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[28000] 自動ドア殺人事件(コンビニ・ギャグ)
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/06/16 21:09
 真夜中のコンビニ。
 熱帯夜の外気から隔絶された店内はやや過剰な冷房によって少し肌寒く、俺と相対する人物もどこか落ち着かない様子だった。
 水色の制服に包まれた恰幅のよい体、メガネの奥の緩やかな垂れ目、若干人工的な黒塗りの七三分け。
 四十歳ほどに見える目の前の男性はこのコンビニの店長で、今日から俺の雇用主となる。

「これからよろしくね」
「……よ、よろしくお願いします」

 短いながらも温和な色をにじませた店長の挨拶に、俺はぎこちない返事をした。
 人生初のバイトなためかどうしても緊張を隠せない。意識していても視線が下がってしまう。
 まだ十九歳の学生なのだし仕方無いと心の中で言い訳。

「ま、そんなに硬くなるなって」

 ふふん、と笑いながら店長が言う。優しくていい人じゃないか。この人となら上手くやっていける、そんな気がした。

「じゃあ早速接客の基本から教えていこうか」
「あ、はい。ではお願いします」

 ここからが本番だ。両足に力を入れ、緊張を無理やり抑え込む。

「商品を持ったお客様がレジにいらっしゃったとしよう。さて最初になんて言う?まあ簡単だよね」
「当店では性的なサービスはご遠慮いただいておりまして」
「うん、ちょっとおかしくないかな」
「ああ、この店はアリな方なんですか」
「そうじゃねえよナシな方だよ! それ求めてコンビニにくる客はいないと思うけど!?」

 いや、今の世の中なにを要求されるかわかったものじゃない。素敵なおねーさんに『ねえキミ、あたしにいけないサービスしてくれないカナ……?』などと言われてしまう可能性も決してゼロではないはずだ。
 そしてコンビニ店員としての義務と男としての本能、どちらを取るかで揺れる俺。やがて二人は禁断の恋に――そんな展開を希望したいです。

「まあそれはともかく。さ、店長どうぞ続きを」
「ああうん……さっきの緊張してた姿が嘘のようだね……」


          ◇     ◇     ◇


 三十分ほどの時間をかけてレジの操作や基本的な接客方法を教えて貰う。
 店長は『ポイントカードの確認は忘れやすいから必ずしよう』ということを特に強調していた。あれ毎回聞かれると正直煩わしいよね。

「さて次はクレーム対応について少し話しておこうか」
「クレーム……ですか?」

 疑問を込めて口にする。
 最近はよく耳にする単語だが、その対応となると学生には少々ハードルが高い。

「うん。これはとてもデリケートな問題だから」
「店長の不自然に黒光りした髪のようにでしょうか」
「そうだねデリケートだね……!? 出来ればもうちょっと濁して!」
「頭髪の不自由な方」
「へへ……なんだかその配慮が心に痛えや……」
「――約束の地に根を封印されしモノ」
「なんでちょっとカッコいいんだよ! 逆にすげえ嫌だよ!」

 ……俺もいつかは約束の地に根を封印されしモノになってしまうのだろうか。そう考えるとちょっとブルーになる。

「と、とにかく……一言で言えば、クレームには反論しないのがコツだから」
「肝に銘じておきます」
「信用できねぇ……」

 いつの間にか信頼を失いかけているような気がする。なぜだ。
 仕方ない……ここはデキる男を見せつけてやらなければなるまい。
 俺は店長の呼吸が落ち着くのを待ってから話を切り出した。

「ではちょっと練習してみましょうか。店長、クレーマー役をお願いします」
「お、何か自信ありげだね」

 『やってみるか』と言いながら目をギラギラとさせいやらしい笑みを見せる店長。
 あまりにアレだ、アレすぎる……少なくともコンビニ店長的な表情ではないだろう。
 性犯罪界へFA宣言するべきだと思いました。頑張れ未来のホープ。

 そして一旦レジを出た店長がこちらに向かって歩いてきた。俺と相対する位置で立ち止まり、少し低くした声色で話しだす。

「おう兄ちゃん、ちょっといいか?」
「申し訳ありませんお客様、全裸でのご入店はちょっと」
「着てるから! バッチリフル装備だから!」
「あ、着てるパターンで?」
「着てるパターンだよ! 長いこと店長やってるけど着てないパターンなんて見たことねえよ!」

 HAHAHAソウデスカーと適当に流しておく。こちらを見る店長の血走った目が印象的である。

「では改めて。お客様、どうなさいました?」
「クレーム言いにきたんだよクレーム! 弁当に箸が入ってなかったぞ!」
「なるほど……申し訳ありませんでした」
「チッ、ふざけんじゃねえよ」

 深々と頭を下げる俺と、イライラした様子を見せる店長。

「おいどうしてくれるんだよ。弁当冷めちゃっただろ」
「本当に申し訳ありませんでした」
「謝って済む問題じゃないだろ? なぁ、誠意ってもんが必要じゃねえか?」

 卑しい笑みを浮かべながらこちらをじっと見つめてくる。
 その視線の意図を即座に理解した俺はレジから一枚の折りたたまれた紙を取り出し、

「お客様、これをどうぞ。お詫びの気持ちです」

 そっと囁きながら店長に手渡した。

「いやぁ何か催促したみたいでわる生理用品(紙製)じゃねえか!! 頭部のデリケートゾーンに使えと!? 残念ながら効果ねえよ!」
「さようですか」
「さようだよ! デリケートってそういう意味じゃねえから! っつーかなんでレジに入ってんの!?」
「ポイントカードはお持ちでしょうか?」
「ああもうどうしてこのタイミングで!? たしかに確認しろとは言ったけどさ空気を読めよ質問してるだろ!」
「あっ、でも毛根はキャッシュバックされませんよ」
「知ってるよ!! チクショウ自由だなお前!」

 そして店長はガックリと膝をつく。
 初めてだよこんなの……などと呟きながら生理用品(紙製)を握り締めている。面白いなこの人。
 しかし一応雇用主だ、少しは配慮しておくべきか。

「大丈夫ですか?」
「店長胃がメルトダウンしそうだからちょっと待ってね……休憩行ってきていいよ……」

 レジの奥を指差しながら店長が言った。
 ちょっと見てみたい……と十秒くらい迷ったが変な方向にハッスルされても困るなと思い直し、素直に休憩室へ向かうのだった。


          ◇     ◇     ◇


 十五分の休憩から帰ってくると、復活した店長がレジ前ではしゃぎ回っていた。
 ……なんだろうこの残念な生き物は。無駄に素早い動きを繰り返していてキモい。反復横跳びなんて久しぶりに見た。
 そして撒き散らされる加齢臭がすごい。生きる気力がガンガン吸い取られていく。これが現代社会の闇……か……。

「よっしゃバッチこーい!」
「どうしたんですか店長」
「ほら早く続きやるぞ続き」
「ああはい、クレーム処理の練習ですね」

 無闇にやる気を溢れさせる店長の言葉に俺は肯いた。次こそは失敗するわけにいかない――そんな決意を胸に、レジを挟んで店長と向かい合う。
 ガラの悪いクレーマーになりきった店長の発言を皮切りに、練習が再開された。

「おう兄ちゃん、この弁当だけどな箸が入ってなかったんだよ」
「…………」
「箸が入ってないと食べられないだろ?ちゃんと新人教育してんのかこのコンビニ」
「…………」
「だいたいここの弁当はなんで全部ご飯の部分にカレーかかってんだよ黄レンジャー専門店か」
「…………」
「店内はたまにすっぱい臭いがするし床もちょっと汚いし……あー……あとほらアレだよアレ、たまに変なすっぱい臭いがするんだよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「返事しろよ!?」
「はいお客様どうしましたか」
「たしかに、たしかに反論しないのがコツとは言ったけどね。出来れば相槌くらいは打って欲しかったな……」
「あ、打つパターンで?」
「打つパターンだよ! パターンって何なんだよさっきから!?」

 顔を真っ赤にして全身を小刻みに震わせた店長が叫んだ。きっと更年期障害だろう。

「店長」
「なんだよ……」

 俺は笑顔と共に優しく語りかける。

「自分の店をあまり悪く言っちゃダメですよ?」
「言いたくて言ったわけじゃないけどね……!? やめどきがわからなくて自分でも驚くくらいボロクソに叩いてたよ……もう精神崩壊起こしそう」
「強く生きてください。さあもう一回やりましょう」
「そうだね……これも仕事……仕事だから……」

 ぶつぶつと呟きながらもやる気を見せていた。
 さすがは社会人、これくらいの強さがないと社会の荒波は乗り越えられないのだろう。俺の中の店長評価をx軸上方へと修正。五ミリくらい。
 そして三度目の練習が開始される。

「おい箸が入ってなかったぞ!」
「当店は本格派でして。右手を使って食べていただければよろしいかと」
「ああそう…………いや一瞬納得しかけたけどやっぱおかしいだろ! せめてスプーンくらいくれよ!」

 ……さすがに騙されないか。
 レジの周囲からスプーンを探してみたもののどうも見つからない。これは少々マズい、補充が切れているのかもしれなかった。
 さてどうするかと黙考。早く対応しなければという焦りの中、反射的に自らの右手を叩きつけるようにしてレジ台の上へ置き、

「俺スプーンをどうぞ!」
「俺スプーン!? その右手で食えと!? 最低だよ! もう一回言うけどその対応は最低だよ!」
「さようですか」
「さようだよ……」

 ガックリとうなだれ涙目になる店長。

「客は少ないしバイト募集しても全然来ないし……やっと来たと思ったらコレだよ……」

 床に座り込んで膝を抱えてしまった。
 授業中の雑談の合間に『先生の子供っていくつなんですか?』と無垢な女子生徒に質問された中年独身男性教師レベルの哀愁を醸し出している。

「…………」
「…………」

 罪悪感を覚えた俺もつられて無言になってしまう。
 場を凍らせる沈黙が続き――……

「あー……店長?」
「…………」

 出来る限りの穏やかな声で言った。

「……そんなに嫌いじゃないですよ」
「…………え?」
「この店、俺は結構好きです」

 多くは語らない。様々な感情をないまぜにした微笑みを、こちらを見た店長へと向ける。

「…………」
「…………」
「…………ふぅ」

 一度大きく嘆息し、苦笑を浮かべながら立ち上がる店長。

「別に無理してお世辞言わなくてもいいよ……でも、ま、一応ありがとうな」
「テンチョサン、ゲンキ、ダシテー」
「なーんかシリアスな雰囲気になっ……いや誰だお前」
「ワタシモ、スキヨ、テンチョサン」
「だから誰だよ!? どうしよう事態が全く把握できない!」
「何言ってるんですか、最初からいましたよインド人の店員さん。さっきまでずっと弁当コーナーでカレーかけてたじゃないですか」
「一切描写なかったよね!? というかカレーはこいつが犯人か……! そもそもインド人雇った覚えなんて……あれ!?」

 錯乱しているのだろうか。人物描写がどうとかよくわからないことを叫んでいる。店長、あなた疲れてるのよ。

「おっと、そろそろ上がりの時間ですね。ではお先失礼します」
「この状況で丸投げだと……!? ちょ、待ってお願いだから!」
「ふふ、やっと二人きりになれたね」
「さっきはカタコトだったろ!? インド人なのに日本語ペラペラじゃねえかキャラ安定しねえな! あっ、マジで帰るんだ待ってよ置いてかんといて!」

 あれだけ元気ならばもうきっと大丈夫だろう。
 そういや客一人も見てないな、と思いつつ朝日に照らされた道をゆっくりと歩くのだった。



――――――――――――――――――――――――
※pixivに挿絵投稿してます。pixivにて『自動ドア殺人事件』で検索、もしくは『隣◆d5e42c83』でググると出てくると思います。



[28000] 第2話 だし汁とガスマスクとボーイ・ミーツ・ガール
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/03/17 16:26
 バイトを始めて一週間経った。仕事にも徐々に慣れてきている……はずだ。客が全然来ないから自分でもあまり自信はない。
 ……で。

「暇ですね店長」
「暇だね……一日五回くらいしてるなこの会話」

 俺は隣に立つ店長に話しかけた。
 しかしこの店はどうやって経営を保っているのだろう……という思考も今日三回目くらいだ。結論は謎。

「というかなんで真夏なのにおでんなんて売ってるんですか」

 意図的に無視していたのだが暇すぎるので聞いてみることにした。
 すぐ斜め前、レジ台におでんの保温器が載っている。意識すると視界に入るだけで暑くなってくるな……。

「マイナー勢も狙ってみようかと思ってね」
「メジャー勢が来ないのにマイナー勢狙っても……いや一応効果はあるのか……?」

 あまりにも暇すぎて頭がぼーっとしてくる。思考がまとまらない。
 いっそ立ったまま寝る練習でもしてみるか……と時間を潰す方法について模索していると、店長が唐突に、

「こんなこともあろうかと!」
「いいセリフですね。店長にはもったいないくらいに」
「ふふふ……これを見るがいい」

 何やら強気な姿勢で、上面に穴の開いた箱をレジ下から取り出した。
 この時点でもう嫌な予感しかしない。強盗とか来てくれないだろうか。

「よくぞ聞いてくれた、この箱はだね」
「聞いてませんが」
「名付けて店長クジ! さっき休憩時間に作ったんだけどね。これで客がわらわら集まってくるに違いないよ」

 話聞かないなこのオッサン。
 しかしクジ引きか、発想自体は意外と悪くない。問題は値段と景品次第だろう。

「一回いくらですか?」
「五百円」
「高ッ。景品は?」
「ハズレはガムとかティッシュとかかな。アタリはこれ、クジ用に作ったわけじゃないから本当は手放したくないんだけど……」

 そう言って懐から何かを取り出す店長。

 ………………うわぁ。
 やけに細部がリアルな店長本人の人形が出てきた。サイズは全長二十センチくらい、片手で持てる程度。可能な限り好意的に見ればちょっとアレなティディベアと言えなくもない……かもしれない、体型的に。
 世界ティディベア選手権ホラー部門なんてのがあれば、いいところまでいけるんじゃないだろうか。

「名前は店長さん人形、略して店さん」
「……腕が増えたり分身したりしそうな名前ですね。自分で作ったんですか?」
「うんサボりながら裏でこっそり作ってた。ほらほらもっと見てみ」

 店長が笑顔でこちらに人形を手渡してくる。近くで見るとますます……ふむ。

「煮てみるか」

 ノータイムでおでんにin。

「うわああああああ店さああああぁぁん!! ちょっと何してんの!?」
「すみません童心に返ってしまいまして」
「人形遊び気分!? きみの子供時代怖いな!」
「あ、ほらお客様来ましたよ」
「うう……店さん……」

 嘆く店長をなだめつつ、入店音の鳴る出入り口へと視線を向ける。


 ――――時が止まった。


 もちろんそれはそう感じたというだけの話なのだが、『彼女』を見た瞬間に俺を襲った衝撃は生涯忘れられそうにもない。
 プリーツスカートから伸びた脚は細いながらも瑞々しく、その白さはどこか透明感すら漂わせていた。
 ブラウスに包まれた体も同様に細身で、低めの身長と相まって華奢な印象を抱く。
 腰まで伸びた白銀の髪は陽光を反射して輝き、それ自体が発光していると錯覚させる。重力があるかのように視線が引き寄せられる。まるで月みたいだな、と感じた。
 そして頭部に装着されたガスマスクはアクセントとして神秘的な雰囲気を――――

 ………………。
 頑張れ俺の脳、ここは美少女が登場するシーンのはずだ……全力で補正しろ脳内、あれは超絶美少女、なんだ、ゼッタイに…………!
 そう、人は誰しも欠点を抱えている。それが彼女の場合はたまたまガスマスクだっただけで、さほど特別なことではないとも考えられるかもしれない。
 更に欠点も場合によっては魅力となり得るわけで。あれ……よく考えたら彼女がすごく愛おしく思ごめんなさい無理でした。

「どうしますか店長……まずは通報でしょうか」
「ん? ああ初対面だったかな。常連さんだよあの人」

 と、妙な寛容さを発揮した店長が続けて、

「きみ六時で上がりだろ? いつもその少し後に来るんだよね。今日は早いな」

 丁寧に説明してくれた……マジかよ。ちなみに現在朝五時半。件の彼女は飲料コーナーにいる。
 ……お、こっちに向かってきた。

「……いらっしゃいませー」

 とりあえず挨拶で様子見。緊張を隠すように視線をガスマスクから手へと移動させる。その手にはペットボトル……紅茶?

「…………」

 直立不動の彼女。なんだろうこの威圧感は。試練か。

「店長クジはいかがでしょうか」

 間が持たなくなる前に思いついたことを喋ってみるが、そもそも反応してくれるのだろうか。少しの間、沈黙が空間を満たす。

「…………景品は?」

 彼女がやけに耳あたりのいい高音の声で言った。感情の起伏に乏しく、更に若干くぐもってはいるが、十分魅力的と言えるだろう。
 顔をよく見てみれば、マスクの奥の瞳はグリーン。惜しい、惜しすぎる……今日ほど自分がガスマスク萌えじゃないことを後悔した日はない。

「これですけど」

 俺はそう言っておでんの保温器に胸の下あたりまで沈ませた人形を指差す。

「…………ねえ店長」
「どうかした? あ、やっぱりこの人形気になっちゃう? だよねだよね」

 気軽な感じで店長が応対している。常連相手とはいえ、意外と大物なのかもしれないなこの人。

「ライターが欲しいわ」
「どうする気!? というかこの状況で燃やす以外の選択肢が思いつかないよ!?」
「燃やすけど……?」
「あー、水分で燃えませんねこれ。表面がコゲるだけです」

 当然だと言わんばかりな態度の彼女と、慌てた様子の店長。そしてライターの火で人形を炙る俺。

「すでに実行済みだと……!? 嫌に行動力あるねきみ!」
「見て店長。だし汁があなたを守ってくれたのよ」
「いやそんな胸のペンダントが銃弾から守ってくれたみたいに言われても! だし汁で色々台無しだよ!!」

 店長がおでんの保温器へと駆け寄る。『店さん大丈夫!? あれ……汚れが戦場帰りみたいな感じになってて意外とカッコいい……?』とか呟いていた。
 ……ふと気付くとガスマスクの奥の瞳がじっとこちらを見ている。ううむ、胸がドキドキする……たぶん怯えとかそんな感情で。これが恋なら俺の感性は相当残念と言わざるを得ないだろう。

「……なかなかやるわね」
「……ありがとうございます。百五十円です」

 謎の称賛と同時に持っていた紅茶を手渡してくる彼女へ、返答なのかマニュアルなのかよくわからない言葉を返す。なんで褒められたんだ俺。
 そうして何事もなく……ないか? ともかく支払いを終え、紅茶を受け取り去っていく。
 と思いきや、出入り口でこちらを振り返り、

「クー。クーって呼んでもいいわ」

 そう言い残して、今度こそ本当に去っていった。

 …………ガスマスクのク?


          ◇     ◇     ◇


 二日後くらいにクーさんと二人で話す機会があった。しかし二秒で考えましたって感じの名前だ……安易すぎて口に出すとこっちがちょっと照れてしまう。
 そんなクーさんになぜ最後に名乗ったのかを聞いてみると『何か意味深なセリフを言ってみたかっただけ』らしい。『いつかまた第二、第三のわたしが現れるだろう』とどちらかで迷ったとも言っていた。何その状況怖いよ。
 いつかきっとクーさんとはまた話すことになる、そんな考えがふと浮かぶ。いや目の前にいるんだけどね。

「質問してもいいですか?」
「……店長がいない時は敬語じゃなくていいわ」
「あー、うん。質問してもいい……かな?」

 クーさんの申し出に素直に従う。正直、敬語以外はあまり得意じゃないが、なんとなく拒否する気にはなれなかった。一応女の子だし……ガスマスクだけど。
 話題に上った店長は『インド人にカレーがかかってない白米の素晴らしさを教えてくる』と言って、一時間ほど前に奥の休憩室に入ったまま戻ってきていない。時々『なっ……壺の中の蛇を笛で!?』とか『コレガ、ワタシノ、ホンキダヨ……!』なんて声が聞こえてくる。

「質問?」
「なんでこのコンビニ利用してるのかなって」
「散歩コースの途中にあったから」

 感情の込められていない声でクーさんが言う。超どうでもよさげ。

「あとなんでガスマスクつけてるのかな、と」

 ついでを装って核心に迫った質問をしてみる。こちらを見るクーさんの目に視線を合わせ、じっと見つめ合う。
 これでもし『幼い頃負った顔の傷が消えなくて……』みたいなヘビーな過去が出てきたらどうしようか。即座に土下座に移るための準備をする俺に、

「……たまに臭いからよ」

 視線を外し、ほんの少しだけ嫌そうにそう言った。……ですよね。
 しかし自分が原因ではないと分かっていても、対面している女の子に言われると何かこう、心にくるものがある。

「店長への無言の抗議でもあるわ」
「それは……たぶん無駄だと思う」

 俺は苦笑しながら言う。レジに立つ店長の周りに小型の空気清浄機をこれ見よがしに三台置いた時も、反応は『あ、もしかしてタバコ臭い? ごめんごめん、いやタバコ吸ったことないんだけどね』というものだった。
 なぜタバコが出てくるのかと問い詰めたいところではあるが、時間を損するだけの結果が見えていたので放置。(空気清浄機は翌日フィルターがカレーまみれになって壊れていた)

「お兄さんはどうしてこの店?」

 ……年下っぽい少女にお兄さんと呼ばれるのも、何かこう、心にくるものがあるね。
 落ち着け俺、相手はガスマスクだぞ。仮面夫婦ってレベルじゃない。

「家が近いから。それと年中鼻炎だからかな」

 クーさんの問いに無難な答えを返す。でも考えてみると、二人ともこの店を選ぶ理由としては少し弱いのではないだろうか。もしかしたら無意識的に店長の人柄に惹かれていたりするのかもしれない。
 と、そこまで思考したところで突然休憩室の方から『ぐ……その片腕はくれてやる!』という店長の声が聞こえてきた。おいオッサン台無しだよ。

「そのガスマスク、なかなか似合ってるね」

 思考を振り払うように唐突な話題転換を試みる。話題の選択を間違えた気がしないでもない、言った後で後悔。

「……お兄さんはガスマスクに性的魅力を感じたりするタイプ?」
「……そのタイプが現れたらすぐ逃げた方がいいと思う。ほらクーさん美少女だから、ガスマスク界限定で」
「照れるわ」

 微塵も照れてない様子でクーさんが言った。いや褒めてないから。

「それ暑くないの? 真夏だけど」
「暑いわ。普段は汗なんて出ないけど、これ着けた時は別。…………着けてみる?」
「…………」

 …………別に迷ってなんていないよ?断じてそんな性癖はない。……と思う。
 少々の沈黙の後、クーさんは『冗談よ』とそっけなく言った。来世はガスマスクをこよなく愛せる人物になりたい。

「そっか……着けなくても済むように、俺も努力してみるよ」

 俺はそう言って決意を表す。
 そこでタイミングよく店長が休憩室から帰ってきた。なぜか傷だらけで、インド人店員の姿は無い。

「なんであのインド人あんなに強いんだよ……」
「お疲れ様です。ところで店長、半身浴とか興味ありませんか」

 店長の言葉を適当に流し、早速対策を講じてみる。
 どれだけ効果があるのかは知らないが、加齢臭には運動や食事の改善、半身浴などが効果あるらしい。なんとなく手軽にできそうな半身浴をチョイス。

「半身浴? それどんなのだい」

 意味を知らない様子の店長が首をかしげた。それを見たクーさんがおでんの保温器を指差しながら言う。

「こんな感じよ」
「だし汁に浸かって燃やされろと!? 嫌だよどうしてそんな猟奇的な行為を!?」

 そう言って店長は休憩室へ逃げてしまった。おでんの保温器には以前のまま、だし汁に胸の下まで沈んだ店さんが……まだ入ってたのか。
 彼女のガスマスクを脱がせる日はまだまだ遠いようだ。


 余談だが、クーさんが来る時間が少し早くなって会う頻度が増えた。店長によると以前より三十分程度。
 …………ガスマスク萌えのラノベとか売ってないかな。





[28000] 第3話 そこはかとなく迫りくる殺意(前編)
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/09/28 02:32
「暇ですね」
「客来ないね」

 夏、夕日が沈む頃。今日は店長に頼まれ、いつもとは違う時間に仕事に勤しんでいる。
 とは言っても客が来ないのは相変わらずで、夕方も深夜もあまり違いはないらしい。

「……わたしも客よ」

 と言ったのはクーさん。その声にはほんの少しだけ不満そうな響きが含まれていた。
 一部を除けば相変わらずの美少女っぷりで、着ているブラウスとプリーツスカートが近所の高校のものだと気付いたのはつい最近のことだ。
 低めの身長の影響か、若干幼くも見える可憐な容姿が、頭部前面のガスマスクによって完全に相殺されている。ガスマスク限定の透視メガネが切実に欲しい。

「で、店長。何のためにクーさんを呼んだんですか」

 ここにクーさんがいるのは別に偶然でもなんでもない。なぜか店長が俺に、連絡を取って呼ぶようにと指示したのだ。(携帯番号は事前に交換済み。奥手という名のチキンである俺にとって、かなり貴重な青春的イベントのはずだけど、不思議なことに『捕虜交換』という単語が頭に浮かんだ)

「夏と言えばホラー。そしてここに買ってきたホラーゲームが」
「また突然ですね……つまり暇だからそれを三人でやろうってことですか」
「その通り! きみも男二人でホラーゲームなんて嫌だろ? そういうことさ」
「……お気遣いどうも」

 何か釈然としないものを感じるが、とりあえず雑にお礼を言っておく。正直、暇を潰せるのは嬉しいし、二人より三人の方がいいのも事実。どうせ客は来ないから店を心配する必要もないだろう。
 もはやバイトでも何でもないような気もするが、雇用主が率先して遊んでいるのだから俺にはどうしようもないよね。思考放棄。
 ただ、クーさんが無言なのが気に掛かる。

「ごめんねクーさん。呼んでおいてアレですけど、嫌だったら参加しなくても大丈夫ですから」
「えー」
「店長は黙っててください。どうしますか?」
「…………」

 考えているご様子。短い沈黙の後、クーさんは小さく頷き、

「やるわ」

 参加を表明してくれた。これで三人の役者が出揃う。
 こうして恐怖の夜は始まりを告げるのだった――――……。


          ◇     ◇     ◇


 万が一客が来た場合の備えとして、レジに空箱と『代金はここへ』と書いたメモを設置しておき、俺たちはテレビがある休憩室へと向かった。
 良心市形式のコンビニは斬新すぎる。でも深く考えると俺の存在意義に関わってくるので、あまり掘り下げないでいただきたい。
 既にゲーム機本体はセットしてあり、店長がそこへ買ってきたディスクを挿入。

「じゃあ明かり消してくれるかな」

 店長の指示に従って電灯を消し、ついでに扉と窓のカーテンを閉めると、光源はテレビから漏れるわずかな光だけとなった。
 敷いてある畳に、左からクーさん、俺、店長の順で座る。左方のガスマスクがいつもの三倍は怖い。なんだこの思わぬホラー要素は。

「店長、ホラーゲームって何買ってきたんですか?」
「時計タワー2。名作らしいよ」
「あ、聞いたことあります。やったことはないですけど」
「……わたしも」

 どうやら全員初プレイのようだ。話し合いの結果、俺がプレイ、クーさんがナビ、店長が観賞という役割に落ち着いた。
 ふと思い返してみれば、これが人生で初めてのホラーゲームだということに気付く。不安と期待に胸を脈打たせながら、タイトル画面のニューゲームを選択。
 携帯電話のライトで説明書を読んだクーさんによると、この時計タワー2は、アイテムを駆使して殺人鬼から逃げ回りながら謎を解いていくゲームらしい。
 この殺人鬼というのがシザー男。神出鬼没に現れ、残虐な方法で主人公を殺そうとしつこく追ってくる、恐怖の象徴のような存在だ。
 見た目は醜い小男で、かなり古いゲームながらもその3Dのグラフィックは、見るものに底知れない恐ろしさを与える。
 オープニングが始まった画面では、主人公の黒髪の女性、ジェニーが暗い夜道を一人で歩いていた。

「なかなか雰囲気出てるな……」
「さすが名作ですね」
「やっぱりシザー男ってハサミ持ってるのかな」
「シザーって言うくらいですからね」

 コツ、コツとジェニーの足音が無人の街に響き渡る。その顔はどこか不安げに曇っていて、見ているこちらにまで伝染しそうだ。

「…………」
「…………」
「…………」

 俺たちは無言で画面に見入っていた。
 と、そこで違和感に気付く。まるで何かに引っ張られるような…………。
 店長のいたずらかな、と予想しつつ後方を確認。クーさんが俺の服の裾を全力で握り締めている。
 ………………。

「……もしかしてホラー苦手ですか」
「……そんなことないわ」

 いつもとは違い感情を強引に押さえ込んだような声だった。……この件にはあまり触れないでおこう。
 画面内ではジェニーが先程より若干スピードを上げて歩いている。暗闇に潜む恐怖。自身の想像力がそれを掻き立て増大させていく。
 ……と、引きつった声で唐突に、

『な……何? 誰かいるの?』

 ジェニーが周囲に呼びかけ、歩きながら背後を振り返るが、闇の中に一定間隔で配置された街灯の明かり以外に見えるものはない。
 月のない夜。闇の奥に目を凝らしても塗りつぶしたような黒が広がるばかり。しかし耳を澄ませると、響く足音は確かに二人分に増えていた。
 未知の存在から逃れようと、歩くスピードが更に上がる。それに釣られるようにもう一つの足音のテンポも上がってゆく。

『ハァッ……ハァッ……ハッ……!』

 周囲の壁やシャッターに反響するジェニーの荒い息、そして既に駆け足となった二つの足音。
 もはや背後の足音は、どちらのものか判別がつかなくなりそうな程に接近しており、その『何者か』の衣擦れの音すら聞こえてきそうだ。
 『何者か』が発する濃密な気配は、明確な意思を感じさせる。殺意。極めて単純に、当たり前のように、殺そうとしているのだ。
 走る、走る、走る。隠しようのない死への恐怖が、疲れや呼吸を忘れさせているかのように、髪を振り乱しひたすら走るジェニー。
 そして、

 ――――突然ジェニーが立ち止まる。彼女は気付いてしまった。

 前方。街灯の明かりの奥、闇に包まれた部分に、背後にいたはずの『何者か』が存在していることを。
 シャキン……シャキン……という音が聞こえ、闇に溶けていたその容貌が、街灯のスポットライトによって徐々に露わになっていく。

『っ……こ……こないで…………』

 醜く焼け爛れた顔、所々が腐敗したボロボロの外套、薄汚れた手袋。
 そしてその手に――――

『いやあああぁやめてええええぇぇ!』


 大きなトングを持った殺人鬼……そう、シザー男。


「肉を挟むアレ!? シザーじゃねえよそこらのバーベキューしてるオッサンだよそいつ!」
「あ、戻っていきますね」

 シザー男はまるで今のは冗談だと言わんばかりにニヤリと顔を歪め、トングをその場に投げ捨てて背後の闇に溶けていく。
 まさか油断を誘って安心させたところで、という二段構えの作戦……!?

「……また来たわ」
「今度こそハサミを……!?」

 焦らすようにゆっくりと、シザー男が再び向かってきた。シャキン……シャキン……という硬質な音が獲物を威嚇するかのように鳴らされる。
 圧倒的な死の気配が辺り一帯に充満し、ジェニーに一切の身動きを取らせない。
 画面に映るのは――――


 両手にバナナを持ち、にじり寄ってくるシザー男。


「悪化した!? もはやただのバナナ持ったオッサンじゃねえか!」
「二本のバナナを組み合わせて、クワガタのように挟み殺すみたいですね」
「殺せねえよ精々ぐにゅってなる程度だよ!」
「前作では冷凍バナナを使ってたって話よ」
「せめて新しいのを買え……! ほらもう痛んで真っ黒じゃんそれ!」

『キャアアアアァァァ!!』

「うるせえ何に怯えてるんだよお前は!?」

 ジェニーの叫びと店長のツッコミが重なる。
 画面には、真っ黒なバナナを二本持って迫りくる男と、それにひどく怯える女。なんというか、ひたすらに謎と混沌が渦巻いている光景だった。

「ってかさっきのシャキンシャキンって音はなんだったんだ……」
「口で言ってたんでしょう」

 正直言ってジェニーが殺人鬼に恐怖しているのか、それともバナナを持った変質者に恐怖しているのかは、俺にも全くわからない。
 だがこのシザー男が異常な怪力の持ち主で、無理やり挟み殺す可能性もゼロではないはずだ。そう自分に納得させて、反転して逃げるジェニーを目で追っていく。

『ハァッ……ハァッ……早く逃げないとバナナ男が追ってくる……』

 そこはシザーって言ってやれよ。
 少し走った先、前方には明かりのついた建物。大学のようだ。なんともご都合主義な感じで、追う者と追われる者は大学へ入っていく。当然鍵も開いていた。

「オープニングはここまでみたいだね」

 店長の言う通り、オープニングは終わったらしい。ついに本編が始まる。

「本当だ、操作可能になってます」
「でもまだ追ってきてるわ」

 地の底から響くような緊迫した音楽と共に、二本の武器を持ったシザー男が大学の廊下を歩いてくる。
 ジェニーを操作して近くの扉を開けようとしてみるが、ドアノブを回すモーションとガチャガチャという音がするだけで、開く様子はない。
 その後同じようにいくつか試してみたが、どこの扉も鍵が掛かっているようだ。焦りが操作を狂わせ、少しずつだが距離を詰められていく。

「そこにトイレが!」
「……中に撃退できるアイテムがあるかも」

 確かにこのまま逃げ回っても廊下の端に追い詰められるだけかもしれない。ここは二人の言うように、トイレに逃げ込んだ方がいい。
 そう判断した俺はジェニーをトイレへと移動させる。構造から女子トイレと推測。この時点で既にシザー男はすぐ背後に迫っていた。このままではアイテムを探す余裕がないのでは……。
 結論から言うとその心配は必要なかった。なぜかシザー男は入り口で足を止めたのだ。

「……? どうしたんでしょう」
「何かモジモジしてるわ」
「なんで照れてるんだよこいつ……」

 どうやら女子トイレには入れない設定らしい。思春期の中学生か。
 入り口の扉を閉めると音楽も鳴り止む。この音楽の有無がシザー男出現の合図なのだろう。ひとまずトイレ内を探索してみると、

『トイレットペーパーを手に入れた』

 画面中央にテロップが流れ、アイテムをゲット。用途はまだ不明だが、いつか役に立つ時が来るのかもしれない。

「そろそろトイレから出ても大丈夫なんじゃない?」
「そうね」
「じゃあ出てみますね」

 もうたぶん大丈夫だろう。俺たちはそう思い込んでしまっていた。
 だがそんな油断が時として仇になる――

 開く扉。鳴る音楽。バナナを咀嚼するシザー男。そして再び閉まる扉。

「バナナ食ってるー!?」
「……あのバナナ食べても大丈夫なのかしら」
「完全に賞味期限切れてますよね」
「つーか唯一の武器食うなよ!」

 今度はなぜか音楽が鳴り止まない。まだ扉の前にいるというのだろうか。

「今度は少しだけ開けて様子見てみようか……」
「やってみます」

 店長の言葉通りに慎重に扉を開け、隙間からシザー男の様子を観察してみる。そうするとジェニーの声が画面から聞こえてきた。

『ヤツは調子が悪そうね……今がチャンスだわ!』

「やっぱり腐ってましたね」
「めっちゃ腹痛そうにしてるよ……!? あんなもん食うから!」

 シザー男が先程とは別の意味でモジモジしている。殺意と便意の狭間で揺れ動く意思が彼を苦しめているのだ。
 チャンスだと言うジェニーのありがたい指示を素直に受け入れ、扉から外へ出るように操作。苦しむシザー男を横目に、見事女子トイレからの脱出を果たしたのだった。






[28000] 第4話 そこはかとなく迫りくる殺意(後編)
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/04/13 20:29
 前回のあらすじ

 黒髪の女性、ジェニーは人気のない夜の街を歩いていた。
 そこへ襲い掛かる残虐な殺人鬼、シザー男。穏やかな日々は一瞬にして変貌してしまう。
 ジェニーは恐怖に身を震わせながらも、どうにか大学へと逃げ込むが、ピンチは続く。女子トイレに追い詰められ、入り口の扉ではシザー男が待ち伏せしている最悪の状況。
 だが持ち前の知恵と機転で見事にピンチを逃れ、今度は大学からの脱出を目指す。
 果たしてジェニーは無事に大学を出られるのだろうか。そしてシザー男は腹痛という危機を乗り越えられるのか。
 二人に想像を絶する恐怖と絶望が訪れる。


          ◇     ◇     ◇


 苦しむシザー男からの逃走を果たしたその後。探索は難航していた。

「……鍵の掛かった扉ばっかりね」

 呆れを含ませたクーさんの声。その言葉の内容が示す通り、まだ女子トイレ以外に入れる場所は一切見つかっていない。
 夜の大学のセキュリティが、そんなに甘いはずがないとでも制作スタッフは言いたいのだろうか。脳裏にクソゲーという単語がチラつき始めたその時、

「お、男子トイレだ」

 店長が言う。またもやトイレ……女子トイレでの展開を思い出し、このままスルーしたい衝動に駆られた。
 が、他に行く当てもないので仕方ない。せめてホラーっぽい展開が起こることを祈ろう。投げやりに手元のコントローラーを操作して、ジェニーを男子トイレへと侵入させる。
 すると突然、俺の操作を無視してジェニーが勝手に動き始めた。む……イベント?
 トイレ内を自動的に歩くと同時に、

『何かの役に立つかもしれないわね。紙を根こそぎ回収しておきましょう』
『トイレットペーパーを手に入れた』

 気のせいだろうか、かすかに楽しそうな声。そして二回目のトイレットペーパーゲット。

「なあ……この状況で紙を全部持っていく理由が一つしか思い当たらないんだけど」
「奇遇ですね店長。俺もです」

 …………腹痛に負けるな、シザー男。


          ◇     ◇     ◇


 そんなイベントがあった後はそこそこ順調に探索が進み、『裏口の鍵』『油さし』という重要そうなアイテムも手に入れることができた。肝心の裏口はまだ見つからないが、大きく進展したと言っていいだろう。
 ちなみにオープニングで飛び込んだ入り口に戻ってみたところ、『なぜか開かない』とメッセージが表示されるだけで、出ることは不可能だった。きっと不思議パワーか何かだ。まあゲームだし。
 結構な時間を探索に費やしたはずなのだが、シザー男はあれから一度も現れていない。恐らく彼も色々と大変なのだ……詳細は以下略。

「……ちょっと待って」

 裏口を探すため、適当に廊下を進んでいると、静止を促すクーさんの声が休憩室に響く。

「どうしました?」
「少し戻って。何かあったかも」

 指示通り引き返してみるが、特に変わったところは……。
 いや、よく画面を見てみるとジェニーが手で鼻を押さえている。更に目の前には、

「男子トイレ……ですか」
「だな……正直この展開はどうかと思う」

 このままトイレに入ると、重大なトラウマを残すシーンが映されるかもしれない。俺や店長ならまだしも、クーさんにそれを見せるのはさすがに避けたいところだ。
 いざとなったらテレビ画面を叩き割ろう。そう決意して、トイレへ突入。

『………………臭ッ』

「もう完全に中にいるよね!? 間違いなく致してる最中だよシザー男!」
「紙回収しましたからね……絶対困ってますよ」

 ジェニーが鼻をつまみながら最高に嫌そうな顔を見せていた。
 ちなみにクーさんは状況があまり理解できていない様子で、首をかしげている。純粋さが眩しい。

「たぶんここで手に入れたトイレットペーパーを使うんじゃないかな」
「なるほど。さすが店長」

 確かに使うとしたら、きっとこの場面以外にはないだろう。もしかすると、これをシザー男に渡せば恩を売ることだってできるかも。
 そんな打算を働かせながらトイレ内を調べると、予想通りに個室の前で選択肢が現れた。

『トイレットペーパーを使いますか? Yes/No』

 もちろんYesを選択。するとイベントが開始される。

『突然寒くなってきたわ。そうだ、このトイレットペーパーを燃やして暖を取りましょう』

「なんでだよ!?」
「というか微塵も寒そうにしてませんねコイツ」

 棒読みのセリフ、そして超展開。
 プレイヤーを置き去りにしたジェニーが、シザー男の入っているであろう個室の前で、一抱えほどもあるトイレットペーパーをライターの火で燃やし始めた。

『………………ゴホッ……ゴフッ!』

「個室に煙流れ込んでるし! シザー男咳き込んじゃってる!」

 ここにきて予想外の黒さを発揮するジェニー。じっと炎を静観していると思っていたら、

『まだ寒いわね……ちょっと運動しようかしら』

 唐突にヤクザキックで個室の扉をガツンガツン蹴り始――なんだこの女……!?
 燃え盛るトイレットペーパー、炎をものともせず扉を蹴り続ける女、咳き込む殺人鬼。何がなんだかわからない。

「壮絶なイジメの現場って感じですね……」
「……ある意味ホラーね」
「どんなゲームだよ……もう早く逃げよう」

 ゴホゴホ言ってるシザー男を放置して男子トイレから退出。
 その後は当然追ってくる気配もなく、無事に裏口を見つけ、大学からの脱出を果たしたのだった。


          ◇     ◇     ◇


 脱出後。これで終わりかと思っていたのだが、意外にも話はまだ続くみたいだ。ジェニーの説明によると、シザー男は狙った相手を殺すまで追ってくるとか。
 あの仕打ちを受けてまだ追いかけようと思えるガッツは評価したい。
 そんな頑張るシザー男を封印するためには、魔の像というアイテムを手に入れて、とある城へと行かなければいけないらしい。
 ……で。

『なんやかんやで城に到着したわ。魔の像は通販で購入済みよ』

「通販て……通販て!」
「制作スタッフ絶対飽きてますよコレ」

 超適当な場面転換で城に到着。少し進むと、はい入り口崩れたー。閉じ込められたぜ。
 思わず口調が粗くなってしまうくらいにひどい展開だ。なんていうか流れ作業的な。
 もうこんなゲームすぐにクリアできるだろう……全然ホラーじゃないし。
 俺はそんな風に、極めて楽観的に考えていた。

 そう――『本当の恐怖』がこの先に待ち受けていようなどとは、考えすらしていなかったのだ。

 城に入って数分後。場所は大広間。
 俺の左隣で、クーさんが無言で震えていた。その手は俺の肩を掴んでいて、ひんやりとした温度と小刻みな振動が伝わってくる。
 右には限界まで目を見開き、絶句する店長。鏡を見れば、店長と同じような反応をした俺の顔がきっと確認できることだろう。

『ひっ……ひぁ…………あ…………』

 とても演技とは思えない……そう思わせる、怯えたジェニーの声。彼女は床の上にへたり込み、その頬には涙さえ流れていた。
 先程までと比べれば異常とさえ言えるこの状況。
 原因はジェニーの視線の先。元々の醜い顔を、憤怒の表情で更に醜悪に歪めたシザー男。ゲームであるにもかかわらず、五感に訴えかけてくるような、圧倒的なまでの狂気が恐怖を増長させる。
 まばたきも、呼吸も、あるいは心臓さえも止まってしまうかのような圧力。
 シザー男の手にあるのは、決して今までのような生易しいものではない。
 それは自らが生み出したのだろう……この世で最も不気味で、禍々しく、おぞましい武器。

 そう――――

『…………はいせつ……ぶつ……!?』

「トイレからテイクアウトしてるうぅぅ!? もうシザー成分ゼロだよ! ただの汚ねえオッサンだよ!!」
「ダークサイドに堕ちちゃってますね」
「嫌な暗黒面だな本当に……! 絶対大学であったこと引きずってるよアイツ」

 モザイクのかかった茶色い『本当の恐怖』を携え、シザー男が憎々しげにジェニーを睨む。
 その目に理性の色は一切なく、まるで猛り狂った獣のようで。間違いなく『本当の恐怖』をぶつける気なのだろう。一歩一歩確実に距離を詰めてくる。
 このままでは床に座り込んだジェニーに惨劇が降りかかるのも時間の問題だ。

「ヤバいって、なんとかしないと! 使えるアイテムは?」

 店長の声に従ってアイテム欄を確認すると、現在使用できるものは、大学で手に入れた油さしのみ。
 魔の像で封印することは、この状況ではまだ無理らしい。一縷の望みをかけて油さしを使用する。もしかしてこれとトイレで使ったライターを組み合わせて、

『死ねぇぇェええ化け物ぉォォオっ!』

 なんてことはなく。油さしの先細りになった先端で、頭部を中心に刺しまくっていた。
 ……うん、結果が大事だよね。うわすげえ痛そう。
 さすがにこの攻撃には耐えかねたのか、ダッシュで逃げるシザー男。その背中にはかすかに哀愁が漂う。
 チャンスの到来に店長がやや興奮した声で、

「よし、この隙に距離を離――」

『逃げたわ! 追いかけて!』

「なんでだよ!?」
「弱い相手には強気ですねこの女」

 男女の差はあれど、相手は手負い。肉体的には無傷のジェニーが追いつけないはずもなく、シザー男の背中は目前に迫っていた。

「……魔の像を使うのかも」

 先程からずっと無言で震えていたクーさんが、ようやく立ち直った様子で言う。
 魔の像……そうか! 今の弱った状態ならきっと!
 急いでアイテム欄から魔の像を選択。頼む、間に合ってくれ――――

『これで終わりよ! シザー男!』

 ジェニーが、両手に余るサイズの像を、自らの膝で真っ二つにへし折り、

『封印されなさあぁぁいっ!!』

 木製ゆえに、尖ったその先端を、シザー男の背中、心臓部分に――刺す。

『グガアアアァァァアアアァァ!?』

「そう使うの!?」

 店長のツッコミと共に、シザー男はその生に終止符を打つのだった。

 感想。

「…………クソゲーでしたね」
「…………だな」
「…………そうね」

 クソゲーでした。





[28000] 第5話 インドからの刺客
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/06/11 16:57
 つい先日の話。

「シバラク、タビニ、デマス」

 久しぶりに登場したインド人店員が、何やら改まった態度で言った。

「え? あ、そう」
「お疲れ様です」

 店長が心底どうでもよさげに返す。俺もあまり人のことは言えないが。正直、ああそうなんだ、程度にしか思えない。
 たまにフラっとやってきて、弁当をカレー一色に染めてただけだからなこの人……そもそも会話すら今回が始めてだったような気がする。
 しかし、そんな適当な別れの言葉が不満だったのかインド人店員は、

「……オマエラ、ホロベ!」

 罵倒なのか一瞬判断に迷う言葉を吐き捨てて走り去っていった。


          ◇     ◇     ◇


 そんな出来事があった次の日。場所はコンビニ。時刻は午前六時。

「夏樹・T・サラです。よろしくなのです!」

 目の前の少女が、早朝に相応しい爽やかな声でそう言った。
 見た目は中学生くらいで、健康的な薄い褐色の肌と、くっきりした目鼻立ちが特徴的だ。黒髪のショートポニテが、若々しく朗らかなイメージを後押しする。
 見た目は日本人とあまり変わらないが、名前から判断するに、ハーフなのだろう。

「サラちゃんって呼んでくださいねっ」

 少女はふわふわとした笑顔を浮かべながら、続けて言う。
 生まれたての愛玩動物を見たときのような印象。率直に言うと、すげー可愛い。見ているだけで癒される。
 ……じゃなくて。

「店長、誰ですかこの子」
「いや全然知らないけど」

 客もいないしそろそろ帰ろうかと思っていた時、突然現れて自己紹介を始めたこの少女。店長の知り合いではないようだ。迷子? まさかなあ。

「ええと、兄さんから聞いてませんか?」

 笑顔から一転、困惑した様子。
 兄さん。このコンビニ関係の知り合いで、男性は俺を含めて三人。そして俺と店長は除外される。
 …………マジで?
 疑問を解消すべく、俺は少女との会話を試みた。

「兄さんってもしかして、インド人の?」
「あ、はい! そうなのです」
「滅べって叫びながら走り去っていったよ」
「なっ!? よ、よくわからないですけど、身内がご迷惑を……」

 この少女があのインド人店員の妹。ということは、兄も純粋なインド人ではなく実はハーフ?
 いかん、脳が事実を拒否して常識を求めている。ここは生命の神秘ってことで納得しておこう。血が繋がってない可能性も一応あるが、初対面で聞くようなことでもないだろうし。

「それで、サラ……ちゃんはどうしてここに?」
「兄さん、突然家を飛び出しちゃってですね。出る直前に『あの店のことは任せる。話はつけておいたから』ってあたしに。だから学校行く前に挨拶しておこうかなと思ったのです」

 変なところで律儀だな、兄。話もつけておけよと言いたい。

「で、店長。どうするんですか?」
「あー、いいんじゃない? 採用で」
「そんな適当な……中学生とか雇ってもいいんですか法律的に」

 客が滅多に来ないこの店でもさすがに法律に逆らうのはマズい。一気に閉店の危機に陥ってしまう。
 するとサラちゃんはなぜか少し申し訳なさそうに、

「あたし一応、高校生なのです……」
「え、あー……ごめんなさい」
「いえ! よく間違えられますし、気にしないでくださいっ」

 えへ、と無邪気に笑う。
 …………じょ、常識人だ! しかもすっげーいい子!
 これはこの店始まって以来の快挙、いや奇跡と言っても過言ではないだろう。イロモノだらけのこのコンビニにおいては神にも等しい存在。
 中学生と間違えてほんとごめんなさい。心の中で土下座アンド崇拝しておく。

「では改めて自己紹介しますね。お父さんはインド人、お母さんは日本人のハーフで、十六歳の高校一年生。マイブームは断食なのです!」

 早くも雲行きが怪しくなってきた。
 いや、ここで判断するのはあまりにも早計。ヒンドゥー教徒ならば断食くらい日常茶飯事なのかもしれない。

「知ってますか? ヒンドゥー教の女性は、夫の健康を祈って断食するのですよ。ロマンチックですよねっ」

 へえ、それは知らなかった。そう聞くと、なかなか女子高生っぽくて可愛らしいように思えてくる。

「じゃあ彼氏のために断食を?」
「彼氏なんていませんけど」

 ならなんでその話をしたんだよ……! と思ったが口には出さない。

「えへへ、お父さんの真似してたらクセになっちゃって。そもそもヒンドゥー教ってあんまり好きじゃなくて。ほら、牛肉食べられませんし」
「断食ってクセになるものなんだ……。やっぱヒンドゥー教徒って牛肉食べないんだね」
「家族の中ではお父さんだけが信仰してるんですけど、それに合わせた食事になっちゃいますからねえ。門限とかも厳しくて、一番好きな焼肉が滅多に食べられないのです……」

 明るい印象とは裏腹に、意外と苦労してるみたいだ。
 叱られた子犬のような、しゅんとした表情を見せられると、庇護欲的なものが刺激されて。つい、

「今度焼肉食べに行かない? 歓迎会ってことで」
「え……いいんですかっ!? ありがとうございます!」

 本当に嬉しそうに、無邪気な笑顔を振りまくサラちゃん。言ってみた甲斐があるというものだ。

「店長もいいですよね? というかなんでさっきから無言なんですか」
「あ、え、うん……女子高生ってちょっと苦手なんだよね。仲良くなっても突然『お父さんとは洗濯物分けてよね!』とか言われそうで」

 心配しなくても絶対言われねえよ。

「クーさんとは普通に話してたじゃないですか」
「いや、だってガスマスクだし」

 それは……うん、まあ、そうかもしれない。女子高生とカテゴライズしていいのか甚だ疑問ではある。
 そんな話をしていると、噂をすればなんとやら。クーさんがやってきた。

「あっ、クーちゃん!」
「……サラちゃん」
「あれ、二人とも知り合い?」
「はい、学校も学年も同じなのです。クラスは違いますけどね」

 偶然、とは言ってもそれほど珍しいものでもあるまい。クーさんの通う近所の高校は、この辺りで一番大きかったはずだ。いわゆるマンモス校。
 しかし、来てくれてちょうどよかったかもしれない。親御さん的には、娘がオッサンや大学生と食事に行くなんて、少なくともいい気分にはならないだろう。その点クーさんがいれば、少しは緩和される……と思うのだが。
 とりあえず、本人の了承を取ってみる。

「クーさんもサラちゃんの歓迎会、来ませんか?」
「歓迎会?」
「うん、あたしここでバイトすることになったの」
「……ん。行く」

 よかった、来てくれるみたいだ。何気にノリいいよなこの人。後でお礼を言っておこう。
 クーさんの参加に嬉しそうな様子を見せていたサラちゃんが、そういえば、と話しだす。

「お二人とも、名前を聞いてもよろしいですかっ」
「この人は店長。名前は……忘れた。俺は――」
「そういやきみ、名前なんだっけ?」
「なんで二人とも名前すら知らないのですか! 初対面!?」

 そういえば、無駄な会話は多いのに名前とか基本的な情報は全然知らないな。いや、俺はともかく。

「店長は俺の名前知ってるはずでしょう。履歴書に書きましたよ」
「ああ、あれね。売り物の履歴書の中に紛れ込ませておいたよ」
「なんでそんな蛮行に及んだのですかっ!?」
「当たりもあるよ的な。ほら、金のエンゼルとか幸せのピノみたいなもんだよ」
「おいオッサン、俺の個人情報だだ漏れですよ。というかそんなもん入ってても幸せにはなれません」
「大丈夫、履歴書一枚も売れてないし」

 切ない事実を知ってしまった。後で回収しておこう。

「えーと、じゃあ先輩って呼ぶのです」

 この展開は予想外だったのだろうか。少し困惑した感じのサラちゃんが、

「よろしくおねがいしますね、先輩っ!」

 てへ、と恥ずかしそうに、はにかみながら言った。
 ……まあいいか。名前教えて呼び名が変わるのはもったいない……よね。
 なかなか常識的だし可愛いし、いい後輩ができたなと感慨深く思いながら、『よろしく』と返す俺だった――。

 と。ここで終わればいい感じなのだろうけど。

「……これ全部買うわ」
「クーさん、ちょ、なんでそんなに履歴書買ってるんですか」
「……個人情報と弱みをゲット」
「いや別に弱みなんて書いてな……あ、でもやめて、履歴書見られるのは微妙に恥ずかしい……!」


          ◇     ◇     ◇


 歓迎会当日、俺は駅前で女の子二人を待っていた。ちなみに店長は、本当に女子高生が苦手だったようで不参加。逃げたとも言う。
 休日の昼間ということもあってか、人通りは相当多い。クーさんは平均より少し下、サラちゃんに至っては中学生と見間違えるほどの身長なので、見つかるかどうか少し不安だ。
 ……いや、片方は大丈夫か。ガスだし。マスクだし。

「……待った?」

 ガスでマスクな人が到着。脱いでいることを少しだけ期待していたのだが、やはり休日も着用しているらしい。 そしてなぜか挨拶のチョイスがちょっとデートっぽい。テンション微増。

「いや全然。サラちゃんは一緒じゃないんだ?」
「うん。でもすぐ来ると思うわ。あ、ほら」

「ごめんなさい、待ちましたーっ?」

 後から来た方は、待ったかどうか聞かなければならない決まりでもあるのだろうか。そんな疑問を感じつつ、声が聞こえた方へと振り向く。

「少し遅れちゃったかもしれないので『ヴァオオオオォォォォォォオオオ゛オ゛オ゛オオオオォォン!!』」

 この日――俺は、ゾウの鳴き声が意外と濁点交じりで、すごくうるさくて、全然可愛くないことを知った。
 さて。

「クーさん。サラちゃん来ないようだし二人で行こうか。あ、今日のガスマスクちょっと可愛いね」
「ちょ、ちょっと置いていかないでください! サラちゃんはここにいますよー!」

 いや、サラちゃんはもういない。常識的なサラちゃんはもう死んでしまったのだ。そして俺の中で永遠に生き続けるんだ。
 …………だがいつまでも現実逃避しているわけにもいかない。下手に放置すると被害が広がる可能性もある。既に大惨事のような気もするが。

「……クーさん、あれ、なんだろう」
「インドゾウね」
「そっか……アフリカゾウは気性が荒いもんね」

 いやそうじゃなくて。

「……サラちゃんのミドルネームのTは、Thakur(タークル)。ヒンドゥー教で言う、貴族とか支配階級の上位カースト名らしいわ」
「説明ありがとう。貴族か……」

 インド貴族すげえ……まさか日本の駅前にゾウ(調教師付き)で乗り付けるとは考えすらしなかった。

「ふう、追いついたのです」

 そして気付けば右にガスマスク、左にゾウ(調教師付き)。両手に花というか、両手でサボテンを握り締めているような気分だ。
 まあ予想していたことだが、駅前でこんなに騒げば、

「ちょっときみ達。そこの交番まで来て貰えるかな」

 制服姿のポリスマンが当然のように登場。働き者で素晴らしいですね。

「そこのゾウに乗ってるきみも早く降りて」
「はあい……」

 渋々といった感じで降りるサラちゃん。さすがのインド貴族様も、国家権力には逆らえないらしい。
 降りるのを確認した警官は、俺に向き直り、

「で、これはなんなの?」
「ええと、なんというかですね……」

 どう説明しろと言うのだ。俺にもわかんねえよチクショウ。

「あー、そう。家族です、家族」

 捕まりたくないし、ここは強引に押し切るしかない。頑張れ俺。

「……家族? ゾウが?」
「はい、ゾウじゃありません。アレです、妹です!」
「きみの妹干し草食ってるけど!?」
「そこはほら、女の子だからダイエット中なんです。なー、グラシャラボラスー?」
「どう見ても体重トン単位だよ! あと名前禍々しい! 妹っぽさがカケラもないぞ!?」
「ハーフなので」
「人と何を混ぜ合わせたらああなる『ヴァフゥオオオオォオオオ゛オ゛オ゛オ゛オオォォン!』ああもう、うるせえ! 干し草食ってろ!」

 よし、警官の注意がゾウに向いた。この千載一遇のチャンス、逃すわけにはいかない。
 クーさんとサラちゃんの手を引き――逃走。

「あっ、こら! 待ちなさい! ってそっちの調教師とゾウも逃げるなおい!!」

 人ごみに紛れることで、なんとか窮地を脱出したのだった。ゾウは知らん、たぶん無事だろう。

 ――歓迎会、延期。





[28000] 第6話 断食のち歓迎会
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/03/17 17:31
 歓迎会当日、俺は駅前で女の子二人を待っていた。何か既視感を覚えたが、きっと気のせいだろう。デジャヴデジャヴ。
 駅前に大型動物が現れるなんてファンタジーは、現実には必要のない成分なのだ。

「お兄さん、お待たせ」

 高校の制服にガスマスクという通常スタイルのクーさんが早速到着。これを通常と表せるあたり、何か大切なものを過去に置き忘れている気がしてならない。

「そんなに待ってないから大丈夫。サラちゃんは一緒……じゃないんだよね」
「……うん」

 そう、ここからが問題だ。彼女はいったいどんな方法で現れるのだろうか。
 逃げ出す準備、他人のフリをする準備、どちらもオーケー。さあ、いつでも来るがいい。RPGの中ボス戦直前くらいの心構えで到着を待つ。
 と思った五秒後、サラちゃんがこちらへ向かってくるのを発見した。思っていたよりも迅速な登場に、準備を終えていたはずの心が動揺してしまう。

「あ、クーちゃん! 先輩!」

 向こうもこちらを捕捉したようで、小走りにてててっと駆けてきた。
 あれ……意外と普通。ゾから始まる生き物もいなければ、特におかしい点も見当たらない。
 なんとも肩すかしな結果となってしまった。いや、期待してたわけではないけれども。

「お待たせしましたっ」

 俺たちと向かい合う位置に停止し、元気よく笑顔でそう言ったサラちゃんが、突如その場に崩れ落ちる。
 ……………………。
 え、な、何? 病気? 怪我? 前回の登場シーンと同等、もしくはそれ以上に思考が追いつかない。

「大丈夫!?」
「お……お腹減って動けません」

 …………まさか現代日本、それも都市部でそんなセリフを聞けるとは思っていなかった。
 ある意味ファンタジー。もう帰っていいかな俺。

「よくあることよ」
「えへへ、焼肉が楽しみでつい断食しちゃって……」

 そういやそんな設定もあった。好物に備えて、空腹にしておきたいという気持ちはなんとなく理解できるが、どう考えてもやりすぎではないだろうか。ドジっ子よりは、アホの子に比重が寄っている感じ。
 さて、物理的な意味で荷物となったサラちゃんだが、どうしよう。『ゾウ』『積載』という単語が脳裏にチラつくが無視。二次災害を引き起こす気は毛頭ない。

「えっと、おんぶを――」
「よし乗って」

 申し訳なさそうなサラちゃんが言い切る前に即決即断。
 動けない女性をおんぶ。実によくある展開だが、こういうのは下手に間を置くから恥ずかしい空気が生まれるのだ。
 俺はおんぶをする冷酷なマシーン、そう思い込めばこんなラブコメイベントなんて軽く乗り切れるのですよ。ましてや相手は見た目中学生だし。全然大丈夫だし。マシーンだし。

「ん……ありがとうございます、先輩」

 ……というのはただの強がりで。ささやくような甘い声に、体が勝手に反応して手が震えた。自分の耐性のなさが恨めしい。
 密着した背中が硬直する感覚。女の子特有のいい香りが、脳の働きを阻害する。
 どこの部分が、とは言わないが予想以上の柔らかさに、弛緩する表情を隠せているか不安になって、つい周囲を確認してしまう。すると、こちらを眺めていたらしいクーさんと視線が合い、

「……だっこ」

 ………………ん?

「……嘘よ」

 ふいっと。興味を失った猫のように、スタスタ歩いて行ってしまった。突発的な事態に、思考停止してしまったことが悔やまれる。これが経験不足の弊害か。
 精神攻撃? 大穴でモテ期到来? ……ただの気まぐれ。これが大本命な現実にちょっと悲しくなる。
 自分のあまりに単純すぎる考えと、勘違いというモノの恐ろしさ。そして何よりクーさんの発言で震えが更に――

「先輩の背中だだっ広ーい。3LDKですね!」
「…………気に入ってもらえたようでよかったよ」

 うん、震え止まった。一瞬で。せめて生物で例えて欲しい。先程までの空気を多少惜しみつつ、急いでクーさんの背中を追いかけるのだった。


          ◇     ◇     ◇


 そんなこんなで焼肉屋。
 一般的に見れば異様な集団に、バイトらしき店員は露骨に目を逸らしながらも、席へと案内してくれた。事なかれ主義って素晴らしい。
 ガスマスクで煙対策だけはバッチリなクーさん、お腹を空かせて目が若干ヤバい感じになっているサラちゃん、並んで座る二人に向かい合う形で着席。
 注文は適当に済ませ、じっとクーさんを見つめる。視線の先はガスマスクの呼吸口部分。
 そう、いったい彼女はどうやって食事をするのか。本日の裏メインイベントと言っても過言ではないだろう。

「むふふ、クーちゃんに釘付けですね」

 何か勘違いしてる人がいるようだが関係ない。例えるなら、異星人の食事シーンを見守る感じ……ちょっと違うか。
 当の本人は、視線や声など気にする様子はさっぱりで、行儀よく座っている。いつしか喋る者はいなくなり。
 空間を満たす無言。
 凍る空気。
 熱気と緊張に流れ落ちる汗。
 
 そして彼女は、ゆっくりと頭部のそれを――あれ? ちょ、心の準備が、ま――外した。
 
 ………………………………絶句。
 その内訳は、想定外にあっさりと外した驚きによるものが一割、現れ出た素顔に目を奪われたというのが残り全て。
 予想の遥か高みに位置する容姿には、もはや劣等感すら抱かない。どこの連れ去られたお姫様だよ、と笑いたくなる。

「…………?」

 首を傾げる仕草ですら、ガスマスクというフィルターを通さなければ、即効性の毒のように染み込んで。
自害しろという命令さえ素直に応じてしまいそうな。圧倒的な支配力に、呼吸の安定も奪われた。

「クーちゃんの素顔見ると、みんな同じように黙っちゃうのですよー」

 決して悪気はないのだろうけど。お前も他の凡庸な男どもと一緒だなと嗤われた気がして、即座に否定したくなった。
 だが呼吸が戻らない。否定の言葉も浮かばない。
 そっと触れるだけで失われそうな儚さを持つ素顔に、視線を向けることをも躊躇してしまう。
 しかし。そんな俺を見てもクーさんは――

「お兄さんは違うわ。わたしの友人だから」

 無表情でもどこか暖かさを感じる声。喪失した距離感が戻ってくる感触。救われた、そんな気がした。
 普通なら異性に友と言われればガッカリするところなのだろうけど、今は込み上げてくる嬉しさを隠せない。
 ぱちくりと瞬く両眼を視線で捉え、静かに、けれどもしっかりと言葉で伝える。

「……いい友を持てて幸せだよ」
「うん。大切な、友人」
「なんですかこの雰囲気! 今日の主役はあたしなのです!」

 ――クーさんとの距離が、少しだけ。近くなったような気がした。


          ◇     ◇     ◇


 歓迎会の主役に軽く怒られて、そういえば、と目的を思い出す。
 先刻の雰囲気を払拭し、雑談タイム。

「クーさんも常にガスマスクってわけじゃないんだね」
「それはそうよ」
「当たり前じゃないですか先輩」

 おかしいな……俺が普通じゃないように言われているけど、何か釈然としない。
 元々あまり十分ではない常識というものが、最近更に不明瞭になってきた。そんな俺を無視するように、サラちゃんは食事を始める。

「肉おいしいのです」
「ほんとに牛肉好きなんだね。でもいくら好きだからって生で食べるのはどうかと」
「焼いてますよ!? 描写しなきゃわかりづらい嘘はやめてください!」
「……お腹こわすよ?」
「クーちゃんまで……!」

 とても反応が可愛いツッコミ役。なかなか得がたい人物だと思う。

「俺が言えばどんなキャラにもなっちゃうんだぜ」
「くっ、卑怯なのですっ」
「隣の席の肉まで勝手に食べたらマズいって」
「どんだけ自由奔放なのですかあたし」
「……お腹こわすよ?」
「しかも生肉を!?」
「サラちゃん、突然脱ぎ始めるなんて大胆な……」
「脱ぎません!」
「……お腹こわすよ?」
「すでに脱いでる!?」

 脱いでないけども。
 ……別に想像なんてしていない、背徳感に耐えられる気がしないから。

「くぅ……おんぶさせられた仕返しですか、恐ろしい人なのです」
「させたって自覚はあったんだ……」
「こうなったら、あたしも反撃を!」
「む……」
「先輩、隣の席の肉まで勝手に食べ――」
「いやー、これ美味しいですね。上カルビ?」
「ちょ、ちょっと! 先輩!?」

 隣の席の中年男性に『ごめんなさい』と連呼しながら、俺の腕を引くサラちゃん。
 勝手に肉を食べたにもかかわらず中年男性は笑顔だし、問題ないだろう、たぶん。

「……あたしの負けでいいです」

 疲れた顔でそう一言。
 勝った。大人げ的なものが代償になったことには目を逸らして、一時の勝利に酔いしれていたその時。

「お兄さん、こんな場所でジーンズ脱いじゃダメよ」
「……!?」
「こんな場所でジーンズ脱いじゃダメよ」

 クーさんに試されている…………!?
 これは心理戦。落ち着け俺、そして早急に答えを出すんだ。
 脱いでしまえば、最悪臭い飯を食うことに。脱がないと言えば、さっきのサラちゃんと同じ立場に。……八方塞がり。
 いや、ここは我らのツッコミ役、サラちゃんに助けを求めるしか――ダメだ顔を赤くしてこっちを見るだけで、止める気配が全くない……!
 こうなったら肉を貰った中年男性にわずかな可能性を――なんであのオッサンも顔を赤くしてこっち見てんだ、意味がわからん……!
 いっそ脱いでしまおうか? いや、でもそれは。……そうだ。もうこれしかない。

「でもほら、俺が脱いだら二人も恥ず――」
「別に構わないわ」

 即答……だと……!?

「変態となってしまったお兄さんにも、今までと変わらず接することを誓うわ。そして変態なお兄さんの友人として、どんな誹謗中傷、罵詈雑言も甘んじて受け――」
「すみませんでしたあぁッ!」
「……ふ。勝った」
「さすがクーちゃんっ」

 もう謝る以外にどうしろと。目の前では、瞳をキラキラさせたサラちゃんが、憧憬の眼差しで勝者を見つめていた。というかなんの勝負だよ。

 この日はそんな感じで解散。
 別れる直前、牛肉で上機嫌になったサラちゃんから、今日のお礼だと半ば押し付けられるようにして、二人が通う高校内にある食堂の食券を渡された。
 どうやって使えばいいんだコレ。





[28000] 第7話 正しいお金の奪い方 ~入門編~
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/03/17 16:28
「ナマケモノは木にぶら下がったまま寝るって言うよね」

 今日も夜中のコンビニで店長と二人雑談。

「そうらしいですね」

 内容は特に決まっていない。思いついたことを思いついたままに喋るだけだ。

「ってことはポールダンサーもポールに絡まったまま寝るのかな」
「店長の頭の配線もどこか絡まってるんじゃないでしょうか」

 半ば以上このオッサンと会話をするバイトとなっている現状。とても親に言えたものじゃない。
 一人暮らしであるため、別に言う必要もないのだけど。

「気になったからポールダンス用のポールを仕入れてみたんだけどね」
「ポールダンサーもさすがに、コンビニでポール買おうとは思わないんじゃないですかね……ちなみにいくらするんですか」
「税込み四万円くらい」

 無駄に高い。そして無駄にスペースを占領している。 
 お菓子コーナーの最下段で圧倒的な違和感を放っている長さ二メートル超のポール。これを買いに来る客は果たして現れるのだろうか。
 もし現れたらこう言ってやりたい。通販で買え、と。

「しかし今日も客が来ないなあ」

 さして残念でもなさそうに店長が呟いた。

「そのポール使って、店の前で実演販売でもしてみたらどうですか」

 とりあえず会話をつなげるために、適当な返事をしてみる。

「きみ、オッサンが官能的に踊ってるような店に入りたいと思う?」
「まあ死か店に入るか選べと問われれば」
「そんな極限状態に置かれてる人は滅多にいないと思うよ……」

 呆れたように言った店長。続けて、

「でも実演販売はいいかもしれないね。店の前でフランクフルト焼いて、試食つきで売ってるコンビニもあるみたいだし」
「今は夏ですよ。フランクフルトはあまり売れないような気がします」

 ただでさえ外は暑いのに、そんなことをしたら嫌がらせだと思われそうだ。涼しい季節であれば効果的なのかもしれないが。

「うーん、じゃあどうしよう」
「ポールに縛り付けられた店長を道行く人々がフランクフルトで殴りつける、という一風変わったアトラクションはどうでしょう」
「なんの儀式だよ!?」
「江戸時代の拷問をヒントに考えてみました」
「どうして拷問を……」

 嫌そうに言った店長は、すっかり黙り込んでしまった。話す相手すら失った俺はどうしたらいいのだろう。
 帰宅という二文字が脳裏にチラついてきた、そんな時。

「お、珍しい」

 少々の驚きを含んだ店長の声につられて、入り口へ顔を向けると一人の客。
 時刻は午前三時。この時間に客が来るのは本当に稀なことだ。客は大股でこちらまで歩いてきて、

「おい、金を出せ」

 威嚇するかのようにレジ台を手で叩き、野太く低い声でそう言った。

「店長、お金が欲しいみたいですよ」
「バイト希望ってことかな?」
「そうじゃねえ! この格好見て察しろよ!」

 察しろよと言われても、困ってしまう。相手の意図がよくわからない俺は首をかしげて、

「……? 素敵な覆面ですね?」
「ちょっと安っぽいけどね」
「こっちは目出し帽かぶってるんだぞ……なんで平然としてるんだお前ら!?」
「よく来ますから」

 恐らく覆面界でもかなりの上位種と思われる人が。

「チッ……ほら、これでもうわかるだろ」

 目出し帽の男は皮ジャンのポケットからナイフを取り出して、こちらに向ける。

「あー、なるほど。強盗ですか。じゃあ休憩入りまーす」
「コラ動くな! なに堂々と休憩入ろうとしてんだ!?」
「めんどくせえなあと思いまして」
「素直なヤツだな……とにかく早くレジから金を出せ。そこのオッサンもだ」

 強盗であれば仕方がない。抵抗する気もないし、素直に要求に従うとしよう。
 俺と店長は、急いでレジのお金を全て取り出す。

「合計二千と……六百円ほどですね。そっちのレジはどうですか店長」
「八百円ほどかな」
「おい全部小銭じゃねえか、こんなもんいらねえよ。札はどこに隠してあるんだ?」
「これで売り上げ全部ですが」

 空のレジを見せて、嘘は言っていないことを主張する。

「一日の売り上げがこんなに少ないはずないだろうが! 隠してると痛い目を見るぞ」
「三日分ですけど」
「三日……!?」

 いくら売り上げが少ないとはいえ、せめてつり銭用のお金くらいは用意した方がいいと、最初は俺も思っていたのだが。
 半分以上を無人販売所のような良心市形式に頼っていたせいで、いつしか客側も料金ぴったりのお金を用意してくるようになったらしい。
 このコンビニは客の良心に頼りすぎだと思う。

「……本当に隠してないのか?」
「募金箱ならありますよ。欲しければどうぞ」
「二円しか入ってないって一目見てわかったよ! ワクチンすら買えねえだろ!」

 男は頭を抱えて、悔しそうに『こんな店来るんじゃなかった……』と歯噛みする。

「しょうがねえ……現金がないなら高そうな商品を貰うぞ。レジの後ろにある贈答用のお菓子、それを寄こせ」
「本当にいいの?」

 不思議そうに店長。

「車で運ぶからちょっとくらい重くてもいいんだよ。早く全部もってこい」
「いや古いから全部腐ってると思うんだけど」
「いるかあああああああぁぁ! なんだこの店!?」

 俺も言いたい。なんだこの店。

「じゃあ店で一番高いものだ! 全部貰うからな!」
「そこにあるポールダンス用のポールですね。三本全部どうぞ」
「くそおおおおおぉ!! ままならねえ!」

 頭を掻きむしり苛立つ男。その目は少し潤んでいるように見えた。
 いくら強盗とはいえども、大の男に泣かれるとさすがにこちらにも罪悪感が芽生えてくる。

「せめてものお詫びに店長の右腕を叩き折りましょうか」
「きみ何言ってんの!?」
「それはいらねえよ……オッサン嫌がってるじゃねえか」

 そうなるとこのコンビニにはもうロクなものが残っていない。安い食品類や雑貨類を渡しても仕方ないだろうし。
 ならばこちらに渡せるものはなにも……いや、一つだけ心当たりがある。

「それなら知恵をお貸ししましょう。見たところ強盗は初めてですよね」

 下調べもしてなかったようだし、ナイフを出すタイミングも遅かった。手慣れているようにはとても思えない。

「初めてだが……知恵を貸すってどういうことだよ」
「正しいお金の奪い方、ですよ」

 一瞬ぽかんとした表情になった男が、疑問の視線でこちらを見る。その疑問に答えるため、俺は言葉を続けた。

「強盗さん。あなたには、なによりインパクトが足りていない」
「インパクト?」
「そう、インパクトです。まず最初のセリフが『おい、金を出せ』でしたよね。アメリカだったらあの時点で店員に射殺されてます」
「射殺……!?」

 銃社会の国、アメリカ。かの国の店員ならば、こんなショボい強盗の一人や二人、きっと瞬殺なのだろう。

「とにかく、あまりに平凡すぎて誰も驚きませんよ。ということで新しいセリフを考えましょうか。んー……なにか特技とかありませんか?」

 尋ねてみると、男は腕を組んで考え込み、

「特技って言われてもな……中学の頃に将棋部だったことくらいしか」
「オーケー、それでいきましょう」
「おい今適当に決めなかったかお前」

 半目で睨んでくる男を軽く無視しつつ。

「最初のセリフは凶器を突きつけながら『王手飛車取り!』。これで相手を威圧してください」
「それで威圧されるのは将棋やってる人だけじゃねえか……?」
「『王手飛車取り! さあ金を出せ』と続く感じですね」
「将棋の駒を要求してるみたいになってるぞ!?」
「大丈夫、インパクトはバッチリです」

 なだめるように俺が言い、更に横から店長が口を挟む。

「凶器もよくないよね。そんなナイフ一つじゃ返り討ちにあうかもしれないよ」

 男が持っているのはアウトドア用の折りたたみナイフ。店長の言うとおり、もし相手が護身用スプレーでも持っていたら勝てるかどうかはかなり怪しい。
 最近だと防犯対策をしっかりしている店はかなり多いはずだ。うちのコンビニはもちろんノーガードだけど。

「やっぱこのナイフじゃダメなのか……でも銃なんて手に入らないしな」

 本人にもいくらか自覚があったようで。
 そんな彼のために、脅しに効果的な凶器というものを考えてみよう。
 銃はまず手に入らないとして、モデルガンはどうだろうか。気軽に買えるし、脅しも効果的だ。一見よさそうに思えるのだが、抵抗されると無力という難点がある。初心者向けではないだろう。
 続いてホラー映画などでおなじみのチェーンソー。ホームセンターで買えて、破壊力・インパクト共に抜群。そして職務質問を受ける確率も抜群。却下。
 発想を変えて、シザー男をリスペクトしてみたらどうだろう論外だ。間違いなく豚箱へ行ける。
 そうだな……やはりここは――

「凶器はポールでいきましょう」
「長々と考えて結論がそれか!」
「いや、でもなかなか使えそうですよ。殴られれば下手すりゃ大怪我ですし、リーチが長いので護身用のバットもスプレーも届かないです。そしてなにより……」
「なにより……?」
「持ち歩いても、誰も凶器だとは思いません」
「た、確かに……!?」

 職務質問くらいは受けるかもしれないが、そうなったら職業ポールダンサーで押し通してしまえばいいのだ。
 チェーンソーを持って木こりを自称するよりはよっぽどマシに違いない。

「かなりよくなってきたとは思いますけど、欲を言えばもう一つ特徴が欲しいところですね」
「特徴か。それならちょっと思いついたんだが――」
「そうですね。右腕をへし折りましょうか」
「言わせろよ! というかお前はなんで右腕を執拗に狙ってるんだよ!?」

 失礼な……。別に俺だって好きで右腕を折りたいわけではない。

「ほら、手負いの獣は危険ってよく言うじゃないですか。危ない感じが出ていいと思うんですよ」
「理屈はわからなくもないが……躊躇なく他人の腕を折ろうと思えるお前が一番怖い」
「まあ本当に折る必要もないんですけどね。包帯でも巻いておきますか」

 店長と協力して男にポールを持たせ、救急箱に入っていた包帯を巻く。包帯なんて初めて使うが、なかなかいい具合になったのではないだろうか。余ったのでついでに右目を隠すように頭にも巻き、隻眼風にしておこう。
 もはや文句を言う気力もなくなったのか、されるがままの男だった。

「これで見た目はパーフェクトですね」

 銃社会の国、アメリカ。かの国の店員ですら、この男の対処はある意味困難だろう。

「もうなんでもいいよ……早く帰らせてくれ」

 ついに弱音を吐き始める男。
 じゃあ帰れよ……と言いたいところだが、まだ帰すわけにはいかないのだ。

「では最後に情報を一つお伝えしましょう。隣の家は知ってますか?」
「……お?」
「知らないようですね。今の時間はおじいさん一人だけ、噂では結構なお金を貯めこんでいるらしいです」
「おぉ……」
「しかも鍵はいつも開けっ放しで、誰でも入れるような状態なんですよ」
「おぉ! そうだよ、そういう情報を待ってたんだよ! お前実はいいやつだったんだな……」

 男は感極まった声で言い、俺の手を握る。そこまで喜んでくれると、こちらも言ってよかったという気分になった。

「じゃあ早速強盗してくる! 世話になったな!」
「頑張ってきてください」
「目立たないように裏口から行った方がいいよ。うちの休憩室の窓から出ればすぐだから」

 レジの奥にある部屋を指差して店長が言った。確かに表通りから行けば目立ちすぎる。
 店長の言葉に頷いた男は、笑顔で『ありがとうな』と言い残して休憩室へ消えていく。長いポールを壁にガツンガツンぶつけながら。
 もうあの男と会うことはないだろう。そう考えるとなんだか、ほんの少しの空虚感を覚えたような気がした。

「まあ隣って交番なんですけどね」
「嘘は言ってないよね、一応」


 ――数日後。『名状しがたいほどの変質者が交番に押し入った』という奇妙な事件の噂が町中に広まっていた。
 その男は『隣のコンビニ店員に騙されたんだ!』と謎の言い訳を最後まで続けていたらしい。
 世の中には不思議な事件もあるんだな、と俺は妙に感慨深く思うのであった。





[28000] 第8話 体操服盗難事件 ~犯人は舐め男~
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/09/19 15:19
 サラちゃんに貰った食券が目の前にある。使用できるのは、彼女の通う高校の学食限定。
 俺は長時間悩んだ末、一つの決心をした。

「よし。忍び込もう」

 忍び込むと言っても別に悪いことをするわけではない。ちょっと行ってご飯を食べてくるだけだ。
 たしかあの学校は図書館を近隣住民に開放していたはず。俺は図書館に向かう途中で、突然生命に係わるほどの空腹を覚えてしまうのだ。うん、きっと緊急避難として認められるに違いない。
 こんなわけのわからない言い訳をして貰い物の食券に頼らなければならない程に、我が家の食糧事情は切迫していた。
 簡潔に言うと金がない。
 実家に仕送りの追加を頼んではみたものの、結果的には失敗。より詳しく解説するならば『……ちょっとお金』まで言った時点で瞬時に電話を切られたあげく、五秒後には着信拒否されていた。
 それでも諦めず手紙というアナログな手段に頼ってみたところ、意外なことに返事があった。やはり彼らも人の親。かわいい息子の頼みは断りきれないか、ツンデレめ……とワクワクしながら封筒を開いてみると中には一枚の紙切れ。内容はただ一言、

『カリビアンコム』

 と。俺の親はなにか致命的な病に侵されているのだろうか。意味がわからないとかそんなレベルじゃない。
 可能な限り前向きに解釈しても『最後にエロサイト見ながら死ね』とかそんな感じになる。もはや血のつながりすら疑わざるを得ない。
 ――まあそれはともかく、だ。

「…………」

 潜入時に新任教師を装うためスーツに着替えてみたのだが。
 ……これはちょっと厳しい。数ヶ月前まで高校生だった俺ではやはり違和感がある。生徒に変装できればいいのだろうけど、残念ながら他校の制服なんて持っているはずもなく。
 メガネと髪型でごまかすことで、少しはマシになった……か?
 とりあえず、迷い込んだ野良犬になりすますという第二案は実行しなくてもよさそうだった。


          ◇     ◇     ◇


 懐かしい雰囲気。
 この学校に入るのは初めてなのだけど、どうしてだか既視感を覚えた。学校特有の空気がそうさせるのだろうか。
 そのようなことを考えながら生徒たちが行き交う廊下を歩く。上手く昼休憩の時間に紛れ込むことができたようだ。

『こんにちはー』

 たまに挨拶されるが怪しまれている様子はなく、俺の心配は杞憂だったということを思い知らされる。
 なんとなく生徒たちの流れに従って進んでいくとすぐに学食も見つかってしまった。こんなに順調だと少々後が怖い。
 何はともあれ目的地に着くことはできたので、ひとまずサイフから食券を取り出して再確認。
 ふむ、日替わり定食専用の食券なのか。期限も切れていないようだし問題ない。久しぶりのちゃんとした食事に期待をふくらませていると、

「こんにちはーっ」

 背後から女生徒の声。なかなか俺の変装も上手くいってるではないか、と自画自賛しつつ声の方へ振り向く。

「ああ、こんに……ち、は」

 見覚えのありすぎる顔。制服姿のインド貴族様がとてもいい笑顔でこちらを見ていた。
 この状況ではもはや逃げることも隠れることもできない。今から迷い込んだ野良犬になりすませば他人のフリをしてくれそうな気もしたが、一生他人のフリが続いてしまう可能性が高いので今回はやめておこう。
 ――いや待てよ、相手はあのサラちゃんだ……普通にしていれば意外とバレないかもしれない。ひとまず雑談で気をそらしてみる。なるべく自然な感じを出して、っと。

「エレベーターに乗ったときってさ、後から入ってくるオッサンをタイミングよくドアで挟むのが楽しいよね」
「あれ? こんなところでなにしてるんですか先輩」

 秒殺だった。それはともかく雑談部分が完全スルーなのはどういうことか。
 ……まあいい、バレてしまったなら仕方がない。というか元々は彼女に貰った食券を使いにきただけなのだ。別に追い出される心配もないだろう。
 なんなら一緒にご飯を食べるのもいいかもしれない。早速その旨を伝えるとサラちゃんは申し訳なさそうな顔で言った。

「ごめんなさい……教室でちょっと大変なことが起きててですね」
「大変なこと?」
「体操服が盗まれちゃったのです。あたしのは大丈夫だったんですけど、いろいろ厄介なことが多くて……誰か頼れる人を探しるところなのですよ」

 なんとも水臭い。頼れる男ならばここにいる、そうだろう……?
 そう視線で告げてみたのだが反応が微塵もなかったので、おとなしく言葉で伝えることにする。

「迷惑じゃなかったら俺も手伝おうか?」
「ほんとですかっ、ぜひお願いします! 先輩が手伝ってくれるならどうにかなるかもしれません」

 腹は減っていたが我慢できないほどでもない。それに後輩に頼られるのは結構嬉しいものなのだ。
 握り締めていた食券をそっとポケットに入れ、向かう先は教室。昼休みの喧騒に満ちた廊下を二人で歩いてゆく。

 ――教室にはかなりの人数が集まっていた。盗難事件が起こったのだから当たり前かもしれないが、かなり議論が紛糾しているようで一触即発の雰囲気。放置していたらすぐにでも罵り合いが始まりそうだ。
 場を和ませるために『カリビアンコム!』とでも叫んでみようか。うむ、別の事件が起こるかもしれないな。
 とりあえず話を聞いてみるか。教師を装うことも忘れずに……よし。

「まあまあ落ち着いて。まずは冷静になって、盗まれた時間にそれぞれどんなことしてたかを整理してみようよ」

 言うまでもなくアリバイ確認のためである。相手は体操服を盗んだ下劣な人間なのだ。犯人は捜さず体操服のみを見つける……そんな甘い対応で済ませるつもりもない。
 自分の中の善良な部分が『……忍び込んでるお前がなにを偉そうに』と言っていたが魔法の言葉『カリビアンコム』でねじ伏せる。汎用性高いなこれ。
 あれこれ考えているうちに確認が終わったようで、サラちゃんがこちらを向いて言った。

「移動教室のときに盗まれちゃったようですね。その時間にいなかったのは、このクラスでは二人だけみたいです」

 ふむ、二人か……。クラス外の人間が犯人という可能性も当然あるのだが、この二人が現状もっとも怪しいのも事実。

「一人目は森川くん。保健室に行ったけど誰もいなかったみたいなのです」
「どうも、森川です。ちょっと気分が悪くなってしまって……盗難が起こった時間はずっと保健室にいました」

 彼を一言で表すとすれば、普通。特に怪しい様子もない。強いて言えば怪しくなさすぎるのが逆に怪しい……というのはさすがに穿ちすぎだろうか。
 サラちゃんが続ける。

「二人目は体操服舐め男くんです」
「くそッ、まさかこんなことが起こるなんて……クラスメイトの体操服を盗むなんて許せねえ! 補導暦三十二回の俺だけど、犯人のことは絶対に許せねえ……!」

 ……!?
 完全に俺の理解を超えた事態が起こっていた。ひょっとしてここは異空間か……!? 元の世界に戻れ! カリビアンコム!
 しかし残念なことに魔法の言葉も効果がなかったようである。現実とはこうも厳しいものだったのか。
 ……よし。いったん全ての思考を捨て去り、基本的なことから聞いてみよう。

「えーと……なめお、くん? それはあだ名?」
「いえ、本名です! 『元気よく体操服を舐めまわすような子に育って欲しい』という願いを込めて親が名づけてくれました!」

 とてもいいお返事だった。あまり言いたくはないが親御さんはもしかしたら病気を患っているのかもしれない。
 もう事件解決でいいんじゃねえのこれ……とは思ったが、もしかすると、本当にもしかすると彼が犯人じゃないという可能性もあり得る。アリバイの確認が先決だ。

「あー、舐め男くんは盗難が起こったときどこにいたのかな?」
「先生、俺のことなんてどうでもいいんです! 大事なのは犯人を捜すことでしょう!? クッ、いったい誰が犯人なんだ…………深夜に公園の鉄棒で全裸になって大車輪をするのが趣味の俺だけど、絶対に犯人だけは逃がさねえ! なあ、そうだろみんな!?」

 真剣な顔で頷くクラスメイトたち。彼らが舐め男の存在に異様なほど寛容なことが一番の謎だった。なんなの? 実は俺が狂ってるの?
 自分の存在について深く考え込んでいると、突然肩をトントンと叩かれた。普通でお馴染みの森川くんが申し訳なさそうにこちらを見ている。

「あの……舐め男くんが体操服を持って保健室の前を通るところ、僕見ちゃったんですけど」
「な、なに言ってるんだよ森川!? きっと見間違いだよ、俺が体操服を盗む訳ないだろ……!? 幼稚園の前を通ったとき園児の泣き声が聞こえるとなんだか気持ちよくなる俺だけど、絶対体操服なんて盗まないよ! 今はクラスで一致団結しなければならないときなのに、クラスメイトを疑うなんてどうかしてるぞ!」
「で、でも……確かに見えたはずなんだけど……」
「ッ! もしかして森川、俺をハメるつもりか!? 本当の犯人はお前だったんだな! チクショウ、信じらんねえ……ぶっ殺してやる森川! 体操服なら男モノでも全然イケると最近気づいた俺がぶっ殺してやる!」

 もう帰ってもいいだろうか。ごめんなサラちゃん、俺にはこの状況で正気を保つのが精一杯のようだ。
 とはいえ殴り合い寸前の状況を放っておくのもな……そうだ、ここは一つ試してみるか。これでダメなら仕方ない。帰宅して布団に入って全てを忘れよう。

「舐め男くん、足元に盗んだ体操服が落ちて――」
「どこだああああぁあっ!! 体操服は全部俺のものだッ! ない、ない……ない!! 森川お前かあああああぁぁ! 返せ! 俺の天使たちを返せえぇぇ!!」


 ――――事件、解決。





[28000] 第9話 ときめきカードバトル
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/03/24 12:30
「店長クイズ第五問!」

 高校生のころは大学というものに幻想を抱いていた。合コン、サークル、飲み会……受験生時代とは正反対の楽しい日々。やがていつか彼女をつくり、初々しいながらも甘い時間をすごしたりして――つい数ヶ月前まではそんなことを考えていたのだ。

「僕の好きな女優は誰でしょう? ヒントは三つ。調理師免許を持っていて、映画にも出演したことが――」
「見栄晴」
「違えよ男じゃんそれ!」

 それが今の状況はどうか。深夜のコンビニ内、オッサンと二人きりで謎クイズ……青春の気配が全く感じられない。なんかもうすごい勢いで死にたくなってくる。

「で、最後のヒントはファッションセンスがかなりいいってこと――」
「ドン小西」
「だから女優だっつってんだろ! 考える気ゼロだよね!?」

 美人のおねーさんとかが突然店にやってきて告白してくれたりしないだろうか。『あたし実はずっと前からあなたのことが……』見つめあう二人。近づく距離。そして隣には店長。うんダメだ最後の一つで全部台無しになった。
 そんな益体もないことを考えていると店長が、

「クイズも飽きたね……客も来ないし奥でゲームでもしようか。常連客に新しいゲーム貰ったんだよねー」
「はあ……別にいいですけど」
「休憩室に置いてあるから好きなのを選んでいいよ」

 まあ誰も来ないレジにずっと立っているよりは幾分かマシだろう。そう思って休憩室に入ると、テーブルの上にゲームソフトが二つ置いてあった。手にとって見てみる。
 一つ目のタイトルは『爽(ソウ)』。内容は……ふむ。生粋のドMが密室に閉じ込められ、凄惨なゲームを強要されるホラーアドベンチャーらしい。どこかパクり臭い上に爽やかな趣がカケラもない。却下。
 残った方を見てみよう。タイトルは『ときめきデュエリスト』。これまたどこかで聞いたような名前だが、内容は恋愛シミュレーションとカードバトルを組み合わせた新しいものだとか。深夜に男二人でギャルゲーというのもどうかと思うが、消去法で考えるとこちらを選ぶのが妥当だろう。
 選んだディスクをセットしていると店長も休憩室に入ってきた。

「お、そっち選んだんだ。きみはそういうゲームやったことあるの?」
「まあ似たようなものなら少しだけ」

 店長はギャルゲーをしたことがないらしく、自然とプレイは俺が受け持つことに。
 なんだか嫌な予感がするな……と思いつつもゲームを開始するのだった。


          ◇     ◇     ◇


『ボクの名前はヒロシ。ごく普通の高校二年生さ。そして今日は転校初日……緊張するなあ』

 このゲームは主人公であるヒロシを中心に描かれる青春ラブストーリーである。と説明書に書いてあった。
 どうやらいきなり転校生紹介のシーンから始まるらしい。一人つぶやきながら教室の扉を開け、教壇の前へ歩いていくヒロシ。
 彼が立ちどまるのを待ってから、横にいる先生らしき女性が喋り始める。

『隣町から引っ越してきたヒロシくんです。みんな仲良くしてあげてね』

 大きな拍手。歓迎ムードにヒロシも嬉しそうな顔を隠せないようだ。

『じゃあヒロシくんの席は一番後ろね。教科書がなかったら隣の子に見せてもらうといいわ』

 ……なんというかここまではかなり平凡な感じだな。だが逆に、この平凡な展開がカードバトルというギャップを引き立てるのかもしれない。ひとまず先に進めてみよう。
 ヒロシが席につくと、隣の女子が話しかけてきた。もしかしてヒロインの一人だろうか。

『あたし真帆っていうの。これからよろしくね、ヒロシくん!』

 真帆はショートカットの活発そうな女の子。清々しい挨拶と一緒にすっと右手を差しだしてくる。
 彼女の積極的なスキンシップに、ヒロシは少し戸惑った様子をみせていた。

『ほら、握手握手!』

 そんなヒロシを見ても笑顔を崩さず催促する真帆。すごくいい子じゃないか。
 そして握手に応えようとしたヒロシが手を握――――


『かかったな! トラップカード発動《永遠の闇》! このカードが発動したとき、触れている相手は暗黒の底に三ターンの間封じ込められる……無限に続く絶望の中で苦しむがいい!』


 真帆が叫ぶと同時、突如現れた暗黒球がヒロシの体を包み込む。もがいて逃げようとするも全くの無意味。またたく間にヒロシの姿は見えなくなってしまった。

「なんなのコイツ!? というか三ターンってなんだよ!」
「説明書によると現実時間に換算して約三年ですね」
「開放されたころには卒業してるよ!」

 なぜ転校初日で闇に封じ込められなければならないのか。どうしてクラスメイトたちは教室に鎮座する暗黒球を見てもまばたき一つしないのか。疑問は尽きないがいちいち考えていても仕方ない、先に進めよう。
 ……といってもどうすればいいのだ。主人公は三年間ここから出られないみたいだし。
 とりあえずボタンを連打してみると、なにやら真帆とは別の女生徒が近づいてきた。

『魔法カード発動《女神の抱擁》!』

 女生徒がそう宣言した瞬間、まばゆい光が教室に降り注ぎ暗黒球が取り払われてゆく。ついでに真帆も『ぐあああぁぁ』とか叫びながら消滅してゆく。
 早くもヒロインの一人が物理的な意味で消え去ったが、とりあえずヒロシの学生生活は取り戻されたのだ。謎の女生徒に感謝。

『あ、ありがとう……おかげで助かったよ』
『いいのよ、わたしこのクラスの委員長だから。気分は大丈夫?』
『実はさっきから吐き気がとまらないんだ。保健室に行ってくるよ』

 ある意味当然の結果だ。むしろよくそれだけで済んでいるとヒロシを褒めてやるべきかもしれない。
 そんなヒロシと委員長のやり取りがあったあと。画面は暗転し、次の瞬間には保健室と書かれた扉を映しだしていた。

『ここが保健室かな? 失礼しまーす』

 ヒロシがそう言いながら扉を開けると――――目の前には下着姿の女の子。
 無言で見つめあう二人。凍える空気。彼女の頬は真っ赤に染められ、目尻には涙がたまっていく。
 やがて彼女は脱ぎ捨ててあった制服で自らの体を隠し、

『~~ッ!? ば、馬鹿っ! 出てってよ!!』

「おほっ」

 女の子がそう叫ぶと同時、隣からリアルなオッサンの嬉しそうな声が聞こえてくる。なんだろう、俺も泣きたくなってきた。
 深夜に店長と二人でエロシーンを見ることの切なさを知った俺が鬱々としている間にもゲームは進んでいく。
 ヒロシが扉の前で待機していると、中から女の子の声が聞こえてきた。

『…………もう入っていいわよ』
『し、失礼します』

 とヒロシが申し訳なさそうに保健室へ入――


『引っかかりおったな馬鹿め! トラップカード発動《茨の牢獄》! フィールドに踏み込んだ相手は五ターンの間身動きが取れなくなる……そのままここで朽ち果てるがよい!』


 女の子がカードを掲げた直後。急速に伸びる茨が保健室を覆っていき、呆然と立ち尽くしていたヒロシを絡めとる。急いで逃れようとするも全くの無意味。ツタでビシビシ叩かれているうちに、ヒロシはぐったりと無抵抗になってしまった。

「またか!? なんでこいつらは執拗に主人公の青春を終わらせようとしてくるんだよ!」
「効果切れるころには成人してますねヒロシ」

 薄々気づいてはいたが、もしかしてこのゲームのカードバトル要素とは一方的に攻撃を受けるだけなのだろうか。
 今すぐコントローラーを床に叩きつけたい……そんな衝動をなんとか抑えてゲームを進行させる。
 といっても俺にはボタンを押すことだけしかできないのだ。カチカチといろいろなボタンを押してみるものの、一向に進む気配が感じられない。そうこうしているうちに放課後を告げるチャイムが鳴ってしまった。
 もしかしてこのままゲームオーバーに――そう思った瞬間のことだ。

『ヒロシくん、助けにきたわ! 魔法カード発動《悪魔の溶解液》!』

 委員長がまたしても助けてくれたのだった。彼女が使ったカードの効果で室内を覆う茨が溶けてゆく。そしてやたらキラキラしたエフェクトでごまかしてはいるが、画面端で先ほどの女の子も溶けていた。躊躇なく人を殺める委員長が若干怖い。

『ありがとう委員長。左腕が使い物にならなくなったけど助かったよ』

「ヒロシも溶けてた!?」
「異様に心広いですねヒロシ」

『いいのよヒロシくん、わたし委員長だもの。そういえば今日このあと予定はある?』
『このあと? 特にないよ』
『教室で歓迎会をしようって話があるの。もしよかったら参加してね!』

 なんかもう起こるイベント全てが罠にしか思えない。今すぐ帰れヒロシ……!
 だがそんな俺の願いもむなしく、ヒロシは委員長のあとに続いて教室へ向かってしまう。断言してもいいが、間違いなくトラップカードがヒロシを待っているだろう。彼の無事を祈るしかあるまい。
 そして教室にたどり着いた二人。ヒロシがその扉を開け――

『トラップカード発動《孤独の世界》! 三ターンの間、お前の半径二メートル以内には誰も近づけない!』

 もはや有無を言わさぬ勢いでカードを使ってくるクラスメイトたち。完全にイジメの領域だ。
 ここはもう委員長に頼るしか――そんな俺の期待に答えるかのように委員長は鞄からカードを……いや、よく見るとカードではない。カードよりいくらか大きい箱のようなものを取りだして言い放つ。

『そうくると思ったわ。魔法カード発動《他次元からの使者》! 呼び寄せた仮想の恋人がヒロシくんの孤独を癒す!』

「やめて、それカードじゃなくてエロゲだから! エロゲじゃヒロシの心は癒されないから!」
「でもヒロシ微妙に嬉しそうですよ」

『ありがとう委員長。ボク、これ(エロゲ)を君だと思って大切にするよ』

「最低だよ! 元はいいセリフなのに、今この場面で使うと最低な意味になってるよ!」

 ……たしかに。しかし委員長はそれを意に介した様子もなく、変わらぬ笑顔でヒロシに接する。

『いいのよ、わたし委員長だもん。あ、そうだヒロシくん。こんなクラスメイトのクズどもは放っておいて一緒に帰らない?』

 唐突に毒舌属性を付加された委員長がヒロシに問いかけた。と、ここで初めての選択肢が出現。すっかり忘れていたがこれはギャルゲーなのだ、そりゃ選択肢くらいあって当然か。

『一緒に帰る/一人で帰る』

「どうします店長?」
「唯一の味方っぽいし……一緒に帰った方がいいんじゃない?」

 特に異論もなかったので『一緒に帰る』を選択。すると画面が切り替わり、商店街の中を歩く二人の姿が映しだされた。
 ようやく始まった青春っぽいシーンに内心ほっとする。今までが酷すぎた分だけ期待も大きく、あとは異変が起こらないことを祈るばかりだ。

『なんだか……デートみたい、だね』

 夕日で顔を染めた委員長がそっとつぶやく。

『そ、そうだね……』

 かなりいい雰囲気ではないか。ここでいきなり委員長が『トラップカード発動!』とか言いだしたら、俺はディスクを割る。即座に割る。
 だけど幸いにもそんなことは起こる気配すら感じられなかった。
 心地のいい沈黙。商店街の喧騒をBGMに、二人はゆっくりと道を歩いてゆく。たまに肩が触れ合うたび、同時にビクリと身をすくませて、同時に苦笑した。
 そして揺れる二人の指先が徐々に近づき、長い時間をかけてついに触れようとした――そのとき。

『め、めぐみ!? 男と二人でなにをしてるんだお前!』
『お父さん!?』

 どうやら委員長の父親と偶然出会ってしまったようだ。目に見えて狼狽する委員長。
 まあこの手のゲームではわりとよくあるイベント――俺のそんな甘い考えを、画面内に出現したテロップがぶち壊してくれた。

『※イベント発生 お父さんを殺せ!』

「殺せ!? どういうことなの!?」

 店長が叫ぶ。だが残念なことに俺にも全く意味がわからない。
 きっと製作者は頭が沸いているのでは、と思わせるプレイヤーを完全に置き去りにした展開。
 もうこんなゲーム早く終わらせてしまおう……そう考えてボタンを押すと再びテロップが現れる。

『ヒントを表示しますか? Y/N』

「表示する、でいいですよね?」
「うん、まあ……」

 どんなヒントなのかは不明だが、別にデメリットがあるわけでもないだろう。Yesを選ぶ。

『ヒロシくん、わたしのお父さんは火属性攻撃に弱いわ!』

「人間なら大抵そうだよ!」
「父親を殺る気満々じゃないですか委員長」

 そして始まるカードバトル。ヒロシの初バトルが知り合いの父を倒すための戦いというのもなかなか酷い話だが、まあいい。尊い犠牲というやつだ。
 委員長からカードデッキとやらを受け取り、上から五枚引いたところで画面が停止する。使うカードを選べということらしい。
 父親は火属性攻撃に弱いそうなので、とりあえず手持ちから《炎獄流》というカードを選択。なんか字面だけで五回くらいは殺せそうな気がする。
 すると父親が一枚のカードを掲げてこう言った。

『甘いなお前たち! 魔法カード発動《お父さんを守る盾》!』

 光の盾が四方に展開し、父親を完全ガード。一分の隙も見当たらないその盾はいかなる攻撃も阻むだろう。余裕の笑みを浮かべる父親。
 しかし委員長も負けてはいない。

『甘いのはそっちよ。トラップカード発動《お父さんを貫く矛》! その盾は相殺されるわ!』
『な、なぜそのカードを!?』
『これは普段使ってるデッキじゃないの……お父さんを倒すためだけに組んだ、その名も《お父さん滅殺デッキ》! お父さんの勝ち目は万に一つもないのよ!』

 ――ああ、アレだ。こいつ完全に殺る気だ。
 まさかなあ……と半信半疑だった気持ちが確信に変わる。こうなるとヒロシを巻き込んだことも計画的犯行に思えてくるから不思議だった。

『今よヒロシくん! お父さんを攻撃して!』
『う、うん。魔法カード発動《炎獄流》! いっけえええぇぇ!』

 迫りくる炎を前に盾を失った父親は立ち尽くすばかり。一瞬のうちに炎に飲み込まれてしまう。
 ……数秒後、炎が消えたあとに残っていたのはボロボロになった父親の姿だった。

『よくぞ私を倒したお前たち……だがいい気になるなよ。世界にはまだまだ強いデュエリストたちが存在する。せいぜい精進することだな……』

 なにやらボスっぽいことを言っていた。その言葉を最後に、父親はグラグラ横揺れしながら『ゴゴゴゴ……』という効果音とともに消滅してゆく。

「なぜに昔のFFボスみたいな死に方を!?」
「お、五十ギル落とした」

 夕焼けをバックにしてエンドロールが流れ、この物語は終わりを告げた。
 だがこの後も困難は続いていくだろう。まだ見ぬライバルたちとの戦い、いまだ動く様子を見せない左腕……そしてクラスメイトたちとの埋まらぬ溝。
 でもきっと彼らなら乗り越えられるのではないだろうか。そう、父親という壁に打ち勝った彼らならば。
 いつか二人の愛が世界を救うと信じて――――。





[28000] 第10話 はじめての合コン
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/09/28 02:36
 夜の大学構内。俺は中庭のベンチにじっと座って人を待っていた。
 昼から続く暑さはいまだ衰えず、にじみ出る汗が肌を濡らす。本日の最高気温は三十五℃を超えていたとか。最近の猛暑は貧乏な俺にとってツラすぎる。
 あまりにも暑いのでクーラーが欲しいと実家の親に伝えてみたことがある。もちろん電話は着信拒否されたままだったので手紙を送った。正直まったく期待はしていなかったのだが、驚くことに三日ほどで大きなダンボール箱が俺のアパートに届いたのだ。一人暮らしを始めて数ヶ月、俺の親もようやく息子の大切さに気づいたか……と満足な気分に浸りながら箱を開けたが、出てきたのは生ぬるい空気だけ。おや、配送ミスかな? などと考えつつ箱の隅を見ると一枚の手紙を発見。

『クーラーで冷やした空気を入れておきました(笑)』

 ――よし、ボディーブローだ。今日からボディーブローの練習をしよう。そう誓った十九歳の夏だった。

 そんなことを思い出しながら待つことしばし。近くのコンビニにでも入ってればよかったと今更後悔し始めたころ、ようやく待ち人が現れた。

「ごめん! 練習長引いちゃって……待ったよね?」

 容姿端麗、清楚可憐。そんな美辞麗句をそのまま体現したかのような人物。俺の数少ない大学内の友人で、名前を三雲伊織(みくも いおり)という。大学一年の十八歳。
 着ている服はなぜか浴衣。別にこれから花火大会にいくというわけでもなく、入学当初からずっとこんな格好なのだ。単なる趣味らしい。

「わ、すごい汗。ちょっと動かないでね」

 伊織はやたらと高価そうなハンカチを取り出して俺の顔を拭いた。男の汗でハンカチが汚れるというのに嫌な顔一つ見せない。こんな性格なので当然のように男からの人気は絶大で、友達になりたい人物ランキングがあればトップは間違いないだろう。
 かわいくて性格も抜群。ガスマスクもつけてないし、インド象に乗ったりもしない。まさに理想的な大和撫子なのに――――なんで……なんで、

「なんで男かなあ……」
「そ、そんなこと言われてもボク困るんだけど……」

 そう、男。そこさえ目をつむれば今すぐ結婚を申し込んでいてもおかしくないくらいなのに、男。この世界に神はいないのだろうか。

「実は女の子だったりしない?」
「しないよ……もー、見ればわかるでしょ」

 ……どこからどう見ても美少女だから聞いているのだけど。
 で、でもほら本人が男だと言ってるだけで実際に確かめたわけじゃないし。本当は女の子だという可能性も残ってるし!
 こうやって自分に言い聞かせるのもこれで何度目だろう、真実を知るのが怖い。
 まあそれはともかく。

「今日はどこ行くの? 伊織が夜に呼び出すって珍しいよな」

 伊織と会うときは基本的に、場所や目的を事前に確認することはない。直前で聞くのがほとんどだった。
 お互い誘われればどこへでも行くので、特別な準備が必要な場合でもない限りは事前の確認など必要ないのだ。相手をそれだけ信頼している、ということでもあるかもしれない。
 ま、ぶっちゃけた話、気の合う相手と一緒でしかもそれが(見た目は)美少女ならばどこへ行こうが楽しいし。時間さえ合えば他のことなんてどうでもよかったりする。

「実はサークルの先輩に合コンに誘われたんだけどさ。最初は断ったのに、どうしてもって頼まれちゃって……もしよかったらキミも一緒についてきて――」
「行きます」
「早いね返事」

 もちろん合コンなどという不純な言葉に釣られたのではないと明言しておこう。先ほど言ったように場所なんてどこでもいい。ただ大切な友人が困っているのを見過ごせない……そんな熱い気持ちが俺を動かしたのだ。決して合コンなどに釣られたのではない。
 そのことを伊織に伝えると最高に冷めた目で『……ふーん』と言っていただけた。さっきの信頼がどうとかって話は気のせいだったかもしれないです。


          ◇     ◇     ◇


 そんなわけで合コン会場の居酒屋にやってきた。合コンも居酒屋も初めてなのでちょっと緊張。隣の伊織は物珍しげな様子できょろきょろと店内を見回している。
 そのまま入り口で待っていると、店員より先に金髪の男が近づいてきた。気づいた伊織が挨拶する。

「あ、先輩。お疲れ様です」
「おっす伊織ちゃん。そっちの彼は友達?」

 どうやらこの人が伊織の先輩らしい。同じ大学なので一応俺の先輩でもあるか。
 いかにも合コン慣れしてそうな見た目、というのが第一印象。

「とりあえず行こうか。女の子たちはもう奥で待ってるよ」

 先輩は自己紹介する暇もなく奥に歩いていってしまった。俺のことにはあまり興味がないらしい……お互い様だけど。
 しかしなんとなく憧れていた合コンなのだが、実際に参加するとなるとやはり不安も感じる。どんな話をしたらいいのだろう。
 ここは以前やったギャルゲーの経験を活かして……あっダメだ全然役に立たねえや。

「さ、ここだから。入って入って」

 促されるままに簡単な仕切りがついたテーブル席へ向かう。
 いったいどんな女の子が待っているのだろうか、とドキドキしながら先頭の俺がチラリと顔を出――

「おっ、きたきた! おい早く座れよー!」
「コラ酒持ってこい酒!」
「おっそーい、マジありえないんですけどー」

 即座に後退。後ろの伊織が不思議そうに首をかしげている。
 俺はひとまず深呼吸で気持ちを落ち着かせたあと、抑え気味の声で先輩に話しかけた。

「なんかゴルベーザ四天王みたいなのがいたんですけど。しかも紅一点不在の。なんですか? 世界でも救いにきたんですか?」
「い、いやー。写メではかわいく見えたんだけどね? 今日初めて会ってみたら……その……アレだった」

 そう、席に座っていたアレな三人組。
 今の気持ちを例えるなら、少年が毎日眺めていたショーケースのトランペットを実際手にとってみたらすごい臭かった、みたいな話だ。ニュアンスで察して欲しい。
 しかも三人組は完全に泥酔していた。もし伊織がいなければ無言で帰宅するレベルである。不機嫌さを隠さずじっと先輩を見ていると、

「ごめんっ、金は半分でいいからさ。俺のメンツを保つためだと思って我慢してくれないか?」

 この先輩に従う義理などまったくないのだが、ここで俺が帰れば伊織が困る。仕方なく了承した。
 改めてテーブル席へ歩を進める。
 ここから先は慎重にいかなければ。酔っ払いを下手に刺激するのは危険極まりない。とりあえずは……無難に挨拶を。

「……どうもー」
「いきなり挨拶とか! マジウケるんですけどー!」

 オーケー、会話は通じないことが判明した。野生のゴリラを相手にしているとでも思えばいいだろう。
 隣に座った伊織はどんな様子かな? とチラ見してみると、動揺することもなくいつも通りの穏やかな表情を浮かべていた。この状況だともはや天使にしか見えない。
 俺の視線に気づいた天使……おっと、伊織は置いてあったメニューを手に取りながら言う。

「飲み放題だってさ。キミはなに飲む? ボクはミルクにしようかな、もっと大きくなりたいし」
「そっか。育つといいな、胸」
「育ったら困るんだけど……背の話だよ」

 流れ星を見るたびに大きくなれと祈っている俺の努力がそろそろ報われてもいい気がする。いやきっと報われる、そう信じよう。
 さてなにを注文するかとメニューを眺めていると、おもむろに先輩が立ち上がった。皆の視線が集まる。

「先に代金集めてしまっていいかな? そっちの方が楽だしさ」

 おそらくは酔って支払いをうやむやにされるのを防ぐための措置なのだろう。しかしそれを聞いて不満の声を上げる三人組。

「えー割り勘? マジかよー」
「ありえんし。男が払えばいいじゃん」
「それ名案! じゃあそういうことでよろしくー」

 イラッ。 

「…………そういやこいつら結構ギル持ってたな」
「お、落ち着いて……! 似てるだけであの人たちは四天王とかじゃないからギルは落とさないよ! だからその灰皿は元の場所に戻そう!」

 伊織の制止でハッと我に返る。危なかった……もう少しで世界を救う旅が始まってしまうところだった。
 幸い今の会話は聞かれていなかったようで、俺と伊織以外の四人はこちらを気にする様子もなく言い争っている。といっても先輩の方が三人組へ支払いを懇願する形に近いが。
 ――数分後。渋っていた三人組もようやく根負けしたのか舌打ち混じりに財布を取り出した。

「あーあ、やってらんねー」
「テンション下がるわー。ほんと下がるわー」
「ていうか今気づいたんだけど、なんで女四人なわけ? バランス悪くね?」

 当然の疑問。例によって伊織が否定する。

「えーと……ボク男です」
「え? マジ??」
「さすがにそれはちょっとないわー」
「ありえなくね? ドン引きだわ」

 イライラッ。

「…………よし」
「な、なにするつもりなの? 別にボクは気にしてないから大丈夫だよっ」
「そこまで酷いことはしないって。ほら、向こうの席で飲みすぎて気分悪そうにしてるオッサンいるだろ? あの人に頼んでバイオ唱えてもらうだけだから」
「リアルバイオ……!? さすがにマズいよ、いろいろ飛び散ってボクたちもダメージ受けるし!」

 それもそうだ……これは最後の手段にしておこう。しかしこの酔っ払いどもはどう対処したらいいだろうか……。
 と、俺が考え込んでいる間にも伊織に絡み続ける三人組。

「つーかさー、男なら酒くらい飲めって!」
「でもまだボク未成年だし……」
「未成年だからなんだっつーの、あたしらも未成年だし。いいから飲めよー」

 そう言ってまだ手がつけられてないグラスを伊織へ差し出す。なんかもう上司が女性の部下にパワハラしてる場面にしか見えない。
 当の伊織はというと、困り顔で黙り込んでしまっていた。年長者であるはずの先輩もなぜか止めようとしない。
 ――――やれやれ、ここは俺がなんとかするしかないな……町内紳士ランキング一位の実力を見せてやろうではないか。
 まずは誰にも気づかれないように注意しつつ店員の呼び出しボタンを押す。

「お待たせしましたー。ご注文をどうぞ」

 すると店員はすぐにやってきた。その瞬間、皆の注意が店員の方へそれた隙に、
 ガッとグラスを掴み、
 ゴクッゴクッと勢いよく中身を飲み干し、
 そっとグラスを元の場所に戻して、
 ブフゥッ! と鼻から酒を吹いた。

「うわ汚ねぇ! 何やってんのアンタ!」
「あーもうマジ最悪なんですけど!」
「料理にかかっちゃったじゃん、酷いわー」

 ……あれ、おかしいぞ? 俺の予定では華麗に酒を飲み干して、今ごろは何事もなかったかのように紳士的に座っていたはずなのだが。
 なんだか胃のあたりが妙に熱いしセキと涙が止まらない。なにこれすごいツラいんですけど。酒とか初めて飲んだけどもう二度と飲まねえ。
 そうして俺がしばらくゲホゲホとむせていると、『やってらんねー』という感じで目をそらした三人組が空になったグラスに気づく。

「あれ? もしかしてもう飲んだの?」
「え、マジで? あの酒かなり強いんだけどー」
「マジかよ、女みたいな顔して意外とやるじゃん」

 一転、口々に伊織を褒め始める三人組。困っている伊織を助けるという目的だけはとりあえず達成できたようで一安心。
 というかそんなに強い酒を他人に飲ませようとするなよ……どうりで体が拒否反応を起こすはずだ。ようやくセキと涙はおさまってきたものの、喉の奥が焼けるように痛いし頭も朦朧とする。
 そんな俺の目の前にすっと差し出されるおしぼり。伊織が少し赤い顔で微笑んでいた。

「ありがとね、助けてくれて」
「いや別に…………あぁ、なんか頭がクラクラしてきた……」
「大丈夫? お水飲む?」
「……あれ? 俺は誰だ? ……思い出せない」
「も、もしかして酔ってる? ほら思い出して、キミはコンビニでバイトしてる大学生で、ボクと仲がよくて――」
「……っ! そうか、俺は……バハムートか」
「どの要素で!? どの要素でそう判断したの!?」
「まあ見てろって。なんか今ならメガフレアとか吐けそうな気がする」
「たぶん出てくるのは汚メガフレアとかだよ! というかなんで今日はFFネタで押してくるの!?」
「おっ、お前はクラウドじゃないか。今日はやけにポリゴンが滑らかだな」
「それ先輩! たしかにクラウドみたいな髪してるけども! ああっダメだよ先輩に吐きかけようとしちゃ――」



 ――数十分後。多少のトラブルはあったものの、なんだかんだで合コンは続いていた。
 伊織の介抱のおかげもあってさすがに酔いもさめてきたところだ。よく考えたら俺バハムートじゃねえや。
 そんな伊織だが今は……というかずいぶん前からずっと先輩と話し込んでいる。俺も話したいけど、なにか先輩がやけに熱心に話しかけているので入りづらい。
 となると必然的に俺の役目は三人組の相手となるわけで。どんな会話をしていたかというと、

「でさー、カレシが最近すげーウザくてー。あ、もう飲み物ないわ。アンタ注文してよ」
「すみませーん店員さん。カレーお願いします」
「その扱いは普通にヒドくない?」
「大盛り……いや、ピッチャーで持ってきてください」
「いや量の問題じゃなくて」

 とか、

「アタシもそろそろ今のカレシと別れようかなー。でも結構イケメンだから迷ってんだよねー」
「へえー、その彼氏は歴代横綱で例えると誰似なんですか?」
「なんでだよオイ」
「おっと失礼。横綱で例えると誰でごわすか?」
「言い方の問題とかじゃなくて」
「ウッホウホホ、ウホッホーイ?」
「そろそろぶん殴るぞ」

 などなど。だいたいこんな感じで終始どうでもいい会話を続けていた。思ってたよりはいい人たちだったな……殴られなかったし。
 引き続き三人組の愚痴混じりの話に適当な返事をしていると、なにやらパタパタという足音が。

「すみませーん、閉店の時間ですー」

 もうそんな時間か、と驚く。もしかすると酔いの影響でいくらか感覚が麻痺しているのかもしれない。
 まあなんにせよこれでやっと帰れる、そう安堵していたそのとき。

「じゃあ二次会はどこで――」

 ――無理。その二文字が脳内を埋め尽くす。気づいたら伊織の手を引いてダッシュで逃げ出していた。
 いやほんと、金を払って酔っ払いの愚痴を聞くだけとかなんの罰ゲームかと。一度目は仕方ないにしても二度目はない。わりとマジで。
 店を出て角を曲がり、後ろから追ってくる人物がいないことを確認してから立ち止まる。
 伊織が言った。

「ど、どうしたの急に?」
「もうやだ、家に帰る……帰って寝る……」
「意外と無理してたんだね……涙目になってるよ。ま、ボクも帰りたかったしちょうどいいかな。あのままだと無理やり連れまわされそうだったもんね」
「無理……あのまま延長戦に突入するくらいなら無条件で右腕を差し出す方がマシなくらい無理……」
「そ、そこまで……!?」
「……あ、そういやあの先輩のこと忘れてた。悪いことしたかな」
「たぶん大丈夫だと思うよ? さっきボクに『このあと飲みにいかない?』って何回も言ってたし」

 きっとそれは二人でという意味じゃ……まあいいか、先輩の冥福を祈ろう。
 しかし上手く逃げることができてよかった。もし捕まっていたらどうなっていたことか。
 開放感に身をまかせ、少しの間放心していると……あれ? なにか頭がボーっとして……。

「う、気分が……酔ってるのに走ったからかな……」
「わわ、大丈夫? 家まで我慢できる?」
「なんだか記憶が…………ん? まさか俺は……キリスト……?」
「だからどの要素で!?」
「――罪を犯したことのない者だけがあの女に石を投げなさい。そしてそれ以外の者は私に石を投げなさい」
「と、唐突なドM宣言……!? いろんな人から怒られるよそれ!」
「右の頬を打たれたら左の頬からメガフレア!」
「もはや意味わかんないよ! ああもうダメだってばこんな場所で吐こうとしたら――――」





[28000] 第11話 全裸の日
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/05/30 23:05
 今の俺の状況を一言で表すと――――全裸で布団の中に入りハァハァと息を乱していた。
 と、こう説明するとなにやら致命的な誤解を招きそうな現状なのだけど、もちろんこれには事情がある。順を追って解説していこう。

 コトの始まりは昨日の朝。あの合コンがあった日の翌朝であり、アパートの自分の部屋で目を覚ました俺は、なぜか記憶が部分的に失われていることに疑問を覚えつつも布団から身を起こしたのであった。
 今日は大学もバイトもないしのんびりするかー……などと考えながらボーっとしていたのだが、ふと。異常事態に気づく。
 ――服を、着ていない。
 単に着ていないだけだったならちょっとしたハプニングで済んだことだろう。夏だし夜中にでも暑くて脱いでしまったのかな?とかその程度である。
 しかしタンスの中にも洗濯機の中にも、どこを探してもパンツ一枚すら見つからないのだ。こうなってくるともはや軽くホラー。冷や汗がとまらない。
 やがて狭い部屋の中を完全に調べ尽くし、残った場所はただ一つ。そう、部屋の外。……絶望だ。
 ただ俺の予想では、服はそれほど遠くはない場所にあるだろうと踏んでいた。なぜなら遠く離れた場所で衣類をまき散らして全裸になったと仮定すると、俺は今ごろ塀の中にいるはず。つまりなくなった服は玄関のすぐ近くにある可能性が高い……!
 完璧な推理で絶望の中から一筋の光を見いだした俺が、全裸に布団を巻いただけの不審者スタイルで玄関の扉を開けると、
 ――――あった。予想通り玄関近くに服はあったのだが……アレ? 気のせいかな……玄関は玄関でも、他人の部屋の玄関……っていうか郵便受けにねじ込まれているような…………?
 謎の事態に混乱する俺。左右を見渡してみるとアパートの同じ階の郵便受けすべてに服がねじ込まれていた。
 いったい失われた記憶の中で俺はなにをしていたのか、というかなぜ郵便受けなのか、そしてもしよかったら誰かいい病院を紹介してくれないだろうか。
 頭に浮かんでくるさまざまな思考をいったん放り投げ、とりあえずは郵便受けからハミでている服を全力で回収する。なんかもうハイパー不審者。もし誰かに見られたらまず間違いなく通報されるだろう。
 ……まあ結果的には誰にも見つからなかったのだが。休日の早朝に気づけたのが不幸中の幸いだった。
 ひとまず服を自分の部屋に持ち帰ったところでようやく一息ついて、多少冷静になった頭で考える。どうしてこうなった?
 ……………………。
 うむ、わからん。記憶がない部分(合コンの途中から翌朝起きるまでの時間)になにかがあったのは間違いないのだろうけど、サッパリ思い出せなかった。もしかすると俺の中の新たなる性癖が目覚めて「真夏のサンタクロースからのお届けものですぞ~ゲヘヘ」などと言いながら全裸で服をねじ込んでいったのだろうか。もしそうならば俺はすみやかに死んだほうがいい。
 しかしまぁ思い出せないものをいくら考えてもしょうがないし、今は全裸状態をどうにかするべきだろう。
 そう思って服を手に取るが、よく見てみるとサビまみれになっていてとても着られるような状態ではなかった。郵便受けのサビがついたのかもしれない……古いアパートだし仕方ないか。
 その後洗濯を試みてみたものの、サビ汚れというのはなかなか落ちないようで何度も洗いなおすハメに。結局丸一日を全裸で過ごしたのであった。

 その結果。

「風邪を……ひきました……」
「前から薄々気づいてたけど、きみって結構バカだよね」

 と言ったのは店長。今日のバイトは行けそうにないと電話したらお見舞いに来てくれたのだ。
 それはありがたいのだが、このオッサンにバカと言われると……なんていうかこう、すごくイラっとするというか。

「…………。店長、ちょっとこっちに来てください」
「フフフ……きみの考えは読めてるよ! 近づいた僕に風邪をうつそうって魂胆だろう? 残念だったね、僕は今まで風邪なんて一度もひいたことが――」
「いえ普通に殴ります」
「ぶ、物理的に!?」
「グーで殴ります」
「グーで!?」

 店長がズザザ、と座ったまま後退する。
 ……とはいえ本当は殴る気力も体力もないのだけど。なにせ熱が四十度弱もあるのだ、正直こうして喋っているだけでも相当ツラい。

「ほ、ほら差し入れ持ってきたから怒らんといて」
「……ありがとうございます。差し入れってなんですか?」
「バナナと座薬だよ」

 なんだろう。フルーツと薬という一見まともな組み合わせだというのに、悪意を感じるのは俺の心が汚れているせいだろうか。

「ありがとうございます、そのへんに置いといてください……」
「はいよー。なんか本当に体調悪そうだね、病院行かなくて大丈夫?」
「今も全裸なんです……まだ洗濯終わってないんです……」
「そ、そっか。手伝えることがあったらなんでも言ってね、どうせ暇だし」
「社会人としてどうなんですかその発言。えーと、じゃあ本棚の上に置いてあるものを取ってくれませんか」
「んーと、これかな? うわ、なんか懐かしいのがでてきたね」

 店長に取ってもらったもの、それは……犬の鳴き声をリアルタイムで分析し、日本語に翻訳する装置『ワフリンガル』。一昔前に流行ったおもちゃだ。
 このワフリンガルをどう使うのかというと、

「ワンッ(喉が痛いのでこれで話すワン)」
「お、おぉ……!?」

 液晶画面に表示された文字を見て店長が驚きの声をあげた。
 犬の鳴きマネでワフリンガルに狙った文章を表示させる――それが俺の隠された特技の一つである。
 とちょっとカッコよさげに言ってみたが、要は宴会芸みたいなもんだ。実生活で役立つ場面といえば、喉の調子が悪い時や口内炎ができた時くらいだろうか。

「ワン!(普通に喋るより楽ですワン)」
「すごいねそれ……あっ、それがあればもしかしてムツゴロウさんとも意思の疎通が図れるんじゃ……!?」
「ワン!(なくても図れると思いますワン)」
「っていうかその特技、わりと人間業じゃないような気がするんだけど……意外と簡単にできたりするのかな? 僕もやってみていい?」
「ワンワンッ(どうぞですワン)」

 ワフリンガルを手に取った店長がワンワンと鳴き始める。見る人が見れば『ああ……前からちょっと変だったけど、このオッサンついに……』なんて思ってしまうようなシュールな光景だった。
 というかこの状況は結構マズいのではないだろうか。狭いアパート、薄い壁、そしてワンワン吠えるオッサン。近所の人に噂されたらどうしよう、自害するしかないではないか。
 恐るべき可能性に身を震わせる俺を気にする様子もなく、店長は何度も鳴き続けていた。

「ワン!(ご飯を食べたいワン)、ワンッ!(お薬がほしいワン)、ワンワン!(抱っこしてほしいワン)、ワン!(ここに百円玉を入れるドン!)……うーん、定型文っぽいのしかでてこな――なんか達人混ざってなかった!?」

 短い鳴き声であらゆる言葉の組み合わせを網羅しなくてはならないのだ、当然ながら一朝一夕にできるようなものではない。
 青春の大半をワンワン鳴くことに費やし、幾度となく訪れる自己嫌悪を乗り越えて到達する境地――ワフリンガルマスター。俺がそうなるに至った経緯はまたいつの日か語るとしよう。

「なんできみがやったら思い通りに文字がでてくるんだろう……なにか仕掛けがあるんじゃないの?」
「ワンッ!(仕掛けなんてないですワン)」
「ちょっと信じられないなあ。じゃあ僕の言ったことを繰り返してみてよ」
「ワン!(わかりましたワン)」
「店長カッコいい!」
「ワン!(店長カッコいいワン)」
「店長ってステキ!」
「ワンッ(店長ってステキだワン)」
「僕を店長の奴隷にしてください!」
「ワンワン!(調子に乗るなよ)」
「か、かわいい語尾はどこへ……!?」


          ◇     ◇     ◇


 それから二時間。散々遊んだあげく、自分で持ってきたバナナを食べながら店長は帰っていった。
 帰り際の言葉が『暇になったらまた来るね~』であったことも忘れずにつけ足しておかねばなるまい。一刻も早く風邪を治さないと……俺をそう決意させるには十分すぎる言葉だった。
 ――さて、ようやく一人になれたことだし今は安静に寝ていようかな。
 そう思って布団を被るが、目が冴えてしまってなかなか寝付けないまま時間が過ぎていく。それでも強引に目を閉じ、長い時間をかけてようやくウトウトしてきた頃のことだった。

「せんぱーい、大丈夫ですかーっ?」
「……お兄さん、入っていい?」

 玄関の向こう側から響いてきた聞き覚えのある二つの声。開いてるからどうぞーと答えると、ガチャリと扉が開いて制服姿のクーさんとサラちゃんが現れた。
 しかもクーさんはなぜかガスマスクを外して素顔を晒している。あいかわらずの美少女フェイス。
 だけど彼女たちがどうしてここに……?

「もー水臭いのですよ先輩! 風邪ならあたしたちに言ってくれれば看病しますのに」
「コンビニで店長に聞いてお見舞いにきたの」

 二人には風邪をひいたことを意図的に伏せていたのだが、どうやら店長経由で伝わってしまったようだった。
 もちろん心配してやってきてくれたのはすごく嬉しいんだけど……俺、今全裸なんだよなあ……。
 さすがにいきなり布団を剥がれてバレる、というようなことにはならないと思うがどんなハプニングが起こるかわからない。細心の注意を払わなければ。

「あ、差し入れ持ってきました。中身はバナナと座薬なのです」
「わたしからも。バナナと座薬よ」

 ――そして早速起こる謎ハプニング。
 クソッ、去れ! 俺の薄汚い心め!
 たまたま店長と内容が被った程度のことがなんだというのか。彼女たちは純粋な心でバナナと座薬をチョイスしたに決まっているのだ。そう……いわばこれはピュアバナナにピュア座薬。年上として、そして一人の男としてここは笑顔で受け取らなくてはならない。

「あ、ありがとう、すごく嬉しいよ」
「喜んでもらえてよかったです! あたしたちとしては、お見舞いにこれはちょっとどうなのかなーって思ってたのですが『絶対喜ぶから! 間違いないよ』って店長に言われまして」
「『もしかしたら喜びすぎて服を脱いじゃうかもしれないね』とも言ってたわ。店長はおおげさね……風邪で寝込んでるお兄さんがそんなことするはずないのに」
「ごめん二人とも、ちょっと倒さないといけない相手ができたみたいだ」

 この命と引き換えにしてでも殴らなければならない相手がっ……!

「急にどうしたのですか!? だ、だめですよ安静にしてないとっ」

 だが起き上がる寸前、サラちゃんの一言でハッと我に返る。
 危ない危ない。怒りだけじゃなく別のモノまで露呈するところだった。
 しかしあのオッサンも余計なことを……他に変なことを言ってなければいいけど。

「えーと……他に店長はなにか言ってた?」
「そういえばよくわかんないことを話してたような気がします。先輩が突然ワンワン鳴きだしたとかなんとか」
「ごめんそれは大体合ってる」
「そうですよねー、まさかそんなわけ――事実なんですか!?」
「でもほら俺だけじゃなくて店長もワンワン鳴いてたよ?」
「全くフォローになってないわお兄さん」

 おかしいな……なにかとんでもない誤解を受けているような気がする。これはもう口で説明するより、実際にやって見せた方が早いかもしれない。
 早速俺は枕元のワフリンガルを手に取り、

「ワン!(これで遊んでただけだワン)」
「な、鳴きマネでワフリンガルを!?」
「お兄さん……すごい……」
「あっ……もしかして先輩ならムツゴロウさんとも意思の疎通が図れるのでは……!?」
「お兄さん……すごい……!」
「ワンッ(君たちはムツゴロウさんをなんだと思ってるの?)」

 ……二人とも店長から悪影響を受け始めているのではないだろうか。悪い見本の塊のような人だからなぁ、あのオッサン。もはやカテゴリー的には悪霊や怨霊のそれに近い。
 実は以前、店長の悪い部分が少しでも浄化されるかもと考え、コンビニ店内のBGMを般若心経に変えるという大変徳の高い行為にチャレンジしてみたことがある。結果、店長は一切動じていなかったがなぜか客が一時的に激減した。やはり店長は呪われているのかもしれない。

「顔が赤くなってきてる。大丈夫?」

 クーさんに指摘されて、まさか店長の呪いか!? と一瞬警戒したが全然そんなことはなく、どうやら単に熱が上がってきただけのようだった。
 しかしこれ以上の体調悪化は本当にマズい……とはいえ、今の俺には安静にしている以外の対処法があるわけでもなく、自分ではどうにもならない状態だ。
 せめて氷枕か冷えピタでもあればいいのだが、そんな便利なものはこの部屋にはない。ならばお見舞いに来てくれた二人に風邪をうつさないようにマスクを、と思ったがそれもない。というかよく考えれば飲み薬の一つすらないのであった。
 我が部屋ながらゴミすぎると言わざるを得ないな……と深く反省していると――――不意に。

「……………………」
「ワ、ワン?(な、なに? どうしたの?)」

 クーさんが無言でグッと顔を近づけてくる。互いの鼻と鼻が触れそうな距離。
 普段マスクに隠された素顔は近くで見ると意外なほどにあどけなさを残していて、彼女がつい数ヶ月前まで中学生だったことを再認識させられる。そのせいか無表情ながらもどこか愛らしい雰囲気があり、無防備な接近もあいまって、いつもの姿からは想像できないくらいのギャップがあった。
 素顔を見るのはこれで二度目だというのに胸の高鳴りが抑えられない。漂ってくる少女特有のいい香りが思考をマヒさせてゆく。
 ……どれくらいの間見つめ合っていただろうか。まるで映画のワンシーンのような雰囲気の中、ふと、彼女の薄い唇からつぶやきが漏れた。

「目、閉じて」

 ――もはや言葉も思考も必要ない。あとはこの場の雰囲気に任せるのみ。
 俺は言われるままに目をつむり、己の唇に意識を集中させて来たるべき衝撃に備える。内心の動揺はいつの間にか消え去っていた。
 やがてひんやりとした感触が顔全体を包み、
 ………………アレ? 顔全体?

「……これ、ガスマスク。冷蔵庫で冷やしてきたの」

 うん、色っぽい展開じゃないことは薄々気づいていたけどまさかガスマスクを被せられるとは……斜め上すぎる。
 いや、でもこれ意外といい感じ、かも? 冷えていて気持ちいいし、ちょっと息苦しいけどなんだかいい香りがするし、周囲に風邪をうつす心配もない。
 まさにいいことづくめじゃないか。……全裸にガスマスクという最高にロックな格好となっていることを除けば。
 ま、まあクーさんに非は全くないわけだし、ここは素直に感謝しておくとしよう。

「ワンッ!(お薬がほしいワン)」

 ……えっ?
 予想外の事態に思わずワフリンガルを二度見したが、表示されている文字は相変わらず『お薬がほしいワン』のまま。
 おかしいな、俺は確かに『ありがとう』と表示されるように鳴いたはずなんだけど……誤作動か?
 とりあえず訂正の言葉を、と二人の方を見ると――なぜか彼女たちは顔を真っ赤にして固まっていた。

「あ、あの……先輩? 薬ってことはその、えぇっと……」
「もしかして…………入れて、欲しいの……?」

 彼女たちの視線の先には――座薬。
 ここでようやく自分のしでかしたとんでもないミスに気づいた。
 目の前に大量の座薬が鎮座しているのだ。この状況で薬と言われれば誰だって座薬を連想するさチクショウ!
 いやいや落ち着け、まずは……訂正、そう訂正だ。座薬の挿入を懇願する変態だと彼女たちに認識される前に、急いで誤解を解けばなにも問題はないはず……!

「ワン!(ここに百円玉を入れるドン!)」
「ひゃ、百円玉を!? それって…………おっ、お、お尻にってことですか……!?」
「それは無茶よお兄さん……」

 や、やめろおおおオォォぉぉぉッ! なぜだ、なぜ思い通りの文章が表示されないんだ!?
 声にならない叫び。いや、実際まともに声を出して弁解する体力すら俺には残されていなかった。
 ここままだと彼女たちの中で俺のイメージが大変ハードかつファンタジックな変態となってしまうだろう。それだけは絶対に避けなければならない。
 なにかないのか……この状況を打開する方法は……!
 必死に思案するものの、焦れば焦るほど混乱は加速していく。そうこうしているうちに、二人はなにかを決意したかのように頷き合っていた。
 サラちゃんの手には座薬、クーさんに至っては銀色に光るコイン状の凶器が手から見え隠れしている。その表情は硬く、下手をすれば風邪をひいている俺よりも真っ赤だった。
 ……さ、裂ける! そんなもん入れたら裂けてまうで!
 残り少ない体力を振り絞り首を弱々しく振って涙目で拒絶すると、こちらの意思が伝わったのか二人はほっとしたように表情をゆるめる。

「あっ……そ、そうですよね! 本気なわけないですよね!」
「……よかった」

 安心した様子で言う二人。やはり、その……尻に入れるというのはかなり抵抗があったのだろう。いやまぁ当たり前だけど……。
 ひとまず当面の危機を回避したとはいえ、まだ解かなければならない誤解は残っている。冗談でもこんなことを言う男だと思われるのは、ちょっとなぁ。
 俺に残された体力は僅か。恐らくこれが弁解のラストチャンスとなるだろう。だが俺もワフリンガルマスターの端くれだ、このワフリンガルで的確な弁解をしてみせる……!
 俺は精神を集中させ、決死の覚悟と祈りを込めて――――鳴いた。

「ワンワン!(抱っこしてほしいワン)」

 ……声を出した瞬間気づいてしまった。俺、ガスマスク被ってるじゃん……。
 これでは鳴き声が正しく認識されるはずもなく、度重なる失敗はそれが原因だったというわけだ。
 でも今回の要求は前に比べてかなりマイルドになった、か?
 この程度なら『あはは、なに言ってるんですか先輩~』と軽く流してくれるかもしれない。というか、ぜひそうして欲しい。布団の下が全裸であることがバレたら完全に致命傷なのだから。
 まあアレですよ、普通に考えれば女子高生相手に抱っこしてくれなんて要求が通るはず――

「抱っこ……もしかして先輩、寒いんですか? ま、まぁ……添い寝くらいなら……」
「…………ん」

 と、通りおった!?
 なんでだ……こんな要求が簡単に受け入れられるほど彼女たちの高感度を稼いでいたとは思えないのだけど……。
 ん、いや待てよ? そういえば昔、俺が小学生だった頃に親父が言っていた。

 ――いいか? 最初に無茶な提案をして、次に本命の提案をする。こうすることによって交渉の成功率は格段に上がるんだ。
 例えば普通に『足を舐めさせてくれ!』と言ってもまず成功しないが『お願いだ、ヤらせてくれ! だ、ダメか? ならせめて足、足だけでも舐めさせてくれないか!』と、こんな感じで譲歩したように見せかければ『足くらいなら舐めさせてあげようかな』ってなるもんさ。

 子供ながらに、この父親はもしかしてイカれてるんじゃないのか? と思っていたが、その親父の言葉がまさかこんな形で実証されるとは。世の中なにが起こるかわからないものである。
 と、そんなことを思い出しているうちに、いつの間にか二人がこちらへにじり寄ってきていた。

「し、失礼しまーす」
「……お邪魔します」

 もはや僅かな抵抗すら許されず、そっと寄り添ってくる二人を前にして俺はシュコーシュコーと荒い息を吐くばかり。遠慮した二人が布団越しの添い寝を選んでくれたことがせめてもの救いだった。
 しかしそれでもこの状況、常識的に考えてかなりヤバい。俺と二人を隔てるのは薄い夏布団一枚のみ。もし彼女たちの親に知られたら、と思うと冷や汗がとまらない。……とりあえず心の中だけでも謝罪しておこう。
 ――親御さんごめんなさい、あなたの娘さんは今、ワンワン言ってる全裸ガスマスクのド変態と添い寝してます。
 あっ、ダメだこれ、謝罪したところでどうにかなるレベルじゃない。というか四~五回くらいブチ殺されても仕方ないレベルですな、ハハッ!
 なにやらテンションもおかしくなってきたが、それも仕方のないことである。悪化する一方の体調に加え、左右から聞こえてくるかすかな息遣いと感じる視線、そして布団越しに伝わってくる柔らかい感触。正気を保てるわけがない。

「先輩……あったかいですか……?」
「……もっとくっついた方がいい?」

 いっそこのまま二人に抱きついてしまおうか。なぁに、あとで『最近相撲にハマってるんだよね! 無意識のうちにサバ折りを繰り出しちゃったかな~? 失敗失敗ッ☆』とか誤魔化しておいて、あとは馬鹿みたいにドスコイドスコイ言ってればきっとなんとかなるだろう。
 よーし、そうと決まればさっそ……く……? あ、あれ、なんだか……目の前が暗く、なって……。
 マズい……意識、が――――
 ………………
 …………
 ……


          ◇     ◇     ◇


 築三十年、キッチン付きの六畳一間、家賃三万五千円。そんなボロアパートの前に三雲伊織は佇んでいた。

「風邪って聞いたけど……大丈夫かなぁ」

 独り言がぽつりと漏れる。
 訪ねてきた目的はもちろん親友の看病をするためだ。自他共に認めるほどの世話好きである伊織にとって、それは少し楽しみですらあった。
 ――今日は彼が好きだと言っていた鶏と卵の雑炊を作ってみよう。きっと喜んでくれる……よね?
 足取り軽く、スーパーの袋を揺らしながらアパートの階段を登っていく。目当ての部屋の前にたどり着き、ずいぶん前から壊れているチャイムをスルーして、コンコンコンと三回ノック。
 ……しばらく待ったが返事はない。もしかしたら寝ているのかもしれなかった。
 仕方ない、ちょっとマナーはよくないけど勝手に入って料理だけでもしていこう。それくらいで怒るような性格じゃないことはこれまでの付き合いで十分にわかっているし。
 そう判断した伊織はそっと扉を開け――――――閉めた。

「……ボク疲れてるのかな。バナナと座薬が散らばった部屋で、ガスマスク姿の親友っぽい人と女子高生二人が添い寝してたような気が……」

 深呼吸。うん、体調に問題はない。きっとさっきのは見間違いだったのだろう。
 気を取り直しもう一度扉を開けると――

 バナナと座薬が散らばった部屋で、ガスマスク姿の親友と女子高生二人が添い寝していた。

「ど、どういう状況なの!?」

 伊織の叫びに反応する者はおらず、寄り添った三人はすやすやと眠り続けるのであった。





[28000] 第12話 呪いの人形
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/09/22 16:27
 連日の熱帯夜が人々の体力とやる気を奪いつつある今日この頃。俺はいつものように元気な声と最高の笑顔で接客にはげんでいた。
 まぁもちろん笑顔というのは嘘である。ついでに言えば元気な声も嘘だし、そもそも今日は客なんて一人も見ていない。本当にこのコンビニはなんのために存在しているのだろうか。
 改めてよく考えてみると、ここまで客が少ないというのもおかしな話だ。
 学校の近くなので立地は悪くないし、品揃えもわりと豊富。最近は店長の加齢臭も改善されつつあると評判で、これならもっと客が来ても――

「た、大変だ! 僕はとんでもないものを思いついてしまったかもしれない……」
「そんなに慌ててどうしたんですか店長」
「……落ち着いて聞いて欲しい。髪が伸びる呪いの人形ってあるよね?」
「心霊番組とかでたまに出てくるアレですか。実物は見たことないですけど」
「その人形の髪の毛をヤキソバに付け替えれば、もしかして無限にヤキソバを食べられるんじゃ……!?」
「店長、クスリでもヤってるんですか?」

 あぁ、客が来ないのはこのオッサンの性格が原因か……一瞬で納得してしまった。
 もはや発想が異次元すぎて全くついていけない。なんだよヤキソバに付け替えって、呪いの人形よりその発想の方が怖いよ。

「というわけで早速作ってみました。見てコレかわいいでしょ。名前はソバ子」

 不気味な日本人形風の顔と肩まで伸びたソースヤキソバ、そしてブルマ。そんな姿の謎人形がカウンターの上に鎮座していた。

「……百歩譲ってヤキソバはいいとして、なんでブルマ姿なんですか。元は日本人形ですよねコイツ」
「セクシー度が上がると思って」
「狂気度しか上がってないですが」

 そして俺の正気度はガンガン低下中なわけだが。なんなの? 新手の邪神かなにかなの?

「ま、ともかくそういうことだから。頑張って売ってね」
「売るつもりなんですかコレ……ちなみに値段は?」
「人形本体はヤフオクで十五万だったから、二十万くらいで売れたらいいかな」

 最近は呪いの人形とか売ってんのか……ヤフオクすげえ。あと高ぇ。なんかリアルに呪われてそうな値段だ。
 まぁ間違いなく売れないと思うが、万が一ということもなくはない。もしかしたらヤキソバを頭にのせた日本人形につい欲情してしまう性癖の方々がいるかもしれないし。世界は広い。

「じゃあ僕はそろそろ帰るから、あとはよろしくね」
「え、もう帰るんですか? まだ夜の九時ですよ」

 今日のバイトは朝六時まで。
 つまり俺は残り九時間近くをこの人形と二人で過ごさなければならないということか。夜が明けるまで正気を保っていられる気が全くしない。

「うん、ちょっと用事があってさ。んじゃおつかれー、呪われないように気をつけて」
「……お疲れ様です」

 なにやら不吉なことを言い残して店長は本当に帰ってしまった。人気のないコンビニにぽつりと取り残される俺。
 …………なんだか空気が重いのは気のせいだろうか。言い知れない重圧を感じる。
 チラッと横目で人形を見ると、一瞬、能面めいた顔がニヤリと笑ったように見えた。


          ◇     ◇     ◇


 店長が去って十五分ほど経ったが、幸いなことに今のところはなにも起きていない。もちろん客も来ていない。
 もう強盗でもいいから誰か来てくれないかな……あとついでにこの人形を奪っていってくれたら嬉しいんだけど。
 ――そんなことを考えながら待つことしばし。
 ついに俺の願いが届いたのか、入り口の自動ドアが開いて一人の客が現れた。

「おーっす」
「いらっしゃいませー」

 入ってきたのは制服姿の警察官。サラちゃんがゾウに乗ってきたあの日、追いかけてきたポリスマンと実は同一人物である。
 年齢はおそらく三十代。ガッチリとした体格と日に焼けた肌が特徴的だ。名前は……なんだっけ、たしか森島だかポリ島だか……たぶんそんな感じ。
 この人が駅前の交番からコンビニの隣にある交番へと異動してきたのがつい最近のこと。再会当初はちょっと説教されたりもしたが、今では会えば雑談を交わすくらいの仲となっていた。態度や口調も仕事用の丁寧なものから変化しており、今は良く言えばフランク、悪く言えばぞんざいな風になっている。

「トイレ用の芳香剤って売ってる? 種類はなんでもいいんだが」
「もちろんありますよ。こちらでお召し上がりですか?」
「お召し上がりすると思うか?」
「ほらポリ島さんってお酒好きじゃないですか。これアルコール成分も入ってるんでオススメですよ」
「ナメてんのか!? あとポリ島って誰だよ!」

 別に説教されたことを根に持ってるとかそんなわけじゃない。たかが二時間三十五分ほど説教されただけだし。全然根に持ってないし。
 これはそう、スキンシップとかそういう感じのアレなのだ。

「でも勤務中に飲酒なんてダメですよ。あ、もしかしてクビになったんですか? おめでとうございます、これでポリ島さんも晴れてウンコ製造機の仲間入りですね」
「もうどこからツッコめばいいのかわかんねえ……」
「じゃあ俺はちょっとご飯炊いてきますんで」
「食うのか? 俺の不幸で飯を食うのか? 残念だけどクビになってねーから早く仕事しろ」

 正論を言われてしまったので渋々仕事に戻る。レジを離れて急ぎ足で商品棚の方へ。
 えーと……芳香剤はたしか日用品の棚にいくつか置いてあったはず。
 屈み込んで棚の中を探してみると、目的のものはすぐに見つかった。

「いろいろ種類がありますけど、どれにしましょうか」
「あ? どれでもいいよ。テキトーに決めてくれ」
「これでいいですか? 『スパイシーなカレーの香り』」
「トイレで食欲増進させてどうすんだ……昼休み中のぼっちくらいしか得しねーよ」
「ならこれはどうでしょう。『スパイシーなたかし(四十八歳)の香り』」
「お前それアレだろ、主にワキとかから臭ってくる方のスパイシーだろ」
「いえ、このたかしはおおよそウンコの香りですね。目にピリっとくる感じ」
「なら最初からウンコって書いとけや! なんでたかしでワンクッション挟むんだ!?」
「どれでもいいって言ったのに……」
「こっちはウンコの臭いを紛らわすために芳香剤買いに来てんだよ。それ置いてもなにも解決しねーよ、むしろエンドレスウンコだよ」

 まぁ言い争っていても仕方ないので適当にラベンダーの香りを選び、それを持ってレジに向かう。
 四百二十円のお買い上げ、っと。ついでにこっそりストローも入れておいてあげよう。サービスサービス。
 と、手際よく袋詰めを済ませる俺に、ポリ島さんが不思議そうな顔で話しかけてきた。

「あれ? そういや今日は店長いないのか、珍しいな」
「今日はもう帰りましたよ。店長に用があるなら伝えておきますけど」
「いや、別に用はない。あのオッサンがいないと静かだなって思っただけだ」
「たしかにあの人がいると騒がしいですよね。子供っぽいというか無邪気というか」
「その点お前は汚いよな。目とか相当濁ってるぞ」
「あはは、冗談キツいなぁ。でもポリ島さんの汚さには負けますよ。最初見たとき、なんでドブ川が二足歩行してるのかと思いましたもん」
「ハハハ、そっちこそ冗談キツいって。この芳香剤譲ってやろうか? お前の汚さもちょっとはマシになるかもしれん」
「あははははは」
「ハハハハハハ」

 いやぁ、ポリ島さんは本当に面白い人だなあ。笑いすぎてうっかり芳香剤を電子レンジに入れてしまうかもしれない。
 芳香剤を持ってなにげなく後ろを振り向くと、電子レンジの上に乗った人形が視界に入ってきた。
 あれ……俺こんな場所に人形置いたっけ? ……まあいいか。

「あ、そうだ。この人形買いませんか? 店長が作ったんですけど」
「あん? 人形なんか俺が買うわ……け………………おい、あのオッサン大丈夫か」
「たぶんもうダメなんだと思います」

 人形を見てドン引きするポリ島さん。極めて正常な反応である。

「お大事にって店長に伝えておいてくれ。人形は怖いからいらん」
「そんなこといわずに買ってくださいよ。定価二十万のところを今なら二十円でいいですから」
「超うさん臭い値引き率だな……呪われてますって言ってるようなもんじゃねーか」
「多少呪われてたっていいじゃないですか。ちょっとしたローゼンメイデンみたいなもんですって」
「こんなソースくせえ薔薇乙女がいてたまるか! 俺はもう帰るからな、ほら早く芳香剤よこせ」

 そう言ってポリ島さんは芳香剤が入った袋を奪い、本当に帰ってしまった。なんて薄情な人なのだろう。
 そして俺はまたもや人形と二人きりに……なるかと思いきや、ポリ島さんと入れ替わるようなタイミングでまた客がやってきた。

「こんばんは、お兄さん」
「いらっしゃいませー。こんな時間に来るなんて珍しいね」

 現れたのはガスマスクの女の子。言うまでもなくクーさんである。
 ちなみにこの前の風邪を引いた日のことだが、結果的にはなんとか誤解を解くことができた。涙目で全裸土下座しようとする俺を快く許してくれた彼女たちに感謝せねばなるまい。詳細は省く。
 さて、やってきたクーさんだが今はアイスの棚をじっと見つめていた。やがて一つのアイスを手に取り、てこてこと俺のいるレジの方へ。
 受け取ったアイスをレジに通していると、クーさんが小さな声で呟いた。

「お兄さん、それ……」

 指差した先はレンジの上。その場所に鎮座している人形――ソバ子である。まぁ気になって当然だろう。

「ああ、店長が作った人形なんだけど――」

 おや? なんだかクーさんの指先が微妙に震えているような…………あ、そっか。クーさん怖いもの苦手なんだっけ……。

「……俺、もうバイト上がりだから一緒に帰ろうか」
「え? でもいつもはお兄さん朝までじゃ……」
「大丈夫。ほら、この後店長が来る予定だし」

 正直言って俺もこの不気味な人形と一緒にいるのはそろそろ限界だ。ちょっと外に出て気分転換するくらいなら店長もきっと許してくれるだろう。

「じゃあ帰る準備してくるからちょっと待ってて」
「……うん」

 そう言って頷いたクーさんの目は、少しだけ微笑んでいるように見えた。


          ◇     ◇     ◇


 先日の誤解を解いたとはいえ、やはり以前と元通りとはいかないものだ。
 店長の話などをしてみるがあまり盛り上がらず、どことなく妙な雰囲気が漂う。どちらも口数が減ってきて、ついにはお互い無言になってしまった。
 沈黙の中、暗い夜道を並んで歩く。周囲に人影はなく、月すらも姿を隠した静かな夜。
 ――ふと。クーさんがぽつりと口を開いた。

「……手、つないでもいい?」

 無言で手を差し出す。握った手から彼女の体温が伝わってくる。
 そうしていると、なんだか気持ちが落ち着いていくような気がした。

「………………」
「………………」

 再び無言。しかし会話がなくとも不思議と悪い気はしない。
 歩く速度はゆっくりと落ちていき、やがてなにもない路上で立ち止まる。いつしか俺とクーさんはお互いの顔をじっと見つめあっていた。
 彼女の潤んだ瞳が不安そうに揺れ、ぎゅっと強く手が握られる。

「……わたし、もう自分の気持ちから目をそむけるのはやめようと思うの」
「……うん。俺もこの感情に正直になろうと思う」

 互いの距離がぐっと近づいていき、ついには身を寄せ合うような体勢に。
 そう、本当は手をつなぐ前からとっくに気づいていたこの気持ち。それは――

「…………後ろから、追ってきてる……よね?」
「…………そうだね。足音めっちゃ聞こえるもんね」

 ――恐怖。
 人気がなくなったあたりからずっと聞こえ続けていた足音の正体はいったいなんなのか。
 頼むから気のせいであってくれと祈りつつ後ろを振り向くと、

『コロスコロスコロスコロスコロス』

 ソバ子が髪……いやヤキソバを振り乱しながら全力疾走でこちらを追ってきていた。
 し、しかもめっちゃ怒ってらっしゃる……! そりゃそうだよ、髪の毛とヤキソバを交換されたら誰だってキレて当然だよ!
 だがそんなことを言ってる場合ではない。ブルマのせいで機動力が増しているのかソバ子の動きは意外と早く、果たして逃げ切れるかどうか……。

「落ち着いてお兄さん」
「クーさん……」

 まいったな……俺より怖がっているはずのクーさんに心配されてしまうとは。

「わたし知ってるわ。ああいうのは気絶するといつの間にか消えてるパターンが多いの。だから冷静にあの電柱へ頭をぶつけましょう」
「落ち着いてクーさん。人間はそう簡単に気絶できるようになってない」

 クッ、彼女もなんかダメな感じになってしまっている……!
 そうこうしている間にも、ソバ子はじりじりとこちらへ迫りつつある。その瞳は暗い輝きに満ちており、見るものの恐怖を加速させていく。
 これはもうダメか――と諦めかけたそのとき。

「フッ……お困りのようだね君たち」

 ソバ子の背後から聞こえてくる声。闇の奥から少しずつあらわになるシルエット。
 あれは……まさか助けが!?

「ブルマの香りに誘われて……体操服舐め男、見参!」

 ………………。
 ――――ど、どちらかというと悪化した……!
 この場はもはや常人が耐えられる空間ではなくなってしまった。長くいると確実に精神を病むだろう。
 だがしかし、予期せぬ人物の登場によってソバ子の注意がそれている。今なら逃げられるかもしれない。

「クーさん、今のうちに!」

 無言で電柱に向かおうとしていたクーさんを引き止め、闇雲に走り出す。
 当然ながら後ろからソバ子が追ってくるが、そのスピードは先程よりいくらか遅いように思えた。
 おそらくブルマを狙って追いかけてくる舐め男の存在がプレッシャーになっているのだろう。

『コロスコロスコロスコロスコロス』
「ブルマブルマブルマブルマブルマ」

 なんかもう呪いの人形とかより舐め男の方が怖いのは気のせいか。
 頼むから二人とも成仏してくれ……! と祈りながら全力で走り続ける。
 すると前方に新たな人影が。あの服は、警察官? もしかしてあれは……ドブ川、いや巡回中のポリ島さんだ!

「ポリ島さん、助けてください!」
「ん?」

 俺の声に気づいたポリ島さんがこちらを振り返る。そしてすぐさま驚愕に染まる表情。
 よかった……これで助かった。

「怪しいヤツに追いかけられてるんです!」
「いやお前らだいたい怪しいぞ!?」

 た、確かに……!? クソっ、どうやってこの状況を伝えればいいのだ……!
 困惑する俺。そうしている間にも、ソバ子と舐め男はこちらへどんどん近づいている。
 ……待てよ? そうか、こう言えばきっと……!

「一番怪しいヤツを捕まえてください!」
「一番怪しいのだな、わかった!」

 どうやら俺の意図は正しく伝わったようだ。これでポリ島さんはあの人形を捕まえてくれるはず。
 さすがのソバ子といえど、警察官のポリ島さんの力には勝てな―――

「どりゃアアァァァァ!」
「グ、グアアアアァァッ!?」
「いやポリ島さんそっちじゃなくて」

 飛びかかるポリ島さん。地面に押さえ込まれる舐め男。
 こうして不審者がまた一人、この町から排除された――。


          ◇     ◇     ◇


 結局、ポリ島さんと舐め男がもみ合っているうちに気づけばソバ子は消えてしまっていた。
 あれ以来ソバ子の姿は見ていない。果たして俺たちがあの夜に見たものは幻覚かなにかだったのだろうか。今となっては知る由もないけれど。
 だがしかし、ソバ子はこの世から完全に消えたわけではないだろう……つまりいつ再び現れてもおかしくはないのだ。
 そう、もしかすると今あなたの後ろにも……。





[28000] 第13話 対決
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/09/16 20:12
 夏休みシーズンが目前に迫ってきた七月の早朝。
 コンビニ周辺の歩道に落ちているゴミを黙々と拾いながら考える。空は雲一つない快晴なのに、どうして俺の気分はこんなにも曇っているのだろう、と。
 今月の生活費が足りないかもしれないから? そろそろ大学のテスト期間がやってくるから?
 どれも正しいようで正しくない。最大の原因は――

「おーい、そろそろ店長会議始めるよー」
「コイツのせいか……」
「最近僕の扱いがどんどん酷くなってきてない?」

 説明しよう。通常業務を放り出し、店長が出した議題についてひたすら話し合う――それが店長会議である。
 その内容は多岐に渡り、共通しているのは全力で時間をドブに捨てるということだけ。ちなみに前回の議題は『関ジャニと関サバの違いについて』だった。
 正直参加したくないが一応は上司の命令である。仕方あるまい。

「わかりました、今いきまーす」
「なんで道に落ちたガムに向けて言うの!?」

 ゴミ拾いを中断して店内へ。クーラーで冷えた空気が火照った身体に染み渡る。
 俺と店長は休憩室へ直行し、畳に腰を下ろして向かい合った。

「で、今日の議題はなんですか?」
「今日は『パンをくわえながら美少女にぶつかった場合、本当に仲良くなれるのか』だよ。予定では三時間くらいかかりそう――」
「顔次第ですね」
「五秒で終わった……もうちょっと話を広げる努力をしようよ……」
「人生ってわりとそんなもんですよ」
「ほ、ほら他にもいろいろあるじゃん。顔だけじゃなくて性格とかさ」
「パンくわえながら走り回ったり、人にぶつかったりしてる時点でたいして性格はよくないかと」
「正論すぎる……」

 慌てんぼうでドジっ子属性の男なんてウザいだけである。あ、女の子なら全然アリです。

「というかわざとぶつかるなんて危険ですよ。要は出会いのインパクトを与えればいいんですから、もっと他にも方法はあるはずです」
「例えば?」
「パンを自らの股間にインパクトしましょう」
「どういうことなの!?」
「相手にインパクトを与えると同時に『私はまだあなたに欲情してませんよ』と安心感をアピールするわけです」
「まだとか言われても不安しかないよ! つーか股間にダメージを与えようとしてる時点でかなりギリギリだよそいつ!」
「……じゃあ店長はどうしたらいいと思うんですか?」

 議題を出してきたのは店長だ。きっとなにかいい方法を考えているに違いない。

「そうだなあ、顔と性格以外でモテるための要素といえばやっぱりお金だよね」

 意外とリアルな意見が……。
 しかし初対面の相手にそれをアピールするのは結構難しいのではないだろうか。
 まさかぶつかった直後に『私はお金をたくさん持っています!』と叫ぶわけにもいくまい。というかそんなヤツ嫌すぎる。
 うーむ……お金か……。
 金……金持ち……石油王……油……オリーブ。……ハッ、まさか!?

「つまりもこみちですね!」
「どういうこと!?」
「まずは地面に撒いたオリーブオイルで相手を転ばせ、その隙をついた頭上からの追いオリーブで衝撃的な出会いを演出」
「ただの油持った変質者じゃねえか! もこみち関係ないし!」
「そしてヌルヌルになった男女がすることといえば――――おわかりですね?」
「思ってた以上に最低な結論が……!?」

 結論も出たしさあ帰るか、と立ち上がる。
 すると店長が足にすがりついてきた。早く帰りたいんだけどなぁ……。

「ちょっ、待って、これで終わるのはあまりにも酷すぎる!」
「ならもうアレです。最終的には顔ですよ、顔」
「結局そこ!? なんとかならないの!?」
「そうですね、顔を高速で動かしながら近づけばあるいは」
「雑! ごまかし方が雑だよ!」
「じゃあ帰りまーす」
「薄々気づいてたけど、きみ早く帰りたくて適当なこと言ってるだけじゃない!?」
「そりゃそうですよ。だってこの会議、バイト代出ないですし」
「うっ…………わかったよ。給料出すから、その代わり……」

 もったいぶるように口をつぐむ店長。
 なんですか? と聞くと、店長はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。


          ◇     ◇     ◇


 場所は変わって近所のT字路へ。ここは高校がすぐ近くにあり、登校中の学生たちがよく通る道である。
 つまり美少女とぶつかるには絶好のポイントというわけだ。
 この場所でなにをするのかといえばもちろん、

「じゃあ帰りますね」
「ここまで来ておいて!? そういう流れじゃないでしょ!?」
「お疲れ様でしたさようなら」

 店長の制止を振り切って家へ向かう。
 どうせロクでもないことを考えているのだろう。なにをやらされるかわかったものではない。それならば帰宅して寝てた方がはるかにマシだ。

「待って! じゃ、じゃあ時給! 時給上げるから!」

 もはや懇願に近い店長の声を聞いて、俺の足がピクリと止まる。
 ふむ……時給アップとなれば話は別だ。たとえ数十円程度でも今後の生活に大きく影響する。
 俺は即座に振り返り、腕を組みながら店長と相対した。

「話を聞きましょう」
「こんなに上から目線のバイト初めて見たよ……!? ま、まぁそれはともかく、時給上げるのは本当。ただし条件付きでね」
「条件?」
「そこの角で美少女にぶつかって、仲良くなれたら時給アップ。チャンスは三回。ま、ゲームみたいなもんさ」
「仲良くなれたらって……どう判断するんですかそれ」
「そうだなぁ、デートに誘えたらとか?」

 初対面の相手とデート。普通に考えて難易度はかなり高い。

「うーん……成功したら時給はどのくらい上がるんですか?」
「きみが決めていいよ。上限はいくらでも」
「い、いくらでも……!?」
「ただし! 失敗した場合は指定した金額の十パーセントが時給から引かれる。たとえば指定金額を千円にして失敗したら、時給は百円下がるってわけさ」

 なるほど。金額を大きく指定すればするほどリスクも高まるということか……。
 面白いではないか。こんな大きなチャンス、逃すわけにはいかない。

「わかりました。やりましょう」
「じゃあ金額の指定は一回ずつ交互にしていこう。そうだね……最初は百円くらいでどうかな?」

 ま、最初はそんなものだろう。今の俺の時給が九百円なので、もし成功なら千円になるわけだ。
 俺は店長に渡された食パンを口にくわえ、T字路の角へ向かう。そして待機。
 あとは美少女が通りかかるのをひたすら待つだけである。
 きっと今の俺の姿は限りなく不審者のそれに近くなっているだろう。が、構うものか。生活費のためならばいくらでも目をつぶってみせよう。
 ……そして時々角から顔を出して様子見しつつ、待つこと数分。なにやら角の向こうが騒がしくなってきた。
 ざわめく学生たちの声。これはひょっとして……?

「いらっしゃったぞー! 道を空けろー!」

 見知らぬ男子生徒が周囲に呼びかけている。
 やはりそうか……おそらくこの展開は、高貴でお嬢様な美少女が道を通るパターンだ。きっとあの男子生徒は取り巻きの一人だろう。ギャルゲで似たようなシーンを見たことがあるから間違いない。
 だが問題は、そのお嬢様が徒歩で来るとは限らないということだ。リムジン的な車に乗っている可能性もかなり高いはず。仮にそうだった場合、俺は問答無用で轢かれてしまう。
 ……いや、リムジンに轢かれるくらいならギリギリ許容範囲か……?
 お嬢様と出会える上に、時給アップと慰謝料までついてくるのだ。むしろ『ありがとうございます!』とお礼を言いながら轢かれてもいいレベルなのでは……?
 まぁまだ車に乗っていると決まったわけでもないし。とりあえずタイミングを見計らって飛び出してみよう。そのあとは……ま、たぶんなんとかなるさ。
 ドキドキと高鳴る鼓動。食パンを咀嚼して緊張を紛らわす。
 そしてついにその時が来る。待ち構える俺の目の前を通ったのは――――


『ヴァフゥオオオオォオオオ゛オ゛オ゛オ゛オオォォン!』


 ――――全力疾走するインドゾウ。
 ………………死ぬよ! 木っ端微塵に砕け散るよ!

 乗っているサラちゃんはたしかにお嬢様だし、美少女なのも認めよう。だがゾウは想定外だ。たぶんアレに耐えられる人類はあまりいないのではないだろうか。
 しかし危なかった……もう少しで俺は『ありがとうございます!』と言いながらゾウに轢かれて死ぬという、かなりレベルの高い人になってしまうところだった。ちょっとアレすぎてニュースですら取り扱ってくれな

いと思う。
 生きている喜びを噛み締めつつ、電柱の陰に隠れていた店長の元へと戻る。心なしか店長も青い顔になっていた。

「失敗しました……」
「うん……お疲れ……」

 いつになく優しい声をかけてくれる。そんな店長が「ま、まぁ気を取り直して」と前置きしてから、

「次はきみが金額を決める番だけどいくらにする? ちなみにさっきので時給は八百九十円に下がってるよ」

 と言った。
 インドゾウにタックルできなかっただけで時給マイナス十円。なんとも世知辛い世の中である。
 さて肝心の指定金額だが……ふむ、そうだな……。

「二十億で」
「うん、二十億ね…………二十億!?」
「二十億で」
「リスクとか考えようよ! さっきの失敗からなにも学ばなかったの!?」

 もちろん何の保障もなしに二十億円など賭けるわけがない。成功する確信があっての判断である。
 だがそれを店長に悟られてしまうと賭け自体を反故にされかねないので、ここは適当に誤魔化しておくことにしよう。

「たぶん大丈夫ですよ。さっきみたいなイレギュラーがそう何度も起こるはずないですし」
「きみがいいなら別に構わないけどさ……」

 ククク……愚かな。こちらに作戦があるとは考えてもいないのだろう。
 俺は思わずゆるみそうになる口元を手で覆い隠しながら、そっとその場を離れた。

「では行ってきますね」

 先ほどの挑戦一回目、インドゾウが道を通る直前。俺は店長の目を盗みつつ、一通のメールを送信していたのであった。
 送信先は伊織。内容は今すぐこの道に来てくれというもの。つまり、早い話がイカサマというわけだ。
 伊織相手ならば遊びに誘うことなど造作もない。もはやメールを送った時点で俺の勝利が確定したと言っても過言ではないだろう。
 あとは適当な理由をつけて伊織の到着まで時間を稼ぐだけである。
 ――というわけで、早速T字路へ様子を見に向かった。
 するとなんともタイミングよく伊織が歩いてくるではないか。話しかけて、いつものように遊びに行こうと誘えば二十億ゲットは確定的……なのだが、一つ問題がある。
 『美少女にぶつかって、デートに誘えたら成功』というこのルール。単に知り合いを誘うだけではデートと見なされないのでは……?
 万全を期すためにも、ここはあくまで見知らぬ他人を装った方がいいかもしれない。
 ……さて。
 俺は素早く頭の中で作戦を整理して、パンをくわえる。そして伊織が角に差し掛かるのを狙ってスッと飛び出し、

 全力でヘッドスライディング。

 伊織の肩をかすめるようにして着地。ズザザザとこすれた腹が熱い。
 一方の伊織は立ち止まってただひたすら困惑しているようだった。

「………………」
「………………」
「…………あの、大丈夫? っていうかキミこんなところでなにして――」
「俺の名は『漆黒の王』アーサー。かのアーサー王の末裔である。そこのお前は――――誰だ」
「も、もしかして転んだ衝撃で頭を……!? それとも酔ってるの!? あとその名前微妙に黒田アーサーとかぶってるよ!」
「そう、そして黒田アーサーの生まれ変わりでもある」
「生きてるし黒田アーサー! 思いつきで適当な設定追加するのやめようよ!」

 はぁ……と伊織はため息を一つ。

「……で、ボクになにか用?」
「ああ、病院の位置を教えて欲しくてな」
「症状を自覚している!?」
「もしくは聖杯の位置でもいい」
「それは知らないけど……病院ならこの道をまっすぐ進んで三百メートルくらいのところを右に、」
「すまない、まだこの町の地理には慣れていないんだ。メートルではなく円卓の騎士何人分かで例えて欲しい」
「知らないよ! というかアーサーでもそんな数え方しないよ!」

 そして疲れた表情でため息をもう一つ。

「……もうわかったから、ね? 一緒に病院行こ?」
「それはもしかして……俺をデートに誘っているのか……?」
「え? いや全然違うけど」
「………………」
「………………」
「…………あそこに歩いてる女子高生がいるだろう?」
「うん、いるね」
「お前がデートじゃないというのなら、俺は黒田アーサーのモノマネをしながらあの子に絡むこととなるだろう」
「なにその脅迫!? あの子にも黒田アーサーにも迷惑だからやめなよ!」
「フフフ……さあどうするのかな……?」
「も、もうデートでもなんでもいいから! 手遅れになる前に病院に行かないと……」

 わりと本気で心配そうな目で見つめられた。
 ……ふむ。デートだという言質も取れたことだし、このあたりが潮時だろう。

「よし。せっかくのデートなのだし、やはり待ち合わせから入るべきだな」
「へ? ちょっ、待ち合わせって」
「では明日また会おう。待っているぞ――――十年前のあの場所で」
「どこ!? どこなのそれ!?」

 即座に踵を返して走り去る。というか逃げる。
 さすがに近くの電柱に隠れている店長の元へそのまま向かうわけにはいかないので、ひとまず別の方向に逃走。 伊織が完全に見えなくなったのち、別ルートを通って店長がいる場所へと帰還した。
 先ほどの俺たちの会話は聞いていたはずだが、一応結果を報告しておこう。

「明日病院デートすることになりました」
「どちらかというと介護じゃない!?」
「本人がデートって言ったんだからデートでしょう」
「そ、それはそうだけど……」

 いやぁ、勢いだけでも意外となんとかなるもんだ。
 でもこのままだと次会った時に『え? どなたですか?』とか言われかねないので、伊織にメールしておこう。マジすみませんでした、と……よし。
 無事に送信完了したのを確認し、店長の方へと向き直る。

「さて、これで俺の時給は約二十億円になったわけですが。まだ続けます?」

 イカサマのおかげで二回目の挑戦に成功したが、まだまだ戦況は有利とは言いがたい。三回目の賭け金次第では、時給がマイナスに転落することだって十分にあり得るのだ。
 だが、しかし。

「どうでしょう。金額を払える範囲に下げるんで、勝負は終わりってことにしませんか? ここはお互い妥協するってことで……ね?」

 デートの誘いに一度成功したという事実。もしかして次も成功するのでは……という不安。そして数十億という金額によるプレッシャー。
 それらを考慮すると、交渉の余地は十分にあるはずだ。上手くいけば三回戦に突入することなく、俺に有利な条件で勝負を終わらせることができるかも。

 ――そう考えていたのだが。

「ふふ……ふふ、はっ……ふははははッ!」

 店長の様子がおかしい。狂った科学者のような哄笑と、大きく歪められた口元。
 まるで追い詰められたのはお前の方だと言わんばかりのその態度に、警戒心を抱かずにはいられなかった。

「どうしたんですか、店長……?」

 当然の疑問に、哄笑がピタリと止まり。
 店長はゆっくりとかぶりを振って、つぶやきを洩らす。

「ここで勝負をやめる……? 甘い……甘すぎるよ。僕が何の作戦もなく、こんな勝負を持ちかけると思っていたのかい?」

 なん……だと……?
 唐突な展開に思考が追いつかない。いったいどういうことだ……?

「ほら、後ろを見てごらん」

 言われた通りに後ろを振り返る。するとそこには――

「ごめんなさい、先輩」
「さ、サラちゃん……!?」

 インドゾウに乗って通り過ぎていったはずの少女――サラちゃんが立っていた。


          ◇     ◇     ◇


 店長が言っていた作戦という言葉、そしてこのタイミングでサラちゃんが現れた意味。
 つまり……最初から仕組まれていたということなのだろう。
 クッ、神聖な勝負でイカサマとは……なんて卑劣なんだ……!

「……先輩、残念ですが負けを認めてください」
「僕が合図をした瞬間、彼女はきみにぶつかりに行く。ふふ、完全に詰みさ」

 勝利を確信した店長が嘲笑を洩らす。
 笑みを浮かべてはいるものの、冗談を言っている様子は一切ない。本気で俺を潰すつもりなのだ。

「じゃあ三度目の金額指定といこうか。そうだなあ……六百億円くらいにしておこうかな?」

 容赦の無い宣告。指定金額が六百億円ならば、失敗した場合は六十億円が時給から引かれることとなる。
 なんとかしないと……このままでは、一時間働く毎に数十億の借金が増えていくという謎システムに囚われてしまう。

「ククク……明日からきみは僕の奴隷……いや、奴隷なんて生ぬるいものじゃない。永遠にコンビニで働き続けるマシーンと成り果てるのさ!」

 死んだ方がマシという言葉がこれほど似合う職場がかつて他にあっただろうか。
 まさかバイトをマシーン化しようとするコンビニがあるとは……社会とはこうも厳しいものなのか……!

「さあ、無駄話はここまでだ。そろそろ終わらせようか……この勝負、そしてきみの未来を」

 店長の右腕が上がり、指がパチンと鳴らされる。
 憂いを帯びた表情でこちらへと向かってくるサラちゃん。すみません……と消え入りそうな声でささやいた彼女は、呆然と立ち尽くす俺の胸元に身を寄せる。トン、と軽い音がした。
 もう後がない。ただ一言『デートできない』と言われれば勝負はそれで終わってしまうのだ。
 後悔と絶望が全身を満たしてゆく。ついには立っていることすらままならず、ガクリと膝をついてしまう。拳を握り締めてもあふれ出てくるのは悔しさばかりだった。

 俺は……俺は――――

「あ、それはそうとサラちゃん。今度一緒に焼肉食べに行かない?」
「えっ、本当ですか先輩!? 行きます行きます!」
「うおおぉぉおおおぉぉぉい!? ちょっとオォオオオオォォォ!?」
「ふぇ? ……………………あっ」

 全力で叫ぶ店長。やばっ、という感じでとっさに口を押さえるサラちゃん。
 あぁうん、別に絶望とか全然なかった。むしろ希望しかなかった。
 しかしアレだな、サラちゃんは最高にチョロいですなぁ……たぶん十回クイズとか超弱い。全力で『ピザピザピザ…………ひざ!』って言うタイプ。
 と、俺がそんなことを考えているうちに、サラちゃんは既に失敗から立ち直っていたらしい。なにやら店長と会話している。

「ふ……ふふふ! 実はあたしと先輩はグルだったのです、騙されましたね店長さん! 焼肉ファミリーパック(四人前)程度じゃこのあたしは釣れませんよ!」
「な、なんだって……!? 僕は最初から手のひらの上で踊らされていたというのか……」

 なんか言っていた。
 完全に初耳なんだけど……ま、まあいいか。彼女のおかげで結果的に勝利することができたのだ。
 細かいことは置いておくとして、今は店長に言わなければいけないことがある。

「六百二十億円」
「…………えっとね、やっぱり賭け事とかそういうのはよろしくないんじゃないかなーと」
「六百二十億円」

 逃げ出そうとする店長の手をしっかりと掴み、晴れやかな笑顔で声をかける。
 おやおや、なぜ震えているのだろう。腱鞘炎かなにかかな?

「お、お願い! あと一回……今度はイカサマしないからあと一回だけ勝負を……!」

 さすがに逃げるのは無理だと悟ったのか、今度は悪あがきを始める店長。往生際の悪いことだ。

「別にやってもいいですけど、次に金額を決めるのは順番的に俺ですよ」

 そう。賭け金を十円にでもしてしまえば、次の結果がどうだろうと俺の勝利は揺るがないのである。
 わざわざ店長に逆転の可能性を残してあげる必要なんて全くない。

「そっか……うぅ…………僕の、負けか……」

 ……だけど、そうだな。
 うむ。どうやら店長も反省しているようだし、今回はこのくらいにしておこう。
 ガックリとうなだれる店長の肩に手を置き、優しく声をかける。

「じゃあ次の指定金額は、今までの賭け金の十倍でお願いします」
「…………え? それってもしかして……」
「ま、そういうことです」

 これで次の挑戦に失敗すればプラマイゼロ、というわけだ。
 少々甘い対応かもしれないが、たまにはこんな結末も悪くない。

「なんだかんだで楽しかったですしね。最後は気持ちよく終わらせましょうよ」
「……僕、きみのこと誤解してたかもしれないよ」

 つい先ほどまで陰鬱な表情だった店長が、歯を見せて笑った。
 やれやれ、現金な人だ。だがそんなところも、もしかしたら店長の魅力の一つなのかもしれない。

「じゃ、そろそろ行ってきます」

 爽やかな笑顔を残し、ゆっくりとT字路へ向かってゆく。
 俺と店長に、新たな信頼関係が芽生える――そんな予感がした。





 五分後。

「バッチリ成功しました」
「騙されたチクショオオオオォォ!」

 今回はこのくらいにしておくと言ったな。もちろんあれは嘘だ。

 そんなこんなで時給が合計七千億円ほど増えました。





[28000] 第14話 背広包囲網
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/10/08 00:30
 数日後。
 夏休みシーズンが到来し、世間は海だ山だと騒がしくなってきている。一方、俺の通う大学では試験期間が目前に迫っていた。
 もちろん俺もバイトの空き時間などを利用しつつテスト対策に励んでいるのだが、今日ばかりは別だ。
 ――そう、デートである。もう一度言うがデートである。
 つい先日、店長と勝負したときのこと。結局時給七千億円は払えないと言われ、仕方ないのでトイレ掃除を百五十年分ほど代わってもらったのだが、まぁそれはさておき。
 店長をハメるために行った四回戦。その際にデートに誘った相手と会う約束をしたのが今日、この日なのだ。
 自分でもまさか成功するとは思っていなかったので、喜びはさらに大きい。
 問題は相手がどう見ても中学校の制服を着ていたという点なのだが、たぶん問題ないだろう。きっとコスプレに違いない。たとえそうでなくとも、数年待てば……うむ!

「よし、そろそろ行くか」

 思わず独り言が出てしまうくらいに気分がいい。なにせ相手はかなりの美少女。テンションも上がってしまうというものだ。
 そんな訳で、街中を走る路面電車に乗って駅前へ向かう。この電車はどこまで乗っても一律二百円。自転車すら持っていない俺にとって、貴重な移動手段の一つだ。
 だが同じような人が意外と多いのか、それとも夏休みの影響か。電車内は相当な混雑具合だった。
 クーラーがほとんど用をなさないほどの人の熱気。いつもなら『お前ら家に帰って一人で桃鉄でもしてろよ……そして破産しろ』とか思うところだが、今日ばかりは寛大な心で許してあげられそうだ。
 なんとかスペースを確保して吊り革を握る。そうしてしばらく電車に揺られ、もう少しで待ち合わせ場所の駅前に到着しようかというそんな頃。

「ん……?」

 なんだろう……さっきから尻のあたりに違和感があるような。この混雑なので誰かの鞄かなにかが当たっているのかもしれないが、それにしては回数が多い気がする。
 でもきっと気のせいだろうと思い直し、窓から見える街並みに視線を――

「ひうッ!?」

 思わず声が出た。何事かと周りの人々がこちらを見るが、俺の方はそんなことを気にしている場合ではない。
 ……間違いない、誰かに尻を触られた。というか掴まれた。
 もしかしてこれは痴漢か……!? 若い男の尻を狙うオッサン――そんな悪魔のような存在がいるという話を聞いたことはあるが、まさか自分が標的になるなんて……。
 いや待て早まるな、もしかすると相手は痴漢じゃないかもしれない。
 尻の形が生き別れの弟に酷似していたので、ついつい触って確かめてしまった美人のお姉さんという可能性もある。冷静に考えるとそれはそれでかなり怖いが、痴漢よりは全然マシだ。あるいはそのお姉さんと、いちご100%的なラブコメ展開が待っているかもしれないし!
 よし考えていても仕方ない、行動しなければ。とりあえず周囲を確認してみると、俺の尻に手が届きそうなのは五人。
 まず右側は一人目がオッサン、二人目もオッサン。
 そして左側には二人。どちらもオッサンだ。
 最後に俺の背後にいるのは……うむ、オッサンだな。

 ……全員オッサンじゃねーか! びっくりしたわ!
 なにがいちご100%だよ、どう見てもせびろ100%だよチクショウ!

 思わず心の中で悪態をついてしまうほど絶望的なこの状況。こんなに生命を放棄したくなったのは初めてだ。
 さーて、どうやって死ぬかなー? あ、その前に一応相手の顔を確認しておこうかな?
 と、もはや絶望を超えて逆にちょっと楽しい感じになってきた頭で考える。現在進行形で触られているので、今なら確認も容易なはずだ。
 そうと決まれば行動は早い。さっそく視線を下に向け、俺の尻に伸ばされた腕をたどっていくと。
 ――――床に屈み込んでいる少女と目が合った。今日のデート相手だった。

「…………あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」

 あまりの動揺とオッサンじゃなかったという安心感からか、なぜかお礼を言ってしまう俺。そして爽やかな笑顔で冷静に返答する痴漢、もといデート相手の少女。
 いったいなにが起こっているんだ……!? もしかして俺はオッサンが美少女に見えてしまうスキルを身につけたのだろうか。いやそんなもんスキルというか完全に呪いだが。
 しかし仮にそうだとしたら、周囲のオッサンたちも美少女に見えていなければおかしい。依然オッサンはオッサンのままなので、この少女は妄想の産物などではないはずだ。
 ……いい加減オッサンがゲシュタルト崩壊しそうだし、なんかもうめんどくさい。手っ取り早く本人に聞いてみよう。

「えーと、ちょっと確認。この前会った子……ですよね?」
「そうです。私の方が年下ですし、敬語じゃなくても構いませんよ」

 キャスケット帽をかぶり、ボーイッシュなパンツルックに身を包んだ少女。大きな瞳がじっとこちらを見つめていた。
 振る舞いや服装はやや大人びているものの、全体的に見ればやはり年相応の可愛らしさにあふれている。ちょっと背伸びをした感じが、彼女の可愛さを後押ししているのかもしれない。

「自己紹介がまだでしたね。私は奈々です。中学二年生。お気軽にナナとお呼びください」
「ナナちゃん……ね。名字は?」
「ちゃんは要りません。それと名字は嫌いなので」

 さらりとした受け答え。なかなかあっさりした子のようだ。
 そんな彼女の細い左手首には手錠が片方だけはめられている。前に会ったときもつけていたが、インドゾウやガスマスクのインパクトには到底及ばないわけで。ちょっと変わったアクセサリーだな、と思う程度だった。

「あ、自己紹介だったね。俺は――」
「あなたのことは以前から知ってます。というか、私は誰とも知らないような男の誘いになんて乗りません」
「あれ? ずっと前から知り合いだったのを俺が忘れてる……ってわけじゃないよね」
「はい。こちらが一方的に知っていただけですので」

 ……やけに簡単に誘えたと思ったらそういうことだったのか。まあ『一目惚れしたのでついてきました』とか言われるより、よほど現実的な話ではある。
 ちなみにここまでわりと自然な会話をしているが、今なお俺はずっと尻を触られ続けている。
 手錠をつけた少女に痴漢されているというこの現状。いったい前世でどんな禁忌を犯せばこうなるのだろうか。そして尻を触りながら平然と会話をする彼女のメンタルはどうなっているのか。なにもかもわからない。

「でもどうして俺のことを……?」

 自己紹介も終わったことだし、疑問を解消していこう。ひとまず手近なところから聞いてみた。

「その前に確認しておきたいのですが、体操服を盗んだ変態の所業を暴いたのはあなたですね?」
「え? ああ、うん。そんなこともあったかな」
「変質者に追いかけられていた女性を助け、その変質者を警官に引き渡したのもあなたですよね」
「……まあ一応」

 微妙に事実と違っている気もするが、どちらも舐め男のことだろう。ひょっとしてなにか関係あるのだろうか。
 そのあたりも含めて質問を続けようした――が、俺の声は中途半端なところで止められる。

 ナナが俺の胸に顔をうずめて。ぎゅっと抱きついてきた。

「やっぱりそうなんですね……! あのド変態を捕まえてくれて、本当にありがとうございます。あなた……いえ、旦那様」

 そう言って若干陶酔したような笑みを浮かべ、さらに強く抱きついてくるナナ。
 これだけ騒げば当然だけど、周囲の注目を集めまくっていた。視線が痛い。

「ちょ、ちょっと待って。抱きつくのストップ。っていうかなんで舐め男くんと関係が……」
「認めたくはないですが、アレは私の兄です」
「あ、兄?」
「はい。私が何度殴っても止まらなかった兄をあっさり捕まえるなんて……旦那様はすごいんですね。あの日以来、暴走を続けていた兄は少しおとなしくなりました」

 なるほど。よくわからんけどそれが理由で感謝されている、と。
 しかし舐め男の妹か……顔はあまり似てないようだが、そう言われると確かに納得できる部分もある。
 アレの妹なら尻くらい触ってもおかしくないというか。うん、むしろ尻程度で済んでよかったと思っておこう。

「じゃあ次の質問なんだけど、その……俺の尻を触ったり、旦那様って呼んだりするのは……?」
「私は旦那様のことを敬愛しています」
「ふむ」
「そして旦那様は私のことをデートに誘ってくださいました」
「ふむふむ」
「つまり相思相愛。旦那様と呼ぶのは当然ですし、お尻くらい触るのが礼儀というものでしょう」
「その理屈はおかしい」

 兄より全然マシとはいえ、この子もこの子で話が通じないな……ある意味エリート家系すぎる。

「……旦那様って呼ぶのはまだともかく、抱きつくのと尻を触るのはちょっと」
「嫌ですか?」
「嫌ってわけじゃないけど……ほら、周りの人も見てるし……」

 なるほど、と彼女はしたり顔で頷いた。

「公平感に欠けるということですね。わかりました、ならば私のお尻を触るとよいでしょう」
「どうしてそうなった」
「さあどうぞ旦那様。お好きなだけ触っていただいて構いませんよ」
「その結果、俺は社会的に死ぬことになるのですが」

 目を丸くしてきょとんと首をかしげる。

「なぜですか?」
「いや……どう考えても俺が痴漢してるように見えるじゃん」
「ふむ。それはいけませんね」

 何を思ったのか後ろを振り向くナナ。彼女は車両全体に響き渡る大声で、

「皆さん、彼が今から私のお尻を触りますが同意の上ですので! そして卑劣な痴漢などとは違い、彼は私のお尻にしか興味がありません! どうか皆さんは安心してください!」

 ――死んだ。完全に俺は死んだ。
 今すぐ電車の窓をブチ破って逃げ出したかったが、せびろ100%の面々が邪魔で動けない。
 周りにはこちらを指差しながらひそひそと話す乗客たち。もはや通報待ったなし。

「さ、これで大丈夫です。触られるのは初めてですので、もし不手際があればなんなりと」
「ちょっと待ってくださいお嬢さん」
「おっと、これは失礼。私も旦那様のお尻を触らないと不公平ですよね」

 周囲の視線や空気を完全に無視して、彼女はナチュラルに俺の尻に手を伸ばそうとする。なんなのこの子……メンタル強すぎてなんかもう怖い。
 唯一の救いは、あと二~三分程度でこの電車は駅前に到着するということだ。
 あと少し……ほんの僅かな時間をしのげば、まだ逃亡の可能性は残されているはず。どうにかして彼女を説得し、これ以上事態が悪化するのを止めないと。

「あのさ……電車って止まるときに結構揺れるから、二人で尻を触り合ってたら危ないんじゃないかな」
「それは確かに」
「事故とかも怖いし、やっぱり尻を触り合うのはどうかと思うんだ」
「なるほど。一理ありますね」

 顎に手を当てて考え込むナナ。彼女の目が怪しく光る。

「では旦那様は吊り革を、私は旦那様のお尻を掴むということでよろしいですね」
「なぜそうなる!?」
「ほら、電車の吊り革ってどんな人が触ってるかわかりませんから私はちょっと」

 なんだその取ってつけたような潔癖症設定は。
 ならいっそ『フフ、俺の尻もどんなオッサンが触ってるかわからないぞ?』と言ってやろうかと考えたが即座に却下。どう考えても自分が心の傷を負うだけである。
 くッ、正論を言ってもまるで効果なしとは……こうなったらもう情に訴えるくらいしかないか……。恥ずかしいので正直やりたくないが、背に腹はかえられない。

「俺は……俺はナナが傷つくのなんて見たくない」
「旦那様……?」
「ナナの安全を考えて言ってるんだ……だからさ、ほら。手を下ろそう」
「……そんなに私のことを大事に想ってくださるなんて……私、嬉しいです」

 俺のクッソ寒いセリフを聞いたナナは、頬を赤らめて恥ずかしげに目を伏せる。そして彼女はついに尻を触るのをやめ、そのまま両手で俺の手を包み込むように握った。
 これは……やったか!?
 ――そんな一瞬の油断。それが命取りだった。
 ガチャリ、と不穏な金属音が響く。

「これで安心ですね、旦那様」

 にこやかに微笑む彼女の左手と俺の右手は、鈍色に光る手錠でしっかりと繋がれていた。





[28000] 第15話 やはりパンツは綿に限る
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/12/08 21:54
 ほどなくして路面電車が駅前広場に到着した。県の主要駅だけあって結構人が多い。
 俺は逃げるように電車から離れ、人ごみに紛れてようやく一息。当然ながら手錠で繋がったナナも隣に佇んでいる。

「……この手錠って外れるよね?」

 不安になって聞いてみた。彼女なら『まさか、外れるわけないですよ?』とかさらっと言い出しそうで怖い。

「当たり前じゃないですか。ほら、鍵ならここに」

 しかしさすがに考えすぎだったようだ。
 安心しつつ彼女がポケットから取り出した鍵に手を伸ばす。が、ひょいと避けられてしまった。
 ………………。
 もう一度手を伸ばす。また避けられる。手を伸ばす。避けられる。

「……素直に渡してくれると嬉しいんだけどなー」
「んー…………」

 俺の言葉も上の空。ナナは指を頬に当てて、なにやら考え込んでいる様子だった。
 いざとなったら俺は駄々っ子のように泣き喚くことも辞さないぞ、と頭の中で鍵を奪取するための作戦を練っていると、

「私いい事を思いつきました」
「嫌な予感がするから忘れて。すぐ忘れて。そして鍵をください」
「そんなに鍵が欲しいんですか? ではどうぞ旦那様、遠慮せずに取ってください」

 クスクスと笑いながら鍵を再びしまい込む。ただし今度はポケットではなく、着ているタンクトップの内側に。
 つまりその、アレだ。中学生にしてはかなり発育のよろしい胸の間に鍵が挟まっていた。
 おかしいな。鍵を取ろうが取るまいが、どちらにせよ最終的には手錠から逃れられない気がする。

「さあさあ、こう手をぐっと」

 俺の手を引き寄せて胸の方へ持っていこうとするナナ。無言で振りほどく。

「あん」

 あんじゃない。

「……軽々しくそういうことするのはどうかと」
「軽々しくなんてまさか。旦那様だからやってるんです。誰にでもこんなことしてたらただの変態ですよ」
「そっか……自覚ないんだ……」
「まあ細かいことはいいじゃないですか、それより早く行きましょうよ。デートデート」

 ナナはそう言って俺の手を握り、ズンズンと前へ進んでいく。
 ……まあいいか。こうしていれば少なくとも尻を触られることはないし、手錠もそこまで目立たないはず。
 あの電車内の絶望的な状況と比べればどうということはない。手錠を外すのは後回しにしておこう。

「ねえ旦那様」
「ん?」
「こうやって旦那様と手を繋いで歩いてると、なんだか……」

 ナナの顔が若干赤くなっていた。もしかして緊張しているのだろうか。
 ほほう、彼女にも意外と女の子らしいところが――

「興奮しますね。性的に」
「期待した俺がバカだった」
「だって初めてのデートで手を繋いで歩いてるんですよ。逆に興奮しない方がおかしいのでは」
「そうかもしれないけどさ……もうちょっとこう、なんかあるでしょ。女子中学生っぽいセリフ」
「繋がったままこんな街中歩くなんて頭がフットーしそうだよおっっ」
「それは違う」


          ◇     ◇     ◇


 特に目的もなく駅前をぶらぶら歩く。が、いくら午前中とはいえさすがに暑いので早めに行き先を決めたいところだ。

「旦那様、汗が」

 ナナがタオルを取り出して額に浮かんだ汗を拭いてくれる。

「ん、ありがとう。しかし暑いな……」
「帽子をかぶった方がいいですよ? あ、そうだ。なんなら私がプレゼントしましょうか」
「え? あー、それは」

 もちろん気持ちは嬉しいのだが、中学生に買ってもらうのはなんとも体裁が悪いというか。

「ふふ、遠慮しないでください。プレゼントは貰う方も嬉しいですけど、あげる方も嬉しいんですよ」
「そう……なのかな」
「そうなんです。もし買ってもらうというのが気になるなら、私が今身につけてるのを差し上げますよ。ちょうど新しいのが欲しかったところですし」

 そこまで言われると断ってしまうのも悪い気がするし、ここは好意に甘えるとしよう。ただまあ貰うだけというのもアレなので、あとでこちらからもお返しをしないとな。

「では行きましょう、すぐそこにいいお店があったはずですから」

 ナナは弾んだ声で言って、散歩ではしゃぎまわる子犬のように俺を引っ張って進んでいく。
 ……基本的にはいい子なんだよなあ。これで舐め男一族のDNAさえなければと思うと実に残念でならない。
 しかしそうすると変態成分が全部兄の方へ凝縮されそうだ。それはそれで怖い。
 嫌な想像に頬を引きつらせる俺と、鼻歌を歌いながら軽い足取りで進むナナ。照りつける太陽がじりじりと肌を焼く。

「おっと、ここですね」

 五分ほど歩いただろうか。どうやら目的の店に到着したみたいだ。
 早速店内に入ると、目の前には視界一面の女性用下着。ここは……下着屋……?
 こういう店にも帽子が売ってるものなのかな。なにせ初めて入るのでよくわからないが、たぶんそうなのだろう。
 さして疑問も持たず店内を進む。女性客しかいないので目立ってしまうかと思ったが、ナナと一緒だからかそれほど注目はされていないようだ。
 彼女は店の奥あたりで立ち止まり、

「先にお渡ししておきますね。旦那様……私からのプレゼントです」

 そう言ってナナはジーンズに手をかけて脱――

「――ヘイちょっと待とうか、なぜ下を脱ぐ必要が」
「ですからさっき言ったじゃないですか。私が今身につけてるのを差し上げますって」
「だからそれはそのキャスケット帽のことじゃ」
「いえ。パンツですが」

 さも当然だとばかりに言う。あまりにも自信満々すぎて一瞬納得しそうになったが、どう考えてもおかしい。

「俺は帽子をプレゼントしてくれるって聞いた気がするんだけど……」
「えっ、男の人って帽子の代わりにパンツをかぶるものでしょう? あ、もしかしてお古は嫌でしたか。それなら……これなんてどうでしょう」

 彼女は手元にあった売り物の白いパンツを手に取り、俺の頭にかぶせる。
 ――今ここに一人のド変態が誕生した。俺だった。

「似合ってますよ旦那様。超カッコいいです」
「なあナナ、聞いてくれ。大事な話なんだ」

 俺は真剣な表情でナナを見つめて、ゆっくりと言い聞かせるようにつぶやく。パンツをかぶりながら。
 すげぇ……今ならどんな行動をしても全て台無しにできる自信がある。死にたい。

「一般的な男は。パンツをかぶったりはしないんだ」
「え……そんなことはないと思いますが……」

 どうにか説得を試みるが彼女は納得してない様子。そりゃそうだ、だって俺パンツかぶってるもの。

「じゃあ店員さんに聞いてみましょう。すみませーん」
「あっ、ちょっ」

 止める間もなく、近くを通りがかった女性店員を呼んでしまうナナ。
 すぐさま駆け寄ってきた店員と俺の目が合い、そして一瞬で逸らされた。やだ……死にたい……。
 そんな俺を放置してナナは店員に話しかけている。

「な、なんでしょうかお客様」
「店員さんに恋人はいますか?」
「はあ……一応いますが……」
「その恋人は当然パンツをかぶりますよね?」
「え、えぇっ!?」
「かぶりますよね?」
「………………えっと、まぁ……たまになら……」

 この街には変態しかいないのか……!?
 いやまあ若い男女なら恋人のパンツをかぶったりもしちゃうのかもしれないが、できることならその情報は胸に秘めておいて欲しかった。

「ほら、やっぱり言った通りじゃないですか」

 勝ち誇ったようにナナが胸を張る。
 ええい反論は後だ、今はとりあえず頭のパンツを脱がないと。
 ――そう思った矢先のことだった。入り口のドアが開き、一人の女性客が現れる。見慣れた褐色肌の女の子。
 …………ッ! サラちゃんだと!?
 なぜこんなところにサラちゃんが……いや冷静に考えると俺がここにいることの方が不自然だけど。
 ともかくこのままではマズい。狭い店内をうろついていたらいつ発見されてもおかしくはない。そうなればもはや言い訳は不可能。だって俺パンツかぶってるもの。
 しかし逃げようにも手錠が邪魔になって自由に動くことが……くッ、どうしたら……!?
 俺が戸惑っている間にもサラちゃんはどんどんこちらへ近づいてくる。もう猶予はない。
 そして彼女が視線をこちらに向ける直前。俺はある行動を決意した。

「チクショオオオォォ!」

 ――パンツを深くかぶり、顔を隠す。それが俺のとった選択だった。
 あまりの切なさに思わず叫びがあふれ出る。俺の……俺の初デートの思い出がどんどん汚れていくよぉ……。

「お客様!? なぜ叫びながらパンツを!?」
「いやこれはなんというか誤解でして。色々と事情が」
「そ、そうなんですか……? ええと……でしたら商品をかぶるのはご遠慮頂けると……」
「――なんてのは嘘ですけどね! いやぁこのパンツはかぶり心地がいいなあ!」
「お、お客様ッ!?」

 今パンツを脱いでしまうとヤバい。いや脱がなくても十分ヤバいが、脱ぐともっと大変なことになる。
 もうヤケだ。店員にどう思われようが、サラちゃんに見つかってしまうよりはマシだ。ならばいっそ変態になりきってこの場をやり過ごすしかない……!

「ふむ、素材は綿100%かな? やはりパンツは綿に限りますな!」
「そんなにパンツをかぶりたかったんですね旦那様。それが気に入ったなら買っちゃいましょうか」
「そうだね! うん…………本当、そうだね……」
「旦那様、なぜ泣いてるんですか」

 流れた涙がパンツに染み込んでいく。店員はというと、俺たちの会話を聞いてドン引きしていた。もちろん周囲の客もドン引きしていた。当然だ。
 しかしそれは想定内。ここで大事なのはサラちゃんの反応だが――

「うーん……先輩がいたと思ったんだけど気のせいかな……」

 よし、どうやら上手くごまかせたようだ。
 女性用下着店でパンツをかぶった男がいるのにスルーはどうかと思うが、今ばかりはその反応がありがたい。
 ひとまず最大の危機は去った。あとはとにかく急いで店を出るだけだ。
 そんな俺の意思が通じたのか、さっそくナナが店員に話しかける。

「では店員さん、会計をお願いします」
「あ、はい……その、商品は包みますか?」
「いえ。そのままで」
「ですよね」

 女子中学生にパンツを買ってもらうクズがここにいる。俺だ。
 手元に拳銃の一つでもあれば即座に自分の頭を撃ち抜いているところだが、残念なことに銃は見当たらなかった。
 いやいや今は自害なんて考えてる場合じゃない。ちょうど会計も終わったようだし、マジで通報されかねないので早く店を出よう。

「初デートの記念ができました。私満足です」
「まあ……そうだね。うん、ありがとう」

 会話しつつ店の出口を目指して歩く。
 内容はともかく、やはりプレゼントというのは嬉しいものだ。それが気持ちのこもったものならなおさらである。
 そんなことを考えるあたり、俺もなんだかんだでデートを楽しんでいるのかもしれなかった。

「デートって楽しいですね、旦那様」

 満面の笑みでそう言ったナナの姿に、つい胸が高鳴ってしまったのも仕方ない。
 ……よし。今日はまだまだ時間もあるし、彼女にできる限りのお返しをしよう。嬉しそうな彼女の顔を見ていると、自然にそんな考えが浮かんできた。
 そして意気揚々と出口のドアを開け――――

「………………」

 目の前に現れたのは青と紺色の制服姿。いわゆる警察官が無言で仁王立ちしていた。
 その姿をよく見ると、見知った顔であることがわかる。二足歩行するドブ川ことポリ島さんだ。
 制服と手錠、拳銃などの装備で身を固めるポリ島さん。相対するは女性用下着と手錠、そして女子中学生という最高にアレなチューンナップを施された俺。うむ、ある意味負ける気が全くしないな。
 そんな俺の姿をポリ島さんはじっくりと眺めて、一言。

「お前それはさすがにアウトだわ」
「ですよねー」

 さようなら、平和な日々。そしてこんにちは、檻の中の生活。





[28000] 番外編その1 店長、異世界へ
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2012/12/08 22:08
 夕暮れに染まった街を男は一人で歩いていた。
 コンビニの店長としての仕事を終えた男が向かう先は自宅のマンション。帰ってビールでも飲むかなぁ、などとのんきに考えながら額の汗を拭う。
 周囲に人影は見えず、昼間はあれだけ喧しかったセミも今は気配すらない。だが男――店長はそんな変化もさほど気にせず、やや太り気味の体を揺らしながら歩を進める。
 そして何気なく横断歩道を渡ろうとした、その時。

「よ、避けてくれええぇぇ!」

 街の静寂を切り裂くような叫び声。何事かと咄嗟に振り向くと、重低音を響かせながら大型トラックが猛スピードでこちらに近づいてくるではないか。
 幸いなことに距離はやや離れていたので、どうにか横断歩道を渡り終えることができた。手遅れになる前に気づけてよかった……と店長は安堵の表情を浮かべる。

 だが次の瞬間、それがただの油断だったことを店長は悟った。

 ――ガードレールを破壊しながらトラックが歩道に突っ込んでくる……!?
 まごうことなき生命の危機。意識がスローになる中、運転手がまたもや何か叫んでいるのが聞こえてきた。

「ダメだ……全く前が見えねえ……! クソッ、こんなことになるなら運転席でサンマなんて焼くんじゃなかった……!」
「なぜ焼いた!?」

 もはやトラックとの距離はたった数メートル。引きちぎられたガードレールがトラックの破壊力を物語る。
 どうしてコイツはブレーキを踏まないのかという疑問が脳裏をかすめるが、それを知るのは本人のみ。というかそんなこと考えてる暇はない。
 なんとか最後の力を振り絞って横に飛び――――大きな衝撃と同時に、意識は暗闇に閉ざされた。


          ◇     ◇     ◇


 目覚めた瞬間、世界は一変していた。
 一言で表すならば白い部屋、だろうか。白い壁、白い天井、白い床。自分以外のあらゆるものが白一色に染めあげられ、余計な物は一切存在しない世界。
 もしかしてこれが死後の世界というやつなのか。やや殺風景ではあるものの、案外こんなものなのかもしれない。
 そんな感想を抱きつつ周囲をきょろきょろと見回していると、突然どこからか声が響いてきた。

「おお店長よ、しんでしまうとはなさけない」

 と同時に、まばゆい光とともに一人の男が現れた。
 ……なんか見覚えのある顔というか。どう見てもコンビニでほぼ毎日一緒に仕事をしている人物だ。

「きみ、こんなところで何してんの……?」
「ほう……神にタメ口とはいい度胸ですね人間よ」
「か、神様?」
「そう――神の姿はあなたの心を映す鏡。店長が今見ているものはかりそめの姿に過ぎないのです。もしかするとクッソ寂れたコンビニでバイトしている大学生の男のように見えているかもしれませんが、中身は全然違います。神です」
「そ、そうなんだ……」
「そうなんです。だからもっと敬いなさい。それと時給上げてください」
「本当に神様なの!?」

 途端にうさん臭くなってきた。
 ひょっとしてドッキリか? とも思ったが、さすがに冗談でトラックを用意したりガードレールを壊したりはしないだろう。
 ひとまず今は自称神の言うことを信じてみるしかなさそうだ。

「まあいいか……ちょっと聞きたいんだけどこの状況はどういうこと? 神様がいるってことは、やっぱり僕はトラックに轢かれて死んじゃったの?」
「いえ、違いますね」
「え、じゃあもしかして生きてたり!?」
「まさか。とっくに死んでますよ」

 死んではいるがトラックに轢かれたわけじゃないという。ならば自分はなぜ死んでしまったのだろうか。
 疑問の視線を向けると、神が答えた。

「トラックは間一髪で避けてました」
「おお、やるじゃん僕」
「が、倒れ込んでるところに積荷の冷凍ブリが落ちてきて頭を強打。結果、死にました」
「ショボいな僕の死に様!」
「この度はまことにご愁傷様でしたプススー」
「今笑ったよね!?」
「笑ってません」

 神のこの態度はともかくとして。
 ある程度覚悟はしていたつもりだが……改めて自分が死んだと聞かされてもあまり信じられないというか、未練が残るというか。

「そっか……僕、死んだんだね」

 思わず漏らした声は自分の思った以上に寂しげなものだった。
 やはりまだ生きていたい――そんな店長の本音が含まれた一言を聞いて、神が言う。

「生き返らせてあげましょうか?」
「えっ……本当に!?」
「もちろん。……と言いたいところですが、タダで生き返らせるというわけにもいきませんね」
「どうしたらいいの!? 足でも舐めればいい?」
「今の一言でなんかすごく生き返らせたくなくなってきました」

 無表情でそう吐き捨てる神。慌てて言葉を取り繕う。

「じゃ、じゃあ何をすれば生き返らせてくれるの?」
「そうですね……死んだ人間を生き返らせるんですから、店長には相当な善行を積んで貰わないと。そうじゃなきゃ他の人に不公平ですからね」
「善行って言われても……僕死んでるし……」
「そこは大丈夫。今から店長を異世界に送るんで、がんばって善行を積んできてください。剣と魔法のファンタジーな世界なのできっと楽しいですよ」

 異世界。
 まあ神がいるのだから異世界があっても不思議じゃないとはいえ、いまいちピンとこない単語である。

「ええと……ちなみにその世界って魔物とかいたり?」
「もちろんいます。めっちゃいます。オマケに人間同士の戦争もガンガンしてます」
「死ぬよ! 善行とか以前に!」
「そら死ぬでしょうね。学生時代のあだ名が『やや強めのダンゴムシ』だった店長じゃもって三日がいいとこです」
「なぜそのことを……!?」

 というか、体力的に衰えてしまった今となっては三日どころか一日生きられるかどうかも怪しいところだ。
 こっちはついさっき死んだばかりだというのに、またすぐ死ぬなんてたまったものじゃない。文句を言えるような立場ではないのかもしれないが、せめてもう少し穏便な世界にと望むくらい許されてしかるべきでは。
 そんなことを申し出ようと口を開く直前、機先を制して神が言った。

「おっと、そんなに慌てないでくださいよ。そのまま異世界に行ってもらうなんて誰も言ってないじゃないですか。すぐ死なれちゃこっちとしても面白くないですし」
「……というと?」
「せっかくの異世界です。何か特殊な能力やアイテムを授けてあげましょう。内容については……まあ、めんどくさいんで店長が決めていいですよ」
「なんだ、それならそうと早く言ってくれればいいのに。能力ってどんなのでもいいの?」
「お好きなようにどうぞ。ドリルでも自爆装置でも反粒子砲でも」
「うん……それはいらんけど……」

 そんなものをどこに取り付けるつもりなのか。そもそも、能力じゃなくてただの人体改造では。
 疑問は尽きないが、置いといて。

「じゃあ無敵バリアーが欲し」
「面白くないので却下」
「……いや、好きなようにって言っ」
「神に口答えとはいい身分ですね人間ごときが」
「…………やっぱ考え直していいかな」
「認めましょう」

 まあ改めてよく考えてみると。仮に無敵なバリアーで魔物を退治しても、善行というよりはただの弱い者イジメ。却下されてしまったのも仕方ないだろう。
 気を取り直して別の能力を提案してみる。

「そうだなあ……裸一貫でも生きていけるサバイバル能力、とか?」
「ふむ、それくらいならいいでしょう。他にはありませんか?」
「ファンタジー世界なんだし魔法を使えるようにして欲しいかな。何かと便利だろうから」
「それも追加しておきましょう。あ、要望はまとめて言っちゃってください。一つずつというのも手間ですし」

 おや……?
 この言い方だと、もしかして貰える能力やアイテムの数に制限はないのだろうか……?

「えっと、武器と当面の食料はあると嬉しいかも」
「ふむふむ」
「詳細な地図とコンパス、安全な拠点なんかも欲しいよね。もちろん拠点は冷暖房完備で」
「ふむふむ」
「あとは金・権力・名誉、そして頼れる仲間。具体的に言うと優しい言葉と魔法で癒してくれる三十くらいの美人シスターが理想かな! ま、他にも色々あるけどとりあえずはこんなとこだね!」
「あまり調子に乗るなカスが」
「え、ええぇぇ……」
「欲張りすぎです。慎みなさい」
「だってきみが言えって……!? 横暴だよ横暴!」
「神とは得てしてそういうものです」

 そんなに甘くなかった。半ば予想はしていたけど。
 いやしかし、色々と列挙してみたが本命はシスター一択。むしろシスター以外いらない。
 無論しつこく何度も要求するような真似はしない……が、神も一人の男。そのあたりの機微はきっと察してくれるだろう。

「言うまでもないですがシスターは却下で」
「…………!?」

 絶望した。
 うん……もう別に生き返らなくていいかな。どうせコンビニ店長だし……客来ないし……。

「ほら、そんな死にそうな顔してないでちゃっちゃと異世界に行ってきてください」
「行けって言われても……どうやって?」

 店長は首をかしげた。
 改めて周囲を確認してみたが、この部屋には出口どころか窓すら見当たらない。

「それはですね。鼻から吸うだけで気分がフワフワして、オマケに異世界に行けるというこの魔法の白い粉を使えば――」
「それ別の意味のトリップじゃ!? 仮に本当に異世界へ行けたとしてもその方法だけは嫌だよ!」
「でも合法ですよ?」
「倫理的に!」
「そうですか……」

 神は困ったように眉根を寄せて言う。

「粉がダメならあとは注射タイプしか残ってないですよ。だけどこっちは副作用がちょっと強くて」
「どうしてギリギリのラインをついてくるの!? ああもう、じゃあ粉でいいよ粉で!」
「…………えっ、本当に使うんですか?」
「なんで不安そうなの!?」

 他に方法がないなら仕方ないではないか。粉も嫌だが、注射はもっとヤバい気がする。
 渋々ながら手を差し出すと、神が小袋に入った魔法の白い粉(合法)を渡してくれた。

「合法というかどう見ても脱法って感じなんだけど……」

 見た目は小麦粉っぽい。
 鼻を近づけて匂いを嗅いでみると、なぜか爽やかな果実の香りがした。
 …………。

「あ、異世界へ行く前にちょっといいですか」

 粉のチェックに没頭する店長を無言で眺めていた神が、ふと思いついたように言った。

「一つだけ。注意という程でもないんですが、向こうで魔法を使う時はその規模に応じて代償が必要ですので気をつけてください」
「ふーん、そうなんだ。代償って?」
「具体的に言うと店長が魔法を発動するたびに俺の肋骨が折れます」
「肋骨!? しかもきみの!? すげえ使いづらいよ! 過去に類を見ないほどの使いづらさだよ!」
「まあそんなに気にしないでください。ほら、肋骨ってたくさんありますし」
「そ、そういう問題かな……もっと自分の肋骨を大切にした方がいいと思う……」
「説明はそれだけです。ではがんばってくださいね」

 それきり神は黙り込んでしまった。
 どうやらもう覚悟を決めるしかないようだ。もたついていると、また神が変なことを言い出さないとも限らない。
 手のひらに少量の白い粉を乗せて、よし、と気合を一つ。

「じゃあ……いくね」

 昔見たハリウッド映画のワンシーンを思い出しながら、大きく息を吐き。 
 
 一気に白い粉を――――吸った。



                                            (たぶん続く)

――――――――――――――――――――――――
※挿絵追加しました。
 pixivにて『自動ドア殺人事件』で検索、もしくは『隣◆d5e42c83』でググると出てくると思います。


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