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[27532] CLC
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/07/17 16:05
 第二次世界大戦において、異世界《シエル》と魔法の存在が世に広まった、もう一つの戦後の世界。

 先の大戦からおよそ九〇年近く、三度目の世界大戦が魔法使いの敗北で終え、およそ三年の歳月が経っていた。

 日本帝国の男性、篠崎隼は、空が好きで、戦闘機のパイロットをしていた。

 しかし、今、隼は戦闘機に乗っていない。

《ヒューマノイド・アームズ》と呼ばれるロボットに乗って、異世界で戦い続けていた。

 魔法使いの残党の勢力が衰える兆しはない。

 減らない敵。

 いつ終わるか分からない戦場。

 そこに、隼は居続ける。

 隼の望みは、今は自分が乗るロボットに搭載されている、元戦闘機用AIの如月と空を飛ぶこと。

 如月と共に、再び空を飛ぶことを夢見る隼は、フランス語で空を意味する異世界の大地を、如月に乗って駆ける。

 いつか、世界を覆うあの空へ戻る為に――。



[27532] 前書・更新履歴・返事等
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/08/13 12:04
 この作品は魔法があって、魔物がいて、異世界がストーリーに絡んでくる、異世界恋愛ファンタジー物です。
 すでに最初の部分で戦闘機という単語を用いていますが、ジャンルとしてのSFはつけません。

 実在の技術や装置、役職等を出す為、もし誤りがあればご指摘お願いします。

 一つ当たりの文字数は、大体五千から一万字の間で収まるようにする予定です。

・登場人物(随時更新)
篠崎隼特務少尉……………………………如月のパイロット。シノザキハヤト。
ギュスターヴ・ヴェイトン中佐…………第三HA遊撃実験戦隊の実質的な司令。
セレン・アテナ少将………………………フィアナ基地HA戦隊全体の司令。ガイノイド。
ゲルト・シュトルム大尉…………………第三HA遊撃実験戦隊A小隊長。
テレス・レーマー少尉……………………ゲルト、隼と同じ小隊員。電子戦、狙撃担当。
ウィルヘルム・ブリュースター中尉……第三HA遊撃実験戦隊B小隊長。
ベン・バンガンディ中将…………………フィアナ基地戦術混成軍団長。
ブラウン・ルンゲ少将……………………シエル管理局査察部所属局員。
アルフレッド・レベフ準将………………シエル管理局査察部所属局員。ブラウンの同僚。
佐藤優少尉………………………………管理局実動隊所属の空術師。サトウユウ。
バルト・レトーン…………………………国際空術師連合残党組織レトーン派首領。
カルロ・サイトウ…………………………軍事評論家兼ジャーナリスト兼作家。
鈴木二郎……………………………………ジャーナリスト。有希の同僚。スズキジロウ。
東有希………………………………………ジャーナリスト兼作家。アズマユキ。

※空術はクウジュツ。空素はクウソと読みます。


・更新履歴(一週間毎に話を一つ追加することが目標の一つです)

 5/6更新:多少題名がごちゃごちゃしているように思えたので、すっきりさせました。

 5/7更新:前の文章の一部と、「幻想がある世界#2」を追加しました。#2は会話描写の実験の側面があります。「ふと思い返すと、これはまるで、ネットで得た上辺だけの知識を披露する中学・高校生の会話だな」の様なお話。

 5/7更新:登場人物とオマケを追加。

 5/8更新:「幻想にいるあなたへ」のほんの一部と、「幻想がある世界#3」を追加しました。

 5/14更新:前の文章の一部と、「幻想がある世界#4」を追加しました。次回辺りで第一話を終わらせる予定です。

 5/15更新:「幻想がある世界#4」の誤字脱字を修正。

 5/22更新:文章の一部を修正。「幻想がある世界#5」を追加しました。千五百文字ほど一万字を超えてしまいました。とにかく、これで第一話「幻想がある世界」は終了です。導入部として、ジャンルがファンタジーなのにファンタジー的要素が薄いかもしれません。要鍛錬です。余力があれば全体を加筆修正する予定です。

 5/22更新:アドバイスに従って、今までの文章全体の改行を増やしてみました。少しでも読みやすくなっていれば幸いです。

 5/28更新:各場面切り替えの部分を変更しました。「ノン・シエリアン#1」を追加しました。

 5/29更新:感想板でアドバイスしてくださった内容を元に修正中。書いた本人では改善点が見つけにくく予想以上に時間がかかりそうなので、何回かに分けて更新する予定です。今回がアドバイス後の第一回修正です。
「設定」を追加しました。前々から設定欄を設ける考えはありましたが、今回の感想を読んで導入を決心しました。まだ試験的な段階です。
 自分のせいで外見からの感想の数が増えてしまう現状に悩む今日この頃。

 6/5更新:第二回目の修正をしました。「設定」を「用語」に名前を変更しました。「ノン・シエリアン#2」を追加しました。

 6/5更新:第三回目の修正を行いました。一部の文章を変えた他、大分改行を増やせたと思います。

 6/12更新:「ノン・シエリアン#3」を追加しました。
 戦闘機でもなく、戦車でもないHAの操縦席を話の中で説明しようと思い実際に書いてみると、目安の一万字を超え、ただ長い説明回になってしまいました。無論、今後への新しい課題になりました。
 説明回ということもあって、今回は台詞にも改行を入れてみました。

 6/12報告:諸事情により来週分の話を作るのが厳しい為、来週は新しい話を追加できないと思います。申し訳ない。その代わりにはなりませんが、ここにおまけとしてあるサイトウの取材ノートの内容を加筆修正して番外話として独立させる予定です。

 6/18更新:予告通り、ここにおまけとしてあったものを加筆修正して「ノン・シエリアン#3.5」として独立させました。
 単なる設定、説明回というよりかは、文書・書物的な書き方の実験と言えます。用語が沢山出てきますが、話の厚みを増す為の意味合いが強く、必ずしも覚えておかなければならないものは殆どありません。

 6/25報告:執筆作業に手間取っているため、通常よりか更新が遅れます。申し訳ありません。ただし、今回の更新分の文章を来週の更新分に持ち越すことはしません。

 7/3更新:「ノン・シエリアン#4」を追加しました。人の死が描写されている為、多少グロ注意。
 これで第二話「ノン・シエリアン」は終了です。
 シエル星に住む地球人と、地球に住む地球人の違い等を多少書き、少し世界観を広げられたと思います。ただ、これから先は世界を狭める予定です。
 第三話のタイトルは「夏の雪」を予定しています。

 7/3報告:更新が遅れて申し訳ございません。一話分の更新が遅れたままですので、いつか一回は一度の更新で二つの項目を追加できる様に努めていきます。
 ただ、来週は6月12日の様に諸事情で忙しい為、更新は出来ない見通しです。すみません。
 こちらの報告は前の更新延滞の様に定期更新直前で知らせることを避ける為、今の内に報告しておきました。

 7/17更新:「夏の雪#1」を追加しました。また一部の誤字脱字を修正。加えて、最初のページをあらすじっぽくしてみました。あまり評価が芳しくないようですので、皆さんに読んでもらえるよう、これからも色々と手を加える予定です。

 7/27更新:「夏の雪#2」を追加しました。更新が遅れました。すみません。空衛省はクウエイショウと読みます。

 8/3更新:「夏の雪#3」を追加しました。
 これで第三話「夏の雪」は終わりです。
 初めて空戦というものを書いたので、色々とおかしな部分があるかもしれません。指摘や助言があれば、どうぞ感想板へ。
 作中に出てくる”シエルのシエル”という文章は誤りではありません。
 第四話のタイトルは「姉妹」を予定しています。

 8/3報告:今後の感想への返事は、ここに書きます。

 8/9更新:用語に「FOX」「イジェクト」「アフターバーナー」を追加しました。感想への返事を追加しました。
 まだ、本編は更新しておりません。

 8/13更新:「姉妹#1」を追加しました。出来が荒いかもしれない。

 8/13更新#2:「姉妹#1」の誤字を修正しました。また、感想の返事を書きました。



 ***



 ◆感想への返事

・がうな◆604d0e72様
 ・とても好みな雰囲気
 ありがとうございます。気に入ってもらえ、とても幸せです
意図した時を除き、雰囲気を壊さないように注意していきます

 ・雪風
 登場人物の書き方や、まだ読んでいないと思われる「ノン・シエリアン#3.5」の書き方等、その作品を意識し、また影響を受けているのは事実です
 ただ、そのまま引用することは避けるように心掛けています。自分なりのものを出すことが目標の一つですね

 感想ありがとうございました

 ※知らない方用の説明。雪風とは、とある商業書籍の題名の一部です。また、その作品内でも用いられている単語です。


・φ太郎◆292e0c76様
アドバイスありがとうございます。今後、執筆の際には、言われたことを考慮していく予定です。



[27532] 幻想にいるあなたへ
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/06/05 18:16
 ――手紙の返信がいつもより遅くて心配しました。
 大体二ヶ月程の遅れでしょうか。
 こう、定期的なやり取りの感覚が少しでもずれてしまうと、必要以上に気になってしまうものですね。
 隼はどこかずれた部分で几帳面なので、少し意外でした。

 最初はそちら側の郵便の方々に何かトラブルがあったのかと思いましたが、少なくともこちらではそういう情報は入って来なかったので、「もしかしたら隼に何かあったのでは?」と心配していました。
 けれど、私の下に無事手紙が届いて、こうして返信を書いていられるというのは、隼に大事がなかったというとても幸せなことなのでしょうね。
 勿論信じていましたが、不安を全て取り払うことはやっぱり難しいものです。

 例え、あなたの手紙の内容が似た様なものだとしても、私の手にちゃんとあることに私は小さな幸せを感じています。

 あなたが前の手紙で書いた内容を、どう上手く転用できているかを調べながら読むのは、どこか教師が、生徒が提出したレポートを添削している様な気分を味わえて、それはそれで楽しく読んでいます。
 字は相変わらず癖字なのも、隼らしくて微笑ましいです。

 今回の状況とは多少なりとも違いますが、今回の手紙が届くまでの期間のことを振り返ってみますと、急にあなたが地球を去ってから私の下に最初の手紙が届くまでの間を思い出しました。
 あの時よりかは幾分マシでしたけれど……。

 思い出したのも何かの縁なので、この手紙はその時のことを中心に据えて書いてみようと思います。
単なる総集編にしない様に最近の地球のことも交えて書きますので、少しでも何か感じられれば幸いです。


 隼が私と別れた後全てを捨てて、地球の外にあるシエルに赴いた時はとても驚き、悲しんだ後、どこか納得した部分もあったのは、以前の手紙に書きましたよね。
 私のことを見ていないのは分かっていましたが、まさか異世界に行くなんて、あの時は本当に驚きました。

 隼が私に手紙を送ってくれたことは、素直な気持ちとして嬉しかったよ。
 おせっかいとは思いつつも、しっかりと隼のお母さんやお父さんに近況を伝えていますからね。

 隼の今の職場、第二世界シエルの、管理局実動隊・西方軍・フィアナ基地戦術混成軍団・第三HA遊撃実験戦隊。
 日本帝国に従軍していた際も長い名前でしたが、世界が変わってもやっぱり長いものは長いと、変な所に感心してしまったのは覚えています。
 ジャーナリストとして、そういう方面の記事を書くこともある自分が言うのも変な気もします。

 地球の中ですら何かの媒体を通して見る、南アジュアや中東で起きている紛争の現状は、どこか作り物の様な錯覚を感じてしまいます。
 それが異世界の紛争ともなると本当に創作物、幻想の様に思えてしまいますし、実際多くの人はそう認識しているでしょう。

 空術という魔法の起源があって、空が青や朱色以外に七色に変化し、その七色変色の影響でシエルの月が七色の光を帯びていたり、獣の耳の様な感覚器官を持った人が沢山いたり、空石と呼ばれる魔法の燃料とも言える結晶の産地であったり、本当にファンタジーの世界の様ですよね。

 本当に、本当に地球からすると、隼はいる世界はファンタジーの世界でしかないです。

 魔法が機械の成長力、汎用性、無個性さに負け続けたまま数十年以上が経ちました。
 脳や脊髄以外の殆どがサイボーグ化した人間、つまり機人や、アンドロイドが普通にいて、電脳世界というものがある。
 都市部はお互いが競い合うように背伸びをして、どんどん空が狭くなっていく今日、私達が生まれる前にあったらしい魔法ブームは再燃することなく、隼がいる幻想の様な世界は地球ではまさしく幻想の世界の様に語られています。

 私も隼がシエルに旅立って、実際にあなたからの写真付きの手紙を読むまでは、隼は地球のどこかにいると思っていました。
 それ程、シエルは遠く希薄な存在なんです。

 隣に本当の幻想が存在しているのに、現在の地球の人々は昔と変わらず空想のファンタジーを好んでいます。
 本屋で、ノンフィクションに近いシエルを題材にした本があるにもかかわらず、彼らはフィクションのファンタジー小説を手にとります。

 シエル星と地球が〈線〉と呼ばれている橋が現れ、互いを行き来することが出来た当初はマスコミにはとても熱心に取り扱われ、民衆は未知の世界に良くも悪くも心が動かされていたのでしょう。
 けれど、そんな第二次世界大戦辺りのことから百年近くが経った現在、シエルはただの遠い場所としか認知されていません。
 極端な考え方だと、実在するシエル星をフィクションとして捉えている人がいる程です。

 空想のファンタジーが好きな人からすると、ロボットや多脚型戦車、普通の戦車が地上を走破し、空には戦闘機が飛んでいる今のシエルはファンタジーではなく、理論が絶対の人からすると、未だ感覚に頼っている空術というものや、その空術の燃料となる空素が大気中を浮遊しているシエルは、あまり好ましく思わないのでしょう。
 無関心な人なら当然地球外にある、そんな遠くのことを気にすることはないでしょう。

 つまり、地球から見るシエルは今も中途半端で希薄な存在でしかありません。

 個性的な魔法、ドラゴン等の魔物、冒険、心が躍るファンタジーを望むならフィクションの小説に負け、超技術の観点ではSF小説に劣り、実際の地球の技術力の奇に負ける。

 隼がシエルに旅立つ前後に、空術師のジャーナリストで女性ということもあってか過剰に注目を受けていた私が、今は単なる中途半端なファンタジーを書く人としか認知されていないことを顧みると、僅か数ヶ月でも人は熱気から覚めていたと思います。
 それが数十年になると、すぐそばにある幻想なんてものに、今更何か感じることはそうそうないのでしょう。

 隼は最初辺りの手紙で、シエルは廃れた幻想でしかないと書いていましたが、最近になって私も、前々から薄らぼんやりではあるもののあったその感覚をさらに強く実感しています。

 手紙が届くのがいつも以上に遅く、私が必要以上に心配になっていた時に隼のご両親や友人に会いました。
 その際僅か二年足らずで、彼らが隼のことを話さなくなっていることに気がつきました。

 彼らの記憶に隼がいると信じていますが、隼の話題になることはまずなく、どんどんこちらでの隼の存在は希薄になっています。
 そのことが原因で、不安を抱いていた私をさらに恐怖で覆い悲しい気持ちに浸らせました。

 私も、隼から手紙が来て、こうして定期的に手紙のやり取りをしていなければ、隼のことを徐々に思い出すことがなくなり、すぐに幻想の住人だとしか思わなくなってしまっていたかと想像したことがあります。
 それはとても恐ろしく、一方で情けなく、自分に対して怒りを感じます。

 毎回しつこく書いていますし職業柄厳しいことは重々承知していますが、機会があれば一度くらい帰省してください。
 隼自身が捨てたとしても、日本はあなたの故郷です。
 それを忘れないでください。
 第三次世界大戦で空を駆けて生き残った隼に、有名だからと付き纏っていた人、手のひらを返す様に態度を変えた人とかだけではありません。
 いつまでも隼のことを忘れずに待っている人もいます。

 決して隼は、人は、一人ではありません。
 それを忘れないで。

 隼の方から手紙を送ってきた理由は、私なりに大体の見当はついていますが、きっと隼は次の手紙で反論すると思うから書きません!
 もしも、私の想像が当たっているのなら安心してください。
 私は大丈夫ですから。

 隼。
 篠崎隼、私の幼馴染で、元日本帝国戦闘機乗り。
 今はシエルで単身出張中ってところかな? 

 空素の粒子で出来た直径数キロの円柱状の〈線〉の向こう側。
 地球と行き来できるシエル星。
 その本当に幻想がある星で、隼は人型兵器・ヒューマノイド・アームズ、HAというロボットに乗って地球を救ってくれていることを、私は知っています。
 隼にはそんな気持ちはないでしょうが、結果的に私たちは隼達シエル管理局や、地球の紛争地域で命を削る方々のおかげで平和に暮らせています。

 社会人や学生が自分のやることに集中できて、女性は何不自由なく赤ちゃん母乳をあげられて、休日になると子ども達の楽しそうな声が聞こえてくる。
 戦争物やファンタジー物らしいファンタジー物の映像や本が規制されることなく発表されている。
 勿論、地球とシエルの関係の様に、私達の及ばない、知らないところで苦しんでいる大人や子どもがいること、情報規制が行われて民衆を洗脳している国があることを忘れてはいません。忘れてはいけません。
 私の力だけでは到底足りませんが、ジャーナリスト兼作家としてそんな人たちの役に立てればと思っています。

 何か偉そうに書いてしまいましたが、隼に他人に対して貢献しなさいと書いているわけではありません。

 隼は自分のことだけを考えて突っ走っちゃってくださいな。
 それは隼の短所だけれど、かけがえのない長所でもあるんですから。

 こうして手紙を書いていて、私達が子どもだった頃を思い出しましたが、子供のころから隼は今の隼だった気がします。

 鳥が好きで、飛行機が好きで、何より空が好き。
 昔から空を飛ぶことが夢だったね。
 よく、近所の高台から紙飛行機を折って飛ばしていた時の頃がとても懐かしいです。
 小学校辺りの時に授業中でも紙飛行機を折っていたり、鳥の絵を描いていたり、昔から空に関係することに対して熱心だったのは強く印象に残っています。
 いつもは大人っぽい隼が、そういう好きなものに接している時だけ子供らしかったことは今でも覚えています。

 無理して自分を偽ることをしない隼のことを考えていると、頻繁に羨ましいと感じます。

 話が逸れてしまいましたね。
 私の治りそうにない悪い癖です。
 編集長にうるさく言われないので、こういう特に制約がない場面で文章を書くのは楽しくて、ついつい脱線してしまいました。


 少し前の文章の内容に戻りますが、地球は、特に日本は平和そのものです。

 先の大戦で戦場になってしまった北海道の北の辺りは、終戦から三年経って、ようやく昔の姿を取り戻し始めています。
 本州が直接の戦場にならなかった為か、戦後の復興は政府等の責任の押し付け合いとも見える内輪揉めを除けば、戦争参加(実際は巻き込まれた様なものですけど)した国の中でも有数の速さと精確です。

 殆ど戦地になっていない本州の太平洋側は、すでに戦前と変わらない雰囲気を取り戻しています。
 時々多脚戦車や警察が、高層ビル群の合間を縫うように活動していたりしますが……まあ、概ね昔と変わっていません。

 アジュア・ブリタニアは隙があれば、敗戦国側の南アジュアの一部、天然資源があると言われている所を中心に復興援助の名目から援助を初めて、最終的に州として取り入れようと画策していますが、国内外からの反論で難航しています。

 そのアジュア・ブリタニアの行動を非難しているヨーロッパ諸国は、〈線〉の近くにいた国々を除けば、日本やアジュアの様にある程度の復興が完了しています。

 そうそう、国々のことに関連して、最近日本やフランク王国等の先進国に、地球用に開発されたHAが試験運用されることが決定しました。
 開発国であるアジュアも、自国の軍隊や警察に少数機ではあるものの配備するそうです。

 生産されたHAの大半があって、すでに実戦投入されているシエル管理局に所属している隼からすると、数年前から実際に操縦している物なのでさほど驚くことではないかもしれません。
 でも地球では、兵器を増やすことに難色を示す人がいる一方で、多くの人々の関心の的になっています。

 一世紀近く昔から戦車や戦闘機がある上、数100メートル級の高さがあるビルが普通にある現代でも、やっぱり10メートル前後の身長で、なおかつ実際にそのロボットに乗って操縦するという情報は、特に男の子の視線を釘付けにするのに十分でした。
 この手紙を書き終えたら、仕事で中高生向けのHAの記事を書く予定ですので、私も違う形でHAの影響力を実感していると言えますよ。

 昔から大型の人型ロボットは様々な面でデメリットばかりで、空想の産物に過ぎないと言われていたと認知しています。
 それなのにこうして現実に現れたのは、どこか奇妙でもあり、人間の努力の賜物なのかもしれないと思っていたりします。

 こう地球のことを書き連ねましたが、隼がその気になれば、地球の情報くらい簡単に手に入るでしょう。
 おそらく“その気”にならないと半ば確信していますので、この手紙で多少でも興味を持ってくれれば良いなと思って書きました。

 一応は一通一通の間隔が広いといえども、少し長々と書いてしまったと自覚をしています。
 でも、こうやって不特定多数の方々にではなく、一人の幼馴染に出す手紙を書いている状況に加えて文字数の制限も無い為に、どんどん書けちゃいます。

 隼がこの手紙を受け取ったら、どんな気持ちになるでしょう。

 溜息をつくのか、苦笑いをするのか、はたまた無表情か。
 私の勝手な希望としては嫌がることがなければ十分かな。

 最後になりますが、今回の手紙の遅れで再確認出来たことがあります。

 私は、とりあえずは幸せだと分かりました。
 私は、様々な統計と比べても十分すぎる環境で暮らしています。

 けれど、どうやら私は我が儘の様です。
 もう二十歳よりも三十路の方が近いところまで来ているのに大人気ないですよね。

 両親がいて、気楽に話せる友人がいて、やりがいのある仕事が出来て、こうして何かに脅える必要がないまま、毎日を忙しくも充実して過ごせている。

 でも、けれども、何か足りない気がします。
 例えると、パズルのピースが一つだけ欠けている様な、些細なようで重要な何かが足りない。

 実は答えの大体の見当はついています。
 ただし、素直にそれが正解だと認めたくないので、次回以降の手紙で違う解答が出せれば良い、そう考えています。

 隼からしたら「なんのことだ?」と思うでしょう。
 手紙片手に首を傾げている姿が目に浮かびます。

 どうしても誰かに悩みを打ち解けたくて、手紙に書くという卑怯な手を使ってしまいました。
 本当は、しっかりと面を向かい合って話したいですが、さすがに難しいですからね。
 今回は諦めます。

 それでは、地球から異世界にいる隼へ。
 この手紙がちゃんと隼に届くことを切に願います。


                                        ――東有希より



[27532] 幻想がある世界#1
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/07/17 16:03
 二人は空を飛びたい。

 元戦闘機乗りの男も、元戦闘機用AIだった女もそう願う。

 かつて、二人は共に空を飛んでいた。

 彼らはあの、世界を覆う聖域を飛んでいた。

 それが人を殺す行為と密接していたとしても、彼らが空を飛んでいたことは事実だった。

 二人は空を飛びたい。

 彼も、彼女も空を飛ぶという望みは同じだった。

 それは彼らが、二人の生まれた星ではない異世界にいても変わらなかった。

 例え、今は飛べない身分、体だとしても、二人の空を飛ぶ願いは変わらなかった。

 その願いは、幻想ではない。



   ***



 シエル管理局実動隊西方軍(CWA)の前線基地を拠点としている第七八戦車中隊は、十機に迫るキャタピラ戦車と多脚戦車、そしてその倍以上の歩兵を随伴させて、中立地帯にある廃墟となった都市の中にいた。

 西方軍と国際空術師連合(UNCLAまたは国師連)残党が互いに支配する土地の間にある中立地帯。
 そこは度重なる衝突や、先の大戦での影響で荒れてしまっている。

 色あせた植物が点在するだけの黄土色の大地。
 森は空から見ると斑模様。
 最近まで雨が降っていたはずが、大地は雨を飲み干してしまい、表面は元々の乾いた荒野に戻り砂を撒き散らしている。
 大気中に舞う空素の影響で淡い緑色に染まった空の美しさとは、実際の関係も含めて天と地程の差があった。

 そのアンバランスな風景にある廃れた都市の建物群は、荒廃した雰囲気を助長している様でいてどこか哀愁を感じさせる。

 元々は亡き国際空術師連合管轄下の都市であったが、第三次世界大戦中に捨てられて以降、戦後三年は経とうとしている現在もそこに住む者は誰もいないとされていた。

 しかし今日に限っては違った。

 都市には西方軍の戦車隊がいて、残党がいる。

 航空写真に映った残党の物と思われる兵器を確かめる為に、第七八戦車中隊はその死んだ都市に威力偵察を行っていた。

 威力偵察といえども、可能ならば壊滅に追い込むように命令されており、現に、第七八戦車中隊は進軍しつつ、残党を見つけ次第交戦している。
 大都市とも言われても過言ではない広さがある都市では、彼ら以外の部隊も残党と交戦を始めているのか四方から銃声が聞こえている。

 残党側も戦車や多脚戦車の兵器を有している。
 しかし結局は敗残組織の一破片である為に、始まってから戦況は西方軍が有利な状況が続いていた。
 それは第七八戦車中隊にも当てはまる。

 中隊に属する戦車長が部下に撃ち方始めと指令を発する。
 部下は同じ大通りの離れた距離に現れた六脚重戦車の脚に戦車砲の照準を合わせる。
 戦車の自動照準機能が作動。
 レーザー測距器を用いて目標との距離を算出。
 機体や砲の傾き、横風等のデータが自動的に弾道計算機に入力。
 戦車兵がモニタに出力されたデータを見る。
 発射の準備が整ったことを確認後、指令通りに120ミリの戦車砲を発射。

 空気を揺らす音と中心が膨らんだ円盤上の発射炎と共に、120ミリの砲弾は六脚重戦車の片方、三本の脚を根こそぎ吹き飛ばし、多脚戦車の後ろにあったビルへ吸い込まれていった。

 六脚重戦車の転倒を確認すると、通路にいた数人の歩兵が手に持っていた対戦車砲を発射し六脚重戦車に追い打ちをかけ、それの周囲にいた四脚戦車を成型炸薬弾で破壊する。
 対戦車用の兵器を持たない兵士は、ビルに隠れた対戦車兵器を持つ残党から戦車を守る為に自動小銃(アサルトライフル)を発射する。

 彼らは内から溢れ出してくる高揚感と恐怖が混じり合ったものを、表情や態度に表れない様に、感情を押し殺して任務をこなす。

 同じ中隊に属する小隊も彼らの近くで勇敢に残党と戦っている。
 そう思える程、彼らは善戦しようとした。
 恐怖が心身を支配しようとしているのを避ける様に、彼らは恐怖を与える残党を完膚なきまでに倒そうと足踏みせず着実に前進していた。


「第七八戦車中隊。こちらフィアナ基地戦術混成軍団・第三HA遊撃実験戦隊・A-2。そちらの援護を行う」


 そんな彼らの気持ちに水を差す様な通信が届く。
 冷たい声。まさに冷えた水の様な声だ。
 その声の主は、返答を聞かずに通信を切った。

 通信を聞いた兵士は憤る。
 圧勝しているのに何が援護だ。
 必要ない、と内心で口を揃える。
 油断している気は毛頭ないが、我々の戦力だけで十分に戦っている。
 第七八戦車中隊の兵士は思った。現に戦況は優勢で援護の必要はなかった。

 過剰な戦力の投入は悪影響を与える、戦車長はそう考えた。
 しかし、彼らにはその援護を拒否する権限はない。
 進言しても無駄だろうと、誰でもなしに思った。

 人の足音を機械的にした音が地響きと共に戦車隊に届く。
 その音のする方に目を向けると、戦車隊に向かって9メートル前後の巨人――HA(ヒューマノイド・アームズ)が走っていた。

 左右にカメラを備えた鋭角的な頭。
 多面的な外見の胴体。
 その胴体から生える四肢は曲面を中心とした造形。
 右手にHAサイズの自動小銃を持ち、腰には小銃のマガジンを装着している。

 管理局の最新兵器であり新機軸の兵器、CLC‐03・ルーグ。

 パーソナル・ネームは《如月》。

 戦車の速度を軽々と超える速さで走る如月は、戦車隊にある程度近づくと跳躍した。
 そして何不自由なく戦車を飛び越え、止まることなく大通りの通路を疾走していく。


「ハイエナが」


 同僚の間で噂になり、そして嫌われている部隊を自身の目で始めて見た歩兵は、不快感を露にした表情のままそう呟く。

 戦場に出撃し、持ち前の機動力で友軍が数を減らした敵を食い漁る。
 旗色が悪くなれば、高い機動力を生かして友軍を置いて帰還する。
 新兵器だからこそ、実戦データ等の損失を避けなければならないことは理屈では分かっていても、感情では到底納得出来ない。

 少なくとも、第七八戦車中隊の随伴歩兵の一人は納得出来ていなかった。

 彼の声は前方、如月が向かった方向から聞こえる銃声によって、周りの仲間に聞こえることはなかった。



   ***



 如月は輸送ヘリに吊るされる様に固定されて帰還していた。
 都合によって、普段使うHA用の輸送機には載っておらず、同乗するHAはいない。

 輸送ヘリが空を飛ぶことによって発生する音や振動は如月を通して、如月の搭乗席にいる篠崎隼特務少尉に伝わる。

 如月を外に晒したままの輸送方法故に隼は搭乗席から出られない。

 隼はコックピットに映し出される外を見る。
 戦闘機とは比較にならない程の低空飛行、低速度から望む外は、彼からしたらつまらなかった。
 画像処理を行ってからコックピットの半球体型メインモニタに出力される方法は、理にかなっているとしても、戦闘機のコックピットから見る風景と比べると味気なかった。

 淡い緑色の空には緑がかった雲が浮かび、丸みを知覚出来る地平線付近の空は赤紫に染まり始めている。

 隼は眼下を見る。
 森が見えた。
 緑色の木々の葉は陶器の様な光沢感がある。
 それはシエル星に自生した空素植物の特徴だ。
 葉が空素を帯び、それが電磁波の可視光線等に反応している為に起こる現象だということを、隼はいつか誰かに聞いたのを思い出した。


「誰だったか」


 確か、ギュスだったな。
 隼はそう見当をつけ頭に浮かんだ、彼の親友兼上司のギュスターヴ・ヴェイトン中佐の姿を振り払い、ヘリのカメラとリンクして今度は前方の景色を確認する。
 如月の自前のカメラは吊下げる為の装置に付けられたカバーによって使えない。

 視線の先も森だ。
 そして、脈動していた。
 うごめいている様に隼は見えた。
 まるで森が生きている錯覚を感じさせる。
 風の仕業ではない。
 表面の空素が脈動しているのだ。


「空素濃度が高い? いや、空素が刺激されているのか。ヘリパイロット、前方の森の様子が妙だ。直進は避けろ。大きく迂回だ。」

「こちらパイロット。了解。こちらも前方の異常を確認した。迂回する」


 何故今まで異常を確認出来なかったのか。

 隼は自問する。
 答えはすぐに導き出せた。
 突然の森の活発化、しかもそれは局所的である。つまりは――

 突如、隼とメインモニタの間に設置されたHUD(ヘッドアップディスプレイ)の下部にある、多用途ディスプレイ横の警告ランプが点滅した。
 リンクしていたヘリの警戒レーダーが警告を発した為だ。
 多用途ディスプレイ下のレーダー表示器に映る光点は三つ。


「攻撃か」

「地対空ミサイルだ。回避行動後フレア散布を行う」


 パイロットの通信とほぼ同時にヘリが傾き、右への回避機動を始める。
 当然、ヘリに固定されている如月も傾く。

 前方の森から現れた、推進器を作動させた三機の熱探知ミサイルが、隼のいるヘリを襲う。

 輸送ヘリは自動迎撃システムを作動、即席の弾幕によりミサイル一つ撃墜。
 残りのミサイルを避ける為に、旋回しつつデコイであるフレアを二回に分けて放出。
 そして高度を上げ、気休め程度にしかならないが、ミサイルのセンサーが太陽に反応する様に移動する。
 二機の内一機は、フレアに誤誘導されて標的を失い森に着弾。
 最後のミサイルも直撃コースから逸れた。
 だがミサイルの近接信管が作動、ヘリ付近で爆発する。


「っくそ! 近接信管……光学式か? そんな高価な物をよくヘリ相手に何発も撃てるものだな。熱探知に近接信管、変な組み合わせだ」


 機体が揺れている中、パイロットが漏らした言葉に隼も内心同意していたが、ふと、その思考の一方で、如月を落とせば元が取れて黒字だな、とも考えていた。

 操縦席内で回避運動の遠心力を体感していた隼にも震動が伝わってくるが、すぐに収まる。


「被害状況は?」

「左のパイロンを損失。近接信管とはいえ、空対空ミサイル程の威力は持っていない様だ。尚更妙だな。メインローターは今の所問題はない、飛行は可能だ」


 隼がパイロットとの通信を続ける。
 すると勝手に多用途ディスプレイが起動し、そこに文字列を表示される。
 如月からの提案がそこに記されていた。
 隼は如月のメッセージを目に通す。

 如月はディスプレイを用いて、「降ろせ」と意思表示している。

 如月はヘリと運命を共にしたくはないらしい。
 そう隼は解釈した。
 隼は、如月はそんな性格だと知っていた。


「パイロット。A‐2を降ろす。このままでは両方とも撃墜される。援軍は必要ない」


 隼はスロットルと、スロットルレバーに似た人工筋肉出力系をMIL(ミリタリー)に、駆動・燃料系モードセレクタを《戦闘機動》に合わせる。
 隼の入力に反応して、各人工筋肉部に液体空素が循環し始め、如月が本当の意味で起動する。
 加えて隼は、FCS(火器管制システム)を作動。
 レーダーを《地上索敵》に設定させる。
 空素が電磁波の動きを阻害するが、起動させておいて損になることはない。

 隼の提案を聞き入れたパイロットが、一度離脱し、五分後に合流する旨を言っているのを聞きつつ、隼は着々と出撃の準備を整える。

 戦場では一刻を争う。
 管理局全体の常識である。
 勿論隼もそう思っている。


「今、ここは戦場だ」


 輸送用カバーを如月のコントロールで開かせる。

 カバーが外れたことによって、如月のカメラが景色を捉え、メインモニタに出力される。
 しかし、まだヘリと連結している為に視界の多くはヘリの胴体が占めていた。


「高度を下げつつ前方の開けた場所の上を通る。降下のタイミングはそちらに任せた」

「了解。ハンガーの操作権限の譲渡を確認」


 再び熱探知ミサイルが発射されてヘリを追尾するが先程よりも数が少ない。
 加えて今度は奇襲ではなかった為に、ヘリは回避を成功させる。


「四、三、二、A-2、出撃する」


 隼は操縦席右手にあるコンソールを操作し、ヘリと如月の連結を解除、シエル星の重力に引かれて如月が落下する。
 隼は着地の負担を軽減させる為、右ペダルを踏み込んで背部及び脚部ブースタを起動。
 ただし、空中で狙い撃ちされない程度に使用を留める。

 右スティックを操作。
 如月の右手を横に振る。
 空中で敵がいる方向を向かせると同時に自動標準をオンにし、カメラが捉えた敵を追尾する様にする。
 武器のセーフティであるマスターアームはすでにオン。
 つまり即時発射が可能になっていた。
 ウエポンモニタに搭載武装が表示される。


 RDY(レディ) 57ARIFLE、RDY KNIFE、RDY CLSWORD。


 右手の自動小銃は先の市街戦で使用したが、マガジンも半分以上は未使用。
 脚部のナイフ、腰部の空素技術を用いた粒子剣は健在。敵の数にもよるが、十分戦闘は可能である。

 着地後、両足を曲げて着地の衝撃を緩和し終えると、ペダルを踏んで走り始めた。

 隼は両手で小銃を構えさせながら森の中に入る。
 幸い木々の間隔が広く、まばらな箇所も多かった為、動きを酷く阻害されることはなかった。

 多少の動きづらさはあるが、それは相手側も同様。
 ただの戦車とは違い、即座に好きな方向に移動できる分、HA向きの戦場ではあった。

 三次元ペダルを器用に操作し、ミサイルが放たれた周辺を目指して木々の合間を駆け抜けていると前触れなしに警告ランプが点滅した。
 その反応に追随する様にメインモニタには赤い点が表示され、HUDの左右にある、非戦闘時は透明のツインディスプレイに警告の内容が出力される。


 〈レーザー測距器による被ロックオン〉


 敵のレーザーを感知した如月からの警告を読んだ隼は、反射的に森から頭が飛び出ない様にして左に低く跳んだ。

 木々が倒れる音の中に、あたかも爆発したと錯覚するほどの着弾の音が紛れる。
 その音の存在は大きく、隼の耳にも集音機器を通じて届いていた。

 数秒間粉塵と葉が舞う中、隼は戦車の砲撃だとすぐに把握した。
 元々聞き慣れている上にそれは、ヘリに載る前に参加していた戦闘で何度も聞いた音だった。

 キャタピラ戦車が最低一両。多く見積もって多脚戦車が四機程随伴しているはずだ。
 そう予測した隼は、メインモニタのレティクル(照準)が反応せず、レーダー画面はノイズが酷いことを確かめる。
 まだ敵の詳細は分からない。
 ツインディスプレイでは如月が、弾が来た方角からどこに敵がいるか演算していた。

 そしてメインモニタに演算結果を元にマークが表示され、如月が隼をその方向へ向かえと導いている。
 マークが点滅している様が、隼は自分を急かしている様に見えた。
 死にたくなければ動け、と如月は言っている。

 分かっている、言われなくても動くさ。

 隼は、木々から頭が出ないように姿勢を落としたまま如月を走らせる。
 強く踏み込まれた右ペダルから入力され、電気信号に変換された命令は、有機的機械コンピュータ・如月と中枢コンピュータに伝わる。
 そこから、現在の状況を逐一更新している環境データと合わせてMCC(モーションコントロールコンピュータ)へと指令が送られることで、如月は状況にあった最善の走行を、慣性や重心を制御する為に体全体で行う。

 前傾姿勢。

 重心を前方に集中させ、人工筋肉の反発を利用した走法は、瞬く間に如月を一〇〇キロ毎時の速度を超えさせる。
 それは、戦車や装甲車等の陸上兵器の中でHAが最も速いことを証明している。

 再び砲撃の音が聞こえたが、着弾は木々の合間を縫う如月の後ろで起き、如月は砂塵を被ることすらない。

 電子音と共に、メインモニタのレティクルがある一点で止まった。
 モニタに表示された三本の環状レティクルの横に、対象との距離、敵機の種類、選択武装、残弾数が箇条書きで表示される。
 内側のレティクルの色は黄色、まだ小銃の有効射程外ということが分かる。


 1704m ATM-4C 57ARIFLE 21[3]。


 予想以上に索敵の精度が障害空素によって低下している点も気になったが、隼は距離の下に記された表示を注視した。


「ATM-4Cだと」

〈イエス〉


 隼の呟きに如月が肯定する。
 表示された敵機の番号はCWAで用いられている四脚戦車。
 つまり味方の筈である。
 ただし、敵味方識別装置であるIFFの返信はなく、三本のレティクルの真ん中の一本は、所属不明機を表す黄色のままだった。

 しかし、すぐに真ん中の輪が赤色に変わる。
 如月は対象を敵と認識したからだ。
 隼はその意見に同意する。

「味方でなければ敵だ。実際に、こちらはもう攻撃を受けている」

 小銃の銃口を敵機に向けたまま、標的を中心に回り込む様に右へ走り続けていると、メインモニタのレティクルが三つに増える。
 三つのレティクルは、ロックオンしていない為、輪の数は有効射程判断用と、敵味方識別用を二本しか表示されていない。
 三つのレティクルの敵味方識別環は、最初は黄色だったが数秒も絶たずに赤色に染まった。

 敵機の種類は、二つはATM-4C、残りはAT-2C一両。
 これらも味方の兵器の筈である。

 メインモニタ右に表示された三つのレティクルを流し見で確認し、隼はこちらにグレネードランチャーを放とうとしている、最初に発見した四脚戦車にレティクルが重なりロックオンされていることを確認した後、右スティックのトリガーを引く。
 レティクル横の距離の数値はすでに有効射程内に入っていた。
 加えて数十秒前は黄色だった射程判断用の環も緑色になり、射撃を促していた。
 ヘルメットの左目の辺りに設けられた、小銃のカメラとリンクしているモニタにも、標的の姿は捉えられている。

 57ミリ自動小銃が火を噴く。

 一回の押し込みで銃口から放たれる弾数は三発。
 その全てが視線の先にいる3メートル程の四脚戦車の体に吸い込まれる。
 そして沈黙。

 歩兵用の四脚戦車の装甲では、57ミリの弾に耐えることは出来ない。
 57ミリの弾は、キャタピラ戦車ですら前面以外で被弾すると無事では済まない威力だ。

 警告ランプが点滅。
 内容は二方向からの被ロックオン。

 隼はバックスイッチをオン、左スティックの姿勢制御スイッチをオン、左ペダルを右前に踏み込み、機体を後ろに倒れる様に腰を落とす。
 右スティックを強く握り、圧力センサーで人工筋肉に指令を送り、後ろに倒れないよう踏ん張らせる。
 そして、すぐに両方のスイッチを切ると、隼は再度トリガーを二回引く。
 その行動とほぼ同時に右ペダルを踏んで、如月を右斜め後ろにステップさせる。
 メインモニタのレティクルは自動的に敵を捉えていた。

 途端、四脚戦車二機――多脚戦車は区別の為に一機、二機と数える――の三銃身12.7ミリ機関砲が、如月に向けて発射された。

 ツインディスプレイに脚部に被弾したと表示される。
 ただし前面の一部で57ミリ、最も硬い胴体部ならば120ミリの戦車砲にも耐えるHAには四脚戦車の銃撃は効果が薄い。
 無論、関節部やカメラ等の脆弱部に命中した際の無事は保障出来ないが。

 各部に設けられた、モーションセンサーの位置状況を把握したMCCは、正確に各駆動系に動作の命令をする。
 機体の着地はMCCとアクションコントロール・ユニットのもとで支障なく行われた。

 隼は画面上のレティクルを確認する。
 数は四脚一機と戦車一両の二つ。
 回避行動をしつつ行った銃撃が、片方の四脚戦車に命中したのを確認する。
 その後もう一機を撃破せんと、すでに如月自身によって相手に向けられていた自動小銃のトリガーを引いた。

 レティクル横の残弾数が12[3]から9[3]に減り、発射された弾は僅かな放物線を描き、四脚戦車を戦闘不能に追い込む。
 自動小銃から排出された薬きょうが木に当たった。


「残り一両」


 隼は残敵数を確認。敵は右に一両。

 すぐに終わる。
 隼はそう思った。

 だが突然、一際大きな警告音と共に警告ランプが点灯する。
 レーダーは新たな敵を捉え、その情報はノイズが混じりながらもレーダー表示器に出力される。メインモニタ左側に赤い警告カーソルが出現。

 隼は右ペダルを左に軽く踏み込み、咄嗟に左スティックを操作して、機体の左腕が警告カーソルに被る様にする。

 左腕を操縦席がある胸部を守るよう前に出した直後、隼に震動が伝わった。

 直撃した。

 隼はすぐに理解する。
 左腕は盾ごと吹き飛んでいた。
 その上、回避する為に跳躍していた最中に被弾したことで体勢が崩れていた。
 ただし、それはMCCが即座に建て直す。

 再び、モニタに警告カーソルが灯る。
 先程とは場所が違う。
 敵の追撃を察知した隼は着地せずにブースタを起動させ、森から空中へ飛び出す。
 空気と大地を大きく揺るがす音。
 着地予定だった地点の後ろの岩に戦車砲が着弾した。
 放ったのはAT-2C・エリオット、ライセンス国がアジュア英王国のキャタピラ式戦車、最後のCはシエル管理局所属の意。

 如月から少し離れた、開けた場所にはエリオットしかいなかった。
 しかし、エリオットの近くから景色からにじみ出る様にして、六脚の戦車が現れた。
 高さ、横幅共に6メートルはある多脚重戦車だ。


「熱光学、いや空術迷彩か?」 


 成型炸薬弾によって破壊された左腕。
 その左肘から出血の様に漏れる液体空素の流出を停止させ、同時にMCCに左腕の損失を伝えた隼は突如姿を現した戦車の憶測を始めた。
 だが、隼人はすぐに憶測をやめ、スロットルをMAXまで移動させて、右ペダルを強く踏み込んだ。

 決して地上走行に劣らない速度で、如月は残りの敵との距離を詰める。

 如月のメインモニタに映し出された六脚戦車にレティクルが合わさり、敵機の種類が表示される。


 Kr-106。


 ツインモニタに補足が表示される。


〈ただし、通常、対象は、光学、空術迷彩機能を備えていない。改良型、または外装以外新造の可能性が高い〉


 こういうケースは久し振りだ。
 如月からの報告を受け、隼はそう思った。
 普段味方が使う兵器に撃たれることも珍しいことだが、さらに、同時に特殊な機体と交戦する経験は、第三次世界大戦振りであった。

 あの時は自分や如月は戦闘機の中にいて、今よりもっと、ずっと高い所を飛んでいた。
 こんな地べたを走り回り、重力に縛られていなかった。
 隼はそうした郷愁に似た感情を頭の片隅に追いやり、敵手前でブースタを切り、慣性のみで敵の頭上へ向かう。
 エリオットの主砲は如月の三次元の機動についてこられない。
 エリオット程ではないが、六脚重戦車も同様に如月を捉えられていない。

 隼は機体が空中にいる内にトリガーを三度引く。
 上空から戦車の脆弱面を狙ったトップアタック。
 ロックオン対象はエリオット。
 数発外れたが、残りの弾は戦車の上面装甲を撃ち抜いた。
 エリオットの動きが止まる。

 如月はエリオットの上を通り過ぎて着地。
 着地の勢いそのままに、標的目がけて走る。
 六脚重戦車の六銃身30ミリ機関砲が如月の方を向きつつ、砲身を回転させ始めた。

 自動小銃の弾数が0[3]になっているが隼は弾倉を変えようとせず、右スティックの武装モードセレクタで格闘戦モードに切り替える。
 指令を受取った機体は走りながら自動小銃を右腰部にマウント。
 その動作の延長で、後ろの固定されていた粒子剣を持つ。

 如月の速さに追いつかないまま戦車の機関砲から、毎分四〇〇〇発を超える速度で弾が発射される。
 当然、如月に命中することはなかった。
 すぐに弾切れとなり、カラカラと機関砲はむなしく音を立てる。
 如月の左手を破壊した105ミリの主砲は、もはや無用の長物だった。

 そんな戦車に至近距離まで迫った隼は、右のスティックを前に倒しながらトリガーを引く。
 手に持った粒子剣で、コックピットがあると思われる部分を突いた。
 空術を応用して出来た高熱の空素エネルギーの刃は、戦車の厚い装甲に含まれた空素の結合を緩めさせ、融解。
 機体の腕程の長さがあった刀身全てが戦車の胴体で見えなくなった。

 戦車が動作しなくなったことを確認して、隼は武装モードセレクタを射撃戦モードに直し、スロットルをMILまで戻した。
 機体は隼の指示に従って、片手で器用に自動小銃の弾倉を交換する。
 弾倉を捨てることはしない。
 自動照準スイッチはオフにしてある。

 ウエポンモニタの、自動小銃の項目にある残弾数が、30[2]に切り替わる様子を見、加えて、レーダーに何も反応していないことを確かめた隼は、駆動系・燃料系モードセレクタを《戦闘機動》から《歩行》に戻す。
 そして片膝をつかせ、操縦席右側にある各部ワーニングコンソールを操作し、機体にテスト用の疑似信号を送る等して、一通りの点検を行わせる。

 ツインモニタに流れる様に次々と表示される文字列に、所々赤色の文字が混ざっている。
 それら赤字の殆どが左腕の失った回路、モーションセンサー、液体空素が通る管等の事柄に集中している為隼は無視する。
 無視した部分を除けば、特に異常は見当たらず、燃料も十分に残っていた。

 ただし、一気に最寄りの基地に行ける程の余裕はない。
 今はある程度良くなったが、元々電磁波が乱れる空素植物の森は軍関係者に嫌われており、森の近くに基地が作られることは稀である。
 今回の戦闘は友軍からの第三HA遊撃実験部隊の評価を真摯に受けとめ、敢えて森の上空を飛んでいたことが裏目に出た結果だった。

 良い方向に考えると、ここを移動していたからこそ敵と思われる所属不明機を破壊出来たのだが、襲われた側の隼には良い迷惑だった。
 この移動ルートを指定したヴェイトン中佐を恨もうとしたが、中佐に指令を与えたのはHA戦隊全体の司令であるセレン・アテナ少将だと行き着き、隼はアテナ少将を恨んだ。


「あの不老中年め」


 電子音が鳴る。
 アテナ少将からの通信か?
 隼の心臓は少将に鷲掴みされる錯覚を感じた。
 しかし、実際は違った。
 レーダーに反応あり。
 警告用ではない電子音が、隼にレーダーの件を伝える。
 電磁波阻害の影響が薄まった為、如月のレーダー装置で数10キロの範囲は見通せた。
 その為、周囲に敵機がいないことも分かっていた。

 スティック操作でカメラを操作し、レーダーが反応している方角を向く。
 蟻程の小さな、黒い機影が望めた。
 ローターが回っている。
 ヘリコプター。
 隼から見て右のパイロン、つまり左のパイロンが欠けている。

 隼は機体を立たせ、ヘリの方角を向く。
 照明弾や発煙筒の類は使用しない。
 歩兵ならまだしも、10メートルに迫るHAを、ヘリのレーダーが見逃すわけがない。隼はそう思った。


「こちらヘリパイロット。A‐2、無事か?」

「こちらA‐2。ああ、左腕を失ったが、それ以外は概ね問題ない。破壊された左腕も、原型を留めていないので技術の流出はない」


 ――それは良かった。
 ヘリからの返信を聞いている隼は、如月が勝手にカメラの倍率等を動かしていることに気付いた。

 如月は、彼女は、機体のカメラを通してヘリではなく空を見ていることに、隼はすぐ分かった。

 シエル星の空は地球の空とは色も、性質も雰囲気も違う。

 それを隼は知識としても、感覚としても知っている。
 勿論如月も知っている。
 隼は確信していた、自分の考えに自信があった。

 如月は空を飛びたがっている。
 跳ぶのではなく飛ぶ、飛翔する。
 戦闘機用に開発、育てられ、三年前まで戦闘機で空を飛んでいた如月は、元の役目や開発理由を抜きにしても、空が好きで、飛びたいと思っている。

 隼も空を飛びたい。
 厳密に言えば、再び彼女と共に飛びたかった。

 徐々にヘリのローター音が聞こえてくる中、隼は一目ぼれをした、昔の彼女の姿を思い浮かべる。

 それは彼の目蓋の裏にも、脳裏にも強く刻まれた記憶だった。



[27532] 幻想がある世界#2
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/06/05 01:24
「はい、これで特務少尉の検査は終わりです。左腕はお返しますね」


 お疲れ様でしたと労う看護士に相槌を打ちつつ、隼は左腕を受取り、それを肘の接続部に装着する。異物が侵入する感覚が過ぎ去ると、今まで左腕のみ金縛りを受けていた様な状態から解放された。

 実際に動かしてみる。違和感はない。隼は一息つく。


「物好きなものだな」

「何がだ」

「脳と脊髄以外の全てを機械化すれば良い。兵士は人工内臓の総取換えくらい普通なものだ、それだけの処理でも新兵は強くなる」

「俺は新兵ではない。軍歴六年の戦闘機乗りだ」

「元、戦闘機乗りの間違いだろ。HAの乗りすぎで頭がおかしくなったか? 脳の検査をするついでに強くしてやろう」

「断る」


 対面している軍機械医の提案を却下し、隼は左腕の具合を念入りに確かめる。
 ここにいる以上、技術者の腕は認めているが、何よりも自分が満足するのが重要だ。そう隼は思っていた。

 病院に似た独特の臭いに若干工場の臭いが混じるこの部屋は、形容しづらい雰囲気がある。
 白を基調とした色合いの部屋。
 そこに漂う油臭さはどこか場違いである。


「機械化をすればするほど耐G力が高まり、身体能力は飛躍的の向上、機械と接続すれば機体――君の場合はHAか、それを面白い様にスムースに操縦出来る。どうだ、良いことずくめだろう?」

「何故俺に勧める」

「君のその中途半端な体を見ていると、な」


 軍機械医の視線が隼の顔から左腕に注がれる。
 見た目は本物と同じ機械の腕。


「左腕だけが機械。今の時代、それだけでは何もアドバンテージは得られない」

「機械化しただけでは優位にならない。結局実力が勝る強い者が勝つ。生きていれば勝ちだ」

「真理だな。しかし、統計学的に見れば同じ程度の実力を持つ、機械と生身の体を有する兵士を戦わせると、機械の兵士が勝つ方の数字が高いんだ。古いタイプの軍人や、戦車や戦闘機に乗る軍人は、そう悟った風に言って、結局死んで逝く。前者は置いて行かれた残念な古代人で、後者は、兵器という機械に依存しているくせに偉ぶっている、真性の夢想家だ。君は後者だな」

「あんたはあんたで好きに言っていれば良い。俺はそう思っている。それだけだ。それに、統計学がそうだからって、それが自分に当てはまるわけではない」

「腕が良くても、機械が悪ければ負ける。戦場で負けるというのは死ぬということだ」

「俺も兵器の重要性は認めている。性能が良くて丈夫、燃費良し、そして整備性が良い程望ましいことも知っている。戦場で負けることが死だと? それぐらいは分かっている。少なくとも、戦場に出ないあんたよりかはな。補足を言うと、死んでいなければ、勝ってもいないが、まだ負けてもいない」

「前線にいればいる程、兵士は視野が狭まり多観的考え方が出来なくなる。良いことと言えば、彼らは洗脳される様に、勝手に強い愛国心が芽生えることだな。しかし、それは行き過ぎると極右翼、または一周回って極左翼になってしまう。それに比べて、指揮官の方が一般兵より視野が広いのは、つまりそういうことだ。軍全体が機械化し、直接連携を取り合えば、前線にいる兵士の、その欠点もなくなる」

「俺はそう言うあんたが、あんたの言う多観的考え方が出来ているとは思えない」

「私は私の主義がある。他の主義を知った上で、私は自分の考えを話しているだけだ。頭ごなしに批判している馬鹿とは違う」

「あんたのことに詳しくない俺の視点では、あんたもその馬鹿と同じにしか思えない」

「そうだな。君とは相容れない私が言ったことが、君からしたら説得力がなく思えるのは十分に納得できる理由だ。しかし、今の兵隊、特に地球の軍や警察に機械化した人間だけの部隊がいることは事実だ。証拠もある。これなら君も納得出来るだろう」

「俺は別に、証拠がなければ何も認めない人間ではない」

「そうか」

「あんたは何故ここにいる」

「ここ?」

「フィアナ基地、いや、シエル星に、だ。すでに廃れたといえど、ここは幻想がある世界。あんたの様な機械化至上主義者が忌避する場所だ」

「忌避するからこそ誰かが開拓しなければならない。機械化という人類の新たな進化を研究し、それを世に広める。私はその為にここに行くことを自らの意思で志願した」

「まるでいつぞやの宗教運動、あるいは移民の様だな。未開拓の荒地でもない、ちゃんと原住民という人間がいるのに、それを淘汰し、自分達の思想を根付かせる。それと同じだ。それは開拓とは言わない。その開拓は言葉の綾でしかない」

「機械化を広める人が現代の宣教師というのなら、私は君が思う宣教師そのものだろう。私はこの素晴らしい技術を広める為にここにいる。新しいことに対して最初はとまどうのは、至極当然のことだ。皆、それから順応していく。私はその手助けをするだけだ」

「遅かれ早かれ浸透するのなら、過剰に手助けする必要はないだろう」

「火は点けないと燃え始めない。“火がない”のだから当たり前のことだ。例えが悪いが放火魔が、山が燃えている姿を見たくなった時、わざわざ不確定要素の多い自然発火型の山火事を期待するより、自ら火を点けに行った方が手っ取り早い。その分危険を伴うが、私はその危険は、機械化運動に避けては通れない障害だと思っている」

「徹底しているな。分かりやすく偏っている」

「誤解されない為に言っておくが、私は何も載っていない天秤のどちらか片方に、自分の思想を置いて傾けているわけではない。平行になっている天秤に思想を載せて、その結果傾いているだけだ」

「結局は傾いている。まあ、何かに偏っているのは皆同じか」

「そうだ。勿論君だって何かに偏っている。君の“何か”がなんなのかは、これからの君との付き合いで明らかになるだろう」

「あんたは偏りすぎだ、真面目に狂っている」

「私にとって相対する存在かもしれない君に、そう言われることは逆に誇れることだろう。ところでだ、君はどうなんだい?」

「何がだ」

「ここにいる理由。私が質問に答えたのだから、君も答えるのは道理だろう。最近の流行を引用すると、生粋の地球人と書類には書かれているが事実か?」

「地球人?」

「知らないのか? 昨今の地球で再燃している議題に出てくる単語だ」

「あんたと違って、俺はここに来てもう二年だ。地球のことは分からない」

「それはよくない傾向だ、気を付けたまえ。地球人とは、文字通り地球生まれの人という意味だ。地球人とシエル星人。今までは俗語でしかなかったが、最近そうやって呼び分ける専門家が多くなっている。地球とシエル星の精神的な距離が広がっている証拠だ。無論これもよくない傾向だ」

「単語は聞いたことはあったが、そういう事情は初耳だな」

「二〇三八年。まだそれらしき地球外生命体を見つけていない地球人が、主に紛争が原因で、関係が希薄になってきているシエル星に幻想を抱いた結果の呼称だ。地球の人間は、わざわざシエル生まれの者を分けたがる。」

「人は比べるのが共通の本分だからな」

「その通り。おっと、尋ねた私自身が話を逸らしてしまった。戻そう。それで、結局君はなんでここにいるんだ? 日本帝国軍所属で最終階級は中尉。戦技教導隊にも入隊したことがある。ここの者に聞いたが、一時期大尉になる話もあったのだろう? そうして着実に出世していた君が何故」

「如月がいるからだ」


 隼は間髪入れずに応答した。左腕を動かすことは止めている。


「如月? ああ、君のHAのパーソナルネームの。いや、君が言っている如月はオメリの方か」


 隼はオメリ(Omeli)という言葉に反応し、左手に落していた視線を前に座っている軍機械医の顔に移す。少しこけた頬に、眼鏡を着けたキツネ目。典型的な理論派に見える。


「そうだ」

「人工有機的機械生命体――人工オメリに執着するとは、人間が天然のオメリと結ばれた実例はあるが、人造となると話は別だ。君のそれは興味深い。とてもよい研究対象だ」

「俺はあんたに注目されても嬉しくない。それに、あんたの研究に付き合うのも御免だ」

「それは残念」軍機械医の口が弧を描く。「しかし、君はこれからその左腕の整備の為に、定期的に私の下を通わなければならない。今すぐに君を懐柔する必要性はないな。定期的にメンテナンスが必要というのは、現在の機械化の数少ない欠点ではあるが、君との関係が切れないことを考えると、この場合のみでは感謝すべきことだろう」

「まさかとは思うが、整備をネタにして脅迫するのか」

「まさか。私は自分の仕事に誇りを持っている。例え、生物原理主義者の患者が私の下を訪ねてきても、私にとって彼は単なる患者でしかない。いくら金を積まれても殺しはしないし、金が欲しくて脅すこともしない」

「俺と同じだ」

「君と?」

「敵は敵だ。無論、医者でいう、重度の患者を優先する様に殺す優先度はあるがな」

「人を生かす私と、人を殺す君は同類だと?」

「あんたが生かした人が人を殺すかもしれないし、俺が人を殺すことで多くの人を救っているかもしれない。現実は小説より奇なり、とかいう言葉があるだろう、現実はそんなものだ」

「結果論だな」

「大抵のものは結果論で事が進んでいる。それに多くの人間は結果を想定して動いている」

「ふむ。ふと今までのやりとりを思い返すと、これはまるで、ネットで得た上辺だけの知識を披露する中学・高校生の会話だな」

「俺もあんた程人生を経験したことがないからな、言質が薄っぺらなものになるのは仕方ない」

「私も君より少し早く生まれた人間でしかない。薄っぺらは同じだ。嫌な若者は嫌な老人を嫌い。その嫌な老人は嫌な若者を嫌う。そして、嫌な若者同士がいがみ合い、嫌な老人同士もいがみ合う。そんなところだ」

「同族嫌悪か、とても人間らしいな」

「人間程同じ人間を嫌い合い、疑い合い、騙し合い、殺し合う生き物はいない。機械化すれば、そういうしがらみも多少は解消されるだろう。脳と脊髄の一部以外を機械化した私はそう思っている」

「結局行き着く先はそこか」

「その通り」

「あんたは本当の宣教師か。言うならば機械教の宗教家。聖書はマニュアルで十字架は工具。啓示はプログラムで磔台は手術用のベッド。神は――」

「神は十割の機械人だろう。始祖は純血が相場だ」

「その考え方ならば、生身の人間が神かもしれない」

「肉体だけだと人間もそうだが、それが本当の意味の純血かは分からないさ」

「なんか」隼は眉間に皺を寄せ溜息を吐く。「馬鹿馬鹿しくなってきた」

「局所的馬鹿にならないと、過去の文献を引用するだけで前に進めない。専門家は皆馬鹿だよ」

「あんたもな機械医」

「君もだ元戦闘機乗り」


 軍機械医の言い返しは、隼をさらに不機嫌にするには十分であった。隼の前にいる男は笑顔だった。ただし、目は笑っていない。


「あの」


 男二人の会話に口を挟んだのは今まで彼らの傍に立ち続けていた、健気な看護士だった。
 ずっと立っていた看護士の表情は、彼らの会話の影響か苦笑い気味である。


 椅子に座る男らは視線を彼女に向け、言葉の続きを促す。


「ドクターと特務少尉が話し始める前から、ヴェイトン中佐がお待ちです」

「ギュス、いや中佐が? どこに?」

「外に」

「外?」

「この部屋を出てすぐのところに」

「そういえば君は、特務少尉が目覚める直前にそんなことを言っていたな。いやはや、彼との会話に集中していて忘れてしまっていた」

「確信犯が」


 そう短く言い切り、隼は腰を上げる。脚の筋肉が凝り固まっていた。
 隼は、思いのほか長居していたのを悟った。
 加えて、中佐が通路の壁に寄りかかっている想像も容易に出来た。
 想像の中の中佐の顔はしかめっ面だった。


「またいつか、こうして馬鹿な会話に花を咲かそう」

「なら俺は、その花がタイタンアルムであることを切に願う」

「七年後か。それまでに君が生きていれば良いがな」


 出口に向かう隼の背中へと軍機械医の声がかけられる。
 隼は返答しない。
 それが二人の会話の最後だった。

 出入り口の自動ドアをくぐると、部屋より幾分冷たい空気が隼の肌を刺激する。
 春とは思えない程冷めていた。
 機械が押し寄せているからだ。そう隼は感じた。


「遅い」


 隼の姿を認めたヴェイトン中佐の最初の言葉はそれだった。中佐の彫りが深い顔は、しかめていることで、元々持っている迫力が強く表面に出ている。


「お待たせしてすみませんでしたヴェイトン中佐」隼は一応の言葉を発すると共に構えた敬礼をすぐに解く。「――で、わざわざ俺を出待ちして何の用だギュス?」

「ついてこい」中佐は歩き出す。「最重要機密でもないし、詳しい話は食堂でしよう。全く、お前のせいで昼食が遅れてしまったではないか。腹が減ったぞ畜生」

「文句なら新任の機械医に言ってくれ。あいつ、俺をサイボーグにする気だ。そうそう、ところで前任の爺さんはどうした」

「前任者は別の部隊に異動した」

「地球には戻らないのか。もう良い歳を随分前に通り過ぎている人だぞ」

「本人はシエル星で死ぬまで現役を貫く気だとさ」

「血縁者は?」

「血縁者? 確か、彼と共にシエル星を訪れていた夫人は数年前に交通事故で亡くなっているらしい。子供は当の昔に自立している」

「夫人はサイボーグか」

「ああ」

「加害者は」

「爺さん曰く機械化していないただの人間だったと」

「そうか」

「なんだ、突然前任者のことを聞いて。そんなに新任の機械医が嫌か?」

「ギュスはあいつに会ったことは」

「あるさ」

「なら分かるだろ?」

「分からんことではないな。やはり嫌いか」

「嫌いだ」


 迷路の様な基地内を迷わず歩く二人。


「同族嫌悪だよ」


 隼は数歩先にいる中佐の背中に向けて言った。


「同族ねえ」


 ま、理解出来なくはない。
 中佐は髭の剃り残しをなぞりつつそう返答した。その時中佐の腹の虫が大きく鳴いた。



[27532] 幻想がある世界#3
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/07/17 15:24
 食堂が観光客で混んでいた為、隼とヴェイトン中佐はテイクアウト出来る物を買い、中佐の自室で昼食を済ますことになった。

 中佐の部屋は基地の中にあるものと、基地敷地内の都市にある居住区の二つある。
 今回二人が訪れるのは前者だ。
 基地の中のそれは仕事場兼用プライベートルームではあるが、一通りの生活が出来る程設備が充実していた。

 CWAに限らず、管理局実動隊の基地の中で有数の規模を誇るフィアナ基地は、戦術的な価値もある大都市と言われている。

 最終防衛ラインとしてフィアナ基地が都市を守る様に建設されており、軍事施設の大半は残党軍との紛争地域がある方角である南側に集中している。

 中佐の自室はフィアナ基地中枢区、そして中枢医療区画から多少離れたHA戦隊区に設けられ、HA戦隊員である隼の自室も当然そこにある。

 中枢区画からHA戦隊区は通路で繋がっている為、外に出ずとも区画を移動出来る。
 しかし、今回は中佐の気まぐれで通路を通らずにそこへ向かうことになった。
 それなりの時間を室内で過ごしていた隼が中佐の提案に反論することはなかった。

 内と外を分ける自動ドアを通ると、浅い青の空と暖かな陽気と穏やかな風が二人を出迎えた。
 その空はどこか隼の祖国の空に似ていたが、広さではこちらの方が勝っていた。

 大規模とはいえ、フィアナ基地は隣にある都市の一般人が暮らすビル群とは異なる。
 地下区画もあるフィアナ基地は高い建物ばかりで構成されているわけではない。
 隼の故郷の空は都市に行けば簡単に疑似体験出来るだろう。
 しかし、隼にわざわざ体験しにいく気は一切なかった。

 隼は数百メートル先のビル群を一瞥してから中佐についていく。
 隼に自分の体に当たりつつも両脇を通り過ぎていく空気には、医療区画の通路を歩いていた時の冷めたものはなかった。
 この空気の中を歩いているだけで、機械医が原因で隼の中に残っていた不機嫌な感情は徐々に薄れていった。

 風は無風ではなく、強風でもない。
 空に浮かぶ薄い雲は緩やかに流れている。

 絶好の紙飛行機日和だ。
 隼は自室に飾ってある多種多様の紙飛行機のことを思い出していた。
 最近飛ばしていないな。
 埃を払うついでに高台の公園で飛ばすのも悪くない。
 よく飛ぶ様に作ったのにちゃんと飛ばさないのは失礼だ。

 風を感じながら何かを考えている隼を察してか、中佐が話を持ちかけることはない。

 ふと隼が視線を滑走路の方に向けると、地下から四機のHAが昇降機で運ばれて地上に顔を出し始めていた。
 全体のディテールが細く、背中に設けられた翼の両端にティルトローターを備え、さらに体から伸びる金属の尻尾にはエンジン二基が設けられている。
 空戦型HAのHAA(ヒューマノイド・アームズ・エアー)であることはすぐに分かった。銃を持ち、増槽を積んでいることも見て取れた。

 左上腕部にはグレーの二重線が表示されている。
 戦闘機の戦隊も含めたフィアナ戦隊の中でそのマークは、“実戦経験無しの童貞”という意味が込められている。
 その印を認めて、大方練習ついでの偵察辺りだろうと隼は見当をつけた。


「隼」


 中佐が隼を呼ぶ。
 中佐は隼の十数メートル先、HA戦隊区画のドア付近にいた。
 隼は無意識に足を止めてHAAを観察していたと気づき、すぐにHAAに向けていた視線を戻し駆け足で中佐の下に向かう。
 たかだか十数メートル、加えて中佐が立ち止まってくれていたこともあってか、隼はすぐに追いついた。


「HAAに乗りたいか?」隼が追いついたのを確認してから、中佐は自動ドアをくぐる。「あれは飛べるからな」

「あれには如月がいない。それに、俺は戦闘機に乗って空に飛びたいだけで、手足の生えたヘリやら輸送機やら、空を飛べたらなんだって構わないわけではない」

「そう言うと思った」

「戦闘機以外に乗ることが嫌なわけではないけどな。贅沢言うものでもない」


 会話はそれだけで終わる。
 それから二人は中佐の部屋に辿り着くまで無口のままだった。

 何回か殆ど中枢区画と変わらない通路を曲がった所で彼らは立ち止まる。
 目前にはドア。
 中佐は懐からカードキーを取り出して、それをドア横の装置に通した。短い電子音の後、ドアの鍵がオフになる。


「くそ。昼過ぎは観光客で食堂が使えないことを忘れていた。今日は満足な昼食は食べられないのか」


 自室に戻った中佐は、開口一番に溜息混ざりでそう漏らした。
 そして右手で、紙袋に入っているサンドイッチを取り出す。


「ま、仕方ないか。コーヒーでも淹れよう。隼は何にする」

「同じので。昼食が質素な分、夕食を豪勢にすればとんとんだ」


 ポットに水を入れている中佐に返事をし、隼は食堂で買ったフランスパンサンドに齧りついた。
 可もなく不可もない味。
 けれど空腹故に美味しく感じた。
 思えば、これが隼の今日初めての食事であった。


「それにしても観光客か。ああ、そろそろ戦技披露の時期だったな。今思い出した」

「精確には三週間と三日後だ。何分最近は地球の平和活動家が管理局にも口出しし始めてうるさいからな。その影響か局の査察部門が国連委員と平和活動家を連れて視察に来るそうだ。相手に良いイメージを植え付け、軍事費が削られないようにする為上層部の真ん中辺りは連日必至こいているぞ」

「俺には関係ない」

「残念。関係なくはない」


 中佐はコーヒーを渡す。
 隼がそれを疑問顔のまま受け取る。
 部屋にコーヒーの香りが湯気と共に漂い始めた。
 照明の光を浴びた湯気は輝き、すぐ見えなくなるが、コーヒーの匂いは消えない。


「そして、俺にも関係あることだ」

「それが食堂で話すはずだった内容か?」

「厳密にはその一つだ」


 ほれ。中佐は気の抜けた声を発しつつ、医療区画からここに来るまでずっと持っていた書類を隼に渡した。
 隼が書類の表紙を見る。

 そこにはCLC‐03Bと印刷されていた。


「B?」

「B型のBだ。先行的にうちの隊のHAが改修されることになってな。それに変更点が記されている。HMD――ヘルメットマウントディスプレイ、マルチ・タクティカル・アドバイザ、環境リンクシステム、空素感知カメラ、新型空素変換機、新型空術加工セラミック等々。極端に性能が上がったわけではないが、機体バランスを崩すことなく強化される予定だ」

「HAの強化と戦技披露に何の関連性がある」

「HAでコロッセオに出撃だ」

「コロッセオ? 第三戦隊を剣闘士役にして見世物にする気か。ふざけている」

「しかも猛獣役はここのヘリと戦車と爆撃機だ。上はHAの有用性を表しつつ、それでいて既存の兵器の堅実さをアピール出来ることを望んでいる」

「つまりは善戦した後負けろと。本当にふざけている。何故俺達がやらなくてはならない」

「ここには教導隊の様なものがないからな。その埋め合わせに俺らの隊が選ばれたってことだ」

「B型への改修と交換条件で、か」

「元々第三戦隊のHAは改修する予定だったらしい。それで改修時期が調度戦技披露の時期に近かったんで、アテナ少将がついでにここに押し付けてきたってところだ。曰く『これがテストだ』だと」

「上司命令だから断れないとは思うが、抗議ぐらいはしても罰は当たらないだろう」

「少将は幼女だった」


 突然の発言によって部屋に沈黙が訪れる。


「は?」隼はそう口にするのが限界だった。

「何故かは聞けなかったが、その時の少将は幼女の体を使っていた」

「それで懐柔されたと。あんたって幼女趣味だったのか」

「断じて違う。ただ、『この体のまま誰かに、ヴェイトン中佐に乱暴されたと言ったとしたら、どうなるかしら?』と言われただけだ。俺は抗議出来なかった。例えその体でも乱暴されない程に少将が強かったとしても、あの脅迫の仕方は卑怯だ」

「中間管理職は大変だな」

「ああ、大変だ。出世街道から外れた中間管理職程気を病むものはないと錯覚する程にね。最近机に向かっていると時々思う。任務で外に出たいとな」

「前線に復帰すれば良い。俺は御免だが、機人化手術やらなんやらでサイボーグになれば肉体の老化だけなら気にせずに済むし、俺と同じ様に生身のまま老化を遅らせることも出来る」

「無茶言うな。今のところ全身機人化するつもりはない上、今の医学では老化を遅らせるだけしか出来ない。もう俺には手遅れだ」コーヒーに視線を落とすと表面には僅かな波紋が出来ていた。そこに映った歪んだ中佐の顔はずっと老けて見えた。「それに、おそらくは前線に出てもすぐに嫌になるだろう。隣の芝は青いもので、きっと今の気持ちは一時的なものさ」


 中佐はコーヒーを飲む。
 とりあえずこれで一区切りだと、中佐は自嘲気味に笑いカップに口をつける態度で表しているようだった。

 ギュスターヴ・ヴェイトン中佐は隼と同じ戦闘機乗りだった。
 現役の中佐のことを隼は詳しく知らないが、人工知能関係の専門家だった時の中佐は知っており、実際に当時の中佐と面識があった。
 アジュア王国戦闘機テストパイロット、人工知能研究者、HAのシステム回りの専門家、HAテストパイロットを経て、今は第三遊撃実験戦隊実動方面の実質的な司令である。
 中佐は如月が生み出された一年計画の関係者でもあり、隼とは、中佐がWWⅢ中に如月と如月の姉妹機数機と共に日本にやってきた時からの付き合いである。
 現在、隼がここにいるのも中佐とのコネのおかげの節があり、隼はその点で中佐に感謝していた。
 実働方面の責任者ということで第三戦隊の管理には口うるさいが、それ以外は概ね良識人である。
 一言で中佐を説明しようとすると第三戦隊の面々は決まって同じようなことを口にする。
 動ける器用貧乏研究者、または専門学校の教員、雑学おじさん。
 第三戦隊一就職には困らない人というのは皆の総意であった。
 それは中佐の経歴自体が確固たる証拠である。

 会話が終わり、部屋が一時の静寂に包まれた間、一旦二人は食事に集中することで一息つける。

 隼は右手でフランスパンサンドを口に運びつつ、渡された書類に軽く眼を通す。

 そこにはHMDのマニュアルや新しい装甲材の強度等、新しく導入される部分が印刷されていた。
 書類には隼が操縦していたHA、これからは制式番号にAという記号が末尾に書かれるであろうCLC‐03との性能比較も記されている。
 中佐の言う通り目立った変化は見受けられないが、全般的に性能が良くなっていることは見て取れた。
 その中では、装甲の空術加工処理を一新した為、対空術の耐性が高くなっているという報告が目立つところに配置されていた。


「第三戦隊のHA全ての改修が終わるのは早くとも一週間後だ」

「それまで延々とデスクワークをするのか?」

「それなら退屈ながら、まだ幾分か楽だったろう。少なくともおまえや他のHAパイロットはな。これが連絡事項の二つ目だ」

「出来レースの剣闘士以外にやることがあるのか」

「ロリ婆さんから第三戦隊は戦技披露の開会式の舞台演出もしなければならないと“命令”されている」

「俺達は戦士だ。戦士は戦うから戦士だ。戦技披露は百歩譲るとして、それこそ職人を外注で雇えば済む話だろ」

「知っているか隼。元来戦士は建築の仕事等も行う軍のなんでも屋なんだ」中佐は新たにコーヒーを注ぐ。「どうやら外部の人間にHA戦隊の方々は優秀で、しかも多芸であることをアピールするんだと。彼らは税金で出来た兵器に乗る資格が十分にありますよ、って具合にな」

「くそ。あの不老者。上層部からの命令が面倒だからって、厄介事を俺らに押し付けたのか。ギュスじゃない本物の幼女性愛者に襲われてしまえ」

「少将関係でこういう話がある」


 隼の愚痴に反応して、中佐が自分の軍用コンピュータから局のコンピュータ群にアクセスする。
 その後、軍人用に公開されている少将のプロフィールを開き、ディスプレイに出力されたものをプロジェクターで真白な壁紙に投影する。
 そこに表示されている内容は少将の名前、性別、年齢、役職、エトセトラ。備考欄の一部には天然オメリ、主に二十代後半の軍用機人の体を使用、そう書かれていた。
 各項目横には、軍服を着た少将の全身画像が添付されている。
 全身図は四種類あった。
 二十代後半の凛とした顔立ちの女性、三十代後半の艶やかな淑女、三十代辺りの男性、そして最後に十代にも満たないだろう少女の画像。

 最後の画像の姿をした少将を隼は見たことがなかった。
 きっとこれがギュスの言っていた幼女少将のことだと、隼は把握する。

 多くの人を魅了する可愛らしい顔つきは、表情と、直立で見事に台無しになっていた。
 大人になろうと子供が無理に背伸びした感じすら微塵もない。
 その上、体の中身と中身の性格を知っている隼には、その姿は気味が悪い印象しか感じなかった。

 自我が芽生えた空石、通称オメリは、機械化を果たした人間の様に体という容器を好き勝手に変えられる。
 当然そこには個人の好みという感情や相性は存在しているが、彼らはその気があれば子供にも老人にもなれる。
 オメリは人類ではない。
 けれど、造りものとはいえ、人の形をした体を得、人の言語を習得することで、オメリは人との結婚が許される程人社会に順応していた。


「とあるガタイの良い軍人がいつもの体の少将に初めて会った。その時軍人は『あなたの胸は柔らかいのですか』と聞いた。軍人は実際に機械の人間と面を向かって話したのは初めてだったらしい。とても清々しいセクハラだ。これだけで基地外縁三十周ものだが、我々フィアナ基地HA戦隊を統括する彼女は、寛大な御心で彼の暴言を聞き流し、『確かめたいのなら確かめろ。触りたければ触れ。ただし抵抗はするわ』と許可を出した」

「結果は」

「軍人は軍を辞めたよ。その元軍人はその後ここの都市で特殊なバーを経営しているらしい。この話から分かることは、頑張れば少将の銃弾を通さない人口乳房を揉めることと、それは叶うことがない幻想ということだ。それは少将が体を幼女に換えていたとしても変わらない。どうせその体も軍事用だ。ただの変態の襲撃では話にならん。奴は痴漢の手首を片手で折ることが出来るからな」

「そもそも、そんな幼い体に揉める程の胸部はないだろう?」

「おまえが空を追い求めているように、一方で変態はその緩やかなものに価値を見出している。人は時として常人の範疇からはみ出る――コーヒーのおかわりはいるか?」


 中佐はコンピュータの電源を落とし、コーヒーメイカーを持った。
 そこには、まだいくらかのコーヒーが残っている。


「――頂こう。少将への直談判は死を意味すると分かったが、何故俺に舞台演出の話をする。多芸なんて言葉、ここではあんたの為にある様なものだろ。観客の前で、一人趣味の腹踊りでも披露すればいい。一人が寂しいなら少将を巻き込んで二人でさっきの話を再現するとかな」

「間違いなく去勢された後に銃殺刑のコースを辿ることになる。何をやるにしてもおまえを道連れにする。絶対に逃がさんぞ」

「勘弁してくれ」

「駄目だ。第三戦隊管理担当の俺が許さん。さあ、何でも良いから少将ら上層部を満足する、クールでスタイリッシュな第三戦隊らしいアイデアを出すんだ」


 中佐が隼の目を見る。
 隼は視線を逸らした。
 隼の表情は誰がどう見ても無関心を決め込んだ表情にしか見えない。


「篠崎特務少尉」


 そんな隼の態度を見て中佐は、わざとらしく公での呼び方をして隼に立案を催促した。
 隼は内心で溜息をつく。
 上官の命令は絶対である。
 士官学校を卒業した隼はそのことを叩き込まれている。
 抗議は出来ても拒否は出来ない。
 勿論他の戦隊員も同様にそう教育されている。
 そして、ふざける時はふざけて、やる時はやるのが管理局実動隊共通の風紀である。


「あー」隼は視線を部屋の至る所に巡らしてから答えた。「HAに搭乗、皆がレーザーライフルを装備して、それで数十キロ先の林檎を撃ち抜くとか。射撃が趣味のレーマー少尉に話せば率先して指揮してくれるさ。まさにクールアンドスタイリッシュ」


 隼は自分の同僚で、同じ小隊員のテレス・レーマー少尉を話題に出すが、すぐに中佐は首を振った。


「レーザーは目に見えない上にあまり派手じゃない。そんなパフォーマンスは軍事オタクしか興奮せんよ」

「可視光線を照射すればいい」

「見える様にしても光速だ。それに撃ち抜くと言っても、標的が爆発もせずに一瞬で蒸発する様な結果は、一般人は到底認知出来ないからつまらんと感じるだろう。結果、見えたとしてもあまり変わらん。次」

「それなら、HAAが曲芸飛行を行えば良い。戦闘機の曲芸を見たことがあっても、HAAのそういう飛行はないから見応えがあるはず――いや、戦闘機の方が綺麗か。メインとしてやるにはぱっとしなそうだ。ないな」

「ないな。次。ひねり出せ隼」

「ギュスも何か考えろよ」

「今回俺は責任者の立場だ。可能な限り責任は負うが、案自体はお前らが考えろ。本当に何もなかったら俺が考える」


 “いつも責任者”の間違いだろう。
 隼は頭をかく。
 続いて前髪を指二本で挟む。

 ――そろそろ切るか。そういえば、地球にいた時は有希に切ってもらっていたな。

 隼は演出を考えずに髪のことを考え始めていた。


「隼」髪を見ている隼を見て不安に駆られた中佐が隼を呼ぶ。中佐には隼がちゃんと考えている様に見えなかった。「考えているか? 最悪、第三戦隊で仲良くマラソンをするはめになるぞ。当然完全武装でな」

「考えているよギュス」嘘をついた隼は東有希からの手紙を思い出した。「そうだ。フィアナ基地の空術師をかき集めて空術を披露する、ってのはどうだ」

「空術?」

「そう、空術」隼はカップにあるコーヒーを飲み干す。「視察団も観光客も、大半は地球から来るんだろう? なら本格的な空術は見たことないと思う。機械の星から見たらここは一応幻想の星で異世界だ。幻想の異世界で魔法を使えばうけるさ。ここまで言ったが、開会式の演出には俺達以外も出られるのか?」

「ああ、そこはフィアナ基地の軍人の団結力を表現しましたとでも言い訳すれば大丈夫さ。この際第三戦隊らしさは無視するとしよう。それにしても空術か……身近すぎて盲点だったな。それでおまえ達は何をする?」


 中佐の発言を良い風に受け取ると、空術は少なくともここの西方軍には浸透していると言える。
 しかし隼はそんな空術の立場を不憫に思った。
 空術が浸透しているわけではなく、忘れられている様に感じられたからだ。


「確か」考えることをやめて中佐の質問に答える。「倉庫に埋まったHA用空術兵器があるだろ。それを転用して、しぶしぶ目立たない所から空術花火でも打ち上げているよ。倉庫の掃除も出来る。今まで使わなかったものだ、これからも使わないだろう。あれの処理に困っていた上層部も快諾するさ」

「大丈夫そうだな。よし、とりあえずそれを少将に進言してみるか。おまえも手伝え」

「何故そうなる。改修されるのなら如月は工廠に移されるだろうし、今のところレポートを提出する予定もない。勿論渡された書類の内容は確認するが、それ抜きで考えると実質非番だろ。休日。つまり休む日だ」

「何をやるにしてもおまえを道連れにすると言ったろ。それに、休日返上して観光客の為に尽くす。なんて素晴しい自己犠牲の精神だとは思わないか」

「自発的にやる分にはな」

「自発的にやらないから命令している」

 きりがない。隼は心の中で白旗を振った。しかし、無条件降伏をする気はなかった。

「分かったよ。ただし今のところ条件が一つ」

「内容による」

「俺だけでなく、第三戦隊のみんな道連れだ」


 そこは譲れないぞ。
 そう言い終えた隼の提案に対して中佐は即答した。
 中佐の応答を聞き、隼は一時の満足感に浸った。



[27532] 幻想がある世界#4
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/07/02 22:31
 昔空術は魔術と呼ばれていた。

 空術の故郷であるシエル星では“魔”とは、危険性を内包しながらも皆を魅了するものという意味が一般的であり、地球では神話や空想物の書籍に書かれている魔法に似たものだった為だ。

 一人で火を点し、風を起こし、雷を呼び、海を割り、空を飛ぶ。

 幻想の中だけの現象だったものが、現実にいる自分の目の前で起きている。
 当然、地球に住んでいる人の殆どは、空術師が唱える空術に良くも悪くも熱狂した。
 地球とシエル星が繋がった二十世紀前半の地球の人々は、第二次世界大戦の悲劇から逃避、または立ち直る為に空術に夢を抱いたのかもしれない。
 多くの人を魅了する空術の華麗さ、綺麗さはそれ程のものだった。

 事実上シエル星を統括していた国際魔術師連合は、地球の宗教観に配慮し、元々はシエル星にしかなかった特別な粒子を用いた術をシエル・クラフト、つまり空術という名称に固定した。
 そして空術を用いる専門家をアーティスト(空術師)と呼称する様になった。

 世に空術という現実にある魔法は僅かな時間で人々の間に伝播した。

 しかし、後の歴史家は総じてこう記している。

「空術の転落はここから始まった」と。

 空術はシエル特有の空素と、空術師という個人、そして幻想という意識に依存している技術だった。
 地球との出会いはその全てを失う原因となった。
 空術が一握りの人間にしか使えない事実を知ると、地球の人は万人が扱える機械の発展に力を入れ始める。
 シエル星の非空術師もその方針に賛同した。
 極一部ではあるが、空術師一人だけで核兵器の数倍のエネルギーを持つ空術を扱える事実が、その恐怖が機械化運動に拍車をかけ、機械技術は飛躍的に発展した。

 発展した機械は空術の何倍もある汎用性の高さによって、地球、シエル星関係なく多くの場面で使用される様になる。
 幻想は機械に負け、人は機械に傾倒し、空素を多く操れる人材も相対的に減っていく。
 二〇三八年から見た華々しい過去の空術は今や本当の幻想でしかない。
 そしてシエル星自体も地球から見ると、過去とは違う意味の幻想の星でしかなかった。

 篠崎隼特務少尉が提案した演出にヴェイトン中佐を通じてアテナ少将の耳に入る。
 次に少将からその案を伝えられた上層部は、その案は意外性がある等と概ね肯定的な態度を示した。
 その態度は彼らも中佐の様に、元々あった空術の特異性・神秘性を忘れていた節があったという証明ともなった。
 隼原案のそれは、戦技披露会の日が近いこともあってか、隼と中佐の会話から二日という速さで採択され、開会式の準備は実行に移されることになった。
 上層部の各部門は各々の部下に指令を送り、約三週間に迫っている戦技披露会に間に合わせるように無理難題を押し付ける。
 当然、フィアナ基地に拠点を置いている第三遊撃実験戦隊も他の部門の例に漏れず、隼達の下にも仕事が次々と舞い込んでいた。
 進行の順番、会場の環境の設定、当日行う戦術の議論等の前もって予定されていた仕事の他、空術部門の兵士との親睦会のセッティング等、第三戦隊員が納得し難い仕事も押し付けられていた。
 機体の改修の為に第三戦隊のパイロット全員が実質非番であったことが、一時的に体の良い雑用係を生み出すことになっていた。

 まさしく何でも屋だ。隼は思った。

 第三遊撃実験戦隊は迷惑な何でも屋として西方軍で名が知られている。
 所有しているHAは、A小隊が空素の特殊な結晶体である空石を動力源にしたHAC(ヒューマノイド・アームズ・シエル)型三機、B小隊が空戦型のHAA型四機、C小隊が通常のHAであるHAG(ヒューマノイド・アームズ・グラウンド)型三機と、HAG型との協働を想定して開発された随伴小型HAのHAS(ヒューマノイド・アームズ・スーツ)型六機、それら合わせて計九機である。

 第三戦隊全体のHAの数は総計十六機。
 他のHA戦隊と比べて数は同じであるが、第三戦隊は性能面で他戦隊より優遇され、優先的に最新機が配備されている。
 各戦地を転々とし、実戦でHAのテストを行う危険度の高い任務内容故の処置ではある。
 だが実際、他の兵士の目にはそう映ることは少なく、大抵新しい玩具で好き勝手暴れる子どもや、他人のおこぼれを食い散らかすハイエナとしか認識されていない。
 第三戦隊のHAパイロットは、その評価に対して何も興味を抱いていないことも、他部隊との仲が一向に良くならない要因だというのは中佐の弁である。

 命令という強制の下でしぶしぶ雑用をこなす隼。
 一方で隼とは違って中佐は、今回の開会式への参加について決定当初は隼の様に嫌がっていたが、いざある程度の方向性が定まると一転、第三戦隊の誰よりも――そもそも第三戦隊員の熱意の平均値が低いが――熱心に雑務等を行っている。
 そんな中佐の一時的な補佐に選ばれた戦隊員は正直ついていけなかった。
 補佐役の一人である隼も例外ではなかった。
 それでも隊員は無知とは無関係のエリートで構成されている為補佐役の隊員は、彼らの本心は分からないものの言われたことはそつなく済ませていた。
 エリートながらどこか問題がある彼らの聞き分けの良さに、指令を出す立場の中佐は大変満足し、ご機嫌だった。そのことで中佐の作業の進行速度に拍車を掛けることになり、隊員はさらに忙しくなっていった。

 現在、フィアナ基地戦術混成軍団・第三HA遊撃実験戦隊は、もっとも豪華でもっとも無駄な雑用係と言える。
 HAパイロットの階級は総じて少尉以上で、彼らをサポートする隊員も最新の知識と技術を持つ専門家ばかりだった為、平均給料は身分相応に高額だった。
 そんな場違いな急造雑用隊の上層部からの評価は総じて高い。
 その理由は一つに集中していた。
 上層部に近い少将曰く「第三戦隊の無償の活動を上は高く評価している」とのこと。
 少将を通して聞いた評価に、中佐ら第三戦隊の兵士は「まあ、そんなものだろう」と受け流して作業を再開する。
 大半の隊員は「風呂場で転んで殉職しろ」等と思っているが、上司の前で口に出す者はいなかった。
 万が一上層部の人の耳に届いてしまったら上司侮辱罪に問われ、少将の前で言えば壁の染みになってしまうだろう。

 ――きっと、風呂場で転倒死したとしても外には名誉の戦死として公表されるだろう。
 少なくとも隼は思っていた。
 当然隼がそれを口に出すことはない。
 それが軍隊での仲間意識というものだからだ。

 俺が死んだら誰に補助金が支払われるのか。確か書類には東有希と書いた。

 隼は思い出す。
 管理局には戦死手当というものがあり、身内が死んだことで親族が被るだろう人的被害は金で解決していた。
 二階級特進という名誉の上に金が貰える。
 親不孝者の最後の親孝行である。管理局の中にはその金の為に入局してくる者もいた。

 単調な作業が続く中で思考はどこか彼方に飛んで行ってしまう。
 隼は金や如月のことを考えつつ強制ボランティアに従事していた。

 ただ、いくら第三戦隊の面々がボランティア活動をしても準備に費やす日数は足らない。
 その事実が変わることはなかった。
 それは明確なことではあったが、全体として見た開会式の準備自体は概ね順調だった。

 上層部の打診を受けたフィアナ基地の空術部門は、結果として滅多にない活躍の場を与えられたことになった。
 それが隼の、嫌われ第三戦隊の一隊員の案が原案だということは空術部門では誰も知らない。
 中佐や少将ら第三戦隊関係者のみだけだ。

 空術部門の上層部は、表舞台に出る部隊としてフィアナ基地第二空術大隊を選出する。
 空術大隊は普通の陸軍の大隊とは構成が異なり、戦車や多脚戦車等の兵器類が少ない代わりに空術兵器が多い。
 空術を科学の一端として考えた空科学、空工学の知識を組み込んだ空術兵器は個人の力に左右され易いものの、機械化が進んだ現代でも十分に通用する兵器である。ただ、空術の存在が機械技術そのものの発展を促進したのは周知の事実だが、それがすなわち空術の台頭に繋がることはなかった。

 指令を受けた第二空術大隊は三週間未満という短い期間の中、開会式当日の各部隊の配置や演技の選択、各々の役割を決めていく。
 第三戦隊員は中佐と第二空術大隊の橋としても機能し、隼もHA戦隊区と空術区を行き来しなければならなかった。
 戦隊員や通信機器を介して第三HA遊撃実験戦隊と第二空術大隊は互いの役割を確認していく。

 基地から少し離れた所にある、直径数十キロは優に超える空技術結界式円形演習場、通称コロッセオで戦技披露が行われることは上層部、そしてフィアナ基地の統括コンピュータ群であるダグダで決定済みであった。
 空術で空間をずらす結界と銘打たれた術を機械で再現したそこは、HAの機動演習等に利用しており第三戦隊にも馴染みが深い場所である。

 第三戦隊と第二空術大隊はコロッセオで行われる演出の段取りを話し合う。
 HAと空術師はどこに配置するか、それとも演出の内容や時間によって移動させるか、HAが装備する儀式用空術兵器は何にするか、空術師が使う空術の種類はどうするか、視察団や観客をどこに誘導させるか等々を短い間に順々と決めていく。
 時に広報部や技術部の力を借りつつ、中佐率いるプロジェクトチームは大きな障害と出会うことなく、開会式、そして戦技披露会の準備を日々整えていた。

 そんな時間に追われている中、隼と中佐が少将の執務室に呼ばれたのは戦技披露まで一週間半を切った頃だった。
 すでに第三戦隊のHAは、空石炉搭載型のCLC(管理局開発機はHAの代わりにCLを制式番号に組み込むことが慣例となっている)三機を除いて改修が済み、B小隊とC小隊はコロッセオで演習を始めている。
 その為、この時期になると中佐の補佐役は第三戦隊では隼だけになっていた。

 二人は少将に呼ばれたことを不思議に思いながら、時にそのことを話しつつ少将の執務室へと足を動かす。
 少将の執務室は彼らと同じ区画にある為、時間をかけることなく目的地に辿りつけた。
 中佐はドア横に設けられたコンソールを操作し、中にいると思われる少将に入室の許可を申請する。
 自分のIDカードを読み込ませ、少将に自分は誰かを証明することも忘れずに行う。
 間髪入れずに返信。
 返信内容は肯定。
 許可を確認した隼と中佐はコンソールにあるOPENと表示されたボタンを押してドアを開ける。
 執務室に入る前に失礼しますという旨を伝える。
 入室。
 隼から見て、いつも通りの冷めた部屋だった。
 将官らしい豪勢な調度品等を置かれているが、少将にとって対外用でしかないのだろう。
 それらには、”とりあえず置いています”といった雰囲気があった。

 少将がいるデスクに向かい、二人は少将と机を挟んで向かい合う位置まで歩く。
 敬礼。
 返礼。
 少将が構えを解く様に言うと敬礼をやめた。
 そして少将は来客用のソファに彼らを座らせ、自らもソファに座り直し、彼らと目線の高さを合わせた。

 隼と中佐の前には、軍服を纏った鋭い眼をした女性が座っている。
 セレン・アテナ少将。
 隼や中佐が属する第三戦隊を含むフィアナ基地HA戦隊を総括する司令。

 巨人戦隊の長だ。

 整った顔立ち。
 グロスを薄く引いた唇には艶があり、軍服の上からでも一部分が豊満な体は確認出来た。
 隼が一番見慣れた妙齢の女性の姿。
 外見は人そのものだが、中はまるで違う。
 意思を有した空石、即ちオメリが脳と心臓等の役目を兼任している。
 体の大部分は機械で出来ている。
 つまりサイボーグ、機人である。


「準備の程度はどうだ中佐」

「はっ。順調に行われております。当日には間に合うでしょう」

「間に合わないはない。間に合わせるんだ。それで、第三戦隊と第二空術大隊との折り合いは上手くいっているのか」

「はい。万事抜かりなく順調に、です」

「ありえないわね。本当のことを言いなさい」

「いえ、本当のことです。準備関係でミスはありません」

「“ミス”はない、か。まあ、傍目から見て上手く出来ていれば、私を含めた上層部が非難することはないわ。例え部隊間の仲が悪いとしてもね」


 少将の発言に中佐は無言を貫いた。
 無言の肯定。
 目で伝えている様にも見えた。

 少将が次々と準備の進行具合等を尋ね、中佐がその質問に答え、再び少将が質問を投げかける。
 そういう問答を繰り返す二人のやり取りを、隼は中佐の傍らで見聞きしていた。
 少将や中佐から話を振られるまでは会話に割り込むことはしなかった。

 隼は口を挟む代わりに思考を巡らす。
 何故自分が呼ばれたのか、と。
 戦技披露のことで知りたいことがあるのならば、一応の補佐役である自分でなくともプロジェクトの責任者である中佐だけでも十分足りるはずだ。

 隼が思案している間も二人の会話は続く。
 中佐からの返答を聞き、事が順調であることを直接知った少将はどこか上機嫌のように思えた。
 表情には出ていないが、どこか柔和な雰囲気を纏っている。
 ただ、元々冷静沈着な彼女である為、柔和とはいえ近寄りがたい雰囲気は払拭しきれていなかった。


「ふうん。どうやら概ね大丈夫そうね」

「はい。第三遊撃実験戦隊は皆、自分のこと以外は面倒臭がりですが、それ以外の何もかもが出来ないわけではありません」

「篠崎特務少尉もか」


 少将の視線が隼に向けられる。
 素早く手抜きをしていた姿勢を正した。
 隼の動作に少将は一旦目を細めたが、すぐに戻した。


「篠崎特務少尉も、です。彼も士官学校を卒業した戦士ですから、戦闘技能は勿論、基本的な技能も十分なレベルにあります。それは少将もご存じでしょう」

「私の部下になって二年が経っているのよ、無論知っているわ。ただ、実際にこういう場面に遭遇したら役に立つのかは分からなかったけれど。だからあえて聞いてみたの――特務少尉」

「はっ」

「私が中佐と話していた最中、何か思案顔だったわね。何故かしら」

「自分をここに呼んだ理由を教えてください」

「そのことね。先の戦闘のことで聞きたいことがあったので、中佐から話を聞くついでに呼んだ。それが理由」


 先の戦闘。
 中佐の口から洩れた言葉が聴覚を微かに刺激する中、隼は少将が言った戦闘のことを思い起こす。
 ヘリで帰還中に起きた遭遇戦のことだ。
 結果的に見ると勝利を収めたが、あの戦力で如月の左腕を破壊された事実は失態として隼に刻まれていた。


「報告書に書いて渡したはず」

「そう。ただし、当人の口からもそのことについて聞きたいのよ」

「ご自由にどうぞ」

「ええ。自由にするわ」少将は隼の無粋な反応にさして気にすることはない。「如月の映像記録にも残っていて確認出来るけれど、特務少尉が交戦した兵器は一機を除いて味方の兵器だった。これは正しい?」

「そうです。しかし、兵器には管理局のマークがなく、部隊ナンバもありませんでした。IFFも応答なし。その上如月自体が奴らを敵と認めた。自分も同意見です。あれは敵だ、と。そう判断したから殺した。軍法会議物ですか」

「少なくとも裁かれることはないわ。あなたとヘリパイロットの証言を下に、戦闘が起きた場所に調査隊が派遣されたけれど」一旦言葉を切る。

「けれど?」中佐が少将の言葉を反復する。

「国連のマーク、管理局のマーク、西方軍のマーク、部隊ナンバ、兵器のシリアルコード以前に、残骸自体発見出来なかったと報告が入っているのよ」

「馬鹿な。それでは自分やあのヘリパイロットが幻覚を見ていたと? 破壊するのに自動小銃と粒子剣しか使っていない。残骸はあるはずだ」

「そうね。如月の戦闘記録にもそう記されているし、映像記録に外部から手を加えられた痕跡もない。加えて空術によって幻覚を見ていた証拠もない。私と同じオメリだけれど機械でもある如月に敵の姿が捉えられているのが、そこに敵がいた何よりの証拠にもなる」

「如月すらも騙されたという可能性は?」と中佐。

「ないわね。何よりも如月の左腕が破壊されていた。傷痕は特務少尉の報告書通り、成型炸薬弾の類によって負ったもの。その時の如月は成形炸薬弾を撃てる火器を持っていなかった為自傷もあり得ない。その上、ヘリのパイロンも破壊されている。それらの事実が存在する以上、幻覚症状を発症しているという線は限りなくないわ。残骸が、悪い言い方をすれば味方殺しとも捉えられる証拠自体が存在しない。軍法会議がされたとしても証拠不十分ね」

「それならば、自分が戦った相手は幽霊の類だと?」

「兵器の幽霊か。オメリの私からしたら特に興味深い説ね。けれど、幽霊がこうも物理的に干渉出来るかしら。いくら幻想の星でも、それはフィクションの域から逸しない話だわ」

「上はどういう判断を?」

「上層部は“戦闘終了し篠崎特務少尉らが去った後、自動爆破装置か何か作動して自爆した”、そんな不明瞭な記録を残させてこの事件を終わらせたわ。今のところ調査隊が何も発見出来なかったのだから、彼らの判断は妥当よ。ただ、ダグダの判断は違うようだけれど。我々がいるフィアナ基地の統括コンピュータであり、オメリでもあるダグダは“調査を継続させよ”と上層部に言ってきたわ。だから、不可解な事件が終わった今も小規模ながら調査隊は派遣されているのよ」

「ダグダは何故そんなことを言ったのですか?」

「不明よ。ダグダ本人がそう言っている。“現状では不明”と」

「ふむ。機械が何を考えているか分かりませんね」

「あら」中佐の言葉に少将は声を零す。「ダグダが機械だとすると私も機械よ。それに人間も、本当は何を考えているのか私には分からないわ。自分以外の存在は自分からしたら全てがとても不明瞭な存在。それを感じられていることは生きているものの特権よ」


 俺は如月のことを知っている。

 彼女は空を飛びたい。俺と共に。

 如月はあのHAの中で確かに生きている。

 隼は机に薄らぼんやり映る自分の顔を見る。
 すると、陸軍を模倣した空軍の旭日旗が貼られたヘルメットを被った自分を幻視出来た気がした。

 三人の会話は引き続き行われ、途中で隼が入れた三人分のコーヒーがなくなるまでそれは続いた。

 外。
 空は快晴。
 リハーサルを行う空術師の遥か上空、戦闘機の飛行音がシエルの空気を震わせている。



[27532] 幻想がある世界#5
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/06/05 18:02
 戦技披露当日を四日後に控え、隼は他と比べて数日遅く改修が終わった如月に搭乗していた。
 そして現在、第三遊撃実験戦隊用の格納庫からコロッセオにヘリで機体ごと移動し、開会式のリハーサルを行っていた。
 時刻は夕時。
 イグニスという名の太陽と大気を漂う空素によって地表は赤紫色に染まっている。

 普段は更地であるコロッセオは、設定を入力して起動させることで現実に疑似空間を再現出来る。
 空術を用いた一種の拡張現実だ。
 現在は草原や奇怪なオブジェ等を具現化し、演習用ではなく神秘性や見た目を重視した風景となっていた。
 空も例外なく疑似的なものにされていた。
 ヴェイトン中佐が幾つかのファンタジー小説を参考にしたらしいその風景は、大抵の人が想像するファンタジーの世界だった。

 シエルに出来た幻想空間に佇むHAは当初、そこの雰囲気に全く合致していなかった。
 外見も内部も機械であるHAには幻想の世界は不釣り合いとしか言いようがない。
 しかし、ヴェイトン中佐はその問題を、空術師の儀式衣装を参考にすることで解決した。

 青々と茂っている草の絨毯に立つ如月ら、B小隊を除いた十二機全てには全身を覆うステルスコートが装着されていた。
 攻撃に対しての耐久性は皆無だが、赤外線、電波、空素レーダー全てを無効化し、有機EL等を応用した技術で構成された布状のスクリーンに任意の景色を出力出来る迷彩装置である。
 ステルス性を維持するのに激しい動きが出来ない、一部分でもカメラを晒さないと自分もコートの外を感知出来ないといった欠点があるが、優秀な物であることには変わりない。

 リハーサル中の十二機はステルスコートを本来のステルスの為という使い方で使用していない。
 現在第三戦隊のHAは、中佐から渡された投影パターンをシステムに入力しコートに表示させている。
 今のコートの絵柄は第二空術大隊が纏う儀式服に酷似していた。
 白と青を基調とした空を連想させる服。
 儀式用空術兵器を構えた姿は巨人の空術師を彷彿とさせた。
 まるで神話に登場する巨人神の様だ。

 様々な色の花火が上がる。
 金色に輝く花火があると思うと七色の花火が上がっている。
 幻想的な光景。
 空術による疑似花火は本物の様な火薬で打ち上げる際の爆発音はしない上、打ち上げられたそれらが花開く際の音も独特だった。
 HAパイロットの中に口笛を吹く者や軽く拍手をする者が現れ始める程、紫の空を彩る数多の花は幻想的で神秘的で非現実的だった。

 コロッセオの拡張空間と花火が混じり合った風景はシエルよりも幾分も異世界らしい。

 やはり作り物の方が現実にあるシエルよりも幾分幻想っぽさがある。
 HMD付きのヘルメットを通してリハーサルを見ていた隼はそう感じた。
 遮光等の処理がされたHMD用バイザーは外から見ると黒く、大きなサングラスを着けている様にも見える。戦闘機パイロットのヘルメットに酷似している。

 花火の演出を見る分には特に不快感はなかった隼は時刻を確認し、そろそろ自分の出番であることを把握する。
 隼はマニュアル操作で左右のスティックを操作。
 セーフティを外したミサイルランチャの様な空術兵器の銃口が空に向く。
 両手に同じ兵器を持っている。
 その両方が空へ向いていた。
 次に、ウエポンモニタのカーソルが空術兵器に合わさっているか確かめる。

 R RDY CFM、L RDY CFM。

 左手も武装している為、RDYの前に左右を表すLRが表示されていた。

 CFM、シエルクラフト・ファイアワークス・ミサイルランチャ。
 隼の国の言葉で直訳すると空術式花火ミサイル発射機といったところ。
 なんて奇怪な名前だ。
 分かり易い様で伝わりにくい馬鹿げた名前だという認識は隼だけでなく第三戦隊の総意である。

 新たに花火が咲く。
 しかし、先程のものと比べてどこか無機質に感じられるものだった。


「こちら指揮車、ヴェイトンだ。第三戦隊、ABC小隊、技術部には感謝しろよ」中佐のからの通信がHAパイロット全員に届く。「彼らのおかげで俺達の仕事が楽になっているんだからな。それと俺の交渉術のおかげでもある」


 応答、相槌、含み笑い。
 中佐の言葉に第三戦隊の戦士が各々反応を示す。
 中佐は技術部と協力して、演出の一部をコロッセオの装置が肩代わり出来るように設定していた。
 さながら空術を用いた立体映像である。


「こちらA‐1、シュトルム。中佐、こちらから見るとアレはいささか本物より劣っている様に思えるぞ。俺らはすでにカラクリを知っているから違和感にも気づけているが、観客の中でも感の良い奴なら気づきそうだ。なあ篠崎、レーマー」

「ああ」

「そうですね」


 A小隊長のゲルト・シュトルム大尉の同意を求める問いかけに、隊員の隼とテレス・レーマー少尉が答える。


「大丈夫さ」中佐には自信があった。「地球からの人もシエルの人も、まともに空術を見たことはない。聞いたことがあるだけの事柄の様に、彼らの中で空術は書物やネットにあるデータの中の存在でしかない。本物を始めて見るという衝撃は、人を好奇心一色へと染め上げる」


 大丈夫だ。
 念を押す様に中佐は言い切る。
 その声色には若干喜色を含んでいることにHAパイロットは感じた。
 喜色というよりかは嘲笑かもしれない。
 中佐はコンピュータでは再現しきれない人間の単純さを理解し、それに対しての嘲り笑いだろう。
 隼はそう思った。


「演出のたねを知らされていなくとも、実戦で空術と遭遇し、感覚が鋭敏になっているお前らは気づくだろうよ――っと、そろそろ時間だな。A小隊C小隊は事前にインストールした修正データを基準に照準を合わせろ」


 隼はブリーフィングで渡された修正データを参考にしつつ銃口の向きを微調整する。
 調整し終わると中佐にその旨を伝えた。


「B小隊、ブリュースター、チャン、ビレン、ルブロン、そちらの位置は万全か」

「こちらB‐1、ブリュースター。全機ホバリングで所定の位置に待機中だ、中佐」

「武装は」

「万全だ。いつでもCFMを発射出来る」


 隼は後部カメラから窺えるB小隊を見た。
 地上にいるHAとは違い弾薬の補給が容易に行えないHAAは、隼達の機体と比べて幾分も重武装だ。
 重そうに空に浮いており、いささか不格好だった。

 HMDの端に数字が表示される。
 数字はカウントダウンしている。隼は視線を戻す。

 HMDには頭部の向き、レティクル、使用武器、使用武器の弾数、高度計等が表示されている。
 弾数近くに表示された数字が徐々にゼロに迫っている。


「よし……発射」


 中佐の声が発せられた時間と数字がゼロになった時間はほぼ同時。
 隼が右スティックのトリガーを引いた時間もそれに重なった。

 コックピットから入力された電気信号が中枢コンピュータ等を通じた後右腕、右手に伝わり、武器へ直接電気信号で命令を下す。
 武器に備え付けられた引き金は予備でしかない。

 各々のHAが持つ直方体の箱から一発のミサイルが発射される。
 HAAは二発ずつ発射した。

 まだ地上から発射されたミサイルのブースタは作動していない。
 重力に引かれて落ちる。
 安定翼展開。
 地面に着く前にブースタが着火する。
 噴出音に噴出炎。
 途端、発射体を離れてミサイルは尾を引きながら飛翔した。

 尾の白色は紫の空に映える。
 地上から十二本、空から八本の線が疑似空間を彩った。
 遠くから見ても確認出来る線である。
 実際そういう調整がされていた。

 前もって速度等から算出された時限設定を施されたミサイルは、決められた位置で自動的に爆発する。
 それは誘導性能を殆ど持たない安物に備え受けられた唯一の機能ともいえた。

 空に二十輪の花が咲く。

 機械に乗った戦士が咲かせた花。
 華やかで有機的でいて無機質的。
 一輪一輪個々の色を宿して鮮やかに咲き誇る。
 そして光を放つ花弁が重力引かれて墜ちていく。
 その光景は隼に彼岸に咲く花を連想させた。
 彼岸花、リコリス、曼珠沙華。それが逆さに咲いている様だった。


「第二波用意」

「ラージャ(了解)。第二波用意」


 中佐と各々の小隊長のやり取りを聞き、隼達は発射の用意をスムースに行う。
 HMD上に表示されている数字はリセットされ、再度カウントダウンが始まっていた。


「各員、第二波発射後すぐに第三波で残りの二発を発射。その後、左手の物を使う前に右ロケットランチャを廃棄し新しい物に持ち替えるんだ」

「ラージャ」

「よし。カウント、5、4、3、2、1、発射」

「発射」


 第二波。

 ミサイル内の可燃性液体空素が燃える。
 光の軌跡。
 火の粉の代わりに空素が空に煌きながら舞う。
 空素の茎は空に伸び続け、そして空に幾多の花が咲いた。



   ***



 隼は見上げた。
 淡い黄色、レモンシフォンの空が見える。
 上には空がある。
 地上にいる分では当たり前なことだ。

 周りに悟られない様、一息つく様に溜息を吐いた。
 隼の気持ちは下降の一途を辿っていた。

 隼は基地内の一区画にある、ただ舗装された平坦な地面が続く場所に立っていた。
 そこは即席の展示場に成り変っていた。

 フィアナ基地で行われる催し事は戦技披露会だけが全てではない。
 フィアナ基地の設備や戦力、基地と隣接する都市、通称フィアナ街等といったものを、機密に抵触しない程度に観光客に公開しなければならなかった。

 戦技披露会前日、隼ら第三HA遊撃実験戦隊の仕事は展示された自分の搭乗機の説明をすることだった。
 兵器の展示はどの世界、地球とシエルの違いを超越して人気なのだろう。
 展示スペースには多くの観光客が彼らのHAは勿論、多脚型を含めた戦車や戦闘機を見る為に赴いていた。

 隼は再び見上げる。
 空は薄い雲のベールによって快晴の様な爽快感はない。
 この天気が隼の憂鬱さに拍車を掛けていた。
 晴れていたら、レモンシフォンの空は今よりもずっと爽やかだろう。

管理局本部から見て西方にあるルラン大陸の、中欧に似た気候地帯にあるフィアナ基地の春は陽気を除けば基本的には涼しい。
 風を、地を温める陽光がベールによって遮られている今日、本来ならば隼が佇む展示スペースも涼しいはずである。
 しかし、展示スペースは観光客が多くいる為に活気に包まれ、隼には実際の温度以上に暑苦しく思えた。

隼は昔、日本にいた頃によく乗っていた満員電車を思い出す。
 それ程暑い上に息苦しくはなかったが、今日のここにいると感じられる感覚はそれを彷彿とさせる雰囲気だった。

 暑苦しいとはいえ、隼の周囲には人が集まっていなかった。
 彼と彼の愛機である如月の前を通り、写真に収める観光客は勿論いたが、愛想が悪そうで機嫌も悪そうな表情をし、冷めた雰囲気を外に漏らし続けている兵士に近づき、立ち止まる物好きはそうそういなかった。

 人口オメリを積んでいるという情報が上手く外されて公表している如月は、一般人からすると他のHACやHAGと同じものと捉えられている。
 その上如月の外見は兄弟機との互換性を優先したことで如月だけの外見上の特徴はない為、形での区別も難しかった。
 そんな事情もあって、同じ外見のHAに疑問を抱いたのならば、隼より愛想が良さそうなパイロットに質問等を尋ねる人が増えるのは至極当然のことだった。

 事実、隼の同僚であるシュトルム大尉やレーマー少尉は隼と違い忙しそうに観光客の対応をしていた。
 時々彼らから恨めしそうな視線を感じるのは気のせいだと隼は思っていないが、特に何か彼らに対し反応を起こす気もなかった。

 明日の戦技披露会で稼働するというキャッチコピーを銘打たれた第三HA遊撃実験戦隊の兵器群が展示された場所の盛況振りが衰えることはない。
 隼は東有希から地球でHAが運用されるという情報を得ているので、その事情もこの人の多さを持続させている要因の一つであると繋げることは容易に出来た。

 はあ。と隼は溜息をつく。
 どの様な事情があるとしても、隼はこんな自分や如月を見世物にしている状況が早く終わってほしいと切に願っていた。

 多くの視線が隼らに向けられ続けている。
 今のフィアナ基地の状況を肌身で感じていると、シエル星はまるで地球が所有する観察箱みたいだと隼は思えた。


「フラスコの中の世界という言葉があったな」隼が口の中で言葉を転がす。


 悪い意味でクレイジーかつユニークな発想だ。
 ギュスに聞かれたら神に祈られて病院に担ぎ込まれるかもしれないな。
 隼は心中で自分の妄想にそう感想を述べた。


「はろー」


 ストレスが溜まっているから変な妄想をしてしまう。
 隼は自分がこの催し事に対して怒りが増していることが自覚出来た。
 その怒りの矛先は半ば八つ当たり気味ではあったものの、全くの無関係ではない為見当外れでもなかった。


「えっと、にーはお?」


 隼は部下がこうして汗をかきながらボランティアに従事している中、自室で寛いでいるだろうアテナ少将やヴェイトン中佐の姿を思い浮かべようとしたがやめる。
 空しいだけで、わざわざストレスが増加しそうなことをするのは良くないという考えに至った為だ。


「こんにちは?」


 ここでは滅多に聞かない母国語が聞こえた隼は視線を虚空から声がした方へ動かす。
 声の主はすぐに見つかった。
 隼はすぐ傍に少女が立っていることに気がついた。
 今まで全く気づかなかったことに、隼はそこまで考え事に集中していたのかと少し驚く。


「……」自分に声をかけてきた少女の顔を見る隼。ふと一つの可能性を思いつく「もしや少将か?」

「しょうしょう?」

「英語でメジャー・ジェネラルだ。まあ、他の呼び方もあるがな」隼は少女に合わせて日本語で話す。

「違うよ。なんで?」


 いや、気にしなくてもいい。
 隼はそう言いしゃがみこんで少女の目線の高さに合わせる。
 黒髪黒目。アジア系だ。
 どことなく見覚えがある顔立ちで日本人っぽい。
 日本にいけばすぐに似た様な子供がいるだろう。
 隼の見解はそこで終わる。


「俺に何か質問でも。それとも迷子か?」隼は比較的近くにいた局員を指差す。「迷子ならあそこの女性に言えばいい。きっと俺より早く親の下へ案内してくれるだろう。多分、きっと、おそらく」

「あれって」少女は隼の上を指差す。

「無視か」


 少女に聞こえない様に呟いた隼は少女の指先が向いている方向を確認する。
 一見空に向けられていると思えたが確認してみると違うことが分かる。

 如月だ。

 少女の人差し指は隼の後ろで佇む如月に向けられていた。


「あのロボットってあなたの?」

「間違ってはいない」

「お名前は?」

「ルーグ。または如月」

「きさらぎ?」

「二月の異名。二月の違う呼び方という風に思っていい」

「へー」

「ふむ」


 隼はこれくらいの歳の子供と会話するのは随分と久し振りなはずだが、不思議と大人と会話しているのと感じが変わらず、特別違和感がなかった。


「聞きたいことはそれだけか」

「あれには今誰か乗っているの?」

「乗っていない」

「本当? なんか、他のロボットとは違う気が……なんて言えばいいのかな。よく分からないけどそう思う」

「他のロボットと? ――ああ、如月のことだろう。珍しい」

「如月? このロボットのことじゃないよ」

「これには如月という、まあ、あれにいつも乗っている人と思ってくれてもいい。ロボットの名前は元々その彼女の名前だ」

「彼女? いつも乗っている? よく分からないけど分かる気がする」

「感受性が豊かな人には彼女が分かるらしい。あんたには空術師の才能があるようだ」

「才能? 何事にも才能はないって聞いたよ」

「誰が言っていた」

「分からない」

「ふむ。分からないことだらけだな」

「でも、確かに誰かが言っていたの。才能は人間の妄想だって」

「中々思い切った意見だな。ただ、あんたの様な子供に言う内容ではないな」

「パイロットさんはどう思う?」

「分からないことでもない。一理ある」

「ふうん」


 少女はそこで会話を打ち切り、数歩下がって如月を見上げる。
 つられて隼も如月を見た。


「大きいね」

「およそ十メートル。大人四人と子供二人分くらいだ」


 少女は如月の体を見渡す。
 今の如月は灰色を基調とした塗装表示がなされていて武骨さが際立っている。


「地味だね」

「戦う道具だからな」

「女の子はおしゃれに気をつかうんだよ」

「彼女は戦闘以外のことには興味無いさ」


〈私がその任務を遂行する必然性があるという証明を所望する〉


 ただし、今回の見世物としての扱い方には不服そうだったがな。
 隼は如月に初めて開会式や戦技披露会の情報を入力した際の如月の返事を思い出した。
 彼女も第三HA遊撃実験戦隊員、つまり隼と同じ意見を持っていると知り、その時隼は嬉しく感じていた。


「あっ、そろそろ……」


 少女の声。隼が視線を少女に戻す。
 少女は右手に着けられた腕時計を見ていた。
 隼は少女が腕時計を着けていることに今初めて気づいた。


「袖に隠れて見えなかったのか。ふむ。今時子供が時計をしているとは珍しい」

「女の子はおしゃれに気をつかうんだよ。二回目」

「分かった分かった」

「分かったは一回!」

「はいは――」少女が隼を睨む。「分かった。はい。これでいいだろ?」

「うん」少女は頷く。後ろで結われている髪の毛が跳ねた


 全く、あんたは母親か。それともやはりこいつ少将か。
 そう隼は思う。
 隼の中にある少女=少将説が再燃するが、少将がこんな性格を作れる面があると想像すればするほど気持ち悪くなった為すぐ鎮火した。


「えっと」腕時計を見ていた少女は首を傾げる。

「どうした」

「時計ってこうやって見るんだよね?」少女が隼に自分の腕時計を見せ、「これが何時かを示して……これで何分かが分かる」等と針を指差しながら一つずつ尋ねてきた。
 隼は少女の言葉に頷きつつ盤を見る。二時二十五分。

「ああ、それであっている」

「ええと、これがこうだから今は二時二十五分?」

「その通り。しかしあんた、おしゃれと言っても使えないと意味がないだろう」

「こういう時計、始めて着けたんだもの」

「そうか」


 それでも時計の見方が分からないのは正直ないだろうと隼は思ったが、少女がうるさそうなので口に出さなかった。


「好きな人からもらった初めてのプレゼントなんだ」

「そうか。その好きな人は相当大人ぶっているようだな。それは淑女用だろうに」

「うん。いつもは大人っぽいけど、好きなものの前だと子供だよ」

「へえ。そういえば大丈夫か」

「ん?」

「時間。親との集合時間か何かは知らんが、とにかく時間が迫っているんだろう?」


 隼がそう言うと、幸せそうな表情が一転してはっとした表情へと変わった。


「そう時間!」


 少女は慌てて隼に背を向けて走り出そうとして止まる。


「どうした。道が分からないのならばさっき言った局員を頼ればいい。俺は自分の区画と中枢区の少ししか道筋を知らない」

「あいさつ」

「あいさつ?」

「さようならのあいさつ! またねパイロットさん」少女の視線が如月に向く。「それと如月さんもね」

「ああ」手を振る。

「じゃね」声をかけた者の反応に満足し少女も手を振る。


 そして少女は人混みの中へ消えていった。
 瞬く間に隼から少女の姿は見えなくなる。
 少女との話に意識を傾けていた為なのか、会話が終わった隼の耳には喧騒が突然大きくなった様に聞こえた。

 隼は少女が向かった方角を見るのをやめて如月を見る。

 やや下を向いた頭のカメラは起動している。
 機体を起動させ、重心を調整出来る様にしなければ風に倒される為、如月が起動していることは異常ではない。


「如月“さん”か」


 隼が投げかけた言葉に当然如月が反応することはない。

 戦闘に関係すること以外は反応しないさ。隼は承知の上で呟いていた。

 はあ。隼は息を深く吐く。まるで深呼吸をしている様にも見えた。

 隼は視線をずらして空を見る。如月も視界に入っている。
 レモンシフォンの空。
 灰色の巨人。
 ノンフィクション的ではなく、ポスターの様などこか作り物の、デザイン物の色調に近い。
 しかし、これは本物である。
 シエルは現実である。


「二年もここにいるが、いつ見ても奇妙な景色だ」ふと気づいた様に頭を振る。「駄目だ。機体から降りると余計なことを考えてしまう」


 隼の視線の先、まだ太陽は雲のベールによって霞んで見える。


「あの戦闘から三週間ちょっとか。長い……長いボランティア活動だった」


 隼は如月に視線を戻した。



   ***



 翌日、開会式がアクシデントなく終わり戦技披露開始の時間が迫る。
 コロッセオに設定された戦場は荒野と廃墟が七対三の割合で、廃墟を囲む様に起伏がある荒野が配置された設定にされていた。

 第三HA遊撃実験戦隊は事前にコロッセオの環境を知らされている。
 無論敵となる陸軍にも同じ内容が通達されている。
 表沙汰は平等を謳っているが、第三HA遊撃実験戦隊の中では全く信じられていない。
 対外用のパンフレットにわざわざしつこく“平等”と表記している時点で嘘臭かった。
 基地内では陸軍に有利な情報が与えられていることは半ば周知の事実と化しており、査察団にもその旨が伝えられていると噂されている。
 第三戦隊にもその噂は伝わっていた。

 それがどうした。

 各々言い方は異なるが、司令官である少将を含めた第三戦隊員はその噂に対してそう答えた。

 少将の口添えで元々は出来レースだった戦技披露会は、与えられた情報の優劣はあるものの勝敗についての指定は取り払われた。
 用いる兵器の違いはあるが、あくまで平等という名の下で戦闘は行われる。

 わざわざ負ける必要がなくなった第三戦隊は勝ちに行く。
 元々負けるつもりはなかったが、命令違反になる為に渋々負けなければならないという制約は第三戦隊のやる気を著しく希薄にさせていた。

 今、彼らにその制約はない。

 パイロットスーツを身につけた隼達、第三HA遊撃実験戦隊所属HAパイロット各員はコロッセオに備え付けられたブリーフィングルームに集まっていた。
 全体の作戦指示が始まる前に、小隊ごとに集まり各々の小隊内での役割や作戦要項を確認している。

 各小隊の役割、進路、通信周波数、コールサイン、天候、地面の状態、空素濃度、空素比、電波レーダー範囲低下率、装着兵装、搭載武装……。

 打ち合わせが終われば、部屋から出て格納庫へ向かう。
 そこにはHA専門整備隊による整備を終えたHA十六機が片膝をついて並んでいた。
 整備されたHAは開会式で負った僅かな疲労すらも取り払われているだろう。
 迷彩パターンは各機の任務内容に則した実戦用に設定されている。
 如月は茶色やカーキ色を基調とした組み合わせをデジタル処理した迷彩が施されていた。
 市街戦になればそれは灰色を基調としたものへと変換される。

 隼は整備兵を一人引き連れて外部点検を行う。
 間接やノズルの可動部に何か挟まっていないか、カメラに汚れがないか、塗装表示に異常がないか……。
 その点検を終えると、隼人は首の後ろにあるレバーを動かしコックピットカバーを開かせ操縦席に乗り込む。
 操縦席に座り、折りたたまれていたツインディスプレイを展開、固定する。
 そしてシートに座ると前方にある多目的ディスプレイの下、警告パネル左にあるジェネレータ・空石炉起動系を操作、如月に本格的な火を灯す。

 これから向かう先で行うことは本当の実戦ではなく急ぐ必要はない。
 その為点検は時間をかけて万全に行う。

 隼は右コンソール群にあるインデックスコンソールを操作し、《点検》モードにして点検待ちの状態にさせる。
 同じ右コンソール群にあるワーニングコンソールを用いて点検箇所を《全体》に選択。
 自動的に点検が始まる。

 各部、各システムオールグリーン。

 人口筋肉出力系レバーをゼロ、MIN(ミニマム)から動かす。
 右コンソール群にある駆動・燃料系モードセレクタを《巡行》モードへ。
 各部に液体空素が行き届いたことを確認してから立ち上がりプリスタート点検。
 実戦で行われるだろう動作を、テスト用疑似信号を用いて各コンピュータにシミュレーションさせる。

 異常なし。

 次は動作点検。実際に各関節、開閉部を動かして不具合がないか確かめる。
 スロットルレバーを動かし、ペダルを踏んでブースタの確認も並行して点検。
 異常なし。
 ここで初めてコックピットカバーを閉じる。

 武装を装備した後に火器管制系統の点検も行う。
 機体と武装との接触不良があると最悪、弾を一発発射することも叶わなくなる。
 点検終了、FCSの類にも問題はなかった。

 点検を終え、少し時間が経つと戦技披露会の開始時間が近くなってきた。

 開始時間に間に合わせる為に行動を開始する。
 駆動・燃料系モードセレクタを《歩行》に合わせ、右ペダルを踏んで如月を輸送ヘリまで歩かせる。
 コンピュータがサポートして安定にホバリングしているヘリの真下に移動し、如月とヘリを連結させる。
 連結が終わるとヘリは上昇を始める。
 地面を離れた如月は脚を曲げてヘリの連結カバーへ固定した。
 すでに人口筋肉出力系とスロットルレバーはMILの部分まで操作されている。


「ハイエナが死肉を漁るだけの存在ではないことをここで証明しよう」ヴェイトン中佐の通信が入る。「各機、幸運を祈る」


 中佐の声を引き金に、HAを乗せたヘリやB小隊のHAA四機がシエルの空へ出撃していく。

 今日の空は夕時でもないのに赤い。
 大気中の空素が濃い為だ。
 夕暮れの鮮やかなオレンジ色ではなく鮮血の様に真っ赤。
 空がこれでも地上の風景には特に影響を与えないのは不思議の一言に尽きる。

 敵の爆撃機や戦闘ヘリを警戒して荒野地帯を低空で飛ぶ輸送ヘリ。
 これら戦闘力の低い兵器の護衛も兼ねて、B小隊が彼らの前に出て先行する。
 B小隊の一機、B‐4は電子戦仕様で、偵察機、AEW機(早期警戒機)の役割も担っていた。
 この機体が一番に敵を捕捉し、戦況リンクシステムを用いてその情報を戦隊全体で共有する。無論、リンクのON/OFFは出来る。


「B‐1、エンゲージ」

「B‐2、エンゲージ」

「こちらB‐3、エンゲージ」


 特に先行している三機からほぼ同時に戦隊全体へ通信が送られた。


「こちらB‐4、ルブロン。A小隊C小隊。聞いての通りB小隊は戦闘を開始した。爆撃機と迎撃機だ。敵は予想以上に速い。廃墟はそう遠くない。予定より少し早いが、ヘリが捕捉される前に降下をしろ」


 ルブロン少尉の提案にA小隊とC小隊の隊員が応じる。
《戦闘機動》へモード移行。
 次々とヘリから降下。
 着地。
 風に流された機体はいない。


「こちらはA‐3。迎撃機にレーザーを照射する。繰り返す。迎撃機にレーザー照射。FOX5、FOX5」


 A小隊の三号機がB‐4のレーダーとリンクして、戦闘を始めたB小隊の先、まだドッグファイトへと移行していない迎撃機から一機を選別、FOX5――レーザー火器照射の意――を伝え、レーザーの射線上に入らないよう忠告する。


「発射」トリガーが引かれる。不可視波長のレーザーは人間の目に見えない。「命中」

「グッドキル」シュトルム大尉が言う。「これでB小隊が俺達を狙う爆撃機やヘリを破壊してくれれば万々歳だ」

「敵迎撃機散開。巡航モードから切り替えたようです。さすがにもうここからでは当てられないでしょう」

「一機で十分だ。篠崎、レーマー行くぞ。地上の先行は俺らの仕事だ」


 了解。

 隼はシュトルム大尉に追随し、それにレーマー少尉が続く。
 戦車を凌駕する速度は、脚部に着けられた強化骨格によって通常よりもさらに速い。

 レーダーモードをG/G(地対地)に設定、ウエポンモニタを見る。

 R RDY 57ARIFLE、L RDY 40SmGUN、RDY 20AAGUN、RDY KNIFE、RDY CLSWORD……

 57ミリ自動小銃、40ミリ短機関銃、背部20ミリ対空機関砲、高周波ナイフ、CLソード。戦闘ヘリや爆撃機を視野に入れた兵装。

 A小隊がC小隊に先んじて廃墟の市街地へ進入。
 三機同じ道を進むには狭すぎる為、ある程度の間隔を保ちつつ散開する。


「B‐4から通信」レーマー少尉が言う。「敵はすでに市街地に潜伏している模様」

「全く、情報のみならず開始時間までもあちらが優遇されているってことか。篠崎、レーマー、二人共、ビルの向こう側からの戦車の撃ち抜きには気をつけろよ」

 了解。

 如月は市街地を走る。
 廃墟。
 舞う砂塵。
 瓦礫に死体が埋まっていると思える程、戦場になり捨てられた都市をリアルに再現出来ている。

 幻想がある世界の中の幻想。
 そこを如月という現実は走り続ける。

 ビルがあらゆるレーダーを阻害している為に敵影は捕捉出来ない。
 真っ直ぐな道路が多い市街戦では、突然戦車と直線上で向き合う状況が多い。
 隼はそうならないように人口の迷路を考えて進む。

 隼の視線の先に幅が広い道路が見えてきた。
 そこへ姿を晒す前にビルに体を隠して自動小銃のカメラで道路の先を確認する。
 離れた所を戦車が走行していた。
 丁度十字路を通っている。
 隼に側面を見せて走っていた。
 如月に気づいていない。
 どうやら音響で敵の位置を察知する兵はいないようだった。
 HAの歩行音はステルス性能を考えると邪魔なものである。
 敵はその弱点を把握しているはずだが、カメラで見える範囲ではそのような兵士は見受けられなかった。

 ――運が良かったか、侮られているか。まあ、どちらでも俺には関係ない。今、この状況を最大限に利用するだけだ。

 戦車が見えなくなる。


「こちらA‐2。敵を発見。エリオット二両に四脚が三両。」

「いけるか」

「いける」

「よし、行け」

「了解」


 隼は道路へと飛び出し、戦車が見えなくなった場所まで疾走する。
 武装のセーフティであるマスターアームは大分前からオンにされている。

 十字路に到着。
 敵は隼に背中を向けている。


「A‐2、エンゲージ」


 HMD上のレティクルが敵機に重なる。

 隼は右トリガーを引いた。



[27532] ノン・シエリアン#1
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/06/05 22:02
 第三HA遊撃実験戦隊は非番がある際の間隔が広い。

 第三戦隊はHA戦隊の中で、名前に記されている通りの役割を与えられている。
 当然シエル管理局全体ないし西方軍、またはフィアナ基地全体の役割はあるが、それは第三戦隊が特に気にすることではなかった。
 彼らは全体の役割を担う者からの指令で動いている。
 その為一見関係ない任務を遂行しているように見えようが、実際はどこかで管理局としての仕事の一部を担っている。

 ただ、第三戦隊は戦隊の中で特殊な役割を与えられていることが、他の戦隊との任務の違いを比べれば明らかですぐに分かる。
 彼らは彼らから見て遥か上に座する者からの指令を根底に、そこへ戦隊独自の仕事を組み込んで日々実行している。

 最新鋭のHAの実戦データを多種多様な戦場で得る。
 それが第三戦隊に与えられた役割。
 最優先する行動理念である。
 そこに味方を助けるという項目は記されていない。
 時には空戦兵装へ換装して音速の戦闘機に警戒しつつ空爆し、時に水中戦兵装を装着して海で戦艦や潜水艦と協同する。
 砂漠や熱帯林、雪原にも赴き、故意に劣悪な環境を選ぶ為、コンピュータや関節が動作不良を起こすことは珍しくない。
 様々な障害が襲いかかる中、それを自力で回避、修復しつつ無論作戦も完遂させる。
 過酷な任務内容故に、そこに所属する兵士は皆ある分野において一級のスペシャリスト達であり、突出した才能が原因で政治的な理由で爪弾きに、あるいは一般社会に順応出来ない者が殆どである。

 他のHA戦隊とは様々な意味で一線を画する第三戦隊は、他のHA戦隊と比べて出動、出撃する機会は不規則である。

 第三戦隊が戦場で集積したデータを元に、第三戦隊内の技術・整備班やシステム班が第三戦隊のHAを改良し、一定の実績を獲得することでフィアナ基地中枢コンピュータ群のダグダや管理局上層部がその改良案を承認、その後全てのHAに改良点が反映させる。

 HAは常に成長している兵器である。
 無論戦車や戦闘機といった兵器も成長しているが、HAは汎用性の高さ等が要因で成長率が他よりも高い。
 一年前と今の同型機を比べると、様々な面で現在の機体の方がコスト面も含めて優れていることだろう。
 ただし、実戦データを集積、解析しHAに改善点を反映させることは、一日や二日で簡単に出来ることはない。
 そんな突貫工事紛いなことをすれば、それによって生まれた綻びが近い将来、強靭ながら精密機器の集合体であるHAを自滅へと追い込むことは目に見えている。

 完璧に作ったとしても、有機物の人間が作った無機物にはバグが付き纏う。
 HAにもその言葉が該当し、稼働部位が多いHAのバグは致命的な欠陥になりえる。
 当然、技術・整備班やシステム班全体の組織といえるHA部門はバグを起こさないように細心の注意を払っている。
 彼らの熱心な働きだけで機械の虫を絶滅に追い込むことは無謀ではあるが、作業時間や効率を度外視し、プログラムや部品の製造に時間をかければかける程に欠陥がなくなることは事実である。

 効率等を無視してしまうと製造コストや人材費が二乗三乗とかさばり、性能に見合う費用からは逸脱してしまう。
 その単純ながら無視できない問題を回避する為にHA部門はある一定の範囲を定めて、その中でベストを尽くすようにしている。
 しかし、HA部門の技術者がHA製造のみを担っていることはなく、戦闘機等の他の部門や事業部を兼任している。
 つまり管理局には企業でいうマトリックス組織に近い体制を採用している所もあった。
 それが時にHA部門の作業速度を落としてしまう場合があり、そのしわ寄せが第三戦隊に来ることは少なくなかった。

 第三戦隊は一つ一つの任務が高密度高濃度なことが多い一方、フィアナ基地に帰還してからは、第三HA戦隊のHAに実戦で得られた有益な情報を反映し終えるまで非番となる。

 その非番は大抵レポート作成等のデスクワークを終えた上でもあまるもので、残った日数は実質的な休日となる。
 ただし、休日といえ本物ではない為に基地以外での宿泊は原則禁止とされ、その間は疑似操縦ユニットでの操縦訓練等の技術の再研磨、または被験者としてHAの技術試験に参加することがスケジュールに組み込まれる。
 あまった日数全てを戦術や整備技術、地理学等の再研磨や試験に費やすことはない。大抵の場合、各々の好きなことに集中出来る時間を確保する余裕はある。

 夏が始まりつつあるとある日。
 現在、第三HA遊撃実験戦隊は非番である。
 すなわち彼らが一つの任務を終えたことを意味している。

 フィアナ基地は前線基地とはいえ最終防衛ラインにあり、最前線基地とは言い難い為にスクランブルという事態は皆無に等しい。
 加えて基地から少し歩くだけで都市に行ける。
 それらの実情もあってフィアナ基地の兵士は、節度は必要だが非番時には仕事とは無縁の生活が出来た。

 第三戦隊の兵士らが各々好きに非番過ごす中、勿論隼も好きにしていた。

 整備班とともに如月の話をし、如月と一晩を過ごし、ヴェイトン中佐が暇な時は彼と共に話をつまみに酒を呑み交わし、晴れた日にはシエルの空へ紙飛行機やラジコン飛行機を飛ばす。

 隼の中では仕事上の同僚が、プライベートでの友人でもあることはない。
 稀に同僚と酒を呑むこともあるが、シエルでの彼のプライベートの友人は中佐くらいだった。
 そのことで隼が自分の交友関係に悲観することはなく、淡々と自分の気の向くままに次の出撃までの空白を埋めていた。

 デスクワークを早々に終え、隼は如月のことを念頭に置きつつ非番を消化する。
 何時の間に時間は進んでおり、“何か特筆することはしたか”、と思い返しても特別思い出すことはなかった。
 それによって、隼はその間の記憶がとても希薄なものだけで構成されていることに気づいた。

 エスカレータの様に、何かをしなくとも時間は隼を乗せて進んでいく。


「隼」


 非番中。
 ふと気付けばフィアナ基地に帰ってから三日が経っていたある日、隼は食堂で声をかけられた。
 その声に隼は聞き覚えがあったが、すぐに誰かは分からなかった。


「久し振りだな。篠崎隼。二年振りだ」

「――ああ」隼は自分の名前を呼んだ人間の顔に心当たりがあった。「地球であんたみたいな人と話した気がする。二年……そうか、もう二年か」

「俺からしたら長い二年だった。シエルは人の時間感覚をも狂わせるのか」

「時差ボケという単語があるんだ。星間でも当然あるだろう」


 隼は彼を見る。長身で体格も恵まれており、白髪が混じっている茶髪が精悍な顔立ちと合わさり老練とした印象を感じさせる。
 隼の記憶の中にある彼の姿との変化は見られない。
 両手で食べ物が載ったトレイを持っていることを察するに、これから食事を済ますのだろう。
 首からはフィアナ基地のマークを印刷された入局許可証が提げられていた。
 部外者の証だ。


「サイトウ。そうだ。カルロ・サイトウだ。俺はあんたのことを覚えている」

「俺も君のことを覚えている。ただし、今の君は知らない」

「俺も今のあんたを知らないさ」


 隼はコーヒーを嚥下する。
 温かい液体が食道を通るのが分かる。
 香り、味共に薄く不味いコーヒーだった。



   ***



 隼と向い合うように座ったサイトウの隣に男性が一人座った。


「あんたは誰だ。サイトウは分かるがあんたは分からない」


 サイトウに同席を許可した後、隼は初めてサイトウの他にもう一人いることに気がつく。
 今までサイトウの陰に隠れて見えていなかったこともあったが、隼自身眼中がなかったことで知覚が遅れた。
 覚えのない男性はサイトウよりもアジア系の顔立ちをしている。
 短髪に切られた黒髪は整髪剤で整えられている。
 細い目に細い顔立ち、そして細い体つき。
 全てが細く、サイトウが大木だとすると男は枝だった。


「彼は俺の同僚の鈴木だ」

「鈴木二郎です。よろしく」

「ジャパニーズか」鈴木が頷く。「ジロウ。二男か」

「いえ長男です――ああ、皆さんこういうと今の篠崎さんみたいな顔をしますよ」鈴木は微笑む。細い眼がさらに細くなった。

「そうか。それで、何故サイトウがここにいる」

「取材だ。取材に決まっているだろう。俺の役職は今も昔も変わらず軍事ジャーナリストだ。軍事がある場所に俺は現れる」

「それでついに地球やシエル関係なく活動の範囲を広げたというわけか」


 そうだ。
 サイトウは肯定する。そしてトレイに載ったパスタを口に運んだ。


「ただし、少し訂正すると、俺は君がここに来る前に何度かシエルに来たことはある。ここ数年は来られなかったがな。そうそう、鈴木は初めてだそうだ」

「ええ。日によって空の色が大きく変わり、植物も雰囲気も地球とは違う。まるでアミューズメントパークですね。初めて海外を訪れた感動に似ています」


 隼には、どこをどうしたら遊園地と海外が繋がるのか理解できなかった上、面と向かってシエルをアミューズメントパーク呼ばわりしたことも気に食わなかった。


「そういえば先日の戦技披露会を録画映像で見ましたよ。とてもファンタジックでしたね」鈴木は自分のトレイにある鮭をほぐし口に運ぶ。「文献や絵だけでは伝わらない感動です。私は録画映像でしか見られませんでしたが、それでも十二分に感動しました。あんな幻想的な光景を何故地球で流さないのか到底理解できません。とてもシエルらしい風景でしたよ」


 いつもシエルがあの時のような幻想的な世界ではない。

 隼は鈴木の話を話半分に聞きつつ食事を進める。
 戦技披露会開会式の演出で用いた風景は作り物。
 空術兵器も作り物。
 花火の一部も作り物。
 無論HAも作り物である。
 作り物だらけ。
 あのコロッセオの中で唯一幻想的だと声高らかに言えるのは空術師が打ち上げた本物の空術だけだ。

 それなのに、今、隼の斜め前にいる鈴木はあの光景を幻想的だと言った。
 あれがシエルらしいと言った。
 隼からするとあれがシエルらしさだと、鈴木の言い方を借りれば到底理解できなかった。
 あれはシエルらしいのではなく、異世界らしいだけだ。
 しかもその感想に該当するものは創作物の異世界だけだろう。
 あの世界の殆どが作り物なのでまさしく創作物である。


「ふうん。それは良かったな」


 隼がぶっきらぼうに返事を返すと、鈴木は隼の態度を特に気にせず再び微笑み「はい」と言った。

 癪に障る笑顔だ。
 隼は鈴木の表情にそう評価した。
 一見相手に好印象を感じさせる笑顔に見えるが、隼には上辺だけのビジネス用の笑顔にしか見えなかった。
 人当たりが良さそうで、実際はただ受け流す。まるで柳だ。


「それでだ」隼が話を持ちかける。「あんた達がジャーナリストとしてここに来たのなら、一体何が目的だ」

「相変わらず直球だな」サイトウが苦笑する。

「会話の変化球は嫌いなんだ。それで目的はなんだ」

「シエル管理局の現状、局の軍事力の調査です」と鈴木。

「調査?」

「地球の警察組織を中心に、主に着用型HAが試験運用されることは知っているか?」

「ああ」

「その情報が公表されてから、地球でHAの関心が高まり始めているんでな。賛成、反対両方の意味でね」サイトウは喉を潤す。「まあ、メディアの過剰で一方的な報道が大衆の意識誘導に拍車を掛けているわけだが、今メディア批判をする必要はないので無視しよう」

「それで、こちらのHAを調べに来たのか」

「その通りだ。取材の依頼は局本部の査察部や広報部が快諾してもらえた」

「査察部? 快諾?」


 妙だろう? それにこうも簡単に許可を貰えるとは拍子抜けだ。
 隼が漏らした言葉にサイトウは答える。


「査察部の誰から許可を貰った?」

「本部やフィアナ基地との仲介をしたのは……さて、誰だったか。鈴木」

「レベフ準将です」鈴木が即答する。

「そうか」サイトウが顔を軽く横に振る。「いや、違うだろ。確か責任者はルンゲ少将だったはず。レベフ氏は副責任者だろう?」

「そうでしたね。咄嗟に言ったので間違えてしまいました」

「気をつけた方がいい」サイトウは声を潜める。「ルンゲは自尊心が強い。いや、自信があると言った方が正しいか。ともかく、奴とは数回しか会っていないがそんな印象だ。表向きは間違いに寛容だとしても、内心は分からない男だ」

「ブラウン・ルンゲ少将か」と隼。「前に査察団としてここに来ていたな。実際に会ったこともある。地球寄りの局員で、機械化至上主義者という印象だった」

「概ね合っている。ルンゲ氏は機械化を推進する一派の有力者だ。人間よりも機械を信じる筋金入りの主義者だ」


 隼も大部分な人間より如月を、広義的に捉えれば無機質なものを信じている。
 しかし、隼には機械化を認めてはいても推奨する気はない。
 万が一そうならば隼は機人としてここで食事をしているだろう。
 ヴェイトン中佐には以前、“もしお前が機械化至上主義者ならば如月と融合しているだろう”と冗談交じりで言われたことがあったが、隼はその可能性を否定した。

 完全だが代替可能な機械になってしまえば如月に捨てられる。
 隼の頭の中にはそんな考えがあったからだ。


「それと仕事の他にも私用があるんだ」

「なんだ? 写真撮影か」

「仕事とプライベート兼用にそれも勿論あるが違う。これはとある人からの願いで、仕事のついでに可能であればと言われた。卑怯だろう? 時間は削ることも作ることも出来る。俺が生粋の面倒臭がりでない限り、依頼者からの願いを無視することはできない。例え正式なものではないことでもな」

「それで、その非公式な依頼はどんなものだ。差し支えがない範囲の内容でも構わないし、別に言わなくてもいい」

「東有希からの依頼だ。無論、お前に関係する依頼だ」


 隼は席を立つ。
 彼のトレイの上にはまだ食べ物が残っている。


「隼」


 サイトウの呼びかけに隼は無視する。
 食べ残しを生ごみ用のごみ箱へ捨て、トレイや食器を調理場脇にあるスペースへ提出した。
 早足で食堂を後にする。

 絶対面倒なことだ。
 隼の認識はそれ一色に染まっていた。

 冷たい通路を歩く。


「東。東有希。有希」


 誰もいない廊下で隼は一人呟く。
 若干掠れた自分の声が、彼女の名前が耳に届いた。

 どこか懐かしい響きだった。

 久し振りに意識して彼女の名前を言った気がする。
 隼はそう感じた。




[27532] ノン・シエリアン#2
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/06/05 02:03
「俺の所にもサイトウが来たぞ」

 隼が紙飛行機の設計をしつつくつろいでいると、前触れなしにヴェイトン中佐が話し始めた。
 隼は作業をやめない。
 そんな隼の様子を見て中佐は溜息をつき、ブラインド越しから外の様子を覗き見た。
 中佐は眩しさから目を細める。外は青みがかっていた。

 二人は戦隊区にある中佐の仕事部屋にいる。
 仕事部屋ではあるが、今はプライベート。畏まった雰囲気が部屋に満ちることはなかった。

 現在、日が傾き始めた時間帯。
 部屋にはシエル独特の青みがかった陽光が差し込み、水の中にいる錯覚を感じさせる。
 無機質な部屋を満たす温かな青の光は涼しげだが、その実、本質的には地球のそれと殆ど変らない。その為シエルの日光もどんな季節でも直接浴びると熱く感じ、部屋の中にいると暑苦しさを助長する。
 水は水でもぬるま湯である。

 シエル星の暦の数え方は地球と同じで、現在シエルの暦は五月である。
 徐々に花の匂いから変わって若葉の匂いが鼻をくすぐり、フィアナ基地があるフィアナ地方は温かな大気に包まれ始めていた。
 北半球にあるフィアナ基地での五月は、春が終わり本格的な夏に近づいている初夏辺りの季節となる。つまり、すでにフィアナ地方は晴れた日になれば夏と間違えてしまう程暑くなることもあった。

 今日のフィアナ基地周辺は一日中快晴という予報だ。
 その天気予報は管理局が苦労の末に打ち上げた人工衛星と、大気中にある空素の濃度と種類を調べる空素計。そして予報専門の空術師による感覚等によって予測された、極めて精度のある予報である。
 局所的な現象を除くと、今日の快晴という天候が急に崩れる可能性はほぼない。
 それは確かに便利なもので、実際に多くの人の役に立っている。第三HA遊撃実験戦隊もその天気予報によって、作戦の内容を微調整することも少なくない。
 ただし一方で、精確すぎるというものも人間的な感覚では嫌われる、または苦手に思われる場合もあった。

 今の隼とヴェイトン中佐は後者の、嫌う部類の人間であった。

 今日は快晴である。

 その快晴が突然大雨に変わることはまずない。そこは地球と同じだ。
 少なくとも今日の内に二人が暑さから解放されることはない。
 強いて言えば朝と夜中はある程度涼しいだろうが、それは二人の寝付けを良くするくらいの恩恵でしかない。
 その為か中佐の部屋のエアコンはフル稼働中だ。
 耳をすませば分かる程の小さな音を発しつつ、エアコンはぬるま湯に満ちた部屋に冷水である冷風を流し込んでいる。


「隼……聞いているのか」

 設計を続けていた隼は今度こそ作業を中断し、中佐の方へ顔を向けた。

「聞いている。サイトウがギュスのところにも訪ねてきたんだろ」

「そうだ。カルロとはおよそ二年振りの再会だった」中佐はコーヒーが入ったカップを手に取る。「あいつは三年前、いやもっと前から変わっていないな」

「サイトウは戦前も、戦中も、戦後もジャーナリストだった。まずそこが俺やギュスと違う。そしてサイトウは俺らとは違う自由な人間だ」
 中佐がコーヒーを飲む行為に追随するようにして隼も手元のグリーンティーを口に運ぶ。

 渋みを甘味料でごまかした味。バニラの風味がした。

 隼の表情が強張る。ふと、日本茶の味が恋しくなった。それは醤油等の大豆分を補給したい衝動に似ていた。


 「一つの職業を貫くことが自由な生き方か? 気持ちの持ちようで変わるだろう」中佐は新たにコーヒーを淹れる。

 「自分自身がどう思っているかという個人差は関係ない。ただ、職業に振り回されている俺達とは違いサイトウは動かない。あいつは死ぬまでジャーナリストを貫く」

 ――違う。死んでもか。

 発言の最後に付け足された言葉はすぐに部屋の空気に溶け込んでなくなった。


「“職業に振り回されている”、か。確かに。だが、一つの職業に縛られているという見方も出来る」

「サイトウは動けないんじゃない。動かないんだ。二つの言葉は似ているようで全く違う。あいつは自分の意志で数ある選択肢の中からジャーナリストを選び続けている」

「そういう風に物事を捉えるのなら」中佐が視線を動かす。「お前は戦前からずっと戦士だろうに」


 ヴェイトン中佐の視線の先にはハンガーに掛けられた隼の制服があった。

 緑みのある渋い青色を基調とした制服。空軍用の制服。
 今のHA戦隊の多くが空軍として分類されている。
 航空戦力に脅える空軍とは情けない。それは隼がよく漏らす愚痴だった。

 隼の制服には階級章が着けられている。
 特務少尉は中尉相当の権限を行使できるが、階級章の形自体は少尉の物と変わらない。
 制服には階級章とは別に、持ち主の役職を示す章もあった。
 隼のそれは上を向いた矢印を元にデザイン化されたものだ。

 それはパイロットの証。

 上を向いた矢印の様な形は、軍神テュールを意味する勝利のルーンに由来する。
 隼の物にはそこに巨人を意味するルーン文字も組み合わされている。そうすることで、広義的にパイロットを意味する証がHAパイロットだけの証となる。


「現代の戦士は軍人の別称でしかない」隼は目を細める。「それに俺は今精確に言うと軍人ではない。単なる公務員に近い。今の俺は自称戦士でしかない」

「お前は変なところで細かいな」中佐の口角は若干だが上がっていた。「そうだ。お前は軍人ではない。シエル・アーミー等と呼ばれているが管理局は軍隊ではないからな。周囲にとって屁理屈でしかないが一応自称警察だ。しかし軍隊も警察も関係ないだろ。お前がここにいる存在意義は――」

 隼が手を挙げて中佐の言葉を遮る。

「存在意義は」中佐の言葉を隼が引き継ぐ。「――ギュスが言いたいことは分かっている。今の俺が公務員だとしても、軍人だとしても関係ない。ここには如月がいる。それで充分だ」

「いつも通り、ぞっこんだな。俺にはそんなに追い求めることは到底出来ん。……隼」

「なんだ」

「お前は職業に振り回されても、縛られてもいない。如月にだ。お前は“職業”の代わりに如月がそこにいる」

 隼は何も言わない。ただ中佐を睨んでいる。

「如月はお前をそうしている自覚はないだろう。お前が勝手に振り回されにいき、そして縛られに行っているだけだ」

「如月は俺を必要としている」隼の声色は冷たい。

「それはどうかな。人は他人の本心を量りきれないし、機械の思考も分からない。そしてレディの気持ちはシエルの空の様に変わりやすい。交際後数日でさよならもざらにある」

 ――近い内に大きな作戦がある。残党の前線基地を落とすものだ。

 ヴェイトン中佐は最後にそう付け加えた。
 隼にはそれが、話題を変えるのに体の良い魔法の言葉にしか聞こえなかった。

「如月には俺が必要だ」
 完全に話題が切り替わる前に隼は念を押すように言った。

 俺には如月が必要だ。

 中佐の耳にはそう聞こえて仕方がなかった。



   ***



「昨日の正式な面会振りですね」

 机を挟んで対面している鈴木二郎の言葉に隼は“ああ”と、ぶっきらぼうに言っただけだった。


「改めて自己紹介を」鈴木は右手を自分の胸に当てた。「今回あなたの取材を担当する日本ジャーナリスト連盟の鈴木二郎です。よろしくおねがいします」そして頭を下げた。

「シエル管理局実動隊・西方軍・フィアナ基地戦術混成軍団・第三HA遊撃実験戦隊所属篠崎隼」


 見事なまでの棒読みだった。この場、隼の自室に同僚がいたら笑っていただろう。
 鈴木が微笑む。隼を刺激する例の嫌な笑みだ。

「そう如何にも不機嫌そうな顔で真面目さを演出しなくても大丈夫ですよ。今回の取材ではHAパイロットではなくHAが主役ですから、パイロットの性格がどうとかは書きませんし上司に報告もしませんよ」

「ならば俺達パイロットを取材する必要はないだろう」

「取材に説得力をつける為です。最近の人は疑心暗鬼で何事もすぐ証拠を求めたがります。自分が納得する情報のみを求めて悦に入る。立派なメディア・リテラシーだけれど、発信者側としては中々大変なんですよ。失敗すればすぐにカルトとして認定されてしまいますし、本当のことでも大多数が気に入らないとほら吹きにされますしね」

 そう言って鈴木はカップに口をつける。
 中にあるのは正真正銘の日本茶だ。鈴木が用意したもので、隼の前にも同じものが置かれている。
 机には他に鈴木のノートパソコンがあった。本人曰く取材ノート代わりらしい。

 隼は自分のカップに淹れられた日本茶を見た。
 昨日、ヴェイトン中佐の部屋で飲んだグリーンティーと違うことは色だけでも分かる。
 奥ゆかしい緑色と部屋中に広がる日本茶の香りは隼に郷愁の念を芽生えさせる。
 しかし、懐かしいとは思いつつも帰りたいという思いは芽生えてこなかった。


「飲まないのですか? 日本から輸入されている本物のお茶で、ここではとても希少なものですよ」

「飲むさ。早く本題に入ろう。早く終わらせたい」

 隼が座る椅子の傍にはデザイン性に富んだ布の袋が置かれていた。
 中身は日本茶の茶葉。差出人はサイトウだ。


「ええ。では、あなたの希望通り始めましょうか。皆が疑問に思いそうなものを中心に質問しますが、よろしいですか」

「ああ」

 隼に拒否権はない。これは上からの命令だからだ。
 それは鈴木も知っている。わざわざ許可を貰おうとするのは社交辞令とも言えた。
 返答を聞いた後、鈴木が懐から手の平サイズで長方形の機材を取り出す。


「ボイスレコーダを使っても?」

「好きにしろ」

「分かりました」鈴木はボイスレコーダの電源を入れた。

 緑のランプが点く。
 鈴木は機材の起動を確かめた後、再度“始めましょう”と言った。


「まずはあなたの素性から聞いていきます。どういう経緯でHAパイロットになったのか尋ねますので、差し障りのない程度で結構です」

 隼は返事をしない。ただ軽く頷いただけだ。
 鈴木はそれを肯定と取る。

「それでは、生まれは?」

「日本帝国の石川県」

「小松基地がありますね」

「そうだ」

「以前は日本空軍にいたとプロフィールには書かれていますが、何故軍人になろうと思ったのですか?」

「空が好きだからだ」

「それならば旅客機のパイロットやヘリコプターのパイロットでも良かったのでは」

「昔から戦闘機の類が好きだった。空を飛ぶなら戦闘機のパイロットになりたかった」

「何故かは覚えていますか」

「前から空を飛ぶものに興味を抱いていたが、父親に小松基地で行われた航空祭に連れて行かれて、そこでブルーインパルスの曲芸飛行を見たのがきっかけだろう」


 隼が当時の記憶を忘れることはなかった。

 小松基地。
 多くの観光客。
 右手には父の手の感触。
 左手には母の手の感触

 遠くまで伸びる滑走路。

 そこから飛び立つ松島基地第4航空団所属第11飛行隊。

 ――愛称はブルーインパルス。

 パステルブルーの淡い青空。
 空という大海を泳ぐイルカ。
 白い軌跡を残しイルカは泳ぐ。

 心地よい風の中。
 ドルフィンライダー達が曲芸飛行を行う。
 観光客からの歓声は空へ溶ける。
 歓声が溶けた空をイルカは舞っていた。

 これが隼の中で一番古い記憶でもあった。


「つまり、篠崎さんは初めブルーインパルスに入る為に軍へ?」

「それは違う」隼が頭を振る。「確かにそれも魅力的だったが、俺は先に進みたかった」

「先へ?」

「最新機に乗りたかった。単なるスピード狂の妄言だ」


 誰よりも速く。誰よりも強く。

 空へ。

 大空へ、青空へ、夕焼け空へ、夜空へ……。

 あの空へ。

 世界を覆うあの聖域へ。

 子供の時から隼は空に魅せられていた。


「その為に」隼は淡々と話を続ける。「俺は防衛大にまで進んで戦闘機乗りになった。実力が全てだと言うが、内政では操縦の得手不得手は関係なかったからだ」

「出世の為に?」

「最新機に乗る為に出世が必要な場合もあった」

「何があなたをそこまで駆り立てたのですか」

「子供の頃、近くを飛ぶ飛行機を見たことは」

「いいえ」突然の質問に鈴木は僅かだが目を見開く。「ありません」

「空を飛んだことは」

「取材ヘリに同乗したことや、旅客機に乗ったことなら」

 あんたには分からないだろうな。

 隼は鈴木との間に決定的な認識の壁があることを確信した。

「あんたに俺の心情は理解出来ない」

「私には考える余地すら与えないのですね。何かしらの方法で外へ表現しなければ、誰も他人の何かを知ることはできない」

「言っても無駄だ。さあ、取材の続きだ」
 隼の言葉に納得がいかなかった鈴木だが、彼は仕事を優先することにした。

 きっと、彼の言う通り無駄でしょうね。
 鈴木は内心、そう思っていた。
 私はあなたではない。だから理解しきることは不可能だ。
 鈴木が日本茶を出かかった言葉と共に喉へと流し込む。


「――防衛大を出てからの経緯は?」

「卒業後は、戦闘機の操縦資格を取った後小松基地に配属された。その次は横田基地。そこで国際空術師連合含む商業連合の宣戦布告を聞いた。その後は国連軍として嘉手納基地に行き、そこで今の上司と会った」

 戦闘機だった如月との邂逅も行われていたが、隼がそれを口に出すことはなかった。

「ギュスターヴ・ヴェイトン中佐ですね」

 隼は頷く。

「第三次世界大戦中のお噂は兼ね兼ね承っていますよ。日本空軍のエース。大空のハヤブサ。ジャパニーズ・ホルス。白の隼」

「懐かしい響きばかりだ。全くもってとても愉快な記憶しかない」
 軽々しく言ってのけるが、隼の目は鋭いままだった。

「日本では今も英雄扱いですよ。シエル管理局に入った理由も地球を守る為だと、政府がメディアを通じていっていますしね」

 隼は不快感を隠さない。眉間に皺が寄り酷い顔をしていた。

「いやはや、誰が、いつ、地球を守ると言ったのやら」

「やはり違いますか」

「ノーコメントだ」隼はボイスレコーダを見る。「これがあるんだ。これでも言葉選びは慎重に行っている」

「ふふ」鈴木が微笑む。「そう言うということは、真実を話しているも同然ですよ」

「俺は特に何も口に出していない。つまりはそういうことだ」

「外へ表現しなければ、誰にも分からない」

「そう。あんたがついさっき俺に言った言葉だ」

「成程。あなたは政治家にも向いていますよ」

「そうか。だが、俺には国会のあの深紅のイスは柔らかすぎる。俺にはコックピットの椅子が似合いだ」

「“知らない。言っていない。関係ない”。篠崎さんは知らないでしょうね。最近の日本政府は発言以外のことも含めた意味合いで“ないない”政府と言われているんですよ」

「ふうん。俺には関係ないな」

「やはり。そう言うと思いました」

「取材の続きを」

「ええ。では……次は戦闘機とHAを両方乗ったことのある人としての意見を伺いましょうか。ずばり二つの違いは?」

「簡単なことだ。戦闘機は大空を飛び、HAは良くて空を飛ぶことが限界だ。別の言い方にすると、HAはどうしても重力に引かれるが、戦闘機は重力下を舞うことができる」

「それは高度の違いですか?」

「間違ってはいない」一度言葉を区切る。「戦闘機は空を飛んで戦う為にある。それだけだ。戦闘機は空でしか生きていけないのに今も生き続けている尊いものだ」

 ここで隼は初めて日本茶を飲んだ。

 日本茶はぬるかったが、隼にとって美味しいことには変わりなかった。



[27532] ノン・シエリアン#3
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/06/12 20:10
 第三HA遊撃実験戦隊用のブリーフィングルームにある大型モニタが起動している。
 部屋の電灯の殆どは落とされており、モニタの明かりが際立っている。
 まるで映画を観賞する時の様に、モニタにある映写物は薄暗い空間で映えて見えた。
 モニタはブリーフィングルームに置かれたコンピュータとコードで繋げられている。
 モニタに映されている映像はコンピュータから出力されたものだ。
 画面は幾つか分割されていて、それぞれに違う画像が出力されていた。

 一つは地図。
 ユーラシア大陸とアフリカ大陸を合わせた形に似ているルラン大陸を中心に映り出されている。

 二つ目は天候。
 地図に合わせて、各地の風向や気温、湿度、空素濃度、空素比が二週間先の予想まで一日間隔で細かく表示されている。

 三つ目は建物。
 一つの建物群を中心に、それが様々なアングルで撮られたものを出力している。
 ただし、撮影したものの中に被写体である建物群が鮮鋭に映ったものは一つもなかった。
 衛星写真はシエル星独特の高濃度空素を含んだ大気圏によってノイズ混じりで、スパイや斥候等が撮った写真や映像も総じて被写体の全貌を収めたものがない。

 四つ目は兵器。
 モニタの一部には砲台が映っている。
 9メートル前後あるHAの全長を優に超えた大きさを誇るそれは、ノイズ混じりの建物群にあるものだと、建物の写真を見るとすぐに分かる。
 加えて、その砲台が一つではないことは荒い画質でも認知出来た。

 五つ目は実験結果。
 そこには様々な数値が並んでいた。
 時に映像付きで実験の経緯を視覚的にも紹介している。

 六つ目はHA。
 第三戦隊が所有するHAが表示されている。
 HAを製造する際に作られた3Dを元に都合よく調整されたHAの3D図は、各々の機体の特徴を捉えていた。
 一定の間隔で順々に出力されているHAの横には、そのHAの武装や重心の設定等が細やかに説明されている。

 以上六つの画像は、中心に地図の画像を据えて、地図を挟んで両端に地図の画像サイズと比べ幾分小さくなった他の五つがあるという配置で表示されていた。


「HA戦隊全体の任務は管理局本戦力が戦闘領域に入る前にこのレーザー砲台を一つ残らずに破壊することだ。無論、これは我々第三戦隊の任務でもある」
 モニタの横、コンピュータが設置されている場所の傍に立つヴェイトン中佐が言う。

 ヴェイトン中佐の手にはレーザーポインタが握られている。
 それを中佐は手慣れた風に扱い、モニタと向かい合うように座っている第三戦隊各員の視線を画面の見せたい部分へと誘導する。
 今、モニタ上にあるレーザーポインタの赤い点は、建物群と砲台の画像を右往左往していた。


「旧ルイスシティ・ルイス基地防衛システム“ボーゲン・システム”」軽く弓を引くジェスチャ。「ボーゲン、すなわち弓だ」

 中佐はコンピュータを操作し、画像等から得られた情報を元に作成されたレーザー砲台の全体図予想をモニタに出力する。


「ルイス基地は航空防衛システムIADS等の他に、このボーゲン・システムの中枢を担っている砲台が全方位をカバー出来るように設置されている。砲台の名称は捻りなくボーゲン。残党軍が有する唯一のレーザー兵器だ」

 ボーゲンの全体図横にHAが使用するレーザー砲や航空機用レーザー照射器が現れる。

「第二次世界大戦辺りにドイツが造った列車砲を彷彿させるボーゲンは、HA用レーザーは言うまでもなく、航空機のレーザーを凌駕する射程と威力を有している。
 まあ、その分燃費や重量が酷いんだがな。制式な兵器として運用するには欠点が多すぎるふざけた兵器だ。だが、威力は馬鹿に出来ん。狙われたら最後、不可視の弾が一秒で地球を七回半出来る速度で襲ってくる。
 音速で飛ぶ戦闘機が撃ち落とせるんだ。HAなんてものは単なる的でしかない」


 中佐の操作でモニタに映像が流れる。

 映像は空を飛ぶ早期警戒哨戒機から送られてくる情報を元に、HAがレーザー砲を照射するものだ。
 片方の映像には肩にレーザー砲を載せた実験用でいささか不格好なHAが、もう片方には一般的な戦闘機の燃料を入れた容器が映り出されている。
 HAと燃料タンクの距離は百キロを優に超えている。
 HAがレーザーを照射。
 銃口からは何も出ていない――人の目では何も出ていないように見える。
 発射時に点灯する実験用のランプを見なければ、人間は本当にレーザーを発射しているか把握出来なかった。
 ランプが点灯してすぐ、HAの遥か彼方にある燃料タンクが爆発する。
 発射から爆発までのタイムラグは人間の感覚ではほぼないに等しい。
 発射姿勢を解かないHAと、煙が空へ伸びて風に流される光景。

 そこで映像は終わる。


「――これは管理局のレーザー兵器の実験映像だが、ボーゲンにもこの現象が当てはまることは間違いない。
 ただし、ボーゲンが放つ超高熱の光線は、射線にある全てを融解してもあまりある熱量と威力を維持したまま数百キロ先の対象を貫く。射程外だとしても、こちらが採用しているレーザー兵器の主な敵の撃墜方法でもある、弾薬や燃料に引火させて爆発を起こすことも出来るという優秀すぎる弓だ」


 レーザーポインタが建物群、旧ルイスシティの画像に向けられる。


「先に述べたがこれは燃費が相当酷い。HAを動かせるバッテリがある時代になっても、ボーゲンは一基で発電所一つ以上の電力が必要だと推測されている。
 そんな欠陥兵器を今日まで稼働させ、加えて今までほぼそれだけで管理局を退かし続けたという現状はまるで小説の話だ。管理局では維持費諸々で瞬く間に自爆する」

 画像が切り替わる。
 モニタには黄緑に淡く光る結晶が映り出されている。

「ボーゲン・システムの動力源はシエル星お得意のご都合物質の空石で間違いない。ボーゲン開発以前からルイスシティには高出力の発電用空石炉が幾つかあったようだから、おそらくそれを兵器に転用しているのだろう。今、ここに表示されているものや、HAの空石炉とは比べものにならない代物だ。
 どうやら上層部の目的はそれの奪取にある。それと上層部は、地球、シエルに次ぐ第三世界の情報があると予測している」

 地図にあるルイスシティの位置を示す点を中心に三本の円が描かれる。
 内側の一本が赤、次の一本が黄、最後の一本が青色に着色されている。

「この円がボーゲンの射程だ。
 赤が有効射程、黄が最大射程、青がシエル星の空気の関係で原則安全という意味だ。
 この兵器は、百キロ圏内は無論、HAのレーザー兵器の最高射程とされている二百キロ後半からでも先んじて照射が出来る。それが全周囲に常時展開されているから面倒くさい。
 しかも、砲台の操作はAIが中心に行われているとされている。システム面の異常時用のバックアップやフェールソフト等も万全であろうから、実質二十四時間隙がないことになる。
 さすがに波状攻撃や玉砕覚悟のごり押しなら勝てるだろうが、その案が採用されることはまずない」

 中佐がキーボードのエンターキーを押すと、地図上のルイスシティに向かって十数本の白い矢印が伸びる。
 矢印は管理局と残党が所有する領域の間、森や山岳が大半を占める地域にあるルイスシティへ向かう為の道を意味している。
 矢印の起点や伸び方は様々で、フィアナ基地から伸びるもの、ルラン大陸の別基地から陸路を伸びるもの、または海路を伸びるもの、ルラン大陸に次ぐ大きさを誇るシエル大陸の基地から海を横断するもの等多岐に渡る。


「HA戦隊はこれらのルートを通って基地へ向かう」矢印の三本が青になる。「第三戦隊はこのルートだ。当然、何も考えずルート通りに進攻してもボーゲンの餌食になる。そうするだけで攻略が可能ならば、今ごろあそこは管理局のものとなっているだろう」

 これを見てほしい。

 中佐の発言に合わせて、地図に色がついた霧が覆う。
 その霧は総じて西から東へ動いている。
 それはニュース番組で見る、天気予報の際に流れる雲の動きを追った映像に似ていた。

 その映像に合わせて円グラフも出力される。
 円グラフの主題は〈浮遊空素分類図〉。
 円グラフにある項目の数は十に迫る程ある。
 グラフの傍にはパーセンテージが記されており、そこの数字は139となっていた。


「風向きは西から東。地上付近の空素濃度は通常以上、つまりパーオーバー。空素の種類は劣性種が多く、空素比率はマイナスを示している」

 ヴェイトン中佐の言葉を聞き、幾人かの隊員の表情が変わった。
 中佐の視点からだと、思案顔と思われる表情をした者が多く見て取れた。
 そこにはカルロ・サイトウの姿もあったが、中佐は別段気にしなかった。
 中佐は考える時間を与える為に、そこで一度説明を区切ることにした。

 静寂。

 少しすると隊員の一人が手を挙げた。
 B小隊のウィルヘルム・ブリュースター中尉だ。
 短めに切られた見事な金髪がモニタの光に輝いている。


「なんだブリュースター中尉――発言を許可する」

「はっ。何故そのデータになったのか、という情報は入っていますか」

「入っていない。色々な憶測はあるが、詳しいところは不明だ。局の環境部門曰く偶発的な現象であり、自然現象の範疇には収まっている正常なものだということだ」

 他に何かあるか。

 中佐はそう言い、第三戦隊員らを見渡す。
 ブリュースター中尉が礼を言ったこと以外、新たに発言をする者はいなかった。

「――話を続けるぞ」モニタ上の円グラフが拡大される。「このグラフを見れば分かる通り、ルラン大陸全般で空素の濃度が濃い。そこに139%と書かれているが、それは大陸全体の平均値と比べて39パーセント高いというもので、細かく場所を指定すると多少上下はする。ただ、地上では総じてこの数値より多くなっていることは確かだ」

 レーザーポインタが円グラフの数値に向けられる。

「次に空素の種類を見ろ。これもお前達なら容易に見て取れるだろう。
 空素の働きを阻害する空素E型。加えてそのE型の一つ、電波の伝播を阻害する空素ER型。その他諸々、レーダーを使い物にならなくしたりと、近代兵器の邪魔をしたりする空素ばかりだ。
 空素E型群と他の空素の比率、すなわち空素比が通常時と比べE型が多いという結果になっているのは、この浮遊空素分類図を見る限り理にかなっている」

 中佐はグラフの拡大をやめ、地図の画面へと戻す。

 中佐の話を聞いた後だと、地図を覆う霧――それが空素濃度・空素比を視覚的に表現したものだということが分かる。

 中佐が先に述べた通り、モニタ上でそれはルラン大陸の大半を覆いつつ西から東へと流れていく。
 そしてその霧がルラン大陸から東、中央海に流れ始めると徐々に色が薄まっていくことも見受けられる。
 それはすなわち空素濃度が薄まり、普段値に戻っていることを意味していた。


「我々はこの現象に乗じてルイス基地に進撃する。これはフィアナ基地の殆どのHA戦隊と他方面軍の一部のHAが参加する大規模な作戦であり、HAの実効性を内外、シエル、地球問わず証明する為の舞台となる」

 モニタにHAの全体図が大きく映し出された。
 モニタのHAは二パターン出力されている。
 一つはHAが立っているだけのものだが、片方のHAは全身を覆う外套を羽織っており、その上、外套の上から確認できる程背中が大きく張り出していた。


「AとC小隊は、超長距離稼働ユニットと強襲ユニットを併用した上で全身用ステルスコートを着用。空戦仕様のB小隊のHAは砲撃ユニットの一部を転用して、仮の陸戦機として運用する。無論B小隊も超長距離稼働ユニットの使用、ステルスコートの着用は絶対とする。
 長時間の作戦になることは必至である為、整備隊も宿泊設備を備えて随伴するぞ」

 モニタが切り替わり、第三戦隊が通ることになる道筋付近の、一週間後から二週間までの天候や空素濃度、空素比が表で表示される。


「一週間後からピークに迫ると思われるこの稀な空素帯によって、電波等のレーダー類は勿論、最悪視界にも障害を及ぼす。先程同じようなことを言ったが、今回はこれを利用してボーゲン・システムや監視網を突破する。
 空素の変動が影響されづらい空中ではステルス戦闘機を用いたとしても、低周波レーダーや空素探知レーダーで発見され、戦車の類では長距離移動やステルス性能に難にある」

 ――これは、陸路を走破するHAを使わなければ成立しない作戦だ。

 ヴェイトン中佐の声がブリーフィングルーム中に行き届く。


「君達、いや、畏まるのはやめだ。お前達になら出来るさ。何故なら、第三遊撃実験戦隊は勝ち戦しかしないからな」

 中佐が笑う。

「いやはや、こういう時は皮肉も良い風に捉えられる」



   ***



「それにしても、今回のルイス基地攻略作戦は滅茶苦茶な作戦だな」

「お前の取材ノートの内容の方は色々な意味でごちゃごちゃさ」

 カルロ・サイトウの言葉にヴェイトン中佐が答える。

 二人は今、フィアナ基地戦隊区にあるトレーニングエリアの操縦室にいた。
 操縦室とはいえ、実際にある何かを操縦する為の場所ではなく、HAや戦闘機用の操縦訓練設備が整っているという意味での操縦室である。

 操縦室は彼らだけしかいない。
 操縦室を好き好んで利用する局員は少ない。
 利用する為の条件や規約が多いことが主な原因であり、現在の閑散とした状況は中佐からしたらいつも通りと思えた。

 サイトウはそこで、操縦室の一角にある球体の形をした真新しい装置の中にいた。
 そこはHAのコックピットを模した造りとなっており、内部は現行機の中で最新であるCLC-03・ルーグのそれと酷似していた。

 中佐はその設備の傍にある端末を用いてサイトウと会話している。


「カルロ。命知らずのジャーナリストとして第三戦隊と同行することは上の許可も貰っているんで構わないが、外部に情報を漏らすなよ」

「言われなくとも分かっている。当然のことだ。そもそも俺の同行が決まり、最新型のHA訓練機を使用する許可を貰ってからは、カメラの類は区画を移動する毎に念入りに確かめられ、作戦が終わるまで基地の外へ出ることも禁止された身だ。何か不正をする気も起きんよ。
 それに俺はジャーナリズムを盾にして好き勝手動き回り、それが英雄的な行動だと自らが大々的に世間へ発信する同業者が大嫌いなんだ」

「そうかい」中佐の口角が上がる。

 やはりサイトウは変わっていない。
 そう中佐は思った為に控えめに笑った。


「それで」中佐の笑いを気にせずサイトウが操縦席を見渡す。「まずどれを動かせばいい?」

「そちらから見て前方に長方形をした多目的ディスプレイがあるだろう」

「ああ」

「それの下にある警告ランプ・ミサイルランプ――総称警告パネルの左にある、ジェネレータ・空石炉起動系をオンにしてロックするんだ」

「これか」
 サイトウが中佐の指示に従い、起動系のレバーを捻り固定する。

 するとメインモニタ等の画面が点灯した。
 画面には一面の荒野が移り出されている。中佐が設定した環境である


「次は左右のコンソール群と二本のスティックの間にそれぞれあるスロットルレバーをミリタリーの位置へ。
 左は戦闘機と同じ役割を持つスロットル、右が人工筋肉の出力を調整するレバーだ。それを動かせば、HAは動くことが可能になる」

 サイトウが両方のスロットルを動かすと、ツインディスプレイに〈スロットル;MIL〉〈アーティフィシャル・マッスル;MIL〉〈以上の入力は正常に実行されました〉と英語で出力された。


「多目的ディスプレイの上にあるサブモニタの左右にあるツインディスプレイに実行結果が表示されたか」

「ああ。ここに入力されたことが映し出されるのか」

「設定やモード変更で変わるけどな。ツインディスプレイには様々な情報を一挙に確認する為にある。入力結果や異常、警告、使用兵装等の詳細はそこを見れば大抵分かる。
 視界を狭めないように、それは初期設定で透明になっているが、透過率も設定で任意に変えられる。さて、次は何を説明すればいいんだ?」

「ふむ。そうだな……これからこれを操縦する前に計器類や画面の類を教えてほしいな。マニュアルは呼んだが、人の口から説明を聞くのも違う感じ方が出来るだろうからな」

「熱心だな。嫌われるぞ」

「ギュスだから言っているようなものだ」

「そうか。俺もとんだ貧乏くじを引いたものだ」

「どこの組織でも中間管理職は大変そうだな」

「やりがいがある。そう言い訳しておこうか。説明を始めるが、正直区別して説明するのは面倒なんで、前の機器から順々に説明するぞ」

「構わない。よろしく頼む」

「最初は画面類だな。パイロットの視野の殆どをカバーし、カメラから取り入れた映像を出力するのがメインモニタだ。これは一部が破損しても機能するようにある程度画面は分割されて設置されている。
 戦闘機と同じ役目のHUD、先程説明したツインディスプレイの説明はしなくてもいいか」

「ああ」

「次はサブモニタ。これは主にレーダーの確認に使用される。レーダーが得た情報はそこに出力される。サブモニタの左右にあるランプはレーダーモード等の使用やミサイルの発射等よって点灯、点滅するようになっている」

「その下が多目的ディスプレイ」

「そう。それは文字通り多目的に使われるものだ。この訓練設備のそれはタッチパネルを採用しているのでキーボードの代わりも出来る。そこで各部位の状態を確認出来たりする。
 コンピュータでいうショートカットが各項目分用意されていて、そこをタッチすることで見たい情報を確かめられる。元々のキーボードは警告パネルの下に収納されているぞ」

「これだな」サイトウがキーボードを引き出す。「やはりコンピュータのキーボードと同じか」

「キーボードを使えば、自分で詳細な情報を集められる上、もしもの時はそれでHAを操縦することが出来る」

「操縦か。聞いたことはある」

「コマンド方式。例えば“RUN”と入力すれば走るし、“FIRE”や“SHOOT”、“SHOT”と入力すると武器の引き金を引ける。大変ではあるが一番確実で信頼性の高い操縦方法だ。……次に進もう」

「分かった」

「警告パネルの左側はジェネレータ・人工筋肉起動系と説明したな。それの反対の右側にあるのは警戒パネル。それは警告パネルにあるランプ群の設定やレーダーモードの変更等に用いる」

「成程」

「大体、前方コンソール群はそれくらいだな。前面機器の下にあるペダルは後で説明するとして、次は右側コンソール群の説明に入ろう」

「ああ」

「右側にあるにはスティック、人工筋肉系スロットルレバー、センサーモードセレクタ、インデックスコンソール、駆動・燃料系モードセレクタ、ワーニングモニタ・コンソール、コックピット開閉コンソール、アポジモーター・マニュアル起動スイッチ等がある。順に説明するぞ」

「ああ。それにしてもHAの操縦系というのは、前時代の戦闘機並みではないものの複雑だな」

 サイトウが漏らした言葉に中佐は記憶のフラッシュバックが行われる感覚を察知した。

 蘇る記憶。

 それは丁度二年程前の記憶で、シチュエーションも今の状況と似ていた。

「懐かしい」その声色は感嘆を含んでいる。「隼も始めてHAに搭乗した時にそんなことを言っていた気がする」

「隼か。確かにあいつは生粋の戦闘機パイロットだったからな。昔からよく戦闘機と比べていた」

「そうだったな――いかん、このままだと脱線して話が長くなるな。説明をしつつ進めよう」

「同感だ」

「スティックは左のやつと同時に説明するとして、センサーモードセレクタは言葉通りレーダーやカメラ等のセンサー類のモードを選択するもので、モードの種類は長距離索敵、赤外線索敵、レーザー索敵等様々だ。火器管制システム、FCSの変更を行う箇所だな。
 それの下にあるのがインデックスコンソール。こちらは機体全般の設定の変更を行う。動作角度の調整、ペダルやスティックの抵抗力、点検……。
 それで隼といえば、何故隼の取材をお前がやらなかったんだ」

「インデックスコンソールやら、一つに名称をまとめると単純そうに思えるが、こうして実際に見てみるとスイッチの数は多いな。
 ――取材のことか。隼への取材を鈴木がしたのは鈴木自身の希望だ。それに、知り合い同士で行わずにするのも必要だと思っていたからな、鈴木の提案は丁度良かったよ」

「駆動系・燃料系モードセレクタは機体が行う動作に対してモード変更を行う部分だ。点検、戦闘機動、運搬、巡行等など。モードを変更するとコンピュータが人工筋肉等の出力を微調整して、機体が各動作を行うのに最適な状態にしてくれる。
 ――隼が愚痴っていたぞ。“宇宙人の気分を味わえたとな”」

「《戦闘機動》モード……戦闘機でいうドッグファイトモードみたいなものか。
 “宇宙人”か。確かに鈴木はギュスや隼らシエルの住人をそういう風に捉えている節はある。テラン及びアーシアン、そしてシエリアン。つまり地球人とシエル星人。
 鈴木からすると自分は地球人で、隼は地球生まれのシエル人として見ているのだろうな。
 ……俺も鈴木もここに来る前に地球人としての証拠を確かめられた。海外に行くとパスポートの提示を要求されるようなものだったが、その時の鈴木は感動していたよ。“ここだと日本やアジュア等国籍は関係なく、地球人という括りでシエルの人ではないかどうか確かめられるんですね”とな」

「ワーニングモニタ・コンソールやアポジモーター・マニュアル起動スイッチは、パイロットの意志で機体に信号を送れる点は共通している。
 ワーニングモニタ・コンソールは各部の状態を、アポジモーターの方は各推進器の状態を一つ一つ確かめることが出来る。
 ――“シエル星人ではない”、ノン・シエリアンか」

「そう、ノン・シエリアン。取材して分かったが、シエル星の局員は地球を外国のように話し、地球人はシエルを海外のように思っている。言葉で表せば同じ意味と言っても支障はないが、双方の認識には大きな違いがある。
 コックピット開閉コンソールとやらは文字通りの使い方でいいんだな」

「話を続けてくれ――ああ、その制御盤はコックピットの開閉を行うものだ。緊急脱出の際にもそこで操作して実行させる。それで右側のコンソールの説明は終わりだな」

「次は左側のコンソールか。
 話を続けると、シエル星の方の外国は別の星という意味合いが強いが、地球の方はただ海外という意味合いが強い。ギュスが知っているかは分からないが、地球だとな、ここは陸か海続きという認識の延長線上にある単なる国でしかない」

「左側には、スティック、スロットルレバー、武器選択パネル・モニタ、各部警告灯・スイッチ、予備モニタ、人工筋肉マニュアル起動スイッチ等がある。
 ――カルロの話が正しければ、シエル“星人”が用いる地球人という呼び方は地球という“星”に住む人であり、地球が用いるシエル“人”という呼び方はシエルという“国”に住む人となるのか」

「その通り。昨今の二つの星の間の認識の差異は探せばすぐに見つかる。生まれた星の違いだけならば民族性の違いとでも説明出来るが、地球生まれでもシエル星で暮らすことで人の認識が改められるのが現状だ。
 スティックの説明は後回しだったな」

「ああ。左コンソール群は、ふむ、特に左側のコンソールのことでわざわざ説明をすることはないな。武器選択パネル・モニタや各部警告灯・スイッチ、予備モニタは名前通りの役割で、人工筋肉マニュアル起動スイッチというのも、先程話したアポジモーターのやつの人工筋肉用だと思ってくれれば構わない。
 そうなる理由は解明されていないのか。」

「解明されていない。空素や環境が影響しているという説があるが証拠はない。それに、シエルに移住しても認識が変わらない人がいる一方で、シエル生まれの一般人でも地球は“国”と認識している者もいる。そうすると、“国”という捉え方が双方の一般的な認識となるが、“星”という認識を持つものはシエルに住む人に多く見られるのも事実だ。その割合は個人差で特殊なケースだと無視出来るものではない」

 中佐が傍らに置いておいたペットボトルに口をつける。中身はミネラルウォーターだ。
 サイトウも中佐の動きを追うようにして操縦席のラックに固定していたミネラルウォーターを口に運んだ。
 一度会話が途切れたことで、操縦室に静寂が戻る。
 唯一ある音は、サイトウのいる操縦設備のメインモニタに設定された荒野から聞こえる音だ。

 乾いた風の音。

 砂塵がHAに当たる音。

 小さなノイズ音。

 中佐は何気なしに辺りを見渡す。
 白と、濃淡の違う幾つか灰色で配色された操縦室は無機質的だ。

 そして冷たい。

 中佐の体が震えた。
 冷えたミネラルウォーターを飲んだせいもあるが、現在の部屋の状況が中佐の体感温度を下げているようだった。


「コンソールの説明は終わったので、次はスティックとペダルの説明に入るか。それが終われば仮想空間での模擬戦闘だな」

「模擬戦闘か。勿論興味はあるが……最新の耐振動機器が投入されているとしても吐く自信があるぞ」

「そこは大丈夫だ。今回は揺れない設定にしてある。HAに初めて乗って嘔吐しないのは戦闘機のパイロットや曲芸師くらいだ」

「隼はどうだった?」

「吐くことはなかったな。私見ではあるが、最初の実操縦の時の隼はある種のプライドで持ちこたえていたと思う」

「ほう。隼らしいことだ」

「俺もそう思ったよ――さあ、説明を再開しよう。記事に書くのだろう? ならばちゃんとしないとな」

「当然だ。始めてくれ」

「了解。まずはスティックだが、二つのスティックの形は戦闘機の物を参考にしている。最初に左右のそれの共通点を言うと、両方には圧力センサーが組み込まれていて、二つともガントリガーがあり、他には武装選択スイッチや自動照準スイッチが共通である。利き手によって変わるが、普段はどちらかの圧力センサーのみを使い、片方は予備として停止してある」

「このセンサーで人工筋肉の力加減を調整するんだな」

「そう。人間が力を込めるように、HAもそれと同じことが出来る。ガントリガーが二つあるのは説明しなくてもいいだろう。とりあえず右スティックの機能から説明するぞ。
 右にあるのはマニュアルで頭部の向きを変えるスイッチ、あらかじめ設定した動作角の中から任意のものに切り替えるショートカット・スイッチ、武器発射スイッチだ。武器発射スイッチは手に持った武器以外の火器を用いる際に使う。そうそう、動作角というのは分かるか?」

「ああ。一回のスティックの傾きで何度腕が動くというやつだな」

「正解。スティックからだと数通りしか選べないが、インデックスコンソールや多目的ディスプレイを用いれば、その都度動作角自体の変更が出来る」

「左スティックもスイッチの数は変わらないな」

「役割は違うがな。左スティック特有のものは、姿勢制御スイッチ、旋回スイッチ、動作固定スイッチだ。左腕用の動作角ショートカット・スイッチはスロットルレバーにある」

「名称で大体の役割は分かるが、ややこしいな」

「人型だからな。“人材コストが見合わない”等とHA反対派の主張によく使われているよ。
 姿勢制御スイッチは腕や脚を曲げる時にオンにする。
 旋回スイッチは名前通り旋回する際に、入力した動作を維持するには動作固定スイッチを使う。まあ、これの固定は強制レベルが低いから、接敵等の場合は無視される。無論強制レベルの変更は行え、パイロットの利き腕や好みに合わせてスイッチの位置やスティックの役割を左右逆転出来る。サイトウは右利きだからこのままで大丈夫だろう」

「カスタマイズ機能か。しかし、パイロットが好き勝手いじくると困るのでは」

「戦闘等の緊急時を除いて整備担当や上司に許可を貰わなければカスタマイズは出来ない。緊急時も後で報告書に変更をして、その変更は直したか否か、否であれば変更を継続するかどうかを書かないといけないようにしてある」

 中佐がミネラルウォーターを飲む。
 ペットボトルの中にある水は三分の一以下の量まで減っていた。


「後はペダルの説明か」サイトウが来客用マニュアルで今までの説明を確かめつつ言った。

「そして模擬戦闘だ。ただ、ペダルの説明なんて特にないぞ。確かに自動車や戦闘機のペダルとは違うが」

「315度ペダルという方式だな」

「その通り。HAの二つのペダルは前に踏む以外に、後ろを除いた315度の方向に踏み込めるようになっている。右ペダルを任意の方向にゆっくり踏み出すと、その方向へ歩き、強く踏め出せば走る。
 コンピュータにあるマウスをクリックするように踏んですぐ戻せばジャンプだ。ジャンプの高さは僅かな跳躍準備時間内にペダルを連続で踏んだ数で変わり、跳んだ後に再度右ペダルを踏めばブースタが点火する」

「左ペダルはバック用だな」

「概ねそうだ。左ペダルを正面に踏めば前を向いたまま後ろ歩きを始める。空中で踏むと、機体を後ろに下がらせる為に姿勢とブースタの向きを変えて後ろに飛ぶ。それと左ペダルは動作のキャンセルにも使われる――っと、こんなところか。これで一応模擬戦闘は出来るだろうよ」

「マニュアルを読み、関係者の話を聞いただけでは上手くならんさ。出来るかどうかも分からん」

「出来ないからって責めることはしない。当人にやる気があるのならばな」

「分かったよ。ギュス」

「ん?」

「隼はどうだった」

「隼の?」

「始めての模擬戦闘の結果だ」

「あいつのか」中佐は軽く頭を掻いて記憶を探る。「今回やるやつよりか、内容やら設備やら何もかもが違うから安易に比べられないが」

「それは俺でも分かっているよ。隼人のそれを聞いたのは、知り合いとしての純粋な興味からだ」

「そうか。細かい数字は忘れたが」遠い目をした中佐は前置きをしてからこう言った。「あいつは、隼は昔から優秀と言っておこう。例え乗り物が違っていたとしても、第三次世界大戦の空を生き残り、如月の姉妹を墜とした腕は伊達ではない。伊達になっていない」

 そこで一度区切り、ヴェイトン中佐の口が再び開く。


「昔も、今も、そして――」


 ――これからも。



[27532] ノン・シエリアン#3.5
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/07/27 00:47
 ヒューマノイド・アームズ(如月)解説

   0 番号、所属等

   機体・シリアル・ナンバー………07491

   所属部隊別ナンバー………………CWA‐FIA‐HA‐Ⅲ‐01002

   機種―――――開発ナンバー……CLX‐05C
       ――制式名称……………CLC‐03/B(type‐Omeli)
       ――呼称…………………ルーグ

   所属…………………………………シエル管理局実動隊・西方軍・フィアナ基地戦術混成軍団・第三HA遊撃実験戦隊A小隊二番機

   パーソナルネーム…………………如月

   全長…………………………………9.4m

   基本重量……………………………約10.8t

   持ち上げ限界重量…………………約6.1t

   全備重量……………………………約17.2t

   限界着地重量………………………約14t(ブースタ未使用)

   最大跳躍垂直高……………………約75m

   戦闘跳躍垂直高……………………約50m

   最高走行速度………………………約230km/h

   戦闘行動半径………………………約350km

 ※“約”が多いわけは、管理局からの情報公開がされておらず、推測の域から脱していない為である。
 ※FIAとはフィアナ(Fianna)基地の略称である。


   1 歴史
○HA開発史の起源として、多脚戦車等の輸送速度が高い兵器に対して優位に戦闘出来る兵器が必要になったことがよく挙げられている。

 第三次世界大戦後、商業連合残党軍の多脚戦車が残党軍、テロリスト問わず使用されるようになり、そして不可解なことながらその勢力が衰えを見せることはなかった為、国連と残党軍の戦闘は表面では終わっていたが、裏では泥沼化していた。
 複数の多脚戦車との戦闘は、歩兵だけの部隊では勝利は困難であり、一方で戦車では現場に運ぶ行為自体が容易ではなかった。
 多脚戦車を用いて敵勢力に対抗する案が提案されたものの、国連側の軍需産業は多脚戦車の脆弱さ等から、閉所での扱いを除いたあらゆる点で批判的でその案は頓挫する。

 その時、多脚戦車案の代わりに生まれた案が新機軸の兵器の製造であり、その試みによって、後にヒューマノイド・アームズ――略称HAが戦場を駆けることになる。

 多脚戦車は対人戦以外では中途半端であった為、逆に多脚戦車を先鋭化させて特化させる考えを、ロボット工学の権威で以前は商業連合で多脚戦車の開発を指揮していたマグナス博士が提示、アジュア王国が博士の案を採用したことで、二脚型の戦車の開発が始まった。

 多脚戦車はキャタピラ戦車と比べ表面積があり、機動性を損なわない為に戦車以上の防御力を確保出来ず、多脚故の脆弱部分の多さに加え脚一本なくなるだけで急激に戦闘能力は低下する。
 その上整備性が悪く、また整備の難度が高く、重多脚戦車以外は戦車砲を扱えないといった欠点があった。

 これ程欠点がある兵器が制式採用された裏には商業連合軍事企業側の存在があるのだが、その話は割愛する。

 HAの開発理念は思い切って脚の数を減らし、二脚、つまりは人型にすることで、戦車という分類から抜け出せなかった多脚戦車とは違い、今までになかった方向性・運用法を内包した兵器開発の模索とも言える。

 多脚戦車のように戦車と比べて横に広げるのではなく、縦に伸ばす。

 戦車の比ではない程の表面積が生まれてしまったが、そこは運用方法や投入する戦場の種類によって戦車との差別化を図ることで、その欠点を塗りつぶすことが出来た。

 アジュア王国が提示した条件は多々あるが、纏めると以下の10項目に集約出来る。※10項目は順不同であり、全てにおいて及第点を貰うことが必要だった。

 1――市街戦等、障害物が多い地域でも発揮できる機動性。

 2――どんな地形でも一定以上の走行が出来る走破性。

 3――地形を利用できる性能、形。

 4――輸送機(専用の輸送機の開発も並行して行うこと)で同時に数機輸送出来る軽さ。

 5――停止状態でも良いので、戦車砲級の大砲が発射可能。

 6――最低でも歩兵の対物ライフル、一番丈夫な部分で20ミリ機関砲に耐えられる装甲を有する。

 7――戦車と同等以上の速度が出せる。

 8――戦術次第でキャタピラ戦車にも勝てる。

 9――戦闘機より安価。燃費や整備性が良好。

 10――新兵器製造には多脚型・キャタピラ戦車の工場を転用出来る。

 一見して無理難題とも言える要求だが、結果的に、計画が開始されて一年も経たずに試作機が出来、そして数年で実戦に耐えられる水準までHA技術は発展する。
 それは博士含め様々な方面にいる博士らの長年の研究や、稀有な経緯があったからだろう。

 元々二脚型のロボットは今世紀初頭、つまり多脚型戦車開発の時期から商業連合を中心に行われていたが、技術面や当初の軍関係者の考え方から多脚型戦車開発に重点が置かれ、二脚型兵器の開発は頓挫した経緯があった。
 その際に得られた研究データが数十年後、こうしてHAの短期完成に繋がったことは奇妙な縁である。

 先鋭化という最初のコンセプトに則り、汎用機や多脚戦車に似る性能を持ったHAは作られていない。
 ただし、兵装の換装によって汎用性を高める試みや、パワードスーツ的な意味合いが強い装着型HAの開発は行われており、装着型HAであるHAS(Sはスーツの頭文字)はシエルの戦場に投入されている他、地球の警察等の治安組織にも試験運用されることになっている。

 戦車、多脚戦車の延長線上に位置するHAは二脚戦車とも言えるが、現在はHA――人型兵器という独自のものとして分類されている。

 HAというものが誕生してから二年半。第三次世界大戦からはおよそ三年半が経過している現在。
 将来的には宇宙開発用としての運用も検討されており、実際に宇宙用HAの試作機が無重力での稼働を成功させている。
 その異常とも言える人間の成長力の速さは素晴らしいと思う一方、私は同じ種類の生き物として恐怖を感じる。



  2 機体概要
○CLC‐03/B・ルーグは対多脚型戦車兵器の他に、対戦車兵器としての側面を兼ね備えている。
 それはシエル管理局が所有するHAの共通した特徴で、地球よりも戦場が広いシエル星では、残党軍は通常の戦車や、多脚重戦車も多く投入している故の特徴である。
 その為、管理局のHAはそれらの兵器に対処出来る様にされている。
 HAは、9メートル前後という巨体故、多脚戦車や戦車よりも高性能な機器が積まれている為総じて高性能である。その分、被撃破の際のリスクは多い。ただし、戦闘機程ではない。


○動力源は、管理局の空工学の工廠で作られた、LC(ラピス・シエル=空石)‐183炉で、ルーグの為に新しく製造された空石炉である。
 空石炉の特徴は、放射能汚染の無い核融合炉の様なもので、燃料切れは存在するが、時間を置くと自己回復するという性質がある。
 安定性が低いという、兵器としては致命的な欠点を持つが、それはオメリの如月を搭載することで補っている。
 その特性から、他のHAで空石炉を搭載しているのは極少数に留まっており、大抵のHAはバッテリーと専用燃料の混合動力である。一般的なHAと比べ、ルーグの空石炉の方が優秀ではある。


○外見は、整備性を考慮し、兄弟機のCLG‐04とほぼ同じで、高い互換性を有している。
 頭部にはメインカメラ、収納式のツインアイ、後方警戒用のカメラを備えているが、破壊率が高いという考慮から、上半身の映像入力機器と比べ安価に済まされている。
 収納式のツインアイの付近には、赤外線カメラと、レーザー照準器、暗視装置が備わっている。
 ただし、それらの機器も胴体部のものよりかは性能を落としてコスト軽減を図っている。

 胸部装甲は120ミリ戦車砲数発程度耐えられるが、同じところを射撃されると耐えきれない。
 四肢前面装甲の耐弾性は、当機が用いる57ミリ弾に耐える。一番もろい部分は機関砲でも貫徹されてしまう(弾の勢いを殺す処置はされている為、内部機器までも傷つけられることはまれである。)
 無論関節部は脆く、歩兵の対戦車兵器で容易に破壊出来てしまう。
 装甲には空術の技術を用いた空術加工が成されており、敵空術師の空術を拡散させる機能を持っている。

 カメラ等のセンサー類は頭部の他に、胸部前面後面、肩部、腰部等に設けられている。
 センサー類の各部は半独立しており、そこが破壊されても、他の部位に破壊が伝播することはしない。


○空工学実験機の側面も持つルーグは、人口筋肉装置も他のHAに用いられている高分子筋、専用液の装置とは違い、空工学筋と流体空素の装置を採用している。
 空石炉にはそちらの方が相性良く、また、空石炉の無駄にならない。
 様々な部分で通常の人工筋肉と同じ特性があるが、空工学人口筋肉の方が、環境適応能力が高く、また燃料費が安い(空石炉が自己回復する為。実質的な燃料費はゼロ。)

 動力源がバッテリーと液体空素のハイブリッドで、人工筋肉が空工学という機体もあり、管理局のHAはそれが主流(化石燃料等を用いる必要がない為、非常にクリーンである。加えて流体空素は自然の空素を加工しているものなら、実質材料費がゼロである。)


○座席は一人乗りだが、空術工学を用いたルーグはもう一人乗せるくらいのスペースがあり、改修すれば複座に出来る。

 HAは操作が複雑で、加えて、動作を簡略化すると人型のメリットがなくなる為、九割方タッチパネル式の戦闘機等が存在する二〇三〇年頃でも、アナログな操作方法の部分が多く、パイロットの熟練度で大きく性能が変化する。
 パイロットの技術や癖が動作に大きく反映するHAは搭乗者の実力に依存している部分があり、それ故人的コストが問題視されている。それがHAの短所であり長所とも言える。

 戦闘機で言う所のFBW(フライ・バイ・ワイヤ:パイロットの操縦を電気信号に変換させて飛行機を操縦する技術)のHA版が完成している為、アナログとはいえ、HA創成期のコックピットと比べたら、第二世代機のルーグの操作系は相当洗練されている。
 多脚戦車のノウハウと、天才とも称される奇人達の存在によって、僅か三年で実戦に耐えられるものが出来ている(先に述べたが開発期間を入れると、多脚戦車とほぼ同時期な為、二十年以上の歳月は経っている。)

 モニタ・ディスプレイの類は、半球上のメインモニタにHUD、HUDの左右にあるツインディスプレイ、HUD下部にある多用途ディスプレイ、またレーダー表示器にもなるサブモニタ。そしてウエポンモニタ等で構成されている。
 タッチパネルは多用途ディスプレイに採用されている。
 また、計器類の殆どはデジタル化されている。

 CLC‐03のコックピット改修機であるB型は、戦闘機用に開発されたHMDのHA用を制式採用しており、専用のヘルメットを装着し、それに設けられたディスプレイを通すことで背後の敵も察知出来るようになり、パイロットが向いた方角に、機体のカメラが動いたり、火器の標準を動かせたり出来る様になっている。
 ミサイルのロックオンも、パイロットが標的を見るだけで可能である。
 光学兵器による目くらましが懸念されることもあったが、HAならばそれは遮断出来る(一度画像処理してからモニタに出力されている利点。)HMDをナイトビジョンモードに移行することも出来る。

 B型になっても、スティック二本、スロットルレバー二個という形式は変わっておらず、一部のコンピュータが稼働しない場合でも、一定のマニュアル操作が可能になっており、これから先もマニュアル操作は必修のままであろう。

 脳波コントロールシステムというのもあったが、現在その技術自体は廃れている。
 しかしそれは機人が搭乗する際に一部が用いる、HAと直接繋がるリンクシステムに応用されており、一部のHAはパイロットと機体を直接繋いで操縦する物もある。
 けれども、人間の動作が機械の合理性を阻害、またはその逆が発生し、未だ良い結果は少ない(マニュアル操作を極めるか、AIによるオート操作を極めるかで、二〇三八年の今も論争が続いている。)
 ただし、オメリ自身が操縦する空工学HA(=CLC系統のHA)の結果は今の所は良好であるが、その事実が人間不要派・機械化至上主義に油を注ぎ、勢いをつけさせている。

 HMDがあるのなら、HUDは必要ないと思うかもしれないが、HMDが不具合、または破損した場合を想定し、A型にあったHUDは取り払われていない。ただしHMD使用時は電源を落としている。


○ノズルは推力偏向ノズルである。背部、肩部、脚の横に設けられている。
 ルーグの場合、燃料は可燃性の液体空素を使用しており、人工筋肉用に循環された使用済み液体空素を、内部の粒子変換機で性質を変えて再利用している。
 推力として用いることで劣化した液体空素を排出し、循環する液体空素の質を一定に保っている。
 緊急時には新品の液体空素を直接推進剤として用いる。
 また、新品の液体空素を犠牲に、循環する液体空素の劣化を抑止・浄化している。
 使用済みの液体空素を気体化し外に排出することで、一種のジャミングも可能。



   3 機体システム
○HA版FBWであるCBW(コントロール・バイ・ワイヤ)によって、パイロットが入力した命令は、電気信号化、その後各コンピュータに送られ、必要な演算がされ、各部位に入力、実際に出力される。
 パイロットの意思は、MCC(モーションコントロール・コンピュータ)、アクションコントロール・ユニット、中枢コンピュータの三系統に入力される。Omeri如月がそれらを仲介、または統括している。
 MCCは、各部に備えたモーションセンサの位置を常時把握・逐一更新し、それをコンピュータ内の疑似空間にある人形で即座にシミュレーションし、位置関係を認知。あらかじめ入力された各部の重量、重心を元に、機体のバランスをとっている。

 圧力センサーや、各コンソールから入力された動作関係の命令は、アクションコントロールや中枢コンピュータに入力されている。
 MCCが動作しなくなっても、アクションコントロール・ユニットと中枢コンピュータのみで、HAの操作が可能。
 最悪、全てのコンピュータが使えなくなっても、Omeri如月が生きていれば動作出来る。
 他には、アクションコントロール・ユニットのみでの戦闘も可能だが、様々な制約が生じてしまう。


○空石炉等のエンジンの制御は総合制御方式で、MCCや中枢コンピュータの情報を基に、パルスコントローラによって行われる。
 パルスコントローラは、空石炉用の特別なプログラムが組み込まれている。地球での活動もできる様に、モードの変更が可能。


○活動時間が短くなるが、重量が増えても、ビターな戦闘が出来る様に、コンピュータが勝手に人工筋肉の出力を変化させるプログラムも組まれている。
 それを転用し、負荷がかかる部分のみ人工筋肉の出力を高めることが出来、部位ごとの出力調整が細分化出来ている。



   4 火器管制システム
○ルーグの火器管制システムは、FC(火器管制)レーダー、IR(赤外線)レシーバー、空素受動レーダー、広域索敵受動レーダー、火器管制コンピュータ、MCC等によって構成され、その全てを戦術コンピュータが総合制御、中枢コンピュータとOmeri如月がバックアップする。


○基本的にHAは稼働の自由度を優先してか、固定武装を持っている機体は少ない。
 しかし出撃時に、12.7ミリ機関銃を腕部辺りに装備したりする等、後付けながら、半固定武装化している物もある。


○主な武装として、手に持つタイプの兵器では、57ミリ自動小銃、30ミリ七銃身機関砲、40ミリ短機関銃、105ミリ狙撃銃、120ミリ対戦車ライフル、57ミリ散弾銃、高周波ナイフ、CLソード、対戦車ミサイル、地対空ミサイルランチャー、不可視波長レーザーライフル等。
 背部のバックパック部のハードポイントに装着するタイプでは、120ミリ戦車砲、140ミリ戦車砲、30ミリ七銃身機関砲、20ミリ対空機関砲、赤外線ミサイルランチャー、セミアクティヴ・アクティヴミサイルランチャー、不可視波長レーザー砲等。

 他には、肩部に装備する追加装甲や、HA用の盾や、腰部に装備する追加ブースタ等、様々な追加装備がある。



   5 追加兵装
○HAは作戦の内容によっては、大規模な追加兵装を装着し、機体の特徴を一新出来る。以下に、よく名が知られている追加兵装を記す。

○追加人工筋肉。または動作アシスト、強化骨格。
 表面積が大きくなってしまうが、運動性が向上する。
 主に腕部や脚部に装着され、機体から電力を得るタイプと機器本体に動力源を備えているタイプがある。
 当然、装着すると重量が増すが、動作アシストの重量の大部分は、アシスト自体が支えている為、動作が鈍重になることはまずない。
 脚部の追加人工筋肉は、追加装備等の装備をする際は、重宝されている(まともに走ることが出来ない為。)


○飛行ユニット。
 HAA(=CLA:AはエアーのA、空中戦機の意)からヒントを得た装備で、CLA程の機動性は得られないが、300キロ以上(CLAは500キロ以上を出せる)の速度は出せ、ローターを両翼に備えることで、垂直離着陸やホバリングが可能。航続距離は伸びるが、燃費は悪くなる。
 ユニット自体に空素ターボシャフトエンジンや普通のターボシャフトエンジンが備えられており、機体本体のブースタも併用して飛行する。
 このユニットを装着した際の重量は16トン前後になってしまい、強化骨格による動作補助が推奨されている。
 また、ジェットエンジンを推進器に用いるタイプの飛行ユニットもある。


○電子戦ユニット。
 バックパックにレーダー等を追加することで、高度な電子戦に対応出来る様にしている(通常のルーグでも高性能な電子戦装備を備えてはいる)。
 AWACS機には負けるが、従来の戦闘機よりも優れたレーダーを装備することで、空爆を事前に回避出来る。
 レーザー狙撃機は大抵このユニットを装着している。
 装備重量は14トン前後。
 レーダー範囲は200キロ以上だが、シエル星では100キロ未満、最悪10数キロ未満まで低下してしまう。


○水中戦ユニット。
 推力装置を全取り替えし、機体本体も耐水、耐圧装備される為、陸上での戦闘力が激減してしまう。
 武器は魚雷が中心となる。レーダーもソナーにとってかわる。
 見た目が大きく変わり、全くの別物の様な外見になる。
 HAM(=CLM:MはマリンのM、水中戦機の意)の性能に近づけることが出来、十分な水中戦性能が備わる。
 水中用索敵ユニットなる、水中での電子戦ユニットもある。


○砲撃ユニット。
 主にHAG(=CLG:GはグラウンドのG、陸戦機の意)に追加装甲等、重武装化し、移動砲台として用いる。
 この装備をする際は、強化骨格は標準装備になる。
 走ったり、跳んだり出来なくなる代わりに、足にローラーを備えて、それで走行する。
 走行速度は100キロ程。
 脚部の関節は半固定化され、上半身の重量増加に耐えられる様にされている。



   6 その他
○現代の戦闘機も搭載されているAESAレーダーをルーグも搭載しており、レーダーの向きを変えずに、全周囲を探知出来る。
 ルーグの最大レーダー範囲はおよそ100キロと言われているが、空素の存在によって、平均で50キロ前後しか効果がないと予測される。
 無論高濃度の場所では最悪さらに狭くなり、そして使い物にならなくなる。

 戦闘機のレーダーと比べてレーダー距離が短い理由は、HAの主戦場が地上である為と、電子戦機の情報を共有して運用することを前提にして作られているからであり、その考え方はコスト抑制にも貢献している。

 また電磁波を受動する極小さな装置を機体表面に備えている為、アクティヴミサイル攻撃や、相手のアクティヴレーダー等に即座に反応し、レーザー照準器にも反応する。


○HAは、戦闘機等と同様の戦況リンクシステムを備えており、近くにいる味方機の情報を自分の機体に反映出来る。
 例えば、電子戦機が、通常のHAよりも優れたレーダーで遠方の敵を発見した際、リンクしている機体のレーダー表示器にその情報を表示することが可能等。


○不可視波長レーザーとは、文字通り目に見えないレーザーであり、高出力のレーザーを照射し、敵の装甲を焼く、または内部の可燃性の物質に引火させて標的を破壊する。
 射程距離は100~250キロ(シエル星では空素の量で距離が変わる他、地球でも環境で射程距離が大きく左右されてしまう。)で、見えない・弾速が光速等の要因により、基本的に回避は不可能である。
 戦略兵器を除いた最強の槍とされている。

 ただし欠点は多く、まず大きいこと。
 飛行機は旅客機クラス(AWACS機等)、戦闘機に装着しようとすると十分な火力・距離が出せず、機動性・旋回性能も著しく低下してしまう為、レーザー戦闘機は実戦配備されていない。

 HA用のレーザー兵器は、手に持つタイプは分解して運び、背部にマウントするタイプは、折りたたんでやっと運用出来る。
 人型兵器の汎用性のおかげで何とか装備出来ているが、装備中は機動性や運動性等の通常の戦闘能力が著しく低下してしまい、使いどころを間違えると全く役に立たない。
 そしてレーザー兵器は戦略兵器と比べて圧倒的な力がなく、運用方法も限定されている為、レーザー革新の様な出来事がなければ永遠の日蔭者だろう。

 二つ目の問題として、とにかく燃費や耐久性が悪い。
 HAの物は、十発以下で内蔵したバッテリー弾倉が切れてしまう上、内部の集束器等も交換しなければならず、その為の交換部品を装着することで、さらに重量が増加してしまう。
 加えて製造費、維持費が高く、技術の漏洩を防ぐ為に使い捨ても出来ず、使用後は無用の長物と化し、デッドウェイトになってしまう。

 しかし、その欠点を無視してでもその性能は魅力的であり、イージス艦や一部の防衛システム等に組み込まれている。ミサイルのように地上から戦闘機を撃ち落とせる数少ない兵器でもある。


 ――以上のことからHAは、得手不得手は勿論あるものの、シエル星に限らず地球でも十分な戦果を挙げられるだろう。


 ※一部情報公開されていない為自分の推測が混じっているが、第二世代HAがこの様な性能を有していることは事実である……。



   ***



 カルロ・サイトウは手に持ったノートとシャープペンシルを机におき、傍らに置いておいたコーヒーを飲む。

 シエル産のコーヒー豆を使ったものらしいが、サイトウの口には合わなかった。

 そもそも、彼の知人であるギュスターヴ・ヴェイトン中佐や篠崎隼特務少尉曰く、この基地のコーヒーは不味いと言われていた時点で、ここのコーヒーに味を求めることを諦めていた。
 ただ、わざわざ高額な地球産の輸入品を買う程、良質なコーヒーに飢えているわけでもなかったサイトウは、別段今飲んだコーヒーに文句を言うことはなかった。


「はあ」サイトウは用意された部屋で溜息をつく。


 フィアナ基地広報区画にある一般来客用の部屋は可もなく不可もなくといった様相で、サイトウとしては十分なものだった。

 卓上ライトのみが点いた部屋はどこか哀愁がある。

 サイトウは背伸びをし、備え付けの時計を見る。

 0時24分。

 日付が変わっていることにサイトウは今気づく。
 ヴェイトン中佐先導の下で行ったHAの操縦体験を終え、シャワーを浴びるなどして就寝の準備を整えたサイトウは、睡魔に襲われている眼と疲弊した体に鞭を打って机にむかっていた。
 それがおよそ二時間前の事である。

 サイトウが机の上に視線を落とす。
 そこにはノートとシャープペンシルなど文具一式、ノートパソコン、そして空のコップがあった。


「寝るか」
 そう言い、卓上ライトを消したサイトウは腰をあげて、歯磨きを済ませた後メイキングがされたベッドに向かう。

 無論彼の言葉に返事を返すものはいない。
 サイトウのそれは、自分の中のスイッチを切り替える為の言葉だった。
 
 ――概要の中でギュスに指摘された個所はあらかた直した。
「後はノートパソコンに清書をすれば、一先ずは終わりだ」

 倒れこむようにしてサイトウがベッドに入る。

 仰向けになる。天井を見た。
 少し無機質な感じはするものの、ビジネスホテルの変わりない天井がそこにはある。

 地球のビジネスホテルの様。

 けれど、ここはシエル星である。

 サイトウが生まれた星とは違う異星の地にある建物の中だ。

 しかし、ここには地球人がいる。そして彼の知人もいる。
 サイトウは彼らに関する昔の記憶を掘り出すが、すぐにやめた。


「全く、分からないことだらけだ」
 そう呟いてサイトウはまぶたを閉じた。
 すぐに彼の意識は夢の彼方へ飛ばされる。

 外は夜。

 今日のフィアナ基地は薄暗い紫色に染まっている。

 紫がかった月は人を不安定にさせる程官能的だ。

 紫の夜。

 夜の空。

 空は紫。

 シエル星も夜が訪れ、朝が来る。

 色は違えども、きっとそれは地球と同じだ。



[27532] ノン・シエリアン#4
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/07/17 15:28
 篠崎隼。

 その名は第三次世界大戦を戦い抜いた英雄の一人として、日本帝国の民は勿論、他国にも知られている。

 訓練生時代から戦闘機乗りとしての類稀なる才覚を周囲に知らしめた隼は、初陣において、そしてその後の大戦においても、周囲の期待を裏切ることはなかった。

 右翼に目を模した白い幾何学模様が入った戦闘機の存在は、共に空を舞う味方を鼓舞し、敵勢力の脅威として存在し続けた。


 空素で動く軍用車、悪路を走っている為に揺れ続けているその中で、カルロ・サイトウが腰をおろしていた。

 サイトウは車両に備え付けられたモニタに映るHAを見た。
 脚に長距離走行用人工筋肉ユニットを追加し、背部に強襲ユニットを装備した姿は、一見すると全く別の機体に見える。
 けれど、サイトウはそのHAが如月で、それに乗っているのが隼であることは知っていた。

 整備兵等が乗る車両から幾分離れ、先行する形で走り続けている第三HA遊撃実験戦隊のHAは皆重装備で重たそうに思える。

 こんなことにはならなかったはずだ。

 サイトウは如月を、それを操縦している隼を思い、そう感想を漏らす。声には出していない。ただ、微かに苦笑していた。

 仮定の話で――仮定。それはただの馬鹿げた夢想内での可能性のことが多いが――今も隼が日本空軍にいたのならば、こうして異世界の地を駆けまわることはなかっただろう。
 大尉の座を約束され、本人が望めば佐官にもなれる程の知識と実績、そして何よりも実力を備えていた。

 サイトウの中にある篠崎隼像はそういう優秀な男として形成されていた。
 それは上司であるギュスターヴ・ヴェイトンやセレン・アテナも認める紛れもない事実である。
 確かにコミュニケーション能力や性格等、出世するにはマイナスの部分もあったが、それも個人差としての範疇に収まる程度のものだった。

 軍人時代の彼には理解してくれる友人がおり、同僚からも嫌われていなかった。
 尽くしてくれる幼馴染――恋人もいた。
 幼少の時分から夢みた職業に就けていた。
 順風満帆な人生を送れていたはずだった。

 しかし、今、隼は殆どを捨てて異世界にいる。
 今の彼は戦闘機にすら乗っていない。

 サイトウはその理由が分かる。それはヴェイトン中佐も知っていることだ。
 サイトウは再度モニタを見る。

 姿形は原型であった多脚戦車から大きく変わり、種類や存在価値も戦闘機と全く異なる兵器。
 ヒューマノイド・アームズ。
 ただし、以前に隼が乗っていた戦闘機とHAには唯一変わっていないものがある。

 如月の存在だ。

 隼が如月と出会ってから、隼自身の人生は大きく変化し始めた。狂い始めたとは言わない。
 別段、そのことでサイトウが隼に対して忠告はしても、何か強制することはなかった。
 逆に、大戦終結直前の出来事から、戦後の隼に訪れた嫌気が差す事柄の連続を考慮すると、シエルにいることは彼にとって良かったと思う程だ。

 無論、彼を想う女性のことを考えれば、サイトウは無条件に隼の味方をする気はない。

 篠崎隼。

 サイトウは口を開く。


「死ぬなよ。この大馬鹿者が」


 ――彼女からの依頼を訃報で済ましたくはないしな。

 モニタ上に映るHAに向けたサイトウの声は小さく、走る際に生まれる振動の音のよって、誰の耳にも届くことはなかった。



   ***



 第三戦隊は道中、特に大きな問題もなく目的地近くまで到着していた。

 脚部の筋肉疲労等の長距離走行故の問題は発生していたが、それは想定の範囲内の出来事であり、また同伴する整備兵と簡易整備用車両が有す設備によって満足な整備が施されていた。

 他の出来事として、何度か敵の偵察機が第三戦隊の頭上を飛んでいたことが挙げられる。
 しかし、管理局が事前に予測した通り、ルラン大陸に覆い被さる空素の帯によって上空から地上への視認は困難になり、レーダーの類が使い物にならなくなっていた為に、第三戦隊が発見されることはなかった。

 アクティヴ方式の照準器やレーダーを停止させ、その上ステルスコートを纏う等、あらゆる方法で見つからないように対策をしていたことも、ここまで大した障害もなく辿り着けた要因の一つであることは確かだ。

 隼がいるA小隊は物陰から機体の上半身を出し、旧ルイスシティがある方角へ頭部カメラを向けている。

 旧ルイスシティ、そしてルイス基地を確認する為の行為だが、空素が光を屈折させているせいで、彼らの視線の先数百メートルからは、所々虹色に光る霧しか見受けることが出来ずにいた。

 隼は時刻を確認する。
 6時24分。
 早朝。
 元々の作戦開始予定時刻はとうに過ぎていた。

 何故隼達が動かないのか。
 それはHA戦隊の中に到着が遅れ、作戦の準備が整っていない隊があることに起因する。

 発見を恐れ、加えて空素が原因で満足に無線が使えない各戦隊は各々の通信兵に命令し、光ファイバーを用いた有線を用いて連絡を取り合っていた。
 各隊が移動しつつ行う有線通信は困難で、常時回線を繋げることは出来ず、あらかじめ時刻を決めた上で定期的に状況を確認しなければならなかった。
 最新の定期報告で別動隊の遅れを知った第三戦隊は、新しく決められた開始時刻まで待つしかない。


「あと少しですね」テレス・レーマー少尉が言う。

 レーマー少尉は隼がいる場所から少ししか離れていない。
 至近距離での通信ならば、指向性を持たせたレーザー通信等を用いれば十分に連絡は取れた。

 レーマー少尉のその言葉に、ゲルト・シュトルム大尉と隼が相槌を打つ。

 新しい開始時刻は6時35分を予定している。
 レーマー少尉の言う通り、もうすぐ現代の弓を有する基地への進攻作戦が始まる。


「よし」シュトルム大尉の声。「出撃用意。各部アクティヴ、強襲ユニット起動。整備兵はHAの周囲から退避を」

 了解。各部アクティヴ、強襲ユニット起動。

 隊長の言葉に隼とレーマー少尉が答え、命令の内容を復唱する。

 整備兵らはHAに取り付けられていたパイプやコードを取り外し、HAが脱いだステルスコートは丁寧に畳んだ後、車両を用いてそれら運び、安全な場所まで退避する。

 退避を確認した隼は駆動・燃料系モードセレクタを《待機》から《戦闘機動》にする。
 次に左右両方のスロットルをMILの位置まで動かし、レーダー等の電源を入れる。ただし、まだ使用はしない、起動させるだけだ。

 もう一度各部カメラを用いて後方を中心に周囲を確認。
 その後インデックスコンソールを操作。強襲ユニットを起動させる。

 背中に取り付けられた強襲ユニットのジェットエンジンが動き出す。
 それは徐々に回転率を上げ、ジェットエンジン独特の音を立て始める。
 差異はあるものの、その音は戦闘機のエンジンの音に酷似していた。

 隼はそれを聞いて懐かしむ。エンジンからコックピットへと伝わる振動も懐かしい。
 ジェットエンジンの音は大きいものの防音はされており、ルイス基地との距離や風向きも考えられている為、敵に気づかれる可能性は低かった。

 砂塵が、葉がジェットエンジンから排出される圧縮された空気によって宙に舞う。
 葉等が誤吸引されないようにされている為、こんな森林の中でもジェットエンジンは起動出来る。

 強襲ユニットを備えたHAの後方は今、人が立てられない風と熱を発している。

 隼は右ペダルを軽く踏む。
 ジェットエンジンに後を押される形で、隼達A小隊のHA三機が歩き出す。
 大きく揺れるコックピット。

 隼はインデックスコンソールを動かし、マニュアル操作で対振動ジェルをコックピットユニットと機体の間に満たす。するとすぐに振動は幾分か収まる。

 ゆっくりと、だが確実に歩き続ける三機。
 作戦開始までの秒読みは始まっていた。


「スロットルをMAXへ」


 シュトルム大尉の言葉をきっかけに、隼は両スロットルレバーをMAXまで動かす。
 ジェットエンジンの出力はHAのスロットルと同期している為、隼の操作によってさらに回転率は上がる。

 今度は、隼は右ペダルを強く踏み込んだ。
 ほぼ同時に走り出す三機のHAは森林を縫うように駆ける。

 〈作戦開始〉

 如月のツインディスプレイにそう表示されると、時刻表示の下にある、カウントダウンし終え0を迎えた数字が1秒2秒と再び時を刻み始める。

 跳躍することで木々から身を晒す三機。
 HAの表面は緑を基調とした森林迷彩から、市街戦用迷彩へとイカやタコのようにスムースに変化していった

 ジェットエンジンのノズルから火が噴く。
 火に沿うように環状の光も排出されていた。
 三機が重力に引かれて地上へと落下することはない。
 HA自体のブースタを併用し、隼達は空を飛び始める。
 十秒も経たずにHAの走行速度を超し、パイロットの体にGがかかる。

 戦闘機以下のGを耐えることは隼にとって容易く、訓練を受けている他の二人も同様だった。

 朝露に濡れたシエル植物が彼らを見送る中、A小隊は空素の霧を突っ切る。

 A小隊以外の第三戦隊、そして他のHA戦隊も同じ方法でルイス基地を目指していることだろう。

 レーダーを受動探知のみ起動させ、隼自身は前方に意識を集中させる。
 それは、前方以外には気を配らないという意味ではない。

 しかし、この作戦の第一段階は速さが全てである。
 敵に見つかり、ボーゲン・システム全てを破壊する前にボーゲンに捕捉されてしまえば、並々ならぬ被害が出ることは間違いなかった。

 その為隼らA小隊は、前方に現れるだろうボーゲン・システムの発見に重点を置いて集中していた。
 ボーゲンがある高さは画像等の資料から導き出され、三機はその結果を各HAに入力し、コンピュータの指示に従い高度を維持している。

 使用後は即時廃棄を想定して組まれた強襲ユニットのみで、戦闘機のように自在に飛ぶことは出来ない。
 ただし、ユニットにあるタンク内の燃料の温存を度外視すれば、短時間ながら飛行は可能となる。

 空素群の中を飛び続ける三機。
 A小隊は前もって決めていた通りに散開し始める。
 隼は空素によってすぐに同僚の姿を見失うが、特に気にすることなく前を向き続ける。

 そして、飛び立ってからあまり時が経たずに、コックピット内は電子音で満たされた。
 隼の耳に届く電子音は、如月のカメラが前方の障害物にあることを認めた為に鳴り始めていた。

 一度姿を認めればその存在は確固たるものとして認識出来るようになる。
 徐々に姿を現せる旧ルイスシティを囲う防壁。
 メインモニタの中心にあった環状レティクルが動き、ある一点で固定された。

〈Bogen〉

 環状の照準の横にはそう表示されていた。
 隼が装着したヘルメットに設けられたHA用HMDにもレティクルが表示される。

 バイザー部分に表示された内容を確認した隼は、作戦決行直前時に強襲ユニットの両翼のラックへとマウントされた空対地ミサイルのマスターアームをオンにする。
 レティクルが緑から赤色へと変わる。
 事前に設定されたボーゲンの形を基に、如月が判別したそれの狙いは正確だ。
 隼が如月の答えを疑うことはない。
 隼は躊躇いなく、左右のスティックにある引き金を引く。

 その入力は電線やコンピュータを通り、実行結果として強襲ユニットの両翼からミサイルが発射される。

 数は二発。
 これだけで強襲ユニットのミサイルは撃ち止めだ。

 煙の尾を引いて直進するミサイル。
 如月の飛行速度を優に超えるミサイルは、間髪入れずにボーゲンの稼働部と砲身へと吸い込まれていった。
 空素の霧に轟く爆発音。
 成形炸薬弾を用いて出来たミサイルは着弾後一点にエネルギーを集中させることで、ボーゲンの装甲に穴をあけるかのように侵入し、内部からボーゲンを破壊する。

 科学者の間ではモンロー/ノイマン効果と呼ばれる現象を利用した成形炸薬弾は、容易に現代兵器をガラクタにする。

 勿論、複合装甲等の工夫による対処方法はあるが、必然的に十分な装甲が設けられない稼働部といった脆弱部分が成形炸薬弾に耐えることは出来ない。

 その軍事としての常識に、ボーゲンも逆らえることが出来なかった。
 立ち上がる爆炎。
 空に煙を吐き出し続ける炎の中、ボーゲンの超長身の砲塔が動き始めるものの、やがて止まった。

 黒と赤の対比が痛々しい炎を流し見つつ、隼は旧ルイスシティ内に進入する。

 眼下に広がる、寂れた多くの建物。
 およそ四年前から塗装や修復が行われていない建物は味気なく、所々割れたままの窓は死んだ都市という印象を強くさせる。

 隼は両スロットルをMILに戻すと、コックピットからの操作で強襲ユニットを切り離す。
 切り離されたユニットは自動的に空中分解を始め、まるで雹のように都市へと降り注いだ。
 調査により一般人はいないことを知っている故に出来る、配慮に欠けた行動である。

 飛行の為にあった推進器を捨てた如月は重力に従い落ちる。
 主にジェットエンジンによって付けられた慣性を利用しながら、如月自身のブースタを用いてそれを徐々に緩和して着地に備える。

 街路は瓦礫によって、通路としての機能を失っている。
 下手をすると人間のように足をくじくHAが着地するのに、旧ルイスシティの道路はあまり好ましくない状態だった。
 だが、そのような状況だから着地出来ないという我が儘を、HA乗りが言うことは暗黙的に認められていない。
 どんな場所でも走破出来るように造られたHAが、瓦礫だけで移動を断念する程弱いはずがなかった。

 建物から崩れ落ち、雨風等で弱くなった瓦礫をものともせず、如月が滑るように道路へ着地する。
 そして如月は足裏と道路の間から眼が眩む程の火花を十二分に咲かせた後、走行による前進を始める。

 目標は都市中央にあるとされる本部。目的はそこの制圧。

 同僚や他の戦隊が作戦通りに他のボーゲンを破壊出来ているかは、空素によって知り得ることは出来ない。
 しかし、そのことを考えて臆病になり、消極的になることは愚策であることは間違いなかった。
 なんの証拠もなしに信じるという言葉は隼に似つかわしくないが、今の隼に、事あるごとに疑うという考えはない。
 ここは敵がいる上、味方を疑わなければならない、幾重にも多くの糸が入り混じり絡み合った複雑怪奇な戦場ではない。

 如月が廃墟の中を駆けて行く。

 今回の作戦に参加している如月には、右手に持った57ミリ自動小銃と、腰部の左側には57ミリ散弾銃がマウントされ、右側には対歩兵用の固定型機関砲、マガジンは脚部に装着されている。
 その兵装は普段の任務と比べると重装備で、実際に操縦している隼からすると幾分かは動作が重たく感じた。

 コンピュータが人工筋肉の出力を兵装によって自動調整する設定を、隼自身が最低限に留めていることで引き起こされている現象ではあるが、隼としては燃料を考えると随時全力はあまり好ましく思っていなかった。
 重いことは事実だが、戦闘に甚大な支障を来す程の重量でもなかったことも、隼がこうした設定にしている理由になるだろう。

〈空素活動反応発見〉

 隼が短い警告音によって周囲の警戒に意識を傾けている中、ツインディスプレイにはエネルギーとして活発化した空素発見の旨が表示されていた。

 間を置かずに、前方の建物に隠れる死角から数十個の光の玉が迫ってくる。
 隼はその光を視認したが、ペダルの踏み込みを緩めることはしなかった。
 如月に襲いかかる光の玉は蛍のように自ら発光していた。
 視覚的に蛍と違う点と言えば、サイズが野球のボール程で、一つも例外なく如月に向かっている点だ。

 如月は浮遊物に臆せず突破を敢行する。
 一つ残らずに如月に当たると、光は甲高い音をたてて爆発した。
 ミサイルや対戦車兵器等とは違い、特徴的で幻想的な爆発。

 隼は襲いかかってきた光に心当たりがあった。
 それは数が減少傾向にある昨今でも、シエル星では一定数は存在している者達が用いる技術の一つだった。
 人間に対してなら十分な威力を誇る攻撃ではあったが、対空術加工を施した如月に損傷を負わせることは叶わなかった。

 大気中の空素が乱れたことでメインモニタに若干のノイズが走る中、隼は右ペダルの踏み込みをやめ、代わりに左ペダルを踏んでブレーキを行う。
 パイロットの意志に従い、如月は姿勢を最適なものにして急停止を行う。
 地面が硬く舗装されている為、先の着地時と同じように姿勢を落としたまま滑ることで減速する如月の中では、隼がインデックスコンソールを操作して如月の左手に散弾銃を持たせていた。並行してHMDの設定も変える。

 街路から抜け出してすぐの所で停止する如月。

 前方には都市同様寂れた公園が広がっていた
 噴水が出ず、池は枯れ、雑草は好き勝手背を伸ばす光景。

〈左右に動体・生体反応確認〉 

 隼は風景に眼を向けることはせず、顔を右に向け、逆に如月の左腕を左に向ける。
 隼の視界には浮遊する人間が三人確認出来た。
 そして同時に、HMDに映し出された映像――散弾銃に取り付けられたカメラによるもの――を見て、左側にも浮いている人間が四人いることも把握した。

 空術師。魔法使いである。

 人間には兵器の様に敵味方識別装置であるIFFを備えていない。
 それ故、生き物である搭乗者の判断が重要になる。

 ――管理局の戦闘服ではない。

 即座にそう判断した隼は左のトリガーを引き、また右スティックを操作、自動小銃を空術師の一人に向け、躊躇わずに発砲する。

 自分達の空術をものともせず、その巨体を臆することなく彼らの視界に晒した巨人の姿、動きを見て、僅かな時間で変化した状況の中、咄嗟に回避行動を取れるものは極僅かだった。

 濃霧に覆われた都市に響く発砲音。
 即座に撃った為に狙いは甘く、また片手での発砲の為か反動による射線のぶれ等が誘発する。

 しかし、左手の散弾銃から放たれた銃弾は、文字通り散弾だった為に左側にいた空術師を全て撃ち落とした。
 加えて、右側も自動小銃によって一人を仕留めていた。

 両方の銃共、戦車といった装甲を有した兵器に対抗する為の武器であり、人に向けて撃つのには威力が必要以上に大きかった。

 撃たれた空術師の中には回避行動を取る者や、空術による防御障壁を作る者がいた。
 だが、そんな優秀な彼らではあったが、前者は散弾によって回避しきれず、後者は己の障壁で57ミリの弾を防ぐことが出来なかった。

 人としての原型を保つことが出来ず、赤いナニかになった物体は辺りに飛び散る。
 障壁を張ったが突破された一部の空術師の肉体は一度、消えかかる障壁に内側からぶつかった後、障壁が消滅すると、そこに飛び散っていたそれは地面へと墜ちていった。

 まるでどこかのトマト投げ祭りだ。
 隼はどこか場違いな思考を巡らせていた。

 ただ、そのようなことを考えていても隼の操作は止まらず、自動小銃の照準は精確に残りの空術師を捉えていた。

 左手にあった散弾銃はすでに元あった腰部にしまわれている。
 如月の正面を残りの空術師がいる右側へ向かせ、間髪入れずに右のトリガーを引く。

 銃口から放たれる光、マズルフラッシュ。

 残り一人。

 隼は最後の一人に視線を固定する。
 生き残りは鬼の形相のまま、如月に、隼に空術用の杖を向けていた。
 杖の先には急造ながら、対戦車兵器が備え付けられている。

 ――――――っ!!

 彼は言葉として表せない声で吠えていた。

 眼の前で仲間が文字通り飛び散った光景を見た後でも、その瞳から反攻の意思が消えていない。

 今の管理局にはいない人間だ。
 隼は冷めた頭でそう思う。

 如月と空術師の距離は銃を向けられる程空いていない。
 元々街路の出口の近くにいたことで、攻撃対象にならずに済んでいたのだろう。

 空術師の矛先は如月の頭部。そこは脆弱部の一つである。

 時間に猶予はない。
 現在の状況を理解し、隼は次の行動の内容を決断する。
 つまりは左腕による攻撃。
 隼の操縦に如月が答える。
 左腕が空術師を捉える。
 左手は広げており、指先から多用途スパイクが指と直角になるように展開される。

 空術師へと左手は届いたが、握り潰せるまでは至らなかった。
 相手の防御障壁が構築し終わり、それが如月の圧力に耐える強度を有していた為だ。

 しかし、それで隼の攻撃が終わることはない。
 スパイクを球状の障壁に引っ掛け、空術師を掴み続ける。
 空術師は障壁の保持に専念して必死に耐える。

 だが、装甲と同様に手の平も空術加工され、接触した空素エネルギー体を一定量拡散させることが出来る如月に、空術師の努力が実ることはあり得ない。

 徐々に苦痛が深くなり歪みだす空術師の顔。

 段々と存在が薄まる障壁。

 隼の表情に焦りはない。

 ゆっくりと、そして確実に閉ざされていく手。
 如月のその動作に呼応するかのように、隼は一気にスティックを握る力を強めた。

 スティックにある圧力センサーは搭乗者の意思に応える――。



   ***



「最後に。二人共、世話になったな。ありがとう」


 フィアナ基地の出入り口となるゲートの一つ、ゲートから出てすぐの所に四人の男性がいた。
 カルロ・サイトウは二人――隼とヴェイトン中佐に何度目かの礼を言い、握手を求めた。


「何度目だよ、サイトウ」
 隼は苦笑気味でそう言い、ヴェイトンと共に握手に答える。


「私からも礼を」鈴木二郎が言う。「ありがとうございました。色々とかけがえのない体験が出来ました」


 鈴木二郎との握手もしたが、隼は幾分かサイトウのそれと比べて雑な対応だった。
 あからさますぎる態度の為、さすがにヴェイトン中佐は溜息を吐くが、サイトウは笑っていた。


「ハハハ。さすがだな隼。お前らしい」

「やはりお前は年相応に、少しでもいいから社交性を持つべきだ」
 ヴェイトン中佐が隼をたしなめるが、当の本人は肩をすくめただけで聞く耳持たない。


「隼も後少しで三十歳だろ。若々しいことはいいが、一度間違えると痛い大人になってしまうから気をつけろよ。オッサンからの忠告だ」


 隼は最新の老化防止技術等で二十代中頃の肉体を維持しているが、それがいつまで通用するかは分からない。


「要するに、肉体は関係なく大人は大人らしくしていろということか。如月と共に空へ上がれるのなら選択肢にいれるが……分かるだろ?」

「ああ」サイトウは頷く。「分かる。今もお前が自身の性格を偽っていないのが何よりの証拠だ」

「その通り」サイトウの言葉を聞いて隼は皮肉げに笑う。「――それでだ」

「ん?」


 表情を改めた隼を見て、サイトウの眉間に皺が寄る。


「結局有希の依頼はなんだったんだ。俺が知る限りでは、あんたはここで取材以外は特に何もしていないだろう」

「内緒だ」サイトウが笑う。「それにその依頼は殆ど済んでいる」

「なんだと?」

「あとは彼女に伝えれば終わりさ。では、な」


 サイトウは隼達に背中を向け、鈴木を連れて歩きだす。


「全く。思わせぶりな返し方をしたまま帰るのは頂けない」

「また会った時に聞けばいい」ヴェイトン中佐が言う。

「ああ」隼は見上げ、空を見る。「そうだな」


 隼は左手を、まるで太陽を掴むかのように腕を伸ばす。


「俺がその時まで生きていればな」


 隼は左手を閉じた。閉じ切った。

 シエル側の太陽“イグニス”。
 今日は赤く見えるそれは、居残る地球人や去る地球人、そしてシエル星人関係なく、今日もシエル星を照らしていた。



[27532] 夏の雪#1
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/07/27 00:46
「篠崎隼特務少尉。貴官は本日付けで特務少尉から中尉に昇進だ。おめでとう」

「はっ」敬礼。「ありがとうございます」


 敬礼し、礼を言う隼の表情に喜色はない。
 あるのは、無表情の中の訝しげな感情だけだった。
 ただ、それをさもあからさまに表情に出すことはしない。
 まして、今、隼の前にいるのは上司だ。隼のその判断は正しいと言える。


「休んでいいぞ」
 セレン・アテナ少将がそう言う。

 すると、彼女と執務机を挟んで立っている隼は、指示に従って手を下ろし、足を肩幅に広き、両手は背中にやる。

 隼はじっとアテナ少将の目を見る。探る目だ。
 アテナ少将は隼の視線に気づき、その視線にある感情を悟る。
 彼女は隼の目線に対して、特に何かを言うこともなく、同じように見つめ返した。

 アテナ少将の執務室に訪れる静寂。

 部屋には、冷房の風によって、観葉植物や書類の類が互いに擦り合う音しかしない。
 初夏を過ぎ、夏本番が迫る中、執務室に夏の熱気は殆ど無い。

 隼はアテナ少将の人工の瞳を見続ける。
 素人目では、傍目からは本物と区別が出来ない目が隼の方を向いている。

 冷めた目。
 人工ということが、多少その印象に装飾してもなお、アテナ少将の瞳に熱は感じられない。

 隼が、そんな目から発せられる上司の視線に臆することはない。
 彼女の視線を感じつつ、隼は思考を巡らす。
 幸い、彼女は隼の次の行動を待っているようで、急かしはしなかった。
 その為、隼は堂々と上司の前で意識を別方向へ向けることが出来た。

 ――何故、俺を昇進させたのか。

 隼の思考、疑問はそこに集約する。
 今回の昇進に、隼は納得していなかった。

 管理局に入局しておよそ二年。
 極端に素行が悪くない限り、どの組織に所属していたとしても、二年後には昇進の一回二回はある。
 下士官以下の兵士であれば、一年従軍すれば自動的に昇進する所がある程だ。
そういう場合を参考にする。
 すると、隼は尉官、その中の、中尉相当の権限を許された特務少尉という身の上だとしても、昇進するのは別段おかしくはない。
 素行は可もなく不可もなく。交流関係は狭いが、戦場での連携を疎かにすることはしない。

 HAの操縦技術も優秀。
 HAの実戦経験自体もパイロットの中でトップクラス。
 何度か大きな作戦に参加した事実も挙げれば、今回、隼の階級が上がるのは遅いと思う人もいるだろう。

 だが、隼の注視している部分はそこではない。
 以前、日本帝国で起きた事件によって、出世という道が閉ざされ、管理局に入局する際は、実質的な降格を言い渡された人物。

 それが現在の隼の根幹にある、対外的印象である。
 それは管理局や日本帝国以外の、隼に関わる人間以外で既知の者は少ない。
 しかし、隼の昇進に関わる人は間違いなく知っているはずの内容だ。

 ――何故この時期に、俺だけが。

 隼はその疑問を、口から出さずに飲み込む。
 隼の胸中には昇進の有無についての、根本的な疑問の他に、時期的な疑問等もあった。

 旧ルイスシティという基地への進攻作戦。
 今からおよそ一ヶ月前にあったその作戦は、隼が参加した最近の戦闘で一番規模の大きいものだった。
 隼は如月を爆撃機によって小破されたものの、他のHA戦隊同様先陣を切った功績は十二分にある。
 ただし、それはすでに一ヶ月も前の出来事で、今はもう作戦の余韻は消え去っていた。
 今回の昇進が、進攻作戦での功績が評価された昇進であれば、先月中に隼は中尉と呼ばれていることだろう。

 少尉、中尉、大尉の尉官は、曹長等の下士官や兵士よりかは偉いものの、将官や佐官程の高い階級ではない為、わざわざ管理局本部に昇進の許可を貰う必要はない。

 仮定として、今回の昇進が先の戦闘の功績によるものだとする。
 その場合でも、現場――この場合フィアナ基地の上層部――の判断で昇進の是非を問えるとはいえ、審議期間が一ヶ月というのはいささか長い。

 隼の過去を考慮すると、その期間もあり得るのかもしれない。
 けれども、もう一つの疑問を加味すると、その可能性は低い。
 先の戦闘で、第三HA遊撃実験戦隊は自身が有する全小隊、つまりはABC小隊の全てを戦場に投入していた。
 作戦に参加した第三戦隊の中で、戦死した隊員はいない。
 皆、隼と比べ遜色ない戦果を挙げている。

 つまり、先の戦闘での功績による昇進であれば、第三戦隊の全員に昇進の機会が生まれているはずであった。
 だが、一ヶ月経った今でも、第三戦隊で昇進をした者がいるという話は、隼の知る限り知らない。
 厄介者を集めた第三戦隊の全員が、総じて出世街道とはある程度無縁というのは周知の事実である。
 事実ではあるが、そのことで昇進できないという意味には直結しない。

 その中で、何故自分に、自分だけに昇進の指令が下ったのか。

 隼にはそれが分からなかった。
 それが彼の猜疑心を強くさせる。
 元来無条件で人を信じる性格ではなく、さらに戦後に変化した環境によって、隼の思考は常に疑心が漂っている。

 二年前、特務少尉という急造の階級を与えられた際も、疑うことを忘れていなかった隼が、こうして日本帝国軍にいた時の階級に戻される現状に、何も疑いもなく享受するわけはなかった。

 隼の場合、如月と共に空に戻れるのならば、疑いはするが喜んで昇進に従うだろう。
 しかし、今回の昇進も含め、そういう予兆は皆無に等しかった。
 今更階級が上がることで、何か良いことがあるのか。
 確かに、昇進によって給料や地位が高くはなる。ただし、今の隼には、それは別に諸手を挙げて喜ぶ程ではなかった。
 管理局を勤労するだけで、如月と戦闘機が買えるのならば話は別だが、金銭的にも、政治的、あるいは社会的にもそれはあり得ない話だった。

 受け取れるものなら受け取っておく。

 そういう考えを隼は持っていたが、厄介事に巻き込まれることが代償であるのなら、考えなしに、また無差別に貰うことはしない。

 一介の尉官如きに、何かあるはずがない。

 隼はそうであることを強く望む。
 今回の昇進は何かの間違いだ――そうは思っていようが、実際にここで言うことはない。
 今それを口に出してしまうと、最悪上司の判断を否定してしまうことになる等、良いことは一切ない。
 ここ、フィアナ基地での謙遜は、冗談や皮肉を除けば対外的な場合にしか用いられなかった。


「篠崎“中尉”が何を考えているのは、私でも大体は分かる」

 思考の海を漂っていた隼を見守っていたアテナ少将が言う。
 凛とした氷の声。
 それを机にあるカフェオレで溶かしつつ、彼女は発言を続ける。


「個人の経験はともかく、そういう思考は職業病のようなものだ。軍隊であれば教育という名の洗脳も可能なのだろうが、ここは幾分かそういう思想誘導の類は徹底していないのでな。その分悩む、疑うことが多くなっているのだろう。管理局は国の組織ではない、故に自国が――管理局が絶対という思考は薄い」

 良くも悪くもな。

 そう言い終え、アテナ少将は再び白磁のカップに口をつけた。
 カフェオレの香りが部屋中を漂い、甘い匂いは隼の臭覚をくすぐる。


「私に」隼が公式の場の口調で返事をする。「何を求めているのでしょうか」

 隼の言葉が自惚れて言ったものではないのは、声色や表情から容易に察せられる。
 決して偉ぶることはせず、ただ疑問を呈するその姿勢にアテナ少将は、無防備のようで掴み所がない印象を感じた。


「私からは忠義と実績を」アテナ少将が隼の目を射抜く。「――けれど、それは私の希望であり、その上の意思を意味するものではないわ」

「上?」

「上」隼の返事をそのまま返す。「中尉の上、そして私よりも上の世界。雲の上。そこにいることは分かる。けれど、私達を俯瞰する人達の表情は、雲に隠れて窺えない」

「戦闘機に乗れば、彼らの姿を知ることが出来るでしょう」
 隼の切り返しに、ギリシャ神話の軍神の女神、それの名を有す彼女の口に笑みが宿る。
「中尉は冗談も戦闘機絡みか。徹底している」
 自分の手を絡ませ、両手の甲に顎を乗せたアテナ少将の笑みは崩れない。

「無理だ。その時、中尉は飛ぶことも出来ないさ。一人で戦闘機は飛ばせないわ」

 そして、アテナ少将はくつくつと笑う。

 それは鋭利で、凍えた笑みだった。



   ***



 フィアナ基地のHA戦隊全体の長であるセレン・アテナ少将は、その仕事柄、またその階級からか、多種多様な人と相対する機会が多い。
 新しいHA関係の兵器開発を承認する判の一つを押すこともあれば、全く別の部門との会合もある。
 時に、各戦隊長や彼らの部下と面を向かって話すこともある。
 後者の場合、重要な話以外ならば、彼女が断るだけで行う必要がなくなるのだが、彼女がそうすることは滅多になかった。

 “書類だけでは推し量れないものがある”。

 その言葉は、およそ二年半前、ギュスターヴ・ヴェイトン中佐に向けて言ったものだ。
 彼女はオメリという、人在らざるものではあるが、精神論等の、非理論的なものを否定してはいなかった。


「久し振りだな。セレン」

 隼が去った執務室には、新たに二人の男性が訪れていた。
 アテナ少将に話しかけた男は、整えられた禿頭で、制服の上からでも体格の良さが窺える。顔に深く刻まれた皺はベテランという印象を感じさせ、どこか威圧感を覚える。


「お久し振りです。セレン」
 一方、丁寧な口調の男性は、隣にいる男よりかは若く見え、薄茶色の髪の毛が部屋の光を受けて煌いている。こちらは隣とは違い、一見すると細身に見える。


「そうね。四月の戦技披露会振りかしらね」

 アテナ少将の顔色は優れない。加えて声にも張りはなかった。
 隼と会話していた時と比べて、元気がないのは明らかだった。

 彼女とあまり話したことがない人から見ると、特に変わりない、いつも通りの表情と安易に決めつけるだろう。
 しかし今、この場にヴェイトン中佐や隼がいたとしたら、彼らは上司の顔色を察知し、我先に執務室から出たがるはずだ。


「機嫌が悪いようだな」

 公式の用事ではない為、悠然とソファに座っている禿頭の男が、そんな彼女の表情を見て、歯に衣着せぬ直線的な言葉を告げる。


「ええ。分かる?」

「君とは長い付き合いだ。それくらい分かる」

「分かるのなら、その理由でここに来ないでくれる。私がこういう気持ちでいる原因……分かるでしょう?」

「勿論。私だな」

「そう。貴方よ」アテナ少将の目が細くなる。「四月に言ったでしょう。“私は貴方の機械化至上主義には賛同しない”と」

「君が、管理局の女性型オメリの中で最高位の階級を持つ君が入ってくれれば、飛躍的に至上主義者が増えるのだがね」

「ブラウン・ルンゲ少将」

 アテナ少将が、禿頭の局員の名前を言う。
 彼女の視線には冷たい怒気が込められていた。
 だが、ルンゲ少将は彼女の視線を受け流し、決して脅えることはない。


「貴方は私が欲しいのではなく、地位や権力を持つ女性型のオメリが欲しいだけだ。そんな御輿、自分で偽造すれば良い」

「私はな、セレン。そんな肩書きだけの輩はいらない。必要なのは実力がある者。選ばれた者だ。先天性の者、後天性の者関係なしの優れた者。これからの時代――世界は選ばれた者が、機械化することで後天性の優秀さを得た人々を先導する様相になる」

「選民思想か」アテナ少将の口からその単語が漏れる。

「宗教的な意味合いではないがな。そもそも、今の民主主義も選民思想の一つと言えるだろう。言うならば、民主主義的選民思想か。私達はそれに少し手を加えるだけさ。支配者に天才を、被支配者に機人を。そうすることで世界はさらに豊かになる。そうだろうレベフ準将?」

「そうですね」

 ルンゲ少将に同意を求められたもう一人の男、アルフレッド・レベフ準将が頷く。
 ルンゲ少将が剛であれば、レベフ準将は柔と区別出来る容姿と態度だ。


「時代は一度、選民による統治という逆行を体験するのも悪くはないと思いますよ」

 レベフ準将の言葉を聞き、アテナ少将の眉間に皺が寄る。


「前にも言ったが、レベフ準将。過去の英雄がここまで堕ちるものだとはな。信じられん」

「私は英雄の前に一人の生き物です。絵本の中の勇者にはなれません。私が右と言って、全ての人が右を向くわけがない。例えば、貴女のようにね」

 レベフ準将の笑みに、彼女は不快感を抱く。
 自分の勝手な思い込みでしかなかったのかと、アテナ少将は思う。

 ルンゲ少将も、レベフ準将も変わってしまった。昔と違う。

 いや――
 自分が変わってしまったのかもしれない。

 アテナ少将はそこまで考える。
 地位や階級がそうしたのか、時間や老化がそうしたのかは定かではない。
 何事も変化する。
 命も、時間も、概念も不変しない。

 彼女も、レベフ準将も、ルンゲ少将も、ヴェイトン中佐も――隼も変わる。
 変わらずに同じ場所にいる人もいれば、変わることで同じになる人もいる。

 一方で、違う位置に行ってしまう人もいる。

 現在、執務室にいる三人も、管理局という括りでは一つに纏められるが、思想や思考という分別では一括りに出来ない。

 ――昔は皆一緒だったのにね。

 アテナ少将が思うそれには、後悔や羨望ではなく、郷愁の念に近い何かが強く込められていた。


「それでセレン」ルンゲ少将が言う。「考えを改める気はないのか。私達が望む世界になれば、君はまさに選ばれた者として人々の模範者だと敬われる。それなのに何故嫌がる?」

 一瞬の静寂。

 つまり、沈黙は一瞬で終わった。

 アテナ少将が口を開く。

 悩む時間はなかった、言い淀むこともなかった。
 何故なら、答えは決まっていたからだ。

 彼女のそれは変わっていない。



[27532] 夏の雪#2
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/08/03 01:38
「空は快晴、入道雲の類も見られない。レーダーも異常無し」

「風向も飛行を妨げる程ではない。絶好の飛行日和ですね」

 壮年の機長の呟きに、横に座る副操縦士が言葉を紡ぐ。

 シエルの空。

 大地を遥か遠くに望む大空。
 その紺碧を飛ぶジェット機の障害となるものはない。
 空は聖域であり、何人も汚してはいけない領域。
 古代人が焦がれた世界は、現代になると幾分かはその価値が薄れてしまった。
 しかし、今もなお空が人々を魅了するものであることには変わりない。

 人工の鳥は、同じく人工の翼を用いて大空を飛んでいる。
 白を基調に、紺色等幾つかの青系統の色を施した配色は、海上迷彩に見えて、その実、実動隊空衛省の正式塗装の一つである。
 飛行機にマーキングされた空衛省のエンブレムが、これが空衛省所有のものであると、物言わずにして証明している。

 旅客機よりも小さなジェット機の内部、先端にある操縦席に座る二人の表情に硬さはない。


「空が大人しいことは良いことだ。荒れていることよりも幾分もな」

「そうですね。特にシエルの空は不安定ですから、こう、今日の様に見事なまでに静かなのは貴重ですよ」

 二つある操縦席に座る彼らが身に纏う制服には、飛行機と同じエンブレムのワッペンが縫い付けられている。
 企業のパイロットと比べ、どこかその制服は軍服の様に見え、それを着る彼らもどこか航空会社の同業者とは違って見えた。


「下から見上げると、色以外は地球と同じに見える。だが、実際に空を飛んでみると、地球の空とは全く違う。不思議な感覚だ。これはいつになっても慣れない」

「私もそうでした」副操縦士が微笑む。「飛んでみて分かるもの。地上と空。二つの場所から見た二つのシエルの空は、自分達が思っている以上に差異がある。最初は気味が悪くて仕方がありませんでした」


 機長と比べて、一回りは若く見える副操縦士の視線が前に滑る。

 青と緑が混ざった空。
 高高度の空からは、大気圏にある高濃度の空素が空素同士反応することで起きる、オーロラの様な帯を頻繁に見ることができる。
 また、飛行が飛び程の高さでも、空素による光の屈折現象を窺うことができ、大小、形が様々な虹色の輝きを見受けられる。

 目線の高さには虹があり、少し姿勢を変えて上を見ればオーロラがある。
 どちらも地球人の感覚で言えば本物ではないが、実際にそれらを見た者からすれば、それは大して気にするものではなかった。


「いつ見ても綺麗な空だ」副操縦士の目が細く閉じられる。「幻想的ながら、それらは実在している」
 そう言った副操縦士の顔に陰りが生まれる。
「シエルの空を飛ぶ。地球の空しか知らない人にとって、そうするだけで地球にはない、とても価値のあるものを感じられる。本当に残念です。こんなご時世でなければ、空自体を観光名所にできるのに」

「終わりが見えない戦場は地球にもあるが、こちらとは規模が違うからな。旅客機用の空路が整備しきれていない時点で、私達が軍関係者以外を乗せる機会が増えるという望みがかなうのは薄いだろう」

「一般の方を乗せるだけなら、地球の航空会社やらに就職すれば済む話なんですけどね」

 副操縦士が機長にそう返事をする。表情には苦笑が見て取れる。

 それは駄目なんだろう。

 機長の言葉に、副操縦士が「はい」と頷きながら答える。
「やりたくないというわけでありませんが、やはり、シエルを飛んだことがない方々に、シエルの空がこんなに素晴らしいことを説明したいですね。書物等では味わえない、“本物”というものを知ってほしいです」


 機長は、補佐の反応を微笑ましく思っている一方で、彼がシエルに魅了されている事実を実感した。

 機長と副操縦士共通の知り合いで、シエルにおいて医者として働いている友人曰く、“そのことについて特別問題視することはない”。とのこと。
 つまり、心配する必要はないらしいのだが、こうして、何度も一緒に飛ぶことが多い副操縦士の変化を目の当たりにしている本人としては、どうも首を傾げたくなってしまう。

 隣に座る、自分からしたらまだまだ若輩者よりも多く、長くシエルを飛んでいる機長自身も、当然シエルの空の美しさを知っている。

 ただし、彼のように心酔程には至っていない。

 逆に、時々、地球に郷愁念を抱いていた。
 それはさながら、ホームシックに陥る少年みたいで、機長はその感情が生まれた時はこぞって、その気持ちを誤魔化すかのように苦笑し、通いのバーで時間を進ませる。

 そこには、彼が好きな地球産の酒があった。

 そこには、彼と同じ母国語を有す店主がいた。

 そこには、確かに地球の雰囲気があった。

 人の気持ちが移ろうことは絶対ない。
 そういう考えを機長は持ち合わせていない為、別段、主義思想の類に一貫性、または初志貫徹を固持に求めてはいない。

 そんな彼でも、副操縦士の、新しい願いに対しての熱意や心酔具合には、内心では多少なりとも気味が悪いと思っていた。
 それだけで副操縦士との縁を切ろうという考えは、彼の胸中にはなかった。
なかったが、疑心はあった。それは確かである。

 自我が形成し終える前や、分別が出来る前の幼少時、または青春という多感な時期に体験し、強く印象付けられたのならば納得がいく。
 ただし、年齢的には十分な大人とも言える副操縦士が、こうして新しい刺激に縛られるのは、彼の友人でもある機長としては不思議で仕方がない。

 まるで、麻薬中毒者だ。

 他の人に教えたいという気持ちが、すなわち中毒者になることはないが、彼の近くで仕事をする機長としては、やはり人が変わってしまった気も捨てきれなかった。

 ふと、機長の脳裏に空素中毒という単語が浮かんだ。
 けれども、医者がそれを否定した記憶も思い出すと、機長は今での妄想を振り払うように頭を振った。
 彼を疑う自分に対しての嫌気も、妄想と共に振り払いたかったが、それはかなわなかった。


「どうしました?」

「大丈夫だ」心配する副操縦士に機長が返答する。

「そういえば」機長は話題を変える。「体調は平気か? 昨日の顔色よりかは良くなっているが……」

「ええ。もう治りましたよ。多分、過労ですね」

「いつぞや、里帰りしてから変な夢が見えると言っていたが、今回は?」

「あー」副操縦士の視線が四方を巡る。「見たという感覚は残っているんですが、内容は覚えていないんですよ。明日はシエルを飛べると思いながら寝て、きっと楽しい夢が見られたはずなんですけれどね」

 やはり“シエル”の空か。

 機長はそう思う。
 彼の隣にいる男の年齢が若ければ、もしくは、元々そういう性格であれば、彼がここまで疑心暗鬼にはならなかっただろう。


「何故――」

 ――そんな目が出来る。

 機長の言葉は、最初以外は口に出していない。


「何故?」
 それ故、声をかけられた側の副操縦士は機長の意図が読めず、首を傾ぐ。

 薄っすらと笑う副操縦士の一対の目。
 知り合いの医者とは違う、妻子を持つ機長だからこそ、機長はこう思った。

 まるで、赤ん坊の目。だと。

 その時、電子音が操縦室に響く。
 通信や報告の類の音ではない。
 耳をつんざく大音量。
 それは警告音。

 そして、機体が揺れた。



   ***



 フィアナ基地の地下区画は、地上部よりも幾分か広大だ。
 地下では、地上と同じような面積で都市部とフィアナ基地が分かれているわけではない。
 フィアナ基地の地下区画は、都市の下にも存在し、加えて基地や都市の外側にもある。

 そこでは、気温は人間に配慮した温度に調整され、光は、太陽が出ていれば太陽光を取り込み、それ以外では一般的な室内のように電灯で照らすことで得ている。
 空素の濃度、量も管理されているそこは、人間にとって、また、機械にとっても良い環境と言える。
 良すぎる環境だと不安視する者もいるが、大多数はその快適な環境に対して満足感に浸っており、今後もこの環境が覆されることはないだろう。

 ネガティヴな、悲観的な考え方をすれば、どんな事象であれ悪く言える。
 また、その逆も然り。

 快適さによって惰弱になることなく、フィアナ基地は基地そのものとしても十二分に機能している。

 地上基地や本当の地面を防壁とする地下要塞。
 そこは、昔から地球に伝わる神話の騎士団の名を冠している。

 それが“フィアナ”基地。

 優先的に地下区画へと割り当てられるものは、スーパーコンピュータ等の精密機器を有す、機密情報を含む兵器群の整備施設や、各部門の最重要施設等、総じて重要度が高いものだ。

 他には、基本的に、フィアナ基地に配属されている局員のメインの仕事場は、特別な場合を抜きにすれば、その大体が地下に存在している。
 機材や個々の性格等の自然的要因以外の場合を除くと、劣悪な環境より、快適な環境の方が、作業の効率や精度が向上するのは当然の摂理である。

 フィアナ基地は地下区画を用いて、その説を実践的に証明していた。
 事実、フィアナ基地がフラグシップになることで、フィアナ基地が先進的に取り入れたこの構造が、以降の大規模基地建設に少なからず影響を与えている。

 重要施設を地下に集中させる。

 第三HA遊撃実験戦隊もその例に漏れていない。
 第三戦隊の格納庫も地下区画にある。


「いつ来ても、ここには四季がない」

 頭にヘッドセットを装着し、パイロットスーツを着た篠崎隼が漏らした言葉は、整備員の声や作業音によってかき消される。

 隼はそれを気にしない。
 別に、誰かに聞いて欲しくて言ったものではないからだ。

 壁に寄りかかっている隼の耳には、様々な方向から発せられる音が届く。

 整備員の掛け声、足音、HAを整備する音、HAが動く音……。
 多種多様の音が格納庫中を駆け巡る、そんな活気がある場所で、隼はいつも通りの冷めた目で、忙しそうな、事実忙しい同僚の作業をぼんやりと見ていた。


「花見、スイカ、花火、秋刀魚、こたつでミカン、餅……」

 隼は、脳裏に浮かんだ四季に関連する単語をとりあえず吐露する。

 それらに、特別な感情は含まれていない。
 隼の口から漏れたものはどれもこれも、シエルに配属される前までは縁があったものだった。

 隼は、口元を手に持っていた書類で隠し欠伸をする。

 細まる目。
 狭まった視界には如月の足があった。

 大きく口を開けて、欠伸をし終えた隼は、自身の前方で固定されて立つ如月に焦点を合わせる。
 背部を中心に、格納庫に備え付けられた装置で固定された如月の各部を、第三戦隊の隊章を着けた作業員が整備や換装を行っている。

 隼が今いる所から如月を見て、確認できる箇所は下半身のみ。その関節の全てに、白色の布が装着されていることが隼にも見て取れる。
 そこは普段、最低限の装甲しか設けられない部分であり、HAのウィークポイントの一つでもあった。
 加えて脚部には、追加人口筋肉の他に、別の装置が装着されていることも確認できた。

 人間の脚のようだったものが、徐々に別の何かになっていく。

 筋肉に装甲を纏わせていくという、有機物から無機物に変わるような光景は、人によっては、どこか気味が悪く感じる。
 だが、その変移を間近で見て、隼は感慨等、特に何かしらの感情が芽生えはしない。

 そもそもHAは人間のような形をした二脚型の兵器だが、開発史的には、人間に近づける為に造られたものではない。
 様々な要因や要求を克服していった末の二脚型兵器。
 人間の形には結果的に近づいただけである。

 それが“人型”兵器群のHA。

 必要であれば、多脚戦車のように四つ足になり、脚ごとジェットエンジンのような推進器に換装することもある。
 元々人間の形にこだわりがない為、その形から逸脱してはいけないという規則は存在しない。

 如月がこうして、徐々に人型を維持しつつも人間の形から逸脱することは、異常でも禁忌でも特別でもなかった。
 この場に、神に創られた人類が新たな人種を作ることを善しとしない盲信的な、あるいは原理思想的な宗教家がいれば、こうしたHA事情は、多少こじれるだろう。

 しかし、今、この場にはそんな純粋な人間はいない。つまり、問題はない。

 右手に書類を持つ隼は、時間を気にすることなく如月の傍で、如月を見続けていた。

 リズムや、音の種類が変わろうとも、格納庫の騒がしさはなくならない。
 作業員の邪魔にならない位置にいるのは、彼なりの気遣いというよりかは、常識を考慮した為の判断である。

 パイロットとしての知識はあるものの、HA担当スタッフとしての技術は持っていない隼に、彼らの手伝いをするという選択肢はない。

 適材適所。
 どうしようもない程の緊急時は例外として、普段通りの作業程度では、彼らの邪魔になる可能性の方が高い。

 その為、隼の行動は、如月の観察という行為に一貫していた。


「寒冷地仕様の装備に超長距離移動ユニット。単純な換算で、少なくとも15パーセントの戦闘力の低下だ」


 隼が自機を観察する傍ら、如月が搭載されているHAであるルーグの脆弱部分の数を数えていると、聞き慣れた声を拾った。

 隼は声がした方へと視線を動かす。
 視線の先には、ギュスターヴ・ヴェイトン中佐がいた。
 服装は管理局の制服ではなく、フライトジャケットのHA版とも言えるジャケットを羽織っている。
 勝利と巨人。二つのルーンを組み合わせた刺繍が、ヴェイトン中佐の役職を無言で証明している。

 中佐は隼に向けて足を進め、隼のすぐ横まで来ると歩くのをやめた。


「ヴェイトン中佐」敬礼。

「ん」返礼。「いつもの呼び方でいいぞ、隼」

「なら、お言葉に甘えて。それでギュス」隼は整えた姿勢を崩し、再び壁に背中を預ける。

「なんだ?」ヴェイトン中佐も隼に続いて壁に重心を置く。

「でん部に装着されているあれが補助脚か」


 隼が視線を向けた如月の腰部には、新たに二つの脚が装着されている。
 着けられた当初は伸びていたそれだが、今は折り畳まれており、一見して脚には見えない。
 本来の脚と干渉しないように設計されたそれは、人間の足と比べていささか異形に思える。


「そう」中佐が頷く。「今回の任務は雪山での捜索だ。二本脚ではバランスを崩すだろうからな。いつぞやの無様な敗戦の経験からの産物さ」

 そう中佐に言われ、隼は前に雪原で行った機動訓練を思い出した。
 それは中佐の言う通り、散々な結果であったことは覚えている。
 寒冷地仕様にしなかった場合の機動実験。
 そんな名称だった訓練は、関節が動かなくなる等、当然といえば当然の度重なる異常によって、寒冷地の部隊に敗戦を喫し、一方で、訓練的には成功を収めた出来事だった。


「やはり四つ足にはしないんだな」

「見た目なら安定性がありそうだが、足限定の移動では、二脚よりも高い所には行けないし、四つ足は立つ為に必要なスペースが広い。それに四つ足は案外脆いからな。ただ、この補助脚は、あくまで補助。砲撃時の姿勢補助やらには役に立つが、四足歩行することは設計段階から考慮されていない。カメラの三脚のようなものだ」

「マニュアルにも書いてあったな」隼が自分の手元にある書類に目を向け、すぐに戻す。「果たして、これが実際に雪山で有効なのかは分からないがな」

「ないよりかはマシさ。まあ、耐氷結用のカバーやら外部発熱装置。加えて超長距離移動用の居住ユニットを備えた上で、補助脚の装着。今更補助脚による数パーセントの戦闘力低下は気にする必要はないさ。それに、今回の任務地は局の管理空域内。戦闘はまずあり得ないから安心しろ」

「管轄内だからこそ、今回の事件は不可解だがな」


 管理局所属のブラウン・ルンゲ少将、アルフレッド・レベフ准将を乗せた飛行機の墜落。
 生存者の捜索班の一つとして、空石炉仕様のHAを有するA小隊が選ばれた。
 その為、作業員は急ピッチでA小隊に寒冷地仕様の装備を施し、隼達HAパイロットは、作業後即時に出撃する為、こうしてパイロットスーツに身を包んでいる。


「原因は?」と隼。

「不明。護衛の戦闘機パイロットの証言や衛星のお陰で、飛行機が墜落したでエリアは特定できている。ただし、ブリーフィングでも言った通り、それ以外はさっぱりだ」

「結局、原因は分からず仕舞いか」

 管理局の管理空域で突然起きた、想定外の飛行機の進路変更。
 護衛と不通になった飛行機が向かった先は、特別管理地域RS‐03。
 〈ニックス〉と名付けられたそこは、空素によって一年中雪が降っている。
 今、夏であるこの時も、そこでは雪が降り積もっている。


「見解の一つとして、飛行機に使われている空石炉が、ニックスの空素に刺激されたことによって誤作動したというものがあるが、それはあり得ない」

「そうだな」隼が苦笑する。「それが本当ならば、俺がこうして寒冷地仕様への換装が終わるのを待っていないだろう」
 それにしても。と、隼は話を続ける。
「ルンゲ少将とレベフ准将か。数ある空石炉搭載HAの中から、俺達があいつらの捜索に参加するとは」

「奇妙な縁だな。最近では、数ヶ月前にあった戦技披露会以来か」

「いや。数日前、俺がアテナ少将に昇進の旨を聞いた後、退出した際にすれちがった」
 通路にて、本局の彼らがここにいることを怪訝に思いながら、彼らに対して敬礼したことを、隼は薄っすらだが覚えていた。


「なんだと?」中佐の顔が強張る。

「あいつらがいることを知らなかったのか」

「ああ」中佐は顎をさする。「おかしいな。フィアナの局員全体に対して一声あってもおかしくないんだが。例の引き抜きの為に来たのかもしれないな」

「本局以外の将官に対しての、機械化主義への勧誘か」

「篠崎中尉。換装が終わりました出撃準備に取り掛かってください」

 そうだ。
 中佐がそう言い終えてすぐ、作業員から隼を呼ぶ声が聞こえた。
 隼はその言葉に返事をせず、如月に向かって歩き出すことで意思表示を行う。


「気をつけろ、隼。ニックスの空素は人の意識に干渉して、幻覚の類を見せると聞く」

「オカルトだな。いや、ここで言うならファンタジー的と言うべきかな」

「必ず帰還しろ。篠崎隼中尉」

 僅かながら口角を上げた隼は、返答代わりに片手を挙げ、すぐに下げた。
 そして、如月の横に備わっているエレベータに乗り、コックピットまで伸びる通路の高さまで上がる。


「行くぞ。如月」

 ヘッドセットにあるマイクを通して、隼が如月にそう言う。
 すると、すでに内部電源が点けられた如月のサブモニタに、文字が表示された。

〈ROGER,My Father〉

 出力された文字列は何度か点滅し、消去された。



[27532] 夏の雪#3
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/08/03 02:05
 空素を多分含んだ雪が雪原を舞う。

 純白の世界、ニックス。
 そこは吹き荒む雪によって、山の岩肌や、高山植物の全てを覆い隠されている。
 毎日、降り続く雪でニックスは新しい真白に染められ、汚れを知らない所から、処女山(ヴィエルジュ・モンターニュ)という名称も持っていた。

 太陽光を遮る程の密度を持つ吹雪が気温を下げ、風は体感温度を著しく下げさせる。
 吹雪は視界を覆い、凍土の熱は赤外線や光学式のセンサーを無意味にし、高密度かつ高濃度の空素が電波を遮断する。
 ニックスの空素は時に磁気すらも狂わせる。

 一度ニックスへと踏み入れてしまうと、瞬く間に方向感覚は失われ、体温が奪われ死に至る。
 死の領域とも呼ばれるそこは、人間が多くの犠牲を払って発展させた文明の利器を、無慈悲なまでに否定する。

 自然には勝てない。
 ニックスを調べれば調べる程、自然の強さを嫌でも思い知る。
 大地で暮らす以上、人間は自然の上位存在には成りえなかった。

 時は正午。
 吹雪が原因で視界が不明瞭の中を、三体の巨人が歩いていた。
 一歩一歩、雪で見えない山肌を確かめつつ、噛み締めるかの様に足を前へ踏み出していた。
 巨人――HAは様々な追加装備によって、その姿は通常時と比べ大きく様変わりしている。
 背中は大きく張り出し、脚は二倍以上に太く、姿形はHAのマッシブな印象を強めていた。

 瞬く間に積り、人の背丈を超える高さになる雪。
 そこをかき分けて進むHAの姿は、スケールは何倍も違えども、世間一般的な、登山家が山を登る様に似ている。
 登山家であれば、背中にリュックを背負い、耐寒の服装に身を包むところを、HAの場合は、背中に食物庫を兼ねた居住区を背負い、体は耐雪・耐寒の装備をすることで、登山する為の用意を整えていた。

 雪の中を進む為に、HAは人工筋肉に用いる流体空素の循環等を用いて、その表面をかなり高い温度で固定させている。
 高い温度にすることは、普段は継戦能力や、ステルス性、機動・運動性の関係から、滅多に行わない設定だ。
 しかしながら、絶対零度と謳われるここでは、関節の凍結や、精密機器の不具合を避ける為に行われている。

 無論、その温度は精密機器を狂わせる程に高くはしない。
 それは機体各部にあるカメラの、レンズ凍結も防いでおり、機体の所々から水滴が垂れている。

 ニックスを突き進むHAは、常に全身を濡らしていた。
 HAが進んだ場所は、雪が溶け、川のように緩やかに上から下へと流れていき、やがてニックスの寒さで凍り、その上に再び雪が降り積もる。
 自身の体温の恩恵で、HAがニックスの雪で起動停止に陥ることはない。

 有機ELディスプレイを備えた装甲は、あえて目立つ赤色という進出色に調整され、純白の世界には幾分異質な存在だ。

 純潔な雪。
 そして、それを犯す赤色がいる光景は、どこか官能的である。
 はぐれないよう、ミイラ取りがミイラにならないよう、三機のHAはお互いの間隔を必要以上に離さず、クレバスや雪崩にも気をつけ、細心の注意で大胆かつ繊細に捜索の任にあたっている。

 雪はその時々で七色に光り、純潔に神秘性を伴わせる。
 その中をHAのパイロットは、空素が原因で頻繁に反応するセンサー類に気を配り、HAを操縦する。
 敵がいない、あるいは存在出来ないニックスで、センサーが反応することは、本当はあり得ない。

 だが、現にHAのセンサーは反応していた。それは現実である。
 センサーが反応する方を注視しても、パイロットには、そこに何かがあるようには見えなかった。

 あるのは踊り続ける夏の雪。人間が定めた季節感を無視する自然の環境。
 パイロットは何も見つけられない。
 しかし、HAが何かを探知する現象に歯止めは利かない。

 これは幻覚なのか。HA、機械に対しての。
 パイロットの一人は思う。
 ただ、彼が乗るHA――如月では、三機の中で、センサーの誤作動と思われるそれは全くと言って良い程なかった。
 だから、今、仲間のHAに起きている誤作動は、彼らと連絡を取って初めて知ったことである。
 そして、幻覚とは推察したものの、自分が乗る如月が反応せず、同僚も原因を特定できない以上、その考えが正答のものなのかは、三人には分からなかった。



   ***



 国際連合対商業連合の戦闘。
 場所は地球。東南アジア上空。
 空戦。

 隼は愛機如月のスティックを傾ける。
 洋上迷彩に塗られた如月の翼が空を切る。白い軌跡を描かれる。
 隼に今以上、地上の何倍ものGがかかる。
 常人では耐えきれない重力加速度に襲われるが、Gスーツが作動し、隼本人の力により、視界が赤色等にはならない。
 旋回を終えた如月の前方。
 そこには、如月が残した軌跡に似た線が幾つもあった。
 真横に伸びるものがあれば、上にも、円を描いたものもある。
 茜色のカンパスに描かれる白線は、すぐに風になびかずに、空に漂い続ける。

 水平線が窺え、地球の丸みをその目で確認できる程、如月がいる場所は高い。
点在する島々は、高層ビルから見た公園のようで、簡単に全貌を知ることができる。

 夕暮れ時。晴れ渡った空。朱色の空。
 普段は静かで、汚れがない鳥類の聖域。

 だが、今は違う。そこには人類もいた。
 戦闘機という人工の翼を用いて。人は空を飛んでいる。
 人が飛び交うそこでは、黒色の煙が生まれる。
 幾つも。白い軌跡を辿っていくと行き着く、黒い煙。爆炎。終焉ののろし。


「B‐2。FOX2、FOX2」

「後ろにつかれた。二機、いや三機。振り切れない、誰か助けてくれ」

「イジェクト。イジェクト!」

「敵戦闘機撃墜」

「ヴァイパー4。グッドキル」


 隼の耳に、名と階級とコールサインだけ知っている同僚の声がノイズ混じりで届く。
 それは断末魔の叫びであったり、歓喜に沸く咆哮であったり。

 共通することは、誰かの生死に関わる内容ということ。
 それが国連、商業連のどちらかの生死なのかは、流れ続ける状況では判断しきれない。
 ただ、その通信とほぼ同時に発生する爆炎によって、人が死んでいくことは容易に確認できた。

 隼は通信と比べ、幾分も明瞭な電子音を聞き取る。
 如月の前方に戦闘機。
 IFFは赤。敵。
 敵機は、すでにヘルメットに設けられたHMD内に捉えられている。
 隼の裸眼でも、黒点として捉えていた。

 商業連合の戦闘機アリョール。翼の形状はカナード。
 尾翼等を備えた攻撃的で奇抜な造形に、東南アジアの海洋の色を意識した海洋迷彩が施されている。
 アリョールを追う形の隼からは、二つのノズルから火を吹いている姿しか窺えない。


「C‐3からC‐4へ。周囲の警戒を頼む」

 了解。
 僚機の返答を聞き、隼はスロットルをMAXへ。
 如月の一対のターボファンエンジンも、アリョールと同じくアフターバーナーを作動させる。
 ノズル口は絞られ、火を噴く。
 途端、機体がぶれつくが、それはわずかだった。すぐに収まる。

 飛躍的に上がる速度、G。
 目に見えるものが遠景にしかない大空からの景色では、速度の変化は視覚的に確認出来ない。
 しかし、隼の近くにある雲が、如月の速さを教えてくれる。
 視界の端で流れる風景、雲が見える中、如月は速度を上げていく。
 近接戦――ドッグファイトではアリョールに劣るものの、純粋な飛行速度は、アフターバーナーを用いずに超音速巡航が可能な如月の方が優れる。

 音速の壁を、二機は、すでに超えている。

 アリョールは如月から逃げられない。振り切れない。
 二機の燃料が著しく減っていく。
 アリョールに乗るサスナー大尉は、アフターバーナーを止め、操縦桿を四方へ傾け、機体を操る。
 その上、時に雲に入る等の行為をして、如月の追尾を回避しようと画策する。

 だが、様々な方法をもってしても、如月はアリョールを見逃さなかった。
 サスナー大尉はレーダーにより、未だ自分の後ろを専守し続ける如月の存在を確認。新たな操縦を入力。

 突如、アリョールの機首が上を向く。推力偏向ノズルが動いていた。
 空気抵抗を受け、著しく速度を落としつつ、アリョールが山を描く。
 翼に白い空気が纏わりつく。それはすぐに翼に切り裂かれ空へと溶ける。
 アリョールにかかるGは通常の比でない。
 多大なGは、サスナー大尉の視界の色調を失わせる。
 徐々に無彩色になる視界。グレイアウト。けれど、ブラックアウトには至らない。
 アリョールは高度を戻し、再び海との平行飛行に戻る。

 前方を確認。
 こうして急減速を行えば、後方にいた敵機は当機の下を通り過ぎる形で、今までの状況が逆転するはず。

 サスナー大尉が目を凝らす。


 いない。


 前方、レーダーに予想する反応なし。

 目を見開く。サスナー大尉が咄嗟に後方を確認。
 アリョールの視界では真後ろは分からない。徒労に終わる。

 警告音。それはアリョールのコックピットで鳴り響く。

 サスナー大尉、レーダー・コントロール・スイッチを操作。レーダー。後方に敵機を捕捉。

 その後方、サスナー大尉の行動を予見していた隼は、前方の鷲を見逃さない。
 隼の視界を覆い尽くすHMD・レーダー上にあるアリョールは消えない。
 ミサイル視野がアリョールと重なり、固定される。スキャン終了。ロックオン。
 ロックオンの旨は音でパイロットに知らされる。
 隼が兵装発射スイッチを押す。
 ミサイルの内部燃料が点火。
 翼に装着されていた中距離ミサイルが二発、ハードポイントから離れる。
 速度を落とした如月やアリョールを優に超す速さで飛翔を開始。追尾開始。

 鳴りやまない警告音。
 一方、如月のロック・シュート表示灯は、ミサイルの発射に合わせてチカチカと光る。

 正常に発射。隼はスティックを傾ける。アリョールの後ろから離脱。
 次いで、如月の後ろにいた僚機もアリョールの直線上から退避する。

 表示灯は点滅し続ける。隼はレーダーを見た。二つの点がアリョールへ向かっている。
 サスナー大尉はミサイルアラートの反応で、自分を狩ろうとするものがレーダー誘導式のものだと把握。電子欺瞞、おとりであるチャフの放出ボタンを押す。

 空にチャフが舞う。夕焼けの太陽光に照らされ、それは煌きつつ瞬く。
 そして、アリョールは急旋回を始める。一八〇度ターン。

 二発の内、一つがデコイに惑わされ、アリョールの回避行動についてこられず、追尾機動から外れる。
 もう一発。それはアリョールを捉えて逃がさない。
 サスナー大尉は、狭まる視界を認知しつつもGに耐え続け、旋回を続ける。
 大きく弧を描くアリョール。まだ、その曲線は終わらない。

 爆発音。爆炎。炎。

 アラートが鳴り続ける中、サスナー大尉は、自身の視界が暗闇に包まれ、他人事のように失神したことを悟る。
 それが果たして、本当に失神による意識消失が原因なのかは、誰にも分からなかった。

 何故か。当の本人は、もう亡くなっているからだ。
 火を纏い、重力に引かれて墜ちるアリョール。海へ向かう鷲。

 鳥の王者が墜ちていく。
 原型を失ったそれは、海面に到達する前に爆散した。
 燃えかすが海を漂う。まだ燃えているものもあった。


「グッドキル。あちらの戦闘も一段落着いたようだ」と僚機。

 隼は敵機がレーダーから消えたことを確かめた後、アリョールを追う前にいた空域を見る。僚機の言う通り、空に爆炎は見られないし、戦闘機が飛び交っている様子もない。
 残っている武装の確認。如月の着陸に支障はない。


「帰還するぞ」

「ラージャ。承知した」


 最低限の数ながら編隊を組み、隼らは自分達の基地へと機首を向ける。

 帰路につける。
 二人はそう思っていた。
 程度に個人差があれども、二人には達成感や疲労感があった。
 戦闘独特の興奮状態が抑えられ、戦闘の余韻を五感、そして記憶で感じていた。リラックスと言ってもよいだろう。


「C‐3、C‐4。緊急事態だ」


 だが、今日のフライトは普段通り。ではなく、これで終わらなかった。
 隼達に送られてきた通信の主、遥か遠くにいる味方の空母からだった。

 上空からの夕焼け。海面はその橙色を反射している。
 そういう幻想的な光景を見ていた二人の意識が、現実に引き戻された。


「ウォーターフォールが撃墜された」
 それは、この空域にいた早期警戒管制機――AWACSの名前だった。


「相手は?」隼が問う。

 敵なのは確定だ。
 知りたいのは、それが商業連合のどこの機体、機種、兵装なのか。
 そして、一つの戦闘を終えた如月で勝てるのかだ。


「AWACSを落としたのは、味方だ」息継ぎのようなノイズが入る。「いや、味方“だった”奴だ」

「反逆!?」如月のコックピットに僚機の声が届く。安易に困惑が聞き取れた。

「相手は“エイプリル”だ。そちらに向かっている。撃墜せよ」冷静の中にも焦燥感が匂わせていた。

「了解。レーダーで捉えた。真っ直ぐこちらに向かってくる」

「くそ。エイプリルフールはとっくに過ぎているっての」

 戦闘機が進路を変える。隼と僚機が戦闘機動に移行した為だ。

「エイプリルは通信回線を遮断している。聞く耳持たず。許可は貰ってある。やれ」

 承知した。
 再度、隼は空母に対して了承の言づけを送る。

 ロングレンジにした如月のレーダーの端。
 そこに表示された戦闘機のマーク。その横には《April》の文字。
 機種はX‐40。
 如月の同型機だ。



   ***



 硬い簡易ベッドに腰をおろしている隼は、手にもったカップを口に運ぶ。
 金属製のカップ。中には熱殺菌とろ過を施した雪水で作ったコーヒーが入っている。
 如月の背中に装着された、HAの大きさに迫る高さを誇る大きな箱。居住ユニット。

 コックピットから直接行き来できるそこで、隼はベッドを椅子にして寛いでいた。
 三階構造となっている居住ユニットは、中央に梯子を設け、三階にベッドを二つ、一階にはシャワーと洗面所等を備えている。そして、空きスペースの二階に、帰還分も十分に考慮した食糧や備品が置かれていた。
 ベッドはさらに二つ組み立てられ、寝台列車のように二段にすることができる。天井の高さは今よりさらに低くなることが欠点ではあるが。
 ただし、現在、如月のそれを使う人は隼と、同乗している医療スタッフ代わりの局員しかいないので、ベッドは二つのままであった。

 カップから視線を動かす。梯子を挟んで隼の向こう側にいる局員は寝息をたてている。

 静かなものだ。
 率直に思ったことを呟く。右肘を脚に乗せ、右手で頬杖をつく隼には、そんな局員の姿は度胸のあるように見えていた。


「よくこんな環境で」
 寝られるものだ。
 自分が言える立場ではないものの、隼はそう感じた。
 生きて戻ってこられないという文句で有名なニックスの中にいるとは、到底思えない態度である。
 寝られる時に寝るというのは、言葉として言うだけだと簡単だが、実践するのは難しいものだ。

 即座にいつもと違う環境で、何不自由なく過ごせる程、人間という生き物は図太くできていない。精神面で言えば図太いが、肉体的にはひ弱である。
 ユニット内の温度は、居住区のバッテリーの他、凍結防止の為、自己回復量を超さない程度に起動している空石炉のエネルギーを用いて、常に快適な数値にされている。
 内と外の温度・気温差は目を疑うものとなっているのは、計測器を見ずとも分かる。
 空調機。そのお陰で、室内にいる隼や局員がリラックスできていることは間違いない。
 けれども、それだけで普段通りの調子を維持できるものではないだろう。

 その点で、隼は局員を評価していたと言える。
 また、就寝前での会話で、局員が医師免許をもった空術師と知った際は、隼も多少なりとも感心していた。
 土俵は違うが、同じ専門家として、隼は純粋にその努力を認めている。
 当の本人は純粋に誇っているわけではないらしいが、隼としてはそこまで面倒を見る気はない為、特別、彼に対して何か言うことはしなかった。

 局員の後姿は、その殆どがシーツで隠れているが、隼から見ると華奢に見えた。
 だが、彼が起きていた時に見えた、局員の手足を考慮すると、単なるもやし体型ではない。隼はそう判断していた。

 自分の体を触る。腕、脚、腹、胸、首……。
 引き締まってはいる。隼としては当然だった。
 戦闘機パイロット、HAパイロット問わず、ある程度の鍛練は必要不可欠だ。
 一時期は情けない体つきをしていたものの、局員になってからは定期的なトレーニングが義務付けられている為、年齢的な壁を無視すると、勝手に衰えはしないだろう。

 隼の場合、それに加え、戦闘機パイロットとしての訓練も欠かしていなかった。
 実機には乗れない為、ヴェイトン中佐に頼み込む形で、最新型のシミュレータを使わせて貰っている事実を抜きにすれば、現役のパイロットと変わらないトレーニングを消化している。
 現役の戦闘機には乗れないが、軽飛行機やレストア機を私有する人の下に出向き、空を“飛ぶ”という感覚を忘れないようにしている辺り、隼のそれは徹底していた。

 そんな戦闘機馬鹿の隼だったが、同伴する局員よりも優れているとは一意に思っていない。
 勝ち負けではない興味としての比較で、向こうのベッドにいる、生身で前線に立つ彼と比べると、もしかしたら隼の方が筋肉はないかもしれない。
 あればあるほど絶対的優位とはいかず、役割によって必要な筋肉は変わるが、単に、白兵戦という括りで比べると、隼は向こうの彼に負けているだろう。

 昔と比べると、どうだろうか。
 隼はつい先ほどまで見ていたと思われる夢を思い出し、夢の自分と今を重ね合わせてみる。

 こうして隼が早起きし、同乗者の背中を見ている原因だろう夢。
 それは夢というより、昔の記憶をただ見返しただけという、ただ味気ない、既読した本をすぐに見直したようなものだった。
 そこにファンタジーな、奇想天外で馬鹿げた妄想は含まれてはいない。

 それは現実にあった事実だ。
 何故あんな夢を見たか、本人は皆目見当がつかない。
 特殊なケースだったものの、特別に脳裏に深く刻まれたものかと問われると、首を傾げてしまう。それくらいの記憶だ。

 あの事件がきっかけで、自身がここにいると隼は考える。
 そうすると、多少は得心するが、所詮は多少だった。
 隼の中での、夢で見た出来事は、単なる任務としての意味合いの方が強かった。

 ――夢を見た。見た。見る。見せる。


「“見せる”?」

 “ニックスの空素は人の意識に干渉して、幻覚の類を見せる”。

 発進前に聞いた、ヴェイトン中佐の言葉だ。それが隼の脳裏を掠める。

 未だ謎が多い空素だ。有り得るかもしれない。
 しかし、俺が見たものは幻覚ではない。全てが自分の中にある、事実の現実だ。
 その考えを馬鹿馬鹿しいと一蹴はしなかったが、それが正解であるとも、隼は思わなかった。

 隼は、コーヒーに映る自分に向いていた視線を動かし、前にいる局員に移す。
 こいつの背中を見続ける意味はないな。すぐに隼は姿勢を変え、正面を窓に向ける。カップは簡易テーブルに置いていた。

 はめ込み式で強化ガラスの小さな窓に寄る隼。
 ぼんやりと、眠り眼に見えなくもない目を動かし、外を見た。
 目が覚めてから、初めて外を見た。
 半開きだったまぶたが上がる。


「ほう」


 溜め息が漏れた。ガラスが白くなり、向こう側の隼の顔が隠れる。
 まだ日の出前だが、空が明るくなり始めている。

 空。
 そう、空が見えた。ニックスで。

 捜索を始めて――つまり、隼らA小隊+αが輸送機から降下し、ニックスに入ってから数日が経っている。その間、ここは吹雪が踊り狂い続けていた。
 時に弱まり、時にやんだ場合もあったものの、ここまで見事に晴れている空を見たのは数日振りだった。

 フィアナ基地から見た空とは趣が異なる寒空。
 深青灰色の空には満天の星が漂っていた。
 一般的なシエルの空とも、夢で見た地球の澄み切った空とも違う空。
 色の違いではない。隼は雰囲気が違うと感じていた。

 外に出て、直に感じたい衝動に駆られる。
 外に設置されている外気用の温度計を見て、一度はそこに表示された数値に目を見張るものの、隼の気持ちが萎えることはなかった。
 二階に耐寒装備がある。隼はそれを知っていた。
 思い立ったら吉日。すぐに行動へと移そうとした隼は、ベッドから腰を上げようとする。

 だが、未だ睡眠中の同伴者の姿を見て、隼はベッドに座り直した。

 天体観測もいいが、空を感じられたら、それでいい。

 そう思いつつ、隼は外を見ていた姿勢に戻し、窓を隔てて空を見始めた。


「だが……指定された時間に起きなければ、問答無しだ」

 つぶやく程の声量で忠告した時、隼の口角を上げた表情は、まるで子どものようだった。

 隼は空を見る。
 先程と変わりない晴天。
 山の天気は変わりやすい。
 よく、そう聞く。

 今日は、吹雪は起こらないな。

 ただ、隼はそう確信していた。
 理論的、学術的根拠はない。
 天候。予測しか建てられず、それは誰にも証明できない。

 しかし、隼は自分の予測を信じて疑わなかった。



   ***



 ヴァラン機長が機外へ出る。少し歩く。
 機長の後ろには、三分の一程、底の見えない崖へと身を乗り出した、翼が折れた飛行機がある。
 雪はある程度積るとそこに落ち、飛行機はその巨体のお陰で引っ掛かり落ちずにいた。

 歩けなくはない雪の上。ザクザクと機長の足音が周囲に響く。
 彼の体は厚手の服を重ね着ていることで、一回り大きく見えた。
 機長の肌が露出している部分は顔の一部だけで、目もサングラスで覆っていた。


「ブラヴォー」


 機長の口から、思わず言葉が漏れた。
 叫ぶ程大きくなく、呟く程小さくない吐露。
 真白な吐息は空へと溶けていく。
 機長の口から、それ以上の言葉は出て来なかった。

 機長はサングラスを外す。
 彼の目に最初に入ってきたものは光。眩しい白の光。
 目を閉じ、反射的に右腕で目を覆い隠した。
 少しして、機長の腕が下がり始める。徐々にまぶたが上がる。


「おお」


 今度は感嘆の言葉も出ず、呻き声にも似た声が漏れた。
 目の前に広がる絶景は、機長の記憶にはなかった。

 白と青。
 雪と空。

 彼の視界には、それしかなかった。
 作り物にしか思えない二層の色彩。
 汚れがない、未踏の景色。
 荘厳なミルキーホワイトは起伏を伴って彼方まで埋め尽くし、青一色の碧空は澄んだまま、どこまでも続く。
 二つの対比――二色のコントラストは機長の眼を、心を洗う。

 勝手に、機長の目から涙が流れ出す。


「駄目だ」手の甲で涙をぬぐう。止まらない。「凍ってしまう」


 機長が上を向いた。

 空がある。

 それは何の変哲のないもののはずだ。

 ――何度も見てきたではないか。
 外にいれば、いつでも見ることができるそれ。

 ――何度もそこを飛んできたではないか。
 職業として、事ある毎に飛んで見られたそれ。

 そこには、蒼穹があった。


「ああ、シエルが眼にしみる」


 飛行機がコントロールを失う直前まで雑談を交わしていた、副操縦士のことを思い出す。
 隣に相棒はいない。フィクションみたいな形で存在し続ける飛行機にもいない。


「相棒。見てくれ。シエルのシエルは、空を飛ばなくても、下から見ても、とても美しい」


 こんなに綺麗なんだ。

 機長が歳不相応なオーバーリアクションで両手を空へ広げる。

 涙は、頬に流れ続ける。
 機長は、副操縦士のようにシエルを盲信しない。
 だが、この空を美しいと思う気持ちは同じだ。

 空がにじむ。まるで水中にいるようだ。


「この涙は、何だ」

 感動の涙なのか。悲哀の涙なのか。
 今のヴァラン機長には考えることも、答えることもできなかった。
 答えに行き着くかは分からない。

 しかし、考える時間はある。
 彼はここで死なない。ここで力尽きることはない。
 帰った後に、ゆっくりと考えることができる。

 遠くから、こんな澄んだ場所だからこそ分かる、遥か遠景の些細な変化。
 銀白の大地に現れた、新しい色。

 何故、ヴァラン機長は助かるのか。

 飛行機に近づく三つの赤い点。

 HA、三機。

 それが、彼を救う。



[27532] 姉妹#1
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/08/13 12:32
 管理局のニュアージュ02が音信不通になった。
 バルト・レトーンが基地に設けた私室で寛いでいる時、そのことを告げる通信が入った。

 レトーンは味方を介して得た情報を、自身の頭の中に刻みつける。
 通信が終わると、レトーンは内線電話を使い、ここに来るよう仲間に伝えた。
 煙草をくわえ、愛用のライターで火を点ける。レトーンは腰を上げ、窓を隔ててある外の景色を目に取り入れた。

 灰色といった無彩色が多くを占める基地。
 建物は総じて実直さを感じされる立方体の箱。堅く灰色の大地には、白や黄色の線が描かれている。
 太陽光によって熱せられたアスファルトの地面は陽炎を生みだし、兵士の脚や建物等、そこにある世界を歪ませていた。

 遠くを、基地の外を見ると、乾燥した大地から砂塵が舞い上がり、白色の空を汚していた。
 セピア色のガラスというフィルターを通した外は、どこかノスタルジックさを感じさせる。
 レトーンから見るそれは、まるで、昔の戦争映画のワンシーンだった。

 外界の音は風、または壁に遮断され、部屋に届かない。
 けれど、レトーンには目がある。音はなくとも光が届く。
 その為、レトーンからすると、外は無音映画のように捉えられ、一世代前の戦争映画という印象を助長していた。
 空調が稼働している室内は映画館。ガラスの向こう側はスクリーンに投影された映像。

 煙草の先から生まれる紫煙は揚がり、やがて天井に届き、そして消えていく。
 ここは映画館のように禁煙ではない。まして、外は編集された作り物でもない。

 レトーンの口から煙が吐露される。
 煙草の煙は、すぐに薄まり、空気清浄機によって瞬く間に色を無くす。
 しかし、見えなくなっても、煙草のにおいが完全に消えることはなかった。

 煙草のにおいが漂う部屋。
 アンティークをかき集めてできた、西部劇に出てきそうなレトーンの部屋は、魔法があって、機械の人間がいる世界とは思えない程、時代に恭順していなかった。
 外からこの部屋を見れば、戦争映画ではなく、西部劇のワンシーンを見ているように感じられるだろう。
 しかし、そこの、机上にある銃はオートマチック式のハンドガンだ。弾倉が回転するリバルバーはない。レトーンの服装も、帽子を被り、馬に乗って荒野を駆けまわるものではなかった。

 戦争映画。西部劇。映像。作り物。
 何々のようではあるが、内も外も何々そのものではなかった。
 ここは、フィクションではない。映画や書物のように、簡単に結果を知ることができない。

 何故か。今いる時間、現在がまだ結果に辿り着いていないから。
 結果の内容は無限にあるが、結局終わるまで結果の評価を下せない。
 作り物も、結果は終わるまで分からない。しかし、製作者という存在が、起点から結果までを知っている為、現実とは異なる。
 作り物の結果は他人に聞く等、調べれば分かるが、自分の寿命を知る術はない。

 レトーンがクツクツと笑った。嘲りが混ざっている。

 三年だ。

 そう、レトーンが自身の胸中で顧みた期間は、母国のある地球の地をたってからのものだ。
 シエルの戦いは終わらない。戦争が終結してもなお、シエルでは管理局と残党の争いは続いている。
 彼としては、何故、今もこうして戦っている――戦えていることを不思議に思っていた。
 終わらない戦争に心が折れてしまったわけではない。ただ、残党となってから、いつ負けてもおかしくないと思っていたのは事実だった。

 けれども、残党は滅びず、現在も白旗を揚げていない。
 自分達を勝者とした地球の国々は、自らの意思で第三次世界大戦を終わらせた。終わったことにした。結末を定めた。
 人種間、民族間、宗教間。様々な火種が起因の紛争は散発するものの、地球は概ねの平和を宣言した。そう大国は決めた。

 だが、シエルでは、戦争は続いている。レトーンの中では、第三次世界大戦は続いていた。
 己が何らかの立場で参加した戦闘は十数では済まない。それなのに、兵力、そして兵器が底をつかず、兵士の士気も失われていなかった。
 それが、仲間内の事柄、自分にとって有益な現象だとしても、レトーンが何の疑いもせずに、諸手を挙げることはできなかった。
 昔から前線に居続け、この地域を戦争開始前から守り続けているレトーンは、残党軍全体の脳である賢者衆の意図は分からない。奇妙な現象のからくりも分からない。

 ただ、自分が何をするべきか。それは分かっていた。
 空術師が捨てられていく時代の流れに抗い、愛国心に従い、戦い続ける。そこに個人の意思は関係ない。
 元々は地球の生まれのレトーンには、生きる価値を与えた第二の故郷という意味合いでの愛国心ではあったものの、その気持ちに嘘偽りはなかった。

 しかし、心技体の内、心だけでどうにかなるものでもない。
 どんなに尽力しようが、幾つもの大国がバックにいるシエル管理局に、常識的に残党は勝ち目がない。
 しかし、残党は生きている。つまり、まだ負けとは決まっていない。敗北という結果に辿り着いていない。
 多くの残党兵はその考えの下で行動している。

 残党の戦士は、空術という、ファンタジーな技術を、自己の生存、自軍の勝利の為に使う。
 そこに、幻想的という言葉は似つかわしくなかった。

 洗脳、感覚の共有、思考の連結、肉体強化・改造。
 生きる為に、残党軍は空術を使う。例え、道徳や倫理的に禁止されていた術でも。
 良心によってできた、自薦した者のみに、非人道的な施すという制約は、忌避する兵士にとっては救いだろう。

 残酷な処置。
 レトーンもそうしたことが行われていること知っている。実際に書類に判を押した身として、知らないと言う、または黙秘をするという責任逃れをする気は毛頭ない。
 残党がそういったことをしていると知った地球の人々は、残党に対する嫌悪感を強め、人心は残党の敗北を強く望む。
 その事実を知った残党兵は、口を揃えてこう言う。

“お前達はどうなのだ”と。

 表現の違いはあれども、要約すると、彼らの言葉はその意味に帰結する。
 機械化主義を推し進め、体を弄くり、人対人のネットワークや強靭な肉体を得る。
 それが地球において、現在進行形で行われている文化の変化、時代の変遷の中枢を担う事象である。

 地球で生まれた新技術は、大国から国連を介して管理局へ。そして管理局はシエルという実験場で、残党という都合が良いモルモットを使って実験を行う。
 生死がかかればかかる程、技術の進化が早まるからだ。

 ただ、前線に立つ管理局には、実験をしているという気持ちは薄いだろう。
 レトーンはそう思っている。
 戦場で信頼性のない兵器を使いたくないという意見は、管理局と残党に大きな違いはない。
 けれども、地球から見れば、ここは戦争経済の大きな市場。試作品の実践ができるブースにしか見えていないはずだ。

 レトーンの眉間に皺が寄る。一気に煙草を吸った。煙草はあっという間に短くなっていく。
 官民問わず、地球の人々はシエルの戦争を止めない。
 地球にいる人にとって、〈線〉の向こう側で起きている出来事は、対岸の火事、人によってはそれ以下の印象だった。

 ただでさえ、CG等の映像技術が進歩した現代。
 戦争が終わった今の地球から見たシエルは、リアルな創作物でしかない。
 シエルは間違いなく現実で、“創作”は勿論、“リアルな”という単語も本来相応しくない。

 内から見た外。メディアというフィルターを通して見る現実。
 それは実感が湧かない希薄なもの。創作のように、何をしても許される。
 空想と思われている故、良くも悪くも地球にある慣習や常識、道徳や倫理観に縛られないもの。

 自分達の領土は侵されず、管理局という代理存在によって、自国の兵士を戦場に送り出す必要もない。
 それの本質を知る人は少なく、加えて、その中でこのことを非難する人はさらに少数派だった。


「ここで、国は戦っていない」
 ため息混じりの言葉。煙と共に口から零れ落ちた。

 今も続くシエルの戦争。そこで向かい合い、生死の岐路にいる戦士らを束ねる組織に国は存在しない。

 国際連合管轄組織シエル管理局と、亡国の生き残り。
 前者は国ではなく、後者は国でなくなった。


「国は消え、けれど愛国心は消えず」窓から体を離す。「……か。我ながら、内輪事ながら、頑固なものだ」
 執務を行う机。その上にある紅茶をあおる。
「部外者は、私達のことを馬鹿にしているだろうな」

 ――当然か。
 呟きはノック代わりの電子音と被さる。レトーンは煙草を灰皿へ捨てた。


「オグストスです」

「スーユエです」

 入りなさい。
 レトーンの許可を得ると、女性が二人入室してきた。二人共、体格等の違うはあるが、美しい容姿である。


「二人共、任務だ。局管轄のニュアージュ02に向かってくれ。基地からの対空砲火、被発見の心配はないが、ステルス輸送で事を運ぶ」


 三人は一通りの作法を済ませた後、レトーンが話を繰り出す。


「例の浮遊基地ですか」金髪、アラビア系の血を窺えるオグストスが言う。「どうやら、彼女が動いたようですね」

「遅かったね」とスーユエ。
 微笑み合う二人。


「君らが言うからには、そうなのだろう」

 レトーンは一度紅茶に映る自分を見る。
 左目には眼帯が着けられ、その奥には義眼が装着されている。
 紅茶の入ったカップを持つ右手も、自重を支える右脚も機械で出来ている。
 段々と機械に近づいている自分。
 昔から、機械のような人と言われていた。そして、今は体自体も機械に変わり始めている。

 彼女らに視線を向ける。中途半端な自身とは違う、正しく機械の体。
 しかし、レトーンからすれば、心は人間だと思えた。
 昔の、ただ戦う為に作られた彼女達は、肉体を手に入れ、個性の獲得、自意識の表現方法を得た。
 戦闘機用のままでは、こうなっていなかっただろう。
 兵器として、また兵士として、それは良いことなのかは賛否が分かれる。


「行ってくれるか?」
 レトーンの問いに、二人は快諾する。
 彼女らの返答に、レトーンは僅かながら微笑んだ。

 内心では、自分を嘲笑していた。

 表情自体は大きく変わらないものの、二人を映す彼の眼には、柔和な感情が宿っている。
 戦闘において、兵士の個性は必要か。
 レトーンは賛成側だった。
 彼女達に自慢の紅茶を淹れて渡す。


「さてと……」

 レトーンは他の基地から提案され、自分が許可した作戦の概要を話し出す。
 視線の先にいる彼女達。雇ってくれた国が滅びてもなお、自分についてきてくれる仲間。
 戦地に送る立場のレトーンにとって、仲間を死なせるわけにはいかない。

 一人も欠けないまま、戦争を終わらせる。

 それはすでに叶わない絵空事。
 しかし、レトーンの中ではまだ消えていない。消してはいけない理想。忘れてはいけない夢。

 いつ、この戦争は終わるのだろうか。
 それは誰も知らない。
 結末は誰も分からない。



   ***



「ニュアージュ02が?」

「ええ」セレン・アテナ少将が頷く。「先日から音信不通。調査隊が派遣されることが決まったわ」

「その調査隊の一員に第三戦隊が選ばれた……ということですか」
 そうよ。アテナ少将が返答する。表情からは今の感情は窺えない。
「この季節、ニュアージュ02の島はフィアナ基地に近づくから。そうした経緯もあって、ここから人員を出すことになったの。原因の調査。生きているのならば、局員の救助。空石炉の確認。概ね、任務の内容はそんな感じね。詳しいことは書類を読みなさい」


 視線が書類に向けられる。つい先程、アテナ少将がギュスターヴ・ヴェイトン中佐に渡したものだ。


「HAはどうしますか?」

「無論、持って行くわ。全機。けれど、02に辿り着いた後は、B小隊を除いた戦隊員は基地内に赴かせる予定よ。残ったB小隊は空中で警戒」

「それならば、AC小隊のHAはフィアナに残しても良いのでは?」


 空の島。
 多種多様な言語をつぎはぎした様相を持つシエル語において、イル・ド・シエルと呼ばれるその一つに設けられたニュアージュ02は、雲の名に違わず、空にある。
 島ごとに漂うルートがある空島は、そう簡単に行ける高度を浮遊していない。
 その為、そこから落ちれば、人も、HAも相応の装備がない限り、海や地面に叩きつけられ、再び大地に立つことは叶わない。
 そして、そこまで行くのも容易で済みものではない。
 非空石炉のHA用輸送機等を飛ばす為の燃料はタダではないからだ。


「内容は違えども、今回は以前の航空機事故と同じで原因が判明されていない。不測の事態を想定し、HAは持っていきなさい中佐」


 先のニックスへの航空機墜落事件の原因は明らかになっていない。
 生き残りの機長は故意の墜落を否定。A小隊が持ち帰ったブラックボックスを調べても、真の原因の解明には至らなかった。


「了解です」ヴェイトン中佐が眉をひそめる。「しかしながら、不測の事態ですか」

「今回の事件には残党が関与しているおそれがある」

「あれは空の要塞ですよ。通信をする隙を与えず、02を掌握するなんて考えられない。例え、あそこにネズミがいたとしても無理です」

「私もそう思う。しかしな。今回は、航空機を謎の操作不良で極寒の地に招待するのとは規模が大きく異なる。前回の奴が万が一の偶然だとしても、今回は偶然では済まされない。基地は音信不通で、逃げてきた局員からの救難要請もなし。おそらく、02のそれは必然だ」

「必然――仮に残党の仕業だとして、02奪還作戦への移行は?」

 アテナ少将の口角が上がる。

「本当に残党が02を手に入れていたとしたら、今頃、どこかの局の拠点から救難信号が発せられ、こうして私達が面と向かって話してはいないだろう。所詮、我々は消去法で残党が原因と決めつけているだけだ。まあ、残党の存在を考慮外に置くわけにもいかないからね」

 二人の視線が重なる。冷房の音がよく聞こえる。

「中佐の不安は分かる。安心しろ。別に調査隊を海の魚にあげる気はない。奪還作戦には無謀な戦力だが、調査には過剰なものを用意した。威力偵察も可能だ」
 暗に何も出来ずに海の藻屑になるな。その為の戦力は渡してある。
ヴェイトン中佐にはそう聞こえた。

「了解」

「巨人は沈む。事態に備え、せめて浮くようにはしておきなさい。整備員への伝達は忘れずに。まあ、ここの輩はわざわざ言わなくても、禁止しない限り勝手にするがな」

「はい。“適当に”。それだけで整備員は最善を尽くす」

「頼もしいものだ。如月の調子も彼らがなおしてくれれば良いのだけれど」

「彼らは機械のプロですが、心理学者ではないですから」

「最近の調子は?」

「HAの動作の観点から言えば、文句なしの及第点は与えられます。元々、不安定な空石炉の安定化を兼ねたCLC機の実験機です。機能しなくとも、ただのCLC以下になることはないかと」

「人工オメリ。人間とも、一般的な人工知能とも、私のようなオメリとも違う、人工知性体。暴走の危険性はどうだ」

「ないでしょう。それに、如月にパイロット並みの操縦権限は与えられていません。昔とは違います」


 憮然とした態度をとるヴェイトン中佐。機嫌が良い風には見えない。

「身内殺しがされる側になる」アテナ少将が目蓋を閉ざす。
 十六秒。ヴェイトン中佐が数えた、アテナ少将が目蓋を開けるまでの時間。
 体感時間はそれよりもずっと長かった。
「そういう結末は避けなければならない。如月がミスをすれば、如月も、彼女の妹も空が飛べなくなる。最悪処分だ」

「妹……確か六月(ジューン)ですか。今はどこに」

「探し求める者。そこで、今も戦闘機に載っている。おそらく、戦闘機用AIのまま生きている唯一の月だ」

「空に」

「そう、シエルに。幸い、如月に大きな異常は見られない。最終的な顛末は分からないが、予測し、対策を立てることは出来る。分かったな」

「承知しました」

「以上だ。務めを果たしなさい」

「はい。失礼します」


 その言葉を最後に、ヴェイトン中佐が去る。
 アテナ少将は無言で部下を見送り、席につく。
 目の前、執務用の机には、彼女が処理すべき書類がたまっていた。たまっているものの、似た立場の局員と比べると良い部類に入る。

 さて。彼女の口から声が漏れた。
「部下に言った手前、私も務めを果たすか」


 本格的に作業を始める前に一度、アテナ少将は空を見た。

 翡翠色の空。
 そこには雲が漂っている。
 アテナ少将は、それがいつできたか知らない。
 そして、いつ終わるかも分からなかった



[27532] 用語
Name: 八月◆22d9e437 ID:4cf8a7d2
Date: 2011/08/09 01:11
 作中に出てくる(出てくる予定も含む)用語の中で、実在する(あるいは採用の可能性が示唆されている)技術・装置を中心に、簡潔に数行で説明します。その為とてもざっくばらんです。
 創作物のことも説明しますが、作中に出てくる情報以上は書かない程度の最低限の内容に留めます。その為、読まなくても支障はありません。もしかしたら創作物の英語が滅茶苦茶かもしれません。


※ここで書く現代は、作中の現代ではありません。現実の方の現代です。

※ここに書かれていることを全て覚える必要はありません。あくまで補足や補助の為の説明ですので、本編を読む為に絶対必要な知識ではありません。


 説明する項目の順番は以下のようになっております。
・機材、部品類
・兵器、兵装類
・用語、その他類
・創作物類



*機材、部品類

・アフターバーナー
 現実には、戦闘機等の飛行機に備わっている装置。ジェットエンジンの排気にもう一度燃料を吹きつけることによって、高推力を得るもの。通常の50パーセント程の推力向上が望めるが、燃料の消費がとても激しい。使う機会はあるが、頻繁に用いるものではない。
 本作のロボット、HAにも搭載されている。スロットルをMAXにすることで起動することができる。

・イジェクト
 戦闘機緊急脱出システムのこと。戦闘機等の高速移動中では、重力加速度であるGがある為、自力での脱出が難しい。その為、パイロットを、パラシュートを備えた操縦席と共に射出することで、異常を来たした戦闘機からの離脱を行う。この設備をイジェクトと呼び、作中ではパイロットが脱出する際に言っている。

・コンソール
 制御盤。作中では操作盤という意味でも用いている。意味合い的にはあまり大差はない。

・スロットル
 スロットルレバー。
 戦闘機等の出力を上げる為のもの。MAXに近づける程速度を出せるが、燃料の消費が激しくなる。
 MIL(ミリタリー)は、そこまでスロットルを移動させると、戦闘機動をする為の出力が出せ、アフターバーナといわれる、飛行機等にある機能を起動させる手前の状態になる。

・ティルトローター
 機体に対してローターの角度を傾けられるもののこと。ヘリコプターの様に垂直離着陸が可能な上、ヘリコプター以上の速度を出せる。

・パイロン
 ハードポイント。武器を取り付ける場所。

・レーザー測距器
 標的にレーザーを照射し、対象との距離等の位置関係を調べる装置。雨等環境に精度が左右される欠点がある上、レーザーを照射した相手に自分の位置がばれる恐れがある。

・ローター
 ヘリコプターの上にあって、くるくる回っているアレ。

・FOX(フォックス)
 空戦にて、自機が攻撃を行う(主に空対空ミサイル)旨を味方へ伝える際に用いる言葉。使用する兵装で後ろにつける数字が変わる。なお、国によって意味が異なる。その為、ここでは作中に出てくる組織、シエル管理局が用いている意味で説明する。
また、ミサイルの誘導方式も兼ねて説明する。
 FOX1は、セミアクティブレーダーホーミングミサイル(母機のレーダーによる誘導)の発射。
 FOX2は、赤外線パッシブホーミングミサイル(熱源で相手を追尾)
 FOX3は、アクティブレーダーホーミングミサイル(ミサイル自体にレーダーを備えたもので、母機のサポートは必要ない)
 FOX4は、座席射出、ベイルアウト(緊急脱出)。現実では非公式の俗語。
 FOX5は、レーザー兵器の使用を意味する。特に不可視レーザーは目に見えない為、射線を視認できない。誤って射線と重なってしまうと死亡は必至なので、宣言は必須となっている。

・HMD
 ヘルメットマウントディスプレイ。
 HUDの機能をヘルメットに付加させたもの。装着したパイロットがどこを向いていたとしても、元々HUDに表示されていた情報を瞬時に確認できる。

・HUD
 ヘッドアップディスプレイ。
 戦闘機の類に設けられ、パイロットとキャノピ(風防。戦闘機のコックピットの蓋の様なもの)の間にある。パイロットが前方の風景を見ながら、視線を逸らさずに情報を見る為のもの。照準や高度計等が表示される。
 作中に搭乗するロボットであるHAにも導入されており、メインモニタとパイロットの間に設けられている。メインモニタがHUDの機能を兼任している為、HAのHUDは予備的な意味合いが強い。



*兵器、兵装類

・アサルトライフル
 突撃銃。自動小銃。作中では主に自動小銃と記すが、会話内ではアサルトライフルと書く。
 物にもよるが、近・中距離射撃に秀で、短距離の狙撃も可能。現代の兵士の標準装備とも言え、テレビなどで映る兵士が両手で持っている長めのライフルは、大抵自動小銃(勿論、役割や任務で違う場合もある。)
 知っている人が多いAK-47という銃もここに分類される。
 バーストという機能がついた物もあり、三点バーストは一回引き金を引くと三発、二点バーストは引き金を引くと二発続けて発射される。この機能がある理由として連射すると、すぐに弾切れを起こし、また射撃時の反動で命中力が著しく低下する等が挙げられる。

・近接信管
 一部のミサイルに搭載されている。これを搭載したミサイルは、追尾目標に直撃しなくても、ミサイル内のセンサーが反応して、標的の近くで爆発することで損害を与える。

・三銃身、六銃身機関砲等の時の銃身
 何本銃身があるかを意味している。バルカン砲、ガトリング砲等が多銃身機関砲に該当する。

・成形炸薬弾
 HEAT弾。HEAT-MP弾等とも呼ぶ。
 文字通り炸薬で弾を成型する弾。化学エネルギー弾の一種。
着弾時に炸薬のエネルギー等を一点に集中させることで対象の装甲を突破して内部を破壊する。
 運動エネルギーがあまり必要なく、弾速の影響を受けづらい。低速でも十分に破壊力がある。
 ちなみに運動エネルギー弾(KE弾)は弾自体の材質、形、速度等によって生じる力で敵を破壊し、科学エネルギー弾(CE弾)は主に炸薬の力によって破壊するといった違いがある。

・赤外線ミサイル(熱探知ミサイル)
 パッシブ(受動。相手から発せられる何かを元に標的を把握する。対義語はアクティブ)方式のミサイル。
 このミサイルは、相手から発せられる熱・熱線を辿って追尾する。ミサイルの中でも安価。

・戦車砲
 文字通り戦車に設けられた大砲のこと。
 大体戦車砲は、105、120、140ミリの種類がある。

・地対空ミサイル
 地上から、空の敵を倒す為のミサイルという意味。空対地、空対空等、様々な組み合わせがある。

・フレア
 飛行機が赤外線ミサイルに追われている際に放出するデコイ(おとり)。偽熱源。自分より大きな熱量を出すこれを発射させ、赤外線ミサイルをそのデコイに引きつけることで直撃を避ける。高価で高性能なものだと、フレアと標的を見分けるミサイルもある。
 ちなみに赤外線ミサイル以外の、電磁波を放出して相手を追尾するアクティブ・セミアクティブ方式のミサイルには、チャフという電磁波を乱反射させるデコイを用いる。
 作中では戦闘機以外の兵器も使っている。

・APFSDS
 日本語だと装弾筒付翼安定徹甲弾等と呼ばれている。徹甲弾の一種。
 運動エネルギー弾の一種。現代では戦車の主砲として用いられている。
 発射されると、風力で弾が纏っていた筒が外れて安定翼が展開し対象に向かう。その際の弾の形はダーツの矢に似ている。
 装甲を曲面等にして弾をはじいて・滑らせて攻撃を受け流す避弾経始は、このAPFSDS弾に対して殆ど機能しない。
 APFSDSは装甲にめり込んで侵入し、その際の装甲は狭い範囲での高密度な衝撃・圧縮によって液状となってしまう。無論APFSDSも液体化を起こし、弾と装甲で相互侵食を起こす。



*用語、その他類

・エンゲージ
 敵との交戦を指す用語。元は戦闘機での用語であり、作中ではHA戦隊内でも使われている。

・階級(管理局)
 上から順に大将、中将、少将、準将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、准尉、曹長、軍曹、伍長、兵長、上等兵、一等兵、二等兵……となる。
 前述したもの以外にも元帥や上級大将等の階級はあるが、大体こんな感じである。
 主に将官と佐官、佐官と尉官、尉官と下士官の間には壁が存在し、その壁を超えられない、あるいは超えない者の大体はそこで出世は止まる。

・ガイノイド
 女性型アンドロイド。

・タイタンアルム
 七年に一度咲く花。

・マトリックス組織
 階層型組織と事業部制組織の混合組織。
 変化に激しい経営環境に柔軟に対応しようとする形態。柔軟故に指揮・命令系統が複数になってしまうおそれがある。

・AWACS
 エイワックスと読む。
 早期警戒管制機。
 簡潔に言うと、旅客機に大きなレーダーを載せたもの。戦闘空域等での管制を行い、空域の全ての機体を探知する役目もある。昨今の電子戦では不可欠な存在ともいえる。

・RDY
 READYの略。準備完了の意。



*創作の設定(殆どが略称を表記しているだけです)

・アジュア英王国
 アジュア・ブリタニア。主にブリタニアから移民してきた人達が建国した。大航海時代前後ではインドと思われていた大陸が国土である。グレートブリテン島も国土。

・AoC
 Administration・of・Ciel。シエル管理局。

・CA
 Ciel・Army。シエル実動隊の別称。こちらの呼び方が世間に浸透している。

・CWA
 Ciel・Western・Army。シエル管理局実動隊西方軍。

・FoA
 Front-line・troops・of・Administration。シエル管理局実動隊の正式名称。

・HA
 ヒューマノイド・アームズ。人の形をした兵器。人型兵器。

・MCC
 モーション・コントロール・コンピュータ
 現代の映画等に取り入られているモーション・キャプチャーを兵器に転用したもの。
 各部に取り付けられたセンサーによって各部の位置を逐一確認し、機体の重心等をコンピュータ自身が把握することでバランスを取っている。

・Omeli
 オメリ。
 Organic・and・mechanical[intelligent]・life。
 有機的機械(知的)生命体。

・UNCLA
 アンシエラ。
 United・National・Ciel・Artists。
 国際空術師連合。日本語だと国師連と略される場合がある。大衆に国際連合と誤認されないようにUNC等縮めた表記はしていない。


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