鹿目まどかは夢を見た。
まどかは見慣れた街にいた。
しかし、空には暗雲が立ち込めいつもと雰囲気が違っていた。
そこで黒髪の少女が戦っていた。
相手が何かは分からなかった。
そいつは大きな歯車を重ねたものから身体の上半身だけひねり出した姿をしていた。
下半身を歯車で覆ってあるようにも見えた。
絶望的な戦いであった。
それを呆然と見ていたまどかに声をかけるものがいた。
猫の耳のようなものからさらに耳を垂らしているように見えた。
その生き物はまどかに当然だと言う。
少女がそれを覚悟していることも。
しかし、夢の中のまどかはそれに納得できない。
さらにその生き物はまどかが契約すれば少女を助けられると言う。
まどかはその生き物に少女を助けたいと言う。
そこで目が覚めた――――――。
その少女は桃色の髪をしていた。
かわいらしいと形容するべき顔をしていた。少女特有の儚いという印象があった。
しかし、その中には逞しいというべきものがあった。それは少女の身体からあふれているようであった。
その2つが奇妙に調和していた。
いまは起きたばかりなので寝間着姿である。
その寝間着の中にあふれているものがあった。全身に筋肉がかなり付いていることが分かる。
袖から出ている手を見るとかなりごつごつしている。こぶしを作れば木の板を何枚も割れそうな手をしていた。
足も手と同様にあった。
まどかは目を覚ましてから先ほどの夢について考えていた。
本当にそこにいたかのようなはっきりとした夢だった。
過去にそういう場面に遭遇したかのようなリアリティがあった。
そして、夢の中の自分の行動についても釈然としないものがあった。
本当に自分ならそいつを見た瞬間に挑んでたと思う。
なら、そいつを見た瞬間にそのことを考えねばならないはずだ。
それすら思わなかった。
夢の中の自分が自分じゃない、と言えば嘘になる。
夢の中の自分は間違いなく自分であったと思う。
その奇妙な矛盾について考えていた。
しかし、しばらく考えても答えが出なかった。
あまり長い時間考えていられなかった。
トレーニングに行かねばならない時間であった。
朝の5時ごろである。早朝なので人はほとんどいない。
いつもはにぎやかな通りも静かなものである。
霧が出ているせいか別の町に来ているようにも感じる。
その中をピンクのジャージ姿でまどかが走っている。
すでに走り始めてから10分ほど経っている。
かなりの速さで走っている。
しかし、まどかの息は乱れず、汗さえ掻いていなかった。
町内を50分ほど走ってから近くの公園に向かった。
まずまどかは柔軟をする。
股関節から足首、手首、首など全身の関節をほぐしていく。
それが終わると100回の腕立て伏せを軽々とした。
しかも、こぶしでである。
その後まどかは逆立ちをした。両手の指10本で体を支えている状態である。
その状態で軽々とプッシュを10回する。
それが終わると両手の子指を抜き、その状態でさらに10回プッシュする。
10回のプッシュごとに指を順番に抜いていき、2本の親指で全体重を支えることになる。
その状態で10回のプッシュをしてもまだ逆立ちをやめない。
今度は片手になり、1本の親指で10回のプッシュをする。
それを両方の腕でした後にようやく逆立ちをやめた。
まどかの身体にうっすら汗が浮かんでいた。
このようなトレーニングを毎朝欠かさずしていた。
トレーニングを終えて家に帰ると、まどかは家庭菜園のほうをのぞいてみた。
そこでは父の智久がプチトマトを収穫していた。
「まどか、母さんを起こしてくれないか」
「うん、分かった」
これも日課であった。母の詢子は寝起きが悪く、誰かが起こしてやらねばならない。
詢子を起こした後2人そろって洗面所に行った。母子が並んで身支度をしている。
「それにしても毎朝よく続くもんだね」
「馴れれば辛くはないよ」
詢子は毎朝厳しいトレーニングをするまどかにこのように言う。
このやり取りは毎朝繰り返されている。
そのあとに友人がラブレターをもらっただの、先生が男と長い間もっているだのの話をするのである。
「まどかもおしゃれしてみなって」
「いや、私がおしゃれしたところで…」
「たくましい身体が好きな人もいる。ほらこのリボン付けてみな」
詢子に勧められてそのリボンを付けてみる。赤いリボンであった。
「うん似合うよ。まどかの隠れファンもメロメロだ」
「そうかな」
そうしている間に身支度は終わった。
リビングに向かうと朝食は用意されていた。
そう言った後にまどかと詢子とタツヤが食事を始めた。
タツヤはまどかの弟で幼稚園児である。
まどかの朝食は量が多い。丼ぶりにご飯が大盛りである。
まどかの使っている食器はすべて通常のものより一回りほど大きかった。
「んばあ」
と、タツヤが叫ぶ。フォークが勢い余ってプチトマトを皿の外に跳ばしていた。
「ッシュ」
まどか呼気をあげデコピンでプチトマトを皿の上に弾いた。
「お見事」
「お見事」
両親が思わず見惚れてしまう、鮮やかな動作であった。
一足先に食べ終わったまどかは詢子とハイタッチをする。
朝の儀式のようなものである。
それから玄関に向かう。
「行ってきます」
まどかは学校に向かった。
まどかが通学路を歩いていると2人の友達と会った。
「おはよう」
「おはよう、まどか」
「まどかさん、おはようございます」
美樹さやかと志筑仁美である。
美樹さやかは青い髪をした勝気な娘であり、まどかとは違う意味で健康的な肢体を持っていた。
しかし、さやかの勝気さ故に周囲にそれを意識させることはあまりない。
志筑仁美は緑の髪のおっとりとした娘で、見るからに柔らかな物腰をしている。
その容貌と相まってよくもてる。
2人ともまどかのクラスメイトであり、親友である。
「直接告白できる人じゃないとだめだってさ」
「さすがまどかの母さん、かっこいい」
「私もそのように割り切れればいいのですが」
仁美がラブレターをもらった話である。
「私にはあんまり関係ない話かな」
「まどかは身体を鍛えることに熱心すぎる」
「部活には入られないの?」
「うん、私は強くなりたいだけなんだ」
「いい加減それ以外のことに興味を持ったら?もったいないよ」
「もったいないだなんてそんな…」
まどかは恥ずかしそうに言う。
「うるさい。まどかは私の婿になるのだ」
「きゃあ」
そういってまどかにさやかが抱きついた。
「私が婿なの?」
「まどかは守られるより守るほうでしょ」
「あら、私もまどかさんのお嫁さんになりたいですわ」
「仁美ちゃんまで」
そんな事をしながら歩いていると学校が見えてきた。
「目玉焼きの半熟、完熟なんてどうでもいい」
ホームルームでは担任の早乙女和子が不機嫌そうに言った。
彼氏と喧嘩をしたらしい。
そういうことを優先して話す和子にはみんなもう慣れている。
「では、今日転校してくる転校生を紹介します。暁美さん」
「はい」
教室がざわめく。
転校生が来ることは珍しいからである。
黒髪の少女が教室に入ってきた。
髪はストレートで腰まで届き、どことなく精神が摩耗しているようにも見える。
それが気にならないほどの美人であった。
まどかはその少女が今朝の夢で見た子とそっくりだと思った。
「暁美ほむらです。よろしくおねがいします」
そう言ってほむらはまどかを見た。
最初は偶然目を合わせただけだと思ったが、そうではないらしい。
明らかにまどかを意識してるようであった。
「じゃあ暁美さんの席はあっちよ」
ほむらが席に向かうのを見ながら、まどかは過去にほむらに会ったことがあるのか考えた。
ホームルームの後、ほむらの周りに女子が集まっていた。
さまざまなことを質問している。
―――とほむらがまどかに向かってきた。
「気分が悪いの。保健委員でしょ?つれてってくれる保健室」
「分かった」
なぜまどかが保健委員であるとほむらが知っているのか。
―――と、まどかは思うがありがたいとも思った。
ほむらと2人きりで話してみたいと思っていたからだ。
まどかが保健室への道を歩き、ほむらがそのあとをついてきている。
「暁美さん」
「ほむらでいいわ」
「ほむらちゃんは私と会ったことがあるの?」
一瞬ほむらの顔に驚きの表情が浮かぶ。
それを隠すようにしてほむらが言った。
「あなたは家族や友達を大切にしている?自分の人生を尊いものだと思う?」
「…私は家族や友達を大切に思っている」
「ならあなたは今の鹿目まどかのままいなさい、でなければすべてを失うことになる」
「ごめん、それはできない」
ほむらの身体びくんと震えた。まどかの言ったことに驚いただけではない。
まどかの身体から放たれた圧力がほむらの身体を叩いたのだ。
「私は今のままではいられない」
「どうして……」
「もっと強くなりたいから」
「な…なにを言っているの」
「やっぱりおかしいかな」
ほむらが口をあけて茫然とまどかを見る。まどかが振り返った。
「大丈夫、私が強くなるのは失わないためだから」
凛とした表情でまどかが言う。自分の何かに自信を持っているような表情であった。
「なにそれ意味が分からない」
「本当に暁美さんと会ったことがないんですの?」
放課後、まどかは喫茶店にいた。
保健室に行く時のことをさやかと仁美に話していた。
「会ったのは今日が初めてだよ」
「けしからん。才色兼備の美人さんだと思ったら実はサイコな電波さん。
萌か、そこが萌なのか~~~」
「もう、なに言ってるのさやかちゃん」
「でもさすが私の婿、転校生にびしっと言ってやるとは」
「まどかさんって度胸ありますわね」
「あんなこと言っちゃって大丈夫だったかな」
あのあと保健室に着くまでまどかとほむらは一言も口をきけなかった。
それをまどかは気にしていた。
「気にする必要はないよ、向こうから言ってきたんだから」
「そうですわ、気にする必要はないですわよ…あらもうこんな時間」
「仁美ちゃん今日もおけいこごと?」
「ええ、毎日毎日おけいこで受験大丈夫かしら…それではお先に失礼しますわ」
「じゃあね仁美ちゃん」
「じゃあね仁美」
仁美が会計を済ませ急ぎ足で喫茶店から出ていく。
「じゃあ私たちも帰ろう」
「ちょっと待ってまどか。CD屋にちょっと寄って行かない」
「ちょっとだけならいいよ」
「ありがとう」
そう言ってまどかたちも喫茶店で会計を済ませ外に出た。
CD屋に着いてからは2人がそれぞれお目当ての曲を聴いていた。
まどかは午後に鍛錬を行うために1曲だけ聞いて帰るつもりであった。
曲が中盤に差し掛かったとき、まどかを呼ぶ声が頭の中に響いた。
「…助けて…まどか」
「え…なに?」
「まどか…助けて…早く」
「いま行くからね」
まどかは少し戸惑ったがすぐにその声の主を探すことに決めた。
近くの廃墟が怪しいと思った。なにか異様な雰囲気をそこから感じ取ったからである。
その廃墟の中に入ると産毛が逆立つのを感じた。
外から感じたものはほんの一端だったらしい。
「…あっちか」
建物の中は音がよく響く。
なにかが必死に駆けている音とそれを追いかける音がまどかの耳にはよく聞こえた。
なによりその音の方向から異様な雰囲気が流れてくるのを感じた。
まどかが走る。かなり速い。肉食獣のようなしなやかな走り方である。
しばらく走っていると夢の中で見たのとそっくりな白い生き物がいた。
駆け寄って近くでその生き物を見てみるとどうやら怪我をしているようであった。
「大丈夫、いま助けるからね」
そう言ってその生き物を抱いたまどかの背後に何者かが立っていた。
それにはっと気づいて振り返る。
「…ほむらちゃん!」
「鹿目まどか、邪魔しないで…そいつは置いて行きなさい」
まどかはほむらに言った。
「どうしてもこの子にひどいことするの?」
「あなたには関係のないことだわ」
どうやらこの謎の生き物を見逃す気はないらしい。
ならば、とまどかは自分のするべきことは一つしかないと思う。
ほむらに気づかれない程度に腰を落とした。
そのときほむらが煙につ包まれていた。
まどかの後を必死で追っていたさやかがようやく追いついたのだ。
そのさやかが消火器をほむらに向けていた。
「早くこっちよ」
さやかがそう言うが、すでにまどかは走っていた。
「え…ちょっとまどか…!」
まどかは器用に片手に謎の生き物を抱き、さやかを担いで走った。
まどかはそのほうが早いと思ったからである。実際、その状態でもかなりのスピードで走っている。
さやかは降ろして欲しいと言うがいまは逃げることが先決であり、さやかの願いが聞き入られることはなかった。
諦めたさやかがこの状況について聞こうとしたとき、さらなる異変が起こった。
周囲の風景が変わっていた。間違いなく今までいた廃墟とは違う。
暗くて不気味な光景であった。その中をなにかがうごめいてた。
ひげを付けた雲という奇怪な姿をしていた。
いつの間にかその雲の群れにまどかたちに迫っていた。
さやかがおびえた。雲たちが害意を持っていることは明らかだったからだ。
まどかは逃げようとしたが目の前が行き止まりになっていた。
まどかはさやかを近くの壁際に降ろし、怪我をしている生き物を抱かせた。
「絶対ここを動かないでね」
まどかがそう言った瞬間に、さやかはまどかが何をする気か分かった。
「そんな…いくらまどかでも無茶だよ」
「大丈夫、絶対に負けないから」
まどかが構えをとった。
両腕を上げ顔の前で軽くこぶしを軽く握る。両足はかかとを地面から浮かせていた。
ムエタイの構えに似ていた。
そのまどかから放たれているものがあった。
それが空間の異様な空気を侵食していった。
まどかの周囲がぐにゃりと歪んだ。
その雲たちがまどかに襲いかかった。
まず、まどかは薙ぐようにしてこぶしを放つ。それが何体もの雲を潰していった。それを何発も連続して放つ。
その足下目掛けて雲が跳んだ。
まどかは腰からひねり右足を跳ね上げる。
その蹴りはその雲のみならず、上半身を襲ってきた雲をも潰していた。
その跳ね上がった足でさらに薙ぐような蹴り技を連続して放つ。
まるで鞭のようにしなる蹴りであった。
雲たちが迫ってくるよりもまどかが潰すほうが早かった。
まどかの放つ異様なものが雲たちを磁石のようにひきつけた。
それが闘いの最中より強くなり、雲たちの引き寄せられる勢いがより強くなる。
それでもまどかは止まらない。
いつの間にか雲たちは消え、周囲はもとの廃墟に戻っていた。
人影が現れた。
「これはどういうことなのかしら」
黄色い髪をしている穏やかそうな少女であった。
縦ロールという特徴的な髪形をしているが、それがその少女には自然であるに思える。
胸が大きい。
先ほどの空間についてなにか知っている様子である。
まどかが聞いた。
「あなたは?」
「あら、あなたたちキュゥべえを助けてくれたの?ありがとう」
「キュゥべえって言うんですかこの子」
ほむらが後ろからやってきた。まどかはいつでもさやかを背負える体制を取る。
しかし、意外なことに所々まどかたちにはわからない内容の話を2人が交わすとほむらは引き下がった。
「ねえ、キュゥべえを治したいから、そこに置いてくれないかしら」
「治す?」
「ああ、そういえば言ってなかったわね」
そう言うと少女は黄色く光った石ころを取り出し、さやかに近づいた。
さやかは呆然とキュゥべえを抱きつづけていたが、それに構わずマミがキュゥベえに光を放つ。
それから放たれる光がキュゥベえを包み込むと傷が塞がっていく。
さやかとまどかは眼を丸くした。
「私の名前は巴マミ。見滝原中学校の3年生で魔法少女をやっているわ」
そう言った。