<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[28662] Acxis (インフィニット・ストラトス×アーマード・コアシリーズ)
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2012/10/19 00:47
 初めまして、こんにちは。ユルトと愉快な仲間達と申します。

 これは、にじファン様の方でも掲載させていただいていた、IS(インフィニット・ストラトス)とアーマード・コアシリーズとをクロスオーバーさせたSSです。

 含まれる要素としては、オリ主、シャルロッ党、独自解釈、独自設定が主な物。

 なにぶん処女作であり、至らない部分もあるとは思いますが、それでも原作の作者である弓弦イズル様と製作元のフロムソフトウェア様への敬意と感謝を込めて、精一杯書かせていただきます。


 ハーメルン様の方にも投稿させていただいています 




[28662] Chapter0
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/03 15:39
 ミッションの概要を説明します

 依頼主はクレストセキュリティサービス。ミッション・オブジェクティヴは敵中枢施設の制圧にあります。
 敵主力は現在、私達のクライアントであるマグリブ解放戦線の本拠地へと侵攻中です。今回の目的となる首都中心部は手薄になっていると考えて間違いはないでしょう。
 また首都の防衛機能も幾度かの空爆によってその機能を低下させており、本格的な復旧が始まる前に仕掛けるのが重要であると私共は考えています。
 従って、今回のミッションプランは空中から首都へと降下、防衛施設をすべて破壊、速やかに突入部隊の妨げとなる障害を排除し、その後部隊を援護するという流れになります。

 ミッションの概要は以上です。

 危険度の高いミッションですが、だからこそクレストはあなたを希望しています。よいお返事を期待していますね 。







 北アフリカ某国。
 マルチフォームスーツであるIS(Infinite Stratos)の過激な登場により、女性の絶対的権力が増した昨今。
 その影響は世界を包み込み、イスラム教を拝するイスラム国家にさえ、その火花が
もたらされることとなった。

 男性優位を唱える保守派と女性優位を求める改革派。
 世界の潮流に乗るのか否か、国家の行く末を大きく左右するであろう争いは、言論での決着を見ず、「力」での優劣で果たすこととなる。いわゆる戦争だ。

 国軍の大半を支配下においた保守派は改革派の拠点へと侵攻を開始。これに対し、改革派も戦力を持ってそれに対抗。
 戦力で劣る改革派は徐々に押されつつある戦局に対し、民間軍事企業へ参加を依頼。これによって戦局は大きく変化していくのだった。




『間もなく作戦領域に到達する。レイヴン、準備はできているな?』
「システムに問題ありません、何時でもどうぞ」

 報告と返答。
 輸送機のカーゴブロック、歩兵用パワードスーツと降下用装備を纏った兵士達の中で一際大きな鋼鉄の鎧に包まれたままその時を待つ。視線は通常よりも高い。今は慣れた景色だが、かつては確かに違和感が拭えなかった。
 窓の外には雲海へその身を沈めていく灼熱の太陽。灼熱といってもこの場ではその役割を果たすことはないだろう。
 高度一万m、氷点下30゜C以下の凍てつく世界。天空のコキュートスの中をその鉄の翼達は泳ぎ続けていた。

『各員降下準備』

 オペレーターの合図、後方ハッチ開放。
 装備に包まれた同僚達の表情こそ見えないが、侵入する冷気、戦場への緊張感もあいまってか、空気が引き締まっていくのを感じる。

『十、九、八……』

 カウントダウン開始。降下順を再確認、ファーストダイバーは自分だ。

 七、六、五……。

 足元のペダルの感触を確かめながら、コントロールスティックを今一度強く握り直す。

「三、ニ、一……!」

 零。

 瞬間。オペレーターの檄を背中に受けながら、機体を大空へと滑らせていく。
 上方のセンサーには機体から飛び出していく後続の仲間達の姿。

 それは死地へと向かう戦士達の姿だ。

 確かに制空権は既に取った。レーダー施設も破壊した。敵正規軍はこちらの主力部隊が引き付けている。

 目標は敵中枢。敵主力の留守を狙った上空からの奇襲作戦。すなわち、高高度降下低高度開傘、通称HALOによる首都防衛施設の降下制圧。
 それは通常の戦闘より遥かに危険で無謀でなにより愚かな作戦であった。しかし、刻々と迫るタイムリミットの中で、迅速に尚且つ市民に無駄な犠牲を出さずに制圧するにはこれしかなかった。
 そして、その中でも高い危険性、それを排除するのが自分の役割であった。

『敵の対空砲の位置を確認した。これを撃破せよ』
「了解」

 落下中にも関わらず、課せられた任務。スティックの操作により、武装を選択。
 MSAC社製六連マイクロミサイル。
 対空砲程度が相手なら十分過ぎる威力の代物だ。電子音、同時にロックオン。恐らく内部協力者によって、目標座標が送られて来ているのだろう、座標を確認。俯瞰図で表された首都の地図に四点赤い印が示される。
 発射。
 右肩部、長方体状の発射機、その発射管のカバーが外れ、そこから二機ずつ連続で射出される。レーダー上での射出体を確認、高速飛翔。やがてそれは目標との距離を詰め……立ち昇る炎と轟音。立て続けに四つ。

 目標の破壊に成功。こちらの動きをようやく察知したのか、直後にサイレンとサーチライトがほの暗い街を彩る。

 規定高度到達、落下傘を展開。
 落下速度が大幅に弱まり、サーチライトに照らされながらもたいした妨害もなく高層ビルの間に二m超の巨人が降り立つ。

 そして、状況の確認をしようとしたその瞬間、首筋に感じる悪寒。直感の赴くままに機体を操作。傘を切り離すと同時にブースター点火、ステップアウト。
 着弾。
 砲弾は切り離された傘を巻き込みながらビルディングに大きな穴を開ける。ビルディングの壁面を覆うガラスは衝撃によって砕かれ、欠片は爆風によって舞落ちる。

 続けてこちらを襲う銃弾の雨霰。その方向、約400m先、敵戦闘車輌を捕捉。敵の銃撃を左右に機体を滑らせる事で回避させながら、指に掛けたトリガーを押し入れる。
 発射音。ミサイル射出。それを見届けぬままに移動を開始、レーダーと視界を注視しながらの移動。
 響き渡る轟音。赤い爆炎が駆ける機体を背後から照らし出す。

 続いて敵を捕捉、前方曲がり角にて敵車輌が一。右斜め後方には、敵航空戦力が接近、データ照合では戦闘ヘリと推測。
 前方敵車輌、恐らくは待ち伏せ。こちらが姿を表した瞬間を待っているのだろう。対して後方戦闘ヘリ、まだこちらを捉え切れてはいない。脅威度では戦闘ヘリの方が高い。それに仲間の事を考えれば尚更脅威、ならば……。

 速度を落とさぬまま、機体を真後ろへと方向転換。脚部とアスファルトとの摩擦で激しく火花が散るが今は気にしない。方向転換と同時に後腰部ハードポイントから武装を両手に。
 戦闘ヘリ接近。レーダー上から距離方位を割り出し、機体のFCSがその動きを追う。
 必要なのはタイミング。遠い空中へとその切っ先を向ける。今。

 GA社製25mmチェインガン。

 重く鈍い発射音と共に、その銃口から銃弾いや砲弾を吐き出していく。曳光弾を含む弾丸がほの暗い町並みを照らし、空気を切り裂く。
 それは高層ビルの影から姿を表したヘリコプターのコクピットを殺到蹂躙。制御を失った機体はローターを建物へと接触させながら落下、そして爆発。


 脅威目標を排除、続く目標は敵戦闘車輌。
 確認と同時に再び向き直り、疾走。

 待ち伏せ。こちらが出てくるのを待っているというなら、こちらは敵の想像の上を行こう。
 曲がり角まで二百m。流れていく町並みを横目に更に加速。そのままの速度で曲がり角へ。
 曲がり角。寸前に跳躍。跳び上がった機体直下を砲弾が通過。
 さらに跳躍。前方の建物を足場に真逆の方向へと跳ぶ。足場の建物が崩れるも気にはしない、着地は問題なく成功。
 そして跳ねるように疾走する。列ぶビルディング群を足場に敵の方向へ。相手側から見れば視界を外されいきなり消えたように見えるだろう。だがそれは決定的で致命的で何よりも命取りだ。
 跳躍。同時にブースターを点火。生み出される加速力を利用し、体勢を整える。空中で機体を一回転、そのまま敵車輌上へと着地。両手に構えるチェインガンはそのまま真下へ。
 連射発砲。
 弾丸は装甲との接触の瞬間、暗闇の中を火花を照らす。しかし、それもつかの間。上部装甲に多数の孔を開け、敵車輌は小さな爆発の後、完全に沈黙。

「こちらレイヴン、周囲の敵性脅威を排除。作戦の現状はどうか?」 
『こちらHQ、作戦は極めて順調だ。各施設へ既に部隊が突入。制圧は時間の問題だろう。まあ、レイヴンは引き続き周囲の警戒を怠らず、高脅威度目標の排除に務めてくれ。それにしてもなかなかの戦果だ、ボーナスを付けよう。報酬は期待してくれて構わんぞ』

「任務了解。報酬の方は、まぁ期待しないで待っておく」

 一息ついた所で現状を報告。極めて順調な現状に気が緩んだのか、それとも自信への現れか、報告以外で互いに軽口が溢れる。

 周辺警戒の命令。レーダー走査。直後にアラーム音。右肩兵装起動。発射。それと同時に先程、沈黙させた戦車を盾に建物の影へとその身を滑らせる。直後に聞こえるのは破裂音と爆音。
 一つは敵機体の20mm機関砲による建物の損壊音。そして一つは火ダルマとなり落ちていくヘリコプターの姿。

 右肩部武装、残弾、零。空となったミサイルユニットを即座にパージ。
 その場で周囲を見渡す。周辺に脅威となる対象は皆無。住民は既に逃げだしているだろうか?無駄な犠牲は出したくない。
 目標は敵中枢だ。敵中枢国家機能の掌握。敵の本陣を落とす事で戦争の早期終結を狙う。確かに真正面からぶつかっても負けはしないだろう。何せ改革派が依頼した相手は、クレストセキュリティサービス社。陸海空において多大な戦力を保有する軍事系企業の大御所だ。装備や人員の質や量から見ても負けはしない。だが、それは負けはしないだけであり、消費はする。特にクレストへの依頼において改革派の資金繰りは長引けば長引くほど危うくなっていく。クレストに撤退されたらそれは改革派にとっては敗北を意味するのと等しい。それゆえの今作戦なのだ。
 余計な思考を続けながらも警戒は緩めない。


 それから数時間後、敵部隊、保守派の全面降伏の宣言が発表される。
 そしてそれは、世界情勢において大きな転換点となるものだった。



[28662] Chapter1-1
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/03 16:07
 現代の延長線上にある未来。

 世界は大きな潮流の変換期の真っ只中にあった。突如現れた新兵器による技術革新。世界的な軍事的バランスの変化。女性にしか扱えないその最新兵器の出現は、明らかな女性優位の土壌を醸成し、国民国家政府は、徐々に女性への優遇措置を始め、こぞって超兵器の開発、誘致を開始した。

 インフィニットストラトス(Infinite Stratos)、通称IS。宇宙での活動を視野に入れたパワードスーツ、その圧倒的な性能は各国を驚愕させ、瞬く間に魅了する。

 その研究開発を多くの国家や企業が競い合う一方で、戦略的価値を文字通りの一騎当千たるISに奪われた軍隊は、その規模を大幅に縮小され、かつては熟練の兵士だった者さえも、その職場を奪われ、その大半は慣れない社会へと臨んでいかざるを得なかった。

 しかし、社会が迎えた大きな変化の中、意識的、無意識的にせよ皆がその流れに身を任せつつある内において、それに抵抗を見せようとする者の姿も存在していた。

 米国軍需企業大手クレストインダストリアル社。大規模な生産基盤を用いて米国のリーディングカンパニーとして君臨していたその栄光は、ISの登場により既に過去となった。

 米国におけるISの開発権は技術力に優るライバル企業、グローバルアーマメンツ(Global Armaments)社、通称GAに奪われ、クレストは大規模な縮小を受けた従来兵器市場の中で遅れを取った状況を打破する方法を探る。

 そして、彼らの上層部の目に留まったのが、極東でのある一つの計画だった。

「プロジェクトファンタズマ」

 すなわち非IS、性別によらないパワードスーツの開発計画。ISに対する明確な対抗計画だ。発案者たる日本の如月重工は、ISの登場によってまさに風前の灯というような経営危機状態ではあったが、クレストの資金提供により持ち直し、そして計画へのクレストの参入をきっかけに、計画は本格的に進行を見せることとなる。

 かつて如月重工が開発を進め、ISの登場により歴史の陰へと追いやられたパワードスーツ「MT(Muscle Tracer)」の発展開発。従来技術の粋を集め凝縮し、ISに対抗する兵器を造る。それこそがこの計画の主な目的であったのだ。

 豊富な資金力を持つクレストとMT開発という専門性に長けたキサラギ。双方の野望と執念により始まった計画ではあったが、ここで両社にとってイレギュラーが発生する。EU所属の新興企業ミラージュ社の計画参入の打診である。

 それは両社にとって思いにもよらない朗報であった。そして彼らは直ちにこれを了承。こうしてIS関連技術を有するミラージュ社の加入が決定した。そのことによってこの計画はさらに加速することになったのだった。 



 ―――ブースト点火。加速。旋回。床から突き出ているオブジェクトを機体を左右へ滑らせスラロームで交わす。交わしたオブジェクトを一瞥し、今度はブーストを全開。急加速。ブースト停止。慣性を生かし急旋回。ブースト再点火。高速を維持したまま次のスラロームへ。そして次は………。

『はい、オーケー、テスト終了』

 どれ程の時間続けていたのだろうか、最後のスラローム終了と同時に画面に広がる研究員の顔と気楽そうな表情と声。開発の方も忙しい時期だと聞いていたけれど、それも中々順調なようだ。

 機体をハンガーに乗り入れ、所定の位置へ。胸部ユニット後方の複合装甲が開き、コクピットブロックが展開。同時にブロック上方ハッチが前方へスライド。対Gスーツとコクピットの固定を解き外へ。ディスプレイ一体型のヘルメットを外せばひやりとした空気が心地良い。

「はいお疲れさん、今日の行程は終了らしいし、今日はこんだけだから、もう休んでいいよ」

 日本のキサラギ重工からやってきた主任技術者のシバタシゲタツから声が掛かる。今日はデータ取りとはいえそれなりに負荷の掛かる動きをしたので、整備の方も大変だろう。

「了解です。先に戻ってるんで、何かあったら呼んでください」

 声をかけ、おうよ!という声を背中に受けつつ更衣室へと向かう。早くシャワーが浴びたい。スーツの中は汗をかき不愉快極まりない。腹も減った。シャワーを浴びたら飯にしよう。そうと決まればとにかく急ごう。さぁ急ごう。心持ち早足で基地の中を歩いていく。

 汗を流し飯も食い、腹も満腹気分爽快。だが、時間が余り余って仕方がない。ここは娯楽がまったくない。

 自室からふと風景を見渡す。既に太陽は無く夜の帳が落ちている。人の営みを感じさせる光も無いというか、広い基地以外の建物が全くない。そこは砂漠だった。位置も録に知らされていない。これは元々そういう契約だ。所謂、機密という奴か。ただアメリカの何処かであることは分かっている。契約元はクレストとだし。

 机上の本を手に取る。同僚に借りた古ぼけた一冊の本。よくある設定、ありきたりなストーリー、自分が生まれるより前にヒットしたラブストーリーらしい。暇だと愚痴をこぼしたら同僚が押し付けてきた物だ。いい年した子持ちが今更、ラブストーリーとか、というか何故自分にラブストーリーなのかなどと思うところは色々あるが、暇潰しには最適ではある。ちなみに自分が生まれる前だと伝えたら拳で殴りかかってきた。理不尽だ。

 まぁ、それはさておき、何故、根無し草である自分がここにいるのか、ふとそんなことが思い浮かぶ。

 あの頃は連戦続きで曖昧ではあるが、北アフリカでの革命に参加していた頃だったと思う。いや、確かにその時だった。いざ、思い出してみると、彼等の第一印象がとても強く印象に残っている。戦闘が終わった、まさに終結直後、周りが薄汚れた戦闘服に身を包んでいる中で、小綺麗なスーツを着た集団がこちらに歩いているのを見れば、印象にも残るだろう。

 いくらイチゴイチエが基本の傭兵とはいえ、戦場を共に駆け抜けた仲間達とそうでないかの判別ぐらいはできる。あの時はそんな場違いな連中を摘みに、終戦と勝利に浮かれてぱあッと一杯やりに行こうぜ、てな感じで盛り上がっていた気がする。彼等が自分の前に来なければ。その時の様子を一言で表せば何故?という率直な感想で事足りる。

 その後は、大きな報酬に釣られてほぼその身一つでアメリカに乗り込み、様々なテストを受けて今に至る。

 何の為に今こうしているのか?と聞かれれば金の為と答えるだろう。その金は何の為と聞かれたら、自分にその答えは見つからない。戦って戦って戦い抜いて来たけれど、戦う意味を考えるとその意味は未だに見いだせない。あえていうならば惰性、なのだろうか?過激な惰性もあるものだと自分でも思う。戦う意味、生きる意味、自らの目的。考え出したらきりがない。

 思考を中断し時計を見れば、既に真夜中に踏み込み始めようとしていた。本の中身も録に頭に入っていない。明日もまた朝早い、今日は寝るとしよう。


  

 今日のテストの内容は間接部の耐久及び機体の負荷限界のテストだ。機体の開発は順調なことこの上ないらしく、基本動作の開発行程もいよいよ終盤。そろそろ戦闘を考慮したテストも視野に入れている、だそうだ。


 いつもの試験場、障害物を走って交わし、その後、ある程度の重量のあるオブジェクトを規定の位置へ運ぶ……。それを延々と繰り返す。耐久テストなら専用の装置を使ってやって欲しいものだが、所謂こだわりというものらしい。延々と続く耐久テスト。いつの間にか無駄な思考を切り離し、無心で作業を行っていた。

『オーケー、オーケー。もう良いよー』

 は、と気付けばテスト終了。いったいどれ程の時間続けていたのだろうか、膝の間接への重大ダメージのアラームと同時に画面に広がる研究員の顔とそのどこか満足げな表情と声。それなりの結果はでているようだ。

 機体をハンガーに乗り入れ、所定の位置へ。胸部ユニット後方の複合装甲が開き、コクピットブロックが展開。同時にブロック上方ハッチが前方へスライド。対Gスーツとコクピットの固定を解き外へ。ディスプレイ一体型のヘルメットを外せばひんやりとした空気が心地良い。

「ほいほい、お疲れさん。今日の行程は終わりだから休んでいいよ」

 技術主任のシゲさんから声が掛かる。今日は間接部にかなりの負担をかけた。膝部の電磁筋肉、いわゆるアクチュエータ系も取り替えないといけないし、整備の方も大変だろう。

「わかりました。先に戻ってるんで、何かあったら呼んでください、そんじゃお疲れ様でした」

 声をかけ、おうよ!という声を背中に更衣室へ。早くシャワーが浴びたい。スーツの中は汗をかき不愉快極まりない。腹も減った。シャワーを浴びたら飯にしよう。そうと決まれば急ごう。さぁ急ごう。心持ち早足で基地の中を歩いていく。
 
 シャワーで汗を流し、気分一新さっぱりとした後、足は自然と基地PXへ向かう。人はやはりそれなりに。なかなかメニューは充実しているが、カウンターでオムライスが入ったセットメニューのAセットを注文。アメリカンサイズは流石に無理なので量は少なめに。料理を受け取ると窓側の席へ。席に着き食前の祈りを略し、いざ食べようとするとそこへ声が掛かる。

「よう、隣良いか坊主?」

 声を遡り、横を見上げれば、金髪を刈り上げた筋肉隆々のいかにも軍人っぽい男性と鋭利な目線と黒みがかった灰色のショートカットが特徴的な女性の姿。

「構いませんよ?ジャックさんにラナさん」
「ハハッ、まあ断られても座るんだがな!」
「ふむ、失礼する」

 金髪の男性、ジャックはあくまで豪快に。ダークグレイの女性、ラナは動作までもをクールに振る舞う。

「それにしても相変わらず、食が細せなぁ、だからお前はちっこいままなんだよ」
「確かに、それでは大きくなれんぞ?」

 ……いやいや、いきなりですね、あんた達。てかそっちが食い過ぎなだけだから。ジャックは見かけ通りにトレーの上にどっさりとした料理の山。肉、肉、野菜、肉、肉、果物。うわ、見ただけで腹一杯になりそうだ。一方でラナの方もトレーの上はこんもりと。こちらは野菜、肉、炭水化物とバランス良く。量は普通に多いけれども。

「二人ともよくそんなに入りますね……というか、小さくて悪かったですね」

 本当に余計なお世話だ。確かに自分は大きくはない、そりゃ170にも届かないけれど。ジャックが190前後、ラナも170は楽に越えているのを考えれば、これは僕が小さいわけではなく、二人が大きいだけということなのだ、きっと。それに僕は成長期の真っ只中だし、アジア人のティーンエイジャーの身長としてはそれなり程度ではなかろうか?

「そう怒るな。だが早く食わんとお子様味覚の坊主が大〜好きなオムライスが冷めちまうぜ」
「まぁ、そもそも私達は事実を述べただけだしな」

 カチンと来た。こいつら、人を子供子供と思ってからかいやがって。

「余計なお世話です。人の事気にしてる暇があったら、自分の食事を進めてください」
「ん?何を言ってる?こっちは普通に食ってるぞ、なぁ?」
「ふむ、全くだな」

 二人のトレーを見ると、いつの間にかその山は半分にまでその数を削られていた。腹の容量以前にあんたら一体いつ食べてたんだ?いや、そんなことを気にしていたら本当に料理が冷めてしまう。溜息を一つ、もう気にしないことにしてスプーン片手に食事を進める。む、やはりここの料理は美味い。今度は舌鼓を一つ。魚を切り分けサラダを摘み食事は進む。相変わらず目の前の二人のペースは異常だが。

「……それで、そっちの調子はどうだ?」

 料理を食べ終わろうとした頃、満足そうに口を拭いていたラナがこちらに問い掛ける。

「調子は上々ってところかな。MTと比べても操作性は悪くないからね。逆に運動性やスピード感からこっちの方がやっぱり好みかも……それで二人の方はどうなの?」
「そうだな。私の方も順調ではあるな。戦闘機と違ってあれだけ、自由に動けるのは確かに爽快だ」
「俺の方も問題はないな。あれの重厚感といいフォルムといい、そもそも俺の好みといった感じだからなっ」

 ジャックの方は何か少し違う気はするが、二人共やはり好感触。そう何を隠そう、この二人も自分と同じあの機体のテストパイロットなのだ。

 ……同じとは言っても、此処に来るまでの経緯、搭乗している機体のコンセプトはそれぞれ全く違うものだが。

 ジャックが重量型で、ラナが軽量型。そして自分が中量型。これがこの計画の中心となる三機の概要だ。テストパイロットも自分達三人でそれぞれの担当機体の面倒を見ていくこととなる。

 まあ確かになかなか大変なことではあるが悲観はしていない。これは自分に課せられた責任であり任務でもあり、そしてなによりとてもやり甲斐のあるものなのだから。


 このあとはテストパイロットらしく、担当機体の事や機体の扱い方、今後のテストなどについて話し合った。いつもは馬鹿な雑談で時間を過ごしていたので、珍しい事もあったものだとは思う。まあ、途中でシゲさん達整備班が乱入し、いつの間にか酔っ払い共の馬鹿騒ぎになっていたので結局は変わらない愉快な日常なのだろう。

 当然のことながら、翌日のテストは皆、二日酔いで低調であったことをここに追記しておく。



[28662] Chapter1-2
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/11/26 09:43
 見渡す限りの荒野の中を駆け抜けていく。
どのような悪路をも駆けるための無限軌道、クローラ。
 見るからに重厚な装甲。

 それは一見するといわゆる戦車のようなものであった。戦車のようなもの、そう、それを戦車と断定するには確かにいささか違和感がある。

 まず、現代の戦車の象徴とも言える砲塔が見当たらない。いや一応、砲塔に属するかもしれない部分は、確かに武装は存在している。しかしそれは一見して厚いと分かる重厚な金属塊に機関砲とみられる四つの発射装置と思しきものが備え付けられているのが見受けられるのみで、回転機構は見受けられず、そもそもこれでは現代における戦車としては到底火力不足だろう。

 だが、なによりも大きな違いがそこにはあった。戦車に「腕」などが存在していただろうか?

 荒野を疾走する戦車の前方、いくつかのオブジェクトが出現する。ターゲットドローン。それは撃破するべき目標だ。戦車もそれは分かっているのだろう、備えられている機関砲により射撃。延びてゆく火線。命中。倒れるような形でオブジェクトが消える。

 続いて後方にオブジェクトが出現。

 本来であれば、そこで砲塔を回し発砲するなり、少し時間をかけ旋回を行う等を行っただろう。しかし、この戦車もどきには回すべき砲塔は存在しない。そして、ここでそれは戦車と決定的に異なる最大の様相を見せる。

 不意に、走行しながら車輌後方が持ち上がる。普通なら故障か何かのトラブルか、と予測をつけるところだ。だがそれはその予測を大きく裏切ることとなる。

 車輌後方はさらに持ち上がり、いやそれは正確な表現ではないだろう。

 それは明らかに立ち上がっていた。前方のクローラが爪先に、クローラの後方が重厚な装甲を備えた脚部へと変わる。それは戦車ではなく巨人の類であった。四mを越える巨人。

 PX−03 TYPE−GAEA

 プロジェクトの三番目。重装甲高火力をコンセプトとした三機目の機体、それこそがその戦車もどきの正体であった。

 片脚を軸にし、速度を利用しての急速旋回。両腕は前方に、狙いは出現したオブジェクトへ。ロックオン。発射。

 次の瞬間、腕に付随している盾型のミサイルランチャーから誘導射撃が放たれる。放たれたそれは狙いを寸分違わずオブジェクトに飛来。命中。撃破。それと同時に機体は戦車へと姿を変形。再び荒野を駆けて行く。


 一方、別の試験場でもまた機体のテストが行われていた。

 疾走。跳躍。急旋回。着地と同時にブーストジャンプ。空中での方向転換。着地。急加速。

 それは縦横不尽に荒野を駆け回り、跳び回る。勿論、そうしている間にも狙いとなるオブジェクトは出現を続け、その度に撃破し続けられている。純白の装甲に赤いポイントがよく映える、空中を軽快に跳ね回るそれは、まさしく高機動性を体言してみせる機体であった。

 PX−02 TYPE−URANUS

 文字通りの高機動性高運動性をコンセプトに持つ軽量二脚の試作機。プロジェクトにおける二番目の機体だ。

 時にカラス足と称される折れそうな程に細い脚部。流線形のコアと頭部。長い両腕部もまたこの機体の特徴といえるだろう。機動性を確保する為に限界まで削られた装甲。空力特性をも考慮して形作られたデザイン。軽快な高速三次元機動。それは、重量二脚のガイアとはまるで対極となるような戦闘スタイルであった。



「まったくもって特徴的だなぁ」

 狭いコクピットの中で息を吐く。重装甲高火力のガイアと高機動のウラヌス。搭乗しているジャックとラナの性格を考えると機体に合いすぎであると思う。確かに彼らの経歴からすれば当然なのかもしれないが。

 自らの機体の中、出番を待ちながら二人のテストの様子をモニターで確認し、そんな事を考える。

『レイヴン、時間です。テストを開始してください』
「了解」

 そして遂に開始される自らのテスト。そうと決まれば、始めから全速力で。

 始めの数歩を強く踏み出し、そのままブースターにより加速。エネルギー残量に気を配りながらも加速の手は緩めない。

 最高速度へと到達しようとしたところでオブジェクトが出現。浮遊移動型のターゲットドローン。浮遊移動とランダム回避を延々と続けるもので攻撃力は皆無、そもそもの移動力機動性自体はたいしたことはない。

 計四つ。斜め前方左右に二つ。FCSは既に対象を捕捉。速度を維持したまま右腕のアサルトライフルを目標へ重ねる。
 発射音。まずは一つ。続けて二つ。

 後方にもターゲットの出現を確認。速度を利用し、滑るように急旋回。ドリフトターン。右腕はその間も目標を捕捉中。旋回中の連続射撃。これで計四つ。

 次は新たなターゲットを確認し、狙いを定める。前方正面並んで再び四つ。

 高速移動用のブースターを起動。緊急用高出力ブースター、オーバードブースト。

 甲高い吸引音。直後に機体を強烈なGが襲う。オーバードブースト、略称OB。それが為すのは、オーバードブーストにより圧縮された空気とそれの単一方向、急速かつ連続的な放出。それは四mにもなる鋼の巨人に高速移動を実現させるほどの出力を持つ。

 急加速。急接近。前方に目標を確認。
 ……五つ。六つ。
 高速移動中の射撃にて二機を撃破。続いて目標に接近、オーバードブーストをカット。機体は徐々に速度を落しながらも、その勢いは尚健在。

 左腕武装、実体ブレードを起動。擦れ違い様に七つ。斬り付けられたターゲットは火花を散らしながら、中心から上下にその身を別ける。

 機体を残りの目標へ旋回させながら、オーバードブースト再起動。急加速。ブレードの切先は目標へ。

「八つ」

 刺突。内部構造を貫かれたドローンは機能を停止。左腕を引き抜き、ブレードから邪魔なそれを分離させる。同時にレーダー上、ターゲットが再び出現。

「……うわ、どれだけやるんだ?」

 再び機体を目標へ。疾走する黒い機体、目標を捕捉する赤いアイセンサー。丸みを帯びた流線型。右腕にアサルトライフル。左腕には実体ブレード。専門性ではなく汎用性、バランスと万能性を求めたその機体。

PX−01 TYPE−CHRONOS

 プロジェクトの一番機。基礎であり、基本であり中心。
 それがこの機体の正体だった。






 ハンガー。

 そこは巨人達の眠る場所であり、整備員にとっての戦場だ。少し肌寒い今の気候においても、そこだけは今も尚、熱気に溢れている。

 指示を出す声と確認する声、時には怒声すら聞こえてくる。とにかく慌ただしく人が動く。稼動部のチェック、損傷具合の診断、データ入力、新たなパーツの運搬、各部パーツの交換……。そのような状況においても彼らは自身の為すべき事を確実に行っていく。それは彼ら自身の趣味や興味故に、果たすべき義務故に、そしてなにより彼らの持つプライド故に。

「……ぷは」

 そんなハンガー内の様子を見ながら、降機の際、整備員に渡されたドリンクボトルで喉を潤す。味はなかなか表現しにくい味だが、その中身がスポーツドリンクであることはわかる。温度は少し温め。こちらの身体にも気を使ってくれてのことだろう。

「……ふいいぃ」

 ベンチの隣で座っている度でかい筋肉塊も、今はドリンクを煽りながらぐでーんと脱力状態にある。気持ちは確かに分かるけど上半身裸の塊は……正直少しキモチワルイ。汗まみれだし。

「まったく今日は疲れたな、おい」

 ぬめぬめ筋肉団子こと、ジャックはぐでぐでーんという状態を維持したままこちらに話し掛ける。

「皆、いつもよりピリピリしてましたし、あとテスト内容もいつもより明らかに増えてましたしね」
「そうかー、増えてたか?」
「はい、増えてました」
「増し増し?」
「ええ、増し増し」

 はぁ。ぐびり。

 どちらからともなく、自然にこぼれる溜息。そして二人とも同時にボトルを傾ける。とにかく今日はいつもより疲れた。モニタリングスタッフも今日はどこか緊張した眼差しと声色で、整備スタッフもかなり気合いの入った様子ではあった。理由はよくわからないが、とにかく今日は特に緊張感溢れる雰囲気のテストであったのだ。

「……おっと、あいつもやっと戻って来たか」

 筋肉達磨がふと呟く。視線を追ってハンガーのメインゲートに視線を向ければ、そこにはハンガーへと入ってくる白い機体が目に入った。

 軽く地面を震わせるような歩行音。それは大きく「2」と描かれた整備台(ピット)まで歩を進める。整備台直前で向きを変え、後ろ向きで整備台に機体を着ける。

 そして所定の位置へ移動させると、膝を床へと着き降機体制へ。コア後部のコクピットブロック展開と共に搭乗員が降機。それを見た近くの整備員は自分達の物と同じドリンクボトルとタオルを手渡す。

 その搭乗員は渡されたドリンクボトルを片手にヘルメットを外しながら、整備員達の労いの声を背中にこちらへと接近。

 ……ヘルメットを取ったその表情はやはり少し疲労気味。

「よう、お疲れさん」

 筋肉はその搭乗員――当然ながらラナである――に脱力体制のまま声をかける。

「いやはや、全くその通り。大分疲れたよ。とまぁ、そっちも大分お疲れのようだがな」

 苦笑いで声を返すラナはいささかげんなりとした表情。実際無理もない。軽量級という最も機動性が高く、最も高いGが掛かる機体を操っていたのだから。いくら職業柄、Gに慣れているとは言っても、キツイものはキツイ事に変わりはないだろう。

「今日はいつもよりハードでしたからね。理由はよく知らないですけど」

 着機したばかりの白い機体――ウラヌスの方に視線を移すと、早速シゲさんの指揮の元、整備員達による作業が始まっていた。

「む。……よく知らない?君は理由を知らされてないのか?」

 何だか意外そうにラナがこちらに問い掛ける。というか、え?理由知ってるの?

「おいおい、俺もそんなもん知らされちゃいねえぞ?」

 隣からも自分と同じ感想。自分だけ省られたのではなくてほんの少しの安心を感じるが、同類扱いにほんの少しのがっかり感。

「おかしいな?私はテスト直前に知らされていたのだが」

 ラナはボトルとヘルメットを抱えながらも不思議そうに首を捻る。内容は少し気になるもののそれはともかく……

「その話は飯食いながらにでもしませんか?」

 外はもう暗闇んできているし、早く汗も流したい。腹も減ったし、そもそも今日のスケジュールは既に消化済みの筈だ。

「ふむ、では話は後でそうしようか。今は汗が煩わしくて堪らんからな」
「俺はどっちでも良いぜ?空腹なのは同意だしな」

 ラナ、ジャック、共に同意見。

「よし、それじゃシャワーを浴びた後でPXの何時もの場所、ということで」

 うし。了承した。それぞれの了解の言葉を聞き、シゲさん達に声を掛けた後、シャワールームへ向かう。全身にべたつく汗が不愉快だ、早く洗い流してしまいたい。




 PXアゲイン。

 目の前には二つの山がアゲイン。

 料理にがっつく二匹の獣もアゲイン。

 ……やっぱり今更だけど、二人は良い大人なのにこの食事の態度というのはどうなのだろう。別にマナーやらなんやらを守れとは言わないが、やはり豪快過ぎる。ジャックはともかくラナの方は二人ほど子供がいた気がする、というかいる筈なんだけど。

 フォークでパスタを丸めて取り口へと運ぶ。相変わらず美味しい。シゲさん達キサラギの調理スタッフが派遣されてると、聞いたことがあるけどその影響なのだろうか?

 がつがつばくばく。

 ラナの話が気になるのだが、今は二人ともそのような話を聞ける状況ではないようだ。結局話が聞けるのは食後になりそうだ。デザートのチョコプリンをスプーンで切り取り口へと運ぶ。美味しい。甘すぎず少しビター、それでいて苦過ぎるということはない、ほど好い甘さ。美味しい。食は進めど、話は進まず。



「ぐぇっぷ」

 真正面に位置どる筋肉体から奇怪な鳴き声が。

「おいジャック、汚いぞ」

 筋肉体の横に座るハスキーボイスは優雅に食後の紅茶なんかを楽しんでいる。ラナはジャックより上なのか。胃の容量的に。

「へいへい……所でラナ、ハンガーで言ってた話っつうのは一体何なんだ?お前さんだけ知ってたみたいだが?」

 少しふて腐れた表情を切り替え、ジャックがラナに尋ねる。そういえば目の前の光景のお陰で忘れてたよ、その主旨を。

「ふむ、そうだな。まぁ、別にたいしたことではないんだが……」

 ラナは口につけたカップをソーサーに戻し、脚を組み直しながらこちらを見つめ再び語り始める。

「今回のというかだな、私達が今こうしてテストに赴いているこの計画の事は知っているだろう?」

 それはもちろんだ。

 ISに対抗できる兵器の開発計画、プロジェクトファンタズマ。日米仏、キサラギ、クレスト、ミラージュの三社の共同による一大計画。

「その通りだ。ちなみにキサラギ側によるネーミングだそうだ。まぁ、それはどうでもいいとして、テスト機体の調子は始めの頃に比べてどうだった?」
「俺は上々だと思うぜ?基本動作、変形機構、どれもトラブルは減ってきてるし、動き自体も滑らかになって来ているしな」

 確かに。実際に操縦していると分かるのだが、自分達が機体特性を理解して来ている事以上に、今までテストによって得られたデータから反映させたソフトとハードの調整が大きくその機体の動作に関連してきている。

「そう、テストは順調だ。まだシステムが完璧ではないにしても、基本動作等のテストなどはもう完了段階に入っているらしいからな」

 それはシゲさんから聞いている。ミラージュからの操作系のパーツの納入が遅れているらしい。だが、それ以外はもう次のテストに入っても良い頃合だろう、と。

「それで話の本題なのだが、今日はその完了段階すなわち、実際の商品となるだろう機体のちょっとしたお披露目会だったというわけらしい」

 ……お披露目会?

「そう、お披露目だ。とはいっともそれを目にする事が出来たのはごく一部だからな。限られた人間に対するデモンストレーションであると言った方が良いか」

 そこまで言って、ラナは再びカップを傾け息をつく。

「別に俺はいつも通りにするだけだから、お披露目だ、デモだ、とかはどうでもいいんだがよ、整備員達の緊張は半端なかったように見えたぜ?その緊張するほどのお偉いさんってのは一体誰なんだ?」

 ジャックも納得のいかない表情を浮かべ、ラナへと問い掛ける。それは自分も同意見だ。共同三社の企業のトップ程度なら整備員達は既に慣れたことだし、緊張することはない。ならばスポンサー関係?それもかなり大きな……。

「正解、かなり大きなスポンサーだ。だが、ただ普通のスポンサーじゃあない」
「ただの、それは企業レベルではないってこと?」
「そうだよ、今日のお客様は企業じゃない、国家だ。うちの国防総省(ペンタゴン)に日本の防衛省。どうやら奴らは本格的に動き始めるらしい」
「軍備の拡大ですか?」
「恐らくな。十年以前の軍事的優位性を未だに忘れられないのだろうさ」

 十年前までアメリカが持ち合わせていた軍事的優位性。それはISの登場により、消え去ってしまった。戦力的にもさらには対費用効果という点でも大きく優れるIS。
 ISの数が戦争の結果を左右するとまで言われ、それに伴う軍縮運動によって、ISに対し無意味とされた従来兵器はその居場所を追われ、多くの機体、車輌が博物館や航空ショーへの利用など民間に払い下げられ、次々に戦場から退いていった。

 ではここで、ISに対抗でき尚且つISと異なり量産ができる存在が現れたらどうなるだろうか。平衡化した軍事バランス、それを一方化し得る存在。
 これに世界の覇者を名乗るアメリカが飛び付かないはずがない。

 まぁ、それは置いといて

「でもその場合、僕達は軍の管理化に置かれるってことなんですか?」

 確かに自分は傭兵ではあるが軍人ではない。軍に入ってガチガチの規律の中で働けというのは個人的には正直御遠慮願いたいものなのだ。

「いや、それは今の所は大丈夫だろう。あちらとしても、主流は次世代機のISの開発であるという話だからな。今回としてもスポンサーであるというだけで、モノに為っていたらラッキー程度の感覚だろうさ」

 成る程。あくまでもこちらは傍流、邪道というわけか。まぁ、今の世の中で従来兵器に賭け、時代を逆行する僕らにとっては、ピッタリと言えばピッタリかもしれないけれど。

「それでジャックさんはどう思い……ます、か?」

 この話を始まって以来、珍しく静かにしていた男の方に目を向ければ。

「むが?」

 いつの間にか追加注文をし、ひたすらに喰いまくっているジャックの姿があった。

「むごうごむうが、むんがむがむが!」

 発せられる謎の言語。解読は不可能だ。

「……話すなら、きちんと飲み込んでからにしろ、子供じゃあるまいし」

 ラナも呆れた様子。でもラナも食事のマナーに関しては、説得力ないからな?言っておくけど。
 それはさておきジャックは口の中の料理を飲み込み、ジョッキに残ったアルコールを喉に流し込んだ後に口を開いた。

「へ、軍なんて糞ったれだって言ったのさ。もしこの計画が軍に置かれて、軍籍になったりしたら、絶対ぇ俺は辞めてやんぜ?」

 はぁ、やっぱり思った通りか。
 ジャックの軍嫌い、それは今に始まった事ではない。
 ここに来る前は軍属であったジャック、彼とて十年前まではそれなり以上の名を持った戦車兵であった。軍に尽くし、戦友を守り、そうして実際に戦場を駆け抜けた猛者だった。
 しかし、ISの登場が彼の運命を大きく変える。不要とされた従来兵器群、それは彼の部隊も例外ではなかった。
 伝えられた部隊の解散命令とスクラップとされると伝えられた愛機、さらには軍備費の削減の為に戦友達の除隊を迫る上官の姿に、彼は自ら除隊志願書と共にその拳を叩きつけた。
 軍への不信。それは命を賭けて尽くしてきたものに裏切られたということを原点としているのだろう。

 だがしかし、訳ありなのはジャックだけではない。今こうして目の前でジャックと口論をしているラナだって、元はアメリカ空軍のトップエースだった存在だ。そんな誰もが認める花形が、こうして「陰」を歩んでいる。

 邪道。そこを進む者は何かしらの理由という物を抱えている。ジャックしかりラナしかり、シゲさんしかり、クレストやキサラギ、ミラージュでさえも。何かしらの理由と過去があって、今、ここで無理無謀に挑んでいる。
 無理だと呆れる者もいるだろう、馬鹿だと嘲笑う者もいるだろう。だが、それは当然のこと、既に解っていることだ。時代に逆らうとは須らくそういう事なのだから。

 それでも、僕らは進んでいく。いくら邪道に見えようとも訳ありの僕らにとってはそれが唯一の正道だから。

 そんなシリアスな気分に浸りながら目の前の口論を眺める。既に口論は話題と関係なくただの悪口ゾーンへと到達している。二人を煽り立てるギャラリー。さらにヒートアップしていく同僚、と、あ、殴った。周りではオッズがどうのという話まで聞こえ出した。

 とことん最後まで締まらない日常であるが、そんなこんなで忙しかったその日の幕は閉じた。



[28662] Chapter1-3
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2012/10/18 22:04
 照り付ける太陽と、すぐ下方から香る冷たい土の臭い。
 僅かにそよぐ風の音と血を巡らせる心臓の鼓動の音。
 襲い掛かるのは受動的な感覚。しかし、今はそのすべてを意識から切り離し、覗き込んだスコープの向こうに全神経を集中する。

 銃床に右肩を、トリガーに右手を、左手はストックに。伏射姿勢。地面と平行に身体を投げ出し、抱え込むようにして銃を構える。伸びる長大な銃身、その先は遥か遠方のターゲットへ。
 目を閉じて大きく一つ深呼吸。息を大きく吸い込み、吐き出す途中でそれを止め目を開く。

 距離確認。気温確認。気圧確認。湿度確認。風確認。照準を微調整。再設定完了。目標は遥か向こう。銃口も標的を捕捉。50口径の銃身の奥、チャンバーの中では12.7mmの銃弾が出番を今か今かと待ち侘びている。

 ……ならばもう躊躇する必要はないだろう。

 身体を貫く重い衝撃。周辺に響く重鈍な発射音。
 炸裂したエネルギーを一手に受け止め、解き放たれた弾頭は、銃口を飛び出し音速を超えて遥か遠くのターゲットへ。

 さてと、結果はどうなのか?送られてくる映像を待つ。
 握りしめた手の平に汗がにじむ。心臓の鼓動が強く早くビートを刻む。
 吹き抜ける風と揺れる草々のさざめき。それは冷ややかな緊迫感ともあいまってその場を多様に彩ってくれる。

 黒いディスプレイ上、何も映していなかった画面に変化が起きた。視線の遥か先、肉眼ではまともに確認が出来ない標的がディスプレイに示される。人型の標的。その頭部と胴体部分には円状のターゲットマーカー。その胸部中心に残る弾痕。

「■■■■■!!」

 すぐ隣から聞こえる悲鳴を尻目に、思わず大きくガッツポーズ。

「よしっ!見ました?ジャックさん。これ完全に当たってますよね?当たってますよね?」

 ディスプレイに映るターゲットを指差し、悲鳴というか悲哀の雄叫びを上げながら、今は横でうなだれるジャックに声をかける。

「……」

 はんのうがない、ただのきんにくだるまのようだ。
 だけど、そんな事今は関係がない。賭けに勝ったのはこっちなのだから。勝ちは勝ち、負けは負け。

「ジャックさん、秘蔵の逸品、約束通りいただきまーす!」

 よっしゃーと喜びを隠せず再度ガッツポーズ。

 それはジャックによる急襲から始まった。
 暇潰しの射撃訓練。突然のジャックの襲撃。ライフルを寄越せ(所持権的な意味で)という暴論。いやいやちょっと待てと口論。なぜか互いの物をベットとした賭け事に発展。そして伝説へ……。
 ジャックは秘蔵のビンテージワインを賭け、僕は先程使用した新モデルのBFF社製対物狙撃銃を賭けた。
 その結果はこの通り。あぁ、なんと可哀相に……哀れな敗者がまたここに一人生まれてしまった。

 よくわからない高いテンションで喜びを噛み締めていると、倒れ伏せていたジャックが再起動を果たした。

「ちょいと待ったぁ!!まだ勝負は終わっちゃいねぇ。誰も勝負が一回とは言ってないからなぁ……!」

 詭弁だなとは思うけれど、アドバンテージはこちらにある。時間はまだあまり余っているので暇潰しの勝負は大歓迎だ。

「聞いたぞ。聞いたからなぁ!絶対に取り返す、いやむしろ奪い取る……!」

 ジャックはぶつぶつと独り言。その図体でその行動は中々に薄気味悪い。
 やれやれどうなることやら……。




 本日の天候は晴れ。最近は寒い日々が続いていたけれど、今日は珍しく暖かい。空を見上げれば雲の一つも見当たらない。まさに快晴。まさに絶好の休暇日和とでも言っておこうか。

「……」

 横には哀れな敗者の姿。これが真剣勝負に負けた者の行く末か、あぁ、なんと恐ろしきことかな。
 とまぁ冗談はさておき、結果は、戦利品が倍以上に増えたと言えば分かってもらえるだろう。
 勝負方法は各種ゲーム。ビリヤード、ポーカー、スロットその他諸々。ちなみに、これらのゲームはあまりに娯楽がなさすぎるために、整備員の有志達が収集し作り上げたものだったりする。
 中には使っていないプロジェクターと私物のPCを繋ぎ合わせ、空いている会議室でミニシアターを運営している猛者もいる。これは女性スタッフを中心に人気だ。

 勝負としては絶望的とまでは言わないが、相当の不器用さを誇る猪突猛進ジャックなだけに、なぜビリヤードなどの、ある意味思考とテクニックを必要とするものを選んだのかは理解に苦しむ。
 ビリヤードは僕も初体験ではあったが、ジャックは突く度にボールが外に吹き飛んでいくから、負けようがなかった。その他も以下ほぼ同文。

 しかし、勝負も終わり、時間が空くとその使い方には困ってしまう。
 今日は久方ぶりの休日。
 その理由は、今日は機体の総整備とようやく納入されたミラージュからのパーツの取り付けに掛かるからということらしい。
 前々から言われていた新パーツ。となると、次からは目標に当てるだけでなく本格的な戦闘試験が始まるという事になるのだろうか?

 回避運動を含めた戦闘機動。実武装と機体運用システムの確認。量産化に向けた回避ルーチンと簡易モードの構築。
 将来的にやることは考えるだけでもたくさんある。今現在はやることがなくて暇ではあるが。

 さてどうしよう、時間は空いた。映画でも見に行こうか、いや、どうにもそんな気分ではない。ならばどうするか、久しぶりに私物の整理……ああ、ちょうど良い、「私物」の状態でも見ておこう。

「おーい、ジャックさん。いつまでそうやってるんですか?」
「……」

 反応がない。ただの……いやカツドン?テンドン?そんなネタはどうでもいい。とにかく、やることは決まったのだから、ジャックをどうにか動かそう。

「ちょっとやることができたんで、付き合いませんか?」
「……」

 反応がない。余程秘蔵シリーズを失ったのがショックだったのか中々に厄介な状態だ。

「前から言ってたあれ、触っても良いですよ」
「……!」

 僅かに反応。一度始動すれば、もう一息。

「……実際に動かしてみても良いですよ」
「その話、乗ったぁぁ!!」

 ジャック復活。釣り上げ成功。
 日本のアマテラスとかいう神様ではないけれど、どうしても動かないのなら、餌で釣って自発的に動せば良い。この単純馬鹿め。
 まぁ、それがジャックの良いところでもあるんだけど。馬鹿だけど憎めない筋肉馬鹿。馬鹿だからこそ憎めないのかな?

「おおーい!何やってんだ早く行くぞ!」

 いつの間にか先に歩きだし、こちらに手を振っている。
 はぁ、なんというかまったく、これじゃどっちが子供なのか分かったものじゃない。
 見た目的には完全に僕が子供なのだろうけど。
 まぁ、とにかく、

「ジャックさん、そっちは逆方向ですよ」

 目的の場所へと急ぐとしよう。




 許可を取って、いつも利用している第一ハンガーではなく、基地の端っこの方に存在する第二ハンガーへ。

 一目で分かる古ぼけた大きな広い建物。所々に錆が目立つ正面メインゲートの鍵を解放。金属製の重たい扉をスライドをさせ開けていく。
 建物の中に差し込んでいく光。それは暗かった中の様子を朧げに映し出す。

「おお!!」

ジャックが歓声を上げる。それはジャックにとっては仕方のないことだったのだろう。
 少し暗い室内、そこに居たのは旧き戦士達の姿だった。人によっては彼であり、彼女であったのかもしれない。
 例えば、鋼鉄の身体と翼を持つ流線型のその姿。心臓は二つ。二十一世紀初期までに及んで世界最強と謳われていた空の戦士。
 例えば、重厚な装甲。傾斜の付いた鎧を纏い、そこから前方に伸びる44口径の強力な槍を備えた陸の猛者。
 
 あえて言い表すならば、そこは格納庫(ハンガー)というよりは博物館といった様相だった。
 かの有名なスミソニアンではないものの、そこでは多種多様、多くの戦士達がその役目を終え深い眠りについていた。
 歴史を感じるモノではあるが、定期的に整備を行われているのか、真新しい部分も目立つ。
 そんな歴戦の勇者の中、ハンガーの隅に本来の目的であったモノの姿が、臨時のピットに支えられ直立した状態で存在していた。

 無骨な造形、二足歩行の人型であっても、その姿は異形のモノだ。首はなく頭部にあたるセンサー部は胸部は一体化するようになっている。腕部と脚部は操縦者の手足を保護、延長するかのように伸びたデザイン。例によって、前面の装甲は戦車などとは比べられないが、他の部分に比べれば厚く出来ている。
 そして、その厚い装甲には未だに傷や凹みが目立つ。腕部や脚部のそれには大きな擦り傷が残っている。背部のブースター付近の物は熱に当てられたのか少し変色している。

 MT(Muscle Tracer)、マッスルトレーサー。世界でも初となる多目的大型パワードスーツ。

 それは懐かしい以前の相棒の姿だった。懐かしいとは言っても、最近これに乗って戦っていないということだが。
 まぁ、その懐かしいという感覚は、最近という時間よりも遥かに長く過ごしてきたという事実を意味しているのだろう。
 偶然出会ったこの機体に何度も命を救われ、何度も共に危機を乗り越えてきた事を今でも覚えている。
 本来の機体名はよく覚えてはいないが、ただ思い入れのある機体であり、戦友であるという認識が、名前なんかよりも遥かに大切であると思っている。

 それはそうと、約束通り(約束はしていないが)ジャックに少し動かさせてあげよう。
 
「おーい、ジャックさん!こっちこっち!」

 ジャックに声を賭けるが、ジャックは定置されている戦車に片手を着けたまま、視線をその鋼鉄から放さない。

 無理もないか、実際の相棒ではないのだろうが、それとおそらく同機種。
 僕がMTに感傷を覚えるのと同じく、ジャックにとっても戦車という物は大切な物であったのだから。

「ジャックさん?おーいジャック、乗らないのかい?」
「あ、ああ、乗るよ。乗らせてくれ」

 やっとの所で反応し、笑顔を見せるがその表情は幾分か硬いもの。
 けれど、ジャックはジャックだ。乗っていれば直に元に戻るだろう。

「ほら?早くこっちへ来て下さいよ」

 ようやくMTへと辿り着くその巨体。あれ?今更だけど、MTを装着できるのかな、その図体で。
 ……きっと大丈夫なはずだ。相棒は輸出仕様のはずだし。とにもかくにもやらないことには始まらない。

 頭部横、胸の上方部といった所、十五センチ四方程度の大きさのカバーを開き、中のレバーを引く。
 直後に起こる作動音。折り重なるようにして構成されていた前面装甲が開き、頭部センサーユニットが上部に可動して、機体の本当の意味での中心、内部のコントロール部分が露出する。

 それは本当に見慣れた光景、日常であったと言い換えてもいい。今までの癖で何となく装着しようとしてしまうが、今日使うのは僕ではないのでなんとか押しとどめる。

「ジャックさん、はいどうぞ」
「お、おう」

 戸惑ったような様子を見せるジャック。そういえば乗ってるのは見せたけど、乗機や降機のところは見せてなかったっけ。

「そう。上着を通す感じで入れてって。あと、腕の先のコントロールスティックと足先のペダルは分かりますよね?」

 背中を押すようにして、ジャックを機体に捩込んだ後、その構造について説明していく。
 本来であれば対Gスーツを着用して、装着するものだが、今回は戦闘をするわけでもないので、それは省略する。

「よし、そんじゃ教えた通りにやってみてください」
「わ、わかった」

 ジャックは緊張した面持ちで頷く。その後に聞こえる先程と同じ作動音。
 ヘッドユニットが下り、左右……横から順に装甲が重なっていく。そうして出来上がったのが、センサーを光らせる起動状態のMTの姿だった。

『おい、今度はどうすれば良い?』

 備え付けられたスピーカーから響くジャックの声。その声に乗った感情は先程と打って変わり、興奮の意味合いが含まれている。

「いや、後は簡単です。生身の時と同じように歩くイメージでやってみて下さい」
『わかった』

 すると機体は少しぎこちなく一歩を踏み出す。続いてぎこちなく二歩目、三歩目。
 歩数を重ねる事にその動きは次第に滑らかなものへ。

『おお!!うおお!!』

 ジャックはかなり興奮しながら、それを行っていた。でもジャック、気持ちはわかるけど、少しうるさいよ。

『はっはー!これは本気で面白ぇ!!』

 滑らかな歩行、それは確かに少しずつ速度を増していた。
 そして、それはMT乗りたての者が行ってしまう。典型的なミスへと繋がる。

「あ、ジャック、あんまりスピードは出し過ぎないでね。スピード出し過ぎるとそれは……」
『俺は……風になる!!』

 はぁ、駄目だこれは。調子に乗りやすいいつものジャック。さっきのシリアスジャックはどこに消えた。

 溜め息を点き、考えている間に機体の速度は生身の人間の物理的限界の遥か先の領域へ。

『お、おおお?』

 ジャックもようやく異変に気付いたようだ。

『おおおおいっ!これどうやって止め……』

 その声は限りなく焦っている。

「最初と同じですよ。イメージですイメージ」

 嘘は言っていない。

『わ、分かった。イメージだなイメージ!』
「ええ、イメージです。まぁでも」

 もう遅いと思いますけど。

 そう言い終わるかどうか、ほぼ同時。間抜けな叫び声と共に機体が前方へ錐揉み回転。
 ズザーという効果音が似合いそうな感じで頭から地面を滑っていく。

 まったくほら、言わんこっちゃない。内心そんな事を考えながら、ぴくりぴくりと微動する機体に近づく。
 近づいた後、頭部ユニットにノックを三回。

「生きてますかー?」

 へんじがないただの……。
 まぁ生きていることは確定的だ。自分も最初は同じ事をしたし、それで思いっきり目を回していた。機体の生存性というか頑丈さ、そんなものを感じるには最適な通過儀礼だ。

 何故、このような事が起きるのかその原因も分かっている。
 MTは元々移動動作については特殊なペダルによって、その踏み込みを感知し、それを動きにフィードバックさせる機能が着いている。
 ペダル操作に誰もが最初は戸惑うが、慣れてくれば誰でも人の限界を超えた速度が出せる。
 だが問題はその後だ。

 速度は簡単に出せても、それを減速させるのが非常に難しい。人間の限界を超えた速度域、そんな状態で「生身の時と同じように止まるイメージ」でやったらどうなるのか?
 ただでさえトップヘヴィーの機体、速度は人間の超過領域。その後の展開は手を取るように分かる。

 幼児がよく転ぶように地面へと頭から突っ込む。
 つまりは顔面ヘッドスライディングの完成というわけだ。

 機体の制御には訓練が要る、何時だってどんな時だって楽だけを選ぶ事はできない。そんな教訓を心に刻み付けよう。




「……酷い目にあった」

 そんなこんなでジャックが目を覚まし、ジャックの希望により減速訓練を行って、ジャックが三回ほど吹っ飛んだ後は、もう周りも暗くなってきたのでまずは機体をハンガーへと戻した。その後はゲートに鍵をかけ、第一ハンガー方向、つまりは愛機達がいるであろう方向へと歩いている。

 ジャックは本日の錐揉みヘッドスライディング四連発の影響か、肩を落とし、とぼとぼと歩いている。

 というかそんな簡単に成功されて堪るか。僕だってきちんとした戦闘機動をこなせるようになるまでに結構な時間が掛かっているんだから。
 ちなみにMTの傷の半分以上は敵からの攻撃からではなく、ヘッドスライディングの際の傷だったりする。

 そして、それはそんなことをおくびにも出さず、やーいやーいとジャックをからかっていたその時だった。


 微かに聞こえる機動音。ブースターを吹かす独特の噴射音。大地を揺らす振動。

 視線の先にはハンガーと試験場。薄暗闇の中、黒いカラーリングは闇に溶け、赤いアイセンサーが仄かに浮かぶ。そこには何かを確かめるように動かされている自らの愛機の姿が存在していた。

「クロノス?一体誰が?」

 向けた足は自然と速くなっている。同じようにジャックもまた歩く速度を上げ、ハンガーへと向かう。

 ハンガーの正面から中へと入ると、ちょうどそこにはピットへ機体を着けるクロノスの姿があった。

 ラナが乗っているのか?ふとそんな考えが浮かぶがよくよく見れば、ラナはいつものベンチで機体の様子を静かに見守っていた。
 降機体勢に入る機体。その動きを視線で追いながらも、浮かんだ疑問の真偽を確かめるようと身体は自然とその方向へ。

「いやぁ、来たね~」

 近付いていく姿に気付いたのか相変わらず軽い口調のシゲさん
 機体の方はコクピットブロックが展開。そこからパイロットが降りてくる。
 気になっていたそのパイロット、身長はあまり高くはない。むしろ自分より低いぐらいか。頭を覆うヘルメットの為に、顔の判別はできない。

「おっと、紹介するよ」

 シゲさんはこちらに笑顔を向けながら、掌で件のパイロットの方を示す。

『ああ、はい』

 ヘルメットの為にくごもった声。そこからの判別はできない。
 パイロットがヘルメットを外す、密閉状態からの開放感だろう、ふぅと息を一つ吐いた後、こちらを見据え笑顔で名乗る。

「ミラージュ社よりアドバイザーとして派遣されました」

 揺れるのは男性としては長い濃い金髪。伸ばしたそれを後ろで束ね、後頭に結い上げている。

「シャルル・デュノアです。これからお世話になります」

 それが新たな仲間となる彼?

 ……とにかく僕とシャルとの初めての出会いであった。



[28662] Chapter1-4
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 00:01
 疾走する黒い機体。それは立ち並ぶオブジェクトの間を左右にスラロームで駆け抜けていく。
 旋回。ブースター点火。急加速。今度はそのまま加速をしながらスラロームへ。

 最短の軌道、最速の機動。最適の動作。イメージは脳裏に。握り込まれるスティックと踏み込まれるペダル。システムはそのイメージを精確に瞬時に伝え、機体の運動を理想通りに補正する。

 それは何時しかのテストと一見すれば同じものであった。スラロームを駆け抜ける基本機動のテスト。
 しかし、このテストを見守るスタッフ達と機体を操る自分にとってそれは、以前のものとは全く意味合いが異なるものとなっていた。






「では改めて。今回、ミラージュ社からのアドバイザーとして着任しましたシャルル・デュノアです。よろしくお願いします」

 濃い金髪、それを後ろで纏めた彼が、各搭乗者とシゲさんを代表としたメインスタッフが集められた会議室の中、前方の大型スクリーンの前でその名を名乗る。

「では早速ですが、今回新たに組み込まれたパーツについて説明します」

 室内の明かりが落とされ、プロジェクターが起動。スクリーンには映像が浮かび上がる。それは起動を始めるISの姿だ。

 自信はあまりないが、たしかあれはフランスの第二世代機だと思う。
 それが空中に上がっていき、ストップ&ゴー、上下左右にとせわしなく動いている様子が映し出されている。

「始めに言っておきますと、このパーツはあるシステムを構成する為の演算装置に過ぎません。重要なのはそれによって完成するシステム自体なのです」

 Allegorical Manipulation System

「通称AMS。私達はこのシステムをこのように名付けました」

 彼はそういって画面の映像を移し替える。次に現れた画面はまたもIS。しかし先程の機動映像と違い、今度は無人のものだ。

 鮮やかな青のカラーリング、背部に見える四枚のフィンアーマー。その全身はまるで騎士甲冑を彷彿とさせるかのようなデザインが為されている。
 搭乗者は映ってはいないが、様々な角度から撮影されているフレームの映像。

 そして、画面の右上にはその機体の所属を主張するユニオンジャック。

「こちらは先日、イギリスから正式に発表された第三世代型IS、そのメインフレームの映像です」

 再び映像が移り変わる。
 今度は分割された映像群。小さな枠の右上に各国の国旗が現れ、その下で多くのISが映し出されている。 

「皆さんも知っての通り、今現在、世界では競うように第三世代機の開発が行われています。その特徴についても既にご存知であるとは思いますが、今はまず、その第三世代型の特徴、そこから説明していきましょう」

 小さな枠の一つが拡大される、それは先程の青い機体だった
 あい変わらず搭乗者こそ映ってはいないが、フレームのみのその機体と、その出力や速度などの機密的な情報を除いた簡単なスペックデータが流れている。

「第三世代型、その最大の特徴はなんといってもイメージインターフェイスを活用した特殊兵器の搭載です」

 画面内、青い機体のフィンアーマーから各部一枚ずつ、花弁のような物が切り離されるのが見て取れる。

「例えば先程も見せたもの。イギリスの最新機体、機体名ブルーティアーズは、イメージインターフェイスを活用した自律機動兵器を装備しており、それを思考操作する事で、戦闘距離を選ばないオールレンジ攻撃を可能にしています」

 Blue tears。青い雫。先程の画面の説明によると、自律兵器自体もブルーティアーズという名前らしい。
 つまりあれは、花弁ではなく雫だったのか。言われて見れば何となくそんな気がしないでもないが。

「このようなイメージインターフェイスも、元を辿ればIS本体の操縦系に利用されているものであり、当初はISの機動制御を実現させているシステムの一要素であるという認識しかありませんでした」

 突然ではあるが、ISの誇る高機動性について補足しておく。

 その機動性は三つの要素で成り立っている。
 まず一つ目、重力と慣性を中和し、加速までさせる高機動性の最大要因、パッシブイナーシャルキャンセラー。
 二つ目は、それらを支える詳細不明の動力源、コア内部ブラックボックスの中にあるジェネレーター。
 そして三つ目、脳波によって柔軟な機体制御を行うイメージインターフェイス。

 これらを合わせた圧倒的機動性とその見た目に合わない強固な防御力によって、ISは従来兵器と一線も二線も画した戦力となっているのだ。

 ……考えている間にも画面は移り変わり、今度は優美さという点ではブルーティアーズとは比較にはならない、無骨なIS。アメリカ製の第一世代型であるソーラーウィンドの姿が映し出されている。

「そんな中、オーメル社傘下のアスピナ機関が付属端末等へのイメージインターフェイスの応用を考案、あまつさえそれの実現化に成功します。そしてその事をきっかけに、今のIS開発の主流が出来上がったのです」

 それについても話だけは伝わっている。イスラエルに拠点を置く総合企業オーメルサイエンステクノロジーとその内に存在する特殊技術開発部門アスピナ機関。
 特にそのアスピナ機関については、保有する先端技術が各国の技術の一歩二歩進んだレベルであるとも聞く。

「そのアスピナの技術応用、それを思い返し私達ミラージュはある事を考えつきました」

 彼の説明が続く。

「そのイメージインターフェイスを、なんとか従来兵器にも適用できないか、と」





 ISコアはその登場以来全くといって言い程に、その解析は進んではいない。現時点でコアについてわかっているのはコアへの入出力の方法と経路と、生産など夢のまた夢であるという事実のみ。

 今回、焦点となっているイメージインターフェイス、機体や付属兵器を思考操作するその機能もまた、本来はISコア、それの持つ量子コンピューターの演算能力があってこそ実現する物である。
 しかし、ISのように機動をコアに全て依存させるわけでないのならば、従来技術であってもそれは十分に実現が可能なのだ。

 既存の技術によるイメージインターフェイスの形成、フルコントロールではなくセミコントロール。それによって実現したものこそがAMSであるとシャルル・デュノアはあの説明の中で言っていた。

 ISのコアではなくイメージインターフェイス、思考操作の際に発生する情報の移動と交換。そこから機体制御に必要な脳波パターンとその電子的移動の伝達経路、伝達方法を解析し、機体を操るのに最適なシステムを推測し構成する。
 それはクレストやキサラギでは為し得ない、IS技術を保有するミラージュならではの代物だった。

 ISにはさすがに及ばないながらも実現を見せた思考操作。今こうしてオブジェクト間を駆け抜けている瞬間にも、イメージによって動作が補正されており、それは常に実行されている。
 
 装着しているヘルメットから脳波が読み取られ、その情報――思い描いた機動イメージがAMSを介し、スティックなどの入力動作を補って機体に反映される。

 初めはただただ違和感しかなかったが、慣れていく中でそれが大きな影響を持つのが解ってくる。

 思考操作による繊細な動き、ペダルとコントロールスティックだけでは出来なかった動きを可能とし、また、機動の先行入力推測入力においても、常時の動作に補正をかける事で動作間に発生する入力ラグを解消させる。

 これは地味に思えるかもしれないが、その影響は大きい。

 確かにラグを解消させると言っても、それは数秒にも満たない短い時間だ。だがその一秒、コンマ一秒という時間は実戦においてはその生死を左右する重要な要素になる物なのだ。

 特に、ISという馬鹿げた機動性と攻撃力を持つ相手との戦闘においては、その一瞬一瞬が即、死に直結するのだから。

『よし、次は目標をいくつか出すから、いつもの装備でそれを撃破してみようか』
「了解」

 次の訓練の合図、そういえば武装はハンガーで準備されていたな、とふと思い出す。時間は限られている、早く取りに行かねば。

 コクピット内、聞こえるのは歩行音と振動。

 ハンガーへの移動中、ふと一つ溜め息がこぼれる。
 何故だろう、いつもやっている事と変わらないのに、今日は妙に気が張ってしまっている。
 AMSの影響だろうか?だが、あれは脳波を読み取るだけの装置の筈だ。精神に影響があるとは思えない。
 
 ……いやだけど、AMSは関係があるかもしれない。直接的にではないが。

 先日のミーティング、AMSの説明の際に見た映像。映し出されていたもの。目下の仮想敵、IS。

 その中でも特に気になったのがあの青い新型機体だった。
 最新の越えるべき目的。いつかは挑むことになると思われる存在。

 これまでにもISの脅威さというものは話に聞いている。
 それは従来兵器では太刀打ちできないというただ一つの決まった解答。
 だが、その答えは戦闘機や戦車など「過去」の兵器の話であり、僕らが扱う「現代」の兵器の話ではない。

 スペックを比べてみても、攻撃力、防御力、速さその全てで劣っているだろうということを理解はしている。
 それでも現時点の状況で、どこまでやれるのか、こちらの攻撃が機動がどこまで通用するのか、それを確かめたいと思うこの感情は間違っているのだろうか。

 敗北の恐怖でなく、性能差による焦燥でもない、言うのであればそれ以外のまた何か。

「はぁ、何をやってるんだ僕は。……集中しろ」

 考え事をしている間に機体はいつの間にかハンガーへ。
 既に準備されている武装を装着し、再び試験場へと戻っていく。





 夜。今日のテストも終わり、汗をシャワーでさっぱりと洗い流した後、僕はいつものようにPXへと来ていた。

 ジャックとラナはAMSの操作に少し手間取っているらしく、もう少し残ってやっていくとのこと。二人とも、やはり今までの操縦感覚との違和感に苦戦しているのだろうか。
 ほとんど操縦方法が変わらない、世界でも珍しい(販売数的な意味でも)MT乗りの僕と違って、それぞれ戦闘機と戦車からの編向組みだ。確かに新しく慣れた操縦方法がまた変わったら大変かもしれない。

 さて、今日のPXの人波はまばら。多数派となる整備スタッフの姿は見当たらず、基地の管理運営スタッフの方々が中心となり、座席に着きながら食事に話にと花を咲かせている。
 いつも使う席も空席。今日のオススメのサンプルを見ながらカウンター横へと足を向ける。

 キサラギの調理スタッフ、かれらがここに着任して以来、料理の味やメニューは確かに向上し、その種類は豊富となった。
 だがそれ以外にもPXに及ぼした変化があった。

 注文カウンター横。ここに着任して来た当初はただのスペースだった場所に自動販売機のような姿をしたそれがそこには立ちはだかっている。
 そもそも自身のいた北アフリカや中東辺りでは目にする機会がまったくなかった物。ジャックやラナさえ、実物を見たのは初めてらしい。

 食券販売機、その機械はそう呼ばれている。その表面、料理の名称が書かれた押しボタン式のプレート。それが多数配置されている。それを押すことで現れる硬い紙、食券。そしてそれは多数の人員を抱える基地において、PXの混雑を効率化させるキサラギの切り札だった。

 ……大袈裟に言うとこんな感じ。でも実際に注文ミスなどは無くなったらしいからそれなりに有効に働いているらしい。
 それはそれとて、さてさっそく。
 サンプルにはオムライス、デザート付きの物があったので、今日はそれにすることに決定する。
 だけど、そこで一つの障害が立ち塞がる。

 その件の障害、その姿が目の前に。
 視線を少し下げると金色の尻尾が揺れている。
 何かに困ったように、首を傾ける度に揺れる尻尾。見覚えのあるような金髪。
 これはたしか……、

「えーと、そこの人……シャルル・デュノアで良かったよね?」
「え?」

 振り返る金髪、自分よりかは少し低い身長、同年代、どこか女性的、中性的とも言う顔付き、だがそれは今、少し驚くような表情が含まれている。

「あ、いや、そこでうんうん唸りながら何をしてるのかなぁ、と思って」

 券売機に指で差し示しながら、問い掛ける。
 ん、券売機……?ああ、なるほど、疑問は自己解決。

「えっと……」
「いや、何となく理解した。PXに来ては見たけど、注文方法がわからないって所でしょ?」
「あ、うん」

 やはり思った通り。券売機初心者にとっての壁、それはよくわからない変な機械が置いてあるという未知への……恐怖?というより単純な困惑。
 券売機上級者、慣れ親しんでいるシゲさん曰く、「あ、そういやそっか。券売機ってのは、ほっとんど日本の独自文化らしいからね〜」とのこと。

 さっきも言ったが、初心者にとってはよくわからない。プレートには日本語で「鯖の味噌煮」みたいに料理名が書いてあって、その下に英訳された料理名がテープで補足されてるって感じだし。

 そもそも何これ?押すの?引くの?それとも、何?え?となること請け合いだ。

 日本に旅行に行く人は多いらしいけど、たいていは宿に泊まって、そこで食事をしたり、外食したとしてもレストランや料亭で過ごしたりと券売機と接する機会があまりないらしい。
 これもシゲさんの言っていた事だけれども。

 それはともかく、デュノアにここの注文方式を説明する。
 注文も実は無料ではない、まぁ値段は非常に安いものだが。それも現金ではなく、IDカードをカードリーダーに差し込む事で行う。
 そして、差し込まれたカードからIDを読み取り、その注文分の値段をIDの持ち主の基本給から落としていくという支払方法だ。
 なるほどなるほど、と横で頷いてはいるが、この人まだIDカードを持ってはいないらしい。
 まずは発行してあげようよ、総務部?経理部?……とにかく担当スタッフの方。

 はぁ、まったく。

「それじゃあ、何にする?」
「え?」

 こうなったら手助けするしかないじゃないか。

「今日は奢るよ」
「でもそんなの悪いし……」

 どうあっても、こちらに迷惑かけまいといった様子のデュノア。
 なんとなく顔にも出てはいるけど、普通に良い奴なのかもしれない。

「それじゃあ、今日は何も食わずに過ごすのかい?カードの発行は少なくとも明日になると思うけど」
「うっ……」

 これは本当。そもそも今の時間じゃ受付は開いてないんじゃないかな?もう夜だし。

「それに、だ。別に奢られるのが嫌なら後で返してくれれば良い。もちろん利息なんかは発生しない」

 というか、こう言うと調理スタッフに失礼に当たるかもしれないが、一食分の費用なんかは、今の基本給からすればはした金にもならない。それ程の金額の契約をしてここに来ているし、元々有効な使い道もないし。

「……わかった、今日はその厚意に甘えさせてもらうね」

 ようやく折れてくれる意思。と、まぁ、そうと決まれば早くしよう。本格的に腹も減ってきたし。



「よっ、と」

 デュノアと自分、カウンターで料理を受け取り、いつもの席へ座る。
 注文したオムライスのセットメニューを挟んで対面にデュノアが位置する。
 彼が注文したのはリゾットとスープにサラダ。その量は極めて一般的。
 ……誰かとは言わないが、普段からおかしな量を食い荒らす奴らを見ていたので、なぜかとても安心した。

「本当に今日はありがとう、わざわざ奢ってもらっちゃって……」
「気にしないで良いって言ってるのに……まぁ、気持ちは受け取っとくよ」

 感謝と返答。その後、どちらからでもなく自然と笑みがこぼれる。

「あ、そうだ。改めてになるけど、僕はシャルル・デュノア。これからよろしく」

 互いに名乗り、テーブル越しに握手を交わす。やはり自分よりも小さな手。自分よりも小さい体格のせいかも知れないが、ちゃんと飯を食べているのか、少し心配になる。
 あれ?なんか馬鹿食いコンビに影響されてないかこれ。

 いや、忘れよう。……それよりも。

「そういえば、ミーティング以前にもクロノス……あの黒い機体の所で会ってたと思うけど」
「うん、覚えてるよ。シゲタツさんが言ってた本来のパイロットって言うのは君の事だったんだね」

 あの日、MTを動かした後の帰り道、AMSが初めて導入された日、僕とジャックが見たクロノスはやはりデュノア……いやシャルルが操縦していたものらしい。

 年齢は同年代。その歳でミラージュからのアドバイザーを任せられるのだから、本人の知識や力量もかなりのものだろう。
 ちなみにミラージュからのアドバイザーとして、機体が完成するまでクレストと行動を共にするとのこと。

 そんな風に落ち着いて食事をとりながら、世間話や基地についての説明をしていると、こちらへと歩いてくる二人の姿。

「よう、隣良いか?」
「というか、失礼する」

 馬鹿食いコンビの登場だ。シャルルもトレーの上、冗談のように形成されている山を見て唖然としている。

「はいはい、どうぞ」

 僕はもう見慣れている(諦めているとも言う)ので、通常運行。
 ジャックが横に、ラナがシャルルの横の席へと座る。
 シャルルはまだ固まっているので、ほんの少し助け船を。
 
「えっと、とりあえずジャックさん、ラナさん、こっちがミラージュから来た」
「は、はい。シャルル・デュノアです。これからよろしくお願いします」

 ふむ、再起動完了。

「そんでシャルル、この二人が……」
「俺はジャック・オドネルだ。ジャックで良いぜ、嬢ちゃん」
「ラナ・ニールセンだ、同じくラナでいい」

 ジャックはどこまでも豪快に、ラナはあくまで落ち着いてクールに名乗る。
 というか。

「ジャックさん、『嬢ちゃん』は失礼ですよ」
「そ、そうですよ!何を言っているんですか!」

「……そうだぞ、ジャック。確かにさっきのは軽率だ」

 三方向集中砲火。いくら筋肉達磨の発言であろうとも、失礼な言動はきちんと正さねばならない。
 しかし。

「ん、そうなのか?悪かったな坊主二号」

 ジャックに通用するはずがない。
 はぁ or ふぅ、と三者三様、三人同時にこぼれる溜め息。

「……何はともあれ、こんな奴もいるが、よろしく頼む」

 ラナはこういった所はしっかりしている。他人の様子を伺いよくフォローなどをしたり、なんというのか気配り上手という所か。
 そういう面を見ると確かに二児の母親っぽいなぁとは感じる。
 子供の写真も持ち歩いているし。

 そして始まるちょっとした自己紹介と世間話。機体の担当者や乗ってみた感想など話題は尽きない、食事を続けながらも共に笑い合いながら語っていく。

「ちょっとちょっと、何、パイロット陣だけで和気あいあいとやっちゃってるのさ〜?」

 そんな所へ再び新たな来訪者。

 細身の身体に野暮ったい眼鏡。キサラギ陣営、随一の技術者。キサラギ整備班のエース、キサラギの星、暴走機関車、超新星爆発……などなど数々の二つ名と高い力量をもった整備班班長、シバタシゲタツ、通称シゲさんの姿がそこにはあった。

「お前らもそう思うよなぁー!?」
『おおー!!』

 気付けばそこにはようやく作業を終え、PXに来た整備班の姿。

「ならば、やることは一つ……」

 シゲさんの独白が続く。

「宴会だ!!」

 その言葉の瞬間に爆発する歓声。見れば整備班の中には、シャルルと同じく、派遣されて来たであろう人達も含まれている。

 始まった馬鹿騒ぎの中、シャルルも初めは再び唖然としていたが、今は楽しそうに笑顔を浮かべている。

 そういえば、忘れていたことがあった。

 ……おーい、シャルル。

「ん?どうしたの?」

 掛けられた声に対し、シャルルはジュースが注がれたグラスを両手で抱え、こちらに視線を移す。

 ジャックもラナもシゲさんも、その他整備班も今はグラスを片手に騒いでいる。
 そういえば、言っていなかった言葉がある。
 これを言うのがある意味、慣習みたいな物じゃないだろうか。
 歓迎の言葉、新たな仲間を迎える言葉。

「ようこそ、シャルル。僕らの基地(ホーム)へ」

 彼は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた後、花のように微笑んだ。





 宴会と歓声。
 それは夜通し続く。

 翌朝、続けれた宴の後、酒やツマミ何もかもがその姿を消していた。
 しかし、そこには残ったモノもある。
 深まった友誼。
 
 そして何よりも……。

 死屍累々。

 二日酔いで頭を抱えた開発スタッフと、ストレスで頭を抱えた基地上層部の姿がそこにはあった。



[28662] Chapter1-5
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 00:19
 デュノア社。
 それを名を聞いた人は、たいていその存在の事を知っているだろう。
 フランスに属し、今やフランスのIS関連技術を一手に引き受ける大企業。世界でも有名な部類に入る存在。
 しかし、その大企業が、十年前までは凡百な一企業であったことはそのほとんどが知らない。

 ISが登場しようとしていたその頃、デュノア社は重工業に携わるだけのそれなりの一企業でしかなかった。決して経営が悪いわけでもなく、特に良いわけでもない、そんな取るに足らない平凡な企業。

 しかし、その後、華々しいデビューを飾ったISに対して脅威ではなく、巨額のビジネスの匂いを感じ取ったデュノア社は、いち早く資金を投入し、政府にあくまで現実的なアイディアを提出することでその開発権を取得した。

 その後はデュノア社の読み通り。ISは巨大なビジネスとなった。それも企業設立以来と言って良いほど巨大なものへと。

 開発権の取得したという話は瞬く間に広がり、デュノア社には多くのスポンサーが集まり始める。
 次々に提供される資金援助。政府の助援金を含めるのならば、それは莫大なものになった。
 だが支援を受けたからには結果を出さねばならない。
 集まった資金によってデュノア社はその規模を急速に広めていく。例えば拙く未熟な技術を高める為に、研究所を作り、開発の為の設備を追加し、人材を求め集める。

 そうして集まった人材と技術の投入により、機体がようやく開発された。

 当時の技術の粋を集めたその機体は、世界的にも高評価を受け、デュノア社は量産機ISのシェア世界第三位にまで到達。
 それによって名声も大きく拡大し、世界に名を為す存在となった。

 しかし、時は常に移ろいでいくものである。
 オーメル社のアスピナ機関が新技術を発表。
 各国各社がそれの応用へと走り出す中で、デュノア社は既存機体の改良を選択、そしてそれが、大きく開発レースに乗り遅れるきっかけとなる。

 新技術を応用した兵器を各国が発表していく中で、デュノア社は大きく苦しんでいた。
 今までのデュノア社の方針は既存技術を軸にした物であり、創造という分野においては有効的なアイディアを出すことができなかったのだ。
 仮に出せたとしても、他国と被るコンセプトでは政府と支援者がそれを認めない。
 各国が次のステップへ歩み始める間、できるのは既存機体の改良という足踏みのみ。
 いわゆる完全な頭打ちの状態だった。

 しかし、彼らは偶然にもその計画を知る事となる。
 きっかけは新聞の隅の欄、かつて名を馳せていたクレストと日本の弱小企業キサラギが業務提携を行うという小さな記事。
 どこにでも転がっているような話ではあったが、あの従来技術の雄と呼ばれたクレストが?という些細な疑問から、調べさせた所、それが発覚することとなる。

 協力者によってもたらされた情報。
 それはクレストとキサラギが、従来技術によりISに対抗する兵器を開発しようとしている、というものだった。

 ただの戯れ事かと普段であれば聞き流していた所だろう。それは老人が夢を見るようなものであると。
 しかし、開発が頭打ちの状況であるデュノア社にとって、得意としてきた従来技術、それによる対抗計画は非常に魅力的な「夢」に感じられたのだ。

 デュノア社はこれに参加を打診することを直ぐに決定。
 だが政府や他企業にこれを知られることとなればなんらかの妨害や、新開発の意思あるいは技術が無いとして、援助を切られかねない。
 そこでデュノア社は計画に参加させるためのダミー企業を設立。ダミー企業を利用し、内密に届けられた打診を相手方は快く了承した。

 そして、参加が決まったダミー企業は、その存在自体を皮肉とされ、蜃気楼、妄想と幻を意味する「ミラージュ」と名付けられた。







 唐突ではあるがISとは何か、その質問に答えることはできるだろうか? 
 曰く、それは商品であり、研究対象であり、目標であり、憧れでもあり、夢でもある。人によって様々な答えがあり、それに対する思いがそこには存在している。

 一体ISとは何なのか?
 それを自分に当て嵌めてみよう。
 それは商品でもなく、研究対象でもなく、目標でもなく、夢でもない。ただの出来事に過ぎないもの。

 でもそれは、ある日一瞬で変化を見せる。
 その日以来、私にとって、シャルロット・デュノアにとって、ISとは唯一の居場所を意味する言葉となった。



 家族という言葉がある。共に暮らし、共に助け、共に笑う、そんな暖かいもの。
 そんな優しい言葉――家族。それは私にとって母の事を指し示していた。
 もちろん怒るときもある、けれどいつも優しく微笑んでいた母。その綺麗な笑顔はいつでも私の目標となっていた。

 生活は困窮しているわけではない、しかしそれは楽なものとは決して言えない。私が何度、自分も働くと言っても、母はいつもそれを拒み、私を学校に通わせるためにその身を削ってまで一日中働き通し、私を養い続けてくれていた。
 決して楽な生活ではない、でも母が笑い、私も笑う。それはとても穏やかで確かな幸福だった。

 それでも、学校を卒業したら働こう。今まで助けられた分、母を助けよう。
 当時の私はそんな風に思い始めていた。そうすればもっと一緒に笑って生きていける、もっと幸せになれる、と。
 続いているその幸福に微塵の疑問を抱かぬまま、それが失われることなど決して無いと信じて。

 そして、その日、母が倒れたと連絡を受けたのは、学校で授業を受けている最中の事だった。


 何も考えられず、先生の車で向かった病院。
 目的となった病室内、そこには酸素マスクを取り付けられ、ベッドに横たわっている母の姿があった。しかし、室内へ入ろうとすると、すぐに名前を呼ばれ、別室へと連れていかれる。そこで待っていたのは医師の悲痛な表情と残酷な言葉だった。

 ――残念ですがもう手遅れです。おそらく長くは持たないでしょう。

 はっきり言って訳がわからなかった。
 嘘だ、誰か他の人と間違えてるんじゃないのか、何かの間違いだ、信じない、信じられない、信じたくない。
 様々な言葉を医師に投げ掛けていたと思う。中には相手を中傷するような言葉さえあっただろう。それでも彼はその言葉を変えようとしなかった。

 ――少しでも傍にいてあげてください。

 困惑する私にそう残して。


 母が弱っていく様子を見るのは心苦しい以外の何ものでもない。

 いつも微笑んでいた母、その綺麗だった表情が、薬さえもう効かないのか、苦痛の表情に歪む。その度に母の手を握りしめるが、私の手を握る強さが、日に日に無くなっていくのを感じる度、私は泣いた。

 それだけの苦痛に喘いでいても、母はごめんね、ごめんねと私に謝っているばかり。幸せにできなくてごめんね、一緒にいられなくてごめんね、と繰り返し繰り返し。

 ――違うよ母さん、私は幸せだったよ。

 そんな言葉さえも、もう届けられない。

 母が倒れてから、二十日後。
 最期まで私の事を案じたまま、母はその息を引き取った。




 その後、行われた葬式。それは、親しい者達のみで、しめやかに行われた。だけど親戚などはいない。参加したのは近所の人、先生方、学校の友人達。葬式の費用は私の経済状況を見てか、先生達を中心となって集めた金額で立て替えてくれた。先生方には本当にとても感謝しきれない。

 式も終わり、母が土の下で眠りに着いた後も、あいかわらず私は墓標の前にいた。
 何時まで経ってもそこを離れることはできない。悪戯好きの母の事だからきっと、いきなり起き上がって来る、というような現実逃避もした。

 ふと聞こえるのは車の扉の開閉音。
 目を向ければ、墓地の入口に停まる黒い高級車とそこから降りてきた二名の黒服の男性の姿。
 彼らはこちらに向けて歩いてくると、私の前で立ち止まり、そのきつく閉じられていた口を開いた。

「……シャルロットお嬢様で間違いはないですね?」
「……確かに、私はシャルロットですけど」

 そう答えると、こちらの疑問に答えてはくれぬままに車の方へと誘導されていく。初めはマフィアかなにかのように思えて少し怯えたが、彼らの動きは洗練されていて、力づくでどうしようという様子もない。
 だがそんなことよりも、母から少しでも離れてしまう事がとても悲しかった。

 車で連れて来られた場所はまさに豪邸といってもいい場所だった。広大な敷地に、奇麗で大きな建物、私なんかがここにいるのが場違いかのように感じられる程の物。
 しかし、なぜと問い掛けても、相変わらず、黒服の彼らは事務的な言葉以外は一言も話してはくれない。

 どうぞ。その言葉と共に正面玄関が開けられる。それと共に聞こえてくる、床を踏み荒らすような慌ただしい足音。
 そちらに目を向けてみれば、そこには一人の女性の姿があった。その目は吊り上がり、何かを堪えるかのような感情を帯びている。
 とりあえず、挨拶しないのも失礼だろうと口を開こうとしたその時。

 激しく何かを打ち鳴らすような音が室内に響いた。

 同時に感じるのは左頬に帯びる熱。

 目の前の女性に再び視線を移せば、右腕を振り抜いた姿勢でそこにいた。私を見るその目には怨念すら浮かぶ。
 そんな彼女を黒服の人達がなんとか抑えるようにしていた。

 そして血走った目でこちらを睨み付けている彼女が口を開く。

「この淫売の娘が!!」

 何だよそれ、というのが率直な感想だった。じわじわと打たれたことを主張する左頬。そこに手を当てながら、彼女が屋敷の奥へと連れていかれるのをその場に立ち尽くして見送る。

 黒服の中の一人が謝罪の言葉とこちらを心配するような声をかけてくるが、今はそれどころではなかった。

 その数分後、謝罪の言葉の後に、屋敷への案内が再開される。

 そして、そこは一際手の込んだ部屋だった。黒服が扉を三回軽くノックした後、「お嬢様をお連れしました」と中へと声をかける。返ってくるのは「入れ」の一言。
 その声に黒服は私だけが室内へと入る事を指し示す。それに従い、一言声をかけ室内へ。

 書斎という場所なのだろうか?様々な書類の束が乗ったマホガニーのデスク。それを挟むような形で男性が両手を組んだ状態で座っていた。

「お前があれの娘か……」

 男性はこちらを見つめる。そこに浮かぶのは何かを懐かしむ表情……。

「えっとあの」
「離れを使うといい」

 そう言って男性は黒服を呼び、私に室内から出るように指示する。
 話を聞いてくれないのはまだいい、だが、一つ聞いておかなければならないことがある。

「待ってください!」
「……なんだ?」

 私の上げた声に黒服達の動きも止まる。再び男性がこちらを見詰めるが、その目に宿る感情は察することができない。

「貴方は一体……」
「貴様の父親だよ」

 私が発した言葉に重ねて男性が返答する。でもそれは……。

「……え?」
「もういいだろう……おい、早くそれを離れに案内してやれ」

 淡泊な反応、事務的な言葉。黒服によって室外へと出される私を見送るその目には後悔の表情が浮かんでいた。




 案内された離れの部屋。離れとは言っても、以前母と暮らしていたあの家よりも酷く上等で広く、良いものであるはずなのに、とても悲しく感じる。

 何がどうなっているのかが、まるで分からない。私を手の平で叩いたあの女性、自身を父と名乗ったあの男性。私の知らないところで私が知らないまま、何かが動いている。
 精神的にも疲労を感じ、その身を用意されているベッドへと投げ出していると、自然と眠気が襲い掛かってくる。
 意識が薄れていく中で、気になったのは父親と名乗ったあの男性の事だった。その目に浮かべた後悔の色、それは私に対しての慈愛ではなく、男性のその身、自分自身に対しての自愛によるものではなかったか?
 ふと浮かんだ考えをよそに、私の意識は眠りへと落ちていった。




 翌日は専門の医師による健康診断が行われた。
 そしてその中で、私にISへの高い適性が認められると、私は研究所へと連れていかれ、そこでISのテストパイロットを担当することに。
 その日、父親とは顔も合わせてはいなかった。

 毎日のようにテストが続く。空いている時間にはISについての勉強を欠かさない。
 父とはあれから一度も会っていない。
 ……あの父はきっと私とどう接して良いのかわからないだけなのだ、そう自分に言い聞かせ、業務にあたる。
 役に立てばきっとこちらを振り向いてくれる、その一念で努力をする。

 なぜなら母は言っていた。家族とは共に助け、共に笑い合う素晴らしい存在なのだ、と。
 ならば父とだってそれができないはずがない。今までは知らなかったが、父は紛れも無く血の繋がった存在なのだから。

 その言葉、想いを信じてひたすらに、がむしゃらに課せられたものをこなしていく。




 何時の頃からだろう、家族というものへの意識が薄れ始めたのは。
 初めこそは、仲良くできると、仲良くなってみせると息込んで頑張った。だが、相手はそんな気が無い所か、拒否する態度すら取っている。

 努力すれば努力するほどにそれを実感する。父はただ呼び寄せただけで、家族になる意志など全くないという事に。義母――いやそれすら呼ぶことは許されない、あの人は今でも憎々しげに私を見つめる。

 でも、それでも縁を信じて今まで頑張って来た。研究所の人には代表候補レベルであるというお墨付きさえもらった。
 どんな態度を取られていようとも、私は父の役に立てている。必要とされること……そのアイデンティティは私の崩れかけた精神を何重にも補充する。

 ISとは私の唯一の居場所だった。それさえあれば私は生きていける。




「待ってください!」
「なんだ?これ以上話すことはない」

 それは突然だった。

「お願いします、待って父さん!」
「お前にそのように言われる筋合いなどない……おい、早くそれをつまみ出せ!」

 黒服により、強制的に退出させられる。何度も父を呼ぶが、それに微塵も答えてくれない。
 それは父との二回目の邂逅。
 私の依り所が父親自身によって奪われた瞬間だった。

 その日の朝、伝えられた情報。

『シャルロット・デュノアのミラージュ社への転属を命ずる』

 ミラージュ社。それは聞いた覚えさえない企業であったが、その説明を受けていく内に、私は足元から自分が崩れていくような音を感じた。

 それはとある計画への参加命令だった。  それも「最新技術たるIS」ではなく、「時代遅れの従来技術」の開発計画へのもの。
 ISというアイデンティティを持っていた私にとってそれは、用無し、不必要の烙印を押されたのも同じ事だった。
 それでも、その空虚を外には出してはいけない。

「笑顔でいれば幸せになれる」

 母さんのその言葉と、幸せになって欲しいという最期の願いを裏切るわけにはいかないから。
 どんな時も笑顔で過ごそう、笑顔で、そう笑顔で。そうすれば頑張っていけるから、幸せになれるから。

 その数週間後、私は相手方から求められた機材と共にアメリカへと飛んだ。



 現地へ着いた私を待っていたのは、黒い巨人と、その整備を取り仕切る眼鏡をかけた日本人の男性。
 互いに挨拶を交わし、私はその計画へと参加するにあたって、自らの名前をシャルルと名乗り、男として着任した。
 その理由は研究所で懸念されていたことによることから。

「ISへの対抗計画というのは、女性を嫌悪する感情から来るのではないか?」
「現代の女尊男卑の世の風潮を破壊しようとするものなのではないか?」

 そういった懸念から私は「僕」としてこの基地を訪れたのだ。

 幸い女性スタッフも存在していて、その懸念は外れていた様子ではあったけど、何があるか分からない、それに今更変えるのもあれだと思って、私は「僕」として貫き通すことにした。


 予想と大きく反して、その基地での生活はとても楽しいものだった。
 愉快でひょうきんな整備班の人達。優しい管理スタッフの方々。共に議論をしたり、笑い合ったり、語り合う新たな友人達。
 人種年齢性別国籍所属、彼らはそんな物を些細な問題とするかのように仲が良く、その誰もが笑い、優しかった。
 私が今まで望んで来ていた物がそこにはあった。
 私も当然彼らにつられるかのように笑い合い、語り合う。

 心から楽しかったのは本当だ。嬉しかったのは本当だ。
 でも、その優しさに、笑顔に触れる度に、私自身がとても惨めに感じられた。




 着任以来何日が経ったのだろうか?
 その日、私は自覚する程に不安定を感じていた。その足元からふらつくような感覚。肉体的ではなく精神的に。

「ん~、大丈夫かい、シャルちゃん?」

 整備班長のシゲタツさん、通称シゲさんがこちらを気遣って心配してくれる。

「はい、大丈夫ですよ。体調だって悪いわけじゃありません」

 心配してくれるのは正直嬉しいが……きちんと笑顔で答えられただろうか?

「いや、なんかやっぱり疲れてるみたいだね。今日はここまでで良いから、もう上がって良いよ」

 駄目だった。また迷惑をかけてしまった。でもこうなった以上はここで意地を張っても、さらに迷惑になるだけだ。その言葉に従っておこう。

「……すみません、それじゃ先にあがらせてもらいますね」
「うん、ゆっくり休んで」

 その優しさが私の心に突き刺さる。
 それを表に出さないように、その他の整備員の方々の労いの言葉を受けながら、食事を摂るためにPXへ。

 今日のPXの人混みは少しまばらと言ったところ。ピークとなる時間はこれからだということを考えると、当然といった感じかもしれない。

 サンプルにはオムライスのセットメニューの横に、和食で構成された唐揚げの定食が並んでいる。
 正直今、食欲はあまりないけど、何かを食べなくてはいけない。結局、目についたその唐揚げ定食に決定。
 そうしてもう既に慣れた券売機に足を向けたその時、見覚えのある後ろ姿が飛び込んでくる。

 適当に切られた適当な長さの黒髪。私よりも幾分か高い身長。
 
「ん?なんだシャルルか」

 視線を向けていると不意に彼は振り返った。
 幼さを残す顔付きと意志の強さを感じさせる瞳。シゲさんと同じ日本人。あの黒い機体……クロノスのテストパイロットである少年。

「どうした?これから飯でしょ?」
「あ、うん」

 そういって彼と二人、彼はオムライスのセット、私は唐揚げ定食を受け取り、窓際のいつもの場所へと席につく。

「そういえば、あの二人は?」
「うん?ジャックなら主砲の試射、ラナはそれに付き合ってあげてるはずだけど」

 そうして始まるいつも通りの会話。日々のテストの出来事と下らない世間話。彼はそんな何でもないことでも本当に楽しそうに笑う。
 整備員のこと、調理員のこと、事務員のこと、同僚のこと、誰に対しても親しく、まるで「家族」のように。

 彼はどうしてそんな親しくできるのだろうか、どうしてそんな風に笑えるのだろうか、どうして、なぜ、なんで……。

 ……なんでこんなに私は苦しんでいるのだろうか。

「どうした、シャルル。なんか顔色が悪いけど?」

 彼のこちらを窺うような表情。その瞳には私を心配する、そういった感情が浮かんでいる。

「熱でもあるのか?」

 不意に彼がその手を私へと伸ばす。それは単純に私を気遣っての行動だった。親切心と心配、そこから起きる優しい行動。
 しかし。

 響いたのは小さな破裂音。思わず振り払ってしまった腕。
 彼も私も驚いた表情を浮かべている。

「あっ」
「ごめん。いきなり手を出されたら、いや、確かに驚くよな」

 彼に責任はない。それでも彼は自身を卑下している。わからない……なぜ?なんで?どうして?

「……ねぇ、なんでそんなに笑っていられるの?」

 不意に漏れた疑問。心の底に仕舞われていた確かな本心。

「いきなりの質問だなぁ」

 彼は少し苦笑いを浮かべながら答える。だがこちらが反応を見せない為か、少し表情を引き締めて続ける。

「真剣なんだ?……とは言っても答えは簡単だけどね」

 一度、言葉を切り、少し溜めたようにしたあとに再び答えた。

「答えは単純……楽しいから笑う。それだけさ」

 そう言い切ると再び、浮かべる笑み。
 でもそれは私の求めている答えじゃない。

「じゃあ、なんで楽しいの?」
「理由か……楽しいから楽しいじゃ駄目なのか?」
「なんで、他人と平気で笑っていられるの?」

 次々に零れていく疑問。

「他人?それは一体……」
「ねぇ、なんで?答えてよ?」
「待て、ちょっと待て、シャルル!」

 矢継ぎ早の質問に、彼は答えることができない。その答えを私は求めているというのに。

「お前今日はどこかおかしいぞ?」

 ふと、零した彼の疑問。

「おかしくないよ」

 そう、私は正常だ、どこにも問題はない。

「お前さ、きっと疲れてるんだよ」

 そんなはずはない。今まで通りその管理はしっかりとしてきた。

「……疲れてなんかないよ、私はまだ頑張れる、本当、本当だよ?」
「いや、疲れてるね。今日はこのあとすぐ休んだ方がいい」

 彼が私を気にかける言葉、それは素直に嬉しい。でも今、それは刃となって心を刻む。

「大丈夫だよ」
「いや休め」
「大丈夫だって言ってるじゃない」

 そう大丈夫だ。なにも問題はない。今までだって、こうしてちゃんとやってきたのだから。

「……シャルル、お前の為のことを思って言ってるんだ」
「……私のこと?」

 その言葉が心に響く。

「そうだ、お前のことだ」
「なにが?」

 だけどその振動は……、

「は?」
「私のこと、何を知ってるって言うの?」

 私の心に温かな熱を与え……、

「いや待て」
「何も知らないのに、そんなこと言わないでよ!」

 私の心の何かに触れる。

「……」
「皆……皆そうだ。私のことを知らないで、なんで私がこんな所に来る事になったのか、そんなことさえも知らないのに!」

 違う。こんなことを言いたい訳じゃない。

「……おい、『こんな所』ってのはどういう意味だ?」
「そんなの……見れば解るでしょう?こんな何もない僻地で無駄な努力をして……」

 ……違うのに。私はこんな誰かを傷付けるようなことが言いたいわけじゃないのに。
 私は、私はただ……。

「……訂正しろ」
「え?」

 彼の雰囲気と表情が変わる。
 表情は無表情。しかしそこには、その瞳には今までの感情と違う、怒りの色が浮かび上がっている。

 ああ、私は……。

「無駄な努力だと言った事を訂正しろと言ったんだ!」
「な、何だよ、急にそんなの、私は別に……」

 ……彼を怒らせてしまった。

「おい、ここで何を騒いでいるんだ?お前達は」

 そして、彼の怒鳴りつけた声がPXに響き渡ったその時、この騒動を宥めようとする人物が現れた。

「ラナ……!」
「ラナさん」

 何時もの量をトレーに乗せたラナさんの姿だった。

「ここは食事をする場所だぞ?騒ぐのは良いが、喧嘩なら別の場所でやれ」

 ラナさんは責めるわけでもなく、呆れた表情でこちらを見詰めている。

「別に喧嘩なんか……」
「喧嘩なんてしてませんでしたから……」

 ラナさんの介入によって、少し頭が冷えて気付いたが、周りからもかなりの注目。疑心暗鬼、何か、と探る多数の視線が彼と私を捕らえている。

「……少し疲れているので、先に失礼します」

 私はそんな空気に堪えられず、思わず逃げ出してしまった。



 自室。
 シャワーを浴び、火照った身体をそのままベッドへと投げ出す。
 考えるのは今日のこと。訳がわからなくなり熱くなった自分。怒らせてしまった彼。
 もうどんな顔でまた明日を迎えれば良いのかが解らない。

 何もかもがわからなくなった。自分の心、自分が何をしたいのか、自分が何を考えて感じているのか、そんなことさえも。

 混乱している。それを自覚している。

 ただ他人の想いで傷んでいた心が、今やぽっかりと穴を開け、何故かとても寒く感じる。

「……寂しいよ、母さん」

 不意に漏れ出た言葉。
 私はそれを自覚しないまま、重たくなる視界と共にその意識を閉じていった。



[28662] Chapter1-6
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 19:48
 ハンガーからでも聞こえる砲撃音。
 ここからでは小さくしか見えないが、リズムを刻むように響き続けるその爆音は搭乗者の心情を著実に表しているようにも感じる。

「うっへぇ、ジャックさんってば、かなり張り切ってますねぇ」

 声の方に目を向ければ、若い整備員の姿。テストが行われているその光景を見ながら、何やら呟いている。

「そりゃそうだろうよ、ジャックにとっちゃ、ずっと待ち望んでた物だからなぁ」

 そう、ジャックの乗るガイアに欠けていた最も重要だったピース。
 それがようやく到着したのだから。

「そういう物ですか」
「そういうもんよ」

 近くに設けられたディスプレイはそのテストの状況を映し出し、それがパイロット視点のものへと切り替わる。

「ほらな」

 そうしてディスプレイを指し示した瞬間、流れ出す大音声。

『はっはー!最高だ!最高だぁぁぁ!!』

 ……。あまりのテンションに若干引きながら沈黙する俺たち二人。

「楽しそうっすね」
「漢のロマンだからな」

 どんどこどん、どこどんどんと太鼓のように撃ち鳴らされる砲撃音をバックに二人は遥か遠くの小さな機体を見つめる。

「……ところで班長」
「……ん、なんだ?」

 砲撃音と大音声は鳴り続く中で、視線を変えずに交わされる会話。

「いい加減にあの二人をどうにかしてくれませんか?」
「……はぁ」

 その嘆願の言葉に思わずこぼれる大きな溜め息。
 彼らの後ろの黒い機体――クロノスの足元では、黒と金の少年による冷戦が繰り広げられていた。




 二人が喧嘩をしたらしいと初めて聞いた時は、ただ単にそりゃ珍しい事もあるもんだと思うだけだった。

 この基地に滞在している中で最年少の(俺達からすれば)幼い二人。
同年代だからか仲が良く、時間が合えばいつも一緒に行動している。そんな光景をよく見かけていたし、そんな話がよく語られていた。
 そんな彼らを見守る大人達としても、その光景を見掛けては、よきかなよきかなとその影響を良いものだと受け止めていた。
 どちらも(大人達からすれば)利口で素直な優しい子であり、性格に差異こそあれど、相性の良いコンビなのかもしれない。
 それはそんな事を思っていた矢先だった。


「おーい、二人ともー、飯食いに行かないかーい?」

 テストが早めに終了し、整備の方も一段落。腹は確かに減っているが、一人で食べるのも味気ないので、ちょうど双方より歩いて来た少年二人に声をかける。

「あ、良いですよ」
「はい、行きますよ」

 声に対する反応は同時。

「……すいません、まだ腹が減ってないので」
「……すいません、用事を思い出しました」

 その後の反応も同時。

「え?ちょっとちょっと、二人とも!?」

 どうにもおかしい。
 去っていく二人を疑問と共に見送りながらも、残された自分としては何となく疎外感のような、哀愁のような、そんなちゃちな物じゃない何かを感じていた。



「ん、あいつら?ああ、なんか派手に喧嘩したらしいぜ?」

 二人に逃げられた?その事で少し凹んだ後、PXで偶然一緒になったジャックに尋ねると、どうにも、激しく口喧嘩をしていたのが確認されていたらしい。

 口喧嘩が確認された日付はあの日。金髪少年シャルちゃんがちょうど調子を悪そうにしていた時だった。
 調子を崩していたこと、それが喧嘩と関係しているのどうか。そういえば確かに最近笑顔が減っているという、整備班有志からの報告がある。
 その日のその喧嘩について、どのような状況で、どのような内容で、どんな風にして行われたのか、調べてみる必要があるかもしれない。


 今日は珍しく雨。
 それでも、テストは絶賛実施中。むしろそっちの方が運用データとしては貴重な物だ。
 ハンガーに設けられたディスプレイの中、映像は、雨に打たれながらもせわしなく動く白い機体を捉えている。

 市街地を模したオブジェクトの中、白い機体――ウラヌスはその中を駆け抜けていく。
 目標はターゲットドローン。
 しかし、今回の物は、ただの目標ではない。今までの物と違い、ペイント弾によって反撃をするパターンが入力されている本格的な戦闘訓練の為の物だ。ペイント弾が命中するとダメージ判定が行われ、そのレベルによっては損傷部の使用が不可能になる。加えて、破損判定を受けると、機体のバランサーが自動的に調整され、破損部が本当に無くなったような感触になるという地味に高レベルな技術である。

 話は戻り、用意されているのは地上移動型と空中移動型、実戦では戦車とヘリコプターを想定とした代物であり、その銃口がたった一機に対して向けられている。
 ただウラヌスの搭乗者とて馬鹿ではない。
 ウラヌスは建造物を上手く盾にしながら、機動性を活かし、一撃離脱を繰り返していた。一瞬で建造物の影から飛び出し、射撃を加えながら再び建造物の影へ。
 一度に多数を相手にするのではなく、一体ずつ、堅実に、着実に仕留めていく。
 始めは厄介な空中型を。それをあらかた処理した後は対処のしやすい地上型を。

 結局、そうして全てのターゲットを撃破し終えた時、ペイントで染まっていたのは、コクピット部への至近弾を防いだシールドのみだった。



 綺麗な機体。仮想データ内でもダメージを受けていない機体をピットに着け、ラナが機体からほとんど飛び降りるように降機する。

「ふぅ……それで、話があるのでしょう、シバタ班長」

 ヘルメットを外し一息ついた彼女は待ち構えていたこちらに話しかけてくる。

「ああ、疲れてるとこ、スマンね、ラナちゃん」
「いや、大体の事情は把握していますから……というか、ちゃん付けは止めていただきたい」
「それは、そっちだってシゲで良いと言ってるのに、班長と読んでるんじゃないか」

 いつものように軽口を叩きながらも、ドリンクとタオルを渡し話を続けていく。

「いや、その話は置いといて。早速だけど聞かせてもらえっかな、あの二人の事、その時の喧嘩の事をさ」
「別に構いませんよ、自分も気になってますし、……それでは、そうですね、あの日は確かその時……」

 そうして語られる本命、当時の状況説明。
 その始めはいつもの和やかな会話であった事。何かについて応答をしていてシャルルの様子がおかしくなった事。対人関係について何度も質問していた事。計画を無駄と言ったのを皮切りに口論になった事。
 彼女の口から語られる当時の情況。それがラナ自身の目撃とラナと同じく騒動を目撃していた者達との情報を合わせた、彼女自身が知る全てだそうだ。

「……成る程ねぇ。いやありがとう。参考になったよ、ラナちゃん」
「だからちゃん付けは止めて、と……。いや、とりあえず自分が知っている事はこれだけです。実際に目撃したのは最後だけですし。しかし何か重たいものを抱えていた様子ですね。『彼女』は」
「そうだねぇ……でも、それを上手く見てやれなかったというのは俺達大人の責任だからなぁ」

 本来であれば、戦場や兵器などが似つかわしくない幼い二人。
 国や地域によっては大人として認められる年齢かもしれないが、ここではあまりそれを認めたくはない。
 彼らの技術、力量を認めてはいても、本当は硝煙の匂いがするような場所ではなく、平和な世界に居て欲しいというのが基地の大人達の総意であり本音だ。

「まったく、人の人生にあれこれ言いたくはないんだけどねぇ……聞いてみる必要がありそうだ」
「……ミラージュにですか?」
「まぁ、ね。でも本社の方じゃなくて、派遣されて来てるスタッフの方だよ。彼らも何かしらは知っているだろうしね」

 人の過去を探る何て言うのは本当に嫌な事だ。それは人の心に土足で踏み入れる行為だし。

「いや今日はほんとありがとう。ラナちゃん」
「……はぁ。いや、何かあればまた呼んで下さい。私の方でも何とか調べてはみますから」

 そうして立ち去っていくラナの姿、かなりの時間を引き留めてしまって、なんだか申し訳ない。

 もう時間もかなりが経っていて、何だか少し腹も減って来ている。
 でも今はそんなことよりも。

「さてと。次はミラージュの人に聞きに行くかなぁ、と」

 子供達の為にやるべき事がある。




 今日も今日とて、冷戦は続いている。顔を合わせれば一触即発。
 かつては仲が良かった二人の心、その間には壁ができていた。冷戦の象徴、ベルリンの壁。
 どうだろう?何か上手いことを言ったような気がする。

「班長ー!馬鹿な事、言ってないで手伝ってくださいよー!」

 馬鹿とはひどい。まぁでも、やる事をやってなかったのは事実なので否定はしない。
 いや、それにしても……。

「最近調子悪そうだね?大丈夫かい」
「……いや、全然大丈夫ですよ、シゲさん。僕も人間ですからこんな日もありますって」

 彼も大分重傷なようだ。先程行われたクロノスのテスト。明らかにそのデータが最近になって落ちて来ていた。
 攻撃は外し過ぎているし、回避率も悪くコクピット付近に直撃弾さえ受けている。
 しかもそれが出始めたのが、喧嘩をしたあの日からだって言うんだから。

「……あ、シゲさんすいません、自分、先に上がりますね」

 額に手を当てて考えていると、逃げるように去っていく後ろ姿。
 まさか、と振り返るとそこには、こちらの方をいや彼の背中を見つめるシャルちゃんの姿があった。
 そんなじっと見つめているその表情はやはりあまり優れた物じゃない。

 ……壁は確かに強固なんだけど、双方から歩み寄れば直ぐに壊せる。そんな物なんだけど、やはりきっかけがなぁ。

 どうしようかと彼が去って行った方角を再び見れば、そこに見えたラナとジャックの二人が、なにやらこちらに伝えようと身振り手振りと口を開閉しているのが見えた。

 ん?何々……ああ、成る程そうだよねぇ。

 二人に向けて了解、とサムズアップ。それを見た向こう二人も返答代わりのサムズアップ。そうして二人は去っていく。

 簡単に壊せるけど、壊せない壁。壁越しの住人がその気になれば壊せる壁。
 でも壁に近付くのは非常に恐ろしく、とても不安だ。
 確かにその壁は簡単に壊れると分かっている。分かってるけど、不安。不安だけど分かっている。
 なら、その住人を動かすにはどうすればいいのか?それは簡単な事だ。
 動機があれば良い。きっかけがあれば良い。

 それが無いならば作ってしまえば良い。

「シャルちゃん、ちょっと良いかな?」
「え?」

 急に話し掛けられた顔に浮かぶのは、困惑?それとも……。

「少し話さないか?」




「えーと、シャルちゃん。コーヒーと紅茶どっちが良い?」
「あ、はい、紅茶でお願いします」

 ハンガー横、休憩室。
 普段であれば整備員でたむろするそこも、今は自動販売機の光と俺とシャルちゃんがいるだけで、他の誰の姿もない。

「はい、安もんのストレートだけど」
「すいません、いただきます」

 注がれた紙カップを機械から取り出し、零さないように手渡していく。
 続いて、自分用のコーヒーも。

「熱っ」
「あははは、ちゃんと飲むときは気をつけてね」

 そそっかしいシャルちゃんの行動に笑いを浮かべ、ベンチに座りながら、少し冷ましたそれを一口。
 はぁ、ミルクと砂糖を増量しておくんだった、少し苦い。

 互いに少しずつ飲み進めて行きながらも、その空間には無言の時間が続く。

「……あの」
「ん?どうしたの?」
「お話というのはなんですか?」

 その少し重い空気にシャルちゃんは、それに耐え切れなかったのか最初にこちらへと話を切り出す。
 その表情はどこか暗い様子ではあったけれど、瞳にはある種の意志が浮かんでいる。
 準備はできている、か。ならこっちも大人の役目をちゃんと果たさなければいけない。

「話は聞いたよ」
「!」

 こちらの一言。たったそれだけで、何か驚愕の表情を見せるシャルちゃん。

「あの時の騒動も、シャルちゃんがこっちに来る前にあった事も」
「え……」

 その顔に浮かぶのは悲哀と、そして何より恐怖。
 らしいというのはおかしいけれど、どうにも普段のシャルちゃんらしくない表情だった。

「色々と大変だったね」
「……」

 声を続けて掛けるとその頭が下がり俯く様な体勢に。

「本当に、本当にさ」
「……」

 「彼女」はこちらの言葉にそのまま動こうとはしなかった。ただただ何かを身構えるように、じっと耐え忍ぼうとしている。

「……」
「……」

 再び訪れる無音。
 紙カップを傾け、コーヒーを喉へと流し込む。やはり失敗だった。苦いのは好きじゃない。

「……シゲさんは、怒らないんですか?」

 先に口を開いたのは彼女。そしてその内容は、あの時の彼に対しての言葉を指すのだろう。

「怒らないよ、怒る必要がないもの」
「何でですか?」

 彼女は返された答えに対し疑問を抱く。しかし、その表情は聞いた話とはまったく違い、困惑と悲しみの表情が浮かんでいる。

「僕は……いや私はシゲさん達の努力を無駄だって言ったんですよ!?」

 それは自らを責めるような声と表情だ。
 ……まったく、そんな顔をしながらじゃ、もうこっちが答える事なんて何もないじゃないか。

「いや、確かにさ。言われたら少しショックだよ」

 そう、そんな事を言われたら誰だってショックを受ける。
 しかし、こっちが言いたいのはそんなことじゃないので、少し言葉を空けた後にさらに続けていく。

「……でも、自分で分かっているかい?君は今、泣きそうな表情してるんだぜ?……それを見ればさ、シャルちゃんが本心で言った事じゃないってのは分かるし、そもそも日頃の働きや性格を見ればそんな人間じゃないって判断できるし、俺達は皆それを信じるさ」

「でも……」

 シャルちゃんはまだ納得できていないが、伝えたのは確かな本心。
 でも自分がシャルちゃんに言いたいことは別にあった。

「まぁぶっちゃけると、俺にとっちゃ、それはどうでもいいんだよね。実の所、言われ慣れてることだし」
「え?」

 呆気にとられたような表情。そりゃメインディッシュがフィンガーボウルですって言われたら誰だって驚く。
 でもそれは、本当にどうでもよくて、

「俺はさ、シャルちゃんが彼、あの子に言った事をさ。少し訂正して欲しいんだ」
「私が言った事……?」

 シャルちゃんはどうも該当部分に見当がつかないようだ。確かに彼が怒ったのは「計画が無駄だ」って部分らしいから、印象には残らないのはしょうがないとは思うけど。

「シャルちゃん、彼に言っただろう?『私の事を何も知らないくせに』ってさ」
「……はい」

 小さな返事、それとともにこちらの言葉に耐えようとするかのように、体を身構えさせている。

「責めるわけじゃないけど、じゃあシャルちゃんがあの子の何を知ってる?」
「いえ何も……何も聞いてないです」

 こちらの質問に首を振ってみせる彼女。
 そう。何も知らないし、聞いていない。一応、基地の中では古くから知っている自分でさえも。

「でしょ?特に彼はさ、五年前から戦場で知られてるようなさ、そんな人生を送って来ててさ……確かに何も知らないとは思うけど、色んな事があったと思うんだ」
「……」

 それでも彼に何かがあったという事だけは分かっている。
 そうでなければ、あのようなまるで生きる希望を失くしていたような何も映さない瞳にはならないだろう。
 シャルちゃんはこちらの言葉に対して静かに耳を傾けてくれている。

「だからさ、シャルちゃんにはこれからはあんまり、そういった事を言って欲しくないな、というおっさんからのちょっとしたお願い事なわけさ」

 そこまでで自分のお願いと願望は終了。
 あとはシャルちゃんがどう受け止めるか何だけど……って、確認するまでもないか。

 自分の目の前、そこには恐怖も悲哀も無い、いつもの少女の姿があった。

「ねぇシゲさん、私なんて謝ればいいのかな?」

 しかして、そこには少々の困惑がある。
 けれどはっきり言って、そんなものは考える必要がない。

「なあにシャルちゃん、謝る必要なんてないよ」
「え?」

 更なる困惑というか、浮かんでいるのは呆然の色。
 それでも、こっちはこっちで伝えたい事を伝えさせてもらう。

「まぁ確かに、悪いことを言ったという自覚があるなら、謝れば良い。でも、過去の言葉は消えないし変えられない。ならどうすりゃいいのか……?」
「……」

 彼女は黙って言葉の続きを待っている。
 その表情は真剣その物。

「それは、今の自分の気持ちをただぶつけて行けばいいんだよ。今、何を思って、今、何を感じているのか。不安も望みも全てどどんと!……考えるのは全てが終わったその後。それくらいでいいんだよ」

 そう、それが俺自身の本音。
 正直、ケンカなんかはある意味大歓迎だ。
 若い内からぶつかっていれば、きっとそれは後々の笑い話にもなるし、お互いの理解を深めるきっかけにもなるだろうし。
 まぁ、今回はちょっと見てられなかったんだけど。

 そんな事を考えながら正面を見遣れば、そこにあるのは真摯な視線を持ったシャルちゃんの姿。
 もう、ホント、心配は要らないだろう。

「うん、……分かった。シゲさん、まずはこの間は失礼な事を言ってごめんなさい。そして……ありがとう。私、ちょっと行ってきます」
「はいな、行ってらっしゃい」 

 そう頷いて駆け出す、そんなシャルちゃんの背中を何だか暖かな感情を持って見送る。
 そうして紙カップに残ったコーヒーを喉に全て送り込んでいく。
 もう既に温くなってしまったコーヒー。

 でもその味は悪いものじゃない。
 空になった紙カップを小さく潰し、ゴミ箱の中へと放り投げる。

「おっと、そちらはどうでしたか?シバタ班長」

 その時、後ろからかけられる声と自動販売機の作動音。振り返りながらその質問、彼女へと答えていく。

「こっちは上々、ラナちゃんの方も言わずもがな、って所かな?」

 そこには紙カップのコーヒーを手に持つラナの姿があった。そして、それを一口飲むとやがてこちらに口を開いた。

「ええ、こちらも無事解決しました。正確には予定ですが」

 ならもう大丈夫そうだ。この騒動も、あの二人も。
 だけど、それにしても思うこと……。

「若いなぁ」
「若い」

 同時に吐き出される溜め息。考えていることは一緒だったようだ。

「まぁ、あの二人だから問題はないとは思ってたけどねぇ」
「早ければ早いほど良いという言葉もあるのではないですか?」

 まぁ、だからこそ、こうやってきっかけを与えたわけなんだけど。

「……でもラナちゃんはもう良いのかい?」
「何がです?」

 まったく、何を素っ惚けているのだか……。

「ジャックとの事」

 こちらの言葉と共にぶふぅ、とラナの口から噴出される、高温のコーヒー。

「熱っあちっぬおっ、ちょっとラナちゃん!?」
「な、何をいうのかと思えばまったく……!あの馬鹿は当分放っておけばいいんです!!」

 まぁまぁ、顔を真っ赤にしちゃって、はいはいご馳走様、ご馳走様。

「な、何なんですか!?その表情はっ!?」

 さてさて、問題は解決したし、俺はシャワーでも浴びにいきましょうかねー?

「シバタ班長ーっ!!く、そ、シバタぁー!!」


 浮いた気持ち、弾んだ気持ちで自室へと急ぐ。その胸にはちょっとした願いを。

 ――どうか子供達が幸せでありますように。




 そして、翌朝、再びちょっとした騒ぎがあったものの、普通に食事を摂る「少年少女」の姿が見られ、この騒動は無事、終結を迎えた。



[28662] Chapter1-7
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 19:49
「うわぁ……」

 本当になんて事をしてしまったんだ僕は。
 顔がさっきから異様に火照っているのを感じる。吹き出す冷や汗。
 思わず、謎の声を漏らしながら、頭を両手で抱え込み、左右へと揺らす。
 今、こうして自分がいるのがクロノスの中である事だけが本当に不幸中の幸いだ。

 でも仕方のない事と言えば仕方のない事だった。
 あの状況、あのタイミング。
 あんなものは戦場でだって教えてもらってはいない。下手をすれば、戦場にいる時よりも焦っていた。
 しかしあの状況ではそれ以外には自分ができることはなかった、それは確信できる。
 だけどまさか、それにしたってまさか……。







 あの日以来、シャルルとは顔が合わせづらい時間が続いていた。

 彼の言った言葉。決して見過ごす事のできない言葉。
 それを聞いて僕は本当に久しぶりに切れた。
 自室へと戻っても怒りが治まらず、いつもなら読書やら何やらをしている時間帯であったが、まるでふて寝を決め込むように眠ってしまった。

 その翌日、しっかりと睡眠をとって、完全に落ち着いた頭で、昨晩の事を考えていた。
 否定されたとしても、なぜ怒りをあらわにしてしまったのか?日頃から言われているにも関わらずになぜ?いつもだったら、勝手に言わせておけで済んでいるはずなのに。
 自らを律する事ができない未熟な精神。そんなものは自分には不要であったはずなのに。
 それに加えてシャルルは、昨日大分疲れている様子だった。それなのにその事を何も配慮せずに、配慮できずに怒鳴り付けてしまった。
 心を襲うのは己の情けなさと罪悪感。というか完全に自分が悪い。会ったら直ぐに謝ってしまおう。



 自分の心がずーんと最下層まで沈み込むのを感じる。結論から言えば謝れなかった。
 いざ目の前に立つと、シャルルの放つ雰囲気も相まって行動に出せなかった。
 ヘタレめ、僕のヘタレめ。MTを盗んで来た頃の無策無謀の自分はどこへ行った?
 ああ、本当に凹む。一歩踏み出すだけ、そんな簡単な事がなぜできないのか。
 ……明日、明日こそはきちんと謝ろう。こんな状況は決して本意なものではないのだから。


 街を模したオブジェクト。その町並みの中、機体を建造物の間に滑らせていく。
 正面、ロックオン。目の前には戦車を想定した陸上移動型ターゲットドローン。
 遭遇戦。迫り来る敵主砲。ブースター点火。加速を持って砲弾を交わし、機関銃を模しているだろうその弾幕を左腕のシールドで受け止める。
 接近。跳躍。同時に右腕の銃口は下に。
 マシンガンの銃口が目標を捕らえ飛び越えながらの射撃、対象沈黙と共に撃破判定。
 ……これでとりあえずは、一段落。

 今回のテストはいつもよりも厄介だった。レーダー機能の低下を想定した市街戦。都市という入り組んだ構造マップでの戦闘テスト。
 敵の配置も予想しづらく、突如背後から現れたりもする。
 それに対しては機体の装備も状況に対応。右腕にマシンガン、左腕にはシールドとブレード。肩部には近距離ミサイルとレーダーユニット。完全な近距離戦を想定した都市戦仕様。

 既に空中目標は撃破済みであり、残りは都市内部の地上型だけなのだが、これが中々見つけづらい。
 視界の開けた平野での会戦とは全く違い、地形を把握し思考し予測して索敵する。もちろん、見つけたのならば即破壊。
 確かに市街戦の経験は何度もしているから戸惑う事こそ少ない。だが、その経験をしているからこそ、その厄介さが際立つ。

 そして何よりも、今は心に残る事がある。

 ……はぁ、いつになったらシャルルに謝れるのだろうか。
 このところ、度重なる謝罪ミッションは連戦連敗。さらに言えば最初よりも話し掛けにくい気さえする。決心は時間と共に劣化するとはよく言ったものだと思う。

 ――敵を知り己を知れば、百戦危うからず。

 昔の偉い人はそう言ったらしいけど、今はそれが実感できる。
 自分は何もシャルルの事を知らなかった。今のシャルルの気持ちはもちろんのこと、シャルルが今まで何を体験して生きてきたのか。何を感じ何を思ってきたのか。そういった事の欠片ほどさえも。

 正直な所、人の過去には興味はない。過去はその人、個人の物だし、誰かに分け与える物でもないから。
 自分が言える事ではないけれど、人はどんな過去があったとしても前に進まなければならない物だから。過去は個人を造る要素として、それを踏み台にし、いずれは先を目指さないといけない物だから。
 
 しかし、しかしだ。
 今はその過去を知らないと先へ進めないという事もあることを知った。人と関わるという事はそれさえ飲み込んで関わるという事であると解った。
 考えれば考える程にそれは納得できた。だって、それは確かに当然の事だ。
 土台を知らずにしては、その上に家などを建てられるはずがないのだから。


『――んき!おい一番機!!何をやっている!!』

 ふと意識を戻すと、自分へと飛ばされるオペレーターの檄と……。

「っ!アラーム?ロックされた!?」

 直後に訪れる機体を揺らす激しい振動。反射的にカウンター、攻撃をされた方向への射撃。
 碌に確認もせずに撃った物だったが、それは上手く当たってくれたのか、対象撃破の文字が浮かぶ。
 しかし、その浮かんだ文字の横には、コア部に深刻なダメージを表す表示と正面装甲破損の損害判定。そして何より。

『一体何をやっていた?……まぁ良い、今日はもう引き上げろ』

 怒りと呆れが浮かぶオペレーターの姿。あぁ、やっちゃった。脳裏に浮かぶのはそんな文字。

「……了解」

 自分に対する溜め息を大きく一つ吐き出し、機体をハンガーへと向けて操作する。機体は操作に応じて方向を変え、自分と違い、その足を素直に踏み出していた。



 ハンガーへと降り立つ僕を待っていたのは、オペレーターの説教とシゲさんからの心配だった。
 大丈夫、調子は悪くない。ちょっと歯車が合わないだけで。そう調子は悪くはない、おかしいだけで。
 その時、シゲさんと話しているとふと視界に入る黄金。

「……あ、シゲさんすいません、自分、先に上がりますね」

 反射的。ほとんど反射的に身体は逃げ出していく。

 ハンガーから逃げ出し建物内へ。しかし自室へは向かわず、そこから誰もいない場所へと足を向ける。
 外、射撃場へと繋がる道中の半ば。
 身体が汚れるのも構わずに土の上、仰向けで横に。

 聞こえるのはハンガーでの声と作業音。目の前に広がるのは、その先に宇宙を有する広大な空。

 一つ二つ、数え切れない程に。周辺に光源が少ないので星が一層と輝いている。
 無学なので星座はよく知らないけれど、それは同じ空だった。いつか見たあの日と同じで少しだけ違う空。
 ふとあの頃を思い出す。幼く小さかったあの頃、幼い自分が結んだ約束。
 ……何か違うと思ったけど、そういえばあの空には流星群が流れていたっけ。名前は良くは覚えてはいない。けれど、僕ら三人はその空に願いと約束を捧げていた。

「おい、何やってんだ坊主?」

 感傷に浸っていた自分にかけられた聞き覚えのある声と言葉。横になりながらもそちらに視線に映すと、予想通り、のっしのっし、とこちらに歩いてくるジャックの姿。

「まったく、探したぞ」

 そして、その後ろからはラナの姿も。

「……えーと、こんな夜にどうかしたんですか?」

 横になった状態から身を起こし、二人に問い掛ける。
 実際には、何となく二人の言おうとしている事は分かっているが、それは自分でも分かっている事、いまさら言われてもしょうがない。

「その表情だと用件はわかっているみたいだな?」

 ほらきた。予想通りじゃないか。何をすれば良いのかはわかってるんだ。言われなくても。

「だが、何を怖がっているんだ?」
「は?」

 ……怖がっている?誰が?何を?どうして?
 ラナの言っていることがよく分からない。

「今度は何もわかってはいない様子だな?」
「いや、一体何を言っているんだ?ラナ」

 そう、一体何を言っている?その言葉、意味も意図も読み取れない。

「は、呼び捨てに為っているぞ。……感情が高ぶると、言動が雑になるのはお前の悪い癖だな」
「くっ、僕が何を怖がっているって言うんですか?ラナ……さん」

 確かに無意識の内に呼び捨てになっていた。
 本当に悪い癖だ、冷静さと自律こそが兵士の鉄則だというのに。
 ……むむ、精神集中精神集中。

「それは何があったか聞いてからにする。ほら、まずは話してみろ?」

 はぁ、完全に負けている気がする。これが人生経験の差という奴か。
 というか、ジャックは横で頷いてるだけで何しに来たの?



「……結局お前は、『やってる事が無駄』だと言われて切れてしまったわけか」

 はい、そうですよ。その通りですよー。

「……日頃から、知らない奴には何とでも言わせておけとか、偉そうに言ってた癖にな」

 はいはい、そうですよ。悪いござんした。

「まぁ、そうふて腐れるな。そうしてると子供のように見えるぞ……実際、子供だが」

 子供で悪かったですね、というか、ジャックもそこで頷いてるんじゃない。
 それはともかく。

「僕はね、嫌だったんですよ。皆がそうやって言われるのが。自分が言われても別に気にはしませんよ、それこそ勝手に言わしとけって奴です。……でも、だからこそ、一緒に頑張って来た筈のシャルルが皆をそういうのが嫌だった、認められなかった」

 だってそうじゃないか?
 シャルルは一緒の仲間になったはずなのに、そんなのが認められる筈がない。

「成る程な。自分の為というよりも仲間の為か……」

 そういってラナは上半身だけを起こして座っている状態の自分に近付いてくる。
 辺りは暗い為にその表情はわからない。
 まさか、殴ら……

 痛みと衝撃に備えて目を瞑る。
 しかしその頭部に感じるのは温かさ。掌。どこか懐かしく心地の良い人の体温。
 思い出すのはまだ幼かった自分の姿。

 そのまま一寸。そして。

「な、何をするんですか!?」

 頭を振って、頭上に存在していたラナの手を退ける。はっきり言ってラナの行動の意図がわからない。

「なんだ、折角撫でてやったというのに。それにしても撫でやすい頭だな、お前のは」

 答えになってないと思うよ、それ。

「ほう、そうなのか」

 内心どこか不満に感じたラナの態度と言動。
 それに対して文句の一つでも言ってやろうと思ったその時、ラナの笑い声と僕に不吉を呼ぶだろう声が聞こえてきた。
 ……いや、そんな、まさか。

 直後、頭に押し付けられる硬い掌。ぐりぐりぐりというよりは、ぐぎぐぎぐぎといった感じ。
 でも待ってジャック、それは撫でるじゃなくて、世間一般的には潰すって言うんだぞって……痛い痛い、だから痛いって潰れる潰れる。

「おお、本当に撫でやすいな、俺の手にすっぽり収まりやがる」

 うっさい。それはジャックがでかすぎるだけだろう。
 そして、ジャックは尚も笑い声を上げながら僕の頭を潰しにくる。

「……だけどよ」
 
 そんな時、不意に呟かれた一言。
 するといきなり、笑いながら撫でる手が止まり、ジャックの声のトーンが下がる。

「お前はよう、もうちっと周りを頼りやがれよ。俺達はお前のれっきとした仲間なんだぜ?それだけじゃねぇ、お前は手のかかる奴だが、俺達大人はお前達を実の息子みたいに思ってるんだからよ」

 ……なんだよ、それ。いっつも手がかかってんのはジャックじゃないか。ほんとなんだよ、それ。
 それは何時もの馬鹿なジャックじゃない。こちらを本気で心配してくれている真面目で真剣な大人のジャックだった。

「こいつの言う通りだ。困った時、辛い時、何でも良い。何かあったら私達に言え。いやシゲさんを含めた皆に言え、誰もがきっと相談に乗ってやるから」

 それにラナが優しげな表情と声でこちらへと語りかけてくる。
 なんだろうこれ?何だか胸が痛いじゃないけど熱いような錯覚を起こしてるような感じがする。
 でも、二人とも何だかずるいよ、ほんとに。まるでこれじゃ僕が普通の子供みたいじゃないか。これだから大人は……。



「所で僕が怖がってるってなんの事ですか?」

 気を取り直して再起動。

「ごまかしたな」
「ごまかしやがった」

 さぁ?この何時ものコンビの二人、彼らが何を言ってるのか僕にはよく分からない。全く分からない。
 そんな僕の態度にやれやれとため息をついて、ラナが本題について話し出した。

「まぁ良い。さっきお前が怖がってるって言ったのは、そのままの意味だ。……お前はシャルルを怖がっている」

 そんな事はない。シャルルに恐怖だなんて……

「少し違うな。正確に言えば、シャルルに嫌われる事を怖がっている」

 ……。

「少しは自覚はしているんだろう?」

 確かに、一歩を踏み出せないあの感覚。恐怖と言われれば恐怖かもしれない。
 でも何で……?

「人間関係なんて物はそんなものさ。直るかどうか分からない物、触ったら今度こそ壊れてしまいそうな物、人はそんな物に対しては総じて臆するものだからな」

 ラナはしみじみと何かを思い出すように語っている。
 それも確かに一つの要因だとは思うけれど。
 ん?いや、そういうことなのか?そうすると、これはきっと。

「……うん、でも少し解った気がする。何でシャルルとの事を怖がったのか」
「ん?」

 思い付いた事があった。思い至った事があった。だってそれは。

「シャルルは僕の友人であって、新たな家族だったから」

 加えれば、初めて出来た同年代の友人だったから。ここに加わった家族だったから。
 そして、それをまた失ってしまうのが怖かったから。

「……そうかい」

 見れば、ラナはこちらを見て満足そうな笑みを浮かべている。
 一方でジャックの方と言えば、ニヤニヤとした表情。
 ……言いたい事があるならはっきり言ってほしいな。

「青いな」
「青いな」

 ……別に良いですよ。青くてまだ若さが溢れてるって事で良い事じゃないですか。

「開き直ったな」
「ああ、開き直りやがったな」

 こんな感じで、しんみりとした空気はいつもの空気へ。
 もうきっとシャルルには謝る事ができる。そんな確信があった。

 ……でもやっぱり、明日からで。



 あの後、ラナ達とは別れ自室へと戻って来た。
 ラナ達には呆れた表情で見られたけれど、今の自信は本物だ。
 そういえば、まだシャワーを浴びてなかったのでシャワーで汗を洗い流す。
 さっぱりとした後は大きめのシャツとハーフパンツを身につけ、タオルで濡れた髪をよく拭きながらベッドへ。
 そうしてあらかた髪が乾いたかな、とタオルを戻しに立ち上がろうとしたその時、誰かがドアを叩くノックの音が室内に響いた。

「えっと……まだ起きてるかな?少し話があるんだ」

 何だか久しぶりに聞くような声。少し遠慮をするようなその声の持ち主を僕は既に知っている。

「入って良いよ」
「うん、失礼します」

 一つ声をかけると共にドアノブが捩られ扉が開く。
 そこから現れる明るい金の髪。
 それは思っていた通り、でも、どこか決心をしたような表情を湛えたシャルルの姿だった。



「……シャワー浴びてたんだね」
「……まぁ、ついさっき浴びたんだけどね」
「……そうなんだ」
「……うん」

 差し出した椅子と自分のベッド、それぞれに腰を掛けながら口を開くのだが、話がなかなか繋がらない。

「……」
「……」

 訪れる沈黙。
 でもやはり、こういう時は先に言い出さねば。

「あのさ」
「あのさ」

 ……って。

「……」
「……」

 被った。どうしようもなく被った。
 今度は先にどうぞどうぞと押し付け合う。

「やっぱりそっちが先で良いよ」
「この場合はシャルルが先で」
「いや、それは」
「シャルルが先で」
「いや」
「シャルルが先で」
「……」
「シャルルが、先で」
「分かったよ」

 譲り合いというかは押し付け合い。この場合は一方的な展開で僕の勝利だ。
 前から思ってたけど、シャルルは押しに弱い気がする。
 いや、それはともかく、今は……。
 姿勢を正し、シャルルが言おうとしている事に身構える。どんな言葉が来ても大丈夫なように。そう心を決めて。
 シャルルも少し緊張しているのか、同じように背筋を伸ばし、大きく呼吸をしている。
 やがて、こちらを見据え口を開く。

「この間は本当にごめんなさい!」

 え?

「あと、皆の事をけなすような事も言ってごめんなさい!」

 あ、いや。

「それに何にも知らないのに、なんて言ってごめんなさい!」

 いや、ちょっと。

「ちょっと待った」 
「え?」

 いきなり、その言葉を止められた為か、その顔に浮かぶのは驚きの表情。
 でも本当にちょっと待って欲しい。
 それはこっちにとってもいきなりだったし、それにこの調子だとシャルルに押し切られて、こちらの言い分が無くなってしまう。

「本当にこの間はごめん」
「えっ?」

 何故か驚いた様子のシャルルの表情。

「いきなり怒鳴ったりしてごめん」
「ええっ?」

 二言目になるとさらに大きく。

「何にも知らないのに色々言ってごめん」
「えええっ!?」

 三言目にはちょっとした叫びの領域に。
 ……さっきから何を驚いているのやら。
 というか、いきなり謝りあって僕らは何をやってるんだろうか?何だか急に笑いが込み上げてきた。

 そうしてふと顔を見合わせると、どちらからでもなく互いに笑顔がこぼれる。
 どうやらシャルルもまったく同じ事を考えていたようだ。

 そのまま二人で笑い合う。この間の喧嘩などなかったかのように。今までのすれ違いなどが嘘か幻だったかのように。

「ほんと、僕らは何をしてたんだろうね」
「本当、まったくだよね」

 そう、全く本当に。

「些細な事で喧嘩してさ」
「うん」

 翌日にごめんと、ただ一言、言っていれば、これはそこで終わっていたのではないだろうか?

「こうして蓋を開けてみれば二人とも謝り合って、笑い合って」
「……」

 本当の本当に。一歩を踏み出せばすぐそこだったのに、それを怖がって踏み出せなくて。

 ちょっと自分たちに呆れの笑いを浮かべる。
 そんなちょっとした笑いの中、シャルルの方に目を移してみれば、そこにあったのは何かを考え込むような表情。
 そして、こちらの視線に気がつくと、少し緊張をした面持ちでこちらを見詰め、そのままこちらの瞳を見据えたままにその口を開いた。

「……少し聞いてほしい事があるんだ」
「……何を?」

 そのシャルルは真剣な表情だった。そして彼は何かに耐えるような怯えるような表情で言葉を続ける。

「……僕の、ううん、私の今までの事」
「……ああ」

 そして、その語りが始められる。



「私には大好きな母がいたんだ。とても優しくて笑顔がとても綺麗で本当に大好きだったんだよ」

 それはシャルルの人生そのものだった。

「でも、その母が亡くなった後、父の所に連れて来られて……あの人はさ、本当は私なんてどうでもよかったんだ、でも私が力を持っていたから、それを利用して」

 思った事。

「私ね、本当に頑張ったんだよ?きっと認めてもらえるって、褒めてもらえるって。そう思って頑張って頑張って頑張ったんだよ?」

 感じた事。

「でもさ、ダメだった。あの人は私を道具か何かだと思ってるみたいで、会ってもくれないし、何も話し掛けてくれないんだ」

 考えた事。

「それでもね、必要としてくれるなら、役に立てるなら、自分がいてもいいのかもって、自分の居場所があるのかもって思って、また頑張ったんだ」

 頑張った事。

「でもやっぱり駄目だった。ここに来るのが嫌だって言ったら、目の前から消えろ!なんて言われちゃった。……ほんと笑えないよね」

 悲しかった事。

「ここの人は皆、みんな良い人だよね。優しくて面白くていつでも笑ってて、まるで夢でも見てるみたいだって思ったもん」

 嬉しかった事。

「でもね思ったんだ。これは本当に私の夢なんじゃないかって。皆の笑顔、皆の優しさが全部、都合の良い幻なんじゃないかって」

 辛かった事。

「本当に夢や幻ではないってことはわかってるよ?でもね……でもね、母が死んで幸せなんてどこかに消えちゃって、それでも居場所でもと思ったら、消えろって言われて無くなっちゃって」

 抱いた想い。

「みんなみんな、本当に欲しかった物を無くしてきたと思うと、やっぱり、いつか皆は消えちゃうんだって思って。私の事を要らなく思うんじゃないかって考えちゃって」

 抱いた願い。

「そうしたら辛くて、悲しくて、もうよくわからなくて、もうどうすればいいのかわからなくて……」

 その全てがそこには含まれていた。

「ねえ……私はここに居ていいのかな?父にさえ必要とされない、何にも無い私だけど、ここに居てもいいのかなぁ」

 シャルルからの問い掛け。それは彼の全てがそこに懸けられたものだ。
 その重み、人一人の人生という物、それを言葉から感じている。
 シャルルの人生を左右するであろう質問、僕に課せられたそれに対する答え。その責任は大きすぎる物なのかもしれない。
 それでも、そんな物は既に決まっていた。

「……駄目だな。そんなのは、駄目だ」
「……やっぱり、そう、なんだ」

 落ち込んだ声。その表情は泣いている。涙は流れていないが、それでもシャルルは泣いていた。
 でも待ってほしい、それは違う。勘違いをするな。意味が、違う。

「違う。そういう事じゃ無い。ここに居てもいいか、なんてそんな悲しい事を言うのが駄目なんだ。そんな事は絶対に」

 僕の言葉にシャルルが浮かべるのは悲しみと困惑の表情。

「なん、で?」
「何でじゃあない。当たり前だろ?初めに言ったよな?ようこそホームへって」

 シャルルの歓迎パーティー、その時にシャルに向けて言ったこと。

「……うん、覚えてるよ」
「そうホームだ。ここがシャルルにとっても……僕にとってもホームなんだ」

 見れば、未だに納得のできていないような表情のシャルル。

「ここが僕らの家なんだよ。ここでシャルルは何をした?笑っただろ?一緒に騒いだだろう?今みたいに深く悩んだりもしただろう?」

 それをシャルルはここで経験してきたはずだ。その皆の優しさを。皆の心とその想いを。

「言いたい事があんまり上手くまとめられないけどつまりはさ、血の繋がりとかじゃなくて、笑ったり悩んだり、時には泣いたり、僕らみたいに喧嘩したりもするかもしれないけどさ」

 何となく、これ以上言うのが恥ずかしいので目を逸らしながら言葉に続ける。
 これは全ての心情を吐き出してくれたシャルルへの礼。今度は自分の想いを。その本心を。

「それでも一緒にいるもの……そういうのをさ、『家族』って言うんじゃないかな」

 言ってしまった。本当に言ってしまった。うわぁ、ラナ達がいたら絶対笑われてる所だよ、これ。

「まぁ僕自身で思ってる事だからあれなんだけど。……でも、さ。要らない、とか、ここに居てもいいか、とかはあんまり言うなよ。皆家族なんだぜ?居てもらわなくちゃ困るよ」

 ……。

 ん?そういえば、いつの間か反応がない。
 恐る恐るシャルルがいた場所を覗いてみる。何だか恥ずかしい気持ちもあるのでこっそりと。
 するとそこには、両手で顔を隠すように俯く姿が見えた。
 結論からすれば、肩を震わして泣いているシャルルの姿があった。

 ええっ!?

 はっきり言えば、焦った。これ以上無いほどに焦った。
 今までに命に危険が迫るようなそんな状況はそれなりには経験していた。たしかにしてきた。
 だけど、今みたいな一体どうすれば良いのか、それすら解らない危機は初めてだった。

「ちょっとシャルル、な、何で泣いてるんだよ……?」

 その問い掛けへの返答代わり、聞こえてくるのは鳴咽としゃくり上げるような要領を得ない声。

 その姿にあぁ、と胸に浮かぶものがあった。

 それは幼き頃の自分。弱くて小さくてよく泣いていた頃の自分。
 今日は何かとあの頃を思い出す事が多かったけれど、もしかしたらそれは、今この時の為だったのかもしれない。

 ベッドから立ち上がり、椅子に座ったまま泣き続けるシャルルの正面へと移動する。
 そんなシャルルは相も変わらずに泣き続けている。その涙する理由はよく分からないけれど、今は理由なんて物はどうでも良い。
 そして、そのまま一人泣き続けている身体を抱え込むように抱きしめていく。右手は頭に。左手は背中に。もう大丈夫だと、よく頑張ったな、と幼き自分がよくされていたように。

 シャルルはその体勢になってもずっと泣き続けていた。今まで抱え込んで来た何かを、きっと重たかったろうそれを全て投げ出すかのように。
 声を上げて泣いていた。耐え続けた物からようやく解き放たれたかのように。
 ずっとずっと。

 どれほどの時間をそうしていただろうか?
 気が付けば、腕の中にいるシャルルはいつの間にか泣き止んでいる様子だった。それでもその体勢は崩さない。
 その頭を撫でながら、どちらも身動きは一つもせず、そのままの状態でじっと過ごしていた。

「……ごめんね、いきなり泣き出したりしちゃって」

 そこで先に口を開いたのはシャルルだ。腕の中、僕の胸の辺りから声が聞こえる。

「いや、そんな事は誰でもあるだろうさ。僕だってそうやってよく泣いてた物だったし」
「……泣いていた?え?それって」

 なんだか意外そうな声を上げるシャルル。僕もその声に応えて、懐かしい記憶の断片を話していく。

「そう、ずっと昔、本当に幼い頃だったよ」

 シャルルはそれを興味深そうに聞いていた。僕が幼い子供の時分であったその頃の話を。

「その時の僕は本当に泣き虫で、いつも泣いては、こうして姉さんが抱きしめてくれて、頭を撫でてくれてたんだ」

 そう、本当にあの頃は弱かった自分だった。守られていた自分だった。

「姉さん……兄弟がいたんだ?」
「ああ、うん。姉さんと……後あれは弟みたいな兄だったかな」
「そっか」

 あの馬鹿と一緒にそこら中で遊んで、よく転んで泣いては宥められていた。
 貧しかったけど、穏やかな日々、毎日が楽しくて幸せだった。

「まぁ、それはともかく……そっちの方はもう大丈夫?」

 腕の中、そのまま胸に頭を預けているシャルルに問い掛ける。

「うん、……でもね、一つ聞きたい事があるんだ」
「何さ、良いよ。何でも聞くから言ってみて?」

 そう言うと、彼は心配そうに口を開いた。

「……私ね、機体が完成したら、帰らなきゃいけない。あの場所へまた。きっとまた独りで」

 ああ、成る程とそんな契約だったかと思い返す。

「どうしよう、もうあそこには戻りたくないよ。どうしたら良いんだろう?」

 確かにそれはシャルルにとっては問題かもしれない。

「帰らなきゃいいんだよ」
「え?」

 僕の一言にシャルルは再び驚いてはいるけれど、でも、それはこちらからすれば、特に問題にすらならないことだ。

「だからこっちに残ればいいんだよ」
「いや、でも……」

 まったく、真面目というか何と言うか。

「言いたい事を言って、やりたい事をやれば良いんだよ?ほら、難しい事じゃないでしょ?」
「でも、あの人が、父が何て言うか」

 やれやれ、本当にあんまり見くびってもらっても困る。

「その時は僕らを頼りなよ。僕だけじゃない、ジャックやラナやシゲさんに。そうすればきっとクレストもキサラギも動いてくれるはずだから」
「……、うん」

 そう、僕らは一応クレスト、キサラギの重要人物であるし、その程度の頼みならきっと聞いてくれるだろう。

「シャルルはさ、もっと我が儘を言っても罰は当たらないと思うよ」
「……うん」

 それについてもそうだ。シャルルは何だか、周りに遠慮し過ぎてる気がする。それでその結果何でも一人で背負いすぎてると思う。

「もっと周りを頼って、もっと素直になりなよ」

 そうしてシャルルの力になってあげたい。困っている様子を見れば、きっと誰もがそう思うはずだ。

「うん」

 とまぁ、最後はラナさん達の受け売りなんだけど。

 と、そこで初めて気付いたのだけれど、それにしても、いつまでこうしていたら良いのだろうか?
 正直な所、正気に戻ってるから凄く恥ずかしい。

「それでさ、えっと、ね。もうそろそろ離してくれると嬉しい、かな」

 ちょうどそこでこちらの考えと同じような言葉が聞こえてくる。
 まぁ、そうなるよね。シャルルもシャルルで同じ気持ちだったようだ。

 声をかけられると共に解いていくその拘束。
 その顔を窺って見れば、シャルルの顔は林檎もかくやと言ったように真っ赤になっている。その範囲は耳の先までに。
 うんまぁ、きっと多分、こっちも同じような状況だろう。実際に今は顔が熱い。

「……なんだか恥ずかしいね」
「……確かに」

 それには同感だ。何か恥ずかし過ぎる事も言っていた気がする。

「でもいきなりで悪かったね」
「えと、うん……なんだかね、温かくて何だか安心できたよ」

 安心という割には、顔が真っ赤なんだけどそれはどうなんだろう。まぁ何であれシャルルの手助けが出来たのならそれでもいいと思う。

「……」
「……」

 再び訪れる無言の時間。そういえば、本当にどれくらいの時間が経っていたのだろうか?大分話していた気がする。

「もうこんな時間か」
「うん」

 部屋の時計を見てみれば、もうすぐ日付が変わろうとするような時間帯に突入していた。
 もうそろそろ互いに自分の部屋へ戻った方が良いだろう。明日は休みでもなんでもなく、またテストが待っているのだから。

「シャルル。もう遅いし……」
「ん?」

 それを口に出そうとしたその時、そういえばやっていなかった事に気付く。

「と、その前に」
「あ、そうだね」

 突き出すのは右手。シャルルもこちらの意図に気付いたようで同じく右手を前に出す。
 重なる右手。それを互いに軽く握り返す。
 
「これでまぁ元通りだな」
「うん、仲直りだね」

 和解の握手。ケンカの終焉。これ再び結ばれた友情って所なのかな。

「それじゃ、シャルル、もう遅いし僕は寝る。そっちも遅くならない内に寝なよ」
「もちろん、分かってるよ」

 扉へと近づくシャルルの背中に一つ声をかける。

「それじゃあ、また明日」
「うん、また明日」

 そして、シャルルが入り口の扉をくぐり、入り口のドアが閉められる。
 それを見送った後で、言葉通りにベッドの毛布の中へと潜り込んでいく。
 なんだか一段とベッドが心地良く感じる。
 その日の夜は不思議と何だか直ぐに寝付く事ができた。

 そして、ようやく戻って来た、いつもの日常を迎える。






 ……はずだったんだけど、どうしてこうなったのか。

 両手で頭を抱え、再び左右に。その事を思考から振り切るように。何とか思い出さないように。
 あー忘れたい。すごく忘れたい。けれど意識すればするほどに印象が強くなっていく。

『おーい、その動きは凄く興味深いけど、早く始めてくれぇーい』

 オペレーターから代わってシゲさんの催促の声が聞こえる。

 ……その動き?ああ、成る程、AMSがこちらの思考と動きに反応し、クロノスに今の動作を忠実に再現させている。
 頭を抱えながら、じたばたと頭を左右へと振るクロノス。うん、とてもシュールだ。

「……了解です」

 頭を切り替えよう。恥ずかしさで死にそうだけど、悶死するのはテストの後で良い。
 なぜ、ここまで、恥ずかしがっているのか?
 だって普通は考えないはずだ。
 昨日まで、昨夜まで男だと思っていた友人が、翌朝になったら女の子に変身していただなんて。
 あまつさえ、不可抗力とはいえそんな女の子を思いっきり抱きしめてしまっていただなんて。




 テストは何とか無事に終了。
 結果は及第点。精神耐性に問題有り。要集中要集中。
 シャワーを浴びて今はPX、料理を受け取りいつもの席へ。
 帰って来た日常。変わらない日常。一つ変わったとすれば、隣の人物。

「調子悪そうだったね?」

 話しかけてくるのは、件の「彼」だった金髪。
 上は作業衣を着ているが、下はタイトスカート。そこから暗色系のストッキングに包まれた足が真っ直ぐに伸びている。

「まったく……誰のせいだと思ってるんだか」
「ははは、……ごめん」

 本当に全くだ。そのせいでテストは散々な結果に……。

「でも、最初は、全く、気付いてなかったよね?」

 む。それは確かに。
 違和感こそはあったけれど、戻った笑顔の影響かと思って、特に注意せず気が付かないままに過ごしていた。

「……私は少し、ショックだったなぁ」

 はいはい、すみませんでした。許してください。

「ふむふむ、分かれば良し!……なんてね?」

 むぅ、と頬を風船のように膨らませたその後、明るくくすくすと笑うその表情。それは本当に何かが吹っ切れたような表情だった。
 まぁ、男だろうと女の子だろうと、昨夜の事でシャルが元気になったのなら、結果オーライという事なのだろうけれど。

 ゆっくり歩いていたので、ようやくいつもの席へと到着。そして席には既にいつもの先着。

「本当に元気になってるじゃねえか、坊主に嬢ちゃん」
「なんだか、以前にも増してといった感じだな」

 まぁいつも通りの、この間はなんか色々とお世話になったジャックとラナの姿。

 そんなこんなで再び流れる忙しいけど、愉快な日常。
 シャルルはシャルロットになったけど、その日常は変わらない。だって名前と格好が変わっても、シャルはシャルだって事だから。
 何気ない世間話をして、馬鹿みたいな笑い話をして、仕事の事で語り合うそんな関係。



 それは再び平穏に流れていくものだと思っていた。
 そうして、大変だけど緩やかにこの日常を過ごして行くものだと思っていた。



 騒々しい足音が響く。
 その音源となっている物の方向に目を向ければ、予想通りにPXへと駆けてくる影。
 それは僕らがいつもお世話になっている整備班班長である、シゲさんの姿だった。

 和解の記念にいつものような宴会をやりに来たのでは、とも思ったが、その表情はいつもの明るい笑顔ではなく、いつになく真剣な表情だ。

「シゲさん、何かあったんですか?」

 シゲさんは、無言でPXに設けてあるディスプレイの映像を変える。
 そこには、何かを大々的に報じるニュースの映像と、そしておそらく同年代であるだろう少年の姿が映し出されている。

 えと、男、少年……オリムラ、オリムライチカ?

 シゲさんは画面を見つめ口を開く。

「……ISに男の適性者が現れたんだ」

 いきなり訪れたその出来事。
 それは世界全体を巻き込むような、とても大きな波乱の予感だった。



[28662] Chapter1-8
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 19:49
『それでは、戦闘を開始して下さい』

 オペレーターの開始の合図と共にブースター点火。流れていく景色。センサーに神経を集中、視線はただただ前方を見据える。
 敵は遠方。今回の相手はターゲットドローンのような無人機とは比べ物にならない存在だ。
 
 開始されて間もない時間、早々と鳴り響くアラーム音。それを聞くとほぼ同時に機体を右へと移動。

 ――着弾。

 過ぎ去って行った場所、先程まで自身が存在していた場所がその砲撃によって刔り取られる。
 それはこちらを狙う長距離砲撃。
 今回の目標は、こういった開けた戦場において特に恐ろしい存在となる。

 機体を直線にではなく、左右への機動を混ぜ滑らせていく。その度に地面を穿つ砲弾。回避運動。同じリズムは付けてはいけない。あくまでも不規則に。相手の予測を裏切るように。

 弾道予測。左背部レーダーユニットが、いくつか放たれた砲弾から、その発射元を特定する。
 発射元は全てが別の物。しかし、それはこちらの背後に向けての軌道を示している。
 すなわち、これは移動しながらの砲撃。それもこちらの死角へと回り込むような機動をしながらの物。

 得られた予測針路へ向けて旋回。
 オーバードブースト起動。

 収束し生み出されるエネルギー。それは機体を前方へ押し出す推進力と化す。
 急加速。放たれる砲撃も遥か背後へ。

 高速で流れていく視界。そして右背部。右腕部武装に付随し増設された複合センサーが、移動を続ける目標を遂に捉える。

 前方、視界を横切るように移動を続ける車輌の姿。それは機体に備え付けられた砲身をこちらへと向け、絶え間無く砲弾を穿き出し続けている。
 
 オーバードブースト停止。

 通常ブーストで機体を移動させ、尚も敵砲撃を回避。

 センサーは敵を映し続け、FCSは目標を捉えロックオン。
 右腕部、長距離用ライフル。長大な銃身、そのトリガーを引き絞る。
 炸裂音。共に解き放たれる高速の弾丸。

 偏差射撃。移動目標の針路に置くように放たれた銃弾。それは高性能FCSと高精度のライフルにより、必中の精神を持って放たれた物。
 だが命中するかと思われた時、そこに変化が起きた。
 車輌から人型へ、それは劇的な変化だ。目標は変形による速度減速により、こちらの必中として放たれたそれを回避する。

 変形、減速。その動作の中で方向転換。その機体の銃口は、真っ直ぐこちらへと向けられる。

 ――警告。目標より射出体多数。

 それはこちらでも肉眼でも捉えている。誘導弾。ミサイル。いつしかモニターで見たそれが八つ。

 オーバードブースト再起動。回避の為に機体を急加速。
 回避の為に、距離を詰める為に、ただただ前方へ。

 同時にハードポイントの接続を解き、左腕部にマシンガンを装着。
 左右の武装による迎撃で急激に迫り来るミサイルを迎撃する。異質でアンバランスなダブルトリガー。

 四つを撃墜。二つが誘爆。残り二つはその旋回半径からの脱出に成功。背後で行き場を失ったミサイルの爆発音。
 これで誘導弾からの脅威からは抜けた。
 しかし、そこに安堵する暇などはない。

 敵機体、両腕、二丁のガトリングと先程まで放って来ていた右肩グレネードによる弾幕の構築を開始。
 圧倒的な火力。その前では中長距離の撃ち合いなどではまず勝ち目がない。

 いくらこちらが機動力に優れ、相手の攻撃をかい潜りながら、いくらかの銃弾を当てようとも、それは重厚な装甲に防がれ有効打ともなりはしない。
 そしていずれはこちらの数倍、火線の網にその身を捕らえられ、物言わぬスクラップへと変わり果てる事となるだろう。
 という事は、こちらの勝機はただ一つ。

 最接近距離での高速機動戦闘。
 速度を活かして翻弄し、狙いを着けさせないままに撃破する。

 オーバードブーストから生み出される推進力、それによる速度を維持したまま、その弾幕という網の中へと飛び込んでいく。
 ガトリング砲とグレネード。恐ろしいのはグレネードの直撃と、ガトリング砲の連続被弾。それにさえ気をつければ、いくらかの被弾はしょうがないにしても、何とかこの網を抜けられるはずだ。

 火線の中、ふと見つけたその弾幕の穴。
 敵左側面。そこだけその火線が手薄になっている。それは明らかな隙だ。これを狙わない手はない。
 左右に機体を振る敵に的を絞らせない機動から、狙いを定め、そこを目指す。

 実感出来る程に薄い弾幕。これならば行けるという油断から生じた甘い判断。

 結論から言えばそれは敵の構じた罠だった。

 急速に縮まっていく彼我の距離。両腕、ダブルトリガーによって牽制しながらも左腕部ブレードを起動。前腕に備え付けられたシールド兼任のブレードユニットから、左腕部の手甲にその実体剣が移動する。それは敵をいつでも切り崩し、刺し貫く事のできる状態への移行。

 そして、最接近し切り掛かろうとした瞬間、機体のアラーム音より早く、第六感が危機を伝える。
 スローモーションになる景色の中、そこにはこちらへ向けられる、今まで折り畳まれ沈黙していた左肩部の敵主砲の姿。

 緊急回避。一瞬遅れ響くアラーム音。機体を抜ける激しい振動。右腕反応喪失。右腕被弾、大破と損失の文字が画面に踊る。

 敵主砲、大型レールカノン。それによってたった一撃で右腕を持って行かれた。

 油断。支払った代償は大きい。
 だが、それを悔いるのは後で良い。

 相手にも今本当の隙が生まれている。
 必殺の策で仕留め切れず、その事実への驚きによる意識の切り替えのミス。それによって反応に遅れが生じている。
 
 ならば、この瞬間を今度こそ。

 機体を襲った激しい衝撃により、自動停止したオーバードブーストを再点火。
 それから一瞬遅れて再加速。
 
 ようやく敵はこちらの動きに気付き、弾幕を再構築させる。しかし、こちらの狙いはそこにあった。
 狙うのはコア本体ではなく敵の武装。右肩部グレネード。
 弾幕構築からの一瞬の発射ラグ。そこを狙う。

 ガトリング砲の弾幕を横切りながら、左腕マシンガンを敵のグレネードカノンへと乱射。それは砲撃体勢に入り、こちらへ狙いを着けていたグレネードに直撃。

 砲弾の爆発。続いて誘爆。
 衝撃によって硬直する敵機体。
 こちらの眼前には敵機体の右腕損失を示す文字。これで立場は同じになった。

 しかし、こちらはさらに畳み掛ける。
 左腕マシンガンを放棄。機体を少しでも軽く、残るブレードに全てを託す。

 硬直から復活した敵機体が弾幕を慌てたように再構成。しかし、右腕を失ったその弾幕では穴が大きすぎる。
 何より、あちらの機動性能ではこちらの動きには着いてはこれない。

 敵の死角、右腕部方向から回り込むように接近。ここではリニアカノンも左腕部のガトリングも届きはしない。

 接近。最接近距離へ到達。
 そして、敵コア部を狙ってブレードを振るう。



『三番機沈黙。これで今回のテストを終了します。一番機帰投して下さい』

 テスト終了を告げるオペレーターの声。目の前では、データ上ではナマス斬りにしてあげたガイアが、もぞもぞとようやく動き出す姿。

『くっそー、俺の負けかよ……』

 映し出されるのは悔しさに歪むジャックの表情。

「……今回はかなり危なかったですけどね」

 ハンガーヘと一歩を踏み出しながら、ジャックに応える。
 これでジャックとの戦績は五勝二敗一分。その差を再び突き放した。

『うぉ、これで俺の秘蔵っ子達の帰還がまた先に……!!』

 そう、この実機戦闘訓練に入ってから、いつしかの賭けの続きを再開したのだ。とは言っても、あちらには既にベットがないので、借りが増えている現状だけど。

『負けねぇ、次からは絶対負けねぇからなっ!』

 ジャックはそう言い残し、戦車形態で一足先にハンガーへと向かう。
 やれやれ、ジャックは行動が本当に子供みたいだ。まるで、前のあれが幻だったみたいに。

「さて、まぁ僕も行きますか」

 一息着いて、ジャックを追い掛けるようにハンガーへ。

 実機戦闘。テストもいよいよ終盤。機体の正式発表までもう少し、そのような雰囲気を空気と機体から感じ取っていた。





「お疲れ様」
「よっと、ありがとう」

 ハンガーに到着し、機体から降機すると、シャルからドリンクとタオルを手渡される。

「それにしても、今回は危なかったね?画面で見てて、凄いドキドキしちゃったよ」
「……そっちはワクワクの方も混ざってそうだけど、こっちは危機感的にドキドキだったよ」

 会話と返答。
 あははは、とはシャルの笑い声。
 ベンチに腰掛け、タオルで汗を拭い、ドリンクを飲みながら、何でもないような会話を続けていく。
 この前まで、あれだけ険悪だった(険悪とは言っても、ただの喧嘩に過ぎないが)シャルとの仲も良好そのもの。むしろ仲直りをしてからは、友情が深まった感じさえする。

 ちなみにシャルロットをシャルと呼んでるのは、シャルルとシャルロットで共通してるから呼びやすい、といった理由からである。
 時折、シャルをシャルルと呼んでしまう時もあって、その時は怒りのような、悲しみのような、呆れのような何とも言えない表情をこちらに向けてくる。
 そうなると機嫌を執るのが何かと大変だ。

 とりあえず、それはともかく。

「何だかいよいよって感じだね」
「確かに、そんな感じだね」

 感慨深い物があるのか、少ししんみりとした表情。
 それは機体の完成が別れを告げる……という事からではなく、単なる今までの感傷に近い物があるのだろう。

 実はシャルの進退については決着がついた。
 結局の所、シゲさんがミラージュ社を通した交渉でデュノア社にシャルのこちらへの帯同を認めさせる事に成功したのだ。
 シゲさんによると「第三世代型ISに関する質問に、ほんと適当に答えたらさ、なんか認めてもらっちゃったよ?」という事らしい。
 それを聞いてシャルは嬉しさのような心配が肩透かしになったような、そんな表情で喜んでいた。

 む、また話がずれた。話を戻そう。


「整備班の皆もどこかぴりぴりしてるね」
「まぁ、ね」

 ハンガー内での緊張感。それは今まであった物とは全くの別の物。
 
「やっぱり、アレのせいなのかな」
「そうだろうなぁ」
「うーん、男性適性者かぁ」

 IS男性適合者。彼、オリムライチカの発見によって世界は湧いた。
 それは女尊男卑の現代社会に投げ掛ける一つの問として。現状をよしとしない人々の新たなる希望として。純粋な研究欲からなる貴重なサンプルケースとして。
 彼を中心とは言わないまでも、彼は世界に新たな波を引き起こさせる存在になってしまったのだろう。でもそれは……。

「大変だろうなぁ」
「え?」
「いや、彼。例のオリムライチカの事」

 会った事も話した事もないが、それは本当に大変だって事は分かる。

「そうだね。うん、確かにそうかもね」

 だってそれは、多くの関係者が押し寄せる事になるだろう。報道もされてしまった以上、物珍しさから一般人まで殺到するかもしれない。たしかそれを日本では……。

「……ミセモノ、ミセモノ?うーん、何だったか?」
「いきなりどうしたの?」

 シャルはこちらを心配そうな視線で見つめてくる。いや待てそんな視線で見つめられるのは、精神的に痛い。

「いや、さ。日本語で例のオリムライチカを表すのに調度良い言葉があったはずなんだけど、思い出せなくて」
「ミセモノ何とかって言うやつ?」
「うん、ミセモノまでは覚えてたんだけど……」

 ミセモノ、ミセモノパ何とかだ、確か。ミセモノパーティー?ミセモノパンフレット?何か違う。ん?ミセモノパン何とかだ、ミセモノ……。

「坊主、それは見世物パンツだ!!」

 いきなり、大声でがはは、と笑いながら登場した筋肉達磨。いやでもそれは。

「死ね」

 続いて放たれた声と共に、ジャックのこめかみにその長い足がめり込む。
 げふぅ、と床を滑っていき登場とほぼ同時に退場していくジャックの姿、上手く体重が乗せられた回し蹴りを放ったラナは何でもないように着地。
 隣のシャルを見てみれば「……セクハラだよ」と呟いて、赤くなって俯いている。

「うむ。正しくは『客寄せパンダ』または『人寄せパンダ』だな。日本の動物園にジャイアントパンダが初めて来た時、その珍しさと愛くるしい姿を目当てとして多くの客が訪れた事からできた言葉だ」

 何とも博識に、こちらへと教えてくれるラナ。
 シャルも気を持ち直して「パンダ可愛いですよね~」ふにゃりとした笑顔を見せている。
 
 でもしかし、一つわからない事がある。

「パンダって何?」

 口に出した瞬間に固まる空気。二人ともこちらを見据え、まるで幽霊を見たような、信じられない表情をしている。

「いや、動物園って言ってるから、何かの動物だって事は分かるけど……」

 パンダ、何か強そうな雰囲気かもしれない。パンダ、パンダー?パンサー。成る程、どことなく大型の肉食動物系の響きがする。

「え、と。多分だけど、今考えているものとは全然違うと思うよ」

 そうなのか。

「いや、だが一概にも間違いとは言えん。あれから、白と黒どちらをとっても、カラーリング的には肉食のそれと変わらんからな」

 へぇ、そうなのか。
 うーん、と考え込む三人。

「まぁ、それはともかくだ。是非行ってみると良い。東京上野の動物園には今もいるらしいからな」
「はい!」

 気を取り直して話すラナと目を輝かせて返事を返すシャル。
 シャルはそんなにパンダとやらが見たいのか?
 いやそれにしても。

「何で日本の東京なんですか?」

 放った言葉に、しまった、という表情を一瞬浮かべるラナ。しかし、それを引っ込めると、何でもなかったかのように口を開く。

「あくまでも一例に過ぎんさ。上野の動物園は有名だからな。……あと、まぁ、早くシャワーでも浴びてこい。こちらも空腹でな、早く食事と行こうじゃないか」

 何かごまかされたような気はするが、事実は事実、か。こちらとしても、腹は減って来ているし、シャワーも浴びたい。

「まぁ、そうですね。……それじゃあシャル、ラナさん。僕はさっさと汗を洗い流してきます」
「うん、また後でね」
「急げとは言わないが、早目にな」
「ええ、そんじゃ後で」

 そうして、シャワーを浴びに心持ち早足で歩いていく。
 にしてもだ……さっきのは気のせいだったのだろうか?

 その後はいつものように食事を摂って、いつものように話し、いつものように別れ、いつものように寝た。





 そして、翌日。
 急遽集められたテストパイロットを含む全スタッフ。
 それがハンガーに集められ、基地の司令官の言葉を待っている。
 やがて、計画の責任者でもある司令官が目の前の檀上に上がり、一文字に閉ざされていた口を開いた。

「まずは本計画に関わった全スタッフに感謝の意を述べさせてもらいたい」

 やはり、おかしい。こんな集会は元より、この司令官がそんな事を言い出すなんて。

「本題に入るが、我々はこの後、機体の正式発表を控えている事は理解していると思う」

 それは確かにそうだ。開発も終盤といっていい段階なのだから。

「そして、今回、その発表だが、協同三社の間で詳しい内容が決定された」

 遂に、発表か。初めて聞く話だけど最近決まったって事なのかな?

「……発表は、三社において行う。クレスト、キサラギ、ミラージュ。つまりはアメリカ、日本、フランスの三ヶ国でだ」

 ……日本?昨日ラナの言っていたそれってもしかして……?

「よって諸君らにはそれぞれに別れて飛んでもらう!詳しい情報は追って通達する、一層に気合いを入れて今日の業務に臨んでくれ。……私の話は以上だ」

 話が終わると同時に、解散が言い渡される。

「日本もだってさ」

 そうしてその言葉と同時に、整備班を含めた各基地スタッフが各所へ散らばっていく中、早速、こちらに話し掛けてきたシャル。

「もしかしたらラナさんはこの事を知っていたのかもよ?」

 確かにそうみたいだね。

「私は日本は初めてだけど、そっちはどう?」

 僕も日本は初めてだよ、シャル。

「……あ、そっか、ごめん」

 いや、何で謝るのさ?
 でも思う事が一つあるよ。

「ん?何?」

 純粋に疑問に思ったのか、首を傾けるシャル。
 シャルはあまり感じてはいないようだったが、僕は直感的に感じて取っていた。

 僕らの行う代替兵器の開発。
 イレギュラーであるオリムライチカの存在。
 そして、今の現代を造り上げた元凶の生まれた地、日本。

 それを考えた後にシャルへと答える。

「何となく、何となくだけど感じるんだよ。大変な事になりそうな予感がさ」

 ……本当に、これから大変な事になりそうだ。



[28662] Chapter1-9
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 19:50
「青いね~」

 僕の隣でシャルが目の前の光景を見ながら呟く。

「青いなぁ」

 そして、僕はシャルの隣で頭上を見上げながら呟く。

 眼前に広がるのは青い海。
 頭上に広がるのは何処までも続く青い空。
 天候は快晴。まったく持って今日という日はバカンス日和と言えるのではないだろうか?

 そう、もう分かると思うが、何を隠そう僕たちは今日、皆で海へとやって来ていた。



 ……船で。
 文字通り海、太平洋へとやって来ていた、もう一度言うが船で。
 それも客船なんて物ではなく軍用艦で。



 あの司令による発表の後、各スタッフの移動先がクレストから通達されてきた。

 僕やシャルル、シゲさんは日本へ。
 ラナはフランスへ。
 そしてジャックはアメリカで留守番、ではないけど、クレストの本社の方へ。

 それぞれの国と場所を目指して一時的ではあるけど、その道を別にした。
 それぞれの愛機と共に。また会おうという約束をして。
 いや、実際きっとまた直ぐに会えるのだろうけれど。



「それで、何でまた一々、揚陸艦なんて代物を持ち出して使ってるんですか?僕たちというか、クレストは」

 ホント、なぜなのか?輸送機で向かえばすぐに着くのに。
 どこからかパラソルを持ち出し、甲板の上、ビーチチェアに横たわっているシゲさんに問い掛ける。

「いや、それが何かね。クレストの上層部がえらく気合い入っちゃっててさぁ」

 軽い感じ。雰囲気だけはバカンスなシゲさんが語る。

「こうやってさ『運用艦を持ち出して行く事で、実際に実用段階まで既に開発が進んでいる事を知らしめるのだ!』とか言っちゃってるんだよねぇ」

 少し呆れたようなシゲさんの表情。
 そこには呆れと共に諦めさえ感じられる。

「……でも実際は海軍の方と結託してたみたいでさ。海軍としては何とか艦船を減らされまいとしててね、それをクレストに頼み込んで、こうして大々的にアピールする事で何とかしようとしてるわけなんだよ」
「……大人の事情ってわけですか」
「その通り、大人の事情だねぇ」

 はぁ、と一緒に溜め息。

「俺個人としても輸送機で行った方が楽だし早いしで、良かったんだけどねぇ」

 やれやれと首を振るシゲさん。
 右手にグラスを持ち、いつもの野暮ったい眼鏡がサングラスに代わっている分、説得力はない。

「でも私、こういうの嫌いじゃないですよ?」

 そこで加わってきたシャルの声。

「たまには良くないですか?こうやってのんびりするのも」

 まぁ、確かに。プラス思考で考えればそうなのかもしれない。

「何にしても、後一日、二日ゆっくりしてると良いよ?」

 はーい、と二人でそろって返した了承の言葉。

 それでは、さて、本格的にどうやって時間を潰そうか?




 という事でやって来た格納庫。

 図書室で読書に浸るのも良いが、今は何となくそんな気分ではない。
 それに、日本に着いたら一時的だが別れなくてはいけない物の場所へと行く。

 そこでは広い格納庫の中、機材や何やらに囲まれる中で膝を着いた降機体勢の黒い機体――クロノスがその出番を今か今かと待ち望んでいた。
 だけど、今回、用があるのはそっちではないのでスルー。
 今回の目的は、格納庫の端っこの傷が所々に目立つパワードスーツ、MTの方だ。

 頭部横のレバーを引いて、コクピットオープン。
 そこに慣れた手つきで、身体を滑らすように、両手両足を入れていく。
 スティック操作。開いていた装甲が閉まって行き、目の前にはセンサーから送られる外部の映像と機体の所々に注意を促す表示。

「大分無理させてたしなぁ」

 シャルと初めて出会った日のジャックの動作、あの日以外にもジャックが機動制御に挑戦し、その度に何度も転んでいた。
 最終的にはストップ&ゴーくらいなら普通にこなせるようにはなっていたが、前々からパーツが傷んでいたのも合わせて、現在のように損傷報告が出ている。

 それでも、戦闘機動は出来ないが、通常動作、日常動作くらいは出来る。

 機体の固定を外し、格納庫内で確認の意味も含めてその動作を行っていく。
 腕を回したり、胴体部を前後へ反らしてみたり、左右へ捩ってみたり、一つずつその感触を確かめるように。
 身体に馴染んでいるという感覚。
 今でこそ、前方で待機しているクロノスの方に慣れてしまったが、こうして乗っているとその乗り方、操り方を身体が未だに忘れていないのがよくわかる。

「おーい、何やってるのー?」

 声の方向を思わず注視、その後、ふぅと息を吐く。
 その方向、クロノスの向こうから歩いているのは何かの飲み物を持ったシャルの姿。
 彼女がこちらへ向けて手を振りながら歩いて来ていた。

 その姿を確認すると共に機体を元の位置へ戻していく。機体が勝手に動いたり、ズレたりしないように固定の方もしっかりと締めながら。
 その後、コクピットを開放。シャルの前へと降り立つ。

「ちょっと久しぶりに動かそうと思って……ってどうしたのさ?」

 シャルに返事を返そうとすると、こちらへ来たシャル自体はMTを興味深そうに見つめている。

「話には聞いてたけど、すごいね。私物なんだよね?」
「うん、そうだけどって、あれ?見せた事なかったっけ?」
「そうだよ。いつ見せてもらえるかって楽しみにしてたのに……」

 いきなり、しゅん、と落ち込んだ表情を見せるシャル。
 うっ……なんか、こういうのは心が痛くなる。正直、対処法がわからない。
 むむ、一体どうすれば……?

「なーんて冗談だよ。そんなに慌てなくてもいいのに……それに、はい」

 いや、まったく、シャルは表情が豊かになったのは良いけど、こういう事にそれを使ったりするから困る。

「……ん、ありがとう」

 軽く投げられたドリンクを受け取る。おそらく中身はスポーツドリンク。
 少量ずつ口に含み、喉を潤していく。

「それにしても、かなり年期の入ってる機体だよね」

 おそらくは装甲各所の傷を指して言っているのだろう。
 それを示すように、機体へとに近付き、そこかしこにある傷を手で撫でながらこちらへ問い掛けてきている。

「まぁ、五年は乗ってたからね。よくよく考えたら、継ぎ接ぎの補強とその場しのぎの整備でよく動いてたもんだよ」
「……そっか、かなり思い入れのある機体なんだね」

 シャルは、何か慎重なというか、どこか遠慮がちなというか、とにかくそういった表情を今度は見せている。
 シゲさんに何かまた、ろくでもない事を吹き込まれたのかな?別に話されて困るような事は何もなかったとは思うけど。

「というか、あれ?今更だけど、これ、えーと……マッスルトレーサーだっけ?」

 話を変えようとするような質問。答えはイエス。略してMT。

「……MTも一緒に持って来たんだ?」

 ああ、確かにそれは気になるかもとは思う。
 別に緊急性を必要とする物でもないし、
 実際にMTからの発展開発なんかは、僕らが着任するずっと前に終わっている訳だし。
 私物とは言え、こんな場所をとる物をどうして持ってきたのかというな感じで、思うところはあるかもしれない。
 でも、それにだって答えはある。

「うん。何か日本でMTを見せたい人がいるってシゲさんが言ってて、ついでに何か、その人が格安で全面的に、内装も含めてオーバーホールもしてくれるって話だったからさ」

 それを受けない手はないだろうと思って。

「へぇ、そうなんだ。この子もまた綺麗に生まれ変わるんだね」

 この子?

「ああ、うん。フランスにいた頃はさ、ほとんどというか、私の専用機みたいな形で使っていたISがあったから」

 成る程。それで愛着が湧いたんだ?

「ん~?愛着と言えば愛着なんだろうけど、ちょっと違うかな?」

 何だか勿体振って話すね?

「ふふ、知りたい?」

 ……、やっぱり良いや。また今度という事で。

「ち、ちょっと待ってよ、そこは私に聞いてくる場所だよ?」

 はいはい、冗談だよ冗談。さっきやられた仕返しという事で。

「むぅ」

 まったく、何を膨れてるんだか?自業自得だよ。自業自得。
 まぁ、それは置いといて、話の続き、教えてよ?

「む……」

 はぁ、わかったよ……あぁ、どうか卑しく無知な私めに教えて下さい、シャルロット姫殿下。
 こんな感じで良いんでしょ?

「うむ、よろしい。教えてしんぜよう」

 はいはい、……でも、本当にシャルはその動作というか、表情の使い方が上手くなったよね。

「あ、うん。ラナさんが『あいつは落ち込んだりした表情に弱いから、使っていけ。きっと面白いぞ』って言ってたから」

 オーケー、ラナの仕業か。
 後で仕返しを……とは思ったけど、こちらがやられている光景しか浮かばないのは何故だろう?

「ふふ、でもホントに弱いんだね。いつも、クロノスに乗ってる人とは同じ人には思えないよ」

 シャルは不思議そうにこちらを上から下へと、まるで珍しい物を観察するかのように見てくる。
 まぁ、でも確かに、乗ってる時と乗ってない時とじゃ、性格が変わるとは良く言われるかも。

「うーん。確かにクロノスに乗ってる時は鋭いというか、凛々しく感じるけど、今は何だろ?……雰囲気がこう牧歌的というか、何と言うか」

 ……褒められてるようには、なんか聞こえないんだけど?

「い、いや、褒めてるよ?ほら牧歌的だよ?羊とか山羊とか飼ってそうな雰囲気だよ?」

 それは褒められてる、のか?

「だから褒めてるんだってば……」

 羊と山羊、ねぇ?

「うっ……」

 いや、そういえばそれよりもさ。話の続きはどうしたのさ?

「話?」

 あれ、ISへの愛着が……って話の事。

「あ、すっかり忘れてたよ」

 ……人を牧歌的だのなんだのと言ってるから。

「……話を始めたのはそっちだよ?」

 ん?そうだっけ?まぁそれはともかく続き続き。

「まったくもう。……話を戻すけど、とりあえず愛着とはちょっと違うという所までは話したよね?」

 そう、そこまで。愛着かもだけどそれだけじゃないって、ね。

「うん、ありがとう。とりあえずね、ここで、始めに言っておきたいのは、ISも生きているんだって事なんだ」

 生きている?それは比喩的な意味で?

「『生きている』という事をどんなふうに見るかによってそれは変わってくるかな?」

 そう言ってシャルは一旦、息をついて後に、続けていく。

「まずは、生きるという事。それが生物的生命、つまりは細胞の代謝による化学的な反応だとしたら、確かにISは『生きている』とは言えないよ」

 成る程。生きているとは言っても生物ではないという事か。ふむ、成る程。

「でも、生きるという事が、人間的、思考と学習から成り立つ物だとしたら、ISは確実に『生きている』と言えるんだ」

 学び考え応用する。
 確かにそれは人が造り出した物であっても、人間的な生命と言えるのかもしれない。
いや人造だからこそ、人間的なのか?

「ISは学び思考し成長する。それは自己進化プログラムだって言われてはいたけど、プログラムだったとしてもそれはちゃんと生きてたんだよ」

 シャルの顔に浮かぶのは寂しさや悲しみといった表情。
 最近は見ていなかったが、やっぱりそれを消し去る事はできない、か。

「乗れば乗るほど、あの子は答えてくれたよ。それがさ、私に対しての信頼みたいに感じてた。確かにあの人に対する気持ちはあったのは間違いないけれど、あそこでの頑張りは、唯一の友人に応えたいって気持ちがあったのかもしれないなぁ」

 しんみりとした空気。
 そこに浮かぶのは悲哀か懐古かそれとも自嘲なのか。
 正直、その表情は納得がいかない。

「……、でも唯一の友人がISだとは、シャルは本当に寂しい奴だったんだな?」
「な、何で、このタイミングでそういうこと言うかな?」

 あえての追い撃ち。
 シャルの表情に戸惑いとやっぱりちょっと怒り?の感情が浮かんでいる。
 まぁ、それでも。

「いやいや事実でしょ?れっきとした事実なのだよ。シャルロット君」
「そっちこそ、MTを相棒だなんだ言っていたよね?それはどうなの?」

 ……否定はしない。二倍以上の時間を一緒にいた分、むしろ酷いのかもしれない?

「ほら見なよ。結局同じじゃないか?」

 それは、あれだよ。そこは似た者同士という事で……。

「あ、うん……そうだね、似た者同士だね」

 何とか場を和ませる事はできたのかな?シャルはこちらを微笑を浮かべて見ている。
 何かこちらの意図が見透かされている気がしないでもないけど、やっぱりシャルはそうやって明るい表情でいた方が良い。
 暗い表情でいるよりはこっちの方が何倍も良い。

 まぁでも。

「あ、でも相棒という点では、ずっと前から使ってるハンドガンもあるし、シャルよりは友達多いかも」
「ち、ちょっと、そういうのがありなら私にだってあるよ……」

 こうやって騒いでるのが一番だと思う。


 結局、時間つぶし暇つぶしという事で格納庫に来た訳だったんだけど、その殆どはこうしたシャルとの会話で消費してしまっていた。

 目的地である日本まで後少し。

 それまではゆっくりと緩やかに、やんわりと穏やかに何も起きないと良いのだけれど。



[28662] Chapter1-10
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 20:00
 オーバードブーストによる高速移動。
 その速度は700kmを遥かに超え、その数字は遂には800kmの大台へと突入しようとしている。
 前方数百m。
 彼我の速度差では今の所はこちらが勝り、その距離はじりじりと縮まっている。

 その深灰色の姿はいつでもロックオンは可能だ。
 右腕に持つのは主武装である、長距離ライフル。
 相手は無反応、ならば次に行うのは警告射、機体前方の空間へ向かって狙いを定める。

 ――警告。アンノウンより、高エネルギー反応を感知。

 唐突に浮かび上がるアラームと同時に通常ブースターを利用し、今までの飛行軌道から自らの機体を外す。
 そして機体を軌道上からずらしたその瞬間。

 視界に映るのは圧倒的な熱量を帯びた光。

 超高熱の帯が、先程までの飛行軌道を焼き尽くす。
 被弾は免れているというのに、そのエネルギー兵器の持つ、異常なまでの熱量に機体装甲が熱を持った事をシステムが知らせてくる。

 それだけの熱量。それだけの威力。
 それが直撃なんてしたものならどうなるのか?
 それは間違いなく「死」あるのみだろう。

 唐突に湧いた命を賭けた実戦。
 それが何故起きたのか、黒い背中を引き続き、追い掛けながらも考えていた。







 強襲揚陸艦。
 アメリカが誇る空母にこそ及ばないが、軽空母に匹敵する物さえある軍用艦船。
 その規模は確かに大きく、この艦においては数十台にも及ぶトラックやホバークラフト、戦車のみならず、数十機もの数のヘリコプターや垂直離着陸機をも運用する事ができる代物。

 その大きな規模の分、内部の施設も備えられており、食堂や医療施設はもちろんの事、図書室や教会、フィットネスルームや床屋などさえも存在している。

 そんな小さな街ともいえるような船の中で、今までは比較的ゆったりと過ごして来ていたのだけれど、今日という日は趣きが違う。



 青、青、青。時に白。

 メインセンサーたるアイセンサーと、各所に設けられたサブセンサー群はその目(レンズ)に映るその風景を、搭乗者である自分に送って来ている。
 そこに映るのは空と海、そして雲。
 そう、今は自らの本来の業務に就き、機体の確認を行っている。

 本当であれば今日は、艦内のフィットネスルームで汗でも流そうかと思っていたのだけれど、暇だったら調整に付き合ってというシゲさんの誘いに乗り、今に至っている。

『おーい、間接部やブースターには問題はないかーい?』
「はい、今の所は。……それより叫ばなくても通信で聞こえてますよ?」
『あ、いやぁごめんごめん、忘れてたよ』

 機体のチェック。機体の耐塩性に関してのちょっとした確認。

 潮風というものは海水を微量に含み、それは精密機械にとっては大きな毒となる。
 腐食し、錆を起こし、その身を内側から食いつぶす。
 それは、厄介な存在であり、精密機械にとってはある種の天敵とも言える存在である。

 しかし、それへの対策もきちんと用意はされている。
 そもそもこの機体も汎用性を謳われて製作された機体だ。その辺りも抜かりはない。

 自己診断プログラムも問題無し。内装部への侵入も問題無し。各項目にも異常無し。
 表示はオールグリーン、つまりは順調であるという事。
 設計通りの対応済み。さすがに海中に水没しようものなら、もちろん駄目なのだろうけれど。

『センサー系はどうだい?』
「ちゃんとメインもサブも機能してますし、塩分の付着も見られないです」

 センサーのレンズも問題ない。
 塩分の付着も表面には見られないし、それによる各視界の歪みも見られない。
 複合センサーも同様で異常はなし。対象の拡大、縮小どちらも正常稼動。

『そんじゃレーダーの方はどう?』
「あ、はい」

 高速戦を意識した左肩の近中距離レーダーを確認する。
 ディスプレイ上、レーダー表示を拡大。
 表示の中には低速の飛行物体とそれが集まってできたもやがあるのみ。速度と大きさからすると、おそらくは鳥とその群れだろうと思う。
 うん。結局確認できるのはそれだけ。

「そうですね、レーダーも問題はないです、ね?」

 そう言葉に出したその瞬間、その表示上、鳥などの小目標の中で明らかにそれとは異なる物体が現れる。
 鳥よりも明らかに大きく、何より鳥とは比べ物にならない程に……速い。

「シゲさん、艦橋へ連絡を」
『ん?どうしたのさ?』
「六時の方向から未確認機かな、小さいけどかなり速い」
『未確認機!?ちょっと待ってて!』

 ……ステルス機?いやそもそもこの空域で日本への偵察を?

『うーん、管制室の方では何の反応も無いってさ。……故障じゃないのかい?』
「いや、それだったら良いんだけど、でも、一応、データの解析をお願いしておきます。あとシゲさん、いざって時の為に武装と増槽の方をお願い」
『わかった』

 こちらからのお願いにシゲさんは頷いて、周りの整備班と共に装備の運搬に取り掛かる。

「管制室、こちら一番機です。こちらのデータの方は同期できていますか?」
『……ああ、聞こえている。一応データの方は見させてもらってはいる。確かにこのデータでは反応は出ているが、こちらの機器では依然として確認がとれない。……本当に故障ではないのか?』
「……分かりません。ですが、もしもという事もあります」
『ふむ……了解した。そちらは警戒を続けろ。こちらも出来るだけの事はやっておく』

 CICとの通信を終了。
 それと同時に鳴り響くサイレン。艦内に響く声は総員の配置の号令を出している。
 鳴り響くそれを背景に機体を船の進行方向より反対向き、例の未確認機が来るであろう方向へ向ける。
 レーダー上ではやはりこちらに向けてそれは接近して来ている。いや、その予測進行ルートはこの船でなく日本?

 方位八十八度、距離十マイル。
 右肩部複合センサーにより、その未確認機を小さく確認。映像もCICに随時送り続けている。
 複合センサーにより対象を拡大。それにより、その姿がはっきりと鮮明に映し出されていく。

 それは深い灰色だった。
 言い表すのであれば、まさに異形の人型。
 異様な程に長い両腕、全身のスラスターから噴射光を放ち、高速での飛行を続けている。
 距離と拡大倍率から計算するとおおよその大きさはニメートルから三メートルといった所だろう。
 
「MT?いや、でもMTにあんな機動は」
『全面装甲(フルスキン)型?』

 その姿、その正体について考えていたとき、不意に通信から聞こえてきたのはシャルの呟くような声。
 どうやら格納庫にも繋いだ映像を、シゲさん達と一緒に見させてもらっているらしい。

「シャル、まさかとは思うけど、あれはISなのか?」
『……サイズと速度からすると多分。でもフルスキン型は効果が薄いからって開発はどこも中止していたはず。でももし試作機だとしても、ISの開発というのは一応、最高機密なんだよ?海上封鎖もせずにそれを行うなんて、有り得ない』

 つまりはだ、あれが敵である可能性も高いという事か。

『一番機、聞こえるな?緊急事態だ』

 シャルの考察、それ続いて聞こえてきたのが、管制室からの報告。
 口調こそ冷静ではあるが、そこには焦燥のような感情が混ざっているのが感じ取れる。

『本件について、日本側への問い合わせと報告を行おうとしたのだが、どうにも繋がらない。我々としては現在、強力なジャミングを仕掛けられているという可能性を考えている。このタイミングにおいてだ。まぁ、そこで』

 彼はそこで言葉を切り、告げる。

『一番機に命ずる。未確認機の呼称を以後アンノウンと呼称。一番機は直ちに出撃、アンノウンを追撃せよ』

 それは戦闘への参加命令だった。それも開発が始まって以来の初めての実戦。
 答える言葉は決まっている。いつかは来るだろうと思っていた時が来たのだから。

「一番機、了解」

 シゲさん達整備班の用意してくれた装備一式を装着、甲板の上、機体の向きを日本側へ、アンノウンの方へと向ける。
 武装完了。増槽の方もシステムが認識。
 
『おーい!無理だけはするなよー!』
『……いつもの相手とは違うよ、気をつけて』

 シゲさんやシャル、整備班達の見送る声が聞こえる。
 観衆は少ないけれど、クロノスのデビュー戦だ。
 皆の期待、それになんとか応えて見せよう。

「出ます!」

 スティック操作。オーバードブーストを起動。
 広く長かった甲板が途切れ、視界には海と空が広がっていく。
 母艦は気付けば遥か後方へ、意識は前方のISへ。

 そしてオーバードブーストを巡航モードに切り替えながらも、こうして、追撃戦が始まった。




 先程まで眺めていた風景が流れていく。

 前方には小さくだが、対象を捉え、その大きさは徐々に大きくなってきている。
 日本側の防空識別圏には既に入っているはずだが、いつの間にか船には繋がらず、日本側にも繋がらず、あちらからの接触もない。
 今、対応出来るのは自分だけ、後で日本側から文句を言われるかもしれないが、そこはクレストに頑張ってもらおう。

「前方の機体へ通告する。貴機は日本国の領空に接近している、速やかに針路を変更し当空域から離脱せよ」

 再度の通告、アンノウンが日本へ向けているのは、まず間違いはない。
 本来であれば、こんな事は日本のスクランブル機がやる事なのだろうが、日本には連絡がつかない以上はしょうがない。
 それにこちらも一応、日本の防衛を担う米軍が後ろ盾についているし、問題であるというのなら色々と支援をしてはもらえるだろう。

 というかそもそも、こちらの目的となっている場所に、新手のテロのような火種を持ち込むような真似をみすみす見逃すわけにはいかない。

「繰り返す。こちらクレストインダストリアル社所属特殊機体。貴機は日本国の領空に接近している、速やかに針路を変更し当空域から離脱せよ」

 モニターマップ上を確認。
 未確認機に集中して気付いてはいなかったが、海の向こうには陸地が見えている。日本。未踏の地。
 そして現在地は日本の領空内へと遂に突入。

「貴機は日本国の領空を侵犯している。直ちに退去、もしくはこちらの指示に従属せよ」

 反応及び返答はやはりなし。
 前方約数百m。彼我の速度差では今の所はこちらが勝り、その距離はじりじりと縮まっている。
 その無言の深灰色の姿はいつでもロックオンは可能だ。
 相手は無反応、ならば次に行うのは警告射。敵機機体前方に向かってその狙いを定める。

 ――警告。アンノウンより、高エネルギー反応を感知。

 唐突に浮かび上がるアラームと同時に通常ブースターを利用し、今までの飛行軌道から自らの機体を外す。
 そして機体を軌道上からずらしたその瞬間。

 視界に映るのは圧倒的な熱量を帯びた光。

 超高熱の帯が、先程までの飛行軌道を焼き尽くす。
 被弾は免れているというのに、そのエネルギー兵器の持つ、異常なまでの熱量に機体装甲が熱を持った事をシステムが知らせてくる。

 それだけの熱量。それだけの威力。
 それが直撃なんてしたものならどうなるのか?
 それは間違いなく「死」あるのみだろう。

「アンノウンに敵性意思ありと判断、これより交戦状態に移る」

 だが、怯えて逃げ出すなんて真似はできないし、する気もない。

 威嚇ではなく、今度は明確な敵意を持って、敵本体へと発砲。
 命中。相手は回避動作を取らず、放たれた銃弾がそのまま装甲へと吸い込まれていく。
 
「……、冗談じゃないぞ」

 その光景に思わず漏れてしまう声。
 気を取り直し、次いで二連射。
 二度の破裂音と共に銃口から、銃身とその内部のライフリングによって明確な指向性を与えられた銃弾が目標を目指し飛行する。
 相変わらず避けるそぶりを見せないアンノウン。
 目標に到達した銃弾は『その寸前で急激に減速し』装甲によって、文字通り、再び受け止められてしまった。

 銃弾を阻む不可視の壁、ISの持つ強固な防御力の象徴が一つ。シールドバリア。
 それこそが銃弾のエネルギーを中和し、弱体化させている存在の正体だった。

 さらに言えば、アンノウンについてはもう一つの問題があった。
 本来であればバリアを貫通して搭乗者の生命に危害を与え得る物に対して、絶対防御が自動的に発動し、搭乗者の安全を守るというのが一般的なISの防御システムなのだが、このアンノウンは全面に装甲を纏っている。

 この装甲というのが現状においては非常に厄介な物だった。

 ISとの基本的な戦い方について、シャルからよく話は聞いている。
 とにかく数を当てるか、強力な一撃で削り取る。
 つまり絶対防御を発動させるか数でエネルギーを削り取るか、とにかくエネルギー切れによる機能の停止を狙え、という事を。

 しかし、今においてはそれが非常に難しい状況にある。

 長距離ライフル、貫通力に優れたこの武装は確かに敵のシールドバリアを貫通する事には成功した。
 だが本来なら、貫通した銃弾が減速させられたとしても搭乗者に至り、絶対防御を発動させてそのエネルギーを大きく減少させる所をこの機体はその装甲でもって、その減速した銃弾を弾き絶対防御の発動を防いでいるのだ。

 数さえ放てればそれはある程度有効だっただろう。
 しかし、現武装はライフルでありそれは不可能。
 それは現武装との相性の悪さを示すものであった。

 そして問題はもう一つある。
 こちらは副兵装としてマシンガンも装備はしてはいるものの、既に増槽の燃料がほぼ尽きかけており、相手の攻撃を避けながら攻撃を行うという機動戦闘が出来そうにもないという事。
 攻勢を掛けたとしても、途中で落ちていくのでは意味が無い。

 つまり、ここでの選択肢は三つだけだと言えるだろう。
 一つは意味の無い攻撃を嫌がらせのように繰り返し、いずれこちらが脱落する事。
 もう一つはマシンガンを持って機動戦闘を挑み、エネルギー切れでみすみす逃げられる事。
 そして、最後はブレードによる直接攻撃。

 接近するリスクは高いが、高振動ブレードによるバリア及び装甲への干渉力は保有武装の中でも最も効果の高い物ではある。
 あいにくと現在の速度ではこちらが勝っているし、接近する事も可能だ。

 それに陸地ももうすぐ、なんとかそれまでには決めてしまいたい。

 ライフルをハードポイントへ戻し、残量の少ない増槽を海面上へ投下。
 重量を出来るだけ軽くしながら、オーバードブーストを巡航速度から最大出力へシフト。

 アラーム音。先程の射撃に対する反撃か、敵ISは再びのエネルギー兵器発射の構え。
 だが先程の物は既に見ている。砲門のあるその腕の射線と振り注意しておけば恐るるには足りない。

 上昇。機体の下を高熱量の光が通り抜ける。
 接近。こちらの機体のエネルギーはもはや少ない。チャンスはおそらく一度きり。
 接触。重量と大きさで勝る機体で上方から押し潰すように機体をその背部へと乗せる。機体に衝撃が走るが、接触しても尚、敵機はその前進を緩めない。

 対象との接触と同時にオーバードブーストを停止。左腕ブレードを起動。
 すると、乗り掛かっていくまでは大人しかった機体がブレードの起動と同時にこちらを振り落とそうかという動きに変わる。

 左右だけでなく上下にも振られる機体。
 突然の事に、機体が敵機から離されてしまう。
 アンノウンはそれを確認すると振り落とすような機動をやめ、高度を下げながら陸地へと向かっていく。

 直ぐにオーバードブーストを再起動。
 再び追い掛けるような形となり、その後ろ姿を追う。

 遂に陸地へと到達。
 そして、敵機体はとある建物を認識すると、速度を緩め、その主砲を下方へと向ける。

「くそっ!」

 オーバードブーストによる高速状態のまま機体をぶつけていく。
 それにより体勢を崩させ、目標を建物から逸らさせようとするが……。

 一瞬早く、主砲が発射。その高熱量体の奔流がそこに突き刺さる。
 建物に張られていたと思われるバリアが貫かれ、その内部に広がっていたグラウンドのようにも見えるそのスペースに着弾、大爆発が引き起こされていく。
 一瞬遅く衝突した自分と敵機は、そのままの勢いで、爆発の起きたそのグラウンドへと激しく落下していった。






 グラウンド。
 このアンノウンを盾として地面を刔るようにして滑っていく。

 その勢いが止まる寸前にブレードを再展開。敵の中心、胸部を狙ってその刃を突き立てる。刃の先、何かを突き破る感覚とその後、装甲とブレードとで飛び散る火花。

 そしてその瞬間、敵機がブースターを利用しながら、こちらを振り切るようにして起き上がり、距離を取る。
 その動きに合わせ、こちらもサブウエポンであるマシンガンを右腕に装着、その銃口を機体下のアンノウンへと向ける。

 それにも関わらず、敵機はその機体の向きを変え、こちらではないどこかへ向けてその主砲を向けている。
 その先に見えるのは、何かを話すパワードスーツを纏った二人の姿。

「そこの二人、避けろ!」
『え?』

 重なる少年と少女の声。
 二人が立っていた場所を光が薙ぎ払うが、その二人は無事にそれの回避に成功していた。

 しかし、その動きはただのパワードスーツの動きではない。事前動作も見せずに一瞬で加速し、放たれたエネルギー兵器を避けて見せた。

 だが、今はそれを考えている暇はない。
 マシンガンをアンノウンへと放ちながら、ブースターにより接近していく。
 唸りを上げる銃口、それは敵機へと殺到していくがダメージを受けた様子はない。
 だが、その銃弾は装甲へと何とか至り甲高い音を響かせている。

 マシンガンでもバリアは何とか貫ける。何とかISとでもやり合える。
 目の前の光景に、そんな考えを浮かべた瞬間、敵の様子に変化が起きた。当たっていたはずの銃弾が空を切り、対象が一瞬の内に視界から消える。

「っ!?」

 ――警告。左方向、ロックオンされています。

 アラームと同時に、機体を襲う振動。何とか冷静に機体を回避運動に集中させる。
 地面を穿ち、続けてこちらを狙うように放たれる。主砲に比べれば低威力のエネルギー兵器。

 だがそれが、マシンガンのように多数放たれ、こちらの機体を捉えていく。

 咄嗟に取った左右へと機体を振る回避運動。避け切れない攻撃は左腕のシールドで受け止める。
 それでもその全てを受け止められるはずもなく、装甲の冷却が間に合わず、熱量ばかりが蓄積している。

 こちらが反撃に出ようと銃口を構えても、放たれる銃弾を景色に置いていくように、再び一瞬で視界から消える機動。
 全身に設けられているスラスターと本来のISとしての機動性も合間って、その異様な機動性を実現しているらしい。

 それでも付いていけない訳じゃない。
 しかし、付いていけたとしても、こちらの攻撃はその殆どが外され、当たったとしても有効打には至らず、あちらの攻撃はこちらを確実に捉え、徐々に確実にダメージを蓄積させていく。加えて、もしこちらが気を抜こうものならたったの一撃で落とされる。

 甘く見ていた、と言えばそれだけだ。
 圧倒的な機動性、強固な防御力、強大な攻撃力。
 それがISだった。それを持ち合わせるのがISだった。
 現在において世界最強と謳われる機動兵器。
 その姿が目の前にあった。




 放たれるエネルギー兵器と銃弾の応酬。

 ――左腕部被弾、損傷軽微、戦闘行動に支障はありません。

 回避しても避け切れず、攻撃しても当て切れない。
 戦闘は今も続いている、追い立てられているのは常にこちらではあるが。

『ま、待ってください。あ、あなたは一体何者なんですか?』

 そんな厳しい戦闘の真っ只中だと言うのに、唐突に画面に現れる眼鏡をかけた緑の髪をした女性の姿。
 その質問は非常に正しいとは思うが、今は止めてほしい。こちらは必死に何とか食い下がっている状態なのだから。

『まぁ落ち着け、山田先生。どうにもこちらへ意識を割いている余裕はなさそうだからな』

 緑髪の女性の次に現れたのは再び女性。黒髪で視線は鋭く、どこか場慣れしているような雰囲気を匂わせている。

『一つだけ聞こう』
「な、んですかっ!?」

 会話に答えながらも敵主砲を何とか回避、しかし、迫る敵のエネルギー性の弾幕がこちらを狙う。

『貴様は敵か?味方か?』
「敵では、ありま、せんっ!!」

 即答。同時にオーバードブーストを機動。エネルギー弾を避けながら、速度を乗せてブレードで切り付ける。
 だが、再び、当然のように回避をされる。

『その言葉を信じさせてもらうぞ。……聞こえていたな、織斑?鳳?』
『あ、ああ。千冬ねぇ、じゃなくて織斑先生』
『はい。聞こえています』

 先生と呼ばれた彼女が別の誰かへと話し掛けている。こちらからでは姿は判別できないが二人。それは少年と少女の声だ。

『よし、ならあの未確認のISと交戦中の機体を援護しろ』
『……え、あ、わかった!』
『……了解です』

 それは非常にありがたい知らせだった。朗報だった。
 その返事の直後、こちらを主砲で再び狙ったアンノウンを見えない砲弾が襲い、そこを翼を生やした白い甲冑のような鎧を纏った少年が切り掛かる。
 アンノウンは既にこちらに狙いを定めている暇はなく、まるで逃げるようにして追い立てられている。

『大丈夫か?』

 通信と共に画面に映るのは同年代と思しき、少年の姿。

「……ああ。助かったよ、恩に着る」

 ISに少年、何か引っ掛かる物があるが助かったのは本当だ。それはきちんと示さないといけない。

『ち、ちょっと、一夏もそっちのでかいのも今は戦闘中なんだから、暢気にぼぉっとしてないでよね!?』

 聞こえてくるのは少し騒がしい少女の声。それと同時に。

『うお、危ねっ』
「よっ、と」

 イチカと呼ばれた少年と自分の間に高出力のエネルギーの帯が通っていく。

『早く加勢してよ!二人共!?』
『ちょっと待ってろよ、鈴!』
「了解」

 少年の方は一瞬にて機体を加速。瞬く間に少女の元へと向かっていった。
 こっちもこっちで武装に長距離ライフルを追加。下手に突っ込んでは二人の邪魔になるので、彼らの援護に回る。
 狩られる立場から狩る立場へ。心強い援軍を得て反撃に移る。





 戦術は変わらない。
 こちらが牽制し、少女が隙を作り、少年がそこを突く。
 どうにも少年の武装、あのエネルギーブレードにはISのバリアに対し、非常に高い効果を発揮するらしく、それによってアンノウンを撃破するという試みが何度も行われている。

 しかし、アンノウンもその危険性が理解できているのか、こちらの援護や少女の衝撃砲というらしい見えない砲撃を受ける事はあっても、少年のエネルギーブレードに対してだけは高い警戒を示し、あらゆる手を持って確実に交わしてくる。

 確かに三対一となって戦況は楽にはなったが、はっきり言って状況は芳しくはない。
 切り札ともいえる少年の攻撃だが、その頼みの綱である対バリア武装は機体のエネルギーを大量に消費するらしく、そのエネルギーが尽きかけているというのが現在の状況だ。

「それでどうする?そっちに何かの策は?」

 こちらの武装ではどうにもならないというのは、何とも歯痒い。

『火力不足が二人に、ガス欠が一人かぁ……ねぇ、一夏の方は何か良い案でもある?』
『ガス欠って言うなよ。だけど一つだけ、一つだけだが思いついた事ならある』

 その声と表情。それは苦境に立たされている現況においても尚、自信に満ち溢れた物だった。

『なに?まさかちゃんとした根拠があるんでしょうね?』
『ああ、任せろ』

 尋ねるその表情は少し訝しげではあったが、直後に言い切られた言葉によって笑顔が浮かんでいる。
 口では疑っては見せていたが、少年に対する絶対的な信頼感という物がそこにはあるのだろう。

『それじゃ、一夏、早速、その案とやらで行きましょうか?』
『ああ、まず……』

 そうして、策とやらを聞こうとしていたその時、会場全体に大声が響いた。

『一夏ぁっ!!』

 それは少年を呼ぶ誰かの声。それはスピーカーから流れ出しており、それを流した中継室と思われる場所にはISも何も、全く装備をしてはいない生身の少女の姿があった。

『そのような敵を倒せんでどうする!』

 響く少女の声、それはこちらだけでなくあのアンノウンにも届いており、その声に対して反応を示している。そうして少女へと向けられようとする銃口。

 オーバードブースト起動。それを見るや否や、身体は動き出していた。

「……イチカとリンだったかな?敵はこちらが引き付けるから、その内にその策とやらを頼んだ!」

 両腕の銃口を敵に。高速移動中でのダブルトリガー。
 残弾数もほぼ無いと言って良い状況だが、それを使い果たすように、銃身過熱も考えずに撃ち尽くす。
 アンノウンもこちらの攻撃に即座に反応。少女に向けていた銃口がこちらに向けられる。

 ――直後に訪れる眩しい程の光。

 緊急回避。回避には成功した。
 そして消え去っていく熱量と光、その向こう側。

 どこかでの爆発音の後、アンノウンへと向かっていく一つの光の姿を見た。
 
 それはまさに目にも留まらぬと称せるだろう速さ。
 イチカと呼ばれる少年が、文字通り一つの弾丸となってアンノウンへと向かっていく。

 一閃。

 その腕に持つエネルギーブレードの色と光が増し、翻り、アンノウンの右腕を宙へと舞わせる。

 しかし、後が続かない。完全な撃破には至らずにイチカは残る左腕によるカウンターをその身に食らい、吹き飛ばされる。
 倒れ伏すイチカに向けられる左腕の銃口。
 即座に援護に向かうが間に合わない。二人の少女の叫びが響き、諦めかけたその時。

『誰だかは存じませんが、そこの機体、危ないですわよ?』

 届けられた通信と共に、上空から高出力のエネルギー性の雨霰がアンノウンに降り注いでいく。
 見上げれば、そこにはいつか見た青い機体と初めて見る豪奢な金髪の搭乗者の姿。

「確か、ブルーティアーズ?」

 その青い機体、ブルーティアーズから放たれるエネルギーライフルによって、アンノウンの強固であった装甲が弾け刔れ消え去っていく。
 各所に被弾する度、まるで踊るように機体を揺らし、その機体が歪な形へと変えられていく。

 そうしてエネルギー射撃の雨が止む頃には、アンノウンは装甲を剥がされた無残な姿で、地に伏せ沈黙していた。


「とりあえず、大丈夫か?」

 敵機の沈黙を見届けた後、倒れている白いISに手を伸ばす。

『ああ、なんとか。セシリアが上手くやってくれておかげでな』

 こちらより二回り程小さいながらも、白いISの搭乗者、イチカはこちらの差し出した手を掴み、立ち上がる。
 そのどこも何ともないような姿に、ブルーティアーズの搭乗者やリンと呼ばれていた少女も安堵の声を上げこちらへと近づいて来ている。

「なんにしても助かったよ。いや、ありがとう」
『気にすんなって。こっちも千冬姉に言われて手伝っただけだからな。……それにしても、そっちの機体は一体何なんだ?えらくでかいけど』

 そうして互いに労いの声を掛け合いながら、とりあえず戦闘が終わった事に気を緩めていると、突如、誰かの焦ったような声が響いた。

『二人共危ないっ!!』

 声が聞こえると同時、正面のイチカを突き飛ばす。
 その瞬間、空気を焼く光が僕ら二人の間を走っていく。

 ブレード展開。オーバードブースト起動。
 急加速。目標は高エネルギー砲を放ったその主の元へ。
 倒れ伏していたアンノウンの元へ。

 跳躍。エネルギー砲によって僅かな反撃こそしてはくるが、アンノウンは倒れたままでその場所を動けてはいない。
 ならばとブレードの切っ先を目標に。落下をしながら機体に乗るエネルギーをそのままに、ブレードをその倒れ伏す機体へと突き立てる。
 一瞬、バリアと拮抗する刃。しかし刃がそれを突き破っていく。
 そして、到達した装甲と火花を散らすが、ブレードは間もなく装甲を貫通。刃が内部に至った。
 超高速の振動を持って鋭利な刃とするブレード、それが内部構造を振動破砕。それによって機体内部で起きる小さな爆発。
 最期まで抵抗を続けようとしていた左腕が地に落ち、周辺に最後の振動を伝える。

 ……今度こそ終わった。

 そうして、終わったことによる安堵から息を吐き、周囲に声をかけようと振り向いたその時、機体のアラーム音がけたたましく鳴り響いた。

 ――機体周囲、多数の敵にロックオンされています。

「え?」

 見渡せば、そこには共闘していた三機の以外のおそらく量産機と思われるIS達が、こちらへとその銃口を向けていた。マシンカノン、アサルトカノン、ライフル、ミサイルその他諸々。
 目の前に広がる光景に、思わず機体の両手を上げて、白旗はないけれど降参のポーズを作ってしまう。

 そこに届けられた通信。通信主は先程の鋭い目付きの女性だ。

『さて、御苦労だったと言いたい所ではあるのだがな、まずは機体を降りて、一体どこの所属で、どこの誰なのか嘘偽りなく答えてもらおうか?』

 なるほど。確かに共闘こそしたが、そういえばあちらからすれば、こっちも未確認機扱いだったのを忘れていた。

 スティック操作。機体の両手を上げたまま降機体勢へ。
 機体後方を開き、コクピットブロックを露出。おもむろにそこから立ち上がり、そのまま両手を頭の上へ。

『それで君は何者なのかな?』

 その問いにヘルメットを外しながら、尚も両手を上げながら答える。

「こちら、クレストインダストリアル社、機甲開発部隊所属、名前は……」



[28662] Chapter1-EP
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/04 19:52
 その未確認ISとの戦闘から数日後。

 東京都内某所。
 そこには多数の報道関係者と騒ぎを聞き付けた多くの人々が集まっていた。

「さて、先日の『暴走IS事件』の事は皆さんにはまだ記憶に新しい事かと思います」

 その少し華美ではあるが適度の範疇内で飾られたステージ上、小奇麗なスーツに身を纏った司会者が集った人々に対して話し掛けるように語っている。

「どこからか流れ出た映像。それは大きな問題となってしまいました」

 その騒動はある日、とある動画共有サイトにその映像が投稿された事に端を発した。
 その映像はすなわち『暴走する』ISと、それと戦闘を繰り広げる二体のIS、そして一体の謎の兵器。

 始めこそ、造り物だと言われていたが、そのパーツに印された「CREST」の文字に、クレストインダストリアル社に対する問い合わせが殺到。
 クレスト社も始めこそ否定をしていたものの、映像の事を指摘されると、直ぐにそれに対する会見を開く事を約束。
 そして今日、クレスト社のその新製品に対する会見がアメリカ、日本、フランスの三ヶ国で開かれる事になった。

「我々もこのような形で世に出るのは不本意ではなかったのですが、もう待ち切れない方々もいらっしゃる様子なので本題へと移っていきましょう……」

 司会者は一端、言葉を切り、その手を大袈裟に広げ、ステージを指し示す。
 すると突然、花火のような音が響きステージの奥に存在していたカーテンが取り払われた。

 そこに現れたその姿。それを見た人々の間に、多くのフラッシュとどよめきの声が上がる。

「ご覧ください!!これが我々、クレスト、キサラギ、ミラージュの三社がお届けする新製品……」

 司会者の声と共にその黒い機体の赤いアイセンサーに光が宿る。
 そしてそれはおもむろに立ち上がり、人々の前にその全貌を人々の前へとさらけ出す。

「我々の新たなる翼、その名も……アーマード・コアです!!」







『我々の新たなる翼、その名も……アーマード・コアです!!』

 そこは日本か世界かあるいは地球のどこか。
 暗い室内。多種多様、様々な機械に囲まれる中で、部屋の主たる彼女はディスプレイが映し出す、その映像をじっと見詰めていた。

「懲りないものなんだねぇ、何度やっても敵いっこないのに……」

 そう彼女は呟くともう一つのディスプレイに目を移した。
 そこにあったのは、黒い自動人形――ゴーレムと、それと懸命に戦闘を繰り広げる二人と一体の姿。
 そしてそれは通常では有り得ないアングルで撮影されていた。

 俯瞰、遠景、または個々人を映し出している物。
 それが誰に気付かれる事もなく為されている。

「いんや~それにしても、まさか、あれの存在を見落としていたとはねぇ~、いやぁ~失敗失敗」

 それを行った張本人は、兎のような髪飾りを揺らしながら、一人でうんうんと頷いている。

「……でも、あんまり目障りなようだったら、前みたく消しちゃおうかな?」

 しかし、黒い無骨な機体、先程の映像でアーマード・コアと称されていたそれに対する視線は、そこに乗せられている感情は酷く冷たい。
 それこそ悪意さえ感じさせる程に。

「まぁ、それはどうでもいっか?まだまだ石ころにもなりそうでもないっしねぇ~」

 悪意から一転、純粋な笑顔へ。
 ころころと変わる表情。それはまるで玩具を得た子供のようにも見える。

「箒ちゃんも……ただ叫んでるだけじゃ始まらないぞぉ~っと」

 次に映し出されたのは、黒く長い髪をポニーテールに纏めた、彼女にとっての肉親の姿。
 彼女に対し画面越しに頑張れ!頑張れ!と応援するように握りこぶしを作り、ポーズを決めているその女性。

「ん?むむむむ、むむむ?むむ……っ!!」

 画面にポーズを決めていた様子から再び一転、いきなり唐突に思考へと浸り始めると、何かについて悩むように小さく唸り始めた。

「ひらめ~いた~!」

 今度は急に立ち上がりガッツポーズ。

「ふっふっふ、さすがは私。これほど自分の才能が恐ろしくなったことはないよ!」

 自画自賛。暗い室内の中で一人で笑い続けている様は怪しいもの。非常に怪しい状態だ。

「箒ちゃんの事だから、いっくんとの事を焦って連絡して来るはずっ!」

 独白が続く。

「そこに私が、前もって準備をしておけば……凄い!完璧!さすがお姉ちゃん!と箒ちゃんも感謝感激の嵐に!」

 自らの身体を抱きしめ、目を瞑り、悶えるように抱きしめた身体をくねくねと揺らす。

「そうと決まれば、早速取り掛かろー!……いっくんも順調に成長しているようだしね」

 掛け声と共に再び変わる態度、空気、雰囲気。そうして彼女は飾ってある写真を見詰めていた。
 そこに映っているのは彼女を含めた笑顔を浮かべる幼き子供の四人の姿。

「でもね、いっくん。……早くしないとちーちゃんを守れないかもしれないよ?」

 そう呟いて、目の前の機械へと取り掛かり始める彼女。
 その表情は部屋を満ちる暗闇の為に窺い見る事は出来なかった。



[28662] Chapter2-1
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/05 17:02
 五月も終盤。

 太陽も調子が上がって来たのかやる気を出し過ぎる為に、外を軽く走っても汗がにじんでくる今日この頃。
 朝の運動を終えてシャワーを浴び、朝食を摂って、今はこうして休憩室のソファーに横になりながらシゲさん達の読んでいた新聞や雑誌を広げて読み進めている。

『アーマードコア、その正体はいかに!?』
『登場した新兵器、ISへの対抗なるか?』
『軍事評論家、おかだ英作氏が語る新兵器の実力とは?』

 などなど各誌各方面で、この間の正式発表以来、アーマードコアの事を連日取り上げている。
 テレビ番組を見ていても、ニュース番組などではアーマードコアを題材にして特集を組んでいたりするし、聞いた話ではキサラギに取材の申し込みがあったりと本当に注目されているらしい。
 漢字がまだ完璧に覚えられている訳ではないので、きちんと読み取れているかは不安だけれども、世間は概ねそんな感じだと思う。

 テーブルの上、木製の容器からセンベイを一枚取り、雑誌をめくりながらかりぽりとかじっていく。
 センベイばかり食べていると、喉が渇いてくるので、そこはグラスに注いであるムギ茶で潤す。
 なんだろう、凄く身体に馴染むというか、勝手に和むというか、とにかく感じるこの感覚は?
 もしかしたら日本人の血が流れるこの身体に、遺伝子レベルでそういったプログラムが為されているのかもしれない。

 自分が何を言いたいのかというと、平穏って素晴らしい。

「あ、いたいた!……というか行儀が悪いよ?」

 そんな時、背後から聞こえてきたのは、最近は本当に聞き慣れた女性というか少女の声。

「ん?どうしたのさシャル、なんか用で、も……」

 何気なくいつも通りの返事をしながら、その声に振り返るが、その姿を見た瞬間に思わず声が途切れてしまう。

「……それでどうかな?似合ってる、かな?」

 そこには見慣れない服装に身を包んだ女の子の姿があった。
 白を基調としたその装い、赤いラインや黒い模様がそのデザインをより洗練させている。
 見慣れないというのは語弊があるだろう。
 それはいつぞやに色々あって、自分もその身に包んでいた服装であった(もちろんスカートではないけど)。
 つまりは、この間自分がド派手にお邪魔をさせてもらったIS学園。その制服に身を包んだシャルロット・デュノアの姿がそこにはあった。

「えと、聞いてる?」
「ん、ああ、うん。聞いてるよ?」

 いつの間にか気を少し飛ばしており、気付けばすぐ目の前にあるシャルの表情。
 そしてそれはどこか不満げな膨れっ面。

「……似合ってるかどうか聞いてるのに」
「いや、その、なんていうか」

 こちらが言い淀んでいると、その膨れっ面は見る見るうちにしぼんでいき、次第に不安のような、まるで落ち込んでいくような色を帯びていく。

「もしかして、似合ってないの、かな?」

 こちらの瞳、それを窺うのは不安げな上目使い。
 恐らくはいつもの戦法ではあるとは思う。思うのだけれども、はっきりとした確証が持てない。
 話の流れ、今の状況、それらを統合して考えて見てもその解は導き出せない。

「いや……似合ってるよ」

 この懸案に対し採った対策は賞賛。別の言い方をすれば、白旗降参。
 素直にその心情を吐露していく。

「本当に似合ってる?」
「うん、本当に」
「本当の本当に?」
「本当だって、シャルが女の子である事を改めて理解できたよ」

 押し問答の後、落ち込んだ表情から一転、花が咲いたように開く目の前の笑顔。
 
「……あぁ、良かった。これで似合ってないなんて言われたら立ち直れない所だったよ!」
「……はぁ、やっぱり」

 一方、予想通りの結末に、がくんと落ちる僕の頭。
 いや、笑顔でいる事自体は良い事なんだけどね。良い事なんだけど……。

「む」

 策にはまり、溜め息と共に落胆と共にがくりと落ちる頭。
 その視線の先、シャルが喜んでいるこの状況において、その彼女の足下が目に入ってきた。

 白い肌、整った健康的な曲線を描くふくらはぎから太ももにかけてのライン、それが少し短めの丈のスカートから伸び出ている。
 咄嗟に逸らしてしまう視線。何やら何か、どうにもどこか気恥ずかしい。
 加えて言えば、さっきからの流れも相まってなのか少し顔も熱く火照ってきている。

「ん?急にどうしたの?」

 こちらの様子に気が付いたのか、不思議そうに問いかけてくるシャル。
 だがしかし、こちらはこちらで気恥ずかしく、まともにそちらの方へは向けない。向くことができない。

「ねぇ、どうしたのってば?」

 今度はそっぽを向いているこちらの顔の正面に回り込んで問いかけてくる。
 それに合わせ、自然に視線は再び違う方向へ。

「ねぇってば?」

 こっちを向けばあっち、あっちを向けばこっち。どうにもシャルも少し意地になっている。
 正直、こうしていても埒が開かなそうだ、とは思う。まぁ、こうしている間にも意識は別の方向へと移すのに成功。なんとか頭と顔も冷えて来た。

「あー、うん、えーとシャル?」
「さっきからどうしたの?」

 ならば、現状を打破する一手を打とう。
 というか、正直な質問を一つ問い掛ける。

「いや、……スカートが短すぎないかな、それ?」

 自らの正直な感想兼疑問。
 その言葉に反応して、シャルはスカートの裾を咄嗟に押さえる。

「えと、み、見えた?」
「ん?……いやいやいや、見てはないよ!それは約束する!」

 少し慌てふためくシャルなのだが、顔を赤くしているその姿に、日頃の仕返しという事でなのか、少しだけしてやったりな一矢を報いた感じはする。
 とりあえずこちらはもう気分も落ち着いて来たので、再びムギ茶を注いで一口含み喉を潤す。
 冷たい喉越し、うんやっぱり好きだ、これ。
 ムギ茶について欧州やアメリカでは個人個人で好みが大きく分かれるそうだが、自分は普通に美味しく感じている。まぁ中東での好みや評価などは詳しく知らないので、それが異端か普通かはよく分からないけれど。

 そういった風に再び自らの遺伝子情報に任せ、一人和んでいると、さらに顔を赤くしたシャルがスカートの裾を摘みながら口を開いた。

「えーとじゃあ、……見たい?」

 ……。
 それは痛烈なカウンター。
 和み、油断していた、その無防備な心情を襲った意識を殴り付けるような、思いもしなかった発言。
 一瞬、頭が真っ白になるが、その言葉の示すものを理解した瞬間、ムギ茶が気管へと入りこみ、大いにむせ、咳き込む。

「うわっ!ちょっと大丈夫?」

 ……自らの引き起こした事だろうが、と言いたい所ではあったが咳込んだままではどうにもならない。
 むせこみ、咳き込み、とにかく苦しい。
 ごほっ、ごほっと、咳が出て息が出来ない。シャルも慌ててくれてはいるが、今の状況には無力。
 
 その後、何とか落ち着いた頃には確実に涙を目に浮かべた状態だったとは思う。

「……まったく」

 眉を眉間に寄せ、横目で睨むようにシャルを見遣る。

「あ、ははは、いやごめん。そこまで驚くとは思わなかったかから」

 浮かべているのは苦笑い。反省の色が見えていない。
 いや、それにしても、だ。

「……あのね、シャル。そんな簡単に他人に下着を見たい?とか聞くのはダメだからな?」

 全く。どんな意図があったにしても、年頃の女の子が異性に対して軽々しくやっていい事ではない。
 本当に全くだ。

「……それは分かってるけど、ってあれ?」

 うんうんと頷いてはいるが、ふと何かに引っ掛かったように言葉を切ると、シャルは
何か悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべこちらに告げる。

「私は一言も『何を見たいか』なんて言ってないんだけどなぁ?」

 何とか反論をしようとするが、思いつく言葉はない。再び顔に熱が昇っていく。
 その熱を醒ますように再びお茶を喉に流し込み、顔の熱を自覚しながらも問い返す。

「……シャル、君はさっきから、からかってやってるだろう?」
「うん!」

 満面の笑顔での返事に、大きな溜め息で返す。
 顔が熱い。ソファーに座り直し、手で顔に風を煽いでいく。
 そんな様子を見てか、シャルは弾けんばかりの笑顔でこちらに話し掛けてきた。

「やっぱり男の子なんだねー?」

 やられっぱなしの満身創痍。
 こちらに反撃する体力は既に残ってはいない。
 残ったお茶を飲みながらもその言葉に耳を傾ける。

「でも安心したよ。てっきりそういった事に興味がないのかもって思ってたりもしたし」

 それは全く持って失礼だ。人を何だと思っているのか?
 こっちにだって人並みには望みも欲もある。

「そうだね」
「……そこで即答されてもこちらとしては、困るんだけど」

 良い笑顔のシャルを横に、冷たいお茶で再び体温を冷ましていく。
 本当にやられっぱなしの状況。いかんともしがたい現況ではあったが、とりあえず今の勝敗は端に置いといて。
 気持ちを落ち着けていると、シャルが制服を見せてくれた事にも意味があるという事を今更ながらに思い出した。

「……ああ、そういえばそっか、明日にはここを出ちゃうんだね」

 そうシャルは、明日IS学園へと編入する予定だ。
 IS学園では生徒の保護の為に、所属する生徒は寮での生活が義務付けられており、そこに入学する以上は当然ここを離れる事となる。

「今生の別れという訳じゃないけどね。一応、キサラギ社への参加も認められてるから、皆と過ごす時間が少し減っちゃうだけで、いつもとは変わらないよ」

 つまりは、昼はISでの仕事、放課後はキサラギでの仕事といった内訳だ。

「……大分、ハードワークだよね」
「そうでもないよ」

 本当になんともないように首を振るその仕草。
 ふむ、確かにシャルの表情には好奇心の色が見えているようにも見える。仕事への気負いというよりは、久しぶりとなる学園生活への期待という物があるのかもしれない。
 無理をしようものならこちらで止めれば良い事か。

 まぁ、今はそれよりも。

「それじゃあ今日は、明日からは忙しくなるという事でのんびり過ごそうか?」
「おー!」

 こうしてシャルの賛同の言葉と共に今日のこれからの方針が決定された。
 ……いや、元々今日はこの方針ではあったのだけれども。



 さんさんと照り付ける太陽。気温は暖かいを通り越して少し暑いくらいだ。
 しかして、ハンガーにはそんな事は関係がなく、目の前では装甲を外され内装部の交換を為されているクロノスの姿がある。

 確かに先日の発表会見の際に機体を動かしたりはしたけれど、実際には装甲を何とか取り繕っただけの張りぼて状態であり、操縦していたコクピット内では、しきりにアラームが鳴り響いていた。
 そして、ようやくこうして各関節部など傷んだ部品の全面的な交換へと取り掛かっているわけで。
 それにこれが、今日の僕が休暇を過ごしている理由でもある。

「こうして見ると、本当に無理させてたんだね」

 ハンガーに設置してあるベンチに腰をかけながら、クロノスに視線を移しつつシャルが呟く。

「……こっちにも余裕がなかったからなぁ」

 あの黒い未確認機、後の調査で無人機だと判明し、内密に聞かせてもらったが、結局それがISである事に変わりはなく、非常に強力な敵ではあった。
 ISに挑むという事はすべからく困難に立ち向かわなければいけないという事であり、それはシャルが一番解っているはずだ。
 ISに詳しく、さらにはこちらでも操縦経験があるシャル自身が。

「でも、『負けた』とは言ってたけどさ、実は少し自信になった
部分もあるんでしょ?」

 それは何ともなかなかに鋭い意見。

「ああ……分かる?」
「うん、なんとなくね。……悔しさみたいな物は態度というか雰囲気には出てたけど、ISに対しての諦めとかそういった感じはなかったからね」
「まさに、正解だよ」

 確かにあの戦闘では負けた。確実に負けていた。
 でも、それは虐殺ではなく戦闘であったという実感から来る物だ。
 彼我の差は確かに大きい。機動性、攻撃力、防御力どれをとっても劣っている。
 しかし、現時点では敵わないかもしれないが、戦えない程の差ではなかった。
 絶望するには小さすぎて、諦めるには早過ぎる、その程度の差だったのだ。

「実際にISと戦ってみてさ、どうだった?どこがその敗因だと思ってる?」

 真剣な表情でISに詳しいはずのシャルが質問をしてくる。
 その事に少し疑問を覚えたが、よくよく考えたら、これはシャルにも解らない事なのか。
 そういえば、自分はクロノスつまりはアーマードコアでの初めての実戦経験者だ。それも現時点ではたった一人の。

「敗因……個人的に挙げるとしたら二つかな」
「二つ?」
「機動力と攻撃力、この二つ。防御力に関してはあまり意識はしてなかったから」

 一つ目の機動力。
 これは前後への速度ではなく、左右への速度と旋回性能。別にISと同等の機動性は必要はない。その姿を何とか少しでも長く、そこそこに視界へと入れていられる程度の物があれば良い。

 二つ目は攻撃力。
 これがなくては始まらない。確かにシールドバリアは抜く事ができる。だがマシンガンにしても他の武装にしても、例え抜いてもダメージを与えられなければ意味がない。

「この二つがある程度揃えば、この間の敵が相手なら、倒せるかどうかは分からないけど良い勝負にはできると思うよ」

 これは過信でも自信ではなく、きっと確信とかそういった類のものなのだろう。
 例えその相手が有人機であってもそれは変わらない。むしろそちらの方が相手にしやすいかもしれない。
 性能がいくら優れていたとしても結局それを操るのは人間だ。そこには癖があり、隙があり、油断がある。そこを上手く突ければ十分に勝機はある。
 つまりは……勝てる、かもしれない。

「まぁ、それを揃わせるのは大変だし、実際に戦ってみない事には、分からないけどね」

 へぇ、と感心するような声を挙げるシャル。
 そんな彼女の服装は制服からいつもの格好へと既に着替え終えている。さっきのあれは本当にただのお披露目だったらしい。
 シャルは必要な荷物は既に学園側に送ってあるらしく、明日の準備の方も全て完了していると言っていた。
 そうして出立の準備も完了し、特に急ぐ事が何もない今は、先程の言葉通りにのんびりと時間を過ごしている。


 そのままクロノスを眺めながら、ぼけっとしている真っ最中、ふと聞こえてきたのは少し大きめの車輌の走行音。
 ハンガーから外を覗いて見てみると、こちらの方へキサラギ社の物ではないトラックが近づいて来ている。
 そしてそれはハンガーの前まで来ると、軽いブレーキ音を響かせながらその車体を停めた。

 開かれるドア。
 そこから降りて来たのは、年齢は七十をおそらく越えているだろう、茶系のハンチング帽にその瞳を覆う黒いパイロットグラスが特徴的な男性の姿だった。

「ん?見ない顔だな?……すまんが、シゲいやここの班長である柴田に用があって来たんだが」

 その老人と言っては失礼か、予想される年齢よりも若々しくきびきびとした動きを見せるその壮年の男性は、自分たちをキサラギのスタッフと見たのか、その用件を伝えてくる。
 どうやらシゲさんとは知己の客人のようだ。声に凄みというか重みはあるが、決して悪い印象は感じない。

「ああ、すみません。シゲさんなら今外していて、すぐに戻ってくるとは思いますけど……」
「ん、そうか。……それじゃすまねえが、ここで少し待たせてもらうぞ」

 そうして男性は、先程まで僕らが座っていたベンチへと腰を下ろす。
 するとその時、ちょこんと肩に触れる指の感触。
 そちらの方へ顔を向けると、シャルが何やらハンドサインでこちらに語りかけている。

『私、シゲさんを、呼んでくるね?』

 それにすかさず返答。

『オーケー、了解』

 そうして駆け出して行くシャルの後ろ姿。僕も近くの自動販売機へと飲み物を買いに行く。
 販売機にカードをかざし、ドリンクを選択。炭酸やスポーツドリンクもあるが、お茶の方が良さそうだ。そうして落ちてきたお茶を二つ、取り出し口から手にとる。

「よろしければ、どうぞ。缶の奴ですけど」

 お茶を両手にベンチに戻ってみれば、男性はベンチに腰を掛けたまま真剣な様子でクロノスの整備風景をじっと眺めていた。
 そんな様子の男性に買ったお茶を差し出す。その男性の集中に水を差してしまうようで、少し申し訳なくはあるけれど。

「いや、すまねぇな」

 男性はやはり悪い人ではなさそうだ。
 差し出されたお茶を別に気を悪くした様子もなく気軽に受け取ると、プルタブを開け大きく一口を煽っている。
 こちらもこちらでハンガーの壁に寄り掛かりながら、お茶を一口。暑くなって来ている今においては体に染みる思いだ。

「ところで坊主っうのは失礼か……お前さんもここの、キサラギの一員なのかい?」

 ふと、こちらへと話しかけてくる男性。その声には純粋な疑問と子供を思いやるような感情。
 自分で言うのもおかしいが、ここは確かに普通のティーンエイジャーがいるような場所ではないか。

「厳密にはクレストに所属しているんですけど、……自分はここの一員だとは思っていますよ」
「そうかい……すると、さっきの嬢ちゃんもか?」
「いえ、彼女は元々ミラージュの所属です」
「……ほう、そうなのか。しかし、クレストってぇと、お前さんはその成りで米国人か?日本語も流暢なようだが」
「アメリカ人って訳ではないんです。詳しくは言えませんけど、生みの親が日本人なので。あとはそういった事もあって日本語は現地で学ばせてもらいました」
「……成る程、な。色々と複雑なわけか」

 男性と自分でお茶を煽る。
 男性は様々な質問こそしてきたが、深いところには絶対に踏み込まないように意識をしているのか、人との距離を考えているような喋り方だった。

「なぁ?あの機体、アーマードコアの事はお前さんはどれほど知ってるんだ?」

 ふと男性は目の前のクロノスにじっと目を見やるとそのまま機体を見詰めたまま、こちらに問い掛けて来た。
 今になって気付いた事なのだが、最重要機密として厳戒体制がキサラギに引かれているこの状況で、男性がここに居るという事はこの人も計画の関係者なのだろうか?

「……あの申し訳ないのですけど」

 男性に対して逆にその事を尋ねようとした時、こちらへと駆けてくる騒々しい足音と誰かを呼ぶ声が聞こえて来た。

「おやっさぁーん!!」

 白の作業服、細身でどこか野暮ったい眼鏡、その声の正体は紛れも無くシゲさんだった。

「おう、シゲか?久しぶりだな」
「おやっさんこそ、わざわざここまで。今日来ると聞いていたら迎えだって……」
「何言ってやがる、シゲ?俺はもう一介の爺に過ぎねえ。まったく……そんな事に時間使うぐらいならもっとこっちに精魂使いやがれ!」

 二人はどこか、互いを知ったような会話を続ける。

「やっぱり知り合いだったみたいだね、あの二人」

 シゲさんに遅れて登場したのはシャルの姿。

「もう驚いちゃったよ?あの人が来てるって伝えたらシゲさんってば、血相を変えて真っ先に走り出すんだもん」

 確かにシゲさんの様子はそんな感じだった。何よりシゲさんのあの男性に対する態度は、尊敬というか崇拝というか、とにかくそれに類するものが全面的ににじみ出ている。

「ああ、そうだ。紹介するよ」

 目の前で続いていた会話が一旦止み、シゲさんがこちらへと振り向いた。その顔に浮かぶのは満面の笑み。

「この人は俺の師匠であり、以前まではここの整備班班長兼、如月重工の技術開発統括部長を務めていた……」
「……榊原正太郎だ。俺はもう一介の整備工場を営む爺に過ぎねえんだがな。この馬鹿が帰って来てるって聞いてな、ちょっとばかし訪ねさせて貰った」
「なーに言ってるんすか?整備工場って言っても、あんなでかいのはおやっさんとこだけでしょうに!」

 シゲさんによるとこの男性、榊原さんは普通の整備工場としてだけでなく、退役した飛行機などの整備も請け負っているらしい。
 でもそれにしても、まさかシゲさんの師匠だったとは。
 確かに威厳というか、厳格な雰囲気は伝わってくる。でもそれはシゲさんには(申し訳ないけど)感じられないので、この人独特の物なのだろう。
 とにかくその身から感じられる空気は良い意味で古臭く、その腕一つで生き抜いてきた職人気質な感じがする。

「……ところでシゲ、前に言ってたMTはどこだ?」
「ああ、はいはい、わかってますよー!」

 シゲさんが話し掛けられた後、その用件について近くの整備員に声をかけると、直ぐにハンガーの奥からMTの載せられたコンテナが運び込まれてくる。
 どこかへ移送予定だったのか、搭載される前のコンテナ。
 榊原さんはそれを見ると、早速その外装を開き、装甲に触れたり観察したりと機体中の確認をしていた。

「あ、もしかしてシゲさん。前言ってたMTを直してくれる人って……」
「うんそうだよ?おやっさんが見たいって言ってくれてたからね。それにしても良かったねぇ、おやっさんの腕にかかれば、コイツも新品以上の状態になって帰ってくるよ!」

 榊原さんがMTを弄り回している横で、シゲさんは自信を宿した言葉でそれを語っている。
 シゲさんの師匠であり、シゲさんが自信をもって推す相手。
 そんな人に整備をしてもらえるのは幸運な事なのかもしれない。

「所で……これのパイロットは誰だ?」
「……自分です」

 榊原さんは神妙なというか(表情自体はサングラスでよくわからないが)、厳しい声色でこちらに語りかけてくる。
 それに対しては身体は直ぐに反応。返事と共に足を一歩前へ。

「……坊主、お前さんが、か。それで、こいつとは何年ぐらいの付き合いになる?」
「五年、だいたい五年ぐらいです」

 正直に応える。嘘偽りなく正直に。なにせ相手はお世話になる相手だ。
 きちんと礼を尽くさねば失礼になる。
 
「こいつは……お前の役には立ってやれたか?」

 こちらの返答に榊原さんは、何かを抑えるように何かを乗せて問い掛けてくる。

「はい。何度も命を救われた相棒ですし」

 率直な返答。
 それはただ単に事実を言っただけなのだが、そうかい、と榊原さんはそうやってこちらに呟くと、シゲさんの方へと振り向きその後の予定について話し合いを始める。
 でも何となくなのだが、先程よりも思いの外、その後ろ姿は気持ちが弾んでいるように見えた。

 そうしているうちに、整備員の人たちによってMTが運び出され、榊原さんが乗って来たトラックに積まれ固定されていく。

「坊主、一月は掛かるだろうがコイツを最高の状態にして返してやる。お前さんには既に新しい相棒がいるかもしれんが、コイツもお前さんのパートナーには変わりがねえ。その時はしっかりと使ってやってくれ」

 運転席から自分にそう言い残し、こちらの返事を聞くか聞かないかの内に、トラックは行ってしまっていた。
 なんだろう?始めは厳格な感じがしていたのだが、MTを載せ去っていくその姿は、まるで楽しみで待ちきれない子供のように見えた。
 ……よくわからないけど、子供心を忘れないとは、ある意味こういうことを指し示して言うものなのだろうか?

「なんだか、まるで風のように行っちゃったね?」
「うん」

 シャルも最初に感じたイメージとの違いに戸惑っているようだ。
 僕も当然戸惑いを感じている。碌な返事もさせて貰えないまま、すたこら行っちゃったし。

「いやぁ、おやっさん。えらく機嫌が良かったねぇ」
「……そうなんですか?」
「ありゃ間違いないよ。確かに表情は見づらいけど、あれは上機嫌だったね」

 シゲさんは両腕を組んだまま、榊原さんの事を語り何度も頷いている。

「あ、そうだそうだ。そういえば忘れてたよ」

 そんな様子から一転、今度は掌を片手で叩き、何かを思い出したような様子を見せている。

「シャルちゃんは明日、学校に行っちゃうんだよね?」
「はい、そうですけど?」

 何やら思わせぶりなシゲさんの言葉。
 シャルも言葉の真意を理解しかねているのか、首を少しひねりその疑問を顔に浮かべている。

「いやぁ、良かったねぇ?明日は二人とも学校だよ」
「……はい?」
 
 その発言に困惑から思わず固まってしまう。隣を見ればシャルも驚きからか硬直している。
 というか、学校ってどういう事ですか?

「まぁ、二人で通うってわけじゃあないよ?」

 シゲさんはそれまでの笑顔から、唐突に真剣な物に表情を変える。

「いやね?ついさっき連絡があったんだよ。IS学園経由でイギリス、いやBFF社からか……」

 BFF社というと、IS開発企業の?

「そうだよ。全くいきなりだったから思わず、了承しちゃってさぁ」

 今度はあはは、と笑いながら答えているシゲさん。
 それにしても、BFF社が僕らに一体何の用が?

「どうにもね。アーマードコアに『強く』興味を持ってくれたようでね。模擬戦をやりませんか?ってお誘いをもらっちゃったんだよね」

 それはつまり?

「ISとの第二回戦だよー、いやぁ頑張ってねぇ、うん。……さぁってと、今日も忙しくなるぞー!」

 そうしてシゲさんは肩を回しながら言うことだけ言うと、そそくさと半ば逃げるようにハンガー内へと入っていく。
 勢いで決めてしまったことへのごまかしが多分に入っているように感じるけれど、今はそれよりも伝えられた明日の予定の事が気になる。

「第二回戦だってさ」

 シゲさんを追い、ハンガーを向く僕の背後より、話し掛けてくるシャル。

「……いや、本当に突然過ぎるよ」

 本当の本当に。BFFもシゲさんも何を考えているのやら。というかシゲさんは思わずとかって言ってたな、そういえば。
 ……思わずで重要な事を決められても困るんだけどなぁ。

「でも、満更でもないような顔してるよ?」
「……そうかな?」

 少し笑いを含んだシャルの言葉に対して、表情をぐにぐにと揉みほぐすようにして顔に触れる。
 確かに。知らない内に笑っていたかもしれない。

「でも、まぁあれだね」

 シャルは軽い笑みを浮かべながら語りかける。

「私達二人、やる事は違うけどそれぞれ頑張らないとね?」
「……そうだな」

 ハンガーの中へと入り、二人で再びベンチへと腰を下ろす。
 正面を見れば相も変わらず、メンテナンスを受けるクロノスの姿。
 今はシゲさんがそれに加わり、元気にしゃきしゃきといった感じで指示を出していた。

「……ホント、頑張らないといけないな」

 シャルは明日から学園に赴き、僕はクロノスを駆ってISと戦う。
 多少の時間や場所が違っても何かの為に頑張るという事は変わらない。
 それはいつも通りの事だった。いつも通りの事、日常。

 そしてそれは、こうしてのんびりとしている今の『日常』ともやることが違っても大差はない。
 変わり行くもの、加わった新たな要素。どれだけ変化が訪れようとも、頑張る時は共に頑張り、緩い時は共に緩く。結局はそんな日々だ。

 新たな日々、その到来を確かに感じたその日、僕らはその訪れるだろう変化を知りながらも、いつも通りの穏やかな一日をゆっくりと過ごしていた。



[28662] Chapter2-2
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/05 17:03
 ちゅんちゅんという鳥の声。
 それはなんだか穏やかな天然の目覚まし時計。
 眠りに着いていた意識が静かに揺り動かされ、それと共に五感も眠りから徐々に目を覚まし始める。
 ほんの少しの蒸し暑さと、少し汗ばんだことで肌に張り付いたパジャマ。
 そんな小さな不快感から瞳を開けると、カーテンの隙間から朝を告げる日差しが伸びているのがその視界に入る。

「はふ」

 ベッドの上、一応にして体を起こしても眠気は未だに纏わり付いてきている。
 両腕を上へ延ばし、それと共に身体を伸ばす。

「んん、……ん」

 そのお陰か眠気は残るものの血は巡り、意識も少しはっきりとしてきた。

「……あ、もうこんな時間なんだ」

 時計を見れば既に六時と半時を過ぎている。
 窓に寄りカーテンを開けて外を見れば、部屋を照らし出す日光に青い空。天候は晴れ。雲一つ見当たらない空模様。
 
 二度寝をする気はないので、まだ残る眠気を飛ばすために、備え付けの洗面所へ。
 冷たい水で二度三度と顔を洗い、残った雫をタオルで拭き取りながら鏡を見る。
 そこに映るのは、所々跳ねた髪をした自分の姿。
 その姿は、やはりまだ眠たそうだ。
 でも今日からは、それではいけない。
 両手で頬を二、三回軽く叩き気合いを入れる。
 軽い痛みにより目が冴え、今度こそようやく眠気も消えてくれた。

「……よし、今日も一日、頑張ろう!」

 なんたって、今日からは新天地での生活が待っている。

 そしてそれは、私、シャルロット・デュノアにとっては、自分の未来をつかみ取る重要な日々になるのだから。



 制服に着替え、身嗜みもチェック終了。
 時間に余裕のある内に朝食を摂るべくして、部屋を出る。
 廊下は未だに閑散としてはいるが、食堂に近付いて行けば行くほど、スタッフの皆の姿がどんどん増えていく。

「あ、おはようございます」

 キサラギの同じく朝食を摂りに来たスタッフの人に気軽に挨拶をされ、それに私も気軽に応える。
 まだ個人としては見慣れない人達もいる事にはいるのだけれど、やはり皆、基本的には良い人達ばかりだ。
 確かに割合としては男の人が多い、でも中には女の人もいて、剛毅にもかなり強気に振る舞っていたりする女性もいる。でもそれは姉御肌とでも言うのだろうか、女尊男卑とかそういった社会風潮とは無縁の、以前から続いているそもそもの性格的な相性によるものだ。

 まぁそれは余談として。
 今は列に並び、カウンターで定食(ヘルシーだという話なので日本風の物だ)を受け取った後、早速食べるための席を探していく。

 食堂内は調度時間帯が重なっているのか、それなりの混雑模様。その中で空いている席を探していると、窓際の端の方に見慣れた二人の姿が目に入った。

「いや、でも挙動は大人しいとは聞いてますよ?ですけど、弾速やその性格も解らないまま使ってくってのはちょっと……」
「いやいや、やってみる価値はあると思うんだよ?ライフルの方は確かに大変かもだけど、ブレードだけはやっぱり交換しといた方が良いよ」
「……ブレードですか?」

 見つけた二人はどうにも朝から仕事の事で相談をしている様子。
 けれど物々しい話し合いをしてはいても、ゆっくりではあるが朝食を摂るその手は動かされ続けている。

「……ねえ二人とも。席一緒にしても良いかな?」

 話し掛けると同時にこちらへと向けられた二対の視線。

「おっとシャルか。おはよう」
「おはようシャルちゃん。いやぁ制服バージョンかぁ。良いね、若いって良いねぇ」

 するとさっきとは打って変わって、議論中だった真面目な雰囲気から二人とも柔らかい雰囲気で応えてくれる。

「うん、二人ともおはよう。……でもシゲさん、キサラギのスタッフの人達も皆、若い人ばかりですよ?」

 二人に挨拶を交わし、何やら頷いているシゲさんに注言というかなんというか、とにかく答えると、背後からも「良いぞ、もっと言ってやれシャルロットちゃん!」などと煽りのような、声援という名の援護射撃が聞こえてくる。
 その声援の主はキサラギの女性スタッフが中心だ。
 その声に「ちょっと待ったぁ!」と、シゲさんも席を立ち上がりながら反論を展開し始め、朝から騒がしい空間が形成されていく。

「……何だかやっぱり楽しい人達だなぁ」

 その彼らの騒がしさも、いがみ合いや罵り合いなどではなく、どこかじゃれ合うと言ったらおかしいかもしれないけれど、とにかく悪い雰囲気からなるものではない。
 見ているだけで面白くというか楽しくなるというか、とにかく心がほんわかするような暖かいもの。

「まぁ、シャル。そんな所で突っ立ってないで座りなよ」

 そんな中で、彼は騒ぎには我関せずと言った様子でお味噌汁を啜りながら、空いている席の椅子を引いて勧めてくれる。

「うん、ありがとう。それじゃお言葉に甘えて」

 未だに続く喧騒を背景に、引いてもらった席に座り二人でマイペースに朝食を摂り始める。

 いただきます。
 両手を合わせる日本風の食前のお祈りを行った後、さっそく料理に手を付ける。
 まずはお味噌汁を一口。少し熱めのスープ。その具はワカメとネギのオーソドックスなもの。
 続いてはサケ?シャケ?……サーモンの塩焼き。焼かれたその身をお箸で丁寧に解していく。

 お箸の扱いについてはアメリカにいる時に、その使い方をレクチャーしてもらっていたので、今は大分上手くなってきているとは思う。
 その証拠にこうして魚の皮と骨を分離させることも、今では苦ではなくなって来た。

 解したその身を箸で挟み口へと運ぶ。広がるのは少し塩辛いその風味、続いてご飯を口に。するとご飯の味の白さが先の塩辛さと混じり合い調度良い美味しさへと変わる。
 初めはご飯の味気なさに馴れはしなかったけれど、今は日本食、和食の和とはこういう調和の和のことなんだろうと最近は感じる。

 そうして、一口一口味わいながら食事を進めていると、サラダを摘んだ状態の彼が私に問い掛けてきた。

「そういや、もう出る準備は出来てるの?」
「一応はね。ご飯を食べ終わったら、もう一回確認はするけど」

 時間的にはまだ余裕がある。でも初日という事で絶対に遅刻はしたくないので、その確認が終わりしだい、ここを出発することになるだろう。

「そっか。まぁシャルの事だから大丈夫だろうけど、緊張し過ぎてヘマをしないようにね」
「……うん。でも、やること自体は今まで経験してきたことだし、大丈夫だよ」

 そう大丈夫。ISの運用なんてものはフランスに居た頃にずっとやっていたことだし。
 それに学園生活の方もこの間、訪れた時にはごく普通の学校のように感じられた。

 あえて問題点を挙げるなら、自分には学園生活に対してのブランクがあるということなんだけれど、たぶん大丈夫だとは思う。うん、きっと。

 他愛のない会話を続けながらも食事は進む。いまだに楽しく騒ぎ続けているシゲさん達。
 ふと視線を目の前に移すと、その目の前にいる彼は既に食事を終え、湯気の立つお茶をゆっくりと飲み進めていた。

 ……日本は初めてだ、という彼自身の言葉。
 だけど、その割には妙に日本語が流暢だし、外見を見てもそれは日本人そのものなのでまったく違和感はない。

「ん?どうしたのさ、シャル?さっきからこっちを見てるけど」

 お茶を飲みながらもこちらの視線には気が付いたようで、少し訝しげにこちらに問い掛けてくる。

「いや、なんでもないよ。何かそうしてると日本人っぽいなぁと思って」
「ははっ、日本人っ『ぽい』かぁ。言い得て妙だな、それ」

 妙なつぼにはまったのか、彼はお茶を片手に持ちながらも楽しそうに笑い出す。

 生まれや育ち、国籍も不明。それでも日本人であり日本人でないと自称までしている彼。
 今、名乗っている名前でさえもシゲさんと出会って間もない時に、相談して決めたらしい。
 名前を相談するってどうなんだろう?とは思うけど、それよりもやはり気になることがある。

 彼はいったい何者なんだろう?
 あの夜に兄弟がいることを聞いたけれど、それ以外にはまったく知らされていないというのが今の現状だ。
 ……確かに人の過去は、気軽に触れて良いものじゃないのは分かってる。

 だけど、少しでも知りたいと思ってしまうのは私の行き過ぎた我が儘なんだろうか?

「おーい、またどうしたー?やっぱり緊張してるー?」
「い、いや、なんでもないよ……?」

 むむ、また考えに集中し過ぎてしまった。
 目の前の彼を見れば、こちらを見つめる呆れ顔。
 私は真剣に悩んでいるのに、そんな顔をされるのはなんだか気に入らない。
 まったく、誰のせいでこんなことになっていると思っているのか……。

「というかシャル、時間は良いの?」
「あっ!」

 未だに呆れた顔を浮かべる彼の言葉に時計を見れば、思っていたよりも時間が経っていた。
 指定されている時間にまだ余裕があるにはあるけど、今日は早めに出る、そう決めていたのに。
 まだ少し言いたいこともあるけれど、そういうことなので。

 ごちそうさまでした。
 再び日本風の食後の祈りを行った後、少し急いで部屋へと戻る。

「あ、シャル!準備が出来たら駐車場にね」

 部屋へと戻ろうとした私の背中に掛けられた声に振り返れば、ゆらゆらと車のキーを手に、それをこちらに示す彼と騒ぎから帰還した手を振るシゲさんの姿。

「うん、わかった。それじゃ後でね!」

 その声に返事を一つ、再び自室へと向かいはじめる。



「うん。これで忘れ物はないかな?」

 予め用意していた物は既に確認したし、学園から指定されていたテキスト類も確認した。
 そして、何より。

「……これからもよろしくね」

 首からかけた橙色の十字を手に取る。
 それは先日届けられた、かつてより慣れ親しんできた愛機の仮の姿。
 学園で一番お世話になるものなのだから、忘れることは絶対にできない。 

 歯も磨いたし、忘れ物もなし、髪も…うん、大丈夫。
 これで出発する準備は全てできたはず。

「それじゃあ、行ってきます」

 無人の部屋に小さく挨拶。
 手荷物を片手に廊下に出る。
 時間はもう、すぐそこまで迫って来ている、早く駐車場へと急いで行こう。


「おーい、シャルー!」

 研究所内地下駐車場。
 その敷地の割にはがらんとしているそこで、私を見つけ手を振ってこちらに示してくる彼。

「ごめん、待たせちゃったかな?」
「いんや、そうでもないよ」

 言葉を交わし彼の横を見ると、そこにあったのは一昔前のタイプの高級セダン。
 一昔前とは言っても、車体が汚れているとかそういったことではなくて単なる車種が古いというだけで、車その物はきちんと整備がされているみたいで、綺麗なままになっている。

「よし、そんじゃ行こうか?」

 その車の隣に立っていた彼は、そういって運転席へと早速乗り込んでいく。

「あ、ちょっと……!」

 当然私も、慌てて追うようにして助手席に身を滑り込ませる。

「ちゃんとシートベルトはしなよ」 

 そう言いながら、こちらが乗ったのを確認すると車はスムーズに始動。
 地上を目指して地下の変わらない味気ない風景が流れだしてゆく。

「あ、そういえば、この車はどうしたの?」

 車は彼の私物ではないだろう。
 内装もほとんど使われた形跡はないし、そもそもこれは彼の趣味ではない気がする。

「ん?ああ、うん。一応はキサラギの社用車だよ、これ。シゲさんが送ってってあげなよ、って言って貸してくれたんだ」
「へぇ、そうなんだ?」
「走る分にはバイクの方が個人的には快適だと思うけど、それだとせっかくセットした髪とか制服とか大変な事になっちゃうでしょ?」

 ……それはうん。確かに。
 ぼさぼさになった髪型なんかで、新しくクラスメイトになる人達の前で挨拶はしたくない。

「まぁ、そういう事で普通の車を借りましたとさってね……あ、シャル、少し窓開けるよ?」

 車が軽い傾斜を上り始め、地上の太陽の光が見え出した頃、彼はおもむろに助手席側の窓を操作し始めた。
 地上に到達すると共に開いていく窓、吹き込んでくる風と共に左手側に見えてくるハンガー。
 よく見ると、そのハンガーのゲート前が広く白く染まっている。
 それは元々から白かったわけではない。それは多くの人達によって染め上げられていた。

 白い作業着に身を包んだたくさんの人達。今までたくさんお世話になった人達の姿がそこにはあった。

『シャルちゃーん!いってらっっしゃーい!』

 帽子を片手に、思い思い、それぞれに大きく手を振って見送ってくれる人達。
 その姿に、その気遣いに思わず、確かに表情が緩むのを感じる。

「行ってきまーす!!」

 私も窓から身を乗り出して、笑顔で手を振って応える。

 次第に小さくなっていく皆の声と姿。
 車が敷地のゲートを潜る頃には、その姿はもう見えなくなっていた。

「……頑張って来なよ、だってさ」
「うん」
「とは言っても、ちょくちょく戻っては来るんでしょ?」
「そうだけど、それでも嬉しいものには変わりないよ」
「まぁ、そうだよね」

 皆からの声援を胸に。それは嬉しさと共に頑張ろうというやる気を刺激してくれる。
 私が改めて気合いを入れ直している間にも、車は法定速度を守りながらも国道へ。
 風景は次第に立ち並ぶビルの群れを写し始めながらも、そのままIS学園という目的地を目指してその中を進んでいく。

 その車内、かみ締めていた何気ない感動が過ぎ去っていく中で、そこで何となく湧き上がってきた本当にふとした疑問があった。

「あれ?そういえば、学園までの道は分かってるの?」
「うん、一応は。国道沿いに行けば直ぐに見えてくるし、それにこの間の帰りで何となく道は覚えてるしね」

 何となくでは困るんだけど、大丈夫なのかな?
 確かに道は一本道だったとは思うけど、まぁ、いざとなればカーナビを使えば良いのかな。

 でも、それでもやはり消えない疑問というか違和感。
 私と同年代の彼がこの車を運転する姿を見て、ようやくそれに気が付いた。

「……そもそも自動車免許なんて持ってたっけ?」

 こちらのこぼした疑問。
 なぜか彼はそれに応えず、黙って運転を続けている。
 聞こえなかったわけではないと思う。音楽もラジオもかけてはないし。だけど反応がない。

 でもよく見ると、さっきまではかいていなかったはずの汗が、少し額に浮かんできているのが見て取れた。

 え?いやいやいや、もしかして?

「ち、ちゃんと免許は持ってるんだよ、ね?」
「……。あ、ははは、何を今更な事を。こうして運転している事が何よりの証拠じゃないか!」

 なんだか非常に怪しい。
 微妙な間といい、乾いた笑いといい、語尾さえも妙に強調されている。
 そういえば運転そのものは確かに丁寧ではあるけど、「うわ、右ハンドルか」とか「左通行だったっけ」とか、発進前に呟いていたことを聞き逃してはいない。
 というか、今更って言った。

「本当に?」
「も、もちろん!国際免許だってちゃんと」
「……元々籍がないって言ってなかったっけ?」
「は、はは、ははは……」

 こちらの問い掛けについには押し黙る彼。それでも、速度やブレーキといったものは丁寧そのものなので相応の技術はあるのだろうけれど。

「……シャル。クレストという企業は清濁両方を持ち合わせた現実的な企業であってね」
「えと、それってもしかして偽ぞ」
「そんな事を言うもんじゃあないぞ、シャル。わざわざ、親切にも造ってくれたんだ。親切にも、わざわざ!」

 うわ、やっぱりだ。
 そもそも国籍は不明などと自分で言ってる彼が、きちんとした免許を持ってるはずがなかった。

「それは……大丈夫なんだよね?」
「ああ、その点は安心して大丈夫だよ。目を付けられるようなヘマはしないからね!」

 それは、何というか安心して良いのか、悪いのか。
  
 そんな(危ない?)話を続けながらも、進んでいく中で、見えてくるのは指示標識。標識に示されているのは「右折、IS学園」の文字。
 その指示に従い道なりに進んでいくと、雑多なビルディング群から外れ、木々などの自然の姿が増えてくると同時に敷地のメインゲートの姿が現れる。

 六ヶ国語で表されているIS学園の表記。
 やはり一応の国際機関なだけはあって、カメラや警備員を始めとして厳重な警備体制が敷かれているのがよくわかる。
 彼は車の速度を落としながら、そこの窓口の横に停車させた。

「シャル、通行許可証持ってる?」
「はい、これ」

 車が完全に停止した所で、転入手続きの際に渡されていた許可証を彼に手渡す。

「ありがと。それじゃちょっと手続きしてくるから待ってて」

 車を降りて窓口に近付き、何やらフレンドリーに窓口の男性に話し掛けている彼。
 ものの一、二分ぐらいだろうか、それくらいの時間が経ったか経たないかの僅かな時間で、受付に笑顔で右手を軽く上げた後、車に戻って来た。

「通って良いってさ」

 目の前を見るとゲートのバーが上がり、警備員が行け、というジェスチャーを送っている。
 彼もご苦労様といったように軽く手を上げると、車を学園敷地内へと進入させていく。

 走っていく車。
 目指すのは来客者用駐車場。普通の学校であれば、すぐに着きそうなものだが、なにぶんIS学園は規模もあるので時間が掛かる。
 とはいえ、車で行けばそんなに遠い距離でもないので、時間が掛かるとは言っても何十分とかかる訳でもない。

「よし、到着っと」

 やがて、車はある程度の広さが取られた駐車場へとたどり着いた。
 広さはあっても外来者はあまりないようなので、私達以外の車は見当たらない。

 これでとうとう出発だ。
 忘れ物もない。書類やテキスト関係も大丈夫。ISの方も大丈夫。
 準備完了、さぁ行こう。
 そうして、小さな荷物を手に車から降りようとした時、彼の声が背中にかかる。

「今日は大体17時ぐらいにここに着いて、18時には開始する予定だから」

 一瞬何かと思ったけれど、直ぐにそれが理解できた。

「場所はメインアリーナで良いんだよね?」

 彼にとっての第二回戦。ISとの模擬ではあるが戦闘には変わりはない。

「オーケー、合ってるよ。……そんじゃまぁ、頑張って来なよ?」

 それは私のこれからの生活に対しての声援。
 なら、私が返す言葉も決まっている。

「うん、そっちも頑張ってね」

 返すのは彼に対する声援。

「もちろん。……それじゃ行ってらっしゃい、また放課後」
「うん、行ってきます」

 彼はそういうと車を動かし、運転席から二、三回手を振った後、走り去っていった。

 それを見送った後、時間を確認。
 時間は思っていたよりは余裕がある。
 行くにはまだ早いかもしれないけれど、ゆっくり歩けば調度良い時間になるだろう。

 新たな環境、新たな景色。
 私の新しい生活の場にして、ある種の戦場。
 不安一割、緊張二割。残りはやる気と期待と好奇心。

 これからの生活にいろいろな想いを膨らませながらも、私は新たなスタートラインからその一歩を踏み出した。





 教室を目の前にして、大きく一つ深呼吸。
 プレゼンテーションなどの経験をしてはいても、まだ知りあってもいないクラスメイト達の前で話すというのは、やはり緊張する。
 でも、確かにその緊張はあるのだけれど、学校それ自体の雰囲気がどこか懐かしく楽しみだと感じている部分ももちろんある。

「えと、ボーデヴィッヒさん、だったよね?同じ転入生同士よろしくね?」
「馴れ合うつもりはない……」
「もう、冷たいなぁ」

 実は何と、今日は私以外にも転入する予定の人がいたようで、今はこうして教室の前でその人と並びながらその出番を待っている。
 でもその彼女、ラウラ・ボーデヴィッヒさんはどうにもこうクールというか、なんというか、刺々しい態度を見せていてなかなか仲良くすることが出来ない。

 彼女の外見としては左目に眼帯をしているのが気にはなるけれど、整った容姿と長い銀髪、それにその小柄な体格が合わさって、まるで人形のような可愛らしさを醸し出している。

「……貴様も一応、専用機持ちなのだろう?そうであるというのなら、それにもっと相応しい態度や姿勢という物があるのではないのか?」

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。
 ドイツの代表候補であり、軍の特殊部隊の隊長を務めているという話は、一応名前から聞いたことはある。その性格は軍人ということからなのか、このように堅い。

 ラナさんやジャックさんも元軍人ではあるけれど、このボーデヴィッヒさんとあの二人の差は何なんだろう?
 あの二人が陽気なだけなのか、はたまたボーデヴィッヒさんが生真面目なのか。
 でも、転入するという事自体が軍人としての任務だったのなら仕方のないことなのかもしれない。

『それじゃあ、二人とも入って来て下さいっ!』

 隣のボーデヴィッヒさんについて考えていると、山田先生の私達を呼ぶ声が教室の中から聞こえてきた。

「よし、それじゃ行こっか?」
「……ふん」
「あ、ちょっと待ってよ」

 声を掛けてはみるが、こちらの声を無視するかのように、ずんずんと小柄な身体を揺らし彼女は力強く進んでいく。
 私はそんな彼女の後ろに遅れないように続いて、失礼しますと一声を掛けてから教室の扉をくぐっていく。

 扉をくぐったその先、教室内で待っていたのは多くの視線。約三十対のそれが私とボーデヴィッヒさんに集中している。
 
「それでは、自己紹介をどうぞ!」
「あ、はい」

 このクラスの副担任である山田真耶先生のにっこりとした笑顔に促され、一歩前ヘ。
 さすがに少し緊張はするけれど、ここで躓いていてもしょうがない。
 小さく深呼吸を一つ、緊張を飲み込んで正面を見据え、笑顔を心掛けながら緊張で少し乾いた口を開く。

「フランスから来ましたシャルロット・デュノアです。突然の転入ということになってしまいましたが、皆さんよろしくお願いします」

 とりあえず無難な自己紹介を終えると、聞こえて来たのは目の前のクラスメイト達からの拍手の音。
 うん、とりあえずは受け入れてもらえたのかな。
 ほっと安堵の息を吐き、改めて教室のクラスメイト達の様子を見渡してみる。

 ここが日本であるということもあってか、日本人は確かに多い。けれど、その中にも他国籍の生徒も数多く確かに存在している。
 例えば教室後方、こちらの様子を注意深く窺っている彼女。ロールのかかった鮮やかな金髪と少し釣り上がった意思の強さが窺える瞳。
 彼女は確かイギリスの代表候補のセシリア・オルコットさんだったと思う。

 だが、その表情には少しこちらへの警戒心が浮かんでいるように思える。
 例えるのならなんだろう?家を守る番犬というよりかは、何か獲物を取られまいとする犬を連想させるその姿。

 まぁとにかく他にも国籍はわからないけれど、褐色の肌をした人や赤毛の髪の人など、様々な地域、国から生徒が集まって来ている。

 でも、やはりその中で最も目立つのは、目の前すぐ近くの席に座っている男子の姿。
 当然IS学園の男子生徒など一人しかいない。
 彼が世界唯一の男性適合者、織斑一夏だ。

 少し気になったので彼のことを観察しようとしていたそんな時、突如、視界に小柄な銀色が横から入り込んで来た。

「貴様が……!」

 その銀色の主、ボーデヴィッヒさんが怒りの入り混じった声を上げたその直後、鋭い破裂音が教室内に響いた。
 音の発生点の中心にいるのは頬を押さえる織斑君と、腕を振り切った状態のボーデヴィッヒさん。

「っ、いきなりなにをしやがる!?」

 続いて織斑君の声が響くが、あまりに突然起きたことに教室内の誰もが反応ができていない。

「……ふん」

 その声に耳を貸さず、ボーデヴィッヒさんは用なら済んだと言わんばかりに空いている席に座ると、腕を組んで目を閉じる。
 本当になんだかすごい子だ。……良くも悪くも。

 未だに静まり返っている室内。
 でも、今日の授業もあるのだから、いつまでもこうして立ち尽くしているわけにもいかない。

「あのすみません、私の席はどこになるんでしょうか?」
「……ひゃうっ!?あ、は、はい。データによると視力の方には問題はないですよね?」
「はい」
「で、では、教室の後方ドア側の席でお願いします」
「あ、わかりました」

 山田先生も先程の出来事に飲まれ固まってはいたが、口火を切って話し掛ければ、少し堅い態度ではあったけれど、きちんとこちらの質問に答えてくれた。

 それをきっかけにどよめきという形で、教室にもようやく動きが出てくる。
 詳細は聞こえはしないが、おそらくボーデヴィッヒさんと織斑君のことで騒然となっているのだろう。

「静かに!」

 そんなどよめきもその一喝で一斉に治まっていく。
 その声の主は東洋の魔女とまで謳われる、日本いや世界最強の人物のもの。
 強い目線と黒い髪。その身に纏う雰囲気は、確かに日本刀のような鋭利さと有無を言わせぬカリスマ性を秘めている。
 その最強の女性、本クラスの担任である織斑千冬。
 その一声にクラスは静まり返り、ボーデヴィッヒさんを含めた全ての視線が織斑先生へと集められていた。

「HRは以上で終わる。今日は二組と合同で模擬戦闘を行うので、各人、すぐに着替えて第二グラウンドへ集合すること。では解散!」
『はい!』

 沈黙から困惑、そんな状態にあったクラスメイト達が織斑先生の言葉に完全な再起動を果たす。
 先ほどからは一転、一斉に発せられた元気な返事。クラスメイトの皆はその指示に従い動き始めた。

「デュノア、いつまでもそうしてないでお前も早く着替えてしまえ」
「あ、はい」

 私も織斑先生に従い、まずは指定された自分の席へ。
 周りのクラスメイトの人達と互いに挨拶を交わしながら、制服からISスーツへと着替える準備をしていく。


「……あれ?デュノアさん、デュノア、うーん、デュノア?」

 肌に密着する素材に身を包み、スーツのレッグ部に脚を通していると、隣の席の谷本さんがふと何か疑問そうに呟く。

「どうしたの、谷本さん?」

 尋ねてはみるが、なにやら私のファミリーネームを連呼していたので大体の想像はできているのだけど。

「もしかしてーなんだけど、デュノアさんってあのデュノア社の関係者?」

 うん、やっぱりだ。

「……そうだよ。一応、デュノア社は父の経営してる企業になるのかな」
「わおっ!デュノアさんってば社長令嬢だ!じゃあ、首から架けてるそれって専用機だったり?」
「うん。ワンオフ機ではないけどね」

 私が専用機持ちであることが分かると谷本さんだけでなく、周りのクラスメイトの人達もおぉ、と驚きの声を上げている。

「はぁ、すごいね。これでこのクラス三人も専用機持ちが揃ってるよ!」

 実際にはボーデヴィッヒさんのISを含めれば四人なんだろうけれど、ここで訂正はしない。
 後々分かることでもあるし、ボーデヴィッヒさんはそういうことを嫌いそうでもあるし。

「……デュノアさんでしたか、少しお時間をいただいてもよろしいかしら?」

 そうして着替えも終わり、グラウンドへと向かいながら谷本さん達の質問に答えたりして友誼を深めていると、背後から声をかけられた。

「あれ?セシりん?どうしたの?」

 いち早く、気付いた谷本さんの声。
 振り返ってみると、そこには自己紹介の挨拶の際、こちらを注視していたセシリア・オルコットさんの姿。

「せ、セシりん……あ、あの、その呼び方は止めて下さいとあれほど……いえ、まぁとりあえず、それは今は良いですわ」

 あ、それは良いんだ。

「ええ、実は少しデュノアさんと二人きりで話したい事がありまして。……申し訳ないのですけれど、外してもらってもよろしくて?」

 私に用事?それも二人きりで内密な?
 オルコットさんとは初対面のはずなのでその用件について、思い当たることは何もない。

「じゃあ、谷本さんごめん。先に行っててもらって良いかな?」
「う、うん、別に良いけど。……二人とも遅れないようにね!」

 あまり穏やかでない空気を感じ取ったのか谷本さん達は、こちらを心配そうにしながらもグラウンドに向けて歩いていく。
 こうして、とりあえず谷本さん達には先に行ってもらい、オルコットさんとの時間を作る。
 彼女に向き合ってみれば、やはりこちらを警戒するような態度を見せていた。

「えと、セシリア・オルコットさんで良かったよね?」
「ええ、その通り、間違ってはおりませんわ」
「私はシャルロット・デュノア。これからよろしくね」

 まずは互いに自己紹介。
 オルコットさんは、こちらを警戒してはいても、その口調も合わせて外見通りの高貴な印象。
 データでは貴族の出身であるとあったので、やはりその環境で育った影響なのだろう。

「では改めて。本来であればこういった場で話すことではないのかもしれませんが、単刀直入にお聞きいたします」

 こちらに質問しようとするオルコットさんの表情は正に真剣そのもの。
 私もその雰囲気に当てられ、姿勢を正し、きちんと聞き入れる体勢を作る。
 そして彼女はその表情を続けたまま、整った形の唇が疑問の続きを紡いでいく。

「……貴女は、デュノア社からのスパイではありませんか?」
「……はい?」

 固まる空気。
 でもそれはHRのボーデヴィッヒさんの時とは違って、呆然とか呆気に取られてとかそういった方向の驚愕。

「い、いや、ですから、貴女がスパイではないかと!」
「いやいやいや、ちょっと、ちょっと待って!」
「……何ですの?」
「私がスパイ?」
「ええ、本国の方から気をつけろという連絡がありましたわ」
「……はぁ」

 なにやら胸を張って答えるオルコットさん。
 それに対して感じる、なんだろうこの虚無感というか、どこかやるせない気持ちは。
 明日に向かって頑張ろう!と、正に意気揚々といった気分で今日に臨んで来たのに。
 うう……、出会い頭に水をかけられた気分だ。

「あの、ですから」

 オルコットさんもどうやらこのおかしな空気を感じ取っている様子で、どこか慌てた表情を見せている。
 先程の高貴な雰囲気からのこのギャップ。綺麗な人だとは思っていたけれど、何だか少し可愛い人かもしれない。

 いや、今はそうではなくて。

「えーと、とりあえず結論からすると、私はスパイではないかな」
「……そうなんですの?」

 オルコットさんは未だに少しこちらを疑うような素振り。
 でもスパイにスパイであるかを聞いても、正直に答えてはもらえないと思う。いや、私はスパイではないけれど。

「ですが、デュノア社は第三世代型の案を出せず、経営に苦しんでいると聞きましたわ!」
「それについては、だいぶ前に政府に開発案を提出して正式に了承されたはずなんだけど」

 ミラージュというか、クレスト、キサラギ、シゲさんの助言によって。

「……それでもそれは欺瞞情報であると本国が!」
「あれ?つい先日、機体が形になりしだい欧州防衛統合計画に参入の打診をするって、発表してたよね?」
「……」
「……」

 今度は何だか気まずい雰囲気。
 二人でなんとなく黙りあい、静かな時間が流れていく。

「ええと、とりあえずは信じてもらえたの、かな?」
「……ええ、デュノアさん。貴女を疑ってしまって本当に申し訳ありませんわ」

 こちらに頭を下げ、ひどく気分を沈ませているオルコットさん。
 それを見ているとなんだか、こちらが申し訳ない気分になってくる。

「い、いや、別に大丈夫だよ、オルコットさん。ちゃんと分かってもらえたんでしょ?」
「……それはもちろん」
「だったらもう気にしてないよ。だからオルコットさんも気にしないで?オルコットさんが悪い訳じゃないんだから」
「……そう言っていただけると本当に助かりますわ。ありがとうございます、デュノアさん」

 やっぱり、オルコットさんは良い人だとは思う。
 確かにその格式的な口調や態度で勘違いされやすい人かもしれないけど、その性格の奥底には他人への配慮や気遣いが息づいているように感じる。

「……うん、じゃあオルコットさん」
「はい?」
「改めて自己紹介をしよう?」

 私の言葉を聞いて呆気に取られた様子のオルコットさん。
 確かに唐突過ぎたかもしれない、でも続けてしまおう。

「私はシャルロット・デュノア。一応専用機持ちで代表候補ではないけど、それなりにはISの搭乗経験を積んでるとは思っています。あと、デュノアさんじゃなくてシャルロットで良いよ」
「えっとあの」
「ほら、オルコットさんも」
「あ、はい。……わたくしはセシリア・オルコット。イギリスの代表候補生であり、第三世代機であるブルーティアーズを任されてもいますわ」

 少し困惑気味ではあるけれど、オルコットさんはきちんとこちらの名乗りに応えてくれる。

「じゃあ、名前はどう呼べば良い?セシリアって呼んでも良いかな?それともオルコットさんのままの方が良いかな?」
「……セシリアと読んでいただいても別に構いませんわ」
「そっか。それじゃセシリア、これからもよろしくね?」

 許可をもらったので、名前で呼ぶと共に右手を彼女の前に差し出す。
 彼女もこちらの意図を汲み取ってくれたのか、同じく右手でこちらに応えながら、笑顔で答える。

「ええ、わたくしの方こそよろしくお願いいたします。デュノアさん、いえ……シャルロットさん」

 共に笑顔で軽く握手。

「それじゃあ、これで仲直りじゃないけど、仲直りということで」
「ふふ、そうですわね」

 握っていた手を離しても、互いに笑い合う。早速の新しい友達。
 なんだか大変なことはあったけど、初日からこうして手を取って笑いあえるというのは、中々に幸先の良いスタートと言えるんじゃないだろうか?
 何だか余計にこれからの生活に対する期待感が湧いてくる。

 喜びながらそんな事を考えていると、その時、不意に時計が目に入ってきた。

「あ」

 気分はまさに急転直下。天国から地獄、喜びから絶望へ。
 不意に視界に入った時計の針、それがを指し示すものに気づいた瞬間、その時になって初めてこの話の流れで忘れていたことを思い出す。

 時間を確認。
 始業の時間まであと数分。
 結論……。

「……シャルロットさん」
「……うん、言いたいことは何となく分かるよ」

『まずい(ですわ)っ!』

 残り数分。間に合うかどうかはわからない。
 だけど、初日から遅刻というのは非常に避けたいものだし、セシリアからしても貴族の吟持がさせるものなのか、実に切羽詰まったような表情をしている。
 もちろん、校則では廊下を走ることは禁止されてはいるけれど、もうそれを気にする暇もなく私とセシリアの二人は揃って廊下を走り出す。

 結論からすれば、なんとか済んでの所で間に合ったのだけれど、ギリギリ過ぎるぞ、馬鹿者が!ということで、織斑先生からセシリアと一緒に並んでの有り難いお言葉を頂戴することになってしまった。



[28662] Chapter2-3
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/05 17:03
 屋外演習場。
 新しい月に入ってからの初めての週末も、天候は引き続いての晴れ。快晴。
 日本のこの時期は雨がよく降る季節だとは聞いていたが、先週の空模様を見る限りはとてもそのようには思えない。

 六月、季節であれば最も暑い夏に入り、それを示すかのように気温は右肩上がりで徐々にではあるが、日に日に高くなっているように思える。

 そんな日光が強く照り付ける中、雨の気配がないために日頃の洗濯物などには乾きやすくて良いだろうが、演習場の土もよく乾いてしまっている。
 それは、こうしてブースターを使用すると乾燥した砂を舞い上がらせ、大きな土煙を形成するほどに。

 サイトの中心に目標を入れ、ロックオン。
 それを保持し、機体の後ろに土煙をなびかせながら、ゆっくりとトリガーを引く。
 独特の発射音。
 火薬の音とは違う、空気が瞬時に抜けていくような、どこか甲高いその音。
 その音の大きさに比しては、反動は感じないと言って良いほどに小さい。
 反動も大したことはなく正確に狙いを定めたままに、右腕武装より高い熱量を持つ光弾が射出される。
 続けて二回。
 それらは極めて高い速度をもってターゲットへと突き刺さってゆく。

 ――目標撃破。

 システム音声と地上へと落下していくそれを確認した後、狙いを次のターゲットへ。
 次の目標との距離はそんなに離れてはいない。ブースターを吹かし高速にて接近。

 ターゲットからの攻撃こそはないが、敵機からの迎撃を想定しながら、徐々にその距離を詰めていく。
 中距離から近距離、近距離から近接距離へ。
 やがて目標はレンジ内に。左腕武装を起動。押し当てるのではなく振り抜くイメージで。

 左腕部に取り付けられたその発振器より、光の刃が形成される。
 それは先程の右腕武装を遥かに越える高い熱量を持った光。
 そして、刃がターゲットの装甲と接触。赤熱する装甲。
 光の熱量に対して、装甲は何かしらの抵抗すら見せる事も出来ず、内装部を含め接触部から瞬時に溶解、蒸発していく。
 左腕を振るい交差するように擦れ違った後方で、そのまま上下に姿を別けるターゲット。
 直後に爆発。確認するまでもなく、目標の撃破を認識。

 残存ターゲット、残り十二。
 この数なら時間はそうかからない。
 オーバードブーストを起動。
 近い目標から順々にやっていこう。
 機体は次の目標へ急加速を始め、右腕武装は射程に入り次第、その銃口から光弾を撃ち出している。

 そうして結局、ターゲットの追加こそありはしたが、その撃破にも時間はかからず、一時間も要さぬ極短時間の中で新武装のテストを終えた。




 機体から降りて、ドリンクを片手にベンチへと腰を下ろす。
 無人となった機体には、早速、整備員が近寄っていき、システムチェックと新武装の運用データの確認を始めていた。

 はぁ。
 新武装の運用には手応えは感じている。初めて扱う光学兵装、いや熱量兵装と言うべきか、その運用による手応えには。
 しかし目の前の整備の光景を眺め、それを確かに感じながらもこぼれていくのは大きな溜め息。
 それはテストによる肉体的な疲労からではなく、内からの、精神的なモノから来ていた。

「なんだか、調子悪そうだね?」

 かけられた声に視線を移せば、そこにあるのは現在、学園の寮住まいであるはずのシャルの姿。

「……早いね、もう来てたんだ?」
「うん。とりあえずこの子の稼動データを送らないといけないし、いろいろと調整もしたかったしね」

 彼女はそう言いながら十字のネックレストップを手に取り、こちらにそれを示すかのように見せてくる。

 その十字。
 一見すればファッションの一部か敬虔な宗教者の物ではあるが、それは十字架ではないし、ましてや単なるネックレスではなく、一般的なアクセサリーの類いでもない。

 それは専用ISの待機形態と呼ばれる、省エネ兼持ち運び用の状態であり、ISの仮初の姿だ。
 たしか、シャルの機体の名前は『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅢ』という感じで、量産機に専用のチューニングを重ねて施した物だったと思う。

「調子はいつも通り。悪くはないよ」
「それは身体の調子でしょ?……でも心の調子は?大分落ち込んでるように見えるけど?」

 こちらの反応に対し、気遣うようなその言葉。
 心配してくれるのは純粋に有り難いし、心配は不要ときちんと答えたい所ではある。だけど、確かに正直、落ち込んでいる事を否定はしないし、できない。

「……もしかして、この間のこと、まだ気にしてる?」

 ……イエス。
 嫌でも気にする事にはなる。あれだけの完敗、大敗は。
 それを思うと、再び大きく溜め息が漏れる。

「その様子だと本当にショックだったみたいだね」
「そりゃ、ね」

 思い返されるのは、この間のBFF社からの誘いにより行われた模擬戦。
 相手はイギリスの代表候補、セシリア・オルコットさんと、そのセシリアさんの専用機『ブルーティアーズ』。

 いざと気を入れ臨んだISとの第二回戦。
 しかし、それは始まってみれば一方的なものだった。

 アウトレンジからの狙撃と自律兵器による距離を選ばない変幻自在な攻撃。それによって終始翻弄される展開。
 回避と防御に専念せざるを得なくなり、碌に反撃の機会も与えられず、苦し紛れの攻撃さえも避けられるばかり。
 まさにワンサイドゲーム。完膚無きまでにやられた戦い。

 そしてそれは、未確認機との戦いで得た、自信とか自負を撃ち砕くには十分過ぎるものだった。

「でも、セシリアもBFFの人も予想以上だって関心してたよ?ちゃんと最後は一矢を報いてたしさ」

 ……その関心っていうのは、あちらの優位性が完全に為されてるから起こる事だよ、シャル。
 それに一矢報いたとは言っても、二度は通用しない奇策だからね、あれは。
 使ったのなら、せめて勝たないと意味がないんだ。

「……ありゃりゃ、ホントにかなり重傷だね」

 こちらがこぼす溜め息に対し、シャルもまた、どうしたものかといったように小さく息をついている。
 そんな様子を横目で確認しながらもドリンクボトルを傾けていく。しかし、いつの間にかその中身はなくなっていた。

 はぁ。
 もうすぐテストも再開されるだろう。今はテストの事だけに集中していよう。

「時間か」

 クロノスのチェックが終了したのか、機体から次々に離れていく整備員の人達。
 それを見て、横に置いたヘルメットを持ちながら、なんだか少し気が重い腰を上げる。
 何とか気持ちを切り替えなければいけない。

 自らの顔を軽く叩き気合いを充填。
 クロノスに近付き、その機体をつたってコクピットブロックへと登っていく。

「……よし」

 自分に一声一喝。
 そうしてコクピットへ乗り込もうとシートにその身を置いたその時、モニター担当のスタッフから声がかかった。

「おっと、伝え忘れてました。今日はこれから用事が出来てしまったので、もう上がりで良いそうですよ?」





 流れていく景色。
 座席に座りながら外のそれを見送っていく。
 ある一定のリズムと共に揺れる車内。
 そこには自分達だけでなく仕事か学校か、はたまた単なる遊びにか、様々な人々の姿が見受けられる。

「ちょっと混み合ってきたかな?」
「……この時間帯でこれだけ混むとはね」

 そんな僕たちも今は息抜き、遊び?の為にこうして電車へと乗り込んでいる。

『そういや二人共、個人用の携帯持ってなかったよね?日本での生活は多分だけど長くなるから、この際、契約してきなよ。あると何かと便利だし。まぁ、日本での初観光がてらにさ』

 こんな感じのシゲさんの言葉。
 実際の所は何だか来客も本当みたいだけど、完全に気遣われたのだと思う。
 シゲさんとの仲もそこまで長くはないけど、中々に親しいとは思っているので、その心の配慮といったものぐらいは感じとれる。

 ……しかし、ホント、周りの人に心配ばかりかけて、ダメだなぁ、何とも。

「ほら、何で溜め息なんてついてるの?せっかくの息抜きなんだよ?」

 どうにも気分が落ち込んでいる所に、そう言ってこちらを覗き込んできた隣に座っているシャルの姿。

 その服装は普段の制服や見慣れたレディススーツではなく完全な私服。
 白のレースワンピースにデニムベスト、足元はショートブーツ、手には茶色のショルダーバッグという外出用の装い。
 対してこちらは、黒のカーゴに白の長袖シャツ、それにタクティカルブーツを履きこんで、首元には以前に知人から譲り受けたドッグタグを下げた適当な装い。

「なんだかシャル、気合い入ってるよね?」
「そ、そう?」

 うん、そうとも。
 わざわざIS学園に寄ってまで着替えてくるんだから、そう感じても不思議ではないと思う。

「でも、お、女の子ならオシャレに力を入れるのは当然のことだよ!」

 何だか慌てるように答えているシャルなのだけれど、まぁ、シャルがそう言ってるのなら確かにそうなのだろう。
 正直、ファッションやら女の子の心情やらは専門外なのでよくわからない。そこはラナの担当だ。

「……そういえば、シゲさんが言ってたお客さんって誰なんだろうね?」

 いきなり、変えられる話題。
 いかにも不自然な切り替えではあるけれど、その疑問は至極当然の物。こちらも気にはなっている事なので、話題に乗っていく。

「確か、ラインアークって言ってたけど、シャルは聞き覚えある?」
「ラインアーク?……ん、どうだろう?聞いたことはない、と思うけど」

 IS関連に通じているシャルにも聞き覚えはなし。
 こちらも一通りの軍事系の企業の知識はあるけれど、思い当たるものはまったくない。
 新興企業かもしれないし、弱小企業かもしれない。まったく詳細がわからない。ないないない、のないもの尽くし。
 帰ったらシゲさんに聞けばいい事なんだけど。

『まもなく~』

 シャルとそんな会話を続けていると、車内に到着をが近い事を知らせる二ヶ国語のアナウンスが鳴り響いた。
 アナウンスされている駅名は本日の目的地となっている場所に程近い所。
 それと共に、外を流れる景色は緩やかになり、電車はホームへと進入していく。
 席に座りながらも感じる、車体のブレーキによって起こされるほんの僅かな軽いG。

「それじゃ、行こう?」
「……ん、そうだね」

 車体が停まるのを待ちながら、流れ出す人波とその流れに従い、二人で外へと踏み出していく。





「……日本を侮ってたよ」
「あはは、確かに凄い人だったね」

 あの後、電車を降りて駅からまもなく。
 今日の目的となるその通りで見たのは人、人、人。休日という事もあってなのか、見たことがないような人の群れ。
 道を人が埋め尽くし、それぞれの目的地を目指しうごめいている。
 それを見て、思わず呆然としてしまったのは仕方のない事だと自分では思う。

 そしてシャルが硬直している僕の手を引いて歩きだし、何とか情報端末関連の専門店へと辿り着いたのが大体一時間ぐらい前。
 機種を選び契約を終えた今は、そのショップから程近い場所にあったオープンカフェで遅めの昼食を摂りながら、こうしてうなだれている。

 ちなみに僕が契約した携帯は、通話と連続稼動時間を重視したシンプルなデザインの物。色はオーソドックス、無難な黒。
 一方で、シャルもどうやら重視する要素が同じだったらしく、機種は同じで色は橙。専用機の色と合わせてみた、との事らしい。

 それにしても思うのは、シャルが妙に都会慣れしているようで、あの人の波に対してまったく臆してなかったなぁ、という事だった。
 シャルの容姿は一見柔らかというか、優しげな印象を受けるのだが、その実その性格は存外に肝が据わっていて、時には非常に積極的な部分を見せてくる。

「それにしても、何でもこなしてそうなイメージだったのに、まさかこんな弱点があるとは思わなかったよ」

 紅茶のカップを傾けながらも、こちらに話し掛けるその表情は少しばかり意外そうな顔。

 確かに僕は普通に臆したよ、あの数には。最近では一番驚いたことかもしれない。
 というかよくよく考えてみると、今までにいた所でも人混みなんかはあんまり行かなかったし、行ったとしても市場ぐらいであんな人の波と言えるような物ではなかったしで、本当に驚いた。

「まるで何だか『おのぼりさん』みたいだったね?」

 今度はそんな事をニヤリ顔でおっしゃられている、シャルロットさん。
 こっちだって驚きたくて驚いてたわけではないんですけど。
 まぁ、確かに否定はしませんよ。

「ほら。ぐれない、ぐれない」

 ……ホント、田舎者で悪かったね。

「ほらほら。拗ねない、拗ねない」

 そんなこんなで昼食も終え、時間も午後3時を回ろうかという時間帯。
 帰るにはまだ早い。とはいっても、今日は唐突に出来た休暇だったので、これといった具体的な予定があるわけでもない。

「うーん、これからどうしよっか?」

 シャルにも案がないのなら、殊更、こちらに案があるはずもない。

「僕はシャルの行きたい所にどこでも付き合うよ」

 そもそも、こういったどこかに遊びに行くとかのプランを考えるのは苦手だ。
 普通に生きていくのなら必要な物かもしれないけれど、ある意味で人生経験の少ない自分にとっては未だに高難易度過ぎる。
 同年代の人達の趣味や流行りなんかは、尚更。そんなの知らないし、分からないし。

「む、ずるいなぁそれ。ちゃんと一緒に考えてよ」

 頑張りはするけど、苦手なのでごめんなさい。

「まったくもう……」

 シャルは呆れた表情を見せているけれど、僕は本当に戦力にはなれそうもない。
 まぁ、時間はあるんだしゆっくり考えて行こうよ。主にシャルが。

 うーん、と腕を組み、二人で行き先について悩んでいく。
 それから、数分後、何かを思いついたのか、シャルが口を開いた。

「……そういえば、電車の中でも言ったけど、お互いに私服を見たのって初めてだよね」

 行き先とは全く関係のない話、でも何か気になった事でもあったのだろう。

 実際に、その事に関して答えるなら、確かにそうだ。
 アメリカじゃこうやって街中に出掛ける時間なんてなかったし、この間の日本での休暇でも、マスコミが外で待ち構えていたから迂闊に外にも出れなかった。

 それにしても私服。私服と言ったら驚いた事があった。
 それはシャルがキサラギを出る前にIS学園へと荷物を送ろうとしていた時の事。
 どうやらデュノア社時代の荷物を大分取り寄せたらしく、その荷物には私服がけっこう多いかなとシャルは自分で言っていた。

「あ、うん」

 それを聞いてやっぱりシャルも女の子だなぁ、とその時は再認識するように思ったんだ。

 昔、ラナが酔っ払って子育て論を展開してた時に言っていた事なんだけど、女は男と違って私服や化粧品、身嗜みだけでも色々と時間もお金も大変なものらしい。

 それは確かに私服とか私物をほとんど持たずに来ている、僕のような男とは大違いだ、ってね。

「え?」

 なぜかこちらの言葉で硬まるシャル。
 その後、硬直から復帰したかと思えば、どうにも真剣な面持ちでこちらに問いかけてきた。

「……ちょっと待って、私服、どれくらい持ってるって?」

 数?
 契約をしてアメリカに来る前は、配給してもらった野戦服がそれなりに種類も数もあったし、それを流用して着回したりしてたから不自由はしてなかった。周りの人が丁寧にも古着を押し付けてきたりもしたし。
 でも実際、一般的な私服らしい私服だと、今着てるの合わせて数着くらいだと思う。
 まぁホント、個人的にはそんなに必要性を感じるものではなかったし、どうでもいい……って、ん?

 その質問に答えている途中で、目の前のシャルが大きな変化を見せた。
 俯いた状態で少し肩を震わせ、何やらどうにも様子がおかしい。

 ……えっと、シャル?

「……決めた」

 様子を尋ねようとしたその瞬間、そんな俯いた状態から一転、いきなり顔を上げ静かながらに決意を感じさせる表情を見せてくる。
 なんだか嫌な予感がする。それはもう、ひしひしと。
 その瞳は、何故か使命感に燃える強い意志で満ちてるし。
 しかもその視線が確実にこちらを捉えてるし。

「さぁ、行くよ!」

 そうしてシャルは唐突に立ち上がり、こちらの手を掴んで、そのままどこかへと強い歩みで進んでいく。

「ちょ、シャル!どこに行くのさ?」
「どこにでも、付き合うって言ってたよね?だから、いいから着いてくる!」

 何がいいのか、それはよくわからない。まったくわからない。
 普段からは想像できないような力強い様子を見せるシャルに、僕はどうにも抵抗も出来ない。
 結局、シャルに手を引かれるまま引きずられるように、どこかへ向けて為すがままになっていた。



 夜。
 一日が過ぎていくのは、意外に早い。
 時が過ぎ、散々照り付けていた太陽は既に沈んで、その代わりに白い月が周囲の夕闇をほのかに照らし出している。

 電車の中も行きに比べると、その人の数はまばら。
 そんな空いていると言ってもいい車内、かさ張る荷物を上方の棚に置き、昼間と同じように二人で並んで座席についている。

「それにしても、シャルは良かったの?」

 この荷物の大半というかほとんどは自分の物だ。
 手を引かれるままに店へと突入し、半ばシャルによる着せ替え人形と化していた際の物。
 結局、最終的に買ったのはその中のほんの一部だけではあったけれど、さっきも言ったように、買った服の大半が僕の物であり、シャルの物として買った物がほとんどない。

「うん。服選びは自分のじゃなくても楽しかったし、それに私も選んでもらったしね」

 買った物の大半がこちらの物ということもあり、納得しづらくはあるのだけれど、シャルがそう言うのであれば、その通りなのだろう。
 僕が着せ替え人形状態だった時には、嬉々とした笑顔を浮かべたりもしてたし。

 ……いや、それにしても今日は楽しい一日だった。
 なんだか、シャルに引っ張られっぱなしだった気もするけど、楽しく思えた事には変わりはないし、その事に間違いはない。

 そのお陰なのか、午前中のあの落ち込み具合がまるで嘘だったかのように、心も軽い。
 それについては、今になって考えると色々と思う事が出て来たりするのだけれど。

「……それで、どうかな?気分は晴れた?」

 良いタイミングというか、ちょうど同じような事を考えていた所でその質問が来た。
 こちらを窺うような、心配するようなその表情、そんな顔をされては答えないわけにもいかないだろう。

「もう大丈夫だよ」
「本当に?」
「いや、もう完全にね」

 心配してくれるのはありがたいが、立ち直ったのは本当だ。
 厳密に言えば、立ち直ったというよりは元に戻ったとでも言うべきなのかな?

「考えてみればさ、思い上がってたのかもしれない」

 それは、最近の自分に対する評価。客観的にとは言えないかもしれないけど自分なりの自己評価。

 あの機体との戦闘での手応え。手応えが小さな自信になり、やれるという自信が過信に繋がった。
 負けたと理解しておきながら、それを自覚しながら愚かにも。
 その自惚れた心をセシリアさんとの模擬戦で粉砕されて、余計にショックに思えたのだ。

「僕らはただのチャレンジャーでしかないってのにね?」

 過信は要らない。驕りは要らない。
 挑戦者に必要なのは向上心と学習力。
 落ち込んでいる暇すら不要だ。

 とは言っても、一喜一憂するのは別に構わないとは思う。
 何が良くて何が駄目なのか、それを考え伝えるのも別に良い。むしろそれはやらなければいけない。

 ただ、喜ぶにしても憂うにしても、重要なのは驕らず諦めず立ち止まらず、常に前を向くという事。
 短所を改善し、長所をさらに伸ばしていくという意志を持つ事が大切なのだ。
 だってそうだろう?僕らの目的の最終地点はISを超える事にあるのだから。
 困難な道程だと分かっていても、それに挑もうというのだから。
 そのためには立ち止まってる暇などはない。立ち止まってる暇があれば一歩でも前へと進めば良い。

「……でも、さ。立ち止まってる暇はないなんて言ったら、いつかは疲れて動けなくなっちゃうよ?」

 そう語るシャルの表情。
 何だか余計に心配させてしまったみたいだけれど、その点に関してもまったく問題は無い。

「いやいや、それは心配ないよ。こうした休日にも一歩は踏み出してるしね。現にこうして気持ちを新たにして元気になっている。……これもこれで、同じ一歩に違いはないでしょ?」

 休まずに人生、生命、すべてを賭けろと言ってるわけじゃない。
 それが意味しているのは、良い所も悪い所もあらゆる経験結果をすべて飲み込んで、それを活かして成長の糧にしろという事。
 さすがに毎日が休日みたいな真似はもっての外だけれど、今日のような休日ならばまったく問題にはならないだろう。

「そっか……。うん、そうかもね。良かった、ちゃんと立ち直ってるみたいで」

 そう話すシャルの顔には安堵の色、その後に浮かぶ柔らかな微笑み。
 心配をかけてごめんなさい。心配してくれてありがとう。
 それが僕の本心ではあるけれど、今度はこっちの番と行きたい。

「そういえばさ。シャルの方はどうなの?学校の方は?」

 どうにもこちらばかり気にかけられてるというのは、何だかシャルに悪い。
 悩み事や困った事、そんな物は無いに越したことはないのだけれど、もしあるのだとしたら、力になりたいし、なってあげたい。

「え?私?……うーん、そうだなぁ」

 突然の問い掛けのためというのも、あるかもしれないのだが、そこに浮かんだ表情にびびっと来た。
 一瞬、浮かんだその表情。それは何かに困ったその時に、シャルがいつも浮かべている表情だ。

「何か問題でも起きてる?もしかして……虐められてる、とか?」

 そんな事になっていたら、それは極めて由々しき事態だ。その元凶はきちんと確実に、尚且つ丁寧速やかに懲らしめてあげなければならない。

「いやいや、違うよ?友達もちゃんと出来てるし学校は楽しいよ。……でも実はちょっとね、ケンカ、しちゃって」

 楽しく過ごせている事にほっと息を吐く。密かに握った拳を解きながら。
 しかしケンカするだなんて、シャルにとっては珍しく感じる。

「そんなに珍しくもないよ、私達だってあっちでやってたでしょ?」

 それもそうだ。
 事情は事情ではあったけど、あれもケンカには違いない。

「うん?ケンカって言うには語弊があるのかな?……ルームメイトの子とちょっとした諍いを、ね」

 ルームメイト?
 確か同じ転入生の子だと、以前言っていたと思う。

「ドイツから来たって人だったよね?」
「そう、前にも話したことなんだけど、何だかやっぱりその子、一夏に思うところがあるみたいでさ」

 ……ああ、転入初日に一夏の頬を思いっきりひっぱたいてた、とも言ってたっけ。

「それでそれに巻き込まれてしまった、と」
「そんな感じになるね。……根は素直で良い子だとは思うんだけど、織斑先生と一夏の事となると途端に頑固で気難しくなっちゃってね」

 何でもそのルームメイトの彼女は千冬さんの元教え子であるらしい。
 それで千冬さんがISの世界大会、通称モンドグロッソの二連覇をできなかった原因が一夏にあったのを知って、一夏にケンカを吹っ掛けてるという。
 そして昨日は一触即発。互いの機体に皮肉を飛ばし合い、あと一歩で戦闘にまで発展する所だったとか。

「あぁ、と……シャルはそのラウラさんの事は嫌いになった?」
「……そういう訳じゃないよ」

 同じ部屋だし仲良くはしたいけど、あんな事の後だから何かと話しづらい、か。
 それは確かに気まずい事この上ない状況ではある。

「でもそれなら、いつも通りに接すれば良いんじゃないかな?」
「……なかなか難しい事をさらっと言うよね」
「いや、それは分かるんだけどさ、やっぱりそれが一番なんじゃないかなってね」

 結局の所、シャルがラウラさんとやらと相対していたのは一夏に関連しての事だ。
 つまりはシャル自身が問題ではなく、一夏という存在を挟んで起こしていた事になる。

「僕個人としての意見だからあれなんだけど、全部が全部を認める必要もないでしょ?相手も気まずいとは思ってるだろうし、とりあえずわかりあえる事からわかりあっていけば、後々の和解も楽になると思うんだよね」

 別に諍いやケンカの原因となってる部分を認めろというわけではなく、順々に少しづつ関係を繋いでいこうというわけだ。

「そういうものなのかな?」
「まぁ、時間による解決を待っててもいいけどさ。事情は違えど僕らの時みたいに長引くと嫌じゃない?それに時間が経てば経つほど話しづらくなってくし……それになんだったら、明日にでもそのラウラさんとやらと食事の場を作ってみる?それでそれを話し合うきっかけにでもしようか?」

 そう僕は明日、IS学園へと赴く用事がある。
 今日の休日はシゲさんの厚意で作られた物だけど、それだってきっと用事30%、配慮50%の割合だ。
 そして残りは気持ちを入れ換えてこいというある種の喝によって成り立っていると思っている。

「だって、明日の相手はそのラウラさんなんでしょ?」

 その理由はもちろん、なんたって明日が栄えある第三回戦なのだから。




「カード使えますか?」

 荷物が荷物なので、駅前にてタクシーに乗り込み、シャルを学園へと送り届けた後、研究所へと向かう。
 タクシーには敷地内部まで入ってもらって、駐車場で下ろしてもらう。

 タクシーも去り、誰もいない駐車場で一人考える。
 荷物は置きたいけど、まずは挨拶がしたい。今の時間帯だとハンガーには……どうだろう?
 駐車場からハンガーを見てみると、正面の搬出入口は閉じられているようだが、その窓からは光が漏れている。
 ……どうにも誰かがいるようだ。とりあえずの目的地を定め、歩みを進めていく。

 搬出入口の隣の通用口から中へ。
 その中にはやはり誰かの気配がする。
 クロノスの開かれたコントロールブロックとハンガー内を静かに響いているタイピング音からもそれが窺える。

「すいませーん!」

 こちらが声をかけると、そのタイピング音が止まった。
 それと同時に返ってくる声。

「……おっと、帰って来たんだね?ってあれー?シャルちゃんは一緒じゃないのかい?」

 その声とテンションは、まさに今、僕が探していた人物であるシゲさんのものだった。

「あ、ええ。シャルは先に学園の方に送り届けてきました」

 返答一つ、続いて目下の疑問をシゲさんへと尋ねる。

「……それにしても、こんな時間まで何をしてるんですか?」

 ハンガー内には残っているのはシゲさん一人だけであり、他の整備員は既に戻った様子。
 周りにもその姿は見当たらない。居残りの個人作業て言った感じだろうか?
 しかし道理でなんだか少し暗いと感じたわけだ。天井を見てみれば照明が最低限のものしか点いていない。

「いや、ソフトの方をちょっと弄ってたんだよ」
「でも、何もこんな時間まで……他の皆はもう帰ってるのに」
「やっておかないと気が済まないからね」

 そう言ってシゲさんは再び機体へ入力する手を再び動かし始める。
 そして作業を行いながらも、それに、と一言置いた後に話を続ける。

「……やっぱり俺達も悔しかったから。十分以上に頑張ってくれてるのに負けちゃってさ」
「いや、別にそれは、シゲさん達のせいじゃ……」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱり俺達の責任だよ。相手に性能が届いてなかったんだから」

 はぁ、とシゲさんは大きく息を吐き、その心中の様子を零していく。

「……簡単ではないとは分かってたけどさ、悔しくて情けなくて堪らないね」

 シゲさんの苦虫を噛み潰したような表情。
 いつも陽気なシゲさんのこんな表情は初めて見たかもしれない。

「でも待っててよ。いつかは絶対に作るから、作ってみせるから。ISに負けない機体をさ」

 だけど、そこから直ぐに立ち直り、何かを心に決めたような真剣な表情へと変わる。
 いつになく真面目な表情と本気の言葉。
 さっきはそんなシゲさんを初めて見た気がしていたが、この表情は決して初めてのものじゃない。以前に一度見たことがある。

「……ならこっちも依頼は絶対に果たして見せますよ」

 それはかつて交わされた約束の際に見た表情だった。
 いや、約束というよりは、傭兵たる自分に対して交わされた契約と言った方が良いだろう。
 ISを何とか倒して欲しいというシゲさんからの依頼と、それを請け負った自分。

「シゲさんが最高の機体を作って、僕がその性能を引き出してって事でしたよね?」
「……ああ、そういや、そんな感じだったねえ。あれからそんなには経ってないはずなのに何だか懐かしく感じるよ」

 確かにそれは懐かしい。
 あれは僕がまだ心を開いていない頃に交わしたのだったから、あれから一年は経ったという事になる。
 たかが一年、されど一年。
 その一年とちょっとで北アフリカにいたあの時から、自分と自分を取り巻く環境がこんなに変わるとは誰が考えつくだろうか?

 ただ生きるために生きていた自分。
 それしかなかったあの日に比べると、今は仲間が出来て友人も出来て、落ち込む時はあっても楽しく毎日を過ごせている。

「僕にとっては激動の一年だったみたいですけどね?」
「……何なんだい?みたいってのは?」
「文字通りですよ。自分でも信じられない程の変化だと思ってますから」

 変化。そう自分は変わった。
 それは良い方向への変化であると自分は思っている。そうであると思いたい。

「……まぁそうだね。うん、変わったよ。今、思い出してみるとさ、初めに顔を合わせた時なんて、ほっとんど表情なんて見せてくれなかったし」

 シゲさんは今の僕と昔の自分との性格のギャップにか、笑いながら話している。
 確かに僕の性格はシゲさん達と出会った事で急速に解かれていった事になるだろう。
 シゲさんやラナやジャック、多くの人と出会って僕は変わった。

「でもあれだね。今の表情を見ると、今日は良いリフレッシュになったみたいで良かったよ」
「はい。それは、おかげさまで」

 それは今日の休暇をくれたシゲさんと街中を引っ張り回してくれたシャルのおかげだろう。

「いやいや、来客があったのは事実だから、そんな言葉は必要ないんだけど」

 例えそうだとしても、休暇をくれたのはシゲさんなのだからそれこそその事実は変わらない。

「まぁでも、あれだ。俺達もさ本気で頑張ってくから、これからも一緒に何とか頑張ってこうよ」

 そんな事は言わずもがなという奴だ。

「ええ。それはもちろん!」
「うんうん、良い返事。……ほいじゃあ、今日はもうこんな時間だから、明日に備えて休んでおきなよ」

 こちらの返答に満足したのか、少し笑みを浮かべながら頷くシゲさん。
 人には休めと言いながらも自分は残ってさっきの続きを行っていくぜ、という様子がありありと見て取れる。
 実際に止めたい所ではあるけれど、シゲさんはこういった状況になると頑として引かない人だ。
 それは今までの経験で理解もしている。

「わかりました。でもシゲさんも程々にしてくださいね?」

 あいよ、というシゲさんの応える声。
 当てにならない声ではあるけど、大人しく引き下がりハンガーの出口へと歩き出す。

「あ」

 その時、歩き出す僕の背中に何かを思い出したような声がかかった。

「そういや、言い忘れてたよ。……お帰り&おやすみー!」
「なんですか、それ?……まぁ、はい。ただいま、そんでおやすみなさい、シゲさん」

 遅くなった挨拶を最後に、荷物を抱えながら今度こそ自室へ向けて歩き出した。



 部屋に着くなり荷物をベッドへと置き、とりあえずはシャワーで一日の汗を洗い流す。
 髪と身体を洗い、泡をシャワーで流した後、バスタオルでまだ残る水滴を拭いながら部屋へと戻る。

 無人となっていた部屋では何やら少し喧しい音が響いている。
 音源は部屋の床の上、今日契約したばかりの携帯電話が青い点滅と共にバイブレーションを伴って、その音を発生させていた。
 そしてそのディスプレイには「シャル」の三文字。

「もしもし?」

 という事なので、急いで電話に出る。

『あ、やっと出た』
「お、やっぱりシャルだ」

 案の定というか、シャルからの着信なので当然ではあるが、着信の相手は表記通りの物だった。

『やっぱりじゃないよー。メールも送ったのに返信は来ないし、さっきから電話してるのにさっぱり出てくれないし……』
「はは、いやごめんごめん。サイレントモードになってたみたいでさ」

 実際床に落ちていなければ、気が付かなかったかもしれない。

『まったく、それだとほとんど携帯の意味がないじゃない』

 そんなシャルの様子だが、何となく不機嫌というよりは、ぶーたれた不満げな感じ。
 ずいぶんな間、電話にメールにと待っててくれたのかなと思うと申し訳なく感じてくる。

「だからごめんってば。それでどうしたのさ?何か用があったんでしょ?」
『あ、うん、……明日の事、やっぱり頼んでおこうと思って』

 何となく、状況は読めて来た。

「というと、中々上手く話はできなかった、と?」
『……うん』

 顔が見えないので表情こそ見ることはできないが、その声は少し気落ちしているように思える。

「ん、そっか、オーケー解った。明日は終わったら誘ってみるよ」
『何か、ごめんね?』
「謝らないでよ、困った時はお互い様だよ」
『うん、ありがとう』

 いやはや何とも。いつにも増して殊勝な態度というか声のシャル。
 案外、昼間のあの快活さや強引さも今回の気晴らしによる物が幾分か含まれていたのかもしれない。

 そんな風に今日を思い返していると、その時、脳裏に電流が走る。
 突然にして思い付いたその案件。
 ……これは、良い案かもしれない。

「というかそうだね。いっその事、明日は一夏も呼んで話し合ってみよう!」

『えぇ!?……いや、それはどうなのかなぁ?』

 シャルは戸惑ってはいるけれど、話を聞く限り一夏の問題も勘違いのような物が含まれてる。
 だからこそ、この際に話し合えばシャルの問題も解決するし、一夏の問題も解決する。
 つまりは一石二鳥。やはり、出来ることは早めにやっておいた方がいい。

「まぁ、いいからいいから。一夏に晩飯付き合わないかって言っといてよ。何か一品奢り付きだからってさ」
『むむ、そこまで言うならわかったよ。うん、明日一夏にも声を掛けてみる』

 それでもやはり、渋々といった様子のシャルの声。
 その声を納得させるために、一応、任せておけとは言っておく。
 ……なんだか不意に、二兎追うなんとかって言葉が一瞬、浮かんだけれど、それはきっと他愛のない物なのだろう。

『……おっとっと、もうこんな時間なんだ』

 会話を続けていると、スピーカー越しにそんな言葉が聞こえた。
 時計を確認してみれば、思いの外時間が経っており、そろそろ日付も変わろうとするような時間帯に入っている。

『明日も学校があるし、もう遅いからそろそろ切るね?』

 確かにその方が良いだろう。
 僕ら二人には明日やることがあるのだから。
 いつまでもこうしている訳にはいかない。

 でもそんなシャルは、その前に、と前置きを付けた後に言葉を続けていく。

『今日は楽しかったよ。また今度どこか遊びに行こう?』

 それにはこちらも同感だ。
 今日は引っ張り回されたり、着せ替え人形にされたりと色々大変な日ではあったけれど、とても有意義な休日だった。

「そうだね。僕も楽しかったよ」

 だから、素直に心中を言葉に表していく。

『そっか。うん、良かった』

 そこに含まれるのは、安堵の感情?
 続いて、聞こえて来たのは今日の休日を締める挨拶。

『……それじゃあ、また明日。おやすみ』
「ん、おやすみ、シャル。また明日ね」

 それに対してこちらも明日への期待を込めて、同じ言葉を贈る。
 そうしたやりとりの後、通話が静かに切られ、電子音がスピーカーから響いた。


 その電子音を聞きながら、同時にベッドへと背中から身体を投げ出していく。
 存外に勢いが付いていたのか、ベッドスプリングの反発によって跳ねる身体。

 今日は結構歩いたので、疲労もそれなりに溜まっているはずなのだが、不思議と気分は悪くない。
 それどころか、何だかどうにも浮いたような心地さえする。

 何となく横に半回転し、俯せの状態に移行。
 すると、今日一日身につけていたドッグタグが視界に入ってきた。
 それを掴み、傷だらけのそれを改めて観察していく。

 そこに刻まれているのはこれをくれた知人、マグリブ解放戦線の二人の名前。
 このタグは別に形見だって訳じゃない。彼らはもう元マグリブ解放戦線であって、今は国軍に所属しているのだったか。

 シャルとの電話の前にシゲさんと話していた影響なのか、一年前、傭兵として彼らと共にあった頃が酷く懐かしく感じてくる。

 彼らは元気にやっているだろうか?
 相変わらずススの奴は、ファティマさんの尻に敷かれているのだろうか?
 今、彼らが僕の姿を見たら、驚くんじゃないだろうか?
 下手をすれば、僕が誰だか解らないかもしれない。
 それほどに過去の自分は人間的にどうしようもない人間だったから。

 彼らへの疑問と反応を予想したりと、その懐かしさに身を寄せていると、一つやってみたいことが浮かんできた。

 ……一度、彼らに会いに行ってみるのも良いかもしれない。

 まぁ、それは全てが終わってからの事になるのだろうけれど。
 依頼も目標も目的も、その全てが終わったその時に。

 未定の予定というあやふやな物ではあるが、何となくやってみたい事ができた。
 なら、そのためにも頑張っていかなくてはならない。
 明日よりも昔よりも、今は今に全力を尽くそう。
 まずは明日のいや、今日の模擬戦から。

 浮いた心と思考の中、やがてそこへ訪れたまどろみ。
 それに抗う意思は既になく、揺れる意識と流れに身を任せ、静かにその目を閉じていった。



[28662] Chapter2-4
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/05 17:04
 ISとは現代において、最強の名を冠する存在である。

 シールドバリアと絶対防御によってなされる強固な防御力。
 PICとブースターによって実現される極めて高度な機動性。
 そして慣性制御によって武装の反動を打ち消す、または軽減することで得られた武装の大型化による高火力性能。

 これだけを見ればISという物は最強に相応しい完全無欠の存在に見える。
 しかし、ISには兵器としては致命的な欠陥が存在していた。

 467機。
 それが世界におけるISの絶対数だ。
 その数は登場から10年の歳月が流れた現在においてもまったく変わってはいない。
 別に全体の数が法や何かで規定されている訳ではない。
 新たに作り出す術を誰も持ち合わせていないのだ。ただ一人、ISをこの世に生み出した人物を除いて。

 その、数を増やせないというISの持つ最大の欠陥。
 だがそれに対してISを保有する各国も、欠陥を補うための解を自然と導き出していく。
 数が増やせないなら、そのただでさえ高いその性能をさらに高め、数を圧倒的な個によって補えば良い、と。

 そうして各国は、国家の代表となる高い技術を誇る企業達を選別し彼らにその開発を命じる。
 命令とそこに付随される利益。依頼を受託し開発を開始した企業達は、その狙い通りに国家の支援とIS関連技術の生み出す莫大な利潤を得る事に成功し、さらなる成長を遂げていく。
 そして現在。成長を遂げた彼らは、いつしか国家の枠を越え、互いをライバルと認めながら、世界を舞台とした勢力争いにその身を置いている。

 その大企業群。
 世界にはデュノア社やクレストのライバルであるGA(Global Armaments)社、先日、手合わせをしたBFF(Bernard and Felix Foundation)社以外にも多数のそれが存在している。

 例えば、業界において最も名の知られた存在。アスピナ機関を保有するイスラエルのオーメルサイエンステクノロジー社。
 そのオーメルの支援を受け、中東や南アジアにおいてその勢力を拡げつつある、UAEのアルゼブラ社。
 電算機などの電子系分野に高い技術を持ち、北欧を中心に高いシェアを誇るスウェーデンのアクアビット社。
 エネルギー兵装においてのリーディングカンパニーであり、主にイタリアを本拠地とする企業同盟、インテリオルユニオン。
 近年、急激にその頭角を現して来た、新材料分野において高い見識と技術とを併せ持つカナダの新興企業、レイレナード社。

 そして今日の対戦相手。欧州でもトップオブトップの企業に数えられている総合企業、ドイツのローゼンタール社。



 今、現在。目の前にはそのローゼンタール社、ひいてはドイツの代表候補である小柄なパイロットの姿がある。

 その容姿は白みがかった銀髪、左眼には黒い無骨な眼帯を着用しているなど少々一般的ではない。しかし眼帯こそ気にはなるのだが、彼女はそのままドレスでも着させておけば、まるでビスクドールかと見間違うような整った容姿をしている。

 僕の目の前、そんな彼女が一歩前へと踏み出しながら、右手をこちらへと差し出してくる。

「成る程、あなたがレイヴン、か。……いや、話は聞いている。今日はよろしく頼む」
「ええ、こちらこそ。今日はそちらの胸を借りるつもりでやらせていただきます」

 こちらも右手を差し出し握手を一つ。
 見た目通りの小さな手ではある。でも、そこに感じるのは少女としての柔らかさと、厚くなった皮膚の硬さ。その硬さは自分としても、日頃から慣れ親しんでいる物。
 そういえば、彼女は自分と同年代にも関わらず、軍の特殊部隊の隊長を務めているという話だった。とすると、これは銃やナイフなどの度重なる訓練で出来た物ではないだろうか?

「それでは」

 握手の後に一言を交わすと、互いに背を向けその場を離れていく。
 それはもう少しで始まる模擬戦に備えるために。
 あちらはどうなのかは知らないが、これから始まる戦いに集中するために。

 ヘルメットを被り、首元で対Gスーツと結着。
 膝をつく機体を足場としてコクピットへ登っていき、既に開かれているそこへ着座し、身体をシートに固定。それを確認すると、ペダルとコントロールスティックの操作によりコクピットブロックを閉鎖する。

 閉じて行くコクピット。
 それを音と振動で感じながらも、ヘルメットのディスプレイ上では機体とスーツとの同調が開始される。
 AMS接続。システム起動。
 機体のセンサーとディスプレイとが同調し、機体情報やバイタルデータ、それに外部の様子が映し出されていく。

 外部とは言っても、先日使用したときの光景と変わらず、アリーナ内に特に変わった様子は見当たらない。注意すべきことも特にないので、今の内に機体を再確認しておく。

 右腕武装、ミラージュ社製エネルギーライフル。異常無し。
 左腕武装、キサラギ社製エネルギーシールド兼エネルギーブレード。異常無し。
 腰部ハードポイント、クレスト社製マシンガン。これもまた異常無し。
 左背部武装、クレスト社製大口径グレネードカノン。これで全武装は異常無し。

 今日の装備は同盟三社の揃い踏み。
 機体の方も頭部センサーから各種ブースターを含めた各部に至って、問題は全く見られない。
 こちらの準備は既に完了。合図があれば、いつでもどこでも模擬戦を始められる。
 しかして、その肝心のその合図は未だに見られない。

 もうすぐ始まるとは言え、何とも手持ち無沙汰なこの時間。
 集中しなければとは思うのだけれども、今から集中しすぎていても、ただただ疲れるだけなので、ほっと一つ息を抜く。
 思考を模擬戦からずらし思い浮かべたのは、先程のラウラ・ボーデヴィッヒさんの事。

 話には聞いていたにしても、やはり確かに堅そうだ、というのが第一印象だろうか?
 その佇まいと身のこなし。そしてその身に纏わせる雰囲気。
 それは確かに、軍人としての風格、厳格さを感じさせるのには十分だった。
 しかし、それにしても堅すぎる。
 軍においても、やけに陽気な奴や馴れ馴れしい奴がいる中で、確かに厳格な人は存在してはいる。してはいるが、それを踏まえても尚、堅い。
 何だかそれは、規律としてではなく自己の人間性を否定しているようにさえ感じるほどに。
 まるで、自分は人ではなく一つの兵器だと言わんばかりに。

 それに先程の挨拶においても。
 こちらを『レイヴン』と呼んだ時、なぜかそこに親密さを含ませてこそはいたが、こちらを見るその視線は、人を見る物ではなく僕らが機体を見つめる時の物と似ていたように思える。

 ……まぁ、結局は一個人の感想にすぎないのだけれど。

『おーい、聞こえるかーい?』

 先程の挨拶の時の事を考え、集中を模擬戦から切り離していたその時、こちらへ話し掛ける声と共にディスプレイの端にシゲさんの姿が浮かび上がる。

「聞こえてますよ」
『いやぁ、大分待たせちゃってごめんごめん。もう始めるから、ちょい待っててね』

 そう言葉にしながら、両手を合わせて前へと出し、笑顔で謝る動作を見せているシゲさん。
 その背後ではシャルがこちらへと向けて、頑張ってねー、となんだか気楽そうに手を振っている。

 ……はぁ。
 なんというかどうにも締まらない空気だ。
 さっきとは違う意味で息が抜ける。

『よし、そんじゃ始めるよー』

 すると、再び聞こえたシゲさんの声。
 何となく緊張感のない声ではあるけれど、それを合図として画面中央にカウントダウンが現れていた。

 120。
 勿論、時や分ではなく単位は秒。
 減らされていくそれを見ると嫌でも意識が研ぎ澄まされていく。
 そして数字越しには今日の対戦相手、ISを起動させたラウラ・ボーデヴィッヒさんの姿が見えている。

 その機体、シュヴァルツェア・レーゲン。
 黒い雨を意味するそれは名前の通り、全体を黒で統一された機体。
 そんな中でもまずは、その右肩に背負ったジャックの乗るガイアも斯くやというような大型の砲身が目に付く。
 大口径レールカノン。
 機体長を越えるそのような大型武装を扱えるというのは、ISという物の異常性と脅威性が再認識されるところだ。

 事前情報によれば、目の前の機体はローゼンタール社の次期主力機体、レーゲンモデルの先駆けであり、ドイツでも試験稼働の段階で試作機の枠を未だに出ない代物らしい。
 だが、試作機の枠を出ないとは言ってもその機体ポテンシャルは既に周知の物であり、欧州統合防衛計画「イグニッションプラン」においても、イギリス、BFF社のティアーズモデルに並んで最有力機体の一つであるとされている。

 そんな目の前の機体は、見た目という意味ではあの肩に抱えた馬鹿でかい砲筒が確かに特徴的ではあるが、第三世代型ISであるシュヴァルツェア・レーゲンの持つ真の特徴はそんなところではない。
 AIC。アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。
 ISのPICを解析発展させた思念動作系の特殊兵装。
 特定空間内での任意の対象の運動を停止させる事ができるそれは、防御や攻撃にも用いる事ができる、まさに攻防一体の兵装だ。

 そのAICこそがシュヴァルツェア・レーゲン、ひいてはレーゲンモデルの最大の特徴であると言えるだろう。
 そして今回の模擬戦についても、このAICと敵主砲、これによく気を払いながら戦っていかなければならない。

 画面上、気付けば数字がとうとう60を切った。
 
 機体を直立体勢へ。
 メインシステムを戦闘モードへと移行。
 ディスプレイ上、敵機と認識されたシュヴァルツェア・レーゲンにロックオンマーカーが重なる。
 ロックオン状態ではないが、いつでもロックオンできる状態に。

 カウントが進む。
 数字越しに相手を見ながら、減らされていく数字を口には出さずに数えていく。

 残り10秒。

 今日はISとの第三回戦。今日の相手も格上の強敵だ。だからと言って、ただ敗北を享受するなんて事はしたくはない。やるからには本気で。全力で。

 残り5秒。

 もう残り少ない数字。
 左背部武装、グレネードカノンを展開。
 折り畳まれていた砲身が結合され、肩越しにその砲口がシュヴァルツェア・レーゲンへと向けられる。
 展開完了と同時、遂にカウントがゼロへ。

『それでは始めて下さい』

 流される開始のアナウンス。
 その言葉を言い終わるかどうかというタイミングで引き金を引く。

 それはほとんど不意打ちに近い、オープニングファイア。
 撃ち出された砲弾が動きを見せていなかった相手を襲い、大きな爆発と轟音を引き起こす。

 爆風により舞い上がる砂煙。シュヴァルツェア・レーゲン、敵機の姿はそれによって覆われ視認ができなくなった。
 その様子を確認しながらも、グレネードカノンを背部へ移行。左腕部にはマシンガンを装着する。

 要警戒。経験と直感がそう告げる。眼前の光景、全てに気を配り注意を払えと警鐘が鳴らされる。砂煙、センサー、音声、いやなんでもいい、どのような小さな変化さえも見落とさぬように聞き逃さないように警戒する。

 この場において、油断などは絶対にしない。してはいけない。
 相手が戦車やヘリならまだしも、相手はISだ。
 あれは、例え砲弾が直撃していたとしても、それだけで墜ちるほどのヤワな存在では決してないのだから。

 ――警告。前方に高エネルギー反応を確認。

 鳴り響くアラーム音。それが鳴り始めるのと同時、機体を右に。

 次の瞬間。
 砂煙が穿たれ、超高速の弾頭が、先程まで機体のあった空間を刔り取っていく。

 攻撃は続く。回避した所に砂煙を突き破るかのように飛来してきた、ワイヤーに繋がれた刺突系の短刃。
 こちらを狙って放たれたであろう二つのそれ。その軌道を見極め、下がりながらの回避。
 そしてそれは、目標を外れブレード部が地面に突き刺さるとみるや、巻き戻されるかのように砂煙の内部へと素早く戻っていった。

 やはりというべきか、予想通りというべきか。
 砂煙の中から、ゆっくりと歩み出てくる黒い影。
 その搭乗者の肉体は勿論の事、装甲にさえ傷一つ見当たらない。
 だけど、それは当然の事だろう。

 爆発の寸前に見えた光景。開始と同時に撃ち放ったこちらの砲弾は、シールドバリアを破るどころかそこにさえ届かずに炸裂していたのだから。

 砂煙の中から完全に姿を現したシュヴァルツェア・レーゲン。
 その搭乗者、ラウラ・ボーデヴィッヒの顔には笑みが浮かんでいる。
 それはこちらを嘲るものでも、こちらを褒め称えるものでもない。

 それは獲物を目の前にした獣のような笑みだ。

 ……なるほど、と息を呑む。あちらとこちら、それは捕食者と被食者の関係というわけらしい。
 単なる印象でしかないのだけれど、何となくそんな風に思える。そのように感じる。

 だけど、それでも良い。
 どちらが優性かだなんてものはとうに知れた事。
 やることをやる、それだけだ。
 それに、被食者にも被食者としての意地がある。

 マシンガンとエネルギーライフルのダブルトリガー。二つの銃口。
 それを向ける事でその笑みへの答えとしよう。

 メインブースターを起動。機体を加速。
 こちらが動き出すと共にシュヴァルツェア・レーゲンも動き出す。
 互いの『挨拶』が終わり、ようやくこれで模擬戦が開始される。

 加速する視界の中、彼女へと向けた二つの銃口。その引き金を、躊躇うことなく引いていく。







 接近警報。
 バックブースターを常に噴射させながら、目前に迫ろうとする敵機から少しでも遠くへ逃れる。
 それでも尚、迫り来たるはシュヴァルツェア・レーゲン。

 迎撃する銃弾はその機体に至る前に空間に縫い付けられ、狙い撃つ光弾は射線を読まれ回避される。
 高エネルギー反応を感知。緊急回避。こちらを狙うその主砲の射線から機体をずらす。
 しかし、敵機からは決して視線を放さない。

 戦況は、やはり予想通りの展開だった。
 逃げ回る獲物と追い回す狩人。
 今、こちらを追い回している、この搭乗者。彼女の部隊の名前は『黒い兎』を意味していたはずなのだが、状況と役割は逆転している。
 『鴉』が『兎』に追い回されるなんて、何ともおかしな事だ。
 そんな軽い思考を浮かべてはみるが、実際には余裕なんてものは全くない。

 レールカノンは発射エネルギーの感知と発射までの時間的ラグによって、兵装の使用タイミングを検知、何とか回避ができている。
 ワイヤーブレードについては、この兵装自体が対IS戦を想定した物のようで、ブレード部の直撃でも、こちらの装甲に重大な損傷は見られない。ワイヤー部での拘束も、いくらPICがあるとはいえ質量と単純な馬力の彼我の差からその効果はあまりない。
 それらの要素要素から見てみれば、先日のブルーティアーズ戦とは違って、機体や武装の相性は悪くはなく、ブルーティアーズ程の脅威には感じない。

 だが、それを覆すのがレーゲンモデルの持つ最大の特徴。それが極めて厄介と言える物だった。

 追い縋るレーゲン。
 それを必死にこちらが迎撃していく。
 マシンガンによって弾幕を形成し、エネルギーライフルによって直接的なダメージを狙う。
 それでも止まらないのならば、グレネードカノンを使用。
 相手を直接狙うのではなく、敢えて地面に砲弾を当て自身を巻き込むように爆風を発生させる事で相手の進行を抑制し、距離を放す時間を作る。

 接近を防ぐため、爆風によって自傷しながらの決死の抵抗。
 懐に入られた瞬間、こちらの敗北が決まってしまうのだから、それも今はやむなしというもの。
 そこまでしなくてはいけない程に、AICという物は今の戦況において致命的な物となり得る存在だった。

 AIC。
 外部への慣性制御を行う特殊兵装。その効果は攻防一体。時には攻撃を防ぎ、時には敵の動きを停めることで強制的に死に体を作り出す。
 一度でもそれに引っ掛かってしまえば、動きを封じられ、即こちらは何も出来ない唯の置物となるだろう。
 もしそんな事になれば、次に待ち受けるのは本当の意味での一方的な展開だ。
 レールカノンで撃ち抜いても良し、ワイヤーブレードで徐々に削り取っても良し、エネルギーブレードで切り刻んでも良し。
 PICという慣性干渉システムを持つISならまだしも、それを持たないこの機体では抵抗しようする事すら困難だ。

 だが幸いにも、AIC、その有効範囲についてはマシンガンによる牽制と迎撃、その銃弾が止められる事によって大まかなイメージの把握ができた。
 後はそれに気をつけながら機体を操作すれば、その有効範囲の回避はできる。
 またレーゲンの機動性についても、確かにこのクロノスよりは非常に高いレベルの物ではあるが、高機動射撃戦特化タイプのブルーティアーズには劣る物であり、さらには相手の狙いが既に分かっている以上、何とか対処も方も出来ている。
 さらに付け加えるのならば、自分と彼女の兵士としての思考に似た所があるのか、その行動パターン、思考パターンが読みやすい。
 この事もまた、現在まで『交戦できている』状況を生み出す一因になっているのだろう。


 しかしながら、交戦できているという順調な状況において、確かな問題点が一つ存在していた。

 それは根本的な継戦能力に関わる物……つまりは弾薬の問題だ。
 正直な所、戦闘が開始されてから今に至るまでの間、弾薬については全く気を配る事なく、いや気を配れずに迎撃していた。
 それこそ消費ペースを考える事なく、始めからかなりの勢いによって湯水のように使用して。
 その為にマシンガンとグレネードの残弾数は早いペースで減り、今では非常に心許ない数値を示し始めている。
 一方、エネルギー兵装、エネルギーライフルについては、カートリッジ内の発射可能数を切らしてしまいそうではあるが、こちらは機体のエネルギーバイパスを通じても使用が可能ではあるので、一応は問題がない。
 最も有効的な武装であるだろうエネルギーブレードに至っては、接近すればAICの餌食となるので一度も使用できていない。

 これが今の状況。残弾数については実弾兵装が問題であり、エネルギー兵装については何とか。
 しかし、この現状において、実弾兵装の果たす役割が単なるダメージソースに収まっていないというのが、さらに問題だった。

 例えばマシンガン。
 これはAICに全て防がれているという状況だが、それは逆に防がれた銃弾による、AICのリアルタイムでの疑似的な視覚表示を可能にしている。
 続いてグレネードカノン。
 言わずもがなの現状における最大火力であると同時に、至近距離での爆風によって相手の接近牽制と抑制を行うという大きな役割を担っている。

 現状況においての問題は特に後者。逃げるために使われているその残弾が無くなった瞬間にこちらの敗北が決まる事となるだろう。

 残弾数残り四発。
 とにかく考えなければいけない。
 現状を打破する方法を。打破しうる何かを。

 また一つ地面へと向けて撃ち放し、爆風と砂煙によって出来たその隙を利用して、相手との距離を取る。

 思考。想定。予測。考える。考える。考える。
 マシンガンとエネルギーライフルによって牽制をし、退いての迎撃を行いながら考え続ける。

 マシンガンは通用しない。エネルギーライフルは回避するのを見ると有効的、だが避けられる。
 ブレードを使えば捕らえられ、グレネードカノンはAICによって止められる。

 今、解っているのはAICと実弾兵装との相性が悪すぎること。その反面、エネルギー兵装には効果が薄いこと。
 それはAICが物体の慣性のコントロールを行う物であるからだ。
 その為に運動エネルギーがダメージソースとなるマシンガンは通用せず、直撃すればさすがに有効なグレネードカノンの砲弾も炸裂以前で止められて無効化される。

 ならばこの状況をどうするのか?タイムリミットはすぐそこまで迫ってきていた。
 如何に相手にダメージを与えるか。ブレードを当てられるのが一番良いが、考えなしの特攻などは愚の骨頂だ。

 そこで浮かび上がってきたのは、ある一つの些細な疑問。

 ……あの時、不意打ち同然に撃ち込んだあの砲弾はなぜ炸裂したのか?

 普通に考えれば、その砲弾はAICに止められ、爆発も何もできずに空中へと縫い止められるはずだった。
 ではそれが起こらなかった原因はなんなのか?
 やはり、それは不意打ちの効果があったという事ではないのだろうか。
 AIC。思念制御。イメージ・インターフェイス。
 つまり、認識が前提条件の特殊装備。
 あの時は不意打ちによる、想定外の攻撃によって制御が不完全となった。
 そうすると砲弾の持つ慣性を完全な形で打ち消す事が出来ず、その結果として砲弾に衝撃が伝わってしまうことになり炸裂した。
 つまりはこういう事だったのだろうか?

 色々と考えを巡らせては見ても、その考えへの確証は正直な所、全く持てない。
 だけどその時、案が浮かんだ。
 確証もなく通用するかどうかすら分からない稚拙な物だが、たった一つだけの案が。


 シュヴァルツェア・レーゲンが再び接近を試みる。
 グレネードカノンを残り二発としながら、こちらも再び同じように距離を取る。
 ただ違うのは、こちらがオーバードブーストを使って急速に離脱したという事。

 先程と比べると遥かに離れた距離。それでもレーゲンは慌てる事なく、レールカノンを放ちながらその距離を縮めていく。

 放たれるそれを左右へと避け、こちらが持ち合わせる唯一の案、それを実行に移すことにする。

 使用するのはグレネードカノン。
 接近をするその機体に向けて、グレネードカノンによる砲撃を試みる。
 撃ち放った砲弾。
 それは敵機に至る寸前に、AICによって、それが当然かのごとく受け止められた。
 今度は炸裂する事もなく砲弾の原形を留めたままに。
 その様子を捉えながらも、今度はこちらが逆に接近を試みる。
 搭乗者たる彼女は、砲撃と同時に接近しているこちらを見て少し失望したような表情を浮かべたが、今は関係がない。気にする必要もない。

 ――元々砲弾を受け止めさせる事こそがこちらの狙いなのだから。

 右腕武装、エネルギーライフル。
 AICに有効的なエネルギー兵器による狙撃。黒い雨の名を関するそれではなく、その機体によって捕らえられているソレに向けて。

 独特の発射音。射出される高エネルギー。高熱量体として収束された光。
 それが右腕の銃口から放たれ、AICの網を食い破りながら、捕らえられている砲弾を撃ち貫く。
 その直後。轟音と共に模擬戦の開始時と同じような爆発と砂煙が再び発生する。

 それと時を同じくしてオーバードブーストを起動。
 マシンガンを投げ捨てながら、引き起こされた砂煙の内へと突入していく。

 高速状態を維持、視界の利かない砂煙の中でも搭載されたレーダーによってその位置は把握できていた。
 しかし……それははたして自信か余裕か、砂煙の中で動きを止めたままでいる敵機。

 ――対象との距離、20m。

 左腕、エネルギーブレードを起動。
 ブレードユニットが展開。初期励起状態へ。

 ――10m。

 まだ距離がある。刃の発生はまだ早い。
 オーバードブーストは尚も起動中。
 このままの速度で突っ込んでいく。

 ――5m。

 フルスロットル。バイパス解放。エネルギーブレード最大励起。
 展開されていたブレードユニットから、光の刃。2mを越える高熱量体が出現。

 ――インレンジ。

 砂煙の中。レーダー上。前方にシュヴァルツェア・レーゲン。
 だが、直感的にオーバードブーストを停止。突然の危機感と共に機体の軌道を急速変更。
 真正面からではなく回り込むようにして切り込んでいく。

 よく見れば、彼女の前方の空間、そこだけ流れが異常だった。砂が視界に満ちる中、漂っているはずの砂群が動くことなく空中に縫い付けられている。
 それはこちらの動きを読んで仕掛けられた、明らかなトラップ。
 もし気付かずにそのまま仕掛けていれば、こちらは捕らえられていた事だろう。

 その罠を避けブレードを振るう。その至近距離でようやく見えた彼女の表情には驚きの感情が浮かんでいる。

 回り込んだ意味は大いにあった。手応えもあった。だが……回り込んだその距離の分、踏み込みが浅くなった。
 シュヴァルツェア・レーゲンの左肩装甲を破壊。
 それは確実なダメージではあるだろうが、こんな物はISにとっての致命傷には入らない。

 ――ならば追撃を。

 ペダルを踏み込み、スティック操作。
 速度を活かし、右足を軸に急速反転。
 右足にダメージ判定が出るが、気には止めず、再度左腕を振るう。

 だが、ブレードが再び敵に届こうとした、まさにその瞬間。

 ……感じ取ったのは、この模擬戦における自らの敗北だった。

 慣性を無視し、機体が止まる。
 操作に対し、機体の反応がない。
 各種パラメータ、センサーには異常はなし。
 しかし、機体は動かない。

 理由は既に解っていた。
 センサーが捉え続ける、その様子を真っ直ぐに見つめる。
 画面上、晴れてゆく砂煙。
 そこには、ダメージを負ったシュヴァルツェア・レーゲンが映し出され、こちらへと向けてその右腕を掲げているのがよく解る。

 この状況が指し示しているのは、一つの事実。
 すなわちそれは、こちらがAICの網に捕らえられてしまったという事。

 操作を受け付けない機体の中、一つ大きな溜め息を吐く。
 これは判断ミスだったのか?
 あの時は追撃ではなく、一撃離脱を行うべきだった?
 そうすればもう一発分のグレネードカノンを使って、……いや、違う。そもそも、そういった事ではなかったのだ。

 行ったのは奇策からの奇襲だ。
 それは、二度は通用しない切り札。
 やるのであれば一撃必殺。最初の一振りで仕留めなければならなかった。
 追撃やそういった話ではなく、一撃必殺、それが出来なかった時点で勝負は決まっていたのだから。

 己の判断を自問自答で振り返っていると、目前のディスプレイ上ではロックオンと高エネルギー反応の警告と共に、レールカノンがこちらへと向けられている。
 抵抗はできない。その様子を静かに見つめる。

 直後、機体を激しい振動が襲った。

 それによって聞こえてくる音声は機体コア部の重大な損傷を告げるもの。
 その報告と共に機体のシステムが一旦停止され、システムと同調している目前の画面が黒に染まる。
 闇に包まれた視界の中、再び大きく息をつく。

 こうして、ローゼンタール社との間で行われた模擬戦。
 僕にとってのISへの三回目の挑戦は、コア部大破、搭乗者死亡判定という三度目の敗北で終えた。






 食堂。
 そこは文字通り食事を摂る場であり、学生達にとっての憩いの場でもあり、先日セシリアさんとの模擬戦の後に利用したのと同じ場所でもある。

 それにしても、相変わらずここは居心地が良くない。
 以前に比べれば幾分か和らいではいるが、周囲からの視線が痛くて、どうにも慣れたもんじゃない。慣れることがどうしても出来ない。

「一夏はよくこんな場所で生活出来てるもんだよ」
「ははは。……もう、慣れたからな」

 同じテーブル。真正面。
 そこに座る一夏は遠くへと視線を見据えると、どこか哀愁を漂わせ軽い笑いを浮かべながら答える。
 どう考えても、それは慣れというよりかは諦めというものなのだが、それを口に出すのは無粋というものなのだろう。

「でもホント。皮肉でも何でもなくさ、正直に凄いと思うよ。僕だったら始めの一週間で脱走してるね、きっと」

 実質的な女子学校に一人で送り込まれ、そこで過ごさないといけない。毎日毎時、有象無象の多くの視線に晒される生活。
 それは一夏の言う通り、慣れてしまえば案外平気なのかもしれない。
 しかし、問題は慣れるまで耐え切れるかどうかだとは思うけど。

「……この辛さ、解ってくれるのか?」

 今更、本当に何を言っているのだか。
 そんな物は口には出さなくとも当然の事だろう?

「そう、か……弾、いや俺の古くからの友人の事なんだが、あいつにこの事を伝えても、ヘヴンだ楽園だー、と返される言葉は見当違いな物だったからな。こうして理解されることなんて、決してないんだろうと、そう思ってたよ」

 目を閉じ、染々と頷きながら己が心情を吐き出していく、一夏。
 きっとそれは、二ヶ月前の入学以来、ずっと悩み溜め込んできた事だったのだろう。
 理解されない気持ち。周囲とのギャップ。それは時に辛い物であると聞く。

「なぁ、どうだ?」

 何かを決心した熱意と共に目を見開き、一夏はこちらへと語りかけてくる。
 それは明確な誘い、そこにあるのは強い意志。
 新たな仲間を歓迎しようとする心、想い、それが確かに存在していた。

「俺と一緒に……ここで理不尽ライフを過ごしてみないか?」
「いや無理」

 問掛即答。
 だけど、正直なところ、本気で勘弁して下さい。
 そんな誘いは要らない。全く要らない。そんなもの、謹んだ気持ちをどこかへ飛ばして、真っ先に辞退させて頂きたい。

「はっはっは。気が変わったらいつでも良いぞ」
「はははは……、この話はなかったという事で」

 アメリカの通販番組もかくやという笑顔を浮かべ、尚も誘い来る一夏。
 それに対して、こちらは日本の通販番組レベルの笑顔を浮かべ、断固とした拒否対応を示す。

『はっはっはっはっ……』

 笑い声を上げる僕と一夏。
 なんだかよく解らないテンションだが、突き抜けるとあまり気にはならない。
 良い具合に壊れている感覚。
 ……壊れているのに良い感じとは、これいかに?

「な、何なんですの、この茶番は?」

 一夏の隣、僕からすれば斜め前方から、困惑というか、混乱にも近い声が上がる。
 それはやっとというか何と言うか、ようやく示された外部からの反応だ。

「……一体、お前達は何をやっているのだ?」

 先陣を切って声を上げた金髪ロングさんに続いたのは、額を右手で押さえた何となくサムライっぽい印象のポニーテールさん。

「まったく、バカ男子が揃うと、直ぐこうなるんだから……」

 肩を竦めて、やれやれといった様子を見せているのが、先日お世話になった小柄なツインテールさん。

「はははは……」

 何だかよく分からないから、とりあえず笑っておこうといった感じで、乾いた笑いを浮かべているのが、日頃から見慣れた相方的存在、元男装少女さん。

 困惑一つ。呆れが二つ。無回答一つ。
 それが彼女達の僕らへの答えだ。

 まぁ、それはさておき。
 模擬戦の後、ローゼンタール社とシゲさん達との話し合いが長引きそうな事もあって、現在、僕達は、シャルと僕を含めた六人でテーブルを囲んでの夕食の真っ最中。

 当初の予定では七人の予定だったのだが、どうやら彼女と一夏との溝は予想以上に深かったらしく、一夏の顔を見るなり彼女(先程の模擬戦の相手であった少女、つまりはラウラさん)はどこかへと去っていってしまった。
 僕としては普通にコミュニケーションも取れたし、シャルの方も一応の仲の親展が見られたので、成功といえば成功なのだろうとは思う。
 それでもやはり、ラウラさんがどうにも意固示になりすぎているという印象がどうしても気にはなった。
 ……まぁ、僕が何かをできるという訳でもないのだけれど。

 そうして去って行く小さな背中を見送って、始まった食事会。
 その参加者はセシリアさんとの模擬戦後、偶発的に行われたものと変わらない顔触れ。

 金髪ロングさんこと、セシリア・オルコットさん。
 サムライポニーテールさんこと、篠ノ之箒さん。
 ミニマムツインテールさんこと、鳳鈴音さん。
 そして、このチームの筆頭役?である学園唯一の男子、織斑一夏。

 この一夏を筆頭とした彼女達は、チーム一夏、一夏ファミリーと称しても良いぐらいに仲が良いように見える。
 たまに互いの視線で火花を散らしている時もあるが、それは喧嘩をするほど仲が良いという言葉を体言しての事なのだろう。
 それに、その四人中三人が専用機持ちであり、更にはその内の二人が国家の代表候補生であるというのだから、ある種のエリート集団なのかもしれないという事も付け加えておく。

「とりあえず、冗談はこの程度にしておいて。というか何で一夏はいきなり学園への勧誘を?そもそも一夏にはそんな権限なんてないだろうに」

 それはふとした疑問。
 よくよく考えると、さっきの変なテンションの会話にずれた根本の原因は一夏の発言からだった。

「まぁ、その通りなんだけどな。……でもやっぱ、どうにも日頃しっくり来ない部分があるんだよ」

 詳しくは別に体験したわけでないので解らないが、何となくとしては分かるかもしれない。
 それは何と言うか、お客様気分な感じでどこか落ち着かないという事じゃないだろうか?

「お客様というよりは何だ?今の環境に慣れこそはしてきたとは言っても、女子相手じゃ、やっぱこう何も考えず、気軽な話やら行動ができないっていうか……」

 ああ、確かにそれはなるほど。
 箒さんや、セシリアさんや、鳳さん。一夏にとっての親しい友人はいるのだけれど、やはり女の子という事もあって何をするにも、そこから一線を引いてしまう。
 そうすると男友達とはできるはずの馬鹿話やそこから意味も無く騒ぐ……みたいな事が出来ない。
 僕だってシャルに対して、ジャックや若手の整備員達とのやり取りなどは決して出来やしない。

 つまりの所、一夏が言わんとすることは一緒に羽目を外せる存在が欲しいという事だろう。

「おお、そんな感じだ、そんな感じ!」

 掌を叩き、同意の意を見せる一夏。
 まだ言いたい事もあるようでそのまま話を続ける。

「しかしさ、ホント男一人ってのが厄介なんだよなぁ。知り合いがいて、新しく知り合いが出来たーとは言っても、そういった一緒に馬鹿をできる奴が外にしかいないんだから。せめてもう一人でも男が居れば……」

 本当にその立場には同情する。
 学園でのたった一人の男子。文字通りの世界唯一という肩書。類を見ない程に希少な絶対無二の存在。
 しかもそれが、世界で最も注目されているISという分野において、そうなってしまったのだから。
 きっと、適性の判明以来、国家利益や公共利益という看板の下に進路の選択肢なんて物はほとんどなかったのではないか、とは思う。

 しかしそう考えてみると、おおよそ四十億超と言われる男性の世界人口の中のたった一人であるという事。
 それは国家や取り巻く環境からすれば、世界一運の良い人間だと見られるのだろうが、個人からすれば逆に、世界一運の悪い人間であるという見方もできるのではないだろうか?

 それでも、楽しそうに日々を過ごしているその姿から、一夏が前者であると思いたいけれど。

「まぁ、でもあれだね。またこういう機会はあるだろうし、良かったらその時にでも話相手になるよ」

 一夏へと掛けたこの言葉、そこに同情した部分がある事を否定はしない。

「お、マジで良いのか?でもなんか、そうなると付き合わせてるみたいで悪く感じるんだけど」

 少し申し訳なさそうなその表情。
 まだ短い僕の人生経験ではあるけれど、一夏は良い奴っぽいぞ、とそれが告げている。

「いやいや、今日だって誘ったのはこっちからなんだし、気にする必要はないって。というか、今まで同年代の男友達と話す機会なんてなかったから、こっちから逆に頼みたいぐらいだよ」

 しかしそれは、同情などではなく自分にとっては珍しい同年代の男友達として、話してみたいという部分も多々存在していた。

「へぇ、そうなのか。じゃあ、また次の時もちゃんと連絡してくれよ」

 そこまで言って、言葉を切る一夏。そして何かを思い出したかのように言葉を続ける。

「……ってそっか、そういや、連絡先とかまだ聞いてなかったな」
「あ、そういえば」

 なるほど。
 こうやって交友関係を広げるツールとして、こんな時の為の携帯電話なわけか。
 今までは単なる通信手段としてしか使ってなかったから、中々に面白い。

 搭載されている赤外線通信機能で電話番号とEメールアドレスを互いに交換していく。
 クレスト社から配給されていた通信端末内のデータも移してあるので、交換されたそれは、数ある登録番号の中の一つに過ぎないのだが、友人の電話番号としてはシャルに続いて、二番目の物となった。
 それは何となく悲しいことだけど中々に希少な物だ。

「よし、終わったか。……なぁ、休日とか時間が合うようだったら、今度遊びに行かないか?この際、弾の事も紹介したいしな」

 それは願ってもないこと。
 同年代の流行や常識に疎い自分にとっては、それは同年代のそれを知っていくチャンスかもしれない。

「うん是非とも。何だか面白そうだし、もちろん良いよ。そうだね……時間が空いたらこっちから連絡するよ」

 テストの方は、色々とこれからも忙しくなってくるのだろうが、その時間の合間に交友を深めるのも悪くはない。

「そんじゃ決まりだな。……まぁ、場所は違うけど、これからもよろしくな」

 テーブル越しに出された右手。自然とこちらも右手を差し出しそれに応える。

「うん、こちらこそよろしく」

 互いに軽く交わされる握手。
 そういえばではあるけど、男友達という意味ではジャックや整備員が居はしても、同年代の男友達は実際、これが初めてになるんじゃないだろうか?
 そうなると何だか、ようやく一端の普通染みた生活を過ごせるようになってきた気がする。
 まだ気がしてるだけで、これからだというのが現状だけど。
 それでも、これは自分にとっての大きな一歩には間違いはない。

 そして再びそういえばという事になるのだけれど、ここに来てほとんど一夏と一対一で話していた事に気付いた。
 ふと女性陣に目をやれば、席を移動させて女性陣は女性陣で何か楽しく、笑顔を浮かべながらも話を続けている。
 何とはなしにそれを眺めていると、偶然、シャルと目が合った。

『どうぞ、男子は男子同士で親交を深めててください』

 そうしてかけられた言葉はそんな感じ。
 それは笑顔でありながら、それはどこか笑顔ではない。
 てか何で敬語?

 シャルのそんな反応を見て、セシリアさん達は笑っているみたいだが、こちらにとってはどうにも状況が解らないし、飲み込めない。
 わからない事が多すぎる。
 これも僕の人生経験の少なさ故なのか。単なる自身の未熟さ故か。
 要経験、要勉強、要学習。まだまだ自分には足りない物ばかりだ。


 そんな時、不意に懐で軽い衝撃を感じた。
 ある一定のリズムで揺れるそれ。一瞬驚きはしたが、すぐにその振動源を取り出し確認をする。
 相も変わらず揺れる本体、点滅するモバイルランプ。
 ディスプレイには電話の着信を示す、シゲさんの名前表記。

「おっと、ちょっとごめん」

 一夏達に一言断った後、席を離れ通話を開始する。
 聞こえて来たのはシゲさんの明るい声。そして伝えられる用件。返していく了承。
 通話は数分足らず。たったそれだけで切れてしまったが、でもその用件からすれば、伝えるのには十分な時間だろう。

 テーブルへと戻り、席に座らずに立ったままで一夏達に向け口を開いていく。

「何だか、もう撤収を始めるって話だから、そろそろ行くよ」

 楽しい時間ではあったので少々名残惜しいものではあるが、特別に認可を貰ってここにいられるというだけなので、準備が出来次第さっさと去らなくてはいけない。
 一夏達にその旨を伝えながらも、既に食べ終わり空となっている食器を片付けていく。

「そっか……、もうちょい話してても良かったんだけど、まぁ事情が事情だし、しょうがないか」

 まぁ、今回の食事会。ラウラさんには逃げられちゃったけど、その言葉が聞けたら個人的にはやっぱり成功だったと思う。

「何か手伝うことはある?」

 食器を片付け終わると、今度は一夏に続いて話し掛けてくるシャル。
 それはここの事か、キサラギ関連の事か。まぁ、おそらくは後者についてなのだろう。

「いや、大丈夫だよ。撤収準備は基本的にもう済ませてはあるし」
「そうなんだ。……それじゃあ、見送りに行くよ」

 なるほど。
 整備員の皆もシャルがこっちに来て以来、無情感を漂わせ淋しがっていたから、それはさぞや喜ぶ事間違いなしだ。

「そう?そうしてくれた方が皆も喜びそうだし、お願いできるかな?」
「うん、もちろん」

 嬉々とした反応と笑顔。
 これを見ると、彼ら整備員達の気持ちも解らないものではない。

「それじゃあ、あれだな。また今度がいつになるのかは分からんけど、次があったら呼んでくれよ」

 もうほとんどというか持ち物なんてないので、いつでもここから出れる準備をしたこちらに話し掛けてくる一夏。

「そう言ってくれると、こちらとしても誘いやすくて助かるよ。……まぁその時は、セシリアさん達もご一緒にどうですか?」

「ええ、是非とも同席させていただきますわ」
「私も異論はないぞ」
「同じくあたしもよ」

 一夏から女性陣へと話を振っていくと、返って来たのは肯定的な意見が三つ。
 ならば、今度があれば是非とも再びそうさせてもらおう。

「それなら、こちらとしても是非是非。……うん、まぁそれじゃあ、今日の所はこれで」

 そうして出入口へと足を運ぼうとすると、最後に言葉が向けられる。

「ああ、また今度な」
「そうだね、また今度」

 掛けられた言葉に片手を上げて返答し、そのまま食堂から外へと出ていく。




「なんだか嬉しそうだね?」

 既に暗くなった空の下、外灯に照らされた道を歩いていると、隣、視界の少し下の方から声が掛かった。

「そうかい?いや、うん。確かに嬉しくはあるかも」

 本来の予定とは変わってしまったけれど、新たな友人が出来た事、それは普通に喜ばしい。
 隣のシャルはそんなこちらを見て、なぜか逆にシャル自身が嬉しそうにしている。

「そっか」
「そうだよ」
「ふふ、良かったね?」
「うん、良かったよ」

 頷きに対しては頷きで返し。一言には一言で返す。
 何だかこちらの心中が見透かされているようだし、長い言葉も必要はないだろう。

 そうして、何となく新たに友人達を得たという実感と事実、それによって少し弾んだ心。
 模擬戦、ラウラさん、出会い、友人……今日への感動とか色んな物を胸に、シゲさん達の待つ場所へと向かうその歩み。
 気分はどこか意気揚々。その足取りは軽く、確かに軽快なものになっていた。



[28662] Chapter2-5
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/06 18:20
 備え付けられたモニター。
 映し出されているのは外風景。

 そこに映る観客席にはスーツを纏った様々な年齢人種の人々の姿がある。
 それはただの観客ではない。彼らは各国各企業を代表とした要人達だ。

 多くの生徒達で混み合い騒がしくあるその更衣室の中、モニターを眺めながらも黙々と制服からの着替えを進めていく。
 身に纏っていくのはナービス社製のISスーツ。

 耐弾機能や操縦補助機能を兼ね備えるISスーツではあるが、それに加えて着用による違和感をできるだけ覚えさせないような材質と作りにもなっている。

 今、身に纏っているこのナービス社製のスムーズモデルなども、その点がさらに追究されていて、『着ている事を忘れさせる』と言われるほどに、柔らかく滑らかな素材で構成されていた。

 そうして身に纏ったISスーツの色は橙色。裾の部分には藍色のライン。

 何だか派手には思えるけれど、そこからは少しでも目を引きたいという考えが見て取れ、その理由を察してみると、しょうがないのかなとも思える。

 ワンピース状のそれを着終えた次は、太腿の半ばまである、丈の長いハイサイソックス状の脚部スーツ。
 近くの椅子に腰を下ろし、ゆっくりと脚を通していく。
 それが終われば準備は完了。
 制服を納めたロッカーを閉め、すぐに更衣室を後にする。


 学年別トーナメント。第一学年Aブロック第一回戦一組目。

 転入してから、もうすぐ一ヶ月。そんな私に訪れた、学校生活での初めての学校行事。
 それはまさに最初であり、私達はこの行事のオープニングを飾る。
 そしてこの行事は、元々負けられないものではあったけれど、さらに負けるわけにはいかないものになってしまった。

 対戦相手はラウラ・ボーデヴィッヒ、篠ノ之箒ペア。
 対抗するのは、私、シャルロット・デュノアと一夏のペア。
 初戦からこの組み合わせになるなんていうのは、まったく持って誰かの作為か、何かの因縁としか思えない。

 ラウラと一夏のこともそうなのだけど、それは私とラウラとの因縁でもある。
 言い換えるのなら、デュノア社とローゼンタール社の開発競争という点での企業的因縁。

 ……とは言ってはみたものの、本音を言えば、既にデュノア社の未来はどうでもいい。

 だけどデュノア社への貢献が、私と『皆』との未来を繋ぐものであるのだとしたら、それは途端に重要なものへと変化していく。

 だからこそ、私は負けられない。
 それは自分自身の未来の為にも。
 友人の為にも。
 ……それに彼女の為にも。

 気を引き締めながら歩みを進める。
 目指すは開始される試合の当該選手用の待合室となるアリーナのピット。
 今回、コンビを組む一夏は、おそらく既にそこへと向かっているはずだ。

 うん、それならピットへ急いで行こう。
 そして早めに合流して、その対策と方針を立ててしまいたい。
 来るべき戦いに備え、確実な勝利を収める為に。




「一夏、行けるね?」
「ああ、もちろんだ」

 メインアリーナ。
 競技場を囲う大勢の観客達の前、私達は既に機体を展開して、距離は離れていながらも対戦相手たる彼女達と相対している状態にある。

 正面に見えるのは対戦相手。
 ラウラの乗る第三世代型『シュヴァルツェア・レーゲン』と、箒の乗る第二世代型の量産機体『打鉄』。
 対するのは隣、一夏の駆る『白式』と私の相棒『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅢ』。

 総合的な戦力差は未だに未知数。
 機体性能。搭乗者の力量。相性。それらを考えてみても、どちらが優れ劣っているのか、詳細な解析は出来ない。
 でも、それ以外の要素は明らかだ。

「作戦通りにやらせてもらうぞ?」
「サポートは任せて。だからそっちもきちんとね」

 コンビネーションと戦術。
 この二つが今回の勝敗を大きく左右してくるはずの要素。

 ラウラの力量は確かに高い。
 シュヴァルツェア・レーゲンも前評判通りの良い機体だ。
 だが、決まったばかりである箒との即席コンビと、私と一夏との一応は日頃組んでいたコンビとでは、互いの特性理解、機動理解という点でも差があるはずだ。

 そしてそれは私達に対して、大きく有効に働いてくれるだろう。

「……でも、そっちは良かったのか?」

 ん?
 唐突なタイミング。神妙な表情で一夏がこちらに問い掛けてくる。

「あいつとは、友達なんだろ?」

 ああ、そういうことか。
 この間の出来事。
 その影響で欠場せざるを得なくなった二人のことがあってなのか、今日の一夏はいつにも増して気合いが入っている気がする。
 その出来事を抜きにしても、ラウラには何かあるみたいだけど。

 それはそうとして、今は私のことか。

「うん。一方的かもしれないけど、ラウラの事は友達だと思ってるよ」

 私にとってラウラは友達だ。
 ラウラから見たら違うのかもしれないけど、それでもいつかは、互いに友達になりたいと思っている。

 一夏にそう答えた後に、でも、と言葉を切ってさらに続けていく。

「友達だと思っているからこそ、悪いことは悪いって正してあげなきゃいけない」

 先日、IS稼動の授業時にラウラが起こしたこと、やったこと。
 セシリアとリンを相手に直接的な戦闘を含んだ騒動を起こし、二人を嬲るかのようにして痛め付け傷付けたこと。
 挑発に乗った二人にも責任があるとはいえ、それはとても見過ごすことはできない問題だ。

 実際にそう思って、その日の放課後、ラウラに対して注意をしたものの、まったく聞く耳を持ってはくれなかった。

「どうしても言葉が届かないのなら、それこそ力づくにでも、ね。……私、何か間違ってるかな?」
「いや、俺もそれで良いと思うぜ?駄々っ子にはキツく言い聞かせる事も必要だからな」

 いつも一方的な肉体言語によって、織斑先生と語り合う一夏がそれを言うのは、説得力があるのか無いのか、どっちなんだろう?

「ま、まぁ、その為にも今日はとにかく、勝つぞ?」
「もちろん」

 何だかこちらの視線を感じ取ったのか、ごまかすように気合いを入れる一夏。
 それに応えてこちらも頷く。

 ただ、一夏にはああ言ったけれど、私がラウラに対して思っていることはそれだけではない。
 加えて、一夏にはまだ言っていないこともある。
 それらを心に伏せたまま、今はただ始まりの時を待つ。


『会場の皆様、まもなく試合が開始されますので……』

 響く会場アナウンス。一瞬、そちらへ気が向かったけれど、意識はすぐさま目の前へ。
 浮かぶ空間投射ディスプレイ。その画面上、カウントダウンが遂に始まった。

 未だに喧騒を纏う観客席に対して、ただただ静けさに充ちるグラウンド。
 白と黒。
 髪も機体も正反対のカラーリングをした二人が睨み合うようにして、見つめ合っている。

 進み行くカウント。
 緊張感さえ漂う場の空気。
 そうして相対した状態で目の前の数字が残りの10を切った時、一夏が口を開いた。

「シャルロット、それじゃあ俺は先に行く。……できるだけ、遅れるなよ」

 そこにあるのは静かな闘志。それを密かに燃やしながらの言葉。

「そっちこそ、開始早々ノックアウトとかは止めてよね?」

 対して返すは、おどけるような軽口。

「……まぁ、多分大丈夫だ」

 頷く一夏。消えていく数字。
 やがて数字が0を示した時、会場内に試合の開始を告げるブザーが鳴り響いた。

 そして、それは一瞬。
 白い影を曳いていくように、たった一つの瞬きの間に、一夏の乗る白式の姿が掻き消えた。

 イグニッションブースト。
 瞬時加速と言われる加速技能。
 それを駆使し、白式は一発の銃弾となってシュヴァルツェア・レーゲンへの奇襲を仕掛けていく。

 一夏の操る白式のワンオフアビリティー『零落白夜』はISを一撃で落し得る強力な武装だ。
 今回はそれを使っての先手必勝、一撃必殺を狙っての奇襲を行った。


 まぁ、そうして行った奇襲だったのだけれど。
 白式の背中を追いながらも前方を見ると、そこには、AICの網に機体を捕らえられて静止する一夏の姿。

 ……うん、やっぱり。でも、これも想定通り。

 策は第一案から第二案へと移行。
 リヴァイヴの背中、四枚のブースターを噴かしながら、高速で白式の背中を飛び越えていく。

 視界は白から黒へ。
 停められている白式から、レールカノンを構えたシュヴァルツェア・レーゲンへと移り変わる。
 目に映るラウラもこちらに気付いてはいるはずだが、動きのない無防備な状態。
 右手に呼び出したアサルトカノンによって、そこを撃ち抜いていく。

 まずは白式を狙うレールカノン。続けて装填、次は直接機体へ向けて。
 
「くっ!」

 レールカノンに対する攻撃により、白式への照準を外されると、直ぐに機体を後退させていくラウラ。
 そこに、畳み掛けるような追撃を加える。左手にもマシンカノンを展開。
 そして、ラウラへと浴びせゆく大量の銃弾。

「私がいることを忘れるな!」

 しかし、そんな言葉と共に射線上へと飛び込んで来たのは、実体シールドを掲げた箒とその機体、打鉄の姿。
 打鉄は銃弾をシールドで弾くと、そのまま、手に持つ刀状の実体ブレードで切り込んでくる。

「させるかよ!」

 箒がラウラを守ったように、今度は一夏が私を守る。
 私に向けられた斬撃との間に、イグニッションブーストを用いた一夏が入り込み、斬撃をその手に持つブレード『雪片弐式』で受け止めた。

 白式によって勢いを止められ硬直する打鉄。それを見逃すわけにはいかない。
 すぐにリヴァイヴを回り込ませ、大きな隙を見せている打鉄に向けて銃撃を……って。

「何っ!?」

 その時響いたのは一夏の声ではなく、後方へと勢い良く飛んでいる箒のもの。

 引き金を引いた瞬間、いきなり視界から消えたと思ったら箒自身の驚きの声と共に飛んでいた。いや、飛ばされていた。
 大きな音と共に墜落に近い形で着地する打鉄。
 よく見ればシュヴァルツェア・レーゲンが、その機体にワイヤーブレードを収納している最中だった。
 どうやら、あれで箒を助けたらしい。

「……邪魔だ」

 ……どうやら、助けたわけではないらしい。

 箒もそのラウラの行動に文句を言っているが、それは確かに言いたくもなる。
 助けてくれたのはありがたいことだとは思うけど、投げっぱなしといった感じで僚機を放り投げていたのだから。

 ……まったく、チームなんだから、もうちょっとやりようはあったと思うよ、ラウラ?

 そんな風に思いはするけど、試合中での相手の不仲は喜ばしいことに間違いはない。

「一夏」
「ああ、わかってる」

 両手にエネルギーブレードを展開し、白式へと突っ込んでくるラウラを見ながら、一夏へと言葉を掛ける。

「手筈通りに、な!」

 その返事と共に、白式はシュヴァルツェア・レーゲンと交戦状態へと入っていく。

「さて、箒?あなたの相手は私だよ?」

 その光景を背中に機体を加速。シュヴァルツェア・レーゲンと同じく、白式へと向かおうとしていた打鉄に機体をぶつける。

 両手に持つのは実体ブレード。
 双振りの刃が相手の一振りの刃と打ち合い、火花が散らされていく。

「くっ!……だが、その程度の剣の腕で!」

 そうして、一瞬、吐くような呼気と共に振るわれる太刀。
 その軌道は綺麗な孤を描きながら、こちらを狙う。

 こちらもその孤に合わせて、ブレードを当て、刃の軌道を受け流す。
 しかし、受け流したにも関わらず、瞬時に翻り再び襲い来る刃。
 それには、もう片方のブレードを使い何とか対応。

 それでも執拗に襲い掛かってくる鋭く、重く、速い斬撃。
 徐々に、その剣撃に押し込まれながら、確かにこれは、と心の中で呟いた。


 私と箒。
 こうして打ち合うまでは、注意すべきはラウラのみだと考えていた。
 搭乗経験。戦闘経験。どれも私やラウラに比べると、長いとは言えない所か、短いと言っても良いものであり、そのIS適性を含めても、とても脅威にはなりえないだろうと。

 しかし、どうだろう。
 こうして打ち合ってみれば、手数が多いはずのこちらが完全に押されている。

 何より驚いたのはその剣の流麗さだろうか?
 振るえば瞬時に翻り、美しさを伴ってこちらを的確に襲う。

 それはまさに、個人の才能に積み上げた努力と、磨き抜いた技術があってこそのもの。
 その剣閃は、以前に手合わせをした一夏のそれの、さらに上の上を行く。
 ISという延長物を背負ったとしても、その剣を実現させる彼女は、強かった。


 ……だけど、いやだからこそ、惜しいと感じた。

 いくら剣の腕が私より遥か高みにあったとしても、振るわれる刃がどれだけ美しかったとしても、その機体では彼女自身の力を出しきれず、それ故にこのリヴァイヴには勝てない。

「……ごめんね?」

 一言、言葉を漏らし、今まで打ち合っていた刃を変換していく。
 そこに現れるのは実体シールド。
 それをもって、振るわれる刃を弾く。

「なっ!?」

 刃を弾き、次に聞こえたのは箒の驚きを示す声。
 しかし、それはどちらの意味での驚きだろうか?

 刃が突如現れた盾によって弾かれたことか、それともこうして私が『その視界から消え、背後を取っていること』か。

 箒が私を見失っている、その間にもこちらは武装を再び変換。
 両手に握るのは、そうして現れたショットカノン。
 引き絞られるトリガー。
 それと共に放たれる対シールドバリア用の散弾。
 多数に別れた弾丸が至近距離から打鉄を襲う。

「くっ!?」

 打鉄が被弾による衝撃を吸収しきれず、箒の苦悶の声と共にその機体を宙へと浮かす。

「一体、何が……?」

 それでも尚、機体にダメージを受けつつも、こちらを振り返ろうとする箒。
 しかしその時には再び、こちらは『クイックブースト』によって打鉄の背後へと回り込んでいる。

「そんな……後ろだと!?」

 それに気付いた彼女は、何とかこちらに振り向く様子を見せているけれど……やっぱりもう遅い。

 両手では再度の変換。
 打ち合うことでもなく、切り合うことをも想定していないその武装。
 ただ一瞬で振り抜き、切り抜くことだけを求めたその刃。
 高出力エネルギーブレード。いやその短身はブレードというよりはダガーとでもいうべきなのだろうか。

 双振りのそれを打鉄の無防備の背中へと振るう。

 シールドバリアを異とも介さず、打鉄本体へと至る、二つの光刃。
 そして刃は打鉄のISアーマーをも破壊して、機体に絶対防御の発動を選択させた。

「……やられ、たのか?」

 強制的にシステムを停止する打鉄。
 それに包まれた箒は、呆然としたように言葉を小さくこぼしている。

「うん。ごめんね?」

 悔しそうに俯く箒に対し一声をかけ、リヴァイヴをもう一つの戦場へと向ける。
 そこには案の定、シュヴァルツェア・レーゲンに押されつつある白式の姿があった。

 それを見てすかさず、ブースターを展開。
 背部中央の二枚のブースターユニットによる『オーバードブースト』。
 圧縮される空気とそれが吐き出されることによる甲高い噴射音。

「く――――ぉぉ!!!!」

 背後では箒が空を見上げ何かの声を上げている。
 だけど、オーバードブーストの音に掻き消され、それを聞き取ることはできない。

 PICとオーバードブースト、二つを併せたことによる超高速状態で、苦戦を続ける一夏の支援へと向かう。





 目前に迫った光景。
 そこでは零落白夜を発動したは良いけれど、やはりAICに捕らえられている一夏がいた。
 そして、やはり試合開始直後と同じく、捕らえた白式にレールカノンを放とうとしているシュヴァルツェア・レーゲン。

 だけど忘れてはいけないよ、ラウラ。
 この試合がコンビでの戦いであることを。

 武装変換。
 右手に握るのはエネルギーライフル。
 狙い撃つのは、発射体勢に入っているレールカノン。
 引かれるトリガー。放たれる光。

「ちっ……デュノアか!?」

 撃ち抜かれた砲身の爆発と同時に、レールカノンを切り離したラウラが、後退をしながらも憎々しげな視線をこちらへと送ってくる。

「ったく、遅かったな」

 そんな危機を脱した状況に、ホッとしたような表情を見せながら、軽口を叩いてくる一夏。

「助けに来ただけ、ありがたいと思ってほしいな」
「おいおい……」

 見ればその白式の姿は各所を損傷した満身創痍に近い状態。
 一歩遅ければ、墜とされていたのではないだろうか?

「それで……残りのエネルギーは?」

 こちらの様子を注意深く窺うラウラに視線を合わせながら、今の相方に対して尋ねる。

「あー、すまんがガス欠寸前だ」

 申し訳なさそうに答える一夏。
 つまりは、さっき発動させていた零落白夜で、エネルギーを使い切っちゃったわけなのか。

 でもそれは、こちらからすれば好都合。

「……じゃあ、はい」

 アサルトライフルを右手に展開。
 それを白式に手渡していく。

「って、これ?」
「そうだよ。一夏が今まで使ってた奴。……いざとなったらそれで自分自身のことを守ってね」

 手渡したのは、日頃の授業で一夏にもその所有権を分け与えていたもの。
 弾は既に装填済み。ついでに追加の弾倉もいくつか渡しておく。
 シュヴァルツェア・レーゲンに対抗するには心許ないものではあるけど。

「――だから、今から一夏は手を出さないで」

 今から始めようとしているのはラウラと私とでの一対一の戦いだ。
 それは一夏には言ってはいない第三案。
 私の中では実行が決まっていた出来事。

「おい、それはどういう……」
「……私にはね、まだ一夏には言ってないことがあるんだ」

 一夏の疑問を遮って言葉を紡ぐ。

「何で今回、一夏とペアを組んだのか?気にはならなかった?」

 開きかけた口を閉じるその様子。
 どうやら気にはなっていたらしい。

「確かに一夏と授業で組んでたのもあったけどね……でも、やっぱり打算があったからだよ」
「打算?」

 訝しげな表情。
 まぁ、いきなり利用してました、なんて言われたら確かにそうはなるよね。

「うん、だって一夏って目立つでしょ?あのブリュンヒルデの弟で、しかもISを操れる唯一の男子。……一夏が思ってる以上にそれは、重要なんだよ」

 それは誰もが注目する存在だ。
 ISに関わる国家企業、その全てが。
 今、こうしている間も、観衆達はこちらの一挙手一投足を観察しているだろう。

「私にとってはその目立つってことが何より重要だったから」

 それはデュノアとしての役割であり責務。自社製品の性能アピール。
 それと共にデュノア社のシャルロットから、普通のシャルロットに変わるために必要なこと。

「そうなのか……」
「どう失望した?」

 口調を落とし呟く一夏。
 そんな彼にその落ちた心中を問いただす。

「いや、まったく。……そんな悪ぶった演技に、引っ掛かるとでも思ったか?」

 すると一夏は大きく息を吐いた後、呆れたような視線をこちらへとぶつけてきた。

「あれ?解っちゃった?」

 うん、確かに演技ではあったのだけれど。

「当たり前だろ?普通、そんな見え見えの演技に引っ掛かる奴が……」

「彼だったら真面目に引っ掛かってくれるんだけどなぁ」

「あー、あいつは引っ掛かるな、うん。……あいつ、意外と単純だからな」

 一夏の言葉、私の言葉。
 共通して思い浮かぶのは、一人の少年。
 常識人ぶっておきながら、なにかと世間知らずな彼の姿。

 ……話がずれた、今は彼の事は置いといて。

「でも、それ以外にもさ」

 それは私の持つもう一つの理由。

「私の友達は私が助けたい」

 ある意味で最も大きなウェイトのもの。

「助ける?」
「そうだよ、ラウラは昔の私。だから今度は私が助ける番なんだ」

 それはあの時。
 彼とラウラとの模擬戦の後、行われた食事会で彼と話していたラウラの視線、態度、表情から見えたもの。
 それに加えて、日頃を共に過ごしてわかったこと。

「……いや、そっちの事情はよく解んねえけどさ」

 一夏は、私の言葉に少し戸惑いを見せている。

「そこまで言うなら、行ってこいよ」

 でも、それでも。こちらの言い分を認めてくれた。

「うん。言われなくても」

 それに答える返事は少しそっけなくだが、感謝の気持ちはそこへ乗せて。
 一夏の了承を取り、ならばと機体をラウラへと向けて、その一歩を踏み出していく。

 そうして、ラウラの許へ赴こうとしたその時、強い口調で一夏は私の背中に声をかけてきた。

「でも、だ!」

 うん?
 その一夏、こちらに向けているその表情は真剣そのものといった感じ。

「ピンチになったら、俺も乱入するからなっ!」

 ライフルを掲げながらのその言葉は、一夏らしいといえば一夏らしい。

「いや、でも、それは必要ないかな?……だって」

 かけられた声に首だけを振り向かせるが、すぐに視線はラウラへ。
 そしてそのまま正面を見据え、一夏に、ラウラに、自分自身に対しての宣言を行う。

「――私は負けないから」

 絶対的な勝利、その誓いを。




 シュヴァルツェア・レーゲンの前にまで移動した後、ラウラと私とは互いに視線を送りながら、無言のままに対峙していた。
 どちらも動かないその状況で、私は改めて目の前の少女について考える。

 以前の食事会。彼に一人の人間としてではなく、兵士としての面影を見出だしていた彼女。
 日々の生活の中では、楽しさや充実感からではなく何かに追われるかのようにして、必死にその力を誇示し求めていた彼女。

 それらはまるで、そうすることで自分の意味や居場所を確かめ、示そうとしているかのように私には見えていた。
 そしてそれは、その自己を求める必死さは、どうしようもなくかつての自分を思い出させるものだった。


 自分の居場所、自分の価値。
 それがそこにしかないと思い、ただそれを求めてがむしゃらに生きる。

 厳しい世界。
 思い通りには行かない願い。届かない想い。
 かつての幸せはどこかへ消えて、ただ辛くて悲しくて寂しくて、そんなものが満ち溢れていた世界。

 でもある日、そんな世界に変化が訪れた。

 そして、世界がそれだけではないことを知った。
 世界が悲劇だけじゃないということを知った。
 それを教えてもらった。そして救ってもらった。

 感じた温もり。どこか安心できる温かさ……。
 それを今でも覚えている。


 だから、今度は私の番だ。
 今度は私がそれを伝える番だ。

 もしかしたら、これは私の単なる我が儘なのかもしれないし、彼女に押し付けようとしている迷惑なのかもしれない。

 でも、例えそうだとしても、私は彼女に知って欲しい。伝えたい。
 世界の広さを。自身の価値を。
 世界は辛くて悲しいものだけど、同時にとても楽しくて素敵なものでもあるのだと。
 自分で思っているよりも、自身が必要とされているのだと。

 それでも、これまで彼女に何を言っても意に介されることはなく、その言葉は届かなかった。
 でも、それなら。
 言葉を介して届かないのなら、今度は直接彼女に届けよう。

 心と心、想いと想い、それをぶつけたその先に。

 だからこそ、一夏に譲ってもらったこの機会を無駄にはできない。

「行くよリヴァイヴ。……そして一対一、勝負だよ?ラウラ」
「ふん。……何を言い出すかと思えば、その時代遅れ(アンティーク)で何ができる?」
「ふふ、この子がアンティークなのかどうかは、その身で確かめると良いよ?」

 交わされた言葉。
 それをきっかけにして、私のリヴァイヴとラウラのシュヴァルツェア・レーゲン。二つの機体が戦闘速度へと移行する。

 これから始まるのはシャルロット・デュノアとしての私と、ラウラの友人としての私、その二人の私の大切な戦い。

 決して譲れない戦い。
 その火蓋が今、切って落とされた。



[28662] Chapter2-6
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/09 12:37
 どよめきを見せる観客席。

 それに囲まれたグラウンドで、渡されたアサルトライフルの感触を手の中で確かめながら、目の前の戦いを傍観者として見つめる。

 戦いを繰り広げているのは、ラウラ・ボーデヴィッヒの操る漆黒のIS『シュヴァルツェア・レーゲン』と、シャルロット・デュノアの駆る明るい橙のIS『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅢ』この二体だ。

 第三世代機と第二世代機のカスタム機の戦い。
 普通に考えれば、第三世代機を操るラウラが勝つと予想するだろう。
 しかし今は一進一退。いやむしろ、第二世代機であるはずのラファール・リヴァイヴがシュヴァルツェア・レーゲンを押しつつある状況だった。

 ラウラに銃弾を浴びせかけるシャルロット。
 ラウラはそれをAICで受け止めていきながらも、三対六基のワイヤーブレードと両手に出したエネルギーブレードでの近距離での戦闘を試みる。
 接近していくシュヴァルツェア・レーゲン。
 しかし、シャルロットの駆るラファール・リヴァイヴは、その時には既にシュヴァルツェア・レーゲンの横を取っており、再び銃撃を加えている。

『詳しくは言えないけど、私のリヴァイヴは特別製だからね』

 かつての授業での事、シャルロットの言っていたその言葉の意味が、今なら完全に理解が出来る。

 ラウラが反撃をしようというその瞬間、シャルロットのラファール・リヴァイヴの背部、そこに存在する四枚の大型ブースター、その内の左右外側の二枚。
 それが一瞬噴射されたかと思うと、ラウラの死角に機体が出現し、そのまま攻撃を仕掛けていく。

 瞬時加速、イグニッションブーストを彷彿とさせるようなその速度。
 移動距離こそ、イグニッションブーストには及んではいないが、その発動間隔はイグニッションブーストを確実に上回っている。
 もし言葉に表すのであれば、『瞬間加速』とでも言うのだろうか。

 だが、そのように戦闘のイニシアティヴをシャルロットに取られ翻弄されながら、それでも食い下がっていくのがラウラのシュヴァルツェア・レーゲン。
 主力兵装であるレールカノンを失い機体の戦闘力こそ低下させてはいても、シャルロットに劣らない戦況を作るラウラには、確かな経験と実力を感じる。

 跳び回るシャルロット、それを追うラウラ。
 機体の性能を引き出し合いながら、繰り広げられる戦闘。

 どちらも決して譲れぬ、譲ろうとしない戦い。
 その行く末を、俺は手に汗を握りながらも見守っていた。






 ――熱を帯びた頬。振り切られたその腕。

『私は貴様を認めない!』

 続けて浴びせられた言葉に、俺は憤慨した。
 顔も知らない誰かに、いきなり頬を打たれ、あんな事を言われれば誰でも当然そうなるだろうとは思う。

 でも、しかしだ。
 その言葉、千冬姉を思ってのその言葉は、自身の心、その根源に確かに響いていた。






 戦況が変わる。

 何とか、シャルロットに追い縋ろうとしていたラウラが急に戦闘方法を変更。突撃を狙い、前がかりになっていた状況から、機体を背後へと下げ始めた。
 そして下がりながらも、エネルギーブレードとの混合ではなくワイヤーブレードに重きを置いた中距離戦闘へと切り替える。

 シャルロットの方もそれを見てか、近距離での高速撹乱戦から同じく中距離戦を選択し、急遽変換したアサルトカノンとエネルギーライフルによって、下がるラウラを狙い撃つ。

 放たれた銃弾。対するラウラは最低限の動作。身をよじるようにしてそれを避ける。
 続いて襲う光弾。それを再び最低限の動きで避けていく。
 次から次に襲う攻撃を、ラウラが避けて避けて避けまくっている。
 いくらハイパーセンサーがあるとは言え、その回避力、集中力は異常の一言だ。

 その当てられない攻撃に痺れを切らしたのがシャルロット。
 先程の瞬間加速を連続で繰り出し、再び近距離戦へと持ち込もうとする。

 しかし、ラウラがそれを防ぐ。
 ワイヤーブレードをシャルロットの予測移動点に上手く放ち、逆に追い縋ろうとするシャルロットを寄せ付けない。

 なるほど。そのやり取りに思わず驚嘆の息を呑む。
 ラウラが下がったのは単なる逃げではなかった。
 それは逃げではなく、機体を下げ視界を広く取ることで、死角への侵入を防止。それによって相手の優位性を潰す事にあったという事だ。

 臨機応変。
 どのような戦況においても、冷静に対処ができるその思考、それはまさにラウラが軍人としての強みを示している気がした。






 ラウラの俺に対する言葉。

 箒やセシリアや鈴は俺を気にかけてくれていて、気にするなとか、何なんだあいつはなどと、ラウラに対して怒ってくれている様子。
 しかし、俺は俺で箒達とは全く別の事を考えていた。

『お前が教官に汚点を……!!』

 ああ。そんな事は自分自身が一番分かっている。

 第二回モンド・グロッソの決勝戦。
 ドイツで行われたその大会。千冬姉の応援をしに行ったその日の事。
 俺は訳の解らないままに、訳の分からない組織に誘拐され拘束されていた。
 暗い部屋。拘束されている身体。
 柄にもなく、殺されるのかな、とかと思ったり、心は確実に不安に蝕まれていた。
 いきなり掠われてそんな事になれば、そりゃ心細くもなるだろう。

 だが、そこへ助けに現れたのが、決勝戦に臨んでいるはずの千冬姉だった。

 その時、気高く綺麗だったその姿に見惚れると共に安堵して。
 その後、その姿に俺が傷を付けてしまった事を知り、とても申し訳なく思った。







 その瞬間、ラファール・リヴァイヴの姿が一瞬で変わる。

 背部中央、二枚のブースターがバックパックのような物へと変わり、肩部にはミサイルランチャーが追加、そして両腕それぞれには機体の超える程の巨大な砲身が握られた。

 一斉射撃。
 ミサイルが一斉に放たれ、手に持ったというか、抱えている長砲身のカノンからは砲弾が次々に放たれていく。

 突然それに曝されたラウラも、これはさすがに驚いた様子。
 そのミサイルの雨と砲弾の嵐によって、反撃する事を忘れ、慌てたようにそれの回避へ躍起になっている。

 やがて、それを撃ち終えたのか、砲撃を停止するシャルロット。

 それを見過ごすわけもなく、ラウラは回避から反撃へのシフト。
 イグニッションブーストを用いてシャルロットとの距離を詰めていく。

 加速と同時。両腕にエネルギーブレードを展開したラウラが、今度は逆にシャルロットへと攻撃を仕掛けていく。


 そんなラウラに対して即座にブレードを呼び出す事で、それを受け止めるシャルロット。

 しかしそれは、俺から見ても判断ミスだとしか思えなかった。
 シャルロットがブレードを受け止めた事に笑みを浮かべるラウラ。
 それもそのはず。
 その距離、クロスレンジは完全にAICの効果範囲内だ。

 案の定、動きが止められたラファール・リヴァイヴ。シャルロットも、しまったという驚きの表情を見せている。
 それを見てラウラがさらに笑みを深めるが、そこで何故か、シャルロットがその態度に笑みを零す。

 ラウラはシャルロットの様子に訝しげな表情を浮かべるものの、すぐに次の行動へと移っている。
 そして、ラウラがブレードによって、シャルロットを襲おうとしたその瞬間。

 ラウラにエネルギー性の雨が降り注いだ。






『お前さえ居なければ……!』

 その事も実際に考えた事がある。

 親に捨てられたらしい俺達、姉弟。
 普通であればどうする事もできず。施設にでも入るしかないような、その状況。
 しかし、施設に入らなくても済むように、俺達の生活を支えてくれていたのはいつも千冬姉だった。

 いつも気にかけ、面倒を見てくれる。

 確かに千冬姉は、料理や掃除といった家事はまるでダメだし、私生活では下着を脱ぎっぱなしにするぐらいにずぼらだし、すぐに暴力を振るっても来る。
 それでも、千冬姉には大きな感謝ばかりがあって、それと共にやはり申し訳なさが残った。

 そしてそれは、時々思っていた事だった。考えてしまっていた事だった。

 俺さえいなかったら、千冬姉はもっと好きに生きていけたんじゃないだろうか。
 好きに働き、好きに遊び、好きな生活を送れたんじゃないだろうか。
 好きな男だっていたかもしれない。
 誰にも話していない夢だってあったかもしれない。
 もっと他にも好きな事、やりたい事がいっぱいあったかもしれない。

 その可能性を俺という存在が摘み取ってしまっていたのだとしたら、それはとても悲しい。

 ……まぁ、昔、うっかりその事を口にしたら、無言で間接技のオンパレードを喰らったので、それ以降は考えないようになったけど。

 それでもとにかく、ともかく……俺はいつも無力で、いつも千冬姉に守られてばかり。

 結局の所、今までの織斑一夏という人間は、何かやりたい事もなく宙に浮いたままの存在だったと言ってもいい。

 学校に通って、弾達と馬鹿をやって遊んで、バイトをして、また学校に通って……。
 何がしたいのか?何がやりたいのか?
 千冬姉からの庇護を享受したまま、そんな自分の事も解らずに日々をただただ過ごしていく。

 だから、何の因果なのかは知らないが、IS学園に入った事で何かが変わる予感はどことなくあった。
 ……確かに周りは女子ばかりで大変ではあったけれど。

 その後、箒と再会し、セシリアに出会い、鈴がやって来て。
 友人が増えて環境に慣れていく中で、白式という専用のISを得た事。
 つまりは力を得た事で、朧げながらにもその考えが浮かんでいた。






 一体何が起こったのか?

 それはまったく分からなかったが、それでもラウラのシュヴァルツェア・レーゲンが大きなダメージを受けたという事だけは認識ができた。

 まったくの不意打ちによる、多数のエネルギー砲による攻撃。

 単発であればたいしたことのないダメージだっただろうが、それが雨霰と降り注ぎ、シュヴァルツェア・レーゲンのISアーマーを蹂躙し破壊していった。
 ほぼ無傷のシャルロットに比べれば、機体の各所に被弾をしており、勝負は既に決まったかのように見えるこの状況。

 だがそれでも、ラウラの瞳は勝利を諦めてはいなかった。
 ワイヤーブレードも大半を損失、エネルギーブレードも左腕部の装甲破壊によって片手にしか展開が出来ていない。
 それにも関わらず、左二基のワイヤーブレードと右腕のエネルギーブレード、たったそれだけの武装で、盤石といった様子のシャルロットへ迫ろうとするラウラ。

 その気概、その執念、一体それは何を原動力としている物なのか?
 ふと、そんな事が気になってくる。

 性格?
 単なる負けず嫌いという訳でもないだろう。

 軍人としての誇り?
 でも彼女には軍人らしさはあっても、それを名誉とするような態度はなかった。

 じゃあ、最新の機体を与えられた責務から?
 それはあるかもしれないが、責務というよりは機体を奪われる事への恐怖といった感じだ。

 そう、恐怖。
 それをも感じさせるまで、そのラウラの様子は異常な程に必死だった。まるで、もう後がないと言うかのように。

 そうして鬼気を纏いながら、迫るシュヴァルツェア・レーゲン。
 それに対してシャルロットは冷静だ。

 ワイヤーブレードを避けながらも、ラファール・リヴァイヴは背中のバックパックから何かを射出し続けている。
 さっきまでは全く気にもならなかったそれ。
 グレネードカノンとミサイルの一斉射という派手なパフォーマンスをブラフとして、撃ち上げられていたらしい、その花弁状の何か。

 それはやがて上昇を止めると、空中で、折り畳まれた三枚の羽を展開、そのままシュヴァルツェア・レーゲンの追尾を開始する。
 その様子はどこか、セシリアのブルーティアーズのビット兵器に似ているようにも見える。

 しかし、その数は明らかに違った。
 射出されていた十を超える花弁が、ラウラに対してエネルギー砲による一斉射撃を開始。
 先程、ラウラを襲った、エネルギー性の雨を再現して見せる。

 その花弁自体の動きは決して早くはない。
 AICを使えば上手く無効化はできるかもしれない。
 だが、ラウラの正面、ラファール・リヴァイヴからもアサルトカノンとマシンカノンによる弾幕が迫る。

 実際に戦った事で疑念から確信に変わった、AICの弱点。
 効果対象への強い集中が必要であること。
 そしてそれは、今の状況、全包囲からの一斉攻撃を受けている現状においては、ラウラの敗北を示していた。

 それでも尚、被弾を省みずに突き進んでいくラウラ。
 そんなラウラに対してシャルロットは、その手に変換したエネルギーブレードを、突き出すようにしてその腕を前へと差し出した。






 宙に浮いたままの自分。無力だった自分。千冬姉に対して憧れと畏怖と申し訳なさを抱いていた自分。

 そんな俺が突然ではあったけど、手に入れた力。IS。白式。
 調子に乗るな馬鹿者めと、拳骨を食らう毎日。
 確かに俺は未熟ではあるけれど、その力は確かに、俺に目標を与えてくれた。

 ――千冬姉を守りたい。

 今まで守られて来た分、今度は俺が守りたい。
 その朧げだった物。それを明確な形として気付かせてくれたのは、皮肉な事ではあるが、ラウラだった。

『私はお前を認めない!』

 そりゃそうだ。

『なぜお前のような奴があの人の弟なんだ!』

 確かに相応しくないかもな。

 ……ああ、認められなくて当然だ。
 千冬姉の弟として相応しくないと見られるのも当然の事だ。
 俺はまだ無力で弱い。ただ偶然にISを操縦できたってだけの男だ。

 だがそれは……『今はまだ』。






 シュヴァルツェア・レーゲンの動きが完全に停止する。
 シャルロットの刺突によって絶対防御が発動し、そのエネルギーを使い果たさせたのだろう。

「よう、お疲れさん」

 遂に戦いが終わった事を確認して、シャルロットへと近付き、労いの声をかける。

「ん、一夏か。……えらいえらいよく我慢できたね」
「……って、おい」

 それに対し、ほとんど傷を負っていないシャルロットは、少しおどけた様子でこちらに答えてくる。
 てか、なんだそれ?俺は犬か何かのペット扱いか?
 ははは、と笑い、言葉を続けるシャルロット。

「……いやでも、勝てはしたんだけどね。レールカノンを壊してなかったら、分からなかったかも」

 俺には圧勝のように見えたけどな。

「それは、こっちが万全の状態で迎え撃ったから。結果は確かにこうなったけど、力に差があったわけじゃない。状況と展開。それが私に有利になっていたってだけだよ」

 謙遜を見せるシャルロット。
 確かにシャルロットが押してはいたが、ラウラは主力兵装を失いながらにそれをよく凌いでいた。
 有利だったシャルロットが、時折攻めあぐねていたのを見ても、そこからラウラの状況対応能力の高さが見受けられ、それはラウラの高い実力を証明していた。
 ……いや、シャルロットは、それに負けてないぐらいに強かったけど。

 そして、そのラウラ。
 そちらへ視線を移すと、停止された機体の強制解除が始まろうとしているようだ。
 当のラウラ本人は敗北のショックからか、俯いたままに微動だにしていない。

 やがて機体に紫電が走り、強制解除が開始される。

 ……しかし、その時だった。

「ああああああァァァァっ!!!!」

 突如として上げられる絶叫。
 俺とシャルロットを襲う電撃。
 背後に大きくステップを踏み、それを回避。
 横を見れば、シャルロットも同じく回避に成功している。

 変化を見せた状況。変貌した様子。
 再度、ラウラに視線を送る。

 だがそこには、シュヴァルツェア・レーゲンの姿はどこにもなかった。
 そこにあるのは漆黒。
 少女の形をそのままに闇がそれを覆っていく。

 正体不明。黒い何か。
 だが、その何かが腕に持つそれは、自分がよく知った、見覚えのある物だった。

 形成された闇。赤いアイセンサーがこちらを捉える。加速。中段で振るわれる『雪片』。

 視線で捉えた一閃と、咄嗟に構えた雪片弐型とが、一瞬火花を散らし、こちらの腕が弾かれた。
 経験と直感。相手が動き出す前に後方へ緊急回避。
 それでも、腕に走る痛み。
 直後に振るわれた上段からの一撃を避け切れず、左腕を刃が掠った。

 滲み出る赤い血液。完全なガス欠の為に消えていく白式。
 だが、それはどうでもいい。
 問題は、その斬撃すらも見知った物であったことだ。
 しかもそれが、本来であれば『俺を両断しているはず』のものだったことだ。

 ……言葉はいらない。

 心に怒りを湛え、感情のままに拳を握る。
 目標は目前の機体。
 それに向け、拳を振りかぶりながら駆け出して行く。

「一夏っ!?何をしている!」

 声と共に引かれる身体。
 地面と接触する背中。腕とは別にそれによって感じた痛み。

「馬鹿が!死にたいのか、お前は!?」

 地面に腰を付けた俺の頭上、打鉄を纏った箒は本気で怒鳴り付けてくる。
 その箒の心、気持ちは解る。
 だが俺もまた、本気だった。

「……認められねえ。認められるわけがねえ」

 そう本気だ。本気で全力で、俺はあれを否定する。

「……あんな、千冬姉を冒涜する物を、認められる訳がねえじゃねえかっ!!」

 いつも俺を守ってくれていた、その千冬姉を真似た物。
 あまつさえ、千冬姉の心も想いも理念も存在しない、その表面、形だけを真似た物。その力だけをなぞろうとした物。

 千冬姉は力があるから千冬姉なんじゃない、力があって不器用で優しいから千冬姉なんだ。そこに想いがあって、それを為そうという断固とした意志があって、それらを貫く、貫き通す強さを持つのが千冬姉なんだ。

 それなのにあれは、意志も想いも何も無い。力だけが千冬姉だと言わんとばかりに存在している。
 それを冒涜と言わずに何と言うのか?
 千冬姉を貶める、ただそれだけの存在。そんな物を認められるはずがない。許しておけるはずがない。

「一夏、お前は……」

 箒が何かを言っているが、視線はあの黒い機体へ。
 決して認められないあの黒い機体へと向ける。

「いや待て。……だが、どうする?生身のお前が何をする気だ?」
「それは……」

 箒の言葉に思わず言い淀む。
 箒の行動。俺に掛けてくれた檄のお陰で、頭は少し冷静になれた。
 いや、そもそもだ。
 絶対に勝たなきゃいけないのに、何も考えず、感情のまま無謀に飛び込んでいくのはバカのやることだ。
 ……まぁ、さっきの俺自身の事だが。

 こういう時だからこそ、冷静にならなくてはいけない。
 いくら想いを燃やしたとしても、その熱を理性で制御できなければいけない。

「だったら外部からエネルギーを持ってくれば良いんじゃないかな?」

 その方法に悩んでいたその時、今までじっと黙って話を聞いていたシャルロットが口を開いた。

「うーん?本当だったら、私がやっても良いんだよ?……いや、やるべきなのかな?」

 シャルロットが紡ぐ少し軽い同意を求めるような口調。
 常識的に、普通であったらその言葉の通りだろう。

「……甘く見るわけじゃないけど、相手はブレード一振り。残りのオービットカノン、グレネードやライフル、制圧しようとすれば、きっとそれは、可能だよ」

 未確認の相手。
 こういったのは確かな力を保有しているシャルロットみたいな存在か、今になってようやく動きを見せ始めた学園側に任せれば良い。

「でも!……一夏はそれじゃダメなんだよね?自分の手でそれを証明したいんだよね?」

 シャルロットにしては強い視線と言葉。
 それが俺へと真っ直ぐ向けられている。
 その視線から目を離さないまま、答えを出す。

「……ああ。これは誰の手でも力でもない。俺がやらなきゃいけない事だ」

 いや、義務や強制とかじゃない。やりたい事なんだ。俺が成し遂げたい事なんだ。
 それはきっと千冬姉の為でもなく、まさしく俺自身の為に。俺の目標の為に。
 そうしてこちらの表情を窺うなりに、そっかと呟くと、シャルロットは表情を和らげながら頷いた。

「うん、なら良いよ。リヴァイヴのエネルギーを全部あげる」

 しかし、そこで掲げられた指。

「ただし、条件が二つ」

 人差し指を立てながら、そこには真面目な表情。

「必ず勝つ事」

 そんなのは当たり前だ。
 それは前提条件であり、絶対条件。

「そして……ラウラを私の代わりに救ってあげて」

 二本目。中指を加えながら、こちらに示すその表情は少し深刻そうな物。
 それは懇願に近いような物ではないだろうか。

「あの子は決して悪い子じゃない。ただ怖がって怯えてるだけだから」

 シャルロットが語る事。
 その詳細は俺には解らない。

「だから、彼女の手を引いて見せてあげて。……もっと広い世界をさ」

 でも、その言葉に含まれる気持ちや想い。
 そして、戦闘の中でのあいつの様子。
 ラウラもまた、重たい何かを抱えているという事だけは理解が出来ていた。

「ああ。わかった」

 ならば、その頼みをどうして断れるというのか?
 俺は強くその言葉へと頷く。

「うん。じゃあ、始めるよ」

 こちらの返答に満足したのか、笑みを浮かべるシャルロット。
 同時に白式へとエネルギーが流れ込み、その息が急速に吹き返されていく。

「一夏っ!!」

 生き返った機体。
 それを敵へと向けた時、背中に何か懸命な様子の箒の声が掛けられる。

「……負けるな!必ず勝ってこい!!」

 それは俺への信頼、声援だろうか?
 不安や心配も含まれてはいたが、まぁとにかくそんな物だ。

「おう、任せておけ!」

 顔だけを振り向かせ、ISアーマーに包まれた握った拳を掲げる。
 もちろん、顔には笑顔を浮かべて。

 負けられない戦いではあったが、気負いはなかった。
 心には適度な余裕さえ感じられた。
 負けるはずがない、勝つのは俺だと。
 その明確な自信と確信を持って。

 そうして、黒い機体と対峙する。






 きっと千冬姉は、俺が千冬姉を守る事を奨めないし、好ましくは思わないだろう。

 俺が何時だって守られる側だったから、庇護の対象だったから。
 ……それでも俺は、千冬姉を守りたい。
 千冬姉が好ましく思わない以上、確かにこれは自己満足に過ぎないのかもしれないけれど。

 だけど弟として家族として、俺は千冬姉を守り助けたい。
 今まで守り助けられた分、今度は俺が。






 その為にも、こんな所で躓いている暇はない。
 こんな、千冬姉を汚す劣化品などに構っていられる時間はない。

 だから……。

「さぁ退けよ、デッドコピー」

 雪片弐式を正面へと向ける。
 その切っ先には闇を纏った黒。
 回復したエネルギーは、イグニッションブーストと零落白夜を一回分ずつ。
 普通ならそれは、頼りなく思える物。

 そのはずなのだが――。

「さっさと消えて、ラウラを返しやがれ」

 ――千冬姉を騙る存在など、たったそれだけで十分だ。

 こちらに反応し構えられた形。虚実の刃。
 それが振りかぶられると同時。

 俺は、静かにたぎる想いを乗せて、手に持つ刃を振り抜いた。



[28662] Chapter2-7
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2012/10/23 23:05
 兵器に心は要らない。
 兵器に感情は要らない。
 兵器に意思は要らない。
 兵器には兵器には兵器には兵器には――。



 私は一個の兵器だった。
 いや、兵器を構成する一つの部品だった。

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。
 歯車が歯車と言われるように、その名前は、兵器を構成する私というパーツを指し示す記号に過ぎない。
 それは人の子宮から生まれたわけでなく、ただ兵器たれと生産された私には丁度の良い物なのだろう。

 兵器。そう兵器だ。
 かつて提唱されたドミナント理論に基づき、戦闘における優性存在を人工的に生み出す計画。
『強化人間(プラス)計画』
 それによって生み出された強化遺伝子試験個体、戦う為だけの存在。その内の単なる一個体が私であった。



 ――全ては戦いの為に。
 いかに効率的に人を殺し、いかに効率的に敵を殲滅するのか。
 その技術と知識を学び、それを効率的に活かすために身体も鍛えていく。

 私は、計画における最高傑作だった。
 ナイフ、拳銃、小銃といった携帯兵装だけでなく、戦車や戦闘機などの機動兵器まで。
 ありとあらゆる方面で高い適正を見せ、最高傑作たらしめるその性能を言われるがままに体言させていた。

 その事に感じる物は何もなかった。
 ただ私は兵器たれと、命じられた事を命じられた通りに行うのみ。
 確実に正確に完璧に。
 ただ自身の負ったタスクをこなす。
 歯車は歯車のように、ただ噛み合い回っていれば良い。

 転機が訪れたのはそんな時だ。

 最強の兵器ISの登場。
 それが軍に導入されるに当たって、私達プラスの部隊も当然のようにISへと投入されていく。
 だがそこには、私にとっての大きな落とし穴が潜んでいた。

 ヴォーダン・アージェ。
 それは、ナノマシン投与によるISへの適合性向上処置。
 通常であれば、害の無いはずのナノマシン。
 しかし私の身体は、最高傑作であったはずのその身体は、それに上手く対応する事が出来なかった。
 金に染まった左目。コントロールの効かない稼動状態。
 それによって私は、最高傑作から一転、欠陥品へと立場を変えた。


 欠陥品に対する他の部隊員からの反応は厳しい。
 しかし、私にとってそんな物は、どうでもいい事だった。
 重要なのは私が『欠陥品』であるという事実。

 歯車は歯車として噛み合い回っていれば良い。
 だが、規格に合わない歯車はどうなるのか?回れなくなった歯車はどうなるのか?
 兵器の一部品に過ぎない私は、それだけがただただ恐ろしくて堪らなかった。

 恐怖、それこそが、私が初めて自覚した感情であった。


 その日は、周囲にとっての転機と言える物になるのだろう。
 軍から各員へと通達された命令により、私達は兵器から兵士へと変わってゆく。

 軍の支援をしていた大企業、そこの新社長就任と共に計画が中止され、部隊が解散される事になったのだ。
 部隊の解散とは言っても、実際には部隊の配置はそのままにその部隊名が少し変わるのみ。
 私達、プラスの有用性に何の変わりはなく、それでも『人』として生まれゆく周りの笑顔の中、私は未だに『欠陥品』として何とかISの訓練に着いていく。


 それは、私にとって再度の転機となる。

 先日の新社長就任。
 まだ若き彼によって、軍へのアドバイザー兼教官として一人の女性が招聘される。
 その女性、世界最強の名を欲しいままにする絶対的な存在、織斑千冬。

 彼女に……いや、あの人に、私はどうしようもなく憧れた。

 あの人は私の理想だった。
 論理的思考。完璧な運用センス。驚異的な身体能力。
 それらを持ち合わせた私の理想像。
 あの人にようになる事が出来れば、自分が自分でいられる。
 欠陥品の烙印を捺される事もなく、日々私を襲う恐怖に怯える事もない。

 だから私は、努力をした。
 あの人に教わり学習する。
 その言葉、その理念、その理論を脳と身体そして心に、焼き付くまで繰り返していく。
 そうする事で私はいつの間にか最高傑作に、部隊最強の座に再び君臨する事になる。

 最強に返り咲いたその日以来、私がいつも見ていた悪夢は何処かへと消えてなくなっていた。


 ある日、私は日本に存在するIS学園へと送り込まれる事になった。
 それはローゼンタール社の次期主力機体のPRの為に。
 そして、『あの』織斑一夏の情報収集の為に。

 織斑一夏。
 それは私にとって認められない存在だった。
 私の理想であるあの人に傷を付けたばかりでなく、ただそこにあるだけであの人を変えてしまう男。

 それは決して認められない事だ。絶対に認めてはいけないものだ。

 完全であったあの人を変える。
 目標であり、理想であったあの人を貶める。
 そんな事が認められてしまったら、私は。

 私は……どうすればいいのか?




 その日は、何時もと違う一日だった。
 ISの時ほどではないが、それ以来の衝撃を世界に与えた存在。
 かつて存在した多目的大型パワードスーツ『マッスルトレーサー』の発展開発機体。

 人型兵器『アーマード・コア』

 正式に発表されたばかりのそれとの模擬戦。
 そしてそのパイロットは、話によく聞いていた存在だった。

 レイヴン、そう呼称される、中東やアフリカを中心に活躍していた黒髪の傭兵。
 同じ呼称の存在は二人いたそうだが、件の者はその内の一人。若い方のレイヴン。
 薬物投与や遺伝子操作を受けていない非強化非操作系の人間でありながら、幼き時分より戦場で戦い続けていた人物。
 その性格、その性質、その行動は、兵器や兵士としての資質を兼ね備えた理想的な存在であると聞かされていた。

 しかし。

『ええ、こちらこそ。今日はそちらの胸を借りるつもりでやらせていただきます』

 柔らかな笑顔。
 それは話に聞いていた理想像とは、大きく掛け離れた物だった。

 思わず愕然とする心。
 そのままに声を掛け、直ぐに背を向けてその場を立ち去っていく。
 それが何かの間違い、勘違いである事を祈って。


 だが、戦闘が一度始まれば、彼は確かに噂通りの存在だった。
 模擬戦というある種の交流に近い物であるにも関わらず、戦闘開始と共に放たれたグレネード。
 それは完全に狙っての行動。明らかな意思を持っての不意打ち。

 ――常に勝利を考え、何事にも躊躇わない。

 それはまさに聞いていた通りの姿だった。
 話に聞いた理想像、それがそこにはあった。


 その後の戦況は当然の事ながら、こちらが優勢となる。
 しかし状況を決め切れない、もどかしい展開が続く。

 追えども追えども、逃げられる。

 考えも付かなかった、銃弾によると思われるAIC効果範囲の把握。
 あえてグレネードを自身付近で爆発させる事でのこちらへの牽制。
 とにかく逃げて逃げて逃げ続ける、前方の機体。
 最大火力であるこちらのレールカノンも、まるでこちらの思考を読んでいるかのように回避され、その装甲にワイヤーブレードは対した効果を発揮しない。

 決め切れず、ただ過ぎていく時間。
 ただもどかしくはあるが、消費されていく弾薬量を考えればこちらの勝利には揺るぎはなかった。




 ……やられた。
 それがこの戦いが終わり、まず感じた事だった。

 爆風と砂煙。
 遮られる視界。
 それは明確な目的を持って為された物。
 視界を奪う事によるAICの精密稼動の防止。

 確かに勝利こそは収めたが、その際に大きな一撃を喰らった。……喰らってしまった。

 相手は確かに名の知れた存在ではある。
 だが、そんな事とは関係がなく、従来兵器に該当する存在からそのようなダメージ受けるなど、許されざる結果だった。
 ISの搭乗者たる自身にとっても、許せない結果だった。

 もしかしたら、あの人に会えた事で知らない間に気が緩んでしまっていたのかもしれない。
 あの人、私の理想を体言してみせる存在。
 しかしこんな体たらくでは、あの人にも見放されてしまうだろう。
 それは、それだけは避けなくてはならない。

 気を引き締めろ、ラウラ・ボーデヴィッヒ。
 さもなければ、またあの日々が待っているぞ。
 ……恐怖に怯え続ける、あの日々が。



 レイヴンとルームメイト、彼らと共に摂った食事。
 かつて、私達の模範とまで言われた存在は、やはり変わってしまっていた。……堕落してしまっていた。
 そこには、聞かされていたような面影はどこにもなく、ただ羽ばたく事を止め地に落ちたその存在だけがあった。

 一体、空を飛べぬ鴉に何の価値があるというのか?
 私達は戦う為の存在だったはず。
 戦う事だけが私達の存在証明であり、存在意義であったはず。

『戦う事しか知らないからって、楽しく生きちゃいけないなんて事はないでしょ?』

 言っている意味が分からない。楽しく、生きる?

『ラウラさんもいずれ解るよ』

 だが、そんな堕ちた存在が何故、その表情を浮かべているのか?
 何故、あの人が、あの時浮かべていたような表情を浮かべるのか?
 それは私の心に大きな揺らぎをもたらす。

 その日以来、忘れたはずの悪夢が再び私を襲う。



『ねぇ?聞いてる?』

 五月蝿い。

『どうしてあんな事をしたの?』

 お前には関係がないだろう。

『なんでそんなに苛立ってるの?』

 確か、デュノアと言っただろうか?
 レイヴンと共にいた、そのルームメイトがしつこくこちらに付き纏って来る。

 その内容は今日行った戦闘についてだ。
 交戦相手はイギリスのブルーティアーズと中国の甲龍。
 どちらも両国を代表する第三世代機であり、共に搭乗者は国家の代表候補だった。

 しかし、蓋を開けてみれば何たる無様。
 二対一にも関わらず、シュヴァルツェア・レーゲンに大した抵抗もできず、全く持って戦い応えのない相手だった。
 これならまだ、この間のレイヴンの方が戦いらしい戦いになっていたという物。

 だがそれは、ISを高価な玩具としか考えていない奴らにとっては、相応しい結果だったと言えるのかもしれない。
 奴らと私、そこにある覚悟が違う。その重さが違う。
 その重みさえ知らない奴らに、私が負けるはずがない。負けていいはずがない。負けられるはずがない。

 私は最強でないといけないのだから、敗北など決して許されないのだから。



 ――夢を見る。

 それはいつも見せられる夢だった。

 ベルトコンベアに乗せられる身体。
 身動きは取れず、周りを見渡せば前後には大きな歯車が置いてある。
 その形は歪な物、大きく欠けている物など、それは様々。

 前方を見る。
 そこには大きな音を立て、巨大なプレス機が無機質に機械的に上下していた。

 一度。
 それが粉砕される。
 二度。
 欠片が周囲に飛び散る。
 三度、四度。
 音が繰り返されていく内に、それは段々と大きく迫り寄ってくる。

 やがて音が変わる。
 何時の間にかそれは、水を叩くような音へと変わっていた。

 一度。
 全身の骨が粉砕される。
 二度。
 赤い何かが周囲に飛び散る。
 三度。
 上がる機械が赤く粘ついた糸を引く。
 四度。
 繰り返される行動。その破砕音。それはまるで何かの叫び声のようにも聞こえる。

 飛び散ってゆく物、それが何かは解らない。
 だが、前方へと進むにつれて、そこにあるモノがよく見えるようになってきた。

 ――プレス機の下、赤に染まった白に近い銀髪。弾け飛んだ何も映さぬ金色の眼球。

 認識した光景、そのあまりの衝撃に思考を続ける意識が揺らぐ。

 呆然とする意識。
 そこで突如、身体を覆い始めた影。
 ふと見上げれば、視界を占める重量物。

 それは壁となって私を押し潰さんと迫り来る。心に注がれてゆく恐怖。
 逃げようとしても、身体は動かない。
 必死に叫んでも、誰もそこにはいない。
 叫びは、決して届かない。誰にも。誰にも。

 下ろされるプレス機。迫る壁。

 次に来るだろう痛みに備え、強く強く瞳を閉ざした。

 ……そして私の意識は、いつもそこで覚醒をする。




 ――最強それは証明だ。

 己の力を証明すること。
 自身の優位性を証明すること。
 それは相手が誰であろうと変わらない。
 相手が何人であろうと変わらない。
 為すべきことは変わらない。

 行われる学年別トーナメント。
 それはその証明には絶好の機会だった。
 しかも相手は織斑一夏。
 これ以上の条件など、どこにも存在はしなかった。

 両腕のプラズマブレードを持って、目の前の認められぬ敵へと切り掛かっていく。
 それを、一振りの実体剣によって何とか捌く織斑一夏。

 その太刀筋、取り扱い。
 なるほど。さすがはあの人の弟なだけはある、それなりの剣の修練は積んでいるようだ。

 だが……。

「くっ、そ……!」

 ……所詮はそれなりのものでしかない。

 あの男の口より漏れる苦悶の声。
 こちらのブレードを受け止めた瞬間に放った、二基のワイヤーブレード。
 意識をプラズマブレードに集中させていた敵機体を、こちらの放ったワイヤーブレードが撃ち貫いていく。

 砕かれ飛び散る白いISアーマー。
 確認できる、敵シールドエネルギーの大幅な減少。
 敵は貫かれた衝撃のまま後方へ跳ね飛ばされたが、なんとかバランスを取り、地に手を着きながらも着地に成功している。

 まぁ確かに、予想よりは強かったと言えるだろう。

 しかし、あの人には遠く及ばない。
 剣撃も、機動も、思考も精神も何から何まで。
 未熟、ただ未熟。
 それは何故あの人が、この男に目をかけているのかが理解できないほどに。

 こいつには力があるわけじゃない。
 それなのにあの人は、この男を認めている。

 それは力ではなく、血筋のみであのような表情をさせている?
 まさか、ただ弟であるという理由のみで、そこにあるというだけで認められるというのか?
 その存在を。その価値を。そこに居られる理由を。
 無条件で、何の意義も優位性すら見せずにして?

 ああ……、そんな物は、そんな事は認められない。
 それは己の存在にかけて。
 今まで私が積み上げてきた自分自身にかけて。
 絶対に認められない。

 ……認められるものか。



 機体に起きるスパーク。
 それは私の敗北を意味していた。

 伏せる私の目の前に立ち塞がっているのは、お節介なしつこいルームメイト。
 名前は確か、シャルロット・デュノア。

 強かった。
 確かに彼女は強かった。
 彼女の特殊技能、能力だけでなく、彼女に操られる機体を含めた強さ。

 目の前のラファール・リヴァイヴは、ただの旧世代機(アンティーク)ではなかった。
 情報(データ)に無い未知の機動。未知の兵装。
 それらが搭乗者であるデュノアによってさらなる性能、実力を発揮させ、こちらを私とシュヴァルツェア・レーゲンを翻弄した。
 例え、こちらがレールカノンを失った状態の物であるとは言っても、その力に間違いなどはなかった。

 敗北。私はここで敗北する。
 それは、既に決定事項なのだろう。
 敵のブレードによって、シールドエネルギーは尽き果て、こうして強制解除がされようとする状態へと追い込まれている。

 決定事項。結果。
 シャルロット・デュノアの手によって私は敗者へと成り下がった。

 ――だが、それで良いのか?

 その時、私の中の何かがそう問い掛ける。
 同時にフラッシュバックしてくる、あの悪夢。
 いつ処分されるか分からない欠陥品として、訪れる明日に恐怖する毎日。

 ――それで、良いのか?

 嫌だ。それは嫌だ。絶対に。絶対に。

 私は最強でなくてはならない。
 それこそが、それだけが私の存在意義であり、存在価値であり、存在理由なのだから。
 それが無くなったら、それを失くしたら、私は……。

 ――ならば、汝に力を与えよう。

 再び聞こえてきた、その声。
 それは、私の声ではなかった。

 その事に気付いた瞬間、全身を激痛が走る。
 痛みと共に身体が、意識が黒い闇に飲み込まれていく。
 黒く染まってゆく心。

 闇に飲まれ、薄れていく自意識の中、そこに浮かんだのは優しげな表情をしたあの人の姿だった。



 圧倒的な力。
 それは私の求めて来た力。

 パワー、スピード、技術。
 それら全てを高レベルで融合して見せた物。
 一切負ける気のしない、四肢に宿り、満ち溢れるその力。
 それが示すのはまさに、最強。

 誰にも負けない力。誰もが憧れる力。
 それは、私が求めて来たはずの、力。
 だが私がそうして得た物は、私が本当に求めて来たモノとは大きく異なる物だった。



 意識が蝕まれ、徐々に私が消えていく。
 自分自身が自己意識が自分が私が、ラウラ・ボーデヴィッヒという存在が、蝕まれ侵食され飲み込まれていく。

 それはあの悪夢と何ら変わるの事のない、自己の損失を指し示していた。
 だって、そこに自分はいない。
 自分という存在の必要が無い。
 自分という存在に価値が無い。
 自分という存在へ許された、居場所が無い。

 怖い。恐ろしい。
 満ち溢れる力と共に、恐怖が心を塗り潰していく。

 怖い。恐い。こわい。恐怖が満ちる。
 身体は私の意思を超越し、勝手に独自に動き出している。

 どうしてこんな事になったのか?
 私は、死にたくなかっただけなのに。
 ただ、消えたくなかっただけなのに。

 私の必要性も価値も理由も全て。
 私が私で居られる場所が欲しかっただけなのに、私が居てもいいとされる所が欲しかったのに。

 それを得るための力だった。
 力があれば、誰かが認めてくれる。
 優位性を示せば、そこに居場所ができる。
 だから、力を求めた。
 力を持つあの人に憧れた。

 私にとって力とは、自分が自分である、ただそれを証明する為だけの物だった。
 恐怖から逃れる為の手段でしかなかった。
 それなのに今は……。


 ……助けて。

 私は、あの悪夢の中で何度そう叫んだことだろうか。
 
 ……助けて。

 あの怯える日々の中で、身体を震わせ何度呟いたことだろうか。

 ……助けて。

 届くことがない言葉。決して届かない言葉。

 それでも、助けて欲しかった。
 消えゆく自分。満ちる恐怖。自分ではどうする事もできない状況。
 教官、レイヴン、デュノア、いや誰でも良い、誰でも良いんです。だからだから……。

 ――助けて、下さい。

 その時、そう強く願ったその瞬間、私の意識を覆っていた闇を、一筋の白い光が照らし出す。

 世界を覆う闇を切り裂き、現れた白き光。

 それによって解き放たれ、明るく開かれた視界と心。
 薄れていく意識と浮遊感の中、恐怖に震える私の身体を心地の良い温かさが包み込んだ。

 ――初めて感じる温かさ。初めて感じた安心感。

 その温かさに、恐怖に凍えた私の心が急速に解かされてゆく。

 ……もっとこれを感じていたい。もっとこれの側に居たい。
 
 闇から解放され、浮かんだ望み。
 しかし、私の意識はさらに薄れていく。

 ……嫌だ。この温かさを失いたくはない。

 その温かさに両手でしがみつくと、身体をより強く安心感が包み込んでくれる。
 その事に充足感を覚えながら、身体を包む温かさの中、安心感にしがみついたままに私の意識は安堵へと沈んでいった。





 ――俺は弱い。きっと単純な力ならお前よりも。

 だが、私は負けた。

 ――お前も弱い。今回なんてその証拠なんだろ?

 ああ。私は、弱い。

 ――俺もお前もまだまだ弱い。千冬姉になんか遠く及ばないぐらいにな。

 そんな事は当たり前だ。まだまだ教官には、あの人には追いつけてもいない。

 ――だけど、俺はもっと強くなりたい。……お前はどうだ?

 私も、強くなりたい。

 ――じゃあ、決まりだな。俺もお前も弱い、だけど強くなりたい。

 ああ。

 ――なら頑張って、一緒に強くなって行こうぜ?それこそ、千冬姉を守れるぐらいまでにな。

 だが、良いのか?私は……。

 ――事情は、少し聞かせてもらった。でも、そんなの関係ないじゃねえか!……ラウラ、お前はお前だろ?

 私は、私?

 ――そうだ。ラウラ・ボーデヴィッヒはお前だけだ。ここにいるお前だけなんだ。

 私、だけ……。

 ――それでも居場所が無いとか言うんならな、俺が作ってやる。お前はここにいろ。価値とか理由とかそんなのはどうでもいい。ここがお前の居場所なんだ!……良いな?わかったな?

 




 部屋を赤く照らす夕日。
 身体を医務室のベッドに横たえながら、先程の、手に繋いだ温かさを思い出す。

「……私の居場所、か」

 彼、織斑一夏の手によって与えられた温もり。居場所。心。
 昨日までは、いや今日までは、あれだけ憎く認められなかった存在であったはずなのに、これは何なのだろう?今はとても、とても大切な存在に思える。

 よく考えてみれば、私は彼に、あの男に嫉妬の気持ちを抱いていたのかもしれない。
 憧れたあの人が、唯一あの優しさを向ける相手。
 私はそれが羨ましくて、どうしようもなかったのだと思う。

「……織斑、一夏か」

 何故だろう?
 繋いだ手。感じた温もり。その感触が、その温かさが、いつまでも私の手に残って離れない。
 何故だろう?
 それを思い出す度に、その名前を呟く度に、心が温かく、それと同時に胸が締め付けられるような感覚がする。

 ……わからない。
 初めての事なので何が起きているのかが、全くわからない。

「織斑、一夏」

 それはあの人の家族であり弟ではあるのだが、私にとって、あの人とは別の意味での大切な存在になってしまったようだ。

「織斑一夏」

 先程から、ずっと彼の事ばかりを考えてしまっている。
 本当にどうしてなのかは解らない。
 だが、本当にそれは、決して悪くはない気分だ。


 そうして温もりの残る掌をじっと眺めていると、突如聞こえたノックの音。
 それに許可を出すと一人の見慣れた男が室内へと入って来た。

「本っ当に、済まなかったっ!」

 入室して直ぐ、こちらへと向かって謝罪を行って来た、無精ひげの目立つその中年の男。
 レーゲンモデルの開発にも携わっていたローゼンタールからの出向技術員、フロイド・シャノン。

 彼はこちらへの謝罪を態度に現しながらも、ベッドの上に横たわる私の前に空間投射ディスプレイを投影して見せてくる。

『済まなかったな、ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐』

 そこに映し出されたのは、一人の男性の姿だった。
 丁寧に整えられた金髪。明らかな高級さを感じさせる白いスーツ。
 直ぐにその男性の正体に気付き、立ち上がろうとするのだが……。

『いや、無理に立たなくても構わんよ。……だが今日は本当に済まなかった』

 その人は、その御方はとでも言った方が良いのだろうか?
 とにかくその男性は、画面越しにこちらの行動を引き止め謝罪をしてくる。
 男性の行動に、私はどう反応を返せば良いのかわからない。
 ただ解るのは、その目の前の男性が軍を含めローゼンタールに関わる者ならば、知らない人間がいない程の存在であるという事。

『ローゼンタールを預かる者として、正式に謝罪させてもらうよ』

 彼、その男性こそがローゼンタールの代表を務める若き指導者、ジェラルド・ジェンドリン、その人だった。


『……旧体制派の仕業だ。全くもって嘆かわしい、あの老いぼれ共にこうもやられるとはな』

 そうしてやがて彼は語り始める。
 この一連の騒動の真相の事を。
 ヴァルキリートレースシステム。搭乗者の安全を省みず、モンド・グロッソの部門優勝者の動きを再現するシステム。
 条約で禁止されていたはずの、私を飲み込んだそれが、機体の中に秘密裏に組み込まれていた事。
 それが、今のローゼンタールを憎む者達の仕業であったという事。

『だが、もう心配はいらない。既に手は打ったのでね』

 そして、彼らがその解決に動き出したという事を。

『ジュリアスが動いた。もう二、三十分もすれば、全ては終わっている事だろう』

 代表の言葉、発言。それはローゼンタールが本気であるという事、その意志を間違いなく指し示している物だった。

 ドイツ、いや欧州を代表するIS『ノブリス・オブリージュ』と、その搭乗者であり次期ブリュンヒルデとも噂されるドイツの代表操縦者『ジュリアス・エメリー』。
 最高戦力たる彼女達を動かしたという事実は、それはまさに、問題の完全決着という確定した未来を約束する。

『だが、本当に今回は済まなかった。……お詫びといっては何なのだが、望みがあるのなら何でも言うと良い』

 それでも尚、こちらに謝罪を伝えてくるジェラルド・ジェンドリン代表。
 だが、その申し出は渡に船という物だった。
 即座に私は、破壊された機体の早急な再建を希望させてもらう。

『機体を?まぁ良いだろう。直ぐに手配させよう。だが、その理由を聞いても構わないかな?』

 私の望みと引き換えに問われた理由。
 それには嘘偽りなく答えていく。
 織斑一夏との誓い。それを為すために機体が必要である事を。
 また彼の事を考えると、どうにも心が落ち着かない、よく解らないような気持ちになるという事を付け加えて。

『はっはははは、そうか、成る程な!』

 私の答えに笑い声を上げる、目の前の若き社長。
 背後では、フロイドが驚愕の声を上げている。
 しかし、私は何かおかしな事でも言ってしまったのだろうか?

『いや、違う。違うのだよ少佐。私は祝福しているんだ』

 祝福、ですか?

『ああ。君は知らないのか?……人はそれを、君のその感情を「恋」と呼ぶのだよ?』

 ……恋。

『ふむ、まぁそれは、おいおい考えてゆくと良い。とりあえず、そちらの望みは解った。出来るだけ早くそちらへと送らせよう』

 はっ。ありがとうございます。

『ではすまんが、これでも時間が押しているのでね、これで失礼させてもらおう。だがラウラ・ボーデヴィッヒ少佐、最後に一つだけ、言わせてくれ』

 社長のその真剣な言葉と雰囲気に、思わず身体を正してしまう。
 そんな私の態度を見てか、そのまま彼はその表情のままに言葉を続ける。

『君はもう兵器ではない。だから、これから君は「ラウラ・ボーデヴィッヒ」という一人の人間として存分に生きてゆくと良い』

 それは以前、計画の廃止と共に私達の部隊へ掛けられた言葉だった。かつては余裕のなかった私だけが、対応しきれなかった言葉。
 しかし今度は、私一人に対してその言葉が掛けられた。私が『人間』であるという宣言がなされた。
 それに対して、今度こそ応える為に返事と共に敬礼で返す。

『本当に良い表情になったな……。それではラウラ・ボーデヴィッヒ少佐、これからの任務の成功を期待すると共に、君の健闘を祈る』

 社長自らの言葉、それが言い終わるとディスプレイの映像が切られ、暗転する。
 それを見たフロイドも私に一声を掛けた後に、退出していった。


 夕日も沈み誰もいなくなった、静寂が支配する室内。
 ベッドで再び横になりながら自らについての思考を、巡らせ振り返る。

 私は、ただひたすらに強くあろうとした。
 それが、私の生きる、ただ一つの道だと信じていた。
 ……でも今は、やっと追い続けたものに手が届いた気がする。

 それは、自分という兵器としてのラウラ・ボーデヴィッヒの終焉であると共に、私という一人の人間であるラウラ・ボーデヴィッヒの生まれた瞬間でもあった。

 右手に残る温もりと、心に宿った温かさ。
 その二つを胸に抱えて、瞳を静かに閉じていく。

 その夜、私の見た夢は、白い光の下を歩く笑顔の自分の姿だった。



[28662] Chapter2-EX
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/08 18:24
 じーじーみんみん、セミの声。

 日本の夏の風物詩だとは聞いていたけれど、この暑い中よく頑張れる物だと思う。
 空を見上げれば、青と白のコントラスト。
 その中でこちらを射差し確実にこちらを殺しに来ている、どう考えても頑張り過ぎな太陽。
 本当なら分かるはずはないのだけれど、溶けていきそうな程に肌が焼かれているのを感じる。
 暑い。それにしても暑い。

「おーい、早く入ってこいよー!」

 目の前の建物。
 その二階の窓より、こちらを呼ぶ声が聞こえた。それは確かにこちらの事を呼ぶ声だ。
 ああ、うん、そんじゃまぁ、そういうわけで行くとしよう。日陰に逃げ込みたいという意味も込めて。
 こんにちはー!と元気良く。
 お邪魔します!と横開きの扉を開けながら。
 建物内に足を踏み出していく。

 さて今日の目的地、お食事所『五反田食堂』。
 本日で計二回目の来店になります。





「作戦の内容を説明する」

 声が聞こえる。
 それはかつてを思い出させるような、任務の内容を告げる仲介業者の口調にそっくりだった。

「目的は市街地に多数存在する目標の確保だ。なに、今回はごく単純な作戦だ。適当な目標を見つけ次第、確保すればそれでいい。ただ細心の注意を払わないと、手痛いしっぺ返しを喰らうことになるからな。引き際というものを見極めるのも必要だろう」

 簡単でありながら、引き際を間違えれば一転、危険へと足を踏み込む事になる、か。
 それは本人の資質が大きく問われる、言わば試金石のような物になり得るのかもしれない。
 ただ簡単だからといって、素人が気軽に遊び感覚で参加しようなんて思うのは止めた方が良い。
 そういう奴に限って、必ずドツボに嵌まっていく。
 そしてそのまま抜け出せず、虚しい終焉を迎える事になる。

「まぁ、今回はそれに支援者の参加も決まっている。確かに、危険な作戦だが、見返りは十分に大きいぞ。良い返事を期待している」

 なるほど、支援者とは……。
 それは確かに心強い存在であるのかもしれない。
 裏切られるのが傭兵の常とはいえ、仲間達とのチームワーク、戦場ではそれがいつも生死を別ける境界線に関わってくる。
 それに加えて、ハイリスク・ハイリターンだって?
 そんなものは業界の常識。言われずとも分かっている事だろう。

 虎穴に入らずんば、虎児を得ず。
 まさにこの言葉が示している通りだ。
 楽をして、大きな利益は上げられない。
 大きな結果には、得てして相応の対価が必要とされるのだから。

「じゃあ……お断りします」
「暑いしなー」

「……っておいっ!?」

 そうして、五反田食堂のテーブルに着きながらサバの味噌煮定食を頂いていると、弾がいきなり何やら騒ぎ始めた。

「てか、今日はこれからすぐ遊びに行くって話なのに、何で呑気に飯喰ってんだよっ?」

 ん?
 何をおかしな事を。
 尚も騒いでいる弾の様子に、正面の一夏と顔を見合わせ、共に頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

「腹が減ったからに決まってるじゃねえか、なぁ?」
「だよねー。僕なんかは五反田食堂に来いって言うから、朝食を食べずにまで来たんだから」

 そうやって少し楽しみに来た事を告げると、カウンター向こう調理場の方から声が聞こえて来た。

「おう!嬉しいこと言ってくれるじゃねえか!いつでも来いよ、ご馳走してやるからな!」

 その声の主、この食堂の料理人、五反田厳さん。
 目の前の弾の祖父であり、僕が今食べている定食を作り出した人物でもある。

「いえいえ、そんな。僕は本当の事を言っただけですし、お金ぐらい払わせて貰わないとこっちの気が済みませんよ」

 それは本当。
 この料理を奢ってくれるというのは大変有り難い申し出だが、この料理にはきちんとした支払いをしなければ失礼にあたるだろう。

「いやぁ、健気な子だ。……おい、弾。お前も少しはそういう面を見習いやがれ」
「ええい、余計なお世話だっつーの!……と、に、か、く!早く飯を喰ったら出掛けようぜ!」

 そうして厳さんと会話をしていると、何故か弾へと飛んで行った火沫。
 弾はげんなりとした表情を見せた後、直ぐさま復帰。
 こちらに再び、遊びへの誘いを仕掛けてくる。

「でもどこへさ?」
「出掛けるって言っても、なぁ?」

 やれやれといった表情の一夏。
 いやはや、全く。僕もそれには同意見だ。

「ちょ、お前ら聞いてなかったのかよ!?街だ街!そこで待っているだろうお姉様方と素敵な週末を過ごしに行こうぜ?」

 ああ、なるほど。
 ……えーと、一夏。蘭ちゃんのアドレスか電話番号って分かる?

「ああ、知ってるぞ」

 じゃあ、なんか弾がおかしな事言ってるって伝えておいた方が良いんじゃないかな?

「まぁ、確かにな。それじゃあ早速……」

 何かをのたまった弾に蘭ちゃんへの報告を宣言すると、その弾の様子が一変した。

「すみませんでした!」

 いきなり土下座をしてまで謝り始める目の前の友人の姿。

「お願いですから、あいつにはあいつにだけはこの事を内密に。どうかどうか!」

 冗談ではなく本気で尚且つ全力で謝ってきている、その光景。
 何だか情けなさを越えて物悲しささえ感じられて来た。
 五反田家のヒエラルキーは一体どんな構造になっているのだろうか。

「まぁ、冗談はそこまでにして、街に遊びに行くって事で良いんだよね?」
「ああ、だから早く行こうぜっ?」

 このままでもしょうがないので助け舟を出してあげると、勢いよく上がったその表情は慌てながらも何故かどことなく輝きに満ちている。

「何を焦ってるのかは解らないけど、うん、僕は別に良いよ」
「おお、マジか!……そんじゃ、一夏、お前はどうする?」

 何だか可哀相になり了承。すると、そのテンションは三割増しに。

「はぁ。二人が行くってのに、ここに居ても仕方ないだろ?俺も行くよ」
「よし!よし来た!じゃあ飯喰ったらすぐにな!」

 溜め息をついて一夏が渋々それに続くと、その数値はさらなる上昇を示す。

 ……。
 ねえ、一夏。
 僕は、何だか少し不安になってきたんだけど。

「……奇遇だな。俺もだ」

 何故か通じ合った心。
 正直、何だか嫌な気配しかしない。

『はぁ』

 同時に吐かれる大きな溜め息。
 結局、僕らは食事が終わると、弾に連れられ街へと繰り出して行かざるを得なかった。





 夏、真っ盛り。
 太陽が激しく照り付け、万物を焼き払うかようにして全てに熱を送り込む。

 ビルディング、アスファルト、手摺り、銅像などなど何もかも。
 それは空気さえも熱し付け、体感温度は非常に不愉快な程にまで上昇している。
 モニュメントに表示された気温の表記は余裕の30℃越え、実際に肌に感じる温度は確実にそれ以上だろう。

 日本の夏は暑い。

 それは来日前から聞かされていた事。
 覚悟こそはしていたけど、それでも確かに暑かった。
 単純な熱という意味では砂漠の暑さの方が上ではあるだろうが、個人的には日本の暑さの方が深刻だ。
 例えばサハラのような砂漠の暑さは言わば気温的な暑さ。これは直射日光が最大の敵。
 しかし、こちらのモンスーンアジアや日本の暑さは言わば湿度的な暑さ。日光を避けても肌に纏わり付く熱が欝陶しくて仕方がない。

 でも、何と言うのか。

「アイス、美味いねー」
「ああ、こう身に染みるなぁ」

 これもまた日本の風物詩という事で。


 目の前ではさんさんとさらに輝きを増す太陽先生の下、暑さに負けず弾が道行く女性に声を掛けている。
 でも、それはしつこくならないよう本当に軽く。どうにも慣れた感じで。

 ISの登場以来、女性優遇措置が各国で取られ始めてからというもの、こういった女性に声を掛ける行為、日本語で言うのならナンパ行為?は大きく規制された。
 それこそ、しつこい物には刑事罰が与えられる程に。

 そういった点で見ると、弾の手際は非常にスムーズで手慣れている。
 女性にしつこさを感じさせる訳でなく、かといって淡泊さを与える訳でもない、不愉快さの無い絶妙なライン。
 ……まぁ、その結果は出てはいないけど。

「おい、お前らも少しは協力しようって気はないのかよ?」

 そうしてアイスを片手に状況を観察していると、息をついて少し疲れたような表情の弾がこちらへと近寄って来た。
 その様子に、予め買って置いたスポーツドリンクを軽く投げる。

「おっと、サンキュ」

 片手でそれを受け取ると、その中身を喉に流し込んでいく弾。
 そうしてドリンクの半分程を一気に飲み終えた友人は、こちらに向けて少々憎らしげな視線を送ってくる。

「ふぅ。それにしても、何で俺一人だけでやってるんだって話なんだけど?」

 いや、だってそれはねぇ?

「弾、お前が言い出した事だろ?」

 まぁ、一夏の言葉に加えて言えば。

「御手本を見せてやるって弾が言ったのがそもそもの始まりじゃなかったっけ?……まぁ、『まだ見せてもらってないけど』」

 僕がニヤリと笑いを含めそう言うと、弾は目元をひくりと震わせる。

「良いだろう。分かった!やってやる、やってやるよっ!お前ら見てろよ!絶対成功させてやるかんな!」

 そして、まくし立てるように息巻き、再び戦場へと向かう一人の男の背中。
 どうにも吹っ切れたというよりかは、自棄に近い。
 よく解らないから恐らくでしかないけど、その結果は挙がらないだろうなぁ、とは思う。

 でも、そんな弾の行動や街の様子にではなく、一つだけ、さっきからずっと気になっている事がある。

 ――どうにも、誰かに見られている。

 それは弾が女性に声を掛け始めるずっと前から。
 しかも弾や僕にではなく、恐らくは一夏に対してのもの。
 その一夏へと向けられる視線の間に入る事でそれを感じ取っている。
 何となく。第六感。直感的に。

 一夏を狙った刺客?テロリスト?
 いや、違う。悪意も敵意も感じられない。
 そもそもプロならもっと上手くやるだろう。
 そのこちらを窺い見張るその視線。その雰囲気はどうにも明け透けで、尾行に慣れてない素人というか恐らくは一般人の物だとは思う。

「おいおい……弾の奴」

 と、そんな真面目な思考中に聞こえた声。
 それは少し焦った一夏の物。
 一夏の声、そして視線を辿っていくと。

 何故かガタイの良い二人の男性に囲まれ、激しい口調と危うげな雰囲気で詰め寄られる弾の姿。
 焦り後退する弾に、詰め寄る二人の男。
 というか、この二人の男。どうにも堅気の人間の雰囲気ではなかった。
 
 ……いや、むしろ、どうしてそんな状況に?

「って、おい!」

 一夏が何かの言葉を掛けてきたが、その状況を見るなりに身体は思わず駆け出していた。

「弾っ!」
「へっ?」

 上げる声。それに気を抜けた返事をする弾の横を擦り抜け、二人の内のまずは近い方に接近する。

 トップスピードを保ち、そのまま一歩二歩踏むようにステップ。
 そうしながらも、この身は既に男の懐に。
 身体を捩り、体幹を旋回。
 自身に溜め込んだ運動エネルギーと身体を捩る事で生み出したそのエネルギー。
 それを、銃身に見立てた腕から拳へと乗せる。
 そのまま銃口を男の鳩尾へ。
 周囲に響いた重く鈍い音。音が走り渡ると同時にその大柄な身体が一瞬浮き上がる。
 そして直後に、そのまま崩れ落ちる大きなその身体。

 続いて狙いは二人目。
 相手は呆気に取られている様子の同じく体格の良い男性。
 見て取れる体重差。スピードも乗せられない今の状況では、中々ダメージは与えづらい。
 ならばと、身体を回転させ脚を振るう事での遠心力を利用しながら、それを繰り出す。
 俗に言う、飛び回し蹴り。
 狙うのは顎。
 でも破砕させると何かと色々問題が生じる。
 顎を少し掠らせるようにして、脚を振るう。

 跳躍から着地。
 顎をほんの微かに打たれ脳が揺らされる事で脳震盪を起こす、大柄な男性B。
 やがて倒れていく身体。
 怪我をしないように、自分より一回り以上大きいそれをしっかりと受け止め、ゆっくりとアスファルトの上に下ろす。アスファルトは非常に熱くなっているけど、そこだけはごめんなさい。

 そうやって騒動を聞き付け、周囲に集まってきた人混みの中、それを終えると共に。

「弾!逃げるよ!」
「は?あ、おう!」

 弾に呼び掛け、一目散にその場から駆け出していく。
 一夏も走ってくる僕らを察して、準備は既に完了しているようだ。
 でも、そうして逃げる前にやっておく事が一つ。

「ちょ、どこ行くんだっ!?」

 急な方向転換をした僕に掛けられる一夏と弾、どちらかの声。
 それを聞きながらも。

「え?え!?きゃっ!」

 木々に身を隠すようにしていた『彼女』の手を引き、弾達と合流する。

「おい、何やってんだっ、て……え?」

 僕が手を引く少女の姿に、弾が恐怖やら困惑の声を上げる。
 それを気にする暇もなく、僕らは脱兎の如くその場を逃げ出していった。




 何とかあの場から逃げ出して、今はカラオケボックスの中。
 何やら歌を歌う場所ではあるらしいけど、今はその目的には使われず弾と少女とが何やら対峙して黙り込んでいるその状況。

「……それで、何で後を尾けたりなんかしてたんだ?」
「……」

 少女を問い詰めていく弾。
 その言葉に少女が貫くのは沈黙。

「そもそもお前は、今日生徒会の用事があったんじゃなかったのかよ……蘭?」

 僕が捕獲した視線の正体、学校の制服姿のその少女、五反田蘭。通称、蘭ちゃんは弾の言葉にやはり沈黙を保っている。

「えっと、学校の用事は直ぐ済んで。家に帰ってるその途中で一夏さん達の姿が見えたから、つい……」

 するとやがて、何となく居心地が悪そうに答えてくれる蘭ちゃん。
 それに対し弾は追求の手を緩めない。

「お前なぁ、ついじゃねぇだろ、ついじゃあ……」
「……何?お兄だって一夏さん達をナンパなんかに誘っちゃって、しかも、全くダメダメだったくせに!」
「ちょ、おま、蘭、お前なぁ……!」
「お兄、後で覚えててよね?一夏さんも巻き込んでこんな事して……!」

 ってあれ?
 いつの間にか、弾と蘭ちゃんの立場が逆になってる。
 蘭ちゃんの言葉に弾が防戦一方だ。

 いや、それにしても……一夏?

「ん?なんだ?」

 この二人、仲良いよね?

「そうだな」

『良くないっ!』

 おっと。一夏に目の前の事実を伝えた瞬間に、二人からその仲の良さを示す反論が飛んで来た。
 ホント、そこまでタイミングも合わせておいて、ホントによく言うよ。

「というか、だ」

 そうして、五反田兄妹のじゃれ合いを眺めていると、今度は一夏がこちらに問い掛けて来た。

「あの時の体裁き、……何かヤバかったな。あれ格闘技か何かなのか?」

 ん?ああ、なるほど。
 さっきの二人組への攻撃についてか。
 いや、格闘技というよりは自己流というか、よくわからないけど周りの人達に教わった奴だよ。

「へぇ、でも機体を下りても、かなりやれるんだな?」

 うーん?やれるというよりは、やらなくちゃいけなかったというべきかな?
 まぁ、それに護身術程度だったら覚えてても損はないしね。一夏なんか特にさ。
 言いたくはないけど、一夏は世界でもレアケース何だし。ホント、気を付けたりした方が良いよ。
 あ、でも一夏はもう剣術を習ってるんだっけ?

「ああ、箒に今でも稽古は時々つけては貰ってる」

 先程のやり取りから一夏の修練事情について話していると、いつの間にか弾と蘭ちゃんも口論を止めて話に加わって来ようとしている。
 その剣術をやっているという一夏の話に歓声を上げる蘭ちゃんと、俺でも何か出来っかなぁ、と尋ねてくる弾。
 何やら意外と興味津々の二人。

 そうしてその後、他愛の無い世間話や学校の事について話していると、やがて話題は今日これからについての事へ変わった。

「それで?今日はどうするの?」

 僕の言葉に僕ら男三人組に加えて、蘭ちゃんも共にうーん、と悩んでいく。

 「ゲーセン!」とは弾の案。
 「お買い物!(一夏を見ながら)」とは蘭ちゃんの案。
 「ボウリングとか最近行ってねえなぁ」とは一夏の案。
 そこに出てくるは僕の案というか疑問。

 というか、ボーリングって?……掘るの?

『え!?』

 僕の呟きに合わさる声と何か信じられないような物を見る三人の視線。
 ……いや、そんな目で見られても困る。

「決まったな」
「決まりだな」
「決まり、ですね」

 なぜか一気に息が合い始める三人。
 状況を把握できてないのが一人。

 結局、その後の多数決の結果、僕の意志が関与する余地はなく、近場のボーリング?場へ行く事が決定された。



 右手に持った金属球。
 テイクバック。スイング。指から抜くようにしてボールを放つ。
 正面、並んだ十本のピンを目掛けて滑るようにして向かうボール。
 やがて、ボールは終点に接近して行き、そのピンの居並ぶ中央部にヒット。

 音を立ててピンが倒れていくが、二本だけ倒れずに堪え凌いだようだ。

「……、なかなかに難しい」

 ボールが出るのを待って、ボールが出たら再び投擲。
 球はピンに掠らずそのまま奥へと吸い込まれてゆく。

 ……うん、なかなか難しい。

 やってきたのは、ボーリングではなくボウリング。
 掘ったり穴を開けたりの調査とかではなく、ボールを投げてというか転がす事で倒したピンの数を競うスポーツらしい。これも一応球技の部類に入る物なのだろう。
 そして先程も言ったけれど、それにしてもこれが中々に難しい。

 そんな苦戦をしながらの今現在。一夏と弾は軽食と飲み物の調達中。
 僕はこうして練習をさせて貰いながら、蘭ちゃんと共に二人が帰ってくるのを待っている。

「でも今日はよく分かりましたね?私が着いて来ていた事なんて」

 一夏達を待っている間に、何とも不思議そうな表情で尋ねてくる蘭ちゃん。

「でも、蘭ちゃん本人だって解ってたわけじゃないよ」
「それでもです」

 そういうものなのかなぁ?よく解らないけど。

「どうやって、その知ったというか、分かったんですか?」

 それは興味本位。別に探りを入れてやろうとかではなく、単なる好奇心から来ているようだ。
 こちらとしても、別に隠すような事でもないので率直に答えてゆく。

「視線、かな?」
「視線、ですか?」

 どうにもこちらの解答には満足してもらえなかった様子、その顔には訝しがるような表情が浮かんでいる。

「視線にも圧力があるってのは解るよね?」
「はい、何となくは」

 頷いてくれる蘭ちゃん。

「そういった事にホント何となく敏感でね。意識的にしろ無意識的にしろ、ずっと晒されてると落ち着かないんだよ」
「はぁー、そうなんですか」

 まぁ、それに付け加えて言うのなら。

「蘭ちゃん、君って一夏の事が好きでしょ?」
「え?」

 僕の言葉に、息が抜けたような声を出した後に硬直する、目の前の少女。

「す、き?すき、好きぃっ!?ああああののの、べ、別に私は」

 だがその直後、蘭ちゃんは誤作動を起こした機械みたいに要領を得ない言葉とよくわからない混乱した動作を見せてきた。

 おお?なんか、凄く慌ててる。

「じゃあ、嫌い?」
「いえ……好き、です」

 今度は、頷きながらも、顔だけじゃなく耳まで赤く染め上げている。

「そうでしょ?それが何て言うのかな?……こう何か気になってます!って視線が出てた気がしたからね」
「ま、待ってください!それじゃ一夏さんにも……!?」
「いや、一夏は気付いてなかったと思う」

 そう言うと、はぁ良かった、と胸に両手を置きながら息を吐く蘭ちゃん。
 どうにも何かにほっとした様子だ。

「でも一夏の事を好きな奴は多いだろうなぁ」
「やっぱり、そうなんですか?」

 やっぱり?と聞かれても僕はIS学園に通ってるわけじゃないから解らないんだけどね。

「そう、でしたよね」
「でもさ、一夏ってかなり良い奴でしょ?」
「はい」
「だから、一夏って好まれてるだろうなぁってね」

 真っ直ぐな表情で頷いている蘭ちゃんの真剣な様子。
 それは本当に一夏の事を考えていて、何ともその真面目さというか真剣さを感じる。

「まぁ、でも何にしても。後悔だけはしないようにね」
「後悔……?」

 そう後悔。

「あの時、やっておけば良かったーみたいな感じにはならないようにね」
「はい。それは分かるんですけど……あの?本当に私と一つしか違わないんですか?」

 何だか戸惑ってるみたいだけど。
 うん、たぶん。それで間違いはなかったはずだよ。

「なんだか、実体験みたいな……」

 それは常にそう思って生きてるせいかな?
 後悔なんてしないように、今を今なりに全力にってね。

『おーい』

 そうした蘭ちゃんとの会話の途中、聞こえてきたのは弾の声。

「あ、わ、私、少し失礼します!」

 すると蘭ちゃんは、なぜか恥ずかしそうにしてその場から逃げるようにして立ち去っていく。
 そんな背中を見送っていると、

「おいおい頼むぜ?一夏を俺の弟に仕立て上げないでくれよ?」

 やってきた弾が、僕の肩に手を回して何かを言い始めた。
 というか、何?え?

「弟?あー、あれ?さっきのって、もしかしてそういう話題だったの?」
「おいまさか」
「親愛とかの方だと思ってた」

 僕の言葉に何かのショックを受けたのか、神はいない!とか嗚呼、無情なるかな、とかと言うように天井を仰ぐ弾。
 いやだって、仲良くしたいけど後一歩が踏み出せないーみたいな感じだったし。
 何となくシャイな性格なのかと。

「はぁ。……まさかお前もあいつと同じ人種だったとは」

 失礼な。僕はあんな鈍感モンスターじゃない。

「じゃあ、お前はどうなんだよ?」

 どうって?

「恋愛とか彼女とか、そういう人はいるのか?」

 ……それは今まで考えた事もなかった。

「マジか?」

 うん、それは本当に。
 家族に関してはよく考えてはいたけど。恋だ愛だのは、よく分からない。
 というか僕にはまだ早すぎるんじゃないかな、とも思う。

 でも、そう言う弾の方はどうなの?

「俺か?そうだな……ああ、好きな奴は、いた」

 それは何かを思い返し懐かしむような、どこか神妙な表情。
 言葉は過去形。それはつまり……いや、それを考えようとするのは無粋な事か。

「でも今は、特にはいないな」

 ……。
 ……うん、そうだよね。
 昼間にもあれだけ必死に探してたしね。

「ちょ、うっせーよ」

 まぁ、結果はガタイの良い男性、二人しか釣れなかったみたいだけど。

「おま、てめ!」

 こちらの言葉に憤慨の様子を見せたので、そのままこちらに突っ掛かって来るかと思いきや、テーブルの上、そこにある何かを食べ始めた弾。
 ……ってちょっと待った!それは、僕のポテトでしょうが!

「うっせ、早いもん勝ちだっての!」

 というか、皆の為に買ってきた物を自分だけで食べてどうするのさ?

「喰いたい気分なんだ」

 気分なんだ、じゃないでしょうが。なんだじゃ。
 そう言いながらも、弾に負けじと皆の為に買ってきた軽食を僕も食べ始める。
 男二人。当然の如く次々に消えて行く食品類。

「……何やってんだ?二人とも」

 それは、そのよく分からない争いは、蘭ちゃんを連れた一夏がこうしてやって来るまで続けられていた。




 時は変わって夜。自室。

『それでさぁ、そのラウラの可愛い事と言ったら、もうね、見せてあげたいぐらいだったよ』

 電話越し。
 シャルがおそらく、溶けそうな笑顔を浮かべながら、嬉しそうに今日の出来事について話してくれる。
 今日、何があって何を思ったのか、彼女の想いで彼女の言葉によって。

 以前までの気まずさやケンカ状態はどこへ消え去ったのか、最近、シャルはラウラさんと仲良くなったらしい。
 それは仲直りとかそういった物を越えて、一緒に遊びに出掛けたりする程に。
 何でも、今までずっと軍人として務めて来ていた当のラウラさんは、全く世俗に疎いというか本当に世間知らずで手間も掛かるという事だそうだけど、そういった所も含めて楽しいとはシャルの話。

 ……何だか耳に痛く感じる物があるけれど、とりあえずそれは気にしないでおこう。

 そうしてシャルの話をしている内に、ふと思い浮かんできたのは昼間の事、弾の言葉。

「恋愛か……」

 恋愛。恋と愛。
 かつては好きな人がいたという弾と、一夏をそういった風に意識して耳まで真っ赤にしながら話を聞いていた蘭ちゃん。
 僕らの年代であれば、そうした恋だなんだとなるのが普通だと弾は言っていたけれど、そうしたら、シャルもやっぱりそういう経験があるのだろうか?

『れ、恋愛!?』

 と、幾分かの空白期間を得て、スピーカー越しにシャルによる大音量の声が響く。

「……シャル、耳がキーンってして痛いんだけど」
『あ、ごめん!でも、いきなりらしくないこと言うから』

 まぁ、らしくないのは解ってるんだけどね。

『いや、そうじゃなくて!……とにかく、今日何があったの?』

 心配するような、それだけじゃないような声色。
 何だかシャルも聞きたそうにしているので、今日あった出来事を話していく。

 一夏に好意を寄せる年下の女の子の事。
 友人の軽い過去の経験の事。
 自分には経験もなく、よく分からないという事。

 黙って聞いていてくれたスピーカー越しの彼女。
 その雰囲気は何かを考えているような物にも感じる。
 やがてこちらが語り終わると、シャルは小さく何かを呟いた。

『そっか、でも何だったら……』

 ん?何か言った?

『……ううん、何でもないよ』

 何を言ったのかは、よく聞き取る事は出来なかった。
 でもシャルは、その呟きの後それがなかったように言うと、こちらに確認をするかのようにして語りかけてくる。

『よく分からないって言ってたよね?』

 そう、よくは分からない。
 そんな事を考えている時間も抱いている暇も、今までは全くなかったから。

『でも、それはね。出来るとか出来ないじゃなくて、しようとかしないとかでもなくて、自然になっちゃう物だからきっと大丈夫だよ』

 何だかそれは、子供に言い聞かせるような、そんな口調だった。
 何も知らない子供に教え語るような言葉に思えた。

 それにしても、自然になる、か。
 自然に。それは誰にでも起きる事。起こり得る事。
 電話越しではあるけれど、つまりは、この目の前のシャルにもやっぱりそういった経験があるという事なんじゃないだろうか?

「シャルはどうなの?」

 興味本位。それを電話越し、直接、尋ねてみる。

『わ、私?私は……』

 すると何やら焦った声と様子のシャル。
 確かにプライバシーの範疇だし、我ながら、デリカシーに欠けてた質問だったかも。
 シャルもいつの間にか、焦った様子から悩んでいる様子へと変化し始めている。

 そして。

『……秘密!』

 そうやって一言、強く言うと、捲し立てるように言葉を続け、おやすみという挨拶を最後に今まで続いていた通話が切れていった。


 はぁ。
 ベッドの中で一人息を吐く。
 考えるのは恋愛だとかそういった物について。

 シャルはそれを、自然にそうなっていくものだと言った。
 自然に。それは生きていれば勝手になるという事?
 付随するように思い返されるのは、ラナやシゲさんの語っていた子供の話。
 それはもう大切そうに楽しそうに語っていて、そのあまりに幸せそうな様子に何だかそういった物に対する憧れも少しあるし、ちょっとした興味もある。
 きっと、それも恋愛とかの延長上にある物なのだろう。
 子供は愛の結晶だ、なんて言葉もあるみたいだし。

 そういった恋愛なんかは未経験ではあるけれど、僕はそれすらも取り巻く普通の生活という物に確かに慣れては来た。
 遊んで笑って、時には怒ったりケンカもしたりする、そんな普通の生活。
 それは以前より大きく変わった事。大きく変わった生活。
 変わる事で、増えて来た大切なモノ。
 その事、その存在をとても喜ばしく思う。

 ……でも最近は、それが少し怖い物に感じられても来た。

 人は変わる。些細な事でも変わってゆく。
 それでも、全てが変わる訳じゃない。
 決して変わらない部分それが存在する。それが何なのかは、どこなのかは解らない。
 でもそれは、確かに存在している。

 もし昔の僕、過去の自分から変わらなかった、あの部分があるなら?
 それが周りのモノを傷付けてしまったら?
 変わる事で出来た家族とか友人などの大切なモノを、傷付け壊してしまうのだとしたら?

 それは、そんな事になるのだったら、僕は昔のままの方が良かったのかもしれない。
 決して変わらず、大切なモノと縁のないままに一人でいた方が良かったのかもしれない。

 そんな事を考えてしまう程に今は大切なモノが出来てしまった。

 それを失う事は……本当に怖い。
 そう考えると恋とか愛とかによって、また新しくもっと大切なモノが出来るのだとしたら、恋愛という行為それ自体が怖くなってくる。
 大切なモノ、それが増えるのは純粋に嬉しい。でも怖い。とても怖い。
 もう、誰にも居なくなって欲しくはないから。

 ベッドの中、身体の横に膝を抱えるようにして目を閉じる。
 大切なモノが増えたけど、怖い事も増えた。
 それでも大切な皆が傷付かない事を、壊れない事を願っていく。

 そうした祈りの思考の中、いつの間にか意識は落ちていた。



[28662] Chapter2-8
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/09 15:22
 夏。
 本格的な夏。本格的に夏。

 相も変わらず、日々を襲う熱射と日射。
 何だかそれにはもう慣れたというよりかは、諦めたという感じが相応しい。
 強い日差しの下にあっても休日となれば、街は人で騒々しさと慌しさ、そして活気に満ちていく。
 そんな人々には、よくもまぁと思いはするけど、僕らも今日はそんな人達の仲間入り。

「あー、ほら行くよ?シャル」
「……うん」

 暑さに負けず、笑顔で楽しそうにしている人々の群れ。
 そんな中をどうにも落ち込んでいるシャルの手を引きながら、進んでいく。
 そうやって歩きながらも、思い返すのはつい先日の事だった。



 
 AMS。
 パイロットスーツを介して、機体と思考とを繋ぐコントロールシステム。
 使用には慣れという物が必要だけれど、一度慣れてしまえば機体の操縦性という物は格段に向上する。
 そしてその効果範囲は頭部や手足は勿論の事、人が持ち合わせていないブースターや兵装の使用にもそれが及ぶ。

 機体の機動イメージ。
 それを思い浮かべるだけで、機体はこちらの操作を補助しそれを再現してくれる。
 そのイメージはより具体的であれば具体的である物ほど、AMSによる再現率もまた高くなっていく。
 まぁ、言うまでもなく機体限界を超えた機動は不可能だし、適切な操縦には知識と時には自身の技量という物さえ要求されてくるので、使うのは簡単だけど使いこなすのは容易ではない物だと言える。

 それはさておき。

 機動イメージという物。
 具体的なそれを思い浮かべるには、まずは何が出来て何が出来ないかという事を知らなくてはならない。
 例えば、新たに採用された新装備ともなると、それはさらに顕著だ。
 そこで行われるのが機体のテストという物。それは基本的なデータ取りという意味合い以外にも、搭乗者の慣れという言う意味合いも持ち合わせている。

 こうして現在、機体を加速させているブースター。これもその新装備の一つではある。
 あまり上がって来ない速度、それは今までの物よりその出力が明らかに低い事を示している。
 しかしそれが、この新たに採用されたブースターの特徴でもあるとは聞いていた。
 遅い加速、ただそれだけでは欠陥品なので、それを補うメリットというのがあるのだけれど、その真価という物、それは今も尚、実感はできている。

 視界に表示されているエネルギー消費、それが噴射時間と移動距離に対して格段に少ない。
 それが示している通りに、このブースターが実現させているのは長時間の継戦能力。
 海上戦闘をも考慮に入れているとはシゲさんの言葉だが、ジェネレーターのエネルギー回復速度を考えて見れば確かにそれは十分に可能だろう。

 そうして機体を移動させていると、幾分か速度が落ちているとはいえアメリカ程の敷地はないので、直ぐにその境界が見えてくる。
 さすがに外に出るのはまずい。という事で直ぐさま行うは方向転換。
 AMSを介して機体に伝えられていくそのイメージ。
 それは両肩部に備え付けられた新武装によって、即座に再現される。
 イメージを現実化するかのような、左右のノズルからの一瞬の噴射。
 急激に生み出された推進力で行われた、機体のその場での即時旋回。

 その新武装、両肩部追加ブースターの使用によるエネルギー消費も付随内蔵されている大容量キャパシタのお蔭で、消費の方はほとんど見られない。
 まぁ、短時間での連続使用には本体のエネルギーも使わなきゃいけないらしいけれど。

 それはそうと、とりあえずテストも一通り消化、オペレーターの指示に従いながら予定通り機体をハンガーへと向かわせていく。

『おおー!!』

 それはゆっくりと乗り入れたハンガー内。
 突然聞こえて来た、聞き覚えのあるどこか懐かしい声。

『新装備とか、ズリいぞー!!』

 はしゃぐようなテンション。
 センサーが捕捉した先にいるのは短い金髪にむんっと腕を組んだ暑苦しい筋肉隆々の巨体。

『はぁ。おい、少しは落ち着け』

 その巨体に後ろから蹴りを入れているのは、豹などの肉食動物を連想させるような、すらっとした体付きのどこかクールな印象の女性。
 彼女は文句を言っている筋肉達磨を無視すると、やがてこちらに向けて手を挙げながら口を開いた。

『やぁ、久しいな少年!』

 それはやはり懐かしい姿。
 もう数カ月ぶりになる、アメリカで別れたはずの人達。
 ジャックとラナ、二人の姿が何故かそこに現れていた。


「しかし、面白い事になっているようだな?」

 テストを終え、対Gスーツから着替えた後、いつものようにベンチに腰を掛けているとラナがそんな事をいきなり言い出して来た。

「面白い?」

 その意図をよく理解ができず、首を捻っていく僕。
 どうにも困惑しているこちらの様子を見ながらも、ラナがその言葉を続けていく。

「ああ。無人機にBFF、この間はローゼンタール……。いやはや千客万来、大人気じゃないか?」

 大人気ね……。
 まぁ、それはたしかに周りから注目とか期待とかが集まるのは悪い気分ではないけど。

「敗戦続きですけどね」

 というか、厄介事にも巻き込まれてる事は喜んでいい物なのだろうか?
 そのお陰で貴重な経験を積めてはいるのだけれど。
 それに実際の戦闘結果を考えてみると、個人的にはそう何とも喜べる物でもない。

「それは当たり前だろう。そんな簡単に超えられるようなら、伊達に最強などと呼ばれてはいないさ」

 そういってラナはモニター上、到着して早々シャルのラファールと交戦しているジャックを見やる。
 こちらもそれに合わせて、その備え付けられているモニターに目を移す。

 飛び回るラファールと焦った様子で追いかけようとするガイア。
 だが、元より機動性に劣るガイアではラファールに付いていく事が出来ず、常に死角を取られ直撃弾を浴びせ受け続けている。
 またそれに加え、ラファールは二枚の背部ブースターから繰り出されるクイックブーストによる高速機動を行いながらも、自律兵器『オービットカノン』を射出し続けており、はっきり言って鈍足のガイアは碌に回避行動がとれずに、先程から本当に一方的に被弾している。
 正直な所、今は硬い装甲で持ち堪えてはいるけれど、ガイアが単独で相手取るには厳し過ぎる。

 そんな一方的にやられているジャックの姿に、ラナはそれがさも当然であると言ったような表情で言葉を続ける。

「だが勘違いはするなよ?ISは最強の個であっても、無敵の存在ではない」

 何だか大事な事を言ってはいる気はするのだけれど、どうにもシャルとジャックの戦いの方が気になって仕方がない。
 ……って、あ、斬られた。

「それを証明させる為に、私達がこうして今、日本を訪れているのだからな?」

 エネルギーブレードをコア部に喰らい機能を停止させているガイア。それを行ったシャルはその様子を映し出すカメラに向かって手を振って来ている。
 その映像を眺めながらもラナの言葉に耳を傾けてはいたが、その中に何だか少し引っ掛かる部分がある事に気付く。

 ……証明?というか訪れる?

「それってどういう事ですか?何だか直ぐどこかに行っちゃうような言い方ですけど」

 そりゃあ、機体まで持ち込んでるんだから、ただの観光ではないと思ってはいたけど。

「ん?聞かされてないのか?今度のトライアルに私達も参加するだろう?」

 トライアル?……いえ、全く聞いてないです。

「おいおい、しっかりして欲しいもの何だが」

  しっかりも何も聞いてない物は聞いていない。何だか最近、キサラギの上層部が慌ただしいという話は耳にしていたけれど。

「……いや、つまりだな」

 そうして、ラナが説明するにはこうだった。

 合同トライアル。
 それは米軍によって行われる性能評価試験。
 元々、僕らに出番はなかったはずだったのだが、そこでトライアルの中核というか本来のトライアル機体を開発しているGAが、ACつまりアーマード・コアを有する事となったクレストに対して挑発を実行した。
 それをクレストが真に受けてしまった物だから、大変な事に。
 そんなこんなで、GAに反発して怒りに燃えるクレストによって、急遽僕らのゲスト参加が決まってしまったらしい。

 クレストはやる気満々、燃えに燃えて、奴等を伸して来いと無茶振り。
 ミラージュはそれを絶好の機会だと大賛成。
 キサラギはまだまだ時期尚早とクレストを諌めようとはしてたらしいけど、クレストから来た多額の追加予算の前に見事に閉口。
 結局は最大のスポンサーと大切な開発資金を相手に口出しはできなかったという訳だ。
 というか、実際には未だにキサラギが渋ってはいるみたいだけど、こうしてクレストから人員を送られては、将棋?で言うツミの状態にあるのだろう。

 そうやって僕らが参加する事になったそのトライアルの期日が、シャルが参加するIS学園の学校行事、臨海学校のスケジュールとも被ってしまっていた。


 そうしてその日の午後、ジャックを撃破して意気揚々とハンガーに戻ってきたシャルが、その話を聞いて落ち込んでしまったのがつい先日。
 それを見たシゲさんやラナ達が何とか元気を取り戻して来い!と僕らを送り出したのが、今日の午前中。
 そして、中々気分が戻らないシャルの様子に少々慌て気味なのが、今現在という事になる。

「シャル、大丈夫?」
「……うん、大丈夫だよ」

 どんよりとした空気を纏いながら、溜息をついているシャル。
 本当に僕らの方に参加できない事がショックだったらしい。

 トライアルへの参加期間は、同時に行う海上テストを含めて三週間超の予定。それに対して学園側の臨海学校は三日間。
 その為、シャルも臨海学校が終わり次第に、こちらに合流すれば良いとは言ってはみた。
 しかし実際にシャルがその申請をしてみても、トライアル参加の許可がデュノア社から降りる事はなくて、その結果、移動時間、その他諸々を考えると約一ヶ月程はこちらと別れるという事になり、シャルはこうして落ち込んだ様子を見せている。

 ……でも本当に、どうしたら良いんだろう?

 その落ち込み様、正直言ってかなり深い。

 元々シャルが行ってみたいと言っていた場所だったので、今日はこうやって遊びに来てみたのだけれど。
 電車の中で話し掛けても、その落ち込みようは拭えなかったし。
 皆に薦められていた映画に行ってみても、どうにも頭にその内容が入っていない様子だったし。
 仕舞いには、ラナ謹製の指針書というかラナやキサラギスタッフの人達がいつの間にか考案作成していた、お勧め場所一覧を見ながら行き先を考えていっても、今のシャルを元気付けられるような物、場所が全く解らない。

「とりあえず、何か軽く食べとこうか?」
「……うん」

 話しかけてみても、やはり未だにどんより空気のシャル。
 近くの店からクレープを適当に二つ買い、近くの休憩スペースに腰を下ろして、それを二人で食べていく。
 柔らかい生地に甘い生クリーム、そこに加えられたラズベリーソースの酸味、確かに美味しいとは思うのだけれど、今は何だか味気ないというか何と言うか。
 まぁ、理由は言わずもがな。

 どうにも落ち込んでいるシャルの事が気になっていて、食べても食べた気が全くしない。
 以前に僕が落ち込んでた時は、シャルとシゲさんのお陰で直ぐに立ち直れたのだけど、僕にはそれが上手く出来ない。出来そうにない。
 何だかその事に対して、無性に無力感と共に悔しさを感じる。

「……ダメだな、僕は」
「え?」

 クレープを片手に思わずこぼれてしまった言葉と、シャルの僕の言葉に対する反応。
 その様子に自分自身が先程考えてしまった物、それを思わず声に出してしまう。

「いや、僕は無力だなってさ。……ホント、役に立てなくてごめん」
「そんなことないよ!」

 僕が口にした言葉とシャルが発した強い否定の声。
 その声は周囲にも響いていて、周りを歩いていた人達が少しこちらを窺うような視線を送ってきている。
 正直、あまりに突然だったので僕もかなり驚いた。

「……ごめんね。いきなり大きな声出して」

 その後、本当に申し訳なさそうに謝ってくるシャル。
 それは元々こちらの言葉が原因なので、逆にこちらも謝っていく。

「僕の方こそ……いきなり、変な事言っちゃって」
「私こそ、ごめん」

 僕がそうして謝ると、また何か落ち込んだ様子を見せる。
 そこで感じるのは、そんな様子と共に訪れる気まずいというよりは何となく重たい空気。
 何が悪いって訳じゃないんだけど、互いに一歩足りないような、出来そうなんだけど今はどうしようもないような感覚。

 個人的には好きな空気ではないので、どうにかしたいとは思う。
 きっとシャルも同じ事を考えているとも思う。
 でも打開策は浮かばない。本当にどうすれば良いのか。どうすればシャルを元気付けられるのか?励ましてあげられるのか?

 何とか考えてはみても、やっぱりダメだ。
 まともなというか、真っ当な物が浮かんでこない。
 本当に足りない人生経験。発想力。その他色々。
 こんな時に、何のアイディアを浮かべられない自分の頭がどうにも恨めしい。

 そんな空気のままに、進展も無く時間だけがただ過ぎていく。
 やがてクレープも食べ終わってしまったので、包みを捨てる為にとりあえず腰を上げる。

 しかし、そうして立ち上がったそんな時。

「ほら?お姉さん、元気だして」
「え?」

 本当にいきなりの状況というかタイミングで僕らに言葉が掛けられていた。
 それによって聞こえてくるのはシャルの少し驚いたような、どこか呆気に取られたようなそんな声。

「そこのお兄さんも、もっとしっかりしないと。女の前でシャキっとしないやつは男じゃねー!……らしいよ?」

 シャルに向けられていたそれが、今度は僕の方へと向けられていく。

「そうか、いや、そうだね」

 だがその掛けられた言葉、それは確かにもっともな、実に的を得ている物ではあった。

 今日はシャルを元気付ける為に来てるのだから、確かに僕が落ち込んでいても仕方がない。
 むしろ逆に僕がもっと頑張らないでどうするというのか。
 アイディア、出来る事の引き出しは確かに少ないけれど、それでも、落ち込んだシャルをそのままになんて選択はまずない。
 ……押してダメなら押して押して押し続けるのみ。
 何とかどうにか諦めず、シャルの気を晴らすべく行動に次ぐ行動を心掛けよう。

 そうと決まれば、気合いを入れろ、僕。
 いつまでも自身が落ち込んでる暇なんてないし、シャルの落ち込んだ表情を見ていたい気持ちなんて、更にないのだから。

 と、早速行動に移ろうとは思ったけどその前に。やはり、明らかにしないといけない事がある。
 それは自分に頑張れと言い聞かせてから、ようやく深く疑問に思った事。
 いつの間にかいた第三者、僕とシャルとに話し掛ける見知らぬ存在の事。

「えっと……君は?」

 立ち上がったままに、話し掛けられた方向、そちらを直ぐに振り返る。
 だけどそこには誰の姿もない。
 しかし視界の下方、微かに入っていたのは少し跳ねた黒い物体。
 その黒を追い掛けて視線をずっと下げていくと、そこには僕らに話しかけて来たと思われる幼い少年がいた。

「ぼく?」

 そう言って、自分の事を指差しながら首を傾げる一人の少年。
 おそらくというか、多分十歳にも届くか届いてないだろうという年齢。

「ぼくはシズカだよ。お兄さん」

 そんな少年が笑顔を浮かべながら、話し掛けてきていた。



「それで?お兄さん達は何でまたケンカなんてしてたの?」 

 先程、シズカと名乗った少年。
 彼が僕とシャルとの間に座り、まるで小動物のようにクレープをぱくつきながらこちらへと尋ねてくる。

「……別に私達はケンカなんて」
「うん。別にケンカをしてた訳じゃないよ」

 そう僕らはケンカなんてしてはいなかった。
 ただシャルが落ち込んでて、それを僕が励ます事が出来てなかっただけ。

「ふーん、そうなんだ。でもせっかくあそびに来てるんだから、もっと楽しめばいいのに」
「それはそうなんだけどね」

 そうして、少年の言葉に答えている時に何か視線を感じるなと思ったら、シャルが申し訳なさそうな表情を浮かべてこちらを見つめて来ていた。
 ……まったく、別にシャルが悪い訳じゃないのに。

「まぁ、別に良いけど」

 こちらの話を妙にさばさばとして態度で聞き流す、何だか大人ぶったというか、どうにも背伸びをしている感のある少年、シズカ。
 そんな印象はあるのだけど、美味しそうにクレープにかぶりつく光景は歳相応の幼さを感じる。
 そうやって食べ続けているシズカ少年。すると今度は、何かを思い出したようにそれをこちらに問い掛けてきた。

「そうだ!……ねぇ、お兄さんお姉さん。セレンを知らない?」

 その単語、セレン。それは何を指し示す物なのだろうか?
 そんな名前の元素があった気もするけれど。

「えっと、それは誰かの名前?」
「そうだよ」

 まぁ、そうなんだろうね。
 いきなり元素名を聞かれても、こっちは反応に困る。

「……ねえ、シズカ君?お母さんかお父さんは一緒じゃないの?」
「お父さん?お母さん?ちがうよ、セレンだよ」

 そこで僕に代わるように彼へと問い掛けたのは、シャルの声。
 それに返ってくるのは、少年のそうではないという主張。
 でも、親ではないとすると姉か妹なのかな?
 確かセレンというのは女性名だったと思うし。

「セレンはセレンだってば」

 うーん?
 姉妹説も外れ。もしかしたら友達?
 しかし、この年齢で友達とだけでここに来るとは思えない。

「それじゃ、そのセレンって人がどうしたの?」
「うん。セレンの買い物が長くなりそうだったから、ちょっと散歩してたんだけどね」

 セレンさんとやらについての質問をしてみると、返って来たのは予想外の答え。一瞬、その言葉に意識が固まる。

「それでもどったらさ、セレンがいなくなっててさ」

 いやいやいや……。

「そしたら、セレンが迷子になっちゃって」

 いやそれは……。

「まったく困るよね?良い大人が迷子だなんて」

 こちらが抱いた疑問もいざ知らず、誰かの真似をするかのように、やれやれと肩を竦めるような仕草を見せているシズカ少年。

「えーとさ、シズカ君、いや、シズカって呼ばせてもらうけど」
「べつに良いよ。それでどうかした?」

 彼は相も変わらずの様子で、セレンが迷子であるという事を信じて疑ってもいない。

「……それってそのセレンって人が迷子なんじゃなくて、君が迷子なんじゃないのかな?」

 これがシズカの話を聞いた僕の個人的な意見。というかむしろ一般的にもこう思うんじゃないだろうか。

「なに言ってるの、お兄さん?ぼくは来年には十歳だよ?迷子になるはずなんてないよ」

 こちらの言葉に今度は、どうだと言わんばかりに胸を張って答える目の前の少年。
 それは十歳という響きにどこか誇らしげで自信満々と言った態度。

「いや、でも、初めにふらふらっと店を出ていったのは君の方だろ?」
「うん、そうだけど?」

 それでもまだ理解できていないというか、よく分かっていないというか。

「普通はそれを迷子って言うと思うんだけど」

 多分というか、確実に。
 僕が勘違いとか、聞き違いとかをしていなければ完全に。

「え?」

 そう言って、黙り込んで考え込む目の前の少年。
 何とは無しにシャルの方を見ると、こちらの意見に同意をしてくれている様子で仕切に頷いてくれている。

「……なに?もしかして、セレンじゃなくてぼくが迷子なの?」

 やがて、沈黙を破り口を開いたシズカ。
 その様子は先程とは大きく異なり、本当に真剣な様子だ。

「うん。多分」

 それに答えるのは一言。
 この子が無意識の内にではあっても、迷子になっていた事を疑う余地は全くない。
 でもそうなってくると、そのセレンさんという人は今頃、この子を懸命に探し回っているのではないだろうか?

「そっか、ぼくが、迷子なのか」

 僕がそうやってセレンさんについて考えていると、不意に自分に言い聞かせるような口調が聞こえて来た。
 だけど、その声はどこか少し震えていて。

「ぼく、が……迷、子……」

 ……って、泣いてる!?

 何やら変わった声に視線を向けてみれば、そこにあったのは潤んでゆく瞳。目を拭う動作。途切れ途切れになっていく声。
 彼はどうにか泣くのを我慢しようとしているみたいだけれど、それは傍目から見ればどう見ても、完全に泣いている状態だった。

「いや、ほら大丈夫。大丈夫だから!」

 慌てながらも何とか宥めようとはする。
 それでも、泣き出したら止まらないというのが子供という物。
 そのままシズカは、顔を歪ませえぐえぐと泣き始めた。
 彼もさっきから、ずっと何とか泣くまいと必死に涙を抑えようとその目を拭ってはいる。
 しかしそうやって拭う度に、涙は瞳から溢れ流れ落ちていっていた。

「……あー、泣くなというか、泣かないで」

 それを見て懐かしさを感じると共に、そんな目を擦り泣き続けるシズカの頭を軽く撫でていく。
 掌に感じるのは見た目通りに小さな感触と、泣いている事で体温が上がっているのか、少し高めの温かさ。
 そうして撫で続けていると、突如僕の腹から鳩尾の辺りを一瞬の軽い衝撃と重さが襲う。

『泣いてないもん』

 日本語訳にするとそんな感じの事を言いながらも、いきなりしがみついてきた少年。
 丁度僕の腕の中では、セレンさんとやらに何かを言う声と一緒に泣き声が聞こえている。
 時折、ずぴーという確実に泣き声じゃない物も聞こえては来ているけど、今は着ているジャケットよりこちらの方が心配だ。

 えぐえぐ、ずぴー。

 聞こえてくる音が示す通りに、現在進行系でジャケットにはダメージが募り続けていく。
 でも今は、しがみつかれたままの体勢で待機中。
 始めの勢いこそは既に見られないが今も尚、泣き続けるシズカの背中を手で支え、鼓動に合わせたリズムを取りながら、どうした物かと考える。

 ……まぁ、結論は決まってるのだけれど。

 泣きたいなら泣きたいだけ、泣かせておけば良い。
 つまりは、泣き止むのを待つしかないという事。

 そんな体勢でただただ待っていると、不意に僕の懐へと伸びていく腕が見えた。
 懐の未だにえぐえぐと泣いているシズカに対して伸びる、どこか見慣れた女性らしさを感じさせるその手。それはやがてシズカに到達すると、優しくその頭を撫で始める。

 伸びて来たその方向。
 そちらに顔だけを向けて見てみれば、あの落ち込んだ様子をどこかに飛ばし、シャルが優しげな表情で彼に手を伸ばしていた。




「お兄さん、お姉さん!さっきのことは絶対内緒だからね!」

 あれから、シズカがようやく泣き止んだ後、涙やら何やらで大変な事になってるジャケットを脱いでから目的地へと向かっていると、いきなり彼が突っ掛かって来た。

「はいはい、内緒ね内緒。君が大泣きしてたのは誰にも言わないよ」
「絶対だよ!絶っ対だからね!」

 了承の返事にも少し焦った様子で、念を何度も押してくるその小さな姿。
 正直、何だか子供らしくて和む。

「ふふっ」

 その必死な様子を見て、同じような事を考えたのか、シャルは思わず笑みを溢してしまっている。

「あっ、笑ったな!なんで笑うんだよ!」

 その笑いに対して、ぷんすかという擬音が似合いそうな様子で軽い怒りをあらわにする幼い少年と、その反応を見て再び笑みを浮かべる、先程まではどうにも落ち込んでいたはずの少女。
 横から見ていても、それは何とも穏やかなというか和やかな光景だと思う。
 まぁでも、何はともあれ、シズカもシャルも一応は元気になったみたいで良かった。

 頬を膨らませながら詰め寄るシズカと、そんな迫り来る小さな頭を再び撫で始める事で迎撃していくシャル。
 次第にシズカは始めの勢いをどこに忘れてきたのか、段々と大人しくなり為すがままに撫で回されている。
 見ているだけでも何だか面白いので、ずっとこうして二人を眺めていても良いのだけれど、シズカの事というか彼を探しているだろうセレンさんの事を考えると、こうして立ち止まってもいられない。

「おーい、二人共?」

 そんな二人に声を掛けると揃ってこちらを向いて、はーい、という返事をした後、再び歩き始める。

 僕の右手にはシズカ。シャルの左手にもシズカ。
 二人で彼を挟んで歩く姿はまるで、20世紀にあったというロズウェル事件の写真のようにも見える。

 まぁ、案外間違ってはいないかもしれない。
 泣き止んだ後のシズカの行動と言ったら、あちらこちらにちょろちょろと確かに迷子になった事も頷けるような行動と様子だったから。

 そんな彼を拘束する為に、シャルが考案したのがこの歩き方。
 とは言っても、シズカも別にそれを苦にすることは無く、楽しそうに話をしながら歩いているので全く問題はない。

「へぇ、お兄さん達はアメリカから来たんだ?」

 そしていつの間にか、話は僕らの出身というかどこから来たのかという話題に。

「まぁ、正確には僕が北アフリカからで、シャルがフランスからなんだけどね。……場所は分かる?」
「何言ってるの?ぼくだってもう子供じゃないんだよ?それくらい知ってるよ」

 自分で色々と言ってるだけはあって、確かにシズカはその歳にしてはかなり賢い。
 でもやっぱり、時々見せる大人ぶった姿が、逆に子供っぽさを強調して見えるけれど。

「でもそうすると、お兄さんもお姉さんもぼくの所と近いんだね」
「僕の所って?」
「うん。元々ぼくはイタリアにいたからね。そこでセレンと会って一緒に日本に来たんだ」

 へぇ、日本人じゃなかったんだ。てっきり名前といい髪色や顔付きといい、日本人だと思ってた。
 まぁ、それはさておき、セレンさんはイタリア人なのか。
 そして、そのセレンさんについて語るその言葉とか表情を見る限り、シズカにとってはきっと家族のような人なんだろう。

「でも良かったね。もうすぐそのセレンさんにも会えるよ」

 そんなシズカの身の上話を一緒に聞いていたシャルが、笑いかけながら前方を指差す。
 その方向、歩いていく先、そこには施設のインフォメーションセンターが見えて来ている。
 僕たちの目的地、ここでセレンさんを呼び出してもらえば、きっとすぐにでも駆け付けてくれる事だろう。

 でも、その前に……。

「そういえばシズカ。君のフルネームって何て言うの?」

 インフォメーションセンターで呼び掛けをしてもらうにしろ何にしろ、ファーストネームだけではどこの誰かも分からない。
 シズカだけでその受付をさせてしまうのも可哀相だし、代わりに請け負ってしまおう。

「霞」

 僕の問い、それに対してシズカは一言、そう答える。

「霞シズカ。それがぼくの名前だよ」





「ばいばーい!お兄さんー!お姉さんー!」

 シズカの遠ざかっていく声。
 そんな再会の喜びをにじませた声には、手を振って応える。

「じゃあねー!シズカ君ー!」

 シャルもまた、シズカに届くようにと声を掛けながら手を振っている。
 シズカと僕らのやり取り、それを見て彼の保護者いや母であるセレン・ヘイズさんが、その黒髪をこちらに軽く下げた後、その手で小さな手を大切そうに握り、そのまま歩いて行く。

 あの後、インフォメーションセンターに着いたのち、直ぐにシズカがインフォメーションセンターで待っているという館内放送を流してもらった。
 やがて半ば駆けるようにしてやって来たのが、黒髪の眼鏡をかけたパンツルックの女性。
 そして彼女は、シズカを確認するや否や彼を即座に強く抱きしめていた。

 そんなシズカを抱きしめていた西洋風ではなく東洋風の女性、セレン・ヘイズさん。
 ちょろちょろと迷子になっていたシズカに対して、幾分か文句こそは言ってはいたけれど、その顔には明らかな安堵の表情が浮かんでいて、彼の事を余程大事に思っているというのは、見ているだけのこちらにも十分に伝わって来ていた。

 ちなみに僕らもシズカだけを置いていくのは嫌だったので、彼に付き合う事にして一緒に話をしながらその迎えを待っていた。
 ……でもまぁ、セレンさんが直ぐにというか、本当に一瞬で来たので大した時間は経ってはいない。

「でも、良かった」

 そうして手を繋いで歩いて行く二人を見送っていると、シャルがその遠ざかっていく背中を見ながら口を開く。
 その言葉が何を指しているのかは解っているけれど、一応、何が?と尋ねてはおく。

「シズカ君がセレンさんに会えてさ」

 まぁ、それは確かに。
 二人共、互いに少し言い合ってはいたけど、その顔には常に笑顔があった。

「そうだね。でも僕の方としては、もう一つの意味で良かったと思うよ」
「何が?」

 今日あった、良かった事。
 そこに個人的な物を付け加えさせてもらう。

「だって、ようやく笑ってくれたから」

 それが僕じゃなくてシズカのお陰だって事を考えると、何だか少し悔しい気持ちもするけれど。
 まぁ、それでも良かった事には違いはない。
 むしろシズカには悪いけど、迷ってくれてありがとうと感謝をするべきなのかも。

「……本当に今日はごめんね?」

 僕の言葉に対して、何だか申し訳なさそうな表情を見せてくるシャル。

「ん?何が?」

 何に謝ってるのかがよく分からないので、それを聞いていく。

「私を励まそうとしてくれてた事」

 なるほど。でもそれはこっちの台詞でもある。

「そんなの、むしろ僕こそあんまり役には立てなかったみたいで、ごめん」
「そんなことないよ。気持ちは伝わって来てたよ」

 ……そう言ってもらえるとホントに助かる。どうにも上手くいかなくて少し凹んでたのは確かな事実だから。

 そんなとりあえずの内心の安堵と共に、インフォメーションセンターからどこへともなく歩き出す僕たち二人。
 すると正面のどこかを見ながらも、シャルから再び言葉が紡がれていく。

「……でも、やっぱり長い間離れちゃうのは悲しくてさ」

 ……きっとそれは、変えられない事だから仕方ない。

「私、何だか自分の事ばっかり考えてて……本当にごめんね」

 ん?
 でもそれは謝られる事なのかな、とは個人的には少し疑問に思う。
 楽しいとか悲しいとかは、結局は個々人の感情、所有物な訳で、無理に人と合わせる物でもないんじゃないかと。

 今日だって別に、シャルにこっちの願望と合わせて欲しいと思って遊びに来た訳じゃないんだし。
 そう、だからこそ。

「いや良いんだよ、それで」

 そして加えて、何より。

「僕はシャルに元気になってもらいたかっただけだから。今日なんて僕らの我が儘みたいな物なんだし」

 無理に振舞ってもらうのではなくて、根本的に心の底から元気になって欲しかった。ただそれだけの事。
 それに対しては、変な我が儘だねという言葉がシャルからの反応。
 だけど、そんな少し可笑しそうに笑っている彼女に対して、ちょっとした安堵を覚えると共に聞きたい事が一つだけあった。

「……でもさ、何で急に元気というか、元に戻ったのか聞いてもいい?」

 それは、その理由。
 シズカがきっかけになって、元気を取り戻した事は分かった。
 しかし、そのシズカの何がシャルに元気を与えたのかがよく分からない。
 そういった結果や始点よりかは、過程の方が知りたい。今後の参考という意味でも。

「うん。……やっぱり別にさ、離れちゃう事が悲しくなくなったとかそういう事じゃないんだ」

 質問に答えてくれるシャル。
 答えとなる言葉とは裏腹に、その表情と口調は少し明るい物だ。

「でもね、シズカ君の泣いてる姿とセレンさんと再会して笑った姿を見てたら、私たちだってまた会えるんだからって思えてさ」

 その表情には、先程の二人が再会していた時の事を思い出したのか、どこか嬉しそうな色が浮かぶ。

「そうしたら、少しの別れを悲しむよりは今を楽しもうって思えて来てね」

 つまりは、シズカとセレンさんを自身と僕らに見立ててたって事で良いのかな?
 一時の別れ(迷子)でも、またいずれ会えるという事で。
 実際には迷子になる事なんて予想は出来ないだろうけど、今生の別れでも無し、悲しむよりかは楽しめる時に楽しまないと損だって事で。

「そっか」
「うん」

 僕の一言の同意に返って来たのは、肯定の頷き。

 如何に別れの前の今を楽しむか。
 そんなシャルの言葉、確かにそれはもっともな事ではある。
 でも、その別れの真っ最中でもただ単に悲しさだけがある訳でもないと思う。

「まぁ、僕らは一ヶ月くらい会えないのかもしれないけど、電話とかなら向こうからでも出来るし」

 それは、別れの最中での楽しみ。別れを感じさせない為の物。

「後は、そうだね……僕らが日本に帰る時には、ちゃんとお土産も買ってくから。それにその時は会えなかった分、後でどこか遊びに行こうよ?前に言ってた動物園とか水族館だっけ?そこに行っても良いしさ?」

 これは別れの後での楽しみ。
 寂しさや悲しさを一時感じても、その後に大きな楽しみがあればどうにかなるのではと思っての事。

「……動物園に水族館かぁ、うん、楽しみかも」

 そこでの光景を思い浮かべたのか、少し表情を緩ませたシャルの様子。
 可愛い物好きを自称するシャルにとっては、その二つは中々に良い所ではあるらしい。
 アメリカでモノクロの肉食獣パンダがどうのと、シャルとラナとが言っていたのは覚えている。折角、東京に程近いのだから、それがいるという動物園に行かなきゃ損だという物だろう。

「ああ、でもその前に」

 後々の楽しみの前に、忠告というか助言というか激励というか声援みたいな物を送っておく。

「臨海学校の方を頑張ってというより楽しんできなよ。ラウラさんやセシリアさん、一夏も一緒なんでしょ?」
「そうだよ?」
「だったら、まずはそっちをね。こっちはこっちで頑張って来るから」

 というかよくよく考えなくても、普通に考えてシャル達の臨海学校の方が僕らのハワイ遠征より遥かに楽しそうだ。
 ハワイも観光地として有名ではあるけど、どうせ僕らはクレストとGAとの企業間闘争に巻き込まれて、それ所じゃないだろうし。海は海でもどうしてこんなに差があるのか。
 正直な所、ケンカをするのは良いけれど、その影響を直に受ける僕たちのような存在の事も考えて欲しい。

 ……まぁ、そんな陰鬱な事を今だけは忘れるという意味も込めて、今日これからは本当に楽しんでいきたい。シャルもこうして元気になった訳だし。

 そうやって改めて、今日という日に気を入れていると隣を歩くシャルから声が掛かった。

「ねえ?これから行きたい場所はある?」

 それは僕に対する質問というよりかは、ある種の確認の意味を込めた物だとは思う。
 その言葉のニュアンスから推測するに、きっとシャルには行きたい所があるのだろう。
 なら、僕はそれを最大限尊重するだけだ。
 何たって今日はシャルに元気を出してもらう改め、シャルに楽しんでもらうための休日なのだから。

「大丈夫。今日はシャルの好きな所にどこでも付き合うよ」

 僕の答え、それに聞いて隣のシャルはそっかと言葉を一度置くと、少し頬を赤くしながら何かを決心したかのように口を開いた。

「そ、それじゃあね……ちょっと、買い物に付き合って貰えないかな?」

 その不自然というか少し不審な?シャルの様子に多少の疑問は残ったけれど、僕が対して返すのは軽い了承。
 返された言葉に満足したのか、そっかと再び呟くすぐ隣の彼女。
 すると、シャルはそのまま顔を赤く染めたままに、どこかへと歩みを進めていく。
 何だかその表情や行動から、嫌なというより困った事になりそうな気配をひしひしと感じはするのだけれど、了承してしまった手前それを今更取り消す事なんてできはしない。
 そんな気配に小さな溜め息を心に一つ零し、しょうがないなと肯定的な諦めも一つ付けておく。

「待ってよ、シャル」

 握られた手を介して、引かれていく身体。
 それを彼女の横に着けるようにして並べていく。
 すると先程の早いペースの歩調が緩んで、やがてゆっくりとした速度へと変わった。
 そんな減速をしたお隣さんを横目で窺ってみれば、そこにあるのは前を向いたままの、何故か未だに赤い顔。
 何でいきなり顔が赤く染まったのかは今もよくは分からないけれど、そのまま二人で並んだままに、目的地に向けてゆっくりと歩いていく。

 まぁ、確かに、これから一ヶ月、一時の別れが存在しているのは間違いはない。
  だけどそれは、こうして過ごす今に比べてみれば本当に些細な物に過ぎないのだろう。
 並んで歩きながら、そんな事を考える。

  ふと上を見てみればそこには広がる青と照り付ける太陽。
  そんな空は未だに明るいままで、日が沈むにはまだまだ早すぎるみたいだった。



[28662] Chapter2-9
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/10 22:50
 トンネルを抜けると雪国であった。

 それは昔の日本の有名な小説での一文らしいけれど、もちろん今ここでそんな事は有り得ない。
 だけど、トンネルを抜けて見えたものがあるのは本当のことだ。

 こうして覗く窓の外には、青い空に平行となって広がっていく深い青が見えている。
 海。
 空を深く写し出したような海が、遠くに向けてずっと広がっている。

 その光景を目にして、にわかに賑やかになる車内。
 隣に座っているラウラにも、その顔にはやっぱりワクワクとした表情と少しそわそわとした緊張の表情とが混ざり合って浮かんでいる。
 そんなあやふやなラウラの表情が何だか可笑しくて、ついつい少し笑いを浮かべてしまった。

 するとそれが気に入らなかったのか、むむっ、と小さな唇をヘの字に曲げて、どこか不満げというか訝しげな視線でこちらを覗き込んでくるラウラ。

「どうしたの、ラウラ?」
「どうした?それはこちらの台詞だ」

 怒っているわけではないのだけれど、唇を少し尖らせているその様子はやっぱり少しどこか不満げ。

「ごめんごめん、でも何だか、ラウラが可愛いくてさ」
「か、可愛いだと?」

 という事なので、今の様子も含めての正直な私の感想を述べさせてもらう。
 その当のラウラは可愛いと言われて嬉しさを隠そうとはしてるけど、慌てているのが丸分かりで面白い。

 でも、そんな少し落ち着きのない姿もまた、ラウラの女の子らしさを際立たせていて、やっぱりとても可愛いらしく見える。

「うん。……水着、一夏に褒めてもらえると良いね?」
「う、うむ。まぁ、あいつは私の嫁だからな。それに、嫁が水着を褒めるのは当然の事だと聞く」

 少し弾んだ調子で知識をひけらかすようにして言っている、隣の席の彼女。
 どこでおかしな知識を刷り込まれて来たのか、一夏は私の嫁であると常日頃、宣言というか公言している。
 それだけで一夏に対する変化というのは分かるのだけれど、その他の言動や行動を見ていても、あれから時間が少し経っただけなのに、以前と比べてのラウラの変化というものが見て取れる。

 私達が戦ったあの日から復帰して以来、常にその身に纏っていた刺々しさは無くなって、誰に対してもきちんと言葉を返すし挨拶もするし、時には何と、クラスメイトにアドバイスをしてあげたりもしている。
 確かに相変わらず、口調や性格はまだ堅いとは思うけど、それでも本当に良い方向に変わったと思う。

 どれもこれも、それは一夏によって助けられた事がきっかけになっているのだろう。
 本当にその事に、一夏には感謝がしたい。
 何だか学校を離れても、自身の所属部隊やローゼンタールの人達とも、良好な関係が築けつつあるみたいだし。

「さてお前達、もうすぐ宿へと到着する。もうそろそろ騒ぐのを止めて席に着いておけ」

 どうにもやっぱりそわそわとする姿を眺めながらそのラウラについて考えていると、織斑先生の声が走行するバスの中に響いた。
 その声によって静まり返る車内。それでも皆の空気と表情は明るいままで、誰もが、今か今かともう待ち切れない様子。

 窓の外を再び見てみれば、目的の宿らしき建物が少し小さく見えて来ている。
 どうやら本当にもうすぐの到着のようだ。

 さてこうして、ホントに後少しで着く目的地。
 IS学園の学校行事、臨海学校、それが今、本格的に始まろうとしていた。






 青い海。青い空。一面に広がる金砂。

 楽しそうな歓声を上げながら海へと駆けていくクラスメイト達。
 その身に包むのは、今日の為にと選んで来たと思われる多種多様、いろんなカラーリングや形の水着。
 中には着ぐるみなのかな?何だかというよりなぜか、そうとしか見えないものを着ている人もいる。

 あの後、旅館に到着して、荷物を置いた私達を待っていたのは、お前達は自由にしていて良いぞという、織斑先生お墨付きの言葉を得た自由時間だった。
 それを聞いた私達は早速行動に移って、直ぐさま水着へ着替えると広がる海を目指し、更衣室を飛び出して行っていた。

 そうやって皆を眺めている私達も、当然着替えは終了している。
 うん、着替えの方はとっくに終わっているのだけれど。

「ねえ、ラウラ?早く行こうよ?」
「だ、だが、しかしだな!」

 だけど私の目の前、そこにあるのは頬を赤く染めたままバスタオルに包まったラウラの姿。
 あれだけ、バスの中ではワクワクとした様子を見せていたのに、どうにもそんなワクワクよりドキドキ、そわそわという方が今は勝ってしまったようだ。

「ほら、一夏に見てもらうんでしょ?」
「そ、それは、そうなんだが……」

 一夏というフレーズを聞くともっと赤みを増して、ぎゅっと被っているバスタオルを握りしめるラウラ。
 羞恥心とかそういったものでためらって、バスタオルに包まっているのだけれど、正直言ってそれでもその様子は可愛い。
 同性の私から見ても、何だか悶えてしまいそうな可愛さがそこには存在している。

 でも、何でそこまで恥ずかしがっているのか?
 それは確かに羞恥心というのもあるのだけれど、どうやらラウラは自分の体つきにコンプレックスを感じているみたいで、それを一夏に見てほしくないという気持ちが心の中にあるようだ。
 それでも水着姿を褒めて欲しいという気持ちもちゃんとあって、それらが攻めぎ合って混乱しているみたいなんだけど。

 ……一夏が見ても、きっと可愛いって言ってくれると思うんだけどなぁ。

 という事で今は、そんな臆しているラウラの手を引いて更衣室のある旅館の別館を離れ、海を目指しながら一夏の姿を探している。

 それにしても、陽射しに熱せられていて砂がとても熱くなっている。
 それは、よもすれば、足にやけどなんかをしてしまいそうな程に。
 そういう意味でも、この間に水着などと一緒にビーチサンダルを買っておいて良かったと思う。
 でも、何だか、その時の事を考えると、ついつい自然と顔が緩んでしまうのを自分でも感じる。

 水着を選んでと頼んでみた時の彼の反応、それは本当に面白いものだった。

 お店の中だって言うのに、大きな声で驚きの声を上げていたから、彼にとっては本当に不意を突かれたものだったんだと思う。
 お願いしてみたその瞬間の心底驚いた表情。水着を見せると徐々に赤くなっていった顔。
 それはそれは、本当に可笑しくて、本当に面白いものだった。

「ん?あれ?」

 バスタオルに包まったラウラの手を引きながら、そんな事を考えていると、前から知った顔が歩いて来ているのを見つけた。

「鈴、どうしたの?」

 それはどこからどう見ても、友人である鳳鈴音の姿に間違いはない。
 でもそうして鈴に話し掛けてはみたのだけれど、当の鈴は顔を少し赤くしてこちらに気付かないままに、何かをぶつぶつと呟きながら別館の方へと歩いて行ってしまった。

「本当にどうしたのかな、鈴?……ってラウラ?」

 そんな何だか様子がおかしかった鈴の背中を見送ると、今度はラウラにも異常が発生。
 急に立ち止まって、バスタオルの中に頭を潜らせて、その状態で何かをもごもごと喋っている。
 そこで気付いたのが、ラウラの視線というか体の向き。
 それは私達の歩いていた先、鈴の歩いて来ていた方向に向けられている。

 同じく私も視線をそちらに向けてみるのだけど、直ぐにラウラの様子の理解に至った。

「一夏!ここにいたんだ。探したよ」
「ん?お、シャルロットか……って」

 そこにいたのは、捜し求めていた標的というか目的。
 トランクスタイプの水着をはいている一夏の姿がそこにはあった。

「あー、それで?そっちの謎の物体は何なんだ?」

 それで挨拶もそこそこに、早速、私の横のバスタオルに包まれた存在を目を付けて、一夏は怪訝そうな表情を見せている。

「あ、うん。……ほら、ラウラ?一夏だよ、水着見てもらいなよ?」
「し、シャルロット!?待て、待ってくれ!まだ心の準備がっ!」

 せっかく一夏がいるのだからと、背中を押して一夏の前に出してあげても、ラウラは焦った声を上げるばかりでバスタオルを放そうとはしない。

 どうしたものかと考えてみると、直ぐに浮かんで来た、ある妙案。

「……お前、ラウラだったのか?」

 それはバスタオルの塊を見て、そんなことを言っている一夏自身にやってもらうこと。
 焦りながら身体を揺らしているラウラの様子を見ながらも、一夏に手招きをして、そっと耳元でお願いをする。

『ラウラの水着が見たいって言ってあげて』
『ん?ああ、別にいいぞ。でも、それよりもだ、一体ラウラの奴はどうしたんだ?』
『それは良いから。とにかく、言ってあげて。分かった?』
『何だか知らんが、了解した』

 何とかもらえた了承。
 よく状況を分かってはいない様子だけど、一夏は早速ラウラに近付いてさっきの言葉を掛けようとしている。
 正直、これは良い案だと自分では思う。
 だって何と言っても、

「なぁラウラ。お前の水着を俺に見せてくれないか?いや、見せてくれ」
「あ、う……そ、そこまで言うのであれば、仕方がない。嫁の願いを叶えるのも仕事の内だからな!だが、しかし、しかしだ!決して、わ、笑ってはくれるなよ……」

 好きな人にそんな事を言われたら、きっと応えられずにはいられないから。

 その一夏の言葉に、おずおずとゆっくりではあるけれど、遂にバスタオルを脱いでいくラウラ。
 そしてその中から現れたのは、水着に身を包むラウラの姿。

 ふんだんにレースのあしらわれたその黒の水着。
 それはラウラの自身の肌の白さや銀髪とも相まって、ラウラのその端正な面持ちをより際立たせてくれている。
 加えて言えば、今も尚、恥ずかしがっている仕草や赤く染まっている顔、縋ってくるような視線、それらが元の可愛さに上乗せされていて、その破壊力がさらに増している。

 ラウラの姿を見つめていた当の一夏も、現にラウラのその姿を見て少し顔を赤く染めながら先程からその言葉を失っていた。

 ……よし、ラウラ。ちゃんと成功してるよ!

 表には出さないけれど、一夏に今も見つめられ恥ずかしげにもじもじとしているラウラに、心の中で賛辞と祝福の言葉を送る。
 というか、それはそうと、一夏の方を再起動させないといけない。

「ほら、一夏?ラウラの水着姿はどう?」
「あ、うん、そうだな。……ラウラ、水着ちゃんと似合ってると思うぜ?」

 一夏が答えた直後、言葉の意味を理解したのか、ラウラの顔がさらに赤く染まっていく。
 まるで湯気でも出るんじゃないかというぐらいに。耳の先までを真っ赤に染め上げて。
 そしてそれは何だか初々しくて、やっぱりとても可愛く見えた。

 うん。とまぁ、何だかそういうことなので、お邪魔虫は退散するとして後は若い二人にお任せしよう。

「それじゃラウラ、一夏。やっぱり陽射しも強いし、私はあっちで少し休んでるね?」

 そんな私の言葉にああと頷き返す一夏と、何ぃっ!?といったように驚愕と焦燥の表情を返してくるラウラ。
 ラウラは何だか助けをこちらに求めるような視線も送っては来てるけど、ラウラだけに聞こえるように、

『……チャンスだよ。頑張って』

 と、一言伝えると、下がっていた眦に力が入り、気持ちを入れ直したようにやる気が満ち溢れている様子へと変わった。

 その二人の歩いていく姿に手を振って、私は備え付けのビーチパラソルの下へと入っていく。
 パラソルは大分前から備え付けられているようで、陽射しを避けた日陰の下のその砂は、この暑い環境の中でひんやりとしていて非常に気持ちが良い。
 本当はビニールシートもあれば良かったのだけど、そんなに都合良くあるはずもないので、足を伸ばしながら、砂の上に直接腰を下ろす。

 目の前に広がっているのは、まさに夏の海というような光景。
 太陽に照らし出されながらも、クラスメイト達が海に砂浜にと楽しそうに騒ぎ立てている。
 さらに、遠くでは一夏とラウラが一緒に歩いているのも確認できる。

 それを眺めつつ、考えるのは今頃は研究所を出て、横須賀に向かっているだろうキサラギの皆の事。

 この間でふっ切れたとは言っても、やっぱり寂しいものは寂しい。
 ラナさんもジャックさんもシゲさんも、彼も。皆、一緒にこうして遊びに来れたらなぁと思う。それはきっと、楽しいんだろうなぁと。
 もちろん、今のラウラやセシリア達と過ごす時間も楽しいけれど、そう思ってしまうものはどうしようもなく仕方がない。

「……ん?誰かと思えば、お前か、デュノア」

 そうやって少し物憂いな気分で砂浜と海の様子を眺めていると、背後から落ち着いたというかハスキーな女性の声が掛けられた。

「織斑先生……」

 その声に振り向いてみれば、ビキニタイプ、髪と同じ黒い水着を身に纏った私たちの担任、織斑先生の姿があった。

 元々綺麗な人だとは思ってはいたけれど、鍛え上げられながらも女性らしさを存分に残している、その完成されたプロポーションもさることながら、今は水着姿ということもあって、やっぱり私たち生徒とは違う、大人の色香みたいなものが感じられるように思える。
 そうやってちょっとした憧れの視線を送っていると、織斑先生が同じパラソル内へと腰を下ろした。

「全く何を落ち込んでるんだ?いやまぁ、大体の予測はついてはいるが」

 そして、私に掛けられるのがそんな言葉。

「大方、キサラギ社の彼らと離れる事になって寂しいといった所だろう?」

 それには鋭いというよりは、どうしてその事をという疑問が先に付く。

「何、予想は付くさ。彼らは最近、有名になっているからその動向は常に注目されている。それにデュノア。お前の現状から言っても、彼らとは一緒には行けないだろうからな」

 私の現状?

「それって、どういうことですか?」

 私の疑問に対して、何でもないように軽く答えていく織斑先生。

「簡単な事だ。お前のラファール、それは試作兵器を積み込んだ実証機なのだろう?」

 まさに正解。それはその言葉通り。
 私のリヴァイヴは、特殊兵装を搭載、運用する実験機としてのチューニングが施されている物だ。
 クイックブーストやオービットカノン、オーバードブーストも、デュノア社が得た新たな機体コンセプトを実現する為の要素でしかないのだから。
 でも、それがなんで、私がキサラギの皆と一緒に行けない理由に?

「まぁ、案外分からないかもしれないがな。確か、米軍主催のトライアル、その主賓はGAだったな?」
「はい。私もそう聞きました」

 私の返事に一度頷く織斑先生。その後、再び話を続けていく。

「もう、それ自体が理由ではある。わざわざ、社の命運が懸かった機密の塊をそんな他企業のお膝元に送ろうとは思わないだろう?」

 ……それは、確かにそうなのかもしれない。
 けど、やっぱりそれは、何となく複雑というか納得がいかないというか。

 でもそれにしても、織斑先生が色々知ってるのは意外……ではないんだけど、どうにも色々と知りすぎてる気はする。

「ん?どうした?何か聞きたそうな顔だが」
「いえ、どうしてそんなに詳しいのか少し気になってしまいまして」

 よくよく考えてみると、それは本当に。

「それは、ふむ。国の代表やこうしてIS学園の教師を勤めていると、そうした関係者と触れ合う機会が多くなってくるからな。すると情報という物は自然に集まってくる訳だ」

 それはコネという物なのだろうか?

「近いものではある。だが、それは別に利用してやろうと思っての事じゃない。あちらからの厚意という形で教えてくれるのさ。まぁ、これも人徳。日頃の行いの賜物だな」

 そんな織斑先生の話してくれたこと、それは十分に理解ができた話。そして、その言葉に感じられたのは、少し弾むような感情。
 それはいつも冷静沈着の織斑先生には珍しいようなその様子。

「もしかして先生も、海、楽しみにしてました?」

 先生の態度や様子から、何となく思い付いたその事をふと尋ねてみる。

「……楽しみにしてたら悪いか?」

 そうして返って来たのは、こちらから視線を外して、少し居心地が悪そうというよりはなんだか恥ずかしそうにして答えてくれる、織斑先生の言葉。

 ……でもそれは、別に普通の事だと思います。

「そうだろう?私とて人の子だ。こうした息抜きや娯楽が必要になる時もある」

 話している事には納得できる。
 できるのだけれど、でも今は何となく、先生の意外な姿を見た気がして少し驚いている。

「まぁ、それよりもデュノア。お前も若いのだから、こんな所で黄昏れてないで遊びに行って来たらどうだ?オルコットもお前の事を呼んでいるみたいだぞ?」

 話題を変えようとするようなその言葉。
 織斑先生が向けた視線の先。そちらを見てみると、確かに、ビーチボールを片手に笑顔でこちらに手を振っているセシリアの姿があった。

 というか、若いって……先生も十分に若いと思いますけど。

「何、そんな事を言っていられるのも、お前達の特権のような物だ。大人になってくれば、嫌でも理解できるようになるさ」

 そういうものなんでしょうか?

「そういう物だ。……直に分かる」

 うーん、そういう事らしいので、とりあえず立ち上がって、水着に付いた砂を落としながら、パラソルの下から日差しの下へ。やっぱり眩しい、そして暑い。
 すると、背後、パラソル内から掛けられた言葉。

「今日は、じっくり楽しんでおけ」

 その言葉にはい!と返事をしながら、手を振って待ってくれているセシリア達の元へと歩みを進めていく。






 夜。
 夕食を食べ終わる頃にはすっかり外は暗くなっていた。
 夕というぐらいなのだから、夜であることは当然なのかもしれないけど。

 出された料理は日本の旅館らしく見事に和食。
 それもお刺身を中心としてお吸い物なども付いた豪勢な物。キサラギで日頃から和食を食べ慣れている私にとって、確かにそれはご馳走だった。
 
 そうして食事も摂り終わりお風呂にも入ると、時間はもう九時を回る。

 夜の九時。きっと、この時間帯なら向こうの作業も終わっているはず。
 ルームメイトの皆の誘いと追及を何とか振り切りながらも、あまり人気のなさそうな場所へ移動して、今では見慣れた番号に電話をかけていく。

 画面からその名前を選び、通話ボタンを押す。
 すると早速聞こえる呼び出し音。
 どうやら電源を切ったり、電源が切れてたりはしていないようだ。
 やがてそんな呼び出し音が五回に届こうかとした時。

『もしもし?シャルでしょ?今朝方振り』

 聞こえて来たのは彼の声。

「うん。今朝方振りだね」

 それはいつもと変わりない応答。そのことに何だか、心がちょっとほっとする。
 でも、そんな彼の通話もいつもとはどうにも違っていて、彼の背後が少し騒がしくも思える。
 背後と言ってもそれが反響するような形で聞こえて来ているのだけれど。

『あー、気になる?』

 そういって彼が語るのが向こうの現状、とは言っても短く纏められて一言、伝えられた。
 曰く、宴会中だそうだ。

『どうにも何か、ジャックさんを中心に意気投合しちゃってね。全く五月蝿くて仕方がないよ』

 やれやれとは言葉に出してはいても、彼もどうやら満更ではない様子。
 今の彼の表情というか雰囲気は、その声に含まれている感情やその声色から、電話越しでも察するのは簡単な事だと思う。

『それで?シャル、そっちの方はどうなの?楽しくやってる?』

 そして、話は私のことに。

「うん、もちろん」

 そんな返事と一緒に、今日あった出来事を彼へと伝えていく。
 恥ずかしがっていたラウラや意外な面を見せていた織斑先生、おいしかった食事に、正座に慣れないで何だか大変でいて、且つ面白いことになっていたセシリア。
 そういったことに、海でもちゃんと遊んだよという話も付け加えていきながら。

 私の話に対しての彼の反応は、ふむふむと納得した後に、良いなぁというこちらを羨むようなもの。

 何でも、さっきまでこそ宴会をやっていたみたいなんだけど、それまではずっと、アーマード・コアに関心を寄せる米軍の人達にそのレクチャーとナビゲート、半ば講師のまね事のようなことをしていたらしい。
 さすがにその人達に操縦はさせなかったとは言っていたけれど、説明を受ける受講者?の中には司令官クラスの人も混ざっていて、どうにも気が抜けずに非っ常に疲れたという話だ。

 うーん、それにしても。

「講師かぁ……」

 今日は織斑先生と話してたこともあってなのか、学園の教室正面のディスプレイの前、なぜか眼鏡を掛けた彼が私達に向けて授業を行っている姿が思い浮かんで来た。

「ふふっ」

 なんだかそれが可笑しくて少し笑い声をこぼしてしまう。

 すると、きっと私が抱いたイメージとは違うのだろうけど、似合わないのは分かってるよとどこか拗ねたようにして呟く彼。
 その声にまた少し笑ってしまうと、さらに拗ねた様子になったのを感じる。
 この間はシズカ君に対して、まだまだ子供だなぁとかって言っていたのに、その様子じゃ、彼自身だって何だかまだ子供みたいだと思う。

 そんな彼をからかいを存分に含めて宥めながら、そういえばではあるけど、まだ聞いてなかった事を尋ねてみる。

「ねえ?まだ聞いてなかったことなんだけど」

 そんな問いかけに返ってくるのは、うん?という逆に疑問を抱いたような彼の声。

「日本を出るのって明日、だよね?何時くらいに出発するの?」

 それが私のまだ聞いていなかった事。

『そうだね。……確か、まだ少し搬入するパーツが残ってるって言ってたし、多分午後になるんじゃないかなって思う』
「……そっか、午後なんだ」

 そうやって、彼や皆が日本から向こうに行くという話を聞くと、本当に離れることになるのが改めて実感できてしまってやっぱり寂しくは感じる。

『全く……また落ち込んでるし。船の上からだって連絡は取れるし、空いた時間見計らって電話するから』
「うん」

 そんな私に掛けてくれる彼の心配するような、こちらを励まそうとする声。

『まぁとりあえず今はさ。そっちで色々楽しみながら頑張りなよ?』
「そうだね。でも、そっちも頑張ってね」

 それが毎日聞ける事を考えると、落ち込む気持ちもどこかに消えて、代わりに頑張ろうという気持ちで心が満たされていく。

『それは勿論。……ってあれ?ごめん、シャル。ジャックさんが僕に何か話があるみたいだから、今日はこれで』

 すると、ふと彼の背後から彼の名前を呼ぶ声が聞こえ、今日の連絡、会話を終えることを告げてくる。
 少し残念ではあるけれど、向こうにも用事というものがあるんだし、しょうがない。

「うん。じゃあ、また明日かな?」
『ああ、また明日。そんじゃ、おやす……』

 そうしてその後、彼が私におやすみと声をかけようとしていたのは分かった。
 でも、『うぷっ……や、やばい……』という非常に気分の悪そうなジャックさんの声と、彼の『ま、待った!早まるんじゃないジャック!』という非常に慌てた声。
 そして直後に聞こえた何か水のようなモノが零れ落ちる音と、それと同時に響いた彼の絶叫に、私は彼の安否と幸運を祈りながらもそっと通話を切った。


 彼との電話。
 電話越しの向こうでは何だか悲劇が起きてしまったようだし、締まらないものではあったのだけれど、私の心は少し弾みを見せている。
 そんな少し軽くなった心持ちと足取りで自分の部屋を目指して歩いていると、織斑先生との相部屋になったと言っていた、その部屋から一夏が出てくるのが見えた。

「あれ?一夏、何やってるの?さっきお風呂入ったって言ってたよね?」

 部屋から出て来た一夏の様子は、シャンプーやタオルを持っていて、いかにもこれからお風呂に向かうぞと言うような装い。

「ん?シャルロットか?ああ、ちょっとまた汗をかいちまったからな」

 聞いてみれば、久しぶりにマッサージをやって、力が入りすぎてしまったとのこと。
 その施した相手は織斑先生とセシリアだそうだ。
 一夏は「知ってたか?セシリアってバイオリンやってるんだぜ?お嬢様っぽいよな」とか何とか言ってるけど、問題はそこじゃない。
 そもそも一夏は、女の子の体にそんな風に触れてもなんとも思わないんだろうか?
 いや、というよりはむしろ、セシリアのアグレッシブさというか大胆さに少し驚きを感じている。

「お、そうだ。俺はこれから風呂に行ってくるけど、今なら中に皆がいるし、シャルロットも顔を出してったらどうだ?」

 私にそう言うと露天風呂に向かって歩き出していく一夏。
 なんだか鼻歌混じりに歩いてるし、その機嫌は上々の様子だ。
 確かに風景を眺めながら露天風呂に浸かるのは、心身ともにとても気持ちがいいし、きっとそれも関係してるんだろう。

 それはそうとて、一夏に勧められたままにその近くの部屋、一夏と織斑先生の部屋に入らせてもらう。
 まずはとんとんとん、とノックを三回。

『ん、誰だ?』

 すると、聞こえて来たのは織斑先生の声。

 ……皆がいるとは聞いたけど、織斑先生も一緒にって何をしてるんだろう?

 ふとそんなことも思うのだけれど、とりあえず今は自分の名を名乗っていく。

「デュノアです。シャルロット・デュノアです」
『ほう、デュノアか……まぁ良い、入ってもいいぞ』

 ドアを開けると同時に失礼しますと声をかけ、部屋の中へと足を踏み入れる。
 そして、部屋に入ってすぐに感じたのは、私に突き刺さる五対の視線。
 なんだかそれは真剣なもので、私はいきなり過ぎる展開に困惑を隠せない。

「それで、一体、どうしたんだデュノア?一夏(アイツ)に用でもあったのか?」

 そう語りかけてくるのは織斑先生。
 その言葉に反応して鋭さを明らかに増したのは、残る四対、皆の視線。物理的な痛みは感じないけれど、正直、精神的に凄く痛い。

「い、いえ、その一夏に皆がここにいるって聞いて、来てみたんですけど……お邪魔でしたか?」

 そのことに慌てて私が用件というよりは来訪理由を告げると、鋭く感じた視線が収まり、それに何とか少しほっと、内心、安堵の息をつく。
 でも、それもつかの間、彼のように言ってみれば、こう直感的にびびっと来たとでも言うんだろうか。
 織斑先生の顔に妙な、形だけは良い笑みが浮かんでいるのを見てしまい、何だか嫌な予感がした。というか進行形で嫌な予感しかしない。

「ふむ、デュノアは確かにお前達とは違うようではあるのだがな……まぁ、他人の意見という物も大変有効的な参考にはなるだろう」

 それは私からすれば、未だに状況を読み込めずによくわからない言葉。
 しかし。

「……そうですわね」

 というのは、少し真剣でありながら興味津々な様子のセシリアの言葉。

「すまんが犠せ……いや参考になってくれ」

 というのが、申し訳なさそうではあるけれど、やっぱり同じく興味津々な様子の箒の言葉。

「こう言うのって、ある意味、醍醐味よねー?」

 というのが、隠す気をまったく見せないで、明らかに楽しそうにしている鈴の言葉。

「……教官。敵の退路は既に塞ぎました」

 というのが、何故か部屋の鍵を閉めてみせるラウラの言葉。
 って、何で部屋の鍵を?

「すまない、シャルロット。全ては私の理想のため……嫁との未来のため……」

 よく分からないよ、ラウラ。

「さて、準備は全て整ったようだな。……それではデュノア、お前にも『色々と』聞かせて貰うぞ?」

 そうして何だか、再びニヤリとした笑顔を見せながら告げられる、織斑先生の言葉。
 さらに強まった嫌な予感に、何とか部屋から逃げようとはするのだけれど、いつの間にか背後に迫り寄っていたセシリア達に捕まって、その場を逃げ出す事ができない。

「何、苦痛などは感じぬさ。ただ皆はお前の現在の状況や様子などを聞きたいと思っているだけなのだから。よくどこかに電話をしているという話も含めて、な?」

 何でそれを織斑先生が知ってるんだろう?
 ……いや、ラウラが不自然に顔を背けているから、何となく犯人というか流出元は分かったけど。

「えーと、黙秘権はありますか?」
「まぁ、一応は許してやろう。だが、洗いざらい吐いてもらうぞ」

 えと、織斑先生?そういうのは、黙秘権がないと言うのではないでしょうか?


 こうして、始まったIS学園の学校行事、校外特別実習期間。通称、臨海学校。
 その初日の夜を迎えたのだけれど、それはまだまだ終わりは迎えずに、ちょっとした歓声と羞恥の中に続いていく。

 ……ちなみに、お風呂から上がった一夏の方とは言うと、鍵が掛かっていたが為に自室にすら入れず、私達の『話し合い』が終わるまでずっと、旅館のロビーのソファーで待っていたそうだ。

 織斑先生達、皆に代わって謝ります。何だか、ごめんなさい、一夏。



[28662] Chapter2-10
Name: ユルトと愉快な仲間達◆97f44b13 ID:cdf7752d
Date: 2011/07/13 04:35
 これより、ミッションの内容を説明いたします。

 依頼主はアメリカ合衆国国防総省。
 ミッションオブジェクティヴは今も尚、暴走を続けるシルバリオ・ゴスペルの捕獲または無力化となっています。

 これはアメリカの威信と沽券に関わる重要なミッションです。確実なミッションの達成を期待しています。





 在日米軍横須賀基地。

「えーと、こちらが本計画の一番機、中量二脚型、機体名『クロノス』になります」

 今日も今日とて、何故かの機体の説明会。
 昨日は米軍の人達が中心ではあったのだけど、今日は東洋風のアジア人、いや、つまりは日本人、ひいては自衛隊の人やお役人さんっぽい方々が目の前に存在している。
 その事に、そういえば日本の防衛省もスポンサーになっていたなぁとそんな昔を思い出して、納得と共にちょっと感じる懐かしさ。

「機体のエネルギー関連についてですか?あ、はい、詳細についてはお答え出来ませんが、超高密度水素吸蔵合金を利用しておりまして……」

 けれど、そんな納得と今の状況に関しての理解は別物な訳で。
 説明自体は別に構わないのだけれど、こんな事ばかりをさせられていたら、そもそも何の為にここに来たのかすら忘れてしまいそうだ。

「販売時期と値段?すみません、それは自分の口からは何とも」

 ……そんなのは僕に聞かれても困る。

 格納庫を案内しながらも、ふと海の方に視線を移すと、そこには海を走る戦車の姿。
 正確には海面を浮遊する戦車モドキ。

 圧縮空気を機体底面から常時噴出する事により、水上移動を可能にしたその新装備。
 ホバータンク。そう呼ばれている脚部パーツへの換装を終え、今現在、こうしてテストを行っている三番機。すなわちジャックの乗るガイアの姿がそこには見えた。

 こうしてジャックのガイアは疾走中。僕のクロノスは説明のネタの真っ最中。ラナのウラヌスは姿こそ見えないけれど、きっとどこかでテスト中。余った僕は説明中。

 そんな僕らの行動の違いに内心の小さな溜め息をつきながら視界を戻し、連れて歩いているお客さんを見てみると、ガイアの方へと皆その視線を集中させている。
 どうにも熱中している様子なので、今の内にちょっとだけ息を抜かせてもらおう。


 こんな事をしている本日は、横須賀基地に到着した昨日を入れての二日目。つまりは日本からハワイへと出発する予定の日。
 未だに資材やパーツは搬入中で、説明はすれど邪魔にならないように、きちんと気を付け抜かりはなし。

 元々今日には説明会の予定もなかったはずだったのに、朝方になって突然スケジュールに入って来たものだから、迷惑とまでは行かないけれど、個人的には大混乱だ。

 シゲさんは昨日に引き続いて忙しくて対応が出来ず、他の整備員の人も同じく不可能。
 あちら側の要求が機体を良く知る人物との事だったので、一応の知識を持っていた僕にお役が回って来てしまっていた。

 本来だったらクロノスのテストを行いながらも、新装備による高機動戦をどうやって行うか、機体の換装後から考えていたそれを試してみようと思っていたのに。
 ついてないというか、巡り会わせが良くないというか、何だか溜め息しか出て来ない。

 ……ホント、シャルが羨ましいな。今頃、何してるんだろう?

 不意に思うのはそんな事。
 昨晩の電話も落ち込んだ様子を少し見せてはいたけれど、結局最終的には元気そうで楽しそうだったし。
 そう、それにしても、海。その事が本当に羨ましく感じる。
 シャルは海でもたくさん遊んだよって言ってたのに、僕らはこうして眺めてるだけ。
 海を眺めるのは別に嫌いじゃないけど、遊んで楽しかったと聞いてるのに、遊べないというのは中々気分的には複雑で。

 せめて、向こうでなら……とも考えもする。でも、向こうでも機体の説明係をやらされたりするような気がしてならない。
 その可能性、何だかどうにも否定が出来ない。
 GAのいる場所では迂闊な行動を慎めとか、自由行動は無しだとかってクレストに言われそうだし。そもそもそんな暇があるのかさえ不明だし。

 あ、何だか落ち込んで来た。シャルにはあれだけ落ち込むなとか、楽しんで頑張ってとか言ってたけれど。

 まぁでも、実際にはそう落ち込んでもいられはしない。

 あれだけ言っといて僕が落ち込んだりしていたら、シャルに嘘をついてしまったような気がしてならないから。それは、何だか嫌な事だから。
 ならば、境遇や状況に文句を言ってもいられはしないだろう。
 やるなら悔いなく全力で。出来る事を出来るだけやろう。

 ……と、そうやって自分自身に気合いを入れていると、何だか周りの視線が痛い。
 思考から戻って気が付いてみれば、今までガイアを見ていた人達が大丈夫か?とでも言いたげな表情でこちらに見て来ていた。

 おっと、いけない。ついついお客様方を放って置いてしまった。

「えーと、何か改めて質問のある方はいらっしゃいますか?」

 要集中。要集中。
 新たに問い掛けられた疑問に答えながらも、こんな時間を過ごしていく。


 どっこいしょ。
 掛け声と共にコクピットの中へ。身に纏うのはいつものパイロットスーツ。
 観衆からのオーダーは、動いてる所を近くで見たいというわくわくとした子供のような笑顔での要望。

 ちょうどそこを通り掛かったシゲさんに尋ねてみれば、とりあえずの了承が得られた。という事なので、対Gスーツに着替えた後、早速システムを起動。機体をゆっくりと動かしていく。
 立ち上がったクロノスを見て、おおーっ!という驚きの声が上がる。
 やっぱり、そういう驚きとか歓声とかそんなのが向けられる気分は悪くない。

 ――でも、それはそんな時だった。

 周囲から上げられた声に対して、調子に乗ってちょっとしたパフォーマンスを見せようとしていたその時。

 ――突如基地に、緊急を告げるサイレンが鳴り響いた。

 確かにそれはまったくの前触れもない物。普通であれば緊急対応訓練の物かと、思うのかもしれない。
 しかし、今はどうにも様子がおかしい。

 この鳴り響くサイレンによって、訓練であればその対象となる米軍の人達だけでなく、クレストやキサラギのスタッフ達までもがにわかに慌ただしくなり始めている。

 そしてやがてのクロノス、コクピット内。ディスプレイに真剣な表情のシゲさんが現れ、その言葉を告げた。

『……緊急召集。パイロットは至急ブリーフィングルームに集合、だって』





「では、現在の状況を説明する」

 明かりの落とされた艦内ブリーフィングルーム。
 ある種の暗室となったその中で、艦の指揮官である艦長が前方のディスプレイの横に立ちその口を開く。

「つい先程、ハワイの太平洋司令部を通じて、緊急の連絡がここにも入った」

 発せられた声は老成された落ち着いた物であり、普段であればそこに柔らかさや穏やかさを含む口調になるはずなんだけど、今そこに含まれているのは厳格さと明らかな緊張だった。

「約一時間程前に、ハワイで海上テスト中にあった機体がパイロットのコントロールを振り切り、突如暴走を始めた」

 言葉と共に画面へと映し出されたのは、全身を銀で染め上げた一体のIS。
 奇妙な形状、頭部から後方へと伸びる一対。これまた銀色の翼がまず目に付く。

「機体名『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』。諸君らが向こう(ハワイ)で競い合う予定であった機体だ」

 問題の元凶、その機体の説明。
 その言葉と共に艦長が手元の情報端末を操作すると、そこには別の二体のISが画面上に表示された。

 ……っ!

 そしてディスプレイに現れた見覚えのある機体、その姿を見て、声を上げてしまうのを済んでの所で押さえながらも、思わずその息を呑みこんでしまう。

「現在においては、GA独断での依頼により、IS学園からの新型機二機からなる迎撃部隊がこれに対して既に出撃。今も尚、交戦中であるとの報告が入って来ている」

 その上げられた迎撃機、一体の赤い機体には見覚えはなかったが、それとチームを組むもう一体。それには確実に見覚えがあった。
 騎士甲冑をイメージしたかのような全身を白で纏め上げた機体。
 友人である織斑一夏の専用IS『白式』、それがディスプレイ上に表示されていた。

「まぁ、彼らが上手く迎撃に成功すれば良いのだが、もしもという事もある。その為にも……ん?何だ、一体どうした?」

 そうして、艦長が言葉のまとめに入ろうとしたその時、艦長の様子が変わり、その耳につけた通信端末で、おそらくは艦橋だろうか、どこかとのやり取りを開始した。

 その表情、元より真剣で少々の緊張が入り混じっていたそれが、通信を通して益々の緊張で彩られ、その険しさが段々と増していく。
 やがて彼は通信を終えると、そのままの険しい表情でこちらへとどこか重たそうにその口を開いた。

「……諸君。悪いが状況が変わった」

 その言葉、その意味は分かる。
 だが、その表情から察する事が出来るのは、決して状況が好転したわけではないという事だ。

「ついさっき、この件についての新たな情報が入った。先程、迎撃機が目標のインターセプトに失敗。目標によってその二機が撃墜されたとの事だ」

 撃墜……。
 それは有り得ない事ではない。しかし信じたくはない情報だった。
 少し呆然とする自分をよそに、艦長はそこでだと言葉を置いて、その先を続けていく。

「この事実に際し、我々に対して本国より正式な依頼、いや命令が下された」

 艦長はそこで言葉を切ると一度水を口に含み、それを喉へと通した後に、ある種の決心の色を言葉に込めて、吐き出していく。

「クレストインダストリアル社は、直ちにACを用いてこれの迎撃に当たり、目標、シルバリオ・ゴスペルを追撃。これを捕獲もしくは無力化せよ……以上が本国からの通達だ」

 言葉が語られた後、ブリーフィングルームに漂うのはどこか騒然とした様子。各スタッフだけでなく、僕らパイロットの間にもそれは勿論の事。
 ジャックなどにおいては、艦長に向けて怒号すら上げていた。俺達は軍の犬じゃねえ、玩具じゃでもねえんだぞ!と。それは心の底からの怒りを込めて。
 しかし艦長は慌てず、あくまでも冷静。
 ジャックを始めとした反対派に問い掛けるようにして、言葉を紡いでいく。

「命令とは言ったが、実際にはこれは強制ではない。……だが、これだけは覚えておいて欲しい。今も尚、暴走を続けている目標は非常に強力な機体だ。もし、これが市街地などに飛来したのなら、どのような悲劇が引き起こされるのか?」

 その言葉、たったそれだけの言葉で室内が静まり返った。
 そして悲痛な表情を顔に浮かべながらも、僕らにその願いと思いが掛けられる。

「確かに卑怯な言い方かもしれない。私を責めてくれても怨んでくれても、一向に構わん。だが、これは今、君達にしか出来ないミッションであると私は考えている。……すまんが、よろしく頼む」






 ――目の前に映る戦闘風景。

 シルバリオ・ゴスペルに対して、白式に乗った一夏と紅い機体に乗った箒さんとが挑み、凌ぎを削る戦いが演出されている。

 戦況はほぼ互角。シルバリオ・ゴスペルはいつしかの無人機であった黒い機体、あれを彷彿とさせるように、一夏のエネルギーブレード『零落白夜』を確実に回避しながらも、戦闘を続けていた。

 やがて、戦局は終盤へ。
 一夏が戦闘海域内の密漁船を庇おうとした影響で、それまで何とか優勢に進めつつあった状況が崩壊。
 移り変わった状況の中で一夏は、エネルギー切れを起こした箒さんを身を挺して庇いながら、多数のエネルギー砲を被弾、海へと落下していく。

 その映像はそこで途切れている。

「……もう一度、始めから」

 機体に命令を送り、彼らを追って送られていた長距離光学観測機と人工衛星の情報から再現された、その戦闘映像を記憶に刷り込んでいく。
 敵機体、シルバリオ・ゴスペルの機動を何度も何度も……。

 敵と一夏達、実質的なその戦力評価は、やはり一夏達の方が上回っていたと自分は解析する。
 ただあそこまで戦況が均衡していたのは、暴走するシルバリオ・ゴスペルの行動パターンがそれを補っていたからだった。

 徹底的な回避重視。自機への極軽度ダメージは無視をするものの、明確なダメージソースが存在する場合は、その回避を最優先とする。
 実際に反撃は、その回避と同時かワンテンポ遅れてから行われているのを確認している。

 ある種の逃げの戦術。
 だが、多数放たれる多連装エネルギー砲と極めて高い機動性がそれを補い、シルバリオ・ゴスペルを勝利へと導いていた。

 彼我の性能差、それはアーマード・コアつまりはACにとっては、まだまだ大きすぎる。
 敵機体の最高速度はマッハ2を超え、そこにPICによる自由自在の三次元機動が加わえられる。
 さすがに通常戦闘の速度域ではそれより格段に下回っているようだが、ACにとってみれば、それでも異常な性能差だ。

 実際にこのままいつものように戦えばそこには絶望しか残らず、万が一にも勝利の可能性はないだろう。

『よう、行けるか?坊主?』

 幾度目かの映像が途切れるとそこに、先程のブリーフィングの時とは打って変わっての笑みを浮かべる、ジャックの姿が現れる。

「ええ、勿論。ジャックさんの方は?米軍の犬にはならないんじゃないの?」

 こちらの言葉にうっせいやいと反応すると、ジャックはそのまま笑みを湛えたままに答えた。

『おうよ。俺はもう軍の犬じゃねえし、犬になる気もねえ』

 そう言いながらも、顔には未だに浮かんでいる笑顔。

『だがよ……俺は元々、仲間や人を、誰かを守る為の盾だったからな。あんな危ねえのを放って置けやしねーんだよ』

 そうして何かを誇り、胸を張るように答えたジャック。
 日本じゃまだ遊んでもないしな!そうそうブッ壊されても困る!と少しおどけるような仕種も見せてはいるのだけれど、そこには一人の人間としてのジャックの信念のような物を見た気がする。

『まぁ、そういう事だな』

 そんなジャックに続いて現れたのがラナの姿。
 ラナの態度やら雰囲気はいつも通り。マイペースというか飄々としているというか、とにかく一本太い芯が入っているような感じ。

『それに、もうすぐ機体の準備も終わる。お前達も重々気を引き締めておけよ』

 ラナの言葉に、はい&おうとそれぞれの返事を返しながら、今はこうしてその時を待つ。

 ディスプレイ上、センサーが捉えている映像はまさにその準備中の物。
 機体の前方部及び間接部等に、構造保持用の高耐熱性増加装甲が備え付けられていく。
 それは横で作業が行われている、ウラヌスやガイアについても同じ様子だ。
 同じようにしてその装甲が取り付けられていく二つの機体。

 見るからに無骨な装甲。
 これから待ち受けるのは高機動戦だというのに、そのコンセプトに真正面から刃向かっているようなそれ。
 しかし、それにもきちんとした意味があった。
 何たってこれは、敵からではなく自分から自らを守る為の装甲なのだから。



 そうして二機の装着風景を眺めていると、到々こちらのその準備が終わったようで、作業を行っていた整備班の人達が機体から離れていく。

 それと同時に動き出す機体。やがてクロノスは艦のエレベーター内へと運ばれ、そのまま甲板を目指し上昇。

 甲板へと上がって行きながらも、サブセンサーで捉える格納庫内。そこでは整備班の皆が声援と共に手を振ってくれているのが見えていた。
 そこには誰の悲壮感もない、ただこちらを信じて送り出してくれるそんな姿。
 機体をあまり動かせないのは残念だけど、せめて心だけは彼らの思いに答えるために、一層の気合いを入れていく。

 そして皆に見送られながらの甲板上。
 臨時的な物ではあるが、そこではさらなる作業が行われていた。
 一足先に組み立てられて甲板上に上がり、今か今かとその出番を待っている、機体長を超える程に巨大なブースターユニットの姿。

 Vanguard Overed Boost

 VOBと略して呼称されるそれ。
 ハワイでの海上テストに用いられるはずだった新装備。
 使い切りの長距離侵攻用大型ブースター。
 初の使用がテストでもなく実戦という事になるので、少し不安こそ残るのだけれど、僕らが現在も移動中である目標に追い付くには、あいにくと今はこれしか手段がない。

 やがてそれが、クロノスの機体後方部のオーバードブーストに繋がれ固定される。
 はっきり言って、機体のバランス自体は劣悪だ。しかし、増加装甲がカウンターウェイトの役割も果たすと共に、バランサーが何とか調整してくれるお陰でとりあえずの機体の安定を保っている。

 機体パラメータから視線を戻せば、こちらに続いて上がって来た二機についても同じく接続が完了したようだ。
 その光景を見届けながら、甲板上の指示員に従い機体脚部のスラスターを使って、ゆっくりではあるけれど発進位置へと移動する。

 そうしてその時、ディスプレイ上に現れた20秒のカウントダウン。
 現れた数字それが減り始めると共に、艦橋との通信が繋がった。

『君達には困難な任務を押し付けてしまって、本当に申し訳なく思っている』

 現れたのはブリーフィングでも話していた艦長の姿。その表情に浮かぶのは言葉通りの色。
 その間にもカウントは進んでいく。

『だが、君達ならきっと成し遂げられる。……幸運を祈る』

 これはきっと僕だけでなく、ラナやジャックにも届いているのだろう。
 短い言葉、でも艦長から寄せられた謝罪と期待の込められた言葉。
 それが言い終えられた瞬間、カウントダウンもまた、0へと表示が変わった。

 するとディスプレイ上、デフォルメをされたGO!の丸い文字がアニメーションと共に浮かんだ。
 一体誰の遊び心か悪戯心か?何だか場の空気にそぐわないそれに、こぼしてしまう小さな笑い。
 だけど、今為すべき事も忘れてはいない。

「こちら、クロノス。出ます」

 短い呼び掛けと共にブースターのスロットルを全開へ。
 VOB中央、大型のメインブースターを除いた全てのサブブースターに火が点る。
 流れていく風景。
 それは通常の数倍以上の推力で機体を加速させていき、あっという間に甲板を超え海面上へとその身を躍らせる。

 初期加速成功。続いて二次加速へ。
 オーバードブーストを起動。
 機体のオーバードブーストによって圧縮放出された空気が、VOBのメインブースターを通じて、通常時を大きく上回る爆発的な加速力を生み出す。
 シートに固定された身体に襲い掛かる強烈なG。
 表示される速度は音速を超えても尚、上昇を続け、それに伴う装甲表面の温度上昇と風圧は増加装甲が受け止めている。

 そこでサブブースターの出力を絞り、超高速状態のままに後方から追い付いて来るだろうウラヌスとガイアの姿を待つ。

 レーダー上、速度を緩めたこちらの背後から直ぐに、高速の二つの機影が近付いてくるのを確認。
 彼らに合わせて速度を調整。機体を並べて編隊を組んでいく。
 そうして三機での移動をしながらも、改めての手順を踏む。

 クロノス、ウラヌス、ガイア、三機のデータリンクを開始。
 ディスプレイ上に現れる互いの位置情報、残弾数、ダメージレベルの表記。

 続いて衛星とのデータリンクを開始。
 人工衛星が尚も捉えている目標への自動操縦(ナビゲーション)が始動。それにより機体が進行方向を自動で微調整、目標の追尾を行っていく。

 ……これで何とか、とりあえずは一段落だ。
 後はシルバリオ・ゴスペルとの交戦まで、集中するなり気合いを入れるなり、はたまた逆にリラックスするなり、時間がある。

 では今の内に、やるべき事をやっておこう。

「ラナ、ジャック。気分はどう?」

 まずは、二人に声を掛ける。

『……マジ、速えーのな?』

 すると、ディスプレイ上に現れた、若干どこか臆したような表情のジャックと。

『この速さ……あぁ、懐かしい感覚だ』

 どこか恍惚の表情と声で呟いているラナの姿。
 高速機動に慣れていないジャックはまだしも、戦闘機で慣れているとは言え、今のラナの様子は、何だか危ないというより危ない人という感じがする。

 まぁ、それは置いといて。

「二人とも、もう分かってるとは思うけど……敵は強いよ」
『……』

 先程からの明るく装った様子から大きく一転、こちらの言葉に黙り込む二人。
 ラナとジャックだって、僕が言わなくともきっと分かっている。理解をしている。
 相手が今まで戦って来た何よりも強力な相手だって事は。
 だからこそ、わざわざさっきのような態度や反応を見せていたのだから。

「きっと勝てない。相手は圧倒的だからね。火力、機動、防御、どれをとっても反則的だ……」

 しかし、僕が言いたいのは、そんな当たり前の事ではなかった。

「でもそれは」

 ――自分、一人だったら。

 こちらの話、僕の語る言葉を、二人が真剣な表情で耳を傾けていてくれる。
 その真剣さの中に、どこか喜々とした色を滲ませながら。

「そう、僕一人だったらきっと勝てない。絶対に負ける。……でも、ラナ、ジャック。僕ら三人ならきっと」
『へっ、当たり前だぜ?坊主』
『……ああ、そもそもただスケジュールが詰まっただけの事だ。やってやろうじゃないか』

 明るい言葉とその表情。
 そこに浮かぶのは、装った訳ではない心の底からの笑顔。
 それは決して諦めからの物ではなく、来たる戦いへの希望?何だかそういった物から現れている。

 ならばとここで、二人に問い掛ける。

「僕らは攻撃力で負け、機動性で負け、防御力で負け、負け続けている……それじゃあ、僕らが奴に勝っているのは?」

 そのこちらからの問い掛け。
 一寸間を置いた後、僕らはタイミングを計ったかのように同時に答えた。

『数』
『テクニック』
「コンビネーション」

 言葉を発した僕ら三人、何だか全く噛み合わなかった言葉。それがおかしくて三人で笑い声を上げる。
 でもそれは、性能面での差を正しく埋め合わせる物だ。

 性能差を数で補い、経験と操縦技術で翻弄し、それらを組み合わせたチームワークで敵を圧倒する。
 それはかつての出来事、全ての始まりとなったあの白騎士事件によって、否定された事ではあったかもしれない。

 だけど、現在までにISが試行錯誤を繰り返し、こつこつと世代を重ねて来たように、クレストやミラージュ、そしてキサラギには、様々な人達の支援を得ながらも、
ただ一つの目的に向けて一心不乱に積み重ねて来た物がある。
 僕はそれが、ISの進歩に劣る物ではないと考えている。いや、逆に優っている物であるとさえ思う。

 性能では確かに負けてはいるだろう。そうして僕は大敗を喫してきた。
 しかし、それでも自分は証明がしたい。ISが決して追いつけない物ではないという事の証明がしたい。
 ISの技術者以上に、辛く苦しい道を必死に耐え忍んで進んで来たシゲさん達の為にも。それが間違いではなかった事を示す為にも。

 だからこその勝利を。今はただ目の前の敵に勝利し、その証明を持ち帰りたい。


「HQ、こちらクロノス。目標を確認した」

 そしてデータ上、レーダーに現在も飛行を続けるその機影を遂に捉えた。

『こちらHQ、了解した。相手には絶対防御があるので殺す気でやってくれて構わんとの事だ。いや、元より加減のできん相手ではある、全力を持ってこれを撃破せよ!』

 こちらの呼び掛けに応えてくれるオペレーター。
 アメリカ時代からの知り合いである彼の言葉も、今日はどこか語気が強く、まるでこちらに活を入れるかのような様子。
 普段から中々厳しい口調の彼ではある。しかし彼もまた僕らを気にかけてくれているようだ。
 口には出さないけど、彼にも日頃の感謝を捧ぐ。

「こちらクロノス、了解。ラナ、ジャック、聞こえたね?」

 同時に二人に確認を。

『こちらウラヌス。ああ、確認した』
『ガイア、聞こえてるぜ?』

 返事が二つ。両者共にやる気は満々。
 自分も勿論、やる気満々。これで三人とも心身、いや心機共に問題は無し。
 やがて目標との距離が縮まっていく中で、センサーによって拡大化された映像に小さくではあるが、その銀色の姿を捉えた。
 それに対してFCSが反応。ロックオンマーカーが未だに小さな影へと重なっていく。
 加えて同時、VOBに搭載された兵装をシステムがアンロック。すなわち、その兵装の適正射程距離内へと入り、いつでも発射ができる状態へと変わる。

「各機、全ミサイルの一斉射後、VOBをパージ。通常機動へと移行する」
『了解!』

 聞こえた返事とロックオン。敵機とマーカーが重なり、短く鳴った電子音。
 それを確認した後に、指に掛けたトリガーを引いていく。

 その時、小さく鳴り響いたのは、何かが外れたような音。
 直後、VOBに搭載されていた片側三十二連装のマイクロミサイルが、目標を目指し高速での飛翔を始めた。
 一機につき六十四発。それが三機分。
 計百九十二発。面飽和爆撃さえ可能であるだろう、極多数の誘導弾。
 それがシルバリオ・ゴスペルに向けて殺到していく。

 そして、そのミサイル群の見届けながらも、VOB及び機体保護の為の増加装甲を切り離す。
 聞こえた内蔵炸薬による破裂音。前方後方、脱落していく多数の重量物。軽くなった機体。
 操縦はそのままの慣性に身を任せ、滑空をしながら海面上へ。

 噴射される低出力ブースター。
 想定通りの性能に海面での機体の維持に成功。
 ラナの方も、ジャックのホバータンクも特に問題はなさそうだ

 そこで、放ったミサイルの方へと視線を移す。
 飛翔する誘導体。それらは間もなく目標へと達するだろう。

 ……これで、少しでもダメージが与えられれば良いんだけど。

 そうして、そんな事を思ったその時、響き渡ったのは爆発音。
 視線の先の空中には、多数の赤い花が咲いていた。

 全ミサイル反応消失。おそらくは目標による迎撃。
 白騎士事件を省みれば、まぁ、当たり前の事。
 レーダー上、目標は移動を取り止め、拡大されたセンサーにはこちらにその機体を向ける姿が映し出されている。
 どうやら、僕達のラブコールにきちんと気付いて反応してくれたみたいだ。

「ラナと僕がオフェンス、ジャックがサポート。後は打ち合わせ通り、良いね?」
『任せておけ!』
『おう!』

 ならば、こちらもそれに応えよう。

 ――起動するオーバードブースト。景色が青一色ではあるが、それが再び流れ出す。

 おかしな形で相見える事にはなったのだけれど、僕らの為すべき事は決して変わらないのだから。

 ――自分に続く機影は二つ。心強い仲間。

 目前に迫るは敵機。目標。IS。銀の福音。シルバリオ・ゴスペル。

「こちらAC01、クロノス。これより、目標との交戦状態に入る」

 ――敵が誇るは圧倒的性能。

 でも、僕らの証明と一夏の仇、その為にも今、墜とさせてもらおう。



[28662] Chapter2-11
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/17 04:04
 ――早く早く早く早く!

 噴射される一対のオーバードブースト。

 ――早くしないと、早くしないと!

 焦る気持ちを胸に抱き、機体をひたすら前方へ。

 ――早くしないと、本当に早くしないと。

 そうしなければ、間に合わない。そうしなければ、また失ってしまうかもしれない。

 速度はとっくに音速を超えている。
 それを超えても、尚速く。もっと速く。

「シャルロットさんっ!!」

 唐突に訪れた肩のISアーマーを手で掴まれる感触。同時に聞こえる、背後より追い付いて来た友人達の声。

「わたくし達で先行して、敵の注意をこちらに引き付けましょう」
「私達で奴を倒し、一夏の仇を取ると共に、必ず彼らを守るぞ!」

 それらは私に対しての気遣いを見せながらも、非常に真摯で真剣な表情で紡がれた言葉だった。

「……ありがとう」

 二人に対して心からの感謝を。
 セシリアと箒、その二人の提案に従って、機体をさらに加速をしていく。
 やがて私達を追う二人からも、先に行ってなさいという通信が入る。
 それに対して感謝を告げると、セシリアのブルーティアーズを中心とした、IS三機での編隊を組みながらひたすらに進んでいく。

 逸る心。焦る気持ち。ただそれだけが膨らんでいく。直ぐに、今直ぐにでも彼らの元へと駆け付けたい。
 でも、未だに距離がある。距離があるのに時間がない。
 相手は強力な存在だ。一刻も早く行かないと、手遅れになる。

 目標は銀の福音、シルバリオ・ゴスペル。
 驚異的な機体から、凶悪的な機体へと変わったそれが、私達の敵となる存在だった。








 海上。

 それは建造物や車、それに加えるように運用に飛行許可が必要となるような雑多な地上と違った、ほぼ完全なオープンスペース。

 背部中央二枚のブースターによるオーバードブースト。
 左右の二枚によるクイックブースト
 それらを組み合わせた三次元高速機動。

 一応はこうしてその広い空間を使って、元より保有する強襲装備での高速機動の試運転中。
 でも今は既存装備の機動テストだけじゃなくて、送られて来た新装備のテストをも兼ねているので、そちらの方ももちろん忘れてはいない。

 上げてもらった飛行型の仮想標的。そこに備え付けられている銃口から、こちらに向けての銃弾が放たれる。

 それは、クレストやキサラギで見たような模擬弾ではなくて、実破壊をもたらす本物の銃弾。
 生身の人が当たればもちろん命に関わって来るものなのだけれど、今の私はリヴァイヴに包まれていて安全面では、まず問題がないので実戦タイプにしてもらった。

 迫り来る実弾、その軌道をハイパーセンサーで捉えながら、新装備、その機能を試していく。
 リヴァイヴの両肩部に装着された平面状、見ようによっては盾にもアンテナにも見えるそれ。

 装備を起動。イメージインターフェイスを通じて、弾道を遮るイメージが機体へと伝えられる。
 そしてそのイメージを再現して見せるのが、その新装備。
 私の目の前、こちらを狙い飛翔していた銃弾が空間に縫い付けられ空中で静止する。
 作動確認。起動エラーも機体への過負荷もなく全く問題はなし。

 しかし、そうして少しほっと息をついたのもつかの間、再び発射される銃弾。
 今度は多方向複数。それに対してはシステムを変更。
 マニュアルからセミオートへ。
 すると機体のシールドバリア、その外側にもう一層の不可視の壁、イナーシャルキャンセラーの防御壁が形成される。

 そうして、その壁に接触していく銃弾。
 形成されたイナーシャルキャンセラーによって運動エネルギーを中和された彼らは、ただただ柔らかくシールドバリアに受け止められた。

『SAIC』セミアクティブ・イナーシャルキャンセラー。

 こう名付けられた機能武装。
 これがデュノア社から新しく届けられた新装備であり、それはいやそれらは、デュノア社の得た新機体のコンセプト『リアルタイム・マルチロール』を実現するための重要なピースだった。



 臨海学校、二日目。

 今日は一日中自由時間だった昨日と違って、本来の目的を果たすための時間となっている。
 本来の目的、つまりは非制限空間での機体運用。私やラウラなどの専用機持ちにとっては、それに加えての送られて来る新装備の運用テストを含んだもの。

 海から陸へ。砂浜に着地をしながらリヴァイヴを起動状態から待機状態へ。
 一息ついて空を見上げてみれば、天気は昨日ほどの快晴ではないけれど相変わらずのいい天気。
 そうして待機所、休憩スペースへと歩いていく。

「ん、シャルロットか。早いな、もう終わったのか?」

 掛けられる声。
 それは目の前、休憩中というよりは少し手持ち無沙汰な様子の、ドリンクボトルを片手に持った一夏からのもの。

「うん。大した数もなかったからね」

 そんな一夏に返事を返していく。
 その私の言葉は謙遜でも何でもなく、ただ事実だけを述べたもの。いや下手をするとこれだって大袈裟かもしれない。

 だって私に送られて来たのは、本来の実証用装備の中で唯一完成が大きく遅れていたあのSAIC発生器のみ。
 のみとかだけと言うとマイナスイメージなのかもしれないけれど、あれが到着した事でデュノア社の概念実証機体『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅢ』の試作装備、高機動性が売りの『アサルト』、レーゲンモデルを意識した『デストロイ』、ティアーズモデルを意識した『ロングレンジ』、これらが一応一通りは揃うことになる。

「ところで一夏は何をしてるの?」

 こちらに話し掛けて来た後、何かを見詰めるようにして空を見る一夏。その行動について今度はこっちから聞いてみる。

「ああ……あれだよ」

 聞いてみても、やはりどこかを見詰めたままの一夏。
 そんな彼が指で指し示す先、そちらを見てみれば、なるほどとその理由が一目で理解が出来た。

 ――空を翔ける紅い機体。

 それは、仮想標的から放たれた多連装のミサイルを一刀の飛翔する斬撃で切り伏せ、尚も撃ち出される誘導弾の軌道の網をまるで踊るかのように掻き乱し、そして発射元となったドローンをその両手に持った双振りの刀によって四分割に斬り別けていく。

 それを何度も何度も繰り返していて、彼女の前に張られる多数の弾幕の中でたった一発の被弾もせずに、上がった仮想標的、その全てをただの金属塊としてその地に墜としていく。

 何より驚くべきなのは、その高機動性。
 回避機動を含めた戦闘機動の全てが、イグニッションブーストなどを使用せずに、イグニッションブースト並の超高速機動を成し遂げている事。
 それだけでも、その機体の持つ極めて高いスペックが窺える。

 やがてとりあえずのテストを終え、紅い機体が地上へ舞い戻って来た。

 その機体『紅椿』の搭乗者である篠ノ之箒。つまりは箒が、機体を待機状態に戻しながら地上に降り、少し興奮した様子でこちらへと歩み寄ってくる。

「凄い、凄いぞ、紅椿は!ちゃんと見ていたか、一夏!?それにどうだ、シャルロット!これなら、お前にだって今度こそは負けんぞ!」

 そうやって、一夏と私に問い掛けるその表情はとにかく喜々としたもので、本当に意気揚々といった感じ。
 というか箒ってば、まだ以前の事を根に持ってたんだね。

「ああ、確かにすげえよ……」

 私は機体への感想より箒に対しての感想が先に来てしまったのだけど、一夏の方はと言うと、先程の光景を目の当たりにして思わず言葉を失ってしまっている。
 でも箒が新たに得たあの機体、あれが凄いというのは当たり前、当然の事だ。
 だってあれは……。

「ふっふーん!何たってあれは、私が箒ちゃんの為だけに作ったんだからねー!」

 そんな陽気で気楽な言葉と共に現れたのはある一人の女性。

 兎の耳のような髪飾りが特徴的な、おそらく現在、世界で最も有名で最も重要視されているその人。
 加えて言えば、世界を変えた、誰の手も届かない領域に存在する天才の中の天才。

 ……篠ノ之束、その人、本人によって作り出された最新機体なのだから。

「それでそれでー?どうだい、箒ちゃん!紅椿の乗り心地はさ?」
「あ、はい。大分良い感じではあります」
「でしょでしょ?いや~喜んで貰えて何より何より!お姉ちゃんも頑張った甲斐があったという物だよ!お、姉、ちゃ、ん、が!……頑張った甲斐がね」

 非常にテンションの高い篠ノ之博士と、それに対して非常に落ち着いた様子で答えていく箒。
 実の姉妹だという話なのだけれど、何だか箒の態度はよそよそしい。
 篠ノ之博士が話し掛けては、少し冷たく箒がさらっと、それをいなしていくようなそんな会話が先程から続いている。

「もう~冷たいなぁ、箒ちゃんってば~。……でも、これが世に言うツンデレって奴なんだね!大丈夫、お姉ちゃんはちゃんと分かってるよ!」
「だ、誰がツンデレですか!?」

 それでもめげずに話していく篠ノ之博士は、ある意味凄いと思う。プラス思考過ぎて。

「ふふふのふー!そんなの箒ちゃんに決まってるでしょ?だっていっくんに対してだって……」
「ね、姉さん!?」

 そうして、からかわれるようにして顔を赤くした箒。
 どうやら今回の舌戦では箒の敗北みたいだ。
 その当の博士とはいうと、身に纏った雰囲気を少し変えて、その状態で箒の事を見つめる。

「……箒ちゃん。やっと私の事、お姉ちゃんだって呼んでくれたね?」

 それは一瞬。一言だけではあったけれど、どこか真面目で、何となく悲しそうだけど嬉しそうというか。
 だけど嬉しそうで悲しそうというか、感情が入り混じった複雑そうなもの。

「それじゃあ、お姉ちゃん宣言を貰った所で、今日のノルマは終~了~!私もやる事あるし、箒ちゃん、いっくん。テストとか色々頑張ってね~」

 そんな表情も切り替わるのは、とにかく早かった。
 直ぐに独特の陽気な口調と性格へと再び戻り、一夏と箒に声をかけてはその場を立ち去ろうとしている。
 そして当然のように、私に対しての言葉はない。

 どうにも一夏の話によると、篠ノ之博士は箒や家族といった身内の人や織斑先生や一夏といった幼馴染みにしか心を開かず、その他の人には無関心どころか状況によっては敵意さえ剥き出しにしたりするらしい。
 この運用テストの前も、セシリアが博士に話し掛けてみてはいたのだけれど、言葉だけでズタボロにされていて、ひどく落ち込んでしまっていた。

 天才故の特殊性、そんなものがそこにはあるのだと思うのだけど、わざわざ危険を侵そうとも思わないので、私はそんな博士と一夏達との会話を眺めるだけにしておく。

「あ!あと、そこの金髪ちゃん。君って確かミラージュの子だよね~?」

 でも、そんな博士の去り際、私に声が掛けられた。

『え?』

 いきなり過ぎるタイミングで、思わずきちんとした返事が出来ない。
 ふと気付けば、一夏や箒まで同じような反応をしている。

「あのね?金髪ちゃんの国では、それが挨拶なのかなー?失礼だとは思わない?」
「あ、いえ、すみません」

 そうして呆然となっていると、不機嫌そうな声が博士より掛けられ、少し慌てながらも謝っていく。

「まぁ、良いよ別に。それで?金髪ちゃんはミラージュの人、だったよね?」
「はい。確かにそうですけど?」

 それでもやっぱり、根底にあるのは他者への無関心。
 というよりは興味のあるものにしか反応しないという事なんだろうか。

「ふふーん、話は色々聞いてるからさー。……まぁ、せいぜい頑張るんだね?」

 掛けられた言葉はそれだけ。
 それだけを言うと、今度こそ私達に背中を向けて、その場を立ち去る篠ノ之博士。

 ミラージュに対しての興味。ただそれだけを言い表す為に話しかけて来たのか、それとも他に理由があるのかはよく分からない。
 何となく困って、一夏や箒とも顔を見合わせるのだけれど、二人もよく分かってはいない様子。
 とりあえず、考えても答えは出ないので、他の皆のテストの様子を見ながら、それが終わるのを待つとする。


 そしてその後、緊急の要件で運用テストが中止となった事で、今日という日は大きくその趣を変えていく。






 ベッドの上、眠り続ける一夏。

 その身には余すことなく包帯が巻かれ、ISという盾を持ちながらも、その被害、そのダメージがどれ程の物だったのかという事が、そこから窺い知る事が出来る。
 部屋の中では、彼の僚機として迎撃に出ていた箒がずっと寄り添っていて、部屋の外では、誰もが未だに落ち込んでいる様子を見せている。

 ――ハワイ沖で試験稼動中にあった、GA社とオーメル社の共同開発機体の暴走。

 そのGA社よりIS学園に持ち込まれたこの緊急を要する案件に、一撃必殺を誇る白式と最高性能を誇る紅椿での迎撃が決定された。
 そうして実際に出撃し戦闘を優勢に進めてはいたのだけれど、トラブルもあり、結果としては一夏の乗る白式が撃墜。任務は完全な失敗に終わった。

 その後、私達に課されたのは待機命令。
 状況に変化があるまで動くなという言葉。
 それに従い、私達は気分を落しながらも、続報を新たな命令を待ち続けている。


 正直な所、きっと誰もこんな事になるとは思ってはいなかったんだと思う。
 確かに可能性はあった。やられる可能性はあった。それが実戦であるのだから。

 でも一夏なら大丈夫だと、きっとやり遂げて見せるだろうと皆は信じて疑ってはいなかった。
 だからこそ、その一夏が墜ちた今、皆はこうして落ち込んでいる。

 空間を占めるのは沈黙。
 時折聞こえるのは溜め息だけで、誰もが口をつぐみ、誰もがその場を動こうとはしない。

「……ねえ、皆?いつまであたし達はこうやってうじうじしてれば良いんだと思う?」

 そんな誰もが言葉を失っていたその時、さっきまでは箒と同じくらいに落ち込んでいた様子だった鈴が、私達に語り始める。

「確かにさ、一夏があんな怪我までさせられて、あんな事になっちゃって悲しいよ、悲しいけどさ。でも、それ以上に私には、沸き上がって来てる物もあるのよ」

 一夏の事、それを想いながら語られる言葉。それだけが今の私達の空間に響き渡っている。

「……あたしは、あの機体をブチのめしたい。悲しいけど、それ以上に一夏の仇をこの手で取りたい」

 響くその言葉。向けられるその瞳。
 そこには燃えるような色が浮かび上がっていた。

「アンタはどう思う?セシリア?」
「同感ですわ」

 即答。
 その色が周りへと伝染していく。

「ラウラ、アンタは?」
「当然だな」

 即答。
 色に乗せられた熱が周りへと伝えられていく。

「シャルロットはどうする?」

 その色と熱、それは私も例外ではなく。

「一夏は私の友人だよ?それに、友達がそんな事をされて黙っていられる程、私は出来た人間じゃないよ」

 即答。
 燻っていた心に、それらは強い炎を燈していく。

「そう。なら決まりね。セシリアとラウラ、シャルロットは敵の現在地を何とか探って。……箒はあたしが何とかして見せるわ」

 そうして決まった私達の為す事、やるべき事。

「という事で各自……」

 分かれながらも協力していく事に、皆で掛け声を一つ気合いを入れようとしたその瞬間。

『至急、専用機持ちは風花の間に集合しろ。良いな?至急だ』

 丁度良いのか悪いのか、織斑先生からの集合の号令が放送で伝えられた。

「散開!……って、あれ?まぁ良いわ。皆、とりあえず、行くわよ」

 でもやはり、それを無視する事なんて出来ないので、皆で擬似ブリーフィングルーム、擬似作戦室と化した宴会場へとその足を向かわせる。

「ん?携帯?」

 そんな皆と一緒に歩いていく中で、懐に感じたのは小刻みな振動。

「シャルロット、何をしている。さっさと行くぞ」

 振動源、携帯電話を取り出して見ると、ディスプレイに表示されているのは『シゲさん』という四文字。
 用件は確かめたい。でも、今は織斑先生の言う至急の要件に遅れるわけにはいかない。
 シゲさんには申し訳ないけれど、ラウラの言う通りに、その振動を気に留めず皆の背中を追い掛けていく。





「お前達に集まってもらったのは、何て事はない。分かってはいると思うが、状況に変化があった」

 暗い室内、臨時の情報室となった宴会場では、織斑先生と山田先生の二人が私達を待っていた。
 掛けられた言葉。それはやっぱり予想通りのもので。

「つい先程、米軍より連絡が入り、独自の追撃隊を編成したとの事だ」

 その内容は私達の予測を大きく裏切るものだった。

「現在も飛行を続けるシルバリオ・ゴスペルを彼らが追っている。……山田先生、映像は出せますか?」
「はい。……これが約20分程前に、海上封鎖を行っていた教員用機体によって捉えられた映像です」

 そうして、空間投射ディスプレイに映像が現され始める。
 おそらくは、機体のセンサーによって拡大視された映像。距離は近くはない。

 やがて、そこに映し出されていったのはひどく無骨な姿だった。
 前面を分厚い鎧で固められたその無骨な姿、それが後ろに大きな炎を引いて空を駆け抜けていく。

 実際には私も見た事はない、けれど見覚えはあったその姿。

「これは?」

 映像に対して誰かが尋ねる。

「これはだな、米軍側が編成した……」

 答えるのは織斑先生。でもきっと、この場にいる誰よりも私がそれの事を知っているはずだ。

「アーマード・コアです」

 なぜならそれは、普段より慣れ親しんでいたもの。親しい彼らと共にあったもの。

「デュノア?」

 私の言葉に織斑先生が疑問を寄せるが、今は画面の機体について説明をしていく。

「長距離強襲用ブースターと、超音速機動時に生じる発熱、高速機動時に掛かる各部への負荷モーメント、それによる機体損傷を防ぐための増加装甲。それらを装着した機体がその映像の物です」

 実物を見たわけじゃない。その装備のコンセプトとなるデータを見た事があるだけ。
 でも、それに見間違いはなかった。彼ら、皆の機体を見間違えるはずがなかった。

「……つまりはデュノアの言う通りだ。米軍はクレスト社に追撃を依頼した。お前達も会った事のある奴はいるだろう?彼らが今現在、シルバリオ・ゴスペルを追撃している」

 続くのは私の説明を補足する先生の言葉。
 その内容、米軍とクレスト。
 加えて映像の三機が日本側からの出撃であるのを考えると、あれがやっぱり彼らである事が証明されていた。

「それでしたらわたくし達も支援に!」

 そこで挙げられたのが、先程に私達がやろうと考えていた事。
 セシリアによって、それが織斑先生に宣言される。

「それは駄目だ」
「え?」

 だけど、返って来たのは否定の言葉だった。

「米軍からは、手出し無用との言伝が届いている」
「そんな!?」

 それは、政治的問題。個人の力の範疇を越えた壁が存在している事を意味していた。
 その事に驚いている私達に対して、織斑先生はどこか忌ま忌ましいというような表情を浮かべながらに、語る。

「……彼らからすれば、どちらに転んでも損はないのだろうさ。シルバリオ・ゴスペルが勝てばその性能の証明ができ、アーマード・コアが勝てば自国が技術を持つ、それの有用性が証明出来る」
「ですが、それでもし、一般人に被害が出たりでもしたら……!」

 そこに反論していくセシリア。その言葉、考えられる中での最悪の出来事を想定してのもの。
 しかし、織斑先生はそれに対しても、忌ま忌ましげな表情を変えはしない。

「その時は暴走した機体自体が悪いとでも言うつもりだろう。我々に責任はない、とな。それに忘れたのか?私達IS学園も『暴走事故』を起こしている事を」

 それはあの日、私達が日本へ来た日の出来事。
 世間には真相が告げられず、暴走したISによるものとして知られている事。

 『奇跡的』に一般人への被害は出なかったものの、ISに対する不安というものが、その時には一時的に高まったりもしていた。

「例え被害が出たとしても、アメリカに対してではなく『ISの安全性』についての批判が多くなるだけだ」

 あの日の出来事の時も、やはり同じだった。

 メディアは、その後に登場したアーマード・コアへの話題と問題は解決したという虚偽の発表で彩られ、多くの人々がそれに意識を反らされて。
 懐疑派、反体制的な考えを持つ人もIS学園への責任を問う声は少なく、女尊男卑の象徴となってしまっているISの存在自体に疑問を投げ掛けていた。

「そして、どれだけの人々から批判や不信感が集まろうとも、結局ISの力、その有用性に最も信奉を寄せているのもまた、一般の人々なのだからな」

 ISとは未来である。そんな事を言っていた人もいた。
 医療輸送産業軍事、解明されれば人類の科学技術が半世紀は進むとまで言われる、未知の技術の塊。オーバーテクノロジーの結晶。

 それでいて、現代を作り上げた象徴であり、目標であり、憧れ。
 国家代表操縦者がアイドルやモデルを兼任して、それを応援し崇める人達がいる今ではその言葉が最も相応しい。

 未来であり、夢。
 それが一般の人々のISに対する認識だ。

「例え旅客機が墜ちても多くの人々に利用され続けるように、ISもまた、疑問が投げ掛けられたとしてもその存在に揺るぎはしないのだろうさ」

 確かにそうなのかもしれない。
 例え人が亡くなっても、そこには人々の想いと願いが掛けられているのだから。
 どんな悲劇が起きたとしても、世界は変わらず回って行くのだから。
 何も変わらずに、ただ淡々と。

 ……でも、それを認めてしまっていいのだろうか?

 GAもオーメルも米軍も、きっと水面下では動いてはいると思う。
 面子のため、利益のため。最低限のそれを守るために動いてはいると思う。

 その中で命を掛けさせられる人がいて。そんな事を知らされず、誰かのために挑む人がいて。
 彼らがもしいなくなっても、日常は流れていくだけで。

 ……それをそんな事を認めてしまえるのだろうか?

 私は、それを認めたくない。そんな事は認められない。
 仲間であり友人であり家族であり、大切な人達である彼らを失うなんて事は。それを容認するなんて事を。

「……デュノア、どうした?」

 話が終わり、皆が黙り込んでいる中、織斑先生がこちらに話し掛けてくる。
 そんな言葉も、今は私の心には虚ろ。
 どうすれば、皆を助けに行けるのか?そんな事ばかりを考えてしまっている。

「……あ、いえ、携帯が」

 あまつさえ、口から出て来たのはそんなデタラメ。
 さっきまで鳴っていたのは確かだけど、今は全く鳴ってはいない。

「携帯?連絡?……誰からだ?」
「あ、はい。織斑先生も面識はあるかと思いますが、シゲさん、キサラギの柴田班長からです」

 私の言葉に何かを考えるような表情を浮かべる織斑先生。
 その表情はシゲさんの名前を出すとさらに深まった。

「……デュノア、とりあえず緊急の連絡かもしれんだろう。電話に出ていいぞ」
「あ、はい。すみません」

 不意に嘘を付いてしまった事、いまさらそれを言い直すのもおかしいので、一度、室外へと身体を運ぶ。
 外を出て直ぐ、廊下。一応、携帯の方を確認しておく。
 その着信履歴、そこに並ぶのはシゲさんの名前。

 余程の用件だったのだろうか?
 ふとそう思ったけれど、そこに一つの可能性が見えた。

 ……もしかしたら、彼らについての事かもしれない。

 そうして着信履歴よりかけ返そうとした丁度その時、携帯電話が手の中で振動を始める。
 名前を確認。そのシゲさんからの連絡だ。
 急いで通話ボタンを押し、電話に出ていく。

「もしもし?シゲさん、一体、どうし……」

 そして、そこから聞こえて来たのは、

『シャルちゃん!シャルちゃんだね!?そこに、近くに、誰でも良い!責任者の人はいるかい!?』

 シゲさんのひどく慌てた声だった。







『聞こえていますか、皆さん?』

 機体のディスプレイに浮かぶ山田先生の真剣な表情。
 私達五機からなる迎撃部隊は目標への移動を続けながら、その通信を受け取っていく。

『今からそちらに、キサラギ社から送られている映像を映します』

 先生の言葉。キサラギ社からの映像。
 それは、先程連絡をしてきたシゲさんからもたらされた物だ。

 ――俺いや私は、如月重工、技術統括本部長、柴田繁達と申します。突然ではあるのですが、あなた方に依頼をさせて下さい。

 それは日頃のシゲさんではない、完全に仕事用の真剣なシゲさんの声と表情だった。

 ――現在、私達の送り出したアーマード・コア、AC部隊が敵ISを追撃中である事はご存知かと思います。

 直接、IS学園に連絡をしても、門前払いにされてしまったみたいで、私の携帯を通じて伝えられた事。

 ――そこで、です。確実性という事を考慮し、あなた方に協力をお願いできないでしょうか?

 下手をすれば、アメリカの機嫌を損なう可能性もある、彼らにも伝えていない独自の、シゲさん独断での行動。

 ――彼らを信じていない訳ではありません。ですが、私達にとっては結果よりもまず、彼らの安否の方が大切なのです。

 普段の口調とは違うけれど、シゲさんらしさというものを確かに感じる言葉。

 そうしたシゲさんからの依頼というか願いを織斑先生は了承した。
 キサラギからの依頼という形ではなく、国の圧力に屈する訳にはいかないという名目を持って。

 そしてその後、すぐに織斑先生からの命令が出されて、私達は彼らの下へと飛んでいる。
 でもそれは、確かに命令ではあったのだけれど、実際には命令だからなんて理由じゃなかった。
 私達には皆、出撃する意思と理由があったから。一夏の仇を取るため、皆を助けるため、それぞれの想いを原点とする強い理由が。

『……戦闘、既に開始されています!』

 考え事をしている中で再び聞こえて来た山田先生の声。
 声に遅れて表示された映像では、シルバリオ・ゴスペルと彼を始めとした皆の機体が、戦闘を始めていた。

『これは……シルバリオ・ゴスペルが押されているのか?』

 次に聞こえて来たのは織斑先生の少し驚いたような声。
 その言葉通り、そこにはシルバリオ・ゴスペルが苦戦する様子が映し出されている。

 背部のブースターを噴かし、ブレードを振るって見せる黒い機体、クロノス。
 それはまさに一直線という軌道でシルバリオ・ゴスペルへと襲い掛かっていく。

 対してその目標。
 突撃していくクロノスを、ひらりと舞うような宙返りで避けると同時に、無防備となったその背中に攻撃を加えようとする。

 しかし、それを防ぐかのように襲う、双方向からのエネルギー射撃と砲撃。
 自身を狙うそれらに対して、シルバリオ・ゴスペルは反撃を止め、直ぐに回避を選択。
 そこに今度は、素早く旋回を終えたクロノスが、シルバリオ・ゴスペルに対して銃撃を加えていく。

「……皆、良かった」

 その映像の中の奮闘振りに、驚きと一緒に安堵の声が思わずこぼれる。

 恐らくきっと、この状況は誰にとっても予想外の事だったのだと思う。
 映像から目を離して、セシリア達の様子を見てみると、セシリアもラウラも映像を見たまま驚きの表情を浮かべている。

『ツイているというよりは、本当に上手く戦っているという感じか』

 そうやって私も含めて驚いている所で、聞こえて来た織斑先生の言葉。

『自分達の流れに引き込んで、シルバリオ・ゴスペルの行動パターン、それを上手く突いている』

 確かにシルバリオ・ゴスペルは、上空からのアウトレンジ攻撃に徹すれば良いにも関わらず、AC達に合わせて中近距離、しかも低空や海面上で戦ってしまっている。
 そして、シルバリオ・ゴスペルに対する彼らは、回避を何よりも重要視するという相手のパターンに付け込み、数の優位性を活かした連続的な攻撃を加える事で大きな反撃を許していない。

『私や山田先生が彼らを相手にしたならば、あの性能差だ、まぁ10分とは掛からずに全機を墜とせるだろう。多少の被弾を覚悟はするがな』

 織斑先生はそんなシルバリオ・ゴスペルの動きをまるで素人だと語る。
 あれは回避重視の戦術ではなくて、ただ被弾を恐れているに過ぎないと。

『だがそれでも、たださえ性能で劣る機体、しかもたった三機であそこまでやるのは容易ではないぞ』

 その後に出て来たのは、彼らを褒めるような言葉。
 容易ではない、それはきっとそうなのだと思うけど、彼らにしてみれば当然の事なのだとも思う。
 何て言ったって、彼らは私がミラージュとして合流する前からずっと一緒にやってきた仲だから。
 機体の運用方法や機動理論なんかを語り合って議論して、試して来た人達だから。

 互いの機動の癖や性格、加えて自分達の機体に何が出来て何が出来ないのか、それを知り尽くしている彼らにとって、こんなものは当然以外の何物でもない。

 そして少し安心した気持ちで、先生達の言葉を聞きながら支援に向かっていると、戦況に大きな変化が訪れた。

『あ、シルバリオ・ゴスペルが……!』

 それは山田先生の上げた驚きの声。

 映像では、先程までは完全に回避できていた、ガイアの放ったレールカノンを避け切れず、片翼を散らしバランスを崩したシルバリオ・ゴスペルの姿があった。
 そこにオーバードブーストによって、再び突撃していくクロノス。その左手には光の刃。
 シルバリオ・ゴスペルもバランスを立て直して、その攻撃からの回避を試みる。
 しかし今度は、ウラヌスの放ったエネルギーカノンが残った右翼を機体から削いでいく。

 そうして、推進力を失い死に体となった目標、その本体をクロノスが切り裂いた。

 防御をした両腕部のISアーマーが、エネルギーブレードによって空中に散る。
 クロノスは交差するようにして斬り付けた後、追加ブースターによって直ぐ様、急速旋回。
 右腕のアサルトライフルと左背部のエネルギーカノンを構え、そのままシルバリオ・ゴスペルへと浴びせ掛ける。

 斬り付けられた直後に、背後から多数の銃撃と高出力のエネルギー射撃を受けたシルバリオ・ゴスペル。
 軍用ISであり、機体のリミッターが解除されているとは言っても、ISとしての機能はそのままなので絶対防御が発動。
 すると搭乗者の保護機能も稼働したのか、身動き一つしないままに海へとその機体が落ちていく。
 やがて、シルバリオ・ゴスペルが着水。海面上に大きな水柱が立てられた。

 その光景。それを見ている皆が言葉を失っていた。
 だってそれは恐らくISの登場以来、初めての出来事だったから。
 従来兵器によるISの撃破。
 最新の従来兵器という注釈は付くけど、きっとこれは後々の歴史にも残っていく事だから。

 それが今、画面越し、目の前で為された。

『まさか、彼らだけで墜とすとはな』

 皆が言葉を失い映像では彼らがその撃破を確認している中、織斑先生の気軽そうな少し明るい言葉が聞こえてくる。

『やれやれ……お前達の出番はなかったようだ。各機、帰投しろ』

 確かに、戦闘が終わった以上、私達が向かう意味はない。
 先生のその言葉に従って、機体を翻し私達は旅館の方向へと進路を向けていく。

「……とりあえずは良かったですわね?シャルロットさん?」
「うん。皆、怪我もないみたいだし」

 そうして帰投のために飛びながら、笑顔で話し掛けてくるのはセシリア。
 彼と模擬戦や食事会を行ったからなのか、セシリアは彼らの事をこうしてよく気にかけてくれている。

「ううむ……確かに喜ばしい事ではあるんだがな、私としては何だか複雑な気分だ」
「あはは……、何となくだけど、その気持ちは分かるよ」

 どうにも煮え切らない様子で、額にシワを寄せているのは箒。
 箒に関しては、確かにそう感じるかもしれない。
 突然のトラブルがあったのは事実だけど、負けたというのもまた事実ではあるから。

 それに加えて出撃前、箒が織斑先生に説得されていた時には、一夏の為に!と大きく気合いを入れ直してもいたし。
 そうやって直接倒す!と大きく意気込んでいた分、拍子抜けといったものがあるんだと思う。
 でも、それは鈴やラウラも同じで、驚きと一緒に箒と似たような表情をしている。

 こうして色々な表情を浮かべている皆。そんな皆に囲まれながらも、私はこの結果には大満足だった。
 一夏の仇を直接取れなかったのを箒達は気にしてるみたいではあるけど、その代わりに一夏と友人関係にある彼が仇を取ってくれたし、そんな彼らも無事に戦闘を終えたみたいなので、それはもう本当に。

『……え?待って下さい。そんな、これはっ!?』

 そしてそんな時、山田先生の慌てたような声が響いた。

『シルバリオ・ゴスペルの再起動を確認、いえ違います!シルバリオ・ゴスペル、形態移行(フォーム・シフト)です!』

 フォーム・シフト。
 その声に反応して画面を見れば、そこに現れていたのは大きな光の翼を生やした、シルバリオ・ゴスペルの姿。

『このタイミングで、だと?……各機、帰投は中止だ、急げ!このままだと、彼らが危ない!』

 続いて聞こえたのは織斑先生の余裕のない言葉。
 それが発せられる前に、私は機体を彼らの下へと向けていた。

 全力で。全速力で。
 そんないきなり、飛び出した私にセシリアと箒が着いて来てくれている。
 速力に劣るラウラと鈴には悪いけれど、今はただ、一刻も早く彼らの下へ。

 ――フォーム・シフト。
 それはISにとって、大きな意味を持つ言葉だ。
 ISによる搭乗者と機体との適正化現象。
 これが果たすもの、もたらす事、それは機体の進化。
 性能の向上や特殊機能の獲得など、まさに進化と言っていい。
 その影響は絶大で、装備の独自変化や時には三割を超える速力や機体出力の上昇を確認したとの報告もある。

 そんなフォーム・シフトが彼らAC部隊に何を引き起こすのか、それはあまり考えたくない。
 でも、こうして向かっている間にも、状況がその考えたくない方向へと動いていた。

 フォーム・シフト後、まるで人が変わったかのような機動を見せるシルバリオ・ゴスペル。
 被弾を恐れた回避重視から、今度はひたすらに攻撃へ傾倒した攻撃重視に。

 さらに速度を増したその機体に加えての戦闘スタイルの大幅な変化。
 それに対して、彼らは付いていけない。

『あぁ、一機、戦闘不能です。続いて二機目……』

 始めこそはその猛攻を何とか堪え凌いでいたものの遂に捕らえられ、ラナさんのウラヌスが脚部に被弾。脚部を失って、そのまま近くの小島へと墜ちていく。
 そこに追撃を加えようとするシルバリオ・ゴスペル。

 それを防ぐためにジャックさんのガイアが、ミサイルやエネルギーライフル、レールカノンを撃ち尽くさんとばかりに撃ち放つ。
 同時にオーバードブーストによって、重い機体を無理矢理押し進め、シルバリオ・ゴスペルとウラヌスとの射線の間に入ろうする。

 生み出された弾幕。
 そんな弾幕に曝されて脅威を感じたシルバリオ・ゴスペルは、その弾幕を避けつつガイアに接近すると、至近距離でエネルギー砲を発射。

 ただウラヌスを守る為に、撃ち放つ事しか考えていなかったガイア。咄嗟にシールドを展開しようとするも一歩遅く、コア部にその多数が直撃していく。
 それによってガイアは力を失い、脚部のホバーによって小島に乗り上げると、そこで動きを停止させる。

 ほとんど一瞬で二機を撃破したシルバリオ・ゴスペル。

 そして彼女の次の狙いは、ウラヌスとガイアから注意を反らそうと銃弾を放つ、彼の駆るクロノスへと移って行った。

『まさか?遊んでいるとでも言うのか?』

 とにかく必死で機体を向かわせている中、織斑先生のそんな声が聞こえて来る。
 今も尚、映し出されている映像。そこにあるのは、とても残酷な姿だった。

 シルバリオ・ゴスペルが、二回りは大きいだろうクロノスのパーツを少しずつ少しずつ分解していく。

 まずは、各所の武装を。
 クロノスから剥ぎ取っては破壊していく。アサルトライフルがエネルギーカノンがレーダーが、武装の次はブースターが、センサーが。次から次へと剥ぎ取り、壊す。

 武装やブースターなどの付属品を粗方破壊尽くすと、次は本体に。

 脚部を引き千切り、頭部を叩き潰し、腕部を削ぎ落とす。
 ブースターを潰し、センサーを潰し、抗おうとする意思を折ろうとする。

 それはまるで、見つけた虫を解体していく幼い子供の姿の様にも見えた。
 一つずつ、一つずつ。いたぶるように嬲るように、ゆっくりとゆっくりと愉快そうに砕き斬り壊していく。

 しかし、そのクロノスの、彼の意思は未だに折れてはいなかった。

 唯一残った、色が薄く既に出力の得られていないエネルギーブレードで何とか立ち向かおうとする。
 それでもそれを軽く回避して、嘲笑うかのように振る舞うのが、今のシルバリオ・ゴスペルだった。


 もう止めてと叫びたい。もう止めろと怒りたい。
 でも、ここからでは届かない。


 そんな私の心とは裏腹に、シルバリオ・ゴスペルはクロノスのパーツで唯一残った左腕部付きのコアを吹き飛ばしてはキャッチするといったように、クロノスで遊び続けている。

 それは、中のパイロットである彼からすれば堪ったものではない。
 コクピットに掛かる不特定方向からのGもさる事ながら、吹き飛ばされる度に装甲が少しずつ少しずつ削られていっている。

 じわじわと徐々に恐怖を与えていくその様子、それは残酷ではあったが子供の無邪気さとは程遠いものだった。

 シルバリオ・ゴスペルの動作の一つ一つ、そこに含まれているのは明確な怒りと歓びの色。
 よくもやってくれたなと先程、墜された怨みから来ているのかとにかく強い憤怒と、その怒りを晴らせる事への歓喜の色。
 セカンドシフトに移行して以来、どこか人に近い行動を見せるようになったシルバリオ・ゴスペルからはそれが強く感じられる。

 高速で飛翔する私達も、その様子が細かく詳細に肉眼で捕えられる距離までようやく来ていた。
 あと、もう少し、本当にもう少しだった。
 そうすれば彼らを、今嬲られている彼を助けられる。

 そうして私達が向かっている中で、シルバリオ・ゴスペルは最後に残ったクロノスの左腕をも引き千切り、小さくなった機体でのキャッチボールを止める。

 ブースターも既になく、空中から落下していくクロノス。
 その落ちていく機体に入れられた蹴り。
 既にほとんどコアしか残っていない機体が、他の二機が鎮座させられている小島に叩き付けられ地面を滑っていく。

 そしてその直後、シルバリオ・ゴスペルが、すぐそこまで迫った私達の目の前で取ろうとした行動は。

 ――敵IS、シルバリオ・ゴスペルから高エネルギー反応を感知しています。

 そのエネルギー砲を、身動きの取れない彼へと向ける事だった。



[28662] Chapter2-12
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2012/10/21 21:27
 空より降り注ぐ、多数のエネルギー性の砲弾。

 機体の回避行動とエネルギーシールドでそれを避け、避け切れない物は確実に防いでいく。
 その弾幕を越えたらオーバードブーストを起動。
 メインブースターの低出力をこれで補い、敵へと接近する。

 右腕武装、アサルトライフルを放ちながらの接近。左腕にはエネルギーブレード。

 目の前には、交戦中の敵機。
 急速に詰まっていく距離。

 それは普段であればやらないような事、無謀にも真正面から切り掛かっていく。





 敵機、銀の福音、シルバリオ・ゴスペル。
 VOBでの接近とその後の交戦。

 この戦闘が始まってからどれ程の時間が経ったのだろうか。
 それはとても長いようにも感じるし、恐ろしく短い物にも感じる。
 ただ分かるのは、今の戦況が悪くはないという事だ。

 徹底的な回避重視であるという事。それは一夏達の戦闘映像によって既に把握はしていた事。
 でも、百聞は一見に如かずとでも言うのだろうか?
 見て感じるよりも実際に交戦してみると、そのシルバリオ・ゴスペルの持つあやふやさみたい物がまじまじと実感出来てくる。

 本来、戦術において回避を重視するという物は悪い物ではない。
 戦闘機にしたって、戦車にしたって、歩兵にしたって、当たらなければそれに越した事はないのだから。

 でも回避をあまりに偏重するとなると、それは大きく変わってくる。
 本来、攻撃すべきタイミング。しかも決定的な物を逸してまで回避を選択する。
 確かに援軍や支援が来るの待つという事なんて理由があれば、それでも良いだろう。
 だけど何の理由もなく、そんなタイミングをみすみす逃す何て言うのは、ただ愚かと言わざるを得ない。

 ……まぁ、そのお陰でこちらが助けられてるのだから、文句よりは感謝がしたいけど。

 それは、ともかく。
 相手の行動のちぐはぐさと稚拙さ、それによってこちらが優勢に進められているのも確かで、そんな相手の行動原理のお陰で思い切った攻撃を仕掛けられるというのも確かだった。


 オーバードブーストでの突撃。

 同時に行ったエネルギーブレードによる斬撃が易々と軽く回避される。
 行動自体は稚拙ではある、だが機動性を含めた回避性能は極めて高い。そこだけは本当に厄介だ。

 ――警告。背後より敵機にロックオンされています。

 不意に、思考を他所へと飛ばしていると聞こえてくる、要警戒を告げるアラート音とシステム音声。
 本来であれば、相手が相手なので焦りに身を任せて対応する所ではある、しかし今はそんな焦りなんて物は必要がない。

 落ち着きながらも動作は早く。肩部ブースターを使用。
 一瞬の噴射と共に変わる視界。その中に捉えるのは、ウラヌスのエネルギーカノンとガイアのレールカノンを回避に尽力し、こちらへの攻撃を忘れたシルバリオ・ゴスペルの姿。
 先程はこちらが背中を取られていたのに、今度はこちらが背後を取っている。

 左背部エネルギーカノンを起動。
 その無防備な背中にアサルトライフルの銃撃とエネルギーカノンの高エネルギー射撃を浴びせていく。

 それでも背を向けたままに、左右へと機体を大きく揺らしまるで木の葉のように、攻撃を避けて見せるシルバリオ・ゴスペル。
 この相手の行動を稚拙だなんだとさっきは言ってみたけれど、実際にはこうして簡単に避けられている現状に、少々のいらつきがあっての事だというのを否定はしない。

 現在における最大の障害。
 シルバリオ・ゴスペルの異様な回避能力。ひいてはそれを為している、極めて高い機動性とハイパーセンサーによる全周囲把握能力。

 この内の特に後者。『人』では不可能のはずのその完全把握を、暴走しているこの機体がやってのけてしまっている。
 更には、そこから得られた情報を機械的合理的に判断、瞬時に解析して、こちらの攻撃を読んでくるのだから、もう何とも言えない。

 きちんとした人が操れば、その戦術と性能からおそらくは圧倒的な強さを発揮し、ISを暴走させれば、そのコア?AI?が異様なまでの回避性能を発揮する。
 これらがもし同時に発揮出来るようになったらとふと思うけれど、そんな恐ろしい事が今、出来ていない事に感謝を捧ごう。

 と、そんな事をしている内にラナが仕掛け、やはり回避をされては死角を取られている。
 だけど、こちらも思考に耽りながらもきちんと適切なポジションを取っている。

 そしてシルバリオ・ゴスペルがラナへと仕掛ける前に、僕とジャックで仕掛け回避行動を誘導。こちらへの注意を引いて、ラナに対する攻撃をキャンセルさせる。

 誰かが直接攻め、それを残った二人がカバー。
 単純明快なこれが、今僕達が取っている戦術という物だった。

 相手の範囲攻撃を警戒して散開状態に。
 一人が常に二人をカバー出来る位置を取り、常に敵をその視界に捉えておく。
 独断での勝手な行動を禁止して、チームで守り、チームで攻める。 
 丁度、三角形の中心にシルバリオ・ゴスペルが来るように常に動きながらも、互いをカバーし合う。

 そんな、おそらく相手が有人機であったら直ぐに破られていただろう物。
 でも何度も何度も見直した一夏達の交戦映像と、実際に戦ってみての感覚から、きちんと嵌まってくれている事が分かる。

 戦術的に優位に立つ事。確かにそれは非常に好ましい。

 だけど今現在目下の問題は、劣勢下にありながらも全く被弾を許さないこの相手に、どうやってダメージを与えていくか、という事になる。

 ただでさえシルバリオ・ゴスペルはISの制御リミッターを解除してあり、エネルギー切れという物が狙えない状況。
 通常なら定石の絶対防御によるエネルギー消費狙いも、その保有エネルギー量から普通に発動させたのではあまり効果がない。
 絶対防御の連続起動、極短時間での大幅なエネルギー減少を起こせばあるいはとも聞いたが、そんなのを一体どうやって引き起こせば良いのか?

 それには何よりもまず、攻撃を当てなければいけない。
 しかも大火力を短時間の間に。

 アサルトライフルをシルバリオ・ゴスペルに放ちながらも、その解答を探っていく。
 当然の事ながら、そのアサルトライフルの銃弾もハイパーセンサーによって弾道を見られたのか、それとも銃口からの軌道予測からなのか、とにかく避けられている。

 その回避機動も最小限。
 ラナやジャック、二人からの攻撃からも合わせて、最適な機動を取られて回避されている。

 暴走。おそらく、生きていると言われるコアの異変による物。
 米軍やGAによれば、パイロットのコントロールも利いてはいないという事だから、確実にそれが原因だろう。

 ISは生きている。シャルはそう言ったが、その本質はやはり機械であると僕は思う。
 だからこその合理的な行動、機動。
 異様に被弾を恐れている事は気になるけど、その他の行動は全てが本当に合理的だ。

 そうすると、そのハイパーセンサーと人を遥かに超えた演算能力、それを超えるにはどうするのか?
 それらを撃ち貫くにはどうすればいいのか?

 オーバードブーストを起動し、シルバリオ・ゴスペルに接近しながら、エネルギーブレードを展開する。

 その瞬間に、素早くこちらに反応し回避機動を取る敵機。

 呆れる程に早い、相変わらずの反応。
 そのまま接近し、エネルギーカノンを放っても見るが、完全に射線が読まれている。

 素早い反応。構えた瞬間には既にこちらが捉えられていて、その軌道さえもが読まれている。

 ……合理的な判断、予測される軌道、異様なまでの危機管理能力。

 では、その銃撃の予測される軌道が脅威でない物だったらどうなるのだろう?
 合理的な判断、その理解を超えた場所からだったらどうなるのだろう?

 ふと考え付いたそんな事が疑問となって、機体を動かし目標を追いながらも、脳内を駆け巡る。

 状況は優勢。
 しかし、正面からまともに戦ったのではおそらく勝てない。

 ハイパーセンサーの完全作用。IS自体による驚異的な演算力と合理的な最小限の回避機動。異様な危機管理能力。

 包囲戦で攻めたとしても、まともに攻撃が当たらない。
 自身を襲う『脅威』その全てに反応して、機体の極めて高い性能をもって回避する。

 脅威に反応する。脅威に対応する。
 ならば、それを逆手にとっての攻撃を。相手の理解を越えた攻撃をやってみよう。やって見せよう。

「ラナ、ジャック!」

 その為には自分一人だけじゃなくて、二人の協力が必要だ。

『何だ?問題でも、起きたか?』
『おおっ!今は、ちょっと、待ってくれ!』

 そうして話し掛けながらも、死角を取られそうになっているジャックへの援護はもちろん忘れていない。

『ふぅ、助かったぜ。……それで何だ?』

 ジャックへのターゲッティングを外させ、狙いを絞らせないように、再び、シルバリオ・ゴスペルに包囲戦を仕掛けて行きながらも、二人に説明をしていく。

「どう?ちょっとした案に乗ってみない?」

 とは言っても、その内容の詳細は省く。

『……それだけ言われても、こちらとしては非常に困るのだが』
『まぁ、俺は良いぜ?お前の事だし、どうせ碌でもない事でも考えてんだろ?』

 そんなことをジャックには言われたくないが、確かにその指摘は遠からず、否定はしない。

「ジャックはこう言ってるけど、ラナはどうする?」

 こうやって話している間にも、やはりこちらからの攻撃を避け続けているシルバリオ・ゴスペル。
 それでも、攻撃の手を緩めずに、ラナへと問い掛ける。
 すると、聞こえたのは大きな溜め息。

『……全くしょうがない奴らだよ。どうにも説明する気がないみたいだからな。まぁ、やらせてもらうさ、だが無茶はするなよ』

 やれやれといった感じで渋々了承をしてくれるラナ。心の中ではきちんと謝っておく。後でもきちんと謝っておこう。
 でも、今からやろうとしている事を説明すると、多分ではなくて絶対に反対されるので、それを考えるとやっぱり出来ない。

「それじゃあ、まずはラナ。いつも通りこっちの動きに合わせて」
『うむ、分かった』

 と、なんだかんだ言っても、ラナはちゃんと従ってくれる。

「それで、ジャック。今回はジャックが肝だからよく聞いて」
『おう』

 それで今度は、ある意味主役となるジャックの方へ。

「何があってもこっちの言葉に従って、絶対に戸惑わないで躊躇わない事。良いね?」
『ちょい待て。そりゃ一体……』

 早速、戸惑ってしまっているので、念を押す。
 今、戸惑ってもらっても困る。もっとしっかりしてくれないと。

「……良いね?」
『わ、わかった』

 何だか堅い返事だけど、とりあえず了承は得られた。

 こうなれば、後は状況を整えて実行に移すだけ。それを成功させるだけだ。



 とは言ってもやる事はほとんど変わらない。
 仕掛け、隙を作り、そこを狙っていく。
 まぁでも、違う所と言ったら、

『って、おい!』

 仕掛けている僕が、シルバリオ・ゴスペルとガイアとの射線を完全に塞いでいる事ぐらいの事だ。
 声を上げるジャックに対して、その行動を押し止めるように言いながらも、オーバードブーストによって急襲をかけていく。

 ブレードを展開。
 それによって、やはりこちらに警戒をしてみせる銀色の機体。
 ラナもこちらの動きに合わせて動き出しており、シルバリオ・ゴスペルはそちらの方にも意識を割いている事だろう。

 さてこれから、行うのはある種のトリックプレイ。
 その結果が吉と出るか、凶と出るか、それはやってみなければ分からないけれど、敵の行動、反応範囲が予想通りの物だったらきっと成功するはずだ。

 突撃。
 右腕武装アサルトライフルを撃ち放ちながら、未だにガイアの射線を閉じたまま、ジャックへと依頼というか、合図として叫ぶ。

「撃て!ジャック!」

 こちらの言葉、それに一瞬息を呑む声が聞こえる。
 だけどその直後、現在の僕らの中での最大火力、ガイアの主砲、大口径レールカノンがこちらに向けて放たれた。

 砲筒の間で生み出されるローレンツ力によって、大きな推進力を与えられた砲弾。
 それが超高速で、空間を切り裂きながら飛翔する。

 シルバリオ・ゴスペルとガイアを結ぶ射線上。
 このままでは、そこにいる自分に当たり、フレンドリーファイアとなってしまうだろう。
 でも、それもきちんと把握済みの事。
 ガイアの砲撃の直後、すぐに砲弾の進路を開けるようにして、機体を軽くずらし、その敵に至るまでの道筋を作り出す。

 僕のすぐ横を抜ける砲弾。つまり今は、シルバリオ・ゴスペルを蹂躙せんとレールカノンの砲弾が真っ直ぐ突き進んでいた。

 シルバリオ・ゴスペルもその迫る脅威をようやく察知、直ぐに回避行動を取ろうとする。
 しかし、攻撃の察知に遅れたその時間、それが致命的な隙となった。

 飛翔する砲弾が緊急回避中のシルバリオ・ゴスペル、その左翼に命中する。
 砲弾の保有する運動エネルギーの大きさに、シールドバリアはほとんど効果を為さずに貫通。
 たった一撃でACの腕部を楽々奪い取るその破壊力が、シルバリオ・ゴスペルの左翼を蹂躙し根本から翼を散らせていく。

 ……作戦は成功。全ては予想通り。

 でも、そんな事に安堵をする暇はなく、被弾によってバランスを崩した敵機に追撃を掛けていく。

 けれども、さすがISと言った所。
 片翼、推進器を失っても、直ぐに体勢を立て直し再び回避行動を取ろうとする。

 しかし、その遅くなった機体を襲うのが、高熱量の光。
 ラナの放った背部武装エネルギーカノンが、今度はシルバリオ・ゴスペルの右翼を散らせていく。

 突撃をする自分の目前。
 そこにいるのは、高機動性という最大の武器を失った哀れな敵の姿。
 高機動を実現していたウイングスラスターを散らされたその敵は、あまりにも遅かった。

 エネルギーブレードを最大励起。
 熱量を更に増した光の刃でシルバリオ・ゴスペルへと斬り掛かっていく。

 一閃。

 両腕による防御ごとその本体を斬り、機体はその後方へと抜ける。

 おそらくはこれで絶対防御が一度は発生したはず。だけど、それではまだ足りない。
 追加ブースターを起動。一瞬の噴射によって、急速旋回。
 同時に左背部エネルギーカノンを展開。アサルトライフルも構え、シルバリオ・ゴスペルに銃身過熱や残弾も考えず、ただただ撃ち放つ。

 碌な回避行動を取れない目標へ、連続的に、続々と突き刺さっていく銃弾と光弾。
 それは今まででは考えつかない程に。銀色の機体を確実に捉えていく。

 やがて機能を停止させ、重力に従い落ちていくシルバリオ・ゴスペル。

 心に沸き上がる想いを抑えながら、落下する機体の様を見届けていく。
 そして水面に達したシルバリオ・ゴスペルは、大きな水しぶきを上げ海中へと没していった。

「……HQ。こちらクロノス。ミッションに成功、目標の停止を確認」

 報告と同時。通信の向こうでは、まるで騒ぎ立てるような歓声が大きく響く。

『うっしゃー!!』

 こっちでもジャックが大声で叫び、ラナも笑顔を浮かべている。

 これで任務が終わった。
 ISの撃破。相手に助けられた形ではあったけれど、それを今ここに、一応は達成する事ができた。

 本当にラナやジャックにはもちろんだけど、シルバリオ・ゴスペル自体に助けられた部分がやはり大きい。

 あの合理的な行動と判断。
 おそらくは周囲に存在する、自身を捉え得る脅威の完全把握。
 それは確かに強力ではあったけれど、その合理性に潜んでいた落とし穴。

 自身への脅威を把握するという事。それは自身への脅威でない物への意識を省くという事、僕はそう考えた。
 つまり、『フレンドリーファイアになるような物』、自身の脅威足り得ないそれを、脅威とは認識しないんじゃないかと。そうすれば、当てられるんじゃないかと。

 その結果として、シルバリオ・ゴスペルは初めての大きな被弾をして、僕らに撃破されるに至った。

『これより、目標の座標を特定する』

 そんな風に先程の戦闘の事を考えている間にも、ラナが沈んでいったシルバリオ・ゴスペルの位置座標を確認している。

 水の中でも大丈夫なんだろうかと、ふと疑問には思うけど、元々は宇宙でだって活動できる代物なんだから、きっと問題はないのだろう。
 どんな環境においても、搭乗者を保護できる機能が付いているみたいだし。

 そういった技術が集められて構成されているISという物、それはやっぱり異常な物だなと改めて感じる。

『座標は……ん?なんだこれは……?』

 そうした、落下位置を確認している真っ最中。
 確認途中のラナの姿を眺めていると、目標が沈んで行った海中にまばゆい光が生まれていくのが見えた。

 ――警告、敵機体より高エネルギー反応を確認。

 突然のアラート。
 機体がそれを告げたその時、大きな光が海を突き破り、空中に生まれ落ちる。

 輝く光の翼。それを大きく広げたその姿。
 それはまるで、聖書に記されし天使の姿。
 福音を告げる者。彼の者が今ここに。
 圧倒的な圧力を持って顕現した。

『セカンドシフト……?まさか、どういう事だ?』
『おいおい……一体、何の冗談だよ?』
「様子がおかしい、各機警戒を怠る、な……」

 そうして、復活したシルバリオ・ゴスペルに相対し、こちらが二人に注意を促す言葉を伝えようとしたその瞬間。
 光だけを残し、その姿が掻き消える。

 ――La……♪

 いきなりスピーカーを通じて聞こえ始めた誰かの声。それは何かを歌っているようにも聞こえる。

『ジャック、後ろだ!』

 そして、最初に気付いたのはラナだった。
 互いに離れた距離にいる僕ら三機。
 そのガイアの背後に再起動を果たしたシルバリオ・ゴスペルの姿が現れている。

 ラナの声に身体は即座に反応、アサルトライフルを構え、直ぐ様、敵へと撃ち放つ。
 しかし、敵機の姿が再び掻き消え、その姿を見失う。

 そんな目の前で見せ付けられた異様な速度。
 以前見たイグニッションブースト、その目にも停まらぬその速さと同等、下手をすればそれ以上の速度。

 先程までのシルバリオ・ゴスペルも異常な機動性を誇ってはいたが、今の存在はそれを更に超える異常な速さと機動性を持っているように思える。

 ――La…La……♪

 また、歌がコクピットの中に響く。

 今度は上空にその姿を現していた。
 だが、今のそれに敵意は感じない。
 空で歌い、踊るように舞う姿は、何かへの喜びを感じさせるかのようだ。

「……二人共、警戒を」

 それでも、注意だけは怠らない。怠ってはいけない。
 注意を喚起するこちらの通信に、二人共真剣な表情で返事をしてくる。

 ――La?……La!

 やがて、空を舞う動きが止まり歌が止んだ。
 その主だったシルバリオ・ゴスペルは、上空で静止、静かにこちらを見下ろしてきている。

 ――La……♪

 そして、歌が再び聞こえ始めたその瞬間。

 天使を象った翼より、エネルギー性の砲撃が降り注いだ。

「各機、来るぞ!」
『了解!』

 羽根のような、光の砲弾。
 それを機体を左右へと動かしながら回避し、左腕のエネルギーシールドによって防いでいく。
 先程と変わらず、一撃毎の攻撃力はあまり高くはない。
 加えて、エネルギー武装に対して相性の良いエネルギーシールドならば、この程度の攻撃なら防ぎ切れる。

 そうして降り注ぐ攻撃の中、反撃を試みようとしたその時。

『くっ……!』

 ラナの苦悶の声が通信越しに響き渡る。

 見れば、ウラヌスの真横に突如シルバリオ・ゴスペルが現れ、攻撃を仕掛けている。
 ウラヌスは何とかシールドを展開。
 しかし、いくら相性が良いとは言っても、至近距離で、極多数の攻撃を受ければ、その防御容量を越えて防ぎ切れなくなる。

「ラナ!」

 直ぐにラナの援護に向かう。動きながら撃ち放つは、エネルギーカノン。
 敵に脅威を認識させて、ラナからこちらへ注意を引いていく。

 軽い機動。それがさも当然であるかのようにシルバリオ・ゴスペルが攻撃を避けて見せる。
 続いて放ったアサルトライフルに対しても同じく。
 こうやって、僕が引き付けている間にラナはオーバードブーストによって、一時離脱。
 戦況はこれで振り出しに。

 だけど、シルバリオ・ゴスペルの様子と行動。それは大きく変化していた。

 視界から消えるその銀色。
 回り込まれたかと警戒するが、訪れたのは予想外の出来事。

『ラナっ!』

 聞こえた声。今度のそれはジャックの叫び。
 オーバードブーストで離脱中のウラヌスの背後、そこにシルバリオ・ゴスペルが現れている。

 ラナもそれに気付き、直ぐに反転。回避行動と共にシールドを構えて防御体勢を整える。
 一方、ラナを追っていたシルバリオ・ゴスペルは、


 ――敵機より、高エネルギー反応を確認。

 突如響くシステムの警告音。こちらの視界で捉えられたのは、今までにはなかった行動。
 シルバリオ・ゴスペルのその頭上。光の翼の間に大きな光が集束していく。

 脳裏に語りかけるのは危機感と焦燥感。あれはまずいと、そう告げる第六感。

「避けろ!」

 ラナへの言葉と共に敵に放った銃弾。

 しかしそれは、遅すぎた物だった。

 シルバリオ・ゴスペルからウラヌスへ光が走っていくのが見える。
 それはシルバリオ・ゴスペル自身の機体長程に大きな光。今までの範囲攻撃用の拡散タイプではない、集束された純破壊をもたらす為のそれ。
 ラナからしたら視界を埋め尽くすような極大の光が、ウラヌスを飲み込もうとする。

『すまんな。これ以上、力になれそうにない』

 ウラヌスと光とが接触した直後に聞こえたのは、ラナのそんな申し訳なさそうな声。
 光が過ぎた場所を見れば、こちらの牽制が功を奏したのか、それとも回避行動による物か、砲撃角度がずれ、脚部をほぼ付け根から失った状態のウラヌスの姿。
 白い機体はゆっくりと落下。幸いにも、近くに存在する小島へと不時着していく。

「無事か?」
『とりあえずは、な。だが、機体は駄目そうだ』

 通信は生きていた。
 安否の確認の為に話し掛ければ、普通に応えてくれる声。
 ラナは機体を気にしているみたいだけど、何より機体は換えれば良い。今は、ラナ自身に怪我がなかった事を喜ぶべきだろう。

『相手が悪すぎる。お前達、早く……何!?』

 そうしてラナがこちらを気にかけ言葉を掛けようとした時、ラナの様子に変化が訪れる。

 ――警告。敵機にロックオンされています。

 通信越しに響いて来たのは、ウラヌスのシステム音声。
 それは今も、こちらからの攻撃の回避を続けるシルバリオ・ゴスペルが、戦闘不能に陥っているウラヌスを狙っている事を意味していた。

 直ぐにオーバードブーストを起動。高速でウラヌスの下へ。

 しかし、こちらとウラヌスとの間には距離があり過ぎる。
 そして、シルバリオ・ゴスペルはこちらよりも尚、速い。

 ……間に合わない。

 シルバリオ・ゴスペルがウラヌスを見据え、エネルギー砲の発射体勢に入ったのが見えた。
 幸いにも、そこに集束する光はなく、おそらくは拡散タイプ。
 だけどそれは、装甲が薄く脚部を失い身動きの取れないウラヌスにとっては致命的な物。

『やらせるかよ……』

 万事休す。そう思ったその時、シルバリオ・ゴスペルに多数の銃弾と光弾が襲い掛かっていく。

『やらせてたまるかってんだ!!』

 その声、その叫びはジャックの物。
 ガイアをオーバードブーストで移動させながら、シルバリオ・ゴスペルに対して、自身の保有する多数の武装を撃ち放っている。

 放たれるそれは、弾幕。暴力の網。鋼鉄と熱線の嵐。

 シルバリオ・ゴスペルとて拡がる網の回避は容易ではなく、一度捕まれば、再び先程の二の舞となる、それを理解しているのだろう。
 ウラヌスへの攻撃を止め、回避に専念して見せる敵機。
 そうして相手を回避行動で釘付けにしている間にも、ガイアがウラヌスを庇うかのようにして、シルバリオ・ゴスペルからの射線上に入った。

『ラナ!早く機体から脱出して逃げやがれ!』

 ジャックの心からの叫び。
 叫びながらもラナを狙っていた敵へ放たれる弾幕は、ミサイルをも加えて一層の彩りを見せる。
 だが、それも長くは続かなかった。
 シルバリオ・ゴスペルが反撃行動へと移行する。

『糞が!……当たれ、当たれよ!当たりやがれよ!!』

 空間にちりばめられた銃弾光弾砲弾誘導弾、その多々の軌道を読み切っての進撃。
 歌を背後へと残しながら、網をくぐり抜けていくシルバリオ・ゴスペル。
 前へ前へ前へ……。
 踊るように、舞うように機体が揺れ、銃撃が、砲撃が空間だけを切り裂いていく。
 ガイアも決死に狙いこそしているが効果は見えず、距離だけがただただ縮まっていく。

 ――La……♪

 そして、遂にガイアの正面にまで達した、その機体が一層の歓喜の声を上げる。
 大きく開かれた光の翼。
 ガイアがシールドを構えようとするが、間に合わない。

 至近距離より、ただガイアだけを目標とした多数の砲撃達が解き放たれる。

『畜生……、ラナ、逃げ』

 ジャックの声。
 被弾による物と思われる多数の爆発音の後、その通信が途絶した。

 だが、それでも攻撃が終わらない。
 支援に向かうこちらからでもその様子が確認出来る。
 連続的に被弾したガイアに対して、通信が途絶したジャックに対して、仕返しと言わんばかりに尚もその砲撃が続けられていく。

 ガイアに着弾していくエネルギー砲、そんな連続的な被弾の衝撃によって、ホバーで浮かぶ無骨な機体は勝手に後退を始めてさえいる。

「くっ、そ……!」

 ようやくたどり着いた二人の下、歌うシルバリオ・ゴスペルへとオーバードブーストを起動させた高速状態のままに、ライフルで狙い撃ちながらのブレードによる接近戦を挑む。

 銃弾は掠りもせず、斬撃が空を切る。

 狙い通り、これで良い。
 お陰で狙いはこちらへと移ってくれたようだ。

「ラナ。……ジャックを頼んだ」

 通信を送る。
 そうして二人のいる島から離れるように、退がりながらもシルバリオ・ゴスペルを牽制していく。
 聞こえて来たのは、ラナにしては珍しく弱々しい反応。
 だけど、通信が途切れたといっても、まだジャック自身がやられたと決まった訳じゃない。
 ラナの反応に後押しが必要かとも思うが、どうにもこちらにも余裕がない。

 あちらは完全にこちらを獲物と認識したようだ。ラナとジャックを忘れたかのように、嬉々とした歌を響かせながら、こちらへと迫って来ている。

 出来る事を出来るだけ、今はそれしか僕には出来ない。







「……っ」

 機体に走った大きな衝撃。
 朦朧としていた意識を、それは揺り動かしてくれる物だった。

 それにしても、酷い頭痛だ。視界も赤く染まっている。
 一瞬、負傷でもしたかとも思ったが、頭痛自体はすぐに治まったし、赤かったそれは、機体の知らせる損傷報告と脱出を推奨するシステムによる物だった。

 ――全武装損失。頭部センサー損失。両腕部損失。両脚部損失。コアに深刻なダメージ。

 満身創痍のその中で、今も尚、生きているのは、たった複数機のサブセンサーのみ。
 それさえも映像は粗く、ただぼんやりと、夕焼けに染まろうとする外風景を映し出しているだけだった。

 そこに映るのは、夕焼け背景に輪郭のぼやけた銀と光。つまりは敵機。
 白く強い光が太陽に重なりながら、翼の間に集まっていっているのが、何となく分かる。

 ――警、告。敵、機よ、り、高エネル、ギー反応を、確認。早、急に退、避して、下さい。

 コアにダメージを受けすぎたせいか、システム音声も途切れ途切れだ。
 それでもシステムが教えてくれている事は十分に理解している。

 つまりは、敵がこちらを本気で殺しに来ているという事。

 全く以って趣味が悪いとは思う。
 人で、人の機体で散々遊んでおいて、身動きが取れない所でとどめを刺すなんていうのは。
 死への恐怖というよりかは、敵への愚痴ばかりが先に出る。

「ったく、何が天使だよ。コイツ、ただの悪魔じゃないか」

 キリスト教なんてちょっとかじった程度しか知らないけど、福音なんて大層な名前をしておいて、その実は悪の手先?だったなんて、何だかある意味洒落が効いていて面白いのかもしれない。

 そんな事を考えている内に、光が段々と大きくなって来ている。

 ……これは、確かにまずい。

 けれど、先程から脱出をしようにも、コクピットの開放部が地面によって塞がれていて、緊急用の脱出装置も起動しない。

 八方塞がり。万事休す。四面楚歌……は確か全く違う意味だったか。
 とにもかくにも、どうする事が出来ないこの現状。
 その事にどうしても、大きな溜め息が出てしまう。


 結局、僕は勝てなかった。証明出来なかった。
 アーマード・コアの存在価値を、シゲさん達の努力という物をきちんと証明する事が出来なかった。一夏の仇を取る事さえも出来なかった。

 その何も出来なかった状況に加えて、こうして今の現状も、碌に身動きが取れず何も出来ない。
 現在の敵に至っては、こちらに向けて砲撃をチャージ中。つまりこれから未来にも出来なさそうだ。

 状況現状統合考察。
 多分おそらくだけど、高確率で、僕はここで終わるのだろう。
 それを考えると、皆の期待に応えられなかった事がやっぱり何だか申し訳なくて、気が滅入って落ち込んでくる。

 でも、落ち込んでいく中で思うのは、ラナとジャック、二人の事。ラナの無事は確認をしているので、あとはジャックの方。
 あれは通信が切れただけだと信じたい。
 ガイアのコアへのダメージ自体はこっち程ではなかったはずだし。
 今は二機とのデータリンクは切れてしまってはいるけれど。

 ……ああ、後はそうだ。大切な事を忘れてしまう所だった。

 シャルとの約束、それを守れないで申し訳がない。
 帰ったら遊びに行こうと言ってたのに、こんな形で裏切ってしまって申し訳がない。
 あれだけ楽しみにしてくれていたのに、一緒に行けなくなって申し訳がない。

 願わくば、シゲさん達やセシリアさん、ラウラさん達と一緒に楽しんで来て欲しい。
 僕も楽しみではあったのだけど、とても行けそうにはないから。

 これが俗に言う走馬灯という物なのだろうか?
 よく分からないけど、やり残した事、思い残した事が脳裏を駆け巡る。

 そうやっている内に、どうやら相手の方も準備が完了したようだ。
 光が眩し過ぎて、画面上にシルバリオ・ゴスペルの姿がよく確認出来ない。

 それ程のチャージ量。いくら何でもやり過ぎだろうと感じて、思わず笑いがこぼれてくる。

 ――La…La……♪

 すると、笑いに応えるようにして聞こえ来た歌声。
 おそらくはそれは発射の合図。
 きっとそれは最期の時。

 自分の最期ぐらいは自分で見届けよう。
 視界を赤く染めるパラメータを消し、ディスプレイから溢れる光だけを見据え、今はただ、じっとそのまま、時を待つ。


 暗転する視界。


 目の前に広がるのは影だった。

 宗教なんて物はとっくの昔に捨てた自分が言うと、おかしく感じるが、これが死後の世界という奴何だろうか?
 いや、天国というと白のイメージがあるから、これは地獄?
 それは僕にお似合いの場所かもしれないけれど、それにしては五感がはっきりし過ぎている。苦痛という物も感じない。

 ……パイロットスーツに包まれた四肢とヘルメットの重さからすると、どうやら僕はまだ生きているらしい。

 そんな事を確認した後は、ディスプレイに意識を集中させる。
 相変わらず、ぼやけた外風景。よくよく見ると、影ばかりの絵の中に紫電が飛び散っているのが分かった。

 膨大な光とクロノスの間。そこに盾が立ち塞がり、その光景を為している。
 その姿。見えるのは四枚の翼。
 飛び散る光の粒子。それによって照らし出されて目に映る光景。

 何故か視線が引かれたのは、一つに束ねられた金色の尻尾。

 何だかそれは普段から見覚えのある物で、とても良く見慣れた物だ。

 やがて、どこかから聞こえた爆発音によって、光の粒子が消滅していくと、目の前の存在が少し疲労感と安心感を表に出すようにしながら、こちらを振り向いた。

『……大丈夫、だよね?』

 唐突に画面へ浮かび上がったウインドウ。そこにあったのは、何だかとても久しぶりに感じる顔、表情、姿。

「まぁ、何とか。……それにしても、昨日振りだね」
『うん。昨日振り』

 両手に溶解しかけたシールドを持つ、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅢ。
 そのISという鎧を纏った彼女、シャルロット・デュノア、シャルの姿がそこにはあった。




 コクピットブロック緊急開放。

 小さな炸裂音と共に、感じる小さなG。
 そうして暗い密室から、夕焼けに染められつつある、広い開かれた空間へ。

 開いていてく上方ハッチ。シートとの固定を解きながら、そのまま地上へと降り立つ。

「っと」

 覚束ない足元。
 縺れ倒れそうになる身体を、機体に手を着く事で何とか押し止める。

「本当に大丈夫?怪我はない?」

 ISに包まれたままのシャルの表情。それはこちらをひどく心配している様子。
 そんな彼女にはこちらが健在である事をきちんと示しておく。

「大丈夫だって。機体は、もう駄目そうだけど」

 ヘルメットを取りながら、前者はシャルに対しての言葉。後者は無残な姿に為り変わってしまったクロノスに対しての言葉。

 頭部と四肢を失い、コア部のみで目の前に横たわるクロノス。
 シルバリオ・ゴスペルのエネルギー砲によって所々が溶け変形し、辛うじてその原形を留めているに過ぎない装甲。

 それは太刀打ち出来ず、役に立たなかった証拠ではなく、被弾をしても尚、懸命に僕を守ってくれた証だった。

 どこか歪んだそれに感謝を込めつつ、その表面に触れていく。

「……ラナさんとジャックさんは大丈夫なの?」

 そうしていると聞こえて来たシャルの真剣な声。

「ああ、もちろん。二人とも元気だよ」

 申し訳ないけど、そんな彼女には嘘を付く。
 本当はジャックに関しては分からない。
 でも今は、シャルが知るべき、気にするべき事ではないと思うから。

「シャルは、行くんだよね?」
「……皆が、待ってるから」

 そう。
 シャルはこれからあの空へ向かう。
 セシリアさん達と敵とが戦い合っている戦場へ。
 そんなシャルに今は他の事に気を使わせたくない。自分だけに、戦闘だけに集中して欲しい。

「敵は、強いよ」
「そうだね。分かってるよ」

 僕の言葉に頷いて見せるシャル。
 既に心は決まっているみたいだ。ならば、僕には他に掛けられる言葉はない。

「そっか……じゃあ、気をつけて。気をつけて行ってらっしゃい」
「うん、行って来ます!」

 送り出す声を掛けると、シャルはどこか安心したような表情を見せた後、直ぐに表情を引き締め空へと向かっていった。
 背中のオーバードブーストを噴かし、急速の上昇を見せながら。

 その背中はやがて小さくなっていき、他の光と合流するようにして動いていく。
 駆ける閃光。響いてくる発射音。爆発音。
 一対五、IS同士の戦い。
 今も繰り広げられる戦闘を見届けながらに、足はまずガイアの方向へ。


「ラナ?」

 ガイアの足元、そこには地面に座り込むラナと、どうやって引っ張り出して来たのか、ラナの膝に頭を乗せられたジャックの姿があった。

「……この馬鹿が。私なんかを庇おうとするから」

 それはどこか悲しそうなラナの言葉。
 声に出しながらも、意識のないジャック、その頭をそっと撫で続けている。

「本当に、本当に馬鹿だよ、コイツは……」

 まるで慈しむような手付き。
 ただ優しく、大切な物を扱うような手の動き。
 そんなラナに対して、ジャックの方はというと、確かに意識はないようだが、どこかを負傷しているようにも見えない。

「ラナ。ジャックは大丈夫なの?」

 僕が気になっているのは、まずはそれ。
 ラナの事だから、怪我の有無の確認から応急処置まではやっているだろう。

「ああ。ガイアの装甲に助けられたみたいでな、怪我もない。ただ気を失っているだけらしい」
「そっか、よかった」

 ほっと息が漏れるのを感じる。
 それは安堵から来る物、ジャックもラナも怪我がなくて本当に良かった。
 というかジャックめ、余計な心配させやがって……。

 とりあえずの安堵からラナ達への視線を外し、次の案件、空へと意識を向ける。

 肉眼ではよく分からないが、そこでは光が激しく飛び交っているのが確認できる。
 戦闘の光。ISとIS。その戦いの光。

 視線だけは空に。地上では沈黙だけが漂い、空気と雰囲気を支配する。

「……私達の完敗だったな」

 沈黙の中で呟かれた言葉。

「……そうだね」

 それに一言、返していく。

 返す言葉と共に思うのは、シルバリオ・ゴスペルとの戦闘の事。

 初めは戸惑って、途中からは優勢に進めて、やっとの思いで撃墜して、やったと思ったらそれはまだ始まりでもなく、僕らは為す術もなく壊滅させられた。

 ダメージすら与えられず、機体の影すら捉えられず、ただ墜とされて遊ばれて、無力感だけが募っていって。

 無力。それは僕が?それとも皆が?

 認めたくない事。それは否定だ。やっぱり、そんなのを認めたくはないし、認められない。
 さっきは自分の生命すら諦めかけてはいたけど、それは手段がなかったから諦める他なかったから諦めたに過ぎない。

 さっきは諦めた。でも今は助けられて、こうして生きている。

 生きていて、目の前に出来る事がある。

 出来る事があるのにただそれを見過ごすなんて事は出来ない。出来そうにない。
 行動理念。やれる事をやる。
 それなのに出来る事をやらないなんて、そんな物は嘘という物だろう。

「おい、何をするつもりだ?」

 動き出した僕の背中にラナの訝しげな声が掛けられる。

「ガイアはまだ戦える。だから、やっぱり僕もまだ戦うよ」

 そう。
 データリンクが切れる前に確認した物。クロノスやウラヌスとは違い、損傷の表記はあれどガイアはまだ戦える状態だった。

「馬鹿か!お前は!?」

 怒鳴り声。しかし、僕の身体は既にガイアの機体を登り終わり、開かれたコクピットブロックのシートに着いている。

「うん。馬鹿で良いよ。……でも、シャル達が苦戦してるから」

 空を見上げれば、光の中で一層に早い銀色に翻弄される、他の色達。

「それにこのままじゃ、終われないから」

 ……このまま終わるわけにはいかないから。

 ヘルメットを被り直し、機体に乗り込む。
 スティック操作、コクピットブロックをコアに収納。
 まずはデータを確認する。
 見た目こそ損傷しているが、さすがはガイアと言った所。
 損傷レベルは各所に中程度のレベルが見えるだけで、戦闘行動には問題がない。十分に戦闘には耐えられる。

 それが分かれば良いので、早速、機体のシステムと自分とのアジャスティングを開始する。
 ユーザー登録をジャックから自分へ。
 パイロットスーツに登録されているデータと同調し、ガイアのパラメーターがジャックの物から自分の物へと書き換えられていく。
 本来なら細かい調整も必要ではあるけれど、今必要なのは自分の思い通りにガイアを動かせるという事だけ。

 今も尚、光が飛び交う空を見上げ、その完了を待つ。

 センサーによって鮮明に描き出される映像。シャル達は、やはり苦戦中だ。
 僕らの戦闘を見ていたみたいなので、シルバリオ・ゴスペルの性能の幾分かを把握していたとはいえ、相手は異様と言える力を持つ存在だ。
 その機動性に翻弄され、数で勝っているにも関わらず戦況は良くない。

 飛び交い合う光。それを為すシャルと友人達。
 やがてその戦闘を映し出すディスプレイの端に、書き換え完了の文字が浮かんだ。

 完了速度は意外に早い。早速、機体の確認へと移る。

 スティックとペダル、そして意識を伝えるAMS。
 軽く動かしてみる。やはり機体自体が重く感じるが予想の範囲内。そこまでの違和感はない。
 個人の癖を反映させた機体の照準誤差も、今はクロノスでの物と同じになっていてこちらも問題はない。
 ホバー移動もジャックの機動を見ていたせいか、特に気になる事もなく動いてくれている。

 つまりは機体自体に問題は見られない。
 となると、残りは武装だ。

 右背部レールカノンと両腕のエネルギーシールド以外の全武装を廃棄。
 出来るだけ機体を軽く、それにエネルギー負荷も軽く、ガイアにはシールドとレールカノンにのみ、そのエネルギーを注ぎ込んでもらう。
 重武装という機体コンセプトには逆らう事になるがこれで良い。

 武装も確認完了。
 後は出撃するのみ。

 機体を動き出せる前に再び、戦場となっている空を仰ぐ。

「何だよ、一夏。無事だったんじゃないか……」

 思わず愚痴るようにして漏れ出した声。
 そんな拡大された映像に捉えたのは、シャルのブースターユニットを模したような四枚の翼を持った白式、一夏の姿。
 シャルやセシリアさん、ラウラさんに凰さん、そして金の粒子を放つ箒さんと共にシルバリオ・ゴスペルを追っている。
 一夏の加入によって、戦況は優勢になりつつあるようだ。

 それでも、光の翼を持つシルバリオ・ゴスペルが圧倒的な性能によって、状況を押し留めていた。

 優勢にはあるが、未だに保たれる均衡。
 それを圧し崩すにはきっかけが必要だ。
 ならばとそのきっかけ、外部要因となるべくガイアを戦場へと推し進める。

『無理だけは絶対にするんじゃないぞ?』

 そうやって聞こえた声、恐らくパイロットスーツ間での通信機能を用いた物。しかし、二つの声が重なっている物。
 徐々に遠ざかる背後ではラナと、そして、ラナの膝に頭を乗せたままのジャックが軽く手を振っていた。

 そんな二人に対して、笑みが浮かぶ。安心感、安堵感、やっぱりなという感情から、任せておけという二人に応えようという意思から。
 左腕を掲げ自身の心を示し、今はシャル達の支援へと向かう。






 空中。そこで繰り広げられる激しい戦闘。

 凰さんが炎を点した砲弾を放ちながらも切り掛かるが回避され、無防備となった所を蹴撃が襲い、吹き飛ばされていく。
 その直後、背中を見せたシルバリオ・ゴスペルにシャルが突撃を掛け、ラウラさんとセシリアさんがそれを援護するように、超高速の砲弾と極めて高い熱量を持った光線を放つ。
 しかし、シルバリオ・ゴスペルは下がりながら砲弾と光を避けると、その場で回転するように機体を翻し、拡散型のエネルギー砲をばら撒いていく。

 直線と曲線。様々な複雑な軌道を空中に描きながら、三人へと降り注ぐ光。

 距離のあるラウラさんとセシリアさんは回避行動に入っている様子。
 近距離で砲撃に曝されたシャルは、その手に急いでシールドを展開させ防御体勢へ。
 だが、そのまま攻撃を受け止めながら押し進み、シルバリオ・ゴスペルとの距離を詰めていく。

 シルバリオ・ゴスペルもただ詰められる訳ではない。
 各部のブースターによるイグニッションブーストによって、シャルの死角を取ろうとする。
 シャルも負けじと、クイックブーストでそれに対抗、そうして始まった死角の取り合い。
 超至近距離での高速機動戦。

 セシリアさんやラウラさん、凰さんもその支援を行おうとするのだが、二人の距離の近さに対して迂闊に攻撃が出来ず、的確な支援が行えない。

 そこでシャルとシルバリオ・ゴスペルの戦闘に新たな影が加わる。

 それはシャルのクイックブーストと同じような機動を見せる一夏と、金色の光を纏いながら、シルバリオ・ゴスペルに追い縋ろうとする箒さんの姿。

 近距離で三対一、シルバリオ・ゴスペルが徐々に追い込まれていく。

 シャルがショットカノンを両手に構え、接近。発射。
 拡散しながら飛来する散弾。
 その軌道を正確に捉えながらシルバリオ・ゴスペルは完全な回避を見せる。
 だがその一瞬、回避機動中の動きが鈍った。いや止まった。

 何が起きたのかは分からないが、シャルが何かをしたというのは確かだろう。
 一瞬の隙、そこに切り掛かっていく箒さんの紅椿。
 普通であればそのまま箒さんが切り裂いていくのだろうが、シルバリオ・ゴスペルは普通ではない。

 身動きの取れないはずの機体から光が溢れ、機体を拘束するシャルを吹き飛ばし、光の翼で箒さんを捕縛する。
 直後、二人と時間差で切り掛かるはずだったらしい一夏が、その隙を見逃さずにシルバリオ・ゴスペルへと突撃していく。
 だが、シルバリオ・ゴスペルもそれをやはり把握済みだったようで、捕らえた箒さんを突撃をする一夏へと投げ付ける。

 避ける訳にも迎撃する訳にもいかず、速度を落とし、箒さんを受け止める一夏。
 そのまま、投げられた勢いを殺せずに落下を続けていく。

 そうして残ったのが、再度シルバリオ・ゴスペルへと向かっていたシャルだった。
 セシリアさん達の支援砲撃も為されるが、全周囲を把握するシルバリオ・ゴスペルは、それに背を向けたままで回避。
 避けながらも、一気にシャルとの距離を詰めていく。
 シャルもクイックブーストを使い、再びの機動戦に挑む。
 だが、軌道を先読みした、敵機によってその身が捕えられた。

 喉を掴み、シャルの身体を掲げるようにして見せるシルバリオ・ゴスペル。
 シャルも抵抗しようとする。だが展開した武装が、光によって即座に撃ち落される。何より今は喉を強く握られ、もがく様にしていて抵抗が出来ない。
 シルバリオ・ゴスペルの行為は支援砲撃に対しての盾にする物でもあり、セシリアさんもラウラさんも鳳さんも手が出せない。

 一夏達も未だに復帰出来ず、そうしている内に、敵機の翼に純破壊の光が集まり始めていく。
 それはまるで、シャルを抵抗への見せしめにでもするかのように。

 ……やらせるか。

 機体を戦闘海域へと運びながら、その光景に抱く想いはただそんな一言。

 セシリアさん達からの射線は塞がっているらしいが、敵にすればこちらなど取るに足らない存在なのだろう、幸いにしてこちらからの射線は綺麗に通っている。

 ならばと機体を操作。
 やはり、シャルやセシリアさん達に比べれば性能に劣り、出来る事は少ないだろうけれど、その出来る事を今は実行するのみ。

 レールカノンのリミッターを解除。

 これでレールカノンによる連続射撃が可能に。
 砲身過熱、損耗も省みず、その砲身の寿命と引き換えに、連続的に砲弾を放っていく。

 シャルの首を掴み至近距離でエネルギー砲を浴びせようとする、敵機を襲う複数の砲弾。

 回避。
 シルバリオ・ゴスペルがシャルの機体を解放しながら、レールカノンを軽く避けて見せた。
 それでもこちらは、機体の警告の中も撃ち続け、敵の注意を引き付ける。

 そして、回避しながらもチャージされていた光がこちらへと向けられる。
 光。クロノスの中でおぼろげに見えた物と等しき光。
 ガイアの機動性を考えれば、回避は不可能。
 直ぐに両腕、エネルギーシールドを最大出力で展開。ガイアの重装甲を信じて防御に徹する。

 解き放たれる光の奔流。

 一応の回避行動は予想通りに無意味。直ぐ目の前で、守る光と破壊の光とが接触を果たす。

 ぶつかり合う力。二つの光が均衡する。

 しかし、保有するエネルギー量と許容エネルギー量、その差によって、エネルギーシールドの発振器には大きな負荷が掛かっていき、発振器からは白い火花が散り始め……。

 直後、発振器が過負荷に耐えられず飛散。両腕で爆発が起こった。

 そうして障害を乗り越えた光が、爆発をも飲み込みながらに機体を襲う。

 ――コアに、深刻なダメージ。危険です。

 光で白く染め上げられた視界。聞こえた音声。急激なコクピット内の温度上昇。
 パイロットスーツ越しにもじりじりと焼かれるような感覚。冷却機能も間に合わず、コクピット内の余りの熱の高さににスーツの生命維持機能も起動している。

 そんな時、機体のどこかで再度聞こえた爆発音。
 大きな衝撃がコクピットを襲い、内部の構造物が剥離、破片となって飛び散っていく。
 ヘルメットに破片が当たり、甲高い音を響かせる。
 それはもちろん頭部だけでなく身体にも降り注ぎ、四肢や胴体、腹部を襲う強い衝撃。

 でも、それを気にするよりも、今はやるべき事がある。

 光が止み、こちらは存命。
 機体損傷度は酷い物で、レッドアラートが機体に鳴り響き、撤退、退避を推奨こそしているが、ガイアはあの光を何とか耐え切って見せた。

 確かにその中で腹部の衝撃に一瞬、気を逸らされたが、意識と視線を戦場へと戻していく。
 すると待っていたのは既視感。
 その光景と状況は、明確な既視感を覚えさせる物だった。

 箒さんの機体と受け止めながら落下していた一夏が体勢を立て直す。
 海面上で言葉を交し合う二人。
 やがて、金色を纏う箒さんが一夏に触れると、その色が伝播。
 箒さんの何かしらの声援を背中に受けながら、ブースターでそれに応えるような光を点して、一直線でシルバリオ・ゴスペルの元へと向かっていく。

 機体軌道。位置配置。一夏が進む。

 ――こちらとシルバリオ・ゴスペル、二つを結ぶ射線上に乗りながら。

 覚える既視感。語りかける本能。告げてくる経験。寄せるは信頼、きっと一夏なら大丈夫。
 まだ辛うじて生きるガイアの主砲。そこに希望を、通信には叫びを乗せて引き金を引く。
 発射直後。右背部で起こる爆発。しかし、役割は最後まで果たし尽くした。

「一夏……避けろ……!!」

 叫びと共に撃ち出された砲弾。
 それは、今日行ったトリックプレイ。

 直感か機体の警報による物か、一夏は上手くこちらの意図を感じ取りシルバリオ・ゴスペルに向かいながらも、超高速の砲弾を半身になって避けてくれる。

 砲弾が海上から空中に、二つを結ぶ真っ直ぐな線を描いていく。

 同じような光景と状況。軌道。
 僕と敵、二つを結び合わせる直線。
 敵にとっては認識外の攻撃。弾速も、見てからでは間に合わないはずの超高速の物。
 そんな砲弾は一度目と同じように命中するコースが再現されていた。

 しかし、シルバリオ・ゴスペルが対応する。

 回避が不可能と判断すると、翼を盾にするように前方に構え、レールカノンの砲弾を受け止めた。
 翼にめり込むようにして、貫通に至らず、完全に止められた砲弾。

 失敗。失敗だった。
 新たな脅威に対しては敵も学習する。二度目の僕による奇襲は失敗に終わった。

 ……でも、それでも良い。

 シルバリオ・ゴスペルの動きを一秒でも一瞬でも、止められさえすればそれで。


 だって、今の一夏にとっては、たったそれだけの時間、隙で十分なのだから。


 高速機動。加速に次ぐ加速。
 光となり、四枚の噴射光を跡へと引きながら、さらに加速。連続的爆発的な加速。
 その驚異的な加速力と速度を以って、シルバリオ・ゴスペルに向け突撃していく一夏。

 右腕には、一撃必殺と言われるエネルギーブレード。
 その刃が輝きを増し、大きく強い光が形成される。

 白式とシルバリオ・ゴスペル。その距離がイグニッションブースト、あるいはそれを超える何かによって一瞬で縮められる。
 コンマ数秒、その極短時間の硬直時間の間に、シルバリオ・ゴスペルの圧倒的な回避性能も、もはや無意味となった。

 そうして、音を遥かに超えた高速状態のままに交錯する一夏と敵機。

 やがて、突撃する勢いをそのままにその後方へと抜けた一夏が、確認の為にこちらを振り返る。
 その頃には既に、シルバリオ・ゴスペルには大きな変化が訪れていた。

 ――散っていく光。

 光の翼に切れ目が入ったかと思うと、その翼が大きく広げられ、一枚ずつの羽根が散っていくように、光の粒子が海へと柔らかく降り注いでいく。

 それはどこか、幻想的ではあった。

 真夏に雪が降ったような、そんな光景。
 さらりふわりと、光雪が揺らぎをもって落ちては消えていく。

 散っては消える。
 羽根の持ち主も例外ではない。

 散々なまでに厄介だった天使から、光が消えていく。
 そして、その羽根が根本まで全て散り失せると、象徴であった銀色のISアーマーが突如消失。
 搭乗者と思われる人影が空中より落下していった。

 一瞬、感じた焦り。
 生身で水面に叩き付けられでもしたら、大怪我では済まない。

 でも、そんな事にいち早く反応したのが凰さん。
 落下の開始を見るなり、直ぐに飛び出した凰さんが、海面ぎりぎりの所でパイロットの身体を滑り込むようにして見事にキャッチ。
 そのまま一夏に文句か軽口か、とりあえず何かを言っている。

 軽い言葉のやり取り、見て取れるのは和やかな雰囲気。

 ……これで本当に全てが終わった。

 二人のやり取りを見る事で訪れる実感。
 長いようで短くて、やっぱり長かった今回の出来事のようやくの終結に、大きな安堵の息が漏れる。

 同時に切れていく集中。緩んでいく意識。
 トライアルはどうなるんだろう?とか、今後の予定を考えながら、軟化していく状況。

 そうやって解された現状に自身を合わせていく中、自分自身のとある異変に気付いた。

 腹部に残る、何かとても、とても熱い感触。
 そういえば、いつの間にか全身に倦怠感が感じられていて、異様な冷や汗をかいているのもまた実感できている。

『――う?助か――たぜ?』

 そんな時、ディスプレイ上。
 こちらに近づいて、何かを話しかけてくる様子の一夏。
 しかし、その言葉はよく聞き取れない。

 もうちょっと、丁寧に喋って欲しい。いや、それとも通信機能の故障だろうか?
 とにかくどうしても聞き取れない。

『―い、――夫か!?―い!?』

 全く五月蝿い。耳元で怒鳴らないで欲しい。
 もしかしたら、あの不意打ちに対する文句なのだろうか?
 確かにいきなり過ぎたとは思う。そこは反省もしてるし、謝罪もしよう。
 けれども、結果としては成功したんだし、折角全てが終わったんだから、今は少し大目に見てくれたっていいと思う。

『大――、だ―ね?――?ふざ――な―で行――?』

 次に現れたのはこちらに話し掛けて来るシャルの姿。
 でも、今度はそんなシャルの顔が何だかぼやけて見える。
 さっきまで、一夏の姿はそれなりにきちんと映っていたはずなのに。

「あ、れ……?」

 不意に視界が揺れた。揺れている世界。一体何が揺れているのか、海か機体か自分自身か。

 いや、それにしても、何だか眠くなっても来た。
 さっきまではずっと強い痛みを感じていたにも関わらず、今はそんな痛覚より眠気の方がずっと強い。

 重くなっていく瞼。抜けていく力。暗くなっていく視界。薄れていく意識。
 声が聞こえる。姿が見える。
 揺れていく声。揺れていく世界。

『―ぇ?駄――よ?起――っ―ば、――ウ!!』

 揺れと共に、段々と自身の世界には夜がやって来ていて。
 最後に聞こえたのは、僕の名を呼ぶシャルの叫びだった。



[28662] Chapter2-EP
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/07/25 19:19
 暗い暗い夜。

 明かりは見えず、ただ丸く明るい月だけが世界を照らす。
 聞こえるのは、打ち付ける波の音。世界を巡る風の音。
 とても静かで落ち着いた世界。

 そんな中、一人の女性が崖の端に腰を下ろし、青いスカートから伸びる足を揺らしながら、ただただ月を眺めていた。

「……予想外だったなぁ」

 彼女が呟くそんな一言。そこには彼女の意外そうな、それでいて確かに感じていた驚きのような物が含まれている。

「まさか、彼らが邪魔をしてくるなんてね?」

 それは彼女に目標にとっての障害となった物だった。

「まぁでも、結果としては成功かな?まだまだ足りないけど……」

 表情に浮かぶのは少し不満げな物と笑みとが混ざり合った複雑な物。
 一応は喜びに入る部類か。

「箒ちゃんもやっと同じステージに立てたし、いっくんもあれからちゃんと順調に成長してきてる」

 全ての出来事は彼女の掌の上に。
 事象を起こし、過程を観察し、結果を評価する。
 今回の一件は一応の合格点に値する物であるらしい。

「でも……やっぱり足りないよ。このままじゃ、足りない。どうしよう、どうしたら良いんだろう?」

 だけど、それはベターでありベストではなかった。
 一応の結果は出た。しかし彼女の望むべき場所へは、未だに遠く。

「ん〜?……そっか。足りなければ、足せば良い。待ってるだけじゃ、駄目だよね?むむむ、でも……」

 顎に手をやり、悩む素振り。
 それも、彼女の頭脳の回転の前には一瞬で、直ぐに要件への対策案が導き出される。

「……どれくらいで直るんだろう、あれ?このままで居られても役立たずなままだし」

 妙案と役立たず。一体、何者に対する称号なのか?
 何かを思案するその様子。

「それは、石ころなりに頑張ってくれるのを期待しようかな。期待にそぐわないようなら捨てておけば、良いだけだし」

 期待というわりには、淡泊な言葉。
 飽くまでも、それは補助でしかなく決して本意ではない事の現れ。
 使える物は使う、彼女にとってはただそれだけの事。

 それでも彼女の興味を引いたという事実。それはある意味、大きな意味を持っているのかもしれない。

「……やっぱり、その為には試さないとだよね、うん」

 再び悩み思考する。そして、直ぐに考え出される答え。予定。

「よっし!そんじゃー、頑張れ、私!明るい明日を目指して……」

 予定が決まれば準備をし、答えが解れば進むのみ。
 彼女はここ一番の明るい表情を浮かべると、えいえいおー!と一人でポーズを決める。

「……って、何なのかな?こんな今のいい気分に水を挿して」

 そんな彼女が一人気合いを入れていた時、彼女の目の前に現れたのは空間投射ディスプレイ。
 しかし、浮かぶ文字は『SOUND ONLY』。姿はなく声だけが響いていく。

『……ようやく繋がりましたか、篠ノ之博士?』
「何の用なのかな?私はあなたを呼んだ覚えはないと思うけど?」

 先程の明るい笑顔から一転、その顔には訝しげ、憎々しげな色が浮かぶ。
 どうやらその相手、通信主は面識のある人物のようだ。

『ああっとこれは失礼。ですが、今回は私共からの忠告という事で連絡をさせて頂きました』

 表情が見えていないからなのか音声だけの通信は、ペースを崩す事なく彼女へとその用件を伝えていく。

「忠告?」
『ええ、忠告です。……そう、勝手にそう動かれては、こちらとしても大変に迷惑なのですよ。お分かり頂けますよね?』

 その言葉、それは声の主が一人ではない事を指し示している。
 忠告と銘打っておきながらも、暗に警告的なニュアンスを含ませる口調、声。

「勝手?勝手に動いてるのはそっちでしょ?」

 彼女はそんな警告もいざ知らず、関係ないとばかりに言葉を返す。

『……まぁ、良いでしょう。忠告はしました。今後はくれぐれも勝手な行動は慎んで下さい。それが私共の総意でありますので』

 そんな反応に諦めたように伝えられる通信。それでも、念を押す事を忘れてはいない。

「へぇ、脅迫したりはしないんだ〜?」
『さて、脅迫?いやいや、何とも恐れ多い。貴女に脅迫などそんな事はいたしません。何たって私共と貴女とは、互いの「信頼関係」からなるパートナーなのですから!』

 彼女の意外そうな声に返されるのは、わざとらしい言葉だった。
 実にわざとらしく、演技のような抑揚と、口調、言葉遣いでの言葉。

「……ふん、よく言うよ。それで?用件はそれだけ?」

 そんな通信主に対して浮かべる、憎々しい、忌ま忌ましいという嫌悪感。

『ええ、今回は忠告だけですので。……ああ、そういえば後一つ』

 対する言葉の主はさらに語る。
 それは実に明るい様子で、本当に気軽そうに。

「何?」

 その様子に彼女は眉を潜める。

『貴女の生産技術を私共に伝えて頂ける気はありませんか?』

 いきなりの願い。
 それはある種の禁句であり、それを聞いた瞬間に、彼女からは一切の表情が消え失せた。

「寝言は寝てから言うんだね?契約を忘れたわけではないんでしょ?」

 無表情のままに語られる言葉。
 現されるのは明確な敵意。

『おお、怖い怖い。それでは、今日はこれで失礼させて頂きましょう。篠ノ乃博士、良き夜をお過し下さい?』

 そんな言葉をかわしつつ、おどけた様子と態度を見せながら、通信が切れていく。

「……今日は?これで?もう連絡して来るなって話だけど?」

 切れた通信に対して、彼女の口から出て来るのは文句ばかり。
 本当に気に入らない様子で、出来る事なら潰したいとでも言いたげな表情で。

「まぁ、あんなのはどうでもいいや」

 しかし、文句を吐き出すだけ吐き出して、大きく息をつくと元の様子、元通りに。

「それにしても『そこそこ』かぁ」

 そして、表情が変わっていく。負の感情から純粋な正の感情へ。

「ちーちゃんは、いつもそんな事言って一人でやろうとするんだから」

 苦笑い。
 それはとても大切で、不器用な幼馴染みに対しての笑顔。
 自らの質問に答えてくれた親友に向けた物。

「それは、楽しいけど、楽しくない部分もあるって事でしょ?……まったく、辛い事があるなら辛いって言ってくれれば良いのに」

 何年の付き合いだと思ってるの?と笑みを含んだ困り顔を浮かべる。
 彼女と親友、その関係は十年の歳月を越えても尚、ずっと続いている物だ。
 そう考えれば、彼女の感情も理解出来ない物ではない。

「でも、楽しい世界、その為にもいっくん達には頑張ってもらわないとね」

 語られる言葉。楽しい世界。それが彼女の目的であり、目標だった。
 その世界に含まれる物、その範囲。詳細こそは不明だ。

「私の為にも、ちーちゃんの為にも。………私達、皆の為にも」

 だが、少なくとも彼女にとっては楽しい世界。彼女の望む到達点。

 そうしてぽつりと呟かれた言葉。
 それを最後にして、彼女の姿はどこかへと掻き消えていた。

 残るのは風とさざ波と世界を照らす月の光。
 それらはいつまでもその場を彩り続けていく。







『すまんな大尉。お前には今後、このプロジェクトからは離れてもらう事になった』

 室内に響く声。
 目の前のディスプレイ。
 彼女の上官からもたらされた情報。
 それはある種の覚悟を決めていた彼女にとっても、非常に厳しい処断であると思わざるを得なかった。

「待って下さい!あの子を凍結処理にするばかりか、私はあの子に近付く事さえ許さないという事なんですか!?」

 あの子。凍結処理。
 彼女のパートナーである存在、暴走を起こした危険因子の封印。
 その決定が悪いニュースとして、先程、既に伝えられてはいたのだが。

「そもそも、何故それが良いニュースと言えるのですか?」

 そう。
 彼女に今、伝えられた情報。それは悪いニュースと良いニュース、その良いニュースとして上官より伝えられた物。

 軍のプロジェクトからの放逐、なぜそれが良いニュースと言えるのか。
 彼女、ナターシャ・ファイルスにとってはとても理解も納得もしかねる問題だった。

「大佐!どういう事なんですか!?」

 そしてその疑問をそのままに、彼女は直属の上司である彼へとぶつけていく。

『あー、気持ちは解るが、そう怒鳴らんでくれるか?』

 苦笑いを浮かべて、ナターシャの一気呵成の勢いを受け流す、ディスプレイ上の男性。

「ですが!」

 尚も不満の姿勢は崩さず、彼女は上官へと突っ掛かっていく。

『まぁ、まずは落ち着け。事情は話す』

 困った笑顔。
 男性はナターシャを諭すような口調で話し掛けていく。

「……はい」

 その態度に、彼女もまた興奮を治め、冷静さを取り戻していく。

『ついさっきの会議でな。大尉いやナターシャ、お前には少しやって貰いたい事が出来たんだよ』

 男性が説明を開始する。
 しかし、それは上官からの説明というよりは、まるで父が子に教え伝えるような口調と声色だ。

「やってもらいたい事、ですか?」
『ああ。プロジェクトから離れてもらうのはなんて事は無い。新たな任務、それに就いて貰いたいからだ』

 浮かんだナターシャの疑問と疑念、返されたのは彼女に対する新たな期待。

『ある種、米軍の未来を左右すると言っても良いかもしれん』

 しかも、それは非常に大きな物。

『選択権は用意されている。乗るか反るか、全てはお前次第だ』

 そして任務への参加が、全て彼女の意思に委ねられていた。

「……決定する前に、少し聞いてもいいですか?」

 そんな期待に対して、ナターシャが表しているのは新たな疑問と少し戸惑ったような表情。

『別に構わんぞ?何でも聞くといい』
「では任務の内容について、聞かせてもらっても?」

 上官より得た了承に、彼女がまずは抱いた根本的な疑問についてを尋ねていく。

『ふむ、そうだな。詳細は言えんが、海外に飛んでもらう事になる』
「海外?」

 男性の答えた言葉が意外な物だったのだろう。
 軽く首を捻り、どういう事なのかというのを思わず口に出していた。

『そうだ。そこでの共同研究と開発、それへの参加が主な内容だ』

 呟きのような言葉に返ってくる、任務の大まかな内容。

「……そうですか」

 再び呟かれた声はどうにも乗り気ではない様子。
 それもそのはず、彼女は今まで国家の代表としてISの実際の運用に関わって来ていたのだから。
 研究や開発、これらにも当然関わって来たが、彼女は飽くまでも搭乗者であり、開発者研究者ではない。
 そういった面でも、彼女が任務に戸惑いを見せるのは、当然の事と言えた。

『ああ、後はそうだ。悩んでいる所ですまないが、言い忘れていた事があった』

 少し時間を置き、黙り込むような彼女に対して、追加情報として掛けられた言葉。

『……もし、任務に就く意思があるのであれば、あの機体、シルバリオ・ゴスペルの封印処置は必要なくなるかもと言っていたな』

 それは、声に遊び心のようなニュアンスをにじませた物だった。

「……大佐、それはずるいと思います」

 ナターシャは、わざと情報を伝えていなかっただろう男性に対し、唇を尖らせるようにして言葉を返す。
 そんな彼女の反応に、笑い声を上げる男性。

『お前はあれと一緒ならどこにでも、と言った感じだからな。こう見えても、封印処置を中止させるには苦労したんだ』

 笑いの後の言葉には、少しの疲労が見られ、彼がナターシャの為に尽力したという結果と事実が表されていた。

「……先生」

 男性に対してのナターシャの言葉。
 それは、彼らが短くない間柄であった事を示していて、ナターシャは彼に向けて、続けての言葉を掛けようとする。

『……だが感謝はするな。封印処置こそは免れたが、その代わり、シルバリオ・ゴスペル、あれのデータの初期化が絶対条件だそうだ』

 しかし、男性から返って来たのは、続けられようとしていた言葉の拒否とシルバリオ・ゴスペルへの軍の対応、判断についてだった。

「そんな……」

 ナターシャはその内容に落ち込みを見せる声を上げる。
 データの初期化。
 ISにとって、それは築き上げて来た信頼と通じ合って来た互いの関係を崩していく事に等しかった。
 個性を持つ彼らを0に戻す。消し去る。
 それはつまり、彼らへのある種、死刑宣告とも言える。

『すまんな、これは一重に俺の力不足だ。でもな、俺もまた内心では初期化を支持している』

 謝る声。
 含まれる意味は二重。
 至らなかった自身の事と彼女の気持ちを裏切っているという事に対する物。

「先生!?」

 特に後者についてはナターシャを驚かせるには十分だったようだ。
 何せ彼女にとって彼は、とても親しくそして大きな尊敬を寄せる存在だったのだから。

『……あれは、シルバリオ・ゴスペルは余計な感情を覚えてしまった。それはお前にも分かるだろう、ナターシャ?』
「……」

 弁解するような男性の言葉。
 彼女もその内容については理解できているのか、黙り込んだままに反応はない。

『お前に対するあれの想い、それはまだ良い。しかし敵への強い怒りと憎しみ、そんな物は必要ないからな』

 理解はしている、とナターシャは振り返る。
 暴走時に繋がっているパートナーから伝わって来た強い感情。
 守りたいという先行した想いと、どこからかシルバリオ・ゴスペルに入り込んで来た破壊衝動にも似た意思。

『確かに初めの暴走は、信じられない事だが外部アクセスによって引き起こされた物であるという報告が上がっている』

 外部アクセス、あの入り込んで来ていた物はきっとそれなのだろうとナターシャは考える。

『だが、コアネットワークを遮断して完全な独立作動していたはずのあの機体が、何故、尚も暴走を続けたのか?』

 ディスプレイの中では言葉が続く。

『その原因はシルバリオ・ゴスペルの学んだ感情。怒りと憎しみ、そこから来ているのだろうというのが、技術屋連中の見解だ』

 ISが学習する存在である事は既知の事実という物だ。
 データの取り込み、演算、フィードバック、それによってパイロットの総合的な補助を行う。

 そしてその利用されるデータには様々な物が挙げられる。
 使用環境、外部装備、搭載武装、搭乗者の癖。それに搭乗者のコンディションさえも。
 コンディション、それは肉体的な面でも、精神的な面でもだ。

 今回は、外部から与えられた怒りや憎しみそこから来る破壊衝動を搭乗者の意思や感情から来る物として学んでしまった可能性があった。
 つまり搭乗者であるナターシャが、少しでも怒りや憎いと感じた瞬間に、再び暴走する恐れが残っていた。

『確かにパイロットの操縦を必要としない機体というのは理想的ではある。しかしだ、こちらの操作を全く受け付けずに暴走を繰り返すような機体はただの欠陥品でしかない』

 実際に行われた無人起動、暴走というイレギュラーな形ではあったが、それは研究者にとって、非常に貴重なデータではあった。
 理論上は確立されながらも実際には実用化に耐えなかった代物。
 だが男性の言う通り、望まれる無人機とは飽くまでも誰かのコントロール下、指揮下にある物を指していて、何をするか分からない暴走の事を指し示す物ではなく。
 研究者達にとっては、参考程度の物であり彼らが求める明確なソリューションには為り得なかった。

『そんな危険な物を野放しにしておく訳にはいかん。ナターシャ、お前の気持ちは十分理解はしているし、そんなお前には悪いがな』

 彼とナターシャ、二人はISの登場以前からの旧く長い付き合いだった。
 男性はナターシャの事を心配しながらも、どこか彼女に対して申し訳なさそうな様子を見せている。

『まぁ、話を本題に戻すとして。それでどうする?……やるのか?やらないのか?』

 しかしその後、口調と共に表情と雰囲気が変わった。
 旧くからの存在から、上官としての威厳を示して。

「もちろん、やらせて頂きます。いくら初期化が為されたとしても、あの子があの子である事には変わりはありませんから」

 それに対して、ナターシャの雰囲気も一人の軍人としての物へと変わった。

『……そうか。良かった』

 男性はナターシャの意思と態度に、優しげな笑みを浮かべながらに小さく安堵の言葉を零す。

『よし。なら詳細は追って連絡をする。だが準備だけは今の内にやっておけよ』

 その態度も一瞬、再び軍人としての顔へ。

「了解しました!」

 彼女も彼の心中を察してか、真面目ながらも笑顔を抑え切れていない表情で敬礼を送る。
 そうしたナターシャの敬礼を見届けた後に、彼女と男性との通信は切れていった。




 そして、これから約数週間の時間の後、彼女は秘密裏ながらの正式な任務により、その地を踏むことになる。
 ある種、軍と国家の命運を掛けた重大なミッションの内の一部を担う者として。

 文明の発祥地。

 そう謳われる、世界と世界、文化と文化とが交差する、その大地を。



[28662] Chapter3-1
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/08/31 23:57
「……よいしょ」

 井戸から汲み上げた水をポリ容器の中へ貯めていく。
 一回だけじゃまったくダメなので、何度も何度も。
 大体十回くらい?それでようやく一つの容器がいっぱいになってくれた。
 続けて二つ目にも貯めていく。一つ目と同じく、何度も水を汲み上げて。

「よいしょ……」

 かけ声と一緒にポリ容器を両手で持ち上げる。
 水でいっぱいになった容器はやっぱり重い。
 とても両手に二つは持てない。それなので一つは紐で背中に括り付けて、もう一つは何とか両手に抱えて持って、一歩ずつ歩いていく。

 道のりは長くて、気温は高い。
 おまけに重くて暑くて息も切れてくるし、汗も出てくる。
 空には見慣れた太陽が輝いていて、ただでさえ渇いた土や空気をさらに焼いては乾かしている。

 この間まではちゃんと水道が使えたんだけど、海辺の機械が壊れちゃったみたいで、水が届かなくなってしまった。
 だからこうして、僕はわざわざ外れの井戸にまで水を汲みに来ている。

 母さんは仕事でちょっと前から帰ってないし、姉さんは料理の準備中。兄さんはふらふらとどこかに行ってしまったので、これは僕がやるしかない仕事だった。

「……はぁ」

 ……やっぱり重たい。

 それでも一歩ずつ一歩ずつ、足を止めないで進んでいく。
 暑いし苦しいし辛いけど、これは僕のやるべきことだから。

 姉さんや母さんばかりにいつまでも頼っているわけにはいかない。
 男は女を守るもんだって村長さんも言ってたし。
 今はまだ弱くて小さいけど、少しは役に立ちたい。
 でも、やっぱり重たいものは重たいし、辛いものは辛い。

 そういえばと、辛い時は楽しいことを考えるんだよ、と姉さんが前に言っていたことを思い出した。
 優しく笑いかけてくれていた姉さん。その言葉に従って、今考えつく楽しいことを頭に思い浮かべていく。

 ……楽しいこと、楽しいこと。楽しいこと?

 一つ思い浮かんだのは楽しいことというより、気になることだった。
 それは僕の本当の両親の国だというニホンのこと。
 なんでも、小さいのに世界でも有名な国らしい。
 人はお金持ちばかりで、車が見渡す限りに走っていて、食べ物には困らないし、水も使い放題。そんな凄い国らしい。母さんはそう言っていた。

 そんな所に、一度で良いから姉さんや母さん、兄さん達と行ってみたい。
 無理かもしれないけど、いつか僕が皆を連れていって不自由のない暮らしをさせてあげたい。
 それに両親の生まれ故郷ということで見てみたいと思う気持ちもある。

「おーい!何やってんだー?」

 車であふれるニホンがどんな所か想像をしながら歩いていると、どこからか声が聞こえて来た。
 それは、朝からふらふらとどこかにいなくなっていたはずの人の声。

「こっちだ、こっち!……いよっと」

 かけられた声の方。顔を上に向けると、近くの建物から飛び降りて来る影が見えた。
 そして、よくわからないポーズを取りながら目の前に着地して見せた影。

「へっへー!さぁって、遊びに行くぜー?」

 汗を流しながら、頑張って運んでいる僕にそんなことを言ってくるその人物。

「……何やってるの?兄さん」

 それは正真正銘、僕の兄に間違いはなかった。

「だから、遊びに行こうぜ?」

 兄さんは僕の今の状態が目に入ってないんだろうか。
 サッカーボールを片手に持ちながら、ずっと遊びに誘ってくる。

 ん、それにしても、ボール?

「それ、どうしたの?」
「ああ、外の軍隊の人にもらったんだ」

 そんなことを何でもないように言ってくる兄さん。
 ポリ容器を持ってるから今はできないけどその言葉に対しては、もし手が空いてたら僕は思わず頭を抱え込んでたと思う。

「あのね、兄さん?危ないからあんまり近付いちゃダメだって母さんも言ってたよね?」
「うんにゃ、だって俺が近付いてったわけじゃねーし。あっちから勝手に近づいてきて、これをくれたんだぜ?」

 ボールを器用に指一本で回しながらの言いわけ。
 まったく。ああ言えば、こう言う。
 最近近くに外国の軍隊の基地が出来たものだから、きっとそれを狙って朝から行ってたんだと思う。
 母さんもいないから、注意する人はいないし。

 ……姉さんは気にするだろうけど、どうにも迫力不足すぎるし。

 それにしても目の前で、まだきれいなボールを落とさないように蹴り上げながら、「俺、今からこうして練習して、将来ワールドカップに出るんだ!」と興奮気味に言ってる兄さん。

 ワールドカップ、確かサッカーの世界大会だったっけ?
 あんまり知らないことなんだけど、一応、なかなか簡単な道じゃないよ?とは言ってみる。

「グンマは一日にしてならず、だぜ!」

 すると、返って来たのはそんな言葉。

「それを言うなら、『ローマは一日にしてならず』だよ、兄さん。母さんが前にちゃんと教えてくれたじゃない」

 ……というか、グンマって何だろう?

 とにかく、兄さんはサッカーの練習は良いけど、勉強もきちんと頑張った方が良いと思う。
 いつも、居眠りしては母さんに拳骨を頭にくらってるし。
 姉さんはそれを見ては呆れ果ててたし。
 でもまぁ、兄さんは運動だけは得意だし、ワールドカップだってオリンピックだって不可能じゃないかもしれない。

「細けぇことは良いんだよ。……それより、ほら!そっち片方寄越せよ!」

 一緒に歩きながら、そんな事を考えていると、兄さんは僕が両手に抱えていたポリ容器を無理矢理奪ってくる。

「いきなり何するのさ」

 ホントに突然だったので、驚いた。
 兄さんの様子は僕の声なんて聞いていないみたいな、そんな感じ。
 今もそんな風に僕から奪った水を両手に持ちながらも、見失わずにボールを蹴り続けている。
 その光景、正直、なんだか地味に凄い。

「二人で運んだ方が早いだろ?」
「それはそうだけど……」

 やがて、ボールを蹴りながら答えてきたのはそんな言葉。
 こういうことを自然とやってくるから、どうにも兄さんは憎めない。

「だったら、早く運んで、早く終わらせて、早く遊ぼうぜ!」

 まぁ、行動の理由はやっぱりそうやって、早く遊びたいからなんだろうけど。

「はぁ……でも、ご飯を食べ終わった後でだよ?」

 そうして兄さんと二人。少し速くなったペースで歩いていると、ようやく家が見えて来た。
 家の前では、料理はもうできてるみたいで、姉さんがこちらに向けて大きく手を振っている。
 お腹も実はかなり減ってきていた。それは兄さんも同じ様子。
 思わず足を止めて、顔を見合わせる僕と兄さん。

『おーい、何してるのー?もう出来てるから、早く食べるよー?』

 立ち止まった僕らを不思議に思ったのか、姉さんがこちらに向けて大きく声をかけてきた。
 そんな少し急かすような姉さんの声を聞いて、僕らはほとんど走り競うようにして家へと急いでいく。










「……ぁ」

 懐かしい思い出と共に、意識が浮かび覚醒する。
 目の前に広がる光景は、あの太陽に灼かれる大地ではなく殺風景にも思える白い部屋。

「ん?何だ、これ?」

 自然と言える動作で白いベッド上から身体を起こそうとすると、何かが突っ張った感触があった。
 よくよく見れば、自身の身体に針を通じて、液体が投与されている。
 点滴。身体機能維持を目的とした物のようだ。
 とりあえず、動きの妨げになるので針を抜き、身体を起こしながら立ち上がろうと試みる。

「おっ、と?」

 ふらつく身体。立ち眩みのような感覚。
 すると何故か上手く立ち上がれずに、座るような形でベッドの上に。
 再度の挑戦でやっと、よろつきながらも何とか立ち上がっていく。

 どうにも、重たく感じられる身体。
 そういえば僕の服装もパイロットスーツでも私服でもなく、病院服、患者服とでも言うのだろうか、とにかくそんな感じの薄水色の服になっていた。
 まぁ、何となくだけど、ここがどこかの医療施設だって事は理解というより把握が出来た。部屋の様子とか雰囲気で、ホント、何となく。

 では、僕は今これからどうするべきなのだろうか。

 室内を見渡せば、ベッドの横に点滴の投与をする装置があって、心電図っぽい装置も見える。
 それに飾られた花瓶の中には、丁寧にも種類は分からないけれど、きちんと優しげな色をした花が活けられている。
 でも結局、自分のするべき事は未だ分からず。見当たらず。

「どうしようか?」

 何となく自分に問い掛けてみた言葉。
 当然、答えが返ってくる事はない。
 もし返って来たのなら、それは凄い。むしろ怖い。

 僕の人生の中でも病院に関わった事はあっても、直接的に自分が厄介になったという記憶はなかった。
 それだけに自分の次に取るべき行動が分からない。
 人はいないし、下手に機械を弄って壊すのも怖いし。

 白い室内、立ち尽くしながらも考え込んでいく。
 だけど、結局思い至った事は一つ。

 とにかく動き出そうという事。

 やっぱり、じっとしてるのは性に合わない。
 誰かを待とうにも、いつ誰がここを訪れるのかわからない訳だし。
 ただそれを待つのも癪というか、自分からそれらしい人を呼びに行った方が早そうだ。

 さて、方針が決まれば後は行動するのみ。
 どうにもやっぱり身体はまだ重い。でも、とりあえずは動き出そう。

 改めて一度、部屋を見渡す。
 持つべき私物は見当たらない。
 そもそもの物自体がなかった。花瓶は私物じゃないし、まさか花瓶を持ち歩く趣味はないし。

 なら、このままで良いか。

 この身一つ、着の身着のまま、気の向くままに、誰かを呼びに外に出るべくして扉へ向かう。
 スリッパはなく裸足、ぺたぺたと足裏にひやりとした感触を受けながらも、扉に手を掛けてはゆっくりと開け放ち、そのまま室外へと出ようとしたのだけれど。

「……あ」

 今、この時、僕にはそれが出来なかった。

 ドアを開けると目が合った。僕ではない高い声が聞こえた。
 続いて耳に入って来たのは、その手に抱えていた花束の廊下の床に落ちて起こした、静かな音。
 優しげな色をした花びらが、落ちた拍子に広がっては白いリノリウムを彩ってしまっている。

「あーあ、何やってるのさ?折角の綺麗な花なのに落としちゃって……」

 落ちたそれを拾い上げて、目の前の彼女に渡す。渡そうとする。
 でも、もう見慣れた白い制服に身を包んだままの彼女は、花束を受け取ろうとしないばかりか、こちらをじっと見詰めたまま、まったく動こうとはしない。

「ん?どうしたの?」

 声を掛けてみても、どうにも様子がおかしい。
 僕をまるで、幽霊でも見たかのような驚きの色を浮かべた瞳で見て来てるし。
 花束を渡そうとしても受け取ってはくれないし。

「……シャル?」

 疑念を込めて名前を呼ぶと、びくりと身体を震わす、目の前でじっと立ち尽くしたままの彼女。
 本当に一体、どうしたんだろう?少し考える。
 というか僕は、そんな彼女にどうしたらいいんだろう?少し悩む。
 それは僕の現状に、シャルの状況に。
 何がどうしてどうなっているのか、何が起きていて、何をすべきなのか。
 ぱっと考えては見ても、やっぱりよくは分からない。理解の欠片さえ掴めそうにない。

「……本物、だよね?」

 そうして首を捻って悩んでいると、目の前の彼女からどこか弱々しげな声が掛けられた。

「そりゃそうだよ」

 内心疑問を持ちながら、答えるは一言。
 けれど、してくる質問もやっぱりどこかおかしい。
 本物かどうかなんてそんな事、僕が僕だなんて当たり前なのに。というか、偽者がいるのなら実際に会ってみたい物だ。
 わざわざ、僕を真似ようとする酔狂な人物がいるとは到底思えないけど。

「……そう、だよね」

 聞こえてくるシャルの言葉。
 答えに対する反応もやはりの弱々しさ。
 落ち込むのとは、また違う弱々しさだ。

「まったく、何を言って――」

 そんなどこかおかしなシャルに掛ける僕の言葉。いや、掛けようとした言葉。
 それは突然訪れた出来事に、最後まで言い切る事は出来なかった。

 背中に感じる、ひんやり冷えた床の冷たさ。少し打ち付けた事による痛み。
 道理で少し重たいはずだ、半自動式であったドアは、来訪者は去ったという判断をしたのか、その役割を果たし勝手に僕らのいる空間を閉ざしていく。

 片手は花束を潰さないように掲げ、片手は今の状況に対して手持ち無沙汰に空を掴む。
 胸元には突撃を掛けて来た金色の髪。

 つまりの所、僕は現在、まだ安定のない身体のまま、勢い良く飛び込んで来た彼女の身体を受け止め切れず、見事に背中から倒れ込んでいた。

「シャル、いきなり何を……」
「……良かった。本当に、良かった」

 降って湧いたようなあまりの突然の出来事に、問おうとした言葉も今度は行動ではなく言葉によって遮られる。

 身体を震わせながらに聞こえてくるその言葉。
 今、どんな表情をしているのかは、顔が伏せられていて窺い知ることは出来ない。
 けれど、一つだけ解っている事はあった。

 それは、シャルには大きな心配を掛けてしまったらしいという事。

 そうでもしなければ、こんな事にはならないだろう。
 耳を澄ますと聞こえて来た、しゃくり上げるような声。
 それは胸に伝わる振動と共に大きくなってきて、この部屋における唯一のBGMへと変わる。

 何だか久しぶりの感覚、シャルはどうやら泣いているみたいだった。
 こうやって泣く彼女の姿、それを見るのはアメリカでのあの日以来の事だろう。
 でも、以前とは違い今回の原因は僕にあるらしく、泣かせてしまう程の心配を掛けてしまったようだ。

 自分から出て来るのは、みたいようだの推定系。
 正直、どうして僕が何故ここにいるのかも、よくは覚えてない。何だか記憶も曖昧で、思い出せるのは断片的な物に過ぎない。
 それでも、そんな何があったのかという事を今はさて置いて、一番大切なのはこの状況をどうするのかという事だ。

 とりあえず、こういう時は泣きたいだけ泣かせるという方針に変わりはない。
 しかし、問題がここに一つ。
 手持ち無沙汰なこの片手をどうするかという事。

 以前、シズカにやったように、安心させる為、背中に手を置いたり頭を撫でてあげたりするのが、こんな時の行動なのかなとも思う。
 でも今は、何故かその行動を実行する事に緊張が伴っていて、中々そうする事が出来ない。
 アメリカの時には事情は違えど普通に出来ていたのに、今は何だか戸惑うというか躊躇してしまうような感覚。

 とは言っても、いつまでもこうしてる訳にもいかないし、こんな事で臆しているのもおかしいので、やっぱりシズカの時と同じように戸惑いを振り切っては彼女の背中に手を置き泣き止むのを待っていく。
 そんなこちらの行動には、一瞬、身体を強張らせるような反応が返って来た気はしたけど、シャルの様子はあまり変わってはいないようだ。

 そうして室内に満ちる、聞こえてくる声を除けば、ほとんど無音の静かな時間。

 感じる鼓動に合わせて、その背中の上で軽いリズムを取りながら、ゆっくりとその時間を過ごしていく。
 泣いた影響からなのか、シャルの鼓動は早い。体温も何だか高く感じる。
 空調がきちんと整っている病室だからこそ、彼女の状態というのが強調されるようにして感じ取れていた。

 そのままどれくらい過ごしていたのか、ふと気付けば、シャルは何とか落ち着いた様子。胸元から聞こえていた泣くような声も今は治まり、じっとしがみつくような金色だけが目の前に広がっている。
 でも、シャルは一向に動きは見せず、体勢をそのまま変えない。
 僕も僕で、シャルの様子や状態を確認する事が出来ないので、それに応じるようにやっぱり体勢とかはそのまま。

 どちらから動く訳でもなく、時間だけがただ流れていく。

 しかし、そんな時。

「おい、シャルロット。先に早く行きすぎだ。迷ってしまっ、た……ぞ……?」

 ドアの開く音と声。
 この状況に対して、介入してくる人物が現れた。

「……」
「……」

 僕はふとそちらに視線を送り、出入口に立つ銀髪の少女もこちらを見ながらにして硬直している。

 交差、重なる視線。

 その聞こえて来た声に、シャルの身体が再び一瞬震えたように感じた。

「……す、済まない。まさか、取り込み中だったとは……い、いや、邪魔をした」

 予想外であり想定外だったのか、眼帯が特徴的な少女から聞こえる、慌てふためく声。
 そうして何故か顔を赤らめながら、入口に立つ彼女は急いでここを去ろうとする。というかまるで逃げるみたいに出て行った。

「ま、待ってっ!違……くはないかもだけど、とにかく誤解だよ、ラウラ!?」

 そんな駆けて行った少女、ラウラさんに対してのシャルの反応は非常に素早く、勢いよく起き上がりつつもよく分からない弁解をしている。
 赤い顔のままに出て行ったラウラさん、彼女を即座に追い始めたシャル。
 その過程で見えた物、先程まで伏せていた彼女が染め上げていたその表情。よもやそれはりんごのように。安直で稚拙だけど、確かに見えた赤い顔。

 静寂から喧騒、再び静寂へ。

 慌てたように病室を出ていった背中を見送り、ついでに身体を起こしながらにして思う。

「なんだ。元気だな、シャル」

 とりあえず、元気になって良かった、と。言葉に笑いを存分に含めて。






「それで僕は、あの後病院に運ばれて来た、と?」

 あの後、病室から出ていった二人が帰って来た直後に、看護師さんが起きている僕を発見。
 すぐに医師によって、意識のレベル、記憶の有無など、障害が出ていないかの簡単な診察が行われて、とりあえず問題はないだろうというお墨付きをもらった。

 そして今は、ベッドに腰を掛けながら、負傷したらしい時の状況の確認だ。

「とりあえず、皆、大した怪我はしてないし、シルバリオ・ゴスペルも一夏がちゃんと撃墜したって事で間違いないんだよね?」
「……うん」

 戦闘の結果。
 意識の最後に残っている物を確かめていく。
 返ってくるのは肯定の声と頷き。
 シャルとラウラさんがベッド横に用意したパイプ椅子に座りながら、当時の状況について答えてくれる。

「そっか。……なら、良かった」

 シャルも無事で、墜ちたはずの一夏も何故か無事で、ラナやジャックも打撲程度の怪我でしかないらしい。
 加えて、あれのパイロットだった人も無傷だったと言うのだから、何も問題はなかった。

「良くなんかないよ……!」

 ほっと息をついた瞬間にもたらされた言葉。言葉というよりは叫びに近い。
 目を見張る僕に真剣な表情のシャル、ラウラさんはこちらに鋭い視線を送って来ている。
 自分の認識を越えた出来事に対して、言葉を失う一方で、訴えかけてくるような主張が続いていく。

「だって、あんなにたくさん血が出てて、今日までずっと目覚めてくれなくて……」

 言葉と共に、その瞳に再び浮かぶ感情があった。

「もう起きないんじゃないかって、もう会えないんじゃないかって思って……」

 恐怖か悲しみか、あるいはその他の何かなのか。
 そこまで心配してくれるのは嬉しいし、何だか申し訳なく感じるけれど、どうにも僕とシャルとの間には認識の相違が生まれている気がする。

「待った。……ずっとは大袈裟だよ。だって、あれは昨日か一昨日の事じゃ」
「違うよ!一週間、ずっと眠ってたんだよ?」

 言葉に対する大きな否定。
 感じ取っていた違和感の元凶は、外的要因ではなく自分自身だったようだ。

「……一週間?」
「本当に危なかったんだから。手術こそは成功したけど、下手をしたら目覚めない可能性もって言われて」

 思っていたよりも、大きかったらしい負傷。
 確かにあの時痛みこそはあったけれど、まさかそこまではとは思わなかった。

 いや。それにしても、手術。手術だ。
 服をめくって、あの時の負傷箇所、痛みを感じていた場所を確認してみるが、身体にメスを入れた後がない。縫合の跡すら見当たらない。

 シャルの言葉を疑うわけでは決してない。
 でも、術後一週間でこれというのは一体どういう事なのか。何やらおかしい気はする。

「でも、そんな大怪我にしては治りが早過ぎると思うんだけど?」

 その事を疑問には思う。

「……それは、ナノマシン投与の影響だろう」

 自身の負傷について漏らした問い。
 その疑問に答えてくれたのは、シャルの隣で今までじっと座っていたラウラさんだった。

「ナノマシン?」
「そう、ナノマシンだ」

 言葉と共に、何だか少し自慢げな表情を浮かべているラウラさん。

「投与された物の型式番号を聞かせてもらったのだがな。確か体内常駐型、私やレイヴンのような者にとっては中々便利な物だぞ?」
「……詳しいんですね?」

 いや、自分で言ってから、そういえばと気付いた。
 ラウラさん達の部隊は強化処理の一環として、ナノマシンを投与されているという話を。
 今では飽くまで人道的で、希望者に限るという事らしいけど。

「一応、私の身体にも入れてあるからな。負傷時だけでなく、運動時でもカロリー消費が増えるという難点もあるが」

 ……お陰で少々多く食べなければいかん。
 そんな風に少し厄介そうに話すラウラさんを、良いなぁとシャルが羨ましそうに見つめている。僕が視線を送るとまだ軽く睨むような視線を返して来るけれど。

 それでもシャルも、少しは気分的な復帰を見せてはいるみたいだ。

「む、いや、それはどうでもいいんだ。こうしてレイヴンはちゃんと生きているのだからな」

 話がずれたと言わんばかりに、ナノマシン云々ではなくこれからが本題だ、と表情を改めるラウラさん。
 真面目な表情に変わった彼女は、こちらをじっと見据えながらに再び口を開いていく。

「私が何より言いたいのはだな。あなたが眠っている間、シャルロットがずっとあなたの事を気に掛けていたという事だ」
「ら、ラウラ、一体何を……?」

 聞こえて来た、ラウラさんの言葉にシャルの声。
 ラウラさんは何かを言おうとしたシャルに掌を掲げて、続く言葉を押し止める。
 そうした変わらぬ真剣の表情のまま、こちらを貫くような視線を送りながらにして語りかけてきた。

「それを別に大した事がないなどという風に振る舞うのは、個人的にはどうかと思う」

 ……知らなかったのならしょうがないとも言えるが、理性と心情とではまた別の問題だからな。
 と、そんな言葉を付け加えて。

 確かに僕は迂闊というか考え、配慮が足りなかったかもしれない。
 今日初めて会ったときのシャルの反応や言動を考えれば、事の大きさやシャルの心情を十分に予想は出来たはずなのに。

「……何たって、シャルロットは」
「よ、余計な事は言わなくて良いからね!」

 そうして僕が考え込んでいる間にも、真剣な表情のまま尚も語ろうとするラウラさんの口が今度は何か慌てた様子のシャルによって突如塞がれた。
 ラウラさんの口に手をやりながら、少し僕の座るベッドから距離を離し、こちらに背中を向けての静かな話し合いを始めるシャル達二人。
 何を言ってるのかは全く分からないけれど、変わっていくその様子だけが見て取れている。

 何故か次第に赤くなっていくシャルと、何かをシャルに訴え続けているラウラさん。

 やがて、何かが限界に達したのか、「飲み物、買ってくるね!」と言い残しながらシャルが病室の外へと逃げるようにして、赤い顔のままに駆け出していって。
 してやったりのにやり顔を浮かべた、以前とは本当に変わった感じの少女の姿だけが残った。

「ふむ。私もやろうとすれば出来るじゃないか」

 自賛する言葉と何かをやり切ったような表情。
 というか、シャルに一体何を吹き込んだのかが気になる。

「まぁ、これでやっと一対一で話す事が出来るな、レイヴン?」

 一対一?
 つまりは何か僕に用があってその為に、シャルを何とか一時的にしろ退出させたという事なのだろうか。
 シャルには聞かせたくないような用事の為に。

「そうなるのか?まぁ良い、早速だがはっきりと言っておきたい事がある」

 続けられる言葉、さっきとはまた打って変わった真剣な表情。
 その視線には、こちらを責める、そんな色さえ滲み出している。

「今はああして元気になっているみたいだがな。シャルロットはあなたの事を本気で心配していたんだよ。この一週間、目に見えて分かる程に」

 それは、と思う。
 さっきも泣かれたし、怒られるような強い口調で注意されたりもした。
 迷惑と心配を掛けてしまった事、理解も自覚も出来ている。

「……確かにレイヴン、今回の出来事は戦えたから戦った、ただそれだけの事なのかもしれない」

 言い分に理解は出来るけれど、自分にも譲れない物があった。
 苦戦している状況に対して、少しでも力になりたかった。
 その手段と意地があったから僕はガイアで出て、シャルを助けようと敵の注意を引いて。
 いや……結局、墜とされて心配を掛けてしまったのだから、言い訳にもならないか。

「しかし、シャルロットは私の大切な友人なんだ。その友人を今度また泣かせるような事をしたのなら……私はあなたを許さない」

 発せられる、ある種の警告にも近い言葉。
 僕に向けられる怒り。

「……ラウラさん、何か変わったね」

 でも、その態度に対して気になったのは、僕への感情ではなくシャルに向けられた正の感情。
 話には聞いていたけど、初めて出会って話した時とは本当にまるで別人のようだ。

「ああ。『楽しく生きる』だったか。今はそれを実感出来ている。これも全て、教官やシャルロット、それに……」

 語る表情はどこか晴れやか。
 あの時の意固自さというか心の壁みたいな物がなくなっていて。

 そしてきっと、続けられる言葉は。

「一夏?」
「うむ、一夏の影響だな」

 大きな頷き。
 読み取れる自信のような物。
 だけどそんな頷きの後にかぶりを振って
、それでも表情は変わらないままに答えていく。

「確かに、最大のきっかけは一夏である事に間違いはない。だがな、これは周囲の人々の影響だとも考えている」

 彼女から周りへの信頼、感謝。
 変わったのは、やはりそういう事からなのだろうか。

「以前の私は一人だった。誰にも頼らず頼れず、正にな。しかし今は、たくさんの人々が周りにいて私は一人で生きているわけではないと、確かにそう思える」

 語りながらの思い返すような表情。
 そこには悲壮感なんて物はなくて、充実感のような物で満たされている。

「だからレイヴン、今度はあなたがそれをきちんと考えて欲しい。あなたが傷付けば、悲しみ嘆く人がいるという事を。……以前とは違い、あなたとてもう一人ではないのだから」

 忠告というよりかは助言、アドバイス。
 ある意味、経歴という意味ではシャルやシゲさん、クレスト、キサラギの皆よりも僕の事を知っている様子のラウラさんからの物。

「それはシャルロットの為にも。あなた自身の為にも」

 初めて会った時は僕が助言みたいなのをしていたはずなのに、今では逆にこちらが諭されている。
 でも、それはある意味当然の事かもしれない。
 彼女の方が僕よりも、過去を振り切り自身を受け入れられているから。

「……検討はします」

 自分の口から出て来るのは消極的肯定。

「検討では困る。あなたも私にとって、ある種の考えさせられるきっかけをくれたという意味では恩人の一人である事に間違いはない存在だ。……私に恩人を憎ませるような事をさせないでくれ」

 だが、それもすぐに否定される。やんわりとではあるけれど。
 おそらく彼女が求めているのは確証、みたいな物だ。

 しかし、本当にまいった。
 これだけ真摯というか真剣な表情で頼まれたら断れないし、断りにくい。
 何より、シャルやこっちの事を考えてくれての行動だから尚更。

「……分かった。約束する」

 負けだ。
 思わずではないけれど、不意に肯定する言葉が出てくる。
 それは口約束ではあるが、約束には変わりない物。
 結んだ以上は守らないといけない物。

 ……きっと僕には選択権はなかった。

 この状況的にも、僕自身の心情的にも。

「ふむ、なら良い」

 そんな僕の答えに満足げな様子で頷くラウラさん。

「あー、だがレイヴン。こんな時にすまないが、実は聞きたい事がある」

 すると、真剣や満足などの会話の流れで生まれた先程までの雰囲気をどこかへと霧散させながら、その様子が何だか落ち着かない物へと変わった。
 口に出そうとはするが、自身に戸惑い、口を開いては閉ざしている。
 そういった行動が何度も続く。
 ラウラさんによるいきなりの謎の行動。
 僕に何か用があるみたいだけど。

「えと……どうしたんですか?聞きたい事、ですよね?」

 という事でこちらから聞いてみる。

「う、うむ。そうなのだが」

 返ってくるのはやはり何かを悩んだ様子。どうにもはっきりしない態度。
 それでも、幾分の間そうしていると、やがて決心が付いたような表情を浮かべて口を開いた。

「一夏の、あいつの好きな物や得意な事などについて、よく教えてくれ……!!」

 ……と、成る程、そういう事か。

「……ラウラさんは、本当に変わったね」

 先程からのギャップに思わず笑いがこぼれてしまう。
 こちらの反応に少し赤くなって慌てる
ラウラさん。

「し、しょうがないだろうっ!こればっかりはどうする事も出来ん!」

 とは言われても、僕よりかはそっちの方が一夏について知ってると思う。
 ラウラさんは一夏を調べたりはしたと思うし、そも僕は調べたりする必要のないただの友人なだけだし。立場的にも、目的なんかを考えても。

 でもまぁ、男同士と男女じゃ見え方も変わってくる物なのかもしれない。
 とりあえず、知ってる事、聞いた事、本人が言ってた事、それを伝えておこう。

「じゃあ、まずは一夏についての確認を……」

 こちらの話す情報を姿勢を正してまで聞こうとする目の前の少女。
 先程の真剣さとは、また違う真剣さで見つめてくるその視線。

 それに応えるような一夏についての談議は、シャルが帰って来ても尚、続けられていた。







 夏の時間。

 あれだけ明るく長かった昼間も、時が来ればあっという間に移り変わっていく。
 しかし、太陽が沈み夜の空気が外に漂い出していても、ガラスを隔てた病室ではあまり関係がないとも言える。

 ただ変わる事といえば、目に入る風景に対する感慨ぐらいだろうか。
 まぁ、今はそれすらも無視。しゃり、という音を響かせて手元のナイフを踊らせる。

「……シャル、見てて楽しい?」
「うん、それなりに」

 目の前からの返事を受け止めながら、八つに分けたりんご、その皮にVの字型の切れ目を入れていく。
切った部分の皮を取り、残った皮は薄く剥いて浮かせ……。
 そうして、完成するのがその姿。

「これで八匹目っと」

 いわゆるウサギ型のりんご。
 皿に並ぶは、八匹の兄弟達。
 ただ人の糧となる為だけに生み出された、悲しき運命を背負った存在達。

「……そういう言い方されたら、食べづらいよ」

 全く、といった表情でこちらに訴えかけてくる彼女。
 そんな彼らに手をかけようとする魔の手に対して、彼らの心情を代弁してみるのだけれど、むむっと、こちらを睨むように見てくるのだから、僕は口を閉ざす他ない。

 このりんご、ひいては果物セットは、話を受け取ったらしいシゲさんが急遽お見舞いついでに持ってきてくれた物だ。
 今は忙しいらしくて、こちらの様子を確認するなり、すぐに戻っていってしまったのだけど。

 せっかく貰ったお見舞いの品、それに関しては有り難いと思う反面、憎むじゃないけど、羨ましいような悲しいようなそんな感じに襲われていた。
 それは、僕の胃が一週間もの食事のブランクの影響で弱っているらしく、まだ固形物の食事は受け付けず食べられなかったからだ。
 果物もやっぱり固形物。結局僕には許可は下りず、でも放っておいたら悪くなるという何とも勿体なさの間に揺れる、このジレンマ。

 という事で今はこうして、未だに残ってくれているシャルにそのお見舞いの果物を振る舞っている。
 ちなみに先程までいたラウラさんはというと、一夏に関する情報を伝えた後、「……やる事が出来た」とか言って、何かへのやる気に満ちた表情を浮かべながらに帰宅の途へとついていった。

「それにしても、料理とかするんだっけ?」

 次は何にするかなと、次なる果物の選別をしていると、また一匹の兄弟達に手を伸ばしそれを眺めていたシャルが今思い付いたようにそんな質問をしてくる。

「仕留めて捌いて焼いての工程が料理に入るのなら経験はあると言えるけど、実際、手の込んだのはからっきしだよ」

 軽い疑問、それを問い掛けて来たシャルに対し僕が答えるのはそんな内容、すなわち、あまり得意ではない。
 少なくとも、食堂で出されるような物は不可能だと断言できるだろう。
 出来たとしても、焼くか煮るか、味は塩かカレーか、とにかくそんな程度。

「でもそれじゃあ、そのウサギは?」
「……見様見真似。中々上手い物でしょ?」

 そう。思い出しながらの見様見真似だった。
 あの人が買ってきた食材を、いつも姉さんが料理していたから。
 その調理風景をよく眺めていた僕は、何となく色々と覚えてしまった。
 刃物の扱いだけなら、それなりというのもあるし。

「シャルの方はどうなの?」

 お返しにではないけれど、掛けられた質問に対してふと浮かんだ疑問。

「何が?」
「料理とかするの?」

 今度はこちらから問い掛けた言葉に、そうだねと考え込みながら、懐かしそうな表情を浮かべるシャル。
 やがて表情は笑みに変わって、少し自信ありげに頷いた。

「私も母さんの手伝いはよくしてたから、それなりには出来ると思うよ」

 ……母さん、か。
 聞いて考えるのはそんな事。

 過去の話を直接聞いている自分にとっては、少し踏み込んではいけない領域のような感じがして。
 でもシャル自身が言うのなら別にそういう事でもないのかと、もっと聞いてみたい気もして、少し悩む。

 ともかく、その結果については予想外という程でもなかった。
 シャルはアメリカでもキサラギでも、日頃から人の手伝いをよくしようとはしてたし。
 そんなシャルならきっと、その母さんを進んで手伝っては楽しく色々な事を教えてもらってそうだし。
 彼女の言う出来るという言葉が、見栄や意地のようなごまかしや嘘のようにはとても思えない。

「……えーと、食べたい?」

 ちょっとした関心を抱きながらシャルの事を考えていると、続けて言葉が紡がれた。
 こちらの反応を窺っているのか、どうにも僕の顔を覗き込むようにして問い掛けて来ている。

「私の作った料理とか食べてみたい?もし作ったら食べてくれる?」

 何事かとシャルの言葉の真意について首を捻っていると、よく理解していないと思ったのか言い直された言葉。
 そりゃ作ってくれるなら、もちろん食べる……僕が作るよりは遥かにマシな物だろうし。

「まぁ、きちんと食べられる物だったら」

 うん、そうしたら喜んで。

「む、絶対、美味しいって言わせてあげるんだから」

 ん?
 でも何だか、シャルはこちらの反応を別の意味に取ったようだ。
 少し不満そうな雰囲気を出している気がする。

「あー、まぁ、あれだね。楽しみにしとくよ」

 何だか目に物をといった感じでやる気満々なその様子。
 きっと、一層の気合いを入れての料理を作ってくれる事だろう。
 ならば言葉通り、その日の事に期待をしておこう。

「約束だよ?」

 やっぱり予想通りに気合いの入った瞳、その視線と言葉でこちらに念を押してきた。
 それに対しては分かったよ、と半ば押されるようにして出る答え。
 すると目の前の彼女は、にこりとしたと笑顔を浮かべる。

 普通は食べる側が喜ぶ物だと思うけど、まぁ結局はシャルも食べる事になるだろうから、いや、でも……、うん、まぁ、考えてもしょうがない、とにかく彼女はその日を楽しみにしているらしい。

 と、そうしてシャルの態度について考えていると、入り口を静かに鳴らすノックの音が室内に響いた。
 それに直ぐさま声を返すと、扉から現れるのは白い衣服に身を包んだ女性。

「デュノアさん、シャルロット・デュノアさん?申し訳ありませんが、そろそろお時間ですので……」

 その人は、僕の事を医師の人に伝えてくれたりナイフを貸してくれたりと、今日は何かとお世話になっていた看護師さん。

「……もうこんな時間なんだ」
「ん、そうだね」

 看護師さんの言葉、それに従うように時計を見てみれば、針はもうすぐ八時を示そうかという所。
 面会時間は八時までという話だったから、こうして話すのも今日は終わりらしい。

 シャルもそれを受けて、少ない荷物をまとめて帰る準備を始め出したので、ついでにシゲさんからの果物セットを持って行ってもらう事にする。ここで腐らせるのは、何とももったいない事だし。
 寮でシャルと他の人達とで分けて食べてもらえば良いと思う。まぁ別にシャル単独で食べても良い、食べ切れるかは別として。

「……でも本当に、また会えて良かった」

 果物セットの行く末について考えていた僕に、突如掛けられた言葉。
 唯一の手荷物のショルダーバッグを肩にかけたシャル、ベッドに座るこちらから視線を外しながら、彼女がそんな事を小さく呟いた。

「……何さ、それ?」
「ううん、それが私の本心だから。ただそれだけだよ」

 シャルの呟きに対する僕の言葉。
 僕の言葉に対するシャルの答え。
 こちらを振り向いての答えは笑顔による物だ。

「それじゃあ、今日はここまで。また明日だね」

 ショルダーバッグを持ち直しながら、そんな事を言う彼女。
 明日という単語に、何だか少しの嬉しさと共にまた少しの呆れを感じる。

「それは良いけど、シャルは学校もあるんだから、無理はしないように」
「無理はしないって何言ってるの?それは私の台詞だよ」

 それを言われると非常に辛い。
 確かに自分の行動を省みてみると何とも反論は出来ないんだけど。
 そうして、むむむと黙り込むと、聞こえてくるのはくすりと零れる笑い声。

 すると再びのノックと一緒に、廊下から響いてくる申し訳なさそうな催促。
 うん。本当にこれ以上は彼らの迷惑にもなってしまうだろう。

「本格的にもう時間か。それじゃあ、まぁ、シャル」
「うん、またね?……明日も絶対来るから」

 それは既にやはりの決定事項らしい。
 シャルは椅子から立ち上がり、果物のバスケットを両手で少し重たそうに揺らす。

「はいはい……それじゃ、帰りはくれぐれも気をつけて」

 シャルとて訓練を積んではいても、立派な一人の女の子だ。
 夜道を一人で帰る事に対して、一応の注意の喚起を行っておく。

「ふふ、ありがとう。でも、いざという時はリヴァイヴもあるし、大丈夫だよ」

 まぁ実際はその言葉の通り。
 ISを持ったシャルを襲おうなんて、同じISか軍、軍人ではなく軍隊で攻めなければあっという間に返り討ち、膾切りか蜂の巣にされるのが関の山だろう。
 そう考えると逆に、その襲撃犯の身が心配になってきた。もし本当にいたらの話だし、そんな愚物の自業自得ではあるけど。

 床とシューズとが鳴らす音、こうして変な想像をしている間にもシャルは入口に向けて歩き出していた。
 そして、扉の手前で立ち止まりこちらに向き直ると、彼女は小さく手を振ってくる。
 対して軽くではあるけど自然に振り返していた手、そんなこちらの行動に何か満足する物でもあったのか、シャルは一度大きく頷くと扉の向こうへと消えていった。




 じゃあねという去り際の言葉、ドアの閉じる音。
 シャルがいなくなり自分一人になってみると、病室は再びの静寂に埋まっていく。

 一人の部屋、音の消えた部屋、静かな部屋。
 どこと無く暗く感じる病室。

 窓から覗く外風景は夜に浮かぶこれからが本番の眠らない街の情景を表そうとしている。
 街灯、ネオン、行き交う車のヘッドライト、街並みを照らすそんな光。
 それらの光源を視界に納め見下ろしながら、改めて、あの時の事を振り返る。

 脳裏に残るイメージは色。
 銀色、光、赤と白と黒。

 久しぶりに感じられた濃厚な死の予感。
 どうしようもない、あれだけの感覚は一体どれくらい振りの事だっただろうか。
 少なくとも、近年の内には感じられなかった程の物だったのは確かだ。
 そこまで追い詰められ、あと一歩の所にまで手を掛けた。

 ……それでも、僕は結局また生き残った。やっぱり生き残った。生き残れた。

 近くまで寄せた死に対して思うのは、最近はあまり意識していなかった、生きるという事。生きるという行為。
 今更それを実感しているだなんて、生きている事自体が当然となって気が緩んでしまっていたのかもと思う。
 生きているという事。その響き。
 ふと、ラウラさんの言葉を思い出す。

『一人で生きているわけじゃない』

 それは他人への影響を考えれば、勝手に死ぬ事も許されないという事。
 それはあのシャルの言葉と態度にどうにも実感せざるを得なかった事。

 確かに悲しんでくれる人、そんな人がいてくれるのは嬉しいし、そんな人を悲しませてしまうというのは辛い。
 でもだったら、僕は出来る限り危険を回避するように行動するべきなのかもしれないと思う。
 シャルや皆を悲しませたりする物のようだし、いや、そもそも兄さんの願いや約束とも合致する物でもあるのだから。

 ……あの日あの時のあの光景。
 僕は今でも忘れてはいない。忘れられるはずもないし、忘れようとも思えない。
 約束にしては曖昧で、懇願、願いとしてはとても強く感じたその言葉。
 ある意味で過去の僕の行動原理となっていて、ある意味で僕の生きる惰性の原因となっていた物。
 まぁ、つい最近に破られそうなった物でもあるんだけれど。

 思わず、はぁ、と息が漏れる。
 それは約束さえ守れない自分に対しての溜め息。そんな自身への呆れと情けなさ、そんな物を抱きつつ室内へと視線を移していく。

 殺風景な光景の中、やっぱり、まず目に付くのは種類の分からない活けられた花。
 今日の様子を見る限りでは、どうやらシャルがやってくれていた物だったらしい。
 花だって安くはないだろうに、そこまで気を使ってくれている。

 ……気を使う。
 そういえば、今回の事件でも多くの人に気にかけてもらっていた。

 無茶をするなとラナが言って、自覚しろとラウラさんが忠告して、本当に良かったとシャルが泣いて……。
 でも、三人だけじゃない。
 シゲさんやジャック、艦長やクルーの人、整備班の人達もいて、一夏達もいる。
 皆には心配ばかりかけてしまって、心配ばかりかけてもらって、今考えるとありがたいと思う気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 そして、同時にそれは、誰かがいるという実感でもあった。
 確かに僕は一人じゃなかった。ここには皆がいて、皆と一緒に僕もいる。
 友人や仲間、大切な人々に囲まれて笑う日常。
 記憶の彼方のいつかのような、何気無いけど大切な日々。

 けれども……脆くて壊れやすい、儚い平穏。

 生意気にもそれを僕は経験している。
 それは唐突に、容赦なくやってくるという事を。
 世界にはそんな物がどこにでもあって、いつだって僕らに牙を向かんとしているって事を。
 平和とか平穏なんていうのは、ただの猶予期間に過ぎないって事を。

 でも、いつ来るか分からないその時に対して、怯えてるだけじゃ何も変わらないし、変えられない。
 必要なのは、意志と力。
 やってやろうという明確な意志とそれを為す強い力。
 幸いにも、僕はもう以前とは違う。
 無力だった昔にはなかった、抗う為の力がある。
 だから今度は、今度こそはと、思う。

 シャル達が無理はするなと言ってくるのが唯一の難点ではあるけれど、無理をしなければ手に入らない物は確かに存在していて。
 実際、忠告されていても、その時が来れば僕は躊躇なく踏み込んでいくだろう。

 ……まぁ無理をしたとしても、何とか死なないように。シャルを泣かせたり、ラウラさんに恨まれたりしないように。
 きっとおそらく多分、それくらいの無理なら大丈夫。許容範囲だと思う、そう思いたい。そう願いたい。

 その為にもまずは、自分の身体を回復させよう。それが第一だ。
 どうにも、やっぱり体力は落ちているみたいだし。
 ベッドに横たわってみると、話している内は気にならなかったのに、途端に疲労感と眠気が襲って来ているのが分かる。
 加えて身体の重さも相変わらずなのでやっぱりなという所。

 帰ったら、トレーニングを重点的にやらないといけない。機体の方も気になる。そういえば動物園の事もどうしようか。それに……。

 横になったまま目を閉じる、すると次から次へと浮かんでくるやるべき事。
 でも、浮かんで来た様々な物も眠気の前には、次第に全てが混ざり合って混沌の様子を見せていく。

 ――お前は、生きろよ?

 そんな中にぽっと浮かんだのは、兄さんの言葉、約束。
 混沌の中で、一段とはっきり現れた物。
 今日は珍しく、酷く懐かしい夢を見ていた影響からなのかもしれない。

 落ちていく意識の中で、とにかく改めてその言葉を心に刻む。
 大切な約束でもあるし、これからは一層に頑張って行こうという意味を込めながら。

 そうして、自身へ刻み終わると意識はすぐに眠りへと誘われ、落下の様子を見せていく。
 あわよくば、また懐かしい夢を見たい、そう感じもしたけれど……。

 結局、昔の夢は見れなかった。




[28662] Chapter3-2
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/09/07 21:01
 見上げた空に浮かぶ影。
 そのシルエットを太陽が眩しく照らし出す。

 音と振動と砂煙と共に着地をして見せる白い機体。
 直後に為されるオーバードブーストによる前方への急激な加速。
 噴射される肩部追加ブースター、一瞬噴き上がる炎が機体の軌道を変化させ、高速度領域にありながら左右ヘと機体を揺らして迫る障害物を間を縫うように進んで行く。
 乱雑に存在するオブジェクト。
 その設置された空間の中程の位置まで来ると、ブースターを使用せず慣性のままに機体が半回転の方向転換。
 向き直った機体、そのセンサーを向ける先、つまるところの機体前方には軽自動車程度の大きさを持った多数の撃破対象が出現していた。

 先んじて損傷より復帰した三番機ウラヌスは、現れた目標に対して腕に持つ二丁のアサルトライフルを構える。
 彼女の見るディスプレイは、極多数のマーキングで視界が埋まっている事だろう。それでもシステムによって把握は出来ているはずだ。

 やがて情報の整理を終えたのか、掲げられるライフルがその役目を果たすべく静かに作動を開始する。

 チャンバー内での炸裂、生み出されるエネルギー、押し出され飛翔する銃弾、捉えられる目標。
 穿たれた機体は内部の動作信号を寸断され、単なる鉄塊として次々にその動きを止めていく。
 だが彼らも一応の移動目標、ただ狙われるだけではなかった。
 自身らを捉えつつある天敵の存在を感じ取り、それぞれが脚部のローラーを回し四方へと散開。オブジェクト群の間を抜けて地面を滑るようにして逃げ去ろうとする。

 それに対してのウラヌス、状況への対応。
 背部武装を選択、右背部ユニットを起動。
 前方を向いた背部の直方体と、軽い音と共に開く正面を覆う左右の蓋。
 そして直後、聞こえて来るのはジェット音。
 発射機であるその兵装から、後方への推進剤の噴出を伴って箱状の物体が発射されていった。

 多数の目標に対しての、たった一機の射出体。
 焼け石に水、あまり効果がないようにも思えるが、やはりこれもただで終わるはずもなく、その箱に変化が起き始める。
 加速を継続しながらも、備え付けられたバーニアによる微回転。角度の調整。
 そうして射出体がターゲット群の中心まで至ると、表面を覆っていたカバーが外れ、それと同時にその目的となる正常な動作という物が確認出来た。

 外部へと露出されるマイクロミサイル、それが箱の内部より飛び出していく。
 煙の尾を引く多数、一基の母体より生まれ出た子供達が逃げる目標を追い立てる。
 例え回避行動を取ろうとも、オートサイティングと誘導機能、何よりその発射数によって確実に飛来襲来、捉えられる事になるだろう。
 逃げる機体、追う誘導弾、命中と撃破。
 それでも多数のミサイルに対して目標もまた多数。全てを捉え切れた訳ではなく、中にはミサイルを振り切って逃走を図る個体も存在していた。

 しかし、すぐに彼らさえも後方からの攻撃にその役目を終える。

 それを為したのはミサイルを放ち、用済みとなったミサイルユニットを切り離しながらに動き出していたウラヌス。
 両腕を広げるように構え、前方左右の逃げる目標に対して、ロックを素早く切り換えながらの銃撃。

 撃ち放たれる度の排莢。宙を舞い足元へと落ちた薬莢同士のぶつかり合い。重い銃撃音と共にリズム良く周囲へと響く甲高い金属音。

 やがてあらかたの銃弾を撃ち尽くしたのかライフルのロックが外され、弾倉が地に向け落ちていく。
 だが落ちるそれに気を使う事もなく、腕部のサブアームによって新たな弾倉が自動的に装着され、その間にも機体は次に向けての行動へ。

 ブースターを噴かし地上を滑る白い機体、両腕に掲げるは二丁のライフル、まだ熱を持った銃口で残る目標を追い詰める。

「……マジで良いよなぁ」
「……だよねぇ」

 そんな目標を追うその光景を眺めながらも、身体の動きについては一向に止めない。
 設けられた棒状の金属を逆手で握り、腕を曲げる。
 そうする事で頭をというよりは顎を棒の上方まで持ち上げていく。
 持ち上げては下げ、また持ち上げる。そんな往復の繰り返し。

 隣では、ふん!ふん!と息を漏らしながらジャックが同じ行動を取っていた。
 ちょっと長めのランニングを行ったばかりだからきつい感じはするんだけど、それでも軽々しくこなしていくジャック。
 その辛さを微塵にも感じさせない流石の動きは、身に纏う筋肉が伊達ではないという事なのかもしれない。

 とにかく、トレーニングに励む今日は、退院してキサラギに戻って来てからの七日目。
 入院というか気が付いてからの一週間でようやく固形食が許されて、おまけにその後の検査では身体に何の異常も見られなかったので一応の退院という物が許されていた。

 まぁ退院までの一週間、その間にも果物セットを携えた一夏達やこれまた果物セットを持ってきた弾などがお見舞いに来てくれてたりというような出来事があった。
 そんな一夏や弾にはありがたい気持ちと一緒にこっちは食べられないのに果物セット攻めばかりなのはある種の嫌がらせなのかと疑問に思ってみたり、また弾にはシャルについて問い詰められたりしたんだけど、それは割愛しておく。

 とりあえず、ナノマシンによって負傷箇所の修復は既に完了しているらしい。それでもまだ全快という事ではなくて、後は精密的な機能修復を行っていくという話だった。
 今はその為の経過観察期間なので、定期的に病院に来て下さい、その間はくれぐれも安静にとの事。

 でもやっぱり、過ぎる時間を大人しく待っているなんてのは自分の性には合わず。
 こうして行っているのは身体の調子を取り戻す為の物だ。
 病院でも感じていた事、体力が落ちているという確かな実感。
 走ってみても何をしても、持久力や単純な筋力も落ちているみたいで、身体は重く違和感が残っていて。
 ホントに、早急な対策と鍛練が必要だった。

 という事なのでこれに関してはと、見るからに得意そうなジャックに頼み込んで一緒にトレーニングに励んでいるのだけれど。

「はぁ、マジで羨ましいなぁ、おい」

 ジャックが懸垂を続けながら、地を駆け空を翔けるウラヌスを見ては未練たらしく言葉を漏らし続けている。

「しょうがないですよ。残ったのはウラヌスだけだったんですから」
「……そうなんだけどなぁ」

 正直な所、クロノスとガイアを直接壊した張本人である僕が言える事ではないのかもしれない。
 それでも今現在稼動中の機体が、ウラヌスだけというのは紛れも無い事実。
 大破の二機と違って脚部パーツの破損だけで済んだウラヌスは、パーツの換装を既に終えていて元気に?以前にも増しての動きを見せていた。

 確かに、しょうがないとは言ってはみたけれど、ジャックの言い分も良く理解は出来る。
 ラナだけには機体があって僕らには無くて見てるだけ、何と言うか……うん、とにかく羨ましくてしょうがない。

「そういや、坊主。お前はもう良いのかよ?」

 相変わらずのペースで懸垂を続けながら、話題を変えるようにして話し掛けて来るジャック。
 その表情は、何だか珍しくこちらを心配するような物。
 あまりに珍しい事なので、言葉や態度に出すよりも、ぼけっと目の前すぐ横の光景に呆けてしまう。身体の動きは止めないままけど。

 というか、あれ?もしかしたら今日は雪でも降るんだろうか?夏なのに。良い天気なのに。

「何だか、馬鹿にされてる気がするが……それより、お前はもう大丈夫なのかって事だよ」

 おお、勘違いじゃなかった。本当にジャックがなんか心配してくれてる。
 やる時は稀にやって見せるってのは分かってたけど、まさか、こんないつも通りの日常の中で人に気を配るなんて……。
 驚天動地?まさにそんな心持ちだ。

 と、冗談はここまでにしておいて、折角の真面目っぽい心配なので、こちらもその心配についてはきちんと表明をしておく。

「大丈夫かって言われても、この通りだよ」

 両手で掴んでいた状態から片手を離し、右腕一本で上下の往復をやって見せる。次いで左腕でも。
 体重があまりない自分にとっては、そこまで難しい事ではないけど。見てくれというか外面だけなら、安心安全、心配無用という十分なアピールになるとは思う。

「いや、そういう意味でもあるんだがよ。んー、それよりも……」

 しかし、ジャックの反応は芳しくない。何となく何かを言い辛そうなその様子。
 何度も言うけど本当に珍しい。逆にこっちが心配になって来る程に。
 だから改めて、大分年上の友人的な同僚に再度の言葉を掛けていく。

「もう傷だって塞がってるんだし、大丈夫だって」

 確かにまだ朝昼晩とナノマシン用の高栄養剤の摂取が義務付けられてるけど……傷さえ治れば、完治も同然。

「だから、そんなに心配しなくても――」

 そして、それはそんな時だった。
 こちらを心配するジャックに対し、掛けられた心配を晴らそうと弁明を開始しようとしたその時だ。

「――へぇ、何が大丈夫なのかな?」

 背後から、何だか楽しそうではあるけど感情のあまり篭っていない、ある意味では強い感情が込められた言葉が聞こえて来た。

 その聞き慣れた声に、トレーニング中にも関わらず身体が硬直を見せる。
 ジャックもやっちまったなとでも言いたげな表情を浮かべ、僕の直感は自身に迫る危機を存分に知らしめ、脳裏にはレッドアラーム、退避を推奨する警鐘を存分に鳴り響かせていた。

「ねぇ?何が、大丈夫、なのかな?」

 強調するようにして、改めて掛けられる声。
 今はぶら下がった格好のまま、声に対しては宙ぶらりんで背を向けた状態。
 いや、声の方向へすぐに振り向いた方が良いという事は分かってる。理解している。

 しかし……そう、しかしだ。
 はっきり言って、振り向くのが怖い。
 こうした状況は今週でもうこれで何回目かの体験で、それにも懲りずにこんな事をしているだけに危機感が増しに増しに増している。

「まだ安静にしてなきゃ駄目だって、病院で言われてたよね?そうだよ、ね?」

 それは追い討ちの口撃。
 相手は当然個人ではあるけど、群れを為した肉食生物のように、逃げ道を塞いではこちらの身というか精神を言葉という代替手段によって追い詰める。
 しかも客観的に見てみれば、こちらが明らかに悪、向こうが完全に正論となるような状況だ。分が悪い所ではなく、見付かった時点でこちらの敗北は決まっていたという事なのだろう。

「なのに、何でこんな事してるのかなぁ?」

 あー、うん、いや、それは……。

「ほら!言い訳より何より、まずは下りる!こっちをちゃんと、向く!」

 反論ではなく、ただ単に答えようとした瞬間、向けられた強い口調。
 謎の威圧感に対しては不思議と逆らえず、直ぐさま地面に着地。振り向きながら、姿勢を正した直立体勢を取ってしまう。

 ……関係のないはずのジャックまでもが威圧感に当てられたのか、何故か僕の隣で取る直立体勢。
 思わず気圧されて、そんな同じような行動を取った僕ら。加えて言えば、今の状況に冷や汗をかいている点さえ同じだ。

 太陽の下のグラウンド。
 大の大人二人が、いや、僕は大ではなく中か、ジャックからすれば小ぐらいかもしれないけど、たった一人の少女の前で、姿勢を正してはその身を硬直させている。
 周りから見たら、きっとかなりさぞかしシュールな光景だと思う。
 空ではラナの乗るウラヌスが元気一杯に飛んでいて、その下でこんな風になっている物だから尚更の事。

「まったく。あのね、分かってる?ただでさえ……」

 今の僕らのへんてこな状況を考えつつも直立体勢を保ったまま、意識を移すはそんな僕らに説教を始めた学校帰りの彼女の姿。

 リボンによって、後ろで一つに纏めた明るい金髪。
 その身に纏うのは、白を基調とした特有のと言っていい独特の特徴的なデザインが為された学園の制服。

 いつもだったら明るい笑顔を浮かべたりする彼女なのだが、今は腰に両手を当ててまま、ぷんすか、むむ、と、少し怒ったように整った眉を寄せては、こちらに尚も話し続けている。
 ついでに言えば、肝心の語られる内容は前回、前々回にも聞いたのと同じ物。

「……ちゃんと聞いてる?」

 サー、イェッサー。
 彼女の静かながらにして少し強い問い掛けに対して、見様見真似の敬礼を伴った返事で答える。

「聞いてないよね?それ、絶対ちゃんと聞いてないよね?」

 すると何かが気に障ったらしく、少し膨れた表情から笑顔でない笑顔に変わった。
 そのままじりじりと近付いてくるせいで彼女の目尻が笑みを作りながらも少しひくついているのが良く見て取れる。
 その勢いに圧されて一歩後ろへ下がりそうになるけれど、せめてもの、なけなしのプライドを持って何とか耐え凌ぎ直立体勢を維持していく。

 しかし正直な所、本当に正直なところ……確実に臆していた。
 下手をすればいや確実にシルバリオ・ゴスペルとの戦い、あの時以上の恐れを感じている。

「ま、まぁ、待てよ、嬢ちゃん?コイツも悪気があってやってるわけじゃねえ、だから……な?」

 そんな襲い来る威圧と恐れ、身に感じた危機、そこに現れ救ってくれたのは何とジャックだった。

 迫る彼女の前に立ちはだかるジャックの巨体。盾と自称していたその役割、それを為す分厚い筋肉の鎧。
 いつもだったら、夏である事で一層に暑苦しく、無駄に勢いがあるせいで一段と騒がしい友人的な同僚が、今はとても頼もしく見える。
 これもきっと、シルバリオ・ゴスペル戦にとさっきにと、ジャックの本質みたいな物のような何かが、引き続いて出て来ているせいなのかもしれない。

「ジャックさんもジャックさんです!分かってるなら、ちゃんと止めてください!」

 そしてジャックが間に入った事によって、僕に向けられていたロックオンマーカーがジャックに合わせられたようだ。

「あー……それはそうなんだけどな、嬢ちゃん。あいつの気持ちも分かるというか……」

 それでも、文字通りの盾の役目を果たし、彼女に食い下がろうとする声。
 目の前に広がるジャックの大きな背中は、彼女に抗う様子を見せながらも僕に言葉を語りかけて来ている気がした。

 ここは俺に任せろと。ここは任せてお前は先に行けと。

 ならばとその言葉に甘えて、注意がジャックに移っている今の内に行動を開始する。
 決して逃げるわけじゃなく、うん、これはジャックからこちらに注意を引くための戦略的戦術的撤退。
 そう、僕は別にここから逃げたいわけじゃない。

「……ジャック、さん?」

 友の抗いに対して彼女が一際の感情が込められた一言を紡ぐ。
 しかし、そんな物さえ今のジャックには通用しない……と、思ったのだけれど。

「あ、何か坊主が逃げようとしてるぜ?」

 あっさりと、早速、態度を翻す友人兼同僚。
 その姿と軽い態度に、先程までのジャックに対する幻想がぼろぼろと音を立てては崩れていく。
 ジャックはやっぱりジャックだった。
 でも、ジャックがジャックであった事に少しの安堵の感覚が得られたのは、はたして良い事なのか、悪い事なのか。

「え?……ああっ!?」

 そうこうしている内に、ジャックの言葉を受け取った彼女が一瞬呆けた表情を浮かべて、動き出していたこちらにそのままの視線を送ってくる。
 僕もそんな彼女の姿に同じく視線を送っていて、二対の瞳と瞳その延長線が、その時確かに結ばれた。

 重なる視線。
 次の瞬間、彼女が浮かべたのはにこりとした満面の笑顔。
 目には目をの法典ではないけれど、贈られた笑顔には僕も笑顔で返す。

 そのままで止まる、僕ら二人の空間。
 笑顔で見つめ合う僕らの間を、長いようで短い時だけがただ過ぎ去っていく。

 そしてやがて、ウラヌスが作り出した大きな影が頭上を通り過ぎると、停止していた空間の封が切られ再び僕らは動き出した。

「……やばい」

 一言呟いて駆け出し始めるは背後へ。

「こらー!止まらないと怒るよー!」

 一寸遅れて言葉と共に動き出す彼女。
 その足の運びは非常に軽く、確実に僕を狙って走り出している。言葉とは裏腹に何だか既に怒っている感もあるし。

 逃げる僕に追う彼女。出来上がった新たな状況。僕にとっては困った現況。
 男女の差、そもそもの単純な身体能力の差によって僕の方に分があるのは明らかなのだけれど、決して侮る事なかれ。

 彼女自身が持っている元々の運動神経の良さに加え、ISによるパイロットへの適正化によって身体能力が増幅されている……と思われる。
 以前にラナから聞いた話によれば、リスク無しで脳内分泌物質さえコントロール出来るISならばそんな事も可能だろうとの事。
 つまり、僕と彼女との男女の差なんて物はほとんどないと考えた方が良い。
 それでも負ける積もりはないけれど、こっちはただでさえ病み上がり。一応のマージンをも考慮する。

「こら、いい加減に……!」

 背後から変わらずといった様子の声が聞こえる。
 一瞬、視線だけで振り返ってみれば、僕達の距離は広がってもいなければ縮まってもいなかった。
 こちらとして全力で走っているつもりなのだけど、やっぱりただの女の子としてはかなり速い。
 どこかに隠れてやり過ごすにしても、この距離では非常に難しい。

 となれば、隠れ場所としての設定地点を既に自分の中では決めてはいてもこのまま直接向かう訳にはいかないだろう。
 ルートを設定。各所を経由。地形を利用しながらどうにか距離を引き離し、目的地へと向かっていこう。

 という事で、まずは近くの研究所本社施設へ飛び込んでいく。

 建物内に駆け込んでみると、昼時という事もあってかスーツを身に纏った人達の姿が目立つ。
 何事かと駆けるこちらを見てくるが、今は気にする暇がない。
 ごめんなさいと声を掛けながらに、人と人との間を縫うようにして走り抜ける。

 目の前ではなくて全体を見るように。
 追い付かれないように何とかスピードを落とさずペースを維持しながらも、避ける人に止まる人、その動作や足の運びから人々の動きを予測。
 各々を見分けルートを構築、設定。最短のルートを目指し自身の身体を最適の位置にその都度、配置。ルートに自身の身体を乗せていく。

 それで当の彼女はというと、人にぶつからないように苦心しながら走っている為か少し速度を落としている様子。
 今、僕との差は広がりつつあった。

 少し出来た余裕に際し走りながらも考える。
 前回、前々回と経験して思った事なのだけど、よくよく考えてみるとこれは大分良いトレーニングのようにも感じていた。
 追われる事によるそれなりの緊迫感と決まった動きではない生きた障害物。
 持久力と身体の動きの確認と一瞬の判断力を養うには十分な物だ。
 何より何故か、少し楽しい。

 顔に笑みが浮かぶのを自覚しながら一つ一つの動作への意識と共に走り、今度は本社から宿舎の方へと入っていく。

 ここもそれなりの数の人がいた。見えるのは作業着に身を纏った見知った整備班の人が中心。
 それでも先程よりは人の密度も薄く、彼女との距離は中々に離したので慌てるような事もなく建物内を駆けていく。

「誰かっ、彼を捕まえてくださーい!」

 すると突如、背後からの叫ぶような声が聞こえて来た。
 それは彼女の叫び、そんな彼女の行動に何をいきなりと疑問に思ったのだけれど、その次の瞬間には焦燥に変わる。
 響いた声に呼応するように場の雰囲気が、状況が、光景が大きな変化を生み出す。

 走る僕を笑いながらも避け、見送ってくれていたはずの整備班の人達が何故かこちらに襲い掛かって来る。
 咆哮と言うのは大袈裟かもしれないけど、意味を為さないよく分からない叫びと共に突っ込んでくる男性を中心とした知人達。

「ちょ……」

 本当にいきなりの事に戸惑うも捕まる訳には行かないので、駆けながらも着実に確実に迫り来る人波を躱す。

 足を狙ったタックルを咄嗟に跳躍。飛び越える。時にはその背中を足場にする事で回避。
 直接身体を捕まえようとする手には横へのステップ、振るわれ迫る腕の範囲外へ出る事で後は自身に乗るスピードによって背後へと置いていく。

 それでも一向に減らない臨時発生の刺客達。
 まるで以前見たゾンビ物の映画を思い起こさせる光景なのだけれど、そんな思いを抱いている間にも追い掛けてくる気配みたいな物が倍、倍、倍のさらに倍ぐらいに増えた気がする。

 これも全ては彼女の声掛けが発端になっていると見て間違いはない、と思う。彼女の発した声の直後にこんな事が発生した訳だし。
 いや、それよりも、彼女が整備班の人達から人気があるというのは知ってたけど、まさかここまでとは……というか、僕との付き合いの方が長いはずなのに躊躇なく飛び込んで捕まえようとしてくるのはどうなんだろう。

 次から次へと襲い掛かって来る彼らを、どうにか避けながらそんな事を考えてみる。

 一度振り返ってみれば、尚も追い縋る整備員の人達の中にある彼女の姿。その距離は彼らの妨害もあって、明らかに詰められて来ている。
 このままだと全然まずいし、目的地にも到底行けやしない。何らかの対応を取る必要があった。

 対策、対応。降って湧いたような緊急事態に対して急遽予定を変更。宿舎からの移動を延期、階段を上り二階を目指す。

 背後に騒がしさを受けながら駆け上がり、上りきった目の前の光景。
 そこにあったのは、何だ何だと集まった野次馬と物珍しそうにこちらを見る人の視線達。
 彼らはただ見てくるだけで、追いかけたり捕まえようとはして来ない。まだ彼女のお願いを聞いてないからというのは大きいとは思うけど、これははっきり言って好都合だ。
 窓から外を確認しつつ廊下を駆け抜けていく。

 当然、見えて来る外風景。
 まず目に入ったのは、敷地の境界の壁と遠くの小さな街並み。
 曲がり角。
 続いて見えて来たのは、先程までいた本社施設の壁面とガラス、加えて反射される眩しいぐらいの太陽光。
 曲がり角。
 次いで見えて来たのは、グラウンド。砂煙を引きながらも駆けるウラヌスの姿。
 ……そして、それは引き離すチャンスの存在する場所でもあった。

「もう、いい加減待ってよー!」

 新たな追跡者達の上げる怒号の中、確かに聞こえる彼女の少し息を切らしながらの叫び。
 でも待てと言われて待つ訳にも行かない。追いつ追われつ……ではないか、逃げるのは意外に楽しいけど、捕まって楽しいかというのはまた別の話で。
 彼女には申し訳ないと思いつつも、ちゃっかりしっかりと逃げさせてもらう。

「よっ、と」

 脚に一層の力を込めて一瞬の加速。

 二階に上がってからずっと確認していた事。窓が開けられているか、またその方向と距離、それをきちんと頭に置きながら加速を伴っての跳躍を為す。
 イメージ通りの自身の軌道、方向は開かれた窓へ。足元に現れる窓枠、その窓枠を蹴る事でさらに勢い良く外に向けて飛び出していく。

 窓から外へ。ここは二階、当然落下する身体。
 後方というより上方からは複数の驚愕の声が聞こえる。
 それを背中?頭?に受けながら、記憶と確認の通りに広がる芝生の上へ。
 勢いを殺しながら着地。少々の衝撃はあっても想定内。

 二階程度、それくらいの高さなら、下手な事をしない限り、死にはしないし怪我なんかもしない。
 でも、普通は飛ばないし普通は迷い臆す。
 着地の勢いを利用して立ち上がるとすぐに、ついさっき飛び出して来た窓の方を見遣る。

 それによって視線が重なった。
 窓から顔を見せる彼女もまた、こちらに視線を送って来ている。
 しかし、そこに含まれている意味は僕の送る物とはまるで違う物だった。

 僕は視線を余裕と共に、彼女は視線を少しの不満と共に。
 流石に彼女も他の追跡者の人達も窓を飛び越えては来ないようだ。
 そんな不満げと落胆のような表情を滲ませる彼女に、右手を軽く一振り。この状況での勝利を確信して目的地への歩みを進める。
 後ろからは声が聞こえてくるけど、今は気にしない。
 今の内、今の内と、軽い足取りで駆けていく。





「……ほいっと」

 ハンガー内、隅のコンテナの陰。
 身を隠しながら乱れた息を落ち着かせていると、突然の声と共に首筋を冷たさが襲った。
 跳ね上がる身体。ごん、とコンテナに後頭部を強打。

「……わ、ぐっ!?」

 音は響けど、驚愕と痛みで漏れそうになる声は、口を手で抑えて何とか押し止める。

 少し涙目になりながらも原因の方へと振り向く。
 まずそこにあったのは赤いドリンクボトル。続いてそれを掴む、白い作業着に包まれた腕。
 伸びた腕を辿ってみる。
 するとそこには、青いラインの入った班長帽を被った整備班班長の苦笑する姿があった。

「いやいや、今日もまたやってるね?」

 片手にボトル、もう片手には旧式のタブレットタイプの情報端末を持ったシゲさん。
 冷たさの正体、ドリンクボトルを受け取りながら、その笑いを含んだ言葉には安心感。

「今日は、僕の勝ちみたいですけどね」

 うん、とりあえずは振り切れたはず。欺瞞行動としても、わざわざ遠回りをしながらここまで来たわけだし。
 前回、前々回と敗北捕獲と続いていたから、何とか今回は面目みたいな物を保てたとは思う。

「いやまぁ、端から見てる分には面白いもんだから良いんだけどさ」

 指を動かしデータを入力しながらも、僕の言葉にやっぱりの笑みを浮かべるシゲさん。
 その様子にはまったくと溜め息が漏れてしまう。
 そりゃ見てる方としたら滑稽に見える物かもしれないけど。実際の当事者からすれば真剣な……いや、真剣とはまた違うような気もする。

 む、というかだ、今回の逃走については少し気になる事が一つあった。

「……そういえばさっきさ、整備班の皆が襲い掛かって来たんだけど」

 先程に抱いた疑問を小さくそっと聞いてみる。
 ここにいる皆は大丈夫っぽいけど、いつ皆が彼女からの刺客に変わるか分からないので周りをさりげなく警戒しつつ。

「人気、あるからねぇ」

 僕の問いに対しては、シゲさんの可笑しそうな笑い声を伴った答え。
 うん、まぁ、それは既知の事実。
 他に理由があったらなと思ったけど、結局そういう事になるのか。

 確かに彼女が寮に移ると聞いた時や彼らの普段からの反応、行動を見ていれば、そこに十分な説得力が見出だせる。
 例えるなら何だろう?個人的にはよく分からないけどアイドルを応援しているファンみたいな、ちょっと熱狂的な様子。
 あそこまではとは言わないけど、男性陣はそれは顕著で女性陣は男性陣を抑えながらも見守っているような感じ……。

 ん、考えてみれば考えてみる程、ここでの状況が悪い気がしてきた。何だか周りから見張られていそうなそんな感じ。
 もっとはっきり言えば、四面楚歌みたいな?

「でも、あいつらも憎いとか嫌ってるって訳じゃなくて、あの子の事が大好きで応援したいって奴らばっかりだからさ。大目に見てやってよ」

 それはもちろん。その事に関しては問題ない。
 僕も皆が憎いとか皆を嫌ってるって訳じゃ決してなくて、ただ単に驚いてるだけだから。
 まぁ、それでも、なんとなくの不公平さみたいな物を感じたりはしてるけど。

 というか、取引とか損得関係でなく純粋な感じでの協力となると、それは何とも非常に厄介な事だ。
 思わず、元イスラム教徒でありながら、ジーザスとか呟いちゃって十字を切っては祈ってしまいたいぐらいに。
 だって信仰という物は、行動の迷いを打ち消す程の強い力を生むし、それは時に……って何でに宗教なんかについて考えてるんだろう。

 そんな適当な祈りを捧げては何故かの疑問に首を捻る。
 何だか落ち着かない思考、もしかしたら、中々未だに焦っているのかもしれない。
 少し大きく息を吸って頭に酸素を回し、息を吐いては次の呼気へ。
 数回繰り返した後は両手で頬を軽く叩いて。

 よし、これで落ち着いた……と、思っておく。

「それはともかくさ……って、あ、ちょいと隠れてた方が良いかもよ?」

 すると、そうやって息をついては焦りをごまかしていたそんな時、何かを言いかけたシゲさんが出掛けた言葉を遮って何かを忠告してくれた。

 その視線はこちらでもPCでもない、何かを捉えてどこかへと。
 その先を辿るように、そっとコンテナの陰から視線を追い掛けてみる。
 ぱっと見での確認。一瞬だけ見て一瞬で頭を引っ込める。

「……すみません、お願いします」
「ほいほい、任せといてよ」

 小声での頼みと返事。
 シゲさんの声を聞いた後は、コンテナに身を寄せるようにしながら、走り出す準備を整えてその時を待つ。

 先程の確認で見えたのはハンガー入口から歩いて来る、明るい金髪の少女の姿。
 周囲をきょろきょろと落ち着かないように見渡していたので、何かをというか僕を探している、まさにその真っ最中という感じだった。 
 少し騒がしいハンガーの中、その歩み進む足音が近付き聞こえて来ている気がする。
 そんな事はないと考えたい。でもそれは確かに。確かにじゃなくて、きっと何となくのそんな気が……。

「シゲさーん!彼の事、見かけませんでしたか?」

 響いた声に対して、何てこったと独りごちる。
 出来ればスルーしていて欲しかったけど、そんな事はないなんて事はなくて、そんな事だけがあってしまっていた。

「えっと……シゲさん?」

 再びの声。
 彼我のいや彼女我の距離は十m以内、コンテナ越し六歩七歩、五から六mといったところだろうか。
 まだ見付かってないみたいだけど……かなり近くて、とてもやばい。
 せっかく一度は落ち着いたのに。心臓の回転数がまた上がり、心拍が少し早く強くなるのを実感する。

「ん、いや、見てはないかな」
「そう、ですか」

 この追い詰められた状況でのシゲさんの返答というか演技。
 彼女の漏らす残念そうな返事。

「……あ、はい、分かりました。もし見かけたら、ちゃんと教えてくださいね?」

 それでも彼女は依然として、捜す気を保ったままのようでそんな事を言い残していく。
 進行系で隠れている最中の自分にとっては、はらはらと緊張が走る物だけど、彼女の遠ざかる気配にはほっと小さな安堵の吐息が零れる。

 そんな安堵にかこつけて、再びコンテナの陰から様子を探ってみる。
 見えるのは、遠ざかる背中と歩く度に揺れる金色の尻尾。
 やはり、ここにはいないと判断してくれたのだろう。歩みはハンガーの入口の方へと向けられていた。

 ……そっと窺い、さっと隠れる。

 その背中を眺めていると確認出来たのは振り向くような唐突な初期動作。再び隠れたこちらからは分からないけれど、おそらくきっとこっちを振り向いたのだと思う。
 でもすぐに隠れたし、僕の姿は見られてない、はず。

 隠れたままで過ぎる時間。
 そろそろ良いかなんて油断は禁物。迂闊な行動を慎んで息をじっと殺しての幾分かの待機を続ける。

「とりあえず、大丈夫だよ」

 そして、シゲさんからもたらされた言葉。それを受けてようやく身体を弛緩、力を抜いてはその場に座り込んだ。
 いつでも逃げ出せる体勢から、コンテナに背中を預けるような体勢に移行させて。

 ほっと漏れる、今度は大きな安堵の息。
 シゲさんは僕のそんな様子を見てか、手の動きを止めないままにやっぱり愉快そうな表情を顔に浮かべている。

「それにしてもさ、大変なもんだよねぇ」

 すると、今も情報端末を操るシゲさんが、視線を画面に遣ったままこちらにも聞こえるように呟いた。

 大変という言葉、それは確かに。今日は色々大変だった。
 追われて追われて追われ続けて、途中からは完全に振り切れはしたとは言え、ただでさえ万全ではない身体に加えトレーニング後というかなり悪いタイミングでの逃走劇。
 病み上がりのせいなのか、タイミングの悪さのせいなのか、正直キツい。
 まぁ、楽しくもあったけど。

「いや、追われる側もそうだけど……追う側もね?」

 だけど、シゲさんの意図していたのは僕の事よりも彼女の事だったようで。
 PCの入力を一旦止めると、こちらを指差しながらその本意を語る。

「あの子の心配とかって物もちゃんと理解はしてるんでしょ?」

 でもその問い掛け、それは当たり前の事。

 もちろん。当然、理解はしている。

 僕を追う彼女、シャルがどうしてこうまで怒るのか、説教をしたり追って来たりするのかという事を。
 自分でも分かってはいる。分かってはいるんだ。
 嫌がらせでも何でもなく、ありがたく思える程の、純粋に心配してくれてるからこその行動だってのは。

「うん、良かった。だったら、俺からは何も言う事はないよ。……まぁ、実を言うと俺もシャルちゃん寄りの考えではあるんだけどね」

 本当によく気にかけてくれているシゲさん。けれど、蛇足、おまけ、突然のカミングアウト。

 無言で即座に体勢を整えるも、まぁまぁとシゲさんが両手を向けて、こちらの動きを抑制するようにしてくる。顔には再びの苦笑い。
 何だか別に捕まえようとかそういった感じはしないので、とりあえずこちらも再び腰をその場に落ち着ける。

 そうして、シゲさんに視線を向けると、続けられていく言葉。

「じっとしてられないって気持ちも分かるからね」

 その一文、それは僕の内心の代弁に等しい。

 そう。僕はただ、そのシャルからの心配を認めたくないってだけなんだ。
 心配そのものではなくて根本、今はじっとしているしかないなんて事が認めたくないし認められない。
 休養や安静というのが、今の自分にとって大事だというのも十分には分かってる。
 でも、体力を落として機体は失って、目指すべき物があるのに何も出来ない現状。
 今までの休暇とは毛色が違うそれに対して、何とかしたいという気持ちが今も心の中に渦巻き続ける。

「時間はあるんだからさ、そんなに焦らなくて良いと思うけどなぁ」

 シゲさんの言葉通り、まさにその通りなんだけど、でもやっぱり今は落ち着かない。
 僕にとっての最大の危機は、何も出来ないという事だから。

 せっかちというか堪え性がないというか、何とも以前よりも物事を冷静に見る事が出来なくなって、不安定になってしまった気もしてはいた。
 けれどそんな事は、ホント今はどうでも良くて、一刻も早く身体を戻したいのに加えて、すぐにでも自分の機体が欲しかった。

 それらは休養よりも何よりも、自分に指し示してくれるから。
 目的に抱く己が理由の中の進むべき道という物を……。

 まぁ、手っ取り早く簡単に言えば、早く機体に乗りたいなぁってだけなんだけど。

「なるほどね……って、そうだ。ちょっと、これ見てくれるかい?」

 そんな堅いのか緩いのかよく分からない考えを続けていると、シゲさんが僕の目の前に先程まで操っていたディスプレイを差し出してくる。

「ん?シゲさん、これって?」

 そこに映し出されていたのは、どこかの施設の中で直立するACの姿だった。
 だけど、それはガイアでもウラヌスでも、ましてやクロノスでもない機体。
 画面の右上には最近の日付と形式番号だろうか……それらしき数字が現れている。

「さて、何だと思う?」

 シゲさんの勿体振った言葉。
 その声は少し楽しげに幾分か弾んでいるようにも思えた。

「もしかして、僕の新しい機体、ですか?」

 弾む問い、それに期待を込めつつ答えていく。

「いや惜しいね、残念」

 けれど、返って来たのはそんな言葉。……って、違うのかい?

「新しい機体ってのは合ってるんだけどね」

 何と言う肩透かし。
 完全に思わせ振りなシゲさんに対する文句は心中に押し止めて、その言葉の続きを、見慣れぬ機体についての説明をじっと待っていく。
 やがて、シゲさんはこちらの様子を見ては何やらを頷いて、ディスプレイに対して二三度の命令を与え、映る画面を差し替えた。

 次に映ったのは実画像ではなくて、図面のような物。
 それを僕に示しながらシゲさんがその文字列を口に出す。

「TYPE-49」

 読み上げられたのは、形式番号。
 言葉が続く。

「量産化を前提とした、クロノスの後継機みたいな物かな?」

 語られた量産という言葉、何だか少し驚いた。
 それは遂にクレスト・キサラギ・ミラージュの同盟三社が大きく動き出すという事を意味するから。

 開発だけを続け、ある意味ISに対しては後手に回っていた状況。そんな流れに投じられる一石、その一石こそが、映し出されたこの機体であると言っていい。

 しかし、そうして投げ込まれた石が生み出す波紋が、どのような事を引き起こすのかなんてのは想像がつかない。
 でも波紋が波を呼んで岸を崩しては流れを変えるかもしれない。流れをせき止め新たな流れを生み出すかもしれない。
 大袈裟な表現だけど、僕らにとっては大きな事なんだとは思う。

「まぁ、まだこれも、やっとアメリカで先行機がロールアウトしたばかりなんだけどね」
「えっと、それってつまりは?」
「これもこれから、テストが待ってるって事」

 成る程。
 そんな一石が投じられるのも、まだ少し先になるみたいだ。
 それはそうとて、今はとりあえず映し出されている機体について観察していく。

 クロノスの後継機って割には、形は大分違っている。というか別物だ。

 滑らかな曲線で描かれた流線型ではなく直線で描かれた、言わば箱とも称せる形で構成された各所のパーツ。特にコア部に至っては装甲を着せられているような形状に見える。
 それはまるで、クロノスやウラヌスみたいな空力や逸弾性の重視ではなくて、正面から攻撃を受け止めていく形を取っているかのように。

「うん、そうだね。外装式のモジュール装甲の選択によっちゃ、クロノス以上の耐久性を発揮出来るはずだよ。まぁ流石にガイアには及ばないけどさ」

 シゲさんが言うには、僕の感じた通りらしい。
 でも、表示されているデータによると、これは中量二脚型のクロノスと同スケールの機体だ。
 クロノスクラスで耐久性重視というと、機動性の方はどうなってるんだろう。
 そもそも、機体のコンセプトは生存性を重視したという物で良いんだろうか。

「いや、生存性はコンセプトの一つに過ぎないかな」

 ……えと、言葉から察するに、複数のコンセプトがあるみたいだけど。
 僕がその事を疑問に思っていると、シゲさんは再びタブレットPCの画面を操作し始めた。

 ディスプレイの中で選択される、一つのデータファイル。
 開かれたのは外部向け、つまりは宣伝用と思しきプレゼンテーションのデータで、シゲさんはひょいひょいとその内容を飛ばしていく。
 そして現れたのはブレード、ライフル、ミサイルにレーダー……と、オーソドックスな武装を施されつつもデフォルメ化されたTYPE-49と、デフォルメ機体の各所に注釈される文字列。

 曰く、生存性、操作性、整備性、経済性。
 画面に浮かぶこれらがコンセプトなんだろうけど、文字だけを見たら、かの有名な旧ソ連製の銃を彷彿とさせるような物だった。

「……とにかく安くて丈夫で使いやすく。確かにクロノスの後継機とは言ったけどさ。それは中量型の汎用機体ってだけで、ある意味では対極なんだよ」

 つまりはシゲさんが語るのはまさに量産前提と言った物。意味は違えどエコノミークラス。
 だけどTYPE-49、日本風に言うなら49式。これが量産機体、つまりは企業の経営戦略の主力となるのだとしたら、僕らの乗って来たクロノス達はどんな立場になっていくのかが気になってくる。
 最悪、開発中止とか?……もう愛着もあるだけにそれは止めてほしいんだけど。

「いやいやいや、開発中止はまずないよ。クロノスも後々は49式の高級機的な位置付けで正式なデビューをする予定だしね」

 その答えには少し安心。
 しかし、シゲさんはそんなほっとしている僕を尻目に言葉を続ける。

「それに俺達は引き続き、更なる性能を求めてのテストを言い遣ってるし。……ちなみに49式のテストは別のテストチームの割り当てなんだよ。とは言っても、うちみたいなベテランや専門家じゃなくて新人をテストパイロットに抜擢するって話だけどさ」

 使いやすさをコンセプトに挙げてる分、そういった知識や技能に薄い人でも使えなくちゃいけないって事なのか。でも、それはどうなんだと思う。
 いや、データの画像はクレストの物だったから、知識に長けた人が監督するのだとは思うけど。

 と、新機体という事で思い出したんだけど、今は亡きクロノスの状況はどうなってるんだろう。そっちの方が気になった。
 頑張って取り組んでるとは聞いてはいても、その詳細は聞かされてなかったから。

「あー、それ、なんだけどさぁ」

 という事で、早速尋ねてみると、返って来たのは何か言い辛そうな様子。
 纏う雰囲気に、むむむと感じるは嫌な予感。

「試しに聞いてみるけど……クロノス以下とクロノス以上の機体、どっちが良い?」

 その少し嫌な空気のままに問い掛けてくるシゲさん。
 でも僕には選択肢なんてなく、一択。そこには決まった答えしか存在しなかった。

「もちろん、クロノス以上で」

 即答と言っていい、そんな早さでの答え。
 だけどこっちの勢いとは裏腹、だよねぇという気の抜けた返事と共にシゲさんがこちらに両手を合わせて頭を下げてくる。
 いきなりの行動に一体何事かとは思うんだけど、僕がそれを尋ねる寸前でのシゲさんの釈明は。

「……待っててくれてるのは分かるんだけど、ホントにゴメン!」

 明らかな謝罪の表明だった。

「いやさぁ、各部の製作はもう始まってるんだけど、細部で中々纏まらなくて。終いには設計班の中でちょっと揉めちゃっててね……」

 そうして語られるのは、開発状況の内情。

 あんまり顔を合わせる機会はないけど、良い意味に取るなら設計班が更なる発展の為の激しい議論の真っ最中。
 悪い意味に、ストレートに意味を取るなら、ある種の内部抗争の真っ最中。
 どちらにしても、濃ゆい話し合いと専門的な文字羅列の応酬で満ちていそうな感じがする。

 僕個人としては不満も特にはないから、その抗争には口出しはしない。
 望みはあってもそれはいつかやってくれる事だから、それさえも言葉には出さない。
 必要なのは前提条件というか、彼らを信頼して待つ事のみ。

「……期待は、しても良いんですよね?」

 だから確認をする。情報の正しさを。
 信頼はしているけれど、その信憑性をより確実にする為に。
 僕による改めての確認に対するは、両手を離し顔を上げた整備班班長。

「うん、それは任せてよ。変わり者ばっかりだけど腕だけは一流だからさ」

 親指を立てる、サムズアップ。
 自信満々のその様子、シゲさんがそこまで言うのなら間違いはないと思う。
 シゲさんは嘘をつかないというか、嘘をつけない性格だし。それは今までの暮らしで分かっている事だから。

 でも、どんな機体が来るのかが今からでも楽しみだ。
 前々から練られていた再設計との話なので、元のコンセプトを継承ながらも様々な改良と変更点があるのだろう。
 形が操縦性が性能が、その遂げた進化と変化と継承、それを見届けたいし乗ってみたい。

「だったら待ちますよ。……実際には、どれくらいかかりそうなんですか?」

 でもここで、機体の性能と共に重要な事が一つ残っていた。
 それは、機体がいつ来るのかという事。
 新機体が本当に楽しみな事もあいまってだと思う。いつ頃に完成していつ頃になったら乗れそうなのか、気になって気になってしょうがない。

 とりあえず、言葉と共に期待を込めた視線を送ってみる。

「うっ……よ、四ヶ月いや三ヶ月!……三ヶ月で何とか、何とか形にはして見せるよ!」

 一度は見えたたじろぐ様子、それでもシゲさんはその期日を力強く断言してくれた。

 ……三ヶ月、三ヶ月間か。
 その空白期間は、今までがずっと中々に密な物だっただけにとても長いように思える。

 空いた時間、とは言っても、その長い時間をただ過ごすだけじゃなくて、きちんと有効的に使っていきたい。
 まずは、やはりの優先事項、身体を鍛え直しては元に戻そう。
 次に無理を言ってでもウラヌスに乗せてもらって、機体の感覚を忘れないように染み付かせよう。
 でも、これらは一日二日でどうこう為る物じゃない。
 そう考えると、意外と長くは感じないかもしれない。やる事があって出来る事もある。
 それは、空いた時間を過ごすには持ってこいの物だ。

 つまり、機体が来るまで全然待てるぞ……って、ん?

「えっと……どうしたんですか?シゲさん?」

 考え事。PC機体から目の前へ意識を戻してみると、そこには再び謝罪のポーズを見せているシゲさんの姿があった。
 声を掛けてはみても顔は伏せたまま。
 いや、左手で謝る姿勢を保ちつつも右手だけは宙にあり、何故か僕の背後を指している。

 その示される物、それは何かと振り返ってみる。

「ん?どうしたの?話はもう良いの?」

 すると、聞こえて来た声。自然と戻っていく視線。

 あれ?
 何だか金色の、いや、いないはずの彼女の声が聞こえて、そればかりか確かに今そこにいた気がする。
 おかしい、おかしい、おかしい、何故だろう。あの時ちゃんと彼女は去ったはずで、きちんとシゲさんは大丈夫だと言っていたはずなのに。

 ……大丈夫。大丈夫?『とりあえず』大丈夫?

 思い出す、シゲさんの言葉。
 もしかして、とりあえずって本当にそのままの意味で一時の保証でしかなかったんじゃないだろうか?
 思い返してみると、シゲさんは僕の味方こそしてはくれたけど僕の味方だとは言っていない。むしろ、彼女の味方だと言ってた気がする。

 嘘はつけない。嘘はついてない。僕のシゲさんへの認識は正しい。
 だって確かに嘘は言ってなかった。ただ事実を何も言ってないだけで。

 つまり……嵌められた?

「話はもう良いんだよね?……それじゃ、行こうか?」

 背後よりの足音と心情的には刑の執行を思わせる声。

 肩に感じるシャルの手の感触。
 その手に立ち上がる事を促されるけど、自分にはもう逃亡の意志は消え失せていて、身体は抵抗する事なくその要求に従っていく。

「えと、シャルロットさん?どこに向かおうとおっしゃっているのでしょうか?」

 でも、やはり気にかかるは自らの行く末。腕を引かれて立ち上がりつつもそんな事を尋ねてみる。

 心配なのは何がこれから待っているのかという事だ。
 以前に受けた罰、それはもう厳しい物だったから。物理的というよりは精神的に。
 だからこそ、聞いておきたい。自分にこれから何が訪れるのかを、刑に臨む者の心得として。

 ちなみに、口から出任せの変な敬語はそんな彼女の機嫌を損なわない為の物。まぁ、もう遅過ぎる、完全な手遅れ感はたっぷりと。

「ん?」

 でも、返って来たのは小首を傾げるようなしぐさ。
 こちらは変な意気込みを入れてたのだけれど、何だかシャルの様子は以前とは全く違う様子で。

「どこって、今日は帰り際に映画借りて来たから、一緒に見よ?」

 そして、シャルの口から聞こえて来たのは、そんな言葉。
 ……映画?ムービー?

「あれ?正座とか説教とかその他諸々じゃなくて?」

 その予想外の言葉と展開には、思わず素に戻って聞き返す。

「……もしかして、そっちの方が良かった?」

 いえいえそんな、滅相もない。
 それで済むのなら、断然映画を推奨したい。
 そうやって、僕の答えに少し不満そうな表情となった彼女に対しては、即座に行う弁明釈明。

「だったら、今日は映画!」

 だけど、そんな反応をも予期していたらしく、シャルは顔を綻ばせて、言葉と共に笑顔を浮かべた。

 笑顔。今度はきちんとした笑顔らしい笑顔。笑顔自体は何回もあった、でもこの表情を見るのは今日は初めてになるかもしれない。

「シャルちゃん。今日は来客もないだろうし、応接間使っちゃって良いよ」

 すると、話はちゃっかり聞いていたみたいで、ごめんなさい状態から復帰したシゲさんがシャルに対しての許可を出す。

「はい、ありがとうございます!……よし、それじゃあ早速、行こっか?」

 それを受けて続くのは、シャルの返す元気の良い返事と僕を引っ張りながら進む強い歩み。
 身体を引っ張られながらも視線は後ろへ。

 ……ごめんよ。

 瞳の先、シゲさんの口が声なく表す謝罪の言葉。けれど顔には笑顔があって、しかも手も振っちゃってたりしている。
 どう見ても本音は別のアンバランスさ。その姿を見ては脱力。僕の頭はがくりと落ちて、その実感と共に得られたのは確信だ。

 やっぱり……共犯だった。しかも、シゲさんだけじゃなくて、ハンガー内の皆でさえ。

 ――やったな!シャルちゃん!
 ――おめでとう、シャルロットちゃん!
 ――よし、今回も私の勝ちね。さてあんたら、後でちゃんと奢りなさいよ?

 などなど、進み行くシャルを迎えるのは声援、祝福の数々。
 つまる所、安全地帯だと思ってた場所は狩場か巣穴か、あるいは地雷原だったってわけだ。
 そうして僕は、ようこそと言わんばかりにまんまと嵌まって見事に捕らえられた事になる。

 やがて、僕ら二人はハンガー横の扉を抜けて廊下へと。騒がしさは既に後方に、それでも聞こえ続けているこちらへの歓声。

 ……はぁ。

 見事にやってくれたノリの良すぎる人々に、まったくと一つ溜め息をつく。
 怒りはなく、今も感じているのは若干の呆れ。
 内に溜まったそんな物を新鮮な空気と入れ換えて、気分も同じく切り換えた所で、あの状況での些細な疑問をシャルへとぶつけていく。

「あー、そういえばさ、シャルはいつから聞いてたの?」

 そう、あの状況。
 僕が見たのはシャルの去っていこうとする姿だった。
 最後まで見届けた訳じゃないから、あの後、移動したんだと思うんだけど。

「ん?そうだね、ほとんど最初からかな?」

 ……うわ、何で気付かなかったんだろう?率直な感想はそんな物。

 それはシャルの後ろ姿を見てから、あんまり時間の経ってない頃だったと思う。
 もしかしたら、あの時、隠れてシゲさんのアクションを待っていた時に移動した?

「うん。シゲさんがジェスチャーで誘導してくれてたから、その隙に、ね?」

 シャルはそのジェスチャーを示しているのか、指を回すようにしながらにそんな事を言ってきた。
 思い浮かぶのは先程のシゲさんのイイ笑顔だった様子。
 その姿に再び漏れそうになった溜め息を抑えつつも、意識は目の前を歩く彼女の元へ。

 腕を引いて歩く僕よりは小さなその身体。どこにそんな力があるのかは分からないけど、今は何だか元気に満ち溢れている感じがする。

 そして視線の先、当の元気少女は、でも、と何とか聞こえるぐらいの小さな声で呟くと、歩みを緩め少し恥ずかしそうな笑みを浮かべて続けた。

「私の事、ちゃんと分かってるって言ってくれて……嬉しかったよ?」

 そんな、耳に聞いて目にした、その言葉、その表情。

 ……あ、う。

 認識した瞬間、一気に沸き上がって来た感情に対して、思わず触れる自身の頬。
 熱。何だか酷く熱い。顔はきっと赤くなってしまってる。
 別に対した事は言ってないけどあの時は本音を話してたし、それをまさか本人に聞かれていたなんてというのがあって、はっきり言うと、かなりとても本当に、こうどこかに走り出したくなるぐらいに、とにかく恥ずかしい。

 強い羞恥心。内心それに悶えていると感じたのは、自身を捉えているだろうと思われる視線。
 その方向そちらを見てみれば、いつの間にかの僕の横、にやにやとした楽しそうな笑顔があった。

「……何だよ、シャル?」
「ふふ、別に?何でもないですよ~」

 彼女への抗議は確かに少しふて腐れた物になってしまったのを自覚はするんだけど、原因の彼女は笑顔のまま、からかうようなそのスタンスを崩さない。

 何だろう、軽く打ちひしがれるようなこの敗北感は。……いや、というか、だ。

 首を左右に振って、今までの思考を飛ばして別の事を考えてみる。
 それはもう急いで、自分のリソースをそちらにフル回転フル活用して。

「でも、何でまた、今日はいきなり映画なんかを?」

 ようやく、出て来たのはそんな疑問だった。

 急遽の物ではあるけれど、考えれば考えるほど不思議に思える事。
 今までとは全く方向性の違う行動。
 前もって考えておかないとまず無理のある事。ISの拡張領域にそんな物を溜め込んである訳でもあるまいし。
 そう、何だか今日のシャルの行動は、一昨日や昨日などに比べても、どこか不自然な気がした。

 思考から現実へ。
 後ろに腕を引かれたような感触に、ふと足を止めて振り返る。

 不安や寂しさ?
 そこには先程までの明るい彼女の姿はなく、一変して少し落ち込むような様子の彼女がいた。
 立ち止まった彼女、シャルは何も語らず口を閉ざしたまま。
 僕はただ不意に変わった様子に首を傾ける。

「……本当は私だって、じっとしてられないって気持ちは分かってたんだよ?でもやっぱり、今は休むのが一番だと思って」

 そうして、ようやく言葉に出された変化の要因。

 何だかシャルは気負ってというか悩んでいたみたいだけど、それについてはお互い様の事だ。
 僕だってシャルの考えを知りながらも、抵抗していたんだから。
 まぁ実際にはむしろ、安静にしていない僕が悪く、責められるべきも僕なのだろうとは思う。

「そのせいで煙たがれたり、避けられたり、嫌われたりするんじゃないかって。そういう感じでね?……心配だったから……それは嫌だから。その、だからね?」

 それでも何だか必死にシャルが続けるのは言葉。釈明でも弁明でも言い訳でもない、ただ彼女が思っていた事、感じていた事。
 不安そうに、その胸に抱えていたらしい物を懸命に吐露していく。話してくれる。

「……馬鹿だなぁ、シャルは」

 けれど、真剣な彼女の少し重めの話に対して僕が真っ先に思ったのは、短くて簡単なそんな一言。

「む、そんな言い方しなくても……」

 確かに酷い言葉に、不安から不満もしくはちょっとの怒りを携えて言い返してくる。
 その怒る気持ちも分からなくはないし、真っ当な反応だとは思うけど、やっぱり僕の意見は変わらない。

「いや、だって、シャルやシゲさんを含めてさ、そうやって心配してくれてる人を嫌いになるはずがないよ」

 その程度の事で人を嫌うのは、きっと何も知らない、何も分からない、分別の付かない子供ぐらいだから。
 確かに僕も、まだ大人だなんて事を自分や他人に対して断言こそは出来ないけど、そこまで子供じゃないとは思ってる。
 自分なりの考えもあるし、多少の分別も付けられる。

 つまり、何が言いたいのかというと、シャルが不安に思っているような、そんな心配はしなくていいって事。

「……うん」

 こちらの、我ながら緊張感やら重みやらが全くない言葉に小さく頷いてくれる彼女。
 しかしてそんな軽量型の言葉でも、とりあえずこちらの意思を伝えられたとは思う。

 確かにシャルの行動は、過ぎればお節介の領域に入るかもしれない。
 だけど逃げはすれども、僕にとってはそうじゃなかった。
 というか、自分が悪い事を自覚しながらの行動だったから、シャルを疎ましいとかなんてのは微塵も感じてはなかった。

 捕まって感じてたのはしょうがないかというある種の諦めと、待ち受ける罰への恐れだけだったし。
 逃げて感じてたのは同じく罰への恐れと、負けられるかという思いの存分に混じったスポーツ感覚の楽しさだったし。

「まぁそれは、そそっかしいシャルの早とちりとして置いといてさ」
「……もう、やっぱり酷いよ」

 文句は聞こえるけど気にしない。
 だって話を戻すどころじゃなくて、僕らは今、メインの目的と遠ざかり過ぎてるから。

「とりあえず、映画見る前にさ、先にシャワー浴びて来ても良いかな?」

 そう、僕らの目的は映画だ。
 元々はその映画を見るから、さぁ行こう!って感じだったのに、どうしてこう少し重いような空気にならないといけないのか。

 話を振った僕が原因ではあるんだけど。

「あ……、シャワーだよね、うん、もちろん、もちろん良いよ」

 そして、映画を見よう!と言っていた事がすっぽりと抜けていた様子のシャルは、思い出したという反応をごまかすかのようにこちらの言い分を聞いてくれる。
 けれども、言いたい事はもう一つ。

「後さ、ついでにシャルもシャワー浴びれば?」
「わ、私……も!?」

 と、何故か、僕のそんな二つ目の言葉に彼女が顔を急激に赤くして見せた。

 ……いや、どんな勘違いをしてるのさ、それは?

「う、うん!もちろん分かってるよ!違うから、違うんだからね!そういう事じゃないっていうのは!」

 疑念を込めて視線を送ると、何とも慌ただしくなるその様子。
 それは、あまりの慌てっぷりに突っ込む事さえも躊躇う程の物。

 ……ホントに一体、どんな勘違いなんだよ、それ。

 思いはするけど突っ込まない。ただ自然に落ち着くのを待っていく。

 赤く染まった耳、小さく上下する肩、こちらに背を向けながら目の前の彼女は大きく息を吸い込んでの深呼吸。
 やがて、びくりと一度身体を震わせると向き直りながらまだ赤みの残る顔でおずおずと尋ねて来た。

「あ、あのさ……私、そんなに汗臭い、かな?」

 汗臭い?それは突然尋ねられた事。
 デリカシーに欠ける行為だとは思うけど、返答への確認の為にシャルに対して少し顔を寄せてみる。
 目を閉じて意識を集中。
 息を飲むような声が聞こえる、でもそんな聴覚より視覚より、今は嗅覚に重きを置く。
 感じるのは香水かデオドラントか、あるいはシャンプーか、詳しい判別は出来ないけどとにかくそういった類の香り。

 ……うん、特に汗臭いなんて事はない。

「いや、全然気にならないよ」

 何だか恥ずかしそうにしている彼女に首を振って答える。
 すると、シャルは何だかほっとしたような様子を見せると、じゃあどうしてと首を傾け今度はこちらについての疑問を漏らしてきた。

「いや、シャルも動いて汗はかいたでしょ?後、ついでに、だよ。だって、そもそも……」

 それに答えるは比重の低い付属の言葉。
 そしてようやく最後、続けて口に出していくのは僕のメインとなる言葉。
 映画を見るよと言いながらにして、手ぶらで応接間に向かおうとする彼女への最大の疑問。

「肝心のさ、借りて来た映画を持ってないじゃんか?」




 宿舎で別れシャワーへと。さっぱりとしては応接間へ。その道中、出会ったラナやジャックを引き連れながらミニ上映会へと足を向けていく。

 やはり女の子には時間が掛かる事もあり、テレビとレコーダーとソファーはあれど、まだ応接間にシャルの姿は見当たらない。
 まぁ、予想通りだけど、先に着いたという事で到着を待ちながらもいつ来ても良いようにと再生の準備を始める。
 今回、プレイヤー代わりになる旧式のレコーダーをテレビと繋ぎ、映るかどうかをきちんと確認。
 ついでに今日のシゲさんへのお礼の意味も込めて、日頃よりシゲさんが大事に隠している秘蔵のお茶請けなどを勝手に引っ張り出しては、お好きにどうぞとテーブルに広げる。

 そうやって一通りの準備が完了した後は、時間つぶしにゆっくりとお茶を啜りながらテレビでニュースを確認。
 ……太陽のフレアで電子機器がヤバイ、男女平等を唱える人々のデモが~、流れているのはそんなニュース。

 ニュース番組も終わり、画面上は再放送のドラマ番組に突入した。
 そんな時、聞こえたノックに続いて遂に僕らが迎えるのは、たった一人で演じられるその姿。

 緊張したような少し堅くぎこちない表情と、こちらを見て気落ちしたような態度と、すぐに取り直して浮かべられる笑顔。

 それは一瞬の内にころころと変わった彼女の様子で、そんな彼女を待ち受けていた僕達は、何故かどうしても抑え切れず、声を上げて笑い出す。
 笑う僕らと拗ねる彼女。

 こうして何でもない相変わらず愉快だった日常は、大変だった七月の終盤に差し掛かり、いよいよ八月へと突入して行く。

 うん、でも、結局はあれだ。
 お茶請けとして出した老舗の煎餅を片手に、大型画面の進んでいく映像を見ながらに思う。

 ……シャルも怖いなら、わざわざホラー映画なんて借りなきゃ良いのに。



[28662] Chapter3-3
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/09/11 15:00
 既に八月に突入して久しい今日この頃。
 学生達にとっては夏休みシーズン。

 うきうきでどきどきでわくわくな季節なんだろうけど、俺らにとってというか俺にとっての休暇はもうちょっと先で。
 お盆もあるし、家族サービスに興じたい気持ちもあっても、やらなきゃいけない事もある。

 ってなわけで、今はエアコンの効いた室内で……エアコンの少し効いた室内で、扇風機に身を晒しながら自身のやるべき事に意識を割いていく。



『……つまり、こちらはこちらで自由に扱っても構わないという事かな?』

 電話越し、聞こえるのは壮年と言っても差し支えないだろう男性の声。

「それはもちろん。元々はこちらからのお願いによるものなわけですし。そちらの技術を活かして存分にやっちゃって下さい。……あー、でも、他所へ情報を流すのはどうか勘弁してもらいたいです。一応、俺らの生命線になっても来ますんで」

 答えていくのは、冗談を交じえた少し軽い言葉。
 普通だったら、さすがに取引先からの電話に対してこんな事はしない。しかし、この相手は古い知己でもあって、それをちゃんと理解もしてくれている。

『なに、十分承知はしている。とは言え、許可を貰う前にもう色々とやり始めてはいるんだがな』

 それでもまさか、かなり前になるけど、紹介を経て久しぶりに話したこの知り合いが独立してたなんて話を聞いた時には、そりゃもう驚いた。
 まぁ、普通だったら、その時に聞かされた彼の今までの経歴についても驚くべき何だろうけど。

『機体については当に受領済み、今はこちらで用意したテストパイロットと機体の慣熟中。また頼まれていた用件については既にそちらにも送ってある通り、認可を通した合法的な物を用意させてもらった。後はミラージュからの許可を貰うだけなんだが、シゲ、そちらの進渉はどうなんだ?』

 でも、彼の元の職場を聞いた時には、驚愕というよりは酷く納得してしまった。

「ええ、ミラージュからは既に改良の許可を頂いてます。ですから直ぐにでも作業の方に入ってもらえると……」

 もう何と言うか、この人らしいな、と。

『ふむ、なるほどな。まぁ、実はそっちについても基礎は既に出来上がっていてね。機体に詰め込んでみては、同時に検証の段階にある。……いや、それを聞いて安心したよ。危うく私も彼も無駄骨になる所だった』
「は、はは、それは何とも、相変わらずの仕事の早さで」

 俺がまだ新入りの頃、初めて会った時から、その頭脳が他より群を抜いているのは知っていた。凄い人がいるというのは聞いていたから。
 それでも天才の称号は篠ノ之束博士に取られてしまったけれど……そもそも、この人を指し示す言葉は他に存在する。

『という事でだ。こちらの状況は極めて順調に進んでいる。また何かあったら、伝えてくれよ』
「ええ、それはもちろん」

 鬼才、奇才?この人にはこんな言葉がまさにピッタリだ。

『ふむ……それでは、セイタローによろしく言っといてくれ。友からの言葉としてな』

 それは、栄えある先のキサラギ整備班整備班長、キサラギの唯一神、ゴッドハンドこと榊原清太郎、いわゆる俺達のおやっさんさえもこの人に振り回されていたという事もあるし。

「分かりました。おやっさんには確かに伝えておきます」

 まぁ、当のおやっさんは、この人の態度や様子に珍しく声を上げて笑っていたんだけど。

 でも、今こうして話している印象は昔とは大分違う。もう二十歳になる娘がいると言っていたから、きっとその影響なんだろう。

 その気持ちは分かる。凄く分かる。子供ってのはそんな物だ。
 とにかく目に入れても痛くない、とにかく可愛くて可愛くて仕方がない。そりゃもう、人生懸けられるぞ!と思うぐらいに。特に娘なんかは最強だ。
 あ、でも、『お父さんのと一緒に洗濯しないで!』という一言は効いた。スパナが脳天に直撃したような衝撃だった。
 でもそれは大きなショックと同時に大きくなったもんだと感慨深い物でもあって……って、いや、その話は今はいい、とにかくこの人もかなり丸くなった。

 それでも相変わらずの才覚に、鈍りはまったく見られないんだけど。

『……それは良かった。では、またいつか。こちらからも何かあったら連絡する』

 そして、この人との電話も終わりを告げていく。
 どうやらこれから、あちらは機体のテストを行う予定のようだ。
 彼は代表でもあるけど、同時に根っからの技術者でもあるから、それに付き合っていくのだろう。

『……それではな』
「はい。また今度」

 そうして挨拶をきっかけとして切れていく通話。

 とりあえずの役目を終えた受話器を元に戻し、あちらで始まる光景を思い浮かべながらも、待機状態にあったPCの画面を再起動させていく。

 点灯する画面、そこにはクレストから来た読み掛けの報告書が広がっている。

 ――TYPE-49のテストパイロットを決定した。

 書いてあるのを簡単に言い表すと、そんな事。
 士官学校より二名、一般からのスカウトにより一名。つまりはリストに上がっていた多数の候補からようやく絞り上げたという事だ。
 うん、ざっと読んでみれば状況はわかった。でも、いやそれにしても……。

「若いなぁ」

 士官学校の二人のデータを見てみると、男女二人、現時点での首席と次席となっていてどちらも歳は二十そこそこ。
 若さではウチのあの子の圧勝ではあるとは言え、経歴だけで考えれば新たなパイロット二人はちょっとしたエリートと言える。
 まぁ、エリートだからどうだという話ではあるんだけど。

 それで三人の内の残りの一人はと言うと、今度はエリートではない、かといって叩き上げでもない存在だった。

「……元、レーサーねぇ」

 年齢は二十代中盤。
 くっついてる写真は良くて二枚目半、何だかよくある三枚目俳優みたいな感じ。整っちゃいるけど、何だか締まらない顔。

 経歴をざっと見てみても特に目に着くものはなくて、参加していた去年のグランプリシリーズでの総合成績もイマイチぱっとしない。
 とりあえずの一見では、何でテストパイロットに選ばれたのかが不思議でしょうがない印象の人物だ。

「……あ、っと」

 でも、そんな三人の項目を覗いていく内に、選定されたその理由に気付いた。それは何だか納得いかない感じと一緒に。

 適性……高い。高い。極めて高い。

 どうやら、先程の電話での物はクレストの方へは既に届いているらしい。
 つまりは早速、彼らはそれを使って調べてはパイロットを選出したって事なのか。
 というか、ぱっとしない元レーサーの適性が最も高いらしい。
 ん、やっぱり何だか納得いかない。ぱっとしないデータだし、ぱっとしない顔だし。
 適性だけが全てじゃないので、本当にやれるのかといった意味でも。

 と、改めて送られて来た本文の方を確認してみれば、彼らのパーソナルデータ以外にも添付されている物があった。
 データのサイズは大きい。何かと思って、早速、添付データに指で触れていく。

 すると、それに合わせて起動するムービープレーヤー。
 題も前置きも何もなく、ホームビデオで撮られたと思われる音声付きのその映像が画面の中に流れ始めた。

 何だか懐かしく思える基地のハンガー。
 それを背景にしながら一歩ずつ、ゆっくりゆっくりと慎重に足を踏み出していくAC、新機体の姿。

 多分、今の時期的にもさっきのテストパイロットじゃなくてクレストのスタッフの操縦による物だと思うけど、何かを確かめるようにしてぐるぐると周辺を歩いている。
 動きは拙くぎこちなく。AMSの影響か、ひとつひとつの動作に、機体を動かす事に対する緊張のようなものが滲み出ている。

 それにはやっぱりなと確信が出来る。
 動きが素人というか本来の乗り手じゃない感じだ。少なくとも搭乗経験はないと思う。
 確認的な行動でもないから、まず間違いはない。

 やがて、戻って来た機体がハンガーの前でカメラに相対してみせると、足元にあっちの整備員やスタッフが集まり出して来た。
 そして各々が並ぶようにして機体の前に。
 その場を陣取り、彼らが思い思いのポーズを取ると、一瞬のフラッシュが彼らを照らす。

 直後、周辺に響いていくのは彼らの歓声。
 老若男女の喜ぶ姿、それをレンズでずっと捉えていきながら、カメラマンが集団の中へと走り出す。
 そうして騒がしい人々の集団の中、機体の足元から見上げるように映し出したそこで、映像は終わっていった。

 反応を見る限りは、どうやら機体を納入したばかり時の映像の様子。

「いやぁ、楽しそうで何より何より」

 そんな年甲斐もなく、はしゃいでいる彼らの姿には、思わず頬が緩んで来てしまう。
 よくよく動画のファイル名を見てみれば、『CR-01 TYPE-49!!!!!!!』と、そもそもからはしゃぐ気持ちを隠してはいなかった。

 なるほど。向こうも楽しくやってるようだ。

 こっちもこっちで楽しい訳だし、どこもかしこも順調そのもの。
 良き哉、良き哉、少し和んだ気持ちになりながらも時計を見遣る。
 視界の中で数字が示すは、午後四時過ぎ。

 大体昼前にはここに入ってた訳だから、どうにも報告書を作ったり読んだりで、かれこれ単純に四時間以上はこうしてディスプレイの前にいたようだ。気付けば、目も疲れてるような感じがするし。

 うん、とりあえず、休憩しよう。

 眼鏡を外し目元を解しながら、部屋の外の自動販売機へ。
 買うのは緑茶。ピークを過ぎたとは言えまだ暑く、今はさっぱりとしたもので喉を潤したい。
 そのまま、落ちて来た緑茶を持ってハンガーへと向かう。


 ハンガー二階構造部。
 さっきまで利用してたのはハンガーの責任者としての割り当てられた部屋なので、目的の場所へはすぐに到着。

「班長、ちわーっす!」

 こっちの姿を見掛けた、ここの中でも若い整備員が下から元気な挨拶をしてくる。
 それに俺も挨拶は返すけど、邪魔をするつもりもないのですぐに作業に戻らせていく。
 そうして直ぐさま整備に取り掛かる背中に頷いて、手摺りに身体を寄せて眺める、ハンガーの整備風景。

 目の前、外装を外されセンサーユニットを剥き出しにされながらも、コア部からは両腕さえ外されている白いACの姿がある。それは今現在、俺らが保有する唯一の機体であるウラヌスだ。
 今日の起動を終え、言わば俺と同じく休憩中の彼女。
 でも、今回に至っては、この整備というものが別の意味を持っている。

 なにせ彼女自身にしてみれば初めて臨む、今度のイベントに向けての準備という事になるのだから。

 近日行われる予定なのは、申請というか依頼こそ今までされていたけれど、スケジュールが合わなかったり先日の出動で出来なかったりしたもの。
 何より、クレストや日米政府の意向で、そんな理由を度々付けては回避して来たもの。

 確かに現代においても、日米にとっては仮想敵国の一つなのだからしょうがない事だってのは分かる。
 しかし今回は、シルバリオ・ゴスペル戦での結果を得た影響で、彼らからある種のアピールを期待されて模擬戦を行う事になった。

 俺らは単なる作る者だし、役に立てるのは普通に嬉しい。
 そういう純粋な嬉しさの一方で、作る者として政治というのには、正直あまり近寄りたくはないという気持ちもある。
 だけど、スポンサーがスポンサーなだけにそれは中々難しい。いや難しいどころか回避は不可能だった。

 思うところは色々ある。
 でも単純に考えてみれば俺らは俺らのやるべき事をやる、ただそれだけ、たったそれだけの事だ。
 目の前だけしか見ないのはダメだけど、複雑に考えすぎるのもいけない。
 そういう事なので、今回は最終的に売るのか売らないのかは別として、商品のアピールとだけ考えておこうと思う。
 お金は掛からないし、しかも相手は国レベルの相手。宣伝としてはまたとないチャンスなんだから。

「……おっと、お疲れですかな、シバタ班長?」

 裸となった頭部メインセンサーとそれを整備する手際、それを眺めて確認していると隣からの声が掛かった。
 横を見れば手摺りに背中を寄り掛からせる、紙カップを片手に持ったラナちゃんの姿。

「まぁ、そだね。今は休憩中だよ」

 そんな一度向けた視線はラナちゃんからウラヌスへと戻していく。
 ふと視界に入って来るのは、その端っこで何だかこそこそと移動している黒髪の少年の頭。

「では良かった。少し聞きたい事があるのですが?」
「……ん、何だい?」

 どこかに隠れようとする少年の動きを目で追いながらも、質問には応じていく。

「今回の模擬戦なんですが、本当に私でも?」

 聞かれたのは、調度さっきまでウラヌスを眺めながらに考えていた事だった。
 そしてどうにも、今度の模擬戦への参加に疑問を持っている様子のラナちゃん。

「もしかして、自信がないのかい?」

 不安をまったく浮かべていないその表情に、少しおどけてみるのだけれど。

「は?私が?そんなまさか?」

 返って来たのは何だか少し冷たい表情。
 おまけに馬鹿なものを見るように、一笑に付された。
 何だろう。こっちが仕掛けた事なのに、こっちの方が傷付いた。

 ……いや、何か、マジごめんなさい。

「いえ、まぁ確かに、彼の器用さや適応力については目を見張るものはあります」

 そんな冗談はおいといて、ラナちゃんは眼下で今も隠れ場所を探している少年を視線で追いながら、その少年についてそう語る。

「しかし、彼が出来る事を私が出来ないなんて事は決してないと思っています」

 それでも、そんな彼の事を認めながらも口から出て来るのは、確かな自負と己に対する信頼。

 いつも静かで冷静で、常日頃からジャックのストッパー役をやっていて目立たない事だけど、ラナちゃんはこう見えて随分な自信家だと思う。
 うん、でもそれは確かに納得出来る事。
 そうでもなければ、米空軍のエースやウラヌスのパイロットなんかにはなっていないだろうから。

「えと、ラナちゃんがあの子を評価してるのは分かったよ。……そこで、ちなみに聞きたいんだけど、そのラナちゃん的評価だとジャックについてはどうなんだい?」

 ホント、ついで。
 いつもより何となく饒舌な感じなので、ラナちゃんからのジャックへの評価を聞いてみたい。

「ん?ああ、あれはいいんです。ただ単に丈夫が取り柄なだけですし」

 自分で尋ねてみてあれだけど、一言で済まされた。
 あの子と比べると余りに簡単過ぎな評価。
 それでもジャックが不憫にも思えると同時に、なるほどとこれもまた納得が出来てしまう。

 ……ごめんよ、ジャック。お詫びに今度、酒でも奢ろう。

 いや、でも、ジャックもああ見えて、熱くならなければ意外な程の戦術家だし。
 昔見た報告書では頭脳派だって記されてたはずなんだけど……。

「あー、でもするとさ、なんでそんな質問を?」

 うーん、とにかく別にジャックを貶たい訳でもこき下ろしたいわけでもない。
 ジャックがホント意外な戦術家ってのは紛れも無い事実なわけで、ガイアに最も相応しい存在だったからスカウトされて来たんだから。

「いや、元々は彼が務め上げるはずだった役目なわけですよね?」

 という事で話を変えると、きちんと話に乗って来てくれたラナちゃん。
 語られるのは本来の参加者についてだ。

「となると、私は彼の代役という事になります。まぁ、やれと言われればやって見せましょう。ですが、私がやるとなるとウラヌスで戦う事になるわけです」

 そりゃ、確かに……機体がウラヌスしかない以上はそうなるだろうね。

「しかし、キサラギにとってそれは、あまり望ましくない事なのではないですか?」

 望ましくない?
 そう、言われた言葉に少し頭を捻る。考えてみる。
 一体、ラナちゃんが、何を思って言った言葉なのかという事を。

「んー、いや、望ましくないって事はないよ。得られたデータはどれも貴重なものだしね」

 うん。望ましくないなんて事はどこにもない。
 運用データは集積されて応用される。それはただ一つの機体にだけではなく、並列化されて後々のシリーズへ。多くの機体へと。
 さっき見たTYPE-49にだって、利用されていくはずだ。

「まぁ、確かにクロノスによる物の方が、応用しやすくてベストではあるけどさ」

 ウラヌスの物もガイアの物も応用されていく。でもクロノスの物に比べれば少し利用しづらかった。
 その理由は簡単で、単にウラヌスもガイアもその性質が尖んがり過ぎているからだ。

 高機動性重視だが装甲の薄いウラヌス、防御力と火力に優れるも機動性に乏しいガイア。
 見ても分かる通り性能が片寄りすぎていて、単一のシチュエーション応用しか出来ない、出来辛いというのが二機のデータの欠点だ。
 そういった面で見れば、三機の中でも平均的な性能を持ち、距離を選ばない戦術適合性に優れているクロノスは、幅の広い想定シチュエーションが取れて便利だと言える。

 まぁ、クロノスを推したい理由を加えて言えば、対G適性や反射神経、動体視力でラナちゃんに劣るとはいえテストパイロットの中でも適応力に優れるあの子の方が、どんな相手にも関わらず上手く対応が出来て良い勝負になりやすいからというのもあるけど。

 それでも、結局のところ今は……。

「……どうしようもないからねぇ。機体がないんじゃ、どうにもさ」
「それはそうですが……」

 何を言ってもこればっかりは。
 機体は鋭意開発中。二人は機体を直ぐにでもと欲しがってはいたけど、決まっている予算の都合上、そうほいほいと作って持っては来れない。

 何より大切なのは、節制、効率。

 後継機の製作が決まっている以上、無駄になる機体を持つわけにはいかなかった。二人には申し訳ないけど。
 でも、なんとかしてあげたいなぁとも思う。乗らなければ勘は鈍るだろうし、それはキサラギとしても望まないし、慣熟を一機だけで回してくにも効率が悪いし。
 どうしたものかと考える。考えながらもお茶を一口。

「……あ、そういえば、ラナちゃん達の戦ったシルバリオ・ゴスペルなんだけどさ。処遇が決まったって話は聞いてるんだっけ?」

 まぁ、それは後でゆっくりと。
 今は少し話題を変えて、彼らも関わった事件のその後について話しておく。
 まずは、いつもどっかから情報を集めているラナちゃんへの質問。

「ええ、もちろん。何でも、合衆国政府の手によって封印処理がなされたそうですね」

 返って来たのはそんな答え。
 そのこちらを騙そうとか冗談を言ってる訳でもない、その表情に少し驚いた。
 いや、ホントに。これは何とも珍しい。
 情報を得ている……とは思ったんだけど、ラナちゃんが誤情報を掴まされてるだなんて。

「いんや、違うよ。それはフェイクで、そういえばそろそろかな?俺とおやっさんの知り合いのとこに向かう予定のはずだよ」

 だから、一応は正しい情報に訂正しておく。
 本来だったら、機密ではあるけどラナちゃんも騙されっぱなしは嫌だろうし。

「ほう……そうなのですか?」

 すると、思った通りの大釣果。
 興味津々、表情を変えないままに瞳には強い炎が宿って見えた。

「えっと、どしたの?何だか興味ありげだけど?」
「いえ。私の聞いた情報との食い違いにですね、まんまとやられたなと少し思うところがありまして」

 何だかまずいものに火を付けてしまったのかもしれない。

 何故か……目がマジだ。

 今回の出来事、ラナちゃんの情報担当の方に対して、ここでお悔やみ申し上げます。というかすみませんでした。許さなくていいけど、とにかく逃げてください。

「……そういえば、ラナちゃんの情報ソースは軍関係からだっけ?」

 本当に、本当に本気で怒らせるとラナちゃんは恐い。アメリカの閻魔様、不動明王、何だかそんな感じ。
 でも、その考えを表に出さないよう、その誤ってしまった彼または彼女に対しては、冥福を祈ると共にその情報源をさりげなく探ってみる。

「ええ、そうですね。まぁそんなところです」

 ……何だか答えは曖昧だ。完全にはぐらかされてる。
 多分だけど、空軍出身なだけにきっとそっち方面なんだろうとは思う。
 米陸軍や海兵隊と比べても、米空軍はISへの信奉が特に強いって話らしいし。
 でもそれなら本当に、今回に限っては逆に……。

「だったらしょうがないかもね。軍の協力もあっての今回の手回しだから」

 そう、しょうがない事だ。同じ軍が関わって来てるのだから。

 実は、先日のシルバリオ・ゴスペルとの戦い以来、アメリカにおける俺らというか、クレストの地位というものに変化が起き出していた。
 そしてそれはあの時の戦闘によるもので、その結果に起因しているものだった。

 まず、あの暴走事件において戦闘結果というものが、二つある。
 一つ目は、相手に助けられたとは言え、リミッターを解除していた軍用ISをACで撃破した事。
 二つ目は、セカンドシフトに移行したその機体が、AC三機を中破一機、大破二機に追い込んだ後、撃墜こそされるもISの最新機体六機を相手どって互角に渡り合っていた事。

 この二つの戦闘で利益というものが生まれていた。
 そして、その利益を最も多く得たのは誰になるのか。
 それは、自己の保有する機体の性能を最も知らしめた者だと言っていい。

 それを前提としての確認。
 あの戦闘に参加していた機体とその所属を確認する。

 まずラナちゃん達、クレスト、キサラギ、ミラージュからなる三社同盟所属のACチーム。
 次に、一応、倉持技研の所属となっている白式。
 BFF社のブルーティアーズ。
 ローゼンタール社のシュヴァルツェア・レーゲン。
 大華総合公司の甲龍。
 デュノア社、シャルちゃんの駆るラファール・リヴァイヴ・カスタムⅢ。
 それに、個人所有ながら背後にあの篠ノ之博士がいると噂される、紅椿。
 そして最後、GAとオーメル社の共同開発機体、軍用IS、シルバリオ・ゴスペルとなっている。

 戦闘を繰り広げたこれらの機体を支えるバックボーン。
 その中でもACの技術を持ち、その性能を明らかにしながらもIS機体の有用性を得た者。
 加えて、自らの威信を何とか維持させた、企業を越える巨大な経済集合体を母体とする武力組織。
 あの事件に直接関わったそれほどの存在は、もはや彼らしか当て嵌まらない。
 つまり、それは――アメリカ、正確には米軍だ。

 ……確かに彼らはISの暴走という汚点こそ残してはいる。
 残してはいるけど、ACと最新機体の性能と有用性を交戦したISチームを通して他国にアピールする事が出来た。
 しかも、ISに関して有力国とされる国々に。

 その結果は、対IS性能を持つ従来兵器の所有の誇示と最新機体の圧倒的な性能による他国への牽制とそれらを保有するアメリカの存在感を示すという事に他ならず。
 軍の上層部としては暴走という最悪が転じて二重の利益に変わっただけに、皆が皆、予想外の出来事にほくそ笑んでいると思う。

 そんな米軍の一人勝ちとも言って良いこの状況の中で、俺らの事が関係して来てくる。

 米軍ひいてはアメリカにすれば、彼らがスポンサーを務めるIS開発企業GAとAC技術保有企業クレスト。
 そのクレストのACチームがISを撃破したとの結果によって、国防関連での派閥が拡大したという話らしい。
 つまりは、アメリカからの信頼が深くなって、より大きな協力を得やすくなったとの事。

 これらは全部、クレストからの報告によるものなんだけど。
 要点を簡単に言えば、無理難題を押し付けられた分、きちんとした代価も得られたという事にある。

 そのお陰で、シルバリオ・ゴスペルを内密とは言ってもちゃんと借りられたわけなので、喜ぶべきところではあるのだろう。
 でも、今は元気になったとは言え、一際大きな怪我を負ったあの子は何かの要素が少しズレていただけでも命を失う可能性すらあった。

 あの子やラナちゃん達は戦闘というものが命懸けだって事は初めから理解していて、俺も理解はしたつもりの事だったのだけれど、実際に直面してみるとやっぱり素直には喜べそうにない。

 ある意味、そんな自分は甘いんだろうとは思う。
 それでも、甘いままでいたいとも思う。甘さを捨ててまで皆の怪我や命の危機、そんなものを望みたくはない。
 本当に出来るのなら、あんな事はもう御免被りたい。もう起きないでほしいから。

「……そう、ですか」

 振り返っていく中でラナちゃんは、ハンガー内の様子を眺めながら、静かにカップを傾ける。
 その視線は宿舎の方に繋がる入口、ちょうどそこからハンガーへとやって来た金髪の少女に向けられていた。

 視線を追っては確認。
 彼女の今は、いつかのように何かを捜し求める状態。
 ここは高さがある分、彼の隠れ場所が簡単に見えるんだけど、彼女からは死角になって見えてはいないみたいだ。

 そうやって今回の結末はどうなる事やらと思っていると、突如視界に入って来たのは整備に取り組む部下というか整備班達の謎の動き。
 何かを示す、整備しながらの身振り手振り。それが起こり始めた瞬間から彼女の動きに変化が見られ出した。

「ありゃまぁ……」

 きょろきょろという迷い困るような動作から、真っ直ぐ彼の元へと一直線。
 そのまま彼は発見され、そんな想定外の出来事に対して慌てて立ち上がって走り出す。
 彼女はスピードを落とさないまま、嬉々とした表情で追っていく。

「んー?何だか、あれに似てるなぁ」
「……何です?」

 その光景に何だかの既視感。
 だけど、詳しくそれを思い出せない。

「あの二人。ああやってる二人だよ」

 既視感の原因は確実にあの二人。
 そんでその様子はまさに追いかけっこ。
 この間のちょっとした思いの確認をさせてからは、二人によるこの行動が、もうじゃれて遊んでいるようにしか見えない。

「……まったく、またやってるんですね」

 呆れた様子。それでいて顔は少し柔らかい感じ。それが隣のラナちゃんの様子。
 さっきまでの強い光は為りを潜めているみたいだ。
 精神的にも、このままで居てくれ!と思う傍ら、思い出せないけれどイメージだけが残る既視感について聞いてみる。

「それであれだよ。あの二人のああいう感じ、何かに似てると思うんだよ」

 確か……そう!確か古いアメリカのアニメーションであった奴。

「はぁ?それはもしかして、かなり昔の、ネズミと猫の物、ですか?」
「ネズミ、猫?……おお?ああ!そう、それそれ!……いや、懐かしいなぁ」

 うん、本当に懐かしい。
 親父が子供の頃には既にあったって話だから、どれくらい前の作品なんだろ、あれ。
 大体、話したのが今から三十年前として、そこから当時の親父の年齢を考えてさらに二十年。下手をすればもっと前だから……。
 うへぇ、古い古い……とは言え、それだけ古くても良いものは記憶と記録に未だに残る、か。

 でも、というかむしろ、それに対するそんな感慨深さなんかよりは、あの時の親父より歳を食った自分に何だか大きなショックを感じる。

「と、すると、これはまた随分と大きなネズミですね?」

 考え中、聞こえて来たのは何だかおどけたラナちゃんの声。
 視線は、一度ハンガーから出ては戻って来た二人のもとへ。

「はぁ、何とも。確かに随分と可愛らしい猫なもので」

 黒いネズミと金毛の猫。
 あのアニメと違って、どっちがやられ役ってわけじゃないけど、敢えて言うなら立場は逆。食物連鎖的には正しいのかな?
 いかに順応性に優れた黒ネズミ君でも天敵たる存在には敵わない様子で。

「あ、捕まった」
「……捕まりましたね」

 作業中にも関わらず指示を出すアホウと手の空いた作業員有志らによるさりげない鉄壁のディフェンスの二段構えに逃げ道を塞がれた、黒ネズミは……。
 じりじりと距離を詰める金猫に、遂に捕獲されていた。

「……そういえば、ラナちゃん。ジャックは何してるんだい?」

 こちらに笑顔で手を振る少女とずるずると引きずられていく少年に手を振り返す。
 考えるのは、話の話題には出したけど今日はあまり姿を見掛けてないジャックの事。朝飯以来、何だかその姿を見てない気がする。

「え?ああ、あれなら随分前に射撃訓練に行きましたよ。銃は借り物ですけど」

 あー、なるほどと二重の納得。いや、道理で見かけないはずだ。

 以前からの希望で敷地内、グラウンドの一画というか端っこ、機体のテストの邪魔にならないように設けられたそれ。
 『それ』とは、アメリカのあの基地のものには及ばないとはいえ、距離別の的をいくつか備えた射撃練習場の事。
 ちなみに銃器は、さっき引きずられていったあの子の私物を今は使っているとの事。

 多分の予想でしかないけど、さっきの二人の追いかけっこは、そのジャックと一緒に射撃練習をしてるところを見つかって、ああなったんじゃないかと思う。
 まったくホント、懲りないというか何というか、まだ医者からの許可も出てないって言うのに。
 らしいと言えばらしいんだけどさ。ある意味頑固で。

 お茶を一口含んで喉へと通す。
 冷えていたボトルもいつの間にか表面に水滴が浮かび、あまり冷たい状態とは言えなくなっていた。

 気付けば整備中だったウラヌスもセンサー系と両腕の間接部のチェックが終了した様子。既に頭部の外装は戻されて今度は腕部とコア部との接続に入ろうとしている。

 その接続の様子を眺めながら時計にふと視線をずらすと、思っていたよりも大分時間が経っていた。
 どうやら、少し休憩を取りすぎていたみたいだ。

「……んじゃ、悪いけど、そろそろ俺は戻らせてもらうよ」

 まだまとめなくちゃいけない報告書もあるし、協力企業からの現状報告も今日の内に読んでおきたい。
 やる事だけなら色々ある。後々に残すというのもあれだし、休暇には出来るだけ仕事を持ち込まないようにしたい。

「いえ、こちらこそ。休憩中に邪魔をしてしまって……」
「いや、んなの別に良いって」

 俺も俺で新しく考えなくちゃいけない事が出来たし。
 機体を取り寄せるべきかどうか……うーん、開発の進行状況によって変わるけど、上と要相談か……。

 まぁとりあえず、今はどうしようもない要件なので頭の隅に置いとくとして。

「何かあったら言ってよ?機体についてでも……プライベートでのジャックの事でもね!」

 最後の最後、ラナちゃんに対しては、きちんとからかいを入れてく事は忘れない。
 それがラナちゃんへの俺の中の通過儀礼、俺のジャスティス。

「ははは。ええ、そう、ですね……!」

 すると、尻尾を踏ん付けられたライオンだかジャガーみたいなその様子。

 笑いが一本調子になってるぜ、ラナちゃん……。
 というか、そんな睨まなくたって良いじゃん。余裕持ってさ、軽く軽く流していこうよ~?

「あ、は、はは……そんじゃ、し、失礼します」

 ……何て当然言えるはずもなく。
 こっちから茶化しておきながらも、少し早足になってそそくさとその場から逃げ出していく。




 ハンガーから戻る途中、飲み終わったボトルを販売機横、専用のごみ箱の中に放り込む。
 もちろん、キャップとラベルを分別しながら。

 気分一新、リフレッシュ!

 戻って来た扉の前、身体も休めた事だしと、身体を伸ばし解して入れる気合い。
 そうして室内に入ろうとドアを開けると、部屋の中ではここへの電話を知らせる着信音が響き渡っていた。

「おっとっとっと……。はい、こちら如月重工整備班って、え?良いよ良いよ、繋げて?」

 少し慌て急ぎながらも上げた受話器。
 聞こえて来たのは本社よりの俺宛てに来た電話のお知らせだった。

「やぁやぁ、もしもし、久しぶり!元気にしてた?」

 その繋がった先、聞こえて来たのは、最近、顔を合わせてなかった歳の近い飲み友達の声。

「おやっさんは元気にしてるかって?いやもう元気、元気!」

 そんで俺に返って来た、真っ先の第一声はおやっさんの事について。
 まぁ、それはしょうがない。ずっと前からおやっさんをリスペクトし続けているわけだし。

「……そうそう、そういえば、こっちの依頼引き受けてくれたらしいね?」

 でも、今回の連絡は単なる世間話ではなくて、あっちとこっち共通の仕事、ガイアについての物。
 電話の向こうの友人は、ぶっきらぼうながらに、今の状況やコンセプトの確認などをきちんと丁寧にしてくれている。

「何せ定評はあるし、そっちの事はちゃんと信頼してるからさ、構わずどんどんやっちゃって。でも、ホント助かるよ。いやぁ、ありがたやありがたや……」

 あっちの技術力という面では、まったく心配はしてない。
 向こうの会社はIS自体の開発にはあまり関わってはないはずけど、武装やISアーマーに関しては、一定の高い評価を得ていて国産IS機体の装甲材としても選択されてたりする。

 しかも加えて言えば、IS登場の煽りをモロに受けたこっちと違って、あっちは今も昔も会社の業績は好調な感じ。
 防衛産業以外にも重機とか電化製品とかグループ全体で広い分野に進出してたから、以前からの規模を今でも維持して、むしろ前より発展さえ遂げていて……。

 本当にうちとは地力が違いすぎるとこだ。

「え、何?お前の為じゃない?何言ってんの、んなこた分かってるって。もう、気持ち悪い事言うね、まったく……」

 でも、それでも昔馴染みは昔馴染み。
 最近は互いに忙しくて行けてないけど、よく飲みに行く仲だ。
 企業や立場が違っても、軽口ぐらいは許してくれるに決まって……。

「ちょ、待った!冗談だから、冗談!」

 ……なかった。
 何だか普通に少しイラッとした感じ出してるし、いや、きっと向こうもストレスの溜まる状況があったのだろう。
 そうでもなきゃ、こんな冷たい態度はしない、はず。多分。おそらく。

 とにかく、こんなところで契約を反古にされるわけにもいかないので即座に謝罪。
 謝りながら、相変わらず融通が利かないなぁとは思ったりしても、決して口には出さない。

「と、そうだ。今度、暇が空いたら久しぶりに飲み行こうよ」

 まぁ、でも仕事の上では、言った事は必ずやってくれるから信頼出来るし。
 プライベートでは見た目の割に気配り上手、頑固で無愛想で融通は利かないのにプラスしてやっぱりぶっきらぼうなのは確かだけど、存外に気の良い感じだったりもする。

「……ん?は?奢り?いやいやいや、仮にも次期社長が一整備員にたかるって、どうなのよ?」

 こっちよりかなりの高給取りのくせに奢れとか、そんな冗談さえも言ってくる性格。
 もしかしたら、ただ単に感情を表現するのが苦手なだけなのかもしれない。
 前に飲み行った時だったかな?自分の子供に顔が怖いとかって泣かれて、普通に凹んだりもしてたし。

「紹介したい同僚というか友人もいるんだけど、そん時は一緒に連れてっても良いかな?」

 ……性格はまったく違うけど、ジャックとは意外に気が合うような気もする。その趣向的な意味でも。

「うっし、オーケー!そんじゃあ、また!」

 てなわけで、始めは仕事についての会話を、最後は互いに時間が空いたら飲みに行こうという約束を交わしつつ、通話を終えていく。

 そうして電子音を吐き出し始めた受話器を戻し、自身のデスク、パソコンのディスプレイの前へ。
 椅子に腰掛け、椅子を少ししならせながら、画面に手を触れパソコンをスタンバイ状態から再起動。

 真っ先に映るのはメール欄。
 そこにはクレストやミラージュだけでなく、他の協力企業の方々からの物も並んでいる。
 中には模擬戦を通じて知り合った、ローゼンタールのフロイドさんやブルーティアーズに帯同しているBFFの技術顧問、イアッコスさんなどの名前さえも。

 まぁ、彼らも今や立派な取引先であって、それでいて度々情報交換をする仲だ。
 さすがに機密的なものを言ってくれるわけじゃないけど、ISとACについて不明なところがあれば互いに聞きあったりしていて建設的で友好的な交流を続けているとは思う。

 とりあえず、そのメールや報告書はありがたくじっくり読ませてもらおう。

「さてっと……まぁ、頑張りますか?」

 画面に映し出される文字列を前にして、よっしゃと改めて入れる気合い。

 世間は夏休みの真っ最中、俺の夏休みはもうちょっと先。
 お盆もあって、家族サービスに興じたい気持ちはあっても、今はやらなきゃいけない事もある。少しでもやっておこうと思う事がある。

 という事で、今はエアコンのほんの少し効いた部屋の内、身体を扇風機に身を晒しながら。開いたデータに意識を割いて、ふむふむと納得、なるほどと関心。

 こんな、夏の季節の中のとある一日だった。



[28662] Chapter3-4
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/09/17 08:33
 夏休みにも関わらず、俺、織斑一夏の朝は早い。

 目覚まし時計が鳴り散らされる前、日の出と共に起き出しては、朝の空気の中、ロードワークに出掛ける事から一日が始まっていく。

 リズムを意識するようなストライド。まだ静かな街の中を少し速めのイメージで駆け抜ける。

 それは今までにはなかった習慣。
 少し長めに設定してある距離を辛くないといったら嘘になるだろう。
 しかし、この朝の澄んだ空気は少しの辛さに換えても得る価値のある物だ。
 それに今の辛さが明日や明後日ではなくとも、未来の自分の糧になるとそう考えれば頑張っていける。

 ロードワークを終え、少し呼吸を整えれたら、今度は腹筋背筋腕立て伏せの基礎トレーニング。
 走った直後に行う筋トレを辛くないといったら以下同文。
 今の辛さが以下同文。

 筋トレが終わると、次は千冬姉がよく使っていた木刀を使っての素振りだ。
 素振り、剣術。以前習っていたとはいえ、それは子供の頃の事。型とか詳しい内容とかをやってみせろというのは正直難しい。

 だから今は、そんな昔ではなく現在。
 箒に見てもらった時のアドバイスと箒の振るっていた、その剣筋を脳裏に浮かべてトレースしていく。

 斬り下ろし、袈裟斬り、逆袈裟、横胴斬り、次いで突き。

 剣先は綺麗な弧を描くように。
 がむしゃらにただ力任せに振るうのではなくて、ただ鋭く速く、斬るイメージその一瞬だけに全てを込めて。

 余計な力が入っている時は音が何だか鈍い。何だかそれが最近分かってきたような気がしないでもない。
 その場合は振るった回数にはカウントしないで、ただただ剣で空気を斬り裂く。

 回数をこなす頃には、身体には汗が滲み出していた。

 まだまだ甘い、それを実感する。
 何せ箒、曰く『そんな事で疲れていては、問題にもならんだろう。いいか一夏、無駄な力が入っているから疲れるんだ』との事。

 でも、まぁ確かに。
 箒が俺と同じ量をこなしても、体力では負けてない自信はあるのに疲れているのは俺だけだった。
 振るう剣の音だって、今はマシになってきたとは言え、箒の物に比べればまだまだ全然敵わない。

 ホント、目標は遥かにまだまだ遠く。

 夏休み突入前の専用機同士の模擬戦でも俺は、鈴、ラウラ、シャルロットにとやられっぱなしだった。
 セシリアには白式の得た新しい装備のお陰で勝てたりはする。

 でも、だ。
 セシリアには装備の相性で勝てているだけで、俺自身の力で勝てているわけじゃない。
 白式を含めての俺の力と言えるのかもしれないけれど、もしセシリアが実弾の装備なんかを持ち出して来たら、勝てる自信はあまりない。

 箒の紅椿にだってそうだ。
 破格の性能を持つ紅椿とは言っても、箒はまだ紅椿に慣れていない感じだった。
 例として言い表すなら、乗り初めの自転車みたいな。
 箒はまだその性能を扱い切れていないように感じる。
 今までは打鉄という練習機を使っていた分、そのあまりの性能の差に戸惑っているように思う。
 それでも、俺はそんな箒に負けたりする。まだ機体に慣れない箒にさえ。

 要するに、今の俺の実力はそんな物だという事。

 確かに俺の乗る白式はピーキーな機体だ。
 燃費なんかは他のISに比べて圧倒的に悪い。
 元々一瞬の速度を重視した近距離戦闘型の機体で、セカンドシフト後は高機動性を得たはずなのだが、それでも高機動射撃型のブルーティアーズと同等、万能型の紅椿には単純に劣る。
 ある意味、素の状態では何の特徴もない機体、それを補うはずの『零落白夜』と新しく得た武装、シールドにも近接用のクローにも荷電粒子砲にもなる多目的複合兵装の『雪羅』なのだけれど、何をするにもエネルギーばかりを無駄に喰っていく。

 改めてこうして考えると、代表候補でもなくISに触れてたった四ヶ月の初心者である俺には、どうにも扱い切れなさそうな代物のような気がする。
 だけどもし、この白式を操るのが千冬姉だったとしたら?そんな事を考える。

 そうしたら、絶対、俺より白式を上手く扱って誰にも負けはしないと思う。

 どんな苦境も逆境も斬り伏せ打倒してみせる、それが千冬姉だから。
 それが俺の目指している、織斑千冬という高みだから。

 でも、目標としては……本当に何とも、険しい道程だ。

「……と、少し冷えちまったな」

 動きを止めて、汗をかいたまま突っ立ってれば、夏でもそりゃ身体も冷えるか。
 まぁ、今日はこれから予定もあるので、ここらで朝練は切り上げよう。
 そんで、さっさとシャワーを浴びて朝飯にして、ついでに洗濯物も干して、ぱぱっと出掛ける準備をしてしまおう。





「や、おはよう」

 午前十時前の自宅前。
 だいたいのアバウトな約束の時間。
 ジャージ姿、そんな動きやすい格好をした俺の目の前には、一台のセダンタイプの自動車が停められている。
 その車の開いていく助手席の窓から聞こえてくるのは、つい先日退院したばかりの男友達のどうにも元気そうな挨拶。

「よっ。それにしてもホントに車で来たんだな?」

 もう大丈夫そうだなと思いつつも尋ねるのは、俺と同年代のはずなのに何故か車に乗っている事。

「まぁ、話は後で。まずは乗ってよ」

 でも、とりあえずは疑問より何より、声に従って助手席へと乗り込む。
 座席に座りシートベルトを締める、それ同時に車はスムーズに発進。早速、俺達の目的地へと向かっていく。

「……てか、ホントに車なんだな?」
「まぁ、ね。ちゃんと免許だって、ほら?」

 改めて尋ねると、片手でハンドルを握りながら懐からおもむろに何かを取り出し、こちらに見せてきた。
 示されたカード状、そこに見えるのは期限と顔写真、それは紛れも無く運転免許だ。

 ……へぇ、海外なんかだと俺ぐらいの歳でも取れるものなのか。

 感嘆の声を俺が上げると、何だか運転中の当の本人の表情がにやりと一瞬だけ歪んだ……気がした。
 まぁでも、多分気のせいだ。今は普通に戻ってるし。

「というか、昨日は驚いたよ。いきなり、銃の訓練が出来るところ知らないか、だなんてさ」
「あー、いや、すまん。それはホントに悪かった」

 そう。今回の事については本当に申し訳なく思う。
 何せ、思い至ったのが昨日なわけだったから。

 やっぱり、素振りだけの鍛練だと剣での鍛練にしかならず。
 確かに俺と白式の主兵装は剣なわけだが、俺達が今よりさらに一歩進むには銃を撃つ感覚、それに対する慣れみたいな物が必要だと感じた。

 でも今は夏休み中で、学校の施設使用の許可を取るにも提出書類と確認、その認定が必要で。
 そこで、どこか練習する方法はと考えて浮かんだのが今も運転を続けるこの友人だった。

「いやいや、別に謝らなくても良いって。ちゃんと許可も取れたし、僕も僕でやる予定だったから、ついでだったし」
「……まぁ、そう言ってくれると助かるな」

 今考えると結構な無茶振りだったと思う。
 それでも、快く応じてくれた事には感謝のしようがない。
 どうにも、所属している企業の方にも交渉してくれたみたいだし。ホント、マジでありがたい。

 ……しかしそんな時、そうして内心で両手を合わせていると、こちらの感謝に反するように隣のコイツは突然こんな事をのたまい始めた。

「でも、撃った分とレンタル料は払ってね」

 何、だと……?
 それは確かな衝撃だ。油断していた俺の心と、主に財布の中身への。

「ちょ、マジ?」
 
 というか、それは少しまずいぞ。初耳過ぎる。本気で焦ってる。
 一応財布は持ってきてはいるけれど、そんなに入っていた記憶がない。
 今の俺に払える、のか?

「ちなみに現金受け付けのみになっております」

 いや、そもそもカードとか持ってないから。

「えーとだな。お値段の方はどれくらいに?いや、ツケとかは……?」

 正直、そんな銃とかそういうのって高そうなイメージしか湧いてこない。
 軍艦のミサイルだって、確か一発云億円だってテレビではやっていた。
 確かにそういうミサイルとかとは違うかもしれないけれど、軍事というか武器は武器だ。お安いお手頃なんてのが有り得るのか?

 えーと、出来れば近くのATMか銀行の方に……。

「冗談だよ冗談。お金なんて別に良いって」

 こっちの慌て振りに笑いを浮かべるその様子。
 ったく、驚かすな……って、ん?いや、でも。

 一応の学生に対する冗談にしては中々キツイそれに、文句と共に疑問が浮かぶ。

「でも、弾代とかは実際にかかるんだろ?」

 今までは学園側の負担になっていたので気が付かなかった事だが、弾薬費?というのは一体どういう持ち分になっているのか。
 どこかから無料で提供されてる、みたいな感じなら気にしないでいるところではある。
 けれど向こうの会社側とか、さっきはよくも騙してくれたコイツ持ちとか、そっち側の負担になるのだとしたらそれはどうにも申し訳ない。

「そんなの一夏が気にする必要はないって。弾も古いままだとあれだしね。撃ちたいだけ撃っていいよ」

 やっぱり、その言い方から察すると負担にはなるのか。
 何て言うか、すまん。確かに軽率だった。
 元々は個人でどうこうなるもんじゃないんだし迷惑にはなるよな。

「……それに、日本だとよく言うでしょ?」

 しかし今更だが辞退すべきなのかと考えてるこっちの様子を知ってか知らずか、運転中なので前を見ながらも、本人は相変わらず少し明るい感じで話し続ける。
 そうして、少し息を溜めながらその言葉が口にされた。

「『金は天下の台所』って!」

 それはこっちを励まそうとした冗談なのか。それとも完全な素なのか、判断が付かない。
 でも確実に言えるのは、コイツが自信満々に言い切ってるって事だ。

「……一応、言っておくと、それ間違えてるからな」
「あれ?そうだっけ?」

 あれ?じゃねえよ。素なのか?本当に素なのか?
 とりあえず、間違いはきちんと訂正しておく。いや、突っ込まざるを得ない。

「台所じゃなくて、回りもの、だ。『金は天下の回りもの』」
「あー、なるほど。……やっぱり日本語って難しいね。色んな言い回しがありすぎる」

 一応の訂正、それに対する反応は意外と真面目。
 どうやら、ボケていたわけでなく、正真正銘本当に勘違いをして覚えていたらしい。

「そうか?別に難しい言葉でも……」

 そして、そんな酷い勘違いに対して、そう言葉に出してからふと気付く。新たに思う。
 その日本語の言い回しじゃなく、当人自身の言い回しに少しだけおかしな感覚があると。

「漢字にしたってそうだよ。今じゃ色々学んで、読めない文字の方が少ないけど。それだってまだ読み違えたり、読めなかったりするんだから」

 なるほど。
 疑念がある種の確信に変わった。
 抱いた違和感は、知らされてはいても普段はあまり意識はしていなかった事からなる物だった。

「どうしたのさ?意外そうな顔して?」
「いや、改めてさ。マジで日本人じゃないんだなって、少しな」

 そういえば、コイツ、セシリアやラウラと同じく一応外国人なんだっけ。

「よく言われるよ。前にも言ったけど人種的には日本人なだけなんだしね」

 見た目は丸っきり俺達と変わらないのに、時々有り得ないような勘違いをしてみせる。
 コイツをよく知るシャルロットが言うには、世間知らず。
 友人たる俺が思うには、日本被れの日本人(仮)。
 本当に外見は日本人その物なだけにその違和感も殊更大きい。

「まぁ、それは良いとして、もうすぐ着くよ」

 運転しながらのその言葉、気付けばいつの間にか辺鄙なというとあれか、とりあえず、ビルディング群の街並は既に抜け視界が少し広がっていた。
 そんな目の前に見えて来ているのは壁とゲート。

 それは俺達の目的地。
 コイツの家?でもあるキサラギ社の研究所だった。






「一夏、全体的に少し力みすぎ。あと、トリガーもそんな強く引かなくて大丈夫だから」
「……分かった」

 銃床を肩に当て、グリップに右手を、引き金には人差し指を掛け、左手はハンドガードへ。
 半ば抱え込むようにして銃の安定を保持したまま、照準器で目標を見遣る。

 サイトを通した視線の先、そこにあるのは人を模したような……何だろう、とにかく目標。
 その中心、円の連なる最も中心へ、照準器によって銃口を向ける。

 構え、狙い、あと必要なのはもう一つの動作。
 先程言われた通りに力まずに、少し軽く絞り込むような気持ちで引き金を引いていく。

 炸裂音。衝撃。当たった。
 結果に気持ちを一瞬浮かばせても気をすぐに引き締める。指に軽く力を込め、引き金を再び引く。再び引く、再び引く、再び、再び……。

 一発ずつ等間隔に、ある種のリズムを作りながら引き金を絞る。
 やがて三十発を撃ち終えると、予め用意していた弾倉へと交換。再度、目標へ撃ち放つ。
 それが終われば再度交換。再び目標へ。

「……どうした?」

 繰り返し繰り返し、撃ち続けては繰り返し。
 また新たに弾倉を付け替えようとしていると、隣から何やらの視線を向けられているのを感じた。
 さっきまでは俺と同じく銃――とはいってもあっちは拳銃、こっちはMなんちゃらというアサルトライフル――を撃っていたはずなのだが、今はその手を休めてじっとこっちを見詰めてきている。

「さっきからずっと撃ちっぱなしだからさ、たいした集中力だと思って」

 ……撃ちっぱなし?って、うおっ!?

 言われて気付いたのだが、俺の足元にはかなりの数の銃弾の残り屑みたいな、薬莢?が散らばっていた。
 意識はしてなかったけど、一体どれくらい撃ったのか……装填済みの弾倉も手に持ってるので最後のようだし。
 まぁ、あっちもあっちで結構撃ってはいた様子ではある。それでも、こっちの弾の方が明らかに多い。

 撃ちたいだけとは言ってたけど、もしかして、撃ち過ぎたか?

「いや、別にそれは良いんだよ」

 そうなのか。
 それには少し安心。でもその言葉は何だか含みのある言い方だ。

「というか、今度は逆に聞きたいんだけどさ。一夏は何でいきなり銃を撃ちたいだなんて?遊びでないのは分かったけど」
「ん?そういえば言ってなかったな」

 どうにも含みは疑問から現れた物。
 まぁ、でも疑問には納得。確かに昨日電話した時も理由を言い忘れてた気がする。
 向こうも向こうで何だか軽めの応答だったし、こっちには聞いてこなかったから。

「なぁ、シャルロットからは聞いてないか?俺のISが新しくなったって」
「新しく?……ああ、シルバリオ・ゴスペルみたいに何とかシフトを起こしたんだっけ?」

 ……何だよ、何とかシフトって。
 その答えの適当さ加減には何か呆れというか少し可笑しなように感じる。
 だけど、ISについて関わってるってわけじゃなきゃ、これが多分普通なんだよな。
 入学したての時の俺なんてもっと酷かった自信がある。

「セカンドシフトな。……そのお陰で白式に新しい武器が出来たんだけど、これが射撃武装の一面も持っててさ」

 そう。俺にとってはある意味念願で、ある意味困ったその武装。

「……なるほど、ね。それでその新しい武装に慣れる為に?」

 まぁ、早いところがそういう事だ。
 いくらISの補助機能があっても、向こうも回避面で補助されてるんだから、命中率の点でのメリットはない。
 だったら、ただでさえ素人の自分は個人としての技量を上げていかないと、まず相手には当てられない。そもそも当たらない。

「なら、実際にIS自体の武装を使って慣れた方が良いと思うよ」
「いや、それは……」

 それが出来たら、苦労もしてないというか。
 まぁ、場所の問題があったとはいえ、それだけが理由だってわけでもないからな。

「あ、そうか。基本的に外部での展開は禁止されてるんだっけ?」

 その通り。
 予め登録してある研究機関やイベントでの使用は許可されてるけど、その他は厳密には禁止。
 国や企業とかの兼ね合いとかもあるらしいが、個人での使用なんてのは以っての外ってものだ。

「なら、しょうがないね。まぁ、実際との差こそあっても、確かに一夏はまず撃つ感覚ってのにきちんと慣れた方が良いだろうしね」

 撃つ感覚、慣れる事。
 俺みたいな素人は、狙って撃って当てる、そんな基本的な感覚をまずは知るべきと思っての今回の訓練だ。

 実際には、授業でも射撃練習が一応あると言えばある。
 でもあれは、クラスメイトと交代交代でやるから一人辺りの時間がかなり限られてしまう。
 そうなると数がこなせないから、あまり撃った気がしない。たったあれだけで慣れただなんて、俺には間違っても言えなかった。

「でも、実際にそのISの武器を使うにしろ、こうして銃を撃つにしろ、ちゃんと意識してやらないと駄目だよ?」

 意識?
 目の前の自己を傭兵と騙る友人はこちらに視線を向けたまま、新たな弾倉を入れた拳銃を片手で目標に撃ち放っては、そう語る。
 続けて響く九発、空気が破裂したような発射音。

「例えば、どんな威力で、どの程度の弾速で、何回撃つ事が出来て、どれほどの発射間隔なのか……とかさ」

 弾倉を下へと落としながら、新たな弾倉を装填。
 上部のスライドを引いて弾倉から銃本体へと初弾を送り込む。
 そのまま今度は拳銃を両手で支持し、視線も目標へ。
 再度の九発。先程の片手撃ちでも目標に当たっていたが、やはり両手での方が弾痕は安定している。

 撃ち終わると、空となった弾倉を抜き取り、それを手の中で遊ばせながら再びこちらに向き直って口を開く。

「ただがむしゃらにやるだけじゃ、きっとあまり効果はない。ちゃんと意識して考えて慣れないと。オーケー?分かる?」
「だ、大丈夫だ。多分」

 つまりは集中するにしろ何にしろ、目的を忘れるなって事だろ?

「うん。それでその撃つって事に慣れたら、今度は実際の戦闘の中でどうするのかを考えよう」

 何だか諭されてるな、これ。何かそんな感じがする。
 本来は撃つ事が目的だったのだけれど、でもこれはこれでちょうど良い。
 なにせ銃器の扱いに関しては先輩なわけだし。日本語は変なところで曖昧でも。

「シャルが前に話してくれたんだけど、一夏はよくガス欠で負ける事が多いらしいね?」

 よいしょと、土嚢を積み上げて出来ている射撃台もどきに腰を掛けながら、そんな事を言われる。揶揄ではなく、ただの確認の意味合いが強い。
 というか、ガス欠言うな。シャルロットの奴も余計な事言いやがって。

「きちんと、どう燃費を抑えるかとかは考えてる?」
「もちろん、一応は考えて……」
「本当に?」

 俺も同じく射撃台に腰掛けながら、本当に一応答えてみると、今度は疑念に満ちた視線がこちらに突き刺さってきた。

 まぁ、俺の答えにも語弊があったとは言える。
 考えているというか、考えようとはしてる。
 ……ぶっちゃけ、どうにも大して思い付かないってのが実情だがな。

「あー……うん、そうだ、ね。……ISに関係ない僕が言うのもあれだけどさ、とりあえず、単なる力押しの一辺倒だと一夏はキツイと思うよ」

 そんなこっちの反応を見取ったのか、溜め息をつきながらに話された言葉。
 呆れた表情ながらも、その内容はこちらへのアドバイスだ。

「確かに、そういう後先考えない思い切りの良さは一夏の長所だと思うし、力押しの一辺倒というのは最も簡単で有効的な手段だとは思う」

 何だか馬鹿にされてる気もするが、否定は出来ない。

「でもそれは、あくまで初見かつ圧倒的なアドバンテージが前提の物で、慣れられたら性能的なアドバンテージがあったとしても、対策されて対応されてどんどん厳しくなってくよ」

 やっぱりのアドバイス、むしろ忠告。
 それに思うのは、新たな機体に変化を遂げた白式の事。
 セカンドシフトによる性能向上に、一撃必殺の零落白夜とイグニッションブースト、新しく出来た射撃武装にシールド、これに初見であるというのを加えれば圧倒的なアドバンテージがあると一応言えると思う。
 ……でも。

「思い当たる節はない?」

 そう、でも。それは、確かに感じている。
 シャルロットや鈴にはもちろんの事で、ラウラになんかには特に。
 遠距離でぼかすか撃ってくるくせに、俺が仕掛けて来るのを常に待ち構えてるからな、ラウラは。しかも、もちろんのAIC付きで。
 セカンドシフト後、全体的には何回かの勝ち星を上げる事が出来ていたけれど、すぐにまた戦績は押され始めていた。

 つまり、初見という要素が消えただけで、セカンドシフト機体という明確な優位性はただの特徴へと成り下がってしまった。

「だったら、やっぱり考えなくちゃ。射撃をどうこうするだけじゃなくて、射撃を含めた自分の持ってる物をどう活かしてくのかを」

 活かす、か。
 どうにも、戦闘の組み立てみたいなのは苦手だ。
 零落白夜を当てれば勝てるってのが分かっているからこそ、どうしてもいざという時には零落白夜に頼り過ぎる。

「……例えば、左の荷電粒子砲だっけ?それもただ撃つんじゃなくて使い所を考えるんだ」

 腕を組んで少し考えるような動作。
 そうしてしばらくすると、指を二本立て、コイツなりのその使い方戦い方を説明というかアイディアの提示がされていく。

「牽制として使って相手に意識させてブラフに使ったり、逆にあまり使わずに温存してここぞって時に使ってみたり」

 それは武器の使い方というよりは相手との駆け引きだった。
 どう意識させて印象付けて、どんな動きを行動を誘導して誘発させるのか、つまりはそんな感じ。

「零落白夜だって、常に展開させてたらエネルギーが勿体ないから刃が当たる一瞬だけに展開させたりね」

 その話は射撃武器としての雪羅だけでなく、提示はシールド、クロー、そして零落白夜など他の物にも及び、考えては語り考えては語り、思い浮かぶだけの提案提示が為されていく。

 あげられていくアイディアの中で、特に気になるのは零落白夜についてだ。
 当たる一瞬だけに……確かに、そうかもなと思える。
 起動し維持するだけでも零落白夜はエネルギーを馬鹿食いするのは、普段より分かっていたから。
 だから一応、言われた内容には納得は出来る。

 でも、そんな納得する一方で何故か何となく釈然としなかった。
 その提示されたアイディアが頭の何かに引っ掛かっている。
 それは何となく、本当に何となくだけど、どこかで聞いた覚えがあるような……。

『いいか、一夏?常に力を入れて力むんじゃなくてだな。こう一瞬、当たるだろう瞬間にだけぬっと、むむっと力を入れて……って、おい、聞いているのか、一夏?』

 ……記憶、思い出。ああ、そうかと思い出した。

 脳裏に浮かんで来たのは、今は少し懐かしく感じるけど、入学してばかりの頃にやった箒との特訓での時の事。
 久しぶりに会った箒が、俺を鍛え直す!とか何とか言って、意気込んでた時の事。

 なるほど。箒の言っていた事も満更ではないというか、剣だけに限っての事じゃないらしい。
 箒自身がそれを意識して言ってたのどうかは俺にとって預かり知らぬ事なんだけれど。

 まぁそれでも、使う時にだけ必要な時にだけ一瞬の力を込める。
 箒の説明を意訳するとそうなるわけで、正しく俺の状態と一緒だった。
 ただ常に全力で注ぎ込めば息切れする。
 でも使い所をきちんと見極めて力を入れれば、同じ結果を出す中でも大きく疲労感は変わってくる。
 俺と箒の素振りの差のように。

 白式での戦いも似ている感じがする。それも零落白夜だけの事ではなくて全体で。
 ただの力押しを続ければ、ガス欠を起こす。
 だから、イグニッションブーストも雪羅も零落白夜も全部、ただ使うんじゃなくて使い所をきちんと見極めて使う。
 いや、誘い、迎え、隙を作って、使い所を作り出して使う。

 そうすればきっと、今よりももっと楽に、もっと確実に戦える、そのはずだから。

「後は解放時に刀身の長さに差が出るならそれを利用して……ってどうしたの?何だか急にやる気満々な感じだけど」

 説明途中ながら、こっちを見ては目を白黒させるその様子。
 いや、説明をぶった切って悪いな。
 まぁ、でも何と言うかな。

「何となくだけど理解が出来たんだよ。つまりはアレだろ?一瞬だけぬっと、むむっと力を入れるんだろ?」
「へ?」

 言葉で説明してみると、さっきまでの真剣な状態はどこへやら、口をぽかんと丸く開けて間抜けな声が聞こえて来た。
 どうにも上手く伝わってない感じだ。その顔には混乱する様子がありありと見て取れる。

「だから、ぬっと、むむっとだな」

 なので引き続き、箒流コミュニケーション術で意思疎通を試みる。
 言語表現に加え、独特のジェスチャーをプラスした箒オリジナル復刻版だ。

「いや、待った。僕も結構感覚でやるタイプだとは思うけど……無理。それは流石に分からない」

 でも、やはり伝わらない。むしろ視線が痛い、いや視線が妙に生暖かくて心が痛い。
 普通に痛い人間のように見られてる気がする。
 元々は箒が言い出したんだぞと主張もしたいが、それだと今度は箒が痛い人間に。
 それはそれで、なんだかなぁ……。

「えと、つまりだな」

 てなわけで、大人しく一から事情を話す事に。
 最初こそ疑念と呆れた表情を浮かべていたが、箒との剣術の話辺りから様子が変わり出した。
 そうして最終的に話が終わるぐらいでは、しきりに頷いて見せてくるまでに。

「へぇ、そんな事を箒さんが……」

 痛い視線はもう存在しない。
 今度は妙な事にそれとは真逆の視線のようだ。

「いや、確かにその通りかも、何か凄く関心した。さすが箒さん、さすが、サムライ……」

 何だか少し目を輝かせるその様子。
 やっぱり、サムライは滅んでなかったんだ!……って、おい、その反応はいくらなんでもステレオタイプ過ぎるだろ。
 というか、お前の箒に対するイメージはそれで良いのか?

「……なんつーかさ、改めてまた言うけど、やっぱりお前の日本観は日本人じゃないんだな」
「まぁ、日本人じゃない日本人だからね」

 答えながらも何故か胸を張るような仕種。
 そこは踏ん反り返ってまで自慢するところじゃないと思うが。

 それにしても、素でやってるのか狙ってやってるのか、すごい分かりかねる。
 わざとだったら大したもんだとは思うけど。

「ん……いや、それはとりあえず置いといてさ。それでもシャルとかセシリアさん、ラウラさんとかに追い付くのは楽じゃないと思う」

 ん?おお?
 そうやっておどけていた表情が一変、いきなり真面目で真剣なものへと変わる。

「何たって年季と経験が違う。シャル達は年単位でISに関わって来てるからね。単純な操縦技術、基礎技術で追い付こうってのはかなり難しいよ」

 語られるのは、俺とアイツらとの間に存在する差について。
 鳴り物入りのたった四ヶ月の経験しかない俺と、言わばエリートであって代表候補として鍛えられてきたアイツら。
 機体の違いこそあっても、その機体の性能差の前に操縦者としての大きな技量の差が存在していて、その差は非常に大きい。

「でも、やるんだね?」

 だけど――まさに、そう、確かに、その通りって物だ。

「その言葉、逆に考えれば難しいだけで不可能じゃないんだろ?」

 今の俺達の間に、そんな差があるだなんて事は、百も千も万にも承知。

「だったらやるさ、やって見せるさ。実力の差は埋める。必ず埋めて、まずはアイツらに追い付くさ」

 今の自分に驕りはないし、心には油断も隙も、多分ない。
 そして――やって出来ない事もない。
 自身への驕りでも過信でもなく、前に進もうというそんな気概だけが心に存在している。

「まず?」

 何やら疑問に思われた様子ではあるが、そういえば今の所、これを言ったのはあの時のラウラに対してぐらいだった気がする。
 でも、それはまぁ良い。

 本人の前では中々言い辛いとは思うけれど、別に隠す事でも隠したい事でもないから。
 だから、ここに宣言しようと思う。
 自身への戒めというよりは自らへの決意を新たにする意味も込めて。

「ああ……何たって俺の目標は千冬姉なんだからな!」

 確かにまだまだ及ばず遠い場所に思えるかもしれない。それでもそこが俺の目指す、必ず至ろうと思える場所だから。







「てか、今日はハンガーを案内出来ないで申し訳ないね?」

 午後六時過ぎ。
 大分、人も疎らなキサラギ社の食堂で、今、俺達は早めの夕食を摂っている。

「いや、良いって。一応、機密とかなんだろ?」
「まぁ、そういう事。あと今日は皆用事でいないんだよ」

 料理に手を伸ばしながら話すその内容は、訓練を切り上げた後の施設案内についてと少し期待していた実現しなかった事について。
 本当だったら紹介したい人達がいたらしいのだが、どうにも今日はその全員が出払っているらしい。
 改めて見たいと思っていたアーマード・コアと呼ばれるロボットも、今日の用事がそれ関連の為にここには今はないとの事。

 そんでちなみに、シャルロットの奴はラウラと遊びに行っているそうだ。

「……そういえば、俺の目標はあの時言ったけど、そっちにも目標とか夢みたいな物ってあるのか?」

 何というか、勝手に言い出した俺が悪いとはいえ、交換でじゃないけど聞いてみたくなった。
 あんなロボットに乗ってて、仕事に関しては一応ストイックっぽい感じではあるし。
 それなら何かあるんじゃないんだろうかと。

「ん……夢?」

 いきなりの質問だったせいか、スプーンを片手に疑問が呟き返される。
 そのスプーンの戦場、目の前に広がるのはチャーハンやらオムライスからなる確実に一人前以上の料理群。
 しかもそれは俺のを含まない一人分、目の前のコイツだけの分。
 前に飯食いに行った時は、見た目通りに少し食が細いぐらいだったと思ったんだけど……今は明らかに俺より食ってる。

「そうだなぁ。夢って言われてもピンと来ないけど、当面の目標は今の依頼を完遂してみせる事かな」
「依頼?」

 運びかけたスプーンを皿に戻しながらの答えに、今度は俺が逆に問い返す。

「そう、依頼。ISを倒してみせるってのと、後は詳しくは言えないんだけど今関わってるプロジェクトを終える事だね」

 打倒IS。
 男でも乗れるあのアーマード・コアでそれをするってのは、今の世の中では大きな事だとは思う。
 でも、だ。それがでかい夢なのかどうかは別として、ISに乗ってる人間を目の前にして直接そういう事を言うか、普通?
 まぁ、敵意とか悪意とかが全然感じられないから良いけど。

「でも、それが終わったらどうするんだ?」

 その言い方だと依頼とか仕事だから、ここにいる事になる。
 つまりはそれを終えたら、ここにいる保証がないって事だ。
 もしかしたら、故郷に帰るのかとも思ったけれど、コイツの家族……とかはどうなんだろうな。
 そういう話題を向こうが話して来ないというのもあって、あんまり踏み込んでは行けてない。

「うーん、終わったらか……」

 ふと聞いてみると、悩むような考え込むような表情に変わった。
 どうにも将来についてはあまり考えてなかったらしい。
 かく言う俺も目標は掲げていても、あまりというかまったくそういったビジョンは浮かんで来ない。

「さぁ、どうだろう?契約が終わったら、北アフリカにまた行こうとは少し思ってたりしてはいるけど」

 悩んだ末なのか、とりあえずの事なのか、返って来たのは意外な単語。

 北アフリカ。
 確かモロッコとかアルジェリアとかがある地域だと思ったけど、今は北アフリカ共同体になったんだったか。
 いやでも、何でまたそんな大層な所に?

「恩人がいるんだよ。当時は捻くれてて何とも思ってなかったけど、恩人がね」

 はぁ?捻くれてたねぇ、コイツが?
 そんな事を言われても、とてもそうは見えない。
 単なる自称傭兵で、世間知らずで、日本被れの日本人(仮)である友人なわけだし。

「アマジーグさんって言うんだけどさ。今考えれば、どうしてただの生意気な子供にああまで世話を焼いてくれてたのかって不思議に思うよ」

 こっちのズレた考えを他所に話は続く。
 何かを思い返しては、少し懐かしそうな表情を浮かべ何度も頷きながらの言葉。

「恩人……。というかだ、日本を出るつもりなのか?」

 話の流れと内容的にはそういう感じだ。
 少なくとも、ここに残るなんて意味は聞き取れなかった。

「さて、ね?行くつもりではあっても実際に行くかどうかはまだ分からないよ。やっぱりその時になって見ないとね」

 飄々と受け流したつもりであっても、やはり否定はしていない。
 きっと日本を出る事が選択肢の一つには入っているのだろう。
 それでも、何でもなかったかのように再びスプーンを進めておいしいとか呟いているその様子。
 話について嫌がったのかとも一瞬思ったけれど、そういえばこんな奴だったなと思い直す。

 まぁでも、コイツの言葉に一応の納得は出来る。
 先の事なんてまだ分からない。
 目標を達成出来るのかすら分からないのだから尚更。

 ……未定未知。
 そういう意味では明日の朝飯をどうするかとか、晩飯の献立はとかってのと大して変わらない。
 飯と一緒にするのはアレだとは思うし、考えておかなくちゃいけない問題だとも思うけど、差し迫った状況でもないから、今は本当に。

「……って、ん?」

 そんな考え事をしていたその時、食事を再開していたコイツの背後にどうにも場違いな物体が見えた。
 さり気なくただの関係者の振りをするように、座席に着いている金髪。
 こっちの会話が気になっているみたいで何だかそわそわとこっちを振り向いたりしているが、俺に見られている事に気付くと急に振り向くのを止め硬直する。
 それで関係のない振りをしてるんだろうけれど、おい、隠せてないぞ、という意思を込めて、じっと改めて見遣ると一瞬振り向いたその瞳と視線が合わさっていく。

「あ、あはははは……」

 すると、罰が悪そうな笑顔を浮かべ座席から立ち上がったその存在。
 その身に纏うワンピースが、この社内食堂という場所ではどうにもやっぱり浮いている。

「あれ、シャル?お帰り」

 うまうまと食事を再開していたコイツが、そんなシャルロットの声に振り返ってはいるのだが。

「う、うん……ただいま!一夏はいらっしゃい」

 傍目から見ても、シャルロットの反応は何だかいつもより鈍いような気がする。

「おう、お邪魔してる」

 それでも、こっちに振って来た挨拶には挨拶で返していく。

「ラウラさんとのお出かけはどうだった?」
「うん、楽しかったよ!……ちょっとしたハプニングも色々あったけど」
「そっか。そりゃ良かった」
「ホント、まったく良かったよ。何て言っても今日はね……」

 そうして俺を置いてけぼりにするようにして始まったのが、ラウラと出掛けたという今日についての会話。
 さっきの違和感が勘違いだったかのように、今はいつも通りの二人といった感じだ。
 陰り?も真剣な様子もどこへやら、何だか楽しげな様子で歓談が続く。

「あ、そうだ。……一夏、少しお願いがあるんだけど良いかな?」

 すると、そんな二人の会話からはみ出して、シャルロットがこっちに話し掛けてきた。
 話というよりは頼み事か。浮かぶ表情は明るい物なだけに深刻ではなさそうな頼み事。

「今度、動物園に行こうと思ってるんだけど、一夏も一緒に来ない?」
「へ?俺も?」

 その頼み事とは意外も意外。
 何故かホントにどうしてそれは、俺を誘うその言葉。
 まぁ、何で動物園に?というのが先に疑問に来るんだけど。

「うん。実はラウラって動物園とかに行ったことがないんだって。だから、私も日本の動物園とか地理とかには詳しくないからさ、出来たら案内とかしてもらえないかって」

 あー、なるほど。
 ラウラの為にってのがあるのか。ラウラもラウラでこういった事には無縁だったらしいからな。
 夏休みというのは確かに良い機会なのかもしれない。

「あ、もしかして?」

 ……いやでも、無縁そうなのはこの場にもう一人存在していた。

「うん。僕も行くけど動物園とか初めてになるね」

 視線を送ると、返ってくるのはそんな言葉。
 パンダがどうこう言ってるが、その意図についてはよく分からない。

 いや、それに関しては、ひとまず置いといて、だ。

 正直、案内を……とか言われても困る。
 一応、千冬姉に連れて行ってもらった事こそあるけど、かなり昔の事だぞ?
 経験と言えば経験に入るんだろうが、そんな子供の頃の事を経験とは言えない。というか、詳細についてなんか覚えてすらないし。

 ……でも、コイツもラウラもシャルロットも日本に詳しいってわけじゃないんだよな。

 しかもよくよく考えてみれば、学園を卒業したら俺達はそれぞれの場所に帰らなきゃいけないのだと思う。
 こうして話したりしていられるのも、今年を合わせてあと二年と半年ぐらい。何せセシリアや鈴やラウラなんかは国の代表候補で、だからこそ、それは日本にいられる期限とも等しくて。
 入学して今までがあっという間に過ぎた事を考えると、その時間は長いようでとても短い物だ。

 その短い時間で何をするのか、何が出来るのか。そんなのは全く分からないし想像も付かない。

 だけど、日本にいる間ぐらいは日本を楽しんでいってもらいたいと、そう思う。
 日本=動物園ってわけじゃ決してないんだけど。

「……分かった、いいぜ。俺も行く」

 だったら、その楽しんでもらうための案内役ってのも悪くはない。
 むしろ、夏だけじゃなくて日本には四季折々のイベントがあるんだから、これからはそういった物を紹介していくのも良いのかもしれない。

「ありがとう、一夏」

 まぁ、こんな風に感謝されるのも悪くはないしな。

 それにしても、今後の予定となるとどうするか。
 確か、箒も鈴も居残り組でセシリアももう帰って来てるはずだ。そんでラウラは今日、シャルロットと一緒に遊びに行ってて……。

「それじゃあ、あともう一つお願いがあるんだけど、良いかな?」

 皆いるんだし、どっかにもっと案内出来ないかなと、今後の予定とりあえず今月の予定を立てようかと考えていると、シャルロットから追加のオーダーが掛かった。

「あー、分かった。それも了承するよ」

 まぁ、何だか今度はにこにこしてるし同じような事なのだろう。
 ついでだし、答えは待たず了承了解、依頼を請け負う。
 請け負うと言うと何か探偵とか傭兵っぽく聞こえる。けれど、今もそこで美味そうに食ってる自称傭兵の仲間入りをしたわけじゃない。

 そして、そんな軽い気持ちで答えてみると、シャルロットは笑みを深めて俺にこう言った。

「それじゃあ一夏、今晩ラウラの事を動物園に誘ってくれる?」







 昼間と同じように車で送ってもらい、うぃーす、おーすと別れを告げて自宅へ至る。

 思っていたよりも帰りが遅くなってしまったので、急いで洗濯物を取り込み、少し湿ってしまったそれらを帰ってきて真っ先に部屋干し。
 それが終わり、夕飯は向こうで摂ったわけだしと何をしようか考えていると、携帯でなく家の電話に留守電が入っていた事に気付いた。一体誰だろうとすぐに確認。

 まぁ、家に留守電なんてのを律義に入れてくるのは一人ぐらいしかいない。というか知らない。

『……一夏、すまんが今日明日と帰れそうにない』

 再生ボタンを押して聞こえてくるのは、そんな感じの千冬姉の声。
 千冬姉も向こうに部屋こそ持っているものの、夏休み中はこっちから学校に通勤するとの事だったのだけれど。

「千冬姉も忙しいからな」

 ホント、千冬姉は未だに忙しそうで、まだこちらには二度程帰って来たっきりだ。
 前に山田先生から聞いてみた所、よく分からない上に何とも仰々しい肩書きが幾つも出て来ていたから、しょうがないと言えばしょうがない事なんだろうなとは思う。

 でも、世間は夏休みだっていうのに大変みたいだ。
 もしかしたら、ろくに休めてないんじゃないだろうか?体調管理はきちんとしているはずとは言っても。

 うーむ。あのずぼらな千冬姉だから何だか心配だ。大丈夫だとは思うけど。
 ……今度、帰って来たら、何て言うか、日頃の感謝の意味も込めて精の付く料理にマッサージにと色々労ってあげよう。てか、そうしよう。

「と、そうだ。電話、電話っと」

 すっかり洗濯物と千冬姉とに集中してしまっていたが、今日の俺にはまだやるべき事が残ってた。
 シャルロットと約束したラウラへの電話だ。
 もうとっくに夜になってはいるけど、伝えるなら遅くなる前の方が良いだろう。

 家の電話だと面倒なので携帯からダイヤル。
 電話帳からラウラの番号を引っ張り出し、早速掛けていく。

 聞こえてくる電子音。次いで向こうときちんと繋がった事で鳴る、呼び出し音。
 二三度それが響くと、ラウラが呼び出しに気付いたようで通話状態に。

「もしもし、おす。ラウ――」
『い、いいい、一夏かっ!?いき、いきなり、電話なんか寄越して、一体何が!?』

 だけど、そんなラウラの状態は何か異様に色々とカオスだった。
 いつもの冷静さやクールな感じがどこかにすっ飛んで、とにかく慌てふためている。
 いや、一体、なんだこれ?

「……まぁ、ラウラ、とりあえず落ち着こう?な?」

 驚愕と唖然が先行逃げ切りでフライング気味に飛び出してはいるが、とにかくまずは荒ぶるラウラを鎮めなくてはいけない。
 説得、交渉?、さしづめ俺は期間限定のネゴシエーターか。

 ラウラを刺激しないように声を掛け、その気分を下方へと誘導する。
 やがて、ラウラはこちらの説得に応じ、何かをぶつぶつと呟きながらも深呼吸を始めた。

『……うむ。いや取り乱してすまなかったな。こっちもこっちで色々と取り込み中だったんだ』

 そして、戻って来たのはいつものラウラの姿というか声だった。

「取り込み中?何かの用事か?忙しいならまたかけ直すけど」

 何より突然だったしな。
 ラウラも一応部隊の隊長だと言うし、忙しい中で電話をしてしまったのならそれはすまなかった。
 多忙故の苛つき?なのかは分からないけれど、だったらさっきのもしょうがない。

『いや、いい!大丈夫だ!……用事ならもう今、そう、ついさっき終わったところだ』

 さっき?
 ああ、なるほど。深呼吸とかしながらも作業してたって事か。
 それでも忙しいんだろうな、管理職って。千冬姉もそうみたいだし。

『そういえば、今日は一体どんな用件なんだ?いきなり電話なんぞ掛けてくる物だから驚いてしまったぞ?』

 やっぱり、このタイミングはまずかったんだろうか?

「……もしかして、迷惑だったか?」
『と、とんでもない!いつでも掛けて来てくれて構わん!ただ、さっきは心の準備という物がな……』

 改めて尋ねてみると、何だか最初に戻りそうな慌てた様子。
 というか、いくらなんでも、いつでも構わないってのは大袈裟だろ。

「心の準備?……まぁ、いや、それなら。今日も遅くならない内に本題に入るぞ?」

 時間が経つのなんてあっという間だからな。遅くなり過ぎても、それこそラウラへの迷惑になる。

『……本題?』

 そう。本題、主題、本目的、どれに言い直しても良い。
 今日はこれを伝える為に電話を掛けさせてもらったのだから。

「なぁ、ラウラ。今度一緒に動物園に行かないか?」
『――――』

 そうして、ようやく誘ってはみたものの……ラウラの反応がない。いや、消えた。

「シャルロット達も一緒なんだが……って、おーい、聞いてるかー?」
『――――』

 声を掛けども、変わらず反応なし。
 今日の目的を告げた後、不意に息を飲むような声が聞こえたと思ったら、ホントいきなり消息が絶たれた。
 受話器の向こう側にいるのは確かなんだが、うむ、何か微かな呼吸の音さえ聞こえない気がするのは問題がない事なんだろうか。

「……ラウラ?」
『……はっ!き、きいている。ちゃんと聞いているぞ。ま、ま、まさかそれは……!』

 お、ようやく復帰か。

 再度名前を読んでみると、停まっていた分の時が一気に動きだしたかのように、いかにも唐突な感じで何やら派手で大袈裟な反応を見せてくるラウラ。

 しかし、今日のラウラは全体的に挙動不審な気がする。
 始めはカオス、さっきは慌てて、これまたさっきは黙り込んで、今はまた慌て出して……。
 やっぱり何かあるんじゃないのか?

「えーと、ラウラ。それで、行けるのか?用事とかあったりは」

 仕事を邪魔しちゃってるなら、無理はしないで欲しいもんだけど。
 シャルロットとの約束を破る事になっても、また明日の暇な時にでも電話は出来るんだし。

『いや、大丈夫だ、大丈夫だとも。用事などない。あったとしても亡くして見せる!』

 ……用事がないのはそりゃ良かったけど、なくして見せるってどうなんだ。
 隊長であるラウラの権限ならそれも不可能じゃない、のか?

 それはともかく。

「まぁ、それならよかった。詳細は後で連絡するからな」
『うむ、わかった。私もその日を楽しみにしている!』

 でもラウラは喜んでくれているみたいだから、そんなのはとりあえずどうでも良い事だ。
 ただ、こんな事だけでこれだけ喜んでもらえるなら。

「それなら、俺も誘った甲斐があるってもんだ」

 自分のした事を誰かに喜んでもらえる。
 これって結構嬉しいし、中々に幸せな事だと思う。

『さ、誘った。……やはり、これはつまり!?』

 でも、やっぱりラウラの挙動不審な様子は気掛かりではある。
 理由が嬉しさ余ってとかなら可愛いもんだけど。

「ラウラ、今日はとりあえずそれだけだ。それじゃ、またな」

 仕事があったみたいだし、これ以上引き留めてもまずい。それに時間も時間なので今日はこれぐらいにしておこう。
 
『あ、ああ。また今度!』

 そうして返ってくるのは、ラウラの意気込んだ返事。
 元気があってよろしい。だけど、仕事にも何事にも程々にな。

 そんな事を言えずか否か、楽しげだったラウラの声を最後に通話が切れていく。
 聞こえる電子音、役目を果たした携帯。

 それを片手にソファーに身体を投げ出していく。

 何やらラウラも愉快な感じになったもんだ。初めての動物園にあれだけ喜んで。

 まず思うのは、堅いながら本当に愉快な性格になった、目標を共にする同志について。
 面白い奴だと考えながらも、仰向けに横たえた身体、右腕を頭上の電灯に掲げるように上げる。
 次いで考えるのは銃の感触。かなりの数をずっと撃っていた影響か、少し筋肉痛になっていた右腕もISの恩恵によってか今はその痛みが消えている。

 何とも相変わらず反則的な便利さだなと、そんな感想と共に今日の事を振り返る。

 射撃練習と交わした会話。
 今日、本来の目的は射撃の練習だったつもりだったのだけれど、何だかそれ以外のプラスアルファの事の方が強く印象に残っている。

 それは聞いた話、得た情報、思い出した物。
 戦闘におけるアドバイスとアイツの夢。
 シャルロットからのお願いとついさっき掛けたラウラへの電話。
 まだろくに考えちゃいない学園卒業後の事。
 そして何より忘れてはいけない、箒の言葉。

 大切という意味では多方に渡り様々な物ばかりだけれど、全部が全部、重要な事には変わりない。
 その中でも俺がどうこう出来る事は意外と少なく、共通するのは考える事ぐらいか。

「さて、でも、まずはそうだな……」

 直近という意味では、アイツらへの案内ツアーの計画なんてのが良いかもしれない。

 戦い方なんてのはぶっちゃけ俺一人じゃ手に余るし、願い事はやり終えて、箒の事は……箒、箒か。

 そういえば、篠ノ之神社での祭りがそろそろのはずだ。
 祭り、花火、後は何と言ったか踊りじゃなくて舞い?

 最近は行ってなかった物だし、昔は箒が舞いをやってた気がする。
 いかにも日本って感じだし、何だかアイツらが喜びそうな要素が詰まってるな、これ。

 だったら、案内の一環として皆を誘ってみるか。動物園の後になるけど。
 でも、あれだ。箒は多分、俺達が来るだなんて思っていないから、これはもうサプライズとしてやるしかない。

 そうと決まれば、町内誌に色々あった気がするし、早速、調べてみるとしよう。

 夜は夜、探して調べて色々決めようとすると遅くなりそうではあるけれど、今は夏休み、夜更かし寝坊は何のその。
 そんなのは学生の恒例行事。体調を崩さない程度なら、少しぐらい許されるってもんだろう。

 そんなこんなの夏休み、訓練と友人と計画と。

 こうして俺、織斑一夏の夜は、平常通りとは少し外れながらも、何だかかんだか過ぎていく。



[28662] Chapter3-5
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2011/11/28 08:26
 ――速い。

 それが、この相手の第一印象だった。

 公開されている映像データ――対ブルーティアーズ戦及び対シュヴァルツェアレーゲン戦のもの――から想定していた機動性を確実に越えているだろう。
 とは言っても、日頃からあたしが相手にしているIS程では流石にない、はず。

 だけど、俊敏且つ機敏、思わず目を見張る程の軽快な動きに加えて素早い反応と対応。互いの速度差を利用して死角を狙おうとすれば、返ってくるのはこちらの動きを阻止するように熱量弾がすかさず迎えてくれる。
 それを為すのは敵機。本来の相手だったあのレイヴンの駆る黒い機体よりも、全体的に細身のシルエットを持つ白い機体。
 彼女の示す対応の一つ一つ、その動きや動作にはフェイクが仕込まれ、明らかにこちらの捕捉を欺こうとしている。
 いくらISにハイパーセンサーが備わっているとは言え、相手の動きが止まり、こちらが加速するわけじゃない。確かにこれは強力な機能ではあるけれど、それは相手の動きが見える、ただそれだけのものだ。

 そしてそれらを総じた結果として現れるのが、着弾の衝撃によって舞い上がる土煙と表面を削られたグラウンド。

 つまり、未だに相手は健在。

「……っ!またっ!?」

 そう、また外された。
 撃ち放つ衝撃砲が敵機ではなく大地だけを穿っていく。
 一度ならず、何度も何度も……。

 何故?理由は分からない。
 読まれている?砲身も砲弾も相手には見えていないというのに?
 誘導されている?この行動の全てを?

 ……駄目だ。とにかく落ち着かないと。
 今の状況、思った通りに行かないこの戦況に対して、少し疑心暗鬼になっている。

 機体のスペックはこちらが上。それは把握済み。頭には既に叩き込んである。
 単純な装甲ではあっちが上なのかもしれないけれど、機動性、総火力なんかは確実にこちらが上だ。

 つまるところ、負けるはずがない。

 湧き上がる思いは自身の技量への自信から、相棒である『甲龍』への信頼から。
 別に相手を過小評価しているわけでも、自らへの過信というわけでもない。
 一般的に客観的に、誰が見てもこう判断するはずだ。

 なのに。

「いい加減に!!」

 相手を追いながら、再び放つ衝撃砲。

 やはり再びそれが回避される。
 動きの強弱。ストップ&ゴー。時に止まり時には加速し、こちらの狙いが翻弄される。

 読まれている。攻撃を誘われている。そうとしか考えられない。
 確実なタイミングで仕掛けているというのに、寸でのところでのステップ、またはブースターを用いた急激な軌道変更によって躱され続けていく。

 それは、もう軽やかに。
 それは、まるでこちらを嘲笑うかのように。

「……っ、そんなもの、当たら、ないわよっ!」

 撃って撃って避けられて、逆に撃たれる。相手からの反撃。
 退がり避け続けながらもこちらを狙う銃口、そこから放たれる高エネルギー性の熱量体を、今度はこちらが避けていく。
 でも、相手が見えているようにあたしにもその攻撃は見えている。狙いが見えている。

 一つ、二つ、三つ。
 こちらの回避機動をも考慮して放たれただろう、三連射。

 正確に狙いの一撃目を飛行軌道の微修正によって回避。
 一撃目より目標を少しずらされ飛来する二撃目、三撃目にはバレルロールのように機体を回転させ、その予測軌道の間をタイミング良く通り抜ける事で対処。出来るだけ速度を落とさないように避けていく。

 しかし、こちらが回避に意識を割いている間にも、敵は我関せずとひたすらの後退を続け、ただただ距離を離そうとする。

「こ、の……!」

 だけど、逃がすまい。意識はさしずめ猟犬のように。
 追撃の意志と共に相手を追い、機体を更に加速させていく。


 逃げて逃げて逃げ続ける敵。
 その狙いはおそらくこちらの攻撃力の減衰。すなわち、衝撃砲の無力化。

 件の武装。甲龍の持つ唯一の射撃武装である衝撃砲『龍咆』は、機体を制御するイナーシャルキャンセラー技術を用いて為される空間圧作用、それを利用した特殊兵装だ。

 そもそも衝撃砲から放たれるのは銃弾でもエネルギー兵器でもない。
 甲龍の砲台たる非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)によって造り出される高圧空間と大気圧との圧力差を利用する事で当該空間内の空気に指向性を与え、そこで高密度に圧縮された空気を砲弾として高速で撃ち出している。

 その武装としての特徴は、まず機体制御用のPICを応用し、また砲弾を撃ち出すのに圧力差を使っている為、砲撃時のエネルギー負荷がかなりの低レベルである事。
 次に空気を砲弾としている為に消費資源もなく弾薬消費もなく、しかも圧力差によって次弾となる空気が即座に取り込まれる為、連射も効くという事。

 これらが衝撃砲の大まかな特徴であり、メリットとなっている。
 しかし、メリットに対して、デメリットも確かに存在していた。

 それは通常兵器に比べると射程があまり長くないという事。

 いくら高密度とは言っても分子間、個々の結び付きは銃弾などの金属体よりは遥かに低く脆く。指向性こそ与えられてはいても荷電粒子砲のように高いエネルギーを与えられているわけではない。

 つまりは、直進性に乏しくその進行距離に反比例して霧散し、威力の減衰が起きやすい。

 その為、近距離格闘型に分類され、距離減衰のほとんど起こらない近距離戦闘が想定されるこの甲龍には、衝撃砲が主武装として選択されている。

 では、そんなあたしの甲龍を相手にする場合、敵はどのように戦うのか。
 それはある意味、戦闘の基本中の基本として当然の帰結を見せる。

 ――射程外(アウトレンジ)からの一方的な攻撃だ。

 この今日の相手においても、射程の長くない衝撃砲に対して、アウトレンジからのエネルギーライフルによる射撃狙撃が行われている。
 しかも、このエネルギーライフルはシールドバリアでは中々防ぎ切れないレベルの出力であり、当たれば確実にこちらを削り取ってくる厄介なもの。
 いわゆるローリスク・ハイリターンとでも言うのだろうか。

 だけどこれもまた当然の事ながら、相手が距離を離し射程外から遠距離で狙うのであれば、こちらは接近して機体の本領である近距離戦闘を狙っていく。
 普通なら、これは言う程簡単な事じゃない。
 でも単純な速力に勝るISでなら、それ程難しい事でもない。……本来であれば。


 退がりながら放たれる光弾を避けながらも、敵との距離を段々と縮めていく。
 接近距離ならば、小回りが効いて且つ機動性に優れるこちらが断然有利。

 そう考えながら敵へと追い付こうとするのだけれど、何かと妨害されているのが今の状況。
 それに加えて、敵にはまだ未知の武装が存在している。

 敵の右背部の箱状ユニットも気になるけれど、それより意識がまず向いていくのは左背部に折り畳まれている今まで使う素振りのない砲とおぼしきもの。
 見る限りでは、その砲身はあまり長い物じゃなくて、敵が右腕に持つエネルギーライフルより少し長いぐらい。
 構造からの推測だと、ラウラに撃ち放っていたグレネード砲でもなさそうだ。それほどの長砲身じゃない。

 まぁ、どちらにせよ、取り回しに優れないように見えるエネルギーライフルとその武装。
 懐に入ってしまえばと引き続き衝撃砲を放ちながらの接近を試みる。

 ほとんど狙いを付けていない砲撃、衝撃砲による牽制。それに対しても相手は変わらず異様な回避運動を大いに見せてくれる。
 しかし、ここで不思議なのは、こちらにその肩の砲を撃ち放とうという気配や姿勢が何故か全く見られない事。

 距離?タイミング?一体、何を待っているのか。それともただの示威的な脅しに過ぎないはったりなのか。
 何れにしろ油断は禁物。その左背部の砲身に注意を割きつつ距離を詰めていく。

 前へ。
 この身を襲う光を見極め、前進。
 徐々に確実に大きくなってくる目標に対して、両手で握る双刃の青龍刀型実体ブレード『双天牙月』をより強く、改めて確かに握り直す。

 接近戦の意気込み気合準備。そんな事を内心していたその時、こちらに降り懸かっていた射撃が突如中断された。
 見れば、敵はライフルのカートリッジを投棄、その換装を開始しているのだけれど、不具合でも生じているのかどうにも手間取っている。

 ――チャンス!

 脳裏に浮かぶそんな文字、これは完全な隙だ。
 こちらの動きを、甲龍の前進を妨害阻害していた邪魔な迎撃が消えている。
 せっかく空いたこの時を、見逃すわけにはいかない。

 イメージ・インターフェイスを通して、機体が進むイメージを甲龍へと伝えていく。
 加速を最大に。速度を最大に。

 思い浮かべるイメージを機体が応え、景色がさらに速く、さらに滑らかに走り出す。
 風を切る音が聞こえる。でも、急加速に伴って生まれているはずのGを全く感じない。
 それは全て機体が受け持ち中和してくれている。

 だから、今は目の前に集中。思考は一点に。
 空いた隙を決して見逃さず、ただ戦いを決定付ける一撃を叩き込む事に。

 まずは準備段階、無防備となっている相手に衝撃砲を放っていく。
 狙いは曖昧、ただ相手の動きを限定させるのが目的なのだけれど。

 反応。回避、回避、回避回避回避。

 本当に異様、いや異常な光景だった。完全に見極めているとしか言えない機動。至近弾直撃弾のみを、ただそれだけに反応して避けて見せている。
 いくらおおざっぱな狙いとは言っても、ここまで綺麗に避けられると少し自信が失くなりそう。苦笑いさえ浮かんでくる。

 だけど、相手がその機動を回避に費やしたそのタイムロスと引き換えに、距離は確実に急速に縮まってきていた。敵はもう、すぐ目の前に。

「――食らいなさい!」

 そして、放つ衝撃砲と共に双天牙月を上段に。声と共に更なる一瞬の加速。
 一刀両断のイメージを脳裏に浮かべ。速度は青龍刀に確かに乗せて、相手の頭を叩き潰すようにして振り下ろしていく。

 しかし……周辺に飛び散るのは砂土の大小の欠片のみ。刃は敵を捉えず、ただ大地だけを割っていた。

 一方で、こちらの動きを見切るように、片足を軸に半身を引く事で斬撃を回避した当の敵機体。白い機体。
 その動きにただの回避とは違う動作が見て取れた。

 ――警告。敵性目標、左腕部エネルギーブレードを起動。注意してください。

 投影ディスプレイに、脳裏に、甲龍から伝えられる注意の喚起。
 でもそんなのは、言われるよりも先に理解している。
 振るわれる光を、高エネルギー性のそれを、あたしは既に視界の内に捉えているのだから。

 目と鼻の先、熱と空気を焼く臭い。薙ぎ払われるその淡い赤色光をPICのコントロールによる急速後退で何とか躱した。

 予想していたそれより、その刀身は短く分厚い。
 エネルギーブレードはエネルギーブレードであっても、映像で見たレイヴンのそれとは別の種類、別の装備のようだ。

 いや、それはこの際どうでもいい。今は目の前に集中する。

 回避の為の急速後退。
 次いで即座、運動を反転。PICでの加速、後退から一転しての突進を決行する。
 右の腰溜めには下がりながら引き戻した、双天牙月。それを今度は目の前の敵、そのコア部を狙い、叩き付けるようにして振るっていく。

 横薙ぎ、両手には物体を打ち砕く確かな感触。
 でもその感触もまた、本来求めていた物ではなく、打ち砕いた瞬間、双天牙月とそれとの間に爆発が起こる。
 自身をも巻き込んでの爆発。吹き飛ばされたりはしないものの、怯んでしまうには十分なもの。
 おまけに至近距離、むしろ零距離といって良い程の場所で起こった為にシールドエネルギーが少し削られた。

 まさにその行動は、咄嗟の反応だったと言っても差し支えない。
 突っ込むこちらに対してのあちらの対応。
 エネルギーライフルの投擲。
 それ程強く投げ付けられたわけではなかったけれど、進行軌道上に侵入して来たそれに対して、思わず身体が反応してしまった。

 舞い上がった煙の向こうでは、既に体勢を整えた敵が再びの後退を始めている。
 ライフルを失ったにも関わらず、それでも退いていくその姿勢。衝撃砲の回避に関して余程の自信があるのだろう。 

 そんな自信から見て取れるのは、先程の投擲も偶然ではなかったという事。
 元々、ブレードが避けられるのを見越していたのだと思う。
 そうでもなければ、あんな行動をあの極短時間の間で判断できるはずがない。

 正直、何から何まで、相手には行動を読まれている気がして嫌な気分だ。
 この状況に際しては相手の予測と洞察力を褒めるべきなのか、それとも押しているはずなのに翻弄される自分の未熟さを嘆くべきなのか、よく判別もつかない。

 まぁ、でも一つだけ確かなのは、相手が攻撃方法を一つ失った事。微笑のシールドエネルギーと引き換えにその結果を引き出せたという事。
 例え自分が未熟だとしても、結果としては上々。順調なはずだ。

 だからとにかく、今は相手を追撃。距離を再び詰めていく。

 機体を前進。加速。再度の接近。
 相手も観念をしたのか、左腕のブレードを展開してのこちらを迎え撃たんとする構え。
 それはこちらにとっては好都合な事。速度は落とさないままに敵機の下へと飛び込んでいく。

 さっきの振るわれた一撃で、相手のブレードレンジという物の把握は出来た。
 あとは、敵の狙いがおそらくカウンターでの一撃だろうとは言っても、その一撃がどこまでの踏み込みをもって為されるのか、それが問題になって来る。

 一撃のダメージは馬鹿に出来ないので、まずはブレードに要警戒。
 けれど、そんなカウンターをも避けてその懐に入り込んでしまえれば、こちらの勝利は不動のものへと変化するだろう。

 その為にも、目の前の目標に対して一挙一動に細心の注意を払う。
 腕部に脚部、行動には動作が必要となるのは当然の事だから。その予備動作さえ見落さなければ、避ける事なんて簡単な事なのだから。

 前進、接近。
 砲撃はあえて当てない。
 相手が止まってくれている今、余計なアクションを起こさせては逆にこちらの見極めの相手の妨げになりかねない。

 さらに接近。
 ある種の欺瞞として双天牙月を構える。
 相手にこちらの仮の狙い、そのイメージを植え付けておく為に。

 さらに。
 機体は先程の一撃と同じ距離に至る。
 それでもまだ変化はない。なら、あたしは進みながら相手を待つ。

 そして、それからもう一瞬を迫ろうとした、その時。

 遂に敵が動く。

 ハイパーセンサーで捉えられる情報。
 踏み込むによって沈み込む大地、連動するように円を描こうとする、光の刃先。軌道は一撃目と同じく薙ぎ払い。
 今度はタイミングを一寸ずらした事で後ろにも逃がさないようにする寸法だろう。

 だけど、その目論見をこちらも既に把握済みだ。
 元より、この場で退がるつもりはない。

 進むべき道は――決まってる。

 踏み込みと腕部の動作により軌道を予測。視界に提示されるのは接触のタイミングと軌道ライン。
 その表示に則った回避行動。体勢を低く取りつつ加速し、あえての前方へ。襲い来る光の下へ。

 ラインをなぞり、頭上の寸前をブレードが通過。すぐ目の前、左方向には、鳥を模したような白く華奢な敵の脚部。
 でも、それを視界に収めながらも、あたしは敵機体の左を通り抜けていく。

 直後に広がる開けた光景。照明に照らされた無人のアリーナ。
 その一瞬を認識すると同時に機体を旋回。急速反転。敵の背中を自らの瞳に捉えた。

 そこでは、左腕ブレードを振り切った体勢の相手が死に体を晒し出している。
 それはチャンスであり、隙であり、今度こその決定的なシチュエーションだった。

 ――獲った!

 これ以上が望めない状況に勝利を確信しながら、衝撃砲を無防備な背中に撃ち放つ。

「え?」

 その時、突然ブレる視界。ブレた視界。目の前からは敵が消失。砲弾は検討違いの宙を穿った。
 事態の把握は直ぐに、既に。状況には少しの呆れをも伴う。
 レーダー上にも肉眼でも、遠くなっていく敵機はきちんと確認が出来ている。

 つまり、要するに。起こった事を言葉にしてみれば、相手に必勝の一撃を撃ち放とうとしたまさにその時、機体左からの攻撃によって自分が吹き飛ばされていた。

 衝撃。一瞬、見えたのは白い脚部。
 直後にセンサーが捉えていたのは、肩部ブースターの噴射光。
 おそらくは、両肩のブースターによる急旋回、その回転力を利用した打撃、蹴撃。

 ……あー、もう、はっきり言って無茶苦茶だ。そんなの想定もしてなかった。ていうか、してるはずないじゃない。

 機体を制御。機体に与えられた慣性をPICで打ち消しながら、そう思う。
 また、シールドエネルギーが少し削られている。
 ISアーマーへのダメージこそ大してないものの、シールドバリアだけでは中和し切れなかった。

 確かに、こちらの数倍以上はあるだろう機体重量に加えてのあの回転力。
 それから得られたエネルギーを、一挙にドーンとぶつけられたら完全には防ぎ切れないか。

 でも機体の運動を完全に再掌握、空中に停止しながら考える。
 そんなのは、こうやって一度見せてもらえば次はない、と。
 そうして体勢を整えて再度敵に迫っていく。

 再びの高速状態。センサーで捉える白いシルエット。

 こちらの動きに呼応するかのようにまた退がり始めた敵機。こちらが放つのは衝撃砲。
 だけどやっぱり当たってはくれない。偶然にも期待は出来ないらしい。敵はそれを最小限の動きで防いでいく。
 避けて避けて、時には幅広のブレードを盾にするようにして。

 ん?ブレードを盾に?
 何だか気にかかる行動。思えば、先ほどと違ってより慎重に機体をなるべく振らさないようにしている感じにも見えない事もない。
 ちょっとした違和感はあるけれど、勢いはこちらにある。きっと些細な事。余計な意識を振り払って、こちらは進む。

 とりあえず気を付けるべきは、一にブレード、二に格闘。
 見掛けの細さにそぐわない戦闘方法には、何だか器用な相手だな、と関心のような驚きのような気持ち。
 どうにも、優位に立った戦況に対して心に少しの余裕が出来た気がする。避けられ続けたせいで生まれていた焦りも今は消えている。

 まぁ、とにかく、今はその二つに気を付ける。見極め躱し攻撃を叩き込む。
 極めて単純な目的に落ち着いた思考を伴って、機体と状況は進行。白い機体を確実に追い詰めていく。

 左右に機体を大きく振って、相手がそれに反応する様を見ながらの接近。

 こちらは相手の動作を見ながらの行動、相手はこちらがどう出るのかを迷いながらの行動。
 状況的にも心情的にもこちらが有利と言えるだろう。
 やがて、相手の動作は予想通りの推移を見せる。一か八か、賭けに出たのか踏み込まれていく脚部、一瞬揺れる刃先。
 あたしはそれに反応するまま、機体を動かして。

 ……警告音が告げられる。

 ――警告。敵、左背部武装の作動を確認。

 有利、優勢、戦況。
 自らが置かれた状況、そんな要素に対しての勝手な判断。
 つまり、あたしはその時、完全に油断をしきっていた。

「なっ……」

 ブレードはブラフ。踏み込みもブラフ。もしかしたらライフルの損失さえも?どこからどこまでがそうなのかは分からない。
 けれど、これは罠。こちらを誘い込む擬餌のようなもの。

 急速回避。緊急回避。敵の左背部武装、その構えられた砲口から逃げるようにして、退がりながらも不規則に機体を動かしていく。

 でも。

「……っ!」

 敵の放った砲撃が甲龍を捉える。

 機体に走る衝撃と共に、シールドエネルギーが先程までの比ではない減少を見せた。
 しかし盾代わりにと、咄嗟に双天牙月で身体を守るようにしたのが効を奏したのか、いや、後方への退避行動のお陰かもしれない。一応、ISアーマーの損傷はまだ小規模で収まっている。
 だけど、損傷の範囲は狭くはない。防いだ顔や胴体はまだしも、腕部や脚部、アンロック・ユニットにまでダメージが及んでいる。

 あれは範囲攻撃だった。確認できたのはこちらを襲う無数の弾丸。
 空間に拡がりながら襲い来るそれに対して、回避運動なんてのはほとんど意味を為さなかった。
 きっと、選択すべき対処は防ぐか退くかのそれらだけ。
 こちらの動きを読んでいる傾向にある相手に対しては、単純な回避の選択を取るのが少し危険に感じられてくる。

 発射された多数の弾丸、あれはおそらく対シールドバリアを考慮して作られた物だと思う。シールドバリアを削り取る事を目的として作られた武装。

 確かにシャルロットも、同じようなコンセプトである対シールドバリア用のショットカノンを使用してはいた。
 だけど、IS用のそれとこちらに向けられたあれとでは、根本的にその大きさが違う。
 サイズ差では倍以上はあるだろうか。威力もそうなるのかは分からないけれど。

 あたしがさっき受けたのは、離れながらの一応の距離があっての被弾だったから、まだダメージも小さかった。
 でも、もし至近距離であれをまともに受けたのだとしたら、シールドバリアどころじゃなくて、下手をすれば身体を刔られ墜とされるのではという恐怖さえ感じさせてくれる。

 ……厄介、非常に厄介だ。

 やっぱり取回しはよくないだろうけれど、その攻撃範囲は広くて、尚且つ、相手は知らないじゃなくてよく分からない相手。何をしてくるのか予測の付かない正体不明の相手。

 それでも、セシリアやラウラが勝って私だけが負けたなんていうのは、代表候補としても色んな意味でのライバルとしても認められやしない。

 その為にも気を引き締める。迂闊な行動も油断も、もう無しだ。
 とりあえず様子見、慎重に。

 相手との距離を取りながらの思考。
 当の敵機体は、離れていくこちらの様子を窺うように、じっとその場で立ち尽くしている。
 相変わらず、左肩の大型ショットカノンはそのまま展開中。これもまた変わらずの迎撃狙い?

 いや……来る。
 こっちが動かないのに痺れを切らしたのか、動き出している。

 センサーが音を捉える。
 吸気音、どこか甲高いその音。
 直後、敵機体が急加速。高速でこちらに向けての移動を始める。

 迫る敵に対しては、今度はこっちが退がりながらの対応。
 相手に距離を縮められないようにしつつも、衝撃砲で相手を狙う。
 左右の砲身、タイミングをずらしながらの砲撃。
 敵はそれを肩のブースターを小さく噴かすようにして機体の動きを制御、進行を緩めず、まるで砲撃を機体に掠らせるようにしながら迫って来ている。

 距離が詰まる。
 でも、相手からの砲撃はない。
 もしかしたら、やっぱり連射の効く物ではないのかも。もしくは至近距離での一撃必殺を狙っているのかもしれない。

 ――敵、右背部武装の起動を確認。誘導弾と予測。

 そんな時、センサーが告げてきたのは、敵の新たな動作、行動。

 敵機体、右背部から箱のような物が迫り上って来るのが見て取れた。
 誘導弾、つまりはミサイルなのだろう。
 このタイミングでの使用、相手の切り札の可能性も捨て切れない。

 すると、ミサイルユニットと思われるその箱の正面が左右へと開く。
 中から射出されるのは当然ながら……ミサイル?

 予想していた物と違って、それは一発のミサイルだった。確かに大型、でもたった一発。

 速さはそれなりに。
 けれど、ハイパーセンサーの前では言えない申し訳程度の速さ。
 おまけに誘導弾くせして誘導性能には乏しいらしく、避けてみるとそのまま背後へ通り抜けていく。

 ……えーと、何だったの?

 ある意味大きく予想を裏切られた事に、頭は少し混乱。
 それでも、意識は依然として目の前の目標へ。
 右背部のミサイルユニットをパージしつつ、ブレードを構えながらこちらへと突っ込んで来る白い機体。

 左のショットカノンは常にこちらを狙い続けていて、それに対する対抗策は……。

 ――背後より多数の誘導弾が接近。
 ――ロックオンされています。敵の攻撃に注意してください

 そんな時、思考中の頭に届く二つの警告。

「……そういう事、ね。でもこの程度、何とでも……!」

 意識の片隅、背後の映像では、さっきの大型弾より現れたと思われる、多数のミサイルが迫って来るのが映し出されていて、前方では砲口が自身に狙いを定めているのが見て取れている。

 挟み撃ち?それでも良い。
 まぁ、とりあえずの優先順位に変わり無し。結局やる事は変わらない。

 次いで、確認出来るショットカノンの作動。その発射タイミングに合わせるように、こちらも衝撃砲で応戦していく。






 はぁ。

 落ち込む。気が少し滅入ってるかも。

 別に模擬戦で負けたから……とかそんなんじゃない。
 ちょっとてこずったけど、戦い自体にはきちんと勝利を収めて面子とか義務とかそんなのは一応果たした。

 じゃあ、何をこんなに落ち込んでいるのかというと、今日という日についてだったりもする。

 いつもの食堂、あたし一人で座る席。
 何か食べようと思ったけど、食欲がないので手ぶら。
 そんな何もないテーブルに身体を投げ出しての考え事。悩み事。

 原因は右手に持つ二枚。
 それは、プールの入場券。
 最近オープンしたばかりで、入手が困難な事で有名なもの。
 しかも二人分。何とか手に入ったもの。

 ……だけど、今ではもう、本当にただの紙切れになってしまったもの。

 入場券の効果日は本日今日。
 果たされるべき役目は、今回の模擬戦のおかげで見事に潰れて絶ち消えてしまった。

 本当だったら今頃、一夏とどこかでディナーにでも出掛けてたかもしれないのに。
 いや、そうでなくても、二人で一緒に街を回って服とかアクセサリーを選んでもらったりして、一夏に似合ってるぞとか言われちゃったりして……。

 そんな楽しみだった予定や計画も丸つぶれ。

 そもそも決定段階で実はまだ一夏を誘えてなかったから、一夏にドタキャンとかいきなりの迷惑をかけなかったとか、そういう点では良かったかもだけどさ。
 それでもやっぱり、行きたかったなぁとどうしても引きずってしまう。

 プライベートより代表候補としての仕事が優先的なのは当然な事で、これがどうしようもなくしょうがない事だってのも分かっているんだけれど。

 ……はぁ。

 そう、しょうがない。どうしようもない事。割り切るしかない。
 だけど再び漏れてしまう溜め息。今度はより深く、より重く。
 気分もそれに合わせて、さらに下方へと沈んでいく。

 あたしにとって、プールの事は悩みに拍車をかけているものに過ぎなかった。

 確かに、一夏と行けなかったのは凄く、とても、かなり残念だったとはいえ、まだまだ次があるぞ!と思えるような、そんなちょっとだけやる気が湧いてくるような悩み。
 だけど、あたしの抱えるもう一つの悩みは、やる気なんて出る余地のない、深みに足を取られてはそのまま窒息しそうな陰鬱なモノ。

 それは、あたしがこの夏休みにおいて学園に残った事にも関係してくる。
 大半の生徒が帰国したり帰郷したりと、家族との再会や久しぶりの故郷に待ち切れない楽しみや嬉しさをにじませる中で、あたしがここに残った最大の理由。

 簡単に言っちゃうと、あっち、つまりは祖国である中国があたしにとって中々居心地の悪い場所だって事なんだけど。

 まぁ、ただ単に居心地が悪いと言っても別に冷遇されてるわけじゃない。
 あたしは中国の代表候補であって、そんな代表候補への待遇は普通に凄い。逆に戸惑っちゃうぐらいに。
 自分で言うのもアレだけど、一種のアイドル的な扱い。確実にちやほやされて正直悪い気分にはならない。

 ……好待遇、アイドル扱い、聞くだけなら良い事づくめ。
 だけど完全にポジティブの要素であるそれらを差し引いても、あたしにとっての向こうでの思い出や記憶というのは、いささか苦い、いや、辛くて苦しいものばかりだった。
 既に過去形として終わったものもあるけど、現在進行形で今も続いているものもあって、それはホントに。

 だから、あたしはこっちに、日本に残った。
 そんな気持ちになるぐらいならわざわざ帰る必要はないと、そう言ってくれた大華の皆の理解と許しもあって。

 それでも、家族に会えると喜んでいた友人達の姿を思い出してみると、否応なしに陰鬱な気持ちが襲ってくる。

 ――何せ、家族というものこそが、悩みの原因になっているあたしだから。

「……はぁ」

 口から漏れる、もう何度目かになる溜め息。
 暗い気持ちと溢れる呼気と一緒に首を半回転。視界を逆に向けていく。
 そうする事でテーブルは、左の頬に代えて右の頬に冷たさを伝えてくる。
 視界も同時に半回転、されど光景は相変わらずの無人。

 それは夏休みなだけに当然な事。だからこそこうやってぐでーんと、我ながら何ともみっともない姿を晒している。
 力を抜いて身体を投げ出した、昔にあった垂れ何とかって言うキャラクターのような脱力体勢。
 そのみっともなさとは裏腹に、再び思考に耽っていく。落ち込んでいく。

 議題は問題の家族について。
 向こうに帰っても今では一人しか待ってくれていない家族について。
 実の娘に対して、顔色を窺うようによそよそしく接してくる家族について。

 それが家族、あたしの家族?

 そんなのは、あたしの知ってる家族じゃなかった。
 毎日の喧嘩。毎晩の罵るような口論。互いの視線。その表情。
 そんなのは、あたしの知っていた、あんなにも仲の良かった家族の姿じゃなかった。

 ホント、どうしてなんだろう?
 どうしてこんな事になっちゃったんだろう?

 ……二人の関係にとどめを刺したも同然の、あたしが言う事じゃないんだろうけれど。

 自嘲もそこそこ、再びの息を吐いて、ごろりごろり、テーブルの上で何となく転がってみる。
 その行動に特に意味はない。自分でもよくは分からない。
 本当に何となく。何となくの行動。

 何度か繰り返して、テーブルと額とが正対する形で動きは停止。動きを止める。

 おでこを通して感じるのは、テーブルの温度。
 ひんやりと冷たくて心地良い、それは別にいいのだけれども。

「……あたし、何やってるんだろう?」

 まったくもって本当に。

 こんな所でこんな事をしていても何も変わりはしないのに。
 こうして考えていても、問題の解決なんて出来るはずもなくて、問題はただそうあるだけなのに。
 それなのに今は、こうやってうじうじと悩んで落ち込んで。

 ……何だか馬鹿みたい。

「――いや、それは少し言い過ぎじゃないか?まぁ、見ている分には面白い物だったが」

 面白い、か。でも、確かにその通りなのかも。見てる分にはきっとおかしな感じだから……って。

「っ!?」
「すまないが、同席させてもらっても構わないかな?」

 自分の呟きに返って来た返事。
 突如掛けられた声に対して、すぐに顔を上げて振り返る。

 その方向そこには、一人の女性の姿があった。
 凜とした佇まい。女性にしては高い身長。肩口で切り揃えられた暗灰色の髪。

 声も姿も初めて見て聞いたわけじゃない。模擬戦の前に挨拶は既に交わしている。
 そう、確かこの人は……。

「ラナ・ニールセンだ。そういう君は……」
「鈴音。凰鈴音です。ニールセンさん」

 ――ラナで良いぞ。
 あたしの名乗りにニールセンさん、もといラナさんはそう言葉を返してくる。

 どうしてここに、と浮かんだ疑問は、この人が手に持つ物を見てすぐに解決。
 その手には食堂の見慣れたトレー。食堂なんだからそれは当然かなと思う。

 でも、トレーの上は見慣れない光景。山むしろジャングル?多種多様大量の料理がそこには存在していた。

 一人分?多分、きっとおそらくそのはず。
 一応、栄養のバランスは考えているみたいなんだけど、それは比率だけの話で、こうまで大量になるとバランスなんて関係なくなってるような気もしないわけもなく……。

 いや、今はそんな事より、ラナさんに確認しておきたい事がある。

「あの……もしかして、なんですけど、さっきの私の様子、見ていたりしちゃいましたか?」

 それはあたしの様子。ぐでーんごろごろ、みっともない姿について。

「ああ、もちろん。いきなり始められたので少し面食らってしまったよ」

 すると返って来るのは、堪え切れんと言わんばかりの笑みを湛えたその言葉。
 ついでに言えば、笑みは笑みでも何故か何だか優しげな微笑み。

 その笑みが生暖かく突き刺さってくる。

 あちゃあというよりは、うわぁといった感じ。恥ずかしさを伴うあまりのやっちゃった感に、思わず顔を手で隠して天を仰いでしまう。

「あー、何やら赤くなっている所すまないのだが、それで、同席させてもらっても構わないのかな?」

 それでもこちらのごまかしは丸分かりだったらしく、じゃなくて。

「……すみません。どうぞ」
「いや、ありがとう。私こそ、いきなりですまなかったな」

 改めて問い掛けられる言葉には、即座に返事を返していく。
 そうしてようやくこちらからの答えを聞くと、苦笑を浮かべながらもトレーをテーブルに静かに置いてラナさんは対面の座席に腰を下ろした。

 目の前のいかにも重たそうな山盛りのトレーを見てしまうと、さっきまで立たせっぱなしにしてしまっていた事に申し訳なく感じる。
 落ち込んでたり驚いてたりのてんやわんやで、思考がこうぐるぐると回ってしまっていて、そこまで気を回せてなかったみたいだ。
 それは普段なら出来ているはずの事なのに、今はまったく出来ていない。

 ああ、ホントに。今のあたしはちょっと重症なのかも。

「とりあえず、まずは、だ。日頃よりシャルロットが世話になっている」
「あ、いえ、こちらこそです。シャルロット……さんには私の方こそお世話になっていますので」

 そんなこちらの考えをよそ、目の前のラナさんの表情は何も気にしていないかのようないたって真面目なもの。
 言葉は挨拶の常套文句、でもそう真剣に言われると何だか少し恐縮な気分になってくる。
 まぁ、それに返すのも同じく常套文句みたいなもの。しかして、その実態は単なる返答じゃなくて本心から。
 日頃から色々とお世話になっているのは本当の事なので。

 とは言っても、シャルロットはラウラ派に属している?だけあって、ラウラのお世話、もとい協力が優先的みたいだけど。
 それでも、あたし達の事を応援してくれてるのは確かだし。
 シャルロット自身に『危険性』はないみたいだし。
 そもそも、よく気の回る良い子だし。

 模擬戦で負け越してしまっている事に悔しく感じる部分はあっても、気の良い仲間・友人である事に間違いはなくて、あたしが彼女の応援に感謝している事にも間違いはなかった。

「いただきます……?」

 と、シャルロットについて考えていると、食前の挨拶が耳に飛び込んで来る。
 声につられテーブルの対面、目の前に視線をやれば、日本という事でなのか両手を合わせるラナさんの姿。

 ……いや、手を合わせたまま動かない、ラナさんの姿。そうした状態のまま何故か固まっている?

 その姿に対して当然抱くのは、どうしたんだろうという感想。
 けれど、見ているだけじゃ何がなんだか分からない。
 尋ねようにも、ぱっと見お祈りに見えなくはない今の姿にはどうしても憚れてしまう。

 やがて、閉じ合わさっていた手がようやく離れて動き出したと思うと、今度は首を傾げ始めた。今度のその表情はどうにも不思議そうなもの。
 そしてそのまま、視線をこちらに合わせるとラナさんより質問が生まれ出てくる。

「んー?君は食事を摂らないのか?今日は派手に動いたし時間も時間だ。ちょうど小腹も空いてくる頃だろう?」

 ん、何だか少し拍子抜けで些細な質問疑問。
 まぁ実際、その言葉通りではあるんだろうけれど……正直、今は気分的にあまり食欲がない。
 おまけに、目の前の山の光景を見ていたら、それだけで何だかお腹いっぱいと言った感じ。見ているだけで、空腹なんてのがどこかに飛んでいってしまった。

「そうか……」

 答えてみれば、少し気になる歯切れの悪さ。
 その様子を象徴するように、ラナさんには食べ始めようという様子がまったく見られない。

 うん?もしかしたら、ご飯への疑問は振りだけで、他に何か話しておきたい事が?

「……そうだ、な。話というよりかは気になった事なんだが」

 隠し切れずに滲み出す罰の悪そうな表情。
 その瞳はじっとあたしに向けられている。

「君は、何か悩み事があるんじゃないのか?」

 続いて訪れるおそらくは本題、こちらを気にかけた心配そうな言葉。

 それには思わず、ぎくりと一瞬、身が縮む。
 だってまさか、いきなりそんな事を言われるとは思っていなかったから。

「……やはりか」
「やはり、ですか?」
「いや、大華のスタッフ陣が君の事をひどく気にかけていたのでね。なるほど、と、ただそう思っただけさ」

 ああ、そっか。

 その言葉の内容には納得が出来る。
 納得出来ている事、申し訳なさと共に理解出来ている事。大華の皆についての事。

 それは、やっぱり皆には気を使ってもらっているという事。

 あたしの我が儘のせいで中々帰国出来ず、家族に会える時間が限定されたりしちゃってるのに優しくしてくれて。
 それでも、何かあると心配してくれる本当にお節介な人達。お節介で良い人達。
 だからこそ余計に、皆への感謝と一緒に罪悪感が湧き上がってくる。

 いっその事、悪い人達ばかりだったら悩まされる事もないんだろうけれど……それだと悩む前に凹まされそう。

「まぁ、そこで一つ提案なんだが」

 そういった自爆的な思考の最中、ラナさんが少し神妙な表情で語りかけてくる。

「私に話してみる気はないか?内に抱えるのと外に少しでも出して行くのとでは、気分が随分と変わってくるからね」

 相談の提案。掛けてくれている優しい言葉。

 気にかけてくれる事は素直にありがたいとは思う。
 でも、こう言ってしまうと失礼かもだけど、見ず知らずの初めて会った他人にさえ心配を掛けるようなそんな表情をあたしはしてしまっていたんだろうか。
 こうやって、親身になってくれるほどに。

「浮かない顔だな?……まぁ、初対面なのにと私を不躾だと思う気持ちも分かる」

 不躾というか、いきなりで戸惑ってると言うのが一番正しい感じ。

「しかし、だ。私に勝ってみせた存在が深く悩んだままだったなんて、片手間の戦いに負けたみたいで悔しいじゃないか」

 って、ああ、そういう事か。
 うん、それは確かに。あたしがラナさんの立場でも、きっと同じだ。
 手加減されてるとか全力じゃないとかって感じて、少し疑心暗鬼になってしまうと思う。

「……すみません」
「何、冗談だよ。だが、愚痴でも何でもいいから誰かと話して少しでも吐き出していった方が良いとは思うぞ?一人で抱え込んでいるばかりでは落ち込んで沈んでいってしまうからな」

 謝罪の返答に、ウインクが一つ。

 気を悪くさせてないで良かったとは思えるし、言ってる事に同意も納得も出来る。
 でもやっぱり、今は誰かと話すようなそんな気分じゃない。
 いや、そもそもこれはあたし自身の問題なんだから、おいそれとお世話になるわけには――。

「……男か?」
「お、オトコ……!?」

 ――いかないと思いつつも、呟かれた少し検討外れの言葉に反応してしまった。

「なるほどなるほど。ふむ、まずそれは、少年ではないとして」

 当たっていると言えば、確かに当たっている部分はあるけれども。
 でも、そんな感じでストレートに言われると何だか恥ずかしく感じる。

 そして、そんな少し赤くなっているだろうこちらの反応を、一つ一つ確かめるようにして言葉を並べていく目の前の女性。
 答えに辿り着いたぞと言わんばかりに頷くと、にやりと笑ってはあたしに語り掛けて来た。

「織斑一夏、だな?」

 ……どうにも、あたしはラナさんに対しての認識を訂正する必要があるみたい。
 この人、一見クールで中身は優しいような感じに思えたりしたんだけど、その実、お茶目というかやんちゃというか、何より確実にいじめっ子体質だ。
 今もにやにやとこちらを見ている様子からそれが感じ取れる。

「いやはや、本当に初々しい。私もそんな時があったなと思い出すよ」

 初々しい、何だかその響きにはからかいがふんだんに込められているような気がしてならない。さっきのにやにや笑顔の事も踏まえて。

 ……ん?いやでも、『私も』?

「ああ。私も若くて青くて色々とあったものだ」

 何かを思い返すように懐かしそうに頷きながらも、ラナさんは首に掛けられたそれを胸元から手繰り寄せてみせる。

「まぁ、そんな私達の時間や若さ、色んな大切なモノの結晶がこれなんだがな」

 そうして、あたしに示される閉じられた中身。
 左右にずらされるようにして、開かれた鈍銀色のロケットペンダント。

 その中にあったのは、小さな写真だった。
 写り込む、まだ幼く見える少年少女二人の姿。

「子供?……もしかして、お子さん、ですか?」
「ああ。正真正銘、私の子供達だ。……どうだ?可愛いだろう?そう思うだろう?」

 言葉と共に返って来るのは、溢れんばかりを体言するまさに満面の笑顔。
 本当にその子達の事が好きなんだろうな、とそれを確かに示してくれている蕩けるような表情。

「……あ」

 でも、確かに可愛らしい子供達が写真には写っていて、ラナさんからは深い愛情が感じ取れていて。
 それでも特に気になったのは、その手、その指についてだった。

 改めて確認してみても、左手、右手、どちらにもない。
 もしかしたら操縦に影響するから外しているのかなとも考えたけれど、首からかけられていたのはペンダントだけ。それ以外にはやっぱりどこにも見当たらなくて。

 何故かどうしても、それを認めたくはなくて。

「気になるかい?」
「あ、その……すみません」

 短い一言。
 あたしの探るような視線に気付いたのか、開いた両手をこちらに示しながらラナさんが尋ねてくる。

 ……むやみやたら、視線を送るべきじゃなかった。
 これは個人の問題、プライベートの事で、あたしが首を突っ込むべき事じゃないというのに。

「何、別に構わんさ。今は籍を解消して、シングルマザーという物をやっているのは紛れも無い事実だからね」

 こちらの行動に怒るわけでもなく、そう語る姿はごく平然。
 でも、離婚という事に関して、どうしてそんな何でもないような様子でいられるのかが分からない。理解が出来なかった。

「……それって、互いを嫌いになったから、ですか?」

 だから思わず、反射的に、衝動的に、理解不能故の疑問が口から溢れ出ていく。
 その形は自分の経験からの推測で。本意にはそうであって欲しくないという願いを込めて。

 あの子供達の笑顔を見てしまった分、余計に自身の言葉を抑え切れなかった。

「嫌い、嫌いか……。いや、私はアイツを嫌いになった事はないし、アイツも私を嫌ってはいないんじゃないかな?」

 だけど、返って来たのは明るい声だ。
 疑問に対してのラナさんの答えは、悲哀じゃなくて笑みと共に。
 返された言葉には、良かったという安堵に似た気持ちがまず浮かぶ。

「ふふっ」

 そうして、そっと胸を撫で下ろしていると、一方でラナさんは軽く小さな笑みを浮かべていた。

「君は、優しい子だな?」

 続けられるのは、またもいきなりの言葉。
 けれど、今度は検討違いだと思う。そんな言葉を掛けてもらえる道理があたしには、ない。

「いや、優しいさ。見ず知らずの他人に対して、一喜一憂してくれるような人間が優しくないはずないだろう?それも、自分が悩みを抱えているのにも関わらず、だ」

 否定に否定が重ねられる。
 それでも重ねるのは再びの否定。

 だってあたしはあの子供達の状況にほっとすると同時に、どうして?とその笑っていられる境遇に対しても疑問を持ってしまっているから。

 ――どうしてあの二人は笑っていられて、あたしは耐え続けなくちゃいけなかったの?

 そんな羨みや嫉み、そういったものが自分の心に存在しているのを自覚している。
 あんなにもまだ幼い二人に対してさえ抱いてしまうそんな感情。
 みっともなくて情けなくて、どうしようもなく汚い気持ち。

「……大丈夫か?あまり気分が優れなさそうだが?」

 心配そうな表情と声色。
 やっぱりこの人は、からかってきたりはするけど、基本的に優しい人なんだなと実感する。
 しかも、本来なら拒否しても怒っても良いような疑問や質問にも答えてくれたりもしてくれて。

 でもそうすると。

「一つ。……一つだけ聞きたい事があるんですけど、良いですか?」
「お、何だ?別に構わないぞ?お姉さんに何でも言ってみるといい」

 その態度に甘えて、聞いてみたい事、尋ねてみたい事が湧き上がってきてしまう。
 今まで誰にも言えなかった、誰にも相談なんて出来なかった事、今まで閉じ込めていたそんなものが急激な勢いで。

「……親というものは、子供に対して何か特別な感情を抱いたりするものなんでしょうか?」
「ん?特別?まぁそれは当然、私は子供達を愛して……」
「いえ、そうじゃないんです」

 聞きたいのはそういう事じゃなかった。
 あたしが言いたいのは、正でなくて負について。

 そう、それは例えば――。

「例えば、子供のせいで離婚する事になったら、その子供が嫌いになる、とか」

 ――そんな、きっとあたしのせいでばらばらになってしまった、あたしの家族のような場合なんかは。

「ふむ……」

 質問に対してラナさんが沈黙する。
 顎に手を当て眉間に皺を寄せながら、真剣に考え込んでくれている。
 あたしは少しの緊張感とともに、答えをただ待っていく。

「……すまないが、私には分からないな」

 返答。
 少しの逡巡の後、すぐに返って来たのは言葉。
 こちらの機嫌を見るわけでもなく、無理矢理に慰め励まそうという言葉よりは、その正直な答えの方が個人的には嬉しかった。

「何せ私は自分の子供に対して嫌いだなんて事を、絶対に、思えないのでね」

 ラナさんは少し自慢げにそう続ける。

「子供は親が守るもの。それが親としての義務であり、責任であり、真理だと私は考えている」

 自信ありげで真剣で真摯なその様子。
 何だか分からないけど、やっぱりとにかく、あの子供達が羨ましい。

「私は君に何があったのかは知らない。しかし、君が悪意から何かをしたというわけではないのだろう?」

 そう、悪意なんて絶対になかった。
 あたしは、少しでも二人の役に立てればと両親の為を、家族の為を思って。
 思い思って頑張って頑張って、そして――。

「確実に、と保証が出来ない憶測ですまないのだがね。だったら君の両親も君の事を少なからず思ってくれているはずさ」

 ……確かにラナさんの言う通りだったら良いなとは思う。
 
 でもそれは、やっぱり予測憶測でしかなくて、憶測を結果として確定するには確認が必要で、そうしてそれを実際に確かめる事は、とてもとても怖い事で。
 もし確かめてみたとして、あたしを恨んでいるなんて言われたら、憎んでいるなんて言われたら、一体どうすれば良いのか。

 離婚なんてしちゃって、今ではあまり良い関係とはいえなくなっちゃったけど、それでもあたしは未だに両親の事を嫌いになんかなれないでいるというのに。
 それなのにそんな事になったら、そんな事になってしまったら、そんな風に言われてしまったら、あたしは堪えられそうにもない。

「……む、何だかしんみりとしてしまったか……」

 縁起でもない最悪の想像に、また少し、あたしの心が沈むのを感じる。
 対して、こんなはずじゃなかったのだがと頬をかきながらの困った表情を浮かべるラナさん。

「…………」
「…………」

 無人の空間に過ぎていく無音と無言の時間。

「うーむ、そうだ、な。話題を、変えるとしようか」

 すると、突如その困った瞳の中に何だかイヤな感じの光が灯り、ラナさんはこれもまた何だかイヤな笑みを湛え始めた。

「とりあえず、織斑一夏についてなんてのはどうだい?」
「いや……あの、ですね?」

 そんな笑みからの言葉、だけどそれにはいくら何でも、一つ、物言いたい。

 話題を変えるとは言っても、そうやってからかい前提の話題の変更はどうかと思う。
 正直な所、今の気分が気分なだけにあまり良くは思えない。

「いやいや、からかい抜きに興味があるのだよ。世界唯一の存在であり、あのブリュンヒルデの弟としても知られてはいるが、彼は何でも、希代の唐変木で、稀に見る鈍感男で、十年に一人の女たらしと言うじゃないか」

 ……一夏にしたら酷い言われようなんだろうけれど、概ね間違ってはいない。
 だって一夏と来たら、こっちの気持ちとか行動には全然気付かないニブチンのくせにすぐ女の子には優しくして、デレデレ……はあんまりしないけど、うん。

「まぁ、私も一応、ISの搭乗経験のある身。君の甲龍についても気にはなっているんだが、機密などの関係で何分話せない事は多いのだろう?」

 って、まぁ、それはその通りですけど。

 機密は甲龍に限った事じゃなくて、ブルーティアーズやシュヴァルツェア・レーゲンとか他の専用機に関しても同じだと思う。
 学園側に出している書類に虚偽の記載とかはないし間違いはないんだけど、それが全てじゃないって感じで。

「なら決まりだ。という事で早速……その織斑一夏君との馴れ初めはどうだったんだい?確か君は彼と幼馴染みなのだろう?」
「あ、それは、その……」

 ……どうしても言わなきゃいけないんだろうか。

 どうにも上手く丸め込まれた気がする。話題を拒否するタイミングがなかった。
 ラナさんは何だかわくわくとした表情で待ってるし、あっちには色々話を聞いちゃったわけだし。

 とりあえず、話す前に周囲を確認。
 話す準備ではなくて、さりげなく話題変更のネタを探しに。
 されど相変わらず、人も話題も見当たらず。

 ああ、ホントにどうしよう?
 思い出は秘めておきたいというか、自分だけの宝物というか。正直、話そうという気が全くしない。
 だけど、ラナさんには色々聞いちゃった手前、非常に悩ましい。

 でも覚悟を決めよう。ふとそんな事を考える。一夏について話す、ただそれだけなんだから。
 

「……あ」

 そして考えながらも、最後に周りを見渡したその時、食堂の入口に、ある意味での救世主――。

「ら、ラウラ?」

 ――どう見ても買い物帰りの、見知った少女の姿が見えた。

「ん?どうしたんだ、こんな所で?」
「い、いや、そっちこそどうしたのよ?そんな大荷物抱えちゃって」

 あっちもこちらの姿を見つけた様子。荷物を抱えながらもこちらに近寄って話しかけて来る。
 抱えているのはロゴや大きさからして、たぶん服。
 両手にそんな買い物袋をいくつもぶら下げたその姿。さっきも言った通り、ホントにどう見ても買い物帰り。

「ああ。今日はシャルロットと出掛けていたのだが、少し買い過ぎてしまってな」

 尋ねてみれば、やれやれと言いながらも何だか満足した様子のラウラ。

 楽しげな表情を浮かべる彼女への今現在における印象は、ホントに変わったなぁというもの。

 思えば最低最悪の出会いだったけれど、そんなのはもう何だか懐かしく感じる過去の事だ。
 だってそれは、あの校内トーナメントでの出来事が終わった後、きちんと謝ってくれたし、その謝罪が上っ面だけのものじゃないというのも理解出来たから。
 おまけに、実際に話してみると何だか素直過ぎるというかどこか抜けているというか、あの時のつんけんしてたラウラはどこに行ったのかといった様子で何だか憎めない。

 とにかく、ラウラが悪い人間じゃないというのを理解するのは簡単だった。

 ……まぁ、初めは少し思うところがあったのを否定はしない。
 だけど、一緒に時間を過ごしてみれば、人のなりみたいなものは感じ取れるし理解もできる。それに今となっては、ラウラの事を前みたいに敵だなんて思えやしない。
 あのシルバリオ・ゴスペル戦を共にしたわけで、そういう意味では箒やセシリアやシャルロットを含んでの戦友と言っても良い存在なんだし。

 でも……。
 胸元に赤いリボンをあしらった黒いブラウス。揺れるプリーツスカートから伸びる、太腿の半ばまで黒いソックスに包まれたバランスの取れた細い脚線。
 今現在の黒で纏めたその姿。

 何だか元がホントに人形みたいに整っている分、何を着ても羨ましいぐらいに似合っていて。
 決して『敵』ではないんだけど、やっぱり『強敵』だ。

「ん?それよりもそちらの方は?」

 その色んな意味での好敵手、ライバルであるラウラは、ラナさんに気が付いたようでこちらに尋ねてくる。
 そういえば、ラウラもあたしと同じくラナさんとは初対面だった。ラウラやセシリアの相手はレイヴンだったわけだから。

「そうね。ラウラ、こちらはシャルロットやレイヴンの知り合いで、レイヴンと同じテストパイロットの……」
「ラナ・ニールセンだ。君がラウラ・ボーデヴィッヒ君だな。いや、シャルロットから話は聞いているよ」
「……ラナ、ニールセン?ああ、なるほど。私もシャルロットから話は伺っています。確か、元米軍のエースパイロットであると」

 そうして互いに挨拶と握手を交わす二人。
 そのまま、シャルロットに関しての軽い会話を始めている。
 あたしが少し置いてけぼりな状況。まぁ、好都合と言えば好都合。

 ぱっと思い返してみれば、少し落ち込んでいたとはいえ、まさか初対面の人に相談だなんて。
 あたしらしくないというか何というか……いや逆に、ラナさんとは初対面だったからこそ言えた事かもしれないけど。

「それで、鈴。食事はもう摂ったのか?」
「え?いや、まだだけど?」
「そうか。だったらこれから共にしないか?」

 そんな話に一区切り付けて、一息付いているあたしを食事に誘ってくるラウラ。
 普段はシャルロットと一緒にいるイメージがある分、正直言って珍しい。

 でも、ラナさんと話をしたからなのか、あたしのどんよりと少し落ち込んでいた気分は雨から曇りぐらいにはなっていて、時間も時間なのでお腹も空いて来ている。
 ラナさんからの誘いを一度断っているので了承しづらくはあったけど……その当のラナさんの様子を窺ってみれば、大量の料理を消化していきながら、さぁ、食べようぞと、こっちにも食事を促すような視線と頷き。

「……ええ。それじゃあ、一緒にさせてもらうわ」

 なら、二人の言葉と態度に甘えて同伴させてもらおう。一人での食事はどうにも味気ないし。

「ふむ。では少し待っててくれ。先に荷物を置いてくる。……いや、やはり先に食べていてくれても構わんぞ?」
「まったく、それこそ別に構わないから、さっさと荷物を置いてきなさいよ」

 周りに気を使うという事。
 時々の暴走は抜きにして考えると、ラウラは何かとそれを心掛けているように見える。
 それは、まんまと挑発に乗ってしまったあたしとセシリアを文字通りボッコボコにしてくれた、あの姿と比べると本っ当にまるで別人の様子だ。
 ……もう、その事で恨んだりなんかはしてるわけじゃ本当にないんだけど。

「ふむ、そうか、そうだな。だったらお礼にというわけではないが……」

 そうして、こちらの言葉に頷いて一度荷物を下ろすと、ラウラは唐突に携帯を取り出しては、何やら操作をして見せてくる。

「ん、何よ……って、これは?」

 すると、あっちの操作に続いて鳴り響くあたしの携帯。確認して見ればメールの着信、差出人はラウラ。
 そんな目の前の携帯より送られて来たもの、メールに添付されていたそれはどこで撮られたものなのか、一枚の画像データだった。

「シャルロットからの代物だ。他にもまだ色々とあるのだが、今はこれで私が戻るまでの時間を楽しんでいてくれ」

 楽しめって言ってもどうしろって言うのよ。
 画像付きのメールを残し、荷物を両手にえっちらおっちらと小柄な身体を揺らしながら去っていく背中に、正直そんな事も思う。

 でも、もちろん真っ先に、画像は忘れず保存しておく。
 妙にきれいに撮られている写真。携帯のカメラではないだろう高画質。
 専用フォルダのコレクションにこうしてまた一枚仲間入り。

「……ほほう?何をにやけてるのかと思いきや、織斑一夏君か」
「……盗み見は趣味が悪いと思いますよ、ラナさん」

 確かに言われている通り、送られて来たのは一夏の写真だ。
 でも、あたしが思うにはというより常識的に、人の携帯の盗み見というのはどうかと思うのですが?

「という事は、当たりだな!」

 あー、かまかけ、ですか。

 よくよく考えてみれば、ラナさんは対面にいるからあたしの携帯は見えない。見えるはずもない。

 つまり、またからかわれた。
 でも、そうやって指摘をされても、恥ずかしいと感じるのはもう通り越しちゃって、少し諦め呆れて達観している気分だ。

 そんな目の前の女性には、ホントに何だろうと思う。
 どうしても、話や性格のペースが掴めない。むしろそのペースに引き込まれ続けている感じがする。
 悪い人ではないのは分かる。人が悪いけど、決して悪い人じゃない。

 まぁ、とにもかくにも、とりあえずはこちらから聞き出そうという気はもうないみたい。

 ラウラの登場で場の雰囲気がリセット。タイミングは既に逸した。あたしからすれば逃れられた。
 ラナさんもそれを理解しているらしく、わくわく笑顔は鳴りを潜めて今はしょうがないなという表情に変化している。
 もしかしたら、始めからこっちの気を紛らわすのを目的として、わざとからかったりしてくれていたのかも。何となくそう感じる。

 話を聞いてもらって、こうして励まそうとしてもらって……はぁ、何だかもう色々と頭が上がらない。
 でも、お陰で少し軽くなった心持ち。
 まだ重い部分もあって全快ではないけれど、もう大丈夫だという言葉の代わりに笑顔を浮かべ、今度はこっちからラナさんへのネタ振り。話題は……まぁ、適当に。

 そうして、ラウラが戻ってくる間を他愛のない話で過ごしていく。






 夜。学園寮内自室。

 ルームメイトは「探さないで下さいbyティナ P.S 中のプリンは私の物」と、冷蔵庫に意味不明の置き手紙を残し失踪中なので、今は一人。
 シャワーを浴びて着替えた薄着のままベッドに寝転んで、携帯を片手にメールを送る。

「……えっと、そういえばどうやって、こっちの攻撃を読んでいたんですかっと」

 携帯に入力、送信。宛先はラナさんに向けて。
 あの食事の後、ラナさんが困ったり相談事がある時はと教えてくれたアドレスへ、今日のお礼のついでに聞き忘れていた疑問を尋ねてみる。

 内容は、落ち込んでいたせいで忘れていた、あの戦闘での異様な回避力について。

 互いに機密とする部分が確かにあって、踏み込みすぎるのはタブーとなってるとはいえ、『異なる視点による技術考証』をも掲げて行われた模擬戦だ。
 もし、こちらに欠点とか弱点とかそういったものがあるのなら、きちんと直しておきたい。
 それは代表候補の義務として、義務を抜きにしても、友人兼ライバル達に出来るだけ負けたくはないと思うから。

 そんなラナさんへと送ったメール、それに返信がされてくる間は、携帯のフォルダを開いてラウラからもらった写真を眺める事で埋め合わせる。
 元はシャルロットより送られてきたという複数枚の画像。ついさっきそのシャルロットから確認のメールが届いていたので、確かにいつもの代物なのだろう。

 聞けば、今日一夏はレイヴンと一緒にキサラギの研究所にいたらしく、写真も今日、キサラギの社員の人によって撮られたものらしい。ちなみに撮ったのはキサラギの人の中でも写真が趣味の人だという事。道理で画質が……とかそういうのは置いといて。

 気になるのは、そこでのその笑顔。

 写真として浮かんでいる一夏の表情は、何だかあたし達といる時の表情とは違う雰囲気に見える。
 苦笑とか少し困った笑いではなくて、気楽に笑う楽しそうな笑顔。

 時々、一夏、弾、レイヴンの三人で遊びに出掛けてるというのは話に聞いていた。
 その話に対して生まれてくるのは、やっぱり男同士でいた方が気が楽なんだろうなぁ、というちょっぴりの疎外感。

 皆の中でも、自分は一夏の友人として特に親しい方だと思っているだけに、それは中々悔しい事だった。
 下手をすると男に、今日一緒に一夏と過ごしていたレイヴンに少し嫉妬してしまうぐらいに。
 そんなの馬鹿らしい話だとは自分でも思う。でも、以前のそこが自分の居場所だった分、余計に悔しい。

 ……けれど、それが親しいただの友人としてじゃなくて、女の子の一人として一夏が無意識にでもそう扱ってくれての事なのだとしたら嬉しい事なのかなとも思う。

 一夏の友人としての自分ともう一人の自分。何とも矛盾している気持ち。
 案外、その中間にいる今が一番居心地の良いようにも感じるんだけど、物足りずに、もっともっと、と求めている自分もやっぱりいる。

 まぁ、ラナさんに相談したら、「青春だな!」とかって言われそうなこんな感情。

 全ての原因である一夏は、十中八九、あたしのどころか皆の気持ちにさえ気付いてなんかいないのだろうけれど。

「……あ、っと、来た来た」

 その時、一夏の笑顔を映し出していた携帯が振動と音とで着信を知らせる。
 差出人の表示はラナさん。待ちに待っていた返信だ。
 という事で早速、返って来たメールを確認してみたのだけれども。

『――良い女には秘密の一つや二つや三つや四つや色々とある物だぞ!』
「いや、それは答えになってませんって……」

 つまりは秘密。ニュアンス的には機密じゃなくて、ラナさん自身の特別なもの?
 こっちに問題があるなら、きちんと言ってくれそうだからそこには安心。でもやっぱり気になる。

『――ついでに言っておくと、秘密を暴こうなどと野暮な事は考えない事だ。探ろうとしたのなら、君と一夏君との馴れ初めを調べ上げて世界に……くくく……』

 ……うん。気にはなるけど、今、追加で来たのがこんな内容。
 くくく、と笑い声をわざわざ文章にしている辺り、冗談に違いないんだろうというのは確信が出来る。

 冗談、きっと冗談。
 とは言っても、気になると思ったその瞬間にメールが来たものだから、本当はどこかであたしを見てるんじゃとか、そこまでいかなくても、思わず周囲を探してしまったあたしは間違っていないと思う。

 そして、そんな摩訶不思議なラナさんについて考えていると、再び着信音が室内に鳴り響く。

「さて、今度は、いった、い……」

 それは最初、またもラナさんからのメールだろうなと思った。
 しかし、今度は響く音も違えば、映し出される表記も違う。

 きっと、不意打ちとはこの事を指すのだと思う。
 何故か少し指先が震える。

 未だに曲が鳴り続けているのは分かってる。
 掛けてくれているあっちが待ってくれているのも分かってる。

 でも、もう少し待ってほしい。いきなり掛けてくるそっちが悪いのだから。
 高鳴る鼓動に一つ大きく息を吐いて、心を落ち着けながら着信ボタンを押し込んでいく。

『もしもし、鈴か?俺だけど』

 耳に当てた携帯のスピーカー。そこから聞こえて来たのは、悩みの元凶の発する暢気な声。

「一夏?どうしたのよ、いきなり。何か急用?それとも寮に忘れ物でもした?そっちは自宅でしょ、何なら今度、届けに行くけど?」

 その掛けられた声に期待感と歓喜が心の中でざわめきだす。

 暴れて揺れて、そんな溢れ出そうとする感情のままに動き出したくはあるけれど、今は何とか抑え込んで、気付かれないように悟られないように、平静を粧って話していく。
 とはいっても、これはそんな簡単に抑え切れるものじゃない。
 抑えようとはしていても、きっと今、表情には出て来ちゃってる。

 まったく、さっきは自分の矛盾が……なんて気取ってはみたけど、なんだやっぱりもう一人の方が圧倒的じゃないか。
 いや、やっぱりも何も、ずっと前からもう一人の方が圧倒的だった。

 だからこそ、一夏と離れる事になってから続いた色んな事にも耐えて、こうして今という時を迎えられているのだから。

『いや、とりあえず忘れ物は大丈夫なんだが……んー、まぁ、その様子だといつもの鈴みたいだな』

 話と言っておきながら、それはいきなり一体何なんだろう?

『いや夏休み入る直前くらいからか……?なんか落ち込んでただろ?周りには取り繕ろうとしてたみたいだったけどさ』
「え、なんで……?」

 ……分かったの?

 ホントいきなりの事に、続こうとした言葉が口から飛び出ていく寸前で飲み込んでいく。
 あの時はまだ最近程に気落ちしてなかったから、誰にも気取られずに隠し通せてると思ってたのに。いつものあたしを演じられてると思ったのに。
 なのに、一夏はそう言ってのけてる。

『何でってそりゃ、俺達幼馴染みなんだぜ?多少のブランクなんかあっても、そんなのすぐ分かるっての』

 当然だろ?とでも言いたげな、何だか少しの呆れが含まれた声色。

『まぁ、さ。なんか辛い事とかあったら言えよな?俺なりに力になってみせるから』

 ああ、『何で』も『なのに』もなかったんだ。これが、これこそが『一夏』なんだから。
 普段はニブチンの癖に、こういう時だけは妙に鋭くて、優しくてさ……。

『とりあえず、色々と無理はするなよ?』

 まったく、ホント。

「……あ、ははは、はははは」

 何だか、すごく笑えてくる。
 現金な自分に。たったこれだけの会話なのに嬉しさで溢れ返っちゃってる自分に。

 こうやって笑ったのは久しぶりかもしれない。心の底からこうも笑えたのは最近だと初めてかもしれない。
 全てはきっと一夏のせい?一夏のお陰?

『……鈴。そこは笑うところじゃないんだけどなぁ。てか俺、変な事言ったか?』

 一夏がまた何か言ってる。

「そんなの、いつもの事でしょ?」
『うわ、ひでえ言いぐさ……ま、元気ならそれで良いんだけどさ』

 変な事?そう、それは変な事。とてもおかしな事。
 交わされた少しの会話。たったそれだけの事。
 それなのに、あたしの抱えていたはずの陰鬱さや暗い気持ちが今はどこかへと消えていて。
 これを変だともおかしいとも言わないで、一体何て言えばいいのか。

 ……正直、ズルい。

 悲しい事ばかりだったら、自分はツイてなくて不幸だって言いながら悲劇のヒロインを気取って自己憐憫に浸れたのに……今ではそんな事も言えなくなってしまった。
 だって、それを許してはくれないみたいなんだから。

 おかしな程に嬉しくて楽しくて、そんなものを分け与えてくれる。
 悲しさも苦しさも感じはするけど、そんなものを簡単に吹き飛ばしてくれる。

 それは、あたしが勝手に思ってるだけの事なのかもしれない。
 でも、例え自分勝手な思いだとしても、それこそがあたしにとっての事実だった。

 一夏がいたから耐えられた。一夏との思い出があったから頑張れた。
 過去も経験も、その事実を証明して補ってくれている。

 だけど、いつだってあたしは与えられて受け取っているばかり。
 昔だって今だって……、でもこれから先もそんな関係だというのは、嫌だ。

 じゃあ、一夏の為に出来る事って何があるんだろう?

 一夏の為。一夏の為に出来る事。
 そもそも、一夏が喜ぶ事って?

 む……考えてみても思い付かない。具体的なものが浮かんでこない。
 むしろ嫌がらせ以外なら、どんなものでも喜んでくれそうだから逆に困る。

 なら何でも良い?いや、それだと納得がいかない。
 それは、箒にもセシリアにもラウラにも出来る事だから。

 喜んで欲しいのは確かだけど、あたしの特別である一夏には、あたしにしか出来ない特別な事で特別に喜んで欲しい。

 単なるわがままに過ぎないんだろうけれど、それでもそうあって欲しい。そうありたい。

『――聞こえてるかー?……ったく、ラウラといい鈴といい、今日はどうしたんだいったい?おーい?』

 とと、考えに集中し過ぎていて、話を聞いてなかった。

「ちゃ、ちゃんと聞いてるわよ!?」
『はいはい、疑問形になってるぞ?……まぁいいや、とりあえず今日の本題についてなんだけどさ』

 呆れて笑う一夏に対して、悪かったわね、なんて答えながら引き続き考える。

 『いつもの鈴』……一夏はあたしがあたしである事を望んでくれていた。
 落ち込んでうじうじしてる凰鈴音ではなくて、自分で言うのもなんだけど少し生意気で勝ち気なあたしを。

 それが自分の全部だってわけじゃない。もちろんあたしも人間で、落ち込んだりする事もたくさんあって、一夏の言う鳳鈴音なんていうのはその表向きの一部分に過ぎない。
 でも、暗い自分なんて自分らしくないとは感じるし、そんな自分はあたしも好きじゃない。

 つまり、あたしも自分が考えるあたしらしくいたいんだ。
 負けず嫌いで元気、結局そんなのが取り柄のあたしなんだからいつでも前を向いている自分で。

 そうしたらきっと、一夏の隣で笑っていられるから。
 抱えている問題にも負けず、乗り越えて行けるから。

『なぁ、鈴?今度、俺と――』

 そしてそんな言葉、あまりにも突然過ぎた一夏の言葉に、思う。

 こんな風にいきなりくれる特別に、負けないくらい大きな特別で返せたら良いなと。いつの日か絶対にそれで喜ばせて見せるんだと。






 気分はどん底から最高潮へ。

 ……はぁ。

 けれど、漏れていく溜め息。
 今度は落ち込んだわけではなく、その日が待ち遠し過ぎて。楽しみ過ぎて。

 着ていく服はどれにしよう。その日のプランは?一夏はきちんと考えていてくれてるだろうか。予定は入ってなかったはず、今の内に確認しないと。天気は雨じゃないと良いけど。

 ああ、ホント、考える事も気になる事もあり過ぎる。あれもこれも全部一夏のせいだ。

 結局その夜あたしは寝付けず、今度は嬉しい悩みを抱えたまま日の昇る様を見届ける事になった。
 



[28662] Chapter3-EX
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2012/10/23 22:25
 まずは、お久しぶりです。

 そちらは元気でやっていますか?イーリが騒いで迷惑を掛けていませんか?とりあえず、私はいつも通り元気です。
 久しぶりとは言ってもまだ一月も経ってはいないのですが、そちらを離れてからというもの、もう何だか長い時間が経っているように感じています。

 まぁ一応、こちらへ到着したという連絡はさせてもらいましたし、レポートという形で日頃の任務の内容なども届いている事とは思います。
 ですが、こうして手紙というレトロな形で連絡させてもらっている理由は他でもありません。
 簡単に言うと(筆を執っている)今は、軍人としての私ではなくプライベートの私であるという事です。

 旅行気分で良い、あなたはそう言って私を送り出してくれた。ですが、何だか本当の旅行に来たみたいに思えて正直戸惑いもあります。
 問題などが原因で戸惑うのではなく、任務が楽しくて戸惑うなんておかしな話ですよね?

 ともかく、今回はそんな堅苦しいレポートではなくて、(詳しく話せない部分もありますが)こちらで体験した色々な事に関して紹介します。
 こちらで写真も同封しているので(ちゃんとありますよね?)、それと合わせて雰囲気を感じ取ってもらえたら幸いです。




 人のいない静かな空気。響き伝わるのはエンジン音と時々のブレーキ音、さらに言うなら荷物と床との衝突音。
 その環境下において、あえての古ぼけた前時代的な形状――ある意味ではオシャレなデザインを持つこのバスは、既に先の休憩所から数時間程の時間を走り続けながらも、時折私に大きな揺さぶりをかけてくる。

 ……確か、もうそろそろのはずなのだけれど。

 どうにも持て余す時間。
 本でも持ってくれば良かった。そんな後悔を抱いてしまう程に、時間だけがただただ有り余っている。
 そんな、ぽっかりと空いてしまった心と行動の空白。
 どこまでも埋まっていきそうな感覚に対抗し、何もないならせめてと窓枠に肘を置きながら、外に視線を移してみれば、暇という物が興味の内に染まっていく。

 バスに揺られながらも流れゆく景色。
 時が経ち走れば走るほど、目に映る風景は徐々に何もない殺風景な物へ。
 それでも以前まで私のいた場所の方が何もない場所であったし、それを考慮しても尚、異国の情緒を漂わせるその空と大地と空気の存在は、この暇を潰し私を楽しませてくれる。

 異国情緒、言い換えれば外国情緒。アメリカではなくて外国。
 そう。今現在、私のいるこの場所は私の母国アメリカではない。海を挟んだ先の先、欧州とアジアの境界、トルコだったりする。

 ニューヨークのJFKからイスタンブールのアタチュルク国際空港までの十時間を越えるフライト。
 その到着の際、機内から見えた景色はまさに異世界。
 大袈裟な表現かもしれないけれど、海外への旅行の経験がない自分には、何もかもが本当に新鮮だった。

 ただ砂漠の広がる基地でなく、新と旧、歴史と現代とが融合し共存している都市の姿。
 写真やディスプレイ越しでしか見る機会のない世界、なかった世界。
 スケジュール的には少しの余裕を持ったつもりで訪れたのだけれど、そんな余裕なんてものは軽い観光の間にデッドライン近辺で漂い浮かんでしまって……。
 私にとってここは、時間を忘れてしまうそれほどに興味深い場所。

 例えば、それは都市の風景もさることながら、その雰囲気さえも。空気という物が違う気がする。
 理由は、何なのだろう?
 男性達による羨むような自らを貶るような視線がない。
 何だかIS登場以前の世界の雰囲気に近い。良い意味で時間が止まっている感じ。
 混乱もなく男女間での見苦しい争いもなく、日々を過ごす人々がその日々の平穏の中を当然のように共にしている。

 ……宗教の関係?

 写真用にと出国前に買った小さなデジタルカメラを覗きながら、異世界の風景を思い返しつつ考える。

 ISの登場によって、イスラム教を国教としている多くの国々で大きな混乱が起きたのは広く知られている事だ。
 きっとそれは相性的なもの。男性優位的な社会を持つ彼らと女性にしか扱えないIS、それをどうするかについての問題が起きた。

 あくまで男性の管理下にあるべきと主張する者。反対に女性の権利推進を主張する者。
 対立する主義と主張。荒れる議会と割れる世論。

 しかし結局は、力を持つ者が上に立つべきみたいな考え方?のような物のお陰で、結果に差はあれど多くの国が女性の権利向上を果たしたと記憶している。
 それでも一部では言葉ではなく武力に決着を委ねる国もあり、北アフリカの権利抗争のような物が各地で発生していて……。

 大小の争乱あっての風景。
 争いの果て。そこには男性と女性とが並び立つ国もあれば、完全に逆転してしまっている国もあり、逆に言論を弾圧し旧体制を維持しようとする国もまた存在している。
 ……まぁそういった弾圧を行う国に対しては、国連とIS委員会の采配でISが回らないような手配がって噂を聞いた事もあるから、もしかしたら諸外国からの圧力なども争いに絡んでいたのかもしれない。

 それはともかく、そんな中でトルコという国は、世界の中でも流れに上手く対応した国の一つだと言えた。

「ようやく、かしら?」

 気付けば、風景は緩やかに動きを落とし今にも止まろうという様子。
 車内の表記にも約束の場所となっている停留所と地名の文字。一応確認はしてみても、その表記が待ち合わせ場所を示している事に間違いはないようだ。
 そして、やがてブレーキによる軽い振動が身体を襲ったと思うと同時に、風景と車体は完全な停止をみせていく。

「んっ、さすがに堪えるわね」

 ……スーツケースを横に置きつつ、両腕を空へと掲げ背筋を伸ばす。
 バスによる長い道程を経て、ようやく待ち合わせの場所に来たはいいけれど、約束までにはまだ時間があって。
 『彼ら』からの迎えもまだ到着していない。
 ……背筋を伸ばした後は腰の辺りを軽くマッサージ。
 だから今はその待ち時間を利用して、長旅のお陰で現れた凝り固まった体の痛みと悪戦苦闘を繰り広げている。

 とりあえず、現地の雰囲気を感じたいと決めたバスの移動……結果はある意味、失敗。
 イスタンブールで乗った都市間バスまでは普通によかった。本当に快適だった。
 革張りのリクライニングシートに空調完備。休憩所への停車もあり、さらには添乗員によって軽食やドリンクのサービスもあるという予想外に豪華な設備。
 だけど、その後乗り継いだあのバスといえば……。

 ……ああ、もし出来るのであれば過去の自分に忠告してあげたい。
 よく分からないなら誰かを頼るべきだと。浮かれすぎず細かい確認は怠るなと。慣れない事はあまりするべきじゃないと。
 どちらにせよ、もうここまで来てしまっているのだから全ては後の祭り。

 そうして何とか痛みも薄れて来たかなと思う頃、申し訳程度に設置されている真新しいベンチに腰を下ろし、そのまま都市間バスの去って行った方向へと視線を向けていく。
 幾度かの修復の跡も見られるアスファルトの舗装。それがここまで来た道とバスが実際に去っていった道路。
 けれど、視界の中にはもう一つの別の道、一目見て解る程に真新しい実に綺麗な道路が存在していた。

 仮に新しいこれを新道、年季の入った道路を旧道と呼ぶとして、私の今いるこの停留所はこの新道の為に作られた物なのではと思う。
 道路の状態と停留所の真新しさ、また新旧道の分岐点に設けられた遠くから見ても明らかに新品だと分かる標識など、これらの要素から考えてみてもおそらく。

 まぁ、それが合ってるのか間違っているのかはさて置いて、新旧の差と状況には急拵えな印象が拭い切れない。
 視界の内に新道を利用する車はなく、時折旧道をバスや普通車が往復するのみ。見る限りでは新道は利用者が皆無。とても、国や自治体が主体となって作られた物にも思えはしないので。

 もしかしたら、一般道ではなくて何か別の目的をもって作られたのではないだろうか。
 答えを求めて、真新しい標識それをカメラのズーム機能で確かめてみる。

 ファインダーを覗き拡大。レンズ越しでの確認。
 そこに見えるのは、名前が一つ。
 記されているのは企業名と特徴的なロゴ。

 ご丁寧に英語表記付き。どうやら、それが新道の目的地である事には間違いはなさそうだ。しかも、私の目的をも同時に示してくれている。
 つまりは、この人のいない道の先に私が目指す場所がある。

 という事で今度はカメラを、その目的地に至ると思われる新道に向けて覗き見る。
 視線の先、荒野に伸びる一本線。目指す場所が確かにあったとしても、さすがに直接目には映らない。

 でも……何だか丁度良くも思える。こんな風景もあるのだと知らせて見せるには良い素材になる。
 電子音声のシャッター音。一枚だけでなく複数枚。風景をデータとしてカメラのメモリに取り込んでいく。
 すると目で覗くファインダーの中、遥か遠方、道の先より、一台の車が走って来ているのが見えた。

 徐々に近付く、小型車?
 うろ覚えではあるけれど、確かその車は、去年か一昨年ぐらいかにEVとして復刻販売された小型のドイツ車だったはず。
 それが今、何だか危なっかしい運転ながらゆっくりと、その姿を大きくしつつある。

 迎え、なのだろうか?
 次第に近付いてくるクリーム色の車体。

 そんな私の予想は正しかったらしく、車は停留所までやって来るとUターン。次いで一度私を通り越し、慌てたように後進。
 それでやっと私の目の前までやって来たと思えば、今度はブレーキによって大きく車体を前後に揺らして……慌ただしく危なっかしく、ようやく車体を停めてみせた。

「……えーと、ナターシャ・ファイルスさん、ですよね?」

 これは、慌てるように車の運転席から下りてきた、慌ただしいドライバーである『彼女』の言葉。
 車体より明るい髪を持った女性の面影を持った少女、いや少女の面影を残した女性と言うべき?
 彼女はどこか不安げでありながらも少し力の入った様子で、眉を逆ハの字にしながらそう尋ねて来る。

「ええ、そうですけど?」
「ああ、良かった……。私、フィオナ・イェルネフェルトと言います。お迎えに上がりました」

 私の返事に安堵からなのか、浮かべられる笑顔に感じたのは未だに残るあどけなさ。無垢な明るさ。
 確実に年下だとは思う。二十歳、いや下手をすればもっと下、推測でしかないけれど、きっと。多分。

「それじゃあ早速……お車の方へどうぞ!」

 ……まぁ、彼女についてはおいおい。
 まずは目的地へ目指すべく、妙に気合いの入った元気な案内を受けながら、声に従い目の前の車へと乗り込んでいく。




「……ナターシャさん、国の代表とかそういった立場というのは、やっぱり大変なものなんですか?」
「ん、そうね。そこまで大変と言うほどではないけれど、でも、忙しいという意味では中々大変よ」

 走行中の車内。運転席の彼女、フィオナが尋ね、私が答えるという会話の流れ。
 彼女はどうも気になる事や聞きたい事がたくさんある様子で、先程から一方的な流れになってしまってはいても何だか悪い気はしない。
 むしろ、答えに対して驚き、時に笑う楽しそうな表情を見ていると、こっちまで自然と笑顔になってくる。

 フレンドリーに交わされる会話。初対面にしては中々打ち解けている方だろう。
 とは言え、これでもはじめは任務という事で敬語を使っていた。使ってはいた。
 でも……。

『あの、私、軍とかそういうのとは無縁な立場なので、そんなに堅苦しくなくて良いですよ?』

 ……困った顔でこう言われては、その提案を受け入れざるを得ない。どうにも断れない。

 それに特殊な任務で訪れてはいても、表向きには『次機が決まるまでの休暇』という事になっている。
 同僚のイーリも長期の休暇だという認識だったので、実情を知っているのはきっと軍の上の方々とかのほんの一部の人間だけ。
 だったら、軍人としての態度でいるのは、この場にあまり相応しくない。あちらたっての希望でもあるし。

 そんな、こちらの都合とフィオナの望み、加えて彼女の持つ親しみ易さも手伝って、今は私も言葉を崩し気軽に話させてもらっている。

「だけど、国家代表だなんてやっぱり凄いです!私も実は、一応チャンスがあるからにはと思って適性検査を受けてみたりしたんですけど、結果はなんと適性Dですよ、D!……ダメ元だったとは言っても、少し落ち込んじゃいました」

 それは確かに、何と言うか……お気の毒に?

「でも、今は毎日が楽しいから全然気にはしてないんですけどね!」

 肩を落としたと思ったら、すぐにまた生まれる本当に明るい笑顔。子供のような喜怒哀楽。
 やっぱり見ているだけで面白い、というよりは何だか楽しい娘だ。

「あ、何だかすみません。私ばかり喋ってしまっていて」

 だからなのかもしれない。
 こうもこの子を……。

「確かに。話し過ぎ、かもね?」

 ……からかいたくなってしまうのは。

「うぅ」

 少し意地悪く口出してみると、フィオナは元気だった様子から一転、叱られた仔犬のようなしゅんとした様子に。
 もし彼女が犬だとしたら、確実に今は悲しい鳴き声を上げながら両耳を垂れ下げてしまっている事だろう。
 そんな沈んだ仔犬、その情景が脳裏には、容易にありありと思い浮かぶ。

 ただ、同時に思う事と言えば……正直、面白いという感想。

「すみま、せん」

 でも、どうやら少しやり過ぎちゃったみたいで、今彼女が纏うのはどんよりとした暗い空気。ハンドルを握りながらも悲しそうな顔をして黙り込んでしまった。

「……ごめんなさい。悪かったわ、ただの冗談よ」

 私も少しだけ意地が悪かった。だから、素直に謝罪を表明。

「……もしかして、ナターシャさん、からかってたんですね」

 しかし、なんという事なのだろう。
 私の決心から来る決死の謝罪はどうにも受け入れてはもらえない様子。フィオナの表情は実に不満げだ。

「というか顔、少し笑ってます」

 あ、やっぱり?

 からかいに悪気はない。あったのはほんの些細な悪戯心。
 もちろん?それでも反省はしてるし、何だか悪いなと思ったのは紛れも無く本心からだ。

「ホント酷いですよ!一瞬でも、気を悪くさせちゃったんだと落ち込んだ私が……」

 けれど、その膨れた顔で拗ねた様子を見せられたら、黙っての反省だなんてとてもとても。
 それに加えるように、ジト目というか何というのか、そんな愛くるしい姿さえも今は追加されている。
 まったく、人をからかい遊ぶのはイーリの得意分野のはずなのに。中々どうして何だか本当に、その誰かをからかいたいという気持ちが少し理解出来た気がする。

 ……って。

「ちょっとフィオナ?前、前!」
「え……?うわわっ!」

 突如の状態、注意の喚起。
 こちらを可愛く睨みつけていたフィオナによって、慌てた声を車内で盛大に響かせながら、ハンドルが急いで大きく切られていく。
 急激な方向変換。左へと揺さ振られる私達の身体。身体に食い込むシートベルトが少しだけ苦しく痛い。
 しかし、そのお陰でカーブを直進しようとしていた車は道路上に留まり危機一髪。何とか一応の危険からは脱する事が出来た。

 でも、それは本当に洒落にはならないもの。
 危うく異国の地で、ラリーも斯くやというオフロードコースを体験するところだった。

 しかも危険を回避とは言っても、復帰の際、車体は反対車線まで侵入してしまっていたので……それには、他に車も人も全くいないという事が幸いした。
 こちらも、もし普通の道路だったらと考えてみると普通にぞっとしない事だ。

 まぁ、ともかく。今は突然の危機を回避出来た事に一安心。ほっと息が漏れていく。

 しかして、その数はなぜか、自分の物も合わせての二つ。タイミングも同時。
 そんな互いの隣で聞こえて来た安堵の息に、どちらからともなく笑いも一緒に零れ出す。何だか笑えて来てしまう。

「ああ、そうだ。ねぇフィオナ?」
「はい?なんですか?」

 明るい彼女。ひとしきり笑った事で、彼女の機嫌は治ってくれたみたい。

「実はあなた達のところについてあまり詳しくはないのよ。だから、どんなところなのかとかそういった事を教えてもらえる?」

 そこでじゃあそれではと、このやり取りには直接関係のある事ではないのだけれど。
 そんな明るいフィオナ復活の記念として、彼女にある一つの質問というかお願いをしてみる事にする。

「えーと、そうですね」

 一応自分なりに、任務としての下準備として調べては来た。
 でも新興企業故なのかそれにしたって情報が極端に少なく、正直よく分からないというのが私の彼らへの現状だ。

「とりあえず、私達がやっている事と言うと、先進技術の応用と開発といった所でしょうか?」

 そんなこちらの質問に対し横顔でしか窺い知る事が出来ないけれど、和やかだった表情を少し真面目な表情に顔を変化させてフィオナが語る。

「……先進技術?」
「はい。多方面にというのが私達のまず一つの目標で、今は確か……あいあーるえす?いんてぐれいてっど?と、とにかく、とある機械制御技術の改良化に取り掛かっているところなんです」

 制御技術、か……。
 わざわざISを、シルバリオ・ゴスペルを派遣させるぐらいだから、もしかしたらIS技術に縁のある企業なのかもしれない。
 私個人としては、あの時の暴走、あれの問題解決や対策などを期待していたのだけれど、そこはどうなのだろうか?

 ん、しかし社名としてはあまり聞かない名前だ。それでも新しく参入しようというのだから、ある程度の技術と知識は持ち合わせているはず。いや、そうでなくては困る。
 骨折り損とか無駄足だとか、そういうのは中々御免なので。

「実は、私もまだ新入りの秘書兼事務見習いであんまり詳しい状況がわからないんですけど、実際におとうさ……じゃなかった……教授に会って、今やっている事を聞いてもらえば、すぐに理解出来ると思いますよ」

 続くフィオナの言葉。
 この子の態度や様子について、少し気持ちが空回っていて慣れていないなと思っていたら、やっぱりそういう事だったらしい。
 いやそれよりも、だ。何だかさっき、慌てて何かを言いかけたような?

「えーと、フィオナ?さっきお父さんって……」
「……な、ナターシャさん!噂をすれば見えてきました!あれを、前を見てください!」

 確かにそう聞こえたので聞き返してみれば、対するフィオナは聞く耳持たず?
 というよりは、何か恥ずかしそうにしながらもこちらを急いて来る。いや、結局、聞く耳持たずか。

 横から見ても分かるその少し赤くなった頬に対し、これ以上からかってもかわいそうなので、さらに追い撃ちをかけるのはやめてとして。とりあえず意識を前に。
 私もフィオナを追うように、その向けられる先へと視線を移していく。

 正面。そこ見えるのは広がる荒野の中、遠くに小さいドーム状。大きな建造物。

「あれが私達の……」

 フィオナが全てを言わなくても、その先に続く言葉は分かる。
 こうして直接目の当たりにした事で、新たな任務への実感がようやく出て来てくれた。

 あれが、私の新天地となる場所――ラインアークだ。




 ――曰く、ラインアークとは大まかに分けて四つの施設で出来ている。

 まずは遠くからも見えていたドーム状、屋内試験場で一つ。
 次に周囲をバリア発生機で囲んでいるという、どれだけのお金をかけたのか分からない、何とも豪胆な屋外試験場で二つ。
 あとは各開発とか一般業務を担う本社施設と皆の生活拠点である社員寮。これで計四つ。

 そうして今は施設案内の真っ最中で、おそらく社員寮の方へと向かっていると思われるのだけれど。

「……すまなかった」

 そう、だけれど。廊下に響いていくのは、本当に申し訳なさそうな謝罪の言葉。

「別に、気にしてはいないから」

 自身の横を発生源としたその声に感じるのは、怒りとか不満より逆に彼への申し訳なさ。

「いつもはああではないんだが、研究の事となると周りが見えなくなってしまう人なんだ」

 ……集中力があり過ぎる、と。つまりはそういう事?

「後できちんと言い聞かせておく。だからどうか、教授を、あの人を悪い人だとは思わないでくれ」

 否定もせず肯定もせず、ひたすら謝り頼み込むような真剣な面持ちと声色。
 今もお世話になっている彼にそこまで言われてしまうと、さすがに私もその思いを無下に扱うわけにはいかなくなってくる。

「ジョシュア。本当にもう分かったから、大丈夫よ?」

 だから本当に。そこまで必死というか真剣に、本気で謝らないで欲しい。
 今日の事は別に彼自身が悪いわけではなく、むしろ彼はと言えばあの場で諌めようとしてくれていた側なのだから。

「……本当にすまない。恩に着る」

 そう言って再び申し訳なさそうに目を伏せる彼――ジョシュア・オブライエン。
 私と同年代くらいに見える彼がどうしてこうも謝ってくるのか。それは、私がフィオナの案内でラインアークに到着した際の出来事に起因する。

 ざっくばらん簡単に説明してしまえば、通されたその部屋で完全に無視されたどころか酷く邪険に扱われた。
 しかも、私をそこまで通すように言っていたらしい当の本人によって。

 その時、その部屋にいたのは二人。
 部屋までの案内をしてくれたフィオナと言えば、その人に言われて名残惜しそうな表情をこちらに浮かべながらも退出させられて。
 つまり、室内には私と『教授』の二人きり。

 二人きり、二人きり、だ。わざわざそこに通すようにと指示をしたぐらいなのだから、いくら忙しくても普通、一言ぐらいの挨拶とか声をかけるとかそんな程度はしてくれても良いと思う。

 でも、唯一かけられた言葉が「邪魔だ」の一言。

 咄嗟に浮かんだ思いは意味不明。
 言われた一瞬は言葉の意味すら理解できず、意味を理解した後も憤慨とかそういったものを通り越してわけが分からず、その場で思わず茫然としてしまった。

 そして、その一方的に異様な雰囲気、私が立ち尽くす中。
 慌てた様子のジョシュアが突然部屋に入って来て、今現在はそのままの流れでラインアークの案内をしてもらっている。

「まったく、あの人は……」

 男性にしては長い栗毛色の髪。それをオールバックのように後方へと撫で付けつつも、髪に癖でも付いているのか、額にかかる一房が少し気になる。
 そんな彼の表情や雰囲気はさながら紳士といった感じ。いや紳士というよりかは文学青年?本とかよく嗜んでいそう。

 ……これが私の抱くジョシュアへの第一印象。しかし、今はそのイメージもどこかに霧散中。

 今はただ、歩きながらも額に手をやった深い苦悩の様相。
 どうやら、あの教授の行動や態度は今回が初めてではないらしく、悩むジョシュアの体からは苦労人染みたオーラさえ見えている気がする。

 それでも、彼はさっきから教授をかばったりフォローしたりする口調ではあるので、憎んだり嫌悪する感情はないのだろう。
 こちらを気遣ってくれている彼がこうも慕っているのだから、あの教授も普段は悪い人ではないのかもしれない。
 さっきのアレからは、正直到底想像がつかない事だけれど。

「……えっと、ジョシュア?そういえば、フィオナはどうしたの?」

 ともかく、こうしていても埒が開かないし案内も進まないので、とりあえず話題を変更していく。

「ん?フィオナがどうかしたのか?」
「いや、退出させられた後、彼女の事を見ないなぁって」

 私の勘違いとかでなければ、案内します!って張り切って真っ先に飛び付いてきそうなのに。

「……そういう事か。すまないな、多分、私のせいだ」

 それは、どういう事?」

「いや、きっと君の言う通り、退出させられた後だったんだろうな。何故か暗い表情でとぼとぼと廊下を歩いていたので、そのまま暇を出したんだ」

 ……本来は今日、あの子のオフ日ではあったし、元々病院に行く予定でもだったからな。
 ジョシュアの言葉はそう続く。

「待って。……フィオナは、どこか悪くしてるの?」

 それは何と言うか、聞き逃せない言葉だった。
 私が案内しますからねっ!と言ってくれていた彼女の気持ちが、本当だったんだなぁという事以上に、強く気になる事。
 それに対する嬉しさ以上に強く思える事。

 フィオナが、病気?

「病気?いやいや、そんなものではないよ」

 そんなこちらの心配に反して、返ってくるのはごくごく気軽な反応。
 だけど、さっきは病院と。

「見舞い、に似た何かさ。フィオナ自体は元気そのもの、心配する必要はどこにもない。まぁ、世間知らずだったり、うっかりしている部分があるから、そこはある意味心配か」

 やっぱり気軽、ついでに冗談。

 と、そういえば、なぜ私とジョシュアとがこういった砕けた口調で話しているかといえば、それはまた案内開始直後。
 とは言っても彼が敬語で堅く話しかけて来たので、フィオナに倣って私が最初に提案をした。ただそれだけの事。

 いつまでも煮え切らず頑固に渋るジョシュアの意志を押し切るのは、中々大変だったと一応言っておく。

 何はともあれ、とりあえず……フィオナに何もなくてよかった。

「心配に感謝を。しかし、その言葉は直接あの子に言ってあげるといい。きっと喜ぶ」

 うん。そのつもり。
 一緒にご飯食べましょう?とか約束を色々してたから、その時にでも。

「そうか。それでは、そんな君に一つ頼みが、いや頼みとして言うのもおかしな事かもしれないんだが……」

 何?何だか言いにくそう?言い淀んでいるというか何と言うか?
 続く言葉を待っていると、やがて決心が付いたのか、先程とはまた違う真面目な顔で口を開かれる。

「君が良かったらで構わない、フィオナと友人になってはくれないか?」

 はい?いきなりまた、どうして?

「ああ。あの子は今まで教授と共に世界を転々として来ていてな。その為、親しいと呼べる友人があまりいないんだ」

 とても、そんな風には見えないけれど。
 元気で明るくて、あとはそう、少しのそそっかしさを感じる彼女なのに。

 ……もしかしたらそれも、行った先で出来るだけ友人を作りやすくする為?

「だから、あの子と仲良くしてやってくれ」

 そう考えてみると、ジョシュアの真面目さや真剣さが疑念を後押ししているように錯覚する。
 何とも深刻そうな表情、言動。
 でも、例えそうだったとしても、そもそもそうでなかったとしても、私の選ぶ結果には何等関係がない。全く変わりがない。

「ええ。そんなの私から頼みたいぐらいよ?」

 本当に。むしろ大歓迎。

「そうか。ありがとう、ナターシャ」

 笑顔でもなく、真顔での言葉。
 こうも真剣に感謝されるのも何だか不思議。ついでに照れ臭い。
 ただ私はしたいようにしようとしているだけなのだから、別に感謝されるいわれもないというのに。

「まったく、大袈裟よ?」

 フィオナと仲良くなりたいから、仲良くなる。
 それ以上でも以下でもなくて、ただただ私の意思によるもの。本当にそれだけの事。

 しかし、そういえば、先程から何とも少し心配性にも感じる彼の行動。
 それはきっともしかするとになる事なのだけれども……。

「ジョシュア。あなた何だか、あの子のお兄さんって感じね?」

 お兄さんというより、心配する様子はお父さん?
 気分は冷やかし半分。堅い彼をからかおうと思ったのだけど、当のジョシュアの反応というと、予想に反して何だか誇らしげに胸を張っている。

「まぁ、な。実は昔から、フィオナの兄貴分としては名が通っているんだ」

 曰く、フィオナは二人目の妹分だとの事。
 じゃあ、一人目はと聞いてみれば、「今は悪い虫に〜」とか、はぐらかすわけでもなく少し機嫌が悪そう。
 ……とにかく、血は繋がってなくても、フィオナの事は本当の家族で妹みたいに思っているみたいだ。

「その通り。私にとっては確かに家族のようなものだよ。フィオナだけでなくここの人達も皆」

 神妙?思い返すようにジョシュアはそう話す。表情は笑みこそ浮かべてはいないけれど、柔らかく。
 こんな表情も出来るのかと意外に思えてしまう程に穏やかに。

「……ごめんなさい」

 それに対し、私の口からは自然とそんな言葉が漏れ出していた。

「どうしたいきなり?そう謝られても困るんだが」

 確かにいきなり。その言葉は尤もなものだ。

「教授の事よ。……私、最初あの人の事を悪いように言っちゃったでしょう?」

 でも、あの表情と言葉。
 きっとジョシュアにとっては家族も同然なのに。私はそんな人に対して、非難や文句や愚痴など自分勝手な事を好きなように言ってしまって。
 大切な人へのそういった言葉を聞かされるというのは、どう考えても良くはない気分だったと思う。

「いや、謝る必要がどこにある?悪いのはどう考えてもあの人なのだから当然の事、それこそ自業自得というものだろう?むしろ謝るのはこちらの方だ」

 それでも折れず、逆に謝ってくる彼。
 当然私も、折れる事はそう易々とは出来ないし、したくはない。

 ――ごめんなさい。すまない。こっちこそこちらこそだ……。

 その結果、発生したのは謝罪の押し合いへし合い。
 互いに悪役を引き受け合う、よく分からない争い。

「……何だか、振り出しに戻った感じね」
「……そうだな」

 歩きながらも争い続け、残ったのは本当によく分からない互いに感じた寂寥感?
 本当に何をしているんだろう?私達は。

「じゃあ、互いに謝るのは無しという事で良いかしら?」
「少なくとも、その方が建設的か」

 一応は相手の気持ちを受け止めつつも、相手に自分の気持ちを受け止めといてもらう。どちらがではなくて、互いに。
 結局答えは出ないけれど、この場では正答などあってないような存在なので。

「あ、でも、一つ言っておくと……私、今回に限って、教授には謝らないわよ」

 謝るの禁止の停戦協定のついで、今の内にこんな事も。

 本音を言えば、あんな邪険に扱われて傷付いた。転じて、こう……イラっとした。頭に来た。
 ジョシュアに免じて悪くは言わないけれど、今のところ良いようには思わない。本当に思えない。
 だから正直に。悪く言うのではなくて良くは思えてないという事を、はっきりとここに宣言する。

「ナターシャ、君というのは……」

 額を揉むように手を頭に当てて、溜め息をつくジョシュア。
 呆れるなら呆れなさい。それでも発言や意図を覆す気は全くない。少なくとも私には。

「……だが、そうだな。それで良いさ」

 ――あの人がどんな人なのか、直に分かる事だからな。

 いきなりの宣言に彼も何かを言いかけるも、教授の人柄については何か大きな自信を持ち合わせている様子だ。

 ならば、せいぜい期待させてもらおう。確認させてもらおう。
 本来のあの人がどんな人なのかというのを。
 彼の家族だというあの人がどのような人なのかを。

「まぁ、これからよろしくね、ジョシュア」

 ここで過ごしていく、これからの中で。

「ああ。よろしく頼む。いや、その前に……」

 そうして私から差し出す右手。
 ジョシュアも応じるように右手を差し出すが、それが急に空中で停められた。

 一体何がと感じるも、その手は停められ引かれ、次の瞬間には左手も伴って大仰に大きく広げられる。

「ようこそ、ラインアークへ」

 ああ、なるほど。
 よくよく考えてみると、それはここに来てから初めて聞く種類の言葉だ。
 フィオナは始めよりフレンドリーではあったけれど、質問と説明と笑顔に忙しく言ってはいなかったと思う。

「本来ならまず、代表たるあの人が君に言うべきなのかもしれないが、今は代わりに私が歓迎しよう……よろしくな、ナターシャ」

 そんな納得の内、彼からは歓迎の言葉。同時に今度は彼から差し出される右手。
 始まって早々の開始際に『手厚い歓待』を受けたとは言っても、それとこれとは別の時間、別人による別の話。

 つまり、これを断る理由などはどこにもあらず……私は快く、笑顔で右手を彼の右手へと重ね合わせていく。




 そうしてそれから、ほんの少しの時が飛んだ、その翌日。要するに滞在二日目。

 ……私は久しぶりの空にいた。
 前日、ジョシュアとの別れ際に聞いた指示通りの屋外試験場。ラインアークの保有する、その空。

 ――風を切り、風を追い越し、新たな風となる。

 巡航モード。
 両翼、スラスターの正常稼働を確認。加速。リミッター制限下という条件の中にも関わらず、機体は音速の壁を易々と突き抜ける。

 風を捉え、風を超え、今度は音さえも背後へと引き連れて。
 超音速。その速度域。いくらハイパーセンサーによる引き延ばされた感覚の中であっても、文字通りのあっという間の内に機体が試験場の端へと到達してしまう。

 実時間では、ほんの一瞬。
 正面には自らに迫る色付いた半透明の壁が見える。
 接触までは、さらに一瞬。
 その間に大型PIC制御翼たるマルチスラスターによる機体制御を実行、衝突寸前のタイミングで進行方向を急速に転換。速度を軽く落としつつ、球状の壁に沿うようにその頂点を目指していく。

 バリア越し、広がっているのは外部の風景だ。
 ここに来るまでに見た延々と荒野が広がる大地の姿。遠くには町の光景。さらに遠く、これは機体によるデータ照合と補正の映像?海が見える。
 そういえば、「近くはないけれど、そこまで遠くはないですよ」って、昨日フィオナが言っていたっけ。

 思い返している間にも、視界は見上げるように空とご対面。
 場所は丁度、試験場の中心上空。その半球状の頂点に来たのを確認すると同時に、機体を停止させそのまま空を眺めてみる。

 バリアの向こう側は、照らし続ける太陽と広くて青い自由の空。
 私が飛ぶこちら側は、秘匿と防護の機能を誇るシールドに切り出された低い空。

 今はまだこの中でしか飛べないけれど、いつかはきっとさらに広いあちら側で。向こう側へ。

 そんな望みと共に、壁へとゆっくり手を伸ばす。
 壁とは言っても壁に見えるだけで実体はなく感触もない。まるで煙か何かに手を入れるような感覚。空間が色付けされている。

 さらにそのまま手を伸ばし、薄いそれを抜けようとする。しかし、どうも壁の機能が発動してしまったみたいだ。
 薄い色付いたバリアの先に、小さくもう一つ濃い赤みを帯びた壁が瞬時に生まれ出た。
 私の手の延長上に現れた事から、今生まれたこの壁こそがこの機能の本命なのだろう。

 そうしてその効果を確かめる為、さらにさらにと私は手を伸ばして……。

『こら、ナターシャ君。あまり悪戯をしないでもらえるかな?それの消費電力は中々馬鹿に出来ない物なのだよ』

 ……怒られた。

 でも、通信によるその声は、怒りというよりかは温かく見守ってくれているような印象を受ける。
 どうにも、こちらの気持ちが見透かされている様子。

『あと、そろそろ確認と調整を行う。一度戻って来てもらえるかね?』
「……了解しました」

 続いて一旦の帰還命令が下る。
 別にさっきの悪戯が原因というわけではなく、これは時間的にもスケジュール通りの物。
 それに、まだまだ空は名残惜しいけれど、時間はたっぷりあるぞと始める前にちゃんと言われている。

 という事なので返事だけは素直に返し、空に面する体勢をそのままに……力を抜いて全身を弛緩させていく。
 全スラスター停止、PICも暫定停止。
 機体は私の思考に応じて機体制御を放棄。そして訪れるのは物理法則。
 機体と身体が重力に引かれ、次第に地上への落下を始める。

 空を臨んだまま、背面からの自由落下。
 昇る空。遠くなっていく空。風を感じながら落ちていく。
 通信が一瞬騒がしくなったけれど、大丈夫と答えてみれば静かになってくれた。
 それでも耳元は尚も騒がしい。しかし今捉えているのは声でなく――風。

 速度を増し、音が大きくなる。
 身体を、強い風が押さえ付けてくる。

 さっきまでは、シルバリオ・ゴスペルが防いでいてくれた物達だ。自然の産物。
 彼らを目いっぱいに身体いっぱいに感じ満喫している。
 ついでに今は、通信の方も風の音が響いていてあまり聞こえていないだろう。というか感度はさっき下げさせてもらった。

 だから、誰も聞いていないこの瞬間、たった今だけ私だけのこの瞬間に。

「―――――――ッ!!!!」

 笑う。笑ってみる。大声で。大空で。

 この子と飛んでいる。また飛べている。
 あの時奪われたと思った翼がついに戻った。
 基本動作、各種マニューバの確認でも私の感覚は鈍っていない。機体もきちんと追従してくれている。
 以前と変わらない反応感覚感触。共にいるイメージ。一緒に空を行くイメージ。

 全ては本当に変わっていない。全部が全部、全てが全て。前とは何も。本当に何も。

 それはまるで――七月のあの日。初期化以前、あの頃のように。
 何の縛りもない自由の空を共にした、あの日々のように。

 ああ、本当に良い気分。気持ちの良い時間。気持ちの良い場所。それが私にとっての空。私達の空。

 ……しかし、楽しい時こそとはよく言ったもので。

 憩いの時間もすぐに過ぎてしまって、地面がすぐそこまでに迫っているのが見える
。当然、確認次第、PICは再起動、慣性制御の回復を行う。
 それは目に見える効果をすぐに現し、落下速度を緩やかに軽減していく。

 落ちるから下りるといった速度、そこまで来たところで今度は姿勢制御。地面すれすれ、微かに浮きながら立つように身体を起こす。
 次いでマルチスラスターを点火。機体を小加速させる。
 向かうは彼らが待つ、ガレージ?まぁそんなところ。

 すると、ゆっくり進む私に向けて声が聞こえてきた。それは、まったくと呆れながらも心配してくれる声。
 私が対して返すのは、ごめんなさいという通信を挟んでの謝罪。

 まったく本当、聞こえてくる声は違っても、こんなやり取りさえ何だか懐かしい。
 本当に、アメリカでの空とあまり変わりのないようなやり取り。
 そう、私とシルバリオ・ゴスペル。例え飛ぶ空が変わっても私達は以前と何も変わらない。

 その事がとても嬉しくて楽しくて……どこか悲しい。

 ゆっくりと風を切って帰投する中、私の心にはただただ感情が渦巻いていた。


「次は機動イメージを」

 通信でなく、すぐ傍から聞こえる指示に従いイメージを機体へと伝える。
 されど機体はその場を動かず、マルチスラスターだけが意思に応え、瞬時に噴射口の向きを変えていく。

「スラスターノズル……推力、反応共に正常。タイムラグも誤差範囲内、意思伝達機構にも問題なし、か。ああ、もう大丈夫だ。降りて来てくれ」

 再びの指示。声の主は同一人物。彼の声に従い機体から降りていく。
 一方で最初以来幾度かの飛行を終えたシルバリオ・ゴスペルは、ピットに固定され展開状態のまま。今も整備員達が取り掛かり、各所のチェックが行われている。
 その中で指示を出していたその人物は、手にしたモニターの動きと数値を見ながらも機体に取り掛かる整備員と何やら会話のやり取りの真っ最中。

 そして地上に降りた私と言えば、受け取ったドリンクを傾けながら壁際にて、整備風景を眺めながら思考に耽る。

 ……今日だけでどれくらいの時間を飛んでいたのだろう?

 飛ぶ事に集中し過ぎて、飛行回数や時間の感覚なんかがどこかに飛び去ってしまっていた。
 きっと数時間の枠では収まり切らないだろう。
 始めた頃には真上にあったはずの太陽が、今や遠くに沈み始めている事からそれはもう確かに。

 何かの飛行条件などが付いていれば時間的な判断も出来ようがあったのだけれど。
 限定空間内とは言え「好きなように」の号令の下、ほとんど制限なく飛ばさせてもらったので、本当に自由気ままに今の今まで飛び続けてしまっていた。

「ナターシャ君」

 そうして、整備の様子をぼーっと見ながら考えて。
 ちょうどドリンクがなくなりかけた頃、指揮を取っていた壮年の男性が丁度こちらに近付いて話しかけてくる。

「さて、とりあえず、機体自体に問題は見られない。極めて安定した数値、文字通りの正常だと言っておこう」
「……ありがとうございます。イェルネフェルト教授」

 くすんだ短い金髪の白衣を纏った男性、私に指示を出していたこの人は、アルマス・イェルネフェルト教授。
 ラインアークの創設者であり代表であり、昨日私を邪険に扱ってくれた人でもある。

「感謝などするな。私はただ私のやるべき事をやっているだけだ。それに、今は問題がないとはいえ特定条件をキーにしている可能性も否定は出来んし、こちらの都合でもまだ君をアメリカに帰すわけにはいかんのでね」

 そんな人と今は何とも普通に会話。
 ……まぁ、それもそのはず。

『昨日は、本っ当にすまなかった!』

 開口一番。
 今日の昼頃、屋外試験場で顔を合わせた瞬間に起きた突然の謝罪。
 どうやら昨日、ジョシュアとフィオナによって散々叱られたらしく、なぜか地面に伏せるようにして頭を下げてきた教授。
 何でもその姿勢は、日本にいる友人から教わった最上級の謝罪方法だそうで。

 少し警戒しながら身構えていた私としては、あまりにいきなりの事だったので面を喰らって、昨日とのあまりのギャップに困惑して、もう何だか本当はこういった感じの人なのかなと受け止めるしかなかった。
 そんなこんなの有耶無耶で、面と向かって話してみれば案外気の良い人で、昨日の教授が夢か幻かと思えてきて。
 思わずなるほどと昨日のジョシュアの言い分に納得してしまっていた。

「しかし、この機体は酷く技術傾向が偏っているな」

 昨日と今日。私がそのギャップについて考える中、整備員に囲まれたシルバリオ・ゴスペルへと視線を遣りながら教授が語る。

「GAとオーメル。彼らの共同とは聞いているが、基礎フレームの構造などは丸々オーメル製だと言っていい」

 それは初耳だ。確かに、GAにあるまじき機体だとは思っていたけれど。
 何せGA自体はイグニッションブーストの簡略化に四苦八苦している状況なのに、あの子といえば既存の機体を遥かに凌駕する機動性をも持ち合わせているのだから。

「だが、偏ってはいても、オーメル機体特有の機動ポテンシャルとGA機体の優れた火器管制システム、互いの長所を組み合せるような機体構成。……現段階においては最も完成された機体と言えるだろうな、君のシルバリオ・ゴスペルは」

 語る教授の手には小型の情報端末。その画面左半分には先程の私の飛行データ、機体に取り付けていた記録装置によって保存されていた映像。
 右半分には機体構造や速度、各運動時の荷重や負荷情報などが、色や数値で映像に合わせて目まぐるしく姿を変え動き回っている。

「お詳しいんですね?」

 軍からシルバリオ・ゴスペルのスペックデータが送られているとは言っても、何だかもう扱いが随分と手軽で気軽な感じ。機体への理解が深い部分まで及んでいる様子。
 加えて、愛着?よく分からないけれど、そんな感情さえそこにはありそう。

「まぁな。昔というほど昔ではないが、昔取ったキネヅカという奴だ。君もユディトの名前ぐらいは知っているだろう?」
「確か、オーメルの第三世代機の?」

 ユディト。
 それは、アスピナの技術公表の際に発表された機体であり、第三世代機体の元祖、先駆けとなった存在。
 今ではオーメルやイスラエルの標準機体でもあったはず。

「ああ、そのユディトだ。実の所……あれは、私の作品だったりするのだよ」
「そうなんです、か?」

 えっと作品。つまり教授はユディトのアーキテクト、設計者?
 でも、それだとなぜここに?ではなくて、ユディトに関して……でもなくて。
 とりあえず、一体何から尋ねれば良いのだろう?

「正式にアスピナを離れる為の取引と言った所か。イメージ・インターフェイスの応用技術、温めていたそのアイディアを取り入れたアレを研究所にぶち込んでそのままここへやって来たというわけだ」

 混乱する私とは対照的、私の驚く様を楽しむかのように教授は尚も饒舌に話を続けている。ユディトについて、ラインアークについて、その経緯を交えながら。
 そんな中でやっぱり度々登場しているのが、アスピナという単語。ISに関わるものなら、まず気になるその言葉。

「あの、教授はアスピナと関係が?」
「頭に元が付くがね。だが、それは私だけの話ではないぞ。ここラインアークにおける約半数が元アスピナの研究者や技術者、そういった連中なのさ」

 それで早速尋ねてみれば、今度はラインアークについてのこれまた意外な答え。
 今も作業を行う彼らの大半が、教授の元部下でよく気の知れた存在なんだとか。

「アスピナのネームバリュー。こんな僻地まで飛ばされはして来ても、とにかく安心だけは出来るだろう?」

 ……ええ。それは、まぁ。
 元とはいえ、世界最高と名高いアスピナ機関の技術力。研究への協力の為に私はここへと派遣されたのだけれど、その過程でも何でも、彼らの恩恵に預かれるのだとすれば心強い以外の何物でもない。

「それに、この機体はそのユディトの流れを大いに含んでいる。私達にとってはつまり自分の子供のような……いや孫か?」

 機体を眺めるその横顔は何だか慈しんでいるようにも。

「しかも、オーメルのユディトとGAのサンシャインとが融合したとも言える最高のシステムだ。……そんな物に触れられるというのは、いつだって心が躍る」

 今度はそう言って、教授はふむふむとどこか嬉しそうに仕切に頷いている。
 こうも手放しにシルバリオ・ゴスペルを褒めてくれるのは、我が身の事のように嬉しい。
 でも、語られる評言には少し引っ掛かる部分もあったりして……。

「ですが、教授?最高という意味でしたら、新しく日本に」

 その部分とは『最高』という言葉。不本意ながら、既にそれが更新されつつあるかもしれないという事柄に関して。

 肩書きの更新。
 それを為したのは世界と一線を画した、篠ノ之束博士曰く『第四世代機体』。
 リミッター制限下においても、こちらに匹敵しようかという性能を持つイレギュラーナンバー。

「ん、ああ、紅椿だったか。しかしあれは、タバネが妹の為だけにプレゼントを贈ったといった所だろう?」

 そう、一戦を交えたあの赤い機体、紅椿…………についてなのだけれど、教授は我関せず。特段気にする様子なし。

「いくら高い性能を誇っていたとしても、他人が扱う事を考えず一個人にしか扱えないそれを優れたシステムだとは決して言えんさ。タバネとてそんなものは分かっているはずだ」

 興味や関心は紅椿よりシルバリオ・ゴスペルの方にあるからなのか、話は手にある端末を適当といった感じで弄り眺めながら。その後には、まぁ規格外ではあるのだろうがねと言葉が続く。

 最高の機体?システム?一体どういう事?
 単純な性能では紅椿が上と認識しているような教授のニュアンスだ。
 それなのに、最高はシルバリオ・ゴスペルだと言っている。

「……ふむ、何と言えば良いのか?つまる所、私の指す最高のシステムとは、誰が扱っても最高を示し出せるというものなのだよ」

 誰でも、扱える?

「そう、誰でもだ。個人の資質に左右されにくい高次元での安定した能力、安定した性能。それは過度なパーソナライズを施され、且つ量産が考えられていない紅椿ではまず為し得ない事だ」

 個人に依らないハードウェアとしての安定した能力。求めているのはそういう事だと教授は言う。

「……高機動高火力。尚且つ機体のバランスを破綻させず、操作性をも両立させて見せたシルバリオ・ゴスペル。これこそ、その意味での最高には相応しいだろう?この機体ならば、誰が操ったとしても優れた結果を残せるはずだ」

 個人に合わせたのではなくて、万人に合わせたハード。
 ある個人にとって最高が紅椿であるならば、シルバリオ・ゴスペルは多数にとっての最高。言わば現時点における最良の機体。

 確かに、シルバリオ・ゴスペルは非常に扱いやすい。
 通常動作は元より、超音速下においても難を覚えられないという極めて高い操作性と安定性を実感させてくれる程に。
 通常の機体であれば、そのレベルに達するまでに別個の習熟訓練が必要不可欠である事を考えると、その驚異性は言わずもがなというもの。

 ただ、その教授の言い方だと乗り手である私を馬鹿にしているようにも聞こえなくもない。
 シルバリオ・ゴスペルをまるで、技量なんて関係ない馬鹿でも乗れる機体だとでも言うように。

「いや、もちろん搭乗者の経験と技量も重要だぞ?単純であるからこそ難しくもあり、それこそ、搭乗者次第では最高を超えた未知の場所まで行く可能性すらあるんじゃないかと思っているよ」

 返ってくるのは、怖い顔をしてくれるなと言いたげなわざとらしい笑いを伴った言葉。

 ……本当、それなら良いのだけれど。

 少し胡散臭く思いながらも、教授の笑い声を聞き流し、その笑みを横目に小さく一つ息をついてみる。

「さて、ナターシャ君。君はシルバリオ・ゴスペルの操者であるわけだが」
「……はい?」

 すると聞こえてくるのは、どこか悪戯っぽい声。やっぱり胡散臭く感じながらも俯いた顔が反射的に下から上へ。
 上がった視線の向かう先つまりは教授の面持ちは、大袈裟な笑みから不敵な笑みへといつの間にか姿を変えていて。
 何だろうとこちらが尋ねる間もないままに、にやりとしたどこか挑戦的な表情で私にある問いかけが為されていく。

「君は、その高みに登れる者か否かどちらだと思う?」

 挑発か激励か、教授はこちらを煽るように。本当に不敵な表情で。

 それに対しての答えはまぁ……一応、自信はあると言っておく。
 私とて今はテストパイロットとしての座にはあれど、競争を勝ち抜いて国家の代表となった人間の一人だ。
 自身の力を信じているし、何よりシルバリオ・ゴスペルの事も信頼している。
 でも。

「その表情……今のシルバリオ・ゴスペルはもう以前のシルバリオ・ゴスペルではない、かな?」

 そう、この子は初期化処理を受けた。
 それは機体の性格をフォーマット化する事。つまり、ISの個性を殺す事。
 今のシルバリオ・ゴスペルがシルバリオ・ゴスペルである事に間違いはない。飛んでみた感覚でそれは実感した。
 しかし、かつてのあの子はもうどこにも……。

「だが、それは間違いだぞ、ナターシャ君。初期化されたとしても、シルバリオ・ゴスペルと君との時間が消えたわけではない」

 これはもしかして、私を慰めてくれている?
 昨日の教授と比べたら本当に別人、まるで別人。
 科学者や技術者としても、時間がとかそんなロマンチックな言葉は何だからしくない。

「いや、違う違う。感傷による比喩的表現ではなくてだね、論理的問題だ。本当に消えてはいない」

 教授は少しおどけるように軽い笑いを浮かべながら。
 手に持った端末をしまい込んでは、意識を完全にこちらへと向けていく。

「まず、君は初期化という物がISにとってどんな物なのか知っているかね?」

 語られる問い掛けからの話、説明。それは腕を組み身体を壁へと寄り掛からせながら。

「初期化とは言っても機体のデータを消し去れるわけではなく、単にフィッティングを施した機体の設定をパイロットの適合準備状態に戻していく、ただそれだけの作業なのだよ」

 話す表情は至って真面目に、真剣に。一人の研究者としての顔で。
 どこかで見た覚えがあると思えば、身に纏う雰囲気自体は違えども、まさに昨日の教授の顔だった。
 私もその真剣さに応じるように、自然と姿勢を正してしまう。

「そもそも、彼らのコアは未知の存在……言わば聖域だ。そんな物のデータをどうやって消し去れる?アスピナにおいても推論のみで誰も辿り着けていないその場所を。タバネの開示した情報に従い動かしているに過ぎない、この現状で」

 ――未知の存在。未知の領域。そんな物を消し去ろうなど、私には恐ろしくて出来んよ。

 平静を努めてそう言いながらも教授が一瞬見せる、悔しげな苦味を噛み潰したような表情。
 感じ取れるのは進まないコアの解読に対する無念さか、はたまた……。

 いや、でも、こう言っては申し訳ないのだけれど、今聞きたいのはそんな教授に関してよりもシルバリオ・ゴスペルについての情報だ。
 あの子は消えていない。それが教授の説明が意味する事。

「ですが、シルバリオ・ゴスペルのフォームシフトは確かに解除されていて」
「ああ、確かに。初期化によって今まで積み重ねて来た時間と経験がリセットされてはいるな。セカンドシフトから今の状態に戻っている事からも、それは明白な事だ」

 リセット、そうすると、やっぱり……。

「しかし、だ。私見も込み入ってはいるが、彼らの個性という物についての推察を述べさせてもらいたい」

 そうして、私が落ち込みかけたその時、私の言葉に割り込むような少し強い語調。

 ……良いかな、ナターシャ君?

 いきなりの許可の求めには、もちろんイエスの答え。
 返事の返事。ごほんと一度咳ばらいをした後、教授による新たな説明が始められていく。

「まず大前提として、彼らの個性という物は経験から形成される。どのような装備を付けられ、どのように動かされたのか、そういった機体自体の使用経験……それによって土台、すなわちIS各機の大まかな性格が形作られている」

 それは、個々の機体自体が持つパーツの好みというものがそこから来ているという事を言っているのだと思う。

「次に、その性格や個性を細やかに分ける要因となるのが搭乗者の存在だ」

 説明が続く。

「ISは搭乗者に合わせ、その性格を柔軟に変化させる……搭乗者を解析する事でな。それが一般的に、フィッティングと呼ばれている物だ」

 つまり、フィッティングとは私達を基点として機体に新たな個性を授ける作業という事?

「新たな個性?ああ、その認識で間違いはないだろう。……では、ここでさらに君に質問だ」

 ……一体何なのだろう?
 教授に視線を返しながら、疑問と共に頭を傾げる。

「その機体の乗り手が代わった場合、かつての個性がどこへと向かうのか。ナターシャ君、それを考えた事はあるかい?」

 私の行動を肯定と受け取ったのか告げられる問い。内容はこれまでの個性の行方について。

 言われてみれば、今まであまり考えもしなかった事だ。
 憧れ、目指し、出会い、喜び……そして今へ。
 初めて出会った時の気持ちを忘れてはいないけれど、私はあの子をあの子だとしか認識していなかった。

「ふむ、そうか。だが、そういった個性という存在は消去される事なく、そのまま機体に保存されているのだよ。確かに残っているんだ」

 こちらの反応を見るなりのそうだろうなという小さな声。
 まるで始めから分かり切っていたような様子で小さく頷くと、教授が問いへの解を示し出してくる。

「彼らの個性や性格とはすなわち情報、データの集合体に過ぎない。そしてそういった一度形作られたデータはISのストレージ内に保存され、中でも有用と認められた物がその場所より抽出される事で次代へと自動的に応用、つまり引き継がれていく」

 確信と未知、その狭間の事象、結果だけの事だがね、と浮かべられる苦笑い。
 しかしすぐに、緩めた表情が引き締められ言葉が続く。

「ISは生きているとか常に進化しているなどの言葉を、君も聞いた事があるだろう?」

 まぁ、それはISを表現する際によく言われている事でもあるから、もちろん私も。

「しかし、それは紛れも無く真実であり、本当の意味での『常』を意味するのだよ」

 常?

「そう常だ。搭乗者による運用術からその時その時、毎時毎分毎秒の感情思考はては記憶までも。生み出された情報を蓄積し続け、その蓄積された情報を糧として彼らは進歩と進化を遂げていく」

 ……何だろう。
 熱弁を奮うその表情は真剣そのものではあっても、少しの違和感がある。
 私に対しての言葉ではないような、ここではない誰かに問いかけるような、どこか遠くへと言葉を届けているような。

「ISの成長、人を学んだ機械の行く着く先。もしかしたら、タバネはそれを求めてISを作ったのかもしれんな。……所詮はあの子の思考を予測したに過ぎないが」

 ISが作られた理由?しかも、タバネというのはきっと篠ノ之博士を指しているはず。加えて、その博士をあの子呼ばわり。
 教授はあの篠ノ之束と知り合い?いや、だとしたら、さっきのは当の博士への確認に似た言葉だったのかもしれない。

「……おっと話がそれたか。まぁ、要するに。初期化というのは機体のデータを眠らせた状態にする作業なわけだ」

 話が戻る。
 色々と聞いてみたくはあるけれど、それは後で。
 今は教授の言葉に、ただただ耳をすましていく。

「確かに、機体は経験という新たな情報の獲得により成長を遂げ、個性もまた変化を会得する。しかしシルバリオ・ゴスペルの場合は君がまたすぐに乗るのだから、機体にとってみれば、データの混在する余地はなく眠らせていたデータをただ揺り起こしていくだけでいい」

 えっと、つまり?

「そう、つまり。機体が以前の状態に戻るのも時間の問題だろうと私は考えている。あるいは、既に取り戻しているやもしれんとな。……尤も、それは君とその機体にしか感じ得ぬ事だがね」

 教授はそこまで言うと、大きく息をついた。
 同時に、引き締められた顔を崩し、興味深そうな好奇心に富んだ表情が私をその瞳に捉える。

「で、実際にはどうだったんだ?共にあって違和感はあったのか?」

 真剣でも真面目でも一応ありながら、気楽そうな質問。
 問われるのは今日の飛行について。

 それにしても……違和感?
 そんなものは全くない。あの子はあの子のまま。私の知っているシルバリオ・ゴスペル、空が好きなあの子のままだ。

「そうか、それは僥倖。なればこそという物だ」

 正直な感想を口に出して見れば、腕を組みながら教授がどこか満足そうに再度頷いてみせる。
 その満足げな顔はシルバリオ・ゴスペルをユディトの子だとか、孫だと言っていた影響?喜んでくれているというのはよくわかる。

 とにかく、この人、イェルネフェルト教授の言葉によって、シルバリオ・ゴスペルがシルバリオ・ゴスペルのままだというのは……分かったような分からないような。きっとこれは、昨日の事もあっての信頼関係の問題から。
 それでも本心では、安心というか励みになったというか、ありがたく思えてはいる。

 けれど、一応の安堵の裏側では、あの暴走したデータが残っている事に不安が今少し残っているのも確かでもある。
 もしまた暴走してしまったら、今度はどうなってしまうのかという不安の種が。

「……心配かね?」

 燻る感情から視線をシルバリオ・ゴスペルへと向けていると、私には先ほどより何とも穏やかな声が向けられる。

「まぁ、無理もないな。暴走したというのは変えようのない事実だ」

 言葉は私と同じくシルバリオ・ゴスペルを眺めながら。
 しかし、私と異なるのは自信に満ちた表情、今は穏やかながら強い意志を感じさせる瞳。

「それでも、心配に感じるのであれば今はとにかく信じたまえよ。自身のパートナーであるシルバリオ・ゴスペルの事を」

 ――君のパートナーは君を守る為に抗ったのだろう?

 それは今度こその明確な励まし。助言だ。
 その言葉に、ああ、と思う。

 ……あの時、あの子は私を守る為に戦っていた。
 望まぬ戦闘と機体自身の経験不足故から劣勢となった戦況。
 そして、訪れた危機に対して行われた、機体への負荷を省みない無理矢理のセカンドシフト。

 こちらの操作を受け付けない暴走状態とは言っても、その行動はきっと私の為だった。

「ならば信じないでどうする。君を想うパートナーに君が応えないでどうする。互いに信じ合ってこそのパートナーなのだぞ?」

 言葉が意味するのは、互いに支え合う関係。
 それはある種、重みのあるもの。
 重みは重みでも、どこか心地の良い重み。忘れてはいけない大切な重み。大切な事。

 そう、あの子と私はパートナーだ。
 あの事件で、どれ程の信頼をあの子が失おうとも決してそれは変わる事はない。

 だったら……誰よりもまず私が、あの子を信じてあげずにどうするというのか。
 私が信じられずに誰が信じてあげられるというのか。

「……何だか、ありがとうございます、教授」

 『少しだけ』身をつまされる気持ち。
 こちらを気遣ってくれた事に感謝をと思う。

「教授?」

 いや、思いはしてみた。実際に口にも出してはみた。

「ああは言ってみても、紅椿もやはり弄ってみたい物ではあるよな。だが、タバネに頼もうにもあの子の事だからなぁ……そもそも居場所も分からんし」

 しかし、当の教授と言えば、まだ見ぬ機体に思いを馳せて自分の世界へ没頭中。
 照れ隠しとかならまだしも、全く私の話を聞いた様子もなく一人真剣に半ば悩むように呟いている。

 さてこうなると、改めて感謝を述べるタイミングや雰囲気でもなく、私にとってみればどうすれば良いものやら。

「えっと、篠ノ之博士とはお知り合いなのですか?」

 というわけなので、タバネ、あの子、呟きの中で繰り返される単語。その真意について興味本位で聞いてみる。

「ん?ああ。彼女――タバネとは個人的な面識があってね。人見知りだったあの少女が、今はああも溌剌とやっている姿を見ると……いやはや何とも感慨深いものだよ」

 少女?
 昔に会ったという事だろうか?

「まぁ、チフユという友を得た事がプラスに働いたという事だな。とは言っても、あの二人の関係はタバネにとってもチフユにとっても、掛け替えのない物なのだろうが」

 ……チフユ?織斑、千冬?

「そう、今ではブリュンヒルデなどと大層な名で呼ばれる彼女だよ。その彼女も昔にね。いや、織斑の息女と聞いた時は……と、ああ、そうだったな。確か君もチフユとは面識があるのだったか」
「ええ、一応は……。そこまで親しいというわけではないですが」

 まぁ、互いに面識があって会えば話をする、その程度。
 友人というよりは代表、元代表のコミュニティでの仲間といった風だろうか?
 ビジネスライク、表すならこれが一番適切かもしれない。

「だったら、そうだな。……もし彼女と会う事があればよろしく伝えておいてくれ。君の方が話す機会はあるだろう」

 私にはもう少し気になる事が残っていたけれど、教授はこの話は終わりだと言わんばかりに壁から離れ、シルバリオ・ゴスペルの方へと歩み寄る。

 こちらに二、三度手を振りながら、小さくなる背中。
 作業の真っ最中だった整備員達も彼の姿を見るなりに、機体から離れ少し会話を交わしたと思えば、作業を急遽中断。機材の片付けへ作業を移していく。

 今日はもう終わり?

 そんな風に思える少し慌ただしくなった環境の中、一人教授はピットの機器を慣れた手付きで操作を行う。
 それに合わせるようにして、整備の為に展開状態で固定されていた機体は、操作に応じて瞬時に姿を消した。

「さてと……ほれ、ナターシャ君」

 一連の光景、一体何をと教授の背中を眺めていれば、振り向きながら不意に教授よりモノが投げかけられる。

「え?」

 投げかけられたモノ、それは二つ。
 一つは言葉、もう一つは何か。耳に入ったのは声で、目に入ったのは飛来物。

 いきなりの出来事。でも反射的に身体が対応してくれる。
 小さな放物線を描いて向かってくるモノ、対して掲げた右手。
 私はタイミング良くつかみ取って、何とかそれをこの手の内に収める事ができた。

「大事にしたまえよ」

 かけられる二つ目の声は柔らかな笑みと共に。

「……はい」

 投げた本人がとも思いはするけれど、私の返す言葉も笑みと共に。
 文句よりも何よりも、今の気持ちはそれしか考えられないものだから。

 ――つかみ取ったもの。
 手の中にあるのは、親しみ深い小さな金属の感触。小さなロザリオ。私のシルバリオ・ゴスペル。

「何せISとは、君のあらゆる想いに全力を持って応えてくれる、素晴らしき存在なのだから」

 はい。
 再度の声、再度の返事。
 右手を強く握りしめて。
 何より大切なその存在を感触として確認しながら。

『お父さーん!ナターシャさーん!』

 と、そんな時だ。

『ジョシュアも待ってるから、ご飯食べに行きましょうー!』

 喜びや嬉しさ、そういった種類による感傷に浸っていると、室内に明るい呼び声が反響した。

「はは、まったく、相変わらず騒がしい子だ」

 ええ、何だかそれには私も同意。昨夜の夕食の際も色々と楽しく過ごさせてもらった。
 そういえば、今日はもう良い時間だ。近くの窓より見上げて見れば、月の丸い姿さえ姿を覗かせている。

 静かな光に照らされる、あの空。
 そこを今さっきまで飛んでいたと飛べていたと、そしてまた飛べるのだと思うと、気持ちがまた静かな昂揚によって染められていく。

 ……夢じゃない。夢には見たけど夢ではない。私達はここから再び歩き出せる。飛べる。飛んでいける。

「……それではミス?」

 空に馳せる、これからのそんな思いに浸っていれば、今度は感動を遮るような畏まった声が唐突に私を襲った。

「共に食事などはいかがですかな?」

 我に帰り慌てて空から視線を戻してみる。
 すると、目の前には何だか似合わない紳士の姿。
 私のイメージの先行によりという可能性も無きにしもあらずだけれど、やっぱり似合ってはいないと思う。

「ええ。その誘い、喜んでお受け致しますわ、ミスタ」

 ……それでも、対する私も慣れはしない淑女のロール。
 差し出された紳士の掌に、格好だけでも応えてみようと、軽い気持ちで手を伸ばしてみる。

「もう、お父さん!何、年甲斐もなくナターシャさんを口説こうとしているんですか!?おじさんに口説かれるなんてナターシャさんが可哀相です!」

 しかし、そこには闖入者。その様相といえば、怒りというかは不機嫌。

 現れた彼女はぷんすかとしながらも、文句を唱えつつ私の手を掴み、ずいずいずいとひたすらに進んでいく。
 残された教授は一瞬呆気に取られながらそれに笑いながら謝り、私もまた笑いながらフィオナに引かれ為すがまま。

 その私達の進む先、そこにはやれやれと呆れたように肩を竦めたジョシュアがいて。
 片付け途中の整備員達も笑い声を上げていて。

 一日二日、来たばかり。慣れぬ国に慣れぬ土地、ついでに重要な任務のはずなのだけれど、出会った人達は何だかどうしようなく愉快な人達で。

「……ホント、騒がしい任務になりそうね」

 今日も明日も明後日も、そうして日々が続いていく。
 そんな予感が今、ここには確かに存在していた。





 とりあえず、今回の所はここまでです。

 あの後、フィオナが夕食の際に文句をぶーたれていたりとやっぱり愉快な事はあったのですが、それはまた後の手紙で説明する事になるかと思います。

 それに、フィオナやジョシュア、そしてイェルネフェルト教授。
 とりあえず今日はこの三人について紹介しましたが、まだ紹介したい人がいます。
 ですので、そんな彼らについても、今回紹介出来なかった分、やはり今後の二通目三通目で紹介するので期待しておいてください。

 それでは、本当に長くなり過ぎてしまうのでここまでにしておく事にします。
 でも、伝えて欲しい事を一つ、お願いしてもいいですか?

 イーリには、きちんと真面目に働いて、報告書はちゃんと出す事!と伝えておいてください。
 場合によっては、直々の命令で強制的にやらせてあげてください。
 お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。

 では、今回は本当にここまで。

 最後に、先生……お養父さん。
 そちらは毎日忙しく大変だとは思いますが、くれぐれも身体に気をつけて、元気に健やかに日々をお過ごしください。

 そして、いつかまたお互い元気で会いましょう!

 貴方の娘、ナターシャ・ファイルスより。


 追伸、お酒と煙草は程々に!



[28662] Chapter3-6
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:f41c743f
Date: 2012/06/22 20:11
 日々の喧騒。行き交う人々。
 世間ではもう夏休みに入っているはずなのに、たくさんの人が駅を訪れている。

 学生さんに、サラリーマンの人に、おじいさんおばあさん御年配の人……。
 学生さんには頑張れ。サラリーマンの人にはお疲れ様です。御年配の人には暑いので気をつけてくださいね。と目に入る人達、皆に応援をしたくなってしまう。
 中には家族連れ、友達連れ、もしかしたら恋人同士の人達も。そんな彼らには、お互い今日を楽しみましょう!と内心の声をかける。

 本当に楽しみ。楽しみでしょうがない。

 ラウラと一夏、私と彼……。
 なんと今日は動物園に行く予定!
 動物園での、だ、ダブル……じゃなくて、ラウラと彼の初動物園の案内。
 だから、あまり意識し過ぎないようにしないといけない。変な風に思われたくはないから、いつも通りいつも通りに。
 だけど、意識とかそんなものを差し引いてみても、やっぱり楽しみな事に違いはなくて、こうして待っている間でさえも何だか楽しみになってくる。
 それは、気を抜いたら頬が緩んじゃいそうなぐらいに……全部は本来だったら~の話になるんだけれど。

「ねぇ、俺らと」
「外国の人っしょ?どうせなら案」

 そう、本来。
 さっきから断ってるのに、ずっとしつこく誘ってくる二人の男性。こういう人達がいなかったら、本当に。
 正直、失敗しちゃったんだと思う。
 相手が日本人だったから、話し掛けられた時にそのまま日本語で返しちゃった。
 フランス語や英語で返事をしておいたら、こうもしつこくはされないはずなのに。

 ……もう、早く戻ってこないかなぁ。

 彼への文句を心の中で呟きながら、しつこい彼らには言葉の代わりに視線を外す事で返事にしてみる。つまり、うん。気にしないでおく。

 視界は道行くたくさんの人達へ。
 そこには私みたいに待ち合わせをする人達の姿。
 あ、さっきまで待ちぼうけだった人が手を振って笑顔を浮かべてる。
 笑顔の先に見えるのは、私や彼よりも少し年上っぽい大学生らしい男の人。
 やって来たその人に、待ちわびていた女の人は少し冗談っぽく文句を言っていて、当の男の人はその冗談に合わせるようにしながら、どこか少し大袈裟なしぐさで応えている。
 えっと、何でだろう?じゃれあうみたいな楽しそうな二人の光景に思い出してしまう、こんな事。

『シャルはお嬢様だからね』

 とか色々。他にもいっぱい。
 よく思い返してみると、それはいつも笑いながら。口元に小さくだったり、顔全体に大きくだったり、大小の違いはあってもやっぱり笑顔。
 私の境遇とかを絶対分かっていながら、そうやって言って色々手伝ったりしてくれる。

 もう。からかうみたいに言う事で私を気遣ってくれるのは確かに嬉しいよ?
 だけど、お嬢様扱いしてくれるならそれこそ、こういう時、傍に居てくれないと困るのに。

 ……本当、どこまで行ったんだろう?

 何となく、気になってくるそんな事。彼なら大丈夫だなんて分かり切っている事だけど。
 それでも何だか無性に、不安や心配みたいなものが湧き上がってきてしまう。浮かび上がって来てしまう。
 飲み物を買ってくるよって行ったまま、もうずいぶんと経っている時間。
 一夏達を待たないといけないから、私が待ち合わせ場所に残ったんだけど、それでもやっぱり……遅いよ。

「ほら、いいじ」
「ね?俺た」

 ……ホント、まだかなぁ。

 それと今日が本当に楽しみである事に加えて、一つだけ聞きたい事もあって。
 聞くのは怖いけど、ちゃんと今日こそは彼自身から聞きたいと思う。
 あの時、不意に聞いてしまった事を。あの言葉、その意味を。

 だから、今日は楽しむと同時に、より一層の……。

「――まったく、見苦しいですわね。嫌がる女性に二人掛かりで付き纏うなど」

 ……気合いを入れなきゃって、え?

 ふとそんな時、私が今日こそはと意気込んでいると、どこからともなく突然に、しつこかった二人に対しての声が聞こえて来た。

「あ?」
「何だ、あんた?」
「あなた方には、自身への誇りすらないのかと言ったのですわ!」

 それは何だか浮世離れしたような、それでいて聞き慣れたような、丁寧ながらも険のある若い女の人の声。
 一方で、いきなり降り懸かった忠告とも取れる言葉に驚いたのか、それとも元々自覚があったのかもしれないけれど、男性二人は何だか不快そう。

「つまり、何?」
「君も相手してくれんの?」
「はぁ……、言葉すらまともに通じぬ方達でしたとは」

 やっぱり不機嫌な雰囲気が示す通り、言葉を聞こうみたいな態度とか様子はどこにもなくて、二人は忠告に反して食い下がっていく。
 そんな少し挑発的な二人組みに対して女の人が返すのは、わざわざ聞こえるように話すわざとらしい態度。失望をあらわにする大きくて深い溜め息。

「……そういう事でしたら、改めて分かりやすく、単純明快に言って差し上げましょう。そのような浅ましい言動と行動――恥を知りなさい!」

 そこに続いていく、溜め息から一転の芯の通った意志と強い語気。

 やっぱりどう見ても中々穏便な雰囲気ではないけれど、この人は二人に対して一歩も引かないで私を助けてくれようとしている。
 しかも、相手は男性二人。体格だってスポーツをやってるのか悪くはない二人。普通だったら、怖かったりして出来ない事。やろうと思っても中々出来ない事。
 それでも、この人は男性二人に堂々と立ち向かえるだけの大きな勇気を持っていて、正直に凄いなぁって思える。本当に、羨ましいぐらい凄いなぁって。

 ……声とか口調は、どこかで聞いた事があるような気はするけど。

「――さんを見習って欲しいものですわね」

 うん、やっぱり。ほら、やっぱり。
 うまく聞き取れなかったはずなのに、ぼつりと小さく呟かれた言葉でさえ、絶対に聞き覚えがある。

「とりあえず、お怪我はありませんか?本当に災難でしたわね」

 そうして、こちらとの間に大柄な障害を挟みながらも私を心配して気遣ってくれる女性。
 今のままだと間の二人の影響で白いパンプスしか見えないので、感謝の言葉はちゃんと顔を見ながらじゃないと失礼だよねって思ったりも。
 すると、私がいざ動こうとするその前に、男の人二人が何かに気圧されるようにその間を大きく開けて、えっと、退いて?
 とにかく、おかげでようやく、その人の表情や顔がきちんと目に入ってきてくれた。

「ですが、もうご安心を」

 でも、見えてきたその姿、手入れのよく行き届いた綺麗な金色の髪とかは何だかやっぱり見覚えがあるもので。

「このわたくし、セシリア・オルコットが来たからには――」
「あ、おはよう、セシリア」
「ええ、おはようございます、シャルロットさん……って、シャルロットさん!?」

 うん。道理で見覚えも聞き覚えもあるはずだよね?本当に。
 予想外ではあったけど、もしかしてとかそんな考えは持ってたよ。
 お嬢様言葉って言うのかな、セシリアの口調ってば珍しいから。

「え?何々?知り合」
「だったら、ちょう」

 彼らにとっての障害、つまりセシリアが私と知り合いだと分かると、例の二人は態度を一変。戦々恐々から興味津々に姿を変えて、私達の事をやっぱりしつこく窺って来る。
 でも、今はとりあえず、しつこいこの人達の事は置いておいて。

「な、なぜ、貴女がここに?」
「それは、私が聞きたいんだけどなぁ」

 そう驚きながら聞かれても、私だって十分に驚いてるんだよ?

 いや、それにしても、この場所、この時間、本当に偶然なのかな?偶然にしてはあまりに出来過ぎているような気がする。
 普段でも、セシリアはあまりこっちの方には出掛けてはなかったと思うし、こう何だか、必死な様子で私に詰め寄ってくる姿はど事なく怪しいものでもあるし。
 うーん……やっぱりどうしても、この状況が出来過ぎてるよ。もしかして、偶然じゃないとか?でも、そうすると、どうなんだろう?

「シャルロットさん、ちゃんと聞いていますか?」

 些細な疑問点についてほんの少し思考。思案。考え中。
 でもその考えは、一層私に近付いて顔を覗き込むようにして見るセシリアに遮られてしまう。
 少し不満そうに、それでいて不安そうに眉を寄せるセシリア……さっきの驚きが焦りみたいにも思えて、やっぱりのやっぱりで何だか怪しい。

「もちろんだよ。でもね、私にも少し聞きたい事が……」

 それでも、ううん、怪しさいっぱいのセシリアだからこそ、私も私で逆に尋ねてみようとしたのだけれど。

『おっ巡りさーん!こっちでーす!』

 また別の誰かの声が私の声を遮って聞こえてくる。

「んげっ、まじかよ!?」
「やっべ……!」

 今度のそれは、いかにも警察の人を呼んだように聞こえる声。
 あれだけしつこかった二人も、まさか警察を呼ばれるなんて思ってもいなかったのか、私達には脇目も振らず酷く慌てて退散していく。本当の一目散に、一度も振り返らないで、どこかへと走り出していってしまう。

「ふふっ」

 遠ざかって消えた二つの背中。やっと無くなってくれた煩わしさ。
 起こった目の前での出来事には、思わず口に手をあてがう。誰にも見えないように口を手で軽く押さえていく。
 その理由は笑いが口元に浮かんじゃっていると思ったから。そうなってるだろうなぁって思ったから。
 だけどそれは、別に素早く即座に走り去っていった二人を馬鹿にして笑ってるとかそういう事じゃなくて。
 単純に、聞こえた声とかこんな今の状況に対してなんだ。

「ごめん遅れた。大丈夫だった、シャル?」

 だって。
 聞こえて来ていたその声は、警察の人とか助けを求める誰かの声なんかじゃなくて、明らかな適当加減の気を抜いた彼の声だったから。

「もう、ホントだよ。いったいどこまで……」

 待ち望んだ声。
 やっと来た私の待ち人、今日の大事な主賓である彼。
 近付いて聞こえるその声に対しては、さっきの待ちぼうけの女の人みたいにちょっとの不満と一緒に振り返ってみる。

「……行ってた、の?」

 イメージは楽しそうだったさっきのやり取りで。
 ああいうやり取りって周りの人からは、どんな風に見えるんだろうなぁって思いながら。
 でも、振り返った今は言葉もイメージもそこで途切れてしまって、振り向いた目の前には予想外や違和感がただただ広がっていってしまう。

「あれ?」

 目の前――私の正面には、ミネラルウォーターのペットボトルを両手に持った彼がちゃんといる。見つめる私に首を傾げる彼がいる。
 だけど、問題はそんな彼ではなくて、「おーい」と水を掲げている彼の斜め後ろ。
 男の子としてはあんまり高くない彼と同じくらいの身長をした見慣れた姿。

「な、なな……」

 聞こえてくる、意味を持たない声と震えて揺れる艶のある黒髪――羨ましいぐらいに綺麗なロングヘアーとそれを纏めた二股の少し変則的なポニーテール。

「何故、何故だ……セシリア、何故、お前がここにいる!?」

 うん、つまり、彼の言うところのサムライガール――私の友人である箒が、こちらを指で差しつつ肩を震わせながら、あんぐりと大きな口を開けてそこに立ち尽くしていた。

「箒さん、それはわたくしの台詞ですわ!」

 セシリアと箒、二人の争い。
 一方で私達も私達で、そんな二人に呆気に取られて、つられるようにして顔を見合せてしまう。

 ――ねぇ、一つだけお願いごとして良いかな?
 ――大丈夫、オーケー。任せといて。

 視線でお願いをしてみると、彼もそれを察してくれていた。
 首肯と一緒に、携帯電話を取り出しながら少し離れた場所へと歩いていく彼。

「セシリアっ!」
「箒さんっ!」

 一方でさらに白熱していく二人のバトル。
 だけどそれは、私にとって……ホントにまったくの事で。
 今まで感じていた疑問も違和感も、これで全貌が見えて来てはっきりとしてくれた気がする。
 気がするというよりは、二人がここにいる以上、それは元からほんの少し見えていたものだから、これは確信なのかな?
 うん、きっとそう。たぶんよりきっとより確実に、事の原因、全ての元凶は――。



 それから、とりあえず場所を移した動物園の入口前。

 ……夏だなぁ。

 青い空を見上げてみると、そこにいるのはさんさんとした太陽。照り付ける熱。やっぱり今日は一段と陽射しが強い。
 今みたいに日陰にいたとしても、熱せられたアスファルトが太陽と協力しながら周りの空気を温めてくれていて、こうして見ているだけでも何だかやっぱり暑いね。

『あは、あははは、ははははは……!』

 そんな日陰から空を仰ぎ見る私の近く。耳に飛び込んでくるのは夏虫の鳴き声じゃなくて、どこか虚ろな笑い声。
 ……うん。じゃあそろそろ、現実逃避はやめておこう。

「そうよね、そうなるわよね。一夏だもの、こんな事だろうとは考えてたわよ、思ってたわよっ!ハハ、ハハハ、ハハ……はぁ……」

 駅と違って親子連れの家族が目立つ、とりあえずの入口前。私達を元気に照り付ける真夏の陽射しの下。
 ヤケになった鈴が、頭上に浮かぶ白い雲を見上げながら悲痛な笑い声を響かせている。
 とは言っても、声のボリュームは少し小さめで。それでも、さめざめと涙を流すような鈴の心の叫びは動作とか雰囲気とかから明らかなもので、その気持ちは見ているだけでもよく伝わってくる。

「……鈴さん。お気持ちは十分に分かりますわ」

 けれど、そんな傷心の立場にあったのは鈴だけじゃなくて。

「だから、そう気を落とすな。お前だけじゃない、私達も一緒だ。それに私達はライバルとは言え、その、なんだ……な、仲間なんだからな?」

 思いを一緒にする心強い友人と仲間がいて。

「セシリア、箒……!」

 どんなに落ち込んで傷付いたとしても、いつだって一人じゃない。支えてくれる誰かがいた。
 今の鈴にとってのそれは、セシリアと箒。
 二人が励まし合うように声をかけながら、そのがっくりと落ちた肩に軽く優しく手を添えている。

 感動的なシーン?麗しい友情?

 二人の思いに喚起されたのか、激励に顔を上げた鈴は慈愛顔のセシリア達と目を合わせ、綺麗な笑顔で一度頷くと。

『はぁ』

 二人の背中に手を回して肩を寄せ合って。
 そのまま頭を落として気も落として、同時に深く息をも落としてしまっている。

『……はぁ』

 聞こえてくる、深く重い溜め息の三重奏。
 確かに皆からすると、夏だ!勝負の時だ!チャンスだ!みたいな期待の気持ちが大きかったから、その落胆ぶりもまた大きかったんだと思う。
 上げて落とす。そんな意図もしない形で皆を落ち込ませてしまった今日の動物園なんだけど、やっぱりこれには今回の立案者である私もまた少しの責任を感じる。

 ……ごめんね、皆。私もまさか、一夏があんな行動に出るだなんて考えもしなかったんだ。

 そう、本当だったら、ラウラと一夏、私と彼で来る予定だった動物園。
 それなのに、セシリアがいて箒もいて鈴もいる今の状況。
 この予想外の状況を作り出したのが他でもない一夏だった。
 “ラウラを誘ってね”って私が言ったのは事実だけど、一夏はラウラ以外にもセシリア達にも声をかけてしまっていて……しかも、皆にはその事を知らせてなかったんだろうね。
 自分だけが誘われたと思ってやってきた皆は、今日ここで初めて真実を知って、そのおかげで今の混乱気味の状況が出来上がっちゃった。

 でも、本当はラウラ達と私達で来る予定だったから、そういう意味では皆からするとラウラの抜け駆けを防げたとも言えるはずで。
 一人だけリードされるのとリードは防げても結果的に大きく落胆するのと、皆にとってはどっちが良かった事なのかなぁと少し気になったりもする。
 一番の被害者がラウラである事に間違いはないんだけど。

「おーい、聞いてるか?」

 今回の出来事について考える中、次に耳に入って来たのは、ラウラとは立場が反対の今回一番の加害者の声。
 あ、でも、ごめん。全然、聞いてなかったよ。

「おい」

 正直に返してみれば、そこにあるのは唖然憮然という表情。
 えーと、そういえば、今の私は事情聴取の真っ最中だったんだっけ?

「……おい」

 私の冗談にもっとひどい顔をする、被疑者一夏。
 冗談、そう冗談。本当はきちんと話も聞いてるし、状況の理解もしてはいるよ?
 ただ一夏には、皆が今どんな気持ちでいるのかを知って欲しくて、感じて欲しかったんだ。
 本人は意図的でもないし悪気もないにしても、女の子の純情を弄ぶなんてまったくもって酷い事なんだから……ホント、まったく。

 うん、それじゃあ、話を元に戻すとして。

 つまり、今回は先の事を考えた、“皆の思い出作りの為に”って事でいいのかな?

「あ、ああ。やっぱり、こういうのはやれる時にやった方が良いんじゃないかって思ってな」

 だから、ラウラだけじゃなくて、セシリアや皆の事も誘ったの?

「まぁ、その通りだな」

 一夏の答える表情は真剣そのもの。
 語る言葉には、陰も後ろめたさもどこにも見えなくて、嘘じゃないというのも間違いじゃないと思う。
 さっきも言った通り、悪気なんてどこにも感じられない。あの一夏だから、それは当たり前とも言えるけど。

 ……だけど、それにしても。いや、だからこそ。

 なにぶん、自分だけでなく皆の事を考えての行動だから、たちが悪いよ。
 セシリア達も自分達を思ってくれての事だから中々反論が出来ないし、責められないし、ラウラにいたっては『くっ、なるほど。悔しいがその気遣い、さすがは私の……!』って、怒るどころか、何だか逆に関心しちゃってるし。

 私個人としては、ラウラが喜ぶ姿を見れなかった事に少し不満はあるけれど、ラウラ本人がそういうなら口出しは出来なくて、それに何より……。

「レイヴン。パンダというものを知っているか?」

 ……それでも、当のラウラは今日を楽しみにしてくれているみたいで。
 本当は一夏と一緒にいる事で喜ぶ姿を見たかったのだけれど、方向性は違えどこうして喜んでくれているなら、これでも良いのかなとも思えてきてしまう。
 ラウラのチャンスだって、まだまだ完全に潰れたわけじゃないんだから。全然、これからなんだから。

「パンダ?ええ、もちろん、知っていますよ」

 そのラウラの今現在。話す相手は彼。
 何だかこの二人は波長というか気が合うらしくて、こうして会うと話し込んでいる姿をよく見る気がする。
 話している事自体はほとんどが銃だったり刃物だったりのどこか物騒で不穏な事だったりするんだけど、今日に関してはとびきりの普通で穏やかな話。いつもの二人のイメージと違って子供っぽい話。
 そうやって感じるいつもとのギャップの大きさは、それだけ二人が今日を楽しみにしていてはしゃいでるって事なのかな?

「パンダって、白黒のクマ、ですよね」

 そんな、ラウラの言葉に答える彼。浮かべているのは、知ったかぶりの少し誇らしげな表情。
 アメリカ滞在時にパンダを見に行こうと話題に出して以来、インターネットや本とかでも調べないでおくって言ってたから、その知識はアメリカでのあの会話以来ずっと変わらないままだと思う。

「レイヴン、甘いな。その認識は浅く……やはり甘い」

 そして、彼の拙い知識から来る自信みたいなものは、ラウラによって打ち砕かれていく事になる。

「甘い、ですか?」
「ああ、甘い。甘過ぎる。では、それを示す証拠として、一つの問いをさせて貰おう」
「問い……一体、何を?」

 不敵なラウラと困惑する彼。
 すると、ラウラはにやりと一段に瞳を光らせて、自信満々の様子で言葉を告げた。

「パンダは漢字で大熊猫と書く。それが何を指し示すのか……レイヴン、分かるか?」
「おおくま、ねこ?……くっ、確かに僕の知識はまだ浅い。でも、ラウラさん、それが一体何を示しているというのですか?」
「ふっ、聞いて驚け。漢字とは意味を持つ文字の組み合わせ。つまりだ……大熊猫すなわちパンダとは、クマではなくクマの荒々しさを持ち合わせた大きなネコなのだよ!」
「そんな、まさか!?」

 …………。

 謎の受け答え。問答。
 ふふんと自慢げに胸を張っているラウラと関心や驚きの混ざった様子でラウラを崇めている彼。
 きっと、私達の中では世間知らずツートップの二人。
 本当におかしな勘違い。パンダはパンダで猫じゃないのに。あんまり詳しくない私にだって分かるのに。
 それでもこれは、二人にとって大真面目な話なんだろうね……きっと。うん、きっと。

「……、あー」

 そんな、どうしても聞こえてきてしまう二人によるおかしなやり取りは、さっきまでは真剣な面持ちだったはずの一夏の表情をも切り崩してしまう。
 それは一夏の行動が私達にとって予想外だったように、二人の会話やその内容が一夏にとっての予想外だったみたいで。
 一度崩れた表情は呆れとかそういったものを越えて、どうしたものかという悩みの領域にまで達してしまっている。

「皆さん。わたくしから提案が」
「奇遇だなセシリア。私も一つ言いたい事がある」
「……考えるのが馬鹿らしくなってきたわ」

 加えて、互いの友情を確かめ合っていた三人も、いつの間にか気を取り戻してこっちに近付いて来ていて。
 ははは、ふはは、と今度はのんきに笑い出したツートップの二人を背景にしながら、一夏とセシリア達の目には使命感を思わせるような炎が灯っていて。

「さぁ、シャルロットさん?」

 何だか慈愛心に満ちたセシリアの声を皮切りに、四人の視線が私を襲う。じっとじじっと私を見てくる。

 ……うん、皆が何を言いたいのかは分かるよ。

 皆の事を見渡してみると、そこには不満も文句も何もなくて、ただ一つの事だけを瞳は主張していた。
 主張、願い、想い、そんなもの。

 私も返す視線には意思を込めて、皆を見ながら頷いて返す。そうすると、皆も私の意思を理解してくれたのか無言でありながら力強く頷いてくれた。

「おーい!シャルー?みんなー?」
「お前達、何をしている?さっさと行くぞー?」

 そのタイミングでやってくる、彼とラウラの私達を呼ぶ声。
 待ち切れないって言うみたいに、興味津々と瞳を輝かす二人。周りの子供達に溶け込みそうなぐらい、いつもより子供っぽい二人。
 こんな二人だからこそ、これ以上待たせるのも可哀相だね。

 だったら……皆の期待にも二人の期待にも今、応えよう。

「それじゃあ、皆?」

 さっそく行こうか?
 そうして、皆で楽しもう?

 わくわくの好奇心を身体で表す、先を行く二人。
 そんな二人に負けないように、私達は二人を追って目の前のゲートを潜っていく。



 ――パンダの場合。

 白と黒、愛嬌のある動き。可愛い、やっぱり可愛い。

「クマなのに、クマじゃない?」
「ネコ、これがネコだと?……まさか、そんな信じられん」

 だけど、もう。二人ってば、なんでそんなにショックを受けてるのかな。
 パンダはパンダなのに。クマでもネコでもない、可愛いパンダなのに。

「し、シャル、こいつクマ、だよね?」
「シャルロット、こいつは本当に……本物か?」

 だから、この子はパンダ。れっきとしたパンダだよ。クマじゃないよ。
 それにラウラ?そうやって偽物扱いなんてしたら、動物園にもパンダにだって失礼だよ?

「ぬ、大熊猫……ネコ……」
「……クマの色違い」

 ホントにもう。しょうがないなぁ。


 ――クロトキの場合。

「アイビスだって」
「エジプト神話だと守護者で」
「キリスト教だと不浄の鳥なんだね」
「何だか、忙しそうな鳥だ」
「そうだね。見た目はこんなにおっとり系なのに」


 ――ライオンの場合。

「おお!久しぶりに見たよ」
「あれ?見た事あるの?」
「うん。昔、とある邸宅に忍び込んだとき、すぐ目の前でね」

 え?

「でも、あのたてがみ、何だかシャルみたいだ」

 む、何だか気になる事もあった気がするけど、今のはちょっと聞き捨てならない。私的には聞き流しちゃいけないと思う。

「痛っ!って、え、何?シャル、いきなりどうしたのさ?」

 彼にとっては褒めてるのかもしれないよ?でもね、私は雄じゃないんだから。
 そんな少し失礼な物言いには、お腹の横を少し強くつねってお返し。

「だから、痛いって!……おーい、シャルってばー?」

 ふん、だ。知らないんだから。


 ――トラの場合。

「おお?久しぶりに見たよ」
「えっと、見た事あるの?」
「うん。昔、とある邸宅に忍び込んだとき、こいつもすぐ目の前でね。いや、あの時は危なかった」

 ……一体、何があったんだろう?


 ――ワニの場合。

「おお、久しぶりに見たよ」
「もしかしてなんだけど……これも?」
「うん。昔、とある邸宅に忍び込んだんだけど、そこの池に何匹か浮かんでた」

 ……そもそも、どんな家だったんだろう?


 ――ペンギンの場合。

「……和む」
「……うん」




 ふわふわもこもこ、柔らかそうな胡桃色の毛並み。小さな身体。
 それに、つぶらな瞳。特徴的な大きな耳。
 何かを探すように鼻先をしきりに動かすそのしぐさは、パンダとその可愛さの種類は違っても、きっと誰もが愛らしく感じると思う。
 その証拠に今の私の周りには、子供がはしゃぐ楽しそうな声とお父さんお母さん保護者の人の諌めるようなそれでいてやっぱり楽しそうな声が満ちている。
 中には友達同士や恋人同士みたいな人達もいて、皆が皆、羨ましいぐらいに穏やかで和やかな空気を溢れさせている。

「……どうしよう」

 そんな場所での私というと、さっきまでの意気込みとは正反対に、大きな弱音が出てばかり。

 ねぇ、どうしたら良いのかな、うさぎさん?
 もぐりもぐりと口を動かす小さなうさぎに尋ねてみても、この子はただただ自然にそのままで答えてくれるはずもない。
 答えの場所は、目の前、隣、すぐそこなのに。それを分かってはいるのに。

 だけど出来ない。聞けない。聞けなかった。
 昨日も今日もさっきも今だって、聞こうと思えば聞けたはずなのに、それでも。
 ここを出て行っちゃうの?なんて。それが本当かどうかなんて。

 ずっと楽しみにしていた今日。楽しむぞって考えていた今日。それなのに、楽しみ以上に強く私を襲う悩み事。楽しみと一緒にずっと頭にあった悩み事。
 悩みの原因となったのはつい先日の事。
 ラウラと一緒に遊びに出かけた日の出来事。

 その日は、ラウラがドイツから帰って来てからの最初のお出かけで。
 街に二人で遊びに行って、ラウラの服を見てたくさん買って、ご飯を食べて帰った、いつもの穏やかな日で。
 立ち寄った喫茶店でいきなりお手伝いをする事になったり、ちょっとしたハプニングはあったけれど、それを考えてもやっぱり楽しかった普通の日だった。

 全部が全部……そのあとの彼の言葉を聞いてしまうまでは。

『――北アフリカの方にまた行こうと思ってたりするけど』

 キサラギを訪れていた一夏と彼の食堂での会話。彼の言葉。
 こっそり近付いて驚かせようと隠れていたら、偶然聞いてしまった。聞こえてしまった。

 正直、そんなのは初耳。
 今までに一言だって、彼はそんな事を言ってくれていなかった。
 私が将来、ここに残りたいなぁって思っているように、彼もまたクレストやキサラギに残って一緒にいられるんだと思っていたのに。それなのに。

 ……もしかしたら、旅行感覚で言っていた事かもしれない。
 西アジアとか中東アジアとか色んな国を巡った経験があるって話だから、もしかしたら、コンビニに行くような手軽さで言っていた事なのかもしれない。
 そういう事だったら、普通にそうなの?って聞いてみて、私も行きたいなぁって笑い話に出来るような事なのかもしれない。
 でも私は、臆病になってしまっていた。そんな事にさえ躊躇ってしまう程に。

 思い出すのは七月。シルバリオ・ゴスペルと戦った、あの日。

 私を守る為に両腕を失くして所々から火花を散らす、重厚だったはずの機体。試作機体、第三号機“ガイア”の溶解した正面装甲。
 見るも無惨な姿ではあっても、ただそれだけならまだよかった。問題はそのあと。
 突然に途切れた彼からの通信と異常を示して段々と弱くなっていく彼のバイタルサイン。
 急いで開けたコクピット内の惨状。
 まっさきに感じた鉄のにおい。焼けた計器……コクピット内。私の手を濡らした赤い色。シートを染める赤い色。
 どれだけ声をかけても返事のない、力の抜けた彼の姿。
 ……お腹からたくさんの血を流したまま、まったく動いてくれない彼の姿。

 本当に。本当に怖かった。
 本当にどうしようもなく、彼が死んじゃうなんて事を想起させるものだったから。
 力のない彼の姿は、否応なしに、母さんの最期を思い出してしまうような状況だったから。
 だから頭には最悪のケースが浮かんでしまって、目の前に“死”を突き付けられた気がして、心配や不安、強くて深くて暗いそんな気持ちで胸がいっぱいだった。

 その後、私が彼を無我夢中で病院に運んで、彼は緊急手術を受けて、そのまま入院をして、それからもずっと眠ったままで。
 お見舞いに行っても、彼はチューブに繋がれたまま返事も何もしてくれなくて。
 もう彼の声が聞けないんだって彼の笑顔が見れないんだって、そんな事を一度でも思ってしまうと、胸にまるで大きな穴が空いてしまったように、大きな喪失感が心にぽっかりと出来てしまって。
 悲しくて辛くて苦しくて、どうしようもなくて。

 それでも彼は結局、何事もなかったかのようにけろっと起きてくれて、本当の本当に嬉しかったけれど。
 彼が元気でいる今になっても、心配や不安にも似ていてまた違う、そんなモノがずっと心に残ったままでいる。
 自分でも分からない暗い気持ちがずっとひそかに、確かに胸に残っている。
 もし、この感覚が恐怖なのだとしたら、私はやっぱり臆病になってしまっていて。
 今までは何とか紛らわせていられたはずなのに、何とかもう大丈夫だと思っていたのに……そこに彼の言葉が訪れてしまった。

 聞けない。どうしても聞けない。
 本当に行くって、彼に答えて欲しくないから。
 もしそうなった時“行かないで”なんて彼に言う資格が私にはないから。彼を引き止める権利がないから。
 ……ううん、権利とか資格はあるのかもしれない。でも、彼を引き留められる自信が、私にはない。
 自信がなくて、引き留めようとしても彼を引き留められない私……そんな自分が怖いんだ。
 きっと、彼が本当に行ってしまう事と同じぐらい、彼に対して無力な自分が怖いんだ。

 今の私は彼の友達で。彼の家族で。それでも彼は『契約が……』ってあの時、一夏に言っていた。
 ……契約が切れる。もし彼が今の仕事を終えたとしたら、私達ってどうなっちゃうんだろう?
 それはもしかしたら前みたいな、臨海学校の時みたいな一時の別れじゃない、本当のお別れかもしれなくて。

 友達でいられなくなっちゃうのかな?
 家族でいられなくなっちゃうのかな?
 彼は本当に、いなくなっちゃうのかな?

 嫌だ。そんなの嫌だ。
 そんなの、彼がどこかにいなくなっちゃうなんて、もう会えなくなっちゃうなんて、本当に、本当に嫌だよ……。

「シャル?」

 しゃがみ込みながらうさぎを眺める私に降り懸かる、柔らかな声。
 同時に、頭には何かを被せられる感触があって、空から降り注いでいた熱はそれによって遮られていく。

「どうしたの、大丈夫?」

 心配そうな再度の声。
 だけど、声に振り向いてみても、思い浮かべた声の主の姿は見えなくて。
 ただただ目の前は編み目のある小麦色でいっぱい。

 ……帽、子?

 そう、それは確かに帽子。
 帽子。彼の帽子。麦藁帽子。彼の被っていた麦藁帽子。
 それが今、私の視界を塞ぐように、少し乱雑に私の頭の上に乗せられている。

「体調が悪いんじゃないかなって思ってさ。こうも陽射しは強いし、暑いしね」

 彼と私との間を妨げてしまっている小麦色。
 少し大きめのつばをずらして見てみると、彼は眩しそうに右手を掲げて、仰ぐようにして空を見上げている。
 ――まぁ今は、こんな陽射しはともかくとして……。
 一言の呟き。自分に向けられた視線を感じ取ったのか、空から私に移る視線。

「少し、休もうか?」

 見つめる瞳と声には、心配の色。
 でも、別に私は体調が悪いわけじゃないんだよ。確かに暑いとは思うけど、それは私の悩みとは別のものなんだから。
 だから、大丈夫。

「いや、やっぱり休もう。『大丈夫』なんて言葉はさ、病人がよく言う決まり文句みたいなものなんだから」

 本当に大丈夫だって言ってるのに、彼は頑固一徹?一向に聞いてくれない。
 それに、こうは言っても彼自身、退院直後から無理な運動ばかりしてたから、人の事なんて“絶対に”言えないはずなのに……。

「そ、確かに言えないな。でも、だからこそ経験者は語るってね?」

 もう。自分の事は棚に上げて完全に開き直ってる。
 私がどれだけ心配したのかとか、それを知らないはずもないのに……反省の色も悪びれる様子も全然ない。全然見えない。
 その代わりに彼が見せてくるのは、子供みたいなどこか悪戯っぽい笑い。

 でも、前の彼と今の私、前の私と今の彼。彼からしたら……もしかしたら私からしても、どっちもどっちの事?
 もしそうだとすると、私が前の彼に言っていたように、私は今の彼に従うべき?

「まぁ、とにかくさ。約束の時間にはまだ早いけど、行こうよ?」

 どうしようと考えるふとした時間、その間にも彼が動き出す。
 有無も言わさぬといったように、彼の手が私の手を掴んで、立たされて引かれて足が進む。
 もちろん、広場から外に出る際には、きちんと手を洗ってから。
 それでも、手を洗い終えた後も、彼は私の手を引いていて、さっきまでうさぎといた広場から園内へと場所が移って変わっていく。

 引かれる手。少し強引な行動。
 今までに手を繋いだ時はあっても、その時は軽く手を引く感じだったり、私が引いたりだったから、今日の彼は何だか珍しいのかも。
 本当に珍しい。言い換えるなら、何だか新鮮?
 そんな驚いたほんの少しの気持ちを胸に抱きつつ、落ちないように帽子を支えて目の前の背中を眺めながら、彼から遅れないように歩み付いていく。

「涼しいねー?」
「……うん」

 引かれて歩いて入って、そうして着いた休憩所。
 外とはうって変わった屋内。冷房の行き届いたひやりとした空間。

「気持ちいいね?」
「……うん」

 確かに気持ちいい。
 彼も言う通り、とっても気持ち良く感じる。陽射しに熱せられた身体も少し火照った頬も、じりじりと私達を睨み付けていた太陽から逃れられたおかげで休まっていくような心地がする。
 
 でも、やっぱり気分はまだ晴れてはくれない。それに帽子は……返した方が良い?

「いや、帽子はそのままシャルが使ってて良いよ。僕ぐらいにもなると、あんな太陽なんてただの友人に等しいんだから」

 からりとした屈託のない笑み。
 何だか楽しそうではあるんだけれど、その口から出る言葉には説得力が全然ない。
 夏に入ってからは暑い暑いって嘆いてる姿をよく見てるし、この間だって一緒に勉強する時に、わざわざ冷房の聞いた部屋を借りたりしてたのに。
 今だって、太陽は友達って言いながらも、その顔をふやけるようにさせながら涼んで安らいでるし。ここは楽園だ、みたいに言ってるし。

 もし暑さなんて平気だって言うなら、そんな事もないはずだよね。

「……」
「ど、どうしたの?」

 そんな気持ち良さそうに安らぐ彼を眺めていると、急に彼は黙り込んで私をじっと見つめてくる。
 その絶対に見逃さないぞとでも言うような少し強い眼差し。あまりにいきなりだったから、少しだけ身を竦めて驚いてしまう。ちょっとだけたじろいでしまう。

「――うん」

 やがて大きな頷き。満足そうな笑み。
 えっと?一人で納得されてもわからないよ。
 一体、どうしたんだろう?それとも、何か私、変なのかな?

「いや、本当に体調は問題なかったんだなって。口数も戻ってきたしさ、まぁ、少し安心したよ」

 ……心配してくれてたんだ。
 あまりに真剣にまじまじと見てくるものだから、少し驚いちゃった。
 そんな何だか少しの緊張の後、小さくほっと息をついていると、彼の柔らかな表情が悩ましげな色に染まっていく。

「でも、問題が体調面ではないとすると……もしかして、僕一人ではしゃぎすぎた?それで気を悪くさせちゃってた?」

 眉を寄せた、いかにもごめんねと謝るような視線。
 だけど、そうじゃない。君に気に入らない事があったわけじゃないんだよ。
 今日は私が勝手に悩んで勝手に落ち込んでただけ。あえて言うなら、自分自身が気に入らなかった?

 うん?だけど、さっきの口数って?

「え?いや、だって今日のシャル、途中から口数が少なかった所か無口状態だったよ?何を言っても動物とか空をぽぉーっと眺めてるか、時々こっちをじっと見てるかでさ。皆も皆で心配してたし」

 そう、だったんだ。
 私、全然気が回ってなかった。そんな事さえ自覚出来てなかった。
 せっかくの動物園、彼と一緒の動物園。彼にとっては初めての動物園。
 本当なら今日をもっと楽しんでもらいたかったのに、どうしようどうしようって焦っちゃって、余計な気を使わせちゃった。

「いや、それはそうとしてもだ」

 そうしてまた落ち込んでいると、彼はテーブルに身を乗り出すようにして、少し落ちた私の視線を軽く覗き込んでくる。

「体調が悪いわけでも僕に怒ったわけでもなかったら、一体今日はどうしたの?もしかして困った事とか悩みでも、ある?」

 私を映し込む彼の瞳。力になるよという彼の意思。今の私にとっては、どこか誘惑にも似た彼からの気持ち。
 ……本当の本当に、とてもありがたくて、とっても嬉しい。
 だけど。

「それは……」
「僕には、話せない?」
「……ごめん」

 本当に、ごめん。誰でもない君に直接、話をしたいし聞きたい。聞いてみたい。
 けど、やっぱり私は怖いんだ。怖くてどうしようもないんだ。

「そっ、か」

 私の短い返答に対して、静かに席へと身体を戻していく彼。
 さっきとは対照的なその力の無い様子には、また少し罪悪感が湧き上がってくる。

「……まぁ、僕に話せないって事なら無理強いはしないよ。でも、ラナさんやシゲさん、ラウラさんやセシリアさん達、もしくはさ」

 それでも、彼は引き続いて力になってくれようとしてくれている。
 言葉と一緒に浮かべる笑顔。浮かんだじゃなくて、浮かべた笑顔。私の為に作ってくれた笑顔。作ってくれていた笑顔。

「ジャックさんや一夏にでも、ちゃんと相談した方が良いよ…………良いんだよ、ね?」

 作ってくれていたはずの笑顔。

 途中で何かに気付いたように自問自答へと変わった言葉。それと一緒に笑顔は萎んで急速に失われていく。
 消えていく笑顔、だんだんと彼を占めていく曇り色。それはまるで、私のどんより色が移っちゃったみたいに。

「いや、良いはずなんだ。良いはずなのに、どうして?」

 今度は彼が悩み込む。
 深刻そうな険しい表情を浮かべて。

 私はそんな彼に何をしてあげる事も出来なくて、ただ彼の様子を見ているだけ。
 でも、それが私のせいなんだというのは分かった。
 そう、きっと私のせい。彼の厚意を無下にしたから。断ってしまったから。
 だから、彼はこんな風に。

「本当に、ごめ……」
「いや、シャルのせいじゃない」

 だけど、謝ろうとした再度のごめんの一言は、彼によって遮られてしまう。

「でも!」
「本当にシャルのせいじゃないんだ。ただ、ちょっと自己嫌悪してただけで」

 私の反論も許されず、彼はいつの間にかの苦笑いで自分自身を嘲るように言う。
 でも、自己嫌悪?何で、何でだろう?純粋にそう疑問に思える。
 だって、彼は心配してくれて励まそうとしてくれて、そこに落ち度なんてどこにも見当たらなかったのに。

「……ホント、呆れるよ。馬鹿みたいだ」

 額に手を当てて、俯きながら小さく左右に首を振る。
 本当にどうしたんだろう。気になるけど、何があったのか言ってくれないと分からないよ。

「ん、いや、たいした事じゃ、多分ないんだけどさ」

 彼自身も分かってない様子。自分自身に戸惑ってる?

「さっきは、一夏とか皆に相談した方がって言ったでしょ」

 戸惑いながら静かに話し出してくれる。
 内容は、一人で悩まないでって彼自身がついさっき私に言ってくれた事。

「でも……僕には秘密で一夏には話すのかって、そんな事を考えたら何だかあまり良い気分じゃなくて」

 溜め息混じり。
 自分に何があったのか、一体それがなんなのか、今もそれが分からないみたいで、眉を寄せて考えながら口から言葉がこぼれていく。

「一夏は友人で、一緒に遊んだりしたし良い奴だって事を僕は実際に知ってる。それなのに、何か気が気でないって言うのかな?こうホント何だろ、一夏に向いた悔しさみたいな変な気持ちが湧いて来て」

 彼が抱いていたプラスと抱いたマイナス、一夏への感情。
 彼には覚えがない?それについて考え込むその表情は真剣で深刻そう。

「大体さ、さっきまでシャルの力になるとか思ってたくせに、その直後には、自分勝手に一夏を恨んじゃいないけど変に思ってるとか……こんなの有り得ないでしょ?」

 変わって、また苦笑い。溜め息付き。
 やっぱり、自分について分かってないみたい。
 真剣に真面目に悩んでいても、彼はまだ答えを見つけ出せずにいる。

「……ん、とにかく、シャルが悪いわけじゃないから気にしないで?というか、忘れて?うん、忘れてくれると、色々嬉しい」

 そうして、彼は依然として元気のない様子でそう言うと、座りながら礼をするように頭を下げていく。
 すると聞こえる、ごんって少し痛そうな音。きっとおでこをぶつけた音。
 そんな痛そうな音も今の彼には何のその。そのまま何を気にする様子もなくて、あー、とほんのりの小さな声を出しながら、彼はテーブルに突っ伏してしまった。

 ……さっきのって、嫉妬、だよね?

 彼の話を聞いて思う事。顔を伏せたままの彼を見て思う事。
 今の状況で、そんな事を考えてしまう私は浅ましい人間なのかもしれない。
 でも、それがどれだけ浅ましい事だとしても、私の感想とか思った事は変わらない。
 それだけ、彼の言った事は珍しくて、本当に珍しくて色んな意味で衝撃的だったんだから。

 彼がしてくれる普段の心配とか手伝ってくれる親切さとか優しさとか、そんな日常から見える心。彼から感じる気持ち。くれる気持ち。
 だけど、今さっきの新しい一面は今までになかったもので、彼の心のちょっと奥を見れた気がして、彼自身の秘密を教えてもらえた気がして、それが何だか驚いた以上に嬉しくて。

 しかも、嫉妬してくれたって事はだよ?

 きっと、その、方向性とか色とかベクトルとかは違うかもだけど、少なからず彼が私を思ってくれてるって事のはずで、期待しちゃって良いのかなぁって思えたりもしちゃって。やっぱり、それは嬉しくて。
 何だか、宙に浮かぶような気持ち?
 ほわほわって、まるで浮いてるみたいに。ふわふわって、羽が生えたみたいに。

 何だろう、私、少し舞い上がっちゃってる?

 ……あー、もう、違う。今はそうじゃなくて!
 今はそんな期待感より、私の不安より思う事があるんだ。
 だから、動こう。動かなきゃ。行動しよう。行動しなきゃ。

「ねぇ?」
「んー?」

 顔を伏せる彼に声をかけると、その伏せた体勢のまま顔だけをこちらに向けてくれた。
 だらしない格好、少しふて腐れたような落ち込んだ表情。今の彼らしいと言えば彼らしいけど彼らしくない様子。そうあって欲しくない様子。
 だから私は彼の為に、手を伸ばして攻撃を加えてみる事にする。

「んな……」

 張りと柔らさの調和性?彼の驚く声と一緒に感じる、指の先での心地良さ。
 加えて、驚きも混じった彼の変な顔……じゃなくて不思議な顔。

「なにふるのさ(なにするのさ)」

 彼は横に伸ばされた顔でそう言うけど、基本は無抵抗主義。視線で批難はしてくるけど私の為すがままになっている。
 そう、彼の頬を摘む事、それが私の攻撃。

「そんなに落ち込まないで?」

 そして、これが私のやるべき事。思う事……。

「君にまで落ち込まれたら、私は元気になれないよ」

 ……彼を励ましたい、そう思っての事。

 でも、それは決して私の言える言葉じゃない。発端は私でそのせいで彼はこうして落ち込んでいるのに。
 本当に身勝手で我が儘で。彼に“私を元気にして”“励まして”って、そんな事を要求するみたいな図々しい言葉で。

「だから、元気出して?」

 でも、それは私の本音から出たものでもあるんだ。
 君のそんな顔は見たくないから。君には元気でいてほしいから。私を励ましてほしいから。
 だって、私はそれだけで良いんだから。君が元気でそこにいてくれれば。ただ君が隣にいてさえくれれば。

 ……そう、君がいるだけで私は良い。
 そして今、ここに君がいる。いるんだよね?
 こうして摘む指の感触。君の感触。
 今は落ち込んでしまっているけれど、君は笑ってここにいてくれた。励ましてくれた。
 君は今、ここにいてくれた。
 だから、先の事が将来の事が不安で心配でどうしようもなくても、私と君がいる今のこの時間を心配する必要なんてどこにもなかったんだ。
 だって、私と君はここにいる。一緒にこうしているんだから。

「いきなり突然なんだけど、良いかな?」

 だからこそ、本当に小さくだけど、前に一歩を踏み出せる。

「ん、ひいよ(ん、良いよ)」

 凄く軽く簡単にそのまま、彼は首を縦に振ってくれた。
 うん、ありがとう。感謝を心の中で呟いて気持ちを整えながら、私は小さな一歩を彼へと向ける。

「私ね、君に聞きたい事があるんだ。お願いって言い換えても良いのかもしれない」

 聞きたい事。今までは聞けなかった事。

「ん、何でほ言っへよ?(ん、何でも言ってよ?)」

 君ならそう答えてくれるって分かってたよ……でも。

「でもね、今の私にはそれを聞く勇気がないんだ。心の準備がまだ出来てないんだ」

 うん。私はまだ臆病なまま。
 怖くて不安で心配で、どうしようのないまま。

「だから、それまで待っててくれるかな?絶対、絶対に君に聞くから。誰かじゃなくて他の誰でもなくて、君に絶対聞くから、だから」

 だけど、私は前を向けた。
 先はまだ遠くて見えないけれど、それでも目の前に一歩を踏み出せた。

「……うん。よふわはらなんへぼ、ひゃるが話ひてふれふまへ僕は待ふよ(うん。よく分かんないけど、シャルが話してくれるまで僕は待つよ)」

 今日の一歩――お願いする事のお願い。それを彼は普通に快く了承してくれる。
 時間は限られているけど、彼の答えがどうなるのかなんて分からないけど、それでも。

 ……良かった。
 何も解決はしていない。けれど、踏み出せた事には、素直にほっと息を吐く。
 でも、その安堵の後ろ側で思ってしまう事もある。

 踏み出した一歩――これはもしかしたら、逃げているだけなのかもしれない、なんて。
 解決していない。つまり、問題を先送りにして、見える事実から逃げ出している。
 ただそうやって、怖いから目を閉じて耳を塞いで隠れるだけ。そうしたいだけ。今、聞かずに、今、聞けずに、後で聞くなんて言って本当に。
 ……それは本当に逃げているだけなのかもしれない。

 だけど、本当にだけど、今に解決が出来なくてもきっと私はやってみせる。
 頑張って頑張って、ちゃんと君に聞けるぐらいの自信を持ってみせる。勇気を持ってみせる。
 ううん、違う。欲張りな私だからもっとそれ以上。
 私が君を引き止めるんじゃなくて、私が君にいてもらうんじゃなくて、君自身に“行きたくないよ”って言わせるぐらいのそこまで頑張ってみせる。

 そうすればきっと、その逃げ出した一歩だって前に進んだ一歩として誇れるんだって、そう思えるから。

 ねぇ、だから覚悟してね?私は絶対に君を……。

「ひゃむ」

 ……もう。せっかく頑張ろうと気合いを入れてたのに、何だか格好が付かないなぁ。

 何だかいきなり気が抜ける。思わず出ちゃった変な声と一緒にどこかに抜けていっちゃった。
 両頬に感じるのは指の感触。犯人は目の前、してやったりの顔の人。

 ――お返しだよ。

 鳶色の瞳が悪戯っぽく私にそう告げている。
 うん。でも確かに、正当な反撃かも?
 今の私は彼の頬っぺたを摘んでいて、今の今までずっと摘んでいて。
 しかも、そもそも私の手が届くという事は彼の手もまた届くという事で。

「……まっはふ、ほう(まったく、もう)」

 文字通りの言葉にならない言葉を返しつつ、改めて自分の指を動かしてみる。
 むにむにって音が本当に聞こえてきそうなぐらい、柔らかな彼の頬。
 指でつまんでこぼれた彼の肌色が、私の動きに合わせるように自由に形を変えていく。

 反対に私の方でも同じような状況が?あ、でも、少しだけ違う。
 自分では見えないから確認はできないけど、私がぐにぐにって解すように動かしているのに対して、彼の指は私の頬を、ぐにーん、と少し伸ばしてみたりして、感触を確かめている感じ。

「あ、あとへ(あとね)」

 と、忘れちゃうところだった。私がこうやってぐにぐにやってるのは、ただ彼にお返しのお返しで悪戯するためじゃなくて、ちゃんとした理由があっての事なんだから。
 ……うん、本当に。きっと。

「今日は、ごへん。あとへ、はりがほう(今日は、ごめん。あとね、ありがとう)」

 とにかく。
 それはやっぱりの彼に対する謝罪と感謝のために。私はもう大丈夫だよって、そうきちんと伝えるために。
 どう見てもきちんとじゃないかもしれないけれど、形はどうあれ、それでも彼になら感じ取ってもらえると思うから。

「そんなほ、いいほべふに。おはいこだからは……だはら(そんなの、いいよ別に。おあいこだからさ……だから)」

 彼が返してくれる言葉。
 うん、だから。その続きはきっと……。

 ――今からは、ちゃんと一緒に楽しもう?

 ふにふにむにむにと互いの頬っぺたの感触を言葉にするかのように、その柔らかさを味わいながら話し合う。
 お互いに何を言ってるのかというのは、何でだろう?頬っぺたを通した新しいコミュニケーション?不思議と理解ができた。よく分からないけど、分かってしまえた。

「はむ?」

 そんな不思議な会話の最後は視線でのコミュニケーションを交えながら。彼への大きな頷きで締めてみる。

「……はむ」

 彼も意図を理解してくれたのか、返ってくる同じように大きな頷き。うん、意見交換完了。
 という事で、この不思議なコミュニケーションもここでおしまい。
 何だか名残惜しいけど、これを合図にして、彼と私、お互いにつまんでいたお互いの頬っぺたからお互い同時に手を離していく。

「……もう。少し強く摘みすぎだよ」
「シャルの方こそ。というか、いきなり仕掛けてきたのはシャルの方でしょ」

 会話を終えたら、今度は反省会。
 摘まれていた頬を今度は自分で触りつつ、互いの不満や文句を言い合ってみる。
 彼の表情は眉をひそめて不満げ。私の表情もきっと今は同じような様子なんだと思う。

「……む」
「……むむ」

 その表情のまま睨み合い。
 きっとこれは先に目を離したら負けの勝負。だから、じっと、むむむと彼と視線を合わせ続ける。

「……ふふっ」
「……ははっ」

 やがて不意に溢れる笑い。勝負は引き分け。
 ううん、彼の口は始めから笑いをこらえてたみたいだったから、彼の負け。
 でも、もしかしたら、それは同じように我慢していた私が先なのかもしれないから、私の負け?えっと、やっぱり引き分け。

「ったく、何やってるんだ僕ら。よく分かんない」
「うん、まったく……何なのかな?」

 本当にね……でも、分かる事もあるんだよ?

 お腹を丸めて明るく笑う彼を眺めながら、自分の胸元に、心臓の上にそっと両手を置いてみる。
 手に感じる確かな振動。自分の奥で聞こえてくる、どく、どく、という早くて強い心の鼓動。
 ぽっかりと空いていたはずだった胸の隙間での反響音。
 彼がいてくれたんだってそう意識した時ぐらいから、それが生まれていた。

 やる気?元気?小さな熱。

 それは確かに小さいけれど、それのおかげで隙間の中に暖かさが生まれている。
 まだ彼に聞けない程の勇気がなくて、怖くて不安なはずなのに……ううん、怖くて不安だからこそ、より一層にとても暖かく感じる。その暖かさが私に力をくれる。

 ほのかだけど確かな暖かさ。まだ小さいけれど、力は力。
 小さいのに何だか凄く心強くて、頑張ろうって、頑張るぞって、改めてそう思える。思わせてくれる。

「――ねぇ、シャル。一つお願いがあるんだけど」

 ふと気付くと、そこにはついさっきとは打って変わった、彼の真剣な神妙な表情があった。
 しかも彼ってば、またテーブルに身を乗り出すみたいしてるから、その表情が私のすぐ目前に。

「え?えっ!?……な、なに?」

 本当にいきなりだったから、慌てちゃっても仕方はないと思う。
 それでも、やっぱりおかしく思われたくはないから、平静を頑張って粧って、急いで何とか返事をしてみる。

「もう一度、シャルの頬っぺた触ってもいい?」

 だけど、真剣な表情を決めた彼の口から出て来るのは、真剣とか緊張とは大きく掛け離れたこんなお願い。我が儘。

「……ダーメ」

 対する私はそれを拒んでみる。
 本当は別に構わないかなぁって感じてたりもしてるけど。
 でも、ちょっとした遊び心と悪戯心から彼の言葉を断ってみる。

「ふーん、じゃあ……」
「えっ、と?何なのかな、その指?」

 すると、断られた側の彼の目に怪しげな光がきらりと輝いた。
 うん、見た事あるよこれ。彼が何か良からぬ事を考えついた時の目。
 ついさっき開催された頬っぺた時間じゃ足りないと言わんばかりに、わきわきと動かされた彼の指がそれを明確にしてくれる。

「最後通告だ、シャル」
「そんなの効かないよ。ダメなものは、ダメ」

 彼曰く、どうなっても知らないぞ。
 私曰く、知らないからってどうなるの?

 彼の念押しと攻撃体勢には、私も防御体勢。
 狙われた両頬にそれぞれ片手ずつを置いて、彼から見えないように覆い隠してしまう。
 これなら、彼の手も頬っぺたに届かないから安心安全。完璧なセキュリティ。
 そうして、ほんのちょっぴりの自信を持って、彼の表情はと窺ってみると、

「……甘いよ」

 そんな一言を呟きながら、したり顔の彼は私に向かって手を伸ばしてくる。

「あ!」
「シャルの鼻、もーらいっと」

 伸びてくる彼の右手。つままれた私の鼻。
 そのまま彼は、本当に楽しそうに顔をほころばせながら、自分で言っていた最後通告に続いて交換条件を出してくる。

「さぁ!離して欲しかったら、頬っぺたを僕に解放するんだ。さもないと……」

 さもないと?さもないとどうなるんだろう?
 私がされてる事なのに、彼の表情につられて私もなんだかちょっと楽しみ。

 そう、楽しみになっていたんだけど。

「ふっふっふ、さもないとシャルの鼻はこうやってずっと……」
『おーい』
「……って、あれ?」

 彼による肝心の解説が、呼びかけられた声によって遮られてしまった。
 その声、その方向。声に意識が向いていく。
 向けた視線、声の元、そこは私達のいるテーブルのすぐ横で。
 そして、そこには腕を組みながら私達を見下ろす見慣れた友人の姿。

「一夏?」
「ここにいるって言うから来て見たんだが……ったく、一体、二人で何をやってんだ?」

 私達の方を見て呆れ顔の一夏の姿。

「何って、見ての通りさ?」
「見ての通りって、何だよ?」

 彼の言葉に訝しげな一夏。
 うーん?だけど、いきなり何だよって聞かれても。

「ね?」
「うん」

 彼に確認を取ってみても、彼もまた同じように思ってくれてるみたい。
 一夏に対して、何を言ってるんだかという表情を浮かべている。

 でも、それもそのはず、だって……。

「僕はシャルの鼻を摘まんでる」
「私は鼻を摘まれてる?」

 本当にそれだけの状況なんだから。

「だよね?」
「まぁ、そうだよね」

 ほら、やっぱり。
 迷ったり悩んだりする事なんてないままに、彼もこう言ってる。
 まったく、どうして一夏にはそれが分からないのかな?
 不思議なぐらいだよ。

「……はぁ」

 私達の短いやり取りを見ていた一夏が、少し痛そうに頭を抱える。動作に付随するのは深い溜め息。

「いや、分かった。いやいや、やっぱり、まったくもって何をしてるのかはよく分からねえけどさ。……それは一先ず置いといて、だ。まぁ平常運行、何よりだ」

 尚も一夏は混乱中。だけど、最後の心配にはありがとう。
 気にすんな。私の言葉に一夏はそう言って軽く一度手を振った後、テーブルを挟んだ斜め前、彼の隣に腰を下ろす。

 ――ふぅ。身体の疲れを吐き出すようなダラけ状態の彼みたいな大きな吐息。
 でも、それも一瞬。すぐに一夏は表情を少し引き締めると私達の顔を見回して、テーブルに両肘を置きながらまるで宣言をするみたいな言葉を続けた。

「それじゃまぁ、あいつらもすぐ来るから、揃い次第、飯にしようぜ?」


 こうして、私が勝手に暗雲を漂わせていた彼との今日という日は、午前の時間を消化した事でようやくちゃんと本当の意味で始まっていく。
 午前と少しの午後が悩んでいる内に過ぎちゃった事は凄く凄く惜しい事なのだけれど、時間的に今はまだ折り返し地点。
 今日という日はまだまだ続くので、頑張ってじゃなくて、一緒に目一杯、今日を楽しんでいこうと思う。
 せっかく心も暖かくて調子が良くて、やる事も見えてやる気だっていっぱいなんだから……うん、だから本当に。

 彼と一緒の今を楽しもう、楽しみたいってそう思えるんだ。




[28662] Chapter3-7
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:cdf7752d
Date: 2012/10/19 01:46
 伝播する強く重い鼓動。高くしなやかな空気の囀(さえず)り。
 四方に灯った篝火に照らされて、音色が周囲に鳴り響く。

 神楽舞台。
 集った多くの観衆からすれば一段と高いその場所で揺れる火影に身を曝し、彼女は一人、頭を俯かせながら静かに佇んでいる。
 しゃん、と左手。振られた扇、振られ揺られ打ち鳴る鈴。
 動きは左腕だけであり、抜き身を握った右腕に動きは見られない。左手以外は今も沈黙を貫いている。
 再び、しゃん、二度目となる静音。
 それを合図とするかのようにようやく面は上がり、強い眦(まなじり)が場を蝕む夜を捉えた。
 しゃん――さらに一度。
 三度(みたび)の清音が響き渡ると同時、静から動へと世界が変貌を迎える。
 奏でられ始めた音色の隆盛に合わせ、彼女が舞台に舞い踊る。

 踊り。舞い。
 しかし、それは一般的なダンスではない。
 楽しげな陽気はなく、哀しげな陰気もなく、印象の奥を強かに打つ厳かさのみが満ちていく。
 静やかに、時に荒々しさを以って。
 手に持つ刃は弧を描き、場と人に宿る邪を切り払い。
 しゃんと鳴る鈴の音は清音を以って空気を渡り、空間と聴覚に響き浄め上げる。

 速くはない、激しさもない。愛嬌とは無縁であり可憐という表現も相応しくない。
 しかしそこには、不可侵の神聖、深い神秘性が確かにあった。
 それを示すかのように、舞台を囲う人々は彼女の舞いに目を奪われ、姿に息を飲み、言葉を失い。舞踏の足捌き、手の運び、一挙一投足を見つめるのみの、視線だけの存在となってその神聖を構成する。

 全ては舞台に踊る彼女を中心に。
 そう、つまり今、この時間と空間は響く音と揺れる炎、そして一人の巫女によって支配されていた。

「凄く……綺麗だね、箒」

 舞い踊る巫女。静かに臨む観客達。
 その観衆の中、すぐ隣で舞台を眺める彼女は、舞い踊る友人に目を向けながら小さく僕に言葉を漏らす。

「まぁでも、僕にはむしろ格好良く見えるよ」

 返す言葉は賛同しつつも、別の角度、別の感情で。もちろん、僕だって今の箒さんは綺麗だとは思う。
 動きに合わせて踊る黒髪。緻密なデザインの金の髪飾り。それに確か巫女装束とか何とかって呼ばれる白い着物に赤い袴。
 そんないかにも日本風の服装を、いかにも和風美人的な箒さんがしているんだから似合っていないはずがない。

 けどだってさ……刀だし。刃物にも色々種類はあれど、刀とか凄いかっこいいし。僕としてはやっぱりどうしても何だか、そっちに視線と意識が向かって行ってしまう。
 いや、そもそも。箒さんが剣術を修めているとは言っても、世間一般的な『サムライ』とは違うという事は、日本でのこの数ヶ月の時間の中で何となく分かってきた。
 それでも何というか、日本にちょっと憧れを持っていた僕としてはサムライとかニンジャとかそんな言葉のシンボルマークである刀に惹かれるというのは、多分きっと、至極当然の事だったりで……。
 
「ほーら?ちゃんと見てる?」

 ……はいはい、それはもちろん。ちゃんと見てますよー?

 “まったく、もう”と言わんばかりのどこか呆れた風の声が、僕の持つ言い訳風味の意識をたしなめてきた。
 まぁ確かに、箒さん自身より箒さんの持つ刀とか舞いの動き自体に意識が向かっていたのは事実としてここにあって。心当たりがないとは到底言えやしない。
 だけど、刀かっこいいとか思いながらも箒さんの姿をこの目に映していたというのもまた紛れも無い事実であって、いや、この場合においては、逆にむしろ、だ。
 呆れながらも少し不満そうな顔を向ける彼女にこそ、僕は今思うほんの少しの言葉を返してみたい。

「ほら?シャルの方こそ、箒さんの晴れ姿を見といてあげなきゃ」

 鼓笛と舞いの続く中、こちらを見ている彼女に僕は舞台を指で示しながら逆に彼女をたしなめてみる。
 ……シャルこそ今は見てないじゃんか?僕は完全ではないにしてもちゃんと舞台を見てたよ?

「もう……」

 まったくと僕を見ながらの大きな溜め息。その仕種を見るからに、またちょっと呆れられてしまったみたいだ。
 だけどそんな態度を見せながらも、綺麗だなぁとシャルは再び羨ましそうに箒さんへと視線を向けていく。

 ――しゃしゃん。

 そんな横顔につられて再度、舞台に向かう意識と視線。
 引き続いての舞いと共に僕の意識の中へと押し入ってくるのは、先程より少し強くなったように思える鈴の音。心なしか、刃の軌道もさらに鋭く。
 言うなれば、クライマックス?今まで意識を少し別としていた僕らを抜きとすれば、いつの間にか周囲の緊張感、空気の重みさえも最高潮に到っているような感じがする。

 ――しゃん。

 そして、始まりがあれば終わりがあって。
 全ては動から静へ。その静やかな鈴の音と共に太鼓と笛の音色が消えゆく。
 箒さんも今さっき清音と一緒に振るった大きな横薙ぎを最後としてその動きを落ち着け、始まりと同じように再び目を閉じ刀を納め、どこかへと祈りを捧げ始めた。

 音色が消え、場を占有する沈黙。
 沈黙……正確にはアンコールのような虫達の歌と篝木の弾ける小さな赤火のざわめき。
 人の声はなく、多くの瞳はただただ舞台を見守るのみ。静かな時間と空気だけが空間を流れていく。
 僕もシャルもその雰囲気の流れに身を任せて、祈る箒さんを眺め続けている。

 そのままでの数分間数秒間、あるいは数十秒間。やがてそんな時間が流れた後、箒さんが遂に動いた。
 一礼。
 深々と行われたそれは、祈りに対してか、神に対してか、人に対してか、よく分かりはしない物。それでもとにかく、緊張を漂わせる真剣な面持ちでの一礼。
 続いて間を置かずに、また一礼。
 今度は未だに真剣さを携えながらも、どこかほっとした表情を滲ませた、おそらく僕らを含む観衆に向けた物。
 それは周囲の空気から緊張を取り払う役割も担っていた様子で、一礼から間もなく即座に人々の間で盛大な拍手が巻き上がる。

『よっ!箒ちゃん、日本一!』

 こんな歓声が上がる辺り、ここが箒さんの地元なだけあって、中々やっぱり可愛がられてたんだろうなという印象も受ける。
 そんな歓声と共に起きた拍手は鳴り止む事を知らず、箒さんは緊張からかそれとも緊張からの開放感からか、表情を少し赤く上気させていて。
 慌てたように深々ともう一度大きく頭を下げて見せると、拍手と歓声の中、心持ち少しの早足で舞台からその姿を消していった。

 消えた箒さん。篝火が照らす無人の舞台。
 こうなると、もうここに用はなくなった。となれば、次の目的地だ。
 大きな役目を消化したので、箒さんが次に向かう先はきっと箒さん自身の家のはず。それは、ここ自体が箒さんの実家なわけでもあるし。
 つまりは、次の場所は箒さん自身の場所。つまりのつまり、箒さんに会いに行こう。
 とは言っても、元から一夏と段取りは決めてあって、それこそが今日の僕らの予定だったりもする。

「それじゃあ、行こうか?」
「うん。だけど……」

 一夏提唱の本日の計画。
 僕がこれについて言ってみると、シャルは袖で口元を隠すみたいにして、表情を軽く綻ばせた。

「……箒も驚くだろうなぁ」

 湛えた笑みと楽しげな口調。

 でも、いやはやまったく。それには同意。立案者の一夏も本当に中々意地が悪いというか何と言うか。
 一切今日の事を知らされていない箒さんは、驚きすぎてこの間みたいにまた硬直しちゃうんじゃないだろうか。

「でも、ちょっとそれは楽しみかも」

 シャルはシャルでこんな事、言ってるし。シャルが存外に悪戯好きなのは間違いない。
 それがシャル本来の物なのか、ジャックやラナの影響なのかは計り知れない所ではあるけれど。ちなみに僕は、シャル元々の物な気がしている。

 まぁ、それはともかく。

「だけどシャル?まだ慣れてないんだから、足元には気をつけなよ?」

 今日は本当、慣れない服装に慣れない足元なんだから特に。ここに来るまでだって歩きにくそうだったし。

「ありがとう。でも大丈夫だよ?」

 僕の言葉に少し考えるような素振りをみせると、シャルは少し自信の篭った様子と表情で何やら言葉を返してくる。

「転びそうになったら助けてくれるでしょ?」

 ……そりゃ、助けるけどさ。
 何だか転ぶのが前提にあるような気がしないでもない。でも、どうなんだろう、それ。
 もうちょっと、こう、自助努力的な何かがあっていいような気もあったりなかったり。

「なら、大丈夫だよ」

 ん……。
 何だか釈然としない部分は残るけど、シャルにそう言われるとそれでも良い、何の問題もないような気がして来た。

「うん。だったらほら、早く箒のところに行こう?」

 そうして、楽しそうに袖を翻して行動を促してくるシャル。
 僕ら二人、一夏達とはこの人混みのせいではぐれてしまったとはいえ目的地は同じ、いずれまたすぐに合流出来るだろう。

「そうだね、早速行こうか?」

 だから、今はからんと足元を鳴らす彼女が転んだりしないように。
 彼女の横で歩く姿を見守っていく。
 そんな夏の日。そんな夏の夜。そんな夏のとある時間。
 今日は、箒さんのご実家、篠ノ之神社で催されている夏祭りにやって来ていた。




 ――篠ノ之神社。
 ――最寄りの駅よりバスで約十五分。
 ――結婚式・諸祈願、承ります。気軽にご相談ください。
 ――おみくじ一回百円。

 表には文字列、花火のイラストを背景とした何だか逞しい宣伝広告。いや、神社だってボランティアではないのだから当然といえば当然?といえる懸命で賢明な経済活動。
 次いで裏側を見てみれば、そこには境内・敷地の詳細マップ。休憩所、駐車場、お手洗い……知ってて損なし親切設計。

 見ても良し、扇いでも良し、おまけに無料配布と、財布にも優しく誰もが嬉しい三重得。
 駅前とか街でよく配っているポケットティッシュもそうだし、こういうのって本当に得した気分になる。
 しかも、実際にもらった物が役立つとなると、さらに何だかお得感は満載。
 とは言っても。僕自身は使う時に思い切って“どりゃー”と使うタイプだから、別に貧乏性だったり、金の亡者ってわけでもないんだけど、無料とかタダって響きは……やっぱり魔性の響きだ。

 “タダより高い物はない”
 かつて誰かが言った教訓が存在しようとも、この場合は無料でありながら無償でもあるので警戒する必要もないだろう。
 普段だったら無料だなんて真っ先に疑ってかかる話でも、この場合は厚意と宣伝を狙った少しの商売心による物なのだから、むしろそういった方が警戒心も自然と薄れる。
 それに出所もはっきりしているとなれば、どうしてこれを受け止めずにいられようか。いや、これはもうこのお得感を享受せざるを得ない。享受するしかない。

 いくつにも分岐しているプラスチックの骨組みと、骨組みを軸に帆のように裏表の両面に貼られたインクジェット紙。オーソドックスな量産タイプ。その「うちわ」を眺めての長考愚考のオンパレード。
 それはあるいは熱帯夜故の熱暴走か、否か。何故、愚考に走ったのかは、もはや既に記憶の彼方。
 でもそんな時、愚考を洗い冷ますように、こちらに向かって小さな風がそよいだ。

「どうしたの?」

 揺れる前髪。すぐ横からの風。聞こえる声。
 その手にはゆっくりとこちらに向けて動かされている、うちわ。
 早速の有効活用だ。……うん、涼しい。

「いや、うちわについて考えてただけ」

 僕の正直な答えには“変なの”とうちわで扇ぎながらシャルは笑顔を見せてくれる。

「でもやっぱり、箒ってば驚いてたね?」
「だねぇ」
「もしかしたら、恥ずかしがってたのかな?」
「かもねぇ」

 老若男女の人波の中、観光気分。二人で周りの光景や雰囲気を楽しみながら、道を行く。
 今は僕ら二人だけなのだけれど、一緒に来た一夏達とは決してはぐれたわけではなくて、ラウラさんや箒さん達皆の邪魔にならないようにという事での別行動中だ。
 それは、いわゆる“後は若い二人に任せて〜”的な物のアップデート版。シャルの言葉を拝借すれば、皆のお邪魔になっちゃうからとの事。

 ……いや、とりあえず、それはさておき。
 本日のメインミッション、箒さんサプライズ計画は無事に完了。見事、目標を驚かす事に成功した。
 箒さん自宅への不意打ち、奇襲。夜だから夜襲。
 ついさっき行われた神秘的な神楽舞を一夏達に褒められた事が余程照れ臭いか恥ずかしかったらしく、目標でその舞い手だった箒さんは顔を赤くしながら文句を言う事でしか色々と対応出来ていなかった。
 まぁ、文句と言っても罵詈雑言の悪態ではなくて明らかな照れ隠しだったから、そんな箒さんを皆でにやにやと眺めていた事は言葉で語るまでもない。

 でも、深赤色の浴衣を身に纏った、照れ過ぎて素直になれない箒さんの姿は、何だかいつもとは違っていたように思える。
 僕の知る箒さんは、一夏の姉であり教師でもある織斑千冬さんにも通ずるイメージ。言うなれば真面目で堅くて凛々しい……それを今日は受動的に一目で切り崩してきた。

 何だろう?
 服装一つで印象が変わる。
 綺麗は綺麗でも、ついさっきの神楽舞での舞台上――袴姿、巫女衣装に身を包んだ箒さんは、確かに神秘的でどこか近寄りがたそうな雰囲気の綺麗で。
 それに対して、サプライズに照れていたさっきの箒さんと言えば、人の目を惹き付けるような和服美人、浴衣美人。
 僕もというか僕らがみんな、その姿におおっ!といった感じで感嘆の息を漏らしてしまう程の様相だった。

「ねぇ見て?“射的”だって?」

 おっと……そして、忘れていたわけではもちろんないけれど、浴衣美人ならここにもう一人。
 綺麗に身に纏うのは、袖に花の模様のある髪色に合わせたような向日葵色の浴衣と雛げし色の帯。
 普段は背中に尻尾を形成している髪の毛も、今は頭の後ろで軽くシンプルに結い上げられていて、箒さんと同じようにやっぱりいつもと違う気がする。

 着飾った姿、それはもちろん綺麗だし、大人っぽい。それでも、あえて個人的な感想を言うなら、シャルは綺麗というよりは――直接言うには何だか気恥ずかしいけれど、その……いや、とにかく!
 シャルと箒さん、僕から見ても同じく似合っている二人なのに、それぞれ浴衣姿に変身した姿での印象が違って来る。
 これも僕の抱く普段のイメージの違いからなのだろうか?
 いつもだと向日葵みたいな柔らか笑顔のシャルと日本刀みたいな真剣凛々しい箒さん……そんな違いから。

 ……あと、ついでに。ついで?いや、おまけのおまけ程度に。
 一応、僕も浴衣を着ているわけなのだけれど、着飾ったシャルに比べたら地味過ぎて釣り合っていない気がしてならない。柄とかの問題じゃない。ぶっちゃけ僕に華がない。
 華々しさとは無縁な物だと自分自身理解もしているし、地味なのもある意味性分だと自覚はしていても、何だかそれはやっぱり気になる。
 劣等感とかじゃなくて、こんな僕をどう思っているんだろう的な、そんな感覚で。
 僕という存在がシャルの魅力や眩しさを損なわせてはいないかと、そんな意味で。

「ねぇねぇ、やってみようよ!」

 でも、当のシャルと言えば、僕の地味さを気にしてはいないみたいだ。
 僕の心配なんて気にも止めず、目的の屋台を指差しながら、僕の浴衣その右袖を引っ張ってくる。
 本当に気にしてないのか、そもそも気付いてないのか、よくは分からない。それが良い事なのか良くない事なのかさえも分かりはしないけれど、とりあえずシャルはそんな事よりも僕に行動を求めている。
 だったら、まずはその要望に応えよう。
 悩むよりは一緒に楽しんでいたいし。というより正直、考えたって仕方のない事だし。

 さて、その要望――射的。
 費用は一回二百円。カードが使用不可とはいえ、事前情報に従って、小銭もきちんと十分に用意をして来たので問題はなし。
 準備は万端。意気も揚々。
 しかも、これは銃器を使う。
 一応、仮にも銃器を扱う本職としては、例えそれが玩具で遊びなのだとしても結果を出さなくてはならない。
 例え遊びでも全力だ。少なくともシャルには負けられない。

 ……というか本音を言えば、格好悪い姿は見せたくない。
 だから本気で全力で。今までに培った全てを出し切るように。この勝負にぶつけていく。

『いやぁ、すまんねぇお二人さん。今日はもう終いなんだわ』

 しかし、いざ屋台を目の前にしてみたところ、中年を過ぎた鉢巻き姿の男性――屋台の主はこう語る。
 予想だにしない言葉には思わず、呆然とした。隣のシャルもなんでだろうと不思議そうにこちらを見ている。
 何せ、今日の祭りの終了時間までは、まだ時間がかなりあるはずなのだから。
 だけど、道理で食べ物屋系の屋台が絶賛営業中にも関わらず、ここにはお客がいないはず。
 でもそれは、結果論的な納得と共に僕らの疑問をさらに深める事でもある。

「残念です。ですが――」

 返事をするついで、一体何がとその事情について尋ねてみる。
 すると屋台のおじさんは、どこか遠くを見遣り、拳を握り締め、悔しさと哀愁とを漂わせながらもきちんと質問に答えてくれた。
 そしてその肝心の内容……それは何でも。

『屋台破りだ。俺も何とか応戦したんだが、景品のことごとくを持っていかれちまった……』

 との事。
 なるほど。でも、まさかのそんな存在。
 ……気に入らない。何と言う非道。何たる不粋。許せるものじゃない。多くの人が楽しむはずだった屋台を個人で独占するだなんて。僕もいざやろうと息込んでいたのに。
 まったく。その犯人とやらは一体どんな人相をしているのやら。

『犯人(やっこさん)はどこか品のある金髪と眼帯を付けたちっこい銀髪の外人の嬢ちゃん二人組だ。ここいらでは見掛けねえ顔だったが可愛い外見に似合わず、凄え気合いでかなりのやり手だったぜ』

 あ。はい、なるほど。そんな人相でしたか。
 品、金髪。眼帯銀髪。……嫌な予感しかない。心当たりも恐ろしいぐらいにあって、該当しそうな人物像もちょうど二件ほど記憶に存在している。
 むしろ身体的特徴完全合致。金髪ってだけならまだしも、眼帯に銀髪なんてこれは……。

 というか、おじさん、あなたの見立ては極めて正しいです。多分おそらく間違いなく相手は強敵でやり手、何と言っても一人は熟練者(エキスパート)で、もう一人は本職(プロ)でしたから。だから、実力は保証します。
 そして、というか、その……本当にすみませんでした。

『そういえば、三つ隣の金魚掬いも向かいの型抜きもやられたみたいだな。しかも、型抜きの所はこれまた気合いの入った黒髪の二人組で、ちょうどお前さんらと同じくらいの年頃だったらしいぞ。……しかし一人は箒ちゃんに似ていただなんて、あいつももう歳かねぇ』

 ……黒髪?凰さんに箒さん?
 冗談っぽく語られた新たな人物像に、“いや、まさかな”と思い浮かんだのは、またとある二人の人物。

 もし、これがまさしく本人なのだとしたら、今ここでは何が起きているんだろう?
 一夏達は一体、何をやっているんだろう?いや、本当にこれは一夏達の仕業なのだろうか?偶然という可能性も無きにしもあらず?いやいや……でも、やっぱり一夏達なんだろうなぁ。

 身体的特徴など話からすれば確実で決定的な事なのだろうけれど、どうしても一夏達が屋台破りに至るまでの経緯が思い付かない。
 普段は分別のある皆なのに、どうしてこんな事に?

「シャル」
「うん、分かってるよ」

 真剣な様子で被害報告に耳を傾けているお隣さんに声を掛けてみると、そこでは正義の心が燃えていた。
 笑顔と平穏を愛する正義のヒロイン、ここにあり。

「そっか。じゃあ……とうもろこし食べる?」
「え……、え?」

 でも、僕が言葉を続けてみると、シャルが大きくたたらを踏み込む。
 しかも、“私、ちょっと怒ってます!”と言うような、さっきの義憤に燃えた表情は萎んでいって、今は何だか困った表情に変わっている。

「えっと、ここは一夏達を止めに行くところじゃないの?」

 戸惑いを隠せないまま眉尻を少し下げた、不満と困惑の混乱の合いの子といったシャルの疑問。
 まぁ確かに、それも有効な選択肢の一つには違いない。

「僕はさ、一夏達の事を信じてるから」

 しかし、ここでは疑問に対し、深い信頼と友情を全面的に大々的に打ち出す事で解答する。

 それは決して、面倒だからという理由からではない。
 思うところはあっても、強盗とかそんな類いを一夏達がするわけでもないし、きっと考えがあっての事なのだから。
 だから本当に、面倒だとかほっとこうだとかそういうわけじゃない。
 そう、決して。おそらく多分。

「という事で今は――食べよう」

 つまり悲しいかな。一夏達の計画外に位置する僕らは、こうしてお祭りを楽しむ事しか出来ないんだ。
 甘いたれの匂いを漂わせる焼きとうもろこし屋、タコ焼き、大阪焼き……立ち並ぶ色んな屋台を見ながら思う。

 ……いや本当に、一夏達の力になれないのは無念で仕方がない。うん、しょうがない。

 だから、その無念さを心に込めて、どれにしようかと指先にもついでに込めて、立ち並ぶ屋台を示しながら、シャルを食欲でこちら側へと誘ってみる。

「わ、私はいいよ」

 遠慮がちな様子。誘い失敗。
 だけど、怒ってるわけじゃない。納得が出来てないからってわけでもないみたいだ。理由はそれとは別の何か。
 ん、コーンが嫌いだとか?いや、というかシャルって、コーンとか苦手だったっけ?
 まぁともかく、とうもろこしがダメって言うのなら。

「じゃあ、イカ焼きは?」
「うぅ……遠慮、しておくよ」

 名残惜しそう。でも、断られた。

「林檎飴は?」
「……いらないよ?」
「綿飴は?大判焼きは?大阪焼きは?」
「今はね、あんまりお腹空いてないんだ」

 現状でのあらゆる手、猛攻が退けられる。決まり手はお腹が空いてない。文字通りに受け止めれば、ホントそのままに。本当の意味でしょうがない事。
 だけど、今現在のそれは怪しい。かなり怪しい。体調が悪そうなわけでもないし、今日何かを他に食べていたわけでもないし。
 食欲がないとか言いながら周りの屋台からは不自然に視線を外していて、本当は食べたそうにしているのに。
 でも、何故?

「もしかして……ダイエット、とか?」
「そ、そんな事ないよ?」

 疑問に疑問系で返された。しかも、視線も泳いで何かを隠すように何だかうろたえている。
 つまり、決まり?原因はダイエットなのかもしれない。けれど余計に謎が深まる。
 シャルがダイエット?痩せたい?いや、だってそんなの……。

「……シャル。無理なダイエットは身体に悪いよ?それにそもそも、シャルはダイエットとかする必要もないでしょ?」

 結構、シャル自身も細身だと思うのに、そこの所はどうなんだろう。
 確かに僕のナノマシンを羨ましいとかって言ってはいたけど、いきなり急にというのも腑に落ちない。

「ありがとう……でも……」

 でも?
 一瞬、シャルは笑顔に変わりかけて、すぐにそれが萎んでいく。

「私ね、目標があるんだ」

 そうして、シャルが何かを決心した面持ちで語り始める。

「私が臨海学校に行ったのは覚えてるよね?」

 ん?それはもちろん。何せ腹に穴を開けられて死にかけた出来事にも関連しているわけだし。
 そんな騒ぎになる前の一日目は、自由時間で楽しかったよー!ってシャルも電話で言ってたよね?

「うん。ちょうどその時の事なんだ。だってね――」

 以下内容をざっくばらんに要約すると、一夏の姉でありシャル達の担任でもある織斑先生の水着姿が半端なかったらしい。なんでも、圧倒されて驚愕して憧れたそうな。
 いや、織斑先生が生きる伝説であるとかって話は聞いているし、先生自身かなり身体を鍛えていそうだとかって思いもするけれども、正直何で今更シャルはとか、そんな風に思わない事もない。
 でも、きっとシャルも何か思うところがあったんだと思う。そこは聞かないでおく。

 それにしても、夏の海に水着。
 織斑先生がって今さっき言ってはいたけれど、皆でが海に行って遊んだという事は、その時はきっとシャルも水着姿でいたって事で――。

 ……。

 …………。

 ――って、いや。いやいや。いやいやいや……。
 不意に思い浮かんでしまった情景を、心の中から慌てて消去する。
 それでも残る残像に対しては、頭を左右に振って思考から追い出していく。ごまかす。

 ……本当に不埒で。邪で。破廉恥で。ダメだ。

 シャルが学園の制服を見せてくれた時もそうだったけど、シャルの事をそんな目でそんな風に見てしまうなんて。
 親しき中にも礼儀あり。そうやっていやらしいというか、変な気持ちで見るのはデリカシーとか色んな物がなくて、シャルに失礼というか申し訳ないというか……とにかくダメだ。ダメダメだ。

「やっぱり、そうだよね……」

 だけど――えっと、シャル?
 何だか何故か、僕が邪念を払っている間にも、シャルが落ち込み状態ガックリモードに突入している。

「男の子はやっぱり、織斑先生みたいなああいう凄いスタイルの方が良いんだもんね……?」

 いや、シャル?一体何を言って――?

「……だって。顔、赤いよ?」

 顔?
 確かに顔は赤いかもしれない。気温や湿度、ましてや屋台のせいではなくて、発熱してる。ちょっと熱い。顔が熱い。
 だけど――何でそこに織斑先生が関係して……ん、もしかして勘違いしてる?

 もし、そうなのだとしたら、それは違うよ。
 僕の顔の赤さに織斑先生は何も関係がなくて、それはただちょっと思い出しちゃってただけの事だから。

「思い出しちゃったって、何を?」

 何をって、それは、その――。

「……みずぎ」
「え、なに?」

 僕の呟きに、シャルが聞き返して答える。
 それは、ただ純粋。ただただ疑問に感じたみたいで首を軽く傾けながら。
 つまり、僕の一言はどうにも上手く伝わらなかったみたいだ。

 だから、そんなシャルに対して僕も息を飲み意の意を決し、恥を忍びつつ、彼女に聞こえるようにはっきりと、何とか言葉に形作ってみる。

「だ、だから!シャルの水着の事っ!シャルが選んでって言ってたあの時の!」

 そう、それは街で偶然出会った迷子――シズカを見送った後に起きた、ある意味忌まわしい出来事。
 シズカとセレンさんの再開を見届けたあの後、シャルに連れられてそのお店に入ってみれば、そこは男にとっての完全アウェイ区域が存在していて。
 そんな場所である意味、僕にとっての難題を突き付けてくる彼女に対して、周りから突き刺さる視線に耐えながらも僕は何とか頑張って……。
 むむ、言ってしまった事に対して、シャルの反応が気になるけど、今は面と向かって話せそうにない。顔とか見せられない。 今思い出すだけでも恥ずかしい。気恥ずかしい。もう何か、顔から火とか出てきそうだ。

 けれども、何とも無情。泣きっ面に蜂。ある意味弱っている僕に追い討ちが掛けられた。

「エッチ」
「な、な……っ!?」

 僕の視線から、身体を両手で抱き隠すようにしながらの一言。

 目に入った動作より何より、それが耳に入って認識した瞬間……そのたった一瞬で頭が真っ白に染まる。続いて追うようにして即座に、白さが赤く蹂躙されていく。
 時差式の二段階攻撃。意識が沸騰する。
 自覚出来るのは延焼する熱さ。それはもう顔から火どころか炎が出そうなぐらいの物。
 その勢いたるやジェットかロケットか、どこかに飛んで行けそうなそれくらいの勢い。表現としては大袈裟にも過ぎるけれど、むしろそうやって飛んで行けたら、どれだけ良かった事か。
 ホント、それくらいに……シャルの言葉は致命的で。かなりのレベルで恥ずかしかった。
 きっとそれは自覚して納得してしまっていたから、だからさらに威力を増していて。

 ……いや、でも。何で僕ばっかり恥ずかしい思いをしてるんだろう。あれだってシャルが誘った事がきっかけになって起きた出来事なのに。
 そ、そうだよ。だってあれは僕の責任じゃなくて――。

「待った!元はといえばシャルのせいじゃ……」
「……エッチ」

 む、シャルは相変わらず。
 物言いたげな目と直接的な言葉でこちらを攻め立てる。あくまで、その態度を変えるつもりはないみたいだ。
 しかし、そっちがそう来るのなら僕にだって考えがある。最近はやられっぱなしってわけじゃない。それをきちんと示す時だ。

「……エッチなのは、僕よりシャルの方じゃないか」

 少し呟くように。声量は控え目で。
 だけど、目の前の彼女にはしっかりと届くように。

「えっ?」

 すると、ぽつりと漏れ出た短い声を追うように、彼女の様子に変化が現れ始めた。

「……ええっ!?」

 シャルの肌を赤みが侵し登っていく。
 瞬く間、あっという間に出来上がったのは、きっと僕に負けないぐらいの赤い顔。

「わ、私は別にエッチなんかじゃないよっ!?」

 僕もこんな感じだったのだろうか。シャルの否定の抗議には焦りがよく見て取れる。
 けれど、今更弁解したってもう遅い。状況はこれでイーブンに。いや、形勢逆転。
 今度はこちらから追撃をかけて、僕の正義と無実を証明する。

「いーや、エッチだね、シャルが始めたんだから」
「私はエッチじゃないよ!」
「エッチだ」
「……エッチじゃないもん」
「シャルのエッチ」
「エッチじゃないもん!」

 決死の反抗、必死の追撃。
 今、ここで引いた物なら、次の瞬間には確実に致命的な反撃がこちらを襲うだろう。
 だから、この場で引くわけにはいけない。何とかかんとか押し切るしかない。攻撃こそ最大の防御、つまりはそういう事。

 赤熱する顔と共に白熱する口論。
 僕らの持つ互いの何かを懸けた戦い。
 そして、その結末はあまりに唐突で呆気ない幕切れを見せる事となる。

「やっぱり、やっぱりか……」

 本当に突如にして、背後より近付いて来ていた誰かに肩を軽く叩かれた。
 しかも、ついでに……というか聞こえる声は聞き覚えのある声だ。いや、ホントに聞き覚えのある声。

「……やっぱり、お前はッ!」

 しかも、叩いたまま置かれたその手には段々と徐々に力が込められつつあって。
 てか痛っ、本当に痛い!もうそれ肩を握ってるから!

「お兄っ!」
「おっと、すまんすまん。ついつい手に全力が……」

 もう一つの声。またもや聞き覚えのある背後からの助けの声が僕の右肩を解放してくれた。
 後者の声にはありがとう。前者の声には文句を捧ぐ。

「……久しぶり。元気してた?」

 ついでに挨拶も付けて。
 まったく、一体何なのさ?ついとかすまんとか、いけしゃあしゃあとよく言うよ。全力って言ってる時点でわざとじゃないか。

「ありがとう。あと、やっぱり久しぶり。それに浴衣似合ってるね」

 当然、後者の声。助けてくれた彼女にも挨拶を。

「おう」
「あ、はい。お久しぶりです」

 振り向いて挨拶を投げ掛けたそこには、それほど時間は経っていないけれど――何だか懐かしい二人の姿。
 病院以来の弾と、一夏と遊びに行った時以来の蘭ちゃん。弾と蘭ちゃん、五反田食堂の誇る後継者と看板娘コンビ、ダンラン兄妹。
 二人とも今日は浴衣の装いで、シンボルマークのバンダナも相変わらず。

「って、いや……そんな挨拶よりまずは、だ」

 でも、まずはって、さっきの襲撃はまずには入らないんだろうか?
 そんな軽口を叩く間もなく、弾は珍しく堅い表情。何かを語る素振り。

「騒がしいと思えば、まったくあのな?」

 とか思ってたら、会って久々でいきなり説教?
 弾らしくもない。いつもは蘭ちゃんに説教される立場なのに。

「仲が良いのは分かったけどよ、そういうのは人目のつかない場所でやる事だろ?」

 ……ん?そういう?

「そういう……何の事?」

 わけが少し理解できなかったのでシャルに話を振ってみても、シャルは首を横に振って見せるばかり。僕ももちろん分からない。
 一方で弾も首を振る。動作はシャルと同じようでも、呆れたようにダメだこりゃと。
 ダメとは失礼な。さっきの事もあるから否定はしないけど。
 あ、何だか顔に熱さが振り返して来た気がする。

「……いや、良いから周り見てみろよ。すぐに分かるから」

 周り?
 弾の忠告に気を取り直して、ぐるっと大体一回転、周囲を見渡してみる。そして、初めてその状況に気付く。

 ――まったく、最近の若いもんは……。
 ――お母さん?あの人達何やってるのー?
 ――こらっ、見ちゃいけません。

 とか、色々。本当に多種多様。
 子供、大人、ご老人……夏祭りに訪れている多くの人々――多くの視線。通りすがり興味本位、僕らに集まっているたくさんの目、目、目。

 …………あ。騒がしいとか人目って、そういう事?

 当然と言えば当然だった。思い返して見れば、それはあまりに当然で自然な事。
 さっきまでのやり取りと会話。あんなの人に聞かせる物じゃない。なのに、それをあまり小さくはない声でやってしまったのだから、人の注目を集めるにはそんなの十分過ぎる物で。
 つまり、聞かれていたというか聞かせていたというか、ある種、恥ずかしさという意味では公開処刑も良い所だ。

「あ、う……」

 お隣さんからも言葉にならない同意の声が響く。
 シャルも同じく僕らを取り巻く今の状況を理解した様子で、頬に両手を置いて恥ずかしそうに縮こまっている。

「まぁとにかく、ここから離れる意味も込めてな……歩きながら話そうぜ」

 弾の促す声。それには完全に僕も同意だ。その弾の声に付随して、今度は僕がシャルに行動を促す。意思伝達。

 ――行こう、シャル。
 ――うん……。

 そうして、シャルに同意を得られた所で、僕らは早速逃亡開始。

「ちょ、速っ」
「え、ええっー!?」

 弾と蘭ちゃんが慌てる声が聞こえた気がしたけれど、二人には何とか付いて来てもらう。
 歩きながら?話しながら?残念ながらそんな余裕はない。主には精神的な意味で。
 さらに。“若えなぁ”とか屋台のおじさんの呟く声も聞こえた気がしたけれど、それは聞こえない振り、なかった事にしておく。

 歩いて走って道を行く。人波を避けながらどんどん先へ。
 何とか人の少ない場所へ。落ち着ける場所へ。

 とりあえず今は何よりも。人の目と関心と騒がしさ、そんな物から逃げ出す事、それこそが最優先事項だった。
 というか、それしか僕らに道はなかった。



『――へぇ、そうなんですかっ?』
『――うん。でも、その時の彼ったらね……』

 屋台と人の賑やかさ。ではなくて、林と林に挟まれたひっそりとした静かな道に、何だか華やかな会話が響く。
 さっきまでは互いに自己紹介をしていたと思ったのに、今ではIS学園を目指している蘭ちゃんにアドバイスをしていたり、世間話で笑い合ったり、何だかもうかなり打ち解けている。
 てか、シャル。人の事を話のダシにするのは止めてくれないかな?蘭ちゃんも真に受けて、ちらちらとこっちを興味深そうに見てるし。
 偏ったイメージで誤解されるのは勘弁だよ?というかむしろ、一夏を話題にしてあげてよ。その方が蘭ちゃんも喜ぶから。

 とりあえず、こんな風にシャルは蘭ちゃんと女の子同士で和気あいあい。
 まぁ、こっちもこっちで――。

「しかし、お前もよ……」

 ――弾の攻撃。ヘッドロックもどき。
 会話に華を咲かせる二人の後ろ。歩きながら肩に腕を回されて、そのまま僕の首を圧迫。徐々に絞められていく。

「隅に置けない奴だよなぁ。この裏切り者め……!」

 同時に襲い来るのは怨嗟。強い念。恨みつらみ、まさにそんな感じのような物。ついでに、言葉になっていない声。この間に見たホラー映画的な低音ボイス。

 裏切り者?心当たりは全くない。それより怖いし、ちょっと痛いって。

「前から怪しいとは思ってたけどよ?それならそうと言ってくれりゃ良いだろうが、お前もさ」

 微妙にふて腐れてるっぽい弾。
 ん?道理でナンパの時も乗り気じゃないはずだ……?
 そんな事言われても……、元々、別に飢えてるわけじゃないし。

「おっ?なんだ?強者の余裕って奴か?このやろ、このやろう!」

 首を固められながらぼそりと小さく言い返してみると、回った腕に再び力が入っていく。
 ……うわ、迂闊。落とされたりしたら堪ったものじゃない。
 という事で、それには直ぐさま首元に手を入れて対応。窒息防止。反抗開始。
 均衡する力と力。耐えて耐えて、弾の腕が疲れて緩むタイミングを見計らい、腕を外しヘッドロックから脱出。
 まぁ、元々本気で絞めてきているわけでもないから、対処自体は簡単簡単。

「でも、ホント久しぶりだよね。病院以来?」
「ああ。そういや、そんくらい振りだよな」

 腕を解き、短い攻防から一息をついて話し始める。
 ちなみに、実は弾とシャルとが顔を合わせるのは今日が初めてじゃない。最初の面識を持ったのは、僕が入院していた時の事だったらしい。
 らしいというのも、その時、僕は絶賛昏睡中だったから、そんなの分かるはずもなく。
 結局、目覚めた後の“こんな事があったんだよ?”というシャルからの報告で僕は初めてそれを知る事となった。

 その後も弾は一度見舞いに来てくれたけれど、その時は入れ違いになっていたし。
 とにかく。弾はシャルと今日で二回目の対面で、シャルは蘭ちゃんと初めての顔合わせだ。

『――ええっ!?本当ですか、それ?』
『――うん。笑っちゃうでしょ?』

 響く笑い声。弾から視線を外して、前を歩く二つの背中を眺めてみる。すると、やっぱり何故か、僕をふと見てまた笑う二人。

「……シャル?蘭ちゃん?」

 何かの含みを隠そうとしないシャルと蘭ちゃんに、一応尋ねてはみるけれど。

「なんでもないよ?」
「なんでもないですよ?」

 声を合わせてやんわり否定というか回答拒否というか、どうやら僕にそれを知る権利はないらしい。
 いや、本当。すぐに打ち解けられて仲が良いのは喜ばしい事ではあるのだけれど――なんだかなぁ。

「……あー、そういえば」

 あちらとは分が悪いようなので、素直に刃向かわず大人しく、こっちはこっちで話を進める。話を戻す。

「弾の方は?海での合宿はどうだった?何か収穫はあった?」

 内容はとりあえず、夏休み中の弾の活動について。
 今までに時間があって遊ぶ機会がいくらでもあるはずだったのに対して、八月の中旬を過ぎようとする今日、弾の顔を見るのが久しぶりというのはそこに理由があった。
 すなわち。再び弾曰く、夏合宿。夏合宿という建前を取って付けた、アルバイト兼海でのガールズハント。
 学校の友人達と赴いていたとの事で、心なしか弾の肌は黒っぽく小麦色に少し焼けている気がする。

 それじゃあ、それで。結局、その成果と言うと……?

「お前、それわざとだろ?分かって言ってるだろ」
「ははは、一体何を言うかと思えば…………ノーコメントで」
「おまっ、この……!」

 蘭ちゃんとここに来ている事からもいつもの事だよね、きっと。
 何かしら成果が上がっていたら、弾はその人と来そうだし。少なくとも、成功したのであれば、メールなり電話なりでまずは自慢という名の報告をしてくれるはずだし。

 という事はやっぱり……結果は残念。合掌。

「てか、ほっとけ!哀れむな!手を合わせるな!」

 何だか祈りがお気に召さないみたいだ。
 せっかく鎮霊鎮魂、神社だからお祈りをと弾の為にしているというのに……って、合掌ってお寺でするものだったっけ?

「まぁ……良いけどよ」

 僕のからかいにがっくり一度、弾の肩が落ちていく。
 やり過ぎたかなと一瞬思ったけれど、それはあまり重要ではなかったみたいだ。

「……で、体の方は?」

 不意に上がった頭。向けられた顔。少し慎重に動かされた口。話題の急転換。雰囲気も急変。
 僕を見てくる事自体は変わらない。しかしそこでは、さっきまであったはずの表情が大きく形を変えていた。

「もう、大丈夫なのか?」

 ある意味、それは弾の本性だったりする。
 敢えて明るくふざけたりおどけたりで場を取り繕う三枚目ではなくて、本気で心配してくれる真面目さ。
 いつもそんな表情でいれば容姿も悪くはないんだから、ナンパだって何だって成功しそうな物なのに。つくづくもったいない。

「ん、完治完治。大丈夫だよ」

 でも、こういう素直な心配というのは嬉しくもあって、それでいて少しくすぐったい。

「……なら良いけどよ。ったく、ビビらせやがって。腹に穴が開いて死にかけるとか一体何をやってんだっつーの」
「とりあえず色々とだよ。色々」

 ごまかすように弾の心配には頷いて短く返事を返す。
 弾には、仕事の事とか本当に色々と話してはいないのだけれど。いや正直、話す気はないのだけれど。
 それでも、心配してくれた事にはありがとうと言いたい。
 ……それを詮索しないでくれている事も含めて、そう思う。

「色々ねぇ。……お前は色々と抜けてて馬鹿だからなぁ」

 ……ありがとうと思っているそばでなんと酷い言われよう。てか、弾に馬鹿だなんて言われたくないよ。
 馬鹿をやる時は、弾だって一夏だって一緒じゃないか。

「馬鹿は馬鹿なりに馬鹿やるんだろうけれど、デュノアさんを悲しませるような馬鹿はするんじゃねえぞ?」
「……分かってるよ」

 だけど、伝えたい事は分かる。
 やっぱり弾には“ありがとう”だ。

「おっと、そうだ。デュノアさんで思い出したが、今日ってデュノアさんとバスで来たのか?」

 新たな話題を出しながら、弾の雰囲気が元の軽く明るい物に変わった。
 それはきっと堅苦しい話は終わりだ、という事。

「いや、車だけど?」
「おお、そうだったな。免許持ってるって言ってたもんなぁ」

 僕もそれにはきちんと応えて、真剣真面目のシリアス状態から気持ちと思考を切り換えていく。

「だけど、よくここを知ってたな?こう言っちゃあれだが、ここって地元民以外にとっては結構穴場だろ?」

 へぇ、そうなんだ。
 穴場、隠れた名所?箒さんのご実家らしいというのは知っていたとは言っても、ここがそんな場所だったとは思いもよらなかった。
 まぁ、でも。

「一夏が誘ってくれたからね」

 全ては一夏のおかげ。
 シャル達の浴衣の手配はキサラギのスタッフの伝手ではあったけれど、それでも、一夏の誘いなしには今日という日はない。
 思い出作りの一環、祭りも屋台も服装も初めての経験で興味深い物。

「はー、なるほど。一夏の奴がそんな事を」

 だからそう、本当に。今日は心配してくれた弾だけでなく、そんな物の機会を提供してくれた一夏にも感謝するばかりだ。

「一夏の奴がねぇ……ん、一夏?」

 なるほどなるほど、としきりに頷く弾。ではあったのだけれど、何かに気が付いたように突然動きが止まる。

「ちょっと待った。一夏の奴も今来てやがん、のぶぉっ……!」

 ……ん、のぶお?弾?
 会話の中、頷き止まり再び動きかけたその瞬間。弾が僕に何かを尋ねようとしたその時。
 何かがぶつかる鈍い音と息が漏れ出た声だけを残して、目の前にいたはずのその姿が突如にして消えた。

「い、一夏さんも、一夏さんも今日来てるんですかっ!?」

 その代わりに、弾の立っていた場所へと出現したのは蘭ちゃん。
 消えた弾の事を気にする事もなく、一夏という単語を聞いただけでこれでもかという程、瞳を煌めかせている。

「おい、蘭!いきなり何しやがる!?」
「お兄は黙ってて!!」

 そのすぐ横で腰をさすりながら、突き飛ばされた状態で弾が蘭ちゃんへと文句を主張する。
 それでも蘭ちゃんは問答無用。弾の文句をたった一言の下に即答で斬り伏せ、すぐさま引き続き、輝く瞳をこちらへと向けてくる。

 その勢いはまさに疾風迅雷、いや、燃えているみたいだから烈火の如く。
 言葉の綾とは言っても、確かに蘭ちゃんは燃えていた。夢?や目標の為にメラメラと。気合いを本気で燃やしている。
 そうでもなければ、あの反応速度とパワーは出せないと思う。

 もしかしたら、極めて狭き門とか言うIS学園の入学試験も難無くクリア出来ちゃうくらいのポテンシャルは普通にあるんじゃないだろうか。
 今の学校では優秀な成績らしいし、ISに対する簡易適性でも『A』という非常に高い値を叩き出しているらしいし。
 ……もしかしなくても、蘭ちゃんって結構凄い子なのでは?

「あの、それで一夏さんは……!?」

 しかも何だか迫力もある。やってやるぞと大きな意志もある。行動力もある。
 全ては一夏を目指すが為のフルパフォーマンス……一途な女の子、恐るべし。

「あ、ああ。うん、来てるよ?」
「どこにですかっ!」

 多少その勢いに気圧されながら頷くと、間髪入れずに疑問が飛ぶ。

「あー、一応、さっきの屋台の所で――」
「屋台……射的屋さんですね!わかりました!」
「――って、蘭ちゃん?」

 その疑問に早速先程の情報を伝えて答えようとは思うも、何やら怪しい雲行きに。
 内容に話が及ばない内に“ありがとうございます!”と早くも話は何故か終わった感じになってしまった。

「一夏さん!今、蘭が行きますっ!!」
「……いや、蘭ちゃん?」

 それからという物、蘭ちゃんが行動に移すのには、時間はまったく必要なかった。
 意気込み一つ、一夏か自分かへのメッセージを言葉に出すと。浴衣姿、しかも下駄を履いているというのに、屋台へと繋がる道をもの凄いスピードで駆け出していく。

「形跡があるってだけで、今もそこにいるとは……、……ああ、行っちゃった」

 制止する僕の声も既に届かず、走り去る背中は小さくなる。
 こうなるとどうする事も出来ず、その光景を見ながら思う。

 ……さっきの感想は訂正しなくちゃいけない。やっぱり、少し心配になってきた。
 いくら優秀でも、蘭ちゃんは何だか――。

「……そそっかしいよなぁ」

 ふとこぼした僕の不安が隣からの声に付け足される。
 小さくなっていく蘭ちゃんを見守るように立ち尽くす、そのそそっかしい彼女の実の兄……弾。
 見守るように?いや、こちらも訂正。さっき感想を補足してくれた弾は、その蘭ちゃんの姿には目を向けず、今は“あちゃー”と頭を抱えながら天を仰いでいる。

 ……まぁ、そうなるよね。僕もそんな気分だよ。
 大きく一つ、弾と僕とで溜め息が漏れ出た。
 一方で、いきなりの状況に残されたシャルはというと、“え?え?”と言った感じに何だか状況を飲み込めていないので、一人だけ流れの中で置いてけぼり気味。

 と、そうだ。こうしている場合じゃない。蘭ちゃんにはさっきのが勘違いである事を早く伝えないと。

「いや、しなくていい」

 いざと取り出した携帯を操作する寸前、早速の動作が弾によって妨げられる。

「どうせ、一夏は誰かと一緒なんだろ?」

 再び、真剣味を装った弾。
 その質問、それは確かに事実だけれど。

「だよな、やっぱり。……だったらいいさ。蘭の奴もきっとその方が幸せだろうからな、ある意味」

 そんな状況で一夏に会っても、傷付くだけだろ?
 弾はそう言って、蘭ちゃんが駆けた道に足を踏み出し、僕とシャルとに背中を見せる。

「ま、お前はデュノアさんと一緒に楽しんでいけよ?」

 振り返っての僕に向けた一言。シャルには楽しんでいってくださいと敬語と造った笑顔で話し掛けている。

「と、そうだ……ちょっと耳貸せ」

 弾が敬語とか似合わないなー。
 そんな事を考えていると不意に、何かを思い出したかのように、僕へと向いた合図が見えた。
 何だろう?弾は指をちょいちょいと動かし僕を呼ぶ。

「――さて、よく聞けよ?」

 素直に近付くと、弾の腕が再び首に巻き付いていく。
 しかし今度は絞めてくる攻撃手段ではなく、フレンドリーに何かを僕だけに伝える為に。

“いざって時はリードするんだぞ?それが男の嗜みってもんだ。……良いな、分かったな?”

 ぼそり。弾はそんな事を小さく念押し。
 リード、リード、嗜み、嗜み?というか、いざ?
 とりあえず、シャルだけに行き先を任せるなって事だろうか?つまり、きちんと僕もプランを考えろと。努力だけでなくやって見せろと。
 過去を思い返すと何だか耳が痛いけれど……うん、任せて。頑張ってみるよ。
 弾の要求に頷いて了承する。

「よしよし。頑張れよ?」

 その了承が条件となったのか、何かをやり切ったような満足げな表情がその顔に浮かぶ。

「じゃあな!また今度、遊びに行こうぜ」

 そして、その表情のまま最後にそう僕に告げると、今度は立ち止まらず振り返らず、蘭ちゃんを追って弾は道の先へと姿を消した。


「弾くんって、蘭ちゃん思い妹思いなんだね」

 偶然出会った賑やかな二人が去って、落ち着いた空気が再び漂い始めた頃、シャルが道の先に視線を向けながらも言葉を語る。

「でも、兄妹ゲンカもしょっちゅうしてるよ?」
「ケンカするほど仲が良いって事だよ、きっと」

 ……それは、そうなんだろうね。シャルの言う通りだ。
 五反田家のダンラン兄妹、互いに文句を言ってケンカしたりをしていても、やっぱりそこは兄妹。
 いがみ合ってるわけでも憎み合っているわけでもなく、ケンカが一種の挨拶やコミュニケーションツールになっているように見える。
 その仲の良さは、その面白おかしい兄妹のやり取りはどこか懐かしくて羨ましい。

「ねぇ、これからどうしよっか?」

 去って行った二人について考えていると、シャルからの質問がふんわりと飛んでくる。
 僕としては、ここでのんびりしていても全然構わない。だけど、シャルには何か別の提案があるみたいだ。

「一夏達と合流しよう?ラウラ達が何をしてるのかも気になるし」

 やっぱり、諦めてなかった。その表情に特別な色があるわけではないにしても。
 今はさっきのまったくもうの膨れ面ではなく、いつもの穏やかな表情。単なる好奇心からの提案かもしれない。
 厄介事はごめんだけど、きっとこれも運命なのだろう。
 元々、僕も一体何故と気になりはしていたし、実際問題、面倒という以外に特にデメリットはないのでシャルの提案を尊重する。

「分かった。それじゃあとりあえず、一夏と連絡取ってみるよ」
「うん、お願い」

 まずは何事にも、一夏達がどこにいるのかが重要だ。会えなければどうにもならない。
 なので、今度は蘭ちゃんにではなく一夏に電話をするべく、携帯を取り出し操作を開始。

 今日の履歴が残ったままなので、発信履歴より選択。画面に触れ、認証、発信。
 電子音。呼出し音。受話口から聞こえる音。
 二回目、三回目、四回目……気付いていないのか急用か、まだ出る気配がない。

 ……ん。

 それでもそのまま一夏を待つ。
 そして、もう何度目になるのか呼出し音。それが次の周期に差し掛かろうとした時、携帯を介した向こう側で変化があった。

『もしもし……?』
「あ、一夏?」

 やっと繋がった。

『すまん、どうしたんだ?何か、問題でも、あったかっ?』

 繋がったけれども、何かおかしい。
 一夏の息が何故か荒い。まるで走りながら話しているみたいだ。

「問題というか……今、どこら辺?」

 それでもそれは些細な疑問として、いきなり本題、一夏の現在地について聞いてみる。

『――場所か?それなら……』

 しかしその時、出されかけた答えが遮られる。

『ちょ、いきなり何を……?』
『良いから渡せ!』

 一夏が答える寸前、一夏の戸惑う声が聞こえたと思うと、“――捕まるわけにはいかんのだ”の一言を最後に、ぼつりといきなり通話が途切れた。
 残ったのは通話の終了を示す電子音だけ。

「どうだったの?」

 少し呆然としながらもシャルの尋ねる声が聞こえる。でも、それに対する答えは一つしかない。

「いや、いきなり切られた」
「切られた?切れたじゃなくて?」
「うん。切られた」

 しかも、切ったのは一夏じゃなくて、たぶん、箒さんだ。
 息を乱す程に走っている一夏と箒さんの何かに追われているような慌てた様子。
 どう考えても尋常な状態じゃない。

「じゃあ、今度は私がラウラ達に聞いてみるね?」

 向こうでは、確実に何かが起きている。
 もしかしたら、屋台破りの件もこれに関連して……?

 何にせよ、今は報告を待つしかない。
 携帯に耳を寄せて、おそらくラウラさんと連絡を取るシャル。続報を待ちつつその姿を見守る。

「……やっぱり、何かあったみたい。ラウラ達が“協力して欲しい”って」

 やがて通話を終えて、深刻そうな顔ながらも内容を伝えてくれる。

「とりあえず、本殿の方にいるみたいだから。行ってみようよ」

 そう、本当にとりあえず、今は少しでも多くの情報が必要だ。
 ラウラさん達から事情を聞く為に、一刻も早く皆の場所へと急がないと。


「……来たか」

 林の道より歩いて少し。つい先刻、箒さんが舞を見せていたその場所には、一夏と箒さん以外の皆――ラウラさん、凰さん、セシリアさんの三人が待ち構えていた。
 三人が三人とも、綺麗に着飾った浴衣。でも、今日ここに来た時に見せていた笑顔や明るさは鳴りを潜め、真剣さを帯びた三つの眼差しが僕とシャルとを捉えている。

「邪魔をしてすまないな。しかし、早速聞きたい事がある」

 ラウラさんの言葉。凰さんとセシリアさんは同意を示し、無言で首を縦に振る。

「一夏と箒を見かけなかったか?」

 まず始め、やっぱり一緒じゃなかったんだというのが、率直な感想。
 逃げている一夏達と二人を捜すラウラさん達。僕らと別れてから今までの間に一体何があったんだろう?

「……箒が一夏を連れて逃げ出してな」

 ラウラさん達の発言と箒さんの様子から察するに、箒さんと一夏はラウラさん達から追われていたと見るのが自然のようだ。

「ねぇ、ラウラ?何でそうなったのか、事の経緯を教えてくれる?」

 結果は分かった。ならどうして?
 シャルが僕が言うより先にラウラさんへと尋ねる。

「ああ。お前達と別れた後、始めは皆で楽しんでいたのだが――」

 ――一夏と二人きりになる権利を巡って勝負をする事になったのだ。

 なるほど。もうそれ以上は聞かなくても理解ができる。
 屋台破りの真相とか理由とか動機とかは、まさにこれだと思えるから。というかどう考えてもこれだから。

 でも今は、後で聞ける屋台破りの事より一夏達についてだ。

「私達もあれから一夏達は見てないよ。だけど、電話は一応さっき繋がったんだよね?」
「まぁ、一言二言で切られちゃったけど」

 シャルが気を取り直して、さっきの電話について語る。僕もそれに続いてさっきの電話の内容を事細かに出来るだけ詳しく伝えてみる。
 すると。

「……レイヴン。その電話の中で何か気付いた事はなかったか?どんな些細な事で良い、もしあるのなら教えてほしい」

 真摯な表情が三つ。何かを期待する目が六つ。何だか引くにも引けない困った状況に。
 おまけに頑張ってねという応援も一つ。シャルもどうにか……いや、僕にしか分からない事か。

 それにしても気付いた事?
 あの時、気になった事と言えば、乱れた呼吸と慌てた様子。あと、足音……足音?

「……シャル。箒さんは下駄、履いてたよね?」
「うん、そのはずだけど」

 さっきの電話を改めてよく思い出す。
 焦った箒さんの様子。声色。
 それに足音。周囲の雑音。揺れるような息の乱れ。

 まず、下駄特有の硬く高い足音はなかった。それに雑音、人のざわめきもない。そして、息の乱れ……おそらくそれはどこかへと向けて急いでいる、または走っている事から。
 さらに言うと、走っているにも関わらず、下駄を履いているにも関わらず鳴らない足音……それは走っているその場所がアスファルトや石畳、あるいはそれに属する硬い土質ではない事を示していて。

「ラウラさん。一夏達がこっちに来たってのは間違いないんですよね?」
「ああ。私達みなでここまで追って来たんだ。見間違えるはずがない」

 追加要素。ラウラさん達はここまで一本道を追いかけて来たらしい。

「だが、周囲もめぼしい場所を捜してはみても、何処にも見当たらん」

 そして、二人が本殿――建物の陰に行ったと思ったら見失っていた、と。

「ではその中で、一瞬の隙を突かれて、逃げられたという可能性はありますか?」
「……有ると言えば有る。しかし、可能性としては低いだろう」

 つまり。であるのならば。
 音。様子。状態。推察される周囲の環境。建物に隠れたわけでもなく消えた二人。
 手元にあるこれらの要素を組み合わせて出て来る解、道。
 それは――。

「だったら、一夏達はこっちじゃないですかね?」

 ――林。その中の暗闇を指し示してみる。

「見落としがないのなら、もうこちらしか逃げ場はありません。まぁ、あの二人にとってここはホームのような物ですし、他に隠れ場所や抜け道がある可能性も否定は出来ませんが」

 もしくは、この林の中こそに抜け道がという可能性もあるけれど。
 僕が昔に兄さんと色々な場所を探険して遊び回っていたように、一夏と箒さんの二人もそんな事をしていて、二人だけの秘密の場所のような物があるのかもしれない。
 少なくとも、土地勘というメリットが一夏達に存在している。

 それにそもそも、話を聞く限り、ラウラさん達は敷地内だけに目を向けてしまっていた。だから、一夏達を追い捜すにしても林の方には意識がなかった。
 意識外の事、それを認識するのは難しい。
 本殿と林の明暗の差もあいまってその為に、ラウラさん達は林に入った一夏達に気付く事が出来なかった。
 突如消えた……というのは、そういう事なんじゃないだろうか?

「なるほど、な」

 ラウラさんは僕の推測に大きく一度頷いてみせると、左眼の眼帯を手に取り、凰さんの疑問を右手で抑えながら僕の指差す林の方向を見据えた。

「――見つけた」

 そして、すぐに反応。

「男性と思しき足跡と下駄の踏み込み跡……林内に向けての二名分、連続的な形跡が存在している」

 早速、二人のヒントを見つけたらしい。
 色の異なるその両眼をそのままに、ラウラさんが僕らへと振り向き報告してくれる。

 眼帯で隠されていた左眼の金色、それは確かヴォーダン・オージェとか言う、ナノマシン投与による身体能力向上措置の一種……だったはず。
 動体視力が上がるとか、そういう系統の技術だと思ったけれど、夜目に対してもメリットがあるとか、凄く便利だ。
 もしかして、ナノマシンで光に対する感度に補正をかけて認識力を向上させている?
 ……やっぱり便利だ。

「レイヴン。見え過ぎるというのは不便でしかないぞ?」

 僕の表情から察したのか律義にも無言の疑問に答えが返る。
 でも、それもそうか。もしメリットばかりだったのなら、世界的に普及していてもおかしくない技術だ。

「とりあえず、私の事はどうでもいい……さて、これからどうする?」

 そのラウラさんは、自らが発見した形跡について凰さんとセシリアさんに問い掛けている。

「どうもこうもないでしょ?」
「このまま待っていても差は広がるばかり。でしたら、何にせよ行動するしかありませんわ」

 その二人の反応はどちらも不敵な笑みを浮かべながら。さも当然と言うように。

「ふむ、では決まりだな」

 ラウラさんも凰さん達の返事に頷いてみせる。
 そして僕らに振り向くと。

「……レイヴン、シャルロット、情報感謝する」

 そう言い残して、林の中へと足を踏み入れていく。

「シャル。僕らはどうしようか?」

 ラウラさんを先頭にして三人が進む。
 その姿を眺めながら、僕はシャルにこれからについて聞いてみる。
 乗るか反るか、追うか追わないか……その意思を。

「行こう?」

 即答。一切迷いも見られずに目的は決まった。
 ……答えは分かってたけどね。
 シャルは映画とかでもホラーよりラブストーリーの方が好きで、こういった男女の機微みたいなのは大好物だから。
 だから、きっと行くと思ってた。
 みんなの動向とかも気になるだろうし。

 だけど、皆を追って林内を行くには一つ条件がある。僕の掛けるシャルへの条件。

「という事で、シャル。……手」
「手?」

 そう条件。それは、手。

「林の中って歩きづらいからさ」

 だから、手。
 ただでさえ歩きづらい不整地。しかも、浴衣姿、下駄を履き慣れていないシャルが転ばないようにする為に。
 弾の言う通り、手を引いてリードして。そして、シャルを支えて守る為に。
 その為の手。シャルの手。僕の手。

「……うん、ありがとう」

 シャルの柔らかな声と一緒に、もう慣れたはずの温かさが僕の右手を包み込む。
 いや、僕の手の方が大きいのだから、包み込まれたのはシャルの方だ。

 それを証明する為に、痛くないようそっと、けれどしっかりと。少し小さくて柔らかなその手を握る。
 かける力。かけられる力。
 でも、シャルの手を握れば、僕の手も握られる。結局、互いに互いの手を握り合う。

「それじゃ、行こっか?」

 繋いだ手。シャルはそれに一瞬、視線を移すと小さく顔を綻ばせた。
 何か楽しそうな表情。その嬉々とした様子を見せたまま行動を促してくる。

「ラウラさん達を見失わないうちにね」

 僕も僕ですぐさま回答。それと共に林へと一歩を踏み出す。
 目の前は暗闇、その中で一夏達の足跡を追うラウラさん達をさらに追っていく。付いていく。




 林内。
 今日もまた熱帯夜なのだろう、気温はそこそこ高め。風が通らない為、湿度も高め。
 つまり、とても蒸し暑い。

 さらに、肌に当たる枝葉。肩や背中にのしかかっている体重。
 僕も悪いのだけれど……不用意な呟きによってもたらされる、方々からの一方的な批難。
 しかも、背中に感じるその体温や感触に少し気が気でないというか落ち着かないというか……。
 こんな今の状況も、暑さの原因に一役を買ってしまっているみたいだ。

 それに。拍車をかける最後のとどめには――目の前の展開。

『なぁ一夏、覚えているか?昔、ここに来た時の事を……あの時もこんな星空だった』
『ああ。もう何年も経つのに、ホント変わってないな』

 包み込むような月明かりの下、空を見上げる二人。
 穏やかで優しげな雰囲気の中、僕らのよく知る一組の男女が幼い頃の思い出を語り合っている。

 一方で、その光景とその事の推移に、どぎまぎしながらガン見している僕ら。
 ちなみに位置配置としては僕のすぐ隣にシャルがいて、二・三メートル先には凰さんとセシリアさんが、最後にラウラさんが独自にどこかで潜伏中。
 こうして止まり潜んでいた凰さん達に追い付いた時には、ラウラさんは既に姿を隠していた。

 こんな状態、今の行動。覗き見や盗み聞きなんて全く趣味が悪い……それを自覚してはいても、この今の状況ではどうにも動きようがなく。
 目の前の二人は、覗き見られている事にも気付かず語り。
 僕らは、気付かれないようそっと茂みに息を忍ばせる。

『変わらない、か。……確かに変わらない。変わっていない。あの時からずっと私は変わっていない、変わりはしないんだ』
『箒?』

 林の中、木々が開けた天窓。星を仰げるその場所で、空に浮かぶ月を見ながら箒さんが言葉を紡ぐ。

『……色んな事があった。あの人――姉さんの騒動に巻き込まれて、私の家族は離散してしまって、引っ越さなくてはいけなくなって……』

 それは一夏に対しての物にも思えるし、箒さん自身が自らに語っているようにも思えた。

『それに背も伸びた。髪も伸びた。大きくなった。この空と違って、私にはお前から見ても変わったように思える部分がたくさんあるのかもしれない。……だがな?』

 視線は月から一夏へ。
 一夏だけを見据えて、ただ一夏を想って。緊張感を伴って。
 覚悟を決めた面持ちで言葉を続ける。

『あの頃からずっと変わらない物が、私にはある。だから……一夏、私はそれをお前に聞いて欲しいんだ』

 おお……。まさに先が読めない展開だ。
 まるで映画やドラマの出来事がそのまま画面から出て来たような、そんな展開。何だか凄い緊迫感。

「あぁ!このままでは一夏さんが!」

 茂みのこっちでも何だか凄い切迫感ではあるけれど。セシリアさんとかは特に。いても立ってもいられないといった様子。

「……セシリア。箒の邪魔をしちゃダメよ」

 その中で意外に冷静なのが、凰さんだった。

「けれど、鈴さん?」
「このまま二人がくっつくって言うなら、それで良いじゃない」

 セシリアさんの疑問や焦りを、いつになく落ち着いた口調で処理している。
 シャルの話を聞いた限り、一夏の事を人一倍考えたり思ったりしているはずなのに。それなのに感情的な態度を封じ込めている。

「そんな――」
「それこそ、そんなの一夏が決める事だもの」

 目の前の展開から視線を外さないままに、慌てるセシリアを淡々と宥める凰さん。

「確かに。そうなったら悔しいし悲しいわよ?でもさ、もしそうなった時は……祝ってあげるしかないでしょ?」

 目前を眺める表情は少し歪みを見せている。
 なぜかと言えば、それはきっと凰さんの言葉通りの理由から。
 もしその時になったとすれば、それは届かなかった事を意味するから。

「だって……あたし達も箒も友達なんだから」

 それでも、凰さんが流れの中で初めてセシリアさんに顔を向けた時、それはどこかへと消え去っていた。
 セシリアさんに対して浮かべられたのは、“もし”の悲しみを乗り越えた晴々朗らかな表情。

 一夏達にも負けず、こちらも目を見張る展開だ。
 三角関係四角関係?……いや、一夏包囲網の先にある友情物語。感動的なストーリー。

「まぁ、そこで諦めるかどうかはまた別の話だし?」

 ……と、見せかけて、何だか昼にテレビでよくやっているようなドラマの気配が。
 三日月のような形へと変えた凰さんの笑みが不敵な様子を漂わせる。ただじゃ終わらない執念を思わせている。

「り、鈴さん?」
「どうしたのよ、セシリア?」

 たじろぎおののくセシリアさん。ふふふ、と笑うは鈴さん、不敵な様子は尚も健在。

「私も鈴の意見に同感だ」

 その凰さんの雰囲気が感染したように、同意する声が聞こえた。声の主は、がさごそと茂みを掻き分け姿を見せたラウラさん。
 ラウラさんもどこか不敵な笑みを浮かべ、セシリアさん達の会話への参加を表明する。
 そして、参加表明の後は意思表明と来て。不敵さの素をセシリアさん達へと語りかける。

「別に私としては、二号さんとやらを認めても構わんからな」
『なっ……』

 ラウラさんの発した言葉が、僕らのいる空間に衝撃を走らせた……気が何となくする。
 でも、その衝撃……二号?

「えっとね……ラウラ?そんな言葉どこで覚えて来たの?」
「うむ、実はなシャルロット。クラリッサ――部下に借りた本にそう載っていたんだ」
「いや、というか、何でアンタがそんなに上から目線なのよ」
「む、何を言っているのだ、鈴?当たり前の事だろう」

 ラウラさんによる謎の言葉に隣のシャルが慌てたように加わって、さらに凰さんもが話題に飛び付いて、いつの間にか切迫感なんかはどこかに消えていた。
 とりあえず。ここまでの流れで僕に分かる事というのは、二号という言葉をシャル達皆は理解しているみたいだって事。あと雰囲気が変わったって事。

 そうやって、凰さんにおののいていたセシリアさんも含めて女性陣はわんやわんやと静かに騒いでいて、一夏と箒さんの展開を見守っているのは僕だけ。
 張り詰めた空気や緊張感は最高潮だというのに。

『一夏……私は、私はな?』

 本当に。まさにクライマックスだ。
 恐怖にも似た緊張を飲み込みながら、箒さんは必死に心の奥底から言葉を引き出そうとしている。

『お、お前の事が――』

 そして、続く言葉。
 それが発現したと思われたその時。
 
『――なんだ』

 突然の光。さらには重く強い衝撃が箒さんの言葉を打ち消した。

「これは……」

 その直後から一定の間隔で空気を切り裂く飛行音を耳が捉える。先程の光の方向を見れば、どこかより打ち出され昇っていく音。光。
 光が尾を引きながら、空に一筋の線を描き、そして間もなく消えていく。

 やがて、その光が空の暗さに溶け消えたと思えた次の瞬間、再びの強い衝撃と共に夜空には大きな花が咲く。

「……花火?」

 点火され空中で炸裂した火薬。それは色を為しながら離散して、空に火の穂を垂れていく。形作られるのは、まさに花。
 花、花火。その名が示す通り。誰が言い始めたかは知らないけれど、火の花とはよく言った物だと思う。

「綺麗……」

 ラウラさんの発言にてんやわんやしていたシャルも凰さん達も、今は花火に目を向けて、夜空で繰り広げられる華麗なショーに目を奪われている。
 響く重い衝撃。音はまるで空爆か迫撃砲。見た目だって少し派手な照明弾みたいなものなのに。
 でも確かに。それなのに綺麗だ。

「ねぇねぇ花火だよ?ちゃんと見てる?」

 ……見てる。ちゃんと見てるよ?シャル達よりはずっとしっかりとね。

 空を彩る花々。花火にはしゃいでみせるシャル。
 鈴さん達も、いきなりの轟音に始めは驚いた声を上げてはいたけれど、今ではあまりに見惚れてしまっているのか続く声はない。聞こえない。僕自身が花火に集中してしまっている今、それを確認する方法もない。

 でも、だからだろうか。
 “しっかり”とシャルに思ってはみても、僕がそれらに一層の意識を傾け過ぎていて、その他の事に人一倍気が抜けていた感があるのを否定出来ないのは。
 ……それは例えば、周りについて。周辺警戒を怠り、身に迫るある一つの脅威に全く気が付けていなかったのだから。

「――さて。ここで一体何をしているんだ、レイヴン?」

 夜空の花がその影によって遮られてしまう。
 その脅威。その証。その姿。万を辞しての登場。登場とは言っても、さっきからずっと、そこにいたわけではあるのだけれども。
 しかし、雰囲気や表情は明らかに変わっていて、その顔に張り付けられていたのは
緊張とか真剣味ではなく、獲物を目の前に捉え歓喜に打ち震える捕食者のモノだった。
 それは箒さん。箒さんの浮かべる、僕にとっては初見のにこりとした朗らかな笑み。それは確かに喜びからなんだろうけれど、意味合いとしてはストレス発散とか?何だか危険な感じ。本能が皮膚の下でざわめき騒いでいる。
 とりあえず、喜びに対しておおいに歪みつつ、時折、微かに震える眉間や口元がそれを僕に伝えてくれる。

 ……マズい。一言で表せば、かなりマズい。そんな状況だ。僕の手には余るような、そんな。

 到底、僕に扱える事ではないので、この件については箒さん対策協議会の管轄になるだろう。なので、では早速の早急に協議員であるラウラさん達にその対応を窺ってみよう。

「まさか、盗み聞きとはな……お前も中々良い趣味をしているじゃないか?」

 ……あれ?

 箒さんが“お前”と、僕だけを言及する声が聞こえる。
 さっきから何で僕だけと思っていた事ではあっても、対応の打診をしようとした所でようやく合点がいった。
 確かに、それもそのはずだ。
 気付けば、向けた視線の先にもどこにも凰さんやラウラさんの姿は既になく、セシリアさんまでもが怒れる箒さんから退避をしていたのだから。
 最後に残ったのは、僕一人。だから、箒さんは僕だけを標的と見なしていた。獲物と見なし怒っていた。
 いや、つまり、僕は怒りを鎮める為の生贄に選ばれたのだった。言わば哀れなスケープゴート。

 ……きっと。箒さんはいきなりの花火に漏れてしまった声を聞き分けたのだと思う。
 花火だけの静かな空間。そこに第三者の声が響いて、さらにがさごそと物音がしていれば誰でも嫌でも気付く。
 ああ、しかも。鈴さん達の声というか気配が途中からなくなっていたのは、これを察していたからなんだろう。
 たった一人、僕だけがぼーっと気付いてなかった。だから逃げ遅れたというわけ。

 って、一人?
 いや、僕一人じゃない。
 だってさっきまで、ここにはシャルが……。

 ――逃げるよ?

 蛇に睨まれた蛙のような圧倒的不利の状況下。
 少し離れた場所からぼそり。茂みに身を寄せながら、待ってくれているシャルが僕宛てに指示を送る。

 というかシャルもちゃっかり、箒さんからは見えない場所、安全地帯に避難している。
 あれだけはしゃいだ素振りを見せていたのに、箒さんの動向には気付いていたみたいだ。
 いや、逆だ。本当に僕だけが気付いていなかったって事か。花火に集中してしまって周りに注意を払えずに。

 それに関して今は置いといて、まずはシャルの支援に集中しないと。
 それでも、その支援は……指?
 僕だけが見えるように立てられたシャルの指。三本の指。何だろう?何を示すのか分からないハンドサイン。

 しかし、その意図を感じ取ろうとする間にも三本の指が二本に減っていく。静かに下げられる指。
 分からない。まだ分からない。答えを求めて指の向こう、シャル自身を見つめてみる。
 茂みの陰。意思の込められた色。頷き。静かに小さく動くシャルの口元。
 音もなく言葉を紡ぐ唇。

 ……かうんと、だうん?

 ん、指にカウント。それはそういう、たぶん分かった。
 理解がシャルの意図に追い付いたと思うと、サインは中指が畳まれ人差し指一本に変わる。

「おい。聞いているのか、レイヴン?!」

 そして、箒さんの激昂を合図とするようにして、サインがゼロになった。
 同時に、シャルも動き出す。とは言っても、たいした事をしたってわけでもないんだけれど。

「あっ、一夏がナンパされてる」
「な、何ぃ!?」

 ……茂みの中からの声掛け。労力としてはたいした事でなくとも、効果はテキメンだ。
 シャルの声に対して箒さんは素早い反応。僕を捉えていた怒りが半ば反射的に矛先を背後へ、一夏のいる方向へと向けていってくれる。
 というか、箒さん。さすがにここに人はいませんから。

 でも、まぁ、そうなってくれなくても困っていた。
 シャルの合図はこういう事だったのだから。

 箒さんが一夏を振り返った瞬間、注意が逸れたのを見計らって本日二度目の逃亡を開始。
 シャルも茂みからは既に出ていて、僕の手を引き誘導するように動き出している。

「誰もいないじゃないか……って、レイヴン?いや、シャルロット、お前までッ!?」

 そして、気付いた時にはもう遅い。
 追われたとしても、箒さんに走り負けはしない……はずだし。
 それにそもそも、箒さんは一夏を置いて行きはしないだろうから。

「と、とにかく待て!」

 そんな言葉を背に受けつつ、走って走って箒さんから逃げる。来た道を戻っていくように。
 当然、止まる気なんかはない。

『――げるなぁッ!』

 意思は続けど予想通り。
 届く声は小さく不確かになり、足を進め距離を行くにつれて箒さんの気配も遠ざかっていく。
 それでも、僕らは止まらない。林を走り続ける。走り抜ける。
 僕としてはそろそろ速度を落としても良いと思うのだけれど、シャルは率先的に能動的に僕を引っ張るようにして止まる素振りを見せない。

 シャルは下駄のはずなのに結構なペース。
 “歩きづらいから気をつけて”なんて心配が必要なかったみたいに。
 まぁ、それでも、その心配が消えるのかというとまた別の話で。こうやって走っている今も相変わらず心配なわけだけれど。
 いつでも、フォローが出来るように身構えとこう。

「きゃっ!」

 と、言ってる側からだ。いや、思ってる側からだ。
 何かに足を取られたのか、悲鳴?を残してシャルの身体がバランスを崩し大きく傾いていく。
 対する僕のやるべき事はもう既に。見て即座の行動、反射的に判断。

 ……片腕だけじゃ、きちんと支え切れない。

 だから踏み出す一歩に一層の力を込める。僕とシャルとの距離。それを直ぐに埋める。繋いだ腕一本分の距離を詰める。シャルが倒れるより先にそれをゼロへ。
 まずは、繋いだ右腕で傾く身体をこちらへと引き寄せる。腕を引く事で斜めの体勢――僕に正面を向けようとするシャルの身体。このままだと肩から地面に落ちる……けれど、それを許すはずもない。
 ちょいと失礼。踏み出して一歩、シャルの身体を抱き留めるように左腕を伸ばす。
 おっとっと……抱き留めて、さらに進行方向には身体を入れて安全を確保。
 しかし、それでも勢いはまだ存在。
 シャルの安全を確保した今となっては、別に倒れてしまっても構わないのだけれど。でも、やっぱり、倒れないで済むのであれば倒れない方が良いに決まってる。
 そういう事なので、シャルの身体を支えたまま何とか勢いを殺していく。
 バックステップかサイドステップか、僕も転びそうになりながらも耐え凌ぎ、耐え忍び……どっこらしょっと!

「……驚かせないでよ、シャル?」
「あはは、ごめん」

 ぎりぎりセーフ。何とか耐え切りようやく停止。
 その止まった体勢のまま腕の中の彼女に問い掛けてみれば、聞こえるのは謝りながらも罰の悪そうな笑い声。

「いや、別に謝られる程の事でもないけどさ」
「うん、ありがとう」

 今度は感謝の声。とりあえず、声からすると元気そう。
 そう、元気そうではあるけれど、だからこそ気になる点は一つ。

「足は大丈夫?怪我はしてない?」

 強がってはいないかって事。
 何かに躓いたって事は足を捻ったりしてるかもしれないって事だ。
 それを確かめるべく、抱き寄せた身体を離してその安否を確認してみると、案の定、やっぱり異変があった。
 履いていたはずの下駄が右足だけなくなっていて、シャルの白い素足が完全に露になってしまっている。

「あ、うん。とりあえず痛くもないし、全然大丈夫だよ?……だけど」
「だけど?……ああ、そっか」

 無事の報告、けれど思わせぶりに視線が動いた。
 それを追ってみると、そこには足を離れ地面に転がっているシャルの下駄。
 さらによく見てみれば、せっかく借りた下駄は壊れて――正確には鼻緒の部分が切れてしまっているみたいだ。

「気に入ってたのになぁ」

 ひょこひょこ。器用に左足だけで跳ねながら、下駄へと向かうシャル。残念そうな声と共に壊れたそれが持ち上げられる。
 浴衣と同じくレンタル品だから、きっと買い取りという形になるだろう。
 でも、そんなのは二束三文、たいした事じゃない。
 困らない程度以上にある、僕らの所持金から比べてもそうだし。
 身体の無事なんかに比べたら、さらにもっと。

 ……ホント、何ともなくて良かった。

 とりあえず、ご愁傷様と口に出さずに同情しながらも、ほっと安堵の息を吐く。
 目の前には下駄を片手に“あーあ”と未だに残念そうな表情を浮かべる、片足立ちのシャル。
 何度か履けないかなぁといった感じに頑張っているけれど、さすがに無理がある。むしろ、それを履いて歩くには無理しかない。

 でも、これからどうするべきか。
 頑張り続けるシャルを視界に収めながら、少し考えてみる。

 ご覧の通り。どれだけ試してみても、それはもはやというもの。
 材料も工具もありはしないので、下駄はもう直せないし、もう履けない。それにまさか、裸足でシャルを歩かせるわけにもいかない。
 歩ける片足だけで行かせる?そんなのは即却下、有り得ない。だったら肩を貸して歩いていく?それもありと言えばありではあるけれど進みは遅い。
 千が一、万が一に。もしかしたら。予想に反して、箒さんが追って来てたりしているかもしれない。ゆっくり進んでいる事で箒さんに捕まり怒られるのは、正直嫌だ。

 まぁ、だったら手っ取り早い方法で。

「それじゃ、ほら」

 片足立ちのシャルに背中を向けてしゃがみ込んでみる。

「えっと、それって?」
「背中、使ってよ」

 そう、背中。
 僕が背負って歩けば、どんな物よりも手っ取り早い。
 何より、支えて歩くのよりもシャルに負担がかからないし。

「でも、その……」

 個人的には完璧な選択だと思ったのだけれど、それでも、シャルは渋って動かない。何かを言い淀んでいる。迷っていると言った方が正しい。

「さすがにさ、それはもう履けないよ。それにシャルを裸足で歩かせるわけにはいかない」

 なら、迷いを断ち切る為に説得だ。

「まだ回りたいって言うならこのまま回るから。シャルの行きたい場所にさ」

 うちわのように便利なお得感もほのめかしながら。まぁ、無料のタクシーみたいに考えてくれれば良いと思う。
 一緒に歩こうとも、僕が背負おうとも、結局は変わらないんだから。

 プランを提案。シャルはやっぱり“うーん”と尚も何かをお悩み中。
 僕も一度立ち上がって、その選択の様子を黙って見守る。

「それじゃあ、うん」

 やがて、覚悟を決めたみたいにシャルが頷いた。
 そして、真っ直ぐ僕の目を覗きながら。

「お願い、しようかな?」

 イエスの答えで悩みや迷いが締め括られた。
 返答を受けて、それならそうと、では早速。シャルの前に再びしゃがみ込んで背中を晒す。

「えっと、お邪魔します?」

 どうぞと声をかけると、少し見当違いの言葉と共に恐る恐るというようなゆっくりの動作で肩に手がかかり、次いで徐々に体重が僕に委ねられていく。

「立つよ?」
「うん」

 僕も、シャルが乗ったのを確認次第、少し慎重に丁寧にゆっくりと、了承を得てから静かに立ち上がる。
 でも、意外というかやっぱりか。
 ダイエットが……と言っていた割に、足や腰に感じられる負荷が小さい。

「……私、重くない?」

 シャルはこう言ってはくるけれど、人の身体としては軽過ぎるぐらいだ。
 さっきはダイエットって言ってたけど、そんなのは逆にちゃんと食べてるのか心配なぐらいに。
 比較対象が昔の仕事場だから、アレかもしれないけど。

「そ、そう?良かったぁ」

 良かったも何も、そんな心配は元からいらないんじゃないかと僕は思う。無理なんかしなくても、シャルはシャルのままで良いんだから。
 ……と、そういえばそうだ。思う事といえば、逆に聞いてみたい事が一つあった。

「シャルの方はどう?乗り心地とかは」
「乗り心地って?」
「だって、僕ってあんまり大きくないからさ。大きい方が安定してて乗り心地も良さそうでしょ?」

 あまり大きくない……いや、少ーしだけ小さい者としては、こういう行動をするにあたって支障があったりはしないか、気になるところ。
 身長は十とか二十とは言わないまでも、せめてあと五センチぐらいは欲しいんだけど。

「全然快適だよ……温かいし」

 うん、それなら良いんだけどね。
 いや、でも。

「変な事言うね。もし冷たかったら僕は死んでるって」

 そもそも今は夏真っ盛り、暖かいを越えて暑いと言える領域なのに。
 それで雨も降ってないのに低体温とか……知らない内に死んでいたって感じでシャルの“大好き”なホラーになってしまう。

「ううん。そういう事じゃなくて、温かいよ」

 ん、そっか。
 疑問には思っても、リラックスしてくれているような言葉には、その疑問なんてどうでもよくなってくる。
 人を背負うのに向いてないし慣れてもいない僕だけれど、少しでもプラスになれたのなら本望だから。

 ……あれ、いや、でも、ちょっと、ちょっと待った!

「ちょ、ちょっと、シャル?」
「どうしたの?」

 いや、何の疑問もなさそうに、普通の調子で返されても。

 暢気に答えるシャルの肩にあったはずのその手は、今さっきのリラックスしたような声の間に移動して首に巻き付くような形をとっている。
 当然、それは自然と身体同士の密着を引き起こす事になって……いや、つまりはちょっとくっつき過ぎなんじゃないかなぁと思ってみたり。
 体勢的にしょうがないのかもしれないけれど、それにはこう緊張してどぎまぎしてきてしまう。

「気になる事でもあるの?」
「そ、そりゃ、まぁ……」

 本当に暢気な発言だ。
 これだけ普通の調子でいられると、一人焦っている僕が馬鹿みたいじゃないか。

「あー、でも、もしかして少し疲れた?」

 はぁ……悪い情勢につき、無理矢理話題変更。
 少しでも良いから、意識を他所へと紛らわせる。

「ん……うん、そうかも。少し疲れたのかも」
「へ?」

 しかし、本当に適当な話題のはずなのに、意外にもシャルは僕の言葉に同意してみせた。
 そして。

「だから、もう少しだけこうしてて良いかな?」

 うわ、また!というよりさらに!?

 右耳をくすぐったさが襲う。くすぐったさと少しの熱。
 ああ、これはたぶん、この感触は髪。シャルの髪……頭?
 歩きながら横目で少し見てみると、表情こそは見えないけれど、見慣れた明るいブロンドが存在している。
 それにこの距離。近い。呼吸の音さえ聞こえそうだし、聞かれてしまいそうだ。

「ね、良いかな?」
「か、構わないよ、別に」

 その状態からの確認の声には、慌てて視線を前方へと外しながら。
 何だか、何かが、何となく危うい。でも、何だろう?確かに緊張しているにもかかわらず、口元には笑みが浮かぶ。

 ……シャルの言う温かいってこういう事か。

 顔のすぐ横、背中、体温や感触。
 これって気温とかによる熱とは何かが違って心地良い。今は蒸し暑いはずなのに、確かに温かい。
 そして、一度でもそうやって心地良いと考えてしまうと、心中は緊張だけじゃなくて、緊張とリラックス感とが同居したおかしな状態への変貌を見せて。一体どっちなんだと自問自答したいぐらいのどっちつかずだ。
 本当にまったくおかしい。
 確実なのは、今が決して不快ではない事。
 心地良いのだから、むしろ逆だ。いつまでだってこうしていたいぐらいかもしれない。僕の体力の関係で不可能だろうけれど。

「あ、花火」
「……大きいね?」

 静かに今の時間を過ごしてでいると、派手でカラフルな光が木々の合間から僕らを照らした。
 大きな音に綺麗な光。花火。日本の夏の風物詩。
 それでも、花火の事なんかは今まで完全に意識の外だった。
 何せ、僕の意識も興味も手の届く範囲の中で一杯になってしまっていたから。

「そういえば、シャルはさ」
「ん、なに?」

 その一杯から見出だした事を、花火の音を聞きながら率直に告げる。

「小さいよね」
「え?」

 いや、つまり、シャルってさ。

「あんまり大きい方じゃないんだなって」

 うん。初めてシャルを背負ってみて、やっぱりそう思うし、そう感じる。

「…………」

 だけど、問題が発生した。
 変な事言ったかな?さっきまでシャルはすぐに反応をくれていたのに、なぜか今はむっと黙り込んで無言になってしまった。
 それに何だか、雰囲気が穏やかなものではなくなっていて、ひびびと空気が震えるような感覚もある。しかし、震える空気とは言っても花火によるものとは別の気配、なんというか直感的な気配?

「ん……どうしたのさ?」

 その雰囲気を漂わせたまま、僕の首にあった腕が動いた。絡まっていたそれが緩められ移動して、今度はどうにも僕の頭に移ったみたいだ。
 ――何で頭に?そんな疑問がふと頭をよぎったその時、シャルは律義にもその答えを僕に与えてくれた。

「痛っ、シャル!?髪、髪っ!」

 頭に乗せられた手が僕の髪を掴んで引っ張っている。
 ぬ、抜ける。束で持っていかれ……ない?でも、痛い。
 強くもなく軽くでもなく、意図の読めない力加減。引っ張られて数秒、耐える時間。歩めど耐えども力には抗えず、次第には頭と顎が天を向く。

 ……いや、本当に。痛いってば、シャル?

 そして、耐えて耐えて、不意に引っ張るその手から力が抜けたかと思うと――髪が抜けたわけじゃなくて良かった――怒りを乗せながらも今度は言葉で答えをくれた。

「もう、もうっ!私だってね、そういう事は気にするんだから」

 “確かにね?箒やセシリアには負けてるかもしれないよ?だけど、だけどだよ?私だって形なら……”とか何とか。
 シャルが僕の髪を指で巻いたり捻ったり捩ったり弄くりながら、何かをもごもごと呟いている。
 えっと、独り言?……とりあえず、意見の相違があるみたいだ。いや、確実にある。
 というか髪の毛がまだ地味に痛い。痛いけれどそれはひとまず忘れて、先にその真意について尋ねてみる。

「シャル。何を勘違いしてるのかは知らないけれど、多分僕の言いたいこととは大分違ってると思うよ」
「じゃあ、どういう事?」

 いや、どういう事も何も。というか不満そう。まだちょっと怒ってる。

「あのさ。小さいって、言い方が悪かったのかな。それってシャルの身長とか体格の事だよ」
「……身長?」

 そう、身長。返る言葉はまだまだ不満げ。
 ……誤解はちゃんと解いておかないと。

「シャルってさ、不本意だけど僕と十センチぐらいしか変わらないでしょ?」

 底のあるブーツなんて履かれたら、ほとんどなくなってしまうそんなシャルと僕との身長差。

「それなのにこうして背負うと軽くて、やっぱり華奢だったりで。男とはホントに違って女の子だなぁとかね、そんな事を思ったわけ」

 ついでにこれは、そんなシャルに守られてしまう自分への情けなさを含んでの事でもある。
 シルバリオ・ゴスペル戦なんて特に。もしシャルがいなかったら、僕は今頃死んでいたから。
 そうやって事実を事実として感じ、思った事を弁明や理由として。

 だけど、改めて考えるとつくづく情けないや、僕は。
 守りたいのに守られるとか、あまつさえ死にかけて迷惑をかけるとか、下手な冗談にもならない。

 ……まったく僕って奴は――ん?

 そうやって、一歩ずつ歩みを続けながら、情けない自分に溜め息をついていると、僕の身体を探るように細く小さな白い手が動くのが目に入った。
 視覚と触れられる感覚で。肩、腕、首……柔らかな手、その感触は耐えられない程ではない。それでも、その動きはやっぱりくすぐったい。

「身体……見た目より硬いね?ごつごつしてる」
「まぁ、鍛えてるから」

 何かと思えば、そんな事?突拍子もなくいきなりだ。
 ……でも、そういう意味では逆に、シャルと言えば――。

「私は?」
「やっぱり小柄だ。それに柔らかい」
「……鍛えてるはずなんだけどなぁ」

 鍛えてあるのは分かるよ?
 それでもやっぱり男とは違う。筋肉の付き方とかを考えてみても、やっぱり女の子だ。

「しかも、シャルの髪ってば何だかライオンみたいだ」
「むぅ」
「待った!……悪かった、僕が悪かったから」

 おっと失言。
 シャルの髪を褒めようと思ったのだけれど、どうやらお気に召さない様子。機嫌を損なってしまった。
 その不機嫌さを表すが如く、子ライオンの唸り声と共に僕の髪が軽く握られる。ここから次に予測出来る行動はつい先程の経験から言わずもがな、直ぐに弁解しないといけない。
 再びの攻撃。それは何としても避けたい。

 あー、えっと、それじゃあ――。

「訂正。何だか太陽みたいだね」
「……そんな風に言っても今更遅いよ」
「いやいやホントに」
「どうせ、私はくせっ毛気味ですよーだ……」

 くせっ毛?確かに、言われてみればそんな感じだ。
 この間の朝食の時だって、ぴょこんと寝癖が立ってた時があって、指摘してみたら慌ててた時もあったし。
 とにかく。表情が確認出来なくても、今のシャルが唇を尖らせるようにふて腐れて少し拗ねているのが分かる。

 でもさ、シャル?シャルの髪がくせっ毛でも何であっても。

「だけど、その今の髪型。よく似合ってると思うよ」
「……本当?」

 もちろん。本当本当。

「普段の髪型も僕は好きだけどね」
「……そっかぁ」

 いつもの尻尾付き。動く度に揺れるそれを眺めるのは好きだ。
 それに、今のシャルの格好だって。

「浴衣もよく似合ってる」

 それは浴衣を着慣れている箒さんにだって引けを取らないぐらいに。
 あと、さらに僕個人の意見で付け加えるのなら。

「あと、か――」
「か?」
「か、可愛いと思う。よく似合ってて可愛いと思うよ」

 ああ、何とかちゃんと口に出せた。
 こんなたった一言に、なぜか緊張しているだなんて僕らしくもない。昔だったら普通に言えそうなものだけど……いや、昔だったらこんな事、思いもしなかったかもしれない。
 とりあえず、面と向かった状態だったら言えなかった事だと思う。

「あ……その、ありがとう?」

 やっぱり僕らしくない言葉だったりしたのだろうか。
 背中からの声には戸惑いのような色が。

「どう、いたしまして?」
「う、うん」

 そして、そう戸惑われるとこっちにもそれが感染してしまう。
 たださえ緊張していたのに、それプラスこれじゃもうお手上げだ。
 上手く言葉は返せないし。会話もまた続けられない。

「…………」
「…………」

 どうしよう。変な空気だ。

 歩きながら、正直焦る。
 ほんの少しでも何でもいいから、言い出せたら良いのだけれど。
 シャルは何も言ってはくれないし、僕も今ははっきりと無理だし。

 その空気のまま、僕らが進む正面には林の終わりが見えて来た。神社の本殿、照明、喧騒。静から動。暗から明。
 とにかく、時間が動き出すイメージ。

「あのさ?」
「あのね?」

 機会を同じくしてお互い話しを切り出す。僕らのどちらも疑問系。疑問というよりは提案。
 あぁ……とりあえず、またやっぱり気まずい。

 再び訪れた沈黙のまま本殿の横を通って、軽い傾斜の下り坂に差し掛かる。
 下っていくに従って人の波も賑やかさも勢いを増していく。
 賑やかさでも騒がしくても、僕らの静けさは破れない。話題を切り出そうにも、頭は少々多大にオーバーヒート中。思考が空転し、その状態で治まらない。
 ホントにどうしよう。慌てるばかりでどうしようもない。

 次第には、屋台が立ち並ぶ区画、その近くにまで来てしまった。
 混乱する中でも、漂う香りに食欲が刺激される。
 ソース?マヨネーズ?鉄板に焼かれ蒸気と共に運ばれたそれが直接的に嗅覚を扇動する。そうして煽られた食欲、進んだ空腹。そこから発生するは自然な現象。
 それは、夏虫じゃない非実在的な虫の唸り声。

 発生場所は僕の腹部ではなく――背中で。

「……ぷっ」
「ッ!ま、待って!違うよ?私の音じゃないよ?」

 今までの無言の均衡が一気に崩された。不意打ちに吹き出してしまった僕の笑いに対して、背中からの慌てた弁解が開始される。
 慌てて焦って流れ出すように。恥ずかしがって必死に。対照的にそれを聞く僕はどこまでも楽しく。

 はいはい。そういう事にしておくから……ああ、でもダメだ。やっぱり抑え切れない。

「あぁー、また笑った……!」

 シャルのお腹の音じゃないなら、別に笑っても構わないのだと思うけど?

 そう思いながら尚も小さく笑っていると、いきなり力の抜けた身体がしだれかかってくる。
 それでも、全身が脱力しているわけでもなく首を周り僕を捕まえる両腕は心なしか強く。顔を隠そうとしているみたいだけど、横目で見える横顔は真っ赤で。
 そこまで気にする必要なんてないのに。ホントにシャルは……。

「ところでダイエット中に悪いけど、付き合ってくれないかな」

 さて、そろそろ僕の出番。フォローの時間だ。
 シャルをからかった責任もあるし。僕自身の実利も含めて、今日これからについての提案をしよう。

「……何に?」
「屋台まわり。二人で分け合いながらさ」

 顔に赤みを残しながらぼそりと尋ねてくるシャルに、一言の補足を付けて返す。
 というのも、要するにダイエットってただの自主的な食量制限なわけだから、まずシャルが食べて残りを僕が食べれば、シャルも僕も屋台をちゃんと堪能出来て万事解決っていうか。

「え、えっとね、それじゃあ!まず何から食べるの?……その、たこ焼きから?」

 少し落ち着かない仕種と反応。
 よほど、お腹が空いていたのか、シャルも提案には賛成してくれているみたいだ。
 空腹が理由にしては、何か少し空回ってるというか、どこか不自然で、それは気になるところではあるけれど。

「でもシャル。分けるとは言ってもあんまり食べると太るよ?」
「もう、またそういう事言う……でもね、それでも良いよ」

 ……からかいが通じない。
 でも、何で?

「だって私がもし太っちゃったら、君に責任を取ってもらうんだから!」

 はいはい。いざその時はお言葉のままに。運動でも何でも付き合うよ。
 でも、そうならないように、まずは気をつけてね?




 暑かった夏も中旬を回り、もうすぐ終わりがやってくる。
 そうやって夏が終れば学校も始まり、会えないわけではないけれど、また少し距離と時間が離れてしまう。
 さらに。新しい機体が来たのなら、運用テストに追われる日々が来て、こうした時間は殊更に少なくなっていくだろう。

 それは何だか……名残惜しい。いや、寂しい。寂しく思う。
 でも逆に言えば、逆に考えれば、約二週間もまだ時間がある。残っている。
 だから今は、この時を噛み締めよう。楽しもう。

「いっただきー」
「あ……、それ私の分だよ!」

 何と言うか、今はやっぱり大切だと思える時間だから。
 
 夏祭り。こんな夏の日、夏の夜、夏の時間。
 特別で何も特別じゃない、いつもの僕らの一日。
 何と言う事もなく楽しくて幸せな、そんな普通の一日だった。



[28662] Chapter3-8
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:cdf7752d
Date: 2013/01/22 18:52
 その時、僕は一体となっていた。

 身に纏うは、軽量性と防護性能とを両立された特殊装甲。装甲だけでなく全身には慣性制御による障壁――シールドバリアが展開され、最後の盾である絶対防御をも含める事で搭乗者への万全な防御力を実現している。
 背中には機体長はあろうかという四枚羽――スラスター。いわゆる制御翼により、集束と増幅が為された推進力が機体を押しやり、多大な加速力を実現する。それはまさに空気を切り、空を裂く感覚。
 両腕には武装。即座での選択によって場の状況に応じた火器の選択が可能だ。今現在の状況においては、右腕にアサルトカノン、左腕にショットカノンを保持し、敵機の迎撃に当たっている。

 手の内の刃を日光に反射させながら迫る、桜色の敵。
 間合いを侵された近接戦闘。合わせて右腕武装を変更。相手の切り掛かるタイミングを見計らい、アサルトカノンを小型の実体剣へと持ち替える。
 放たれた剣筋。自らを結ぼうというそのライン。線には線で結び、逆手に保持したショートブレードで迫る一撃を妨げる。
 接触。
 金属同士がぶつかり合う鈍い衝撃が周囲に響き渡った。それはもちろんブレードを通じ機体にも襲いかかる。だが、機体運用にたいした問題は起きていない。刃は刃によって受け止める事が出来た。
 しかし、それで終わりというわけにはいかない。
 凌ぎ合い、削り合い。剣と剣、力と力。押し切らんという意思と押し退けようという意思、是と否の意思が押し合いながら均衡している。刃同士の接点を通し、互いの機体出力を比べ合うように火花を散らす

 均衡。目の前にはこちらを狙う切っ先。それでも危機的状態には足り得ない。
 流石に世代的な優位性はこちらにあり、純粋なパワーでは負けていない。片手と両手、そのような状態であってもこうして押し負けず受け止めていられる事もそれを示してくれている。
 しかし、そのような理解は自分だけでなく相手にも存在しているだろう。僕のようなルーキーとは違って相手はベテラン、当然の事として頭に入っているはずだ。
 だからこそ、それを念頭に置きながら仕掛ける。先手必勝とは言い難いが、後手に回れば勝利がない為に。
 その為に均衡を破る。自身が受け止める力のベクトルを変更していく。
 角度を変えるショートブレード。刃はブレード上を滑り、目の前にさらなる火花が咲き散る。刃を越え、火花を越え、尚も内含される力は変わったベクトルをなぞり、その役目を全うする事なく何もない宙を切った。

 好機だ。
 振り切った姿。決定的な隙。この距離とタイミング、返す刃も間に合いはしない。生まれた死に体へと銃口を向け、左手の引き金を引いていく。
 フルオートマチック・ショットカノン。
 毎分三百発程度の連射速度とは言え、近距離、しかも相手が挑んで来たこの至近距離であれば、たった一撃でさえも相手の耐久値を大きく削り取る事は必至。
 しかし、その必中のタイミングで放たれた幾つもの散弾は、空間に拡がりを見せながらも宙を穿ち、それから瞬き程の次の瞬間においてはこちらの背後に敵がいた。

 イグニッション・ブースト。
 瞬間的な爆発的加速をもたらす、設定技能だ。
 停止状態から最大速にまで機体を加速させるそれによって、戦況は一変。一瞬で好機は危機へと変わる。
 幸いにも、その選択は予想の範囲内ではあった。読めている。何度も何度も苦汁を嘗めさせられていた技能なので、当然に。
 だが死角。状況は良くない。反応の間にも距離は詰められ、おそらく再び一撃で落とされる事になるだろう。

 ――右腕にアサルトカノンを再変換。左腕ショットカノンの即時装填。

 けれど抵抗。振り向き様、正確な狙いさえも付けずに弾幕を張る。ただ撃ち放つ事だけを考えて。負けてたまるかの一心で。
 桜色の敵機もまさかこんな闇雲な反撃が来ると思っていなかったのか、いつもの突撃を思い留まり、今は回避だけに専念している。
 それは逆に考えれば、攻め急がなくとも勝機があるという余裕を感じさせる物だ。

 進行が止まったのを見て、こちらは弾幕を張り続けながらも全力で後退を開始する。
 元より、相手は近接オンリーの機体。距離を離して戦うのがセオリーだと言える。
 しかし、その射程の差を埋める、埋めてしまえるのが敵機だった。
 やはり、後退速度を上回る速さでこちらを追撃する。
 汎用機と近接特化型の高速機、平均値で上回っていても速度等の個別のパラメータでは負けている。

 その差を認識しながらの蛇行軌道。左右に機体を振りながら後退。軌道には法則性を付けての誘い。
 相手もこちらの弾筋を読み回避を続けつつ追撃の素振りを見せながらも、こちらの動向を窺っているようだ。いや、確実に狙っている。
 その狙いは恐らく。

 ――リロード。マグチェンジ。弾倉交換。その瞬間。弾幕の薄くなる瞬間。

 そして狙いが読めているのなら、そのタイミングはこちらで支配できる。
 しかし、弾切れから盾への変換。それに消費する時間と恐らく使ってくるだろうイグニッション・ブーストによる接近までの時間。乗るか反るかのタイミングになる。
 一気呵成のイグニッション・ブースト、そこからなる一撃を凌げば、至近距離でショットカノンを叩き込む事ができ、こちらの勝利となり。
 その一撃。圧倒的なそれを喰らってしまえばシステム上、一撃必殺の判定が下される。

 もっと自分が上手く機体を扱えていたのなら、こうも劣勢にはならないはずなのに。だが、それも今言ってどうにかなるものでもない。
 ならば仕掛ける。まさしく勝負。さぁ、来い。さぁ、掛かって来い。
 アサルトカノンの残弾を使い切らないままに交換を開始。転じて即座に実体盾へと切り換える。
 ほぼ同時。予測通りに相手も来た。イグニッション・ブースト。やはり速い。数十メートルの距離が一気に至近距離に。
 お陰で敵機とその剣が大きくよく見えるようになった。決める気だ。形状を変化させ、実体剣から光の剣と化した敵武装。振りかぶられた一撃必殺“零落白夜”。
 しかし、読み通り。タイミングも完璧だ。いかに必殺と言えども盾は破れない。破れないのなら、そのまま防ぎカウンターを叩き込めば、事は全て片が付く

 ――っ!?

 そして、盾を剣撃へと傾けたその時、目の前の光は盾を擦り抜けるように消え去っていた。正確には敵の姿が視界からなくなっていた。

 ――一体どこに……?

 斬られたわけではない。それを感じながらの瞬間的な思考も半ば、注意を促すアラームが響く。

 ――後ろ!?

 さらに瞬間的。レーダーが敵を背後に示し出す。
 即座に確認するも、そこには光を振りかぶった敵の姿。こちらはその敵に対し、隙を晒し出している。

 イグニッション・ブーストの連続使用。言うなれば、二段イグニッション・ブースト。完全に予測の先を行かれた。
 防御は……間に合わない。
 たった一瞬の差で。一瞬をさらに分解したその極小時間の差で。致命的なミスだ。慣れていない機体、未熟さ、フェイントにフェイントを重ねられた甘い読み、考え。それが今、ここに出た。
 それでも反射的。時間を作り出すために振り向きながらも、手に持つショットカノンを機体と光との間に構え入れていた。
 断ち切られ、半ばから熱量によって崩壊していく銃身。
 それでさえも、盾を構えるには足りない
 そう、ただ盾で守るには――。

 右腕を振るいながら盾をそのまま放棄する。
 重量がある分、構える挙動に支障がある為に。タイミング的に防御が不可能となった今、そんな物など不要だったから。
 真の狙いは、その盾の下にあるから。

 大口径パイルバンカー。
 重量物を投棄した右腕に残る、原始的な存在。最後の切り札。いや、特化型にその分野で挑まなくてはならないとは苦肉の策でしかない。
 通常であれば、まともにはやり合えはしない相性。
 しかし、このタイミング。今現在の距離であれば――。

 ――光が視界の上下に走る。時を同じくして、右腕を光の先に叩き込む。

 一瞬の交差。光で目が眩む。勝敗は?一体どうなったのか?
 そして、光の向こう。光の消滅と共に視界の中へと現れたのは。

 ――NICE JOKE !――

 本日、もう何度目かになる、完全敗北を示す屈辱の文字列だった。


「……また、負けた」

 テレビ画面に尚も表示されている赤い文字列。人間工学に基づく、手にフィットする操作端末――ワイヤレスコントローラーを手に持ちながら、突き付けられた事実にうなだれる。
 勝てない。連敗、大連敗。負けて負けて負けまくり。

「あっぶねぇ……マジでギリギリだった」

 一方で、こんな事を言いながらもまだまだの余裕を見せている一夏。
 テーブルの上、グラスの中のお茶を傾けては一口。連戦連勝、度重なる死々累々僕の犠牲のお陰で気分は大分良さそうだ。

「というか、一夏のそれ強すぎ。一撃必殺とか有り得ないって」
「んな事言っても、手加減するなとか一番強いのでとかって言い出したのはそっちからだろ?」

 それは、その通りだけど。

「しかも、これ……現実にかなり忠実な事で有名なんだけどな?」

 一夏の続けた言葉に合わせたかのように、ディスプレイ上――表示は結果の表示画面から機体選択画面に移り変わる。
 大型ディスプレイの中には多種多様の機体。その中で僕側2Pカーソルが乗っている機体――僕が先程使用したラファールリヴァイヴは一夏の操る暮桜に力及ばず敗北した。

 ……ごめん、シャル。また勝てなかったよ。

 何となく、ラファールリヴァイヴという事でシャルに謝ってみる。
 でも、まぁ、搭乗者無名の量産機と実質的に世界を連覇した暮桜――しかも、搭乗者、織斑千冬さん……織斑先生の技量を反映させたそれとでは、大きな差があっても仕方がないのかもしれない。
 結局の所、それはただの言い訳に過ぎず、僕の技量不足というのが最大の敗因なのだろうけれど。

 さて、そんな敗北感に満ち溢れた今現在。それを僕に与えているのは、内部のソフトウェアを読み込み処理し画面に映像を映し出している物、いわゆるテレビゲームという存在だった。
 そのゲーム、ゲームソフト――ハイスピードISアクションというジャンルを謳う『モンドグロッソ2nd』。
 ISを元にしたゲームとしては『IS/VS』に大きく差を開けられるも、それに次ぐ世界第二位の人気を誇るゲームらしい。
 各国において独自のパラメーター調整が行われているIS/VSに対し、モンドグロッソシリーズは弱い機体は弱く強い機体は強いというシビアかつハードなゲームバランス。それに関して批判もありはするものの、一部のファンや一部のIS関係者からは熱狂的な支持を得るまでに至っているらしい。
 その内容にいたっても、機体や国家代表搭乗者の情報やモデリング、挙動などが細か過ぎる程に再現されており。さらにそれが、モンドグロッソの開催前の時期に最新バージョンが発売される事から、製作にはIS関係者の大物が秘密裏に関わっているという噂もあるとかないとか。
 とにかく僕にとっては、らしい、らしいの連続。全部が一夏から聞いた話ではあるけれど、そういうゲームであるらしい。

 そんな事を踏まえて、勝敗についてもう一つ言い訳をするのなら、テレビゲームなんかに触るのは人生で今日が初めてだったから。それはもう、負けて当たり前……言い訳をした所で悔しい事に変わりはないけれど。
 ああ、悔しい。一夏との実力差は明白で仕方がないのかもしれないけれど、それでもやっぱり悔しい。

「だったら、もう一戦やってみるか?」

 僕の負けん気と表情を覚ったのか、一夏は軽く嘲笑うようなわざとらしい顔で、コントローラーを片手に挑発をかけてくる。

「別にハンデありでも良いぜ?」

 ……ほほう?
 その言い分には、こう少しカチンと込み上げてくる。挑発に乗ってあげようじゃないか。
 それに初心者とは言っても、僕にも意地がある。
 だからハンディキャップなんてそんな物は――一応、貰っておこう。勝利の味も上達への一歩だから。

「でも、一夏。その前にさ」
「ん、何だ?」

 けれど、そんなイージーモードのリベンジを挑む前に。悔しいとかそういう物以前の今の状況について確認しておきたい。

「僕らって正直、かちょうの外って奴だよね」
「それを言うなら『蚊帳の外』だ。……でも、確かにそうだよな」

 清潔感のある広いリビング兼ダイニングルーム、二人だけで興じるテレビゲーム。
 ここは住宅街の庭付き一戸建て、地価を考えても良い物件、一夏の家。織斑家。
 そこに僕らは、別に二人で寂しくゲームをする為だけにいるわけじゃない。そもそも、ここに来ているのは僕らだけじゃない。

 それはキッチンから。
 テレビから流れるBGMに混ざって聞こえてくるのは、トントン、ドスドス、わーわー、賑やかで騒がしい楽しげな音と複数人の声。今日も夏祭りに引き続いて、皆いつもの勢揃い。
 けれど、僕は……いや、家の主の一夏さえもそこに入る事を拒絶され禁じられ追い出されて、僕らはこうして今に至る。
 俗に言う、仲間外れって奴だ。

 別につまみ食いとかじゃなくて、ただ単に手伝おうとしただけなのになぁ。シャルもそこまで拒まなくても良いのに。
 確かにさ、僕にとって料理は門外漢だけどさ。

「まぁ、なんだ……続けるか?」
「……そうだね」

 蚊帳の外、リビングに残された二人で寂しくゲームを再開する。
 もらったハンディキャップ。一夏が選んだのは、とある第二世代機体。表示パラメータ上、射撃精度は飛び抜けて高い機体ではあるけれど……これは、うん、確かに。

 こうしてシャル達皆を待つ間、僕らはゲームに興じ続け、僕はついに念願の初勝利を迎える事となる。


「6」

 一夏の手札から、テーブル上、中央の山へ。
 決められた順に従って、要求された数字であるはずのカードが裏返しに数字が伏せられながら繰り出されていく。

「ダウト」

 そして、僕はその一枚が虚偽の数字であると判断。宣言を上げ、そのカードの数字を確かめる。

「……ちっ」

 一夏の舌打ち。ほら、やっぱりだ。
 一夏は6を出すべき順番でジャックのカードを出していた。僕を騙そうとした虚偽の一手。でも、そうはいかない。お見通しだ。
 虚偽の発露。そのペナルティーとして、一夏の手札には今までに消化した山にあるカードが追加される。

「じゃあ、7」
「ダウト」
「はい、残念」

 僕から続行。その後、即座に、あらぬ疑いを僕へとかけた一夏には、更なるペナルティーが。
 たった一つの山となった、僕の元手札が一夏の手札に加わっていく。

「8」
「9」
「10」
「ダウト」
「J」
「ダウト」
「Q」
「ダウト」
「K」
「A」
「ダウト」

 ……。
 …………。

 延々と永遠に。
 二人きりのトランプ、この物悲しさを説く由を僕らは持たない。
 特殊なルールを定めてもいないので、わざとミスでもしない限り、勝負が終わらない。中々終わらない。
 ゲームも飽きてしまうのでという理由で、今はなぜかのカードゲーム中。
 食欲をそそる香りを流し出したキッチンとは違い、僕らの拠点であるリビングは依然として寂しい。

 そんな寂しさや悲しさ、それを助長してくれてしまうカードから目を外し、付けたままにしていたテレビを見てみる。

『――この破壊活動については既に、反体制組織ユニオンが犯行声明を出しており、これに対しオーメル・サイエンステクノロジー社は、各メディアに宛て次のような発表をしています』

 画面の中では、崩れ落ちた工場の映像を背景に真剣味を帯びたアナウンサーが原稿を読み語っていた。
 死者の報道こそまだ出ていないとはいえ、多数の負傷者が出てしまい、さらに現在も救助活動が行われているという緊急ニュース。世の中もまた、万事何事もなくという風には行っていないようだ。

「最近……多いよな。こういうの」

 諦めたように大所帯となったカードを並べて、一夏がテレビを眺めながら呟く。僕もその意見には、まったくの同意だ。
 こういった報道を見てみても、実際にここ日本が平和であるだけで世界が平和なわけじゃない。
 そうでなきゃ、僕みたいな存在が今まで仕事にありつけていた理由にはならない。ホント、そういう意味では色々平常通りと言えるのかも。

 ん?でも、日本での平和についてよくよく考えてみると、こっちに来てからでも二回ほど実戦を経験していて。しかも、やられかけて死にかけて、何だかあんまり平和とは言えない日々のような気も……あれ?
 えっと、あれ?

「……愚かな奴らだ」

 僕もカードをテーブルに置き、平和なはずの場所での波乱な経験に疑問を抱いていると、報道の内容に向けられた吐き捨てるような台詞が聞こえてきた。

「オーメルが、このまま引き下がるとでも思っているのか?」

 背後。そこに立っていたのは小柄な銀髪の少女、ラウラさん。
 ラウラさんはいわゆるテロリストとテロリズムに対して、忌ま忌ましげに表情を歪めつつもその蛮行の意義と真意に疑問を呈している。

 しかし、言葉の内容とは対照的にその姿はというと実に家庭的な物。
 中央に白いボタンの立ち並んだ黒いゴシックワンピース、それの上から身に着けられた猫の足跡を模様としたエプロン。
 さらに身体の前、両手で持つのは何かの食べ物がよそわれているらしい少し大きめのお皿、器。出来立てなのか、座って眺めるここからだと湯気が立ち上っているのが見える。

「まぁ、そんな事、今はどうでも良い。……待たせたな我が嫁よ!」

 意気揚々。
 ふははと笑いを上げそうな興奮気味、自信満々の様子によって、リビングにあったシリアスな雰囲気が転換される。
 宣言と共に自信ありげと一夏の目の前に置かれたのは、その手にあった皿。
 お陰で皿の上を覗き込めるようになり、上っていた湯気の正体が判明した。

 ほくほくと湯気を上げる一口大のジャガイモ群。器の中にはジャガイモだけでなく、薄切りのタマネギとベーコンとがジャガイモと共に存在をひっそりと主張している。
 全体的に焦げ目が見えるが、これは油で炒めている際にわざと付けられたものだろう。焦げ過ぎの部分はなくアクセント程度にそうある。
 湯気に混ざる香りからすれば、きっと味付けはシンプルかつオーソドックスに塩と胡椒で。
 そう、それはシンプルでありながら立派で有名な家庭料理、いわゆるジャーマンポテトと呼ばれる存在。

「さぁ、食べてみてくれ!」
「良いのか?」
「ああ!」

 本当に自信満々。ラウラさんには気力が漲っている。
 以前、病院で聞かれた一夏についての事。その対策がきちんと成されたみたいだ。
 家事全般、家庭的な一面がある一夏に対し、同じく家庭的な事をして一緒に手伝ったりすれば一夏も喜ぶんじゃないか、とかそんな事。
 ラウラさんは料理という形でそれを成し遂げた。そこに費やされた努力は指に残る絆創膏が物語っている。

 ……ナノマシンがあるから、包丁程度だと傷は残らないはずだけど。まぁ、きっと、何かしらの理由があるはず。

「おう。そんじゃ、早速いただきま――」
「待ちなさい、ラウラ!……やらせないわよ」

 ――くっ、早かったな。
 一夏から顔を背けながらのぼそり。ラウラさんが舌打ちと共に呟いた。
 一夏の食前の挨拶を遮り、ラウラさんの目的を妨げたのは、ファミリーレストランの店員のように大きめの皿を片手で保持した凰さんだ。
 ボーダーシャツに脚を出したショートパンツという何だかラフな感じのする服装ながら、それに加えて、今は半袖のパーカーの代わりにエプロン。模様は流石の笹とパンダ。これはさすが凰さん。
 そして、器にはやっぱり何かしらの料理。湯気が見て取れる。

「……待て待て待て、待て、鈴!お前にこそやらせはせん。一夏にはまず私の」
「箒さんの言う通りですわ、鈴さん」

 加えて、さらに二人が競うようにしてキッチンから姿を現し乱入し、その二人――箒さんとセシリアさんが負けじと主張を展開する。
 もちろん二人ともエプロン姿。ラウラさんや凰さんと同じように、やはりその手には皿。
 我先にと各々の料理を掲げ、さっきまでの寂しい部屋から一転、一気にその場が騒がしい争いの舞台へと変わった。

「一夏さんには、何より先にわたくしの料理を食べていただくのですから!」

 誰もがまず一夏に食べてもらう事を望んでいて、一夏が試食家的な扱いになりかけている。
 セシリアさんの台詞に一夏が顔を強張らせたのは……よく分からない、気になる事ではあるけれど。

「それに、皆さんにもきちんと一夏さんの後で……」
『え゛?』

 え?
 さらに。僕にとって不明な出来事、現象がさらに一つ追加された。
 賑やかさの中、胸を張りながら続けられたその宣言に、一夏だけでなくラウラさん達までもが態度を一変させ、その動きが止まった。争いが止んだ。
 それもそのはず、一夏を含めた皆がセシリアさんを振り向き、目を向け、強張った表情のまま無言で硬直してしまっている。

「そ、その反応は、一体何なんですの!?」

 返って来た謎の反応に、発言をしたセシリアさんが皆の顔を見渡す。

『いや……別に』

 それに返るは、さらにおかしな反応。
 理由を確認しようとするセシリアさんの視線に、誰もが顔を反らし言葉を濁し、真実は闇の中。
 でも、本当に何だろう?皆が皆、揃っての反応だから余計に気になる。

「……それじゃあ、ちゃんと決めようぜ?」

 不意に、一夏の顔に決意が浮かんだ。それは悲壮的とも言える決死の覚悟。
 料理をこれから食べようという友人にこんな印象を受けるのは自分でもおかしいと思うけれど、一夏は軽い笑顔を見せながらも一片の淀みなく真剣だった。
 それに対し、セシリアさん以外の皆は一夏に感化されたように悲痛をもって頷き、セシリアさんは何が起きているのか分からないままに困惑しながらも同意している。

 勝負が始まる。
 勝負方法はじゃんけん。負けませんわー!と気合いを入れるセシリアさんを除く皆は、何だか生死がかかっているみたいに恐ろしいぐらいの意気込みだ。
 景品扱いの一夏も何故か参加している辺り、一夏自身にも熱心に希望する食べたい料理があるのかもしれない。

 んー、でも、こうして真剣勝負が始まるとは言っても、僕にとっては蚊帳の外の外……全く関係がないようなので、どうにも気が入らない。何となくの疎外感だ。
 完全な第三者。傍観者。始まろうとする戦いの行く末を、そんな離れた立場からただただぼーっと見届けていく。

「はい。こっちも出来たよ?」

 すると、開始された激しい戦いの趨勢をぽけーっと眺める僕に対して、声とそれとが視線のすぐ前へと差し出された。

「ね?おいしそうでしょ?」

 さらに声。同意を求める声。目の前には深さのある皿、中にはキツネ色とその上に乗る青い刻みネギ。いわゆる揚げ出し豆腐だ。出来たばかりと一目で分かる一品。湯気の中にタレの匂いが香る。
 だけど、一夏達のじゃんけん対決には参加しないで良いのだろうか。皆、順番と覇権とを賭けて必死に勝負してるのに。現在進行形で続く中、脱落者もまだいないみたいだし。

「もう、何言ってるの?一番最初に君の感想を聞かせて欲しいなぁって、そう思って作ったのに」

 僕の疑問を伝えてみると、お皿を手にしたままのどこか不満げな反応が返ってきた。
 むっという不満。でも、文句は文句でもそういう風な言われ方をされると少し照れ臭いというか何と言うか。とにかく何だかくすぐったく思える。

「ふん、だ。でも別に良いよ。君がそうやって言うなら、お望み通りにまずは一夏に食べてもらうんだから」

 えっ、いや、ちょっと、ちょっと待って、シャル?

 返した答えがまずかったのか、僕の抱いていた予想とか期待に反して、不満さからか目の前のお皿が引き下げられていく。じゃんけんの方を見ながら、僕から揚げ出し豆腐を隠すようにお皿が上へ上へと掲げられる。

 ぐぬぬ。
 しかも、一番最初は一夏にとシャルは言う。
 自然に。上がる皿につられて僕の視線も角度を増して、引き留める右手が視線を追随するように伸びていた。
 当然ながら、座っている今の状態では伸ばして求めても届かない。指は空気しか掴めない。
 何と言う事だ。……豆腐……僕の揚げ出し豆腐が行ってしまう。

「……食べたい?」

 こちらの様子を窺う、ちらりと横目。言葉も僕を試すかのような、反応を見る一言。
 対する答えは、即座にイエス。もちろん食べたいです。

「本当に?食べてみたい?」

 不満からの印象が拭い切れないのか、答えてみても僕への確認が続く。
 ならばと僕も言葉に誠意を乗せるべく、背筋を伸ばして姿勢を正し、確めてくるシャルの瞳を見つめ返しながら、再度の返答。
 食べたいです。どうか是非とも、食べさせてくださいな。
 僕なりに精一杯の謝罪と懇願。

「えー、どうしようかな〜?」

 しかし、シャルはというと、僕の願いに渋ってみせた。
 しかも、顎に指を当てて、楽しそうに軽くの笑みを浮かべながら。

 この様子……完全に、僕を弄びにきている。
 シャルの悪戯っぽい笑顔。鼻唄でも聞こえて来そうなぐらいの、こちらの反応を楽しみながらの仕種。その意図と企みを分かってはいても、主導権は僕の手をすり抜けていて今はどうしても逆らえない。
 だったら、ひたすら直球勝負。真正面からストレートに。主導権とか関係なくゴリ押し、力押しで。
 逆らうわけでも何でもなく、ただただ一つの思いを込めながら。
 笑うシャルの瞳を、ただただ見つめ続ける。

「食べさせないよって言ったら、どうする?」

 こちらの思惑を知らない内の牽制攻撃。これはジャブ。本当にただの牽制に過ぎない。
 だから、怯まず気にせず、じっとじじっと。視線はそのまま投げ返す。

「聞いてる?」

 うん、もちろん聞いてる。だけど、男は黙って真っ直ぐに。確固不動。しっかりと。

「……ねぇ?」

 じー。そんな効果音のイメージで、少し困り始めた瞳を覗く。奥の奥まで見るように。瞳を通してシャルの全てを見透すように。

「ねぇってば……」

 困った模様、その表情。
 アメジストかオパール、誇張するとそういった感じの青か紫かという瞳が、色の中に少しの弱音を含ませて光を僕へと送ってくる。
 それでも、手加減……目加減はしない。シャルの瞳から視線を決して外しはしない。横を向いたりされても、視線に力を込めて、さらなる力をシャルへと伝えていく。

「むぅ……むむ、むむむ……!」

 弱気めいた瞳からいきなりの一転だ。こちらへの反撃が開始された。僕の視線が明確に迎撃される。
 困った瞳に僅かながら力が篭って、視線が逆に送り返されてくる。
 けれど、僕のやる事に変わりはない。返されるのなら、返すだけ。さらに返されるのなら、さらに返す。視線の応酬。

「うぅ……」

 あ、萎んだ。反撃は割とすぐに折れてしまった。
 まぁでも、今は心を鬼にして初心を貫き通すべし。じー。

「えーと?」

 継続。じー。初志貫徹。

「……もう一度聞くけど、食べてみたい?」

 そして遂に反撃意思、からかう意思、両方共の消失が確認出来た。視線での連続攻撃の結果か、シャルの様子や態度も振り出しに戻って、こちらの意思を再び確かめてくる。
 だったら僕も最初に戻って、今度はきちんと適切に。素直な本心だけを頷きながら答えていく。

 もちのろん。食べたいに決まっている。

「……うん。それじゃあ、はい」

 そして、ようやくの時を経て、“どうぞ”の呪文で揚げ出し豆腐が再降臨を果たした。“きちんと味わって食べてね”と皿に供え置かれながら。
 ちなみに一方でのじゃんけん対決はまだ続いている。でも、僕にはやはり関係の薄そうな事なので割愛。目の前の豆腐に集中注目真っ最中なので、気にしている暇もない。

 なので、今は両手の平を向かい閉じて合わせて、合掌。
 その手のまま、お皿に頭を軽く下げて祈るように呟く。

 ――いただきます。

 こうして祈りを捧げたのなら、今度は実行に。
 手元にある箸で皿の上の一つを食べやすく別けていく。キツネ色の外見、大きさにしておおよそ一口大に。切り分け、摘み、持ち上げたそれをそのまま、口の中へと運ぶ。
 頬張るような形で口に入った唐揚げ。まだ少し熱いぐらいだけれど、許容範囲内だ。

 早速、一噛み。
 軽目の力に対し、まずは柔らかくと解れる感触。ほんのり微かの衣の抵抗。それを通り過ぎると今度は熱く柔らかな豆腐の肉が噛む力に対し無抵抗に裁断されていく。
 豆腐や衣の食感もさる事ながら、噛み絞める度に中に染み閉じ込められた出汁とタレとが口の内部で広がる。

 ……まさか、これは?

 間違ってもグルメとか食通とかって自称は出来ないけれど、その味の感覚と記憶にと、それでも分かる事がある。

「ねぇ、シャル?」
「うん。分かった?」

 そして、シャルは僕の質問が言い切られる前に首を縦に振って見せた。意図というか感想が共有出来ているみたいだ。

「あんまりにおいしそうにしてたから、レシピを聞いてみたんだよ」

 何だかにこにこと柔らかい表情のまま続く言葉。その内容。意味する事。
 確かにそれはキサラギの食堂での味に似ていた。いや、まさにまさしくその味だった。最近、気に入ってよく食べていた一品の味。

 でも、確かに言われてみれば、最近シャルが食堂の料理場で何やらをしていたのを思い出した。
 調理スタッフの人と話をしていたり、厨房の中で作業をしていたり。あまり気には止めず、何してるんだろうってぐらいの感覚で見ていただけだけれど。

「それで、どう?おいしいかな?ちゃんと出来てるかな?」

 なるほどなー、と二つに分けた片割れへと手を伸ばしながらその情景を思い出していると、僕に確認の声が降り懸かった。向けられるその目の中には、料理への自信と少しの不安が覗く。
 というかまぁ、実際食べてみた個人的な意見だと、不安なんてのは不要無用の代物に違いない。とは言いつつも、ほとんど何でもぺろりといけてしまう僕の味覚なんかは正直、参考とするのに中々疑わしいわけで。

「シャル。じゃあ、ほら」

 味見はしてるとは思うけど、自分自身で改めて確かめた方が良いと思う。
 という事で、皿から挟み取った揚げ出し豆腐を自分の口ではなく、シャルの目の前へと差し出してみる。

「うん?」

 豆腐を目の前にして傾げられる首。今度はこちらの意図があまり上手く伝わっていないみたいだ。
 だけど、そのままでいられても困る。でないと、僕が二個目を食べられないじゃないか。

「いや、だから、ほら?」
「ほらって……その、もしかして?」
「シャルー。とにかく、口、開けろー」
「えっと、それじゃあ、うん……」

 僕の催促に対して、ようやく観念をしたのか、恐る恐る“あーん”と開いていくシャルの口。それの確認次第に僕も、開かれた唇の中央へ向け、ゆっくりと慎重に運んでいく。
 キツネ色の姿が箸から離れ、シャルの中へと消えていく。そうして揚げ出し豆腐が消えた代わりに現れたのは、リスとは行かなくとも頬を少し膨らませた姿。

 そして、もぐりもぐり、ゆるやかにしっかりと味わうような咀嚼が開始される。その頬張った姿は何だかやっぱり小動物みたいで面白い。
 しかし、じっと見ていると“見ないで”と言うみたいにシャルの右手が口を隠し、左手が僕の頬を押して、視線を妨げようっしてくる。リスっぽい今の状態を少し恥ずかしいみたいだ。
 まぁ、それには別に抵抗はしない。顔を明後日の方向に向けた状態でシャルが食べ終わるのを大人しく待っていく。

「私が自分で言うのもなんだけどね……」

 やがて、小さくこくりと喉を鳴る。
 同時に頬の左手も外れたのでシャルの顔に目を向かわせると、少し満足そうな表情を浮かべながら空となった口がゆっくりと開かれた。

「おいしい」
「おいしい」

 僕もそのタイミングに合わせ、感想を重ねてみる。
 出て来るのは同じ言葉。でも、そうして被ってしまうのもしょうがない。本当に美味しく感じられたのだから。ホント、皆に分けるのが惜しいぐらい、そんなレベルでさ。

 そうやって言い訳を考えながらも、出来るだけ多くを食べるべく、二つ目を箸で口に運んでいく。ふむ、美味い。
 さらに一つ。ふむふむ、やっぱり美味い。
 シャルはそうやって食べ続ける僕をずっと静かに眺めている。さっきは、見ないで、って僕に言ってたのに。

 だけどそんな事より、こうした油物を食べていると、こう飲み物が恋しくなってくる。
 なので、お茶を注いで一口を……、……あっ。
 空のグラスにお茶を入れようとしたところ、何で今まで気が付かなかったのか、お茶のペットボトルは既にほとんどなくなりかけてしまっていた。

 じゃんけんが続く皆の前にもシャルの前にも、お茶色に色を染めたグラスがあって。まぁ、この人数だ。二リットルのペットボトル程度すぐになくなっちゃうか。
 追加追加。皆も飲むだろうし、これから昼食だし、飲み物を持ってこよう。

「あ、大丈夫。私がやるよ?」
「……シャル。それくらいは僕にさせてよ」

 ――料理に関しては何も手伝えなかったんだからさ。
 先んじて立ち上がろうとしたシャルを制してキッチンの方へと移動する。そこにあるのは、何だか立派で高そうな冷蔵庫。一夏に借りた一時的な保管スペースだ。
 そこから、ペットボトルの飲み物を選び取り出す。
 中には炭酸飲料。オレンジジュース。お茶と無糖の紅茶。スポーツドリンク。その中からはとりあえず、お茶と紅茶が適切?

「やりました!やりましたわッ!!」

 そして、ひやりと冷えたペットボトルを両手に戻ってみると、じゃんけん勝負の方では遂に勝敗が決したらしく、勝鬨の声が上がっていた。
 声から察するに、セシリアさんが見事、勝利を修めたみたいだ。
 実際。テーブルにペットボトルを置きながら見てみれば、ラウラさん達が結果に唖然とする中、セシリアさんだけが満面の笑みを浮かべ、ヴィクトリーサインを天高く勝ち誇っている。

「――皆さんも、一夏さんの後には是非とも、召し上がってみて下さい!」

 さらに。そのまま溢れ出した喜びが僕ら全員に振り撒かれると……何故か、皆の唖然が絶望へと変貌を遂げた。

 いや、ホントにどうなってるんだろう、これ?
 でもまぁ、えっと、とりあえず……、

「シャル?緑茶と紅茶、どっちが良い?」

 待ちに待った昼食だ。
 おかずは皆のおかげで出揃っている。あとやるべき事は……ごはんとか取り皿とか?
 何もしないというのもしゃくなので、料理以外のあれこれは任せてもらおう。
 雑用雑務はどんと来い。何でもかんでもお任せあれ。


 雑用。料理以外、飯時のあれこれ。
 一般的に『食』という時間において大きな負担となってくるのが、そんな雑務。この作業だ。

 ――♪

 洗剤と水で泡立ったスポンジが油類による汚れを剥がし取っていく。
 そうやって綺麗になったのなら、今度はその皿の水気を拭き取り食器棚へ。洗ってはよく拭いてしまう、その繰り返し。

 ――♪♪

 皆の分の取り皿と茶碗と乗せ皿と使用した調理器具と。合わせると意外な数になり、それ全てを洗うとなると中々の手間となる。
 今の時代、洗い物にしても掃除にしても、食洗機や自動掃除機が普及していたりするけれど――僕も日本に来てから初めて見たし知った――ここにはそういった物が見当たらない。
 聞けば何でも、一夏はそんな全自動的な物があまり好きではないらしい。スイッチ一つのそれらよりも、実際に洗い物をしたり掃除をしたりする事で『過ごした日々を感じるんだ』とか何とか。
 僕には分かりづらい世界ではあるけれど、つまりは出来る事は自分でやるべきという事らしい。その割には洗濯機は普通にあるので、それはそれこれはこれという事なのだろう。

 まぁ、そうやって少し思いを返しながらも、手の動きは止めないままで。

「はい。これが最後だよ?」

 了解了解。
 どこか楽しげ。鼻唄混じりのシャルから最後の皿を受け取り拭き取り、食器棚へと納めていく。
 こうやって今は楽しそうだけれど、初めにシャルは食器洗い機がない事を珍しがっていたりもしていた。どうやらフランスでは食器洗い機が、かなり一般的な物であるらしい。

 いや、それはさて置き。それにしても……。

「何だかご機嫌だね、シャル」
「そう見える?」

 うん。鼻唄なんて逆の気分だったら出ないだろうに。というか何でご機嫌?
 この洗い物なんかは、元々僕がやるって言い出した事で。そのメインタスクを今はシャルにやらせちゃって迷惑をかけているというのに。

「家事をするのは、別に嫌いじゃないからね」

 嫌いじゃない、か……。
 そういえば“お母さんの手伝いをするのが好きだったんだ”って言ってたっけ。

「うん、きっとそれも一理あるよ」

 どこか嬉しそうに笑いながらのシャルの言葉。
 というか、嬉しそう以上に何かをもっと言いたそうにしている。

「でもね?それとは別に……こうやって家庭って言うのかな?そんな場所のそんな普通のキッチンで、二人で一緒に洗い物とかをしてるとね?それってまるで――」

 まるで?

「ううん。やっぱり何でもない」

 ……何さ、いきなり何だか勿体振って。

「だから、何でもないってば!」

 む。シャルは何かを一瞬言いかけて、その後すぐに口をつぐませてしまった。
 聞いてみても、はぐらかされる。ごまかされる。口も堅いし、意思も堅い。どうあっても、続く言葉を語るつもりはないみたいだ。
 でも、何でもないって言う割にその顔はえへへと綻んでる。

 まったく。一体、何が嬉しくて喜ばしいのか、それは本当にまったく不明の事だ。
 僕だってシャルと一緒に何かをするのなら、例えそれが面倒な事でも全然苦にはならないと思うけど……もしかしてそういう事なのだろうか?
 もしそういう事なら、僕も納得出来る事だし、何よりもこう嬉しいのだけれど。

「ふふふ……さぁ、どうなのかなー?」

 まぁ、良いさ。
 いずれといつかの時に話してくれるのかも定かではないけれど、シャルにとって嬉しい事なら僕にとってもそれは悪い事ではないはずだ。そう信じてるし、そうあってほしい。
 だから、知らされなくてもそれで良い。今の僕にはそれで十分な話なのだから。

 ――♪

 ふと。再び鼻唄が始まった。
 今度は几帳面にシンクの水気を拭き取りながら。
 その姿を見ては何となく考える。一夏も大概だとは思っていたけれど、シャルも家庭的だよなぁと。
 そこで何故か連想するのは、シズカと出会った時の事。
 あのシズカへの接し方や頭を撫でる表情とか、あれを思い返すとシャルは子供好きな感じがした。

 ――やんちゃに駆け回る子供を“もう”とか言いながら、暖かい視線で見守るシャルの姿。

 男女差別とか何とかと言われそうではあるけれど、勝手に想像するのも失礼と言えるけれど……ほら凄い。違和感なし。
 まぁ全部、僕の憶測というか想像に過ぎない事。でも、家庭的で子供好きで料理も出来て、しかも仕事も何でも卒なく熟せてシャルは……。

「いきなり黙り込んでどうしたの?大丈夫?」
「うわっ!?」
「……なんで驚くかな?」

 そして気付けば、目の前には濡れた手をエプロンで拭うシャルの姿。僕が想像していたより幾分か幼いシャルの姿だ。
 うん。結局、想像は想像でしかなく現実ではない。む……でも、シャルって将来どんな大人になるんだろう?
 キサラギに残ってテスターや技術者?ビジネスマンとか保育士とかも似合うかもしれない。将来の職としてはどんな選択肢でも選んでいけそうだ。
 だけど、何となくの何となくだけれど、職とかでなく人間として女性として考えると。シャルはシャルのお母さんのような人になっていくような気がする。そういう意味で良い母親になるんだろうなぁと思う。

「もう。聞いてる?」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「え、考え事?」
「そう、考え事。シャルのお母さんって、やっぱり良い人だったんだろうなぁってね」

 実際に会った事はなくとも話としては聞いていた。
 小さい頃のエピソードとか思い出とか、どれだけ楽しかったのかとか何が嬉しかったのかとか色々。
 そうやって話してくれたその人物像は、やっぱりシャル自身にも当てはまる部分が多い。
 シャルの言う笑顔〜とか優しくて〜とか、料理だってそうだ。本人は気が付いていないかもしれないけれど、そう感じたりしながらシャルのエピソードを聞いている。
 本当にお母さんが大好きだったんだなぁと、だからこそなのかなぁと思いながら。

「――――」

 って、ん?
 キッチンにいつの間にか漂うのは、静かな無言。さっきまではシャルが鼻唄を歌ったりして、まったくそんな事はなかったのに。
 どうしてだろうとふと隣を見てみれば、黙り込んでいたらしい僕に代わり、静かに顔を俯かせた姿。

「し、シャル?シャルこそ、どうしたの?」
「う、うん」

 慌てて声をかけるとすんなりと返事が来る。どこか考え事をしているようではあっても、悩みとか深刻な物ではないみたいだ。
 その事に胸を撫で下ろしつつも返事に続く言葉を待つ。

「……もしね、もしだよ?」

 そうしてほんの少しの時間が経つと、上げた顔からぽつりと出て来る仮定の言葉。
 笑顔を逆ハの眉へと変えて、何かの決心を告げる真面目な様子で内容が続く。

「もし、フランスに行く機会があったら、一緒に来てくれる?」
「へ?……フランス?」

 意外な事に一瞬呆気に取られてしまう。うん、呆気に取られはしたものの、それは、まぁ……答えは限られているというか一つ?

「それはもちろん。シャルのお母さんにはちゃんと挨拶しておかなきゃ」

 話題が続いての流れだとしたらこういう事だろう。
 シャルは今年、帰郷していない。それはお母さんからも離れているという事で。
 これだけ長く離れているというのも初めての事なんじゃないかと思う。

「うん。私も母さんにちゃんと紹介したいな」

 しかし、フランスに帰ろうにも向こうにはシャルの父親もいて、きっとシャルは色々と心細い。
 だから、少しでもシャルを助けられるのならもちろん協力したい。少しでも力になりたい。助けになりたい。
 その上で、シャルを生んでくれてありがとうとシャルのお母さんに伝えたい。今は元気にやってますよと安心させたい。

 ……あとそういえば。
 そうやってシャルと一緒にフランスに行ったとしたら、僕にとっては初めてのヨーロッパになる。
 北アフリカや西アジアに行った事はあっても、地中海を挟んだ向こう側――ヨーロッパは未だにとんと足を踏み入れた事がない。
 仕事か私用かはまだ分からないとはいっても、旅行的な意味で知らない世界を回るのも何だか良いかもしれない。

「ねぇ?そろそろ戻ろっか?」

 そうこうしている内にちょっとした時間が経過していた。
 戻るといっても戻るのはすぐそこのリビング。とはいえ、それぞれの分担を終えて皆は既に戻っているかもしれない。

「だね。一夏達の発掘作業も終わってるかもしれないし」

 だからこそ待たせてはいけない。
 そうやって思っていたのだけれど。

『――それはどういう意味ですの、鈴さん!』
『――どういう意味も何も、気に入らないって言ってるのよ!』

 一緒に戻ろうとしたその時、リビングからは突如の声が響いていた。
 大きな声量。驚きとか感嘆などでは明らかにない、怒りの声色。口調からしておそらく、ケンカだ。

「え、と?」
「うん、どうしたんだろう?」

 驚きから思わず顔を見合わせる。
 捜索に出た三人を除けば、リビングには凰さんとセシリアさんがいたはずで、その二人の声がそこから聞こえてくるのだから。

「――あのね、セシリア?何度言ったら分かるのよ。そんなの普通ありえない、あっちゃいけない事でしょ」

 慌てて急いでリビングに駆け付けると、そこではやっぱりセシリアさんと凰さんが激しく言い争っていた。
 ただからかい合うような軽い物ではなく、本気でぶつかり火花を散らす二人。

「ありえない事ではありません。むしろ、そうやって存在している事自体が健全である証と言えますわ!」

 まずはその火種が何なのかという事。現在の状況をも合わせてその把握が必要になる。
 突き止めるべき原因。それで真っ先に考えついたのが先程の昼食での出来事だ。

 一夏がセシリアさんの作った料理を一人で全て食べてしまったあの事件。あんな事があったので、それに関しての自慢とそこから発展した言い争い。まずはこれかと考えた。
 しかし、それは即座に却下するはめに。可能性から破棄し忘れる。
 何故なら、料理は『健全』とか『あってはいけない』とかで語られる事柄じゃないから。言い切れはしないけれど、少なくともさっきの昼食は関係がない。ないはず。それこそ、そうあってはいけない。

 では次。
 とかくまぁ、第一案を放棄して次に思い付いたというか、目に付いたのがテレビ画面。
 そこではさっきまで遊ばれていたらしいモンドグロッソ2ndの勝敗表記があり、セシリアさんの操るメイルシュトロームが凰さんの暮桜に対して、酷い惨敗を喫している。
 状況証拠からこれが原因かと思いきや、これもまたそうではないみたいだ。

「わたくし達に非を問うのは間違いですわ!そもそも、わたくし達BFFがどれだけ地域社会に、いえ国際社会にどれだけ幅広く貢献をしているのか、それを知りながらの……」
「だ、か、ら!そういう事じゃないって何度も言ってるでしょうが!どれだけ社会に貢献していようとそのやり方は決して誇れる物じゃないって言ってるの」
「……誇れるべきではない?鈴さんは企業努力の概念を否定なされるおつもりですか?」
「あのね、あんなのそんな概念と一緒くたに出来る物じゃないわよ」

 そう、会話にはゲームのGの文字さえ出てこない。

 それに何だろう。会話の内容から察してみると、思っていたより話の規模がかなり大きい感じだ。
 おそらくセシリアさんと凰さんは料理やゲームなどのプライベートの物ではなく、企業とその在り方などパブリックな問題を話している。言い争っている。

「……シャル、どうする?」
「えっと……とりあえず止めなきゃ、だよね?」

 些細で単純な口ゲンカならまだ良かった、だが今現在のは色々と予想外過ぎて口出しが出来ない。
 根が深いのか深くないのか。というか何でこんな事を題材にして口ゲンカに至ったのか。そんな事さえ分からないから。
 ……何にしてもまずは、シャルの言う通り止めなきゃいけないけれど。

「ね、ねぇ、セシリアに鈴?」

 そうして。
 何とかどうにかと考えていると、言葉を考えるより先にシャルが二人の争いに割り込んだ。

「白熱してるところ悪いんだけど、そろそろ静かにしないと近所迷惑になっちゃうよ?」

 割り込み方、その制止にかかる言葉の内容、それはまさにオーソドックススタイル。模範解答と言っても良い説得だと思う。
 しかし。

『シャルロット!』
『シャルロットさん!』

 そう、しかし無難過ぎた。通常の状態ならまだしも激昂の様相を浮かべる二人にそれは通じなかった。

「これはセシリアとあたしの問題よ!!」
「これはわたくしと鈴さんの問題ですわ!!」

 しかもそれどころか、消火どころか飛び火の危険性。
 シャルには何も非がないのに何故か二人に怒られている。というか仲違いをしているはずなのに、こんな時だけタイミングはピッタリ。
 ……あ、怒鳴られたシャルが救いを求めてこっちを見てる。
 えと、“私、何も悪くないよね?”ああ、いや、それはもちろん。安心して良いよシャル、僕が保証する。
 飛び火を避ける為、声の代わりに返すのは大きな頷き。

「いや……そうね」
「ですわね」

 しかし、どうやら悲しい事にシャルの受難は終わらないみたいだ。
 さっきはシャルを怒鳴り付けた二人が、今度は何かを企むような光をシャルへと向け始めた。
 にやりとした怪しい視線。獲物を狙う肉食獣の物にも見えなくはない。

「ねぇ、シャルロット。あんたはどう思うわけ?」
「わ、私?」
「ええ、そうですわ。直接的な決着を付けられないのであれば、第三者の判断に委ねるのもまた道理。そうは思いませんか?」
「そ、そんな事、いきなり言われても……」

 初撃の凰さん、追撃のセシリアさん。肉食獣の挟み撃ち、言わば前門の虎、後門の狼ならぬ後門の竜。
 ブリテンを構成する一国はドラゴンを国旗のモチーフにしている事だし。まさにピッタリ。それに、『竜、虎相打つ』ともことわざでは言うはず。
 何というか、上手い例えを言えたような気がする。

 ――、――!

 と、ああ……。現実逃避の間にもシャルがさっきとは違う本格的なSOSを出していた。
 同意や確認ではなく、もうどうにかしてという視線。助けてというサイン。
 さすがのシャルも、二人にああも凄まれて言われたら、まぁしょうがない。
 返事は再度頷く事で応える。今度はさっきより力を込め、はっきり堂々と。
 そうして頷きながら一歩を踏み出して、シャルの姿を隠すように身体を入れる。

「あの、セシリアさん?凰さん?そろそろ双方ともに矛を納めませんか?」

 シャルが敗れた今。シャルが助けを求める今。今度は僕が二人を宥める番だ。

「シャルロットが答えられないのなら、代わりにあんたで良いわ。……どう?あたしとセシリア、どっちが正しいと思う?」
「もちろん、わたくしに賛同していただきますわね?」

 まぁでも、分かり切った事とは言え、やはり聞く耳は持たれず会話が成り立たない。二人は固地になってしまっているようで冷静さを欠いてしまっている。いがみ合い睨み合い……本当、どうしたものかという所だ。
 いくらどちらかと聞かれても、どちらの味方というわけではないから答えようもないし。
 もし何かを答えてみた所で火に油を注ぐような結果が目に見えているし。
 そもそも、きちんとした説明さえなしだし。そんな物に誰がどうやって、手や口を上手く出せるのか。

「レイヴン!」
「レイヴンさん!」

 ほら来た。こうして黙っていても声が迫る。
 ともあれ、このままというのも避けたい所。何せこの状態を続けていけば、際限なく不毛な戦火は延焼し、火はその勢いを増していくばかりなのだから。
 だからこの際、取るべき手段は一つ。
 かくなる上は……僕らの誇る友人でありこの家の主でもあり、このグループの中心でもある、対セシリアさん及び対凰さん戦(生身)における唯一のカウンターメジャーを召喚する。

 ――おーい!

 手で拡声器を作って声を上げる。
 声の向きは主に階段のある方へ。つまりは廊下に向けて。

 ――いーちかー!!

 廊下に反響する声。
 それから瞬時と言っても良いぐらいに間もなく。
 願いと声とが通じたのか――呼び掛けに呼応するかのような音が天井に鳴った。

『まったく、何をやっているんだ』

 次いで聞こえる階上、ドアの開閉音とやれやれの声。
 さらには段々と階段の張板が足音に鳴らされ、気配が次第に近付いてくる。
 一段ずつ一段ずつ、ゆっくりとした足運び。それは廊下に到るとさらなる一歩をこちらへと踏み出している。
 やがて足音はドアの前まで訪れ、そして、遂に最後の切り札が姿を現した……。

「少しはしゃぎ過ぎだ。近所迷惑になってしまうだろう」

 ……って、あれ?一夏じゃない。
 そこにいたのは、僕が呼び叫んだ姿ではなく一冊の本を抱えた姿。ラウラさんだ。
 いや、正確には本ではなく多くの写真を納めた物。加えて一夏達の捜索対象であった物。いわゆるアルバムと思しきそれを大切そうに抱えつつ、ラウラさんが廊下から覗いている。
 こちらを見るその顔には、少しの呆れを浮かべて。

「そもそも良いか、お前達?親しき中にも何とやらと言ってな?まずは礼儀やマナーという物が……」

 そう、呆れの表情だ。
 ラウラさんはその表情を保持し、こちらの状況を確認もしないまま室内に入ると僕らの前で大きく胸を張ってみせる。
 そんなラウラさんに対しては、セシリアさんも凰さんも僕の行動以来呆気に取られたままので反抗も反論も出来ず。僕らには分かり切ったような注意が降り注がれていく。

「いくら一夏の家に来ているからと言ってもだ……ん?どうした鈴。何か物言いたげな顔をしてるが?」
「いや、丁度良いのが来たなぁと思って」
「確かに絶好の人物ですわね」

 だがしかし、いつまでも静かにしている二人でもない。
 ようやく我を取り戻した二人はシャルや僕に続くさらなる人物をターゲットに定めたようだ。

「何だ?何の話だ?」
「実はね――」

 一度、勢いを切られたお陰か。先程よりは冷静な表情と口調で凰さんから事情の説明が為される。
 僕らにはそんな物が存在しない即答即決方式だったので、頭は大分冷えて来ているんじゃないだろうか。
 それでも引かず争いを続ける辺り、双方共に引けない執念か何かを感じさせる。

「――って事よ。大体の流れはね」

 その何か、その事情は語られるその言葉の中に含まれていた。
 それはBFFが行ってきたというヘッドハントに関して。
 何をきっかけとしてこの話題になったのかについては語られはしなかったけれど、結果として凰さんはこれに反発し、一方でセシリアさんはこれの擁護にかかり、今回の争いが起きていたみたいだった。

「で、どう思うラウラ?率直に言ってやって良いわよ」
「ん、率直に?ああ……セシリア、鈴。お前達はそんな事で言い争っていたのか?」

 事情が語られる間、無言を貫いていたラウラさん。語り終えた以後も崩れない好戦的なスタンスに対し、その口からは火に注ぐ油が飛び出していく。

『なっ……!』

 セシリアさんも凰さんもその発言を聞いて、驚きのあまり目を見開いていた。僕も正直驚いていた。隣のシャルも同じくそんな感じ。
 でもまさか、そこまでストレートに本音を言ってしまうなんて。

「そ、そんな事って何よ!?」
「そんな事はそんな事だろう」

 凰さんは一瞬で思考を沸騰させ、ラウラさんに詰め寄る。
 そうやって詰め寄られようともラウラさんは落ち着きを崩す事はなく、今さっきの発言を改めて答えとしている。
 ちなみにこのやり取りの間、セシリアさんが何をしていたかと言うと、驚いた状態から未だに帰って来れていない。

「まぁ、まずは落ち着け」

 それはさておき。
 ラウラさんは興奮気味の凰さんを宥め座らせ、自らも腰を下ろす。
 同時にアルバムはその手を離れ、テーブルに。ふぅ、と大きな息が吐かれる。
 そして、これで準備は出来たというかのように自由になった両腕が組まれると、向けられる目線を逆に見据え始めた。

「……企業間における技術者の移籍だったな?」
「ええ。BFFによる成り振り構わないヘッドハントよ」

 片や何の気負いなく平常心。片や睨み付けるような真剣さ。正面を切って話す二人。
 この状況になって、ようやく戻って来たセシリアさんは何かを言いたそうにしながらも話に入るタイミングを失い、今は閉口し黙って耳を傾けている。

「鈴。お前はそこに酷く引っ掛かっているようだが、話を聞く限りそれは条約に則った適切な取引だろう」

 ラウラさんが切り出すのは、開始と変わらぬやはり否定。

「適切?あれのどこが――」
「まずは話を聞いてくれ」

 当然、否定に対する反論が生まれようとするもまだ話の流れは終わっていない。
 不満さを残しながら凰さんは大人しく言葉に従っていく。

「確かに私も聞いた事はある。前回のモンドグロッソ以降、移籍話は頻繁に飛び交っていたし事あってな。その中でもやはり、BFFの動きは顕著だったと言える」
「ほら、見なさいよ?」

 否定の次は同意や肯定に類する発言。
 その追い風を得た為か、セシリアさんに対しては挑発の色を含んだ視線と声が向かう。
 ――っ!
 ――まぁまぁ……。
 売り言葉を買い込もうと立ち上がる素振りを見せるセシリアさんを落ち着かせようとするシャル。その間も凰さんは勝ち誇った態度。
 一触即発、ケンカ状態は未だに存命中だ。ああ、もう、凰さんもわざわざそんな事しなければ良いのに。見ている僕らの立場にもなって欲しい。はらはらはらと心臓に悪いのだから。
 とりあえず、シャル、ごめん。あと頑張れ。

 所で。この間のラウラさんはというと……まだ、何も終わってはいないようだ。

「だが、はたしてその行動自体に問題があると言えるのか?」

 ラウラさんが話を再開すると、二人の火花は掻き消え注目を変える。
 その事にはっと息を飲む声が聞こえ、ほっと安堵する吐息が聞こえ、それを合図にするように話は急に要衝を迎えた。

「な、何を言ってるのよ、確かにBFFは!」
「仮に、適切でない方法があり問題が起きていたとしよう。だが、それならば、被害を受けた企業や個人は提訴と告発に踏み切れるのではないか?そうして、もし本当に違法性があったのなら、条約とそれに付随する取り決めに従い、BFFには厳重な処断が下っているはずだ。……しかし事実としてはどうなっている?」
「それは……そうだけど……」

 肯定が翻り、凰さんは反論もなくしかし悔しそうに顔を俯かせる。
 理解が出来たのだろうか?いや、もしかしたら、元々理解はしていたのかもしれない。ただ納得をしていなかっただけで。
 それにもしかしたら、凰さんの身の上には何かが以前に起きていた?それとも、単に気に入らなかった?執着の理由が何なのかとか何があったのかとか、それを知る由は僕らにはない。

 一方で“当然ですわ!”と先程のお返しというようにセシリアさんのテンションは鰻登り。確実に着実に上がる様相を見せている。

「……セシリア。別に私はお前の味方をしているわけではないからな」

 だけれど、そんな嬉々とした様子は、溜め息混じりのラウラさんによってシャットダウン。

「な、何故ですか?」

 わけもわからずという様子。明らかに動じた表情。
 それへの解は、さっきの話題とは少し別の話として語られるようだ。
 ラウラさんは、今度はセシリアさんにその内容を明けていく。

「考えてもみろ?あの英国の現用機メイルシュトロームの惨状を」
「さ、惨状……ですが、メイルシュトロームは前回のモンドグロッソにおいて、あのヴァルキリーに輝いた機体として……!」
「だが、それだけだ。そうだろう?それに、あの不名誉な世界記録を忘れたのか?」

 話はモンドグロッソに関連する物のようだ。モンドグロッソとは言ってもそれを再現したゲームの方ではなく、いわゆる世界選手権――通称『モンドグロッソ』の方。
 でも……不名誉って?
 正直、疎くて分からない。今までの僕には全くを以って縁がなく知る機会なんてない事だったから。

 ――ねぇねぇ。
 ――ん?

 何の事やら〜と考えていると、肩にちょこんと手が触れる。それはシャルからの無言の呼び掛け。
 何だろうと隣を振り向こうとしてみれば、それより先にシャルは耳元に口を寄せて来ていた。

「……ラウラはああ言ってるけど、その『不名誉』は織斑先生の伝説の一部でもあるんだ」

 織斑先生関連?

「うん。織斑先生は第一回大会に引き続いて、第二回大会にも暮桜で参加してたんだ。当時から世代間の性能差は圧倒的だと思われててね?それで暮桜も、圧倒的不利だってそうやって見られたんだけど……」

 その結果は僕も知ってる。
 蓋を開ければ破竹の連戦連勝で総合トーナメントを準優勝。
 それでもしかして、その織斑先生の相手が?

「総合トーナメントの初戦の相手がメイルシュトロームだったんだ……私もテレビでそれを見てたんだけど、うん、本当に凄かった」

 ……三年前ぐらいだっけ?となるとシャルが十ニ、三歳くらい?
 その頃のシャルってもしかすると……いや、今はモンドグロッソの話だ。
 少し、ほんの少し、別の思いが不意に浮かぶも直ぐさま切り換え、シャルの話に集中する。

「試合開始と同時に行われた二段イグニッションブースト。当時は技術的にも戦術的にも、連発なんて不可能だ!ありえない!って思われてたから何が起きたのかなんて全然分からなくて……結局、何も分からないまま終わってたんだ」

 二段というと……あれか。あの一夏に僕がやられたやつ、バッサリと反撃敵わずやられた時のあの機動。
 でも、あのゲームって二回大会の前に発売されていたはずで、それなのに二段イグニッションブーストが再現されてるってどうなんだろう?いや、どういう事?
 当時の『ありえない』とか『不可能』っていう話に真っ向から逆らってる気がするんだけど。とりあえず、何だか先取りし過ぎている。

「それでその試合がね、世界記録にも認定された“伝説の五秒”。これはきっと、もうずっと破られないと思うよ?」

 そりゃ破れないよね、確かに。
 その記録もきっと、あの零落白夜あっての事だろうから。一撃必殺とかあれは酷く反則過ぎる。ゲームの中だけならまだしも、実際にも一撃必殺だとか一体何の冗談。
 僕にとって救いがあるとすれば、ACからするとただの高出力エネルギーブレードに過ぎないという事だろうか。それでも、単純威力だけでも脅威だし、イグニッションブーストの加速力を合わせればさらに驚異だ。
 まぁ、そもそもIS全てが脅威なわけだからあまりたいした事でもない?

「――ラウラさん、確かにその屈辱は認めざるを得ないでしょう……ですが!その事は、今とは何も関係がありませんわ!!」

 と、シャルの情報によってもたらされたISについての思考は、間もなく聞こえて来たその怒声に打ち消されていった。
 響く何度目かの声。意識を事の中心に戻せば、憤りから顔を赤く染めたセシリアさんが声を上げている。

「まぁ、そう怒るな。私に英国やBFFを愚弄しようという意思はない。現に私……いやローゼンタールは、BFFのティアーズモデルこそがイグニッションプランにおける最大の障壁だと見なしている。それにな?メイルシュトロームから現段階への成長、それは素直に驚嘆と賞賛に値する」

 だけどそれも、依然として平常通りのラウラさんには意味を為さず。
 凰さんの時と同様に、否定後に返る反論や怒りには肯定で応え、心を落ち着かせる事で冷静な論理と議論を求めている。

「でしたら!」
「だがセシリア。それがこの問題に繋がってくる」

 次の展開、それは予想通りにやはりだ。
 興奮気味のセシリアさんの勢いが少なからず抑制されている。
 今は、今も明らかなラウラさんのペース。上げて落とすではないけれど、こうされると確かに怒ってばかりではいられないだろう。

「それは、一体どういう?」
「分からないか?では……そうだな。例えばだ」

 そうして上手く流れを握ったラウラさんの表情は、その『例』を前にすると平常から神妙へと移行。
 不思議な雰囲気を維持させたまま、その例を口から出していった。

「私の嫁もとい一夏が、だ。ある日、目覚めると大の女好きで、軽薄で、街に出てはナンパばかりするような男になっていたらどうする?どう感じる?何を思う?」

 ラウラさんは問う。“あの一夏がだぞ”と念を押しながら。
 ――もし、今の一夏の性格や能力をベースにそうなってしまったとしたら?
 少し想像をしてみる。あの一夏が女性に積極的になったらというその仮の姿を。

 一夏といえば元より容姿は整っている方だし、家事全般を得意としている。運動能力だって高い方で、時折視野が狭い時はあっても頭は悪くない。考える力を持っている。
 性格面でも気配りは出来、困っている人がいたら何だかんだで助けてしまうタイプだ。
 さらには姉は有名人でもあるし、本人は世界唯一の肩書と称号を持っている。
 ギャグが飲んだくれの酔っ払いレベルの時もあるけど……これってある意味、反則じゃないかと思う。男の僕から見ても、何かズルい。さっきのゲームで言えば、メイルシュトロームVS暮桜って感じ。

 というか、ただでさえこれだけのスペックを持っているのに、ここから極度の鈍感具合が消えて女好きという要素が加わるのだから、何だろう、女たらしの権化?

「それは……確実に夢か冗談かって思うわね」

 同じく想像をしてみたのか、考えてはイメージに戦慄する凰さん。
 セシリアさんに至っては、“メイルシュトロームはそこまでの扱いでしたのね”と、直接言われるよりもダメージが大きいようだ。
 どちらにせよ、もし一夏がそういう方向に変わったら、凰さん達はさらに大変な事になってしまうような気がする。一夏争奪戦のライバルが増加していく未来しか見えて来ない。
 それに僕にとってもそれは同じだ。むしろ一夏が良い奴だって知っている分、知っているからこそ……少し、少しだけ気が気じゃない。

「でも、そこまでいったら別人みたいに感じちゃうかも」

 そんな僕の心配をよそとして、シャルは思い浮かべた想像に苦く笑っている。
 ……何だろう。何だか少し、ほっとした。

「シャルロット、それだ。私はまさにその言葉を待っていた」

 僕らが一夏非鈍感バージョンで色々と考えていた一方で、言い出した張本人であるラウラさんはとあるワードに反応を見せる。

「分かるか?まるで『別人』だ」

 そのワードは『別人』。
 元の話の流れを踏まえれば、ヘッドハントを行ったBFFが別人になったという事だろうか。

「レイヴン。それは惜しい答えだがそうではない。BFFは決して別人ではなく、しかし別人でもあるという事だ」

 む……つまり?
 否定と肯定の混在とかどういう状態なのか分からない。

「何、簡単な事だ。つまりは単なる意見の相違に過ぎない。批難側と擁護側、異なる視点とスタンスの違いから来る意見の相違だ」


 ラウラさんは凰さんにセシリアにと視線を移しながら話し続ける。

「おそらく機体の発展は努力の賜物、セシリアの言葉通りそれは事実なのだろう。だが、BFFが大規模な人材収集を試みていたのもまた事実として存在している」

 視線を受けた二人は、無言ながらも納得出来ているようで話の流れに合わせ頭を上下に揺らす。
 その動きを捉えながら、話はある種の結論を迎えた。

「要はだ。自力でなく他力だけによる成長であると見なされてもおかしくない土壌が、そこには出来上がっていたというわけだ」

 外から見える事と内からしか見えない事、その差が今回の口ゲンカの原因だとラウラさんは言う。

「だからこそ鈴の発言に非はないしセシリアの発言にも非はない。しかし、両者共に理解の努力を怠っていたという意味では非を持っている」

 それ故に、『そんな事』と言ったのだ、と。

「……まぁケンカ両成敗。これにて落着だ」

 落着。終息。
 リビングにはようやく平和が舞い戻ったみたいだ。
 ふむ、というラウラさんの一人納得する頷きの後に文句や怒声が現れない。静寂そのもの、落ち着いた空気。

 ――良かったね?
 ――うん、まったく。

 訪れた平穏を視線で喜び分かち合う。
 結局、ラウラさん任せで何も出来なかったけれど、それでもケンカが終わった事は喜ばしい。
 一夏以外の事でここまで言い争うのは珍しい事みたいだけれど、こうなれば二人の仲直りも時間の問題だろう。

「さて、まずは互いに謝罪だな」

 調停人のラウラさんも動いた事だし。

『……むっ』

 謝罪の言葉にちらりと一瞬、二人が目を合わせる。
 でも一瞬だ。合わせた途端に視線を逸らし二人とも逆方向を眺めている。
 まぁ、あれだけ言い合ってたわけだし、今すぐにというのも中々難しい事なのかもしれない。

「ほう?あくまで意地を貫こうとするか。しかし、こちらにも秘策がある。抵抗をしても無駄だ」

 しかしそれは許されず、今すぐの結果が要求された。
 どうやら、奥の手が使用されるようだ。ラウラさんの右手がテーブル上の物に伸び、見せ付けるようにその物体を立て起こしていく。

「……この手にあるのは何だと思う?」

 僕らに見せ付けながらの問い。
 手に持つそれはリビングに来た時から手にしていた物であって、一夏達が二階で発掘してきた物でもある。
 いや、というかアルバムだ。一夏の幼少期からの記録が保存されている物だ。

「ああ、みなで見ようと思っていた物だったのだがな……いや残念だ。鈴とセシリア抜きで見る事になるとは」
『!!』

 煽るようにラウラさんはわざとらしい嘆息を見せる。
 するとそれに対し、視線を背け合っていたはずの二人の頭が反射的に正面を向いた。

「見たいか?」

 こくこく。一度二度、静かな頷き。アルバムだけしか見えていない。

「きちんと仲直りをしたのなら、考えてやろう」

 その食い付き振りに、にやりとラウラさんは唇を歪ませ笑う。つまり交換条件だ。
 人質を取りさぁと急かす声。どうしようもない状況に、凰さんとセシリアさんはゆっくりと互いの顔に視線を向ける。

「……こうなったらしょうがないわよね」
「……そうですわね」

 渋々ながら見つめ合う二人。
 ケンカしたばかりの気まずい状況であっても、一夏の事となると背に腹は変えられないらしい。
 両者共に目を合わせたら大きく溜め息をついて、何だか馬鹿らしいと小さく笑う
 やがて、ごく短な笑いを終えると今度は顔を引き締めて、どちらからでもなく右手が差し出されていく。

「ごめん、セシリア。ちょっと熱くなり過ぎてたわ」
「いえ、それはわたくしこそです。鈴さん」

 がしり。互いに謝りながら力強い握手が結ばれた。
 仲直りというより、きっかけを考えると同盟再締結という方が正しそうな光景だ。

「やれやれ、まったく世話をかけさせる」

 ケンカの真の終了を頷きながら見届けたラウラさん。
 何だろう?夏休み前ぐらいまでは少しドライなイメージを持っていたのだけれど、今は何だかウェットじゃなくて柔軟さを感じるというか?
 ラウラさんは帰国組なので、ドイツで何か良い事でもあったのかもしれない。それが行動や態度に滲み出ている気がする。

 その落ち着きとか余裕とかは、何だか大人だ。
 体格や容姿で言えば、一番年下と思われても仕方のないラウラさんが、今は一番の大人に見える。

「なん、だと……?」

 僕のふとした呟きに、何やらラウラさんが戦慄にも似た表情をするも、ここはノリに合わせてさらに誉め讃えておく。
 うん、さすがは特殊部隊の隊長。

「分かっている、分かっているじゃないか!さすがはレイヴンだ。どれ褒美としてこの……」

 ラウラさん、興奮と歓喜の極み。アルバムを僕へと開きながら、ずいと距離が寄る。
 大切そうにしていたアルバムを見せてくれるぐらいだ、かなり嬉しかったんだと思う。でも、あんなただのノリから来た発言でこれだけ喜んでいるのを見ると、逆に罪悪感さえ感じられる。

 多分、気にしてたんだろうなぁ。
 大人に見えるという部分に敏感な反応を見せていた辺り、そんな気がする……って、痛っ!?
 小さな身体で大きく喜ぶラウラさんを見ていると、いきなり脇腹に痛みが走った。

“そういう事、本人に言っちゃダメだからね!”

 隣から手が僕に伸びている。
 だけどシャル、そんなのは分かってるって。口には出さないよ。ただふと思っただけだから。
 それに、恵まれない体格、どうにも劣る外見の迫力みたいな……いや雰囲気、空気?恵まれない者同士ラウラさんの気持ちは大いに分かる。実際、僕も言われたら地味にダメージがでかそうだ。

「……この栄光と勇姿を見ろっ!」

 そうして考える間もラウラさんの勢いは衰え知らず。
 目の前にアルバムが開かれ、とある一点が指し示される。言われるままに見てみれば、そこにあるのは写真――少女の面影を残す女性の写真。トロフィーを掲げている瞬間を捉えた物のようだ。何かの表彰式での事だろう、背後には歓喜に湧いた極多数の観客がアリーナを埋め尽くしているのが分かる。
 女性が身に纏うのは白を基調としたジャージ、国籍を示すライジングサン――日の丸のワッペン。
 国際的な大会?いわゆる国の代表みたいだ。しかも、アリーナの規模などを見る限り、とてつもなく大きい大会だ。

 しかし、その表彰式。ラウラさんの言う栄光と勇姿。
 それらは確かに直結する物であっても、この女性――織斑千冬さんにとっては当て嵌まらない物のように思える。
 若かりし頃の――今でも若いけれど――とにかく織斑先生は一応トロフィーを掲げて見せてはいるものの、表情には喜びや勝利への自負や自信の色さえ感じられず、雑多な作業でも行っているかのような面持ちだ。
 言わば無関心。勝者の浮かべる表情ではない。しかし、完全に無関心というわけでもなく例外が存在していた。

 この写真の下、表彰式後の姿を捉えた物だろう。
 メディアのインタビュアーに囲まれる中、やんちゃそうな笑顔の少年――おそらく一夏に抱き付かれては表情に堅さを残しながらも優しい顔を一夏へと向けている。
 それに他の写真でも一夏が関与しているとその表情は……ん?

 いや、よくよく他の写真を見てみれば、制服を着た織斑先生やあの篠ノ之博士と一緒に写っている物など、開かれたページは全て織斑先生が中心となった写真で飾られている。
 今更気付いたのだけれど、これって一夏のアルバムというよりは織斑先生のアルバムと言った感じだ。

 あ。
 そこでふと思い出す。
 そういえば、ラウラさんがアルバム捜索に志願した理由って確か“あれ”だったよな、と。

「ら、ラウラっ!?」
「騙しましたわねっ!?」

 ああ、やっぱり。
 ちょうどラウラさんの含んでいた意図に気付いた時、開かれているアルバムを覗き込んだ凰さんとセシリアさんが仲良く一緒に文句を叫ぶ。
 うん、確かに話が違う。凰さん達が何より求めていたのは一夏の写真であって、例え興味があったとしてもそれは織斑先生の写真ではないのだから。
 それなのにあたかも一夏の載ったアルバムであるかのようにラウラさんは語り、虚偽のそれを人質として凰さん達二人を仲直りさせるまでに持って行った。

 つまりは凰さん達はまんまと騙され引っ掛かり、ラウラさんは見事に騙して引っ掛けてた。

「こうでも言わんと、お前達は動かんだろう?」

 罠にかけ二人を仲直りに持ち込んでいたラウラさんは、出て来た文句に何の反省の色も見せずしれっと答えている。
 でもまぁ、ラウラさんは悪くないだろう。論戦でも駆け引きでも、穏便に事を済ませたのだから。
 僕らとしても、とても助かった。

「あ、あんたねぇ……?」

 しかし、文句はまだまだ言い足りないみたいだ。
 凰さん、それにセシリアさんは身体を震わす、いかにも納得がいっていないというその様子で仲良くラウラさんへと言葉を募らせる。

「――おーい、何やってんだー?」

 しかし、口ゲンカ第二回戦は始まらずに終えた。

「アルバム持ってきたぞー」

 響く声に皆で振り向き見れば、数冊のアルバムを抱えてリビングに入る一夏の姿があった。
 続いて、一冊を手にした箒さんが入って来るも、箒さんからは何の声もない。意識がアルバムに行っている?

「よしっ、と」

 集まる視線の中、一夏の手からテーブルにアルバムが置かれていく。
 一夏はさっきまでの場の状況にまったく気付いていないようだ。
 それもそのはず。終えたと先程言ったように、凰さんとセシリアさんの口撃は一夏の登場と共に止んでいる。
 そして、箒さんと同じ様にアルバムへと意識が注がれている。

「まぁ、こんなもんで良かったら自由に見てくれ……ん、どうした?」

 ようやく静寂に気が付いたのか、周りを見渡しては怪訝な表情を見せる一夏。
 そうしてそれが次なる燃料の役割を果たして、止まった時間が動き出した。

 皆がそれぞれアルバムへと手を伸ばす。
 皆と言っても既に持っていた組は、手にあるアルバムをゆっくりと開き始めていた。
 シャルはラウラさんと一緒に。凰さんはセシリアさんと。箒さんは何だか懐かしそうに一人で。
 時折、互いの情報を交換するように見せ合い話し合いながら、それぞれ別れてページを一枚ずつゆっくりとめくっていく。
 アルバムの鑑賞会とでも言うのだろうか?とにもかくにも、本当の意味で場に平和が訪れた。



「――箒もいるじゃない。うわ、この頃から素直じゃなかったのねぇ」
「鈴っ!?」
「でも、見て?この一夏と取っ組み合いしてるのって……」
「あらあら、鈴さんも人の事、言えませんわね?」
「ちょ何よ、この写真!一体誰が……ああ、何となく分かったわ。アイツの仕業ね。弾、今度会った時は覚悟しておきなさいよ」

 アルバムの写真を見ては笑ったり怒ったりまた笑ったり、話に花を咲かせる女性陣の会話。
 何だか勢いがあるというか、とにかくエネルギッシュで、どうにも僕には付いていけない感じだ。
 今は写真の話や一夏との思い出話で盛り上がっているとはいえ、そういった思い出話で話が振られる可能性も否めない。
 なので、心持ち女性陣から距離を取って、僕は一人で見終わったらしい一冊にぺらぺらぺらと目を通す。

 当然ながら一夏、一夏、一夏。アルバムの中は一夏の写真で一杯だ。
 何かイベントがある毎に写真が取られているようだ。

「まったく、何でアルバムだけでああも騒げるんだろうな?」

 ふと背後から声が掛かった。
 声と同時に腕が伸び、茶色を満たしたボトルがテーブルの上へと置かれる。
 麦茶かそれとも烏龍茶か、とりあえず、いつの間にか姿が見えないなと思ったら、わざわざお茶を出してくれてたのか。そういえば、ペットボトルのお茶も紅茶もほぼ尽きかけている。
 炭酸やスポーツよりは、お茶の方が良いだろうその判断、僕は賛同する。

 いただきます。その気配りにありがとうの感謝を込めながら早速一杯。
 ふぅ……やっぱり夏は麦茶に限る。

「女の子だからって理由で良いんじゃない?」

 一杯を飲み干してからようやく、一夏の疑問に答えを返す。
 買い物をする時の女の子特有の、あの力強さ?あれと同じような物だと思う。
 シャル一人でもそうなのだから、五人寄ったらそのパワーはもう最強だ。

 ……それはそうとして本題に入ろう。

「それで?」
「……それでって何だ?」
「いや、何か話があるんでしょ?」

 見ていたアルバムを閉じて、背後の一夏の真意を探る。

「ああ、いや……まぁその通りなんだが、よく分かったな?」

 よくというより、一夏の行動を見ていればすぐに分かった。
 お茶を作ってくれた後も座る素振りを見せず、ずっとそこに立ったままでいるんだから。何かあると考える方が自然な話だろう。

「一つ頼みたい事なんだが……」

 そうして、イエスと了承してみると何だか改まった態度。一夏は申し訳そうに話を切り出す。

「もう少し時間が経ったら、車出してもらっても良いか?」

 車?そんなの別に遠慮なく言ってくれれば良いのに。
 というか、どこに行くの?買い物?

「ああ、ちょっとな」

 ん?何だか歯切れが悪い。
 けれど、顔には何かを企む悪い笑み。
 怪しい。怪しいぞ。一体何をまた企んでいるのやら。

「まぁ、それは後になってからのお楽しみだ」

 ……やっぱりまた企んでる。
 でも、こうして仄めかすって事は僕にも一枚噛ませてくれるという事だろうか?
 車に関してはホント気軽に言ってくれて良いんだけれど、少しくらい役得があっても罰は当たらないはずだ。
 いや、むしろ――。

『あれ?これってもしかして山田先生かな?』
 何も知らず無邪気に楽しそうなシャル達五人。相変わらずアルバムをめくっては明るい騒がしさをこの場に生み出している。

 ――こんなシャル達の驚いたりした顔が見れるのなら車でも何でも協力したい。
 ……で、どう?

「……良いぜ?契約成立だ」

 一夏も相変わらずの陰謀顔で、快く僕を迎えてくれた。
 詳細は車の中で話すとの事。けれでサプライズと言えばサプライズだと小声で教えてくれた。
 一夏の事だ、悪いようにはならないだろう。皆には驚いてもらってもっと楽しんでもらいたい。
 どんな風に笑うんだろう?今、思い浮かべるだけでも楽しみだ。楽しそうな姿を見て、僕もまた楽しみたい。

 こうして、時は過ぎ、時間は進み、時計の針は回っていく。
 一夏の陰謀?のカウントダウンは着々と進行していた。








 夜空の下、テールランプを追いかける。

 太陽はとっくに帰ってしまい、今は月と立ち並ぶ街灯とが手を組んでその役割を代わって果たしている。
 進むは道。片側二車線一般道路。心持ち急ぎながら、それでも法定時速はきちんと守りながら、適度にアクセル、ハンドル捌き。 

「一夏、時間は大丈夫?」
「ああ、何とか一応な。門限までは何とか余裕だろ……そのはず」

 現在、僕らは少し急いでいた。時間との勝負だ。
 でも、はずって何さ?はずって。答えとしては何とも少し頼りない。
 だけど、そうやって頼りなくはあっても、一夏に緊迫した感じはないから大丈夫なはず。何とか予定通りに事は進むはずだ。
 あ、僕もはずって使ってるし。

「おっと、次の信号左折な?」
「了解」

 指示に返事をしながら青信号を左に曲がる。
 このまま道なりに行けば住宅街、一夏の家へはもう少し。
 車内の時計を見てみると、今の時刻は十九時を少し回った所、確かにまだ余裕はあるみたいだ。

「でも、予想以上に時間食っちまったな……」

 帰宅をひたすら目指す中、一夏は疲れたような声を出す。
 それもしょうがない事で、元の予想所用時間は大体二十分にも満たない予定だったのに対し、今はもう軽く二時間以上が経過している。
 しかも、その二時間のほとんどを空振りに費やしたのだから疲れてしまってもしょうがない。

「でもまさか、ここいらで扱ってないとはなぁ」

 ……昔はコンビニでも売ってたのに。
 一夏は言葉を小さく漏らしながら、大きめのビニール袋を揺らしてみせる。
 一夏と組んだ謎の企み。それに関連した今回の外出。
 袋の中、そこにあるのが企みのメインとなる物だった。

「何で売ってねぇかなぁ……花火」

 その中身、メイン。それは花火。
 夏祭りに見たような大掛かりな物ではなく、手に持って楽しめる小さくてお手頃なタイプの物。
 しかも用意周到な事に、前もってミニ花火大会の会場となる河川敷にも確認をしていたんだとか。

 まぁ、メインのメインでこの有様だけど。

「でも、それもしょうがないよ。だって僕らは知らなかったんだから」

 花火の販売禁止。こんな条例が二、三年前に制定されていたみたいで。
 それに気付かず、僕らはひたすら花火を求め市内をさまよい、のコンビニとかスーパーをぐるぐると巡り続けていた。
 何でないかなぁと不思議に思いながら。そんな努力が無意味であるとは一片にも思わずに。
 無駄に無意味にぐるぐるぐるぐる…………はぁ。

「言葉だけ聞くとただの馬鹿みたいだな、俺達」
「……そうだね」

 もう少し早く調べていればもっと早く帰れたんだけど、それを今言ってもしょうがない。
 結局、条例のない隣町(河川敷もここにある)まで行ったら、最初に見かけたコンビニには普通に置いてあって、それを早速買っては今に至る。それから帰宅の真っ最中だ。

 ――ただ。
 時間がかかりすぎた今にあっては、気掛かりな事が時間以外にもう一つ存在していたりもする。

「シャル達……怒ってないと良いけど」

 それは織斑家に残して来た皆の事。
 ちょっと行ってくると言って出てきたのに、もう日暮れどころか夜にまでなってしまった。
 そう、これはちょっとまずい事だ。ホストである一夏がゲストである皆を放置する事態になってしまっている。
 ただでさえ今日さっき、凰さんやセシリアさんなんかはあれだけの口ゲンカをしていたし、もし皆の不満や怒りが一つになったらと考えると何がまずいって一夏がやばい。
 一夏のやろうとしてる事を知れば許してもらえると思うけれど、そこに至るまでが難関だ。

 それに。電話で連絡をしようしても何故か出てくれないので、何かがあったのかもと心配でもある。

「次の交差点、右な?」

 了解了解。ここまで来れば、もう覚えている。住宅街に入ってもうすぐだ。
 でも目指す先、目的地はもう目と鼻の先だけれど、やっぱり気になってしまう。

「一夏、着く前にもう一回連絡良いかな?」
「ん、分かった」

 一夏は僕の頼みに応えて、携帯を耳に当てていく。
 その間、走行音だけが聞こえる車内。
 しかし、やがて数分もしない内に携帯は耳から離れ、一夏は首を横に振る。

「……出ない?」
「……ああ、駄目だな」

 やっぱり、か。
 電話に出る気配がない。携帯にも固定の方にも。
 シャルも出てくれないし、ホント、どうしたんだろう?まさか、いやでも……心配だ。
 杞憂であれと切に思う。強盗なんかじゃ敵にもなれないシャル達だ。ちょっとやそっとの事だったなら、シャル達にとっては問題にもならない。下手すれば、事件の最中でも電話で会話出来るレベル。
 だからこそ、こうまで電話に出てくれない今の状況は少し不安だ。

 そして、そうこう考えている内にも織斑家が目に入ってきた。窓からは明かりが漏れている。
 ああ、きっといつも通りだ。ちょっと怒ってるから出ない、それだけ。
 本当、そんな風に何も起こっていないと良いのだけれど。

 ――結果的にそれは正しい事だった。
 ――心配は杞憂であり、的中していた。

 車を止め、車を降り、玄関をくぐり、ただいまと声をかける。
 明確に返る声はない。だが騒がしさが返事の代わりに聞こえて来ていた。
 何だ、いるじゃないか。一夏は心配をして損をしたと言わんばかりの溜め息をつきながら足を進める。向かうのは音の中心であるリビングへ。
 僕もそれを追ってリビングに。安堵の息を漏らしながら、そこにいるだろう皆に向けて、改めて再度の挨拶をする。

「ただいま……って、一夏?そこに立たれたら入れないんだけど?」

 だが、その挨拶は一夏の背中によって阻まれていた。
 一夏はリビングへのドアの前に立ち、そのままで止まってしまっている。騒がしさがすぐそこから聞こえてくるのに皆の姿が確認出来ない。

「おーい、一夏ー?」
「な、何だよ、これ……?」
「へ?」

 一夏が声を震わせながらようやく動いた。そのおかげで僕にもようやく室内の光景が広がっていく。
 あ……。
 思わず、息を飲んだ。ただいまの挨拶はどこかに飛んで消えていた。
 そこには、室内には、目の前には、目を覆いたくなるような見るも無残な惨状が広がっていた。

 箒さんが……力無くテーブルに倒れ伏している。僕らが出したはずの声も届かず、届いていてもぴくりとも動かない。全く動く気配もない。
 その横ではラウラさんが、あのラウラさんが泣いていた。涙を見せていた。倒れ伏す箒さんの身体を揺さ振りながら必死に声をかけている。

 何だ、何なんだ?

 惨状はそれだけじゃない。
 一夏によって常日頃掃き清められていたはずのリビングは、今やまるで荒らされたかのように物が散らばり、この状況の重大さを物語っている。

「箒!ラウラ!」

 我を取り戻し駆け寄る一夏。ラウラさんは鳴咽を漏らしている。

「一体、何があったんだ!?箒に何が?」
「私は、私は……」

 一夏がラウラさんから事情を聞いている間に僕も動く。まずは倒れ伏した箒さんからだ。
 少し失礼します。勝手に身体に触れる事に謝罪の言葉を告げながら、首、頸動脈に触れる。
 指に感じる振れる脈拍……箒さんはとりあえず生きていた。いや、というかよく耳を澄ませばばすぅすぅと穏やかな寝息が立てられている。

「一夏。箒さんは大丈夫っぽい。てか寝てるだけみたいだ」
「……」

 しかし、その生存報告は無言を返事として返される。
 黙った一夏の表情は言い表しにくい微妙な表情。混乱しているというのが一番近い表現かも。

「どしたの一夏?」
「……なぁ、イシガキオニヒトデって何だ?」

 はぁ?本当に混乱してる?

「いや、ラウラが自分の事をそう名乗ってるんだが」

 オニヒトデ?それって確か沖縄辺りで大繁殖してた奴だよね?

「えっと、ラウラさん?」
「私は、実を言うと……!」
「おーい、ラウラさーん?」
「みなを欺き続けていた私は軽蔑されるべきなのかもしれない。だが、語らなければ騙し偽りさらに欺き続ける事になる。それを私は許せない。そんな自分を私は許せない。……だから……だから、私は!」

 うわ、ホントだ。何だかシリアス口調で大仰に話しながら、オチがオニヒトデという事でそのギャップが酷い。
 この調子でずっと気を失っている箒さんに語り続けてたみたいだ。
 寝ぼけているわけではなさそうだけど、似たような感じ。
 異常ではあっても大きな問題でもなさそうだ。

 ……でも、おかしい。
 今、思ったけれど、何でここはこんなに静かなんだろう。玄関に入った時には騒がしさや人の気配を感じていたはずなのに。確かに、ラウラさん以外の人の声がしていたのに。
 それなのにラウラさん以外の声がない。物音がない。階段も電気は点いていなかったし、二階でもなさそうだけど。

 そもそも、シャルや凰さんやセシリアさんは一体どこに?

 辺りを見渡す。
 人の影はなく、お菓子の袋やおつまみ、缶などでやはり散らかっている。テーブルの上には箒さんが伏せている他、今日使っていた皆の分のグラスが置いてある。中にはまだ中身を残したままの物もあって……でも、あれ?その光景に少し違和感が生まれた。

 ……こんな色のジュース買ったっけ?

 買った覚えのない飲み物がそこに注がれ存在している。桃の果実っぽい色のそれ。
 とりあえず、それが何かを確かめようと手を伸ばして。

「箒?おーい箒、起きてくれ」

 一夏が箒さんを起こそうとする声に、手を止める。
 僕も箒さんの証言を聞いておきたい。

「箒、箒?」

 身体を引き起こし、両手で抱き留めるようにしながら一夏が声をかける。
 その名前が呼ばれる度に、力の抜けた身体は徐々に揺れて反応を示し出し、声も漏れるようになっていく。
 そして、やがて連続的な反応が見えたと思うと閉じられていた瞼が微かに開き、その光が一夏を捉えた。

「ん、あ、あぁ……い、一夏、か?」
「良かった。それで箒、大丈夫か?」

 何とか絞り出したような弱々しい声。
 一夏は箒さんの手を握りながらその安否を確かめる。

「一夏、気を付けろ。ヤツらは、私の手には負えない。負えなかったんだ」
「何を?箒?」

 しかし、その安否の質問が答れる事はなかった。

「私はもう、ダメ、みたいだ……一夏、こうしてまた話せて良かった。お前の腕の中でいけるとは、私はしあわせ、ものだ……」
「箒!」

 最後の力を振り絞って送られた僕らへの助言と警告。それに力を使い果たしたのか、箒さんの意識は一夏の腕の中で再び失われていった。

「寝ちゃったね」
「ああ、寝ちゃったな」

 余程眠かったのか、一夏の呼び掛けに対しても今度は反応がない。穏やかな寝息だけが聞こえている。
 その眠りに落ちた箒さんからその横にいるラウラさんを見ると、こちらも今度は壁に対して謝罪の会見を行っている。
 どうにもその言葉は人に対してだけでなく万物全てに有効であるらしい。つまりは独り言みたいな物のようだ。

 ……。

 いや、というか、だ。壁に話すラウラさんを見て思い出した。こういう症状には少し見覚えがある事を。
 アメリカで見て体験したそれは、大した問題とは言えずとも、いざ直面するとなると酷く面倒な物だった。ある意味、理不尽の塊だ。
 一夏は気付いているだろうか?この原因に。何で箒さんとラウラさんがこうなってしまっているかを。

「ちょっと待った。言いたい事は何となく分かる……だが話は後だ。このままじゃ箒が風邪引くかもしれないからな。とりあえず、被せる物持ってくる」

 一夏は僕の疑問を遮り眠る箒さんをソファーに寝せると、その足を廊下へと向けた。まぁ、確かに夏とは言っても油断は出来ないから。それに一夏も何となく分かってるみたいだから。
 なので、僕もその背中を見送ってはやるべき事をする事にする。
 謎の飲み物、その調査だ。

 桃っぽいジュース的な何か。おそらくこれが、いやこれらが今回の原因だろう。
 そしてこうやってグラスに注がれている以上、注いだ大元があるはずで。その大元は、部屋に散らばる買った覚えのない空き缶へと繋がって……。

 ――カシス・オレンジ、度数5パーセント。

 ほらやっぱり。
 確信に近い、嫌な予感が当たってしまった。
 やっぱり、これが原因だ。
 という事はもしかして?

 ――ベリー&ベリー。スクリュードライバー。ピーチ&レモン。他色々様々多種多様……。

 明らかに飲み過ぎだった。
 一杯なら自覚が現れないレベルかもしれないけど、これだけ飲んだら逆に飲まれてしまう。
 しかも、よく見たら赤い液体を微かに残したボトルまで転がっているし。
 うん、間違いない。完全に特定だ。

「……五、六、七……」

 とりあえず、一夏が戻るまでの間、缶を集めては数を数える。

「……十三、十四、十五、十ろくっ……!?」

 そうして缶を数えてはいたものの、集めたそれは軽い金属音を奏で散ってしまった。
 勝手に動いたわけじゃない。
 僕の身体が前のめりになった事でそれらを押す格好になり、ばらけさせてしまった。
 立ちくらみとか眩暈とかそういうわけでもない。
 後ろから不意の衝撃を受けたからだ。

「えへへ……」

 細く柔らかな感触で頬がくすぐったい。
 シャンプーの香りが広がっている。
 耳元でするのは、甘えるような聞き慣れた声。

「つーかまえた!」

 はにかむような声の後には、無邪気な宣言が為される。
 いきなり唐突だ。どこからともなく、気配もなく声もなく、シャルが背中に抱き着いて来ている。
 一体、どこから?いや、何で抱き着いて?そもそもどうしてこんな事に?
 何故何故何故と頭が回る。思考が空回る。思考に合わせて心臓も動きを高め、拍動が耳に聞こえるようだ。

 ――♪

 耳元に洗い物の時と同じ鼻唄が響く。
 酷く上機嫌。しかし、ご機嫌具合では圧倒的に今現在が上回っているだろう。
 鼻唄に合わせて頭が揺れているようだ。その楽しげなリズムが僕にも背中を通じて感じられる。

「し、シャル?そろそろ離れてくれないかな?動けないんだけど」

 そんな楽しそうな所、水を差すようで悪いけれど、シャルに切実なお願いをする。
 はっきり言って限界だ。抱き着き過ぎ。密着し過ぎ。体力ではなく、何よりも僕の心臓が持たない。
 確かに。力付くでやれば無理矢理引き離す事は出来る。でもそんな事、実際に出来るはずがない。

「やだ」

 でも、返答はシンプルに一言。
 答えながら鼻唄を止まって、その分、腕に力が込められていく。

「ねぇ、シャル、ちゃんと聞き分けてよ」
「やだ」
「シャル。お願いだから」
「やだ」
「シャル」
「やだ」
「……」
「やだ!」

 はぁ。思わず、溜め息が漏れる。
 やだという度に手には力が込められて、これ以上は締め付けるという段階まで来ている。
 それでも、そんなのはどうでも良い。問題は何も聞いてくれないシャルの方。今のシャルはまるで、聞き分けのない子供だ。絶対に飲んじゃってる。
 それでも、説得は続けないと、うん。

「だって、今は私が君を捕まえてるんだよ?だから、私の言う事を聞かないとダメなの!」
「シャル、別に大丈夫だから。別に捕まえてなくてもね、僕は」
「だって、君は逃げちゃうんだもん」
「いや、逃げたりなんか――」
「君はどこかに行っちゃうんだもん」
「……どこか?」
「いなくなっちゃうんだ」
「……」
「そんなの……そんなの……」

 ……何故だろう。
 最初は答えるにも何にでもあれだけ軽い気持ちだったのに、話すに従って震えを帯びたシャルの言葉には返事が出来なくなっていった。
 どこかに行く――その言葉には、喉が詰まったかのように声を出せない。
 声を出せない。返事が出来ない。否定を出来ない。
 それは確証がないから?分からないから?

 僕は所詮契約次第だ。いくら僕が望んだって、結局はクライアントの都合による。身分もパスポートも籍もあるいは名前だって、円滑に進める必要だったからあるわけで。
 それを僕には否定ができない。不要となったら、ここにいられない可能性をも大いに含んでいるのだから。だから、いなくならないなんて言葉は迂闊にも言えなかった。
 でも、それでも。
 望んでいた物だ。やっと、手に入れた物なんだ。

 僕だって本当は――ずっとシャル達と、ずっとシャルと……。

『あー!レイヴンがシャルロットの事、虐めてるー』

 ……。
 ……。
 何だか、今日はいきなりの連続だ。
 背中越し、背中のシャル越しにおかしな言葉が聞こえてきた。

「いーけないんだ!いーけないんだ!織斑先生に言っちゃーおう!」

 何を喋って後にでも“あはははは!”の笑い声、既に出来上がってしまっているテンション。上機嫌を超えたハイテンション。
 声は、キッチンの方角だ。
 震えるシャルを抱き着かせたまま、上体を起こしてそちらを見てみる。

「あのですね、レイヴンさん?女の子を泣かすよーな、男の人はですね、かいしょーなしと言うそーですわ」

 電気の付いていない暗い空間。そこには冷蔵庫の室内灯に照らされ浮かび上がる、約ニ名の影があった。
 その正体は、両手に新たな缶を手にした凰さんと赤い液体のボトルを手にしたセシリアさん。
 両者共に仲良く正気を失ったその様子、明らかにただ者じゃないし、明らかにもうどうしようもない。

「じゃあ、セシリア先生!どうしたら、かいしょーなしから卒業出来ますか?」

 ふらふらと頭を揺らしながら、底無しにおかしそうな様子で元気良く凰さんが手を挙げる。

「それは、ええ、そうですわね……まずは、飲みましょう!飲んで楽しく、なれば!みんなが、幸せに笑顔になるはずですわ!」

 一方、支離滅裂。目が完全に据わり切っているセシリアさんは、よく分からない平和論を唱えている。

「――さぁ、レイヴン。かいしょーなし卒業の為に、飲みなさい!」

 昼間と違って随分と仲が良い。
 普段の二人、息もピッタリだ。
 とは言え、今にそんなコンビネーションを発揮とか困る。酷く困る。
 本格的にそうなる前に逃げ出さなければならない。

「ほら、シャルロットもよ?もっとほら?ぎゅっと抑えて」
「……ん」

 しかし、その意思を折ろうという意図が働く。
 背中に抱き着いたシャルが凰さんの声に呼応して、下に下にと力を掛けている。僕を立たせまいと座らせようとしてくる。
 それに対抗しようにもあの弱々しいシャルを見てしまった今では、より一層に無理矢理なんかにはいかない。動きが妨げられる。

「さぁ!」

 逃げられない僕に対し、凰さんがシャルに力添え。身体を押さえ付けてくる。 
 その凰さんの先に見えるのは赤いボトル、そのボトルを手に携えたセシリアさん。幽鬼のように覚束ない足取りながらも一歩ずつ着実に距離を縮めて来ている。

 ……やばい。
 車内では一夏が〜と思っていたけれど、まさかこんな事になろうとは。
 一歩一歩、セシリアさんが歩む度に赤さが揺れていく。ボトルの半分以上を確実に占める、赤い液体。
 もし、あれだけの量を流し込まれたとしたら、キツイ。やばい。
 まさか全部を一気ではないとは思うけど、それでもセシリアさん達はこんな状態だから危機を、恐怖を感じる。凰さんも飲ませる気満々でいるし。

「さぁ、レイヴンさん……どうぞ召し上がってください」

 そして遂に。セシリアさんが目の前に至った。目の前にはにこりとした満面の笑顔。
 しかし、表情とやっている事とが噛み合っていない。
 シャルと凰さんに身体を押さえ込まれ、動けない僕の顎を掴んで、無理矢理に口を開かせてはボトルの口を捩込んでくる。

 ……って、直っ?おぼ、溺れる!?

 グラスに注がれると思いきや、こぽりと音を鳴らし口の中に注ぎ込んでくる赤い液体。
 正直、味なんか、もはや分からなかった。味わう暇なんて全くなく味が脳に届くより前に、流れ込んで来る大波を喉へと送り込む。

 ……一秒が一分にも感じる。どんな拷問なんだろ。確実に涙目になってるよ、これ。
 それでも、早く終われと願いながら必死に飲み続ける。

「レイヴンさん、やりますわね。これでかいしょーなしクリアですわ」

 きっと分には届いてないだろう。しかし、酷く長く感じた拷問がやっと終わったようだ。
 セシリアさんの声と時を同じくして、液体供給が止まった。
 ……じ、地獄はもう終わり?

「じゃあ、次はあたしの番ね!」

 ……終わって、なかった?
 朧げに生まれた希望が、絶望によって上書きされていく。
 さっきのはセシリアさんの行動ターンであって、今度は凰さんのターンであるらしい。僕のターンはいつになるのか。ずっと凰さん達に行動される気がする。

「ほら、レイヴン。覚悟しなさい!これを遂げれば、かいしょーなし卒業よ!」

 ……悪魔の声と不穏な音が僕を追い詰める。
 それは凰さんの処刑宣言とアルミ缶から窒素か何かの抜ける音。
 僕の最期も近い。もしかしたら、そのテンション的に箒さんやラウラさんをやったのは凰さん達なのだろうか。シャルもまた被害者に違いない。
 僕の最期が間近に迫った。アルミ缶の口が見える。
 だから、最期にメッセージを残したい。特に最後の生き残りとなる一夏に。

 ……一夏、将来何があっても、この二人にアルコールは禁物だよ。

 アルミ缶が迫る。今回もどうやら無理矢理強制コースみたいだ。缶が傾き、意思とは無関係に中身がなだれ込んでくる。
 しかも、リキュール……本当に死ねる。

「あいつら上にもいないぞ。まったく、どこ行ったんだろうな……」

 そして処刑が始まってしまった頃、一足遅れで救世主はやってきた。
 ならば早速……へるぷみー、一夏。切実に。

「って、おい!?」

 ぷは。

「大丈夫か?」
「ありがとう、一夏。本当に、本当に。助かった」

 一夏の手によってリキュールの補給が寸断され、ようやく普通に喋れるようになった。
 一夏は酔いどれコンビを相手にし始め、僕への拘束は解かれたにも等しい。
 身体の自由も抱き着いたままのシャルを除けば、もう何も障害はない。

 ……ん?シャル?シャルー?

「…………」

 何だかシャルの反応がないと思ったら、抱き着いたままシャルは眠りに落ちていた。穏やかな寝息を聞かせてくれている。
 眠っているとは言っても、体勢は僕に体重を預ける形だ。
 普通に立つには負担でも、背負う形にすればそうでもない。
 抱き着くシャルを背中に立ち上がってみる。
 おっ、と。
 アルコールが頭に回って来ているのか、足腰が一瞬よろめく。
 でも、そうはいかない。シャルがいるんだ。不安定な身体ののまま何とか踏ん張りを聞かせ保持。
 そうして何とか立ち上がれたと思うと、電子音を響かせて固定電話が鳴り響いた。

「一夏、電……」

 咄嗟に家の主である一夏の方を見て、そして絶句する。
 先程の勇姿はどこへやら、一夏はセシリアさん達に下敷きにされていた。
 凰さん、セシリアさん、そして壁との対話を試みていたラウラさん。
 三人が一夏の上に織り重なるようにして乗っている。

 何ともコメントのしづらい、よく分からない意味不明な状況だ。

「はい、織斑です」

 という事で家主の代理として、受話器を取り答えていく。

『ようやく出たか、一夏……じゃないな。誰だ?』

 その受話器から聞こえるのは聞いた覚えのある声。

「もしかして、織斑先生ですか?僕は――」
『ああ、君か』

 おお、覚えていてくれたようだ。
 最後に織斑先生の姿を見たのがラウラさんとの模擬戦だったはずなので、大分期間が空いていて、しかも一言二言ぐらいしか言葉を交わしてはいないはずだというのに。
 そういえば、何だか今まで実感とかはなかったけれど、織斑先生みたいな有名人に名前を覚えてもらったりしてるって凄い事じゃないだろうか。

『……すまないが聞こえているか?』
「あっ、はい。大丈夫です」

 危ない。うっかりと織斑先生の事を放置する所だった。

『用件を伝える前にだ。一夏でなく君が今こうして電話に出ているという事は、一夏は今、電話に出られる状況ではないという事だな?』

 お察しの通りです。詳しくは言えませんが。

『……そうか。では君から用件を伝えてほしい。良いな?』

 その言葉には了承の返事を返す。
 一夏が動けず、皆が散々たる有様の今、この役割を果たせるのは僕しかいないのだから。だから、これは責任重大だ。

『そろそろ、門限の事もあり連絡させてもらったのだが、そこに篠ノ之やオルコット、凰にボーデヴィッヒはいるか?確か今日はうちに、いやそこに来ているはずだろう?』

 門限?
 その言葉に、受話器を耳に当てながらもふと時計を見遣る。
 ……ああ、これは、もう。車で急いで送ろうにも絶望的な時間だ。しかも、僕ももう運転は出来ないし。
 とりあえず、皆について現状を報告しないと。

「あの、その四人共ここにいる事にはいます。ですが少々問題がありまして……」
『……一体、何をやらかした?』
「率直に言ってしまいますと……酔ってます」

 正直に今起こっている事を伝えていく。

『……飲んだのか?』
「ニ、三時間、皆を残し一夏と共に家を空ける事があったのですが、帰った時には既に」
『…………はぁ』

 受話器越しに大きな溜め息が聞こえてくる。
 それはどうにも苦悩に満ちた響きで、織斑先生が眉間に手をやり気を揉む様子が容易に想像出来る。
 教師という職は過酷なようだった。

「あの、大丈夫ですか?」

 溜め息の後、あまりに反応がないので今度はこちらから尋ねる。

『いや、気にしないでくれ、私も飲み過ぎただけだ』

 しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。

「え……」
『あ……』

 え?飲み過ぎたって、織斑先生が?
 もしかして、あのアルコール群は織斑先生が一人で飲む用の――?

『……忘れてくれ』
「……はい」

 うん、忘れよう。
 やっぱり教師は過酷な仕事で、たまにはこんな事だってあるのだから。

『それで、様子はどうなんだ?』
「はい、それが……」

 気を取り直して状況報告。
 酔いに酔っているみんなの現状を出来るだけ細かく伝えていく。僕も飲まされ車を使えないという事も含めて。

『……分かった。では、これから言う事を一夏に伝えてくれ』

 分かる事は一通り全てそれを織斑先生に伝えると、再び息がつかれるのが聞こえた。心労お察しします。
 しかし、今度は沈黙の入り込む隙がないぐらいに直ぐ、その指示がこちらに伝えられる。

『今回は特別にこちらで外泊扱いにしておく。だから、今夜は各々を泊めていく事。また、明朝十時に学園寮寮監室に集合しろとな』

 つまりはしょうがないから、泊まっていけという事らしい。
 酔い潰れた国家代表候補を世間に見せるわけにはいかないという意味も込められながら。覚悟をしとけよと付け加えられながら。

『だが、いくら泊まるとは言え分かっているな?』

 さらに。そこに忠告が加えられる。

『いくら一つ屋根の下、年頃の男女と言ってもだ。……責任を取れる年齢ではないんだ。だから、その、何だ、過ちなど犯すなよ?』

 ん……でも、過ち?

「あの、既に僕らは飲酒をしてしまっているのですが」

 過ち。間違い。未成年によるアルコールの摂取もきっとこれに含まれる事だろう。
 日本の法律に則れば、一夏以外は確実にアウトになってしまう。
 いくら母国で問題なくてもだ。

『あ、ああ、そういえばそうだったな。いや、それで良い。別に良くないが』

 何だろう?口には出せないけれど、織斑先生の様子がおかしい。やはり、飲酒の影響だろうか。
 僕も飲まされてしまった人を変える飲料物――アルコール。なんて恐ろしいのだろう。

『とにかく頼んだぞ』
「はい、必ず伝えます」

 こうして、織斑先生からの電話は切れていった。

 意外な面も見れ、何だか目から鱗という気分にもなる会話だった。
 厳しいという話ではあったのに、外泊として甘く見てくれたようでもあるし。
 うん、ホント、酒好きであるなんてのも意外だった。

「それで、誰からだったんだ?」
「織斑先生からだったよ」

 おお!一夏、あれを抜け出せたんだ。
 散らかったゴミを片付けながら、一夏が電話について聞いてくる。
 飲まされてもいないみたいだし、三人を相手にして普通に無傷。ノーダメージ。
 普段から酔っ払いの相手は慣れていると言わんばかりの落ち着き様だ。
 さっきの織斑先生の失言といい……いや、まさかね。

「げっ、それで千冬姉は何て?」
「今日はもう外泊扱いにしてくれるってさ。その代わり、明日の十時に寮監室に集合しろって」
「……それ、多分俺もだよな?」
「……多分」

 でも、電話の相手について話すと、落ち着き具合は一気に崩落。内容について話すと壊滅してしまった。

 ――んぅ。

 目の前で一夏がうなだれ青い顔をする中、耳元では小さな寝息が混じり聞こえた。
 自分の寝場所を整えるような身を少しよじりながらの声。背中の上で少し動いては再び穏やかに眠りに着いている。
 うん、シャルもこのままにはしておけない。シャルだけじゃなくて他の皆もだけど。
 さっきまで折り重なっていた三人の方を見てみれば、一夏が脱出し動かしたみたいで三人が川の字を描くように並んで寝ている。
 全員がもう意識を落としているみたいで補給に静かなもの。寝息ぐらいしか聞こえない。
 あれだけ恐ろしく見えたセシリアさんも今は“……リリウム”と表情を緩ませながら誰かの名前らしい寝言を時折呟くだけで。凰さんなんかはさっきのハイテンションの反動か、死んだように眠っている。
 この二人も眠気には勝てなかったみたいだ。

 それにしても五人、この人数を泊めるとなると中々大変なんじゃないだろうか。

「――お前も今日は泊まってけよ?」

 迷惑になるとかって考えてたろ?一夏はそう付け足しながら、僕の行動に釘を刺してくる。
 ……ホント、聡いというか鋭いというか。

「いや、だけど僕は意識もはっきりしてるしさ。世間の目とかそういうのもないし」
「それじゃあ、シャルロットの事はどうするつもりなんだ?」
「シャルの事は……泊めてもらえるように頼むつもりだった」

 シャルを置いてというのは確かに名残惜しいけれど、これだけ安らかに眠っているんだから、出来るだけ静かなままにしてあげたい。

「あのな?」

 僕の返答に呆れたようなそれでいて違う、反論とも言える声がかかる。
 声を出したの他でもない一夏。
 酷く深刻そうな表情を浮かべ、何かを言いづらそうにしながらも返答には返答で返してくる。
 それは一種の例、例えだった。

「男の家に女を泊まらせるって事が、どういう事か分からないわけじゃないだろ?」

 そんなのは、普通だったらそうなのかもしれない。
 でも……一夏は信頼出来るし、何より僕は一夏の事を信頼してる。

「それはありがたいけどな……据え膳食わぬはって言うだろ?良いのか?」

 良いって、何が良いのさ?何を以って良いと言ってるのかが分からない。
 何を言われても僕のスタンスは変わらないんだ。
 さっきも言った通り、僕は一夏の事はちゃんと――。

「だからさ――俺だって男なんだぜ?」
「っ!」

 シャルを見ながら言う一夏の言葉に頭が不意に熱くなる。思わず、シャルに視線を送るその目をその瞳を、睨み付けてしまっていた。

 ……。

 けれど睨んだ先には僕の目を見ながらも笑いを堪え切れず、にやにやと声を出さずに笑う涼しい姿。
 ……、……もしかして、僕は?

「冗談だよ、冗談」

 からかわれ、た?

 未だににやにやとしている一夏に対して
、こう何か仕返しみたいな物がしたいけど何も今は浮かばない。
 あー、今僕にあるのはさっきの血が昇った熱さじゃない。確実に別の熱さが身体を支配している。

 ……つまり、恥ずかしい。一夏以外の皆が寝ている事しか、良い事がない。これは幸いとかそんな事も言えない。というか、ない。

 ああ、そうだ。
 一つだけ何か脳裏に浮かぶ物があった。それは些細な反撃の手段。
 一夏なんてたっぷりと明日、織斑先生に絞られれば良いんだ。
 この、いや、そう!一夏のバーカ!
 ……罵る語彙が足りないや。

「というか、そこまでシャルロットが心配なら付いていてやれよ。それにそもそも、タクシー代だって馬鹿にならないだろ?往復だぞ往復?何円かかると思ってんだ」

 笑いもようやく治まったのか、一夏が色々と呆れ顔で言ってくる。
 ……車の事は正直忘れてたけど。うん、基本的に一夏の言う事は間違っていない気がする。

「だから、遠慮するなって。布団なら、無駄に余ってるし。寝るスペースだって作ろうとすればちゃんと作れるしな」

 ……はぁ。
 ここまで来ると、僕だけがぶっちぎりで馬鹿みたいだ。一夏は厚意で言ってくれてたのに、よく分からない意地みたいなのを張って。
 みたいだじゃなくて、ぶっちぎりで馬鹿だ。
 そんな馬鹿な僕だけれど、さっきの意見を取り消してその厚意には乗らせてもらう事にする。

 そして、そうなるに至っては。

「何かごめん、一夏」

 まずはさっきの事を含めての謝罪。

「謝られても困るぞ、俺は」

 確かに挑発してきたのは一夏の方だし?
 でも、そういう事じゃなくて。

「ん、ありがとう、一夏」

 一夏の厚意に謝罪で答えるというのもおかしな事だった。厚意や善意には感謝を、これが自然の流れだ。

 その考えに従い感謝を言ってみると、一夏は“気にすんな”と肩を叩いてくる。
 肩を叩き、そして歩き出す一夏。その足は再び廊下へと向かっている。

「まぁとりあえず、布団用意してくる。お前はここでゆっくりと……」
「僕はここの掃除しとくよ」

 振り向く一夏。また今度の善意的な物。
 だったら僕も善意には善意で返す。
 分業だ。一夏ばっかりに負担を寄越すわけにもいかない。

「……そうか、頼んだ」

 何かを言いかけて僕を見ると、諦めたようにふと笑って一夏の姿が消えていく。

「了解、任せて」

 僕も僕で、小さく笑いながら笑って答え一夏を見送る。

 ――さて。一夏の背中が見えなくなった所で僕も僕で作業を開始だ。
 厄介になってしまうのだから、少しでも役に立ってやろうじゃないか。

 周りを見れば、さっきまで一夏が掃除していたと言っても、やはりまだ綺麗とは言えないリビング。
 ティッシュやおつまみの食べ跡などアルコールの物恐ろしさを感じさせる現場。
 そういったゴミから先に片付けていこう。

 ゴミ、ゴミ、ゴミ……。
 小さな物であっても拾う。とにかく拾う。
 何らかの液体がこぼれているような所を見つけたら、すかさず雑巾で拭き取って。
 缶を集めて、ゴミを捨て、シャルの服とか手が汚れないように細心の注意を払いながら。
 やれば意外と早く終わるようで、体感時間としてはあのアルコール地獄よりは確実に早かった。

「おーい。そっちはどうだ……」

 やぁ一夏。おかげさまで一通りは終わったよ。

「……って背負ったままかよ!?」

 そこに現れるは謎の一夏。やって来ては何故か驚いている。
 それはともかく。言葉面を見る限り、準備の方は完了しているようだ。

「いや、それはともかくじゃなくてな?」

 分かってる。分かってるから。
 僕の今の状態がおかしいって言うんでしょ?
 でも、しょうがないじゃないか。下ろそうにもシャルが離してくれないんだから。
 それにほら、良い筋トレにもなるし。丁度良いじゃん。

「脳筋?」

 違う。失礼な。

「まぁ、良いや。シャルロットの事、布団に寝せてこいよ。何とか背中から下ろしてな?」

 了解、頑張ってみる。

「部屋はそうだな……奥から詰めていってくれ。二、二、三って部屋割りにするから」

 オーケー、分かった。
 一夏に返事を返したら、それじゃ早速と、シャルを一度背負い直して階段へと向かう。
 人を背負いながらの階段は地味に怖い。
 重心が背中にある分、後ろへと吸い込まれる錯覚がある。絶対にそんな事にはしないけど。
 あまり揺らさないようにゆっくり慎重に。すぅすぅという穏やかさを妨げてはいけない。
 階段を昇り切って部屋は……奥からだ。
 気遣ってくれたのか、ドアは既に開き切っていて苦労もせずに中へと入れた。

 少し手探り何とか電灯を点ける。
 この部屋は和室のようだ。中には二枚の布団が敷かれている。

「シャル、下りて?」

 布団の前にしゃがみ込み、背中の彼女の説得を開始する。

「……んん?んぅ」

 しかし、少しの反応は示すものの覚醒の影はなし。むしろ僕の首元のホールドが強まる。

「ほら、シャル?」

 ならばと身体を傾けて、抱き着く身体をスライドさせる。僕の首を基点として回るシャルの身体。
 すると、シャルの背中は布団に軟着地。頭も枕に丁度落ちた。
 僕も少し前のめりになるも、距離が極めて近過ぎる事を除けば特に問題はない。
 後は何も考えず無心で、首から手を外していくだけだ。

 シャル、ごめん。
 何となく謝りながら、僕を捕まえるその両手の交差に手をかける。

「……?」

 手が触れた瞬間、単なる寝息かもしれないけれど声無き声と共に、その拘束が少し緩んだ気もする。
 手の感触による反応?とにかくそれを見逃さず、弱まった腕の輪から素早く頭を抜いていく。
 残ったのは何も掴まない腕の交差。
 僕の腕に支えられたそれを、静かにシャル自身の身体へ返すと、交差はばらけ力の抜けた自然体に変わった。
 後は。
 布団の上に乗っているだけのその身体に、近くに畳んであった毛布を被せる。
 暑くはないだろうか。それが心配になるも風邪を引くよりは良い。

 そうして、全ては完了した。
 完了したけれど、そのまま幸せそうな寝顔を眺める。
 すぅすぅと規則正しい小さな寝息。ホント無防備だ。ここまで無防備だとちょっとした悪戯心が芽生えてくる。
 狙いは頬だ。以前経験したあの柔らかさ。それを再び体感すべく左手を顔へと伸ばしていく。

「……行かないで」

 その過程の中、いつまでも穏やかなだと思われた寝顔が不意に歪んだ。
 何だか泣きそうな表情、シャルの右手が何かを求めるように宙を泳ぐ。

「どこにも行かないで」

 か弱くさまようその右手。
 何を考えていたんだろう。悪戯なんてとんでもない。その姿にそんな気分は消えていた。

「シャル、大丈夫だよ。ここにいるよ」

 さまようその手を優しく捕まえる。
 しかし捕まえても尚、不安そうに動く細く白い指先。
 ただそれだけでは物足りないみたいだ、でも、だったら。
 指に指、その白い指先にはこちらの指を絡めていく。いや、その白い指を搦め捕っていく。
 ここにいるという証を、より強い感触で伝える為に。

「……ほんとに?」

 指の動きが止まると、間もなく確認の声が生まれた。今にも消えてしまいそうな弱々しい声だ。
 さらに指の感触に触発されたのか、閉じられていたはずの瞳には、震えるような光が見える。

「本当だよ。本当にここにいるよ」

 もしかしたら、微かに起きているのかもしれない。起きてしまったのかもしれない。

「……ねぇ、行かないで。どこにも」

 声はさらに弱くなって震えて、今にも泣きだしそうにも思える。

「ほら?ここにいるから。寝るまで一緒にいてあげるから」

 弱々しい様子にはもっと強い思いが必要だ。
 シャルの右手を今度はそのまま温めるように両手で包み込む。
 せめてその不安がなくなるようにと、消えますようにと思いを込めながら。

「よかっ、たぁ」

 思いが通じたのか、泣き出しそうだった顔が笑顔に変わる。
 安心してくれた表情。安心きった表情。僕を信頼してくれる。

「そうだよ。大丈夫だから」

 その間もずっと手は離さない。一度言った事はやり遂げるんだ。
 眠りに着くまで、ずっと手を握り続ける。

「私ね、ずっと……わた、し、いっしょに……」

 やがて紡がれる言葉の間隔が広くゆっくりとなっていく。
 微かに開かれていた瞳も瞼の重さに耐え兼ねて、その光はもう窺えない。
 穏やかな安らぎの表情。すぅすぅという安らかな寝息。

 シャルは今度こそ完全に眠りに落ちた。

「寝ちゃったか……ってか、手掴まれてるし」

 今まで両手で包み込んでいたのだけれど。
 シャルの右手が僕の左手を未だにがっちりとホールドしたままで、離してくれない。

「どうしよ?……おーい、シャルー?」

 頬を余った右手で触れてみる。
 柔らかい。すべすべ、ふにふに。相変わらず柔らかくて面白い。
 悪戯は今回禁止となってしまったが、今度は悪戯ではなく抗議。なので何ら問題はないはずだ。
 しばらく、抗議の為にその感触を楽しんでいく。

「あぐあぐ」

 うおっ。
 頬をふにふにと突いていると人差し指がいきなり噛み付かれた。
 口に程近い場所にあったからだろう。本噛みではなく甘噛みなので痛みはないのだけれど、正直驚いた。

「それ食べ物じゃないぞー?指かじるなー」

 両手を塞がれてしまったので、今度は言葉だけで抗議を行う。

「あむあむ」
「だからって吸うなー……起きてるんじゃないだろうね?」

 すると、今度は赤子のように人の指を吸い始めるシャルロット・デュノアさん――通称シャル十五歳。
 起きていないようではあるけれど、一体どんな夢を見ているのやら。
 むしろ、さっきまでの弱々しかった様子こそが夢だったようにさえ思える。

 でも、そんな夢よりは今のおかしな様子の方がずっと良い。

「シャル?」
「……んぅ?」

 返事をしてくれたんだろうか?
 応えてくれると共に左手の拘束が解かれた。
 今度は行っていいって事?
 その問いに応えてくれない代わりに、楽しそうな寝顔をシャルは見せてくれる。

『……しかし、ラウラは軽いな。ちゃんと飯食ってるのか?』

 しかも、ここで一夏もやって来たようだ。
 何だか一夏に見られるのも気まずいというか恥ずかしいし、シャルもきちんと寝ている事だし、そろそろ退散しよう。

 おやすみ、シャル。また、明日。
 二日酔いなんかに負けず、元気な姿で会えると良いね?



 廊下に出ると、ラウラさんを運ぶ一夏と擦れ違う。ラウラさんはシャルと同室になるようだ。
 その擦れ違い様、一夏が笑った気がするけれど、それはきっと眠気のせい、気のせいだろう。

 実を言うと、セシリアさん達のおかげか、まだ深夜でもないのに少し眠かった。
 セシリアさん達のおかげか疲れもある。

 そう、結局花火も出来なかったし、今日は一日大変な日だった。
 でも、そんな大変さが楽しくもあった。

 シャル達の残り少ない夏休み。こんな日も大分少なくなるかもしれない。
 けれど、残り少ない日々も楽しく過ごせたらなと思う。

 でも、まぁ、まずは……早く一夏に部屋を聞こう。
 今日はさすがにもう、休みたい。



[28662] Chapter3-EP
Name: ユルトと愉快な仲間達◆231e8a74 ID:cdf7752d
Date: 2013/07/24 23:56
「――では頼んだぞ」
『はい。失礼します』

 九月をすぐ目前にまで臨んだ八月終盤。
 IS学園内に位置する、とある一室。
 そこには、携帯電話を片手に一人の女性が佇んでいた。

 はぁ。
 溜め息を伴いおもむろに。携帯電話がその手を離され落下を始める。
 それに合わせ彼女の身体も脱力からの下降を始め、電話と共にサマースーツに包まれたその身体はソファーの中に沈められた。

「……まったく。飲酒だと?何をやっているんだ、あいつらは」

 その女性――織斑千冬は体重をソファーに寄せながら憤慨、いや苦悩していた。
 いくら言葉にしようとも思考に掛かる面倒な靄は、いつまで経っても晴れはしない。眉間やこめかみを揉み試しても、同様に晴れる気配を見せない。
 だがそれは当然の事だ。そのかかって消えない靄の存在は、身体ではなく精神にかかる物なのだから。
 つまり、ストレスだ。

 では、その物の解消をするにはどうするのか?
 彼女にとってはあるとっておきの手段がある。
 ソファーから身体を起こし室内の冷蔵庫へと手を伸ばす。手を掛け開け放たれた冷蔵庫の扉。ひやりとした冷気が溢れ、肌を撫でる。
 しかし、何かを求めて進んでいたその手は、まるで冷気で涼むかのように空中で行動を停止させた。
 止まったままで数秒。その手は動かない。

 これは是か否かの選択の時間だ。右か左か葛藤の時。
 やがて選択が為されたのか、その手にはそれが掴まれ再びソファーへと身体を投げ出していく。
 どうやら選択された答えは、否、だったようだ。

 はぁ。大きく深い溜め息がその口から漏れていく。
 同時に室内に広がるのは、微少なアルコール臭。
 それは、とっておきへの選択を否決させる理由でもあった。

『……千冬姉。いくら何でも飲み過ぎだろ?』

 千冬の脳裏を駆け巡るのは、唯一の肉親である弟――織斑一夏の言い放った発言。呆れたようなあの表情を、彼女は未だに忘れていない。

 確かに、普段から情けない姿を見せてしまっている自覚はあった。家事は基本任せきり、手伝おうにもむしろ足を引っ張る始末。
 だが、その自覚と同じように、弟が幼い頃から誇れるような姉として、その役割を果たしてきたという自負があった。
 家事は出来ない、しかし誇れるような姉でありたい。そのように千冬は日頃、己を律してきたつもりだった。
 しかし、どれだけ強い力、高い能力を持ってしても、ストレスからは決して逃れられない。それは最強の人類と言われる千冬でさえも例外ではなかった。

 国家代表操者としての期待、応援、悪意、嫉妬――そういった極多数の感情を向けられた時、信念を柱とする精神的頑強さを誇る彼女であっても否応にもストレスが蓄積していく。
 その為に他人に当たりそうになった時もあった。全てを投げ出したいと思った時もあった。
 このままでは弟に八つ当たりをしてしまうかもしれない。そのように思い、自己嫌悪をした時もあった。

 そして、徐々に追い詰められていく千冬をある物が救う。
 それは……。

『千冬姉、何か酒臭いんだけど』

 ……アルコールだった。

 そう、アルコール。
 彼女のとっておきの手段とはそれ以外の何物ではない。
 しかし、そうでありながらも何故先程、ストレスに苦しむ千冬が日頃飲んでいるビールではなく果実入りの野菜ジュースを手に取ったのか。
 それは実の弟――一夏によるかつての言葉があったからだ。

『なぁ、千冬姉?疲れてるのも分かるし、やっぱ大人って大変なんだろうけどさ。……俺、千冬姉にはあんまり酒に頼って欲しくないと思う』

 ある晩、酔って帰って来た千冬を一夏は真摯な視線で迎えていた。

『俺、何でもするからさ。料理だってもっと上手くなる。疲れてたらマッサージだってする。だからさ……!』

 そして、千冬はその姿に感銘を受けていた。
 何で私はこんな大切な物を忘れていたのだろうと。
 何があろうとも、何が相手になろうとも決して負けないと誓ったではないかと。
 どうして、この弟の想いを無下に出来るのかと。

 ……結局はそうやってアルコールの摂取制限を設けられてしまい、今も律義にそれを守っている。
 つまり、今日は夜まで同僚と飲んでいたので、千冬は野菜ジュースを手に取ったのだ。

「……甘いな、私は」

 野菜ジュースを差したストローから飲みながら、千冬は自嘲する。
 振り返るは今のストレスの原因となった事だ。
 その電話はとある生徒達へと向けた物だった。
 門限を過ぎても戻らぬ、その生徒達。彼女達が特別な立場にある生徒だという事も関係してくる。
 国家代表候補。または天才の妹。
 前者はただでさえ要人扱いなのに加え、次期女帝という早過ぎる肩書きを背負う生徒までおり。
 後者は世界最重要人物とされる存在の親類である。
 基本的に教育の下に生徒は平等ではないといけないが、彼女達においては政治的な問題も絡み例外という立場を取らざるを得ない。

 そんな彼女達へ掛けた電話と千冬の頭を悩ます返って来た答え。

『……酔ってます』

 酔ってしまいたいのはこっちの方だと千冬は頭を抱える。
 さらに問題はそれに関しての対応だ。
 例えもし彼女らの母国においては飲酒の出来る年齢であったとしても、学園外の領域では日本の法律による物とされている。
 日本の法律で言えば、飲酒は二十歳以上。
 しかし、彼女達はそれを門限と共に破ってしまった。
 ただの門限破りであれば、ただ『早く戻ってこい』と千冬は説教だけで済ませただろう。
 だが、飲酒などに関しては下手に人の目に触れればスキャンダルと化す。
 マスコミの耳に入れば好き勝手に物事を書き立てられる事だろう。
 それだけは避けねばならなかった。考えられるリスクは消去していかねばならなかった。

「……甘いな」

 千冬は飲みやすいと同僚が好評していたジュースへの感想をも合わせているのか、再度同じ言葉を呟く。
 甘さ、それは罰則に関してもだった。
 門限破りへの罰則。しかも今回は飲酒の事があるにもかかわらず、説教だけで済ませようとしている。
 正しく言えば、また説教だけで済ませようとしている。
 それで構わないと思ってしまっている自分がいる。
 示しが付かない。良くない傾向だと思いながらも千冬は再び呟く。

「やはり……」
「うんうん!やっぱり、ちーちゃんは甘いよねー!!」

 呟こうとしたが正しい表現か。
 ジュースを飲みながらの呟きは、閉じられた密室に現れた謎の声によって掻き消されていく。

「でも、それがちーちゃんの良い所というか、大好きな所というか……ちーちゃーん!結婚しよー!!」
「……おい、束。どこにいる」

 それは千冬にとって切っても切れぬ縁を持つ存在の声であり、その主を探し千冬は部屋を周囲を見渡している。
 しかし、見付からない。声は聞こえど、千冬にはその音源を特定出来ずにいた。

「ちーちゃん、こっちだよ、こっちー」

 不意に彼女を直接呼ぶ声がする。
 どこだと首を振る度に名前を呼ぶ声。
 やがてそれはある一点で集約される。

「やっほー、ちーちゃん!一ヶ月ぶりー!」

 それはテレビだった。電源入れていないはずの黒い画面であるべきはずの大型テレビ。
 そのテレビの中に千冬の腐れ縁――篠ノ之束は何故か存在していた。
 テレビの中で飛び跳ね手を振って。

「ふざけてないで出てこい」

 千冬は何度もリモコンで画面を消そうとするも効果はなく、その奇怪現象をただの悪戯であると認識したのか視界からテレビを外し、再び周りを探し始める。

「出てこい?じゃあ出るよー!」

 一方で束は千冬の言葉に反応を見せ、行動を開始する。
 その姿が映り込んだテレビ画面、そこから、兎の耳を模したような髪留めが生え出していく。
 髪留め、頭、顔、上半身……。
 髪の毛を振り乱しながら手を伸ばし、四ツ這いの姿で画面の中から現れる篠ノ之束。
 まさに奇怪現象。現代の科学では説明の付かないオカルトの領域。

「何だ、それは?」

 だが、千冬は冷ややかにそれを斬って捨てる。
 何の驚きもなく、ただ眉間に手をやるばかりだ。

「がーん……!何だって、ちーちゃん、演出だよ、え、ん、しゅ、つ!」

 その冷ややかな声に束は演技を取りやめ、文句と共に勢い良く立ち上がる。

「やっぱり夏だからね!夏と言えばホラー!ホラーと言えばこれ!私ぐらいの天才ともなると登場演出にもこだわらなきゃね!!」
「こっちは疲れてるんだ、いちいち付き合ってられるか」
「ちぇっ、ぶーぶー、ちーちゃんのいけずー」
「だから、うるさいと」
「ふあぁ、ちーちゃんの愛が痛いっ!」

 騒がしい束とそれを止めようとする千冬、しかし騒ぐ束。
 この二人のやり取りは昔から変わらない。
 出会った小学生時代を出発点として、中学高校と重ねた時間。それによって変わる物がある中、この二人の関係は各々の立場を変えても尚、変わる物ではなかった。

「うわ、ていうかちーちゃんお酒臭っ!うわ、うわぁ」

 千冬にアイアンクローを喰らい始めた束が唐突に暴れ出す。

「相変わらず駄目か?」
「さすがの私でも、お酒だけはダメだからねー」

 それがある種、万能と言っても良い束の唯一苦手とする物だ。
 味も匂いも体質的なのかアルコールに対する耐性も、それら全てを考えても弱点と称して良い物なのかもしれない。

「ほいならばっ!そんなちーちゃんに私が救いの手を!」

 漂うアルコール臭から逃れようとしていた束が鼻を押さえながらも何かを言い放つ。

「おい、何をしている?」
「ほら、ちーちゃん?じっとするじっとする」

 宣言の後、束の付けた左右の髪留めからはコードのような物が伸び出し、その先端が千冬のこめかみ付近に触れた。
 千冬はそれを疑念に思うも束の言葉に従い大人しく抵抗を止める。
 そのまま数分間、過ぎゆく時間。

「はーい!もう良いよー?」

 束の声と共にコード状のそれは掃除機のコンセントのように巻き戻っていく。それも生きているかのように自発的に。
 またけったいな技術を。つくづくこいつには驚かされる。だが、それこそが束か。
 千冬は表情には出さずとも、その幼馴染みの持つ技術に驚きの感情を持っていた。
 しかし、それに慣れ過ぎたおかげで極平然としているように見える千冬の態度も、常人からすれば束レベルの驚きの対象である事を本人は知らない。

「ちーちゃん、身体の調子はどう?」

 言われてみて、千冬はふと気付く。
 あれだけ千冬を悩ませていた不快感が身体中から消えていた事に。
 燻っていた靄もアルコール摂取による怠さもその全てが消え去り、もはや快調とも言える状態に身体がある事に。

「体内のストレス性物質の除去とアルコール分の分解、あとはちょこっーと乱れてたホルモンバランスの調整をしといたよ!」

 ちーちゃんの為だからね!と事もなさ気に語る束。
 それに感謝をしながらも、千冬は疑念を含めた視線で束を見つめる。

「だが、勝手に人の身体を調べるのは関心せんな」
「ありゃりゃ、バレちゃった?」
「何年の付き合いだと思っている?」

 千冬にとってはそれこそ、事もない事だった。
 長い付き合い。気を容易に置くと大変ではあるが、気の知れた友人。
 そんな友人の事ならば、おおよそ大体おそらく多少は理解している。
 常人の遥か斜め上をキープし続けるような存在だ、それだけ理解出来る事でもまさしく驚嘆に値する偉業だろう。

「だけど、ちーちゃん。いきなりだけど……最近ISに乗ったね?」
「さて、何の事だ?」
「ごまかしても無駄だよ、ちーちゃん。それこそ何年の付き合いだと思ってるの?」

 しかし、それは束にとっても同じだった。
 良き友人。良き理解者。
 いつも物難しそうな顔をしていても、結局は情に従った行動してしまい、何かと危うく見えるその存在。
 その危うさを極めて高い能力で捩伏せる事で今まで来ているのだ。
 そして、今回も変わらない。束は千冬を見透かしていた。

「ちーちゃん。ちーちゃんはもうISに乗っちゃダメだよ」
「何を馬鹿な事を」
「ちーちゃん。じゃないと死んじゃうよ?」

 見透かしているからこそ出来る発言だった。
 縋るような瞳と態度。束は明るさを潜め、懇願にも近い眼差しで千冬に言葉を贈る。

「ふん、何だ?さっきの検査で私に病気でも見付かったか?」

 千冬はそれを笑い捨てるように冗談を語る。

「ねぇ、ちーちゃん。ちーちゃんが世界で一番強い事を私は知ってるよ。ちーちゃんは今でも私のヒーローだからね。でも……」

 だが、束は冗談を付き合わない。
 全てを分かってしまっているのだ、天才故に。
 結果を知ってしまっている。あらゆる手を尽くしても覆せないという事を。
 だからこそ、その瞳には悲嘆が浮かび、その表情には諦観が刻まれ、その口で自らのヒーローに語るのだ。

「――ちーちゃんじゃ、絶対に勝てないよ」

 警告。忠告。人にはまだ見えぬ、その結果を。

「勝てない、か。お前は今日、それを言いに来たんだな?」

 千冬はそれを受けても動じた様子はない。
 自らの能力への自信か自負か、動じるどころか逆に質問すらしている。

「……束。それがお前の言う“私が死ぬ”という事か?」

 何を言っても答えない束に対して、千冬は少し声色を下げ核心へと触れていく。

「ううん、運が良ければ死なないかも。でも、ちーちゃんってばここぞって時にいっつもツイてないから」

 それに対し、束の声は軽く明るい物だった。
 けれど、千冬には分かっていた。束程世界を見通す目はなくとも理解できていた。
 友人の言葉が何とか繕い合わせた言葉である事に。

「束、何があった?正直に話せ」

 ただ真っ直ぐに千冬は束の瞳を覗く。
 束にとってそれは、まるでいつしかの光景だった。真摯な瞳、決意、強い思い、決めた事。始まり。
 もう懐かしい思い出を脳裏に浮かべながら、束は紡ぐ。


 ――そんじゃーね!

 束は何も具体的でない抽象的な言葉を言い残すと、窓を開けては勝手に帰っていった。
 束の消えた虚空を見れば、そこには月が見える。
 今どこに拠点を置いているのか、そんな事すら知らない。
 だが、月の兎。案外、月に基地でも作って……。
 いや、馬鹿馬鹿しいと千冬は自嘲する。一体、何を馬鹿を考えているのだと。
 酒のせいかと思っても、アルコールは全て束に抜かれてしまったから有り得ない。
 だから、その理由はただ一つしか有り得なかった。

『――何にもないし、何にもあった。ちーちゃん……動き出すんだよ』

 昂揚していた。

「……動く?動き出す?ははっ、やはりそういう事か!」

 それは千冬と束にしか分からない会話だった。言葉だった。
 何も知らない者が聞けば意味不明でしかない、抽象的な文字の羅列。

「それは私も望む所だ!私が死ぬ?例え死んだとしてもそれだけの価値がある物なんだよ、束」

 だが、千冬には分かっていた。理解できていた。
 その意味を。その真意を。

「それは悲願じゃないか。私がどれ程この時を待ち続けていたか、お前にだって分かるだろう?その為の私だ。その為のISだ」

 だからこそ、昂揚している。
 だからこそ、笑う。

 その夜、月に向ける千冬の表情は、紛れも無い戦士の顔だった。














 どくり。どくり。彼の心臓の音。もしかしたら、私の鼓動なのかも。
 彼の一歩、一歩一歩。一歩と一緒に私の視界も揺れる。
 暖かい。とてもとても。安心できる暖かさ。

 ――――?

 彼が私の名前を呼んだ。
 いつもの声、私の好きなその呼び方。

 私もすぐに返事をしてみる。回した手と手に少しだけ力を入れながら。抱きしめながら。だって放したくないから。ずっとこうしていたいから。
 すると、私を背負うその背中はびくりと一瞬震えて硬まって、触れ合って聞こえる鼓動の音が少しだけ早くなった気がする。

 ……――、――――?

 それを彼に伝えてみると、少し恥ずかしそうなそれでいて不満そうな彼の指摘。
 うん、そんなの分かってるよ。やっぱり私も同じ。分かってるもん。だからお揃い。私達一緒だね?

 答えながらもっともっと抱きしめる。彼のうなじ首元襟元に、顔を埋める。
 その暖かさを何度でも感じる為に。
 彼がここにいる事を何度も何回も確かめる為に。

 ――――。

 すると……あれ?彼の言う通り、何だか眠くなってきた。
 だけど、どれだけ眠くても離したくないよ。
 だって君は、こうして掴んでないとどこかに消えていってしまいそうだから。
 だから、私は眠らない離さない。君をここに繋ぎ留めたいんだ。

 ――、――?

 あれ?今度は気付くといつの間にか私は天井を向いていて、そんな私の頬に手が触れる。でこぼことした傷だらけの手。だけど、安心できる温もり。
 安心。心安らかに。全部が全部、何もかもが気にならなくなって、瞼が自然に降りていく。
 でも、まだ……まだ。眠いけど眠りたくない。まだ感じていたい。まだ一緒にいたい。離れたくない。どこにも行かないで。

 ――大丈夫、ここにいるよ。

 声が聞こえる。彼の声。語りかける声。私の好きな声。大好きな暖かさ。安心。温もり。優しさ。心に響き染み込んでいく。
 そして私は、彼の暖かさを感じながら意識を静かに手放していった。


「ん……ふぁう?」

 カーテンの隙間から射す光と何だか慣れない寝心地に意識が揺り動かされた。
 ぬくぬく温もり……ぽかぽか暖かさ……手での感触だけを頼りに、大切な続きを探し求めてみる。

「んん?……んー……?」

 どこに行っちゃったんだろう?
 ついさっきまで、ここにあったはずなのに。
 シーツじゃなくて枕でもなくて。
 手繰り手探り手を伸ばす。

 ――あ。

 そして、やっと見つけた。指先の柔らかな感触。人の体温。
 もっともっと、と両手で触れる。
 だけど。

「……ふふふ、いきなり大胆だな一夏、我が嫁よ」

 あれ?

「だが、兎が寂しいと死ぬというのは嘘だ」

 えっと、違う。これはラウラ?

 恐る恐る目を開けてみると、手の感触、その先にあったのは求めていたものではなくて、寝言を呟く親友の姿だった。

 あれ?ここって、どこだっけ?

 ラウラを見つけた後は、身体を起こして周りを見渡す。
 見慣れない部屋のレイアウト。見慣れないカーテン。見慣れない光景。布団が敷いてあって、ラウラがそこにいるのは見慣れているけれど、全部が知らない場所。

 ……ここってどこだろう?

 それに記憶があいまいになってる。
 そう、確か昨日は。昨日、は?
 私は確か、皆で一夏の家に来てて……お昼ご飯を作って一緒に食べて、彼と一夏が近くのコンビニに出掛けるって言って出掛けちゃって……。
 二人がいない間に、鈴が一夏の部屋であるモノ――その、男の子なら当然持ってるってモノ――を捜索しようとしたりしていて、“彼はどうなの?”って聞かれて、私も知らないなぁって思って、その後も色んな事を話して、それで……。

 うん?思い出せない。その後、何かがあった気はするのに。
 飲んだジュースが美味しかった事は覚えてる。でも、それ以降の記憶が抜け落ちちゃってる。
 だけど、何となく。私が眠る寸前まで彼が傍にいてくれた気がする。
 もしかして、夢だったのかな?それでもやっぱり、彼の言葉が思い出せる。
 何だか寂しくて。でも、“ここにいるよ”って聞こえて安心して。

 ……そうだ。彼は、彼はどこにいるんだろう?

 毛布を足蹴にしながら寝ているラウラに、それを肩までかけ直してから立ち上がる。
 そして、見覚えのない寝室?から廊下に出てみる。
 廊下、そこは見覚えのある光景。どうやら、私達は一夏の家に厄介になってしまったみたいだった。
 だけど、一夏にありがとうとかごめんって言う前に、今は階段を下りて、昨日の記憶が途切れた場所、リビングへ。

 ドアを開ける。
 明かりは落ちていて、カーテンの隙間から射す朝日を辛うじて飲み込んで、暗い空間が広がっている。
 そこには誰もいない。
 少し見ただけだと、そうとしか思えなかった。
 でも。

 ――ぅ。

 早朝の静けさの中で、ほんの小さな音が聞こえた。
 あと、よく見るとソファーには影があって。

「……もう。こんなところで寝ちゃったんだ」

 ここにいるって確証があったわけじゃないけれど、そこには確かに彼の姿があった。
 ソファーに身を沈めて目を閉じている彼。横になっているわけでもなくて、何か作業をしていたのかもしれない。携帯を片手にソファーに座るようにしながら、そこで寝息を立てている。

「夏だからって何も被らずに寝たら風邪引いちゃうよ」

 その姿を見て、気持ちだけを急がせる。
 なるべく足音を立てずにさっきの寝室へと一度戻る。そうやって部屋から毛布を片手に戻っては、未だに安らかな寝姿を見せている彼の身体に肩までその毛布を被せていく。
 うん。これで大丈夫。
 出来るだけ起こさないように静かに動いたつもりでも、どうしても物音は鳴っちゃって……起きちゃうかなぁって思ったけれど、起きる気配も見せずに彼は今も熟睡中。
 本当に気持ち良さそうに。

「少しだけなら……良いよね?」

 その許しを求める言葉は彼に?それとも私自身に?
 そんな幸せそうで無防備な姿を見ていたら、魔が差しちゃったのかもしれない。身体が勝手に動き出していた。

 彼の眠るソファーに私も自身を委ねていく。
 身体が埋まり、スプリングが反発を見せる。柔らかで適度な反発のあるソファー。もしかしたら高い物なのかも。少なくとも彼がこうして幸せそうな事だし、眠るにしてもその心地に問題はなさそう。
 うん。彼の寝床を確かめたところで、今度はいよいよ本題。
 目覚める素振りが全くない彼。その横顔をすぐ隣で眺めてみる。

 すうすう。静かな寝息。穏やかな寝顔。無防備な姿。
 横顔。規則正しい緩やかな上下のリズムを刻む胸の動き。呼吸。どんな夢を見ているのかな?本当に幸せそう。
 ただこうやって見ているだけなのに、全然飽きてこない。
 無防備。無警戒。ありのまま?
 真面目な顔をしていると驚くぐらい大人っぽく見える時があるのに、今は全然そんな風には見えなくて。

 そして、ふと思う。

 日本に来てから、彼は歳相応の振る舞いになってるって事を。
 ううん。もしかしたら、それ以上に子供っぽく。

 ……でも、きっとそれが君の本当なんだよね?

 大人びた真剣な顔も、楽しそうにした笑った顔も、不満そうにした拗ねた顔も、今の無防備な少し幼い顔も……全部が全部、君なんだよね?

 ……何だか、こうして過ごす毎日が新しい発見の連続で、そんな姿を見る事があるとどんどん君との距離が近くなっていけている気はするんだ。
 だけど、そう、だけど――私はもっと知りたい。
 君の表情も悩みも、些細な事でも良いから、もっともっと君を知りたい。理解したい。理解してあげたいよ。

 ソファーの上、彼の横。彼が無警戒なのを良い事に、投げ出された彼の手に触れてみる。
 抵抗もない。だから次は大胆に。自分の手を置いてみる。表と表、手と手を合わせてみる。
 見掛けと違って少しゴツゴツとした男の子らしい手の形、指先に感じる古そうな傷跡の感触。だけど、やっぱり暖かい。

 そんな暖かさをもっと感じたくて、今度は眠る身体にそっと身を寄せてみる。ソファーの上にあった彼との隙間を埋める。
 すると、触れ合って広がる彼の体温。さらにどくりどくり。振動。鼓動の音。彼の音?それとも私の音?ううん、きっと私の音。
 そのハミングは私の心の中に、確かな熱と一緒に大きな安心を分け与えてくれる。君がここにいて、私もここにいるんだって教えてくれる。すごくすごく安心させてくれる。どきどきって心臓は壊れそうなのに。

 心は落ち着いて、心臓が落ち着かない。
 気付けばカーテンの間を縫って射す、光の影がその身を長くしていた。続いて壁に掛けてある時計に視線が向かう。
 ああ、やっぱり。暗いわけだよね。
 だってもうすぐ五時。夜を越えて日も出たばかり。だから、こんなに暗かったんだ。

 でも、そうなると、きっと時間は大丈夫。これなら皆はまだ起きてこないはず。実は私も、ちょっとまだ眠気は抜けたわけじゃなくて。もしかして、そのお陰でこんなに大胆な事が出来ているのかもしれないけれど?
 ……うん。
 という事だから。だから私も。今はもう少し――。

「おやすみ」

 隣の彼にそう告げて。身を寄せるだけじゃなくて、毛布の中に潜り込む。
 心地の良い場所。穏やかな場所。大切な場所。
 その共有出来る温かさを確かに感じながら、今少しの時間だけ。
 まだ少し重くなって来た瞳を自然のままに。その流れに委ねていく。





 ――そこには、いつもとは違う光景が広がっていた。

 いや、目が覚めた時はいつもとほとんど変わりはしなかった。
 見慣れた天井の模様。自分のベッドではないとは言っても自分の部屋。そうなればそこに違和感なんてありはしない。
 まぁ、目を開けた眼前に、覗き込むようなドアップの箒がいた事を除けば、本当に普通と呼べる物だった。
 その箒に関しても、古くからの幼なじみだし、IS学園の入学当初には同じ部屋で過ごしていた仲だったので、これもまた一応、日常の範囲内だと言えるだろう。
 ただ。その際、気が付いた事があるとすれば一つ。

 昨夜、ベッドに寝せた箒、そして布団を敷いて寝た俺とアイツ。この部屋に三人で眠ったはずなのに、今はアイツの姿が見当たらない。箒に聞いてみても「……そうだったのか?」と、逆に疑問を投げ掛けられる始末だ。
 そして、その事に関しては深く考えず、俺達より早く起きたんだろうなと軽く思いながら、リビングに顔を出したそんな時――そこに、それが広がっていた。

「……何やってんだ?」

 おはようの朝の挨拶より何より、先に湧いて出て来るのはこんな言葉。

「あら?おはようございます。一夏さん、箒さん」
「あ、ああ、おはよう」

 挨拶をくれたセシリアを筆頭に、三つの頭がこちらへと向いた。
 三つの頭。そこにいるのは三人。それはセシリア、鈴、ラウラの三人だ。
 三人は、首だけは寄越しても体勢は変えずにソファーを囲むように立っている。しかも、立っているだけではなく、ソファーを観察していた。

「いや、だから、何をやってるんだ?」
「それは――」
「――セシリア。実際に見た方が絶対早いわよ」
「……そうですわね」

 再度、尋ねてみると、口に人差し指を置いた『静かに』というジェスチャーで、ソファーに近付くように促される。

 ソファーがどうかしたのか?
 近付き歩きながら、そんな事しか思い浮かばない。昨日のあの騒ぎの中でも、ソファーは別に何ともなかったはずだ。
 食べカスなんてなかったし、ジュースや酒だって零れてはいなかったはず。
 それでも、もしジュースや酒が零れて染み込んでいたのなら、確かに落とすのは大変かもしれない。
 でも、それにしては、生暖かく何かを示しニヤニヤとしたセシリア達の表情は不相応だ。それに今も携帯のカメラを向けている理由にもならない。

「ほら、見てみなさいよ?」

 そうして、鈴の言葉を合図とするように、遂にソファーを見下ろす。

「ああ……なるほど」

 見て一目で、セシリア達のニヤニヤ笑顔も、携帯を取り出している事にも答えが弾み出た。自明の理。その光景には納得せざるを得ない。
 なので俺も携帯を取り出して、カメラのレンズにその姿を写していく。

 ――互いに寄り添って眠る二人。

 というか、なんかいないと思ったら、こんな所で。
 一つの毛布に二人が入って、身を寄せ合って寝ている。
 ったく、ここを誰の家だと思ってるのか。一応、遠慮とか自重とか人の目は気にしてほしいんだけど。確かに昨日、ちょっと焚き付けたというか、からかったのは俺だけど。
 まぁ、とりあえず、だ。……ごちそうさん。朝だというのに腹は一杯。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。

 そうやって、少し呆れた風味を否定できない溜め息を吐きながら、携帯の電子音を鳴らす。
 ほとんど同時に鳴り出す複数の電子音。見てみれば、このソファーの二人を覗いた全員がカメラを二人に向けていた。この写真を本人達に見せたら、どんな顔をするのやら。物証、証人はもう十分。言い逃れはさせないし出来ないしなぁ。
 ニヤニヤ。にやりにやり。
 電子音を響き渡らせては自然とこう悪戯めいた笑みが浮かんでくる。加えてさらに、おまけとして一つ悪戯めいた考えも。

「なぁ、相談なんだが――」

 暢気に寝息を聞かせる二名以外は俺の提案に頷いてくれた。
 提案、それは……いや、先に準備を済ませるか。
 考えるより先に、行動に移す。最近使っていなかったある物を取りに行く。

 確か階段周辺に……と物を探すその後ろでは、賛成多数の号令の元、ソファーの前のテーブルが動かされていた。
 それから、あまり時を置かずして、両手にそれぞれお目当てのモノを抱えていくと、ソファーの前にはスペースが生まれ、箒にセシリアに鈴にラウラがソファーの背後で既に待機している。
 しかし、ソファーの上は相も変わらず。というか、いつまで寝てるつもりなんだ?この二人。

 まぁ、それも、今からの事に関しては好都合だ。では早速と俺も準備に取り掛かる。
 右手のモノが持つ三本の足を伸ばし、ソファーの前にセット。さらにその上に左手のモノを取り付け、電源を入れ、位置も微調整。丁度、ソファーの二人が中心に来るようにして……。

 ――これで準備は万端。

「よし……良いよな?」

 そう尋ねてみれば、ソレのレンズが向くソファーの背後で四人の首が縦に揺れた。
 寝ている二人には有無を言わさない。言えるもんなら言ってみろ。

 少しの余裕を持たせ、タイマーをセット。
 俺もソファーの向こう側へと移動する。

 ――残り三十秒。

 声をどうするか、小さな会議を開催。
 普通で良いでしょ、別に、という鈴の意見を採用。よし、オーソドックスに行く。

 ――残り二十秒。

 あと少し。
 ここまで来たら成功させたい。こうなったら、その時まで二人が目覚めない事を願うばかりだ。

 ――残り十五秒。

 残り三秒で行くぞ、と呼び掛ける。
 ばらばらにやるよりも息を合わせと、仕掛けた方が効果的だ。
 効果は、よりあった方がきっと面白い。

 ――残り五秒。

 顔を見合わせ、俺を含め全員が息を大きく吸った。
 吸って一秒、止めて一秒。
 そして、時の残りは予定の三秒に変わり――。


 ――起きろーッ!!』

 何も知らず無防備な二人の耳元に、五人分の声を集中、炸裂させる。

「うわっ!?」
「ひゃう!?」

 すると即座に、身を寄せ合った形から抱き合うような形になりながら、身体を跳ね上がらせる二人。

「痛っ……!?」
「あうっ!?」

 その直後には御愁傷様、正直すまん。頭同士がぶつかり跳ね合い、体勢を密着させたまま二人は蹲っている。
 次第に何だと顔を上げていく二人。二つの頭がせわしなく動き始め周りから情報を得ようとしている。

 でも、頭が物理的に動き始めたと言っても、未だに正常とはいかないようだ。
 それも無理はない。起きてすぐでいきなりの状況。俺だっていきなりこんな風に驚かされたら、そりゃ慌てるだろう。

 まぁそれはそれとて?うん。それでは、さて。あっちはあっちでこっちはこっちだ。

 混乱中の二人には申し訳なく、零割零分一厘程少し思いつつも、時間が時間なので行くとしよう。
 夏休みの終わりが夏の終わりとイコールで結ばれないとは言え、これは夏の思い出としてはとびっきり機会だ。
 騒がしくも楽しげなとある日の記録記憶。まさに俺達にとって相応しい物だ。

 ――はい、ちーず。

 それを示す言葉。時が零となる一寸前、一言一応の一声掛け声。

 愉快な二人をさておいて、皆がソレ――デジタル一眼レフのソレに面と向かう。さぞや面白い物が撮れるだろう。
 そして、カシャリ。
 混乱する模様をもフレームに納めながら、俺達の抑え切れない笑顔にフラッシュが瞬いた。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
1.6754810810089