真夜中のコンビニ。
熱帯夜の外気から隔絶された店内はやや過剰な冷房によって少し肌寒く、俺と相対する人物もどこか落ち着かない様子だった。
水色の制服に包まれた恰幅のよい体、メガネの奥の緩やかな垂れ目、若干人工的な黒塗りの七三分け。
四十歳ほどに見える目の前の男性はこのコンビニの店長で、今日から俺の雇用主となる。
「これからよろしくね」
「……よ、よろしくお願いします」
短いながらも温和な色をにじませた店長の挨拶に、俺はぎこちない返事をした。
人生初のバイトなためかどうしても緊張を隠せない。意識していても視線が下がってしまう。
まだ十九歳の学生なのだし仕方無いと心の中で言い訳。
「ま、そんなに硬くなるなって」
ふふん、と笑いながら店長が言う。優しくていい人じゃないか。この人となら上手くやっていける、そんな気がした。
「じゃあ早速接客の基本から教えていこうか」
「あ、はい。ではお願いします」
ここからが本番だ。両足に力を入れ、緊張を無理やり抑え込む。
「商品を持ったお客様がレジにいらっしゃったとしよう。さて最初になんて言う?まあ簡単だよね」
「当店では性的なサービスはご遠慮いただいておりまして」
「うん、ちょっとおかしくないかな」
「ああ、この店はアリな方なんですか」
「そうじゃねえよナシな方だよ! それ求めてコンビニにくる客はいないと思うけど!?」
いや、今の世の中なにを要求されるかわかったものじゃない。素敵なおねーさんに『ねえキミ、あたしにいけないサービスしてくれないカナ……?』などと言われてしまう可能性も決してゼロではないはずだ。
そしてコンビニ店員としての義務と男としての本能、どちらを取るかで揺れる俺。やがて二人は禁断の恋に――そんな展開を希望したいです。
「まあそれはともかく。さ、店長どうぞ続きを」
「ああうん……さっきの緊張してた姿が嘘のようだね……」
◇ ◇ ◇
三十分ほどの時間をかけてレジの操作や基本的な接客方法を教えて貰う。
店長は『ポイントカードの確認は忘れやすいから必ずしよう』ということを特に強調していた。あれ毎回聞かれると正直煩わしいよね。
「さて次はクレーム対応について少し話しておこうか」
「クレーム……ですか?」
疑問を込めて口にする。
最近はよく耳にする単語だが、その対応となると学生には少々ハードルが高い。
「うん。これはとてもデリケートな問題だから」
「店長の不自然に黒光りした髪のようにでしょうか」
「そうだねデリケートだね……!? 出来ればもうちょっと濁して!」
「頭髪の不自由な方」
「へへ……なんだかその配慮が心に痛えや……」
「――約束の地に根を封印されしモノ」
「なんでちょっとカッコいいんだよ! 逆にすげえ嫌だよ!」
……俺もいつかは約束の地に根を封印されしモノになってしまうのだろうか。そう考えるとちょっとブルーになる。
「と、とにかく……一言で言えば、クレームには反論しないのがコツだから」
「肝に銘じておきます」
「信用できねぇ……」
いつの間にか信頼を失いかけているような気がする。なぜだ。
仕方ない……ここはデキる男を見せつけてやらなければなるまい。
俺は店長の呼吸が落ち着くのを待ってから話を切り出した。
「ではちょっと練習してみましょうか。店長、クレーマー役をお願いします」
「お、何か自信ありげだね」
『やってみるか』と言いながら目をギラギラとさせいやらしい笑みを見せる店長。
あまりにアレだ、アレすぎる……少なくともコンビニ店長的な表情ではないだろう。
性犯罪界へFA宣言するべきだと思いました。頑張れ未来のホープ。
そして一旦レジを出た店長がこちらに向かって歩いてきた。俺と相対する位置で立ち止まり、少し低くした声色で話しだす。
「おう兄ちゃん、ちょっといいか?」
「申し訳ありませんお客様、全裸でのご入店はちょっと」
「着てるから! バッチリフル装備だから!」
「あ、着てるパターンで?」
「着てるパターンだよ! 長いこと店長やってるけど着てないパターンなんて見たことねえよ!」
HAHAHAソウデスカーと適当に流しておく。こちらを見る店長の血走った目が印象的である。
「では改めて。お客様、どうなさいました?」
「クレーム言いにきたんだよクレーム! 弁当に箸が入ってなかったぞ!」
「なるほど……申し訳ありませんでした」
「チッ、ふざけんじゃねえよ」
深々と頭を下げる俺と、イライラした様子を見せる店長。
「おいどうしてくれるんだよ。弁当冷めちゃっただろ」
「本当に申し訳ありませんでした」
「謝って済む問題じゃないだろ? なぁ、誠意ってもんが必要じゃねえか?」
卑しい笑みを浮かべながらこちらをじっと見つめてくる。
その視線の意図を即座に理解した俺はレジから一枚の折りたたまれた紙を取り出し、
「お客様、これをどうぞ。お詫びの気持ちです」
そっと囁きながら店長に手渡した。
「いやぁ何か催促したみたいでわる生理用品(紙製)じゃねえか!! 頭部のデリケートゾーンに使えと!? 残念ながら効果ねえよ!」
「さようですか」
「さようだよ! デリケートってそういう意味じゃねえから! っつーかなんでレジに入ってんの!?」
「ポイントカードはお持ちでしょうか?」
「ああもうどうしてこのタイミングで!? たしかに確認しろとは言ったけどさ空気を読めよ質問してるだろ!」
「あっ、でも毛根はキャッシュバックされませんよ」
「知ってるよ!! チクショウ自由だなお前!」
そして店長はガックリと膝をつく。
初めてだよこんなの……などと呟きながら生理用品(紙製)を握り締めている。面白いなこの人。
しかし一応雇用主だ、少しは配慮しておくべきか。
「大丈夫ですか?」
「店長胃がメルトダウンしそうだからちょっと待ってね……休憩行ってきていいよ……」
レジの奥を指差しながら店長が言った。
ちょっと見てみたい……と十秒くらい迷ったが変な方向にハッスルされても困るなと思い直し、素直に休憩室へ向かうのだった。
◇ ◇ ◇
十五分の休憩から帰ってくると、復活した店長がレジ前ではしゃぎ回っていた。
……なんだろうこの残念な生き物は。無駄に素早い動きを繰り返していてキモい。反復横跳びなんて久しぶりに見た。
そして撒き散らされる加齢臭がすごい。生きる気力がガンガン吸い取られていく。これが現代社会の闇……か……。
「よっしゃバッチこーい!」
「どうしたんですか店長」
「ほら早く続きやるぞ続き」
「ああはい、クレーム処理の練習ですね」
無闇にやる気を溢れさせる店長の言葉に俺は肯いた。次こそは失敗するわけにいかない――そんな決意を胸に、レジを挟んで店長と向かい合う。
ガラの悪いクレーマーになりきった店長の発言を皮切りに、練習が再開された。
「おう兄ちゃん、この弁当だけどな箸が入ってなかったんだよ」
「…………」
「箸が入ってないと食べられないだろ?ちゃんと新人教育してんのかこのコンビニ」
「…………」
「だいたいここの弁当はなんで全部ご飯の部分にカレーかかってんだよ黄レンジャー専門店か」
「…………」
「店内はたまにすっぱい臭いがするし床もちょっと汚いし……あー……あとほらアレだよアレ、たまに変なすっぱい臭いがするんだよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「返事しろよ!?」
「はいお客様どうしましたか」
「たしかに、たしかに反論しないのがコツとは言ったけどね。出来れば相槌くらいは打って欲しかったな……」
「あ、打つパターンで?」
「打つパターンだよ! パターンって何なんだよさっきから!?」
顔を真っ赤にして全身を小刻みに震わせた店長が叫んだ。きっと更年期障害だろう。
「店長」
「なんだよ……」
俺は笑顔と共に優しく語りかける。
「自分の店をあまり悪く言っちゃダメですよ?」
「言いたくて言ったわけじゃないけどね……!? やめどきがわからなくて自分でも驚くくらいボロクソに叩いてたよ……もう精神崩壊起こしそう」
「強く生きてください。さあもう一回やりましょう」
「そうだね……これも仕事……仕事だから……」
ぶつぶつと呟きながらもやる気を見せていた。
さすがは社会人、これくらいの強さがないと社会の荒波は乗り越えられないのだろう。俺の中の店長評価をx軸上方へと修正。五ミリくらい。
そして三度目の練習が開始される。
「おい箸が入ってなかったぞ!」
「当店は本格派でして。右手を使って食べていただければよろしいかと」
「ああそう…………いや一瞬納得しかけたけどやっぱおかしいだろ! せめてスプーンくらいくれよ!」
……さすがに騙されないか。
レジの周囲からスプーンを探してみたもののどうも見つからない。これは少々マズい、補充が切れているのかもしれなかった。
さてどうするかと黙考。早く対応しなければという焦りの中、反射的に自らの右手を叩きつけるようにしてレジ台の上へ置き、
「俺スプーンをどうぞ!」
「俺スプーン!? その右手で食えと!? 最低だよ! もう一回言うけどその対応は最低だよ!」
「さようですか」
「さようだよ……」
ガックリとうなだれ涙目になる店長。
「客は少ないしバイト募集しても全然来ないし……やっと来たと思ったらコレだよ……」
床に座り込んで膝を抱えてしまった。
授業中の雑談の合間に『先生の子供っていくつなんですか?』と無垢な女子生徒に質問された中年独身男性教師レベルの哀愁を醸し出している。
「…………」
「…………」
罪悪感を覚えた俺もつられて無言になってしまう。
場を凍らせる沈黙が続き――……
「あー……店長?」
「…………」
出来る限りの穏やかな声で言った。
「……そんなに嫌いじゃないですよ」
「…………え?」
「この店、俺は結構好きです」
多くは語らない。様々な感情をないまぜにした微笑みを、こちらを見た店長へと向ける。
「…………」
「…………」
「…………ふぅ」
一度大きく嘆息し、苦笑を浮かべながら立ち上がる店長。
「別に無理してお世辞言わなくてもいいよ……でも、ま、一応ありがとうな」
「テンチョサン、ゲンキ、ダシテー」
「なーんかシリアスな雰囲気になっ……いや誰だお前」
「ワタシモ、スキヨ、テンチョサン」
「だから誰だよ!? どうしよう事態が全く把握できない!」
「何言ってるんですか、最初からいましたよインド人の店員さん。さっきまでずっと弁当コーナーでカレーかけてたじゃないですか」
「一切描写なかったよね!? というかカレーはこいつが犯人か……! そもそもインド人雇った覚えなんて……あれ!?」
錯乱しているのだろうか。人物描写がどうとかよくわからないことを叫んでいる。店長、あなた疲れてるのよ。
「おっと、そろそろ上がりの時間ですね。ではお先失礼します」
「この状況で丸投げだと……!? ちょ、待ってお願いだから!」
「ふふ、やっと二人きりになれたね」
「さっきはカタコトだったろ!? インド人なのに日本語ペラペラじゃねえかキャラ安定しねえな! あっ、マジで帰るんだ待ってよ置いてかんといて!」
あれだけ元気ならばもうきっと大丈夫だろう。
そういや客一人も見てないな、と思いつつ朝日に照らされた道をゆっくりと歩くのだった。
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