あるところに、魔法に憧れた少年と少女がいました。
少年は、魔法の奥深さとその知識に惹かれました。
少女は、魔法の力で皆の為になりたいと憧れていました。
少年は、自分の為に魔法を学びます。
そこに迷いはなく、どこまでも深く、深く学び、いつしか少年は大人になっていました。
そして、もはや書物も、他の魔術師も彼に教えられるものはなくなってしまいました。
少年だった男は、ある日、巨大な力の流れである闇に向き合うことに成功します。
そして、力と引き換えに闇に自分の名前を渡し、人間ではなくなってしまいました。
少女は、人の為に魔法を使おうと考えます。
そこは迷いだらけで、大切な人たちが苦しみ、倒れていくなかでいつしか少女は一人になっていました。
けれど、彼女達は少女にたくさんのことを教えてくれました。
少女は、ついに巨大な力を持つ自分の資質をどう使うか、自分の中の本当の気持ちに向き合うことに成功します。
そして、運命すら捻じ曲げる力と引き換えに自らが希望の光となり、人間ではなくなってしまいました。
闇になってしまった少年は、人の強い『願望』に呼ばれて現れます。
そして言うのです。
あなたは正しいと。
そして闇に向かう『願望』を叶えるのです。
光になってしまった少女は、願いを叶えた魔法少女が力尽きる時に現れます。
そして言うのです。
あなたは間違っていないと。
そして魔女という闇に堕ちる前に魔法少女の魂を救済するのです。
似ているようで正反対な、そんな少年と少女の成れの果て。
交わらないはずの二人が出会ったら、どうなるのでしょうか。
………おや、どうやら少年が少女に呼ばれたようです。
この場所には時間は無い。
古風な雰囲気の喫茶店に、唯一違和感を与えているのは映写機だ。
店の白い壁に映像が映されている。
二人の少女はそれを見つめている。
そして、
“Don’t forget.
Always, somewhere,
Someone is fighting for you.
---As long as you remember her”
そのテロップと共に一人の少女が敵に向かい飛び出し、映像は終わった。
後には、その映像に出てきた少女達のシルエットと、The endの文字だ。
「やさしく、そして悲しい『物語』だね」
いつからいたのだろうか、いつの間にか二人の隣の席に男が座っていた。
その古風な喫茶店が似合う、時代掛かった男だ。
黒よりもなお暗い、それでいて全くの闇でもない夜色の外套に身を包み、画面を見つめながら男はたたずんでいた。
「そう、だから私は願ったの。
みんなが悲しまないように、苦しまなくていいように、希望を抱いたことが間違いじゃないっていうために」
少女の片方が男に応えた。
男とは正反対の桃色がかった白色をした朝色の夜会服に身を包み、穏やかな顔を浮かべていた。
「本当にそうなら、こうして私と君が出会うことはないはずだよ。
“名付けられた光”、“円環の理”にして“救済するもの”、鹿目まどか」
「貴方の言うとおりだよ。
“名付けられた暗黒”、“世闇の魔王”にして“叶えるもの”、神野陰之さん。
私はこの姿になって、ありとあらゆる世界を、可能性を見てきたもの。
だから貴方がどういった存在なのかも理解してる」
「私も全て知っているよ。
闇は全ての根底にあり、境界を塗りつぶして全てを繋げるものなのだからね。
君も私も、願いのために人であることをやめ、もはや神や概念といった存在だ。
ただ、君は絶望に染まり破滅するしかなかった魔法少女を救うためにそうなり、 私は力を、闇を求めた自らの願望のためにこうなった。
同じような存在となった我々であるが、正反対の存在でもある。
私は魔法少女ではなく、自ら闇を求めたから、君が私を救済することはできない。
例え私が形を得た絶望そのもので、全ての絶望の肯定者であったとしてもね。
だが、神野“三郎”陰之と、兄の犠牲の上に知恵と生命の実を掴んだ“三郎”たる鹿目まどか、この二人が出会う奇跡があった。
それはつまり、君のほうに私を呼び寄せる願望があるということになる。
そのことも理解しているというのだね」
そう言うと、神野はまどかに眼を向ける。
その深遠に繋がるような昏い瞳を正面から見つめ、まどかは答える。
「うん、世界を見てるとね、思うの。
私は幸せだったんだって。
大切な家族がいて、友達がいて、おいしいものが食べれて、学校に通って………
私が救済した魔法少女の中には、そんな幸せとは無縁で、孤独で、戦って、裏切られて、絶望して魔女になっていった子達がたくさんいたの。
私の祈りで、そんな皆を魔女にしないで、希望を抱いたときの気持ちで穏やかに逝かせてあげることができた。
だけど、彼女達がつらい人生の末に若くして死んでしまう、その運命は変えなかった。
そこまで変えちゃうと、彼女達の祈りと死が世界を変えていった歴史がすべて別のものになっちゃうから。
私のわがままだよ、祈りが無駄になって欲しくないって思いで、皆が生きている間の辛さはそのままなんだから。
そんなわがままな私が、考えちゃうんだ。
ほむらちゃんと一緒に過ごしたかった。
さやかちゃんと、マミさんと、杏子ちゃんとも、普通に女の子として遊びに行ったり、買い物に行ったりしたかった。
ママと、パパと、たっくんと、もっと一緒にいたかった。
たっくんが大きくなるのを見て、そして、ママと一緒に、お酒が飲めるようになりたかった。
わがままだってわかってる、そんな資格はないって、けど、考えちゃうんだ」
淡々と言うその声、けれどその目には涙が浮かんでいた。
神野陰之とは違い、人の心を持ったままであるやさしい少女には、辛い役目だったのだ。
まどかは大切な家族と、友人達、そして自分の為に戦い続けた親友をずっと見守ってきた。
けれどもそこにはまどかはいないのだ。
風のごとく偏在し、春の空気のように暖かく包み込み、共通意識の片隅に存在することはできる。
しかし、人として隣に立ち、その腕のぬくもりで包み込み、共に意識しあい語り合うことはもうできないのだ。
神野の瞳を見つめるように、自らの心の深遠を、願望を見つめたとき、どうしても消しきれない思いは残っていた。
鹿目まどか自身が覚悟して得た願いの対価であり、苦しい生の果てに最後を迎えた他の魔法少女を見てきた身としてそれがわがままだとわかっていたからこそその思いは押し殺されてきた。
だが、その思いは神野陰之を呼んでしまった。
全てを知ることのできるまどかは、彼が現れる事がどういうことかも知っていた。
だから、この出会いが成された事で自分の未練がどれほどのものかはっきり分かってしまったのだ。
そんなまどかを、先ほどまで黙っていた隣の少女が優しく抱きしめる。
「まどかが苦しむ必要はないよ。
私が勝手に願って、勝手に力尽きちゃったんだから。
むしろわがままなのは私たちのほう。
そんなわがままで馬鹿な私たちを、まどかが救ってくれたんだよ。
感謝こそすれ、だれもまどかを責めたりしない」
そこまで言うと、その少女のほうも耐えられなくなったのか、涙を流し始める。
「謝るのは私のほうだよ。
私があんな馬鹿な真似をしなかったら、まどかの話を聞いていたら、あんたはこんな姿にならなくてもすんだかもしれなかったのに。
ごめんね、まどか」
「ううん、いいの。
そう言ってもらえるだけでうれしいよ。
ありがとう、さやかちゃん」
二人の少女はしばらく抱き合って泣いた。
溜め込んでいたこころの内、それは少女達にとって大きいものだった。
神野は二人の姿をじっと見つめていた。
ようやく落ち着いた二人は、マスターがいれたココアを手に取り、神野に向かい合っていた。
神野はまどかに向かって語りかける。
「それが君の願望、最後に残った未練だね。
『家族や友と過ごす平穏な日常』、簡単なようで、得るのも維持するのも大変なものだ」
「そのとおりだよ。
さやかちゃんのおかげで、その思いに正直になれた。
私も貴方と出会うことがどういうことか理解してる。
でも、叶えられるの?」
神野の顔は、不安そうなまどかを嗤うような、その感情を失った自分を嘲笑っているようなそんな顔をしていた。
そして断言する。
「叶うとも。
君は私と違い『願望』を持っているのだから。
平行世界の一つ、私の基準となった物語のある場所、そこの暁美ほむらに頑張ってもらうとしよう。
彼女ならば私を呼ぶだけの『願望』を持っているし、君の神に成りきれぬ部分と 私で改変前の状況を残すことができるからね。
そこには君たちと同じ魂のカタチを持つ鹿目まどかも美樹さやかもいる。
美樹さやか、君も見たいだろう。
風の精に救われて終わる人魚姫ではなく、王子と結ばれる人魚姫の物語を。
もっとも、魔法少女の末路については彼女らの願望の強さによるがね。
彼女たちの祈りが強ければ、私も干渉できる、そんな世界だ。
彼女達の願望ならば、最後に残されたその世界でも魔女達の救済が成るやもしれぬ」
そう言うと、神野は二人をみて笑う。
「無くした未来を、ここでまた見ていくといい」
「えっ、今から!?」
穏やかだった空気を壊すようにさやかが素っ頓狂な声を挙げた。
「驚くことはない、我々には時間というものはもはや関係ないのだよ。
我々の仕事は永遠に続くが、また同時に一瞬で終わるものでもあるのだ。
そうだろう、鹿目まどか」
それに対し神野は笑みを浮かべて答える。
「うん、そうだけど……」
まどかは答えるが、急に眠気が襲ってきた。
隣を見ると、さっき声をあげたばかりのさやかはもう眠っていた。
「さあ、終わらない夢を見るといい。
ここには夢を壊すアリスはいない。
これは、もう一つの、暁美ほむらの、魔法少女の物語だ。
夢ではあるが、同時にれっきとして存在する一つの世界、鹿目まどかの人生の一つだよ。
私が失ってしまった願望、それを持ち続ける君をうらやましく思うよ」
その眠気の中、狭まっていく視界の中で、神野陰之は微笑んでいたようにまどかには見えた。
そこにどこか優しげな雰囲気が漂っていたようにまどかが感じたのは、眠気が見せた幻だったのだろうか。
「おやすみなさい、よい夢を」
この場所には時間は無い。
どこにでもあり、どこにもない喫茶店。
その喫茶店のソファーに、二人の少女が寄り添って眠っている。
二人の体には夜色の外套が掛けられていた。
夢を見ているのだろう、桃色の髪をした少女が、少し寂しげながらも笑顔を見せる。
カウンターに置かれた二つのグラス、その氷が、かろん、と音を立てた。
少女の頬を、一筋の涙が伝った。
遠く離れた世界、鹿目まどかの基準となった物語のあった場所。
そこで一人の魔法少女が最期を迎えようとしていた。
長い、長い日々だった。
いなくなってしまった親友が大好きだった世界を守る為、戦って、戦って、戦い続けた。
彼女のおかげで魔法少女が魔女になることはなくなり、少女達が守りたかった人々を襲ってしまう悲劇はなくなった。
それでも魔女の替わりに魔獣は生まれ、人々の争いはなくならなかった。
そんな世界を見続けながらも少女は絶望することなく戦い、彼女の替わりに守り続けた。
この世界から彼女の存在は消えてしまった。
けれどもその少女には彼女との思い出が残された。
それを支えに生き続けた。
いつかまた会える日が来ると信じて。
魔法少女の肉体だからわからないが、もう少女とは呼べない年齢にまで生きた。
後輩も育った、共に戦うことの多かった仲間達も健在だった。
そんな折にあった魔獣との大規模な戦い、運悪くも一人で立ち向かい、勝利した。
空耳なのかもしれないが、彼女の、
「がんばって」
という声が聞こえたから少女は踏ん張ることができた。
戦いの結果ソウルジェムは濁りきってしまったが、少女の心には安堵があった。
ようやく彼女と会える、その思いだけがあった。
そして戦いの疲れもあり目を閉じる。
後は迎えに来た彼女が起こしてくれるだろう、と安らかな眠りだった。
少女は夢を見た。
そこでの少女は、まだ時を渡って彼女を救おうとしていた頃だった。
少女の知らない物語だった。
少女は漆黒の魔人に出会い、魔術師に出会い、少女は友人達と、彼女と共に歩んだ。
願望と、闇と共に、人間として生きた。
ワルプルギスの夜に挑み、そして………………
夢が終わり、少女は目を開ける。
そこには、ずっと待ちわびた彼女の姿。
「これからは、ずっと一緒だよ」
彼女は言った。
「これからも、でしょう?」
少女は、微笑みながらその手をとって答えた。