その洞窟は、とある城から数里ほど離れた山の中にあった。
長い年月をかけて山肌と同化した入り口は、その存在を知っている者であろうと発見は困難であろう。
ゆえにここを訪れる者など皆無であり、また、付近に生息する動物たちや――――辺りを徘徊する魔物たちでさえも、この洞窟から発せられる〝ただならぬ気配〟を本能で感じ取り、一切近付こうとしない。
人々に忘れ去られた古の洞窟――――。
そこに足を踏み入れる、一人の戦装束に身を包んだ若者の姿があった。
『わたしを 呼びさます者は だれだ……………』
洞窟の中、闇の中から声が聞こえる。
太く、重く、底知れぬ力を感じさせる男の声。
長い年月、誰も訪れていなかったにも関わらず、洞窟の中は松明によって明るく彩られていた。
『わたしは 破壊と 殺りくの神 ダークドレアムなり……………』
闇がうごめく。
松明の炎が照らす光の先に、その声の主が見えた。
遠目には、屈強な肉体と鋭い両刃の剣を持つ男性に見える。
しかし、その体躯は若者と比しても三倍近く、放出される圧力は、通常の者であれば対峙しただけで意識が刈り取られそうなほどであった。
魔神、という表現がこれ以上ないほどに似合う存在だ。
黄金の瞳がギラリと光り、視線の先に立つ若者を見据える。
『わたしは だれの命令も うけぬ!』
剣を握った腕を振り払い、魔神は一喝する。
同時に放出される重圧、プレッシャーが倍以上に膨れ上がり、若者の足を一瞬、止める。
しかしそれも一瞬、一言も発せずとも強靭な精神力で重圧をはね除けた若者は、腰に下げた長剣を右手で振り払うように抜き放つ。
青く、蒼く、透き通るように澄んだ、それでいて底知れぬ魔力を伴った美しい意匠の長剣。
銀河の剣、と呼称される伝説の武具を片手に戦闘状態へと移行した若者をねめつけ、魔神もまた呼応するように己の愛剣を振るった。
『ただ すべてを 無に かえすのみ! さあ かかってくるがいい! 』
『ダークドレアムのこうげき! ギンガは 受け流した! かいしんのいちげき! ダークドレアムに1027のダメージ!』
『ダークドレアムをたおした!』
「いよっっっっっっっしゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ドレアムLv99ソロ撃破完了ォォォォォォォ!!」
ところ変わって、二十一世紀の日本。
自室のベッドに寝そべり、DS片手に絶叫する一人の少年の姿があった。
壁にかけられた時計は既に午前二時を示しているというのに、全く眠気を感じさせないテンションである。
「苦節2000時間……………俺の努力もようやく実を結んだぜ……………」
ここで、一つ解説しておこう。
冒頭の文、そして少年が今言っているのは、「ドラゴンクエスト9」と呼ばれるロールプレイングゲームのことである。
スクウェア・エニックスが発売しているこのソフトは、日本が誇るビッグタイトルRPG本編の九作目にして、国内総売上432万本を達成するという超人気タイトルなのだ。
特徴としては、旧作のように決められたキャラクターを操作するのではなく、主人公の容姿をある程度自由に変更できること、戦闘にはシンボルエンカウント(フィールドに表示されているモンスターと接触すれば戦闘が開始される)方式が採用されていることなどが挙げられる。
他にもダーマ神殿や錬金釜、ルイーダの酒場、スキルシステムなども旧作から引き継がれ、またDSというハードを生かしてのWi-Fi配信など、まさにシリーズ集大成と言っても過言ではないほどのボリュームなのである。
中でもやりこみ要素として人気なのが、「宝の地図」と呼ばれるシステムを利用して、過去作の歴代魔王と戦闘できること。
これらのボスに勝利すると、戦闘終了後に経験値を与えることができ、それを繰り返す事でボスの強さ、つまりLVは上昇していく。
中でも先ほど少年が戦っていた相手――――「ダークドレアム」は魔王の中でも最強と噂される存在であり、LV1時の基礎能力からして他の魔王より数段優れているという「強い、硬い、速い」の三拍子が見事なまでにそろっている優秀な(?)ボスなのだ。
LV99ともなれば、攻撃力は1500、守備力は900を越え、完全に三回行動を行い、打撃・炎氷ブレス・攻守増強呪文・風属性全体攻撃・マダンテといったバランスのとれた攻撃などなど、まさに鬼神の如き強さを発揮する。
聞けば、これほどまでの強さになったのは、制作者が「勝てなくてもいいや」という方針のもとパワーバランスを調整したからだとか。
しかし、だがしかし。
ユーザーの力とは恐ろしいもので、例え開発が匙を投げても、何度理不尽な負け方をしようと、必ず攻略法を見つけ出すのが通例。
今回もその例に漏れず、この少年は、レベルが99の四人パーティでも苦戦必至な魔王を、なんと、主人公一人で討伐することに成功したのだ。
その余韻に浸り、少年は特に意味はないが「つよさ」と表示されるコマンドを選択。
そこに表示されているのは、文字通りこのゲーム内でのキャラクターの持つステータスだ。
名前・ギンガ
性別・おとこ
職業・僧侶
Lv:99
()はスキル補正
ちから:973(+100)
すばやさ:999(+200)
みのまもり:870(+200)
きようさ:516(+210)
みりょく:246(+100)
かいふく魔力:700(+300)
こうげき魔力:300(+300)
さいだいHP:999(+300)
さいだいMP:435(+120)
攻撃力:999
守備力:999
装備:
E.銀河の剣
E.ウロボロスの盾
E.しんぱんのかぶと
E.セラフィムのローブ
E.かみわざのてぶくろ
E.ぜったいのズボン
E.オベロンのくつ
E.ラッキーペンダント
スキル:
剣:100pt
素手:100pt
棍:100pt
オノ:100pt
扇:100pt
盾:100pt
ゆうかん:100pt
しんこう心:100pt
まほう:100pt
きあい:100pt
おたから:100pt
きょくげい:100pt
とうこん:100pt
はくあい:100pt
フォース:100pt
サバイバル:100pt
さとり:100pt
オーラ:100pt
なんというか、まあ、所謂極めキャラというやつであった。
遅れたが、ちなみにこの少年、名前を氷川銀河という。
彼のキャラが銀河の剣を愛用しているのは、この辺りのこだわりからだったりする。
「あー……………やっべ、感無量だわ…………」
目を閉じれば思い出す、今までの苦労。
数えるのも馬鹿らしくなるほどの数の種・木の実でドーピングにいそしみ、その種・木の実を落とす魔物をカンストの数倍に至るほど薙ぎ倒し、時には錬金成功のためPCに繋いでセーブデータのバックアップをとり、電車やバスの中でも時間を惜しんでレベルを上げてスキルポイントを貯め、ボスが倒せなかったら十数時間もぶっ続けで同じ相手に挑んだ2000時間。
全てが、この時のためだ。
「これで討伐モンスター100%…………錬金レシピも100%……………転生回数もオール10!」
今度はDSのセレクトボタンを押し、「せんれき」を呼び出す少年。
「収集アイテムコンプ……………クエストも全クリア…………! そしてファッションもコンプ!」
そこにあったのは、今までの苦労の証。
およそドラクエ9で出来る事のすべてをやり尽くした証拠が、DSの液晶に映し出されていた。
「長かった…………本当に長かった…………」
セーブし、DSをたたみ、静かにベッドに横になる少年。
その顔は、誰がなんと言おうと、まさに長年に渡って苦労を続け、それが報われた「男」の顔だった。
ちなみに、ドラゴンクエスト9は、既に発売から二年ほど経過している。
発売当時高校生だった彼は、いまや大学生。
ドラクエをやりこみながらも、勉強、試験、部活、友人関係、時には恋愛、受験、その全てをこなし、時には友人の「まだドラクエやってんのかよ」という声に耐え、時にはモンハンの誘惑に耐え、二年の歳月を経てでも、こうしてドラクエ9の全コンプリートを遂げたのは賞賛に値するであろう。
少年――――いや、青年は、元来ひとつの事に熱中すると、それをとことんやりこまなければ気が済まない性格だ。
今回はたまたまそれがドラクエだっただけの話なのであり――――もし先に似たようなゲームを触っていたら、恐らく青年はそちらをやりこんでいただろう。
恐らく、最もネトゲに触らせてはいけない人種である。
それはともかく。
「あー………………」
ベッドに大の字になって、気の抜けた声を上げる青年。
いや、事実気が抜けているのかもしれない。
これほどボリュームのあるゲームをコンプしたのだ、その達成感たるや本人にしか分からないであろう。
彼は寝そべりながら手を伸ばし、部屋の電気を消す。
辺りが暗くなると、自然と瞼が重くなる。
瞼の裏に映るのは、やはり今までのこと。
卒業式に感じる感情にも似た何かを思うと、ふと青年の目頭が熱くなった。
たかがゲームごときで、と思うかもしれないが、本人が本気でやっていればそれだけ達成感も大きくなるというもの。
しかし号泣するのも流石にアレなので、すん、と鼻をすするだけにとどめておいたが。
感情の波が収まると、部屋に再び静けさが戻る。
初夏の虫の声がやけに耳に響く。
しばらくそのままの姿勢でいると、忘れたはずの眠気がどっと襲いかかってきた。
現在時刻は午前二時を少し過ぎたところ。
眠くなるのも道理であり、また青年も明日早朝のバイトのことを考えて睡魔に抗うこともなく。
二年にも渡って続けて来たゲームをコンプリートした達成感に浸りながら、青年の意識は闇に落ちていった。
それで終われば話は早かったのだが。
翌朝、青年は開口一番こう叫んだ。
「なん……………じゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
なんとも使い古された台詞を入れてくる青年だが、彼の状態を考えれば仕方ないとも取れる。
事実だけを話そう。
青年が目を覚ましたとき、その身体は、誰のモノとも知れぬ他人のものにすり替わっていた。
しかも、現在位置は見た事もない森の中ときている。
しかし、こんな異常も極まる事態の中にあって、青年の第二声はこんなものだった。
「やっべ、バイトどうしよう」
青年の明日はどちらだ。