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[27743] 【完結】魔法少女奇譚(魔法少女まどか☆マギカ×夜魔・Missing)【外伝追加】
Name: ふーま◆dc63843d ID:4fd9a1a0
Date: 2012/10/15 21:33
クリック?
クラック!

さあ、今日は魔法少女のお話をしましょう。



ふーまと申します。

まどかを見てハマり、衝動的に書き始め、ついに完結することができました。
外伝はこの一話のみ、完全に完結となります。
魔法少女と願望の物語、楽しんでいただければ幸いです。


なお、当作品には以下の要素が含まれています。

・クロスオーバー(甲田学人:夜魔、Missing)
・独自考察(童話的な意味で)
・魔女の多少の変質
・クロス元、原作に比べるとお砂糖スプーン一杯分くらい甘口

甲田作品の知識はあったほうが楽しめますが、なくてもいけるようには書いています。
少なくとも神野さんについての説明は原作でもこのくらいだったと思います。

なお、この作品における「願望」はのぞみ、またはねがいと読んでください。

2011
5/20 2話の「夢」の最後に書き足し。

8/13 「1日目の終わり」のかぎかっこ部分のミス修正。

9/11  その他板に移行。

10/21 「家と家なき子」 時間が分かりやすいよう終盤を修正。

2012
1/20  主に誤字脱字や改行、上条に統一等の修正。
    会話間の地の文を分かりやすくなるよう多少追加(内容に変化はなし)
    また、家と家無き子~姫の親友かく語らうまでの時間軸を「綻び」から翌日に統一(ところどころミスがあったため)
    姫の親友かく語らうの終盤を加筆。

8/26、31、9/1、2  句読点、誤字、改行、三点リーダー等見直し修正
           3話、「夢」のワル夜撃破を退けるに変更
           このSS開始時までのワル夜完全撃破→消滅はない設定です。

10/15 外伝追加、完全に完結。
    最終話のさやかの自称を変更。三人目ならこれでしょう。
    これ以後は内容の変更はありません。
    編集があれば、それは誤字修正になるでしょう。



[27743] 邂逅
Name: ふーま◆dc63843d ID:4fd9a1a0
Date: 2012/08/26 15:47
 何度時を繰り返しただろうか、何度悲劇を見ただろうか。
 何度ワルプルギスの夜に挑み、何度破滅した彼女を見捨てて敗走しただろうか。
 またいつもの病室に戻ってきた。
 やぼったい三つ編みと眼鏡が弱い自分を表していた。
 鏡に映るその姿を見るたびに思い出す。
 自分を救ってくれた彼女を、自分の名前をほめてくれた彼女を、あの笑顔を、ともに笑いあった思い出を。

「まどか……」

 泣いてしまいそうになる。
 だが私には感傷に浸っている暇はないのだ。
 交わした約束を果たさなければならないのだ。
 そう、なんとしても彼女だけは助けなくては―――それが私の願いなのだから………
 




「――――――それだけではあるまい?」

 突如として現れたその男は、“陰”を引き連れていた。
 それは誇張でもなんでもなく、“彼”が現れた途端に突如として日が翳り―――光の注ぐ白く清潔な病室は一瞬にして鉄錆のような臭いのする禍々しい闇に塗りつぶされた。
 美貌の男だった。
 戦前から迷い出たような、大時代な服装の男だった。
 黒よりもなお暗い、それでいて全くの闇でもない夜色の外套に身を包み、“彼”は雰囲気の一変した世界の中央に超然と立っていた。

「魔女っ!?」

 暁美ほむらを襲ったのは未知の体験による困惑と、眼前の男への恐怖だった。
 暁美ほむらは魔法少女にして時間遡行者である。
 魔法少女―――それは願いが叶うことと引き換えに世に害をもたらす魔女と呼ばれる怪物と戦う運命を持つモノたち。
 ほむらはたった一人の友人を救うため、その願いによって同じ時間を数え切れないほど繰り返し、幾千という魔女と戦い、たった一つの出口を探し続けているのだ。
 そう、何度もだ。
 もはやほむらにとってこの期間に起こることで分からないことはないはずだった。
 どんな魔女がいるかについては、種類や居場所、能力にいたるまで完全に把握していた。
 それでもこの時間の迷路から抜け出せないのは、選択肢を一つ間違えると一直線に破滅へと突き進む他の魔法少女や、手を変え品を変え体を換えて契約を迫る白いケダモノ、強すぎるワルプルギスの夜と呼ばれる魔女といった、判っていても対処しきれない要因によるものである。
 そんなほむらにとって、“彼”の出現は初めてのことだった。
 気配すらなく魔女が現れるなど今までなかった。
 まともな言葉をしゃべる、というよりまともな人型の魔女などいなかった。
 そもそも男ではないか。
 だが魔女の撒き散らす絶望と同じ気配が、そして魔女のそれよりも深く、暗い、昏い、闇がそこにはあった。
 ほむらは動けなかった。
 恐ろしかった。戦いへの恐怖ではない、純然たる闇への恐怖が体を縛っていた。


 動けないほむらの困惑の中、“彼”は嗤った。
 長髪に縁取られた、怖気をふるうほど端正な白い貌。
 その一部である口が、三日月形に切り取られたこのように薄く開かれ、嗤っていた。

「アレらと私とは、似て非なるモノだ。
 『願い』の果てに自らの『願望』を失った、という点では同じようなものだがね。
 魔法少女にして時間遡行者、暁美ほむら」

ほむらからどっ、と汗が噴き出す。

(なぜ、私の名前と魔法少女であることを知っているの?
 しかも魔女のことまで……)
 
「……その問いには答えはない。
 応えることは可能だが、それは君にとって答えにはなってはいないだろう」

(心を読んでいるの!?)

 “彼”の嗤いが深くなる。
 それはほむらの問いへの、何よりも明確な答えだった。
 そして恐らく………『心を読まれている』という答えは正しく、また正解ではない。

「何、そう身構えることはない。
 私は君の望みを守護するために来たのだ。
 喜びたまえ、君の紡いできた因果の糸は、繰り返し廻された願いの輪は、私を手繰り寄せるまでにいたったのだから」

「………あなたは……」

「何者か…か?」

言葉にならないほむらの台詞を“彼”は引き取った。
そして詠うように、答えた。

「私は“夜闇の魔王”にして“名付けられし暗黒”、そして“叶えるもの”だ。
 だがもし、最も本質的かつ、無意味な名で私を呼ぶのであれば、私の名は神野陰之という」

 神野陰之…ほむらはかつて聞いたことがあった。
 この病院に来る前、羽間市の病院にいたころ、外で犬を散歩させていた少女に聞いた名だ。
 たしか、その都市に棲むという魔人、人の望みを叶えるという生きた都市伝説。
 そして、まほうつかい。

(わたしを楽しませるための、ちょっとしたおしゃべりかと思っていたけれど、まさか実在したとはね……)

 あの話の通りなら、この時間の迷路を抜け出すためのカードになるかもしれない。
 だが、慎重にならねばいけなかった。
 なぜなら、ほむら達魔法少女は、別の叶えるモノに騙され、悲劇を繰り返しているのだから。

「神野陰之、あなたは願いを叶えることで、何を得るつもりなの?」

 その問いかけに“彼”は心外そうに顔を歪めた。

「あの異星から来た“孵す者”と一緒にしないでくれたまえ。
 私は本当の『願望』を守護するものだ。
 “孵す者”共は上辺の願いでも叶えてしまうから、自らの本当の願望と向き合ったとき、それが叶わないことに魔法少女は絶望して魔女へと変わる。
 ひどいものだ」

 獰猛に、そして哀れむように“彼”は嗤い、続ける。

「私は君に何も求めることはない。
 ただそれが善であれ悪であれ、全て肯定して心の奥の本当の『願望』を叶えるだけだ。
 暁美ほむら、他者の思いを踏みしだき、弱き心を持つもの、現実に苦しむもの、ともすれば自らも蹂躙して進む『願望』を持っているのだろう?」

「私は……」

 返す言葉もなかった。ほむらは自分の願い―――親友のまどかを助ける―――ために他の全てを切り捨ててきた。
 なんとしても叶えたい『願望』を持っていた。

「さあ、ためらいを飲み干し、君の『願望』を言ってみたまえ。
 彼女を助ける以上の望みを、本当は持っているはずだ。
 君は、その欲深い憧れの行方にどのような明日を夢見るのだね?」

 眼前の魔人の言葉に嘘はない、というのがほむらの直感だった。
 誰よりも強く望むのならば、経過に何を引き起こすか分からないがそれは叶うであろう。

「……私は、私の本当の『願望』は―――――」

しばらくの逡巡の後、ほむらは『願望』を口にする。
この時の迷宮の中、心の底にしまいこんでいた、その実頼る全てであったが本当の『願望』を―――――





[27743]
Name: ふーま◆dc63843d ID:4fd9a1a0
Date: 2012/08/26 15:55
 鹿目まどかの眼前に広がっていたのは廃墟だった。
 ビルは途中から折れて砕かれ、大地は水に飲み込まれていた。
 空には暗雲が立ち込め、中央では布に覆われた台座から飛び出た巨大な歯車が回っていた。
 だが良く見ればそれは台座などではなく、白と青で彩られたドレスを着た女性が逆さまになっていることがわかった。
 女性だ、と思ったのは歯車を覆うスカートと女性特有の甲高い笑い声による印象だった。
 嘲笑しているような、自嘲するような両方にも取れる笑い声だった。
 それは人というにはあまりに巨大で無機質で、その貌には笑い声を上げる口以外の器官が存在していなかった。
 鹿目まどかはあれがこの廃墟の元凶だと直感する。
 あれはその歯車が止まる日まで、その悪意を持って延々と破壊の作業を続けるのだろう。

 その歯車を止める者は存在しないのだろうか。
 鹿目まどかが思ったとき、一人の少女がビルの陰から飛び出した。
 白を基調にしたスレンダーな制服のような衣装に身を包んだ長い黒髪の美少女だった。
 強い意思を込めた瞳で歯車の怪物を見据え、一直線に飛び出していく。
 だが、それは届かない。
 怪物が放つ炎に足止めされ、投げられたビルが行く手を遮る。
 かろうじてかわすものの、火の粉や破片は容赦なく少女を傷つけていく。

「そんな、こんなのってないよ……あんまりだよ!」

 どうして彼女は絶望的な戦いを続けるのだろう。
 どうして彼女は一人なのだろう。
 彼女のそばにいるのに、どうして何もできないのだろう。
 力があれば、彼女を助けてあげられるというのに。
 
『仕方ないよ。
 彼女一人では荷が重すぎた。
 けれど彼女も覚悟の上だろう』

 声が、聞こえた。
 振り向けばそこにいたのは赤い目を持つ白い小動物だ。
 猫の耳から毛のごとくたれ耳が伸びている、そんな不思議な生物がいた。

『諦めたらそれまでだ。
 けれど君なら運命を変えられる。
 避け様のない滅びも、嘆きも、全て君が覆してしまえばいい。
 その為の力が、君には備わっているんだから』

「本当、に? 
 私なんかでも、こんな結末を変えられるの?」

 自分のように無力でなんのとりえも無い人間に、そんなことができるんだろうか。

『勿論だよ』

 まどかの質問に頷き、白い生き物は言葉を続ける。

『だから、僕と契約して魔法少女になってよ!』



「―――その願いは彼女の望むところではないし、君の願望も踏みにじられることになってしまうよ」

 この悲劇を変えられるなら迷いなど無い、そう思い口を開こうとしたそのとき、いきなり背後から声がした。
 いつの間に現れたのか。夜のように黒い男が立っていた。
 ママよりも美しい顔で、それでいて眼前の少女と怪物の戦いが色あせるくらいの存在感があった。

「その願いの末路は、ほら……」

 瞬間、映像が流れてきた。
 これまでの廃墟とは違う、見慣れた普通の町並みだった。
 ただ、そこに移る人を除いて、

「いやああああ、ママ、ママあああぁぁぁ……」
「助けて、助け…て…」
「何が起きて、うわあああああああ…」
「きょう…すけぇ…たすけ…」
「しづ…き…さ…」
「きょう…すけ…さ…」
「たつや…どうして、まどか…どこ…?」

 人間の尊厳を無視した、冒涜的な映像が繰り返される。
 苦しみの声をあげて倒れ、輪郭が徐々に歪み、ぐにゃり、と粘土のように腕が奇怪な方向を向き、顔が、足が、腹が、背中が溶けぐずぐずと白い肉塊に崩れていく。
 崩れた体からは魂らしき光が上へ上へと登っていく。
 先生が、クラスメートが、親友が、ママが、パパが、たっくんが、形を失い、クズレテ……
 崩れて逝く皆を笑いながら見下ろし、光を愛おしそうに愛でているのは・・・私?

「あなたが叶えたんだよ」

 透き通った声が聞こえる。
 純粋な笑いとはこんなものなのだろうか、と場違いにもそう思わせる声が。

「みんながひとつになって、争いの無い、みんなが仲良くなれる世界を」

(こんなの違う……いや…)

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁ……夢?」





 鹿目まどかはごく一般的な中学二年生の少女だ。
 主夫の父とキャリアウーマンの母、幼い弟を家族に持つ。
 父親が主夫というのは珍しいが、それ以外は自分のことをごく普通の少女だと思っている。
 そんな彼女の日常もそれにふさわしいものであり、いつもの朝ならば、起きて父にあいさつをし、弟とともにぐずる母を叩き起し、
 母とともに歯を磨いて、かっこいい母を見送り、まどかも家を出る、といった、幸せで平凡な模様が見られただろう。

 だが、今日に限ってはあの悪夢のせいで、真夜中に目が覚めてしまった。
 途中までは、自分がヒーローになって活躍できそうな雰囲気だったのに・・・
 まどかは思うが、同時に思い出してしまう。
 ぐずぐずと崩れる家族の顔を。
 やけにリアルな夢だった。

(まさか…ね…)

 そんなことあるわけない、これは夢だと思いつつも、不安はまどかを駆り立てる。
 しん、とした生き物の気配が希薄な夜。
 廊下を歩けばこつ、こつ、と自分の足音だけが響く。

(パパ、たっくん…)

 二人の眠る父の寝室のドアに手をかける。
 どっ、どっ、と自分の心音のみが響く中、きぃ、とドアを開けると、暗闇の中、



……二人はすやすやと眠っていた。

(そうだよね。やっぱりただの夢だよね…)

 安心したまどかはため息をつき、念のため隣の母の部屋にも乗り込む。
 相変わらずの間抜け顔を眺める。
 起きていればかっこいいのになあ。
 安堵して去ろうとするも、やはり怖くなって母の布団に潜り込んだ。
 中学生になったとはいえ、怖いものは怖いのだ。
 母のぬくもりに、恐怖が薄れていくのを感じた。





 翌朝、そんな二人をもう少し一緒に寝かせてあげようとした父の粋な計らいにより、いつもの平穏な鹿目家は慌てる女性二人によって騒乱につつまれたのだった。



 どたばたと外に飛び出し、駆け足で二人の親友と合流する。

「ごめん、さやかちゃん、仁美ちゃん」

 美樹さやかは青髪のショートカットで快活な少女であり、志筑仁美は緑髪のウェーブのかかったセミロングのおしとやかな少女である。

「遅いぞ、まどか!」

「まどかさん、おはようございます。」

 三人でわいわいと話しながら、登校する。
 仁美がまたラブレターをもらったこと、担任の交際が3ヶ月を超えるかどうか、などなど。
 流れで、まどかのリボンの話になった。
 慌しいなかで、母が選んでくれたものだ。
 これでまどかもモテモテだ、とか言っていたが、パンを咥えながら言われても説得力がなかった。

「派手じゃない?
 変じゃないよね」

 そんなことを思い出しながら、まどかは不安げに問いかける。

「くぅー、かわいいじゃないのさ。
 これでまどかの隠れファンもメロメロだ-。
 獲られる前に私が嫁にもらってやるー」

 それを聞くなりさやかが笑って抱きついてくる。
 さやかの体温を感じながら、昨夜の悪夢をふと思いだす。

(みんな生きてる、いつもの日常、それはとってもうれしいなって)

 こんなに日常を大切だと思ったのは久しぶりだった。


「ああ、二人はそんな関係だったなんて。いけませんわー」

 動かないまどかを見て、妄想が暴走して駆け出す仁美を二人が全力疾走で追いかけるのはそれから10秒後の話であった。





 まどか達の通う見滝原中学校は変わった学校だ。
 机やいすが床に収納可能だったり、大学入試レベルの数式が授業に出たりもする。
 また、壁は全てガラス張りになっている。
 開放感を出すというふれこみだが、授業の難易度による閉塞感やその形から水槽やら水族館とも呼ばれている。
 そんな学校であろうと、なれきってしまった少女達は気にせずおしゃべりを続ける。。

「いやー、まどかの反応がおかしいと思ったら、怖い夢を見たせいなんてねえ。
 子供っぽいまどかもかわいいぞー」

「昨日さやかちゃんが怖い話なんてさんざん聞かせるからだよ」

「病院のぬいぐるみの話とかすごい怖がってたもんね。
 縫い目のほころびから人の指が飛び出てたり、眼が覗いてたりするって」

「思い出させないでよー」

「怖い話といえば、この水槽、ガラスに魚が泳いでることがあるらしいですわ。
 そして前にそれを見た生徒は、忽然と教室から姿を消し、三日後に水死体で見つかったとか」

「仁美ちゃんまでやめてよ!」

 まどかがつい声を荒げてしまったとき、がらっ、と音を立て、怒気をたぎらせた担任が入ってくる。

「いいですか。女子の皆さん!」

 騒ぎすぎた、とまどか達は身構えた。

「卵の焼き加減にケチつけるような男とは交際しないように!!
 そして男子は!くれぐれもそういう大人にならないように!!!」

 しかし始まったのはいつもの愚痴である。
 そういえば、交際3ヶ月とまだ持ったほうだが、そろそろ危ないということを昨日話していたのだった。
 担任には悪いが、彼女が振られるのを見ることで、平和な日常であることを実感する。
だが―――

「あー、あと転校生紹介しまーす」

((そっちが先だろ(よ)))

 生徒が心の中でつっこむ中、入ってきた少女を見てまどかに寒気が走った。
 入ってきたのは、見覚えのある長い黒髪の美少女だった。
 周囲がざわめいているが、それすら耳に入っては来なかった。

(あの人、昨夜の夢に……)

「暁美ほむらです。よろしく」



――――――日常が、崩れた。



[27743] 再会
Name: ふーま◆dc63843d ID:4fd9a1a0
Date: 2012/08/26 19:15
(ようやく、まどかに会える)

 教室の扉の前で待つ暁美ほむらの心には少々の不安と、親友に会える大きな喜びとがあった。
 たとえこの時間軸のまどかと自分は初対面であっても、どの時間軸でも優しく強いその魂に触れられるだけでほむらは幸せだった。
 特に今回は、戻ってきてからしばらくこの街を離れていたのでその感覚もひとしおであった。
 だが、

(ただ、神野陰之にまかせていたのがどうでるか……)

唯一不安なのはそこだった。

―――――
――――
―――

「それで、願望をかなえてくれるとは言ったけれど、あなたは何をしてくれるというの?」

 自らの願望を神野陰之に伝えた後、ほむらが問いかけた。

「君の願望に従い、彼女達を守護し、君の戦いの手助けをしよう。
 君の願望があれらや彼女達の願望を超える限り、君の力となろう」

 魔人は嗤みを絶やさずその問いに応える。
 しかしその答えはほむらにとっては不完全だ。
 彼女が求めるものは明確な形をもつ力なのだから。

「具体的には?」

「君の目の届かぬ間、彼女達を魔女から、そして孵す者から守り通そう。
 最も、孵す者との契約に関しては、その祈りが本当の願望に繋がるものであり、君の願望を上回るものである場合に関してはそちらを優先せざるをえないがね。
 そしてソウルジェムの穢れは私が引き受けよう。
 好きなだけ力を使い、願望に従い邁進したまえ」

 神野はさも当然というふうに応える。

「ジェムの穢れまで!?」

 まさに死活問題である問題に対してあっさりと解決策が示されたことにほむらにしては珍しく驚きの声を上げた。

「その程度造作も無いことだ。
 海に雫を一滴垂らしたところで海があふれるなどありえないだろう」

 人一人にとって抱えきれない、魂が壊れてしまうほどの穢れであろうと、眼前の、闇そのものといっていい男には大したことはないのだろう。

(これは……思っていた以上ね…)

 神野の述べたことは、ほむらにとっては破格の条件である。
 これまでのループでの失敗は、ほむら一人では余裕がなかったことにあった。
 ほむらがやるべきことは、まどかの守護以外にも多い。

 一つには他の魔法少女の守護。
 ほむらが繰り返す1ヶ月の間には、ほむらとまどか以外にも魔法少女が二人、高確率で魔法少女になる者が一人存在する。
 そのうちの一人は何年も戦い続けたベテランのくせになぜかこの一ヶ月の間に限って高確率で死亡し、この期間に魔法少女になる者は平均一週間で魔女化する。
 残りの一人もこの二人の破滅に巻き込まれて死亡する場合が多い。
 やっかいなことこの上なく捨て置きたいところだが、最後に控える強敵、ワルプルギスの夜相手にするための戦力確保には彼女達が欲しいところであるし、何より彼女達の死はまどかを悲しませる。
 だが、ほむら一人ではカバーしきれず、彼女達の破滅を阻止できないことがほとんどだった。

 もう一つは武器の調達とグリーフシードの確保。
 時間遡行の願いにより、ほむらは時間停止の魔法を手に入れていた。
 これは強力な能力であったが、その代わりに魔女を葬るに足る攻撃魔法はない。
 攻撃魔法以外の攻撃手段として、魔法少女には銃や槍、剣等といった個人に特有の武器を作り出す能力はある。
 しかし、ほむらの武器はその願いの性質の為か、砂時計を内蔵した盾といったものだったため、武器を別に入手する必要があった。
 自作の爆弾に加えて、ヤクザや自衛隊、在日米軍から火器や兵器をお借りしている。
 魔法少女としての武器である左手の盾は時間だけでなく空間も司るらしく、いくらでも収納はできるのだが、クリアしなければならない問題も多い。
 一つには良質な武器を入手するには遠出する必要があるため時間が掛かるということ。
 もう一つは基地等の奥に侵入するには時間停止を長時間駆使する必要があるので魔力の消耗が激しいことだ。
 魔力を消費すると魔法少女たる証のソウルジェムに穢れが溜まり濁っていくため、魔女が落とすグリーフシードを余分に入手する必要があった。
 神野陰之という反則的な存在以外には、ソウルジェムの穢れを癒す手段はこのグリーフシードしかないのだ。
 これらの作業は、最後に控えるワルプルギスの夜と戦うためには必須である。
 しかし、武器の充実を優先して時間を使っているとまどかが契約したりほかの魔法少女が破滅してしまう。
 かといってまどかや他の魔法少女を重視した場合、火力不足に陥りワルプルギスの夜相手に敗北したり、戦闘に時間がかかりすぎて街そのものが壊滅してしまったりする。
……長期戦のすえワルプルギスの夜を退けたものの、戻ってきて見たものが家族の死体にすがりついて泣き喚くまどかだった時は、無言で時を戻したものだ。

 時間遡行者である暁美ほむらにとって、その望む結末に至るために最も足りないものが時間であるというのはなんという皮肉だろうか。
 それだからこそ、神野陰之によって生じる時間の余裕はほむらにとって重要なものだった。

「私はこれから転校までの間、この街を離れて武器を調達に行くわ。
 あなたが言ったこと、確かめさせてもらうわよ」

 ほむらは覚悟を決める。
 目の前の魔人に頼るのならば、最大限利用させてもらおうと。
 転校までの間、まどかたちに何かが起こるというのは統計的にありえなかった。
 何もしなければまどかは魔法少女になるが、その理由も他愛もないものだったため、神野の守護を突破することもないだろう。
 そこでこの期間は神野に任せて装備を充実させることに専念する。
 もし神野が役に立たなかったとしても、早くにそれが判明したならば別の策を練ることもできる。
 大量の兵器が集まるだけでも、それはそれで力なのだし、最悪でももう一周する覚悟を決めればよいだけの話だ。
 そんなほむらの魂胆はとっくに見透かされているのだろうが、神野はドアを指差し、舞台の開幕を告げるように言葉を紡ぐだけだった。

「行きたまえ、君の願望のままに」



―――
――――
―――――

 そしてつい昨日までほむらは見滝原を離れて武器を調達していた。
 神野の言うとおり、どんなに時間停止を駆使してもソウルジェムが濁ることはなかった。
 能力のほうは信用してもよさそうだが、あの暗黒の存在が近くにいてまどかに悪影響がおよんでいないかが心配だった。
 そしてその心配は現実のものとなる。

「暁美ほむらです、よろしく」

 自己紹介の際、こちらを見たまどかがあからさまに怯えた目をしていた。



[27743] 接触
Name: ふーま◆dc63843d ID:4fd9a1a0
Date: 2012/08/26 16:04
「鹿目まどか。貴女は自分の人生が、貴いと思う?
 家族や友達を、大切にしてる?」

「え、えっと、大切だよ。
 家族も、友達の皆も大好きで、とっても大事な人たちだよ。」

「本当に?」

「本当だよ。嘘なわけないよ」

「そう。もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね」
 さもなければ、全てを失うことになる。
 あなたは、鹿目まどかのままでいればいい。
 今までどおり、そしてこれからも」

―――――
――――
―――
 
 これがいつもの時間軸におけるほむらとまどかとの最初の会話におけるやりとりであった。
 まどかを魔法少女にしないがため、ほむらは警告を行うのが常であった。
 例えその声が届かなくとも、自分を卑下し変わろうとしてしまうまどかを前にしては声をあげずにはいられなかったのだ。

 だが、今回はその警告が発せられることはなかった。





 どうしてこうなってしまったのか。
 授業を受けながらも、ほむらは上の空だった。
 自己紹介の際、自分を見たまどかが怯えた表情をしていたことについてだ。

(やはり、神野陰之に任せきりにしたのはまずかったかしら)

 まあ原因には心当たりがある。
 いくらほむらに利する存在であっても、あれは闇そのものだ。
 いくらあのインキュベーターから守護するためとはいえ、あんなものを普通の女子中学生の側に置いていて何も無いと考えるほうがおかしい。
 自分の願望の都合上、直接何かあったとは考えがたいが、恐怖体験でもしたのだろう、とほむらは考える。
 しかもその中に自分が悪い役で出ていたようだ。

(私はまどかにそんなことしないのに……)

 もっとも、かつての時間軸では警告の唐突さや断定的すぎる言葉遣いがまどかを怯えさせていたことをほむらは知らないのだが。
 つらつらとそんなことを考えていると、ほむらが集中していないのに気づいた教師に当てられてしまう。
 普通ならあわてふためくところだが、ほむらはスイスイと問題を解いてしまう。
 周りからは驚きの声が上がり、熱い視線がほむらに向けられるが当の本人の頭の中ではまどかとどう接触すべきかという考えが続いているだけだった。
 この一ヶ月を延々と廻り続けるほむらにとっては、その間の授業範囲ならば数学の証明すら片手間でやれるほどになっていたのだ。


 休み時間。
 前の授業で下手に実力を披露してしまったため、ほむらの周りには多くの生徒が群れていた。
 そんな姿を見ながら、まどかは今朝の夢のことを考えていた。
 ただの夢、そう思いたい。
 だが、その中で怪物と戦っていた少女はほむらにそっくりだった。
 そして…思い出してしまう。
 大切な家族や友達が肉塊に崩れていく姿を。

(こんな状態で暁美さんと話すことになったら何を話せばいいんだろう)

 まどかは悩んでいた。
 初対面の人間に怯えられるなど、それ自体がトラウマになってしまいかねない。
 とはいえ、彼女の顔を見て、今日のトラウマレベルの夢を思い出すなというのも無理な話だ。

(できれば、今日は話すことがなければいいなあ)

 明日なら、顔を合わせて話せるくらいには落ち着くだろう。
 だが、そんなまどかの願いもむなしく、唐突にほむらに声を掛けられる。

「鹿目まどかさん。貴女、保険委員よね?
 連れていってもらえるかしら…保健室に」





「あ、暁美さん、こっちだよ」

 まどかはぎこちなくほむらを案内する。
 ほむらに動揺を隠そうとするあまり、他の動作もおかしくなっている。
 周囲では美貌のほむらに対してざわめきが起こっているが、その中心の二人はほぼ無言で歩く。

「鹿目さん、大丈夫?
 私が言うのもなんだけど、あなたの方が保健室で休んだほうがよいのでは」

 先に折れたのはほむらだ。
 いつもの時間軸ならば沈黙に耐えられないのはまどかのほうで、なぜ自分を保険委員だと知っているのかなどとまどかが質問してきて、お互いの名前の話などになるはずだった。
 だが、このまどかにはその余裕がないようだ。
 原因が自分にあるであろうという負い目や、また、まどかの苦しむ姿を見たくないという想いから、できるだけやさしく声を掛けてみる。
 警告なんてしていられる雰囲気ではないと、流石のほむらも感じていた。

「え、ああ、ごめん。
 私なら大丈夫、気を使わせちゃったかな。
 保険委員だってのに、これじゃ失格だよね」

 えへへっ、と笑いながらまどかが応えるが、無理をしているのを隠せない表情をしていた。
 だから、ほむらは優しく気遣う声を掛けてみた。
 原因を知っているのに白々しいと自らを卑下しつつ。

「いいえ、そんなことないわ。
 ただ、あなたは無理をしてるように見えたの。
 私を見たとき、驚いたような顔をしてたし、何かあったのなら話を聞くわ」

「ああぁ、あれはね…」

まどかはいかにもばつの悪そうな顔をして、ためらいながらも声を出す。

「今朝、怖い夢を見ちゃったの。
 その中に暁美さんによく似た人がでてきて、それで暁美さんの顔を見てその夢を思い出しちゃっただけなの。
 ごめんね、初対面なのにいきなりこんな話しちゃって、おかしいよね私」

 まどかは正直に話すことを決めた。
 たとえ自分が変に思われても、自分のせいで暁美さんが転校生活に不安を感じるのはいやだったのだ。
 それに、嘘を言ったところで隠し事をし通せる自信はなく、それは余計に暁美さんを傷つけると思ったからだ。

「そんなことないわ。
 話しづらいことを話してくれてありがとう。
 それはただの夢よ。
 こんな可愛い子を怖がらせるなんて、夢の中の私は何をやっているのかしらね」

 まどかを励ますように、ほむらはにっこりと笑ってみる。
 だが、それはちゃんと笑えているのだろうか。
 まどかを救うため一人で戦い続けると決めて距離を置いてきた。
 この大切な友人に微笑みかけたのはいつが最後だっただろうか。
 歪な笑顔になっていないだろうか、またはその妄執から魔人と同じく嗤いに堕ちてはいないだろうか。
 ほむらの微笑にまどかが恐怖したなら、ほむらの心は絶望に染まっていただろう。

「ありがとう、暁美さん」

 だが、まだほむらは笑うことができたようだ。
 まどかも笑顔で返してくれた。
 いつもの初めの接触においては、暁美さん、という他人行儀な呼び名や戸惑うまどかに距離を感じてしまい、ほむらは胸を締め付けられる思いに駆られていただろう。
 そうすれば、ほむらはそのあふれんとする思いを抑えつけるために、突っぱねるような口調になった挙句、端的な警告のみを残して去るしかできなかっただろう。
 ただ、笑顔と共に呼ばれたなら、呼び名など大したものに思えなくなる。
 ゆえに、ほむらは穏やかな口調で返すことができた。

「ほむらでいいわ」

「じゃあわたしも、まどかって呼んで。
 よろしくね、ほむらちゃん」

 まどかは手を差し出す。
 その笑顔からは、だいぶ影が薄れたようだ。

「こちらこそよろしく、まどか」

 ほむらも笑顔を浮かべその手をとる。
 ちゃんと笑えているか不安になりながらも。
 お互いぎこちなさの残る笑顔ではあるものの二人の物語は再び交わり始まった。

 まどかは、夢のことを打ち明けてもほむらが引いたりしなかったので安心していた。
 そして、教室ではまだ誰も見ていないであろうその笑顔を見ることができてうれしかった。
 そう、あれはただの夢だ。
 新しい友達ができた、そのうれしさが闇を晴らしてくれた。
 また、ほむらのほうも、何時ぶりか分からなくなってしまったが、またまどかと近づけた喜びをかみ締めていた。





「あははは、それが二人の馴れ初めか~。
 悪夢から始まる恋物語ってねー。
 二人に電波がずびびってかー」

 放課後、喫茶店にて鹿目まどか、美樹さやか、志筑仁美、暁美ほむらの四人がテーブルを囲んでいた。
 大笑いしながら冒頭のセリフを吐いたのはさやかだ。
 まどかは赤くなっておろおろしており、ほむらは憮然としている。
 仁美に至ってはその二人を見てニコニコと笑っている。
 お互いの自己紹介から、取り留めのない話をする中で、うっかりまどかが昼の出来事を漏らしてしまったのだ。
 それにさやかが食いつき、それからはその話で持ちきりになってしまった。
 そうしてお茶会が終わる頃には、上機嫌な二人と、恥ずかしさや怒りでむすっとした顔の二人が出来上がっていた。
 ほむらにとっては心労が重なりまだ気づいていなかったが、彼女達の距離は間違いなく縮まっていたのは確かであった。





 お茶のお稽古に行くという仁美と別れ、まどか達は街を歩いていた。
 さやかのおせっかいで、今日はほむらに街を案内することになっていた。

「なあなあ転校生~」

「ほむらでいいって言ってるでしょう、美樹さやか」

 ほむらにさやかが絡み、ほむらは未だ憮然とした表情で返す。
 喫茶店での恨みがまだ残っていたのだ。

「あ、ごめん。
 ってあんたも私のことフルネームで呼んでるじゃない。
 まどか相手みたいにさやかって呼んでよ」

「二人の仲を笑っておいてそれはないんじゃないの、美樹さやか」

「あ、また~」

まどかの眼前ではさやかがほむらに絡んでいる。

(ほむらちゃんも大変だな~。
 それにしてもさっきのさやかちゃんは笑いすぎだったよ。
 こんなのってないよ)

 まどかも先ほどさやかにからかわれたことを根に持っていた。
 今日はとことんほむらちゃんの味方をしてやる、と思いほむらを援護しようと口を開いたそのとき、

(助けて、まどか)

 まどかの耳にどこからともなく声が響いた。
 声変わり前の少年のような声だ。
 あたりを見渡してみるが、それらしき人物の姿は見えない。
 それどころか、隣を歩くさやかとほむらには聞こえてすらいないのか、まるで反応を見せない。

(助けて…)

 再び声が聞こえてくる。
 その声は、絞りだすようにか細く、助けを求めていた。

「どこ、誰なの?
 待ってて、今助けに行くから」

 まどかは助けを求められて放っておけるような性格ではなかった。
 突き動かされるような衝動に心をとられ、さやかとほむらを置いて走りだしてしまう。
 だが、冷静になって考えれば、その現象のおかしさにと気づけただろう。

 なぜ、自分にだけ声が届くのか?
 なぜ、自分の名前を知っているのか?
 なぜ、言ったことのない場所なのに、声の主のいる場所が脳内に映し出されるのか?
 
 最も、彼女がこれらのことに不安を感じ、足を止めてしまうような少女だったのなら、この物語、暁美ほむらの戦いは始まりすらしなかっただろう。
 鹿目まどかの持つ他者への共感と思いやりは、自分自身の保身などを追いやってしまうためであり、ほむらもそれに助けられたからだ。

「どうしたの?まどか」

(まさか…)

 いきなり走りだしたまどかに驚いてさやかが声を上げる。
 ほむらも驚いていたが、それはまどかの奇行に対してではない。
 インキュベーター、魔法少女を勧誘するモノ、そいつがまどかを呼んでいるのだということにはすぐに気づいた。
 彼らは魔法少女及びその素質があるものに対してテレパシーを使うことができるのだ。
 だが問題は、インキュベーターがまどかに助けを求めたことだ。
 いつもの時間軸ならば、まどかとインキュベーターを遠ざけるため、ほむら自身が狩りを行っていたため、インキュベーターがまどかに助けを求めることも考えられただろう。
 しかし今回の時間軸ではほむらは狩りを行ってはいない。
 そもそもこの街の魔法少女、巴マミはインキュベーターと良好な関係を気づいているはずだった…それが無知から来るものだとしても。
 まるで心当たりが無い上、神野陰之の守護を越えて両者が接触してしまうことは、ほむらを焦らせるには十分だった。

「待って、まどか!」

「っ!
 追いかけましょう」

 まどかを追い、駆け出したさやかを見てほむらも思考の渦から再起動を果たして後を追った。



 少女達の出会いは最初の印象にも関わらず良好なものではあった。
 しかし、暁美ほむらの願望にも関わらず、この時間軸でも少女達は魔法少女の物語に巻き込まれることになる。



[27743] 使い魔との戦い
Name: ふーま◆dc63843d ID:4fd9a1a0
Date: 2012/08/26 16:19
「誰、誰なの?」

 まどかは声の主を探して歩いていた。
 その歩みはゆっくりながらも、迷うことなく声の主の下へと向かっていく。
 脳裏に浮かぶ声と映像を頼りに、着実に進む。

「どこ、どこにいるの?」

 追いかけるのに集中していたためまどかは気づかない。
 いつの間にか路地裏を超え、人のいない改装中のビルに入りこんでいたことを。
 後ろからさやかとほむらが追いかけてはいるのだが、入り組んだ道に迷い未だ追いついてはいない。
 まどかがたどり着いたのは、まだ使い道の決まっていないだろう寂れたワンフロアだ。
 その中心に、傷つき倒れ伏す白い生き物がいた。

「助けて…」

 その生き物が声をあげる。
 まどかは自分を呼んでいたのがそれであると直感的に感じ取って駆け寄る。
 猫の耳から毛のごとくたれ耳が伸びているようなそのデザインは夢で見たものであり、動物が喋るなど常識ではありえないことである。
 だが、まどかの体はそのことに思い至るよりも先に動いていた。

「怪我してる、今助けてあげるから」

 まどかはその生き物を抱きかかえる。

「ありがとう、まどか。
 怪我は大丈夫。
 今は早く、僕を連れてここから離れるんだ」
 
「それはどういう…」

「しまった、おそかった」

 どういう意味、とまどかが言うよりも前に、世界に変化が起こった。
 景色がゆがみ、コンクリートの地面は色とりどりのタイルをばらまいたような色へと、無骨な柱は捩れた木や茨、洋館や騎士などを模ったオブジェへと変わっていく。
 大量の蝶が舞い、地面に降りた蝶からは巨大な収穫前の綿花のようなものが生えてくる。
 もはや壁も出口も見当たらなかった。

「ねえ、何これ!?」

「ごめん、まどか。
 君を巻き込んでしまった」

 まどかの恐怖する声に、白い生き物は息も絶え絶えに謝る。
 その間にも、綿花の綿の部分からは立派な口髭が生えてまどか達を取り囲む。

Das sind mir unbekannte Blumen   (知らない花が咲いてるぞ)
Ja, sie sind mir auch unbekannt   (知らない花が咲いてるぞ)
Schneiden wir sie ab           (摘んでいこう)
Ja schneiden doch sie ab   (摘んでいこう)
Die Rosen schenken wir unserer Königin (女王に薔薇をプレゼント)

 綿花たちは口々に歌いつつ、獲物を見つけたことを喜ぶかのように体をゆらし、人の顔であれば目に当たる部分に漆黒の穴を開けて笑う。
 その手にあたる葉の部分からは茨が伸び、その先に鋏を持って、しょきん、しょきん、とまどかを刈り取るべく近づいてくる。

「これ悪い夢、だよね?」

 あまりのことにまどかはすっかり怯えている。

「ごめん、まどか。
 残念ながらこれは現実なんだ。
 でも君の秘める力なら、こいつらを倒して脱出できるはずだ。
 僕と契約して魔法少女になってくれさえすればね」

「契約、それって…」

 まどかはこの状況から逃れるため、その言葉に惹かれてしまう。
 だが、そこから先は足元から立ち上った光によって遮られる。
 立ち上った光はまどかを優しくつつみこみ、押し寄せる綿花たちを押しのけた。

「危ないところだったわね」

 そこにいたのは、まどかと同じ見滝原中学の制服を着た少女だった。
 黄色い髪をツインの縦ロールにした大人びた少女で、手には光る石のようなものを持っている。

「キュゥべえを助けてくれてありがとう。
 おかげで大切な友達を失わずに済んだわ。
 でもね、キュゥべえ、助けを求めるなら私のような魔法少女を呼びなさい。
 もう少しで二人とも危ないところだったのよ」

 非難する響きを帯びてはいたが、それ以上の安堵を含む声でその少女は白い動物に話しかける。

「あの、あなたは……」

「私は巴マミ。
 見滝原中の三年生よ」

「私、鹿目まどかっていいます。
 その子に呼ばれたんです」

 それを聞いた少女はくすっと笑うと、再び近づき始めた綿花たちを見渡す。

「それ以上は、一仕事終えたあとにね」
 
 そう言うと少女はその光る石を掲げる。
 光が迸り、それに包まれた少女が優雅に回ると制服が消え、靴はブーツに、スカートは髪と同じ黄色に、そして胸元にも黄色いリボンが現れ、頭には帽子と髪飾りが追加された。
 そのまま飛び上がり、少女が手を一振りすると何も無い宙から大量のマスケット銃が表れた。
 そしてそれは一斉に発射され、轟音と共に綿花の群れをなぎ払った。
 だが、

「まどかっ!!」

一匹打ち漏らしていたようだ。
 ようやく追いついたほむらだが、時間停止の魔法を使おうとするが間に合わない。

(こんなところで……)

 感覚が暴走して時間が停止したようなその世界で、ほむらはまどかの首へとせまる鋏を見ていた。
 そして―――ばちん、という音と共に、いつの間にか立っていた神野陰之の体に鋏が食い込み……ずたずたになった綿花の化け物が崩れ落ちた。


 化け物が崩れ落ちると共にその奇妙な空間は消失したが、いきなり表れ、未だそこにいる神野陰之に少女たちは固まっていた。

「ほむら、いきなりあわててどうしたの?
 それに何よその格好、いつ着替えたのよ?
 あれ、まどか、あんたがいきなり走り出すからどうしたのかと思ったよ。
 あれ、そしてそこの二人は誰?」

 そこにようやくさやかが追いつく。
 眼前に広がる光景を前に混乱しているようだ。
 とはいえその言葉に少女達は再起動を果たした。
 始めに動いたのはマミだ。

「鹿目さんを助けてくれたのには礼を言うわ。
 でも貴方は何者なの?
 魔女に近い雰囲気を纏っている、返答次第では撃つわよ」

 マミはマスケットを神野に構え、警戒を崩さず問いかける。
 そのいきなりの行動にさやかは息を呑んだ。
 だがさやかに構っている余裕はマミにはなかった。
 これは明らかに闇のモノだと、人ではないとマミの本能が告げていた。
 これまで戦った魔女にこのような存在(そもそも目の前の者は男に見える)はいなかったし、またこれほどのモノもいなかった。
 最後に使い魔を倒したその挙動はマミの眼をしても見切ることはできなかった。
 それに確実に刺さったはずの鋏によるダメージもまるでないようだ。
 もしこれが魔女の一種なら、魔法少女たるマミは戦わなければならないのだ。
 冷や汗をかきながらも、動揺を隠し戦闘態勢を崩さないのはマミがベテランゆえである。
 そんなマミの健気さを暖かく見守るように、またはその蟷螂の斧を嘲笑うかのように、嗤みを浮かべた神野が応える。

「安心したまえ、私は魔女ではない。
 私は願望を守護する者にして魔法そのものだ」

 警戒を崩さないながらも、マミは少し安心していた。
 とりあえず話は通じるらしい。
 またこの返答なら、ほむらと呼ばれた少女の願いに関係あるのだろう。
 魔法そのものというなら、ほむらの固有魔法がこいつの召喚なのかもしれないとマミは考えた。

「彼女の願いによって現れたということかしら」

「彼女の願望が呼び出したという意味では正しいね」
 
 確認のために放った問いへの神野の返答は含むものではあったが、マミはそれで納得したように銃を降ろした。
 魔法少女は奇跡を起こす存在だ、どんな願いならこんなものが湧いてくるのか納得は全然できないが、理解はできる。
 それに、それ以上踏み込むのがためらわれたというのが大きい。
 魔法少女にとってその原点たる祈りは大切なものだ。
 やすやす踏み込んでいいものではない、とマミは思っている。
 
 緊張を解いたマミだったが、その耳に聞こえてきたのはさやかの心配そうな声だった。

「ちょっとまどか、大丈夫?」

「あら、どうしたの鹿目さん」

 マミと神野の会話の裏で、まどかはずっと怯えていたようだ。
 怪物に命を奪われかけただけでも普通の人間には激しすぎる体験だ。
 そこに朝の夢に出てきたのと同じ生物、其の時と同じ衣装の暁美ほむらに、夢を悪夢に変質させた男が現れたら悪夢のフラッシュバックがそこに加わるには十分すぎるきっかけだ。
 まどかの頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

「あなたが無事でよかったわ。
 でもごめんなさい、怖がらせてしまって。
 あなたを巻き込みたくはなかったし、あなたの前ではこの姿もあいつも見せるつもりはなかったのだけど」

 その肩にそっと手を当て、声をかけたのは心底すまなそうな顔をしているほむらだ。
 夢の件についても、喫茶店で内容を聞いていた。
 その夢はほむらを救おうとした挙句、魔女となってしまったまどかが世界を滅ぼした時間軸の内容だった。
 自分の願望が、結局まどかに望まぬ運命を歩ませてしまった時間軸。
 そして今なおそのことで苦しめる、それを心苦しく思っていた。

「あれはあんな感じだから、感受性が高いとあれに当てられて怖い思いをすることがあるの。
 こんなことになってしまったから出さざるをえなかったけれど、本当にすまないと思っているわ。
 あなたに危害を加えることはないし、味方だから心配しないで」

 特に夢が悪夢に切り替わるきっかけとなった神野陰之に関しては多少のごまかしを入れつつも重点的に補足しておく。

「ううん、ありがとうほむらちゃん。
 助けてくれたんだもんね」

 ほむらの言葉は、心を閉ざしてきた期間の長さゆえ少々淡々としすぎていたが、その口調にあった心配する気持ちが伝わったのだろう、まどかは少し安心したようだった。
 神野に関しても、自分の盾になってくれたため危険だという感覚は大分薄れていた。

「でも、あの夢は…」

 本当だったのかな? そのつぶやきがふとまどかの口からもれようとする。
 それを遮ったのは神野だ。

「“あれ”は泡沫の夢にすぎないよ、鹿目まどか。
 “君”が気にやむことではない」

 そう言い切られ、出鼻をくじかれたまどかは口をつぐんでしまった。
 それを機に沈黙が場を支配する。



「ねえ、せっかくだし、私の家で話を聞いていかない?
 改めて自己紹介するわ。
 私は巴マミ、見滝原中学の三年生よ。
 巻き込んでしまった以上、ちゃんと説明しないとね」

 その沈黙を破り、明るい声を挙げたのはマミだ。
 その声にはまだ無理が見えたが、場の空気を変えるには十分だった。
 さやかなどは、マミさんナイス、とばかりに親指を立てマミに見せてきた。

「そうだね、ぼくとしても素質のある子たちにはちゃんと説明したいし」

 それに乗ったのはキュゥべえだ。
 傷ついていたこともあり会話に参加できなかったが、混乱するまどかをほむらに任せてもよいと判断したマミによって治療されており、ようやく復活したのだ。

「そうだね、マミさん。
 私は美樹さやかって言います。
 いったいどうなっているのか聞かせてください。
 私は途中から来たのでいまいち状況がつかめてないんですよ」

 さやかがそれに追随する。

「ほむらちゃん…」

「そうね。
 こうなってしまった以上ちゃんと説明しなきゃいけないでしょうし、お邪魔しましょう。
 これ以上あなたを不安にさせたくないもの」

不安がるまどかを安心させるように、ほむらもその誘いに乗った。
こうしてまどか達はマミの家へと向かう。
神野陰之はいつの間にか消えていた。



[27743] 一日目の終わり
Name: ふーま◆dc63843d ID:4fd9a1a0
Date: 2012/08/26 16:43
「マミさん、すっごくおいしいです」

「うんうん、めちゃうまっすよ」

まどか達はマミの家で、出された紅茶とケーキを味わっていた。

「ええ、ほんとうに…おいしいわ」

 ケーキを口にしつつほむらは思う。
 魔法少女も何もなくただ友人や先輩とお茶をする、それができることがどれだけ幸せかと。
 思えば自分も、真実を知る前の時間軸では穏やかにこの部屋で過ごす時間を楽しみにしていたのだ。
 だが、残念ながら今のこの部屋の平穏さは仮初であることをほむらは知っている。
 先ほどの戦いで生じた不安や不信は隠されているだけで完全には拭い去れていない。
 この空気がある以上、以前ほむらが楽しんだお茶会にはならないだろう。

「ありがとう、キュゥべえに選ばれた以上、あなたたちにとっても人事じゃないものね。
 ある程度の説明はしておかないとね」

 マミはお礼を言い、説明に入ろうとする。

「うんうん、なんでも聞いてくれたまえ」

「さやかちゃん、それ逆」

「こいつのことはほうっておいていいわ。
 本題に入りましょう」

 さやかのボケにまどかが苦笑いで返し、ほむらはさらりと流す。

「ええ、じゃあ、暁美さんもソウルジェムを出してくれるかしら」

「わかったわ」

 そして二人の手から取り出されたのは、卵型の宝石だった。
 台座に置かれた宝石を固定するように、装飾のされた金具が付き、自立するようになっている。
 マミの宝石の色は暖かさを感じる黄色、ほむらの宝石の色は神秘的な輝きを放つ紫だ。

「わー、きれい」

 まどかが感嘆の声を挙げる。

「これがソウルジェム、魔力の源であり、キュゥべえと契約した魔法少女であることの証でもあるの」

「契約って?」
 
 さやかが問いかける。
 それに答えたのはキュゥべえだ。

「僕は、君たちの願い事を何でも一つ叶えてあげる」

「えっ、ほんと?」

「願い事って?」

 なんでも願いが叶うということにまどかとさやかが反応する。

「なんだって構わない、どんな奇跡だって起こしてあげられるよ。
 傷を癒す魔法はなく。
 星を落とす魔法はなく。
 闇を切り裂く聖剣はなく。
 愛するものを蘇らせる秘術は無く・・・昔君達の誰かが言っていた言葉さ。
 でもね、僕と契約してくれたらどんな願いだって叶えてあげる。
 魔法の力で、空想の果てなんかじゃなく、現実にしてみせるよ」

 その言葉にさやかがピクリと反応したのをほむらは見逃さなかった。
 だがそれを指摘することはなく、キュゥべえの話は続いた。

「でも、それと引き換えに出来上がるのがソウルジェム。
 これを手にした少女は、魔女と戦う使命を課されるんだ。
 そう、君たちが遭遇し、マミが倒したあれだね。
 まあ厳密にはあれは使い魔で、魔女の部下のようなものだけどね」

「魔女ってなんなの、魔法少女とは違うの?」

 さやかが問いかける。
 気持ちは分かるし、何気に真実を付く問いではあるのだが、見た目はアレと自分達はだいぶ違うのになあ、などとほむらは思っていた。

「願いから生まれたのが魔法少女だとするなら、魔女は呪いから生まれた存在なんだ。
 魔法少女が希望を叶えるように、魔女は絶望を撒き散らす。
 しかもその姿は普通の人間には見えないからたちが悪い。
 不安や猜疑心、過剰な怒りや憎しみ、そういう災いの種を世界にもたらしているんだ」

 キュゥべえの言葉をマミが補足する。

「理由のはっきりしない自殺や殺人事件は、かなりの確率で魔女の呪いが原因なのよ。
 形のない悪意となって、人間を内側から蝕んでいくの」

 そのような存在がいることを聞き、まどかとさやかの表情が曇り、さやかが問いかける。

「そんなやばい奴らがいるのに、どうして誰も気づかないの?」

「魔女は常に結界の奥に隠れ潜んでいて、決して人前には姿を現さないからね。
 さっき君たちが迷い込んだ、迷路のような場所がそうだよ。
 蜘蛛のように、巣の中に入り込んだ人間を襲うんだ。
 けど、魔女と戦えるだけの装備と実力を兼ね備えた人間が紛れ込むなんてまずないし、君たちみたいに魔法少女に助けられる場合も珍しい。
 大抵は死んでしまうから、世間一般に知られていないのも無理の無いことなのさ」

「結構、危ないところだったのよ。
 実際、私がいながら、あなたをもう少しのところで死なせてしまうところだった。
 本当にごめんなさい」

 マミはまどかに頭を下げるが、まどかは微笑みながら首を振る。

「ううん、マミさんもほむらちゃんも、助けてくれてありがとう。
 でも、二人とも、あんな怖いのと戦ってるの?」

 マミは、今までの柔らかい表情を引き締めて真剣な顔でそれに答えた。

「そうよ、命がけよ。
 だからあなたたちも、慎重に選んだほうがいい。
 キュゥべえに選ばれたあなたたちには、どんな願いでも叶えられるチャンスがある。
 でもそれは、死と隣りあわせなの」

 ごくり、とつばを飲むまどかとさやか。
 マミはそこまで言うと、これまで黙っていたほむらに向かう。

「暁美さんからは何かないかしら?」

 話を振られたほむらは、一瞬躊躇したようなそぶりを見せた。
 だが、意を決したのか、深呼吸をして話し始めた。

「まず始めに言っておくわ。
 私はあなたと敵対する気はない。
 むしろ一緒に戦ってほしい、味方に、友人になってほしいとすら思っているわ」

 いきなりそのようなことを言われて、マミは身構える。

「それはとてもうれしいのだけれど、なんだって今そんなことを」

 警戒心を露にしたマミに、ほむらも真剣な顔で答える。
 
「わたしとしては彼女達に魔法少女になって欲しくない。
 その理由の中にはショックな事実もあるし、言い方が辛辣になってあなたが不快に思うかもしれないから、事前に私の気持ちを言っておきたかったの」

「わかったわ。
 私としても仲間が増えるのはうれしいしね。
 そこまでして言わなければならないことって何かしら、聞かせてもらえるかしら?」

 ほむらの表情と声にその真剣さを見たマミは続きを促す。
 そこまで決意を固めて話すようなことを遮るつもりはなかった。
 始めにほむらはまどかとさやかのほうを向いて言う。

「戦いが命がけというのは本当よ。
 しかも魔女には色々な種類がいて、一筋縄ではいかないものも多いの。
 私は、契約して一ヶ月しないで死んでいった魔法少女を何人も見てきたわ」

 そして、ちらりとソウルジェムを見てからマミに向き直る。
 これから話すことはソウルジェムと魔法少女の真実の一部。
 非情な真実ではあるが、もう一つに比べればまだ優しく、マミでも受け入れられるだろうとは踏んでいる。
 それにこれを伝えておかないと、まどか達が契約した後に受ける衝撃が大きすぎ、過去の時間軸ではそれでさやかが破滅した場合もあった。
 ショックは受けるだろうが、自分やあの吊るされた魔術師のような存在もいることだ。
 言葉は魔法、とほむらは自分に言い聞かせる。

「それに、願いの対価はそれだけじゃないの。
 マミさんも初めて聞くことかもしれないけれど、願いの対価に、人間の体を捨てなければならないの。
 このソウルジェムは、私の魂そのもの。
 この体は、ソウルジェムから魔法で操っているのにすぎないのよ。
そうよね、キュゥべえ」

 ほむらはキュゥべえに確認を取る。
 別に自分のソウルジェムで実演してもよかった。
 ソウルジェムで操るという性質上、ソウルジェムを肉体から離せば体は動かなくなり死体同然となる、そうすれば一目瞭然だ。
 だが、一時的とはいえ死体となった自分をまどか達に見せるのはショックが大きそうだった。
 さすがに今日これ以上は抑え目にしておきたかった。
 キュゥべえなら嘘は言わない。
 聞かれなければ、望まれなければ何もしないと言う点ではこいつも神野陰之と変わらないが、こいつの場合は聞かれたことはちゃんと喋るので信用はできる。
 それにこちらのほうが手っ取り早い。
 
「どこで君がそのことを知ったのか、非常に興味はあるのだけれど・・・
 その通りさ。
 僕たちだって、壊れやすい体で魔女と戦ってくれなんて言えないよ。
 君たちの体は、外付けのハードウェアみたいなものさ。
 魔力があれば心臓を破られてもありったけの血を抜かれても修理可能だし、まず病気や怪我とは無縁だと思ってくれていい。
 ソウルジェムを100メートル以上離さなければ何も支障はないしね。
 ソウルジェムは普段は指輪に変えて身につけることを推奨してるし、まず不具合は起こらないから、別に説明するまでもないと思ってたんだけど」

 キュゥべえはその利点を説くが、少女達には逆効果だったようだ。
 自分がそのようなものにされたと初めて聞かされたマミはショックを受けている。
 信頼していたキュゥべえがそんな隠し事をしていて、しかもそれをどうとも思っていないその様子にも動揺している。
 そして、他の二人の少女も、先輩と友人の身に起こったことに対する衝撃が大きいようだ。

「そんな、じゃあその体はゾンビみたいなもんじゃない!」

 さやかが思わず声を挙げる。
 だが、マミやほむらを見て自分の発言の残酷さに気づいたのだろう、はっとした顔をして、顔を歪めて謝る。

「あっ……
 マミさん、ほむら、ごめん…」

 マミはさきほどのほむらの話からショックを隠せずにいるが、ほむらは動じない。
 そして、ショックを和らげるよう、できるだけ優しく、軽口のように言う。

「私は構わないわよ、さやか。
 私も巴マミもやむにやまれない事情があったのだから。
 死んだり、全てを失うくらいなら、この程度はまだ優しい部類に入るわ。
 この肉体だって成長するしケーキのおいしさだって分かる。
 胸を成長させたり、きらいなものを食べるときに味を消すとかだって慣れればできるでしょうね。
 ソウルジェムが本体ということは、キュゥべえの言うとおりソウルジェムが破壊されない限り死なないということでもあるし、そんな悪いことだけじゃないのよ。
 “我思う、故に我あり”、それで十分よ」

 ほむらがあまりにも軽く言うので、マミは感心した顔で言う。
 事実はショックではあったが、こう言い切られるとそんなものなのかと思ってしまう。
 そういえば、特に支障はなかったし、胸だって何も考えなくても順調すぎるくらいに成長してるしなあ、などと考えてしまっていた。

「強いのね、暁美さんは」

「私だってこの事実を知った時はショックを受けたわ。
 けれど、叶えたい願望のためにはそれくらい大したことはないと思えるようになったの。
 私の知るある男なんて、その探求の願いを叶えるために自らの肉体すら捨てて魔となり、そして自分の願望のために多くの人間を犠牲にしてきたくらいだしね。
 実態がどうであれ、こうして肉体を持って普通に過ごせるだけでいいものよ」

「それって、私を守ってくれたあの人なのかな?」

 まどかが問いかける。
 それに対し、ほむらは少し言葉を選ぶようなそぶりを見せる。

(つい言ってしまったけれど、あいつのことはまだ話さないほうがいいわね……
 神野のことはこの際だし話してしまおうかしら)

「まあ…ね。
 彼は魔法の力を求めた挙句、魔法に、闇にその名前を捧げたわ。
 その結果、もはや神にも等しき力を手に入れたの。
 けれどその代償として、“人”としての『願望』を失ってしまい、人の『願望』に従い力を貸すだけの存在になってしまったわ」

「それもキュゥべえの力なのかしら?」

 マミがキュゥべえに問いかける。

「ぼくは覚えが無いね。
 ただ、魔法少女の魔法以外にも魔法について研究されていたのは確かだよ。
 ただ、それに手を出す少女なんてそうそういなかったし、出していても力をつける前に少女じゃなくなってたりするから僕達としても注目はしていなかったさ。
 魔法が使えるようになりたいと願われたら、魔法少女の力で魔法を使うわけだしね。
 まあ、銃なんかが発展する以前から、魔女の結界に入り込んだ人間が魔女を返り討ちにするケースは何件かあったらしいから、特殊な人間がいるだろうとは思っていたけどね。
 ほむら、僕は君と契約した覚えはないのだけど、君もそういった存在の力で魔法少女になったのかい?」

「それは私の願いに関わることだから今は話せないわ」

 そのほむらの答えにキュゥべえは納得していないようだったが、その開こうとする口をマミが押さえた。
 そこで、何か言いたげにうつむいていたまどかが口を開いた。

「そうなんだ……
 でもそれって悲しくないの。
 つらくないのかな、だって、友達とか、家族とかとも会えなくなっちゃうんだよ。
 願いを叶えた代わりに、人間じゃなくなってしまうなんて…」

 まどかはその神になった男に対しても同情の言葉を告げる。
 神野陰之に対峙してなおそのような事を言えるなど、稀有な存在であることを本人は自覚すらしていないのだろうが。
 そんなまどかをほむらは誇らしく、そして微笑ましく思う。
 こんな彼女だからこそ守りたいのだ。
 ただ、それでもこのことに関してはまどかの言葉をほむらは肯定することはできない。

「それでも、彼の『願望』は叶ったわ。
 彼にとって、その『願望』に比べたらそれらは大したことじゃなかったのよ。
 まどかもさやかも覚えておいて欲しいの、願望を叶えるということは、それ以外の事なんて瑣末なことに過ぎないと思えるくらいでなければならないわ。
 家族や友人と離れ離れになること・・・いいえ、最悪犠牲にすることすら。
 当然、人間をやめることですらね。
 だから、家族や友人に恵まれているあなたたちには契約はしてほしくない。
 この道に入り込んで、それでもなお平穏という幸せを望むのは並大抵ではないわ。
 あなたたちには、今の幸せを、私達が掴めなかったものを大切にしてほしい。
 そして、私達の大切な友達でいてほしいの。
 その幸せを分けてもらえないかしら」

 それはほむらの本心だった。
 厳しさと優しさ、そして憧憬の混じったその言葉に、もはやさやかもまどかも何も言えなかった。

「それとも、『あなたたちにそれをかなぐり捨て、人をやめてまで叶えたい“願望”があるのかね?』」

 その最後の言葉は、左目だけをひどく歪めたような顔で、全てを見てきた老人が話すような雰囲気をかもし出していた。



 ほむらの話が終わり、マミはすっかり冷めてしまったお茶を入れなおしながら言う。

「そうね、私は交通事故で死に掛けていた時にキュゥべえに会ったの。
 そこで、『生きたい』と願わなければ死んでいたのだし、死んでいたらこうしてあなたたちにも会えなかったのよね。
 だから、後悔はしていないわ。
 それに、暁美さんが、鹿目さんや美樹さんを魔法少女にしたくない気持ちもよく分かった。
 だから、私から魔法少女になってなんて頼まないわ。
 代わりに、暁美さんが言ったように、友達でいてくれるかしら。
 それだけで十分心強いわ。
 キュゥべえも、契約を迫っちゃ駄目よ、それに隠し事の件でおしおきですからね」

 おしおきと聞いてキュゥべえが抗議する。

「ひどいよマミ」

 それに対してさやかがキュゥべえを殴りつける。

「ひどいのはあんただ!」

「ぎゅっぷい」

 壁にべちゃりと張り付いたキュゥべえを見て少女たちは笑う。
 魔法少女の背負う運命は重い、そのことを話していても、分け合う仲間がいれば笑顔で語りあうこともできるんだ、とほむらやマミはしみじみと思うのだった。



 そして新しい紅茶を手に取るが、そこでまどかが決意したように口を開く。

「わたしとしては、ほむらちゃんの言葉を無駄にしたくないです。
 それでも心配なんです。
 でも、自分の目で確かめたい、できることなら、力になりたい」

 それでも少々口ごもってしまうが、さやかも乗ってきた。

「そうですよ。
 友達がどれほどのことをしているのか、知らないままでいることなんてできないよ。
 それに、ええっと『願望』を叶える、だっけ、その判断材料もあったほうがいいでしょ」

 キュゥべえもだ。

「ぼくとしてもそっちのほうがいいと思うね。
 一度でも見ておけば、いざというときに迷わずに済むだろうしね。
 君たち魔法少女がいないときに魔女につかまっても、なんとかできるチャンスも生まれやすくなるし。
 それに彼女たちが考えた上で願うんだったら、別にいいんだろう」

 それを聞いたマミは戸惑った顔をしてほむらを見ながら言う。

「わたしとしては、いっしょに来てくれるのは心強いし、自分達のことを知ってほしいという気持ちはあるのだけれど、危険も大きいし……」

ほむらはその視線を受け、ふうっとため息を吐くと諦めたように言う。

「警告はしたのに、どうしようもないわね。
 でもまあ、あの話を聞いてそれでもというのなら、止めはしないわ。
 ただし、一週間だけよ。
 その後は私達に全て任せてもらう、それだけの信頼は与えて見せるわ。
それに危険だと判断したら私たちだけで行くことを了解してほしい」

「わかった、ありがとう、ほむらちゃん」

「わたしもそれでいいよ。
 手間かけさせちゃうけど、放っておけないんだよ。
 それにまどかはこう見えて頑固だから、私がいなくても付いて行っちゃうだろうしさ」

 そして話はまとまり、さっそく翌日から魔法少女体験ツアーを行うことになった。
 趣旨としては魔法少女の戦いについて知ること。
 そしてほむらやマミはその力を見せて安心させること。
 契約はしないこと、願いについて考えることがあれば相談すること、魔女の気配があればほむらやマミに連絡することが決められた。
 そのために携帯の番号を交換して、この日は解散となった。





 まどか達と別れ、闇が深まる夜道をほむらが歩く。

「とりあえずまどかを守ってくれたことの礼を言っておくわ。
 それにあなたが話をあわせてくれたおかげで、私の魔法の効果としてごまかせそうよ。
 それに“あれ”を夢ということにしてくれたので、まどかを苦しめずに済んだわ」

 ほむらは何もいない闇に向かいつぶやいた。
 受け取るもののいないはずの言葉に対して、闇より人影が現れる。

「“私”の言葉で願望を邪魔するわけにはいかないからね。
 それに、嘘を言っているわけではあるまい。
 わたしの存在にはああいった側面があるのは事実だし、“あれ”の世界は鹿目まどかによって泡沫の夢の世界に変えられてしまったのだから。
 それを切り捨てた君にとっても、病院のベッドから起き上がるまでの夢となんら変わるまい?」

 返ってきたのはほむらを皮肉るような言葉だった。
 そう、神野は嘘を言わない、悪魔が契約に誠実であるように。
 心を抉る内容だったが、それでも前に進むと決めているほむらはそれを受け止めるしかない。
 だが、そこまで言われると言い返さずにはいられなかった。

「どうしてあいつとまどかの接触を許したの?」

 自分のことをさんざん言ってくれるが、あなただって約束を、まどかを守るという契約を違えたじゃないか。
そんな恨みのこもった視線に神野は、なぜ怒るのかという顔をして、諭すように言葉を紡ぐ。

「では、助けを求める者を前にした鹿目まどかに『見捨てろ』と言うのかね?
 他ならぬ君がそれを望むのかね?」

「っ!
 …それは……」

 この返しはほむらの原点に関わる急所だった。
 ほむらとまどかが出会った始まり、それはほむらがまどかに助けられたことにある。

 ほむらが魔法少女になる前、全ての始まりの時間軸、長期間入院していたほむらは体も弱く、勉強にもついていけず、人との付き合い方を忘れていた。
 そんなとき、鹿目まどかは、人に囲まれ戸惑う自分を救い出して励ましてくれた。
 自信の持てなかった名前をかっこいいと言ってくれた。
 体育の時間に落ち込む自分の背中を押してくれた。
 魔女に捕らわれた自分の命を救ってくれた。
 そして、そんな駄目な自分の友達になってくれた。

 まどかに救われたから、助けられたから暁美ほむらはここにいる。
 そんな彼女が大好きだから、暁美ほむらは未だ戦い続けている。
 そのまどかがまどかでなくなってしまう、そのようなことなどほむらの望むところではなかった。
 結局、神野の言葉に対して、言葉を返すことはできなかった。
 そんなほむらの心中など、すでに分かりきっているのだろう、ほむらの替わりに自嘲するかのように嗤みを浮かべて神野は言う。

「それに、君も知っているように、彼女の思いの強さは、願望の強さに繋がる。
 彼女の救済の性質は、残念ながら君の願望を上回っているのだよ。
 それに、あの孵す者とて、感情はなくとも、本能的な願望くらいはある。
 私達の妨害によって、彼らは鹿目まどかに近づくことはできなかった。
 おそらくは遠くからまどかの性格を観察して、自らを傷つけるという強硬手段をとってまで彼女の優しさにつけこみ、おびき寄せたのだ。
 君がこの街に帰ってくるまでの時間は保障できたから言わなかったが、遅かれ速かれ両者は接触していただろうね。
 それに私が彼女を孵す者から守護すると言ったのは“君の目の届かぬ間”だ。
 君はあの孵す者に、“鹿目さんを守れる自分になりたい”と願ってしまったのを覚えているかね。
 時間遡行を可能にしたその祈りゆえ私も縛られ、君が鹿目まどかを守れる位置にいる限り私は力をふるうことはできず、
 また可能な限り君自らが守ろうとしない限りは力を貸すことすらできないのだ。
 接触を防げなかったのは君自身だ。
 両者の接触を防ぎきることなど、君の願望では無理だったのだよ」

 その言葉にショックを受けているのだろうか。
 それとも待ち受ける過酷な運命を見据えているのだろうか。
 ほむらは天を見上げている。
 神野陰之には見えない角度だが、彼のことだからその心中などはすでに見えているのだろう。
 それでも魔人は何も言わず、ただそれを黙って見つめるだけだった。
 そのまま何分、いや、たったの数秒だろうか、顔を戻したほむらの眼には再び決意が浮かんでいた。

「だとしても、まどかを魔法少女にさせるわけには行かない。
 あのインキュベーターどもの願望になんて負けてやるわけにはいかないわ」

 その決意のこもった言葉に神野は問いかける。

「ならばどうするね?
 鹿目まどかが願うのなら、私ではそれを止めるわけにはいかないのだよ」

 それでもほむらは揺るがずに返す。

「ならば願わせなければいい。
 まずは魔法少女に余計な憧れや幻想を抱かせるわけにはいかないわ。
 明日の魔法少女体験ツアーの初戦、これまでの時間軸ではマミの戦いの華麗さのせいでまどかは魔法少女に憧れてしまっていたわ。
 だから次の魔女は彼女達に関わらせずに私一人で倒す。
 その後の強い魔女で、生死の境のぎりぎりさを見せて釘を刺し、私の力を見せて安心させれば当面はなんとかなるはず。
 そう、当面はね……」

 言葉の最後でほむらの表情は少し気弱そうになる。
 これはあくまでその場凌ぎの対処療法にすぎない。
 すでに今伝えられることを伝えてしまった以上、戦闘の恐怖を知らしめ、魔女の存在を知った者としての使命感を抑えるだけの効果しかない。
 それでも叶えたい願いがあればその程度では抑えることはできないだろう。
 現に過去の時間軸では美樹さやかは大切に思う人の怪我を治すために、そしてまどかはワルプルギスの夜に敗れかけたほむらを救うために契約をしてしまうことが多々あったのだ。
 その先の言葉を取ったのは神野陰之だ。
 
「その当面のために、彼女達の足止めを望むのだね。
 ただ、所詮それは足止めに過ぎぬ。
 だが、結局は彼女達の願望次第である以上、この機会に私が見極めてみるのも一興だろう。
 暁美ほむら、彼女達がいつも使っている喫茶店を休業にしてみたまえ。
 彼女達をお茶会に招待しよう」
 
 さらにまどかを怖がらせるのではないか、逆に魔法少女になる決意が固まるのではないか、という懸念はほむらの中にあった。
 しかし、願望を叶える魔人を一度相手にしておけばインキュベーターの言葉に簡単に乗ることもなくなるだろう、という気持ちもあった。
 全てを見透かされるような始めの出会いを思い出してほむらは身震いする。
 結局ほむらは神野の提案を呑んだ。



 激動の転校初日は終わりを告げ、暁美ほむらの願望の成就への困難は増した。
それでも彼女の歩みが止まることはない。




[27743] 魔法少女達とのお茶会
Name: ふーま◆dc63843d ID:a294b656
Date: 2012/08/26 19:26
「ねえまどか、願い事って考えてみた?」

 学校の昼休み、屋上でお弁当を広げつつ、さやかがまどかに問いかける。
 昨日の話し合いでのマミやほむらの話を聞いた後では、たとえ仮定の話でもこのようなことを彼女達の前で話すのははばかられたので、さやかはまどか一人を誘っていた。
 キュゥべえは、ソウルジェムの件のような隠し事をしかねないため、勝手に動かないようマミが捕まえているのでここにはいない。

「んーん、さやかちゃんは?」

 まどかは首を振る。

「わたしも全然。
 ほむらのあの顔を見たらそうそう契約するつもりはないけどさ、考えるだけならいくらでも思いつくと思ったんだけどなあ」

 そういうとさやかは空を見上げ、どこか寂しげにつぶやいた。

「欲しいものもやりたいこともいっぱいあるけどさ、命がけで、さらにこの体まで別物にってところでひっかかっちゃうんだよね。
 そーまでするほどのもんじゃねーって」

「うん」

 まどかもそれに同意する。
 さやかはどこかほっとしたように、微笑を浮かべると、自嘲気味に話し始めた。

「まーきっと、わたしたちが馬鹿なんだよ」

「えー、そうかな?」

 まどかの言葉にさやかは頷く。

「そう、幸せ馬鹿。
 別に珍しくなんかないはずだよ。
 命と引き換えにしてでも叶えたい願望って。
 そういうの抱えている人って、世の中に大勢いるんじゃないのかな。
 だから、それが見つからない私たちって、その程度の不幸しか知らないってことじゃん。
 恵まれすぎて、馬鹿になっちゃってるんだよ」

「そうね、馬鹿さやか」

 突然掛けられた声に、はっ、として二人が振り向くと、そこにはいつからいたのか、暁美ほむらの姿があった。
 まずいところを聞かれたという風に固まる二人を尻目にほむらは、ご一緒してよろしいかしら、と勝手に弁当箱を開け始めた。

「その幸せ馬鹿で十分なのよ。
 『願望』なんて誰でも持ってるし人それぞれだけど、そこまでするほどの願いなんてものは幸せ馬鹿から外れたときに、失ってしまったものを求めているのがほとんどなんだし。
 恋人を失った者は恋人を求めて、老人は若いときには持っていた時間を求めてといったふうにね。
 幸せ馬鹿でいられるうちは、それをしっかり味わって、壊さないようにすればそれだけでいいの。
 わざわざ不幸を求める必要は無いわ」
 
 自嘲気味に言うその表情に一握の寂しさが現れたことをまどかが見とめた。

「ほむらちゃんは、どんな願い事をして魔法少女になったの?」

 それを聞いたほむらは、どこか懐かしむような表情をして言った。

「私は・・・そうね、そんな幸せ馬鹿になりたかっただけなのよ。
 ただそれだけ。
 まあ、今はお昼ご飯という幸せを味わいましょう。
 食べそびれて不幸というのは嫌よ」

 はぐらかされたようだが、実際昼休みも少なくなってきたのでそちらのほうに慌てて取り掛かる。
 まどかも詳しいところが気にはなったが、お互いのおかずを交換した際、パパ特製の卵焼きをおいしそうにほうばるほむらの微笑みが幸せそうだったので深くは聞かないことにした。
 ほむらが何を願ったにしろ、その笑顔に水を差す気にはなれなかった。
 まどかもさやかも感じ取っていたのだ、ほむらの言葉は不器用ながらも本心が篭っていることを。
 少女たちの昼食は和やかに進んだ。
 ただ、さやかは時折、何かを考えるように遠くを見ていた。





 教室に戻ると仁美に、まどかとさやかの禁断の恋という百合百合しい妄想を披露された。
 お嬢様である仁美はこういった少女マンガ的な思考をすることがある。
 昨日はまどかとさやかは二人そろって帰りが遅く、昼も二人、ということで妄想が加速しているようだった。
 放置された嫉妬もあるのかもしれない。
 これでさらに今日の放課後、魔法少女ツアーのためとはいえ二人で帰ると伝えたらどうなるのか、とさやかは頭を抱えた。
 結局、妄想が爆発して、二人の間には入る余地はないんですのね~、などといって駆け出してしまったのだが。
 まどかは苦笑いするだけで、さやかがほむらに助けを求めてもそっぽを向かれた。
 その乏しい表情の影で一瞬にやりとしていたのでわざとだろう。
 さやかは、ほむらにはいつか痛い目を見せてやろうと思ったのだった。





「それにしてもほむらの奴、初日から遅刻なんて。
 適当に喫茶店ででも時間潰してて、もし魔女の気配がしたら呼んで、だもんなあ」

「仕方ないよ、昨日の今日だし。
 転校したばかりでいろいろあるんだよきっと」

 ほむらに文句を言うさやかをまどかがとりなす。
 放課後、ほむらは用事があるといって別行動をとった。
 それを待つため、まどか、さやか、マミは行き着けの喫茶店へと向っていたのだが、

「ありゃー、臨時休業かー」

さやかが残念そうな声を出す。
 なんでも、置いてあったバッグに拳銃やらなんやらが入っていたらしく、警察が来ていたのだ。
 暴力団員の指紋がついていたらしく、店主が警察に事情を聞かれていて営業どころではないらしい。

「別の場所にしようよ。
 ほら、窓から見えるあそこにも喫茶店があるよ」

 まどかが機転を利かせる。
 指差した先にあったのは、今まで気にも留めていなかったような薄暗い路地裏にある一軒の店だった。
 いつも彼女達が利用しているおしゃれで明るい店と違う、古風な雰囲気のある店だ。

「えー、高かったらどうするよ。
 私今月のお小遣い厳しいんだよねー」

 さやかが不平を漏らす。

「上条君へのプレゼントのせい?」

 それを聞いてまどかがちゃかす。
 それに対してさやかは真っ赤になってしまった。

「あらあら、その話、詳しく聞かせてもらえるかしら。
 それにここは私がおごってあげるわよ、先輩なんですもの」

 マミが取り成す。
 なんだかんだで和気藹々と三人の少女はその店へと足を伸ばした。
 瀟洒な姿をさらす店のドアを潜ると、かろん、とベルが音を立て、

「無名庵、ねえ。抹茶でも出てきそうな名前だね」

「いらっしゃい」

 さやかの失礼ともとれる言葉に対して、マスターの動じることない低音が出迎える。
 他に客はいない。
 外見と同じく、古めかしい雰囲気の店だ。
 曲もそれに合わせたどこか陰湿に聞こえるものがレコードで流されていて、その暗さを引き立てていた。

「ヴォイルかあ、しかもレコードなんて渋いねえ」

 席に座るとさやかがうんうんとうなずきながら感嘆の声を挙げる。
 内装はともかく、そこは気に入ったようだった。
 それを聞いたマミが意外そうに声を掛ける。

「あら、美樹さんって詳しいのね。
 てっきりこういったものには縁がないかと思っていたわ」

 よく言われるのであろう、さやかは慣れた様子で肩をすくめると答えた。

「幼馴染がヴァイオリンをやってましてね。
 私もクラシックに詳しくなっちゃったんですよ。
 みんなに話すと意外だって驚かれちゃうんです。
 ただ、あいつは事故で入院しちゃって、今は演奏ができないんですけどね」

 最初は笑いながらだったが、最後のほうは、その彼に思いを馳せてか切なそうな表情になっていた。

「その人がもしかして、さっき話していた上条君?」

「ええ、そうなんですよ。
 私としてはなんとかしてあげたいんですが、元気が出るようにあいつが好きな曲のCDを持って行くくらいしかできなくて……」

「さやかちゃん……」

 落ち込んでいくさやかを見て、まどかが心配そうな声を掛ける。
 マミも明るいさやかが店と同じくらい暗くなっていくのを見て、失敗したかという顔をしている。

「傷を癒す魔法はなく、愛する人を蘇らせる秘術は無く・・・
 だけどそれすら可能にする…か」

 ぽつりとさやかがつぶやいた。
 それは昨日キュゥべえが言っていた言葉だ。 
 それを聞いたマミが反応する。

「早まっちゃだめよ、美樹さん。
 普通の世界には魔法はなくても、医術はあるのよ。
 まだ、治らないと決まったわけじゃあないんでしょう。
 もしそうなら、昨日の時点でキュゥべえの話に飛びついたでしょうし」

 さやかの声は弱弱しくなっていたが、マミのその言葉にうなずく。

「ええ、そうなんですけどね。
 ただ、奇跡があるなら私なんかじゃなく、あいつにその権利を譲ってやりたいって思っちゃうんです」

 まどかは、昼休みのさやかの姿を思い出す。
 さやかが上条君のことで心を痛めていたのは知っていた。
 小学校からの長いつきあいなのだ。
 上条君がコンテストで優勝すれば自分のことのように喜び、うれしそうに話してきたことをよく覚えている。
 そして、応援してくれてありがとうって言われたんだ、と赤くなりながら自分に告げてきたことも。
 そして彼が事故にあった時は、半狂乱になって泣きわめいたさやかが落ち着くまでそばにいたのだ。
 さやかが魔法少女のことで上条君のために祈るのではないかという気は最初からしていた。
 だが、親友にそれほどの過酷な運命を負ってほしくはなく、かといってその気持ちがよくわかるから止めるわけにもいかない、そんな相反する気持ちがあったため話題に出すのを避けていたのだ。
 さやかの言葉と、そんなまどかの表情を見たマミもその思いの強さを知った。
 ただ、それでも魔法少女の先輩として、これだけは言わなければならなかった。

「確かに、人のために願いを使うという前例はあるわ。
 でもね、厳しいとは思うけれど、これだけは言っておくわ。
 美樹さん、あなたは彼に夢を叶えてほしいの?
 それとも彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」

 それを聞いたさやかは詰まった表情をした。

「その言い方は、ちょっと酷いと思う・・・」

 それを諭すようにマミは厳しく告げる。

「でも大事なことよ。
 魔法少女になれば願いは叶うわ。
 けれどその代償は重い。
 自分の願望をはっきりさせてからでなければ後悔するわよ」

 そういうとマミは、マスターが運んできたコーヒーを一口すする。
 そして穏やかな表情になると、再びさやかに向き直る。

「うん、おいしい。
 相談に乗る相手はいるんだし、落ち着いて考えましょうよ。
 彼が明日死ぬというわけじゃないし、治らないと決まったわけでもないわ。
 それに、私と違って時間はあるんだから、ね」

「マミさん……」

 その優しさに触れ、さやかも表情が柔らかくなる。
 そして、コーヒーをすすり、一息ついて、もう少し周りを見てみよう、考えてみようという気持ちになる。
 その表情の変化を見たまどかもほっとした顔になる。
 そして三人の少女は、和やかに戻った空気の元、コーヒーカップに口をつけた。
 …と、その時、

「それでは、願いと『願望』の話を始めようか」

 突然横の席から声がかかり、少女たちはぎょっ、と心臓を鷲掴みにされた。
 そこには、黒い外套の男が座っていた。
 ついさっきまでそこには誰もいなかったはずだし、まどか達が店に入ってから新しい客はだれも入っていなかった。
 だが、3人がコーヒーカップに視線を移したその一瞬に、まるで初めからいたかのようにその男は姿を現した。

「あなたはっ!」
「あなたは、昨日の…」
「なっ…!」

 その驚く少女たちに構わず、ただくつくつと昏い嗤いを漏らし、静かに語りかけてきた。

「巴マミ、君の言うとおり人のための願いとは難しいものだ。
 えてしてそれは、自分の『願望』を裏切っているものが多いのだからね。
 本当の自分を偽っているうちは誰も本当に幸せになんかなれない。
 やろうとしていることが悪いのではない、ただ何も生まないだけなのだよ。
 また、そうでなくとも、願いとは難しい。
 一杯の小豆ご飯を願ったがため、大切な家族を失うという物語もあるくらいだしね」

「雉も鳴かずば…」

 後半の話に心当たりがあったまどかがつぶやく。
 それは、以前国語でやった昔話。
 病気の娘が願った小豆ご飯のため、父親が庄屋の家から盗みを働く。
 娘は治り、その嬉しさを手まり唄で歌っていたところを聞かれてしまい、盗みがばれた父親は洪水を防ぐための人柱にされてしまうという、ささいな願いと優しい思いが全てを奪う悲しい物語だった。
 そのつぶやきを聞いた神野は笑みを浮かべてまどかを見る。

「君は物語に詳しいようだね。
 では、君達に関わるある物語をしようか」

 そして神野が話し始めようとするのをさやかが遮った。

「待ちなさいよ!
 あんた何者!?
 いきなり現れて何様のつもりよ!」

 いきなり現れた挙句こちらを無視して語りだす神野にさやかは怒りを覚えていた。
 人のために願うことについてマミに言われるのはまだいいが、いきなり現れた男にばっさり切り捨てられるのは腹立たしかった。
 神野に対してここまで声を荒げるのには、昨日のできごとを見ていないというのも大きかったが。

「私が何者か・・・か?」

 そして神野は詠うように、答えた。

「昨日、巴マミには、“願望を守護するもの”であると答えた。
 暁美ほむらは、君達に“闇に名を捧げたモノ”であると説明した。
 他にも、“夜闇の魔王”、“名付けられし暗黒”、様々な名で私は呼ばれる。
 だがもし、最も本質的かつ無意味な名で私を呼ぶのであれば―――
 ―――私の名は、神野陰之という」

 その囁くような、それでいて奇妙にはっきりと響く声。
 闇より響くように耳にどろりと不気味に響き、その吸い込まれるような昏い眼に見つめられ、声を荒げていたさやかも縛られるようにして動きを止める。
 それでもマミは振り絞るようにして言葉を紡ぐ。
 先輩としての使命感がそうさせたのである。

「…あなたは、暁美さんの魔法で生み出されたのではないの?」

「私がこうなったのは、あくまで私だったものの願望によるものだ。
 何も私のことを不思議に思う必要はない。
 “叶える者”が“望む者”の傍にいるのは当然だろう」

 そう言われると、キュゥべえもあてはまる。
 だが、これとキュゥべえを同じようなものととらえるのには無理があった。
 理解はしても納得はできない、かといってその言葉に反論することもできなかった。
 少女達からの発言がなくなったのを待って、神野は話し始めた。

「かつて私が関わった、ある少女の話をしようか。
 彼女は普通の少女だった。だがある日、彼女は異界へと取り込まれた」

 その言葉に、魔法少女のことを連想して少女たちはぴくり、と反応する。

「異界に取り込まれ、さまよい歩く中、いつしか彼女は『神隠し』になってしまった。
 自分を連れ込んだものと同じ、知らぬ間に人を異界に引き込む存在にね。
 変質してしまった彼女は普通の人間には決して認識されない。
 そんな彼女を待っていたのは、絶対的な孤独だった。
 呼ぼうが、叫ぼうが、誰も自分に気がつかない。突然そんな世界に放りこまれる。
 気が狂いそうなほどの孤独、人恋しさ…そんな所に自分を認識できる存在が現れた。
 それがどんなにうれしいか、君ならわかるだろう、巴マミ」

「ええ・・・分かるわ」

 マミは昨日までの自分を思い出して言う。
 魔女と魔法少女の戦いは結界内で行われるため、その存在は一般的には知られていない。
 人とは異なる存在ということがマミを孤独にしていた。
 そんな中、同じ魔法少女である暁美ほむら、そして、魔法少女という存在を受け入れて普通に接してくれる鹿目まどかと美樹さやかに出会えたことは、とてもうれしいことだった。

「その子も魔法少女だったのかしら。
 それとも、あなたみたいに別の魔術の結果なの。
 異界というのは魔女の結界の比喩なのかしらね」

 マミはその共感と同時に浮かんだ疑問について目の前の男に問いかける。

「いや、彼女は魔法少女ではない、異界の住人となった者だ。
 異界は遥かな過去から我々のすぐ隣にあり、何時でも“こちら側”とつながろうとしている。
 魔女の結界とも異なる、より深いところにある世界だ。
 誰も知らず、誰にも気づかせず、この世界は徐々に異界に喰われている。
 原因不明の事件や自殺は魔女の仕業と言ったね。
 異界とその住人達もまた、怪異という形で多くの犠牲者を出しているのだよ。
 魔法少女が魔女と戦うように、人間もまた異界と戦い続けてきたのだ」

 まどかとさやかは、魔女に続けて異界というものが出てきて、困惑した顔をしているが、神野の言葉から意識を離すことはできなかった。
 神野は大学講師のように続ける。

「どちらも普通から見れば怪異ということになってしまうが、厳密には異なるものだ。
 そう、巴マミ。
 君が魔法少女に成り立ての時、魔女の仕業と思い込み、その正義の気持ちを高めた“目潰し魔”事件、あれは魔女の仕業でも異常性欲者の仕業でもない。
 “魚”に惹かれた釣人が、ただ釣りをしただけにすぎないのだよ」

 その事件はまどかやさやかも覚えていた。
 自分達と同い年くらいの子供も犠牲になった無差別殺人。
 被害者に外傷はなく、片目だけがつぶされていたというおぞましさ。
 そして、容疑者は、家に争ったような痕跡を残して行方不明になったという不可解な事件。
 その真相を、ただの釣りだと言ってのけた神野に、マミは肩を震わせて怒る。

「ふざけないで!
 そんなことのために、人が死んでいいわけがない!」

 だが、その剣幕に動じることなく神野は嗤う。

「何を怒ることがある。
 本当の願望を追い求めるというのは、その願望以外はどうでもよいことと同義だろう。
 それがどうでもよくないのなら、それはまた願望の一部なのだ。
 彼はただ、“魚”に惹かれた釣人であってそれ以上でもそれ以下でもなく、魚と釣りこそが全てだった。
 ただ、その“魚”が異界のもの、人間の“心”や“魂”といえるものだったがために、それを釣り上げられた肉体が死ぬという結末を迎えたに過ぎない。
 ソウルジェムを失った肉体が死を迎えるのと同じようにね。
 彼が心の底から釣人であった証拠に、彼は私に潜む“魚”にまで挑み、勝利し、そしてその願望のままに“魚”達の大海へと還って行ったよ」

 そう言われてマミはソウルジェムを見つめる。
 その光を反射する表面に、ちらりと魚影が見えた気がしてぞくりとする。
 この中にも、“魚”がいるのだろうか、取り出された魂のその奥に、何かが潜んでいるのだろうか。
 まどかは、犠牲者に思いを馳せ、勇気を出して神野を糾弾する。

「あなたは、それを見てなんとも思わなかったの?
 その犠牲になる人の辛さを分かってあげられなかったの?」

 それは優しいまどかの怒り。
 その釣人のみを肯定するかのような神野の言葉に対しての義憤だった。
 それを受けた神野は嗤うだけだったが、その表情には少し懐かしむようなものがあった。

「君とは違い、そういった感情は、私が人としての主体を失った時点でなくしてしまったのだよ。
 今の私は“全ての善と悪の肯定者”に過ぎない。
 願望に善も悪もない、あるのはただ、強いか弱いかだ。
 君らがキュゥべえと呼ぶあれもそれは変わらない。
 あれもまた、善悪に関わらずその素質と感情エネルギーのみで願いを叶えるのだからね」

 絶句する少女たちを尻目に、神野の話は続く。

「魔女と魔法少女、異界についての話に戻ろう。 
 両者が異なるということは話したね。
 その違いを分かりやすく言うならば、魔女と魔法少女は個人としての特色が色濃く残っていて人間に近いが、 異界の住人達はより普遍的な存在になっているといった形かな。
 君が知る知識で表すなら…ユングの心理学を知ってるだろう?」

 数学で二項定理を普通にやる中学校だ、それくらいは道徳の授業でやっている。
 さやかは寝ていたので聞いていないが。

「…よく大きく波打った波線で表現される、あれかしら。
 波の一番上が一人一人の表層意識で、下にいくほど広がって潜在意識。
 そして波の下辺、自我のさらに下では互いにくっついてしまうというものね」

 マミは応える。
 理解できていないさやかを尻目に話は進む。

「その通りだ。
 その繋がった場所に異界はあると考えてもらってもいい。
 深すぎて普段は感じることができないが、繋がっているからこそ、きっかけさえあれば彼らは浮かび上がってくる。
 そのきっかけは都市伝説や怪談といったものとして転がっているのだよ。
 もっとも、認識されるまで彼らはこちらに関与できないし、怪談を知ったからといっても、彼らを認識できる霊感を持つものはそう多くは無いがね」

 一度言葉を止め、つ、とマミを見つめて神野は口を開く。

「それとは違い魔女と魔法少女は表層意識に近い存在だと思ってくれればいい。
 魔女は異界の普遍性の影響を多少受けた結果あのような姿となるが、あくまでも自分一人の世界に、終わってしまった願望にしがみついているにすぎないのだからね。
 それゆえ魔女はきっかけがなくとも人に干渉して害をもたらすし、魔法少女は普段は人として人の世に生きることができるのだよ」 

 もはやこの眼前の男の異常性と、人智を超えたその存在を少女たちは理解していた。
 これは人間の形をした何かだ、そう納得できたマミは神野に話しかける。

「そしてあなたは異界の住人というわけね。
 気になったのだけど、魔女と魔法少女を同列に扱うのはどういうわけなの?」

 それに神野は嗤って答える。

「願いを叶える者と、それと契約した者は古来そう言われていただろう。
 “悪魔”と“魔女”と。
 むしろそちらが一般に通じる意味だ。
 まあ、詳しく知りたいのなら、あの白い獣に聞いてみたまえ。
 今ここでそれを話すには、君たちの願望では足りぬ。
 まあ、ここで重要なのは、魔法少女として、この世界の全ての悲劇に責任を負う必要はないということだ。
 魔法少女であることと異界に手を出すための資質は別物である以上、願望のために魔法少女になるのは構わないが、魔女や怪異の撃退に義務を感じる必要はないのだよ」

 これまで饒舌に話していた神野だが、後半は急に言葉を濁した。
 だが、このような魔人や“釣人”のような存在がいる以上、魔法少女にできることに限界があるのもまた事実ではあった。

「『神隠し』の少女の話に戻ろう。
 怪異となってしまった自分を認識してくれる相手が表れた。
 それはとてもうれしいことだったが、やはり怪異は怪異、せっかくできた友人は怪異に飲まれてしまった。
 だが、その彼の友人の自らの命を顧みぬ行動により、彼はこちらへと帰ってきた。
 人間として認識してあげることで、こちら側にいれるようになった神隠しの少女を傍らに連れてね。
 その後も彼女と彼、その友人達は数々の事件や悲劇に巻き込まれ、関わった人間の多くが命を落としたり、狂ったりした。
 だが彼らは、最後には世界が異界に、絶望に飲み込まれるのを阻止することに成功したのだよ」

 少々名残惜しそうに、神野は話を締めくくった。

「それで、その人達はどうなっちゃったの」

 まどかが神野に問いかける。
 その少女はマミやほむらと似たような存在だと感じた。
 悲惨な末路を迎えるのなら、自分が魔法少女になってでもなんとかしてあげたかった。

「二人は、自らを異界に捧げることで事態の収束を図り、永劫の物語となった。
 運さえよければ、その友人達とはこちらで会えるかもしれないがね」

 その物語が終わり、沈黙が訪れる。
 そんな中口を開いたのはまどかだ。

「なんで、私達にこんな話をするの?
 ほむらちゃんに頼まれたの?」

 この男がここまでいろいろ話すことにまどかは疑問を感じていた。
 強い願望を叶えるという存在に対して、自分達三人はその願望が定まっているとは言い難かった。
 自分のそれはまだ固まっていないし、さやかにいたっては神野が出る直前まで揺れ動いている最中だったのだ。
 まどかの脳裏に浮かぶのは、神野を従えていた友人の姿であり、彼女がこの話をするよう願ったのではないかと思ったのだった。
 それに対して神野は肯定とも否定ともとれない返答をする。

「私がこの場に来たのは、彼女の願望ゆえだ。
 彼女は君達が破滅する運命になるのを避けたがっているからね。
 だが、この話を私がしたのは、君達の物語に通じる話だからだ。
 私は君達と同じように、怪異となった少女と、それに関わった者の物語を話しただけに過ぎない。
 悲劇に聞こえたかもしれないが、彼らは彼らの本当の『願望』を追い求め、それを叶えた末でそうなったのだ。
 君達の物語は彼女らと似たような結末を辿るかもしれないし、そうでないかもしれない。
 暁美ほむらの『願望』に縛られない、君達のその選択を知りたいのだよ。
 何でも叶う願いに踊らされず、どんな結末が待っていようと、本当の『願望』を追い続けることだ。
 それが暁美ほむらを上回る強さならば、私もそれに従おう。
 自分の『願望』のため、生きて、考え、動き、戦い、呼吸し、足掻き、傷つき、泣き、笑い、叫び、奪い、
 失い、築き、壊し、血を流し、怒り、這いずり、狂い、死に、蘇らなくては、意味は無い。
 何故なら、それこそが“人間”の最も美しい姿なのだからね。
 この“私”が崇敬してやまない、人間の偉大な魂の形なのだよ。
 鹿目まどか」

 急に話を振られてまどかは驚く。

「わ、わたし?」

「君は、自分には何のとりえもない、だから人のために役立てる力が欲しいと思っているね」

「うん、誰かのために役に立ちたいというのは、人のために願いを使うのはいけないことなのかな。
 自分のためじゃないと本当の願望とは言えないのかな?」

「救済も立派な願望だよ、鹿目まどか。
 自分の力で何かを成すというのに代わりないのだから。
 むしろ、世界のほうを自分の望むものにかえようという大それた欲望に他ならないのだよ」

 まどかの疑念を神野は肯定する。
 しかし話はそれだけで終わらなかった。
 
「ただ、それは他者に自分の望む世界を押しつけるということでもある。
 先ほど話した『神隠し』とその友人の物語。
 その敵となった人物の願いは、“みんなが仲良くなれますように”だ。
 人間も、妖精も、神も、異形も、魔女も、魔法少女も、現実も、異界も、みんながね」

 その清らかな願いと、それと相反するおぞましい結果を思い、少女たちは身震いする。
 そしてまどかは、昨日の夢を思い出す。
 みんなを吸い上げ、天国へと導かんとするその影を、そしてそれを称賛した透き通る声を。

「鹿目まどか、君には世界を変えるほどの強い意思と力がある。
 ゆえに失われてしまうものをなんとかするためならば君は進んで身を投げ出せるだろう。
 だが、覚えておきたまえ。
 君にいなくなってほしくないと思う者がいることを、君が誰かを助けたいように、君を助けたいという願望を持つものもいることをね」

「わ、わたしは……」

 まどかは迷いの表情を浮かべて口ごもる。
 その脳裏には、一瞬ほむらの姿が浮かんだ。
 それを見て神野は、

「君の無事を願うものに悪いと思うのなら、失う前に捕まえたまえ」

 りん、と神野の手から鈴が下がった。

「その鈴が君を導いてくれるだろう」

 まどかは、おずおずと手を差し出し、その鈴をつかむ。
 鈴を渡し、神野はさやかとマミに向き直る。

「美樹さやか、巴マミ、
 君達は自分の本当の願望を、もう一度考えてみることだ。
 魔法少女が叶える祈りと、自らの願望は同じとは限らないのだからね。
 自分の心から目を離さないことだ。
 目を離すと…見たまえ、こんなことになる」

 そう言うと、す、と神野は手を動かし、彼方の方角を指差した。
 その先には暇そうにしているマスターがいるだけだった。
 三人が急にこちらを向いたので怪訝そうにしている、ただそれ以外の変化はなかった。

「ちょっと、何もないじゃ!…え……?」

 先ほどまでの会話にできなかったさやかが、うっぷんを晴らすかのように声を荒げて視線を戻すが、そこには何も、居なかったのだ。
 ほんの一瞬の間に、動く気配すらなく、神野は消えていた。
 まるで、初めから存在などしていなかったかのように…





 夢でなかったのは、喫茶店から出ると、すでに真っ暗になっていたことで分かった。

「今日は、もう遅いし、魔法少女体験ツアーは明日からにしましょうか」

 マミは言う。
 実際だいぶ遅くなってしまったのもあるが、なによりも神野の言葉が、二人を連れて行くことをためらわせていた。

『怪異となってしまった自分を認識してくれる相手が表れた。
 それはとてもうれしいことだったが、やはり怪異は怪異、せっかくできた友人は怪異に飲まれてしまった』

 魔法少女としての自分を受け入れてくれた二人と会えたことはうれしいが、彼女達をこれ以上魔法少女に関わらせるのと、異界に引きずり込む“神隠し”では同じではないか。
 結局は自分が憎む魔女と同じ、悲劇のきっかけになるのではないか。
 その思いを隠して勤めて明るく言う。

「それじゃあまた明日。学校で会いましょう」

 後で暁美さんにも相談してみよう、とマミは思う。
 ただ、今は時間が欲しかった。考える時間が。



 美樹さやかは思う。
 あの男の雰囲気に完全に飲まれていた。
 何も言い返すことも口をはさむこともできなかった。
 まどかやマミさんはすごいと思う。

(恭介…わたし、駄目な子だ……)
 
 幼馴染の上条恭介の顔が脳裏に浮かぶも、自分の恭介への思いは、願いの強さはその程度なのだろう。
 神隠しの少女にも、その友人達にも、到底及ばないだろう。
 マミさんやほむらの友達ではありたい、でもその資格が自分にはあるのか。
 さやかの気持ちは沈んでいた。



 鹿目まどかは思う。
 自分の思いが完全に見透かされたのは恐ろしかった。
 それに、誰かを救いたいという願いが起こしてしまうかもしれないことも怖い。
 けれど、神隠しの少女を救ったその友人達の話にはあこがれた。

(マミさん、さやかちゃん、ほむらちゃんのためなら…)

 鈴をぎゅっと握りしめ、まどかは祈る。
 そして、魔法少女の奇跡に安易に頼るつもりはないが、大切な人たちを守りたいと思うのだった。



「結局、巴マミは来なかったわね」

 グリーフシードを手にほむらは言う。
 昨日の使い魔の大元、魔女ゲルトルードを倒して得たものである。
 薔薇園の魔女ゲルトルード、薔薇園の中心に鎮座する、ナメクジに触手まみれの顔と蝶の羽がついた姿をした魔女だ。
 この魔女はいつもの時間軸ではマミが倒していた魔女である。
 繰り返したループの中では、まどかやさやかがすでに魔法少女だったときもあれば、ほむらも加わっていたときもあったが、倒す役は常にマミであった。
 まどかやさやかが魔法少女だった時でも、契約したのはせいぜい数日前なので、巨体とすばやさを併せ持つこの魔女には対処しきれなかったのだ。
 マミの戦いは華麗だ。
 マスケットを次々と取り出し、近寄る使い魔を銃身で殴り、撃ち抜き、撃ち終わった銃を投げつけ、新しい銃を手にする。
 銃を並べて一斉射撃で光の雨を降らせる。
 すばやいゲルトルードですらリボンで拘束する。
 踊るような美しい戦い、そこは巴マミにとっての劇場である。
 演舞の終焉に、巨大な、戦艦の主砲クラスのマスケットで決め台詞とともに魔女を葬り去る。

「ティロ・フィナーレ」

 かつてほむらも憧れた。
 そしてどの時間軸でも、この戦いを通じてまどかとさやかはマミへの憧れを、魔法少女への憧れを強めていく。
 まどかを救うために、まどかに契約をさせないために、ここでマミの戦いがなかったのは僥倖だった。
 次の魔女は強敵だ。
 別の時間軸のマミを幾人も葬ってきた存在だ。
 憧れが強くないうちに死と隣り合わせの恐怖を見せることで契約を思いとどまらせる。
 マミには悪いが、ぎりぎりまでピンチになってもらおう。
 この時間軸ではマミとの関係は良好だ。
 マミの近くにいることができれば、時間の逆行のついでに手に入れた時間停止の魔法で助けることは余裕であるし、そのまま魔女を葬るノウハウもすでに会得している。
 マミを助け、まどかを思い留まらせれば、自分の『願望』の実現まであと一歩となる。
 彼女の願いは誰かを助けたいというものである以上、魔女退治を目的にさせなければ、自分達が死ななければ済むだけの話になるのだ。



 だが、まだほむらは知らなかった。
 彼女の祈りが、魔人をこの町に引き寄せたことで、次の魔女がこれまでのものとは異なる性質を持つことを。
 そしてほむらは忘れていた。
 夜闇の魔王は、より強い『願望』を叶えるということを。



[27743] 繕い~綻びからあふれるもの~
Name: ふーま◆b013ba24 ID:66110c7e
Date: 2012/08/26 19:34
 中年を超え老年にさしかかろうという医者が『無名庵』という看板の掛かったその古物屋を見つけたのは、勤務の帰りにふらりと入り込んだ、普段は通らない路地裏での事だった。

「アンティークショップか……」

 重厚なドアのある洋風の店構えに、墨痕鮮やかな和風の看板が掛かる、どこかアンバランスな印象の店だ。
 黄色いくすんだライトに照らされた古めかしいで窓風のショーウィンドウには、どちらかというと店構えのほうにふさわしい、真鍮の地球儀や遠眼鏡といった西洋骨董の類がならんでいた。
 入り口のドアを開けると、ドアベルが、かろん、と鳴った。
 店員の姿は見えなかった。
 自宅にアンティークを飾るのが趣味の彼だが、今日は買う気が起きなかったので、店員に声をかけられる心配がないのがありがたかった。
 そんな気分でなぜ店に入ったのかといれば、いつもなら入るので習性で入ってしまったとしかいいようがなかった。
 それほどまでに気分が沈んでいたのだ。
 周囲を見渡せば、猿と魚を合わせて作ったのだろう人魚のミイラ、白骨化した鳥が翼を広げた標本、小さな甲虫がぎっしりと詰め込まれた細長いガラス瓶など、不気味な品物が並んでいた。

「くそっ」

 その品物が醸し出す死の気配に触れ、今日の出来事を思い出し年甲斐もなく悪態をつく。
 彼は小児科の、しかも重病人を扱う医師であった。
 彼がどんなに頑張ろうとも、医学の限界で、未来ある子供達は苦しみ死んでいく。

「せんせい、ママはきてくれないの?
 さびしいよ…」

 その言葉を最期に、今日もまた一人の少女が逝った。
 容態の急変で、仕事のある母親が間に合うことができなかった。
 彼は最期までそばにいたが、彼女の孤独を埋めることはできなかったのだ。
自分には、彼女らの体を救うことも、心を救うこともできないのだ・・・

「こんなところ、早く出よう…ん?」

 打ちひしがれて店を出ようとした医者の目に、隅にすえられた大きな棚が目に入った。
 その棚は人形の陳列棚で、そこにはきれいな衣装を着たアンティークドールや日本人形、かわいらしいヌイグルミが、棚に座らせるようにして並べられていた。

「そうか、これなら…」

 常に一緒にいられるヌイグルミなら、一人で入院している子供達の慰めになるのではないだろうか。
 そう考えていると…

「――――――何かお探しかね?」

 突然声をかけられ、振り向くと、いつの間にか後ろに男が立っていて、静かに笑みを浮かべていた。
 男は長い髪をして大時代な丸眼鏡をかけ、これまた大時代な黒い外套をぞろりと長く羽織っていた。
 外套は高価な品なのか実に複雑な色をしていて、単純なただの黒ではなく、例えるなら深い夜色をしていた。

「ええと…」

「探しているのは、子供達へのプレゼントだね?」

 いきなりのことに驚く医者に、男は単刀直入に言った。

「ええ、私の患者達に…」

「ならば良いものがある。まだ新品だから心配ない。もって行きたまえ」

 新品ではアンティークとしての価値は?いやそれなら安いのか?といつもの癖で考え出した医者をよそに男は外套の中から片手を出し、ヌイグルミたちを指差した。
 どこにでもありそうな平凡なデザインの、くまやアザラシ、デフォルメされた少女といった雑多なヌイグルミたち。

「ええと、お高いのでは?」

 入院患者は重病人だけでも何人もいる。
 どうせ買うのなら子供達のために数をそろえてやりたいのだが、高いものでは厳しいのだ。

「いいや、そんなことはない。
 だがここから持ち出された品はきっと君の『願望』の役に立つだろう。
 ここはそういう場所なのだからね」

 くつくつと、男は嗤う。
 普段ならうさんくさく感じる台詞だが、今日の医者の沈んだ心にはよい慰めに聞こえた。

「なら、これらを頂きましょう。
 せっかくなので、この子の名付け親になってもらえませんか」

 今日看取った少女を思い出しつつ、少女のヌイグルミを指差して医者は言う。
 自分のセンスに自信がないというのもあったが、目の前の男の発する神秘さに少々頼ってみたくなったというのもあった。

「ふむ…では…シャルロットというのは、どうかな?」

……上条恭介が事故で病院に運び込まれるより、10年も昔の話である。





―――――
――――
―――

 神野陰之とのお茶会の翌日、美樹さやかは幼馴染の上条恭介の病室に来ていた。
 今日の魔法少女体験ツアーはお休みだ。
 マミが一人で考えたいことがあると言ったのが原因だったが、さやかはさやかで ここ数日行けなかったお見舞いに行きたかったということもある。
 マミはすでに帰宅したが、ほむらとまどかはロビーで待っている。
 夕日の差す病室前、さやかは一人で、顔を赤らめていた。
 昨日は神野との接触で落ち込んでいたが、やはり思い人の前に出ると胸が高まる。
 深呼吸をして、病室の中へ入る。
 ベッドの上で恭介は、入ってきた人物を見て、うれしそうに、やあ、と声を掛けた。
 さやかはその隣に腰掛けると、持ってきたCDを差し出す。

「いつも本当にありがとう。
 さやかはレアなCDを見つける天才だね」

 恭介はそれを見てうれしそうに言う。

「いやー、たまたまだよ」

 さやかは謙遜するが、実際は何時間もかけて恭介が喜びそうなものを探し回っているのだ。
 怪我で気落ちしているその幼馴染に笑顔を取り戻したい、その思いが全てだった。

「この人の演奏は本当にすごいんだ。
 さやかも聞いてみる?
 …本当はスピーカーで聞かせたいんだけど、病院だしね」

 そう言うとイヤホンの片側をさやかに差し出し、顔を近づける。
 大好きな幼馴染と接近したことで、さやかは真っ赤になる。
 最も、恭介はそこまで気づいてはいなかったが。
 流れる演奏を聴いて、さやかは思い出していた。
 幼い頃、恭介の演奏を聞いて感動したことを、そして、そんな恭介を好きになっていったことを。
 そんなことを考えていると、イヤホンをはめていないほうの耳に、嗚咽が響いてきた。
 恭介が泣いていた。
 まともに動かない指を見つめて、悔しそうに泣いていた。
 さやかは、何も言うことはできなかった。
 これだけは、医者に任せるか、自分が魔法少女になる以外にはどうしようもなく、ここでできることも、言えることもなにもなかった。
 いままでのさやかならば、ここで動くことができなくなっていただろう。
 だが、今回は涙を流す恭介の手を握り、隣に寄り添った。
 自分では神隠しの少女にも、その友人にも、マミたちに並ぶほどの強さはないだろう。
 だけど、やれるところまでやりたい、そして、恭介といられる、この“世界”を守りたい。
 それはさやかが一晩考えて出した結論であり、一歩踏み出した原動力だった。
 恭介は、自分の手を握る幼馴染の姿を見て、悔しさに歪んだ顔を少しゆるめた。
 少し、気分が楽になった気がした。
 二人はそのまま、演奏が終わるまでそうしていた。





「この病院の小児科にさー、悪夢を吸い取るヌイグルミがあるんだってさ」

「えー、マジで」

「マジマジ、それを持たせたら、怖がったり寂しがって泣きわめく子供だってぴたりと泣き止んで熟睡なのよ。
 ある医者が持ってきたらしいんだけど、効果的面」

「へー、もしかしたら彰子の病室にもあるかもね。
 あいつ高校生にもなって怖がりだからねー」
 
「かもねー。
 でもね、この話には続きがあってね。
 このヌイグルミは結構すぐほつれるらしくて、その綻びから夜な夜な眼や指が覗くらしいんだ。
 吸い取られた悪夢が外に飛び出そうとしてるってね。
 彰子のところにあったらさ、どうせ盲腸ですぐ退院するんだし、この話を聞かせてやろうよ」

「いいねいいねー」

 上の病室でさやかと恭介が会っている間、まどかとほむらはロビーで待っていた。
 隣で女子高生達が、この病院に伝わる怪談をわいわいと話しているが、二人はしばらく無言だった。

「さやかちゃんと上条君、仲良くやってるかな」

 沈黙を破ったのはまどかだった

「心配?」

 ほむらがまどかを向く。

「うん、二人とも、長い付き合いだから。
 上条君が事故にあって、演奏ができなくなって沈んでいるのも、さやかちゃんが少しで も力になりたいと頑張ってるのも、ずっと見て来たから。
 …そして、さやかちゃんが上条君のことが大好きなのも」

 まどかは静かに言う。

「上条恭介は、さやかの気持ちを知っているのかしら?」

「気付いてないと思う。
 皆知ってるのにね。
 知らないのは本人だけだよ
 さやかちゃんだって気付かれてないと思ってるし。
 バレバレなのにね」

 まどかはくすり、と笑うが、その笑顔はどこか淋しげだった。
 恭介が事故に遭うまでは、そんな二人のほほえましい様子を温かく見守っていられたが、今ではその関係の齟齬が痛々しく、かといってどう手助けすればいいのかもわからないのだ。
 それを聞いたほむらは、ぽつりと言う。

「何もなければ、甘酸っぱい青春の思い出でいられたでしょうけど、この場合、その綻びは致命傷になりかねないわ」

「それ、どういうこと?」

 聞き逃せない単語を聞いて、まどかはほむらに詰め寄った。
 それに対してほむらは、過去に辿った時間軸で得た情報を、その出所はぼかして伝えた。

「入院していたとき、聞いてしまったのよ。
 上条恭介の腕は、医学じゃ治らない。
 …治療法が見つかるにしても、何年も先の話になるでしょうね。
 その事実が明らかになれば、彼を救うには魔法少女の奇跡しかなくなる。
 けれど、その綻びを抱えたまま魔法少女になれば、その綻びは大きくなり、最後には破滅と死しかない・・・
 そうなった魔法少女を何人も見てきたわ」

 これまでの時間軸で魔法少女になったさやかは、この綻びが原因で破滅していった。
 それに巻き込まれてほむらの計画は何度も頓挫した。
 ならば魔法少女になる道を消してやろうと、何回かのループで医者や、上条恭介のファン、恭介に想いをよせる志筑仁美をけしかけて治療法を探り、自らもアンダーグラウンドに手を出してまで治療方を捜してみたが結局は見つからなかったのだ。

「そんな、そんなのって」

 まどかはショックを受けたようだった。

「私としては、上条恭介の腕は諦めて、作曲等別の道に進ませるしかないと思うわ。
 さやかには、死んでほしくないもの」

 あなたが悲しむから、とほむらは心の中で付け加えた。
 口に出せば、自分の打算的な醜さが出てしまうから。

「ほむらちゃんも、さやかちゃんのことが心配なんだね
 口ではきついこと言ってるけど、こんなに優しいんだもの」

 けれどまどかは、そんなことを言う。

「私は、そんないい人じゃあないわ…」

「ううん、そんなことないよ。
 ほむらちゃんは優しい子、私が保証するよ。
 だから、一緒に考えよう、さやかちゃんが幸せになれる方法を。
 神野さんには警告されたけど、それでも私はさやかちゃんにも、マミさんにも、もちろんほむらちゃんにも幸せになって欲しいもの。
 私は諦めたくない、取りこぼしたくはないの」

 自分を卑下するほむらに対して、まどかは微笑みながら告げる。
 実際のところほむらも、かつて一人で戦っていた時と違い、自分の願望を自覚して開き直ってみると、本心からさやかに生きて欲しいと思えるようにもなってきたのだ。
 けれどそれは、このまどかの優しさに触れてきたから手に入れたものだった。

「ええ、そうね、一緒に考えましょう」

 まどかと一緒に、守るために動く。
 それをやれたのはいつのことだっただろうか。
 途中からまどかを守るために、魔法少女と接触しないように距離を置いた。
 けれど今、魔法少女としてではなく、ただの少女として友達のことを一緒に考えられる。
 そのことがうれしく、ほむらの顔にも微笑みが浮かんだ。



 しばらく二人で話していると、やがてさやかが降りてきた。
 そのまま帰宅の途に着く。
 だが、病院を出てすぐに、まどかが異変に気づいた。

「あれ、あそこ……」

 そこにあったのは、脈打つ黒い球に串を刺し、壁に突きたてたようなものがあった。

「なに、あれ?」

 さやかも疑問の声を挙げる。
 彼女達は魔女本体との戦いを見ていないため、グリーフシードを見るのも初めてだった。

「グリーフシード、魔女の卵よ。
 ソウルジェムの穢れを吸い取り、魔法少女の力を回復させる力があるのだけれど、卵だけあって穢れを溜め込みすぎると魔女が孵化するわ。
 そして、あれはすぐにでも孵化しそうよ。
 変な孵化の仕方をして病院で暴れられる危険もあるから下手に刺激するのもまずいわ」

 ほむらが解説する。

「放っておけないよ、こんな場所で」

 さやかは恭介のいる病院で魔女を孵化させたくはなかった。
 ほむらは頷き、二人に指示を飛ばす。
 
「私が先行するわ。
 あなたたちは巴マミを呼んできて。
 一度ここから離れて携帯を使って。
 来るつもりなら巴マミと合流してから。
 結界の中心部で待つわ」

「わかった」

「ほむらちゃん、気をつけて」

 そしてさやかとまどかはマミの元へ向かう。
 二人が去ったのを確認して、ほむらはグリーフシードへ向き合う。
 そして、生まれた結界がほむらを飲み込んだ。





 ほむらは結界の中心へと向かう。
 グリーフシードを刺激しないよう、使い魔を避けながら慎重に進む。
 夜の病院を思わせる陰気な道だ。
 あちこちに注射器や薬、病院のベッドや標本のようなものが転がる暗い道だ。
 障害物があるので身を隠すにはもってこいではあるのだが。
 このまま中心でマミを待ち、到着したら援護に徹するつもりだ。
 マミには悪いがギリギリのところを見せることで、まどかとさやかに戦いの厳しさを見せる予定だ。
 そして、ほむらが奥へと向かう扉を開けたとき、そこには何も無かった。
 薬ビンも、注射器も、お菓子も、魔女も、使い魔も、何も無い、ただの闇だった。
 はっとして後ろを振り向くも、そこにはもはや入ってきた扉すらなかった。
 こんなことができるのは一人しかいない。

「どうして邪魔をするの、神野陰之!」

 ほむらはいつになく激しい声を挙げる。
 その声に応えるように、神野が闇から、ぬるり、と浮かび上がってきた。
 ほむらは焦り、混乱していた。
 こいつは私の『願望』を叶えるはず、せっかく順調だったのに。
 何故、このままだと巴マミが…

「残念ながら、これが、“彼”の、“彼女達”の、そして巴マミの『願望』でもあるのだよ。
 縫い合わせられた『願望』は、君のそれを上回っているのだ」

 神野は淡々と告げる。
 ほむらは分かっていたはずだった、この魔人がそういうモノだということは。
 だが、心はそれを受け止められない。
 神野陰之の裏切りに、そして巴マミが死地へ近づきつつあることに。
 もう、誰も失いたくない、私の世界を、『願望』を守るために、その思いのみが募る。

「そこをどきなさい」

 ほむらは左手の盾から大型の銃を取り出して神野へ向けた。
 ミニミ軽機関銃、明らかに人一人に向ける物ではなかった。
 それでも目の前に立つ魔人には足りないと、普段のほむらなら分かっていただろう。
 だが、ほむらの焦りはその冷静さの仮面を剥ぎ取っていた。
 それを向けられても無言で、ただ笑みを崩さぬ魔人に、ほむらは引き金を引く指を止めることはできなかった。

「どけぇ!!」

 ガガガガガ、と耳を劈くような音が響き、無数の銃弾が神野陰之を貫く。
 大量の、コールタールのように黒く粘つく血が撒き散らされ、そのまま神野は血の海へと文字通り崩れ、溶けた。
 もはやその血の黒は闇と交じり合って判別はできなくなった。
 そして神野が消えても闇は晴れず、後にはほむら一人だけが残された。
 肩で息をするほむらの耳に、再びあの声のみが聞こえてきた。

「これが、“彼”の、“彼女達”の、そして巴マミの『願望』でもあるのだよ」





「ここが最深部、どうやら、間に合ったようね」

 そのころ、マミ達は結界の最深部へと到着していた。
 これまでの病院を思わせる重苦しい雰囲気はなく、明るくファンシーな雰囲気をした場所だった。
 周囲には巨大なケーキや飴玉、チョコレートなどのお菓子が散りばめられ、その中にやたらと足の高い一本足の丸テーブルや4本足の椅子が木のように立っているという光景だ。

「お菓子の家みたい…」

 まどかがその光景を見てつぶやく。

「あら、ヘンゼルとグレーテル?
 なら、後はお菓子の家の魔女を倒して、お宝を持って帰るだけね」

 マミはくすりと笑い、自信に満ちた表情で語りかける。

「頼りにしてますよ、マミさん。
 あれ、でもほむらは?
 先に行ったはずなのに…」

 それを見て、さやかの緊張は少しほぐれたようだった。
 だが、それと同時に、ほむらがいないことにも気づく。

「生まれたての魔女だと結界は落ち着くまでしばらく変化を続けるからね。
 ソウルジェムの導きに従ってまっすぐ進んだつもりが、袋小路に迷い込んでしまう場合もあるんだ。
 おそらくそれで迷っているんじゃないかな」

 疑問に答えたのはマミと一緒にやってきたキュゥべえだ。
 まどかはほむらを思って心配そうな声をあげる。

「ほむらちゃん、大丈夫かな?」

「まあ暁美さんなら、“森の獣”に負ける心配はないでしょうけれど…
 ただ、待っている余裕はなさそうね」

 ヘンゼルとグレーテルでは、両親は森に彼らを捨てたとき、人食いの魔女ではなく、森の獣に食い殺させる気だったという。
 道に迷い、さらに魔女の家にたどり着けなければそうなっていただろう。
 ほむらならば無力な少年少女ではないから大丈夫だとマミは思ったが、ふとそんなことを連想してしまう。 
 だが、グリーフシードの発する気配はそれ以上考える時間も、ほむらを待っている時間も与えてくれそうになかった。

「来るよ」

 どくん、どくん、とグリーフシードが脈打つ。
 そして、どくんっ、とグリーフシードがひときわ大きく脈打ち、それと同時に、病院中のヌイグルミが、ぺしゃり、と中身が全て抜けたように潰れた。
 驚いた看護師がそのヌイグルミを手に取ると、それは見事に空っぽだった。
 中身の綿も、そしてそれが纏っていた、癒してくれる暖かさや、夜に感じた少々不気味だった気配といったものまで。
 …それは完全に抜け殻だった。

 そして、グリーフシードは孵化し、魔女がマミ達の前に姿を現す。



[27743] 繕い~縫い合わされた思い~
Name: ふーま◆b013ba24 ID:66110c7e
Date: 2012/08/26 19:39
 時間は少し前、巴マミ達が結界の中心へ向かう道中に巻き戻る。

 魔女の結界の中を、マミを先頭にして、まどか、さやか後ろに並んで歩いていた。
 夜の病院のような、暗い、陰気な空間だった。
 子供が欲しがるおやつやおもちゃがあるが、転がり、浮遊する注射器や薬瓶に遮られ通路からは手を伸ばすことができない。
 そんな、入院中の子供にとっての悪夢を具現化したような空間だった。
 その陰気さにあてられたように、マミがぽつりとつぶやいた。

「ねえ、鹿目さん、美樹さん。
 こうしてついてきてくれるのはうれしいけど、もう止めにしたほうがいいと思うの。
 私も、あの魔人が話した怪異みたいなものよ。
 このままだと、あなたたちまで飲み込んでしまうかもしれない。
 だから、これが終わったら、あなたたちは私に関わらず、日常に戻るべきよ」

 神野陰之とのお茶会の後、マミが考えた結果がそれだった。
 友達は欲しい、けれど、それが結果としてその友達を巻き込むのなら、それは耐えられないと思った。
 もちろん、せっかく手に入れた友人を、ぬくもりを捨て去るのは身を切られるようにつらい。
 一度味わってしまっている分、その後に待つ孤独は、かの神隠しの少女と同じか、それ以上になってしまうかもしれない。
 だが、人を守りたい、自分のような境遇の人が生まれて欲しくない、という理想を掲げて戦ってきた自分が、そうありたいと願ってきたカタチが、マミにその選択をさせた。
 マミの表情は後ろを歩くまどかとさやかには見えない。
 だが、それでいいのだ、とマミは思う。
 今顔を見られてしまったら、我慢しているのがばれてしまうだろうから。
だが、

「そんなこと言わないでください、マミさん。
 魔法少女にはなれないかもしれないけれど、私はマミさんの友達です。
 それに、勝手にいなくなろうとしても、この鈴を手に見つけ出します」

「そうですよ、マミさん。
 それに、このさやかちゃんが、そうやすやすと飲み込まれたりするもんですか。
 自信持ってください。
 皆を守る正義のマミさんに、私は憧れてるんですから」

 まどかとさやかは、マミの拒絶を振り払い、その手を伸ばす。
 そう迷いなく言われて、マミはうれしく感じた。
 たとえ離れることが理屈では正しいと思っていても、それでも近寄ってきてくれる彼女達の言葉を拒絶できるほどにはマミは強くなかった。
 あの選択自体、理性と感情のせめぎあいのぎりぎりのところだったのだ。
 そこに感情を刺激されれば、もう耐えようがなかった。

「あこがれるほどのことじゃないわよ、私。
 無理してかっこつけてるだけで、怖くても辛くても誰にも相談できないし、ひとりぼっちで泣いてばかり。
 いいものじゃないわよ、魔法少女なんて」

 そして、弱音をつぶやく。
 憧れの先輩の、弱い姿、それを見せられても彼女達の意志は変わらなかった。

「マミさんはもうひとりぼっちなんかじゃないです」

「そうですよ、マミさん、私もまどかも、ほむらだっているんですから」

「そうだよ、それにこの二人だって魔法少女にならないと決まったわけじゃないしね」

「あんたはだまってろ」

「ぎゅっぷい」

 それを聞いてマミは振り向く。
 その目には涙が浮かんでいた。
 覚悟して決めた選択を、この少女達はやすやすと乗り越えてきた。
 しかも場所はこの陰気で恐ろしい魔女の結界でだ。
 もう、マミの胸はいっぱいになっていた。

「そうなんだよね。
 本当に、私なんかの側にいてくれるの?」

 その目には涙が浮かんでいた。
 マミの言葉に、まどかとさやかは力強くうなずく。

「参ったな、まだまだ先輩らしくしないといけないのに。
 やっぱり私駄目な子だ」

 言葉とは反対に、そう言うマミの顔は笑顔だった。

「じゃあマミさん、この戦いが終わったら皆でパーティーしましょうよ。
 そんな沈んだ気分を吹き飛ばしちゃいましょう」

 そんなマミの笑顔を見て、さやかが明るく言う。

「ええ、そうね…」

 そう言い掛けたところで、

「マミ!
 グリーフシードが動き出した。
 そろそろ急がないと」

 キュゥべえが声を挙げた。
 時間を思ったよりも使ってしまっていたらしい。

「オッケー。
 今日という今日は、速効で片付けるわよ」

マミは、力強い表情で、前に走り出すのだった。

(もう…何も怖くない…
 だって、仲間がいるんですもの!)

―――――
――――
―――

 グリーフシードがはじけ、魔女が現れた。
 キャンディのような髪型をした、デフォルメされた少女のヌイグルミのような姿で、椅子の上にちょこんと降り立った。
 そんな弱そうな姿であっても、マミは容赦しない。

「せっかくのところ悪いけど、一気に決めさせて、もらうわよ!」

 そう言いながら椅子の足をマスケットの銃尻でへし折り、落ちてきた魔女を殴り飛ばした。
 吹き飛んで壁に叩きつけられた魔女に対して、マスケットを数丁取り出して連射。
 穴が開いて地面に落ちた魔女の頭部に銃口を押し付けてゼロ距離射撃。
 そのままリボンを召還して縛り上げ、上空に磔にする。
 最後に、銃を大口径の大砲へと変え、魔女を撃ちぬいた。

「ティロ・フィナーレ」

「やったあ!」

 腹に大穴を開けられた魔女を見て、まどかとさやかが歓声を上げる。
 マミも、安堵したようにほっと息をつく。

 …だが、まだ終わってはいなかった。
 魔女の口から、ぞろり、と本体が飛び出す。
 道化の顔をした、赤い斑点のついた黒蛇のような姿だ。
 そして、一気にマミの眼前に迫った。
 突然の現実を逃避するかのように、綻びから、悪夢が飛び出す…病院に伝わるその怪談が、彼女達の脳裏に浮かんだ。
 その魔女は、内側からはちきれんばかりに悪夢をつめたような、そんな雰囲気がしていた。
 そして、魔女がマミの前で口を開いた。
 大きく口を開けた魔女の、その口の中にあったのは全てを噛み砕かんとする凶悪な歯ではなかった。
 青白い無数の手だった、貌だった。
 口の中には、無数の子供達が詰まっていた。
 泣いている顔、苦痛にゆがむ顔、助けを求める顔。
 それらの無数の手がマミへと伸びる。
 完全な奇襲のタイミングではあったものの、攻撃を魔女の口の中に撃ち込む余裕はあった。
 そうすれば、自分を救ってくれた後輩達と一緒の幸せな未来が待っていただろう。
 それでもマミは動けなかった。
 そこにあったのは恐怖でも、絶望でもなく、

(そう…さびしいのね、苦しいのね…)

 共感だった。
 彼らも自分と一緒だった。
 彼らの中にも感じたのだ。
 死に掛けた痛みや苦しみを、独りぼっちで過ごす夜のさびしさを、幸せな夢を見て、朝起きたときに感じる絶望を。
 ただ、彼らにはキュゥべえも、鹿目まどか達も表れてはくれなかったのだ。
 救われた自分、救われなかった彼ら。
 同じ境遇を経た巴マミにとって、自分のような人を増やさないために戦ってきた彼女にとって、彼らを見捨てることなどできるはずもなかった。

(ごめんね、美樹さん、鹿目さん。私は…)

 マミは自ら魔女の口より伸ばされる手を取り、魔女と中の子供たちの満面の笑みの中、魔女ごとこの世界より消失した。





 巴マミが魔女から伸びる手を取った瞬間、まどかとさやかの目には、マミと魔女が混ざりあうようにぐにゃりとゆがんで渦巻く姿が映った。
 それが何事であるか判断する間もなく、そのまま結界も歪んで消失し、もとの病院の前へと戻っていた。
 そこには、呆然と立ち尽くす暁美ほむらの姿もあった。

「マミさんは、ねえ、マミさんは!?」

「魔女もいない。
 ねえ、キュゥべえ、ほむら、何がどうなってるのよ!?」

 まどかとさやかが取り乱す。
 魔女の本体に対してマミは自ら手を差し出していた、それだけでも理解できないのに、魔女もマミも両方消えてしまったのだ。
 死んだというようではなく、むしろ取り込まれたといった風に見えた。

「僕にもわからないよ。
 マミがやられたとしても、それで魔女が他の獲物を逃がすなんてありえない。
 そもそも結界ごと移動したんじゃない、完全に消えてしまっている。
 こんなことは初めてだ」

 キュゥべえも、どこか混乱した風にみえる。
 ほむらがマミの家で魔法少女の真実について述べたときですら淡々としていたその口調が乱れ、8の字を描くようにぐるぐると動き回っていた。
 そんな中、ほむらはただうつむき、唇を噛み締めていた。

「ほむら、あんたなんか知ってるんじゃないの?
 先に行ったはずなのに、いなかったしさあ!
 なにか言いなさいよ!!」

 そんなほむらに対してさやかが声を荒げる。
 さやかがマミの安否が心配で、その焦りから攻撃的になっていることがまどかには分かった。
 そんなさやかをいったん落ち着けようと、まどかが口を開こうとしたとき、

りん、

と鈴の音がなった。
 神野陰之にもらった鈴、玉が入っていない、鳴らない鈴だった。
 とりあえず携帯のストラップにしていたのだが、鳴るはずのないその鈴が鳴っていた。
 その透き通るような音色は、場の混乱した空気を冷やし、さやかとキュゥべえも動きを止めた。
 そして、

「敗者を鞭打つのは酷というものだよ。
 暁美ほむらは、ついさっき、巴マミと、かの魔女となった者達の願望に敗れたばかりなのだからね」

その気温までもが数度下がったような空気の下、神野陰之が姿を現した。
 差し込む夕日が、時を進めたかのように暗くなった。

「それ、どういう意味?」

 そんな中にあっても、まどかは神野をまっすぐ向いて問いかける。
 真実を知りたい、助けたいという意思が畏れを塗り消していた。

「文字通りの意味だよ、鹿目まどか。
 あの魔女の基となった子供達と、巴マミは同じような存在であり、互いに相手を求めていたのだよ。
 そしてそれは、巴マミと一緒にいたいという君達の願望よりも強いものだった」

 まどかとさやかは怪訝な顔をしていた。
 魔女の基となった子供という、不穏な単語が出てきたことは気になったが、それ以上にマミが自分達よりも魔女を選んだことが納得できていなかった。
 そんな少女達を見て神野は続ける。

「あの魔女は、本来はお菓子の魔女だった。
 病気の少女の好きなものが食べたいのに食べられない、そんな悪夢と絶望が生み出した魔女だ。
 ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家の魔女のように、外見に騙された相手を喰らう、そんな存在に成り下がったそれに、巴マミは食い殺されるはずだった。
 だがそこにとある医者の願望が関わってくる。
 彼は病に苦しむ子供を、病室で孤独に泣く子供を、若くして死に逝く彼らの絶望を救いたいと願った。
 私はそれに応え、その悪夢を食べるヌイグルミを与えた。
 この病院での魔法のヌイグルミの話は君達も知っているだろう。
 そして溜まった悪夢、要するに切り捨てられた寂しさや苦痛、絶望を抱く子供達の魂の欠片は、同じ境遇だった魔女と共鳴し、融合して、君たちが見た姿へとなった。
 事故の苦痛、一人の寂しさ、それを知る巴マミがそれを見捨てることなどできるはずもない。
 彼女は、自分と同じような人を生み出したくない、という願望を持って戦ってきたのだからね」

 マミの境遇は聞いていたため、二人の少女は言葉を失う。
 そして、あのマミさんなら、そんな子供たちを放ってはおけないだろうと納得してしまった。
 だが、それでもその喪失の痛みはまどか達の胸に重くのしかかる。
 一緒にいた時間はほんの数日に過ぎなかった。
 それでも一緒にいたいと思える、そんな大切な人だったのだ。
 まどかもさやかも、どうしても涙が止まらない。
 ほむらでさえ、無表情を崩さないながらも、必死で感情を抑えているのが見て取れる。

「そんな…マミさんは、どうなっちゃうの?
 もう…会えないの?」

 まどかは涙ながらにそう問いかける。
 それに対して神野は笑みを浮かべて、

「死んではいないし、彼女の魂の在り方も変わりはしない。
 もともと人外であった彼女らは、その似通った性質が重なりすぎてもはや概念といえる状態、つまり異界の住人となってしまったがね。
 だが、鹿目まどか、君の願望と、その鈴があれば道を開くことは不可能ではない。
 彼女達の物語は完結だが、まだ、君達の物語は途中だ、あとは君たち次第だよ」

そう言い残して消えた。
 後には、すっかり日が沈んだ夜道が残った。
 思い出したかのように点灯する街灯に、3人の少女と一匹の獣が照らされていた。
 一人と一匹は無言で微動だにせず、二人は嗚咽を漏らしていた。
 死んではいない、その言葉に少し安心は覚えたが、それでも胸に到来する別離の悲しみと、マミが受け入れた運命を思い、ただ泣いていた。
 涙がなくとも、その心が泣いていた。
 …ただ一匹の、獣を除いて。



[27743] 家と家無き子
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/08/26 19:48
 見滝原の隣町、巴マミが消えた夜のこと。
 鉄塔の中ほどに、一人の少女とキュゥべえがいた。
 その少女は長い赤毛をポニーテールにしてまとめ、パーカーとホットパンツ姿の活発そうな容姿をしていた。

「巴マミが消えたって… 
 死んだのとは違うのかよ?」

 キュゥべえが語ったのは、マミが魔女と共に消失したいきさつだった。
 その場にいた少女達が枕を涙で濡らしているのと同じ時間に、変わらぬ赤い目を鈍く光らせて淡々とその話を終え、眼前の少女の疑問に変わらぬ声で答える。

「僕にもわからないよ。
 マミも、マミが戦っていた魔女も死んでいないというのはなんとなくわかる。
 ただなんというか、混じりあって別の何かに変わってしまったようなんだ」

 その答えに、少女はひっかかるところがあったようだ。

「おい、魔女と魔法少女は敵同士で真逆の存在のはずだろ。
 それがなんで混じりあうのさ。
 魔女と魔法少女が実は近い存在だとでも言うのかい?」

「それは…いや、そこは問題じゃないよ、佐倉杏子。
 君にわざわざ見滝原まで行って欲しいのは、そこにいるもう一人の魔法少女と、彼女に付き従う魔人のためさ」

 少女、佐倉杏子の言葉に、キュゥべえは彼には珍しく逡巡したように見えた。

「消えたマミを探してくれってんじゃないのかよ。
 お前はあいつの友達じゃあなかったのかい」

「………」

 その問いかけに、キュゥべえは無言を貫くだけだった。

「マミのやつも浮かばれないね。
 いや、まだ死んでないんだっけか。
 まあいいや。その魔法少女って何者?
 あんたと契約した願いでランプの魔人でも出したのかい」

 杏子の興味も、キュゥべえの語った魔法少女と魔人のほうに移ったようだ。
 単に、マミのことでキュゥべえをこれ以上問い詰めても何も進展はないだろうというのがこれまでの付き合いで分かっていたからというのもあった。

「僕にもよくわからない。
 さっきの話の中でも触れたけど、魔法少女の名前は暁美ほむら。
 黒い長髪で、マミと同じ学校の生徒だ」

 杏子は、はあ?、と怪訝そうに首を傾げた。

「よくわかんないって、そいつもあんたが契約したんじゃないの?」

「そうとも言えるし違うとも言える」

「なんだそれ……」

 首を傾げたままの姿勢で、不満そうに声を挙げる。
 わざわざ人を呼び出して一仕事させようというのに、情報がないというのは不親切にもほどがあった。
 けれども、キュゥべえはその不満そうな顔を見てもペースを崩すことはなく、

「暁美ほむら、彼女らは極めつけのイレギュラーだ。
 あの魔人が絡む事態は僕の想像を遥かに超える、だが、暁美ほむらは魔法少女以外の何者でもないのも確かだ。
 いったいどういう行動に出るか予想もできないし、あんな魔人を生み出す願いなんて僕には想像もつかないよ。
 だから、この街は彼女ではなく君にまかせたい」

そう、杏子を呼び出した理由を告げるのだった。

「…あんたの都合に踊らされてるようで癪だけどさ、こんな絶好な狩場をみすみす見逃すわけにもいかないよね。
 いいよ。
 乗ってやるよ、キュゥべえ。」
 杏子はその申し出を受けることにした。
 キュゥべえのうさんくささは増したが、そういう奴だというのはこれまでの付き合いでなんとなく分かっていたことだ。
 魔人のことは気にはなるが、見滝原が格好の魔女狩りの場であることもまた事実。
 それに、他にやりたいこともあったからだ。

「君ならそう言ってくれると思ったよ。
 じゃあ、頼んだよ」

 そう言ってキュゥべえは夜の街へと消えていった。
 一人残された杏子は、何かを思うように一人、鉄塔の上で朝まで星を眺めていた。





 翌日、見滝原に着いた杏子は、今日は移動で疲れたから休むと言ってキュゥべえと別れ、一人夕暮れを歩く。
 キュゥべえにはほむらを監視させ、何かあったら呼ぶようには伝えてある。

(…巴マミ、あのやろう、いったいどこにいきやがった…)

 杏子はソウルジェムを取り出し、巴マミの波動を探りながら歩いていた。
 杏子とマミとは魔女の結界内で出会い、幾度か共に戦ったこともある仲であった。
 まだ魔法少女になりたての杏子にマミは優しく、戦いの手ほどきを授けてくれた。
 正義に燃える二人の魔法少女は意気投合しお互いの家を訪問するほどだった。
 だが、ある事件をきっかけに、杏子は魔法を自分のためだけに使うようになった。
 それは、人を救おうとするマミと最後まで相容れず、結果として杏子は見滝原市を離れた。
 マミの生き方から離れなければ、その事件で受けた衝撃から自分自身を保てなかったのかもしれない。
 離れてからも、かつての自分と同じだったマミのことは少々気に掛かってはいた。
 それでも相手が死んだのであれば、自分を納得させて利己主義を貫こうとすることができただろう。
 だが、助けられる可能性があるのなら、手を伸ばそうとしてしまう、そこが彼女の本質だった。
 悪態をつきつつもマミを捜すように、杏子は元々他人思いの少女なのである。
 もっとも、キュゥべえがこの探索に気づいていない以上、利己的な魔法少女の仮面は健在なのだろう。
 利己的に生きようとしている自分のこんな姿を見られるのは少々恥ずかしかったし、マミへの友情を示さなかったキュゥべえを連れてくる気持ちにはなれなかった。

「………結局、残り香に誘われただけだったか……」

 目の前の表札には、巴マミの表札。
 街をさまよい歩いた末にたどり着いたのは、マミの生活していたマンションの一室だった。
 生者の気配のしない、シン、とした静寂と黄昏のみがそこにあった。
 彼女が生きているのなら、助け出したかった。
 結局、自分には誰も救うことができないのか。
 掴もうと手を伸ばせばそれは失われ、皆目を放した隙にいなくなる。
 世界を覆う夕闇と同じように虚しい気持ちを抱え、ただ、主を失った部屋を確認すべく扉に手をかけた。





「ようこそ、『忘れられた子供たちの家』へ」

「……は?」

 そこにあったのは、マンションの一室にしてはやたら広く、そしてにぎやかな空間だった。
 手前こそゆったりとしたマンションらしい洋間だが、その奥にある扉の窓からは、お菓子のような遊具の並ぶファンシーな空間が覗いていた。
 横にある扉からは、図書室なのだろうか、本棚が見える。
 そう、例えるならば保育園や託児所といったものを意識させる空間だった。
 そこかしこを子供達が走り回ったり、お絵かきをしたりと思い思いにすごしている。
 奥の部屋では、子供達が恵方巻きにピエロの顔がついたようなものにまたがって宙を飛んでいる。
 そして洋間の中心にある低いテーブルの奥に、先ほど杏子が思い浮かべていた少女、巴マミが微笑みながらたたずんでいた。

「マミ、あんたは消えたんじゃなかったのか?
 それにここ、魔女の結界かっ!?」

 杏子は困惑を抱きつつも、変身し臨戦態勢をとる。
 このような不思議空間は魔女の結界以外にはありえなかった。
 それに子供たちはともかく、宙を浮く恵方巻きや子供達におもちゃにされてる渦巻きの顔を持つ犬のようなものは魔女や使い魔に違いなかった。

(マミのやつは、魔女に取り込まれちまったのか)

 そう杏子が思うのは当然のことだった。
 それに対してマミは落ち着きを崩さずに応える。

「50点、といったところね。
その答えは、正解であって、正確ではないわ」

「どーいう意味だ。
 ちゃんと説明しろ!」

 はぐらかすかのようなマミの返答に、杏子は声を荒げた。

「わかったけど、落ち着いてくれるかしら。
 ここはあなたの敵ではないわ。
 それに、私達は敵対していたけれど、あなたがここに来れたということは、やっぱり私達は似たもの同士なのでしょうね」
 
 杏子の怒気をさらりと流してそう言うとマミは腰を上げた。

「ちょっと長い話になるかもしれないから、座ってて。
 紅茶とケーキを用意させてもらうわ。
 あなたの疑問にもちゃんと答えてあげるから」

 その言葉には敵意も違和感もなかった。
 以前会ったマミのままである。
 その穏やかな仕草に、声を荒げたことでこっちを向いた無数の子供たちの好奇の視線を前に、杏子の毒気はすっかり抜かれてしまった。
 杏子は少し赤くなり、魔法少女の変身を解かないまでも、魔法少女としての武器である槍をしまってテーブルの前に座った。
 キッチンで紅茶の用意をするマミを見ながら、周囲を観察する。
 そこにいたのは、それこそ幼児から中学生くらいまでの子までさまざまだ。
 服装もさまざまで、中にはまるで江戸時代や明治時代から来たのかというくらい時代掛かった格好の子供、目隠しをした少年までいる。
 いったいここは何なのか、杏子が考えていると、準備を終えたマミがやってきて紅茶のカップを差し出す。
 そこに横から、キャンディのような頭をした少女の人形がちょこちょことやってきてケーキを置く。

「うわっ」

 突然のことに杏子は身を引いて身構えてしまう。
 マミはそれを見てくすくすとやわらかく笑いながら言う。

「ありがとう、シャルロット。
 かわいいとこあるのね。佐倉さん」

 恥ずかしいところを見られて杏子の顔がかあっと赤くなる。
 照れを隠すようにマミに問いかける。

「それよりもさっきの話だ。
 いったいここは何なんだ?」

 マミは自分の紅茶を一口飲むと口を開いた。
 
「ここは、『忘れられた子供たちの家』。
 一人ぼっちになってしまった子供たちを受け入れる『物語』よ」

 理解できていないという顔の杏子に向けてマミの説明は続く。

「世界には、私達が普段生活している世界のほかに、その心の深遠を写した異界というのが存在するの。
 それは普通、認識できないけれど、二つは隣り合っているわ。
 都市伝説や怪談、神話や民話の類は聞いたことあるわよね。
 魔法少女だったころ、あれは魔女の仕業だとばかり思っていたけれど、よく考えればそうとは言い切れないものも多いわ。
 それらには、異界が関わっているものが多いのよ。
 魔法少女の魔法とは別に、その異界の力を使った魔術というのもあるらしいしね。
 異界は、それらの話で伝わるような怪異といった形で現実に影響を与えるわ。
 そして、異界の存在は、『物語』によって形をなすの」

 そこでマミは紅茶をもう一口すすり、一息ついて話を続ける。

「私が最後に戦った魔女は、病院で亡くなった子供や、子供を守るために切り離された孤独や寂しさの感情の集合体だったわ。
 私も家族を亡くしてずっとひとりぼっちだったから、彼らの気持ちが良くわかった。
 気がついたら魔女の差し出す手を取っていたわ。
 助けてあげたい、ひとりぼっちなんかじゃないってね」
 
 杏子には、いきなり話される異界うんぬんの話は理解しきれない。
 だが、マミの気持ちはよくわかった。
 嘘を言っていないであろうことも。
 マミは、そのときのことを思い出すかのように目を瞑っていた。
 そして目を開け、お茶目に微笑んだ。

「気がついたら、この空間にいたの。
 こうなったのは、暁美さんと一緒にいた神野さんのおかげなのでしょうね」

「神野って、暁美ほむらに従う魔人か?
 いったいあいつ何者なんだ?」

 キュゥべえの言っていたイレギュラーの名前が出てきて、杏子が身を乗り出す。

「彼はさっき話した異界の住人。
 魔人で、本当の願望をかなえてくれると言うらしいわ。
 私は、ずっと望んでいたのよ。
 ひとりぼっちになりたくないって。
 魔法少女として戦っていたのも、自分と同じふうな子供を作りたくなかったからなの。
 ひとりぼっちがいやなのは、戦っていた魔女もいっしょだった。
 二人の願望が交じり合い、魔人の力が加わった結果、異界にこの部屋が顕現したというわけ。
 この『物語』は、ひとりぼっちの子供を救い上げるの。
 異界や魔女の結界に捕らわれてしまって彷徨う魂をね。
 そうしてやってきた子供達もいるのよ。
 始めは子供たちもおっかなびっくりだったけど、今では皆仲良く遊んでいるわ。
 そしてあなたみたいに、ひとりぼっちをさびしいと思っている人も現実から引き寄せてしまうこともあるみたいだけど」
 
 マミの説明が終わった。

「異界ってのはまだよくわかんねーけどさ、あんたがこうなった理由は判るよ。
 そうだよな、ひとりぼっちは…さびしいもんな」

 思うところがあるのだろう、よってきた子供の頭を優しくなでながら、杏子もしみじみと言葉を返す。
 その姿を優しく見つめながらも、皮肉るように笑ってマミは問いかける。

「あらあら、魔法は自分のためだけに使う、一人で生きるんじゃなかったのかしら」

 そう言われて、杏子は苦笑する。

「まあね、それを変えるつもりはないさ。
 けれど、あんたは知ってるだろ、あたしの物語をさ。
 あたしにも、大切な家族が、妹がいたんだ。
 いまはちょっと、あんたがうらやましく思えるんだよ」

 照れ隠しのようにケーキをむさぼる杏子を見ながらマミは思い出す。
 佐倉杏子の、魔法少女としての物語を…

 杏子の父親は神父だった。
 正直で、優しすぎる人間だった、その人柄は、実際に会ったマミも素晴らしいと思った。
 ただ、その思いが強すぎて、教義にないことまで説法し、行き過ぎて破門、信者は遠ざかり、家族は食べるものにも事欠くようになる。
 それでも杏子の父親は諦めなかった、杏子達家族もそれを支え続けた。
 だが、人は離れていき、生活もどんどん苦しくなる。
 妹がやせ衰え、母は病気になり、必死になる父親に向けられるのは蔑みの視線。
 誰も、父親の言葉に耳を貸さないことが、杏子には悔しくて悔しくてたまらなかった。
 そして、杏子はキュゥべえと出会い、魔法少女の契約をする。

『みんなが…父さんの言うことを理解してくれますように―――聞いてくれますように』

 その日から教会には人があふれ、家族の生活も一変、家庭に笑顔があふれた。
 そして、父親が表から、自分が裏から世界を守ると決めて、杏子は魔法少女としての戦いに望んだ。
 マミと出会ったのはそのときのことだ。
 世界を守ろうとする二人は意気投合し、お菓子好きの杏子は甘味を求めてマミの家に入り浸り、家族のぬくもりを求めるマミは杏子の家で穏やかな時間を過ごした。
 けれど、その幸せは長くは続かなかった。
 魔法少女の姿が父親にばれて、願いのことも聞きだされてしまったのだ。
 信者が、自分の言葉ではなく魔法の力で寄ってきたことを知った父親は絶望し、酒びたりになる。
 杏子を魔女と罵り、娘を悪魔に売ったことを悔やみ、そして、杏子一人を残して無理心中を図った。
 マミの家で父親のことを相談して帰ってきた杏子の眼前に現れたのは、母と妹からあふれた血の海だった。
 そして、首を吊って、もう流れないはずの時間を刻むようにぎい、ぎいと揺れる父親の姿だった。
 人のために願い、家族を壊してしまった杏子は、もう、自分のためにしか魔法は使わないと決めた。
 その悲痛な思いに、無理に覆い隠されようとする優しい心に、マミは寄り添い、助けようとしたが、結局引き止めることはできなかった。
 それ以来、この日まで、二人が会うことはなかった。

「ええ、知っているわ。
 あの時は、私では力になれなかったわ、ごめんなさい。
 今だって、あなたを妹さんに合わせることもできないの」

 杏子の物語に、そして力になれなかったことに、マミは涙を浮かべた。
 それは、また出会えたことに対する喜びも混ざった、複雑なものだった。

「いいさ、あたしだってあんたと一緒だと、親父を思い出しちまって耐えられなかったんだ。
 妹のことも・・・あんたの話を聞いたときはもしかしたらって思えたさ。
 けど、ここにはやっぱいない、親父が連れてっちまったんだな。
 …ちゃんと、あんた一人の力でも導けたじゃないか……親父よう…
 妹が、あいつが魔女や怪異の世界で苦しんでなかっただけ、よかったさ。」

 杏子も、口元は笑っていても、目には涙が浮かんでいた。
 そんな杏子の手を、ぎゅっと握る、小さな手があった。

「なかないで…おねえちゃん。」

 いつの間にか、小さな子供たちが杏子の周りに集まっていた。
 心配そうに見つめる子供たちを前にして、杏子は涙をぐしぐしとぬぐい、後にはいつもの勝気な姿が現れた。

「なかねーよ。
 おねえちゃんは、強いんだぞ」

 そう、にかりと笑う。
 そして、よってきた子供の中に、目隠しをした少年を見つけて言う。

「あんた、なんで目隠しなんかしてるんだい。
 ここには、怖いものなんてないよ」

「ほんとう…でも、外れないの…」

 少年は悲しそうに言う。
 それをマミも補足する。

「そう、どうやってもだめだったのよ。
 なんとかしてあげたいけど、よほど強力な呪いみたい」

 杏子も触れてみるが、外れそうになかった。

「ほんとだな、だが、マミにはできなくてもあたしにはできることがある。
 ちょっとどいてな、あんたも動くなよ」

 そう言って周りの子供たちを遠ざけると、いきなり魔法少女の武器たる槍を出して一閃する。
 そして数秒後、はらり、と目隠しが切れて外れた。
 光のあふれる世界に出て、目をまぶしそうにぱちくりしている少年と、その槍を見て、周りの子供たちも歓声を上げた。

「過激すぎるわよ。
 それにわたしにはできないって…銃器か刃物かの違いじゃないの」

 マミはあきれた声を挙げる。

「成功したからいいじゃないか。
 このコントロールはマミ、あんたの指導のおかげなわけだしな。
 さあ、目隠しが外れたお祝いだ…食うかい?」

 そう、子供たちに向けてポッキーの袋を開けて差し出す。
 子供たちはうれしそうにそれを取る、目隠しをつけていた少年も、おずおずと手を伸ばした。

「あたしは、きょーこっていうんだ、よろしくね。
 あんたは?」

「想二…」

 子供たちに向けて、杏子は思い出したように自己紹介をする。
 それに最初に応えたのは目隠しをしていた少年だ。
 いい名前じゃないか、と言おうとする杏子だったが、周りの子供たちも次々と自己紹介を始めてもみくちゃにされてしまった。





「今度は、あなたが表で世界を救ってみない。
 今度は裏を私がやるから」

 子供たちと戯れる杏子をしばらく楽しそうに見つめていたマミだったが、杏子に提案をした。

「どういう意味だい?」

 顔をマミのほうに向けて杏子が問いかけた。

「この子たちは異界に完全に混ざってしまって無理だけど、やってくる子供達の中には現実に帰れる子供達もいるのよ。
 入り込んですぐここで救い上げられれば、元の場所に帰ることもできるのよ。
あなたにはそれを迎えに来て欲しいの」

 その提案に杏子はしばらく考えていたが、やがて肯定の返事をする。

「…あたしなんかで、いいのかい」

 ばつの悪そうな顔をする杏子に、マミはたたみかけた。

「あなただからこそよ。
 お願いするわ。
 もちろん、報酬も出すわ。
 シャル~ちょっときてー」

 マミが呼ぶと、お菓子を運んできたほうではなく、恵方巻きの方がぬうっ、と現れた。
 驚く杏子の前で口をあけると、いきなり吸引を始めた。
 その勢いある吸引にも関わらず杏子も子供たちも吸われることはなかったが、代わりに杏子のソウルジェムから穢れが吸いだされていった。 

「なっ!?」

 驚く杏子の前で、恵方巻きは今度は尻を向けると、何かを産み落とした。

「グリーフシード!?」

 立て続けのできごとに杏子の理解は追いつかない。
 マミはそのあっけにとられた顔を楽しそうに眺めると説明を始めた。

「そう、シャルロットは“悪夢を吸い取るヌイグルミ”の性質と“穢れや呪いを集めてグリーフシードを孕む魔女”の性質を併せ持つの。
 ここの子供たちが持つ穢れや悪夢、呪いもこうやって解消したの。
 だから、グリーフシードは大量にあるのよ。
 これなら、あなたへの報酬としては十分でしょう」

 しばらくぽかん、としていた杏子だったが、

「ここまでの報酬を出されちゃあ、のらないわけにはいかないよねえ」

と、利己主義者の仮面を道化のようにつけて応えた。

「よろしくね、佐倉さん。
 ついでに、向こうにいる後輩に、手紙を頼みたいのだけど…」

 その申し出も、杏子は快く受けた。
 マミが手紙を書き終わるまでの間、しばらく子供たちと戯れていた。





「夢…だったのか?」

 杏子はマミの家のベッドで目を覚ます。
 外は家に入った時と同じ夕暮れだ。
 時計の針はほんの数十分しか進んでいなかった。
 あの『家』でマミと話した記憶はあるが、儚い希望が見せたただの夢だったのか。
 落胆を覚えながらも、ふっ、とテーブルの上を見ると、そこには三通の手紙と、卵パックに入ったグリーフシードが置かれていた。
 テーブルの上のものが、あれが現実だということを教えてくれた。

「夢じゃ…なかったんだな。
 マミ、聞こえてるか、あんたとの約束、果たしてやるよ。
 あたしも、もう一度がんばってみるよ」

 そう言い残し杏子はマミの家を後にする。
 そこには家に入る前の暗鬱な気持ちはなく、朝日のように晴れ晴れとした気持ちがあるだけだった。
 がちゃり、とドアをあける。

「マミさ……誰?」

 そこに立っていたのは、桃色の髪をした小柄な少女だった。
 いきなりのことに杏子は混乱する。
 行方不明の人間の家から勝手に出てきたことなんてばれたらろくなことにならない。

「あああ、あたしは、その、違うんだ……って、もしかしてあんた、鹿目まどかかい?」

 あせりながらも、気づけば目の前の少女は、マミが言っていた特徴にそっくりだった。








 杏子がいなくなった部屋、その主たるマミが、何かを感じ取ったかのように立ち上がり、くすっと笑みをもらす。

「そうそう、言い忘れていたけれど、ここに来れるのは一人ぼっちの子供だけじゃないのよ。
 保育所みたいなものだから、当然保護者とか、迎えに来た人なら入れるのよね。
 だから佐倉さんと鹿目さん達がお友達になって一人じゃなくなっても、彼女が約束を果たそうとする限りはまた会えるのよ。
 鹿目さんの鈴や、暁美さんがかもし出す魔の気配なら、それとは別の方法で入れるかもしれないけどね。
 …今度は、別の人がお迎えにきたようね。
 今日はお客さんが多くてうれしいわ」

 そういってマミはドアに向かう。
 ドアの先にいたのは黒ずくめの美貌の少年と、臙脂色のケープと長いスカートを着た人形のような少女だった。

「…想二君、お兄ちゃんがお迎えに来たわよ。
 さあ二人ともあがって頂戴、つもる話もあるでしょうしお茶とケーキくらいならお出ししますのでゆっくりしていってください」


 暁美ほむらの預かり知らぬところ、一つの物語が終わりを告げた。
 本来の時間軸ではありえなかった可能性、それを叶えることができた少女はお茶を入れながら、手を取り合う兄弟を優しく見つめていたという。



[27743] 人の為、己の為~魔女の庭に潜む怪物~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/08/31 23:29
 佐倉杏子と鹿目まどかが出会った時から、わずかばかり時は遡る。


 マミが消えた翌日の放課後、さやかは恭介のいる病院へと来ていた。
 本当は、鈴を手にマミを探しに行ったまどかと一緒にいたかったが、昨日の怪異の後で恭介を心配するさやかにまどかが気を使ったのだ。
 ほむらは学校を休んでいた。
 マミがああなった原因があの魔人にあったことから、責任を感じてしまったのではないかとさやかは思う。
 ただ、ほむらを責める気はなかった。
 あれが御しきれる者ではないことぐらい、さやかも感じていたからだ。
 そんな風に友人達のことを思いつつ、さやかは一人、夕日に紅く染められた病院へと入っていく。
 いつもと同じロビー、嗅ぎ慣れた匂い。
 昨日の一件でヌイグルミの中身が消失したことが話題になり、喧騒はいつもよりも大きかったが、それだけだ。
 変わらない日常、マミさんが消えて変わってしまった日常。
 何が起こったか知らない人々、何が起きたか知っている自分達。
 どこか違う世界に来てしまったかのようにさやかは感じていた。
 魔法少女や魔女のことを知ってしまった時点で、もはや人とは違うんだなと。
 ただ、もしこの場所に“魔女”がいたならその思いにこう答えていただろう。

『人と違うのなんて最初からだよ。
 だって、人間が同じ世界を見てるなんて幻想にすぎないもの。
 人間みたいに複雑な心性を持ったら、もう精神レベルでは同じ生き物なんて言えないよ。
 誰も蛙を“狂ってる”なんて言わないのにねえ』

と。
 されどさやかにその出会いはなく、その取り残されたような気持ちはくすぶりつづけるままだった。





 色々考えているうちに恭介の病室にたどり着く。
 恭介に昨日の影響がない様子にさやかはほっとする。
 そして、学校であったことなどをちらほらと話し、そしてまたいつものようにCDを差し出し、音楽を聴く恭介の隣に寄り添う。
 いつもと変わらないはずだったお見舞いの風景だったが、この日はそのまま終わらなかった。

「さやかはさあ、僕を苛めてるのかい?」

 音楽を聴いていた恭介がぽつり、とつぶやいた。

「なんで今でもまだ、僕に音楽なんか聴かせるんだ。
 嫌がらせのつもりなのか」

 さやかは始め何を言われているのかわからなかった。
なので、こう答えてしまう。

「だって、恭介、音楽好きだから」

「もう聴きたくなんてないんだよ。
 自分で弾けもしない曲、ただ聴いているだけなんて!」

 そう言うと恭介はCDプレーヤーを叩き壊した。
 突然のことと、自分の行動が恭介を苦しめていたことにさやかはショックを受ける。
 それでも恭介を励ますべく、さやかは声を絞り出す。

「大丈夫だよ、諦めなければきっとなんとかなる。
 私も側にいるからさ」

 泣き出した恭介をさやかは手を伸ばす。
 けれど、恭介の口から語られたのはその儚い希望を打ち砕く内容だった。

 医者に諦めろと言われた。
 今の医学じゃあどうにもならない。
 もう、痛みも何も感じない。

 そう、恭介は泣きながら語った。
 そして、最後にこういった。

「もう、治らない…奇跡や魔法でもない限り」

 そう言われてさやかははっとする。
 その言葉を体現する存在がいることを。
 この状況を打開する方法が目の前にあることを。
 安易には頼らないと決めたその手段、だが、それに頼るほか方法のない状況だと気づいた。

「あるよ、奇跡も魔法もあるんだよ!」

 その視界には、窓の外にたたずむ白い獣の姿があった。





 決意を固めて病室から出ると、そこにはほむらがいた。

(そろそろ危ういと思っていたけれど、案の定ね)

 繰り返してきた時間軸では、このタイミングでさやかが契約することが多かったので出てきたのだが、それが当たったらしい。
 さやかの眼を見たほむらは言う。

「上条恭介のために、魔法少女になるつもりね。
 やめたほうがいい、少なくとももう少し考えて。
 魔法少女になることはあなたのためにはならないわ」

 さやかには、その言葉が親切から来ることは分かっていた。
 どうして知っているのかは分からないが、わざわざほむらが自分のためにやってきたことも。
 突然のこともあり、後ろめたさや罪悪感はあった。
 けれど、譲れなかった。

「ごめん、ほむら。
 これは私が決めたことだから!」

 叫ぶと、きびすを返して駆け出してしまう。

「待ちなさい!さやか!!」

 ほむらは叫んで追いかけようとするが、突如現れた神野がそれを制した。

「待ちたまえ、暁美ほむら。
 ここは私に任せてもらおう。
 君ならば十分止められるだろうが、それでは彼女の願望は叶うまい」
 
 そう神野が言うと、急にほむらの体が重くなり魔法も使えなくなった。
 これではさやかに追いつくことはできないだろう。
 ほむらは再び神野に邪魔されたことで悔しそうな表情を浮かべる。
 それを見た神野は赤子をあやすかのように言う。

「マミの時は、縫い合わされた彼女達の願いが君の願望を上回ったが、さやかでは君の願望には叶わないのだよ。
 それでも私が動くのは、君が望んでいるからだ。
 大切な人の為に己を捧げられる者同士、彼女が幸せになることを君も望んでしまっただろう」

 そのとおりではあった。
 これまでの時間軸で破滅を繰り返すさやかに対して恨みを抱いた時期もあったが、彼女と友人として過ごす中で、まどかと自分のようにさやかにも幸せになってほしいという考えが浮かぶことを止めることはできなかった。
 だが、思いがいくら強くとも、その方法を思いつくことはできなかったのだ。
 力ずくで止めることは可能だが、一時しのぎにしかならない。
 恨まれても、その一時しのぎを繰り返して別の答えが出るまで粘るしかなかったのだが、神野陰之が動いたことで安心してしまう自分がいたのに気づいてしまった。
 それを見た神野は嗤い、

「それに、この私が目の前で、“本当の願望”を踏みにじる願いを叶えさせるわけがあるまい」

 生温い風とその言葉を残して消えた。




 
 ほむらを振り切ったさやかは、病院の屋上へと来ていた。
 そこには、どうやって先回りしたのか、すでにキュゥべえがいた。
 花壇の中心にあるオブジェに鎮座するキュゥべえの影は夕日によって伸び、九尾の狐を思わせるシルエットを描いていた。
 人をたぶらかし破滅させるその獣の伝説を思い出し、少々不吉な気がしたが、さやかはこれは自分で決めたことだと、たぶらかされていないとそれを振り払う。
 ほむらには悪いとは思う。
 けれどこれだけは譲れない、心からの願い。
 そしてそれを口にする。

「恭介の腕を治してあげて」

 魔法少女の戦いの運命も、体がどうなるかも知っている。
 それでも恭介にあんなことを言わせる運命に抗いたい、あんな姿を見たくない。

「その願いで本当にいいんだね?」

 キュゥべえが確認してくる。
 迷いはない、後悔なんてするはずない。
 すっ、と一呼吸、最後の一言は思った以上にするりと出た。

「うん、やって」

 その言葉を受け、キュゥべえはさやかの胸に耳から生えた触手を伸ばす。
 それはさやかの魂を、それが宿ると人が信じた心臓にて優しく包み込み、祝福するかのようだった。
 実際には、心臓移植をする外科医のごとくその魂を抜き去るにすぎず、希望と祝福の光ですら麻酔にすぎないのだが。
 それを知っているさやかではあったが、それでも彼女は願ってしまった。
 願む奇跡と願む人生の違いに目を瞑ったまま。
 もはや契約は為されてしまい、誰にも止めることはできないのだろう。

「…止めておきたまえ。」

 そう、人ではなくなった魔人以外には。


 


 どろりとしたその声と共に、夕刻は漆黒へと塗り代わり、その闇から、夜色の外套が、小さな丸眼鏡が、漆黒の黒髪が形を現す。
 九尾を思わせた影も闇に飲まれ、その影を作っていた白い獣は現れた黒い男の腕に掴まれていた。

「神野…陰之…」

 その圧倒的な存在感に飲まれそうになりながらもさやかは呟いた。
 それに応えるように、神野はくつくつと暗鬱に嗤みをもらした。

「警告しよう。
 今の君の願いは、決して君の為にならないものだ。
 あれほど暁美ほむらが警告したというのに、君は何を聞いていたのかな?」

 神野はそう言って、手に掴んだキュゥべえをさやかの前から引き離す。
 キュゥべえはまるで金縛りにあったかのように動けず、口も利けず、ぬいぐるみのようにぶら下がるだけだった。
 さやかは動いてそれに追いすがろうとした。
 だが、できなかった。
 体にも力が入らない、息も高山にいるかのようにしづらい。
 動かない体、それでも口は何とか動かせた。
 さやかは声を振り絞る。
 マミさんを向こうに連れて行ってしまったこいつに屈したくはなかった。
 その上、恭介まで奪われるなんて耐えられなかった。

「覚悟はできてる、私は恭介の腕が治るならなんだってできる。
 だからそれを返せ!
 私の邪魔をしないで!」

 その剣幕に対し、神野は諭すように告げる。

「それが君の願望なのかね?
 “彼が演奏できるようになる”、それで君はどうしたいのだね?
 “彼の腕を治した恩人”になりたいのか、“ただのファンとして音楽を聴ければそれでよい”のか…
 君の願いは傍目に見れば純真無垢で美しいものなのだろう。
 だが、純真無垢を支えるのは、“無知”と“無思慮”と“欺瞞”に過ぎないのだよ。
 赤子ですら自分が幼いことを利用する。
 人は決して無垢にはなれない、どのような行為や想いも、そこに計算が存在する。
 君は自分の中の計算を認めようとせず、その願望にふたをして純粋さを演じているだけだ。
 何が君の幸せだい?
 何をして喜ぶ?
 わからないまま終わる、そんなのはいやだろう?」

 精神を真綿で締め付けるかのごとく畳み掛ける神野の声。
 それはあの喫茶店で巴マミがさやかに問いかけたことと同じだったが、さやかはその問いに答えることができなかった。
 やれるところまでやりたい、そして、恭介といられる、この“世界”を守りたい…けれどわたしは…どうなりたい?
 それを考えることは、自分がいやな女になってしまう気がして、結局考えるのをやめてしまっていた。

「…だから、今はまだ、これは存在しないほうがいい」

 その言葉と同時に、キュゥべえは破れたヌイグルミのように、体から白い綿を出してしぼんでいった。
 綿はふわりと宙を舞い、舞うごとに細かくなり、粉雪のようになって薄闇へと溶けていく。
 足元の花壇とその雪が作り出す幻想的な光景にさやかは幻惑される。
 その雪が全て消え、神野の手に何も残らなくなったとき、さやかはようやく我に返った。

「あ…あんた…なんてことを。
 キュゥべえを返しなさい!
 あんたに私の何が分かるっていうの!」

 キュゥべえがいなくなっては願いが叶わない。
 恭介はあのまま苦しむままになってしまう、それだけはあってはだめだ。
 神野の言葉は暴論だ。
 私と恭介とのことの何を知っているというのか。
 誰かを助けたいという願いはそんなにいけないことなのか。
 正義すら計算で行われると認めろというのか。
 それは、一人ぼっちで皆を守ってきたマミさんへの冒涜だ。
 そんな想いがぐるぐると渦巻き、神野の問いかけへの思考は激昂に塗りつぶされ、口から出たのは問いへの答えではなく怒声であった。
 神野陰之相手にそこまで言ってのけるのをかつて彼と関わった者が見れば驚嘆するだろう。
 だが、その純粋な怒りは、神野の言葉が正しいとするならば“無知”と“無思慮” と“欺瞞”の産物なのだ。
 神野はその怒気を嗤いながら受け流し、優しげに言う。
 
「分かるとも。
 私は願望の守護者なのだからね。
 強い願いを持っているようで、その実その願望から眼を逸らすような君ではその結末は一つしかない。
 これは君にとっては明日の出来事だが、彼女にとっては昨日のような出来事なのだからね」

―――
――――
―――――

 キュゥべえに願いを叶えてもらい、私は魔法少女になった。
 後悔なんてあるわけなかった、恭介を助けられたんだから。
 あるとすれば、そう、迷わなければマミさんが死なずにすんだんじゃないかってこと。
 マミさんの意志は私が引き継ぐ。
 魔女に襲われていたまどかと仁美を助けることができた。
 親友を失わずに済んだ、これからも皆は私が守ってみせる。

 病院の屋上で、恭介の両親と病院の先生方で回復祝いをした。
 そこで恭介がバイオリンを演奏してくれた。
 怪我をする前と変わらない音色が私の心に響いてくる。
 私、最高に幸せだよ。

 佐倉杏子って魔法少女に会った。
 グリーフシードのために使い魔を見逃す悪い奴だ。
 あの転校生と同じだ、魔法を自分の為に使い、そのために人を犠牲にするなんて。
 こんなのが、同じ魔法少女だなんてあっていいはずがない!
 戦った、負けた、やられた、悔しい。
 けど、私は絶対認めない。
 マミさん…

 どうして、こうなったんだろう…
 私は、もう人間じゃなくなってた…ゾンビだったんだ。
 このちっぽけなソウルジェムが私だなんて。
 こんなんじゃ恭介にキスしてなんて言えない、抱きしめてなんて言えない。
 いや、そもそも魔法少女になったのは恭介を、皆を助けるためなのに自分のことを考えちゃうなんて。
 あさましい、嫌な女だ…あの杏子とかと一緒になっちゃう。

 杏子と話した。
 あいつも、辛い過去があったみたい。
 ただ、それでも、私は人の為に祈ったことを無駄にしたくない。
 最後まで貫き通してみせる。
 
 決意が、揺らぎそう。
 仁美が、恭介のことを好きだった。
 一日だけ待つと言ってくれた。
 恭介を取られたくない。
 けど、こんな体の私じゃあ、恭介と付き合う資格なんて…
 時間だけが過ぎていく、もう夜だ、これなら、仁美をあの時助けなければ……
 私…何を考えているの?
 嫌な子だ、酷い人間だ。
 やっぱり、私、みんなといる資格なんて…
 時間だ、魔女狩りに…行かなきゃ。
 こんな私には、それしかできないから。

 魔女戦で苦戦した。
 体を貫かれても痛みも感じなくできる、傷もすぐに治る。
 もう私は化け物なんだ。
 こんなどうしようも無い人間にはふさわしい末路なのかもしれない。
 まどかにも、八つ当たりして傷つけてしまった。

 ふらふらと、足取りは恭介の家への道を辿る。
 会えたとて、どうしてほしいのか分からない。
 ただ、足だけが動く。
 恭介はそこにいた…仁美と仲良く喋っていた。
 ああ、私は迎えに来て欲しかったんだ。
 白馬の王子様のように、恭介が私を選んで救いにきてほしかったんだ。
 でも、こんな浅ましい私の、その身勝手な考えが実るはずもなかったんだ。
 苦しい、助けて、仁美なんて死ねばいいのに…何考えてるの。

 やっと、分かった。
 希望と絶望は同じものなんだって。
 どうしても、嫉妬が、苦しみが消えない。
 恭介の演奏を病院の屋上で聞いたときから一週間しかたってないのに、あのころの幸せが嘘みたい。
 誰かの幸せを祈った分、誰かを呪わずにはいられない。
 それが魔法少女の真実、行き着く先。
 勝手に突っ走って、自滅して、助けようとした人たちを傷つけようとする。

「私って、ほんと馬鹿」

 そして私の濁りきったソウルジェムは砕け、グリーフシードになった。
 消え逝く視界が最後に捕らえたのは、そこから孵る人魚の魔女の姿と、私を助けようと駆け寄ってくる杏子の姿だった。

―――――
――――
―――

「ああああああああああああああ!
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 断ち切られた願いを、もはやどこにも行けない『願望』の亡骸をまざまざと見せ付けられ、さやかの心は絶望に満ちていた。
 知ってしまった、魔法少女が穢れを溜め込むと魔女になることを。
 知ってしまった、自分の思いが届かず、親友に恭介を奪われることを。
 さやかが感じた絶望は、彼女が魔法少女ならばその魂を魔女に変貌させるに十分すぎる量だった。
 この時間軸におけるさやかはまだ何も願ってはいない。
 だが、彼女がキュゥべえに願おうとした、その健気で、優しく、愚かで愛しいその願いはすでに終わってしまったのだ。
 慟哭し崩れ落ちたさやかの耳にはもはや何も届かないであろう。
 だが、なおも神野陰之は言葉を告げる。

「知っていたかね。
 伝承において人魚は神に愛されず、魂を持てない存在だ。
 アンデルセンの“人魚姫”は悲劇だが、王子を殺せず身を投げた人魚姫はその心のあり方ゆえ、風の精霊の仲間入りを果たし、やがては魂を持ち天国へ登ることを約束された。
 彼女は救われていたのだよ。
 だが、世界を呪った人魚姫に神が救いを与えることなど、どうやってもありえないのだ。
 例え優しい姉の人魚が何を十字架に祈り、何を代償に差し出したところでね」

 そこまで言うと神野はちらりと後ろを振り向いて嗤う。

「もっとも、この物語ではまだ魔女の家の中には踏み入れてはいない。
 ここはまだ魔女の庭だ。
 そこにいた怪物に、末の姫が捕まってしまったにすぎないのだよ。
 さて、門前で妹に追いついた“姉”は、どのように物語を変えてくれるのかな?
 “風の精霊”が救いを願わずともよい、そんな結末へとたどり着けるかな?」

 これらの言葉をさやかは聞ける状態になかったが、振り向いた神野の視線の先には、青褪めた顔で手紙を握り締めた佐倉杏子の姿があった。



[27743] 人の為、己の為~人魚の姉は妹を思う~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/01 00:11
 いけすかない奴だった。
 青臭い正義のために、何度言っても何度叩いても立ち向かってきた。
 むかついた、昔の何も知らなかった自分を見ているようで。
 けど、あいつも大切な人のために魔法少女になったと知った。
 待っているだけだと、何も得られはしない。
 発破をかけてみたら、喧嘩を売ってきやがった。
 きれいごとばかりぬかしやがって、ついかっとなってしまった。
 けど、その戦いの最中、ひょんなことで、私たち魔法少女が人間じゃなくなってたのを知る。
 ショックだった、けど、もう何も失うもののない私にとっては大したことじゃない。
 お菓子はうまいし、別に不便ってわけじゃないしな。
 けど、あいつは、あのきれいごとばかりのやつはショックだろうな。
 そう思って、翌日あいつと話してみた。
 しまってあった私の過去まで話してさ。
 見てると放っておけなくなってきたんだよなあ。
 あいつを見てると昔の自分を思い出す。
 そして気づいたんだ。
 あいつに感じたむかつきは、かつて何も守れなかった自分に対してのむかつきなんだってね。
 だからあいつを助けてやりたくなった、申し訳ない気持ちもあった。
 それに、期待もした。
 あいつは、自分が見られなかったものの続きを見せてくれるんじゃないかってね。
 けど、そう思って、あいつに再会したときにはもう遅かった。
 あいつは、魔法少女の真実に苦しみ、恋に苦しみ、そして絶望して魔女になってしまった。
 その原因は、そのときの私は知らなかったさ。
 今、全てを“見て”ようやく知ったんだけどね。
 それでも助けたかった。
 だから、あいつの親友を連れて魔女になったあいつに呼びかけてみた。
 駄目だったよ、もう、魔力も底をついたし怪我も致命傷だ。
 神様なんて、いないんだな。
 だからさ、せめて最期くらい、いっしょに…眠らせてくれ。

―――――
――――
―――





「なぜ…こんなことをした?」

 崩れ落ちたままのさやかを見ながら、杏子は神野陰之を問い詰めた。
その静かな怒りを神野は受け流す。

「なぜか…それは君達が望んでいるからだ。
 君も“見た”なら分かるだろう。
 多少の差異こそあれ、あれが君達の未来だった。
 声は出れども言葉は届かぬ、あれは美樹さやかにとっての悲劇であり、君にとっての悪夢だ。
 二度も、“妹”を、大切なものを失いたいというのかね」

「うう……」

 その昏い瞳に覗かれ、心の奥に侵食されるかのような感覚を杏子は味わっていた。
 その瞳には写っていた、
 話をしようとする自分を振り払う父親が。
 自分の言葉に背を向けて立ち去るさやかが。
 血の海に沈む母と妹と、それを首をつって死の仮面で見下ろす父親が。
 魂が魔女になって崩れ落ちたさやかのぬけがらと、それを見下ろすおぞましい仮面をつけた人魚の魔女が。
 杏子は何度も何度も語りかけていた。
 けれど生者はその心を理解せず、死者には言葉は届かない。
 普段利己的に振舞って覆い隠してきた悪夢が表に噴出していた。

(もう、やめてくれ、もう。
 嫌だよ、父さん、母さん、モモ…さやか…)

 何度も何度も見せ付けられ、杏子の心は絶望に染まっていた。
 一つの光景を見るたびにソウルジェムはにごり、“見た”光景のさやかが魔女化する直前のように真っ黒になっていた。

(ああ…もう…)

 駄目だ、と思いそうになったとき、すぐ目の前に神野が移動していた。
 いつの間に、と思ったときには、神野の手は杏子のソウルジェムを包みこみ、次の瞬間にはソウルジェムは何事もなかったかのように浄化されていた。
 それと同時に、杏子の脳裏で繰り返された光景も、周囲を漂う粘つくような漆黒の気配も霧散していった。
 悪夢から覚め、はっとした顔をする杏子に向け、神野は嗤いながら言った。

「今のが、美樹さやかが魔女化する直前の感覚だ。
 実学に勝るものはないと言ったものだろう。
 見えないものが、分からないものが分かったとき、それを知った瞬間、また他のものも変わる。
 さて、君たちは今、未来を知り、絶望を知り、そして互いの想いを知った。
 ならば世界も変わるが道理。
 あとは、君たち自身の心に従いたまえ」

 その言葉を残して、神野陰之は姿を消した。
 それと同時に、屋上に暁美ほむらが姿を現した。
 やはり心配だったのだ、エレベーターを使うのも忘れて階段を駆け上ってきたのだ。
 神野により一時的に能力を封じられていたので時間が掛かってしまった。
 肩で息をするほむらの姿はまだ崩れたままのさやかには見えていない。

「さや『さやかは無事だ、ほむら、まだ魔法少女にはなっていない』

 声を掛けようとしたほむらに、杏子が魔法少女のテレパシーで割って入る。
 杏子がいたことに、そして自分の名を知っていたことにほむらは驚く。
 そして同じくテレパシーで返す。
 あえてテレパシーを使ってきたことを考え、さやかには伝わらないようにしておく。

『何故、私の名前を?
 それに、さやかはどう見ても無事とは言えなさそうだけど』

 さやかを心配するほむらに、杏子はおもしろそうに告げる。

『そんな顔もできたんだな、ほむら。
 “前”はもっと冷たい奴かと…いや、あんたはさやかじゃなくまどかを守りたいんだったな』

 そこに含まれるニュアンスに、ほむらは反応する。
 まるで、自分と同じく、時を繰り返しているような。
 その心を読んだように、杏子は続ける。

『詳しくは後で話すさ。
 “前”は教えてくれる前に私が死んじゃったし、まあ意趣返しってやつさ。
 何より今はさやかだからな。
 さやかは私に任せてくれよ、今度こそ、救ってみせる』

 そう、決意に満ちた目をされると、ほむらは何も言い返せなくなった。
 それと同時に、杏子の言葉に安堵する。
 ほむらは、二人は自分が辿った過去の時間軸の記憶を見たらしいと推測する。
 それならさやかがああなっているのも理解できる。
 どの時間軸でも、魔法少女に関わる場合は絶望し破滅するのが常だったのだから。
 杏子については巻き添えや不運でよく命を落としたが、絶望に捕らわれることはなかったのでまだあのように立っていられるのだろう。
 そこでの杏子は、自分に隠し事があるのがわかっていながらも、共に戦ってくれた、信頼のおける戦友であった。
 ほむらが辿ってきた時間軸では、さやかと杏子は魔女狩りへのスタンスの違いによる対立から始まっていたのが、懸念事項ではあるのだが。

『そうだ、あんたに渡すものがあった』

 黙り、思考するほむらに杏子は思い出したように告げ、何かを放り投げた。
 ほむらが受け取ったそれは、かわいらしい封筒につつまれた手紙だった。

『マミのやつからの手紙だ。
 ちゃんと読んでやらないとあいつ寂しがるぞ。
 それにあいつとの約束でな、ちゃんと使い魔も狩ることにした。
 さやかのことは、心配するな』

 マミの手紙と聞いてほむらは驚く。
 そして、無事で、少なくとも手紙を書けるような状態でいることを嬉しく思う。
 感傷にひたりつつも、ほむらはさやかのことを考える。
 マミがどうやったか知らないが、懸念事項も解決したらしい。
 だから、ほむらはさやかを杏子に任せることにする。
 そして、ほむらも杏子に向かって何かを放り投げる。
 それを受け取った杏子に向け、ほむらは告げる。

『任せるわ、杏子。
 それは軍用の通信機よ。
 どうせ携帯は持っていないでしょうし、何かあれば連絡しなさい』

 そしてきびすを返して屋上から去る。
 その姿を見送り、杏子はいまだうなだれたままのさやかに向き直る。

「さて、取り敢えずこいつを連れ帰るかねえ」





 日が沈み、夜の帳が下りた頃、さやかは杏子に連れられて家にたどり着いた。
 さやかはまだショックの中にいて、杏子に手をひかれるがままだった。
 家の位置を聞き出すこともできなかったが、それは“見た”記憶が教えてくれた。
 家にたどり着くと、まだ19時前にも関わらず杏子はさやかを寝室へと放り込んだ。

「まずは何も考えず眠りなよ。
 こういうときは、体と心を休めるのが一番さ」

「杏子、でも…」

「先輩の言うことは…あいつの言うところの、“姉”の言うことは聞いておくもんさ。
 なに、まだ時間はあるさ」

 まだ何か言いたげにベッドから体を起こそうとするさやかのその額をつっつき、再び横にさせる。

「ねえ…きょう…」

 それにあらがおうとするさやかだったが、どうしようもない眠気に襲われてそのまま眠ってしまう。

「寝たか…今日はおやすみ。
 夢も見ずに眠りなよ」

 そんなさやかを見ながら、杏子はやさしく呟いてその頭をなでる。
 さやかの額をつっついたときに魔法をかけて眠らせておいたのだ。
 それは、杏子が家族を失ったあとに開発した魔法。
 家族を失ったばかりの杏子にとって、家族の夢を見て、その死を追体験する夜は恐怖と絶望の象徴だった。
 眠れぬ夜は心を苦しめ、眠れぬ体は悲鳴を上げ、疲弊した体はさらに心を蝕んだ。
 だから封じた、魔法で作った何も感じぬ深い眠りに。
 心が落ち着くまで杏子はそうしてきた。
 そして、その休息は今のさやかにも必要だと思ったのだ。
 眠りにより脳は情報を整理するというし、健全な肉体には健全な精神が宿るとも言う。
 また、夜の闇の中で悩むよりも、朝の光の中で考えるほうがいい発想が浮かぶだろう。
 少しでもいい方向にいくように、そう思っての気遣いであった。

「…さて、こうしているわけにもいかないな」

 さやかが眠ったのを確認すると、杏子は立ち上がり、さやかの部屋から出る。
 このままさやかを見守りたいところだが、家にいつづけるのは問題があった。
 まずさやかの親が帰ってきたときの説明が難しい。
 さやかを起こしたくはないし、かといってさやかとの口裏合わせなしに家も家族もないことを隠すのはできそうになかった。
 憔悴しきった娘の姿を見せることが無かったのも含め、親がいないことは好都合ではあった。
 ただし、親がいないことは今回こそ好都合だったが、彼女達にとっては利点だけではなかったことをすぐに知ることになる。
 部屋から出た杏子が目にしたのは、リビングに置かれたメモだ。
 
『今週は仕事で二人とも遅くなります。
 ご飯は冷蔵庫に入れてあるので先に食べて、先に寝ててね』

(なるほどな…)

 親が家にいない理由と、“見た”内容で自分やほむらのような一人暮らしではないはずのさやかが毎晩出歩いていた理由がはっきりした。
 それに、精神が崩れるのが早すぎた理由の一因もこれだろう。
 魔法少女のことは言えずとも、家族と過ごすことは心の救いになるはずだし、恋の相談をする機会もあっただろう。
 だが、あの“見た”期間の間に家族と触れ合う時間がおそらくなかったのだ。
 全て一人で抱え込み、家に帰っても待ち受けるのは昏い玄関、昏いリビング、そして空虚な食事。
 道理であんなにすぐ魔女化したはずだ。

「ぜったい、あんたを死なせはしないよ、さやか」

 さやかの孤独を思い、杏子はそう呟く。
 なんとしてもあの未来を回避してみせると誓う。
 そして、魔女がさやかの絶望の気配によってこないよう家に結界を張り、さやかの親が不振がらないようにさやかの為の夕食を食べつくすと、その場を後にした。





 杏子は、“記憶”を頼りに町を歩く。
 さやかが魔法少女にならなくとも、記憶にあった魔女は出る可能性があるからだ。
 案の定、魔女の口付けを受けたらしきふらふらとさまよう集団に遭遇した。
 そのあとをつけ、元凶たる魔女を倒せばいい。
 グリーフシードも落としたはずだ。
 と、そこまで考えた時点で、その集団に初対面だが“見た”ことのある顔があることに気づいた。
 志筑仁美、さやかにとっての恋敵であり、さやかの魔女化にトドメを刺した人物。
 どうやらこの時間軸においても巻き込まれたらしい。

(見捨てるか?)

 それを見たとき、杏子の心にふとそんな言葉が浮かんだ。

(あいつをあのままにしておけば、さやかの恋のライバルがいなくなる。
 しかも魔女のせいなら犯罪にもなりゃしない、すべては闇の中…か)

 それは悪魔の囁き。
 あの時間軸でのさやかは、魔法少女の真実を知って傍目に見ても精神が焦燥していた。
 さやかの親友である仁美がそれに気づけないわけがない。
 精神が揺らいでいる相手に勝負を持ちかける。
 しかも自分は事前にたっぷり考えた上で相手に与えた時間は、さやかが告白できる時間は一日にも満たなかったのだ。
 杏子の目から見ると明らかにフェアな条件ではなく、あの時点のさやかは条件を交渉するということができるような精神状態ではなかった。
 全てを“見た”杏子にとって、一途な少女が破滅する原因となった目の前の相手に怒りを覚えずにはいられなかった。
 杏子が見捨てたとしても、黙っていれば分からないし、さやかには間に合わなかったと言えばいい。
 その悪魔の囁きに身を委ねようかと考えたが、それは果たされることはなかった。
 なぜなら、そこにもう一人、見知った顔が現れたからだ。
 その人影は、志筑仁美に近づき、その歩みを必死になって止めようとしていた。

「あれは…鹿目まどかか?
 そういえば、こいつもいたっけな。
 仕方ねえ、助けてやるか。
 私としたことが、怒りに我を忘れそうになるとはねえ。
 …大切な人を失うのは、嫌だもんな」

 杏子は、ぐしぐしと頭を掻き、邪念を振り払うと彼女達を助けることに決めた。
 自分の大切な人を守るためと言って他人にとっての大切な人を目の前で見殺しにする、その矛盾に気づいたのだった。
 そして魔法少女の姿に変身すると風のように駆け出した。

「よう、また会ったな」

「杏子ちゃん!?」

 その途中、まどかに声を掛ける。

「先に行って元凶の魔女を倒す。
 あんたはその子がなにかしでかさないか見張ってな。
 だが、くれぐれも無茶すんじゃねーぞ」

 そして、そう告げると先へと駆け出す。
 突然の再開にまどかはあっけに取られていたが、駆け出す杏子を見て我に返る。
 駆け出す杏子の背中から、声がかかる。

「ありがとう」

と。
 それを聴いた杏子は思う。

(ありがとう、とはこちらのセリフだよ。
 あんたがちょうどよく現れてくれたから、悪魔の囁きに身を委ねずにすんだんだ。
 私は、私らしいやりかたで守りたいものを守れる)

 そして軽やかに、夜の街を駆け抜けていく。





 杏子が魔女の波動を辿って着いたのは廃工場だった。
 まだ、魔女に操られて歩いていた人たちは着いていない。
 いるのは、その工場長だったらしい男とその妻らしい女だけだ。
 小さな工場一つ守れないなんて死ぬしかない、とか、夫を支えられないなんて、など呟いている。
 その廃墟と、うなだれる夫婦に、杏子は自分の家族を重ねてしまう。
 杏子の父は、信者がいなくなってもそれでも前に進もうと足掻いていた。
 それが好きだった。
 だから、そんな人間の足掻きを、尊厳を奪い絶望の中の死しか選ばせなくするこの魔女に、どうしようもなく嫌悪感を抱いた。
 その魔女がかつては自分と同じ存在だったとしても、その行為への怒りの前では、それはささいなことだった。

「出て来い!魔女!!」

 そう叫ぶと、杏子は結界の中へと飛び込む。
 そこは一面、水中のような水色に覆われた空間だった。
 実際水中のように、なにもしなければぷかぷかと浮いてしまう。
 それほど抵抗はないので、やったことはないが宇宙遊泳というのが近いかもしれない。
 一般人には脅威だろうが、魔法で飛んだり一時的な足場を作れる魔法少女にはたいしたことはない。
 そして杏子を囲むように、何台ものモニターが着いたメリーゴーランドがぐるぐると回り、円筒状の場を作り出していた。
 周りを見渡すと、本体らしき魔女もいた。
 羽の生えたテレビの姿をして、デッサン人形のような使い魔に運ばれている。
 それを確認するとほぼ同時に槍を繰り出す。
 多節棍の性質も備えるそれは途中で分解し、魔女にとっては完全な奇襲になる方向からその中心を貫くはずだった。
 だが、それはあっさりとよけられる、まるで杏子の思考が読まれているかのように完璧に。
 攻撃を回避した魔女の画面と、周囲のモニターが映像を映し出した。
 そこに映し出されたのは、杏子の家族、さやか、そして杏子が辿った悲劇の映像。
 そう、この魔女は実際に心を読み、絶望の記憶を見せて他者を自滅させる、そんな性質を持っていた。
 悪夢を再び見せ付けられた杏子だったが、

「なるほど、実学に勝るものはないと言ったものだね」

その光景を見ても、動じることなく不適に笑うだけだった。
 画面の上で見せられたところで、あの心の奥まで見透かされる瞳と、繰り返される悪夢の追体験には及ばない。
 一度体験しておけば二回目は対処が可能だ、二回目のほうが易しいなら直のこと。
 そんなことを考え、魔人のことを思い出したとき、魔女の動きが止まった。
 いつの間にか他の画面は全て漆黒に塗りつぶされている。

「そりゃあ怖いよねえ。
 あんただって元は女の子だったんだしね。
 あたしが覆い隠してる奥の奥まで覗いちゃったんだから」

 魔女はその能力ゆえ、杏子の心に浮かんだ神野陰之を見て、その心の深遠を通じて異界を、その奥を見てしまった。
 いかに魔女といえども、人間の、いや世界の闇の全てを一度に見ることには耐えられなかったのだろう。
 人間で言うところの発狂に陥った魔女は、もはやその能力を眼前の敵に使えず、易々と槍に貫かれたのだった。





 戦いの後、杏子はビルの上で街を眺めていた。
 下では、夜にも関わらずざわめきが満ちていた。
 魔女を倒し、操られていた人々が気絶したのを、まどかが呼んだ救急車が搬送していく。
 終わったのを確認すると、杏子はその場を後にする。
 全ては明日、陽の光の中で。
 思いを載せ、夜は更けていく。



[27743] 人の為、己の為~姫の親友かく語らう~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/01 00:21
りん

 玉のない鈴が鳴っている。
 鳴らないはずの鈴が鳴っている。
 この音色に従えばまた会えるだろうか。
 向こうへ行ってしまったマミさんに。

りん

 いつの間にか、マミさんの家の前まで来ていた。
 このドアを開けたら、あの優しい先輩はまた前みたいに暖かく出迎えてくれるだろうか。
 すう、と深呼吸をしてドアに手をかけようとしたそのとき、ドアが内側から開いた。

「マミさ……誰?」

 そこにいたのは、赤毛のポニーテールの、私の知らない少女だった。
 彼女も驚いているようで、うろたえていましたが、次に私を驚かせる一言を喋ったのだった。

「…って、もしかしてあんた、鹿目まどかかい?」

 その少女は、私の名前を読んだのでした。





「そう、マミさんはそんなことになってるんだ」

 まどかは、近くの公園で杏子と話していた。
 お互いについての自己紹介に始まり、
マミと杏子の二人が知り合いだったこと、
二人の過去について、
杏子がマミがいなくなったと聞いてこの街に来たこと、
きっかけとなったイレギュラー、暁美ほむらと神野陰之について、
そして、あの『家』での出来事を。
 話の中でつい杏子は自分の過去まで話してしまい、まどかがそれに涙を流しそれをなだめたりもしていたのだが、今は落ち着いている。
 どうして話してしまったのか、というと、マミの後輩だからか、それともまどかの包み込むような雰囲気に飲まれたのか杏子にはわからない。
 でも今は二人、マミという共通の先輩のことを想うだけだ。

「昔と変わらず元気そうだったぜ。
 人間じゃなくなった、『物語』になったっていっても、マミはマミだったよ。
 もっとも、私たち魔法少女は元々人外みたいなもんだったけどな~」

 まどかに泣いてしまったお詫びとばかりに買ってもらったたい焼きをほうばりながら杏子は告げる。
 そして思い出したようにふところに手をやると、手紙を取り出した。

「ほれ」

 そう言うとまどかに向けて手紙を渡す。

「マミからあんたへの手紙だ。
 あいつも会いたがってたけど、あそこは一人ぼっちの奴じゃないと入れないらしいからなあ」

「マミさんの…」

 鹿目さんへ、と書かれた封筒のそのかわいらしい文字を見て、まどかはマミさんがマミさんであることを実感する。
 涙を浮かべながら手紙を開く、そこにはこう書かれていた。
 
『鹿目さんへ。
 まずは謝らないといけないわね、ごめんなさい。
 せっかくあなたたちが私と一緒にいてくれるって言ってくれたのに、私はこっちを選んでしまったのだから。
 あの時は本当にうれしかった。
 ずっと、あなたたちと一緒にいたいと思ったわ。
 でも、私の『願望』はこっちにあったの。
 これは私のわがまま、だから鹿目さんは自分を責めたりなんかしないで。
 私はこれで満足しているのだから。
 最後に先輩として一言言っておきます。
 鹿目さんは優しいから、皆を助けたいと思ってしまうかもしれない。
 あのお茶会で神野さんが言っていたようにね。
 でも、私も含めて、自分の『願望』に従って動いた結果こうなっているんだから、あなたが背負う必要なんてないのよ。
 そっと、支えてくれるだけで十分なんだからね。
 感謝しています。
 美樹さんと、暁美さん、そして、この手紙を届けてくれた佐倉さんを、よろしく頼むわね』

「マミさん…」

 まどかは涙を流しながら読んでいた。
 そして、手紙の中身が気になって寄ってきていた杏子に、そっとその手紙を差し出す。
 それを読んだ杏子が言う。

「マミのやつ、いい後輩を持ったもんだね。
 なあまどか、あいつの言うとおりさ。
 誰かが大変に見える状態だからって、それを魔法少女の願いでなんとかしようなんて考えるなよ。
 願いでなんとかなったように見えても、それがその人の『願望』も捻じ曲げちゃうかもしれないんだしさ」

 その言葉は、まどかに向けたようで、杏子の過去の自分に向けられたようにも聞こえた。
 だからこそ、まどかはそれを真摯に受け止める。

「うん、わかってる。
 でも、だからといって友達を助けないわけにはいかないよ。
 魔法少女じゃなくてもできることはあるはずだしね。
 杏子ちゃんだって、私の大切な友達の一人なんだしね」

 そう言われて杏子は、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
 そして笑うと、まどかに向かう。

「そうだな、私たちはもう友達だ。
 …これからもよろしくね」

 そう言うと杏子は、うんまい棒とかいうお菓子をバトンのようにまどかに向かって差し出す。
 まどかもにっこり笑うとそれを受け取る。
 その後、他の手紙を渡すと言う杏子に、さやかが今いるであろう病院の位置を教えると二人は別れた。
 そこで杏子は美樹さやかと、そして神野陰之と出会うことになるのだった。





 その夜、杏子と再会し、仁美を救急車が搬送するのを見届けてまどかは家に帰ってきた。
 もうすっかり遅くなってしまったまどかを出迎えたのは、玄関に酔っ払って横たわる母と、苦笑いする父の姿だった。
 仕事絡みの接待があると言っていたのを思い出す。
 まどかが帰るちょっと前に家にたどり着いたようだ。
 このだらしない姿を、パパや自分への信頼なのかなあとまどかは思う。
 色々あった一日ではあったが、最後はいつものような家族のやりとりが待っていたようだ。



「大変だったね、まどか」

 二人で母を寝室に運び込むと、まどかの父、智久は二人分のココアを入れ、まどかをねぎらった。
 友達が倒れていたので救急車を呼び、来るまで付き添っていたということは連絡してあったからお咎めはない。
 二人はしばし、ゆったりとした時間を過ごした。
 そんな中、まどかが口を開いた。

「ねえ、パパ…一つ訊いてもいい?」

「なんだい?」

「パパは…、ママが外で働きたいって言ったから、我慢して家にいてくれるの?
 私たちの世話をしていてくれているの?」

 パパは、私達がいるから…そして、ママがあんなに働く才能に恵まれているから、仕事を辞めてまで家にいてくれるのか、とまどかはずっと気になっていた。
 自分を犠牲にしてしまっているんじゃないか、そうだったら、家の事は私がやるから、好きに生きてと言いたかった。
 マミさんの選択を知って、杏子の物語を知ってその気持ちは大きくなっていた。
 パパは、何て応えるのだろうか。
 その質問を聞いたときは驚いた顔をした智久は、まどかの不安そうな顔を見ると、安心させるように顔をほころばせ、微笑んで応えた。

「そんなことはないよ。
 僕はね、ママが好きだ、その姿も、生き方も。
 尊敬できるし、自慢できる。
 まどかもタツヤも大好きだよ。
 みんなと、こうして穏やかに、笑顔で過ごせること、それがたまらなく幸せなんだ。
 そのための役割として、僕は家のことをやって、ママが働くのが一番いいやり方だった。
 ただそれだけなんだよ。
 まあ、こうしてまどかやタツヤと一緒の時間が多い分、僕のほうがいい役割だけどね。
 …最後のは、ママには内緒だよ」

 まどかの不安は、完全に解かされていた。
 そして、その言葉の温かさは、マミさんの手紙にあったものと同じものがあった。

「じゃあ、パパ。
 パパにとって、なによりも大切な本当の『願望』ってのは、何かな?」

 そう、魔人にならって聞いてみる。
 けれど、その答えはだいたい予想がついていた。

「もちろん、この家族が、皆仲良く、笑顔でいられることさ。
 それが、僕自身の幸せなんだからね」

 このやりとりで、まどかの胸はいっぱいになっていた。
 そして、パパのことが、家族のことが大好きなんだ、と心から思えたのだった。
 そして、自分の『願望』も、家族や大切な友達と笑顔で過ごしたい、というものだったんだと、そう気づけたのだった。
 まどかは部屋に戻ると、その幸せな気持ちを抱えたままベッドに横になる。
 明かりを消すと、ぼんやりと月明かりが入ってくる優しい夜だ。
 この夜が、自分の大切な友人達の事も優しく包んでくれることをまどかは祈る。

「私、家族の皆が、友達の皆が大好き。
 ずっと仲良く一緒にいられたらいいなあ」

 大切な人がいることが、そして自分の『願望』を見つけたことがうれしくて、つい独り言がでてしまった。





「なら、それを願ってみるかい」

 幸福な気持ちでベッドに横になり目を閉じたまどかの耳に、少年のような声が響いた。
 声のほうに目をやると、先ほどまで何もなかった窓に月明かりに照らされた獣の影が浮かんでいた。
 窓は閉めていたはずだ、と疑問に思う間もなく、影はするりとカーテンを抜けベッドへと降り立つ。
 いつの間にか入ってきたそれに、その暗がりに光る赤い目にまどかは気味の悪いものを感じた。
 けれどまどかの反応を気にせずそれは続ける。

「君の素質なら、造作もないことさ。
 どういうわけか知らないけど、君には運命さえ捻じ曲げ、神にすらなれるほどのとてつもない素質がある。
 魔法少女の戦いで命を落とす運命を捻じ曲げ、ソウルジェムの穢れを天寿を迎えるまで先送りすることだって十分可能だろうね。
 君と君の大切な人たちと、それが魔法少女であれなんであれ天寿を全うするまで一緒にいられるさ。
 君がおばあちゃんになって死ぬそのときまで、皆笑顔で過ごせるだろう」

 ただ、首を縦に振りさえすればまどかの願いが叶う、甘い蜜のような蟲惑的な提案だった。
 けれど、昼間に話した杏子の言葉が思い出され、まどかはその提案には飛びつかなかった。
 魔法少女の祈りは人の心すら変えてしまう、そうやって得られた笑顔や幸福は本当にその人のものなのだろうかと、それが怖いと考えてしまう。
 それに、自分にそんな才能があるとは思えないし、あったとしてもそれほどの才能で得ようとするのが“普通の幸せ”なんていいのだろうかとも疑問に思う。
 だからまどかは、その疑問をキュゥべえにぶつけてみることにした。

「そんな願いでいいの?
 キュゥべえ。
 神様にだってなれる力で、“普通”を願っちゃうなんて無駄遣いだとは思わないの?」

 まどかはそもそも杏子やマミの言葉からその提案に乗り気ではなかったので茶化すように言ってみたのだが、それに対するキュゥべえは真剣な声だった。

「そんなことはないよ、まどか。
 君の言うところの“普通”が手に入れられるまでにどれほどのことがあったのか、僕は知っているからね。
 人類が洞窟に住んでいたときからずっと、僕達は魔法少女の、人類の側にいたのだから。
 飢え、病、天災、戦争、差別、ありとあらゆる苦難を乗り越えて人類は歩んできた。
 “普通”の幸せを願い、それが無残に引き裂かれて死んでいった人々がどれだけいるか。
 そしてその中で、数え切れないほどの魔法少女の祈りが捧げられてきたのさ。
 今の君たちが言う“普通”なんて、人類の歴史からみればまさに“奇跡”さ。
 だから、それを守り抜こうとすることもまた、“奇跡”の力を借りるに値するのさ」

 それを言うキュゥべえの赤い瞳に見つめられて、まどかの脳裏に様々な映像が飛来していた。
 飢えや病で死んでいく子供達が、
火山の噴火や地震に飲み込まれる一家が、
家族のいる国を守るためと言って矢や銃弾の雨に突撃してばたばたと死んでいく兵士が、
身分の違いから恋人と引き裂かれ死を選んだ男女が、
今まどか達が享受している制度や製品を生み出すため家族も自らをも犠牲にした人が、
独裁者の気まぐれで、宗教の狂気で、疑心暗鬼で虐殺される人々が、
そして、それらの悲劇を覆そうと、苦難に歩む家族や仲間を救おうと願った無数の魔法少女が、そこにはいた。
 誰もが平穏を望んでいた。
 けれど全うできずに死んでいくことのなんと多いことだろうか。
 まどかには、自分の立っている場所が、荒涼とした野の無数の白骨の上であるかのように感じた。
 そこから意識を戻したのは、再び発せられた少年のような声だった。

「どうだい、まどか。
 “普通”の対価が分かったかい。
 特に君の友人達には魔法少女もいる。
 さっき見せた映像の中にいた武士や騎士に兵士、彼らが老人になるまで軍属にいたところで命のやり取りは100もあればいいほうで、常に前線にいてそれを生き残れるかはまれなんだ。
 けれど魔法少女は魔女や使い魔との戦いで100の命のやり取りなんて3年もあれば確実にこなしてしまう。
 いくら死ににくい体とはいえ、ほとんどが長生きできず力尽きるのも当然といったところだろう。
 どうだい、君の祈りで皆を守ることができるんだよ?」

 そこまで言うとキュゥべえはまどかの返事を静かに待つ。
 饒舌だったキュゥべえの声がやみ、再び部屋を静寂が支配する。
 目を閉じて考え込むまどかを前に、時間だけが過ぎていく。
 キュゥべえは微動だにせずその答えを待つ。
 月明かりに照らされ、まるで絵画のようにその場に影を焼き付けた。
 やがて、その静かで幻想的な光景を破り、まどかは目を閉じたまま静かに口を開いた。

「それは、とっても魅力的で、楽しい生活になるんだろうね。
 皆で魔女を狩って、一緒に遊んで、一緒に笑って。
 それがずうっとずうっと続く、そんな天国みたいな毎日。
 たくさんの人が願い、たくさんの人が失った、そんな幸せな日々」

 そこでまどかは目を開いた。
 そこには、白骨の山に立つ怯えも、甘言に踊らされる揺らぎもない、強い意思があった。

「でも、私は魔法少女にはならない。
 ほむらちゃんが望んでいないのもあるけど、それだけじゃない。
 今見た人たちみたいに、私のママも、パパも、そしてさやかちゃんもマミさんも杏子ちゃんもほむらちゃんも頑張っているんだもの。
 その頑張りを、祈りを無視してただ約束された幸せを与えちゃうのは何か間違ってると思うから」  

 その時まどかは、かつて見た夢のことを思い出していた。
 暁美ほむらが戦う夢の、その最後、皆から魂を吸い上げる魔女の姿を。
 あの時聞こえた声はなんと言っていただろうか。

『あなたが叶えたんだよ。
 みんながひとつになって、争いの無い、みんなが仲良くなれる世界を』

 確かそう言っていたはずだ。
 あのような結末を認めたくはなかった。
 キュゥべえに祈った結末は、あの夢と同じようなことになってしまうのではないかと、無理やり与えられた救いは、果たして真の幸せなのだろうかと、そう思ったのだ。
 それに、とまどかは、ちょっとお茶目に続ける。

「それに、ママが言ってたもの。
 おいしい話があったら、相手はどうやって儲けるか考えなさいって。
 それが騙されない秘訣なんだってさ。
 私が契約するとキュゥべえにはどんないいことがあるのかな?」

 今度は、キュゥべえが答える番だ。
 まどかの意外なほど強い意思に驚いたのか、それとも質問が答えづらいものなのか、しばらくの間、キュゥべえは無言だったが、やがて整理がついたのか話し出した。

「君は強いね、まどか。
 普通の子なら、二つ返事なんだけどね。
 …僕の利益だったかな。
 僕はね、宇宙のために働いているのさ。
 エントロピーって知ってるかな。
 正しくは熱力学第二法則とか、エントロピー増大の法則とかって言うんだけど、そこはまあ置いておくよ」

 急に話が宇宙という大きなものになったことでまどかは困惑する。
 それを見たキュゥべえは、ちょっと考えるように言葉を止めると、また話し始めた。
 まどかに配慮して、分かりやすくしようという努力がその口調には見られた。

「要するに、エネルギーは使うとあっちこっちに散らばってしまって回収できなくなるってことさ。
 木を燃やしたときのエネルギーで空気は暖められるけど、その温かい空気を集めたところで木を復活させることができないようにね。
 そうして宇宙はやがて使えるエネルギーを失って死んでいくんだ。
 けど、君たち人間の強い感情が発するエネルギーは、その法則によらない、エントロピーを凌駕する新しいエネルギーになりうるんだ。
 僕達は魔法少女システムを通じて、魔法少女が希望から力尽きる際の差額のエネルギーを回収し、宇宙の寿命を延ばしているんだ。
 魔法少女の奇跡や、その力は祈りによって励起されたエネルギーの一部を使って行われると言えば、そのエネルギーの大きさも分かるだろう」

 そう言うキュゥべえを見て、まどかはようやく理解した。
 これは、魔法少女の味方なんかじゃなく、その目的のために動くモノなんだと。
 少女とキュゥべえの間にあるのは、ただのビジネスライクなものにすぎないのだと。 
 だけど、それならなおさら説明するべきではないか、とまどかは思う。
 魔法少女の体のことを黙っていたことといい、これでは騙しているようなものではないかと。
 そう、まどかの表情が疑念と非難の色を帯びていくのにキュゥべえも気づいたのか、補足するかのように口を開いた。

「君が怒るのも無理はないかもしれない。
 始めはちゃんと説明してたけど、正直に言うと拒否されてしまったり、学が足りなくて理解してくれなかったからいつからか聞かれるまで説明しなくなったからね。
 でも、僕達には僕達の目的があったし、願いはちゃんと叶えてあげた。
 対価たる戦いのリスクと早死にの可能性についてだけは忘れずに伝えていたから理解して欲しい。
 むしろ、そうまでして叶えたい願いがあったのに、魂の位置が変わったり人の感覚としては早すぎる最期を迎えることくらいで騒ぐ人類のほうに非があると思うのだけどね」

 ただ、その言葉ではまどかの抱いた非難は消えない。
 人の感情は、そうそう割り切れるものではないのだ。
 それを理解しないキュゥべえが、まどかは嫌になった。

「貴方が魔法少女にしてきたことは、ひどいと思う。
 けど、その祈りを叶えてくれたことには、いいことだったと思う。
 今夜は帰って、キュゥべえ。
 今は、あまりあなたの顔を見たくない」

 そして、まどかはベッドに倒れ、顔を枕にうずめてしまう。
 それを見たキュゥべえは、名残惜しそうにそれを眺めていたが、やがて諦めたようにその場を後にした。





「やれやれ、これならいけるかと思ったんだけどな。
 鹿目まどかもその仲間も死ぬまで幸福になれるし、悪いことじゃないと思ったんだけどね」

 鹿目家を後にしたキュゥべえが、ぽつりとつぶやく。
 先ほどの鹿目まどかへの提案、それは彼女達に敬意を払ってのものではない。
 暁美ほむらや神野陰之というイレギュラー、そして佐倉杏子が使えない以上の妥協点、講和条件のようなものにすぎない。
 今日の夕方、美樹さやかと契約しようとしたときに神野陰之が乱入してきたところまでは覚えているが、気づいたときには夜で、しかも別の個体に意識が移っていた。
 群体たる彼らインキュベーターは単体が死ぬと即座に別の体がそれを引き継ぐため記憶に欠落は生じないはずだが、実際それが起こっていた。
 それほどのイレギュラーに対しては、効率を犠牲にしてでも慎重に当たる必要があったのだ。
 もし先ほどの提案にまどかが首を縦に振っていた場合、彼女達は老人になって天寿を全うすることができるだろう。
 これは魔法少女の大半が成人を迎えずに死ぬか魔女化することを考えれば破格のことである。
 インキュベーターが損をすることもない。
 彼女達の満足する死のタイミングと同時に、先送りされた穢れはソウルジェムを濁らせて魔女を産み、そのエネルギーを回収することができる。
 感情の落ち着いた老人だと効率は落ちるが、それまでの人生で先送りした穢れも足せばそれなりに回復できる。
 魔女になって人を襲うことを危惧するならば死ぬ前に無人の惑星まで送ってもいい。
 そこまでしても構わないほど鹿目まどかの持つ資質は大きく、彼女一人でインキュベーターが集めようとしているエネルギーのノルマをまかなえるくらいなのだ。
 100年近く待つことになるが、人類発祥の時からこの地球にいるインキュベーターにとってはほんのわずかな時間にすぎない、
 また提案が受け入れられた場合でも得られるエネルギーは二、三割減ってしまうが、減ったところでそのエネルギーの絶対量は魅力的だ。



 ソウルジェムが魔女を産むことも、この辺の計算もまどかには話してはいない。
 魔女になるのも、戦死するのも魂の消滅という意味では一緒で、力尽きるということに変わりはないからだ。
 話したからといって何が変わるわけでもない。
 ソウルジェムが砕けるか濁りきれば死ぬという対価は単純で分かりやすいと思うのだが、魔女になることまで話すと皆尻込みしてしまう。
 個体としての死という結末は一緒なのに。
 希望という正の状態から絶望という負の状態への差、それこそがインキュベーターが回収するエネルギーの正体だというのもぼかしてしか伝えていない。
 もっとも、イレギュラーたる暁美ほむらや神野陰之ならそれに気づいているかもしれないが。
 そう、イレギュラーと言えば、あの魔人は、正の願いにしろ、負の願いにしろ、その絶対値に応じて出てくるのかもしれないな…
 思考が脱線しかけたところで、まどかのことへ考えを戻し、つぶやく。

「まあ、気長に待つとしようか。
 ワルプルギスの夜を前にすれば、彼女も考え直すかもしれないしね」

 そう言うとキュゥべえ、いや、“孵す者”として計算をするインキュベーターは夜へと溶けていった。
 別の個体から得られた情報で、もうじきこの街にやってくることが分かった最強の魔女、ワルプルギスの夜、それを前にしたまどかをどう勧誘しようかと考えつつ。



[27743] 人の為、己の為~末の姫はかく語らう~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/01 00:30
 親が呼ぶ声で目を覚ます。
 朝日が差し込んでいた。
 何も変わらない、よくある朝だ。
 いつの間に眠ってしまったのだろうか。
 そう思い、記憶を辿っていったら、思い出してしまった。
 魔法少女になり、そして魔女になってしまった自分の結末を。
 吐き気と悪寒がし、目の前が暗くなり、どさり、と床に倒れこんでしまった。



 さやかは、再び布団の中に戻ってきていた。
 倒れる音を聞いて部屋に駆け込んできた親に、体調不良による立ちくらみだと伝えたら心配しながらも一応は納得してくれた。
 今日は休みたいというさやかの要求も通った。
 元々あった放任主義なところや、仕事で家に帰れないことでの娘への負い目というものもあったがゆえだろう。
 学校に電話をし、さやかの分の朝食を冷蔵庫に入れると両親はあたふたと仕事に出かけていった。
 そしてさやかは一人家に残された。
 親が、心配だから残るとか言わなくてよかったと思う。
 まだ、あの“記憶”の整理が済んでいなかったからだ。
 一人になりたかった。
 この状態で、学校の皆に、特に仁美に会っていたら、どうなってしまうのか自分でも分からなかった。
 実際は何も起こっていない、その通りであり、そう思おうとしても、絶望が湧き上がってくる。
 生身の体というのは便利なのか不便なのか、どれだけ心が絶望に支配されても、魂は早々砕けてはくれないのだった。

「恭介…」

 弱った心に、今一番会いたい大好きな幼馴染の顔が浮かんだ。
 けれど、それに続いて届かなかった自分の思いが、恭介が仁美と笑いあう姿が浮かぶ。

「きょー…すけ…うう、うぇ…」

 胸が締め付けられ、ただひたすらに涙ばかりが流れる。
 他に誰もいない部屋に、嗚咽ばかりが響く。

『おーい、さやかー』

 いつまで泣き続けていただろうか。
 あまりに泣きすぎたせいか、さやかは幻聴のようなものを聞いていた。

『いるんだろー、起きてるかー』

 まるで杏子の声みたいだ。
 そこで杏子のことに思考が移る。
 実際に触れ合ったのは“こちら”ではほんの僅か、病院から家まで連れてきてくれた他人に過ぎない。
 “記憶”においても、戦って、また戦いかけて、杏子のかつての家だった教会で話を聞いて、魔女化する直前にまた会っただけ。
 両方あわせても、ほんの数時間の付き合いだったのではないだろうか。
しかもほとんどは無言の移動のみ。
 “記憶”ではさやかは敵意ゆえまともに話そうとせず、“こちら”では心神喪失状態。
 けれど、その数えるほどのそれを、強烈に思い出せる。

(どうしてあいつは、わたしにあんなに絡んできたのかな…)

 さやかはその最期の時以外、杏子を頑なに、というよりは意地になって受け入れようとはしなかったのに。
 グリーフシードを優先する姿勢も、自分の為に魔法を使うことも、あの末路を考えれば正しかったと言わざるを得ないが、“記憶”の中のさやかはそれを突っぱね続けた。
 なのに杏子は逆に態度を軟化させ、力になろうとしてくれたような気がする。
 それにこっちでも、自分を家まで送り届けてくれた。
 あの私はもう何も言えなくなってしまったけれど、この私が代わりに言わないといけないのかもしれない、ありがとう、そしてごめんなさい、と。
 そうつらつらと考えているうちに、泣き疲れたのかまた眠くなってきた。
 夜色の外套や朝色の夜会服、丸眼鏡や赤いリボンが舞い踊り、魚になったさやかは鏡に飛び込んで、ひらひらと舞う赤い蝶が集まって杏子の形になって…そして…

『おい、これちゃんと繋がってるんだろうな。
 さやか寝てるんじゃないだろうな』

『僕を電話機か何かのように扱わないで欲しいな。
 そもそも何で君が美樹さやかを気にかけるのさ。
 昨日、僕の記憶が無い間にいったい何が起こったのか教えて欲しいくらいなのに…
 ぐぇっ。
 扱いがひどいよ、ちゃんと繋がっているって。
 さやかだって起きて…あ、寝そうだ』

『おーい、さやかー!
 何やってんだ、このボンクラ!』

「…杏子!?」

…脳裏に響いた声で目が覚めたのだった。




 
 魔法少女になってからソウルジェムの真実を知ったあの時も、沈んだ心を抱えて学校を休んでいたさやかの家の前から杏子が呼びかけていた。
 そこで、杏子の家だった教会に連れて行かれ、彼女の過去を聞いたのだ。
 今回もまた、彼女は来てくれたのだ。
 それがさやかにはうれしかった。
 今度は、そのお礼もかねて、家に招待することにした。
 あまり外を歩きたくなかった気分だったということもあったが。
 さやかの住むマンションのドアへと飛び込んでいった杏子と、杏子に放り投げられてトラックの荷台に載せられ離れていくキュゥべえを見ながら、ふとつぶやく。

「魔法少女ってテレパシー使えたんだったね」

 魔法少女の能力の一つであり、魔法少女でなくとも資質があればキュゥべえを媒介にして加われる。
 “以前”は魔法少女になる前からしょっちゅう使っていたのだが、今回は今の今まで使っていなかったなと驚く。
 原因は、神野陰之とほむらだろう。
 特にほむらだ。
 “以前”は冷たく、全てを諦めたような、それでいて何かに執着するような目をしていた彼女。
 けれど今回は、暖かく、全てを掴もうとするような、そんな目をした、それでいて闇を従えた彼女。
 ほむらが変わったから、少女達はテレパシーを使う必要のない距離になっていたのだろう。
 神野陰之はいらないが、さやかは今のほむらが好きだ。
 だからこそ思う。
 彼女は彼に出会って、そして何を見たのだろう。
 そしてどうやって、あのような希望を持てるようになったのだろう。
 …私も、違う運命をつかめるのだろうか。
 そう考えたところでブザーの音が鳴り、さやかは、はっ、と現実に引き戻される。
 杏子が部屋の前まで着いたのだった。
 がちゃり、とドアを開ける。

「よう、気分はどうだい?」

 そこにあったのは、最期の自分に声を掛けてくれた時と同じく、ふてぶてしいながらも気遣いの見える、そんな微笑だった。

「あ…」

 さやかは声が出せなかった。
 気分は当然、悪い。
 杏子が来てくれたことはうれしい。
 けれど、この杏子は、“あの”杏子ではないのだ。
 さやかとぶつかり、話をし、最後の一週間で最も濃密に接触した彼女ではなく、ただ自分を運んでくれただけの関係なのだと、そう考えると何を言っていいのか分からなかった。
 だが、その思考をよそに、言葉詰まるさやかを見た杏子は合点したように苦笑する。

「ま、そりゃそうか。
 どん底まで落ちる光景やら自分の死やらを見ておいて、能天気にしてられるわけないもんな。
 あんたは、そーいうキャラとは縁遠い奴だったし」

 その、“あれ”を見てきたかのような物言いにさやかは混乱した。



 さやかの気持ちが落ち着いたとき、気づけば目の前には、さやかのために親が残した朝食をむさぼる杏子と、剥かれたりんごが置かれていた。
 どうしてこうなったのか、とさやかは記憶を辿る。
 飯は食ったか、と言う杏子に、食べてない、用意はされているが食欲がない、代わりに食べても良いと答えた。
 なら、これだけでも食っとけ、と杏子が言い出し、持ってきたりんごを剥き始めた。
 案外後姿がさまになっていた。
 そして、剥き終わると、その皿をこちらに向け、“あの時”教会で会話した時にしたように、こう言ったのだ。

「食うかい?」

 やはり、この杏子は“あの”杏子なのではないかという気持ちが強くなる。
そしてさやかは、意を決して聞いてみる。

「もしかして…私が魔法少女だった時の、記憶があるの?」

 何を言っているんだ、という目をされるのが怖くびくびくした声だった。
 それで杏子は、大事なことを忘れていたかのようにしまった、という顔をしたが、すぐに優しい顔になって答えた。

「あるよ。
 私もあの魔人に“見せられた”からね。
 あんたが頑張って、苦しんで、そして魔女になってしまったいきさつをね。
 そしてそんなあんたが見捨てられなくて命までかけて、そして魔女になったあんたと心中した、そんな私のことも、見たんだろ」

 “あの時間”を共有した杏子であることが、さやかにはうれしかった。
 ただ、話にあった後半の杏子のいきさつは初耳だった。
 さやかが見たのは、魔女になったところまでだ。

「杏子、私のために、そこまでしてくれてたの?」

 そうさやかが告げると、杏子は、言いすぎたとばかりに顔を赤くしてしまった。
 てっきり自分がさやか視点の記憶まで見たのと同じように、さやかも自分視点の記憶を見ているものだと思い込んでいたのだ。
 赤くなってあー、うーと顔を悩ませる杏子を見たさやかは、おかしくなって、くすり、と笑う。
 それは、“記憶”を見てから初めての笑い、そして、杏子の前で見せた初めての笑顔でもあった。
 さやかは心に、少し光が差した気がした。



「杏子、ありがとう、ごめんね…」

 さやかは泣いていた。
 杏子の物語を、そしてその気持ちを聞きだし、助けようとしてくれたことに感謝し、杏子を殺してしまったことを嘆いていた。

「杏子、私、私…ううう…」

 杏子の思いを知って、少し落ち着いてきた感情がまた決壊していた。
 泣きじゃくるさやかを、杏子は優しく抱きしめる。
 妹をあやす姉のように、しばらくそのまま、泣き止むまで。
 その嗚咽が収まりかけたとき、その耳元で声を掛ける。

「さやかが気にかけるなよ。
 全部私のわがままさ。
 さやかに昔の自分を重ねてつっかかったのも、勝手な期待をしたのも。
 あんたを助けようとしたのも、死を選んだのもね。
 それに、私がいなかったら、あんたは何も知らないまま、あの坊やと付き合えていたかもしれないんだ。
 ごめんな、さやか、本当にごめん」

 それを聞いてさやかは顔を上げ、杏子の顔を見た。

「ううん、杏子。
 今の私だから言える、ありがとう」

 それに、杏子はじわりと涙をにじませて答えた。

「ありがとう、さやか。
 今度は、死なせねーからな」

 すれ違い続けた二人の心が、ようやく繋がった瞬間だった。
 だが、そのまま見つめあっていると気恥ずかしくなったのか、杏子は、

「ええい、やめだやめ。
 家の中にいると辛気臭くなっちまう。
 ちょいと歩こーぜ、さやか。
 外は晴れてるんだ。
 子供は外に出ないと駄目なんだぜ」

と言ってさやかの手を引っ張る。
 さやかは強引なそれに引きずられるままだったが、悪い気はしなかった。





「あんなこと言っておいて、来るのがここ?」

 お互いの溝がなくなり、明るい杏子に引きずられたさやかは、軽口がきける程度まで回復していた。
 杏子に引っ張られるままにぶらぶらと歩き、たどり着いたのは杏子の家だった教会だった。
 さやかの“記憶”が正しければ、ここは一番辛気臭い話をしたところではなかったか。
 それに対し杏子はばつの悪そうな顔をして告げる。

「忘れ物があってさ。
 あんたもちょっと回復してきて、渡してもいいだろうしね。
 昨日は私といえどもちょいとナーバスになって一夜をここで過ごしたんだけど、うっかりとね」

 渡すもの、と言われてもさやかには心当たりがなかった。
 けれど、杏子が棚から取り出した物と、かけられた言葉はさやかを大きく驚かせた。

「マミからの手紙さ。
 私はマミがあっちに行っちまってから実際に会ったんだ。
 昨日渡すつもりだったんだが、ああなっちまってそれどころじゃなかったんでね。
 ちなみにあいつは元気、ってのもおかしいけど、相変わらずさ」

 ここで、あの先輩の手がかりがつかめるとは思わなかった。
 震える手で手紙を手にする。
 杏子の、読みなよ、と促す声で、その封を切って読み始めた。

『美樹さんへ。
 ごめんなさい、勝手に消えてしまって。
 せっかく一緒にいてくれる、って言ってくれたのにひどい先輩でごめんなさい。
 あの時は本当に嬉しかった、けど、私の『願望』は別にあったみたい。
 以前、人のために願いを使うことについて美樹さんにはえらそうなことを言ってしまったわね。
 でも、私も一緒だったみたい。
 あの魔女は、上条君のような、病院で苦しんだ子供達の集合体だったの。
 そして私はそれを見捨てられなかった。
 私も同じだったから、あなたたちがしてくれたように、私も幸せを分けたかったから。
 見捨てられない、というのもまた愛であり願望なんでしょうね。
 私のようにはならないで、と言う資格はないわ。
 でも、鹿目さん達を悲しませるようなことにはならないでね。
 あなたと上条君が幸せになれることを祈っているわ』

「マミさん……」

 読み終えると、さやかは目に涙を浮かべていた。
 いつの間にか、杏子も横から覗き込んでいた。
 しばらくそうしてマミのことを思っていたが、杏子がぽつり、とつぶやく。

「なるほどね。
 私たちみんな、人のために願いを使った似たもの同士だ。
 マミは形はどうであれ成功し、私は失敗した」

 そう、願いの成れの果てである廃墟と化した教会を眺めながら言う。

「そしてあんたは、実際はまだこれからだ」

 そしてさやかのほうを向いて言う。

「あんたには色んな道があるさ。
 魔法少女になる道も、ならずになんとかする道もね。
 でもどっちにしろ、こうと決めたら、どーんと行くしかないだろう。
 私が一緒に行ってやるよ。
 魔法少女にならなかったとしても、魔女は私が全部排除してやるから心配すんな。
 むしろその方がグリーフシードを独り占めできるかもしんねーし」

 最後にはわざとらしく笑う。
 それを見たさやかも、にっ、と笑う。
 その気持ちがうれしかった。
 そして、前に進もうという気持ちが生まれてくる。

「どっちにしても、これからよろしく、杏子。
 私がどうしたいのか、『自分の為』にどうするのか、考えて見るよ」

「うん、よろしくね」

 そう言うと杏子はポケットからうんまい棒というお菓子を取り出しさやかに向ける。

「なに、これ」

「ちょっとした儀式みたいなもんさ。
 食うかい?」

 さやかはそれを手に取り、二人で分け合って食べた。





 杏子と別れ、さやかは家に戻った。
 なんだかんだで日が暮れ始めていた。
 気分が軽くなったからか、生身の体はいい加減栄養を求めたのか、今度は置いてあった昼食が食べられた。
 そうこうしていると、またベルが鳴った。
 今度は立っていたのはまどかだった。
 連絡もなしに休んでいたため、心配になってきたのだと言う。
 そういえば、起きてからまだ携帯に触れてすらいなかった。
 ほむらもさやかの席を見てどこかそわそわしていたらしいが、お見舞いには来れなかったらしい。
 さやかは、具合が悪かったから休んだ、という建前を通した。
 真実を話せば、この親友に心配をかけることになってしまう。
 未来にあたることとはいえ、絶望して魔女になってしまうなんてばらせばほむらにも悪い。
 なので学校のことなど取りとめのない話を始めるが、話の中で、まどかが杏子に会っていたことや、仁美を襲った魔女を杏子が倒したことを聞き、改めて杏子に感謝する一面もあった。
 そして、マミさんの手紙についても話し、優しい先輩のことを思う。
 そして、マミさんが選んだことなのだから、と納得することになった。
 でも、なんとかして会いたいね、と言う話になる。
 するとまどかは、ほむらちゃんや神野さんに聞いてみよう、と言い出し、神野陰之はちょっと、とさやかが謙遜する場面もあった。
 それらの話などをしながらも、さやかはさりげなく聞いてみる。
 自分の願望は固まっていないが、まどかはどうなのだろうか、と。
 “記憶”のことがあるから直接相談はできないが、この頼りになる親友の言葉が聞きたかった。
 そして、その答えは、まどかが帰ってからもさやかの耳に残り続けた。

『私の願望かあ、恥ずかしいけどね。
 パパやママ、さやかちゃんや仁美ちゃん、ほむらちゃん、杏子ちゃんも入れて、皆で笑顔で暮らしたいなあって』





 次の日、さやかはまた具合が悪かった。
 それほど重くはないようだが、風邪をひいたらしい。
 今日は普通に休むことになってしまった。
 菌の蔓延する病院に行った後にあの“記憶”を見せられて精神ダメージを受け、さらにその後二食も抜いてしまったのだ。
 それにその状態で行った杏子の教会は、コンクリート作りのうえ割れた窓や杏子が壊した扉からの風が吹き込み…冷えた。
 生身の体にはこれらは堪えたらしい。
 体はだるい、けれど心は昨日より軽くなっていた。
 むしろもう一日、じっくりと考えられる時間が取れることを喜ぼうとさやかは考えた。



 ふと思い出し、さやかはもそもそと布団の中で動き、携帯を手にする。
 まどかとほむらに、今日こそはただの風邪だと伝えねばなるまい。
 無駄に友達を心配させたくはなかった。
 そして、また今日も杏子が窓の外に立つのなら、今度は風邪をひかせたことに文句を言って困らせてやろうと思い、くすり、と笑った。



[27743] 人の為、己の為~末の姫の決断~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/01 00:37
 繰り返す、さやかは何度でも繰り返す。
 記憶は巡る、あの一週間を、この十四年を。
 思考は羽ばたく、あったかもしれない一週間に、ありえるかもしれない数十年に。
 学校では、光の関係で鏡のようになったガラスを見つめながら、自分の選択で変わる様々な学校生活をそこに見る。
 家では夕暮れに、夜に、その先にあるであろう未来を思う。



 一つは、魔法少女にならない未来。
 恭介の腕は治らないが、突っ走って魔女になることはない未来。
 そこにはまどかもいる、ある程度リハビリが進めば恭介も学校で一緒になる。
 仁美とは…現状維持が続くならあの申し出は遅くなるかもしれない。
 その間に、恭介と仲直りしてうまくやれるかもしれない。
 恭介の治療法が見つかるかもしれないし、演奏以外の別の道を探せるかもしれない
 まどかやほむら、そして杏子も…手伝ってくれるかもしれない。
 そして、恭介と一緒になれる未来も。

 そううまくはいかない、絶望の未来も浮かぶ。
 例えば、恭介が絶望し、自分が知る恭介でなくなってしまう未来。
 結局恭介が仁美を選び、同じ教室でそれを見続ける未来。
 色々な出来事に耐え切れず、性懲りもなくまどかに当たって結局一人きりになる未来。
 明るい前途が開けたところに、魔女が現れ手も足も出ず大切なものを奪われる未来。
 そして、そんな未来すら訪れず、全てはワルプルギスの夜によって終わってしまう未来。



 もう一つは、魔法少女になる未来。
 恭介の腕が治り、病院の屋上での演奏会までは大体一緒だろう。
 今回は全て分かった上なので、真実を知ることによる絶望はないだろう。
 戦いも、もっと慎重にやれるはずだ。
 仁美を相手にしても、今度は堂々と勝負できるかもしれない。
 そうすれば、恭介の隣にいれて、いつでもあの演奏を聴くこともできるのだろう。

 けれど、まだ見ぬ未来が怖い。
 例えば、恭介の腕が治ったところで、再び奇跡でしか治せない事態が起こる未来。
 恭介が音楽を捨ててしまう未来。
 仁美との勝負に負けて、恭介を取られる未来。
 それらに、絶望せずにいられるだろうか。
 そして、戦いの中で死んでしまう未来。
 “記憶”の自分は自暴自棄だったので捨て身戦法で戦っていたが、それを捨てたら今度は前勝てた相手にあっさり殺されてしまうかもしれない。
 かといって前と同じ戦法でいって、運悪く死んだり、消耗が激しすぎて魔女になるかもしれない。
 何より、最強の魔女たるワルプルギスの夜相手に新人の自分が生き残れる可能性のほうが少ないだろう。
 かといって魔法少女になったにも関わらず杏子やほむらを見捨てては自分で自分を許せず魔女化するだろう。



 いくつもの希望と絶望の未来があった。
 どれを選んでも、どこかで後悔はあるだろう。
 どれを選んだつもりでも、周りの人間や魔女によってそれは別の方向へと変わってしまうだろう。

『上条恭介のために、魔法少女になるつもりね。
 やめたほうがいい、少なくとももう少し考えて。
 魔法少女になることはあなたのためにはならないわ』

響くのは、ほむらの声。
冷たく見える表情の奥に、たまに暖かいものが見える友達。

『見捨てられない、というのもまた愛であり願望なんでしょうね。
 私のようにはならないで、と言う資格はないわ。
 でも、鹿目さん達を悲しませるようなことにはならないでね。
 あなたと上条君が幸せになれることを祈っているわ』

 浮かぶのは、マミの手紙。
 異界に行ってなお、優しく自分達を見守ってくれる先輩。

『私の願望かあ、恥ずかしいけどね。
 パパやママ、さやかちゃんや仁美ちゃん、ほむらちゃん、杏子ちゃんも入れて、皆で笑顔で暮らしたいなあって』
 
 響くのは、まどかの言葉。
 私の心を癒してくれた、離れたくない最高の親友。

『こうと決めたら、どーんと行くしかないだろう。
 私が一緒に行ってやるよ。
 魔法少女にならなかったとしても、魔女は私が全部排除してやるから心配すんな。
 むしろその方がグリーフシードを独り占めできるかもしんねーし』

 響くのは、杏子の声。
 ぶっきらぼうに見えて、その実熱く優しい、新しい親友。

『なんだって構わない、どんな奇跡だって起こしてあげられるよ。
 傷を癒す魔法はなく。
 星を落とす魔法はなく。
 闇を切り裂く聖剣はなく。
 愛するものを蘇らせる秘術は無く…昔君達の誰かが言っていた言葉さ。
 でもね、僕と契約してくれたらどんな願いだって叶えてあげる。
 魔法の力で、空想の果てなんかじゃなく、現実にしてみせるよ』

 誘うのは、キュゥべえの声。
 対価と引き換えに、手の届かぬ奇跡を現実にするモノ。

『君達は自分の本当の願望を、もう一度考えてみることだ。
 魔法少女が叶える祈りと、自らの願望は同じとは限らないのだからね。
 自分の心から目を離さないことだ。
 目を離すと…見たまえ、こんなことになる』

『何が君の幸せだい?
 何をして喜ぶ?
 わからないまま終わる、そんなのはいやだろう?』

 心を抉るのは神野陰之の声。
 本当の願望を叶える闇を引き連れた魔人。

 そう、結局は自分の願望次第。
 友の助言を、気持ちを知り、自分の気持ちに向き合い、無数の未来の中の一つを目指す。
 運も含めて強ければそこにたどり着き、弱ければ失敗するかもしれない。
 どうなるかはやってみなければわからない。
 月並みの言葉だが、後悔はしない選択をしたい。
 本当に欲しいもの、それを思ったとき、これまで思ってきた未来や過去、その中で浮かんできたもの。
 それはあの一週間の、バイオリンを弾き終わった恭介の笑顔、そしてそれと目が合い、微笑み返したあの一瞬。





 再び、病院の屋上にさやかとキュゥべえ、そしてあの場にいた二人も揃った。

「やれやれ、僕の体を潰してまで契約を中止したのに、今度は僕に頼るなんて、わけがわからないよ。
 まあ、経緯がどうであれ契約してくれるなら構わないけどさ」

 文句を言いつつも、契約の用意を整えたキュゥべえを見て、さやかはごくり、とつばを飲む。
 “記憶”がフラッシュバックするが、それを振り払う。

「あんたは本当にいいの?
 結局こうなっちゃってさ、ほむらには悪いとは思うんだ」

 最後に確認するように神野を振り向き、さやかは言う。
 もはやほむらがここにいてもさやかは止まらないだろう。
 だが、友人への、その真摯な思いへの罪悪感は残っていた。
 それを吹き消すかのように、神野陰之はその迷いを断ち切る。

「本当の君はなんだ?
 君の好きにすればいい。
 君の本当の形は君しか知らない。
 誰も君の形を縛ってなんかいない――
 君は君の成りたいものになればいい」

 天使の啓示などとは程遠い、悪魔のような囁きに、だが、こくり、とさやかが頷く。
 杏子と目が合う。
 その眼にはもう迷いはなかった。
 己の『願望』を見据えた、力強い意思のみがそこにあった。
 それを見た杏子もまた、微笑みを浮かべて頷く。
 そしてさやかは、願いを言うべく息を吸う。
 夜闇の魔王に導かれ、人魚の姉を付き添いに、末の姫は魔女の家の門を叩いたのだった。

「私の願いはね、キュゥべえ。
 “恭介の体を癒し、守護すること、年老いて死ぬまで音楽を奪われることのないように”」

 その願いに、キュゥべえは首を傾げた。

「それじゃあ、キャンセル前とほとんど変わらないじゃあ…
 なんだい、このエネルギーは!?
 前回とは比べ物にならない、癒しの祈りに持続性を加えただけで、ここまで増加するはずがない」

 最初は不満げな声を挙げていたキュゥべえだったが、突如驚いたように声を高める。
 直前キャンセルも初めてだったが、それ以上に、祈りによって得られるエネルギーの上昇量は彼らの持つデータをはるかに上回っていた。
 感情をエネルギーに変えるインキュベーターの技術ではあるが、彼らは感情を理解しない。
 そのため、得られるエネルギーを因果の量、すなわち心の中に持つ願いが世界に与える影響を基準で判断していた。
 だが、人間は、世界から見ればちっぽけな願いであっても、そこに強烈な感情を込められるのである。
 さやかは願う。
 かつての問いへの答え、さやかが望むのは、恩人になることでも、ただのその音楽を聴ければよいだけでも、彼に夢を叶えて欲しいわけでもない。
 大好きな恭介の隣にいたい、音楽を追い続ける姿も、その音色も、全てを持った笑顔の彼のそばで、私も笑顔で一緒に。
 音楽をすることの強制はしない、成功を約束するという矯正もしない。
ありのままの恭介が、事故や病といった理不尽な障害に遭わず、純粋に挑む、そんな道を共に歩きたい、それが願い。
 そして祈る。
 それは形として見れば、たった一人が生涯健康でいるというちっぽけなものである。
 だが、その祈りが守ろうとするのは、紛れも無く彼女の“世界”なのだ。

「さあ、叶えなさい、キュゥべえ!!」

 キュゥべえは気圧されたように、または感心するかのように息を吐いて、それを受け止める。

「僕としたことがさやかの資質を見誤っていたとはね。
 いいだろう、受け取るといい、それが君の運命だ」

 さやかの胸にキュゥべえの耳が伸び、そこに触れると青色の光が溢れ、輝く石が取り出された。
 ソウルジェムの精製、魔法少女美樹さやかの誕生である。





 病院を後にしたさやかと杏子は、二人で河川敷の斜面に寝そべっていた。
 恭介にはまだ会っていない。
 恭介の体は治ったはずだが、病院側がそれに気づく前だと何故それを知っているのかということになるし、また、気づいた後だと検査漬けになるだろうからだ。
 そのことは過去を“見た”から知っていた。

「よかったのかい?
 あんた、あいつのことが好きなんだろう。
 あの魔力なら、自分が恋人うんぬんっていうのをさりげなく文章に混ぜたら一緒にかなっちまったんじゃないか?」

 杏子がさやかに尋ねる。
 最も、それは攻撃的なものではなく、ただの確認にすぎなかった。
 それが分かったさやかも、穏やかな表情でふるふると首を振って答えた

「それじゃあ、あんたの親父さんと一緒になっちゃう。
 魔法で作った関係じゃあ、納得できないし、結局壊れちゃう。
 だから私は、正々堂々、恭介を落としてみせる」

 その答えを予想していた杏子は、穏やかに微笑んだ。

「だよな」

 しばらく無言で、二人はそよ風に吹かれていた。

「なあ親父、私、今度はちゃんとやれたかな…」

 そんな中、杏子は空を見上げて、ぽつりと呟いた。
 そこには、きれいな青さが広がっていた。

「ちゃんとやれたよ、私が保証する。
 あんたがいたから、私はここにこうしていられるんだよ」

 さやかが、杏子の手を握り、優しく言った。
 じわり、と杏子の眼に涙が浮かんだようだったが、その目を服の袖でぐしぐしとぬぐってしまったため、実際どうだったのかは分からなかった。
 そうしてさやかを向いた顔は、いつもの勝気な杏子だったのだから。

「へっ、ひよっこが言うねえ。
 ここまでやってあげたんだ、あっさり死んだり魔女になるんじゃねーぞ」

表情は不敵だが、口調は優しい。
そうして、さやかに握られているのとは逆の右手を突き出す。

「分かってるって。
 これからよろしく、杏子」

 さやかも、杏子の手を握るのとは逆の左手を突き出し、拳をあわせた。





『分かってるって。
 これからよろしく、杏子』

 それを河の対岸方面のビルから双眼鏡で眺め、肩を撫で下ろした影が一つあった。
 双眼鏡を外し、ふう、と息を吐いたその影は、暁美ほむらだった。
 耳に当てたイヤホンから声が漏れていた。
 杏子に任せたとはいえ、心配だったほむらは渡した通信機に盗聴器をしかけていたのだ。
 何かあれば時間停止を駆使して駆けつけるつもりだったが、その必要はなかったようだ。

「うまくいったみたいだね。
 心配性なんだから、ほむらちゃんは」

 隣を見ると、そこには笑顔のまどかの姿があった。
 今回の件でこそこそと監視するほむらを見つけたまどかはいきさつを聞きだし、さやかと杏子に任せることに決めていたのだ。
 ここにいるのは、むしろほむらが余計なことをしすぎないかの監視だったりする。

「私にもいろいろあるのよ」

 やっていることがやっていることだけに、ほむらはばつの悪い表情で答える。

「もう、盗聴とかは無しだよ」

 まどかに念を押されてしまう。

「分かっているわ。
 でもこれで、心配の一つはなくなったわ。
 あとは、魔法少女としてさやかを援護してあげないとね」

「上条君との関係のほうもね」

 まどかはにやにやと笑いながら言う。
 ほむらになんだかんだ言いつつも、ほむらが見たこと聞いたことを全て聞き出していたりする。
 弱みのあるほむらは未来にあたる志筑仁美関係や魔女化についての会話以外はそのまま伝えてしまっていた。
 また心労が増えるのかと、ほむらはため息をつくが、その表情はどこか楽しげであった。





 人魚の末の姫は想われていた。
 その家族に、海の仲間達に。
 けれども彼女は、王子様への想いゆえ、相談もせずに魔女の元へ走ってしまった。
 人間の足を手に入れ、王子様のそばにいることができる幸せな日々を手に入れたが、それは長くは続かなかった。
 王子という身分にふさわしい婚約者を前に、結局その恋は叶わず、魔女との契約の通り泡と消える運命を受け入れた。

 ではもし、姫が家族に相談していたら、そしてその恋路の困難さを理解したうえで王子に選ばれるためのあらゆる手をつくしていたらどうなっていただろうか。
 その先はまだ、誰も知らない。
 はるか過去から在るモノも、未来を知る少女でさえも。



[27743] 人の為、己の為~老人と王子~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/02 01:44
「待ってくれ…行かないでくれ!」
 
 夢の中、僕は走っていた。
 道を駆け、車道を横切り、奇異の眼で見られても一心不乱に走り続けた。
 息が切れ、道がなくなり、見る人もいない深夜になっても、前へ前へと進み続けた。
 ひらひらと舞うオレンジの蝶を追いかけて。
 なぜそこまでして追いかけるのか…当然だ。
 あれは僕の恋人…僕が殺してしまった大切な人の、その魂だからだ。
 謝りたかった、僕は君を嫌いになったんじゃないと、そして大好きなんだと言いたかった。



 人は死ぬと魂は蟲になって世界へ散っていく、肉体は蟲の詰まった蟲袋、僕には世界がそう見えていた。
 始めは世界を舞う蟲が見えたり、死んだ人から蟲が出て行くのが見えたりするだけだった。
 けれど次第に、生きている人の体、その口や目から蟲が顔を覗かせるのが見えるようになってしまった。
 蟲に触れたくなくて引きこもった、自分の中にいるおぞましいモノから逃げたかった。
 それでもそいつは部屋の入り口を超えて寄ってきた。
 蟲袋を追い出そうとして殴った。
 それは自分が想い、そして自分を心から想ってくれた恋人だった。
 傍目に見て狂ってしまったような僕を見捨てないでいてくれた大切な人だった。
 呆然とする僕の前で、冷たくなった体から蟲が出て行く、遠くへ行ってしまう。
 だから、必死で走った、追いかけた。

(待ってくれ、まだ、謝ってない。
 まだ、お礼を言ってない。
 まだ……)

  だが、その手は届かず、体は力尽き、薄い部屋着で覆われた汗だくの体は冬の夜道で急激に冷えていく。
 死ぬ前に僕は願う、僕も蟲になって恋人を追うんだ、世界中に散った蝶を探して、何度でも言うのだ。
 何度でも謝って、こんな僕のそばにいてくれたことのお礼を言って、そして、君が好きだと繰り返すのだ。

「それはよい『願望』だね」

 薄れていく視界の中、いつの間にか黒い男がそばにいて何か言っていた。
 その言葉に僕は安堵を覚えた。
 もう、蟲への嫌悪はなくなっていた。
 大切な人が、人でなくなったからといってどうして嫌悪することができようか。
 そして、僕の願いのまま、僕の体から、蟲が、探求の象徴であり、蝶と共に語られる蝿が飛んでいく。
 そして僕は飛び立ち、蝶を見つけた。
 必死でそれを追いかける。
 そして言うのだ。
 ごめん、ありがとう…そして、大好きだと。
 “僕”には、その蝶に、何故かさやかが重なった。





「うっ…ん」

 夕暮れの病室で上条恭介は目を覚ました。
 額に止まっていた蝿を、左手で払う。
 そう、ついこの間までまともに動かせなかった手でだ。
 絶対に治らない、少なくとも二度と楽器を演奏することは叶わないと言われた手を始め、交通事故で負った怪我がいきなり治った。
 そのことで昨日から検査漬けだった。
 その疲労がたまっていたためか、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
 何か、幻想的で、それでいて悲しい夢を見ていたようだった。
 何故か、さやかがどこかへ消えてしまうような、そんな気がしてしまう夢だった。

「おや、起きたのかね」

 そこで病室にいたのは、そのさやかでも、その友人で時々訪れる志筑仁美でもなかった。
 ただ、深い白髪を抱えた一人の老医師が、ぬいぐるみを縫いながらいすに座っていた。
 足元には花束が置かれていた。
 そういえば、今日定年退職するという小児科の先生がいたことを思い出す。
 体が治ってあわただしかったため忘れていたが、自分のことを気にかけてくれたやさしい先生であり、その伝手で腕を治すための方法を探してくれていた人だった。

「君が治ったと聞いてね。
 ここから去る前に、皆が言う奇跡の少年に会っておこうと思ってね。
 君の主治医の松本に聞いたが、検査の結果も完全な健康体だそうだよ。
 帰る前に奴に君が起きたことを伝えておくから、詳しくはそのときに教えてくれるだろう。
 手続きも君の親が済ませたようだし、明日には退院できるだろう、おめでとう」

 老医師はしみじみと、そして笑顔で言う。
 そこにはただ喜びと、ほっとしたような雰囲気のみがあった。
 それは患者が救われたことを喜ぶ医師としては普通のようだった。
 だが、他の人たちのような奇跡を眼にした驚嘆や急激な回復への疑念といったものがまるでないのは不思議だった。
 他の医者、特に主治医の松本先生や看護師のみんなは驚きあわてていたし、あれから数日たった今でも奇異の眼で見られるというのに。
 そう感じた恭介は、感謝の言葉とともにその疑念を伝えてみることにした。

「ありがとうございます、先生。
 ただ、先生は、僕の体が治った奇跡に関しては驚いていらっしゃらないようですが…」

 その疑問に老医師はくすり、と笑って答えた。

「何、私も奇跡を体験したことがあってね。
 君も聴いたことがあるだろう、このヌイグルミの話を」

 そう言うと手に持っていたヌイグルミを見せる。
 恭介が寝ている間にほとんど縫い終わっていたのだろう、ほとんど完全な姿になっていた。
 そのヌイグルミの話は恭介も知っていた。

 曰く、どんな子供でも落ち着かせる魔法のヌイグルミ。
 曰く、よくほつれるので看護師や研修医がその修理をしょっちゅうしている。
 曰く、寝静まった夜に暗闇の中で見るとそのほつれから指や眼が覗いている。
 曰く、先日、一斉にすべてのヌイグルミの綿が抜かれていた。

 ほとんど怪談である、実際に怖がっている人も多かったらしい。
 だが、一人の夜や手術の恐怖におびえる子供ですら落ち着けるその効果は本物で、当の子供達は怖がる様子もなく懐いていたという。

「これは私がとある不思議な店から手に入れたものでね。
 あの噂は全て本当だよ。
 私達がどうしても宥めることのできなかった子供達を救ってくれた、まさに奇跡のようなものだ。
 こんな体験をした私だから、奇跡も起こりうると納得しているのだよ。
 もっとも、君には彼女達は必要ないと思ったから渡さなかったから、よくは知らなかっただろうがね」

 その言葉に、恭介は反応する。

「必要ないとは、どういうことでしょうか」

 恭介は思う。
 自分は中学生で子供とはいえないからだろうか。
 ただ、自分だって動かない腕に絶望し、苦しんでいたのに、と。
 そんな恭介の思いを察した老医師は、ため息をつくと言った。
 そこには、やはりわかっていなかったか、といった諦めも混じっていた。

「君にはこの子がおらずとも、しょっちゅうお見舞いに来てくれる娘がいただろう。
 君は孤独ではなかったはずだ。
 普段の君にあった影が、彼女と一緒にいるときは薄らいでいたように見えたのだがね。
 それとも、彼女は君にとってどうでもよい存在だったのかな」

 その穏やかながらも、非難の色が混じった声に、恭介は表情を沈めた。

「さやかがいてくれたから、心が安らいだというのはあると思います。
 ただ、よくわからなくなりました。
 さやかが来てくれるのは、幼馴染としての義務のようなものじゃないのかって思うことがあるんです。
 それに、さやかが、僕が演奏できなくなった音楽を毎回持ってくるのを最近重荷に感じていたんです。
 僕じゃなく、バイオリンのできる僕だったものを見てるんじゃないかと、そう思ってしまうことがあるんです」

 それは恭介の抱える負の感情だった。
 音楽ができない自分に苦しみ、卑屈になり、周囲の人間とのすれ違いが生じていた。
 その思いを受け取った老医師は、さっきの非難の色を消し、反省したような表情になった。
 そして穏やかに告げる。

「さっきは言い過ぎたよ、すまないね。
 ただ、彼女は純粋に君を思っているだけだよ、義務なんかじゃないはずだ。
 …私の尊敬する江戸時代の医者に、緒方洪庵という人がいてね、その人の言葉に次のような言葉がある。

 人の為に生活して己のため生活せざるを医業の本髄とす。
 安逸を思はず名利を顧みず唯己をすてて人を救はん事を希ふべし。
 人の生命を保全し人の疾病を複治し人の患苦を寛解するの外、他事あるものに非ず。

 要するに、自分のことを捨てただ人の為につくせということさ。
 医者としては理想的さ、だだね、私は思うんだ。
 ただそういった義務感のみで人間は動けるもんじゃない、その患者さんたちが、人間が好きだから、そして病気に勝ちたいからやれるんだ、とね。
 彼女もそうだと思うよ、君が好きじゃないとそこまではやれないさ。
 …やり方は不器用だったかもしれないけどね」

 それを聞いた恭介は赤くなってうつむく。
 その初心な反応を楽しそうに見た老医師はくつくつと笑い、続けた。

「まあ、その好きが、男女の好きか、親友の好きかは君たちの問題だよ。
 ただ、彼女にとって君は“大切”なんだ、それだけは覚えておきなさい。
 ちゃんと向き合うんだよ、彼女は君を拒絶したりはしないさ」
 
 その眼は多くを見てきた老人のみができる、深く、複雑な光を宿していた。

「…わかりました、さやかと、ちゃんと向き合ってみます。
 そして、酷いことを言ってしまったことを謝りたいと思います」

(あの少年のように…手遅れになる前に…)

 そう、心の中で付け加える。
 あれは夢だし、あの元気な幼馴染に何かあるとは思いづらいが、何故かそう確信できるものがあった。
 その言葉を聞いて、その表情を見て、安心したように老医師は頷いた。

「さて、最後の問診は終わりだ。
 彼女のこと、大切にしてあげるんだね。
 せっかく体が元気になっても、君自身の“大切”を失っては元も子もないよ」

 そう言うと老医師は席を立つ。

「ありがとうございました」

 その姿を見送り、恭介は思う。
 僕自身の“大切”はなんだろうか。
 音楽、それが一番だと思っていた、だから失って絶望もした。
 こうやって奇跡的に体が治った以上は、すぐにでも再開するつもりだ。
 そういう意味では音楽が一番というのは変わらないだろう。
 だけど、それだけを見ていて人を見てなかったのは、隣にいたさやかを見ていなかったのは自分のほうじゃないだろうか。
 さやかに当たってしまったが、結局自分に非難する資格はないんじゃないか。
 そして、時折来てくれた志筑さんにも、その穏やかさに甘えていただけだったし…
 ちゃんと…考えないとな…

 ふと、窓を見る。
 窓からは病院の入り口が見える、先生を見送ろうと思ったのだ。
 自分の足で窓まで歩き、自分の手で窓を開け、夕方の涼しい風に当たる。
 それが出来ること、そしてその風が心地よい。
 開いた窓から、先ほど払ってから部屋を飛び回っていた蝿が出て行く。
 そして、外を飛んでいた夕日に照らされてオレンジ色になった蝶に向かって飛んでいく。
 あの夢のように。
 耳元を通った蝿の羽音が、笑い声のように耳に残り続けた。





 上条恭介の病室を後にしたその老医師が病院の門を出る時、中学生くらいの少女達とすれ違った。
 一人は上条恭介の幼馴染で、よくお見舞いに来ていた少女だった。
 他の二人は一度か二度見ただけだったが、そのうちの一人、黒い長髪の少女の後ろに、かつて出会った黒い男の姿が一瞬見えた気がした。
 それを見た老医師は、驚いたように眼を見開いて振り向き、足を止めた。
 そして、しばらくそうしていたが、少女達が去った後、笑みを浮かべると虚空に向かって呟いた。

「店主どの、あなたは変わりませんな。
 あのあとあの店を探したが、結局見つかりませなんだ。
 ただ、あなたの与えてくれた奇跡のおかげで、多くの子の心を救うことができました。
 今回のも、あなたの仕業ですかな・・・
 また、奇跡に頼ってしまうとは、医者としては負けですな」

 そう、自嘲気味な呟きを聞く者は周囲にはいなかったが、ざあっ、と風が吹き、それに乗ってどこからともなく言葉が聞こえてきた。

「奇跡が起きたのは、君や彼女の『願望』があったからだよ。
 それに君で到達できずとも、思いも、力も、継がれていくものだ。
 それができるから人間というのはすばらしい」

 それを聞き、老医師は納得したようにうなずき、顔を上げたとき、先ほど生じた自嘲の表情はなくなっていた。

「そうですな。
 あとは、後続や彼女らに任せましょう」

 そう言うと、老医師は病院のほうに深々と頭を下げた。
 それは、定年を迎えた医師の姿としてはよくある光景だっただろう。
 だが、その頭を下げた対象を、その胸の内にひしめく感情を、それを知るものは本人以外にはいなかった。



[27743] 人の為、己の為~魔女の短剣が貫くもの~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/02 01:56
 さやかが決断した、その日の夜のこと。
 さやかと杏子は、人気のなくなった建設現場にと来ていた。
 二人のソウルジェムは、魔女の気配を探知して、闇の中でぼんやりと輝いている。
 ソウルジェムの光に照らされたさやかの表情は、緊張しながらも力強いものだったが、対照的に杏子の表情はどことなく不安気だった。

「本当にいきなり魔女でいいのかい?
 いくら“前”の経験があって、さっきまで戦闘訓練してたとはいえ、あんたにとっては初陣だぞ。
 こいつは積極的に動くタイプの魔女じゃなさそうだし、もうしばらくは監視にとどめておいてもいいんだぞ」

 杏子は、その前に何度か話した懸念をもう一度述べた。
 “記憶”を見ているせいもあるが、どうにもさやかを危なっかしく感じていた。
 だがさやかの決意は揺るがなかった。

「大丈夫。
 それに、ワルプルギスの夜が来るなら早く力をつけないといけないしね」

 さやかが急ぐ理由はいくつかあった。
 一つは話に出したワルプルギスの夜の襲来。
 実際のところ“前”のさやかはそのことを知らなかったのだが、“前”の杏子はほむらに共闘を持ちかけられてその話を聞いていた。
 杏子に聞いた話と、その魔女の規模を聞き、さやかは早く力と経験を積むことを求めていた。
 他にもいくつか理由はある。
 一つは、悩んでいるうちに“以前”倒したこの魔女の出現時期が来てしまったこと。
 例え動きが少ないタイプの魔女とはいえ、犠牲者が出るかもしれない事態を見逃すわけにはいかなかった。
 一つは、さやかの両親が忙しい時期もいつまでも続くわけではないこと。
 夜まで魔女狩りに費やせるのは今だけであり、時間を無駄にはできなかった。
 そして最後に、ほむらとのこと。
 結局、ほむらの制止を振り切って契約してしまったのだ。
 ほむらが杏子に託したと聞かされても罪悪感は大きい。
 学校でも、時折隠しているようでも心配そうな表情を覗かせるほむらに対して、しっかり考えるためと理由をつけて半ば避けるようにしてしまったのだ。
 結局、決断したことはまだ伝えてはいなかった。
 明日、学校で会ったら話すつもりだ。
 だが、その前に、魔法少女になる覚悟として戦いに望み、勝利しておきたかった。
 共に戦う覚悟と力を持って、かの友人に向き合いたかったのだ。
 これらの理由から、杏子も強くは反対できなかった。
 もっとも、最後の理由だけはさやかの胸の中にしまわれていたのだが。

「心配してくれてありがとう。
 でも、使い魔でいくら経験を積んだところで魔女は別物。
 どっちみち魔女と戦いをしないことには始まらないんだから」

 さやかは杏子に告げるが、それはまるで自分に言い聞かせるようでもあった。
 そしてさやかは魔女の結界へと飛び込んでいく。

「ちっ。
 まあ、あんたの言うとおりではあるがな。
 気を抜くなよ!」

 それを見た杏子も後に続く。

(この魔女は“影”の魔女だったはず。
 “前回”はさやかが特攻して無理矢理撃破したし、あの手ごたえなら私一人でも十分勝てた。
 けど、“影”…神野陰之…マミの時のような何かが起こらなければいいけど…)

 その心中に、嫌な予感を抱えつつ。





 そこは一面がぼんやりとした白い光につつまれたような空間だった。
 そこに影のように黒く、葉のない木々が立ち並んでいた。
 テレビで見た冬のヨーロッパの森のようだとさやかは思った。
 黒い落葉した白樺の森、そんなイメージが浮かぶ。
 雪はなく、寒さもなく、けれど冬の夜を思わせるような、しん、とした空気があった。
 そして、白く照らされているのに、闇夜の中にいるようにその木々には影がなかった
 ざり、ざり、と二人の少女の足音だけが響く。
 それに続くのは彼女達の影だ。
 魔女のいる場所まではまだ距離があるらしかった。
 そのまま無言で、影の向きを頼りに光源であろう方角へと二人は進む。
 影の木々はざわめきすらしない。
 森の中腹といえる場所まで来たところで、途中からさやかの前を歩いていた杏子が、ぴたりと足を止めた。

「さやか」

「うん」

 警戒するようなその声に、さやかも武器のサーベルを構えて応える。
 これまで静かだった森が、ざわり、と胎動し、その枝を、幹を凶暴な牙を持った動物の顔を持つ触手へと変えて少女達へと襲い掛かった。

「はあっ!」

 一斉に襲い掛かってきた使い魔を、杏子は武器である多節槍を振り回してなぎ払う。
 魔法で自在な数の節に分解でき長さも調節できるそれは、円のような動きで使い魔をまったく寄せ付けなかった。
 さやかはその円の影響を受けない中心で、杏子と背中合わせになり撃ち漏らしを警戒していた。
 すると、使い魔のほうもこのままでは勝ち目がないと悟ったのか、何本もの木が蠢き絡まりあって象ほどの巨体を作り出し、二人に向かって突進してきた。
 そこに、さやかも剣を大きくしながら飛び出していく。

「試させてもらうよ、“筋力増強(ブースト)”!」

 さやかの一太刀は、迫る使い魔の巨体を真っ二つに叩き斬った。
 二つに割れた部分はさらに別れ、犬の頭を持つ無数の触手となってさやかに迫る。
 それに呼応するかのように周囲の木々からも使い魔がさやかの背後を取ろうとする。
 だが、さやかは動じることはなかった。

「はああ、“神経融合(ブレイク)”!!」

 全方位から迫る使い魔、それがさやかにはゆっくりに見えた。
 そして剣を元の大きさに戻してそれらを一体ずつ切り捨てる。
 それはさやかの視点から見たものであって、外からはさやかが高速で動いているのが分かっただろう。
 使い魔を一掃したその姿を見て、杏子は、ヒュー、と口笛を吹いた。
 訓練で見せてもらい、実際に打ち合った技だがこうして見るとまた圧巻だった。

「流石だねえ、あんたの固有魔法、『治癒力強化』の応用。
 “筋力増強(ブースト)”と“神経融合(ブレイク)”か」

「まあね、今日身についたばかりでここまで使いこなせるとは思わなかったわよ」

 使ったさやかも不思議だったが、実際魔法少女の武器の扱いや固有魔法というのはそういうものらしいとキュゥべえも言っていた。
 武器の扱いや、魔法少女の願いに関連して使えるようになる魔法については無意識で刷り込まれるらしい。
 もともと魂の、願いの具現であるがゆえのことであり、魔女に遭遇して突発的に魔法少女にならざるを得ない状況下における救済策でもあるという。
 さやかの固有魔法は、上条恭介の回復を願ったことによる治癒魔法の強化。
 その応用が先ほど使った二つの技だ。
 魔法少女は人ではなく、肉体と魂は別である。
 その認識を持つことで、魔法少女は肉体の限界を超えた力を無理矢理使うことが可能となるが、強化された肉体とはいえ限界以上の力を使えば反動でダメージを負い動けなくなってしまう。
 しかし、さやかの魔法ならばその反動によるダメージをすぐに回復させることができるのだ。
 “筋力増強(ブースト)”は筋力を無理矢理引き出す技、“神経融合(ブレイク)”は神経を無理矢理いじって反応速度や行動速度を上昇させる技だ。
 本気で使えば体内組織の破壊や崩壊を導く諸刃の剣であり、さやかほどの治癒力がなければ使いこなせない。
 理論としては分かる、しかし、どうしてそんな応用技が自然に使えたのか、その名前がするりと出てきたのかはさやかには分からない。
 杏子との訓練で無意識に使い、一本取ったことでようやく気づいたのだ。

「まさか、こんなことができるようになったのは神野陰之の仕業か?」

 そのとき杏子はそう言った。
 さんざん色々としてきたあの魔人が、契約の場にいたあれが何かしたと思うのも無理は無かった。
 その言葉に答えるように、路地裏の暗がりから神野陰之が現れていった。

「いいや、それは美樹さやかの“願望”が呼び起こした力だよ。
 もしかしたら、いつか、どこかで、誰かが願った力か、誰かが使った力か、上手くいかなかったそれを成功させるために、受け継いでいるのかもしれないがね。
 もし、何かがそれをしたとすれば、それは私ではなく…いや、やめておこう。
 それは、“君達”の物語ではないからね。」

 くつくつと嗤いだした魔人をいぶかしげに眺めていた少女達であったが、問い詰めようとすると魔人は消えた。
 その、誰かの“願望”がよこした差出人の無いメッセージカードのように、それはもはや何も答えようとはしないのだった。



 そんなことを思い出しつつも二人は使い魔を蹴散らして結界を進んでいく。
 そして、魔女のいる場所へと到達する。
 そこは、“かつて”二人が見たのと同じ光景だった。
 白い背景に、自分すら影で覆われたかのごとく黒く見える世界。
 白い夜を黒い太陽で照らしたがごとくその光景。
 黒い日光を受けて黒檀のように黒くたたずむ自由の女神の腕の根元にさやか達は立っていた。
 その腕の先にいる祈る姿を変えない影の魔女と、その魔女が祈る先にある世界を黒く照らす赤いともし火を見つめていた。
 “前回”はさやかがダメージを省みず突っ込み、傷つきながらも魔女に達して倒した。
 この魔女自体は動かず、先ほど倒してきた使い魔や、木をその体から生やして攻撃してきていた。
 それほど速くはないが数が増えると突破するのは難しくなる。

「作戦通りに行くぞ」

「「先手必勝!」」

 杏子の掛け声と共に二人が並んで駆け出す。
 敵の動きが遅いなら横や後ろへ回り込もうとする使い魔は無視し、息を合わせた二人で前の敵を切り払い魔女へと突破する、そんな作戦だ。
 さやか一人ではずたぼろにならなければたどり着けなかった魔女。
 だが、杏子と並んで駆けることで前に敵は無く、無傷で魔女の目前に迫ることができた。
 さやかの気分は高揚していた。
 魔女から影の木が伸びるも、二人でばらばらに切り裂く。
 魔女に隙ができる。

「もらったー!」

 勝利を確信したその時、ぞわり、と祈りを捧げている魔女には似つかない怒気が二人を襲った。
 次の瞬間、魔女を庇う様に足元から巨大な影の樹が現れ、魔女を襲おうとした二人の武器はその樹へと突き刺さる。

(まずいっ!)

 杏子は深々と突き刺さった槍を抜くのを放棄し、下がって新たな槍を召喚する。

「くっ」

「さやかっ!?」

 だが、さやかは枝に捕まってしまった
 さやかの技は筋力強化による叩き斬りであるが故、より樹に近い位置で止まり、また経験の少なさが仇となり下がるのが遅れたのだ。
 その隙に枝はさやかの手足に、胴体にまとわりつく。
 枝に絡まり身動きの取れないさやかの影に魔女から影の触手が伸びる。

「さやかっー!!!」

 杏子は急いで救出に向かうものの、樹や魔女から伸びる無数の枝が変化した影の犬が邪魔をする。
 明らかに“以前”より、さきほどよりも数が多い。
 まるでその樹もまた魔女本体であるかのように、倍近い数で迫る。
 見通しが甘かったことに後悔し、半狂乱となって多節昆と化した槍を振り回すが前に進むことができない。
 影の犬は主人にどこまでも忠実に、その身を散らして盾となった。
 その間に影の触手はさやかの影に絡みつき、それを体から引き剥がそうとする。
 ブーストを掛けるも、がんじがらめに絡みつく影を振り払うことはできなかった。

(私の本当の願い、見つけられて、覚悟もできたのに、こんなところで終わっちゃうのかな…
 恭介ともっといっしょにいたかったな…)

 影を奪われたら自分はあの魔女の眷属へとなりさがる、という実感と、諦めがさやかを支配する。

(結局、突っ走って迷惑ばかりかけてばっかりだったね。
 あたしって、ほんとバカだ。 
 ごめん、まどか、杏子。
 そしてほむら、あんたには一言謝りたかったな)

 さやかの眼から涙が溢れ出す。
 だが、さやかの影が奪われようとするその時、

「『我が友の影を奪うこと能わず』!」

 突如として飛来した釘がさやかの影に突き刺さり、魔女の影を跳ね飛ばした。

「えっ」

 突然のことに呆然とし、影の支えを失ってぺたんと座りこんださやかをよそに、もう一度その声が響く。

「『汝の影を用いること能わず』!」

 その釘は魔女へと飛来し、その体に突き刺さる。
 それと同時に繰り出されていた影の使い魔は吸い寄せられるように引っ込み、あとには影の大樹を背に動けなくなった魔女だけが残った。

「間に合ってよかったわ」

 ぽかん、とする二人の前にゆっくりと現れたのは、大振りの短剣を左手に、右手 に先ほど飛んできたのと同じ釘を持ち、以前見た魔法少女服の上に黒いマントを羽織ったほむらだった。

「これは“魔呪の釘”といってね、罪人の手足を打ち付けた磔刑の釘に、闘争と破壊を統べる火星の理力を込めた、強力な魔除けよ。
 縫いとめ、封じる効果はばつぐんのようね」

 短剣を構え、警戒を崩さないながらも、さやかと杏子が無事なのを見て安堵した表情で笑う。

(『かつて一時的とはいえ神の影すら縫いとめたのだ。
  これくらいはたやすい。
  それよりも、順当に力をつけているようで何よりだ』)

(お褒めに預かり幸いよ)

 一瞬、さやかにはその笑顔が左目を酷く顰めた左右非対称なものに見えたが、すぐに元に戻った。

「ありがとよ、ほむら。
 しかしすげー技持ってるな、お前。
 これどうなってんだ?」

 身動きのできない魔女を見て、杏子が感嘆の声を漏らす。

「とある“魔道士”に師事したおかげよ。
 銃じゃああなた達にも当たってたし、引き出しを増やしておいて正解だったわ」

 あとで私にも教えてくれよ、などと杏子がほむらと話している横で、さやかは肩を落として身を震わせていた。

「なんでよ……」

 ぽつり、と座り込んだままのさやかがつぶやく。

「なんで助けてくれるのよ。
 私はあんたの警告を無視して魔法少女になった。
 それに、あんたに別れ際酷いことを言ったのに、なんでそんな顔を向けてくれるの!
 何も分かってなかったのは私なのに。
 以前、あんたの警告を聞かず魔女になった私なのよ!!!」

 さやかは以前見た記憶を思い出し悲痛な声を挙げる。
 杏子もそのいきさつを知っているが故にばつの悪そうな顔をしている。
 ただ、ほむらはさやかの手を取り、やさしく微笑むのだった。

「わたしもあなたと同じだからよ、さやか」

「えっ……」

 涙に濡れた顔を上げたさやかに、ほむらは手を差し伸べながら思いを告げる。

「実は私も大切な人を助けたいと思って魔法少女になったの。
 そしてそのために今も戦い続けてる。
 あなたが私の願望の邪魔になったことがあったのも、それを恨んだのも事実。
 けれど、私だって自分のためにあなたを見殺しにしたり、彼の腕を治す機会を力付くで奪ったこともあったのだからお互い様よ。
 それに、私だけ大切な人と一緒になれて願望が叶っても、あなただけが報われないのはさびしいじゃない。
 だから、泣くんじゃないの、あなただって大切な友達なんだから」

「ほむら…ありがとう」

さやかはほむらの手をとって立ち上がる。

「あんたも、他人のために祈ったんだな…」

 杏子はその様子を見てしみじみと言う。

「その人と一緒にいられること、それが私の幸せだったからよ。
 あなたもそうだったのでしょう。
 私たちは似たもの同士なのよ」

「そうかもな。
 なら、似たもの同士の魔法少女姉妹。
 “末の姫”と一緒に歩んでみるってのは、どうだい?
 頼りになる姉が一緒なら、どんな悲劇だって超えられると思わないか?」

 杏子がにかりと冗談めかして笑う。
 さやか一人ではボロボロになった。
 二人でもさやかはもう少しで死ぬところだった。
 けれど三人なら、こうして共に無事で立っていることができたのだ。
 ほむらも微笑む。

「ええ、頼りにしてるわ、“お姉ちゃん”」

 そう返されて、杏子は赤くなる。
 だが、そこに水をさすように彼女達の頭にしわがれた声が響く。

『小娘ども、お涙頂戴の寸劇もよいが、まず目の前の相手を片付けろ。
 いくら私が作った呪具といえども、油断は禁物ぞ』

「なに、この声?」

 さやかの問いにほむらはため息をつきながら応える。

「さっき話した“魔道士”よ。
 詳しくは戦いの後で話すわ。
 とりあえず彼の言うとおりにしましょうか。
 さやか、任せたわよ」

「うん、わかった」

 さやかの眼にはもはや弱さはない。
 ほむらとの仲直りが、最後の影を彼女の心から取り払っていた。
 そして、ゆっくりと前に歩き、樹を回りこんで魔女の正面に立つ。
 ほむらと杏子は脇で警戒を崩さずそれに従う。
 祈りを捧げる姿で固まる影の魔女に対し、さやかは優しく言う。

「あんたも、誰かのために祈ったのかな。
 それで、“あの時”の私みたいに報われずに絶望して魔女になっちゃったんだね。
 あんたには悪いけど、私達はその先に行かせてもらう。
 自分達の“願望”のためにあなたを殺していく。
 身勝手かもしれないけど、あなたに誓うわ。
 私たちは、あなたが掴めなかったものをつかんでみせるとね」

 そういうと、さやかは剣を眼前に掲げて一瞬祈るように眼をつぶり、そして剣を振りぬき、魔女の首を刎ねた。
 影の人型が崩れ、戦いの終わりを感じた。
 だが、

『小娘共、まだ終わってはおらんぞ!』

ぞわり、と背後に残っていた樹が胎動する。
 先ほどまでただの影に、魔女の使い魔に過ぎなかったはずの樹が強烈な気配とともにざわめきだした。
 そのざわめきは、魔法少女達の耳には、次のように言っているように響いていた。

 許セヌ、許セヌ!
 ワガ子ヲ、マタシテモ奪ウカ!
 貴様ラノミガノウノウト生を謳歌スルノカ!!

 そして、ざあっと空気が塗り代わり、茫、と視界が真っ白に狂った。
 影の枝には満開の桜の花、結界の自由の女神が持っていた松明は月へと変わり桜を照らし、背景は黒く塗り変わった。
 闇の中に突如現れた夜桜の雪のような白という幻想的な光景に、猛烈な敵意と恨みの気配が蔓延し、あまりにも禍々しい雰囲気を持って魔法少女達の前に立ちふさがった。



[27743] 人の為、己の為~影と桜~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/02 02:04
 桜の下、一人の少女がその身を絶望に染めようとしていた。

「どうして、こうなっちゃったのかな?」

 その手に黒ずんだ宝石を、限界を迎えたソウルジェムを抱えて。



 少女は貧しい村に住んでいた。
 子供は多く、皆食べるものにも困る有様だったが、彼女は少女らしい純粋さを持ち続けていた。

(神様、どうか、皆が幸せな生活を送れますように)

 仕事の合間にそうやって祈る少女の姿は村の名物だった。
 そんな少女の前に現れた、奇跡を起こすという白い獣。
 それを神の使いと考えるのは少女にとって当然のことだったのかもしれない。
 敬謙で清廉な少女の願いは、村の皆が日々の糧に困らないことだった。
 その国は政情不安で魔女も多かったが、少女が魔女を狩るおかげで、その村の周辺の治安にもいい影響を与えていた。
 そしてそれが幸いしたのか、ある国の団体から支援の手が差し伸べられ、学校が建てられた。
 完成のお祝いには、その団体のある国でソメイヨシノと呼ばれている桜が寄贈され、植樹された。
 その桜は、その学校が長く続くようにと、その国のある小学校を百年も見守り続けている桜からの挿し木によって生まれたものだった。
 そして、少女の願いにより生活に余裕が生まれていたその村の子供たちは学校に通うことができた。
 少女は、その桜の木の下でみんなと過ごすことに幸せを感じていた。
 やがて少女は成長し、その学校の先生となった。
 桜は枝葉を伸ばし、まだ小さいながらも春に咲き誇る花はその学校の名物となった。
 彼女は桜の前で言った。

「約束だよ。
 私はこの村の皆を幸せにしてみせる。
 もちろんあなただってその一人だよ。
 寂しくないように、この村を桜でいっぱいにしてあげるんだから。
 だから、あなたも皆を見守ってあげてね」

 動きも喋りもしない桜相手に何を勝手な、と人が見れば思ったかもしれない。
 けれど、その言葉を聞いた桜が枝を揺らしたざわめきは優しく笑うような響きを帯びていたという。



 だが、その約束は果たされることはなかった。
 病の流行だった。
 彼女の祈りでは腹は満ちても病気は治せず、戦うための魔法少女の力では自分の体は保てても友の死を止めることはできなかったのだ。
 学校と桜を寄贈した国ならば、その病のワクチンや治療薬は彼女よりも若い少女の小遣いで手に入るものだったが、結局支援が届くことは無かった。
 ただ、途上国に学校を作ったというその実績が欲しかっただけで、その後は無視を決め込んでいた。
 個人として送られた資金や医薬品はそれなりにあったものの、途中で横流しされ、子供たちの手に届くことはなかった。

 彼女は運命を呪う。
 どうしてこんなに残酷なのか。
 ただ幸せを願っただけなのに。
 あの人たちは優しい人たちだと思っていたのに。
 生きることが残酷なら、何も考えず、ただ一緒にいられる世界にいられたらと。

 ソメイヨシノは世界を恨む。
 人の独善により子が為せぬ身となった。
 例え実を宿せても、皆すぐに死んでいく。
 自らは子を為せぬのに人の子の成長を見せ付けられることは苦痛であった。
 だがこの国に来て、少女達が自分の側で笑っているのはなんともいえない心地よさがあった。
 なれど彼女達は自分の子と同様死んでいく。
 自分を生み出した国の子達は我らを好きに使いつつ、その成長を見せ付けるだけだったというのに。
 許せぬ、同じ理不尽を味わうがいいと。



 村にようやくやってきた政府の役人が、その潰れた学校で枯れた桜と彼女の死体を見つけたのはその数日後のことだった。
 桜の名は“エルザ”、少女の名を”マリア”といった。

―――――
――――
―――

 塗り替わった世界、月夜に佇む満開の桜からは深々と降る雪のごとく花びらが舞い、幻想的な風景を作り出していた。
 写真に切り取ってみれば彼女達もそう思えたかもしれない。
 だが、魔法少女達の前にあるそれからは、猛烈な敵意と、あまりにも禍々しい雰囲気しか感じられなかった。
 美しい景色そのものが強い憎悪を宿し、ずっと見据えていると魂が喰われてしまいそうな、そんな圧力を持った光景が広がっていた。
 その光景に圧倒され、魔女の変質に困惑し、魔法少女達は動くことも口を開くこともできなかった。
その間にもひらひら、ひらひらと花びらは降り積もり、黒い大地を白く染めていく。

『桜の亡霊か。
 子を失ったことがそんなに恨めしいか』

 そんな中どこからともなく魔道士の声が響く。
 その声にはっとしたように魔法少女達も我に帰って武器を構えた。

「いったいどういうこと?
 魔女は倒したんじゃないの?」

 さやかが疑問の声を上げる。
 相変わらず魔道士の姿は見えないが今はそれどころではなかった。
 花びらが広がり、どこか湿った匂いの混じった満開に散りゆく桜の下の空気が漂ってくる中の不安と畏れに比べたら、見えない魔道士と会話したほうがましだった。
 その疑問に魔道士は答えた。

『巴の小娘の時と同じよ。
 こやつらの場合は融合しているのでなく、同居や共生といったものだな。
 哀れな桜を魔女が救済したのか、子を欲しがる桜が魔女を取り込んだのか。
 はてまたこの魔法少女を子と思っていたのか…』

「倒すべき相手が2体いたということは分かったわ。
 それであいつを倒すにはどうすればいいの?」

 ほむらが桜を見て考え事を始めてしまった魔道士を遮る。
 侵食を続ける地面の白と、奥に重々しくそびえる桜を前にしてはうかつには手を出せなかった。
 木の一本や二本を吹き飛ばすだけの火力は持っているが、相手の能力で取り返しのつかない事態が起こることを恐れていた。
 もはやこの時間軸においてほむらは手放せない物が増えすぎていたのだ。
 そのほむらの葛藤を楽しんでいるのか、魔道士はくつくつという笑いを漏らして言った。

『まあ焦るな。
 順に説明してやろう。
 この桜、染井吉野は子を為せぬ。
 これらは皆接木によって増やされた同じ一本の木に過ぎぬ。
 同じもの同士では子はできぬから、こやつらには生物にとって当然の子孫を残すことができん。
 人により歪められた種が、人の子の成長を祝うために学びやに植えられ、人の子の育ち行く姿を見せ付けられる。
 そのようなことをされて、人を憎む桜が出てきたところで誰が責められようか?』

「っ……」
「そんなのって…」

 桜にそんな残酷な運命があることを知らなかったさやかと杏子は、動揺を隠せなかった。
 それまで意にも介さなかった事実、けれど知ってしまうことで、共感してしまうことで、その刃は鈍った。
 ほむらは、無言で歯を噛み締めていた。
 ほむらは桜を責められなかった。
 まどかを永遠に失ってしまったのなら、親しい人と過ごす他の人々を見ているうちに、この桜と同じようなモノになっていただろうから。
 つい下を向いてしまったほむらの首が、彼女の意に反して急に杏子のほうへ捻られた。

『だから、桜は人の子を攫う』

 振り返った先には、波があった。
 深々と降りつもった凄まじい量の花びらが、まるで川になって水が流れだしたように、あるいは昆虫の群れが一斉に獲物を襲うように杏子に押し寄せていた。
 杏子ははっとして飛びのくも、横に広がった“川”に右足を乗せてしまい、とぷん、とその足が沈んだ。
 そこで時が止まった。
 まるで水面に一面に浮いた花びらの上に立ってしまったようにバランスを崩した杏子をほむらは引っ張り出す。
 必死だった。
 あの水面に落ちれば、沈んで二度と帰れないのだと確信していた。
 静止から戻った世界で、“川”は波が引くように戻っていく。

「あ、ありがとう、ほむら」

 杏子はぎこちなく言う。
 杏子も一瞬自分の最期を確信してしまったのだった。
 少女達はほっとするも、もはや桜の周りは花びらで埋め尽くされ、池と言ってもいい情景になっていた。
 花びらの池はひたひたと広がっていく。
 それは美しく、また絶対的な死地でもあった。
 飛び込んでも武器を投げても、使い魔の姿の時のように枝で池に落とされたら終わりであり、爆弾などで花びらが飛んだら相打ちになりかねない。
 手のうちようがなくなりじりじりと後退するほむら達に、魔道士が告げた。

『橋をかければよいではないか。
 妖物は鉄を忌む。
 それが木なればなおのこと、金剋木、効果は確実だろうな』

「あの釘はそんなに持ってないわよ」

 ほむらが反論するも、魔道士は怒声で返した。

『たわけが!
 あれほどの呪具をただの足場なんぞに使い捨ててたまるか。
 それに鉄なら沢山持っておるだろうが』

「あれだって使い捨てるにはもったいない価値があるのだけれど…」

 そうほむらは文句を言うが、桜の絨毯はその面積を広げていく。
 広がるにつれ蓮の花が咲くように、ぷかり、ぷかりと子供の頭が浮かんでいく。
 それぞれが虚ろな目で、寂しそうな目で、懇願する目でほむら達を見つめてくる。
 ぞっ、と少女達の背に悪寒が走った。
 それは桜に攫われた子供だった、約束を果たすべく手放さんとする子供だった、魔女の願望が救済した子供だった。
 桜の池に浮かぶ無数の頭部に見つめられ、さやかと杏子も桜の水面に合わせてじりじりと後退していく。
 子供達の目に動揺してしまい、それが精一杯だった。
 それを無視し蹴散らして攻撃するには彼女達は優しすぎ、マミのようにそれに手を伸ばすには未練がありすぎた。
 その状況を見たほむらはあきらめたように盾から目的のものを取り出すべく手を伸ばした。

『間違ってもパンなど出すなよ』

 魔道士が茶化す。
 流石のほむらもそんなものまでは中には入れていないのだが、その言わんとしていることはすぐに理解した。

「分かってるわよ。
 水を渡るためにパンを踏んだ女の子は地獄行きなのでしょう」

 それはアンデルセンの童話の一つ。
 泥水を汚れずに渡りたくてもらったパンを足場にした傲慢なインゲルは底無し沼へ沈んで地獄へ行くというものだ。
 桜の絨毯もまた水面である以上、そこでパンを踏むのは致命的だろう。
 けど、それが今の状況とどう関係するのか、と聞き返そうとすると先に魔道士が話し始めた。

『正解だがそれだけではないぞ。
 パンはキリストの肉体を表し、生命の象徴でもある。
 ほれ、そこらじゅうにパンが浮いておるではないか。
 お仲間が子供を足蹴にするような人でなしでなくてよかったな』

 くつくつと笑う魔道士の声は、さやか達にも聞こえるような大きさで、その声にぎょっとして二人は足を止める。
 身構えていたところを見ると、焦って特攻することを考えていたのかも知れない。
 その様子を見てほむらも冷や汗を垂らし、さらに広がる早さを増した桜の水面に盾から取り出した物を撒き散らした。
 それらは花びらの上に乗っても沈むことはなく、水面に足場が出来上がった。
 時間停止を使い、さやかと杏子の足元にも同様の措置を施す。

「そこには桜はよってこないから安全よ。
 しばらくそこで待ってなさい」

 時間停止を解除して二人に言うと、ほむらは桜へと橋をかけるように同じ事を繰り返していく。
 がちゃり、がちゃりと無骨な音がして道ができていく。
 銃や剣、ナイフを敷き詰め道を作り、業を踏みしめ先へ進む。
 おおおん、と風の唸り声のように桜が軋み、子供達は憎しみの目を向ける。
 ほむらは知らなかった。
 この魔女と桜がこの国へ来るまでの間で“救済”した子供の中にはその“橋”の材料と同じものによって命を奪われた者や、家族を奪われ死を待つばかりだった者が多くいたことを。
 最も知っていたところで、彼女が歩みを止めることはできないのだが。
 桜は憎しみの声を挙げてその枝を伸ばすが、銃弾に撃ち抜かれ打ち払われる。
 子供達もそれを遠巻きに見つめることしかできない。
 そして、ほむらは木の根元にたどり着く。
 魔呪の釘と金槌を取り出し、一瞬、ごめんなさい、と言いそうになったが、そのまま無言で釘を桜へと打ち込む。
 何度も、何度も打ち込む度、桜は悲痛な叫びをあげ、子供達は血の涙を流して沈んでいく。
 そして、とどめを刺そうともう一本の釘を手に取ったところで、

「ほむら、後はまかせろ」

と言う声と共に、“橋”を通って杏子とさやかが走ってきた。
 いくらほむらだって悲痛な叫びと、沈んでいく子供達を見て堪えないわけがないのだ。
 その背中を見て二人は走り出していた。
 ほむらだけに辛い役を負わせるわけにはいかなかったのだ。
 そして、ほむらがふりむくと同時にその横をすり抜け、桜を両側から貫いた。
 貫かれた桜はまるで磔刑の罪人か、または人々を救おうとした聖人のような、そんな風に見えた。

(釘を打ち込まれ、磔刑に処されるべきは私達の方なのでしょうけどね)

 二人に救われて心が少し楽になるが、救われてしまったが故に、桜の断末魔を聞きながらほむらは思う。
 それに、他の二人には聞こえないようにその心中に答えるものがあった。

(『だからといって、止めるつもりはないのだろう。
  儂も止めるつもりなどはない。
  それに儂らを裁くのは誰だ? 神か? 被害者か?
  神ほど無慈悲で裁かれるべき存在を儂は知らんし、被害者はすでに儂らの世界樹に吊るされて物も言えん。
  貴様が世界樹に飲まれて消えようとも関係ない。
  裁く資格があるとすればそこの小娘どもと…あの小僧だけだろうな。
  あやつの親友と恋人の姉を失う原因を作ったのは儂なのだからな』)

(もちろん、止めるつもりはない。
 どこまでもその十字架を背負って生きてみせるわ)

(『まずその前に守りきることだな。
  吊るされた彼女らに申し訳が立たなくなるだろう。
  それに、美樹さやかもまた“梨”を取る資格を持ったのだぞ』)

 それにほむらは決意を持って答える。

(もう、誰も奪わせはしないわ。
 魔女にも、貴方にもね)

 二人の会話の終わりと共に、断末魔もまた終わりを告げた。
 戦いが終わり、結界が消えてゆく。
 恨みも未練も絶望も、愛しさも優しさも約束も、全て等しく死と共に霧散していく。
 残ったのは、3人の魔法少女の姿だけだった。



[27743] 人の為、己の為~人魚姫の結末は遠く~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/09/02 02:11
 桜が消えていく。
 断末魔を残し、満開の花を悲涙のように落として消えていく。
 武器を突き刺し、それを眼前で見ていたさやかと杏子は消えゆく影の中に見た。
 木というほとんど動けぬ体を失い形を失いつつある影が、沈んでいく子供たちに手を伸ばそうとするように枝だった場所を伸ばしているのを。
 消える一瞬、二人は憎悪ではなく、桜の下で笑いあう子供達の姿を見た。
 その中で一番年長の少女は、あの、影の魔女にそっくりだった。



 魔法少女達は再び元の建設現場にいた。
 人気はなく、夜の風が身にしみる。
 最後に見たもののせいで、さやかも杏子もやりきれない顔をしている。

「……これでよかったのかな……」

 さやかがぽつりとつぶやいた。
 魔女は倒さなければならなかった。
 けれどあの桜から子供達を奪い、殺したのは本当に正しかったのだろうかと。

「これでいいのよ。
 あれが子供達を大切に思うモノなら、子供達を襲う魔女になってしまった悲劇から解放してあげないといけないもの。
 魔女は願望の抜け殻、狂ったレコードのように同じことを繰り返すことしかできないのだから」

 それに背後からほむらが淡々と答える。
 ほむらとて内心やりきれないところはある。
 守ろうと、手放すまいとするあの魔女と桜の姿はほむらにも重なるものだからだ。
 だからといって狂ってしまった願望の亡骸を放置するわけにもいかないし、自分の願望のために敵を排除する業の道を歩くことはすでに決めたのだから。
 さやかも杏子もほむらの言うことは正しいと理屈では判っていた。
 それに“見て”魔女が何者かというのを知ってなおこの道を歩くと決めていたのだ。
 それでもやりきれなさは残る。
 願いの果てに待つのは幸せではなくほとんどが絶望であるというのは魔女の数と種類を見れば明らかだ。
 この影の魔女のようにささやかで美しい願いも叶わないこともある。
 だが最期は、あの光景のように昔に返って一緒に安らかに眠れたのであってほしいとそう願いたかった。
 3人ともそう思っていても、口に出せば自分勝手な言い分になりそうで、静かな沈黙にそれぞれが思いを馳せた。



 しばらくの間無言だった彼女達だが、このまま帰るわけにはいかなかった。
 特にさやかには、言わなければならないことがあった。
 だから、沈黙を破ったのはさやかだった。

「ほむら、助けてくれてありがとう。
 そして、えーと“魔道士”さんも」

 ほむらに礼を言った後、さやかはあたりを見渡しながらも魔道士に礼を言う。
 てっきり魔女空間のごちゃごちゃにまぎれて隠れているのかと思っていたが、結界が消えた今でも姿は現さないのが疑問だったが、取り合えず言っておく。

「『どういたしまして』」

 ほむらの口から、少女と老人の声が重なったような響きで返される。
 その現象にさやかと杏子は驚き後ずさる。

「何だ今のは?
 それにその“魔道士”とやらはどこだ、もう出てきてもいいだろ?」 

 杏子がつっこむ。
 戦闘中はともかく、こうなってはそろそろ明らかにしてほしい。
 周囲を警戒する二人の少女を見て、ほむらはにたり、と笑うと答える。

「ここよ」

「どこだって?
 キュゥべえみたく他の人には見えないのか?」

 いぶかしげな杏子に、ほむらは続ける。
 その表情はマジックの種明かしをするかのようにどこか楽しんでいるようだった。
 そして自分の体を指差して言う。

「だからここ、私の中よ。
 私の魂がこっちに移ったからね、力を借りるために間借りさせているのよ」

 そう、自分のソウルジェムを取り出して言う。

『人使いの荒い大家よ。
 敷金礼金代わりとばかりにここまで働かされるとはな…』

「一月目というのは色々と掛かるものなのよ」

 ほむらの言葉と老人の声が交互に聞こえる。
 目を白黒させる二人を前に、ほむらは顔を引き締めて左目を酷く歪め、すうっ、と息を吸うと老人の声が響かせた。

『改めて名乗ろう、我が名は小崎魔津方。
 永遠と知識の探求を求めて、異界の物語となったものだ。
 君らの知る神野陰之とは異なり、未だ“人間”としてその願望を追い続けるものだ。
 人の魂にて神を超えて見せるものだ』

 急に変わった顔と口調の変化、そして名乗りにこもる力は眼前の二人の魔法少女に刻み込まれ、強烈な印象を与え、それに敬服の念を覚えそうになったが、

「そう言っておいて、神野陰之に挑んで負けたじゃないの。
 しかも復活のための魔道具も全部回収されちゃって、ただずうっと異界の木にぶらさがっていただけじゃない。
 私が神野からあなたの物語を聞いて訪れなければどうしていたつもりなのかしら?」

ほむらが水を差したせいで名乗りの印象は霧散してしまった。
 さやかや杏子の経験から想像するにあの神野陰之に挑んだというのはすさまじく、人でありながら異界の住人になることはおぞましいものであるはずだった。
 だが、結果だけ見ればどこか情けないうえ、ほむらのなじるような口調がそれを感じさせない。
 水を差された魔津方は、どこか疲れたような声でそれに答えた。
 
『感謝しておるからこそ、ここまで協力しているのではないか。
 戦闘用が中心とはいえ、一ヶ月で貴様をここまで育てる師の苦労に気を配れ』

 ほむらが体を得体の知れないものに貸し与えているという忌避される印象は、どこかとぼけたやりとりによってさやかと杏子の中から次第に薄れていった。



「でも、私全然駄目だな。
 あそこまで啖呵きって魔法少女になっておいて、この程度だもん。
 ほむらにも杏子にも迷惑かけてばっかりだし」

 張り詰めた空気が弛緩し、夜の静けさと冷たさが戻ってきた場に、さやかがつぶやく。
 その弱音に答えたのは意外にも魔津方だった。

『驕るなよ小娘。
 一番若い者に抜かれるようでは我らの立場がなくなるわ』

「でも…」

 さやかもそれは判っていた。
 だが、彼我の間にある差に引け目を感じるその気持ちにそうそう整理はつかないのだ。
 言いよどむさやかに魔津方は告げる。

『なに、末子というのも悪いものではないのだぞ。
 “末子”とは神に愛されるモノ、成功を約束されたモノなのだ。
 3匹の子豚しかり、奈良梨取りの兄弟しかり、古今東西の物語において上の兄弟が掴めなかったものを手に入れる。
 この物語、あの“孵す者”によって生まれた魔法少女の末子は貴様だ。
 姉達が願い、失ってしまったものにお主は手を伸ばしているではないか。
 こやつらは梨の実こそ取れなんだが、沼の主から逃れてお主を支えてくれる。
 なれば、今のお主にできずして他の誰にできようか。
 “梨の実”たる儂が言うのだ、間違いは無い』

 不安を打ち払うがごとき力強い言葉。
 言葉こそ魔法の本質。
 その言葉は暗示となってさやかを後押しし、その表情から弱気が引いていく。
 流石だ、とほむらは思う。
 これまでの時間軸では届かなかった自分の言葉、だから言葉を捨て、力に頼ってきた。
 けれどこの魔道士は、言葉の力を教えてくれた。
 だから自分も、今度は言葉でと思う。
 そして告げる。

「そうよ、私も杏子もあなたの味方なんだから。
 一人でなんとかしようとせず頼りなさい。
 あなたに幸せになってもらわないと立場が無いわよ。
 幸いグリーフシードのあてはあるんだし、遠慮することは無いわ」

 杏子も続ける。

「そうだぜ、さやか。
 ちっとは信頼してくれてもいいだろう。
 戦いのほうもばっちり鍛えてやるから安心しなよ。
 ブーストにブレイク、あれを使いこなせればいいところまでいけるだろ。
 むしろあれはあたしが教えて欲しいくらいだしね」

 その言葉に、さやかは力強く答えた。

「ありがとう、魔津方さん、ほむら、杏子。
 これからも苦労かけちゃうかもしれないけど、よろしく」

 そして差し出された手を、ほむらと杏子はとった。
 手を合わせ、三人の少女は微笑みあう。

「言い忘れてたけどこいつをあまり信用しちゃ駄目よ。
 こいつの復活、体乗っ取りの儀式には末子が必要だからね。
 弱気でいると体を乗っ取ろうとしてくるわよ。
 貴方は前科があるし、落ち込むとあっさりやられるかもしれないわね」

 ほむらが笑いながら言うと、さやかがぎょっとして後ずさった。

『そうさせる気など毛頭ないくせによく言うわ。
 そんなことをすれば私が先に滅ぼされてしまうぞ。
 まあ、せいぜいお主もこの小娘共も死なさぬことだな。
 抜け殻の体だけはもらってもいいことになっているからな』

「よぼよぼのおばあちゃんの体でよければね」

 さやかの反応と、魔津方のため息が聞こえるような声を聞いてくすくす笑いながら答えるほむらに、魔津方の声はぶつぶつと、若返りでも研究するか、とつぶやきながら小さくなり消えた。
 それと同時に、ほむらも少し疲れた顔でため息をついた。
 そんなやりとりを呆然と眺めていたさやかと杏子だったが、魔津方が引っ込んだ様子なのを見て杏子が聞く。

「なあ、その…大丈夫なのか?…あれ」

 それにほむらは答える。

「まあ、ね。
 ソウルジェムが砕けたら彼に体を渡す代わりに、普段は私に主導権があるわけだし。
 私は彼の意識を封じ込めることはできるけれど彼にはできないしソウルジェムに危害を加えることもできない、そんな契約なのよ。
 そうじゃなかったら男の意識なんてこの体に入れられるわけないじゃない」

「ほむらも女の子の意識があったんだ」

 そんな話の流れを切るようにさやかがぽろりと漏らす。
 そんなさやかをほむらはぎろりと睨む。

「あなたに言われたくないわね、美樹さやか。
 どういう意味か教えてもらえるかしら」

 怒気をたぎらせながら瞬時に取り出した拳銃を向けるほむらに、さやかは後ずさりながら答えた。
 サイレンサーがついているあたり徹底している。

「い、いやー、そんな銃の扱いとか、さっきの颯爽とした登場とか、さ。
 女の子っていうよりはなんていうかコマンドーっぽいなーって」

 今にも銃を撃とうとするほむらを見てそう言うとさやかは逃げ出す。
 ほむらも追いかける。
 さやかの一言によって雰囲気が崩れてしまったが、そんな二人を見ながら杏子は思った。

(まあ、なんとかなるだろ)

 ほむらと魔津方のやりとりを見ていると、小さいとき死んでしまったおじいさんを思い出す。
 あの二人はどうにもおじいちゃんと孫という感じに見えたのだ。
 何かあっても自分達が支えればいいだろう。
 もっとも、さやかがああだと愚痴は全て自分が聞くことになるんだろうな、と杏子は苦笑した。
 まったく面倒のかかる“妹達”だな、とそのつぶやきは幸い喧騒にかき消されて誰の耳にも届くことは無かった。



 さやかを打ちのめしたほむらの顔はすっきりしたものだった。
 さやかもこの顔を思い出せば心配はあまり浮かばないだろう。
 最もすでに治ってはいるが銃弾を二、三発ほど食らっているので心配する心が残っているのかどうか疑問だが。
 杏子はやれやれと苦笑すると、放置されたままだったグリーフシードを拾って二人の下へと向かった。
 そして、その夜はグリーフシードで魔力を、最後に無駄使いしたぶんも含めて回復させて少女達は帰路へとついた。





 その夜から数日後のことである。
 ほむらは、目の前で蠢く二つの肉塊を眺めていた。
 だらり、と投げ出された腕の先で五指が芋虫のように蠢いている。
 机の上をごろり、と転がった頭の一方からぶつぶつと意味を成さない声が響いていた。
 もう一方はその表情を見せず、浜辺に打ち上げられた海草のような髪が揺れている。
 それは、“なりそこない”だった。
 その、肉塊の一つが声を挙げた。

「結局……」

 それにもう一つが答える。

「二人とも……」

「おあずけですのねー」

 その“なりそこない”達の名は、美樹さやか、志筑仁美といった。



 あの後、さやかは以前の時間軸と同じく上条恭介への思いを打ち明けた仁美に正面から向かい合った。
 “以前”と同じ1日だけ待つという仁美の申し出に対し、さやかは正々堂々と同じタイミングで告白することを提案した。
 その結果が、目の前にいる、想い人と恋人に“なりそこなった”二人だ。
 喫茶店のテーブルにだらしなく突っ伏して蠢く二人を、ほむらは憮然とした表情で眺め、隣にいるまどかも苦笑いで見守る。
 恭介の答えは、概ね次のようなものだったという。

「僕は音楽だけを思って今まで生きていた。
 けど、それで、本当に“大切”なものがなんなのか考えたことが無かった。
 なさけないことに、君達の好意にも気づけなかったんだ
 だから、その音楽以外の“大切”が分かるまで、答えは少し待って欲しい」

 臭い台詞を言うものだ、とほむらは思う。
 だが、彼の言う“大切”を、彼同様一つのことへの執着から見失っていたのもまた事実であった。
 その言葉を茶化す資格はないことを実感していたから口には出さない。
 まどかもまた、それを茶化すほど野暮ではなかった。

「ふふふ、でも、恭介がやっと気持ちに気づいてくれたんだ。
 あとは、幼馴染の強さってのを見せつけちゃいますよ」

「あらあら、こういったシチュエーションでのメインヒロインは、後からやってきた美少女と相場が決まっているものですわ」

 二人は少しづつ回復してきたようだ。
 くずぐずと崩れたような姿から、幽鬼のようにゆらぎながらも体を起こし、不気味に笑いあっている。
 けれど、そこには絶望といったものは感じられなかった。
 意気込みが外れて気が抜けた状態というのが正しいのかもしれない、どこか二人はそれを楽しんでいるような雰囲気すらあった。
 間に挟まれる自分達、特にまどかは大変だろうな、と人事のようにほむらは考える。
 そして、何故か知らないが上条恭介すら精神的に成長したこの時間軸でこそ、この大切な友達と共に乗り越えたい、いや、乗り越えてみせると決意した。

 ほむらが思考に没頭している間、まどかは女の戦いへとヒートアップしそうになる二人を止めようと必死になっていた。





「まだちょっと話し足りないですけど、お稽古の時間なのでまた今度。
 さやかさん、どうなっても恨みっこなしですわよ」

 まどかの努力が功を奏し、女の戦いにまでは到らなかったものの、お互い言いたいことを言い合ったためかすっきりした顔で仁美が去っていく。

「分かってるって。
 私達は親友でもありライバルさ」

 こちらも完全に復活し、すっきりした顔のさやかが親指を立てながら答える。
 だが、それに付き合わされた二人、特にまどかは疲れた顔で別れを告げた。
 仁美が去っても彼女達は席を立たない。
 仁美が見えなくなると、その空いた席にどかりと腰をおろした影があった。
 その影は開口一番こう言った。

「どこまでも難儀だねえ、さやか。
 坊やが欲しけりゃ、相手にかまわずもっとがつがつ行けばいいのにさ。
 それだけの権利を持つだけの対価は払っただろ」

 その影、佐倉杏子は近くの席でパフェを食べながら話を聞いていたのだ。
 なぜ彼女がここにいるのか、というとほむらが話があって呼んでいたためだ。
 だが、当初予定になかった仁美とさやかの相手をするためにテレパシーで連絡を取り合い別の席へ行ってもらっていたのだ。
 食べかけのパフェを片手に、やれやれといった表情でさやかを見つめる杏子に、さやかが返す。

「しょうがないよ。
 どうなったって、私は私、この性格のままいくしかないのよ」

 そう答えるだろうことは杏子には分かっていた。
 だからこそ、表情だけでなく口でもやれやれ、と言って話を続けた。

「ま、あんたがどこまでもそんな奴だっていうのは分かってるけどさ。
 これ以上口を挟むようなことでもなさそうだったしねえ」

 そう言うと、パフェをまた一口ぱくりとやり、次はほむらを見つめる。

「で、ほむら。
 あんたの用はなんなんだ?
 この恋愛模様を見せるためだけかい?」

「どうなるか気にしてたと思って」

 その疑問に表情を変えずほむらはさらりと返す。

「ま、まあ気になってたけどさ……」

 杏子はちょっと赤くなり、それを聞いたさやかの表情がうれしそうに変わるのを見てさらに赤くなり、照れ隠しのように声を荒げる。

「ってほんとにそれだけかよ!」

「冗談よ」

 ほむらは真顔で答え、杏子ががくりとうつむく姿を見てくすくすと笑う。
 その笑顔と、ころころ変わる杏子の表情を見てまどかも楽しくなり一緒になって笑う。
 そこでさらにさやかが杏子をからかい、一通り三人が杏子で楽しんだあと、ほむらは急に真剣な顔になって本題を切り出した。

「集まってもらったのは、ちょっとした事前通告よ。
 私の秘密を全部話す時が来たの。
 次の土曜日のお昼過ぎ、私の家に来て欲しい。
 この場で話すには長すぎるし、私のほうの準備もあるから今日は話せない。
 けれど、色々とあるから、心の準備だけはしておいてほしいと思ってね」
 
 ちょうど西日が差込み、急に空気の変わったその空間で、真剣な顔でそう宣言したほむらを見て、3人の少女はごくり、とつばを飲んだ。



 人魚姫の結末は遠のき、その物語とは違う道へと少女達は歩き始めた。
 しかし、もう一つの暁美ほむらの物語、この物語はいよいよ終幕へと差し掛かる。




[27743] 魔法少女と魔道士~魔法少女の夢~
Name: ふーま◆dc63843d ID:66110c7e
Date: 2012/08/26 17:01
「ちょっと買いすぎちゃったかな?
 パパのお弁当もあるのにね」

 お菓子や飲み物がたっぷり入った袋を持ってえへへ、と笑うのは私の親友、鹿目まどかだ。
 天気は青空にぷかりぷかりと雲が泳ぐいい天気、気温もぽかぽか。
 この町にあるちょっとした桜の名所である公園へとてくてくと歩いていくのは私たち二人。

「張り切りすぎよ、まどか。
 まあ、まどかなら残さず食べれそうだけどね」

「ひどいよほむらちゃん」

 からかうと頬を膨らませて抗議するまどかは、怒っているのに可愛らしい。
 冗談よ、と言うとまどかも不満そうだが許してくれた。
 そのまま学校のことなどとりとめのない話をしながら道を歩く。
 公園までの道はあっという間に感じた。

「着いたよ、ほむらちゃん。
 どうかな、この見滝原公園の桜は。
 私はこれが大好きなんだ」

 そう、振り向くまどかの背後には、一面の桜の木。
 ちらほらと花見客がいるが、やかましくもなくのどかだった。
 そこに二人でシートをしいて、お弁当やお菓子を並べていく。
 後からさやか達も来るから場所は広めに取る。
 彼女達といるのも楽しいが、まどかと二人きりの時間が欲しくて買い出しと準備の係に手を挙げたのは内緒だ。
 幸せだ、本当に幸せだ。
 一緒に桜を見に行こう、そう約束して今日こうしてまどかと一緒にお花見に行けるなんて。
 1年前のこの時期、桜は病院の窓から見下ろすだけの色褪せたカレンダー替わりのものにすぎなかったのに、同じものがこんなに輝いて見えるなんて。
 満開の桜と、それと同じ色の髪を持つまどかの満面の笑みを見て、胸がいっぱいになっている私に彼女は不思議そうにこう言った。

「どうしたの、ほむらちゃん?」
 疲れちゃった?」

 私は少し恥ずかしかったけど、そんなまどかの気遣いが嬉しかった。

「ううん、体が悪いとかじゃないの。
 ただ、ずっと入院してたから、こんなこと初めてで……」

 そう、言っている途中に恥ずかしくなってしまって、俯いた顔から出る声は尻すぼみになってしまう。
 そんな私に、彼女は優しく言うのだ。

「うれしいな、ほむらちゃんの初めてを一緒にやれて。
 これからもいっぱいいっぱい一緒に思い出を作ろうよ。
 私ももっともっとほむらちゃんと一緒にいろんなことをしたいな」

 そう言われて、その笑顔を見て答えようと顔を上げた。
 すると、まどかの後ろに木から何かがぶら下がっているのが見えた。
 つい、そちらに目を向けてしまう。
 そこには、花見の場に場違いな老人の首吊り死体が揺れていた。
 ぎい、ぎいと揺れる音が呆然とする頭に響く。
 周りの人は気づかないのか、と見ると、人はすべて影に塗りつぶされたように黒いヒトガタになっていた。
 その中でまどかだけが変わらず笑っている。
 つい後ずさり、シートの外に広がる桜の絨毯へと足を載せてしまう。
 すると、そこの見えない池に落ちたかのように、どぷん、と体が沈んだ。
 どこまでもどこまでも、下へ下へ、黒い水底へ沈んでいく。
 まどかの姿がどんどんと遠ざかり小さくなっていく。

「待って、まどか!」

 手を伸ばしても届かない。
 この手には、蜘蛛の糸の一本も掴めはしなかった。
 ああ、そうか、そうだった。
 あの光景に、私はまだたどり着けてはいないのだった。
 私とまどかが二人で、桜の季節を迎えられたことなんてなかったのだ。
 いつもまどかは、私を置いていなくなってしまうのに……



 落ちていく、沈んでいく、どこまでも、どこまでも、始まりへと。
 心の深淵へと、二人が出会ったあの日へと。






「あ、あの、暁美…ほむらです。
 ど、どうかよろしくお願いします」

 私は、心臓の病気による長い入院生活を終えて中学校へと戻った。
 この見滝原の病院の最先端の医療で、私はようやく日常生活を送れるまでに回復していた。
 ただその代償に、もともと住んでいた羽間の町を去ることになり、数少ない知り合いとも離れることになった。
 親も転勤で一緒に住めるようになるのだが、その引き継ぎなどが忙しく1ヶ月は一人暮らしになる。
 まだ体が弱く病院のそばからは離れられず、子供心にも両親が自分の入院費に苦しんでいるのが判っていたから文句は言えなかった。
いや、この頃の私はそもそも人に何か言う事などはできなかった。
 入院で周りに迷惑ばかりかけているのが心苦しくて、弱い自分が嫌で、いつもおどおどしていた。
 入院生活で伸びるに任せた髪は野暮ったい三つ編みで、嫌な世界からファンタジーの世界に逃避して気づいたら目も悪くしていた。
 だから、話しかけてくる同級生に何も返せず、ただおどおどするだけだった。
そんな私を救ってくれたのは、一人の少女だった。

「暁美さん、保健室行かなきゃいけないんでしょ、場所分かる?
 私、保健委員なんだ、案内してあげる」

 それが、鹿目まどかとの出会いだった。

「私、鹿目まどか。
 まどかって呼んで。
 だから私も、ほむらちゃんって呼んでいいかな?」

 彼女はこんな惨めな私にも優しく声をかけてくれた。
 そして、初めて名前を読んでくれる友達になってくれた。
 そして、名前負けしていると思っていた私の名前をかっこいいと言ってくれた。

「だったらさ、ほむらちゃんもかっこよくなっちゃえばいいんだよ!」

 そう笑顔で言ってくれて、とても暖かい気持ちになれた。



 でも、そうすぐになれるわけがなく、授業では当てられても答えられず、体育では準備運動で倒れて皆に迷惑をかけてしまった。
 とぼとぼと一人帰路につく。

『だったらいっそ死んだほうがいいよね』

「死んだほうがいいかな」

『死んでしまえばいいんだよ』

 どこからか聞こえる声に、本当に死んでしまおうかと思った時、気づけば見たこともない場所にいた。
 空は赤く、白いクレヨンで乱雑に書いたような渦がまき、足元は教科書の写真で見たことのある歪な絵画、目の前には地獄の門のような物がそびえていた。
 そこからゾンビのようなヒトガタが私に迫ってきた。

(死にたくない)

 そう思った時、突如飛んできた銃弾と光る矢がそれを打ち払った。

「もう大丈夫だよ、ほむらちゃん」

 そして、それを放ったのは黄色い巻き毛の少女と、鹿目まどかだった。



 そして、私は黄色い巻き毛の少女、巴マミの家に招かれて話を聞いた。
 鹿目まどかと巴マミが魔法少女だということ、キュウべえと契約したこと、あの怪物が魔女と呼ばれ、彼女たちがそれと戦っていること。
 私は聞いた、怖くないのかと。
 すると、まどかはこう答えたのだ。

「平気ってことはないし、怖かったりもするけど魔女をやっつければそれだけ大勢の人が助かるわけだし、やりがいはあるかな」

 まどかは幸せそうで生き生きとしていた。
 私もそれに憧れた。
 ワルプルギスの夜という巨大魔女がもうすぐ来るらしく、私が魔法少女になることは認められなかったが、私達は秘密を共有する友人だった。
 自分を認めてくれるまどかと、一緒にいられることが幸せだった。
 3人で、魔女探しのついでにあちこちで遊んだことは私にとって初めての体験でとても楽しかった。
 そして魔女との戦いは常に危なげない勝利で、このまま、ワルプルギスの夜相手にも、物語の魔法少女達のように勝利できると、何の疑いもなく信じていた。


 けれども、一緒に見た夢は、あっけなく、そして儚く終わってしまった。
 まどかと私は、横たわるマミの死体を呆然と見つめていた。
 街を襲ったワルプルギスの夜に立ち向かったものの、敵の強さは想像以上だった。
 火を吹き付け、烈風を巻き起こし、ビルを巻き上げて飛ばしてくる。
 マミとまどかの攻撃は当たってはいた。
 だが、その猛攻を経てなおワルプルギスの夜はまるで動じることなく宙に浮き続け、破壊の限りを尽くしていた。
 そして、ビルを避けきれなかったまどかをリボンで救ったマミを、暴風に乗った飛礫が襲った。
 かろうじて首をひねって頭への直撃を回避するも、その礫はマミのソウルジェムをかすめ、砕いてしまった。
 脳も、心臓も無事で、出血もなかった。
 だが、マミは死んでしまった。
 ソウルジェムの真実の一旦を知ったのはこの時だ。
 だが、それでもまどかは絶望しなかった。

「……じゃあ、行ってくるね」

「そんな……巴さん、死んじゃったのに」

「だからだよ。
 ワルプルギスの夜を止められるのはわたしだけしかいないから」

「無理よ……勝てっこない! 逃げよう?
 誰も鹿目さんを恨んだりしないよ」

 私は必死にまどかを止めようとした。
 ワルプルギスの夜にダメージはあると信じたかったが、それは致命傷にはほど遠いことは明らかだった。
 まどかの迎える結末は考えなくともわかった。
 だが彼女は笑ったのだ。

「ほむらちゃん、あなたと友達になれて嬉しかった。
 今でも自慢なの、あの時、あなたを救えたこと。
 私、魔法少女になって本当によかったってそう思ってるんだ」

 もうだめだと思った。
 それでも引き止めた。

「嫌、行かないで」

 涙でぐしゃぐしゃの私を彼女は置いていくのだ。

「さよなら、ほむらちゃん」



 まどかが死んだときに、私は激しくとまどい、動揺し、現実をなかなか受け入れられなかった。
 あの病院を出た私にとって、彼女だけが全てだった。
 色褪せた世界に光を与えてくれたのは彼女だった。
 他の誰が死んだとしても、私が死んだとしても彼女に生きていて欲しかった。
 もう私には何も残ってはいなかった。
 あまりにも混乱したから、自分が悲しいのか、それとも共に戦わなかった自分を憎んでいるのか分からなくなってしまった。
 今でもどっちだったのかは分からないのかもしれない。
 けれど、弱い自分を憎んでいたのは確かだったのだろう。
 なぜなら、そこに現れたキュゥべえに、こう願ってしまったのだから。

『私、鹿目さんとの出会いをやり直したい。
 彼女に守られる私じゃなく、彼女を守る私になりたい。』


 
 ……彼女の蘇生を願わなかったのは、皆を守るという彼女の願望の崩壊を見たくなかったから、と綺麗事を言うことはできる。
 けれど、この願いはどこまでも愚かな私だけの願望だったのだと、後になって思う。





 気づいたときには、退院する前の時間まで戻っていた。
 やり直せることに、まどかもマミも生きていることに、そして、自分も共に戦えることに気分は高揚していた。

「鹿目さん、私も魔法少女になったんだよ!」
 
 転校のあいさつでこんな宣言をしてしまうほどに舞い上がっていた。
 今でもそこまで大胆なことはできないだろう。
 まどかを困らせてしまったが、それをきっかけにまた仲良くなることができたのは嬉しかった。
 まどかと、マミと三人で一緒に遊び、戦い、語り合った。
 未熟だった私は、マミに鍛えられ、まどかと一緒に訓練した。
 気分が乗っていたせいか、マミに火力不足を指摘されたら自分で爆弾を作ることまでやった。
 前回マミがソウルジェムを砕かれて死んだのを見て、ソウルジェムを誤爆の影響がないよう容器に入れて離していたとはいえ大胆なことをしたものだ。
 軍用の爆弾の入手が可能になった今ではあまり作ってはいないが、火力と殺傷能力の向上に研鑽を重ねた日々は忘れられない。
 まどかもちょっと引いていたが、それで魔女を爆殺した際は自分のことのように喜んでくれた。

「やったね、ほむらちゃん」

 そう、自分に抱きついて満面の笑みで言ってくれたのがうれしかった。
 今になって思う。
 この時が一番幸せだったのだと。
 何も知らずただ希望に満ち溢れた日々があった。
 一度戦い、手の内を知るワルプルギスの夜相手の演習を重ね、勝算も見えた。
 魔法少女の三人は、まるで仲の良い三姉妹のようだった。
 そんなことを言ってみたら、マミが、

「じゃあ魔法少女にしてくれたキュゥべえがお母さんね。
 そして私がお姉さん、鹿目さんが真ん中、暁美さんが末っ子ね」

と言って三人で笑いあったこともあった。
 今では笑えない冗談だった。
 その言葉はある意味真実で、しかもそれは残酷で、そして、共に笑いあう相手もまた、失ってしまうのだった。



 演習の成果はあった。
 激闘の末にワルプルギスの夜は姿を消した。
 消滅したかは分からないが、街からいなくなったのは確かだった。
 街の被害はあるものの前に比べれば少なく、避難場所の近くは守りぬくことができた。
 けれど、再びマミは死んでしまい、私たちも満身創痍だった。
 それでもまどかは、守りたかった親友は生き残った。
 そう感じた時異変は起こった。
 まどかが急に苦しみだしたのだ。
 目の前で、魔力の限界で黒く染まったソウルジェムに罅が入り、そしてグリーフシードへと変化してそこから魔女が生まれたのだった。
 まどかを必死で揺すって起こそうとしたがもう何も反応はなかった。
 冷えていく親友の体と、上空から見下ろす魔女の姿を見て、私は魔法少女の残酷な末路を知った。
 再び全てを失った私は、無意識のうちに左手の盾に手をやっていた。
 もう一度、今度こそ、その言葉が脳裏を駆け巡っていた。
 そして気づくと、再び退院前の病室へと戻っていた。



 次の回は始めから必死になって真実を訴えようとした。
 けれどそれは失敗に終わる。
 “始まり”や“二回目”、そこで絆を築いた後のマミなら話を聞いてくれただろう。
 けれど、この時のマミにとってのほむらは転校してきた初対面の魔法少女にすぎないことを忘れていた。
 いや、必死すぎてその考えが浮かばなかったというべきか。
 キュゥべえを信頼しているマミの前で初対面のほむらがそれを言ったところで、時間遡行の願いについて打ち明けたとしても不振の目で見られるのは当然だったと、彼との言葉のやりとりで鍛えられた今なら分かる。
 まどかと出会うまで碌に人と話すことも無かった私には人を説得するという力はなかった。
 それでもまどかは私の必死さを見て味方になってくれた。
 この時のことは本当に感謝している。
 まどかのとりなしと、マミも知っていたワルプルギスの夜への戦力保持の為に排除されるということまではなかった。
 最もこの時間軸において、その必死な訴えは理解されることにはなった。
しかしそれは、実証と言う最悪の形を取ることになってしまった。



 美樹さやか、上条恭介の腕を治すため途中から魔法少女になったまどかの親友。
 ほむらとマミの間の溝ゆえ、マミが他の仲間を誘ったのだ。
 マミの正義の心に触れ、かつての私のようにマミに憧れたさやかはその心酔ゆえ私の忠告など聞かずあっさりと魔法少女になった。
 そしてマミと同様に私に不信感を持ち、その直情的な性格ゆえそれを隠そうともしなかった。
 今となれば根元は似ていると分かる私達だが、性格は真逆であった彼女のことは始めから苦手だった。
 私に敵意をむき出しにし、訴えをことごとく切り捨てられた。
 魔法少女が正義だとする彼女は倒すべき敵が自分達の成れの果てだと言う私を信じようとせず、それを言う私が何か企んでいると思い込んでいた。
 そして突っ走って杏子と衝突、紆余曲折を経てマミのとりなしにより杏子も仲間に加わる。
 ワルプルギスの夜対策の戦力集めという前提あっての加盟であったため、杏子とさやかのわだかまりは解消されておらずその後も何度も衝突した。
 杏子が私の話を聞いてくれたのもその衝突を加速させた。
 杏子のそれは私の立場への共感や、大切なものを失った者だけが持つ空気を感じ取っていたこともあったのだろうが、さやかにしてみれば気に食わない相手同士がつるんでいるようなものだったのだろう。
 まどかが私の肩を持つのでそのことへの不満もあったようだ。
 さやかを爆風に巻き込みそうになってしまってからは銃を使うようにするなど気を使ったのだったがその程度で関係が改善するようならそもそも問題など起こりようがない。
 そのぎすぎすした関係に疲れたのか、私も皆も、まどかでさえもさやかの恋が上手くいっていないことに気づかなかった。
 気づいたときには上条恭介は志筑仁美と付き合っており、さやかは家にも帰らず姿を消してしまっていた。
 いなくなったさやかを探して見つけたときにはすでに遅く、さやかは少女達の目の前で魔女になってしまった。
 絶望がどれだけソウルジェムを濁らせるかということについて知ったのもこの時のことだ。
 だが、悲劇はここで終わることはなかった。
 魔女になったさやかを倒したが、真実を知ってしまったマミは耐えられなかったのだ。
 仕方の無いことだろう、ほむらの伝えた真実を無視したのも、さやかを魔法少女に誘ったのも、杏子を誘ったもののさやかとの衝突を止められなかったのも、さやかの苦悩に気づかなかったのも全てマミなのだ。
 責任が彼女一人にあるわけではないが、彼女はそれを背負い、壊れた。

「魔法少女が魔女を産むなら、皆死ぬしかないじゃない!」

 そう、顔を涙でぐしゃぐしゃにしつつ杏子を撃ち殺し、ほむらに銃を向けたマミの顔を忘れることはできないだろう。
 ほむらが殺される寸前、横から飛んできた矢にマミは撃ち抜かれた。
 それを放ったのはまどかだった。
 5人の仲間がいて、それはたった1時間もしないで2人にまで減ってしまった。
よくそのとき二人とも魔女化しなかったものだと今でも不思議に思う。
 皆が守ろうとした街を守る、それだけを支えに私達はワルプルギスの夜までの日々を過ごした。
 ちょっとつつけば折れてしまいそうなそんな支え、それが分かっていたから、あの悲劇から逃れたかったからがむしゃらに戦った。
 それが効を奏したのか、二人でもワルプルギスの夜を退けることに成功した。
 だが、グリーフシードもなく二人とも限界だった。

「ねえ・・・このまま二人で怪物になってさ、何もかも滅茶苦茶にしちゃおうか。
 嫌なことも悲しいも全部、なかったことにしちゃえるくらい壊して、壊して、壊しまくってさ。
 それはそれでいいと思わない?」

 もう、私は疲れていた。
 何もかもうまくいかないこの世界が嫌だった。
 ただ、魔女になるにしてもまどかと一緒ならそれでもよかった。
 だが、そんな私のソウルジェムにまどかがグリーフシードを押し当てたのだ。

「えへ、一個だけ取っておいたんだ」

 そんなまどかに驚く私に、まどかは泣きながら、私に頼んできた。

「私にはできなくて、ほむらちゃんにできること、お願いしたいから
 ほむらちゃん、過去に戻れるんだよね。
 こんな終わり方にならないように、歴史を変えられるって言ってたよね。
 キュウべえに騙される前の馬鹿な私を、助けてあげてくれないかな」

 まどかの頼みを断ることなど、私にはできるはずもなかった。

「約束するわ。
 絶対、あなたを救ってみせる
 何度繰り返すことになっても、必ずあなたを守ってみせる」

 そうまで言った時点でまどかは限界だった。

「もう一つ、頼んでいい。
 私、魔女にはなりたくない。
 嫌なことも、悲しいこともあったけど、守りたいものだってたくさん、この世界にはあったから」

 まどかは泣きながらも笑っていた。

「まどかっ!」

 初めて呼んだ名前は、彼女に聴かせる最期のそれになってしまった。

「ほむらちゃん、やっと名前で呼んでくれたね・・・嬉しいな」

 そして私はまどかのソウルジェムに銃を向けて引き金を引いた。
 あのときの引き金の重さを、生涯忘れることなどできないだろう。





 それからだ、誰にも頼らないと決めたのは。
 なんとしても約束を守るために戦い始めたのは。
 弱い自分を捨てるべく、眼鏡も外した、三つ編みもやめた。
 使う武器の種類も、兵器と呼べるものにまで手を出していった。
 ただひたすらに、まどかを守るべく手をつくした。
 けれど、ワルプルギスの夜には勝てなかった。
 戦いで苦しむほむらを見て、まどかは契約してしまうのだ。
 その祈りが何だったのかほむらは知らない。
 一撃でワルプルギスの夜を消滅させたまどかは、全ての命を吸い上げる魔女へと変貌してしまったのだから。
 ワルプルギスの夜による破壊で生き残った人々が命を吸われて死んでいく。
 天にそびえるほどの巨大な魔女は、徐々に命を吸い上げる範囲を広げていき、生物のいない死んだ街だけが残るのだろう。
 それでもほむらは生きていた。
 それがまどかの願いの残滓なのか、あの魔女の能力が魔法少女に影響しないからかは分からない。
 後者なら、これから世界を救うために世界中の魔法少女がまどかだった魔女に挑んでいくのだろう。

「戦わないのかい?」

 インキュベーターの声とまどかだった魔女を背に、私は再び過去へと旅立った。
 約束はまだ果たされてはいないのだ。
 この世界を救うことは私のやるべき事ではない、私の戦場はここではないと言い残して。




 幾度と無く繰り返した。
 考えられる限りの手を尽くした。
 インキュベーターをまどか達に接触させないよう延々と狩り続けてみたこともあった。
 結局ワルプルギスの夜との戦いの間に接触され、その十数分の出会いでまどかは決断してしまった。
 まどか一家がワルプルギスの夜襲来の時に旅行に行くよう工作したこともあった。
 結局勝てず、まどかは旅先でインキュベーターと契約してしまった。
 戦力を集めようとしたこともあった。
 杏子はさやかに巻き込まれて幾度と無く死に、マミも運命というものか、最後まで生き残ることはなかった。
 さやかを魔法少女にしないよう上条恭介の治療法を探したこともあった。
 そんなものは現時点で存在しなかった。
 他の魔法少女との接触もあった。
 未来予知のできる魔法少女は、世界を滅ぼす魔女になるまどかを排除しようとし、まどかは殺されてしまった。
 遠くの魔法少女の場合、ワルプルギスの夜とあえて戦おうとする者はいなかった。
 まどかだけは守りつつ、可能な限り戦力と火力を集めてワルプルギスの夜に挑む。
 結局はその方法に落ち着いたのだが、未だ失敗し続けている。
 試行錯誤もことごとくだめで、心も擦り切れた。
 それでも、なんとしてもまどかだけは救ってみせる。
 それはもはや妄執と言ってもいいものだった。
 自身が始めに何を望んだのか、自分の中でも分からなくなっていた。
 だが、まどかは、まどかだけは守らなければならない。
 あの時の私に残っていたのは約束だけだった。
 それ以外には何もなかった。
 そんな時、声が聞こえた。

「……それだけではあるまい?
 結局のところ、君はワルプルギスの夜を倒したときに鹿目まどかだけが生きていれば良いのかな。
 君自身はどんな世界を望む?
 信じられるものを持つことと、信じたいものを持つことは根本的に異なり、人はほとんどの場合自分の希望と心中することになる。
 君はあのワルプルギスの夜を越えれば幸せになれると、そう信じたいだけなのではないかな?
 いくつもの世界を縊り殺し、贄に捧げるだけの願いは何だね。
 そんな世界など要らぬと捨ててきた先に何を見るというのかね」

 いつしかほむらは、どこともつかない場所に立ち、黒い男と向き合っていた。
 時の回廊の中、回想の迷路の中、神野陰之は問いかける。
 これはあの日、ほむらが病室で神野陰之に会った日の記憶。
 願望を問いかけられたその一瞬に、これまでの全てを追体験し、そして現実には存在しない時の回廊の中で神野に再度問いかけられる。
 暗黒の回廊に、無数の映像が映し出されていく。
 それはこれまで繰り返した世界のその後。
 時間を戻したことで無しになることなどなく、ほむらがいなくなった後もその世界は続いていた。
 いなくなったまどかを悲痛な顔で探し続けるその家族が写っていた。
 ほむらが守れていればそんなことにはならなかった。
 いなくなったさやかの影を追い続ける上条恭介が、死んださやかの影を背負う上条恭介が写っていた。
 繰り返さなかった初めの世界の映像では彼女は魔法少女にならず、作曲の道を進んだ恭介を支えて結ばれていた。
 ほむらの試行錯誤の結果、マミも杏子も死んだ世界では、ワルプルギスの夜の破壊と混乱と、その悲劇が呼び寄せた魔女によって市民の多くが犠牲になっていた。
 ほむらが何もしなかった世界では、ワルプルギスの夜相手にマミは死ぬものの被害を減らし、その後やってきた杏子により魔女は狩られて市民の被害はほとんどなかった。
 そしていくつもの窓には、一つの巨大な影以外に動くものはなかった。
 幾多の平行世界を経た因果が、為してきた業が、その目的たるまどかの運命に絡みつき世界を滅ぼす魔女にまで成長させたのだ。
 ほむらが殺したようなものなのだ、その窓の数に70億をかけた無数の人々を。
 追体験から思い出を取り戻し、捨てた世界に囲まれて永い時間を過ごした。
 だが、この時の回廊では時間の流れというのは無意味なものだ。
 神野はただそこについさっき着いたかのように立ち続ける。

「……私は、間違っているのかしら……」

 自分がしてきたことのその後を見て、彼らに批難されているようで押しつぶされそうになる。
 判っていたはずなのに、直に見せられるとつらい。

「いや、この世に間違ったことなど存在しないよ」

「それなら、これをあなたはどう見るというの?」

 窓を指差し、そう神野に問いかける。
 自分で言うのもなんだがこの行いが人として間違っていないとはどういうことなのか。

「君の求めるものが、この世界にはなかったと見るだけだ。
 世界に人が求めるものは異なり、ただその願望へ向かう強さと弱さがある。
 だが間違ってはいけないのは、その強弱は勝者と敗者ですらない。
 君のそれは強く、そして敗け続けた。
 この窓は私にとってはそういう意味を表すに過ぎない」

 人間ではない男の価値観は理解しがたいものだった。
 だがそれは真実であることだけはなぜか理解できた。

「さて、先ほどの答えを聞こう。
 君の『願望』は、なんだね?」

 諦められなかった願いは、始めに欲しかった物は・・・私の本当の願望は・・・
 あの約束を守れたなら、どうしたいのか。
 それはもう思い出していた。
 遥かな追憶の果てに、あの出会いと幸せだった日々にそれはあった。
 それはごく普通のことで、ほむらの行動によって死を迎えた人々の大多数はすでに持っていたもので、それでもほむらにとってはずっと欲しくて、やっと手に入れたものだった。
 それは無数に浮かぶ窓のどこにも移ってはいないものだった。
 冷徹な仮面も弱い自分も全ての失敗も絶望も批難も怨嗟も全て含んだ渦の中、唯一残った光がそれだった。
 そして光景はあの病室へと戻り、ほむらは口を開く。

「……私は、私の本当の『願望』は―――――
 まどかと一緒に過ごしたあの日々をもう一度、この手に」

 その渇望と郷愁と憧憬を秘めた老人のような、希望を求めるただのか弱い少女のような、そんな表情が魔人の鏡のような瞳に写っていた。
 そして、神野陰之は嗤いながら私を見つめて言った。

「君が望む限り、必ず叶うだろう。
 そのためには、君が捧げてきた誰よりも、強く望み続けなければならないよ。
 何があろうと、これより先さらに何を捧げようと、その気持ちだけは貫かなければならない。
 死人に責められようと、君がこれからすることで苦しむ人が出ようと、彼女達の前では心から笑っていなければならない。
 …できるかね?」

 それは厳しい道なのだろう。
 だが、それが私の歩いてきた道であり、行きたい場所なのだ。
 だから表情から涙を消し、決意を込めて答えた。

「わかったわ。
 私はどんなに罪を背負おうと、私の戦いを続ける。
 いえ、今度こそ私の希望を叶える」

 神野陰之はチェシャ猫のように笑いを浮かべると、こう告げたのだった。

「ならば―――“物語”を始めよう」





 気がつくと、ほむらは見慣れた部屋の中にいた。

「夢を、見ていたのか」

 その言葉は、ほむら自身の口から出ていた。
 その体は椅子に腰掛け、その眼は、スタンドに照らされた古ぼけた羊皮紙の上を辿っていた。

「泣いていたようだな。
 お主がかつて辿った道のりの夢かな」

 静かな夜に、小さな明かりで照らされた書物を読む少女の口から、優しげな、それでいながらしわがれた老人を思わせる声がする。

『ええ、その夢よ。
 何も知らず、魔法少女に希望を抱いてまどかと、皆と過ごしたあの日々を見ていたわ。
 そして全てを知り、全てを失ったあの戦いの日々もね』

(そして、神野陰之に私の願望を伝えたときのことも)

 ほむらの声は、外には広がらない。
 誰にも聞かれることなく、魔術師の魂にのみ響く。
 ただ最後の一節は、ほむらの魂の中だけで反響して終わった。
 その声を聞いた魔術師は、ほむらの口を使って答える。

「だが、再びその幸せな日々を取り戻すのだろう。
 もう少しなのよ、と嬉しそうな顔をしていたのはわかっておる」

 友達と一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、好きな男の子と付き合ったり。
 それは、普通の女の子が、普通に夢見るささやかな願い。
 魔法少女になったことで、享受できたはずのそれは無残にも打ち砕かれた。
 けれど、だからといって求めてはいけないわけではない。
 普通にやって手に入らないなら、死に物狂いで掴み取ればいい。
 青空だけが広がり、春だけが続いていくような夢にまみれてバージンロードが歩けないのなら、血と肉と骨と硝煙にまみれてでもたどり着けばいい。
 そうしてほむらはここにいる、美樹さやかだって足掻いている。

『そうよ、ようやくここまで来たのよ。
 あの日々と同じとはいえないけど、あの日々に感じた安らぎを、この手に。
 …けれど皮肉なものよね。
 まどか達とは、また友達になれた。
 でも、あの日々を語り合うことはできないのよ。
 暦の上では、彼女に初めて会った日よりも、貴方に会った日の方が早くなってしまったわけだし』

 ただ、昔を思い出させる夢のせいか、ほむらの言葉はどこか弱気になっていた。
 そんなほむらに対して、魔津方はため息をついて羊皮紙をたたみ、告げる。

「小娘、お前も、彼女達も、その魂のカタチが変わらぬならば別によいであろう。
 思い出など、これからそれ以上に作ればよい。
 まだまだ若いのだからな」

『でも、あの時、まどかに出会った時から、そしてそれを失ってしまったときから、私はずいぶん変わってしまった』

 それでも変わらず、いつになく弱気をみせるほむらに、魔津方は再びため息をつき、口調を強めた。

「だが、思い出せるのだろう。
 彼女と出会う前の自分を、出会ってからの自分を、失ってからの道のりを。
 そして思い出したのだろう。
 始めに何を願い、何を求めていたのかを。
 私も同じだ、全て覚えておる。
 初めの志を、失うことへの怖れも、己の為に何をし、奪ってきたのかも。
 なればその身がどのような物になれ、儂は小崎魔津方であり、お前は暁美ほむらであることに変わりは無い」
 
 それは魂の本質に関わる魔術師の本心にして、慰めの言葉。
 その力強さにほむらも気を持ち直したのか、礼をのべた。

「ありがとう、夢を見て少し弱気になっていたみたい。
 もう、大丈夫よ」

 魔津方はほむらの体で鼻を鳴らすと、ぎしり、といすに深く腰掛けた。
そして口を開く。

「礼には及ばん。
 お前に今倒れられては困るのでな。
 それに私が何を言おうが、あの小娘どもがお前に心を許しているのが何よりの証拠であろうに……
 しかし、思い出か…我らの出会いもまた、印象深いものではあったな」

 ただ、それを言う中で、静かな夜の魔力に当てられたのか、魔津方も感慨深げに、ほむらとの出会いを思い出していた。

「そうね……」

ほむらも思い出す、小崎魔津方との出会いを。
あの、世界樹の下で交わした契約を。



[27743] 魔法少女と魔道士~物語は因果を紡ぐ~
Name: ふーま◆dc63843d ID:2ca49e14
Date: 2012/08/26 15:30
「君は、因果というものをどう思う?」

「原因と結果、直接的原因である因と間接的原因である縁との組み合わせによってさまざまな結果となる果を生起すること。
 英語だと、cause and effect、またはfateだったかしら」

「繰り返す授業の中で聞き飽きた内容とはいえ、適当に返すのはいただけないね。
 意味としては正しいのだが、君自身の運命としてはどうなのかね?」

「あまり考えたくはないわね。
 私が願った結果として、これまでのことや今の私がある。
 全ての原因のインキュベーターを憎む気持ちはあるけれど、まどかと出会ったことを私の業の原因にはしたくないもの。
 むしろ、突然こんな話をする貴方はどう考えているのかしら」

「善因悪果を基本とする孵す者達のやり方が全ての原因であることに疑いはないね。
 彼女が死ぬ原因も、彼女を救う物語が始まった原因も。
 ただ、今は私を呼ぶこととなった君の物語の因果についてのみ触れようではないか」

「貴方を手繰り寄せるまでに至った因果の糸の話かしら。
 それがまどかに影響し、その魔法少女としての、魔女としての素質を大きくしているという話だったわね」

「そう、君のそれは結果という糸切りバサミを入れられず永遠に伸びた“過程”という糸だ。
 君は君が望んだ『鹿目まどかを守る』という結果には未だたどり着いてはいないのだからね。
 何度も何度も巻き付いた糸、端が無ければ解きようもないだろう。
 文字通りに複雑に絡み合った“縁”ともいえよう。
 ゆえに鹿目まどかは膨大な因果を背負い、君が見た世界を滅ぼす魔女となったのだよ」

「その背負った因果はどうしようもないというの?」

「いや、君が望む結果でその糸を断ち切ってやれば良い。
 両端があるならば糸も解けよう。
 もっとも、君の願いが叶えば君の時間操作の能力も失われることになる。
 君のそれはその一本の糸のみを回し続ける糸車なのだから。
 だがそれでは君の願望は叶うまい。
 無力というものがもたらすものを君は嫌というほど味わったのだから」

「結局貴方は何が言いたいのかしら」

「それ以降も君が戦い続ける為の力として、ある男の願望との仲介をしようと思ってね。
 私では願望の為に、私の持つ闇という方向性において最もふさわしい手段と願望の強さに見合った力を与えることしかできないのだから。
 君は結果により永遠の過程を断ち切り、その先に新たな因果を紡ぐ力が欲しい。
 そして彼は、因果の糸を断ち切られた状態から戻り、永遠の過程を歩む体が欲しい。
 彼はかつて神すら食い止める堰を作り出した魔術師で、私に挑んだほどの男だ。
 その実力で君を失望させることはないはずだ。
 興味があるのならば、彼の物語を伝えよう。
 縁を繋ぎ、果実へとたどり着くためには知ることが必要だからね。
 君が持つ物語ならばそれで彼の元へいく資格が得られるだろう」

「……今は、少しでも力が欲しい。
 そのために盗みにも手を染め、貴方にさえ頼ると決めたのだから。
 その物語を教えてくれるかしら」

「では、はじめようか。
 永遠の過程を目指した魔道士の物語を」





 あるところに、お母さんと三人の兄弟が暮らしていました。
 お母さんは病気で寝込んでしまい、次第に悪くなっていきました。
 三人の兄弟はどうしていいのかわかりませんでした。

「山梨が食べたい」

 お母さんはそうつぶやきました。
 山梨を食べれば疲れが取れる。母さんの体も良くなるかも知れない。
 まずは1番目の太郎が梨を取りに出かけました。
 太郎が山奥へとすすんでいくと、大きな岩があって、その上には婆さまがちょこんと座っていました。

「お前さ、どこ行く?」

「山梨を採りに行きます。」

 太郎は婆さまを見上げていいました。

「この先にのぼっていくと、三本の枝道になっている所に笹葉が三本生えておる。
 その笹葉が、行けっちゃガサガサ、行けっちゃガサガサ、と言う方へ入っていけ」

 婆さまはそう教えてくれました。
 太郎が山を登っていくと、婆さまの言う通り三本の枝道がありました。
 道の前にはそれぞれ笹葉が生えていて、左の道の笹葉は「行けっちゃガサガサ、行けっちゃガサガサ」と葉を揺らしました。
 そして真ん中と右の笹葉は「行くなっちゃガサガサ、行くなっちゃガサガサ」と葉を揺らしました。
 しかし太郎は婆さまの忠告も忘れて、行くなと言う真ん中の道を進んで行きました
 しばらくすると沼のほとりに山梨の木を見つけました。
 その大きな木には山梨の実がザランザランとなっていました。
 太郎は喜んでその木に登り、ヤマナシをとろうと手をのばすと池に太郎の影が映りました。
 すると沼の主が浮かび上がり、水面の影を散らすと、そのままゲロリと太郎を呑み込んでしまいました。
 いくら待っても帰ってこないので、今度は次郎が出かけていきました。
 けれど次郎も婆さまの言う事を聞かないで、沼の主にゲロリと呑まれてしまいました。
 最後に三郎が出かけました。
 岩の上の婆様に、二人の兄のことを聞くと、婆様は、

「わしの言う事聞かねぇから、帰れなくなっただ。
 お前もよくよく心して、わしの言う事を聞け」

と言って二人の兄と同じ話をすると、ひと振りの刀をくれました。
 三郎はちゃんと忠告を聞いて、行けっちゃガサガサという道へ行きました。
 そのまま行くと、大きな沼のほとりに山梨がなっていました。
 三郎は木に登って、うまそうな実をもぎました。
 ところが降りる際に間違って枝を乗り換えたので、影が沼に映りました。
 すると、兄たちを呑み込んだ沼の主が飛び出してきましたが、三郎が刀を抜いてそれを斬ったので、沼の主は死んでしまいました。
 そのお腹をさくと、中から太郎と次郎がでてきました。
 三人兄弟は揃って家に帰り、お母さんに山梨を食わせてあげました。
 するとお母さんの病気は治り、それからは皆仲良く暮らしたということです。





 一人の民族学者がいました。
 彼は、研究熱心な男でした。
 世界の全てを、人間というものの根源と行く末を知りたいと思っていました。
 世界中のお話を集め、たくさんの本を書きました。
 集めたお話のなかには、奈良梨取りのような末っ子が成功するお話がいくつもありました。
 3匹の子豚しかり、海幸彦山幸彦しかり、カインとアベルしかり、何故か世界中に散らばっているのです。
 それを研究しているうちに彼は思いました。
 末子は神に愛されている、と。
 それはすなわち、神のような異質な存在を受け入れることのできる器なのではないのかと。
 やがて、彼は年をとり自分の死を間近に感じました。
 彼はそれがどうしても受け入れられませんでした。
 だから、彼は生き続けるための方法を探しました。
 そんな時、彼の孫が事故で死にました。
 洗濯紐に絡まって首を吊って死んだその子は、まるで木になる梨の実のように見えました。
 そこで彼は思います。
 人が梨の実なら、私が梨の実になって、それを三人兄弟の末っ子に収穫させればよいのだと。
 知恵と生命の実となった自分の魂を受け入れさせ、その体を自らの物として生きようと。
 彼にはそれができました。
 彼は魔術師だったのです。
 奈良梨取りに見立てた儀式を作り上げ、自ら首を吊って怪異となりました。
 そして彼は10年の時を経て復活しました。
 けれど、そこには“魔女”がいました。
 彼は“魔女”が世界を壊そうとするのを止める為、彼女が従える魔人に挑みました。
 けれども負けて死んでしまいました。
 彼は木になってしまったのですから、しばらくすればまた実は生ります。
 けれど木からぶら下がる実ですから動けません。
 人を犠牲にする彼が二度と復活しないよう、怪異と戦う人々が彼の協力者も、儀式に使う道具も全て消滅させてしまいました。
 だから、彼は何もできずに今でもぶら下がっているのです。
 いつか来るかもしれない機会を待って、木の上から世界を見下ろし続けているのです。










 生まれ故郷にあった学校へ向かう道をほむらは歩いていた。
 実家には寄らず、まっすぐに寝静まった夜道を行く。
 見滝原へ治療に赴くことがなければいずれ進学したであろう学校へ。
 それがある山へ登る。
 学校へ行く理由、それは知識を得るためだ。
 山に登る理由は、日常とは違う異界に身を置いて、普段遭わない物に遭う為だ。
 夜の道は両側を林に挟まれ、暗闇の中で木々が覆い被さるかのようだ。
 木々は鬱蒼と茂り、夜風の中、ざわざわと鳴っていた。
 そのざわめきは語りかけていた。

………がさ……がさ……けぇ…
…いけ……行けぇ…行けえ……がさ…

 その声はほむらを包み、意識に染み渡り、世界を一瞬で覆い尽くす。
 魔女の結界で見慣れた、だが本質的に違う世界の変質の中、ほむらは進む。
 風が吹いた。
 その風には水の匂いと、お見舞いの品で好きだった甘い梨の香りがした。
 学校へと着くと、フェンスを乗り越え中に入る。
 夜の空は血のように赤く、そり立つ街路樹は怪物のように黒々としてざわめく。
 
…いけ……行けぇ…行けえ……
………行けぇ………行けえ……
 
 禍々しいざわめきに導かれ、やがて目的地に着いた。
 幻影の沼のほとりに、大きくねじくれた一本の梨の木。
 その幹は太くねじれ、歪み、天を覆うほどに伸ばされた枝には鬱蒼と茂る青い葉。
 それはこの世に存在するいかなる果樹にも似ておらず、童話や神話の挿絵で見たことがある大樹に似ていた。
 そこには鈴なりの実が生っていた。
 大きく立派な果実だった。
 その木の前にほむらは立った
 そこにあるのは物言わぬ死体の列。
 だが、ありえないはずの声が響いた。

「私の導きなしに、自分の意思でここに来る者がいるとはな。
 見知らぬ顔だが、何者だ?
 何の用があってここまで来た」

 ほむらは動じず、その声がした方向にあった老人の死体を見つめた。
 目を見開き、左目だけをひどく顰めた、奇怪極まる表情をしていた異様な死体だった。
 死者の気配と共に、死体にふさわしくない、甘ったるい果実臭が鼻をついた。
 その匂いを嗅ぎながらほむらは答えた。

「山梨の樹にある用なんて、一つしかないわよ。
 私は助けたい人の為に山梨を取りに来た末子。
 貴方のことは神野陰之に聞いたわ。
 “世界樹に吊るされた魔術師”、小崎魔津方、貴方の力を私に貸しなさい」

 その瞳に見つめられ、その死体はくく、と暗鬱な笑いを漏らした。

「誰かを助けたいがためこのような男にまで頼るか、貴様のような小娘が。
 神野陰之に聞き、私を認識するための物語を知ったのなら判っているはずだ。
 私は自分の為に、自分の願望の為だけにこれだけ吊るしてきたのだぞ」

 ざわり、と生ぬるい風が吹き、ぎい、ぎいとたわわに実った実を揺らす。
 その実は、全て首を吊るされた人間だ。
 もはや意思のない死んだ澱んだ眼で、ただぶら下がる。
 子供の手足。
 革靴を履いた足。
 ストッキングの女性の脚。
 同い年くらいの制服の少女。
 見覚えのある入院服を来たおじさん。
 奇怪な木から首を吊って、鈴なりの首吊り死体が“奈良梨の木”からぶら下がっていた。
 老若男女の、百を超えんとする死体が並ぶ。
 ほむらは魔人に聞いて知っていた、これらは魔津方の蘇りの儀式の犠牲になった人間だと。
 死してなお魔術師に縛られる魂だと。
 だが、そのおぞましい光景に対してほむらが浮かべたものは、自嘲の笑みだった。

「それだけでは、私の業には及ばないわ。
 私は、もっと、もっと多く、捧げてきたもの」

 そう言ったほむらの後ろに、ざわり、とした気配が生じ、魔津方はそこに大樹を幻視した。
 魔津方の樹よりも、遥かに高い、天を貫かんとする樹だ。
 黒々としたその幹、その上部に眼をこらせば、まるで巨大な女性の腕のような大枝が伸びる。
 大小の枝に、魔津方の樹と同様に人がぶら下がっている。
 白人がいる、黒人がいる、黄色人種がいる。
 ぼろをまとった貧者が、着飾った金持ちが。
 老人が、子供が、男が、女が。
 ありとあらゆる人間が、平等に苦悶の表情で吊るされている。
 それは、かつてのいくつかの時間軸で魔女化したまどかの救済により魂を奪われた残りかす。
 苦痛を体に残してその魔女の望む幻想へと救済された犠牲者達。
 そして樹の下のほうで目を引くのは、ほむらと同じくらいの年の少女達。
 首をもがれたり、無残に四肢がもがれた胸の大きな金髪の少女達。
 魚と交じり合った異形と化したり、槍に心臓を貫かれたりしている青髪の少女達。
 ぽかんとした表情でただ死んでいるかと思えば、無残に焼けただればらばらになっている赤髪の少女達。
 全身傷だらけのずたぼろになったり、黒い影のような異形と化した桃髪の少女達。
 吊るされた数もさることながら、同じ存在が何人も吊るされているのに、魔津方は興味を引かれた。

「ほう・・・ただの小娘ではないようだな。
 話してみろ、貴様の背負うものを。
 魔人に飽き足らず、この“世界樹に吊るされた魔術師”すら求めるその願望を」

「ええ、わかったわ」





 魔津方はほむらの物語を静かに聞いていた。
 そして全てを聞き終え、嘆息したかのように息を漏らしたような音が響き、声を漏らした。

「なるほど、魔法少女か。
 かようなものが現実にあるとは、この私も知らなんだ。
 奇跡の前借りに、魂と力の源の分離、世の魔術師が知ればどれだけ羨やむか。
 探求も、深淵を覗く必要も、死の覚悟も贄も必要とせずただ願うだけで手に入るとは。
 ジェムの強度と行動範囲の制限が懸念事項ではあるか……それが、サウロンの指輪ほどのものであれば文句もないのだがな」

 死んだ魔術師の目は動かない。
 だが、ほむらはソウルジェムを変えた指輪がじとりとした視線にさらされるのを感じていた。

「それにしても魔法少女とは我々魔術師にも劣らぬ業の持ち主よな。
 グリーフシードがなくば生きられぬ。
 そしてそれは魔女になった魔法少女が人の魂と絶望を啜って孕むもの。
 自らの命のロウソクを過剰に燃やして力とし、燃え尽きる前に吹き消された他人のロウソクに火を移し替える妖怪、それが貴様らよ。
 人を喰らって生き続ける魔術師と何が変わろうか。
 キュゥべえとやらが全てを語らぬのは正しいな。
 知ってしまえば手が震えて自らのロウソクを消してしまうだろうからな」

 そう、グリム童話の一節に例えて魔法少女の本質的な業をあげつらう。

「それを否定するつもりはないわ。
 つまるところ魔法少女とはそういうモノなのだから。
 ただ、そういった話をするためにここに来たのではないわ。
 私の物語に、まどかを救う戦いに力を借してほしいと言っているのよ」

 どこまでもまっすぐなほむらの瞳は、臆すことなく吊られた男を見つめていた。

「くくく……嫌いではないぞ。
 友人を売ってでも私のような者と契約してでも大切な一人を守り通さんとするような奴はな。
 元より貴様の物語を否定する資格など私にはないしな」

 その瞳を向けられた魔道士は忍び笑いをもらしながらそう言った。
 その響きにはどこか懐かしむような響きがあった。
 事実ほむらに対する印象は悪くなかったのだろう、彼は続けた。
 
「さて、貴様の物語と願望は把握した。
 だが、決意をもう少し試させてもらうとしよう。
 例え話をしよう、とある可能性の話だ。
 ある男がいた。
 彼はかつて大災害にあい、その中で一人だけ助け出された。
 家族も友人も一人残らず失い、多くの人間の苦痛と絶望と死を目の前でまざまざと見せつけられたのだ。
 時が流れ、成長した彼の前に魔法の力でそれら全てを無かったことにして救えるチャンスが現れた。
 ………お前であればどう答えたのかはもはや聞くまでもないだろうな」

 それにほむらは無言をもって答える。
 実際言うまでもないことだ、その答えが今ここにいるということなのだから。

「彼はこう答えたという。
 やり直しなんか、できない。
 死者は蘇らない。
 起きた事は戻せない。
 そんなおかしな望みなんて、持てない。
 苦しみながら死んでいった人、誰かを助ける為に命賭けで駆け抜けた人。
 死んでいった大切な人の事を悼み、悲しみ、そして長い日々を経てそれを乗り越えてきた人。
 その時の想い、その時の意志や記憶、過去を変え、全てを無かった事にしたら、一体それらはどこに行けばいいというのか。
 だから、その痛みと重さを抱えて進む事が、失われたモノを残すという事なんだと思う、とな。
 さて、この答えに対してどう思うかね」

 その問いかけに、ほむらはしばらく考え込むように下を向いた。
 その男の答えは、ほむらの道のりを否定し、その弱さを責めるものでもあった。
 魔津方は無言で答えを待つ。
 しばらく後、ほむらは上を向いて魔津方を見つめ、ふう、と息を吐いて答える。

「彼は強く、私は弱いということでしょうね。
 けれど、その答えは喪失の後に遺した物が受け継がれた人間の、失った後にそれ以上に大切な物を得た人間の答えだわ。
 私にはあの時何も残らなかった。
 そしてそれが失われることがどうしても認められなかった。
 彼女が戦ったことで守れた何人かよりも、彼女に生きていてほしかった。
 だから私はこの道を進む、進んだからには最後まで貫くしかない。
 彼が、目の前で大切な人を失うかもしれないその瞬間ですらその答えを貫くようならその道はこちらから願い下げよ」

 魔津方は愉しそうにその答えを聞いていた。

「くくく、やはり我が目に狂いはないか。
 お前の提案を受けるのも悪くはない。
 そう、共に人として再び歩みだそうではないか」

 その言葉にほむらは訝しげに顔を歪めた。

「人として?
 私もあなたももはや人間ではないのよ」

「いいや、人としてだ。
 あの魔人や、君らの言う魔女とも違い、我々はまだ人としての『願望』を持ち、それを追い求めている途中なのだ。
 なれば私らもまた“人間”であるのが道理よ。
 ましてや貴様ら魔法少女は未だ肉体に縛られる存在であるしな。
 何かあれば死ぬようなその程度の身で自らを死人だのゾンビだの、この世界に蠢く彼らに失礼であろうが」

 人として、という言葉が人外として『願望』のために走り抜けるつもりだったほむらには心地よく聞こえた。
 魔法少女になって人間ではなくなってしまった、その事実のせいでまどかやさやかが魔法少女になった場合は時点で諦めてしまっていた。
 巴マミや、佐倉杏子の死ですら、仕方ないと思ってしまっていた、どうせ希望はないのだからと………
 だが、魔法少女でも“人間”、そう彼女達も思えれば、魔法少女にも希望はあるかもしれない。
 そんな思考にはまって黙ってしまったほむらに、魔津方は本題を切り出した。

「さて、暁美ほむらよ、“世界樹を背負いし魔法少女”よ。
話を本題に戻そう。
 始まりの時間軸における三人の魔法少女の三女、そして数多の可能性の末子よ。
 大切な人を助ける為に、沼の主を乗り越えて梨の元へとやってきたお主には、我が物語を受け入れこの梨の実を持っていく権利がある。
 この私を受け入れるのにこれ以上ない素質だ。
 それを知っていて来たのだろう?
 その身と心とその苦痛を、全て私に差し出してくれるか?
 なれば、私が鹿目まどかを守ろう、君の願いを叶えてやろう。
 わが魂の内で、願いの叶った幸福に永遠にひたるといい」

 その、甘美な誘惑を含む声に、ほむらは強い意志を灯した瞳を向けにやりと笑って応えてみせた。

「あげないわ」

 その自信にあふれた声に、魔津方は意地の悪い声を挙げた。

「ほう。
 なればどうするね。
 魔術はここですぐ教えられるほど浅いものではないし、対価なしに教える気もないぞ。
 そして私の求める対価は何か判っているだろう?」

 その言葉を待っていたかのように、ほむらは笑う。

「私は、この身と心とその苦痛の全てを差し出すつもりはない、と言ったのよ。
 この心も苦痛も全て私自身のもの、そしてこの『願望』も私のもの。
 だけど、あなたの物語に合致する、この抜け殻なら貴方を受け入れられる。
 私のソウルジェムが砕けたならばあとはあなたの自由にすればいいわ。
 だから力を貸しなさい。
 そこに吊るされたままでは、つまらないでしょう?」

 魔女のように笑うほむらに対して、契約を持ちかけられたことに魔津方は呆けたかのようだった。
 そして、それは次第に笑い声に変わっていった。

「………くっ、くくく、くははははは。
 魔術師に、契約を持ちかけるか。
 言葉は魔術士の領域だが、こうくるとは思わなんだ。
小娘がこの私を言葉で上回るか。
 なるほど、すでに魂を奪われておるのならば、私の魂を体に受け入れることも可能というわけだな。
 始めから魔法少女のことを知っておれば、ここまで苦労せずにすんだものをな。
 それにしても貴様も魔女よ。
 楽園から追放されてなお知恵の実を欲し、再び楽園へ至らんとするか」

 そう、楽しそうに笑う魔津方に向けて、ほむらは答えを迫る。

「そう、沼の主を滅ぼして・・・ね。
 それで、答えはどうなのかしら。
 もちろん、私の魂が砕けるまでは、この体の優先権は私にあるけれどね」

 笑い続ける魔津方だったが、しばらくしてその笑いを抑え、ほむらに答えた。

「いいだろう、暁美ほむら。
 その身に宿り、力を授け、魔術の極意を授けよう。
 そして君の物語に組み込まれ、共に歩み、そして記録しよう。
 だが、学究者たるこの私の探求には付き合ってもらうぞ。
 世界の終わりまでを、全てを知ることこそが私の願望なのだからな」

 進路は学者かなあ、その前に、オカルトキャラにならないかしら、とほむらは場違いにもそんなことを思う。
 今まで辿ってきた道のりと、自分の『願望』のためならその程度ならば許容範囲だ。
 ただ、それでも一言、譲れないことを付け加えるのは忘れない。

「かまわないわ。
 けれど、女性に対する配慮を忘れたら奥深くに封印するわよ」

 最後の最後にそのような“普通”の条件が出てきたことに魔津方は意表を付かれたように口をつぐむ。
 その顔を見てほむらの口元がかすかに笑みを形作った。
 魔津方は相手のペースに乗せられていることに気づくと、その動かないはずの顔の歪みが強まったようになり、そしてすぐに愉しむように暗鬱な含み笑いを始めた。
 その笑い声を聞きながら、ほむらは、ふと足元に違和感を覚えて下を見る。
 そしてぎょっとする。
 そこにはついさきほどまでは存在しなかった、黒い柄をした大振りな短剣が刺さっていた。

「その短剣はアセイミ、“魔女の短剣”、という名だ。
 私が愛用していた魔術武器だが、貴様に待つ運命を思えばまさにふさわしかろう。
 愛する者を貫く為に与えられたものではなく、自らがその真の持ち主になるのだ。
 その剣を手にとり、それで実を収穫するがいい。
 それで契約は完了だ」

 ほむらの意表をつけたためか、その武器に思い入れがあるためかその声は得意げな響きがあった。
 だがほむらはその響きにまで気を払う余裕はなかった。
 最後の決断を前に、その魔法少女にとって皮肉な名を持つ短剣に、緊張し息を呑んでいたためだ。
 だが、ごくり、とつばを飲むと、ほむらはそれにまっすぐ手を伸ばした。
 その直前に、ほむらはぴたりと手を止めて魔津方を見る。

「まるで、マーリンにそそのかされたアーサー王とでも言ったところかしら」

その光景を、かのイングランドの伝説に見立てた、ほむらなりのしゃれっ気だった。
それに、魔津方は面白そうに応える。

「実際はこれほど真逆なものもないがな。
 かの剣は長く、この剣は短い。
 かの剣は聖なるものにて、この剣は邪なるもの。
 かの剣は勝利を導くが、この剣を手にしたところで敗色は濃厚。
 そして貴様は心を殺して国を守らんとする偉大な騎士王から、どこまでも浅ましい欲望を持った人間へと変わるのだ」

 その言葉にもほむらはひるむことはなかった。
 その目には、揺るがぬ覚悟が宿っていた。
 全てが真逆だとしても、その目に込められたものだけは、かの英雄と同じものだっただろう。

「それなら最後は、仲間割れして破滅するのではなく、大団円になるということね」

 そして今度こそ、ほむらはその短剣を異界の地より引き抜いた。
 そして眼前の魔道士の実に手を伸ばし、それを収穫した。



 異界の赤い空の下、世界樹の下で一人の魔法少女と一人の魔道士の契約が成立した。
 暁美ほむらが見滝原に戻ってくる、3日前のことだった。





「あれから、大忙しだったわ。
 貴方の魔道具や呪具を集めて、魔術を習い、自作の爆弾も作って、武器も整備して、魔女も狩って……
 ……インキュベーターよけの結界の開発も行ったわね」

「この間の魔女戦は、なかなかの物だったぞ。
 魔術の深遠には及ばぬが、魔女との戦闘に使う分には申し分あるまい」

「ありがとう。
 けれど、次の相手はあのワルプルギスの夜よ。
 全身全霊を持って当たらなければ勝ち目はないわ」

「分かっておる。
 だが、あの時とは違い今回の相方はへたれることはなさそうだ。
 さてこれではすぐには眠れまい。
 せっかくだ、小娘、策をもう一度確認しておくか。
 神との二度目の戦い、同じ轍を踏むわけにはいくまいて」

「私はもう何度目になるか……それに見た目は一人脳内会議だけどね。
 ……けど、これで終わらせるのよ」

 そう苦笑しながらも、真剣な顔になってほむらはワルプルギスの夜の資料を机に広げるのだった。



 

 深夜にまで及ぶ話し合いが終わり、少女の寝息だけが部屋に響く丑三つ時。
 その暗闇の中、ふと暁美ほむらの左目のみが、酷くしかめた形で細く開けられた。
 そして老人の声で闇にぽつりと呟いた。

「しかし、思い返してみれば貴方にしてはお節介とも言える位の干渉でしたな。
 あの時と違い、小娘共の願望に重なるものがあるとはいえ、貴方をそこまで動かせるものかな」

 その疑問に対し、答えるものはいなかったが、浮かびあがった魔道士はただ待つ。
 そのうち闇が人型を形作り、現れた魔人はただ笑い、一言こう答えた。

「暁美ほむらや、美樹さやか達の願いだけではないよ。
 とある神の、人としての未練、最後の願望でもあるのだ。
 それが叶うかどうかは彼女達に託されたがね」

 魔道士はその横顔に、宿主が執着する少女の横顔を幻視した。
 その姿は、魔津方が見た少女の物より髪が長く、眼前の魔人とは逆に赤みがかった白の、言うなれば朝色の夜会服を纏っていた。
 その希望にあふれたその姿、だがその気配は魔人に近い物があった。
 それを見て魔津方は合点したように頷いた。

「貴方は偏在するのでしたな・・・時も、場所も、世界も越え・・・
 しかしあの小娘、相当な器とは思うたが貴方に並ぶほどとはな。
 “末の子こそ人の子にして神の子にして魔の子、二人の兄を神へと捧げて末の子に神を孕ませるべし”
 私がこの永遠の魔術を見つけた際の啓示だが、よもやあの娘が実現するとは。
 “名付けられし光”、“希望の灯台”、なれど己を照らす光はなく………か」

 そう、感慨深げにつぶやいた。
 幻視したその少女は、おそらくは別の世界、別の可能性での鹿目まどかであろう。
 あの少女が、願いに潰され絶望して消え行く魔法少女達を見捨てられようはずもない。
 その願いはとてつもなく大きく、それゆえ神野陰之と同じく人としての有り様を失ったのだろう。
 魔術の深遠を追い求めた結果として神になった男と、神の全知に至ろうとした己と、そして、人のために神になることすら許容した少女と、それについて思いを馳せた。
 世界が間違っているならば変えてやろうという、その願いは、異界と現世を混ぜんとしたあの“魔女”と同じものだ。
 されどその少女の心は、かの魔女とも、自分達とも違い、ただ普通の少女なのだ。
 その未練はいかばかりか、そして残される暁美ほむらの苦悩はいかばかりだろうか。
 その大きすぎる希望と絶望が神野陰之を呼んだのだ。
 そこまで読み解いた魔道士は、感じた思いをひた隠しにするように語る。

「まあ、それはそれとしてせっかくよき体を手に入れたのだ。
 この”世界”では小娘共の願望が叶うように協力してやるとしようか」

 その言葉に神野は意外そうに、そして面白がるかのように顔を歪めた。

「貴方とて、孫すら贄にしたくせに、今更随分過保護ではないかね?」

 おそらくは魔道士の本心などとうにお見通しなのだろう。
 それでもなおからかうような、その言葉が来るのを分かっていたかのように、魔津方は穏やかに、懐かしげに微笑んだ。

「これでも私はまだ人なのだ。
 そして人の子の親でもあったのよ。
 かつては自分の死を子孫がいることで受け入れようとして、息子達には愛情を注いでいたしな。
 最もそれは己の死への忌避には及ばなかったがな。
 だが、この身となってあの小僧やこの小娘を見ていると……色々とな」

 そして話は終わりとばかりに目は閉じられた。
 後には静かな寝息と夜の張が残るのみだった。




[27743] 暁美ほむらの朝
Name: ふーま◆dc63843d ID:2ca49e14
Date: 2012/08/26 15:33
「~♪」

 朝、目覚めた暁美ほむらは朝日を見ながら自宅で一人歌っていた。
 いよいよまどか達に自分の物語を伝える日がやってきた。
 それが終われば、約束を果たし自分の望む結末までは決戦を残すだけとなる。
 もう少しで願望に手が届く、暁美ほむらはセンチメンタルになっていた。

「~♪」

 歌っているのは入院中に見た怪獣映画の主題歌だ。
 満身創痍で、敵の群れに向かっていくあの亀の怪獣と、前2作と違い切ない感じの主題歌が印象に残っている。

「~♪」

 そのときはただなんとなく覚えていただけの曲だったが、今となってはこの曲を自分のこれまでの戦いと重ねていた。
 もういちどできるなら、そう願ってほむらは時を遡り、走り続けてきた。
 つらく悲しい時、苦しく泣きたい時、懐かしいまどかとの思い出に助けられてきた。
 嵐が来て、心の翼が折れそうになっても、まどかへの思いを支えに生きてきた。

「~♪」

 この曲を歌うたび、ほむらはその思いの原点、まどかとの日々を思い出していた。
 そして、あの怪獣のように強敵に打ち勝ち、まどかを守りぬきたいと誓った。
 それに、今回は一人じゃない。
 これまで一人で戦ってきたときは気づこうとはしなかった。
 だが、あの守護神ですら、一人ではあの軍勢の名を持つ宇宙生物には勝てなかったのだ。
 仲間がいる、一人じゃないことがどれだけ力になるか、ようやく自分にも分かってきた。
 だから、きっと言える、彼も最後の戦いには勝っただろう、そして、私達も勝つのだと。

「昔、子供の儂は火の中を逃げ回った。
 恐くて恐くて、今でも夢に見る。
 今度は、絶対に守ろうや」

 劇中のセリフを思い出す。
 例えちっぽけでも立ち向かったあの人達のように、私も戦おう。
 まどか達が来るまではまだしばらく時間があった。
 今は、思い出に浸り、決意を新たにしよう、そう思ってほむらは目を閉じ、続きを歌おうとする。



「やあ、いい歌だね」

 だが、そんな時に限って無粋な客がやってくるものだ。
 拍手のつもりなのだろうか、ぺち、ぺち、ぺち、と間抜けな音を出して耳毛を打ち鳴らしている。
 本当にそう思っているなら、せめて歌い終わるまで待つべきではないか。
 もっとも、感情の無いインキュベーターに曲の良し悪しが分かるかは疑問であるし、そういった配慮に関しても同様だ。

「一体、こんな朝っぱらに何の用かしら。
 魔法少女にだってプライベートはあるはずよ」

 ほむらは不機嫌を隠さない。

「ご機嫌で歌ってたところを邪魔するのは悪いと思うけど、君達にとって重大なニュースを持ってきたんだ」

 しかしその視線をさらりとながし、キュゥべえは悪びれもせず続ける。

「この街にワルプルギスの夜がやってくる。
 最強の魔女で、具現しただけで大災厄として大量の犠牲者を出す。
 と言っても、この部屋を見る限り、そのくらいは知っているみたいだけどね。
 それにしてもこの資料の量は、始めからここにワルプルギスの夜が来ることを予想していたみたいじゃないか。」

 ほむらは自宅にワルプルギスの夜に関する資料を置いている。
 見やすさと臥薪嘗胆の意味で、部屋のあちこちに魔法で浮かべていたのだが、それが仇となったようだ。

「答える必要はないわ」

 ほむらは切り捨てる。
 キュゥべえに話す筋合いのものではないし、手札は最後まで隠しておきたかった。

「気にはなるけど、そこは重要ではないし、後回しにしておくよ。
 知っているなら知っているで話が早くなるからいいことだしね。
 …ワルプルギスの夜は強い。
 いくら魔法少女が3人揃ったからといって、勝てるとは限らない。
 あの魔人や、君の魔術があろうともね。
 たとえ勝てたとしても、街に大きな被害が出るか、君達の中の誰かが命を落とすことになるだろうね」

「何が言いたいの?」

 インキュベーターのそれはただの警告に聞こえる。
 だが、彼らの目的では、ワルプルギスの夜との戦い自体はどうでもいいはずだ。
 何をしにきたのかが読めず、ほむらはいぶかしげな表情になる。
 そのほむらの疑問に、それは律儀に、そしてどこか得意げに答えた。

「ようするに、まどかが魔法少女になるしかないってことさ。
 君がまどかを魔法少女にしないために並々ならぬ努力をしていることは知っているよ。
 でもね、奇跡や魔法でもないとどうしようもないことだってあるんだ。
 魔女のせいで街が崩壊し、知り合いが死んでまどかが納得するかい。
 彼女はそれを望まないだろう。
 ワルプルギスの夜による被害を願いで修復するのか、水際で食い止めるため事前に魔法少女になるかは分からないけど、遅かれ早かれ結末は一緒だよ」

 つまりはこのキュゥべえは勝利宣言にきたのだ。
 ほむらのどのような努力や前準備も、ワルプルギスの夜という圧倒的な力の前には無と化すと言外に言っている。
 ほむら達が敵わなければ、まどかは願ってしまうだろうし、ほむらの願望を超え、神野の束縛を受けずに叶えられるだろう。
 むしろ神野陰之がまどかを後押しして力を与えるかもしれないが、そうなっても最悪の魔女になりうる魔法少女が誕生するのに違いはないだろう。
 そうなれば、世界が滅びるか、まどかが魔女になる前にほむらが介錯するか、危惧した誰かにまどかを殺されるかだ。
 すべて過去の時間軸で起きたことであり、もはや繰り返したくはなかった。
 だが、そのためにはワルプルギスの夜という圧倒的な力を前にして、それに短時間で圧勝するか攻撃をさせずに封殺するしか方法は無いのだ。
 黙ってしまったほむらに対して、慰めるかのようにキュゥべえは話しかける。

「君には気の毒だけどね。
 ワルプルギスの夜さえ来なければ、もっとじっくり時間をかけていたはずだったんだし。
 でも、魔法少女システムが悪だとは思って欲しくない。
 君の歌っていた曲が主題歌になった映画、あの2作目の宇宙怪獣は実際に存在して、地球にも本当に来たことがあったんだ。
 でも、村が一つ二つ消えるくらいの被害ですんだ。
 どうしてだと思う?
 それは魔法少女の手によって、宇宙に放逐されたからさ。
 倒すのは無理でも、追い返すくらいならぼくたちにもデータがあるからそんなに無理な奇跡じゃないからね。
 魔法少女は人知れず世界を救っていたりもするのさ。 
 ぼくにはあの魔人以外は認識できないけれど、叶えてきた願いの中には例の異界の侵略とやらを食い止める為の物もあったんじゃないかと思うよ」

 宇宙怪獣が実際に存在するとは意外だったが、たとえ魔法少女の中に救世主がいたところで、ほむらのやることに変わりは無い。
 欲しいのは救世主ではなく、普通の少女の安寧だけだからだ。

「あなたと映画の話ができそうだとは思わなかったわ。
 それに、あれが本当に存在するとはね……
 むしろ、あの名はあなたが名乗るべきじゃないのかしら」

「『僕の名前はレギオン、僕らは大勢であるがゆえに』
 とでもいえば言いのかい。
 けれど大勢であることは僕らの本質ではない。
 むしろ記憶を共有する僕らは単一の存在であって大勢というのは的外れだ。
 大勢を名乗るならむしろ君たちのほうだろう。
 僕らの本質は…」

そのキュゥべえの言葉をほむらが遮る。

「インキュベーター、希望と言う卵を絶望で温め、魔女を孵す孵卵機、“孵す者”。
 それがあなたの本質でしょう」

「そのとおりだよ、暁美ほむら。
 名付け親は君たちだが、僕らを表すのにこれ以上のものはなくてね、使わせてもらっているよ。
 しかし、そこまでわかっているなら、僕の話に対して他の反応があってもいいだろう?
 まどかの契約を確実にするために君に揺さぶりをかけようとここに来たのは確かだけど、話した中身は逃れようのない真実だよ」

「私はあきらめるつもりはないもの。
 あなたの言葉で動じたりはしないわ」

 感情のないはずのインキュベーターは、はぁ、とため息をついたように見えた。

「宇宙が君達にとってわけのわからないものであるように、人の心というのもよく分からないものだね。
 絶望の虹に飲まれた少女を救い出してくれる守護神はこの世界にはいないんだよ。
 まあ、やるだけやってみればいいさ、どうせ結末は一緒なんだし。
 もしまどかが魔女になって被害を撒き散らすことを心配するなら、まどかを魔女になる前に別の星に連れて行ってもいいよ。
 その願いをする魔法少女候補は僕らのほうで手配しよう。
 終末論を覆しヒーローになりたがる夢見がちな少女は探せばいるものさ、以前のまどかのようなね。
 それで地球は安泰だし、まどかの願いも裏切られないだろう。
 ぼくたちだって最高のエネルギーを得た上で絶好の狩場を維持できるわけだしね」

 とことん合理主義な存在だ、ほむらはいい加減いらだちをかくせなかった。

「帰りなさい、話は終わりよ」

 やれやれといった風に首を振りぺたぺたと歩いてインキュベーターは影へと消える。
 最後に声が聞こえてきた。

「君と次会う時は、ワルプルギスの夜との戦いの後になるだろう。
 もはや僕の干渉で君たちは変わらないだろうからね。
 既に鹿目まどかには提案済みさ。
 君たちの敗北と共に、君たちは鹿目まどかの願いにより幸福な人生を手に入れる。
 もちろんまどかも一緒にね。
 その願望が叶うような内容のすり合わせは僕の存在にかけて誓おう。
 ワルプルギスの夜を力づく消滅させようとしなければ即座の魔女化もない。
 被害も死者も元通りで、天寿を迎えるまでの加護もつけてあげよう」
 
 かっとなったほむらはインキュベーターに銃を向けた、もはやそこには何もいなかった。
 そこには壁があったはずだが、どんな手を使ったのか、消えてしまっていた。

「この投資のためにエネルギーは節約させてもらうよ。
 個体の補充にもエネルギーがいるからね」

 テレパシーによる通信を残してインキュベーターは姿を消した。





「もう一度できるなら、そんな誰もが望み、闇に手を染めたとしても、私を呼び寄せたとしてもまずたどり着けないその願い。
 それをポンと叶えてもらったのに、邪険にしすぎではないかね。
 その終わってしまった願望、絶望をなかったことにできるというのに、魔法少女としての運命では対価が安いものだろう」

 そのインキュベーターが消えた影から嗤いながら現れたのは別の叶える者だった。

「だとしても、やつはまどかを奪い苦しめた、私にとっては敵よ。
 願望のためにどんな手を使ってもかまわないのでしょうけど、あいつのやり方だけは認める訳にはいかない」

 インキュベーターに、ワルプルギスの夜という脅威を再認識させられて表には出さないまでも気持ちが揺らいでいた。
 そこに、神野まで続けて相手にはしたくなかった。
 それでもほむらは不敵に笑ってみたが、神野はこっけいに思っているのか、哀れんでいるのか、ただ嗤って姿を消すのだった。



『私も聞いているのだがな。
 見たことのない作品をネタに話を進められるのは気に食わんな。
 世界を知り尽くすことこそ私の願望、まだ時間もあるし私にも見せろ』

「あんたはひっこんでなさい!
 ……はぁ、後で借りてくるから待ってなさい……」

 まだやっかいなのがいた。
 赤くなりながらほむらは、願望のためとはいえいろいろ契約しすぎたことを後悔するのだった。





「幸せであり続けることはできないのかしら?」

 ふうっ、と溜息をつきながらほむらが言う。
 目の前にあるのはマミからもらった手紙だった。
 あの人外との会話の連続に疲れたため、気分を変える為に読み返していたのだ。
 神野陰之のせいで渡される前に杏子に握り締められたシワは丁寧に伸ばされ、何度も読み込まれた痕が残っていた。
 そこにはこう書かれていた。

『暁美さんへ
 一緒に戦ってくれると言われておきながら、こんな形での退場を許してください。
 鹿目さん達からいきさつは聞いたかもしれないけれど、私は魔女が口を開いたとき、中にいた子供達を攻撃せず、その手をとってしまったの。
 それが魔女の擬態だったら私も、そして鹿目さんや美樹さんも死んでいたわ。
 皆を守ると言っておきながら身勝手でごめんなさい。
 けれど、こうなったことには後悔はしていない。
 むしろ、子供達を救うことができたことに、あなたと神野さんに感謝しています。
 私は今、昔からの夢だった保母さんをやっているのよ。
 異界でだけど、私が救いたいと思っていた一人で苦しむ人達を救えるようになったからいいのよ。
 私の願望は叶いました。
 暁美さんも、私のことを気に病まず、自分の守りたいものを守ってください。
 そして、幸せになってください。
 そして、無責任な言い方になってしまうけど、鹿目さんや美樹さんをお願いします。
 それでは

 P.S.できれは遊びに来てくれれば嬉しいです。
    暁美さんなら、何か抜け道があるんじゃないかと期待しています』


 彼女を先輩として慕っていた始まりと2番目の時間軸のように、彼女はほむらに優しく伝えてきていた。
 そして、再び仲間として接してくれたのだ。
 読み終えて、昔を思い出してしまう。
 それに、マミに会うための手段もある。
 ここまでこれたことは幸せだ、これからもこうであればと思い、ふと、先ほどのようなつぶやきが漏れてしまったのだ
 その独り言に、応えるものがあった。

「それには願望を持ち続け、不断の努力が必要なのだよ。
 それはただ一つの願いを叶えるより余程難しい。
 めでたしめでたしの後でも彼ら彼女らの人生は続いていく。
 シンデレラにしろ白雪姫にしろ、その後はよそ者への冷たい視線、衝動に動かされやすい夫といった障害を抱えつつ、国と家を守り続けるため困難と戦い続けただろう。
 人魚姫が王子を射止めたとて、口を利かない王妃では確実に綻びが生まれよう。
 君達魔法少女も、願いが叶ってめでたしめでたしの後は果てしない戦いが続いていく。
 ハッピーエンドと言われるものの先など、えてしてそういうものだろう。
 君にとっても、この時の螺旋を抜けた先こそが苛酷かもしれないよ」

「その覚悟はあるわ。
 ただ……ね。
 全てから解放された、幸せな夢というのに浸ってみたいとふと思ったのよ」

 どこからともなく表れる神野陰之にはもう慣れてきたが、少々弱音を吐きたくなる気持ちもあった。

「その夢に囚われ、現実に適応できなかった魔法少女は、例外なく魔女になったよ
 君のよく知る美樹さやかのようにね」

 だが、魔人はどこまでも冷徹だった。
 願望を叶えるために、夢物語など不要と切り捨てるかのように。
 事実そうなのだろう、ふわふわとした幻想に浸っているような者には神野陰之は見向きもしないのだ。
 己の願望という幻想を現実とするために他の全てを切り捨ててでも突き進めるもの、そういったモノしか願望を叶えることはできないのだろう。

「………わかっているわ。
 私の願望は変わらない。
 あなたが消えていないのが何よりの証拠よ。
 それに、今回の美樹さやかは、その先に行く覚悟をすでに持っている。
 あとは、ハッピーエンドのその先に行く、最後の関門を越えるだけよ」

「やってみるといい。
 その為の策は、出来上がっているようだしね」

 再び決意の戻ったほむらの表情を見て、神野はそういい残すと姿を消した。
 ほむらは時計を見る。
 まどか達がやってくるまで、あと数時間。
 ほむらは資料を取り出すと、再度作戦について確認すべく魔津方を呼び出すのだった。





 そして夕方、ほむらの自宅に全員が集まった。
 集まった仲間達の目にあったのは、これから話されることへの不安と緊張だったが、その奥にはほむらへの信頼があった

「みんなに集まってもらったのは他でもないわ。
 二週間後、この街にワルプルギスの夜が来る。」

 ピクリと反応したのは杏子とさやかだ。
 まどかは何のことかよく分かっていない様子で聞き返す。

「ワルプルギスの夜?」

 その問いに答えたのは杏子だ。

「超ド級の魔女だ。
 一人じゃあ厳しい相手さ。
 だが、ほむら、前から聞こうと思っていたがなんであんたはそんなことを知ってるんだ?
 私らと同じように神野に“見せられた”わけじゃあないんだろ。
 なんせ、神野陰之がいなかった“あの時”からすでに知っていたんだからな。」

 彼女にははぐらかしはきかないだろう、最も、はぐらかす気などほむらにはもはやないのだが。

「どちらでもないわ。
 それも含めて、私が今まで言えなかったことも話すわ。
 もちろんワルプルギスの夜相手の作戦もね」

 そのほむらのまっすぐな視線に、杏子はにやりと笑って返す。

「ようやく話してくれる気になったかい。
 ずっと待ってたんだぜ。
 …でも、ここじゃあちょっと場所が悪いよね」

 そう言って杏子が提案したのは、彼女たちにとって大切な場所で、それは満場一致で受け入れられた。




[27743] 作戦会議
Name: ふーま◆dc63843d ID:2ca49e14
Date: 2012/08/26 15:32
「ならさ……一人だけのけものってわけにはいかないだろう」

 杏子の提案に異存のあるものはそこにはいなかった。



 りん、

 ドアを開けた際に出迎えてくれたのは、かつての住人のやわらかい声ではなく、まどかの持つ鈴の優しげな音色だった。
 テーブルの上には今入れたばかりというふうに湯気の立つ紅茶とケーキが並べられていた。
 その光景を普通の人が見れば、かのマリー・セレスト号を思い出し不気味に思っただろう。
 しかし、4人の少女にとっては、それはかけがえのない友人の思いやりであることがよくわかっていた。
 彼女達は思い思いに感謝を述べると席に着き、以前と同じようにお茶会を始めた。



「それで、あんたの作戦というのはなんなんだい?」

 ケーキの最後の一口を口に放り込んで話を切り出したのは杏子だ。

「これから話すわ。
 その前に、あなた達にまだ話していなかったことを全部伝えておかなければならないわ。
 もっとも、魔法少女の真実と異界については別の場所で知っているでしょうけど」

 ほむらは周りの仲間達を見渡して思う。
 ようやくここまできた。
 ワルプルギスの夜を前に、全員が生きていて、しかも真実を知ってなお精神が安定しているなど初めてであった。
 幾度ものループの中、失敗の原因となった彼女達を恨んだこともあった。
 だが、自分の心を見直してみれば、その願望のためには彼女達の無事が必要だったし、このふれあいは捨てがたいものだというのに気づかされた。
 だからこそ裏切れない。
 そして、ほむらは今まで隠してきた自分のことについて話を切り出す。
 ただ目的を達するだけならば話す必要はなかったが、これ以上隠し事を抱えたままでは真に笑いあうことなどできないだろう。

「まず、これまで私がいろいろ隠していたことを謝るわ。
 なぜいろいろ知っていたのか、神野陰之との関係は何か・・・などね。
 因みにキュゥべえに聞かれる心配はいらないわよ。
 この日の為に隠していたキュゥべえ避けの結界を張ったから侵入は不可能にしてあるわ。
 では、始めましょうか」

 そしてほむらは語りだす。

 自分が魔法少女になったきっかけ、まどかとの始めの出会いと別れ。
 繰り返すループ、仲間の死と魔女化、繰り返すごとに深まる溝とすれちがい。
 まどかとの約束と、彼女への思い。
 一人で闘おうと心を決め、それでも大切な人を何度も失ったこと。
 ワルプルギスの夜との度々の戦いとその強大さ。

「私は繰り返す時間の中で迷子になっていた。
 まどかだけ救えればいい、他がどうなろうと構わないってね。
 でも今回戻ってきたとき、神野陰之に合って聞かれたの。
 『君の本当の願望は何だね?』ってね。
 彼自身は元々この世界にいて、繰り返して溜まりに溜まった私の妄執に引き寄せられたようね。
 彼の、全てを見通すような眼に見られ、私の心は全ての始まりに戻っていたわ。
 まどかや巴さんと出会って、一緒に過ごしたあの日々をね。
 そして気づいたのよ、私はただ、あのまどかと過ごした日々を取り戻したかっただけなんだって。
 そう、私の本当の願望は、『まどかと共に笑いあう日々を過ごすこと』。
 そのために、それを妨げ、まどかを悲しませる悲劇を回避しようと、あの魔人や魔術師の力をも使ってこれまで活動してきたの」
 
 今回戻ってきた際に遭遇した魔人、気づかされた本当の願望。
 まどかと共に笑いあうため、関わる全てを救おうと、関わる全ての魔法少女と笑いあえるようになろうと、ほむらは動いてきたのだ。
 その願望は一人で戦うことを続けてきたほむらの心を溶かし、今の友情へとつながったのだ。

「ほむらちゃん……そんなに…ごめんね…ありがとう……」
「ほむら………あんたってほんと……」
「…………」

 全て話し終わり、場には嗚咽の混じった重い空気が漂う。
 ほむらが何かを抱えていることは察してはいたが、他の3人にとってはここまでのものとは思っていなかったのだろう。
 まどかなどは自分の約束の重さと、そこまで自分を思ってくれたほむらに思いをはせ泣いているし、
過去の記憶を見ていたさやかや杏子も、他の時間軸の自分がほむらを苦しめていたことを思い出しているし、自分の見ていない部分のほむらの戦いは想像以上に重いものだった。
 ただ、それを見るほむらの胸には罪悪感があった。
 この素晴らしい友人達を、独りよがりな考えで幾度となく見捨ててきたのだから。
 そして、捨てた世界で続いていく絶望と破滅と、それを起こした自らの業、背後の世界樹までは明らかにしなかったことに。
 それはほむら自身が背負うべきことであり、彼女たちが背負うものではないのだから。

「ははっ。
 欲張ったもんだねえ。
 まどかと楽しく暮らすついでに、私達もこの町も救っちまうってのかい」

 そんななかいち早く復帰したのは杏子だ。
 彼女のこういった性格に何度ほむらは救われていただろうか。
 過去のループで、隠し事の多い自分に対しても彼女が理解を示してつきあってくれたことでどれだけ心が安らいだか、そのときはわからなかったが今となっては判る。
 ゆえにほむらも、彼女の心遣いに応え、笑みを浮かべて言葉を返す。

「ええそうよ。
 わたしとまどかのほのぼのライフの為にあなたにも協力してもらうわ。
 それに、貴方達だって私にとっての“大切”な友達なんですもの。
 すべては私自身の幸せのため。
だからまどかも泣かないで、あなたに泣かれると私の願望が叶わないわ。
 特に美樹さやか。
 やっとここまで来たってのに、勝手に気持ちを沈めて魔女化して全部ぶち壊したら承知しないわよ」
 
「でも………」

「でももへちまもねーよ。
 今のさやかは強いさやかだ。
 魔女化する気も死んでやる気もないんだろ。
 だったらさ、あとは笑って突っ走るっきゃないじゃん」

 さやかの胸に拳を押し当てて杏子が諭す。
 さやかはまだ思うところがあったようだが、ぐしぐしと袖で目元をぬぐうと、そこにあったのは意思の強いがあった。
 すべてを知ってなおこんな眼ができるとは、本当に強くなったものだ、とほむらにとっては感慨深い。

「うん・・・。
 わかったよ、ほむら。
 で、そんな強いワルプルギスの夜相手にどう戦うのよ。
 以前あったループみたいに、余波で街壊滅とかは勘弁だよ。
 恭介に何かあったら、無理やりにでもほむらに時を戻させちゃうよ」

「そうならないための策よ。
 前置きが長くなってしまったけど、これから話すわ。
 まどかもいい」

 まどかはほむらを見て応える。

「うん、いいよ、ほむらちゃん。
 お願い、皆を守る方法を教えて」

 6つの瞳がほむらを見つめる。
 多少の不安こそ見て取れるものの、そこにあるのは強い意思だ。
 これならば自分の策も受け入れられるだろう。
 そしてほむらは口を開く。
 ワルプルギスの夜との戦いにおける作戦、魔女と魔法少女のシステムそのものに干渉する儀式、『神堕とし』について。





「まず、ワルプルギスの夜を、奇譚化によって異界に封じ、被害を防ぐわ」

「奇譚化?」

 ほむらが語ったのは聞きなれない言葉だった。

「そう、魔女を異界に堕とし、物語の一部に変えてしまうのよ。
 魔法少女が人間でありつつも人をやめていること、魔女が異界の存在に近いものであることは知ってるわよね。
 実際に実例もあることだし」

 それを聞いてまどかたちは、マミとお菓子の魔女、そして影の魔女と桜について思い出す。
 あれらは魔女と異界の存在が違和感なく融合していたし、マミも異界に行ってなお巴マミという人間の在り方を失ってはいなかった。

「知ってるけど、それがどうしたのよ」
 
「では、本来のワルプルギスの夜の意味を知ってるかしら」

 まどかとさやかはうーん、とうなってしまう。
 本来の、と言われても馴染みのない名前であり、どこかで聞いたことがあるような気もするが思い出せない。
 そこで答えたのは教会の娘である杏子だった。

「本来の・・・
 古代ケルトの祭り、魔女が宴を行う夜、『死者を囲い込むもの』、死者と生者との境が弱くなる夜、だっけか」

「えっと、どういう意味?」

 さやかの分かっていない様子に、ほむらはため息をついた。

「さすが杏子、さやかとは大違いよ。
 まあ、日本でいうところのお盆みたいなものね」

 抗議するさやかを無視してほむらは続ける。

「そう、魔女のほうのワルプルギスの夜は、人型をした使い魔や顕現した際に死者を大量に出すことからその名がついたのでしょうね。
 ただ、それが便宜上の名であったとしてもそうして畏れられた名前は意味を持つわ。
 そう、魔女のワルプルギスの夜を本来のワルプルギスの夜に見立てられるほどにね。
 死者と生者の境があいまいになる性質を利用して、死者にして生者である魔法少女、生者にして死者、そして物語、異界の住人である小崎魔津方、神野陰之を触媒に、異界と現世、結界の境界を曖昧にして魔女を異界へと引きずり堕とす」

 さやかをからかったままの口調で、淡々とすさまじいことを述べるほむらにまどかたちは絶句する。
 それを前に、ほむらは獰猛な笑みすら浮かべていた。

「これが『神堕とし』の儀式。
 これによって戦場を異界にすることで、街の被害をゼロにできるわ。
 そして最大の魔女を堕とすことで、他の魔女も引きずられて異界に堕ちる。
 ついでにインキュベーターも引きずりこんでしまえば、魔法少女と魔女のシステムそのものを異界の物語の一つに変えられる。
 そうすれば、魔法少女や魔女の物語を知り、霊感を持つ人間以外はインキュベーターや魔女に遭遇できなくなる。
 あいつの陰謀にも終止符を打てるのよ」

 異界に落とされると聞いて杏子が慌てて言う。

「だけど、それじゃあ魔法少女は、私達はどうなる?」

 それに対してほむらは落ち着いて答えた。

「生者にして死者から、生者にして物語に替わるだけよ。
 小崎魔津方とシミュレートした結果、実際にワルプルギスの夜と一緒に異界に堕ちる者以外の現状は基本的に変わらないようよ。
 そうよね?」

 その続きは同じくほむらの口から発せられたが、老人のようにしわがれた“魔道士”の声だった。

『その通りだ。
 魔法少女や魔女の在り方は、語り継がれて来た物語に符合する点が多々ある。
 おそらくはあの孵す者どもが気づかぬだけでこのシステムの成り立ちに我らの共通意識、すなわち異界がある程度関わっておるのだろう。
 故に、この儀式の先も本質は変わらぬ。
 ここにいる者以外の魔法少女にとっては、言われるまで気づけもしないだろう。
 これまでソウルジェムの真実を知らなかったようにな。
 もちろんジェムを壊されれば死ぬし、穢れがたまりきれば魔女になる。
 それに異界のモノとなる以上は異界のモノ、それこそ天使や悪魔も含んだ怪異とも関われるようになるが、ちょっと変わった魔女の結界と捉えられるだろう。
 それも怪異に深入りせねば早々あるまいし、異界に堕ちた魔女は現実には中々手を出せなくなるからな、魔女による被害は大幅に減るだろう。
 怪異相手に単純な力で戦えるというのも人類にとってはプラスになるしな。
 懸念としては儀式の巻き添えで異界に引き込まれる人間が出かねんことだが、そこは巴の小娘と人界の魔王だった男に任せればよかろう。
 最も、その儀式によってワルプルギスの夜と共に異界へ堕ちる我らは直にその地を踏むことにはなるか』

その言葉をほむらが受け継ぐ。

「・・・ということよ。
 一応神野陰之にも確認しているので間違いはないわ。
 実は既にこの街全体を利用しての魔法陣は完成しているわ。
 統計上、どの場所に奴が現れたとしても問題はないわ。
 そしてワルプルギスの夜と一緒に異界に堕ちる、その役目は私にしかできない。
 さやかと杏子は、私の背後を守ってほしい。
 ワルプルギスの夜の持つ性質上、魔女のサバトの性質が強まり、魔女が大量にやってくるはず。
 そいつらにワルプルギスの夜との戦場に乱入されると手に負えなくなる。
 だから、あなたたちはこちらに留まり魔女を食い止めてほしいの」

「・・・わかった。
 だが私達の援護なしで、お前一人で勝てるのかよ。
 これまでも駄目だったんじゃないか。
 それに、せっかくまどかと仲良くなれたのに、また別れる気かよ」

「そうだよ。
 異界に堕としたら、さっさと帰ってきちゃえばいいじゃん。
 街に被害が無いなら闘う必要はないって」

 杏子とさやかは、これまでの魔女との戦い、ワルプルギスの夜の強さ、そして魔法少女の運命、何よりほむらの覚悟を考えるとこの作戦に反対はできなかったが、一人になるほむらを心配していた。

「心遣いありがとう。
 でも、奴とは決着をつけないといけないわ。
 さっき話した通り、あいつは逆さまの状態で現れるけど、反転して頭を上にしたときに真の強さを発揮するの。
 その魔力と反転が儀式の『反転』を招く危険があるから、そうされないうちに倒すしかないのよ」

 それでも一人で闘うというほむらに、まどかは気持ちを抑えることができなかった。

「そんな。勝てない相手に一人で戦う義務なんてないよ!
 ましてや自分一人を犠牲にする必要なんてないよ」
 
 まどかの必死な顔に対して、ほむらは場違いなように、昔を懐かしむ顔をした。

「昔、私もあなたに同じようなことを言ったわ。あなたはなんて言ったと思う?」

「え?」

 まどかが驚いた顔をする。
 ほむらはその顔をまぶしいものでも見るかのように見つめていた。

「それでも、わたしはいかなきゃ、魔法少女だからってね」

「そんなのってないよ。私の言葉、取り消すから行かないで」

「ありがとう。まどか。
 でもね、私は勝ち目がないなんて思ってない。運命なんて私の願望で切り開いてみせる。
 義務で行くんじゃないの。前に進むために行って、そして勝つわ。人として」

「ほむらちゃん・・・」

「それにね、たとえ迷子になってしまっても。あなたにはその鈴があるわ。
 あなたが望む限り、私は人であることをやめはしないし、私は必ずあなたの元に帰ってくる。
 だからお願い、祈って。
そして待っていて」

『こやつを信じてやれ、鹿目まどか。
 それに私を忘れるな。
 この小娘は一人ではない、なんとしてでも連れて帰ってやろう
 間違っても魔法少女になろうなど考えるなよ』

「そう、こいつもいるんだから、大丈夫」

 ほむらの揺るがぬ覚悟を感じたのだろう。
 まどかがついに折れ、自身も覚悟を決めた目でほむらを見つめる。

「……わかった。ほむらちゃん。
 わたし、何度でも言い続ける。ほむらちゃんは、魔法少女は人間だって。
 ワルプルギスの夜との戦いのあとだってずっと一緒だよ。
 だから、絶対帰ってきてね」

「まどか………」

 ほむらは感極まって涙すら流す。
 このまどかの優しさがあったからこそここまで生きてこれた。
 こんな彼女だからこそ守ろうと思い続けてきた。
 ようやく、ずれていった思いが完全に重なるときが来たのだ………





「それはよい願望だね、鹿目まどか」

 その空気に水を指すかのように闇を引き連れ神野陰之が顕現する。

「ひっ」
「神野陰之・・・まどかによけいなことはしないで」
「っ・・・」
「何しにきやがったてめえっ」

 いきなり表れた神野に対して少女達は身構える。
 それまでのやり取りで暖かくなった心が、冷水を浴びせられたかのように冷えていく。
 これまでも、そしてかの作戦において重要なファクターとなるとはいえ、いきなりあらわれて平常心でいられる相手ではない。
 いきなり現れるなら、インキュベーターのほうがまだましだ。
 だがそんな本能的な敵意にも笑みでもって返し、神野はまどかに優しく告げる。

「君の願望こそが重要なのだよ。
 神堕としの儀式において、魔法少女は人でありながら物語、異界の住人ともなる。
 異界の住人が物語を通じて怪異として人に認識されるように、魔法少女を人として認識することこそが彼女達をこちらに留めおくのに必要なのだ。
 本人が思い続けるだけでも十分だが、世界を認識するには二人いるにこしたことはない。
 鹿目まどか、君の願望こそが、儀式の後も魔法少女が人間であり続けるための要なのだよ」

 突然のことに始めは戸惑いを見せたまどかだが、その表情は引き締まったものとなる。
 そして真正面から神野を見据えて言う。

「本当だね。
 私が願えば、それは叶うんだね」

 それが嘘を言わないということはこれまででわかっていたし、なによりもまどかはほむらを信じていた。
 そのまっすぐな視線を、同じく正面より受け止めた魔人は告げる。

「叶うとも。
 もちろん孵す者の力など必要ない。
 誰かが強く望み続ける限り、たとえ他の全てに見放されても魔法少女は人としてあり続ける。
 その祈りが、その声が届くのなら、きっと奇跡は起こせるだろう」

 まどかは力強く頷く。
 その目にはもう迷いはなかった。

「わかった。
 もし魔法少女が、自分が人間じゃないって思って、それに苦しんでも、私は何度でも違うっていいます。
 何度でも言い続けます。
 魔法少女には最後まで希望を持った人間として生きてほしい。
 そして、皆と、人として一緒にいたい。
 それが私の願望。
 さあ、叶えてよ。神野陰之!」

 それはインキュベーターが見れば、感情の無い彼らをして垂涎ものの願いである。
 その祈りの強さは最強の魔法少女が誕生するにふさわしい。
 それに対し、神野は詠うように、舞台役者のように仰々しく手を広げて言葉を紡ぐ。

「その祈りを守護しよう、“観測者”にして“救済するもの”鹿目まどか。
 さあ、見せてみたまえ、君達の物語を。
 新たなる魔法少女奇譚を」





 高らかに謳いあげた神野陰之の“宣言”、それに呑まれた少女達が我に帰ったとき、神野がいた場所には、

「がんばって。
 応援してるわよ。
 異界に迷い込んだ人たちは私達が何とかするから思いっきりやりなさい。
“物語”になったらまたお茶会をしましょう、ただの女の子同士の友達としてね」

と書かれたメモと、グリーフシードの詰まった鞄が置かれていた。





 その後、少女達はその日が来るまで、各々修行や精一杯の遊びを行った。
 主にさやかと杏子は一緒に修行を、まどかとほむらは今までを取り返すかのように日常を楽しんで過ごした。
 最後になってもいいように、最期に後悔しないようにするために。
 そして、また明日もそれを続けるために。



 時は流れるように過ぎ、ワルプルギスの夜がやってくる日となった。



[27743] 神堕としの物語
Name: ふーま◆dc63843d ID:2ca49e14
Date: 2012/09/07 21:44
 その日、見滝原は異様な雰囲気に包まれていた。
 突如発生の兆しを見せたスーパーセル、その直撃が予測され、住民に一斉避難が呼びかけられていた。
 空はどんよりと暗く、生温く強い風が吹き荒れ、窓ガラスはぎしぎしと悲鳴を上げていた。
 いつもなら、学校や仕事場へ向かう人間でにぎわう歩道は、不安そうな顔をして避難所に向かう家族の列になった。
 車道も閑散として、悲痛な声で避難を呼びかける街宣車と避難民を乗せたバスが走るくらいだ。
 皆が不安だった。
 自分達の住む町が、家族や友人や同僚がどうなってしまうのかと考えていた。
 けれど、心の底から湧き上がるその不安は、果たして未曾有の自然災害を前にしてのものだけだっただろうか。
 聞こえなかっただろうか、遠くから風に乗って響く甲高い女性の笑い声が。
 見えなかっただろうか、道端のブロック塀や小さな社に謎の記号が書きなぐられていたり、四つ角に釘が打ち込まれているのを。
 嗅がなかっただろうか、鉄錆のような、枯れ草のような、血のような、そんな臭いを風の中に。
 疑問に思わなかっただろうか、いつの間にか自分達の隣を歩いていた見覚えの無い人は、どこで一緒になったのか。
 すでに、ごく自然に侵食は始まっていた。
 それらの変化に気づいたものもわずかにいたが、何が起こっているかまで理解していたものは避難所には一人しかいなかったため、彼らはただ不安を高めるだけだった。
 もし、それらの“侵食”の類に対処するような組織の人間がいたところで、天気が収まるまでに原因を特定するのは間に合わず、嵐が激しくなっている間はろくに行動もできないだろう。
 そして、結果がどうであれ、全ては嵐の終結と共に終わるのだ。





 風の吹き荒れる中、無人の街でほむらは一人立ち尽くしていた。
 まどかは避難所におり、さやかと杏子は近くにある小山で待機している。
 その小山は神堕としの儀式の成功後、集うであろう魔女を発見しやすい高台でもあり、ブロッケン山の代わりになりうる最有力ポイントだ。
 風はビルの間を吹き荒れ怨嗟のごとき声を上げ、これから来るモノに怯えるかのように窓ガラスは震え、街路樹が悲鳴を上げていた。

「来る」

 一瞬、風がやんだ。
 それと同時に地面から霧が湧き出し、全てを覆いつくした。
 その白の先から表れたのは、場違いとも思えるパレードだった。
 色とりどりの旗をはためかせ、着飾った緑の象が行進する。
 これから始まる魔女の宴を盛り上げんと、彼らの主の登場に華をそえる。
 白く塗りつぶされ、今まであった建造物の消えた地面から、ずるずるとビルが生え、元々の街とは似て非なる街が現れる。
 これは隠れるための結界ではない。
 そもそもワルプルギスの夜には隠れて身を守る必要など無い。
 ただ、他人の作った舞台における路上演劇ではなく、自ら作り上げた舞台で公演したいだけなのだろう。
 そして、出来上がった舞台の上で、ワルプルギスの夜が炎によるスポットライトの元に起動する。
 この公演は邪魔が入らなければ彼女の気の済むまで続き、その踊りは現実世界で烈風を巻き起こして街を破壊しつくすはずだった。



 だが、今宵のプリマドンナはワルプルギスの夜ではない。
 暁美ほむらは己の舞台を作るため、儀式の発動のため、すうっ、と眼を閉じ、その透き通った声で詩を紡ぐ。



―還ろう、
 還ろう、
 人でなきものの故郷へ。
 人にあらざるものは、人でなきものの故郷へ。
 人の心なきものは、人でなきものの故郷へ。
 人を失いしものは、人でなきものの故郷へ。
 現に心なきものは、人でなきものの故郷へ―

 それはかつて神隠しの少女が歌った詩。
 異界に飲まれてなお、人と隔てられた境界を越えたいと願い、
 そして、自らを救った友のため、境界を開いた少女の詩。

―人は現
 妖は夢
 心は境界
 血は縁故。
 あるべきものは、あるべき場所へ。
 赤い空は、赤い地へ。
 月日は地平へ還るが約定。ならば還すを望みましょう。
 子供は親へと還るが約定。ならば還すを望みましょう。
 境界は分かたれ、夢は覚め、現は来り、
 肉の絆は夢から現を引き上げ―



それと同時に、異界の空の下で神野陰之も詠うように言葉を紡ぐ。

―理不尽にも、あの青空は今は無く、
 すっかり谺消え、記憶、はかなく。
 ぷすっと七月を殺した秋の霜に泣く―

 それはとある作家が紡いだ詩。
 時の流れに押し流され、遠ざかってしまったものを思い、自らの本の中でのみ境界を越えることができた男の詩。

―類がない、不思議の国に どうぞおやすみ、
 さまよい、夢見れば、日々は進み、
 よろこびの夏は消えゆく、雲霞。

 うかんで漂う川面は広し
 夏、黄金の陽を浴び、心も軽し
 らちもなし、人生は夢、まぼろし―

 ほむらと神野の詩に合わせて、白い空はじわりと赤く塗りつぶされ、白亜の摩天楼は朽ちて崩れ、赤い荒野へと姿を変える。
 赤い空に、月がまるで巨大な眼球のようにぬらりとした光沢で浮かんでいた。
 ぽっかりと浮かぶグロテスクな月が、ほむらの影を赤く染め上げていた。
 草も、葉も、白く色褪せ、瑞々しいままの形で枯れ草の色と化していた。
 やけに乾燥した、その猛烈な枯れ草のにおいに微かに鉄錆を含ませたような奇妙な香りがほむらの鼻を付いた。

「本当の異界へ、人ならざるものの故郷へ、“戯曲の世界”へようこそ、暁美ほむら」

 暁美ほむらと中空のワルプルギスの夜以外に何もいない荒野で、神野陰之が声を掛ける。

『やれやれ、これでお主も儂らと同じモノになってしまったぞ。
 儂と神野が組んで行う魔術だ、失敗はすまいと思うていたが、実際うまくいったようだな』
  
 それに続けたのは、ほむらの中にいる魔術師だ。
 ほむらの耳には、二人の言葉と共に、異界のどこかで魚が、蟲が、草が、異形がざわめく音が入ってきていた。
 新たな仲間を歓迎するように、迷子が帰ってきたのを喜ぶように、そして、新たな神の一柱を崇めるかのようなそのざわめきを。
 それらを聞いてほむらも儀式の成功を実感していた。
 現の魔法少女たる暁美ほむらと異界の魔術師たる小崎魔津方、魔人たる神野陰之、そして“ワルプルギスの夜”の名が持つ性質により境界は曖昧になり、魔女もろともに異界へと引きずりこまれたのだった。

「ええ、うまくいってよかったわ。
 けど、ここがどこであれ、魔法少女が何者であれ、私は私としてここにいる。
 まどかが待っていてくれるから、私はどこまでもいってもただの女の子、暁美ほむらでしかないわ」

 ほむらは感慨深げに、だが確信を持った声で答える。
 その中にいる魔術師がどこか満足げに含み笑いを浮かべたように感じられた。

「さあ、あとは君の戦い次第だ」

 そう言うと神野は手に持っていたモノを地面に放り投げた。
 それは赤が支配する大地に純白のアクセントを加えた。

「いきなり投げつけるなんてひどいじゃないか。
 …それよりも、やってくれたね、暁美ほむら」

 その白はインキュベーターだった。
 宇宙生物たるそれすら物語に引き込むため、ほむらは一匹捕獲して神野に引き渡していたのだ。

「まさか魔法少女と魔女のシステムそのものを変質させてしまおうなんてね。
 このままだと僕達は魔法少女の素質に加えて、霊感もある少女しか相手にできなくなってしまうよ。
 対象がどれだけ狭まったのか分かるかい?
 宇宙を存続させるためのエネルギーが一気に入手しづらくなるんだよ」

 文句を言うインキュベーターに対してほむらはどこ吹く風だ。
 そんなことは分かりきってやっている。
 人類もインキュベーターも存続し続けるとは到底思えないほどの未来の話などほむらには関係なかったし、憎い相手を出し抜けた喜びもあった。
 だから、これまでの意趣返しとばかりに言い放つ。

「絶望のエネルギーがほしいならここから好きなだけ持って行きなさい。
 なにせここは感情のエネルギーが生み出した世界のようなもの。
 貴方が生み出した魔女達が本来在るべき絶望の果てなのだから」

 この地獄にいつまでもいつづけるがよいわ、そんな思いでほむらは言った。
 ざまあみろ、そんな気持ちで言い放った言葉であったが、しかし、神野陰之はそれに乗ってきた。
 感情が無いといってもこの状況を理解しきれていないのだろうか、未だ起き上がらないインキュベーターの前にかがみこむと手を差し伸べた。

「その通り、ここのエネルギーは君達を満足させることだろう。
 君達の願望も叶えよう、この”尽きることない深遠の井戸“からいくらでも汲み上げていきたまえ」

 そう言う神野陰之の手から黒いもやが立ち上りインキュベーターに吸い込まれる。
 そのもやの一片一片が穢れを溜めきったグリーフシードと同様の気配を放っていた。
 その闇に耐え切れないのだろう、インキュベーターの体はぐずぐずと崩れ始め、その耳のあった場所から死肉の色をした手が生え、尾は分かれて触手のようにのたうつ。
 そんな“できそこない”の姿をした肉塊を見てほむらは胸がすくような気持ちになった。
 散々自分達魔法少女を魔女にしてきた相手が同じ異形に堕ちるのだ。
 だが、そんな姿になりながらも彼の口調は変わらない。
 むしろ、感情の無い彼らには珍しく、うれしそうな響きをすら帯びていた。

「これはすばらしいエネルギーだよ、暁美ほむら、神野陰之。
 鹿目まどかを狙わなくてもこれほどとはね。
 新しいエネルギー源としてこの世界を研究する価値はあるよ。
 僕達が役目を果たせるのなら、別に何に変質しようともかまわない。
 それは別として、暁美ほむら、君は勝てるのかい。
 このエネルギーとともに記憶が僕にも流れ込んできたよ。
 時間遡行の願いだったんだね、そこの魔人の存在にすっかり騙されたよ。
 ただ、興味深いことも分かった。
 君は、ワルプルギスの夜相手に一人で勝てたことはないね?
 しかも勝てたと言っても完全に消滅させたことはないじゃないか」

 肉塊と成り果てても変わらない艶消しの、だが決定的に位置のずれたその赤い瞳に見つめられ、ほむらは嫌悪とある種の賞賛を抱いた。
 それにインキュベーターの言うことは実はそのとおりなのだ。
 ほむらは以前のループでワルプルギスの夜に勝ったこと自体はあった。
 ただしそれは他の魔法少女の協力と犠牲、街の壊滅とまどかの大切な人たちの死と引き換えだった。
 しかもその勝利は見滝原からの撃退であって、完全に倒したことは未だないのだ。
 異界の荒野に戦場を移すことでビルや飛礫による攻撃を封じ、街の被害を考える必要がなくなったとはいえ、勝算は高いとはいえなかった。

「それなのに、どうして戦うんだい。
 勝てないのなら、始めから諦めてまどか達を連れて遠くに逃げていればよかったのに。
 あれは受肉した絶望そのものだ。
 ちっぽけな君一人では勝ち目はないよ。
 君が負け、ワルプルギスの夜が『反転』すれば儀式は終わる。
 そうすれば僕の一人勝ちにしかならないよ」

「こう言っているが…どうなのかね?」

 神野もつなげる。
 それに対して、ほむらはマントを翻してワルプルギスの夜を向き、ふっと笑みを浮かべた。





 ちょうど同じ時、さやかと杏子も戦いに望もうとしていた。

「ほむらの読みどおり、この場所だったな」

「そうね」

 眼前には無数の魔女と使い魔。
 神堕としの儀式の影響で異界と混じりつつあるせいか、すべての魔女が同じ結界を共有していた。
 全てが混じりあうその空間は混沌としかいいようがなかった。
 球体がある、落書きがある、朽ちたバイクの車輪に絵画がはまっている、無数の多面体や人を模したマネキンが冒涜的なオブジェを形作っている。

「これほどの数ではね。
 いくら君達でも勝てないなんじゃないのかい。
 それにいくら君達がここで頑張って暁美ほむらの元に魔女を行かせなくても、どうせ彼女一人ではワルプルギスの夜には勝てないだろうしね」

 そこにいたのは異界に引き込まれたのとは別のインキュベーターだ。
 既に向こうの影響を受けてその形は崩れてきているが、二人にとっても彼ら自身にとってもその姿もそれが問いかけた疑問も瑣末なことだった。

「私はほむらを信じるって決めたんだ。
 今更何を言うんだい」

「そうだよ、それにやってみなければわからないじゃない」

 杏子とさやかが言い返す。

「どうしてそんなにこだわるんだい。
 わけがわからないよ。」

 その言葉に二人はふっと笑みを浮かべた。





「そう、これまでは勝てなかった、今回も分からないけれど―」
 
 ほむらが言う。
 
「可能性は低いかもしれないが―」

 杏子が言う。

「私じゃまだ力不足かもしれないけど―」

 さやかが言う。
 
「「「―それでも希望(ゆめ)に挑まずして、何の人間よっ!!!」」」

 3人の声が世界を超えて重なる。
 魔法少女としてではなく、異形としてではなく、ただ人として願望のため戦う。
この物語、最後の戦いが幕を開けた。




[27743] 最終話~追憶~
Name: ふーま◆dc63843d ID:2ca49e14
Date: 2013/11/05 23:25
「頑張って、暁美さん、美樹さん、佐倉さん……」

 とある“家”にて巴マミは祈りを捧げていた。
 彼女の周りには無数の子供たち、そして、黒い服の少年と臙脂色の服の少女。
 皆が共に祈っていた。
 そして、祈りを捧げていたマミが立ち上がり、気合を入れるように顔をはたくと皆を見渡して言う。

「さあ、私達も動きましょう。
 暁美さん達との約束通り、儀式の巻き添えは一人も出さないわよ。
 迷い子さん達を助けに行きましょう」

「「「はい!」」」

 それに子供たちは口々に答えると年長者を中心に連れ立って部屋を出て行く。

「皆、死なないでね」
 
 マミは、最後に祈ると部屋を出た。
 異界に呑まれそうになった人を助けるために。





 避難所でまどかは家族と共にいた。

「この街は大丈夫かねえ」

 そうつぶやく母に、まどかは力強く答えた。

「大丈夫だよ、私、信じてるから」

 その顔つきを見て意外そうな、感心するような顔を見せる母の後ろに蠢く異形があった。
 白いモチを無茶苦茶につき、合いの手を何本も巻き込んで混ぜ込んだようなそんな姿に、赤いビー玉のような目だけがそれがまどかの知るモノであることを伝えていた。

『信じてると言ったって、君が戦うわけじゃないだろう。
 君が祈ったところで、彼女達の勝敗には影響はないよ。
 確実に勝利したいのなら、君が魔法少女になるべきだ』

 その塊、インキュベーターだったものに、まどかは心の中で答える。

『感情がある生き物はね、やるだけやった後は祈るものなんだよ。
 叶えてくれる人がいなくっても、願いが届いて欲しい、この祈りがわずかでも後押しになってくれればってね。
 それに、これが私達が決めた最善なんだもの、裏切るわけにはいかないよ』

 その塊は、どこかはもう判らなくなっていたが、首を左右に振ったように見えた。

『やれやれ、じゃあ、結末が判るまでは待機だね。
 僕は向こうにもいるから、勝敗がわかったら教えてあげるよ』

 それを聞くとまどかは窓の外を見上げ、澱んだ空に再び祈り始めた。

「ほむらちゃん、さやかちゃん、杏子ちゃん…がんばって」





「いくわよ」

 ほむらが己の溜め込んだ戦力を解放するため時間停止を発動させる。
 瞬き一つの時間で現れたのは、人類が戦うために生み出した兵器の数々だった。
 異界の赤い荒野に広がるのは戦車に大砲、ミサイルの大隊。
 赤い空を背にするのは戦闘ヘリの部隊。
 無骨な兵器に囲まれたほむらが最後に懐から取り出したのは、大振りではあるが しかし、居並ぶ兵器には見劣りするであろうナイフだった。
 だが、それはほむらにとって最も心強い武器であった。
 その短剣の名は“魔女の短剣(アセイミ)”、かつて神に挑んだ魔術師の刃。
 そして自分の運命を受け入れ、立ち向かうほむらの決意の象徴。

「絶望を超えなければ進めないのなら、超えるまで」

 刃を見つめてほむらは言う。

「まどか、あなたならこう言うでしょうね。
 『できるよ!』と」

 そしてほむらは短剣を掲げて高らかに叫んだ。

「『未だ人である我が望みと我が名において、我は絶望を討つことを誓言する!』」

 呪文の振動を持った魔法少女にして魔術師の弟子たるほむらの<誓言>。
 その<誓言>と同時に、ほむらの気配が爆発的に燃え上がった。
 それに応じ、自らの主を讃えるかのごとく、大砲が、戦車が、戦闘ヘリが、その砲塔を、その翼をきしませる。
 そして短剣を掲げたままのほむらの口から詠唱が流れ出した。
 流れるような、ラテン語の呪文が紡ぎだされ、空気を振るわせた。

「…オムニポテンス・アエテルネ・デウス・クゥイ・トータム・クレアトゥラム…」

 大気を直接振動させるように、ほむらの口から呪文が流れ、それと同時にほむらのまとう空気が変質する。
 湿った“異界”の空気を一掃し、全く違う強い“意識”の気配が漂う。
 気配はほむらの背に純白の翼となって顕現する。
 古の魔法<召喚(コンジュレイジョン)>、天使の翼をまといほむらは飛び出す。
 それに従い、兵器達もその身を震わせて時の声を挙げ、その武器をワルプルギスの夜に向ける。
 ワルプルギスの夜も、相手を認識したのだろう、その身を震わせてほむら達へと向かう。

『人が創造した全てと、人が想像した全てでもって挑ませてもらうぞ。
 打ち合わせ通り高位の魔術詠唱は私に任せ、お前は部隊を指揮して攻め続けろ。
 夜は夜らしく、永遠に闇に眠ってもらおうとするか』

「そして私たちは夜明けを迎える。
 さあ、決着をつけましょう。」

 右手の短剣を相手に向け、ほむらは表情を引き締めた。

『征くぞ、小娘。
 いや、暁美ほむら!!!』

「ええ、行くわよ!!!」

 鉄(くろがね)の使い魔を引き連れ、“魔女”が飛ぶ。
 戯曲の共演者を見つけた「魔女」が迎え撃つ。


 異界の空に、轟音とけたたましい嗤い声が響いた。





「数が足りないって言ったな、キュゥべえ」

 杏子はキュゥべえを見つめると、にやりと笑って槍をぐるりと振り回し、すうっ、と息を吸った。
 そして告げる、彼女の固有魔法の名を。

「見せてやるよ、ロッソ・ファンタズマ!」

 その宣言と共に、杏子が一人、また一人と現れ、5人の杏子が並んだ。

「行くぜ!」

 全ての杏子が武器を振り回して魔女に襲いかかる。
 5本の多節槍が魔女を使い魔ごと薙ぎ払った。

「君の魔法は幻影だったはず、何故それが実体を持っているんだい?
 それにそもそも君は家族が死んでからそれを使えなかったはず…」

 キュゥべえの疑問に杏子が答える。

「確かにそうさ。
 けどね、私はさやかに出会って、こうしてまた歩き出すことができた。
 本当の言葉を聞いてくれる奴らと一緒になれた。
 だからかな、この夢を現実にしたいと思ってたらいつの間にか出来ていたのさ。
 最も、マミ印のグリーフシードがなきゃすぐ魔力切れだろうけどな」

 言葉と共に投げられた使用済みのグリーフシードを吸収するキュゥべえに、今度はさやかが声を掛けた。

「この“闇を切り裂く聖剣”さやかちゃんも忘れちゃ困るよ。
 “神経融合(ブレイク)”アンド“筋力増強(ブースト)”!」

 風のようにさやかは魔女の間を駆け抜ける。
 攻撃をことごとくかわし、払い、そして力ずく叩き切り細切れにする。
 元の場所に戻ると同時に、通り道にいた十体近い魔女が崩れ落ちる。
 杏子とさやかは互いに背中を預けあい、不適に笑っていた。

「あんたらには悪いけどさ、このお話の結末はこうさ。
 悪い魔女はいなくなり、いい魔女だけが、小さい魔女だけが残るのさ」

 杏子は再び槍を構える。

「懐かしいね、その童話、私も好きだったよ。
 最後に意地悪な大きい魔女達から魔法を取り上げて、相棒のカラスと二人で踊るラストは痛快だったね」

 さやかも、表情は少々こわばっているものの、剣を構えながら笑って返す。

「今回は私が小さい魔女でこいつがその相棒さ。
 大きい魔女さんには、ご退場願おうか」

「あたしがカラスってこと!?
 まあいいわ、こっちは私と杏子の宴、私達二人のワルプルギスの夜だ」

 危機的状況にも拘らず軽口を叩き合った二人は背中を守りあうように、武器を構える。
 そして二人はニカリと笑い、歌いながら戦いの舞台で舞い踊る。

「ワルプルギスのよーる」

「「ワルプルギスのよる、ばんざい!!」」



 それらの戦いは一般に知られることはなかった。
 その日、見滝原市で予測されたスーパーセルの発生は起こらなかった。
 激しく澱んだ風が吹き荒れはしたが、長続きはせず、その後はさわやかな晴れ間が広がったという。
 結局死者は一人も出ず、不安に染まっていた避難民の顔にも笑顔が戻った。
 この異常気象の発生と急な消滅はしばらく話題になったが、眼に見える被害がなかったためしばらくして起きた別の事件に流されて忘れられていった。
 当初の混乱の中で数名の行方不明者が出ていたが、世間ではどうせ連絡の行き違いかなにかだろうと考えられた。
 彼ら彼女らが見つかったかどうかまで気にしている者はその仲間や家族以外には誰もいなかった。





―――――
――――
―――


―――ある時、都市伝説を聞いた。
 どんな願いでもかなえてくれる純白赤目の小動物がいるらしい。

―――ある時、都市伝説を聞いた。
 魂の底から望む、その願望こそをかなえてくれる漆黒の魔人がいるらしい

―――ある時、都市伝説を聞いた。
 一人ぼっちで寂しいとき、受け入れてくれる部屋があるらしい。
 金髪巻き毛の優しいお姉さんがお茶をだしてくれるが、長居しすぎるとその部屋に取り込まれてしまうという。

―――ある時、都市伝説を聞いた。
 朽ちた教会があった場所に孤児院が建っている。
 その孤児院には、どこからともなく、行方不明だった子供が帰ってくることがあるらしい。
 その子の手を引いていたのは、赤毛の美女だったという話がある。

―――ある時、都市伝説を聞いた。
 若くして名を上げたヴァイオリニストがいる。
 そのコンサートは常に満員だという。
 空席だったはずの席にもいつの間にか子供が座っているからだという。
 その子供達と、そのヴァイオリニストの婚約者が話しているのを見た人もいるという。

―――ある時、都市伝説を聞いた。
 都市伝説の舞台を興味本位で探し歩き、暗がりや廃ビルをさまよっていると、黒い長髪の美女に警告され、気づいたら別の場所に飛ばされることがあるらしい。
 別のパターンだと、若い夫婦に警告されたという場合もある。
 こちらの場合は突然消えるのはこの夫婦のほうらしい。
 この夫婦の男の方は黒い服、女の方は赤い服、そして、小さな男の子を連れていたという。





 この街、見滝原を訪れたのは、この街を舞台にした都市伝説に、かつて関わった事件を思い出させる物があったからだ。
 この街にこれらの都市伝説が流れ始めたのは、自分に憑いていた子供の気配を感じなくなってからだという時間の一致も気になった。
 ひょっとしたら、ここでも本当に何かあったのかもしれない、そう思いながら今日一日この街を歩いていた。
 とはいえ、大した収穫はなかった。
 持っている鈴も反応することはなかった。
 最も、反応したところでわざわざそれに近寄るかと言われると恐怖が先に立ってしまうだろうが。

「それにしても、この施設に上条恭介も出資していて、先生の一人が婚約者なんてね。
 皆で今日のコンサートに出かけてるとは予想してなかったよ」

 都市伝説にあった孤児院の下になったであろう児童養護施設を眺めて自嘲気味にそうつぶやく。
 少しは情報があるかと思ってきてみたはいいが、あいにくと無人だった。
 近所の人が留守の訳を親切に教えてくれたが、事前に知っていればバス代を無駄にすることもなかった。

「はあ、そろそろ行かないとな」

 この街に来たのは、元々といえば妻がファンである上条恭介のコンサートのチケットを取ったことがきっかけだ。
 会社を休んでコンサートまでの時間を探索に当てていたが、そろそろ移動して妻と合流したほうがよさそうだった。
 そろそろ彼女の仕事も終わるはずだ。
 孤児院の庭に植えられていた桜の木をぼーっと見つつそんなことを考え、きびすを返した。





「早く早く、今日は“みんな”も来るんだから!」

 バス停に向かう途中、横道から元気そうな少女が走り出してきた。
 後ろには、彼氏だろうか、少年が追いかけてきている。

「まってよ、ゆま~。
 それに“みんな”ってだれだよ、ぼくにも教えてよ~」

「ヒミツっ!」

 微笑ましいカップルを見て、自然と顔がほころぶ。
 その姿に、かつての親友を思い出す。
 彼らには自分の親友が辿った悲劇に、異界に触れないことを祈りたい。
 そう、彼らを見ながら思っていると、

「ゆまもたつやも、そんなに急がなくても間に合うのに」

もう一人、若い女性が同じ道に出てきた。
 桃色の髪のかわいらしい女性だ、とふと妻にどやされそうなことを思った。
 それと同時に、妻へ自分の到着時間を伝えなくてはいけないのを思い出し、メールを打とうと携帯を取り出そうとした。
 その時、りりりりんと、鈴の音がして、さきほどの女性が携帯に出た。
 普通に見ればそれは古風な趣味の着メロだと思うだろう。
 だが、その鈴の音は携帯電話ではなく、そのストラップに取り付けられた玉の無い鈴から出ていたのだ。
 そんなものの心当たりは一つしかなかった。

(なぜ、こんなところに!?)

 あれは自分が神野陰之から受け取った異界を感知できる鈴と同じものだった。
 異界に関わる物の突然の出現に心を取られて固まっている自分に気づかず、その女性は立ち止まって楽しそうに話していた。
 ちょっとした連絡くらいだったのか、数分で電話を切るとこちらに気づいたらしい。
 固まる自分を怪訝そうに見られ、弁明しようと口を開こうとするがなんと言っていいのか分からない。
 すると、りん、と自分とその女性の持つ鈴が同時に鳴った。
 すると、その女性は一瞬驚いたような顔をしていたが、何かを悟ったように穏やかな顔をし、声を掛けてきた。

「もしかして、あなたが“追憶者”さん?」

 その名で呼ばれるのは久しぶりだった。
 驚きを隠せないが、これであの鈴はあの魔人絡みだということを確信する。
 肯定すると、彼女はこう続けてきた。

「あなたに、聞いてほしい物語があるの。
 とある少女達の祈りと、願いの物語を」
 
 その頼みを断る理由はなかった。
 彼女もまた、自分と同じように“追憶”すべき物語を持っているのだろう。





 そうして、彼女に聞いたのがこれまでの物語だ。
 彼女達の戦いが最後どうなったのか、戦いの後現在まで生き延び、その願望を叶えることはできたのか。
 コンサートの開演時間が近くなってしまったため、そこは終わってから聞くことになっている。
 共にかつての事件を歩んだ妻に隠す気はないが、彼女が来たのは開演ギリギリだったので話すのも終わってからになるだろう。
 開演までの微妙な時間、気持ちを悟られないように妻が持ってきた雑誌を手に取った。
 ぱらぱらとめくって見つけた上条恭介特集、そして、彼と一緒に移る友人達の写真を見つけてにやけてしまった。
 妻がいぶかしげな顔で尋ねてくるが、答える前に開演のベルがなった。
 そして挨拶の後演奏が始まった。
 物語の結末は未だ知らない。
 だが、予想はできる。
 話をした彼女の陰の無い笑顔が、写真の中の長い黒髪が、そして演奏される力強い音楽が、その物語の続きを示しているようだった。             
                                                                                                                     魔法少女奇譚 完



[27743] 外伝~光と影の物語~
Name: ふーま◆dc63843d ID:2480e900
Date: 2013/11/05 23:28
 あるところに、魔法に憧れた少年と少女がいました。

 少年は、魔法の奥深さとその知識に惹かれました。
 少女は、魔法の力で皆の為になりたいと憧れていました。

 少年は、自分の為に魔法を学びます。
 そこに迷いはなく、どこまでも深く、深く学び、いつしか少年は大人になっていました。
 そして、もはや書物も、他の魔術師も彼に教えられるものはなくなってしまいました。
 少年だった男は、ある日、巨大な力の流れである闇に向き合うことに成功します。
 そして、力と引き換えに闇に自分の名前を渡し、人間ではなくなってしまいました。

 少女は、人の為に魔法を使おうと考えます。
 そこは迷いだらけで、大切な人たちが苦しみ、倒れていくなかでいつしか少女は一人になっていました。
 けれど、彼女達は少女にたくさんのことを教えてくれました。
 少女は、ついに巨大な力を持つ自分の資質をどう使うか、自分の中の本当の気持ちに向き合うことに成功します。
 そして、運命すら捻じ曲げる力と引き換えに自らが希望の光となり、人間ではなくなってしまいました。

 闇になってしまった少年は、人の強い『願望』に呼ばれて現れます。
 そして言うのです。
 あなたは正しいと。
 そして闇に向かう『願望』を叶えるのです。

 光になってしまった少女は、願いを叶えた魔法少女が力尽きる時に現れます。
 そして言うのです。
 あなたは間違っていないと。
 そして魔女という闇に堕ちる前に魔法少女の魂を救済するのです。

 似ているようで正反対な、そんな少年と少女の成れの果て。
 交わらないはずの二人が出会ったら、どうなるのでしょうか。
 ………おや、どうやら少年が少女に呼ばれたようです。





 この場所には時間は無い。

 古風な雰囲気の喫茶店に、唯一違和感を与えているのは映写機だ。
 店の白い壁に映像が映されている。
 二人の少女はそれを見つめている。
 そして、

“Don’t forget.
Always, somewhere,
Someone is fighting for you.
---As long as you remember her”

 そのテロップと共に一人の少女が敵に向かい飛び出し、映像は終わった。
 後には、その映像に出てきた少女達のシルエットと、The endの文字だ。

「やさしく、そして悲しい『物語』だね」

 いつからいたのだろうか、いつの間にか二人の隣の席に男が座っていた。
 その古風な喫茶店が似合う、時代掛かった男だ。
 黒よりもなお暗い、それでいて全くの闇でもない夜色の外套に身を包み、画面を見つめながら男はたたずんでいた。

「そう、だから私は願ったの。
 みんなが悲しまないように、苦しまなくていいように、希望を抱いたことが間違いじゃないっていうために」

 少女の片方が男に応えた。
 男とは正反対の桃色がかった白色をした朝色の夜会服に身を包み、穏やかな顔を浮かべていた。

「本当にそうなら、こうして私と君が出会うことはないはずだよ。
 “名付けられた光”、“円環の理”にして“救済するもの”、鹿目まどか」

「貴方の言うとおりだよ。
 “名付けられた暗黒”、“世闇の魔王”にして“叶えるもの”、神野陰之さん。
 私はこの姿になって、ありとあらゆる世界を、可能性を見てきたもの。
 だから貴方がどういった存在なのかも理解してる」

「私も全て知っているよ。
 闇は全ての根底にあり、境界を塗りつぶして全てを繋げるものなのだからね。
 君も私も、願いのために人であることをやめ、もはや神や概念といった存在だ。
 ただ、君は絶望に染まり破滅するしかなかった魔法少女を救うためにそうなり、 私は力を、闇を求めた自らの願望のためにこうなった。
 同じような存在となった我々であるが、正反対の存在でもある。
 私は魔法少女ではなく、自ら闇を求めたから、君が私を救済することはできない。
 例え私が形を得た絶望そのもので、全ての絶望の肯定者であったとしてもね。
 だが、神野“三郎”陰之と、兄の犠牲の上に知恵と生命の実を掴んだ“三郎”たる鹿目まどか、この二人が出会う奇跡があった。
 それはつまり、君のほうに私を呼び寄せる願望があるということになる。
 そのことも理解しているというのだね」

 そう言うと、神野はまどかに眼を向ける。
 その深遠に繋がるような昏い瞳を正面から見つめ、まどかは答える。

「うん、世界を見てるとね、思うの。
 私は幸せだったんだって。
 大切な家族がいて、友達がいて、おいしいものが食べれて、学校に通って………
 私が救済した魔法少女の中には、そんな幸せとは無縁で、孤独で、戦って、裏切られて、絶望して魔女になっていった子達がたくさんいたの。
 私の祈りで、そんな皆を魔女にしないで、希望を抱いたときの気持ちで穏やかに逝かせてあげることができた。
 だけど、彼女達がつらい人生の末に若くして死んでしまう、その運命は変えなかった。
 そこまで変えちゃうと、彼女達の祈りと死が世界を変えていった歴史がすべて別のものになっちゃうから。
 私のわがままだよ、祈りが無駄になって欲しくないって思いで、皆が生きている間の辛さはそのままなんだから。
 そんなわがままな私が、考えちゃうんだ。
 ほむらちゃんと一緒に過ごしたかった。
 さやかちゃんと、マミさんと、杏子ちゃんとも、普通に女の子として遊びに行ったり、買い物に行ったりしたかった。
 ママと、パパと、たっくんと、もっと一緒にいたかった。
 たっくんが大きくなるのを見て、そして、ママと一緒に、お酒が飲めるようになりたかった。
 わがままだってわかってる、そんな資格はないって、けど、考えちゃうんだ」

 淡々と言うその声、けれどその目には涙が浮かんでいた。
 神野陰之とは違い、人の心を持ったままであるやさしい少女には、辛い役目だったのだ。
 まどかは大切な家族と、友人達、そして自分の為に戦い続けた親友をずっと見守ってきた。
 けれどもそこにはまどかはいないのだ。
 風のごとく偏在し、春の空気のように暖かく包み込み、共通意識の片隅に存在することはできる。
 しかし、人として隣に立ち、その腕のぬくもりで包み込み、共に意識しあい語り合うことはもうできないのだ。
 神野の瞳を見つめるように、自らの心の深遠を、願望を見つめたとき、どうしても消しきれない思いは残っていた。
 鹿目まどか自身が覚悟して得た願いの対価であり、苦しい生の果てに最後を迎えた他の魔法少女を見てきた身としてそれがわがままだとわかっていたからこそその思いは押し殺されてきた。
 だが、その思いは神野陰之を呼んでしまった。
 全てを知ることのできるまどかは、彼が現れる事がどういうことかも知っていた。
 だから、この出会いが成された事で自分の未練がどれほどのものかはっきり分かってしまったのだ。
 そんなまどかを、先ほどまで黙っていた隣の少女が優しく抱きしめる。

「まどかが苦しむ必要はないよ。
 私が勝手に願って、勝手に力尽きちゃったんだから。
 むしろわがままなのは私たちのほう。
 そんなわがままで馬鹿な私たちを、まどかが救ってくれたんだよ。
 感謝こそすれ、だれもまどかを責めたりしない」

 そこまで言うと、その少女のほうも耐えられなくなったのか、涙を流し始める。

「謝るのは私のほうだよ。
 私があんな馬鹿な真似をしなかったら、まどかの話を聞いていたら、あんたはこんな姿にならなくてもすんだかもしれなかったのに。
 ごめんね、まどか」

「ううん、いいの。
 そう言ってもらえるだけでうれしいよ。
 ありがとう、さやかちゃん」
 
 二人の少女はしばらく抱き合って泣いた。
 溜め込んでいたこころの内、それは少女達にとって大きいものだった。
 神野は二人の姿をじっと見つめていた。


 
 ようやく落ち着いた二人は、マスターがいれたココアを手に取り、神野に向かい合っていた。
 神野はまどかに向かって語りかける。

「それが君の願望、最後に残った未練だね。
 『家族や友と過ごす平穏な日常』、簡単なようで、得るのも維持するのも大変なものだ」

「そのとおりだよ。
 さやかちゃんのおかげで、その思いに正直になれた。
 私も貴方と出会うことがどういうことか理解してる。
 でも、叶えられるの?」

 神野の顔は、不安そうなまどかを嗤うような、その感情を失った自分を嘲笑っているようなそんな顔をしていた。
 そして断言する。

「叶うとも。
 君は私と違い『願望』を持っているのだから。
 平行世界の一つ、私の基準となった物語のある場所、そこの暁美ほむらに頑張ってもらうとしよう。
 彼女ならば私を呼ぶだけの『願望』を持っているし、君の神に成りきれぬ部分と 私で改変前の状況を残すことができるからね。
 そこには君たちと同じ魂のカタチを持つ鹿目まどかも美樹さやかもいる。
 美樹さやか、君も見たいだろう。
 風の精に救われて終わる人魚姫ではなく、王子と結ばれる人魚姫の物語を。
 もっとも、魔法少女の末路については彼女らの願望の強さによるがね。
 彼女たちの祈りが強ければ、私も干渉できる、そんな世界だ。
 彼女達の願望ならば、最後に残されたその世界でも魔女達の救済が成るやもしれぬ」

 そう言うと、神野は二人をみて笑う。

「無くした未来を、ここでまた見ていくといい」

「えっ、今から!?」

 穏やかだった空気を壊すようにさやかが素っ頓狂な声を挙げた。

「驚くことはない、我々には時間というものはもはや関係ないのだよ。
 我々の仕事は永遠に続くが、また同時に一瞬で終わるものでもあるのだ。
 そうだろう、鹿目まどか」

 それに対し神野は笑みを浮かべて答える。

「うん、そうだけど……」

 まどかは答えるが、急に眠気が襲ってきた。
 隣を見ると、さっき声をあげたばかりのさやかはもう眠っていた。

「さあ、終わらない夢を見るといい。
 ここには夢を壊すアリスはいない。
 これは、もう一つの、暁美ほむらの、魔法少女の物語だ。
 夢ではあるが、同時にれっきとして存在する一つの世界、鹿目まどかの人生の一つだよ。
 私が失ってしまった願望、それを持ち続ける君をうらやましく思うよ」

 その眠気の中、狭まっていく視界の中で、神野陰之は微笑んでいたようにまどかには見えた。
 そこにどこか優しげな雰囲気が漂っていたようにまどかが感じたのは、眠気が見せた幻だったのだろうか。

「おやすみなさい、よい夢を」





 この場所には時間は無い。
 どこにでもあり、どこにもない喫茶店。
 その喫茶店のソファーに、二人の少女が寄り添って眠っている。
 二人の体には夜色の外套が掛けられていた。
 夢を見ているのだろう、桃色の髪をした少女が、少し寂しげながらも笑顔を見せる。
 カウンターに置かれた二つのグラス、その氷が、かろん、と音を立てた。
 少女の頬を、一筋の涙が伝った。






 遠く離れた世界、鹿目まどかの基準となった物語のあった場所。
 そこで一人の魔法少女が最期を迎えようとしていた。
 長い、長い日々だった。
 いなくなってしまった親友が大好きだった世界を守る為、戦って、戦って、戦い続けた。
 彼女のおかげで魔法少女が魔女になることはなくなり、少女達が守りたかった人々を襲ってしまう悲劇はなくなった。
 それでも魔女の替わりに魔獣は生まれ、人々の争いはなくならなかった。
 そんな世界を見続けながらも少女は絶望することなく戦い、彼女の替わりに守り続けた。
 この世界から彼女の存在は消えてしまった。
 けれどもその少女には彼女との思い出が残された。
 それを支えに生き続けた。
 いつかまた会える日が来ると信じて。
 魔法少女の肉体だからわからないが、もう少女とは呼べない年齢にまで生きた。
 後輩も育った、共に戦うことの多かった仲間達も健在だった。
 そんな折にあった魔獣との大規模な戦い、運悪くも一人で立ち向かい、勝利した。
 空耳なのかもしれないが、彼女の、

「がんばって」

という声が聞こえたから少女は踏ん張ることができた。
 戦いの結果ソウルジェムは濁りきってしまったが、少女の心には安堵があった。
 ようやく彼女と会える、その思いだけがあった。
 そして戦いの疲れもあり目を閉じる。
 後は迎えに来た彼女が起こしてくれるだろう、と安らかな眠りだった。
 少女は夢を見た。
 そこでの少女は、まだ時を渡って彼女を救おうとしていた頃だった。
 少女の知らない物語だった。
 少女は漆黒の魔人に出会い、魔術師に出会い、少女は友人達と、彼女と共に歩んだ。
 願望と、闇と共に、人間として生きた。
 ワルプルギスの夜に挑み、そして………………

 夢が終わり、少女は目を開ける。
 そこには、ずっと待ちわびた彼女の姿。

「これからは、ずっと一緒だよ」

 彼女は言った。

「これからも、でしょう?」

 少女は、微笑みながらその手をとって答えた。



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