こうとしたのを葉月が手で制する。これ以上少年に辛い思いをさせたくはないという、葉月なりの大人の責務だった。

「優希ちゃんが……攫われた」

「え……? 攫われたって……なんで……誰が……」

 渚の口から疑問が漏れる。死んだわけではないが無事ともいえない状況に悲しむよりも混乱の方が強かったらしい。

「……渚さん、落ち着いて聞いてくれ。順に話すから」

 総一もまだ詳細は聞いていない。どうせ話すなら渚と二人で聞いた方が手間が省けるし、何よりこれ以上の衝撃を受けた時にひとりだと耐えられる自信が無かった。



 誘拐犯達がこの“ゲーム”を本気で行っていることは間違いない。だからこそ殺人という手段に迷わず出ることが出来る。
 だが、もし誘拐犯達が誰も生かして帰す気が無かったら。

「大丈夫なんだろうなぁ、本当に……」

 ゲーム終了後、証拠を隠滅するために生存者を殺す可能性も考えてはいたが、それを疑ったところで手塚に定められた条件に従う以外の選択肢は無い。誘拐犯に一矢報いたいという気持ちもあるが、自分の命を天秤に掛ければ行動に移すことは出来なかった。目的はあくまでも自身の生存。生きて帰りさえすればその後はどうにでもなる。
 だからこそ、「勝ち残れば無事に帰ることが出来る」保証が欲しかった。

「どうも今日は調子が悪いぜ。……ま、今のところ女子供と腑抜けしか残ってないみたいだしな。厄介なのは高山か」

 手塚は高山が既に死んでいることを知らなかった。戦果こそ挙げてはいないがそれなりに考え方も合っていたし、なにより高山を敵に回したくはない。
 電気が点いたということは手塚の必要とするPDAのひとつが壊れたということで、あまり喜ばしいことではない。ひとまずは先んじて上階へ上がろうと階段を目指していた。

 手塚はその臭いを嗅ぐのは初めてだった。それでも高山から話は聞いていたので、余計な疑問は持たずに異様な臭いの正体を理解することが出来た。この臭いの元にPDAが無いであろうことはわかっていても、それを確認せずにはいられなかった。

「……明日は我が身、か。こうはなりたくないもんだ」

 正面から高熱の炎を浴びたのであろうその身体は、首と胴体が切り離されていた。ならばこの人間を殺したのは4のPDAを持つ人間だろうか。

「……ん? いや……」

 どうも腑に落ちない。死体がこのような状態になっているのは十中八九、首輪の作動が原因だろう。首輪が目的ならばわざわざ死体を壊す理由がない。ざっと見た感じでは火傷と首の切断以外の外傷はみられず、直接の死因は分からない。この階にはいくつもの銃があり、首を切断することのできる凶器もあるというのに何故わざわざ首輪を作動させたのか。あるとすれば4と10が共闘している場合だが。
 ここにいてもこれ以上の利益は望めないと判断し、手塚は吐き気を催しそうな臭いから逃れる為にもさっさと部屋を出て階段へ向かう。

「それにしてもさっきの死体、多分あのガキだよな。……あのくたびれたおっさんがやったのか?」



「――そして停電になってから、僕達は明かりの方じゃなくて、近くの部屋でじっとしていることにしたんだ。僕一人ならともかく優希ちゃんがいるからね。暫く二人で座っていたら……ひとつしかないドアが乱暴に開いた。明かりが無かったから、優希ちゃんにとっては相当恐ろしかっただろうと思うといたたまれない……」

「それで優希が連れて行かれた後、葉月さんはあの男――手塚に襲われたんですか?」

 高山から名前を聞いていたので、総一は葉月伝いに手塚の名前を知るに至った。

「ああ。暗闇で目が頼りにならなかったから誘拐した犯人を見た訳では無いが……」

 その時のことを思い出したのであろう、葉月の表情はますます暗くなった。

「でも、他の参加者が優希を攫う理由なんてない筈だし、……とにかく! 早く優希を探しに行きましょう!」

 いきり立ち、今すぐにでも部屋を出ようとする総一を押しとどめたのは葉月だった。

「心当たりはあるのかい? 焦る気持ちも分かるが、落ち着いて。その誘拐犯についてなんだが、……もしかしたら例の黒い男が犯人なんじゃないかと思うんだ」

 黒い男。高山を殺した、謎の兵隊のことだとすぐに理解した。目的もいまいち分からない連中だが、それでも一度形だけとはいえ優希と葉月を助けたことになる。

「じゃあ葉月さんは、そいつらが優希を助ける為に誘拐したと? 確かにそれなら安心ですけど」

 いまいち納得のいかない総一の表情は晴れない。当の本人の――優希の顔を見るまでは安心出来そうも無かった。
 葉月の言葉が総一を留める為の気休めに過ぎないこともわかっている。彼を責めるつもりは無くとも、これでもし優希が怪我でもしたらと思えば気が気ではない。

「優希ちゃんを助けてくれたなら~、私達もここから出してくれないかな~」

 優希のみを攫ったことを考えれば、黒い男が救助の人間でないことは確かだ。

「あの~。もしかしてこれ、使えるかしら~」

 渚がおずおずと見慣れた小箱をさし出した。

「それは……拡張ツール? 一体どこで……」

「電気が点いて総一くん達が戻って来るまでに食べ物を探しておこうと思って~。箱の中を探してたの~。あ、食べ物はあっちに集めてるよ~」

 渚の指さす先にはいくつかの携帯食料があった。頼りない人という印象が強い渚だが、いざという時には相当頭が回るらしい。

「渚さんは探し物が上手いな。勘が鋭いというか……」

「うふふ~。こ・れ・が! 女の勘ってやつよ~。朝のニュースでも獅子座が一位だったの~」

 彼女がニュースを見たのは昨日なのだから、今日の運勢とは関係ない。そもそも運が良いのに誘拐されるとはこれいかに。そう思っても総一はあえて口に出さなかった。
 葉月に手渡された拡張ツールが彼のPDAに差し込まれた。

「これは動くものを探知する機能が追加されるらしい。使うよ。これで優希ちゃんが見つかればいいんだが……」

 この階で動体センサーに映る影はひとつ。総一達三人は動いていないので映っていない。そのひとつは一度小部屋に立ち寄って、暫くしてから再び階段へ向かい始めた。

「これは誘拐犯か、手塚か……。この二人のうちどちらかはどこかで休憩しているんでしょうか」

 総一は葉月のPDAを見ながら言った。
 優希が攫われてすぐに襲ってきた手塚は誘拐犯の可能性は無い。だが高山亡き今、総一達にとっては彼が一番の危険人物といえた。






[28780] 十九話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/04/26 09:58

 動体センサーに反応した人物が四階に上がったのを見届けて、三人はその道程を辿った。一度誰かが通った後だとほぼ確実に罠が無いからである。三階には自分たち以外に動く者がなく、敵がいないとわかっていても三人の気が晴れることはなかった。

 葉月は優希が誘拐されたことに自責の念を感じながらも、あの状況ではどうしようもなかったのだという気持ちも強かった。葉月は決して無能な人間ではない。ただ、この非日常的な状況において人としてのモラルを守り続けていることが皮肉にも足枷になっていた。だが彼にはこの足枷を外すつもりは毛頭ない。その一線を越えてはいけないと自覚していた。

 先頭を歩いていた葉月は違和感に気づき、続く二人を制した。

「嫌な雰囲気だ。……ニオイが」

「ほんと~。なんか変なニオイですね~」

 違和感の正体が鼻からくるものだと判断し、改めてそのニオイを嗅ぐ。不快感を煽るそのニオイにいち早く反応したのは総一だった。

「これは、このニオイは……まさか!」

「想像したくもないが、多分」

 葉月もニオイの元を察したようで眉間に皺を寄せた。
 三階に電気が点いているということは、PDAが一台壊れたということだ。このゲームの性質から、奪った上で殺すということがあってもおかしくはない。

「廊下か、それともどこかの部屋か……」

 総一は道の先に並ぶドアをざっと見渡すが、どこも閉まっていてどの部屋が元なのかは分からない。時間が差し迫っている事も考えればいちいち見て回るのも大変だが、確認した方がいいのではないかとも思う。

「僕が確認するよ。ドアを開けるだけならそう時間もかからないだろうからね。いいかな」

 反論する者は無く、葉月達は手早くドアを開けながら階段へ向かって進んで行った。

 部屋の中をちらりと見るだけの杜撰な調べ方ではあったが、その部屋の異変は後ろを歩く総一達にも十分すぎるほど感じられた。肉が焦げる酷いニオイに、総一はデジャビュに近い感覚に囚われた。だが今回はそれに加えて、かろうじてそれと分かる血のニオイまで混じっており、眉間に寄る皺が更に増える。

「ぐ……」

 それでも総一は口を手で覆い、葉月の後ろから部屋の内部を覗き見ようと身を乗り出した。だがそれが叶う前に、気付いた葉月によって些か乱暴に突き飛ばされた。

「駄目だ総一君! 駄目だ!」

 今まで見たことが無いような勢いで凄まれ、総一は反論も出来ずに後ずさるを得なかった。

「じゃあ、やっぱり誰かが……」

 総一の背をさすりながら、紙のように白い顔をした渚が葉月に問いかけた。

「いいかい、この近くには他に誰もいない筈だ。すぐに確かめるから二人はここで待っているんだ」

「でも……」

 それでもなお食い下がろうとする総一だったが、か弱い力に引かれ顔をそちらへ向けた。総一の腕を掴み、泣き出しそうな顔で小さく首を横に振った。

「ダメよ。君はこれ以上、……背負っちゃダメ」

 総一が自身の力不足に心痛を感じているのを知っている渚は、彼に惨劇を見せまいとして腕を握る力を強めた。総一もそんな渚の心情を悟り、諦めたように肩の力を落とし、葉月に向き直った。

「お願いします」

「ああ」

 頷き、再び部屋の中を覗き込む葉月。その光景はあまりにも刺激が強く、たとえ成人男性であろうとそういった類のものに耐性の無い人間なら気分が悪くなるであろう状況だった。葉月は意を決して足を踏み入れた。
 部屋の隅に乱雑に倒れている塊は予想に違わず、人間のなれの果てであった。しかしそれが自分の意思で動いていた頃の名残は殆ど無く、大部分が燃え尽きた服の一部は熱により皮膚と区別がつかなくなっていた。そこにあるのは細く伸びる四肢と、それらを繋ぐ胴体のみ。残る一部分――離れていれば例外なく絶命が確認できるそれ――は、少し離れた場所にごろんと転がっていた。

「……」

――これを二人にどう説明すればいい?
 ただでさえ怖気立つような有様だというのに、……このような惨いことがあってもいいのだろうか。逃げ出したい気持ちを押さえて息を呑むと、葉月は転がる頭部が正面から見える位置に移動した。

「ひっ……」

 大の大人が出すにはあまりにも情けない声が口から洩れる。
 目に入ったのは、見知った顔では無かった。けれどもそれが葉月の知らない人間だという証明にはならなかった。真正面から残酷な道具に――恐らく館内にあるという警備システムによって害されたのであろうその存在は、顔と呼べる部分が焼け爛れ、かつての面影さえもわからない。
 口元を押さえながら目を逸らすと、首から下が視界に入った。うつ伏せに倒れ込んでいるのでよくは分からないが、地に伏せられた部分が顔と同じようにグロテスクな様相を呈しているのは想像に難くない。
 それに反して背面部分は火傷こそ広がっているものの、正面に比べれば遥かにましだと思えた。――僅かに残る服飾品が、見覚えのあるものでなければ。



「行こう。ここが侵入禁止になるまで時間が無い」

 中の様子について語ろうとしない葉月の態度に、総一と渚も追及を躊躇った。一階のこともあって、どのような光景が広がっているのかは総一の想像の範囲内だったが、それでもどうしても聞きたいことがあった。

「誰でしたか?」

 総一の把握している限り、このゲームの参加者は総一達三人の他に、優希、漆山、長沢、郷田、高山と組んでいた男――手塚、麗佳、麗佳と共闘しているというマクラ、既に死んだ一階の少女、高山、かりんを含めれば丁度十三人となる。ただ総一はかりんの死こそ知らなかったが、部屋の中で死んでいるのが誰か分かればそれは有力な情報となる。

「……誰かは、はっきりとは分からなかった」

「じゃあ例のマクラっていう人ですかね」

 現時点で総一達が面識がないのはマクラ――真倉真比留だけだった。葉月が分からなかったのなら、中で死んでいるのはその人物なのだろうと考え、少し安心した。不謹慎な話ではあるが、見知った顔よりは赤の他人の方がましだという思いは否定できない。
 葉月も同じ考えだろうと思っていたが、予想に反して言葉は返ってこなかった。

「葉月さん? 知らない人だったんですよね」

 眉間に皺を寄せる葉月に不安を煽られ、普段より強い口調になってしまった。そんな総一に気圧され少し口が開く葉月だったが、すぐに口を引き結んだ。

「そうとも、いえない」

 葉月は後ろ手でドアノブを掴むと、決してそこを開かせまいと体重を掛けてドアに凭れ掛かった。

「顔が判別できない状態だった。衣服も殆ど焼けていて、生前の名残は残っていない」

 葉月はこれ以上の追及を拒むようにはっきりと言った。だが葉月の態度に不審を感じた総一は、彼が嘘をついている気がしてならなかった。
――葉月さんは誰が死んでいるか、知っている。
――ならどうして隠している?
 総一の脳裏を最悪の予想が過ぎった。

「葉月さん、もしかして……そこにいるのは」

「総一君、悪いが君が先頭を歩いてくれないかな。他の参加者はこの階にはいないからね」

「葉月さん! 頼みます、中を見せて下さい!」

「君が見たところでどうにもならない!」

「焼死体なら一階でも見ました! だから――」

 総一の腕を、先程とはうって変わって強く、渚が掴んだ。

「落ち着いて。葉月さんの言う通り、見たって助かる訳じゃないわ。まだゲームは続くんだから、無理して全部を背負わない方がいいわ」

 渚の主張は尤もだった。元より皆が生き残ることは出来ないこのゲームで、全員の死を受け止めていてはいつかそれに耐えられなくなるというのは、そこまで至っていない総一でも理解していた。だが渚は総一がここまで部屋を見ようとする本当の理由に気付いているのだろうか。
 意を決して、総一はストレートに訊ねることにした。

「じゃあ葉月さん、これだけ教えてください。……中にいるのは、……優希、ですか」

「言っただろう。顔が判別できないと」

「顔だけじゃなくても、服とか……。……いえ、じゃあ、背丈はどうでしたか」

 優希の身体は他に小柄な長沢やかりんと比べても一回り小さい。総一が本当に知りたいのは、中にいるのが誰かではなく、……“優希か”、という一点に尽きた。
 葉月は渋い顔のまま黙りこくっていた。そんな彼の態度は総一の焦燥感を煽り、総一はずかずかとドアの方へ歩み寄った。ドアの前に立つ葉月など眼中にないというようにドアを開こうとするが、ドアノブが葉月に掴まれていた為そこで動きが止まった。
 二人は互いの主張を込めて暫し睨み合った。痺れを切らした総一の手が、ドアノブを掴む葉月の手を無理矢理にでも剥ぎ取ろうと動く。

「やめろ!」

 葉月が怒鳴るが総一も半ばやけになって、両手を使い一瞬だが葉月の手を払いのけることに成功した。このチャンスを逃すまいと素早くドアノブに手をかけ、ドアを開け放った。

「――ッ!!」

 葉月と渚が廊下から何かを叫んでいるが、自身の発する悲鳴によって、それらはすべてかき消された――。



「上には誰もいないみたいだ。いや、動体センサーだから息を潜めていれば映らないのか」

 葉月はおぼつかない手つきでPDAの画面に触れ、画面に映る光点の数を数えた。

「光点自体が大分少なくなっているな」

「それって、もしかして……」

 現在判明している以上に誰かが死んでいるのか、と訊ねようとしたが、横にいる総一を思い口を噤んだ。

「二日目も終盤だからね。流石にみんな疲れが出てきた頃合いなんだろう」

 葉月も渚の言わんとすることをすぐに理解し、総一を刺激しないように気をつけながら答えた。
 待ち伏せの危険は否めないが、この階が侵入禁止になるまであまり時間が無い。結果、葉月ひとりが四階の様子を確認し、総一と渚は下で待つことになった。ホールの隅で葉月を見送り、渚は壁に背を預けた。
 ちらと横目で総一を見る。今までの彼ならば、率先して葉月の代役を務めようとしただろう。だが今の総一には自分から話題を切り出す程の覇気はなかった。かろうじて自分の足で歩いてはいるものの、その目はどこか虚ろで、渚が彼の精神状態を危ぶむのも無理らしからぬ様相を呈していた。

「私達もそろそろゆっくり休憩しないとね~。階段の近くに戦闘禁止の場所があればいいんだけど~」

 総一の視線が自然に階段へ向く。相槌こそ無いが言葉が聞こえていない訳ではないらしい。
 葉月はすぐに階段を降りてきて、二人に合図を送った。

「大丈夫だ! 上がっておいで」

「さっ、総一くん。行こ」

 渚は総一と手を繋ぐと、階段へと進み始めた。総一はその手を拒まなかったが、それが彼女に対する行為からではないという事実が、渚には悲しかった。たとえ誰の手であっても総一は拒まず、引かれるがままに歩いていくのだろう。

 階段を上り終え再び四階へとたどり着いた一行は、どちらの方向へ進むかを話し合っていた。

「この辺にあったんですよ~、戦闘禁止エリア。でも遠いから~、行ってない場所を探した方がいいと思うんです~」

「むぅ……。しかしこっちに確実に戦闘禁止エリアがあるとも限らないし、罠の危険もある。階段もこっちの通路の方が近い」

 落とし穴の危険性は分断だけでなく、下階が侵入禁止になってしまえば落ちた時に確実に死んでしまうという点にもある。それを確実に避ける為に一度通った道を進んで、総一達が長沢を捕らえていた戦闘禁止エリアまで向かうというのが葉月の考えだった。

「そうですね~。たしかに危ないかもです~。でも~、そろそろ休みたいですよね~」

 渚自身に疲れが溜まり始めたのも事実だが、それ以上に心身共に疲れ切った総一を早く休ませてやりたいという思いが強かった。そこは葉月も同じらしく、暫く顎に手を当てて唸っていた。

「危険かもしれないけれど、僕達には動体センサーもあるから、途中の部屋で休んでもいいかもしれないね」

「俺はまだ大丈夫です。早く上へ行きましょう」

そんな気遣いに薄々感づいていた総一は、二人の会話を止めるようにはっきりと言った。

「しかし総一君」

「こうやって時間に追い立てられるよりも、少し無理をしてでも早々に六階に上がって休んだ方がいいと思うんです。また待ち伏せをされたら今度こそ困りますよ」

「私、疲れちゃったよ~。ね、休もう?」

 それが決して彼女自身の為ではないと分かっていても、渚にそう言われると総一も言葉に詰まる。

「……それじゃあ、俺は葉月さんの提案に賛成します。流石に別の方向へ行くのは危険ですから」

 自分の意見を口に出来る程度には立ち直っているようではあるが、総一の言葉の端々には明らかに諦観の色が見て取れた。

 無事に目的とする戦闘禁止エリアまで辿り着いた頃、PDAが三階への侵入禁止を告げた。






[28780] 二十話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/05/18 21:15

――久しぶりに独りになった。

 戦闘禁止エリアでの休息が一人づつ順番に、となったのは、やはり総一に心の整理をさせようという二人の心遣いだったのだろう。あるいは、今後の方針を二人で――総一を除いて話し合う為というのもあるのかも知れない。総一としては不本意極まりなかったが、頑として譲らない二人に気圧され、こうしてベッドのある休憩室へと追いやられることとなった。

 部屋の内装は総一が目覚めた部屋によく似ていた。こちらの方が広いだろうが、ベッドが二つ置かれているせいでそれを感じさせなかった。目覚めてから別の人間と――郷田と出会うまではひたすら廊下を歩き続け、部屋を調べる際もドアを開けるだけだったので、スタート地点であった部屋に不思議と安心感を覚えていた。

 見知らぬ場所で目覚めて、誘拐の可能性が高かったとはいえ、それでもまだこんな事態になるとは想像もしていなかった時。いきなり非日常的な状況に置かれたにも関わらず、総一はそんな空間をあっさり受け入れていた。不思議に思わなかった訳では無いが、それでもまあ、どうにかなるだろうという楽天的な気持ちで広い建物の中を彷徨うことが出来た。
 何故不安を感じなかったかと聞かれると、それが御剣総一の性格であるとは一概には言い切れない。多分、あの頃はまだ、これが現実だと完全に受け入れていなかったのだろう。果ても分からぬ灰色の道を進んでいれば、そのうち夢は覚めて、自室のベッドで汗をかいて飛び起きる。どれだけ現実味があるように思えても、起きてしまえば「ああ、あれは確かに夢だったな」と思えてしまうものなのだ。

――じゃあ、今は?
 今この場所が現実では無く夢なのだと割り切れば、きっと自分の心は軽くなるかもしれない。なにせこんなに現実離れした世界だ、そう思い込むのは容易い。
 もしかすると殺人を選んだ他の参加者達は、そう考えることで気を紛らしているのではないだろうか。人を人と思えばこそ、殺人という行為に歯止めがかかる。自分が映画の登場人物のひとりに過ぎないのなら、他のキャストを殺してもそれは、ただ物語の一場面としかならない。
 ……そう思い込み、受け入れることが出来れば、御剣総一の心はどれだけ軽くなったことだろう。身を守る為に殺人さえ辞さない覚悟があれば、どれだけ強くいられただろう。だが結局、総一はそう割り切ることは出来ないのだ。……たとえその想いが邪魔にしかならないとしても。

――“ズルをするな”、か。
 殺人に対して理由付けをしようと思えば、いくらでも出来る。特にこの場所では法律という縛りも無く、殺める為に用意された道具がその辺に転がっている。いつ、誰が裏切るか分からないから、生きる為に――殺す。そう言い訳が出来るからこそ、総一は殺人を絶対に選ぶまいとしていた。そうしなければ目的を達することは出来ない。“ズルをしない”ことが――彼女を裏切ることが、出来ない。

 だからといって現状に甘えていては、自分に信頼を寄せてくれた葉月や渚まで守れなくなってしまう。今考えるべきは、二人の厚意に報い、無事に陽の当たる日常へ帰すこと。

――“……お兄ちゃん達がわたしをここに連れてきたの?”

 ……だから。

――“わたしカップラーメン食べるの初めて!”

 …………だから。

――“わたしは……今の……優しいお兄ちゃんが好きだから……”

 ………………だから。

――“わたしもお姫様になってみたいな! それで、白馬に乗った王子様が現れてっ!”

「忘れられる訳、ないだろ……」

 大切な人と同じ名を持つ彼女を守ることこそ、罪滅ぼしになると信じていた。だが残酷な運命は二人を引き離し、守る機会さえ与えず、ひとりの少女の命を奪ってしまった。その事実に総一は悔恨の情を抱かずにはいられない。
 ……だがしかし。それ以外の感情が胸を締め付けていることを総一は認めたくなかった。認めてしまえば、自分の信じていたものが砕けてしまうような気がして、目を逸らした。あるいは自身もその根源が一体何なのか知らなかったのかも知れない。

 きぃ、と、扉の開く音が聞こえた。

「まだ寝てなかったんだね~」

「渚さん?」

 顔だけを出すようにして、渚がこちらを覗いていた。

「眠れない~?」

「いや、ちょっと考え事をしてただけだ。疲れてるしすぐに寝るよ」

「それならいいんだけど~。ちゃんと休まないと駄目よ~」

「分かってる。残り一日、睡眠が摂れるのはこれが最後になるかもしれないもんな」

「あと一日で……終わるのね~」

 渚がゲームの終わりを……日常への生還を望むのは当然だ。彼女にこの陰惨なゲームは負担が大きすぎる。彼女を守り抜き、日の当たる場所へ帰してやらなければ。
 渚の言葉は総一の意思をより強くしたが、同時に少しだけ苦みもあった。
――どうしてそんなに普段通りでいられる?
 彼女のマイペースな言動は非日常の中にあって日常を思い出させてくれるものであり、戦いを望まない者にとって心の支えでもあった。だが今の総一はそれを有難く受け入れることが出来ない。彼女はあれほど仲の良かった色条優希という少女の死になんの感傷も受けていないというのだろうか。

 ……違う。彼女はそんな薄情な人間ではない。……多分、自分がこんな腑抜けた状態だからこそ気丈に振る舞っているのだ。本当は泣きたいであろうに、年少の総一を気遣っているに違いない。しっかり睡眠を摂っているのかわざわざ確かめに来てくれたのはそんな心の現れ。感謝こそすれ非難する謂れはない。

「渚さん。……ありがとう」

 ただ一言、そう告げた。

「……どういたしまして~」

 総一の伝えたいことを察した渚は返事を返し、すぐに部屋から出ていった。



 朝七時、自然と目が覚めてしまう。それでもベッドから出ないのは、彼女が起こしに来るのを待っているから。朝の始まりはいつも布団の引っ張り合いから始まった。

――まだ、後五分! お慈悲をぉ!

『そんなこと言って、五分経ったらまた同じ事言うんでしょ! いいから起きなさい!』

 本当は彼女が部屋を訪れる数分前には目を覚ましていたけれど、黙っていた。尻に敷かれてると周りから言われても、そんなやり取りをするのが嫌いでは無かったし、……本当は構ってもらいたかっただけなのかも知れない。
 だがいつまで経っても布団を引かれることは無く、気がつけば七時半になっていた。流石にこれ以上寝転んでいては遅刻してしまうので、重い身体を起こし、学校へ行く準備を始める。

 あっという間に学校へ着いたと感じるのは、ひとり黙って歩いていたからだろう。周りには沢山の学生が歩いているのに彼らのざわめきは耳に入って来ない。気がつけば教室の、自分の席に座っている。元々彼女のクラスは別なのだから昼休みまでは以前と何ら変わりない時間が過ぎていた筈なのに、教師の言葉さえ耳から抜けていく。これではいけないと思い必死で耳を傾け、黒板をノートに写すが、その内容はすぐに頭の中から消えていった。
 味のしない弁当を胃に納めれば、午後の授業はすぐに始まった。

 放課後、所属している卓球部へ顔を出し、基礎訓練の後チームメイトとの練習試合を行う。集中力を使うので、好きな卓球をしていれば一時の間彼女のことを忘れることが出来た。結果は敗北だったが、あまり点差は無く、いいゲームになった。

 友人の遊びの誘いをやんわりと断り、帰路へつく。事故現場を避けて通っている為、前と比べれば家に帰り着くのに少々時間が掛かるが、それは苦にならなかった。

――少し近寄るくらいなら。

 あれ以来、一度も足を運んでいない、……事故現場。恐らくそこには彼女の家族によって今でも花が供えられているのだろう。その中に一本、俺が用意した花を添えることが出来たなら……。そうは思っても、足は自然と遠ざかってしまう。

 ……ほら。気付いたら住み慣れた我が家のドアの前。家へ入り、階段を上がって自分の部屋に向かおうとすると、一階の奥から足音が聞こえてきた。俺が帰宅する頃には既に母が家で待っていた。促されるまま手を洗い、まっすぐに部屋へ向かう。今の俺にとっての安息地は自室だけだった。

 彼女が消えたところで周りは何も変わらない。俺の心の中には笑みを浮かべる彼女の姿が色鮮やかに残っているが、俺自身の時間はゆっくりと進み、少しずつ変わっていく。

 変わらないことが辛かった。
 変わることが辛かった。

 ……俺は……。



「次は渚さんが休むといい。僕はまだ余裕があるからね」

 怪我を負っている上に今までずっと年長者として気を張ってきた葉月に余裕などある訳も無いとわかっていても、その提案をはね除けることは出来なかった。

「すみません葉月さん。俺、迷惑かけてばっかりで」

 渚が部屋に入るのを見届け、総一は渚が用意していた料理を口にしながら話し始めた。これまで散々動き回った割に殆ど食事を摂っていなかったこともあって箸が止まることはなかった。休憩にそう時間をかけていられないということで、葉月と渚は先に食べ終えてしまったらしい。

「それを言ってはいけないよ。こんな場所で落ち込めばきりがない。それぞれが自分達に出来る全力を尽くす……そうしなければ、とてもじゃないが耐えられないだろう。……僕も含めてね」

「……はい」

 辛いのは自分だけではない。渚も、葉月も、優希の死に責任を感じている。犠牲になったのが仲間内で一番幼い少女だったことで余計に罪悪感を抱いてしまう。

「そういえば」

 沈んだ空気を打ち消そうと葉月が少し明るい声で話を切り出した。

「美味しいだろう、それ。渚さんは料理に拘りがあるそうでね。帰ったら、是非とも君に食べてもらいたいと言っていたよ。ちゃんとした食材を揃えての料理をね」

「俺に、ですか? 葉月さんじゃなくて?」

「勿論僕にも御馳走してくれるようだけど、彼女の話しぶりからすると君が主役に間違いない。もてる男は辛いね」

 からかうように笑う葉月。無理にでも話題を明るい方へ持っていこうという意図を読み取り、総一もそれに便乗した。

「もてるって、そんな。でも料理が上手いのは意外だな。渚さんのことだから砂糖と塩をうっかり間違えたりとかしそうだと思ってました。……うん。やっぱり美味しい」

「はは、確かにそんなイメージがあるなぁ。でも渚さんはああ見えてしっかりしている人だと思うよ。可愛らしいけれど強か、きっといいお嫁さんになるだろうね」

「仕事帰りにあんな人が待っててくれたら疲れも吹き飛んじゃいますね」

「そうだね。家に帰った時に家族が出迎えてくれるのは、やっぱり嬉しいものだよ。総一君の両親は共働きかい?」

 愛する家族を思い浮かべた葉月は、待つ側であろう総一に訊ねた。

「はい。最近は母さんの方が帰りが早くなりましたけど、前は俺が一番最初に家に帰り着いてました。葉月さんの奥さんはどうですか?」

「家内は専業主婦だよ。少ない給料で家計を切り盛りする辺りは、素直に尊敬してる。僕がしているのは朝のゴミ捨てぐらいで、殆ど全部妻に任せっきりで……まぁそれが彼女の仕事といえばそれまでだけど、正直、僕だったら一日で倒れるだろうね」

 葉月はどこか遠い目をして言葉を続けた。

「でも逆に、僕がちゃんと稼がないと我が家は成り立たない。……妻の為にも、娘の為にも……」

 家族の為に生きて帰りたい。そして、自分の為に……家族の元へ戻る為に、生きて帰りたい。だがそれだけでは駄目だ。

「僕じゃあ頼りないかも知れないけど、きっと君達を、家族の元へ帰す。君のご両親も心配しているだろうからね」

 そう口にして、言葉を選ぶべきだったと気づく。この言い方では総一に余計な不安を与えてしまったのではなかろうか。総一の表情を確認しようとするが、俯いてしまい、失言を更に後悔した。やはり家族を思い出させるのは悪かったと考え謝罪をしようとした時、遮るように総一が口を開いた。

「大丈夫ですよ、……きっと」

「……そうだね。……帰ろう、絶対に」



 渚が起床するとようやく葉月が休む番になり、再び渚と二人になった。こうして綺麗に掃除された場所で一服していると、今までのことがすべて嘘のように感じた。 それほどまでに穏やかな時間が過ごせるのは、恐らくこれが最後。残り一日に休息を取る暇などないと思った方がいい。

「料理、おいしかったよ。ありがとう」

「どういたしまして~。お粗末様でした~」

「料理が得意って聞いたけど、どんな料理が一番得意なんだい?」

「そうね~……。余り物を使った節約料理かしら~。有る材料だけで作るから~、これが結構難しいのよ~。時々失敗しちゃうけど、それもまた醍醐味なの~」

 葉月が言った通りこの話題は渚にとって喜ばしいものらしく、本当に楽しそうに自分の拘りを語ってくれた。普段台所に立たない総一にはいまいちピンと来ない内容もあったが渚の笑顔を見ているだけで和んでいられた。
 女性の話は長いという通説通り、二人の休憩時間は殆どが渚の料理の話で終わった。

「総一くんも料理の練習くらいしなきゃ~。た・だ・し! 女の子より少し下手なくらいでね~!」



 本当は武器を確保しておきたいところだったが、三階が侵入禁止になった時間を考えればゆっくりはしていられなかった。各々が九十分ずつ休み、現在は五十時間になろうかというところだ。この階が侵入禁止になるまであと四時間……と分かったのは、葉月が持っていた高山のPDAに残り時間を知らせる機能が追加されていたからだった。他に現在位置が投影される機能もあったが、これは渚のものと同じであまり役に立ちそうになかった。
 総一達が休息を取った戦闘禁止エリアから五階への階段はそう離れていない。普通に歩いて二時間程度、急げばそれより早く着くだろう。
 武器は戦闘禁止エリアに置かれていたものだけにして、総一達は多少急ぎ足で五階へと向かった。罠の危険はどうしようもなかったが、幸いなことにそれで足を取られることはなかった。

「なんか、嘘みたいにあっさりしてるな」

 最後尾を歩いていた総一は呟いた。あのエクストラゲームで時間を取られたのは総一達だけではない。他の参加者も六階への移動を最優先にしたと考えるのが妥当だろう。
 睡眠を摂ったお陰で少し落ち着いた総一は周りを見る余裕を取り戻していた。時折葉月が動体センサーで確認していたが、バッテリーの残量が半分に近づいてきたので暫くは控えようということになっていた。最後に確認した時、六階にひとつ、五階に四つの光点が映っていた。生存者の数と照らし合わせればひとつ足りない。それが気がかりではあったけれど、今の総一達に迷っている暇は無かった。

「無事に着いて良かった。待ち伏せが無ければいいけど」

 葉月は安堵の息を漏らし、しかし油断せずに階段の上を調べた。総一は自分が確かめると無理に前に出ようとしたが葉月はそれを許しはしなかった。一応動体センサーでも確認し、階段が安全だと判断するとすぐに二人を呼んだ。

「二人とも、ここからは慎重に。さっきの動体センサーには三つの反応があった。誰かが六階へ上がったようだ。……漆山さんとも合流出来ればいいんだが」

 総一達には生存者数を確認する術が無いので、もし誰かが新たに死んでもわからない。他の参加者の殆どが敵に回った今、単独行動の漆山が生き残れる可能性は低い。もう死んでいるのではないかと思った総一だったが、いくら好かない相手だからといってそれは不謹慎が過ぎるだろうと反省した。

「武器は~、今のままでいいんでしょうか~」

「今後の事も考えて、弾は補充しておきたいな。銃の大きさがそれぞれ違うから、やはり違うものを入れないといけないんだろうね」

 四階の戦闘禁止エリアで見つけたのは大型拳銃と日本刀のみだった。総一も大型拳銃を持っていたが弾が残り少ないこともあり、弾だけを抜いて銃を替えた。両方とも同じ形状の銃だったので予備の銃弾が出来たことは幸いだった。
 一方それより一回り小さい葉月の銃は扱い易く気に入っているが、威力は若干不安が残る。加えて弾の残量も少ないので新たに新調したいところではあった。

 彼らは知らないが、ここに配置された武器の中に予備の銃弾は少ししか無い。素人には装填さえもそう簡単な作業ではないので、武器は使い捨てること前提で用意されていた。

「バッテリーの残量が気になるが仕方ない。逐一確かめながら進もう」

「大丈夫なんでしょうか。だってもう、半分近く減っているんでしょう」

 PDAのバッテリーが切れてしまえば首輪を外すことが不可能となり、それは即ち死と同意義でもある。無論、PDAを使わずに首輪を外す方法があればいいのだが、そんなものがあれば苦労は無い。

「あの~」

 渚がおずおずと手を挙げて話に入ってきた。

「私のPDAサーチを使えばいいんじゃないでしょうか~」

「あ、そうか。それもあったんだったな」

 動体センサーを手に入れてからはそっちが中心になっていたので失念していたが、PDAサーチも相手の行動を把握する為の機能だ。人間の位置が分かる訳では無いのがネックであっても命綱となるPDAを持っていない人間はいない筈だ。
――まあ、俺はPDA無いんだけど。
 だがしかし、長沢が総一のPDAを持っているなら、ふたつの光点が集まる場所に長沢がいるということになる。

「渚さん、ちょっとPDAサーチを起動してもらってもいいかな」

「そうね~。私の方はバッテリーまだ大丈夫だから~、葉月さんのはとっときましょう~」

 流石にもう慣れたのだろう、渚の操作はスムーズだ。渚は総一にPDAを渡した。

「えっと……六階にはやっぱり二つ、五階は俺達以外に四つ」

 六階の二つは大分離れていたが、五階にある四つのうち三つは固まっていた。一人が三つ持っているのか、それとも二人組なのか。
 二人組だったら麗佳と真比留の筈だが、総一のPDAを持っているのは長沢だ。相手のいる位置が分かってもその内訳は分からなかった。

「ここから真っ直ぐ六階へ行くとなると、どうしても接触は避けられないな。だからといって回り道をする時間があるかどうか……」

「あと十一時間くらいは余裕があるけど、出来れば早めに上に上がりたいね。ここまで来ると六階への階段での待ち伏せの危険は高いと思う」

「とりあえず武器を探しませんか? 葉月さんの銃も残りが少ないし、階が変わったから武器にも変化が出たんじゃないでしょうか」

 どのような武器が配置されているのか知れば、それだけ対策も取りやすくなる。近くには他の参加者は居ないようなので、総一達は途中の部屋を適当に選んでそこへ入った。

 部屋の内観は今までの階とそう変わらない。ただ、中身に関しては今までと比べ天と地ほどの差があった。

「マシンガンにチェーンソー……冗談みたいだな。こんなもので一体何をしろって言うんだ」

 今までの武器と比べ威力こそは桁違いだが、その分持ち歩くにはリスクが大きすぎる武器が殆どだった。逆に最初の頃にあった殺傷力の低い武器はなく、食糧も保存食が数個あるだけ。

「よっぽど順調に進むんでもなければこの辺りに来るのは最後の方になるから、食糧はあまり必要ないってことなんだろうかね……」

 葉月は保存食を渚に渡しながらため息をつく。流石にそれらの武器に手をつける気にもならず、二丁あった拳銃を持っていくことにした。負傷している葉月にとって反動の大きい大型拳銃は厳しいので、扱い易い拳銃があるのは有難いことだった。

「あの~、葉月さん~」

「ん?」

 渚が葉月の肩をとんとんと叩いて声を掛けた。振り向いた葉月は、彼女の様子が普段と違うことに気付く。渚は葉月の目を見据え、真剣な態度で向かい合った。

「それを私に持たせて貰えないでしょうか~」

 渚が指さしたのは――葉月が手にしている拳銃だった。その言葉に真っ先に反応したのは総一だった。

「渚さん!? 一体何を言ってるんだ!」

 激昂する総一にも怯むことなく、渚はもう一度葉月に懇願した。

「お願いします。それを……銃を、持たせて下さい」

「……これを持つということがどういう意味か、分かっているんだね」

 渚は視線を外さずゆっくり頷いた。葉月は眉間に皺を寄せ、深くため息をつくと、一丁の銃を渚に差し出した。

「ありがとうございます」

「ちょっと葉月さん! どういうつもりですか! 渚さんに銃を持たせるなんて!」

 葉月の行動が信じられず、総一は声を荒立てて抗議した。よりにもよってこんなに血生臭いことから縁遠い渚に人殺しの道具を持たせるなど言語道断。彼女は守られる側の人間だ。

「身を守る為にも銃は必要だ。それに僕や総一君だって銃を携帯してる。渚さん一人だけ何もないんじゃそれこそ危険だよ」

「それとこれとは話が違うでしょう! 俺達が銃を持つのはあくまで守る為なんですから」

「同じよ~。私も自分の身を守る為に、銃を持ったんだから~」

 渚の言葉に総一は何も言えなかった。確かに渚のいうことは正しい。こんな状況だ、恐らく他の参加者――特に敵に回った連中は積極的にこの殺人武器を使って来るだろう。その時に渚が何も持たないのでは格好の獲物とされてしまう。攻撃が目的でないのなら護身用に武器を携帯するのはむしろ当然だといえた。
 ただ……総一の個人的な感情でそれを拒もうとしているだけだ。渚にこのような物騒な物を持ってほしくは無い、今まで通り自分達の支えとして活躍してほしいという、勝手な理想。
 だからこれ以上言葉は続かない。正論を以て渚を諌めることは不可能なのだから。

「いいかな、総一君。そろそろ移動を始めよう」

 葉月に促され、未だ心にしこりを残しながらも部屋を出るしかなかった。



[28780] 二十一話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/05/24 08:49

 明確な脅威が迫ると自分でも信じられない程の力が出るのが人間というもので、それは俗に火事場の馬鹿力と呼ばれる。今漆山は身をもってそれを体感していた。寄る年波にも勝てず、長年の酒と煙草に染まった身体でありながら追手からの攻撃を悉く躱すことが出来るのは運が良かったの一言に尽きた。

「止まれよオッサン! 死ね! 死ね!」

 苛立ちを隠そうともしない少年の声はもはや耳に残らず、漆山が意識しているのは目的も無く走り続けることのみだった。

 三階ではぐれた漆山は道中で葉月達と合流出来ることを期待しながら上階へ向かっていた。一緒に居ればその一挙一動に悪態をつきながら、ひとりになれば言いようもない不安に押しつぶされそうになる。それまでずっと誰かと行動を共にしていただけに孤独を強く感じてしまう。
 外の世界でなら邪険に扱われても、疎外されても、そこまで気にする必要は無かった。むしろ馬鹿みたいに群れて馴れ合って盛り上がる若者達を逆に馬鹿にして、自分はひとりでも十分生きていけるのだと胸を張ることが出来た。結婚など人生を束縛する煩わしいものでしか無く、女が欲しければ風俗店に行けばいい。誰も居ない家に帰ったところで孤独を感じることも無かった。日々の細かいことに苛立ちを感じることも常だったが、漆山権造にしてみれば総じて良い人生だといえるものだった。
 ……それなのに。
――どうして俺がこんな目に遭わにゃならんのだ!
 味方に会ったらとりあえず文句のひとつでも言ってやろうと八つ当たりを考えていた漆山。だが何故だか味方は勿論、他の参加者とも一向に遭遇することが無かった。まさか自分は見捨てられたのでは……とも考えたが、不愉快だったのでその考えを打ち切った。合流出来ないのはきっと運が悪いだけなのだ。

 とにかく上へ上がろうと休むことなく四階を素通りして、漆山は早々に五階へ着いた。それがいけなかったのか、階段を上り終えた頃にはすっかり体力が落ちてきていた。とりあえず休めそうな場所を探そうと辺りを見回すと、通路のひとつから人影がふらりと出てくるのが見え、漆山は身構えた。一階で会った少年――長沢勇治だ。
 いかにも弱そうな子供が出てきたことに拍子抜けした漆山は、自身の解除条件を満たす為に必要なJOKERのことを思い出し、訊ねようとしたが――。

「ひっ」

 長沢の手に握られた銃を目にして上擦った声が漏れた。

「やあ、おっさん。生きてたんだ」

 にやにやと楽しそうに笑う長沢に思わず一歩後退する。漆山の脳内に蘇るのは、二階で長沢と同じくらいの年齢の少女に殺されかかった時のこと。あの時はクロスボウだが今回は銃。どちらがより危険かはいうまでもない。
 その時の経験のお陰だろうか、漆山が逃走を決めるのは驚くほど早かった。

「あっ、こら待て! 畜生!」

 一歩遅れて長沢は漆山を追い、その背に向けて迷わず引鉄を引く。だが走りながらではやはり命中率が低く、銃弾はひとつとして漆山に当たりはしなかった。

 ひたすら逃げ続けた。対する長沢も日頃の運動不足が祟って徐々に体力が落ちてきて、それでも今度こそ獲物を仕留めようと躍起になっていた。
 一つ目の銃が弾切れになると長沢はそれを道の途中に捨て、用意していた別の銃に持ち替えた。碌に狙いも定めない撃ち方でも量で攻めたのが幸いしたのか、銃弾の一発が漆山の身体に命中した。

「うがああぁぁあ!!」

 足がもつれ、悲鳴をあげながら漆山は勢いよく転倒した。当てた本人も驚いたのか慌てて速度を落とし、息を切らせながら笑みを一層深いものにする。

「はぁ、はぁ……。……へっ! ざまあみやがれ!」

 猶も叫びながら転げり回る漆山を嘲笑しながら長沢は勝利の余韻に浸っていた。いかにも自分を馬鹿にしそうな、怒鳴り散らすしか能のない大人。漆山はまさにそんな存在だと認識されていた。

「安心しろよ、他の連中もちゃんとあの世に送ってやるからさぁ!」

 そんな余裕を吹き飛ばしたのは、前触れも無く長沢に向かって放たれた銃弾だった。長沢に当たることは無かったが傍に被弾し、音だけがはっきりと耳に入った。

「……へ?」

 何が起こったのか理解できず一瞬呆けるが、すぐにそれが自分の背後からの攻撃だと気づき、思わず振り返った。



 先頭を歩くのは葉月、その後ろに総一と渚が並んでいる。
 いくら目を逸らそうとしても、どうしても総一の視線は隣を歩く渚へ向いてしまう。渚の服には銃を差すのに適したベルトのようなものが無いので、銃は食料と一緒に鞄の中に納められた。見える位置に無いのがまだ救いだ。
 女性は戦うな、などと言うつもりは無いが、それでも総一にとって心苦しい光景であることは紛れもない事実だった。

「もし六階に待ち伏せがなければ、僕らが先に待ち伏せをしておこう。まだ下の階に残っている人がいるから、その人達と交渉をしたいと思ってる。漆山さんと、……君が言ってた郷田さんという人なら話が通じるだろうしね」

「JOKERが問題ですね、やっぱり。漆山さんにしても葉月さんにしても必要になるし、PDAを集める条件の人も探しているでしょうから」

 葉月の持つ2のPDAにはJOKERの偽装を解除する機能がついているが、範囲が半径二メートルしかないので遠くにあれば意味は無い。

「もし既に壊れていたら、僕の解除条件は満たされたことになるんだろうか」

 葉月がPDAを見ながら呟いた。

「え? そりゃあ、なるんじゃないですか?」

「この文脈だと自分が壊さないといけないのか、それとも誰かが壊しても有効なのか、ちょっとわかりにくいな」

 PDAに記載されているのは、『JOKERのPDAの破壊。またPDAの特殊効果で半径1m以内ではJOKERの偽装機能は無効化されて初期化される』という条件だけだ。葉月が直接壊さずとも有効だと信じたいが、その賭けをするのはあまりにも危険だった。

「6の方には他人が行ってもいいと明記されていたから、尚更に不安なんだ。どうもこの解除条件は説明不足な気がするよ。そうやって騙そうとしているのかも知れないけれど」

「あのスミスとかいうのが説明してくれれば少しは好感が……持てないか」

 情報を得たとしても代わりにストレスをもたらしてくれそうなカボチャの怪人を思い出し、誘拐犯側が自分達に温情を加える理由などないと諦めるしかなかった。

「それでも僕はまだ可能性があるからいいんだ。問題は総一君だよ。どうにかPDAを取り戻さないと。……それに、どうやって首輪を外すかの問題も残ってる」

 たとえPDAが戻ったとしてもQを持つ人間を殺さなければ総一の首輪は外れない。

「無理矢理壊せないかな~」

「失敗したら作動するだろうし、なにより首輪が細いから首の血管を傷つけてしまうかもしれない。総一君、君はどう考えているんだい?」

 最悪の場合渚の言うように力づくに頼るしかないが、そのリスクを背負うのは他でもない総一自身だ。葉月は自分の安易な言葉で選択の幅を縮めぬよう注意した。

「……一応、考えはあります。かなり危険で反論されそうなので今はまだ言えませんが」

「そうか。だけどやっぱり安全に外せる方法が見つかればそれに越したことはないからね。時間の許す限り探してみよう」

 警戒を怠らない速度で進んでいると、何度目かになる電子音が四階の侵入禁止を告げた。

「残り九時間……じゃあやっぱり法則性があったのか。もっと早くに気付いていれば良かったんだが」

 侵入禁止エリアについては一階が侵入禁止になる時間から推察出来ない事も無いが、それを盲信するのは危険な上に、実際ゲームの中にいてはそこまで頭が回らないこともある。

「他の人とは話し合いでどうにかならないでしょうか~。ほら~、あの男の人~。10だって言ってませんでした~?」

「手塚という男か。高山さんの話ではそうらしいね」

 高山が死の間際必死になってそれを教えてくれた。話し合いで解決できるならそれに越したことはないと思ったからこそ、高山はあそこまでして情報をくれたのではないか……勝手な妄想だとわかってはいるが、葉月は高山を好意的に解釈したいと思っていた。

「まあ、出来ればそうしたいところだね。ただこちらにはPDAが三台しかないから説得力は欠けるが」

「すいません、俺が……」

「謝るのは無しだって言ったろう、総一君。それに二度襲われている以上そう簡単にはいかないよ。……ただ、話が通じることを祈りたいだけだ」

 そう言いつつも葉月は手塚と話し合いで済むとは思っていなかった。襲われたことも勿論だが、手塚の身に纏う雰囲気が、彼が堅気の人間ではないと物語っているように感じられたからだ。実際には触れたことが無いが、よくドラマなどに出てくる裏の社会……そういった世界で生きている人間だろう。

「……総一君、君はどう思う? その、……彼を助けたいと思うかい?」

「彼って……手塚をですか?」

「ああ」

 総一は返答に窮した。階段で襲われた時のことや風貌から、良い印象を受けないのは確かだ。……しかし、それでも。

「やっぱり、誰であっても死んで欲しくは無いのが本音です。だって、もしこんな場所に連れて来られなければ殺人に手を染めようとしなかっただろうから。手塚も、長沢も、他の人達も、……みんな生き残りたい一心なんだ。だから怨むべきは誘拐犯であってみんな被害者なんだって思えば、心の底から憎んだりは出来ない」

 こうして言葉にしてみると、自分達の争いがどれだけ不毛なものなのか身に染みる。一般市民を拉致し半強制的に殺し合いをさせるような連中の掌の上で踊らされるしかない現実がどうしようもなく辛かった。

「多分大規模な犯罪組織が関わっているんだろうな。ここから出た後、告発出来ればいいんだが」

 一階ホールにあった正面シャッターの様子からこのゲームが幾度となく繰り返されているものだと聞いていた葉月は、誘拐犯達を法で裁くことが難しいだろうと理解していた。生存した人間が皆口を噤んだとは考えにくい。強い圧力によってゲームが黙殺されているのはほぼ間違いないだろう。
 ゲームをクリアしても生かして帰すつもりは無いということも考えられたが、それを言い出せばきりがない上に憂鬱になるであろうことは明白だったので、心の中に留めておくだけにした。



 階段へと辿り着き、前のように葉月が六階の安全を確かめようと向かう。

「ちょっと待ってください、葉月さん」

 総一はそれを呼び止めた。

「俺も一緒に――」

「駄目だ、君はそこで待っていてくれ」

「嫌です」

 きっぱりと言い切った総一に葉月は戸惑いを隠せない。総一は葉月が何かを言う前に言葉を続けた。

「もうこれ以上、誰かに頼り切るのは嫌なんです。いくら安全だからといって行動しなかったら、……それでもし、葉月さんに何かあったら俺は自分を許せなくなる」

「葉月さん~。私も総一くんに賛成です~」

 渚までもが総一に同意するものだから、葉月も無理に言い返すことは出来なくなった。

「葉月さんも私達に何かあったら嫌ですよね~? それは私達だって同じなんです~。葉月さんのこと、大好きですから~」

 そう言って微笑む渚につられ、総一も葉月に自分の気持ちを伝えようと笑いかける。その瞳は彼の意思の強さを感じさせるものだった。
 暫しの沈黙の後、葉月は諦めてため息をつく。しかしそれは負の感情を感じさせるものではない。少しだけ嬉しさを含んだため息だった。

「……そうだね。僕達の立場は対等。だからこそ手を取り合える。じゃあ二人は僕の背中を守ってくれ。年寄りには先を譲るものだろう?」

「う……狡いじゃないですか、先頭を取るなんて」

「大人は狡いものだって言うからね。僕が子どもの頃もそうだったよ」

 どんなに親しくなろうとも、心ではやはり二人を子どもと判断して自分が守らなければと思っていた。だがもはや、葉月の中でこの二人の若者は年齢を越えて“仲間”であり――対等な関係として向き合うべき存在となっている。

「あ、ちょっと待ってください葉月さん。渚さん、PDAサーチで上に誰かいるか確認してくれ」

「はぁい~。……えっと~、階段の近くには誰もいないみたいです~」

 渚がPDAを見せる。確かに階段周辺には自分たち以外の光点がみられない。

「よし。じゃあいくよ、二人とも」

 葉月は総一と渚を従え、階段をゆっくりと上っていった。
 自分の人生で拳銃を手に取り人を殺めるかもしれないなどと、一体どうして予想できただろうか。銃を握る右手に違和感を感じなくなってきたことが悔しくて堪らないが、同時に総一と渚を守る力を持つことに心強さも感じていた。

「…………」

 六階に足をつけ、辺りを十分に見回してから階段を終える。PDAサーチで誰も居ないことがわかっていたが、それでも緊張は拭えなかった。

「でも、もう時間に追われなくてもいいのは有難いですね。今どのくらい経過してます?」

「ええと、今57時間14分……」

 PDAのない総一に代わって葉月が確認をする。総一もそちらに視線を向けていたため、気付くのは銃声が聞こえた後だった。
 銃弾は総一達には当たらず、壁の中へと吸い込まれるように着弾した。

――そんな馬鹿な!
 PDAサーチで周囲に人が居ないことは確認済みだ。
――ならどうして。まさかPDAを手放して潜んでいた?
 命と直結しているPDAを手放すのは危険この上ないではないか。

「あっち! あの人がいるわ!」

 渚がある方向に指をさす。その先には確かに大型の銃を構えた男が――手塚がいた。

「またあいつか!」

 予想通りの奇襲ではあるが、誰も居ないと高を括っていただけに驚きは隠せなかった。続いて二発目。拳銃と違い次弾が装填されるまで手間取るのだろう、逃げに転じる時間は十分にあった。

「とにかく別の通路に……二人とも、こっちだ!」

 葉月は一番近くの通路に向かい二人を呼びよせた。銃で応戦するには手塚の持つ武器はあまりにも威力が高く、正面からぶつかれば確実に負ける。彼が求める筈のPDAにしてもこちらは十分な数を持っておらず、逃げる以外の選択肢はなかった。

「近くに戦闘禁止エリアでもあれば……」

 地図の拡張ツールを持たない彼らには戦闘禁止エリアの位置はわからない。通路を走る三人を、手塚は武器を構えて追ってきた。

「あれ! さっきのと違うわ!」

 渚が言うように、今手塚が持っているのは遠距離を狙うライフル銃ではない。一瞬で大量の弾を吐き出し、より確実に相手を殺しにかかる為のサブマシンガンだった。決して軽くは無い武器を持ちながらも速度は落ちず、時折立ち止まっては乱射し、すぐに追いかける。それでもやはり照準を定めていないので思い通りの方向に飛ぶ訳では無かった。

「ちっ、勢いですぐに逸れやがる」

 力には自信のある手塚であっても、サブマシンガンの慣れない反動に戸惑っていた。

「渚さん急いで――」

 葉月は最後尾を走る渚を激励しようと振り返る。途端、床に当たった弾ひとつが跳弾し、葉月の足を掠った。不安定な体制のまま、葉月は勢いをつけて転倒する。

――しまった。
 一瞬のことだというのに葉月が冷静だったのは床に身体がつく前に自分が転んだと自覚できなかったから。摩擦から来る痛みでようやく危機を悟るが、すぐに立ち上がることは出来なかった。




[28780] 【権造の日記念?短編(本編とは何ら関係ありません)】
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/10/01 12:09
―はじめに―

真比留(以下、比):「皆さん初めまして。記念日企画第一弾、『権造の日』を始めようと思います。
ですがシークレットゲームファンの中にも、「権造の日って何?」とお思いの方もいるのではないでしょうか。
そこで、まずはこの記念日が如何にして生まれたか、説明をします」


2008年――イエティスタッフによる、過酷な戦いが幕を開けた!
登場人物の中でもメインの13人に対する人気投票。
戦いは熾烈を極めた。
コンシューマー化に伴いルートまで追加され、ドラマCDまで出された、綺堂渚!
金髪・ツンデレ・ツインテールと三拍子揃い、EP2で多くのファンを萌え殺した、矢幡麗佳!
当時はルートが無かったものの、一途な思いがプレイヤーの心を擽る、北条かりん!
SGの方では2ルートもあるのに、プロデューサーにまで大穴扱いされるメインヒロイン、姫萩咲実!
KQとSGで二度美味しいロリっ娘、色条優希!
だがそんなヒロインズを押しのけ、トップに躍り出る者がいた。
その名も――漆山権造!
綺堂渚との争いに見事打ち勝ち、一位に君臨する……かと思いきや、その殆どが不正投票だった事が判明。
首輪の不正競争防止システムが作動し、棄権扱いとなったのだった……。

が!
イエティスタッフは結果発表の折、こう宣言した。
「私どもも棄権とはいえ最後まで支持を集めた漆山氏を讃えて、毎年10月1日を「権造の日」としてイエティスタッフ全員が始業前に氏の立ち絵に一礼することを習慣としていきたいと思います」
あれから3年……未だ実際に行われているのかは定かではない。


比:「人気投票の外部工作自体は結構あるんだよね。ポケモンのコイルとか、イナズマイレブンの五条とか……まあ気になったらググってみるといいよー」

漆山(以下、漆):「ようやく俺の魅力に気づいたファンが出てきたのかと思ったんだが、まさか不正とは……」

比:「まあ明らかにおかしいわな。でも、漆山のおっちゃんのポジションはシナリオには欠かせない死に役だった訳で、純粋に投票した人だっているかも知れない。それが無効になっちゃうんだから、今後、不正投票は控えて欲しい。シークレットゲーム以外でもね。ネタとしては美味しいんだけどさ」

漆:「まあそういう訳で、今回は記念日企画をやるらしい。だが俺は何も聞かされていないんだが、……おい、何をやるんだ?」

比:「第二回人気投票に備え、おっちゃんの人気上について本気出して考えてみようと。まあ第二回人気投票なんてあるのか分からないし、あってもCode:Reviseの方かも知れんけどさ」

漆:「今度こそ俺が一位になれるのか!? なるほど、今日という日に相応しい企画というわけだな!」

比:「てなわけで、『GONZOをプロデュース☆』始まりまーす。……語呂悪いけど」


―キャラソンを作ろう!―

比:「まずはキャラソンさ、キャラソン! 人気キャラである麗佳ちゃんや渚さんにはキャラソンがあるでしょう。それにあやかって、おっちゃんのキャラソンを用意しようと思いまして」

漆:「キャラソンがあるから人気があるんじゃなく、人気があるからキャラソンがあるんだと思うんだが……。そもそも歌なんて一朝一夕で作れるもんじゃないだろう」

比:「ふっふっふ。そこで登場するのがコレ! 『うそこメーカー』! なんとこのサイト、名前を入力するだけでいろんな事が出来ちゃうのさ!」

漆:「いろんな事とは?」

比:「さっき言ったキャラソン作りに適したツール……『デビュー曲メーカー』を使えば、一発で歌詞が出てきます」

漆:「そんな便利なもんがあるのか。……それで、俺の歌は出来ているのか?」

比:「ええ、用意してますともさ。これが! 漆山権造の曲だ!」

=================================

漆山権造1stシングル
快感スレンダースター


裁きを受けるコラボレーション
嘘を重ねてアパートメント

略奪と言う名の重荷を投げ捨て
思いを晴らすアニバーサリー

Ah お嬢さんたちが水を差す風景
Uh 歯切れの悪い偽りの無情

快感スレンダースター
深淵に追われるぶりっ子なんだ
野良猫プラネットワールド
不器用な抑制の裂け目の先へ・・・行っとけ

「外側だけ先に食べるのが好き」
アイツが言った最後の言葉

Ah 誘い食えない隙が無い
Uh 乏しい楽しい禍々しい

快感スレンダースター
色恋から逃げる罪人だから
野良猫プラネットワールド
くすんだ人生の内側へ・・・行けって

=================================

漆:「……」

比:「……」

漆:「……これが、俺の、……歌なのか……?」

比:「いや、ほら、なかなかクールな歌ですって! ……多分。……じゃ、じゃあ気を取り直して、別の診断してみませんか?」

漆:「色々あるようだが、どれにするか迷うな」

比:「じゃあ私が勝手に決めますよーっと。デビュー曲が出来たら、やっぱり芸名みたいなのも必要だと思うんですよ」

==========『キャバ嬢メーカー』=============

漆山権造がキャバ嬢だったら

源氏名:流咲亜弥
店名:トワイライトホール
ランク:No.7
月収:96万円
指名された有名人:Y.T
主な貢物:豚
客の声:「ボディがそそる」「微妙に美味しそう」「救いようのない人」

=================================

漆:「どんなキャバ嬢にモテるか、じゃなくて、俺がキャバ嬢になったらって話なのか!?」

比:「まあまあ。でも、意外とシンクロ感じません? キャバクラ『トワイライトホール』の人気No.7ホステス、おっちゃんの原作でのPDAは7……運命って、こういう事を言うんですよ、きっと」

漆:「黙れ! 次は俺が決める! さっきのように騙されたりはせんからな!」

比:「騙すなんて人聞き悪いですねー。ちなみに真比留サンがおっちゃんにオススメするのは、『美人メーカー』とか『愛人メーカー』とかあるんですけど」

漆:「その手にはもう掛からんぞ! どうせ俺が美人になったり、愛人になったりするんだろう! そんなのは御免だ!」

比:「絶対面白いと思うのにー。自分で決めたいならどうぞ、ご自由に」

漆:「うーむ……まずは無難そうなのからやるか」

==========『男子メーカー』===============

漆山権造は
クリーン男子

=================================

比:「嘘つけ」

漆:「まあ男子というには歳を取りすぎてはいるな」

比:「そこじゃない。ちょっと原作やり直して自分の言動を振り返って来い」

漆:「次は、……そうだな、転職でも考えてみるか。実際、この年齢で転職なんて無茶だが」

==========『転職メーカー』===============

漆山権造の職歴

現在の職業

おしゃれ技術者

人気の裏稼業

空回りDJ
↓《天職!》
アイドル的主婦(主夫)

=================================

比:「分かってはいたけど、また微妙なのが……」

漆:「だがこれが正しいのなら、俺は結婚の可能性が残されているという事じゃないか?」

比:「今まで『うそこメーカー』使って来て、よくもまあ正しいと思えますね。……というか、いつの間にか本題からずれてんじゃないですか。おっちゃんをプロデュースするのが目的でしたよね」

漆:「おお、そうだった。次は何をするんだ?」

比:「どうしましょうか。突貫作業で作った企画なんで細かく考えてなかったんですが……」


―ファッションについて考えよう!―

漆:「これに関しては特に問題ないと思っているんだが」

比:「そうですね。とりあえずバカボンのパパみたいなインナーを変えたらいいんじゃないでしょうか。それを白カッターにするだけでも結構印象変わるんじゃないですか?」

漆:「しかし……これが一番着やすいんだがなあ」

比:「じゃあそのメタボっ腹をどうにかしたらいいと思いますよ」

漆:「う、うるさいっ! そこはどうでもいいだろう!」

比:「いえいえ、女はそういうとこ気にするんですよ。それが魅力になるタイプの男もいますが、おっちゃんじゃあなんか違う気もしますし。食生活を見直して、適度な運動をして、痩せましょうよ。肝硬変とか怖いですよ」

漆:「ファッションの話だろ、ファッション!」

比:「んー……問題はそんなに無いと思いますよ。橙ジャケットに違和感感じないキャラってのもなかなか貴重ですよね。御剣辺りが着てたらお笑い芸人になりそうだけど」


―二つ名を作ろう!―

比:「かっこいい二つ名とかってあるじゃないですか。そういうのがあれば、インパクト強くなると思うんですよね」

漆:「二つ名? 『零戦虎徹』とか、『ラバウルの魔王』とかそういうのか?」

比:「なんですか、それ。ちょっと待って下さい、ググってくるんで。…………あー、まあ、そんな感じです。若い人には『赤い彗星』とか『白い恋人』とか言わないと判りませんて」

漆:「俺が若い頃はみんなああいうのに憧れたもんだが」

比:「一応二つ名メーカーはあるんですが、またそういうのに頼るのはやめときましょう。ちゃんと自分たちで考えて、文字数稼がないとね」

漆:「××の○○というのがやはり基本なんじゃないか?」

比:「二つ名が定番になってる漫画といえば『冒険王ビィト』が浮かんでくるんだけど、いい所でずっと休載中なんだよねー。敵方がいい味出してるから好きなんだけどなー。……話を戻そうか。『独眼竜』みたいな感じで一言で表してもいいと思いますよ」

漆:「俺の特徴といえば……やはり大人の魅力やダンディな雰囲気――」

比:「もうさー、さっきの『クリーン男子』でいいんじゃないですかー?」

漆:「その呼称に文句があったんじゃないのか?」

比:「ぶっちゃけめんどくさい」

漆:「お前……! 自分で話を振っておきながら!」

比:「私のボキャブラリーでは漆山のおっちゃんをかっこよく見せる事なんて不可能なんですよ」


―まとめ―

比:「世の中には、どうにもならない事があるんだよ……」

漆:「おい! まさかこれで終わりか!? 結局何もしなかったじゃないか!」

比:「『うそこメーカー』みんなも試してみてね! って結論でいいじゃないですか」

漆:「いいわけがあるかっ! 俺が人気投票一位になる話はどうなった!? 俺のハーレムルートは!?」

比:「約束してもいないし、ハーレムなんて話題にも上ってない」

漆:「丸投げにしおって……。まあいい。本編では出番が無くとも、二次創作で俺が活躍するハーレムルートを書いてくれる事を期待するしかあるまい」

比:「それは余所様に頼んで下さい。同作者の作品に漆山ハーレムルートはございません」

漆:「まったく、こんな茶番につき合わせる為に俺の貴重な時間を使うとは! 俺はもう帰るぞ! じゃあな!」



比:「…………行っちゃったかー。そうそう、最後にひとつ。「漆山権造」で是非とも『漢字メーカー』をやってみる事をお勧めします。それじゃあまた、本編でお会いしましょう」

急な企画の上、グダグダな終わり方ですが、わざわざ読んで下さりありがとうございました。


==========『日めくりメーカー』=============

漆山権造の23年10月1日土曜

愛は川、流れが急なほど危険

ラッキーカラー:ピンク
ラッキーアイテム:万馬券
ラッキーフード:ピーナツバター
ラッキー語尾:○○だす

=================================



[28780] 【短編】サクミさん ~総一、発明の母~【本編とは無関係】
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2011/11/11 00:35
 これは「シークレットゲーム -Paradise Lost-」とは欠片程も関係ありません。ましてや、原作様と関係あろうはずもございません。

・本編未登場(名前だけ)のかれんちゃんが出てきます。
・キャラ崩壊あり。特に男性陣。

 こんな茶番に用は無い! という方は、お手数ですが来週の本編更新をお待ちください。





……忠告はしましたよ?










総一「おーい、咲実さーん。今帰ったよ」

咲実「おかえりなさい御剣さん。今日は早かったですね」

総一「実は、良い物を買ってきたんだ。ほら」

長沢「お土産?」

総一「あっと驚く主婦の味方だよ」



サクミさん ~総一、発明の母~



咲実「えっと、これが、全自動卵割り機……ですか?」

総一「どうだい? 驚いただろ?」

かりん「どうやるの?」

優希「見せて、見せて!」

総一「まあまあ、ちょっと待ってくれよ。今説明書を読むから。……ふーむ、なるほど……」

長沢「……なあ、これってさあ、手で割った方が早いんじゃないの?」

咲実「しーーっ。言っちゃダメです」

総一「まず卵を入れる……そしてレバーを引く、と。おお! 綺麗に割れたな!」

優希「わ! 凄いね」

長沢「なあなあ、俺にもやらせてくれよ!」

総一「ほら。壊さないように気をつけろよ」

長沢「へぇ~。良く出来てるなぁ」

かりん「ずるいー。あたしにもやらせてよ」

優希「わたしも!」

咲実「ふふ。とんだ主婦の味方ですね」

総一「どうだい、咲実さん。これがあれば楽になるだろ?」

咲実「え? ええ……。……それより御剣さん、こんなに卵を割ってどうなさるおつもりですか?」

総一「夕飯のおかずにしたらどうかな」

咲実「じゃあ、だしまき卵でも作りますね」





総一「いやぁ、美味いな。やっぱり機械で割った卵は一味違うな」

優希「ひとあじだねっ!」

総一「ははは。我ながらいい買い物をしたと思うよ」

咲実「どこで売ってたんですか、あの機械」

総一「通りで実演販売をしてたんだ。そのうち一家に一台の時代が来るかも知れないな」

咲実「い、一家に一台……ですか?」

長沢「あ、そうだ! せっかくだからさ、明日も卵割り機に活躍してもらおうぜ」

かりん「え~? 明日もまた卵焼き?」

長沢「馬鹿だな、すき焼きだよ。卵沢山使うだろ」

総一「うん。それはいい考えだな」





【次の日】


咲実「あら? 御剣さん、もう起きてらしたんですか?」

総一「みんなに目玉焼きを作ってやろうと思ってね。どうだい、咲実さんもやってみないか?」

咲実「いえ、私は……遠慮しておきます」

総一「あはは。咲実さんは相変わらず機械物に弱いなぁ」





長沢「……個性的な目玉焼きだな……。あの、月のクレーターみたいな……」

総一「いやあ、割るのはうまくいったんだけどな。焼くのに失敗しちゃったんだ」

かりん「で、でもさ、形が悪くても総一の真心がこもってるから……!」

総一「ははっ。かりん、ありがとう」

長沢「それじゃあ今度は全自動目玉焼き機を買わないとな~」

総一「そうだな、探してみるよ」

長沢「(え、マジで? 冗談で言ったのに……)」


【夕方】


高山「まったく、締め切りは守れと言っているのに……。ん? この匂いは……」





高山「悪いな、夕飯を貰う事になって」

咲実「くす。いいんですよ。表まですき焼きの匂いが届いたんでしょう? お仕事ご苦労様です」

総一「咲実さん、高山さんに卵とアレを」

咲実「はい、分かりました」

高山「卵といえば、この間、道端で妙な物を売っていてな。全自動卵割り機というらしいんだが」

長沢「それで買ったの? 高山のおっさん」

高山「買う訳が無いだろう、そんな馬鹿馬鹿しい物を。手で割れば済む物をわざわざ機械で割るなんてな。ああいう物を買う奴の心情が理解出来ん」

かりん「だ、駄目、高山さん!」

高山「どうせああいうのを買うのは卵など割った事も無い、料理など手伝いさえもしない怠惰な人間だろうな」

総一「……」

かりん「あっちゃあ……高山さん……」

咲実「どうぞ、持ってきましたよ。卵と卵割り機を」

高山「な……」

長沢「……」

かりん「……」

優希「……」

咲実「……? どうかしましたか? あれ、御剣さん、どこへ行くんですか?」

総一「……ごめん。晩御飯はいいや。俺、部屋に戻るから……」

長沢「あーあ。行っちゃった」

高山「……その、……悪かった」

かりん「まあ、お腹が空いたら出てくるよ。……多分」





【更に次の日】


渚「ごめんね~。高山さんが総一くんを精神的に追い詰めちゃったみたいで~」

咲実「いえいえ、お気になさらずに! 高山さんの仰ったことは正論ですから……。それに御剣さんが落ちこみ易いのは今に始まった事ではありませんし」

渚「だといいんだけど~」

咲実「あら? 優希ちゃん達さっきまでそこに居たのに何処へ行ったんでしょうか」

渚「さっきあっちの方へ行ったわよ~。咲実さん達の部屋じゃないかしら~」





かれん「すごい! ほんとに割れたね!」

咲実「やっぱりここに……って、優希ちゃん、かれんちゃん! それはおもちゃじゃないんですよ!」

優希「かれんちゃんと一緒にお手伝いしてるの! ねー!」

かれん「ねー!」

咲実「あああ~……こんなに割っちゃって……」

渚「駄目よ~かれんちゃん~!」

かれん「……はぁ~い」





咲実「あの、御剣さん。卵割り機の事なんですけど」

総一「……ごめん、咲実さん。その話はしないで欲しいんだ。大丈夫、すぐに立ち直るから……」

咲実「いえ、一応言っておかないといけません。実はかれんちゃんがあれを気に入って、持って行っちゃったんです」

総一「え?」





高山「ほう……良く出来ているな。興味深い仕組みだ」

かれん「でしょ?」

渚「もう卵は無いわよ~。冷蔵庫の卵全部割っちゃうんだから~」

高山「何? という事は、今夜の夕飯は卵尽くしになるのか」

渚「ご飯も卵かけごはんだからね~。じゃんじゃんおかわりしていいわよ~」

かれん「わーい! 卵かけごはん大好き!」





【更に更に次の日】


高山「御剣、少し話がある」

総一「……頼むからそっとしておいて下さい……」

高山「いや、卵割り機を返しに来たんだが。使ってみたら意外にその仕組みに驚かされた。文明の進歩は凄いな」

総一「……いいんです、自分でも分かってるんです。俺は実際家事手伝いなんてゴミ出しくらいしかしないような、そんな怠惰な人間なんですから……」

高山「実はお前に見てもらいたい物があるんだ」

総一「……見てもらいたい物?」

高山「ああ。この設計図なんだが」

総一「えっと、この絵は……鉛筆削りですか?」

高山「確かに一見すると鉛筆削りに見えるだろうな。だが違う。これは鰹節削りだ」

総一「な、なんだってー! これで削るんですか!?」

高山「ああ。鉛筆の削りカスを見ていたら思いついたんだ」

総一「でもこの図を見る限りじゃあ、鉛筆みたいに細い鰹節がなければ駄目なんじゃないですか?」

高山「それに関しては問題ない。先に鰹節をナイフか何かで鉛筆程度の細さまで削っておく。それをこの機械に入れて、ハンドルを回す。するとどうなる?」

総一「そうかっ! それなら簡単に鰹節が出来ますね! なるほど、これはアイデアかも知れませんね」

高山「お前なら分かってくれると思っていたよ」

総一「これ、商品化したら売れるんじゃないですか?」

高山「ふっ。一応名前も考えてある。誰にでもわかりやすく、親しみの持てる名前をな。その名も――」

――"グルグルダシトール"!





かりん「お茶持って来たよー」

高山「すまんな。どうだ、北条。これはなかなかに的を射たアイデアだと思わないか?」

かりん「え……えっと……」

長沢「出汁を取る前に自分の頭冷やせよバーカ」

総一「まったく、相変わらず長沢は反抗期だなぁ。まあ高山さん、気にしないでやって下さい」





かりん「ねえ、あの二人……放っておいてもいいの?」

咲実「まあ立ち直って下さいましたし、いいんじゃないでしょうか……多分」





長沢「オチが無いな……」





終わり

======================

茶番にお付き合いいただきありがとうございました。
この話は『サザエさん 父さん、発明の母』のパロディとなっております。
色々とおかしな部分はありますが、読者の方々の、ゲーム会場よりも広い心で受け止めて下されば幸いです。


【一応の配役】

父(波平、マスオ)→総一
母(フネ、サザエ)→咲実
咲実弟(カツオ)→長沢
咲実妹(ワカメ)→かりん
娘(タラオ)→優希(小)

咲実従弟(ノリスケ)→高山
その嫁(タイコ)→渚
その娘(イクラ)→かれん


苗字とかどう考えてもおかしいですが、まあ、総一が長沢を名前で呼んだりなどすると違和感を感じるので。




[28780] 二十二話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/07/09 02:10
 その場に居た人間で一番驚いたのは恐らく手塚だったであろう。逃げ回っていた三人のうち一人が転倒し、他の二人には振り向いて仲間を助ける余裕などは無い。これ以上ないチャンスだった……筈なのだが。

「ぐ……てめぇ……ッ!」

 サブマシンガンを取り落とし、左肩の傷口を押さえる。利き腕でなかったのは幸いだったが、負傷した位置が悪く今後あまり重い武器は持てないだろう。舌打ちをすると手塚は後ずさり、逃げの姿勢に入った。

「な……渚さん……」

 銃口を手塚に向けながらも茫然と渚の背中を見つめる総一。渚の方が少しだけ反応が早かっただけで総一も彼女と全く同じ行動を取っていた。我に返ると、照準をしっかりと手塚に合わせる。威嚇だ。

「あんた……手塚、って言うんだろ。PDAはK、解除条件はPDAの収集」

「……高山か。野郎……。……まあいい。それがどうした!」

 総一の雰囲気からどういう旨の話が出るのか想像はついていたが、自分の不利を理解していた手塚はあえて話題を引き延ばそうとした。

「俺達には今、三台のPDAがある! 首輪を外したらそれをあんたに渡す!」

「ほう? そいつは確かに魅力的だな。だがその中にジョーカーが入ってないって保証は出来るのか?」

「2のPDAを使えばジョーカーの偽装は無効化できる! だから俺達のPDAにジョーカーは混じっていないと言い切れる!」

 総一は手塚が交渉に乗ってくれることを期待していた。彼を切り捨てられないという理由もだが、何より敵として向き合いたくなかった。

「まあ考えといてやるよ」

 だから捨て台詞と共に手塚が通路の角へ消えて行った時、総一は悔しさより先に安堵を感じた。

「葉月さん!」

 渚の慌てた声に反応し、総一も葉月に駆け寄った。

「大丈夫。直接銃弾が当たった訳じゃないよ」

 葉月は頭を掻きながら苦笑する。

「それより渚さん。……大丈夫、なのか」

 真剣な面持ちで渚を見つめる。命を奪うまではいかないが何度か銃を撃った葉月だからこそ、放った銃弾が誰かを傷つけるという事実だけでも負担になることを知っていた。

「わたし……必死で……だから、……うう」

 渚の頬を伝う雫が総一の心を締め付ける。

「でも、良かった……私、やっと役に立てた……」

 涙を流しながら笑う渚は美しく、総一は思わず彼女の白い手を握っていた。

「渚さんは最初から、ずっと俺達の心の支えだよ」



「一体何者だ、あの女……」

 全力で走り手塚に背を向けていた状態から葉月の転倒に気付くや否やすぐに体の向きを変え、迷いなく銃弾を放つ反応の速さ。そしてその時確かに交わった彼女の視線の鋭さ。そこから手塚は綺堂渚という女性が見た目通りの人間ではないと見抜いていた。

「女郎が」

 普段の手塚ならば伏兵の登場に戸惑いはしても次の手を考える余裕があった。そうもいかなかったのは片腕を負傷したことによる大きなハンデがあったのと、女如きに返り討ちにされたことで自身の矜持がこの上なく傷ついたからだった。
 だからといってこのまま引き下がれば、それこそ不快極まりない。それに総一達がジョーカーを探すうえで役に立つ2のPDAを持っている事実が分かっただけでも収穫だと前向きに考え、自身を奮い立たせる。まずは肩の治療をしなければ。拠点として武器を集めた部屋へと戻ろう。あそこなら救急箱もあるし、片手で扱える手榴弾の類もかなり蓄えてある。

「だがこれで大体わかった」

 ここまで来ながら交渉を目論む総一と、それを黙認する渚と葉月。渚の実力が予想外だったがそれさえ分かっていれば同じ轍は踏まない。戦いを望まないのなら戦闘禁止エリアを目指す可能性は高い。その状況に持っていきさえすればかなりの高確率で致命傷を与えることが出来る策を、手塚は考えていた。

「いい加減時間もヤバくなってきたか。次で確実にあいつらを潰さねえとな」

「次があればね」

 凛と澄んだ声が耳に入る。続いて何かが転がる音。それが何なのか理解した瞬間、爆発音と共に手塚の体は吹き飛んだ。

 うつ伏せに横たわる手塚の生死は一見しただけでは定かでない。だから麗佳は銃口を後頭部に押し当て、引鉄を引いた。

「あっけないものね」

 自分より遥かに強者であろう男のあまりにも簡素な死を目にして、麗佳は左手で未だ銃を握ったままの右腕を押さえる。震えていた。
 武者震いでないのは確かだ。ならばこれは、人を殺したことに対する恐怖に近い感情なのか。……多分、違う。
 麗佳は傍の通路に置いていた日本刀を鞘から抜く。刀の良し悪しなど分からないが、蛍光灯の光を反射して煌くそれはいかにも切れ味の良さそうな刃を有していた。もしこの刀を然るべき展示品で目にしたならばその美しさに感嘆出来たのであろうか。
――迷っている時間は無い。
 麗佳は鋭い刃を死体の襟首辺りに乗せる。このまま体重をかけて押した方がいいのか、それとも鋸のように引いた方がいいのか。経験のない麗佳には分からなかった。
 包丁で食材を切る時を真似てゆっくりと刃を進めていく。表面が傷ついたことでまだ生暖かい血が辺りに飛び散り、麗佳の白いワンピースの上で赤い斑点となった。頸椎に達するとそれまでのようにうまくはいかない。死体の背に足を乗せ、押し込むように――。

「やめろ!」

 突如聞こえた声に麗佳は思わず刀から手を離し飛び退いた。見覚えのある三人――総一、葉月、渚がこちらへ向かって来る。総一は銃口をこちらに向けたまま走ってきている。撃つつもりは無いが威嚇としては十分だった。
――銃声で気付いたのね。
 想定の範囲内ではあったが、危険を感じて遠ざかる可能性が高いと踏んでいただけに驚きを感じていた。

「な……、麗佳さん! なんで……」

 首の後ろから大量に血を滴らせる手塚と傍らに転がる血に濡れた日本刀を見て、総一は麗佳が何を目的としていたのかすぐに理解した。

「じゃああなたの条件は、4……」

「そうよ。首輪の収集」

 麗佳は総一達を睨みつけ対峙する。構えてこそいないが、総一の後ろにいる葉月も銃を持っている。加えて退路は背後にある一本のみ。

「首輪……」

 総一が思い出そうとすると、頭の中でそれを拒絶するかのような痛みを錯覚する。それでも自分を律し、あの光景を――彼女の死体を思い出した。
 あの死体は首が切り離されていた。

「まさか、麗佳さんが、……ゆうき、を」

 銃を持つ手が震える。手だけではない、体も、心も、動揺を隠せないでいた。
 その隙を見逃さず、麗佳は隠し持っていた銃で総一を狙った。

「下がれ!」

 葉月の声で我に帰り指示通りに動く。銃弾は総一のいた場所を抜けていった。すぐに葉月が前に出て、麗佳の足元に向けて発砲した。

「僕達の首輪が外れたらそれを渡す!」

「それを信じろと?」

「人の首を落とすのはそう簡単じゃない。それよりは僕達の首輪を貰った方がいいとは思わないかね」

 説得の為とはいえ自分の発言に嫌気を感じずにはいられない葉月。
 麗佳と葉月は互いに牽制しながら銃を構えている。総一はその均衡を崩さないようにしながら一歩踏み出した。

「動かないで」

「麗佳さん、ひとつ教えて欲しい。……優希を殺したのは、あなたなんですか」

 一瞬、麗佳の顔に曇りが見えた。だがすぐに射抜くような視線だけを総一に向ける。

「あの黒焦げになってた死体のことかしら。私は首輪を貰っただけよ」

「首輪を貰ったって……まさか首を」

「そうよ。分かったでしょう? 今更この男の首を斬り落としたところで大した問題じゃないわ」

 あっさりとそう言い切る麗佳に薄ら寒いものを感じずにはいられない。目の前の彼女は――矢幡麗佳は、無惨な屍となった優希の首をどんな気持ちで切断したのだろうか。麗佳に憎しみは感じていない。ただ、そのような選択肢を選ぶしかなかった彼女が哀れで堪らなかった。比べるものではないが、人を殺すのとはまた違った苦痛を感じている筈だ。今の麗佳は決して正常な状態ではない。

「総一君、周囲を警戒してくれ」

 葉月は振り向かずに言った。麗佳には行動を共にしている人間がいると高山が言っていた。だが今、麗佳はひとり。どこかから不意打ちを狙っているに違いない。

「麗佳さん。君にはどうしても首輪が必要だ。だからそれを非難するつもりはない。ただ、僕達が首輪を渡すと言っているのにわざわざ危険を冒す必要は無いだろう?」

 麗佳は葉月の意見に納得していた。今持っている首輪は優希のものひとつのみ。手塚の首輪を手に入れたとしても残りひとつを一人で手に入れるのは難しい。それにここで逆らえば、手塚の首輪も手に入れることが出来なくなるかもしれない。
 ここまで来て警戒を怠った自分に苛立ちを感じずにはいられない。だがその失敗はただ間が抜けていたからという訳では無いことを麗佳自身も理解していた。
――どっちが楽だったのかしらね。
 過ぎる雑念を振り払う。

「そうね。尤もだわ。検討してもいいけど、まずお前達の条件を教えなさい。外せる可能性が高いか確かめるから」

 あくまでも高圧的な態度を崩さないのは自分が追い詰められていることを悟られまいとしてだった。葉月の発言から、彼らは麗佳に仲間がいると思っているらしい。結果としてその幻想が麗佳の助けとなっていた。

「僕は2、条件はJOKERの破壊だ。渚さんはJ、僕がこのまま生き残れば彼女の首輪は外せる。総一君のPDAは長沢君に取られてしまって手元にない」

「嘘ね」

 麗佳は冷たく言い放つ。

「本当だ! なんならPDAを見せても……」

「私が言ったのは御剣のPDAのことよ。本当にPDAを失ったのならそんなに冷静な筈が無いわ。それとも、首輪も外れていないのにPDAを失うことが何を意味しているか分からないっていうの」

 PDAを奪われたということはつまり心臓を握られているのと同じ。だというのに総一からは慌てた様子も絶望した様子も感じられない。銃を持つその姿は死が間近に迫った人間とは思えない程にしっかりとしていた。

「俺のPDAはAだったんだ。俺は誰かを殺すつもりが無いから正規の方法じゃ首輪は外れない。だからPDAがあっても無くても大して違わないんだよ」

「A……?」

 麗佳はすぐにAの解除条件を思い出した。QのPDAの所有者を殺害すること、このゲームにおけるキラーカードの一枚だった。

「俺は別の方法で首輪を外すつもりだ。危険だけど、誰かを殺すよりはずっといい」

 二人の対話の間、葉月は周囲への警戒も怠らなかった。高山の話によれば麗佳には行動を共にしている人間がいる筈なのだ。もしかすると麗佳の言葉は時間稼ぎで、隠れてこちらへ銃口を向けている者がいるのかもしれない。麗佳から目を離さず、出来る限りの範囲に気を配る――一介の中年男にはあまりにも荷が重すぎるが妥協する訳にもいかない。
 麗佳は猶も総一に探りを入れていた。

「そんな方法があるのだとしたら、誘拐犯達は相当な間抜けね。ルールの意味が無くなるんだもの。……それで、お前はどうやって首輪を外すつもり?」

「それは、……まだ言えない。俺達と取引をするかどうか決めてくれ。話はそれからだ」

 言葉は取り繕ったつもりだったが、言い淀む一瞬の表情を麗佳は見逃さなかった。

「そう。そうね。仲間じゃない私にそんな重要な情報を易々と話す筈が無い。当然だわ」

 麗佳は素早く左手を引っ込めた。何を……と思った瞬間、麗佳はどこに隠し持っていたのか、手榴弾を手にしていた。
――こんな場所で爆発させるつもりか!?
 総一達の側に投げたとしても、麗佳とて安全とはいえない立ち位置だ。どれだけ彼女が切羽詰まっているのかを如実に表していた。
 正面に飛び出す総一に迷いは無かった。

 だが麗佳はそれを投げることはせず、下ろしかけていた右腕を挙げて引鉄を引いた。元々葉月を狙うつもりだったが目の前の総一に遮られてしまったのだった。

「ぐ、うっ」

 果たして銃弾は総一の肩口に当たり、その行動を一時止めるに至った。連射が可能だったそれは続けて二発、総一めがけ牙をむいた。一発は外れたがもう一発は脇腹の辺りに命中した。流石の総一もこれには耐えられずその場に倒れ伏す。

「総一君!」

 総一に駆け寄る葉月を尻目に、弾が切れた銃を捨てた麗佳は手榴弾を持ったまま逃げの姿勢に入る。もう少し後ずされば脇道があった筈。そこからの道筋は大体把握しており逃げるのには不自由しない。呻く総一は立ち上がることが出来ず、葉月も総一が心配で銃を捨てた麗佳に攻撃するような余裕は無かった。
 それを認め、麗佳は総一達に背を向けて走り去る。
 目標とした脇道まで辿り着く。が、急にそこから伸びてきた腕が麗佳に掴みかかってきた。

「お前っ!」

 渚の視線に、今まで彼女に抱いていた役立たずのイメージは一気にかき消えた。手塚と彼女らのやり取りに耳を傍立てていた麗佳は渚に何かあると踏んでいたが、この時それが間違いでは無かったと確信する。
 渚は麗佳に足払いをして、その勢いのまま床に押し倒した。

「離せ! このっ……」

「大人しくして麗佳さん! 悪いようにはしないわ!」

「そん、なの、……信じられる訳ないでしょう!」

 抵抗しようと激しく腕を振り回すと、威嚇の為に持っていた手榴弾が勢いをつけて転がり壁にぶつかった。使う予定の無かった手榴弾から白い煙が噴き出し、二人の女性を包み込んだ。

「かはっ、ごほっ」

 二人は咳込みながら無意識に自分の喉元を抑え付ける。煙を吸わないように、吸ったのなら外に出そうと、二人の咳は止まらない。やがてどちらともなくゆっくりとくずおれ、冷たい床に倒れ伏した。

「渚さん!」

 総一と葉月には白煙の内は見通せない。だが只事では済まなかったのは確かだ。総一が駆け寄ろうとすると全身の痛みがそれを押しとどめた。

「返事をしてくれ! 渚さん!」

 只の煙幕ならば二人の争う声でも聞こえてきそうなものだ。一体どうなっているのか。
 混乱する総一を葉月が止め、引きずるように後退させた。

「とにかく総一君は下がって! 煙がこっちまで来る!」

 渚が心配で堪らなかったが、銃声もしていないので無事だろうと踏み葉月の指示に従った。少しだけ煙を吸い込み、一瞬意識が朦朧とする感覚に包まれた。身を任せたい気持ちを押さえ煙から逃れ再び床に座り込んだ。

「多分これ、睡眠効果がある煙です」

「ああ。僕も少し吸ってしまった。……だがそれなら、渚さんは無事な筈だ。麗佳さんもね。煙が晴れたら二人を連れて来るよ。一人で歩けるね」

「はい。どこか近くに戦闘禁止エリアがあれば……」

 壁に手をつき立ち上がる。麗佳が気を失っているだろうということで総一も幾分か落ち着いていられた。やがて煙が薄くなり、その推測が正しかったことを知った。
 床に倒れた渚と麗佳はぴくりとも動かない。左手で口を押さえ右手で銃を持ったまま僅かに残る煙を払いながら葉月は二人に歩み寄る。

「渚さん。……麗佳さん」

返事はない。麗佳の不意打ちも考えてはいたがその心配は杞憂に終わった。

「ちょっと失礼、麗佳さん」

 葉月は麗佳の背中と膝の裏に手を回し持ち上げた。

「総一君、何かロープのようなものを持ってはいないかな」

「ロープ……ちょっと待ってください、探してみます」

 覚束ない足取りで近くの部屋に入り簡単に物色すると、長い電気コードが見つかった。所々塗装が剥げて中の金属が見えていたが引っ張ってみた限り強度に問題はなさそうだ。麗佳には解けないだろう。

「ありました。どうぞ」

 麗佳を抱えてきた葉月にコードを手渡した。麗佳を拘束していると彼女のものと思われるPDAが転がり落ちた。

「総一君。ちょっとそれを拾ってくれないか。条件は分かっているだろうけど、一応ね」

 促されるまま麗佳のPDAを拾う。画面にはやはりクラブの4が表示されていた。これが矢幡麗佳を狂気に駆り立てたのかと思うと壊したくもあったが抑え、機能を確認した。役に立つ機能があるかもしれない。

「これは……へぇ、ツールの一覧表か。……あ! 葉月さん! これ戦闘禁止エリアの場所が表示されてますよ!」

「本当かい! 良かった、目が覚めて暴れると困るからね。そこまで運ぼう。総一君は渚さんを……運ぶのは難しそうだね。彼女の傍にいてくれ。麗佳さんを運んだら戻るから」

 戦闘禁止エリアは歩いて十分くらいの場所にあった。その間総一は壁に凭れて眠る渚を眺めていた。美しい、よりは可愛らしいという形容詞が似合いそうな寝顔だった。
 だが。認めざるを得ない。
 綺堂渚という女性には何かがある。
 手塚を迎え撃ったこと。素早い判断で麗佳の退路に回り込み取り押さえたこと。……今までの渚からは到底考えも及ばない行動だった。何より渚が今までそれを隠していたことが、何かの事情を抱えていると暗に告げている。

「渚さん……」

 手塚は死に、麗佳も取り押さえた。残る敵は長沢、そして。
 慌てて総一は周囲を見回した。廊下の向こうに手塚の死体が見えた。後でPDAを回収しなければならないと思ったが今はそれどころではない。
 あと一人――麗佳と行動を共にしていた人間がいる筈なのだ。
 気を落ち着かせて耳を澄ませる。腰に差していた拳銃を手に取りいつでも構えられる準備をしておく。怪我というハンデの中でどこまで出来るかは分からないが、渚を守る為にもやるしかない。
 こちらへ近付く足音が耳の端に入る。静かすぎる廊下の中でひときわ大きく聞こえて来る足音は忍んでくるつもりはないようだ。これだけの騒ぎが起きたのだからこちらの位置は大体分かっているだろう。ならば迷う必要は無い。

「おい! 麗佳さんは捕まえさせてもらった! 俺はあんたと交渉がしたい!」

 足音が止まる。だがすぐにこちらへ駆けてくる音に変わった。

「総一君! 敵は?」

「あ、葉月さん!」

 足音の正体は葉月さんだった。考えれば当然だ。どうやら気が立っていたらしい。

「緊張しちゃって、葉月さんを敵と間違えてしまって……」

 そう口にした総一は自分の不甲斐無さをしみじみと感じずにはいられなかった。

「なんだ、良かった。……そうか、そういえば高山さんが言ってた人が足りないな。麗佳さんとは分かれたんだろうか」

「かもしれません。もしくは危険を察して逃げたか」

「ちょっと渚さんのPDAで調べてみるよ」

 葉月は渚のPDAを探そうと物色した。途中手を止めるがPDAが見つかるとそれを操作して周囲の安全を確認した。

「大丈夫、周りには誰もいない。……君は彼のPDAを探してくれないか。死体に触れるのは辛いだろうと思うが」

 爆発を受けたにしては手塚の死体の損傷は見ていられない程のものではない。とはいえ傍に転がる血に染まった日本刀とそれによる血だまりのせいで近寄りがたい雰囲気がある。葉月も本心ではこういった仕事は自分で行いたかった。

「そしたら例の戦闘禁止エリアで待っててくれ。麗佳さんが起きて逃げてしまったら困るからね。僕もすぐに行くよ」

 総一はそれを聞き入れ、葉月達から離れた。葉月は総一に見えないようにひとつため息をつく。
 葉月も渚が只者ではないことは分かっていた。落ち着いたら問いたださなければいけないと思っていた。だがそれでも、綺堂渚という女性が味方であることは変わらない。……そう思っていた。
 PDAを探している最中、少し捲れていたスカートの裾を直そうとした時に見つけたそれは、総一からは死角になっていた。しっかりと確認するには総一がいては困る。
 家庭用のものとは異なるビデオカメラ。
 アンテナのある無線機のようなもの。
 それらから伸びたコードを辿っていくと、腰から背中の辺りに大きな黒い箱がついていた。
 機械に疎い葉月ではあったが、何度か調べている内に黒い箱はバッテリーだと気づいた。まるで見えない力に導かれるように事実が繋がって、やがて一つの結論に至る。

「そんな、まさか」

 葉月は機械を外し、渚の身体を持ち上げる。これらはまた後で取りに来ればいいだろう。戦闘禁止エリアに向かう葉月の足取りは重い。だがこの事実を静観しておくことはできない。不安と、緊張と、悲しみと、そしてひとかけらの憤りを感じながら歩いていった。



[28780] 二十二話
Name: 有閑もずく◆07c1b21d ID:7aed3ed7
Date: 2012/07/09 02:14
 その場に居た人間で一番驚いたのは恐らく手塚だったであろう。逃げ回っていた三人のうち一人が転倒し、他の二人には振り向いて仲間を助ける余裕などは無い。これ以上ないチャンスだった……筈なのだが。

「ぐ……てめぇ……ッ!」

 サブマシンガンを取り落とし、左肩の傷口を押さえる。利き腕でなかったのは幸いだったが、負傷した位置が悪く今後あまり重い武器は持てないだろう。舌打ちをすると手塚は後ずさり、逃げの姿勢に入った。

「な……渚さん……」

 銃口を手塚に向けながらも茫然と渚の背中を見つめる総一。渚の方が少しだけ反応が早かっただけで総一も彼女と全く同じ行動を取っていた。我に返ると、照準をしっかりと手塚に合わせる。威嚇だ。

「あんた……手塚、って言うんだろ。PDAはK、解除条件はPDAの収集」

「……高山か。野郎……。……まあいい。それがどうした!」

 総一の雰囲気からどういう旨の話が出るのか想像はついていたが、自分の不利を理解していた手塚はあえて話題を引き延ばそうとした。

「俺達には今、三台のPDAがある! 首輪を外したらそれをあんたに渡す!」

「ほう? そいつは確かに魅力的だな。だがその中にジョーカーが入ってないって保証は出来るのか?」

「2のPDAを使えばジョーカーの偽装は無効化できる! だから俺達のPDAにジョーカーは混じっていないと言い切れる!」

 総一は手塚が交渉に乗ってくれることを期待していた。彼を切り捨てられないという理由もだが、何より敵として向き合いたくなかった。

「まあ考えといてやるよ」

 だから捨て台詞と共に手塚が通路の角へ消えて行った時、総一は悔しさより先に安堵を感じた。

「葉月さん!」

 渚の慌てた声に反応し、総一も葉月に駆け寄った。

「大丈夫。直接銃弾が当たった訳じゃないよ」

 葉月は頭を掻きながら苦笑する。

「それより渚さん。……大丈夫、なのか」

 真剣な面持ちで渚を見つめる。命を奪うまではいかないが何度か銃を撃った葉月だからこそ、放った銃弾が誰かを傷つけるという事実だけでも負担になることを知っていた。

「わたし……必死で……だから、……うう」

 渚の頬を伝う雫が総一の心を締め付ける。

「でも、良かった……私、やっと役に立てた……」

 涙を流しながら笑う渚は美しく、総一は思わず彼女の白い手を握っていた。

「渚さんは最初から、ずっと俺達の心の支えだよ」



「一体何者だ、あの女……」

 全力で走り手塚に背を向けていた状態から葉月の転倒に気付くや否やすぐに体の向きを変え、迷いなく銃弾を放つ反応の速さ。そしてその時確かに交わった彼女の視線の鋭さ。そこから手塚は綺堂渚という女性が見た目通りの人間ではないと見抜いていた。

「女郎が」

 普段の手塚ならば伏兵の登場に戸惑いはしても次の手を考える余裕があった。そうもいかなかったのは片腕を負傷したことによる大きなハンデがあったのと、女如きに返り討ちにされたことで自身の矜持がこの上なく傷ついたからだった。
 だからといってこのまま引き下がれば、それこそ不快極まりない。それに総一達がジョーカーを探すうえで役に立つ2のPDAを持っている事実が分かっただけでも収穫だと前向きに考え、自身を奮い立たせる。まずは肩の治療をしなければ。拠点として武器を集めた部屋へと戻ろう。あそこなら救急箱もあるし、片手で扱える手榴弾の類もかなり蓄えてある。

「だがこれで大体わかった」

 ここまで来ながら交渉を目論む総一と、それを黙認する渚と葉月。渚の実力が予想外だったがそれさえ分かっていれば同じ轍は踏まない。戦いを望まないのなら戦闘禁止エリアを目指す可能性は高い。その状況に持っていきさえすればかなりの高確率で致命傷を与えることが出来る策を、手塚は考えていた。

「いい加減時間もヤバくなってきたか。次で確実にあいつらを潰さねえとな」

「次があればね」

 凛と澄んだ声が耳に入る。続いて何かが転がる音。それが何なのか理解した瞬間、爆発音と共に手塚の体は吹き飛んだ。

 うつ伏せに横たわる手塚の生死は一見しただけでは定かでない。だから麗佳は銃口を後頭部に押し当て、引鉄を引いた。

「あっけないものね」

 自分より遥かに強者であろう男のあまりにも簡素な死を目にして、麗佳は左手で未だ銃を握ったままの右腕を押さえる。震えていた。
 武者震いでないのは確かだ。ならばこれは、人を殺したことに対する恐怖に近い感情なのか。……多分、違う。
 麗佳は傍の通路に置いていた日本刀を鞘から抜く。刀の良し悪しなど分からないが、蛍光灯の光を反射して煌くそれはいかにも切れ味の良さそうな刃を有していた。もしこの刀を然るべき展示品で目にしたならばその美しさに感嘆出来たのであろうか。
――迷っている時間は無い。
 麗佳は鋭い刃を死体の襟首辺りに乗せる。このまま体重をかけて押した方がいいのか、それとも鋸のように引いた方がいいのか。経験のない麗佳には分からなかった。
 包丁で食材を切る時を真似てゆっくりと刃を進めていく。表面が傷ついたことでまだ生暖かい血が辺りに飛び散り、麗佳の白いワンピースの上で赤い斑点となった。頸椎に達するとそれまでのようにうまくはいかない。死体の背に足を乗せ、押し込むように――。

「やめろ!」

 突如聞こえた声に麗佳は思わず刀から手を離し飛び退いた。見覚えのある三人――総一、葉月、渚がこちらへ向かって来る。総一は銃口をこちらに向けたまま走ってきている。撃つつもりは無いが威嚇としては十分だった。
――銃声で気付いたのね。
 想定の範囲内ではあったが、危険を感じて遠ざかる可能性が高いと踏んでいただけに驚きを感じていた。

「な……、麗佳さん! なんで……」

 首の後ろから大量に血を滴らせる手塚と傍らに転がる血に濡れた日本刀を見て、総一は麗佳が何を目的としていたのかすぐに理解した。

「じゃああなたの条件は、4……」

「そうよ。首輪の収集」

 麗佳は総一達を睨みつけ対峙する。構えてこそいないが、総一の後ろにいる葉月も銃を持っている。加えて退路は背後にある一本のみ。

「首輪……」

 総一が思い出そうとすると、頭の中でそれを拒絶するかのような痛みを錯覚する。それでも自分を律し、あの光景を――彼女の死体を思い出した。
 あの死体は首が切り離されていた。

「まさか、麗佳さんが、……ゆうき、を」

 銃を持つ手が震える。手だけではない、体も、心も、動揺を隠せないでいた。
 その隙を見逃さず、麗佳は隠し持っていた銃で総一を狙った。

「下がれ!」

 葉月の声で我に帰り指示通りに動く。銃弾は総一のいた場所を抜けていった。すぐに葉月が前に出て、麗佳の足元に向けて発砲した。

「僕達の首輪が外れたらそれを渡す!」

「それを信じろと?」

「人の首を落とすのはそう簡単じゃない。それよりは僕達の首輪を貰った方がいいとは思わないかね」

 説得の為とはいえ自分の発言に嫌気を感じずにはいられない葉月。
 麗佳と葉月は互いに牽制しながら銃を構えている。総一はその均衡を崩さないようにしながら一歩踏み出した。

「動かないで」

「麗佳さん、ひとつ教えて欲し


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.31899499893188