延々と続く赤い大地で、
あらゆる生物が死滅した死の世界で、
唯一、生き残ることを許された、
唯一、生き残ることに成功した、
この世界の頂点に立つ存在。
絶対の捕食者、汚染獣。
かつてこの世界の覇者であった人類ですら、レギオスと呼ばれる自立型移動都市にこもり、汚染獣から逃げ回っている。
人類は逃げることが、種の存続に対して最も有効だと判断した。
今まで数々の脅威をその知性を用いて乗り越え、淘汰してきた人類が逃げることを選択し、そのための知恵を振り絞った。
しかし、
それでも、
レギオスは時折、汚染獣から逃げ切れずに襲撃される。
汚染獣は人類に牙を剥く。
人類はそれに対抗するために、
弱肉強食という摂理に抵抗するために、
剄と呼ばれる力を得る。
その力を得た人間は武芸者と呼ばれ、
彼らは都市民を、都市を守るために、その力を行使する。
その力を用いて、汚染獣との死闘を繰り広げる。
果たして、そのときの人類の勝率はどれ程のものなのだろうか。
勝利したとしても、そこには多かれ少なかれの犠牲が生まれるだろう。
いかに対抗する術を持ったとしても、
やはり汚染獣は人類にとっての最大の脅威であり、
やはり汚染獣は今のこの世界の覇者なのだ。
そして今、
汚染獣から必死に逃げようとしている都市と、
それを追う汚染獣と、
都市から汚染獣へと向かっていく一つの小さな影がある。
都市が総力を挙げて対処すべきはずの、
否、
都市が総力を挙げなければ対処できないはずの、
この世界の覇者である汚染獣へと向かっていく小さな影、一人の人間の姿がある。
たった一人で汚染獣を撃退しようというのだろうか。
その姿は汚染獣と比べたらひどく矮小で、
それなのに、汚染獣をも圧倒するほどの存在感を放っていた。
その人間と汚染獣が相対する。
その人間は青い光を纏う。
汚染獣は恐ろしい速度で空から地上の人間へと鋭角に突っ込んでいき、
人間は前方斜め上へと跳ぶことで、それを回避する。
と同時に汚染獣の翅が片方切り裂かれる。
今の一瞬で人間はそれをやったというのか。
地に落ちた汚染獣に、いまだ空にいる人間が追撃をかける。
人間の持つ武器が光り輝く。
その小さな体からは考えられないほどの力で、その武器を振り下ろす。
次の瞬間、
汚染獣の首は切り落とされ、
絶対の捕食者であったはずの存在は、ただの肉塊へとその存在意義を変えた。
たかが数秒。
それだけで、世界の強者は世界の弱者に、その命を刈り取られた。
†††
『お疲れ様でした。さすがですね。』
人間のそばを漂う樹木の葉のような形をしたものから声が発せられる。
これは念威操者によるものだ。
念威とは人間の得た、剄とは異なるもう一つの特殊能力であり、念威操者は念威端子を飛ばすことによって、離れた場所のものを見たり、音を聞いたり、またそれらを他の人に情報として与えることができる。
「雄生体の3期ってところかな?まあ、そんなに大変な相手じゃなかったよ。」
人間がそれに答える。
その声から察するに、まだ少年というところだろうか。
まだ変声期を迎えていない、もしくは迎えて間もない。そんな声をしていた。
そんな存在が汚染獣に対してあれほど圧倒的な勝利を収めたとは、実際に見ていなければとても信じられることではないだろう。
『いえいえ。貴方からすればそんなものなのでしょうけれど、本来雄生体の3期なんて、一人で戦って勝てるような相手ではありませんよ。やはりさすがですよ。『さすが神童』といったところです。』
「うん。まあそうなんだろうけどさ。ありがとう。」
そういった少年の顔が少し陰る。
「それにしても、うちの都市って汚染獣との遭遇が多いよね。1年に1回は必ず来てるんじゃない?」
『まあ、そうですね。ですが、手のうちようがないというほどの汚染獣に襲われたことはありませんし、汚染獣との戦いが多いおかげで武芸者の質は高い。都市戦でも負けなしです。むしろいいことなのかもしれませんよ。それに、槍殻都市グレンダンなんかは年に数回は襲われていると聞きますよ。』
「ああ。あの狂った都市って噂の。」
『まあ、うちの都市の場合は所有しているセルニウム鉱山の都合上、汚染獣の多い場所を移動しなくてはならないのでしょうね。そのせいで1年に1度位のペースで襲われてしまうのでしょう。さて。そろそろ帰還してください。追いつけなくなりますよ。』
「そんな簡単に追いつけなくならないよ。」
そう言って少年は離れた場所に待機させていたランドローラーと呼ばれる乗り物に乗って、自らの都市を追いかけはじめた。
†††
『っ!?』
都市を追いかけ始めた数十分後、自分のサポートをしてくれている念威操者の息を呑む音が聞こえた。
「どうかしたの?」
『いえ、それが、・・・・・いや。何でもありません。』
「どうしたのさ」
珍しいなと思った。
結構おしゃべり好きなくせして、それなのに口調は淡々としているこの男が、少しあせったような、困惑したような、そんな声をしている。
『何でもありませんって。』
「嘘つかないでよ」
『・・・・・・・。』
「・・・・・・・。」
『・・・・・少し西へそれた方向に生体反応があります。』
「西にそれた方向って僕から見て左にそれた方向ってことだよね。生体反応って、汚染獣ってこと?」
『いえ、汚染獣ではないと思うのですが。』
「僕の他にも都市の外に出てた人がいるってこと?確かにおかしなことではあるけど、そんなに驚くほどのことでもないでしょ?」
『いえ。そういうわけでもないのですが・・・・・。私にもよくわからないんですよ。とりあえず一度都市に戻ってきてください。』
「ん?いや。まあ、よくわかんないけど、とりあえず様子を見に行ってみるよ。誘導してくれる?」
『いえ、一度都市に―――――――』
「誘導してくれる?念威操者が理解できないようなものを放っておいたら大変なことになるかもしれないよ?」
『―――――――・・・・・はあ。わかりました。危険はないと思うのですが、気をつけてくださいね。』
「何があるの?」
『ええ。それが・・・・、いえ。ご自分で確かめてください。』
一体何があるんだろう?
危険はないと思われるのに、理解はできない生体反応が都市の外にある。
どういうことだろ?
そんな風に考えながら、少年は少し西にそれる方向へと進路を変えた。
そしてそのまま数十分進んだ先で、少年は念威操者の言わんとしていることを理解した。
確かにそれは、簡単に理解できるものではないだろう。
それが一体どういう意味を持つのか。
念威操者は、それを考えるために一度都市に戻ったほうが良いと判断し、少年にそう伝えたのだろう。
そしてそれは恐らく間違いではなかっただろう。
簡単に理解できるものではない。
いや。それ以上だ。
全く理解できない。
そこにいたのは少女だった。
裸の少女だった。
裸という時点でかなりの衝撃ではあるが、問題はそこではない。
いや、そこが問題ではあるのだが・・・・・。
この世界は、汚染物質によって、人類が住めなくなった世界だ。
人類はレギオスの中でしか生きられない。
しかし、遮断スーツと呼ばれる特殊な衣服を着用すれば、レギオスの外でも行動ができるようになる。
都市外で行動するときには遮断スーツは絶対に必要なものである。
遮断スーツを着用しないと、
汚染物質に皮膚を焼かれ、
その汚染された大気を5分吸うだけで肺が腐り死にいたってしまう。
そんな遮断スーツなしでは生きられないような死の世界で、
少女は一糸纏わぬ姿でそこにいた。
何も着ていないのに平然とそこに立っていた。
まるで汚染物質の影響など、蚊ほども受けていないように、
いや、実際になんの影響も受けていないのだろうが。
少女はそこに立っていた。
遮断スーツなしで。
生身の体で。
少女はそこに生きていた。