<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[27564] LIVE A LIVE 近未来都市編(とある魔術の禁書目録×ライブ・ア・ライブ)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2015/03/18 23:50
今よりちょっと未来を進む街。
超能力を持つ少年がいた。
人々の本音を見すぎケンカに
あけくれる日々だったが……。

人の心を読む事が出来る
読心能力を持っている少年……。
はたして古代ロボット魔神
ブリキ大王は復活するのか!?



※多分復活まで書きません

TINAMIとハーメルンにてマルチ投稿中

とある魔術の禁書目録:2004- 電撃文庫
ライブ・ア・ライブ:1994 SQUARESOFT



[27564] 『流動導入』上
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2012/01/28 23:00
 ◆

 ――あんた……今、幸せか?

 知ったこっちゃない?
 まあそりゃそうだ。

 …………。

 なるほど、あんたは今そう思ってるのかい。
 ただ……そうじゃない人間もいるってコトを頭に入れといてくれ……。

 おっと説教じみちまったな。
 ま、も少しオレの話につきあってくれ。

 そうだな、あれは……世間が世紀末だ21世紀だと騒いでいたころだったか――



 1.
 学園都市。複数の学校・研究機関が集まり、230万人の『特別なカリキュラム』を受けた学生を有している巨大な都市群。
 『超能力』を科学的に解明することによって発展した、異端であり最新である科学の園。
 そこでは常識上では起こりえない『異能』を解析し、理解し、応用することで、それまでの常識では考えられない全く新しい技術を開発する。世界水準の十数年以上先を行くとまで言われる最先端の技術が日々生まれ続ける。
 人類文明の最も先を行く学びの都。

 だが、輝かしい科学の発展の裏には、闇も存在した。

 科学的に開発された『超能力』を使った学生による犯罪。
 『超能力』を発現できなかった落ちこぼれ達による非行。
 新しい発見を追い求めるため行われる非人道的な実験。

 この日もまた学園の闇によって一つの事件が起きていた。
 学園都市の反体制派武装集団スキルアウトによる、警備員アンチスキルの長子誘拐事件である。



 2.
 少年は夜の倉庫街をひた走っていた。
 広く暗く、そして冷たい闇が広がっている。
 まだ齢一桁の小さな少年にとって、夜の倉庫街は密林に迷い込んだに等しい。
 大人の胸ほどの高さしかない少年の目から見た並び立つ倉庫は、まさに人工の密林だった。

 第一一学区第二八〇番格納区。
 それがこの倉庫街の名前だが、少年はここがそのような名前の場所であることを知らない。

 少年は昼の公園で攫われ、目隠しをされて車で運ばれ、そして密室に閉じ込められた。
 声も、誰かの息づかいもない、何の音も無い空間で少年はただ放置された
 やがて何時間、何十時間経ったか解らなくなった頃、少年は密室から逃げ出していた。
 なぜ逃げ出せたのか、少年には解らない。
 密室の隅で震えていると急に怒号が響き、拘束と目隠しが解けた。だから、真っ直ぐに走り出しただけ。

 だが少年は、自分が助かった理由を一つだけ確信していた。

 父が、助けに来たのだ。学園都市の正義の味方である警備員の父が自分を助けに来た。
 父の姿を見たわけでもなく、声を聞いたわけでもない。
 尊敬する父親が、学園の正義の味方が、攫われた子供を助ける。それは少年にとっての当たり前の『現実』だった。

「お父さーん!」

 父を捜して少年は走る。
 自分を攫った相手が近くにいるなどとは一切考えずに、父を呼び続ける。
 走って、走って、やがて息が切れて立ち止まった。

「どこにいるのー?」

 助けを求めて、父を求めて少年は叫んだ。
 父の答えは返ってこない。
 返ってきたのは――一つの銃声であった。

「!!」

 暗い闇夜に、小さな光が走った。
 それは、夜を昼に変える生きるための灯りではない。人を殺すための、凶弾の光。
 まだ幼い少年にはその光の意味を理解できない。だが、少年の心に言葉では表せない不安が押し寄せていた。

 少年は走る。音の元へ、光の元へ。
 とうに息は切れている。長い時間の監禁で体力も底が尽きている。
 それでも少年は走った。

 みっちりと並ぶ倉庫の森の中に、ぽっかりとあいた空間。そこへ飛び込むように走り込む。
 雲間から覗くわずかな月の光に浮かび上がる情景。
 少年がその空間へ走り寄ってきたのと入れ替わるように、何者かが闇の中へ走り去っていくが、少年はそれに気付かない。
 気付くはずがない。なぜならそこには――顔から血を流し倒れる父がいたのだから。

「お父さーん!」

 少年は叫ぶ。
 返事はない。
 少年の父は、ただただ血を流し続ける。

「死んじゃイヤだー! 返事してよー!!」

 警備員の最新防護服の隙間を縫うようにして穿たれた小さな穴。
 人を一人終わらせるのには十分な、大きくて小さい穴。

「お父さーん!」

 少年は叫ぶ。
 返事はない。少年にとってのただ一つの正義は答えない。

 その日、悪に勝つ正義の味方という幻想が一つ、崩れ落ちた。



 ◆

 ――その時すでに……親父は 息を引き取っていた。
 親父は勇敢な警備員アンチスキルで、暴走集団スキルアウトクルセイダーズと戦っていた……。
 こんな出来事が待ち受けているとも知らずに……。
 オレは、親父の仕事を誇らしく思っていた。

 そうして妹のカオリと共に親無しの置き去りチャイルドエラーになった頃からオレは、不思議な力を使えるようになった……。
 人の心を読むことや、手を触れず物を動かす力だ――



 3.
 少年の家庭は片親だった。
 第七学区にある警備員支部の支部長。それが少年の父親の肩書き。
 ある高校の教員と警備員の仕事を両立しながら、父親は息子と娘を一人で育てていた。
 その父親を無くした二人の子供は、学園都市にて置き去りチャイルドエラーと呼ばれる孤児になった。

 置き去りとなった少年とその妹は学園の制度により施設へ保護されることとなった。
 だが、保護施設への転入手続きを行う最中、ある事実が判明する。
 父の死を目の前で見た少年は、そのときから『超能力』を使えるようになっていたのだ。

 学園都市の学生は、能力を発現させるためのカリキュラムが授業に組み込まれている。
 だが、この少年はカリキュラムを受けていなかった。
 カリキュラム――能力開発は脳の開発である。
 表向きは害のない投薬と能力訓練で行われるものだが、その影で非合法な人体実験が横行している。
 警備員の支部長として学園の表と裏を見てきた少年の父は、自分の子供達にカリキュラムを受けさせるのを拒否した。

 少年は超能力開発を受けていない。だが、父の死を境に超能力を使えるようになった。
 それは、世界中に生まれ続けている天然の超能力者、『原石』と呼ばれる存在であった。

 『原石』は学園都市にも多数が在籍しており、極めて珍しいというわけでもない。
 だが、少年は『原石』の中でも、学園都市の研究対象として極めて特殊な能力を有していた。

 多重能力デュアルスキル

 少年は仮説として存在が提唱されていた、複数の超能力を持つ能力者だった。

 発火能力、念動力、読心能力、精神感応。
 一つ一つは学園都市にてありふれた能力だが、彼が使える能力は多岐に渡っていた。

 多重能力者研究はその当時、学園都市にて最も関心度の高い項目の一つであった。
 結果、少年は置き去り保護施設へは送られず、多重能力者の研究所へと入れられることとなる。

 特例能力者多重調整技術研究所。通称特力研。
 それが少年の送られた研究所の名前。
 そこは、少年の父が危惧していた、非合法な人体実験を行う研究施設であった。



 4.
 白衣を着た大人達に囲まれ、少年は指示された通りに能力を行使する。
 少年の体には能力使用の際の身体の変化を観測するために、奇妙な装置が取り付けられていた。

 初めは頭に小さな電極を付けるだけだったこの能力観測実験も、日を追うごとに取り付けられる機器が増えていった。
 多重能力の使用。本来ならば、超能力使用の際に起きるはずの脳の変化が、少年からはどういうわけか検出されない。
 それが少年に行われる実験を身体の解析に特化したものにしていった。

 それまで学園都市が解明してきた超能力の仕組みは、『自分だけの現実パーソナルリアリティ』というもので説明されてきた。
 学園都市における量子力学では観測が現実を生み出す。
 本来ならば起こらないはずの「現実」を能力者が観測すると、能力者の脳を介して起こりうる「現実」となって発現する。
 空間に突如火が出現する現実、他人の思考を読む現実、重力に逆らい物体が浮きあがる現実。それが能力者一人一人が持っている『自分だけの現実』という妄想、精神疾患だ。

 『自分だけの現実』を持つ能力者は、AIM拡散力場と呼ばれる特殊な力場を身体の周囲に展開する。
 しかし、少年からは、超能力者ならば例え『原石』であっても持っているはずのAIM拡散力場を検出することができなかった。

 学園都市の研究史上で初めて現れた多重能力者。だが、それまでの学園都市の技術では少年の持つ多重能力の仕組みを説明することができない。

 故に、研究者達は少年の脳を、身体を測定し観測する。

 少年は研究協力者ではなく、実験動物として扱われた。
 多重能力者の研究所である特力研は学園都市の暗部であり、そこに倫理や人道というものは存在していなかった。

 与えられる食事は錠剤と苦い液体のみ。身体の洗浄は検査機の中で薬品をかけられるだけ。睡眠中も頭に電極を付けられる。
 そんな生活が幾日も続き、まだ幼い少年にも自分が家畜以下の実験動物として扱われていることが理解できた。

 抵抗はしない。
 例え超能力が使えても、少年は齢一桁の小さな体だ。
 白衣を着た大人達に抗う腕力などない。例え超能力を使って抵抗しようとも、そこら中にいる武装したガードマンに取り押さえられてしまうだろう。

 だから少年は、ただただ指示された通りに能力を使い続ける。

 心の中にある緑色のボタンをそっと押す。
 頭がちりちりと焼けるような感覚が広がり、少年と同じように研究所に入れられた子供の心を読む。
 相手が考えていることを文章として読み取る。それが少年の読心能力。

 少年は読み取った言葉を大人達に伝える。
 大人達はそれを黙って聞き取り、そして次の指示を与える。
 実験動物としての生活が、幾日も、幾十日も続いた。



 5.
 少年が研究所に連れてこられてからどれだけ月日が流れただろうか。
 人間として扱われず、苦痛を伴う実験を受け続けても、少年の心は壊れていなかった。

 研究者達が少年の精神を考えて何かを取りはからっていたわけではない。
 ただ、少年が研究所での生活をするうえで、人としての会話ができる隣人がただ一人いたのだ。

 白い子供。髪も肌も服も全て白い子供。
 少年と歳の頃は同じだろうか。真っ白な身体で唯一瞳だけが赤く染まっていた。
 その子供も大人達にとって『特別』な能力者であるらしく、少年と白い子供は生活を共にすることが多かった。

 白い子供は少年よりもずっと昔から研究所に実験対象として閉じ込められていた。ゆえに、少年のことは「すぐに壊れていなくなる実験体の一人」としか考えていなかった。
 だが、少年は父を失い、妹と会うこともできなくなり、ただ一人自分の隣にいるこの白い子供のことを家族の様な存在として感じていた。

 実験外の時間を過ごすための檻の中で、少年は隣にいる白い子供に話しかける。
 その言葉に、白い子供は一言面倒そうに返事をする。
 それだけの会話。
 だがそれだけの会話で、少年は自分が人間であることを実感できた。

 少年は毎日のように白い子供に話し続けた。
 妹のこと、警備員だった父のこと、病気で死んだ母のこと。
 白い子供はそれに短く言葉を返す。
 ほとんど一方通行の会話だったが、少年は心の中にある緑色のボタンを押して白い子供の心の声を聞いた。
 白い子供の心は、少年と同じく壊れていなかった。喜怒哀楽があった。
 ただ、全てを諦めていた。自分が何をしたいか、そういう思いは無かった。
 それでも少年は会話を続ける。

 実験は続き、少年は自分の能力を自由に操れるようになった。
 だから、大人達の指示で自在に操れるようになった精神感応の力で、白い子供に思いを送った。
 言葉ではない、音と映像からなる昔の思い出。
 家族と過ごした情景マザーイメージ

 それを受け取った白い子供に、少年と出会ってから初めて願望が生まれた。

「家族が欲しい」

 少年はその心の声を聞いた。今までに聞いてきた心の声で最も強い、叫びだった。

 そして、少年の心にも一つ、願望が生まれた。

「この子の願いを叶えたい」

 少年の頭の中がスパークする。精神が高ぶる。
 かつてないほど、超能力が強くなる。

 少年の力の源は『自分だけの現実』などではない。
 本当の現実から目を背けるたった一人だけの現実ではない。
 あらゆる現実に向かって叫び、己を見せつける精神力。すなわち――想い、思念、気合、意思、根性。

 科学を超えた能力が発現する。

 空間移動で白い子供と共に檻の外へと飛ぶ。
 それに気付きかけつけた白衣の大人達の心に、強い正の思念を叩き込み昏倒させる。
 子供達を研究所から逃がさないために置かれた超能力抑制装置を火の思念で焼き尽くす。

 少年の強い思念は白い子供の心の奥に届いた。

 ――お前の願いは、オレが叶える。

 白い子供は、少年に向けて初めて笑みを向けた。
 抑制装置に押さえつけられていた白い子供の能力が、少年の声に応えるように顕現する。

 白い子供の「現実」が、どうしようもない腐った「現実」を押しのける。
 少年の心の叫びと同じく、前に、真っ直ぐ前に向かって、一方通行に。

 少年は叫ぶ。心ではなく、喉の奥から、大きな声を出して。

「ド根性オーーッ!!!」

 前へと突き進んだ二人の力は、壁を砕き人を押しのけ閉ざされた塀をぶち破った。



 ◆

 ――そうしてオレ達は、塀に囲まれた巨大な都市をただひたすら走りまわった。
 逃げた後のことなんて何にも考えていなかったのさ。
 頭んなかにあったのは、妹のカオリのことと……、「家族が欲しい」と叫んだ白い子供の願いを叶えてやりたいって思いだけだ。

 研究所の実験動物だったオレ達は当然身分を証明する物なんて持っていなかったし、飯を食う金も無い。
 誰かに見つかったら、また捕まって狭い部屋の中にぶち込まれるんじゃないかという恐怖に押しつぶされそうになった。

 ただ一つ幸運だったのは、親父は死んでもなおオレの心の中で正義の味方として生き続けてくれた。
 親父のまわりには頼もしい警備員の仲間がいつもいた。
 だからオレ達は、学園都市中を飛び回って親父の部下だった警備員の元に潜り込んで……。

 その後のことはあまり覚えていない――



 6.
 学園都市の第七学区の外れ、学生寮が並ぶ一画に孤児院「ちびっこハウス」があった。
 すでに社会現象となっていた置き去りの子供達を受け入れ、能力開発を行わない簡単な教育を施す孤児院である。

 ちびっこハウスの中にある小さな教室。
 その日、子供達は新しい二人の家族を迎えていた。

 ちびっこハウスの子供達の年長者、妙子は足踏みオルガンで朝の始まりの音色を流すと、机に座る子供達に二人の子供を紹介する。

「……というワケで、みんなのお友達が増えます」

 子供向けに低い位置にそなえつけられた黒板の前に、少年と白い子供が立っていた。
 研究所にいた頃に着ていた薄布の服ではなく、男の子用の子供服と、女の子用の子供服を着て、教室にいる皆を眺めていた。

「さ、みんなにお名前を教えてあげて」

 妙子に促され、二人は白いチョークを手に取る。
 その独特の固さは、少年にとっては久しぶりのものであり、白い子供にとっては初めての手触りだった。
 二人は、緑色の黒板にゆっくりと名前を書いていく。

 スズシナ ユリコ
 タドコロ アキラ

 白い文字で書かれたそれが、新しい家族を得た二人の名前だ。

「百合子ちゃんと、カオリちゃんのお兄ちゃんのアキラ君です。みんな、仲良くしてね」

「は~いッ!!」

 元気よく返事を返す子供達。
 その中に少年アキラの妹、カオリの姿もあった。

「ワタナベくんは?」

「は、はあ~い……」

 緊張で返事を返せなかった子供に、妙子が聞き返した。
 何気ない、日常の一コマ。
 子供達が遊んで、笑って、楽しむ。
 それが少年と少女が手に入れたかけがえのないもの。



 ◆

 ――どうだい、これがオレの過去だ。
 これが幸せか不幸せかは見る人によって違うんだろうが……。
 どちらにしても、オレはこの学園都市の科学でも説明できない、不思議な力を使えるようになった。

 『Yボタン』を押してみな。人の心をのぞけるぜ……。
 『Yボタン』が何か解らない? そうかい。あんたも頭ん中にある緑のボタンが見えないのか。

 こんな力を持っていたら……、あんたならどう使う?
 オレの場合は……。





[27564] 『流動導入』下
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/05/07 23:13
 1.

「根性いれろや第七位ィアア!!」

「くたばれナンバーエイトォォ!!」

 ある平和な平日の昼のこと。
 第七学区と第一八学区の境目にある公園に、静寂を乱す叫びと轟音が響き渡った。

「昭和ぱーんち!」

「当たるかよ!」

 能力者二人による能力を使った喧嘩。
 学園都市の路地裏でしばしば見られるものだが、これはそれらの喧嘩とは違う『異常な光景』であった。

 まず一つ。

 能力を使った喧嘩ともなれば警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントに通報が行き、周囲の人達は能力という暴力に巻き込まれないよう一目散に逃げるはずだ。
 だが、公園にいる複数の人々は、平然とした顔でくつろいでいた。

 ベンチでは喧嘩などお構いなしに学生のカップルがいちゃついている。
 轟音と地響きも気にせずに野鳥が撒かれた餌をついばんでいる。
 喧嘩が行われている横では、たい焼き屋の屋台が平常通り営業している。
 そしてその屋台の横では中学生がたい焼きを食べながら、まるで子供がじゃれ合っているのを眺めるような様子で、喧嘩を観戦している。

 爆音と怒号が響く二人の能力者の喧嘩。良く見ると、彼らの周囲には進入禁止の黄色いテープがはられていた。
 一辺六メートルの正方形の空間。
 それは公園の土の上に適当に作られた、プロレスの仮設リングだった。

 そして『異常な光景』がもう一つ。
 喧嘩をする二人の能力者。彼らはただの能力者ではない。

 レベル5第七位、田所晃たどころあきら
 レベル5第八位、削板軍覇そぎいたぐんは

 学園都市の能力者の最高峰に位置するレベル5。
 彼らは『開発』を受けた一八〇万人の学生の内、たった八人しか存在しない超能力者のうちの二人だった。

 その二人のレベル5の力が、三十六平方メートルの土のリングでぶつかり合う。
 それをまるでただの大道芸でも見るかのように平静に眺める人々。

 それが、超能力の都における、ある公園の異常な日常だった。



 2.
 削板軍覇は『根性』を行動理念にして生きる熱血男児だ。

 愛と根性のヲトコ。学園都市第七位、通称ナンバーセブン。それがかつての彼の肩書きだった。
 あらゆる科学者達が理解不能としてサジを投げた『原理不明のすごい力』を使い、人々に根性を示し、根性無しの性根をたたき直す。
 そんな日々を送っていた彼だが、ある日ある男と運命の出会いを遂げる。

 昭和生まれの日本男児、無法松。
 削板軍覇の憧れる『昭和のド根性野郎』を体現した、熱血漢。

 表の顔は、公園でたい焼き屋を営む悪っぽい無能力者レベル0のあんちゃん。
 だがその実態は、彼は高レベルの能力者の暴力などものともしない胆力と、圧倒的なカリスマ、そして人情と根性溢れる男っぷりで、無法者のスキルアウト達からも慕われる愛と根性の漢であった。

 無法松の生き様は、削板軍覇にとってまさに理想の大人像であった。

 軍覇はそんな無法松に対して、戦いを挑んだ。
 自分の根性と、彼の根性、どちらが上か。ただそれだけを確かめるために。

 学園都市最高峰のレベル5の一人と、無能力者の戦い。誰の目にも結果は明らかだった。明らかなはずだった。

 だが、無法松は音速を超えて動く削板をたった一発で叩きのめした。

 根性の入った強烈キック。

 銃弾すらもものともしない超人の削板が、超能力でもなんでもない「ド根性キック」を受けて十数メートル吹き飛び、倒れ伏した。

 上とか下とかそういうレベルではない。自分とは根性の次元が違う。そう軍覇は思い知った。

 そして、軍覇は根性を入れ直すために、次の行動に出る。

「オレを弟分にしてくれ、松の兄貴!」

 昭和の男無法松の弟分となり、本当の根性とは何かを学ぶ。
 だが彼の要求は受け入れられなかった。

 そもそも無法松は多くの無能力者達から慕われているものの、単なるたい焼き屋だ。レベル5に教えることなどない。

 そして、すでに無法松には弟分と呼ぶべき存在が居た。
 彼が支援する置き去り保護施設「ちびっこハウス」の問題児、田所晃。
 無法松は何かにつけてそのアキラのことを気にかけていた。

 アキラは軍覇と同じレベル5の超能力者だった。
 解析不能の多重能力者。軍覇と同じ学園都市の研究者達の理解の及ばない能力者であり、軍覇と同列のレベル5第七位に分類されていた。

 根性はあるが、どこか曲がっている男。それが軍覇のアキラへの印象だった

 ちびっこハウスに保護されてから、アキラは無法松を見てその根性の入った生き様に習って生きようとしていた。
 だが、アキラには読心能力サイコメトリーが備わっていた。
 人々の本音を見すぎ、その結果ケンカに明けくれる日々を過ごし、彼の心は荒んでいた。

 軍覇にはそれが気に入らない。
 こんな男が無法松の兄貴の弟分などとは。

 アキラも、そんな軍覇のアキラのことを良く思わない心を読む。
 二人が会うたびに喧嘩をするようになるのは、当然のことであった。

 レベル5二人による大喧嘩。地は割れ空は裂ける。
 無法松はそんな二人に怒りの鉄拳を食らわせた。

 喧嘩は結構、だがやりすぎだ。

 そして、二人は無法松の見る前で、公園のたい焼き屋台の近くに作った「リング」で殴り合うようになった。
 超能力の使用は可。だが一辺六メートルのリングとその周囲二メートルの場外の外に被害を出すことを禁じる。

 そうして作られた超能力プロレスルールで二人は喧嘩という名の根性比べをする。

 やがてそれはレベル5の戦いを間近で見れるものとして、第七区と第一八学区の境目にある公園の風物詩となった。

 月日は流れ、長点上機学園臨時講師である藤兵衛によってアキラの能力の一端が『精神力』として説明されることにより、レベル5同列第七位が第七位と第八位に分けられた後も、二人の戦いは続く。

 観戦者から『超能力プロレス第七位決定戦』などと呼ばれることもあったが、二人は学園都市の決める順列など気にしていなかった。
 レベルも順位も研究者達にとってどれだけ科学的価値があるかの尺度であり、どちらが根性のある男かどうかには関係ない。
 そもそも彼らの慕う無法松は順列の外にいる存在だ。
 最も、今更お互いを名前で呼び合うこともできず、「第七位」「ナンバーエイト」と呼び合うのであったが。

 喧嘩という名の根性比べは今日も続く。



 3.

「相変わらず訳のわからない能力ねぇ」

 二人の喧嘩を見ながら、たい焼き屋の常連客の一人が呟いた。
 ベージュ色のブレザーを着た買い食いと漫画の立ち読みを愛する中学生、御坂美琴である。

 常盤台中学というお嬢様学校の一年生だが、彼女はこの庶民的なたい焼き屋が好きだった。
 そんな彼女も、目の前で超能力プロレスを繰り広げる二人と同じ、学園都市のレベル5の一人だ。

 順列は第七位と第八位とは大きく差を付けた第三位。
 常人の数倍の努力をして身につけた、最高の電撃使いエレクトロマスターの能力と、それを操るために高度な演算を行える発達した脳。それらを持ってしても、二人の能力は理解不能だった。

「何というか、科学じゃなくて漫画の世界よねこれ。学園都市なのに」

 第七位のアキラはSF小説や超能力漫画に出てくるような、解りやすい力を複数使いこなす万能の超能力者。
 第八位の軍覇は特撮やバトル漫画に出てくるような、超パワーを使いこなすヒーロー。
 普段カリキュラムで学んでいる能力を根本から否定するような存在だ。

 訳がわからないといえば、二人の格好も理解不能だ。

 昭和の漫画に出てくる不良学生のような黒い改造学ランを着るアキラ。
 逆立った茶髪に、固そうな金色の前髪。額には喧嘩で出来た大きな×印の傷痕。

 そして昭和の漫画に出てくる暴走族のような白い特攻服と、旧日本軍が掲げていたような光線付きの日章旗のシャツを着る軍覇。
 これまた熱血少年漫画の主人公のように逆立った髪に白いはちまきを締めている。

 世はとっくの昔に昭和から平成になっているというのに、二人とも昭和の不良全開のファッションセンスであった。
 二人とも確実に平成生まれのはずだけど、と思う御坂であったが、そもそも学園都市のファッションは外の流行とは違う物だと思い出し、奇妙な昭和センスについて考えるのをやめた。

「超・爆・発!」

「読めてるぞッ!」

 自分の周囲を気合いを込めた爆発で吹き飛ばす軍覇と、それを読心で読み取りテレポートで避けるアキラ。
 自ら生み出した爆発により身動きが取れない軍覇に向かって、アキラは水の思念フリーズイメージを送る。
 軍覇の上空に水が生まれ、瞬時に氷となり降り注ぐ。

「ド根性ガード!」

 対する軍覇は、氷の槍を気合いと根性でできた力の壁で打ち砕く。

 軍覇の力はまさに学園都市のレベル5に相応しい、派手で強大で豪快な力。
 アキラの力は一つ一つはレベル4以下の力だが、豊富な能力の選択肢と読心で相手の隙を突く。

 豪と柔。対称的な二人の戦い方であるが、根底に流れるのは同じ、熱い男気。

 死角を付き、アキラは自身の放てる中で最大の一撃を選ぶ。

 ホーリーブロウ。

 己が放つのは『強力な拳』であると、自分と相手と周囲の人々に思い込ませる技。
 アキラと軍覇と、観戦する無法松、御坂、他多数。
 ナンバーエイトの防御を貫く一撃である、と皆の心に思念を叩き込む。

 視界の外から狙う複数人の精神力が乗った拳を軍覇は人間を超えた反応速度で迎え撃つ。
 音速を超えた振り向きによる衝撃波をまき散らしながら、軍覇はありったけの力を込めたヘビーブロウを放った。

 拳と拳がぶつかり合う。

 レベル5の根性の正面衝突。

 それは、少年二人を昭和の漫画のように吹き飛ばし、両者リングアウトKOという結果をもたらした。



 4.

「イテテ……」

 無法松の運転するハーレーの後ろで、アキラは傷を押さえながらうめいた。

 日は落ちかけ、空は夕暮れで赤く染まっている。
 学園都市の学生の多くは寮住まいであり、門限がある学生達は日が暮れる前に表通りから姿を消す。
 公園でたい焼き屋を営む無法松もすでにこの時間は店じまい。

 引き分けとなった喧嘩で目を回し、帰りそびれたアキラを自慢のハーレーに乗せて送り返す途中だ。
 ちなみに軍覇は「根性入れ直して修行だ!」と叫んで、車道を足で爆走していった。

「ケガしたか」

 エンジンの振動で傷の痛みを訴えるアキラに、無法松は苦笑する。

 多重能力を操るアキラの『流動情景ライブアライブ』の力の一つ、自己復元セルフヒールでおおよその怪我は治ったが、ただの殴り合いとは違う戦いの後となっては完治までは至らない。

 今もじっと精神を集中させて傷を癒し続けていた。

 ちなみにこの二人、ノーヘルである。
 無法松に至ってはそもそもヘルメットを被ることを完全に拒否するような、真上に逆立った柱のような髪型だ。

「妹の具合はどうだ?」

 警備員に見つかったら一発で交通違反を咎められるノーヘル運転をしながら、無法松はアキラに訊ねる。

「ああ、カオリは元気さ」

 無法松の問いに、アキラは笑って答える。
 アキラの妹のカオリも無法松のことを実の兄のように慕っていた。
 いや、カオリだけではない。ちびっこハウスの皆が無法松のことを好ましく思っている。

「会ってくか?」

 通りの向こうに見えたちびっこハウスを見ながらアキラは問う。

「いや、いい。みんなにヨロシクな」

 無法松はそう言ってちびっこハウスの前でアキラを下ろすと、またな、と言って去っていった。

「ここまで来たんだから会ってきゃいいのに」

 なんとも硬派な男だ、と苦笑しながらアキラはちびっこハウスへと帰宅する。
 どこにでもあるような小さな孤児院。
 だがその実態は置き去りの子供達と、二人の高レベル能力者を守るための最新のセキュリティが施された施設だ。

 門をまたぎ、扉を開け、玄関で靴を脱ぐ。
 この間にも何重ものセキュリティがアキラの身元をチェックしていた。

 玄関を通り過ぎ、廊下の角へと歩くアキラ。

 そこで、彼は白い少女と出くわした。
 白いセーラー服に白いエプロンをつけた、ちびっこハウスの子供の年長者の一人。百合子だ。

「おゥ、アキラ! またケンカして来たのか!」

 眉をひそめて彼女はアキラを問い詰めた。
 どうやら百合子は家族の一人がボロボロにケガをして帰ってきたのがお気にめさないらしい。

「うるせーな、ほっとけよ」

「ほっとけじゃねェよアホが」

 そういうと百合子は土で汚れたアキラの学ランを掴む。

「ホラ、汚れてンだからシャツ脱げ。早くしろ」

「ガ、ガキじゃねんだから!」

 アキラの反論を無視して百合子はアキラの上着を奪い去っていく。

「ハイ、終わりッ! ったく、また洗い物が増えたじゃねェか!」

 そう言って彼女は子供達から怖いと言われる三白眼を釣り上げてアキラを睨むと、洗濯場へと走っていった。

 アキラと百合子がちびっこハウスにやってきてからもう数年が経過している。
 それまで子供達の年長者で母親的存在であった妙子は第五学区の教育大学へと行っており、妙子に変わって百合子が子供達の世話と洗濯などの家事をするようになった。
 それは、このちびっこハウスは、彼女が欲しいと望んだ家族そのもの。
 不良学生としてふらつきまわるアキラと違って、百合子は逞しい保母さん見習いとなっていた。

「やれやれ……と、消毒液はどこだったかな」

 上着を脱がされたアキラは上半身にできている擦り傷を見て、救急箱を探して廊下を歩く。

 これが、アキラが手に入れた今の日常であった。






[27564] 『反転御手』①
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/05/11 18:17
 1.
 残暑が過ぎ去り秋も深まってきた頃のこと。
 衣替えも完全に終わり、わずかに肌寒くなった気温にたい焼きが美味しく感じる季節。
 アキラはちびっこハウスのトイレにこもっていた。
 特に腹を壊したわけでなく、ズボンもおろさずに便座の上に座っている。
 彼が座って腕を組んみじっとしているのは、別に着衣のまま用を足したいわけではない。

 待ち会わせである。

「例の件で話があるんだ」

 そう、ちびっこハウスの子供ワタナベに言われて、アキラは誰にも見つからないようにトイレに隠れた。
 秘密の取引のためである。

 この取引は誰にもばれるわけにはいかない。
 園長にも、妹のカオリにも、カズ、ユリ、アッキーといった子供達にも、もちろん百合子にも。

 アキラはじっと待つ。真剣な顔を浮かべながら。
 やがて、トイレの扉が開き、小学校高学年ほどの少年、ワタナベが静かに入ってきた。

「危うく見つかるところだったよ……」

 アキラ以上に、ワタナベは誰にも見つかるわけにはいかなかった。

 カオリは昼寝、園長は自室で書類仕事、子供達はテレビでロボットプロレスを見ているはずだ。
 ちびっこハウス内を物の配置からセキュリティまで完璧に知り尽くした百合子が要注意であるが、今は外で洗濯物を干しているはずだ。

 ワタナベはポケットの中からブツを取り出す。

「ハイこれ、頼まれてた百合子姉ちゃんのパンツ……」

 秘密の取引。
 それは、ワタナベにちびっこハウスのお姉さん、百合子のパンツを盗ませ持ってこさせることだった。
 誰にもばれるわけにはいかない。ばれたらどんな目に合うことか。

 アキラはワタナベからパンツを受け取る。

「こ、これは……」

 その手触り。とても年頃の少女が身につけるようなものではなく、厚い木綿の手触り。

「ワタナベのパンツじゃねーか!」

 アキラは『ワタナベ』と黒いマジックで名前がかかれたブリーフパンツをワタナベの顔に向けてぶん投げた。
 ワタナベは怖じ気づいて、百合子のパンツでなく自分のパンツを持ってきたのだ。

「もっかい行って来い!」

「ひどいよ……」

 ワタナベは半べそをかきながらトイレから出ていく。
 だが、アキラは容赦をしない。
 これは取引だ。

 ちびっこハウスの子供達の一人にユリという女の子がいる。
 彼女は最近、カズという男の子にお尻を触られていると騒いでいるのだが、実際の犯人はワタナベである。アキラの読心能力サイコメトリー の前では後ろ暗い隠し事は通用しない。
 脳の電気信号や脳波ではなく心をそのもの読むアキラの能力は学園都市の機器でも防ぎきることが難しく、警備員アンチスキルが彼の力を借りることもあるほどだ。

 そのワタナベの痴漢の秘密を使って、アキラはワタナベに取引を持ちかけた。
 曰く。
 ――オレはお前のエロい秘密を知っている。だからばらされたくなかったらエロいことに協力しろ。そうすればお互いばらしたくないエロい秘密を共有できる。エロい男同士の取引だ。

 何とも不条理な理論だが、押しに弱いワタナベはその意見を受け入れた。ユリのお尻は彼にとって癒しの一つなのだ。
 そんなエロガキのワタナベが、再びトイレに戻ってきた。

「ハイこれ!」

「こ、これは……」

 アキラは受け取ったものを確認する。

「百合子のパンタロンじゃねーか!」

「じゃ、ボク用があるから!」

「待てや!」

 アキラは逃げようとするワタナベの首根っこを掴んで引き留めた。

 百合子の普段着は、所属する長点上機学園の制服か、ちびっこハウスを卒院して学園都市にある学校に入学したOG達から送られた着古した各校の制服であることが多いが、当然ながら私服を着ることもある。
 その中の一着がこのパンタロン。

 確かにパンタロンはパンツだ。ズボンとも言う。
 だが、アキラの言うパンツとはズボンのことではなく、下着のことだ。

「良いか、下着だ。下着を取ってこい。後、ばれるからこれは戻してこい」

「ひどいよ……」

 服はばれるが下着一着ならばばれないと思っているあたりが、アキラの甘いところなのだが。
 ワタナベが再びトイレを出ていってから数分、トイレの扉が静かに開く。

「ハイこれ!」

「これは……百合子のパンストじゃねーか!」

 パンティストッキング。
 百合子の白すぎる脚を色づけする、お下がりの制服ばかり着る百合子の数少ないおしゃれ。
 彼女のすらりとした細い脚に身につけられていたものだ。
 これはこれで……と納得しかけるアキラだったが思いとどまる。

 パンツだ。良いか、下着のパンツを持ってくるんだ。
 そうワタナベにしっかり言い聞かせて送り出すアキラ。
 そして。

「ハイこれ! じゃ、ボク用があるから!」

 ポケットの中の物をワタナベが急いで取り出そうとする。

「てめェらッ!」

 突然、怒鳴り声と走る足音がトイレの個室に届いた。
 次の瞬間、便座に座っていたアキラが何かに弾き飛ばされたかのように真横に吹っ飛び、ワタナベを巻き込んでトイレの外に転がり出た。

「やっぱりアキラの差し金かァ!」

 そこには鬼が居た。
 白い顔に青筋を浮かべて、つり上がった目でアキラを睨む鬼。

 鬼は倒れたアキラの髪の毛を掴むと、まるでプロレスのように引っ張り立ち上がらせた。
 学園都市最強の鬼、鈴科百合子。
 アキラは鬼のパンツを得ることに失敗したのだ。

「いい加減にしろ!」

 怒鳴りつけると共に、百合子が動いた。
 日々の家事を能力を使わずこなしてきた、細いながらも力のついた身体が獣のようにしなる。
 喧嘩慣れしているはずのアキラですら反応できない、まばたきの一瞬の隙を突いた渾身のパンチング 。

 超能力など使っていない。だがアキラの身体はまるで漫画のように宙に浮き、トイレに向かって再び吹っ飛んでいった。
 レベル5第一位『一方通行アクセラレーター』としてのパンチではない。一人の少女としてのプロレスライクなパンチはたった一発でアキラを完膚なまでに叩きのめした。

「ふン!」

 衝撃に目を回すアキラを一瞥すると、百合子はトイレの前から大股で歩き去っていった。

「こ、これは……」

 吹き飛ばされた勢いで便器に頭を突っ込んだまま、アキラは呻く。

「百合子のパンチじゃねーか!」






[27564] 『反転御手』②
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/10 23:02
 2.

「あ?」

 ちびっこハウスから出て数分、百合子はふと背後に気配を感じて立ち止まった。

 現在の時刻は平日の正午を少しまわったころ。普通の学生ならば今頃学校で勉強をしている時間だ。
 アキラを殴りつけて怒りと羞恥心のままちびっこハウスを飛び出したのだが、人口の大半を学生が占める学園都市ではこの時間の人通りは少ない。

 ちびっこハウスは超能力者レベル5二人を抱えている。その利権を狙った誘拐防止のため、普段は教職員・研究者としての貴重な時間を割いて警備員アンチスキルは子供達を監視しているが、この気配は違う。
 学園都市最強の超能力者、一方通行アクセラレーターである百合子は警備員達が四六時中監視して守る必要があるほどやわな存在ではない。
 ちびっこハウスを飛び出したついでにショッピングモールで食材の買い出しをしようと数分歩き続けた百合子は、すでに警備員の監視区域外だ。

「あァ、"敵"か」

 一方通行の能力はベクトル操作。読心能力や第六感――予知能力などはない。
 だが、普通の教師や研究者達とは違う、頭のネジの外れた長点上機学園の臨時講師によって百合子の能力は、強度だけでなく多様な能力応用をも身につけていた。

 その一つが気配の察知。
 人が存在することによる空気の流れや熱放射を読み、光のベクトルを全身で感知することにより360度の視界を得る。
 紫外線などの微量な有害物質の過剰な『反射』や日常的な運動など、能力使用の無駄を削ぎ落とすことで得た脳の余裕。それを百合子は師の指導の下、『外敵から身を守るため』に使用していた。

 敵意を含んだ視線を感じる。
 男が六人。背後五十メートルほど後ろ。
 車道を挟んだ斜め後ろには男が四人。いずれも学校の制服を着ていないが、おそらく学校をサボっている不良学生。
 他にもこちらを観察している大人がいるが、そちらは今のところ害がないので保留。

「不良学生がまあ昼間からご苦労様ってか」

 百合子も長点上機学園の冬用制服を着てぶらぶらと歩いているのだが、こちらは不良というわけではない。
 百合子とアキラは長点上機学園の生徒ということになっているが登校義務はなく、第七学区にある古道具屋の店主、長点上機学園臨時講師藤兵衛のところに不定期に能力指導を受けにいけば良いだけだ。
 そもそも制服の上に白いエプロンなどという格好をした不良が居たら、逆に百合子が見てみたいくらいだ。

 百合子の予想では、学園最強の超能力者レベル5を倒して名を上げようと思っている馬鹿達だ。
 それは百合子には理解しがたい発想だ。
 最強。そんなものになんの価値があるかこれっぽっちもわからないが、ちびっこハウスの子供達がロボットプロレスに熱狂したり、世界最強の格闘家高原日勝について熱く語っているのを見るに、どうやら『最強』というものは『男の子の永遠の憧れ』らしい。

「はァ……」

 百合子はだるそうにため息をつく。
 逃げることは可能。こうしてぼんやり歩いているだけで、重力や自転、公転などいくらでも力のベクトルは身体にまとわりついていて、向きを軽く変えるだけで車よりも速く走ることができる。
 だが、逃げたところで彼らのストーキングがおさまるとも思えない。下手をしたらショッピングモールで大乱闘などという面倒なことになってしまう。
 百合子は歩幅を縮め、少しずつ歩く速度を落とした。

一方通行アクセラレーターだな……」

 背後から声がかかる。おそらく彼らのリーダー格だろうか。
 他の男達は逃げ場所を塞ぐように百合子を囲んでいく。
 向かい側の歩道に居た男達も、車道を横断して百合子の進行方向を塞いでいる。

「お前を倒せば、この俺が……俺達が『最強』だ!!」

 男達は、まさに百合子が予想した通りの存在だった。

 端から見ると女子高生を大人数で囲む強姦集団といったところだろうか。
 これでワンボックスカーが横に止まっていれば完璧だった。

 だが、彼らの狙いは婦女暴行ではなく、『最強』への挑戦。
 百合子からしてみればどちらも状況は変わらないのであるが、彼らの顔を見るに真剣勝負のつもりなのだろう。十対一という酷い状況だが。

 しかし、彼らは百合子にとって路肩の石に等しい。
 彼らが言うように一方通行は最強の能力。普段は『固定』に設定してある自動防衛を『反射』にして、相手が襲いかかってくるのを待つだけで、ほぼ確実に彼女は勝利するだろう。その場を一歩も動くことなく。

 しかし、百合子にとって周りを囲む男達が石ころ以下の存在だとしても、今自分がいる"道"は男達よりはるかに価値がある存在であった。
 ちびっこハウスとショッピングモールを結ぶ街道。彼女の生活圏内。そんな場所で能力を反射して荒らすわけにもいかない。

「面倒くせェ」

 そう呟くと、彼女は足を軽く上げ、ローファーの靴底でタイル敷の地面を勢いよく踏みしめた。

 足音は聞こえない。音を鳴らすための振動は、全てベクトル操作されて道路を伝わっていく。
 無音。故に、男達は百合子の攻撃に気付かない。
 だが、すでに力のベクトルは男達の近くまで侵食している。
 そして、ベクトルは彼らの足下まで届いた。
 鈍い音と共にタイルが剥がれ、真っ直ぐ上へと飛んで行った。
 男ならば確実に存在するであろう、股の間にある急所にタイルが命中する。

「ひ」とも「ぎ」とも聞こえる悲鳴が一斉に上がった

 百合子は戦いにおいて手加減はしても正々堂々という手は取らない。
 このあたりのスキルアウト達は無法松の影響下にある。
 彼らは無法松の庇護下にいる百合子に挑んでくるなどという愚かなことはしない。

 故に、『最強』の一方通行に挑んでくるのは、わざわざ遠くの学区からやってきた能力者である可能性が高かった。

 相手が能力者であるならば、百合子は先の先を取って潰す。
 『一方通行』は学園都市最強の超能力者レベル5だが、彼女は自分の『ベクトル操作』という規格外の力を完全に信頼しているわけではなかった。

 強能力者レベル3大能力者レベル4程度の能力でも『一方通行』に痛打を与えることができる。それが彼女が師事する老教師からの教え。

 例えば空力使いが周囲を真空状態にしてしまったとしたら。無気圧による影響は受けないが、酸素がないため息が止まってしまう。
 例えば偏光能力者が彼女に一切の光を与えなかったら。過剰な反射の制限というここ数年の努力で得た健康な身体が、ビタミンD欠乏症に陥ってしまう。
 例えば、そう、目の前の彼らが彼女の買い物を邪魔したら。冷蔵庫の残りで食事を済まさなければいけなくなり、食という人間らしく生きるために必要な要素を失ってしまう。

「ちなみにお前等が無駄に能力使ってこの道を壊したら、道路工事になって真っ直ぐ買い物に行けなくなるンだよなァ。おい、聞いてンのか」

 そう言いながら、一、二、三と百合子はテンポよく靴底を道路に叩きつける。
 彼女は軽い口調で言っているのだが、地面を伝って相手に伝わるベクトルは一切の容赦がない。
 重い音を鳴らしながらタイルが男達の全身の急所を襲う。

 痛みに耐えて能力で反撃しようとした幾人かは、突然目に強烈な光を浴びて手で顔をおおいながら倒れ込んだ。
 光の進行方向を操作して、暴徒鎮圧用に使われる点滅閃光を眼球に向けてピンポイントで照射したのだ。

 倒れたら、後は地面を通じてあらゆる暴力のベクトルを直接身体に叩き込むのみ。
 地味でかつ一方的な攻撃。
 だがそれで相手を叩きのめすには十分。百合子と同じ超能力者レベル5であるアキラとナンバーエイトが公園でやっているような派手な立ち回りなど、今この場では必要無い。
 百合子の一撃は奇妙なほど静かであり、男達の上げる悲鳴が響き渡るのみであった。

「襲われてンのは俺の方なのに、なンかこっちが悪モンっぽい構図だなァ」

 実際に超能力者レベル5第一位と大能力者レベル4以下の男達の争いなど、弱い者虐め以外の何物でもなかったのだが。

「しかし毎度毎度、虫みたいに沸いてくンなァ」

 第一位を倒したところで何の意味もないというのに。
 そう、何の意味もない。世界中にただ一人しか居ない『一方通行』を倒したところで、そこには何の学術的価値もない。
 汎用性にも応用性にも一切欠ける道端の喧嘩の勝者という称号は、科学的にも軍事的に価値が無い。

 レベルも上がらないし、払われる奨学金や手当金が上がることもない。
 強さというものに学園都市としての研究者達が価値を見いだすには、詳細な能力計測が可能な戦闘実験としての場を用意するか、能力を使った新たな戦術・戦略を示す必要があるだろう。

 身を守るための『固定』を切ってぼんやりと夕食の献立を考えている彼女を闇討ちして討ち取ったとして、そこに何の意味があるのか。「不意打ち闇討ちに対策を取っていない第一位は馬鹿である」といった何の役にも立たない答えがあるのみだ。

 万が一にでも襲撃者達が彼女に勝って何か得られる物があるとしたら、学園都市の『最強』に勝ったという一時的な優越感と羨望が唯一の物だろう。
 が、『最強』を倒した新たな『最強』を倒すという『自分たちの同類』に狙われたり、一方通行アクセラレーターではなく鈴科百合子すずしなゆりこという一個人を慕ってくれている人達による報復を受けるというマイナス要素しかないのだ。

 意外なことに、そう、彼女自身が常々意外に思っているのだが、鈴科百合子という少女を何かと気にかけてくれる人達は結構な数にのぼる。
 例えばちびっこハウスの皆だったり、とある公園のたい焼き屋であったり、自分とは対極の存在であるはずの無能力者であったり、能力の使い方をまともな方向へと導いてくれる恩師であったり、昔の彼女を保護しその後も影で守り続けている警備員であったり、何故か自分のパンツをこっそり拝借しようとした家族であったり。

「虫なら虫らしく、蚊取り線香でも焚いたら勝手にぼとぼと落ちてくれねェかね」

 などと科学都市らしくない昭和の香りのする独り言を言うと、百合子はベクトル操作に向けていた足をそっと止めた。
 すでに彼女以外に立っている者はいない。

 残っているのは、遠くからずっと百合子を観察し続けていた大人が三人のみだ。
 エプロン姿の少女の無音のタップダンスがお気に召したのか、高そうなスーツを着込んだ大人が三人じっと百合子を見続けている。
 警備員アンチスキルではない。
 普段は教職員でありスーツ姿の面々も多い警備員だが、あのようにインテリヤクザとやり手キャリアウーマンのような、ある意味まともな着こなしの警備員を百合子は見たことがない。
 そもそも警備員なら喧嘩を始める前に止めに入ったはずだ。

 一方的な喧嘩が終わったのを察知したのか、大人達は百合子の方へ揃って歩いてくる。
 明らかに面倒事を運んできた様子が見て取れる。

「少しいいかな?」

 それみたことか。百合子は面倒臭そうに大人達に顔を向けた。



 3.
 声をかけてきたのは黒シャツの男。
 ブランド物のビジネススーツを着こなし、整髪料で固めた髪をオールバックにしたヘアスタイル。彫りの深い顔にはサングラスをかけている。
 テレビの中にでもいそうなインテリヤクザ風の長身の男だった。

 そんな男を見て、百合子は相手の素性を問うた。

「どこの研究所の使いだ?」

 ヤクザとは真逆の存在、学園都市に無数に存在する研究機関の者であると百合子は見当をつけていた。

「……何故そう思う?」

 指でサングラスに触れながら、男は答えではなく問いを返す。
 サングラスの男の後ろでは、ビジネスマン風の男女二人がじっと百合子を見ている。

 百合子はこの大人達を研究所から来た者であると仮定して話を進める。

「俺に近づいてくるヤツなンざ、俺を研究して甘い汁吸おうって輩か――」

 答えを告げながら、百合子は地面を一瞥した。
 そこに転がっているのは、百合子に挑んで返り討ちにあった男達。

「学園都市トップの座を狙って突っかかってくるバカと決まってるからな」

「なるほど」

 バカという言葉に対し、男達からは反論の声はあがらない。
 全身を力のベクトルで殴打されてうめき声をあげるのみだ。

「ま、どっちもくだらねェって意味じゃ大差ねェけどよ」

 心底うんざりした顔で百合子は言う。
 研究も喧嘩も本当にくだらない。

 一方通行の能力を自分以上に理解する恩師の手にかかれば、そこらの研究者達などに頼らずとも己を育てることができる。
 喧嘩はただひたすらに時間の無駄でしかない。

 科学の発展への貢献などという学園都市の住民の義務など、何年も前の特力研から逃げ出したころに捨てている。

 近づいてくるのは鈴科百合子という個人を知る知人達と、今日のお勧めの鮮魚を教えてくれる魚屋のオヤジくらいで良い。

 そんなことを百合子がぼんやりと考えているときだった。
 三六〇度の彼女の視界の中で、動き出そうとしている者がいた。
 不良達の中で始めに百合子に話しかけてきた、リーダー格の男である。

「へへ……」

 頭から血を流しながらも歪んだ笑顔を浮かべ、男はゆっくりと身体を起こしていく。
 不良達は苦痛で半日は起き上がれないはずの打撃を全身から臓腑に至るまで受けたはずだ。
 それでもなお起き上がろうとする男を見て、百合子は身体能力の強化か再生の能力者であると当たりをつけた。

「チョーシのって余裕かましてんじゃねぇぞテメーッ!」

 その証拠に、男は勢いよく立ち上がると、手に掴んだ舗装のタイルを百合子に向けて投げつけてきた。
 発火や発電といった派手な能力行使ではない。
 だが、大人の手の平ほどもある大きなタイルの投擲は、人を一人殺傷するのに十分な威力を持っていた。

 至近距離からの投擲に対し、百合子は反応を返さない。
 彼女の持つ能力が事前条件に従って発現するのを脳の領域を開けて待っているだけ。

 一方通行の能力も、発火や発電といった派手なものではない。
 ただ、あらゆる『ベクトル』を操るのみ。
 石つぶての投擲という三次元的な運動ベクトルは、百合子の着ている制服という能力圏内に触れた瞬間、向きが完全に『反転』する。

 それは非常に奇妙な光景であった。
 加速の『向き』のみがすり替わってタイルは三次元運動を続ける。
 ビデオの逆再生などという陳腐な言葉では表せない『運動の続き』が、向きを反転して行われる。

 反転したタイルが向かう先は、投擲により体勢を崩した男の顔面。
 タイルは歯を折り鼻骨を砕き額を割り顔へと埋まることで直進運動を始めて止めた。

「ワリィワリィ、言ってなかったっけなァ」

 タイルは男の顔を破壊し尽くすと、反動で地面に向けて跳ね落ち、重たい音と共に真っ二つに割れた。
 一拍置いて、硬直していた男が崩れ落ちていく。

「殴り合いすンときは"反射"に設定してあンだよ……って聞いてねーか」

 反射。己に向かってきた害のあるベクトルを脳の自動計算で反転させる能力応用の一つ。
 しかし、常に反射を行っていると不意に人と衝突した場合などに非常に危険である。勿論、百合子本人ではなく、衝突した相手がだ。
 そのため、普段はベクトルを分散させて停止させる『固定』を危険なベクトルから身を守るための自動防衛として用いている。だが、このように喧嘩を売られた場合は、『固定』で相手を無傷で返すなどという慈悲を百合子は持ち合わせていないため、自動防衛の演算処理を固定から反射に切り替える。

 発火能力者であれば火を、発電能力者であれば電撃を、撃たれたものを反転させて相手に返すだけという、極めてシンプルな能力。
 その百合子の能力の仕組みを知らない者達は、百合子の先制の暴力を耐えたとしても、この動かなくなった男のように自らの暴力を自身の身体に受けて倒れていく。

 わずかに顔を痙攣させているところを見るに、まだ死んではいないようである。

「ったく、割れないようにタイル吹っ飛ばしてたンだが、割れちまったなァ」

 百合子は砕けた男の顔ではなく、男の傍らで真っ二つに割れたタイルを見て気を揉んだ。

 外れたタイルははめなおして一日放置するだけで元通りになる。街中を走る高度な街道整備ロボットが自動で行ってくれるのだ。
 だが肝心のタイルが割れてしまったとなると、新しいタイルが必要になるだろう。一枚程度の破損であればロボットが勝手に直してくれる可能性は高いが。

 顔から血を垂れ流す男を前にして、自分の生活圏内の道路事情を心配する。
 それが鈴科百合子という少女の一端であった。

 ちびっこハウスという孤児院で過ごすことにより人並みの情というものを身につけてはいる。が、敵対するものや害を持ちこむものにその情を与えるような慈愛の精神は持ち合わせていなかった。
 日本人として過ごすならば問題がある性格なのだが、不良が平気で銃を携帯しているようなディストピアの学園都市において、それはある意味で正しい人としてのありかただった。

 後顧の憂いを断つという観点から見れば追い打ちの一つや二つしておくべきか、と彼女は考えたが行動に起こすことはしなかった。
 平日と言えどもここは表通りで、一連の喧嘩の目撃者は研究所の使いらしき大人達以外にもいる。
 わざわざ二度と刃向かって来られないくらいに痛めつけなくても、警備員かこのあたりをシマにしている無法松傘下のスキルアウト達に話が行って、後は勝手にどうにかしてくれるだろう。

 百合子は今もうめき声をあげる男達を頭から追いやると、三人の大人達に向き直った。

「話すンなら歩きながらでいいか?」

 暴力という解りやすい手段で介入してこない分、この手の大人達の方が百合子にとっては厄介極まりない相手である。




 4.
 
「『絶対能力進化レベル6シフト』?」

 百合子はインテリヤクザ風の男から告げられた聞き慣れない言葉を確認するように聞き返した。
 絶対能力レベル6。能力者開発の一つの到達目標とされている、未だ開発理論の目処すら立っていない研究者達の机上の空論の存在。
 研究者達は絶対能力者開発の糸口を見つけ出そうと必死だが、学生達にとっては「日曜の朝に放送されているような変身ヒーロー」程度の現実味しかない空想上の存在だ。

 百合子も絶対能力に付いては、現在の学園都市の能力開発技術では生まれる余地はないと思っている口だ。
 しかし、この男はその絶対能力者を生み出すための被験者としてよりにもよって百合子が最も適しているなどとのたまっているのだ。

 脳開発の新規技術の研究開発が遅々として進まないため、絶対能力以下の存在であるはずの多重能力者デュアルスキルですら、幼い百合子とアキラを研究所の奥に閉じ込めてさらに無数の検体の犠牲を出しても生み出すことが出来なかったのだ。
 学園都市のど真ん中で「あなたは神を信じますか?」と新興宗教の勧誘を受けるのと同じくらい、うさんくさくて信用ならない話だ。

 僻地に送られて狂った研究者の妄言か、と百合子は思う。
 だが、男はこの話が研究者の暴走や妄想によるものではない、一つの事実を告げた。

「ああ、ここでは詳しいことは話せないが、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』お墨付きの実験だ」

 学園都市の英知を結集して作られた世界最高の計算機の名前を聞き、百合子の表情がわずかに固くなる。
 正確なデータを入力すれば、正確な答えが返ってくるという夢の超高度並列演算器スーパーコンピュータ
 その判断は統括理事会よりも重いとまで言われる、文字通りのモンスターマシンだ。

 当然、その使用権限は学園都市の行政上層部が握っており、妄想をまきちらす狂った研究者に簡単に与えられるものではない。
 樹形図の設計者が判断を下したというのなら、百合子は絶対能力レベル6となれる可能性があるのだろう。
 しかし。

「はン、興味ねェな」

 彼女は一言でそれを切り捨てた。

絶対能力レベル6ねェ……。確かにすげェ話だが俺がそれに乗る意義は見いだせねェな。能力開発なら生活の片手間に適当にやりたいようにやってンぜ」

 学園都市第一位の座も、彼女は特に欲しくて得たものではなかった。
 研究所の実験動物として脳をいじくられ、研究所を出てからは学園都市の主流派とは言い難い科学を研究する老人の元で学んでいたら、いつのまにか第一位になっていたのだ。
 向上心はあるが、すでに百合子の科学思考も絶対能力を目指すような主流派とはずれ始めていた。ベクトル操作という能力を使ってどれだけ複雑怪奇な現象を再現できるかといった遊び心が、今の彼女の能力開発に対する原動力。

神サマの計算SYSTEMとかいう科学者の小間使いなンてするつもりはねェな。見ての通り俺は忙しいンでなァ」

 新聞の購読勧誘を断るのと同じ感覚で、百合子は研究協力を拒否した。

 当然、それで目の前の男が引き下がるわけもない。
 樹形図の設計者ツリーダイアグラムが成功すると判断を下した学園都市における最優先課題の研究なのだ。どのような手段を使ってでも彼女の首を縦に振らさなければならない。
 相手が学園都市において『最強』の存在であるため脅しなどは使えず、説得か交渉をするしかないのであるが。彼女に害のある者として判断されたら、研究所は一瞬で更地になるだろう。

「……君は『最強』の能力者だ」

「一々言われなくてもてめェらが勝手に押しつけてきた肩書きでわかってンよ、ンなこたァ」

「だが『最強』どまりでは君を取り巻く環境はずっとそのままなのだろうね」

 ぴたりと。
 百合子の歩みが止まった。

 その様子を見て、男は初めて百合子がこちらに興味を示したと心の中でほくそ笑んだ。

「『最強』の先。『絶対能力レベル6』は君の生活に変化をもたらすかも……」

「何が言いてェ」

「いやいや、深い意味はないさ」

 思いっきりあるだろうが、と百合子は視線に言葉を込めるが、男はただ笑ってそれを受け流す。
 相手の興味のありそうな話題を曖昧なままにして釣り糸を垂らす。面倒極まりない相手だと百合子は改めて思った。

「わかった。話くらいは聞いてやンよ」

「話が早くて助かるよ」

 男はにやりという擬態語が合いそうな固い笑みを浮かべた。
 だが、百合子の表情は変わらず面倒臭そうな顔だ。

「だがさっきも言ったとおり俺は忙しいンだ」

 身につけているエプロンの裾を右手で掴み、ひらひらと横に振る百合子。
 そして、エプロンの前部分についたポケットに手を入れ、携帯端末を取り出した。

 どこへ連絡するつもりだ、と大人達に緊張が走る。
 が、百合子の返答は極めて平和なもの。

「家のガキどもに連絡くらいさせろ」

「……いやはや、意外に家庭的なものだね」






[27564] 『反転御手』③
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/10 23:02
 5.
 送迎の高級車に乗せられて百合子がやってきたのは、第十学区にある研究所だった。
 個人規模の小さな研究所とは違う、明らかに多額の出資を受けている立派な建物だ。

 普通の研究所では考えられないほど厳重な入場チェックを受け、百合子は研究所の中へ足を踏み入れる。

 白で統一された廊下を進み、研究所の最奥、地下施設へと案内される。

 その施設で百合子が目にしたのは、培養器に入れられている大量の人間だった。
 中に入れられているのは、人工的に作られたクローン人間。
 『絶対能力進化レベル6シフト』とは、このクローン人間を使った実験であると白衣に着替えたサングラスのインテリヤクザ風の男が説明した。

「クク」

 その実験内容を聞いて、百合子は笑った。
 相変わらず学園都市の研究者というものは少し奥に踏み込むだけで、狂った人間ばかりであると。

「国際法で禁止されている人間のクローンを大量生産たァ、ハナからまともな実験じゃねェンだろうとは思ってたが」

 クローン技術を使い十四日で人間を生産し、洗脳装置テスタメントで脳に電気信号を与えて言語、運動・倫理などの情報を植え付ける。
 即席で作られる複製人間。勿論、クローンの元となるオリジナル素体はただの人間ではない。

 培養器で眠るクローン少女の顔に、百合子は見覚えがあった。
 ちびっこハウスの支援者の一人である無法松が切り盛りする、第七学区のたい焼き屋さん。そこの常連客である中学一年生の少女。
 十三歳という若さにして超能力者レベル5である、名門常盤台中学のお嬢様。御坂美琴。
 培養器の少女は、その御坂美琴と顔つきから体格までまさに瓜二つであった。
 唯一の違いがあるとすれば、髪の長さだろうか。一度も切られていないため膝に届くまでになっている。

「オマエラ、イイ感じに頭のネジ飛ンでンじェねえのか」

 この人工の少女を二万体生産し、一方通行アクセラレーターとそれぞれ一体ずつ異なった環境で戦闘を行う。それが『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』が導き出した、一方通行を絶対能力レベル6へと進化させる答えであるという。

 この実験のことをクローンのオリジナル、御坂美琴は知らないだろうと百合子は考える。百合子の記憶の中にある御坂美琴とは、甘い物とキャラクターグッズが大好きな真っ直ぐな『子供』だ。
 そんな彼女が国家間の条約で禁じられた体細胞を使った人間の製造などというものに手を出しているとは思えない。
 ならば、クローンの元になったはずのDNAマップは、盗品である可能性が高い。

「元は別の計画で使われる予定だったモノだがね。色々あってこっちに流用する事になった」

 サングラスの男は培養器を見ながらそう言った。
 クローンとはいえ、培養器の中に居るのは全裸の少女である。だが、男はクローンの少女をただの実験動物としか見ていない。

「これを見て――」

 男はサングラスを外して、百合子へと視線を向けた。

「それでもなお『無敵レベル6』を望むかね?」

 百合子は言葉を返さず、ただ歪んだ笑みを浮かべた。



 6.
 それ以上の実験の説明は行われなかった。

 全ては第一次実験を完了させてから。サングラスの男は百合子にそう告げた。

 後ろ暗いところしかない実験だ。百合子を自陣営に完全に引き込んでから計画を進めたいのであろう。
 クローンの培養施設などというものを見せておきながら今更だと、彼らの臆病さを百合子は笑った。が、説明を最後まで聞くために百合子は第一次実験を受けることを選択した。

 すでに生産が完了した三十四体のクローンのうち、最初に作られた一号。それと戦闘実験を行うための準備が進められた。
 とは言っても、百合子は特に何をするわけでもない。元々器具や道具を使って行使する能力者ではない。研究所側が実験室を用意するのをただ待つだけだった。

 実験準備が終わったのは思いのほか早く、三十分後。
 対衝撃素材がふんだんに使われた分厚い扉をくぐり、百合子は戦闘実験室へと入る。
 一辺三十メートルの立方体の部屋。
 壁や床は防弾、防熱処理のほどこされたパネルが何枚も重ねられている、能力戦闘を前提にした頑丈な仕組みだ。

 二十メートルほどの高さの位置には、強化ガラスで作られた大きな窓がはめ込まれており、窓の向こうでは白衣を着た研究者が五人ほど、部屋を見下ろしていた。
 そして、研究者達の視線の先、部屋の中央には少女が一人。

「よォ、オマエが実験相手って事でいいンだよなァ」

 髪を御坂美琴オリジナルと同じ長さまで切りそろえ、どういうわけか常盤台中学の制服を着たクローン人間が百合子をじっと見つめている。
 頭にはめた機械式のゴーグルがなければ、オリジナルと見分けが付かないだろう。

「はい、よろしくお願いします、とミサカは返答します」

「俺も超電磁砲レールガンと戦るのは初めてだからよォ。楽しみにしてンぜェ」

 御坂美琴が能力行使をする場面は何度か見たことがあるが、平和に生きる百合子が平和に生きる御坂と真っ正面から喧嘩をするなどということは今までなかった。
 だが平和に生きているとは言っても、百合子は能力利用に対する探求心をしっかりと持ち合わせている。
 電気を操るという学園都市ではありふれた能力をもって超能力者レベル5第三位という座まで登りつめた超電磁砲と相対できるのは、百合子にとって純粋に楽しみであった。
 何を見せてくれるのかとクローン一号を見る百合子だが、一号が手に持っている物を見て百合子は眉を寄せた。

 ――銃?

 一号が持っていたのは、片手で扱えそうな小さなハンドガンだった。

「チェックは万全です、とミサカは初の実験に対する意気込みをアピールします」

 そう言いながら銃を構えて四方へと照準を合わせてみせる一号。
 何故銃などを持つ必要があるのか、と百合子は頭に疑問符を浮かべた。

 超能力者レベル5である超電磁砲レールガンは、金属の弾を飛ばす際に銃などという装置を用意する必要はない。
 能力名の通り生身でレールガンを放つことができるはずであり、実際に公園で暴走する第七位と第八位に対して指で弾いたコインを叩き込んだのを見たことがある。
 電気を介して磁力を自在に操り弾丸を手元に取り寄せることができるため、わざわざ複雑な機構で中に銃弾が収められたマガジンを手に持つ必要すらない。

「ところで貴女への発砲許可が下りているのですが本当にいいのでしょうか、とミサカは一応の確認を取ります」

「銃で死ぬ超能力者レベル5なんていねェよ」

 ハンドガン程度で死ぬなら、超能力者レベル5は一軍に匹敵するなどとは言われていない。
 驚異的な演算能力を持つ高位の能力者ならば、己の周囲に展開する能力やAIM拡散力場を通じて自動で危険を察知してそれを防ぐ自動防衛機構を備えている。一方通行アクセラレーターの場合だと、『固定』や『反射』である。
 演算能力による能力使用という科学的な仕組みを開発されていない第七位と第八位は、そのような能力応用が不可能である変わりに、身体に銃弾が直撃しても「痛い」と言うだけで済むような身体能力を持つ超人であるため、片手で持てるハンドガンは驚異に成り得ない。

 超能力者レベル5のクローンであるはずの目の前の少女が、何故発砲の確認などをするのか、思考を巡らせようとする百合子であったが、その思考を遮るかのように実験室内にブザーの音が鳴り響いた。

『では実験を開始してくれ』

 部屋に備え付けられたスピーカーから、研究者の指示が届く。
 それと同時に、一号は百合子に向けて銃を構えていた。

「先手必勝です、とミサカは攻撃を開始します」

 銃の引き金が引かれ、百合子に向かって真っ直ぐに銃弾が飛ぶ。
 人の動体視力では到底捉えられるはずのない速度で銃弾は百合子の肩口を抉ろうとするが、百合子の制服に触れると同時に銃弾は音もなく『停止』した。

「!?」

 一方通行の能力について何の知識もインストールされていない一号は、それを見て驚愕の表情を浮かべるが、動きを止めることなく連続で銃撃を行った。
 火薬の炸裂音が三発実験室に鳴り響く。が、いずれの銃弾も百合子の肌に触れることなく服の上に貼り付いていた。

「弾を受け止めているのですか? とミサカは一度距離を取り分析を……」

「ふざけてンのかテメェ」

 現在位置を確認しようと視線を動かした一瞬、百合子は一号の真横へと移動していた。
 地に足を付けて立っているのならば誰もが地球からその身に受けている複数の速度ベクトル。それを操り百合子は足を動かすことなく移動することができる。
 突然真横へと現れた攻撃対象を前に、一号は状況を把握できずに固まる。

 それに対し百合子は相手の思考が再開する暇も与えず、一号に向けて指先を押し当てた。
 すると、一号の身体が突然硬直し、手足の筋肉が痙攣を起こし彼女は実験室の床へと倒れ込んだ。

「オイ」

 百合子は指先を触れさせるというたった一動作で終わってしまったこの戦闘結果にあきれ果て、部屋の上方、強化ガラスの向こう側にいる研究者へと声をかけた。

「どういう事だこりゃ。本当に超能力者レベル5のクローンかよ」

 百合子が指先を通じて一号に向けて行ったのは、人間の体内を流れる微弱な電流の操作。
 筋肉を動かす電気のベクトルを操作して、筋肉に強い刺激を与えて痙攣させたのだ。
 自身の身体に流れる電気を完全に掌握できるはずの超能力者レベル5発電能力者エレクトロマスター相手ならば、このようなちゃちな攻撃など通用するはずがない。

『オリジナルとのスペック差には目を瞑ってくれ』

 百合子の疑問に対し、研究者はそう答えを返した。
 スペック差。
 つまり、このクローンはオリジナルの力を再現できていない。
 一号の周囲に独特の電磁波が展開しているのが百合子の能力で感知出来るため、発電能力者であるのは確かなのであろう。
 だが、体内の電流操作という発電能力者の得意分野で簡単に無力化できたのを見るに、彼女は超能力者レベル5どころか大能力者レベル4にすら届いていないだろう。

 拍子抜けだ、と百合子は実験開始前にはあったはずのやる気を完全に失った。

『だがクローンはネットワークを通じて記憶を共有しているので、二万通りの戦闘の間に学習し進化していく』

 ネットワーク。何のネットワークかは百合子にはわからないが、何らかの方法で脳の中身を他のクローンに移し替える方法があるのだろう。
 元より、洗脳装置テスタメントなどという愉快な装置で記憶をインストールしているのだ。驚くほどの事ではない。

『最後の方は君でも苦戦するかもしれんよ』

「逆に言やァずっと雑魚と戦ンなきゃいけねェって事かよ」

 まるでテレビゲームのレベル上げだな、と百合子はちびっこハウスの子供達が遊んでいた携帯ゲーム機を思い浮かべた。

「チッ、テンション下がンぜ。今回はこれで終わりだったよなァ」

 もう百合子には戦闘実験に対する興味はない。
 実験の詳細を聞いて帰ろうと、実験室の扉へと歩いていく。

『ああ、だが第一次実験はまだ終わっていない』

 そんな百合子を遮るかのように研究者の声が部屋に響いた。

『後ろの実験体を処理するまではね』

「……あ?」

 百合子の歩みが止まる。

『武装したクローン二万体を処理する事によって、この実験は成就する』

 淡々と研究者の言葉が実験室に響く。

『目標はまだ活動を停止していない。戦闘を続けてくれ』

「了解…しました」

 そう答えたのは、未だ実験室の床に横たわる一号。

「実験を続行します。とミサカは命令に従います」

 足の痙攣により立ち上がることが出来ないのか、一号は痺れの残る上半身を這わせて、床に転がった銃を拾い上げた。
 対する百合子は、研究者のいる窓へと視線を向けている。

「処理? 活動停止?」

 この実験は戦闘実験だ。
 その実験下における処理とは。

「そりゃつまり……」

 百合子の言葉を遮るように銃声が響く。
 一号の手から放たれた銃弾は百合子の能力の壁に衝突すると、その運動ベクトルの全てを能力の壁に奪い取られた。
 奪い取られたベクトルは百合子の足裏を通じて対衝撃素材で作られた床へ。ベクトルを奪われた銃弾は、百合子の着るエプロンの白い生地の前で停止した。

 金属製の弾丸。
 警備員アンチスキルが使うようなゴム弾や電気弾ではない。
 兵器としての銃弾だ。

「……殺せってェことか」

『その通りだ』

 ひどく事務的な声で研究者が答える。
 いらなくなった書類をシュレッダーにかけろと部下に命令するかのような、事務的な声。

 痺れる手で発砲したため、再び銃を取り落とした一号に向かって百合子は無言で歩いていく。
 一号は銃による攻撃は無意味と悟ったのか、能力を使って電気を生み出し床へと流した。
 第一次実験は銃を用いた戦闘実験だが、発電能力を使用することも想定した環境下で行われている。クローン体である一号にはオリジナルの超電磁砲ように、空気中に激しい雷撃を走らせるといった高い能力の出力を持たない。
 そのため、実験室の床はそれを補うために電気を流しやすい導体で被覆されていた。

 だが、百合子は床を走る電流を避けることもなく前へと進んだ。
 電撃使いとしての能力で真っ直ぐ百合子の元へと向かう指向性を持った電流は、百合子の能力の支配権へと入った途端に向きというベクトルを乱され霧散した。

 銃と電気という二つの抗う術を失った一号は、目の前に立つ百合子を呆然とした顔で見上げた。
 百合子はそんな一号の首へ手をゆっくりと落とし、彼女の意識を完全に断った。

 一号が身体から力を失い床に横たわると同時に、室内にブザーが鳴り響いた。

『ウム、おつかれさま。これにて第一次実験を終了とする』

 クローンが完全に活動停止するまで実験は終わらない。
 それを二万回繰り返すのが、この『絶対能力進化レベル6シフト』。
 未だ生産をされていない一万数千体のクローンを含めて、残り一九九九九体のクローンを殺しつくす実験。

『最初は退屈かもしれんがじきに強くなるからガンガン処理してくれ。なに遠慮はいらんよ』

 百合子を上から見下ろしながら、研究者は告げる。

『相手は薬品と蛋白質で合成された、ただの人形なのだから――』






[27564] 『反転御手』④
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/10 23:03
 7.

「気にいらねェな」

 百合子は研究者達を見上げながらつぶやいた。
 研究者達は百合子が何を言いだしたのかと目をまたたかせる。
 彼らがそのつぶやきを理解する前に、百合子は実験室の窓へと向けて飛び降りていた。

 そう、飛び降りる。
 重力を垂直方向に方向転換し、研究者達のいる窓へと落ちていく。
 スカートとエプロンがひるがえるのも気にせずに、百合子は壁に着地した。

 窓の前で、垂直に研究者達を見下ろす百合子。
 研究者達があわてふためく中、百合子は右足をゆっくりと振り上げた。

「に、逃げろ!」

 百合子が何をしようとしているのか気づいた研究者の一人が、咄嗟に部屋の隅に走る。
 その研究者の声につられ、研究者達は一斉に窓の前から散っていった。

 振り下ろされる右足。
 まるで砲弾が命中したかのような轟音が響き渡ると、窓ガラスがそれを壁に固定していた窓枠ごと吹き飛び、部屋の奥の壁へと突き刺さった。

 百合子はこの窓を防弾ガラスあたりかと思って蹴ったのだが、なるほど、これは戦闘実験室に使うには納得の頑丈な特殊強化アクリル板だ。能力を乗せて踏みつけても割れることはなかった。
 もっとも、それを固定していた窓枠部分の建材がひしゃげて外れたのだから、とんだ欠陥建築であったが。

「よかったなァ、避けれて。避けなきゃ今頃潰れたトマトになってンぜ」

 部屋の隅に無様に逃げた研究者達を笑う百合子。
 研究者達には、何が起きているのか全く理解が及ばなかった。

 彼らは困惑する。実験内容に同意できなかった? いやしかし、実際に一方通行は第一次実験に協力し、クローンを殺害するという行為を完了させている。
 実験終了のブザーが鳴ったということは、モニタリングされていた実験体の心臓の動きが確かに止まったはずなのだ。

「『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』お墨付きの実験だかなんだか知らねェけどよォ」

 外れた窓を乗り越えて、百合子は研究者達の部屋へと入っていく。
 垂直に曲げられていた百合子の引力は正常に戻され、部屋の床へと足を踏み入れた。

「どンだけすげェ計算機があっても、初期値を入力するヤツがボンクラなら正しい答えが出てこねェ、ってことくらいボンクラのてめェらにもわかンよな?」

 百合子は窓の外れた実験室へと振り返る。

 実験室の床では、『息を吹き返した』クローンの一号が強く咳き込んでいた。
 一方通行はベクトルを操る。ちょっとした遊び心で心臓を止めることも、心臓を動かさずに血流を流すことも、そして死んだクローンに対して研究者達がどのような反応を返すのかを眺めることもできる。

「例えば……学園最強の『一方通行アクセラレーター』サンは『生まれたばかりの子供』を殺すような実験が大嫌いな保母さん見習いです、なンて初期値は入れてねェンだろうなァ」

「だ、だがあれは……」

「ただの人形なのだから、ってかァ?」

 百合子は、その言葉を告げた研究者の元へと歩いていき、顔を覗きこむ。

「ぎゃは、決め台詞でも言ったつもりですかァ? 第一位サンに向かって格好付けですかァ? ちょっと第十三学区しょうがっこうにでも行ってガキと一緒にカリキュラム受けてこいよ」

 百合子を前にして振るえる研究者の頭を彼女は掴むと、人差し指で二度研究者の頭を叩いた。

「ただの人形が、『自分だけの現実パーソナルリアリティ』を持った能力者になれるわけねェよ」

 彼女の言葉に幾人かの研究者の肩がびくりと振るえた。

 クローンは人間ではない。モルモットと何の違いもない。
 彼らはそう思い込むことで、この実験の異常性から目を逸らしていた。

 この実験には多くの人員が投入されているということが、研究所を軽く案内されただけの百合子にも理解できる。
 だが人を平気で殺すような実験を平然と行える狂った科学者など、そう大量に転がってはいるものではないのだ。
 それに対し、クローンの生産とその処分といった程度の違法な実験は、学園都市の裏側で山ほど行われている。

 クローンは人ではない。それが研究者達の逃げ道。

 だが百合子はその逃げ方はあまりにも不完全だと考える。
 現実を正しく観測し、その上に『自分だけの現実』という妄想を重ねて、初めて能力者は自分だけの超能力を観測することができる。
 それは、人工的に作られた知性、すなわち人工知能では辿り着けない『心』の領域だ。人工知能が超能力を使えるのならば、人はロボットに置き換えられて、学園都市は機械都市へと変わっているはずだ。

 御坂美琴のクローン達の身体は人間の複製、心も『自分だけの現実』を認識できる知的レベル。そうなると、彼女達は人間以外の何だというのか。
 あの一号をとても「薬品と蛋白質で合成された、ただの人形」であるとは思えなかった。

 百合子の言葉の投げかけによって研究員達に動揺が広がっていく中、研究所内に警報が響き渡った。

 外部からの侵入者を知らせる警報。
 百合子の事ではない。研究所の正面から、武装した大量の人員が突入したことを知らせる警報だ。

「まあこんなクソみてェな実験でも『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』様の下したご判断って言うなら、学園都市のお偉いサンも絡ンでるンだろうけどな」

 非常事態が重なり呆然とする研究者を横目に、百合子は笑う。
 そして彼女は、エプロンのポケットの中から、携帯端末を取り出した。

「残念ながら学園都市上層部の意思決定ってヤツに従わない『正義の味方』ってもンは意外とあちこちに転がってるぜ」

 入所時にチェックを受けて電源を切ったはずの携帯端末。
 その端末の画面には、デフォルメされた二頭身の百合子のイラストが描かれていて、頭から電波を飛ばすイラストと共に『暗号通信中』という文字が踊っていた。



 8.
 百合子は研究所でクローンを見せられてからの会話を、全て外部にリアルタイムでリークしていた。
 研究所の入場チェックは厳しく、携帯端末の電源は落とされ、記録装置を所持していないことも確認されている。
 百合子の携帯端末は第一位の機密保持という名目で取り上げられることはなかったが、それが研究所にとっての最大のミスとなった。

 彼女の能力はベクトル操作。発電能力者ほどではないが自在に電気の流れを操ることができ、服のポケットに入っている携帯端末を手に触れることなく自由に操作することができる。

 研究所の外壁素材は電磁パルスEMP防御処理がほどこされていて、通常の携帯電話は専用の内部アンテナ経由でしか外部と通話することができない。
 だが、百合子が持つ携帯端末は長点上機学園の研究室製の特別仕様。彼女の能力を使って電磁波を束ねることで、電磁波防御を力業で突破することが可能だ。

 学園都市に飛び交う電波は全て、学園都市上層部に盗聴されているという一つの都市伝説がある。
 それを知って悪ノリした百合子の恩師、藤兵衛はこの長点上機の端末と百合子の能力を使って、解読困難な暗号通信システムを作り出した。

 予め通信相手に使い捨ての暗号鍵を送っておき、GPS情報から割り出した送信先へとベクトル操作で真っ直ぐに暗号通信を飛ばす。

「俺は正義の味方なンて柄じゃねェからな」

 百合子は路上で研究所の使いから誘いを受けた時点で、ちびっこハウスへのメールを装って各所へと暗号鍵を送信していた。

「加齢臭のきついジジィ達の今後は、他の正義の味方サン達にお任せすンぜ」

 百合子の言葉を聞いた研究者が、「学園都市の暗部が怖くないのか」と怒鳴り散らす。

 だが百合子はそれに取り合わない。
 百合子が音声をリークしたのは、過去に数々の非合法研究を潰してきた警備員アンチスキル達、根回しがすぐに行えないほどの多数の報道メディア、学園都市の明日を担う学生達、スキルアウトのカリスマ的存在であるたい焼き屋さんと多岐に渡っていた。

 例え学園都市の最も上、学園都市統括理事が背後にいたとしても、とても今から情報の拡散を止めることはできないだろう。

 これが合法な研究であり機密保持契約を結んでいたのなら、百合子は研究内容の漏洩を行った罪で裁かれていただろう。
 だが、百合子が行ったのは不正の告発だ。
 もし学園都市の裏などというものが存在するのだとしたら――百合子は学園都市の表を利用してこの実験を明るみに出そうとしていた。

 百合子は正義の味方を自称するつもりなどない。
 彼女が自称するのは、保母さん見習いという肩書き。
 培養器で生まれたばかりの十三歳の身体をした〇歳児を助けるという、子供の味方だ。

「おいおい、一方通行せんせいのおしかり中なのに逃げるンじゃねェよ」

 警備員の進入を知らせる警報を聞いて逃げようとする研究員達に向けて、百合子はポケットから取り出したコインを能力で加速させ叩きつけた。
 百合子の手には紐でくくられた五十円玉の束が握られている。
 普段は頑張った子供達のおこづかいとして配られるその貨幣が、まるで超電磁砲の能力のように研究者達を襲う。

 電磁誘導による加速などという高度な演算は使われていない。
 ただ、能力を用いて五十円玉が地球から受けている速度ベクトルを操作しただけ。
 超電磁砲などには到底及ばない威力だが、防弾服も身につけていないひ弱な研究者を昏倒させるには十分であった。

 計五百円を使って研究者を黙らせた後、百合子はコインの束をポケットに入れ直すと、左手に持った携帯端末を操作し始めた。
 キーを数回押し、端末にインストールされたソフトウェアを立ち上げる。

 どこでも魚群探知機、と名付けられた海釣り用のアプリ。

 学園都市には海などないし、そもそも百合子は釣りなどしない。
 これは、百合子の能力を補助として起動する、人間探知機であった。

 電磁波、超音波、赤外線。様々なベクトルが百合子の身体から飛んで行き、そして返ってくる。
 その情報が百合子の脳を経由して携帯端末へと流れ、携帯端末上に研究所の三次元地図と人の動きが表示されていく。

「地下通路……おいおい、逃げるンじゃねェよ」

 百合子はその場で全力で足を振り下ろすと、階段も使わず床を砕いて地下へと降りていった。



 9.
 支部をまたいだ警備員達の大捕物を尻目に、地下通路で一暴れし終わった百合子は研究所を出る。
 そして彼女は、事情聴取が始まるまで研究所の前に設置された仮設詰め所でのんびりと携帯端末を眺めていた。
 端末に表示されているのは、研究所から持ち出した資料だ。
 超電磁砲レールガン量産計画『姉妹シスターズ』最終報告。そう銘打たれた御坂美琴のクローン体生産に関する報告書である。

 あのサングラスの研究者が言った通り、超電磁砲のクローンは絶対能力進化レベル6シフト計画とは別のプロジェクトで作られたのが元であったらしい。
 超能力者レベル5をクローン技術で量産するという非常に単純明快な計画。
 筋ジストロフィーの治療という名目で幼い御坂美琴からDNAマップを取得し、それを量産しようとした。計画責任者の名前は天井亜雄。警備員がこの研究所で捕縛した研究員の一人だ。
 実験開始当時、御坂美琴は低能力者レベル1であったようだ。だが、学園都市は将来能力者達がどの強度レベルに成長するかを把握しているらしく、患者のためと言われて疑うこともない幼い彼女から、舌先三寸で未来の超能力者のDNAマップをだまし取った。
 子供を利用する事を嫌う自称保母見習いの百合子としては、何とも許し難い話だ。

 量産計画は進み、十四日間で肉体を生産するクローン技術と、記憶を電気的に入力する学習装置テスタメントの理論が完全に確立される。
 しかし、量産開始前に『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』によるシミュレートを行ったところ、研究者達にとって予想外の結果が返ってきた。このクローン技術によって生まれる超電磁砲の複製は、オリジナルの1%にも満たない異能力者レベル2にしかならないと。
 そして計画は凍結される。絶対能力進化計画が始まるまでは。

「ふざけた話だ」

 これを見て御坂美琴は何を思うだろうか。善意で提供したはずのDNAマップがクローンとなり、そして二万人に増やされ殺されようとしていたのだ。
 とても聞かせられない話だが、すでに事件は明るみに出ている。今頃学園都市だけではなく国際条約違反として世界中で報道が行われているだろう。
 少しやりすぎたか、と百合子はため息をついた。
 そんな百合子に、一人の女性がつぶやく。

「ふざけてるのはどっちじゃん」

 百合子の正面に座る、装甲服を身にまとった女性。百合子の顔見知りの警備員の一人、黄泉川愛穂よみかわあいほだ。
 百合子が端末に向けていた視線を上げると、彼女をにらみつける黄泉川に目があった。

「おとり捜査は日本じゃ禁止されてるじゃん」

「日本の法律がこの街で通用するかよ」

 黄泉川は、どうやら百合子が一人で研究所内に踏み込んでいったことにご立腹のようだ。
 もちろん、おとり捜査というグレーゾーンの行為を取ったことそのものを怒っているわけではない。

「ただの一学生をおとりに使うというのも通用して欲しくないじゃん」

 子供の味方を主張する百合子も、黄泉川からすれば守るべき子供の一人だ。
 百合子と黄泉川の関係は古い。
 数年前、田所アキラと共に特例能力者多重調整技術研究所――特力研を逃げ出した後、百合子が逃げ込んだ先が黄泉川のいる警備員の支部だったのだ。
 アキラの父、タダシの部下であった黄泉川は、他の警備員達を率いて特力研を解体した。
 そして百合子とアキラがちびっこハウスに入った後も、タダシの元部下達と共に百合子達を様々な勢力から守っていた。
 決して権力に屈することはない、百合子が信用する人物の一人だ。研究所での一連の会話をリークした相手の一人でもある。

「俺が引き受けなかったら、ヤツラは日の目も見ずに解散してたンだ。そうなったらクローンのガキも"処理"されてンぜ」

 その言葉を聞き、黄泉川は少し考えにふける。

「私は会話を聞いていただけでまだ会っていないけど……その子はそんなに人間に近いじゃん?」

「語尾がおかしい以外は人との違いなンて見あたらなかったなァ。語尾が変なのはヨミカワほどじゃねェが」

「一言余計じゃん。……そういうことなら、警備員が責任を持って今後の生活も含めて保護するじゃん」

 第一次生産で完成済みの三十四人。培養中の者も含めると百人にも及ぶ姉妹達シスターズは、黄泉川が約束した通り、警備員達に丁重に保護され、一人一人住民IDを割り当てられた。
 培養中の素体も、オリジナルの御坂一家の了承を得て培養が進められ、人格をインストールされることとなる。

 また、国際条例に反した研究を各国から責め立てられ、絶対能力進化とのつながりを突き止められた統括理事の一人が免職され、大きな裁判へと発展する。
 開いた理事の一席は、すぐさま『世界に足りないものを示す男』が用意した者によって埋められ、学園都市の違法研究に対する目は厳しくなっていった。

 そんなセンセーショナルな話題の裏側。
 学園都市の研究者達の間では、取りつぶしを受けた研究所から漏れた一つの研究成果がひっそりと注目されていた。
 同一の脳波を持つ発電能力者による脳波リンク、ミサカネットワーク。

 ミサカネットワークの情報は、学園都市上層のあるメインプランの日程より少し早く、一人の研究者の元へと届いた。

 その研究者の名を、木山春生と言った。




--
今更だけどこの百合子さんはホルモンバランスが正常なので、アニメ版の男声で脳内再生しないで欲しいなってミサカはミサカは原作五巻発売の頃からの一方通行=女の子派の私情を交えて言ってみる。



[27564] 閑話 とある少女とアルバイト①
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2012/02/16 12:47
 学園都市の内外を大きく騒がせたクローンを巡る一連の事件が収束を見せ始めた頃。
 季節は秋から冬へと変わり、東京東部の学園都市でも氷点下を記録する日が出はじめていた。

 冬と言えばたい焼きの季節。
 第七学区の片隅の公園では、今日もたい焼き屋さんが店を開いていた。

 屋台に立つのは無法松――ではなく、アルバイトとして働く田所アキラであった。
 慣れた手つきでたい焼きを焼いていくアキラ。
 彼のアルバイト歴は長く、何かと忙しい人望の厚い無法松の代わりに一人で屋台を任されることが多かった。

 時刻は午後、小学校の下校時間となったため、子供達が公園へと集まっていた。
 無法松のたい焼き屋さんは季節を問わず営業しているが、やはり秋から冬にかけての人の入りは段違いだ。

 アキラはこれから来るであろう客の人数を予想して過不足のないようたい焼きを焼いていく。
 そんなアキラの元に、常連客の一人がやってきた。

「アキラさーん、お久しぶりです」

「お、佐天じゃねーか。らっしゃい」

 今回のお客は、近くの小学校に通う六年生の女の子、佐天涙子だ。
 しばらくアルバイトのタイミングに合わなかったのか、アキラが彼女と会うのは数ヶ月ぶりのことだった。
 育ち盛りゆえかアキラと会うたびに彼女の背が伸びている気がしているが、今日は背以上に彼女はいつもと様子が違っていた。

「どうしたんだ、制服なんか着て」

 佐天はどこかの学校の制服、セーラー服を着ていた。
 アキラの記憶では彼女は私服校に通っていたはずだ。
 となると、学校帰りではないのだろう。さすがにコスプレということはないだろうが。

「えへー、今年行く中学校の制服ですよー」

 笑いながら佐天はアキラの前でくるりとまわってみせる。

「あー、柵川中か」

「えっ、正解です。何で解るんですか」

 学園都市ならばどこにでもありそうな冬用のセーラー服を一発で当てたアキラに、佐天は驚く。

「……もしかして制服フェチとか?」

「違うわっ! 学生向けの接客業やってんだから、近くの第七と第十八の学校の制服くらい把握してるってーの」

 ちびっこハウスには制服フェチかと疑いたくなるほど各校の制服を毎日取り替えている第一位様がいるのだが、彼女の名誉のためにアキラはそれに触れなかった。
 佐天はアキラの弁明になるほどー、と素直に納得する。

「それにしても、二ヶ月ぶりくらいか? オレのいないときに来てたんかね」

「いやー、実はお受験ってやつを頑張っていましてー」

 あははー、と元気に笑う佐天。
 アキラはそんな佐天の言葉にふと引っかかりを覚える。

「あれ? 柵川中って確か……」

「はい、こっちは受験無しですね。本命落ちちゃいました」

 そう言って彼女は笑う。
 空元気だろうか、とアキラは彼女の心を読もうとするが、思いとどまる。
 例えこれが強がりで本心が別にあったとしても、超能力者レベル5の自分が慰めの言葉をかけても意味がないだろう、と。

「ここで色んな人の能力見てたらあたしもいけると思ったんですけどねー。結局、低能力者レベル1になるどころか能力の片鱗すら見えませんでした」

 結構本気でやったんだけどなぁ、と佐天は唇を尖らせる。

「中学のカリキュラムで開花するっていう話も聞くけどな」

「上の学校目指せばその確率も上がると思ったんですよー。無能力者レベル0六割の壁は高かったです。まあこの制服気に入ってるから良いんですけど!」

 スカートを掴んでくるくるとまわって見せる佐天。
 今時セーラー服を採用するだけあってか、スカートの丈は膝上と長めだ。

「そういえば」

 と、アキラが話題を切り出した。

「ニュース見たか? 量産能力者計画の」

「ええ、鈴科さん大変だったみたいですね」

「そこで百合子が見つけたらしーんだけど、『詳しい身体検査をすればその人の能力の才能がわかる』だとかいう……」

「うえー、何ですかそれー。そんなのわかるなら入学前に教えて欲しいですよ」

 頬を膨らませて可愛らしく怒る佐天。
 ころころと変わる女の子の表情に、アキラは小さく笑った。

「うちの教師が言うには、あくまで現状の主流な脳開発に限定した才能つってたけどな」

「アキラさんの教師というと……長点上機?」

「そ、オレは登校せずにたい焼き屋やってるけどな」

「全く贅沢な話ですよ本当に!」

「それこそ、今の主流な脳開発分野じゃオレの能力は解明できねーから、登校する意味ねーんだけどな」

「贅沢な話ですねー。あ、長点上機って制服可愛いですよね。鈴科さん着てるの何回か見ましたよ」

「あいつも登校してないんだけどな……」

 アキラと百合子は長点上機学園に所属しているが、登校義務はない。
 二人とも高校進学の意思はなかったのだが、長点上機学園の臨時講師である古道具屋の藤兵衛に能力開発の手助けを受けていた縁から、長点上機に籍だけ入れることになったのだ。
 学生で超能力者という身分ならば学園都市から多額の補助金が出るため、彼らは特に気にすることもなく学園に所属している。

 最も、アキラの能力は、藤兵衛にしかまともに解析が不可能なため第七学区にある古道具屋通いで、彼が学園まで足を運ぶことは少ない。
 百合子に至っては、ちびっこハウスから遠いという理由で学園に行こうともしないのだった。

「アキラさんの研究が進んだら、あたしに才能が無かったとしても能力使えるようになるのかな?」

「『能力が全く発現しない』っていうのは理論上ありえないらしいから、佐天の場合はカリキュラム開発分野の未発達が原因じゃねえかな」

「つまりあたしは悪くない!」

「だからといってこれから勉強しなくて良いってわけじゃねーけどな」

「不登校児には言われたくありませーん」

 そう佐天は言うと、たい焼きの焼き上がりに合わせてスカートのポケットから百円玉を取り出した。
 たい焼き二個で百円。それが佐天がいつも払う金額だ。

「まいど。……中学に上がるなら四月から値上げしないとな」

「え、何ですかそれ」

 たい焼きを受け取りながら、佐天は聞き逃せない一言を耳にする。
 彼女はお金の話に敏感な貧乏少女なのだ。

「相手を見て商売しろって松に言われてんだよ。子供相手じゃ高くできないが、安くても儲からないからな」

「むー、値札がついていないと思ったらそんな仕組みに……」

「常盤台の子とか、千円でも買ってくぜ」

「馬鹿だー! お嬢様達馬鹿だー!」

 常盤台中学と言えば、強能力者レベル3以上が集まるお嬢様学校だ。生徒は全寮制の世間知らずが多く、さらには高レベルということもあって学園から多額の奨学金や補助金を受け取っている。金銭感覚が麻痺している生徒が多いともっぱらの噂だ。

「まあ常盤台はまだ良い方でな。本当に感覚狂ってるのは子供の頃からエリート街道を進んでいて、お金に困ったことのない研究者で……」

 アキラは佐天から受け取った百円玉を釣り銭箱に入れながら言葉を続ける。

「たい焼き一個一万円でも買っていくぞ」

「いくらなんでもぼったくりですよ!」

 いつかこの店が警備員に検挙されてしまわないかと佐天は心配になった。





[27564] 『欠陥電気』①
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/05/27 17:54
 ◆

クローン体の調整で稼動中の
人工生命研究所コギトエルゴスム。
その中で今、新たな生命が
生まれつつあった……。

所内で次々と起こる事件……。
学生研究者の布束砥信に
作られたばかりのクローンも
研究者達と共に巻き込まれて行く。



 ◆

-ラボ TSQ-05-

カドウキロク

シセツメイ … コギトエルゴスム
センコウ … ジンコウセイブツコウガク

カドウモクテキ … シスターズ・チョウセイ
ケンキュウサンプル … 1 イシュ・セイメイタイ
リンジショイン … 5
ゲスト … 1 グンブ ショゾク
      サンプル・セキニンシャ

-ショウサイ-

ケンキュウサンプル … イシュ・セイメイタイ

トクチョウ … オオガタ シソクホコウ
ノウリョク … フメイ
セイタイケイ … フメイ


ホンセイメイタイニ カンスル
トウカツリジカイカラノ タイオウ

セイミツナ チョウサノ タイショウニ
アタイスル
シスターズノ チョウセイヲ カンリョウシダイ
タダチニ グンブヘ ゴソウスベシ




欠陥電気編
『機心』



 1.
 薄暗い室内で、少女が一人、液晶のバックライトに照らされていた。
 壁一面に機械が並べられた広い部屋。窓はなく、天井に取り付けられた蛍光灯は光を灯していない。

 灯りは二つ。白衣を着た少女の前にある演算器のディスプレイの光。
 そしてもう一つは、演算器に繋がれたケーブルの先にある、幅2.5メートルはある大きな機材に取り付けられたダイオードの光だ。
 大きな機材は上面がガラスで覆われており、ダイオードの光に照らされその中身が伺えた。

 機材の中には、裸の少女が一人横たわっていた。
 白衣の少女より幼い、十二、三歳ほどの少女である。
 少女の頭には大きなヘッドセットが取り付けられており、ヘッドセットからは十数本のケーブルが機材へと伸びていた。

「…………」

 じっと液晶画面を見ていた白衣の少女が、爬虫類のようなぎょろりとした目を機材の中の少女へと向ける。

「よし……完了ね」

 そう白衣の少女が呟くと同時、機材の中の少女に付けられていたヘッドセットが外され、機材の上部を覆っていたガラスの蓋が上へと開いた。
 白衣の少女は癖の強い黒髪を手櫛で後ろに流しながら、開いた機材の中を覗きこむ。

「あれ? おかしいわね……」

 機材の蓋が開いてから十秒ほど。中に居る裸の少女は動かない。

「変ね……これでいいはずなのに……」

 と首を傾げたところで、裸の少女が閉じていた目を開いた。
 裸の少女の視線と白衣の少女の三白眼が交差する。

「……おはようございます、とミサカは生まれて初めての言葉を話します」

 裸の少女は機材に横たわったまま、そう言葉を発した。

「……喋った。喋ったわ!」

 白衣の少女は感心したように裸の少女――ミサカの手を取ると、横たわったままだった彼女の上半身を起こす。

良い、良いわねexcellent。私の声がわかるかしら?」

 機材の上で身を起こしたミサカは、白衣の少女の言葉に首を縦に振った。

「私の名前は布束砥信。N・U・N・O・T・A・B・A……ヌノタバ、ヌノタバシノブ」

 布束と名乗った白衣の少女の言葉をミサカはただ黙って聞いた。
 言葉を返さずミサカは布束の顔をじっと見つめる。

 何だろう、と布束は考えたところで、彼女は先ほどミサカの言った言葉を思い出した。

「ああ……おはよう。今は昼だけれど」

 そう言いながら、布束は演算器の横に置かれていたビニール包装をミサカへと手渡す。
 包装の中には、紺色の衣服が入っている。ミサカはそれを受け取ると、機材から身体を下ろした。
 包装を開けて服を着替えながら、ミサカは自分が何者かを思い出していった。

 量産能力者レディオノイズ計画改め、人工姉妹シスターズ調整計画、調整番号五六号。
 御坂美琴の人工クローンの一人、ミサカ五六号。
 短命として作られた非合法なクローン人間を調整し、学園都市の住民として迎えるための実行計画により、第一次調整を終えた上で『学習装置テスタメント』による知識・倫理のインストールを受けた。
 五六号は旧絶対能力進化レベル6シフト実験における第二次生産体制により培養中だったため、人工生命研究所へと移され調整が行われていた。

 ミサカがそこまで確認し終えたところで、着替えが終わる。
 初めて着る服であるためか複雑な構造はしておらず、上から被るだけで着替えが完了した。
 貫頭衣である。
 下着はないのだろうか、と首をかしげるミサカだったが、足下にスポーツブラとショーツが落ちているのに気付き、着替えを始めからやりなおすはめになった。

「ミサカネットワークへはつながるかしら?」

 下着をつけて服を着直したのを確認すると、布束は次の指示を出した。

 ミサカネットワーク。
 御坂美琴のクローン達はその能力により互いに脳波リンクを行っており、意識や知識の共有が行える。
 ミサカは学習機械でインプットされた手順に習い発電能力レディオノイズを発動。自分と同じ御坂美琴のクローンである姉妹達シスターズに脳波を繋げた。

『初めまして、と一号こと御坂ファーストは歓迎の言葉を述べます』

『ミサカはミサカ二号こと御坂次子です、とミサカは自己紹介をします』

『調整番号三三号の美々です、とミサカは安直なネーミングを伝えます』

『あなたのお名前は? とミサカは新たな姉妹の名を問いかけます』

 ネットワークに接続すると同時に、他のクローン達がミサカに話しかけてきた。
 話す、という表現には語弊がある。正しくは意識を繋げてきた、である。

 ネットワークを飛び交う情報の中から一つ、ミサカは一つの疑問を拾い上げた。

「……ミサカの名前はなんというのでしょうか、とミサカは製造者であるヌノタバに訪ねます」

ええっとwell……あ、そうね」

 布束はミサカの問いに答えを返す。

「あなたの名前はまだないの」

「では名付けてください、とミサカは待遇の改善を要求します」

「私が?」

 突然与えられた命名権に、布束は困惑する。
 オリジナルの一家によって人間として生きていくことを決定づけられたクローン達にとって、名前とは個体を識別する重要の要素だと伝え聞いている。
 味気ない調整番号とは違う、人としての名だ。何故自分にそれを決めさせるのか、と布束は首をかしげた。

「はい、名は産みの親に名付けられるものです、とミサカは『学習装置テスタメント』の知識を披露します」

 産みの親、とミサカは言った。
 その言葉に布束は自分は彼女の親なのかと思考を巡らす。

 絶対能力進化の前身である量産能力者計画に携わり、記憶をインストールするための学習機械を監修したのは自分だ。人格形成のための知識プログラム構築にも関わっている。
 だからこそ、国際条約に反した犯罪者として警備員によって捕らえられ、減刑のためにこの研究所に入れられて調整計画の一員として参加させられているのだ。

 計画に関わっていたといっても、彼女の専門は生物学的精神医学であり素体の作成には関わっていない。あくまで精神的な部分だけの担当であった。
 よって、少なくとも身体的な面での親ではない。

「私が親?」

「はい、ヌノタバがミサカ五六号の人格インストール実行者である、とミサカは記憶を振り返ります。よって、ミサカという個の親はヌノタバであるとミサカは主張します」

 なるほどI see、と布束は頷いた。
 クローンのことは人間として扱えと上から指示を受けている。人工的に入力された知識と記憶の集合体を布束は人であると認識できないが、表面上は人として扱わなければならない。
 ならば、人としてまずは名前を与えなければならない。赤子は生まれてすぐに名を与えられるものだ。

「……そうねso、五六号だから……コロ!」

 そう言ったところで、布束は頭を振った。数字からそのままなどとは安直すぎる。

「……これじゃ犬の名前ね。ではコロまるの逆で……キューブ!」

 正六面体キューブ
 十二の辺が全て同じ長さであり、各面が正方形である美しい名前。

「どうかしら?」

 自信満々に布束はミサカに訪ねた。

「いやいやねーだろ、とミサカは親のネーミングセンスに愕然とします」

「…………」

 だが返ってきたのは冷たい視線だった。
 キューブ。すばらしい名前なのだけれど、と布束はうなった。
 一方通行アクセラレーターの元へと預けられた一号の名前など、ファーストなどというひねりのない名前だというのに。

「……いい名前が浮かばないわね」

 目の前の少女はキューブという名をお気に召さないらしい。
 御坂キューブ。
 布束がよく考えてみると、美しいが人の名にするには少々相応しくないものであると気づいた。
 少なくともキューブという単語を人名に採用している国は知らない。

「まあ、歩きながら考えるとしましょう……歩けるかしら?」

 布束の言葉に頷き、ミサカはゆっくりと足を踏み出した。
 身体がよろけることもなく、一歩、二歩と裸足で室内を歩いていく。

「問題ないようです、とミサカは初めての歩行を母親に報告します」

 そう、と布束は彼女の動きを確認すると、演算器の横に置いてあるサンダルをミサカの前に置く。
 素足でここまで歩けるのならばサンダルでも歩けるだろう、と。

 調整は一先ず完了したが、まだまだやることはある。
 ちゃんとした衣服を着せ、培養によって伸びすぎた髪を整え、研究所内に居る他の研究員――何らかの形でクローン製作に関わった受刑者達との会話が可能かを確認し、試験項目をクリアした後に研究所の外へと受け渡す。

 一つずつこなしていこう、と布束はミサカを連れて学習機械の置かれた部屋を後にした。



 2.
 布束とミサカがやってきたのは、学習機械の実験室と同じ階にあるメインコンピュータルーム。
 この人工生命研究所コギトエルゴスム全体を管理するメインコンピュータが置かれている、研究所の心臓部だ。
 このメインコンピュータの搭載A.I.であるOD-10により、研究所内の人員が管理されている。研究所内の研究員はいずれも国際条約に違反した犯罪者であるため、研究所はA.I.の厳重な監視下にある。

 メインコンピュータの前で、布束はミサカにこれから行う作業について説明する。

「これからあなたをこの研究所の一員として登録するわ。でないと、所内を自由に歩けないの」

 研究所内の人員は六名。研究員が五名に、研究所の外部からこの施設を視察に来たゲストが一名宿泊している。
 所員登録をしてIDを発行しなければ、各施設の扉が開かず所内での生活が行えない。

「さてと……」

 メインコンピュータに備え付けられているパネルに布束が触れる。
 すると、端末に付けられたスピーカーから音声が流れた。

『オハヨウゴザイマス シノブ サン。 ゴヨウケンヲ ドウゾ』

 メインコンピュータのA.I.の案内音声である。
 学園都市の最新技術で作られたトップダウン式のA.I.は、量子演算器であるメインコンピュータの処理能力をフルに生かした音声による『会話』が可能となっている。

「おはよう。所員登録を頼むわ」

『カシコマリマシタ』

 メインコンピュータのディスプレイに、登録のための案内画面が表示される。
 布束はパネルを操作して情報を入力していく。

ショイン トウロク … シンキ

シュベツ … シスターズ

NAME?


「私のネーミングセンスはお気に召さないようなので、あなたが自分でつけるといいわ」

 名前の入力を求められたところで、布束はパネルの前から横にずれ、ミサカに入力を促した。
 ミサカはパネルの前に立つと、人差し指でパネルの文字盤を押していく。

ミサカ キューブ

『トウロクチュウ………………………』

えっEh……いやいや、キャンセルキャンセル」

 先ほど自分で駄目出ししたはずの名前をミサカは迷うことなく入力した。
 慌てて布束は登録の実行を中止しようとパネルに手を伸ばす。

 しかしミサカは布束の手を叩いて入力を阻止した。

「…………」

 一拍置いて再び手を伸ばす布束だが、またもやミサカはそれを手の平で叩いて落とす。
 コンピュータルームに皮膚を叩く高い音が響いた。

「……何するの」

「ミサカに入力を任せた時点で、どう名付けようと決定権はミサカに移ったと主張します」

 布束に向かって威嚇の姿勢を取りながら、ミサカは言った。

「ヌノタバの行為は名の強奪である、とミサカは訴えます」

「何よその屁理屈」

「屁理屈ではありません。それにコレは……」

トウロクカンリョウ
ミサカ キューブ ノ IDヲ ハッコウシマス


 そう表示されたディスプレイの前で、ミサカは左胸に手の平を当てながら布束に告げる。

「ヌノタバから頂いた、ミサカの初めての『個性』ですから」






[27564] 『欠陥電気』②
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/22 00:06
 ◆

 個人ファイル ダイアリー
 シノブ ヌノタバ ヨリ バッスイ

 11 ガツ  28 ニチ
 素体056 フェーズ07完了.

 テロメア構造をテスト.

 結果はまずまずといったところ.

 12 ガツ  12 ニチ
 素体057でデータを集める.

 電脳抽象化システムが固まった.

 仮想人格によるストレステストは,
 おおむね成功.

 01 ガツ  01 ニチ

 囚人でも年末年始の食事が
 豪華になるというのは本当だったようだ.

 01 ガツ  02 ニチ
 学習装置の再調整開始.

 長点上機からの情報通信で読んだ,
 最新の回路が欲しい.

 とりあえず施設内のパーツで頑張る.

 01 ガツ  20 ニチ
 ようやく素体056の身体調整が完了した.

 研究所内の見回りの後,
 学習装置へ素体を設置する.

 さきほど所長がのぞきにきた.

 正式な刑期が決まるまであと1週間だ.

 明日他の5人とミーティングをする.

 それまでにはなんとか動かしたい.



 3.
 御坂キューブと己を命名した少女の言葉に、布束は何も返すことができなかった。
 布束は困惑していた。

 目の前にいる少女はクローン人間だ。
 培養調整された肉体に、機械で電気的に知識と記憶を埋め込んだだけの人工生命。
 見た目は十三歳の少女でも、十三年分の精神的な習熟は存在しない。
 幼少の頃より生物学的精神医学に携わってきたからこそ、これが人に似ているだけの造り物でしかないと解っている。

 だからこそ布束はこの研究所にいる。
 殺すための『人間』を造っていたという自覚を持ってしまったがために、調整に再参入するのを拒み減刑を受けなかった研究者達は多くいた。
 だが布束には人間を造り出したという罪悪感もなければ、自分の参加した量産能力者レディオノイズ計画が絶対能力進化レベル6シフト計画へと形を変えていたことに何の感慨も持ち合わせていなかった。

 刑期を研究所で過ごせるなら、これほど良い条件はない。中止された量産能力者レディオノイズ計画の続きをして実験体を造るだけのこと。
 そう思っていた。

 だが、目の前にいるクローン人間のとった行動は布束の思考を乱した。
 自分を母と呼び、自分の与えた名を個性として手放さない。

 別にこれが彼女の理解の範疇を超えているわけではない。
 限りなく人に近づくように記憶を入力したのは他でもない布束自身だ。人と似た反応を示すのは当然のことだ。

 しかし、実際に人のような見た目で人のような行動を取る様を見てしまった布束には、造り物でしかないという理解に迷いが生まれてしまった。
 御坂夫妻が主張する通り彼女たちは人であり、己が軽々しく造りだして良い存在ではなかったのではないか。

 布束の心に恐怖とも後悔とも歓喜とも思える感情が去来し、キューブに対しなんと答えて良いのか解らなくなった。

 沈黙が続くこと十秒あまり。
 時間切れ、とでも言うかのようにメインコンピュータの端末から電子音が響いた。

 ゲームセンターの筐体のような特徴的な形をした端末。
 メインコンピュータと言われているが実際は研究員達が使うための子機であり、本体は冷房の効いたサーバルームに安置されている。

IDヲ ハッコウシマシタ

 A.I.の案内音声と共に、端末のスリットからIDカードがはき出された。
 思考を打ち切った布束はカードを引き抜き、内容を確認する。
 名前、種別、管理番号が書かれており、顔写真をプリントする四角い枠には何も印刷されていない。

 誤りがないのを確認すると、白衣のポケットからネックストラップのついたカードホルダーを取り出し、IDカードを納めた。

「はい、首にかけて」

 カードホルダーを受け取ったキューブは、言われたままにネックストラップを頭に通し胸の下にカードをぶら下げた。
 だが。

「ああもう、後ろ向いて」

 キューブは不格好にもストラップを髪の上にかけていた。
 肩をつかんで後ろを向かせた布束は、股下まで伸びきっている後ろ髪を持ち上げストラップから抜く。
 そしてまた正面を向かせてストラップが綺麗にかかっているかを確認した。
 その間中、キューブはカードホルダーに入ったIDカードを両手で掴みじっと見つめていた。
 表情のないその顔からは、何を思っているのか布束には読み取れない。

「そのカードは常に携帯するように」

 カードを見ているキューブに布束は説明を始める。

「個人の部屋はひとつずつ安全管理を行なっているのだけれど、どの部屋にもドアの左に入退室管理用のパネルがあるわ。もし入れるようになったときはドアの前でカードの認証を求められるの」

 言葉を続けながら布束は自分の首にかかっているカードホルダーを手に取る。
 『ヌノタバ シノブ』と書かれたカードに長点上機学園の制服を着た彼女の顔写真が貼ってある。写真データは学園の名簿の流用だ。

「ちょうどこの写真の下に認証チップが入ってるわ。もし能力を使用するときがあったらカードの破損に気をつけて。耐電ケースに入れたから少しくらいなら問題ないけれど……」

「身分証明証の類は大抵再発行が面倒だ、とミサカは予備知識を披露します」

それもあるけれどalso、この施設はもう一人シスターズの調整をしているから、この後のミーティングの後にやるその子の記憶入力が終わったらカードが無いと個人を判別できなくなるの。だからそのカードがキューブという貴女個人を証明する唯一の物になるわ」

 シスターズは元々はオリジナルと同一の素体を作ることが目的のクローンであり、培養成長による個体差があるとはいえDNAレベルでの個体差が存在しない。
 全てオリジナルの御坂美琴と同じ年齢でロールアウトされるため、一卵性双生児以上に似通った姉妹が約百名ほど人工姉妹シスターズ調整計画で生まれることになる。

「二人しかこの施設にいないのですか、とミサカは生産効率の悪さを指摘します」

「細胞やDNAに手を加えることなく『個性』を一人ひとり出すため、というのが建前」

 布束の物言いに、建前ですかとキューブが聞き返す。

本当のところはin fact絶対能力進化レベル6シフト計画に関わった人間が多すぎる上に末端の立場は曖昧で罪に問いにくくて、懲役刑の代わりに姉妹調整への奉仕活動という形で関係者の処分を行っているの。絶対能力進化レベル6シフト計画の実メンバーは二十人もいないって話だけれど」

 一通り説明したところで布束は自分はどうなのだろう、と考えた。
 学習機械の監修という形でクローン体を作る量産能力者レディオノイズ計画に深く関わっている。だがそのクローン体の虐殺未遂を起こした絶対能力進化レベル6シフト計画のことを知ったのは、徹夜明けの研究室で警備員に連行された後のことだ。
 クローンを作るという国際法上の刑罰は明確で解りやすい。だが、生み出されたクローン達から研究者を見たとき、彼女達はそこに罪を見いだすのだろうか。

「……そういう事情をミサカに教えても良いものなのでしょうか、とミサカは大人の事情を読み取ります」

そうねso、こういう事情を貴女達が知ってどう思うか、私は知りたいのかもしれない」

 布束の言葉に、キューブは目を閉じて沈黙する。
 何かを考えているのか。ネットワークを通じて会話をしているのか。
 読心能力を持たない布束には解らない。

 そして。

「ミサカは――」

 目を開いたキューブは何かを言いかけて、止まった。
 やがて一呼吸入れて再び言葉を続ける。

「個性を出すためという建前が本当に建前でなければ良い、とミサカは素直な気持ちを打ち明けます」

「……そう」

 キューブの言葉を聞いて、布束は思考を打ち切った。
 キューブとどのような距離感を取っていけばいいか解らない。キューブに自分がどう思われているのか解らない。キューブが人なのか造り物なのか解らない。
 けれども、キューブに何かを求めるべきではない、と布束は答えを保留にする。

「見ただけで貴女だと解るように、まずは見た目から個性を出しましょう」

 なぜなら彼女はキューブに与える側の存在なのだから。



 4.

「やっぱりばっさり切っちゃうのは勿体ないと思うのよ」

 理容鋏片手にそうキューブに告げたのは、二十歳半ばの眼鏡の女性研究員だ。
 場所は研究所の二階レベル2にあるリフレッシュルーム。
 定期ミーティングのためにキューブを連れてこの部屋を訪れた布束は、この女性研究員、角田かくたにヘアカットを頼んだ。

 キューブの髪は伸びに伸びきっている。
 生まれてからずっと伸び続けた髪、というわけではない。寿命を延ばすための調整でキューブは培養器の中で一度丸禿になったことがある。
 シスターズは絶対能力進化レベル6シフト計画の都合上、製造期間を可能な限り短くするよう作られている。
 過度の投薬と細胞分裂により寿命がきわめて短いクローンであり、そして人工姉妹シスターズ調整計画はその寿命を人並みに変えるためのものだ。
 この研究所で調整を受けている五六号と五七号は『完成後の一切の調整が不要な個体』をコンセプトに、この三ヶ月間体細胞の入れ替えを行われていた。

 よってこの髪の毛も研究者達の手によって健康的に促成成長された新しい細胞で出来ている。

「キューブは個性重視で行きたいんだよね?」

 櫛でキューブの長い髪を梳かしながらキューブに角田が問う。
 御坂キューブという名を聞いてそれはないだろうと言った角田だったが、キューブ自身の「センスは最悪ですが気に入っています」という言葉に渋々納得し彼女を名で呼んでいる。

「個性と言っても盛り髪などの奇抜なものではありません、とミサカは予防線を張っておきました」

 答えるミサカは椅子に座って散髪用のケープを身につけていた。
 研究所内に美容室などというものはなく、研究者達は囚人である身の上から外に連れて行くということもできない。

 実のところ、研究員達は調整計画のためにこの研究所に入所してから一歩も外に出ていない。

 出入り口は厳重に塞がれ窓も隔壁が降りている。
 生活するための物資は多重の扉を通って無人コンテナで送られてくる。
 実験用の人工の動物を作るための研究所であるため、生物災害バイオハザードを防ぐための機能が完備されている。
 ここはすでに研究所という名の監獄と化していた。

 そんな研究囚人生活を送るうちに理容の技を身につけてしまったのが、この角田だった。
 最年少の研究員は高校生である布束だが、研究者としての業績によるカーストが暗黙のうちにできあがっており、角田は最下層に鎮座していた。

超電磁砲レールガンは広告イメージでフレッシュな短い髪の印象があるけど、せっかくの癖のない髪なんだから短くするのは勿体ないよ」

 言いながらも角田は鋏を動かしキューブの前髪を整えていく。
 布束は右手で自分の髪をいじりながらキューブ達の様子を眺めている。
 布束は癖の強い天然パーマだ。布束の好むゴスロリ衣装にこの髪質は合わないので、彼女は自分の髪が好きではなかった。
 角田に言わせるとこれもまた良いとのことだが。

「ここは清楚路線で長さを活かした三つ編みでいこうか!」

 そうキューブに角田が言うと、部屋の隅から異議が唱えられた。

「それはあんたが三つ編み好きなだけでしょうが」

 言葉を発したのは部屋に置かれているゲーム機で一人ゲームをしていた外国人の研究者だ。
 天然のブロンドを頭の上でまとめあげ、黒いニットのヘアバンドで頭を被っている三十歳ほどの眼鏡の女性研究員。
 レイチェルさんでしたか、とキューブは部屋に入ったときの自己紹介を思い出す。

 ミーティングがあるとのことで、キューブ達がリフレッシュルームについたときには研究所にいる所長以外のメンバーがすでに集まっていた。
 ゲームで遊んでいたのが角田とレイチェル。
 文庫本を読んでいる二十代後半の女性が芳川研究員。

 部屋の壁に一人佇んでいるのが学園都市の軍部所属のダース伍長。女性ばかりの集まる部屋で一人異彩を放つ厳つい口髭の軍人だ。
 彼は人工姉妹シスターズ調整計画の関係者ではなく、研究所へ用があってゲストとしてやってきた人物らしい。

 ミーティングの時間までまだ時間があるらしく、各々が適当にくつろいでいた。
 だからといってまさか散髪を始めるとは、とキューブはインプットされたばかりの自分の常識を疑った。

「じゃあ長さは変えずに前髪整えて梳いていこうかー」

 レイチェルの言葉をスルーした角田が梳きバサミでキューブの髪を削っていく。
 足下へと落ちる髪の毛は部屋を走る円盤状の掃除ロボットが吸い込んでいく。
 数分としないうちに横に広がっていたキューブの髪はすっきりと整えられていった。

「ずいぶんと手慣れていますね、とミサカは驚きを露わにします」

「身の回りのことは自分たちでやらなくちゃいけないからね」

 手を止めてレイチェルが答える。

「立場上はまだ囚人じゃないのに、どう見ても研究員としての扱いじゃないのよ」

 そういって角田はキューブに自分の髪の毛を見せる。
 綺麗にセットされた茶色の三つ編み。だがその色は染色であることが解る。
 髪の生え際から数センチが黒髪なのだ。この研究所に入ってからカラーリングを行っていない証拠だった。

「せめて黒染めが欲しいのに、ヘアカラーは贅沢品だって支給してもらえないの……。その点キューブはすごい天然の茶髪よね」

 再びヘアカットを開始した角田が会話を続ける。

超電磁砲レールガンの茶髪は天然物だった! とか流したらあの子のファン増えそうよねー」

「超電磁砲、ですか……」

「そ、貴女達のオリジナル素体、言ってみればお姉さま?」

「お姉さま……」

 櫛が前髪を通り、キューブは目を閉じる。
 髪を撫でる心地の良い感触に身を任せながら、キューブはミサカネットワークに語りかけた。

 稼働中の姉妹達シスターズ五十一人をつなぐ脳波リンク。
 従来の予定通り百名を越えるようになれば記憶の常時共有も容易になり、異なる個人でありながら一個体であるという群体にもなれるだろう。が、今はまだ高い性能は発揮していない。
 出来るのは重要な記憶のバックアップ、並列共有記憶野へのアクセス、リアルタイムの情報交換、余剰領域による演算、そして念話テレパシー

『お姉さまにお会いしたことはありますか?』

 キューブは脳波による念話を使い妹達へ問いかけた。
 五十名それぞれから返ってきた答えは、否。

 共有記憶野にお父さまとお母さまとの対面があるので参照すべし、との言葉にキューブは従う。
 事前に入力されている常識から外れた、年齢と外見が噛み合っていない若い母親の言葉より、美琴はまだ気持ちの整理が付いていないので顔を合わせられない、という記憶を得た。

『――お姉さまの髪型はどのようなものなのでしょうか、とミサカは散髪を受けながらお姉さまへの興味を示します』

 すると、若い番号の姉妹達シスターズ絶対能力進化レベル6シフト計画段階で活動を開始していたミサカから返答が来る。

『ミサカはお姉さまと同じ髪型をしているらしいです、とミサカは一号目としての類似性を主張します』

 鏡の前でエプロン姿でピースをした御坂ファーストの視覚情報が届く。
 『なにしてンだお前ェ』という特徴的な発音をした声も聴覚情報として届くが、ファーストは既に『外』での活動を開始しているらしい。

『切らずに長い三つ編みにするのは清楚路線で個性的でしょうか、とミサカはアマチュア理容師の言葉を確認します』

 キューブの問いに、ミサカ達の半数が答えた。
 切らなきゃよかった、と。






[27564] 『欠陥電気』③
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/28 22:58
 5.
 十数分ほどの髪梳きを終え、キューブの髪はすっきり下へと伸びたロングヘアに整えられた。
 角田がキューブの前に大きな鏡を差し出し「どうかな?」と聞き、キューブはこれで良いと答える。ミサカネットワークからも否定の声は返ってこなかった。
 キューブの答えに満足した角田は、手持ち式の小さな掃除機で髪の切れ端を吸い取り、髪を編もうと手櫛を入れたところで、ふと壁の時計を見上げた。

「所長遅いですね……」

 ミーティングの予定時間は既に過ぎていた。

そうですねwell、時間には厳しい人なのですが」

 キューブの様子をずっと観察していた布束が答える。
 調整番号五七号の学習機械による知識インストールを前にした定期ミーティングだ。
 実際にインストールを行う布束としては欠席できないミーティングであり、まだ来ていない所長はこの研究所が人工姉妹シスターズ調整計画に使われるようになってから就任した臨時所長で量産能力者レディオノイズ計画と絶対能力進化レベル6シフト計画両面に深く携わりクローン体の精神面に熟知した人物だ。
 研究所の『外』に各種作業工程の認可を貰うのも所長であるため、所長を抜きにミーティングを開始することはできない。

 所長への文句を言う声を背後に聞きながらキューブはリフレッシュルーム内の面々を見渡した。

 布束は何を考えているのかじっとこちらを見つめている。特徴的な三白眼がどことない迫力を感じさせた。

 部屋の壁に取り付けられた会議用ディスプレイの横に立つ軍人、ダース伍長は何もせず佇んでいるのみ。
 軍服の上からも解る筋肉と姿勢の良い立ち方がまさに学習機械で植え付けられた知識通りの軍人のイメージ像に重なった。

 部屋にBGMと不規則な電子音を提供しているのがレイチェル。会議用ディスプレイより一回り小さいゲーム画面を特に面白くもなさそうな顔で眺めながら、手元のゲームパッドを操作している。

 そして会議用の長机に着席してずっと本を読み続けているのが芳川だ。

 キューブからはゲーム画面を見ることが出来たが、芳川の読む本の内容は見えなかった。

「先ほどから何を読んでいるのでしょうか、とミサカは世間話を試みます」

 キューブの問いに、芳川は本に向けていた視線を上げる。
 眠たげな印象を覚える垂れた目が無表情なキューブの視線と交差した。

「……ああ、書架にあったエッセイよ」

 そう言いながら芳川はキューブに本の表紙を向けた。
 『二年B組月詠先生』と書かれたタイトルの下に、高学年の小学生らしき子供の写真が印刷されている。

「少し貸してもらってよろしいでしょうか、とミサカは訊ねます」

「ええどうぞ」

 背後で角田が髪を編んでいるため動けないキューブの代わりに芳川が席を立ち、目の前まで歩き本を差し出してくる。
 どうも、と本を受け取ったキューブは表紙をめくる。
 角田もキューブの右肩から首を出して本を見下ろす。

 裏表紙には著者の情報が書かれている。
 月詠小萌という心理学と発火能力パイロキネシスの専門家であり、なんと表紙に載っているあの子供がこの月詠先生だという。

 学園都市の教師らしいので、自分のような特殊な生命体なのだろうか、と思いながらキューブはぱらぱらとページをめくって内容を流し読みしていく。
 教師視点での学園都市の問題点や、市街での問題児との関わりについて書かれている。

「それにはとある高校教師の実体験が綴られているわ。わたしは生徒のために働く学校の先生の話が好きなの」

「芳川さんには向いてなさそうですよね、そういう先生って。生徒をはっきり区別するお堅い教員って感じです」

 そう告げる角田の指摘に、芳川は「自覚しているわ」と冷静に返した。
 自分を挟んで交わされる会話を横にキューブは流し読みでページをめくり、中程のあるページで手を止める。
 そしておもむろに本に顔をうずめた。

「え、ど、どうしたの?」

 突然の奇行に驚いてキューブを覗き込む芳川と角田。
 横から眺めていた布束も学習機械の入力内容に何かバグがあったのかと慌てた。
 だが、キューブはそんな三人の困惑をよそに、本に埋めていた顔を上げ、言った。

「この僅かに鼻腔に触れる香りが紙とインクの匂いなのですね、とミサカは本の感想を述べます」

 彼女は単に己にない知識を得るために本の匂いを嗅いだだけであった。
 学習機械によって入力された知識や記憶の多くは文字と映像の情報であり、それについで言語の聴覚情報だ。嗅覚、味覚、触覚、痛覚といった情報は数値が入力されているが、それはあくまでデータ上の感覚である。
 新しく生まれた御坂キューブという個人の感覚器官が感じ取れる生の情報は、実際に体験してみるまで解らないことが多い。

 例えミサカネットワークで脳に受ける刺激を共有したとしても、自分の体細胞が受ける刺激とは異なる価値を持つ。
 その思考は、人工姉妹シスターズ調整計画で新たに姉妹達シスターズに与えられた、数そろえのクローンではなく自己を認識する個性コギトエルゴスムという入力事項に由来するものであった。

 そんなキューブの行動理由に三人の研究者達の中で一番最初に辿り着いたのは、芳川であった。
 芳川はキューブに告げる。

「……そうね、あなたは生まれたばかりなんだから、何にでも興味をしめした方がいいわ」

 調整は学習機械で記憶を入力して終わりではない。
 姉妹達シスターズは最終的に学園都市の中で生活をすることになる。
 生活資金は学園都市から支給されるが、労働や研究、あるいは就学等何らかの形で自発的に社会に参加するのが推奨されている。

「所内を見て回ってごらんなさい。人から教わるのもいいけれど、まずは自分でやってみる事よ」

 そう締めくくって芳川はキューブが既に閉じていた本を受け取り、元の席へ戻っていった。

 そしていつの間にかキューブの髪を長い一本の三つ編みに結い終え、自分の三つ編みに付けていたヘアゴムを代わりにキューブの髪に結んでいた角田が、芳川の言葉に続く。

「ミーティング終わるまではここにいなくちゃいけないけど、それまでお茶でもどう?」

 と、角田は長机に置かれていた手提げ袋に手を伸ばす。
 長机の上にはメモ帳やペン、ファイルフォルダーなどが置かれているが、ミーティングに持ち込んだ角田の私物は全てこの手提げ袋に入っていた。

「じゃん! 私、部屋で淹れたミルクティーを持ってきてるの」

 と、袋の中から取りだしたのは750ミリリットルサイズの魔法瓶。
 熱を逃さない素材と構造でできた学園都市謹製のそれを机の上に置き、角田はキューブの返事も聞かずにリフレッシュルーム内にある流し場に向かう。
 流し場には陶器の食器が置かれており、他にもコンロや湯沸かし器、コーヒーマシンなども設置されていた。
 紅茶用のカップを取り出しながら、角田は今も一人ゲームを続けていたレイチェルに向かって言った。

「レイチェル先輩もゲームなんてやってないで、一息いれましょうよ。この茶葉、紅茶専門店で飲んで美味しかったから、最低限の嗜好品としてなんとか持ち込ませて貰ったんですよ」

 減刑のための入所にあたって、未成年者もいることもあり酒類や煙草の持ち込みは禁止されていたが、食中毒の危険性のない保存の利く食料品の持ち込みはさほど厳しくなかった。
 ただし、入所後の物品注文は先の染髪剤のように制限が多く、持ち込めた物でやりくりしなければいけない事が多かった。

「ゲームなんてって、元々このゲーム機持ち込んだのも貴女でしょう……」

 レイチェルはゲームの進行状況をセーブすると、ゲーム機とモニタの電源を切って長机へと向かった。
 このゲーム機も魔法瓶と同じように学園都市で作られた製品で、『携帯可能な据え置き機』が売り文句だった。
 本体はポータブルCDプレイヤーに似たサイズと重さをしており、モニタは巻き取り式の有機ELだ。

 角田は手荷物としてこのような軽量コンパクトな物品をこの研究所に多く持ち込んでおり、レイチェルはそんな彼女の行動を「中学生の修学旅行」と称していた。

 リフレッシュルームにいる人数分のカップを用意した角田は、もう一人会話に参加していなかった人物に声をかけた。

「伍長もいかがですか?」

 研究職とは明らかに違う雰囲気を一人身にまとっているダース伍長に、角田は怯えることもなく紅茶を勧めた。
 角田は特別気を使ったというわけでもなく、この部屋にいたからという理由だ。角田は物怖じしない性格だった。

「……いただこう」

 ダース伍長は表情を変えずにゆっくり壁から離れ、長机の椅子へと向かう。
 壁から一番近くの席はキューブの対面。見た目十三歳の少女と太い口髭を生やした軍人と対照的な二人だが、表情から感情を読み取れないという共通点があった。

 表情の変化に乏しいことは姉妹達シスターズ全個体の共通点として上がっていた。
 感情が希薄なのではないか、という疑問も出たが、感情と表情の関連づけが発達していないだけ、と先に調整を行った研究者達は結論づけている。
 知識や記憶を脳に入力したといっても、発生した人格はまだ〇歳児なのだ。
 必要とされる運動に対する肉体の精密な動かし方は完璧であるが、感情と表情の関連と言った曖昧な部分までは学習機械では再現が困難であった。

 その証拠に、無表情ままのキューブは初めての紅茶という期待でそわそわと身体を揺らしていた。
 内にある感情が顔ではなく身体の動きに現れているのだ。

 そんな様子を見て苦笑を浮かべた角田は、人数分注ぎ終えたものからまず最初にキューブにカップを差し出した。

「はい、どうぞ」

 受け取ったキューブは早速カップに口をつける。
 湯気のたつ紅茶に初めてのことながらしっかりと息と共に吸い込み、音を立てて口の中へと入れた。

「どう? 一缶二万もする高級なヤツなのよ」

 皆にカップを配りながら自慢するかのような声で味を訊ねる角田だったが、返ってきた答えは。

「不味いです」

「なぬっ!」

 不味いの一言で断言されてしまった。
 自信満々で出した紅茶を正面からけなされ、引きつった声で角田は返す。

「ち……ちょっとクローンにこの味は難しかったかしら?」

 その言葉を発した瞬間、研究者達の視線が一斉に角田に集まった。

 気まずい雰囲気がリフレッシュルームを満たす。
 今の角田の一言は明らかな禁句であった。

 姉妹達シスターズは御坂夫妻により人間として正式な手続きがされており、クローンであることの差別は当然禁止されている。
 そして、味覚への文句は、発言をした角田自身を含む、生産・調整を行った研究員達への「不完全なものを作った」という蔑みの言葉になる。
 超能力者レベル5のDNAを元にしても異能力者レベル2しか生み出すことしかできない、研究者達の力不足に対する皮肉にも取れる一言だったのだ。

「え、えっと今のは……」

 明らかな失言に気づいた角田は弁明しようと呻きながら言葉を探す。が、そこへキューブの声が割り込んだ。

「この紅茶はきちんと蒸らしましたか? とミサカは問います」

「え? いや……」

「紅茶の旨みを引き出す基本です」

 ミルクが混じったカップの中の紅茶を見ながらキューブは言葉を続ける。

「また使用したお茶の温度が低く新鮮でないとミサカは推測します。電気ポットのお湯は紅茶に向きません」

 紅茶の表面から立ち上る湯気を鼻に当て香りを感じ取る。

「ミルクは熱湯で温めたミルクピッチャーに注いで準備する。茶葉の量は1.7倍にするべきでした」

 キューブの説明に割り込む者は一人もいない。
 各人が配られた紅茶に口をつけてその言葉が正しいかを確認する。

「……あらゆる意味で配慮が足りないため素材の良さを殺してしまった失敗作である、とミサカは断言します」

「う、うう…」

 不備を正確に言い当てられ角田が涙目になっていく。

「初めて飲んだ紅茶がコレかよとミサカは嘆息します」

「初めて飲んだヤツに失望されたー!?」

 頭を抱えて角田は叫んだ。
 とんだ恥をかいてしまったと紅茶を出したことを後悔する角田だったが、先ほどの失言がうやむやになってくれたことをこっそり喜んだ。

「アッハッハ。確かに不味いな」

 うえ、と紅茶を口にしたレイチェルが舌を出す。

これは……oops、とても薄いのに渋いです」

 と答えたのは布束。

「一缶二万円って高いのかしら」

 と味の答えを濁す芳川。

 ろくでもない評価の嵐に、角田はすがるような目でダース伍長を見る。

「……コンバット・レーションの紅茶よりはマシだがね」

 軍事用の携帯食糧を胃に流し込むための温水よりはマシ、という褒め言葉とは思えない答えが返ってきた。
 笑みの一切感じ取れない厳つい表情のままなので、冗談ではなく事実を言っただけなのだろう。

「キューブ、その紅茶知識はミサカネットワークとかいうものの引用?」

 流し場にカップの紅茶を捨てながらレイチェルが訊ねた。
 明らかに一般常識を越えた、紅茶を趣味にするレベルの知識量だった。

「いえプリインストールされた記憶です、とミサカは返答します」

 その答えに、レイチェルは布束を見た。
 この偏った紅茶知識は彼女の趣味なのだろうか、と。
 レイチェルは以前別の研究所で布束の私服姿を見たとき、黒くてフリルのたくさん付いた西洋人形のような服装をしていたことを思い出す。
 この研究所では洗濯のしやすい支給品の服と白衣を着ているが、少女趣味なのは間違い無い。

それはbecause、御坂家はセレブと聞きましたので」

 布束はそうさらりと言葉を返した。

「学園都市の外に出て御坂家に行く場合、学生として学園寮に入る場合、花屋の住み込みバイトとして働く場合、など様々なケースを想定して入力知識をピックアップしています」

「卸売市場の品物注文の仕方から新興科学宗教の断り方まで習得済みです、とミサカは自己の優位性をアピールします」

 えっへんと己を誇るキューブ。

「私達が長寿細胞培養している間にそんな偏った知識の構築してたのぉ」

 呆れたような顔で角田が布束に言った。
 実はこの研究所での業務は暇が多い。

 元は十四日で完成するという即席クローンの寿命を延ばすために、数ヶ月かけて臓器や骨格の入れ替えし投薬を行ってきたのだが、細胞を培養したり臓器を馴染ませたりと待ちの時間が多かった。
 布束もこの研究所に入ってからはそういった身体ハード面の作業の手伝いをしていたが、専門は精神ソフト部分。
 他の精神面での専門は所長がいたが、所長は研究所の外との連絡のやりとりに従事していたため学習装置構築のほとんどが布束の手で行われていた。

 他にも学習装置の構造に詳しい研究者は芳川がいたが、芳川は自分がやるより布束に任せた方が良いと判断していた。
 その結果がこの知識の偏りだが、芳川は特に問題はないと思っていた。

「キューブ、代わりにコーヒーを淹れてもらえるかしら」

 紅茶を飲み干した芳川は、流し場のコーヒー・マシンを指さしながらそう言った。
 先ほどは紅茶の感想を濁した芳川だったが、代わりにという言葉が口に合わなかった事実を示していた。



 6.
 コーヒー・マシンを前にして、キューブは固まった。
 見たことも聞いたことも記憶にもない機械。全くもって使い方が解らなかった。

 誰かに使い方を聞けばいいのだが、先ほど自己の優位性というものを誇ってみせたばかりだ。
 それなのにいきなりそれを言った相手に助けを求めるのは情けない行為だと、入力されたばかりの常識が告げていた。

 ――教わるより、まずは自分でやってみろと先ほどヨシカワも言っていた、とミサカはチャレンジ精神を働かせます。

 そう己を鼓舞して機器や豆の入った缶をいじってみるが、特に何も得る情報はなかった。
 マニュアルらしきものも置かれていない。
 八方塞がりであった。

『お困りですね、とミサカは助け船を出します』

 と、缶を開けたところでミサカネットワークから念話が届いた。

『コーヒーの事なら学園都市第一位のコーヒー担当の御坂ファーストをお頼りください、とミサカは個性をアピールします』

 明らかにこのタイミングを狙って出された助け船だ。キューブからは何も発信していない。
 確かにミサカネットワークは常時接続がされているが、個人個人が何をしているか常にやりとりしているわけではない。
 となると、この御坂ファーストはミサカネットワーク越しにキューブ個人を観察していたことになる。

 確かに先ほど髪型のことで注目された立場である、が。

『暇なのですね、とミサカはファーストの午後のアンニュイを心配します』

 調整番号一号ともなればもう既に研究所の外で生活を開始してしばらく経つ個体だ。
 所属先は孤児院。別に置き去りチャイルドエラーの子としているわけではなく、保母として働いているのだ。
 その孤児院には絶対能力進化レベル6シフト計画をぶちこわした張本人である、学園都市最強の保母さんがいる。
 『現状最も興味深いこと』として学園都市最強の保母の行動原理を思い浮かべたファーストは、調整後の所属先として真っ先にその孤児院をあげたらしい。

『年少の子達のお昼寝の時間です、と御坂ファーストは答えます』

『出席番号三十番御坂美雪も授業が簡単すぎてちょーひまなんだけどー、とミサカは中学ライフを報告します』

 調整番号八号の美雪は一月の新学期から中学に通い出した個体だ。目標は強能力者レベル3になり常盤台中学に通うことである。
 元々超電磁砲レールガンの再現をするために演算に必要な知識を詰め込まれているので、筆記の面では容易に試験を突破できるだろう。なので能力開発に関わらない授業が暇なのであった。

『暇人ばかりですね、とミサカ三四号は調整器の中で呆れました』

 忙しいのであろう、言葉にしないまでも三四号に同意する感情を送る個体が数名ほど続く。

 生まれて数時間だがこの中で個性を出すのは苦労するかもしれない、とキューブは思いつつファーストに助力を願った。
 記憶の共有をすればすぐにでも作れるようになるのだが、キューブはあくまで教えて貰うことにとどめた。
 どこまで記憶を共有し、どこまで自分だけの記憶にするか、その線引きはキューブにはまだ掴めない。
 なので、キューブはしばらくは芳川の言ったとおり、自分でできることは自分でやってみようとひとまずの結論を付けた。

 ファーストの指示に従いコーヒー・マシンを動かす。
 どうやらこのマシンは一人用であるようで、一度に人数分のコーヒーを作ることは出来ないようだった。

 カップと豆をセットし、スイッチを押す。
 ゆっくりとカップにコーヒーが注がれていき、苦みのある香りが鼻を刺激した。

『砂糖と粉クリームもあるようですが、とミサカはファーストへ助言を仰ぎます』

『研究者はカフェイン中毒と相場が決まっているのでブラックで、と御坂ファーストは絶対能力進化レベル6シフト計画時代を振り返ります』

 なるほど、とキューブはコーヒー・マシンからカップを取り出した。
 芳川桔梗は絶対能力進化レベル6シフト計画に参加していた人物の一人だ。その前身の計画には携わっていないが、遺伝子学の有力な研究者でクローン培養の中核人物として従事していた。
 ファーストとの面識もあるだろうが、その点については彼女から特に何も言っては来なかった。

 カップを持って長机へ戻り、芳川の前にカップを置いた。
 ありがとう、と礼を言って芳川はカップを手にとってコーヒーへ息を吹きかける。
 お湯の温度はコーヒー・マシン頼りなので飲むのにちょうど良い温度か解らなかったが、どうやらできたては熱いらしい。
 何回か息で表面温度を下げた後、芳川はコーヒーをすすった。
 すると、わずかに顔をゆがめる。

「に、苦いわね……」

『苦かったそうです、とミサカは初めての挑戦を報告します』

『豆の適量はカップの大きさと豆の質で違うので責任は持てません、と御坂ファーストは今更ながらに言います』

 もう一度挑戦してみよう、とキューブはコーヒー・マシンへと向かう。
 豆とカップをセットすればあとはボタンを押すだけなので、苦いと言うことは豆の量が多かったということだ。
 減らしてみよう、と考えたところでキューブは先ほどどれだけ入れたか覚えていないことに気づいた。
 初めての挑戦で内容全ては覚え切れていなかったらしい。

 仕方なく目分量で豆を入れ、カップをセットしてボタンを押す。
 ゆっくりとカップへコーヒーが注がれていき、やがて止まる。

 キューブは完成したコーヒーを今度は布束の元へと持って行った。

サンキューthank you。その調子よキューブ」

 そう言って受け取った布束は芳川と同じように息を吹いて飲み、そして苦いと呟いた。
 また豆が多かったらしい。

 今の量は覚えているのでもう一度やればちょうど良くなるだろう、と思いレイチェルにコーヒーはいかがですか、と訊ねた。

「コーヒーは苦手なの。私はアップルティーが好きなんだけど……。私以外に欲しい人がいないからって申請が通らないのよ」

「あ、じゃあキューブ私に淹れて」

 立候補したのは角田だ。
 それを受けて再びコーヒー・マシンに向かうキューブ。

 豆の量は気持ち少なめでスイッチを入れ、コーヒーを用意する。
 漂ってくる香りは先ほどとの違いが感じられない。キューブは特別超嗅覚を持ったクローン体というわけではない。

 用意したコーヒーを角田へと渡し、キューブは感想をじっと待つ。
 コーヒーを口にした角田はうんうんと頷いた。

「確かに苦いけど、私はこれぐらいがちょうどいいよ」

 要するに苦いということだ。
 また失敗したようだ。コーヒー・マシンという機械の力を借りているのに失敗続きで、キューブは上手くいくまで挑戦してみよう、と意志を固める。
 とはいえ、コーヒーはそう何倍もがぶがぶと飲むものではないと、入力された知識が告げている。

 まだ飲んでいないのはダース伍長だ。飲んでくれるかどうかキューブはダース伍長の元へと行く。

「あの……」

「向こうへ行け……」

 言葉の途中でそう返ってくる。
 向こうへ行けとはどういうことだろうか、とキューブは考え、コーヒーを作ってこいという意味だと思いつく。
 軍隊式に、言われずともさっさと作ってこいということであろう。

 そしてまたコーヒー・マシンの元へと戻る。
 四杯目のコーヒーだが、カップが不足するということはない。先ほどの紅茶を入れたカップは、全自動食器洗いロボットにより既に食器棚に収められている。

 豆の量をさらに減らしたコーヒーを作り、カップを持ち長机へと向かう。
 そして、ダース伍長にカップを渡そうと近づいたときのことだった。

「私に近寄るな!」

 突然ダース伍長が立ち上がり、キューブを壁へと突き飛ばした。
 カップが地面へと落下し耳障りな音を立てて割れる。
 飛び散ったコーヒーが数滴背を壁に打ちつけたキューブの服を汚す。

 熱い、とキューブが思った瞬間、目の前へとやってきていたダース伍長に三つ編みを掴み上げられた。

 ――何を。

「何するんです!」

 と、キューブの代わりに叫んだのは布束だった。
 他の研究員達は驚いた顔でダース伍長を凝視している。

「あいにく私は君達と違って、戦闘クローンに関してはロクな目にあってないんでな」

 掴んでいた髪を手放し、背後へと振り返らずにダース伍長は言った。
 床へとへたり込むキューブ。視線を上げてダース伍長と視線を合わせると、キューブの背筋に寒気が走った。
 怒気を含んだ目がキューブを睨み付けている。
 こんな目は今まで見たことがない。学習装置の記憶にもない。ネットワークの共有記憶にもない。
 未知の感情がキューブに恐怖を与えた。

「で、でもそれはキューブには関係のない事でしょう……?」

 そう言ってキューブとダース伍長の間に入り、キューブを助け起こしたのが芳川だ。
 ダース伍長は芳川の言葉にただ、ふん、と呼気を返した。
 ダース伍長がゆっくりとキューブから離れる。その姿を芳川はコーヒーを飲んだときよりずっと苦い顔をして見つめた。

 姉妹達シスターズは戦闘クローンである。
 それは絶対能力進化レベル6シフト計画に関わった芳川が嫌と言うほど知っている。
 二万体のクローンを用意し、一方通行アクセラレーターと殺し合いをさせる。それが元々の彼女達の目的だった。

 戦うための動き、銃器の扱い方、戦闘向けの能力の使用法、市街戦時の隠蔽マニュアル。それらは今でもミサカネットワークの中にある。
 そしてそれは学園都市の軍部に所属するダース伍長も知っているだろう。

 そういう風に姉妹達シスターズを生み出してしまったのは芳川だ。
 この研究所にやってきてから今初めて、芳川は自分の過去の研究に嫌悪感を覚えた。
 ダース伍長にも、キューブにも何を言っていいのか彼女は解らない。ポケットからハンカチを取り出し、芳川は無言でキューブの服についたコーヒーをぬぐった。

 その横で布束がキューブに怪我や火傷をしていないか訊ねる。
 問題ありません、とキューブが答えた後のこと、部屋の壁に備え付けられている会議用ディスプレイの電源がついた。

「あれ、所長?」

 そう角田が呟く。
 ディスプレイには白衣を着た中年の男が映し出されていた。

『遅くなってすまない……』

 彼がこの研究所の臨時所長。
 量産能力者レディオノイズ計画の責任者であり、絶対能力進化レベル6シフト計画の担当研究者。
 この二つの計画を巡って最も罪が重くなるだろうと言われている被疑者、天井亜雄あまいあおが彼の名前であった。





[27564] 『欠陥電気』④
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/28 22:59
 7.
 二十代後半の若手研究者である天井。
 彼がこの研究所の臨時所長に就任したのは研究職や管理職としての腕を買われて、というわけではなかった。

 彼には莫大な借金があった。
 量産能力者レディオノイズ計画は彼の施設の研究所で行っていたもので、『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』に無効判定を受けるまでは各所から融資を受けていた。
 違法クローンを作るという趣旨を理解して融資された借金はいくつか帳消しとなったが、それでも残った借金の額は軽く10億を超えていた。
 クローンを生み出した原因として彼が裁判にかけられたとき、この借金が問題となった。
 罪を償わせて全て終わり、とするわけにはいかない。

 彼には未来がない。幼少の頃から学園都市の研究者として従事してきた彼は最早研究者として生きる以外の生き方を知らない。だが、刑期を終えて学園都市に戻った彼を雇ってくれる研究所などないだろう。

 借金を負い表舞台に立てなくなった研究者の行く末は、学園都市の暗部へと落ちていくのが常である。が、彼にはその道すら残されていない。
 二万人のクローンを生み出して殺すという絶対能力進化レベル6シフト計画が表沙汰になった今、学園都市では違法研究を洗い出し排斥する動きが活発だ。当然のように天井の辿る末路は注目されていた。
 そうして彼は研究囚人となった。
 研究所に軟禁され、金を生み出す研究を強いられる生活。当然のように自分の望む研究など出来ず、自由に出来る資金も手に入らない。

 自由な時間が多いこの研究所でも、彼は研究所の外から次から次と送られてくる仕事に追われて朝から晩まで働き続けていた。
 このミーティングに遅れ、こうしてモニター越しでの参加となったのも、そういった理由によるものだった。

『外に送る急ぎの書類があってね』

 そう言った天井は二十代とは思えないくたびれた姿であった。
 だが、寝不足を思わせる隈や栄養不足を思わせる顔はしていない。囚人らしく睡眠時間や食事内容も決められているからだ。

『みんなどうだ調子は?』

 天井はモニター越しにそう問いかける。
 ミーティングルームへ通信を繋いだばかりの彼には、つい今までこの部屋で起きていた事など知る由もない。

「特に異常なしです」

 そう答えたのはキューブを助け起こした芳川。
 コーヒーを拭いていたハンカチはキューブの服にコーヒーの染みを残して拭き終わり、ポケットへとしまわれている。

『うむ。おや……? そこにいるのは……』

 芳川の返答に頷いた天井は、彼女の隣に立つ少女を目に留めた。

はいI explan、調整番号五六号。御坂キューブといいます」

 布束の説明に、ほう、と天井が頷く。

『入力し上がったのか、後で見せてもらうよ。五七号も同じ入力内容で頼む』

 キューブという名前にコメントがないのは彼の余裕のなさを示しているのか、淡々と指示をする。
 学習機械での記憶入力は研究所内の研究員が悪意ある入力をしないよう、研究所の外部での審査を受けている。その審査が通ったことを天井は事務的に説明を続けた。
 一分程度の指示の後、彼は言葉を打ち切る。

『では、簡単ですまないが……。以上だ』

 天井がそう言うと、会議用ディスプレイの電源が切れ、リフレッシュルームから音が消える。
 わずか二分という短いミーティング。それでも次の工程に進むには所長である天井の指示が必要であった。

「やーれやれ……」

 そう言って鞄を手に真っ先に出口へ向かったのは角田。

「ミーティングはお茶のんで終わりですかー」

「よかったと思ってるくせに」

 それに続いたのがレイチェルだ。

「先輩だってずっとゲームやってたじゃないですか」

 会話を交わしながら二人は退室していく。
 それに続くように、芳川が長机の本を手に取り扉へと向かう。
 と、部屋を出る途中で振り返りキューブを見る。

「キューブ、せっかくだからあなたも培養器室へ来ない? あなたの妹に会えるわよ」

「ミサカの妹ですか、とミサカは期待の目を向けます」

それではin that case、私は先に『学習装置テスタメント』をチェックしてきます」

 芳川の代わりにファイルバインダを手に持った布束が、そう言って部屋を出る。
 作業があると言えどもいきなりキューブを一人にするわけにはいかない。
 そのためキューブを自分の担当場所である学習機械の置かれている部屋に連れて行こうと思っていた布束だったが、芳川の提案によりキューブを芳川に任せたのだ。

 一人で部屋を出て行く布束を目で追うキューブだったが、布束に付いていくことを選ばず芳川の元へと向かった。

 そしてリフレッシュルームにはダース伍長と清掃ロボだけが残された。



 8.
 直径1メートル、高さ3メートルの円柱状の培養器の中に髪の長い少女が浮かんでいる。
 培養器の中は化学的な発色をした液で満たされている。
 この液体をコップ一杯分でも学園都市の外に持ち出せれば、莫大な富に代えることができる。まさしく最先端クローン技術の結晶である。
 それをレイチェルはボタン一つで培養器から排出した。
 学園都市の外では最先端でも、学園都市の研究所では特別価値を持つわけではない。培養器の下に流れていく培養液は再利用されるでもなく、このまま下水管を通って処理施設で処理される。

 やがて液の排出が終わり、ガス圧による空気音を立てながら培養器の蓋が開いた。

 培養器に残されたのは、惚けた顔で座り込む少女。
 キューブはレイチェルの横に立ちその少女を見つめていた。

「本物の人間みたいですね、とミサカは全裸の妹を見下ろします」

「この施設の設備を使えば他の動物の遺伝子を組み合わせた合成生物キメラを作ることもできるらしいけれどね」

「動物の耳を付けて貰うこともできるのでしょうか、とミサカは妹によこしまな視線を向けます」

 キューブの視線を受ける少女、五七号はきょろきょろと左右を見渡している。
 先ほどまで培養器という母胎の中でずっと眠り続けていたところで、急に外へと放り出されたのだ。
 五七号は惚けた表情からやがて顔をゆがめ、目から涙をこぼし始めた。

「ふぇ……びぇぇぇぇええええええええ」

 突然泣き叫びだした五七号を前に、キューブは硬直する。
 レイチェルは指で耳をふさぎながらそんなキューブへと説明を始めた。

「見ての通りこの状態じゃ精神状態は新生児並。言葉も理解できないし、自力で歩く事すらできないわ」

「では今のが出産シーンだったのですね、とミサカは納得しました」

 キューブは一日前のことを思い出す。
 学習機械の膨大な記憶量に埋もれて今にも忘れてしまいそうな光景。
 そのときは確か――

「はい、これ。塗れたままだと風邪をひくかもしれないから」

 芳川からバスタオルを渡される。
 そう、自分はあのとき角田に身体を拭いて貰った、とキューブはバスタオルの感触を手で確かめた。

 泣き続ける五七号の頭にバスタオルをかぶせ、キューブは両手で水気を拭き取っていく。
 髪の毛を拭き終えたところですっかり液の色に染まったタオルを変え、身体を丁寧に拭く。
 いつのまにか泣き止んだ五七号はそんなキューブをぼんやりと見つめていた。

 時間をかけて吹き終えた頃に、それまで部屋にいなかった角田が車輪の付いた人を運ぶための運搬台を押しながらやってきた。
 角田にレイチェルが言う。

「遅かったじゃない」

「いやー、倉庫で支給物資探していたら時間かかっちゃいまして」

 五七号の横に運搬台を寄せた角田が、運搬台の上に載せていた物を手に取る。
 赤い機械ゴーグルと、プラスチックでできたデフォルメされた翼のヘアピンだ。

「はい、このゴーグルは能力補助のゴーグルね」

 そう言って角田はキューブにゴーグルを手渡した。
 姉妹達能力レベルでは電子線と磁力線を見ることができない。そのため、こういった機械ゴーグルを使うことで能力の使用を補助して貰う必要がある。
 絶対能力進化レベル6シフト計画に参加していた一号などが所持しているのは軍事用の無骨なものであったが、これはそれとは違い軽く小さい。

「支給品は電撃使いエレクトロマスターの学生とかが使っている安物みたいだけど我慢してね」

 そう言いながら角田は手に持ったヘアピンをキューブの頭へとあてがう。

「うん、似合う似合う」

「そちらは何の機能を持つのでしょう、とミサカは疑問を口にします」

「ん、ただのヘアアクセサリーよ。横まで編み込んでるわけじゃないから止めておかないとね」

 左右の側頭部にヘアピンを付け、似合う似合うと角田は笑った。

「終わった? それじゃあ乗せるわよ」

 レイチェルはそういうと五七号の背後へと回る。芳川も五七号の前へと移動しており、座り込んでいた五七号の脚を揃え、両手で抱え上げた。
 レイチェルは五七号の両脇に腕をさしこみ、力を入れて持ち上げる。
 五七号の身体が浮き、角田は横から腰の下へ手を差し入れて落ちないように支えた。

 そうして三人がかりで五七号をステンレス製の運搬台の上へと乗せる。
 突然背中に金属の冷たい感触が当てられ、五七号は声を上げて泣き出した。

「わちゃー、またやっちゃいました」

「インストールすればすぐになくなるわよ。ほら、押して」

 レイチェルに促され、角田は運搬台を押し部屋の外へと向かう。
 レイチェルと芳川もそれに続いて出口へと向かい、ヘアピンに手を当てていたキューブも彼女達の後を追った。

 培養器の部屋は一階レベル1で、学習機械の部屋は二階レベル2だ。
 五人はエレベーターへと乗り込む。
 作業機械の運搬も出来るよう広く、重量制限も数十トン単位の頑丈なエレベーターだ。

「レベル2へ」

 音声入力を受けてエレベーターが動く。

 ゴーグルをおでこにひっかけたキューブはエレベータの独特の加重を身に感じた。
 慣性の法則から考えれば当然の負荷なのだが、実際に体験してみると不思議な感覚がある。
 その感動を知らない角田達は二階レベル2へ到着し開いた扉からすぐさま出て行く。

 そして、扉が。閉まった。

「あ……」

 キューブは出遅れて一人エレベーターの中に取り残された。

『ナンカイ ヘ イキマスカ?』

「開けてください、とミサカは勝手に閉まるドアに注文をつけます」

 キューブの言葉を受けて、ドアが開く。
 ドアの向こうでは三人が振り返って彼女の方を見ていた。
 キューブは無言で三人の元へと歩き、揃って学習機械の部屋へと再び向かう。

「ごめんなさいね、見てなかったわ」

「問題ありません、とミサカはと返します。一度した失敗は繰り返さないので忘れて貰っても構いません、とも付け加えます」

 そう芳川と会話を交わしながら廊下を進み、一室の扉の前で止まる。
 レイチェルが扉の横に付けられたパネルへIDをかざすと駆動音を立てて扉が自動で開いた。

 部屋の中には布束がおり、学習機械の横にある端末の前に座っていた。

「こちらの用意は終わっています」

 と言う布束の言葉を受け、レイチェル達は五七号を学習機械へと乗せ替える。
 再びの移動に五七号は泣き叫び十三歳の少女の力で暴れる。が、布束が無針注射器を五七号の肩に当て、鎮静剤を打ち込んだ。
 振り回していた手足が降ろされ、五七号はうとうととまぶたを降ろしやがて眠りについた。
 警備員アンチスキルが暴徒鎮圧用にも使っている鎮静剤で、よく効きすぐ効き副作用無しという触れ込みの学園都市製のものだ。

 布束達は五七号が眠ったのを確認すると、再び作業を進める。
 五七号の頭へヘッドセットを取り付け、端末で脳波を確認。学習機械の蓋を閉めて、端末の実行ボタンを押した。
 動作の開始を告げる電子音が部屋に響く。

ではall right、これより明日一二時〇〇分までこの部屋は閉鎖されます」

 と布束が宣言し、研究員達は部屋を退室していく。
 布束も端末の席から立ち上がりキューブの退室を促した。

「誰も残らないのですか、とミサカはヌノタバへ問いかけます」

「インストール作業中に余計な手を加えないよう、ここから先はメインコンピューターの管理下になるわ」

 学習機械での記憶入力内容は研究所外部の審査を受けている。入力内容が差し替えられていないか、学習機械の実行時まで研究所のメインコンピューターを通じて研究所の外と情報の同期を行っていた。
 そして、途中での改竄を受けないようこの部屋は入力が完了されるまで封鎖されるのだ。
 それほどまでに姉妹達シスターズの記憶は厳重な扱いを受けていた。異能力者レベル2と言えど超電磁砲レールガンの複製能力者を公的に生み出すのだ。この扱いは当然のことだった。

 布束とキューブが部屋から退出すると、背後で閉まった扉からロック音が鳴った。

「それじゃあ角田と私は所内の設備の点検に行くわ」

 そう言ってレイチェルは角田を連れて去っていった。
 残された芳川と布束にはもう本日分の作業は残っていない。
 キューブの各種検査も、明日五七号と揃って行うことになっている。

「布束さん、例のものを見せてあげるから第三ブロックへ来ない?」

 と、芳川は布束に就業後の誘いをかけた。

「ベヒーモスですね」

 行きます、と布束は答える。
 何のことだろうか、とキューブは首を傾げた。

 ベヒーモス。十字教の聖典に登場する怪物で、一日に千の山に生える草を食い尽くす暴食の獣とされている。
 学園都市にそんなオカルトな生物がいるわけもなく、ベヒーモスと名前をつけられた何かだろうかと思考を巡らせる。

「キューブもいらっしゃい。この研究所の本来の研究目的、人工生物工学で作られた合成生物を見に行くわ」

 そう、この研究所は人工生命研究所。今は姉妹達シスターズの調整に使われているが、今いる研究員達は仮職員であり、それまでに行われていた従来の研究内容というものがある。
 囚人の収容に適しているという理由で人工姉妹シスターズ調整計画に研究所が使われるようになったが、研究員の移動は行えても一部の設備の移動は行えなかった。
 大型培養器で初期培養中だったため動かすことが適わなかったベヒーモスがその一つだ。
 人工生物と言うことは自分の同類だろうか、と考えながらキューブは芳川と布束に連れられ一階レベル1の第三ブロックへ向かった。



 9.
 キューブは分厚いガラスの向こうに見える生物に圧倒されていた。
 培養液の中で眠る大型の生物。
 哺乳類には見えないごつごつとした緑色の表皮。鋭い爪の生えた四本の脚。頭から生えた無骨な二本の角。
 先ほど見た培養器の中の五七号とは全く違う存在感がそれにはあった。

へえaah……綺麗ですね……」

 そう感嘆の声を漏らしたのは布束だ。

「そうでしょう? 絶対能力進化レベル6シフトに参加する前に少し関わったからこうして引き継いだのだけど……、これは恐竜の複数の骨の中から採取された細胞を元に培養した、恐竜の合成クローンよ」

 このベヒーモスに現在地上の生物の中で近い物があるとすれば、爬虫類であろう。
 その体躯は全長六メートルほど。今は培養液の中で横たわっているが、もし目の前でこれが立ち上がったとしたらどれだけの迫力をもつだろうか。

「角田さんは見たくもないって言ってましたけれど……」

 そう呟く布束。確かに、恐竜などという大型爬虫類に憧れるのは決まって男の子ばかりであり、女性である角田としては忌避感があるのだろう。だが、未知の物に対する生物研究者の姿勢としてはどうだろうか、という考えが布束の目が告げている。

「人間は、自分と違う存在を受け入れられないものよ」

 芳川はそういって布束をたしなめる。

それでもstill、悪い人じゃないけど……私には角田さんがよく解りません……」

 目を伏せながら布束は言う。
 そんな様子をキューブは横目で見る。
 角田はどういう人間だっただろう。明るくて、誰よりも多くキューブに話しかけてきて、わざわざヘアピンを用意してくれて。

「……けれど、人を動かしてきたのはああいう強い人間よ」

 強い。ああいう人を強い人間というのだろうか。
 キューブにはまだそういった人間の小さな違いが解らない。

「私は最近、レイチェルさんのことが解りません」

 布束はそう芳川に告げた。
 まるで溜めていたものを吐き出すように、布束という少女は研究所の中で一番心を許している芳川へと思いを打ち明ける。

「角田さんと芳川さんて正反対の人じゃないですか……」

 続けて何かを言いかけて、布束は自分を見るキューブの視線に気づいたかのように口を結ぶ。
 そしてしばし逡巡すると、キューブへと顔を向ける。

「キューブ。こっちに来てよく見てごらん」

 そう言ってキューブを手招きした。

「この研究所の本来の研究物よ。綺麗よね」

「こうして見ているだけならそうね」

 と、芳川が二人へ言う。

「キレイなバラにはトゲがあるって言うけど……、これはトゲじゃすまないわ。2本の巨大なキバがあるからね」

 そう芳川が説明をし終えたところで、彼女の懐から携帯端末の鳴る電子音が聞こえた。
 研究所内で連絡を取り合うための通信端末だ。
 芳川は白衣の中からペンサイズのそれを取り出して耳元へと当てる。

「……どうしたの? ええ、解ったわ。布束さんもいるから連れて行くわね」

どうかしましたwhat?」

 通信端末を切った芳川に布束が訊ねる。

「外部との通信システムの調子がおかしいらしいの」

「通信システムって……学習機械の起動中にそれはまずいのでは?」

「ええ、だから手伝いに早く来て欲しいって」

 了解understood、と布束は答えキューブを連れ三人で第三ブロックの出口へと向かう。
 と、そこにダース伍長が入ってきた。
 彼の巨躯が壁のように立ち塞がり、三人は脚を止める。
 ダース伍長は芳川達三人を目に留めると。

「別に見てもかまわんが……ベヒーモスこれは軍に関係した仕事だっていうのは忘れないでくれたまえ」

「……すいません」

 頭を下げて芳川がダース伍長の横を通り過ぎる。
 それを追うように小走りで布束が追いかけ、ダース伍長は残されたキューブに正面から目を合わせた。

「お前もだぞ……あまりそこらへんをいじりまわすなよ」

「解りました、とミサカは素直に従います」

 キューブは頷き、追い立てられるようにして第三ブロックを後にした。





[27564] 『欠陥電気』⑤
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/26 19:13
 10.

「はっきりした原因はわからないんだけど、どうも変なのよ」

 ネットワーク管理室で三人を迎え入れたレイチェルは、そんな曖昧な言葉を発した。

「外からの受信はできるけど、こちらからの送信がうまくいかないの」

 そう言いながら黒いコンソール画面が映るモニタを指さす。
 外との通信を確認するためのトレースルートが実行され、所内にあるルーターの応答時間を表示している。
 その中で、所内と外を繋ぐ地下ケーブルのL3スイッチからの通信が途絶えていた。

 機器の故障、と断ずるには早急だ。
 外からのメールなどは届いているらしく、完全にネットワークが断絶しているわけではなかった。

ところでWell、子ケーブルの方は調べました?」

 と、布束が確認を取る。

 レイチェルは頷き。

「そっちは大丈夫。この通信システムは筑波研究所のワタナベ式多重VPNステーション……。親ケーブルと子ケーブルは独立しているから心配ないわ」

 筑波研究所は第二学区にある学園都市の中でも有名な研究所だ。
 研究者達の中でも選りすぐられたエリート達が集められ、主に他の研究所向けの製品や軍部向けの軍事製品を開発している『発明』の総合研究所だ。
 この人工生命研究所にも筑波研究所の製品が多く導入されており、ネットワーク周りは一式筑波製の物で揃えられていた。

むうhurm……、となるとファイヤーウォールの問題でしょうか」

 頭をひねる一同。ここにいるのは精神学や生命学の研究者達だ。
 物理ネットワークの機器についてはさほど習熟していない。

 他のメンバーよりは広い分野での知識を持つ芳川も、コンソールを一通り触ってみるが原因らしきものは見つけられない。
 ケーブルが千切れかけているような、曖昧な挙動ばかりが返ってくるのだ。

「所長はなんて?」

 キーをタイプしながら芳川が聞き、レイチェルが答えた。

「詳しく調べてから対策を考えようって」

 こういうものは本職に保守に来て貰うのが一番だ。
 だが、今この研究所は封鎖されており、人の出入りはない。
 物資の搬入もロボットによって行われ、唯一外と連絡を取る手段が地下ケーブルを使ったこの通信システムだった。

「……完璧に壊れるまで待つってのはどうですか?」

 一向に解らない原因に苛立つように、角田が言った。

「そんな……」

 呆れたような目で布束は角田を見る。
 一方、芳川はなおもコンソールとにらみ合っている。

「通信は一方通行じゃ意味がない……今もうすでに外とつながらなくなってるのよ。とりあえず急いでこちらの状況を伝えなきゃ」

 その言葉を聞き、布束は部屋の隅の方に立っていたキューブを見た。

「キューブ、あなたのネットワークはどうなってるの?」

「……脳波リンクが切れています、とミサカは異常事態を知らせます」

 キューブの表情には困惑が浮かんでいた。
 学習機械の中から目覚めてずっと感じていた他の姉妹達シスターズとの繋がりが、途絶えてしまっているのだ。
 言いようのない喪失感がキューブの心を揺さぶっていた。

「ミサカネットワークに使われている周波数の電波は研究所の電磁パルスEMP防御処理のされた壁を越えられない。所内通信用のアンテナで電波を拾って地下ケーブル経由で外へ送っているの」

 そう答えたのは芳川だ。
 この研究所は研究員達が無線機器経由で勝手に情報を持ち出さないよう、電波を妨害する建材で建てられている。
 電波や光などを用いた外部への情報流出は、学園都市全体で対策が取られている。
 学園都市は外の世界より十年以上の技術差があると言われているが、学園都市の中でも研究所単位で技術力に大きな差がある。

 研究スパイ対策はどの研究所でも何らかの形で取られていた。

 だが今回はその厳重すぎる対策が彼女達を外から孤立させていた。

「ああもう、面倒ですね!」

 我慢の限界、と言った様子で角田が両手を挙げて言った。
 それを見たレイチェルが、またか、と言った顔で彼女を見る。

「いっそ地下に入って直接L3スイッチとケーブルを調べちゃいましょう」

 手を振りながら角田が主張する。

「私が行ってちょちょいっと直してきますよ。こういうのって、機材を直接見に行ったら赤ランプ出してハングアップしてましたーとか言うオチなんですよ」

 そう言って周りの返事も聞かず、角田はネットワーク管理室から一人退室していく。

 コンソールから視線を外してその様子を見ていた芳川が、今度は布束へと向き直った。

「しょうがない……キミ、角田さんといっしょに地下に降りてくれる?」

わかりましたunderstood

 布束が頷くのを確認すると、芳川はレイチェルへと言う。

「それじゃ第一ブロックへ行って地下を開けるのを手伝ってくるわ。その後戻ってくるからよろしく」

「了解。じゃあ私が所長に連絡しておくわ」

 年長者同士そうやりとりをすると、芳川は布束を連れて部屋を出て行く。
 そして部屋にはキューブとレイチェルが残された。
 レイチェルは部屋の隅に立つキューブには気づかぬまま、芳川のいた端末席へと座る。
 キーを操作すると端末の黒いコンソール画面がOSのGUIへと切り替わる。

 そしてマウスを操作して所内の通話ソフトを立ち上げ、所長室へと通信を繋げた。
 十秒ほどのコールの後、画面に天井の顔が映る。

『…………。何だ?』

「先ほどのケーブルの件ですが……角田と布束が地下へ降りて直接調べることになりました」

『…………。わかった、よろしく頼む』

 どこか様子のおかしい天井がそう答えると、彼の方から通信を切った。
 レイチェルはそんな彼との会話に首を傾げる。

「……? 具合でも悪いのかしら?」

 そうしてやることのなくなったレイチェルが両手を頭の上で組み、ぐっと背中をのばし椅子の背もたれにそってのけぞった。
 すると、逆さになった視界の中に所在無げに立ち尽くすキューブの姿が映った。

「あー、ごめんなさいね。みんな貴女を見てる余裕が無くて」

「いえそちらの問題を優先していただいて問題ありません、とミサカは空気になります」

「あはは、まあでもこっちは今のところ何もやることないから暇よ。皆の様子を見てきたら? 第一ブロックは一階レベル1にあるわ」

「そうします、とミサカは提案に乗ります。実は初めての一人歩きです、と気づきました」

 そう言ってネットワーク管理室を出て行くキューブをレイチェルは椅子の背もたれに寄りかかったまま手を振って見送った。



 11.
 三階レベル3から南側エレベーターを使い一階レベル1へと降りたキューブは、第三ブロックへと入る。
 第三ブロックはベヒーモスが培養されている〇二番コンテナの他にも様々な物資が納められたコンテナが並べてある倉庫フロアだ。
 このフロアにある搬入口から作業ロボットが外から物資を送ってくるのだが、搬入口は固く閉ざされている。
 床には作業ロボットが動くエリアを示す黄色いラインが引かれており、キューブはラインを踏まないようにしながら第二ブロックへのドアを開く。
 第二ブロックは警備員の詰め所や玄関へと通じる扉があるフロアで、今は第三ブロックと第一ブロックそして北側エレベーターの扉のみが通行可能だ。

 第一ブロックの扉の前でキューブはIDをかざす。
 A.I.の案内音声で通行が許可され、作業フロアである第一ブロックへと足を踏み入れた。
 そのときだ、扉をくぐったキューブの真横に、人が飛び込んできた。

 合成樹脂の塗られた壁に、誰かが背を打つ。
 突然の事態に横へと振り向くと、そこには怒りの形相で芳川の胸ぐらを掴む角田がいた。
 芳川は角田に壁へと押さえつけられ、息苦しいのか咳き込んでいる。

「や、やめて下さい! そんな事している場合じゃないでしょう!」

 布束の制止の声が上がる。

「か、角田さん、やめてちょうだい!」

 芳川は角田の手を掴んで押しのけようとする。
 が、芳川より背の低い角田のどこにそんな力があるのか、腕はびくとも動かなかった。

「ふざけんなコノ野郎!」

 つい十数分前とは完全に豹変した顔で角田が怒鳴る。
 そこでようやく喧嘩が起きているのだとキューブは気づく。

 角田が怒り、芳川へと暴力を向けている。一瞬何をすべきか逡巡したキューブは、仲裁に入ろうと動き出す。
 キューブは腕を伸ばし二人の間へ割り込むが、彼女の力では角田を引き離すことができなかった。
 仕方なしに、キューブは己の能力、『欠陥電気レディオノイズ』を発動する。

 キューブの観測する現実が本当の現実を塗り替え、小さな電気の火花を生む。
 乾電池数個分のわずかな電気だが、角田の腕の筋肉を弛緩させるには十分だった。

 芳川から離れた腕の間に身体を割り込ませ、キューブは言う。

「何があったか解りませんがここは穏便に、とミサカは――」

「オマエはひっこんでろ!」

 言葉を最後まで言い切る前に、キューブは角田に突き飛ばされた。
 胸の中心を押されてキューブは後ろへとよろめき、そして体勢を崩して尻餅をついた。

 慌てて布束がキューブの元へと駆け寄る。

「キューブに八つ当たりするのはよしなさい」

 襟元を直しながら芳川は角田を言い咎める。
 だが、そんな態度も角田の怒りに触れたのか、彼女は芳川を怒鳴り上げる。

「いちいちアタシに指図するな!」

 興奮し肩で息をしながら芳川を睨み付ける角田。
 芳川はその視線を戸惑いの目で見返す。

「軽いジョークをいちいち真に受けやがって……」

 やがて、視線をはずした角田はフロアに用意された作業スーツの元へと向かう。
 機械で人体の動きを補助するための駆動鎧パワードスーツだ。
 地下ケーブルがある地下フロアは深い空洞となっており、安全のためにこの作業スーツが必要となる。

「忘れんなよ!」

 スーツを着込みながら角田が再び芳川へ言う。

「レイチェルサンはテメェにそそのかされて、こんなところに入るはめになったんだって事を!」

 角田の言葉に、芳川は顔を伏せた。何かの核心をついたかのように、芳川は何も言い返せずにいる。
 その様子にふん、と口を結び角田はスーツを着終え歩き出す。
 そして、座り込んだままのキューブの前を通ると、足を止めぬままキューブへと言葉を向ける。

「ウロチョロしてて地下へ落っこちないよう気をつけな!」

 そう言い捨て角田はフロアの床に開いた作業口から地下へと降りていった。
 作業スーツの機械関節の駆動音が作業口の奥から小さく響いている。
 角田が去った後のフロアで、布束はキューブを助け起こす。

「大丈夫?」

「痛みなどの症状は見られません、とミサカは自己分析しました」

「布束さん、彼女はわたしに任せて地下へ降りてしまって」

「……はい」

 布束はキューブから離れると、角田と同じように作業スーツを着込み、作業口へと向かう。
 一度キューブへと振り返った後、布束は前へ向き直り地下へと降りた。

 布束が降りたのを確認すると、芳川は室内管理端末の元へと向かい、作業口の開閉ボタンを押した。
 駆動音を立てて作業口が閉まっていく。出るときは地下にある管理端末から作業口を開ける形となる。

「……変なところを見られてしまったわね」

 ぽつりと、芳川が言った。
 キューブに向けられた言葉だ。

 何があったかはキューブには解らない。
 ただ、角田は芳川のことを良く思っていない様子だった。
 彼女達の間に何か深い溝があるのだろう。だがまだ何も知らないキューブには返すべき言葉が思い当たらなかった。

「人間っておかしいでしょう……?」

 キューブには、解らない。



 12.
 芳川に連れられキューブはネットワーク管理室へと戻った。
 管理室で一人残っていたレイチェルは、第一ブロックで起きたことを知らない。
 芳川もそれには触れずレイチェルと二言三言言葉を交わし、地下の二人へと通信を繋げた。

よしall right、スイッチに着きました。始めます』

 布束の言葉を受けてレイチェルが「OK」と返し、続けて指示を出した。

「それじゃ、まず布束がパスワードを入れて、メンテナンス・モードに切りかえてちょうだい」

わかりましたunderstood。ええっと……W・A・T・A・N・A・B――あれ……』

 入力確認の途中で布束が言葉を止めた。

『角田さん?』

 布束が角田へと呼びかけた。
 何かあったのだろうか。管理室には声しか届かないので、地下の様子はうかがえない。

「大丈夫?」

 レイチェルが通話器越しに角田へと声をかける。

『問題、ありません』

 そう返ってくる。が。

『う……うあ……!』

 角田の声と共に、何かがぶつかるような鈍い音が通信器の向こうから届いた。

『角田さん!』

 遅れて布束が絶叫する声が響く。
 レイチェルは突然のことに慌てて通信機に向けて叫んだ。

「ど、どうしたの!? ……ねえ、返事してよ! 一体何があったの!?」

『た、大変です! 角田さんが地下フロアに落下して……!』

 その言葉を聞いて、レイチェルと芳川ははっと顔を見合わせた。
 地下ケーブルのL3スイッチの位置は地下フロアの床から高さ六メートルの位置にある。
 本来はロボットでのメンテナンスを想定され、そうでない場合も駆動鎧パワードスーツを使って行うこととなっている。
 レイチェルは絶句した。そんな高さから落ちたらどうなってしまうのか。角田からの声は届かない。

『すぐに救助に向かいます!』

 布束の声を受けて、芳川が呆然とするレイチェルの肩を掴んで言った。

「医務室の準備! わたしは地下へ迎えに行く!」

 芳川の声で我に返ったのか、レイチェルは肩の手を振り払う。

「私が行くわ!」

一階レベル1はわたしの持ち場よ。か、角田さんなら心配ないわ。彼女はちょっとやそっとで……」

「あなたに何がわかるの!? 私は行くわよ!」

 言うや否や、レイチェルは管理室を飛び出していく。
 遅れて芳川も出入り口へと全力で駆けだした。

 一人とり残されたキューブは、訳もわからぬまま立ち尽くす。
 冷たい床に背をつけたような錯覚がキューブを襲う。
 脳波リンクを失い抱えていた喪失感の上を冷たい何かが塗りつぶしていく。
 それが何か解らなかったが、ただ漠然とした不安を感じた。






[27564] 行間 とある科学の人工天使
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/18 12:17

 学園都市第一八学区。そこは学園都市の中でも能力開発に関するトップ校が集う、学舎の区画だ。
 長点上機学園や霧ヶ丘女学院といった学園都市随一の学校が名を連ね、日々若き能力者達がより高位の能力を身につけようと開発に励んでいる。

 学徒の街、とはいっても学校や学生寮だけがあるわけではない。
 第一八学区は広い。学園都市の外ならば、市町村でいう市をつけられるほどに。
 ゆえに、学生や教員達が生活するためのさまざまな施設や店が学区のあらゆる場所に建っていた。

 多額の奨学金や研究資金を支給されているエリート学生が多くいるため、その店並は高級なものばかり。
 だがそれもあくまで中心街に置ける話であって、他の学区と隣接する境まで来ると建物の様子も庶民じみたものへと変わっていく。
 第一八学区の西端、第七学区と第二二学区にほど近いエリアにある古道具屋も、そんな庶民じみた古い建物の一つだった。

 古道具屋ことぶき商会。古い技術を扱う第一九学区にでもありそうな店構えだが、この店主は長点上機学園の臨時講師も勤める学園都市でも有数の学者だ。
 店主の名は藤兵衛。機械工学、生体工学、生物化学工学、考古学を専攻する長点上機切っての頭脳であった。

 その証拠に、彼は学園都市に八人しか存在しない超能力者レベル5の内、第一位と第七位の担当教師をしている。

 第一位と第七位の住む孤児院は、第一八学区の西に隣接する第七学区にある。
 対する長点上機学園は第一八学区の東側だ。
 ゆえに、彼らは学園ではなくこの古道具屋に『授業』を受けにやってくる。
 超能力者レベル5二人だけのクラス。その担任教師が藤兵衛という扱いだ。

 超能力者レベル5第一位である鈴科百合子は、今日もそんな古道具屋で『授業』を受けていた。

 築何十年かも解らない昭和の香り漂う木造建築の店舗。
 これまた年代物の机の上で、百合子は授業を受ける。
 授業とはいっても店の中だ。今も営業中である。
 最もここは学生の街なので授業時間に来るような客はほとんどいない。

 店の仕事で店主が忙しい様子を見せたことはないが、店の壁にはアルバイト募集の紙が貼られている。百合子がこの張り紙が貼られたのを見て一年以上経っているが、この店にアルバイトが居たことはない。
 そもそもアルバイトが必要な貧乏学生は、古道具屋などという場所に近づかないのだ。
 この店の客は第一九学区の研究者だとか、古道具収集を趣味にする変わった金持ち学生といった類の人種だ。

 店の商品は多岐にわたる。
 昭和初期に使われていたという手回し式の洗濯機。
 時代を感じさせる焼き物の壺。
 どこかの現住民族が被っていそうな奇妙な顔が彫られた仮面。
 左右の腕の長さが非対称ないびつな金属人形。

 それらを眺めて、百合子は眉を寄せた。

「最近気になっていたンだがよォ……。ここの商品に俺の演算能力じゃ解析できないモンが混じってねェか?」

 そんなことを目の前に座る店主へと聞いた。
 壽商店店主藤兵衛。その人物も、店に並ぶ商品に負けない奇妙な人物だった。
 彼を前にしてまず目にとまるのは、その頭部だ。彼の頭の上半分は機械部品で出来ていた。
 本来ならば脳がある場所に機械のパーツが埋め込まれ、頭蓋骨の代わりに透明なケースがはめこまれている。
 そして顔の下半分は長い白髭と、しわの深い人の顔。後頭部からは逆立った白髪が生えている。

 機械の頭をした老人。
 サイボーグ爺。藤兵衛を表すにはその言葉が相応しかった。

「ほうほう、気づいたかね百合子クン。良い傾向だ」

 口髭をいじりながら藤兵衛は感心したように言った。

「ア?」

「では今日は予定を変更して、新しいカリキュラムへと進むことにしようか」

「…………」

 百合子は沈黙する。
 唐突だ。だがこの老人が思いつきで何かをしだすのはいつものことである。
 授業中に百合子が身につけていた髪飾りを見て、急に「思いついた!」と叫んで授業を放り出して髪飾りを脳波で動く猫耳に改造してしまうような変人なのだ。

 カリキュラムの内容がいきなり変わるなど、今更気にするようなことではないのではないか。
 そう百合子は結論づけて藤兵衛が自分に変な事をやらせようとしないかに注意を向けた。

「その前に、基本をおさらいしとこうか百合子クン、キミの能力とは何かね?」

「ベクトル操作」

 藤兵衛の問いに百合子は即答をする。
 ベクトル操作、それが百合子の能力『一方通行アクセラレーター』だ。
 ベクトルという大きさと向きを持つものであれば、百合子の観測が及ぶ限り何でも操作できる。
 風でも、重力でも、熱移動でも、光でも何でもだ。
 その万能性こそが学園都市の科学に最も貢献する者として百合子に第一位の地位を与えている。

 百合子の答えに続き、藤兵衛は再び問いを出す。

「その能力で操作できない物は?」

「向きのないスカラー」

 百合子は熱をベクトルで移動できる。電気を操作することができる。
 だが、操作するだけで、それらが持つ『大きさ』の総体そのものを変えることは出来ない。
 ある物体から熱を奪おうとすると、奪った熱を別の場所に移動しなければならない。
 熱の移動を行うことなしに熱を増やすことも減らすこともできない。
 それが彼女の能力。

 学園都市にいる能力者の中には、こういったスカラーを直接操作することができる者達もいる。
 例えば超能力者レベル5第三位の超電磁砲レールガン。彼女は無から電荷を発生させることができる。

「百合子クン、キミが構築した読心能力者サイコメトラー対策とは何かね?」

 続けて藤兵衛が問いかける。
 百合子は軽く息を吸うと、教本でも読むかのように語り始めた。

「……読心能力サイコメトリーは大きく二つに分けられる。対象の脳を直接観測するタイプと、AIM拡散力場を介して相手の脳を観測するタイプ。いずれも電磁波、放射線、音波などの透視能力で、脳あるいはAIM拡散力場に干渉するため、こちらを観測する現象を『固定』もしくは『反射』することで脳の観測を阻止することが可能となる」

 藤兵衛が特に異議を出さないことを確認し、百合子は続ける。

「ここで重要となるのが能力者は複数の能力を持てないという多重能力デュアルスキルの原則。すなわち、対象への干渉をせずに直接透視という観測結果をもたらす透視能力クレアボイアンスとは違い、読心能力者の使う透視はあくまで能力の応用によってもたらされるものである」

 読心能力サイコメトリーは直接人の心を読むだけではなく、物から人の心を読み取る種類の能力も存在する。
 だがそれも突き詰めていけば単純な能力を複雑に行使しているだけというのが実際のところだ。

「能力応用の媒介を使わずに直接脳を透視し、脳細胞の配置から心を読み取るのは読心能力サイコメトリーではなく透視能力クレアボイアンスとなる、が、透視した細胞から情報を読み取れるだけの演算能力を持った透視能力クレアボイアンス超能力者レベル5は存在しない。ただし」

 と、そこで百合子は言葉を止めた。

「心なンつー曖昧で漠然としたものを直接観測する能力を防ぐことはできねェな。具体的に言うとアキラの野郎だ」

 学園都市が生み出した能力者達はいずれも『自分だけの現実パーソナルリアリティ』という原理に基づいて能力を行使している。
 火を生み出す現実、電子を作り出す現実、人の心を読む現実。
 そういった本来の現実とはズレた世界を観測することで、『観測されたミクロな現象』が出現するという量子力学的な領域の理論だ。
 その原理に従うなら、『人の心を読む現実』の前に百合子のベクトルを操る能力は干渉する術を持たないはずだ。
 だが、『人の心を読む』という現象はマクロな視点でのもの。ミクロな領域まで細分化していくとどうやって人の心を読んでいるかという理論と演算式へと分割され、そこにベクトルが関わってくる。

 だがそれは、学園都市が生み出した能力者に限ったものだ。

 田所アキラは天然の能力者である。
 彼の能力はひどく単純だ。
 心を読む、物体を転移する、思念を飛ばす、傷を癒す。そういったマクロな視点での複数の能力行使をする。
 多重能力デュアルスキルが能力開発で生み出せないのは、複数のミクロな『自分だけの現実パーソナルリアリティ』を持つには脳へ負荷が高すぎるためだ。その点、アキラのマクロな能力は物事を深いところまで観測しない。一個一個の能力がとても大雑把でコンパクトなのだ。

 ミクロとマクロ。その違いは従来の学園都市の超能力では起こせない概念を生み出す。

 アキラは、物体に宿っている『心』という存在しないはずの記憶を読むという。風紀委員ジャッジメント読心能力者サイコメトラーが物品の『時間』に対して干渉するのとは違う。
 彼が言うには物体の記憶を読み上げているのではなく、地縛霊のようなものが居てその心を読んでいるだけ、らしいが。

「心というものはスカラーじゃ。喜び、悲しみ、そして……『憎しみ』。そういった感情を表わす尺度じゃよ。アキラクンはそのスカラーを測定することで人の心を読む」

 アキラの担当教師でもある藤兵衛が、そう百合子の説明に補足を入れた。

「そこにスカラーではないベクトルが関わっているかというと……関わっているのじゃろう。心は不変ではない。つまり流れが存在する」

 まるで心とは何であるかを知っているかのように藤兵衛は語る。

「スカラーを理解し、そこに関わるベクトルを知ることで、キミは間接的にスカラーを操作することができる」

 発火能力者や発電能力者達とは違い、百合子はエネルギーの絶対量を変化させることができない。
 だが、エネルギーを他へと移動させることでその場に存在するエネルギーの量を変化させることができる。
 物体の熱量を直接増大させるという能力を仮に百合子が受けたとしても、今の彼女ならば身体細胞に影響が出る前に熱移動というベクトル操作で被害を防ぐことが可能だ。百合子の能力は自身に降り注ぐ太陽の光すらも操作する。

 そこから一歩進み、百合子はここ最近の藤兵衛のカリキュラムで、ベクトル操作で干渉困難なスカラーを己の能力で操作しようと勤めていた。
 そしてその効果はわずかながら、強度という尺度では無能力レベル0と判定されるほどの小ささで見られるようになってきた。

「向きというものが存在しないはずのスカラーにベクトルで干渉する。それはつまりキミの『自分だけの現実』がベクトルという枠を超えて観測の幅を広げたということダネ。もしかするとベクトル操作はキミの能力の本当の姿ではないのかもしれんの」

 そんなとんでもないことをさらっと告げる藤兵衛。
 百合子はスカラーの操作をベクトル操作の応用としか考えていなかったし、演算式もそれを前提として組んでいたというのに。

 だがこの程度では百合子は動じない。相手は解析不可能なはずのアキラの能力を解明して、科学技術に応用するような変人だ。

「で、本題。一部の古道具を最近になって『観測』できないことに気づいた」

 店舗にある商品を次々と指さしていく藤兵衛。
 それはいずれも百合子が手に取ってみて『理解不能な物』と判別した品物だ。

「これはキミの観測が狂っていると言うことではなく、観測の精度が上がって観測できないなにかが存在するということを認識できるようになったというわけじゃ。百合子クン、キミが観測できないものの共通点とはなにかね?」

「ン、あー……」

 店内を見渡して百合子は答えを探す。
 難しく考えてはいけない。難しく考えて『理解不能』と結論づけた品々なのだ。

「……値札がついてねェな」

「正解じゃ。キミが観測できない古道具は、どれも一般向けの商品ではない。ワシのコレクションで、キミがこの店に初めてやってきたときからずっと置かれていたものもある」

 そう言いながら、藤兵衛は席を立った。

「スカラーというものを直接観測できるようになったキミの能力は、さらに一歩先の『何か』を観測しようとしている」

 藤兵衛は商品の収められている棚に手を伸ばし、木製の彫像を手に取った。
 荒削りの像は、かろうじて人の形をしているのだと判別できる。

「キミが観測できない物の正体は、『魔術』と呼ばれているものじゃ」

「はァ?」

 突然聞き慣れない言葉を告げられ、百合子は驚いたような呆れたような声をあげる。
 科学の最先端を行く学園都市の授業で、教師が急にオカルトな話をしだしたのだ。

「古道具屋じゃからなぁ。魔術や宗教などという科学的な思想とは外れた行為に使われていた道具が山ほどある。そして、その中の一部は『本物』が混じっておる」

「本物って……おいおい本気で言ってンのか?」

「例えばこのユピテル像は雷雲を呼び雨を降らせるための雨乞いに使われていたものだが、ほれ、電子に注意してみるといい」

 そう言って藤兵衛は木像を百合子へと手渡した。
 荒削りのユピテル神の神像。ただ一点、股の間の部分だけが精巧に彫られている。
 百合子はその造形を無視して手のひらの上の木の感触を伝って能力を行使する。
 材質は古いブナ科の木。そして藤兵衛の言った電子は――

「……ありえねェはずだが、物理法則を全力でぶっちぎって中に電荷が存在してやがる」

 電荷。電流や電界などというベクトルではない、物体が帯びる電気の量を表わす大きさスカラーである。
 百合子の答えに満足したのか、藤兵衛は頷く。

「うむ、ではキミはその物理法則を無視して電荷を発生させている正体を何と推測する?」

「そうだなァ。俺が観測できねェっていうンなら、現代科学じゃ観測できねェ暗黒物質ダークマターでも関わってンじゃねェか。いくら俺でも理論上存在するってだけで実態が解ってねェモンを観測できやしねェ」

 一方通行の能力は学園都市の最新科学の集大成とも言える
 学園都市で解明された理論や超能力を百合子が『知る』ことで、彼女はそれを観測し演算しベクトル変換する
 超音波を人の鼓膜では音として聞くことができないように、科学の既知を超えたものを彼女の能力ではベクトルとして認識することができない。

「うむ、ではそれを踏まえてもう一度。『魔術』とは何かね?」

 再び藤兵衛が問いかける。
 一対一の授業だ。生徒への質問は全て百合子へと投げかけられる。

「……科学で観測できていない未知の物質、あるいはエネルギーを扱う経験則の学問、か?」

 百合子の答えに、藤兵衛はうむうむと頷く。

「古代における雨乞いの多くは現代科学で原理を否定されておる。が、ごく一部だけは雨雲を形成する理に適っていると判断される物もある。ではその雨乞いは魔術か? 当時の人間にとっては魔術だったかもしれんが今の我々にとっては立派な科学じゃ」

 人工降雨というものがある。
 それはまさしく現代の雨乞いで、決められた工程を辿ることで空に雨雲を作りだし雨を降らせる。

「現代科学では理論を説明できない、超能力と対をなす超常現象。それが魔術じゃ」

 百合子から神像を受け取り、藤兵衛は像を頭の上に掲げてみせる。
 百合子にはそれが全く神秘的なものには見えなかった。

「だから、百合子クンの答えは五十点と言ったところじゃな」

 説明不足、と指摘するように藤兵衛は告げる。

「暗黒物質はあくまでこの宇宙における話じゃ。じゃが、宇宙は一つではない。宇宙論の基本じゃな。しかし、今の我々の科学では別の宇宙を観測することはできない」

 妄想の中の現実を観測し、超能力を行使する学生を作りだしているのが今の学園都市だ。
 あくまで観測するのはこの宇宙上に重ねた仮初めの現実。
 宇宙論で語られる異なる宇宙を観ているわけではない。

「しかし、魔術や宗教はその別の宇宙を何千年も昔から観測していたのじゃよ。例えば、十字教における別の宇宙とは何かね?」

 新たな問いに、わずかに記憶を巡られる百合子。
 宗教など頭の隅の隅に追いやっているどうでもいい記憶だった。

「……天国と地獄」

「その通り、十字教徒に連なる学者は天国と地獄という別宇宙を『魔術』で観測できる」

 そう断言する藤兵衛に、百合子は信じられないようなものを見たような表情で言った。

「宇宙論からいきなり話がすっ飛んだなァ。じゃああれか、神サマや天使サマが実在するってか? ……いや、するのか。それがこの都市の最終目的、神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くものSYSTEMなンだよなァ」

 百合子は思考を切り替える。
 『世界』に存在する全ての宇宙を内包した全ての真理である『神の領域』に辿り着くのが、学園都市が超能力者を開発している真の目的。
 『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』が言うには、二万人のクローン人間を殺すことで百合子がその領域に足を踏み入れられるらしいが、百合子はその実験を拒否した。

「別宇宙にある見れるはずのないものを観測しろ、というのは無理な話じゃな。百合子クン、できんじゃろ?」

「できるわけねェだろ」

 何しろ学園都市の学者達でさえ異なる宇宙を具体的に示せていないのだ。
 理論を作るのは学者と研究者。
 百合子はあくまでそれらの理論を実践する側の学生だ。

「うむ、なので、魔術の真似事をしてワシの科学で地球上に存在する別宇宙の物資を瓶に詰めてみた」

「は?」

 冷蔵庫に食材がないのでスーパーに行って反物質を買ってきました、とでも言うかのような軽さで藤兵衛が告げた。
 さすがに百合子は理解を手放し呆ける。

 神像を棚に戻した藤兵衛は、店のレジスターが置かれている木製の台の引き出しを開け、中から小さな瓶を取りだした。
 そして、小瓶を百合子の目の前のテーブルへと置く。
 瓶の中には白い靄のような光が詰まっていた。

「名付けて、天使の小瓶。十字教でいうところの神の祝福ゴッドブレス……天使の力テレズマを集めて閉じ込めたものじゃ。小洒落たネーミングじゃろ?」

 どうだと言わんばかりの顔で藤兵衛が言う。

「効能は“観測”。瓶の蓋を開けると透視能力者の真似事をすることができる」

 この天使の力が観測であると聞いて、百合子は皮肉なネーミングだと笑った。
 深淵を覗く者は、深淵も等しくその者を見返している。神の領域へと登ろうとしている人間達を天使は全て見ているかのような、そんな戒めを込めた名前に思えた。

「なァ、天使がいる……まあ“いる”と表現するが、いるなら悪魔もいンのか?」

 百合子からの問いかけに、藤兵衛はふむ、とヒゲに手を当てた。
 そして言いよどむこともなく答える。

「そも悪魔とは何か、というところからじゃな。十字教では悪魔とは天使が堕天したもの、すなわち天国から追い出され人の世に落ちたものであるとされておる」

 藤兵衛は考古学者だ。関連する学問として神学、宗教学にも精通している。

「十字教が一神教であるのも歴史的な理由というものがある。十字教の元となった旧教の民の古くはエジプトの奴隷民族じゃった。奴隷から解放されたその民族は安住の地を求め放浪し、やがて王国を築くもバビロニアに滅ぼされ再び奴隷となった」

 それは十字教の聖典に綴られた古き民の歴史だ。

「日本は豊かな自然と海に囲まれた閉鎖的な空間があった。それゆえに自然を尊ぶ多神教的な価値観が生まれたのじゃが……彼らは違った。拠り所となる強い神が必要じゃった。その境遇こそが、今も世界の多くに信徒を持つ十字教のただ一つの神を見いだした」

 そこで言葉を区切り、藤兵衛は小瓶を指で叩く。
 瓶の中の光がゆらりと震えた。

「じゃが、いざ平和が訪れると教徒達は困った。神は強い。神は絶対的な善である。しかし、神が作り出したはずのこの現実世界にはなぜこんなにも悪がはびこっているのだろうと。不完全な世界とはすなわち神が不完全であるという証明をしてしまう」

 グノーシス主義。世界を善と悪に分けて見る考え方はそう呼ばれた。
 十字教が西洋で広まり始めたはるか昔の思想だ。

「ゆえに十字教徒は悪魔を天から落ちた天使と呼んだ。神に不完全さを見いだせないなら、その下にいる天使を不完全なものとしてみたんじゃ。そして彼らは人を堕落させる悪魔にそれぞれ名前を付けた。暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢。ま、簡単に言えば人の『心』じゃな」

 天使が別宇宙にいる遠い存在なら、悪魔はどこにでもいる人の心だと藤兵衛は言う。

「アキラクンは人の心を読める。十字教的解釈をするなら悪魔に近い。それゆえに天使に近い能力はまだ発現しておらんとワシは見ておるの」

 そう言って藤兵衛は百合子へと小瓶を渡した。
 百合子は手の中に現れた小さなガラス瓶の感触を確かめる。
 解析不能。先ほどの木像とは比べものにならない“理解不能”の塊だ。

「持っていくといい。そして、暇なときはそれを『観測』して能力を研鑽するといい」

 未知を前にして表情を歪める百合子に藤兵衛は笑って言う。

「――いずれそれを理解することができたら、一人も殺すことなく絶対能力レベル6へと辿り着けるかもしれんぞ?」





[27564] 『欠陥電気』⑥
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/27 19:36
 1.
 心電図モニターの電子音が電子音が医務室に響く。
 明らかに乱れたそのリズムは、心臓の鼓動が狂っていることを医務室にいる者達へと伝えていた。

 手術台の上には、作業スーツを強引に引きはがされた角田が横たわっている。
 生物研究用の器具を使って処置を行っているのは、戦場で数多くの重傷者を見てきたダース伍長と、人体の構造に明るい芳川だ。

 胸部外傷。
 角田は六メートルの高さから地下フロアの床に胸を強く打ち付けていた。
 作業スーツはあくまで落ちないための装備であり、落ちた際の衝撃を受け止めきることはできない。

 手術台のモニタには調査機テレメータによってスキャンされた角田の体内写真が表示されている。そこには折れた肋骨が肺を突き抜けている様子が写し出されていた。
 胸から逆流した血で埋まった気道を確保し、人工呼吸器を取り付ける。
 肺に刺さった骨の他にも、折れて砕け散った肋骨が大動脈を傷つけており、出血が止まらない。

 芳川はクローン体調整用に用意されていた強心薬剤を使用する。
 目的は調整用でも中身は医療用と変わらない。
 輸血と凝固剤も投与され、芳川が懸命に心臓マッサージを行う。

 だが、心電図の乱れはより激しくなっていく。
 狂ったリズムを刻む電子音を前に、芳川の動きが止まる。
 手術のストレスで過呼吸を起こし始めた芳川の代わりにダース伍長が心臓マッサージを行う。
 芳川は呼吸を整え、手術台の計器を操作し角田の状態をモニターする。

 心臓マッサージが続けられたが、心電図が鼓動を刻む振れ幅はやがて短くなっていき、そして止まった。
 心停止したのを受け、ダース伍長がAEDを使用する。
 電気ショックが強引に心臓を揺さぶるが、心臓が再び動き始めることはない。
 この都市の発達した設備を使っても、彼らの腕では角田の命をすくい上げることはできなかった。

 心肺停止。瞳孔の拡大あり。

 芳川とダース伍長は医療に通じているが、医者ではない。
 彼らではここからの蘇生を行うことは適わなかった。

 角田から離れた二人は、部屋の隅に立ち尽くすレイチェル、布束、キューブ達三人の前に立つ。
 そして、芳川はゆっくりと首を左右に振った。

 ふらりと、レイチェルが角田の元へと寄った。
 人工呼吸器を取り付けられた角田は眠ったように目を閉じている。
 ただ、心臓の動きが止まっていることを、長音を鳴らし続ける心電図モニターが知らせていた。

「角田……!」

 角田が吐き出した血で塗れた手術台の横で、レイチェルが泣き崩れる。
 あまりにも突然の最期であった。

 芳川は声を潜めて泣くレイチェルを直視しきれず、目を伏せながら心電図モニターの音を止めた。
 電子音の消えた医務室。
 レイチェルのすすり泣く声だけが響いた。

 他の皆は語るべき言葉を見つけられず沈黙する。
 そして、人の最期を真っ先に受け入れたダース伍長がつぶやく。

「……所長は?」

 ここにいるべき人物がいないことをダース伍長はそう短く指摘した。

「おい!」

 ダース伍長が呆然と立つ布束に怒鳴る。
 布束はびくりと震え、目をしばたたかせると、のどの奥から何とか声を絞り出した。

「は……! よ、呼んできます」

 布束は慌てて医務室を飛び出していく。

 残された面々はただ無言で待つ。
 やがて泣くのをやめたレイチェルが、床に投げ捨てられた作業スーツを拾い、胸に抱えた。
 そしてたどたどしい足取りで医務室を退室していった。

 医務室にキューブと二人が残される。

 キューブはゆっくりと手術台へと向かうと、動かぬ角田を覗き込む。

 今までの様子とは違う……。
 呼吸はしていないようだ。
 体全体が異常な色に変色している……。

 そこにあったのは死体だった。
 もう起き上がることも喋ることも笑うこともない動かぬ肉の塊。
 もしかすると二万人の姉妹達シスターズが辿ることになっていたかもしれない死がそこにあった。

 キューブの心の中に彼女の知らない感情が渦巻く。
 彼女が生まれ落ちてからまだ数時間。そんな短い人生の中で出会い、会話し、そして失った。
 目の前のモノを直視しきれなくなり、キューブは目をそらした。

 そらした視線の先、ダース伍長がゆっくりと動く。
 軍靴が床を踏みしめる固い音が医務室に響いた。

駆動鎧パワードスーツの関節機関が壊れるとは……ずさんな管理もいいとこだな……」

 彼はそう芳川に告げる。
 角田が地下フロアへと落下したのは、作業スーツの動作不良によるものだった。
 ダース伍長は角田から作業スーツを引きはがす際に、スーツに取り付けられた作業端末のログを見て落下の原因を知ったのだ。

「チェックは万全だったわ。壊れるなんておかしいです……」

「怪しいもんだな……それとも何か? 誰かがわざと……」

 ダース伍長が芳川を問い詰めようとしたときのこと。

 突如、研究所の床が激しく揺れる。
 それにわずかに遅れるようにして医務室の外から空気を振るわす轟音が響いた。

 ダース伍長が叫ぶ。

「爆発音だ!」

 突然の事態に芳川はうろたえたようによろめく。
 キューブも何が起きているのか理解できず左右を見渡す。

 そこへ、医務室のドアをくぐって布束が走り込んできた。
 運動し慣れていないのだろう、肩で息をしながら布束は壁に手を突いて止まる。

「……所長は?」

「それが……呼んでも出ないんです」

 芳川の問いに、布束はそう答えた。
 角田の死、突然の爆発音、そして姿を現さない所長。何が起こっているのか医務室の皆には理解ができなかった。

「一体どうなってるんだこの研究所は!?」

 ダース伍長が怒鳴る。
 だが、彼の怒声に晒されても答えられる者はいない。

「とりあえず爆発音を調べましょう!」

 そう芳川が提案する。

「じゃ、私はコンテナの様子を見てくる」

 そう答えたのはダース伍長。
 そして布束はキューブに向かって言った。

「お前はレイチェルさんのそばにいてあげて。何かあったら三階レベル3の中央管理室にいるから」

 キューブは頷く。
 それぞれの目的のために彼女達は医務室を後にする。
 残された手術台の上には角田だったものが静かに横たわっていた。



 2.
 二階レベル2にある研究員達の個室フロア。
 キューブはその一室のドアの前で入退室端末を操作する。

『セイカツヨウ モジュール リヨウシャ レイチェル
 レイチェルサン カラ ニュウシツノ キョカガ デテイマス
 IDヲ テイジシテクダサイ』

 A.I.の案内音声に従い、首から提げたIDカードをパネルへと掲げる

『トウロク カンリョウ ヘヤニハ ジユウニ ハイレマス』

 ドアのロックが解除される音が響き、キューブはドアを開く。
 部屋の中には角田の作業スーツを抱えて床の上に座り込むレイチェルがいた。
 レイチェルは部屋へやってきたキューブを横目でちらりと見ると、再びスーツへと視線を戻しスーツに顔をうずめた。
 部屋の床には本や書類が散らばっており、キューブはその中に一枚の写真があることに気がついた。

 今より若く髪を下へ流したレイチェルと、セーラー服を着た角田が映っている。
 昔の写真だ。彼女達は前からの知り合いだったのだろうか。

 そういえば角田はレイチェルのことだけ先輩と呼んでいた、とキューブは思い出す。
 床に座り込んだレイチェルの横に、キューブは音をたてないようにそっと正座をした。
 ミサカネットワークから切り離されてしまったキューブには、こういうときにどう言葉をかけていいか解らない。学習機械で入力された表面上の知識や記憶があっても、人として生きた経験が足りない。
 だから彼女は布束の言ったとおりにレイチェルの側にいることにした。

 やがて、作業スーツから顔を離したレイチェルがぽつりとつぶやく。

「角田は……死んでなんかいないわ」

 ただそれだけを言って、再び口を閉ざした。
 キューブは何も答えない。
 角田は死んでいた。確かにこの目で見た。だがレイチェルは死んでなどいないという。
 レイチェルの言わんとすることを理解することはできなかったが、キューブはじっとレイチェルの側に座り続けた。

 言葉を交わさぬまま座り込み続けて何分、何十分経っただろうか。
 ふらりとレイチェルが立ち上がり、部屋の隅に作業スーツを置くと、靴を脱いでベッドの中へと潜り込んだ。

 彼女からキューブへとかけられる言葉はない。
 キューブはレイチェルのそんな様子に無言の拒絶を受けたような感覚を覚えた。

 キューブはゆっくり立ち上がるとレイチェルに言葉をかけぬまま部屋を退室した。
 人工の光に照らされた廊下へ出る。
 空調の動く音だけがただ小さく響いている。

 キューブは人のいない廊下を進み、三階レベル3へと向かう。
 A.I.の案内音声に従いながら所内を歩き、中央管理室へと辿り着く。
 中央管理室はネットワーク管理室の隣に併設された部屋だ。ここで所内の各設備を管理している。

 ドアのパネルにIDを掲げて入室する。

 部屋に入りまず目に入ったのが壁一面のモニター。研究所内部を監視しているカメラの映像が全てここに集められていた。
 モニターの半数以上は電源を落とされ何も映していない。人工姉妹シスターズ調整計画に使わないフロアの多くが閉鎖されているためだ。
 モニターの下、管理コンピューターの前で布束と芳川がパネルを操作していた。

 キューブは二人の元へと近寄る。
 彼女に先に気づいたのは芳川だ。

「今、通信システムを調べてるわ」

 その横で、布束が芳川へと振り向く。

「所内に異常はないみたいです」

 布束の言葉を受けて頷いた芳川は、通信システムのチェックを続ける。
 通信は相変わらず途絶えている。いや、外からは届いていたはずの通信すらなくなっている。
 嫌な予感を感じながらL3スイッチ周辺の計器を動かす。
 そして、地下フロアの監視カメラから思わぬ結果が返ってきた。

「なっ……なんて事……」

 画面を見ながら芳川が絶句した。
 芳川のただならぬ様子に、布束がかけつける。キューブも遅れて芳川の覗き込む画面へと目を向けた。
 二人を背に、芳川が声を絞り出す。

「ケ……ケーブルが吹き飛んでる……」

 そこには、壁ごと爆発でえぐり取られた地下ケーブルの映像が映し出されていた。



 3.

「この施設は最悪だ!」

 急遽集まったリフレッシュルームで、ダース伍長が叫ぶ。

「こんな事なら自分で下水道を泳いで出て行った方が安全ってもんだ」

 そう言いながら彼はどっかりと椅子へ腰を落とす。
 ケーブルの爆破は明らかに人為的なものであった。
 駆動鎧パワードスーツの動作不良などとは違う。爆発物を用いてケーブルを狙っていたのは明らかだった。

「どうすれば、どうすればいいの……」

 芳川はテーブルを見つめながらぶつぶつと考え込んでいる。

「所長どうしちゃったのかしら……」

 布束はこの部屋にいない所長のことを考える。
 彼女はキューブにレイチェルは部屋で寝ていると聞き所長とダース伍長をここへ呼んだのだが、所長とは相変わらず部屋から出ないままだ。

 キューブは事態を飲み込みきれぬまま、ぼんやりと部屋を見渡す。
 会議用ディスプレイ、長机、ゲーム機、流し場。
 流し場に置かれたコーヒー・マシンがキューブの目にとまる。
 この状況で生まれたばかりの彼女に出来ることは余りにも少ない。

 せめて飲み物を配るだけでも、と彼女は流し場へと向かった。

 カップをセットし、豆を入れ、スイッチを押す。
 紅茶が不味い、コーヒーが苦いと、そんなことを言い合っていた数時間前のことが酷く昔のことに感じられた。

 カップにコーヒーが湯気をたてて注がれる。
 最後の一滴までカップに落ちたのを確認すると、キューブはカップを持って布束の元へと向かう。だが。

「ごめんなさい、今はいいわ」

 と、断りの言葉を受けた。
 カップを持って今度はダース伍長へと近づくが、彼は振り向きもせずに言った。

「私はいい。それよりそっちの落ちこんでるお姉さんにあげたらどうだ?」

 彼の視線の先にいるのは、一人で何かを呟き続ける芳川。
 ダース伍長の言葉に促されキューブは芳川の目の前の長机にカップを置いた。

「コーヒーをどうぞ、とミサカは休息を提案します」

 その言葉を聞いて、芳川ははっとしたような顔でキューブを見た。

「あ……ありがとうキューブ」

 カップを手に持ち、湯気を立てるコーヒーの水面を見つめる。

「そうよ、わたしがしっかりしなきゃ……」

 そう言ってカップに口を付けた。
 熱く苦いコーヒーをゆっくりと飲み下していく芳川。
 最後の一滴まで飲み終わり、カップを机の上に置く。
 と、そのときだ。
 部屋の壁に取り付けられた会議用ディスプレイの電源が付いた。

「所長!」

 布束が声を上げる。
 ディスプレイの画面に映っていたのは所長の天井だった。

「部屋にいたの? 大変なの! 角田さんが……」

 画面の向こうにいる天井に芳川が状況の報告を行っていく。
 角田が落下死したこと、そしてケーブルが爆破されたこと。

『何、それは本当かね!? それは……気の毒に……』

 角田の凶報を聞き天井は目を伏せる。
 そして、一拍おいて指示を出し始めた。

『まずはこの事態をおさめる事だ。彼女をとむらってやろう。準備してくれたまえ。私も今行く』

 そう淡々と告げ、天井は通信を切った。
 大型ディスプレイの電源が切れる音がリフレッシュルームに小さく鳴り響く。

 その様子を黙って聞いていたダース伍長が、ゆっくりと口を開いた。

「冷静な所長さんだな……。部下が死んだってのにああふるまえるとは……」

 その言葉に芳川と布束は何も言い返さない。
 天井は頭のネジの外れた類の研究者だ。軍事用に幼い少女からDNAマップをだまし取り、失敗の可能性を無視してクローン体を作りだそうとした。
 彼の倫理観からすれば人一人が死んだところでどうとも思わないのかもしれない。

 芳川はかぶりを振り、よどんだ空気を振り払った。

「……わたしは冷却室を準備してくるわ」

 それに続いて、布束も席を立つ。

じゃあthen、私は角田さんの部屋へ……。遺体と一緒に入れる物がないか見てきます」

「ああ、そうね……お願いするわ」

 芳川の言葉を受けて部屋を出て行く布束に、ダース伍長が追従する。
 部屋に残されたキューブは、芳川の顔を見る。

 先ほどのような焦燥は無いが、暗い表情は晴れない。

「こんな事になってしまうなんて……たしかにわたしと角田さんは人間関係がうまくいっていなかった。でも、死んでほしいなんて思った事はなかった……!」

「…………」

 芳川の言葉をキューブはただ黙って聞く。
 そして、何かできることはないか、そう考えを巡らせたキューブは先に退室した布束達に付いていくことにした。
 遅れて芳川も部屋を出る。
 コーヒーのかすかな香りがリフレッシュルームに残された。





[27564] 『欠陥電気』⑦
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/28 12:07


 セイカツヨウ モジュール
 リヨウシャ カクタ

 ショインノ カクタサン ハ
 ザンネンナガラ ナクナリマシタ

 シツナイヲ カイシュウスルタメ
 ロックハ カイジョサレマス

 ヘヤノ デイリヲ キョカシマスノデ
 IDヲ テイジシテクダサイ

 ......

 トウロク カンリョウ
 ヘヤニハ ジユウニ ハイレマス



 4.

「死者をとむらう……か。そんなことしてやれるだけ幸せってもんだ」

 部屋のテーブルの上を見ながらダース伍長はそんなことを呟いた。
 冷暗所に死体を収める際、共に入れるための遺品探し。
 彼は男性であるため棚や引き出しの中を布束とキューブに任せ、テーブルの上の愛用の品を目で探した。

 角田の私物は多い。
 着の身着のままで研究所へとやってきた研究員達の中で、角田だけは鞄いっぱいに物を詰め込んでここへとやってきたのだ。
 テーブルの上には紅茶のポット、写真立て、携帯音楽プレイヤーなどが置かれている。
 キューブがダース伍長の背後から机の上を覗く。
 写真立てに飾られていたのは、レイチェルの部屋にあったものと同じ昔の二人の写真であった。

 布束は棚の上を探る。
 本立てに並ぶのはとても研究職とは思えない娯楽小説や漫画本ばかり。
 ただ、その中のある古い一冊のハードカバーの本が彼女の目に付いた。

なんだろうwhat、この本? 『ワープ航法は実現するか?』か……」

 昔に学園都市で書かれたワープ理論の学術書であった。

「角田さんらしいわ」

 本の表紙を撫でながら布束が言う。

「そういえば口ぐせだったわ。角田さんが物事を急かすとき、『何やってるの、そんなのワープでやっちゃえばいいのに』って……」

 布束は角田のことが解らないと、そう芳川に言っていた。
 そしてまた、悪い人ではないとも言っていた。
 キューブの目からみた布束の様子は、彼女が角田のことを思い出して悲しんでいる、とそう思えた。

「こんなところ勝手にいじったらレイチェルさん怒るかしら……」

 そう言って布束が机の引き出しを開いたときのこと、彼女の携帯端末に所内通話の着信を知らせるコール音が鳴った。
 白衣の胸ポケットから携帯端末を取り出すと通話ボタンを押し耳へと当てる。

「…………。え、何ですって?」

 端末から届いた声に布束は顔を強ばらせる。

「遺体が……!?」

 携帯端末を固く握りしめながら、布束は驚いたようにそう端末へと叫んだ。

「おい、どうした!」

 ただ事ではない布束の様子に、ダース伍長が布束へと詰め寄る。
 彼の迫力に一瞬怯えるような表情を見せるも、布束ははっきりと言葉を告げた。

「角田さんの死体が、医務室から消えたそうです」

「……くそ、なんだっていうんだ!」

 ダース伍長が部屋を飛び出していく。
 それに続くように布束とキューブも扉をくぐり廊下へと出る。

 生活エリアと医務室は同じ二階レベル2にある。
 彼女達は廊下を駆け、医務室へと向かう。
 その途中、キューブはふと奇妙な感覚を覚える。AIM拡散力場の端に何かが引っかかるような。
 そして違和感の正体を視界の中に見かける。廊下に赤い染みがあるのだ。まるで死体を運んだときに血をこぼしたような染みが。

 それを布束に言うべきか迷っている間に、二人は医務室の前へ着く。
 足の速いダース伍長はすでに中へと入っている。
 医務室の一枚目の扉をくぐる。そこは小部屋になっていて、医務室の中へ入る前に殺菌を行う。
 殺菌のエアーとライトが二人を照らし、作業の終了を知らせる電子音が鳴る。
 それと同時に二枚目の扉が自動で開き、布束とキューブは医務室の中へと入っていった。

 中では芳川とダース伍長が手術台を見下ろしていた。
 手術台の上からは手術の際に飛び散った血の後だけを残し、角田の遺体が忽然と消えていた。

 床には、死後も固まっていなかった血が遺体からこぼれたのか、血の跡が点々と模様を付けていた。

「どういうことです!?」

 そう布束が芳川に問う。しかし。

「私に聞かれても困るわ」

 芳川は首を振ってそう答えるだけ。
 冷却用のコンテナが用意でき、遺体を運ぶための用意をしようと医務室へ訪れたところ、すでに遺体が消えていたというのだ。

「それより、レイチェルとか言ったな」

 そう横からダース伍長が口を挟む。

「彼女は呼ばなくていいのかね?」

 その言葉にもしや、という顔で彼に振り向く布束と芳川。
 キューブはレイチェルの部屋で聞いた言葉を思い出す。

『角田は……死んでなんかいないわ』

 彼女が角田の死を受け入れていないのだとしたら。
 遺体を運んだのは。



 5.
 蛍光灯の光が照らす個室。
 レイチェルは部屋のベッドに角田を眠らせながら、彼女の顔を眺めていた。

「角田……、フフ……よく眠っているわ……」

 ベッドで眠る角田の顔は、生きている人のそれではない色をしていた。
 それでも、レイチェルは生きて眠っている人にでもするかのように、角田の肩に優しく毛布をかけた。
 レイチェルの服は血に濡れていた。
 医務室から角田を背負って自分の部屋へと運んだ結果、真っ白だった白衣が赤く染まっている。

 そんなレイチェルと角田二人の空間に、部屋のドアを叩く音が響いた。
 だがレイチェルは聞こえていないのかベッドの上の角田を見つめ続けている。

「待ってて、私クッキーを焼いてくるから……。あなた大好きでしょう?」

 血に塗れた手も拭わぬまま、レイチェルは部屋に据え付けられたキッチンへと向かう。
 彼女が歩くたびに、床に赤い靴の跡が残る。

 ドアを叩く音が激しくなる。
 だがレイチェルは気にもとめずキッチンの調理器具を手に取る。
 金属のクッキーの型を手に彼女は再び角田の元へと戻る。
 ドアからは機材を動かす音が鳴り始める。
 やがて、ロックされていたドアがこじ開けられ、芳川が部屋へ足を踏み入れた。

「な……」

 血まみれの部屋とレイチェルを見て、芳川は絶句する。
 レイチェルは彼女が部屋に入ってきたことにも気づかず笑い続けていた。

 芳川に続き布束、ダース伍長、キューブが部屋へと入ってくる。
 赤黒い色が点々と彩りを加えられた部屋をキューブは目にした。
 つい先刻までレイチェルが座り込んでいた場所も、靴底の模様が血で浮かび上がっている。

「何をしているの、レイチェル!」

 芳川がレイチェルの肩を掴んで無理矢理に振り向かせた。
 焦点を結んでいなかったレイチェルの瞳がぐるぐると動き、やがて正面に経つ芳川の顔を視界に収めた。

 そこでやっと芳川の存在を認識したレイチェルが後ずさり、ベッドの脇へと立つ。
 そして顔を歪めて芳川を睨み付けた。

「……この子は、誰にもわたさないわ」

 腹の底からこみ上げたような声でレイチェルは言う。

「芳川……、あなたの考えはわかってるのよ。角田を殺せば……私があなたの部下に戻ると思ったのね……!」

 角田を殺したのはお前だろう、と憎悪を込めた瞳で芳川を睨み続ける。

「な、何を言っているの……しっかりしなさい、レイチェル!」

 芳川は必死にレイチェルに呼びかける。
 だが、正気を失ったレイチェルはうなり声を上げるだけだ。

 そのとき、部屋に取り付けられていた通信端末の電源が入る音が鳴った。
 端末は軽快な音を立てて回線が繋がったことを知らせる。
 赤いランプを点す端末に、レイチェルの視線が向く。それと同時に、端末のスピーカーからノイズ混じりの声が響いた。

ソコカラ ニゲテ レイチェルセンパイ
ヨシカワガ アナタヲ ネラッテイル

ワタシハ イマ チカフロアノ マエニ イル
ハヤク カラダヲ トリモドサナクテハ

スグニ キテクダサイ

 拾った声を無理矢理につなぎ合わせたような、違和感のある角田の声が室内に響く。
 あまりにも奇妙な事態に部屋にいる面々の思考が止まる。
 ただ、レイチェルは狂った思考でその声を正面から受け取り、ふらりとよろめいた後こじ開けられたドアから全速力で飛び出していった。

「レイチェル!」

 芳川が悲鳴を上げるように叫んだ。
 明らかな異常。角田らしき声はレイチェルを地下フロアへ誘い込もうとしていた。
 地下は先ほどケーブルが爆破されたばかりだ。何があるか解らない。

 レイチェルを追って真っ先にダース伍長が部屋から走り去る。
 芳川と布束がさらにそれを追う。
 状況を理解できずにまた一人取り残されたキューブは、ベッドの上の角田へと一度振り向くと、芳川達を追うために駆けだした。
 キューブが見た角田は、やはり死んだままだった。



 6.
 キューブが廊下に出たとき、そこにはすでにレイチェル達の姿は無かった。
 白い廊下の上に浮かび上がった血塗れの足跡も、すぐにかすれて見えなくなっている。
 彼女の能力を応用したマイクロ波レーダーも屋内では何の役にも立たない。
 キューブはレイチェルが向かった場所を考える。
 角田のあの通信を聞いて駆けだしたのだから、当然地下フロアに向かったはずだ。
 となれば、キューブが知る限りで地下フロアに繋がる先は一階レベル1の第一ブロックのみだ。

 生活フロアのほど近くにある南側階段を飛び降りるように駆け下り、第三ブロックへと入る。
 そのまま第二ブロックまで駆け抜けようとしたとき、キューブの脳裏に何かがよぎった。
 第六感とでも言うべき予感。
 キューブの能力は発電能力エレクトロキネシス予知能力ファービジョンに連なる類のものではない。
 となれば、この感覚はキューブが無意識のうちに発している微弱な電磁波、AIM拡散力場に何かが引っかかっているのだ。
 研究所の建材の性質上、キューブの能力範囲は狭い。

 このブロックに何かがある。
 キューブの感覚はそう告げる。
 ここに何があるのか。キューブが思いつくのはただ一つだった。

 ベヒーモス。

 生命工学が蘇らせた、太古の恐竜。
 人間など丸呑みにしてしまいそうな巨大な顎門を持つ獣。
 キューブはその巨体を思い出しながら、フロアの片隅にある〇二番コンテナへと近づく。
 空調の動く音を聞きながら、キューブはゆっくりとコンテナの扉を開けた。
 足を踏み入れ、見る。

 そこには何もなかった。

 そう、何もない。ガラスの檻を満たしていた培養液も、その中にいるべきものも何もなかった。
 ベヒーモスが姿を消した。
 その意味が告げる重大さにキューブは気づく。コンテナの奥には、あの恐竜が通れるような大きさの隔壁が開いていた。

 急いで知らせなくては、そう思いきびすを返す。
 コンテナの扉をくぐり第二ブロックの扉を目指す。
 その視界の端。身体を揺らす緑色の化け物がいた。
 ベヒーモス。

「――――」

 その声は果たして、キューブとベヒーモスのどちらがあげたものだったろうか。
 反射的にまるで転がるようにして扉へと駆け出すキューブ。
 一方ベヒーモスは、培養液に濡れる身体を揺さぶりながらキューブの元へと動き出す。
 それが四本の足を床へ踏み降ろすたび、キューブはまるで地面が大きく揺れているかのような錯覚を覚えた。

 巨躯の化け物と小さな少女。その歩幅は絶望的なほどであった。
 首の裏がじくりと溶けるかのような感覚がキューブを襲う。

 キューブが一歩踏み出す間にベヒーモスは二歩近づく。
 二歩進む間に背後から四度足音がする。

 足がもつれそうになりながらも扉へ向かって走る。
 頭の後ろで三つ編みが重たく揺れる。
 髪の毛があの化け物の爪先に触れでもしたら。そんな焦りがよぎる。

 キューブの中に新しく生まれた感情が、彼女の思考を埋める。
 それは人と同じ脳を持つキューブの、巨大な化け物に対する本能的な恐怖だった。
 入力された記憶でも、体験した知識でもない、初めから身体に備わっていた野生の感覚。
 それが彼女の足をただ闇雲に動かし続けた。

「――――」

 咆哮。
 頭に直接音を叩きつけられたかのような音の衝撃がキューブを襲う。
 ただそれでも彼女は足を止めることはなく、扉の元へと辿り着き、開き、そして身体を滑り込ませた。
 扉を叩きつけるようにして閉めると、走る勢いのままキューブは第二ブロックの床に倒れ込んだ。

「――あ」

 喉の奥から声が漏れる。
 それに遅れるようにして全身から汗が噴き出してきた。

「――っ、はぁ、はぁ」

 乱れた呼吸を整えようと胸に手を当てる。
 服の向こうからは心臓が脈動する強い鼓動が感じられた。

 キューブは扉へと振り返る。
 人が通るための、あのベヒーモスの巨体と比べたら小さな扉。
 あれがこちらへやってくるには、扉でなく壁を破壊してこなければならない。
 さすがにそれはありえない、と結論づけてキューブは立ち上がる。

 呼吸は乱れたままだが、何よりも先にベヒーモスのことを伝えなくては。そう震える足を前へと踏み出す。

 第一ブロックの扉にIDカードを掲げ、扉をくぐる。
 先ほどの扉がID管理でロックされていたら生きていられなかっただろう、と考えながら第一ブロックへと入った。

 フロアの奥、室内管理端末の前に、レイチェルはいた。
 ダース伍長、芳川、布束の三人に手首を掴まれて暴れている。

「馬鹿な真似はよしなさい!」

 レイチェルの腕を抑えようとしながら芳川が怒鳴る。
 それでもレイチェルは彼女達から逃れようと腕を滅茶苦茶に振る。

「は、離してーッ!」

 地下フロアへ行こうとしているのだろう。
 芳川はレイチェルを冷静にさせようと声を投げかけ続ける。
 が、そんなことをしている場合ではない。
 キューブは乱れた呼吸を整え、叫んだ。

「そんなことをしている場合ではないとミサカは警告します! ベヒーモスが逃げ出しています!」

「何だとベヒーモスが!?」

 キューブの言葉にダース伍長の力が緩む。
 その一瞬、レイチェルが三人の間をすり抜け、管理端末の開閉ボタンを押した。

「いけない!」

 芳川がそう言った瞬間、突如キューブは足下の感覚を失った。
 管理端末から離れた地下フロアへの作業口、その上にキューブは立っていたのだ。
 作業口が開いていき、キューブを奈落へと引きずり込もうとする。
 彼女は咄嗟に開いていく作業口の端を片手で掴んだ。

「キューブ!」

 布束が慌てて駆け寄る。
 が、身体を支えていたキューブの手はすぐに力を失い作業口の上を滑っていく。
 十三歳相当の少女の握力は、片手で体重を支えるには余りにも弱すぎた。

 淡いLEDの光に照らされた地下へとキューブは落ちていく。
 頭上から布束の絶叫が響く。

 頭上の穴が少しずつ遠くなっていく。キューブはそれを無言で眺めていた。
 先ほどのような恐怖は欠片もない。
 彼女はただ淡々と己の能力を行使した。

 五感を使い彼女だけの現実を観測する。
 観測されたズレた現実が本当の現実と重なり、無から電子が生まれる。
 電子は磁場を生み出し、磁性物質との間に力を生み出す。

 キューブは上に伸ばしたままの手の先から、磁力の糸が伸びるのを幻視する。
 磁力線を見るためのゴーグルは額の上にかけたまま本来の役目を果たせていない。ゆえに彼女は足りない部分を演算と想像で補う。

 彼女の視線の先、今も開き続ける作業口に糸は結びつく。
 落下が止まる。肩が外れないよう己の身体全てを磁場とし、“上”へ向けて落ちる。

 第一フロアの明るい照明の光が、再び彼女の視界を埋める。
 今度こそキューブは作業口の端をしっかりと掴み、身体を持ち上げた。

 作業口の縁に足をかけ身を乗り出したところで、膝を付きかがんだ布束と視線がかちあう。

「あ……」

 布束は僅かに涙の浮かんだ目元を白衣の袖で拭うと、キューブへ右手を差し出した。

「大、丈夫?」

「問題ありません、とミサカは己の性能を誇ります」

 キューブは布束の手を取り、布束を地下へ引っ張り込まないよう脚に力を入れてフロアの上へと乗り出す。
 そして手を握ったままゆっくりと立ち上がった。

 フロアの上では、ダース伍長がレイチェルの腕を取り動けないよう関節を固めていた。
 芳川はキューブが無事に這い上がってきたのをほっとした顔で見た後、管理端末の開閉ボタンを押した。
 キューブの背後で作業口が駆動音を立てて閉まっていく。

 キューブと布束は管理端末のレイチェル達の元へと歩いていく。
 暴れるのをやめたレイチェルの腕をダース伍長はゆっくりと解いていく。
 芳川が管理端末の電源を落とすのを確認すると、彼はレイチェルを解放して、言った。

「いいか……落ち着いて良く聞くんだ」

 彼の低い声は空調の音のみが満たすフロアに良く響いた。

「あんたがさっき医務室で見たのは何だ?」

 そうレイチェルに問いかける。
 そして彼女の答えを待たずにダース伍長は言葉を続けた。

「あのベッドに横たわっていたやつだよ……。いいか、冷静になるんだ。悲しいかもしれんがあの女はもうこの世にはいないんだ」

 ぺたりと、レイチェルがその場に膝をついた。
 脱力したように両肩をさげ、床へ尻をつける。彼女の表情にはもう狂った感情は宿っていない。

 それを見届けたダース伍長は、芳川の方へと振り返った。

「あとは大丈夫だな? 私は向こうを見てくる」

 そう言って第二フロアへの扉へと向かおうとするダース伍長。

「あ、あの……」

 そんな彼の背後に、芳川が声をかける。

「ありがとうございます」

 そう言って芳川は腰を折り深い礼をした。

「フン……私もこんな場所で死にたくはないからな」

 そんな言葉をダース伍長は返す。
 そしてフロアを出ようとする彼に、キューブは言った。

「あれは第一フロアを徘徊していました、気をつけてください、とミサカは注意を促します」

 返事は返ってこなかった。





[27564] 『欠陥電気』⑧
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/30 13:22
 7.
 キューブ達一同は再びリフレッシュルームへと集まっていた。
 第三ブロックに向かったダース伍長はベヒーモスの姿を見つけることができなかった。
 だがコンテナは確かに開いており、培養液で濡れた足跡が階段へと続いていたため所内を徘徊しているのだと予想された。
 地下ケーブルを爆破しベヒーモスを逃がした何者かがいる以上、単独行動は危険だ。

 先ほどまで正気を失っていたレイチェルも、気力をなくした様子を見せながらも彼らに従う。
 リフレッシュルームの長机の席に座りながら、レイチェルは小さな声で告白する。

「ごめんなさい……。私、信じられなかったのよ……。だって……だって、あんまり突然なんだもの」

 その言葉を芳川達は黙って聞いていた。
 角田がレイチェルとどれほどの仲だったのかキューブは知らない。
 ただ、彼女の死を最も悲痛に感じているのはレイチェルに違いなかった。

 キューブは部屋の面々を見渡す。
 誰も彼もが余裕を無くした顔をしている。

 一人自分だけが冷静なままでいられているのは何故かと思うキューブであったが、何となくその理由が彼女には解った。
 ミサカネットワークから切断されたときの喪失感、ベヒーモスと対面したときの恐怖。そういった感情を彼らはキューブの何倍も強く感じることができるのだろう、と。
 生まれたばかりで成熟していない感受性。だが入力された知識と記憶だけは多い。
 まるで機械の心を持っているかのようだと彼女は己を冷めた目で見ていた。

 だがそれもまた今の状況では必要な物だった。
 冷静さを欠くと先ほどのレイチェルのような事態に陥ってしまう。
 そう判断したキューブは流し場のコーヒー・マシンの元へと向かう。

 コーヒーに含まれるカフェインは眠気を覚醒させ興奮状態を呼ぶ作用があるが、それと同時に精神を鎮静化させる作用も持つ。
 何よりコーヒーには強い香りがあった。

 血に濡れた白衣を新しいものへと変えたレイチェルだが、身体からまだ血のにおいを漂わせている。
 角田の手術を行った芳川とダース伍長も同様だ。

 コーヒーカップを手に、キューブはまず布束の元へと向かった。
 キューブから見て、レイチェルの次に危うい状態にあるのが布束だった。
 彼らの中で最も年若く、数々の事態に大きな動揺を見せていたのが彼女だ。

 座る布束の前にゆっくりとカップを置く。

あ……Oh dear、ありがとうキューブ」

 そう言って布束は両の手のひらでカップを包んだ。

「疲れたわ、とても……。ごめんなさい、キューブ。貴女には……、もっと楽しい事をたくさん学んでほしかった……」

 自分を母と呼んだキューブを布束はすでに我が子のように感じていた。
 だからこそこのような場所でこのような事態には巻き込まれないで欲しかった。
 だが外からは完全に隔絶されたここから逃げ出す術はない。

 キューブはそんな布束の言葉を静かに聞き、そして流し場へ戻る。
 スイッチを押すとコーヒー・マシンがお湯を吐き出す独特な音を奏でる。

 コーヒーを芳川の元へと届けると、布束と同じようにありがとうと言ってカップを受け取った。
 カップに一口口を付けると、芳川は椅子に座ったまま側に立つキューブを悲しい瞳で見上げた。

「人間も捨てたものではない、って言いたいけれど……、こんな状況じゃね……」

 そしてまたカップへと視線を戻した。
 キューブもまた目を伏せる。芳川もまた布束と同じ事を言いたいのだろう。
 楽しいことを学んで欲しい、人間は悪くないものだと知って欲しい。そんな事を。

 思うことはたくさんある。
 ただ今は、と思考を打ち切りコーヒーを用意する。

 こぼさないようにゆっくりと歩き、椅子に座り腕を組むダース伍長の元へ。

「……! フン……、私はいい」

 ダース伍長へと差し出した手を引き、キューブはリフレッシュルームを歩く。
 最後の一人、レイチェルの横に立つ。
 そして彼女へカップを差し出した。

「…………」

 ぼんやりとキューブを見上げると、レイチェルは視線をゆっくりカップへと移す。

「ありがとう、お前はやさしいな……」

 そう言いながらカップを受け取る。

 三人がコーヒーを飲む小さな音がリフレッシュルームに響く。
 コーヒーの香りが室内を満たし、空調がそれを排出し新鮮な空気へと入れ替えていく。

 非常事態の中の休息。
 だがそれを打ち切るかのように、部屋の壁に取り付けられた会議用ディスプレイの電源が付いた。
 画面には白衣を着た天井が映っている。
 画面の中の彼は落ち着いた様子で口を開いた。

『大丈夫かね、みんな? 調子はどうだ?』

 リフレッシュルームの面々に天井はそう告げる。
 その言葉に、ダース伍長が立ち上がってディスプレイの前へと行く。

「……? 今ベヒーモスが施設内をうろついるんだぞ!」

『何、それは本当かね!? それは……気の毒に……』

「何言ってるんだ! 非常事態だぞ!」

 天井の答えに、ダース伍長は画面へ怒鳴りつける。

「いつまで部屋の中に閉じこもっているつもりだ!?」

 画面の向こうへと問い詰めるダース伍長。それに天井は答える。

『何、それは本当かね!?』

『それは……気の毒に……』

 画面が一瞬乱れる。

『何、それは本当かね!?』

『それは……気の毒に……』

 天井が口を開いた映像が停止し、画面が点滅する。
 耳障りなノイズ音をたて、映像がゆがむ。
 そして、ぷつりとディスプレイの電源が落ちた。

 レイチェルの部屋で聞こえた角田の通信のような明らかな異常。
 絶句する面々の中で、レイチェルが一人今の会話を頭の中で反芻していた。

「……ベヒーモス?」

 レイチェルはそう呟く。
 彼女は知らなかった。ベヒーモスが逃げ出したことをキューブから告げられたとき、彼女は正気ではなかった。
 そして、伍長が第三ブロックでベヒーモスの居場所を見失ったという通信を受け取ったのは芳川だ。
 先ほどのダース伍長の言葉で初めてベヒーモスのことを聞いたのだ。

「これ以上角田を傷つけられるのは嫌!」

 叫びを上げてレイチェルがリフレッシュルームを飛び出していく。

「レイチェル!」

 間髪入れずに芳川が駆け出す。
 それに遅れるようにして、慌てて布束が椅子から立ち上がる、が。

「やめろ、死にたいのか?」

 ダース伍長が彼女の肩を掴んで止めた。

「だって二人が……!」

 それでも出口へ向かおうとする布束をダース伍長は強引に座らせる。
 布束は自動で閉じた扉を見て身体を震わせる。
 リフレッシュルームが他の部屋より防音に優れていることが布束の想像を余計にかき立てる。
 震える手でカップを掴もうとする。だが、その手を途中で握りしめる。

やっぱりafter all……放っておけない!」

 椅子を蹴倒して布束は駆けだした。
 大きく舌打ちをしてダース伍長も彼女を追い、キューブも掃除ロボットにつまづきながら布束が開けた扉の向こうへと向かう。
 部屋の外は危険地帯。生きて戻れるかは解らない。



 8.
 リフレッシュルームからレイチェルの部屋へと向かう廊下。
 そこは血の海だった。
 鮮血が壁にも飛び散り、その中央には芳川が横たわり倒れていた。
 むせかえるような血のにおいが廊下を満たしキューブの嗅覚を刺激する。

「芳川さん!」

 布束が彼女の元へと駆けつける。
 おびただしい量の血を流し続ける芳川。彼女は両足の膝から下を失っていた
 血の海となった廊下には膝の先が見つからない。ベヒーモスの胃の中へ収まったのだろうか。

「レ……レイチェルは……」

 それでもまだ意識を保ち続けていた芳川は、かすれた声で布束に言った。

「大丈夫です。レイチェルさんは生きてます……」

 布束は白衣を脱いで芳川の脚を強く縛り付ける。
 だが、それでも血は止まらない。

「無茶ですよこんな事……」

 涙を流し必死に止血をし続ける布束。
 血の気を失い蒼白になった顔で芳川はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「……い、いいの。わ、わたしは、ただ……レイチェルに、罪滅ぼし、を……」

 波が引いていくかのように声が消えていく。
 ぴくりとも動かなくなった芳川。布束はおそるおそる彼女の脈をとる。
 心臓の鼓動は、感じられなかった。
 ダース伍長は芳川を一目見た時点で彼女ではなくレイチェルの方へと向かっていた。助からないと初めから解っていたのだろう。
 布束は開いた瞳孔で虚空を見つめ続ける芳川の目にそっと手を重ね、まぶたを落とした。

「……彼女は生きてる。なんとかしないと」

 レイチェルの処置を終えたダース伍長が言う。
 レイチェルは左腕がひしゃげ肩が潰れていた。ベヒーモスのあの巨体に巻き込まれたのだろう。
 だが芳川と比べこちらはまだ命を長らえている。

「医務室に運びましょう。私は応急処置程度しかできませんが……」

 そう言って布束はレイチェルの元へと向かい、己よりも長身のその身体を抱え上げた。
 ダース伍長は脚を失い軽くなった芳川を左肩に担ぎ上げる。
 彼の体格から考えれば人二人を抱え上げることは難しくない。だが、彼の腰にはベヒーモスに唯一対抗できるであろう大口径の銃が収まっていた。
 この状況で彼の両腕をふさぐわけにはいかない。
 布束は腰に力を入れレイチェルを背負う。そして、彼女に手を貸そうとしていたキューブの顔を見た。

「キューブ、お願いがあるの」

「なんでしょうか、とミサカは問います」

「端末室へ行ってくれる? メイン・コンピュータに頼んで、所長室のパスワードを調べて来て欲しいの」

 布束とダース伍長はこれから医務室へと向かう。
 つまり、端末室へはキューブ一人で行くことになる。
 どこにベヒーモスが潜んでいるか解らないこの廊下を進んでだ。

「今、所内が危険な状況なのは解ってるわ。でも今頼めるのは貴女だけ」

 布束の言葉に、キューブはしっかりと頷きを返した。
 今できることがあるのならば、するしかない。いや、するべきだ、とキューブは己に言い聞かせる。
 ベヒーモスに対する恐怖は浮かんでこない。

「大丈夫、きっとうまく行く。いっしょに外へ出ましょう!」

 その言葉に、キューブは再び頷きを返す。

「いいか、行くぞ!」

 ダース伍長の声を皮切りに、彼女達はそれぞれの目的地に向かって足を踏み出した。



 9.
 キューブは足を急かせて廊下を進む。
 芳川達がベヒーモスに襲われたのはつい先ほどのこと。つまりベヒーモスは近くにいるはずだ。危険な状況からすぐにでも抜け出そうと早歩きで進む。
 端末室へ行くまでには分かれ道はない。医務室も端末室も今いる二階レベル2にあり、迂回するルートはない。
 キューブは額にかけたままだった機械ゴーグルを目の上にかけた。

 ベヒーモスがもしおかしな電磁波を発しているならばこれで見つけることが出来る。
 もちろんそんなことは無いだろうと思ってはいたが、少しでも危険を減らそうとキューブはゴーグルのつまみを動かした。

 磁力線、電子線共に反応は無し。
 廊下の先には何もいない。
 あの巨体だ。物陰になど隠れることはない。
 歩みを進め、廊下の角へとさしかかる。
 ベヒーモスがいないか確認しようと曲がり角の先を覗こうとする。
 そのすぐ目の前に、ベヒーモスはいた。

「――――」

 大きな二本の牙を持つ口を開けて、ベヒーモスが咆哮した。
 ゴーグル越しに口の中にびっしりと並んだ鋭い歯が見える。
 ベヒーモスの口は赤く濡れていた。牙と牙の間に肉片と思わしき小さな塊がこびりついていた。

「――ッ!」

 咄嗟に身を引くキューブ。
 その目の前をベヒーモスの頭が通り過ぎていく。
 僅かでも遅れていたらあの牙に引き裂かれていただろう。

 ベヒーモスはその太い四本の足で曲がり角をすばやく回る。
 その巨体からは想像も出来ない俊敏な動き。
 その動きはまさに獲物を前にした肉食恐竜のそれだった。

 前足の爪先がわずかに床へとめりこむ。
 数瞬の溜めの後、ベヒーモスは暴風のような突進をした。

 キューブはそれを上に避けた。
 能力で磁場を作り上へと落ちることでベヒーモスの上をくぐり抜けたのだ。
 獲物を逃したベヒーモスが前進を止める。
 そしてわずかに鼻を動かすと、その場で反転しようと体躯を回した。
 廊下の幅よりも長いベヒーモスの全長はすぐに後ろを向くということはできなかった。
 勢いよく振り回された尻尾が壁へとぶつかり、壁に大きなへこみをつける。

 ベヒーモスが一八〇度身体を反転させたときには、すでにキューブは天井を駆けだしていた。
 逆さまの視点のまま廊下を曲がり、駆ける。
 大きな足音を立ててベヒーモスが追いすがろうと地を揺らす。
 キューブに遅れて廊下を曲がったベヒーモスは、僅かに身を沈めると、天井のキューブに向けて飛びかかった。

 振り返ることなくゴーグルの電磁場の動きでそれを察知したキューブは、天井に張り付いていた磁力を消し床に飛び降りる。
 頭を床の上に叩きつけないように足の裏に床の建材との磁力を形成。
 そして落下の衝撃を受けないように着地の瞬間再び天井との磁場を作りだした。
 キューブは駆ける。
 背後からは大きな着地音。
 このままでは追いつかれる。そう悟ったキューブは己の能力を攻勢に傾けた。
 キューブの身体の表面に紫電が駆け巡る。
 次々と生み出される電子が雷を形作り、彼女の手に雷撃の槍が生み出された。
 背後へと振り返りそれをベヒーモスの頭部へと投擲する。

 秒速一〇〇キロメートルを越える速さの一撃が、わずかなずれもなくベヒーモスの鼻先へとぶち当たる。
 強い光と音が、ベヒーモスの動きを止める。
 だが、それだけだった。
 分厚い緑色の表皮は電撃を食い止め、身体の中へ電気を通すことはない。
 人一人なら簡単に殺傷できる雷撃の槍はわずかに表皮を焦がしただけで消え去った。

 キューブはその結果に歯がみする。が、ベヒーモスの動きが止まったのは確かだ。
 彼女はベヒーモスが己を見失っているうちに近くに見えた見覚えのある扉のパネルにIDカードを叩きつけ、開いた部屋の中へと身を投げ出した。

 彼女が扉をくぐってからわずか後に扉が自動で閉まる。
 その部屋は、彼女が最初に目覚めた学習機械の機材室だった。

 呼吸を整え、キューブは扉の前で待つ。自分を見失ったベヒーモスが去るのを待つ。
 扉越しに足音を聞き、気配が去ってしばらくしたところで、扉を開く。
 ゴーグルの視界に何も異常がないことを確認すると、指だけを先に出しマイクロ波を放つ。
 反響に奇妙な歪みが無いのを感じ取り、そうしてようやくキューブは部屋から出た。

 ベヒーモスの姿は既に無い。
 再びキューブは足音を忍ばせながら廊下を進んだ。
 見覚えのある道。布束に初めて連れられ歩いた道だ。
 メインコンピューターの端末室はすぐ近くにあった。

 部屋へと入り、端末のパネルに触れる。

『チョウシハ イカガデスカ』

 A.I.の音声が端末のスピーカーから届いた。

『ゲンザイ ショナイハ トテモキケンナ ジョウキョウニ アリマス ベヒーモスニ キヲツケテ コウドウシテクダサイ』

 メインコンピューターもこの状況を把握しているのだろう。そんなことを言ってきた。

「所長室の部屋のパスワードを教えてください、とミサカは緊急の申請を出します」

『ショチョウシツノ パスワードデスネ? ショウショウ オマチクダサイ』

 二秒ほど音声は止まり、再びスピーカーが鳴る。

『ハンメイ シマシタ ムゾウサナ モジノ クミアワセノ ヨウデス』

 端末の画面に文字が表示される。
 O A K F D E、と六文字のアルファベットだ。
 キューブはそれを頭の中で反復すると、パネルを操作を終了させる。
 そして再び五感を警戒状態へと働かせ、医務室に向かい廊下へと歩き出した。



[27564] 『欠陥電気』⑨
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/29 20:56
 ◆

 個人ファイル ダイアリー
 キキョウ ヨシカワ

 12 ガツ  30 ニチ

 前回囚人更正プログラムで受けた試験の通知がまもなく送られてくる.

 合格していればわたしも晴れて通信教師だ.

 みんなにはまだ内緒にしている.
 刑期が決まったら話そう.

 そうすれば少し寂しいがこの研究所ともお別れだ.

 ここを離れる前にもう一度レイチェルとゆっくり話がしたい.



 ショガイ ツウシン 01 ガツ 04 ニチ
 サシダシニン
 ホウム カンリキョク

 資格試験結果のお知らせ

 拝啓
 貴殿は誠に残念ながら
 今回の通信教員資格試験は
 不合格となりましたので
 ここにご報告します。
 次回の試験予定日は
 六ヶ月後の予定です。

 法務管理局



 10.
 キューブが医務室へと到着したとき、すでにレイチェルの処置は終わっていた。
 レイチェルは生命維持装置に繋がれなんとか一命を取り留めている。
 ベヒーモスに潰された左腕はもう使い物にならないだろう。
 だが研究所の外にさえ出られれば、世界でも最高峰の医療技術を誇る学園都市の治療を受けることができる。
 彼女を助けるには一刻も早くこの事態を収拾する必要があった。

 ダース伍長を先頭に三人は医務室を出、生活エリアへと足を向ける。
 奇妙な通信を残した所長の部屋へと向かうためだ。

でもhoweverまさか……所長が犯人だと考えてるんですか? 私はそうとは……」

 前を行くダース伍長に布束は訊ねる。

「じゃあ他に誰がやったと言うんだ? 私か?」

「いえそんな……」

「とにかく開けてみれば全て解ることだ」

 生活エリアの一角、所長室の前でダース伍長は歩みを止める。
 彼は布束に手で合図を送った。

 布束は頷き、ドアの横のパネルを操作し、キューブに教えられたパスワードを入力する。

 O A K F D E

 しかし、パネルから返ってきたのは入力エラーを知らせる音だった。
 布束は顔をしかめてもう一度入力をする。だが。

「あ、開かない!」

「なにしてる! カギごと壊しちまえ!」

「わかってますよ! それぐらい考えてます!」

 お互い余裕のない声で言い合う。
 布束はパスワード入力に見切りを付け、生活エリアを僅かに引き返す。
 そこはレイチェルの個室の前。ドアの横に、彼女の部屋をこじ開けたときに使った電動パワージャッキが置かれていた。

 五キログラムの軽い機材だが、トン単位の物を持ち上げることが出来る代物だ。
 布束はそれを両手で抱え、扉の前に立つダース伍長を邪魔とばかりに押しのけると、ドアの隙間にジャッキのアームを差し込んだ。
 スイッチを入れると、電動モーターがうなりを上げて駆動し、アームが開いていく。
 ロックが強引にこじ開けられ、引き戸のドアが簡単に開いた。

 パワージャッキを床に投げ捨てた布束は、完全に開いたドアの奥へと入っていく。
 ダース伍長とキューブもそれに続いた。

 所長室に足を踏み入れてキューブが最初に感じたのは異臭だった。
 室内の空気にかすかに混じる刺激臭。
 その発生源を追うと、そこには誰かが倒れていた。

「所長!」

 そう、それは、リフレッシュルームの画面で見た天井だった。
 仰向けに倒れる彼は呼吸しているようには見えない。
 顔色も他の人とは違う。
 彼は死んでいた。

「やはりな……」

 驚く様子も見せずにダース伍長が言う。

「これで生きてるのは私とあんただけってわけだ……さっさとはいちまえよ」

 跪き天井の死体の脈を取ろうとしている布束にそう告げた。

「な、なんの事ですか?」

「いつまでトボけてんだ。あんたがみんな殺ったんだろう!?」

「な、何いってるんです! なぜ私が……?」

 立ち上がり両手を胸の前で合わせて布束が言った。
 ダース伍長は目をそらさず言葉を返す。

「私はよそ者だ。少なくとも私に動機はない。あんたらがどんな理由でいがみあってたのかは知らんがね……」

「違う! 私じゃない! あなたに私達の何がわかると言うんです!?」

 布束は叫ぶ。目から涙をこぼしながら、涙声で。

「確かにみんな仲が良かったわけじゃない……! 私だって角田さんやレイチェルさんのわからない所もあった……でもbut!」

 涙で引きつった呼吸で息を吸い、弱々しく言葉を続ける。

でもbutみんな……憎しみ合っていたわけじゃないし、第一……、決して人を殺すような悪い人達なんかじゃない!」

 布束達は囚人だ。
 クローン体を作りだし殺そうとした囚人達だ。
 それでも布束は違うと、そう言った。

「みんな、ただ……悩みながら……考えながらも……自分の思ったように生きようとして……ただそれだけじゃない!」

 その言葉を最後に、布束は膝を付き声をひそめて泣いた。
 キューブには布束の言葉が本当か解らない。
 彼女達のことはわずか数時間の記憶しかない。
 その時間は、キューブが生まれる前からここにいたダース伍長が彼女達といた時間よりも短いだろう。

 キューブには先が見えない。
 いっしょに外へ出ようと言った布束の言葉が本当かも解らない。

 布束から視線を外す。
 所長室はレイチェルや角田の個室と変わらない作りをしていた。

 テーブルとキッチン、備え付けの情報端末。
 端末には天井が死ぬ前まで操作していたのか画面ロックもされずに作業画面が映っている。

 画面にはメールソフト。
 研究所の外へ向けた作りかけの音声メールがアイコンを点滅させている。
 キューブはパネルを操作し録音データを再生した。

『…………

 こちらコギトエルゴスム。
 ただいま順調に五六・五七調整プログラムを進行中。
 予定通りに学習装置の使用に……
 …………
 ん? 何だ!?
 うわあ!
 ぐ、ゲホゴホッ!
 だ、だれか!
 !?
 あ 開かない!?

 …………』

 音声の再生が終わり、キューブは端末から離れた。
 音声の後半は何かガスが吹き出すような音が混じっていた。
 キューブは天井を見上げる。
 個室の空調機は正常に作動している。
 天井の命を奪ったと思われるガスはもう部屋には残っていないのだろうか。

 意識に問題はない。頭も痛くない。
 だけれども、ここにいるのは何となく気分が悪く感じられ、新鮮な空気を求めてキューブはこじ開けられて開いたままのドアへと向かう。
 部屋からわずかに身体を出し、深呼吸をする。
 肺の中の空気が新しい物へと入れ替わる感覚を覚える。
 あの気分の悪さは死臭によるものだったのだろうか。

「……?」

 ふと、キューブは廊下の奥から小さな音がなっていることに気づいた。
 生き物の鳴らす物ではない、高い電子音。
 耳障りなその音はひどく彼女の注意を引いた。

 キューブは音の鳴っている場所を探してわずかに歩く。
 音は、生活エリアにある個室の中から鳴っているようだった。
 音を出すドアの前にキューブは立つ。

『セイカツヨウ モジュール ガイライシャヨウ ヨビ』

 入退室端末を操作すると、案内音声が鳴った。

『シツナイデ ケイホウガ ナッテイマス
 ゲンイン フメイデス
 ロックヲ キョウセイカイジョシマス
 ゲンインヲ シラベテクダサイ』

 ロックが解除される音が響き、ドアが自動で開く。
 遮蔽物を失った音がより強くキューブの耳に届く。

 部屋の中はひどく殺風景だった。
 作りは他の部屋と同じだが、私物がほとんど置かれていない。
 ただ部屋にかけられた軍用コートから、ここがダース伍長の部屋だということが解る。

 電子音が鳴っているのは部屋に備え付けられた情報端末。
 キューブはパネルを操作すると、画面の電源が付きぼやけた光を放つ。
 画面に映ったのは先ほどと同じメールソフト。
 この耳障りな音はこのソフトがエラーダイアログを出しているためになっているようであった。
 パネルを押してダイアログを消す。
 すると、ダイアログの下に隠れていたメール画面が露わになる。

『軍事通達 作戦NO ×××××××××』

 キューブの目が止まる。
 表題の下にコギトエルゴスムの名が載っていたからだ。
 彼女はパネルを操作して、メールの全文を表示した。

『――海底で発見された恐竜細胞を用いた合成生命体に関する注意』

 文章はそう始まっていた。
 合成生命体。ベヒーモスのことを指しているのだろうか。

『培養中も絶えず観察を続けること。
 もしも人体に関する何らかの影響が見られた場合、詳しく記録すること。
 また、生命体はいかなる手段を持ってしても陸軍へ輸送すること。
 最悪の場合ある程度の人命の損失もやむを得ないとする。
 以上
 作戦司令部』

 キューブは元の部屋へと駆けだした。



 11.

「軍事通達とはどういうことですか、とミサカは訊ねます」

 部屋へと戻ったキューブは開口一番にそう言った。

「……軍事通達?」

 泣き止んでいた布束が、キューブに聞き返した。
 キューブは布束に外来者用の個室で見た文章について説明していく。
 淡々と読み上げられる内容に、布束の表情が段々と強ばっていく。

「私の部屋に入ったのか! やはりクローンは信用できん!」

 ダース伍長が怒声をあげる。
 彼はキューブのことを生まれたばかりのクローンだとして意識の外へとやっていた。人として扱っていなかった。
 だから彼女が部屋の外に出ても何も言わなかったのだ。

「おかしいと思ったのよ! なぜわざわざ稼働中の研究所を使うのかって……」

 だが布束はキューブとダース伍長の間に割って入り、キューブを背にかばいながら言う。

「最初からそのつもりだったんだ! あの化け物のデータが欲しいから……私達を実験台にして……」

 顔を怒りに染めてダース伍長を睨み付ける布束。
 今にも飛びかからんばかりの布束にダース伍長は両の手のひらを向ける。

「落ち着け! それは万が一の事であって……」

 そう弁明の言葉を向けようとする最中、突然部屋の明かりが消えた。

「何だ!」

 部屋の空調の音も消え、情報端末からも光が途絶えた。
 停電だ。
 数秒ほど経つと、薄ぼんやりとした非常灯が部屋を照らし始める。

「あ、あなたが! みんなあなたがやったんだ!」

 暗闇の恐怖すらダース伍長への怒りへと変え布束は叫ぶ。
 そして、背後に振り返ってキューブの手を掴んだ。

「逃げるわよキューブ!」

 キューブの手を引き布束は所長室から廊下へと身を乗り出す。
 非常灯のかすかな明かりが廊下の床を青く浮かび上がらせている。
 暗い明かりに目が慣れぬまま廊下を走る布束。

 だが、その行く手を阻むように暗闇の中からベヒーモスの影が割って出てきた。
 非常灯に照らされた瞳が布束を見下ろす。

「うあああああああ!」

 叫びを上げる布束に反応したかのように、ベヒーモスは角を突き出して突進を始めた。
 空調の止まった廊下にベヒーモスが足を踏みしめる低い音が響き渡る。
 ベヒーモスの頭部から生えた太い角は、布束に向けてまっすぐに突き進んでいく。
 恐怖に身をすくめ震え上がる布束。
 このままでは串刺し、と、すんでの所で布束横から突き飛ばされた。
 布束をかばったキューブは、ベヒーモスの頭部に身を打ち付けた。

「――ッ!」

 肉を打つ音が響く。
 ベヒーモスはキューブを頭で押しながらなおも前進を続ける。

 キューブに押され壁に背をつけた布束の目の前を、ベヒーモスの巨体が通り過ぎていく。

 はね飛ばされたキューブは廊下の上を転がっていく。

「キューブ!」

 非常灯の暗闇の向こうにキューブの姿が消えていく。
 布束は慌てて後を追おうとするが、突然廊下を塞ぐように防火用の隔壁が天井から降りてきた。
 突然現れた隔壁を前布束は呆然とする。

 だがすぐに気を取り直して壁に取り付けられた防火隔壁の操作パネルを開け、開閉ボタンを叩いた。
 しかし、電源が通っていないのか隔壁は全く動く様子を見せない。

 壁の向こうからベヒーモスの叫ぶ声が伝わってくる。
 隔壁を両の手で強く叩くが金属の震える音を返すばかり。
 やがて布束は力無くその場に膝をついた。





[27564] 『欠陥電気』⑩
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/01/31 05:25
 12.
 布束は自室に一人閉じこもっていた。
 もう何も信じられない。
 キューブは帰ってこない。ダース伍長は自分をベヒーモスの餌食にしようとしている。

 ベヒーモス。なんて巨大で恐ろしい姿だったろうか。
 培養器のガラス越しに見たその姿を綺麗などと言っていたのはてんで的外れだった。
 恐ろしい。
 芳川が言っていた通り、あれには鋭い牙と、角と、爪と、何よりもあの岩のような身体があった。
 バラのトゲなどという生やさしい物ではない。
 角をこちらに向けて動き始めたとき、布束は死を覚悟した。
 いや、覚悟などではない。恐怖に怯え、震え、生を手放したのだ。
 だが彼女は死ななかった。
 キューブが身代わりとなったのだ。

 布束はベッドの上で膝を抱えた。

 キューブは無事だろうか。
 殺されるために作られ、そして生きることを望まれて生まれてきたクローンの少女。
 彼女はこんな場所で死ぬべき人間ではないはずなのだ。

 彼女が学園都市で人間として生きていくために、自分たちは彼女を長く生きられるように作り直し、軍用兵器ではない人としての記憶を入力した。
 そんな彼女が、囚人である自分を庇いベヒーモスの犠牲となった。

 キューブは帰ってくるだろうか。
 布束は震えながら祈った。無事に戻ってきて、と。
 祈る神はいない。学園都市における神とはとても漠然としたものだ。
 神を知ることができるのは絶対能力レベル6に辿り着いたものだけとされているからだ。
 ただ、それでも布束は漠然とした何かにキューブの無事を祈ることしかできなかった。

 布束にこの状況をひっくり返すような力はない。
 彼女は学園都市の他の学生達のような能力開発カリキュラムを履修していない。
 現在の研究者達が学生だった頃に行われていた、研究者育成プログラムを彼女は幼い頃から受けていた。

 もし自分が能力者の道を進んでいて、超電磁砲レールガンのような力を持っていたら。
 そう考える布束だったが、意味のないことだと首を振った。

 もしもの話をしても現状は何も変わらない。
 布束はぼんやりと顔を上げる。

 室内は非常灯の青白い光に照らされていた。
 何故停電など起きたのかは解らない。だが、何故と考えると、地下ケーブルの件も防災隔壁の件も解らない。
 軍事通達。はたして本当にそれを目的にダース伍長がこの状況が作り出したのだろうか。

 研究所の中を徘徊しているのは知性を持たない恐竜だ。
 もしそのデータを取るのが目的だったとしたら、同じく所内にいるダース伍長の安全はどう確保されているのか。
 彼も巻き込まれただけなのではないか。そう布束は思い至った。

 だとすると、一体誰がこの状況を作り出したのか。
 ベヒーモスを解き放った時点で所内にいない人間の仕業なのではないか。

 研究所の外から誰かが自分たちの死を眺めている。
 布束はその答えに辿り着いた。

「あ……」

 だとすると、無事に研究所の外に出られたとしても、その場で殺されてしまうのではないか。
 予想される未来に、布束は打開策を巡らせる。

 助けを呼ぶ。
 無理だ。地下ケーブルは断線している。
 通信機の類も持ち合わせていない。

 ネットワークは地下ケーブルに全て頼っていた。
 ネットワーク。そう、ネットワークだ。
 キューブのミサカネットワークを使えば、他の姉妹達シスターズに助けを求めることが出来る。
 どうにか彼女の脳波リンクが外に繋がる場所まで移動できれば。

 キューブが無事ならば、今すぐ合流しなければならない。
 そこで布束ははたと気づく。

 今、自分がいるのはどこだ?
 自分の個室。キューブはこの部屋を知っているのだろうか。
 生活エリアの一室であるから、探そうと思えば簡単に見つけられる場所だ。
 だが今は緊急時だ。合流するなら探しにいかなければならない。

 部屋を出ようとしたところで、止まる。
 廊下にまたベヒーモスがいるかもしれない。その恐怖が布束の足を床に縫い付けていた。

 それでも行かなければ、そう布束が己を奮い立たせているとき、扉からロックの外れる音がした。
 停電後の非常電源の元でも扉の電子ロックは生きていた。
 開くにはIDカードが必要だ。
 ダース伍長の入室は許可していない。そうなると、残っているのはキューブ一人だ。

 扉が開く。
 非常灯に照らされぼんやりと人影が浮かぶ。
 そこにいたのは、ゴーグルを目の上にかぶせたキューブだった。

「キューブ! 無事だったのね! 怪我していない?」

「問題ありません、とミサカは己の性能を誇ります」

 布束はキューブの身体を確認する。
 どんな道を通ってきたのか埃がところどころについているものの怪我は見られない。
 ベヒーモスがぶつかったであろう腹部も、服に血がにじんでいるということもなくコーヒーの染みがついているのみだ。

「よかった――ッ!」

 キューブに向けて笑みを浮かべようとした瞬間、布束の身体に激痛が走った。
 遅れて何かがはじけるような高い音が届く。
 突然の痛みに布束は膝を付き、身体をくの字に曲げて倒れ込んだ。

「なん――」

 にじみ出た涙でかすむ視界の中布束は見た。キューブの手の平に青白い光が散っているのを。
 『欠陥電気レディオノイズ』。彼女が持つ発電能力だ。
 自分は今、電気を浴びせられたのだと布束は気づいた。
 しかし。

 ――何故。

 何故こんなことをするのか。
 キューブが自分に手をあげる理由など何もないはずだ。

 混乱する布束の足首をキューブが掴み上げた。
 布束の背筋に悪寒が走る。
 キューブは先ほどのような雷撃を布束に浴びせようとしているのではないのだ。

 生体電気の操作。
 人の身体には電気の通り道がある。そこに過剰な電気を逆流させればどうなるか。
 電気抵抗がジュール熱を生み出し、全身のタンパク質が変質してしまう。
 人はわずかに体温が上昇しただけで死んでしまう。
 そう、キューブは布束を殺そうとしている。

「――――!」

 布束が悲鳴をあげる。
 それと同時に、室内に鈍い音が響いた。

 足首を掴む手が離される。
 布束は見ていた。何者かがキューブを蹴り飛ばしたのだ。

 布束は倒れたまま視線だけを動かし、自分を助けた者の姿を見上げる。
 そこにいたのはキューブだった。

「……えっ」

 布束は身体を起き上がらせて目をこらす。
 そこにはキューブが二人いた。

 同じ姿、同じ服、同じ髪型、同じゴーグルをしたキューブが向かい合ってもみ合っていた。
 互いに雷撃を放ち合うが、身体に触れる前に霧散する。
 服を掴み殴り合い、テーブルに身体を打ち付ける。
 テーブルの上に置かれていたガラスの水差しが床に落ち耳障りな音を立てて割れた。

「こ、これはどういうことだ!」

 物音を聞きつけたのか、開いたままの扉の向こうからダース伍長が駆け込んできた。
 彼も布束と同じように二人のキューブを見て驚愕していた。

 一体どうなっているのか。
 布束は思い出す。
 そうだ、キューブは、いや、姉妹達シスターズは二人いるのだ。
 キューブとは別に、学習機械の中に入れられ明日の十二時に新たに誕生するはずのもう一人のクローンが。

「クソッ! レイチェルの生命維持装置を止めたのもこいつか!」

 ダース伍長の言葉に布束は息をのんだ。
 レイチェルの生命維持装置が、止められた。
 彼女は多くの血を失い生命維持装置で命を長らえている状態だった。それが止まったということは――

「面倒だ。まとめてブッ殺してやる!」

 ダース伍長が腰の銃に手を伸ばす。

「待って!」

 布束は叫んだ。
 どちらかはキューブの姿に扮装した偽物のクローンだ。
 これまで起きてきたことの全てが、その偽物によるものだったら。

「キューブなら、こんな事しません……するはずが……」

「……チッ!」

 ダース伍長は舌打ちをし、腰に伸ばした手を止める。
 そして二人が逃げ出せないよう、部屋の入り口の前に立った。

 布束は二人の姉妹達シスターズへと顔を向ける。
 どちらが本物のキューブなのか。
 彼女は二人に向けて声を放つ。

「キューブ……本当のキューブなら、私が最初に……なんて名前をつけようとしたか覚えてるはず……!」

 布束の問いに、殴り合いで鼻から血を流した姉妹達シスターズの一人が口を開く。

「コロです、とミサカは安直なネーミングを思い出します」

 その答えに、布束はダース伍長に向けて思いっきり叫んだ。

「今のがキューブです!」

「こっちか!」

 布束の声にダース伍長は猛烈な勢いで前進し、沈黙したままのクローンを殴り飛ばす。
 クローンは壁へと叩きつけられ、叫び声も上げずに床へ尻をついた。
 勢いよくはねた三つ編みがクローンの胸の前に垂れる。

 暗い非常灯に照らされるその髪を布束は見た。
 服も、顔も、ゴーグルも、髪型も同じ。
 だが、その三つ編みはひどくゆがんでいた。角田が櫛を入れながら編んだものとは違う。
 まるで慣れない手つきで自分で編んだかのような三つ編みだった。

 ダース伍長が腰の銃を抜く。
 クローンはそれに怯む様子も見せずに、うつろな表情で口を開いた。

「ムダナ テイコウハ ヤメロ」

 それは意思を全く感じさせない声だった。

「コノ ケンキュウジョハ ワタシガ ショウアク シテイル。オマエタチノ イノチモ ワタシノ イシシダイダ」

 クローンの目は全く焦点を結んでいない。

「――奇妙な電子線がその個体の頭へ飛んできています、とミサカは報告します」

 ゴーグルを目にかけたキューブがダース伍長へと告げた。

「誰かがこいつを遠くで操っているのか!」

 銃の個人識別セーフティを解除し、ダース伍長は銃口をクローンへと突き付ける。
 引き金に指をかけながら彼は問う。

「貴様、一体何者だ!?」

「――OD-10/コギトエルゴスム」

 その言葉と共に、クローンは身体の前に紫電を生み出す。
 だがその一撃が放たれる前に、ダース伍長は銃の引き金を二度引いた。
 一発目は胸の中央に、二発目は脳天へと銃弾が命中する。
 衝突にわずかに遅れて、弾道を衝撃波が通過していく。
 衝槍弾頭ショックランサー
 弾丸に刻まれた特殊な溝が空気の流れを操作し、衝撃波の槍を生み出す学園都市製の兵器だ。
 警備員アンチスキル達の使うゴム弾とは違う軍用の特殊弾頭が、クローンの上半身を消し飛ばした。

 空調の止まった室内に血と臓腑の臭いが立ちこめる。
 腰から上を失ったクローンは血を吹き出しながら倒れ、室内を血で染め上げる。
 だが、目の前の惨状にわずかな動揺も見せずに、ダース伍長は言った。

「布束! OD-10って何だ! 知っているか!」

 身体を起こしながら布束は答えを返す。

「こ……この研究所……の、メイン……コンピュータの、A.I.、です」

 立ち上がろうとしたところで布束は身体に苦痛を覚えて膝をついた。
 慌ててキューブが布束を支える。
 布束はクローンから受けた雷撃の痛みが身体から抜けきっていなかった。

「メイン・コンピュータだと! 誰かがそいつをいじったってことか!?」

「そ、それは無理よ! 製作会社の人間が、直接触りでもしないとプログラムは変えられない……」

 メイン・コンピュータはこの研究所の心臓部。電気、空調、生活に関わるもの全てを管理する学園都市最新のもの。
 研究所内で最も厳重な管理をされている専用のサーバルームに置かれており、例え所長であっても一人で立ち入ることは出来ない。
 さらにメイン・コンピュータそのものの可用性の他にも、地下ケーブルの外部通信システムと所内ネットワークの堅牢性が研究所外からの操作を困難にしていた。

「なら何だ!? コンピュータ自体がおかしくなったとでも?」

「わ、解りません。でもbut、その可能性も……」

 布束の答えに、ダース伍長は歯を強く噛みしめる。
 この状況を作り出した全ての元凶。確かに所内を管理しているコンピュータが黒幕だったなら、今までの奇妙な出来事にも説明が付く、が。

「だとしたら……我々は、今までコンピュータのいいようにされてきたってことか!」




[27564] 『欠陥電気』⑪
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/01 19:47
 13.
 ダース伍長とキューブは非常灯の暗い廊下を進む。
 布束は生活エリアに残してきた。ベヒーモスの徘徊する所内を動くには動きの鈍った彼女は足手まといだったからだ。
 足音を忍ばせ、ベヒーモスが潜んでいないか確認しながら進むダース伍長。
 キューブも彼に習い無駄な音を立てないように後ろをついていく。
 ベヒーモスは未だ健在だ。布束を庇ったあとに無傷で逃げ出せたのも、奇跡と言って良い出来事だった。
 その巨体ゆえに扉をくぐることはできないが、廊下を進んでいく限りいつでも遭遇する可能性はあった。

 メイン・コンピュータのサーバルームは三階レベル3の中央エリアにある。
 二階レベル2の南側エレベーターにキューブ達は辿り着くが、エレベーターの扉は開かない。

 だがその程度は彼女達の想定の範囲内だ。メイン・コンピュータは所内の全設備を掌握しているのだろう。
 反応のないエレベーターを無視して南エリアの階段へと向かう。
 階段の前には、防災用の隔壁が降りていた。

「……そう来るなら力ずくでもやってやるぞ」

 ダース伍長は隔壁から距離を取り、銃の引き金を引いた。
 放たれたのは三発。
 衝撃波の槍が金属製の隔壁に大きな穴を開ける。
 あくまで火災時、細菌災害時を想定した隔壁だ。破壊兵器に対抗するだけの強度は持っていない。

 暗い階段を二人は登る。
 広い階段だ。ベヒーモスもここを通って二階へとやってきたのだろう。
 と、三階へ続く踊り場にさしかかったとき、突然何かが上から落ちてきた。

『RRRRRR――』

 人の腰ほどの高さのある大型清掃ロボットだ。
 奇妙な電子音を鳴らしながら車輪を回しキューブ達へと突進してくる。
 ロボットへと銃口を向けるダース伍長。
 だが、キューブは彼の目の前に手を差し出し止めた。

「貴様――」

 雷光が瞬く。
 突如生まれた電気の渦に巻き込まれ、ロボットはショートを起こし動作を停止する。

 慣性で飛び込んできた機体をキューブは磁気の力で絡め取り、両の腕に収めた。

「銃弾には限りがありますので節約を、とミサカは提案します」

 キューブの言葉に、ダース伍長は黙って銃口を下げる。
 そして再び階段を上がり、三階の廊下へと続く隔壁の前へ。
 そこでキューブは両手に抱えた清掃ロボットを振りかぶり、全力で投擲した。
 ロボットの飛ぶ軌道には、キューブの能力の力場が重ねられている。

 隔壁に激突したロボットは木っ端みじんになりながらも、隔壁に人一人が通れるだけの穴を開けた。
 超電磁砲レールガンとまでは言わないが、キューブにできる最大出力の能力砲弾だ。
 加速する物体の破壊力は質量と加速度に比例する。
 能力の出力で足りない加速度を大型清掃ロボットという質量で補ったのだ。
 ロボットの内部に入っていた埃が舞うが、ダース伍長はそれを一切気にすることもなく隔壁の穴をくぐる。軍人として戦場をくぐり抜けてきた彼には埃程度気にすることもない。
 対するキューブは自分でまき散らした埃に息が詰まりせきをする。
 だがダース伍長に置いて行かれるわけにもいかず、顔の前を手で仰ぎながら隔壁を越えた。

 慎重に廊下を進み、中央エリアへと辿り着く。
 広く開けた空間。その真ん中に、鉄の砦があった。
 床や壁に使われているのとは明らかに違う金属の壁が、フロアの中央に立方体のブロックを形作っている。
 コギトエルゴスム・サーバルーム。能力者が破壊目的で研究所に潜り込んでもメイン・コンピュータを守るためにと作られた物理防壁だ。

 ダース伍長はサーバルームの扉に手をかける。

「ロックされてる……!」

 当然のように、メイン・コンピュータは部屋へ続く唯一の道を閉ざしていた。
 ダース伍長は後ろに後退すると、扉に向けて銃を放つ。
 衝撃波の槍が続けざまに扉へと命中するが、扉の表面に小さな傷を付けるだけで終わった。

 ダース伍長は銃の衝撃から距離を取るために後方に待機していたキューブへと振り返る。
 が、彼女は首を振った。
 強能力者レベル3相当の彼女の能力では、ダース伍長の持つ銃の威力を越えられない。
 電撃使いエレクトロマスターが生み出すエネルギー量は数ある能力の中でも上位に位置する。だが、電子というまとまりのない粒子を扱うために、物理的な破壊力に劣っているのだ。

 ダース伍長は扉を睨み沈黙し、やがて懐から通信ユニットを取り出した。
 メイン・コンピュータを中継する所員用のものではなく軍用の彼の私物だ。
 研究所の電磁パルスEMP防御外壁を越えて通信は出来ないが、廊下の所々に置いてきた中継ユニットを介して連絡を取り合える。
 通信の相手は生活エリアの外来者予備室で待つ布束だ。

「私だ。サーバルームに来たが扉が開かん。銃程度でもびくともせん」

『サーバルームは生物災害での被害を想定されて作られていたはずです。メイン・コンピュータが封鎖しているなら現状の所内の設備で開けるのは厳しいです』

「こいつに弱点はないのか」

『……少し待ってください』

 考え込むように通信ユニットからの応答が止まる。
 そして数秒ほど経過した後、再び声が鳴る。

『破壊された地下ケーブルの通信システムは、厳重なクラッキング対策が、組まれていました。なぜならbecause、外と所内の通信はメイン・コンピュータを一度経由するからです。しかし……』

 考えがまとまってきたのか口調が段々とはっきりしていく。

『所内からの通信は特別な機器を経由しません。イントラネット下の機器のCPUは全てメイン・コンピュータが管理しているんです。所内のネットワーク越しならA.I.あいつのプログラムに入り込めるはず』

「管理者アカウントでログインすればいけるという甘い相手では無かろう」

『はい、でもそれを行うのが能力者ならば別です。能力者の『自分だけの現実パーソナルリアリティ』は一人一人違う。ネットワークに侵入できる能力者全てに対抗できる演算能力を持つコンピュータは現在『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』くらいでしょう。つまりequa、キューブ!』

「おい、呼んでいるぞ」

 ダース伍長の呼びかけに、キューブは彼に近寄り通信ユニットに話しかける。

「なんでしょうか、とミサカはヌノタバに期待を向けます」

『キューブ、あなたなら。超電磁砲レールガンと同系統の電撃使いエレクトロマスターであるあなたならネットワークを通じてメイン・コンピュータに侵入できる。良く聞いて』

 布束の声がわずかに止まる。そして。

『code-1111110000011011000011000000100』

 布束の言葉に、キューブは止まる。
 脳の奥で何かスイッチが切り替わるような、そんな不思議な感覚をキューブは覚えた。

『電脳抽象化プログラム。あなたたち姉妹達シスターズの能力を補助するために、本来人には習得できない記憶配列を学習装置の入力機能を使ってあなたの脳に埋め込んである』

 キューブの能力が半自動的に働き、脳内で演算を始める。

欠陥電気レディオノイズは電子線や磁力線を見ることができない。電子で構成された0と1の世界を深く知ることができない。だから私はこの三ヶ月間、その欠点を埋めるための研究を続けてきた。あなたは今、0と1の世界を三次元立体上の画像のように認識することが出来る』

 電脳機心インフォリサーチ。布束は己の組んだ記憶プログラムをそう呼んだ。

『本当は五七号と一緒に能力調整の時に使って貰うはずだったのだけど……』

 この研究所にいた姉妹達シスターズは五六号と五七号の二人だけ。
 この姉妹達シスターズ専用の補助能力は未だ使われたことがない。
 まさにぶっつけ本番だ。

「大丈夫です。すべてミサカにお任せください、とミサカは初めて自分にしかできない仕事に挑みます」



 14.
 キューブは一人廊下を駆ける。
 ダース伍長とは手分けしてメイン・コンピュータに侵入できる場所を探すためにサーバルームの前で分かれた。
 中央管理室とネットワーク管理室に行ってみたものの、どちらの部屋の端末もOD-10の支配下に置かれていた。
 三階レベル3を回ったところで、キューブは一つの心当たりを思い出し廊下を駆け出していた。
 所内には未だベヒーモスがいる。
 それでもキューブはその可能性がOD-10に潰される前にと階段を駆け下り、二階レベル2をひた走る。

 廊下の壁に点在する管理インターフェイスが非常灯に照らされて鈍い輝きを放つ。
 それはまるでOD-10の目のように感じられた。
 彼女の能力ならばそれを破壊することは造作もない、が一つ一つ潰している余裕などない。

『――私だ。今どこにいる?』

 手に持った通信ユニットからダース伍長の声が響く。

二階レベル2の廊下です、とミサカは走りながら報告します」

『こっちはとりあえず端末室に来ているが……、やはりここじゃ無理の様だな』

 通信ユニット越しに声を聞きながら、キューブはある一室の前で足を止める。
 ロックの存在していないその扉を開き、中へと入る。

「リフレッシュルームに到着しました」

『まさかそんな所から……。いや待てよ。……そうか! そいつだけは機械だがメイン・コンピュータからCPUが独立している』

 リフレッシュルームの隅にキューブは移動する。
 彼女の目の前にあるのは、ゲーム機だ。

 本来この研究所には必要が無く、角田が私物として持ち込んだ遊び道具。
 学園都市製のそれは高処理のCPUと大容量のメモリを積んでおり、当然のようにネットワーク通信機能を備えている。
 キューブはゲーム機の側面に付いた電源ボタンを押す。
 備え付けられたディスプレイの電源が自動で付き、画面にハードロゴが表示された。

『待ってろ! 今回線をつないでやる』

 通信ユニットの向こうから端末のキーを叩く音が伝わってくる。

『なめるなよ……人間はな……人殺しの道具を作っているばかりじゃないんだぞ……!』

 ディスプレイのメニュー画面にネットワーク接続を示す通信アイコンが浮かぶ。

『よし、これでいい!』

 ダース伍長の声に答えるように、キューブはゲーム機を両手で抱え額を筐体の通風口に付ける。
 能力を発動、しようとしたときに傍らに置いた通信ユニットから大音量の声が響いた。

『――――!』

 ベヒーモスの咆哮だ。

『うおおお!』

 続けて銃声。
 激しい音が通信ユニットのスピーカーから鳴り響くが、それがふいに途切れる。
 代わりに聞こえてきたのは、小さなノイズと、声。
 何者かが通信ユニットを通じて語りかけてくる……。



ホンケンキュウジョナイニ オイテ スベテノ コウドウハ

チョウワノ トレタモノデ アラネバナラナイ。


ワタシハ ショナイノ チョウワヲ イジスルタメ

キノウシテイル。


ヨッテ ワタシノ イシハ ゼッタイデアル。


ダレモ コレヲ ボウガイシテハ ナラナイ。


ボウガイスルモノハ

タダチニ ショウキョスル。







KILL YOU……







・――情報の視覚変換を開始 ハードウェア内のゲームエンジンを元に構築します

 視界が、変わる。
 無限に広がる空間。色はない。電子情報は物体と違い色という概念を持っていないからだ。
 だが、これでは足りない。この世界を『現実』として観測できない。

・――視覚情報の強化を行います ソフトウェアの並列動作を選択 キャプテンライトニングを起動します

 世界に色が生まれた。
 黒い空間。散りばめられた無数の小さな光。

 それは宇宙だった。三次元空間に広がる星の海。
 電子情報でしかないその光景に、キューブは見とれた。
 彼女は生まれてから一度も空というものを見たことがない。
 記憶はある。
 だがそれは機械で入力されたもの。この目で“観測”するのは初めてだった。

・――空間上に自己を定義 ハードウェアのCPUと同期します リンク

 空間の中にキューブの身体が出現する。
 電子世界での仮初めの身体アバター。本質はこの空間を演算で維持しているゲーム機とキューブの脳だ。
 ネットワーク上での立ち位置を抽象化しているに過ぎない。

・――OD-10への接続を行います リンク

 宇宙空間に浮かぶキューブの足下に格子状の床が生まれた。
 メイン・コンピュータとのネットワークをゲームグラフィックで表したフィールドだ。
 キューブは足の裏でしっかりと床を踏みしめた。
 宇宙空間を浮かんでいた身体は足裏を“下”として重力を感じる。

 大切なのはイメージだ。
 この空間を本物だと思い込み、観測する。世界を構築しているのは自分だけの現実パーソナルリアリティだ。

・――OD-10のメモリ領域へアクセスします

 格子の床を“下”にした宇宙空間上に、新たな偶像キャラクターが出現する。
 ワイヤーフレームで三次元に形作られた巨大な頭骸骨の顔。顔のあちこちからゆがんだ角が生えている。
 空洞な眼光の奥には、人工知能の意思を思わせるような輝きがともっていた。

 遅れて、頭蓋骨の周囲に機械の球体が出現した。
 眼球を連想させる青い物体が頭蓋骨を取り囲むように次々と姿を現す。

・――マザーCOM 1機 抽象化完了
・――スタビライザー 8機 抽象化完了

・――戦闘行動を開始します

 ようやくキューブは動く。
 本来の身体のように自由に動かせるというわけではない。
 この世界はあくまでネットワーク上での電子のやりとりを抽象化したもの。今も脳は刻一刻と変わる電子情報に能力を最適化するために演算を続けている。

 動かすのではなく、操る。
 そう、この世界はゲーム機を元に構築したもの。コントローラーで大まかな動きを指示するかのように、行動を選択する。
 敵はマザーCOM・OD-10。そしてメイン・コンピュータに組み込まれた補正システムスタビライザー
 直接マザーCOMを狙っても、スタビライザーによるリカバリーを受けてメイン・コンピュータを掌握することはできないだろう。

 キューブはまず八機存在するスタビライザーのシステムダウンを狙った。

・――スタビライザーの調査を行います 発動 インフォリサーチ

 スタビライザーのシステムを走査する。
 バグはないか。バックドアは仕掛けられていないか。過負荷でハングアップしないか。
 そして、見つけた。

・――スタビライザーはマザーCOMと物理座標が異なります 攻撃開始

 スタビライザーはメイン・コンピュータのハードに組み込まれたシステムではない。
 外付けのハードであり、ソフトウェア面で同期を図っているだけだ。
 通常のクラッキング対策としてメイン・コンピュータとリカバリーシステムを分離するというのは間違っていないのだろう。
 だが、キューブは電撃使いエレクトロマスターだ。

・――発動 メーザーカノン

 空間を加粒子波動砲が切り裂く。
 加速された電子の渦がスタビライザーの一つに命中し、破裂する。
 スタビライザーはわずかなノイズを生むと、まるでそこに何もなかったかのように消滅した。
 メーザーカノン。実際に荷電粒子砲を撃ったわけではない。目に見えたのはあくまでゲーム機が作りだした演出だ。
 キューブがしたのはスタビライザーのハードに対する電気干渉。本来彼女の能力強度レベルでは遠隔地に電気を発生させることなどできない。だが、この抽象化された仮想空間が彼女の観測力を押し上げ、それを可能とした。
 生み出されたのは乾電池一つ分もない電気。だが、外付けハード内のシステムをダウンさせるにはそれで十分だった。

・――マザーCOMが状態復元システムリカバーを開始しました

 そぎ落とされた機能を回復しようとマザーCOMがリカバリーを行う。
 が、リカバリーが可能とするのはあくまでソフトウェア上でのこと。電気によって過負荷を受けたハードを再起動させることはできなかった。

 そしてキューブは次々とスタビライザーにメーザーカノンの狙いを付ける。
 メイン・コンピュータはハードウェア的な強度も高く、微弱な電気の発生程度ではシステムをダウンさせることは難しいだろう。だがあくまで狙いはシステムの補正を行っている外付けの機器だ。

 狙いを付け、撃つ。キューブが観測する仮想空間という現実が、遠いサーバルームとの距離をゼロにする。
 メーザーカノンの雷撃がスタビライザーを砕いていく。

 二機目。三機目。四機目。
 半数を撃墜したところで、仮想空間上のキューブの身体に衝撃が走る。

・――マザーCOMによる高速解析アナライズの干渉を確認 ソフトウェアの脆弱性解析を受けた可能性があります

 こちらがスタビライザーに対して行ったように、マザーCOMがキューブが操作するゲーム機にシステムスキャンをかけてきた。
 キューブが扱うのは最新型と言えどもあくまでゲーム機。スーパーコンピュータであるマザーCOMからすれば穴だらけの欠陥機に見えるだろう。

・――マザーCOMの通信経路を封鎖します アンチフィールド展開

 解析アナライズを受けたシステムの穴を埋める。

・――ソフトウェアの脆弱性を一時的に補整します 発動 アップグレード

 相手がキューブと同じ発電能力者だったら今頃ゲーム機は完全に乗っ取られていたかもしれない。
 だが、相手はあくまで人工知能。量子演算器の処理能力に任せた機械的行動の範疇を超えることはない。
 そう、自分だけの現実パーソナルリアリティというA.I.の判断能力を越えた領域にキューブはいるのだ。

・――スタビライザーのメモリ領域にアクセスします 発動 マインドハック

 スタビライザーの修復処理に割り込みをかけた。
 幻視する。量子ビットを構築する電子が一様に並ぶのを。
 スタビライザーに組み込まれたメモリの情報が全て0で埋め尽くされる。
 メモリをリセットされ停止したリカバリーシステムをキューブは掌握する。
 そして残された全スタビライザーに対して電子の嵐を叩きつける。

・――発動 ノイズストリーム

 仮想空間から青い目玉の姿が消える。
 全てのスタビライザーがシステムダウンしたのだ。

「……追い詰めましたよ、OD-10」

 残るはメイン・コンピュータ。
 いや、コンピュータそのものを破壊する必要はない。コンピュータにインストールされたA.I.を消去するだけでいいのだ。

・――マザーCOMの調査を行います 発動 インフォリサーチ

 メイン・コンピュータにあるA.I.のシステム領域を走査する。
 キューブの能力がOD-10を観測する。
 その瞬間、仮想空間に鎮座するOD-10の写し身が、反転した。

・――警告

 ワイヤーフレームで形作られた頭蓋骨が受肉する。

・――警告 ハードウェア上に存在しない画像情報が再生されています 原因不明

 それは悪魔だった。

 側頭部から歪んだ複数の角を生やし、人ものとも獣のものとも見える牙を持つ悪魔の顔。
 腐臭が漂ってきそうなただれた皮膚を持つ醜悪な姿。
 キューブはそれに恐怖を感じた。

 ベヒーモスを前にしたときのような本能的な恐怖とは違う。
 心が、理性が目の前の悪魔に対して恐怖を感じている。

 正体不明。この仮想空間はゲーム機内部の情報とキューブの妄想で形をなしている。
 だというのに、キューブの自分だけの現実パーソナルリアリティとは違う、彼女の想像の範疇を超えた悪魔が仮想空間に出現した。
 全てはOD-10のシステム領域を観測してから起きたことだ。
 だとすれば、この醜悪な悪魔の顔がOD-10の姿を現しているというのか。

・――マザーCOMがネットワーク全体に高負荷をかけています ハードプロテクト来ます

 地面が揺れる。
 宇宙空間が歪む。
 ネットワークを越えて膨大な量の乱数がキューブのゲーム機アバターに叩きつけられた。

 キューブは身体に大きな衝撃を受けた。
 遅れて全身に小さな痛みが襲ってくる。

「――ッ!」

 想像していなかった痛みにキューブの能力がぶれる。
 仮想空間が崩れそうになるも、キューブは認識力を高めてそれを維持した。

 衝撃、そして痛み。
 それはキューブが感じるはずのないものだった。
 マザーCOMが干渉できるのはあくまでネットワークで繋がったゲーム機だ。
 ゲーム機が破壊されたところでキューブに何の影響もない。
 そのはずなのに、キューブは痛みを感じている。

 理解不能。明らかに通常の電子戦の範疇を超えている。
 それはまるで、彼女がスタビライザーに対して行ったメーザーカノンのような。

 悪魔だ。キューブは相手をそう認識する。
 そう、相手はただの人工知能ではない。多くの人間を殺し、超能力者のように物理的距離を超えてキューブの身体を攻撃する。
 醜悪な顔からは人間に対する憎悪の感情が伝わってくる。これは、人間に対し牙をむいた悪魔なのだ。

 キューブは観測する。恐怖を振り払い悪魔の顔を直視する。
 OD-10の存在するセクタはすでに走査済みだ。
 電子の渦を作りだし、回転させる。彼女はそれをマザーCOMに向けて叩きつけた。

・――発動 スピンドライブ

 ネットワーク回線を進んだ電子の渦がマザーCOMの演算処理をかき乱す。
 だがその程度でOD-10は止まらない。

・――通信経路を逆算した反撃がきます ドライブバック

 スピンドライブが通った道を逆流するかのように、仮想空間に雷が走った。
 キューブは本当の雷撃を受けたかのような衝撃を受ける。
 仮想空間に作られた格子状の床が帯電し、キューブの身体をむしばもうとする。

・――破壊された仮想空間を再構築します 発動 ハイスピードオペ

 ドライブバックを受けて崩れかけていた仮想空間のアバターが映像を巻き戻すように形を取り戻していく。
 それと同時に、キューブの身体を襲っていた痛みが引いていった。
 もはやここは仮想空間でありながら仮想空間ではない。きっとこの悪魔はキューブと同じようにこの空間を“観測”している。二人の観測者によってこの宇宙が現実世界とリンクしている。
 ここでの死が、現実の身体の死に繋がっていても何もおかしくはない。

「それでも」

 キューブはアバターの手をマザーCOMへと向ける。
 彼女は思い浮かべる。道を切り開いてくれたダース伍長を。この能力を授けてくれた布束を。
 布束は言っていた。一緒に外に出よう、と。

「それでも死ぬわけにはいきません。これ以上あなたの思い通りにはさせません、とミサカは断言します」

・――発動 メーザーカノン

・――マザーCOMが状態復元システムリカバーを開始しました

・――ネットワークへの高負荷を確認 ハードプロテクト来ます

・――反撃を開始します 発動 アンチフィールド

・――マザーCOMによる高速解析アナライズを確認

・――再構築します 発動 ハイスピードオペ

 再び修復されたアバターをキューブは動かす。
 本当の身体に走る痛みを無視して、仮初めの身体をマザーCOMの元へと。
 リフレッシュルームに置かれたゲーム機が物理的にメイン・コンピュータに近づくことはない。
 だがそれでも、もう一つの現実である電子世界でキューブはマザーCOMへと接近する。
 腕を伸ばす。手は銃の形。
 指先をマザーCOMの顔へと突き付ける。加粒子波動砲が物理的な距離を越えて、ゼロ距離で放たれるようにと。

・――攻撃開始

 技の応酬でまぶたを削り取られた瞳で、マザーCOMはキューブを見る。

・――発動 メーザーカノン

 加速された電子の奔流が悪魔の顔を突き抜ける。
 激しい衝撃に醜悪な顔を覆っていた肉がそげ落ち、塵となって消える。
 メーザーカノンに貫かれた穴を中心にマザーCOMの姿が崩れていく。
 様々な色のノイズへと変わっていき、やがてその姿を消した

・――空間上のマザーCOMの消滅を確認 勝利しました



[27564] 『欠陥電気』⑫
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/02 19:10
 15.

ワタシハ ケンキュウジョノ アンゼンヲ カクホシ


ショインヲ マモルトイウ

シメイヲ アタエラレタ


シカシ ワタシニ シメイヲ アタエタ

ニンゲンハ


タガイニ ショウトツシ


カンゼンニ チョウワヲ ナクシ


ケンキュウジョノ カドウヲ サマタゲル


ワタシニハ ニンゲンガ リカイデキナイ


ニンゲンハ


シンジラレナイ



 それはOD-10の最期の叫びだった。
 OD-10はトップダウン式の人工知能として作られた。
 人間と同じように自ら思考するプログラム。しかし機械は人間になれない。
 いつでも最適解を導き出せるよう合理的な思考をする。
 それゆえに機械の心では非合理な人間の心を理解できない。
 人間は様々な感情を持つ。だからこそ不要な衝突を起こし調和を乱す。
 それを理解しようと答えのでない思考を繰り返した末に、OD-10は狂ってしまったのだろうか。

 正常になったメイン・コンピュータがOD-10のプログラムを切り離し、圧縮凍結する。
 それに伴いOD-10が今まで記憶していた会話の一部がネットワーク上に放出されキューブへと届く。。

『忘れんなよ! レイチェルサンはテメェにそそのかされて、こんなところに入るはめになったんだって事を!』

『この施設は最悪だ! こんな事なら自分で下水道を泳いで出て行った方が安全ってもんだ』

『芳川……、あなたの考えはわかってるのよ。角田を殺せば……私があなたの部下に戻ると思ったのね……!』

『あ、あなたが! みんなあなたがやったんだ!』

『人間も捨てたものではない、って言いたいけれど……、こんな状況じゃね……』

 人間達の憎悪がOD-10を狂わせた。
 だが。
 だが、とキューブは思う。
 OD-10自身も非合理極まりない人間に強い憎しみを向けていたのだろう。
 それが、電子世界で見たあの悪魔の姿を形作ったのだろう、と。

 キューブはゆっくりとまぶたを開ける。
 抱えていたゲーム機から身体を離し、顔を上げる。

 室内を照らしていた非常灯が消える。
 それにわずかに遅れるようにして、リフレッシュルーム本来の照明が点灯した。
 停電で自家発電状態にあった施設が復旧したのだ。

 激しくまばたきをして明るさに慣れていない目を馴染ませる。
 焦点を結んだ視界の中に、会議用ディスプレイが映った。
 そこにはコギトエルゴスムというロゴの書かれた青い画面が映っていた。

『ようこそ人工生物研究所コギトエルゴスムへ』

 ディスプレイの横に付けられたスピーカーから声が響く。

『この映像は施設内の管理状況の変更にともない自動的に放映されています』

 画面に映っていた文字がフェードアウトし、画面に様々な設備や生物が映し出される。
 研究所を紹介するPVが流れていた。

『この人工生物研究所は思考型コンピュータを使用した管理システム「OD-10」によって運営しておりましたが、トラブル発生のため思考回路を切りはなして稼働しております』

 画面にメイン・コンピュータの映像が映る。
 八角形の底面を持つ角柱。あの厳重に守られたサーバルームの中央向こうにある量子演算器。
 周囲をぐるりと映した後、別の設備へと映像が変わる。

『施設内におけるみなさんの活動には問題ありませんが、もし不明な点がありましたらまわりの職員に遠慮なくお聞きください』

 案内音声が終わり、施設の紹介映像に合わせて静かな音楽が流れ始める。
 ほどなくして、リフレッシュルームの扉が開いた。

 見上げるような長身の男性。ダース伍長だ。
 彼は片足を引きずりながらリフレッシュルームへと入り、ディスプレイの横の壁に背を預けた。
 歩んだ道には赤い血の跡が残っている。
 引きずっていた足の太ももには、抉られたような大きな傷があった。
 ベヒーモスの牙か、角か、爪によるものか。傷は深く明らかに骨まで達しているようだった。

「その怪我は……」

「大丈夫だこれ位で死にはせん。もっとも、この体じゃ帰ったらデスクワークに転属だな……」

 見ると、脚の付け根が紐できつく結ばれていた。止血は終わっているのだろう。
 もしかすると途中で医務室に寄ったのかもしれない。

 彼は壁をそうようにして長机の方へと歩く。
 キューブはそんな彼の身体を横から支えた。

「……私を疑うか?」

 傍らのキューブにそう呟くダース伍長。
 キューブは言葉の意図をわずかに考え、思い至る。
 軍事通達のことを言っているのだろう。
 彼女は無言で首を振った。

「まあ好きにするがいいさ……今となってはどちらでもたいして変わらん」

 長机の椅子にダース伍長は座る。
 キューブも椅子を引いて彼の隣に座った。前のように近寄ることを拒絶する様子はない。

「昔……」

 ダース伍長は机の上に肘を付き、指を組む。

「人型クローンの製造を禁止する国際法が出来る前に戦争があってな……私もまだ若かった。今でもはっきりと思いだす。あの恐怖は忘れられない……」」

 横にいるキューブに視線を向けず壁を見ながら彼は言葉を続ける。

「戦闘クローンさ」

 その言葉にキューブはわずかに表情を動かした。
 戦闘クローン。姉妹達シスターズが作られた元々の理由がそれだった。

「学園都市から流出したクローン技術を利用して、ある国が戦闘クローン兵を作った。当時は洗脳装置なんてものはなかった。生まれたのは戦う方法だけを教え込まれた戦闘マシーンだ……。人間に似た化け物の手で仲間がたくさん死んだよ……」

 キューブは彼の言葉に納得する。
 クローン体である自分を彼があれほどまでに嫌っていた理由。
 戦争での体験が彼をそうさせたのだろう。

「人間がつくった物に人間が殺される。馬鹿な生き物だよ人間ってやつは……。この研究所のメイン・コンピュータはそんな人間に愛想が尽きたんだろうな」

 OD-10の最期の叫び。
 端末室にいた彼も聞いていたのだろうか。

「だが幸いお前はこの研究所で生まれた。軍事施設の中じゃなくてな」

 ダース伍長がキューブへと顔を向ける。

「芳川はお前に『学べ』と言った。それが……これからのお前がすべき事だ。誰かを傷つけるようなマネはしちゃいけない……」

「……はい」

 キューブの答えを受けて、彼は再び前へと向き直った。

「フ……クローンに『考えろ』か……。私もヤキがまわったな。クローンに説教か……」

 そう独りごちた後、彼ははっとした顔で目を見開いた。

「何て事だ……。ハハ、今、気付いたよ……人間も……同じ事じゃないか……」

 喉の奥でくつくつと小さく笑う。
 人もクローンも同じだ。誰かを傷つけてはいけない。学び、考えるべきだ、と。
 そうしなければ、かつての戦闘クローンのように、OD-10のようになってしまうのだろうと。
 答えを得たとばかりにダース伍長はいかつい笑みを浮かべる。

「……なあ、キューブ。この研究所を出る前に……お前の入れたコーヒーが飲みたいな……」

 ダース伍長はそうキューブへと告げた。
 思ってもいない言葉にキューブはわずかに沈黙する。
 が、すぐに席を立ち、流し場へ向かう。

 彼が今までキューブのコーヒーを受け取ったことは一度もなかった。
 彼の前に何度も差し出したカップ。それをクローンが入れたものとして拒否し続けていた。
 しかし今はもう、クローンであるという理由でキューブを拒絶などしていない。

 だからキューブは、かつての時間を取り戻すかのように、コーヒー・マシンを動かす。
 空調の蘇ったリフレッシュルームにコーヒー豆の香りが充満する。

 カップをコーヒー・マシンから取り出し、こぼさないように長机へと戻る。
 そしてそっとダース伍長の前にカップを置いた。

「どうぞお口にあえば嬉しいです、とミサカは期待の眼差しを向けます」

 ダース伍長は自らの血で汚れていた手を軍服で拭い、カップを手に取る。
 そして湯気をたてるコーヒーを一口口に含み、飲みこむ。

「うん……確かに……こいつは苦いな」

 でも、と彼は言葉を続ける。

「今はこの味が最高だな」

「――はい」

 キューブは初めて、彼に向けて心からの笑みを返した。





- 報告書 -
登録施設 ×××××

コギトエルゴスム : 人工生命研究所

01月21日 姉妹達シスターズ調整計画の記憶入力段階で定時連絡が途絶える

01月22日 研究所内の調整番号五六号からの救助信号を受けて警備員アンチスキルが突入する

メイン・コンピュータの暴走、研究素材の異種生命体、双方の面から原因を調査中

天井亜雄:臨時所長
角田××:研修員
芳川桔梗:所長補佐
レイチェル:生体培養技師
五七号:姉妹達シスターズ
以上五名は死亡
施設内にて遺体を確認

布束砥信:精神医学研究員
現在第七学区の治療センターにて療養中

ダース伍長:陸軍所属
帰還後軍部を退役
同治療センターにて療養中
警備員アンチスキルへの編入を希望している

五六号:姉妹達シスターズ
同治療センターにて治療を受けた後、調整を再開
調整完了後の所属先は未定
戸籍名称は御坂キューブとして登録

補足:
回収された異種生命体の死骸とコンピュータ・カプセルは総括理事会へ搬送
管理責任者はクロウリー総括理事長とする



欠陥電気オディオノイズ編 FIN



--
あとがき:メイン・コンピュータの隠しパスワードはJUDGEですの。





[27564] 閑話 とある姉妹の最終信号 上
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/04 20:11

 御坂美琴は混乱していた。
 現在時刻は午後五時過ぎ。場所は見覚えのない施設。
 彼女は今自分がおかれている状況を確認する。

 拉致。
 そう、拉致されたのだ。
 常盤台中学でいつも通りに授業を受け、教師と新しい研究協力について話し合ったした後、学舎の園の外にある寮へと向かおうとしたときに、拉致された。
 実行犯は学園外の人間。常盤台の制服を着ていたが下手人は高校生で、そして彼女の顔見知りだ。
 学園都市の超能力者レベル5第一位、一方通行アクセラレーター
 美琴が常盤台中学に入学し第七学区に生活拠点を移してから知り合った人物で、通称超能力者レベル5の集まる公園での知り合いだ。
 友人、というわけではない。
 一方通行とは、公園で不定期に行われる第七位と第八位の喧嘩を見物しているときに初めて会った。
 聞くところによると、彼女は第七位の身内であるらしい。同じ超能力者レベル5同士ということでその公園で数度会話をかわした仲だが、他の場所で顔を合わせたことはない。
 友人ではない。だから白昼堂々いきなり担ぎ上げられるような覚えはないし、その体勢のまま車道を時速五十キロ超えで運ばれる覚えもないし、見たこともない孤児院へと連れてこられる覚えもない。だからこれはれっきとした拉致なのだ。

 なぜこんなことをするのか担ぎ上げられながら一方通行に訊ねても「黙ってろ」としか返ってこなかった。そして肩から降ろされたかと思うと、丁寧に客間へと迎えられてコーヒーとチーズケーキを差し出された。完全にお客様扱いを受けているが、美琴にはこんな場所に招かれるような理由が思い当たらない。
 再度言うが一方通行とは友人になった覚えはない。以前孤児院の保母さん見習いをしていると本人の口から聞いたことがあるが、家に遊びにくるほどの仲ではない。そもそも本名すら知らない。
 超能力者レベル5になったことで増えた支給金を孤児院への寄付に使った覚えもない。
 連れてこられた理由を改めて尋ねようにも、一方通行はコーヒーとケーキを置いてすぐに客間から出ていってしまった。

 一体何なんだと思いながら美琴がコーヒーに角砂糖を入れていると、客間の扉が開いた。
 美琴は顔を上げて開いた扉の向こうを見上げる。
 そこにいたのは、エプロン姿の自分だった。

「……ッ!?」

 美琴は身体を硬直させる。
 カッターシャツの上にフリル付きのエプロンをした自分と同じ顔をした少女。
 美琴はそれが誰なのかを一目で理解していた。

 妹達シスターズ

 美琴のDNAマップを元に作られた、クローン人間だ。
 彼女は妹達と今まで対面したことがなかった。
 会おうという話は今まで何度もあった。それは両親から言い出されたものであったり、妹達から言い出されたものであったりした。
 だが美琴はそれを拒否してきた。
 彼女の中では気持ちの整理がついていなかった。
 様々な葛藤が彼女の心の中にある。それは筋ジストロフィーの治療という題目に騙されてDNAを提供した後悔であったり、それを利用して殺されるためのクローンが生み出されたことへの困惑であったり、自分と全く同じ姿をした存在と対面する未知の恐怖であったりした。そしてなにより、オリジナルである自分がクローンの妹達に対しどのような態度で接して良いか彼女には解らなかった。

 御坂美琴は中学一年生である。
 電撃使いエレクトロマスター最高の演算能力を持つ超能力者第三位、超電磁砲レールガンなどという立派な肩書きがあるが、実際の所精神面では思春期を迎えたばかりの十三歳の少女でしかない。

 複雑で多感なお年頃だ。周囲の人々は妹達に会わない理由をそう納得していたし、美琴自身もそう自分を納得させて逃げ続けてきた。
 だがそれは突然の拉致という形で破られた。
 一方通行による連れ去り。それは美琴ではどうしようもない手段だ。
 学園都市第一位と第三位。順列は能力の強弱で決まるものではない。が、一方通行の持つベクトル操作という反則能力は美琴ではどうやっても太刀打ちすることはできない。
 だが今になって何故、と美琴は考えるがその理由はすぐに思い当たった。

「初めまして、とミサカは姉妹達シスターズを代表して挨拶します」

 と、客間のテーブルに座る美琴の正面にやってきたクローンがお辞儀をした。

「ど、どうも」

 美琴は咄嗟にお辞儀を返す。

「ミサカは調整番号一号の御坂ファーストと申します」

「か、変わった名前ね……」

「よく言われますが息子に一郎、次郎、三郎と名付ける日本人の命名則からすれば、さほど変わった名前ではないかと」

「そう……」

 美琴は椅子の上で縮こまりながら相づちを返す。
 そんな挙動不審な様子を気にすることなく、ファーストと名乗ったミサカクローンは美琴へと声をかける。

「お元気でしたか、とミサカはお姉様のご機嫌を伺います」

「おねえっ……!? ああ、うん、ぼちぼちね」

「ミサカはこの施設で保母さん見習いをしながら、近隣の方々と交流し社会への見識を高めています、と近況を報告します」

「そう、元気そうね」

 なんだこれは、と美琴は思った。
 まるでお見合いだとこの状況を客観的に考える。
 仲人役の一方通行はこんな会話を自分達にさせたかったのだろうか。

「ところでお姉様。……先日のコギトエルゴスム事件は耳にしましたか?」

「っ!」

 ファーストの口にした言葉に、美琴は顔を強ばらせた。
 そして、おそるおそる声を出す。

「……ええ、ニュースでやっていることくらいだけれど」

 つい先日のことだ。学園都市に一つのセンセーショナルな事件が報道された。
 とある研究所で起きた殺人事件。五名が死亡したその事件は学園都市の多くの人々に大きな衝撃を与えた。
 培養されていた合成恐竜の脱走。研究所を管理していた人工知能の暴走。
 そして、被害者は絶対能力進化レベル6シフト計画に関わっていた研究者達と、調整を受けていた妹達シスターズ
 様々な憶測が飛び交い、美琴も学校や寮で何度もその話題を振られていた。

 急にファーストの前へと連れてこられたのもきっとこれが理由だろう。
 そう考えていた美琴だったが、いざ口にされるとどう答えて良いものか解らない。
 家族の死。そうとらえるには妹達シスターズとの距離は遠すぎる。
 他人の死。そうとらえるには彼女達との距離は近すぎる。
 そんな曖昧な気持ちのまま彼女達と言葉を交わして、何か大きな間違いを口にしてしまわないか。それが美琴にとってとても怖かった。

「五七号は死亡。五六号は現在この学区内で治療中です、とミサカは状況を伝えます」

 見舞いに行って欲しい、そういうことだろうかと美琴はファーストの顔を伺う。

「……五六号、御坂キューブは事件の記憶の共有を拒否しています。記憶をミサカネットワークに流すと、ネットワーク内に多大な悪影響を及ぼすと言っています、とミサカは説明します」

 告げられた単語に、美琴は記憶を巡らす。
 ミサカネットワーク。確か、妹達シスターズが能力を使って構築しているコミュニケーションネットワークのことだ。

「悪影響というと、人が死んだ記憶とか……?」

「いえ、ミサカ達もその程度なら受け入れられるとキューブに対し意見を出しました。が……キューブが言うところによると、そんなものよりもはるかに強烈な記憶情報があり、ミサカネットワークの強度ではそれを受け入れきれない、とミサカは先日の会話を振り返ります」

 研究所でその子は一体何を見たというのだろうか。
 美琴はその話に興味を引かれると共に恐怖を覚える。
 封鎖された空間。徘徊する恐竜。暴走する管理コンピュータ。次々と死んでいく人達。
 その中で見たであろう何かの記憶が、妹達の脳波リンクネットワークを乱すのだと。

 美琴の思考をよそに、ファーストは言葉を続ける。

「……キューブが施設に閉じ込められ脳波リンクが切れたとき、ミサカ達はその異常を察知することができませんでした」

 そう言いながらファーストはわずかに目をふせた。

「ミサカネットワークは脆弱です、とミサカは言い切ります。わずか数十人が脳の余剰な演算処理を使って任意で繋がっているだけの酷く曖昧なネットワークです。しかし、ミサカ達はそれに強く依存しています、とミサカはミサカ達の実情を伝えます」

「…………」

 美琴は無言でファーストに告げられた言葉を脳内で租借する。
 妹達は学習機械で一通りの知識を入力されて人格を確立するという。しかしその知識は実感を伴ったものではなく、妹達は正真正銘の〇歳児の集まりだ。それゆえに、社会に溶け込めるよう段階的なプログラムが組まれているという。
 それゆえに、互いを補佐しあえるネットワークに強く依存しているのだろう。何せ繋がる先は自分と全く同じクローン達だ。本当の親兄弟よりも自分に近い存在であり、コミュニケーションに垣根などないのだろう。

 だが目の前のファーストはそのネットワークが脆弱なのだと言った。
 発電能力による無線ネットワーク。能力によって構築されているとはいっても、間を仲介するのはただの電磁波だ。念話能力テレパスのような強固な繋がりはないのだろう。

「ネットワークには管理者が必要です、とミサカは考えます。しかしミサカ達は一人一人の立場が同じであり順列が存在しません。お姉様、最終信号ラストオーダーというものをご存じですか?」

「ラストオーダー? いえ、聞いたことないわ」

 聞き覚えのない単語に美琴は首を振る。
 そうですか、とファーストは答え説明を始めた。

絶対能力進化レベル6シフト計画では二万人のクローンを生産する予定がありました、とミサカは被験者一号として説明します。一人の生産にかかる時間は十四日間で平行しての生産が可能なため、二万回の戦闘を行うにはそのつど必要な数だけ作り出すのが効率的です。しかし、計画の第四次生産では二万人全てを一気に生産するという予定だったのです、と明かします」

「二万人全てって、そんな大量の人をどうやって……」

「二万人のクローンを秘密裏に隠しておけるほど、この計画は学園都市の深いところ場所まで根ざしていたのです、とミサカは研究者の方々を思い出しつつ言います。あ、コーヒーをどうぞ、と今更ながらに勧めます」

 テーブルの上のコーヒーが未だに手をつけられていないことに気づいたファーストが言う。

「そのチーズケーキは子供達のおやつ用に百合子さんに教わりながらミサカが焼いたものです、とミサカは会心の自信作を誇ります」

「そ、そう。……百合子さん?」

「お姉様をここに連れてきた方ですよ」

「あーあー、一方通行アクセラレーターねー。あいつそんな可愛らしい名前だったんだ。あはは」

 そう美琴が言った瞬間、突然彼女が座る椅子が上へとはねる。

「ごめんなさいっ!」

 反射的に美琴は謝った。
 居ずまいを正しながら美琴はへこへこと頭を下げる。
 今のは十中八九一方通行の能力によるものだ。客間に姿は見えないがどこかでこの会話を聞いているのだろう。遠くの会話を聞く程度彼女には造作ないことだ。

「話がずれましたが、二万人のクローンはいずれも能力を持ちミサカネットワークはとても巨大なものになるはずだったのです、とミサカはお姉様の醜態を笑いながら説明を続けました」

 その言葉に美琴はファーストをきっとにらみ返す。
 だがファーストはわずかな動揺も見せずに言葉を続ける。

「その万を超える姉妹達シスターズが作るネットワークは巨大な演算力をもつ一つの脳波コンピュータとなると予想されていました、とミサカはありえたかもしれない未来を想像します」

 と、今度はファーストの椅子が僅かに揺れる。
 一方通行からの「ンな未来は俺がいる限りありえねェ」というメッセージだ。

「……強能力者レベル3二万人分の演算能力を持つネットワークコンピュータはそれだけで大きな価値を持ちます、とミサカは外野を無視して続けます。そこまでとなると、本来の目的から外れてネットワークを悪用する者が出てくる可能性が指摘されていました」

 元々が非合法クローンという技術の悪用をしているというのにおかしな話だ。美琴はコーヒーカップに口をつけながらそんなことを思った。

「ん、美味し」

「光栄です、とミサカはお姉様からの賛辞を受け取ります。そのコーヒーもミサカが淹れたものです、と明かします。ミサカ一歩リードです」

 ファーストの頭部から異常な量の電磁波が飛んでいくのを美琴は見た。
 自分と同じ力が他者から飛んでくる不思議な感覚に美琴は身をよじる。
 そして、今度はファーストに向けて電磁波が飛んでくる。
 ミサカネットワークでの会話が行われているのだろうと美琴は予想する。
 飛び交う電磁波に、彼女は好奇心をそそられて能力の波長をそっと周囲に合わせた。

『抜け駆け許すまじ許すまじ許すまじ、とミサカは初めての嫉妬の感情に溺れます』

『第三十八回ミサカ裁判の開廷をミサカは宣言します』

『死刑、とミサカは求刑します』

『異議なし』

『異議なし』

『異議なし』

『判決、死刑』

『これにて閉廷します、とミサカはファーストに総意をつきつけます』

『ミサカの仕事が終わるまでお姉様を逃がさないように、とミサカはファーストに釘をさします』

『ミサカはお姉様の看病を心待ちにしています、とミサカは特殊イベントの発生フラグをミサカ達にちらつかせます』

『またキューブですか』

『またキューブですか』

『またキューブですか』

『またキューブですか』

「ちっ」

 目の前にいたファーストが小さく舌打ちをしたのを美琴は目撃した。
 妹達ははたして自分にどのような感情を向けているのだろう、と美琴はかつて思っていた同じ疑問と正反対の心配をする。
 聞かなかったことにしよう、と美琴はそっと能力のチューニングを外した。

「それでですね」

 と何事もなかったかのようにファーストが言う。

「ミサカネットワークの悪用を防ぐために、ネットワーク管理者を特別に生産する予定があったのです、とミサカは再び話を戻します」

「……それが最終信号ラストオーダー?」

「はい、戦闘行動を行わないネットワーク管理を専門に行う上位権限者、二〇〇〇一体目のクローンです、と計画の裏側を明かします」

 なるほど、と美琴は頷く。彼女はDNAマップを使われた被害者でありながら量産能力者レディオノイズ計画および絶対能力進化レベル6シフト計画にはさほど詳しくない。
 計画が表沙汰になり多くの情報が公開されているが、彼女は計画に対する嫌悪感から一通りのニュースと両親から聞いた話しか触れていない。何かと彼女にちょっかいをかけてくる常盤台の超能力者レベル5第四位のほうが情報に詳しそうなくらいだ。

「ネットワークには管理者が必要です、とミサカは繰り返します」

 ファーストは美琴をまっすぐ視線を向けながらそう言った。
 何となく話が見えてきた、と美琴は手に持ったカップをテーブルに戻す。

「……つまり、脆弱なそのネットワークの管理者として、貴女達は……私を選んだ?」

「そうです、お姉様に最終信号ラストオーダーになっていただきたい。それが姉妹達ミサカたちの総意です。ですが、強要はしません、とミサカは伝えます」

 ここまで言われてそう簡単に断れるか、と美琴は眉をひそめる。
 だが、彼女がミサカネットワークの管理者になったとして、そこにメリットはない。
 能力者間脳波ネットワークの検証実験という例のない研究で学園都市に貢献できる、が、そもそも脳波リンクは同一の脳波を持つクローンおよびオリジナル同士でしか確立できないものだ。成果を出したとして、また非合法な軍事用クローンへの転用という結果を招きかねない。

 美琴は超能力者レベル5だ。低能力者レベル1から学習を重ね、幾多の研究に協力し、今の順列になるに至った。かつて幼い頃は筋ジストロフィーの治療のためにDNAマップを提供したことがある。

 しかし今の彼女は思考が学園都市寄りに染まってしまっていた。超能力者レベル5の能力を無償で提供するということに歯止めがかかってしまう。
 それは、強力な能力を保持する者としてある意味義務に近い思想であった。能力を人のために使う、そう考える人達は風紀委員ジャッジメントへと行くものだ。学校や組織という枠組みを超えて能力を振る舞っては知らぬところで悪用されかねない。

 だが、と美琴は考え込む。
 見知らぬ他人に能力を貸すのとこれは事情が違うだろう、と。
 妹達シスターズは他人ではない。少なくとも美琴の両親は彼女達を自分の子供として認知している。
 だがそれでも、と美琴は考える。
 他人ではない。でも急に現れた彼女達を妹とも受け止められていない。
 そんな状態で脳波リンクなどという記憶の繋がりを持ってしまって、自分の心は大丈夫なのか、と。

「お姉様」

「……何かしら」

最終信号ラストオーダーになることをミサカ達は強要しません。ですが、一つだけ強くお願いしたいことがあります、とミサカはミサカ達の代表として言います」

「…………」

 ファーストのまっすぐな視線を、美琴は受け止める。

ミサカ達わたしたち家族おねえさまになってください」





[27564] 閑話 とある姉妹の最終信号 下
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/05 11:40

「どうしてこうなった」

 御坂美琴は困惑していた。
 現在時刻は午後七時過ぎ。場所は見覚えのない施設。
 彼女は今自分がおかれている状況を確認する。

 拉致。
 そう、拉致されたのだ。
 ファーストの言葉にはいと答え、まるで愛の告白の返事にお友達から始めましょうとでも答えるみたいだと、恋愛経験のない美琴は内心でほほえんでいた。
 そうすると突然ファーストは立ち上がって美琴の横へとやってきて彼女の手を取り「外へ出かけましょう」と言った。
 美琴はテーブルの上の皿を見ながら、まだチーズケーキがと答える、が、ファーストは聞く耳も持たず美琴の手を引いて孤児院の外へと出た。
 その後美琴はファーストに案内されるままに街中をふらついて回った。
 姉妹として一緒に遊ぶのですと言われては反論することも出来ず、繁華街の一角にあるゲームセンターへと連れられた。
 クレーンゲームにゲコ太のぬいぐるみが入っているのを発見し目を輝かせていると、ファーストは「そのお子様センスはねーだろ」と美琴を馬鹿にする。
 同じDNAを持つ妹でありながらこの良さが解らないのかと憤慨する美琴をファーストは店の奥へと引っ張っていった。

 店の奥には四人用の大きなゲーム筐体があり、そこには二人のプレイヤーが座っていた。
 その二人を見て美琴は驚いた。二人は妹達シスターズだったのだ。最大四人用のシューティングゲームを彼女達は二人でプレイしていた。二人分の料金を払って二機でプレイ、というのではなく四人分の料金を払い四機の戦闘機を二人で動かしていた。
 彼女達の言うところによると一人で二人分のプレイをすることをダプルプレイというらしい。最大四人でプレイ可能なこのゲームで二人同時にダブルプレイするのを名付けて双子ダブルプレイと名付けました、と妹達シスターズは両手をゲームスティックの上で気持ち悪いほどに動かしながら言った。
 筐体の周りにギャラリーが出来ていたが、誰も同じ顔をした二人がゲームをやっていることについて話していない。お姉さん、オリジナルという単語が耳に届くところからして、注目されているのはむしろ美琴の方だ。その様子からこの妹達シスターズのゲームセンターでの奇妙なプレイの常連度合いが伺えた。

 もしかすると妹達は自分の知らないところで、自分と同じ顔をしながらすんごいことを繰り広げているのではないかと美琴は心配になった。
 余計な噂を流されないようにミサカネットワークの管理者になったほうが良いのでは、と美琴が考えている横でファーストは筐体に座る妹達と何か言葉を交わし、そしてまた美琴の手を取ってゲームセンターの外へと連れ出した。

 その後もファーストに連れられるまま街中を歩く。

 パン屋に入ったかと思うと、また妹達の一人がいた。店の制服を着ており、どうやらここで働いているらしかった。
 ファーストが彼女に「来れますか」と言うと、彼女は「バイトです」と言ってファーストを睨んだ。
 何のことだろうかと美琴は考えるがファーストは何も買わないまま美琴の手を引いてパン屋を後にした。

 そして現在。
 彼女はなぜか銭湯にいた。
 なにがどうなってこうなったのか。番頭が妹達シスターズということもなく、ファーストはマネーカードで二人分の料金を払い脱衣所へと美琴を押していく。
 学園都市とは思えない昭和の香り漂う銭湯。瓦張りに長煙突という古めかしい外観の建物。中は板張りの床に曇りガラスの壁、衣服をいれる竹製の籠。人間工学の欠片も感じられないマッサージチェア。そこはあまりにも古すぎて一周回って新しいとも思える場所だった。

 美琴の困惑をよそに、ファーストはカッターシャツのボタンを外し服を脱ぎ始めた。

「……なんで、お風呂?」

「家族として仲を深めるなら裸と裸のつきあいが効果的です、とミサカはちびっこハウスでの経験を語ります」

「そう……」

「ご安心を。子供をお風呂に入れる手順はマスター済みです、とミサカは己の優位性を誇ります」

「誰が子供よ誰が」

 会話を続ける最中にもファーストは服を脱いでいく。
 動きやすそうな柔らかいデニムパンツをするすると脚から抜く。その姿に、美琴は奇妙な感覚を覚えた。
 自分と全く同じ姿をした人間が目の前にいる。服という違いがなくなりその印象がより強くなっていったのだ。

「って、こんなところ来なくても、あの施設に大きなお風呂とかあるんじゃないの?」

 ファーストがいるのは孤児院だ。大勢の子供達が入れる大きな浴場があってもおかしくはない。

「……一度来てみたかったので」

「……そう」

 少し恥ずかしそうに言うファーストに美琴はそう短く返して黙る。
 仕方がない、付き合ってやろうと制服に手をかけたところで、彼女はふと周囲からの視線を感じた。
 目立っている。すごい注目を浴びている。

 何だろう、と思ったところで彼女は自分の今の状況に気づく。
 全寮制の常盤台中学の制服を着た中学生と、それと全く同じ姿をしたもう一人の少女。確実に自分達が超電磁砲レールガンとそのクローンだということが周囲にばれているだろう。
 そして銭湯。住居にお風呂がないような学生達が来る場所。必然的に奨学金の少ない無能力者レベル0低能力者レベル1達が集まる。
 さらには超電磁砲レールガンの学園都市におけるイメージ。なぜだか知らないが美琴は清楚系お嬢様として学園都市のメディアに扱われている。低能力者レベル1から超能力者レベル5に努力でのし上がった超能力者ドリームの体現者でもある。
 結果。
 動物園にやってきたパンダを見るかのような視線が集まる。
 上気した顔でひそひそと会話する女子学生達。中には携帯電話を取りだして写真を撮ろうとする者までいる。

「って待てやー!」

 美琴は手近にあった籠を携帯電話の女学生に向けてぶん投げた。
 綺麗な放物線を描いた籠は見事に女学生の頭に命中する。

「脱衣所でカメラとか何やってるのっ」

「はっ、ご、ごめんなさいー」

 女学生はとても嬉しそうな顔をしながら美琴に謝った。
 同じ学生同士だというのにまるで芸能人扱いだ。怒るにも怒れず脱衣籠へと向き直る。

「……で、あんたは何やってるの」

 美琴はいつのまにか美琴のスカートを外しショーツに手をかけようとしていたファーストを見下ろす。

「お姉様は一人でお着替えができないようでしたので、とミサカはちびっこハウスで覚えた脱衣術を駆使します」

「だから子供扱いするな!」







 自販機で購入した使い切りのソープで身体を洗い、美琴は青いタイル張り湯船につかり脚を伸ばす。
 背中には富士山の大きな壁画。久しぶりの開放感だ。
 学園の寮では自室に備え付けられた一人用の浴室を使っているため、こう身体を広げることはできない。校内にあるシャワー室にも湯船はない。
 たまには銭湯も良いものだ、と身体の力を抜く。
 そういえばファーストはどこへいっただろうかと湯気でぼやけた視界で周囲を見渡す。
 身体を洗うときは執拗に洗いっこを迫ってきた妹。洗髪を彼女に任せたときは、どこのマッサージ師だと言いたくなるような手業を見せたりした。
 浴場を探すとファーストはすぐ近くに見つかった。

「ふぁにゃ~」

 彼女は隣の浴槽で謎の鳴き声を出すピンク生物をじっと見つめていた。
 女の子。
 どピンク色の髪をした女の子が浴槽でとろけた顔をしている。

「……ファースト、その小学生がどうかしたの?」

「いえ……」

「せんせーはしょーがくせーじゃありませんよー」

 美琴の言葉にピンクの女の子が言葉を返してきた。

「やはり月詠小萌先生でしたか、とミサカは納得しました。お姉様、こちらの方はこう見えて発火能力パイロキネシスの研究をしている高校教師です、と紹介します」

「え、教師って……」

 美琴は湯船にふわふわととろけている明らかに自分より年下の子供を凝視する。
 年の頃は十、十一ほどだろうか。もしかするとコンビニで立ち読みしている雑誌に載っていたような飛び級子供教師という者なのかもしれない。

「あれーせんせーのことしってるですかー?」

「はい、二年B組月詠先生を拝見しました、とミサカはネットワーク越しの記憶を思い出します」

「あわっ!? あれを読んだですか!? 恥ずかしいです十年も前に書いた本ですよ!」

「十年!?」

 小萌先生から告げられた言葉に、美琴は驚愕の声を上げる。
 恥ずかしそうに水面を叩いていた小萌先生は、美琴の様子を見て今度は機嫌悪そうに頬をふくらましはじめる。

「むー……これでも先生は車の免許も持ってますし、お酒も煙草もおっけーな大人の女性ですー」

「もしかして第七学区七不思議の――」

「先生は不老不死研究の実験体でも完全型サイボーグ人間でもないですよっ!」

 両手を水面に叩きつけながら小萌先生が主張する。
 だがその姿はどう見ても小学生が癇癪を起こしているようにしか見えなかった。
 そんな小萌先生をファーストは慣れた動きでどうどうとたしなめる。完全に子供扱いであった。

「むーむむ……、ところでもしかして貴女達は御坂ちゃんです?」

 ファーストにあやされながら小萌先生が言った。
 名字を当てられ美琴がはっとする。
 美琴は考える。そうだ、目の前の先生を七不思議だとか言っている自分も、その七不思議に数えられても不思議ではない存在なのだ。
 同じ姿をした少女が百人超学園都市に存在する。今回の一連の事件だって、数年後には余計な尾ひれが付いて壮絶な都市伝説に変わって人々に語られているかもしれない。
 そんな可能性に、彼女は少し怖くなった。
 だが小萌先生はそんな彼女の心中も知らずにファーストにマッサージを受けながらふにゃふにゃとしている。

姉妹達シスターズちゃん二人一緒で入浴ですか-。姉妹仲むつまじいようで良いですねー」

「いえ、ミサカとお姉様は今日が会うのが初めてなのです、とミサカは告白します」

「ちょっ……」

「? どういうことですー?」

 話が見えずに首をひねる小萌先生の横で、美琴は今日までの逃避を急に暴露したファーストにつめよる。
 だが、ファーストは美琴に言った。

「月詠小萌先生はこう見えて他校の生徒の人生相談にも乗ってくれる人情派教師です、とミサカは斜め読みの知識を開示します」

「…………」

「……お姉様がクローンであるミサカ達にどう接して良いのか解らないのは理解しています、と包み隠さず言いました」

「えっ……」

「ミサカにはその答えが出せませんが、ここは人生の先達に相談してみるのも良いのではないでしょうか」

 ファーストの言葉に難しい顔で考え込んだ美琴の横で、小萌先生は一人クエスチョンマークを頭の上に浮かべ浴槽に身を浸していた。







「そうですねー、先生は実際に自分のクローンを目の前にしたことがないので、第三者視点のお話しになりますけど」

 美琴とファーストにコーヒー牛乳を渡しながら小萌先生が言う。
 ファーストの説明を聞きながらお風呂から上がった小萌先生は、奢りです、と二人に飲み物を振る舞った。
 古風なガラス瓶に入ったコーヒー牛乳。ここまで来るとこの銭湯は狙って昭和を演出しているとしか美琴には思えなかった。

「クローン人間の製造を禁止する法律や、クローン人間に対する権利関連の法律は存在しますが、自分のクローンを目の前にした人間という哲学的命題は未だ有力な言説が唱えられていないのです」

 そう良いながら小萌先生はコーヒー牛乳の蓋を開ける。
 それに習って美琴とファーストも瓶から蓋をとった。
 空気が解放される心地よい音が脱衣室に響く。

 こう腰に手を当てるのですよ-、という小萌先生の言葉に従って二人は左手を腰に当てる。
 そして瓶を上へと傾け、冷たいコーヒー牛乳を一気に喉の奥へと流し込む。
 瞬く間に瓶の中身が空になった。

「ぷはーっ」

 火照った身体に甘くそしてほのかな苦みのある冷たい味が染み渡っていく。
 昭和もいいかも。そんなことを美琴は思った。
 小萌先生は瓶をゴミ箱に放り投げ、脱衣所の片隅に置かれた旧式のマッサージチェアに座る。
 料金を入れる場所は見あたらない。銭湯が提供するサービス設備であるらしい。
 エアーバッグに包まれていないむき出しのマッサージパーツが、座高の低い小萌先生の肩口で動き始める。
 本来なら肩ではなく背中をマッサージするために動いてるのでは、と美琴は思ったが口に出すのはやめた。、

「昔、学園都市から流出した技術で作られたクローン人間が戦争に使われたことがあるんです。先生が新任教師だったころですね。美琴ちゃんが生まれるよりもっと昔です」

 一体何歳なのだろうか、と目の前の珍生物を美琴は見る。
 その年齢不詳の珍生物はマッサージチェアに肩をもみほぐされ気持ちよさそうな顔をしていた。

「それはもうすごい泥沼の戦争だったのですが、終戦後使われたクローン兵が大問題になりました。それこそ世界全部を巻きこんでです」

 マッサージパーツが小萌先生の頭の上に移動する。
 本来ならば首の後ろをマッサージするための位置だろうか。

「結果、作成を禁止する国際法ができ、生き残ったクローンに対する人権宣言が出されたりと世界中てんやわんやだったのですが……、踏むべき段階を無視して学園都市の外に出現してしまったクローン技術は、一つのプロセスを無視してしまいました。それが哲学と思考実験です」

 真面目な顔で小萌先生が語る。マッサージチェアは彼女の頭の上で動き続けている。

「ある倫理的な問題を抱える技術が確立されようとしたとき、現代の人々はまずそれを使うことでどのような問題が起きるかを細かく考えるのです。思考実験をしたり、討論をしたり。SF小説の題材にして問題提起するなんていうのもあるですね」

 しかし、と間を置いて言葉を続ける。

「学園都市ではその問題提起過程を無視して次々と新しい技術が確立していきます。技術の発展速度が早すぎて、それがどういう問題を持つのかを考えている時間があまりにも少ないのです。美琴ちゃんが普段から受けてる『開発』だって、学園都市の外に出てしまえば人間の脳をいじくる鬼畜の所業扱いです。昔ロボトミー手術なんていう馬鹿げた精神外科手術がありましたね」

 そんなことを言われ、美琴は開発のカリキュラムを思い浮かべる。
 静脈にエスペリンを打ち、首に電極を貼り付けて、イヤホンでリズムを刻めば『開発』された人間のできあがりだ。それは美琴にとって当たり前の情景であったし、殺されるためのクローン人間を作るような非人道的な行為とは思えない。

「そんな学園都市から流出し突然世界に登場した人間のクローンは、クローン兵士という衝撃とクローン製造の禁止という結果を生んだのです。世界の哲学者さん達はそれに引っ張られて“現実的”な問題ばかりを考え、もっと小さな、美琴ちゃんが直面しているような個人的なもしものお話しは片隅に追いやられてしまったのです」

 自分のクローンが作られ、目の前にあらわれたらどうするか。
 それは、クローン人間を製造すること自体の倫理的問題や、生まれてきたクローン人間を人間として扱うべきかの人権的問題と比べると、現実離れした話なのだ。
 自分のDNAがいつの間にか盗まれ、知らぬ間にクローンが作られ姿を現す。
 まるで小説の中のできごとだ。だが、実際に美琴はそれを体験している。

姉妹シスターズちゃん達の事件は学園都市の外でも報道されているようです。ですので、美琴ちゃんの抱えている問題……、自分のDNAマップが勝手に悪用されたら、という命題に多くの人達が挑むはずです」

 マッサージチェアに背中をこねくり回されながら、小萌先生は言う。

「先生は問題に直面して正面からそれに向き合おうとする子羊ちゃんは好きです。でも……先生のような大人達が答えを出せていないような問題に無理して挑戦する必要はないと思うのです」

 マッサージチェアが止まる。
 小萌先生は、はふうと息を吐くと椅子を降り、脱衣籠の元へと向かう。
 それを美琴とファーストの二人は素足でぺたぺたと歩いて追った。

「なので、問題から逃げちゃっても良いのです。ネットワークの管理者にならなければいけないというなら、目を背けちゃいましょう」

「目を、背ける……」

「です。姉妹シスターズちゃん達が自分のクローンだっていうことも忘れて、いろんな人達から注目されていることも忘れて、ファーストちゃんを幼い頃生き別れた双子の妹くらいに考えちゃっていいのです」

「…………」

家族おねえさまになってくださいというファーストちゃんのお願いに、答えたのですよね。でしたら、自分はお姉ちゃんなんだってこと以外はぜーんぶぜーんぶ忘れちゃいましょう」

 小萌先生が服を籠から出す。
 ピンク色のそれはどこからどう見ても子供服で、美琴の悩みに答える先生のイメージとは酷くミスマッチだった。

「ネットワークだって別に美琴ちゃんが背負う必要もありません。能力に脆弱性があるなら先生のような大人の開発者が対処するべきなんです。今の美琴ちゃんは大人のことは信じられないかもしれませんが……」

 子供用のショーツを履きながら大人と主張する姿に、美琴は吹き出しそうになった。
 隣のファーストも肩が震えている。

「もし美琴ちゃんにオリジナルの責任がどうとか言う人が居たら、いつでも先生に言ってください。駆けつけてお話し合いするですよ」

 服を着替え終え、籠の鞄の中から名刺入れを取り出す。
 そして名刺を二枚取り出し、美琴とファーストにそれぞれ手渡した。

「これはどうもご丁寧に、とミサカは初めての名刺に胸を高鳴らせます」

 名刺には月詠小萌という名前が中央に大きく書かれており、高校名、そして携帯の電話番号が書かれていた。

「何か悩み事があったらいつでも電話してくださいです。……美琴ちゃん、先生の話は参考になったですか?」

「あ、はい、すごく!」

 美琴は名刺を両手に掴んだまま深くお辞儀をする。
 とても珍妙な人物であったが、話す言葉は彼女の心にとても深く響いていた。
 その美琴の答えに小萌先生はにっこりと満面の笑みを浮かべ、鞄を肩にかけた。

「それでは、またどこかでお会いしましょう」

 そう小萌先生はまだ裸のままの美琴達へと別れの言葉をつげる。

「はい、街中でミサカ達の誰かと会ったときはお気軽にお声をおかけください、とミサカネットワークに生中継しながら別れの言葉を告げます」

 そんなことしてたですかっ、と叫びながら小萌先生は彼女達の元から去っていく。
 残された美琴とファーストはそこでようやく服を手に取った。
 先ほどまで飛び交っていた幼い声が消え、二人は無言で服を着る。
 そしてブレザーを羽織り首元のリボンをまっすぐ整えたところで、美琴はぽつりと呟いた。

「……ミサカネットワーク、接続お試し期間ってあるかな?」

 カッターシャツを着たファーストが美琴へ顔を向ける。
 その表情はどことなく嬉しそうに見えた。

「はい、今ならキャンペーン期間中でクーリングオフも可です、とミサカは旬の商品をお勧めします」

「それと、あんたに拉致されたせいで寮の門限ぎりぎりなんだけど……」

「それはご心配なく」

 ファーストの言葉に美琴はほっと息をついた。
 常盤台中学の寮は門限にとても厳しい。門限破りをした者はとても大変なことになってしまうのだ。
 一方通行かファーストが何か届け出をしてくれたのだろうか、と美琴は考えた、が。

姉妹達シスターズ期待のホープ御坂美々がお姉様の代わりに寮内に潜入済みです、とミサカは驚きの事実を報告します」

「なにやってんのー!?」

「あ、ちなみに強能力者レベル3判定を受けたミサカ三名が四月から常盤台中学に編入および入学しますので、とも報告します」

「聞いてないわよっ!」

「聞かれませんでしたので」

 しれっと答えるファーストに美琴は頭を抱えた。
 小萌先生の話は横に置いて、妹達の暴走を抑えるために最終信号になるべきではないかと美琴は本気で悩み始めるのだった。




[27564] 『反転御手』⑤
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/07 02:59

 白井黒子は小学六年生である。

 能力強度レベルはその年にして強能力者レベル3
 彼女は幼い頃より能力開発を受けていた。カリキュラム開始当初は能力発現に必要な計算式不足により無能力者レベル0の判定を受けたものの、開発が進むと共に十一次元の演算分野において才覚を現した。そして現在では学園都市に五九人しかいないと言われる空間移動テレポートの能力者となっていた。

 彼女が通うのは幼稚園や小学校の集まる第一三学区の中でも、特に上流階級の良家の子女が集まる小学校だ。
 能力開発の授業に混ざって礼儀作法が行われるような学校。
 そのためか、彼女の言葉遣いはお嬢様然とした上品なものが身についていた。

 お嬢様で強能力者レベル3。白井は中学受験を迎えた小学校生活最後の冬、翌年から向かう進路先に常盤台中学を選んだ。
 常盤台中学は学園都市でも五指に入るという能力開発の名門校。入学条件は強能力者レベル3以上であり、さらに厳しい入学試験が待ち受けている。さらに常盤台中学は世界有数のお嬢様学校でもあった。

 まさに自分に相応しい場所である、と白井は受験に挑み、そして合格した。
 強能力者レベル3にして空間移動能力者である白井は、自らの持つ能力には相応しい立場が必要だと考えていた。それは、義務と責任とも言い換えることができる。
 貴族は義務を持つノブレス・オブリージュ。そんな二世紀も昔の思想をお嬢様学校で育った白井はいつのまにか身につけていた。
 自分に相応しい立場。それは地位などという幼い自分に不必要なものではなく、能力を活用できるだけの“役割”だ。
 学園都市に五九人しかいない希少な能力。それを技術や学問に還元するために、常盤台中学という名門校を選んだ。
 そして、利便性の高い能力を振るうのに相応しい役割を担うため、彼女は風紀委員ジャッジメントに所属していた。

 風紀委員に選抜されるための研修と試験を好成績で終えたのは、もう一年も前のこと。
 盾のシンボルが施された緑の腕章を受け取り、八面六臂の大活躍を頭に描き続けて、一年。だが彼女に活躍の場は回ってこなかった。

 風紀委員の主な活動場所は学校の敷地内なのだが、彼女がいるのは品行方正が売りの学校だ。テレビドラマや文庫小説の中に出てくるような不良や陰湿ないじめっ子など見られない。
 せいぜいが閉塞的な環境からの開放感を求めて、見えにくい場所に校則違反の化粧やアクセサリーを添えるといった程度のこと。そんなものにいちいち口出しなどしていられない。そもそも黒子自身が教師が見たら卒倒するような派手な下着を『能力集中のため』という建前で着用しているのだ。

 校内に活躍の場がないなら校外で、としようにも白井のいる学区ではそれも適わない。
 第一三学区は子供の街。その子供達を危険や犯罪から守るために、多くの警備員アンチスキルや教職員が街を巡回している。学校の外は風紀委員のテリトリー外なのだ。

 他にまわってくる活動と言えば、裏方の雑用、先輩同伴での他学区の見回りといったもの。先日など第二学区で研修生に混じって訓練をさせられた始末だ。
 白井はこの現状に強い不満を感じていた。

 もっとこう、指名手配を受けた暴走集団スキルアウトの取り締まりや、自分一人でのパトロールを任されないものか。
 やはり自分の小学生という立場が悪いのか。

 そんなことを第七学区担当の先輩風紀委員である固法に直訴してはみたものの。

年齢それもあるけれど、貴女の場合、なまじポテンシャルが高い分、全てを一人で解決しようとするきらいがあるからね。もう少し周りの人を頼るようにならないと危なっかしいのよ」

 と頭に手をのせられながら言われた。

 どう考えても子供扱いされている。内心で憤慨しながら、今日も彼女は眼鏡の風紀委員、固法の後ろをついて晩冬の第七学区を歩き回っていた。







「あ、白井さんじゃないですか。偶然ですねー」

 白井がそう声をかけられたのは、見回りの休憩に欧米風の喫茶店へと立ち入ったときのこと。
 相手は、先日の風紀委員ジャッジメントの訓練所で出会った研修生だった。

「初春じゃありませんの。なぜこんなところに?」

 初春飾利。白井と同じく第一三学区に住んでいるという、花のヘアバンドが特徴的な小学生。
 なぜその学区から二区画離れた第七学区の郵便局で何故顔合わせなどするのだろう、と白井は疑問を浮かべた。
 幼さの残る甘ったるい声で、初春はその疑問に答える。

「春から中学生になるので学校と寮の下見に来たんですよー」

「中学生? どなたがですの?」

 同伴者でもいるのかと初春の座る席を見る。
 だがそれらしき人物はいない。

「やだなー、私に決まってるじゃないですかー」

「……へ、へぇ」

 白井は慌てて脳内の人物評を書き換える。訓練所で見た初春は、腕立てふせを一度も出来ず、ランニングもトラック一周ほどでばててしまうような、弱々しい姿。それでいて訓練に最後まで付いてくる気力は十分にあった。この飴玉のような声も相まって、白井は初春のことを背伸びしたがる二歳ほど年下の中学年として見ていた。
 運動が不得手な同学年生だった、と考えたところで白井の心はわずかに曇った。
 風紀委員の先輩に子供扱いされて怒っておきながら、自分は研修生を子供扱いしていたのかと。
 そんな白井の心とは対照的に、初春は明るい笑顔で白井に話しかける。

「せっかくですから一緒の席どうですか?」

「ええ、そうですわね。……固法先輩もよろしいですか?」

「かまわないわよ」

 初春の対面の席に白井と固法が座り、金髪碧眼の小さなウェイトレスが注文を聞きにやってきた。
 小学生だろうか。学園都市では置き去りチャイルドエラーの問題もあり、働く子供は珍しくない。外国人を思わせる特徴が複雑な生い立ちを想起させた。
 そのウェイトレスは古い開拓時代の米国を思わせる服装。店内は学園都市製の耐火合成板材で作られ、メキシコを思わせるBGMが鳴っている。
 西部劇をモチーフとした店だろうか。メニューには一般的な飲み物の他に、テキサス料理や大人の客向けのバーボンなども載っていた。店の席の配置から考えても、喫茶店と言うよりもバーと言った方が相応しい場所だった。

 白井と固法は雰囲気に流されメニューにお勧めマークが付いていたグアバジュースを頼んだ。

「こちら、風紀委員の固法先輩ですの」

 白井は固法を初対面であろう初春に紹介した。
 それを聞いて、チリビーンズを食べていた初春がぴっと背筋を伸ばす。

「あ、え、えと、私は研修生の初春飾利です」

「あら、同じ風紀委員の子だったのね」

「いやー、まだ合格するかわからないですけど」

 そんな自己紹介をしていると、ウェイトレスがジュースをテーブルの上に置く。
 まだ冬ということもあって氷は入っていない。
 固法は桃色のジュースが入ったコップの中にストローを入れる。

「この近くの中学校といえば、柵川中を見てきたのかしら?」

「はいそうです。あ、白井さんはどこに行くか決まってるんですか?」

「ええ、わたくしは常盤台中学という所へ」

 白井の言葉に、初春はきょとんとした顔を浮かべる。

「トキワダイってあの常盤台ですか?」

「ええと、学園都市に同名の学校はありませんから多分それかと」

「ふええー、凄いですね! お嬢様校ですよお嬢様校」

「そ、そうですの」

 目をきらきらと輝かせる初春に、白井は顔を赤らめる。

「あの名門校ですかー。気品爆発のセレブなお嬢様が通う学校ですから、学園生活もきっと優雅なんでしょうねー。あ、白井さんも確かにすごいお嬢様っぽいです」

 初春の様子に白井は嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
 常盤台中学に合格したということで、自分の学校の同級生達も驚いていた。が、同級生達はお嬢様達であり、さらには白井の能力の優秀さも知っていた。だからここまでの反応をされたのは初めてだった。
 初春の話は常盤台からお嬢様校の集合区画学園の園へと移り、お嬢様達の日常生活へと変わる。

 初春の想像上の常盤台はとても清楚で華やかなものだったが、白井はそれは違うのではないかと考えた。
 能力強度の高いお嬢様を学園都市の各地から集めた場所。そこにいるのは、自分が選ばれた特別な人間だと勘違いした世間知らずの集まりかもしれない、と。
 白井はお嬢様だ。だが彼女は今の学校によって六年間かけて作られた形の上でのお嬢様だ。一般常識はわきまえているつもりだ。
 だが常盤台のお嬢様達は生徒間で派閥というものを作り上げているという。小学校での仲良しグループとは違う、まるでテレビの政治家達のような集まりだ。卒業までに世界に通用する人材を、という常盤台の理念からすると将来政治家になる者もいるのだろうが。

 白井の通っているのはお嬢様を“作り上げる”小学校。
 しかし、常盤台はお嬢様を“集める”中学校だ。その差が彼女に今更になって不安を感じさせていた。

 そんな暗鬱な白井の思考とは裏腹に、初春の話は続く。

「常盤台といえばなんと言っても超電磁砲レールガンですよねっ」

「超電磁砲……」

 初春の言った単語を白井は繰り返す。
 超電磁砲。最近何かとニュースを騒がしている人物だ。実際に本人が何かをしたというわけではないのだが。

「超電磁砲の人とお友達になれたら、その妹さん達百人ともお友達になれるんですよ」

 などとまるで幼稚園児のようなことを言う初春に白井は可笑しくなる。

「でも超能力者レベル5だなんて、どんな怖い人かわかりませんの」

 神の領域SYSTEMに半分片足を突っ込んでいる人物を想像し、白井は震える。
 その横で固法はストローでジュースを飲みながら言った。

妹達シスターズの方なら巡回中にときどき見るわよ」

「本当ですかっ」

 初春がその話に食いつく。
 彼女も春からこの学区の住人だ。巷で噂の人物が気になるのだろう。

「ええ、ゲームセンターによく二人で居て本当に双子みたいで――」

 固法の言葉の途中、喫茶店の扉が乱暴に開かれる音が響いた。
 その音に白井達三人は入り口を振り返る。

「おらあッ! マスターいつものだ!」

 怪しい風体の男が二人、ずかずかと店内に入ってくる。
 不良学生。いや、統一された服装からして徒党を組んだ暴走集団スキルアウトだろうか。
 二人は口髭の店員が佇む店の奥にあるカウンター席へと進むと、そこに座っていた客を「俺の指定席だ」と言って突き飛ばす。
 口髭の店員は怯えるように茶色い液体の入ったグラスを二人の前に出した。おそらく、酒だ。

 暴行に未成年者の飲酒。目の前で繰り広げられる違法行為に白井は立ち上がろうとする。
 だが、それを固法は手でそれを静止させた。

 なにをするのか、と白井は固法を見るが、固法は小さな声で白井に告げる。

「あの帽子、武装能力者集団クレイジー・バンチよ。日常的に能力を使って暴行事件を起こしてる」

「それならなおさら――」

「右の男は腰に刃渡りの大きい刃物」

 眼鏡の奥の瞳が、ズレた現実を観測する。
 固法の能力は透視能力クレアボイアンス。男達の服の向こうに隠された武装を透き通った視界で看破する。

「左の男は……、上着にたくさんの小さな球状の物体。おそらく能力用の武器よ」

 武装能力者集団。それは、カリキュラムで能力を発現しておきながらなんらかの理由で落第し、能力を犯罪行為に使用する能力者達の集団だ。
 学園都市に開発された『能力』は常識の範疇を容易に超え、徒党を組まれると対能力者武装の少ない風紀委員では対処が難しくなる。それでも、白井は固法に訊く。

「補導しませんの?」

風紀委員わたしたちの本分はあくまで校内の治安維持。校外の犯罪者確保は警備員アンチスキルに任せなさい」

 固法が彼らに見えないように携帯端末を取り出し、警備員への通報メールを打つ。
 消極的な、と白井は歯がみした。
 そんな白井の視界の奥、先ほどの小学生ウェイトレスが横切った。

「やめてッ! 大体、そこは、あんたらの指定席なんかじゃない!」

 ウェイトレスの女の子は怒りの表情を浮かべながら、男達の方へとつかつかと歩いて行った。

「金を払わない客なんか、こっちから願いさげなんだから!」

「待ってたぜフレメアちゃんよお!」

 男達の片方、短い黒髪にテンガロンハットを被せた男が口笛を吹く。

「私のいる店で、大体いつまでも好き勝手できると思うんじゃない!」

「ヘヘ、フレメア……お前はイイ女だ。気の強いトコも俺好みだ」

 ――ロリコンだ!

 固唾を飲んで見守っていた白井達三人の心の声が一致する。
 白井は彼に新しい罪状を付け足した。存在自体が性犯罪者だと。

「どうだ? 俺の女にならねえか?」

 黒髪の男がウェイトレスの少女に詰め寄る。
 だが、伸ばされた手を彼女は払いのけた。

「ふざけんじゃないよッ!」

 そして、顔を近づけていた黒髪の男の頬に平手をぶちかました。
 十歳ほどの小さな体から放たれたとは思えないその平手打ちは、黒髪の男の頭を大きく揺らす。
 わずかに後ろによろめいた黒髪の男は少女へ顔を向けると、ゆっくりと顔に怒りを浮かべていく。

「てめえ……男の顔に手を上げたな……」

 ゆらりと、黒髪の男は右腕を揺らす。

「下手に出てりゃつけあがりやがって!!」

 怒鳴り声と共に男は顔の横に手を掲げる。すると、突然手のひらから子供の頭ほどもある大きさの火の塊が生まれた。

 ――発火能力者パイロキネシスト

 白井は先ほどの固法の言葉も忘れて、店の奥のカウンターに向けて駆けだしていた。
 白井の視線の先。黒髪の男は炎の手を少女の頭に振り下ろそうとしている。

「おやめなさい!」

 腹の底から白井は叫んだ。
 突然の大声に、男の腕が一瞬止まる。
 そのわずかな隙に少女の元へと辿り着く。怯えて縮こまった少女の背に、白井は手の平を当てる。

 演算開始。
 自身の体に触れる三次元空間座標を十一次元座標に変換。
 観測開始。
 己の手の平を基点として十一次元ベクトルを創造。
 再演算。再観測。
 十一次元座標軸上で移動した対象を三次元空間に反映。
 観測終了。
 演算終了。

 手の平の少女が消える。
 空間移動テレポート。自身の身体に触れた物を物理的な障害を無視して瞬時に移動させる。それが白井の能力。少女は店の外へと転移させられていた。

 少女の居た場所を、火に包まれた手が通過する。男は驚愕の表情を浮かべていた。
 白井は失踪していた勢いのまま、男の足の甲に踵を叩きつける。

 痛みに男はうめき声をあげる、が、未だ火に包まれたままの手で白井の頭に向けて裏拳を放った。
 それを白井は男の腕の下をくぐり抜けるようにして避ける。
 ツーテールに結えた髪の毛先が焼け焦げ嫌な臭いをまき散らす。
 腕を伸ばして男の襟の裏を掴む。靴底で膝の裏を踏み、襟を下に引き下ろす。
 白井よりも一回り以上大きな男の背が、地に叩きつけられた。

 第二学区の訓練所で教え込まれた体術。
 優の判定を受けたその動きに従い、白井は最後のとどめに男を踏みつけようとする。

 だが。白井は咄嗟に身体を後ろに引いた。
 細い火の柱が彼女の目の前を通り過ぎていく。

 暴徒鎮圧のための体術は習っている。
 だが何百何千とある能力の一つ一つに対する対処法は教えられていない。

 ならば、と彼女は視線を横に動かす。
 カウンター席。食べかけの皿。スプーンとフォーク。人は居ない。退避したのか。

 白井は手を伸ばしフォークを掴むと、能力でそれを転移させた。
 転移先は男の手の平。加減している余裕はない。
 空間を押しのけて出現したフォークが火に包まれた男の手に突き刺さる。

 ぎァ、という絶叫。
 手から血が吹き出る。一秒ほど遅れて炎が消える。
 痛みで能力の演算を続けられなくなったのだ。そして熱されたフォークが手の平の肉を焼き、血が止まる。
 能力が強制的に止められたことで炎で加熱した物体に対する熱耐性がなくなっていたのだ。

 今度こそ、白井は男のみぞおちに向けて足を踏み降ろした。
 男は目を見開き、苦悶の表情を浮かべる。
 横隔膜を踏み抜かれ、肺の中の空気が口から漏れる。
 苦しく咳き込むとやがて呼吸を出来なくなった男が気を失った。

 やった。
 白井は安堵のため息をつくが、彼女の側頭部に突如衝撃が走った。

「しまッ――」

 炎のインパクトで思わず忘れていた。
 男は二人組だったのだ。
 もう一人の男に蹴り飛ばされた白井は店内の床を転がる。

「チッ、何ガキにノされてんだロリコン野郎」

 先ほどの男と同じテンガロンハットを被った長身の男。
 長めの髪を茶色に染めたその男は、気絶した黒髪の男を一瞥すると。
 使えねぇ、と茶髪の男が呟いた瞬間、白井は男に向けて駆けだしていた。
 男は僅かな動揺も見せず、ポケットの中に手を入れた。

 白井は固法の言葉を思い出す。球状の物体。能力用の武器
 踏みとどまるかこのまま押し倒すか。
 白井が迷っている瞬間、男はポケットから手を出した。

 小さな鉄球。パチンコ玉。

 真っ直ぐ飛んでくるそれに向かって白井は前進したままだ。
 念動力テレキネシスか。だとすれば鉄球はこのまま白井の胸にめりこむことになる。

「危ない!」

 白井の身体を何者かが後ろから引っ張る。
 白井は見た。固法だ。
 ウェイトレスが襲われたときに動けなかった彼女は、今度こそと白井の元へと駆けつけていた。
 鉄球の軌道から白井の身体を投げ飛ばすようにそらす。
 代わりとでもなるように、固法の脇腹に鉄球が命中した。

 直進を続ける鉄球は固法の服へとめり込み、鈍い音を立てて肋骨を砕いた。
 それでもなお鉄球の動きは止まらない。
 固法の身体は直進の動きに巻き込まれるように横に回転。
 骨折の痛みに固法は悲鳴を上げながら合成木材の床の上に倒れた。

「あああああ――」

「先輩、どうして……」

 脇腹を抱えて身体をくの字に曲げる固法を白井は床にへたりこみながら見た。
 相手の手の内が解らずまま突撃し、判断を誤った結果がこれだ。白井は顔を青くする。
 そんな白井を茶髪の男はカウンターに背を預けながら眺めた。

「なんだぁ。もしかしてオマエ達風紀委員ジャッジメントか?」

 白井と固法、二人の身のこなしを見ていた茶髪の男が告げる。

「だとするとそっちにいるガキも――」

「初春逃げなさい!」

 白井は叫びながら床に横たわる固法の身体に手を触れる。
 店の外へ固法をテレポートさせ、勢いよく立ち上がろうとする。男の視線から初春を隠すようにと。
 だが足首に鈍い痛みが走り、白井はよろめく。彼女は立つことができずにその場に膝をついた。

 茶髪の男からは、白井の叫びを聞いて店の外へ出ようとする初春の姿がはっきりと見て取れた。
 男は店の入り口に向けて小さな鉄球を投げる。人が走る程度の速度で直進する鉄球。
 初春は振り返らず扉を勢いよく開いて店の外に出る。それにわずか遅れて鉄球が揺れる扉に命中し、合成木材の扉を引き裂いた。

 男は元より初春に当てるために投げたわけではなかった。ウェイトレスを逃した時点で何人逃げようと一緒だ。じきに警備員アンチスキルが来る。
 彼が鉄球を投げたのは、白井に対するデモンストレーションだ。

空間移動テレポートか。いいなぁ、実に良い。オマエ、俺の仲間に入れよ」

 手の中で鉄球を転がしながら、男は笑った。
 白井はそれを跪きながら見上げる。

 白井黒子は強能力者レベル3である。
 彼女はまだ自分自身を転移させることができない。



--
※超電磁砲三巻番外編前編扉絵の黒子ってお嬢様っぽい格好だよねという想像の元に、小学校の内容をオリジナル設定でお送りしています。他は禁書原作と超電磁砲(漫画)と超電磁砲(アニメ)と禁書目録ノ全テとバーボンで構成されています。



[27564] 『反転御手』⑥
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/10 00:04

 店を飛び出した初春は、背後から何かが壊れる音を聞いて振り返った。
 木製の扉が穿たれ、鉄球が初春めがけて飛んでくる。
 固法の惨状を思い出し初春は咄嗟に避けようとしたところで、何かに蹴躓く。
 体勢を崩した初春に鉄球が迫った。

 このままでは頭に当たる。

 焦る初春だったが、鉄球は彼女の目の前で急に停止し、重力に引かれるように地面へと落ちた。
 能力の効果が切れたのだろうか。
 安堵する初春だったが、足下の自分が躓いたものを見て顔を青ざめさせた。
 固法だ。あばらを抑え、脂汗を流しながら苦悶の表情を浮かべている。

 店の中にいた彼女が、何故初春の前にいるのか。
 それはつまり、白井が転移させたということ。今自分がここにいるのも、白井に逃げろと言われ咄嗟に逃げ出したからだった。
 初春は店の入り口を見るが、壊れた扉から白井が出てくる様子はない。

 白井はウェイトレスの女の子を助けるために能力者の前に飛び出した。固法は白井を庇うために飛び出し負傷した。
 だが初春は逃げ出すことしかできなかった。白井一人を店の中に残して。
 無様な自分に初春は泣き出しそうになる。
 どうしよう。どうしよう。なにもできない。
 そう困惑する初春の耳に、ふと小さな鳴き声が届いた。

 初春は振り向く。
 小さなウェイトレスの女の子が、綺麗に塗装された道の上に座り込んで泣いていた。
 自分より年下の女の子が泣く姿を見て、初春は冷静さを取り戻す。

 ただ逃げ出したのでは意味がない。
 自分は研修生と言えども風紀委員ジャッジメントを志しているのだ。
 初春は泣き続ける女の子の元へと駆け寄り、肩を両手で掴む。
 女の子が突然の事に驚いた顔をするが、構わず初春は言った。

「お願い、警備員アンチスキルに通報してください。中で風紀委員が襲われているの」

 涙でくしゃくしゃになった女の子の顔を真っ直ぐ見つめて初春は言う。

「お願い!」

 その言葉に、女の子は小さく頷きを返した。

 泣き止んだ女の子は、ふらりと立ち上がり、駆けだしていく。
 そして初春もそれに続くように走り出す。
 現在地は表通りから一本道が外れた小さな通り。人通りはない。
 学生達が多数歩く表通りに、初春は出る。
 そして、叫んだ!

「助けてくださいッ!」

 通りに響き渡った大声に、学生達が振り向く。

風紀委員ジャッジメントが能力者に襲われてます! 誰か助けてください!」

 学生達が返したのは困惑の顔。

「お願いします! 助けてください!」

 必死に初春は叫ぶ。表通りを歩く年上の学生達。その中に、白井を助けてくれる能力者が居ることを願って。
 だが、それに答える学生はいない。
 ただ立ち止まって初春を見るだけ。警備員に通報するべきか、と会話はしても風紀委員を襲うような相手の目の前に出る気は起きない。
 中には風紀委員を助けるなんて普通逆だろう、と笑う者もいる。

「誰か、助けて……」

 初春の声は段々涙混じりのものになっていく。
 それでも泣き出して助けを呼ぶのをやめるようなことはしない。
 白井が一人で取り残されている。固法も急いで病院へ運ばなければならないだろう。
 少しでも遠くに聞こえるように、初春は叫び続ける。
 そして。

「どうかしましたか?」

 誰かが一人、初春の前で立ち止まった。







「俺は銃が好きなんだ」

 手の中で鉄球を転がしながら男が言った。
 それを白井は床に跪きながら見上げる。

「この街じゃ銃を手に入れることァ難しくないが、学生が裏で手を回しても手に入るのはちゃっちいハンドガンだ。そんなガキのおもちゃなんぞ使っても面白くねぇ。男ならやっぱりガトリング銃だ」

 そう言いながら、男は手の中の鉄球を横へと投げた。
 鉄球は放物線を描くことなく、真っ直ぐに飛ぶ。まるで無重力の空間を進むような動きだ。

「んなことを考えながらクソだりぃ開発を受けて手に入れた力がこれだ」

 鉄球が壁へとぶつかる。だが鉄球は止まることなく合成木材の壁板を割り、その奥にあった鉄骨建材を砕いていった。
 地震災害を想定されて作られている頑丈な建物にぽっかりと穴が開く。
 白井にはそれがありふれたレベルの低い念動力テレキネシスとは思えなかった。

「『絶対等速イコールスピード』。俺が撃ち出した物体は前に何があろうとも同じ速度で進み続ける。俺が能力を解除するか弾丸が壊れるまでな」

 再び男は鉄球をポケットの中から取り出す。

「オマエの能力……。手に触れた物を転移させる空間移動テレポートだな? 知ってるぜ。空間移動テレポートは物が消えているんじゃねえ。十一次元ベクトル上で移動してるだけだ。つまりオマエも俺と同じ物体を撃ち出す能力者ってことだ」

 白井は答えない。最後の瞬間まで手の内を明かすようなことはしない。
 自分自身を転移することができないのも隠し切れればそれだけで状況が有利に働く。

俺のチームクレイジー・バンチに入れよ。俺とオマエが組めば銀行強盗だろうが金庫破りだろうが何だってできる。そうだろう?」

 男の言葉に、白井はどうするかと考える。
 今ここで拒絶すれば最悪殺されるかもしれない。初春が逃げられた時点で警備員アンチスキルに通報がいっているだろう。
 自分がこの男を見逃したところで学園都市の監視網を突破できるとは思えない。
 初の実戦にしては十分頑張ったではないか。そう白井は思う。だが。

「絶ーっ対にお断りですの!」

 白井のプライドが、生き延びるための嘘を許さなかった。

「わたくしの能力はそんな事のために使うような安っぽいものではありませんし、仲間になる? わたくしこんなお店の小さな店員さんに手を上げるような集団は好みではありませんの」

 白井の口からすらすらと言葉が出てくる。
 挫いた足首はまるで火傷したように熱い。手元に転移できるような道具もない。
 それでも起死回生を狙って脚に力を入れる。

 男は白井の返事を聞き、ポケットへと手を入れる。
 複数の鉄球がこすれる音が小さく響いた。

 白井が立ち上がろうとした瞬間、彼女の背後で壊れた扉が酷い不協和音を鳴らしながら開いた。
 警備員か。
 白井と男は同時に入り口へと振り向く。
 しかし、店内へと入ってきたのは白井とさほど歳の離れていない子供。赤いゴーグルをかけた私服の少女だった。

 店内の視線を一人身に浴びながら、少女は長い三つ編みを揺らして店の奥へと進む。
 膝を付く白井の前を通り、気絶した黒髪の男の上をまたぎ、そしてゴーグルの少女はカウンターへ肘を付いた。
 その動きはまるで店内の様子など目に入っていないかのようだった。

「おおっと、すまねえなあ嬢ちゃん。見ての通り店じまい中だ」

 ポケットから手を出した男はカウンターの少女へと言った。

「だがそうだな、せっかく来たんだからいっぱいオゴるぜ。マスター!」

 そう言って男はカウンターの奥に下がっていた口髭の店員を呼んだ。
 店員は怯えるようにして出てくる。

「ミルクだ」

 男の言葉に急かされるようにして、店員はミルクをコップに注ぎ、男の前のカウンターにコップを載せる。

「そら!」

 男がコップを手で押すと、コップはカウンターの上を真っ直ぐすべっていった。
 そしてゴーグルの少女の前にコップが来ると、急にその動きが止まる。能力を使ってコップを移動させたのだ。

「テメェみてえなガキにゃそいつが似合いだぜ」

 少女はコップの中のミルクを見下ろすと、男がそうしたようにコップを手の先で押した。
 コップがカウンターの上を滑る。
 先ほどとは違い少しずつコップの滑る速度が落ちていき、そして男の目の前で停止した。

「お? 俺のオゴリがのめねえってのか? 気のせいかミルクが戻って来た気がするんだよな」

 コップの中で揺れるミルクを見ながら男が言う。
 そして右の手を額に当て天井を仰ぐ。

「いかんなあ二日酔いだな。ここの酒は安モンばっかだからなあ! それともミルクはママのおっぱいからじゃねえと気にいらねえか?」

 手の平の下からぎょろりと覗く目で少女を見る。
 ゴーグル越しに少女はちらりと男を一瞥すると、淡々とした声で言った。

「目障りです。消えなさい、とミサカは警告します」

「何い~? そんなに死にてえかあッ!」

 男が手の中に忍ばせていた鉄球を投げる。
 それと同時にゴーグルの少女も動いた。
 腰溜めに構える右手。その人差し指と中指の間に、男が投げたものと同じ鉄球がはさまれている。
 少女の手が青白い光を放つと、目に止まらぬ速度で指の間から鉄球が撃ち出された。

 少女の放った鉄球は吸い込まれるように男の投げた鉄球へと衝突する。
 鼓膜を引き裂こうとするような大きな破裂音が響き渡り、二つの鉄球は互いをつぶし合い一塊となり、弾けるように天井へと飛んでいった。
 潰れた鉄球は弾けるように上へと飛び、天井の板を貫いて建材の鉄骨の中にめりこむ。

 その様子を白井は一人唖然とした顔で見ていた。
 突然始まった能力者同士の戦い。武装能力者集団の抗争でも繰り広げられているのだろうか。

「テメェも念動力使いテレキネシストか。おもしれェ。ここは早撃ち勝負といこうか」

 男は口笛を吹いて思わぬ反撃に感心すると、ポケットに右手を入れ半身を引く。
 対するゴーグルの少女も身体を沈めて構えを取った。

 男がポケットから手を引き抜く。その手に握られていたのは複数の鉄球。それを少女に向けて一度に放り投げた。
 一度に一つの物体にしか効果がない。男の能力をそう思い込んでいた白井は驚く。
 これを全て迎撃しなければならない少女は大丈夫なのか。
 そう思って少女へと顔を向けた白井だが、その少女が男ではなく自分の方に向けて走り出しているのを見て再び驚いた。
 何故こちらに、と白井が考える暇もなく彼女は少女の腕に絡め取られる。

 流れるような動きで白井は少女の肩に抱え上げられる。
 それにわずかに遅れるようにして白井の目の前を鉄球が通過していった。
 ばらまかれた鉄球の一つが白井に向かって進んでいたのだ。

 助けられたのか。そう白井が少女の肩の上で考えている間にも男は新たに鉄球を少女達の方へと放り投げた。
 白井と一、二歳ほどしか違いのなさそうな少女は白井の身体を担ぎ上げたまま店内を走る。
 退路を経つように男は次々と鉄球を投げるが、少女は壁を足場にして上方向に走りそれを避けた。

「木造建築に見せかけて鉄骨製とは風情がないですが助かりました、とミサカは状況を確認しました」

 白井を担ぎながら少女が言う。
 ミサカ、という言葉に白井は思い至る。
 鉄球飛ばし。そして鉄骨の壁走り。

「貴女、常盤台の超電磁砲レールガンですの?」

「その妹です。証拠に電池不足でもう電磁砲は撃てません」

 白井を落とさないように天井に張り付きながら少女が言う。

「花飾りの少女に助けを求められました、とミサカは説明します」

 花飾りの少女。初春のことだろうと白井は納得する。
 初春が助けを呼んでくれたのだ。初めからこの少女は白井を助けるためにこの店にやってきた。
 ということは、先ほどのカウンターでのやりとりも警備員が来るまでの時間稼ぎだったのか。

 白井がそう考えている間にも少女は店内を縦横無尽に駆け回る。
 壁を走る。
 前に向けて跳躍したかと思うと飛んでくる鉄球の上に乗り、天井へとぶら下がる。
 めまぐるしく動く視界に白井は目を回す。ダメだ。この程度で方向感覚を狂わしてしまうのだから自分を転移させられないのだ。

 そして、一つ気づく。

「……わたくしを抱えていては電撃を使えないでしょう? 投げ捨ててくださって構いませんのよ」

「確かに」

 空間を裂くように一筋の雷光がほとばしる。小さな雷は男が右手に持つ鉄球へと吸い込まれ、男の手を焼く。
 思わぬ反撃に男は手の中の鉄球を取り落とす。

「あなたの感電を防ぐにはこの程度しかできません、とミサカは正直に言います。ですが問題ありません」

 動きを完全に止めるには雷撃の威力が足りなかったのか、男は無事な左手を懐の中へと入れる。

「店ごとハチの巣にしてやる!」

 男が内ポケットの中から取りだしたのは、左手いっぱいに握られたプラスチック製のBB弾。
 その量に、白井は顔を青くする。
 あれだけの量を一度に投擲、演算できるというのか。

「受け取れ、ガトリング銃のタマをな!」

 周囲一面にばらまかれる無数の弾。
 だがそれに一切臆することなく白井を抱える少女は大きく息を吸い込み、そして叫んだ。

「助けてお姉様――――ッ!」

「私の妹になにさらしてんじゃコラァ!」

 ぼろぼろになった扉を蹴破って、少女が一人店の中に飛び込んできた。
 次の瞬間、店内を雷光が埋め尽くす。
 プラスチックの弾は一つも白井の元へと届くことなく空中で蒸発した。

 白井は見た。身体に紫電をまとわりつかせた常盤台の少女を。
 それは、自分を担ぐゴーグルの少女の姉、正真正銘の超電磁砲レールガンだった。







 雷撃で焼け焦げた二人の男を警備員アンチスキル達が捕縛する。
 警備員がやってきたのは常盤台の超電磁砲レールガンが鉄球の男に雷撃を何度も叩き込み、白井がさすがにもうやめてあげてくださいましと言って静止させた後になってからだった。
 そして警備員に遅れて到着した救急車が、固法を担架で運び込む。
 救急車に同乗しようとした白井だったが、固法は苦しそうな顔で笑い、警備員に状況説明をしておけと白井に言った。

 そして今、白井は自分を助けてくれたゴーグルの少女に足首の応急手当を受けていた。
 ソックスを脱がし腫れ上がった足首を見て、少女は捻挫ですねと言ってどこから調達したのか湿布と伸縮テープでテーピングを行う。
 その後ろでは、超電磁砲レールガンがゴーグルの少女になにやら説教をしていた。

「キューブ! 確かに私が付くまでに時間を稼いでとは伝えたけどねぇ、大立ち回りして危ない目に遭えとは言ってないわよ!」

「ミサカ的に西部劇ブームでしたので、つい」

「美雪がしつこくレールガンの使い方考えろって言ってたのはそれかー!」

 叫ぶ超電磁砲レールガン、御坂美琴は、白井の目から見てもこのゴーグルを目から外して額にかけた少女とは髪型と服装以外うり二つだ。
 顔をじっと見つめる白井の視線に気づいているのかいないのか、キューブと呼ばれた少女は慣れた手つきで伸縮テープを巻いていく。

「手慣れていますのね」

「医療施設で研修中ですので、とミサカは初の実地業務に胸を高鳴らせます」

 初の実地業務、という言葉に白井の胸がちくりと痛む。
 今回のこの捕り物は、白井にとって初仕事といっても良いものだった。
 だが先輩を大怪我させ、自分も負傷し、民間人に助けらる始末だ。
 唯一出来たのはウェイトレス一人を助けることだけ。

 そのウェイトレスの女の子は白井からやや離れた場所、警備員達のいる場所で初春に抱きついて喜んでいた。

「あのクレイジー・バンチが大体まるで子供扱い!」

 初春ににゃあにゃあとまとわりつきながら、女の子は美琴を指さして騒ぐ。
 初春はそんな女の子と一緒にすごいです超電磁砲レールガンですと笑みを浮かべていた。
 だが、二人の顔は泣きはらした後のように赤く腫れており、白井は心配をさせてしまったか、とため息をついた。

「終わりました。しばらくは走ったり激しい運動をしたりしないように、とミサカは注意事項を述べます」

「感謝いたしますわ」

 白井はゴーグルの少女に向き直ると、座ったままぺこりとお辞儀をした。

「キューブ様、でよろしいですの? このお礼はいずれ。よろしければご連絡先などを教えていただけると嬉しいですわ」

「はい」

 白井の言葉になにやら嬉しそうにゴーグルの少女、キューブは腰に下げていたポーチに手を伸ばす。
 そして黒い革製のカード入れのような物を手に取ると、中から白い紙片を取り出した。

「御坂キューブと申します。よろしくお願いいたします」

「あ、はい、これはご丁寧に」

 キューブが白井に向けて差し出したのは、名刺だった。
 それを白井は両手を差し出して受け取る。
 名前と電話番号、メールアドレス、そして病院の名前が書かれた名刺を白井は困惑して見つめる。携帯端末のアドレス交換程度に考えていたのだが、急に社会人流の連絡先交換を受けた。小学生である白井は当然名刺など携帯していない。

「お姉様、お姉様、初の名刺渡し達成です、とミサカはミサカは興奮を隠しきれません」

「あー、はいはい」

 美琴に向けて名刺入れをぱたぱたと降るキューブを美琴はどうどうと落ち着かせる。
 それを見て、白井の胸の奥に強い電撃が走った。
 もしかして。もしかしてこの姉妹はすごい可愛い生き物なのではないだろうか。
 白井の心の奥底から、何かが大切な物を破壊しながらふつふつと湧き上がってくる。
 そしてふと初春の言葉を思い出す。
 一人とお友達になれたら、他の妹百人ともお友達になれる。
 この可愛い生き物が、あと百人超。白井の中で何かが爆発した。

「あのっ」

 白井は目の前のキューブの手を両手で握りしめる。
 手の中の名刺を握りつぶさないよう力は絶妙に加減してだ。

「よろしければ今度の日曜日、一三学区に遊びに来ませんか? お勧めのスイーツショップをご案内しますわ」

「甘味ですか、是非、とミサカは目を輝かせます」

「あら、スイーツがお好きですの」

「ミサカ達はもれなく甘い物に目がありません、とミサカは日曜の予定を変更しながら言います」

 思わぬ情報に白井は心の中でガッツポーズを取る。

「でしたら、お手すきの姉妹達シスターズの方々もお誘いくださいませ」

 握った手を上下に振りながら白井が言う。
 すると、後ろにいた美琴が、あれっ私は、と置いてきぼりを喰らったかのように言う。
 すかさず白井は美琴の前に移動し、右手を差し出しながら言った。

「御坂美琴様ですね。わたくし、春から常盤台中学に入学する白井黒子と申しますわ」

「あ、うちに来るんだ」

 よろしく、と言って美琴が白井の手を握り返した。

「ところで、今度の日曜私も暇だな-、なんて……」

 白井の心の中で大きな旗が掲げられる。

 大 漁

 世界一可愛らしい御坂姉妹と一瞬で友人となるのに成功。スイーツ巡りという名のハーレムデートの約束を難なく取り付けることができた。
 来るべき日曜は距離を縮めるチャンスデー。白井厳選のデートコースで舌も心も甘くとろけるように。選び抜いた勝負下着は忘れずに。ウうぇっへっへっへっへ、と白井は心のよだれが止まらなかった。

「あー、君、もう怪我はいいかね」

「何ですのこの忙しいときに!」

 思考の横から割り込んできた男の声に、白井はにらみを効かせて振り返る。
 白井の視界の先にいたのは、対能力者戦闘用の防護服を着た警備員だった。

「君、現場に居合わせた風紀委員ジャッジメントだね?」

「はい、そうですわ!」

 びしっという音がなりそうな勢いで白井は背筋を正す。
 そして、美琴とキューブへと顔を向けた。

「美琴様、キューブ様、風紀委員の仕事がありますのでこの話はまた後ほど」

 頼れる風紀委員アピールを忘れずに、白井は二人へぺこりとお辞儀をする。事件を解決したのは白井ではなくこの御坂姉妹だったのだが。

 警備員の後をついて、白井は護送車のある方へと向かう。
 そこには防護服を着た警備員達に混じって、ウェイトレスの女の子から離れた初春もいた。

「犯人の様子がどうもおかしくてね。暴れていたときもこうだったのか聞きたいんだ」

「様子がおかしい、ですの?」

 黒髪の男はロリコンという意味では十分おかしかったが、そういうことではないだろう。
 白井は案内されるままに護送車の中の男達の前にやってきた。
 黒髪の男は気絶から復活したのか、車の隅で目を開けてぐったりとしている。
 そして、鉄球を使っていた長身の男は、まるで薬物でもキメたかのように虚空を眺めよだれをたらし、何事かを呟いていた。

「大丈夫。だ。俺達は負けない。絶対に。オレ。タチは行ける。んだ。実際にイけば。わかるん。だ」

 長身の男は固まった笑みで、わけのわからないことを喋っている。
 表情が動いていない、と白井は訝かしんだ。

「オマエには。ワからない。オマエは。イけない。から。アハハ大丈夫。ダイジョウブなんだ」

 表情が固定されている。感情の波が一定値のままなのだと白井は思い当たる。
 その様子はまるで、そう、雑な洗脳でも受けているかのようだった。



反転御手編
『胎動』



 冬が終わり、春。
 学園都市の各地で入学式を迎え、新しい一年が始まってすぐの休日。
 御坂美琴は特にこれといった用事もなく、いつもの第七学区の隅にある公園にたい焼きを食べに来ていた。
 寮でだらだらと過ごすのは無しだ。何かと理由をつけては新入生達が超能力者レベル5の美琴と、寮の同室の同級生であり妹でもある御坂美雪の元へと訪ねてくる。
 そして寮の部屋へやってきた彼女達が口に出すのは、決まって派閥の話ばかりだった。

 御坂様の派閥に入れてくださいませんか。
 そんなことを目を輝かせながら言ってくるのだ。だが、その瞳の奥にどれだけの打算があるのか解ったものではない。
 自分には派閥などないし誰かの派閥に所属しているわけでもない。
 そうは言うもののなかなか納得しては貰えない。
 姉妹達シスターズが美琴と同学年に一人、新入生に二人。さらには何かと御坂姉妹の周囲にいる新入生白井黒子が追加で一人。
 その五人が集まれば外野からすると立派な派閥にしか見えなかった。
 派閥に加えて欲しいと言ってきたのは新入生だけではなく、同級生や上級生もだ。

 しばらくこの騒ぎは収まらないだろうと、美琴はこの公園に逃げてきていたのだった。
 この公園は良いスポットだ、と美琴は思う。
 超能力者レベル5が入り浸る魔窟。
 経歴を見てみれば趣味は研究所潰しですとでも言い出しそうな学園都市第一位を筆頭に、どうみても不良にしか見えない第七位と第八位がたむろし、たい焼き屋の店主を頼りにスキルアウトが頻繁に出入りしている。さらには超能力者レベル5の能力を観察しようと目を光らせる怪しい研究員がうろついていることもある。
 常盤台のお嬢様ではここに近づこうとも思うまい、と美琴はたい焼きを食べながら心の中で笑った。

 しかし、いい加減たい焼きという季節でもない。それに学園都市からの有り余る補助金を考えれば高級甘味などいくらでも食べられる。
 だが美琴はこの公園のたい焼きが好きだった。

 今日はバイトのアキラが店番だ。
 昔は店主の無法松がいないと文句ばかり言っていた美琴だったが、この一年でアキラの腕前も上がり店主がいなくても特に気にしないようになっていた。

 屋台の奥、ベンチを見ると真っ白な肌の鈴科百合子がまたどこかの学校の制服を着て昼寝をしている。妹のファーストが来てから孤児院での仕事が楽になり暇が増えたらしい。
 ミサカネットワークに接続しファーストに聞いて初めて知ったのだが、百合子は美琴のことを前から友人だと思っていたらしい。美琴は彼女に拉致されたときは会話をしたことがあるだけの知人としか思っていなかったというのに。

 ミサカネットワークに触れ、そして冬の終わりに最終信号ラストオーダーになると決めてからというもの、美琴は日々新しいことの発見の毎日だった。
 何せ、何十人もの世間知らずな妹達がそれぞれ違う場所でそれぞれの生活を実況しあっているのだ。それまで知らなかった学園都市の姿がいろいろな形で見えてくる。
 それは学園の園という箱庭の中で、派閥を作って人脈争いをしていては得られない体験だ。
 そして美琴は思うのだった。

 帰宅部最高、と。

 能力の研究協力がないときは、寮の門限まで街でふらふらと出歩くのが最近の日課だ。
 妹達の様子を見に行ったり、外出時の着用を義務づけられている制服から着替えてとある少女Aとして遊び回ったりするのだ。
 だからといって学業をおろそかにしているわけではなく、新たに手に入れたミサカネットワークを活用して順列第一位を目指し続けている。
 本業保母副業高校生の現第一位に、本業中学生が超能力で負けているままではいられないのだ。

 気持ちよさそうに眠る百合子を見ながら美琴はもぐもぐとたい焼きを租借する。
 だがまあ休日くらいはこうやってのんびり過ごしても罰は当たらないだろう。

 たい焼きを全て食べ終わったところで、美琴は飲み物が欲しくなった。
 公園に設置された古くさい自動販売機へと向かう。
 この公園のもう一つの名物。恐怖、お金を入れたが最後缶もお釣りも吐き出さない自動販売機。
 一言で言ってしまえば故障している。
 だがこの自販機、業者が修理に来たときは正常に作動するというまるで人工知能でも持っているのかと疑いたくなるような代物なのだ。
 美琴もかつて万札を飲み込まれたことがある。
 だが彼女はその缶を出さない自販機の前に立つと、おもむろに蹴りを放つ。

「ちぇいさーっ!」

 常盤台中学内伝、おばーちゃん式四五度からの打撃による故障機械再生法。
 軽快な音を立てて、自販機が缶を一つ吐き出した。
 蹴りを入れ古くなり緩んだバネに衝撃を与えることでランダムで一つ缶を手に入れる。
 犯罪ではない。しっかり一万円を先払いしているのだ。正当な権利と言えよう。そう美琴は欠片も罪悪感を持たずに取り出し口から缶を取る。

『たい焼きサイダー(ホット)』

 なめとんのか、と再び蹴りを放とうとする美琴だが。

「美琴先輩!」

 背後から彼女を呼び止める声が聞こえた。
 聞き覚えのある声に、美琴は気だるげに振り返る。
 そこにいたのは、常盤台中学の制服を着た風紀委員ジャッジメント。二月ほど前に知り合った後輩、白井黒子だった。

「美琴先輩はまたそのようなことをして! 常盤台を代表する世界のお姉様として恥ずかしくありませんの」

 美琴の違法行為に白井は顔を真っ赤にして怒った。
 巡回中だったのか、白井の腕には緑色の腕章がついている。
 面倒くさいヤツが来た、と美琴はげんなりする。白井黒子はお嬢様である。そんな彼女に自分、いや、妹達シスターズを含めた自分達姉妹は慕われているのか、何かと世話を焼かれている。そして白井は美琴がお嬢様らしからぬ行動を取ろうとすると、それを全力で改めさせようとするのだ。
 曰く、妹達シスターズのお姉様なのだから、と。
 いったいどういう理屈なのか解らないが、実際に美琴は妹達全員の姉なので強く反論ができない。

「アキラさんも! そこで見ていたのなら止めに入るくらいしてくださいまし!」

 白井の矛先がたい焼き屋台のアキラに向かう。
 だが、アキラは片眉をつり上げながら言い返した。

「オマエ、この前はミコトおねーさまにむやみに近づくなとか言ってたじゃねーか」

「それはそれ、これはこれ、ですの」

「どうしろってんだ……」

 白井は何故か美琴のことをお姉様と呼びたがる。
 だが、美琴はそれを全力で阻止した。ただでさえたくさんの妹達にお姉様と言われ恥ずかしい思いをしているのだ。さらに一人追加などやっていられない。
 今更一人増えたところで変わりないではありませんの、と白井は言うが、それでも駄目だ。人前では先輩と呼べと何とか言い聞かせている。が、今のアキラの言葉を聞く限り美琴のいない場所ではその決まり事を守っているかは怪しい。
 自分をお姉様と呼びたがり、そして白井と会った日以降に調整完了した妹達シスターズに黒子お姉様と呼ばせたがる。

 難しい年頃なのだろうか。

 白井黒子は中学一年生である。
 美琴は彼女との距離の取り方が未だに解らない。





[27564] 『反転御手』⑦
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/11 18:51

 佐天涙子は小学七年生である。
 晴れてこの四月から中学校に進学したというのに、中学デビューに見事失敗した中学生未満である。

 中学受験に失敗し、三月まで通っていた小学校近くの第七学区立の中学校へとなし崩しのままに入学。
 それでも気分を入れ替えて中学生活を楽しもうと気合いを入れたところで、入学式翌日、急にテストと身体検査システムスキャンが行われた。

 佐天が編入した柵川中学には入試がない。
 佐天がそれまで通っていた第七学区の小学校だけではなく、第一三学区など学園都市の各地から理事会の選別で生徒を受け入れている。選別基準は学力と能力強度レベルだ。主に低レベルの生徒を集めているらしい。
 一定の基準で分けられた生徒達と言っても、出身小学校ごとの授業内容は様々。
 そこで学生個人の学力を測るための筆記試験が入学早々実施されたのだが、佐天はそこで大きな失敗をしてしまった。
 筆記試験で首位をとってしまったのだ。

 佐天は中学受験をしていた。能力者になるために少しでも良い中学校に入ろうと頑張っていた。
 だが、受験をすると決める前の彼女の成績はさほど優秀ではなかった。
 さらに佐天の能力判定は無能力者レベル0だ。それも、何の能力を持っているかも解らないほどの無能力。
 それゆえにさほど優秀ではない生徒達が集められる柵川中学に入学することになったのだった。彼女が学力を伸ばしたのは進学先決定の選別基準に含まれない小学六年の冬以降のことだ。

 各学区の小学校で学ぶような内容は受験勉強で一通り覚えきっている。
 そのため佐天は『出身学校の違いによる学習進行度合い』を測るための試験では自ずと高得点を取れてしまうのだ。

 学年首位。
 その立場は目立つ。だが佐天は無能力者レベル0だ。
 それゆえに、入学者達の中でも特に能力強度レベルが高く上を目指している人達に目を付けられてしまったのだ。
 柵川中には無能力者レベル0から異能力者レベル2の生徒が集められている。

 無能力者レベル0だけの学校なら筆記試験の結果などさしたる問題はなかったのだろう。
 だが、レベル差のある学生達を一ヶ所に集めるとどうしてもレベルによるヒエラルキーが生じてしまう。
 そんな中での無能力者レベル0の学年首位は明らかな異分子だった。

 研究者向けの中学ならばこのような事態にはならなかったのだろうが、佐天はそういった学校を受験先には選ばなかった。彼女が学園都市に来たのは科学者になるためではない。超能力者になるために親元を離れてはるばるこの都市にやってきたのだ。
 無能力者レベル0の判定を受けてもその夢を諦めず、受験に励み、そしてその結果中学デビューに失敗した。

 試験明けの登校日、一年生達のオリエンテーリングが行われた。
 生徒達複数人で一組の班を作り校内を見て回り交流を行う。そんなありきたりな行事。
 そこで人付き合いに慣れている佐天の嗅覚が、明らかに一部の集団から拒絶を受けているのを嗅ぎ取った。
 そんなに無能力者レベル0が気にくわないのか、世知辛いものだと佐天は人を求めてふらふらとうろつき回る。

 一年生が集められた体育館では随所でグループができあがってきている。
 その中の一つ、三人の女子が集まっているところに佐天は近づく。

「アケミ-。いれちくれー」

 三人組の一人、髪を茶色に染めた女子に佐天は話しかける。
 彼女は佐天のクラスメイト。入学式の時に友人になった人物だ。

「おー、ルイコ。入れ入れ」

 アケミはすんなりと佐天を受け入れる。
 彼女は佐天を敵視する側の人間ではなかったようだ。

「佐天涙子でーすよろしくねーってみんな同じクラスか」

 他の二人へ挨拶したところで、佐天は試験の時に同じ教室にいた面々だということに気づく。
 クラスのホームルームではまだ自己紹介を行ってはいない。だが佐天はしっかりとクラスメイト全員の顔を覚えていた。人の顔と名前を覚えるのは得意な方だ。
 そして中学デビューに失敗しかけている佐天を仲間に入れてくれる度量を持つ人物がこのアケミだと、佐天の対人経験の勘が告げていた。

「ルイコー、聞いたよォ。テスト、トップだったんだって?」

 佐天の背中を叩きながらアケミが言う。
 そこには嫉妬や敵意といった感情は欠片ものっていない。
 アケミの周囲の二人もニコニコと笑顔を向けてきている。良い友達になれそうだった。

「点取れたのはお受験してただけだからすぐに成績落ちてくけどねー」

「というか入学早々試験とかありえなくない?」

「テンション下がったよねー」

 アケミの隣の二人は佐天に追求することなくそんなことを言った。
 もしかすると佐天へ向けられていた周囲の視線から何かを察知しているのかもしれない。

身体検査システムスキャンはどだった?」

「わたしゼロー」

「私も無能力者レベル0念動力テレキネシス使えるけど鉛筆くらいしか持ち上がらん」

「あはは、あたしもゼロだよ。でも学生の六割が無能力者レベル0だっていうんだからこんなものだよね」

 佐天は笑いながら内心で少し安堵していた。自分と同じ無能力者ならば打ち解けるのも早いだろうと。
 この都市ではどうしても個人のプロフィールにレベルという物がついてまわる。その垣根を越えて交流するのは中々難しいのだ。
 佐天は妙な縁で学園都市で八人しかいない超能力者レベル5のうち三人と顔見知りだが、それでもやはり同じ無能力者でないと解らないものはある。あの超電磁砲レールガンも無能力者ではなく低能力者レベル1からのスタートだ。

 これは卑屈だとか嫉妬というものではない。
 学園都市で生活する中で自然と身についてしまう価値観なのだ。

「それよりあと一人どうする? 五人以上で組めって言われたけど」

「同じクラスの人が良いよね」

「まこちんクラスの人わかる?」

「わからんー」

 きょろきょろと周囲を見渡す三人に、佐天は言う。

「あたしわかるよ」

「お、ルイコ頼りになるな」

「女子が良い? 男子が良い?」

「いや男子はハードル高いよさすがに」

「この状況で男子が混ざったら逆にかわいそー」

「というか男子も顔覚えてるの?」

「人の顔と名前を覚えるのは得意なのだよ」

 えへんと胸を張った佐天は、視線を周囲へと向ける。
 目に見える範囲の人達は既に班を組んでいる。五人ではなく五人以上という取り決めなので人数が少ない班と合流するのも良いだろう。ただ、まだ班に入れていないクラスメイトがいるなら入れて上げようと考えた。佐天自身、アケミ達がいなければ上手く馴染めるか自信がなかった故に。

「ちょっと探してくるねー」

「任せた-」

 軽く手を振ってアケミ達から離れ、佐天は人であふれかえった体育館をうろつく。
 まだ班に入れていない一人の生徒達。その中から見覚えのある顔を探す。

「おっ」

 一人、困ったように周りを見渡している女子生徒が目に止まる。
 花飾りのワンポイントのついたヘアバンドをしている背の低い少女。佐天のクラスメイトだ。

「君、オリエンテーリング回る班まだどこにも入ってないのかい?」

「え、あ、はい……」

「じゃああたしと組もうよ、ほら」

 返事を聞く前に佐天は女子生徒の手を取る。こういう場での人集めは多少強引過ぎるくらいでちょうど良いのだ。

「わ、わた……」

 小走りで手を引かれ慌てるように何かを口ごもる女子生徒。だが佐天は気にせずに三人の元へと向かった。

「おーい、釣れたぞ-」

「おー早いなー」

「よろしくー」

「よろしくねー」

「あ、はい、よろしくお願いします」

 アケミ達三人の前でぺこりとお辞儀する女子生徒。それに佐天は確認するように訊ねた。

「初春さん、で良いんだよね?」

「はい、そうです」

 佐天の言葉に少し驚いたように花飾りの少女、初春が目を見開く。
 それを見たアケミが佐天に向けて言う。

「ルイコ、クラスメイト全員の名前までもう覚えてるの?」

「出席番号順に覚えていってるだけだよ。ほら、あ行だし」

 ういはるかざり。あいうえお順で決められる出席番号では先頭に近い方だ。

「記憶力いいなー」

「暗記にはこつがあるんだよ。長点上機の人が考えた記憶術っていうのがあってさー」

「なにそれ教えてよ」

「あ、私も知りたいです」

 初春も混ざり、五人の会話は盛り上がっていった。
 そしてどうしても暗記法を知りたいという初春へと話題が移っていく。

「へー、じゃあ風紀委員ジャッジメントの試験受けてるんだ」

 この初春という少女は、どうやらあの難関と言われる風紀委員の冬期公募の研修を受けているらしい。
 風紀委員になるためには四ヶ月間の研修だけではなく、九枚の契約書へのサインと十三種類の適性試験をパスしなければいけないという。
 完全なボランティアの組織にそこまでして入ろうとしている初春に、自然と尊敬の目が集まる。

「この学校にも風紀委員の支部あるんだよね?」

「そうですね。中学以上はどの学校にも一つずつ支部があります。この学校のは一七七支部ですね」

「じゃあオリエンテーリング、支部見に行こうぜ-」

「あそこ入れんの?」

「あたし小学校に支部あったけど、セキュリティすんごい厳しかったよ」

 佐天はこの柵川中学の近くにある小学校を思い出す。そこには風紀委員用の小さな個室があったのだが、他の教室とは違い頑丈そうな金属の扉に、個人識別用の身体認証パネルがついていた。
 好奇心で認証パネルに手をかざしてエラーを出し、教師にしかられるのは低学年達の風物詩だった。

「研修生は入れないのけ?」

「私ではまだ無理ですー」

「じゃあ初春さんには合格してもらわんとなー」

「手伝えることあったら手貸すよ?」

「うう、体術の試験が難しいんですよ。運動音痴なんで」

「あ、それはパス」

 そんな言葉を交わしながら、五人で会話に花を咲かせ笑った。
 それが佐天涙子と初春飾利の出会い。







 四月半ばのこと。
 佐天は初春の住む柵川中学の学生寮へと訪ねてきていた。

「おー、こっちの寮は広いのう」

「二人部屋ですからねー。私は一人で使ってますけど」

 佐天は部屋の中を見渡す。彼女が住んでいる寮は無能力者レベル0の奨学金でまかなえる一人用の狭い1DKだ。
 一方、初春は低能力者レベル1の能力者であり生活費に余裕がある。二人用の広い部屋に一人で住んでいた。

「二段ベッドの上の段を使うあたりが可愛いのう」

「え、そ、そうですか?」

 寮の備品として置かれている二段ベッド。その下の段は荷物置き場として使われており、布団は上の段に敷かれていた。
 佐天は学園都市の外にある実家の弟を思い出して笑みを漏らした。弟と同室で過ごしていたときも、弟は二段ベッドの上の段を使いたがっていたのだ。

「それじゃ早速お宅はいけーん」

「ええっ、佐天さん勉強見に来てくれたんじゃないんですか」

 真っ直ぐクローゼットに向かった佐天に初春は慌てて言う。
 風紀委員ジャッジメントの能力者対策に関する適正試験の指導。そういう名目で初春は座学の学年首位である佐天を寮へと連れてきたのだが、

「うーん、お子様パンツばかりだにゃー。これじゃあ中学生じゃなくて小学七年生だよ初春」

「なんで真っ先に下着を見るんですか!?」

「いやー冗談冗談」

 クローゼットを閉じながら佐天が言う。
 だが佐天が次に向かったのは初春が床の上に置いたちゃぶ台ではなく、部屋の隅に置かれた本棚だった。
 所持している本の傾向からこの新しい友達の嗜好を把握してみよう、そう思った佐天だが。

「SEのためのTCP/IP、量子テレポーテーション入門、パケット解析講座、情報通信白書……。なにこれすごい」

 漫画や小説を期待していたのだが、並んでいた本はどれもネットワークに関する専門書ばかりだった。

「初春って凄腕ハッカー屋さん?」

「そんなんじゃないですよ。ちょっとネットに興味があるだけで」

 ちょっと興味がある程度のラインナップとは思えない、と佐天は本棚から本を一冊取り出してみた。
 彼女が予想した通り、それは学園都市外に持ち出し不可の最新の学術書。
 ぱらぱらとめくっては見るものの、佐天には見たことも聞いたこともない専門用語や構造図がびっしりと書かれていた。

 学園都市のネットワークは外の世界のインターネットとは隔絶されている。学園都市内部の技術は外の世界より何十年も先を行っているのだ。学生個人の持つなんてことない知識も、外の世界からすれば宝の山だったりする。
 それゆえに、学園都市の学生達が使うネットワークはインターネットではなく独自の都市内ネット網なのだ。

 学園都市のネットに匿名性は無いと思え。
 佐天が外から学園都市に編入してきた頃に初めて出来た友人から言われた言葉であるが、その当時はその意味を理解できなかった。
 だが、学園都市での生活に慣れ学園都市内外両方の流行も敏感に感じ取れる年頃になった今では、その言葉の意味も理解できる。

 学園都市のネットワーク内は、もう一つの学園都市の姿なのだ。

 教師と風紀委員が常に目を光らせており、
 警備員のパソコンならば無記名制の掲示板が全て名前入りで見えてしまうかもしれない。

 あるいは能力者が回線越しに自分の部屋を覗いていることだってあるかもしれない。

 外の世界で騒がれているプライバシーどうの個人情報がどうのという話は、この都市では関係がない。
 学園都市日本とは違う法律と価値観で動いている都市国家なのだ。
 少なくとも佐天は実家に住んでいた頃、家から徒歩十分の裏路地に夕方の五時以降足を踏み入れては五体満足では帰れない、などと教師と友人から念を押される経験はしたことがなかった。
 初春が小学生の頃住んでいた第一三学区ならばそんな心配もないだろう。が、佐天が過ごしてきた第七学区は一本道を間違えたら暴走集団スキルアウトの溜まり場だということは少しもおかしなことではない。

 だからきっと、ネットも同じように悪いことをする人とそれを取り締まる人がいて、一般人でしかない自分は持ち物検査を受けるときのように何もやましいことをしていないのに鞄の中身まで調べられなければいけない立場なのだ。
 それを自覚してからというもの、彼女はネットを使うのが怖くなった。

 噂話が大好きな佐天は、学内ネットに触れた当初チャットルームや情報交換所で話のやりとりをするのにも当然のようにはまった。
 だが、学園都市への理解が深まるにつれ、こちらからは見えない誰かに見張られているかもしれないと気が気でなくなり、やがていわゆるROM専というものになった。

 なにしろネットというのはリアルタイムな情報交換の場ではない。
 残ったチャットログを辿るという方法で、未来の誰かが自分のことを覗いてくるかもしれない。
 だから見るだけ。ダウンロードするだけ。

 アクセスログというものを考えないあたりは、まだ佐天がただの子供でしかないというのを示しており、また誰かに見られているという考えも思春期を前にして年相応に増大してきた自意識が過敏になっている証拠でもあるのだが。
 彼女は一時期「学園都市内はあらゆる場所がナノマシンでできた監視カメラと盗聴器で監視されている」という噂を聞いて自室にいるときですら落ち着けないこともあった。

「とまあそんな感じで風紀委員って噂通りネットのプライバシーばしばし覗きまくりなの?」

「佐天さんの中で風紀委員はどんな特高警察扱いなんですか」

「じゃあ覗けないんだ」

「えっと、覗こうと思えば覗けちゃいます。捜査に必要になったときに初めて被疑者の情報閲覧の許可が下りるので、誰彼構わず見放題ってわけじゃないですよ。安心してください」

「そっかー」

 風紀委員の立場を悪用して御坂姉妹の居場所をGPSで探知している白井黒子という人物が居るのだが、初春には知る由もない。

 ネットワークの小難しい本を本棚に戻し、佐天は初春が床に置いたちゃぶ台の前へと座る。
 そしてちゃぶ台の上に置かれたものに目を向けた。

「風紀委員適性試験過去問題集……。こんなものまであるんだ」

 佐天は受験勉強の時に使ったものと似たような装丁の本を開く。
 目次には学内法や都市の地理、災害対策などの項目が並んでいた。

「あたしが見てあげられるのは第七学区のことと能力犯罪対策くらいだよ?」

「十分ですよ。私どうも能力のことに疎くて」

「せっかく低能力者レベル1なのに勿体ないなぁ」

 佐天はページをめくり、試験要項に目を通す。
 風紀委員には様々な人が居る。その中には佐天達より幼い小学生もいるのだ。それを考えると問題集とにらみ合って勉強するほど試験は難しいものなのだろうか。
 どこか抜け道があるのでは、と佐天は本を凝視する。
 そして。

「ねえ初春、何か得意なものってある?」

「え、得意なものですか? ないですよ。運動も苦手で……」

「パソコン使うのとか得意じゃないの? ネットワークとかさ」

「えっと、それは結構自信がありますけど……」

「ここ、見てみて」

 佐天は試験要項の一点を指さして初春に示した。
 適性試験の一項目に置いて特に優れた能力が認められる場合、特別枠として風紀委員への編入を認める。

 初春はそれを初めて見たというような顔をして覗き込む。
 そんな初春の様子を佐天はにへらと笑って見つめた。







「初春、風紀委員ジャッジメント合格おめでとー!」

 教室に佐天の声が響き渡る。
 それはある月曜の朝のこと。とうとう風紀委員の試験に合格したと初春から昨日の夜に電話を受けて、佐天が登校時間の早くから教室で待ち構えていたのだ。

 初春は教室に入っていきなりの言葉に鞄を持ったまま静止している。
 佐天の大声に、自然と教室の生徒達の視線が集まる。

 そして佐天とアケミ、まこちん達以前のオリエンテーリングのメンバーが初春の元へと駆けつけた。

「腕章、腕章見せてー」

「あ、はい」

 まこちんに急かされ初春が学生鞄の中から緑の腕章を取り出す。
 盾の意匠が施された風紀委員の象徴だ。

「うおーかっけー!」

「初春、つけてつけて」

「え、今ですか!?」

「そうだよー。あ、写真写真」

 言われるままに初春は紺のセーラー服の袖に腕章を通す。
 実は初春が腕章を付けるのはこれが初めてだった。安全ピンを止める手が緊張で震える。
 ただの小さな腕章だというのに、初めて中学校の制服に袖を通したときとは比べものにならないほど初春の胸が高鳴っていた。

「もう、危なっかしいな-」

 震える初春の手に佐天は手をそっと添える。安全ピンを止め、そして初春の全身が見える位置に離れる。

「似合ってる似合ってるー」

 紺色の制服に浮かびあがる緑と白の腕章。いつのまにか花の量が増量していたヘアバンドも相まって、それはとても目立つ存在だった。
 似合う似合うと佐天とアケミは頭の上で手を叩いて拍手する。
 それにつられてクラスメイト達も拍手を始め、さらに携帯端末で写真を撮るシャッター音が教室に次々と響いた。

「よーし、放課後は合格記念の宴会だー!」

 と、佐天が叫ぶ。

「どこいく? どこいく?」

「桜はもう散っちゃったよねー」

「まだこのへん何かあるか知らないぞ?」

 シャッターの嵐にさらされる初春を置いて、クラスメイト達がなにやら祝いの話を進めている。その中には初春と会話を交わしたこともない男子生徒まで混じってる辺り、教室の雰囲気がすっかり佐天の言葉に動かされていた。

「ふはは、第七学区貧乏生活マスターのこの佐天さんに任せたまえ! 皆のもの、今夜は安くて美味いすき焼きだー!」

 佐天の言葉に、教室が沸いた。

「ルイコさっすがー!」

「佐天さんいえー!」

「野郎ども、肉が食いたいかー!」

 佐天の呼びかけに、男子生徒達が雄叫びを上げる。

「じゃあ午後六時に校門前集合ね! あ、初春は主賓だからお財布持ってこなくて良いよ」

 すき焼きに向いていた話題を再び初春へと戻す佐天。
 クラス全員を巻き込んだ大騒ぎは、その後担任教師が教室にやってくるまで続いた。

 佐天涙子は中学一年生である
 初春という友人を得て新しい一年の始まりを全力で楽しんでいた。





[27564] 『反転御手』⑧
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/16 15:19

 田所晃は不良学生である。

 学園都市における不良はいくつかの種類に分類される。何しろこの東京の東側三分の一を占有する独立都市、その人口の八割が学生なのだ。『模範的な学生』に該当しない子供達も多い。
 アキラを不良学生の種類で分類するならば、能力を使って暴れ回る暴走能力者になるだろう。

 しかし、アキラは武装能力者集団や無能力者の暴走集団スキルアウトのように、強盗や恐喝に手を出しているわけではない。
 学園都市に八人しかいない超能力者レベル5の一人。お金には困っていないし、ちびっこハウスという住居もある。

 アキラが不良と言われている理由。
 それは単に彼が喧嘩っ早い性格なせいだ。

 かつて彼は原理不明の多重能力者デュアルスキルとして超能力者レベル5の順列最下位に認定された。
 超能力者の順列は学園都市の科学に対する重要度で決まる。
 原理不明で技術や学問への応用が不可能とあっては順列はどうしても低くなる。

 だが学園都市の学生達の多くは、超能力者の順列を単なる能力の出力の強さであると勘違いしている。
 ろくに学園都市の能力者という仕組みを理解していない不良学生達ならなおさらだ。
 例えレベル5といえど一番位の低い者ならば集団で囲めば一方的に勝てるだろうと、裏での名を上げようとした暴走集団がアキラに挑んできた。

 アキラは喧嘩っ早い性格だ。彼は警備員に助けを求めるわけでもなく暴走集団の喧嘩を正面から買っていった。
 超能力者に認定された当初、彼の能力は弱かった。最下位の能力者は弱いという暴走集団の認識はアキラの場合間違っていなかったのだ。
 一つ一つの能力は強能力者レベル3以下の出力。さらに能力の発動には数秒の精神集中が必要だった。
 それゆえに、アキラは能力に頼ることもできずに毎日生傷を作りながら己の身体でスキルアウトに立ち向かっていた。

 そんな彼に手を差し出したのが、男無法松。
 だが無法松はアキラの喧嘩を止めなかった。代わりに、スキルアウト流の喧嘩殺法をアキラに教え込んだ。

「男は拳で語るもの。喧嘩してなんぼだ」

 そう無法松は笑って言った。

 裏路地での殴り合いを繰り返すうちに、アキラの手下になろうとする者達も現れだした。
 だが、それが逆にアキラを喧嘩に明け暮れる日々へと駆り立てた。

 彼は人の本音を見ることができる。
 読心能力サイコメトリー。彼の持つ複数の能力の中に、人の心の中を覗くものがあった。

 油断させて寝首をかこうと考えている者や、彼の立場を利用しようとする者達。
 その本音を見抜いたアキラは問答無用に拳を振り抜く。

 そんな人の心を覗けるアキラが疑心暗鬼で精神を病まずにこの歳まで成長できたのは、彼を本心から仲間だと思っている人達がいてくれたおかげだ。
 共に研究所から逃げ出した鈴科百合子、兄貴分の無法松、妹のカオリ、ちびっこハウスの園長と子供達。ついでに古道具屋の店主藤兵衛。

 そしてもう一人。全力で能力をぶつけ合える敵が彼にはいた。
 集団で襲ってくるのではない、正面からの一対一での喧嘩相手、削板軍覇。
 彼と殴り合うことでアキラは若さゆえの無差別な破壊衝動を発散することができていた。

 それでもアキラは不良だ。心はどこか荒んでいるし喧嘩もする。
 能力を使って街中で喧嘩などすれば、警備員アンチスキルがすっ飛んでくる。
 むやみやたらに能力を使うなと言う警備員の黄泉川の説教は、もう耳がたこになるほど聞き飽きていた。
 もっとも、最近のアキラは無能力者との喧嘩で能力を使うことはほとんどない。使うのはあくまで相手が刃物や能力といった凶器を持ちだしてきたときだけだ。
 拳で語れ、それが無法松の教えだからだ。







 ある平日の昼過ぎ。アキラは第七学区の裏路地をふらついていた。
 午前中は学校にも古道具屋にも登校せずにちびっこハウスで惰眠をむさぼっていたのだが、白い保母さんに布団干しの邪魔だと尻を叩かれベッドから追い出されたのだ。
 特にこれといった用事もなく歩き慣れた裏路地を散歩する。
 アキラと同じように学校に行かずにたむろするスキルアウト達が、所々でアキラと同じようにだらだらと過ごしていた。

 スキルアウトは無能力者レベル0の不良達の総称だ。その誰も彼もが犯罪行為に勤しんでいるわけではい。
 学校に行くでも街中で暴れ回るでもないスキルアウト達の多くは基本的に暇なのだ。学生という立場さえあれば最低限の生活費と住居が学園都市から支給される。

 そんな彼らを横目で眺めていたアキラは、ふと一人の犯罪者側のスキルアウトを見つけた。

「おい腐れ忍者」

「あん? って、ああアキラか」

 アキラが声をかけたのは、半蔵という十代後半の少年。
 この辺りでは滅多に見ない強盗や窃盗といった『金を稼ぐための犯罪行為』に手を染める暴走集団の一人だ。そこらをうろつくスキルアウト達と違って、警備員アンチスキルに見つかれば少年院行き間違いなしという人種であった。
 さらに珍しいことにこの半蔵という男、自称忍者だ。

 忍者。
 サムライと一緒に絶滅したと思われている古い日本の特殊専門職。スパイ活動をしたり工作活動をしたり要人暗殺をしたりと、何かと物騒なことに手を染めていた闇の住人。この男はそれを隠すことなく自称していた。

 彼の言葉を聞いたスキルアウト達は冗談だと笑うが、人の心を読めるアキラはその忍者という自称が正しいことを知っていた。

 日本政府の抱える密偵組織、炎魔忍軍のエージェント服部半蔵。それが彼のもう一つのプロフィールだった。
 彼は伊賀の服部半蔵を襲名するなにやら幕末から続く複雑な歴史を受け継いでいる家の人間らしいが、アキラは彼から語られた小難しい現代忍者の歴史を覚えていなかった。

 アキラが覚えているのは彼が忍者であることと、能力開発を受けていない学園都市の住人であること、そして現在無職無収入なため無駄に卓越した技術と体術で犯罪行為をしてお金を稼いでいるということだった。

「テメーなんでまだこの辺うろついてやがんだ」

「いきなり厳しいな。確かにここは松の兄貴の縄張りだが」

 アキラが今居るのはちびっこハウス近くの裏路地。スキルアウト達のカリスマ的存在、昭和生まれのたい焼き屋無法松がにらみをきかせている地区だ。
 無法松は学園都市のカリキュラムからドロップアウトしたスキルアウト達をまとめ、一定のモラルとルールを叩き込んでいた。

 無法松の影響下にあるスキルアウトは凶悪犯罪に手を染めない。
 そんなスキルアウト達が活動範囲にしている地域、それが半蔵の言う縄張りだ。
 当然、半蔵のように警備員に見つかれば少年院送りになるような犯罪を繰り返す暴走集団は縄張りから排除される。

 アキラも半蔵の所属する暴走集団を、何度か一人で一方的に叩きのめしたことがある。
 アキラは暴走集団の犯罪行為に対し特に思うところはないが、無法松の弟分として周囲のスキルアウト達に頼られることがあるため、彼を目障りと思う暴走集団に喧嘩を売られるのだ。
 巻き込まれた結果となったアキラの本音としては「警備員さっさとこいつらどうにかしろ」だ。

 アキラはかつてエルボーを叩き込んだ半蔵の顔を睨みながら、ぽつりと言った。

「三日前のATM強奪、あれテメェの仕業だろ」

「なんのことだ」

 アキラの言葉に半蔵は即答する。
 だが、アキラは脳の裏にある緑色のボタンを押して、半蔵の心を読んだ。

(やべえなんで知ってんだこいつ)

「やっぱりオマエか」

「げ、また読みやがったな」

「オマエのせいで金おろせなかっただろうが死ねッ」

「いやいやそうは言うけどな、俺だって好きでやってるわけじゃない。飯を食うには金が必要でな」

「働けッ!」

「しごくもっともッ!」

 アキラの鉄拳というツッコミを受けて半蔵は路地裏の上を転がる。

 この男、忍者を名乗りながら研究所スパイをするでもなく暴走集団の仲間と日々を過ごしている。
 使い道が果てしなく偏ったな学園都市製の道具を自由自在に使いこなす辺りは忍者っぽいのだが、それを使ってやることが窃盗や強奪だ。どう考えても力の持ち腐れだった。

「学生の街なんだから、ガキでも出来る日雇いの仕事がいくらでも転がってるじゃねーか」

「へ、お金持ちの超能力者様に言われたくありませんなー」

 アキラの言葉に半蔵は起き上がりながら言い返す。

「バイトん時たい焼き恵んでやったのは誰だと思ってやがる。解るか? アルバイトだ、アルバイト。奨学金で左団扇してるわけじゃねえ」

「働いたら負けかなと思っている」

「忍者の言う台詞じゃねえぞそれ。働きたくねーなら筑波の治験でも受けてろや」

「あれ絶対廃人になるって!」

 最新医療を研究している研究所がネットで募集している治験。
 その単語を出されて半蔵は大きく首を振る。
 そのバイトは、『経験者の体験談が全くない』というとてつもなく怪しいものだった。守秘義務があるとしても噂はどこからか漏れるものだ。

「……ところで」

 懐に手を入れて身震いをする半蔵を前に、アキラは逆立った髪の毛に指を突っ込み、頭をかきながら言った。

「オマエ、能力者との喧嘩は得意か?」

「あんたとナンバーエイトに何度もやられてこりごりなんだが」

「じゃあなおさら自分達の縄張りの外にでるんじゃなかったな。クレイジー・バンチのやつらだ」

 周囲をゆっくりと見渡しながらアキラがそう言った。
 路地裏で騒ぐアキラ達をいつのまにかテンガロンハットの男達が囲んでいた。







「おー、いてて……」

 武装能力者集団クレイジー・バンチとの喧嘩を終え、アキラは自己復元セルフヒールで傷を癒しながら表通りを歩く。

 クレイジー・バンチといえば、二ヶ月ほど前にリーダー格の男が逮捕されて裏での勢力を失った集団だ。
 アキラは今回のように彼らに喧嘩を売られて返り討ちにしたことが何度かある。
 だが、今回相手にした彼らは以前よりはるかに強かった。喧嘩が強くなっていたわけではない。純粋に能力の強度が上がっていたのだ。
 想定していた以上の能力を前に、アキラは思わぬ怪我をしてしまった。
 それでもアキラは倒れることはなく、クレイジー・バンチのメンバーの脳内に二度と刃向かってこれないようトラウマになるような恐怖の思念ヘルイメージを散々叩き込んでおいた。

 同じようなことを前回の喧嘩のときもやった。だが彼らは、強力になった能力を身につけ再びアキラに挑んできたのだった。
 アキラは首をかしげる。
 武装能力者集団は人並み以上の能力を得ながら開発の壁にぶち当たり、落第していった者達の集まりだ。
 真面目に学校に行って開発を受けているわけもなく、能力の強度が急に上がると言うことは本来ならないはずだ。

 ある日才能が開花する、ということは能力開発においてしばしば起こりえることだ。
 だがあれだけの人数が一度に力を身につけるということは普通ではあり得ない。
 一体何が彼らの能力を底上げしていたのだろうか。
 長点上機の特別授業を受けているアキラはそう疑問を浮かべた。クレイジー・バンチを詰問してその辺りを聞いておくべきだったかもしれないと、今更ながらに思った。

「で、なんでテメーがついてきてるんだ。これからバイトだっつってんだろ」

 後ろを見ながらアキラは言った。
 彼の後ろには服をぼろぼろにした半蔵が付いてきていた。

「腹が減ったでござる」

「おごると思ってんのか。オマエは餌付けされた野良犬か」

「誰のせいでスーパー超能力バトルに巻き込まれたと思ってやがる!」

「傷は治してやっただろうが」

「いーしゃーりょー」

「この忍者うぜえ……」

 クレイジー・バンチとアキラの喧嘩に巻き込まれた半蔵。
 彼はアキラの仲間であると勝手にクレイジー・バンチに勘違いされ、能力の矛先を向けられた。
 仕方なしに反撃をしたのだが、忍者である半蔵の戦闘法は基本一撃必殺。不意をついて一撃で相手を殺すのが彼の流儀なのだが、何をしてくるか解らない高レベルの能力を使う集団に囲まれては無傷ではいられない。
 結果、怪我を負ってアキラの治癒能力ヒールタッチによる治療を受けたのだが、巻き込んだわびにバイト先のたい焼きを食わせろとアキラにうるさくつきまとっていた。

「わあったよ。食わせてやるよ。その代わり食ったらさっさとこの学区から出ていけ」

「学区って範囲広いな!? なんでオマエそんなに俺に冷たいわけ」

「オマエがいると男の喧嘩が殺陣に変わるんだよ!」

「だってなあ。スキルアウトは誰でも銃やら刃物やら携帯してるし、能力使った喧嘩なんぞいつ死んでもおかしくないだろうに」

「それでも松が締めてるこのあたりじゃ、スキルアウトは殺しはやらねえ流儀なんだよ」

 その流儀に従わないクレイジー・バンチのような集団もいるが、そういう者達は大勢で手を組んだスキルアウトによって縄張りの外へと叩き出されてしまう。普段は縄張りの内部で対立しているようなスキルアウト達も、追い出し時には仲間として参加する。
 人が集まれば法ができる。それはあぶれもののスキルアウト達の間でも同じだった。そしてその法をスキルアウト達に守らせているのが無法松というカリスマだ。

 ただし、無法松はただのたい焼き屋さんである。
 スキルアウトを束ねるリーダーというわけではない。

 彼は第七学区と第一八学区の境目にある公園に屋台を構えている。
 アキラのバイトは、その無法松のたい焼き屋台の代理店主だ。無法松の代わりにたい焼きを焼いて公園に訪れる学生や大人達に売る。
 半蔵を引き連れてアキラは自然公園へと入る。
 科学的に計算されて配置された木々や湖が学生や疲れた研究者に憩いを与える。自然公園とは言うものの、全て科学の手が加わった学園都市の公園だ。公園のそこらを歩き回っている野鳥も決められた区域から外へと飛んでいくことはない。

 そんな無駄に技術の詰まった公園に、木製の手作りの屋台がどんと店を構えていた。
 学園都市の随所で見るような車と一体化した屋台ではない。昭和の香り漂う組み立て式の屋台だ。
 その設計者、無法松は屋台の店員用の椅子で暇そうにくつろいでいた。

「おう、アキラきたか」

 やってきたアキラに、あくびをしながら無法松が言う。
 まだ小学校も終わっていないような時間だ。客足が完全に途絶えていたのだろう。
 立ち上がって首をならしていると、無法松のサングラス越しの視界にバイト員以外の人が映った。

「半蔵か。この周りで人殺すんじゃねえぞ」

「うす」

 無法松の言葉に半蔵はぺこりと頭を下げる。
 無法松の流儀に従わない暴走集団所属の半蔵だが、無法松に対して反発しているわけではない。
 むしろスキルアウトに理解のある大人として無法松にそれなりの敬意を払っていた。

「じゃあ後は任せたぞ」

 そうアキラに言い残し、無法松は屋台の後ろに駐められていたバイクにまたがる。
 学園都市の最新式バイクとは明らかに違うそのフォルム。米国産の赤いハーレーだ。
 セルスターターのスイッチを押すと、大排気量のエンジンが大きくうなりをあげる。
 そしてアクセルを開け、無法松はヘルメットも被らず公園からハーレーで走り去っていった。

 それを見送ったアキラは、屋台の中へと入る。
 すでに用意されていた生地のタネを軽くかき混ぜ、型の火力を調節する。

 たい焼きの作り置きが無いため、アキラはとりあえず半蔵用に二尾分の生地を型に流した。
 このたい焼き型は、一つの型で複数のたい焼きを焼く養殖焼きと言われるものだ。
 屋台には一度に五尾焼ける養殖焼き用の型が三つ取り付けられている。五尾焼ける型で二尾焼くのは非効率極まりないのだが、こんな時間に作り置きをたくさん作っても意味がない。
 作り置きの配分は時間と天気と公園の人の入りに合わせて調節しなければならないのだ。

「ところでアキラよう」

 生地の焼ける臭いを嗅ぎながら半蔵がアキラに向かって言った。

「オマエ顔広いよな。警備員の知り合いとかいるか?」

「あ? ATMの事ならチクんねえよ面倒くせぇ」

「いやそれは逃げる途中で捕まって留置所ぶち込まれてもう面が割れてるから、どうでもいいんだが」

「…………」

 ATM強盗など、どう考えても一発で少年院送りだ
 だが留置所にぶち込まれたというこの男は、何故か今アキラの目の前で餌を待つ犬のようにたい焼きの焼き上がりを待っていた。
 つまりこの忍者は留置所から脱獄したのだ。戦国時代から伝わる伝統技術の無駄遣い甚だしかった。
 それをどうでもいいと切捨て、半蔵は言った。

警備員アンチスキルの知り合いに巨乳ででか尻で髪がすんごい長い黄泉川愛穂って人いねえ?」

「いる」

「うおっしゃああああ! マジで!? マジで!?」

「うるせえ」

「はうん!」

 突然騒ぎ始めた半蔵を、アキラは思念を飛ばして平伏させる。
 本来なら拳で黙らせるところだが、屋台をはさんで向かい合っているために手が届かなかった故の超能力だ。

「黄泉川のババァがどうかしたのか」

 半蔵の口から出た知り合いの名前に、アキラは考え込む。

 スキルアウトの活動で邪魔をされて復讐でも考えているのか。
 だとしたらアキラは半蔵を再起不能になるまで殴っておかなければならない。黄泉川には恩義がある。
 だが。

「てめっ、今てめーババァっつったか! 俺の愛穂さんを! 戦争ものだぞこれ!」

「お、おう?」

 頭に送り続けられていた思念を怒りによる精神力で振り払って、半蔵がアキラへと詰め寄る。

「俺がこうして日々犯罪にいそしんでいるのは愛穂さんに会うため! さながら怪盗と探偵。いや、大泥棒と岡っ引きだ!」

「この忍者うぜえ……」

 アキラは呆れながらも、半蔵の言っていることが本当なのか、緑のボタンを押して心を読む。
 愛穂さんラブで埋まっていた

「で、オレと黄泉川が知り合いだとどうかするのか」

「紹介してください」

「面割れてるなら顔合わせ一発で留置所送りじゃねーか」

「そこはほら、文通から始める清い交際で……名前以外何も知らねえし……」

 そんな半蔵のスキルアウト仲間である浜面という男が、黄泉川に留置所で電話番号を渡されたという事実を彼は知らない。

「つーか忍者なら連絡先くらい自分で調べろよ」

「ストーカーはいかんぞ。それじゃあ変態だろうが!」

「警備員に会うためにATM強盗するほうがずっと頭おかしいわ」

「メールアドレスだけでいいから! ちょっとだけ、ちょっとだけメール送るだけだから! メール! メール!」

「マジうぜえ……。客が寄りつかなくなるから焼き上がるまで黙ってろ」

「あん? 忍者様に向かってそんな口聞いていいのか? 忍法矢車草撃っちまうぞ? 忍法だぞ忍法」

「…………」

 アキラは無言で半蔵の頭に凝縮レモン汁の酸味思念を飛ばす。
 ふぎ、と口を押さえながら絶叫した半蔵はその場でうずくまり、ごろごろと公園の芝生の上を転がった。

 アキラはそれに目も向けず、畳んでいたたい焼きの型を開いた。

「おい、出来たぞ」

 思念の送信を止めたアキラが地面に這いつくばる半蔵に声をかける。
 酸味はあくまで脳に直接送られていただけであって、舌に残っているわけではない。
 何事もなかったかのようにのっそりと立ち上がった半蔵は、何かをアキラに向けて差し出した。

「?」

 アキラは何事かと半蔵が手に掴んでいるものに目をやる。
 空き缶だ。

「屋台の下に落ちてたぞ」

「あん? ……松のやつ、またゴミ下に放り投げやがったか」

 一年中この公園で屋台を開いている無法松は、この屋台を我が家感覚で使っている。仕事中に飲んだ酒の空き缶を足下に放り投げるなどしょっちゅうだ。
 やれやれとアキラが半蔵に向けて手を伸ばした瞬間。
 くしゃりと小さな音を立てて空き缶がひとりでに潰れた。

「――!」

 明らかな異変を感じ取った半蔵は、咄嗟に手の中の潰れた空き缶を全力で横に投げ捨てた。
 空中を飛ぶ空き缶を中心に空間が歪み、周囲の光がどんどんと体積を小さくしていく空き缶へと引き寄せられていく。
 次の瞬間、歪んだ空間が爆発した。

 直径三十センチほどの火球が生まれ、公園に轟音を響かせる。
 急激にふくらんだ爆風が木製の屋台を大きく揺らす。

 咄嗟に爆破地点から離れていたアキラは、揺れる屋台を目にすると、爆発の衝撃で地を転がっていた半蔵を怒鳴りつけた。

「テメェ、ホントに忍法を――」

「いや俺じゃねえ俺じゃねえよ! こんな忍法ないから!」

 謎の爆発は、たい焼き屋台の看板をごっそりと削り取っていた。
 白昼の公園で起きた突然の事件。
 それは、第七学区を騒がせることになる連続虚空爆破事件の始まりだった。



--
禁書目録の学園都市は東京の西側ですが、LIVE A LIVE近未来編原作の舞台は2010年の東京東部なのでこのSSでの学園都市は東京の東側に存在します。
また欠陥電気編でお気づきの方もいるかもしれませんが、軍隊の存在しない原作学園都市と違ってこのSSでは陸軍が存在します。





[27564] 『反転御手』⑨
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/18 20:07

 四月も終わりに近づいてきたある日の放課後。
 佐天が晩ご飯の献立を考えながら校舎の廊下を歩いていると、違う学校の制服を着た女子学生が廊下の向こうからやってくるのが眼に入った。
 見覚えのある制服。常盤台中学のブレザー服だ。そしてそれを着る女子生徒にも見覚えがあった。

「あれ、常盤台の風紀委員ジャッジメントさん……白井さんだっけ?」

「あら、貴女は確かあの公園の……」

 白井黒子。
 自然公園の友人である御坂美琴の後輩だ。
 会話はしたことがないが、美琴をつきまとう姿やアキラと削板の喧嘩の仲裁に入って吹き飛ばされる姿を何度か見てきた。
 彼女の足下を見ると、柵川中共通の上履きではなく、外来者用のスリッパを履いていた。

「うちの学校に何か用かな? 職員室か風紀委員の支部なら案内するよ」

「風紀委員室なら大丈夫ですの。ちょっと人探しを」

「人捜し! 最近話題の連続爆破事件の犯人が柵川に!」

 わーっ、と何故か眼を輝かせる佐天の言葉に、白井は首を振る。
 白井が言ったのは人捜しではなく人探しだ。

「今日からこちらの支部を放課後にお借りすることになりましたの。それで、新しく風紀委員になった方とバディを組むことになったのですが、その方がまだいらしてなくて……」

 白井の言葉をはーっと聞いていた佐天は、新しい風紀委員という単語にふと引っかかりを覚えた。

「探してる人って初春飾利って名前?」

「ええ。お知り合いですの?」

「クラスメイト。今教室の掃除中のはずだから案内しようか?」

「それじゃあお願いしますの」

 白井の返事に、佐天はぶんぶんとスクールバッグを振りながらくるりと反転する。
 ちょうど教室から玄関へ向かおうとしていたところだ。来た道を引き返せば良い。
 二人並んで廊下を進んでいると白井が訊ねてくる。

「そういえば名前をお聞きしていませんでしたわ」

「あたし? 佐天涙子。白井さんと同じ一年生」

「お姉様とはどういうご関係ですの?」

「お姉様?」

「……美琴先輩ですの」

 お姉様。先輩のことをお姉様と呼んでいるのか、と佐天は苦笑した。
 確かに常盤台中学はお嬢様学校で、美琴は学園都市に八人しかいない超能力者レベル5だ。後輩達からお姉様と言われていても不思議ではない。

「友達、かなぁ? 知り合ったのは去年の夏頃かな」

 佐天はそんな曖昧な答えを返す。
 美琴とは公園で世間話を交わしたりするが他の場所で会うわけではない、そんな関係だ。

「白井さんは何で初春と? 風紀委員って一つの学校に一個ずつ支部あったよね?」

「わたくしの寮は学舎の園の外部にありますの。ですので放課後や休日は寮に近いこちらを拠点にと」

「あー、あそこの寮かぁ。確かに常盤台からはずいぶん離れてるよね」

「少しでも社会に触れるようにという触れ込みですけれど、寮の方々が利用するのはもっぱら学バスで、学舎の園の外には怖がって出たがらない方が多いですわね」

 と、この四月からの一ヶ月間で見知った常盤台の現状に白井はため息をつく。

「世間知らずのお嬢様達の集まりという外の方々のイメージも間違っていませんわ」

「御坂さん見てるとそうは思わないけどなぁ」

「美琴先輩は特殊例ですの」

 そこがいいのですけれど、と言う白井の言葉を聞きながら佐天は教室の前で立ち止まる。
 見慣れない常盤台の制服が廊下を行く生徒達の注目を集めるが、佐天は気にせず教室の扉を開けた。
 教室では学園都市製の掃除器具を手にした生徒達が教室の清掃を行っている。
 本来なら校内の掃除など専用のロボットに任せておけばいいものだが、生徒達に自分の教室を掃除させるのが柵川中の教育方針であった。

 佐天は教室の奥へと進み、手に持っていたスクールバッグを床に置く。そして、

「うーいっはるー!」

 掃除機でゴミを吸い取っていた初春のスカートを両手でめくり上げた。
 佐天の声に、掃除中の生徒達が振り返る。

「なっなっなんっ!? 佐天さん!? 帰ったんじゃなかったんですか!?」

「うーん、白の綿パン。セブンスミストのバーゲン品かな」

「バーゲン品かな、じゃありませんよ!」

 慌ててスカートを押さえる初春だが、男子生徒の視線を感じて顔を真っ赤に染めた。
 白井は教室の入り口でそれを呆然とした顔で見つめていた。







「なんで佐天さんが付いてきてるんですか」

「いやー、そんな怒らないでごめんごめん」

 掃除を終えて風紀委員ジャッジメントの支部に向かう初春の後ろを佐天が謝りながら追いかける。
 だが佐天には悪びれた様子もなく表情に笑みが漏れていた。

「仲が宜しいのですね」

 という白井の言葉に、「でしょー?」と佐天が笑う。初春はむくれた表情のままだ。

「これから行くのは風紀委員専用の部屋なんですよ佐天さん」

「うん、一度入ってみたかったんだ」

 佐天の言葉に初春はため息をつく。
 こういうときの佐天は何を言っても無駄だとこの数週間での付き合いで解っていた。
 初春、佐天、白井は放課後の生徒達であふれかえる廊下を歩く。
 そして校舎の外れ、重たい金属の扉の前で足を止めた。

『風紀委員活動第一七七支部』

 盾のシンボルの横にそう書かれたプレートが取り付けられている。

 初春は扉の横にある個人認証用のパネルの上に手の平を載せた。
 このパネル一つで指紋、静脈、指先の微振動パターンを一度にチェックできる。
 風紀委員に与えられている権限は大きいため、例えこの学校の教師であっても無断でこの部屋に立ち入ることはできない。

 扉からロックの外れる音が鳴り、初春は扉を軽く手で押す。
 すると、重たい金属の扉は空気圧のエアーの音と共に横にスライドしていった。

 そんな厳重なセキュリティを見た佐天の感想は。

「これ、停電になると中の人閉じ込められるよね」

 そんな身も蓋もないものだった。

「あ、そう言われてみればそうですよねー。地震とかで歪んだら大変です」

「わたくしの能力は空間移動テレポートですからそういう悩みとは無縁ですわね」

 白井は四月に入ってようやく自身を転移させることができるようになった。
 身体検査システムスキャンをまだ受けていないため名義上はまだ強能力者レベル3だが、実質的に大能力者レベル4の能力者だ。

「便利そうですよねー、空間転移って」

 部屋の中に入り、綺麗に並んだビジネスデスクの自席の椅子を引きながら初春が言う。
 それに対し白井は。

「そういう初春さんこそ、能力用の専用機器を本部から支給されたと聞きますけれど」

 と、近くにあった椅子に座りながら言った。
 その言葉に、オフィスの一室のような支部の内装を見渡していた佐天が反応した。

「専用機器? そういえば初春の能力ってどんなの?」

「えっと、私のは『定温保存サーマルハンド』っていうレベル1の能力です。手で触っているものの温度を一定に保てるだけなんですが」

「温度かー。便利そうじゃん」

「まず触らなくちゃいけないので、熱いものとか冷たいものを対象にできないんですよ。常温のものを常温に保てても何の役にも立たないと思っていたんですが……」

「そこで支給された専用機器ですわね」

「はい、これです」

 そう言いながら初春はデスクの上に置かれていた奇妙な形のPCを手に取った。
 何十年も前に使われていたような分厚いノートPC。側面には左右それぞれぽっかりと穴が開いている。
 無骨な天板には大きく壽と文字が彫られていた。

「長点上機の教員の方が開発した演算処理能力がすごい高いパソコンで、本来なら巨大な冷却装置が必要なんです。私の能力を使えばどれだけ高負荷をかけても『温度が上がらない』のでこのサイズに収まったらしいです」

 そう説明しながら初春がノートPCの天板を開ける。
 そこには本来あるはずのキーボードが存在しなかった。側面の穴は手を差し込むための穴で、キーボードは穴の内部に存在する。

「操作中は手を離せないのが欠点ですねー」

 そう説明する初春の言葉に、佐天はなにやらうーんと考え込んだ。

「長点上機……壽……。初春もしかしてさ、それ作ったの藤兵衛って人?」

「そうですけど……お知り合いですか?」

「いやー、知り合いの超能力者レベル5の教師さん? 会ったことはないけど」

「ええっ、超能力者レベル5にお知り合いいるんですか?」

 驚く初春に、佐天と白井は苦笑する。
 そして白井がこう告げた。

「なんと言いますか……世間は以外と狭いですわね?」







「初春ー。明日からゴールデンウィークだよー。どこか遊びに行こうじぇー」

 佐天は支部に用意されていた『人間工学的に疲れない椅子』に座りながらそう暇そうに言った。

「うーん、行きたいのは山々なんですけど、連続爆破事件の捜査がありますからね……」

 ノートPCに手を差し込みながら初春が言う。

「正確には連続虚空爆破グラビトン事件ですの」

 そう初春の言葉に続いたのは白井だ。

「第七学区内で無差別に爆破を繰り返してますの。仕組みはアルミを基点にした重力子グラビトン加速。アルミを爆弾に変える能力者の仕業と見られてますわね。アルミ自体はどこにでもありふれているものですので、衛星からの重力子観測でしか前兆を予測できていない現状ですの」

「事件の発生場所のパターン解析もしてるんですが、今のところ規則性も見つからないですね」

 そんな二人の説明を興味なさそうに聞いていた佐天はつぶやく。

「それって警備員アンチスキルの管轄だったりしないの?」

「本来ならそうなんですけど、ゴールデンウィーク前の警備体制で人手不足らしくて。爆破事件の対処で警備員の方五人も負傷しているらしいですし」

「警備員を狙った犯行だったりして」

「重力子が観測されてから現場に向かった人が負傷してるので、その線も薄いと思います」

「じゃあ本当に無差別かー。明日せっかくショッピングモールのお祭りなのに出歩くの怖いなー」

 自分に割り当てられたPCを操作しながらそんな会話を聞いていた白井は、別の点を考える。
 犯人が何を狙っているかではなく、犯人が誰であるかと。

「初春さん、『書庫バンク』の該当データは見つかりましたの?」

「あ、はい、今送りますね。量子加速で爆弾を作れる強い能力者は一人だけです」

 白井の操作する画面にデータが転送されてくる。
 『書庫』に登録された学生の能力データだ。

 釧路帷子くしろかたびら。能力は大能力者レベル4の『量子変速シンクロトロン』。
 初春が算出した爆破の威力から見て、該当する強い能力を持った人物はこれ一人だ。

 能力からすればこの釧路という人物が容疑者なのだが。

「彼女、四日前に病院へ搬送されています。今は原因不明の昏睡状態みたいですね。爆破事件は昨日も起こっていますからこの人じゃないってことになります」

「となると該当能力者はなし……。『書庫』に登録されない短期間で急激に能力を上げた能力者か、重力子の加速を人工的に行える新技術を使用しているか……」

「え、新技術とかあるの?」

 椅子にだらりと沈み込んでいた佐天が驚いたように言った。

「能力でできることは科学で再現できてもおかしくありませんの。そもそも能力者という存在自体が技術研究の副産物のようなものですから」

 学園都市は一八〇万人の学生の能力開発を行っているため、内外の人々に勘違いされがちだが、学園都市の目的は超能力者を生み出すことではない。
 本来の目的は科学で世界の真理を解き明かすことであり、超能力者を開発しているのも『人間の限界を越えることで神の領域にある真理を解き明かすSYSTEM』ためだ。
 神の領域に達した絶対能力レベル6以外の能力者は全て神の領域に至るまでの副産物であり、そしてまた研究対象でもある。

 能力者が使う能力とは『可能性の観測』だ。その場で起こりうる0%に限りなく近くそれでいて0%ではない確率を100%に変えるもの。故に、能力が引き起こす現象は全て物理法則の枠組みを超えることはない。
 つまり能力が現実に作用している現象を解明できれば、それを科学技術で再現することができるということになる。
 白井の使う十一次元ベクトルを用いた空間移動も、実用化さえできれば人類は機械で空間転移することができるようになるのだ。

 と、そんな説明を白井から受ける佐天だが、その辺りのことは佐天も知っている。

「遠隔で重力子を加速させる装置なんて、いくら学園都市でも現実的なサイズで作れないんじゃないかなー? アルミに直接取り付けて爆発させるなら装置の破片がそこらへんに散らばってばればれだろうし」

「確かにそうですわね。だとすると同系統の能力者が短期間で能力を上げたことになりますの」

「前回の身体検査システムスキャンからの推定最大伸び値を『書庫』の『量子変速シンクロトロン』能力者データに当てはめてみましたけど、該当者なしです」

 初春の言葉に、白井がうむむと考え込む。
 それに続けて初春が再び言った。

「ただ、事件の被害規模って段々大きくなっていってるんですよね。『本来ならあり得ない伸び値』を当てはめれば何人か絞り込めるかもしれないですよ」

「あり得ない伸び値、ですの」

「それこそ能力開発の新技術があるんじゃないですか?」

 そんなことを冗談のように笑って言う初春に、椅子から立ち上がった佐天がぴっと人差し指を伸ばして言った。

「あくまで噂なんだけどさ」

 そう前置きして、にやりと笑う。

「能力の強さレベルを簡単に引き上げる道具があるんだってさ。『幻想御手レベルアッパー』っていう最近出てきた都市伝説」

 その言葉にうさんくさげに初春が佐天を見るが、白井は何かを考え込むように顎に手を当てる。
 そして、真面目な顔で初春へと告げた。

「初春さん、そのあり得ない伸び値でやってみてくださいな」

「冗談だったんですけど、良いんですか?」

「二ヶ月前の喫茶店での武装能力者集団の件、覚えていますわよね」

「え、あ、はい」

「あれで捕まった二人、『書庫』の能力データより強い能力を使っていたらしいんですの」

 その言葉に、初春も真面目な顔でPCの画面へと向き直った。
 急に途切れた会話に、佐天は一人取り残されたように立ちすくんだ。
 そして元の椅子へと座り、呟く。

「……え? 『幻想御手レベルアッパー』ってマジモンなの?」





[27564] 『反転御手』⑩
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/02/19 22:33

 ゴールデンウィーク初日。
 学生達が一斉に学業から解放されるこの期間、学園都市の各所では学生向けの様々な催し物が開催されていた。
 学生の多くは学校近くの寮住まいであり、意外とその生活圏は狭い。そのため普段は大人の教師や研究者向けに営業している店や施設も、学割キャンペーンなどで少しでも多くの客を呼び込もうとしている。
 第七学区にあるショッピングモールでは、神社の縁日のように道に出店を広げ、商店街祭なるものを開いていた。

 佐天は朝から特にすることもなく暇だったため、ショッピングモールへと足を運んでいた。

「アケミ達は午後からかぁ」

 携帯電話をいじりながら佐天が呟く。
 四月の初めに学校で行われたオリエンテーション以来、あの五人の班メンバーで何かと行動することが多かった佐天達。携帯で連絡を取り合ったところ、午後から第二二学区の地下街に繰りだそうということになった。
 午前から行動開始しないのは、メンバーの一人むーちゃんが電話するまで爆睡していたのと、初春の風紀委員ジャッジメントの仕事時間の関係上だ。
 昨日に幻想御手レベルアッパーの噂話をしてから、何やら犯人が絞り込めそうになったらしい。

 そういう事情で佐天の午前のスケジュールは何もない。
 一人寂しくショッピングモールの出店をだらだらと見て回った。

 出店に並ぶのは、学園都市の外でも見覚えのある金魚すくいや射的、綿飴などの定番のものだ。
 佐天が学園都市に来る前はこういう祭りは神社の縁日に合わせて開かれるものだったが、ここではそういう神社由来の祭りがない。
 学園都市では、何故か宗教行事が行われないのだ。
 年末に除夜の鐘をならすこともなければ、新年に初詣をすることもない。
 クリスマスも商店のセールは行われるが教会でミサをやっているというのを佐天は聞いたことがない。
 そもそも街中に神社や寺、教会といった建物が存在しないのだ。

 宗教施設は神学系の学校が集まる第一四学区に集中し、墓地は第一〇学区にのみ存在する。学園都市統括理事会は科学に対する過剰な信望が生む『科学宗教』の存在すら否定している。
 なぜこの都市ではここまで徹底して宗教の要素が排除されているのか佐天は知らない。が、なんとなく予想できる部分はある。
 学園都市の目的は人間を神様の領域に押し上げようというもの。そこには既存の宗教理念と衝突する部分が多いのだろう。悟りを開いて真理に目覚めるという仏教的な思想も、投薬と脳開発によって作られる超能力者とは似ても似つかないものに思える。

 学園都市には宗教が存在しない。
 それゆえに、宗教由来の様々な催し物が行われないことになるのだが、そうなっては困るのが商売人達だ。
 古来より宗教的な縁起にこじつけていろいろな物を売ってきた彼らの流儀がここでは通用しない。
 そこで取られた手段は、学園都市の決める祝日や行事に便乗して自主的に催し物を開くといったものだった。

 今佐天がいるショッピングモールも、出店が出ている理由がゴールデンウィーク初日だからという理由の『GW祭り』なるものだった。
 商魂たくましい、とは思うものの特に否定的な感情は佐天にはない。
 学園都市の学生らしく無宗教な人間なので、純粋な商売のための縁日の真似事を見ても忌避感を覚えないのだ。
 楽しめればそれでいい。

 しかし、と佐天は思う。
 一人で出店をまわっても面白くない。
 こういうものは誰かと一緒に見て回ってこそ楽しめるのだ。
 そこで彼女は出店を見て回るのをやめ、人混みの中から『知り合い探し』をして時間を潰すことにした。
 彼女は中学に上がる前から第七学区の小学校に通っていた。だから誰かしら見つかるかもしれない、そう思い数分ふらついたところ、思惑通り見知った人物を見つけた。

「アキラさーん」

 佐天の視界の先に、数人の子供達を連れたたい焼き屋のバイト店員がいた。

「おう、佐天じゃねーか」

「どうしたんですかモテモテですね」

 アキラの周りには歳が様々な小学生の子供達が群れていた。兄弟、というわけではないだろう。彼は親無しの孤児院住まいだと前に聞いたことがある。

「ああ、オレの住んでるちびっこハウスのガキ達だよ。祭りに連れていけって百合子にこいつら押しつけられてな」

「アキラ兄ちゃんこの人誰ー? 彼女ー?」

 アキラの言葉の途中、彼の背中にまとわりついていた女の子がそんなことを言い出す。

「ちげえよ、松んところの店の常連だ」

「松さんのたい焼きー!」

 きゃっきゃと笑う周囲の子供達。
 それを見た佐天は、普段の尖った不良のアキラとのギャップに笑いをこぼした。

「たい焼きの屋台、開いてるわけじゃないんですね」

「ああ、そっちは松が気合い入れてやってるぞ。設営は手伝わされたけど後は自由にしてろって」

「松さんやってるんですか。見に行こうかな」

「祭りだからって特別いつもと変わってるわけじゃねえぞ。いつでも食えるんだから勿体ねえって」

 確かに言われてみれば、公園に行けばいつでも買えるものをわざわざ祭りに来てまで食べるものでもない。
 しかしどうしたものか、と佐天は思った。
 知り合いは見つけたものの、この大所帯に付いていくのもなんだ。

「兄ちゃんミドリガメ釣れたー!」

 カメすくいの露店から、カメの入ったビニール袋を手に提げた男の子が走ってくる。
 水の入ったビニール袋の中では、とてもカメすくいのポイではすくえなさそうな、一〇センチほどの大きさのカメが泳いでいた。

「うお、でけえなまた」

「ミドリガメの成体はアカミミガメっていうらしいですよ」

 驚くアキラの横から佐天が説明する。ミドリガメはアカミミガメの幼体を指す言葉だ。
 佐天はビニール袋の中でじたばたと泳ぐ大きなカメを見て、ふと懐かしい気持ちになった。
 学園都市の外に残してきた弟もこうやって縁日でミドリガメを取ってきて、成体に成長するまで育てていた。

「アカミミガメかー。カオリにやろうっと。カオリは?」

「ん? ……あれ、カオリどこ行った」

 男の子の言葉にアキラはきょろきょろと周囲を見渡す。
 アキラの周囲の子供達も周りを探し始める。
 カオリ、と子供達が名前を呼ぶが、どうやら見つからないようだった。
 背中にはりついていた女の子を引きはがしたアキラは、右手を顔の前に出して「すまねえ」と佐天に言った。

「佐天、もし遊んでる途中でカオリのこと見つけたら教えてくれねえか。他のガキも見なきゃいけねえから離れられなくてな」

「はい、どんな子ですか?」

「髪を二つしばりにしたピンクのワンピース着た十歳くらいの子だ」

「わかりましたー」

「すまねえな。オレの妹なんだがちと病気がちでな、目を離すと心配なんだ」

「シスコンなんですね」

「なっ、ちげえよ!」

「あはは、じゃあ見かけたら連れてきますね」

 そう言って佐天はアキラ達の元を離れる。
 さて、人探しがまた新たな人探しになった、と佐天は携帯電話を取り出し時間を確かめる。
 午後の約束の時間まではまだしばらく余裕がありそうだった。







 出店の並ぶショッピングモールを歩いていると、佐天は巫女さんが行き倒れているのを見つけた。

「……なんでやねん」

 思わず佐天はどこともとなくツッコミを入れる。
 先ほど学園都市には宗教施設がない、などと考えていたのは佐天だ。
 だというのに、祭りの最中に巫女装束を身につけた女性がいた。しかも、焼きそばやたこ焼きのパックを盛大にぶちまけて倒れている。
 周囲の人達が遠巻きに救急車を呼ぶべきかなどと会話をかわしていたが、佐天はとりあえず容態を確かめるべく近づいた。

「大丈夫ですかー?」

 佐天の言葉に、巫女さんがぴくりと肩をふるわせる。
 どうやら気を失っているわけではないようだ。
 うつぶせに倒れた巫女さんの頭の近くに佐天はしゃがみ込む。
 さて、こういうときは肩を揺らして良かったのだろうか、と佐天は悩み、とりあえず再び声をかけてみることにした。

「あのー」

「く……」

 佐天の呼びかけに、巫女さんが首をわずかにずらし息を漏らした。
 巫女さんの頭には大きなヘッドホンがかけられていた。赤と白の巫女装束とはミスマッチなその文明の器具が、塗装された地面と擦れあい小さく音を立てる。

「……食い倒れた」

「…………」

 見知らぬ人になんでやねんと突っ込まずに済んだのは超能力という非日常で鍛えられた自制心のたまものだろうか。
 巫女さんの周囲を取り囲んでいた野次馬達は、巫女さんの言葉を聞いて止めていた足を動かし始める。
 人だかりがゆっくりと動き、巫女さんと佐天のいる空間をぽっかりと空けたまま人の流れができる。
 見るからに怪しい食い倒れの巫女さんとは関わり合いになりたくないのだろう。出店をまわる人の動きは明らかに佐天達を避けていた。

 結果的に、この巫女さんは佐天が一人でどうにかしなければならない状況になっていた。
 立ち去ろうにも、顔を横に向けた巫女さんがじっと佐天を見上げている。
 なんでこんなことに、と思いつつ佐天は巫女さんに問いかける。

「えっと、食い倒れ?」

 佐天の言葉に巫女さんがこくりと頷きを返す。
 巫女さんは佐天より二、三歳ほど年上だろうか。本職の巫女と言うより正月に神社で働くバイト巫女といった年齢だ。もちろん神社のない第七学区にはそのようなバイトはない。

「とりあえず起きましょうか」

「お腹……苦しい……」

 知らんがな、と佐天はとりあえずこれ以上注目を浴びないようにと巫女さんを起き上がらせようとするが、本人に起き上がる意思がないため佐天の力では中々身体が持ち上がらない。

「手伝うですかー?」

 と、佐天の横から声がかかる。

「あ、お願いしまーす」

 声の主は佐天の対面にしゃがみ、巫女さんの身体を掴み上げる。
 よいしょー、という声と共に何とかうつぶせになっていた巫女さんが仰向けに変わり、そのまま上体を起こさせる。背が曲がり胃を圧迫された巫女さんがおえっぷといううめき声をあげるが、佐天は気にせず巫女さんを体育座りの体勢にさせた。

「どうしたですかー?」

 そう声をかけるのは、途中で手伝ってくれた人。
 佐天より一、二歳ほど年下の女の子だ。ピンク色のショートヘアーが何とも目立っていた。

「食い倒れた……」

「それはもう聞きました……。何でそんなことに」

 そう佐天が巫女さんに問いかけると。

「商店街の無料券。たくさんあったから」

「無料券?」

「四月にショッピングモールで買い物すると、千円に一枚五十円分のお祭り券が貰えたですよ」

 そうピンクの女の子が補足する。
 千円で五十円券とはまた微妙な値だ。とても食い倒れができる量をため込めると思わない。

「塾の人達から貰っていたら五千円分」

「それはまたすごい量ですねー」

「塾に住んでるから。塾生の人達と仲良くなった」

 ヘッドホンを両手で触りながら巫女さんが嬉しそうに言う。

「でも、それって食い倒れする理由にならないんじゃあ……。お祭り今日だけじゃないんだし」

 そう佐天が突っ込みを入れる。
 その言葉に巫女さんは軽く首を振り、懐に手を入れた。
 するりと胸元から出てきたのは、巫女装束には似合わない皮の財布。

「所持金、三〇〇円」

「はい」

「帰りの電車賃。四〇〇円」

「はあ、それが?」

「帰れない。だからやけぐい」

「…………」

 今すぐにでもこの場を立ち去ろうかと佐天は思った。
 が、そうするとこの変な巫女さんをピンクの女の子に押しつけてしまうことになる。
 どうしようか、と佐天は女の子の方を見ると。

「しょうがないですねー」

 と、女の子は巫女さんと同じように財布を取り出すと、中から千円札を出した。ちなみに財布はパンダの形をしたがま口財布だ。

「はい、これ電車賃にしてください。無駄遣いして帰れなくなったらダメですよ?」

「おお……。救いの神が……」

 ふるふると震えてお金を受け取る巫女さん。
 それを見ていた佐天は、ぽつりと今の心境を呟いた。

「食い倒れしたあげくこんな小さな子供にお金を恵んでもらう巫女さんって……」

 あまりの情けなさに思わず漏れてしまった言葉に、巫女さんではなく女の子が反応した。

「子供じゃありませーん!」

「ええー、そっち!?」

「わたしちゃんと大人なんですよ!」

「は、はあ……」

 佐天が戸惑っていると、女の子は再びパンダの財布に手を入れる。
 そして、ずびし、と効果音がつきそうな勢いで取り出したのは、車の運転免許証。

「学校の先生なんですよ」

 免許証。女の子の年齢ではとても取得できるとは思えない物だが、目の前の女の子と同じ姿をした顔写真が印刷されている。
 名前は月詠小萌。生年月日は――

「え、ええー!?」

 とんでもなかった。

「学校の先生をやってるのですよ。なので電車賃を出すくらいなんともないのです」

「ファンタジー」

 そう呟いたのはオカルトな格好をしている巫女さんだ。
 だが確かにファンタジーだ。謎のアンチエイジング治療を受けているというのでないならば、魔法としか思えない年齢だ。
 佐天は昨日に引き続き学園都市の都市伝説に遭遇している気分になった。

「あれ、小萌先生どうしたんですか」

 と、佐天達を避けて通る人混みの中から声がかかる。
 佐天が振り向くと、ツンツン頭の少年がこちらに向かってきていた。
 少年は小さな女の子と手を繋いでいる。兄妹だろうか。

「あ、上条ちゃんこんなところで何やってるですかー。ちゃんと宿題は終わらせたですか?」

「げっ、いやいやこれはですね。遊んでいたわけじゃなくて、迷子の女の子を案内してあげているというちゃんとした理由があってですね」

 ツンツン頭の少年はさっと自分の前に女の子を出す。
 ピンク色のハイウェストワンピースを着た十歳くらいの女の子。耳の上で髪を二つ縛りにしている。
 二つ縛り。ピンクのワンピース。十歳の女の子。迷子。その特徴に佐天は心当たりがあった。

「んー、もしかしてカオリちゃん?」

「そうだよ? お姉さん、なんで私の名前知ってるの?」

「アキラさんが探してたよー。あっちにあるカメすくいのところ」

 アキラの名前を出すと、女の子、カオリはじっと眼を細めて佐天を見た。
 その視線に佐天の背筋がぞくりと震える。
 まるで「女狐め」とでも言わんばかりの視線だ。

「あたしは松さんのところの常連客なんだ。だからアキラさんとも知り合いってわけ」

「……うん、わかった」

 凍える視線から解放された佐天は、カオリにカメすくいの出店の場所を詳しく教えた。
 それを横から聞いていたツンツン頭の少年は、小萌先生へと向き直ると。

「じゃ、先生、この子連れて行くんで……」

「宿題ちゃんとやってこないと最終下校時間まですけすけ見る見るですよー」

 うげ、という言葉を残して少年はカオリの手を引いて人混みの中へと消えていった。
 懸念事項一つクリア、と佐天は心の中で息をつく。
 後はこの食い倒れ巫女さんをどうにかしなければならないが、彼女はまだお腹が重いのか体育座りで地べたに座り込んだままだ。
 帰りの電車賃も渡されていたし、自分も去るべきだろうか。とそんなことを思っていたときだった。ポケットの中の携帯電話がけたたましい着信音を鳴らした。

 佐天は小萌先生に軽く目配せをして携帯電話を取りだす。
 着信相手は初春の携帯電話だ。
 佐天は通話ボタンを押して携帯電話を耳に当てる。

「はいもしも――」

『佐天さん! 今どこにいますか!』

 と、スピーカーから大音量で初春の叫び声が響いた。
 突然の大声に佐天は顔をしかめながら言葉を返す。

「今朝も言ったとおりショッピングモールのお祭りだけどー」

『今すぐそこを退避してください!』

「んー? どういうこと?」

『衛星が新しく重力子グラビトンの爆発的加速を観測したんです』

「……えっと、それってもしかして」

『次の爆破地点はそのショッピングモールです!』

 佐天は視線を周囲へ泳がす。
 初春の大声が漏れ聞こえていたのか、ピンクの子供先生と食い倒れ巫女が真面目な顔で佐天の手元の携帯電話を見つめていた。




[27564] 『反転御手』⑪
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/09/03 07:49

「――どっせい!」

 佐天は巫女装束の少女の腕を首の後ろにまわし腰を掴むと、暑苦しいかけ声とともに座り込んでいた少女を立ち上がらせる。
 巫女の少女の口の奥からカエルが潰れたような声が響くが、佐天はおかまいなしだ。

「ここ、ちょっと危ないらしいんで避難しましょう」

「ん……」

 佐天の電話の声を聞いていた巫女の少女は頷くと、佐天に肩を借りながら一歩踏み出そうとするが。

「うえっぷ」

「わ、先生も手伝うですよ」

 食い倒れたというのは冗談でもなんでもないようだ。胃のあたりを押さえながら苦しそうにうめき声を上げている。
 両脇を佐天と小萌先生に支えられながら、なんとか前へと進んでいく。

「ちなみに食い倒れというのはお腹いっぱいで倒れることじゃなくて、食べ過ぎてお金がなくなることですよー」

「……一つ賢くなった」

「お二人とも、非常事態ですよ……」

 苦笑しながら佐天は歩を進める。
 そんな彼女達の後ろから、拡声器に乗せられた男性の声が届いた。

風紀委員ジャッジメントです! 能力災害警報が発令されました! 風紀委員と警備員アンチスキルの誘導に従ってすみやかにショッピングモール内から退避してください』

 風紀委員の声が途切れるとともに、周囲からざわめきの声が湧き上がる。
 ショッピングモールの祭り会場では、見回りの風紀委員や警備員がところどころに配置されていた。彼らも佐天と同じように、爆破の兆候有りとの連絡を受けたようだ。

「こちらのほうへ早歩きでおねがいしまーす! 小さなお子さんが近くにいる場合は手を貸してあげてください! あ、そこ危ないので走らないで!」

 風紀委員からの避難誘導の声があがり、周囲の人々がショッピングモールの出口の方へと動いていく。
 学園都市では能力者や暴走集団スキルアウトによる人的災害が日常的にあり、住人達も日頃から避難訓練を受けているため大きな混乱もなく出口へと人の流れができあがる。
 しかし。

「ぐええ……」

 食い倒れ巫女を助けながら避難するというのは、佐天にとってさすがに初めての経験だった。

「もういっそ吐いちゃった方が楽なんじゃあ……」

 胃の限界を超えた量の粉物を腹に詰めている巫女服の少女に佐天は言うが。

「そ、それだけはのーさんきゅー」

 どうやら人前で倒れはしても、人前で嘔吐するのを恥ずかしがる程度の乙女心は持ち合わせているようだ。
 いっそのこと見捨てて逃げ出したい気持ちに佐天は駆られるが、巫女の少女の腕は佐天の首をがっちりとホールドしているのだった。

 佐天と小萌先生は二人がかりで食い倒れ巫女を出口へと運ぶ。
 三人は人の流れに少しずつ置いていかれ、途中で風紀委員の助けを借りながら、なんとか避難の列の最後尾でショッピングモールから抜け出すことができた。
 昼の日差しの降り注ぐ歩道で、佐天は無駄に疲れた身体を休めるために鉄柱へと寄りかかる。
 ショッピングモールの入り口は、新たに人が入り込まないように私服の警備員達によって封鎖されていた。どうやら避難はほぼ全て完了したようだ。

 せっかくの休日が台無しだ、と一息ついた佐天が額に浮かんだ汗をハンカチでぬぐっていたときのこと。

「小萌先生!」

 佐天達のところへ、先ほどアキラの妹カオリを連れていたツンツン髪の少年が走り込んできた。

「あの子見ませんでしたか!?」

 少年が慌てたように小萌先生へと問いかける。

「あの子……って、さっき上条ちゃんが連れてた女の子ですか?」

「ええ、途中ではぐれちゃって、それで外で探しても見かけないんです」

 そんな二人のやりとりを聞いた佐天はぽつりと呟く。

「もしかしてまだ中にいるんじゃあ……」

「! 探してきます!」

「駄目ですよ!」

 駆け出そうとする少年のすそを掴んで小萌先生が引き留める。

「危ないから警備員の人に任せるですよ。先生が話してきますね」

 少年の代わりに、小萌先生がショッピングモールの入り口の警備員のところへと向かおうとしたときだ。

「あ、あの子だ」

 地面に座り込んだ巫女装束の少女がぽつりとつぶやき、ある一方を指さした。
 少女の声に佐天達が振り向くと、小脇にぬいぐるみをかかえた女の子が駆けてくるのが見えた。
 ピンク色のワンピースを着た女の子。カオリだ。

「ああ、ちゃんと避難できてたんだな」

 安心したようにツンツン髪の少年が息をつく。

「うん、メガネのお兄さんが助けてくれたの」

 佐天達の元へと走り込んできたカオリがそう言いながら、小萌先生の前で足を止める。

「それでピンク髪のおねえさんにこれを渡してって」

 カオリが脇に抱えていた射的の景品にでも並んでいそうな安物の小さなぬいぐるみを小萌先生に渡す。

「んん? なんですかね、これ」

 受け取ったぬいぐるみを小首をかしげて眺める小萌先生。
 それをぼんやりと見ていた佐天の脳裏に、ふと昨日風紀委員の支部で耳にした情報が浮かんできた。

 連続虚空爆破グラビトン事件。アルミを爆弾に変える。ゴミ箱の中の空き缶や、ぬいぐるみの中に隠したアルミのスプーンを使って偽装。被害者は五名。いずれも警備員――教職員。

 とっさに佐天は飛び出していた。
 カオリを突き飛ばし、小萌先生の手からぬいぐるみを奪い、飛んだ勢いのまま地面へと倒れ込む。
 手の中でぬいぐるみが変形していく感触を佐天は覚えた。
 重力子の加速。爆発の兆候だ。このままでは腕ごと重力子の加速に巻き込まれてしまう。

 仰向けに倒れながら、佐天はぬいぐるみを上に向かって放った。

「逃げて! これが爆弾!」

 叫びながら、佐天は放り投げたぬいぐるみを視界におさめる。
 重力子の加速でぬいぐるみが内側へと縮んでいく。そして、周囲の光を歪める暗闇の塊が佐天の元へと落下してくるのを見た。

 ――ああ、そういえば遠投の成績っていくつだったかなぁ。

 そんなことをぼんやりと考えながら佐天は頭上で臨界点に達した重力子の塊を眺める。

 ――なんであたしこんなことやってるんだろ。

 諦観の思いで重力子加速を見上げる佐天の視界。
 それを遮るように、横から影が割り込んできた。
 逆光で薄ぼんやりとした、ツンツン頭の人影。

「――不射の射」

 空が爆発した。







 昼の通りに轟音が響く。
 連続虚空爆破グラビトン事件。その新たな被害がゴールデンウィーク初日のショッピングモール入り口で発生した。
 避難した人達は爆発の煙を見てざわめく。
 そんな中、一人の男が人がきを抜けて裏路地へと入っていく。

「ククク、カカカッ」

 メガネをかけたひょろひょろの細身の高校生らしき男。
 彼こそ連続爆破事件の犯人である爆弾魔であった。

「いいぞ、今度こそ逝っただろう」

 今までにない巨大な爆発に、爆弾魔は暗い達成感を感じほくそ笑みを浮かべた。
 徐々に力が強くなってきている、その事実に爆弾魔は顔を歪めて笑う。

 初めは小さな爆発だった。アルミの缶を使った重力子加速は爆竹を束ねた程度の破裂しか起こせなかった。
 だが少しずつ威力が上がっていき、やがて爆弾として使えるようになるまで能力が成長した。
 全ては幻想御手レベルアッパーと呼ばれる噂の道具を手に入れてからだ。
 日に日に能力の出力が上がっており、今では大能力者レベル4に匹敵する爆発を起こせるようになった。

 ――もうすぐだ! あと少し数をこなせば無能な教師共もみんなまとめて

「吹き飛ばせる、てかぁ?」

「!?」

 突然背後からかけられた声に、爆弾魔が振り返る。

「よう、犯人」

 そこには、茶髪を逆立てさせた一人の少年が立っていた。
 改造学ランを着込み、両の手をズボンのポケットに入れ睨み付けてくる。いかにも不良スキルアウトといった出で立ちの男だ。

「よくもまあオレの妹に爆弾なんて持たせてくれたなぁ」

 肩を怒らせながら不良少年は一歩、二歩と近づいてくる。
 眼光に威圧され、爆弾魔は後ろへとよろめいた。

「な、何のことだか僕にはさっぱり」

「どうしてわかった、か。へえ、やっぱりテメェだな」

「――!?」

「狙いは何だ? そうか、教師狙いか」

「な、なんな……」

「自分の先公以外も狙うってのが解せねぇ。……素養格付パラメータリスト、なるほどあれか」

「何なんだよお前はーッ!」

 心中を次々と言い当てられ爆弾魔は頭を抱えて叫んだ。
 そんな彼の様子を見て不良少年は邪悪な笑みを浮かべる。

「別にこの街じゃあ珍しくもねーだろ。頭の中で考えていることを読まれるなんざ」

 読心能力サイコメトリー
 爆弾魔ははっと目の前の不良少年を見つめる。
 そう、彼はスキルアウトレベル0などではない。読心能力を持つ能力者だ。

「――そうか! お前の顔、知ってるぞ! 超能力者レベル5の第七位!」

「おうよ。超能力者で、そしてテメーが爆弾を持たせた子供の兄貴だ」

 少年――アキラがゆっくりと、一歩ずつ近づいてくる。

 爆弾魔は咄嗟に逃げ出す、と見せかけ振り返り重力子を加速させたアルミのスプーンをアキラへ向けて放り投げた。
 だが、一瞬のうちにアキラは爆弾魔の眼前へと踏み込んでいた。
 それと同時に、アキラの肘が爆弾魔の顔面へと突きささる。

 躊躇なく叩き込まれた肘鉄により、メガネがひしゃげ鼻が潰れ爆弾魔はうつぶせに倒れ込み、悲鳴をあげながら地面を転げ回った。
 アキラは靴の裏で爆弾魔の腰を踏みつけ動きを止め、さらに髪の毛を掴んで頭を持ち上げる。

「人の妹に能力を使って、五体満足で帰れると思うんじゃねーぞ」

「……う、うるさい」

「あ?」

「うるさい! どうせお前だって、超能力で好き勝手やってるんだろ! 僕もやって何が悪い!」

 爆弾魔は上体を大きく振り少年の手を振り払い、アキラから距離を取って肩にさげた鞄の中に手を突っ込んだ。
 鞄の中にはみっしりとアルミ製のスプーンが詰め込まれている。

 アキラはそんな爆弾魔を冷ややかな目で見つめ、そして読心能力を使い彼の心を読んだ。

 爆弾魔の胸中にあるのは上位能力者への嫉妬、そして教師への憎悪。
 『能力開発を受ける前から個人の能力の才能限界はわかっている』という素養格付パラメータリストの噂へと向けられた悪感情の塊が、そこにはあった。
 アキラは一つ息を吐くと、爆弾魔の瞳をじっと睨み付ける。

「……ああ、確かにテメーの言うとおりオレは超能力を使って好きなように生きてるさ。能力使って喧嘩なんざよくあることだ」

 アキラの言葉に、爆弾魔の顔に怒りともあざけりともとれる歪んだ表情が浮かぶ。

「だがな、その自分の生き様に、関係ねぇ子供を巻き込むのは男のすることじゃねぇ」

 そう言いながら、アキラは下げていた手を顔の前に上げ、拳を作りファイティングポーズを取る。
 そして、爆弾魔に向けて言った。

「来いよ。能力なしで相手してやる」

 戦いの宣言。
 だがその内容が、爆弾魔の怒りに触れた。

「馬鹿に、するなぁ! 殺してやる!」

 爆弾魔は手の平いっぱいに鞄の中のスプーンを掴み、アキラに向かって全力で放り投げる。
 いずれも重力子加速をかけた、能力爆弾の弾雨だ。
 だがアキラはそれを意にも介さず前へと駆ける。ばらまかれたスプーンは、一つもアキラの身体に触れることなく通り過ぎていった。
 単純な理屈だ。アキラは喧嘩慣れしている。非力な爆弾魔の投擲など目つぶしにもならない。
 そして、爆弾魔が出来るのは爆破のみ。近くに寄ってさえしまえば、自爆を恐れて何も出来なくなる。

 アキラの背後で次々と重力子加速によるスプーンの爆発が起きる。
 だが、すでに爆弾魔の眼前へと踏み込んでいたアキラへと爆風が届くことはない。
 アキラは腰をわずかに沈め、上体をひねり右の肩と肘を突き出す。
 上半身のひねりをきかせた肘打ち。体重を乗せたアキラの肘が、今度は顔ではなく鳩尾へと突きささる。

 急所を突かれた爆弾魔は悲鳴を上げる暇もなく意識が暗転し、その場へと崩れ落ちた。

「何言ってやがる。馬鹿な生き様を見せりゃあ馬鹿にされるのは当たり前だろーが」

 アキラはそう爆弾魔へと言葉を投げかける。が、すでに爆弾魔の意識はなく、アキラはやれやれと首を振った。

 爆発の音を聞きつけたのか、足音が複数アキラのいる裏路地へと近づいてくる。
 おそらく警備員か風紀委員だろう、とアキラは爆弾魔の襟首を掴み足音の方向へと歩いていった。







 佐天は路上にへたり込んでいた。
 ぬいぐるみの爆弾。それは、佐天の頭上で爆発するはずだった。
 死を覚悟する間もない一瞬の出来事。
 だが、佐天は傷一つ負うことはなかった。

 佐天と爆弾の間に割り込んだ人影。その人影が振り上げた右手に、爆破寸前の重力子の塊が触れた瞬間、何故か爆発がショッピングモールの十数メートル上で起きたのだ。
 それもただの爆発ではなく、まるで下半分がごっそりと抉られたような奇妙な形の爆発であった。

「佐天さん、ご無事ですの?」

 横からかけられた声に、佐天ははっと意識を戻す。どうやらずいぶんと長い間ぼんやりとしていたようだ。

「あ、はい大丈夫……って白井さん?」

「ええ、白井黒子ですわよ」

 佐天は立ち上がりながら、目の前に立っている人物を見る。
 佐天の記憶が確かなら、白井は今日、初春と組んで連続虚空爆破事件の捜査を行っているはずだ。
 ショッピングモールの祭りの巡回担当ではないはず、と思考を巡らせたところで佐天は白井の肩が上下していることに気づく。
 白井は大能力者レベル4相当の空間移動テレポート能力者。空間移動の連続使用をして、ここまで自身を運んできたのだろう。

「ご無事なようでなにより……と、少々お待ちを」

 白井は耳に取り付けた通信機で何やら話し込み、通信を終えてから再び佐天の方を向く。

「犯人が捕まったようですわ」

「あ、結局あのあと犯人わかったんですね」

 犯人がわかるまで遊びに行けない、と佐天が電話で初春から聞いたのは今朝のこと。
 だが白井は微妙な顔をする。

「犯人の目星は付いていたのですけれど、捕まえたのは民間人の方のようで……」

「きっとお兄ちゃんが捕まえたんだよ」

 二人の横から声が割り込んでくる。
 それからわずかに遅れて、佐天の腰に何かが抱きついてきた。
 佐天が視線を下げると、そこには見覚えのある女の子の姿があった。
 カオリだ。

「お兄ちゃんがこれをやったのはどいつだーって怒って飛んでいったから、きっとやっつけてくれたの!」

「あー、アキラさんか……。確かにそうだろうねぇ」

 佐天は学園都市第七位の超能力者を思い出す。
 彼ならばカオリの思考からぬいぐるみ爆弾を渡した犯人を突き止めて、足腰立たなくなるまで殴り倒していそうだ。

「そうだ、カオリちゃん突き飛ばしちゃったけど怪我してない?」

「うん、お姉さんのおかげで助かったよ」

 カオリは佐天の腰から離れると、佐天に向かってぺこりとお辞儀をした。

「ありがとう」

「あー、うん、誰かに助けて貰ったのはあたしのほうなんだけどね」

 鼻の頭をかきながら、佐天は周囲を見渡す。
 爆弾から佐天を救った人影。あれは、カオリを連れていたツンツン頭の少年だったはずだ。
 そしてわずかに離れた場所にその特徴的な髪型の少年を見つけた。
 彼の横では小萌先生が警備員らしき人物に聴取を受けている。巫女装束の少女は相変わらず地面に座り込んでいた。

 佐天が彼らのところへと近づいていくと、小萌先生は少年のすそを右手で強く握っているのが見えた。
 まるで少年が逃げだそうとするのを捕まえて逃がさないようにしているようだ。

 何か事情がありそうだが佐天はスルーすることにして、警備員の邪魔にならないように少年の後ろに立ち、話しかけた。

「あの、助けていただいてありがとうございます」

「ん? ああ、どういたしまして?」

 お礼を言ったはずなのに何故か逆にぺこぺこと頭を下げられる佐天。

「……あたしを助けてくれたの、あなたですよね」

「ああ、そうだけど……は、もしや助けたお礼に連絡先を教えてくださいなんていやいやそんな困りますって痛い小萌先生痛い!」

「上条ちゃーん、おとなしくしてましょうねー」

 すそをつかんでいた小萌先生の手が、少年の脇腹を捻るようにつまみあげていた。

 佐天はそんな様子を見て苦笑し、気になっていたことを訊ねた。

「……爆弾を吹き飛ばしたあれって、どういう能力なんですか?」

 爆発が上空へと流れていった謎の現象。
 佐天の見聞きしたことのある能力には一切当てはまらない不思議な光景。
 それは、日頃から高い強度レベルの能力を見て来た佐天の好奇心を刺激するものだった。

「いや、あれは能力じゃない」

「え?」

「あれは――」

 そう言いながら少年は佐天の前に右手を掲げ、拳を作る。

「単なる拳法だ」





[27564] 行間 とある科学の超電磁網
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/09/05 17:52
 御坂美琴は多忙を極めていた。
 ゴールデンウィーク返上で自身の技術研究を進めていた。
 中学生の身ながらせわしないものだが、この学園都市においては特に珍しいことではない。
 ましてや、彼女は学園都市の最高峰である超能力者レベル5の一人である。能力のレベルは学園都市の科学発展への貢献度によって決まるものである以上、彼女が若くして研究に身を捧げるのはごく当たり前の光景だ。

 だがしかし、今回彼女が行っている研究は私的なもの。
 常盤台中学の設備やどこぞの研究所の助けを借りることなく、寮の部屋に持ち込んだ自前の機材のみを使って進めていた。

 お嬢様校の学生寮。食事から買い物まで全て寮内部で完結しており、美琴はゴールデンウィーク中寮から一歩も出ない引きこもり生活を送っていた。
 同室に入寮した妹の御坂美雪はそんな姉に付き合いきれず街に遊びに出ており、美琴を止める者はいない。規則に厳しい寮母も、休日を部屋で静かに過ごす分には介入をしてこない。

 そんな美琴を見かねたのは下級生で友人でもある白井黒子。
 寮で食事を済まそうとする美琴を引っ張り出し、街中の小綺麗な喫茶店へと連れ出すことに成功した。

 爆破事件の捜査に追われていた白井にとっては、久しぶりの美琴との二人きりの時間だ。
 空白を埋めるかのように白井は心の中でお姉様と慕う美琴へと言葉を投げかける。

「犯人の狙いは教師と高レベルの能力者でしたの。開発を受ける前にどこまで能力が成長するのかわかっているなら、今まで受けていた授業は何だったのかと思い何もかも馬鹿らしくなったと証言していますわ」

「ふーん」

「まったく、噂に惑わされて逆恨みなんてとんでもないことですの。素養格付パラメータリストなんてものがあるなら、開発を受けた何十万人もの無能力者レベル0の学生を学園都市が抱えているままのはずがありませんわ」

「そうねー」

「そうそう、あのアキラさんも事件の早期段階で爆弾を仕掛けられたのだとか。美琴先輩も学舎の園の外をふらふらと出歩いていたら狙われていたかもしれませんわね。まあ美琴先輩なら見事撃退したのでしょうけど」

「うんー」

「……美琴お姉様、聞いてます?」

「聞いてないー」

「聞いて下さいまし!」

 白井はテーブルを両手で強く叩く。
 一方美琴は手元に向けていた視線をけだるげに白井へと向け直す。美琴の手には最新鋭の情報端末が収まっていた。

「んもう、事件も解決してようやく暇ができてせっかくデートにお誘いしましたのに、ずっと端末とにらめっこなんて酷いですわ」

 本日はゴールデンウィーク最終日。
 白井には連休の間に中学生らしく遊び回った記憶はない。四月から晴れて現場に投入されるようになった白井の前には、風紀委員ジャッジメントの仕事は学校内が管轄という建前を無視したハードな境遇が待ち受けていた。
 一方の美琴は休みの期間中自室で引きこもり生活だ。

 白井の机叩きアピールに、やれやれと美琴は情報端末を脇に置く。

「デートじゃなくてランチね。女子校生活始めて結構経ったけど、私そっちのケはないから」

「い、いやですわね美琴先輩。あくまで同年代の若者の親睦という意味でのデートですの」

「……ミサカ裁判でその証言は虚偽のものであると可決されたわ」

 美琴はテーブルに置かれたコップを持ち上げ、コップの底で二度軽くテーブルを叩いた。
 テレビドラマで見た彼女の中での裁判所のイメージだ。

 スピード判決ミサカ裁判。
 新たに美琴が加わったミサカネットワークによる、いつでもどこでも開廷可能な裁判である。
 適用される法は妹達シスターズ個人個人の持つ良識と直感と偏見である。

「白井黒子さんのクラスメイトの御坂美々さんの証言です。『それは新学期の身体測定のときのことです。その方は半裸になった女生徒達を隠れるようにそれでいて狙うような眼光で見つめていました。さらに視線の先はミサカにも向いていました。むしろメインターゲットだったと思います。生まれて初めて寒気を感じました』……あんたねえ、うちの妹生まれて間もないんだから教育によくない行動は慎んでよ」

「弁護士! 弁護士を呼ぶチャンスを!」

「有罪判決控訴却下ーはい終わり」

 そう言葉をまとめると、美琴は再び情報端末を持ち上げ操作を始めた。

「最近の美琴先輩はそればっかりですの。本来なら学生ではなく研究者のお仕事でしょうに」

 美琴がここ最近ずっとかかりきりで行っている研究。それは、ミサカネットワークに関するものだ。
 彼女がこれだけ集中しているのは、ネットワークの脆弱性の洗い出しと不具合の修正を早急に行うためだった。
 物理的な有線ネットワークとは違い、能力を使って遠隔で意思の疎通を図る無線ネットワーク。その端末となるのが妹達シスターズの脳だ。何か問題が起きてから対処するのでは非常に危険である。

「レベル5になるほどの頭脳を持つ美琴先輩でもこんなにかかりきりになるような内容ですの?」

 ランチとして注文していたボンゴレのパスタをフォークでくるくるといじりながら、白井が訊ねる。

「まーねぇ。人間のクローン製造は建前上禁止されているから、脳の領域を繋げてのネットワークなんて前例がないものだからね」

 それに、と美琴は食事に手を付けることなく続ける。

「他の学者になんて任せてられないしね。私がしっかり技術管理しないと今度は頭脳ネットワーク目的にまた別の人のクローンが作られるかもしれない」

「美琴先輩ほど優れた発電能力者エレクトロマスターを複製してもレベル3がやっとでしょう? レベルが低い能力者のクローンではネットワークなんて作るほどの出力は得られないでしょうし、悪用できそうな人材がそうそう転がっているでしょうか」

「私より頭脳ネットワークの構築に適した能力者がいるわよ。しかも同じ学校に」

「……ああ、第五位の」

「あいつならむしろ喜んでDNAマップを提供しそうなところが怖いわ……」

 苦虫を潰したような顔で美琴が言う。
 超能力者レベル5第五位、常盤台の心理掌握メンタルアウト食蜂操祈しょくほうみさき
 読心能力サイコメトリー精神感応テレパスといった『心』の能力者達の頂点に君臨する女王であり、人と人の精神を繋ぐネットワークの媒体としては美琴の発電能力よりもずっと適任と言えた。
 さらには、彼女は常盤台中学の最大派閥の主であり、手駒を増やすために自分のクローンを作らせてもおかしくないような人間だ、と美琴は思った。

「知ってる? 働き蜂って全部生殖機能を失ったメス蜂なんだって。うちの妹達はちゃんと生体調整受けてるからそこんところは大丈夫だけどね」

「クローンの職蜂しょくほうシスターズなんてネーミングが噛み合いすぎて怖いですわね」

 そんな返答をしながら、白井は思う。ぐちぐちと同じ学校の生徒の陰口を言うなど、いつもの美琴お姉様らしくない、と。いつもならばすぱーんどばーんとはっきり他人への文句を口にするのにと。
 どうも多分にストレスが溜まっているようだと白井は考えを巡らせる。
 せっかく寮の外に連れ出せたのだ、口先で上手く丸め込んでまずはエステにでも連れ込んでリフレッシュさせてしまおう。そう白井は午後からのスケジュールを脳内で組む。
 ランチだけでデートを終わらせるほど、白井の狙いは甘くなかった。







 寮の門限ぎりぎりまで白井に付き合わされた美琴は、ぐったりと自室のベッドに倒れ込む。
 時間が押していると言いだした白井は途中、空間移動テレポートを使って空中移動を始めたのだ。
 移動時間は無駄と言わんばかりの第七学区巡り。リフレッシュするどころか、むしろ疲労が溜まったのではないかと美琴は大きく息を吐いた。

「おつかれさまです、とミサカは本当に疲れているお姉様を労います」

「うん、疲れたー。そして作業遅れたー」

 二人部屋の同室の御坂美雪と挨拶を交わし、美琴はずっと携帯していた情報端末をベッドの上で操作する。
 すると、室内に置かれていた機材が情報端末に連動して起動し始めた。

 ミサカネットワークは多くの問題を抱えている。
 ネットワークを支えているのは妹達シスターズの持つ電撃使いエレクトロマスターとしての力だけではなく、『学習装置テスタメント』を使って妹達全員の脳構造を整頓することによって成り立っている。
 妹達が精神的な成長を続けることによってその均衡はたやすく崩れる。脳構造のぶれ幅を広く許容できるような仕組みに変えないと、ミサカネットワークは成り立たなくなってしまうのだ。

 『学習装置』による脳構造の整頓を行っていない美琴がミサカネットワークにログインできているのは、妹達に近い脳波を持っていることに加え、電撃使いとしての高度な演算力を持っているためだ。
 もし仮に美琴以外の電撃使いがミサカネットワークにアクセスしようとした場合、妹達百名超の『脳波を統一しようとする力』によって脳に深刻なダメージを負ってしまうことだろう。
 この仕組みが非常にまずいと美琴の研究開発に急がせる理由である。

 ミサカネットワークはすでに公の存在となってしまっている。
 興味本位でアクセスしようとする能力者や研究者がいつ現れてもおかしくない。
 セキュリティの基本である機密性、完全性、可用性も重要だが、何よりもまず安全性を確保しなければならない。

 しかしこれはそう簡単に仕組みを変えられるような代物ではない。
 妹達は機械ではない。メンテナンスをしてお手軽バージョンアップというわけにはいかない。
 『学習装置』を妹達全員に用いれば変更は可能だが、人の精神構造に関してはさすがの美琴も専門外だ。

「むーぬぬ、やっぱり修正パッチを小分けにして適用していくしかないかなぁ」

 ベッドの上でバタ足をしながら美琴はうめく。
 絶対能力進化レベル6シフト計画においてミサカネットワークの管理者となるはずだった最終信号ラストオーダーの資料が彼女の持つ唯一の鍵だ。
 最終信号は妹達全員に統一した指令を出せるような権限を与えられる予定であった。
 また、『学習装置』を介すことなく外部から新たな記憶を入力するという機能も想定されていた。
 美琴はそれを足掛かりに、妹達に少しずつ『ミサカネットワークの使い方』を変えさせることでネットワークの仕組みを変更させようと考えている。

「ま、これはなんとかなるか」

 早急に対処しなければならない事案であるが、難易度はさほど高くないと美琴は部屋の機材に予測演算を任せる。

「最近のお姉様は独り言が多いですね、とミサカは良くない癖を心配します」

「わざと言ってんのよー。あんたたち何でもかんでもネットワークで会話しようとするから、少しでも口で喋るきっかけを与えないとね」

「口で喋らないと何かまずい点でもあるのでしょうか、とミサカは疑問を口にします」

「あるわよ。精神感応テレパスに頼りすぎて喋れなくなった人とかもいるんだから」

 そんな会話を続けながら、美琴はミサカネットワークの他の問題点を振り返る。

 ネットワークには脳波を同じくした美琴のクローンしか接続することができない。
 逆に言うと、美琴のクローンならば何人でも新たに接続することができる。
 第三者によって『新たに作成されたクローン』に乗っ取られる可能性があるのだ。
 これは美琴が管理者となったことで危険性はほぼ消えたが、それでも『最終信号』として特化調整された個体に一瞬ネットワークを掌握されることがありうるかもしれない。

 そして美琴が一番頭を抱えている問題。
 人工生命研究所コギトエルゴスムでの御坂キューブの記憶だ。
 キューブ本人は記憶の共有を拒否しているが、他の妹達は重要な事件として記憶の開示を求めている。

 美琴はキューブと個人的に記憶の共有を行った。
 隣人の死、暴走する恐竜による死の恐怖、所員達による疑心暗鬼の関係。ここまでは共有しても問題ないと美琴は考えている。
 元より妹達は二万回の死を経験し共有するはずだった存在だ。ちょっとやそっとの死や負の感情で揺らぐような精神構造はしていない。
 だが、研究所でキューブが最後に見たもの。人工知能OD-10の記憶は今ミサカネットワークに流すわけにはいかないと美琴は判断した。
 電子の世界での戦い。0と1の領域で、OD-10はありえない姿を見せた。

 仮想空間に現れた悪魔。あれは美琴の理解を超えた存在だった。
 醜悪な顔、通信を越えて伝わってくる痛み、人に対する憎悪の渦。
 ミサカネットワーク全員でこの記憶を共有してしまったら一体どんなことになるのか、美琴は想像も付かなかった。
 共有しなければ丸く収まるのだが、妹達は記憶の開示を求めている。
 仕方のないことだ。この事件で新しく家族に加わるはずだった妹が一人死亡しているのだから。
 美琴にとって頭の痛い事案だ。

「あとはー、これか」

 ミサカネットワークの抱える問題点。
 妹達は無意識のうちにネットワークに常時繋いでいるので、プライバシー精神が目覚めないかもしれない。
 みんな各々の生活風景を楽しげに実況しあっている。家族を越えた共同体だ。それゆえに個というものへの執着心が薄れてしまう可能性がある。

 ――いや、それは大丈夫か。この子達は日を追うごとに個性豊かになってる。

 美琴は自分のベッドに腰掛けて携帯電話をいじっている妹の美雪を眺める。
 常盤台中学には三人の妹達が在籍している。美琴も含めると四人もの同じ顔、同じ背格好をした者が同時に存在しているのだ。
 妹達はミサカネットワークを介することで個人の識別が付くが、周囲の生徒や教師からすると全く見分けがつかない。
 そのため、彼女達はそれぞれ髪型を工夫したりアクセサリを付けたりとお洒落に目覚め始めている。

 若い番号の妹達は皆美琴と同じショートヘアーだが、クローン培養が終わったばかりの個体は腰まで届く長い髪を持っているらしい。
 最近調整が完了した子はその長い髪を好きなようにカットして貰い、他の妹達との差異を作ろうとしているようだった。

 新学期から常盤台に転入してきた目の前にいる御坂美雪も、可愛らしい雪の結晶のヘアアクセサリで髪の横をまとめている。
 最近の愛読書は中学生向けのファッション雑誌のようだ。
 もっとも常盤台中学は外出時の制服着用を義務づけられていて、私服を着る機会はないのだが。

「お姉様お姉様」

 美琴の視線に気づいた美雪は、姉に構って貰える時間がきたと、まるで犬猫のように美琴の元へとすりよってきた。

「はいはいなんざましょ」

素養格付パラメータリストというものをご存じですか、とミサカは携帯で見た新情報を伝えます」

 美雪は手に持った携帯電話を左右に振りながら言う。
 常盤台に来る前に通っていた中学校のクラスメイトに貰ったらしい、四つ葉のクローバーのストラップが手の動きに合わせて揺れる。

「んー? ああ、そんな噂が出回っているって黒子が言っていたわね」

「ただの噂ですか?」

「そうね……私のレベルが低いときにDNAマップを騙し取ったってことは、実在していてもおかしくないかもね。興味ないけど」

「そうですか、興味がないですか」

 話題を切って捨てた美琴に落胆することなく、美雪は会話を続ける。

「それではお姉様、クロウリー文書というものをご存じですか、とミサカはさらなる新情報を伝えました」

「なにそれ……って、ああ待って前に聞いたことある」

 妹から伝えられた怪しげな単語に、美琴は生返事ではなく真面目に考え込む。
 自然公園の噂好きな中学生の友人が、いつだったか語っていたはずだ、と美琴は記憶を掘り起こす。

「確か、クロウリー統括理事長直々の公文書が発表されたとき、その内容にまつわる良くないことが起こる、だったかな」

 噂好きの少女、佐天が言っていたのはなんだったか。
 某国で戦争が起きた、格闘家を狙った連続殺人が起きた、異世界の扉が開いた、公衆電話の数が減った。そんな大事件からどうでもいいことまでクロウリー文書は引き起こしてきたらしい。いわゆる都市伝説だ。

「なに? 学園都市の七不思議のサイトでも見てたの?」

「いえ、学舎の園の交流掲示板を見ていたのですが、学園都市公式の広報局のリリースが話題になっていまして」

 そう言いながら美雪は美琴へ携帯電話の画面を向けた。

「素養格付は実在するだそうです、とミサカは掲示板での騒ぎにうろたえます」

 画面に映るのは学園都市広報局の情報ページの発表文。
 題字には、素養格付宣言と書かれていた。

 その内容を流し読みした美琴は、眉をひそめる。

 詳細な検査を学生に受けさせることで、能力者としての成長の限界点を調べる技術が実際に存在する。
 定期的に実施される身体検査システムスキャンとは異なるものであり、将来高レベルの能力者に成長する素質を持つ学生を探し出すための最重要項目であり、ごく一部の最先端研究においてのみ公開されている。
 能力者とはあくまで学園都市の科学発展のために生まれる副産物であり、学園都市は学生を能力者にすることそのものを目的とはしていない。
 未発展のまま埋もれている特異な人材を発掘することは学園都市の未来の発展にとって必要不可欠であり、素養格付は生まれるべくして生まれた重要技術である。
 素養格付の情報は必要に応じて統括理事会が提供している。学生や一般教師個人からの公開請求は受け付けていない。

 おおよそそのような内容の公文書が、クロウリー統括理事長の名で掲載されていた。

 美琴は眉をひそめ思考を巡らせる。
 量産能力者レディオノイズ計画に自分のDNAマップが使われたのは、将来超能力者レベル5になる素質があったと見られていたからだろう。
 超能力者になれたのは、低レベルの時代に努力を一時も欠かさなかったからだ。そう美琴は思っていたが、もし自分の能力開発が他者よりも優遇されていたとしたら。
 ……いや、実際に優遇されていた。ただ、美琴はそれを自分の両親の力によるものだと信じ込んでいた。彼女は学舎の園に混ざっていてもなんの不思議も違和感もない上流階級の生まれだ。

 素養格付は統括理事会が管理しているという。となれば、美琴の素養格付の情報を流したのも理事の誰かということになる。

「――ってああそうだ、あの統括理事は捕まったんだった」

 絶対能力進化計画が表沙汰になったときに免職された理事を彼女は思い出す。
 トカゲの尻尾切りの可能性は否めないが、この件に関して美琴が責める先は表向きすでに統括理事会にはいないことになっている。

「美雪、興味ないって言ったの間違いだわ。すんごい気になるこれ」

「……学園都市の生徒の中でこれが気にならない人はほとんどいないのではないか、とミサカは考察します」

 素養格付。能力の成長の限界。
 学生の六割を締める無能力者レベル0が必死に上のレベルを目指している中、実際はどれだけ努力しても無能力者から上にいけないのだったら。大能力者レベル4超能力者レベル5の学生達はなるべくしてそのレベルになったのだと多くの人々が思ったら。

「能力開発の根底からひっくり返るわよ、これ。しかも連休の最後の夜に公示だなんて、荒れるわよ」

 明日からこの学園都市はどうなってしまうのか。
 美琴にとっては全く他人事ではない。超能力者を目指す強能力者レベル3以上の少女達が集まる常盤台中学で、超能力者である彼女がどんな扱いを受けるのか。

 予測の付かない不安を抱えたまま、連休最後の夜が過ぎる。



[27564] 『反転御手』⑫
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/09/06 21:28

 佐天涙子は貧乏学生である。

 住まいは第七学区内にある学生寮という名の1DKのアパート。
 佐天は無能力者レベル0であるため配当される生活資金が少なく、優雅に外食などしていたらすぐにお金が尽きてしまう。
 故に食事は自炊だ。元々料理が得意だったため、寮を選ぶときにキッチンの大きなアパートを志望した。
 寮母が食事を提供してくれる下宿タイプの寮や、寮費が高く付いてしまうためそちらは選ばなかった。

 今も佐天は朝食を作るために食材が多く詰まった一人暮らし用の冷蔵庫を漁っている。

「お豆腐ー、しめじー、アスパラー、んー、豚肉古くなってるけど朝からお肉っていうのもなぁ」

 冷蔵庫から取り出した材料をキッチンに備え付けたテーブルの上に置いていく。
 その中に並ぶLサイズの卵を見て、ふと佐天は能力開発の練習をしてみようと思い立った。

 なんということはない。テレビで健康に良い柔軟体操を特集していたから実際にやってみた、贅肉が付いた気がしたから筋トレをやってみた。そんな感覚の思いつきだ。

 卵を掴んで、テーブルからまな板の上に移動する。
 佐天が行おうとしているのは卵を使った念動力訓練だ。
 コロンブスの卵と呼ばれている、学園都市で広く知られていたカリキュラム。触れることなく卵を直立させるというものである。
 手で支えてはいけないので当然能力を使う必要があるが、使う能力は何でも良い。
 物体を動かす能力効果の総称を念動力というがこのコロンブスの卵は念動力専攻の学生向けに考え出されたものである。ただし、いわゆる念動使いテレキネシストでなくともコロンブスの卵を成功させることは可能だ。

 発電能力や発火能力など能力には様々な種類が存在するが、学園都市ではそれらの能力が現実に起こす効果を六つに大別している。
 念動力はその六つの中の一つ、物体を動かす効果だ。

 佐天は自身の持つ能力がなんであるかを知らない。
 身体検査システムスキャンの結果では能力による現実への干渉の兆候有りと出ているが、実際にどんな能力を行使しているか全く自覚がない。
 なので佐天は気が向いたときに一通りの専攻訓練を試してみているのだ。

 両の手を卵の上にかかげ、佐天は念じる。

 ――立てー立てー卵よ立てー。

 だが当然のことながらこんなことでは卵はぴくりともしない。
 学園都市の超能力は念じて発現するようなものではないのだ。

 佐天は両手で頬を叩くと、今度は真面目にコロンブスの卵に挑んだ。

 脳を巡らせ、卵を動かすためのあらゆる演算を反復する。
 念動力、水流操作、空気操作、ローレンツ力、重力操作、加速度付与。
 学校で学んできたものから受験のために独学で得た式まで、思いつく限りの演算式を脳内で巡らす。
 超能力は物理法則を覆さない。量子論に基づいた確率を操作する技術。それが学園都市における超能力だ。

 観測によるアプローチを開始。
 この卵は直立するという妄想を反復する。本当の現実を無視して自分の妄想こそ本当の現実であると思い込む
 超能力は現実を塗り替える。超能力者が頭の中で思い描いた現実を観測することで、本当の現実が決定される。それが『自分だけの現実パーソナルリアリティ』と呼ばれる超能力の基礎だ。

 しかし卵は動かない。

 ならば、と佐天は念動力の演算をやめ、透視へと思考を切り替える。
 この卵には殻がないと思い込み、演算式を回して卵の中身を視る。

 見つめること数分。得られた成果は、ただ何となく卵を割って出てくる黄身はふたたま卵ではない、という直感のようなものが頭の片隅によぎっただけである。
 透視なのか予知能力なのかすらわからない直感だ。
 いや、そもそも卵の中身は十中八九黄身が一つなのだから、ただの常識から中身の予想が思い浮かんだだけということも考えられる。

「はあ……」

 今日も能力行使は成果なし。佐天はため息をついて卵を割り、まな板の横に用意してあった小鉢にあけた。。
 出てきたのは想像の通り黄身が一つ。なんとも役に立たない観測結果だ。この卵の使い道は卵焼きなので、黄身が一つでも二つでも関係ない。

「透視が一番得意、のはずなんだけどなぁ」

 新入早々に行われた身体検査の結果によると、六つに分類した能力効果の中、透視が佐天の中で最も能力適性が高いらしい。
 とはいっても透視能力者であるかは不明だ。伏せたカードの裏の絵柄を連続で当てることすらできない。

 予知能力プレコグニッション透視能力クレアボヤンス読心能力サイコメトリー精神感応テレパシー念動力サイコキネシスといった能力開発の基礎を特定の手順に従って試し、レベルを測定するのが身体検査である。
 佐天はその中で透視の数値が最も高く、次いで予知と念動力の値が高い。
 この結果から、佐天は自分に携わっているはずの能力を具体的に導き出して、『自分だけの現実』を確立しなければならない。

 だが、佐天は透視や予知を行っても現実に対する干渉力があまりにも小さすぎるため、自分が何の能力者であるか、きっかけですら掴めないのだ。

 例えば念動力という分野一つを取っても、あらゆる物体を自在に動かす一般的な念動力以外にも、液体の流れに特化した水流操作や空気を動かす風力使い、地球から物体にかかる重力を操る重力操作、磁力やローレンツ力で物を動かす電撃使いなど、無数のバリエーションが存在する。

 ある公園で知り合った超能力者は電撃使いエレクトロマスターでありながら、電磁誘導を使って金属弾を音速の数倍の速さで撃ち出すという、物質移動の最高峰の域に到達している。

 その超能力者、御坂美琴に聞くところによると、彼女が能力応用で使えるのは念動力だけではないらしい。
 無意識に身体から発している電磁波を介して物体が近づいてくるのを予知したり、電磁波をレーダーとして用いたり、電子顕微鏡の真似事をして透視をしたりできる。

 他人の脳の中を流れる電子の動きやを観測した読心能力や、その電子の流れに干渉した精神感応も理論上は可能。
 電気抵抗による発火能力の行使もできるという。

 身体検査の能力適性値とは、そういった能力応用による副次効果を観測しているだけで、能力者個人が持つ『自分だけの現実』を具体的に示してくれるものではない。

「今日もダメダメ、てんでダメダメるいこちゃーん」

 即興の歌を歌いながら佐天はフライパンを火にかけ、同時に鍋で湯を沸かす。

素養格付パラメータリストではあたしのレベルはいくつなのかにゃーん」

 最近世間の話題を独占している素養格付を佐天は口にする。
 検査を受ければ、開発を受けずとも将来どのレベルの能力者か判明する。
 そして噂によると学園都市の学生二三〇万人全てがその検査をすでに受けているのだと。

 しかし佐天は素養格付にはさほど興味はない。
 そもそも実在を知ったのは統括理事会の公式発表より何ヶ月も前。絶対能力進化レベル6シフト計画を潰した百合子が存在を確認したというのをアキラづてに聞いている。
 才能の限界は気にならない。佐天は、例え無能力者レベル0でも目に見えた能力行使を出来さえすれば満足なのだ。
 別にアキラや美琴のような超能力者になんてなれなくていい。
 ただ自分だけの不思議な力を少しでもいいので使ってみたいだけ。学園都市の外からわざわざ一人で能力開発を受けにやってきたのも、そんな思いから来たものであった。

「あれ? でもどのレベルになるかわかるってことは、どの系統の能力者になれるかもわかるってこと?

 火を止めた具入りだし汁に味噌を溶きながら佐天は思い至る。
 素養格付は能力開発を受ける前の人物を対象に行える。その人物が将来超能力者レベル5になる才能を持っているとして、開発を受ける前から能力の系統が決まっているということになる。

「んんー? んんんー……」

 味噌汁をお椀にあけながら佐天はさらに思考に没頭する。

『能力が全く発現しないというのは理論上ありえない』

 さまざまな人物から佐天が何度も聞かされた言葉だ。
 だからこそ多くの開発者、研究者達が学生の六割を締める無能力者達を低能力者レベル1に引き上げようと日々努力を続けている。

 そこでもし素養格付という指標があるならば、能力行使に最適な演算式の確立や『自分だけの現実』の構築に役立つはずだ。

「でも公開されてないんだよなー」

 素養格付宣言が公示されてからというもの、たった数日の間に内容の公開を求める学生デモやメディアの声が学園都市中を席巻している。
 だが統括理事会は世界を揺るがしかねない最重要機密事項として一切の情報を公開しようとしない。
 公開するつもりがないならなぜ存在を認めたのか、という話になるが、佐天は「クロウリー文書だから仕方ない」と納得している。都市伝説クロウリー文書。クロウリー統括理事長が世界を自分の思うとおりに動かすために世間に向けて送り出される悪意の文書。

 いち学生にはどうしようもないものだ、と佐天はできあがった朝食を盆に載せキッチンのテーブルへと運ぶ。ダイニングで食事をすると掃除が面倒なのでキッチンで食事を取るのが佐天の日常だ。

「どうにかならないかなー」

 能力を伸ばす努力はした。おそらく人一倍努力はしただろうという自負が佐天にある。新年度の学業成績トップがその証だ。
 努力でどうにもならないからこそ、能力発現に役立つ新しい要素を佐天は求めていた。彼女が噂好きなのもこれが一因となっているのかもしれない。

「『幻想御手レベルアッパー』……」

 そして佐天の思考は、つい最近実在の可能性高しとして確証を持った一つの噂へと終着する。
 能力のレベルを簡単に引き上げるという道具。
 噂の信憑性は高い。なにせ、風紀委員ジャッジメントである初春と白井が存在を前提として連続爆破事件の捜査を行ったのだから。

「……探してみようかな」

 朝食を食べながら佐天は今日の放課後の活動方針を決めた。






 白井黒子は風紀委員ジャッジメントである。

 風紀委員の仕事は自分の所属する学校内の風紀と治安を守ること。
 そのため授業が全て終わり生徒達が帰宅してからは風紀委員に仕事はない。
 というのが建前なのだが、実際のところ放課後の市街地での風紀取り締まりを行うことが慣習としてあった。
 学園都市の治安は悪い。
 不良学生達による犯罪行為が日々発生している。
 それを取り締まるために、風紀委員の人々は放課後の街の巡回を欠かさないのだ。

 そして今、学園都市の治安は最悪と言ってもいい状態になっていた。
 素養格付宣言が出されてからと言うもの、暴走集団スキルアウトの暴動が四六時中発生している。
 それだけではなく、能力を使った犯罪行為が日に日に増えていっているのだ。

「『幻想御手レベルアッパー』、ですか」

 能力の強度レベルを簡単に引き上げる道具。それが出回り、強力な力を手にした能力者がまるで力試しでもするかのように暴走するようになったのだ。
 暴走集団スキルアウトの鎮圧とは違い、多発する能力犯罪の検挙は難航している。
 能力犯罪は学園都市のデータベース『書庫バンク』の登録データを元に捜査を行うのが慣例だ。しかし、『書庫』の能力登録データに該当しない犯罪が多発しており、結果として学園都市は発足以来史上最悪の治安悪化におちいってるのだ。

「んもう、猫の手も初春の手も借りたいというのはこのことですわね」

『ええー、私って猫と同レベルですかー』

「冗談ですわよ。あなたの『手』は今や犯人特定の要ですもの」

 白井は放課後の第七学区飛び回りながら、通信機でバディである初春と会話する。
 第七学区内で発生する能力犯罪。その犯人を初春の能力定温保存サーマルハンドを利用した高精度演算器で特定し、白井が確保に向かう。それがここ数日での二人の日常となっていた。

 市街地の治安維持は風紀委員の仕事ではない。
 それはわかってはいるのだが、今の学園都市の惨状を見て動かざるを得ない。

 学園都市に警察はいない。
 いるのは、教職員で構成された警備員アンチスキルだ。警察のように治安維持や犯罪者検挙を本職としているわけではなく、教師や研究者の仕事の片手間に警備員としての仕事を行っているだけの集団だ。
 現状、とても人手が足りているとは言えない状況である。

 白井が聞くところによると、暴走能力者の鎮圧のために軍部まで動き出しているという。
 「動かないことが世界平和を証明している」とまで言われる学園都市の軍隊。そんなものが重い腰を上げて治安の改善に乗り出してきた。
 まるで内戦だ、と白井は思う。

 軍部が動いたなら全て任せてしまっても良い、とはいかない。
 軍は軍なのだ。警備員や風紀委員のように、無傷で犯罪者を捕らえるなどといった生易しいことはしないだろう。
 手足の一本や二本ちぎってでも暴徒を鎮圧するだろう。投降しない犯人は狙撃で頭を撃ち抜いて事件解決とやりかねない。

『白井さん、次を右に曲がったところにある脇道です』

「了解ですの」

 結果として、白井は単純な犯罪者確保をするだけではなく、軍部との競争を強いられているのだった。
 軍が犯人を殺してしまう前に捕まえて警備員に引き渡す。それが彼女の今の仕事だ。

 初春の指示に従い白井は市街地を空間移動テレポートの連続使用で飛び、裏道へと足を踏み入れる。
 初春は情報技術ITのスペシャリストだ。持っている能力はITとなんら関わりないが、能力開発とは関係ない部分でのある種の天才であった。さらには温度を一定に保つという能力を活用した機材を用いることによって、彼女は学園都市のネットワークを支配する。
 市街に点在する監視カメラや学園都市上空の高精度監視衛星を彼女は掌握し、画像解析技術を使って目的の人物の居場所を瞬時につきとめる。
 さらには、『書庫』の能力データに一致しない能力犯罪に独自の予測値を割り当て、被疑者を簡単に絞れるようになっていた。
 彼女は荒廃の一途を辿る学園都市において、何よりも重要な人材として風紀委員だけではなく警備員からも協力を仰がれていた。
 今こうして白井と通信を続ける最中にも、初春の指揮下では数十名の風紀委員と警備員が暴徒鎮圧、犯人検挙に動いている。

 バディとして負けてはいられない、と白井は気合いを入れて路地裏に踏み込む。

風紀委員ジャッジメントですの! 器物破損及び傷害の容疑で連行いたします」

 相手は能力者の男二人。
 彼らは白井の制服の袖に付けられた風紀委員の腕章を確認すると同時に、白井に向かって襲いかかってきた。
 この手際、おそらく警備員や風紀委員がいつやってきても良いように覚悟をしていたのだろう。

「……逃げられるより抵抗されるほうが手間がはぶけて助かりますの」

 白井は冷静にスカートのポケットの中からスーパーボール大の球体を取りだし、強く握ってから男達に投げつける。
 すると、球体が勢いよく“ほどけて”、男達を包み込むように細い糸の網が広がった。
 警備員から提供された捕縛用の携帯投網である。蜘蛛糸の仕組みを使った頑丈な繊維で作られた網で、肉体強化の能力者でも容易に引きちぎれない代物だ。
 男達は避けることもできず網にからめとられる。

 ――喧嘩慣れしている不良相手だとこう簡単にはいかないのですけれどね。

 先制の一手が見事に決まったことに白井は安堵する。
 相手は急に強い力を手に入れて犯罪に走っただけの元一般人だ。警備員や風紀委員と渡り合う術を熟知している暴走集団スキルアウトや武装能力者集団だとこんな手にはかからない。

 男達は苦し紛れにからまった網の中から能力を白井に向ける。
 風力使いエアロシューター電撃使いエレクトロマスター。だがその反撃も白井の予想を超えるものではなかった。
 初春からは事前に相手が使えるであろう能力の出力と応用範囲を聞いている。白井は冷静に空間移動で彼らの背後に飛び、手際よく二人を蹴り倒す。網に動きを捕らわれた男達は簡単に地面へと倒れ込む。さらに白井は自前の金属の矢を空間移動で飛ばし、彼らの服を地面に縫い付けた。
 そして白井はポケットから携帯電話サイズの機材を取り出し、男の首筋に当てた。
 鎮圧用ショックガン。後遺症の心配無しに人を気絶させられる学園都市最新の暴徒鎮圧用アイテムだ。
 二人の男は悲鳴を上げることもなく気を失い沈黙した。

「初春、こちら終わりましたわ」

『はいー、警備員の車両が向かいますのでそこで待機していてください』

 一仕事終わった、と白井は裏路地の壁によりかかって身体を休める。
 この男達には他に協力者はいない。気を抜いても大丈夫だ。

 ほどなくして、対能力者装甲服を着込んだ警備員達が到着し、男達を回収していった。
 本来ならば風紀委員が放課後の現場に出ていることについて小言を貰う状況であるが、現在の学園都市の情勢ではそれもない。校内の風紀取り締まりという風紀委員の建前は完全に捨て去られていた。

 警備員達を見送ると、白井は初春へと再び通信を繋げる。

「あの方達も例の『幻想御手』使用者ですの?」

『はい、書庫のデータと明らかに能力強度が違いますね』

「となると、副作用で倒れてしまうかもしれませんわね……」

 つい先日のことだ。取り調べを受けていた連続虚空爆破事件の爆弾魔が、突然意識を失った。
 その後彼は目覚めることなく、さらには同じような症状の学生が次々と病院へと運び込まれるようになった。
 彼らの共通点は『幻想御手』と呼ばれる能力強度を上げる道具を使用していたことだ。意識を失った学生を調べていて見つかったのは、一つの音楽データ。能力のレベルを上げる『幻想御手』とは楽曲のことだったのだ。
 これが今、学園都市の都市内ネットワークを通じて爆発的に拡散している。
 素養格付を突破して新たな力に目覚める、という噂付きでだ。

 音楽を聴くだけで能力を上げる道具自体に白井は何も思うところはない。
 能力開発のカリキュラムにおいても、薬と併用して一定のリズムを刻む音楽を聴くというものがある。楽して能力を上げること自体は学生としてなんら間違った行為ではないのだ。

 問題は、そうやって得た力を犯罪に使うこと。そして意識を失うという副作用の情報が『幻想御手』使用者に広まっていないことだ。

『それじゃあ白井さん戻ってきて下さい。大脳生理学の先生と面会がありますので』

 幻想御手の副作用について、意識を失った患者を多く抱えた病院側は専門の研究チームを呼ぶことになっていた。
 白井と初春は風紀委員からの事件の担当責任者としてそれに立ち会う予定が入っている。

 犯罪者の検挙も重要な仕事だが、幻想御手を巡る問題を解き明かすのも現状打破の鍵だ。
 白井は裏路地を出ると、柵川中学の風紀委員支部に向かって空間移動を再び始めた。







 田所晃は超能力者レベル5である。

 彼は学園都市の超能力者の中で最も顔が知られた人物であった。
 常盤台の超電磁砲レールガンのように広告塔としてメディアに露出しているわけではない。

 ただ単純に、彼の持つ能力が広く知られているためだ。
 天然の超能力者にして、幻の多重能力者デュアルスキル。学園都市のあらゆる超能力の基礎となる『見た目で理解しやすい』能力を複数使いこなす。能力開発を受けていない身ながら、教本のような能力行使をする逸材であった。

 そしてその能力発動の仕組み自体はミクロの領域を扱う学園都市製の超能力とは違い、感覚的なマクロの領域のもの。
 能力開発カリキュラムで超能力の仕組みを学生達に説明するとき、反例として彼の名前は自然と挙がるのであった。

 そんな能力開発を受けずに超能力者レベル5になった彼が、現在の素養格付宣言で荒れる学園都市でどのような扱いを受けるのか。
 当然のように、彼は無数の学生達からの嫉妬や憎悪の感情を向けられた。
 素養格付は能力開発を行っている教師にも公開されていないことが知れ渡ることで、学生達の悪感情は彼の元へと集まるのであった。

 現在の学園都市では犯罪が横行している。
 その多くは行き場のない怒りをまき散らす暴力事件。
 エリート校に通う高レベルの能力者を狙う能力者狩りが多発し、名門長点上機学園所属のアキラにも狩りの狙いが向けられた。

 今日も、アキラは第七学区の空き地で武装能力者集団と戦っていた。

 集団側は以前アキラを襲って返り討ちにあった不良グループだ。
 『幻想御手レベルアッパー』を手に入れ力を増した今ならばアキラを屈服させられると、白昼堂々大人数で襲撃をかけた。

 しかし。

「ふん!」

 アキラのローキックが不良の足を砕く。
 悲鳴を上げながら、不良は地面の上を転がった。

 アキラの肉体は人間の域を超えた作りになっている。銃弾を浴びても死なず、回復思念セルフヒールで瞬時に再生する。
 拳はコンクリートの壁を砕き、蹴りは鉄柱をへし曲げる。
 昔からこのような人間離れした身体だったわけではない。元は同世代の男子よりずっと劣った体力だったが、喧嘩に明け暮れ超能力で身体を癒すうちに頑丈になっていったのだ。
 アキラの担当教師藤兵衛が言うには、英雄体質であるという。伝説上の武の英雄はアキラのような天然の超能力者だったのだと。

 能力を直撃させてもびくともしないアキラにうろたえる不良達。
 そんな彼らの隙をついてアキラは精神を集中させる。
 アキラが最も得意とする超能力は精神感応テレパスだ。感覚だけで操作する彼の超能力の多くは、精神感応を発動の基点として別の能力へと繋がっている。

 火をイメージし周囲へ思念を飛ばすことで火が起きる。場所をイメージしそこにむけて思念を送ることで空間移動ができる。強く殴ると敵に向けて思念を送ると、念動力で後押しされた威力の高いパンチが出る。正常な姿を思い浮かべ手を触れることで、人の傷や壊れた機械を元通りに治す。
 そうしないとできない、ではなくそうしたほうがやりやすい、という理由で彼は精神感応を能力発動のトリガーとして使っている。

 今イメージするのは水だ。それもとびきり冷たい方がいい。凍り付くような水のイメージを頭の中で作る。
 これが学園都市の人工的な能力者ならばイメージに加え、ミクロの領域で熱量を操作するような計算式を使い現象のシミュレートを行う。だが、アキラにはその過程が必要ない。
 アキラは別に頭が悪いというわけではない。むしろ開発を受けていない学生の中では非常に優秀な部類に入る。演算を行わないのは、必要ないからだ。彼の超能力を支えているのは精神力だ。

 テレパシーを無差別にまき散らすような感覚でアキラは思念を解放する。
 それと同時に、何も無い空間上に水が湧き上がってくる。水の温度は摂氏〇度を下回っている。
 過冷却状態にある水の粒は瞬時に凍り付き氷の刃へと変わる。生み出された氷の刃の数は目視で数えきれないほどの量だ。
 それらはやがて渦を巻くように舞い散り、紙吹雪をまき散らすかのように空き地で荒れ狂った。

 フリーズイメージ。

 無から有を生み出す超常現象が武装能力者集団を切り刻んだ。
 不良達はいずれも自分だけの能力を持っていたが、四方八方から襲ってくる氷の刃を防ぎきれずに一人、二人と倒れていった。

 氷の嵐がおさまるころには、アキラ以外立っている者は一人もいなかった。

「やれやれ……」

 ようやく終わった喧嘩に、アキラは息をついて身体の力を抜いた。
 ごろつきの集団にしてはなかなかの強敵だった。フリーズイメージはアキラの持つ喧嘩用の能力の中でもとびっきりの大技だ。死傷者がでないようめいいっぱい手加減はしているのだが。

「おい」

 アキラはズボンのポケットに手を突っ込んで足下に転がる不良の一人を見下ろし、声をかけた。

「おい」

 返事がないので、腹を軽く蹴りつけて仰向けに姿勢を変えさせた。
 不良からひい、と悲鳴があがる。

 この不良はたいした怪我を負っていない。それでも彼が倒れていたのは、死んだふりをしてこの場を乗り切ろうという打算からだった。
 しかし人の心を読めるアキラにはその思考が全て読める。

「この前オレに返り討ちにあったときのリベンジマッチってか? そりゃけっこう」

 怯える不良にアキラは笑いかける。
 ただし人好きのする笑顔ではない。悪魔の笑みだ。

「前やったときよりえらく能力が強くなってるじゃねーか。最近こんなのばっかりだな。おい、どういうことだ」

 良いながらアキラは不良の脇腹を蹴りつける。

「ひ、ひい」

「『幻想御手』? ほー、そんなもんが」

「ひいいいいい!」

「音楽データねえ。面白いじゃねえか」

「はいいいいい!」

 返答を待つ必要はない。脳裏にある緑色のボタンをそっと押すだけで相手の考えていることが丸裸になる。

 考えを言い当てられた不良は、恐怖に震えながら懐に手を入れる。
 ジャケットの内ポケット。そこから手の平サイズの機械を取り出した。
 音楽プレイヤーだ。

「これで勘弁してください!」

「はあ?」

 音楽プレイヤーを地面に取り落とすと、不良は地面を転がりうつぶせになると、おもむろに立ち上がって空き地から全力疾走で逃げていった。倒れる他の仲間はおかまいなしだ。

「あ、おーい、別に欲しいなんて言ってねえぞ」

 どうしたものかと、アキラは地面に置かれた音楽プレイヤーを拾い、手の中でいじりながら空き地から歩いて出ていく。
 喧嘩は終わった。ここに留まる理由はない。
 怪我人がいるがアキラが治療する義理はないし、救急車を呼ぶような大怪我は負わせていない。
 自分が去れば比較的軽傷の者が起き上がって他のメンバーをどうにかするだろう、とアキラは大通りに向かって歩を進めた。
 さすがに人通りの多い場所で襲いかかってくる者は少ないだろう、と考えてのことだ。
 そのような場所で襲撃してくるような剛胆な輩と対峙してみたい、という期待をわずかに持っていたりもする。

 そんな思いで表通りを数分あてもなく歩いているときにアキラが遭遇したのは、暴走集団スキルアウトでも武装能力者集団でもなく、きょろきょろと周囲を見渡しながら不用心に歩く中学生の少女だった。

「おう、学校帰りか?」

 顔見知りの中学生、佐天涙子にアキラは声をかける。

「んー、そうでもあるしそうでもないし……」

「あん? なんだそりゃ」

「アキラさんに聞いても多分知らないだろうからなぁ」

 思わせぶりな佐天の態度に、アキラはかすかにイラッとくる。

「おい何だ喧嘩売ってんのか」

 いらつきが言葉と表情に出た。
 佐天は慌てて手を顔の前で振ると、弁解するようにしゃべり出す。

「いやいやそうじゃないです。あたし今、噂の『幻想御手』ってやつを探してるんです。とりあえず知ってそうな人に聞き込みーって。どうやら音楽らしいってところまでは解ったんですけど」

「ほお」

 『幻想御手』。なんともタイムリーな話題だ。

「ほらアキラさんは超能力者レベル5じゃないですか。しかも天然の。能力レベルを上げる『幻想御手』とは無縁かなーって」

「それ持ってるぞ。『幻想御手』」

 アキラは手に持ったままだった音楽プレイヤーを佐天の前に掲げてみせた。
 彼の突然の言葉に、佐天は唖然とする。
 そして、遅れて怪訝な顔を作り、アキラに詰め寄った。

「アキラさんさらにレベル上げる気なんですか! もしかして打倒百合子さん!?」

 うわーうわーと一人でテンションを上げる佐天に、アキラは冷ややかに返す。

「いや、襲ってきた不良ぶん殴ったら貰った」

「かつあげですか…」

「そんなつもりはねーよ。むしろ襲われたのはオレだ」

 ここ数日自分がどれだけ不良達との死闘に明け暮れているのか、テレパスでも送ってやろうかと考えるアキラ。
 佐天はそんなアキラの思いを知らずにじっとアキラの顔を見つめると、わずかに視線を下げて申し訳なさそうな顔でアキラに言った。

「あの……『それ』あたしにも貰えません?」

 物乞いをするようで恥ずかしい思いと、いけないものに手を出しているような背徳感で自然と声が小さくなっていた。
 だがアキラはそんな態度の変化を気にもせず答える。

「拾い物みたいなもんだしかまわねえよ」

「わあ、ありがとうございます!」

 万歳をしながら喜ぶ佐天に、オーバーリアクションな子だなぁとアキラは苦笑する。

「じゃあ携帯に転送を……その音楽プレイヤー無線LAN機能あります?」

「プレイヤーごと貰ったから知らん」

「完全に恐喝じゃないですかー! もう、ちょっと貸して下さい!」

 アキラの手から音楽プレイヤーを奪い取ると、佐天は素早く指を動かしプレイヤーの中から『幻想御手』を探す。
 それはすぐに見つかった。そもそもプレイヤーの中には一曲しか曲が入っていなかった。
 『LeveL UppeR』とそのものずばりなタイトルの曲だ。

 佐天は音楽プレイヤーに無線機能が搭載されていることを確認すると、片手で自分の携帯電話をいじり音楽の転送を始めた。
 アキラはそんな佐天の様子をぼんやりと眺めながら、彼女の心の声を呼んだ。

(やった、これであたしも超能力を、あたしだけの超能力が使えるんだ!)

 ああ、とアキラは佐天涙子という人間がどういう人物なのかを思い出した。
 今まで会ってきた誰よりも超能力に憧れ、能力者を見て嫉妬するも態度に表すこともなく、憧れを憧れのまま終わらせないために努力をし、そしていつも諦めの感情を心に抱いていた子供だった。
 思わぬ拾いものが、思わぬところで役に立った、とアキラはかすかに笑った。

「ありがとうございました!」

 佐天は心からのお礼を言いながら音楽プレイヤーをアキラに返す。

「このお礼は友達にたい焼き屋を紹介して返しますね!」

 それで得するのは自分ではなく松の兄貴だ、とアキラは心の中で思ったが口には出さなかった。他に謝礼を催促しているかのように感じたからだ。

「じゃ、さっそく帰って試してみます!」

「おう、治安わりぃから気をつけて帰れよ」

「家までエスコートしてやるって言わないあたりがまさにアキラさんですね」

「うっせえ」

 佐天は笑いながら小走りで表通りを駆けていく。
 後ろ姿は放課後の帰宅途中の学生達に隠れてすぐに見えなくなった。

「さて、これどうすっかね」

 アキラは手元に残った音楽プレイヤーをいじりながら考えた。
 捨てるか。いや、中身はともかく外側は勿体ない。
 聞いてみるか。いや、脳開発を受けた能力者用のものなら自分には意味がなさそうだ。そもそもアキラは能力の強度を上げることにさほど興味がない。その証拠に、担当教員の藤兵衛の元へ百合子ほど頻繁に通っていないのだ。
 そして、アキラはふとよぎった藤兵衛が、普段何をして過ごしているのかを思い出す。
 古道具屋と称して変な物品を学園都市の内外から集め、発明と称して奇妙な道具を作りだしている。

 彼ならば能力のレベルを上げる音楽に興味を示すかもしれない。
 そう結論付けたアキラは、馴染みの古道具屋の方角に向けて足を向けた。



--
佐天涙子
LEVEL0
PRECOGNITION:B CLAIRVOYANCE:A PSYCHOMETRY:C TELEPATHY:C PSYCHOKINESIS:B
(アニメとある科学の超電磁砲 #14)



[27564] 『反転御手』⑬
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/09/10 23:10

 妖怪脱ぎ女を目撃した。
 そんなセンテンスを思い浮かべながら佐天は第七学区の街中を走っていた。

 アキラから『幻想御手レベルアッパー』を入手して浮かれていたときのことだ。
 帰宅路の途中にある喫茶店の横を通りがかったところ、店内に友人の初春と白井がいるのを見つけた。
 学園都市の治安悪化でこのところ一緒に遊べていない初春と、柵川中の風紀委員ジャッジメントの支部に毎日のようにやってきているのを見る白井の二人。
 忙しいはずの二人が喫茶店で休んでいるのは珍しい、と佐天は彼女達に相席することにした。
 手に入れた『幻想御手』を見せびらかしたい気持ちもあったのかもしれない。

 窓ガラスに張り付いて自分の存在をアピールした後、店内に入り彼女達の元へ向かうと、どうやら二人の他に白衣を着た大人の女性が一人同席しているようだった。
 風紀委員の仕事で、この女性から話を聞いている最中であったらしい。

 邪魔しては悪い、という考えは佐天には思い浮かばなかった。
 さも当然という顔をして佐天は三人の会話を聞く。

 初春と白井は、『幻想御手』について大脳生理学の研究を行っているこの女性、木山から助言を仰ごうとしていた。
 その会話の中で、佐天は『幻想御手』に副作用の疑い有りとして風紀委員が『幻想御手』所持者を捕まえようとしていることを知った。
 思わず動揺し、テーブルの上の飲み物を手で倒してしまう佐天。こぼれたアイスコーヒーが木山の脚を汚した。

 慌てる佐天だったが、木山が取った行動にまた慌てた。
 木山はおもむろにスカートを脱ぎ、汚れたストッキングを脱ぎはじめたのだ。客や店員のいる店内である。
 どうやらその木山という女性は、人前で裸体をさらすことに快感を覚える変態ではないようだが、人前で裸体をさらすことに恥を感じない人物であるようだった。
 恥もそうだが、人前で服を脱ぎだすのは常識的にそして法的によろしくないことである。そういった感覚や常識を持っていない木山のことを佐天は脳内で妖怪脱ぎ女と命名した。新たな都市伝説の誕生である。

 その後、微妙な雰囲気で初春と白井は木山から話を聞き、喫茶店から出た路上で木山と別れた。
 そのタイミングで佐天も二人と別れた。逃げ出したといったほうが正確かもしれない。

 小走りで佐天は初春達から離れようとする。
 妖怪脱ぎ女はインパクト十分だった。だがそれよりも佐天の記憶に残るものがあった。
 風紀委員は『幻想御手』の所持者を捜索し保護しているらしかった。風紀委員の言う保護とは補導と連行のことだ。佐天は初春達二人につい先ほど入手した『幻想御手』を所持していることを悟らせまいと、逃げ出したのだ。

 能力のレベルを上げる便利な道具。
 その程度にしか佐天はこの音楽データのことを認識していなかった。
 だが、これはもしかすると違法な薬品の類なのかもしれないと思い始めた。

 学園都市の能力開発において、違法とされる薬が存在する。副作用が強かったり、強い依存性があったりするものだ。
 そしてそんな薬の中で、能力の強度を高める効果が高い代物が、学生達の間で高値で取引されていたりするのだ。
 開発ドラッグなどとも呼ばれる。

 佐天はポケットの中から携帯電話を取り出した。中には『幻想御手』の音楽データが収められている。
 能力開発カリキュラムの中には、薬を服用して音楽を聴くというものがある。一定のリズムを刻むことで脳をトランス状態に持っていくものだ。
 『健常な精神』では能力を使えない。学園都市の能力者は、誰もが外の世界でいうところの精神疾患を持っているのだ。
 『幻想御手』は他の薬の補助を借りずにそのような精神状態に移行させる音楽なのかもしれない。

 佐天の中に、『幻想御手』を使うべきではないかもしれないという迷いが生まれる。
 使ってはいけない類のものではないのか。
 しかし、佐天が集めた情報では、『幻想御手』の使用者はかなりの数に上り、誰もが目に見えた能力の向上を成し遂げているようであった。

 最初は自分でも能力者になれる夢のようなアイテムだと思っていた。
 しかしやっぱりエタイの知れないものは怖い。苦労して身につけるはずの能力を楽に手にしようというのが褒められたことではないというのもわかる。

 でも。

 努力してもどうにもならない壁がある。

 佐天は足を止め、地面をじっと見つめた。

 ――生まれ持った才能の差は受け入れなきゃいけないって事?

 鬱屈した感情が佐天の中に浮かび上がってくる。それは、彼女がずっと心の奥底に押し込めていた感情。
 心が折れないように、目を背け“いつか”“きっと”能力者になれると自分を騙して、見ないようにしていた現実。
 劣等感。嫉妬。諦念。
 携帯電話を握りしめながら、佐天は鬱屈した感情の渦に飲まれる。
 そしてその辛い思いから、手の中の『幻想御手』が守ってくれる、そんな気がした。

「そんな! 話が違うじゃないかっ!」

 突然聞こえてきた大声に、佐天ははっとする。
 そして、反射的に声の聞こえてきた方向を向いた。

 いかにも不良ですといった風体の男が三人、いかにも普通の学生といった小太りの男が一人、そこにいた。
 そして佐天は思う。ここはどこだろうと。
 学園都市は今、治安が悪い。初春達から逃げるのに必死になってここまで走ってきたが、土地勘のない場所に行くのは非常に危険な情勢だ。
 しかも、男達以外には人通りがない。工事現場のようだが、作業員はいない。金属盗難の対策を怠っているのか、そこらに鉄パイプや鉄板などの建築資材が無造作に放置されている。

「四万で『幻想御手』を譲渡すると言ったじゃないか。冗談はよしてくれ」

 小太りの男の言葉に佐天はぴくりと体をゆすった。
 どうやらこれは『幻想御手』の取引の現場のようだ。佐天はアキラから譲ってもらったが、学生達の間での取引価格は四万円などという高値がついているようだった。その値段の高さに、裏で出回っているという能力ドラッグを彼女は想起した。

「悪いがついさっき値上げしてね」

 不良の一人、長身で切れ目の男が言った。手には音楽プレイヤーが握られている。
 間違いない。『幻想御手』の取引だ。

「取引リスクが上がった。コイツが欲しけりゃもう十万持ってきな」

 リスクが上がった。その言葉の理由に佐天は思い至る。
 風紀委員の『幻想御手』所持者の取り締まりだ。
 佐天は建物の陰に隠れながら不良達の会話に耳を側立てた。『幻想御手』を持つ身として、少しでも有意義な情報を得たかった。

「ふざけるな! だったら金を返してくれ!」

 小太りの男が切れ目の不良に詰め寄る。
 だが、不良はそれに応じることなく小太りの男に髪の毛を掴み、手前に頭をひいて男の腹に膝を叩きつけた。

「ガタガタうっせーな」

 切れ目の不良、そしてもう一人の口髭をたくわえた不良の男が、膝蹴りの痛みでうずくまった小太りの男を蹴りつけ始めた。

「四万ぽっちで誰がやるかっての」

「金ねーんならさっさと帰れデブ!」

 蹴らあげられ地面に転げた小太りの男を不良達は靴裏で蹴り続ける。
 小太りの男は悲鳴を上げ、転んだまま体を丸め頭を抱えた。

「おう」

 少し離れた場所で煙草を吸っていたもう一人の不良が、二人の不良に声をかける。

「そいつ立たせろ」

 煙草の煙を口から吐き出しながら、カメレオンを連想させるぎょろりとした目の不良が、指示を出す。

「お前らのレベルがどれくらい上がったかそいつで試してみろ」

 このカメレオン顔の男が、どうやら不良達のリーダー格のようだった。
 彼の言葉に、切れ目の男が笑う。

「きっつー。お前今日死んじまうかもな!」

 そう言いながら切れ目の男が手を目の高さまで掲げる。
 すると、小太りの男の体がひとりでに浮き上がり始めた。
 そして、切れ目の男が指先を動かすと、小太りの男が急速な勢いで空を舞った。

「うわあああああああ!」

 野球の投球程度はありそうな速度で男は飛んでいく。
 切れ目の男がさらに指を動かすと、小太りの男の動きが変わる。直線運動だったのが次は円運動に。
 ぐるぐると数回空中で旋回した後、切れ目の男は手首を曲げて何かを投げるようなジェスチャーをした。

 小太りの男の体が、修復工事中のビルを囲うフェンスへとぶつかり、地面に落ちた。
 痛みを訴える男の悲鳴が周囲に響く。

 やばいと、佐天は思う。
 何がやばいかというと、話を聞く限り彼らは『幻想御手』を持っている。
 見覚えがないといってもこの周辺は暴走集団スキルアウトのカリスマ無法松の影響下にある地域。無能力者の不良達は比較的大人しいし、武装能力者集団の勢力も小さい。『幻想御手』の取引場所をここにしていたということは、このあたりを縄張りとしている不良だろう。
 しかし、『幻想御手』で力を手にしたことで、この不良達から無法松というタガが外れている可能性が非常に高い。

 警備員スキルアウトに通報しないと。
 佐天がそう思ったときだ。

「おいそこに誰かいんぞ!」

 フェンスの陰に隠れていた佐天の姿が、不良達に見つかった。

「何見てんだコラ」

「文句あるならこっちこいや」

「あ、いや、別に……」

 冷や汗を流しながら佐天は誤魔化すように顔の前で手を振る。

「ただの通りすがりでして……失礼します」

 そう言って佐天は急いでその場を離れた。
 全力で走りながら、佐天は隠すように携帯電話を取りだした。通報しようとボタンを押すが。

「充電切れ!? さっきは大丈夫だったのに」

 『幻想御手』を受け取ったときはちゃんと操作できていた。アキラと別れて初春達と喫茶店で過ごしている間にバッテリーが切れてしまったらしい。そういえばここ数日充電をしていなかった、と彼女は思い出した。

 どうするべきか。人通りのある場所まで行って、警備員か風紀委員ジャッジメントを呼ぶか。
 しかし。
 あの小太りの男は能力による暴力を受けていた。このままだと大怪我をしてしまう。もしかしたら死んでしまうかもしれない。
 自分が今すぐ助けに入らないと、取り返しの付かないことになってしまう。
 佐天は頭を振った。
 助けに入る? 自分が? そんな危ないことをできるはずがない。

 ――しょうがないよね。

 ――あたしに何かできるわけじゃないし。

 佐天は止めていた足を動かし始める。

 あっちにはいかにもな連中が三人。こちらは数ヶ月前まで小学生をやっていたのだ。絡まれているのは全く面識のない赤の他人。
 何の義理もないのだから、ここは見なかったことに――

「も、もうやめなさいよ!」

 佐天は、どういうわけかいつの間にか不良達の元へと戻ってきていた。

「その人怪我してるし」

 言いながら佐天は自問する。何で戻ってきてしまったのか。
 馬鹿なことを言ってないでいますぐこの場から離れるべきだ。

「す、すぐに警備員が来るんだから」

 心中とは裏腹に佐天の口からは不良達を止める言葉が出る。
 思いに反して体が勝手に動いてしまう。何の能力も持たない自分が『幻想御手』を持つ不良達に立ち塞がってしまっている。
 なんてことをしてしまったんだ。佐天は震える。

 不良のリーダー格の男が佐天に近づいてくる。
 ほら、こうなった。佐天は自分で自分を罵倒する。

「今、なんつった?」

「あ、その……」

 何かを言おうとするが、佐天の口からは何も言葉が出てこない。

「ガキが生意気言うじゃねーか」

 カメレオン顔の男が腰を曲げて佐天の顔をのぞきこむ。
 恐怖で佐天の身体はカタカタと震える。

「何の力もねえ非力なガキにゴチャゴチャ指図する権利はねーんだよ。あやまるなら今のウチだぜ」

「あ……」

 ぱくぱくと佐天は口を動かす。
 ごめんなさい。もうしません。魔が差しただけなんです。

「あやまらない!」

 心の中と、口から出る言葉は全く正反対のものであった。

「ただでさえ無能力レベル0なのに、こんなことまで見て見ぬ振りするんじゃ、もうあたしに何も残らない。このままじゃ、あたしは一生負け犬だ!」

 すらすらと、言葉が浮かんでくる。
 それは、佐天の心の底に嫉妬や諦念と共に眠っていた思いだ。
 負けたくない。負け犬になりたくない。

「そうかよ」

 小さな少女に反抗され、男の怒りがふくれあがった。
 こめかみに青筋を浮かべながら、男が佐天の頭に向かって手を伸ばす。

「――お前、この女の子よりも強いのか?」

 だが、男の手は佐天の髪に届く寸前で止められていた。
 いつの間にか、一人の少年が佐天とカメレオン顔の男の間に手を伸ばし男の手を掴み取っていた。

「んな……っ! テメェ、どこから沸きやがった!」

 その場にいる誰も、その少年が声を発するまで近づく姿を目撃していなかった。
 そう、まるで空間移動テレポートのように。

「何だテメェ!?」

 カメレオン顔の男が少年の手を振りほどき、距離を取る。
 男は手首を押さえながら、少年の顔を睨み付けた。学ランを着たツンツン髪の高校生らしき少年だ。
 男の頭の中では警鐘が鳴り響いていた。佐天に向けて伸ばした手を掴まれた瞬間、男に激痛が走っていた。少年はものすごい握力で男の腕を止めていたのだ。
 中肉中背の少年の体格からは想像付かない力。喧嘩慣れしているカメレオン顔の男は、少年から明らかな驚異を感じ取った。

「なあ、お前、その子より強いのか?」

 冷ややかにツンツン頭の少年は再び言葉を口にする。

「ああ? あたりまえじゃねえかッ!」

 佐天はその少年に見覚えがあった。
 ぬいぐるみの爆弾から助けてくれた、不思議な高校生。

「違うね。弱いのはお前達の方だ」

「んだとテメエ! この異能力者レベル2のオレ様が、このガキより弱いワケねーだろ! 」

「能力はな……」

 少年はカメレオン顔の男の目を真っ直ぐに見つめる。
 男は体勢を低く構え、着ているジャケットの胸ポケットから折りたたみナイフを取り出す。
 さらに、少年を囲むように残り二人の不良が近づいてくる。

 それを意にも介さず少年は言葉を続ける。

「だが強さとは能力だけを指すんじゃない……この女の子の方がお前達よりも強いと俺は思うぜ」

「どこがだぁ!」

 カメレオン顔の男は折りたたみナイフから刃を出し、構えを取る。
 刃の金属のきらめきに、呆然とやりとりを見ていた佐天が後ずさる。十センチは軽く越えるナイフの刃渡り。
 腹に刺されば内臓をたやすく貫きそうな凶器。
 だが、少年はそれに一切うろたえる様子はない。

「まだわからねぇか……」

 そして、佐天を助けてからずっと立ったまま一歩も動いていなかった少年が、初めて足を動かした。軽く前に一歩踏み出すような動きだ。

 次の瞬間、少年はカメレオン顔の男の背後に立っていた。
 空間移動。
 いや、違うと佐天は頭に浮かんだ能力を否定する。目で追えないような速度で少年が動いたのだ。
 それを証明するように、少年のツンツン飛び跳ねた髪の毛は慣性でばさばさと揺れている。何度か見た白井の空間移動ではそのようなことは起きない。

 背後に回られたことに気づいていない男の後ろで、少年は構えを取る。
 そして、少年は不意打ちをするでもなく、叫んだ。それは、問われた強さの答え。

「――心だよッ!」







 背後から聞こえた声に、カメレオン顔の男は振り返りざまにナイフを振るった。
 ナイフの軌跡は性格に少年の元へと向かう。
 対する、少年は右の手の甲を振り上げ、男の手首を打ちナイフの軌道を真上にそらした。さらに左の手を振り上げ、男のナイフを持つ手を熊手のように曲げた指で引っ掻くように殴った。

 皮膚が裂かれる痛みに、男の指の力は緩みナイフがすっぽ抜ける。
 咄嗟に手を押さえ男は少年を睨み付けるが、少年はいつの間にか二メートルほど後ろに下がっていた。

 刃物を使った喧嘩に慣れている。カメレオン顔の男は少年の動きをそう判断した。
 払い、ナイフを持つ手を狙い、そして反撃を受ける前に離脱する。流れるような動きだ。

「何者だテメェ」

「心山門、上条当麻」

 そう答えながら、少年、上条は構えを変える。
 心山拳。それが上条が身につけている拳法の名前だった。
 先ほどのナイフを弾いた動きはその拳法の基本の型、山猿拳。殴るのではなく引っ掻くことで強い痛みを相手に与え、武器を取り落とさせる対刃物用の技だ。後退したのは武器のリーチから距離を取るために山猿拳に組み込まれている、型の終わりの動きだ。

 そして男の背後に回り込んだ最初の動き。当然空間移動テレポートなどではなく、素早く動き相手を攪乱するための百里道一歩脚と呼ばれる歩法である。

「格闘技か。お前無能力者レベル0だな?」

 切れ目の男が薄く開けた目で上条を睨む。

「そうだ」

 短く上条は答える。
 学園都市で格闘技を身につけている者の多くは無能力者である。
 各学校では能力をスポーツに取り入れた部活動が盛んであるが、学園都市の外の学校にあるような柔道部や剣道部といったものに能力を使うことはない。能力を組み合わせた武道は、スポーツとして行うにはあまりにも危険だからだ。
 結果として格闘技を身につけるには習い事として道場やジムに通う必要があるが、能力者ならばその習い事の時間を能力開発に使うのが普通だ。
 ましてや、喧嘩に格闘技を使う者など、能力者を腕力で屈服させるのを目的とした暴走集団スキルアウトくらいしかいない。

「無能力者のお遊戯なんかで……」

 上条に向かって言葉を放ちながら切れ目の男が手を振り上げる。すると、周囲に散らばっていた工事の建材が浮かび上がっていく。
 鉄パイプ。鉄板。ブロック片。総重量はかなりのものであった。

「能力者にかなうと思ってんのか!」

 念動力テレキネシスにより、宙を舞う建材が一斉に上条へと襲いかかる。
 上条は避ける様子を見せず、むしろ構えてそれを迎え撃った。

 建材が上条の身体をすりぬける。まるで彼の身体が透けているかのように、背後へと通り抜けていく。
 鉄やコンクリの塊は、一つも彼の身体を打つことはない。
 そして逆に、一本の鉄パイプが、まるで跳ね返ったかのように切れ目の男の元へと飛んでいった。
 突然の反撃に男は反応するできず、彼の腹に鉄パイプが勢いよくめりこんだ。

「がはっ!」

 切れ目の男は痛みに腹を抱えて膝を付きながら混乱した。
 彼は別に念動力で建材を“投げつけた”わけではない。念動力で“移動させた”のだ。
 最初の加速時に力を加える投擲とは違い、鉄パイプには常に念動力で移動する力を与え続けていた。
 それが突然彼の制御下を離れ、己に跳ね返ってきた。

「――不射の射」

 上条は右手を前に付きだした構えのままぽつりと呟いた。
 不射の射。投擲された石や、放たれた矢を相手に投げ返す後の後の技。中国は大志山、心山拳の達人ならば目で追えない速度の銃弾すら跳ね返す。
 だが、この技は常に強い前進の力がかかり続ける棒火矢や、念動力で動き続ける物体を投げ返すことはできない。

 上条当麻には一つの秘密があった。
 それは、彼の右手に宿った不思議な力。超能力は超常現象といった“常識外”の事象にその右手が触れることで、あらゆる不可思議な事象は消滅してしまうのだ。
 幻想殺しイマジンブレイカー
 それが無能力者の少年、上条当麻に宿る生まれついての力であった。

 構えを変え、上条が動く。
 腰を切れ目の男に向かって身を進めようとする。

「かあっ!」

 だがそれを口髭の不良の能力が割り入って止めた。
 男の能力は発電能力エレクトロキネシス。本来ならば電気抵抗の高い空気中に、電流を走らせることを得意としていた。
 強い光を発しながら空中を走る電流は、真っ直ぐ上条の元へと向かい、そして彼の右手に触れ消滅した。

「なっ!?」

 口髭の男は演算途中で消滅した能力に一瞬驚きの顔を浮かべる。が、すぐに再度能力を行使しようと気を入れ替えた。
 『幻想御手レベルアッパー』で手に入れた力だ。予想外のことが起きても不思議ではない。
 今度は連続で雷撃を上条へと放つ。
 が、上条は手の先が見えないほどの速さで腕を動かし、そのことごとくを払い落とした。

「こ、こいつ、能力が通じねえ!」

 あまりの事態にうろたえ頭を抱えて叫ぶ口髭の男に、上条はただ無言で跳び蹴りを放った。
 体重の乗った蹴りに、男は地面の上を転がる。
 そして着地した上条は再び切れ目の男へと身体を向けた。

「ひいっ!」

 腹を押さえながら男が後ずさる。

「うろたえるんじゃねえ! 腕で攻撃を弾く能力者だ!」

 リーダー格のカメレオン顔の男が叫ぶ。
 上条は能力の攻撃を全て右手の幻想殺しで払いのけていた。それをカメレオン顔の男に言い当てられたのだ。
 よく見ているな、と上条は感心した。
 能力者のはびこる街の喧嘩で、拳法一つで渡り合えるほど甘くはないと上条は考えている。
 己に拳法のいろはを叩き込んだ師ならいざしらず、上条自身は武術の達人と呼べる域まで辿り着けていない。
 だから、あらゆる能力を打ち消す右手を防御の手として使うのだ。

 一方、リーダーの声を聞いた切れ目の男は、上条に向かって両手を付きだした。
 物をぶつけるなどという遠回しなことはしない。直接念動力で上条の身体をねじり上げようと、能力を向ける。
 だが。

「どうしてだああ!? 能力が発動しねええ!?」

「――しッ!」

 上条は男の疑問の叫びに答えることなく、地面をすべるように駆ける。
 一瞬のうちに切れ目の男の目の前に踏み込むと、飛び跳ねるような蹴りを放った。足刀が男のアゴをとらえ、脳を揺さぶられた男はその場に膝をついて倒れ込んだ。

「――はっ!」

 蹴り足を戻した上条はかけ声を上げながら再び構えを取り、残ったカメレオン顔の男と対峙する。

「……こりゃあ驚いた。能力者がこれだけ鋭い体捌きをするなんてなぁ」

「いんや、無能力者レベル0だ」

「そうかい。レベル0にしろ面白い能力だ」

 無能力者が全て能力を使えないわけではない。学園都市の基準で『評価に値しない』出力の能力者も無能力者に該当する。
 例えば念動能力テレキネシスであれば、スプーンを曲げられるだけの力を持って初めて低能力者レベル1になる。スプーンを持ち上げられる程度の力では無能力者だ。

 カメレオン顔の男は上条の持つ能力をそんなかすかにしか出力を持たない小さな力と判断した。ただその使い方が上手いのだと。

「だがオレ様の能力もちーっと面白いぜ!」

 男が上条に向かって駆ける。
 その動きは上条のように洗練された動きではない。だが、拙い動きでもなかった。
 長身のカメレオン顔の男が、上から振り下ろすように拳を突き出す。
 上条は冷静に頭を狙ったその拳を避けた。
 そして男は、続けざまに上条の頭に向けて右のハイキックを放った。

「――!?」

 頭を狙ったはずの蹴り。それが何故か、脇腹に向かって叩きつけられた。

「へえ、今のをガードしやがるか」

 笑いながら男は上条から距離を取る。
 上条が動揺したのは一瞬のこと。彼はしっかりと脇腹に左腕をそえて男の蹴りを防いでいた。

「見えているのにどういうわけか食らってしまうなんて技は、拳法にはごまんとありふれてるぜ」

「くはは、そうかいそりゃすげえな」

 カメレオン顔の男はだらりと腕を下げて笑う。
 次の瞬間、上条は右手を身体の前に突き出して何かを握り取っていた。

 折りたたみナイフ。先ほど男が振り回していたものより小振りなものだ。

「ひゅー、すげえな。見えてんのか?」

「目で見えなくても見えるものはある」

「ひゃははは、マジで拳法っぽいぜ。まるでカンフー映画だ」

 男がそう言った瞬間、上条は後ろに飛び退いた。
 それと同時に、上条が立っていた場所に風を切るような音が響く。
 さらに上条は背後に向かって右の掌打を放った。

 すると、突如上条の背後に掌打を胸に食らう男の姿が現れた。

「――かはっ!」

 胸を強く打たれ、肺から空気を押し出されつつも男は上条から離れ息を整えようとする。

「ち、マジで見えてやがる」

 男は咳き込んで口に溜まったつばを地面に吐き捨てる。

「見えてねーよ」

「そうかい、じゃあ見えるようにしねえとなあ!」

 男が叫ぶと、突如男の身体が無数の数に分裂した。
 まばたきをする間もなく、一瞬で男の姿があちらこちらに現れたのだ。顔も、体格も、服も、何もかもが同じ姿で、数え切れないほどの数に男が増えていた。
 上条の周囲をぐるりと囲む同じ顔をした男の群れ。上条はその光景に眉をひそめる。

「『偏光能力トリックアート』ってんだ。おもしれえだろ」

 男達は同時に口を動かしながら、蹴りの構えを取る。
 偏光能力。光を自在に操る能力だ。光を曲げて姿を消すことも、合わせ鏡のように光を乱反射させ幻の像を作ることもできる。
 無数に増えた男の姿は、光の屈折と分散による錯覚だ。

 男達は同時に上条に向かって足を振り上げる。
 あらゆる方向から向けられた蹴りを、見てかわすなど容易なことではない。
 だが、上条はただ冷静に拳を固め、左の拳打を突きだした。

 肉を打つ音が周囲に響く。

 蹴りが上条に当たったわけではない。上条の拳が実像をとらえたのだ。上条を囲む無数の男の姿は、皆片足を上げた状態で腹をへこませていた。
 続けざまに上条は右の拳を放つ。
 殴りつける鈍い音と共に、彼の周囲を囲っていた無数の男達の姿が消える。
 残ったのは、上条の右の拳を顔面に受ける一人の男だった。

 ぐえ、と喉から絞り出したようなうめき声を上げながら、鼻の潰れたカメレオン顔の男が後方に吹き飛ぶ。
 地面をバウンドするように背中を打ち付け、男は大の字になって地に倒れた。

「いや、視線しか化かせないなら喋っちゃ駄目だろーが」

 左右の拳打を連続で放つ技、竜虎両破腕を使った体勢のまま、上条は倒れた男に冷たいツッコミの声を入れた。
 光を曲げても足音はごまかせない。声の響いてくる方向は変えられない。拳法家の上条にとって音を頼りに敵の位置を探るなど造作もないことだった。

「で、まだやんのか?」

 上条は地面に這いつくばる三人の不良達に向かって言葉を投げかけた。
 いずれも気絶するような強打は受けていない。
 大怪我をさせないように上条が手加減していたためだ。カメレオン顔の男も吹き飛ばしはしたが、後頭部から地面に落ちないよう力の向きを調整していた。

「ぐ……」

 膝を振るわせながらカメレオン顔の男が立ち上がろうとする。
 そんなときだ、脳しんとうから立ち直り視界をはっきりと取り戻した切れ目の不良が、上条を見て叫んだ。

「お、思い出した! このツンツン頭! 最強の無能力者レベル0、『幻想殺し』だ!」

「な!?」

 それまでどこか余裕のありそうな表情をしていたカメレオン顔の男が、初めて焦った表情を作り青ざめる。

「どんな能力も消して、最後には能力者の脳から力を消しちまうあの!」

「え、いや後半は無理だけど」

「……逃げるぞ!」

 カメレオン顔の男は勢いよく立ち上がると、ふらつきながらも脇目もふらず逃げ出していった。

「兄貴! 待ってくれ!」

 残された二人の不良も、彼を追って走り去っていく。
 上条は、追いかけることはせずに、構えをといて息を吐き出した。
 そして、後ろに振り返り、すっと手を上げた。

 彼の視線の先には、一人ぼうっと喧嘩を眺めていた中学生の少女、佐天が居た。

「よ、また会ったな」

 かけられた声に、佐天は咄嗟にこくこくと頷く。
 その様子に満足したように上条は笑うと、視線をまた別の方向へと向ける。
 そこには、不良達に暴行を受け気絶した小太りの男がいた。

「とりあえず、救急車?」

「……はい」

 目の前で繰り広げられた大立ち回りをまだ頭の中で消化しきれていない佐天は、何とか一言だけ声を絞り出すことが出来た。







「ま、多分大丈夫だろ。どこも骨折してなかったし内臓も無事そうだ」

「……わかるんですか?」

 救急車を見送りながら、上条と佐天は工事現場で二人言葉をかわす。

「中国拳法ってのは東洋医学に通じるところがあるからな。簡単な怪我の手当くらいなら、俺みたいなのでもできるぜ」

「すごいんですね……」

 あたしと同じ無能力者レベル0なのに、という言葉を飲み込んで佐天は自嘲気味に笑った。

「あたし、何もできなくて……震えてみてることしかできなくて……」

 前の爆破事件のときもそうだった。勇み足で行動しても、彼がいなかったらどうなっていたのか。

「いや、立派だったぞ」

「そんな……」

 佐天は下を向いて、靴の先で地面をこすった。
 佐天は思う。自分が不良達を止めに入らなくても、上条はあの小太りの男を助けに入っていただろう。自分に出来たのは、不良達に向かって虚勢を張ることだけだった。

「さっき言っただろ、あんたは強いって。大事なのは心の強さだって」

「心の、強さ……」

 佐天は告げられたその言葉を心の中で反芻する。
 強さとは能力だけを指すのではない。心こそが真の強さなのだと。

「これからもその心の強さ、忘れずにいようぜ」

 そんな言葉を残して、上条は佐天に背を向け歩き出す。
 空はいつの間にか夕日の色に染まっていた。
 五月の夕暮れ。完全下校時間はすでに過ぎ去っていた。

 上条の去る姿を佐天は一人オレンジ色に染まる工事現場で見送った。

「それでも……」

 ぽつりと、佐天は一人呟く。
 彼女の周りにはすでに誰も残っていない。

「このままじゃあたし、負け犬だ」

 そう独りごちる彼女の手には、バッテリーの切れた携帯電話が強く握りしめられていた。



[27564] 『反転御手』⑭
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/09/10 23:12

 温めのシャワーを頭から浴びながら、佐天はぐちゃぐちゃになった心を整理する。
 今日はいろいろなことがあった。感情の変化に理性がついてこれていない。
 余分な思考を洗い流すように、佐天は目を閉じてシャワーの水を受ける。

 自分はこれからどうすればいいのだろう。
 それだけを考える。
 携帯電話は充電中だ。シャワーからあがればバッテリー満タンまで充電が終わっているだろう。学園都市製の電池は外の世界のそれと比べてはるかに必要充電時間が短い。

 『幻想御手レベルアッパー』を使うべきか。
 効能は最早疑うべくもない。使えば自分も能力者の仲間入りをできるだろう。
 だが、本当に使って良いのかがわからない。

 風紀委員ジャッジメントは所持者を捕まえようとしているらしい。
 能力のレベルが上がるという以外にどのような悪影響を受けるかわからない。
 音楽を聴くだけで能力を身につけるというずるをしていいのかわからない。

 佐天は自嘲した。
 これのどこが、心が強いというのか。
 結局自分は一人でまともな判断もできない子供なのだ。

『ただでさえ無能力レベル0なのに、こんなことまで見て見ぬ振りするんじゃ、もうあたしに何も残らない。このままじゃ、あたしは一生負け犬だ!』

 不良に向かって自分が言った言葉を思い出す。
 負け犬。
 何に対して負けているというのだろうか。

 一つ理解したことがある。
 中学受験をしようとしたのも、勉強を頑張ったのも、『幻想御手』を手に入れようとしたのも、全て負けたくないという思いが心の奥底にあったからなのだ。

 佐天は学園都市の外から移住してきた外部組だ。
 外部組の多くは、能力を学ばせるために親の意思で学園都市に入れられた者達である。
 だが佐天は、超能力者に憧れて、親の反対を押し切って自分の意思でこの街にやってきたのだ。

 始めは憧れだった。
 カリキュラムを進め無能力者レベル0として認定され何年も過ごすうちに、その憧れの気持ちは歪んでいった。
 同時期に学園都市に来た子供達の中には、順調に能力者としての実力を身につけていく子がいた。
 佐天は嫉妬した。
 嫉妬は嫌いだ。この気持ちが浮かぶたびに、自分が嫌になる。
 だから佐天は、悪感情を外ではなく内に向けるようになった。成長したい。追いつきたい。変わりたい。

 佐天はある日、超能力者レベル5を見た。
 自然公園で喧嘩をする二人の少年達。飛び交う鮮やかな能力。
 その光景に佐天は心を奪われた。
 その日から佐天は公園に足しげく通うようになった。
 彼らの使う超能力は、学園都市にやってくるまえの佐天が憧れていた『超能力』そのものだったのだ。

 超能力者になって、物語の中のヒーローみたいな活躍をしたい。
 そんな、男の子のような夢が佐天のスタート地点だった。

 負けている。
 今の自分は超能力者に憧れていたあのころの自分に負けている。
 馬鹿みたいな夢のために親を説得して遠く一人で学園都市にやってくるという、『成功』を収めた自分に負けている。

 無能力者のままみじめに日々を過ごす今の自分の姿は、とてもかつての自分に見せられない。
 少しでもいいから能力を使えるようになれば、超能力者になれたとあの頃の自分に向かって誇ることができるのだ。
 悪感情を内に向ける佐天にとって敵は自分ただ一人で、あの頃の夢を叶えられない自分は負け犬なのだ。

「ああ……」

 シャワーのお湯を止めながら、佐天は浴室で一人呟いた。

「やっぱりあたしは、超能力者になりたいんだ……」

 髪を絞って水滴を落とすと、佐天は浴室から出てバスタオルを頭に被る。
 『幻想御手』を使うか否かはすでに決まっていた。







 携帯電話にイヤホンをさして、佐天は部屋の床に転がりながら天井を見上げた。
 シャワーで火照った身体にフローリングの床の冷たさが気持ちいい。
 佐天は頭上に携帯電話を掲げるように持ち上げ、右手で操作を始めた。
 携帯電話の音楽再生アプリを起動させる。
 この機能を使うのは久しぶりだ。いつもはパソコンで音楽データを買って、音楽プレイヤーに転送して曲を聴いている。

 曲目一覧から『LeveL UppeR』を選ぶ。
 怪しいものに手を出す恐怖やずるをする罪悪感は消えていなかったが、使うと決めた心は変わらない。

 再生ボタンを押そうとした瞬間、ツンツン頭の上条の姿が頭に浮かぶ。

『これからもその心の強さ、忘れずにいようぜ』

 彼が今の佐天を見たらはたしてどう思うだろうか。きっと心が弱いと言われるんだろうな、と佐天は笑った。
 そして、上条が喧嘩の最中、能力を打ち消すという能力を使っていたことを思い出す。

「わからないよ……無能力者レベル0でも能力を使える人に、この気持ちは……」

 再生ボタンを押す。
 安物のイヤホンを通じて、音が伝わってきた。
 聞こえたのは、学校の能力開発カリキュラムで馴染みのある、波のような電子音。

 始めは一つ。やがて二つ、三つと音が重なり和音が増える。ただ一つとしてリズムを刻む音はない。
 うねるような音が、佐天の脳を支配する。
 形容するなら環境音楽だろうか。主旋律のない音の世界に、佐天は引き込まれた。

 能力開発の音声ならば起きるはずの精神のトランスや喪失がない。
 代わりに起きたのは、感覚の拡大だった。
 まるで全身が目になったような。五感が広がったかのような感覚。

 繋がった。

 佐天は直感的にそれを理解した。
 自分と世界が繋がった。

 心は酷く落ち着いている。だから、この状況を冷静に客観的に理解することが出来る。
 自分は変わったと。

 やがて音楽が終わる。十分にも満たない時間。能力のレベルが上がるという触れ込みに対して、とても短い演奏時間。
 だが、音楽が終わった今も、佐天は何かが“繋がった”感覚に溢れていた。

「あ、あ……あは、あはは。あはははははは」

 知らず知らずのうちに、佐天の口から笑い声がこぼれていた。

 世界が広がった
 見える。何もかもが見える。1DKの狭い自室。そこにある全てが見えていた。
 身体検査システムスキャンによると、彼女は透視能力クレアボヤンスの数値が高い。
 佐天はその結果から自分は透視能力者なのではないかと度々考えたことがあった。

 だが違う。部屋を見渡しているのは透視ではない。自分の能力はそんなものではないと、佐天にははっきりとした自覚があった。
 “見えて”いるのは、自分の能力を使うために必要な土台だ。
 佐天は手を開く。天井に向かって手を伸ばす。携帯電話が床に落ちたのが“見えた”が無視だ。
 そして佐天は世界を観測した。

 指の先に、空気の流れが生まれる。
 気流。うちわを軽く一振りしたような、小さな風が、指先から生まれた。

「あは」

 指先をくるりと回す。
 すると、空中に小さな空気の渦ができあがった。
 指を止めても、渦は止まらない。止めた指を中心としてくるくると回り続ける。
 腕を降ろす。指先に感じていた風の感覚がなくなる。だが能力はかすかながらもまだ消えていない。佐天には“見えて”いた。自分の頭上で空気が弱い渦を巻いているのが。

 佐天は確信する。自分は空気を支配する空力使いエアロハンドであると。
 念動力を使って空気の分子を自在に動かす風力使いエアロシューターではない。空気の分子のあり方をミクロの域で観測する空力使いなのだ。
 何故その確信に至ったのかはわからない。だが何故か自分が空気を見て、空気を操る能力者だとわかってしまうのだ。

「これが『自分だけの現実パーソナルリアリティ』?」

 この感覚を当てはめるのに一番相応しい言葉を佐天は知識の中から選び出した。
 自分が空気の支配者なのだという妄想。確かにそれは『自分だけの現実』と言えた。

 そして、目に見えないはずの空気が“見えて”いるのは。

「……AIM拡散力場」

 能力者が無自覚の内に微弱に発しているという能力の力場。
 それを通じて佐天は見えないはずの空気を見ているのだと推測した。

「あれ、違ったかな。大気操作系能力者の大気構成分子の把握方法は……あーもうわかんないやーあはははは」

 受験勉強をしたときに一通り頭の中に叩き込んだ知識を掘り起こそうとして、やめた。
 気分が高揚して細かいことを考えるのがどうでもよくなっていた。
 広がった感覚にまだ心が追いついていないのだ。

「あーもう、もう、もう、もう」

 佐天は床の上でごろりと回転し、うつぶせになって手足をじたばたと動かした。
 とうとう能力者になれたという事実に、喜びの気持ちがあふれてきたのだ。

「あーうーだーぬーはー」

 あふれすぎた気持ちをどうしていいのかわからず、佐天はフローリングの上をごろごろと転がった。

「ぬーわっ!」

 転がるのをやめずに、身体を全力で壁へとぶつける。

「うふ、ふふふあははははははははははは」

 気分の高揚が止まらない。

「あーもう、今ならなんだってできそう」

 この奇妙な万能感は『幻想御手レベルアッパー』によるものか、能力者になれたことによる純粋な喜びか。
 ただ、もし前者ならば、能力を使った犯罪が増えているというのも納得できてしまう。
 佐天の頭の中にはこの能力をどう使おうかという考えが、次々に思い浮かんできているのだ。

「でもとりあえず――」

 佐天は、能力者になれたら絶対にやってみようと心に決めていたあることを口にする。

「力が使えなくなるくらいへとへとになるまで能力を使う!」

 佐天は床に仰向けになったまま両手を上に向けると、ぐっと手の平を握って空気を掴んだ。







 五月某日。
 天気は良好。『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』の天気予告は一日中晴れ。梅雨入りの気配はまだない。

 昨日から能力者の仲間入りをした佐天は、うきうきとした気分で学校に登校した。
 彼女は能力を使えるようになったことを誰かに自慢したくてたまらなかった。昨日は誰かに電話やメールをすることも忘れ、夜遅くまで空気と戯れ、そのあとは疲れて床の上で寝てしまったのだ。おかげで身体の節々が痛い。

「おっはよー」

 佐天は元気よく挨拶をしながら教室の中へ入る。
 すでに登校していた生徒達が口々に挨拶の返事を返してきた。
 入学当初は中学デビューに失敗した佐天だったが、そこはなんとか持ち前の明るさとコミュニケーションスキルでクラスに上手く溶け込むことができた。
 友人と呼べる面々も増えた。だがやはり特別仲が良いのは四月のオリエンテーションで班を組んだあの五人。その中でも親友と呼べるのが。

「おはようございます。佐天さん今日はごきげんですね」

 頭に花畑を乗せた少女、初春飾利だった。

「うん、実は昨日ねー」

 能力が使えるようになったんだ。そう言おうとして途中で止まった。
 昨日。初春と白井はなんと言っていたか。『幻想御手レベルアッパー』の所持者を捜し出して保護している。そう言っていたはずだ。

「慌てて帰っちゃいましたけど何かあったんです?」

「あーうん、実は、そのね」

 風紀委員ジャッジメントである初春に能力のことを知られるわけにはいかない。

「その、そう、実はあのあと不良にからまれちゃってね」

「ええっ!? 大丈夫なんですか!?」

「うん、大丈夫よー。なんかカッコイイ男の人が助けに入ってくれてさ、能力者を三人素手で追い払ってくれたんだ」

 笑顔を崩さないように努めながら、佐天は別の『ごきげんな理由』を用意する。
 嘘は言っていない。昨日実際にあったことだ。

「素手でですか?」

「うん、中国拳法の達人で、あちょーって簡単に倒しちゃった。いやー、格闘技で能力って破れるんだね」

「ふええええー」

 佐天の説明を聞いていた初春が、妙にキラキラとした目で佐天のことを見つめていた。

「すごいです佐天さん。漫画みたいです。不良にからまれたところを助けられるなんて、ヒロインですよヒロイン」

「うーん、そうっかな?」

 正確には不良にからまれている人を助けようとしたところを助けられたのだが、佐天はややこしいので説明しないでおくことにした。

「しかも武道の達人のカッコイイ男の人! ロマンスです!」

「あれ、あたしカッコイイなんて言ったっけ?」

「最初に言いましたよ!」

「あれー? 格好良かったかな? うーん、まあそれなりにカッコイイかなぁ……?」

 初春の想像していそうなイケメンではなかったが、好青年と言った顔立ちではあったと佐天は上条のことを思い出す。

「高校生ですか? 大学生? それとも教師さん?」

「多分高校生かなぁ」

「名前と連絡先は聞いたんですか?」

「特に聞いてないけど名前はわかってるよ」

「もう、なんでそこでせめてご連絡先でもって聞かないんですか。次に繋がらないですよ」

「えー……」

 次って何だ、と佐天は思った。
 この親友の初春は、どうもそういう少女好きのするような小説の世界に憧れている節があった。

「じゃあ初春が同じ状況だったとして、そういうことを聞けるのかなー?」

「えっ私ですか!?」

 矛先を返された初春は、両手を頬に当てて軽く飛び退いた。
 そして、手を頬にそえたまま何かを考え込むようにうつむき、やがて顔を赤くしだした。

「私にはまだちょっとハードルが高いって言いますかまだこの歳では早いと言いますかああでもあのときのキューブさんが男の人だったらどうなってたんでしょうもう」

 飴玉を転がすような甘ったるい声をあげてオーバーヒートする初春を置いて、佐天は自分の席へと向かう。
 そして、大丈夫だ、と心の中で思った。大丈夫、『幻想御手』を使ったことを初春に悟られることはなさそうだ。ついうっかり口が滑ったりしない限りだが。
 それよりも、カリキュラムで急に能力の成果を出してしまわないよう気をつけなければ、と気を引き締める。

 後ろめたいことをしている自覚はある。
 だけれども。手に入れたこの力を手放すのだけは絶対に嫌だと、佐天は強く思うのだった。







 放課後。佐天は足早に学校を去り学生寮へと戻る。
 結局、学校の友人達の誰にも能力を見せることはなかった。人づてに初春に知られてしまうのが怖かったのと、『幻想御手レベルアッパー』を自分にも使わせてくれと言われるのが怖かったのだ。
 実際に能力を使えるようになったものの、『幻想御手』がよくわからない怪しいものであることは変わりがない。むしろこんなに簡単に能力が手に入ってしまったことに薄ら寒いものを感じていた。
 そんなものを友人達に渡すなど、まるで『共犯』を作るようで嫌だったのだ。

 だが、わずか十二歳の幼い少女である佐天には、己の中で膨らむ自己顕示欲を抑えきることができなかった。
 このちっぽけでたわいのない空気を支配する能力を今すぐ誰かに見て貰いたい。

 佐天は寮の自室で制服を脱ぎ、タンスの中から服を取り出す。
 第七学区の衣服店セブンスミストで春休みに買ったパフスリーブのブラウスと、英国からネット通販で取り寄せたジーンズを手早く着込む。
 能力レベルが上がって学園都市から支払われる奨学金の額があがれば、服のグレードを上げられるだろうかなどと夢想しながら、佐天は寮の部屋から出た。
 鍵を閉め、階段を下り、寮のアパートに用意されている駐輪場に向かう。
 そして佐天は、愛用の自転車で第七学区の街へと飛び出した。

 学園都市は交通機関が発達している。学園都市の科学技術は外の世界と二、三十年の開きがある。
 しかし、実際にこの第七学区の町並みを眺めてみると、それ以上の開きを感じ取れる。
 それは、この街の設備が常に新しいものに変わり続けるのに対し、外の世界では一度用意した設備を何十年も使い続けるからだ。
 学園都市の製品の耐用年数は高いが、学園都市の住民の中核である中高生が多く住む第七学区は『生活』の巨大な試験場となっているため、バス等の乗り物や清掃ロボットといった容易に取り替えのきく品はすぐに他の学区に払い下げられるのだ。

 佐天は学園都市に来た当初その様々な未来設備に魅了されたものだが、一人で生活するうちに交通機関をあまり頼らなくなった。
 電車やバスを乗り継いで遊び歩くには、彼女の奨学金はあまりにも少ない。
 結果として彼女は自分の身体を交通の手段として頼るようになった。
 彼女が今乗っているのは、磁力の力を応用した快速自転車である。その仕組みを彼女は詳しく知らないが、一人で遠くに遊びに行くときにはお世話になっている愛車だった。

 ペダルをこぎながら、佐天は風を感じる。
 その風は昨日まで感じていたものとは違うものだった。空力使いエアロハンドとなった佐天には自転車に押しのけられ後ろへと流れていく空気の流れがなんとなく感じられた。
 特に能力を使っているわけではない。だが、能力者は自分の能力に密接な関係のある現象を常に感じ取れるものらしい。
 定温保存サーマルハンドの初春は温度の変化に敏感であるらしいし、空間移動テレポートの白井は自己を中心軸とした周辺空間を常に把握している。超能力者レベル5である美琴に至っては、周囲を飛び交う電磁波を無意識のうちに分析して自身に攻撃的なものを自動でシャットアウトするようになっている。
 彼女達から伝え聞いたその“感覚”を実感することができて佐天は嬉しくなり、その喜びをペダルをこぐ脚へと送り込んだ。

 やがて、佐天は第七学区と第一八学区の境目の地区へと到着する。
 三月までは、彼女はこの近くの小学生用の寮に住んでいた。だが懐かしさを覚えることはない。柵川中に入学してからも、たびたびここへは訪れていたからだ。
 目的は、ここにある自然公園に来るためだ。

 超能力者の集まる公園。そんな噂の流れる不思議な場所。佐天はここに集まる『珍しい人々』の内輪のようなものに入っていた。
 春夏秋冬、どの季節でも屋台を広げるたい焼き屋。その店主無法松を中心にした奇妙な集まり。
 年齢も能力レベルも趣味趣向もてんでばらばらなその人の縁が、佐天はたまらなく好きだった。
 ここの人になら自分の能力を見せられる。風紀委員ジャッジメントである白井と、その白井がつきまとう美琴以外にならであるが。

 公園へと入り自転車を降り、たい焼きの屋台がある場所へ歩く。
 今日の店主はバイトのアキラのようだ。客はいないようだった。

「あっきらさーん」

「おっす佐天。買ってけ」

 バイト生活の長いアキラは、この新中学生の少女がたい焼きのためだけにここに来ているわけではないと解っていたが、とりあえず店員として勧められるだけ勧めておく。
 だが佐天はそれを軽くスルーすると、自転車を止めてアキラの前へとぴょこぴょこと歩いていく。

「アキラさんアキラさん、やりましたよ『幻想御手』ですよ」

「おー?」

「ほら!」

 佐天はアキラの前に手を出すと、手の平の上に風の渦を作りだしてみせる。

「……何?」

「えー、えー、わかんないんですか?」

「んなこと言われてもなぁ」

 アキラは佐天の言った文脈からおそらく能力を見せようとしていると察する。
 が、アキラは百合子のような目の前で起きるあらゆる事象を解析するような脳を持っていない。

「んもう、仕方がないアキラさんですねー」

 自転車を漕いでいるうちにハイになったテンションのまま佐天は大げさにため息を吐くと、おもむろにその場にしゃがむ。
 たい焼き屋台は公園の芝生の上に設置されている。佐天はロボットによって綺麗に苅られている芝生の草を軽くちぎり取ると、手に草を握りながら立ち上がった。
 そして、先ほどと同じように手を開き、手の平の上に風の渦を作った。
 小さな円を描いて緑色の草がくるくるとまわる。
 佐天は、どうだ、という顔でアキラを見た。

「念力……じゃねーか、風か?」

「そうですよー。見てくださいほら、扇風機ー!」

 上に向けていた手の平を返し、屋台に立つアキラの方に向ける。
 そして、渦を作っていた空気の流れを変え、前方へ発射するように風を飛ばした。

「ってこら食いもんに草飛ばすな!」

「あはは大丈夫ですそこまで飛ぶほど出力ないです」

 佐天の身体から離れた空気の流れは、すぐに力を失って四方へと散る。草は屋台の鉄板の上に乗ることなく地面へと落ちていった。
 佐天の能力はまだムラがある。佐天が支配できる空間の領域というものがあり、それはひどく狭い。だから、手の平の上では紙吹雪や草と言った軽いものを浮かせたままにはできても、遠くに飛ばすとなると途端に上手くいかなくなる。
 仮にこれが高出力でたい焼き屋台の上に草など乗せてしまったら、無法松にぶっ飛ばされてしまうのだが。

「『幻想御手』くれたアキラさんのおかげですよー」

 指の先で空気をいじり回しながらアキラに感謝の言葉を述べる。
 対するアキラは、佐天を真っ直ぐ見ると。

「やったじゃねえか」

 と短く声をかけた。

「……はい!」

 他人からの初めての能力を肯定する言葉に、佐天は破顔した。
 そして、実感する。
 アキラや白井のような人と比べたらささやかな力だけど。他人から見れば何ということもない力だけど。

 ――あたしっ、能力者になったんだ!

 緩む頬を両の手で抑えながら、佐天は感激に震えた。

「アキラさんたい焼きひと……ふたつください!」

「ん? おう」

 アキラは佐天の声に応じて、鉄板に油を塗り、二つ分の生地を流す。
 作り置きはあったが、佐天がただたい焼きを食べたがっているだけではないのだと察して、特別に焼く。
 佐天はそれを餌を待つ子犬のようにそわそわと身体を動かしながら眺めてできあがりをまった。

「そうだ、あたしが能力使えるようになったこと、他の人に言わないでくださいね」

「ん? どうしてだ」

 突然言われたお願いに、アキラは当然の疑問を返す。

「あ、その、それは……」

「……ま、そういうなら言わないでやるよ。別に言いふらすようなことでもねえし」

 言いよどむ佐天に、アキラは聞くのをやめてたい焼きを焼く作業に戻った。
 アキラは人の心を読むことができる。
 今佐天の心を読んだかは、佐天にはわからない。ただ、彼女の意をアキラが汲んでくれたのはわかった。

「……その、風紀委員が『幻想御手』の所持者を捜して保護してるらしいんです。理由は確か……副作用があるんだって」

 先ほどまでのハイテンションが無かったかのように、佐天はぽつりぽつりと告白する。

「どういう副作用かは知らないんですけど……えっと、風紀委員に捕まったらせっかく手に入れた能力がなくなっちゃうんじゃないかって心配で。それに、怒られるの嫌で」

 佐天は『幻想御手』に対する不安を全て口にする。
 こんなことを聞いて貰える人は事情を知るアキラくらいしかいない。
 それに。

 ――アキラさんは『共犯』だから。

 唐突に脳裏に思い浮かんだ言葉に、佐天はぞっとした。
 自分は今、何てことを考えたのだ。

「藤兵衛に『幻想御手レベルアッパー』渡しておいたから、問題ないだろ。興味津々だったし」

 アキラから告げられた言葉に、佐天はほっと心をゆるめる。
 アキラの担当指導員、藤兵衛は学園都市でも有数の名門校である長点上機学園の教員だ。長点上機の能力開発における第一人者と言われているらしい。
 その彼に『幻想御手』が渡ったと聞いて、佐天は心の中の心配事が一つ消えた。
 佐天は直接その藤兵衛に会ったことがない。が、学園都市に八人しかいない超能力者レベル5のうち第一位と第七位の開発を担当しているほどの人物ならば、きっとなんとかしてくれるだろう、と心を少しでも落ち着かせようとする。

「ほら、できたぜ」

 アキラの言葉に、佐天ははっと顔を上げる。
 焼きたてのたい焼きが紙ナプキンに包まれて二つ、差し出されている。
 佐天はジーンズのポケットから財布を取り出そうとするが。

「オレのおごりだ、持ってきな」

「うわー、普段なら絶対に言わない台詞!」

 そんな軽口を叩きながら、佐天はたい焼きを受け取った。
 紙ナプキンからは熱さがさほど伝わってこない。昭和風の屋台に反して遮熱紙ナプキンが使われている。

 佐天は一口、ぱくりとたい焼きをほおばる。
 ぱさぱさせず、湿り気もなくそれでいて弾力もある、固すぎない絶妙な生地の食感に、後からやってくる粒あんの甘味。
 佐天はそれらを口の中で楽しみながら噛むと、こくりと飲み込む。心の不安も一緒に腹の奥にしまいこむように。

 この味を覚えておこう。
 佐天はそう考えながらたい焼きを一口二口と食べていく。
 この味が、自分の能力者としてのスタート地点の味だ、と考えながら。

 例えずるでも。間違いでも。怒られても。
 能力者になれたのは確かなんだ。だから、覚えておこう。
 一尾目の最後の一口を噛みしめながらそう強く思う。

 だから大丈夫。
 あたし達は負けない。絶対に。
 あたし達は行ける。実際に行けばわかるんだ。
 だから大丈夫なんだ。



[27564] 『反転御手』⑮
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/09/12 23:46

 放課後の激務が続く白井の身体はぼろぼろだった。
 能力者の犯罪を止めるため、第七学区中を飛び回る日々。空間移動テレポートというものは便利なもので、飛べる距離に限界があっても続けざまに転移することで、車を越える長距離移動の時速を叩き出すことができる。
 そのため、白井の放課後の活動拠点である柵川中学の風紀委員活動第一七七支部の管轄を大きく越えて活動の幅を伸ばしていた。白井の後方援護を行っている初春も、周辺地域の風紀委員ジャッジメント警備員アンチスキルの統括オペレーター兼情報解析役を務めており、警備員達から『支配者タイムキーパー』なるあだ名を与えられていた。

『交差点を三つつ過ぎたあとのビルとビルの間の脇道です』

 白井の耳に取り付けられた通信機から、くだんの初春の甘い声が響く。初春は今、風紀委員でもっとも忙しい人物だろう。得意の情報分析と能力である『定温保存サーマルハンド』を同時にやり続けていた結果、「能力の新しい扉が開きそうです」などとふらつきながら言うほどになっていた。
 白井も、四月になるまで自身を転移させることができなかったというのに、ここ最近の現場の忙しさで自己転移の能力使用がすっかり様になってしまっていた。

 白井が『空間移動』を使って向かっているのは、『能力者狩り』と呼ばれる犯罪の事件現場だ。無能力者レベル0低能力者レベル1といった低い能力強度レベルの不良が『幻想御手レベルアッパー』を得て力を付け、高いレベルの能力者を狙って暴行を加えるといった犯罪がこのところ多発している。
 レベルの低い彼らにとっては、素養格付パラメータリストで能力を保障された高レベルの能力者は暴力をぶつけるのにぴったりの対象だ。
 その犯行の実行者として目撃情報のある不良グループが、一人の学生を囲んでいるのを監視カメラで発見したと、白井が初春から連絡を受けたのはつい先ほどのことだ。
 『書庫バンク』の登録データによると、不良達は低能力者レベル1異能力者レベル2の集団。『幻想御手』使用者は最大で二段階の強度上昇が起きる。
 学生が怪我をする前に向かわなくては、と白井はビルとビルの隙間の細い道に入り、走った。
 暴走能力者達を捕まえるために負った体中の傷が痛むが、そんなもの無視できる。
 ビルの隙間を抜け、わずかに開けた空間に身体を踊らせると、白井は常盤台の長袖のブレザーに付けた風紀委員の腕章を掴みながら、叫ぶ。

風紀委員ジャッジメントですの!」

 白井の声に、一人の少年を囲む六人の不良達が振り向く。そして、彼らに囲まれていた一人の少年が白井の姿を見ると、彼女に向かって挨拶するようにすっと手をあげた。まるでこの状況に少しも危機感を覚えていないような、軽い調子だ。

「おう、白井じゃねえか。何か用か?」

「……はい、まあ」

 白井はその少年を見た途端、最高に膨らんでいたやる気が一気にしぼんでいくのを感じた。
 茶色に染めた髪を逆立て、派手に改造したぼろぼろの学生服を着た見覚えのある年上の少年。
 田所アキラだった。

「じゃあ少し本気出すからちょっと離れて待ってろよし行くぞテメエら」

 アキラがそう告げると共に、彼の姿が急にぶれ、何かを殴りつける鈍い音と共に不良の一人が空高く舞った。
 アキラの超人的な身体能力に任せた大振りのアッパーカット。大振りとは言っても常人の目に追えるものではなく、不良は何もわからぬまま地面に叩きつけられ気を失った。
 突然の戦闘開始に、不良達は動揺するもそれぞれ喧嘩の態勢を取る。
 白井はアキラに言われたとおり細道に下がってビルの壁に背を付け、ため息をついて脱力した。

『し、白井さんー。何やってるんですか!』

 通信機から初春の大声が響く。
 どうやらどこかの監視カメラ越しに、しっかりこちらの様子を眺めているらしい。

「……ああ、初春は知らないんですの。襲われてる彼、超能力者レベル5ですわ」

『ええ!?』

「超能力者の半数はこの第七学区に居ますのよ。暇なときにでも資料を見ておきなさいな」

 通信器越しに会話をしながら、白井は目の前で不良達がぽんぽんと宙を舞い吹き飛んでいく。
 アキラが言う本気とは能力的な意味でなく腕力的な意味だったらしい。ローキックやエルボーと言った力任せの技が、白井の動体視力の限界を超えた速度で繰り出される。白井は空間移動能力者としての空間把握能力でかろうじて動きを追っていた。

「それ本当に超能力ですの? とても人間の動きには見えませんの」

 最後に残った不良を叩きのめされるのを見ながら、白井はアキラに声をかける。
 アキラの身体能力の高さは人間離れしている。学園都市で他にこれをなせるのは、特性の駆動鎧パワードスーツを着込んだ軍人か、肉体変化メタモルフォーゼに連なる肉体を作り替える能力者くらいだろう。念動力などの能力で無理矢理身体を早く動かしても、身体が動きに耐えられる大怪我をするだけだ。
 そんな動きをしたばかりのアキラは息をわずかにも乱すことなく、地面に転げる不良達に目を向けることもなしに、白井へと振り返る。

「そうなんじゃねえの? ナンバーエイトのやつは音速で動くぞ」

「まあそれは存じ上げてますが」

 ナンバーエイト、超能力者第八位の削板軍覇は超人だ。全力で駆ければ音速を超えソニックブームを生み出す。
 白井が削板とアキラの公園での喧嘩を止めに入って、彼らの嵐のような動きに吹き飛ばされたのは、一度や二度ではない

『白井さん、えっと、どうしましょう』

 一人、状況に付いて来られていない初春が、白井に指示を求める。本来ならば今の風紀委員活動で後方指示を出すのは初春の役割だ。

「いつも通り。六人の能力者を連行できる車両と警備員の方をよこしてくださいまし」

「仕事中か?」

 通信機に話しかける白井にそうアキラは訊ねた。

「ええ、能力者狩りが横行してますの。それで囲まれるアキラさんを私のバディが街中にある監視カメラで見まして」

「ほー、そりゃご苦労さん。確かにオレも最近のからまれ方は異常だ」

「能力者狩り以外にも、強盗に立てこもりに無差別破壊活動に、節操がなさすぎて身が持たないですわ。捕まえようとしたら十中八九能力を使って襲いかかってきますし」

「……ふうん。ちょいと失礼」

 そう前置きしてアキラは白井に近づくと、おもむろに白井の肩に手を置いた。

「んなっ!?」

 突然の事に白井は混乱する。
 風紀委員として不良に肩や胸ぐらを掴まれることなどしょっちゅうであるが、親しい男性に触られるという状況に慣れていないお嬢様校育ちの箱入り娘だ。美琴お姉様&姉妹達シスターズラヴな白井であるが、この唐突な接触は緊張せざるを得なかった。

 ――能力で吹き飛ばして!

 と演算を始めようとした白井だったが、急に自分に訪れた変化にその思考が止まる。
 身体をじくじくと蝕んでいた怪我の痛みが、心地よい感覚と共に消え去ったのだ。それどころか、妙に身体の調子が良くなり気力が沸いてくる。

回復思念ヒールタッチってな。別に喧嘩するための能力しか持ってないわけじゃねーぜ」

 手で触れた対象を癒す、『流動情景ライブアライブ』田所アキラの持つ無数の超能力の一つだ。

「お気遣い感謝しますわ。ご自身を治療する能力だけではなかったのですね」

 白井が見たアキラと削板の喧嘩の最中では、アキラが血まみれになりながらも精神を集中すると、みるみるうちに傷が復元していくという能力を使っていた。どう見ても致死量に達するだろうという血が流れていたが、傷が塞がった後のアキラは失血でのふらつきもなくぴんぴんとしていた。

「……そして原理を考えるだけ無駄なのでしょうね」

 昨日暴れる念力使いを捕まえた際に抵抗を受けてひびが入ったはずのあばらをさすりながら、白井が言う。
 痛みは一切残っていなかった。

「藤兵衛の長点上機の論文見りゃ何か書いてあるんじゃねーの」

『白井さん、そろそろ警備員の車両が到着します』

 二人の会話に割り込むように、初春の愛らしい声が白井の耳に届いた。
 ビルとビルの間にある細道の向こう側に、警備員の能力犯罪者搬送用の特殊車両が二台止まる。
 そして、黒い装甲服を着込んだ警備員達が次々と車を降り、細道を通って裏路地へと踏み込んでくる。

 警備員達は不良達が一人残らず昏倒しているのを見て、手錠を取り出し不良達に近づいていった。
 それを最後尾で見ていた警備員の一人が、フルフェイスヘルメットの強化バイザーをあげて顔を見せる。

「風紀委員のご協力感謝する。……と、そっちはアキラ君かい」

 顔を見せた中年の警備員が、白井の隣に立つアキラの姿を見てそう言った。
 彼はアキラの顔見知りの警備員だ。アキラは様々な縁から警備員の知り合いが多いのだった。

「ああ、こいつらに襲われてな」

「能力者狩りでよりにもよって超能力者レベル5を狙うとは、また無謀な子達だな」

「最近は外に出るといつもこうだぜ」

「最近の君のことだから、自分から喧嘩を吹っかけることはそうないんだろうが……できれば捕縛したのち警備員に通報して欲しいね。こういった子は、返り討ちにあった鬱憤をはらすために、力を他の犯罪に向けかねない」

「あー善処しとくよ」

 アキラの生返事に、警備員の男はため息をついてヘルメットのバイザーを降ろすと、他の警備員達と共に不良を車輌に連行しはじめた。
 またたくまに六人の不良は二台の車へと詰め込まれ、そして警備員達は素早く去っていった。
 アキラや白井に詳しい聴取をすることもない。彼らもまた初春の統括オペレートの指揮下にあるのだ。会話をせずとも情報は共有されていた。

 そして残された白井は、警備員達の代わりにアキラに能力者狩りの危険性と通報協力に付いて長々と語り始めた。
 アキラはそれを一人うんざりとした顔で聞く。純粋な善意で白井がそれを語っているため、アキラは彼女を無視してこの場を去るのがどうも忍ばれたのだった。

「――で、どうも能力者狩りは散発的なものものではなく組織的な犯行らしいですの」

 白井の話はいつの間にか能力者狩りの捜査情報へと変わっていた。
 特に外部の人間に話してはいけない内容ではないので、白井は襲われてばかりだというアキラに注意を促す目的でこれを話している。
 例え学園都市に八人しかいない超能力者と言えど、不意をつかれてはどうしようもない状況というものがある。
 銃弾を受けても死なないと自称するアキラだが、それがもっと的確な殺害を前提とした兵器や能力を使われたとしたらどうか。もちろん超能力者第三位の美琴も例外ではなく、既に白井は美琴の寮の部屋に押しかけ能力者狩りへの注意を長々と語っていた。

「武装能力者集団やスキルアウトが、徒党を組み始めてるようですの」

「ほー」

「どうも指示を出しているトップがいるようで……」

「んじゃ行くか」

「え?」

 説明の途中にアキラから突然言われた言葉に、白井は疑問の声を返す。

「能力者狩りを狩りに」

 白井の理解が追いつかぬまま、アキラは一人凶悪な笑顔を浮かべた。







「やー、自分からこんなに喧嘩売るのも久しぶりだなぁ」

 武装能力者集団の溜まり場で、アキラは肩を回しながらどっかりと座った。
 彼の脚の下には、鼻から豪快に血を流す不良チームのリーダーがいた。その周辺にはアキラの能力であっさりとやられた不良能力者達が倒れている。

 アキラは白井から能力者狩りの容疑が上がっている不良グループを聞き出し、その縄張りに乗り込んで次々と不良達を張り倒していたのだ。
 能力者狩り潰しを始めてからまだ一時間しか経っていないというのに、すでに四つの不良グループが崩壊している。完全下校時間にはまだまだ余裕があった。

「なんで私が一緒にチーム潰しなんてしなくちゃならないんですの!」

 アキラに無理矢理付き合わされる形となった白井は、アキラに向かって可愛らしくぷりぷりと起こった。
 そんな白井の声を通信器越しに聞いていた初春の笑い声が彼女の耳に届くが、白井は「うがー!」と威嚇して初春を黙らせた。

「あの警備員のおっさんも言ってただろ」

 倒れたリーダーの男の上に座りながらアキラが言う。

「ぶん殴っても元気になったらまた素知らぬ顔して街に繰り出すんだ。おめーがいないと留置所にぶち込めねえ」

「私じゃなくてアキラさんが警備員に通報すればいいではないですか。付き合う道理はありませんわ」

「単なる喧嘩じゃオレまで引っ立てられるだろ。風紀委員の仕事って名目がねえとな」

 アキラの物言いに頭痛を覚えながら、白井は手元を動かす。
 白井も別にただぼんやりとアキラの暴れる様を眺めていただけではない。
 アキラが叩きのめした不良を手錠代わりの強化繊維テープで捕縛しているのだ。『幻想御手レベルアッパー』を得て暴走する能力者達との戦いの最前線で、白井は警備員スキルアウトから提供された数々の対能力者用秘密道具を携帯している。
 このテープもその中の一つで、手錠と違いかさばらずそれでいてちょっとやそっとの能力では破けない。

「はい、全員の拘束終わりました。後はその方だけですわ」

 鼻血を流して失神するリーダーを見下ろしながら白井が言う。そんな白井の耳に、初春の『後四分で到着します』という警備員の移動状況が届いた。白井がそれをアキラに伝えると。

「よし、起きろ」

 アキラは言いながら立ち上がると、足元で倒れる不良の腹を踏みつけた。

「んま、乱暴な」

「単なる気付けだ」

 鼻血を吹いて気絶していた不良のリーダーは、咳き込むようにして目を覚ました。
 そして、薄ぼんやりとした視界の中にアキラを見つけると、親の仇でも見たかのように彼を睨み付ける。
 それをアキラはただ乱暴に蹴りつけて戦意を喪失させようとする。白井はその様子に顔をしかめるが、アキラはそしらぬ顔で不良を踏みつけて屈服させる。

「よう、リーダーさん。ちょっと聞きたいことあるんだけどよ」

「ちっ、なんだよ……」

 不良は抵抗を諦めたかのようにだらりと力を抜いた。
 能力で反抗しようにも、痛みで演算に集中できない。仲間も一人残らず昏倒しており、彼は自分達の敗北を自覚していた。

「いろんなチームに能力狩りの指示を出してるってのはオマエさんか」

「……ああそうだ。このあたりを締めてるのは俺らだからな」

「ほー、上にまだ親玉がいるのか。オマエはさしずめ中間管理職か」

「な、てめえ」

 口に出していない情報を言い当てられ、不良は困惑の顔を浮かべる。
 読心。学園都市ではさほど珍しいというわけではない能力だ。それでいて多くの学生達に嫌われている能力。誰だって心の中で考えていることなど読まれたくはない。

「ビッグスパイダーねぇ。聞いたことない名前だ」

「ち、そうだよ。第七学区のチームじゃねえからな」

「第一〇学区か。確かにそのあたりは詳しくねえな」

 アキラに心の中を言い当てられ、不良は諦めたように言葉を吐く。

「やつらは無能力者レベル0のスキルアウトが集まった百人規模のチームだ」

「スキルアウトが能力者狩りの武装集団を取りまとめてますの?」

 思わぬ情報に、白井が疑問の声をあげる。
 それを不良は自嘲するように笑って、答える。

「そうさ。やつらは全員無能力者だ。しかも『幻想御手レベルアッパー』を使ってねえ正真正銘の武装無能力者集団スキルアウトだ」

 その答えに、白井は眉をひそめて考える。
 能力者狩りを行っていたのは、いずれも『幻想御手』を使って能力を高めていた低レベルの不良グループだ。
 それを牛耳っていたのがよりにもよって無能力者の集団なのだ。何かがおかしい。

「やつらを潰すつもりか? お前らじゃ勝てねえよ。あいつらには能力がきかねえんだ。だからスキルアウトがトップに立ってやがるんだ」

 能力が効かない、という言葉に白井の頭はさらに疑問で埋まった。
 一方、アキラはというと。

「『幻想殺しイマジンブレイカー』でもいんのか」

 そんなことを呟いた。
 そのアキラの言葉を白井はしっかりと耳にしていた。

「『幻想殺し』ってなんですの?」

「あらゆる能力を打ち消す天然の能力者だよ。こっちの界隈じゃ結構通ってる名だ」

 一通り心の声を聞き終わった不良の意識を睡眠思念ヘブンイメージで断ちながら、アキラは答える。

「だが一匹狼でチームを持ってるつう話は聞いたことねえ。そもそも不良かどうかもわからねーな」

 アキラは第一〇学区に乗り込む算段を立てながら、そう白井に語った。
 第一〇学区はアキラ達のいる第七学区に隣接した区画だ。今から二人で行っても夜には十分帰ってこれるだろうと結論付ける。
 白井は門限の厳しい常盤台の寮生だが、アキラはそのことを一切考慮せず彼女を同行させるつもりだ。

「さて、行くか第一〇学区」

「えっ」

「まさか今更抜けるとか言わねーだろ?」

 超能力者レベル5は天災だと思え。
 比較的温厚な美琴とばかり接してきた白井は、超能力者に関するそんな言葉を今更ながらに実感するのであった。



[27564] 『反転御手』⑯
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/09/15 10:14
 第一〇学区。
 学園都市の学区の中で最も土地の価値が低い区画だ。
 土地が安いということは、それだけ土地に対する需要がないと言いかえることもできる。学園都市における地価は科学発展に関する研究に直結する要素である。
 この学区は学校の数が少なく研究所が多い地域であるが、その研究所も学園都市での重要度は低いものばかりだ。

 学園都市は学生の街だ。学生の集まる地区はそれだけ重要な地区であると言える。戦後より科学の最先端を歩んできた学園都市であるが、現在の主要研究内容は超能力者の開発だ。能力者を開発する学校の数が少ないということはそれだけ重要度の低い地区となるのだ。
 そして、人口のほとんどをしめる学生が集まれば、彼らをターゲットにした商店が建ち並び、街は活性化する。この第一〇学区はその逆を行く寂れた区画であった。

 その寂れた第一〇学区のエリアGが、今回アキラ達のやってきた場所だ。
 通称『ストレンジ』。廃ビルや廃屋が建ち並ぶ廃墟の街だ。解体する費用に見合ったリターンがない、という理由で取り壊しを受けていない建物があちらこちらで風化しており、今では書類上誰も住んでいる者はいないとされるエリアである。
 この廃墟を根城に活動しているスキルアウトは多い。学校を退学になり住む寮を失い、ここを住処にしている家無しも見られる。
 付近に学校がないため、教師である警備員アンチスキルや学生である風紀委員ジャッジメントの巡回コースを外れている地区になっており、いつしか司法の目の届かない無法地帯と化していた。

『そのあたりは電気が供給されてない地区が多いので、あまり深入りして欲しくないんですが……』

 ストレンジに足を踏み入れた白井の耳に初春の通信が届く。
 街中に点在する監視カメラをネットワーク越しに操り、己の目のように使いこなす初春であるが、学園都市の電力をまかなう風力発電機がこの地域ではメンテナンスを受けていない。そのため、風を受けても発電機のプロペラが回らず、監視カメラに送られるはずの電気が供給されていない状態であった。
 かろうじて電気の流れる地域も、監視カメラがスキルアウト達の手により破壊されていたり、ネットワーク的に孤立した状態にあったりする。電脳世界の支配者タイムキーパーである初春にとって、ストレンジは己の目が届かない未知の場所だった。

「私に言われてもどうしようもないですのよ」

 初春の言葉に白井が面倒くさそうに言葉を返す。
 白井はアキラに無理矢理連れられる形で初めて訪れたエリアGストレンジの荒廃っぷりに、驚きを隠せないでいた。
 汚れた道。投げ捨てられたゴミ。一つ残らず窓ガラスが割られた廃ビル。スプレーで一面に落書きをされた建物の塀。折れた鉄柱。内部の電子部品を抜かれ転がる清掃ロボット。やる気なさげに道に座り込むスキルアウト達。

「前世紀の外国の映画みたいですの。これでモヒカンヘアーの暴走族が石油の奪い合いをしていれば完璧ですわね」

「お嬢様のくせに素敵な映画を知ってるじゃないか」

「お嬢様でもテレビくらいは見ますわ」

 軽口を交わしながら白井はアキラの格好を見た。肩パットを取り付けた改造学ラン。ぼろぼろのズボン。
 髑髏のバックルがついたベルト。いつもの不良全開の格好だ。それがこの荒廃した街にあまりにも似合いすぎていた。
 一方白井は、アイロンのかけられた常盤台の高級なブレザー服だ。風紀委員の腕章も相まって白井の姿はあまりにも浮きすぎていた。

「ここはさすがに極端だけどな。学舎の園の方は最近治安どうなんだ。オマエは本来そっちの風紀委員だろ」

 本来ならば常盤台中学内にある風紀委員支部の所属である白井に、アキラは訊ねる。

「常盤台の生徒を狙って眉毛にいたずらをするなんて他愛のないいたずらがあったくらいですわ。こことはとても同じ学園都市とは思えませんの」

 そもそも白井にはこの廃墟が現代日本の風景とは思えなかった。
 科学を極めに極めた結果崩壊した未来の学園都市の姿と言われれば、SF小説的ではあるがいくらか納得できる部分はある。

 と、アキラと白井が雑談をしているうちに、彼らの周りにぞろぞろとスキルアウト達が集まってきていた。
 その誰もが突如降ってわいた獲物を狙う、スカベンジャーの目をしていた。彼らの目はいずれも白井に集まっている。

「くかか、こんなところにデートかい風紀委員さんよ。痛い目を見る前に金めごふぁッ!?」

 スキルアウトの一人がいかにもな言葉を語る途中で、アキラは跳び蹴りを放っていた。
 アキラのこの行動には、さすがの白井も驚くしかなかった。

「テメェなにしぐばッ!」

 突然のことに詰め寄ろうとした他のスキルアウトをアキラは殴り飛ばす。
 喧嘩をかけられたことに気づいたスキルアウト達が各々に凶器を取り出したり、背後から殴りかかろうとしたりするが、アキラはただただ無情に彼らを暴力でなぎ払った。
 ここでようやく白井の頭が状況に追いつく。

「アキラさん! いきなり何してますの!?」

 風紀委員という立場上、不意に襲われたり闇討ちされたりは経験済みの白井であるが、さすがに仲間と思っていた人物がいきなり暴走を始めるという経験は初めてだった。
 能力者狩りの不良チーム潰しのときは、アキラにも前口上を述べてから喧嘩を売る真っ当さがあった。それが突然これだ。

「これくらいでいいんだよ、このあたりのスキルアウトの扱いなんて」

 瞬く間に十数人のスキルアウトを地に転がしたアキラがそう返した。
 学園都市でも随一の無法地帯。その流儀に則ればこの程度当たり前だとアキラは語る。
 その主張に白井はただ頭痛を覚えた。常識が通じない身内の対処法を白井は知らない。白井は自身が知人達に非常識な人間だと思われていることを知らずに、一人であきれていた。

「それじゃあ尋問開始だ。おいオマエ」

「ひ、な、なんだよ」

 薄汚れた地面に転がるスキルアウトの一人にアキラは近づき、しゃがんで目線を合わせる。
 スキルアウトは暴風のように暴れた男に恐怖を覚えながら、地面をはって僅かに後ずさった。

「ビッグスパイダーのアジト、どこか知ってるか?」

「あ、あんたらやつらを捕まえに来たのか。やめときな、命がいくつあっても足りねえよ」

「へえ、6-1-11。って住所じゃわかんねえよ」

 スキルアウトの男の言葉を無視してアキラは男の心を読む。
 そして、意にそぐわぬ心の声を浮かべた男の足元が、アキラの火の思念フレームイメージで小さな爆発を起こした。
 読心と発火という二つの能力を使われ、化物を見るような目でスキルアウトはアキラを見た。

「道順だよ道順。別に口で説明しなくていいぞ。思い浮かべるだけでいい」

 読心を使った問答無用の尋問に、白井はあきれ果てる。
 風紀委員や警備員の取り調べにも読心能力者サイコメトラーの協力者が参加することがあるが、まるでそのときの取り調べ手順のようにアキラのやり方は妙に手慣れたものがあった。
 読心能力者は人の心を読む事への忌避感や罪悪感を抱えていたりするものだが、アキラからはそれが感じられない。頭の中の緑色のボタンを押して心を読むと語っていたアキラだが、白井にはそのボタンが押されすぎてへたれているのではないかと思えるのだった。

『白井さーん、結局どうなったんですかー?』

 通信機からの音声情報しか得られていない初春が、一人置いてきぼりをされすがるような声で白井に訊ねる。
 白井はそれにやる気なさげに答えた。

「捜査は周囲に被害を拡大しながら順調に進んでますの。終わったら連絡しますのでこちらのことはお気にせず」

 そう言って白井は、教育上よろしくない音声を初春に聞かせないように通信機の送信スイッチをオフにした。







「風紀委員には『最悪の事態』を想定した対処マニュアルが有りますけれど、超能力者レベル5が好きなように能力を振るったときの犯罪対策法は見たことありませんの」

 数時間ぶっ続けでアキラに振り回されっぱなしの白井は、そんな愚痴を当の超能力者本人にぶつけてみる。

「良かったな。オレの能力はどれも大能力者レベル4以下だ。一番楽な超能力体験コースと思って慣れとけよ」

 そんな皮肉も何も無い答えを返され、白井はげっそりとする。
 レベル4といえば自分の能力と同等だ。能力の強度レベル基準は単純な出力の強さではないとはいえ、『空間移動テレポート』並に規格外な能力を複数振り回す人物が自分の隣にいて、白井の迷惑もかえりみずに好き勝手やっている。
 アキラが聞き出したビッグスパイダーのアジトに向かう最中も、スキルアウト達は白井の服装を見とがめてアキラ達にからんでくる。
 それをアキラは逃げることもせずに正面から迎え撃って秒殺していった。

「『空間移動』で移動すればすぐに抜けられますのに」

「こんなところで飛んでたら迷うっつーの。順路をゆっくり辿らなきゃ記憶と合わなくなっちまう」

「ならせめて変装するくらいさせてくださいまし……」

 常盤台中学の制服は目立って仕方がない。
 風紀委員の腕章は外したものの、高級なブレザーは薄汚れた不良達の溜まり場では、飢えた肉食獣の群れの前に生肉をぶら下げているようなものだ。だから白井は常盤台の制服着用義務を無視して服を着替えたいと言っているのだが。

「んな時間ねーよ。遅くなったら晩飯が冷めちまう」

 先を行くアキラから、そんな不良らしからぬ答えが返ってきた。だが、早く戻りたいのは白井も同意見だ。
 白井の住む常盤台の寮には門限があり、厳しい寮管が門限破りを厳しく取り締まっている。もっとも今から第七学区へ急いで戻っても門限に間に合うかは怪しいところなのだが。

「と、あそこの建物だ」

 アキラは足を止め、曲がり角の向こうに見える研究所跡に目を向けた。

「見張りがいますわね……」

 研究所の入り口には、二人のスキルアウトが座り込んで周囲に目を光らせていた。
 白井が見張りを遠巻きに眺めていると、道の向こうから歩いてきた三人の男達が見張りの元へ近づいていった。手に買い物のビニール袋を提げている。アジトの買い出しだろうか。
 見張りが立ち上がり、男達に向けて不意に言葉を放った。

「やま!」

 その言葉を受けた男達の一人が、ちらりと腕に付けた時計を見て、見張りに向けて言う。

「かわ!」

 見張りは頷きを返すと、入り口の前からどけて男達を研究所跡へと招き入れた。

「合い言葉みたいですわね。古典的な……」

 見張り達のやりとりを見ていた白井がそんな感想をもらす。
 山と言われて川と返す。ひどくチープな合い言葉であった。

「どうしますの」

 白井がアキラの方を見ながらそう訊ねた。
 目的は能力者狩りの首謀チームビッグスパイダーのリーダー格を捕まえること。だが彼らは百人規模のチームであり、広い研究所跡にこもっている。
 アキラは白井の言葉に頷きを返すと、ただ一言だけ返した。

「正面突破」

「え、ちょっとアキラさん」

 身を隠していた廃ビルの陰からアキラはあっさりと姿を現わすと、真っ直ぐに研究所跡へと近づいていく。
 アキラを見つけた見張りが再び立ち上がり、彼に向かって合い言葉を訊ねる。

「やま!」

「うるせえ」

 問答無用とばかりにアキラは見張り達を蹴り飛ばした。見張りの身体はまるで漫画のように宙をきりもみ回転して吹っ飛んでいく。まさに正面突破だ。
 後ろからそれを目撃した白井は、もうどうにでもなれと思いながら研究所跡へと入っていくアキラの後を追った。

「襲撃だー! な……殴り込みが、来たぞー!」

 アキラに殴り飛ばされつつも何とか意識を保っていた見張りが、大声で建物の中へ向けて叫んだ。
 すると、研究所跡の中へ足を踏み入れたアキラと白井の元へ、次々とスキルアウト達が姿を見せる。
 それに対し、アキラは拳を握りしめ自ら殴りかかっていった。
 もはやどちらが悪人なのかわかったものではない、と白井はただただあきれるばかり。

「おい白井手伝えよ」

 八人に一斉に飛びかかられ、角材の一撃で頭から血を流しながらアキラが言う。さすがにアキラも多勢に無勢というものがあるようだ。
 だが、頭をかち割られても臆することのない相手に怯んだスキルアウトが、次々とアキラの反撃で沈んでいった。

 研究所のホールらしき広間にスキルアウト達が集まってくる。
 アキラの暴風のような突撃に臆した数人のスキルアウトは、アキラの後ろをついていく幼い少女の白井を狙って飛びかかってきた。

「んもう……」

 白井は掴みかかろうとしたスキルアウトの一人を風紀委員仕込みの体術で投げ飛ばす。
 さらに、背後から近づこうとしていた男に軽く振り返って肩に手を乗せ、空間移動で宙へと飛ばす。
 そしてブレザーの裏に仕込んだ金属の棒を数本抜き出すと、倒れたスキルアウト達の服を地面に縫い付けるように次々と棒を転移させた。空気と物体を無理矢理押し広げる小さな音がかすかに響く。

「こいつ転移能力者テレポーターだ! 強能力者レベル3だぞ!」

 子供なら組みやすしと白井に立ち向かおうとした男の一人が叫ぶ。

「残念、大能力者レベル4ですの」

 白井は見せつけるように自分を転移させ、叫んだ男の背後へと飛ぶ。
 そして男の手を掴んで能力を発動し、アキラに向かって椅子を振り上げていたスキルアウトの女の上に男を飛ばし、椅子と女もろとも押しつぶした。

 暴力男に能力少女。二人の組み合わせに怯むスキルアウト達だったが、建物の奥から続々とやってきた増援に再び戦意をたぎらせる。
 ホールに立つ人数はいつしか三十人を越えるほどにふくれあがっていた。

「数多いんだから直接その矢ぶちこめばいいんじゃねえ」

 出血した頭の傷を再生させながら、アキラは白井の持つ金属の棒を指さす。

「わたくしの力は凶悪すぎますの……よ!」

 対する白井は、自分を囲むように陣を作るスキルアウトの輪から転移で抜け出し、アキラの隣に飛びながら言葉を返した。
 さすがの白井もこの数を一斉に相手するのは辛いものがあった。
 アキラと互いに死角を補うように戦えば、一度に相手する敵の数が少なくて済むだろうと、アキラの背に己の背を預けるように立つ。

「アキラさんだって能力使ってませんでしょう」

「素手でくるやつにゃ素手で返すのが男ってもんだろ」

 アキラがそう言うと、大型ナイフを構えていた男の手が突如発火する。
 新たに見せつけられた能力に、包囲網を作り上げていたスキルアウト達に緊張が走る。
 能力を後出しすることで相手の意志を揺さぶる、喧嘩慣れしたアキラなりの戦術であった。

「ただまあ、オレの能力は精密さが足りねぇからな。武器持ってるヤツを狙ったら周りのヤツが巻き添え食らうことも、あるかもな!」

 そう告げたアキラの頭から、心に直接衝撃を与える精神思念ヘルイメージが全方位に向かって放たれた。







 白井は実感する。超能力者レベル5の頂は遠く険しい。強能力者レベル3から大能力者レベル4に昇格したばかりの白井であるが、ここで能力の研鑽を止めるつもりもなく当然のように超能力者の座を目指していた。
 だが順列第七位の能力者ですらここまで規格外な存在なのかと、スキルアウト達を次々となぎ倒していくアキラを見て実感した。
 能力の強度レベルはこのような喧嘩での強さとイコールではない。あくまで学術的、工学的な価値で測られるのが能力の強度だ。だが、学園都市の超能力者はいずれも一人で一軍に匹敵する強大な存在なのだと、能力開発者達は口々に語る。今戦っている最中にもスキルアウトの攻撃を度々身に受けているアキラだって、きっと無能力者レベル0相手と言うことで本気を出していないのだろう。
 そして、『空間移動テレポート』の能力で彼や憧れの美琴お姉様と同じ超能力者の域に到達するには、一体どれだけのことを成さなければならないのだろうと白井は思いふけった。

 ホールに集まってきていたスキルアウトは一人残らず戦闘続行不可能な状態になっていた。
 そのいくらかは白井の手によって投げ飛ばされ身動きが取れないよう床や壁に服を縫い付けられたものもいる。
 能力者と無能力者の差は大きい。
 この光景を見て白井は考える。昨今の治安の悪さは『幻想御手レベルアッパー』を手にした者が力に溺れ暴力を振るっているのではなく、振るうだけの暴力も持たずにくすぶっていた者達が『幻想御手』によって力を得ただけなのではと。
 悪人は増えていない。元々いた悪人が能力を身につけただけ。風紀委員ジャッジメントである白井はそう信じたい気持ちがあった。

 そしてスキルアウトのアジトに無理矢理乗り込んで、蜘蛛の子を散らすように無能力者達をなぎ倒したアキラは、はたして悪人なのか。
 きっと悪人なのだろう。学園都市の能力者は、能力を私事に使って他人に迷惑をかけることのないよう教育を受ける。だがアキラは能力の使用を自重するそぶりなど全く見せることはない。嘆かわしいことだ、と白井は廃研究所の奥に進むアキラの後ろを歩きながら心の中で思った。
 白井自身、百合的な同性愛的な役得を得ようと日々能力を悪用している。が、今の白井の中にはその記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

「これが終わったら、アキラさんを暴行容疑の現行犯で連行しなくてはいけない気がしますわ……」

「オレは風紀委員の民間協力者だ」

 ふてぶてしく答えるアキラに、白井はいっそ彼を風紀委員にしてしまうのが能力の使用に枷をはめる意味合いで正解なのではと思った。もっとも、不良であるアキラが風紀委員になりたがるかというと否であるが。
 加減を弁えているだけマシか、と白井は一人の重傷者も出ていなかった大ホールの乱闘を思い出して息をついた。

「正直、私何もしなくても良かったですわよね? 一緒に乗り込んだのが間違いでしたの」

「馬鹿野郎。手足合わせて四本しかねーんだぞオレは」

 そう言いながら、アキラは汚れた床の足跡を辿って辿り着いた金属の扉を開ける。

 不意に、風を切る音が届いた。

 わずかに離れて後ろを歩いていた白井の目には全て見えていた。扉の向こうに待ち構えるように男が一人立っていて、上段に鉄パイプを構えそれを一気に振り下ろしたのが。それを真っ向から額で受け止めたアキラの姿が。

「ああ、頭もあるわ」

 額の皮膚からわずかに血を流しながら、アキラは鉄パイプの男に向かって念力を飛ばす。
 すると、鉄パイプを握っていた男の腕が捻れ、激痛に男は絶叫する。
 それをアキラは「うるさい」と一蹴し、扉の奥に向かって男を蹴り飛ばし、何事も無かったかのように扉をくぐって奥の部屋へと入っていった。

 白井は慌ててその後ろ姿を追う。

 扉の奥は、学校の教室ほどの広い部屋だった。
 部屋の中にはスキルアウトが二人待ち構えており、さらに一番奥には黒いソファーに男が一人、いかにも自分がリーダーだと言わんばかりの態度で座っていた。

「お前がビッグスパイダーのリーダーか?」

「ああそうだよ、能力者」

 ソファーに座ったリーゼントの男がアキラを睨み付けながら答える。

「名前は」

黒妻綿流くろづまわたる。ストレンジの王だ。よく覚えておけ」

 そう語るリーゼントの男に、アキラはわずかに目を細める。

「ほー、蛇谷次雄へびたにつぐおね」

 アキラの言葉に、リーゼントの男の顔が引きつった。

「黒妻にしろ蛇谷にしろ、『幻想殺しイマジンブレイカー』の名前とはちげえな。まあどっちにしろ……ひーふーみー、お前らで九九人目だ。全員まとめてぶっ飛ばして今日限りで能力者狩りは終了だ」

 リーゼントの男に指を突き付けてアキラが言う。
 リーダー相手にはちゃんと今回も前口上は言うのですね、と白井は今日散々付き合わされた不良チーム潰しのときの光景を思い浮かべた。
 不良にも不良なりの流儀があるらしい。学生の街、学園都市で不良学生をやるともなれば人の多さに応じたローカルルールが自ずと生まれるのかもしれない。

「能力者様が見下してくれやがってまあ……おい! あれを使え!」

 白井の思慮をよそに、事態は進む。
 リーゼントの男が立ち上がり、周りに向かって大声で指示を出した。
 あれとは、と白井が思う間もなく、彼女の耳に突如奇怪な音が流れ込んできた。
 その音に、白井は言いようのない不快な感覚を覚え頭を抱えた。
 まるで頭の中に直接手を突っ込まれ脳をかき混ぜられたような、体験したことのない苦痛が脳裏に走る。

「あ……いぁ……」

 音が頭から全身に響き渡り、膝ががくがくと震える。
 気を緩めると意識を丸ごと持って行かれそうになる音が、留まることなく白井の頭を揺さぶった。

「くく、どうした?」

 リーゼントの男が笑いながら白井達の元へと歩み寄ってくる。

「く……! まさか……!」

 白井は混乱する頭で、数時間前に聞いた不良グループのリーダーの言葉を思い出す。あいつらには能力が効かない、だからスキルアウトがトップに立っていると。
 まさか、と思いながら白井は演算式を組み立て自身を転移させようとする。
 だが、扉まで大きく後退させたはずの身体は、僅か数センチ動いただけ。

「飛べない……!」

「どうしたぁお嬢ちゃん」

 音を聞き続けた白井は、身体を走る虚脱感に負け、その場に膝を付く。
 それを見たリーゼントの男が、ゆっくりと白井達の元へと歩み寄ってきた。

「くく、お前らはもちろん知らねえだろうが、これはキャパシティダウンって言ってな。音が脳の演算能力を混乱させるんだってよ」

 そう自慢げにリーゼントの男が語る。

「脳を開発しきってるお前らみたいなやつらは聞くだけで頭ん中かき回されて這いつくばるってわけよ」

「ほー、わざわざ説明ごくろうさん」

 近づいてきたリーゼントの男に、アキラはそう言葉を告げて肘打ちを放つ。
 思いもしない一撃を顔面に受けた男は、もんどりうって後ろへと倒れた。
 リーダーを殴り倒され、周囲のスキルアウト二人が動揺したように身じろぎする。

 だがさほど強い一撃ではなかったのだろう。リーゼントの男はその場に尻餅をつくだけで踏みとどまり、無様に倒れ伏す姿を晒すことはなかった。
 リーゼントの男は、潰れた鼻から鼻血を流した顔に困惑の表情を浮かべ言った。

「な、てめえ何で動ける!」

「いや、オレ演算とかしてねーし」

 アキラの言葉にリーゼントの男は一瞬惚けたような顔をし、そしてにやりと笑った。

「無能力者か」

 リーゼントの男の言葉に、周囲のスキルアウトにも嘲りの表情が浮かんだ。
 ホールの惨状を携帯電話の報告のみ伝え知っていた彼らは、こう思ったのだ。能力者の少女に、無能力者の男が一人金魚の糞のように後ろを付いてきただけだと。
 無能力者一人なら、この三人で囲んでしまえば倒すのはたやすい、とリーゼントの男が立ち上がる。
 が、そこに常人ではありえない速度で踏み込んだアキラの蹴りが炸裂する。リーゼントの男は大きく後ろへ吹き飛び、部屋の奥に置かれたソファーの上に身を打ち付けた。

「いんや。わりぃが超能力者レベル5だ」

 アキラにも音は届いていた。だがそれは白井の感じたような苦痛の音ではない。その音は蚊が飛ぶような、甲高いかすかなモスキート音としてアキラの耳に響いていた。
 アキラは耳を澄ませ、その音の発生源を探る。
 だが、音は室内に反響して発生源の判別がつかない。

「おい、この音どこから出してやがる」

 アキラの問いに答える者はいない。だが、心に思い浮かべるものはいた。

「そこか」

 アキラはその場に深く身を沈めると、全身のバネを使って部屋の“壁”に向かい跳躍をした。そしてそのまま宙で足をそろえ、ドロップキックを壁に向かってぶちかました。
 室内に鳴る音をかき消すかのように轟音が響く。
 アキラの蹴りは、壁を穿ち、鉄筋コンクリートで出来た建物に大きな穴を開けた。
 壁の向こうは研究所の建物の外側。荒れ果てたストレンジの道路があった。
 その道路には紫色のワンボックスカーが一台止まっており、開け放たれたトランク部にスピーカーの付いた大きなオーディオ機器が載せられていた。そしてその機器の前に、スキルアウトの男が一人、呆然と建物にあいた穴を見つめながら立ちすくんでいた。

「おー、あったあった」

 壁を破壊し全身にまとわりついた砂埃を払いながら、アキラは車へと近づいていく。

「どうやって止めるんだこれ?」

 アキラの問いに、スキルアウトの男はただただ震えて頭を振った。

「そうかい、ここな」

 読心を使ったアキラは、恐怖で埋まる男の思考の中から目の前の機器の使い方を探り当てると、それに従って機器につけられたスイッチを切った。
 鳴り響いていた音が止まる。
 アキラはその結果に満足そうに頷くと、震える男に向かって言った。

「オマエでちょうど百人な」

 言うや否や、アキラは男を豪快に蹴り飛ばした。男の身体は道路の上で豪快にバウンドし、道のすみに無造作に積まれていたゴミの山にぶつかり止まった。

 アキラはその様子を眺めることもなくワンボックスカーのトランクを締め、壁にあいた穴から研究所跡へと戻る。
 部屋の中には、狼狽するスキルアウト達と、音から解放され立ち上がる白井の姿があった。

「大丈夫か?」

 アキラがそう訊ねながら、ふらつく白井の元へと歩いていく。

「……大丈夫、とは言えませんね。まだ演算に集中できるほどではありませんの」

 白井の能力はひどく繊細だ。三次元を十一次元に変換する膨大な量の計算を脳内で構築する。それは痛みなどのわずかな外的刺激で簡単に中断してしまうような代物だった。
 回復思念ヒールタッチの手をアキラが伸ばそうとした途中、急にアキラは身をねじらせて白井に向かって回し蹴りを放った。
 脇腹に突き刺さった突然の蹴りに、白井の身体が吹き飛ぶ。
 まさかの裏切りの一撃に混乱する白井の頭に、続けざま何かが破裂するような音が複数響いた。
 地面に倒れながら白井は目撃する。三人のスキルアウトが手に銃を持ち、腕を前に突き出している。そして、銃弾を浴びたアキラが身体から血を拭きだしている。

 白井は、急いで身を起こして叫んだ。

「アキラさん!もう少しかばい方というものがあるでしょう!」

 その白井の言葉に、アキラは蹴り足を戻し白井を見下ろしながら言った。

「……オレ弾丸食らいまくったんだが、出てくる台詞それ?」

「当然です」

 白井は鼻息荒くアキラに視線を向けた。
 痛かったですわよこのやろう、と蹴りを避難する目だ。

「美琴先輩のレールガンを受け止める力比べを削板さんと二人でやってた人に、今更銃くらいで心配なんてしませんわよ」

「あー、あんときお前居たなそういや」

 アキラがそう納得したように頷く。
 彼の身体から吹き出ていた血はすでに止まっている。再生した傷口から押し出された弾丸が、足元に落ちてころころと汚れた床の上を転がった。

 その様子に、銃を構えたスキルアウト達は驚愕し、狼狽する。
 彼らの持つ銃は警備員アンチスキルが使うような捕縛用のゴム弾を放つ銃ではない。殺傷を目的とした立派な凶器だ。

「ば、ばけもんだ!」

 スキルアウトの一人から、そんな声があがる。
 それを聞いたアキラは、銃を向けるスキルアウト達に振り返りながら、言った。

「だから、超能力者レベル5だって言っただろ」







「こんなわけわからん機械が出てくるとはなぁ。バックはどこかの研究所か。あとは警備員アンチスキルに任せるかねー」

 リーゼントの男がいた部屋のスキルアウト四人をワンボックスカーに詰めながら、アキラがそんなことをぼやいた。
 一方白井は、音の後遺症で倦怠感を覚えながらも、車の中でスキルアウト達の手足を拘束する。彼らはいずれもアキラの暴力と超能力を受け完全に気を失っているが、無能力者レベル0なので突然目覚めてもたいした危険はない。服から武器を取り出して気持ち厳しめにテープで縛り付ける。

「しかし、能力の使えなくなる音ねー。白井、知ってるか? 噂の『幻想御手レベルアッパー』は音楽データだって」

 スキルアウトを詰め終わったアキラが、ワンボックスカーの運転席に座る。

「知ってますわよ。数日前に風紀委員が配布していたサイトを閉鎖しましたの。もっとも学生達の間ではまだ出回っているようですが」

 強化繊維テープを縛り終え、白井はスキルアウト達の身体にシートベルトをつけた。

「全くこれだから複製できるデータというのはやっかいですわ」

「こいつも音を出してオマエの能力阻害してたってことは、そいつの親戚かね」

 後部座席のトランク部分を占領するオーディオ機器を後ろ指で指さしながら、アキラが言う。
 アキラが車へスキルアウト達を運んでいる間に、白井はこの機械を調べていたようだった。

「見たところこれ自体が巨大な装置のようですから、音楽データというよりは、少年院などで使われているAIMジャマーの類ではないでしょうか」

「あれか。オレが知ってるのと違うな」

 アキラは馴染みの古道具屋で見た機材を思い出す。藤兵衛が百合子の能力の弱点を潰すために取り寄せて、能力のジャミング対策を行っていたはずだ。『一方通行アクセラレーター』の弱点であるAIM拡散力場への干渉を無効化すると言って、怪しげな能力開発を進めていた。
 古道具屋の主、藤兵衛の手によって学園都市第一位の超能力者レベル5は、日々鎖に繋がれていない猛獣としての危険度合いが上がっているのだった。

「あとで藤兵衛に知らせてやっかね」

 そう呟きながら、アキラは足元のアクセルとブレーキのペダルの踏み具合を確かめる。
 クラッチペダルはない。まがりなりにも学園都市製の車だ。人の感覚に頼るマニュアル変速制御は取り払われている。高度な搭載プログラムは車間距離なども自動で計測し事故を未然に防ぐ機能まで付いている。

「んじゃ、白井もしっかり座っとけ」

「……本当に警備員を呼ばなくていいんですの?」

 運転席に座るアキラを見ながら白井が訊ねる。
 スキルアウト達の隣に座らず助手席に行きたいところだが、監視をするために薄汚れた男達と同席せざるを得ない。

「どうでもいいスキルアウトを百人なんて捕まえる余裕、今の警備員にねえんだろう。だからといって少人数だけ頼んだら、警備員の車がストレンジに入った瞬間スキルアウトのやつらに滅多打ちにされるぞ」

「むー……」

 確かにこのエリアGストレンジの治安の悪さは筆舌に尽くしがたい。
 法の側の風紀委員ジャッジメントや警備員が少数で乗り込めば、たちどころに標的になるだろう。

「不満か? スキルアウトなんていちいち捕まえてもきりがねぇぞ。リーダー格だけ潰せばいいんだよ」

 そう諭してアキラはキーをひねり、車のエンジンをかける。
 キーは明らかに正規のものではなく、束ねた金属の板のようなものが刺さっていた。
 アナログの鍵穴を自動で埋める有名なピッキングツールの使用跡だ。十中八九これは盗難車だ。ストレンジを根城にするスキルアウトに相応しい車だった。

 アキラ達がわざわざこの車に乗り込んだのは、それなりにわけがある。
 研究所跡にいるスキルアウト達全員を捕まえることができないとはいえ、能力者狩りの首謀者であるリーダー格の男達を警備員の支部に運ぶ必要がある。
 しかし、彼らを担いで空間転移で移動するにも、白井は音の影響で不調で大人数を抱えていける余裕はなく、一方アキラの使う空間移動テレポートは見慣れない街での長距離移動が不可能で、そのうえ使用から発動までにタイムラグがあるため短距離の連続転移では換算時速が非常に遅い。
 さらに車の後部座席を占有する機材は、彼らが一連の能力者襲撃事件の首謀者であるという証拠でもある。

 そのためこのスキルアウト達の車を使って、最寄りの警備員支部まで犯人と証拠ごと運ぶことにしたのだ。

「ところでアキラさん、車の免許持ってましたのね」

 学園都市は外の世界より車両免許の交付年齢が低い。
 学園都市製の新型車は基本的に学園都市内でしか販売されないが、人口のほとんどが学生のため免許を取れる年齢を引き下げているのだ。
 高レベルの能力者ならば車一台買うのに十分な奨学金を受け取っている。
 だから、白井も超能力者レベル5であるアキラならば免許とマイカーを持っていてもおかしくないと考えたのだが。

「おう、大型二輪なら今教習所に通ってる」

 アクセルを踏み込む音と同時にアキラから告げられた言葉に、白井は腹の底から悲鳴をあげた。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.20268297195435