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[28115] (改題)あやし、あやかし 【オリジナル・MHF】(ダークヒーローもの)
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/15 11:10
 ポッケ村……いや、この世界よりはるかに東。人はそこを『東方』と呼ぶ。『侍』と呼ばれる人物が『刀』を常に持ち、その生涯を武士道に捧げる人々……と言われている。
 だが、実のところ東方の世界の人々のことは言い伝えが少ない。何しろ絶対数が少ないのだ。言語が通じない、我々では計り知れないほど文明が発達している、肩をぶつけたら即決闘……所説いろいろあるが、多くの学者はこう結論付けている。

 ――鎖国。すなわち、他国との交流を禁じている国、と――




 ***   ***   ***  




 ここは東方、白木の国。特産物とされる白木が多く産出されることから着いた名である。そして、美しいその白木をふんだんに使ったのが白木の国の象徴、白木城しらきじょう。その純真無垢な白はまるで祝いの席に着る純白の振袖――故に、同じ発音で『白姫城』とも呼ばれている。



《白木城――城下町》


「「「「『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!!」」」」

 稽古場から威勢のいい声が響く。床に敷き詰められた畳、綿素材でできた胴着を付けた人々が掛け声と共に木刀を振るっている。飛び散る汗がきらきらと輝き、太陽の光にあたって光の粒となってあたりに舞う。城下の真ん中に位置したこの道場は信楽十三(しがらきじゅうぞう)師範代が建てた道場であり、多くの門下生で賑わっている。

「やめいッ!!」

 十三師範代の声が辺りを揺らす。今年で四十だというのに、その迫力は全く衰えることが無い。胴着を着ていてもわかる筋骨隆々なその体。黒の袴をはいているのは足捌きを相手に見られないため。数多の戦場を渡り歩いてきたその肉体は老いてもなお、健在である。豪胆な性格、決して屈しないその心はまさに武士道の体現者。百戦の戦に出て不敗。かつて『鬼の十三』と呼ばれ、各地の大名から恐れられた武人も今はその刀を納め、こうして弟子の育成に取り組んでいる。それを象徴するかのように道場の中心に据えられているのはかつて戦場をともに駆けた相棒である巨大な薙刀、名を『鬼薙刀』。嘘か真か、かつて暴虐の限りを尽くしていた鬼を打ち倒したお礼としてもらった宝刀だとも、実際に鬼を切り倒したとも言われるそんな逸話すら残る薙刀である。まさに生きる伝説。そんな彼を師と仰ぎ、入門するものも多くない。その豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格は地元でも評判であり、『先生』の愛称で老若男女から慕われている。『常在戦場』は彼の座右の銘であり、この道場の合言葉でもある。


「「「「はい!!!」」」

「『常在戦場』、生きること、これすなわち戦いなり。『我、常に戦場に在り』。常日頃から戦いの場に身を投じていることを忘れるな!! 三度唱和!!」

「「「「『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!! 『常、在、戦、場』ッ!!」」」」

「今日の稽古はこれまでとする!!」

「「「「ありがとうございました!!!」」」」

 門下生が解散し、道場を一人、また一人と門下生が出て行く。一人の少女が道場を出た後、外の塀をぐるりと回り、てくてくと歩いてゆく。そこには、白く塗られた塀にもたれかかった一人の少女がいた。仏頂面の彼女は髪も手入れをしていないのか、ボサボサでありところどころにフケがついている。前髪は表情を隠すように瞳を完全に覆い隠し、後ろは腰まで垂れ下がる程伸び切っている。背丈は四尺三寸(約130cm)ほどだろうか。

「姉さま……」

 そう彼女がつぶやくと、ぼさぼさの髪の少女はピクリとも動くことなく、淡々と言葉を吐き出す。

「『アヤ』――終わったのね。」

「ええ。また、待っててくれたんですか?」

 しばらく押し黙った彼女だったが、ややあって口を開く。

「……違うわ。足元に綺麗な花が咲いていたから、それを踏み潰さないように守っていただけよ」

「ふふ……ねえさまは相変わらずお優しいのですね……」

「優しくなんかないわ。私は冷酷よ……」

「ご自分で冷酷というのもどうかと思いますけど……」


 そう問いかけ、仏頂面に答える対称的な二人の姉妹。だが、対称的なのは性格だけではない。溌剌(はつらつ)とした元気の良い彼女はその容姿も活発で明るい。黒曜石のような黒い瞳に同じく黒い髪をうなじのあたりで結っている。

 仏頂面で感情を表に出さず、滅多に口を開かない。だが、その奥に優しさを秘めた少女。名を『鈴原 妖(あや)』
 溌剌としたその容姿とその明るい性格で多くのものから慕われる心優しき少女。名を『鈴原 彩(あや)』

 全く同じ名を持つ二人だが、表面上の性格は恐ろしいほど正反対である。姉は妹のことを『アヤ』と。妹は姉のことを『ねえさま』と。物心ついたときはお互いを区別するときにそう呼ぶことが習慣になっていた。




 ***   ***   ***  




 私は物心ついたころから世間の人間に疎まれていた。なぜだかは分からない。ただひとつ分かることは――私は、この世界に必要とされていない、ということだけだ。

「ねえさま……どうかしました??」

 帰りの散歩道。『アヤ』と二人で夕暮れの茜空を見ながら歩くのが習慣となっていた。だが、私が帰るのは家ではない。

「……『アヤ』。あなたは先に帰りなさい。わたしは寄り道して、あとで『家』に戻るわ」

「……はい」

 そういうと、『アヤ』は悲しそうな顔をする。なぜねえさまだけが、という顔。それはよく分かっている。だが、大切なのはそこではない。『私が疎まれている』ことが問題なのだ。そのことで『アヤ』が傷つきでもしたら――私も傷つくことになるからだ。だから、『アヤ』は先に帰らせる。

「……お夕飯、あとで届けますからね」

 そういうと、一人だけ彼女は歩いていった。それを見送ると、私は横道にそれていく。家と家の隙間は光が差し込まず、そこだけ深い闇を形成している。前髪を垂らしているので周りの風景は髪の毛を通してしか判断できないが、別に困ることはない。ものが見れれば、それでいいのだから――

 周りには多くの人間が歩いている。私の身長はそれほど高くない。ここでは私のようにフケだらけで襤褸切れだけの子供もそう……珍しくはない。だから、この横道に私が入り込むのも……それほど難しいことではない。テクテクテク、と土を蹴る音だけが私の耳を揺さぶる。周りの雑踏や人々の声などには興味がない。そちらに意識を向ければ、いつもの『アレ』が待っているから。


 ――ほら、またあの子よ……

 ――まったく、薄気味悪いわね……

 ――実はね……妖怪が人間に化けているらしい……って噂を聞いたことあるわ……


 ほらやっぱり。私のことだ。珍しくはない人間のはずなのに、なぜだか私だけ『区別』される。私だけが。


 ――やーいやーい、もののけ~~

 ――ばけもの~~

 ――汚ねぇんだよ!! あっちいけよ!!

 これもお決まりだ。子供は無邪気だ。大人というものをよく観察している。大人が私を区別する。だから子供も区別する。しかし、子供は善悪の判断が出来ない。だから……

 ――いくぞ~、『おにたいじ』だ~!!!

 石を投げつけられ、追い回される。追いつけば殴られる。だからいつものように逃げるのだ。こんなことが毎日続けはイヤでも体力はついてくる。そこらの子供よりもずっと足は速いし、体力もある。目標のもの(食料)を確保すると、そのまま一目散に駆け抜ける。横道の横道を使い、人一人が通れるところの通路だけを選んで走る。たとえ目の前が真っ暗でも関係ない。この裏道は私の庭のようなものだ。たとえ暗闇の中でも、私には手に取るように分かる。

 人の足音を音で聞く。
 人の匂いを鼻で嗅ぐ。
 人のいない道を眼で見る。
 自分の呼吸を口で味わう。
 賭ける足に伝わる感触と歩数で把握する。

 人間に備わっている聴覚、嗅覚、視覚、味覚、触覚。五感の特徴を活かし、私は駆け抜ける。そして――

 (――人の気配が途切れた。こっちの道をを使うか)

 あらゆる気配を『感じる』第六感。私はあまり視覚に頼らない。空気を、人を、モノを、『感じる』ことで行動している。直感はいつだって正しい。

 そして今日も……無事に家に帰ることが出来た。私にとっては家と呼ぶに相応しいものだが、『アヤ』にとってみれば“物置”という場所だそうだ。だがそんなことはどうでもいい。寝食が出来、雨露をしのげる場所が『家』というものだ。今日は汗もかいていない。雨も降っていない。雨が降っていたら大変だ。地面はぬかるみ、体は濡れる。ついでに家も濡れる。農家では『恵みの雨』ともいうようだが、私にとっては恵みどころか不幸の象徴だ。戸をガラリとあけて、すぐに閉める。木を組み合わせて屋根をつけただけの簡素な物置。もちろん、人間は私だけ。ここは本当に物置として使われている。私は人間として扱われたことなど一度もない。『飼う』といわれたことはある。つまりは犬猫と同じ扱い――『獣』ということだ。

 ――ただ、若干一名。私を『人間』として平等に扱う人がいる。

「……おかえりなさいませ」

 『アヤ』だ。なぜかこの子は私と違って疎まれない。最初はその理不尽さに何度も抵抗を考えたが、その内止めた。何をどうしようが私の扱いが『アヤ』のそれと同じになることはなかった。『アヤ』の両親は『アヤ』にとても優しい。はたからみればとても良い家族だろう。――私、という異端を除けばだが。

「……ただいま」

 一応、挨拶だけはしておく。『アヤ』はこうみえて人気がある。毎日道場での稽古を『聞いて』いるからよくわかる。彼女の明るい人望は人を惹きつけてやまない魅力がある。無論、私もその一人である。この世界で唯一、私を人間として扱ってくれる存在。稀有だと突き放すのは簡単だ。だが、彼女は以外にも頑固だった。自分がこう、と決めたらテコでも動かない。可愛いようにみえて、意志がやたらと強いのだ。やはりあの『先生』の存在が大きいのか、本人の性格か。

「夕飯をお持ちしました」

 これもいつもの会話。 

 ――以前、こうやって訪れた彼女に「夕飯なんていらない」と拒否したら笑顔でこう切り替えされた。

「だったら、おねえさまが食べ終わるまで私はこの部屋を出ません。私はあなたの妹ですから」

 そういうや否や、彼女は地べたに正座をして恭しくお椀を差し出した。私は食べる気など端からなかった。どうせただの強がりだ、と私は高をくくっていたからだ。だが、彼女は待ち続けた。一時間、二時間……彼女は身じろぎ一つせず、動かなかった。私が逆に根負けしてお椀に手をつけるそのときまで。後で理由を問いただしたら、彼女は「鈴原家の家訓ですから、それにただ従っただけのことです」、とそう応えた。私は家訓など知らなかった。だから質問してみた。これが、私が自発的に質問した初めての会話だった。『アヤ』はとても嬉しかったのだろう。まるで歌うように自分の家の家訓を教えてくれた。


 ――疾(はや)きこと【風】の如く――

 ――徐(しず)かなること【林】の如く――

 ――侵(おか)し掠(かす)めること【火】の如く――

 ――動かざること【山】の如し――


 その四文字をとって、『風林火山』という――それが鈴原家の家訓だと、『アヤ』は語っていた。家には風林火山の象徴として『蒼紅一対剣』なる宝剣が床の間に飾ってあるらしい。(らしい、というのは私は家に入った記憶がないからだ)

「動かざること【山】の如し、ですよ。お姉さま」

 私はその意味がいまいちわからなかった。最初の三つは理解できる。風のように速く、林のように静かに、火が燃え盛るように熱く。だが、なぜ最後に『山のように動くな』というのか。動きを止めれば死んでしまうではないか。

「……わたしには、よくわからないわ」

「……だいじょうぶです、わたしも分かりませんから」

「……あっそ」

「ええ、でも今日は一つだけ家訓を守れました」

 両親は『アヤ』がこの場所に来ることを良く思っていない。だから『アヤ』は勝手に家を抜け出し、この物置に自分の夕飯を隠して持ってきているのだ。

「…………それはいいのだけど。両親に感ずかれてない??」

「…………あ。」

 訂正しよう。『アヤ』は意志が強く頑固だ。しかし、意外と向こう見ずでどこかが抜けている。

 ――まぁとにかく、夕飯は必ず食べるようになった。 



「ご馳走様」

「お粗末さまでした」

「……って『アヤ』が作ったわけじゃないでしょ」

「ええ、そうですよ」

「じゃぁ、用が済んだらさっさと帰りなさい。罰を受けるわよ」

「はいはい……」

 ぶっきらぼうにそう答えるも、『アヤ』はただ苦笑するだけだ。私はいつものように立てかけてあったゴザをしくと、ゴロリと横になって目を閉じる。あちこちに物が置いてある(とは言っても猫車や錆びた鍬、壊れたツルハシなどそれほど多くのものは置いてはいない)が、足を少し折りたたんで横になるくらいの空間はある。ゴザをしかなければ体がじかに土に触れる。この物置には床が無いからだ。ゴザが物置にあったのは運が良かったといえる。これは合図。もう会話はしないから早く出て行けという無言の回答。『アヤ』はそれをみると素早く立ち上がり、自分の家へと戻ってゆく。武家屋敷ではない、どこにでもあるような百姓が住む家と同じ作りである。物置はその家から丁度真後ろの位置にあたる。直に接してはいないが、真後ろということと、簡素な作りだからよく音が漏れるのだ。

 ――家族の談笑する声が。

 父と、母と、『アヤ』。一家団欒の食卓風景。今日は何があった、とか、先生の稽古の様子とか、今日の料理は何がおいしいか、とか、そんなごく普通の、たわいの無い話。そこに私は居ない。ただ……それを聞くのがイヤだから、私は目を閉じて意識を落とす。また明日も、明後日も、明々後日も、同じ日々が続くのだから。無駄な体力を使うことも無い。ただ、毎日が繰り返される。

 ――くるくる、くるくると。




 ***   ***  ***  



 
 鈴原家は白木の国の中でも少し異質な経歴を持つ家系だ。普段は商売人としてさまざまなものを卸して販売する「よろず屋」のような仕事をしているが、それは表の顔だ。鈴原家の裏の顔は「暗殺業」。影で踊り、大名の敵となる人物や組織を人知れず排除する。それが鈴原家本来の生業なりわいだ。『鈴』の家紋はその一族代々伝わる伝統の家紋である。それを継承するということは大名に生涯の忠誠を近い、邪魔者を排除する任につく。十五になって元服し、一人前の大人としてみなされた時に継承をすませ、暗殺者としての道を進むことになるのだ。

 そして、継承者は代々女性が受け継ぐものとされている。男尊女卑の傾向が強い東方の国では女性が長を務めることは非常に珍しい。だが、鈴原家は常に女性が頭首を務める。それはなぜか――『女』だからだ。男と違って生命を宿すことが出来るのは女性しかいない。世の中の男は常に女性を常に卑しい目で見る。その弱みに付け込み、色香で惑わせたり、愛人として近づいたり、遊郭などで己の体を売ることもある。艶事などをつかって既成事実を作ってしまえばかなりの情報を引き出すことも可能だ。鈴原家では嫁に行かず、婿を迎えいれて血を残すのが慣例となっている。この世界では政略結婚が大半だが、鈴原家はそのしきたりはない。自由に恋愛し、自分が見初めた男性と結婚する――それは自分の観察眼を鍛える面も含まれている。

 白木の国では子を墜とすことは罪として問われない。しかし、男性はそうもいかない。世間体があるからだ。東方の国で世間体を失った人間の末路は悲惨だ。だから必死に守ろうとする。そういった文化を熟知しているからこそ、鈴原家は大名のお気に入りとしてこれまで何不自由なく過ごすことが出来た。

 ――現頭首である『鈴原 樹(いつき)』が双子の子を身篭らなければ。

 鈴原家の掟の一つに『継承者は一子相伝』というものがある。二人のうち、一人しか継承することは許されない。本来ならば生まれた瞬間、片方の命は間引かれてこの世から消える。しかし、樹はその選択を取らなかった――というよりある人物の進言によって取れなかったのだ。苦渋の決断の末、どちらがより継承者に値するか、樹はその場で掟を作った。赤子である二人が継承に値するかどうかは頭首権限で決められる。そして、樹の下した決断はこうだった。

 ――赤子が泣き止み、再び泣き出すまでにより多くの時間がかかった子供を継承者とする。

 結果、彼女達二人の運命は、生まれた瞬間から試されていた。そしてその試練に受かったのが『鈴原 彩』。妖の双子の妹である。樹は姉妹の順序などは物事の優劣に値しないと考えていた。年功序列の文化が根強い東方では、常に『先に生まれた』人間を尊重する傾向にある。だが、異端である鈴原家はその考えを真っ向から否定した。使える人間は活かし、使えない人間は潰す。これは大名も口出しできない鈴原家だけの掟である。樹の考えはそのまま教育方針に反映される。片方は愛情を注ぎ、もう片方は『家畜』としてしか扱わない。



《白木城・天守閣――大天守》



 大天守。天守閣の中でも最も上位の部屋であり、通常は大名や皇族の者しか立ち入ることを許されない領域。六畳間の小さな小部屋だが、この部屋では白木の国のまつりごとを左右する大きな意思決定の場でもある。 だが、唯一平民でありながら大天守へ呼ばれる人間が二人いる。鈴原家正当継承者である鈴原樹、そして『鬼の十三』こと信楽十三だ。行灯に隠れた蝋燭の明かりだけが部屋を仄かに照らし、どこか荘厳な雰囲気すら漂わせている。

「今年も大名の下で御前試合が行われるそうですね」

「十三、今年の鈴原の様子はどうじゃ?」

「はっ。恐れながら申し上げます。鈴原彩の実力は相当な域におりまする。すでに子供では手に負えぬほどの腕前。彩には常に大人と戦わせ、『常在戦場』の名の下に鍛錬を積んでおります。真、末恐ろしい女子おなごにございます。どこまで成長するやらこの十三、全く先が読めませぬ」

「……ありがたきお言葉。『先生』にお褒めの言葉を頂き、恐悦至極にございます。彩もきっと喜ぶことでしょう」

「ほほう……十三にここまで言わせるとは、樹の娘も大した実力のようじゃの」

 現に彩は素晴らしい成長を見せている。何しろ『鬼の十三』の異名をとる信楽十三からも一目置かれる存在だ。母としてこの決断は間違っていなかったと確信できる。

「ことに樹。すでにあの娘には『教えて』いるのかね?」

「ええ……教えています。まるで真綿が水を吸い込むが如く、私の言ったことをすぐに体得する。まさに天恵の授かり者ですわ。すでに鉄弦を使った暗殺術も会得しております」

「なんと!? わずかとおの少女がそこまでの技術を!?」

「艶事や色香はまだ早いですが、素養は十分に見受けられるものとお察ししますわ」

 それはつまり、暗殺者としての第一歩を踏み出したということだ。十五の元服の前にこれだけの技術を会得できた人間は鈴原家の過去を紐解いてもほとんどいない。

「……鉄弦か。」

 十三が苦苦そうに呟く。そう思うのも無理は無い。彼もまた、鉄弦の恐ろしさを体に刻み込まれた人物である。

 『鉄弦』――鉄糸(てっし)とも呼ばれる暗器の一種である。通常は釣り糸など、光に透過されやすい物質を使うのが一般的だが、鈴原家では代々鉄をこよりのように細くより合わせ、糸のように加工した特殊な鉄糸を使う。まるで『弦』のようにしなやかに伸びることがその名の由来だ。鉄弦は相手に金属製の糸を巻きつけ、その圧力で相手の肉を切り裂く暗殺道具である。手首、首筋を狙えば血管が切り裂かれ、あっという間に死に至る。日中ではよく目立つ鉛色にびいろも、闇の中では目立たない。鈴原家が最も得意とし、多くの大名に恐れられているのがこの鉄弦を使った暗殺だ。釣り糸なら懐の小刀で簡単に切断できる。しかし、鉄弦では困難だ。金属製であることに加え、『弦』のようにしなやかに伸びる糸は力を分散させ、刃による切断は困難を極める。

 また鉄弦は鈴原家代々の暗器であり、鈴原家以外の人間は触れることすら出来ない。闇に紛れ、人知れず命を奪う武器の代名詞。生産方法は一切不明。鈴原家の頭首とその継承者のみが扱うことが出来る武器である。これまでどれだけの人間がこの鉄弦で切り裂かれたことか。相手は自分が鉄弦に巻きつけたことすらわからない。気づいたときには既に遅し、四肢を封じられ、生殺与奪の権利は鈴原の名を持つ人間に奪われる。かつて十三も鉄弦に散々苦しめられた。闇に完全に溶け込んだ弦は見極めることはほぼ不可能。圧力がかかった瞬間の音を聞き、素早く切断することでかろうじて生き抜いてきた。急所こそ外れたものの、十三の体には幾度も鉄弦で体を切り裂かれた傷跡が残っている。傷は癒えても、暗殺される恐怖は時間が経っても決して消えることはない。

「なら決まりですわね。今年の頂点は我が鈴原家が頂きます。鉄弦などなくとも充分に戦えるでしょう」

 鈴原家は強い。そして樹の娘である彩もその片鱗を覗かせている。あの年にしてすでに鉄弦を体得しているというのだから驚きだ。一歩間違えば自分自身すら切り裂いてしまう危険な武器だというのに、彼女の体には傷跡一つ見たことがない。影で練習しているのか、それとも天恵のなせる業か。脅威ではあるが、自分の愛弟子が成長するのはなによりの楽しみでもある。それは大名も同じだったようだ。

「ほほぉ、それは楽しみじゃの。御前試合は諸国からも多くの大名や武士が訪れるからの。そこで白木の国の力を十二分に見せ付ければ、そう簡単に手出しは出来まいて」

「承知仕りました。鈴原の名において、白木の国に泥を塗る真似はいたしませぬ。必ず勝利を我が主君に捧げましょう」

「頼むぞ……鈴原の名に恥じぬ戦いを期待しておるからの」

「承知」

「ふっ……そこまでの自信があるのであれば、崩したくなるのが侍というものよ」

 十三がくつくつと笑いながら皮肉めいた台詞を吐く。冗談なのか――本気なのか、どちらともとれるような言い方だ。だが、相手もそんなことを言われて黙っているような性分ではない。

「あら先生、冗談は酒宴の席でなさって下さらない? これは他国に我々の強さを知らしめるための大事な試合ですのよ? それに、彩と先生では部門が違いますわ」

「そんなことは百も承知だ。だが、強い相手を間近で眺めながら仕合の一つでもできないとあっては蛇の生殺しと変わらぬわ」

「あらあら……先生は手合わせしないのでございますか?」

「大事な鈴原の娘に怪我をさせたとあっては樹殿に示しがつかないではないか」

 嘘か、真か。報復を恐れているのか、文字通り、鈴原家のことを考えているのか。その真意は決して表に出そうとしない。十三もまた百戦錬磨の侍だ。

「ならこういうのはどうじゃ? 今回の親善試合、子供の部の優勝者には特別に信楽十三との仕合を命じさせるという条件はどうであろ??」

「おお、それは誠でございまするか!?」

「十三には白木の国として多大な貢献をいたしておる。こういった褒美なら文句はないであろ、十三」

「もったいなきお言葉。この老骨、久々に血が滾って参りましたわ」

「ふふ……大名様も随分と粋な計らいをお考えになるのですね。私もその案には賛成ですわ。我が子の成長をこの眼でみるいい機会でしょう。その時は手加減無用でお願いしますわ。先生と仕合える技量を持つ童子は鈴原家正当継承者、鈴原彩に置いて他にはいない」

「それは楽しみだ。久しぶりに薙刀が持てるとあっては儂も怠けてはおれんな……」

「伝家の宝刀、『鬼薙刀』を? ふふ……先生も意外と初心うぶな部分があるのですね」

「樹殿……からかわないで頂きたい。『手加減無用』といったのはそちらだ。ならば儂とて同じことよ。戦場に大人も子供も関係ない。『常在戦場』、強きものだけが生き残るのがこの世界の摂理だ」

「それには賛同しますわ。ただ、それが正々堂々に行われるか、搦め手を使うか……違いはそこにしかないのですから」

 そういいながら思わず笑いあう二人。……と、十三はふと何かを思い出したように真剣な顔になると佇まいを直し、樹と正面から向かい合う。

「……時に樹。」

「……なにかしら?」

 樹も十三の変化に何かを感づいたのか、先程までの笑顔を消し、無表情な顔を作って低い声でそれに応える。

「貴殿にはもう一人の娘がいたはず。あちらはどうしている??」

 その言葉を聞いた瞬間、樹の目から光が消えた。そほどその事に触れられるのが嫌なのか、淡々と言葉を吐き出す。

「……あのような『家畜』、生きていてなんの価値がありましょう。『先生』のご意向により私は手を下していませんが、その気になれば何時でも殺せます。なぜ生かすのですか?」

「必要だからだ。」

「必要? お言葉ですが先生、“なにが”必要なのですか? 鈴原の名を汚すだけの哀れな存在に私は何の価値も見出せませぬ。赤子のときに定められた我が鈴原の掟に唯一物言いをしたのは他でもない、十三先生でしょう。あの時は私もまだ継承してさほど間がなく、従うより他に方法がなかった――だが今は違う。鈴原の正当なる継承者である彩がいる以上、あの者は既に用済み。ならば伝承を漏らさぬよう、口封じをするのが上策かと思いますが?」

「……成程、樹の言い分も最もだ。ではこういうのは如何かな? 樹殿、貴殿はあの娘を『家畜』で『無価値』だと言った。餌付けをするだけの存在なら、すでに鈴原家には不要。なら、儂があの娘の体躯と命の全てを貰い受けるとしよう。貴殿には不必要、儂には必要。どちらにとっても不利益な話ではないと思うのだが、どうかね?」

「貴様!! こちらが下手に出ればべらべらと都合の良いことを!! 鈴原の名に泥を塗るあの愚かな物の怪をあまつさえ放置するか!! 災厄しか生まないあの忌み子はこの世から消え去るべきだ!! 先生……今やあなたは鈴原よりも格下の存在。私があの存在をどのように扱おうが私の自由。貴様に指図されるいわれはない!!」

 余程十三の言葉が癇に障ったのか、それまで余裕だった笑みを崩し、激昂して机をバン! と叩きつける。ただの余所者に口出しをした挙句、今度は取引を持ちかけてきた。樹はそれが気に食わない。

「そうだ。儂はすでに鈴原に物言いできる立場でなくなった。だからあの娘をこの世から消し、『物の怪』に仕立て上げるのだよ」

「……なっ!?」

 樹が思わず絶句する。自分では意識していなかった言葉だったが、十三の言い放った今の言葉に心臓を鷲掴みにされた気分になった。『物の怪に仕立て上げる』、なんとおぞましい言葉か。樹は一度も妖のことを名前で呼んだことはない。『物の怪』『忌み子』『家畜』など貶める言葉は散々吐いてきたが、『仕立て上げる』と言われてゾッっとした。妖怪、怪異などの話はごまんとあるが、そんな恐ろしいものを自分達で作る、と言ったのだ。目の前の男は。

「貴殿はあの娘を『人』として見ていない。故にあの娘には愛情がない。愛情をなくし、心をなくした人はただの人形。こちらの命令をただ実行するだけの傀儡(くぐつ)。儂はそれが欲しい。人が心を無くすためにはいくつかの条件が必要だ。一つ、環境。二つ、孤独。そして三つ――裏切り。すでに樹殿はあの娘に孤独を強いる環境を与えている。歳月がたてばいずれあやつの心は砕ける。だが儂は、あやつの心がある一線で止まっているとしか思えない。それは『人』である為の一線。傀儡になる寸前であの娘はひたすら耐えている。それが儂には面白くない。故に儂はこの御前試合を利用して、最後の一線を越えさせてあやつの心を『獣』へと堕とす。同じ読み方でもあちらは『妖』と書くそうだな? ならば儂らで仕立て上げようではないか……本物の『あやかし』を。己の手足となる人形がいれば、汚れ仕事は全て『妖』の名を持つ物の怪が背負ってくれる。そして、物の怪は人を殺めても罪に問われない。物の怪に殺されたものはこぞってこう言うのだよ――『神隠し』とな」

「――『神隠し』。成程、あの娘を傀儡にし、都合の悪い人間を『神隠し』させる。諸国は『神隠し』されることを恐れ、我々の外交条件に都合の良い言い分を突きつけてくる。結果、白木の国は栄え、ますます門下生が増える。貴様の老後も安心、そして己の技術も継承させようというわけか……喰えぬ『狸』め」

 『信楽焼きの狸』は伝統工芸品として有名だ。本人も小さい頃それで散々からかわれてきたからよく知っている。だが、からかった相手は皆、自分よりも格下の存在だ。弱者の言うことになど耳を貸すつもりもない。……目の前の人間を除いては。

「『狸』――成程、上手いことを言う。だが、『家畜』とて存在価値はある。儂は己の手を汚す真似はしたくない。儂は前々から己の手足となって動く人形が欲しかった。だから鈴原家に双子が生まれたとき、儂はこうなるのを承知で貴殿に進言した。そこで権力が落ちようと儂にとっては瑣末なこと。大事なのは、どうやって今の環境を維持するかだ。『常在戦場』、常にこの世は戦だ。その為には綺麗事だけでは片付かない。戦場に出れば謀反や寝返り、暗殺など常に疑心暗鬼だ。その点において、信頼とは何よりも変えがたいもの。それは時として戦局すら覆すことを儂はよく知っている。兵が陣を敷くにあたって信頼できない武将に誰が命を好き好んで預ける? 『信頼』できるからこそ、兵は命を託すのだ。……それはそちらとて同じだろう、樹。貴殿は暗殺という汚れ仕事を引き受けるかわりに大名から全幅の信頼を受けている。それは儂にも断ち切ることは出来まい……だが、誰も好き好んで汚れ役を演じる必要はない。いつだってそういう役は誰かが裏で“糸を引き”、傀儡として利用する。利用価値がなくなれば舞台から引き摺り下ろし、人知れず消えてゆく。――いや、既に人ではないから『神隠し』にあった、といえばそれだけの事よ」

「……そこまで仰るのなら、既に『策』はあるんでしょうねぇ、先生?」

 樹は十三の考えにみるみる引き込まれていった。それぐらい残酷で、妖しく、魅力的な提案。『家畜』としての存在価値など無くとも『傀儡』として捉えるならばそれは『駒』。己の判断で動かず、こちらの命令のみ従う人形は実に都合がいい。用が無くなれば闇に葬るのは鈴原家の十八番だ。まるで甘露のように愉快で、滑稽な話だった。大名の前では少々刺激的なことだが、鈴原の掟を知らない人間には今の話の真意を汲み取ることなど不可能だろう。よって、十三がこの場で提案したことも実に賢い――いや、狡猾というべきか。

「勿論。言われるまでもないわ。儂を誰だと思うておる? 儂は『鬼』ぞ。人を殺めるのに情けなど不要。だが、この策には『信頼』が必要だ。信頼を培うには『時間』がいる。その為にはどうしても欠かせない人物がおる」

 ――だから、気づかなかった。十三の『策』の巧妙さは、自分が思っていたよりも遥かに複雑で、慎重で、綿密だったことに。既に十三の策は始まっていたのだ。

「それは、一体……?」

「お主の可愛い娘にして儂の愛弟子――鈴原彩だ。そして、この『策』は今より五年後、鈴原彩の継承の儀とともに完成する。それまで精々、『妖』に生を謳歌させておけ。『彩』が何をしようと、今までのように軽く牽制するだけでいい――大事なのは、悟られないことだ。儂が言うのもなんだが、小娘といっても既に鉄弦すら扱える技量に達しておる。だがそれよりも恐ろしいのは『直感力』。愛弟子の勘の鋭さを甘く見ないことだ。あやつは常に『姉』に気を配っている。僅かでも樹がその態度を変えようものなら必ず疑うぞ? 鈴原家の家訓、『風林火山』の意味を完璧に理解している。言葉では分かってないが、直感的に理解しているのだ。あの娘の恐ろしいところはそこにある。【風】のように近づき、【林】のように静かに伺い、【火】のごとく攻め、一旦疑ったら【山】のように動かない。必ず貴様がボロを出すまであやつは【山】となって待ち続けるぞ? それがどれほど恐ろしいか、分からぬ貴殿ではなかろう?」

「…………!!」

 十三の警告に寒気すら覚える。鈴原家の家訓を『完璧』に理解したというその事実、今の言い回し――間違いない。それは奴の眼が何よりの証明だ。鷹のように鋭く獰猛な瞳。間違いなく、本気だ。本気で私に警告している。母だからこそ油断が生じる――その甘さが命取りだ、といいたいのだ。この男は。修羅場の経験なら樹も決して負けはしない。だが、『常在戦場』として堂々と敵を倒してきた『鬼の十三』の一言はその重みが違う。

 (……『鬼の十三』にここまで言わせるか……我が子ながら大したものだわ)

 双子のあずかり知らぬところで『御前試合』の名とともに様々な思惑が渦巻く。

 ――大名はその試合を利用して近隣諸国との外交関係の取引に使う。
 ――樹は存在価値の無い『家畜』を排除するために自ら我が子を泳がせる。
 ――十三は彩を指導する傍ら、策の完成の為に時を待つ。

 三者三様の想いが交差し――螺旋の如く絡み合い、廻る。くるくる、くるくると――



[28115] 序ノ壱 ~御前試合~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/15 11:09
《五年後――》


 大天守での密談、あれから五年――白木の国は発展の一途を辿っていた。大名が座興で提案した『鬼の十三』との手合わせが強い者と戦う武士道精神に火をつけ、毎年開催される御前試合が急激に賑わったためだ。白木の国の象徴である白木城も正式に『白姫城』と名を改め、御前試合は一年においてもっとも盛り上がる祭典となった。

 ――ある者は、己の強さを図るため。
 ――またある者は、己の国の強さを諸国に見せ付けるため。
 ――またある者は、『鬼の十三』と仕合うため。 
 ――またある者は、自ら育て上げた刺客を放ち、この騒ぎに乗じて邪魔者を排除するため。

 武士としては己の力量を測る絶好の機会であり、大名としてはこの祭典を通じて他国に強さを見せ、より都合のいい条件で外交を行いたいという思惑。 表向きは明るくとも、その中身は狡猾な大人たちが繰り広げる腹の探りあい――心理戦だ。武で語るか、口で語るか。どちらにしても、『仕合』には変わりない。

 この五年は白木の国が常に優勝をおさめている。『鈴原彩 対 信楽十三』はもはや恒例行事となりつつあるくらいにだ。だが、そんなことが近隣諸国にとって面白いはずがない。白木の国は諸国に比べてはるかに小さい。だが、白木の国には『あの』鈴原家が常に控えている。弁舌で相手をやり込めることはできても、力では勝てない。我らが主君である大名の命を護るのは選りすぐりの親衛隊によって身を固めているのだ。

 だが、鈴原の暗殺技巧は親衛隊と呼ばれる選りすぐりの武を持つ親衛隊でも通用しない。闇夜に紛れた鉄弦は闇と同化し、音も無く相手を容赦なく死に至らしめる。たとえ日中であろうが、影のあるところさえあれば鉄弦は仕掛けられるのだ。ある年の御前試合では廊下を歩いていた大名の親衛隊が廊下の影を通るたび、一人、また一人と消されていった。またある年では、一夜にして近隣諸国の大名とその親衛隊が全員斬殺されていた。一度その思惑が分かった瞬間、『鉄弦』という名の制裁が彼らを襲う。どれほど闇夜を警戒しようがまるで意味を成さない。時には蜘蛛の巣のように張り巡らせ、時には首に巻きつけて。時には鞭のように引き裂く。まるで命をあざ笑うかのように対象者の命を無差別に、無慈悲に刈り取るのだ。この五年で鈴原家の恐ろしさは近隣諸国に瞬く間に広がった。街中では『鈴原に刃向かうものは殺される』という噂がまことしやかに流れていた。




 
『序ノ壱』 ~御前試合~




 『アヤ』がまた御前試合で優勝した。これで四連覇だ。今年優勝すれば五連覇となる。彼女は強い。体力ならそれなりに自信はあるが、私には技術もなければ師匠もいない。しかし、私はこの五年で大きく変わったことがある。それは外見だ。相変わらず私の髪の毛は腰まであり、前髪も垂らしているが、五年前まではろくに手入れもせず、ボサボサだった髪は今、烏の濡れ羽色のような美しい黒髪になっていた。服装も以前の襤褸切れではなく『アヤ』が新調してくれた和服によって随分と外見が良くなった。

 髪の毛が長くなると『アヤ』が髪の毛を定期的に揃えてくれるだけでなく、近くの小川で手入れまでしてくれるようになったからだ。私は刃物を持つことを禁じられているので、こういった身の回りの世話、特に身だしなみに関してはとても助かっている。最近、『染色草』なる草が発見され、反物屋が大いに賑わったのは記憶に新しい。今まで染物は草木をすりつぶして作った色から染め上げたもので、それほど鮮やかな色を出すことができなかったのだが、この草は自身が持つ色に反物を染め上げてくれる。赤い染色草なら赤く、青い染色草なら青く染まるのだ。今私が羽織っているのは、草木のような緑が映える簡素な衣服に紺の帯を巻きつけたものだ。選んだ人間は言うまでもないだろう。さして目立つこともなく、地味でもない。『アヤ』は私のことをよく気にかけてくれている。

 そして今日も私は『常世の森』で大きな幹にもたれながらゆっくりと平和な時間をすごしていた。ここには誰の邪魔も入らない。

 正確には『常夜とこよの森』といい、白姫城を中心に西に一一〇間(約200m)離れたところにある巨大な森だ。日中も殆ど日が差し込まないことからこの名がついたそうだが、縁起が悪いということで『常世の森』と名前を変えられた。それでも、地元の人間は近づきたがらない。なんでも『常世の森には妖怪が棲んでいて、入ると神隠しにあう』という変な噂が流れているからだ。私にはそんな俗世間の噂など興味もない。そういうわけで人間が立ち入らないこの場所は人間が吐き出す穢れた空気がなく、とても落ち着く。日中の時間を潰すときはよくここを訪れ、お気に入りの幹にもたれかかってゆっくりするのが習慣になっていた。眼を閉じ、ゆっくりとあたりの音を聞く。葉が擦れ、サワサワと心地よい音を立てる。風の吹き抜ける音がする。この森も、大地も、全ての生命が息づいているのを『感じる』のだ。この風に吹かれていると、三年前のあの時を思い出す。


《三年前――常世の森》


 御前試合が行われたその日、私は『アヤ』から教えられた『常世の森』に行き、あらかじめ教えられた場所へと向かっていた。私は人間が嫌いだ――だからあれほど多くの人間が集まる御前試合などには行きたくなかったのだが、「誰にも邪魔されない秘密の場所が『常世の森』にあるんですよ」という『アヤ』の言葉を聞いて興味が湧いた。なんでもその場所は白木の国を良く見下ろせる場所であり、特に御前試合の会場は全体がしっかり把握できるらしい。ただ、それなりの距離があるので人の姿を完全には把握できないのが問題だが、「姉さまなら大丈夫」というよく分からない根拠(多分本人も分かっていない)で私にその場所を教えてくれた。

 『アヤ』から教えられた場所は私のお気に入りの場所から五分ほど歩いた先にあった。そこだけなぜか木々もなく開けた場所になっており、本人の言うように会場全体がよく見渡せる。……だが、肝心の人の姿が豆粒程度しか見えない。相変わらず肝心なところで抜けている――

「ワァァァアアアアァアアアア!!!!!」

「!!!!」

 突然、大歓声が聞こえた。あわてて辺りを見渡すが、もちろん誰もいない。誰かいれば『直感』ですぐに分かる。ここにいるのは私だけ。落ち着いて目を閉じ、ゆっくりと辺りの音を聞く。

「…………」

 (草木の揺れる音、葉の揺れる音、木々の臭い……風の吹き抜ける音――ただ、何かが違う。風が強い。他の音がかき消されるようだ…………『風』…………そうか)

「『アヤ』……貴女って抜けているようで、その本質はしっかり分かっているのね。多分自覚はないんでしょうけど」

 思わず独り言が飛び出る。『アヤ』は「姉さまなら大丈夫」と言っていた。確かにそうだ。私は昔からあまり視覚に頼っていない。常に直感で行動している。成程、この場所は向かい風がふいている。音は風に乗り、遠くまで届く。そして私はその『音』と『気配』で状況を判断する――確かに私が昔からやっていることだ。彼女は知ってか知らずか、私が何に頼って生活をおくっているのか無意識的に理解している――私には到底真似できない芸当だ。これなら会場が見れようが見れまいが関係ない。木にもたれかかり、風に乗ってくる音や気配を『感じる』だけである程度は状況が把握できる。眼をつぶり、風が運んでくる音を聞き逃さないように集中する。

 ――観客の声援。
 ――武器同士のぶつかる音。
 ――叫び声。
 ――鬨を上げる声。悔し涙に嗚咽を流す声。
 ――人間離れした剣術が繰り出されたことによる驚嘆の声。

 声の大きさ、声量、気配。人々の声が私に様々な情報を与えてくれる。これが思いのほか楽しい。人間の中に入るのは嫌いだが、確かに試合は気になっていた。『アヤ』の帰りを待つ間、十三が毎日のように『常在戦場』と叫んでいたことで私も自然にその言葉や意味を覚えていた。『この世は常に戦場だ』と彼は教え子に説いていた。確かにその通りだ。だが、それを私に当てはめるならば、その言葉を誰よりも理解し、痛感しているのは他の誰でもない、私自身だ。何より生れ落ちた瞬間から『常在戦場』。他の人間とは年季が違う。一日一日を生きる為、死に物狂いで駆け抜けてきた人生なのだ。なぜ諦めなかったのかは私にも良くわからない。ただ、死にたくないという原始的な欲求に従ったのだけかもしれないし、もっと他の理由があったのかもしれない。

「ウウウウォオオオオォオオオォオオオオ!!!!!」

 ……突然、人間の歓声の雰囲気が変わった。まるで怒号のような、大地を震わせるような、そんな気配。何かを待っているのか、こちらまで血がふつふつと滾っていくような、そんな歓声。もし私があの輪の中にいたら、興奮のあまり我も忘れてただ叫んでいそうな――それほど異様に満ちた歓声だった。閉じていた眼を開け、垂らしていた前髪を左手で丸め、袖に隠していたかんざしで髪留めをする。(簪も立派な暗器なのだが、女性の身だしなみとしてこっそり『アヤ』から手渡されていた。相変わらず自分が何をしているのか解っているのかと疑いたくなるが、私も前々から欲しかったので黙っていた)もたれかかっていた木を支えにして立ち上がり、会場を見下ろす。そこには二つの影が居た。勿論、この位置からでは誰だかわからない。だが、私ならある程度の人間は『気配』で分かる。聴覚に加え、普段使わない視覚に神経を集中させ、注意深く気配を探る。

 ――片方は大きな、鋭い気配。もう片方は――

「!!!!!」

 背中に突然寒気が走り、思考を中断する。今の感覚は何だ? あれは人ではないまるで物の怪のような、おぞましい感覚。気がつけば、呼吸が荒くなっていた。鳥肌が立ち、寒気が止まらない。片方の気配はおそらく、今年の優勝者。『アヤ』とは気配の雰囲気が違う。大人特有のドロドロした気配がある。だが、もう片方の気配は一体なんだ? 物の怪? いや、もっと凄い。そう……例えるならば……『鬼』のような。

「鬼……『鬼の十三』……信楽十三か!!!」

 この気配は強烈だ。成程、『アヤ』が二連敗するわけだ。大人でも敵わないというではないか。なんでも、優勝者は十三と試合をする権利がもらえるらしい。腕に自信のあるものが食いつきそうな話だ。塀ごしではあるが、毎日道場の稽古の声を聞いていれば一際大きい十三の気配は嫌でもわかる。(なぜ毎日かというと『アヤ』が迎えに来てくれとせがむからだ。私は嫌なのだが本人はとても嬉しがっているので仕方がなく付き合っている)だが、今感じている気配は道場のそれとは気配の質がまるで違う。『鬼』の異名もまんざらではない。木刀と木刀が打ち合う音がこちらまで伝わってくる。だが、途中で音がピタリと止んだ。

「オオオオォオオオォオオオオ!!!!!」

 興奮の坩堝と化した観衆の声援、まるで合戦のようだ。その怒号に満ちた歓声の中で明らかに私は今までとは違う異質な『音』を確かに聞いた。それは気づかなければ歓声にかき消されてしまうような小さい音だったが、集中して聞き取るうちにその『音』が明確に聞こえてくる。

 ――ガキィン!! ――ガチィン!! ――チィィィィン!!

 (嘘!? 今のは――金属音!?)

 御前試合は模擬刀である木刀で行うのが慣例だ。だが、今の音は間違いなく本物の刀――真剣を使っている。白木の国はまだまだ小さい国だ。日中は活気があふれているが、夜になり、あたりが闇に包まれれば暗殺と謀略が支配する戦場へとその姿を変える。たとえ物置にいたとしても、時折風に乗って金属音があちらこちらから響いてくる。一歩間違えば自分も相手も死ぬかもしれないのだ。私は真剣を持ったことはないが、金属音の音はその環境から聞き慣れている。観客が興奮するわけだ。文字通りの“真剣勝負”。勝者は生き残り、負けたものは屍をさらすことになる。(だが、試合中の棄権も認められるし、武器が破壊されればその時点で戦闘不能となるので敗者は必ず死ぬとは限らないそうだが)

 その時、ふと私は一つの疑問を抱いた。今戦っているのは今年の優勝者だ。『アヤ』の話によれば、『大人の部』と『子供の部』の両方の優勝者が十三と試合をする権利が与えられる。そして『大人の部』の決着がつき次第、『子供の部』の優勝者と試合をするのだ。『アヤ』は子供の部において毎回優勝しているが、十三には一度も勝ったことがない。大事なのはその時、一体『アヤ』は何を持っていたのかということだ。子供だからと模擬刀を持たせるのか、それとも今のように真剣を使うのか。もし、後者なら――

「――――!! 『アヤ』!! 貴女、まさか――!!」

 その考えにたどり着いたとき、私は自分の考えに恐怖した。自分の妹が■ぬかもしれない――そう思った瞬間、突然目の前が真っ暗になり、思わず大地にへたり込んだ。集中しすぎて『アヤ』が■ぬ場面を頭の中に描いてしまった、腰が抜けている。呼吸が荒い。鳥肌が立っている。冷や汗が止まらない。今まで気づかなかったが、いつの間にか『アヤ』はこんなにも大きい存在になっていたのだ。私を唯一人間として認めてくれた人間は『アヤ』。身の回りを世話していたのも『アヤ』。そんな彼女がもし、■んでしまったら――私は……

「…………そうか」

 乱れた呼吸を整え、無意識の内に閉じられた眼を開き、膝についた砂を手の平でパンパンと叩き落として立ち上がる。なぜ私が彼女のお願いを断れなかったのか、今になってようやく理解した。そうか、だから私は道場に毎日通っていたのか。彼女の笑顔が、存在が、私を『獣』に墜ちる寸前でつなぎとめていてくれたのだ。嬉しかったのは『アヤ』よりもむしろ私だったのかもしれない。いつもなら死んだ魚のように濁った目をしていた私の双眸はこの時、日の光が差しこむほど澄み切っているような感覚だった。

「……彩」

 妹の名前を意識的に呟いたのは久しぶりだ。一人でにでたその言葉は誰にも聞こえることなく風に乗り、何処へと吸い込まれ、消えていった。
 なぜだろう――私と同じ音をもつ双子の妹だが、その響きは全く違うように聞こえた。

 ――これが『鬼』との初めての出逢いであり、『アヤ』の存在の大切さを知った瞬間だった。


 そして再び、時は廻りだす。くるくる、くるくると――



 ***   ***   ***



 今年も大名のもと、御前試合が行われる。彼女の目的は師である十三と仕合うこと。そして、十三には『四連敗』を喫している。三年前のあの時から、私の心は少しずつ変化していった。自分から『アヤ』との接点を作ろうとしたのだ。道場には率先して通い、『アヤ』の姿をこの目でみるまでじっと道場の声を『聞いて』いた。他の誰でもない、『アヤ』の声を。あれほど人間を嫌っていた私が、『アヤ』だけは失いたくないと本気で考えていた。あの娘がいてくれたから今の私がいることを今更ながらに知った。今年で『アヤ』は一五。元服を迎える年である。元服の儀を済ませば正式に大人の仲間入りだ。それは御前仕合の後に行われるという。その瞬間から鈴原家の名の下、自ら他者の命を奪う暗殺者となるのだ。そう考えると、なんだか『アヤ』がとても遠くに行ってしまうような感覚を覚えた。だから今年だけは、大嫌いな人間の輪の中に埋もれてでも『アヤ』の姿をこの眼で見ておきたかった。


《御前試合――三週間前》

 他の門下生が出て行ってもその中に『アヤ』の姿は無い。道場の中では十三の裂帛とした声と『アヤ』の鋭い声、木刀の打ち合う音が響いている。「どうした彩!! お前の力はこの程度か!! 常在戦場、殺す気でかかってこなければお前が死ぬぞ!!」「くっ……まだ……まだまだぁ!!!」『アヤ』の声と共にガーン、ガーンと木刀がぶつかる音が再開される。空も暗くなり、辺りを闇が支配し始めても、その音は止むことはない。私も眼を瞑り、二人の『気配』を集中して感じ取る。小さいが、刃のように鋭い彩の気配とまるで仁王のように巨大な十三の気配。互いの気配がいつにも増して鋭く、大きくなっている。今日は遅くまで練習するのだろう。私には待つことしか出来ない。

《御前試合――二週間前》

 いつものように二人だけになったあとの練習。だが、今日は一味違った。鼓膜を震わしたのは金属音――真剣で戦っていたのだ。本物の刃を使った模擬戦。その気配には殺気すら感じ取れる。そこまでやらなければ勝てないというのか。いや、『アヤ』がこれから辿る道はもっと過酷な茨の道だ。毎日が命のやり取りの繰り返しになる。時折、衣と肉の裂ける音がする。血が飛び散る音がする。その音を聞くたび、私は不安になってしまう。

《御前試合――一週間前》

 ついに一週間前となった。真剣を使った模擬戦を行うようになってから、私は『アヤ』の姿が道場から見えるまでどんなに遅くなろうと待っていた。『アヤ』の姿を見るまでは帰らない、と勝手に自分に言い聞かせた。そしていつものように物置で始まる夕飯……その前に思い切って切り出した。

 「こ……今年は『アヤ』の姿を間近で見たいのよ」

 言葉が途切れ途切れだが、なんとか言いきった。凄まじく恥ずかしかった。自分でも分かる……今、私の顔は果てしなく赤いだろう。穴があったら入りたいくらいだ。こんな恥ずかしいことは二度と言いたくない。だが、一五の元服の前にどうしても見ておきたかった。元服を過ぎたら、もう逢えないような、そんな気がしたからだ。だから私は恥をしのんで、なけなしの勇気を振り絞って頑張った。自分から他人にお願いするのはこれが生まれて初めてだ。これから先、私が他人にお願い事をすることなど、無いだろうから。

 『アヤ』はその言葉を聞いてぽかーん、と間の抜けた顔をしていたが、その言葉の真意がだんだん分かってくると同時に笑顔になり、最後にはきゃいきゃいと私の手をとって子供のように飛び跳ねて喜んだ。「私、今年はいつもより頑張っちゃいます!! 姉さまの前で、今度こそ先生を打ち倒します!! 姉さまがいれば百人力です!!」と元気な声で袖から招待券を取り出し、シュビッ! と両手で手渡してくれた。こんなに活き活きとした彼女は初めて見た。招待券を出すときもまるで刀を抜き放つが如く、無駄な動作が一切無かった。そんなに嬉しいことなのだろうか? ただその前に、一つ確認しなくてはならないことがある。

「『アヤ』、分かってはいるとは思うけど、父と母にこのことが知れたら冗談で済まなくなるから、なるべく人影に隠れるような場所がいいのだけど……当然、大丈夫よね?」

「………………………………………………あ。」

 その顔を見た瞬間、私は自分の意思よりも早く、半ば反射的に言葉を紡いでいた。

「気が変わった。やっぱり今年も常世の森から見ることにするわ」

 言うが早いか、いつものように彼女に背を向け、ゴザの上にごろんと横になる。いや、いつもより動作が数段速かったような気がする。

「わーわーわー!! 駄目!! それは駄目ですっ!! ちょ、ちょちょっとまって下さい!! いいいい、位置確認しますから!! えーと……ここがこーで……あそこがあの大名様で……」

「…………」

 恥ずかしいのを必死にこらえて一世一代の台詞を口にしたにもかかわらずこの有様。ちらり、と首だけをそちらに向けると「う~~~あ~~~」と変な声を出しながら地べたに座り、必死に招待状とにらめっこする御前試合の優勝者がそこにいた。首を元に戻し、眼を瞑って眠りの体勢に入る。「あ゛~~~~」と声にならない声で叫びながら髪の毛をわっしゃわっしゃする音が聞こえる。よほど混乱しているらしい。誰かに聞けばいいのに、と思ったがとりあえず放置しておくことにした。

 ――やはり聞いておいて正解だった。フゥ、と思わず安堵のため息が漏れる。本当にこの娘に任せて大丈夫なのだろうか。……慣れない事をしたせいか、妙に眠い――



《御前試合――当日》

 白木の国は多くの人間で賑わっていた。黒山の人だかりとはこういうことを言うのだろう。近隣諸国からも観戦に訪れる年に一度の武士の祭典。噂には聞いていたが、ここまでとは思わなかった。ギャーギャーやかましいが、私が此処にいることが知られたらもっと不味い。どうもこの五年、父と母の様子がおかしい。相変わらずぞんざいな扱いは変わらないが、『アヤ』の行動を見てみぬふりをしている場面が多々ある。髪の手入れも、簪も、五年前までは許されなかったことだ。『アヤ』は「女性の身だしなみを覚えさせるためです」と気にしてはいなかったようだが、私はどうも嫌な予感がしてならない。しかし、嫌な予感といっても小骨が引っかかる程度の些細なものだ。私が過剰すぎるのかもしれない。

 私が言うのもなんだが、『アヤ』はこの五年間、背丈は少し伸びたが見た目はほとんど変わっていない。ぱっと見れば童女と見られてもおかしくない。相変わらず肝心なところで抜けているこの娘が本当に御前試合という大舞台で優勝することが不思議でならない。だが、私は知っている。道場にいる時の『アヤ』は今とはまるで別人だ。その声も、気配も、もう一人前の侍だ。直感でなんとなく分かるが、実際にこの眼で見るのもいいかもしれない。今の私は五年前と違ってボサボサの髪ではない。風に吹かれればさらさらと舞うくらい、手入れが行き届いている。そのせいかわからないが、髪の毛の手入れをし始め、服装を変えてから『物の怪』と影口を叩かれることがほとんど無くなった。(それでも、周囲の冷たい眼は相変わらずだが、今更言うまでもない)お蔭で私はこの中にいることができる。私もこの五年でそれなりに背丈は伸びたが、周りの大人に比べれば小さいほうだ。これなら両親がいても気づくまい。

 私が此処に来た目的は『アヤ』の観戦だ。それ以外の試合は特に興味がない。今日一日の日程は既に『アヤ』から確認した。午前中が子供の部、午後が大人の部、そして優勝者と十三の試合の三部構成になっている。試合は胴着を着て木を使った模造武器で行われる。武器の種類は三種類、二尺三寸(約70cm)の木刀、ニ尺(約60cm)の短い木刀(小太刀)、そして三尺五寸(約100cm)の長い木刀(野太刀)の中から好きなものを選ぶことが出来る。子供の部はその中の一つだけだが、大人の部は二つまで選ぶことが出来る。流派によっては二刀流もあるからだ。形式は一対一の勝ち抜き戦で行われ、武器の破壊、相手を気絶、もしくは戦闘不能にさせたものが勝者となる。ただし、相手を殺すのはご法度である。試合中の降参も認められる。

 子供の部といってもその勝負は真剣そのものだ。やはり注目は現在四連覇中の優勝者、鈴原彩である。これまでの四年間、他を寄せ付けない圧倒的な強さで優勝をさらってきた。それを知ってか、今回は近隣諸国からかなりの腕利きが集まっているらしい。それは子供とて例外ではない。子供の部だというのに観客が山ほどいるのはどの人間も鈴原彩の武を見たいのだろう。なにせ、『鬼の十三』と謳われ、その名を轟かせた信楽十三の一番弟子。そして、裏の世界では最強の暗殺技巧を持つ鈴原家の一族。鉄弦を使ったその暗殺術は母である樹すら驚くほどの腕前だそうだ。(もっとも、噂話なのでどこまでが真実なのか知らないし、本人に直接聞くのも気まずい)

 今回、『アヤ』はいきなり一回戦から戦うこととなった。おかげで観客は総立ち、怒号のような声援が飛び交っている。とてもウルサイが興奮するのも無理はない。『アヤ』の背丈は四尺五寸(約135cm)に対し、相手は五尺二寸(約160cm)の大男である。これで『アヤ』と同じ十五というのだから驚きだ。しかし、武器はその体格に似合わず小太刀を用いている。とても不恰好かと思いきやそうではない。無駄に太ってないので小太刀を構えている様も実に見事だ。『アヤ』は木刀を構えている。相手も中々の腕前を持つらしいが……勝負はあっけないほど簡単に終わった。

 小太刀をもった大男が構えた瞬間、アヤの攻撃が相手の胴に深く突き刺さり、胃液をぶちまけて崩れ落ちた。背丈の小ささを利用して懐に一気に飛び込んだのだ。 なんのことはない、ただの「突き」である。だがその速度が異常に早かっただけだ。

 あの童顔で可愛らしい妹の姿はそこにはなかった。崩れ落ち、動かなくなった相手をただ冷酷に見下ろし、木刀に付着した汚物をヒュッと振り払うと、そのまま踵を返して帰っていった。その気配は例えるならそう……触れれば切れそうなほど研ぎ澄まされたような冷たい刃のようだ。これが武士としての『アヤ』の姿。生まれて始めてみる彼女の姿に開いた口がふさがらない。どうもそれは他の人間も同じだったようで、あれほど興奮に沸きかえっていた会場が水を打ったようにシーン、と静まりかえる。

 『動揺する気配』があちこちから伝わってくるのを感じる。私は周りの人間の表情から一つの簡単な推測をした。どうも今年は『アヤ』の戦い方が今までと異なるらしい。私はこの四年、常世の森の遠くから『気配』のみで試合を楽しんでいたにすぎない。『アヤ』が今までどのように相手を倒してきたのかも知らない。だが今の攻撃で私は一つだけ確信した。『アヤ』は本気だ。それも最初から全力。

 ――私、今年はいつもより頑張っちゃいます!!

 一週間前のあの言葉は嘘ではなかった。かつて教えてもらった鈴原家の家訓、【風林火山】……今の一撃はそう、例えるなら一陣の【風】だった。


 『アヤ』は順調に勝ち進んで行った。“怖いくらい”順調だった。そのどれもが一撃必殺。ある者は手首ごと武器を叩き落され、またある者は肋骨を砕かれ、またある者は鍔迫り合いからの裏拳で顔面の鼻がへし折れた。降参しようとしたものもいるだろう。だが、『アヤ』はそれすら許さない。ただただ、勝利だけを収めていった。観客の間から動揺が強くなっていくのを感じる。よほど今年の彼女の戦い方がおかしいのか。それとも、この試合の裏に何か意図があるのか。垂れ下がっていた前髪を横にどけ、『アヤ』の顔をみて気配を読み取る。こうすることで、さらに深く相手の気配を読むことが出来る。普段、私は人の眼を見ない。『目は口ほどにものを言う』からだ。大人も子供もみんな、私を見下したような眼でしか見ない。あえて視覚を使わないのだ。

 試合を勝ち進んだ『アヤ』の目をみて愕然とした。その目には何も映し出されていない。気配が読めない。いや、読んではいるのだ。だが、気配が深すぎて何も見えない……このまま飲み込まれそうなくらいに。深い深い井戸の中を覗き込んでいるように、今の『アヤ』には底がない。底なしの闇だ。

 ――オカシイ。

 私の直感がそう告げている。この三年、私は一日も欠かさず道場で彼女の気配を塀の外からずっと感じてきた。だが、一度たりともこんな気配を感じたことはない。

 いくら武士の気配とはいえ、こんな気配を『アヤ』がもっている訳がない。どれだけ追い詰められても、彩の本質はその明るい性格だ。気配はその人の心を鏡のように映し出すものだと私は考えている。もって生まれた素質は一日二日で変えられるものではない。だからこそおかしいのだ……まるで、何かに“憑かれている”ようかのように。その考えに行き着いた瞬間、絡まりあっていた思考が解きほぐされ、一つの線につながった。

 アレハ、ワタシダ。

 昔、水たまりに移った自分の顔を一度だけ見たことがある。『物の怪』と疎まれ、『化け物』と蔑まれ、ひとりぼっちだったかつての私が見たあの底なしの瞳。何者も映さない瞳。今の『アヤ』の顔は、まさにそれだ。何故そうなったかは分からない。

 これは私の推測だが、『アヤ』は試合直前か、その前日に何者かの手によってこうなるように“させられた”。この異様な状況を説明するには少々話が飛躍しているが、そう考えるのが一番自然だと感じた。さっきから、胸がざわざわする。幼い頃、雷雨に見舞われた時もこんな気分だった。晴天だったのに、妙に胸がざわついたあの日のことを思い出す。あれは嵐の前触れだった。

 『波乱』――そう、波乱だ。何かとてつもなく大きなことが動き出そうとしている。

 今年の御前試合は、何かが起こる。




[28115] 序ノ弐 ~謀略~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/15 11:10
《御前試合――最終演目・特別試合》

 全ての演目は私の心配をよそに滞りなく進んでいた。子供の部での優勝者は今回も『アヤ』が勝ち取った。大人の部の優勝者も先ほど決まったところだ。普段ならこれで終わりなのだが、この御前試合の真の演目はここから始まる。今より五年前から新たに追加された試合――『鬼の十三』との特別試合だ。

 大人の部で優勝した相手と『鬼の十三』が中央に進む。相手は五尺二寸(約160cm)の男で、野太刀を構えて歩いてくる。だが、それは木刀で作られた模造品ではない。刃のある本物の太刀だ。そして十三は……

「……『鬼薙刀』だ!!」 「『鬼薙刀』よ!!!」 「あれが『鬼』の伝家の宝刀か……」

 観客がざわめき、あちこちで『鬼薙刀』という単語が聞こえる。十三が持っていたのは薙刀だ。それもかなり大きい。柄の長さは五尺(約150cm)、刀身は二尺(約60cm)、全長七尺(約210cm)はあろうかという薙刀だ。刀身も身幅が大きく反りもある。相手を突くのではなく、斬りつけるためにこうなったのだ。……そういえば、『アヤ』が言っていた。

 ――先生の道場には、かつて鬼を打ち倒したという言い伝えがある宝刀『鬼薙刀』がお守りとして道場に飾ってあるんですよ――

 宝刀、宝剣といった類のものは装飾が派手だったり、刃が潰れていたりと実際に武器として使用せず、祭典などの演舞などで使われることが多い。だが、ここに持ち出してきたということは本物の薙刀だ。私も噂くらいは聞いたことがある。百戦の戦に出て不敗。その強さから『鬼の十三』の異名で呼ばれていたことを。十三は元々一般男性よりも背が大きい。五尺六寸(約170cm)の大男である。四十にして今だこの筋肉、この風格。かつて主君を守るために矢を全身に浴びながらも倒れることなく死んでいった伝説の薙刀使い、武蔵坊弁慶の再来とすら呼ばれたことがある。

 その両者が試合会場の端から登場すると、観客の声援が怒号のように溢れ出す。興奮の坩堝と化した観客の声援に私はただ驚くばかりであった。ウルサイなどという世界ではない。耳をふさいでいなければ鼓膜が破れてしまいそうだ。熱狂している。血が滾り、もはや我を忘れて叫んでいる観客。常世の森で聞いたときのあの衝撃を忘れたわけではないが、実際の会場はもっと凄かった。

 どちらも本物の刃が入っている。文字通りの真剣勝負だ。ピンと張り詰めた空気に私も思わず袖から簪を取り出し、垂れ下がっていた前髪を留め、試合を『見る』ことにした。両者が中央で対峙する。その距離、およそ十尺(約3m)。審判の「始め!」という合図で大人の部の優勝者、野太刀をもった男が先手必勝とばかりに刀を繰り出す。それをみて十三は薙刀を下段に構え、薄く笑っているだけであった。

 一合。相手の刀を薙刀の刃が交差する。
 二合。もう一度打ち込んできた刃を薙刀が受け止め、そのまま切羽(刃の終端に丸く保護された金属状の部分)まで導くように受け流し、その力を円運動によって逆に己のものとしてひねりを加えて相手の剣を弾き飛ばす。
 三合。がら空きになった胴に鬼薙刀の刃が食い込んだ。

 裂かれる肉、飛び散る鮮血。たった三合の打ち合いで相手は地面に倒れ落ち、観客はさらに熱狂する。今の一撃で右わき腹を切り裂かれた。衣服に血がしみ込み、赤い模様を作ってゆく。十三は崩れ落ちてゆく対戦相手を片手で引っつかみ、そのままつかつかと会場の端へ歩いていくと外へ無造作に投げだした。

 「たった三合でやられるとはそれでも武士か!! この小童がっ!! 話にならんわ!! 大名様のお膝元で行われるこの神聖たる会場に貴様のような穢れた血がつくことすら儂は許さぬ!!まだまだ青いわ!! 出直してくるがいいっ!!」

 十三の怒号に満ちた声が辺りを包む。相手が弱いわけではない。十三が強すぎるのだ。これが合戦を実際に経験した武士の力だというのか。常在戦場と毎日のように叫んでいたのは自分が平和の中にいても腐らないための言葉だったというのか――こんなバケモノのような男に『アヤ』が太刀打ちできるのか??

 「次ィッ!!」

 檄を飛ばすような十三の声に応えるように小さな影が会場の端から出てきた。『アヤ』だ……だが、さっきまでとは様子が違う。あの底なしの瞳ではない。光が宿っている。いつもの『アヤ』の表情に私は少しだけ安心した。だが、『アヤ』の服装を見て私の目が思わず点になる。真っ黒な布に包まれ、無駄な鎧もつけないその姿――忍装束だ。口元は灰色で染め抜かれた布で隠されており、髪も布で一まとめにしている。そして、両手には紫の布で覆われた物体を抱えていた。その姿に、観客は再び熱狂する。今年の大一番、『鈴原彩 対 信楽十三』の試合だ。見渡せば、諸国の大名ですら視線が一点に集中している。それだけこの試合を期待していたものが多いということだ。

 「来たか、我が弟子……鈴原彩よ」

 まるで待ち焦がれていたかのような声を出す十三。だが、『アヤ』の発した言葉は意外なものだった。

 「先生……今回『だけ』は負けるわけには行きません。この試合、私が勝ったらあの約束……守ってくださると誓いますか?」

 「当然だ。男に二言は無い。だが、『力』を使わずに儂と死合おうとするのか??」

 ……何だ? 今の会話は? 二人は一体何を言っている? だが、お互い意味は理解しているようだ。 力? 約束? 一体何のことだ? それに今回だけというのはどういうことだ? 分からない。二人の言っていることが全く分からない。ただ、私の知らないところで『何か』が動いている。『アヤ』はその『何か』の為に戦っている。一週間前、『アヤ』は先生を倒す、と言っていた。今の言い方からすると倒すというよりは倒さなければならない、という言い方のほうがしっくりくる。『アヤ』の眼を見ればなんとなく分かる。何かを覚悟した眼だ。

 「『私』は『私』です。誰の『力』も借りません。己の力で貴方に立ち向かい、そして――勝つ!!!」
 
 そう高らかに宣言すると、もっていた紫の布を空高く放り投げる。オオッ、と観客からどよめきの声が上がる。中から出てきたのは……二振りの刀。片方は紅く、もう片方は青緑のような色をしている。紅い刀は野太刀のように大きく、『アヤ』の身の丈よりわずかに小さい程度。青緑はそれより一回り小さく、今まで扱ってきた木刀より僅かに長い程度だ。だが、この二振りの刀は異質だ。

 一つ、刀身が大きすぎること。
 二つ、鞘がないこと。
 三つ、鍔が無いこと。
 四つ、鉄の色をしていないこと。

 どれをとっても刀に当てはまる要素がない。当然、こんな剣が暗殺に向く筈がない。ただ無骨で、大きいだけの物体だ。儀礼用の剣だとしても刀身自体に色のある刀など見たことがない。なぜこんなものが我が家の家宝なのか? 此処に持ってきたということは当然、この刀も相手を殺すために鍛たれたものであることだ。出なければ、こんな大事な試合に持ってくる訳がない。

 観客が動揺している。あれは何だ、とか、あんな刀は見たことが無い、とか、あれは大きすぎる、とか。分からない。『アヤ』の意図がわからない。相手の動揺を誘うようなものなのか? だが相手はその異質な刀を見ても動揺するそぶりさえ見せない。『アヤ』もそれを気にしている様子は無い。狙いはそこではないのか。だとしたら、何故……?

 「我が鈴原家に代々伝わる宝剣……『蒼紅一対剣』。この刀で、貴方をたおす!!」

 紅い刀を背中に担ぎ、青……というより緑色のような刀をした剣を両手で構える。

 「その気や良し!! さぁかかって参れ!! 我が名は信楽十三!! 『鬼の十三』とは儂のことよ!!」

 そう宣言すると、十三は腰につけていたお面をかぶる。『鬼』をかたどった面だ。まさしく、『鬼の十三』。その面で、表情が隠れる。鈴原家は代々暗殺を生業としてきた一族だ。感情を表に出さない訓練は当たり前のようにやっている。その対応策なのだろうか。私には細かいことは分からない。正当継承者でない私に情報など伝えられることは――ない。

 「第七代鈴原家正当後継者、鈴原彩!!」

 彩もそれに呼応するように名乗りを上げる。正真正銘、本気の一騎打ちだ。

 「「いざ、尋常に……勝負ッ!!!」」

 審判の『始め!』という合図と共に、両者が同時に飛び出し、互いの獲物をぶつけ合った。




『序ノ弐』 ~謀略~



 十三と『アヤ』の試合は苛烈を極めた。十三の間合いを熟知しているかのように薙刀の先端で攻撃を打ち払い、薙刀が大きく振り払われたところで一気に接近する。薙刀が『アヤ』をとらえた瞬間、目にも止まらぬ速さでまた元の位置へと戻り、防御する。力と力では『アヤ』はどう考えても不利だ。だから正面から戦うことはせず、一撃離脱の戦法を取っている。だが、それをただ黙って見過ごす十三ではない。長い間合いを利用した突きで『アヤ』の動きをとめ、すかさず斬りあげる。それを刀で弾き、さらに後ろに下がるがその瞬間、大きな影が出来ていた。十三がそれを見越してさらに前進していたのだ。薙刀が上段から振り下ろされる。だが『アヤ』は冷静にその軌道を見定め、刀をそっと触れさせて切っ先をそらし、その反動で十三の首を狙う。しかし、一足早く十三の持っていた薙刀の柄がそれを阻止した。

 まさに一進一退の攻防。緑色の刀と十三の薙刀が再び激突する。十三はその長い間合いを駆使して柄で『アヤ』の手を薙ぎ払うとそのまま彼女のわき腹に柄を叩き付けた。刃の部分がないとは言え、しなりが加わった柄の破壊力は軽量な『アヤ』の体を飛ばすには十分な隙といえた。「隙あり!!」と十三が叫び、薙刀を袈裟懸けに切り上げる。薙刀が触れる瞬間、『アヤ』は急に後ろを振り向いた。そこにあったのは――担いでいたもう一振りの刀。

 ――ガキイイイィィィィィン!!!!

 十三の薙刀が背中にある刀に激突する。その衝撃を利用して『アヤ』は体を転換させ、素早く十三の懐にもぐりこむ。それがくることをあらかじめ予測していたような動き。狙いは一つ、完全にがら空きになった十三の――首。

「はぁぁぁあああああ!!!!」

 裂帛の気合と共に打ち出される緑の斬撃。『アヤ』は体が小さい。大きな刀では今の『アヤ』では刀に振り回されるのが関の山だ。だからあえて――防御に回したのだ。自分が決定的な隙を作ったときの防御策。確実に油断した相手を仕留めるために彼女なりに考えた結果なのだろう。その発想の柔軟さに改めて驚かされる。刀の重さはそのまま遠心力となって破壊力に転化する。例え体は小さくとも、今の衝撃で生み出された遠心力と彼女の腕力、そして刀自身の重さが加わり、緑の刀は風のように十三の首を確実に狙っていた。今から防御に回ってもおそらく間に合わない。よしんば間に合っても、致命傷は避けられない。勝負あった――とその場にいる誰もが思った。

 ――だが、現実は私たちの予想を遥かに超えていた。

 刀が当たる瞬間、十三の姿がまるで霞のように消えたのだ。

「……とらえた、と思ったか? 彩」

 大人の男が出す独特の低い声。信楽十三だ。彼は斬撃が繰り出された一歩後ろに居た。いつからそこにいたというのか、薙刀の柄を地面にトン、と置いている。

「だが、今の一撃は良かった。普通の男であれば確実に仕留めているだろう。……儂を相手取るにあたって『後の先』を狙う奴がいるとは思わなんだ。いやはや、驚いたぞ……彩。その剣にそんな使い道があるとはな」

「私も驚きました。どうやって今の一撃を避けたかを見る暇はありませんでしたが……」

「そうか……それは……『残念だ』」

「何が、残念なのですか? 先生……」

 あくまで真剣に『アヤ』は言葉を紡ぐ。だが、十三の発した言葉は『アヤ』すら想像だにしない言葉だった。

「貴様では、儂に勝つことなどできん。彩、お前はこの二振りの剣の、“本当の使い方”を知らない。この剣の真の力を引き出さずに負けるほど、儂の腕は錆びてはいない」

「……!? 知った風な口を叩くな!! この型も、この刀を使った攻撃方法も一度たりとも見たものは居ない!! ましてや、先生に見せるのはこれが初めての筈だ!! なぜそんなことが言える!?」

「なんだ、そんなこともわからんのか……愛弟子にしては随分と思考が短絡だな。簡単なことだ。儂はこの剣……“見るのは初めてではない”からの」

「えっ……」

 『アヤ』の思考が止まる。鈴原家にとって家宝は命にも匹敵する価値のある代物だ。それを『見た』の一言で済ませられてしまうほど、簡単な世界ではない。私ですらこの目で初めて見るのだ。いくら愛弟子とはいえ、そんなことはしない。それでは母か? それも考えられない。母は鈴原家の頭首だ。見せられる危険があるというのならその秘密ごと闇に葬るだろう。だが、十三は『アヤ』の動揺した姿などは気にもとめず、構えを崩さない。

「今回は特別だ。お前に敗北を刻む前に、この薙刀の『本当の力』を見せてやろう。大名様の御前でもあるこの試合、諸国の馬鹿共に鬼の怖さを知らしめるいい機会だからな……」

 十三が薙刀に何か力のようなものを篭めた。すると――それに呼応するように鬼薙刀の刀身の周りに紅いもやのようなものが出来てゆく。

 バチ。バチバチバチバチ…………

 刀身を中心にバチバチと火花のようなものが飛んでいる。その異様な光景に沸き立った観客が静まり返る。鬼の気配に飲み込まれているのか、不可思議な現象を見ているせいか、誰もがあの不思議な刀身に目を奪われていた。

「教えてやろう。この刀は東方で生まれたものではない。別の国で作られたものだ。儂の『氣』に反応し、刀身から雷光が迸るのだ。雷は体内を駆け巡るが、この柄は雷を通さない。だが、この刀身で斬られたものはまるで落雷にあったかのように全身が痺れ、傷跡が焼け焦げる。この力を引き出すのは十年ぶりだ……さぁ、死にたくなかったら『覚悟』を決めることだな」

 一歩、二歩。これまでとは違う気配が十三を包んでいる。赤い気配が全身を覆っている。本当に鬼のようだ。気配が彼の後ろに巨大な鬼をかたどってゆく。ただでさえ大きい十三の体が倍近く大きく見える。あれほどの殺気を目の当たりにして、動ける人間など居るのだろうか……ゴクリ、と誰かが喉を鳴らした音が聞こえる。まずい、このままでは……

「あ……あああ……」

 『アヤ』の剣を持つ手が震えている。動揺している。目から光が消えてゆく。秘密を見られたというその事実。そして十三の巨大すぎる威圧感。怯え、恐怖、動揺、絶望。様々な感情が『アヤ』から感じ取れる。『アヤ』はなんとか構えようとするものの、震えた手では防御することすら出来ない。いや、すでに刀の意味を成さない。十三の殺気に完全に気圧されている。このままでは本当に『アヤ』は死ぬ。こんなところで『アヤ』を死なせてたまるものか。とにかく、何か外的な刺激を与えて、なんとか『アヤ』の意識をつなぎ止めなければ――!!

「さぁ、どうした。かかってこなければ、こちらからいくぞッ!!!」

 十三が駆け出す。いけない――このままでは……『アヤ』が……妹が……斬り殺される!!! そう思った瞬間、私は叫んでいた。

「『アヤ』!! 駄目!! 構えて!!!!!!」

 
 静まった会場に私の声だけが届く。その声を聞いた瞬間……十三の動きが止まった。ゆらり、とゆっくりこちらを向き、私と十三の眼が……合った。


「……そこにいたか、薄汚い『あやかし』め」

「え……」

 なんだと? どういうことだ? 『そこにいたか』とは一体……なんのことだ!!!!

「彩が儂に打ち勝てば見逃してやる心算だったが……勝負あったな。しかも自分からその位置をばらしてしまうとは……物の怪風情が情に流されたか??」

 そうか、そういうことか……そういう、ことだったのか……だから『アヤ』は家宝まで持ち出して十三に勝とうとしたのだ。他の誰でもない、私の為に……だがなんだ、このおぞましい十三の声は。底冷えするような、ドロドロした声。本当にさっきの人物なのか?? まるで別の生き物に見える。鬼の面に隠れて表情が見えないことが、余計十三の怖さを増幅させる。

「いけない!! 姉さま!!! 逃げてぇぇ!!!」

 『アヤ』の悲痛に満ちた声が聞こえる。瞬間、はじき出したように私は飛び出した。さっきからする胸のざわつきはこれだったのだ。十三の狙いは『アヤ』と仕合うことではなかった。本当の狙いは……この……私!!

「捕えろ」

 十三の冷たい声が響く。すでに刺客が放たれていたのか、私が逃げるよりも先に押さえつけられ、拳と手刀を腹と首に叩き込まれて私の意識が暗転した。

「姉さまぁぁぁぁあああ!!!!」

 意識が途切れる寸前――私は『アヤ』の泣き声と十三の不気味な声を確かに聞いた――



《鈴原家隠し部屋――生贄拷問室》


「う……ううん……なッ!!!」

 眼が覚めたとき、私は縄で両手両足を後ろ手に縛られ、地面に転がされていた。コツン、コツン、と誰かがくる音がする。扉から入ってきたのは、蝋燭を食器に一本だけ持った『アヤ』の姿だった。それを棚の上に立てかけると、顔を近づけて私に話しかける。

「あら、ようやくお目覚めですか? お姉様」

「『アヤ』!? これは一体……!!!!」

 『アヤ』だ。黒い装束を着ているが、確かにこの声、この姿。まさしく『アヤ』だ。だが、なにかが違う。寒気がするようなこの感覚。なんなんだ……この底なしの瞳は!? 本当に私の知っている『アヤ』なのか!?

「お姉様があそこで叫ばなければ、私は先生の隙をついて勝っていたかもしれないと言うのに……私の仕合を邪魔して……一体何様のつもり!? 人の皮をかぶった物の怪のクセに」

「…………ッッ!!」

 『物の怪』。私が物心ついていたときから言われてきた悪口だ。だが、『アヤ』に心を開き、信頼を寄せていた彼女の言葉はどんな鋭利な刃物よりも私の心に深く深く突き刺さる。あまりの衝撃に声すら出ない。胸が痛い。傷口が抉られるようだ。

「なによその眼? そんなに私の態度がおかしい? ふふ……そうよねぇ……可愛い妹が実は先生と共謀していたなんて、驚いた?? ねぇ……『お姉様』? 私の“芝居”、上手だった??」

「…………!!」

 共謀、だと!? 芝居、だと!? じゃぁ、あの態度はすべて、嘘だったというのか? 私の髪を手入れしてくれたことも、夕飯を持ってきてくれたことも、衣服を新調したことも、簪を持ってきてくれたことも全部……全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!!! 芝居だったというのか!! じゃぁ共謀というのは……あの試合も既に……仕組まれていた試合だと、そう言いたいのかっ!!! 

「あらあら、物の怪にしては、随分と反抗的な眼をするのね? あなたは犬畜生と同じ、獣以下の存在よ? この汚らわしい『家畜』が。とっとと死ねばいいのに――ここはね、鈴原家の隠し部屋、通称『生贄拷問室』。鈴原の名に泥を塗った人間を殺すために作られ、世間の闇に葬るためだけに存在する部屋。この部屋では何をしようが関係ない。ここから逃げ出すことも不可能。あたり一面、鉄弦を張り巡らせておいたわ。迂闊に動けばあんたの体はあっという間に細切れよ??」

 人なんて、信頼するんじゃなかった。目からなにか液体のようなものを伝わっていく感触がする。畜生……畜生ッ……!!!!

「…………ッ……グズ……」

「あらら、泣いてるの?? やっぱ物の怪でも泣くんだ? でもそれも私と同じ芝居なんでしょ? 相手を油断するための……。 私は以前こんな話を聞いたわ。『物の怪には赤い血が通っていない』って。あなたもそうだったのね。でもよくできた芝居よね。思わず同情しちゃうわ……あ、でもあなたはもう『人間』ではなかったわね……なんて呼ぼうかしら? 『妖しい』の妖だから、『あやかし』っていうのはどうかしら?? 素敵じゃない? 生まれたときから既に貴方は人間ではなかったということよ、『妖』さん。人間は殺すと罰則があるけど、妖怪を殺したところで罪は無いわ。むしろ災害からこの国を救ったことで鈴原の名はさらに知れ渡る。あなたはそのための生贄となるのよ」

 心が、砕けていく。……私の信じてきたものは、一体なんだったのか。最愛の妹だと信じてきたというのに、それも全て芝居。私はただ、手の平の上で踊らされていたただの人形だったのか。私の目から光が消えていく。力が、抜けていく。もう……何も無い。私は人ですらなかった。ただの獣。いや、それ以下か。『あやかし』。妖と名づけられたときから、私の運命はすでに決まっていたのか。生きることも、死ぬことも、何もかも自由ではなくなった。手足の縄が切り裂かれ、自由になっても私は逃げることすら考えなかった。

「お父様とお母様から『元服の差し入れ』を頂いてきたわ。お鍋だそうよ。お姉さまにも分けてあげる。はい、どうぞ。『お姉様』」

 そういって取り出したのはお椀に入った一杯の鍋。一掬いして持ってきたのだろう。怪しすぎる。私に差し入れだと? 『家畜』扱いする実の両親が私に差し入れすることのほうがよっぽどおかしい。

「どうしたのです? 食べないのですか? 食べないなら……私は食べきるまでこの場を『動かない』わ」

「!!!」

 そうだ、『アヤ』はこういう性格なのだ。何があっても自分の意志を貫くのがこの娘の本質。たとえ性格は変わっても、その本質を変えることは出来ない。

「それでも食べないというのなら……その体躯、鉄弦でばらばらになるわよ?」

 首に、足に、手に、腕に。四肢を鉄弦で絡め取られていた。私に選択肢などない。例え罠だと解っていても、私にある選択は『食べる』ということだけだ。お椀を持ち、流し込むように食べる。箸なんて物はない。獣らしく、手で喰らえということか。癪な話だが、意外とおいしかった。『分けてあげる』といった意味がなんとなく解る。『アヤ』ならこのおいしい鍋を私にも食べさせようとするだろう。だが、目の前のこいつは……ナンダ? 何が目的だ??

 最初はなにも感じなかったが、次の瞬間――全身の血液が逆流する錯覚を覚えた。口から、鼻から、耳から。穴という穴からボタボタと何かが垂れ落ちる。この錆び付いた独特の臭い……血!!

「へぇ……その症状……常世の森に自生する毒性の茸、『毒天狗茸』ね。私が食べたときにはなんともなかったんだけど……まさかお父様とお母様がここまでするなんてねぇ……」

「ウ……ウォァ……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

 口からボタリボタリと流れ落ちる。体に毒を流し込まれた。しかも口からだ。消化器系を通って全身に毒が行き渡るのを感じる。このままでは『アヤ』が手を下さなくても死ぬだろう。『アヤ』の声が耳元で聞こえる。もうナニモキキタクナイ。だが、私の耳は無関係に音を拾ってしマう。もう……何もかもがどうデモよくなった。体中の力が入ラナイ。生きる気力も無くナッタ。コノママ……闇ノ中デ消エテイク……

「それじゃぁ、サヨナラ」

 鉄弦が無慈悲に唸る。私の命を刈り取る、死神の鎌が。






 





 だが、一向に私の死は訪れなかった。

「……ニゲテ」

「??」

「……ニゲテ、オネエサマ……ニ……ゲテ……」

 たった一つの蝋燭の明かりに『アヤ』の顔が照らし出される。そこには何も映さない底なしの瞳から一筋の涙がこぼれていた。

「……カラダ……ウゴケナイ……テツゲンデ……ニゲミチ……ツクッタ。モウ……ジカンガナイ……」

「『アヤ』? いったい……これは……ウグッ!!」

「ハヤク!!! 私ガ、ワタシをオサエテいるウチニ!!!」

 『アヤ』の声が重なって聞こえる。見れば、『アヤ』は鉄弦の糸を引っ張らないようにプルプルと震えている左手を右手で懸命に固定している。あれが私の四肢に巻きつけていた糸の終端なのだろう。あれが動いたら最後、私は本当にこの世から消える。『アヤ』は必死に私を守ってくれようとしたのだ。緩くなった鉄弦から四肢を外し、自由になった手足で首に巻きつけられた鉄弦を外す。鉄弦に触れたからといって切れるわけではない。弦を引く圧力で相手を切り裂くのだ。弦さえ動かければそれはただの糸と変わらない。

 辺りを見渡すと、この部屋よりもさらに暗い闇が見えた。人一人がかがんでやっと通れるくらいの道。もともとその部分が腐っていたのか、鉄弦で切り裂いたことによって穴が空いていた。

「モリ……ネエサマのスキなモリ……オオキナ木……皮ヲハギトッテ噛ミツク……毒ガ中和サレル。」

 何故だか知らないが、彩は私が常世の森のお気に入りの場所を知っていた。あの大きな幹の表皮に、そんな作用があったとは。

「ア゛……ヤ゛……」

「イッテ……生きて……おねえさま……」

 壁を潜り抜ける寸前に一度だけ、一度だけ彩の顔を見る。底なしの瞳、感情を何も移してはいないが、確かに笑っていた。涙に濡れて、笑っていた。その姿を見た瞬間、私は覚悟を決めた。

 彩をこんな目にあわせた奴は誰だ。私を『あやかし』にするのは構わない。だが、私の大事な妹にこのような事をさせた奴を、私を最後まで人間として接してくれた妹を貶めることだけは、絶対に許さない。こんなひどいことをした奴は誰だ。その手がかりを探すのは、今しかない。一瞬、一瞬だけでいい。私は毒に全身を犯されながらも今ある全ての気力を振り絞り、彩に取り付いている気配を極限の速さで探る。脳が高速で思考を開始し、鼻血がボタボタと流れ落ちる。そんなのに構っている暇はない。とにかく時間がない。一瞬で彼女の深奥まで感じ取るくらいの勢いでなければ、今度こそ『アヤ』に殺される。だが、そんな危険は百も承知だ。それでもやらなければならない。生きて、と確かに言ってくれたのだ。

 だが、私はそれ以上に『アヤ』を苦しめた黒幕が許せない。彼女はただ利用されただけだ。それも、『アヤ』が最も嫌う方法でそれを実行させた。『アヤ』が私を殺してしまったら、彼女は一生をかけて罪を償おうとするだろう。そんなことは断じてさせはしない。私は『アヤ』の姉だ。ただ逃げるだけではない。必ず何か手がかりを掴んでやる。

 私が出来るたった一つの抵抗――気配を読む直感力を限界まで高め、一瞬で彼女の深淵まで到達する。『アヤ』をこんな目にあわせた奴の手がかりを探すには、これが最短なのだ。だが、そこは底なしの闇だ。闇に食われそうな恐怖を必死で追い払う。息が荒い。まだだ。まだ奥がある。この底なしの深淵のさらに奥、『アヤ』ではない誰か別の気配を感じる。私には解る。感じる。ナニカガイル。取り憑いている奴がいる。さらに深淵に潜り、そいつの気配を探し出す!!

「――ミヅゲダ。」

 彩の後ろに確かにその姿を『見た』。口の中が血だらけで上手に発音できないが、『アヤ』に一言だけでも伝えたかった。伝わったかどうかなんて考えている時間はない。すぐさま壁をくぐり抜け、脱兎の如く駆ける。血のように紅い瞳。二本の角。口を閉じてもまだ見える巨大な牙。あれはまさしく『鬼』。この世界に『鬼』と呼ばれる人物は一人しかいない。

「…………奴……カ……ゴホッ!! 『鬼の十三』……信楽、十三……!! ムグ……ムグググググ……ッッッ!!!」

 嗚咽と涙をこぼし、血反吐を壁に一度吐き捨ててから駆け出す。血の跡から探索されないように着物の袖に噛み付き、地面に落とさないように懸命にこらえる。

「ウウウウウウウ……」

 今の私に出来ることは、ただこの場から一刻も早く逃げること、そして、体中の毒を消すことしか出来なかった。少しでも気を抜けば、毒に犯されたこの体は容易く私の命を奪う。それを精神力だけで支え、懸命に駆け抜ける。『アヤ』の作ってくれた千載一遇の機会を無駄にしないために。幸か不幸か、子供の頃から毎日追い掛け回されていたせいで、走ることには自信があった。暗闇も関係ない。もともと気配だけで探って生きてきた。ここがどこだか分からないが、そんなことは関係ない。森の『気配』は体が覚えている。その気配のする方向に全力で駆け出せばいいだけだ。一分でも早く、一秒でも早く。あらん限りの力を振り絞って私は駆けた。



 ***   ***  ***  



「――始末したのか??」

「……はい」

「それにしては、妖の姿が見えないではないか」

「……予想外に反抗的な態度をとったので、毒を盛りました」

「ほお、自分の姉でありながら、そこまでするか」

「あれは姉ではありません、先生。あれは人の皮をかぶった『バケモノ』――そういったではありませんか」

「……で、肝心の『妖』はどこに??」

「…………毒を盛ってなお、私が妹だと信じていたようです。結局、あと一歩のところで心は砕けませんでした。失敗です。念のため、手足の縄を切断したと同時に鉄弦を四肢と首に巻きつけました。毒で血反吐を吐きながらも私に触ろうとしたので、つい『殺して』しまいました。死体はそこの板の隙間から落としました。板を外せば縦穴につながっています。底は見えませんが、永遠に発見されることはないでしょう」

「そうか……それは残念だった。せっかく、私の作品が手に入るかと思ったのに、あと一歩及ばずだったか。しかし、つい『殺す』とは彩、お前は母である樹よりも性質たちが悪いな」

「血にまみれた手で私に触ろうとしたのです。反射的に鉄弦を動かしてしまったのも仕方の無いこと」

「ふむ……それは一理あるな。たしかに、血が板の隙間に吸い込まれているな。なんと穢らわしいことか。だが、これで全ての計画は滞りなく終了した。彩よ、礼を言うぞ」

「礼などいりません。私は先生の勝負を邪魔された。その報復に過ぎません」

「ならあとで道場に来い。今度は本気で死合おうではないか」

 そう言い残すと、十三は踵を返して部屋を出て行った。一刻も早くこの部屋から出たいのか、やや足早な音がする。一人だけ取り残された彩はただ、姉が抜け出した隙間を一人、ジッっと眺めていた。



「――ゴメンナサイ」



 それは、誰に対しての、謝罪だったのか――



《――常世の森》

「ごろじてだる!! がならず……ごろじでだる……!! わたじをあやがじにじたぞのぜぎきん、びをぼってじれ!!!」
(殺してやる!! 必ず……殺してやる!! 私を『妖』にしたその責任、身をもって知れ!!)

 大粒の涙がこぼれる。いつも腰掛けていた大きな幹の樹木から表皮を剥ぎ取り、それに噛み付いた。体に循環している毒が徐々に薄れていくのを感じる。血反吐を吐きながらなんとかここまでたどり着いた。その目に宿るのは、憎しみの炎。涙など一度たりとも流したことのない私が、涙を流している。裏切られた。完璧に嵌められた。何の関係もない、妹まで巻き込んだ。私を『妖』にするための策として、彼女すら利用した。絶対に許せない。もう誰も信じない。誰も認めない。ここから先は本当の『常在戦場』だ。強きものだけが生き、弱きものは死ぬ。私は『アヤ』に命を救われた。でも、何もしてあげられなかった。彼女を救うことも、運命から解き放つことも、何も出来なかった。無力な自分が情けない。悔しい。悔しすぎる。こんな命、いつだって捨てても良かった。だが、今からは違う。『アヤ』が文字通り命がけで救ってくれた命、決して無駄にはしない。

(必ず……復讐してやる……父、母、そして――全ての黒幕、信楽十三。貴様を殺すため、私は『妖』として生きる。それまで……何があっても生きてやる!!! 生き残って、お前らに復讐してやる!!!)


 その夜、鈴原妖の姿が、この国から――忽然と消えた。



[28115] 第一幕 ~七詩~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/01 15:37


     ――人生は選択の連続である――

     ――たとえそこで間違ったとしても、それが糧となり、新たな選択肢を生み出す――

     ――失敗は決して後悔するものではない――

     ――マイナスからスタートするのだからこそ、助走をつけてより遠くへ飛べるのだ――

     ――必要なのは、それをする『覚悟』だ――






「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……」

 私は闇の中を走っていた。ただ、走っていた。私は独りで生き抜いてきた。そして運が良かったのは、ここが常世の森だったということだ。常世の森はいわば私の庭のようなもの。人間の冷徹な視線から逃れるために毎日のように足に運んだことが功を奏した。何を食べ、何が毒か。水の位置はどこか。この森についての知識が私に生き抜くための力を与えてくれた。そして、追っ手から逃れるために血の痕跡を残さないように走り、血がついた部分は川にある水を使って洗い流した。

 だが、常夜の森をあてもなく彷徨っていたのではない。目的があるのだ。目的があるからこそ、迷わず真っ直ぐに走っていた。西方へ。昼も夜も、ひたすら、ただ真っ直ぐに。とにかく西方へ向かって走っていた。太陽の位置を確認しながら、ただひたすら、真っ直ぐに。



 ***  ***  ***



 東方の世界にはちょっとした噂がある。

 ――常世の森のさらに西に、妖怪たちが大量に棲んでいる――

 という噂だ。私にとってそれはとるに足らない世迷言だったが、彩から聞いた話はそれとは少し違ったのだ。

「姉さま、知ってますか? 『常世の森のさらに西に、妖怪たちが大量に棲んでいる』っていう話がここ最近、噂になっているそうですよ」

「そんなの世迷言よ。それに、妖怪なんて私は信じないわ。私は毎日のようにあそこにいるけど、なんの気配も感じない」

「そうですね……あそこの森は姉さまが一番詳しいですものね。でも、先生から聞いたんですが――あの話にはまだ続きがあるんだそうです」

「続き?」

「はい。『常世の森のはるか西には、魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが跋扈(ばっこ)する世界がある。それらの化け物を倒すことを生業としている人達がいる』という話です。私はどうして東方の国が他の国と交流を持たないかずっと不思議に思ってました。それに……これは偶然耳に挟んだ話なんですが……」

 彩の声が急に真剣みを帯び、声が小さくなる。よほど聞かれてはまずいことなのか。

「あれは道場で私が帰り支度をしているときのことでした。何か話があるのか、母様が道場を訪ねてきたのです。理由はわかりませんが、なにか先生に内密な話が合ったのかもしれません――私にはその内容がよく解りませんでした。そのとき、偶然にも薙刀の話題に触れたのです」

「……以前言っていた『鬼薙刀』の事?」

「そうです。母様も薙刀の真相を知りたかったのか、この薙刀をどこで入手したのか気になっていたようです。噂どおり、どこからの大名からのお礼の品だと言っていました。ただ、先生は最後に一言、こう付け加えたんです。」



 ***  ***  ***



 ――あの薙刀はな、この国で生まれたものではない。別の国で化け物を斬る為に打たれたものだ――


 あの時言った彩の言葉がもし本当なら、この常世の森のはるか西に、まだ見ぬ国が存在するということだ。確信はない。だが、試してみる価値はある。しかも、十三は御前仕合の時も同じ事を言っていた。


 ――教えてやろう。この刀は東方で生まれたものではない。別の国で作られたものだ。儂の『氣』に反応し、刀身から雷光が迸るのだ――


 どちらも『ココで生まれたものではない』という点において共通している。こと武士道という点においてあいつは嘘をつく人間ではない。彩の話と十三自ら口にした薙刀の真実――それが何かの鍵となることは間違いない。そしてその答えは……きっとこの先にある!!

 私はその真実を知るため、そして十三の目的を知るために私はあえて『妖』となり、故郷を捨てた。もう私を縛るものは何もない。衣服が破けようが、素足になろうが、棘で皮膚が裂けようがが関係ない。あがいてあがいて、生きることにしがみつくことをひたすらに考えた。三日三晩、昼も夜もひたすら走り続けた。常世の森は『常夜』の名の通り、昼でも日の光が差し込みにくく、鬱蒼とした森だ。ときおり太陽の位置や折れた幹から覗く年輪の方向を確認し、西へと突き進んだ。そして四日目となったある日……いつものように森の中を駆け抜けていたら突然目の前を光が覆った。

 森を抜けた――と気づいたのは自分の体が宙に投げ出されたあとだった。暗闇に目が慣れていたせいで、森から抜け出した瞬間日の光をもろに浴びてしまったのだ。

 着地に失敗し、地面をごろごろと転がりながらようやく私の動きが止まる。その時、聞きなれない『気配』と『声』が聞こえた。

「ストーーーップ!! アプノーートス、ストーーップ!!!」

 まだ目がチカチカする。視力が回復していない。獣の声と、男性の声。どうやらなにか馬のようなものの前に飛び出してしまったようだ。びっくりするのも無理はない。だが、「すとっぷ」とはなんだ? 聞いたことがない。

 誰かが『降りて、近づいてくる』気配がする。私の衣服はぼろぼろだ。武器もない。視力はだんだん回復してきたが、まだ立てるような状況ではない。

「おいおいなんだぁこりゃ? 突然森から見慣れないカッコしたレイディーちゃんが飛んできたぜ?? ん~~~??」

「…………」

 とにかく不味い。一刻も早く、この場を去らなければ。ふらふらとしながらもなんとか動こうとする。だが、私の体は自分の意志とは反してなかなか動いてくれなかった。そういえば三日三晩ろくに飯も食っていない。ひたすら走り続けていた。日の光を浴びて緊張が解けたのか、意識が遠のいてゆく。

「ヘイヘイ、そんなフラフラしてどこ行こうってんだ? そっちは立ち切り禁止区域だぜ? それによ、着てるものもボロボロじゃん……ん~~、でもやっぱ、見慣れネェな……ランポスーツボディの色違いか?……でもちょっと違うしな……本人に聞いてみるか。HEY!! ハニー、あんたどっから来たんだ??」

「……と……」

 駄目だ……意識が……とお……のいて……

「と??」

「とう……ほう……」

「トーホー? なんだそりゃ? どっかの村か?? ……って気絶してるし!! まったく、今日はいったいなんなんだ?? ん~~、でも髪が邪魔で顔がよく見えないな。ちょっと素顔をば拝見……と……お? おおお??? おおおおおお!!! やべぇぇぇぇ!! 超可愛いじゃん!! マジ俺の好みど真ん中直球ストライクなんですけど!!」

 突然、男が妖の素顔を見た途端、暴走した。どうも彼女が気絶したその素顔が彼のハートを見事に直撃したようだ。よほど嬉しかったのか、マシンガンのごとく言葉が彼の口から吐き出される。

「何!? なんなのこの展開!? 独り寂しくハンターを営む俺の悲しい祈りが届いたのか!? うぉぉ、毎日歌姫様に祈っておいて良かった~~!! なんか俺、テンション上がってきたんですけどー!! これは春!? 春の到来!? うぉぉおお!!! 見える、見えるぞぉ~~!! 春の到来が見えるぞぉ~~!! おし決めた!! この子を介抱して、俺のいいところをバッチリ見てもらおう!! はい、そうと決まれば即実行、ってか!! いくぜ、アプノートス!!!」

「ヴォフ」

 彼の気合の声が届いたのか、アプノートスと呼ばれる獣もそれに応えるように声を返す。

 かくして、気絶した妖は妙な男に抱きかかえられ、アプノートスと呼ばれる獣の後ろにある荷車に乗せられるのであった。
 これも何かの運命なのか、はたまた神の悪戯か。理由はどうであれ、幸運にも妖はこの妙な男に命を救われることとなった。


 運命の車輪は、再び時を刻み、新たな歴史を紡いでゆく。くるくる、くるくると――





『第一幕』 ~七詩~




 ここはハンターが集う大きな街、ドンドルマに向かう田舎道のあぜ道ど真ん中。運がいいのか悪いのか、往来に行きかう人は誰もいない。今居るのは男女が一人ずつ、それに彼が引き連れる竜車(アプトノスと呼ばれる草食種のモンスターに荷車をつけたもの)だけだ。

「うう……ううん……あれ、私……」

 ガタゴトガタゴト。まず私の耳を震わしたのは、今までに聞いたことのない不思議な音だった。 

「そうだ……森を抜け出して、往来に飛び出して……気絶して……はっ!?」

 慌てて髪の毛を下ろし、気配を探る。『大人』が一人、『獣』が一匹。そしてこの音。どうやら私は『何か』に乗せられているらしい。地面からガタゴトと音がするのは、どうも車輪の音のようだ。フゥ、とため息一つ。とりあえず命は助かったらしい。その安堵から、荷車の背にもたれかかり、空を仰ぐ。日の光がまぶしいが、髪の毛を通してなら慣れている。そういえば、日の光を浴びたのは一体、いつ以来だろうか……

「おっ、ハニー……気づいたようだな。怪我はねぇか??」

「!!!!」

 結論から言おう。気づいたら、男がいた。しかも、意外と近い。考えてみれば当たり前だ。荷車の中に人間二人。荷物の間に互いがいるのだ。私は足を折り曲げて座っていたが、男は私の正面にあぐらをかいて座っていた。『つば』のついた不思議な茶色の帽子をかぶっており、その奥から金色の髪を覗かせている。口元には手入れを怠っているのかそれともわざとなのか、無精髭が生えている。全身も茶色を基調とした服装をしているが、東方の国とはその服装は明らかに違う。

「…………」 

 さて困った。私は彩以外の人間と会話したことがない。その前に、どう話せばいいのか? とにかく、このまま故郷へ戻されるのだけは避けなければならない。必要最低限の言葉で何とか乗り切ることにしよう。

「おやおや、ハニーは喋れねーのか?? ん~~……」

「…………そんなことはない」

「なーんだ、ちゃんと話せんじゃん。……よかったよかった。おおそうだ。名を名乗とかなきゃな。コレ大事。とーっても大事だ。俺の名はディム。ハニーは??」

 はにー? なんだそれは? よく解らないが、私のことを言いたいらしい。

「名など、無い」

 即答した。私はもう名前を捨てたのだ。アヤ、と名乗ることは許されないし、これからもその名前を名乗るつもりも無い。だから、私に名前は……無い。

「おお!! そーかそーか!! 『ナナ・ド・ナイ』というんだな!? まるで炎妃龍『ナナ・テスカトリ』みてぇだな!! じゃぁ、略して『ナイ』って呼ぶな。それでいいか??」

「…………」

「な……なんだよその眼は……俺何か変な事いったか? そんなにネーミングセンスは悪くはないと思うんだが……」

「…………貴様は何か勘違いをしている」

「ハァ?? だっておめー、さっき『ナナ・ド・ナイ』って名乗ったじゃん」

「…………」

 断言しよう。こいつは馬鹿だ。それも筋金入りの。大人はみんなこうなのか。それとも、私の言い方が悪かったのか。そういえば、先ほども『ナナなんとか』と妙な単語を口走っていたが、私には何のことだかさっぱり分からない。だが、こんな名前では少々不便だ。とりあえず淡白に切り返すことにする。

「…………そうではない。名前が、“無い”。だから、『名など無い』と、そう、言った」

「名前、ねーのか?? なんで?」

「捨てた」

「どーして?」

「貴様には関係ない」

「おいおいおいおい……そりゃぁねーだろーよ。ハニーを介抱したのは俺だぜ?? 多少は何か教えてくれてもいいじゃんかよ」

 くっ……確かにそうだ。形はどうであれ、この馬鹿に命を助けられたことには変わりは無い。だが、私もこのまま引き下がるわけにはいかない。髪の毛を垂らしているからこちらの表情は分からないだろう。

「…………私を故郷に返さないというのなら、少しだけ教える。それが条件だ」

「(うわー……なかなかヒドイこというなぁ……でも、俺はめげねーぞ!! ここで無理に突き放して印象を悪くさせるのはダメだ。ここは我慢、我慢だ俺!! 素直に紳士らしくハニーの言い分を聞いて、好感度をあげるんだ!!)ん~~~……クールだねぇ……そういうトコもイカスなぁ……まぁ、本来なら条件を突きつけるのは助けた俺のほーなんだが、ここは紳士らしく、レディ・ファーストってことで譲るぜ。さ、とりあえず故郷には返さねぇ。だから教えてくれ」

 おかしい。なんだコイツは。私は明らかに相手が不利となる条件を突きつけたのに、それを意にも介さない。それどころか、こちらの条件を飲むとまで言った。こうくるとは予想外だ。意外と曲者なのかもしれない。奴の気配を探ってみたが、いまいち掴みどころが無い。悪気はなさそうだが……ここは話をあわせておいたほうがいいだろう。それと、先ほどのひどい言いがかりも謝罪せねばなるまい。

「……先ほどの非礼、お詫びする。私は、東方の出身だ。理由は話せないが、家を飛び出した。その時に私を狙う者がいないように名前を捨てた。だから、今考えている……そうだな。私のことは『七詩(ななし)』と呼んで欲しい。」

「『ななし』ちゃんね。オーケーオーケー。んじゃ、可愛く『ナナ』ちゃんって呼ぶことにするわ。」

「……助かる」

 可愛いは余計だ、と一言言いたかったが、なんとかこらえた。

「つーかさ、家を飛び出した!? 見かけによらず、随分と思い切ったことをするんだなー。ところで、東方出身といったか? なーるほど、道理でナナちゃんにはところどころで言葉が通じないわけだ」

「私の国を……知っているのか??」

「ああ、名前だけはな。東方の人間は『こっち』には少ないからな。ナナちゃん以外にも何人か東方の人間と出会ったが、今のよーに俺の言葉を不思議そうな顔で眺めてたぜ。しかしアレだな、家を飛び出したってことは、やっぱハンターになるためなのか?」

「??……『はんたぁ』とは、なんなのだ??」

「あちゃー……そこからか。えーと、なんて言ったらいいのかな。モンスター……って言っても分からないよな、うん」

 よほど私の質問が初歩的だったのか、男が顔を手で覆い、上を向く仕草をした。……もんすたー? なんだそれは?? 駄目だ、さっきからちっとも話が分からない。

「東方の言葉でなんつったっけな……えーと…………おお!! そうだ、思い出した。『化け物』だ、『化け物』。人間じゃぁ到底かなわないような化け物を倒してその見返りとしてお金を稼ぐ職業って言えばわかるか?(ナイスだ俺!! いいぞ俺!! 我ながらパーフェクトな説明だ!!)」

「…………!!」

 ――莫迦な。

 その言葉に思わず目が丸くなる。化け物を、倒す、だと?? 十三と彩の話を考えても一応、辻褄が合う。『でぃむ』といったか……ちょっと頭のネジが緩んでいそうな奴だが、嘘をついているようには思えない。

「あれ?? そんなに驚くことか?? ハンターになるために家を飛びだしたんじゃねーのか? ハンターになりたい理由としちゃぁ、よくある話なんだがなぁ……」

 う~ん、と男がおでこのあたりをポリポリと掻きながら唸っている。どうも『家出=ハンター』というのが『この世界』では定説となっているらしい。確かにそれから考えれば私が家を飛び出した理由としてはおかしいと考えるのが普通だろう。誰が考えたって『身内から殺されそうになったので家を飛び出した』という理由は変だ。私が逆の立場なら絶対に疑う。だが、もし目の前の人間がその『ハンター』ならば……

「一つ、訊いてもいいか??」

「おっ!! なんだなんだ!? 俺様の腕前か? 俺の腕前はスゲーんだぜ? こーみえてもなぁ……」

 彼が喋りだしたが、私には関係ない。兎に角、真実を確かめねば。もし、こいつの言うことが真実なら『アレ』を知っているかもしれない。そもそも素性の知れない人間を匿っているのだ。そして私は丸腰。もし実力行使に訴えられたら私には勝てる術が無い。

 ――これは、賭けだ。さぁ、どう出る??

「…………『鬼薙刀』という武器を、聞いたことはあるか?」

 その言葉を聴いた瞬間、スラスラと流れていた彼の口がピタリ、と止まる。今までヘラヘラとしていた口が引き締まり、急に真剣な表情になった。空気が張り詰めていくのが分かる。まずい、単刀直入すぎたか!? 私は会話するのに慣れていない。くそ、迂闊だったか……



「――あるぜ」

「………………え?」



[28115] 第ニ幕 ~さすらいの狩人(ハンター)~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/01 15:40

 今、この男はなんと言った??

「――『鬼薙刀』、だろ? 太刀の一種だなありゃ。金獅子ラージャンの武器を使った『太刀』だ。雷属性が付与されている太刀だが、はっきりいって弱い。強化しなければ実践では使い物になんねー武器だ。ただ、『鬼』と呼ばれるラージャンを倒した証として一振りは作る人が多いから、そんなには強くないが名前だけは知られているぜ。俺様はガンナーだから全然関係ねーけど……って、ナナちゃんどうした!? 顔が真っ青だぞ!? 大丈夫かオイ!?」

「…………そ…………ん……な……」

 そんな――莫迦な。

 こんな、偶然が、あるというのか――しかも、この男。東方では伝家の宝刀すら言われる鬼薙刀を“そんなに強くない”と言った。ということは……この世界にはあれを超えるような武器がいくつもあるということだ。 『鬼』、そして『化け物』、それを倒す為の『武器』。そして、『鬼』の異名をとる人間は東方の世界でただ一人!!

 私の中で、全ての糸が、一本の線に繋がった。これが、私の捜し求めていた『真実こたえ』!!

 十三は、あいつは……『この世界』のことを、知っている!!! あの『鬼薙刀』こそが何よりの証拠!! あの武器は此処、西方の世界で作られた!! そして、何らかの方法でその武器を持ち帰り、今の地位まで上り詰めた!! ならば、私のやるべきことは一つ!!


「……れるのか?」

「はい??」

「なれるのか??」

「いや、何にさ? ちょ……ナナちゃん……さっきからどーしたよ?? 変だぞ? 顔青くしたり、考え込んだり……何をそんなに焦っ――」


 ――ウルサイ黙ってろ、この下衆野郎がっ!!!


「私も、その『ハンター』とやらに、なれるのかと、訊いているんだ!!!」


 肩で息をしているのが分かる。さっきから余計なことをペラペラと。ウルサイったらありゃしない。『立て板に水』というのはまさにお前の為にあるような言葉だ。イライラがついに限界点を突破したせいで、つい大声を出してしまった。今までの不満や怒りをぶちまけたせいか、多少は心が落ち着いた。相手は私の剣幕にびっくりしているようだが、そんなのはお構いなしだ。

「(つーかなんで俺、怒られてんの? な……なんか俺、気に障ることでもしたか? 特別心当たりは無いんだが…… ん~~~、女心ってのはわかんねーもんだなぁ……)あ、ああ……なれるぜ。ただし、年齢制限がある。十五歳にならなければ、ハンターとして登録が出来ないぜ?」

「十五……だと? 十五……大丈夫だ。私は今年で十五になる。」

 よかった。これで十三に近づく第一歩を踏み出せる。だがもし……あと一年。あと一年ずれていたら……そう思うとぞっとする。まさに首の皮一枚、ギリギリの綱渡りだ。再び荷車にもたれかかるが、突然男がこっちに近づいてきた。だが、眼がさっきよりもさらに真剣になっている。なにがあったというのか?

「しっ……ハニー……ちょっと伏せて口を閉じてろ。『クック』がきやがった。あそこをみろ……あの草原から走ってくるモンスターが見えないか?」

 そう言って、小声で呟くと、荷車の陰に隠れてそっと指を指す。私もそれに習って体を伏せる。『気配』が一つ、近づいてくる。それも、かなり速い。そして、荷車から顔半分覗かせた私の眼には、トンデモナイものが映っていた。

「な……何!? 化け物!?」

 巨大な『鳥』のようなものが、こっちに向かって全力で駆けていた。しかも、訳の分からない雄たけびを上げながら、何か炎のようなものを撒き散らして走ってくる。巨大な翼。全身を覆う桃色の体躯。巨大なくちばし。ギョロリとした眼。そして頭には扇のような謎の物体がついている。よくあの細い首であれだけのデカイ頭を支えていられるものだ。足も妙に細い。しかし、先端にはしっかりと獲物を引き裂くための鉤爪がついている。 

「そう、化け物。こっちの世界じゃ『モンスター』って言うんだぜ。ありゃー『イャンクック』、またの名を『怪鳥』。まぁモンスターの中では下級だが、油断するとあっという間に殺されるぜ。ま、俺様強いからなーんも心配ねーけどな。あいつは顔の上にある大きな耳で音を探知するんだ。どうやら俺たちを獲物と勘違いして襲ってきたらしい。しかし妙だな……この辺じゃ普通は見かけないんだが……ま、そんなことはどうでもいいか」

「……だから私に『黙ってろ』といったのか??」

「イエース……さすが、ハニーは物分りがいいねぇ♪」

 男もかなりの小声でしゃべっている。襲われているのはこちらだというのに一切緊張を見せないこの男。よほど己の強さに自信があるのか。それとも単なる阿呆か。私は後者だと思う。だが、あの耳が音を集音する為の器官だとしたら厄介だ。ということは、かなり小さな音でもあの耳で探知できるということ。私の息遣いも探知されているのか? どこまで精度があるか分からないが、可能性はある。一応呼吸を最小限にとどめ、とにかく男の出方を伺う。どう対処するつもりだ??

「……お前の言いたいことはよく分かった。だが、その前に一つ質問だ。……さっきから連呼しているその『ハニー』とは一体なんだ?」

 そう、さっきから『ハニー』『ハニー』ととても親愛の篭った言葉をぶつけてくる。私にはそれがたまらなく不愉快だ。見ず知らずの女になぜそんな言葉を投げかける? その言葉の意味は一体なんなんだ? 貴様の真意はなんだ? 色恋沙汰に疎い私でも、さすがにこれだけ身近に気配を探っていれば、イヤでも分かってしまう。

「ん~……知りたい??」

「早く答えろ」

「んもう、イケズだなぁ……せっかちな女は嫌われるぜ?」

「そんなことはどうでもいい」

「あぁ……心のこもったアドバイスを何事も無くバッサリ切り捨てるそのクールさがたまらないぜハニー」

「……」

 とりあえず殺気をこめて睨みつけてみる。すると、ワタシの気配が変わったことが分かったのか、男がため息をつく。
 そして、口を開いた。



「『愛しのお姫様』だって意味だよ、ハ・ニ・ィ♪」

「……」




 …………………………聞くんじゃなかった。




「俺様のハートはな……すでにアンタに撃ち抜かれているんだぜ……そう――」

 そして取り出したのは――見慣れない形の鉄の筒。おそらく『種子島』のような銃だろう。だが、その砲身は異常なまでに大きい。

「――こんな、風にナァ!!!」




『第ニ幕』 ~さすらいの狩人(ハンター)~




「おい貴様!! 私には黙ってろと言ったではないか!!」

 私は小声で注意するが、全く耳を貸そうとしない。男は目の前の化け物にまるで宣戦布告をするがごとく大声で叫ぶ。化け物との距離は肉眼でそれなりに確認できるようだったが、今の叫び声で完全にこちらの音を探知した。クルリと振り向くと、雄たけびを上げて走り出す。巨体に見えるが、意外と速い――!!

「ああ、抑え切れない……この想い!! まさにハートブレイク!! 美しさとは罪!! ああ、なんという罪!! 抑え切れない激情が俺を熱く、熱く包むぜっ!! 盛り上がってきたぜぇぇぇぇ!!!!  『デンデデッデデレデンデデッデデレデンデデッデデレデンデデッデデレ……』」

  突然、狂ったように歌いだす莫迦一名。……先刻、こいつは私に向かって『口を閉じてろ』と言ったな? じゃぁ、今の貴様はなんなんだ? 目の前の化け物に食われるぞ?

「『ララララ ラァーアーアーアー♪ ララララ ラァーアーアーアー♪ ルルルルルゥルルゥー♪』」

 一つ問いたい。奇声を上げて叫んでいる今の貴様は何だ? 

 あれは歌か?
 こいつは莫迦か?
 莫迦なのかこいつは。

 やはり大人は腐っている。歌も止まらないが、相手の動きも止まらない。少なくとも、このままでは激突は免れない。

「『ヘェーラロロォールノォーノナーァオオォー♪ アノノアイノノォオオオォーヤ♪ ラロラロラロリィラロロー♪ ラロラロラロリィラロローォ♪ ヒィーィジヤロラルリーロロローォォォ----♪』イィ~~~ヤッハァ!!!!」

「ヴォォ!!」

 莫迦の勢いは止まらない。それに連動して、歌の早さも何かに突き動かされるように加速していく。

「さぁーて皆さんお立会い!! イャンクックは自分が生きるために小さな音でも探知するほど感度が高い大きな耳を持っているんだな~♪ ではここで問題です!! そんな感度のたかーいセンスァーを持っているクックちゅわんに、至近距離でドデカイ音をかましたら一体どーなるでしょうかっ!! 正解は~~……」

 そういいながら投げつけたのは、灰色をした不思議な玉。それが化け物の顔面に当たった瞬間――破裂してキィィンと不思議な音を立てた。


 ――AAAAOOOOOOOOOOO!!!?!?!?!?!?!!??


「『その大音量に鼓膜が破壊され、クックはその動きを一定時間停止する』でーしたッ!! さぁ、遊びは終わりだ……楽しい狩りの時間パーティの始まりだぜッ!!! HOOOOO!!!」

 私たちにはそれほどウルサイ音ではなかったが、目の前の化け物は相当効いたのだろう。眼の焦点がはずれ、ふらりふらりとその場に立ち尽くしている。動けるまでにはかなりの時間がかかりそうだ。こいつは化け物の習性を知っていて、わざと近くに化け物をおびき寄せたというのか。

 だとしたら……こいつは……この『ディム』という男は……化け物モンスターを狩る為の技術を持った『狩人ハンター』!!!


「いっくぜベイベー!! 喰らえ俺の魂のリビドー!! カモォォン!! 【バール=ダオラ】ッ!! 装ッ!! 填ンンッ!!」

 ――ジャコッ、と音を立てて男が棒のようなものを引いた。おそらくあれで弾丸を装填するのだろう。


「ハッハァ~……いつ見てもイカスゼ相棒……解説しよう!!

――この【バール=ダオラ】は新たに発見された従来のモンスターよりもさらに凶悪な剛種モンスターから採取された素材を元に開発され今まで手動で装填せざるを得なかった弾丸の装填部分を改良し常に新しい弾丸が自動的に装填されてしまうというまさにドンドルマの歴史を変える一丁でありこの32mm口径から吐き出される弾丸はなんと秒間5発のスピードを延々と保ち続けそれは手持ちの弾丸がなくなるまでエンドレスに打ち続けることが出来それはまさにめくるめくロンド(輪舞曲)の世界を髣髴とさせ見るもの全てを魅了して止まない一丁であり発射されたが最後もはや誰にも取れられない暴れ馬のように弾丸を吐き続けるこの素晴らしい武器はドンドルマ工房長の手により生まれ変わった機構であり速射という従来の機構を極限まで昇華した臨界限界究極到達点!! その名もぉ~~~~♪  

超・速・射!!!

さぁ……そこで見ていてくれ、麗しのハニー……今からアイツを、俺のこの爽やかなハニカミ顔のような笑顔で倒してくるぜ……オオ……イェェェス……」

 ……よくあれだけの説明を一呼吸で言い切れるものだ。しかも一度も噛んでない。無駄にすごいが、やっぱり莫迦だ。才能の無駄遣いとはこういうことをいうのか。

「用意はいいか? いいぜ? いいぜ? 俺はいいぜ?? いつでもいいぜ? Do you 覚悟完了? さぁいくぞッ!!」

 一人で勝手に盛り上がる莫迦一名。
 ……もう勝手にしてくれ。


「この! 俺の! 爽やかな笑顔に相応しい! 最高の技! その名も……


ハ・ニ・カ・ミ!!!(きらん☆)


ファイアッ!!!


 ――ドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドス!!!

「――!!」

 まるで驟雨しゅううの如く、途切れることなく撒き散らされる銃弾の嵐。その光景に、思わず目を見開く。

 あれだけ巨大な『的』ならどこを狙っても致命傷だろう。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、ではないが……目の前の男は確実に化け物の顔面を中心に狙っている。銃口から吐き出される弾は化け物の嘴を、大きな耳を、眼を抉り、貫き、化け物に風穴をあちこちに開けていく。穴という穴から飛び散る鮮血。それは見るものを恐怖させるほど凄惨な光景だった。だが、私はそれよりも別のことに驚いていた。

 ――自分よりはるかに大きい相手に一歩も怯むことなく、その武器で化け物を容赦なく蹂躙していくその姿。

 それはまるで『鉄弦』のようだった。噂に聞いたことがある……かつて諸国の大名と裏取引をする際、交渉を有利に進めるためにたった一人で大名に仕える三十名の親衛隊を一夜にして惨殺せしめたという。技も武器も違うが、自分よりはるかに巨大な相手をこうも簡単に倒してしまえるその事実に私はただ、呆然と見ていることしか出来なかった。

「HAHAHAHA!! 超速射【バール=ダオラ】が誇る必殺技、その名も『Honeycomb fireハニカムファイア』。いい感じで『蜂の巣』になったみたいだな……ククク……さーて、トドメといきますかぁ~~!! うっしゃ!! 徹甲榴弾!! 装ッ!! 填ンンッ!!」

 さっきとは別の弾を装填する。鉤爪のついた不思議な弾丸。さっきまでとは少し違う形だ。それをジャコッ、という音とともに装填し、ズドンという音と共に銃口から吐き出す。その弾丸は今までのように突き抜けるかと思いきや、化け物の顔面に突き刺さってその動きを止めた。それを見た瞬間、男の顔が愉悦に染まる。

 クィッと男が帽子のつばを下げ、表情を隠して一言。

「das ende♪」(はい、サヨナラだぜ♪)

 ――ドカァァァァァァン!!!!

 刺さってから数秒したあと、弾丸が目の前で大爆発を起こす。その爆風に思わず顔を背ける。だが弾丸が突き刺さった化け物は爆風が顔面に直撃し、悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。最後に少し翼をばたつかせて身じろぎしたかと思うと、やがて地面にその体を横たえてその動きを止める。翼も羽ばたく様子も無い。それはまさしく絶命……殺したのだ。

 時間にしてわずか数十秒の出来事。たったそれだけの時間で、自分より数倍は大きい化け物をあっという間に倒してしまった。これが、ハンター。私の目指すべき、道。 

「んんん~~、クールに決まったぜ……ベイベ~~~♪ ああ、愛しのハニ~~、この俺様の勇姿、見ていてくれたかい……?? なぁ??」

 男がこちらを向く前に素早く顔を背ける。私が呆けていた顔など、絶対に見せてやるもんか。

「……ってみてねーのかよっ!!! んん~~でもその長髪に隠れたクールな横顔もステキだぜ……あれか?? ク~ルビュ~ティ~ってヤツ?? んん~~♪ それもまた、いいかもねぇ~~♪」

 訂正しよう。こいつはどうしようもない莫迦だ。ただし、戦闘のときだけは別人のように真剣になり、相手を容赦なくその銃で撃ち殺す。悔しいが、十三が毎日のように言っていた言葉が脳裏をよぎる。『常在戦場』。この世は既に戦場だ。その為には、如何なる手段も厭わない。戦いを終え、荷車が再び動き出す。ガタゴトガタゴト、音を立てて進む。

 ――目的地はハンターが一同に集う街、ドンドルマ。



 ***  ***  ***



 ドンドルマについた後、私はあの帽子をかぶった莫迦男にハンターになるための登録場所を教えてもらい、別れることにした。あいつは最後の最後まで別れを惜しんでいたようだが私には関係ない。とにかくハンターになり、一刻も早く、強くならなくてはいけないのだ。今いる場所はハンターたちが集会場や待合い場所として使うミナガルデ広場、というところにいる。人々のにぎわう声、立て板を見て唸る人々、屋台のようなものを出して商売する人々。まるでお祭りのようだ。だが、違うのはその服装と武器だ。皆、体中に防具を身にまとい、見慣れない武器を背負っている。そして様々な人間が集っている。驚いたのは褐色の人間や髪の色が赤や黄色などの人間がいることだ。

 東方の国は全員が全員、黒髪黒眼、そして肌の色は白と決まっている。私は見慣れない人々にしばし呆然とその光景を眺めていたが、一つだけ私の興味を引くものがあった。

「――ここにも、野太刀があるのか……」

 そう、それは東方でも見かける武器、身の丈ほどもある『野太刀』だ。東方では太刀、というと二尺三寸(約70cm)の刀のことを指す。それ以上大きいものは『野太刀』あるいは『大太刀』と分類されている。それがこの異国の地でも見ることができたのは少し嬉しかった。だが、その形状は明らかに東方のそれとは違う。刃が鉤状になっていたり、刀身が真っ赤だったり、両刃の太刀を背負っていたり……中には薙刀を背負っているものもいた。金色に光る太刀もあった。実に多種多様。刀といえば鋼のような美しい鉄色が特徴だが、ここではそういった概念はそれほど重要視されてないらしい。

 そして、このミナガルデ広場はとにかく広い。下手をすれば迷子になるくらいだ。だが、その心配は無用だった。広場のあちこちに受付嬢がおり、目的地の場所を親切丁寧に案内してくれるのだ。私もそのお陰で迷うことなく登録所に着くことができた。

 受付は思いのほか早く済んだ。しかし、『ぎるどますたー』とよばれるあの老人はあきらかに人間ではない。そもそも首と顔が一体化しているし、手足も短い。東方の国であんな物体がいたら間違いなく妖怪扱いされて、問答無用で斬り捨て御免である。そして、『ぎるどますたー』に連れられるまま私は一軒の家と最初の所持金として5000z(ここではこのゼニーというのがお金の単位らしい)を手渡された。その待遇に思わずびっくりしたが、「ハンターは己の力で道を切り開くもの。それはとても険しく困難だ。だからこれは我々からの餞別だ」と言われた。やはり年の功なのか、その返答は真に迫るものがあった。

 家に入るとそこには布団があり、机があった。蔵書もいくつか置いてある。料理はアイルーという名の『二足歩行する猫』がかわりばんこで作ってくれるらしいが、食材は買うか、自前で調達するかしなければならないと言われた。いままでご飯もまともに食べていたことの無い私にとってこれはなによりも嬉しかった。何しろ食材を手に入れれば勝手に作ってくれるのだ。まさに至れり尽くせりである。家の外には庭があり、畑が整備されていた。ここに「ニャカ漬けの壷」なる物を買い、この畑に埋めると中に入っている麹菌が作用して時間とともに入れた中身が変化するという。よく分からないが、理屈は漬物のそれとあまり変わらない。

 私は東方の人間である前に、今までほとんど人間として扱われてきたことがない。一般教養はおろか、ここでは何もかもが初めての経験だ。とにかく今は知識を吸収し、生き抜くための知恵をつけなければならない。まずは武器を取る前にここが一体どういうところなのか、まずはそこから始めることにした。机の上には「ルーキーナイフ」という剣盾一対の武器がおかれている。これも『ぎるどますたー』から頂いたものだ。どのハンターでも、まずはこの『ないふ』から武器の扱いを学ぶのだそうだ。だが、その大きさは打刀とほとんど変わらないが、刃の部分は恐ろしいほどに分厚い。とてもではないが刀と呼べるシロモノではない。片手で剣を持ち、片手で盾を持つ。つまり、両手を使った東方の剣術とはまったく異なる戦い方というわけだ。

 ベッド(ここでは布団、といわないらしい)の上に寝転がりながら私はこれからの日々に思いを馳せる。

 私は国を抜け、名前を捨て、全てが初めてだらけのこの地で私はハンターとして新しい一歩を踏み出すのだ。名は無い。名無しである。故に『七詩』。確かに死と隣り合わせの過酷な道だ。だが、私はこんなところで死ぬわけにはいかない。

 「『常、在、戦、場』、『常、在、戦、場』、『常、在、戦、場』――」

 かつて彩が毎日のように繰り返していた単語。まさにこの場所こそ、私を鍛える環境に相応しい。気がついたら、私は既に眠っていた――



[28115] 第三幕 ~ハンターが集う街 ドンドルマ~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/02 21:41


  ――夢か、現か、幻か――

  ――真実か、虚飾か――

  ――現実か、真実か、事実か――

  ――真実とはいつだって、現実より残酷なもの――






『第三幕』 ~ハンターが集う街 ドンドルマ~


 まず私が最初にやったことは、東方の国にない単語を学ぶことだった。単語の意味を知らなければ相手の言っていることが理解できない。理解できないということはそのまま死に直結する。慣れない単語、聞きなれない単語に苦心惨憺(くしんさんたん)としながらも、本を読みながらなんとか覚えていった。特に酒場での会話は非常に勉強になった。あの『ギルドマスター』が取り仕切っている小さな大衆酒場はいわばハンターのたまり場。いろんな言葉が耳に入ってくる。それを逐一マスターに翻訳してもらいながら、ここで生き抜くためのルールを学んでいった。

 まず、この世界では狩人のことをハンターと総称する。そして、依頼主から依頼された目的に従って指定のモンスターと呼ばれる化け物を討伐するのが仕事だ。これを『クエスト』と呼ぶ。そして『クエスト』を受注するのがこの大衆酒場、もしくは『ギルド』とも呼ぶ。ここでクエストを受注し、狩りに赴くのだ。狩猟方法は主に二つ。一つは相手を討伐、つまりモンスターを殺すこと。もう一つは生け捕り、つまりは捕獲だ。大抵はどちらの方法でも条件達成とみなされるが、場合によっては捕獲のみ、もしくは討伐のみという条件を課せられることもある。これをクリアすればクエスト達成となり、ギルドから報酬が手渡される。このサイクルを繰り返して資金を貯め、武器防具を作るのだ。

 そしてもう一つは、この世界で生き抜くための狩猟技術を学ぶこと。その点についてはおそろしいまでに抜かりがない。教官の指導の下、みっちり教え込まれるのだ。東方の国ではその名を知らないものは居ないほど有名な鈴原家だが、その名も家も捨てた私はただの新米ハンターである。まず教わったことは、『とにかく死ぬな』ということだ。最初は負けていても、生き残れば勝てる機会はあるということだ。そして、敵を倒すために作られた武器は十一種類にも及ぶ。

 まず、相手と近距離で戦うための近接武器が八種類。

 身軽な動作で攻守のバランスに優れ、剣盾一対というオーソドックスな仕様の『片手剣』
 我々の世界では二刀流と呼ばれる技術を狩猟方法向きに変化させ、攻撃力に特化した『双剣』
 流麗かつ機能的、斬れば斬るほど殺傷能力が上がり、連続攻撃を可能とする『太刀』
 (東方の世界では全て『野太刀』『薙刀』と呼ばれていたものをまとめて『太刀』と総称するらしい)
 身の丈ほどもある巨大な剣で相手を一刀のもとに叩き潰す重量武器、『大剣』
 近接攻撃の中で最も破壊力があり、その重さで敵を圧殺する打撃武器、『ハンマー』
 奏でる音色で戦況にあわせて味方を援護し、支援と援護を両立できる異色武器、『狩猟笛』
 攻撃を巨大な盾で受け止め、その驚異的なリーチで敵を貫き、突き崩す武器、『ランス』 
 ランスに砲撃機構を追加し、その設計は未完成ながらも驚異的な性能を誇る『ガンランス』

 そして、遠距離からの支援に特化したガンナーと呼ばれる遠距離武器が三種類。

 高い機動力を誇り、装填する『ビン』によって様々な状態異常を引き起こす戦場の遊撃手、『弓』
 弾丸を装填し、その種類であらゆる敵に対応する二種類の『ボウガン』。
 片方は攻撃力を犠牲に機動力を重視、あらゆる状況に対応する『ライトボウガン』
 砲身を長くしたことによって重量は増したが、その驚異的な攻撃力で圧倒する『ヘビィボウガン』
  
 ただし、遠距離と近距離で使用する防具が異なるため、それぞれの防具を作らなければならない。全種類扱う人間は非常にまれだ。大抵は近接と遠距離を一つずつ選ぶパターンが多いらしい。そして、新米ハンターは己の技量や好みによって好きな武器を選び、教官に教わるのだ。しかし、毎度毎度教官に教えを受けるたびに『ガハハハハ!! 我輩だ!! 教官だ!!』という台詞が必ずついてまわる。私はどの武器と相性がいいのか解らなかったので全ての武器を触ることにした。そしてその度に

『ガハハハハ!! 我輩だ!! 教官だ!!』
『ガハハハハ!! 我輩だ!! 教官だ!!』
『ガハハハハ!! 我輩だ!! 教官だ!!』

 から始まるのだ。四回目あたりからそろそろ飽きてきた。一時期は教官三つ子説や六つ子説などが流れたりしたが、真相を問いただしたら教官は一人とのこと。よくよく考えてみれば、あんなウルサイ人間が三人も居たら私は耐えられない。鬱陶しいことこの上ないが、十一種全ての特徴を把握している部分はさすが、教官というだけはある。教え方も親切丁寧だった。その点については感謝している。
 
 私が最終的に選んだ武器は二種類だ。一つは『太刀』。

 やはり東方出身の血がそうさせるのか、手に持ったときに妙な安心感があった。太刀には独特の使い方がある。瞑想や呼吸法によって体内の氣を練り、体中に浸透させる『練気』、そして『気刃』という動作だ。ただし、『気刃』にはいくつかの型があり、最初に教えられたのは『気刃――【発】』と呼ばれる歩行術だ。これは練気で浸透させた氣を両脚に集束させ、回避速度を格段に上げる太刀使いが修得する基礎の型だ。最初でも触れたが、生き残ることを前提にしたこの職業はとにかく命が第一優先となる。そのために回避術を徹底的に教え込まれた。

 次に教えられたのは溜まった氣を刃に纏わせて相手を切り裂く『気刃――【閃】』。これが気刃本来の使い方だ。両手に氣を集めれば身の丈ほどもある重たい太刀もまるで羽根のように軽く動かすことが出来る。これにより、流麗かつ怒涛の連続攻撃を行うことが出来るのだ。

 そしてもう一つは『双剣』。かつて御前試合の時に妹が一度だけ見せたあの二振りの剣。あのときの光景がどうしても忘れられなかったのだ。

 東方の世界でも二天一流という二刀流を使った流派があるが、それを狩猟方法に対応、変化させたのがこの双剣だ。二刀流の多くは片方を小刀で防御、もう片方を刀で攻撃に回すのが一般的だ。だが、こちらでは防御を考えずにひたすら攻撃する攻撃特化の形であるということが二刀流と大きく違う。防御することを最初から考慮していないのだ。故に双剣には刀にあるべきはずの『鞘』が存在しない。攻撃を収めることを止めないからだ。それにより剣の形状もより攻撃的に進化している。

 こちらも太刀同様、氣を使った攻撃方法が存在する。それは『鬼人』。太刀の『気刃』と全く発音は同じだが、その意味はまるで正反対だ。回避に重点を置いた太刀に対し、双剣の『鬼人』は練気で作られた氣を全て攻撃の為に回す。身体機能を強化させ、極端に体内の心拍数を上げることで血液の循環効率を高め、それによって常人を超越した高速攻撃を可能とする。そして、この『鬼人』状態のときに出すことが出来るのが、わずか三秒の間に十の斬撃を行う双剣の切り札、『乱舞』である。あまりにも超高速な動きの為、乱舞の多くは斬ることに神経を集中するために足を固定する人が多い。ただ、人によっては舞い踊るような乱舞を行う人、俊足を活かした乱舞を行う人など、乱舞の『型』は人によって異なる。だが、攻撃に一点集中しているせいで『鬼人化』を解除したときに体にかかる負担がとても大きい。鬼人化や乱舞は己の肉体限界を考えずに攻撃を行う諸刃の剣なのだ。

 どちらも『氣』を使うという点については同じだが、その使用方法は全くの正反対だ。私はこの二種類の武器を使いこなすため、そして体内の『氣』を感じ取るために教官から何度も教えを受けた。太刀の練気はある程度簡単に習得できたが、双剣の鬼人化はかなりの恐怖を覚えた。自分の意志とは関係なく身体が暴走する感覚――氣の暴走である。初めて鬼人化を習得したときは鬼人状態が五秒にも満たなかったほどだ。そして鬼人化を解除した瞬間、体中の力が抜けて倒れてしまった。だがその時、同時に理解もした。この力を自分の支配下に置けば、大きな戦力になるということを。



 そして新米ハンターに必要な採取や採掘といった基本的な講習を全て終え、いよいよ本格的なハンターライフが幕を開けた。

 この世界では『ハンターランク(HR)』なるものが存在し、自分の実力を数値化して管理している。東方の国でいうと段級制度のようなものだ。各クエストにはハンターランクポイント(HRP)が設けられており、クエストを達成すると所定のポイントをもらうことが出来る。クエストを繰り返し、一定値溜まるとランクが1つあがる仕組みになっているのだ。そしてハンターランクが10ずつ上がることに『公式狩猟試験』という名の試練を与えられ、それに受かった者だけが次のハンターランクへ上がることを許される。

 ハンターはこの『HR』によって大きく四つに分類される。新米が集う『下位(HR1~30)』、狩りに慣れたものが次なる世界へと足を踏み入れる『上位(31~50)』、そしてHR50の最終試験に合格すると『上位後半(HR51~99)』となり、これまでとは比較にならない新種モンスターを相手に戦うことが許される。そしてHR100以降は『凄腕』と呼ばれる超一流のハンター達がひしめき合っている。このハンターランク制度は自分の実力を客観的に評価する目安であり、同時に初心者が無謀なクエストを受注して命を落とさない為のストッパーとしての役割も果たしている。つまり、HRが上がれば上がるほど、様々な敵や狩猟場所が広がるということだ。当然、クエストの難易度によってHRPの量も変化する。難しいクエストは当然HRPがたくさんもらえるのだ。ただまれに、条件が簡単ながらHRPが大量に稼げるクエストも存在する。そういうクエストは人気が高く、モンスターの乱獲が心配されている為に受注に制限を設けたりしている。

 当たり前だが、新米である私は当然HRは『1』。受注できるクエストも簡単なものが多く、行ける場所もかなり制限が加わっている。

 私が初めて受けたクエストは初心者なら必ずやっておけと言われた採取クエスト、『特産キノコ5本の納品』だ。何のことはない、狩場に自生している特産物を見つけ、指定の数だけ納品するだけの簡単なクエストだ。だが、このクエストの意味は別にある。それは地形の把握だ。どこに、どんな道があるか。近道や獣道はあるか。地図を見ながらどこがどうつながっているのか徹底的に観察した。

 狩場はとにかく広い。むやみに走り回っていては、あっという間に体力が尽きる。まず私が始めたのは太刀や双剣を扱うための基礎体力作りと鬼人状態の維持の為に必要な氣の使い方の修得だった。練気を使いこなすには集中力が必要だ。人によって氣の練り方は違う。基本的には自分が持つ内在するイメージから氣を引き出すのだ。私は小さい頃から孤独の視線にさらされてきた。そのため、私のイメージは最初はただの『闇』しかなかったが、実際に狩猟する現場である密林を見に行ったとき、その大きな滝とそこにある巨大な海に心を奪われた。

 まるで自分の心の中まで染み入るように……闇の中に一筋の光が差し込んだようだった。それから私のイメージは波風一つない穏やかな『静謐たる海』へとその姿を変えた。海は普段は凪のように穏やかだが、ひとたび荒れ狂えば容易く人間を飲み込む大渦巻へとその姿を変える。静と動、両方のイメージが内在している。それは偶然にも、鈴原家の家訓に通ずるものであった。

 ――疾(はや)きこと【風】の如く――

 ――徐(しず)かなること【林】の如く――

 ――侵(おか)し掠(かす)めること【火】の如く――

 ――動かざること【山】の如し――

 双剣も太刀も、斬るときは【風】のように素早く。練気を作るときは【林】のように静かに、一度攻撃に移れば【火】のように攻め立て――その道はまるで【山】のように険しい。風林火山の三つの意味は理解できたが、最後の【山】がどうしても理解できなかった。

 ――動かざること【山】の如し、ですよ。お姉さま――

 その意味が示すものは一体何なのか。常在戦場のこの世界でいずれ、その答えが見つかることがあるだろう。そう、偶然にも十三の手がかりを掴んだ、あの時のように。




 ***   ***   ***




《3ヵ月後》

 最初は戸惑っていた狩猟生活ハンターライフも3ヶ月を過ぎる頃から少しずつではあるが様になっていった。ここでは誰もが私を平等の人間として扱ってくれる。侮蔑と哀れみの視線で見られていた東方の世界とは大違いだ。今までと違って他人の視線に耐えながら暮らす必要が無くなった。ただ、やはり顔を見て話すのは苦手なので、ミナガルデ広場にある床屋で髪形と髪の色を変えた。私が要望した髪型は『ピースフルハート』と呼ばれ、私の視線を唯一覆い隠してくれる髪型だった。しかし、あの散髪方法には驚かされた。アイルー(人語を話すネコの進化系のようなものだ)が突然、懐から鉤爪を取り出し、私の髪を僅か数秒で切りそろえてしまった。しかも、いつの間にか髪の毛の色は要望どおり、夕焼けのような緋色の髪になっていた。私たちは昼から夜へ移り変わる時間帯のことを“逢魔ヶ時(おおまがとき)”という。あの人を狂わすような赤焼けこそ、私の髪色に相応しい。

 序盤は太刀と双剣を使いながらクエストをこなしていたが、双剣はとにかく斬れ味が落ちやすく手入れが大変なので、序盤は攻撃力と間合いに定評のある太刀から始めた。折りしも、東方由来の『鉄刀』という太刀があったので、それを主力として使っていたが、HRが5になって新たな狩場である『雪山』で遭遇した新しいモンスター、『ギアノス』との出会いが私のハンターライフを大きく変えた。今まで斬れ味が落ちやすい認識しかなかった双剣だが、その評価を大きく変える武器を作ることが出来たのだ。名を『ギアノスクロウズ』といい、手甲のようなものに毛皮をつけ、ギアノスから採取された鱗をふんだんに使った美しい翠緑(すいりょく)の刀身に思わず眼を奪われた。斬れ味もそれなりに安定している。そして、この双剣は手甲の中にある取っ手を握って剣を構える。双剣は防御を捨てた攻撃特化の武器だが、手甲があることで僅かながらちょっとした敵の近接攻撃をやり過ごすことが出来、双剣を構えたその立ち姿はまさしくギアノスが敵を威嚇する格好そのものだ。

 そして、双剣の代名詞とも言える氣を使った鬼人化も段々ではあるが持続時間が延びてきた。いつからか恐怖心は薄れ、逆に己の中に眠る闘争本能がかき立てられるような感覚に恍惚感すら覚える。極度の興奮状態は自分がどれほど危機であっても決して恐怖に怯えることは無い。そのことが私に力を与え、一歩を踏み出す力を与えてくれるのだ。その一歩、たった一歩の踏み込みで自分が生き残ったこともあった。

 かつては『物の怪』だの『獣』だのと言われてきた私だが、こっちに来て人間も動物から進化したということを本から学んで大層驚いた。それから私の自分に対する認識は大きく変わった。そう、人間はもともと『獣』だということだ。そして、このギアノスクロウズを構えて鬼人化すると私の闘争本能が刺激されるのか、はたまた動物本来の原始の記憶が揺さぶられるのか、私はまるで自分が獣であるかのように錯覚することが多くなった――いや、実際はそうだったのだろう。鬼人化して四つんばいになり、草木の茂みから相手を伺う姿はどう見ても獣のそれと変わらない。翠緑の刀身はまさしく敵を切り裂く爪であり、噛み付くための牙でもあった。

 それからというもの、私は双剣を手放すことがなくなった。いや――出来なくなった、という言い方のほうが正しいだろう。双剣を構えた瞬間から既に自分は獣になっている。かつて他人の気配を探り、とにかく逃げ回っていた日常。それがここでは生き残るための武器として活かされることになるとは、実に皮肉なものだ。私は敵の姿が見えなくともその『気配』だけでおおよその数や位置が把握できる。また自らも獣となったことでその狩猟方法は他のハンターとは全く異なる方法で敵を倒してきた。

 防具はランポス種の中でもっとも強度といわれるイーオスの素材を使った防具で全身を固めている。あの毒々しい赤色に紫色の斑点をもち、沼地や樹海、はては火山にまで生息しているランポス種最強の生物。そんな強靭な生命力から生み出された素材はどういうわけだか武器に加工するのは難しいらしい。その代わり、イーオスで作られた防具は下位の中でも屈指の防御力を誇る。髪の毛も紅だが、イーオスの防具も同じく紅の防具だ。これも何かの縁かもしれない。

 動物は獲物を見分けるとき、視覚よりも嗅覚を頼ることが多いとされている。だから同種の大型モンスター(ドスギアノス、ドスランポスなど)を狩猟するときはまず小型のランポスなどを仕留め、返り血を全身に浴びてその死体から皮を剥ぎ取り、自分の体につけて擬態する。そしてゆっくりと大型種に近づき、油断した一瞬の隙にギアノスクロウズで敵の命を刈り取るのだ。これは武器が小型である双剣にはうってつけの戦法である。この方法を使い、私は多くのモンスターの命を刈り取ってきた。もちろん擬態方法はこれだけではない。時には背景に紛れ、時には全身に泥を塗り、とにかく相手を油断させて致命傷を与え、素早く離脱する。場合によっては大型(10メートルクラス)のモンスターも相手にしなければならない。その場合は同じ狩猟目的で参加するメンバーを集い、あらかじめ打ち合わせをしてから狩猟に出かける。だが、私の戦い方は多くのハンターを驚愕させた。「さすが東方の人間だ」とか「そんな真似、俺にはできない」とか、様々な批評を受けた。

 確かに、私の狩猟方法はかなり変わっている。だが、この一撃必殺の手法は紛れも無く、私が彩から聞いた鈴原家の暗殺方法に通ずるものがあった。家畜扱い同然の生活だったが、それでも私は鈴原の姓を受けてこの世に生まれてきた。非常に憎らしいことではあるが、その体には鈴原家の血が脈々と流れている。思えば私の気配を察知するこの驚異的な直感力もその一端だったのかもしれない。世の中は真に不思議だ。かつて私を孤独に追いやった環境が、ここではそれが長所となっている。実に皮肉なことだ。短所もまた長所ですよ、とかつて教えられた彩の言葉。全く持って、その通りだった。



 ***   ***   ***  



《ドンドルマ・大老殿》

大老殿。HR31以上のものが入出することを許可される巨大な神殿だ。ここにはドンドルマの統括者である大長老が常に居座り、ドンドルマの治安と安全、またハンターの不正な行為が無いように厳しく見守っている。だがハンターに向ける眼差しは厳しさの中にも優しさがこもっており、誰もが大長老を慕っている。時刻は早朝、まだ日が昇りかけて間もない頃だ。まだハンターとしての受注もないこの時間、一人の女性がこの大老殿を訪れていた。

「おお、来てくれたか。忙しいのにすまないな。しかもこんな朝早くから呼び出して」

「いえいえぇ~~♪ いっつも暇な職場ですから、お気になさらずですよ、大長老様。相変わらず大きいですね~~、また背が伸びました?」

 そこにいたのは白髪碧眼の女性。肩よりも若干長い白髪をストレートに伸ばし、その瞳はエメラルドに輝いている。だが、その服装は少々、というかかなり刺激的だ。

 黒を基調としたデザインにところどころ見え隠れする白い布地と白い手袋。革のベルトを留めるためのバックルがアクセサリーとなり、あちこちについている。それは腰につけている防具も同じだった。腕と同じデザインのバックルがあちこちについており、腕の防具と同じ黒を基調としたデザインでまとまっている。そのスカートのような防具は動きやすいように股の部分がパックリと分かれており、そこからのぞく黒のニーソックスと健康的なふとももは見るものの視線を釘付けにする。

 だが、上半身の露出度はそれよりもさらに高い。肩には眠鳥ヒプノックから取れた尾羽をあしらった飾りが着いており、覆う布地は胸の部分のみ。健康的な肢体、豊満な胸。そして布地面積の小ささ。ハンターとは思えないほど過激な格好である。喋り方もやや間延びしており、妖艶な格好には不釣合いなほど少女のような声。だが、それもまたアクセントとなり、彼女の魅力を際立たせている。

「こらこら、あまり年寄りをからかうでない。それに、儂はもう長老などという年齢じゃ。縮むことはあっても、伸びることはせぬ……ウ、ウォッホン!!」

「あ、やっぱり長老様、み・ま・し・た・ねぇ~~♪」

「ム……仕方が無かろう。見たくなくても、見えてしまうのだからしょうがないでは……ないか……」

「あはははは♪ 長老様、顔真っ赤~~♪ いやいやぁ、お若いですねぇ~~♪ 当分、その椅子からは降りられそうにありませんよぉ~??」

「ケセラセラ……さては確信犯だな……??」

「さぁ~~?? どうでしょうねぇ~~?? あ、ちなみにこれ私服なんですけど、ヤッパリ不味かったですか? 制服のほうが良かったですか?」

 ケセラセラ、という名前の女性はケタケタと笑いながら大長老と談笑している。その喋り方はどこか飄々としており、直接的な言い方をあえて避ける言い方をしているようにも見受けられる。

「いや、構わぬ。儂自らの命だからな」

「長老様直々の?? 何か問題でも起こったんですか??」

「覚えておるか? 先日起こった、森丘での事件……」

「――存じております。『ランゴスタ異常発生』事件ですね。あとから我々の団員も一人、偵察に向かわせました。事の真相はこちらでも把握しております」

 その話を聞いた途端、彼女の顔から笑顔が消えた。ハンター特有の鷹のような鋭い瞳。落ち着いた丁寧な喋り方。まるで別人のような口調だ。

「さすが、手回しがいいな。話が早くて助かる。あれはランゴスタの大発生だと安易に考えとった儂の落ち度だ……儂のせいで、尊い命が失われてしもうた」

 大長老がまるで全てが自分の責任であるかのようにうな垂れる。ケセラセラは焦ることも無く、動揺することなく、ただ冷静に言葉を紡ぐ。

「それは違います。まさか、ランゴスタを統率する『クイーンランゴスタ』がこちらにも来ていたとは未確認の情報でした。あれは辺境の地でしか生息が確認されていない。しかも森丘はハンター達が毎日のように大型モンスターを狩猟する土地です。いつもならイャンガルルガやリオレウスなどの鳥竜種、飛竜種が生息する地。まさか『女王虫』までやってくるとは思えないでしょう。しかも『女王虫』は現在、密林と旧密林でしかその生息を確認できておりません。絶対数が少ない以上、生態系の解明にも時間がかかります。どうか大長老様、ご自分だけを責めないでくださいませ。そのために『我々』がいるのですから」

「……そうであったな。すまぬ、ケセラセラ。どうも年を取ると周りが見えなくなるようだ」

「いえ、そんなことはありません。それで、どういったご用件でしょうか?? こんな早朝に長老様直々のお呼び出し。余程他のものに聞き入られては不味い事なのでしょう」

 普通、大長老などの意見は使者を使わせて言伝をするのが一般的だ。それが自らの呼び出しであり、わざわざ招くようなことまでした。この案件がいかに重要視されているかがわかる。

「おお、そうであった。一人気になった少女がいてな、ちょっと調査を頼みたいのじゃ」

「気になった少女ですか?? なにか大長老様に感謝状でも渡されたような方ですか?」

 ドンドルマに災害をもたらすような事件が起こった場合、ハンターは自分達の街を守るため、普段は狩猟に使う技術を己の街を守るために使う。ハンターとは生活手段としての一面もあるが、火急の事態の場合は自警団へとその姿を変え、一丸となって街を守るのだ。街が滅んだら当然自分達は生活する手段を失う。大事な友を、家族を、仲間を、恋人を守る為にその力をふるうのだ。そして、優秀な働きをしたハンターには大長老から直々に感謝状が手渡されることがある。直々に、というのが大きなポイントだ。感謝状をもらうということは自分が優秀なハンターである証明であると共に、大変名誉なことなことでもあるのだ。

「いや、そういう訳ではない。さっきの話の続き……とは思えないが、つい最近この上位に入ってきた少女でな……名前は確か……」

 そういうと、近くにあった巨大な書類を取り出し、パラパラとページをめくる。そこには『最近二ヶ月での上位ハンター昇格リスト一覧』という表紙が見える。

「そう……『七詩』という東方の少女だ。喋ることが苦手なのか、あまり会話らしき会話はしなかったが、あの底なしのような暗い瞳に儂はなにか底知れぬものを感じた」

「…………大抵、そういう輩はまともな人生を歩んできてない連中ばかりです。おそらく会話することに慣れていないか、それとも、誰かに“飼われる”ような環境に居た人間……いずれにしても、普通の生活をした人間ではないでしょう」

「そうだな。儂には瞳の奥に憎悪の炎が見え隠れするように映った。ただ、上位に上がってくる連中は決して少なくない。儂も気にはなっていたが、これまで犯罪も犯していないので取り立てて質問するようなことはしなかった。しかし、その少女が……最近ある一つのクエストだけを集中して受注している。他のクエストより全く人気がないというのに、彼女だけそのクエストをいつも受注するのだ」

 その言葉を聞いて、ケセラセラの脳裏に浮かんだのはある一つのクエストの受注名。

「……まさか――『女王虫の羽音』?」

「そのまさかだよ。セラ」

 セラ、とはケセラセラの愛称である。『セラ』が二つも続いて呼びずらいので、本人もこのように呼んで欲しいと思っているし、実際にお願いもする。

「……事の真相を彼女なりに調べようと??」

 セラの口調が一段と静かに、冷淡になってゆく。まるで言葉を慎重に選んでいるかのように。

「解らぬ。彼女の瞳には儂すら映っていない。何か目的があり、それに向かって突き動かされているようにも見える。ただの少女かと思ったが、あの事件に関することであれば話は別だ。それに……これは偶然なのかどうかわからぬが、『あの』指名手配犯がここを追放されて丁度十年になる。その節目となる時期に東方の少女が一人、ここドンドルマに入れ替わるようにやってきた。なにか“運命”めいたものを感じるのだよ……もっとも、年寄りの戯言だがな」

 どこか遠くのほうを見つめながら、独り言のように呟く大長老。だが、セラの反応はそれとちょっと違った。何を思ったか、突然真剣な顔を崩し、くすくすと笑い始めたのだ。

「ふふ……ふふふ……」

「どうしたセラ?」

「いえいえ……貴方の口から『運命』という単語が出ることが意外だっただけです。『運命』とは何かに導かれてやってくる。それが『悲運』なのか『幸運』なのかはその人次第。全て全ては『ケセラセラ』。成すがまま、流れるままに物事は動く。先ほどのご意見からその少女に興味が湧きましたわ。大長老様、一つお願いがございます。『幻影蜃気楼ファントムミラージュ』の帯剣を許可してくださいませんか? 私自ら、彼女の動きを観察したいと思います」

 『ケセラセラ』――それは『なるようになる』という意味の単語である。彼女自身の性格もその名前の通り、流れに逆らわず、抗わず、身を任せているような感じだ。

「よかろう。大長老の名において、『ファントムミラージュ』の帯剣を許可する」

 それがよほど嬉しかったのか、口調が普段のそれに戻る。

「ふふっ、さっすがは大長老様♪ 太っ腹ですねぇ~~♪ ホントは、そんなに簡単に許可していい剣ではないんですけどねぇ~~♪ お礼に、なにかサービスでもしましょうかぁ?」

「い、いや……結構だ。セラが何を言い出すかわからぬ。それに、そこの大臣がさっきから青筋を立ててこちらを見ているのでな……」

 そういい、ちらりと視線を動かすと『大臣』と呼ばれる側近の竜人(ギルドマスターのような人種をここでは『竜人』と呼んでいる)が何か言いたいのを必死にこらえながら鬼のような形相でこちらを見ている。眼鏡をかけているが、そのこめかみからは血管が浮かび上がっている。大長老との会話には基本的に口を挟めない。そのストレスで相当頭に血が上っているのだろう。

「あらら、これはいけませんこと。礼節を重んじるお年寄り様にはちょっと刺激が強すぎたかしら??」

「ケセラセラ!! 大長老様の御前であるぞ!!」
 
「おおぉ~~、こわいこわい♪ それでは、お邪魔虫はとっとと退散いたしますね♪ それでは、近いうちにご報告に上がります。それでは、失礼しますわ~」

一人の大臣がついに激昂し、声を荒げて反論する。だがセラにとっては柳に風だ。まるで気にも留めず、飄々とした態度を崩さない。

「セラ……少し待て。とても大事なことをいい忘れておったわ」

 大長老が慌てて彼女を呼び止めた。あれだけの慌てぶり……余程のことなのだろう。どうやら本題は二つあったらしい。

「あらあら、なんですの?」

 振り向いた後姿で、首だけを大長老に向けて声を返す。

「つい先ほど決まった情報だ。正式にギルドナイツから指名手配犯の始末命令が承認された。十二あるギルドナイトの隊長、そして大長老であるワシを含めた議会で可決した内容だ。しかし、この任については存在しないはずの特務機関、ギルドナイト第十三課『セントエルモの』にこれを一任する。理由は分かるな? 失敗は許されぬ。必ず成功せよ。」

 その言葉を聞いた瞬間、彼女は飄々とした態度から一変、踵を返して大長老の前まで歩き出すと、その場にかしずいた。上司に対する臣下の礼である。

「……はっ。『セントエルモの灯』団長、ケセラセラ。確かにその任、承りました」

 ギルドナイト――それは、このドンドルマで選ばれたハンターのみで構成された最強のハンター集団。存在が一切不明とされているドンドルマの切り札ジョーカー







※補足※
HRPシステムはMHFのシステムを流用にしています。
MHFではHR30を超えると大長老に会うことができましたが、アップデートにより削除されました。



[28115] 第四幕 ~ケセラセラ~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/02 21:40

《6ヵ月後》

 HR30の公式狩猟試験、砦蟹シェンガオレンの撃退に成功した私はHR31となり、上位ハンターへと昇格した。今まで立ち入ることが出来なかった『大老殿』に初めて足を踏み入れ、このドンドルマの街の大長老から正式に上位ハンターへの激励の言葉を頂いた。そのあと「ハンターとして何を目指すか」「君があこがれているハンターはいるか」などという質問が二つ三つあったが、いずれも私には興味の無いことだったので適当に答えておいた。私が強くなる目的はただ一つ――復讐だ。それ以外の何者でもない。工房で武器防具のメンテナンスをしている間に雑誌を読んで待っているが、どうしてもあるページで手が止まる。それは『あの』薙刀のあるページだ。食い入るように見つめながら、己の目的を再確認する。

 しかし、あの大長老という人物はなんというか……見た目が強烈だった。とにかく頭がでかい。胴体と足よりもまだ大きい。ギルドマスターを数十倍でかくしたような感じだった。大きい頭にこれまた大きな白い眉毛と長いひげ。右手に持っている巨大すぎる太刀は威厳の象徴なのかもしれないが、私にはどうみても自分の体を支えるための『杖』にしか見えなかった。それに、これだけの巨体に関わらず座っている椅子がとても小さい。自分を大きく見せるための方法なのだろうか? 全く、世の中は不思議なことが多い。

 上位になったことでギルドの受付譲から下位との大きな違いと注意点を説明された。一つ、クエストが始まる場所は必ず狩りの拠点であるベースキャンプとは限らないこと。二つ、同じくベースキャンプにある支給品はいつ届けられるか分からないということ。これは狩猟場所が危険区域に入ったことで支給品を確実に供給することができないからだそうだ。三つ、次回から下位のクエストを受注すると、もらえるHRP、および報酬金が全て今までの四割に固定されること。これはギルドの運営資金のやりくりと上位ハンターと下位ハンターの差別化の為に行うらしい。四つ、一見同じ風景に見えても、そこに生息する生き物は下位とは比べ物にならないほど凶悪なモンスターになっていること。つまりランポスやコンガなど、小型モンスターでも気が抜けないということになる。当たり前といえば当たり前だが、改めて説明を受けると上位の厳しさを実感する。

 私が上位になって初めて作った武器はこれまで世話になった双剣、『ギアノスクロウズ・改』の強化だ。上位となって新たな素材を入手できたことにより、さらなる強化が可能となった。見た目は変わらないが武器名がこれまでと違い、『アンフィスバエナ』という名前へと変化した。『双頭の蛇』の名を冠する双剣である。防具は相変わらずイーオス装備だが、受付譲がいっていたとおり上位のモンスターは小型モンスターといえどもあなどれない。今までランポスの鉤爪で切り裂かれても頑丈なイーオスの防具ではかすり傷程度の損傷で済んだが、上位になると爪や牙が鋭いのか、同じ攻撃でも防具に受ける損傷がかなり大きくなった。近いうちに防具も上位向けに改良をしないと今度は自分の命が持っていかれる。

 また、支給品がいつ届くか分からないとも言われていたが、これが上位の難易度を大きく引き上げている要因の一つだと痛感した。今までいかに支給品に頼ってきたのかが良くわかる。クエストに行けば必ず置いてある携帯食料がないというのは実に不安だった。これからは食料も持参しなくてはいけない。もしくは現地調達だ。そういえば、上位になったら肉焼きセットは必ず持っていけ、と誰かに言われたのを思い出した。一旦クエストに入れば棄権するまでは街には戻ることはできない。モンスターの攻撃で命を落とすならまだ分かるが、餓死で命を落とすのは一生の恥だ。いずれにしても、上位クエストの過酷さは下位とは桁違いだということがよくわかった。


《1年後》

 私はいつも通り、『あの』クエストを受注していた。報酬も少なく、毎回蟲にたかられる人気のないクエストである。だが、私にはこのクエストはとても意義がある。気づいたら『女王虫』の異名を持つクイーンランゴスタを50頭も討伐していた。その功績を大長老から認められ、私は『女王』の称号を頂いた。頂いた称号は自分で組み合わせることが出来る。そして、出来上がった私の異名は『赤の女王レッドクイーン』。全身を真紅に染めながら敵を狩猟する私独自の戦闘技術は上位のハンターからも一目置かれる存在となった。気づけば、七詩という名前よりも『赤の女王』という異名のほうが知られていた。例え周りから変な目で見られようが関係ない。目的の為ならどんな茨の道も歩む覚悟だ。いつもと同じ、人気のないクエストを受注していつも通りに達成する。そんな日々を送っていたある日のことだった。


 ――私の人生を変える、あの女と出逢ったのは。




『第四幕』 ~ケセラセラ~




《上位クエスト・森丘にて》

 私はいつも通りにクイーンランゴスタを討伐し、その剥ぎ取りをしている最中だった。だが、さっきからずっと、私のことを影で見ている人間がいる。狙いが分からないのでそのまま放置していたが、モンスターを討伐するときにも援護すらせず、こうやって討伐して素材を剥ぎ取っている最中にも出てくる様子すら見せない。ここまでくると変を通り越して不気味さすら覚える。

「そこにいるのは分かっている。……隠れてないで、さっさと出てきたらどうだ??」

 はたから見れば誰も居ない草原に独り言を呟く女性の姿が見えただろう。だが、その言葉には明確な意思があった。とりあえず剥ぎ取りの最中に一言言っておき、何も行動を起こさなければこちらも不干渉を決め込むことにする。だが……

「あらら~ぁ、ばれちゃったか。流石は噂の『赤の女王レッドクイーン』。本当に返り血を浴びても気にならないのねぇ~~♪」

 驚くことに返事が返ってきた。岩陰から出てきたのは不思議な女性。悪びれた様子は一切ない。まるで隠れんぼに見つかった幼子のような、そんな声だ。だが、その容姿は明らかに大人びている。肩より長く、美しい白髪に碧色の眼をもった女性だ。黒い篭手にこれまた同じ黒い腰の防具。だが、上半身は裸に近いほど露出度が高い。何しろ胸の部分しか隠していないのだ。女性のたしなみというものを知らないのか。

 肌を一切隠してないその衣装は肩にかけて大きく橙色の羽根のようなものが取り巻いており、背中にはこれまた不思議な太刀を背負っている。太刀の周りにはとぐろを巻いた蛇のようなものが絡み付いており、それが鞘のように刀身を守っている。刀も直刀ではない。いや……途中まではそうなのだが、先端部分が弧を描き、その様はまるで夜空に浮かぶ月を連想させる。東方の人間には思えない。間違いなく、『こっちの世界』の人間だ。

「御託はいい。何が狙いだ??」

「ところで――この位置からは私はアナタの姿は確認できるんだけど、アナタにとっては完全な死角。どうやって位置を割り出したの?」

「こちらの質問に答えてからにしろ」

「おやおや、こわ~いこわい♪ でもお願い、聞かせてもらえるかしら――」

 これまでからかい口調だった彼女の声色が変わり、突然真剣味を帯びる。

「影に隠れ、呼吸を殺した私を発見できるなんて下位上がりのハンターとしては到底真似できない芸当よ?? 上位の人間ですら私の位置に気づくものはほとんどいない。どうやって私を見つけたの??」

 私にとっては取るに足らないことだが、どうやら彼女を発見したことは一般的には賞賛に値することなのだろう。本当に不思議そうな感じで私に訴えてくる。わざわざ隠すのも面倒なので、私がやった方法を話してやることにした。

「……『気配』だ。人間の気配。見えなくとも、それで大体の位置は探知できる。このクエストの途中から人間の気配が一つ『増えた』。最初は増援かと思ったが、モンスターを討伐しても一向に動くそぶりを見せなかった。そして、私が剥ぎ取りをしている最中にも、その気配は動いていない。つまり漁夫の利を得ようとした狡猾な人間というわけでもない。増援に駆けつけた人間でもない。残る選択肢はあと一つ。私の動向を探りに来た人間ということになる」

「『気配』、ね……やっぱアナタ、東方の出身で間違いないようね。東方の人間はそういった『見えないもの』に敏感だからねぇ~♪ たいしたものだわぁ~♪」

 また口調が元に戻る。相変わらず“カン”にさわる女だ。まるで人をあしらうかのような間延びした口調。飄々としたその態度。実に癪だ。

「それで? 何が狙いだ? この素材か?」

「あ~~違う違う。素材についてはアナタが討伐したんだから全部剥ぎ取って構わないわ。用があるのはアナタご本人。ここで話すのもなんだし、ベースキャンプで落ち合いましょう。 私は一足先に待ってるわ、じゃーねぇ♪」

 勝手にそういい残すと、自分だけスタスタとその場を去ってゆく。何者だ……? 素材でもない。漁夫の利を得ようとしたわけでもない。私を罰するつもりもない。…………では一体、何だ? 何が狙いなのだ? 複雑な気持ちを抱えながら、私もベースキャンプへと足を進めた。



 ***   ***   ***



「……で? 貴様の狙いはなんだ??」

 開口一番、私は真っ先に聞きだした。ここはハンターたちの拠点、ベースキャンプ。そのテントの中だ。中には簡易な布団と携帯食料など、簡単なものが入っている。私も彼女もその布団に腰を下ろした。だが武器は外すつもりはない。私はまだこの女に心を許したわけではない。大して女は太刀を立てかけ、布団に両手をついてのんびり腰掛けていた。私も彼女の隣に座り、会話する体勢を整える。この気味の悪い女の狙いが分からない。先ほどから気配を探っているが、この至近距離にもかかわらず気配が読めない。まるで霧の中にいるかのようにつかみどころがない。

「貴様とはご挨拶ねぇ~~♪ 私にはちゃーんと、『ケセラセラ』って名前があるのよ? 通り名は『幻惑』。セラって呼んでくれて構わないわ。呼びづらいでしょうから」

「……『七詩』だ。セラとかいったな? 一体何者だ? 私を尾行して何かいい事でもあるのか?」

「ん~~~……」

 そういうと、人差し指をおとがいにあて、ゆっくりと考える。

「特に、無いわねぇ~~♪ ただね――気になるのよ」

「…………」

「自分から『名前が無い』って名乗っている人物がなんでこんなところに居るのか、ね♪」

「!!!」

 言うや否や、弾かれるようにアンフィスバエナを彼女の首筋に当てる。コイツ……私が『七詩』ではなく『名無し』という真意に気づいている!! 事と次第によっては、首を刎ねなければならない。十三の刺客だという可能性も捨てきれない。

「はいはい、がっつかないがっつかない。別にどうこうしようって訳じゃないのよ。それと……私も武器もってんのよ? 立てかけてはあるけど、十分手の届く範囲にあるわ。それに、自分より技量が強い人間を脅すにはそれじゃぁ効果は無いわよ?」

「……チッ」

 こいつは強い。それも、かなりの腕前だ。首筋に当てた瞬間、本能的に理解した。つまり、この状況に追い詰められても自分は簡単に切り抜けられるのだと、そういいたいのだ、この女は。目の前の女は私の刀身が首筋に当たっても微動だにしなかった。実に不愉快だが、ここで私が刃を引いても十中八九、彼女の首は刈り取れないだろう。

「まったく、見た目より血の気が多いわね……それに、その前髪。そろそろ切ったほうがいいわよ? 別に誰もアナタのことを軽蔑したりする人間、いないんだから」

「……貴様に私の何がわかる」

「そうよねぇ~~……今のはちょっとお節介だったかしら。それじゃ、アナタが冷静でいる間に本題に入らせてもらうわ。」

 冷淡に切り返す私を気にも留めず、彼女は飄々とした態度を消して真剣な声で私に話しかける。

「申し訳ないけど、ここ数日アナタの受注したクエストの履歴をこちらで調べさせてもらったわ。そしたら『女王虫の羽音』というクエストをもう50回近く連続で受注している。正直言って変わっているとしか思えない。相手は虫だらけだし、素材もそれほど高値で売れるわけではない。ただ、ギルドにとってはありがたいことなのよ? 討伐数が少ないクイーンランゴスタの生態を調べるにはあなたの行動は大きな意味があるわ。でもね――そういう問題じゃ片付かないのよ。毎回毎回、同じクエストを受注して、一体何が狙いなの? 『あの』事件の真相でも暴こうとしているの?」

 クエストの受注履歴を調べるだと――? そんなことが可能なのか? それとも、それだけのことを成せる地位の持ち主と言うことか? 疑問は多々あるが、とりあえず話を進めさせることにする。

「あの事件――『ランゴスタ大発生』のことか? 調査に出たハンターの先遣隊10名が命を落としたというが……噂程度には聞いたことはある」

「そ、それよ。あなたの行動はその真実を見極めようとしているんじゃないかって、そう思ったんだけど……違った?」

「…………全くの見当違いだ。私はあの時まだ『下位』だったし、真相などに興味はない。それに、事の真相なら偶然酒場から聞いた人間から既に知っている。――『女王』の仕業だろう?」

「そうよ、その通り。しかし、あなたがまだ『下位』だった頃にもう真相が知れ渡っていたなんて……おねーさん、ちょっとショックだわ……」

「いや、あれは単なる偶然だ。誰もが知っていたというわけではない。酒場で妙に小声で話している人間が居たので、ちょっと気になって話し声を『集中して』聞いていただけだ」

「ふ~ん……まぁいいわ。真相が分かった今となっては脅威でもなんでもない。ただ、二の舞だけは避けなくてはいけない。それがギルドの使命だし、それでクエストもちゃんと追加されたしね。じゃぁ……改めて聞くわ。真相も分かっているあのクエスト『女王虫の羽音』をどうしてあんなに受注するわけ? お世辞にも、魅力のあるクエストとは思えないんだけど」

 この女の言うことは一応筋は通っている。『ランゴスタ大発生』――私も噂だが聞いたことがある。たかだか双剣の数撃で死ぬ雑魚モンスター、ランゴスタ。そのウザッたさは筆舌に尽くしがたい。最高のタイミングで横槍を入れてくるまるで空気の読めない蟲だ。その蟲にハンターが10人ほど殺される事件が起こったのだ。私も最初耳を疑った。あの雑魚にハンターが殺されるなど普通は考えられない。あとで知ったのだが、どうやらあの事件はランゴスタを統率する『女王』と呼ばれる存在がいて、そいつが陣頭指揮を取っていたために起こった事件だということが発覚した。

 だから私は事の真相を酒場で偶然聞いたとき、このクエストを受けようと決意した。私は更なる強さを求められるクエストはこれをおいて他にはないと思ったからだ。

「――似ているからだ」

「似ている?」

「そう……あのクエストは東方の『合戦』に、よく似ている……何十何百と襲い掛かる蟲の大群。それはまるで、東方の『合戦』。違うのは味方が誰も居ないこと……つまり私一人だけだ。一対多数の戦場が私を強くする。そして、蟲達はある『指揮系統』のもとで動いている。だからこちらの動きに合わせて襲ってくる。あれには驚かされた。全く知性のないただの蟲が、まるで『陣』を組むかのように襲ってくる。一番驚いたのは……蟲達をまるで矢のように整列させ、一斉に襲い掛かる敵陣突破の陣形――『蜂矢の陣』で私に襲い掛かってきたことだ。双剣を持っていて正解だった。鬼人化状態を常に維持し、奴の針を喰らう前に高速の斬撃で突貫してくる蟲を一匹残らず叩き殺さなければいけない。あの針には麻痺毒がある。一匹だけなら大したことはないが、あれだけの蟲の中で麻痺毒を受けたら全身穴だらけにされて間違いなく終わりだ。そして、この『合戦』には陣頭指揮を執っている『女王』がいる。指揮系統さえ破壊してしまえばあとはただの烏合の衆に過ぎない。何時、どの頃合で女王に突撃するか、その機会を毎回変えていた。だが、女王の持つ攻撃はもっと厄介だ。麻痺毒とは違う尻尾の部分から噴霧するガス攻撃。直接的なダメージは少ないが、体中の身体機能を著しく低下させる。動きは鈍り、体が衰弱していくような感じだった。ささいな攻撃でも衰弱した体では致命傷になる。初めてあのガスを食らった時は本気で死を覚悟したが、偶然支給品にあった閃光玉を投げたら相手がめまいを起こしたのでその隙に一気に攻撃――討伐に成功してなんとか生き残ることが出来た」

「ふ~ん、な~るほどね~……一対多数の戦闘を想定して戦い、指揮系統があるときの戦い方やそれが無いときの対処の仕方を自分なりに研究していた、というわけね。でもね、ハンターは一対多数の相手を想定した戦い方はまずしないわ。むしろ逆よ。自分より遥かに大きい相手を多人数で仕留めるのが『普通』。だから、アナタのやっていることは明らかにおかしいのよ。何か意図や目的があるとしか考えられないの。違う?」

「……目的なら、確かにある。――復讐だ」

「復讐ねえ……やっぱ、そっちのたぐいの人間、ってわけか。……で? 誰よ、その復讐したい相手って?」

「貴様に教える必要は無い」

「ま、それもそうね。復讐者に何言っても無駄ってことはよく知ってるからねぇ~~。で・も・ね? その相手に一人だけ心当たりあるのよ、私。聞きたぁ~い??」

「先刻言ったとおりだ。貴様が何を言おうと、私のやるべきことは変わらない。たとえ名前が出たからといって、復讐をやめさせる魂胆――」

 だが、セラはその言葉を遮り、おもむろに私の傍まで近づくと、耳元でそっとささやいた。




「し・が・ら・き・じ・ゅ・う・ぞ・う」




「!!!」

 その言葉を聞いた瞬間、今まで抑えていた憎悪が解き放たれたように私の体からドス黒い氣が迸る。私がこの手で地獄に送ってやりたい相手。最愛の妹を謀略に嵌め、自分のことを『妖』に仕立て上げた張本人。

「あらあら、そんなにがっついちゃって……くすくす、そんなに驚いた?? 私が、彼を知っていることにねぇ~~」

(あらら、いきなり当たりを引いちゃったか。……はぁ、マズったわね……“かま”をかけたつもりだったんだけど、まさか逆鱗に触れちゃうなんて、ついてないわね……でも、何されたか知らないけど、あれだけの憎悪。余程酷い仕打ちをされたんでしょうね。仕方ない、ちょっと話を続けて勢いを削ぐとしましょうか)

「アンタの行動、逐一観察させてもらったわ。ドンドルマの工房に置いてある武器雑誌の中で必ずある一点の武器をずっと食い入るように眺めていたわよね。しかもそれは『鬼薙刀』。かつて信楽十三が所持していた武器。あれだけ毎日のように見ているんだもの、そいつに何か関係あるに決まってんでしょ?」

「誰かに見られているような気配が後ろからしていたのは分かっていた。別段何もするわけではないので放置していたが……あれはオマエか」

 抑え切れない怒り、とめどなく溢れる憎悪。私はそれを隠そうともしない。いや、隠し切れない。奴の名前を聞いた瞬間、これだけの憎悪が私の中に溜まっていたとは、自分自身ですら気づかなかった。

「なーんだ、気づいていたんだ。呆れるほどの直感力と察知能力ねぇ~。どこでそんな技術を磨いたのか知らないけど、ね」

「そんなことはどうでもいい。それと、なぜ貴様は信楽十三の名を知っている?」

「ん~~……」

 そう考え込むと、何かいいたそうな顔をしている。珍しい。いつもならからかうような仕草を見せるこの女がよりによっていい悩むことがあろうとは。

「――ちょっとワケありなんだけど……まぁいいわ。ちょっと早いけど……アナタに事の真相を伝えるとしましょうかねぇ……」

 そういうと、私の眼に視線を合わせる。彼女の眼が私の眼を見ている。髪で隠れているにもかかわらず、彼女は私の眼をしっかり捕らえている。

「まず一言断っておくわ。アナタが故郷でどんな生活をしてきたのか私は知らないし、それを調べるつもりもない。――ただ、ちょっと考えてみて欲しいのよ。故郷で受けてきた屈辱や謀略、あまりにも出来すぎた展開……自分の過去を振り返って、なにか思い当たることはない? なにか違和感を覚えたことはない?」

「…………」

 腹立たしいが、思い当たることはある。とくに『屈辱』という点においてはあげればキリがない。だが、最後の『出来すぎた展開』というのが妙に引っかかる。それは忘れもしない、あの御前試合のことだ。あの試合運びは明らかに異質なものを感じた。彼女はその事をいいたいのか? 違和感といえばあれが一番違和感がある。

「ふふ……その顔、何か思い当たることがあるって顔ね。じゃぁ、こういうのはどうかしら――あなたが感じていたその違和感の正体。それらが全て、アイツの脚本通りに動いていたとしたら、アナタ、どう思う??」

「…………どういう……ことだ? 脚本、通りだと? はっ……莫迦な。何を根拠にそれを証明する? そんな都合のいい話、信じられるか」

 脚本どおりだと? 釈迦の手の平の上のように、全ては仕組まれた、都合のよい脚本。私はその筋書き通りに踊らされていただけだというのか。そうしたら、一体何処までが筋書きなのか? 今『ここにいること』も、奴の筋書きだというのか?

「信じる信じないはあなたの勝手よ。私は事実しか言わないわ。結論から言うとね、アナタは最初からずっとヤツの掌の上で踊らされていた『人形』だったのよ。それも、生まれたときからね。そして、役を終えた人形は舞台から降りる運命にある。結局あなたは十三の脚本通りに動き、『妖怪』に仕立て上げられて最後は『神隠し』という言い回しで歴史の表舞台から姿を消された」

「…………」

 確かにそうだ。私は歴史の舞台から姿を消された。それは紛れもない事実。だから私は鈴原の姓を、名前を捨て、ここにやってきた。

「信楽十三はね……ここドンドルマで多大な貢献をした東方の人間なんだけど……現在は指名手配中の身なのよね。彼がの犯した罪は『禁忌の調合』。調合という作業自体は悪いことではないわ。ただ、彼が目指していたことは自分の命令で動く『人形』をつくること。それを叶えるのが樹海に生えている『混沌茸』と『ドキドキノコ』を一定の分量で調合すると出来る『傀儡(くぐつ)の粉』という薬でね……これを吸い込むと相手を意のままに操ることができる。しかも、相手はその事を覚えてはいない。この調合術が発見されたとき、ギルドナイトはこれを禁止調合に認定し、その存在が明るみに出ないように隠蔽した。だが、十三はどういうわけか『傀儡の粉』の調合方法を知っていた。どんな方法か分からないけど、彼はドンドルマの一角にある図書館、その閲覧禁止区域に潜入してその調合法を得た可能性が高い。……アイツの恐ろしいところは強さだけじゃない。その慎重さにあるわ。絶対に証拠や手がかりを残さない。例え犯人だとわかっていても、彼を罰する証拠が何一つ見つからない。だが、十三の行動はドンドルマに確かな影響をもたらしていた。私はこのことを最高指導者の立場である大長老様に進言し、長老権限を用いて彼をこのドンドルマから追放した。」

「そんな危険な薬の調合表なら、隠蔽せずに焼却すればいい。なぜわざわざ書物に残す?」

「それをアナタが言うの? 一家の秘伝や家宝、奥義と呼ばれるものは書物だったり一子相伝だったり、何らかの方法で受け継がれるのが通例でしょ? それはアナタのほうが余程実感してんじゃないの?」

 おかしい。コイツ、なんでこんなに東方の知識に詳しい?? その口調、その態度。どれをとっても東方の人間に当てはまる要素がない。何者だ、この女? 気味が悪い……その流れるような白い髪はまるで……




「――幽霊、みたい?」




「!? チィッ!!!」

 まるで自分の心を見透かされたかのような言動に思わず黒い氣を纏った双剣で斬りつけるが、いつの間にか手に持っていた太刀で簡単に受け流される。だが、彼女の口は止まらない。

「――でもね、彼は追放される寸前、自ら研究した資料を全て焼き払い、自分の象徴である『鬼薙刀』をもって逃亡。そして貴方たちの国へとやってきた。資料の焼却やその偽装など、彼は逃走の計画をかなり綿密に練っていたようだったわ。それも、自分が追放されるかなり前からよ。私たちは偽者の情報を掴まされ、まんまと一杯食わされたわ。それを知ったのは彼が逃亡してかなり経ってからだった。だから私自ら十三のありかを突き止めるため、そして未知の世界である東方の世界を知るために徹底的に東方の知識を叩き込んだ。そして、私は間者スパイとして実際に東方の国へと行き、情報を集めた。主に情報源は遊郭を使って得たわ。己の体を売ればあそこはどんな人間でも受け入れてくれるからね。そこで知ったのよ……十三のありかとそのシナリオ、そして鈴原家のしがらみ……その他、もろもろとね。」

 こいつ、自分の体をまるで道具のように扱って……そこまでして調べ上げたというのか。一体何が彼女をそこまでさせる?

「そしてね――興味深い情報を手に入れたのよ。なんでも、妖怪に殺された人は『神隠し』といって、罪に問われないらしいのよね」

「…………」

「そして五年前、一人の少女が『神隠し』にあった。その少女の名は――『スズハラアヤ』」

「!!!!!!」

 こいつ――!! 私の名前まで――!! 何処まで調べ上げた!? 鈴原の何を、どこまで知っている!? 鈴原家の暗部については情報が漏れないように二重三重の網を張っている。それをかいくぐる技量、よほど上層部との人間との接触がなければ手に入れられない情報だ。……危険すぎる。この女は危険すぎる。いかなる手段を用いても情報を得るその思考回路。その在り方が、存在自体が、既に危険だ。

「だから、私がスカウトにきたのよ。私の猟団に入りなさい。ねぇ――『リン』??」

「――リン、だと??」

「そうよ、『リン』。それがあなたの新しい名前よ……『スズハラアヤ』」

 そういうことか。こいつも十三と同じか。セラといったか、この女。こいつは誰かの指示で動いている。だが、彼女が己の体まで差し出して得た情報は決して間違ってはいない。そして、その全ては真実だ。十三は白木の国に居ることも、私が『神隠し』にあったことも、彼女は全て知っている。いや、調べたのだ。私のことも、鈴原家のことも。私を『利用しよう』と企んでいる。ようやく自由になったのだ。こんなところで、再び鈴原の名前を聞くことになるとは思わなかった。ふざけるな。もう私は鈴原とは何の関係もない!!

「『スズ』の音からとったのよ? 漢字には音と訓がある。鈴(すず)はその意味を、音は『リン』を。だから、あなたの名前は『リン』。名前なんて要らないというのは分かるわ。でも必要なのよ。自分を認識させるための識別子フゴウと思えば不便はしないでしょ?? どっちみち、あなたの防具も東方の鎧である『凛』一式でそろえるつもりだし、丁度いいわねぇ~~♪ これも何かの“運命”かしらねぇ~~♪♪」

 何が運命だ。くだらない。そんな三流役者が書いたような脚本どおりの運命など、叩き潰してやる。そして――

「…………潰す。潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す……」

 ――コイツは、今、ココで、殺さなければならない。

「はぁ。まだ気分が晴れないか……ま、それもそうね……自分の一番触れられたくない部分に他人が土足で踏み込んできたんですものね……ま、丁度いいわ。相手してあげるから、かかってきなさいな。貴女の気分を害したことに違いはないし、さっきから私のこと……殺したくて殺したくてウズウズしてるんでしょ。殺気がだだ漏れよ? それに、そのドス黒い『氣』。まだ使いこなすには早すぎるわ」

 そういうと、彼女は太刀を背負ってベースキャンプから外へと出る。私もつられて外へと出る。ベースキャンプ内なら関係ない。ここにはモンスターもこないし、周りは森林。音も吸収してくれる。問題はない。

「…………私の動きを甘く見ると、死ぬことになるぞ?」

「ご心配痛み入るわぁ~~♪ フフッ……下位あがりで天狗になっているアンタには丁度いい薬になりそうね――本当の『戦闘ハンティング』って奴を……私が教えてあげるわ」

「セラ……貴様は私の逆鱗に触れた。生きて帰れると思うなよ? 翠緑すいりょくの双剣にして双頭の蛇、『アンフィスバエナ』でその体躯、八つ裂きにしてくれるッ!!」

「おー怖い……でもぉ、あんまり肩の力入れちゃうと、本来の実力、でないわよ? ――んじゃ、私の武器も紹介するわ。霞龍オオナズチの素材で作られた太刀、『ファントムミラージュ』よ。いつもは蛇みたいに絡みついた鞘で刀身は保護されているけど、一旦抜いたら勝手に縮まって攻撃可能な武器に変形する不思議な武器よ――」

 そう言うと、彼女は背中にかけていた太刀を振りほどき、下段に構える。とぐろを巻いていた『鞘』が勝手に引っ込み、橙色の刀身があらわになる。と同時に、信じられない現象が起きた。

「!!! ――刀身が、消えてゆく……だと??」

「違うわ。見えなくなっただけよ。オオナズチ――またの名を『霞龍』。自分自身の体を背景に溶け込ませて姿はおろか、気配すら消せる変わったモンスターなの。よほど至近距離まで近づかないと奴の位置が把握できないくらいにね。そして、オオナズチから剥ぎ取った素材にもその特徴は残っている。そして完成したのが不可視の太刀、『ファントムミラージュ』――それがこの子の、戦闘形態よ」

「成程……世の中は広いな――目に見えない太刀があるとは。動物は苛酷な環境を生き抜くために進化を繰り返すというが、そういう意味ではこのモンスターは相当、変わっているな。だが――」

 そういうと、私も愛用の双剣を構える。

「変わっている点という意味では、私も同じことだ――」 




※補足※
称号組み合わせはMHP2Gのシステムを流用しています。MHFでは称号を組み合わせることが出来ません。



[28115] 第五幕 ~枷(かせ)~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/05 19:50


――闇は光を、光は闇を求める――

――互いが頂点であり、終焉――

――全ては成すがまま、流れるままに――




 刀身を消し、柄だけが残るセラに対峙する。私は全身の氣を体中に張り巡らせていつでも奴の喉笛を掻っ切れる状態で構える――だが、セラは太刀を地面にダラリと垂れ下げたまま、飄々とした態度を崩そうともしない。

「殺り合う前に一ついいことを教えてあげるわ。オオナズチの姿を消すこの原理はね、まだギルドでも完全に解明されていないのよ。一番有力な仮説なのが、『光の屈折率の変化』。生物は光を通して様々なものを見る――それを応用してオオナズチは自分の体に光の屈折率を変化させ、あたかも透過しているかのように姿形をくらます。ちょうど、小動物が保護色をつかって天敵から身を守るようにね――その器官となるのが、オオナズチの先端にある角と尻尾。この二点の部位を切り落とすことで、迷彩ステルス機能は完全に効果を失うことになる。ただ、まがいなりにも『龍』と呼ばれしモンスターがなぜそのような技術を身につけたのかは、分からないけどね……」

「それは丁度いい。今度、ソイツと対峙するときが実に楽しみだ。だが、姿形はくらませてもそこに『存在する』ことにかわりはない――!!」




『第五幕』 ~枷(かせ)~




「フッ!!」

「ハァァァッ!!!!」

 『鬼人』状態になり、黒い氣をまとうことで私の身体能力は驚異的に上昇する。アンフィスバエナを構え、彼女に突進していくが、間合いは明らかに太刀の間合いだ。だが、そんなことは関係ない。そんな距離、氣を使った歩行術「気刃――【発】」で一瞬に縮めることが出来る……そう考えていた。 だが、彼女の剣は私が突進してくる瞬間に突如その構えを変化させ、横薙ぎに薙ぎ払った。一瞬だがわずかに空間が歪んだのを私はこの眼で確かに『視た』。速度を殺し、双剣の刀身をつかって不可視の太刀を受け止める。彼女の剣速が速過ぎて私の突進が間に合わない。悔しいが、彼女の強さは本物だ。今のまま突っ込んで言ったら、間違いなく上半身と下半身が永遠の別離を遂げることになる。

 恐ろしい武器だ。刀身が見えなくなるというその異質さに加え、驚異的な剣速。並みの腕力じゃここまでの速度は出せない。私も太刀を使っていたからよく分かる。

「へぇぇ~~、私のショーテル、よく見破ったわねぇ~~♪ 氣を纏うと、それに反応して刀身が消える特徴があるのにねぇ~♪」

「不可視の剣……確かに恐ろしい。だが、見えないだけでそこに『ある』という事実は変わらない。貴様が太刀を振るならそれは『気配』となる。だから見えようが見えまいが、私には関係ない。それに……攻撃するときに空間が僅かだが陽炎のように歪む。多少不便を感じるが、戦闘においてそれほど支障はない」

 そう、私には『気配』を察知するという武器がある。不可視だろうとそれは同じことだ。あとは速度だ。どっちが速く、互いの間合いに近づけるか。

「ふぅん……不可視の剣を実際に見て、戦闘に困らないなんて言い切ったのはアナタが初めてよ。やれやれ……面倒な娘ね……でもね、あなたには致命的な弱点があるのよねぇ~」

「ほざけ!!」

 そう叫ぶと、再び全身に黒い氣を纏う。普段の赤い氣とまるで違う、憎悪をそのまま具現化したような漆黒の氣。どうしてこんな氣が出るか自分でも分からないが、この際そんなことはどうでもいい。致命的な弱点だと? 何が言いたいのかは分からないが、致命的な弱点なら貴様にもある。太刀はその構造上、根元に行けばいくほど切れ味が鈍くなる。柄の部分まで私が接近すればいくらでも攻撃方法はある。一太刀かわして、その反動で突っ込めばそれで終わりだ。彼女の攻撃が始まるのを気配で察知する。最も破壊力のある攻撃、上段からの唐竹割りだ。それを左腕の刀身でいなして全身の氣を活性化、バネのように飛び出して彼女の喉笛を右腕の刀身で掻っ切る――はずだった。

「!! な……に!?」

 いや、彼女の姿はさっきまで確かにそこにあった。だが、肝心の手応えがない。彼女の姿が陽炎のように揺らぐ。私が動揺しているうちに、『不可視の刀』が私の首筋にピタリと触れた。

「はい、チェックメイトよぉ♪」

 後ろから声がかかる。いつの間にか、彼女は私の後ろをとっていて、太刀を片手で悠然と構えていた。だが、柄から先は完全に消えており、はたから見れば不思議な光景に思えるだろう。

「アナタ――気配で人間を察知するっていったわね? 並の人間では到底身につかないほど、獣じみた驚異的な直感力。これはあなたの生まれ持った才能の一つであり、あなたはこの能力を使って生き抜いてきた。それは環境によってどんどん研ぎ澄まされ、いまや動くものの気配を察知できるほど鋭くなっている。――じゃぁ発想を変えて、『気配だけ残して』気配を消せば、一体どうなるかしら? あなたにはまるで『幻を斬った』ような感覚になったんじゃない? 違うかしら?」

 いつものからかい口調ではない、冷静なしゃべり方。淡々と事実だけを述べるその言い方が実に腹立たしい……腹立たしいが、コイツの言うとおりだ。だとしたら、あの姿は幻。私が太刀をいなして突進していたその瞬間、既に勝負がついていたというわけだ。……強い。だが、それ以上にその形状が不愉快だ。

「…………くっ、その弧月を描いた刃、莫迦にしているのか……断頭台のつもりか? なぜあつらえたかのように私の前にだけ刃がそれている?」

「断頭台? ……ってそれ、ギロチンのことじゃない。アナタ、よくそんな物騒なもの知ってるわね。どこで覚えたのか知らないけど……成程、断頭台ね――実に面白い。面白いわ。丁度いいから教えてあげる。この半円に描いた刃ショーテルはね……そういう為に使うんじゃないのよ。中世初期、まだ鎧というものが完成されて無かった時代……剣士は必ず剣と盾を持っていた。このショーテルは、横殴りに斬りつけることで敵の盾をかわして攻撃を行う為に生まれたの。決して伊達や酔狂で曲げたわけじゃないわ。刀剣として邪魔な盾を壊すのではなく、盾自体をかわす剣が必要だった。世の中がそれを望み、そして生まれたのがこの形状。成すべくしてなった、というわけよ。世の中全ては『成すがまま、流れるまま』。だから貴女がここに来たのも、何かの運命」

「…………」

「これも運命。されど、運命。私と出会ったことが幸運なのか、悲運なのかはあなた次第、ということ。全て全ては『ケセラセラ』。成すがまま、流れるまま。流れに逆らわないこと。貴女の運命は、まだまだ廻り続けるわ。糸を紡ぐ機織りのように、くるくる、くるくるとね――」

 まるで詩を詠むかのような独特の口調。『成すがまま、流れるまま』、それが彼女の心情であり、心にある信念なのだろう。『常在戦場』という心情が私の中にあるように、彼女の心情はその流れに逆らわない水のような柔らかな心というわけだ。(『風林火山』という家訓を出さなかったのは、まだ本当の意味を掴めていないからだ)

「で、あなたを猟団に入れたい理由は単純。ギルドナイトから正式に指名手配犯である信楽十三の始末命令が下ったわ。それをアナタに実行してもらいたいの。わかるぅ??」

「!!!」

 十三を、この、私が……!? これも『運命』なのか!? それとも、都合のよいただの『筋書き』なのか!?

「十三はアナタが死んだと思っている。それが好都合なのよ。そこに付け入る隙がある。アナタはもう十三の筋書きから解放された自由の身。だから、これから先の筋書きは誰のものでもない、アナタ自身の物語」

「私、自身が……」

「そうよ、『リン』。ここから先は誰にも分からない。誰にも決められない。あなた自身が決め、行動するの。それが、人生という名の物語ストーリー。アナタ、強くなりたい――そう言ったわね? 強さとは、環境が作り上げるもの。決して力に驕らず、力に溺れず、ただひたすらに己を磨く。近道なんてものはないのよ」


 ――彼女は、私を利用するつもりも、罠に嵌めるつもりもなかった。ただ、己の道を己で決めろと、そう言いたかっただけなのだ。だから、強い。復讐だけに取り憑かれた今の私では……この女に、勝てない――


「ケセラセラ、といったな?? ――私の、負けだ」

「あら、潔いわね。さすが東方の『侍』。引き際も見事ね」

 侍。そうか、そういえば『こっちの世界』では私たち東方の人間をそんな風に呼んでいたな。

「負けたついでに、一つだけ質問させてほしい。いいか?」

「ええ、構わないわ。あなたの殺気も消えたようだし、頭も冷えたでしょう。なにか疑問に思うことがあったら言って頂戴。それと……私のことは『セラ』でいいわ。(これで二度目だけど)」

 ――鋭い。私の殺気を消したことも把握した。東方の人間ではないが、明らかに彼女の心の中には東方由来の『武士道』の心が在る。消えていた刀身が姿を現し、首に当てていた太刀を外して背中に納める。

「じゃぁ……セラ。貴女は『できすぎた展開』という表現を使ったな? あれに一つ心当たりがある。私が罠にかけられるあの御前試合、私の双子の妹である鈴原彩は試合中に人が変わったようになった。彼女はもともと戦いを好むような性格ではない。だが、試合中の彼女は別人だった。相手の内臓を潰すほどの強烈な突きを放ち、手を叩き割り、肋骨を砕くほど容赦がなかった。当時十五歳だった彼女が木刀とはいえ相手の骨を折る攻撃をする筈がない。私は試合が始まる何年も前から彼女の稽古を気配で感じてきたが、彼女は一度たりともそのような戦闘を行ったことはない。そして、観客も明らかに動揺していた。怖いくらいに彼女は順調に勝ち進んで言った。セラの言い方を借りれば、あまりに『できすぎた展開』だったとも考えられる……あれが『傀儡の粉』の効果だというのか?」

 そう質問すると、彼女はかぶりを振ってこう答えた。

「いいえ、『傀儡の粉』はあくまで相手の意志を奪うために使われるもの。今の話を聞く限りでは『傀儡の粉』で性格を変容させ、さらに相手を一撃で倒すために『鬼人薬』でも飲まされたんでしょう。脳の肉体限界を支えるリミッターを一時的に解除し、一定時間、常人では考えられないほどの力を引き出せる薬。適量は一日に五回まで。それ以上使うと副作用を起こすから使用してはいけない決まりになっているのよ。もはやそれは人間とは呼べない。ただ戦いを好み、相手を倒すだけの戦闘狂。よく体と心が持ったわね……普通じゃとっくに廃人になっているか、自己を失って人形に成り果てるか……それぐらい危険なのよ。」

「だが、十三との試合で彩は『力』を使わないと言った。それは『鬼人薬』とやらの影響だというのか?」

「ん~~……私も実際に見ていないから分からないわ。……あるいは、自分の力で勝ちたかったからじゃないの?」

「自分の……力か……そうか、『あの時』の言葉は、そういう、意味だったのか……」

 独り言のような言い方をする私に、身を乗り出して話を聞こうとするセラ。

「――何か心当たりがあるの?」

「……ああ、ある。妹は十三の試合の前に確かに宣言した」



 ――『私』は『私』です。誰の『力』も借りません。己の力で貴方に立ち向かい、そして――勝つ!!!――



「成程ね。誰の力も借りない、と言ったのがいい証拠ね。確証は取れないけど、何しろ自分で実際に聞いた言葉だし、その言葉に嘘偽りはないと考えていいわね……しかし、あなた達が双子だったなんてね。それに同じ名前。これは十三が肩入れした可能性が高いわ。いずれアナタが世の中から消えても、何も違和感が残らないようにするための策。人を『人形』としてしかみないアイツならやりかねない、下衆ゲスな考え方よ。しかもその真意を誰にも悟らせないやり口……全く、腹が立つほど用心深いわ。こんな性格にもかかわらず戦闘では威風堂々。ホント嫌らしいったらありゃしない。狸みたいに人を化かすのが上手い男よ」

 今のセラの話が真実だとしたら、私は本当に生まれたときから十三の手のひらで踊らされていた『人形』だ。武士道の中に秘められた邪悪、そしてその周到さは恐ろしいほど慎重かつ念入りだ。彼女ですら十三の策で引っ掻き回されたくらいだ。相当な切れ者、その策略はもはや軍師並みと言っていいだろう。しかも頭だけではない。武においても白木の国でも右に出るものはいないほどの腕前……全く持って恐ろしい漢だ。

 セラの言い分を全面的に信用した私はこれまでの経緯を全て説明した。五年前から組まれた特別試合のことも、彩が持ち出した鈴原家の家宝たる二振りの剣のことも。そして、東方の国の話も。それを聞くと、セラの顔がみるみる苦渋に歪んでゆく。その顔からすると、ドントルマの街でも相当やりこめられたのだろう。

「全く……どこまでも用意周到なやつね。その話から考えると、十三は五年も前から妹を餌にアナタを釣ろうと計画を練っていたということよ。しかも、私の得た情報では、十三はかなりの上層部まで顔が利くし、発言力もある。地位、権力、そして信頼関係。しかも何? あのバカ狸は道場開いてるワケ? 最悪ね……弟子をとらせるとはね。東方の世界では師匠と弟子は強い絆で結ばれているもの。そりゃぁ無理よ。その信頼関係はそう簡単には崩せない。例えるなら巨大な大木よ。根をしっかり張った大木はそう簡単には折れはしないし、揺らぎもしない」

 五年も前から!? いや、あながちセラの言うことは間違ってはいない。もし分かっていたとしても誰が防げよう? 白木の国で多大な貢献をし、門下生を多く抱えるあの男の前では何もかもが無意味だ。東方では信頼を何よりも重んじるし、あいつは国中から慕われている。疑う余地などあろうはずがない。もし疑ったとしても、国が、信頼が彼を守る盾となる。彼を相手にするということは、国を相手にするのと同じくらい難しいと言うことだ。

「だから、存在価値のない私を傀儡にしようとしたのか……なるほど、道理で私の扱いが悪くなるわけだ」

 彩……あなたは私をずっと守ってくれていたのね……

「そうよ。孤独にまみれたあんたの心を砕くには丁度いい『材料』だったんでしょう。それに……十三が強いのは当たり前よ。ここでは常に死ぬか生きるかの世界だもの。『常在戦場』を常に掲げているだけあって、モンスター相手でも正々堂々と打ち倒すその度胸は尊敬に値するわ。腹の中は真っ黒だろうけどね。例えアナタの妹であっても、おそらく勝てない。……で、その『蒼紅一対剣』って家宝、間違いなく『双剣』ね。もっとも、それが正しい名前で伝わっているかどうかすら怪しいけど……ま、それはどうでもいいわ。大事なのはその使い方。妹さんは双剣の『本当』の使い方を知らないからね……」

「そうか……確かに彩は双剣の片方を背中に担いでいた。あれは確かに双剣の使い方じゃない。そして、自分だけが本当の意味を知っている十三は彩に精神的な動揺を与え、私を誘い出した」

「おそらくね。そもそも妹さん、アレが双剣であることすら知らないでしょ? 双剣の正しい知識を知っている人間相手に勝てっこないわ。ていうかズルよ、ズル。反則もいいとこよ。でもアナタは本当に妹さんのことを心配したんでしょ??」

「当たり前だ。でなければ、自分の身を危険にさらしてまで声を張り上げたりはしない……それに、生贄拷問室で見た彩の姿。彼女は十三と共謀してやったと言っていたが、私はとてもそうとは思えない。本当に真剣に、十三と仕合っていた」

「それも『傀儡の粉』で言わせるように仕向けたんでしょう。信楽十三……あいつには武士道精神に隠された深淵の闇がある。それは『邪悪』。人を『人形』としか見なさないという一種独特の概念を持ってる。彼を始末するためには生半可なハンターでは絶対に不可能。気取られたらまた身を隠されるのは必至。そこでギルドナイト直属の部隊でも最も特殊な機関、第十三課特務機関、通称『セントエルモの灯』に白羽の矢が立った。普段は猟団としてドントルマに籍を置いているわ。ここに入る条件はたった一つ。それは――『法的に一度死んだ人間である』ということ。死んだ人間なら必ず相手は油断するわ。そこを叩くしか、十三に先手を打つ方法はない」

 生贄拷問室で見せた彩の姿。それが『傀儡の粉』の影響なら、全ての説明が一本の線となって繋がる。

「ま、さっきも言ったけど……人間を強くするのはいつだって『環境』よ? 環境が人間を強くするわ。手っ取り早く強くなりたいなら、私たちの猟団に入りなさい。本来なら私たちが始末するべき問題だったんだけど、鈴原家の生き残りが偶然にもこのドントルマにやってきた。そして、アナタは十三に復讐を望んでいる。この運命の鎖にいつまでも絡まっているか、それとも断ち切るか……それはあなたの判断に任せるわ。どうする?」

 そういい、ニヤリとした顔で私に問いかける。

「……そんなの、聞くまでもない。私は強くなるために、復讐の為に此処にきた。セラが『環境』を与えてくれるのなら私はそれに従う。それに言ったな? 『アナタは十三の筋書きから解放された自由の身』だと。だから、私がこの猟団に入るのも脚本ではない。その猟団に入れば私は強くなれるのだな?」

「なれるかどうか、なんて分からないわ。それは結果が証明することよぉ~~?? そ・れ・に、私は猟団のリーダー、団長だからね。基本的に私の方針には誰も文句を言えないわ」

「ふ……それなら問題ない。私は人生そのものが『常在戦場』だ。その点においては誰にも負けるつもりはない。必ず私がこの手で奴を倒し、このくだらない『しきたり』ごと、全てを破壊するまで」

「そ。それならいいわぁ~~♪ なら、猟団チームの一員として今からあなたを正式に登録するわ♪ アナタの名前は『凛』。そして、防具も『凛』。老山龍の素材で作られた、東方の甲冑を模した防具よ。アナタに一番なじみがある防具だと思うけど、異論は無いわね?」

「無論、無い。ここで東方の鎧と太刀が使えるなら……それが一番扱いやすい」

「じゃ、決まりね♪ では改めて自己紹介するわ。私の名前はケセラセラ。よろしくね♪ 通り名は『幻惑』。十一種全ての武器を使いこなし、自由自在に戦闘方法を変えられることからつけられたのがその名の由来。猟団『セントエルモの灯』の団長を務めているわ。でもそれは表向きの姿。本当の名前は『ギルドナイト第十三課特務機関』。ギルドの秩序と安定を影から支える任務にあるわ。だけどこの十三課は特別でね、本来なら存在しないはずの組織なの。理由は単純。さっきも言ったけど、十三課のメンバー全員は一度『死んでいる』人間の集まりだからね。だから、あえて猟団をつくってそれを隠れ蓑にしている異質の集団なの。あなたはこの条件を満たしている――だから団長である私が実際にアナタの動きを監視し、入団に値する人間かどうかテストしていたというわけ」

「成程な……いわば試練のようなものか」

 十一種全ての武器を使いこなす……簡単に言っているようだが、それがどれだけ難しいかはハンターなら誰でも知っている。私が知っている限り、そんな人間は教官くらいのものだ。しかし、彼女は実践でそれをやってのけるほどの腕前。それと、『ギルドナイト』と言う名前は噂で聞いたことがある。その存在すら疑わしいとまで言われる選りすぐりのハンター集団。影でギルドの秩序と安定を守る組織――まさか本当に実在するとは。おそらくどの武器を使ってもその腕前は超一流だろう。さすがは団長といったところか。私の履歴も調べられたことも、その強さも、今の説明で十分納得がいく。

「ま、そういうこと。……それと、猟団に入るに当たって、アナタにひとつだけ『枷』をつけるわ。破ったら即、斬殺。例え見ても見ていなくても、私もアナタ同様、気配でそれを察知できるわ。さっきの戦闘でも十分理解したと思うけどね」

「――なんだ、その『枷』とは?」

「なーに、簡単なことよ――」

 気配を探る技術、その練度は私のそれよりもさらに上だ。私は確かに実体だと思っていた『幻』を攻撃した。『幻惑』という通り名も頷ける。だが、彼女の口から何気なく紡ぎだされた言葉は、私の心に衝撃を与えるには十分すぎる言葉だった。

「『団長権限においてこれから先、私の許可無く双剣の帯剣、及び使用を一切禁止する』」

 ケセラセラが言った『枷』とは、なんと双剣の禁止令だった――



[28115] 第六幕 ~表と裏~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/06 08:18

 猟団部屋。文字通り、猟団を作った集団が集合場所や打ち合わせに使う場所だ。ここドントルマではこの『猟団制度』というのが非常に発達しており、現在確認されているだけでも大小あわせて5000以上の猟団が存在する。その数は規模によって異なるが、少ないところでは4~5人、多いところでは20~30人にもいるところもある。基本的にモンスターとの狩猟は集団戦、自分より大きい相手を倒すのが目的だ。ただし、一度のクエストでいける人数は四人までと決められている。だが、四対一と一対一では、明らかに四対一のほうが負傷する確率は減り、勝てる確率は上がる。(そのかわり、報酬は四分の一になるが)

 そこでドントルマでは気の会うもの同士や同じ目的などのメンバーを『猟団』という形で登録し、リーダーである団長、サブリーダーの副団長を選抜する。基本的にはHRが高いものが選出されるが、あくまでHRは狩猟の客観的な指標でしかない。つまり、HRでその人の技量は計れない。HRが低くても凄まじい技術を持っているハンターも大勢いる。だが、人の上に立つものは腕前よりも統率力だ。多数の人間をまとめ上げるだけの人間力とリーダーシップが発揮される。そして、猟団もHRと同じく格付け制度がある。ランクが上がればあがるほど部屋も豪華になるし、大勢の人間を呼べるようになる。

 だが、セラが束ねている猟団はあくまで隠れ蓑に過ぎない。そもそも、この猟団に入る条件にどれだけ合う人間がいるのか不思議だ。私が部屋に通されたときはもぬけの殻。聞けば全員クエストやギルドナイツからの任務などで出払っているらしい。簡素な木材で打ちつけただけの部屋に同じく木製の椅子と長机が四対。ただ、地面はちょっとした絨毯が敷かれており、地べたに座って会話したり、横になって仮眠を取ったりできるようだ。

「ここがあたし達の猟団部屋よ。今日は誰も帰って来ないから、ここであらかた、今後の説明をしておくわね。あ、その前に……こっちこっち♪」

 そういうと、セラは手招きして私をある場所へと連れて行った。部屋の片隅にある小さい扉の前。そこを開くと中は衣装部屋になっており、様々な服が入っている。

「えーっと……アレは確かココに……あー、あったあった♪ さ、その防具脱いで、一旦シャワー浴びてから、こっちに着替えて頂戴」

「これは……浴衣!? なんでこんなものがココに??」

 そう、それは確かに浴衣だった。やや桃色がかった紫を基調としたデザインで、帯もある。帯は蝶結びで留めており、両肩の布地にも同じ装飾が施されている。普通は足元まである腰布が膝まで見えるほど短いが、その代わりにリボンであしらったニーソックスが太ももの根元にちょこんと飾ってある。形は少々東方のそれとは違うが、まぁ全体的にまとまっているのでよしとしよう。

「えーっとね……前にこの街で『七夕イベント』っていうのがあって、その期間限定のクエストをクリアした人だけがゲットできる防具なんだけど……いかんせん着物でしょ? だから使い道なくて困ってたの。しかも、ウチの団員だーれも似合わないし、入団祝いの品としてアナタにそれ、あげるわ。アナタには着慣れた服じゃない? 私はその間にそこで寝てるから、終わったら起こしてね~~♪」

 言うや否や、絨毯にゴロリと寝そべるセラ。成程、時々街でやけに軽装な人間が居るのを見かけたが、それはこういうことだったのか。いわゆる私服と言うヤツだ。確かに毎度毎度防具を身につけていたら重たくていられない。なんか勝手に祝いの品までもらっていたたまれない気分だが、浴衣に袖を通すのも久しぶりだ。ここはありがたく頂いておこう。奥にあるシャワー室で汗を流してから浴衣に袖を通し、帯で締める。すべすべとした感触が実に心地いい。今は繁殖期だし、暑さをしのぐには丁度いいだろう。やはり東方の血が騒ぐのか、こちらのほうがなんとなく落ち着く。

 先刻言ったようにセラを起こすと、私の姿に大層喜んでいた。「いや~~やっぱりこういうのは東方の人間が着るべきよね~~♪」とか言っていた。……案外そうでもないと思うのだが。私とセラは長机に向かい合わせに座り、今後の説明を聞くことにした。

「んじゃ、服も着替えたことだし、始めましょうか」

「了解した」

「それじゃ、入団前にあなたに一つだけアドバイスよ――」

 そういうと、さっきまでの笑顔を消し、突然真剣な表情になる。

「あなたは『獣』ではないわ。意志をもった立派な『人間』。そのこと、よーく胸に刻んでおきなさい……」

「!!」

 それは、間違いなく私の心をゆさぶる一言。

「私が双剣を禁止した理由はそれ。アナタ、獣に心が食われているわ。確かに人間は動物から進化した生き物かもしれない。でもね――心まで獣になっては駄目。それを自分自身の力に変換できるまでは、アナタに双剣を持つことを認めない」

「…………貴様に私の何が分かる――私は獣として、物の怪として周囲から疎まれてきたんだぞ……今更、そんなことを急に言われて、納得できるか!! それに……私は生まれてきてからの獣だ。脳の奥底まで、刻み込まれた習性は決して変わらない……変われるわけがない!!」

「それは違うわ」

 にべもなく切り返すセラに、私は激昂して言葉を吐き出す。

「なぜそう言い切れる!!」

「人は変われるからよ」

「嘘だ!! そんな簡単に人が変われるなら、誰も苦労はしない!!」

 私は心の赴くままに激昂する。貴様に私の何が分かるのかと、食って掛かる。だが、セラはどこまでも冷静だった。……いや、むしろ微笑んですらいるようであった。

「ええ、そうよ。でもね――アナタ、このまま双剣を使い続けると……本当の獣になっちゃうわよ? それでもいいの? 復讐なんてきっと忘れちゃう。戦闘をすることにしか快楽を見い出せない戦闘狂になっちゃうわ。血を見るたびココロが疼き、肉を裂く悦びに震える。それはアナタが一番嫌う人間と、同質の存在よ」

「違う!! 私を十三と一緒にするな!!」

 もはや声になっているのかどうかすら怪しい。最後は少し涙声になっていたかもしれない。だが、それでもセラは優しく話しかける。

「だから言ったじゃない――『人は変われる』とね。想い一つで人間っていうのはいくらでも成長できる生き物なのよ? 今は分からなくてもいいわ。よく覚えておきなさい――」

「…………」

 悔しいが、私はその言葉に応えられなかった。だがセラは気にも留めるつもりはないようすで、話を続ける。

「それじゃ――前置きはこれくらいにして、本題に入りましょうか」

 そういうと、セラは突然懐からコインを取り出す。何の変哲もない、ここドントルマで使われる普通の硬貨だ。




『第六幕』 ~表と裏~




「いい、凛――心理学で『マーフィの法則』って言うのがあるの。『物事は自分の想った方向に動く』というのがその説。変われると心の底から思った瞬間、人は一夜にして変われるのよ。そう――丁度このコインが、裏返るようにね」

 手の平に載せたコインをを裏返し、机に置く。

「ちょっと面白い話をしましょうか――物事にはね、必ず『表』と『裏』がある。それはどんなものにも当てはまる、共通の法則。人も、物も、森羅万象全てにね。光差すところ、必ず影がある。凛、アナタはずっと『影』の世界で生きてきた。でもここでは、あなたは『光』の世界に居る。だから、あなたの世界を、私がもう一度『影』に『ひっくり返した』。もっとも、今度は相手を食らい尽くす立場にあるんだけどね。私が教えるのはね、この光と影のお話――」

 そう言うと、セラはコインをしまって、改めて私に顔を向ける。両肘を机につけ、頬を当てながら話しかける。

「凛、アナタ――『光の三原色』って言葉、聞いたことある??」

「なんだそれは? そんなもの、私は知らない」

「そ。ならきっと面白い話になるわ――光の三原色っていうのはね、『赤』『青』『緑』の三種類のことを指すの。そしてこれらを組み合わせると……最終的には白になる。でもね、これは『表』。表があれば、当然『裏』がある。光の三原色と対をなすのが、『色の三原色』。『紅』『碧』『黄』の三種類。これらを組み合わせると……最終的には『黒』になる。アナタがさっきの戦闘で見せたのは、『黒』の氣。あなたは教官に練気を教わったはずよ。その色が示すのは、赤の氣。氣はその人の心のあり方を色にして表すの。だからアナタは普段は赤い氣を出しているはず。でもアナタの逆鱗に触れるとそれが突然真っ黒に変化するの。これがどういうことだか分かる?」

 私はセラの質問にしばし悩んだ後、うかがうように口を開く。できればそれが答えでないことを心の片隅に祈りながら……

「――復讐、か?」

「そうよ。復讐の色は『底なしの闇』。だから氣の色もそれに反応して変化するわけ。でもね、それは本当の『黒』じゃないわ。それはアナタの心を映した、ただの『闇』――」

 そこまで言った後、セラが言葉を一旦区切る。

「私、さっき言ったわよね?『物事には表と裏がある』って――今の話から何か推測できること、あるかしら?」

 そう言われ、私は眼を閉じてしばらく考え込む。光差すところ、影は生まれる。影、それは闇。底なしの闇。表と裏のコインの話――

「『光あるところ影あり』。鈴原家の『表』の顔は商売人。でも、『裏』の顔は暗殺者。つまりは闇。闇があれば光が存在する――そういうことか??」

「ん~~~……惜しいわね。80点ってとこかな♪ でも、流石ね――素晴らしい洞察力だわ。んじゃ、回答ね。アナタのもつ黒い氣は簡単に言うと『裏』。つまり、『表』があるのよ。黒の反対は白。つまり、『白』の氣が存在すると言うこと――これが答えよ」

「……!!」

 その言葉に私は驚愕せざるを得ない。なぜなら――

「教官は、一言もそんなことを言ってはいない……それに練気の色は赤だと、そう教わった」

「ふふっ……驚いてくれたようで嬉しいわ♪ そう、これは教官すら知らない氣の操り方。私は『陰陽の氣』って呼んでいてね、その人には『陽』と『陰』の二つの性質がある。『陽』のもつ頂点の色は白。『陰』の頂点は黒。これは先天的に決まるものだと私は考えているの。私はこの『陽』の氣を持っている。対して凛、あなたは『陰』の氣を持っているわ。これから教えるのはその氣の操り方。三原色の説明はしたわよね? あれは氣の話にもつながっているの。つまり――」

「『陽』の氣は『赤』『青』『緑』の三つから構成される。対する私は『陰』。『紅』『『碧』『黄』の三色を揃えると、黒になるというわけか」

「あらら、先に言われちゃったか……そうよ、その通り。でもね――アナタの黒はただの『憎悪の黒』。三種の色を揃えた『本当の黒』には、遠く及ばないわ。だから、アナタにはまだ早いって言ったのよ」

「……にわかには、信じがたい話だがな。氣の色が複数存在するなど、見たことも聞いたこともない」

 セラの言うことはまるで絵本のおとぎ話のようだ。本当にそんな氣が存在するのだろうか……私はこれまで様々なハンターを見てきたが、練気は全て赤の氣で統一されていた。

「ま、そういうと思ったわ。これは私が考案したものだから、この猟団以外の人間は誰も知らないしね♪」

「なっ!? 自分で作り上げたのか!?」

「そーよ。世界にはね、氣を使った様々な体術がある。合気道、太極拳、気功術。そして、氣の捉え方も様々。地方によっては『チャクラ』『プラーナ』とも呼ばれるわ。こういった知識を私なりに改良し、完成したのがこの『陰陽の氣』ってわけ」

 その言葉に喜色満面の笑みで答えるセラ。――この女、本当に何者だ!? 武芸一つ編み出すにも免許皆伝の腕前が必要な世界だぞ? それを独自に完成させるなど、普通では考えられない。それに、喋り方もいつもの調子に戻っている。

「ま、急に言われても、見なきゃなんとも言えないわよね~。実際に見せてあげるから、ついてらっしゃい。あ、それと――はいこれ。これからお世話になる太刀よ。大事に扱ってねぇ~♪」

 そう言ってセラが投げてよこしたのは、身の丈ほどもある巨大な『竹刀』。

「セラ――これは竹刀だ、太刀ではない」

「嘘おっしゃい。それは紛れもない『太刀』よ。名前は『鍛錬刀【初段】』。『刀』ってついてんだから、太刀に決まってんでしょ? 細かいことは気にしな~い気にしない♪ さ、行くわよぉ~♪」

 こいつ……確信犯だ。東方の知識を知り尽くしている人間が、これが竹刀だと知らないワケがない。あとで気刃を纏って斬ってやる。刃はないが、気刃があれば十分可能だ。

「はいはい~~♪ 殺気出すの禁止ね♪ あなたの氣はまだまだ鋭さが足らないわ。それじゃ、私の体を斬ろうとしたって無駄無駄よ~ん♪ 私も気配探知できるってこと、忘れないでねぇ~♪」

「くっ……」

 そうだ……この女、私と同じ気配探知の能力があるんだった――くそ、私の十八番がこいつには通じない……





《ケセラセラの部屋・マイトレ》


「はーい、到着到着ぅ~♪」

 セラに言われるままについてきたところは、巨大な庭のようなものだった。何でも、『マイトレ』という施設らしい。他人に見られず、自分の鍛錬につかえる場所と言うことでギルドから特別に提供される施設だそうだ。誰かが管理しているのか、庭には小さな花が植えてあり、雑草一つ生えてない。また小高い丘のような場所には木材で出来た簡素な屋根と長椅子が置いてある。ここで星空を眺めるのがセラのお気に入りだと言っていた。確かに、部屋で見るよりもモンスターの襲撃もないこんな大きい庭で見る星空はさぞかし格別だろう。私も白木の国に居た頃、よく常世の森で星を眺めていたものだ。だが、残念ながら今は昼時。太陽が草木をしっかり照らしている。

「それじゃ、さっさと始めるわ。だらだらやるのは性に合わないの――私は『陽』の氣を扱う人間、行き着く先は『白』の氣よ」

 そう言うと、彼女は持っていたあの不思議な太刀、『ファントムミラージュ』を正眼に構えて眼を閉じる。

「教官も言っていたと思うけど、氣の引き出し方は人それぞれ。私がイメージするのは『雲』。全ては成すがまま、流れるままに――」

 ゆっくりと、彼女の体から氣が放出される。その言葉は、彼女が幾度となく繰り返した言葉だ。言葉は意志を持ち、それが氣を放出する引き金となる。

「己の内在する激情。人間の体に通う血潮。闘争の原点、苛烈なる赤――」

 荒れ狂う炎のように荒々しく、血潮のような紅――練気で最もよく使われる『赤』の氣。

「次は――果てしなき空。青空に浮かぶ雲は風に流れるままに、あらゆるものをありのまま、受け入れる――」

 氣の色が少しずつ変化してゆく。それは果てしない空が生み出す青空――『青』の氣。

「そして――この庭のように、穏やかな世界。私を癒してくれるかけがえのない場所――優しき緑の世界」

 今度は緑の氣。この草木のように、穏やかな氣だ。本当に彼女の言うとおり、氣の色がその心に応じて変化している。気配を探ってみても分かる。彼女の内在するイメージが変化している。

「これら異なる三種の氣を、一つに纏め上げる。一つの氣を糸のように細くして『編み上げる』イメージ。そうやって編まれた糸は折り重なり、やがて一つになるの――」

 一旦氣の色を青色に戻し、そこから赤の氣を放出する。青に赤が組み合わさり、その色は紫となる。さらに緑を加えるとそれはどんどん明るくなり――やがて、何も見えなくなった。白い。ただ白い。真っ白で、何もない。まるで幻の中にいるようだ。そこには本当に、何もない。『無』の世界だ。

「感じてくれたかしら――これが私の『無垢なる白』。何もない、全ての原点たる白。始まりを告げる色よ――」

「これが……白の氣……」

 それは想像以上だった。底なしの闇と同じくらい、そこには何もない。完全なる無の世界。

「そうよ――私の完成された白い氣は蜃気楼となり、あたりを包み込む武器としても使える。そして、それを一点に集束すれば、凄まじい斬れ味を生み出すことが可能となるわ。例えば――ここにあるドラグライト鉱石。もちろん、刃のない鍛錬刀では気刃を使っても斬る事のできない金属よ。でもね――この『無垢なる白』の前では、この太刀も立派な武器になる」

 そういうと、突き刺した自らの太刀をよそにこぶし大の大きさである緑がかった金属、ドラグライト鉱石を手に取る。マカライト鉱石よりもさらに良質で硬い金属だ。

「ちょっとそれ、貸してみて」

 言われるままに私は鍛錬刀を差し出す。それを受け取ると、ドラグライト鉱石を空中に軽く放り投げ、鍛錬刀を下段に構える。刀を引いたこの構え――居合いの体勢。

――虚空に描くは上弦の月。朧に消える、白き月――

「気刃――【朧月おぼろづき】」

 鍛錬刀を下段から上段へ一気に振りぬく。その軌跡はまるで白い三日月。虚空に描かれたその軌跡は儚く、可憐に消えていった。その美しさに思わず見とれてしまうくらいに。だが、それをかき消すようにドスン、と鈍い音が彼女の両端から聞こえた。

「ふぅ――ま、こんなもんかな。はいこれ、返すわ」

 そういうと、私に鍛錬刀を返す。そこに落ちていたのは、真っ二つに割れたドラグライト鉱石。私は終始無言だった。彼女がやったことは、私の想像の範疇を遥かに超えていた。白い氣もそうだが、まるで宴会の余興のように竹刀で金属を切り裂いたのだ。さっきからありえないことだらけの事実に、思わず眼が点になる。常識も何もあったもんじゃない。

「さ、今日はこれでおしまい。明日からこのマイトレをアナタに開放するわ。まずは自分の中に眠る三種類の氣と終点の色を見つけてごらんなさい。それまで、アナタの面倒は私が見るわ。部屋も私の一角を貸してあげる。いちいち自分の部屋まで戻るの、面倒でしょ? どーせ広いばかりの部屋だし、食料も余りがちだしね……」

「何故だ? 何故そこまで待遇を良くする必要がある? 野宿なら慣れているし、ここならモンスターに襲撃される心配もない。セラの手を煩わせるようなことは私の本意ではない」

「あー、それなら簡単よ。まだアナタの存在、他のメンバーに知られたくないの。十三のケリが着くまでは、アナタの存在は隠さないといけないからね。だから狩場にも行かせない。あなたの鍛錬場所はこの場所で、武器はその太刀一本だけ。アナタは十三に対する切り札。例えドントルマの街とはいえ、東方の人間がいないわけじゃない。――数は少ないけどね。幸い、アナタは偽名を使って下位から上位までを渡り歩いてきた。でも、ここからは別。私の周りには凄腕のハンターがうようよしているわ。だから、アナタの身柄は何が何でも隠し通さないといけないのよ。失敗は許されないわ」

「…………」

 なるほど、見た目は人を小馬鹿にしていたり、からかったりしていたが、セラはセラなりにちゃんと考えているわけだ。やはり腐っても団長ということか。

「……っていうのは表向きの理由ね。本当は、家に帰るのがメンドーでいっつも猟団部屋で寝てばかりでさぁ~、この家に戻ることが少ないのよ。もう帰ってくるたびにホコリだらけでさ、イヤになっちゃうのよね~♪ 毎回アイルーにお金払って掃除を頼むのもなんかイヤだし、それならいっその事、アナタを家政婦メイドのようにして雇用するのが効率的じゃない? あ、ちゃんと掃除するときは『ヘルパー装備一式』を着るのよ? 掃除するときは汚れるから、それを着て頂戴ね~♪ 『働くもの食うべからず』よ。身柄も隠せる、家は綺麗なまま、そしておいしいご飯が食べられる。我ながら素晴らしいアイデアだわぁ~~♪ 一石三鳥ねぇ~♪ んふふふふ~~♪」

「…………いつか殺る」

「ん? なんか言った?」

 前言撤回。こいつの脳髄は真まで腐りきっている。

「……なんでもない」

 こいつ、十三と同じくらい腹黒い。しかも悪気がない分、もっとタチが悪い。教えを受ける身だ、文句は言えない……クソ。待遇は抜群だが、言い様ににこき使われているとしか思えない。こいつの性格はまるで雲のようにつかみどころがない。『幻惑』の通り名そのままだ。いつの間にか、己の術中に引き込ませるその話術。会話に不慣れな私が一番弱い部分だ。なんとしても、早く三種の氣を身につけなくては。

「じゃぁ、今晩はアイルーに食事でも作ってもらって、早く寝ましょ~♪ あ、鍛錬は明日からね♪ よろしく~♪」

 そう言い残すと、セラは腰をフリフリさせながら自宅へと戻ってゆく。凄まじく不愉快だ。

「これからはなるべく、家に戻るようにするわ。アナタの面倒も見なきゃいけないしね~~♪ いやぁ~、楽しみだわぁ~~♪ ふふふ~ん♪」

 どの口がほざくか、このアマが。どう考えても寝床のいい場所で寝たいだけだろうが。この確信犯が。

 こいつは『女狐』だ。相手を化かすことが上手い『女狐』――今度からこいつのことはそう呼ぶとしよう。すぐにでも三種の氣を習得して、自由の身になってやる。

「んふふふふ~~♪ そんなに殺すような熱い視線で見つめられても、困っちゃうわぁ~♪ ま、ここから出たかったら、早く自分の氣を探すことねぇ~~」

 非常に不愉快かつ腹立たしいが、こんな不純な理由から私の鍛錬は始まるのであった。



[28115] 第七幕 ~凛~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/06 08:40


 ――悩んだとき、辛いとき、人は答えを求めるためにもがき、苦しむ。

 ――だが、答えはいつもすぐ近くにあるものだ。それに気がつかないだけで。

 ――最初から知ってたんだ。いつも答えは、手の届くところにあるものだ。





《6ヶ月後・マイトレ》

 セラに氣の修行を言い渡されてはや半年……私は雑用と鍛錬をこなしながら修行に励んでいた。朝はセラの部屋の掃除(ただし、ヘルパー装備に着替えなくてはいけない)をして、本を読んで昼食。午後からはマイトレに行って氣の修行、時々休憩。そして夜になると夕飯となり、一日が終わる。だいたいはこんな感じだ。セラが時々帰ってきては、がやがやと騒いだりもする。クエストにいけないのは少々寂しいものがあるが、時間と言うものは案外早く過ぎ去っていくものだ。赤い氣の出し方は教官から教わったので知っている。だが、残り二つである『碧』と『黄』の出し方がまるでわからない……というより糸口が全くつかめない。マイトレに足を運び、気づいたら夜になっていた、なんてことはザラだ。鍛錬刀(竹刀)を構え、集中してみるもなかなかうまくいかず、もんもんとした日々が続いていた。

 そんな私の話し相手になってくれたのが、マイトレを管理しているシンシアという大人びた女性だった。セラと初めてここにきたときは偶然にも外で買い物をしていたらしく、会うことができなかった。彼女は一日のほとんどをこのマイトレの世話にあてている。アイルーたちの世話や庭の手入れ、プーギー牧場の世話などやることがたくさんあるようだ。ウェーブのかかった茶色い長髪が特徴な、慈愛に満ち溢れた女性だ。私の愚痴や日々の話などを、何も言わずにただ笑顔で聞いてくれた。不思議と安心感のある女性だ。もし母と呼べる人間がいるのなら、彼女のような人のことを指すのだろう。

 以前、セラからマイトレから見る夜空は最高だという話をシンシアにしたところ、「じゃぁ明日、夕飯を持って外の庭で星を見ましょう」と誘ってくれた。彼女も仕事柄、よくマイトレで星空を眺めているらしい。私はその日、稽古を早めに切り上げると練習用のハンター装備(なぜかこれを着て鍛錬するように言われた)から私服の浴衣へと着替え、マイトレへと向かった。そこには、既にシンシアがマットを敷いて、夕飯用の弁当箱を広げて待っていた。

「あ、リンさん! こっちですよ~」

「……すまない、夕飯まで作ってもらって」

「いいえ。私に出来るのはほんのちょっとのことだけですから。これくらい、なんてことありませんよ」

 ……セラとは大違いだ。あいつなら絶対にあたしをからかうに決まっている。

「ほら見てください、丁度ここからだと、星が良く見えるんですよ」

「…………綺麗」

 彼女の横に座り、シンシアお手製の”さんどうぃっち”(頑固パンに長寿ジャムを挟んだもので、簡単に言うと西洋風のおにぎりのようなものらしい)を食べながら夜空を仰ぐ。確かにそこには、満天の星空が広がっていた。

「……星を見ているとですね、なんだか自分の悩みがバカバカしくなってくるんですよね……」

「どういうこと?」

「私たちって、この星の下で生きているじゃないですか。こんな大きな空を見ていると、自分の悩みなんて、ちっぽけなものだなーって、そう思うんですよね――」

 空か――なるほど、空は果てしなく広い。そういう考えも、あるということか。

「シンシアにも、悩みがあるのか?」

「……ええ、いろいろと。私は三姉妹の長女で、他にもふたり、妹がいるんです。同じマイトレの管理人なんですけど、大丈夫かどうか心配で……」

「……奇遇だな。私にも双子の妹が“いた”」

 私は水筒に入れた水で喉を潤すと、そう答えた。『いる』とは答えない――答えられるわけがない。

「『いた』……ですか?」

「ああ……訳あって今は離れ離れだがな。だが、シンシアはできた女性だ。こんな女性の妹達なら、問題ないだろうな」

「え!? 褒めてくれたんですか!? あ、ありがとうございますっ!!」

 言うが早いか、佇まいをなおしてペコリとお辞儀をする。

「……イヤ、そこまで律儀にしなくてもいいと思うのだが」

「あ……それも、そうですね。でも、リンさんが私を褒めてくれるなんてこと、滅多になかったですから……嬉しかったんです」

 はにかみながら最後は小声で答えるシンシア。ホント、世の中は広い。蔑む人間もいれば、こうやって親身に接してくれる人間もいる。

「『井の中の蛙、大海を知らず』――か」

 ふと、東方のことわざを思い出したように口から言葉が漏れる。私は井の中の蛙だ。ここにいると、それを実感する。世界は広い。この空のように果てしなく、どこまでも続いているのだろうか。

「? 何かいいました?」

「いや……なんでもない」

「そうですか……ところで、前から聞いてみたかったことがあるんですが……リンさんはもともとそういった風に会話されるのですか?」

「どういう、ことだ?」

 シンシアが不思議そうにこちらを見ている。ウェーブがががった長髪の髪。桃色のショール。深緑の服装。大きな黒の瞳が、私を射抜くような視線で見ている。

「いえ……少し違和感を感じるんです。本当のリンさんは、もっと別の話し方をするような気がするんです。今のリンさんは、なんだか無理に他人を遠ざけているような感じがする……あ、でも、私の思い違いですよね……もともとそういう喋り方する人もいますしね――ごめんなさい、今のは忘れてください……」 

「…………」

 シンシアの声が、途中から私の耳を離れていった。ふと、これまでの自分の境遇を考えていた。そういえばシンシアには何も教えてはいない。ただの居候ということになっている。私の過去も、クエストに行かない理由も、本当のことは何も知らない。だが、彼女もいろんなハンターを見てきたのだろう。その眼力は、間違いなく人を見抜く力を持っている。

「……私は……かつて『バケモノ』と、そう、呼ばれていた。誰からも愛されず、誰からも認められず――ただ、生きているだけの生活だった。だから――他人に心を許すことが、怖いのかもしれない」

 私はそう独りごちると、眼を伏せる。

「!! そう……だったんですか……」

「気にするな。ここではそういった視線で私を見るものはいない……」

「私は、あなたにとって……心を許せる友人には、なれないのですか?」

 そういい、悲しげな顔でこちらを見るシンシア。

「わからない……ただ、シンシアといると、気持ちがやわらぐ感じがする」

「…………なんか、辛気臭くなっちゃいましたね!! そういえば、リンさんはここで太刀をふったり、ぼーっとしたりしていますが、何の練習をしているんですか?」

「太刀に必要な練気の練習をしている」

「あれ? でもリンさん、もう上位ですよね? また練気の練習をするんですか?」

「そうだ――厳密にはちょっと違う。教官も知らない氣の使い方だ。セラはそれを習得しろといってきた。練気は普通『赤』の色をしているが、私にはあと『黄』と『碧』の氣を習得しなければいけない。その糸口がどうしてもつかめなくてな……悩んでいるのだ」

「『きいろ』と『みどり』……ですか……」

「ああ。練気はイメージによって氣を練りだす。ただ、私の中のイメージはこの空のように果てしなく黒い闇。だから、他の色のイメージがつかめないのだ……」

 本当は海のようなイメージなのだが、今の私にはそれがなぜか連想できなかった。

「そうだったんですか……う~ん……私はハンターじゃないからあまりアドバイスは出来ませんが……黄色なら一つ、思い当たることがありますよ?」

 そういうと、長椅子に腰掛けて夜空を見上げるシンシア。私は草の感触を確かめるように地面に座る。やはりこちらのほうが落ち着く。

「なんだ?」

「かつて――ここの施設に嵐がやってきたことがありました。土砂は崩れ、屋根は吹き飛び、木が飛んでいく……そんな大災害のような嵐でした。そのときに遠くから見えたんです――天から落ちてくる、雷が」

 目を伏せながら、言葉を紡ぐ。かつての情景を頭の中に描いているのだろうか……

「雷……か……」

 風。暴風雨。私にも経験があった。白木の国でも『台風』と呼ばれる強烈な嵐があった。雨が屋根を叩きつけ、風はうなり、ゴロゴロと雷は鳴る。まさに自然の脅威。雷――まてよ? そういえば、速さをたとえる言葉に『疾風迅雷』という単語がある。雷――はやきこと雷の如し――『迅雷』。風より速きもの。電光石火のように素早く……疾きこと、風の如し……

「『疾風迅雷』――そうか……!!」

「どうかしました?」

「シンシア――ありがとう」

 言うや否や、私は弾かれたように立ち上がり、太刀を持って駆け出す。目指すは道なき岩山の壁の上、その頂点。練気で強化した竹刀を突き刺し、その反動で一気に上る。私は今まで、黄色のことばかり考えてきた。それは違うのだ。風林火山。全ては事象に直結する。氣とは事象のエネルギーを取り込む行為なのだ。そういえばセラも氣を練るときにこういう言葉で己に暗示のようなものをかけていた。それは……言霊ことだま。言葉に魂をこめ、練気を引き出す技術の一つだ。

 ――果てしなき空。青空に浮かぶ雲は風に流れるままに、あらゆるものをありのまま、受け入れる――

 彼女のイメージは雲。私は海。そして、風林火山の意味。

 ――疾(はや)きこと【風】の如く、徐(しず)かなること【林】の如く、侵(おか)すこと【火】の如く、動かざること【山】の如し――

「風より疾きもの、雷。迅雷の如く、相手に攻め込む――それは、【電光石火】。事象の色は……『荒れ狂う黄』。動くこと……雷霆らいていの如し!!」

 太刀を正眼に構えてゆっくりと深呼吸。瞑想状態に入り、電光石火の雷をイメージする。暗雲立ち込める闇の中、ひとつの閃光があたりを照らす。それは落雷。頭の中でイメージする力が強くなるにつれて落雷の本数がどんどん増えてゆき、辺りはやがて雷鳴と暴風に包まれる。ヒュォォ――と風の舞う音がする。ゆっくり目を開けると、私の中心に風が渦巻いていた。そこにはバチリ、バチリと閃光が照らし、全身が薄いもやで覆われている。その色は雷の如き黄色。

「海より深きもの。紺碧の海、静謐なる海。全ての生命の原点――『静謐なる碧』」

 次に浮かんだのは、密林で見たあの雄大な海。海の色は青色に見えるが、その色は青でもあり、緑でもある。私が想像するのは、青緑色の海だ。セラの瞳と同じ、エメラルドのような碧色の海。それをイメージする。深く、大きく、雄大に。どこまでも、果てしなく。すると、さっきまで荒れ狂うように吹いていた風が止み、まるで海の中にいるような感覚に襲われた。全身を覆うのは、静謐なる碧の氣。

「血より赤きもの。この身にながれる血潮、生命の奔流――『激流の紅』」

 最後に浮かんだのは、教官に教わった練気の最初の過程、赤い氣だ。しかし、私は赤ではだめだ。血のような『紅』でなければならない。体中に流れる血潮、今度は自分の内側にイメージを映し、その流れる血液をイメージする。ドクン、ドクン、と心臓の鼓動が聞こえる。生きている鼓動。生命の律動。それを感じる。生きている喜びを、氣の色に変えて、一気に吹き出す!! 体中から放出されるのは、赤よりもさらに紅い、紅色の氣。

「――ハァ、ハァ……はぁ……はぁ……はぁぁぁぁぁ……」

 ようやく見つけた三種類の色――だが、喜びに浸っている暇はなかった。息を吐ききった途端に全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。マズイ。氣を出しすぎたせいで集中力が切れかかっている……体がかしいでゆくのが分かる。このままでは……岩壁から落下してしまう……それだけは、避けなくては……重力に体が負けるその瞬間、咄嗟に体をかがめ、岩壁をゴロゴロと転がるように滑り降りる。地面にたどり着いたときは全身傷だらけだったが、落下するよりははるかにましだ。

「り……リンさん!? 大丈夫ですか?」

 シンシアが慌てて駆け寄ってくる。その顔は心配に彩られている。

「――大丈夫だ……ちょっと……氣を……出しすぎた……すこし休めば、動けるようになる……」

 見つけた――やっと見つけた三種の色。答えは意外とすぐ近くにあるものだ。まさか、己の内在する風景を描くことでその色を変化できるとは。きっかけをくれたシンシアには感謝しなくてはいけない。しかし、これで終わりではない。むしろここからが本番なのだ。今からこの三種の氣を組み合わせなければいけない。全く異なる、三種類の氣。これをいかにして組み合わせるか。次の課題はさらに難しくなりそうだ。



『第七幕』 ~凛~



《セラのマイハウスにて》

「ひょれで? ふぁんふゅのふぃはふとくでひたというわふぇね?」(それで? 三種の氣は習得できたというわけね?)

「貴様……私をコケにしているのか……」

「まぁまぁ、セラさんもたまには息抜きがしたいんですよ」

「コイツはだらしがないだけだ」

 のほほんぐーたらマイペースと三拍子揃ったセラにいつもの如く凛が容赦ないツッコミを入れる。それをたしなめるシンシア。この三種の構図がもう当たり前の出来事と化していた。ふらりと帰ってきては食事を食べ、またふらりといなくなる。そんなペースでやっているのが凛にとっては我慢ならないのだろう。

「(もぐもぐ、ごっくん) それで? 次はどうするの? 次の修行にうつる? それとも息抜きに私とクエストでも回る?」

「いや……まだクエストはいい。ようやく三つの色が見つかったんだ、終点を見つけるまでは此処を出るつもりはない」

「そぉ~、がんばるわね~。ま、たまには肩の力抜いて、のほほんすることも大事よぉ~?」

「貴様は常時のほほんだらけだろうが。この女狐」

「あらあら、お褒めに預かり光栄だわぁ~~♪」

「褒めてない。莫迦か貴様は」

「ねぇシンシア、ちゃんと掃除するときに服着替えてる?」

「ええ、着替えてますよ。見た目通り、律儀な方で、掃除もぬかりありません」

「あららん、それは助かるわ~~♪ いやぁ~メイドができて、こうやっておいしいご飯も食べられる。うん、天国天国♪」

「このクソ女狐、人の苦労も知らないで……」

 ぼぞっと愚痴をかます凛だが、本人は何処吹く風だ。まるで気にする様子も、悪びれた様子も一切無い。どこまでいっても、彼女はマイペースだった。

「リンさんのいないときにも、ちゃんと帰ってきてくださいよ? 一人でいるの、意外と寂しいんですから」

「そーね……シンシアにもめーわくかけちゃってるし、なるべく帰るように努力するわ」

「よろしくお願いしますね」

「あら凛、もう食べきったの?」

 突然話題が自分からシンシアにそれたことで、これ幸いとばかりに立ち上がる凛。この茶番に飽きたのか、垂れ下がった髪の毛からは表情が見えないが、あきらかに不満な顔をしていると言うことがよくわかる。

「ああ……そうだ、何か問題でもあるのか?」

「ちょっとちょっと~、久々に帰ってきたんだからせっかくなんだし私の話も聞きなさいよぉ~」

「結・構・だ。お前が前回帰ってきたのは三日前だろうが。私はマイトレにいく」

「何しに?」

「星を見てくる」

 即答で切り返すセラに、これまた即答で答える凛。

「ほぇ~~、意外と風情あることするのねぇ~~風光明媚ってやつ?」

「何が風光明媚だ……セラには一番縁遠い単語だそれは。むこうでもやっていた。習慣と言うやつだ。……あと女狐、お前は来るな。気が散る」

「ぶ~、凛のケチんぼ」

「ガキか貴様は」

 ぶ~、と子供のように頬を膨らませ、威嚇するセラ。付き合ってられないとばかりに嘆息してそう答えると、鍛錬刀【初段】を持ってマイトレのある庭へと出て行く。彼女の姿が完全に消えたことを確認すると、セラはニコニコと童顔のような顔から一変し、落ち着いた口調でシンシアに向かって話しかける。

「どう? 凛の様子は? そろそろ半年経つけど、最初の時とちょっと雰囲気とか変わったかしら?」

 セラが真面目な顔をしてシンシアに話しかける。ふざけた態度はとるが、それは道化を演じているだけだ。セラ自身の癖みたいなものである。こういう真面目な顔で問いただすときは、必ずその後に大事な話がまっている……付き合いの長いシンシアにとって、それは一種のサインのようなものだ。

「そうですね――」

 ん~と人差し指を唇にあてがい、これまでの彼女の行動を思い出すように考え込むシンシア。

「リンさん、最初はすごくつっけんどんな対応をとることが多かったんです……でも、その態度に最近違和感を覚えるようになったんです」

「違和感?」

「ええ、なんていうか……わざと他人を遠ざけるような、そんなしゃべり方をするような気がして……思い切って聞いてみたんです。そしたら……リンさんが、どこか遠くを見るような目で、こう言ったんです……前髪は隠れてたので、表情までは分かりませんでしたけど……」


 ――私は……かつて『バケモノ』と、そう、呼ばれていた。誰からも愛されず、誰からも認められず、ただ、生きているだけの生活だった。だから、他人に心を許すことが、怖いのかもしれない――


「そういったリンさんの言葉は、とても寂しそうでした……私は事情を聞かされていないので何があったのかは分かりませんが……何か辛い過去があったんでしょうね……」

「そうね……ワケあってシンシアには話さなかったんだけど……そろそろ話しておいたほうがいいのかもね。でも偉いわ、何も言わずに彼女を引き取ってくれて。改めて礼を言わせて頂戴。あなたがそういう人だから、私も安心して出かけられるのよ」

「そんな……褒めたって何も出ませんよ」

「ふふ……そうね、貴女はおだてられるのに慣れてないものね――」

 そういうと、近くの箱から秘蔵の酒である『黄金芋酒』を取り出し、器に注いで一口飲む。続いてシンシアも一口飲む。ふぅ、とため息をつくと、セラがどこか遠いところを見るように、独り言のように呟き始めた。

「あの子はね――地元の国では家族に捨てられ、殺されたことになっているのよ」

「!! どういう……ことですか!! 殺されたって、あの人は生きているじゃないですか!!」

 いきなり彼女の口から明かされたのはとんでもない事実。殺された……その言葉に秘められた意味は決して小さくない。ここはハンターの集う街。死と常に隣り合わせの危険な世界だからだ。だが、安易に死を受け入れる人間など誰もいない。ましてや家族に捨てられるなんて、到底理解できるはずも無い。シンシアが叫ぶように反論するのも仕方の無いことだ。

「そうよ、それが事実。凛っていう名前もね、本当はウソ。あの子の名前は『スズハラ アヤ』。かつて東方の国にその名を知らしめたその筋では有名な一族でね、古いしきたりによって『間引かれた』人間なのよ。はるか昔、こっちでもそういった制度があったけど、今は人権という法律で守られているからそういうことはないわ。でもね……あの子は生まれてからずっと、操り人形として扱われてきたの。バケモノと呼ばれていたのも、それが理由……いや理由なんてものはないわね、その文化が彼女をそうしてしまった、としか言いようがない……」

 そういうと、またお酒を注ぎ、一口含むように飲む。ふわりとアルコールの香りが部屋を漂う。その香りに酔うかのように、彼女の頬も高潮してきていた。

「そんな……では……リンさんは……」

「彼女は殺される寸前、運よく脱出してこっちの国へ命からがら逃げ延びたってワケよ。だから地元では彼女が殺されても誰もなんとも思わない。『誰からも愛されず、誰からも認められられなかった』からね」

「…………」

「きっと心のどこかで、温もりをほしがっているわ。あの娘には双子の妹がいたからね。それが彼女の精神をつなぎとめていた。でも、今は帰る場所も、持つべき家も、名前もない。本当に全てを捨てて、ここへきた。ただ生きるために。それでも彼女には目的がある。それを果たすためなら、どんなことだってやり遂げる。だからシンシア、私のかわりにあなたが見守ってほしいの。アナタの暖かな心は彼女の凍てついた心さえ溶かしてくれると、私は信じている。それにね、凛っていう名前は私にとっては『本当』の名前だと思ってる。あんなしきたりによって生み出された名前なんて、捨てて当然。呼ぶ必要も価値もないわ」

 それはシンシアにとって、受け入れがたい現実。しかし、セラは嘘をついたり、脚色をするような人間ではない。彼女の本質はただ眼前の事実をありのままに受け入れること。そのことはシンシアもよく知っている。だからセラがそういうことは、本当にそういうことがあったのだ。だからこそ、その事実がシンシアには許せなかった。

「……リンさん、言ってました。自分には、双子の妹が『いた』って……自分が犠牲になって、妹を助けたってことなんですか?」

「違うわ……現実はもっと残酷。ある黒幕がいてね、そいつが『妹』に『姉』を殺させようとしむけたのよ」

「!! ……酷い」

「そう――非道いわ。はらわた煮えくり返るほど、酷い話よ――だからあの子を強くさせたいの。だから私は凛々しく、強くあるように『凛』という名前をつけた。あの娘の成長を願ってね」

 そういうと、自嘲気味に笑うセラ。シンシアはその顔に奇妙な違和感を覚える。似つかわしくないのだ。いくらほろ酔いとはいえ、そんな笑い方をする人ではない。

「そのためにはね、私はヒールでなくてはいけないの。そうすることであの娘の闘争心を煽るのが私の仕事。だから、私のことは、気にしなくていいわ。わざわざあの娘の痛いところを突いて、怒らせちゃったのは誰でもない、私自身。だから、ああいう態度はされて当然。でも気にしてないわ。私はそうあるべきだと思ったからやっただけだし、意外と楽しいしね――」

「セラさんは、昔からウソが下手ですよね――本当は自分も、仲良くなりたいと思っているくせに……」

「あは♪ シンシアにはホント、かなわないわねー……そうね。本当は、私も臆病なのかもね~~」

 シンシアはそういう点についてはとても厳しい。さっきからシンシアも酒に付き合って入るが、顔も赤くなっていなければ、酔った雰囲気すらみえない。

「分かりました、そのお役目、私が引き受けます。だからセラさんは、安心してクエストにいって来てください」

 シンシアに彼女を任せるという彼女の本音。そして……本当は彼女と打ち解けたいと言う隠れた本心。気恥ずかしいのか、それとも彼女の気質がそうさせたくないのか……だが、そんなことも長い付き合いである彼女ならお見通しである。

 セラは自分では言いにくいことがあるとこうやってお酒の力を借りて、彼女は私にしかできないことをお願いしているのだ。だから、これは私の役目。

「ええ、そうするわ。あ、さっきの話、誰にも言っちゃだめよ? トップシークレットのお話だからね♪ それじゃ、おやすみね……」

「知ってますよ――セラさんの言うこと、昔から言っちゃいけないほど危ない話ばかりじゃないですか……おやすみなさい……」

 そういうと、凛が朝干したベッドの上に横になり、布団をかけて眠るセラ。酒のせいもあったのだろう、数分も経たないうちに寝息が聞こえてくる。そんな彼女を見つめながら、お酒を一口。その顔には、何か決意めいたものを感じられる強い意志の瞳がある。

「リンさん……私は、アナタとお友達になりたいです……一人になんて、させませんから……」

 そう自分に言い聞かせ、決意を新たにするシンシア。黄金芋酒を元に戻し、机にたたんでおいた桃色のショールを首にふわりとまきつけると、彼女は夜の庭へと繰り出すのだった。



 ***   ***   ***  



《深夜・マイトレ》

「半年、か。――長いようで、短いようでもあったな」

 半年。ここの半年は、ハンターライフの中でも大きな半年だったといえよう。何しろ、私の人生観をひっくり返すような出来事ばかりだった。『光あるところ影あり』というあのセラのセリフ。そして――

 ――あなたはケモノじゃないわ。意志を持った立派なニンゲンよ。そのこと、よーく覚えておきなさい――

「くそっ……!!」

 あの一言がどうしても私の心に引っかかる。まるで見えない鎖でつながれた気分だ。吐き気がする。正論だ。だからこそ腹が立つ。

「忌々しい……あの一言さえなければ、私は何の躊躇もないと言うのに……」

 双剣を禁止されたことはしょうがないとしても、この一言が鍛錬中に何度も何度もよみがえる。まるで自分の存在を全否定されたようなあの言い方。くそ……クソクソクソ……

「私は――バケモノだぞ――今更、人間なんていわれて……どうしろって言うのだ……」

 そういい、草原に寝転がる。垂れた前髪をどけ、星空を眺める。白木の国でもよくこうやって、星を眺めていたものだ。目を閉じ、草木のなびく音を聞く。サーッ、と風が駆ける音。生命の息吹を感じる音。私は生きているのだと、実感できる。


「――眠れませんか??」

「……シンシアか」

 闇夜に広がるやさしい声。目をつむっていても分かる。彼女だ。衣擦れの音で彼女が長椅子に座ったのだと理解する。

「――いい、星空ですね……私も、よくこうやって、星を見ます」

「私もだ――こうやって星を『視て』いると、とても気が落ち着く」

「体、冷えますよ??」

「大丈夫だ――クエストでは毎晩野宿が当たり前だからな」

「でも、ここの管理人は私です。私の言うことには、リンさんでも、従ってもらいますよ??」

「……シンシアと話していると、双子の妹を思い出すな……その頑固なところ、そっくりだ。きっと私が帰るまで、テコでも動かないのだろうな」

「え……どうしてわかったんですか?」

「そういう奴だったからな……」

「そうですか――はいこれ、私お手製のホットミルクです。よく眠れますよ? ここにおいておきますから、飲み終わったらリンさんの部屋に置いといたままにしてくださいね。明日片付けますから」 

「すまない――馳走になるな」

「いえ……それでは私はこれで。あ、一つだけお願い、いいでしょうか?」

「なんだ? 私でできる範囲内であれば、なるべく努力はするが……」

「では、お言葉に甘えて。リンさん、もし、貴女が私を見て双子の妹みたいだとおっしゃってくださるなら――私を『その人』のように扱ってください。他人行儀に、なさらないで下さい」

「!!!」

 言葉が、でない……シンシアからもらった、初めてのお願い。無碍にはできない……できないが……今の私には……その言葉が、とても……辛い……

「私は多くの人に支えられてここに居ます。ここに、“いる”んです。リンさんも、その一人です。だから今度は私がリンさんを、支えます。一人になんて、させませんから……それでは……おやすみなさい……」

 そういうと、一人で帰っていった。

「シンシア……」

 信じられない。私を支えてくれると、彼女はそう言ってくれた。こんな言葉をかけてくれたのは、過去にたった一人しか居ない。その人物が脳裏に浮かぶ。

「彩……私は、また、人に戻れるの? 戻っても、いいの……?」

 私に対する問いに『アヤ』は答えない。ただ、笑っていた。物置で見せたあの時と同じ、やさしい微笑みで……


 ――姉さまなら、大丈夫――


 そんな言葉を、聞いた気がした。

「彩……ごめんね……ありがとう……」

 一つは、謝罪。彼女を守りきれなかった、後悔。
 一つは、感謝。私を最後の最後まで人間として扱ってくれた、たった一人の妹。

「頂きます……」

 誰にもいないマイトレで一人、私の声だけが響く。シンシアが、私のために入れてくれたミルクだ。それをゆっくり飲み干す。彼女の温もりが、心が、じんわりと伝わってくる。

「ごちそうさま、でした……」

 コトリ、とカップを置く。不意に目頭が熱くなり、自然に湧き出る感情に身を任せた。それは――涙。頬に伝う一筋の涙は、私のすさみきった心を洗い流し、温もりで満たしてゆく。私は静かに泣いた。声を押し殺すように、顔を覆って、うずくまって泣いた。あふれる涙が止まらない。心が喜びに震える。胸が熱い。心が振るえ、体中がじんわりと暖かい。それでも、この爆発したような感情は止められない。草原で一人うずくまって、その姿を見られまいとするのが精一杯だった。

 私はもう、妖(あや)じゃない。妖(あやかし)でもない。

「……っく、ひっく……」

 私は、凛。

 ただ一人の、凛。

 私は――

「ぁぁぁぁ……」

 私は、生きていて、いいんだ。

「………ああああああああああああ!!!!!」

 それは、人生で初めての、嬉し涙だった――



[28115] 第八幕 ~青鬼~
Name: 社長◆8516f89f ID:76f23c14
Date: 2011/06/10 00:47

《ニ年後》


「リンさ~ん!! 買い出しいきますよ~~!!」

「分かったわ。私もいくから、ちょっと着替えてくるわね」

「わかりました~~!!」

 あれから半年。私はシンシアとかなり打ち解けるようになっていた。……ついでにセラともだが。とりあえずつっけんどんな態度だけはやめることにした。一応は居候の身、あまり図々しいことをいっている立場ではないからだ。だが相変わらずあの飄々とした態度は変わらない。いつの間にやら雑用が完全に私の仕事になってしまった。最初はひらひらして鬱陶しい事この上ないヘルパー一式装備も気にならなくなった。環境と言うものは恐ろしい。違和感のあることでも、時間がそれを解決することがあるのだから。

 だが、肝心の鍛錬はさっぱり駄目だった。異なる三種類のイメージをこよりのように編むのだが、これが非常に難しい。色を変えるということは、その中にあるイメージそのものを変える必要がある。一つ一つの氣を出すことはそれほど難しくない。だが、氣を混ぜ合わせるとなると途端に難易度が上がる。全く別のイメージを組み合わせるというのが難しいのだ。例えるなら全力疾走しながら本を読めといっているようなものだ。二色の氣でもこれだけの難易度なのに、私が目指す『黒』は三色の氣を三つ編みのようにして完成する色だ。

 前回の答えは、意外と近いところにあった。だが今回ばかりはどこをどう考えても、上手くいかない。だが、それでも分からない。本当に答えは、身近なところに眠っていたりするから困るのだ。とりあえずこの半年間、試すことだけのことはやったが、全て外れだった。とりあえず気分転換にでもと、シンシアが買い出しに誘ってくれたので、私も同行することにした。鍛錬用の胴着から入団祝いの浴衣へと袖を通し、ドンドルマにある街、メゼポルタ広場へと向かう。

「わーすごい!! 今は『狩人祭』の最中だから花火が打ち上げられているんですね!!」

 夜空に咲く大輪の花、花火だ。東方では夏の風物詩としてよく見かけるが、まさか『こっち』でも見れるとは思わなかった。東方には春夏秋冬という四つの季節があるが、こっちには『温暖期』『繁殖期』『寒冷期』の三つに分けられている。今は『繁殖期』。東方で言えば夏のようなものだ。だが、私は『狩人祭』と言う名前のほうは知らない。

「『狩人祭かりゅうどさい』??」

「あ、リンさんは知らないですよね。ドンドルマの街で月に一度繰り広げられる猟団を対象にした一大イベントのことなんですよ~。今は『入魂祭』ですから、猟団の人たちは一生懸命頑張っているはずです」

 狩人祭――文字通り、狩人たちの祭典のことだ。シンシアの説明によると、狩人祭とは猟団をランダムに『蒼竜組』『紅竜組』の二つに分割し、ポイントを稼ぎあって行われる猟団の枠を越えたイベントらしい。そしてそのイベントは、四つの『祭』によって構成されている。

 一つ目は『登録祭』。猟団の長がこの祭りに登録申請をするか否かの準備期間である。登録を表明したい場合はこの期間に行わなければならない。参加を表明した段階で自動的に『蒼竜組』『紅竜組』のどちらかに分けられる。

 二つ目が『入魂祭』。狩人祭のメインイベントである。ギルドが用意した『試練』とよばれるクエストをクリアすると『試練』にあったポイントがもらえ、それを受付に『入魂』することでチームに貢献する。

 三つ目は『集計祭』。入魂祭で入魂された『魂』(ポイントのこと)を集計する期間である。順位や特別賞などはこの期間に決定され、チームに大きく貢献した猟団はさまざまな特典を受けることが出来る。

 四つ目が『褒章祭』。勝ち組、負け組にそれぞれ褒章が手渡され、勝ち組には特別に『勝ち組限定クエスト』というのが与えられたり、勝ち組でしかもらえられないアイテムなどの特典を受けることができる。

 これは猟団を越えたチーム戦のため、勝つためには互いの猟団同士が『同盟』を組むことも許されている。一つの猟団をメインにして、残りがサブとして同盟を結成、猟団をこえた人間関係も結べることから祭りの間は非常ににぎわっており、上位入賞を狙う猟団は『入魂祭』の間は昼夜問わず凄まじい勢いで試練を受けているらしい。ちなみに、『シークレット試練』なるものがあり、掲示板に表記されていない隠れた試練もある。

「……たまに眼が血走っている人間がいるのは、祭りの影響ってことなのね?」

「そうですねぇ……あれは一旦やりはじめるとキリがないというか……己との戦いでもありますからね……時間との勝負ですし」

 今は『入魂祭』。チームが勝つためにも、自分たちが勝つためにも必死なのだろう。『紅組ヴァシムクエあと二人!!みんなで頑張ろう!!』『蒼組エスピクエあと一人!!お早めに!!』などなど、なかば絶叫に近い声で張り上げているハンターやそれに耳を傾け、我先にと殺到するハンター。防具をがちゃりがちゃり言わせながら溜まったポイントを届けようと広場を全力疾走しているハンター。それを煽るかのように集計結果が逐一掲示板に張り出されるのでそれぞれのチームは気が抜けない。ギルドの連中も祭りを盛り上げようと必死なのだろう。……というより、あの血の気の多いハンターをどうにかすることのほうが大変そうだ。何か問題があったらハンターのことだ、何をやらかすか分かったもんじゃない。

「ま、今の私たちには関係ないことだけど。買出しいくんでしょ?」

「……リンさん、意外と冷静なんですね……」

「昔から自分達には関係ないことには首を突っ込まない性格なの。面倒ごとに巻き込まれるの、イヤだし」

「あ~、それもありますねぇ……私も厄介ごとに巻き込まれるのは嫌ですね」

「でしょ? さっさと目的の品を買って、どこかゆっくり花火の見える場所でくつろぎましょう」

「ですね!!」

 二人でうなずきあい、目的の品を購入する。買出しのメインは食料だ。普段自分達が食べるものからマイトレにいるアイルーやプーギー(小さい豚のようなペット)の餌、その他もろもろの雑貨などをまとめて購入する。それにしても、かなりの量だ。二人して両手で抱えるほどの大きな袋。シンシアによればこれぐらいの量はいつものことらしい。細腕にみえて意外と力があるようだ。でなければこれだけの量は持ちきれない。一旦マイハウスに戻って食料を手分けして詰め込んでゆく。一通り終わった段階で、今度は花火を見ながら屋台ですぐに食べられる食べ物を買う。

 今回買ったのはティガレックスの脚を一本豪快に丸焼きにしてそれを削って客に出す『レックスケバブ』という食べ物に、氷樹リンゴと北風みかんをミキサーにかけてつくったミックスジュースだ。広場の南東にいくと大きな提灯とアイルーとメラルーを模した可愛いお面が並んでいる場所があり、そこの一角に大きな木を丸ごと切っただけの簡単な椅子とテーブルがある。そこで買ってきた食べ物を食べながら花火を見てのんびりとくつろぐ。運がよかったのか、丁度人もいないようで、花火を見るには絶好の場所だった。

「んぐ、美味い……屋台で食べる食い物はまた格別だな」

「そうですね……屋台の食べ物って普通に食べると普通の味なんですけど、雰囲気で食べるから味が違うんでしょうね。とても美味しく感じます」

 そう言いながら二人で買ってきた食べ物をほおばりながらのんびりと花火を見る。夜空に咲く大輪の華は闇夜を彩って実に綺麗だ。途切れることがなく、次々と打ち出される花火が人も街も、空も照らしてゆく。一瞬真昼のように明るくなるも、すぐにまた闇が訪れ、再び光が差す。

 ――ヒュ~~~……ドン!!!

 ――ヒュ~~~……ドドドン!!!

 さまざまな花火が描き出す色はとても綺麗で、どこか儚くもある。一度夜空に咲けば、それで消えてしまう儚い命。だがらこそ、美しい。気づけば買って来た食べ物は全て胃袋の中に納まってしまった。

「あ、最後の大掛かりな花火が出ますよ!! スターマインですね!!」

「すたーまいん??」

「まぁ見ててください!! すごい迫力ですから!!」

 シンシアが興奮気味でまくし立てる。すると、広場から上がっていた花火が一度途切れ、辺りが真っ暗になる。だが、次の瞬間……


 ――ヒュ~~~ヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒュー……


「な……!? なんなんだあの量は!?」

「さぁ~~来ますよーー……!!!」


 ――ドドドドドドドドドドドドド!!!!!! ドカンドカンドカンドカンドカン!!!


 凄まじい量で打ち上げられ、連なるように爆発する花火、花火、花火の嵐。花火と花火が重なり、凄まじい轟音が辺りを包む。怒涛の連続打ち上げ花火、スターマイン。互いの声すら、聞こえないほどの炸裂音。それは途切れることなく、何十何百と続いてゆく。途切れることなく打ち上げられる音にあわせて咲きほこる色とりどりの華が漆黒の夜空を七色に照らす。それは見るもの全ての視線を釘づけにするほど、打ち上げ花火の最後を飾るに相応しい光景だった。いつ終わるとも知れない花火の嵐。だが、始まりがあれば終わりがあるように、この光景にもやがて終わりが訪れる。これまでで一番大きい轟音をたてて、光り輝く華の嵐が天を焦がさんばかりに夜空を光に染め上げ、爆音を残して消えていった。


「……終わっちゃいましたね」

「……そうね。でも最後のでっかい奴はいったい何? 綺麗は綺麗なんだけど、音がでかすぎるわ。鼓膜が破れるかと思ったんだけど……」

「あはは……私もです。あそこまで連発するとは思いませんでした。いつもより気合入れて作ったみたいですね……」

「……ちょっと入れすぎだと思うんだけどね」

「さて、帰りましょうか。時間も時間だしね……」

 広場にある時計台を見て思わず嘆息する。気づけば日付が変わる少し前だった。

「うわ!! すっかり忘れてました!! スターマインって最後まで見ちゃうとかなり遅くなるんだった!! どうしよう……明日はアイルーの餌やりとプーギーのブラッシングの予定があるのに……うう……」

 その時間に思わず驚くシンシア。仕方がないだろう、あれを見ていて途中で帰ろうというほうが野暮と言うものだ。あれはしょうがない。過ぎたことを悔いても仕方がない。綺麗だったんだから、しょうがないのだ。うん。

「……まぁ、しょうがないわ。私もなんだかんだいって、結構楽しかったし」


「――じゃぁ、今度は俺たちを楽しませてくんねーかな??」

「「!!」」

 そこに居たのは、全身青の防具で固めた男達の姿だった。



『第八幕』 ~青鬼~



 ……事態は思ったより深刻だ。リーダー格を中心にすでに円状に囲まれている。その数およそ10~15といったところか。まだ花火の残響が耳に残っていて風の音で相手の正確な位置が割り出せない。気配で探ってもこれだけの人数だ。

 私としたことが……なんたる失態。花火に気をとられて人間の気配に気がつかないとは。見れば、全員同じ青色の防具に特徴的な青色の覆面防具フルフェイスマスク、ここの世界ではあまりに『有名』なギザミ一式の防具を着込んだ連中だった。(上位上がりたてのハンターでも比較的生産が簡単で一式揃えて強化すれば十分通用する防具であり、ショウグンギザミのクエストは報酬が非常に高い面からも人気が高い。ギザミシリーズ一式はそういう意味で有名なのだ)

 その中に一人だけ、全身朱色に染め抜かれた防具を着た人間が一人。あれがおそらくリーダー格だろう。花火が終わり、不気味に静まり返った夜の広場に男達の下衆な笑いが不気味に響き渡る。垂れ下がった髪の毛は相手に表情を悟らせない。気配を鋭くし、眼球を動かしてあらゆる角度から現状の様子を探る。

「ガキの時間は終わりなんだよ……こっからは大人の時間、だぜ? ゆっくり俺らとたのしもーぜぇ……」

「わりぃが、逃げようだなーんておもうんじゃねーぞ? ここは俺らのたまり場だかんな。夜でもここの配置がどーなってるかってのは、よーく知ってるぜ?」

 あちこちから響いてくる下卑た笑い声。……もうこの状況は聞き飽きた。白木の国で、何度同じ台詞を聞いたことか。それはどこの世界でもそれほど変わらないらしい。相変わらずの三文芝居だ。私一人ならどうとでもなる。だが……

「おめーみたいなガキには用はねぇんだよ……あるのは後ろの茶髪ロングのねーちゃんだけだからよぉ」

 相手の狙いはシンシア。私に色香がなくてよかったと思う。背丈もシンシアほど大きくないし、胸の部分もさらしで巻いてあるからさほど出てもいない。普段の習慣がこういう場面で活きるのだ。とっさに体を前に出して彼女を庇うように両手を広げ、相手と対峙する。

「なんだぁ? その態度は? ちっこい体して、おねーちゃんを守ろうってか? こりゃぁ傑作だ!!」

 青い男が一人、笑いをこらえるように私に向かってそんなセリフを吐く。それを聞いた周りの男たちがその内容にどっと笑う。よほど可笑しいのか、笑い声が一人、また一人と増えてゆく。そう、それでいい……私を侮っているその時点で、私は次の一手を打つことが出来るのだからな――

「シンシア、声を出すな。怯える必要は無いわ」

「で……ですが……」

「セラを呼んで来い。あいつならこの事態を対処できる。彼女の場所は分かるか?」

「おおよそですが……」

「それなら十分だ」

「でも、それじゃあなたが……」

「案ずるな。相手はハンター。なら、こっちもハンターである私のほうがいい。それに……こういう状況は、慣れているからな」

「……必ず、助けに来ますからね」

 それを聞いて、口角を少しだけつりあげる。

「――今からシンシアを投げ飛ばす。口を閉じて、目をふさいで、体を丸めて、私に覆いかぶさって。大丈夫――」

 彼女の手が震えている。だが、事態は一刻を争う。恐怖で凍えた気分を落ち着かせるために優しく小声で語りかけ、安心させる。そして――笑っているだけで何もしてこないこの連中に一言、私は言い放った。

「――そうか、傑作か。それは好都合だ……なッ!!!」

 彼女の体が私に覆いかぶさったその瞬間、体を一気に前屈、私の左手をシンシアの左腕に、右手をシンシアの胸元に。かがんだ反動で右後ろ足を跳ね上げ、背負い投げの要領で彼女を男達の輪の外へ一気に放り投げる。シンシアが覆いかぶさった瞬間に技をかけることで彼女の体重すら己の力に還元させ、一気に彼女を投げ飛ばした。着地のことまで考える余裕がなかったのでなるべく地面の柔らかいところを狙ったが、はたしてどうか……

「なにっ!?」
「テメェッ!! ガキのクセにっ!!」
「調子に乗りやがって!!」
「俺らを誰だと思ってやがる!? 猟団『青鬼』と知っての行動か? だとしたらオマエ……死ぬぜ?」

 流石に今の行動は彼らも予想外だったのだろう。あちこちで悪口雑言が飛んでくる。だが、私はそんな言葉を気にも留めず、シンシアが飛んでいった方向を眺めていた。

 ――ドスン。

 音が大きくない。おそらく、体を丸めて全身を守ったのだろう。あとは立ち上がって走れるだけの力があるかどうかだけだ。これで狙いは私一人に絞られた。

「ちっ……せっかくの上玉だったのによ……んじゃぁ、オマエでうさばらしといくかァ!!」

 朱色の甲殻を纏った人間がそう声を荒げると、周りの人間が一斉に殺到してくる。

 さて――この状況。どう切り抜けるか……



 ***   ***   ***  



「ゴホッ!!」

 叩きつけられた衝撃は思ったより強かった。体を丸めて、目をつむって、舌を噛まないように口を閉じた。だけど、リンさんのアドバイスのおかげで痛みはかなり少ない。それに、この草。わざと地面の柔らかい草原の部分に落としてくれたんだ。あんな状況で、よくここまでのことが考えられるなんて……怯えているだけの私とは大違いだ――

「はやく……いかないと……」

 だが、叩きつけられた衝撃でうまく呼吸が出来ない。首に巻いていたショールを振りほどき、体に巻きつけてゆっくりと立ち上がる。

「スゥー……ハァー……スゥー……ハァー……よし――」

 呼吸をしているうちにだんだんと息遣いも戻ってきた。セラさんはおそらく祭の事務処理で大老殿にいるはずだ。ここは広場の南東、大老殿はこの位置から北西の方角にある。私の足で片道およそ10分。往復で20分……それはあまりにも、絶望的な時間。だけど……

「今は、考えることより……走る事!!」

 体中の気力を振り絞って、全力で駆け出す。セラさんなら、あの人なら、この状況でもなんとかしてくれる!!



 ***   ***   ***  



「ツッ……!!」

 相手の動きは大したことはない。だが……この防具……

「ククク……バカな奴。そんなカッコしてるから、ズタズタに切られていくんだぜ?? おーおー、なんだ、オメーもなかなかいい顔してんじゃねぇか」

「しかも浴衣とくりゃぁ、切り裂くのもいいけどよぉ……剥がすってのがオトコのロマンだよなぁ!!」

「「「ゲハハハハハ!!!」」」

 忘れていた。ギザミシリーズの防具は防御だけじゃない。篭手や脚のいたるところにブレードがつけられている……つまり、やろうと思えばその部分を武器にすることも可能な防具なのだ。だから、紙一重で避けても防具についているブレードが私の体を切り裂いてゆく。袖はちぎれ、腰布はズタズタだ。元が薄い布地なだけにそのブレードは皮膚まで簡単に切り裂いてくる。全身を刃で覆われているこの防具では投げや関節技といった戦闘不能に追い込むような体術がかけられない。手を回せば刃が体に食い込んでしまう。最悪の相性だ。しかも背負っているのは刃のない太刀、鍛錬刀【初段】。これでは防御にもならない。

 まだシンシアを投げ飛ばしてからそれほど時間も経っていない。幸い、相手は私がハンターだということに気づいていない。だから私も練気を使わず、わざと下手な動きで攻撃を避けている。だが……相手の目標が私から衣服へと移り変わった。こんな人間共に素肌を晒すことのほうが斬られるよりも屈辱だ。女のたしなみとして個人的に許せない。

 目の前に襲い掛かる男達が私を拘束しようと取り囲むように襲い掛かってくる。その数三人。

「とっととくたばりやがれ!!」

 真ん中の男が私の顔面狙ってストレートを繰り出す。それをしゃがんで避け、鍛錬刀を捨ててそのまま突進、奴の体ごとぶつかる。

「バカかこいつ!! 自分から俺らん中に入ってきやがった!!」

 ブレードを纏った篭手で私の背中にある帯を掴み、ほどこうとする。そうすれば自然と体はかがみ、前屈体制になる。ギザミのブレードが着いているのは篭手と脚、それに股間部分の三ヵ所。それ以外は安全地帯だ。前屈体勢になるということは、背中が開くということ。すなわち……防具と防具との間に隙間ができると言うことだ。私は鈴原の血を持つ暗殺者の一族だ。手元にはもう一つ武器がある。それは暗器……妹からもらった『簪』だ!!

「ほ~ら♪ これを引っ張ればお前はまるはだ――グハッ!?」

 右手の袖に仕込んであった簪を取り出して逆手に持ち、がら空きとなった背中めがけて素早く突き刺す。だが、あくまで突き刺すだけだ……貫通させてはいけない。血を出させてはいけないのだ。狙うは人体の急所の一つ、脊柱だ。ここを突き刺されて立っていられる人間はいない――例えそれが、針のような一撃だとしてもだ。彩から人体の急所の位置と構造はいろいろ教わってある。だから私が実際に暗殺者でなくとも、その真似事程度なら十分出来るのだ。

 体中から力が抜け、倒れこむ男。奴に突き刺した簪を今度は自分の帯に突き刺して一時的に緩みを抑える。ソックスにあるリボンを両手で素早く外し、それをひも状にして絡め、奴の両肩に手をかけてそのまま宙返りをして着地すると同時にリボンを顔面に巻きつける。喉に巻きつけてもいいのだが、ここで殺してしまっては逆に相手の怒りを買ってしまう。

 急に視界を遮られ、焦りと恐怖からじたばたと暴れる男。そのまま私は男と背中合わせになり、地面に両手を着いて激痛で痛む背中を両脚で蹴飛ばし、その反動で一気に飛ぶ。簪を帯から抜き取り、走りながら締めなおす。今は時間を稼ぐことだ……こいつらを一網打尽にするためにも。



 ***   ***   ***  



 ――ドカン!!

 怒られるの覚悟で大老殿の扉を体当たりでこじ開ける。全力疾走してなんとかたどり着いたが、その前に私の体力がもうもたない。片道を走りきるので精一杯だった。

「何事だ!! 騒々しいぞ!! こんな深夜に何の用だ!!」

 側近にいた大臣の方々が一斉に食って掛かる。だが、そんなことは後回しだ。ありったけの声を出して彼女を呼ぶ。私を知っているのは、この中では彼女しかいないのだ。

「セラさん!! どこにいるんですか!! 大変なんです!! セラさぁあああん!!!」

 周りを見渡しても彼女の姿が見えない。とにかく声を荒げ、彼女を呼ぶ。ややあって、彼女が大老殿の奥の部屋から飛び出してきた。

「シンシア!? どうしたのそんなに血相変えて……ちょっと!? 大丈夫!? 顔真っ青じゃないの!!」

「わ……私のことは……それよりも……リンさんが……リンさんがぁぁぁ……」

 セラさんの姿を見た瞬間、安堵のため息と共に思わず体が崩れ落ち、涙が零れ落ちる。倒れ掛かる私に素早く駆け寄ると、セラさんは私を抱きとめてしゃがませる。

「落ち着いて。泣くのはあとよ。ゆっくり深呼吸なさい……そして、用件は素早く、手短にお願いするわ」

「はい……ぐずっ……」

 優しさと厳しさが入り混じったセラさんの声。いつもはのほほんしているが、真剣なときはとてもかっこいいのだ。今日はいつものだらけた服装じゃない、ちゃんと全身をギルドナイトの礼服で固めている。

「リンさんと私が、男たちの集団に巻き込まれました。場所はここより北西、提灯のある広場です。花火が終わった後、私たちは既に囲まれていました。でもリンさんが咄嗟に私を投げ飛ばし、セラさんに助けを求めるように言ってきたんです」

「それは今から何分前?」

「――正確にはわかりませんが、約十分前だと思います……」

「……十分。走るのが苦手なアナタじゃ全力疾走でこなければその時間でここまで来れっこないわ」

「あとは……お願いします……リンさんが危ないんです……」

「敵は?」

 そう聞かれると、私は首をふるふると横に振る。

「わかりません……青色で固めた防具を着た男の人たちが十五人くらいいました……リンさんは今も戦っているはずです……助けてください……」

「チッ――ギザミ一式の大所帯、『青鬼』の連中ね。ウザイわ……こんな夜中に騒ぎを起こして……」

 私の言葉からセラさんは相手が誰なのかを知ったようだ。何があったのかは知らないが、セラさんの顔が不満と苦渋の顔に彩られている。できれば関わりたくないような、そんな顔だ。

「本来なら私が狙われていたんです。それを……リンさんが……庇って……ううう……」

 駄目だ。もう言葉にならない。涙を流すことしか出来ない。

「――大長老様、ちょっと私用ができましたので出かけてきます。私の事務処理はそのままで結構ですので」

「お主一人で行くのか? 相手はあの『青鬼』だぞ? 悪い事件は起こしているが、奴らは我々の手をかいくぐってくる集団じゃぞ……」

 大長老様が慌ててセラさんを止めに入る。だが、セラさんは全く動揺することなく、事務的な口調で淡々と述べてゆく。

「奴らを懲らしめるいい機会ですし、あの程度の人間、私だけで十分です。あとで応援を十人ほど待機させてください。場合によってはその場で検挙させます。……時間がないので、これにて失礼します」

 そういうと、セラさんは立てかけてある長剣を手に取って凄まじい速度で駆け抜けて行った。セラさんよりも長い鉛色をした剣。あんな武器はみたことがない。いつもならあの刀身が消える武器を使うのに……何かあったのだろうか? 涙を拭い、座ったままで問いかける。

「大長老様、セラさんのあの武器はいったいなんですか? あれは太刀ですよね? いつもだと刀身が消える太刀を持っていくのに、どうして持っていかなったんですか?」

 本来ならばこんな格好での質問は許されないのだろうが、大長老様はそれを気にも留めずに答えてくださった。

「あの剣は特別でな、儂の許可なしには使えないのだ。それを取ってくるにも時間がかかる。だから、自前の剣で行ったのじゃよ。まだ世に出て間もないドンドルマ工房の最新作。砦蟹シェンガオレンの『剛種』から切り出された刃と甲殻を使った堅牢性と破壊力に優れた太刀……その名も『殻王刀』。セラのことだ、どうせ最終強化までしてあるのだろうよ。心配は要らぬ、あやつの強さは本物じゃ」

 剛種。通常のモンスターと姿形は全く一緒だが、その攻撃力が桁外れに高いと噂される新種モンスター。亜種よりも、希少種よりもさらに上を行く新たな生態系……それが剛種。受注はHR100以上限定のはず……さすがはセラさんだ。まだ剛種に挑んでいる人はそれほど多くない。あまりにも敵が強すぎるのだ。マイトレはHR100の人間しか提供できない施設であり、管理人の間でもHR100以上の世界の話はよく話題に出るから剛種の話は私も聞いたことはある。敵も強いが、それを素材にした武器はさらに凶悪だ。何しろ生産も強化費用も飛びぬけて高いのだ。その『殻王刀』という武器がどれほどの値段かは分からないが、おそらく100万単位で飛んでいくのは確実だろう。

「だから、安心せい。相手を惑わし、己の術中に嵌める『幻惑』の二つ名は伊達ではないということじゃよ」

 そう話す大長老様の顔は、どこか安心するような雰囲気だった。まるで、セラさんの勝利を、微塵も疑っていないかのように。




※補足※
現在はマイトレの解放はHR51からになりましたが、当時はHR100以上からの解放になっていました。


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