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[27521] 【H×H】【オリ主】魔女の眼のコレクター
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/30 02:23
前書き

この作品は、HUNTER×HUNTERの二次創作です。

内容としては以下の通りとなりますので、ご了承ください。

・女オリ主。性格あまりよくない。
・オリキャラ多数。原作の、特に主要なキャラクターはあまり登場しません。脇役ならちょこちょこ出ます。
・主人公はいわゆるニコポ持ち。
・漂流者、転生者、憑依者などのいわゆる「現実世界からの来訪者」「原作知識を持っている人物」は一人も登場しません。
・原作の再構成はなし。というか、原作描写自体あまりありません。原作の補完ストーリー、サイドストーリーを書こうとしています。
・主人公は最強系ではありません。また、ギャグもあまりありません。そういうのを期待している人にはストレスがたまること請け合いです。
・差別的な表現、グロ表記がたまに出てきます。

上記の通り、最近の二次創作の主流からはかなり外れた、地味な話です。まあ、それらに飽きたときの箸休めという感じで、気が向いたときにでも読んでください。

2011/5/24追記

どうも。爆弾男です。今日ですね、ここの「喜劇のバラッド」っていう作品読んだんですよ。
評判いいのに、そういえば読んだこと無いなーと思いまして。で、一言。

主人公の念能力被っちまったいorz

いや、持たせる感情違うとかあるんですけどね。あだ名が「魔女」とか、もうこっちがパクリと言われても否定できないレベル。

……あちらにご迷惑をお掛けしないうちに、削除したほうがいいのでしょうか。忌憚の無い意見をお待ちしてます。
あと、SSFAQ板にも立てたほうがいいのかな……。

2011/5/30追記
「問題ない」との意見を頂きましたので、一旦はこのまま行きたいと思います。
問題がありましたらご連絡お願いいたします。
くらん様、1000円様、ご回答ありがとうございました。



[27521] 01話 美術商・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/02 01:48
闇の中で、小さな女の子がうずくまっていた。かすかに泣き声が聞こえる。それを眺める少女。
「どうしたの」少女は声をかけ、女の子に近づく。しかし、返事は無い。何度か少女は声をかけるが、依然として反応は返ってこなかった。ふう、と少女はため息を吐く。これは、苦労するな、と。

不意にその女の子が言葉を発する。「なんで……なの……?」あまりにもその声はか細く、少女はよく聞き取ることが出来なかった。
「なあに?」出来るだけ優しい声を出しながら、少女はしゃがみこんで女の子を見た。
「なんで、わたしは一人ぼっちなの?」
その言葉を聞いた少女は少しだけ目を見開き、すぐに笑みを取り戻した。
「よしよし、いい子ね」少女は女の子の頭を撫でようとするが、手で払いのけられる。少女は今度こそ驚き、しばらくの間身動きが取れなかった。
「なんで、あなたは平気で人を騙せるの?」その声はひどく冷たく。震えてはいるが、しかしはっきりと告げられた。
「なんで、こんなことができるの?」女の子の言葉は止まらない。少女は、何も言い返せなかった。
「なんで……」そう言って、女の子は顔を上げた。その顔を見て、少女は驚きの声を上げる。
「なんでママを守れなかったの……」その言葉を告げる女の子の目には涙が溢れていた。
青い瞳。ややウェーブがかった、鮮やかな金髪。透き通るような白い肌。幼いながらも、鼻筋の通った整った顔立ち。
その姿はまるで。
「……私?」

少女はここで夢から醒めた。先ほど自分に辛辣な言葉を浴びせたのは、紛れもなく幼い頃の自分自身。
「またこの夢か。」少女はポツリと呟いた。最近特に見ることが多くなったな、と頭の中で付け加えて。
少女の母親が亡くなってから、すでに七年が経つ。それでもなお、少女は母親のことを時折思い出しては、涙した。
見た目はだいぶ大人びているが、まだ十五の子供でありそれも無理からぬことであったが。
「ママは、今の私を見てどう思うかな・・・。」少女がポツリと呟いたその言葉は、誰にも返事をされずに闇へと消えた。




    第01話 美術商・1




「遠い……」少女はポツリと呟いた。周りはうっそうと木々が生い茂った山の中。この山を登り始めてから、何度この言葉が口から出たか、少女自身にさえ分からなかった。
「がんばれ、ユナ。もう少しだ」
少女の前を歩いている、背の高い、白髪の男がやや苛立ち気味に言った。白髪とはいえ、顔の造詣からはまだ若いことが読み取れる。
「『もう少し』って言葉、もう何回聞いたか分かりませんよ……」
「ユナ」と呼ばれた少女は、疲れと苛立ちを隠さないように呟いた。この山に入ってから、すでに四時間は経過している。それも、山の登り坂だ。ただでさえ大変なのに、日差しは初夏にもかかわらず強く、一層体力を削る。その状況では、彼女がこういう態度をとるのも無理からぬことだろう。

それでも、まだ我慢して一行はしばらく山道を歩いていた。しかしながら、とうとう限界が訪れたようだ。
「もー無理っ!!休みましょう!」そう叫ぶとユナは木に寄りかかるように座り込んだ。
「またか」白髪の男はユナに聞こえるようにため息を吐いた。その顔は、汗ひとつ掻いていない。
「ファルグさんの体力がおかしいんです」ユナは頬を膨らませながら言った。

彼女の言葉はあながち間違っているわけではない。普通の女性ならば、山の中を何時間も歩き続けることは出来ないだろう。
まして、彼女はジャケットの内ポケットに拳銃を入れている。登山になると予想さえしていなかったため、靴はスニーカーだ。
何度も休むなと彼女を責めるのは酷と言うものである。むしろ、疲労の色を見せないファルグがおかしいと言える。

「こんなに大変だと思わなかった。失敗だったなあ」彼女の言葉を受け、ファルグが苦笑いを浮かべながら返答する。
「ま、これに懲りたらうかつに金につられないことだな。ちょっと報酬を上げられたからって安請け合いしないことだ」
「違いますよ。こんなに大変なら、もっと報酬を請求しておけばよかったと反省してるんです」
まさかこう返されるとはファルグも思っておらず、わずかに沈黙した後に「そうか」と返すのがやっとであった。ここまで筋金入りのお金好きだとは思わなかった。

「絶対50万じゃ足りない……」空を見上げながら、ユナは呟く。雲ひとつ無い、突き抜けるような青空。見る分には心地よいが、そこから強烈な日差しが刺してきて、彼女の体力を容赦なく奪う。彼女は、自分がここに来ることになったきっかけを、後悔しながら思い出していた。

なぜ、ユナたちがこのような状況に置かれているのか。それを説明するためには、彼女たちの現状から説明しなければならない。
二人は、ベッキーニ組というマフィアに所属している。ファルグはそこの武闘派構成員の筆頭であり、主に他の組との揉め事を武力で解決することを担当している。

一方、ユナは戦闘はほとんど専門外。主な仕事は、美術品の売買である。不当に安く売りつけられている美術品を買い、高く売る。
あるいは、贋作を売りつける。彼女の専門は絵画であったが、ボスの命令で彫刻品や、骨董品もある程度は扱っていた。
また、絵画についてはそれなりに腕があり、贋作を彼女が作成して売却したこともある。
そんな彼女たちがここにきた理由。それは、陶芸品の売買のためである。「サンベエ=アリタ」という、最近その名を売っている陶芸家のものだ。
しかし、制作数が少なく、また特定のバイヤーを介しているわけでもないため、その流通品は少ない。もし、独占販売できれば組にどれだけの利益をもたらすか。

ユナはその判断を一任された。すなわち、作品を見て組に利益をもたらすものであるとすれば仲介の独占契約を結べ、と言われたのである。
実物を見て、これは契約を結ぶに値する、と判断した彼女はサンベエに会いに行こうとしたのだが、その人物が山奥、と言うにも生ぬるいほどの秘境に住んでいるとはさすがに予想できなかった。
彼が住んでいる場所を知ってからは、他の人に行かせようとボスに直談判したのだが、追加報酬を持ちかけられるとあっさり承諾してしまった。これが、彼女が今山中を歩いている理由である。
ちなみに、ファルグがいる理由は、ユナの護衛をボスに命じられたためである。武闘派構成員の中でも随一の戦闘力を持ち、警備隊長も勤めている彼を護衛につけているあたり、ユナがいかに組内でも重要なポジションにいるかと言うことが伺える。……もっとも、単純にユナの実力が認められたから、と言うだけでなく彼女がボスの“お気に入り”であることもその理由なのであるのだが。

今、彼女はその金額が低すぎたと後悔しているのである。なお、金のためとはいえ山を登ることを断固として拒否するべきであった、という後悔は彼女には無い。

ユナがボスとのやり取りを思い出していると、ファルグは突然「ん?」と言葉を発し、今登ってきた道のほうを見た。その表情から、警戒をしていることが伺える。
どうしたんですか」事情を飲み込めないユナが、怪訝な表情で尋ねる。
「下から、誰か来ている」ファルグに言われて、ユナは下を覗き見てみる。しかし、影ひとつ見当たらない。
「またまた。誰もいませんよ」
「まだ100メートル以上は下にいるからな」しかし、ユナには人がいるような気配はまるで感じられなかった。
「気のせいじゃないんですか?」
「いや、間違いない。行くぞ」
ファルグはそういうと、ユナの右腕を掴んで強引に立たせ、歩き始めた。
「ちょ、ちょっと?」
「嫌なら、ちゃんと歩け」
「もう、犬じゃないんですから!」ユナはそう返したが、その言葉はどこか嬉々としていた。

さらに延々と山を登り続け、またユナが「休もう」と言いかけた頃に、レンガで造られた煙突が見えてきた。
「もしかして、あれが?」
「おそらく、そうだろう」
レンガを積まれた、粗末な家。近くには白い窯があり、その近くの木の机で、黒髪の人間がなにやらこねていた。
芸術家の住む家のイメージそのままだな。ユナはそう思い、苦笑いをする。
黒髪の人物に二人が近づくと、その人は顔を上げ、「何か用かな」と声を発する。
その容姿は若干幼さが残っており、非常に若いことが伺える。私と大して歳は変わらないのではないか、とユナは推測しながら、口を開く。
「サンベエト=アリタさんとお話がしたいのですが」
「何の話?」
「ちょっとビジネスの話をしたいんです。呼んでいただけませんか」
「別に呼ぶ必要ないよ。いいから話して」
ここまで聞いていたファルグが、やや語気を強めて言った。
「おいおい、坊主。俺たちは仕事の話に来たんだから、口出すんじゃねえよ」
「だから、僕が聞くって言ってるでしょ。それとも力ずく?」黒髪の少年もやや語気を強める。
「お前もそれなりにやりそうだけどな、そんな態度なら容赦しないぞ?」

「ちょ、ちょっとファルグさん。私たちは交渉に来たんですから。それじゃ、脅迫ですよ」
慌ててユナがフォローに入る。
「んなこと言ったって、こいつ見ろよ、取り付く島もねえじゃねえか」
「だから、話くらいは聞くって言ってるのに……ああ、なぜかくも人は分かり合えないものなのか」少年は、軽くため息を吐く。
その態度がまたファルグを刺激し、「ああ!?」と今にも殴りかかりそうな雰囲気を出す。
一方ユナは、右手を軽く握って口に当てたかと思うと、すぐに手を離して言葉を発した。
「もしかして……あなたがサンベエ=アリタさん?」
「ご名答。彼はなかなか理解してくれなくて困ったよ」少年は、ファルグを見ながら軽く肩をすくませた。
「おいおい、こんなガキが?本当かよ」ファルグの口調は、馬鹿にした、と言うよりも単純に驚いたと言う感じであった。

陶芸に限らず、芸術作品が人に評価されるようになるには長い修練が必要である。
十代と思われる少年が、今人気のある陶芸家であると聞かされたなら驚くな、と言うほうが無理と言えるだろう。
しかしながら、熟練の鑑定士をはるかに凌ぐ鑑定眼を持つユナがそばにいることを忘れている。
彼女もまた、十五とは思えないほどに芸術に対する造詣が深い。まれにこのような天才がいることを知っていた彼女は全くと言っていいほど驚かなかった。
「で、この僕に何のようかな。見ての通り、忙しくてね。芸術を作る才能には事欠かないが、残念ながら時間は天才にも凡人にも等しいのだ。君達と同じ時間を生きないといけない分、僕は余計に濃密な時間を過ごさなくてはならない。……言いたいことが分かっていただけるかな?」驚くファルグには意を介さずに、サンベエが口を開く。そのあからさまに見下した態度に、拳を握る力が強くなった。

「まあ、落ち着いてください」ユナはそのような意図でファルグに目配せをすると、サンベエの方を向きなおして言葉を紡ぐ。
「簡単に言うと、作品の独占売買契約を結ばないかってことです。あなたの作品は評価が高くてね。私が仲介すれば、もっとうまく売れると思いますが」
ふう、とサンベエは軽くため息を吐いて視線を外した。
「そういうのは何度も来てるんだ。別にいらないよ。お金なら十分にあるし。僕に必要なのは時間なのだよ。有り余る才能を存分に発揮できる時間さ」
「お金があるのはそうでしょうね。なんたって、プロのハンターなんだから」
ピクリ、とサンベエが反応して再びユナのほうを見た。今度は、若干の好奇心をその目に宿らせて。
「よく知っているね。」
「取引する相手のことを調べるのは定石よ。」
「……で?お金が必要ないと言っている人間にどうやって契約を結ばせる気なのかな?」

「あなたは『時間が必要』だと言った。それって、材料をそろえる時間や、生活用品を調達する時間もってことですよね。そのくらい、私がその気になれば用意できますし、なんならあなたがもっと集中できるような環境も用意できます。悪いようにはしませんよ」
言いながら、ユナは前のめりのような格好になる。若干顔を下げて、上目遣いになるようにし、サンベエに顔を近づけた。
目のやり場に困ったのだろう。サンベエの目が宙を泳ぐ。と、ユナの背中越しに目が止まり、その一点を見つめ続けた。
何事か、とユナが振り返ると、そこには3人の男女がいた。水色の髪を上に盛り上げた女性と、顔に傷の入った男、それから
銀髪でオールバックの男だ。
「私たちも、その商談に混ぜてくださらない?」水色の髪の女が話した。

そして、ユナはこれまで見たことの無いものを見ることになる。そして、それが自分の運命を大きく左右することになると気がつくのはもう少し先の話になる。



[27521] 02話 美術商・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/04 15:56
ユナとファルグ、サンベエの3人は、そろって入り口にいる3人組に視線を移していた。
――そういえば。ユナは山中での会話を思い出す。あの時、ファルグは誰かが下にいると言っていた。
あの時は気のせいだと思っていたが、なるほど、この3人のことだったのだろう。

改めて、ユナはその中の女を見る。女は、変わった髪型をしていた。髪を後ろのほうにまとめ、高く盛り上げている。その高さは自身の顔の長さほどもあるだろう。顔立ちは、まあ整っているといえる。だが、どことなく意地が悪そうな印象を受けた。

と、その女が、サンベエの方に近づく。即座に、ファルグが間に割って入った。
「悪いな、姉ちゃん。今取り込み中なんだ。」
しかし、女は臆することなく、サンベエの方を向いた。
「あなたがサンベエさんでよろしいかしら。」
「ああ、その通りだよ。天才というのも困ったものだ。すぐに名が売れてしまう。ところで、名前を聞いたら自身も名乗るのが礼儀ではないかな」
「……そうね、失礼したわ。ヴェーゼといいます。以後、お見知りおきを」
そう答えるヴェーゼの表情を見て、ユナは確信した。
間違いない、この人も絶対今、「ウゼェ」って思ってる。

「で、そのヴェーゼさんが、この僕に何のようなのかな」
もったいぶったような口調で話すサンベエに対し、ヴェーゼは唇に指を当てながら答えた。
「抱いてくださらない?」
「はあ!?」
あまりにいきなりすぎる発言に、ユナとファルグの声が重なった。しかし、サンベエには驚く様子が無い。
「そうか、僕のファンか。いいだろう、こっちに来たまえ。あ、他の人たちは帰っていいから」
いやいやいや、その発想は明らかにおかしいだろう。もはやどこから突っ込んでいいか分からなかったユナは、そう思うのが精一杯だった。




    第02話 美術商・2




あまりの展開に半ば呆然としている二人をよそに、ヴェーゼはサンベエのもとに近づくと、いきなり抱き合い、口づけをした。
が、どうにも様子がおかしい。サンベエの目がとろんとしているように見える。その目は虚ろで、すでに正気ではないことが見て取れる。

「どうだい?気分は?」
ゆっくりとヴェーゼが顔を離して声をかけると、サンベエは「あなた様に仕えられて、大変幸せでございます」と先ほどまで見せていた尊大さを微塵も感じさせない口調で答えた。

え?何?何があったの?
あまりの急展開に、ユナの頭はついていくことができない。
そうしているうちに、ヴェーゼはサンベエを跪かせ、靴を舐めさせている。
そうかと思うと、今度はその靴をサンベエの頭の上に持っていき、じりじりと踏みにじり始めた。
ときおり情けない声を上げる今のサンベエの姿を見れば、誰も「天才陶芸家」である本人だとは思えないだろう。

それを見ていた二人――実際にはヴェーゼが連れてきた二人も含めた四人なのだが――は、もはや乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。
それでも、ユナはまだこれ以上の変態プレイを経験しているから、まだどうにか理解は出来ている。
が、それでもぶっちゃけ帰りたい気持ちでいっぱいだった。
彼女でさえそうなのだから、他の三人については言うまでも無い。

「ふふ・・・もっと踏んで欲しいかしら?」いつの間に持ち出したのか、ヴェーゼはビデオカメラを手に何やら恐ろしいことを言っている。
そしてもっと踏むように懇願するサンベエを満足そうに見やると、
「もっと踏んで欲しければ、これにサインするのよ」と、何か紙切れを出した。

ここまできて、ようやくユナは状況を理解した。
そもそも、この女は何のためにここに来て、こんなことをしているのか。それに先ほど「自分達も“商談”に混ぜろ」と言った。
つまり、目的は自分達と同じなのではないか――。

それに気がついたユナは、まだ固まっているファルグに近づき、小声で「何やってるんですか、力ずくでもいいから止めてください」と話す。
ハッとわれに戻ったファルグが、「おい、何やってんだコラ!」と怒鳴り声を上げた。が、残念ながら既にサインは終わっていたようである。

「あらあら、私は何もしてないわよ。この子が、交渉を呑んでサインしてくれただけじゃない」笑って答えるヴェーゼにファルグが激昂する。
「ふざけんな!念使って操作したじゃねーか!」
その言葉に、ユナの頭は疑問で占められる。
……ネン?何だそれは。薬か何かを口に仕込んでいたと思ったが、違うのか?

一方、ヴェーゼはどこ吹く風、といった感じでファルグに答えた。
「証拠なんてないじゃないの。それは全てあなたの主観でしょ」
「うるせえ!俺をごまかせると思ってんのか!」
「……うるさいのはそっちでしょう。ねえ、止めてくれない」
ヴェーゼがそう言うやいなや、ファルグは後ろに跳躍した。先ほどまでファルグがいた場所目掛けてサンベエは棒を突き出していたのだ。
さっきまで、確かにそんなものは無かったのに、どこから用意したのか。ユナの頭の中には、そんな疑問が浮かんだ。

「何しやがる!」
「手出しはさせない。僕が相手だ」
「上等じゃねえか」
その言葉の次の瞬間、ファルグは左に飛ばされ、壁を砕いて外に飛んでいった。
サンベエがが、棒で叩きつけたのだ。ユナはそんな二人を目で追うのが精一杯で、何も反応できない。
飛んでいったファルグは地面に叩きつけられるとすばやく起き上がる。その様子から、ほとんど痛みが無いことが見て取れる。

「やるじゃねえか」そう言うと、ファルグはポケットを探り、なにやら手に持った。
――ヤバイ。
ファルグが何をしようとしているか察知したユナは慌てて身をかがめる。と、同時に凄まじい速さで弾が飛んできた。
サンベエはそれをかろうじて避けるが、かわした先にあった壁には穴が開いている。
彼が飛ばしたのは、単なる金属製のベアリング弾である。それを、指で弾いて飛ばしただけだ。
が、その威力と速度は並みの銃など比較にならない。運悪くユナの頭に激突していたら、簡単に頭蓋骨が吹き飛んでいただろう。

が、それを見ていたサンベエは冷静そのものだ。
「強化系?それとも放出系の能力者かな?……厄介だね」
言いながらサンベエは棒を手で上から押しつぶす。先ほど、ファルグを殴りつけたほどに硬いはずのそれは、簡単に形を変える。
それを手で捏ね、盾を作り出したサンベエは、ゆっくりとファルグの元へと向かった。

「じゃ、私は失礼しようかしら」
いつの間に外に出ていたのか、ヴェーゼが手を振りながら笑顔を振りまく。慌ててジャケットから銃を取り出すが、突きつけたときには既に消えていた。

外に出るも、もうヴェーゼの姿は無い。と一緒にいた強面の男二人がユナに銃を突きつけている。が、そのまま後ろ足で二人は離脱して言った。
もとより、ユナに追いかける意思はもう無い。とうに、見えなくなってしまっているのだ。今更走っても追いつけないだろう。
ハァ、とため息を吐きながら、まだ闘っているファルグとサンベエを見る。そして、再び吐くため息。
崩れたようにユナは椅子に座り込む。ふと見ると、棚の上にお茶葉があることが分かった。
どうせまだ掛かるだろう、と家の主には一言も告げずに、ユナはお茶の準備を始めた。
こんな山奥にどうやって運んだのかは分からないが、プロパンガスとガスコンロはある。
早速お湯を沸かし、茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。

「……何、この色」急須から注いだお茶は、緑色をしていた。
このような色の飲み物など、これまでに飲んだことがない。
試しに一口飲んでみるも、「……苦い。何これ」
彼女の口には合わなかったようだ。なお、ユナは知らないが、これはジャポンの飲み物で“緑茶”という。

「……お……ろ……」
椅子の上でうとうとしていたユナは、不意にした声で目が覚めた。目の前には、傷だらけになったファルグとサンベエがいた。
「お前なあ、人が大変な目にあっているときに、何寝ているんだよ」ファルグの言葉には、呆れと少しの怒りが混じっていた。
「急に闘い始めたんだから、しょうがないじゃないですか。あの時、きっちりあの女を止めてくれたら無駄足にはなってませんでしたよ」
「お、俺のせいだってのか」ファルグの開いた口が塞がらない。
「そもそも、何でお茶を勝手に飲んでんのさ!しかもその湯呑み!僕の最高傑作の一つなのだよ!」続いて、サンベエが抗議の声を上げる。
「待っている間、暇じゃないですか。ここまで来るのに疲れたんだから、お茶くらい飲ませて下さいよ」
「君、これでもか、ってくらいマイペースだね」あまりに悪気の無い回答にもはや諦めたのだろう、それ以上抗議することは無かった。
「そういえば、いつの間に元に戻ったんですか?」サンベエの言動は、先ほどまでと比較してだいぶまともに思える。
……あくまで先ほどまでとは、だが。
「ずぅっと闘ってたんだけどよ、いきなり元に戻ったんだよ」とはファルグの弁である。
「ずぅっと」というのは比喩ではない。この家に入ったときはまだ日が高かったが、今はだいぶ沈み、影が家の中に伸びてきている。
「んで、あの女は?」ファルグが椅子に腰掛けながら尋ねた。
「あっという間に降りて行っちゃいましたよ。とても早くて、追いつくなんて無理」
「そうか」ファルグさんがため息を吐く。
「ちょ、ちょっと待って、僕は念で操作されたらしいけど、それでなんか契約させられたまま逃げられちゃったってことなのかい?」

ネンというのが何なのか、ユナには分からなかったが、「そういうことになるわね」と答えた。
ついでに、その様子をビデオカメラで撮影されていたことも伝えると、サンベエの顔がみるみる青ざめていった。
「お手上げだな。どうにかしてあの女から契約書を奪えればいいが、今俺たちに出来ることなどほとんど無いだろう。帰ってボスに報告しよう」
ファルグが諦めたように呟き、ユナもそれにうなづく。しかし、それだけでは収まらない人物が一人いた。
「いやいや、君たちはそれでいいかもしれないけどさ、僕はどんな契約させられたか分からないのだよ!ああ、孤高の天才たる僕がなぜこんな目に!」
「そんなこと俺に言われてもどうしようもねえだろうが。というか、ハンターならあんな簡単に引っかかんなよ」

どうやら、この二人は相性が悪いらしい。先ほどから揉めてばかりいる。
結局、今はどうしようも無いということで、ユナは二人に矛を収めさせた。
まずは、あの女の素性を調べる。そして目的を探り、可能であれば契約書を手に入れられるよう交渉する。そのように話した。

「そういえば」そこで、ユナは先ほどから何度も感じていた疑問を口にする。
「ネンって何?」
二人の顔がこわばる。特にファルグは分かりやすい。嘘のつけない性格であることが良く分かる。
「ユナ、それはお前には必要の無いものだ」
ファルグが諭すように話す。が、「必要ないものかどうかは私が決めるわ」と、取り付く島も無い。
「ほら、話してくれないと、あの契約書取れませんよ」どうやら、弱みを握っているサンベエを標的にしたようだ。
「そ、それは困る。君!君のほうからも何か言ってくれたまえ!」
「……ユナ。それについては後で説明するから。」
「嘘。今までそう言って何回約束を反故にされたと思います?」
こう返されては、ぐうの音も出ない。さらにユナは畳み掛ける。
「別にいいんですよ、私は。あの契約書が取り返せなくても困らないし。何が書いてあるかも分からないしね。」

ため息を吐くと、サンベエが口を開いた。口ではどうやっても敵わない。そう悟ったようである。
「……信じるか否かは自由だけど、僕は事実しか話さないから。念っていうのは、体から出るオーラと呼ばれる生命エネルギーを操る技術なのだよ」
「オ、オイ」と戸惑ったファルグが止めようとするが、ユナは無視して先を促す。
「オーラって……何よ、その漫画みたいな話」
「まあ、それが普通の反応だろうね。あまりにも危険な技術だから、一般人には秘匿されているからね。
ちなみに、ハンター協会はむやみに非能力者に教えることを禁じている。まあ、慣習法みたいなものだがね」

「……まあ、話だけは聞くわ。続けて」
「念能力は、誰もが使える基本技と、その人に固有の特殊能力の二種類に大別される。僕を操った、ていうのは特殊能力の方だね。十中八九操作系の能力者なのだろう」
「操作系?」
「念能力は六種類の系統に分類されていて、人間は生まれつきどの系統が得意か決まっているのだ。得意な系統の能力ほど覚えやすいって感じだね。物や生物の働きを強くする強化系、オーラを体から離して使う放出系、オーラの性質を変える変化系、オーラを媒介にして物質や生物を自由に操る操作系、オーラを物質化する具現化系、そしてどれにも属さない特殊な能力を持つ特質系だ。あの女性は操作系の能力者だろうね。キスすると、相手を操る能力者」

そこまで聞いたが、どうにも納得しきれない。
「……とても良く出来たお話だとは思うけど。残念ながらそれを信じろと言われても、そうですか、とは言えないわね」
「信じないのは勝手だが、他に説明はできるのかね?それに、僕は本当のことを言っているからね。これ以上脅されても何も言えないよ」
そう言われては、ユナも引き下がるしかない。未だに信じることは出来なくとも、他にとるべき手段は無い。

しかしながら、一方で「私もそんな能力が使えたらいいなあ」とも思っていた。
さすがにいきなり口付けするというのは考えられないが、それでも他人を思い通りに動かすことができれば、どれほど楽になるだろう。
どれほど楽に、あれを集めることが出来るだろう。そんな夢想をしていた。

が、彼女が望むと望まざるとに関わらず、それはやがて現実のものとなっていく。



[27521] 03話 美術商・3
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/08 14:23
サンベエの元に現れた三人組。彼女達は何者なのか。その目的は何なのか。それは、数日後にあっさり判明した。
理由は簡単で、サンベエの元にユーケッドファミリーと名乗るところから商談が来たのだ。
いや、商談と言うより脅迫と言うべきか。ビデオを盾に、あまりにも法外な値段での取引を強要されたらしい。
電話にてそのような内容を聞かされ、泣きそうな声で解決を懇願された際には、
悪いと思いながらも笑いをこらえることが出来なかった。

「笑い事じゃないのだよ、ユナ君!あれが出回ったら、色眼鏡で僕の作品が見られ、
 その天才性が理解されなくなるのだ!一大事だよ、これは!」
気にしてんの、そこかよ。喉元まで出掛かった言葉を何とか飲み込み、ユナはようやく一言発することが出来た。
「でも、相手が分かっているのならば、それこそ力づくで取り返せばいいんじゃないですか?」
ファルグの話だと、念能力者――特にプロハンターになるような人間の実力は相当なものらしい。
それこそ、小さな組の一つは簡単に潰せるとか。あの時は、どこの誰か分からないことが問題だった。
しかし、今はその問題は解決している。であれば、その気になればどうにでも出来るはずだ。
そう思い訊ねたのだが、返ってきたのは返事ではなく、やや小ばかにしたようなため息だ。
こいつ、取り返すのやめてやろうか。
そんなユナの気持ちを知ってか知らずか、サンベエは続けた。
「僕は争いごとは嫌いなのだ。交渉で済むならそれが良い。それに、約束は守る主義でね」
「ということは、この前の契約はまだ有効だと?」
「無論だ」

そこまで聞き、ユナは安堵のため息を吐いた。実は、彼を当てにしようとしていたのだ。
先ほどああ言ったものの、後で「その契約はやっぱり無効」と言われたらどうしようかと思っていた。
「それはよかった。実は報酬に追加のお願いがありまして」
「あの金額じゃまだ不満があるのかい」
呆れたような声にムッとしながら、ユナは答える。
「お金じゃないんです。実は――」




    第03話 美術商・3




ユーケッドファミリー組長、ミカエル=ユーケッドは頭を抱えていた。
ユーケッドファミリーは新興のマフィア組織である。
元々はとある片田舎のしがない一マフィアでしかなかったが、ミカエルの代になってから徐々に勢力を伸ばし、
ついにはここ、ヨークシンシティに進出するまでになった。

だが……いや、やはりと言うべきか。そこからが上手くいかなかった。
片田舎と大都市であり、多くのマフィアが集うヨークシンは違う。
思うように集まらぬ人材。他の組で既に埋め尽くされている縄張り。
シノギは得ることが出来ず、他のマフィアから奪おうにも武力で大きく劣る。

この状況を打破するためにユーケッドが考えたこと。……それは、十老頭の庇護を得ることであった。
十老頭とは、この世界の十地区それぞれのマフィアの長の集まり。いわば、マフィアの頂点である。
その中の一人。この地区を支配する十老頭“麻薬王”マリオ・エスコバル。
彼に上手く取り入ることが出来れば、この状況を打破できるだろう。

そのために、必要なのは資金。ユーケッドがそこで目をつけたのが、美術品であった。
ここ、ヨークシンシティは毎年九月に大規模なオークションが開催される。
それ以外の時期でも、頻繁に露天で“値札競売市”と呼ばれる小規模なオークションが開催されている。
そういった事情があってか、ここには世界中の美術品が集まる。
当然ながら、美術品の売買も盛んであり、掘り出し物を当てて一攫千金を狙うものも決して珍しくないし、
この都市の富裕層は美術品に対する関心も高い。

そこで、サンベエの作品に目をつけた彼らは、それの獲得と販売ルートの確保に注力した。
作品の確保は、契約ハンター・ヴェーゼが成功させてくれた。
それも、こちらの言い値の通りに販売すると言う常識ではまず考えられないような契約だ。
これを成立させてくれただけでも、高い金額を払った甲斐があったと言えよう。

しかし、もう一方。販売ルートの確保が問題だった。
もとより、彼らは美術品の販売のノウハウがあったわけではない。
そのために単純に販売そのものが上手くいかなかったが、それは大きな問題ではない。

一番の問題は、この街の富裕層がなぜ美術品を所持しているかを見抜けなかったことだ。
もちろん欲しくて購入しているケースもあるだろうが、それはごく一部だ。
ほとんどは、マフィアから購入していた。いわば、みかじめ料を支払う名目として利用されていたのである。
その場合、美術品の出来…もっと言えば真贋すら問題ではない。
実際、大企業の重役や代表ですら、贋作をいくつも持っていた。

すなわち、有力な販売先のほとんどは、既存のマフィア組織に囲われていたのである。
そうなると、いくらいい品物を持っていようと販売は出来ない。
さらに悪いことに、無理やりにでも売りつけようとしたことが裏目に出て、他の組織から目をつけられる羽目になった。

その中でも彼らを悩ませたのが、ベッキーニファミリー……ユナの所属している組織であった。
彼らは、もともと自分達が抑えるはずだったサンベエの商品を横取りされている。
さらには、ヨークシンシティの美術品のほとんどをこの組が仕切っていた。
……もっとも、これは常人離れした鑑定眼を持つユナの存在が大きかったのであるが。

話を戻すと、ユーケッドファミリーはベッキーニファミリーから半ば脅迫に近い警告を受けていたのである。
この都市で、自分達の許可無く美術品の売買を行わないこと。
無論、ベッキーニファミリーとて全てのシェアを抑えているわけではない。
せいぜい、半数程度だ。しかしながら、他の組も全くベッキーニと無関係と言うわけではない。
ベッキーニの手が回らないところに、何とか売りつけている程度だ。
そして、ベッキーニがヨークシンで美術品を売買することはエスコバルのお墨付きだ。
……そう。ユーケッドは、味方につけるはずのエスコバルを、敵に回していたのである。

彼らが取れる手段は二つだけだった。
全てと敵対し、抗争に明け暮れるか。全てを諦め、ヨークシンから撤退するか。

ベッキーニから商談の話が来たのはそんな折だった。……もっとも、それは商談などではなく一方的な要求になるのは目に見えていたのだが。

「ベッキーニの方々がお見えになりました」
……来たか。正直この場から逃げ出したくなる気持ちを抑え、ミカエルは「お通ししろ」と伝えた。
痛む胃を押さえながら応接間に入ると、そこには一組の男女がいた。

男は、自分と同じくらいの歳だろうか。やや禿げ上がった頭に、多少出た腹。そこだけを見ると、一般的な中年男性だ。
しかし、その雰囲気は一般人とはまるで違う。まさにマフィアと言わんばかりの威圧感。
その凄みに、マフィアのボスである自分でさえ思わずすくんでしまいそうだった。

女の方は、まだ子供に見えた。どんなに見積もっても十代後半、ひょっとしたら十代前半かもしれない。
しかし、思わず見とれてしまうほどの美貌を誇っていた。
透き通るような青い目。それは澄んだ空よりも光を映し、どんなに高価なサファイアよりも美しい。
白く透き通った、きめ細やかな肌。それでいて、決して不健康なわけではなく、つい触りたくなってしまう。
肩までのびた、軽くウェーブの掛かった艶やかな金髪はその整った顔立ちをさらに映えさせる。
まだ若干あどけなさは劣るが、今まで抱いたどの女よりもいい。そう思わせるほどだった。

「どうした?」
女に見とれてたミカエルは、男に声を掛けられると我を取り戻し、慌ててソファに座った。

「よくお越しいただいた。ユーケッドファミリー組長、ミカエル=ユーケッドと申す。以後、お見知りおきを」
その言葉に呼応して、男女が名乗りを上げる。
「ベッキーニファミリー組長、ガスト=ベッキーニだ」
「ユナ=パーリッシュと申します」

「早速だが、用件だけを伝える」
葉巻の煙を吐き、ガストがやや面倒くさそうに、しかし威厳があるように言葉を発した。
「Mr.アリタの作品はこちらが購入する。ユーケッドの購入を完全に止めるものでないが、事前に許可を必要とする。
 Mr.アリタと交わした契約書は無効であるから、付随物と合わせて即刻ベッキーニに提供すること。
 ヨークシンでの美術品の売買については、すでに他の組が販売している顧客に対して販売しないこと。
 必要があれば、わが組がいくつか紹介する。……最後に。これらは“十老頭”エスコバルの許可を得ている。よく考えることだ」

「商談」という体ではあるが、明らかに自らが上と自覚した態度は、まさに「強要」である。
しかし、ミカエルとしても、さすがにそのまま受け入れるわけには行かない。
「交渉の余地はまるでないのか」
「交渉?そんなものはまるで無い。十老頭がいまだに動いていないことにむしろ感謝いただきたいところだ」
「しかし、その条件はあまりにも!」
「ご不満なら、十老頭と戦争することになるがよろしいかね」
そう言われながら一にらみされ、ミカエルは思わずすくんでしまう。

十老頭と戦争するなどあり得ない。もしそのような事態になったのなら、このような弱小組織はすぐに潰されてしまう。
しかし、この条件をそのまま呑むのも難しい。ようやく手に入れた進出の足がかり。それが根底から覆されてしまう。

答えの出ない回答に逡巡するミカエルを見かねたのか、先ほど「ユナ」と名乗った女が助け舟を出してくれた。
「それが無ければしのぎが成り立たない、とおっしゃるのであればある程度の金額を支払っても構いません。
 必要でしたらいくつか紹介しましょう」
「それに」とユナは付け加えてミカエルの目を見つめる。そのしぐさに、思わずドキリ、とする。
が、次の言葉を聞いてすぐに凍り付いてしまった。
「十老頭とのコネが欲しいんですよね?多少の口利きくらいはできますよ」
「……なぜ……それを」
「やさしいあなたの組員さんが教えてくださいました。あ、拷問とかはしてないので安心してくださいね」
子供が、嬉しそうに自らの宝物を自慢するような笑顔。
それも、このような美女がするのだから、「天使の笑顔」という表現がぴったりである。
……が。その内容はミカエルを恐れさせるに十分であった。
この様子では、自分たちのことがどこまで知られているか分からない。

「わかった」ミカエルはそう告げようとした。それしか、ここを切り抜ける方法は無い。
だが、それをガストはさえぎる。
「さすがに見ず知らずの組織に、そこまでやる義理はねえ。傘下に入るってんなら面倒はみてやるが」
この一言を聞いて、ミカエルはようやく彼らの狙いを察する。
もちろん縄張りを荒らされたという怒りもあったろう。しかし、彼らにはそこまで重要なことではなかった。
多少のしのぎを削ってでも、手足を増やし拡充を行う。そして、アガリを奪えればよい。
そういうことだろう。
そこまで分かりながら、しかし、ミカエルには肯定の意思を示す以外のことは出来なかった。



「旦那様、本日はありがとうございました」
屋敷に戻り、車から降りたガストに対し、ユナは謝辞を告げる。
その様子を見ながら、ガストはにんまりと笑う。そこには、先ほどまでの威厳はかけらも無い。
「何、かわいいユナの頼みだからな。このくらいは容易いものだ。……ところで、今夜は仕事はあるか?」
「今回の報告書と、アリタ氏の作品の販売案の策定が残ってますが。……何か?」
ガストは、先ほどまでのどことなく娘を見るような表情から一変させ、下卑た笑いを浮かべた。
「それらは別に明日でも良い。今夜俺の部屋に来なさい。」
一方、ユナはその言葉を聞いて不思議そうに首を傾げる。
「……今夜はフィリアさんの予定だとお伺いしておりましたが、よろしいのですか」
「ああ。今日のお前を見たら久々に、な。早めに来い」
そう告げると、ガストはさっさと屋敷に入ってしまった。
フィリアさんに告げてあげないとな。その後姿を見ながら、ユナはため息と共に呟いた。

フィリア=モリスとは、3年ほど前にこの屋敷に来た女性であり、ユナと並ぶガストの“愛人”である。
年齢は詳しくは分からないが、ユナとさほど年齢は変わらないはずだ。それゆえ、二人は話が合う。
……これは全くの余談だが、ガストの愛人が二人とも十代のため、組員はこっそり「ロリコン」と呼んでいるらしい。

部屋に戻ると、ユナはサンベエの元に電話をかけた。当然、交渉が上手くいったことを伝えるためである。
「うむ、僕は大変満足だよ。で、僕の作品の受け渡しについてはどうすればいいのかな」
「詳しいことはまだ決めてないので、また後日。契約書を持っていきますので。
 ……できれば、もうあんな山登りたくないのでこっちに来て欲しいですけど」
「残念ながら、そのような時間は僕には許されていないのだよ。僕の才能を活かすためには、少しでも時間が必要だからね」
予想通りの回答だが、それでもついげんなりしてしまう。

「……分かりました。ところで、ゼパイルさんはそちらに無事いらっしゃってますか?」
「ああ。来ているよ。彼なかなか見所があるよ。僕の芸術性をきちんと理解できているのだからね。変わろうか?」
「いえ、無事ならいいんです。よろしく伝えてください。わがまま聞いてもらってすみません」
そう告げながらも、ユナはゼパイルとの会話に思考が移っていた。

「……もう贋作を作りたくない?」
骨董品の贋作家の一人、ゼパイルからそう告げられたのは数日前のことだった。
いつもどおりに作品を受け取り、車に積み込んだところで「話がある」と呼び止められて聞かされたのがこの内容だった。
この業界では別に珍しいことではない。やはり、人をだますということは良心が痛むのだろう。
ただ、大抵の人は別の幹部に告げるかこっそり夜逃げするかのどちらかであり、ユナに直接この話をしたのは彼が初めてだった。

「ああ。俺も生活に困って贋作を作っていたけどな。今はそれなりに目利きも出来るようになったし、金はどうにかなる。
 鑑定士として生きていくつもりだと伝えてくれ」
「難しいですね。マフィアは金づるをそうそう手放しません。たいした品物を作っていなかったとしてもね。
 どうしても、というのならヨークシンから出て行かないと」
「……そっかあ、そうだよなあ」
「どうしてもヨークシンでやりたいのであれば、ほとぼりが冷めるまで隠れることですね。紹介しますよ。200万Jで」
その言葉を聞き、ゼパイルの口からため息が漏れる。
「……俺が今、そんな大金持ってると思うか?」
「証文書いてくれれば、借金でいいですよ」
「そうか、じゃあ頼むわ。善は急げ、というからな。早速準備させてもらう」
あまりにも意外な回答に、ユナは目を丸くした。
「仮にもマフィアの一員である私の言うことをそんな簡単に信じていいんですか?そもそも、なぜ私にこんな話を?」
「んー」としばらく考えてから、ゼパイルは答えた。
「別に理由なんてねえよ。強いて言えば、あんたは話を聞いてくれそうだからかな」
この回答は今でも忘れられない。どこまでこの人はお人よしだというのか。

「――ユナ君、聞いているのかい」
サンベエの声に、はっとユナは我に返る。正直、大半が自慢話だったので、聞いていなくても大して問題は無いのだが。
とはいえ、さすがに話を全く聞いていないのはよろしくない。今後は大事な取引先だ。
平謝りするユナに対し、サンベエは静かに告げた。
「……しかし、君も結構お人よしなんだね」
「なんのことですか?」
「ゼパイル君のことだよ。話は聞いてる。普通なら上に報告するところなのに、リスクを背負って僕にかくまわせるとはね」
「ああ。お金のためですよ。ゼパイルさんから聞いていませんか?」
「本当にそうかな?」
試すような口調に、ユナはだんだんイライラしてきた。
「……何が言いたいんですか」
「さっきから言っているだろう。君はお人よしだと」
その言葉にカチンと来たユナは、「私、お人よしじゃありません!」と声を荒げると、電話を切った。

「はぁ」少しして、ユナはため息を吐く。
「ちょっと悪いことしちゃったかな。何で私こんなにイラついたんだろう……」
ポツリと出た呟きに、答える者は誰一人いなかった。



[27521] 04話 偽りの愛情・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/16 02:35
ガスト=ベッキーニは葉巻をふかしながら、唸っていた。
手には一枚の紙。通常であれば、何らかの報告書を連想するところだろうが、そうではない。
記述されているのは詩。もっとも、それはただの詩ではない。
聞くところによれば、100%当たる予知だそうだ。

最近勢力を強めてきたマフィア……ノストラードファミリー。その組が抱えている、占い師の予言だそうだ。
もっとも、最近田舎から出てきた組織だ。どうにも信用なら無い。しかも、占い師はまだ小娘だというではないか。

そのノストラードファミリーを半ば強引に紹介され、試しに占ってもらった。
しかし、その占いの内容が全くといっていいほど理解できない。
煙を吐き出しながら、もう一度紙に目を落とした。

 綺麗な薔薇が魔女を刺す
 貴方は薔薇を折らねばならぬ
 魔女の頼みを断らぬこと
 あなたを守る大事な眼だから。

 非常な現実があなたを襲う
 大事なものほど見捨てなさい
 魔女との契約を守ること
 紅蓮の夢を見たくなければ

――何を言いたいのかがさっぱり分からない。薔薇?魔女?一体何を指しているのか。
内容を読む限り、その二つは対立し、俺は薔薇を倒さないといけないようだが。
もっと分からないのは二つ目だ。非常な現実とは何のことだ?

結局、ガストが出した結論は「分からない」だった。もしこの占いが当たっているのならば、そのうち理解できるだろう。
そのように判断し、思考から追い出すことにした。
……しかし、もし彼がこの意味を理解できていたら、未来はもう少し変わっていたかもしれない。




    第04話 偽りの愛情・1





リンゴーン空港。ヨークシンシティから少し離れた郊外に位置する、ヨルビアン大陸最大の空港である。
都市圏からは離れているものの、世界最大のオークションが開催されるヨークシンにもっとも近い空港という関係上
この空港の役割は大きい。

その中の一台の小さな飛行船。その中にユナはいた。
この飛行船はベッキーニファミリーの貸切であり、乗組員以外は組の人間は乗っていない。
外の太陽の光が眩しい。空港の外は荒野であり、初夏のこの時期は日差しが強い。
ぼんやりと暑そうな外を見ながら、ユナはこれまでのことを思い返していた。



「ユナ、ちょっといいか」
昨日の夜、屋敷に戻ったユナに対し、一人の女性が声をかけてきた。
非常に背が高く、スタイルも良い。かといって、痩せ過ぎているわけでもない。
その目つきがキツイ性格を思わせるが、まあ美形と言ってよいだろう。
彼女はライラという。この組では、ファルグと並ぶ武闘派である。
ユナもこの組に入ってから長いが、あまり仕事が合わないためか、ろくに話した記憶が無い。
その彼女が自分に何の用だろうか。疑問に思いながらも、答えないわけにはいかない。

「あ、ちょっと待ってもらえますか。今日の内容を報告書にまとめて、旦那様に報告しないといけないので」
「そう、だな。それはそう。終わったら、アタシの部屋に来てちょうだい」
ライラはそれだけ告げると、ぷいと振り返って戻っていった。
クールと言えば聞こえはいいのだが、相変わらず何を考えているのか分からない。
あまり話さないのは、彼女のそういうところが苦手だということもあるのかもしれない。

ユナがライラの部屋を訪ねたのは、それから一時間後。
軽く深呼吸をしてから、部屋の扉をノックした。
「入って」部屋の中から声が聞こえ、静かに扉を開ける。

中では、ライラが丸テーブルの側に置かれた椅子に腰掛けていた。
テーブルの上にはコルクが開いている赤ワインとチーズにクラッカー。
彼女の側にあるグラスには、既にワインが半分ほど注がれていた。

「そこに座りな。あんたも飲むかい?」
そう言いながら、ライラは椅子から立ち上がり、食器棚から新しいグラスを手に取る。
「あ、いえ、私は……」
言い終わる前にユナの前にグラスが置かれ、ワインが注がれる。
しぶしぶと、そのワインに口をつける。……けっこうおいしい。いいワインじゃないか。

「……これは、ボスにも機密である仕事。決して他言してはいけない」
そう告げるライラの目は険しく、思わずつばを飲み込んでしまう。
組長にすら言えない仕事など、存在してよいのか。そんな疑問を発することは到底出来なかった。

ライラはワインを一口嘗めると、軽くため息を吐き、話を続けた。
「ボスは十老頭を裏切っている疑惑がある」
思わぬ内容に、目を丸くする。十老頭の恐ろしさを分からない人間など、この世界には……少なくともマフィアにはいない。
組長の立場にいる人間ならばなおさらだ。一体、なぜそのようなことを?

ライラの話を要約するとこうだ。十老頭の一人“麻薬王”マリオ=エスコバル。
彼の麻薬の流通ルートの一部があるマフィアによって侵害されている。
調査の結果、そこに絡んでいるマフィアの一人として、ガスト=ベッキーニの名前が挙がったらしい。
ちなみに、ベッキーニファミリーは、遠縁ではあるもののエスコバルの傘下に当たる。
つまり、事実であるならば完全な裏切り行為であり、父親の顔に泥を塗る行為。
当然エスコバルとしては見過ごせない事態となる訳だ。

話を聞き、ユナは思わずため息を吐いた。まさか、ここまで重い話だとは思わなかった。
「……で、私に何をして欲しいんですか」
「ボスに上手く取り入って、証拠を押さえること。シロだったらそれでよし。何も無ければ十老頭に報告しないといけない。
 ……ただ、いきなり『はい、そうですか』とは言えないだろう?だから、明日依頼人に会って欲しい」
「あ、明日!?」
あまりにも急すぎる話に、思わず声が大きくなってしまう。

「明日何かあるのかい?」悪びれも無く言うライラの姿に、つい憤慨してしまう。
「当たり前じゃないですか!私だって暇じゃないんです!今日いきなり言われたって困ります!」
思わぬ攻勢に、今度はライラの方がたじろいてしまう。しかし、ユナの言葉は止まらない。
「……そもそも、まだ“疑い”の段階なんですよね?だったら、まずその証拠を提示していただかないと。
 それにリスクも大きすぎます。下手に動いてベッキーニファミリーを敵に回したときに、私をどこまで助けてくれる保証があるんですか?」
「しかしな、下手をしたら十老頭に目をつけられるような事態になるんだ。
 そこを何とかやってくれないか?」
「話になりません」そう告げて、ユナは席を立つ……が。

「一応、報酬は500万ジェニー、前金が100万ほどあるんだが」
この言葉を聞くと即座に座りなおしてライラの両手を握り、
「や、やだなあ。誰も受けないなんて言ってないじゃないですか。あ、あはは……」と、乾いた笑いを浮かべた。
その様子を見て、ライラは「あんた、本当に現金だよ」と呟かずにはいられなかった。



そうして、ユナはリンゴーン空港にやってきた。何でも、その依頼人はヨークシンからかなり離れた場所にいるため、
飛行船で移動しないといけないそうだ。おかげで、ガストから休暇をもらうのにだいぶ苦労した。

「とりあえず、聞きに行かないとな」手に持っていた携帯電話をバッグにしまい、そう呟いた。
ライラ本人に聞くわけには行かない。ユナは、ともに来た二人の男を思い浮かべた。
ビックスとウェッジ。詳しくは分からないがライラの部下だったはずだ。
どちらかに聞けば詳しい事情は分かるだろう。……ただ、どっちがどっちだか分からないのだが。



部屋でうたた寝をしていたウェッジは、扉をノックする音で目が覚めた。
「はい?」ライラが何か用事を言いつけに来たのだろうか。それとも、何か失敗したか?
しかし、彼の思惑に反して、返ってきた答えは意外なものであった。
「ユナです。ちょっと開けてもらっていいですか?」
思わぬ声の主に、若干緊張しながらも扉を開ける。
そこには、確かに金髪の少女がいた。もともと美術関連の商売をしている彼女とはなかなか接点が無い。
それゆえに、彼女が訪ねてくれたということはそれだけでなかなか嬉しいものだ。
「どうしました?」
「ちょっと聞きたいことがありまして……中に入れてもらってもいいですか?」
よし、ついてる!そう思いながらウェッジは部屋の中に促した。
後ろで扉を閉める音がする。
「ああ、ところで何か――」
飲み物でも、と言いそうになったところで、ウェッジは固まった。



ユナが自分に対して銃を突きつけていたからだ。

「な、何を!?」慌てるウェッジに対し、ユナは至極冷静に質問を投げつけた。
「あなたたち、何を企んでるんですか」
その瞳に、先ほどまでのあどけなさは無い。戦闘とは無縁といっても、彼女もマフィアの一人。
このような行為には慣れっこということだろう。

「言ってる意味が分からないが……」
ウェッジのその言葉に、クスリと嘲る様な笑みを浮かべる。
「知ってました?旦那様ってけっこう自慢をしたがる性格なんですよ。
 それはもう、黙っていなきゃいけないことをつい話してしまう程に」
何を言いたいのか分からない回答に、ウェッジは何も言い返すことが出来ない。
「特に私にはいろんなことを話したがりましてね。それこそ、組の存亡に関わるような話もいくつか聞いてます。
 ……そんな私が、麻薬の話を聞いていないなんておかしいんですよ。もっとヤバイ話を聞いてるくらいなのに」
「それに」と、困惑しているウェッジに対して、続けるように言い放った。
「私って結構会計事情を知ってましてね。へそくりの位置やその金額も聞いてるくらいです。
 麻薬の仕入れルートや販売先については言わずもがな。そんな私が気づかないわけが無いでしょう」
言ってて「私どれだけ仕事してるんだよ」とちょっとへこみそうになったが、それはそれ。
今は目の前の男から事情を聞きだすことが先決である。

ちなみに、ユナが裏があると知りつつもついてきたのは真相を知り、組織の脅威をなるべく排除しようという忠誠心
……などではなく、前金の受け取りと、これをネタに脅すことでさらに金を取ろうという魂胆のためだったりする。

「お、俺は何も知らない!本当だ!ただ、ある人に会わせるように言われて――」
「ある人?」
ユナの疑問に、「しまった」という表情で口を押さえるウェッジ。なんとも分かりやすい。
「ある人って誰ですか?」
「い、言えねえ。消されちまう」
「……つまり、それほどの力を持っている人間だと。マフィア関連ですか」
「もっと恐ろしいお方だ。」
その言葉に、疑問が浮かんだ。――マフィアより恐ろしい?一体どんな存在なのか。
そこまで考えていた、その時。

「おしゃべりなのは関心しないねえ」
不意に後ろから声がし、慌てて振り向くとゆっくりと扉が開く。そこから、ライラが姿を現した。
銃を突きつけられても、その顔には余裕すら見える。
それも当然かもしれない。ベッキーニファミリーの中でもファルグと並ぶ実力者だ。
「ライラとは闘うな。逃げろ」ファルグのその言葉が脳裏に浮かぶ。

とはいえ、この状況ではどうしようもない。銃を向け、何とか事態を収拾させようと思考を巡らせる。――が。
「痛ぅっ!」
右手に走る痛みに、思わず銃を離してしまう。カランカラン、と音が響く中、
ユナは今起こった事態が理解できず、必死に考えを巡らせていた。
……一体何が?

ライラは全くドアから動いておらず、ユナとは1mほどの距離がある。
さらに、銃を発射した形跡もなく、手に武器すら持っていない。
にもかかわらず、硬いゴムか何かで叩かれた感触が右手に残っている。
さらに“それ”には棘のようなものがついているようで、
右手をよく見るとところどころ穴が開いたように出血している。

事態を理解できないユナを尻目にライラが右手を横に振るうと、
床に落ちている拳銃が何かに弾かれたように、ライラの方に転がっていった。
「なっ…!」
目の前で起こったあまりにも不可解な事態。
にもかかわらず、ライラはさも当然のような顔をしていることが一層不気味さを増した。

「あんたにはちょっとお仕置きが必要だねえ」
ライラはそう告げると、おもむろに右手を振りかざし、叩きつけるような動作をした。
その瞬間、ユナの左肩から背中に掛けて激痛が走った。
あまりの痛みに声を上げることもままならず、その場に倒れこむ。ウェッジが慌てたように口を開く。
「か、顔に傷をつけるとあの方に…」
「分かっている。……体は存分に痛めつけさせてもらうけどねぇぇぇぇっ!!」
乾いた音と狂ったようなライラの笑い声だけが部屋に響く。
ユナは、ひたすら体に“何か”を打ち据えられる痛みに耐えていた。

――なぜ、ライラは何も持っていないのに、ユナにここまで痛みを与えることが出来るのか。
――ベッキーニ組を敵に回すリスクを負ってまでユナを誘拐したのはなぜか。
――これから先、ユナをどうするつもりなのか。
これらの疑問は、痛みによって押し流され、やがて完全に意識を失ってしまうことで考える機会を失った。

ライラがユナを叩くのをやめたのは、ユナが気絶してから実に10分ほど経過してからである。
何の反応も示さないことをつまらなく思っているかのような視線を飛ばし、ウェッジに話しかける。
「……ユナを空き部屋に連れて行き、椅子に縛り付けておきな。ビックスと交代で見張りをするんだ。銃は私が預かる」
そう言い残すと、ライラは拳銃を取り上げ、部屋を出て行った。

……今度は自身が致命的な見落としをしていることに気づかずに。



[27521] 05話 偽りの愛情・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/30 02:19
「はい……はい……分かりました。はい。明日の昼にはそちらに着きますので。……はい、よろしくお願いします」
ふう、とため息を吐きながら、ライラは携帯電話を切った。相手はこの仕事の取引先。
正直なところ、ライラにもその人物の素性は良く分かっていない。
分かっているのは十老頭にごく近い人物だということ、強大な権力を持っているということだけだ。

ケイツ=ラビオストリ。“十老頭”マリオ=エスコバルの右腕と名乗る人物である。
そのような地位であるにもかかわらず、ライラはその名を聞いたことが無かった。
胡散臭いことこの上ない。それでも、縋らない訳にはいかなかった。

「……本当にこれでよかったのですか?フィリア様……」
ポツリと呟かれた言葉に答える者は誰もいない。他に誰もいない部屋の静寂へと消えていくだけだ。
漆黒の帳が落ち、ところどころに煌く灯りが見える外を眺めながら、ライラは物思いにふけった。



「ていうかさぁ、あのコ、すごいジャマじゃなぁい?」
鼻に掛かったような声で、黒髪の少女――フィリア=モリスはライラに向かって笑いかけた。
くりくりっとした大きな目がかわいらしく、口調も無邪気そのもの。そこだけ見ればなんと微笑ましい光景だろう。
しかし、その裏に見え隠れする悪意を感じ取り、ライラは若干身構えてしまった。

「邪魔、と言いますと」
「こないだもさぁ、わたしがぁ、ボスとぉ、ねる番だったのにぃ、取られちゃったんだよねぇ。
 そりゃぁ、わたしもぉ、あんなオヤジとぉ、ねたいわけじゃないけどぉ、でもムシされたみたいでぇ、ムカつくんだよねぇ」
なんと返したらよいか分からず、無言のままのライラに対して、さらにフィリアは続けた。「消しちゃわなぁい?」と。

「フィリア様の申し出と言えど、それはさすがに受けられません。
 もし、それがばれて今度はフィリア様が消されるような事態になりますと――」
「だいじょうぶよぉ。マリオの側近にぃ、後シマツをおねがいできる人がいるからぁ」
ライラの言葉を遮り、フィリアは頬を膨らます。まるで子供のわがままだ。いや、事実、子供か。
そして、この子供はかなり頑固だ。こうなってしまっては、なかなか意思を覆さないだろう。

結局、ライラの方が折れ、今回の計画を算段することとなった。ユナを誘拐し、ケイツに売り払う。
見返りとして、ベッキーニファミリーに対する十老頭の更なる庇護をお願いする。
当然、ボスには話していない。こんなことを話せば反対されることは目に見えている。一人でやるしかない。
犠牲となるユナはかわいそうだが、フィリアとの比較は出来ない。
彼女は命の恩人だ。組に入るよう便宜を図ってくれたのは彼女だ。でなければ、今頃は路上で垂れ死んでいただろう

それに、自身もユナに思うところが無いわけではない。
ボスに抱かれているくせに、なぜあそこまでファルグと仲が良いのか。
あの女よりも、自分のほうがよっぽど彼のことを――。




    第05話 偽りの愛情・2




「あの女はどうしてるだろうねえ」
思考の海から戻ったライラは、ポツリと呟いた。先ほどは、腹が立っていたとはいえやり過ぎてしまった。
一応、献上物として差し出す女だ。命に別状は無いとは思うが、様子は確認しておいたほうがいいだろう。
そう考え、ライラはウェッジに電話をかけた。……もっとも、今見張りをしているのがどちらかは分からないのだが。

電話帳から探すのにも苦労したが、何とか番号を探し出し、電話をかけた。しかし。
「……つながらない?」まるで通話中であるかのように、「プーップーッ」と音だけが返ってくる。
休憩中か?そう思い、ビックスの方に電話をかける。今度は、ちゃんとつながった。

「ビックスかい?」
「へえ。ライラさん、どうしやした?」
「なに、ユナの様子はどうかと思ってね」
「ずうっと、あのまんまですよ。部屋からは音一つ無い。中をたまに覗いても、椅子の上でぐったりしてまさあ」
「死んじゃいないだろうねえ?」
「たまに寝息が聞こえるので、大丈夫だとは思いやすが」
「そうかい。ならいいさ」
そこまで言って電話を切ろうとしたが、ふと思い出し、尋ねた。
「そういえば、ウェッジには電話がつながらなかったけど、話し中かい?」
「へえ、今休憩中なんすよ。大方、女と話してるんじゃないすかね。何か用でも?」
「ああ、いや、別に用は無いさ。ちょっとつながらなかったから、気になってね」
そう告げ、電話を切った。画面を見ると、時刻は九時を過ぎている。
あまり仕事中に電話をして欲しくは無いが、まあ休憩中ならいいだろう。
そう結論付け、机の前の書類に向き直る。全く、どうにも書類仕事これは苦手だ、と思いながら。

いつの間にか、書類の前でうたた寝をしていたライラは、突然けたたましく鳴った電子音で起こされた。
音源はすぐに分かった。自分の携帯電話の着信音だ。発信者を見ると、ビックスの名前がある。
時刻は日付が変わってすぐ。こんな時間に何のようだ、と訝りながら電話を取った。
「ライラだよ」
「た、大変す、ライラさん!すぐ来てください!どうしたらいいんか分からないんでさあ!」
「落ち着きな。何が言いたいのか分からないよ。どうしたのさ」
「ゆ、ユナが部屋にいないんす」
「何だって!?」
予想外の事態。椅子に縛り付け、部屋には鍵をかけ、交代で見張りを立たせている。
そのような状況で、どうやって逃げ出したと言うのか。だが、ビックスの話はそれで終わってはいなかった。
「そ、それと……」
「どうした?」
「あの、ウェッジの奴も……その、いないんす」
……やられた。確かに、一人で逃げるのは難しい。しかし、見張りの一人を味方に付けたとしたら?
鍵も持ってるし、見張りのスケジュールも知っている。脱出はたやすいはずだ。
――だが、どうやって?
「あ、あの、ライラさん?」
物思いにふけっていたライラだが、ビックスの声で我に返った。そう、今は原因を考えるべき状況ではない。
今どうするべきかを考え、行動するべきなのだ。
「今、どこにいるんだい」
「ユナを見張っていた、あの部屋の前でやす」
「そこで待機だ。すぐにそっちに行く」

扉を開けると寒気が流れ込み、思わず身震いをした。
飛行船は今動いている様子が無い。灯りが近くにあることから、補給のために空港に停泊しているようだ。
どうにも嫌な予感がする。ライラは扉を閉めると、ビックスの元へと急いだ。

「ライラさん!」
ビックスはライラのことを見つけると、大声で叫んだ。体が震えているのは、寒さのせいだろうか。
「部屋の中を見せな」
「へえ」
ビックスはそう答えたが、扉は既に開いていた。中を覗くが、確かに誰もいない。
ユナを縛り付けていた椅子には、ロープが置かれている。切断面が見えることから、刃物を使用したのだろう。

「ちょっといいすか」
ライラの検分が終わる前に、ビックスは声をかける。思考を止められたことが、少し腹立たしい。
「何だい?」
「あ、あの、この風なんすけど、どっかの扉が開いていると思うんすよ」
「それで?」
「つまり、奴ら既に非常口から脱出したってことは……」
「その可能性は確かにある。しかし、中も探さないことにはまずいだろう」
「しかし、逃げられたのなら、早く追いかけないと手遅れにならないすかね」
この下に何があるか分からない暗闇の中、飛び降りるようなものか。そう思ったが、だからこそ降りたのかもしれない。
完全に堂々巡りである。このまま悩んでいても解決はしないだろう。

「とりあえず、外に逃げたか探ろうか。非常口から出た形跡があるか調べる」
「へえ、こっちでさあ」
言うなり、すたすたとビックスは風の来る方向に歩いていった。ライラも、途中の部屋に目配せしながら付いていく。

ゴンドラの最後尾。そこの扉が大きく開け放たれており、寒気が流れ込んでいた。
しゃがみこみ、床を観察する。血痕が無いか確かめるためだが、よく考えればユナを叩いたのは昼間だ。
とうに血は止まっているだろう。

「ライラさん、あれ」
ビックスが指差した先は、地面であった。そこには、飛び降りたであろうハイヒールの後がぬかるみに残っている。
そして、その足跡がアスファルトにまで延々と伸びている。
「これって、やっぱりここから出ていったってことなんでやしょうか」
「そうだねえ……」





「上手くいったでしょうか……」
部屋の中で、不安そうにユナはポツリと呟いた。
「大丈夫だって、ビックスが上手くやってくれてるはずだしさ」
一緒にいるウェッジが話しかけてきた。その口調はどうにもご機嫌を取ろうとしているようで鬱陶しかったが、口には出さない。
協力してくれているだけ御の字だ。

ウェッジは大丈夫と言っているが、やはり不安感は拭えない。ユナは元々気の小さいほうだ。
この作戦も、上手くいく保証は全く無い。
――ライラを外に追い出し、その隙に飛行船で逃げるというこの作戦も。

ユナは確かに見張りを味方に付けていた。しかし、それは一人ではない。二人だ。
今二人がいるのは、ビックスとウェッジの休憩室。つまり、飛行船の中である。
ビックスがライラに対して言っていたのは完全な狂言。ライラを外におびき出すための演技だ。
二人が逃げ出したと思わせて外を探させ、その隙にビックスが飛行船に戻って離陸し、逃げる。
それだけの、非常に単純な作戦。

そして、これを実現するために大切な要素は二つある。
一つは、ビックスがライラを外に出すこと。そのため、ビックスの協力が必要だ。
そしてもう一つは、自分の合図で飛行船が飛び立つこと。当然、飛行船の乗組員全員の協力が必要だ。
――つまり、ユナはライラを除く飛行船の搭乗者全員を味方につけていたのである。

通常であれば、それはなかなか難しいだろう。だが、マフィアの一員としての権力と金、そして何より“能力”がそれを実現させた。目の周りにあるもや。以前は全く見えなかったものだが、目が覚めると見えるようになっていた。
もっとも、目以外の部分からは、もやは少しだけ、それもまばらにしか出ていない。目だけがその量が多いのだ。

そのもやを集めて、相手と目を合わせる。
そうすると、ほとんどの人は顔を赤らめ、あるいは笑みを浮かべ、自身に対して好意を持ってくれているのが分かる。
以前から、この感覚はあった。“力”を目に集めて見れば、自分に友好的になってくれる。
しかし、以前よりも“力”が増しているように感じられる。それも全てこのもやのせいであろうか。
ふと、あの山で、口づけをして自分の言うとおりにサンベエを従わせていたあの女を思い出す。
自分も見るだけでそのようなことが出来るかもしれない、出来たらいいと思ってはいた。
ひょっとして、これはそういうことなのではないか。

ふと気が付くと、ウェッジがかなり近い位置にいる。体を触ろうとしていることから、性欲を持て余しているのだろう。
――これがこの“能力”の欠点。協力してくれるのはいいのだが、あくまで“好意”を持つだけだ。
それがどのように作用するか分からないし、狙ったとおりのことをしてくれる訳ではない。
また、相手が男性ならば――場合によっては女性でも――性の捌け口にされる可能性はある。

本当にこの能力は私そのものだな。自嘲気味な哂いを浮かべながらも、ユナはウェッジの唇に指を押し当てていった。
「まだだめですよ。上手くいったかどうか確認が取れてからです」
コクコクと、勢いよく頷くウェッジを見て、ユナは満足げに指を離した。
……もっとも、確認が取れてから「何をしてよいのか」をユナは明言していないのだが、そこまで頭が回らなかったようだ。

チクリ

左肩に、微弱な痛みが走る。まだ肩を“何か”で殴られた痛みが治まっていないのかな。
そういえば、私を殴った見えないあれはなんだったのだろうか。

そう思っていると、携帯電話の振動音がした。懐から携帯電話を取り出す。
ちなみに、これはユナのではない。ウェッジの携帯電話だ。
彼女のはライラに取り上げられてしまっているので、ウェッジのを使用しているのである。

「上手く外に出した。早く離陸してくれ……ですって」
メールを読み上げたユナは、すぐに船長に電話をし、離陸をさせた。
ふう、と安堵のため息が漏れる。あとはビックスが戻ってくるのを待ち、次の停泊所まで待つだけだ。

チクリ

気を抜くと、また左肩に痛みが襲う。病院いったほうがいいかもなあ、などとぼんやり考えていた。

ふと、ドアをノックする音がした。「早く入れ、ビックス」ウェッジが声をあげる。
そして扉が開き――





「かくれんぼは終わりだよ」
二人は固まった。そこにはライラに後ろからナイフを突きつけられ、青ざめたビックスがいたからだ。



[27521] 06話 偽りの愛情・3
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/30 02:20
漆黒の闇の中を飛ぶ飛行船。その客室の一つで、二組の男女が向かい合っていた。
しかし、その様子はおよそ普通とはかけ離れていた。

一組は事態が呑み込めず、立ったまま言葉を発することが出来なかった。
もう一組は、女が男にナイフを突きつけているという異常な状況であった。
男は恐怖に身を震わせ、女――ライラはしたり、と言う顔で言葉を発した。

「全く、あんたも甘いねえ。三人がグルで、アタシを外に出そうと言う算段だったんだろうけどさ。
 出口にあったあんたの靴の跡。あれがひどかった。
 ぬかるみにははっきりと足跡が残っていたのに、その先のアスファルトには泥が残ってなかったんだからね。
 大方、アスファルトの前まで歩いてそのまま引き返したんだろう。
 ――それに、ウェッジと一緒に逃げたのなら、なんであんたの足跡しか残ってないのさ」

短時間で考えたとはいえ、さすがに穴だらけだった。
確かに、あの暗闇の中、アスファルトに泥が無いことが分かるとは思っていなかった。
しかし、それ以外のミスがひどかった。かえって、こんな小細工をしなかったほうがいいくらいだ。
一瞬、ユナの脳裏にそのような後悔が駆け巡るが、それもすぐに打ち消されてしまった。




――目の前で、ビックスの喉が切り裂かれてしまったからだ。

驚きのあまり、言葉が出ない。ユナやウェッジだけでなく、ビックスも事態が飲み込めないようだった。
「え?」呆けた声をあげたビックスは、手を喉に当て、すぐに離して血に塗れた己の手を見た。
「――――――っ!」何かを叫ぼうとしたのは理解できた。しかし、それは許されず、喉から血が噴出すばかり。
そして、そのまま倒れこんでしまった。




    第06話 偽りの愛情・3




「……どうして……」真っ青な顔をしたユナとは対照的に、ライラは眉一つ動かさずに答えた。
「裏切り者に用は無いよ。……もちろん、ウェッジにもね」
「うおあああああああああああああああああああ!!」
ライラが言い終わる前に、ウェッジは銃を取り出すと、引き金を何度も引いた。
立て続けに発射された銃弾が、ライラに襲い掛かる。

しかし、それらがライラに届くことは無かった。すべて地面に落ちてしまったのだ。。
否、正確に言えば叩き落された。――ライラが右手に持っている、ぼんやりと光る鞭によって。
さっきまで持っていたナイフは左手に持ち代えられている。しかし、いつの間にあんな鞭を用意したのか。

「あ……、あ……」弾切れになったのだろう。「カチ、カチ」としか音が鳴らない銃の引き金を、それでも何度も引いていた。
何度も。何度も。何度も。たとえ出ないと分かっていても。
――認めない。こんな化け物。そんな風に言いたげに。

「終わりかい?」うんざりするような仕事が終わったかのような口調で、ライラが言った。
かと思うと、風を切る音が横を通り過ぎる。その意味が分からずに振り返ると





――ナイフが頭を貫通し、一瞬遅れて血が噴出したウェッジの姿があった。

まるで、ちょっと邪魔な虫を殺すかのように難なく人を殺すライラに、鳥肌が立つ。
歯の鳴る音が止まらない。正直、ここまで絶望的な相手だとは思わなかった。――怖い。

「安心しな、あんたは殺さないよ。……まあ、ここで死んだほうがましな生活になるかもしれないけどね」
その顔に浮かぶのは、かすかな同情。とはいえ、これまでの態度を考えると、ライラが同情をするのは不自然と言える。
それでもそのような感情を持ってしまうのは、同じ女性としての性か。

「……私を……どうするつもりですか」
「あるマフィアに売り払う。そこでどういう目にあうかは聞いていないけどね。
 まあ、あんたは今もボスの愛人だし、その前は売春宿で結構えぐい事をやらされてたんだろ?その延長と思えばいいさ」
そう言いながら、ライラが鞭を持った手を軽く動かす。
次に来るであろう痛みを本能的に感じ取り、思わず体を強張らせる。

その様子を見て、ライラは軽く首を傾げた。
「……あんた、これが見えるのかい?」
「……これ?……その鞭ですか?」
実際に自分が持っているのに、不思議なことを言う。そう思ったが、すぐにそれは違うと感じた。
昼間にも確か鞭のようなもので叩かれた。あの時は何も見えなかったが、これで叩いていたのではないか?

「いつの間に……でもオーラが……まさか精孔が……」
ライラは、こちらを見て何かぶつくさ言っている。
これはチャンスかもしれない。幸い、手にはウェッジの携帯電話がある。今のうちに何とか連絡を取れれば――。
そう思い、ユナは左手に持った携帯電話を背中に隠し、メールを打とうとする。――が。

チクリ

左肩に走った痛みのために、思わず手を離してしまう。これまでよりも、ずっと強い痛み。
「何しようとしているんだい?」
見ると、ライラが薄い笑みを浮かべていた。見下すような、希望を打ち砕いて得意になっているような、そんな笑み。
「これ……あなたが?」
根拠は無い。ただの憶測。しかし、ユナはほぼ確信していた。

「……昼間、あんたを鞭で叩いたろう?そのとき左肩に棘を刺したのさ。
 一旦刺しちまえば、アタシの意思で痛みを与えることができるんだよ」
自分の意思で痛みを自由に与えることが出来る?そんなことができるのか――?
「それに――」とライラは、思考が追いついていないユナを無視して言葉を繋げた。
「アタシは、その棘がどこにあるか感知することが出来るんだ。あんたがどこにいようとね。
 あんな姑息なまねをしたところで、無駄だったのさ」
そう言いながら、鞭を振り下ろす。床を叩く音が響き渡り、思わずユナは体をすくませる。

「そんなに怖がるなよ。綺麗だろう?この鞭はさ」
そう告げて、右手の鞭を掲げて見せる。その笑みはさらに深く、さらに目の奥に敵意を乗せて。
「でもさ、一見綺麗な薔薇にも棘があるんだよ。見てごらん、この鞭の棘の数。痛そうだろう?
 だから、アタシはこれに“綺麗な薔薇には棘があるローズ ウィップ”と名前をつけてるんだよ」
そう言ったと思うと、鞭をユナに打ちつけた。鞭の痛みと棘が刺さる痛み。二重の痛みがユナを襲う。

なお、先ほどのライラの説明には一部嘘がある。ライラは変化系能力者。放出系の能力とはかなり相性が悪い。
それは即ち、オーラを体から離して運用することが苦手であることを意味している。
であるからこそ、オーラの棘を操る能力――“気づかない悪意アンダー ローズ”は怪我を負わせることは出来ず、痛みを与えることしか出来ない。
そして、20mも離れてしまうと位置を感知することも痛みを与えることも出来なくなる。
もっとも、能力を説明したことは、戦意を崩すことが目的であったから、このようなことを話す必要性は全く無かったわけだ。

何度も叩いてから、ふとライラは思い出したようにユナに尋ねた。
「そういえばあんた、いつの間に念を使えるようになったんだ?いや、そもそも使えるのか?オーラが見えるだけか?」

念。その単語には聞き覚えがあった。サンベエの元に行ったあの日に聞いた言葉。オーラというものを運用する技術。
この鞭も、その念能力か。そして、突然見えるようになったのは、このもやが関係しているのか。
いや、このもや……これこそがサンベエが言っていたオーラなのではないか?
そして、自分が使える「他人に、自分に対する好意を持たせる能力」……これが念能力というものなのではないか?

「早く答えな!」考察にふけっていたユナに業を煮やしたのか、ライラは鞭で再び叩き始めた。
思わずうずくまり、少しでも痛みに耐えようとする。
「さあ、答えるんだよ!あんたはいつ見えるようになった!?はじめから見えていたのか!?」
「……昼間に叩かれたときは、見えなかった。……さっき気が付いてから、見えるようになった」
痛みをこらえながら、何とか答える。

――少しでも、時間を稼がないと。
その考えは、思わぬ形で成功することになった。ライラがその言葉に反応し、手を止めたのだ。
「……つまり、叩かれたショックで精孔が開いたのか……。
 しかし、ショックで開いたのなら普通はオーラが出尽くして全身疲労で倒れるはず。
 元々使えたんじゃないのか?……いや、それにしては出ているオーラが少なすぎるか。纏もしていないしな……」

ユナにはその言葉の意味が半分も分からなかったが、しかし悩んでくれているのは僥倖だった。
なお、ユナは知らないが、精孔とはオーラを放出する器官のことである。念能力者はこれを開くことで念を使用できる。
また、纏とは念の基本技術で、オーラを自身の体に纏わせて防御力を高める技術である。

「精孔はほとんど開いていない……それが、ショックでなぜか目だけ開いて、オーラが見えるようになった。
 ……信じがたいが、これが自然な結論か」
ライラは一応の結論を出したようであった。時間を稼ぎたいユナにとって、これはよろしくない。

「……本当にそれだけだと思うのかしら?」
――ゆえに、楔を刺す。わずかな疑惑を広げるように。

「……は?」
「どうして私が何の能力も持っていないと言い切れるんですかね」
「……下手なハッタリはよすんだね。今は出し惜しみする状況じゃない。
 何か切り札があるんなら、とっくにそれを使っているはずさ」
――そう。理屈で考えれば、当然出てくる否定。この状況で切り札を隠し持つ必要は無い。

「……どうして、今、何も使っていないと言い切れるんですか」
「……逆に、アタシに気づかれないように何か使っているのならば、隠し通そうとするはずじゃないのかい」
「もうそろそろ隠す必要性がなくなりますから」
――しかし、理屈と感情は別。一度湧き上がった疑惑を消すことは難しい。

「例えば……」そう言って、視線を外す。ちょうど、ライラの後ろに何かがあるように。
一瞬。ライラがそちらに気を取られた隙に、ウェッジの頭を貫いたナイフを拾い、投げつける。





……が。
「甘いんだよ」
鞭で叩き落される。ここまであっさりと防がれるとは思っておらず、言葉を失ってしまう。
ユナとしては、完全に隙を突いたつもりだった。しかし、ライラにとっては隙でも何でもない。
あくびが出るほどの間である。これが埋めがたい両者の実力の差であった。

「……さて、随分コケにしてくれたねえ。どうしてくれようか」
先ほどよりも、さらに強くなる敵意。その冷たい笑みに、思わずユナの背筋に鳥肌が立った。
「とりあえず、あんたをもう一度いたぶって、眠ってもらおうか。もうこんなナメたまねが出来ないように後悔してもらってねえ」
そう言いながら、ライラが振りかぶった瞬間。





飛行船全体が揺れだした。
「何だい!?」状況を把握できず、立ち往生するライラと対照的に、ユナは慌ててしゃがみこんだ。
――そして。





ベアリング弾が窓ガラスを破りながら室内に飛んできて、ライラの右肩を直撃した。
「ぐっ!?」
ライラが痛みに悶えるのを見届けながら、ベアリング弾を飛ばした男――ファルグは飛行船に近づき、窓ガラスを割った。

「随分手ひどくやられたな。大丈夫か」
「……心配するなら、窓ガラスが掛かる入り方しないで下さい。……でも、助かりました」
「わりぃわりぃ」と、さほど反省していないような口調で謝りながら、ファルグは窓枠を飛び越えて室内に入った。

「ライラ。ボスの命令でお前を拘束する。……もう終わりだ」
一方、ライラはまだ状況が飲み込めないのだろう。「ファルグ……どうして……」そう返すのがやっとだった。

「連絡を取っていたからに決まっているじゃないですか。
 始めから怪しいと思っていたのに助けを予め呼んでいないなんておかしいですよね?」
ライラの疑問に、ユナが答える。
「……始めから……予測していたのか?」
「もちろん、最初はちょっと怪しいと思う程度でした。だから、ちょっと調べてもらってたんですよ。
 その結果を電話で聞いて、さらに裏を取ろうと思ってウェッジさんの部屋に行きました。
 そのときに、旦那様に追いかけてきてもらうようにお願いもしてました」
「まあ、あそこであなたが来たのはさすがに想定外でしたけどね」と、苦笑いをしながら付け足した。

「そして作戦を立てていたのが夜の九時ごろ。ウェッジさんの携帯電話で旦那様たちと話しをしてました。
 あなたから電話がかかってきた時は焦りましたよ」
その言葉を聞き、ライラはそのときのことを思い出す。

――そういえば、ウェッジには電話がつながらなかったけど、話し中かい?
――へえ、今休憩中なんすよ。大方、女と話してるんじゃないすかね。何か用でも?
あの時電話がつながらなかったのはそういうことか。

「そして、二段階の作戦を考えました。一つ目は、あの補給所にあなたを置いて逃げること。
 ……あそこ、最初は特に止まる予定無かったんですよ。買収して、無理に止まってもらってね。
 その代わり、私達があの補給所に隠れる訳にはいかなかった。
 航空会社からすれば、私達がいなくなってしまうと踏み倒される恐れがありますからね。
 ただ、これは残念ながら失敗してしまいました」
一つ一つ、諭すように丁寧に説明していく。本来、ここまで彼女が説明する理由は無い。
それにも関わらずここまで話すのは、性格的にこのような行為が好きなのか。

「そして、第二案。といっても、保険のつもりだったんですよ。
 旦那様達が乗った飛行船が近づいたら着陸し、合流する。
 そのときに、あなたが乗っていたらファルグさんに来てもらって、助けてもらう」
「……アタシが乗っているとは……どうやって伝えた……?」
「あなたが鞭が見えるか聞いてきた時。あなたの能力で携帯電話を落とされましたよね?
 あの時に、ワンコールかけていたんですよ。それが、あなたが乗っているという合図でした」
「……なるほどねえ」
ライラはそう告げながら、天井を仰ぎ見た。その顔からは、諦めの色が見て取れる。

「ライラ。誰の命令でこんなことをした」
「……知らないねえ。アタシの独断でやったのさ」
「嘘を吐くな。……フィリアの命令でやったんじゃないのか」
「証拠でもあるのかい?」
こう返されると、返答に詰まる。明確な証拠は無い。
が、なぜここまでしてフィリアをかばおうとしているのか。それはユナには分からなかった。
「マフィアの拷問がどんなものかは知っているだろう。話してくれ」
は、と鼻で笑い、ライラは立ち上がった。
「アタシはおとなしく捕まんないよ」
左手にオーラが集まり、それが刃物を形成している。
右手は動かせないのだろう。だらり、と垂らしたままだ。

「無駄なことを……」ファルグも手にオーラを集め、臨戦態勢に入る。
ユナは危険を避けようと、数歩下がる。そして、





――ライラはオーラのナイフで自らの喉を切り裂いた。
その光景に、思わず息を呑んでしまう。
「何を……バカなことを!」ファルグが言いながら、ライラに近寄る。
頭を抱きかかえると、ライラは何かを言おうとしていた。
……が、それは言葉にならず、ただ喉から大量の血と息が漏れていただけであった。

「どうして……こんな……」
ユナの問いかけに、ライラはにっこりと笑って答えた。
――後悔などしていない。アタシは好きなようにやったんだ。
そう、言いたげに。




帰りの飛行船の中、ユナは今までの疲労と、痛みからかぐったりと倒れこんでしまった。
頭がぼんやりとする。まだ、先ほどのライラの死に顔が残っている。
半ば夢見心地の状態で、ユナはライラのことを考えていた。

――苦手な人だったけど、でも、その生き方は嫌いじゃなかったかも。

そういえば、とふと思った。ライラは、自分の鞭に名前をつけていた。
であれば、自分の能力にも何か名前をつけたほうがいいかもしれない。

目を合わせた相手に、自分に対する好意を持たせる能力。
――“偽りの愛情ホワイト ライ”。



[27521] 07話 鍼灸師
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/06 02:46
広い室内で、二人の男性が食事をしながら、会話をしていた。
一人は、白髪でオールバックの男。顔に刻まれたしわから、相当の年齢であることが分かる。
一人は、金髪の癖毛の男。室内であるにも関わらず、なぜかサングラスをかけている。
肌は若々しいが、その雰囲気は若者のそれではない。若いようにも、壮年のようにも見える外見だ。

「そうそう、エスコバルさん。俺の部下が女を連れてくるって言いましたよね」
金髪の男の言葉に、オールバックの男――“十老頭”マリオ=エスコバルは答えた。
「ああ、言っていたな。それがどうした?」
「あれ、失敗したと報告がありました」
金髪の男がへらへらと笑いながら答える。

本来であれば、このような報告は笑いながらするものではない。
ましてや、相手はマフィアの頂点である“十老頭”の一人だ。
このような態度をとったが最後、コンクリート詰めにされるのが関の山だろう。

しかし、エスコバルは特に怒る風も無く、ただ「そうか」と答えるだけだった。
正直な話、女には不自由していない。
ただ、その相手が熱心だったことと、いい女だと聞いていたから二つ返事で了承しただけだ。
そんな些細なことで怒ってしまい、目の前の男の機嫌を損ねるのもよろしくない。
単純に組織内の地位が高いというだけではない。陰獣に匹敵するほどの実力を持つ念能力者は貴重だし、
何よりも“幻影旅団”という強力な組織と太いパイプを持っていることが重要だ。

幻影旅団。団員数わずか13名という少なさでありながら、A級の賞金首となっている盗賊団である。
もっとも、実態は盗賊というより強盗に近い。全員が念能力者であり、しかも実力はかなりのもの。
眉唾物だが、目の前の男に言わせると、「陰獣よりはるかに強い」らしい。
ただ、その実力ゆえに強引に奪ってしまうことが多く、秘密裏に進めて欲しいデリケートな依頼は任せられない。
……もっとも、これはあくまでエスコバルの印象であり、実際は違うのだが。

そこで、ふと思い出したかのようにエスコバルは尋ねた。
「そういえば、ケイツ。蜘蛛を動かすと言っていた例の件はどうした」
ケイツ、と呼ばれた金髪の男は、残ったワインを一息に飲み干して答えた。
ちなみに、蜘蛛というのは幻影旅団の俗称である。
蜘蛛の刺青をシンボルにしていることから、旅団に近い人間にはこう呼ばれている

「ああ、なんでもハンター協会に警護の依頼がいったそうですよ。
『団員全員集めないといけないから依頼料は高くなる』みたいなこと言われました」
その言葉に、思わず眉をひそめてしまう。
「全員だと?一、二年前のときも大規模だったとは聞いたが、全員ではなかっただろう。ええと、何だったか――」
「“緋の目”ですか?七大美色の」
「そう、それだ」
「しかたないんじゃないすか。同じ七大美色とはいえ、あの時は相手は所詮少数。
 今回は政府やハンター協会も絡んでる。一筋縄じゃいかないでしょう」
その言葉に、エスコバルはそれ以上言い返すことが出来ず、ワインを口につけた。




    第07話 鍼灸師




「そ、それ、何ですか……」
目の前の女性が持っている鍼を目にして、ユナは思わず後ずさりしながら尋ねた。
「あらあら、聞いてないのかしら。大丈夫よ、ちょっとこの鍼で刺すだけだから。お姉さんに任せなさい」
特になんでもないことのように、のんびりと話す目の前の女性に、つい恐怖を感じてしまう。
先日、棘付き鞭で叩かれ、念の針を刺されて痛みを与えられたユナにとって、先端が尖っているものは軽いトラウマだった。

「わ、私は治療に来たんですよ!?」
「だから、これが治療なのよ。鍼治療っていう、アイジエン大陸のほうに伝わる治療法」
目の前が真っ暗になる。こんなことなら簡単な説明を聞いておけばよかった。




今いるのは、ヨークシンからちょっと外れた小さな診療所。
腕が良く、ほとんどの病気や怪我を治してくれるとガストから聞いてやってきたのだ。
自分の金ならもう少し調べたのだろうが、組の、というよりガストの金だから、と特に気にせずにやってきてしまった。
その結果がこれである。金が絡むと考えなしになるのは悪い癖だ。しかし、反省することは無い。

そうして、その診療所にやってきた訳だが、その医者(厳密に言えば医者ではなく鍼灸師なのだが)はまだ若い女性であった。
名前をアニッサ=シェイドという。腕のいい医者、と聞いていたため、その若さに驚いたが、それ以上にオーラに驚かされた。
先日の一件でオーラが見えるようになってから、ユナは何人かの人間を見てみた。
そこで至った結論だが、念能力を使える人間はどうもオーラ量が多く、かつ流れが淀みない。
反対に、念が使えない人間はオーラがまばらで、不規則な動きをしているようだ。

ユナがアニッサに対してこのような考察を行っていたが、それは即座に中断された。
「かわいー!」といきなり抱きつかれたためだ。ついでに頭も撫でられている。
……まだ“偽りの愛情ホワイト ライ”使ってないんだけどなあ。

その後、自分に対して何か色々言われているのを聞き流して治療に来た旨を伝え、部屋に案内してもらった。
そこで診察を行い、何か薬でも出すかと思っていたら針が出てきて、冒頭のやり取りに戻る。




「とにかくっ!!」
ここで負けてなるものか、という勢いでユナは叫んだ。もう痛いのは嫌なのだ。
「そんな針を刺して、怪我が治るとは思えません!私のは、叩かれた擦り傷や切り傷なんですよ!?
 そこに針刺しちゃったら、治るどころか余計に傷口が広がるだけじゃないですか!」
「大丈夫大丈夫。お姉さんのは普通の鍼治療とは違うから。自然治癒力を強くして一気に怪我を治しちゃうの。
 それにほら、そのうち鍼でちくりと刺されるのが快感になるかもしれないし?」
「なりませんよ!?」
「なんでそう決め付けてしまうの。行動を起こさずして、結果が分かるわけないでしょう。
 若いうちから自分の可能性に蓋をしてはだめ。もっといろんなことを経験して自分の可能性を広げないと」
「いいこと言ったと思ってるかもしれませんけど、全然そんなことないですからね!!」
ぜーぜーと息を切らしながら、ユナが突っ込む。ちょっと疲れてきた。

ちなみに、これだけ騒いでいるが、他の客はいないため迷惑になっていない。
別に人気が無いわけではない。むしろ、診察日はほとんど満員だ。
今日人がいないのは、本来休診日だからである。そこを、無理やり診察してもらったのだ。
ここだけ聞くと、悪いことをしたという気もする。
……が、それ以前に月の半分が休診日というのはどうなのだろうか。

「もう私は帰ります!」
そう言ってユナはさっさと荷物をまとめようとする。が、特に反論らしきものはない。
気になって後ろを振り返ってみると、そこには手で顔を覆い、さめざめと泣いているアニッサの姿があった。
「ちょ、ちょっと……?」
「ひどい……。久しぶりにかわいい女の子が来るっていうから、休診日なのに開業したのに……」
「え!?え!?」まさか泣かれるとは思っておらず、ついうろたえてしまう。
「いっつもここに来るのはオヤジばっかりなのに……。セクハラしてくるし、加齢臭ひどいし、言うこと聞かないし……。
 つい腹が立ってわざと痛くなるように鍼を刺してみるけど、逆に喜ばれる変態ばっかりだし……」
「何気にひどいこと言ってる!?」
「そんななか、若い女の子が来るって言うから……。楽しみにして……。お菓子とかお茶とかお酢とか用意したのに……」
「お酢!?なんで!?」
「それなのに……何もしないまま帰っちゃうなんて……。私明日ショックで寝込んじゃいそう……」
「分かった!分かりましたから!治療受けますから!」
慌てて訂正をする。なんか、全然人の話を聞く気配がないし、ここで自分が折れないといけないのだろう。

「本当!?」満面の笑みを浮かべながら、アニッサが顔を上げる。
うわぁ、この変わり身の早さ、詐欺だよ。そう思いながらも、口には出せずにいた。
まあ、ここまで来たら治療を受けないわけにはいかないだろう。そう思い直し、案内されるままに診察用のベッドへ移る。

「上半身裸になって、うつ伏せになってねえ」
言われるままに服を脱ぐ。なんかさっきより楽しそうな口調なのは気のせいだろう。……たぶん。
うつ伏せになっていると、背中にアニッサの手が触れているのが感じ取れた。
「きれいなお肌ねえ。お姉さん、うらやましいわ」
「……お世辞はいいですよ」
つい、きつい口調で返してしまう。どうにも、嫌味で言われたようにしか感じ取れない。

実際、若いこともあるだろうが肌はみずみずしく、透き通るような美しさを保っている。
しかし、初めてユナの肌を見て「美しい」と言える人はまれだろう。
その理由は背中、いや、全身いたるところにある無数の傷跡にある。
この間ライラに叩かれた傷だけではない。
ミミズ腫れ、火傷の跡、切り傷。それらのほとんどは古傷だが、どれも生々しく残っていた。

ユナの言わんとしていることが分かったのだろう。アニッサは肌を撫で回しながら、ゆっくりと答えた。
「いいじゃない。多少の影があったほうが女は魅力的になるものよ」
「痛い記憶しかないですけどね……」
「まあ、若い女の子がこんなに傷だらけっていうのもかわいそうよねえ。
 完全には無理だけど、お姉さんがサービスで治してあげるわ」
「そんなこと出来るんですか!?」
その言葉を聞き、思わず起き上がってしまう。
「あらあら、落ち着いて。お姉さんにかかれば、そのくらいお安い御用よ。
 ただ、ちょっと変な感じがすると思うけど、がまんしてね」
なだめられ、再びベッドにうつ伏せになる。すると、背後で何かオーラが込められた感覚があった。

「ちくりとするけど、がまんしてねえ」
のんびりとした口調で注意しながらアニッサは背中を押さえ、鍼を突き刺した。

――すると。
「えっ!?」と、思わず声を上げてしまった。鍼が刺さったと思うと、それが溶けてしまい、体の中に入ってしまったのだ。
「今のは……」言いながら起き上がってアニッサを見る。手には、先ほど確かにあったはずの鍼が消えている。

「じゃーん!消えちゃいましたあ!お姉さん、こんな手品も使えるのよ。驚いた?」
「いや、念ですよね」
「あらあ、念知ってるのお。お姉さん、感激だわあ」
嬉しそうに頭を撫でる姿が、妙に頭にくる。あまりにも突っ込みの回数が多くて疲れてきた。

だが、ふと体中が熱くなり、全身の疲労が飛んでいくのが感じられた。
「これは……!?」
「お姉さんが具現化した鍼が液体状のオーラになって体中を巡っているのよ。
 治癒力を強化する効果があるから、すぐに傷は治るわよ」
「……そんな簡単に能力ばらしちゃっていいんですか?」
素直に驚いた。ライラの念能力を知ったのは戦闘になってからだし、ファルグとの付き合いは長いが未だにその能力を知らない。
それだけに、あっさりと自分の能力の話をするアニッサに、ユナはつい聞かざるを得なかった。
「大丈夫、大丈夫。お姉さん、あと200個能力を持ってるから」
「いや、嘘ですよね」
もう、この人はまともな回答をしてくれないんじゃないんだろうか。
ユナはだんだんと諦めの境地に達してきた。

「さて、治療も終わったし、お姉さんと楽しい楽しいお茶の時間にしましょう!」
パン、と手を叩いたと思うと、アニッサは鼻歌を歌いながら奥に入っていった。

……なんか、すごい適当な治療だったけど、本当に大丈夫なんだろうか。
そう思いながら、ユナは左肩の傷を眺めて、本日何度目か分からない驚きの声を上げた。
左肩にあった棘の跡は、きれいさっぱり無くなっていたからだ。
思わず、全身の傷を見てみる。確かに、うっすらと残ってはいるが、ほとんど傷跡は分からなくなっていた。

「驚いた?お姉さん、すごいでしょ?」いつの間にいたのか、お盆を手に持ったアニッサが自慢げにたずねてきた。
お盆の上にはショートケーキとチョコレートケーキ、それとクッキーがある。
「はい、本当にすごいと思います」そう返しながらお盆の上のお菓子を見るが、ショートケーキに目がいくと若干顔をしかめた。
「あらあら、ケーキ嫌いだった?スタイルいいんだし、別にダイエットする必要ないと思うんだけど」
「そういうわけじゃないんですよ。甘いものは好きですけど、生クリームはちょっと苦手で……」
「あらあら、そうなのね。じゃあ、これだけ戻してくるわねえ。こっちで食べるからついてきて」
言われて、慌ててユナは服を着る。しかし、それならどうしてお菓子を持ってこっちに来たのか?
何度考えても答えは出ない。というか、ただ単に自慢したかっただけなのかもしれない。

「こっちこっち」という声に従い部屋に入ると、そこにはきれいな調度品が並んでいた。
どれも高価なものではないが、シックな木目が美しい。掃除も行き届いていて、意外と几帳面な性格なのかもしれない。
案内された椅子に座る。敷かれているクッションのやわらかさが心地よい。

ユナが座ったのを確認すると、アニッサはキッチンの方に向かっていった。
「お飲み物は何がいい?ジュース?コーヒー?お茶?お酢?」
「最後の選択肢おかしくないですか!? ……とりあえず、お茶をお願いします」
「おいしいのにい」残念そうな声が聞こえてくるが、もはやどこまで本気なのか分からない。

しばらくして、アニッサはお盆に二つのカップを乗せて戻ってきた。
紅茶を受け取り、砂糖を溶かしいれる。ふと、アニッサのカップに入っている黒い液体が気になった。
コーヒーかと思ったが、湯気が立っていない。
「アイスコーヒーですか」
「お姉さんのはお酢よ。飲んでみる?」
「……けっこうです」
そんな黒いお酢があるのか。飲んで大丈夫なものなのか?そんなことを考えながら紅茶に口をつける。
ちなみに、アニッサが飲んでいるのは正確には黒酢であり、飲んで大丈夫どころか愛飲している人もいる代物である。
つまり、ユナはかなり失礼なことを考えているのだが、悲しいかな、彼女にそれを知る術はない。

そんなこんなで始まったお茶会だが、意外にも話は盛り上がった。
お互いに仕事は違うのだが、意外と共通点が見つかり、妙に愚痴で盛り上がったのだ。
「――あー、いますよねー、そういう頭にくるオヤジ」
「でしょう?だから、お姉さん頭にきちゃって――」
「あはは、ちょっとかわいそう」
などなど、世の男性が不用意に聞けば心を抉られかねない内容の会話が続いていた。
途中でアニッサがレモンの輪切りを持ってきて、黒酢にレモン汁を入れて驚かせるというハプニングもあったが。

と、不意に着信音が鳴り響いた。
「電話鳴ってますよ」
「えー、めんどくさいー。後でいいんじゃないかしら」
「いや、それはまずいんじゃないですか」
「しょうがないなあ」と言いながらゆっくり歩き、部屋から出て行った。

ふと、時計を見ると、この診療所に来てから既に2時間は経過していた。
そういえば、ファルグが治療が終わったら迎えに来ると言っていた。
さすがに、連絡を入れないとまずいだろう。
そう思っていると、アニッサが部屋に戻ってきた。

「ごめんなさいねえ。お姉さん、用事が入っちゃった。本当はもうちょっとユナちゃんとお喋りしていたいけど」
「しょうがないですよ。私も居座りすぎましたし。お暇させていただきます」
バッグを持ちながら、そう答える。
「また、遊びに来てねえ。お姉さん、いつでも歓迎するから」
「はい、また来ます」

そう答えて部屋から出て行ったユナを見届けた後、アニッサはポツリと呟いた。
「……やっぱり、若いっていいわねえ。私と違って、希望があって」



[27521] 08話 約束・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/06 02:46
占いの紙を見ながら、ガストは悩んでいた。
この間見た時点では、全く占いの意味が分からなかったが、今改めて読み返してみると納得させられることばかりだ。

――綺麗な薔薇が魔女を刺す

「綺麗な薔薇」……その時は全く意味が分からなかった。
しかし、ファルグからライラの念能力名が“綺麗な薔薇には棘があるローズ ウィップ”ということを聞き、この言葉がライラのことを指していると分かった。

では、「魔女」とは誰のことなのか。ライラが敵対した人物――十中八九ユナのことであろう。
「魔女の頼み」が何なのかは分からないが、何か言われた際にはそれを受け入れたほうが良いと言うことも分かる。

そして――ガストの思考は二つ目の詩に移る。1週が四行詩の形で記載されていると言っていた。
そうであるならば、2つ目の詩は来週のことを指しているのだろう。改めて、2つ目の詩を見てみた。

 非常な現実があなたを襲う
 大事なものほど見捨てなさい
 魔女との契約を守ること
 紅蓮の夢を見たくなければ

「魔女」がユナのことを指しているのならば、何か約束をして、それを守ればよいのだろう。
しかし、それ以外の部分が全く分からない。「非常な現実」とは何なのか。
一体、どのようなことが自分を襲うのか。

悩んでいても分からないものは分からない。一度、ユナにこの詩を見せてみるといいかもしれない。
自分の娘と同じくらいの年齢だが、しかし、娘と違って頭はいい。

葉巻の煙を吐きながら、ふと疑問が浮かんだ。
「……そういえば、1週が四行なんだよな?……なんで、全部で八行しか詩が書いてないんだ?」




    第08話 約束・1




診療所からちょっと歩いた駐車場の中。そこには一台しか車が止まっていなかった。
その中にいる人物に、ユナは声をかける。
「お待たせしました」その声に、「おー」とだけファルグは答え、ドアのロックを外した。

「どうだった?ここの医者は」車のキーを回しながら尋ねるファルグに対し、シートベルトをしながら答える。
「すごい人でした。……少し、いや、かなり変わった人でしたけど」
「すごいって……医者の違いなんか分かるのか?」
「念能力者だったんですよ。私の怪我を、本当に一瞬で治してしまいました」
「どうりで。大病院が近くにあるのに、こんなとこ案内するんだからな」
そう。有名な病院は他にも多くある。であるにも関わらず、こんな郊外の小さな診療所に行かせたことが謎だった。
が、その理由も今なら分かる。あそこまで高度な念能力を使える人間であれば、当然の選択だったのだろう。

「そういえば、オーラは見えるようになったんだっけか」
ファルグの問いに、ユナは頷いた。この間の一件で、オーラが見えるようになったことは伝えてある。
……もっとも、体の精孔がほとんど閉じたままである以上、念能力者としては言えないレベルであるのだが。

「もともと、ボスは念を覚えさせる気は無かったみたいだが、精孔が開いたなら別だろう。
 ある程度の期間を経れば全身の精孔が開くだろうし、ゆっくり覚えていったらどうだ?」
「……そうですね。覚えれば、何かと便利でしょうし。」
本当は、ごく一部だが念能力は使うことができる。だが、ユナは“偽りの愛情ホワイト ライ”のことは誰にも話していなかった。

――こんな能力、話せない。話せるわけがない。もう捨てられたくない。

「――おい、聞いてるのか」
「あ、はい、ごめんなさい、何ですか」
つい物思いにふけっていたユナに対し、ファルグは呆れたようなため息をついた。

「……時間あるし、ちょっと寄り道していくか?」




車を走らせること約30分。着いた先は、生い茂った緑が美しい公園だった。
広場の中央には大きな噴水があり、そこから舞い散る水しぶきが涼しげで美しい。

車を降りた二人は、噴水に向かって歩き出した。初夏にしては日差しが強く感じられる。
いつもなら「暑い」としか思わない太陽だが、今日は噴水の雫に光を反射させて幻想的な美しさを生み出していた。

「そういえば、ノストラードファミリーって知ってるか?」
不意にファルグが出した疑問に、ユナは不思議に思いながらも「あの、人体収集家の?」と返すことにした。
美術商という商売柄、他の組の有力者についての情報はある程度抑えていた。
ノストラードファミリーは最近勢力を伸ばしてきたマフィアである。
その特徴は、何よりも100%当たると言われる占いにこそある。
実際、ユナは信じていないものの、マフィアの大幹部にもその占いを信じているものは多いらしい。

また、もう一つの特徴は、その占い師が人体収集家――その名の通り人間の体をコレクションしているということである。
この趣味は、どうにもユナには理解しがたかった。人体を集めるなんて、気持ち悪い。
“世界七大美色”と言われるものの一つ、“緋の眼”でさえ、その美しさは認めるが、それでも目玉を持とうとは思わない。
そのような感想を持つことも仕方ないことと言えるだろう。

それだけに、ユナはノストラードファミリーにあまりいい感情を抱いていない。
それだけに、ファルグから聞かされた内容はいささか信じがたいものだった。

ガストは、ノストラードから試しに占いをもらった。これは週ごとに起こることを予言しているそうだ。
そして、先週起こった出来事が、どうも当たっていたらしいのだ。内容を知らないため、いまいち信じられないのだが。

「しかし、100%当たる占いと言われても……。どうにも胡散臭いとしか思えませんが」
通常であれば誰もが抱くであろう疑問に、しかしファルグは冷静に答えた。
「しかし、他にも当たっているという人はいるからな。それに、念能力だとすれば不思議でもなんでもない」
「念って、そんなこともできるんですか?」
「特質系ならあり得ない話じゃないからな」

なるほど、と思わず頷いた。ガストは自身が念を使うことこそ出来ないが、その存在は知っている。
占いが念能力であると納得していれば、その精度について信頼を寄せていても不思議ではない。

「そういえば、ファルグさんの能力って何なんですか?」
不意に、口をついた疑問。子供が、無邪気に知らないことを尋ねるかのような疑問。
しかし、彼女はそこまで子供ではない。少なくとも、むやみやたらと秘密を聞き出してはいけないことを理解できるほどには。
それでも、聞き出さずにはいられなかった。つい、流れで聞いてしまった風を装って。
だが、本気で能力を知りたいわけではない。知りたいのはもっと別のこと。

――私、そこまで“他人”じゃないよね?



彼女のそんな思いを知ってか知らずか、ファルグは地面に屈み、小石を一つ拾った。
「この石、よく見てな」そう言いながら、ファルグは石にオーラを込めた。
ユナが石に視線をあわせているのを見届けると、ファルグは空中に小石を放り投げた。
そしてそれが地面にぶつかった瞬間……思わずユナは驚きの声を上げた。
たった今地面に当たったはずの小石が影も形もなくなったのだ。

「こっちだ、こっち」ファルグの声に頭を上げると、その手元には先ほど投げた小石があった。
「あ、あれ?さっきその石投げませんでした?」
「投げた。その石を手に持ってるんだ」
言われて、頭が混乱してしまう。投げたように錯覚させる能力だろうか。そう推測したが違うようだ。

「“空虚な理想デイ ドリーム”っていってな。物質を瞬間移動させる能力だ」
「しゅ、瞬間移動!? 念ってそんなことも出来るんですか!?」
今度は純粋に驚いた。もはや、物理法則とか完全無視じゃないか。だが、ファルグはさも当然のように答える。
「俺は放出系でな。放出系ってのはオーラの遠隔操作が得意な系統だが、その他に瞬間移動を扱う能力もあるんだ」

いまいちその説明は腑に落ちないが、しかし事実そうだと言うのであれば、信じるしかない。
それに、そう考えるとファルグが武器として用いているベアリング弾のことも納得がいく。
なぜ弾切れにならないのか。今までそんな疑問があったため、あまり効率のよくない武器だと思っていた。
しかし、この能力があれば確かにこれ以上ないほど頼りになる攻撃方法と言える。

「……ということは、欲しいものを体を動かさずに持ってこれたり、好きなところに移動できたりするわけですね!」
超便利な能力じゃないか。私もその能力にすればよかった!

「いや、色々制約があるから、そんなに自由に移動させることは出来ない。ていうか、何だよ、その使い方」
「いいじゃないですか」冷たくあしらわれ、つい頬を膨らませる。
「そもそも、移動先は手元だけだしな。オーラでマーキングすればそこに飛ばすことも出来るけど、3箇所までだし」
話しながら、二人は中央の噴水に向かって再び歩き出す。

「あと、移動させるものも無条件って訳にはいかない。手で触れてオーラを込める必要があるし、その後に衝撃を加える必要がある」
「衝撃?」
「さっきの石、地面にぶつかった瞬間に移動しただろ?何かとぶつかることが移動の条件なんだよ
 あと、物が大きいほど、込めるオーラの量が多くなるからその分疲れる。
 人間を移動なんて、どれだけオーラを消費するか分かったもんじゃない。ばかばかしくて試したことすらねーよ」
「色々とめんどくさいんですね……」
「その分、飛ばす範囲が広いからな。まあ、何とか制約で実用的なレベルにしているってとこか」

「さっきから言っている、制約って何ですか?」
これまで、念能力について聞く際に出てこなかった言葉だ。
「『制約と誓約』って言ってな、念能力を作る際に決め事をする場合があるんだ。
 念ってのは精神の力だからよ、覚悟の量によって威力が変わるんだ。
 使い勝手が悪くなればなるほど、高度な威力の高い能力を使えるようになるってことだな」
「それが『制約と誓約』……」
呟きながら、ユナは自分の能力――“偽りの愛情ホワイト ライ”について考えていた。
この能力には特に制約は存在しない。せいぜい、発動させる条件がある程度だ。それも、目を合わせるだけという条件の緩さ。
反面、その効力の大きさには期待できない。自分の思い通りに動かすことはできないから、上手くお膳立てをする必要がある。
しかも、好意を持たせると言っても必ず効くわけではない。前にライラと闘ったときがいい例だ。
あの時も、実は半ば無意識のときに能力は使っていた。にも関わらず、その効力はほとんど見られなかった。
これは、ライラが強い嫉妬心と敵意、そして忠誠心を持っていたために好意の生まれる余地がなかったためだが、そこまで彼女が知る術はない。
しかし、自身の能力がひどく不安定だという事はユナも分かっていたし、だからこそ、今この場で不安を抱かざるを得なかった。

――今も半ば無意識に使っているこの能力……これは、ちゃんと効果を発揮してくれているのだろうか……

そんな不安を抱きながら、反面そんな思考に陥る自分自身に嫌気が差してもいた。
例え、この能力のお陰で好意を持ってもらったとしても……それはただの贋物ではないのか。
贋物を嫌っているはずの自分が、そんな感情を抱かせようとしている矛盾。



そんな思考の迷路にさまよっているうちに、現実の目的地にはたどり着いた。
中央の広場の、大きな噴水。舞い散る水しぶきは、ユナの悩みをあざ笑うかのように輝いていた。

「ちょっと、目ぇつぶりな」
言われて目をつぶると、ごつごつした両手がユナの右手を掴んだのが感じ取れた。
……そして、自分の薬指に何かが嵌められたことも。

「これ……」自分の薬指を見ながら、ユナは呟いた。その先の言葉は出てこなかった。
薬指には、銀の指輪が光り輝いていた。

「あー、ほら、お前もうすぐ誕生日だろ? だからよ……」
視線を逸らしながら頭を掻くファルグの顔をしばらく呆けた顔で見ていたユナは、思わず噴出してしまった。
「な、何だよ……」
「だって……私、誕生日って6月の今日ですよ」
何のことはない。ファルグは、誕生日を一ヶ月間違えていたのだ。
そのことに気づいたファルグは、顔を赤くしたり青くしたりしている。
そんな彼を、微笑みながらユナは見ていた。

――ねえ、ママ。誕生日、ほんの少しだけ好きになってもいいかな?

まだしどろもどろしているファルグを見かねて、ついにユナは声を上げた。
「ああ、もう! いいじゃないですか、一ヶ月違ったくらい。私は嬉しいですよ?」
「うーん、しかしよお……」
「じゃあ、こうしましょう。これをあげます。お下がりで申し訳ないですけど、交換ということで」
そういいながら、ユナは自分の左腕から、一つブレスレットを外してファルグの左腕につけた。
一番気に入っていた、珊瑚のブレスレットを。

「まさか、来月もなんかよこせって言うわけじゃねえだろうなあ」
「さあ?お任せしますよ」
くすくすと笑いながら、太陽の光を、噴水が上げる水しぶきを感じ取っていた。
今まで、絵にしか美しさを見出せなかった。けれども、世界もこんなに綺麗だったんだ。

ひとしきり笑って落ち着いた後、ユナはようやく口を開いた。
「来月も、ここに連れてきてくれますか?」
「ああ、約束する」
「うーん、ファルグさん約束守ってくれないからなあ」
「おいおい、ひでえこと言うじゃねえか」
「本当のことじゃないですか」
「……ったくよお」

言いくるめられたファルグは、ゆっくりと噴水のそばに行き、その縁に手を置いた。
「目印だ。今度俺が忘れたら、ここに念でちゃんと移動させてやるよ」
「言いましたね? 約束ですよ」

二人とも、マフィアという業の深い世界の住人。明日死ぬかも分からない世界の住人。
だからこそ、この約束は意味がある。

――ちゃんと、生きてここに来ようね



[27521] 09話 非情な現実・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/11 01:15
「……どう思う?」
ユナが、渡された紙をひとしきり見終えたのを確かめ、ガストは尋ねた。
その右手には、ノストラードファミリーから渡されたという、例の占いがある。

 非常な現実があなたを襲う
 大事なものほど見捨てなさい
 魔女との契約を守ること
 紅蓮の夢を見たくなければ

「……これ、誰かに見せましたか?」
ガストの問いには答えずに、用紙をひらりと裏返して見せ、ユナは尋ねた。
「お前で三人目だな。他は、ファルグとフィリアだ。」
「その時は何て?」
「……二人とも、『よく分からない』の一点張りだったよ。ま、俺もさっぱりだがな」
「それはある意味好都合かも知れませんね」
軽く頷き、左手で軽く握りこぶしを作って口元に当てるユナを見て、ガストは困惑の色を隠せなかった。

「よく分からないな。ちゃんと説明してくれ」
頭はいいのだが、どうにも勿体つけたような言い方をしてしまうことがユナの欠点だ。
もっとも、若いうちは誰にでも、多かれ少なかれ見られる傾向ではあるのだが。

「その前に、前提の確認です。この占いは、100%当たる予知能力。
 4~5つの四行詩から成り立っており、週ごとに起こる出来事を予言している。……そうですね?」
「ああ。あと、悪い占いには回避方法が載っており、それを守れば回避できる、とも言っていたな」
「そうですか。……それであれば、ほぼ間違いないと思います」
ためらいがちに言葉を紡ぐユナを見て、嫌に今日は勿体つける、と思った。
ここまでためらうということは、よほど言いづらいことなのか?

ガストが促し、ようやくユナはその重い口を開いた。

「これはあくまで私の推測ですが……旦那様は、来週命を落とすと予言されています」




    第09話 非情な現実・1




「どういうことだ?」ユナの問いに、ガストは聞き返さずを得なかった。
「バカな事を」と一笑に付すことはたやすい。相手によっては、ナメた口を利いたとして制裁する場合もある。
だが、今はそれが出来なかった。とても冗談で言っているとは思えなかったからだ。

「一番最後の『紅蓮の夢』という下りです。“夢”、すなわち“眠り”を暗示しているのでしょう。
 もちろん、通常の睡眠がこのような占いに載るはずもありません。
 ここでの“眠り”は“永遠の眠り”、すなわち“死”を表していると考えられます。
 その後に『見たくなければ』という一文があることからも、ネガティブなことであることを示していると考えてよいでしょう」
若干目が伏せがちになっているガストを見ながら、ユナは続ける。一息に、吐き出すように。
「……決定的なのが、二週目までしか占いがないということですね。三週目以降を占う必要がない、ということです」

そこまで聞き、ガストは天井を見ながら、大きく息を吐いた。
さきほどは「分からない」と言ったが、今ユナに言われたことはなんとなく分かっていた。ただ、認めたくなかった。それだけ。
そして、目を背けていた現実を、今改めて突きつけられた。この結末も分かりきったことだ。

「……あいつら、そんなこと一言も言わなかったぞ。フィリアはバカだから、しょうがねえけどよぉ……」
「……ファルグさんは、旦那様の心中を察して敢えて言わなかったんだと思います。
 護衛もかねる人間が、不安にさせる訳にはいかないでしょうから」
「だったらなおのこと、はっきり言ってもらいたかったがなあ」
苦笑いを浮かべながら頭を掻くガストを見て、ユナは口を開きかけたが、すぐに閉じた。

「……で、それを回避するためにはどうすればいいと思う?」
数瞬の沈黙の後、ガストが口を開いた。
「一行ずつ検証していきましょう。まず、三行目の『魔女との契約』ですが、ここで言う『魔女』とは旦那様の仰るとおり、
 十中八九、私のことでしょう。ですから、これから私が申し上げることは守ってもらいます」
無言で、頷く。もとより、分かりきっていたことだ。

「一行目の『非常な現実』ですが、これは正直、よく分かりません。おそらくこれが死因となるとは思いますが。
 事故とも取れますし、誰かが殺害しようとしているとも取れます。念のため、来週は屋敷の警戒を厳重にします。
 それと、火気の使用はなるべく控えてください」
「なぜだ?」
「四行目の『紅蓮の夢』です。『紅蓮』からだと、“炎”が一番自然に連想されるので。
 ……もちろん、“赤い血”かもしれませんが、警戒しすぎることはありません」
そこまで言うと、ユナは机の上においてある、ジッポライターを見た。
「そのジッポも、来週は使用を控えてください」
「おいおい、あれは関係ないだろ!?」
「あれ、旦那様のお気に入りですよね?二行目の『大事なものほど見捨てなさい』という忠告には従うべきです。
 他の大事な物にも、来週は特に意識して触れないようにすること。ご自分の身を守ることを最優先してください」
その言葉に、今度こそ苦笑いを浮かべるほかなかった。いざとなれば、裸一貫で逃げざるを得ないということ。
マフィアのボスとしてはこの上ない屈辱だが、それを甘んじて受け入れろと言っている。
とはいえ、プライドの重要性を訴えても、目の前の人物は「何の役にも立たない」と切って捨てることは分かりきっていた。
ゆえに、ただ沈黙するしかなかったのだ。




それからさらに三日。ユナの言うとおり、屋敷の警備はかなり強固になった。
綿密に屋敷内をチェックし、防弾ガラスとなっている窓は全て張り替えられた。
警備体制の見直しが行われ、緊急でない用件で屋敷の外に常駐している組員は全て戻され、
屋敷の警護に当たる人数は実に倍になった。
もちろん、警護のリーダーであるファルグを除き、事実を知っている者はいない。
「誰かがボスを狙っているという噂がある」という嘘の理由で警護を強化したのだ。
とはいえ、占いの内容を鑑みるとあながち荒唐無稽とも言えない理由である。
そして、それを理由に周辺の怪しい人間は徹底的に調査した。そして、一人の男が捕らえられ、屋敷へと運び込まれた。
ユーケッドファミリーの組員らしい。
以前、サンベエの陶芸品を独占しようとし、ベッキーニに阻まれた組織。
その組員ならば、恨みを持っていてもおかしくはないということで、拷問にかけられているという噂がユナの耳に入った。

「ファルグさん!」
屋敷の廊下を歩くファルグを、呼び止めた。これから、屋敷の武闘派構成員を集めて、警護の会議を行なう予定だったはずだ。
そうであるにも関わらず、ファルグは律儀にも歩みを止めて振り返り、用件を尋ねた。
その何気ないしぐさが、ちょっと嬉しい。

「例の人、どうですか」話を聞いた以上、聞かずにはいられない。今は少しでも手がかりが欲しい。
「例の人……?」一瞬、呆けた表情になったが、すぐに合点がいったのだろう。「ああ」と言いながら、返事をした。
「なかなか口が堅くてな。ひょっとしたら無関係かもしれないが、怪しいのは確かだしな」
そういうファルグの顔は優れない。ここ数日、一番緊張を強いられている立場だ。無理もないかもしれない。
「私、その人に会って詳しく話を聞きたいんですけど」
無理を承知で尋ねる。少しでも、彼の負担を減らしたくて。

しかし、ファルグの返答はそっけなかった。「やめとけよ」
「なぜ?」そう問いかけようとしたが、理由を尋ねる前に、続けて言葉が返ってきた
「両手足をもがれて、ダルマになった人間なんか見たくないだろ?」
「それでも!」一瞬ためらいながら、なおも食い下がるユナに、ファルグは背中を向けたまま答えた。
「……少なくとも、俺はあんなのをお前に見せたくないしな」
続く言葉を発することが出来ず、ユナは引き下がらざるを得なかった。




夕食を取った後、ユナとガストは、共に部屋に向かった。夜伽をするという理由もあるが、それ以上に大きな理由は占いにある。
占いにてユナの言うことを聞くように言われている以上、下手にこの一週間は距離をとらないほうが良いと判断したためだ。

そうして部屋に向かったのだが、すぐに異変を感じ取った。

――廊下が歪んでいる?

平衡感覚がおかしくなっているようで、まっすぐ歩くことが難しい。さらに、全身を襲う、異様なまでの気だるさ。
疲れがたまっているのか、強烈なまでの眠気を覚えていた。
幸い、ガストの部屋の前には見張りがいる。何とか部屋に入れば、多少油断したところで大丈夫だろう。

ガストも同じような状態だったのだろう。部屋に入ってから、無言でベッドに入り、すぐに寝息を立てた。
ユナも近くのソファにもたれ掛かったが、襲い来る眠気に抗うことは出来ず、そのまま意識を失った。



ふと、目を覚ました。あたりは明かりが消えており、外の月の光でかろうじて室内の様子が分かる程度だ。
ドアをガンガンと鳴らす音がする。その恐怖に思わず見まがえるが、体がまるで動かない。

――銃を取って備えるべきなのに。

やがて、扉が乱暴に蹴破られた。そこから現れたのは、目出し帽を被り手には刃物を持った男。
恐怖で体が動かない。逃げなきゃ。そう警鐘を鳴らす脳みそに反して、まだ座り込んだままだった。

「いや……」呟くユナの言葉は聞き入れられない。
男が刃物を振りかざし、そしてその刃物が自分の首にあたる。
そして、そのまま勢いよく刃物が自分の首を切り裂き、床は赤く染まって――




そこで、今度こそユナは目を覚ました。慌てて首に手を当てる。

――つながっている

ベッドを見やると、ガストはまだ寝息を立てていた。どうやらだいぶ疲れているらしい。
全身に汗を掻いており、心臓が速く脈を打っている。

あたりを確認したユナは、しかし、また違和感を感じ取った。

――静か過ぎる……

無論、思い過ごしなら良い。だが、そんな気にはなれず、何かを確かめるように恐る恐る部屋の戸をあけた。
そして――

「ひっ」
思わず、驚きの声を上げてしまった。外にいるはずの見張りの人間が、ぐったりと壁にもたれ掛かっていたのだ。
その首からは血が流れており、目には光を宿していない。絶命していることは明らかだった。

「旦那様!!目を覚ましてください!!」
外の見張りがいつの間にか殺害されているという異常事態。
これを伝えるため、ユナは何度もガストの体を揺する。が、全く目を覚ます気配がない。

どうやって起こすべきか。ユナの思考はそこへと移ったが、それはすぐに中断された。
耳をつんざくような爆発音。思わず身をすくめるほどの大音量。
これほどの音ならば、発生源は近いのだろうか。しかし、それでもガストの目が覚める気配はない。

――どうする?今の爆発を確認するのが先か、起こすのが先か――

数瞬迷った後、ユナは爆発音が発生した箇所を確かめることにした。
例の占いがある以上、うかつにガストの側を離れないほうがいい。
理屈ではそう分かっていた。――が、それにも関わらず、ユナは爆発音のした場所へ向かわずにいられなかった。

なぜなら――

――大丈夫だよね

爆発のした方向は屋敷の会議室。そこで、ファルグたちは会議を行なっていたはずだからだ。

黒煙が立ち込める廊下。思わずむせてしまい、口元をハンカチで覆いながら、ユナは部屋に近づく。

「うっ」部屋の中を見たとき、思わず胃の中のものを戻しそうになった。
それくらい、凄惨な光景であり、酷い臭気であった。

それはまさに地獄絵図。ある場所にはちぎられた腕がとんでおり。
ある場所にはあごが吹き飛ばされた男の顔が転がっており。
ある場所には吹き飛ばされた目玉が煙を上げており。
まさしく、死が凝縮されている場所であった。
今が夜であり、廊下の電灯の明かりと燻る火の灯りで一部しか見えていないことがまだ幸いであった。

それでも。目の前の光景を脳はなかなか受け入れてくれなかった。

ああ、そこのあごのない男の人はジョーさんね。私のことをからかいながらも、よくお酒飲ませてくれたっけ。
そっちの右頭部がない人は、ひょっとしてクリスさん?いつも田舎のお母さんに仕送りしている、優しい人だったよね。
さっきから、首だけでこっちをじっと見ているのはトーマスさんでしょ。
この前お子さんが生まれたばっかりなのに、いいんですか?奥さん、泣いちゃいますよ。
そんなことを考えながら……その場にへたりと座り込んだ。

「はは……。嘘だよね……。みんな、私をからかっているんでしょう?」
ポツリと呟いた言葉に、返す者はいない。

――こんなに人がいるのに――

「そうだ……。ファルグさん……」
何とか、思考がそこまで追いついて、ユナは改めてあたりを見回す。

そして、それを見て――

「う……うごぉえええ!!」

今度こそ、胃の中身を床にぶちまけてしまった。

それ――そう、黒焦げになり、吹き飛ばされた腕を見て。
その腕に巻かれて輝いている、見覚えのある珊瑚のブレスレットを見て。



[27521] 10話 非情な現実・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/21 21:32
耳鳴りが収まらない。視界は酷く歪んでいて、この世から色が失われてしまったようだ。

――どうして?

答えは出てこない。あるのは、ただ理不尽な現実。

――約束したじゃない

あの公園の風景が、今ここにあるかのように甦ってくる。
木々のざわめき。眩しい太陽の光。噴水の、飛び散る雫の音。
それらが脳裏に浮かんでは消え、今の色のない現実を映し、また公園の風景が浮かんでくる。

夢とうつつの狭間をさ迷っているようだ。

――あれは嘘だったの?

あの時の言葉が甦ってくる。

――ファルグさん約束守ってくれないからなあ

「本当に……いっつもそう……。なんか言い訳ばっかりして……結局うやむやになって……」

手を合わせて、自分に謝るファルグの姿が脳裏に浮かぶ。
なんだかんだと文句を言いながらも、楽しい思い出だった。

「別に、誕生日プレゼントなんかいらないんだよ……?だから、もう一度あそこに連れて行ってよ……」

そうして、もう一度黒焦げになった腕を見る。
珊瑚のブレスレッドは、ユナの思いを嘲笑うかのように光を反射していた。

「……何で……?」

それを見て、数瞬が経ち……ようやくユナは「現実」を理解した。




    第10話 非情な現実・2




ようやく、ユナは重い腰を上げ、部屋から出た。

――早く、向かわないと

気持ちとは裏腹に、足取りは重い。
それは煙を吸い込んだためか、あるいはこの異常事態に精神が磨り減っているためか。
平衡感覚もおかしくなっているのか、廊下が歪んでいる。まっすぐに歩くことすら難しい。
壁に手を伝いながら、ようやく寝室へと戻ってきた。

それだけ、彼女は疲労を感じていた。ゆえに――。



「痛てえ!!」

寝室で未だに寝息を立てていたガストについ腹を立て、銃で頭を殴ったとしても無理からぬことかもしれない。
痛みに悶絶するガストを見て、「あ、いい音」などと思ってしまうあたり、案外図太い。

「お前!!ユナ!!何しやがる!!」
怒りを隠さずに睨みつけるガストだったが、その表情を見ると続く言葉を発することが出来なかった。
非常事態。表情が、それを物語っていた。

「緊急事態です。組が襲撃され、組員が多数殺害されています。被害の詳細は不明。早急に脱出を」
「……もう少し、詳しく話せ」

ユナはなるべく簡潔に、しかし、状況が把握できるよう話した。
廊下の見張りが殺害されていること。会議で集まっていた組員が爆弾のようなもので殺害されたこと。
未だ、他の組員が駆けつけてこないことから、おそらくほぼ全滅であろうこと。
これまで全く犯人の痕跡が見つかっていないことから、少数で隠密行動をされているであろうこと。

「会議に出ていたやつら全員ってことは、ファルグもか?」
その問いに、ユナは言葉を返せない。しかし、その表情を見て、ガストは「そうか」とだけ返した。
「とにかく、早急に脱出を。貴重品にも一切手を触れないで下さい」


――大事なものほど見捨てなさい


あの占いの内容が確かならば、ここで貴重品を手にするのはまずい。
いくら自分達がいた部屋だとしても、不確定要素はなるべく排除したほうが良い。
そう判断しての結論であった。

「分かった……が、フィリアはどうした」
「そういえば、見てませんが……」
「寝室だろう。俺はフィリアの部屋に行く。お前は先に脱出していろ」
「は……?」
言われた意味が理解できず、つい聞き返してしまう。

「聞こえなかったか?俺はフィリアのところに行く。お前は先行して、外の安全を確保しろ」
「いえ、それはさすがに。フィリアさんのことを気にかけている場合ではありません」
「お前にはそうでなくても、俺にとってはそうなんだ」

言っている意味が分からない。ガストにとって、フィリアは単なる愛人の一人ではないのか。
そのような疑問が顔に出ていたのだろう。ガストはユナの顔を見やると、若干頬を緩ませた。

「……娘だ」
「え?」
「フィリアはな。俺の娘……隠し子だ。誰にも言ってなかったがな」

その言葉を聞き、ますます混乱してしまう。

え?あれ?だって、今まで愛人として、抱いていたよね?
一緒にやったこともあるし。……あれ?

あまりに予想外の事態に思考が追いついていないユナに対し、ぽん、と肩に手を置いてからガストは告げた。
「そういうことだ。親として、娘は放っておけん」
「き、気持ちは分かりますけど……今はご自分のお命を」
この状況でこんな回答をできた自分を誉めてやりたい。これは、後日この出来事を振り返ったユナの弁。

「お前も、親になれば分かるさ」
ユナの提案を無視し、ガストは頭を撫でると部屋の外へと駆け出した。

セリフは格好いいんだけどさあ。
あんまりすぎる事態に、そう思うしかなかった。

「まあ、実の娘だったら、確かに大事かもね」
そう呟きながら、自分も部屋から出ようとしたとき、ユナの背中に鳥肌が立った。


――大事なものほど見捨てなさい


これは、「大事な“物”ほど見捨てなさい」という意味だと思っていた。
だからこそ、ガストを貴重品から離し、着の身着のまま逃がそうとしていた。
だがもしも。「大事な“者”ほど見捨てなさい」という意味も含まれていたとしたら――?

「いけない!!」





「……なんということだ……」
フィリアの寝室に来たガストは、目の前の光景に思わず言葉を失った。

ガストの予想通り、フィリアは寝室にいた。
彼の思惑を裏切っていたのは、左胸にあるおびただしい失血の量であった。
すでに血は固まっており、刺されてからかなりの時間が経過していることが分かる。
――即死。誰が見ても、明らかであった。

ふらふらと、フィリアの方に近づいていく。
その時。一瞬。ほんの一瞬だけ、近づいてはならないという予感がした。

様々な修羅場をくぐり抜けてきたことで身に着いた直感。いつもの彼なら従っていたであろう。
しかし、娘の死という事態が、その感性を曇らせていた。
娘になぜ近寄ってはいけないんだ。そんな想いで振り切り、そのあどけなさの残る頬に触れる。

その瞬間。フィリアの体が燃え上がり、爆発するのを見た。

――紅蓮の夢

その言葉が、彼の脳裏に浮かんだ最期の言葉となった。





爆発音をあげ、火を吹く屋敷を、男は双眼鏡を通して見つめていた。
出火元は分かっていた。男がフィリアの死体に設置した爆弾と思って間違いないだろう。

なぜか。爆発したのは、男の念能力だからである。自分の念だからこそ、爆発したことを感覚で理解できた。
非情な現実ブービー トラップ”。それが男の念能力名。

この能力は、対象となる“物質”にオーラを込め、爆弾とする能力である。
生物はその制約上、爆弾にすることは出来ない。

しかし、生命のない“死体”であるならば、“物質”であると認識でき、爆弾とすることが出来る。
それが、先にフィリアを殺した理由の一つ。ガストはフィリアの元に来るであろうことが予測できたからだ。
もちろん、実際にはフィリアのことなど気にかけず、まっすぐ逃げ出してきたかもしれない。

だが、それはないと、男はガストに当てられた占いを見て踏んでいた。


――大事なものほど見捨てなさい


この言葉が、男には何を意味しているか分かったからだ。これはフィリアのことを指している。
フィリアがガストの実の娘だということを知っていた男は、自分の計画に間違いがないことを確信した。
であるからこそ、フィリアが行方不明になればガストは駆けつけるだろう。
そして、それが死体となっていようものならば触れることも問題ないだろうと確信していた。

男の念の発動条件は、他のものが触れるなど、“衝撃”が与えられることだ。
だからこそ、ガストをフィリアの元におびき寄せる必要があった。
――最悪の場合、転送能力でフィリアの元に物質を転送し、その衝撃で爆発を起こすことも考えたが、それは杞憂にすぎた。

ただ、当然ながらこの計画はかなり不確定要素がある。その中でも最大の要素は、ユナの存在にある。
彼女は、ガストの高い信頼を得ているし、占いでもどうやら重要な位置を占めているようだった。
そのため、彼女がこの占いに気づき、フィリアに近づくことを阻止する可能性がある。

ゆえに、男はユナの思考能力を奪うために二つのことを行った。――もっとも、占いを見ずとも行なっていたことではあるが。

その一つは、睡眠薬。専属の料理人の一人を買収し、夕食に睡眠薬を混ぜさせた。
その料理人は、屋敷から男を逃げ出そうとしたため、今足元に転がっている。当然、息はない。
自分が生きていることを知っている人間は、手元から離す事は出来ない。
そして、それすら聞けないようならば、当然だが消すしかない。

もう一つは会議室の爆破である。
いくらマフィアの一員とはいっても、ユナは実際に血なまぐさい現場を見たことはほとんど無かった。
当然だろう。彼女の本職は美術品の売買と夜伽であって、いわば裏方なのだから。

そのような人間が、あの現場を見ればどうなるかは想像に難くない。
ましてや、自分が死んだと思えば。

ユナには、そのままあそこで心を折っていてもらおう。そのまま死んだならそれでよし。
生き残ったとしても、自分が死んだと思い込んでいれば、そう証言してくれるだろう。

――そこまでは、計画通りだった。しかしながら、できればそれを避けたいのも事実であった。
仮にも恋人であった身だ。そう思うのも仕方ないかもしれない。



しかし、幸か不幸か、彼にとってのイレギュラーはそのときに起こった。
屋敷の入り口から一人の人間が出てくるのを、目の端で捉えたのだ。

慌てて男は双眼鏡でその人間の姿を見る。
その金髪は燃え盛る炎の光を反射し、遠くからでも輝きを捉えることが出来た。
その姿は、夜の闇に呑まれることなく、輝きを放っていた。

「ユナ……」

そこで、男がユナの元に駆け出したのが正解だったかは分からない。
ただ、彼にはそうすることしか出来なかった。





銃を構えながら、ユナは何とか屋敷の外に出た。未だに、体がフラフラする。
彼女がフィリアの部屋に向かおうとしたときにあがった紅蓮の炎を見て、ガストの死を悟り、屋敷からの脱出を決意した。

銃を油断なく構える。自分の読みが確かならば、この近くに“彼”がいるはずだ。
決して認めたくはないが、しかし、頭は認めるしかないと言っている。

しかし、そうだとして自分はどうすればいいのか。
彼は私をどうしようとするのか。殺そうとするのか。それとも――?

あまりにもいろんなことが起こりすぎて、頭がパンクしそうになる。
その時、かさり、という草の音を聞き、振り返る。

予想通り、そこには彼の姿があった。今一番会いたくて、けれども一番会いたくない人の姿が。

「ユナ……」その男は、呟きながら近づいてくる。
「来るな!!」いつの間にか、銃を突きつけて叫んでしまっていた。
違う、こんなことが言いたいんじゃない。

「おいおい、どうしたんだよユナ」
いつも通りのその口調に、思わず泣きそうになると共に、腹立たしさもこみ上げてくる。
どの口でそんなことを――。

なおも、近づこうとする男に、ユナは銃を突きつけながら、自分でも認めたくない一言を放った。

「……あなたが、みんなを殺したんでしょう?ファルグさん」



[27521] 11話 約束・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/21 21:32
これまで、片時も忘れたことはなかった。その時の光景が、今も頭に焼き付いて離れない。

父親は警察官だった。同期と比べても、決して出世したほうではなかったが、正義感は人一倍強かった。
今でも誇りを持って答えられる。自慢の父親だと。

だが、そんな彼の人生は突如終わりを迎えた。それも、この上なく不名誉な形で。
突如として湧き上がった、父親の不正捜査疑惑。

その話を聞いたとき、少年は自分の耳を疑った。
曰く、功を上げようと焦ったためにマフィアに捜査情報を漏らし、代わりに情報を得ていたと。
曰く、同僚の功績を奪い、自らの手柄にしていたと。
曰く、証拠を捏造し、冤罪をかけて逮捕したと。

少年は父親に問うた。それは事実なのかと。
だが、父親は答えなかった。少年がそれに絶望したのは言うまでもない。
そして数日後、少年は最悪の形でその答えを知ることとなる。

――自身の生まれ育った家で首を吊った父親の姿と、その遺書という形で。

そこで初めて少年は真実を知った。
父親が以前に捕らえた犯罪者は、とあるマフィアとつながっていた。
そのマフィアは政府とも繋がっており、その権力でもって誤認逮捕という形で釈放するよう父親に迫った。

だが、彼はそれを拒否した。その結果、マフィアはあらゆる手段で彼を潰そうとした。
その一端が、彼の不正捜査疑惑であった。

少年が彼に問うた時には、既に手遅れだった。彼は疲れ果て、この世の全てに絶望し、少年の問いに答える気力すらなかった。
その心の機微を少年に理解しろと言うのは酷かもしれない。しかし、少年は自身を許せなかった。
そして、そのように追い詰めたマフィア――ガスト=ベッキーニを。

母親もその後すぐに、後を追うように亡くなった。もはや、失うものは何もない。
あの男にも、大切なものが目の前で亡くなる苦しみを味あわせてやる。――ファルグの復讐は、こうして始まった。




    第11話 約束・2




「……あなたが、みんなを殺したんでしょう?ファルグさん」
油断なく銃を突きつけながら、自分に問うユナに対して、ファルグは驚きを隠せなかった。

「どうして分かった?」
暗に認める回答。しかし、そこまで考える余裕はなかった。
いや、考える必要などなかったのかも知れない。自分が生きている。それがまさしく答えなのだから。

「あの爆発現場に置いてあった黒焦げの腕です。私があげた珊瑚のブレスレットが巻かれた」
その回答は意外だった。あれこそ、まさしく自分が死んだと見せかけるために仕込んだものだ。
自分が疑問を抱いていることを感じ取ったのだろう。ユナは続けた。

「珊瑚って、燃えるんですよ。あんなに腕が黒焦げになっていたのに、巻かれた珊瑚が無事なわけないじゃないですか。
 誰か他の人の腕を燃やして、その後にブレスレットを巻いたんでしょう?――あの捕らえた人とか」
及第点とも言える回答に、ファルグは純粋に驚いた。巻いたブレスレットごと焼くことも考えなかったわけではない。
しかし、焦げが酷くなってしまえば、最悪、自分が死んだと思ってくれない可能性がある。
そう思っての判断だったが、それがどうやら裏目に出てしまったようだ。

しかし――。ファルグは、改めて目の前の女を見やる。
あの状況ではまともな思考は出来ないと思っていたが、自分が思った以上に冷静だった。
目の前の事象に怯えたり、自棄になるわけではなく、冷静に現実を受け止めている。
思っていたよりずっと――強い。

「来るな!!」
ファルグがゆっくりと距離をつめようとすると、ユナは体をより一層強張らせて叫んだ。
「……無駄だ。俺に銃が効かないのは分かっているだろう」
そう。念能力者はオーラで身を守っている。オーラで体を覆い、攻撃から身を守る“纏”と呼ばれる技術。
これを出来るようになるだけでも、常人と比較して随分体が頑強になる。
ファルグほどのオーラ量ともなると、銃弾を受けてもほぼ無傷に近いほどの防御力だ。

一方、ユナはこの“纏”が使えない。全身から出るオーラを肉体にとどめる技術であるため、そもそもオーラが中途半端にしか出ていないユナには出来ようがないのだ。
ユナの攻撃は全く効かない一方、ファルグが仮に殺すつもりでユナを殴れば一撃が致命傷となる。
理不尽なまでの実力差。ユナもそれを分かっているからこそ、撃てない。
下手に闘っては勝てないから。今は、どうやったらこの状況を切り抜けられるか考えているのだろう。
ファルグには、その思考が手に取るように分かった。だからこそ。

「……なぜ、みんなを殺したんですか」
――この質問が、ただの時間稼ぎであることも理解していた。
しかし、せっかくだから答えてやろう。そう思うだけの余裕があった。

「復讐だよ。親父がガストに嵌められてな。自殺したんだ」

――だが、思いは口にすると、より一層強くなる。

「いい親父だったよ。今でも尊敬してる。警察官でな。子供心に『これこそ正義の味方だ』って思ったもんだ」

――単なる余裕。そんな思いはいつの間にか消え去り。

「だが、死んだ。いや、殺されたんだ。ガストにな。名誉も、誇りも、何もかも奪われて」

――その思いを口にしていた。決して誰にも話すまいと誓っていたその思いを。

「だから、誓った。大切なものを目の前で奪われるのがどういうことか味あわせると」

――分かって欲しい。心のどこかで、そんな都合のよい思いがあったことは否定できない。

「……だから、フィリアさんも?」
「ああ。娘だということは知っていたからな。だから、あいつを殺した。ついでに、爆弾に変えてな」
「彼女はそのことを知らないでしょう?」

――だからこそ、自分を非難するような口調が腹立たしい。

だが、「あいつはお前を排除しようとしたんだぞ」という言葉は飲み込んだ。
なぜなら、自分もユナを殺そうとしていたから。そんな人間が何を言ったところで、嘲笑しか得るものはない。

「……俺の親父も、何も知らなかったさ。だからこそ、だ。そもそも、あいつの血を引いていると言う時点で許しがたい」
そう。俺は正しい。そんな思いを込めてはなった言葉であったが、ユナは不満なのか、顔にうっすらと怒気が浮かんだ。

「……じゃあ……他のみんなを殺したのは……何でなの……」
「邪魔だから」
「……は?」
「俺が生きていることを知られては困るんだよ。マフィアの襲撃で死んだように見せかけたからな。
 俺は目的を果たした。だから、今後はマフィアと争うことなく平穏に歳を重ねていく。
 そのために、俺が生きていると知っている人間が万が一にでもいたら困るんだ」
「……ふざけないでよ……」
「誰がふざけてるって?俺は至ってまじめだ」
「ふざけたこと言ってるじゃない!!あの人たちだって家族がいた!!未来があった!!あなたと何が違うんですか!!」
「笑わせるな。今まで散々人殺ししてきた奴らだ。殺される覚悟なんぞとっくにあったはずだ」
「……あなたには……仲間への情というものがないの……?」
非難と、怒りと、悲しみが混ざったかのような表情を見て、つい苛立ってしまう。
そう、俺は、悪く、ない。

「仲間じゃねーよ。少なくとも、俺はそう思ったことはない。俺は一人だった」
「……みんなが、どれほどあなたのことを頼りにしてたか、分かってるの?
 今回の事件だってそう。みんな、詳しいことを聞かないでもあなたを信じて仕事をしてくれてた。
 そんなみんなの思いを踏みにじって!!よくそんなことが言えるわね!!」
「黙れ!!お前に何が分かる!!」
「分かんないよ!!」
ユナは叫び。そして、目にうっすらと涙を溜めながら続けた。
「……だから、聞いてるんじゃないの」

「……ちっ」軽く舌打ちをしながら、ファルグは頭を掻いた。
分からない。どうして、ここまで突っかかってくるのか。
どうして、そんな顔をしているのか。とても不快だ。

彼女の言葉を無視し、一歩前に出ると、ユナはその体をビクリ、と反応させた。
「……私も……殺すの?」
その目を見て、ファルグはさらに苛立ちを強めることとなった。
懇願、悲哀、死への恐怖。なるほど、確かにそれらもあるかもしれない。
しかし、ユナの目により強く浮かんだ感情はもっと別のものに思われた。
諦観。軽蔑。失望。
自分という、はるか強者に対して媚びるのではなく、どこか弱者を憐れむ様な目。
それが、ファルグの神経に障った。
今、お前の生死を握っているのは誰なのか、分かっていないのか。

「知りたいか」そう言うと、ファルグは地面を蹴り、ユナの側まで移動した。
本人してみれば、ちょっとスピードを出して走った程度。
しかし、ユナにしてみればまさしく瞬間移動。一瞬自分を見失った様子から、いつ移動したのか分かっていないのだろう。

そして、ファルグはユナの頭を掴み、オーラを込めた。
若干怯えたような表情で、ユナは目を瞑った。まさに、死を覚悟したに違いない。
しかし、彼女の頭が吹き飛ぶことはなかった。

オーラを込め終わり、ゆっくりと手を離すファルグを、不思議そうな、いや、不安そうな顔で見つめた。
「……何をしたの……?」
「最初に言っておく。俺の目的はさっきも行ったとおり、平穏に暮らすことだ。
 だから、俺が生きていることを知っている人間がいてはいけない。」

嘘だな。そうであれば、今すぐに目の前の女を殺せばいいだろうに。
そんな矛盾を抱きながらも、ファルグの口は止まらなかった。

「だから、本来であればお前も殺さないといけない。しかし、お前が生きていても他人に話さなければ問題ない。
 ……お前を、手元において監視させてもらう。逃げようとしたら、念の爆弾でお前の頭を吹き飛ばす。」
「念の……爆弾?」
「ああ、そういえばこっちの能力は言ってなかったな」
ファルグは地面に転がっている石を拾い、オーラを込めて壁に向かって投げつけた。
その瞬間。小石は爆発音を上げ、壁が砕け散った。
飛び散る破片に思わず顔をかばっているユナを見ながら、どこか現実感のない口調で説明を続けた。

非情な現実ブービー トラップ”。物質を爆弾にする能力だ。
 見りゃ分かるとおり、お前の頭を吹き飛ばすには十分すぎる威力だ」
「私の頭にも……これを?」
「ちょっと違う。お前の頭には“空虚な理想デイ ドリーム”の目印をつけた。
 逃げたと判断したら、頭に爆弾を転送する。お前はもう逃げられない」



そう。この二つの能力は同じ物質に対して同時に使用できる。
会議室の組員達を吹き飛ばしたのも、この組み合わせによるものである。

会議室の組員達は、あらかじめ食事に盛られた睡眠薬によって寝入っていた。
そして“空虚な理想デイ ドリーム”のマーキングをし、部屋を出る。
その際に、他の見張りたちをこっそりと殺しておくことも忘れない。
さすがに、屋敷全てを吹き飛ばすほどの火力はないからだ。
かといって、爆弾を大量に送ることも出来ない。爆弾に出来る物質は三つまでという制限があるからである。
爆発するたびに新たに爆弾を作って転送すると言う方法もあるが、そうすると今度は転送先のマーキングが三箇所までという制限がネックになる。

よって、ファルグは爆弾の転送は会議室のみとし、他の箇所にいる組員及びフィリアは自らの手で殺すこととしたのだ。
もちろん、フィリアは殺した後に爆弾に変える。
また、ガストがフィリアの元にいかないことも考えられたため、外に出たファルグは見張りを殺すと同時に入り口にマーキングをした。

そして、ガストとユナに飲ませた睡眠薬が切れる頃に爆弾を転送。
爆発音によって目覚めた二人はその現場を見て、自分が死んだと錯覚するだろうという予測を行なった。
もちろん、実際には穴だらけの計画であり、思い通りには行かなかったのだが。

そして、ユナに転送先を仕掛けたということは脅しではない。実際、その気になればいつでも爆弾を転送できる。
ユナもそれは分かっている。――だからこそ、逆らえない。



「俺について来い。側にいて、他の奴に情報を漏らさなければ生かしておいてやる。
 だから、お前も俺に殺されるような真似はしてくれるな」
「……今、ここで殺そうとはしないんですね……」
「ああ。すぐにはな。あの公園にも連れて行ってやると“約束”しただろう?」
その言葉を聞き、ユナは顔を紅潮させて睨んだが、すぐに顔を伏せた。
「……分かりました」

「それでいい」ファルグは満足そうに頷き、「誰かが来るとまずい」といってユナを促し、この場を離れた。
しかし、ファルグには分からなかった。自分がなぜ、他の人間と違ってユナだけは危険を冒してでも生かそうとしているのか。
当然、ユナにもその理由は分からなかった。

その理由はユナの“偽りの愛情ホワイト ライ”にあった。
そう。どこまで効力を発揮しているかユナを不安にさせたあの能力。
皮肉なことに、この状況において、あの能力はこれ以上ないほどの効力を発揮していることを証明していたのだ。

だが、それを二人が知る由はない。そして……例えユナがそれを知ったとしても、喜ぶことは出来ない。
もう、二人はその頃に戻れないのだから。



[27521] 12話 蝙蝠・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/26 02:05
「蜘蛛の奴らはなんと言ってる?」
葉巻の煙を吐きながら、十老頭――マリオ=エスコバルは目の前の、サングラスをかけた男に尋ねた。

「とりあえず、こちらの要望は聞いてくれましたよ。思いっきり足元見られましたけどね」
頭を掻きながら、サングラスの男――ケイツ=ラビオストリは答えた。
彼の脳裏に浮かぶのは、幻影旅団の一員である金髪の優男。
とにかく様々な条件を突きつけられ、法外な金額を払うことでようやく引き受けてくれた。
盗賊だから物はほとんど盗んでいて、金などまともに使わないだろうに。
そう思わないでもなかったが、こちらとしてもやってくれないことには困る。
結果、ほとんど向こうの要求を呑む形であるものの奪取を依頼することとなった。

ああいう、理詰めでひたすら相手の論理の穴を突こうとしてくる人間はどうも苦手だ。
とはいえ、自分もそういう性格だから、同族嫌悪と言う奴なのだろう。
案外、自分と同じく操作系かもしれない。

そんなことを考えていると、エスコバルは次の質問をしてきた。
「そういや、この前のベッキーニの襲撃事件。何か進展があったか?」

「ああ」と、相槌を打ち、ケイツはサングラスのつるをいじりながら答えた。
「部下の調査によると、念能力によるものらしいですね。
 それと、アイジエン大陸のハイシーシティでベッキーニ組員の能力者を見かけたと言う報告が入ってます」
「そいつが犯人ということか」
「おそらく。名前はファルグ=キーツ。まあまあ名の知れた能力者です。一般人にはきついでしょう。
 ……“毒蜂”、行かせますか?」
“毒蜂”とはマフィアの一員ではない。あくまで、ケイツが個人で雇っている“私兵団”である。
しかし、その実力は高く、彼の命令で多くの暗殺をこなしている。
その人物であれば、よほどの相手でない限り仕留める事は出来るだろう。
しかし、エスコバルは首を縦に振らなかった。

「いや、これは見せしめだ。……“ふくろう”に行かせようと思う」




    第12話 蝙蝠こうもり・1




エスコバルの提案に、ケイツはいい顔をしなかった。
ふくろうはまずいんじゃないすか?あそこは白龍パイロンさんの管轄です。
 そんな場所に陰獣を送り込んだら戦争すると言ってるようなもんすよ。……と、“毒蜂”でもそうか」
ぼりぼりと頭を掻きながら、ケイツは考え込む。

そう、アイジエン大陸はエスコバルの管轄ではない。ハイシーシティは別の十老頭、王白龍ワンパイロンの管轄だ。
そのような場所に、マフィアの中で最強を誇る戦闘集団である陰獣の一人、ふくろうを送り込もうものならどうなることか。
最悪の場合、王白龍ワンパイロンとの戦争となるだろう。当然、エスコバルとしてもそれは避けたい。――しかし。

「じゃあ、マフィア皆殺しなんてナメた真似するクソガキを見逃せってのか!?」
そう。これはマフィアの沽券に関わる問題。自分の管轄でこのような問題を起こされたのだ。
いくらなんでも、これを見過ごしてしまっては自分の威信は地に落ちるだろう。

「……まあ、白龍パイロンさんに話をつけて了承を取るしかないでしょうね。
 あるいは……白龍パイロンさんに捕らえてもらうか」
半ば諦めたかのようなケイツの言葉を聞き、エスコバルは考え込むこととなった。
正直なところ、白龍パイロンとの仲はあまりよくない。
陰獣を送ると言えば、いい顔はしないだろう。しかし、見逃すという選択肢はありえない。

「仕方ない」と呟きながら、エスコバルは再び葉巻をくわえ、煙を吐き出した。
「……白龍パイロンとは俺が話をつける。お前はふくろうと連絡を取れ」

「あいあい」そう答えながらケイツは立ち上がったが、ふと思い出したようにその場に留まった。
「そういや……これは未確認情報ですが、その男、女を一人連れてるとかなんとか」
「その女も関係あるのか?」
「そこまでは。そもそも、本当にその男の女かも分かってないそうですからね」
「そうか。まあ、見かけたら生け捕りにして尋問するくらいでいいだろう」
そう答えながら、エスコバルは再び葉巻を加えた。あの頑固な老人をどう説得するか考えながら。




ハイシーシティ。アイジエン大陸の東のほうにある大都市である。
街並みは非情に発達しており、その規模はヨークシンにも劣らない。
特に料理と夜景が有名で、毎年多くの観光客が訪れている。

そこからやや外れた郊外の小さなアパートの一室。そこに、ユナとファルグは住んでいた。
同居と言えば聞こえはいいが、実態は監禁生活に過ぎない。
一人での外出は許可されておらず、普段は狭いアパートの一室で過ごさないとならない。
当然、電話も解約されているし、ネットも使用不可のため外部との連絡は取れないようになっている。
テレビの視聴は許可されているので、外部の情報から全く隔離されていないことが不幸中の幸いだろうか。

自由こそないものの、「生きる」という一点についてはそこまで問題がないことも救いだった。
調理はユナの担当だが、きちんと自分の分の食料も調達してきてくれるし、入浴も出来れば睡眠も取れる。
たまに理不尽な暴力を受けることはあるが、「殺される」とさえ思った昔に比べれば生ぬるいものだ。

とはいえ。

――所詮、私は「お人形」か……。

そんな思いを抱かざるを得ない。父親も、ガストも、そして、今のファルグも自分を「人間」として見てはくれなかった。
「ママだけだよね……。私を『人間』として見てくれたの……」

そう思う反面、現実に流されてばかりでどうにも出来ない自分自身にも嫌気が差していた。
殺されないように。見捨てられないように。思えば、そればかりを考えて生きてきた気がする。
強い相手に媚びへつらい、嫌われないようにしてきた。場合によっては、自分の女さえも差し出して。
今だってそうだ。本気で、殺されるかも知れないリスクを背負ってでも動けば、現状は打破できるのではないか。
しかし、それが出来ない。子供の約束とはいえ、昔に母とした約束を考えると、死ぬのは何よりも怖い。
いや、それも単なる言い訳なのかもしれない。怖いのだ。嫌われるのが。敵意を持たれるのが。

「まるで、コウモリだな」子供の頃に聞いた寓話を思い出しながら、ユナは自嘲気味に嗤った。
哺乳類と鳥類、両方にいい顔をして自分の味方につけようとし、最後はそれが両方に知られて独りぼっちになってしまった。そんな、コウモリの寓話を。
何も知らない無邪気な頃は、ただの自業自得としか思えなかったのに。




「くそがっ!」仕事の帰り道、ファルグは苛立ちながら歩いていた。
楽しそうに笑っている周りの連中が恨めしい。苛立ちに任せて、殴り倒すことが出来ればどれだけいいだろう。
しかし、それは出来ない。マフィアという後ろ盾を失い、警察やハンターが追っている可能性のあるファルグにとって、ここで問題を起こして目立つわけにはいかないのだ。

仕事にしたってそうだ。もとより、地元の人間でない自分がつける職などそう多くはない。
それだけでなく、この地域のマフィアに顔を見られてはいけないということが、余計に話をややこしくした。

マフィアというのは、想像以上にしつこい。だからこそ、あまり目立つようなことは出来ない。
そして、その利害関係も幅広い。いかにも裏稼業と言う仕事はもちろんだが、一見するとマフィアなど到底関わらなさそうな表の大企業にもその触手を伸ばしている場合が結構ある。

だからこそ、自分がつく職は入念に調べざるを得なかった。そして、当然のことながら、つける職種はごく限られる。
きつい仕事内容。安い賃金。嫌がらせをしてくる上司。覚悟してはいたものの、ここまで思い通りにならないとは思わなかった。
最近は、苛立ってユナに八つ当たりをすることも増えてしまった。

「何で俺、ここまでして生きてるんだろうな」無意識のうちに、燻っていた思いが口を吐いた。
これまではよかった。復讐というネガティブな感情とはいえ、生きる目的がちゃんとあった。
しかし、今は本当に何もない。生きる意味さえも。

「復讐しても何も戻らない」テレビや小説などで何度も目にした、安っぽい言葉。
それを見るたびに、「何も知らないくせに知った風なことを」と鼻で笑ったものだ。
しかし、現実はどうか。現に復讐を達成した今も、自分の心には何も湧かなかった。ただ、空っぽ。
それどころか、あの時思い描いていた「平穏無事な生活」ですらも、満足に手に入れることができない。
ただ、惰性で働き、惰性で生きている。そんな生活だ。

いっそのこと、ユナに働かせればよかったかもな。あいつは俺と違い、そこまで顔が知られているわけじゃない。
自分ほどに、職に不自由はしないだろう。
いや、だめだ。あいつを外の世界に出したら、いつ自分のことを話すか分からないし、逃げ出すかもしれない。
そんな思考に至ったとき、そうじゃないだろう、と思わず自分自身に苦笑いしてしまった。
本当に自分のことを話されて困るなら、始末すればいいだけだ。それなのに生かしているのはなぜか。

自分のことを外部に話されては困る。
そんな名目で彼女を自分の手元に置き、自分の思い通りにしている。
しかし、本当にそんな理由か。なるほど、確かに最初の頃はそうだったかもしれない。
が、今ではそこまでして彼女の自由を奪う意味が分からなくなっていた。

あの事件以降、ユナの自分を見る目がひどく冷たい。
当然だろう。自分の仲間を皆殺しにし、自分にさえいつでも殺せるような念をかけた。
そんな人間を、誰が好意を持った目で見られるというのだ。
理屈では分かっているが、それがどうにも耐えられなかった。
そんな目で見られるくらいならば、いっそ目の前から消えて欲しい。
以前は、それでも側にいて欲しいと思っていたが、この頃疲れたのだろうか。そう思うようになっていた。

ケータイをポケットから取り出し、時刻を見る。もう、夜の八時を回っていた。
自分も空腹を覚えていたし、ユナも腹を空かせているだろう。
冷蔵庫にもう何もないと言っていたから、まだ何も作っていないはずだ。
そう思いながら、今日の日付に目が移る。
「あれから、もう二週間か……」

復讐を達成してから二週間。ヨークシンに留まり続けるのはまずいと判断し、この地に移ってきた。
果たして、自分はその二週間で一体何をしてきたのか?

そう思いながら、ファルグはふと、同僚に聞いた旨いと評判のレストランを思い出した。
ハイシーでは珍しい洋食屋らしい。今夜のような日にはちょうどいい。
あいつも、ずっと部屋の中で気分が滅入っているだろう。
ふと、気がついたらユナのことを考えている自分に気づき、思わず笑ってしまった。

だが、それも今日までだ。この関係も、もう終わりにしよう。心の底からそう思っていた。
自分のことを話すのならば、話せばいい。マフィアに売るなら、売ればいい。
自分には、もう何もないのだから。




ファルグに連れられ、ユナはレストランへとたどり着いた。
ここに来てから一週間とちょっと。それまで、外食などしたことはなかった。例外は、ここへ向かう飛行船の中くらいだ。
あれほど、自分の顔が知られることを神経質なまでに嫌っていた男が、どういう風の吹き回しだろう。
そう思いながらも、嫌われることを恐れて、当たり障りのない話をすることしか出来なかった。
時折、ファルグは何か言いたそうにこちらを見ては目を逸らし、別なことを話す。
自分はもう用済みだ。そう話そうとしているのだろうか。これは、自分を殺す前の最後の情けなのか。
そう思うと、ユナは真意を尋ねることをためらってしまっていた。

そして、お互いに本心を言い出せぬまま、夕食は終わった。
食事を終え、会計を済ませるファルグを見ながら、ユナは名残惜しい気持ちになっていた。
気のせいかもしれないが、今日のファルグは妙に自分に優しかった。
それは、自分を殺す前に見せてくれた優しさなのかもしれない。
だからこそ。その優しさをずっと味わっていたかった。もう、決して自分に向けられることはないと分かっていたから。

外に出ると、街灯が二人を出迎えてくれた。ハイシーは夜景が有名な街だ。
さすがに、展望台からの景色には敵わないが、それでも街に灯るイルミネーションは美しい。
こんな状況でなければ、どれほど幻想的だろう。そう思わざるを得なかった。

街灯の下を、二人は押し黙りながら歩いていた。言いたいことはある。
けれども、神妙なファルグの顔を見るとどうにも言い出せなかった。
沈黙に耐えかねて、ユナが口を開こうとしたとき、妙な気配を感じた。
ファルグを見ると、上空を見上げている。つられて自分も空を見ると、信じられないものを目にした。

「人が……飛んでる?」
いや、それは果たして「人」と言っていいものかどうか。
確かに人の形はしている。しかし、本来両の腕があるはずの場所には、コウモリを思わせるような巨大な翼が付いていた。
そして、あろうことかそれは自分達の方向に向かって飛んできているのだ。

ファルグはポケットに手を入れ、ベアリング弾を取り出す。
それを見て、ユナも慌てて懐から銃を取り出し、スライドを引いた。
なぜ銃を持っているかと言うと、さすがに護身用として必要だろうということで携帯を許可されていたのだ。

そして、それは自分達の前に着地した。
黒い翼を持つ、黒ずくめの男。その殺気は、今までに経験したことのないものだった。
そう。ライラよりも、ファルグよりも、目の前の男はずっと強い。

「ファルグ=キーツだな」コウモリの羽を持つ男はまるで感情のないような目でこっちを見て話した。
たった一言なのに、体の奥底を掴まれたような感覚に陥ってしまう。それは、ファルグとて同じなのだろう。
「お前は?」気丈にもそう答えたが、その声は震えていた。
そして、その言葉を聞いて目の前の男は絶望的な一言を発した。「陰獣」と。



[27521] 13話 蝙蝠・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/08/03 01:22
「だめだ」エスコバルの再三の頼みにも、王白龍ワンパイロンは首を縦に振らなかった。
「だから言っているだろう?ふくろうには、そちらへの手出しはさせない」
「もちろん、信用はしている。しかし、若い連中はそれじゃ納得しない。こちらも陰獣を出すべきだとうるさくてな」

ぬけぬけと、よく言う。そう思いながらも、エスコバルは反論することが出来なかった。
実際、他の組の、それも陰獣が来るとなると不安になる連中がほとんどだろう。
とはいえ、白龍パイロンがその気になれば抑えることなど容易なはずだ。

結局のところ、他の組の陰獣などを自分の懐に入れたくないということだろう。
監視するにしてもただではない。まして、陰獣が実際に敵意を持って暴れることを想定すれば、こちらも陰獣に見張らせるしかない。エスコバルも、その理屈は分かっていた。だからこそ、強く言い出せない。

「頼む、白龍パイロン。ここであのガキを見逃したら、俺のメンツは丸潰れなんだ」
理屈ではどうにもならないので、メンツの問題と訴える。が、それも一蹴される。
「それも言ってるだろう。俺が捕らえて引き渡す。念能力者だったら、ちゃんと陰獣を動かす」
「『俺が』捕らえないと意味がないんだよ。ガキ一人捕まえられないのか、という評価になりかねん」
「……それなら、実際にはお前が捕らえたということにしておいてやる。とにかく、俺の縄張りに陰獣など入れることは出来ない」

この返答に思わずエスコバルはため息を吐いた。正直、ここまで頑固とは思わなかった。
もちろん、取引をするということも考えられるが、そこまでするほどのことかどうか。
逆に、ここで白龍パイロンに貸しを一つ作っておくのも悪くないかもしれない。
このような結論に達するまで、時間は掛からなかった。

「……分かった。お前に任せる。ただし、必ず捕まえろよ」
「方法はこちらに任せるんだろうな。あと、生死の保証はしないぞ」
だったらこちらにやらせろよ、という言葉を飲み込み、了承の意を示す。

「これで捉えることが出来なかったら、今度はお前のメンツが潰れるぞ」
嫌みったらしいエスコバルの言葉にも、白龍パイロンは動じないようだ。

「安心しろ。ちゃんとうちの陰獣、蝙蝠こうもりを向かわせる」




    第13話 蝙蝠こうもり・2




陰獣を名乗るその男は、恐ろしく強大なオーラを纏っていた。
全身が黒尽くめで、両腕が本来ある場所にはコウモリのような翼が付いている。
少し開いた口元からは、人間のものとは思えないほど尖った歯が覗いている。

――異形。

正しく、そう形容するにふさわしい姿と、オーラを兼ね備えていた。

しきりに音を鳴らす歯を何とか抑えながら、ファルグはようやく言葉を発することが出来た。
「この辺を管轄とする陰獣……蝙蝠か?」
「そうだ」

蝙蝠が歩みを進めると、二人に緊張が走った。無意識のうちに、足を後退させ、武器を構える。
それを特に興味のなさそうに眺めた後、蝙蝠はユナを見て言った。
「女。俺はお前については特に何も聞いていない。今逃げれば、見逃してやってもいい」
「嘘つき」銃を下げることなく、ユナは返した。
そう。自分を見逃す必要性など、どこにあるというのだ。そんな思いから。



しかし、蝙蝠にしてみれば、これはごく普通の提案であった。
目的はファルグの捕獲、あるいは殺害。それ以外の人間など、邪魔なだけだ。
もっとも、特別殺さない理由がある訳でもない。邪魔をするようなら、排除するだけだ。
そのような意図で発した言葉であったが、どうやら伝わらなかったようだ。



「まあ、いいさ」そう返すと蝙蝠は今度はファルグの方を向いた。
「ファルグ=キーツ。お前は上層部より生死を問わず確保するように言われている。
 逃げようとしても無駄だ。せいぜい足掻いて見せろ。」

その言葉に含まれているのは、強者の余裕。万に一つも負ける可能性のない相手。だからこそ生まれた言葉。
そして、久しく強者との闘いをしていない蝙蝠にしてみれば、少しでも暇つぶしになればよいという程度の意味でしかなかった。
大して構えず、ゆっくりと近づいていくのも余裕の現われだ。

「そのつもりだっ!」その隙を突いての先制攻撃!

オーラを込められたベアリング弾が蝙蝠に飛んでいく。が、翼を振り下ろすと、軽々と弾いてしまった。
その直後。陰に隠れて飛んできた銃弾に蝙蝠は気づく。ユナの放ったものだ。
それも、弾く。そもそも、念の込められていない銃弾など蝙蝠にとっては物の数に入らない。
相手の不意を突いた連携は見事だが、攻撃が効かないのであれば意味はない。



――が。

「こっちが本命だよ、バカ野郎」
そう。油断していた蝙蝠は、もう一発放たれた攻撃に気付かなかった。
特にオーラで強化がされていないベアリング弾。が、それは蝙蝠に着弾すると、即座に爆発した。

あたりに煙が立ち込め、二人の視界を閉ざした。
「いくらなんでも、こいつなら……」
自分の能力に対する自信、そして、何よりも願望から発せられた言葉。
今まで、この能力を受けて生きていた者などいない。その経験に裏づけられた願いだ。



――だが。

「……バケモンか……」
煙が薄くなり、蝙蝠の姿が視界に入ると、ファルグはそう呟かざるを得なかった。
そう。彼の自信を粉々に砕くかのように、全く負傷していない蝙蝠の姿を見て。

「タイミングはいい。しかし、圧倒的に火力が不足している」
蝙蝠の言葉に、ファルグは今までの価値観が崩壊するような感覚を抱いた。
今まで倒せなかったものがいないこの能力が……火力不足だと!?



もちろん、いかに陰獣の一人である蝙蝠とて、全くの防御なしでは無傷でいられるはずがない。
衝突の直前に、ガードした腕に大量のオーラを集め、その部分の防御力を高めたのだ。
“流”と呼ばれるその技術はある程度の能力者であれば習得している。もちろん、ファルグもだ。

しかし、その速度及び扱えるオーラ量には明確なまでの差がある。
完全な不意打ちのタイミングであるにも関わらず防御が間に合ったのは、蝙蝠の実力があればこそだ。
もし、逆の立場であったならば、ファルグの腕は吹き飛んでいただろう。



また、これは余談だが、蝙蝠は爆発事件の犯人が、物質を爆発させる念能力を持っていることを知っていた。
ケイツの調査の結果、屋敷で爆発した箇所は二箇所。
しかし、そのいずれにも火の気はなかった。
爆弾などの爆発物の形跡もなければ、燃焼促進物の臭いもない。
当然のことながら、出火するような箇所もないし、漏電していたわけでもない。
さらに、死んだと思われていた能力者が実は生きていると言う事実。
これらのことから、何らかの爆発を引き起こす念能力を使っていることは明白であった。
ついでに言えば、爆発現場に殺意のこもったオーラが残留していたことも決め手となった。
だからこそ、一見強化されていない弾丸にも爆発の可能性を考慮して即座に防御することが出来た。

一方、ファルグもユナも蝙蝠の念能力を知らない。
……いや、能力どころか、その実力がどれほどのものかすら分からない。
単純な実力差だけでなく、情報戦という見地でも蝙蝠の圧勝であった。

いわば、これは万に一つも勝ち目のない戦い――。



ゆっくりと近づいてくる蝙蝠に対して、ファルグは思わず後退していた。
無理だ。こんな化け物、勝てるわけがない。

蝙蝠はそんな自分の内心を見透かしたのか、軽蔑するような笑いを浮かべていた。
「どうした?そこの女を置いて逃げるのか?
 もう少し楽しませてもらえると思ってたが……単なる腰抜けか」
「っ!! てめえっ!!」
「一端のプライドはあるようだな。腰抜けでないというなら、さっさと攻撃してみろ」
「ぶっ殺す!」
そう言うや否や、ファルグは蝙蝠との距離を一気に詰め、殴りかかった。



二人の攻防は速すぎて、ユナは目で追うのが精一杯だった。
銃をまだ構えてはいるが、発砲することは出来ない。
二人とも高速で動き回っているので狙いが絞れないし、下手にファルグに当たってもまずいからだ。
ゆえに、ただ二人の闘いを見ていることしか出来ない。



――逃げちゃえばいい

理性は、そう伝えてくる。

そう、何を遠慮する必要があると言うのか。
一人は、みんなを殺し、自分さえも殺そうとした。今も、勝手な理由で自分のことを監禁している。
一人は、そんな彼を捕まえに来た人間だ。自分には関係ない。本人も、「逃げていい」と言った。

そう。理屈では分かっていた。理屈では。

けれども、彼女の足は動かなかった。
なぜかは分からないけど、自分はこの場から逃げてはいけないような気がして。

到底、彼に勝ち目のないことなど分かっているのに。



ユナの抱いた感想どおり、格闘戦においても、二人の実力差は圧倒できだった。
いや、むしろこの場合はファルグのことを「良くここまで食らいついた」と誉めるべきか。それほどまでの差だ。

ファルグの攻撃に、決定打は一切ない。
攻撃はことごとくかわされ、あるいは防御され、ダメージを与えることは出来ない。
一方、蝙蝠の攻撃は一撃一撃が重い。辛うじて防いではいるものの、ダメージは蓄積していく。

このままでは埒が明かない。
そう感じ取ったファルグは相打ち覚悟で殴りかかった。
狙いは後頭部。蝙蝠が左胸を狙って殴りかかろうとしたタイミングに合わせて、カウンターのフックを浴びせる!

「ぐ……!」
左胸に強烈な一撃を食らったファルグは、そのまま吹き飛ばされてレンガ造りの塀にぶつかった。
今の衝撃で、あばらが何本か折れたようだ。
ファルグの手は、何とか蝙蝠の頭に触れることは出来た。しかし、それは攻撃とは言わない。ただ触れただけだ。

強烈な目眩と痛みが襲ってくる。立ち上がるのも億劫だ。
「もう終わりか?」そんな言葉が聞こえてくるが、妙に現実感がない。
「じゃあ、次はあの女の番か」
そう告げて、足音が自分から離れていく。
このまま、痛みに任せて意識を失ってしまえば、楽になれる。
ひょっとしたら、自分を見逃してくれるかもしれない。
ユナには悪いが、俺は精一杯やった。
親父も、こんな無様な俺を見たら眉をひそめるだろうが、後悔は何一つない。



――本当に?



ふと湧き上がった疑問に答える間もなく、気がついたらファルグは立ち上がっていた。
ユナの方へとゆっくりと向かっていく蝙蝠を目の端で捉えながら、落ちているコンクリートの破片を拾い、オーラを込めた。

そして、それを勢いよく蝙蝠に向かって投げつけた。
当然、それに気付かない蝙蝠ではない。
念で強化したか、あるいは先ほど使用した、爆弾にする能力か。
どちらにせよ、問題ない。それを防ぐことの出来るオーラを腕に込め、防御体制を取る。



――が。
「!?」

蝙蝠は驚愕した。自分の方に向かってくるはずだった。破片が突然消えたからだ。
そして、疑問を挟む余地がなく。蝙蝠の後頭部で爆発が起こった。
あたりを轟音と共に白煙が包む。



ユナは一連の事象を見て驚いていた。蝙蝠に向かって飛んでいたはずのコンクリートの破片が突如消え、蝙蝠の後頭部で爆発が起こったからだ。
が、すぐに何が起こったかは理解できた。

事の発端は、先ほど二人が殴り合い、ファルグが吹き飛ばされたときだ。
あの時、ファルグは蝙蝠の後頭部に触れた。その時は単なる攻撃の失敗と思っていたが、そうではない。
あれは布石。“空虚な理想デイ ドリーム”のマーキングだ。

そして、その後に投げられたコンクリートの破片。あれには二つの能力が込められていたのだ。
すなわち、マーキング箇所に転送する能力、“空虚な理想デイ ドリーム”。
そして、衝撃が加わると爆発する能力、“非情な現実ブービー トラップ”だ。

それらを込めて破片を投げた後、さらにもう一つ小さなコンクリートの破片を投げる。
先に投げた破片が蝙蝠にぶつかる前に、小さな破片がぶつかるように。
小さな破片がぶつかった瞬間、二つの能力は発動する。
マーキングされた箇所に転送され、即座に爆発する。
正面から来ると思っていた相手の虚を突き、無防備な後頭部に爆発を浴びせることが可能だ。



ファルグは、ふらつきながらユナの方に近づいた。
いくらなんでも、無防備な後頭部にあの爆発を受けたのだ。
無事でいられるはずがない。

安堵のため息をつき、ようやく側についた。
「大事な話がある」
そう告げ、続きを待つユナの顔を見て次の言葉を紡ごうとしたとき――。



「いい一撃だった。並みの能力者なら死んでいただろう」
絶望的な言葉が、その場を支配した。

そう。確実に葬れるはずだった一撃。それを受けたにもかかわらず、平然と立っている蝙蝠の姿がそこにはあった……。



[27521] 14話 約束・3
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/08/11 01:10
なぜ蝙蝠こうもりは後頭部に爆発を受けても平気だったのか?

その理由は、ファルグの能力――“空虚な理想デイ ドリーム”と“非情な現実ブービー トラップ”のタイムラグにある。
この二種類の能力は、同時に使用することを念頭において編み出された能力である。
そして、二つとも衝撃が加わることにより、その能力が発動するのだが、そこには若干の時間差が存在する。
なぜなら、仮に転送する前に爆発した場合、転送時にはその物質が存在しないのだから、転送そのものが不可能だからだ。
よって、蝙蝠に対し使用したような方法が出来なくなってしまう。
あくまで、攻撃対象の近くに転送してから爆発する必要があるのだ。

そのため、この二つの能力を同一物質に込めて衝撃を加えたとしても、先に転送を行なってから爆発を起こすように時間が調節されている。
その差は、時間にして約0.2秒。常人であれば、まず気付かないほどの誤差である。

しかし、陰獣の一角たる蝙蝠の場合は違う。
転送の瞬間に違和感を感じ取った蝙蝠は、即座に自分の背後に転送された、殺意のこもったオーラに気付く。
そして、腕に集めていたオーラを瞬時に後頭部に移動させ、防御を行なったのだ。
この一連の流れに、理性が介在する余地はない。
長年の経験と、それによって培われた勘により、本能的に防御体制を取ったのだ。
さすがに、完全に防げてはおらず、多少のダメージを負ってしまったが、逆に言えばその程度で済んでいる。
これこそが、陰獣たる蝙蝠の実力だ。

そして、この歴然とした実力差。自身の切り札さえ通用しないという事実。
これらは、ファルグの心を折るのに十分すぎるほどだった。




    第14話 約束・3




さも警戒する必要がないと言うかのように、蝙蝠はゆっくりと二人に近づいていった。
その姿に対し、ユナは銃を構えて迎撃体制を取るが、ファルグは青ざめたまま、微動だにしなかった。

「どうした?もう攻撃してこないのか?」
挑発するように蝙蝠が言葉を発するが、全く反応がない。
「ちょっと、どうしたんですか!」
その変化に焦ったユナの声に対しても。

その間にもゆっくりと近づいてくる蝙蝠。じわじわと、いたぶるかのように。
そんな彼を、一発の銃弾が襲う。ユナの放った銃弾だ。
当然のことながら、ダメージは一切ない。念が纏われていない銃弾など、蝙蝠にとって攻撃のうちに入らない。
それでも、ユナは撃ち続けた。先ほどの攻防で、効かないと分かっていてもだ。
少しでも、考える時間を稼ごうとして。

だが、弾が切れてしまったのだろう。カチカチ、と音が鳴るばかりで弾が出ない。
もともと、彼女の銃は携行性を重視したモデルであり、装弾数はさほど多くない。最大で8発ほどだ。
前を注視しながら、左手でジャケットの中を漁り、マガジンを取り出そうとする。
もちろん、その隙に蝙蝠が攻撃してくればひとたまりもないことは分かっている。

しかし。
「弾切れか?待ってやる」
「……随分、余裕があるんですね……」
ユナの考えに反し、蝙蝠が攻撃してくることはなかった。
先ほどファルグと対峙したときもそうだった。
自分の実力に、絶対の自信を持っている。そして、少しでも相手に抵抗の余地を残して、楽しもうとする。
通常であれば、まさしく命取りとなるであろう性質。
もちろん、今この二人がどのような行動を取ろうとも自身に致命傷を与えられないことを見越しての行為だ。

油断というのは、それを突く事のできる相手がいて初めて成立する。
そうでなければ、それはただの余裕というものだ。
そして、二人にとって絶望的なことに、蝙蝠のそれは後者だった。

マガジンを取り替え、スライドを引き薬室に装填を行なう。
この動作の間、蝙蝠は一切動かなかった。そのことに、少し感謝しながらユナは銃を再び蝙蝠に向けた。

「無理だ……」
その横で、ファルグは呟いた。
「あんな化け物……勝てるわけがない……」
その言葉には答えず、無言で一発銃弾を放つ。
そして、蝙蝠を見据えたまま、小声で指示を出した。
「こんなもの、時間稼ぎにしかなりません。勝つのは無理でも、どうにか逃げる方法を考えて下さい」

そして、また一発。
「幸い、相手は余裕を見せています。上手く隙をつければ、逃げることが出来るはず」
「逃げられるわけがない……あんなの……」
「出来ないじゃなくて、やらないと殺されるんですよ!?」
「もう終わりだ……。せめて、楽に殺してくれるように――」
「ふざけるな!!」
ファルグの言葉を遮り、怒鳴りつけた。
こんな状況でなければ、殴っていたところだ。
「あなたは復讐を達成して満足かもしれないけど!!
 私は何一つ成し遂げていないんだ!!」
そう。私は何一つ成し遂げていない。
幼き日の、ママとの誓いを。

一連のやり取りを見ていた蝙蝠は、にやり、という音が出そうな笑みを浮かべた。
「いい、な。お前。実に、いい」
その笑顔に、背筋が凍りつきそうになった。初めて垣間見えた、その邪悪な本性。
「俺はな……何とか生き延びようと、必死に足掻く人間が大好きなんだ。そんな人間を何人も見てきた」
クク、とこぼしながらユナを見据える。
「そしてな、そんな人間がどうにもできず、最後に絶望して死んでいく。その瞬間が、たまらなくいい。
 だから……簡単に折れてくれるなよ?」
「……趣味が悪いってよく言われませんでしたか」
「自覚してるとも」

その醜悪な笑みに嫌悪感を感じ、また一発銃弾を叩き込む。当然、ダメージはない。
「そう。無駄と知りつつも必死に足掻く姿。それがいいんだ」
「黙れ!!」
もう一発。それも弾かれる。
「それに引き換え……お前は何だ?」
蝙蝠の侮蔑するような目が、ファルグを射抜く。
「女が必死に抗っている中、何一つ出来やしない。恥ずかしくないのか?」
蝙蝠の侮蔑の言葉にも、反応はない。

「完全に折れたか……。ならば、女を痛めつければ少しはやる気が出るか?」
そう言うや否や、蝙蝠はユナの左側に瞬時に移動し、そして――



「ぎゃあああああああああ!!」
その左腕を掴んだ。蝙蝠にしてみれば、ちょっと強くつまんだ程度。
しかし、それだけでユナの左腕は、本来であればあり得ない方向に折れ曲がってしまった。
それでもなお。強烈な痛みに叫んだのは一瞬で、すぐに銃を向け反撃をする。

当然、効くはずもない。しかし、蝙蝠は驚きを隠さなかった。
「驚いたな……。ほとんどの人間は、腕が折れたら反撃どころではないが。お前、あの男よりもよっぽど見込みあるぞ」
「う……るさい!!」
「しかし、オーラ量が絶対的に不足している。今俺に出会った不運と、あの男の不甲斐なさを呪うんだな」
そう言うと、今度は先ほどとは違い見せ付けるかのようにゆっくりと、その左手をユナの右腕に向けて伸ばした。

「次は右腕だ」
浴びせられる銃弾にも構わず、ゆっくりとその左手をユナの右腕に近づける。
少しずつ、絶望が近づいてくる。
そして、蝙蝠の左手がユナの右腕を掴もうとした瞬間――



蝙蝠は吹き飛ばされた。気が付いたときには、ファルグがその側にいた。
数瞬の後、ファルグが自分を守るために、蝙蝠を殴ったのだとようやく理解した。
――なんで、いまさら――?

すると、吹き飛ばされて寝転んだままの蝙蝠が、突如笑い始めた。
どこまでも余裕を隠さない笑い声。その傲慢さに腹が立つが、どうにも出来ない。
ゆっくりと蝙蝠は起き上がると、今までにないほどの醜悪な笑顔を浮かべた。
「そう。こうでないとな。ようやくやる気を出したか?」

それに対し、ファルグは右手を開いて、蝙蝠に向けた。
「1分。……いや、30秒でいい。彼女と話をさせて欲しい」
その言葉に、蝙蝠は訝しがる視線を向けたが、やがて頷いた。
「いいだろう。言っておくが、逃げようとしても無駄だぞ?」
「分かってる」

蝙蝠にそう告げると、ユナの方を向きなおし、頭を下げた。
「済まない。……こうなったのは、俺のせいだ」
ポツリと呟かれる、弱々しい言葉。この都市に来るまでは、見ることの無かった姿だ。
「復讐だ何だと言って、結局俺は何一つ果たすことは出来なかった。
 親父の名誉が汚されたからって激昂してたが……何のことはない。俺自身がマフィアに手を染めて名誉を汚しちまったんだ。
 そして、平穏な生活がしたいと言ってお前を巻き込んで……。
 マフィアの追っ手から逃げ切ることすら出来ず、こんな目に合わしちまった。
 恨み言なら、いくらでも聞く」

その今まで聞けなかった本音に、思わずため息を吐きながら返した。
「……よく分かってるじゃないですか」
俯いたまま、ファルグは微動だにしない。

「そこまで分かってるんだったら、責任を取って何とか逃げる方法を考えてください。
 私も一緒に考えますから。……もう時間がありませんよ?」
そう言って蝙蝠の方を向きなおし、改めて右手で銃を握り締める。
折れた左腕はまだ痛む。あまりの痛みに、吐き気すら込み上げてくる。
けれども、ほんのちょっとだけ、痛みが和らいだ気がした。



――だが、その思いはすぐに裏切られる。

「悪いが、それはできないんだよ」
「な!?」
思わぬ言葉に、ユナは振り向きそうになる。……が、ファルグに抱きつかれ、それをすることは出来なかった。
「ちょ……!こんな時に何やってるんですか!?」
だが、ファルグは答えない。代わりに、膨大な量のオーラをユナに注ぎ込んだ。

その通常ではあり得ない行為に疑問を抱いたとき、ようやくファルグがその口を開いた。
「俺の能力……覚えているか?」


一体何を?


そう言おうとした瞬間、ユナの頭をある考えがよぎった。
そう。ファルグの能力は二つある。
一つは、オーラを込めた物質を爆弾にする能力、非情な現実ブービー トラップ”。
そして、もう一つは――。


「やめ――」
続きを言うことは叶わなかった。それより前に、ファルグがユナのことを突き飛ばしたからだ。
その瞬間。あたりを光が包み、景色が瞬時に移り変わっていった。
「悪いな、また約束守れなかった」
そんな声が、聞こえた気がした……。




気が付いたときには、あたりは闇に包まれていた。
街灯の眩しいハイシーシティとは打って変わった暗闇に、目が慣れるまで時間が掛かった。

「ここ……どこ?」
飛ばされた箇所は、これまでいたハイシーシティとはまるで違う。
光がほとんどなく、あたりの状況が分かりにくい。
微かに聞こえる木々のざわめきや水の流れる音から、比較的自然が溢れる場所のようだ。
そして、自分は地面より一段高いところにいるらしい。
そこから飛び降り、後ろを向いて――


「あ……」


言葉を、失った。



――来月も、ここに連れてきてくれますか?

――ああ、約束する



その目に入ったのは、いつか来た公園の、大きな噴水。

――目印だ。今度俺が忘れたら、ここに念でちゃんと移動させてやるよ

そう、あの日に目印をつけた、あの噴水。



「嘘吐き……」
そう呟きながら、ふらふらと噴水の縁に近づいた。

「何でこんなことするのよ……」
そのまま、しゃがみ込んで。

「ずっと嫌な奴のままでいてくれたら!!
 ずっと嫌いになれてたのに!!」
ただ、泣いた。



[27521] 15話 一人
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/09/07 00:27
「大したものだな」
一連の行動を見ていた蝙蝠こうもりは、そう呟いた。
目の前には、人一人を転送して力を使い果たし、立ち上がる体力さえない男が一人。
蝙蝠の言葉は、このような切り札を隠し持っていたことに対する賞賛か。
あるいは、自らの命と引き換えにしてでも女を守った男に対する敬意か。
その真意は、蝙蝠自身にさえ分からない。

ゆっくりと蝙蝠は歩を進めるが、ファルグは座り込んだまま動こうとさえしなかった。
もうそのような体力さえ残っていないのだろう。青ざめた顔がそう物語っていた。

「……最後に、言うことはあるか?」
それは、マフィアとしてはあり得ない慈悲。
最後にこのような質問をしたのも、その敬意ゆえか。

「……は……けて……くれ……」
「何だ?聞き取れん。もう一度言え」
息も絶え絶えに言うファルグの言葉が聞き取れず、蝙蝠は問い直した。
長年の戦友の最期を看取るかのように。

「あいつ……だけは……助けて……くれ……」
あまりにも意外なその言葉に少しの間困惑し、やがて軽いため息を吐いた。
「……いいだろう。俺はお前の妨害に合い、あの女を見失った」

これも、マフィアの処刑人としてはあり得ない言葉。
確かに、蝙蝠はユナの処分については聞かされていなかった。
しかし、自身に逆らったものは捕らえるのが常識だ。
そうであるにも関わらず、このような回答をしたのは目の前の男に対する賞賛ゆえか。
それとも、ユナの能力が無意識のうちに蝙蝠の理性を侵食していたためか。
その答えは、誰にも分からない。

「あ……りが……」
その続きを蝙蝠が聞くことはなかった。
その前に、蝙蝠は翼を下ろし、そしてファルグの頭はその胴体から離れ――




    第15話 一人




「うんーーん!!」目の前の書類を脇に置き、アニッサは大きく背伸びをした。
今日は数少ない診察日だったのだが、相変わらず彼女の診療所は盛況だった。
それだけならまだしも、今まで書類仕事をサボっていたツケが一気に回っていた。
他の人が見たら呆れてため息を吐きそうな量の書類をこなしていたら、いつの間にか深夜になってしまっていたのだ。
時計を見ると、もう日付が変わろうかという時刻である。

大きく深呼吸をし、カップに入っている黒い液体に口をつける。
もちろん、その中身はコーヒーではなく、黒酢である。
一口、含みいれると、口の中に心地よい酸味が広がる。
受け付けない人も多いらしいが、自分にはどうにも理解できない。
自身の味覚が変わっていると言われることも多いのだが、それには声を大にして異議を申し立てたい。
そんなことを思っていると、ふと玄関の方に人の気配を感じた。

耳を澄ませば、ノックの音が聞こえてくる。
こんな時間に訪ねてくる人物の心当たりは、アニッサには全くなかった。
まさか、患者がこんな時間にくるはずがない。
病院ならばともかく、鍼灸師に急患などそうはないだろう。
一応夜中に訪ねてくる人物はいるが、その人物は電話での指図が主だし、訪ねる際には一言あるはずだ。

不思議に思いながら玄関の引き戸を開け、アニッサは驚愕した。
目の前にはまだ若い金髪の女性。その整った顔立ちは前にあった時と比べてやや色あせていた。
疲労がたまっていたのだろう、頬は若干こけ、目にはうっすらと隈が出来ていた。
だが、何よりもアニッサの目を引いたのはその左腕だ。
本来ならば、決して関節が曲がらない方向に、その腕が折れ曲がっていた。

「ユナちゃん!?どうしたの、そのケガ!?」
「ごめんなさい……ここしか……来るとこなくて……。迷惑ならすぐに……」
「そんなこといいから!!早く入って!!」
見覚えのある突然の来訪者に対し、アニッサは珍しく大きな声を上げた。
その普段とは違う態度に、ユナは若干驚いた様子を見せたが、すぐに頷いて奥へと入っていった。




「かわいそうに……折れちゃってるわね、この腕……」
アニッサが骨折箇所を診察するために腕に触ると、ユナは若干顔を引きつらせた。
手早く診察を終えると、アニッサは具現化した鍼をユナの左肩に刺した。
「……治りますか?」
「ちょっと時間がかかるけど、大丈夫大丈夫、一分もあれば治るから」
ようやく普段の口調に戻り、鍼を刺したアニッサに安心したのだろうか、ユナは明らかに安堵の表情を見せた。

「それにしても、どうしたの?このケガ。誰か悪い男にでも襲われた?」
本人としては冗談のつもりだったのだろうが、ユナにしてみれば当たらずとも遠からず、と言ったところである。
若干顔を強張らせて、すぐに何でもないかのように「そんなところですね……」と返した。
「あらあら、ちょっと無神経だったみたいね」
「気にしてませんから」
「嘘吐いちゃだめよー。お姉さんは全部お見通しなんだから」
顔色の優れないユナを見ての言葉だったが、事実、ユナは気にしてはいなかった。
いや、そんな言葉など気にする余裕はなかった、と言ったほうが正しいだろう。

アニッサが自身の表情を伺っているのを察したのか、あるいはそこまで考えが及ばず、ただ焦りによって生じたか。
ユナは首を横に振り、自らの要望を口にした。
「電話を貸してもらえませんか。私の電話、無くなっちゃって」
「いいわよいいわよ。そこの廊下にあるから好きに使って」
案内された電話の受話器を取り、プッシュホンを押す。
プッシュホンを押している最中に、わざわざ用意してくれたのだろう、アニッサが椅子を持ってきたので軽く頭を下げて腰掛けた。
かけた先は、ファルグに取り上げられた自分の携帯電話。

4コール目……5コール目……。何度鳴らしても、誰も出ない。
もう、だめかも知れない。頭を掠める、そんな思い。いや、分かりきったことだった。
それでも、そんな理性を振り払うかのように頭を振り、ただコール音を聞く。

10コール目……11コール目……。まだ、出ない。
早く出てよ……。そんな思いばかりが募る。
だが、無情にも電話のコール音は鳴り響くばかりだった。

コール音が20を越えたあたり。ようやく、電話を取った音が聞こえてきた。
「ファルグさん!?私……」
「お前か……」
聞こえてきた声は、想像していたものとは違うものだった。
ただ、その声は知っている。先ほどまで自分を襲っていた男、蝙蝠こうもりのものだ。

「あなた……」そう言ってから、二の句が継げなかった。
自分の電話に蝙蝠が出ている理由。それが嫌でも分かってしまったからだ。
そして……それを裏付ける言葉が蝙蝠から発せられた。
「あの男は殺した。明日には、見せしめとして死体が公開されるはずだ」
「嘘!!」
「嘘を吐くと思うか?」
そう言われ、押し黙ってしまった。なんと言えばいいのか、分からない。

何も言えないでいると、受話器の向こうからため息交じりの声が聞こえてきた。
「それにしても……お前はバカか?」
「え?」
「せっかく逃げることが出来たのに、電話をかけてきてどうする。
 番号を解析されて場所を突き止められることを考えなかったのか?」
「それは……」
言い訳をしようとするも、何も言うことができない。そもそも、そこまで考えてなどいない。
焦りゆえに突発的に行動したものだ。
そして、そんな状態だからこそ、蝙蝠がわざわざそんなことを言ったことにも疑問を持てない。

「この電話はお前のものか?もう一台、この男が持ってるしな」
不意に訪れた、あまりにも予想外の質問に、思わず「そうです」と答えてしまった。
「せめてもの情けだ。こいつは海に捨ててやる。新しいのを買うんだな」
「ちょ、ちょっと!!」
続きを言う前に電話を切られてしまったのだろう。受話器からは「プーッ、プーッ」という音しか聞こえてこない。
何度も掛けなおしても、電話が繋がらない。それでも掛けなおした。何度も。何度も。けれども……。

「ユナちゃん?今夜はもう遅いし、泊まっていったら?
 シャワー浴びてきなさいな。着替え用意しておくから」
電話が終わったことを察したのだろう、アニッサがのんびりと言いながら近づいてきた。

その声に対し、ユナは「ガチャン!!」と大きな音を立て、受話器を置いた。
「ユ、ユナちゃん?」
「……どうして……そんなに優しくしてくれるんですか……」
自分でも驚くほど冷たい声。こんな声が出せるのかと頭の片隅で驚いていた。

「何を言って――」
「前に一回会っただけなのに、どうしてこんなに優しくしてくれるんですか」


――何を言ってるんだ。ここに来たのは、私のほうなのに


「みんなそう!!初めて会った時には優しくしてくれてた!!」


――けれど、その人たちはもう誰もいない


「でもみんな!!勝手に目の前から消えていった!!」


――分かってる。それは、仕方のないことなんだって


「どうしてなの!?どうして皆いなくなってしまうの!?」


――こんなの……ただの八つ当たりだ


「もう嫌ってくれていいよ!!冷たくしてくれていいよ!!」


――だから……


「だから……ひとりにしないでよぉ……」


気が付いたら、目から涙が溢れていた。
今まで溜め込んでいた思いを、代弁するかのように。

アニッサはゆっくり近づくと、右手をユナの頭に当て、撫でながら屈みこんだ。
「いい、ユナちゃん?人間って、やっぱり本質は一人なの。
 どんなに大切な人でも、いつかは離れていってしまう。それは仕方のないことなの。
 確かにそれは辛いこと。でもね、それを嫌がって自分を殺すほうが、もっと寂しいことだと私は思う」
ゆっくりと、ユナは頷いた。子供のように、泣きじゃくりながら。

「それにね、今まで出会った人たちが全てじゃない。これからまだまだ色んな人たちと出会うのよ。
 その時に、そんなにやけになってたら、それこそ一人ぼっちになっちゃうわよ。
 だから、前を向いて歩きなさい。あなたには、縛るものなんてないでしょう?」
その言葉に、また頷き、ただ泣いた。





ひとしきり泣き続けた後、だいぶ落ち着いた頃を見計らって、アニッサはユナをシャワーへと促した。
ふらついた足取りでシャワールームに向かうユナを見届けた後、着替え用の自分の古着を探しに部屋へと向かう。
そして、その途中で考える。なぜ、自分はあそこまであの子に肩入れするのかと。

初対面で気に入ったのは確かだ。とはいえ、別に同性愛者というわけでもないのだが。
事実、ユナの所属する組が壊滅し、死んだと思ったときにも、「いい友人となれたかも知れないのに惜しかったな」くらいのことしか考えなかった。
だが、実際に会うとどうにも世話を焼いてしまう。随分歳が離れているし、かわいい妹分だという気持ちもある。
しかし、それでは説明できないようなことが多い気がするのだ。そう、これはまるで――。

そこまで考えて、アニッサは首を横に振った。そんな馬鹿なこと、あるものかと。
ちょっと古いが、気に入っているピンクのパジャマを出した。幸い、そこまで身長も体型も変わらない。
ちょっと大きいかもしれないが、まあ気になるほどではないだろう。

「ユナちゃん、着替え洗濯機の上に置いとくわね」
代えの下着とパジャマを置いて、アニッサは脱衣所を後にした。
「そういえば――」
聞こえないように。不意に浮かんだ疑問を呟いた。
「あの子はマフィアの襲撃事件も生き残った。……どうやって?」

そう。アニッサがユナを見て驚いたのは、夜中に突然訪ねてきたからではない。
死んだと思っていた人間が、突然現れたからだ。
しかし、マフィアの襲撃事件は念能力者によるものと聞いている。
そして、ユナがマフィアを壊滅できるレベルの念能力者と相対して、無事に生き残れるものとは思えない。

――自分の知らない何かがあるのかも知れない。

アニッサは改めて自分が出てきた脱衣所を振り返った。これまでユナに見せたことのない、冷徹な蛇のような目で。



[27521] 16話 開始
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/09/14 00:08
ふと、ユナは目を覚ました。自分がいるのは、小さな一室のベッドの上。アニッサに案内された部屋だ。
使ってない部屋だからと、軽く掃除をして案内してもらった。そこまでしてもらい、正直頭が上がらない。
ましてや、あんな失態を見せた後だ。思い出すだけで、どうにも恥ずかしさがこみ上げてしまった。
正直、それ以降のことははっきりとは覚えていない。

時計を見ると、まだ五時前であった。夏とはいえ、まだ日は昇っておらず、部屋の中は暗い。
しかし、どうにも目が冴えて寝付けなかった。

――明日には、見せしめとして死体が公開されるはずだ

蝙蝠こうもりの言葉が脳裏に浮かぶ。
見たくなど無い。けれど、見なければいけない。
そんな自分でもよく分からない気持ちを抱えながら、ユナはゆっくりと階段を下りていった。
一階にパソコンがあったことは確認している。

正直な話、泊めてもらっておいて勝手に他人のパソコンを使うということに後ろめたさがないわけではない。
かといって待ってなどいられないし、まさか寝ているアニッサを起こすわけにもいかないだろう。
そう思った結果、こっそり調べてすぐにパソコンを消すという行動に出たのだった。

部屋の電気をつけ、パソコンを立ち上げる。しばらく待って、ネットが繋げられることを確認しはじめ――



「なあにー?そんなにお姉さんのプライベートが気になるのー?」
「ひあっ!!」
不意に後ろから掛けられた声に驚きの声を上げてしまった。
後ろを振り返るといつの間にいたのか、アニッサがすぐ側まで来ていた。

「ご、ごめんなさい。勝手に使っちゃって。ちょっと、ネットで調べ物したくて……」
「あらあら、朝っぱらからムラムラしちゃって、えっちぃサイトでも見にきたの?」
「違いますって!!」
全力で否定するが、まさか「死体の写真が投稿されているサイトを見にきた」などとは言えない。

続きが言えないでいるユナを見て、アニッサはニヤニヤしながら、
「終わったらちゃんと消しといてねー」と言って二階へ上がっていってしまった。

ああもう、絶対勘違いされてるよ……。
つい頭を抱えてしまったが、気を取り直してパソコンへと向かった。




サイトの検索エンジンに「死体 写真」と打ち込み、出てきたサイトを一つ一つ見ていく。
その中には、思わず目を背けたくなるような写真が多く上がっていた。
それでも、吐き気をこらえながら一つ一つ見ていく。


――ない


やっぱり、あの言葉は嘘だったのだろうか?
頭のどこかで安堵しながら、ふと、目の端についたサイトを開く。
そして、そこに上がっていた写真を見て絶句した。

そこに上がっていたのは、見知った人の首から上の写真。
ある程度傷だらけになっていたものの、それが誰かはユナにはすぐに分かった。

「ファルグさん……」
そこまで言って、それ以上見ていられなくなって、そのままサイトを閉じた。

――ごめんね……さよなら……




    第16話 開始




「ユナちゃん、朝ご飯できたわよ」
アニッサがドアをノックする音でユナは目を覚ました。時刻は八時を回っている。

あの後、逃げ帰るように部屋に戻り、すぐにベッドの中に逃げ込んだ。
とはいえ、ほとんど寝付くことは出来なかった。体は重く、全身汗だくだ。
「……すみません、ちょっと食欲なくって」
嘘ではない。今でも死体の写真が目にこびりついているし、それでなくとも体力的にも精神的にも疲れきっていた。

「ぐすっ……。お姉さんが作ったご飯……いらないの……?」
……だが、扉の向こうの相手には関係なかったようだ。
また嘘泣きかどうかは分からないが、断ったらどうにも面倒なことになりそうだ。
仕方なく、「顔を洗ってから行きます」と伝え、重い体を起こしカーテンを開けた。
透き通るような青空。差し込む日の光が眩しい。
自分の心境をまるで無視したかのような明るい天気に、ユナは若干腹立たしさを覚えた。




顔を洗い終わり、借りたタオルで顔を拭いていると、ふとちくり、と両膝に刺激がきた。
ふとみると、しゃがみこんだアニッサが、後ろから両手を回して鍼を二本、両膝に刺していた。
「な、何やってるんですか」
「そろそろ、刺されるのが気持ちよくなってくる頃かなあって思って」
「なりませんって!!」
あの時の会話は本気だったのだろうか。そんな疑問が頭を掠める。

と、アニッサは刺した鍼を器用に抜いて立ち上がった。
その瞬間、少し体が軽くなったような感覚をユナは覚えた。

「今のは……?」
足三里あしさんりって言ってね、胃腸と足の疲れに効くツボ。
 ユナちゃん、本当にお疲れだったみたいだったから」
その気遣いに感謝すると共に、随分疲れが吹き飛んだことにより改めてユナはアニッサの技術に感嘆した。
もちろん、普通の鍼灸師ではこんなまねは出来ない。(そもそも両手に鍼を持って、立った相手に刺すものではない。)
アニッサの並外れた鍼技術と治癒の念能力。それらの存在によりこのような治療が可能なのだ。




アニッサに連れられてダイニングに着いたユナは絶句した。
その感情は、驚愕が七割、困惑が三割と言ったところか。

所狭しとテーブルに並べられた朝食。それらはどれも空腹を呼び起こすような匂いを出していた。
よく焼けたトースト、ハムとゆで卵が乗せられたサラダ、コンソメのスープ、チキンに焼き魚。
料理が好きなのだろう。盛り付けも凝っており、食べるのがもったいないほどだ。

ここまではいい。問題はその量だ。どう見ても女性二人が食べきれる量ではない。
大の男四人がかりでどうにかなるだろう。それほどの量だ。

「ほらほら、早く食べて食べて」
アニッサに促されて席に着こうとする。ひょっとしたら、彼女なりに自分を元気付けようとしてくれたのかもしれない。
そう思うとちょっとうれしかったが、反面ちょっと勿体無いかな、とも思った。
しかし、次のアニッサの言葉を聞いて、思わず座る途中で固まってしまった。

「とりあえず、家にあるもの全部出したけど、足りないわよねえ」
「……冗談……ですよね?」
「それが冗談じゃないのよ。本当にこれで全部なの。ごめんねえ」
「いや、そっちじゃなくて」

不思議そうに首を傾げるアニッサを見て、どうやら本気で足りないと思っているらしいと悟った。
そういえば、前に来たときも結構な量のお菓子があったが、帰るときには全てなくなっていた。
自分はそこまで食べていない。……つまり、ほとんどアニッサが食べたということだ。

「どうしたの?早く座って座って」
「あ、はい……」これ以上言っても無駄だろう。そう思って腰を下ろす。
一口、スープを含む。ほんのりとした塩味が口の中に広がる。美味しい。
そういえば、人が作った家庭料理を食べるなんて何年ぶりだろう。ふと、そんなことを考えた。




「ユナちゃん、大丈夫?さっきから全然食べてないけど、食欲ない?」
「もうお腹いっぱいですよ……割と本気で」
「じゃあ、これもーらい!」
そう言って、アニッサは最後に残されたチキンを口に運んだ。

一体この体のどこにそんなに入るんだろう。かなり真剣に考え込んだ。
あれほどあった料理も、もう全て空だ。
もちろん、ユナはその四分の一も食べていない。
というか、それ以上は入らない。たとえ、普段どおりの体調であったとしてもだ。
むしろ、大人三人前以上の量を、三十分も立たないうちに食べたアニッサが異常といえる。

ふと、なにやら腕組みをして真剣に考えているアニッサが目に付いた。
「どうかしましたか?」
「まだ食べるものあったかなあって」
割と真剣に悩んでいるアニッサを見て、ユナは胸焼けがしてきた。まだ食べる気なんだ……。

「まあ、いいわ。食後に、お茶でもどう?」
不意に、腕組みを解いてあっけらかんと言うアニッサに、ユナはずっこけそうになった。
自分もマイペースな方だと自覚してはいるが、どうもこの人にはペースを狂わされてしまう。

「お茶くらい淹れますよ。ここまでお世話になりっぱなしだし」
「いいからいいから。お客さんなんだから、座ってて」
そう言うや否や、さっさと立ち上がってポットにお茶を入れ始めた。
言動はのんびりしているが、行動はなかなか早い。……食べるときだけなのかもしれないが。

「それで、これからどうするの?」
お茶を淹れながら、不意に訪ねてきた。
いつもどおりのんびりしている声だが、どことなく真剣味が増している感じがした。
「いつまでもここにいるわけにもいきませんし、昼過ぎには出て行こうかと思ってますけど」
「行くアテはあるの?」
痛いところを突かれ、ユナは黙りこくってしまった。

ユナは根無し草だ。今まで身を寄せていたマフィアは壊滅。
かといって、他のマフィアの世話になる気もないし、実家に戻るという選択肢もなかった。

家を半ば逃げ出す形で飛び出したのが約九年前。母親が生きていれば別だろうが、そうでない今はもう残っていないだろう。
仮にあったとしても、行く気も起こらなかった。

「行くアテがないんだったら、しばらく家にいたら?」
「ありがたいんですけど、ちょっと旅に出ようかと思います。欲しいものがあって」
「お金は?」
「これまでの貯金もあるし、ちょっと短期の仕事をしながら稼ごうかと思ってます」
「若いわねえ。そんなハンターみたいな暮らしで大丈夫?」
「あ……」

「ハンター」という単語で、すっかり忘れていた人物を思い出した。
その人物なら、何かいい情報を持っているかもしれない。
そう思うと、ユナは再び電話を借り、ある人物へ電話をかけた。
陶芸家もかねているあの変わり者のハンターへと。




「――なるほど、君も結構苦労しているのだね。しかし、僕には及ばないかな。
 あれは僕がまだとおにも満たない頃の話なんだが――」
「いや、そういう話はいいですから」
「そうかい?参考になると思うがね」
ユナにばっさりと切り捨てられ、サンベエはやや不満な様子を口調に滲ませながらも話を止めた。
以前に彼が踏みつけられているビデオを手に入れたためか、ユナは異常なまでにサンベエに対して強気である。

「そういえば、ゼパイルさんは元気ですか?」
「知らんよ。ちょっと前に出て行ったからね」
「え!?あの人マフィアに目をつけられているって言いましたよね?出て行ったってどういうことですか!?」
「落ち着きたまえ。彼は骨董品の収集や鑑定に興味があったみたいだからね。知り合いの骨董ハンターに預けたのだ。
 彼は信頼の置ける人物だ。……少しばかり、変わってはいるがね」

あんたが「変わっている」って言うなんて、どんなんだよ。
喉元まで出掛かった言葉を何とか飲み込み、「事前に言って下さい」と伝えた。
なんとなく、ゼパイルに対して悪いことをしてしまったような気がしたが、どうしようもないことも事実である。

「それで、さっき話していた仕事の件なのだが……マフィア時代のつてでは駄目なのかな」
「あれはマフィアの後ろ盾によるものが大きいですし、あんまりそっち方面の仕事だと目をつけられるかもしれないし」
昨日、陰獣の恐ろしさを肌で体験したばかりだ。あまり関わり合いたくはなかった。

「ふむ……」と、受話器の向こうから唸るような声が聞こえた。
さすがにハンターとはいえ、自分の専門外のことは分からないか。
そう諦めかけていたころ、サンベエが意外な言葉を発してきた。
「そういえば、ロスチャルハン氏は知っているかな?」
「あの富豪の?絵画のコレクターとしても有名で、結構な数を集めていると聞いてますが」
「うむ、その人だ。氏はプロアマ問わず常にハンターを募集していてね、自分の望む絵を探させるらしい。
 そういう関係の仕事を探しているのならば、氏にコンタクトを取ってみてはいかがだろうか」
噂には聞いていたか、ユナにとってこれは盲点だった。
礼を言って電話を切り、すぐにコンタクトを取った。





「で、上手く行ったのかしら」
ここまでの話をユナから聞き、アニッサは優雅にカップを口元へと運んだ。
当然、その中に入っている飲み物は黒酢である。
「はい。三日後に、面接をしたいって言ってました。あと、パーティーに参加してもらうからそのつもりで、と」
正直、意図が良く分からないが、ユナとしては頷かざるを得なかった。
「あらあら、じゃあドレス買いに行かないといけないわねえ」
そう言ってアニッサが立ち上がったかと思うと、ユナの頭に何かが当たった感触があった。
「ユナちゃん?なあに、それ?」
アニッサが頭に向かって指差しているのを見て、ユナは自分の頭に手を当てた。そして――
「え……」





「ああ、だりぃ」
男は、思わず呟いていた。彼の仕事は、遺失物の整理だ。
どんなものがあるかを記録し、片付け、たまに掃除を行なう。
これほど、退屈な仕事はない。男はそう思っていた。
窓際族という言葉があるが、男の立場はそれとさほど変わりない。
その事実が余計にそう思わせていた。

ふと、男の目に珊瑚のブレスレットが映った。
今でも思い出す。黒焦げになった腕になぜか無傷で巻きついていた、気持ちの悪いものだ。
さすがに腕は処分されたが、このブレスレットは遺失物扱いということで警察に預けられたのだ。

「ったくよお、死体の腕に巻きつけられたものなんか、誰も取りに来やしねえっての」
そう言いながら、ブレスレットの糸の端を掴む。
死体についていた、というと常人にとっては気持ち悪いはずだが、男は死体を見慣れているのでさほど気にならない。

「おっと」ついうっかり、手を離してしまった。
拾おうとそれを目で追っていた男は、次の瞬間に腰を抜かしてしまった。

「消え……た……?」
夢だろうか。そう思い、男は頬を抓ってみるが痛みはある。
そういえば、これって死体についていたんだよな……。

「うわあああああああああああああ!!」
男は勢いよく飛び出した。その場から逃げ出すように。


余談だが、男の叫び声を偶然聞いた彼の同僚がその場に駆けつけた。
男は彼にブレスレットが消えたと主張したが、そんなことが信じられるはずもない。
ブレスレットが紛失したという事実だけが残り、男は盗難の疑いで解雇されてしまった。





ユナの手に、珊瑚のブレスレットが触れた。
なぜ、これがここにあるのか。答えはでてこない。

事実、この出来事は常識では起こりえないものだった。。
ファルグが腕に念を込めたとき、同時にブレスレットにも転送の念が込められていた。
そして、腕を落としたときにブレスレットは偶然床にぶつからず、転送の念が残ったままになっていた。
マーキングは一回だけ有効なため、転送先は消えていたが、ユナの頭につけられたマーキングとなぜかリンクした。
そのため、警察官が落として衝撃を与えた際に、ユナの頭のマーキング先に転送された。
……強引に理屈で説明すればこうだ。それが起こりうるかはともかく。

「どうしたの、それ」不思議そうに尋ねるアニッサに、答えることはできなかった。
「……がんばれ……ってさ」そう言いながら、俯いた。


死者の念というものがある。念というのは死んでも消えるとは限らない。
逆に、死人の想いがより強力な念となり、現実世界に干渉することがある。
これも、その死者の念によるものなのか。その答えは誰にも分からない。

そして、ユナはこの死者の念の存在を知らない。それでも――。
「私、がんばります。これに誓って」
そう言い、笑って見せた。

ここから、ユナの長いアマチュアハンターとしての生活が始まる。



[27521] 17話 試験
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/09/21 01:32
「会場に到着いたしました。どうぞ、こちらへ」
リムジンの扉を開けて外に案内する運転手に従い、ユナは車から降りた。
そして、目に入ってきた建物を見て、思わずポカンと口を開けてしまった。

顔を真上に上げても全貌が把握できないその高い建物は、前面がガラス張りであった。
ガラスから透けて見えるロビーには噴水が設置されており、その側には凝った彫像が並んでいる。
そして、そのロビーの天井にはこれまた凝ったシャンデリアがいくつも並んでいた。

ホテル・ベイローグ。世界的にも有名な、高級ホテルだ。
ユナも話には聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
その外観に、ユナは完全に圧倒されていた。
アニッサに会場の話をしたときに、ものすごく羨ましがられたが、今ならその気持ちも分かる。
カメラ持って来ればよかった。そんな、どうにも場違いな後悔をしてしまった。

「どうかなさいましたか?」
ふと声を掛けられて見てみると、目の前に運転手とは別の、老年の男性が立っていた。
パリッと糊の利いたタキシードを着こなし、直立しているその姿勢は、柔和な物腰とは裏腹に生真面目な性格を窺わせる。

「あ、いえ、なんでもないです」
慌ててユナは弁明した。さすがに、ホテルに圧倒されていたとは言えない。
育ちのせいか、どうもユナは貧乏性だ。高級ホテルに入るという事実だけで、緊張に拍車が掛かってしまった。
だが、幸いと言うべきか、相手は特に気にせずに「そうですか」とだけ返してきた。



「こちらが、会場へ向かうエレベーターでございます。最上階まで直通ですのでご了承を」
男性の案内に従い、エレベーターまで歩を進めようとしたが、壁にかけてある絵を見てユナは止まった。

「これ……」
「はい。シュプレー画伯の『満月と女』でございます」
「どうしてこの絵がここに?」
「ロスチャルハン様が、このホテルでパーティーを行なう記念に寄贈されたものでございます。
 条件として、今日一日この位置に飾るようにご指示なされました」
シュプレーは現代アートの中堅層といってもいい画家だ。
中堅とはいえ、それなりに評価は高く、この絵も1000万Jはするだろう。

確かにいい絵ではあるのだが、しかしユナはどうにも腑に落ちなかった。
コレクターと言うのは概して目立ちたがりだ。
そのような人物が寄贈するのであれば、もう少し有名な画家の絵にするのではないか。
そして、目立つところに飾らせ、さも自らの功績のようにするものではないだろうか。

「ユナ様、そろそろ会場のほうへお願いいたします」
「あ、はい」
そんな疑問は、案内人の声によってかき消されることとなった。
エレベーターに乗る直前、ユナはもう一度その絵を一瞥し、その真意を探ろうとした。




    第17話 試験




最上階へ一直線に向かうエレベーターに乗り、ユナたちは会場へ向かった。
ガラス張りのエレベーターからは外の景色が良く見える。
遠くまで埋め尽くされたビル群を、さらに高い位置から見下ろすのはなかなかに爽快だ。
そうしているうちに、目的地である150階に到着した。
外に見える景色は圧巻である。さすが、世界第八位の高さを誇る建物。
人の姿が確認できないほどの高さだ。

「会場はこちらでございます」案内人に従い、ユナは歩を進めた。
150階の大展望台兼高級レストラン。その全てを今日借り切っているらしい。
改めて、ユナはロスチャルハンの財力を思い知った。

会場に着いたユナは、その光景に圧倒された。
広大な会場に多くの人々。テーブルには高級そうな料理が並んでいる。
壁は全面ガラス張りで、夜景が遠くまで見渡せる。
さらに、壁沿いに多くの絵が天井から吊るされていた。
ドナ、ノワール、ルーベック等々、どれも有名な画家の絵だ。

「間もなくロスチャルハン様のご挨拶が行なわれます。
 ご記帳がまだの方はよろしくお願いいたします」
呆気に取られていたユナだったが、係員の声で我を取り戻し、記帳を済ませた。




「皆様、本日はよくぞお集まりいただいた。いつもなら私の邸宅で行なう月例会だが、本日は趣向を変えてみた。
 皆様を呼ぶに恥ずかしくない会場を選んだつもりだが、いかがだろうか。忌憚のないご意見をお聞かせいただきたい」
壇上で、一人の老年の男性が挨拶をした。老年とはいえ、まだ背筋がしっかりとしており若々しい。
おそらく、この男が現ロスチャルハン家当主なのだろう。
そんなことを考えていると、ロスチャルハンと目が合った。
その目は、小さな男の子が何かいたずらを目だ。ものすごく嫌な予感がしたが、どうにもならなかった。

「また、本日はゲストにお越しいただいた。『美術界の魔女の再来』絵画アートハンター、ユナ=パーリッシュだ」
ロスチャルハンの紹介と共に、周囲の目が一斉にユナに集まった。
どうしたらいいか分からず、とりあえず立ち上がって「ユ、ユナ=パーリッシュと申します。よろしくお願いいたします」
と、当たり障りのないことを言っておいた。

はっきり言って、周囲の目が痛い。ぼそぼそと会話が聞こえる。
それはそうだろう、いきなりこんな部外者が上流階級の集まりに現れたら不自然だ。
ユナは非常に居心地の悪さを感じたが、かといって帰ることもできない。

その様子を見かねたのだろうか、ロスチャルハンは助け舟を出した。
「ん?皆様、いかがなされた?この麗しきハンターに盛大なる拍手をお願いしたい」
そう言うと、ロスチャルハンは手を叩き始めた。つられ、ぽつぽつと拍手の音が上がる。
とはいえ、その音はまばらで、「やっぱり歓迎されてないよなあ」とユナに思わせるには十分だった。
大体、なんだ、「美術界の魔女の再来」って。そんな二つ名、聞いたことないぞ。
そんな彼女の不満はロスチャルハンには届かなかった。




挨拶の後は、歓談の時間に入った。
ユナはなるべく早くロスチャルハンに話しかけたかったが、なかなか上手くいかなかった。
当然のことだが、ロスチャルハンに挨拶する人は多い。その上、なかなか話が終わらない。
そのため、なかなか話しかけるタイミングがない。

さらに誤算だったのは、意外にもユナに話しかける人が多かったことだ。
本来であればコネクションを作れるという意味でも歓迎するべきなのだろうが、どうにも実のある話になりそうなのは少なかった。

話しかけられた内容の一例を挙げると
「私の次男、まだ独身なのよ。どう、あなた。一度会ってみる気にならない?」
絵画アートハンターなんだって?一度僕の家に来てはどうかな?
 僕の素敵なコレクションをお見せするよ」
「ブ、ブヒ、かわいいなあ。う、家にこないかなあ。か、可愛がってあげるんだなあ」
「なあ……スケベしようや……」
等々。

それらの言葉を、笑顔と当たり障りのない会話でかわし、かつ今後のためにと一応連絡先を取得しておく。
売春婦時代、そしてマフィア時代に身に着けた技術が、こんなところで役に立つとは思わなかった。

結局、ユナがロスチャルハンに話しかけることが出来たのは、挨拶が終わってから実に一時間が経った頃だった。
挨拶の列が一旦途切れた頃を見計らい、ユナはロスチャルハンに話しかけた。
「ロスチャルハン様。改めまして、ユナ=パーリッシュでございます。よろしくお願いいたします」
「おお、ミス・パーリッシュ。いかがだろうか。お楽しみいただけているかな?」
本音を言うと、こんな集まりなど大して面白くもないのだが、無難に「もちろんです」と返した。
この辺り、社交上手と言えばその通りなのだが、悪く言えば八方美人な性格が現れている。

「ところで、ご依頼の件についてなのですが――」
「ああ、ひとまずは食事と歓談を楽しんでくれたまえ。仕事の話は、その後でよかろう」
本当は、さっさとこんなパーティー切り上げたいが、依頼主にこう言われてしまっては引き下がる他ない。
一通り雑談をした後、ユナはロスチャルハンの元を離れた。

「……もっとも、この会場で試験はさせてもらうがね」
去り際にロスチャルハンが呟いたこの一言は、ユナの耳には届かなかった。




歓談も一区切りが付き、そろそろお開きかと思われる頃に、ロスチャルハンが再び壇上に立った。
「さて、皆様、お楽しみいただけているだろうか。ここで、皆様に一つクイズを出題させていただく。
 それに正解すれば、今後の取引関係について少し考えてもよろしい」
ロスチャルハンの言葉に、会場がどよめきだした。
それを見渡したロスチャルハンは満足そうに頷くと、再び口を開いた。
「クイズは簡単だ。この建物で一番値段が高い私の絵はどれか。それを一点挙げて欲しい」
ロスチャルハンがそう言い終わるか終わらないかの内に、多くの人が我先にと手を上げ、言葉を発した。

「ドナの『踊り子』だ!」
「ミュリーの『落ち葉拾い』に違いないわ!」
「ダビチの『マリア』だな。僕の鑑定眼が誤っているはずないよ」

その勢いを、ユナは呆然と見ていた。上流階級の人たちがこのような振る舞いをするほどに、ロスチャルハンとの関係は大事なのだろうか。
あるいは、上流階級ほど金のためには意地をも捨てるのかもしれない。

ひとしきり発言が終わった頃、秘書に一通り記録をさせたロスチャルハンはそれを見て頷いた。
そして、顔を上げ、再びマイクを手にして口を開いた。
「皆様のご回答はお聞きした。さて、正解の発表の前に……ミス・パーリッシュ。君のご意見をお聞かせ願えるかな」
その言葉と共に、再び会場中の視線がユナに集まる。どうにも、この雰囲気には慣れなかった。
「君には仕事を依頼しているが、これはその力量を見るものだ。
 外れたからすぐに解約と言うわけではないが、その分料金が安くなることは覚悟してくれたまえ」

なるほど、とユナは一口ワインを口に含んでから尋ねた。
「二つほど、お伺いしても?」
「何かな?」
「まず一つ。『この建物で一番高い絵』とは私達が見ることの出来る場所にある絵なのですか?」
「もちろんだとも。どこかに隠しておいて、『これが一番高い絵だ』などというつもりはない。
 君はもちろん、会場の皆様も一度は目にしたことがあるはずだ」
「分かりました。……二つ目ですが、五分ほど見て回るお時間を頂いても?」
「そんなことかね。五分と言わず、好きなだけ見て回りたまえ」
「かしこまりました」と答え、ユナはゆっくりと立ち上がり会場を歩き始めた。
その足取りは若干おぼつかない。
せっかく料理があるのに、途切れなく話しかけられたせいで、ユナはそれらをほとんど口にすることはできなかった。
その割りにワインは手元にあるため、ついつい飲んでしまった。そのため、若干酔っているのだ。
この辺りが、彼女の若さというか、甘さが出ている点である。




壁際に沿いながら、絵を見て回っていたユナだが、ふとある絵の前で立ち止まった。
ミュリーの「落ち葉拾い」の絵だ。

「これ……」思わず手を伸ばしそうになったが、どうにか抑えた。
今はそんなことをしている場合ではないからだ。
しかし、思いのほか早く見つかったことに、彼女は安堵の笑みを見せた。




一通り絵を見て回り、ユナは元いた席に着いた。
「さて、ミス・パーリッシュ。どの絵が一番値段が高いか、お聞かせ願えるかな」
ロスチャルハンの言葉と共に、周囲の目がユナに集まる。
その目に込められているのは、好奇心と、少しの期待。
正解を出すことへの期待ではない。もとより、自分達の鑑定眼を信じて止まない人物の集まりだ。
要は、彼女がどのような過ちを犯して恥を掻くかを楽しみにしているのである。

そのような周囲の目を物ともせず、ユナはワインを口に運んだ。
酔っているせいか、若干その態度からは緊張が消えていた。
「それではお答えいたします。この建物で一番高い絵は……一階にあった、シュプレーの『満月と女』ですね」
ユナのその言葉に、会場はどよめき始めた。
何を言ってるんだ。そんなわけないじゃないか。あんな画家より有名な絵などたくさんあるだろう。
そんな声が聞こえてきたが、ユナは気にする様子はない。

あごの髭をいじっていたロスチャルハンは、「理由をお聞かせ願えるかな」と尋ねてきた。
それに対し、ユナは頷くとワインを一口含み、口を開いた。
「まず、このフロアに飾ってある絵ですが、皆様もおっしゃるとおり、どれも高名な素晴らしい絵です。
 それこそ、シュプレーの絵など比較にならないほど高価なものばかりです」
そのユナの答えに、どよめきは更に大きくなった。
一体この女は何を言っているんだ。先ほどの自分の答えを否定するつもりか。
ユナは、そんな会場を見渡すと、再びロスチャルハンに視線を合わせた。
その表情が幾分楽しげなのは気のせいだろうか。

「確かにどれも高価な絵です。……ただし、それは本物だったら、の話です」
その言葉に、会場は水を打ったように静まり返った。気にせず、ユナは続ける。
「この会場に飾ってある絵は、どれも複製画レプリカですよね。
 絵に関しては良くできていますが、細かい造詣は真似しきれてないし、サインがないものも見受けられます。
 絵の具やキャンバスにしても、時代が合わないものが多いですしね」
いつの間にか、会場全体がユナの言葉に聞き耳を立てていた。
それを満足げに見渡し、ユナはもう一度ワインを口につけた。もう、グラスの中は空だ。

「加えて、出題そのものにもヒントはありました。あなたは、『この建物の中で』一番高い絵を当てろと仰っいました。
 『この会場で』ではなくてね。つまり、もともと引っ掛け問題だったわけです。
 『ロスチャルハン様が自慢するほどの高い絵は、この会場のどこかにあるはずだ』と思わせていたわけですね」

「これでいいですか」と告げてから、ユナは周りを見渡した。
周囲は、呆気に取られた表情をしている。
やばい。調子に乗りすぎたか。せっかくいいコネを作ったと思ったのに、悪印象を与えては逆効果だ。
今更ながらユナは焦り始めたが、しかしもう言ってしまったものはしょうがない。

と、パチパチと手を叩く音が聞こえた。見ると、壇上のロスチャルハンが手を叩いていた。
「素晴らしい!完璧パーフェクトだよ、ミス・パーリッシュ!
 皆様、いかがなされた?この美しき名鑑定士に盛大なる拍手を!!」
ロスチャルハンの言葉が終わると、ぽつぽつと拍手が起こり、すぐに大きな音となった。
誉められて悪い気はしないのだが、反面どうにもわざとらしいロスチャルハンの態度にユナは若干うんざりしていた。

そもそも、並みの画商ならばともかくユナにとっては、例えほろ酔い状態だろうとこの程度のことは「出来て当然」のことだ。
そのようなことでここまで賞賛を浴びると、どうにも申し訳ない気持ちになっていた。




「いやいや、素晴らしかったよ、ミス・パーリッシュ」
「お褒め頂けて、光栄です」
パーティーが終わり、ホテルのスイートルームでユナはロスチャルハンと面談をしていた。

「では、早速依頼の話に入ろうか。詳しいことは契約書をご覧頂くとして、概要を説明しよう。
 私は先日、スザンヌの自画像を8億Jで購入した。が、それが輸送の途中で何者かに強奪されたらしいのだ」
「それを取り返して欲しい、と」
「その通りだ。消息を絶ったのはザバン市周辺。ゆえに、その近辺の情報収集から開始していただきたい」
「期限は」
「本音を言えばなるべく早く手元に置きたいが、いくら時間をかけてもらっても構わんよ。
 何しろ、なかなか手がかりがないからね。確実に手に入れることを優先してくれたまえ」
「かしこまりました」
「それと、報酬だが……元々、前金で50万、成功報酬として100万ほどと考えていた」
正直、ユナはハンターとしての相場がどのくらいなのかが良く分からなかった。
マフィア時代の手取りが20万ちょっと。経費を考えればこんなものだろうかと考えていた。
「しかし、先ほどのこともあるしね。そちらの言い値を聞こう」

ロスチャルハンの言葉に、ユナは内心でガッツポーズをした。それを表に出さないように苦労したくらいだ。
どうにか冷静な様子を取り繕い、答えた。
「報酬は先ほどお聞きした価格で構いません。ただ、一つお願いがありまして」
「何かね?」
「あの会場に飾ってあった、ミュリーの『落ち葉拾い』。あれを私に譲っていただけませんか?」
「あれは複製画レプリカだと、君自身が言い当てたろう?」
「価値を気にしてのことではありません。あの構図がどうにも気に入りまして」
「……まあ、よかろう。本物は私が所有しているしな。しかし、本当にそんなものでいいのかね?」
「私にとってはこれ以上ない報酬です」
「では、契約成立だ。サインをしてくれたまえ」
ユナは喜びながら、サインをした。求めていたものが、こんなに早く見つかったからだ。
この先に待っている苦難を知ることなく。




「本当に、よろしかったのですか?」
ユナが部屋を去ってから、秘書がロスチャルハンに尋ねた。
それを受け、あごの髭をいじりながら「何がかな?」と返した。何が言いたいが分かっているにも関わらず。
「あのような、実績のないヒヨッコに任せてしまって。あの絵はとても欲しがっていたではありませんか。
 もう少し、名の知れたハンターにご依頼されたほうが――」
「君は何もわかってないな」

そう言って葉巻に火を付けたロスチャルハンに対し、秘書は「申し訳ございません」と頭を下げた。
「いいかね。今のザバン市はなかなか複雑な状況だ。
 そこに有名なハンターを送ったら、私が介入しようとしていると受け取られる。
 その点、売り出し始めた彼女ならばそのような心配はだいぶ薄れる」
「ですが、絵が手に入らないのでは元も子もないのではありませんか」
「いつ手に入るか期待しながら、じっと待つのもなかなかオツなもんだよ」

まだ良く分からない、と言う表情をしている秘書に対し、「それに、だ」と葉巻の煙を吐きながらロスチャルハンは続けた。
「楽しみじゃないかね?あの解体屋バラシやにあの美少女がどう嬲りなぶり殺されるか。
……あるいは、どうやって生き延びるのか、ね」



[27521] 18話 解体屋・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/09/24 01:46
夜の帳が落ち始め、家の明かりが徐々につき始めてきた。
人々は家に帰り、街は静寂に包まれつつあった。。

と、一つの悲鳴が上がり、夜の静寂を切り裂いた。
悲鳴の主は中年の女性。あまりの恐怖と痛みに、地面を転げまわっていた。
その顔は、涙と鼻水で汚れ、恐怖で歪み、見るも無残なものだ。
だが、驚かされるのはその女性の右腕だ。二の腕の一部の肉が削ぎ落とされ、骨が覗いていた。
溢れる血を左腕で抑えながら、女性は目の前に立っている巨体の男を見る。

その男は、非常に大柄で筋肉質な体つきをしていた。その体どおり、筋力……それも握力が人間離れしていた。
何しろ、素手で女性の腕を掴んだかと思うと、その肉を毟り取ってしまったのだから。
その右手には、さっきまで自分の一部だった肉片が握られている。

――解体屋バラシや

女の脳裏に、その単語が浮かんだ。
一年ほど前からザバン市を騒がせている、大量殺人鬼。
殺した人数は、既に三桁に上っていたか。素手で人体をバラバラにして殺しているという、殺人狂。
誰が名づけたか、いつの間にかその名は定着し、ニュースでも良く聞く名となっていた。
その名は、この街の恐怖の対象となっていた。女性にとっても、例外ではない。
しかし、それはあくまでテレビの向こうで「怖いわねー」と言う程度のものだ。まさか、自分がこんな目に遭うとは思わなかった。

――どうして私が!?

女性に浮かぶのはそんな疑問。いや、理不尽な現実に対する憤りと言ってよい。
しかし、目の前の男にはそんなことは関係ない。
手に持っていた肉片を捨てると、次の作業に入ろうと近づいてきた。

――今日は、あのの誕生日なのに……

今夜は、娘の好きなシチューを用意するつもりだった。
が、そこで牛乳をうっかり切らしてしまっていたことに気付いたのだった。

夜一人で出歩くことは危険だと理解してはいたが、短時間の買い物なら大丈夫だろうと判断した。
何より、娘の喜ぶ顔が見れないのが嫌だった。
……それが、彼女の大きな過ちだったと、そして不運だったと知ることなく。

いつも通りの帰り道を、いつも通りでなくした不運な邂逅。
すれ違いざまにいきなり腕を掴まれ、肉をちぎられた。
そして、直感的に悟ってしまった。自分はここで死ぬかもしれないと。この時ほど、神様を恨んだ時はない。

そこまで考えている間に、男は近づいてくる。

――嫌だ、まだ死にたくない。まだ、あのがいるというのに……

這うように、女性は逃げ出した。少しでも、生き永らえるように。
だが、男の前では無駄だった。
男は、そんな彼女の思いを踏みにじるかのように背中を踏みつけ、希望を砕くかのように、腕をちぎり始めた。




    第18話 解体屋バラシや・1




憂鬱な面持ちで、ユナは酒場を出た。そろそろ、日も落ちる頃だ。
今日ザバン市に着いたユナは、早速聞き込みを始めた。
しかし、もともと探偵のような聞き込みなどやったことがないため、話を聞くこと自体上手くいかなかった。

酒場でも情報を仕入れようとしたが、言い寄ってくる男ばかりで有益な情報は得られなかった。
その事実が、彼女の表情を暗くした。

とりあえず、日が完全に落ちる前に宿を取らないと。
ユナは、ホテル街へと、足早に歩き出した。
今、この街は非常に物騒だ。その理由は大きく三つ。

一つは、現在この街を騒がせている殺人鬼――解体屋バラシやの存在である。
人間を素手でバラバラにするという、常軌を逸した殺人狂。昨日も、一人殺されたらしい。

二つ目は、この街の不良少年達によって結成されているグループ「虎の牙」。
こちらは、殺人はほとんどないらしいが、金品を強奪することが多いらしい。
もともとストリートチルドレンの集まりなのだろうか。市での評判も良くなかった。

そして三つ目。A級首として名高い盗賊、幻影旅団。
その一人がこの街に潜伏しているらしい。
噂では、解体屋バラシやとは旅団員の一人なんだとか。
ただ、こちらについてはどこまでも噂であるため、ユナには今一確証が持てなかった。

これらのことが重なっているため、住民は皆、非常に神経質だった。
話を聞くこと自体、なかなか難しい。よそ者に対する視線が厳しいと言うべきか。
それでも多少なりとも噂を聞きだせたのは、彼女の能力、“偽りの愛情ホワイト ライ”のためだ。
この時ほど、ユナはこの能力を発現させた自分を誉めたことはない。




もうすぐホテル街に着くというころ、ふと前の方にニ、三人ほどの人影を見た。
いずれも、ガラの悪い男性だ。まだ若く見える。
いずれも、ユナと同じくらいか、それより下だろう。
特に、一人は明らかに体格が小さく、顔つきも幼かった。十歳前後だろうか。
しかしながら、発する雰囲気は子供のそれではない。

「姉ちゃん、一人でこんなところ歩いてちゃ危ねーぜ」
「俺らこの街に詳しいからよ。案内してやろーか」
言葉とは裏腹に、幾分脅迫めいた響きだった。
とはいえ、マフィアにかつて所属し、陰獣に殺されかけた経験のあるユナにとっては可愛いものだ。

面倒だし、ちょっと脅して追い払おうか。
そう思い、銃を取り出そうとジャケットに右手を突っ込んだときだった。
「あんたたち!!何やってんだい!!」
突如女性の叫び声が聞こえてきた。

「やべ、ヨソノだ!!」
「逃げろ!!」
少年達はそう言うと、一斉に横道に逃げ出した。
前からは、恰幅のいい女性が走ってくるのが見えた。
歳の頃は四十過ぎくらいだろうか。でっぷりとしているが肌つやは良く、案外もう少し若いのかもしれない。

その女は、ユナの前に来ると、息を切らしながら「あんたケガはないかい?」と尋ねてきた。
「大丈夫です」そう答えるや否や、頭を小突かれた。
「痛っ」
「全く、若い女がこんな街を一人で歩くんじゃないよ。今物騒なんだから。
 大体、何だい、その服装は。肌を見せすぎだよ」
「大丈夫ですよ、こういう街は慣れて――」
「口答えしないっ!!」
「は、はい!!」
ユナの言うことは全くその通りなのだが、勢いに押されてしまった。
とても逆らえる気がしなかった。歳を重ねた女は強い。

「全く、洗濯物を取り込もうとしたらこんなことになってるんだからね。
 あんた、この街の人間じゃないんだろ?
 『虎の牙』を知っててこんなところ一人で歩く女は、アタシくらいしかいないからね」
「あれが『虎の牙』……」
想像していたより、ずっと若い連中だった。というよりも、まだ子供だ。
ストリートチルドレンというのもあながちデマではなさそうだ。

「おや、知ってたのかい。まあ、アタシから見ればまだ子猫さね。
 悪さはするけど、可愛いもんだ。本当に危ないのはあんなのじゃないからね」
解体屋バラシやですか」
「そっちも知ってるんだったら、夜に一人で出歩くんじゃないよ。昨日も一人、られたからね」
「ありがとうございます。そろそろ――」
「ああ、日も落ちてきたしね。あんた、どこに泊まってるんだい?」
「まだ、これからです。昼間は忙しかったので」
「まだ部屋を取ってないのかい?呆れた」

ため息をつく女性に対し、ユナは若干ムッとしたが、表には出さなかった。
と、女性がぽんと手を叩いた。
「あんた、うちに来ないかい?うちも宿屋をやってるんでね。そんな上等な部屋じゃないけどさ。
 どうせ他に客なんていなし、安くしとくよ」
少し考え、ユナは頷いた。どの道、探さなければいけないのならばこの誘いは渡りに船だ。
少しでも経費を浮かせたいし、目の前の女性がそう悪い人物にも見えなかった。

「決まりだね。アタシはヨソノ。あんたは?」
「ユナです」
「いい名前だね。じゃ、行こうか」
名付け親である母親を誉められたような気がして、ほんの少しばかり喜んだ。
そんなユナの想いを知ってか知らずか、ヨソノは歩き始めた。





「これで、お荷物は全部ですかね」
丸顔の男性が、壮年の髭を生やした男性に向かって話しかけた。
「そうですね。ありがとうございます」
「いえいえ。引越しの準備、大変だったでしょう。お疲れ様でした」
丸顔の男性が言ったとおり、壮年の男性は、ここザバン市に引っ越してきたばかりだった。
彼の他に、妻と、子供が二人。小さい子は、壮年の男性の足に引っ付いて、隠れている。
丸顔の男は引越し業者で、もう一人同僚と一緒に荷物を運び終えたばかりだ。

丸顔の男性は、ため息をついてぼやいた。
「本当にねえ。この街は、ちょっと前まで本当にいい街だったんですよ。シュローさんも、住んでみればわかります。
 ……本当に、あんな奴さえいなければねえ」
解体屋バラシやですか」
「ええ。……と、早く帰らないと怒鳴られちまいますわ。では、失礼します」
「ええ、本日はありがとうございました。ミリア、バイバイは?」
そう言われると、足に引っ付いていた子供は、遠慮がちに手を振った。
丸顔の男は、笑顔で「バイバイ」と言いながら手を振り、トラックに向かった。
その後を、彼の隣に無言でいた、筋肉質の髭の大男がついていった。



「ったくよお、ジョネス。おめえは愛想がわりいんだよ」
トラックが走り出し、運転している丸顔の男が助手席の男に話しかけた。
ジョネス、と呼ばれた筋肉質の男は「興味がない」とだけ返し、寝入ってしまった。

思わず、ため息をついてしまう。この男は、本当に何を考えているか分からない。
引越し業者と言うのは人付き合いが下手な人間もよくいるが、中でもジョネスは群を抜いていた。
何にも興味を示さず、淡々と仕事をこなすのみ。
サボるわけではないが、どうにも人付き合いが悪い。いつかお客さんに文句を言われないか心配だ。

そんなことを考えている男は気付かない。
彼は、実は今ひどく喜んでいるのだと。
昨日久しぶりに人の肉を抉った感触を味わった。
今は、その余韻に浸っていて、それを邪魔されたくないのだ。

そして男は気付かない。
助手席の男こそが、先ほど自分が話した殺人鬼――解体屋バラシやなのだと。




「ペンソー!!遅えぞ!!」
ペンソーと呼ばれた、体格の小さな少年は息を切らしながら、買い物袋を持ってきた。
「す、すみません……」
その謝罪に応えるものはいなかった。皆、苛立ちを隠そうとしない。
少年達の中で、一番体格のいいものがペンソーから袋を奪い取り、中を漁った。
中には、食料が入っている。皆が好きなものを取っていったため、ペンソーの分は残らなかった。

「そういや、リーダー」
先ほどの一番体格のいいものが話しかけられ、振り向いた。彼こそこのグループ……「虎の牙」のリーダーだ。
「あの絵、どうしようか。まだ売り先見つかんねえよ」
「ああ」と少し頷く。

「まあ、まだとっとけ。あの運び方からしていい絵っぽいし、誰か買ってくれるだろ」
リーダーは、倉庫においていた、一枚の絵を思い出しながら答えた。
正直、どこがいいのかはよく分からないが、しかし見ると妙に圧倒されるものを感じた。
まあ、上手くいけば50万くらいにはなるだろう。そんな期待を込めて言ったのだった。
実は、8億Jもする絵だとしることはなく。




食事だと言われ、ユナはリビングに降り立った。本当に、自分以外に宿泊客はいないようだ。
テーブルには、パンとスープ、サラダにローストビーフ。いい匂いだ。
「質素ですまないねえ。何せ、久しぶりのお客さんだからさ」
「結構いい宿屋だと思うんですけどね」
これは、掛け値なしの本音だ。値段の割りに、部屋は綺麗だし、結構広い。
食事も朝晩付きだ。これなら、しばらく滞在するのにもいいだろう。

「今物騒だからね。うちに限らず、宿屋や観光業は儲かんないさね。
 そういえば、あんたはこの街に何しにきたんだい?まさか、観光ってことはないだろ」
仕事ハントです。一週間ほど前にこの近くで盗まれた、スザンヌの自画像を探すことを依頼されてまして」
「知らないねえ」
「運送用のトラックが襲撃されていた事件ってありませんでした?」
「ああ、それならあったような気がするよ。
 まあ、解体屋バラシやはそんなことしないだろうから、十中八九あのガキどもだろうけどね」
なるほど、とユナは頷き、同時に厄介だとも思った。明日以降は、あのグループに接触することも考えないといけない。

と、ユナは棚の上にかけてある写真に気が付いた。小さい子供の写真だ。三つか四つだろう。
「ああ、息子だよ。この頃は可愛かったんだけどね、全く」
ユナの視線を察したのか、ヨソノが苦笑いしながら答えた。
一方、ユナは驚きを隠せなかった。その写真の人物に見覚えがあったからだ。
多少歳は離れているが、先ほどあった少年達の中の、一番小さい子。その人物にそっくりだった。

「失礼なことをお伺いしますが、この子って……」
「そう。さっき会ったクソガキ達の一人さね。本当、泣き虫だったのに、何やってんだかね」
「……大変ですね」
それ以上、何も言えなかった。知った風な口をきくと、失礼な気がしたからだ。

「まあ、あいつらもアタシに取っちゃバカな息子みたいなもんさ。
 世間ではとやかく言われてるし、バカやってるけど、性根はいいはずなんだ。
 だからほっとけないんだけどさ、あっちは『うるさいオバサン』くらいにしか思ってないだろうね」
「叱られてるうちは、なかなか分からないものですからね。いなくなって、初めて大切さが分かると言うか」
「あんた、まだ若いのにいいこと言うね」
今は亡き母親のことを思い出しながら言ったユナの言葉に、ヨソノが機嫌よく頷いた。

と、ヨソノが奥に言ったかと思うと、ブランデーの瓶と氷、それからオレンジジュースを持って戻ってきた。
「あんた、明日は早いのかい?」
「いえ、そこまでは」
「じゃあ、今夜はとことん付き合いな」
そう言うと、ユナの前にオレンジジュースを置いた。
「……付き合えって言って、私はジュースですか」
「あんた、まだ未成年だろ」
「シラフで酔っ払いの相手をするほど辛いものはありませんよ」
「やだねえ。その歳でそんなこと言って。子供はそういうこと言うもんじゃないよ」
この人には敵わないな。そう思いながら、ユナはジュースを手に持ち、ブランデーを注いだヨソノのグラスと音を鳴らした。




*     *     *     *     *     *




おまけ

~本日の原作考察~

 ジョネスさんは何のお仕事をしていたのか


原作では、超長期刑囚として登場したジョネスさん。
しかし、彼も捕まる前は一般市民だったはず。ということは当然、生活の糧を稼ぐ必要があったはずだ。
だが、彼が事務職や店員をしている様子は想像できない。
大体、あんな店員がいたら怖すぎる。自分なら、真っ先に逃げ出す自信がある。

では、一体何の仕事をしていたのか。真っ先に思いついたのは精肉業者だ。
生の人肉ではないが、好きな肉を掴み、バラバラにすることが出来る。まさに天職だ。

が、ちょっと考えてこの案は却下となった。
精肉業者と言うのは、肉を食べやすい形にする仕事だ。
細かな作業が求められ、単純にバラバラにしたいジョネスさんの方向性とは真逆である。
これではストレスがたまってしまい、続かないだろう。

次に思いついたのは、工事現場だった。
力はあるし、物を運ぶような単純作業なら普通にこなすだろう。
が、これまた道具を壊しているイメージしか思い浮かばない。
アスファルトの舗装なんて器用な真似、ジョネスさんが出来るんだろうか。

いい案が思い浮かばないまま、工事現場ということにしようかなあと思っていたときに閃いた。
それが、本編で描写している引越し業者だ。
これなら、物を運ぶので力を生かせるし、何より獲物を物色するのにもってこい。
車を運転できるのか、という疑問があるが、そのくらい何とかしてくれるに違いない。

と言うわけで、この話ではジョネスさん=引越し業者ということにしています。



[27521] 19話 解体屋・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/10/03 00:08
黒光りする金属に包まれた銃。蛍光灯の光を反射し、刃に指を這わせるとそれだけで血が噴出してしまいそうな鋭いナイフ。
体内に一滴注入されるだけで体の自由を奪う毒薬。無骨ながらもその重さにより、骨も粉砕してしまいそうな斧。
そんな、物騒な品々が並ぶ武器屋の一角。そこで、ユナは唸っていた。
壁に並んでいるのは、数々の銃弾。拳銃からバズーカまで、多くの種類の弾が飾ってあった。

「どれ……買えばいいんだろう……」
あまりにも種類がありすぎ、ユナはどの弾を買えばいいのか分からなかった。
先日のマフィアとの一連の争いで、銃弾の数が心許なくなったユナは、弾を買いにきた。
何しろ、解体屋バラシやに虎の牙と、この街はあまりにも物騒だ。
そう思って買いに来たのはいいのだが、想像以上に種類があった。
一応、マフィア時代にも弾の購入をしていたため、銃によって使う弾が違うと言うのは分かる。
しかし、そんな事務作業はサボって他の人に任せきっていたため、いざ買うときにどの種類を買えばいいのか分からないのだ。
こんなところで、怠けたツケが来るとは思わなかった。

「嬢ちゃん、銃を買いに来たのか?この辺物騒だからな、安くしとくぜ」
そんなユナを見かねたのか、振り返ると五十位の禿げた頭の男性がいた。
口調から察するに、店主なのだろう。

「弾を買いに来たんです。銃はあるんですけど、どれが合うのか分からなくて」
「ちょっと見せてみな」
言われ、ジャケットから銃を取り出す。安全装置が掛かっていることを確認すると、店主に渡した。
「FNM1910か。口径は……32だな。嬢ちゃん、運がいいな。最近、こいつの弾を入荷したばっかりだ」
銃口を見ながら、嬉しそうに店主は言った。銃が好きなのだろう。その顔を見て、子供のようだとユナは感じた。

「嬢ちゃん、銃はこれだけか?」
「そうですけど?」
「なんだったら、もう一丁買わないか?同じのでもいいし、同じ弾を使う別の銃でもいい。
 弾詰まりジャムの時も安心だぜ」
「ジャム?」
店主の言葉に、ユナは首を傾げた。ジャムって何?パンに塗るあれじゃないよね。
そんな彼女の疑問が伝わったのか、店主は大げさに驚いた。
「おいおい、嬢ちゃん、本当にド素人だな。手入れとかちゃんとやってんのか?」
店主の言葉に思わずムッとしたが、言い返すことは出来なかった。
確かに銃の手入れも人任せで、ベッキーニ組が壊滅した後はろくに手入れをしていなかったからだ。

「じゃあ、もう一丁買ってくれたら、ついでにこいつの手入れもしといてやるぜ。そっちはサービスだ。
 同じ弾の奴を持ってくるから、そん中から好きなのを選びな」
もはや、買うことは決定済みの流れになっているのかな。しかし、手入れはして欲しいし……。
数瞬悩んだ後、ユナは店主の提案を受け入れることとした。
「同じ型のを持ってきてもらえますか。やはり、使い慣れた型の方がいいので」



「まいどありー!」
店主の元気な声を背にしながら、ユナは外に出た。思ったよりも高くついてしまったが、宿泊先が安いのでトントンだろうか。
「あれ?」
ふと、見覚えのある顔が電柱の陰からこちらを伺っているのを見つけた。




    第19話 解体屋バラシや・2




「虎の牙」の一員、少年ペンソーは、電柱の陰で機会を伺っていた。
彼の目的は、武器屋に入って武器を強奪すること。今は、その機会を伺っているところだ。
一年前からこの街を荒らしている解体屋バラシやのせいで、自分達のシマもだいぶ荒らされてしまった。
加えて、警察が近々、大々的に自分達の取締りを行なうらしい。それに対抗するため、武器の調達が必要になった。
これは大事な作戦。決して失敗は許されない。慎重に慎重を重ねて、機会を待つ必要がある。
……決して、自分がビビリなわけではない。

そんな風に考えながら武器屋を覗いていると、中から金髪の女が出てくるのを確認した。慌てて、電柱の陰に姿を隠す。
あれは、昨日見かけた女だ。あの時も三人に囲まれているにも関わらず、特にビビッてはいなかった。
何か、隠しているのかもしれない。用心の為に、あの女がいなくなってから乗り込もう。
……俺は慎重なだけだ。決してビビリではない。
そうブツブツと呟いてから、ペンソーは大きく深呼吸した。

そろそろ、あの女もいなくなった頃か。そう思い、電柱から再び武器屋を覗きこもうとすると――
「あなた、何やってるの」
「うわああああっ!!」
目の前に例の金髪の女がいて、思わず大声を上げてしまった。

「ビ、ビックリしたあ。いきなり大声上げないでよ。驚くじゃない」
女の言葉に、ペンソーは我に返り、同時に大きな羞恥に襲われた。
「う、うるさい!!お前がいきなりいるからだろ!!このバカ!!ブス!!」
「な、こんなかわいい女の子を捕まえてブスはないでしょ、ブスは!!」
言われ、その女の顔をチラッと見る。た、確かに、ちょっとかわいいかも……。

そんな思いを振り払うかのように、ペンソーはさらに怒鳴った。
「大体、何でお前のような女がいるんだよ!!武器屋なんかで何するんだ!!」
「何って……やることと言ったら買い物に決まってるじゃない。この子の弾を買いにね」
そう言うと、女はジャケットから銃を出した。思わず、息を呑んでしまう。
そんなのがあるのなら、あの時も確かに強気になるだろう。

「お、お前、銃なんか持ってるのか……」
「そうよ。そういえば、新しい弾でまだ撃ってないのよねえ。ちょっと試し撃ちしようかしら」
女はニヤリと笑うと、ペンソーに銃口を向けた。
「お、おい……バカ……やめろよ……冗談だろ……?」
「どうかなあ?」
「バ、バカ……やめろって……昨日のことまだ恨んでるのかよ……」
「ごめんなさいは?」
「な、なんで俺が謝るんだよ……」
「じゃあ、しょうがないか」
「や、やめろ!!」
「バン!!」
そんな音と共に、視界が白く染まっていった。
意識の片隅で、「ちょっと、やりすぎちゃったかな……」という声が聞こえた気がした。




ふと、目を覚ますと太陽の光が差し込んできた。その眩しさに、思わず目を細めた。
「気が付いた?」
「うわああああっ!!」
不意に聞こえた声に、つい大声を上げて起き上がってしまった。
目の前には、例の金髪の女。胸を押さえながら、こちらを見ていた。

「だから、いきなり大声上げないでって!!」
「うるさい!!何でお前がいるんだよ!!」
「何でって……ちょっと驚かそうとしたらいきなり気を失っちゃうから、悪いことしたと思ってここまで運んだんじゃない。
 まさか、あそこまでビビリだとは思わなかったから。……ホントごめん」

そんな、金髪の女の言葉を聞いて、ペンソーは猛烈に逃げ出したくなった。
女にそんなことを言われるなど、彼にとって屈辱以外の何者でもない。
見渡すと、ここは街の公園のベンチだ。そこで自分は寝転がっていたらしい。
さらに、頭があったところには女が座っている。つまり、自分は膝枕していたわけで……。
頭を支配する恥ずかしさを振り払おうと、ペンソーはまた怒鳴り声を上げた。

「ビ、ビビッてなんかない!!あれは、油断させようっていう作戦だ、バカ!!ババア!!」
「人に担がれておいてそんなこと言われても、全っ然説得力ないんだけど。
 あと、私まだ15だよ。……もうすぐ、16になるけど」
「へ?5つしか違わないのか?俺11だし。お前、てっきり20代だと……」
「上に見られたのは初めてだなあ」
ちょっと残念そうに頭に手を当てる女を見て、ペンソーは慌ててフォローした。
「ま、まあそう言っても十分若いからよ!!うちのババアと大違いだ!!」

そう言うと、これまでとは雰囲気が変わり、女はキッとペンソーを睨んだ。
思わず、後ずさりをしてしまう。何か、悪いことを言ったか。頭の片隅でそんなことを考えながら。
そう思っているときに目の前の女から発せられた言葉は、ペンソーにとって意外なものだった。
「お母さんのこと、悪く言っちゃダメだよ。この世でたった一人なんだから」
その明らかに怒っている口調に気圧されながらも、何とか言い返そうとした。
「な、なんでだよ。……勝手だろ、自分の母親をどう言おうと」
その言葉に、今度はあからさまにため息を吐かれた。一体、何だというのか。

「ペンソー君、だっけ?」
女は真正面に向きなおし、今度はまるで先生が諭すかのような口調になった。その仕草に、ついドキリとしてしまう。
「な、なんで俺の名前を知ってるんだよ」
「私、ヨソノさんの家に泊まってるの。で、昨日君の事を聞いてね」
「あのババア、余計なことを……」
「そういう風に言わないの!……でね、昨日ヨソノさんにお酒つき合わされたんだけど、出てくるのは君の話ばかりだった。
 学校でいじめられていてどうしようか悩んだとか、友達が出来たと聞いたときには自分のことのように嬉しかったとか。
 生まれたときの君がかわいかったなんて、何回聞かされたか。全部、昨日のことのように話すんだよ」
「……口だけだろ、そんなの。客の前だから、取り繕ってるだけさ。今は、厄介者がいなくなってせいせいしてるはずだ」
「まさか。今の君の話も出たんだけど、やんちゃしていて正直心配だって。
 いつ帰って来るか分からないから、すぐに作れるものをいつも準備してるんだって言ってた。
 世間では悪く言われているけど、せめて自分だけは味方でいたいから、いつでも帰って来れる様にって」

ペンソーは、何も言い返すことが出来なかった。
いつもいつも小言ばかり言い、自分のことを目障りに思っているだろう母親が、そんなことを言ってるとは思わなかった。
そんな彼の思いを見透かすかのように、その女は目を見てきた。
「……だからさ、お母さんのこと大事にしないとダメだよ。いなくなってからじゃ遅いんだよ?
 私と違って、君のお母さんは今も生きてるんだから」
「お前……」
なんとなく、先ほど怒った理由が分かった気がした。言いたいことも。

「じゃあ、私はそろそろ行こうかな」
女がそう言って立ち上がろうとすると、つい「ちょ、ちょっと待て!」と引き止めてしまった。
「何?」
「あ……いや……その……」
ぼそぼそと口ごもるペンソーだったが、しばらくは何も言わずに女は待ち続けた。
しかし、いつまで経っても言わないペンソーに業を煮やしたのか、ついに声を発した。
「ああ、もう。言いたいことはスパッと言う!!」
「お前の名前!!」
「へ?」
「い、いや……お前の名前……知らないと思ってよ……。
 か、勘違いすんなよ!!一応、俺にとっても客だから、名前くらい知らないとよ!!」
言い終わると、女はクスリ、と笑った。どうやら自分の思惑は見透かされているらしい。
「ユナよ。しばらく滞在するから、よろしく」
そう言って立ち上がったとき、「あ」と声を上げて再びペンソーの方を向きなおした。

「そういえば、ペンソー君って『虎の牙』の一員なんだよね。
 一週間くらい前に、この辺で行方不明になった絵のこと知らない?」
「一週間くらい前……あの、ヘンテコな人間の絵か?」
その言葉に、ユナは笑った。何となく、苦笑いのように見える。
絵心のないペンソーには良く分からないが、あの絵はいいものなのだろうか。

「たぶん、それ。私それ欲しいんだけど、譲ってくれないかな」
「リーダーがいいって言えばいいけど……でも、できねえよ。あれ売って軍資金にしたがってるし」
「もちろん、タダでとは言わないわよ。そのリーダーと交渉できないかしら」
「会わせてもいいけど……銃で撃たないよな?」
「私、どんなイメージなのよ」
頭を抱えるユナに対し、つい慌ててしまった。
「ね、念のための確認だよ!!なんかあったら、俺がリーダーに怒られるからな。
 とりあえず、戻ったら相談してみる」
「じゃあ、明日のお昼にここで待ち合わせでいいかしら」
深々と、何回も頷いた。
「じゃあ、俺はリーダーに報告するからな!!」
そう言うと、ペンソーは走り出した。顔を赤くしながら。




ジョネスは、疼いていた。一昨日、肉を好きなだけ掴んだというのに、また体があの行為を欲してきたのだ。
以前は、ここまで欲情していなかった。月に一度、肉を掴めれば満足だった。
それが、月に二度になり、週に一度になり、三日に一度になった。
そして今も、一日間を置いただけで何ヶ月も我慢しているかのような疼きに苦しんでいた。

一昨日の、至福の時間が自然と脳裏に思い浮かぶ。
手に甦る、肉を掴む感触。鼻を突く血の匂い。恐怖に歪んだ表情。響き渡る叫び声コーラス
思い出すとつい、口元が緩んでしまった。

人体はいくら解剖しても飽きない。
人によって筋肉のつき方、内臓の色、骨の太さなどがまるで違う。
それらを観察するのも楽しいし、人によってその時の反応が異なるのもまたいい。
殺されるときの表情もまた見ものだ。
憤怒。恐怖。敵意。絶望。生への懇願。それらがごちゃ混ぜになった表情は何度見てもいい。
テレビや映画で見るようなちゃちな表情ではない、本物の「感情」。
それを見ることが、ジョネスはたまらなく好きだった。

そこまで空想に耽り、とうとうジョネスは我慢が出来なくなった。
仕方がない。今夜解体バラそう。
そう思うや否や、ジョネスはすばやく外出の準備を始めた。
もはや無意識のうちに身体が勝手に動いていると言ってよい。そんな感覚だった。

夜の街を一人彷徨う。しかし、視界には人っ子一人見当たらなかった。
最近は、夜に一人で外出する人間があまりいない。
原因はまさしくジョネス自身にあるのだが、その事実が彼を苛立たせた。
もはや、我慢ならないのだ。一刻も早く、肉をその手で掴みたい。

焦燥を隠せない様子で街を歩いていると、一人の子供が見つかった。
ラッキーだ。もはや、迷う必要はなかった。ジョネスはゆっくりとその子供の背後に着くと、左手の肉を勢いよく掴んだ。




男は、急いで帰路に着いた。仕事の後、多くの事務作業で時間が掛かってしまったのだ。
その事務作業とは、妻の死亡によるものだった。男の妻は一昨日亡くなった。――解体屋バラシやに殺されたのだ。
よりによって、娘の誕生日にだ。なぜこんな日を選んだのか。あの日ほど、神様を恨んだ日はない。

しかし、男に落ち込んでいる暇はなかった。確かに悲しいが、娘がいる。
母親がいなくなって娘が落ち込んでいる以上、自分がしっかりしていなければ、という想いのほうが悲しみより強かった。
さすがに、「ママ、どこに行っちゃったの?」と聞かれたときは辛かったが、何とか耐えた。

そう思っているうちに、我が家が見えてきた。すっかり遅くなってしまった。娘もすっかり腹を空かせている頃だろう。
「ごめん、遅くなった!すぐにご飯作るから!」
家に入るなり、そう声を上げたが、返事はない。
「ミリア!!いないのか!?」再び声を出すも、やはり返ってくるのは沈黙だけだ。
おかしい。あのは、いつも帰って来るときに玄関に来たはずだ。
まして、妻が亡くなった後だ。なのに足音一つ無いとは。ひょっとして、疲れて寝てるのだろうか。
そう思いながら、ふと食卓の上に置かれている紙切れを見つけた。そして、それを見て男の顔から血の気が引いた。

 ママを、さがしに、いきます
 ごはんは、おいといてね
          ――ミリア




男は、ひたすら夜の闇を駆け抜けていた。行く当てなどない。それでも、ただ、走り回った。
一体、どこへ行ってしまったのか。嫌な予感がする。何もなければいいが。

そんなことを考えながら走っていると、遠くに人がうずくまっているのを見つけた。
ゆっくりと近づくと、それは大柄の筋肉質の男だった。
うずくまっているのではなく、しゃがみ込んで何かやっているのだと分かった。
一体、こんな夜中に何をやっているのか。不思議に思ったが、男はすぐに我に返った。

――こんなことをしている場合じゃない。早く、ミリアを探さないと。

男はそう思って立ち去ろうとしたが、そこで見てはいけないものを見てしまった。
うずくまっている男の手元から転がりだした丸いもの。それは、何か毛のようなものを纏っているようだった。
それが電柱の元に転がり街灯に照らされたとき、見覚えのある、しかし今まで見たことの無い顔を映し出した。

「ミ……リア……」

その言葉に気付いたのだろう、うずくまっていた男が振り返り、こちらを見てきた。
男は、直感的に理解した。こいつが、解体屋バラシやなのだと。
こいつが、妻を殺し、今、娘さえもその手にかけたのだと。
その顔の、なんと邪悪なことか。

男は、今まで出したことのない咆哮を上げた。自分がこんな声を出せたのかと驚くほどだ。
そして、そのまま殴りかかった。理由などない。
しかし、その想いは叶わなかった。殴ろうとしたときに、右手が動かなくなったのだ。
見ると、肘より先が無くなっている。血が噴出すのを見ると、遅れて痛みがやってきた。

「あああああああああああああ!!」
痛みを誤魔化すかのように、あるいは、怒りをぶつけるかのように再び叫んだ。
そして、男は再度殴りかかる。右手がないなら、左手で!!

が、それもあっけなく避けられてしまった。
振り向いて殴りかかろうとしたが、突如右足に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちてしまった。
腱を引きちぎられたらしい。起き上がることが出来ない。

「く……そおっ……!!」
歯がゆい。妻も娘も守れなかった、自分自身が。
憎い。何もかも奪った、目の前の男が。
助けて欲しい。誰か、この悪夢から覚まして欲しい。

そう思っていると、わき腹から発せられた激痛に思わず叫びだした。
どうも、腹の肉を抉られたようだ。
次いで、左手の指。一本一本、千切られていくのが分かる。そのたびに、気が狂いそうな激痛が走る。

いつの間にか、意識が霞んでいた。目の前が、真っ白な空間になっている。
ふと、目の前に笑顔の妻と娘を見た。
なんだ、ちゃんとここにいるじゃないか。やっぱり、あれは夢だったんだ。
そう思いながら、男は意識を失った。
理不尽な現実から逃げ、甘い夢の世界へと、永遠に旅立った。



[27521] 20話 解体屋・3
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/10/31 02:03
初夏の朝は早い。朝の六時を過ぎたばかりだというのに、既に太陽が昇り、街を照らし始めていた。
多くの人々にとってはいつも通りの、爽やかな朝。しかし、街の一角に集まっている人々にはそのような雰囲気は皆無だった。

「コショウ警部殿、被害者の身元が割れました!!」
「おう」
コショウと呼ばれた男はぶっきらぼうに返事を返すと、声をかけた警察官から紙を受け取った。
無精ひげを生やしタバコを加えたその見た目は、どこにでもいるようなくたびれた中年親父である。
しかし、その実「鬼のコショウ」と呼ばれるやり手の警部でもあり、署内はもちろん「虎の牙」からも恐れられている存在であった。
夏でもコートを好んできていることと、いまいち心情の機微を理解しないその性格から、陰では「無神経のコショウ」とも囁かれているのだが。

頭を掻きながら紙を見ていたコショウであるが、ふと何かを思い出したように警察官のほうを向いた。
徹夜明けで風呂に入っていないためか、彼の周りには若干フケが飛び散っている。
「そういやあよお。お坊ちゃんソルトはどこ行ったか知ってるか?」
「は?い、いえ。自分は存じておりませんが」
そう答えると、周りに「おい!誰か、ソルト警部補殿がどこに行かれたか知らないか!」と声をかけた。
いちいち律儀だな。そう思いながらも、コショウは面倒くさそうに手を振って返した。
「ああ、いい。いい。どうせまた、死体を見たショックで便所に篭ってるんだろ。
 ……たくっ。これだから、現場を知らないお坊ちゃんはよ……」

悪態を吐くと、コショウは再び紙に目を落とした。
被害者は5歳の少女ミリアとその父親シュロー。3日前に殺された女性の夫と娘だそうだ。
「家族揃ってあの世行き……か。まったく、あいつも趣味が悪いぜ」
そう呟きながら、コショウは先ほど見た死体を思い出した。

二人とも例のごとく、体をバラバラにされていた。関節は全てもぎ取られ、肉は裂かれ、内臓が引きずり出されている。
一般人はおろか、ある程度死体を見慣れているはずの警察官でさえも気分が悪くなるような光景だ。
自分が今まで一番解体屋バラシやが殺した死体を見てきたせいか、最近は見ても「ああ、またか」という感情しか抱かなくなってしまった。
嫌なもんだな、慣れっていうのは。その呟きは、誰にも聞こえなかったようだ。

「にしても……最近は間隔短くなってねーか?」
昔のことを思い出していたら、ふとそのことに気が付いた。感覚がどうも麻痺してしまっていたらしい。
一年前は、せいぜい月に一度殺す程度だったはずだ。それが、今はニ、三日に一度は殺人をしている。
まいったな。早く、何とかしなければ。
そう思いながら、コショウはまた頭をぼりぼりと掻いた。




    第20話 解体屋バラシや・3




「あんた、本気かい?」
朝食後のコーヒーを運んできたヨソノは、ユナの話を聞くと心底呆れたような声を出した。
それも、当然かもしれない。何しろ、若い女性一人で「虎の牙」の連中と会おうというのだ。
普通なら、まず無事では済まない。もしヨソノの娘がそんなことを言っていたら、殴ってでも止めていただろう。

「まあ、仕事ですからね。一応、安全策は色々と練ってますけど」
砂糖とミルクをコーヒーに入れ、それをかき混ぜながらさも当然のようにユナは答える。
が、ヨソノは納得しなかったらしい。更に呆れる声を重ねてきた。
「そんな危険なマネをするほど、仕事に価値があるとは思わないけどねえ」
その態度に若干ムッとしながらも、それを表に出さないようにしながらユナは答えた。
「私は、お金のためなら何でもしますよ。どうしても欲しいものがあるので」
「命を張ってまでかい?」
「死ぬつもりはないですけど。さすがに、死んだらどうにもならないので」
「まあ、無茶は若者の特権って言うけどさ……。くれぐれも、親を泣かせるんじゃないよ?」
「もちろん」
きっぱりと答えるユナに、それ以上小言をするのを諦めたのか、ヨソノは肩をすくめると砂糖もミルクも入れずにコーヒーを飲み始めた。

ヨソノには、自分の母が既に亡くなっていることは伝えていない。
というか、ひたすら身の上話を聞いていたのでそんなことを話す暇はなかったし、聞かれるまでわざわざ言う必要もないと思ったからだ。
一応、父親は生きてはいるのだが、十年近く音信不通だし、何より会いたくない。
そのような、自分の家族関係を聞かれるとなかなか面倒な状態なため、ユナはその辺の話になると適当にはぐらかすことにしていた。
一息に飲み干したコーヒーを置くと、ヨソノはキッチンの方を指差した。
「ポットはキッチンにあるから、二杯目が欲しければ自分で注ぎな。アタシは先に片付けるから」
頷きながらコーヒーに口をつけるが、本心はなかなか言い出せなかった。

――本当は、コーヒーよりお茶がいいんだけど

通常料金の半額近い値段で泊めさせてもらっているということを考えると、どうも言いづらい。
あんな人だし、そんなワガママ言ったらぶっ飛ばされそうだ。
でも、たまにはお茶飲みたいなあ……。

そんな彼女の葛藤を知る由もなく、皿を片付けながらヨソノは明るい口調で言った。
「ま、ペンソーをよろしく頼むよ。なんか変なこと言ってたら、ぶっ飛ばしちゃっていいから」
「さすがにそこまではしませんけど……」
この親にして、この子あり、か。ユナの頭を、そんな言葉がよぎった。




ドーレ港。ザバン市にもっとも近い港である。ザバン市に向かうには、ここから出ているバスを利用するのが一番早い。
もちろん、その他の街にもバスが出ている。よって、この港にはバスを待っている多くの人々がいた。

その一角。港にある大きな地図の下にある縁石に腰掛け、一人の老人がタバコを吸っていた。
歳の程は50位か。髪は白く染まり、白い髭を生やしている。
その手には、大きなトランクが握られていた。その中には数々の医療器具が入っている。
見た目はただの老人だが、彼は非常に高名な医者である。ザバン市は医者の手が足りないため、彼が急遽呼ばれたのだ。
そのため、そこへ向かうバスを探している……いや、探させている。

「おーい、クロップさん!」
クロップと呼ばれた老人は、その言葉の発生源――黒髪で、短髪の若者の方を見た。
やっぱり背が高いな。その若者がクロップの側に来たとき、改めてそう思ってしまった。
そんなことをおくびにも出さず、クロップはタバコの煙を吐くと若者に尋ねた。
「ザバン市へのバスは見つかったか?」
「ああ。ちょっと歩くが、あっちのバス停から出ているみたいだぜ」
そう言うと、若者は今来た方角を指差した。
確かにちょっと距離はある。歳を取った自分にはしんどいだろう。
そう思って、改めてクロップは若者を見た。

息が、全く切れていない。およそ500mは走ったと思われるのに、だ。
医者志望のこの若者は自分の弟子だ。が、金が全くない。医者になるのにもっとも必要なのは金であるのに、だ。
それでも、若者の熱意は強かった。医療技術を学びたいから弟子にしてくれとひたすら頭を下げられて、二つ返事で弟子にした。
弟子というのは体のいい理由で、実際は唯の雑用だが、それでもこの若者はよく働いてくれる。
熱意がある上に才能にも恵まれているのだろう。飲み込みが早く、すでに下手な医者よりも技術はある。

だが、それ以上に目を見張るのはその身体能力だ。
何でも、元々はスラムに近いところの出身だったらしく、日々ケンカに明け暮れていたらしい。
そんな人間が医者を目指すのかとも思うが、人間、何がきっかけで変わるか分からない。
ともかく、そのような生い立ちのためか、その若者は常人離れした筋力と身体能力を誇っていた。

――医者なんかより、ハンターになった方がよっぽど向いてるんじゃねえか

そう思わせるだけの力が、事実、ある。とはいえ、本人の希望を否定する気はない。
せいぜい、利用させてもらおう。

そんなことを考えていると、若者は不思議そうにこちらを見つめていた。
「どうかしたか、クロップさん?」
「何でもねえ。行くぞ、レオリオ」
そう言ってクロップが立ち上がり歩き出すと、慌ててレオリオと呼ばれた若者はクロップの荷物を抱え、歩き出した。




時刻は、前日の十時ごろに遡る。

その時、「虎の牙」は殺気立っていた。
彼らの一人が、ザバン市警のソルト警部補が自分達を摘発するために大規模な行動を始めたという情報を手に入れたからだ。
前々からそのような噂は出ていたが、ここに来て本格的に動き始めたらしい。

すぐに幹部会が開かれ、今後の対策が話し合われた。
あわせて、各メンバーに役割が与えられた。

警察官の情報を入手し、幹部に報告する者。
武器を調達し、戦闘に望む者。
周辺の地理を改めて調査し、罠を張る者。

各メンバーは役割と共にリーダーから激励の言葉が与えられ、異様ともいえるほどに士気が高揚していた。
皆、きたる警察との全面衝突に向けて団結し、とてもそれ以外のことを言い出せる雰囲気ではなかった。
その状況でリーダーの方針に反することを言おうものなら、一斉に非難を浴びるだろう。
ゆえに、自分もその流れに従い、やがて来る決戦に備えた。



ここまで説明を聞き、ユナは思わずため息を吐いてしまった。
「つまり……その雰囲気にビビッて呑まれてしまい、取引のことは言い出せなかった、と」
「ビ、ビビッてた訳じゃない!重要な作戦だったんだ!」
顔を真っ赤にしながら怒鳴るペンソーを見て、ユナは再びため息を吐く。
どうにも、その態度が彼には我慢ならないらしい。「お前には分かんない、深い理由があるんだよ!」と更に怒鳴り続けた。

「その深い理由って何?」透き通るような蒼い瞳が、まだ幼い少年を見つめる。
嘘吐いちゃだめだよ。そう言うかのように。
その視線に耐え切れず、少年はつい視線を逸らしてしまう。
「そ、それはだな……だから……その……つまり……」
「つまり?」
「お前には分かんないんだよ!企業秘密だ、バカ!」
「……ハァ」

あまりにも分かりきった返答に、言葉を返すことが出来ない。
まあ、特にそんなものはないのだろう。彼の態度は、ユナにそう確信させるには十分だった。

「まあ、いいや。……で、今夜は言い出せそうなの?」
「ま、まあ、俺がその気になれば簡単に……」
「本当は?」
「だ……だって……、言わなきゃ……撃つだろ?」
「あのねえ……」
自分は一体どういう風に思われているのか。
そう考えてしまい、思わずユナは頭を抱えてしまった。
リーダーも怖いが、私も怖い。そう思われているのが、よく分かる。

「君さあ。悪いこと言わないから、『虎の牙』辞めたほうがいいよ」
「何でだよ!」
意図が掴めないのだろう、激昂するペンソーに、ユナは諭すように続けた。

「だってさ。自分が警察官と殴りあってる姿、想像できる?」
「うっ……」
「私は冗談だったけど、今度は本当に銃で撃たれちゃうかも知れないんだよ?」
「うう……」
「そんな切羽詰った状況になってるなら、なおさら。今のうちに、離れたほうが利口だと思うけど」
「女には分かんねえんだよ、バカ!俺は『虎の牙』で成り上がって、勇敢なおとこになるんだよ!」
「勇敢って……どの口が言いますか」
あくまで冷静に続けるユナに、ペンソーは一瞬言葉に詰まってしまう。
……が、それは気に入らないのか、すぐに叫びだした。

「これからなるんだよ!そしてみんなを見返すんだ!お前もだ!分かったか!」
「あー、うるさい。うるさい」
耳元で怒鳴り散らされ、たまらずに耳を塞いでしまった。
が、それが気に食わなかったのだろうか。ペンソーはユナの左腕を掴むと無理やり引っ張った。
「ちゃんと聞け、バカ!」
「怒鳴らなくても聞こえてるから。で、勇敢になってそれからどうするの?」
「へ?だから、みんなを見返してやるんだって」
「その後は?」
「その後?」
首を傾げるペンソーに対し、「ちょっと意地悪な質問かもしれないなあ」と思いながらもユナは続けた。
これは、彼のためだけではない。ヨソノのためにも、言わなければいけないことだからだ。

「命の危険を冒して、みんなに心配をかけてまでして達成して、どうするんだっていうこと。
 プライドはあるかもしれない。でも、それで死んじゃったらどうするの?」
「死なねえよ!」
「みんな、そう言うんだよ。でも、そう言って死んでしまった人を私は何人も知ってる。それこそ、両手で足りないくらいね。
 残った人がどれだけ悲しんでいるか、知ってる?残されるのがどれだけ辛いか、分かる?」
彼女の脳裏には、様々な人たちの顔が浮かんでいた。
優しかった母親。売春宿時代にお世話になった恩人。マフィア時代にバカ騒ぎした同僚に、最期に命がけで自分を救ってくれたファルグ。
みんな、離れて欲しくなかったのに、自分の下を去っていってしまった。
彼には、そして彼の母親には……そんな思いをして欲しくない。

そのまじめな口調にバツが悪くなったのか、鼻の頭を掻きながらペンソーは何とか答えた。
「言いたいことは分かるけどよ……。でも、ずっと弱いまんまじゃ、男としてだめじゃねえか。
 それこそ、心配掛けっぱなしだしよ……」
「いいじゃん。弱いまんまで。弱いからこそ、見えるものもあるはずだよ」
「バカ!それじゃダメなんだよ!」
ひたすら平行線をたどる言い合いに、ユナはつい何度目か分からないため息を吐いてしまった。
これは、難しそうだ。そう思いながら。

ペンソーも、これ以上は進展がないと思ったのだろう。立ち上がりながら、別れの言葉を告げた。
「ああ、俺はそろそろ行くからよ。明日、またな」
「今夜はちゃんと言ってよね」
「ま、まあ、忙しくなければな」
絶対、言わないな。そんな予感がしたが、黙って見送ることにした。
確かに、絵の確保が彼女の目的だが、そこまで急ぐ依頼でもない。
だからこそ、何とか母親と仲直りさせてあげたい。そんな思いがあった。
そして、そのためにはもう少し時間が必要なことも理解していた。だからこそだ。




ザバン市の一角。そこに、大勢の警察官が集まっていた。
いずれも殺気立っており、一般市民ですら近寄れる雰囲気ではない。
本来、警察官というのは市民の味方であるにも関わらず、だ。

その警察たちの視線の先には、スーツ姿で眼鏡をかけている、まだ若い男の姿があった。
彼は、紙を見ながら他の警察官の報告を聞き、頷いている。
その男の名はソルト。若くして警部補に上り詰めた人物であり、その明晰な頭脳から警察署内でも期待の星とされている。
上司であるコショウとは反りが合わず、また今一精神力に欠ける点が見受けられるが、次代を担うとされている者だ。
反面、コショウを筆頭に古参の警察官の評判は良くなく、人望は今一つと言ったところであろうか。

そんな彼は、一通り部下の報告を聞き終えると、整列している警察の前で演説を始めた。


「では、これより『虎の牙』壊滅作戦の概要を説明します」




*     *     *     *     *     *




おまけ

~本日の原作考察~

 レオリオ「俺たちの負けでいい。あいつとは闘うな!!」

確か14話を書いていた辺りのこと。解体屋編もおおよその骨格が固まり、後は書くだけの状態になっていました。
で、ジョネスの口調を復習しようと三巻を読み直したとき、ある疑問が浮かびました。

「何でレオリオ、こんな汗だくになってんの?」
いくら相手が有名な殺人鬼だといっても、尋常じゃないビビリっぷり。ヒソカに対し正面からケンカを売ったのに、です。
更に読み直すと、「あんな異常殺人鬼の~」と、まるで知っているかのような口ぶり。
それまでは、「ニュースかなんかで見ていたんだろうなー」くらいにしか思っていませんでしたが、改めてみると普通ではありません。

そして、一つの結論に達しました。それは、「レオリオは、ハンター試験の前にジョネスと会っていたんじゃね?」ということ。
ジョネスの反応を見るに、彼はレオリオのことを覚えていない様子でしたが、レオリオはしっかりと覚えていて、その記憶が甦ったようです。

で、困ったのがこのSSの解体屋編。この時点ではレオリオを出す予定は全くありませんでしたが、この説に則るとするならば出さないといけない。
そして、せっかく原作キャラを出すならば、見せ場を作ってあげたいのが人情というもの。

かくして、解体屋編の構想は全てご破算となり、改めて練り直しとなったのでした。

そして現在。構想が完成する前に時間切れとなったために見切り発車することに。
まさに「プロット?何それ?おいしいの?」状態。ほころびがなければいいなあ。



[27521] 21話 解体屋・4
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/11/15 01:50
昼時を迎え、ザバンの街並みは賑わいを見せていた。人々は仕事の手を止め、ひと時の休息を取る。
ある者は街のカフェに入って評判のサンドウィッチを頼み、ある者は公園で手作りの弁当を広げる。
その活気のある街並みだけを見れば、とても殺人鬼の脅威に晒されている街とは思えない。

……しかし、とある店だけは違っていた。人々は逃げ出し、店主は恐怖に怯えている。
そして、怯える店主の前には、一人の大柄の男が立っていた。
その男は非常に筋肉質な体つきをしており、見るからに力がありそうだ。
事実、店に入る際に木の扉を素手で破壊し、店内の人間を驚愕させた。
その顔つきは醜く、この世の者とは思えない。

既に、店主以外の人間は逃げ出せたが、一人取り残され壁際まで追い詰められた店主は悲惨であった。
その顔は恐怖に塗れ、涙と汗で覆われている。何とか開いた口で、命乞いを始めた。
「た……助けてくれ……。命だけは……」

だが、それを聞いた筋肉質の男は軽蔑するような目で、鼻を鳴らした。
「おいおい。俺様は解体屋バラシやだぜ?
 その俺様が、何でお前を生かさなきゃならねえんだ?」

その言葉を聞き、店主の顔が絶望に染まる。それを見て、男はさらに得意げになった。
「……とはいえ、今日の俺様は機嫌がいい。金と食料をありったけ持ってきな。それで命を助けてやらんこともないぜ」
「は、はいぃぃぃ」
腰が抜けて立ち上がれないのだろう、怯えながら地面を這う店主を見て、男は更に続けた。
「くれぐれも逃げようなどとは思わないことだな!
 俺様は幻影旅団四天王の一人でもある。逃げたら、地獄まで追っていくぜ?」

情けない悲鳴を上げながら、店の奥に行く店主を見て、男は満足していた。


――これだから、殺人鬼のいる街はおいしいぜ。


そう。男は解体屋バラシやでも幻影旅団員でもない。ただの詐欺師だ。
男の名はマジタニ。自らの顔を整形し、見せ掛けの筋肉を作り上げ、その凶悪な見た目で脅迫を繰り返す犯罪者。
その彼は、このザバン市で、解体屋バラシやの名前をフルに活用し恩恵を受けていた。

と、扉のほうで物音がし、男は振り返った。見ると、まだ若い、金髪の女性が立っているのが見受けられた。
何が起きているのか、理解が追いついていないのだろう。いささか戸惑った様子で口を開いた。
「え……えっと……お取り込み中……ですか……?」




    第21話 解体屋バラシや・4




ユナは、ふと立ち寄ったその店に入ったことをひどく後悔していた。

昼時になり、食事を取ろうと思ったが、どこの店も混んでいる。そんな中、妙に人の気配がない店を見つけたのだ。
店の雰囲気はそんなに悪そうではなく、混んでるよりはいいか、と思って入ったのがいけなかった。

中にいたのは、明らかに堅気ではない大男が一人と、怯えて店の中に向かう男性が一人。
明らかに普通の様子ではない。

ここにきて、ユナはようやく気が付いた。
……いや、薄々感づいてはいたが、あえて目を向けないでいた事実に向き合わざるを得なかった。


――ひょっとして、私ってちょっと……ううん、かなり運が悪い方なんじゃ……


何で食事を取ろうと思っただけで、犯罪の真っ只中に出くわさないとならないのか。
自分は警察でも賞金首ブラックリストハンターでもないというのに。
人生は幸運不運あわせてプラスマイナスゼロになるなんて言うけど、そんなの嘘っぱちだ。

そんなことを考えていると、目の前の大男はボキボキと指を鳴らしながら、ユナの方を向いた。
「嬢ちゃん、運が悪かったな。この俺様、解体屋バラシやに会ったのが運の尽きだ」
解体屋バラシや!!」

この街の最悪の殺人鬼の名前が出ると同時に、ユナはジャケットから銃を取り出し、安全装置を外した。
以前会った陰獣クラスの使い手ならば、この隙でも致命傷となるのだが、幸い目の前の男は念を使える気配がない。
念能力者ならば銃弾が通じないことが多いのはこれまでの経験で分かっているが、そうでなければ十分に銃は抑止力となる。

だが、そんなことは関係ないのだろうか。目の前の男は、ユナの銃を見ると鼻を鳴らした。
「フン、そんな銃で俺様と闘うつもりか。言っておくが、俺様は幻影旅団四天王の一人でもある。逃げるなら今のうちだぜ?」
「笑えない冗談ですね。何十人も殺している殺人鬼の言うことを信じると思いますか?」

相手はこの街最悪の殺人鬼だ。警戒しすぎるということはない。
この言葉も、自分が逃げようとした隙をついて殺すための言葉に過ぎない。
そう、ユナは判断していた。だからこそ隙を見せず、いつでも発砲できるように構えていた。
常に最悪の事態を想定する性格だからこそだ。……だからこそ、相手が本当の解体屋バラシやでないことに気付けない。




一方、マジタニもまた、この状況に困惑していた。
何しろ、銃が突きつけられているのだ。これまでの犯罪者人生の中でも滅多になかった事態である。
大概、その街で恐れられている犯罪者の名前や幻影旅団の名前を出せば、相手は逃げ出してくれた。
だが、今はそうなっていない。警察官と遭遇して似たような状況になったことはあるが、一般人相手では初めてだ。


――おいおい、銃なんか向けんじゃねえよ


とはいえ、弱みを見せるわけには行かない。下手にどうにかなる相手と思われて撃たれては困るからだ。
もちろん、やけになられても困る。どうにか穏便に、かつ出来れば警察などに通報されないようにお帰り願いたい。これが本音だ。
なぜなら、銃で撃たれたりしたらひとたまりもないからだ。
そもそも、彼の筋肉は脅しの道具――見せ掛けだ。

脅しのためにある程度の筋力こそつけてはいるが、実際にケンカなどしたことがない。
殴るのも怖いし、殴られるのも嫌だ。かといって、まじめにコツコツ働く気などない。
どうすれば一番苦労なく生活できるか。それを突き詰めたのが今のスタイルだ。
その見た目と名のある犯罪者の名前で脅し、労せず美味しいところを掠め取る、戦闘と無縁のスタイル。
だからこそ、戦闘ありきでこられては困るのだ。

「言ってる意味が分からないか?今は気分がいいから見逃してやると言ってるんだ。
 俺様の気が変わらないうちにとっとと失せな。まだ死にたくねえだろ?」
「……あなた、本当に解体屋バラシやですか?」
目の前の女の疑問の言葉に、汗が頬を伝うのを感じ取れた。
どうやら、極力戦闘を避けようという自分の態度が逆に不信感を持たせてしまったらしい。
実際、解体屋バラシやは老若男女問わず殺す快楽殺人者との説が濃厚だから、無理もない。




ひょっとして、目の前の大男は解体屋バラシやでもなんでもないんじゃ――。
そんなことをユナが考えていたとき、店の奥から現れた人物に目が行った。先ほど奥にはいった店主だ。
「も、持ってきて――ひっ!!」

さらに事態が悪化していると思った店主はつい大声を上げてしまい、ユナはそちらに気を取られてしまった。
――その隙を突き、大男は勢いよく走り出し、ユナを弾き飛ばした。

「きゃっ!!」

尻餅をついたユナを尻目に、大男は表に走り出し、大声で叫びだした。
「強盗だー!!銃を持った女が、店に入っているぞー!!」
「え!?ちょっと――」
慌てて叫んだときにはもう遅かった。大男は走り去ってしまい、騒ぎを聞きつけた警察官が銃を構えながら包囲を始めていた。

「そこの強盗犯!おとなしく出て来い!」
警察官の投降を促す声が聞こえる。
「違いますって!私は強盗じゃありません!」
「話は署で聞く。銃を捨て、早く投降せよ」
どうにも頭の硬そうな態度に、ついため息が出てしまった。


――ああ。最悪。まだお昼ご飯も食べていないっていうのに……


仕方なく、銃を警察のほうに放り投げ、両手を挙げて歩き出した。
絶対、あの筋肉ダルマに仕返ししてやる。
そんな思いを抱きながら。






「悪かったな、嬢ちゃん。若い者は最近ピリピリしててな」
「いえ……。分かってもらえて嬉しいです」
頭をボリボリと掻きながら謝罪した警察官の言葉を、ユナは素直に受け入れた。
……もっとも、感情の篭っていないその声は、内心で様々な思いが渦巻いていることを理解させるに十分なものだった。


あの後。署に連行されて身の潔白を訴えたが、なかなか聞き入れられなかった。
事実、拳銃を所持していたのであるから、無理からぬことかもしれない。

その後、例の店主がことの顛末を説明してくれてどうにか事なきを得た。
いや、厳密にはその後に出した依頼主のロスチャルハンの名前が効いたのだろう。
実際に彼に電話し、疑っていた警察官の顔が見る見る真っ青になったのは忘れられない。

そして今。コショウと名乗る警察官に謝罪され、署の入り口まで案内されているところだ。
腕時計を見ると、もう三時を回っている。完全に昼食を取り損なってしまった。
そのためか、ユナの内心は不満でいっぱいだ。
フケが飛んでるから何とかしろとか、無精髭くらい剃れとか、コートなんか着てて見てるだけで暑苦しいとか、昼食くらい用意しろとか。
……もっとも、警察相手に口にする度胸はないので、肩を怒らせて歩くことしか出来ないのだが。
そして、その怒りの矛先はこの事態を招いた男に自然と向かった。

「そういえば、あの筋肉ダルマって結局何なんですか?」
「……嬢ちゃん、辛口だな。一応捜査情報だから、素人には漏らすことは出来ねえんだ。悪いな」
「素人じゃないですよ。ハンターだって言いましたよね!?」
普段なら退くところだが、つい噛み付いてしまった。しかし、コショウはあくまでも冷静だ。
「でもよ、ライセンスねえんだろ?」
「う……」
「それじゃ教えるわけにはいかねえな」
「でも!一応私も関係者のわけですし、知る権利はあるんじゃないですか!?」
それでもなお、食い下がる。と、同時に大きな音がなってしまった。ユナの腹の音だ。

「あ……」
「……なるほど、食い物の恨みは恐ろしい、か」
クックッと笑うコショウを見て、ついユナは顔を赤く染めた。
「知りませんよ!もう!」

わざと足音を高くして歩いていくと、入り口のほうでなにやら大声が上がっていた。
声を発しているのは背の高い男だ。その身なりや顔から、まだ若いと思われる。
ひょっとしたらユナとそう年齢的には変わらないかもしれない。

その相手は、これまた背の高い、眼鏡をかけたスーツ姿の男だ。
警察官だろうか。その落ち着いた雰囲気から、二十代といったところだろうか。
その周りを、制服姿の警察官が三人ほど囲んでいる。

「その件は、大変お気の毒だった。警察としても、一刻も早い事件の解決を目指している」
「だったら早く捕まえろよ!ガキどもの逮捕なんかやってる場合じゃねえだろ!」
「……何度も言うように、警察も一つの事件だけを取り扱っているわけではない。
 我々は最善を尽くして各事件の解決に当たっている」
眼鏡の男がそういうと、周りの警察官が「もういいだろ」と少年を取り押さえた。
しぶしぶ、といった様子で少年は去っていったが、その目は最後まで眼鏡の男を睨んでいた。

「ソルト、今の子供は?」
コショウが話しかけると、右手で眼鏡のずれを直しながら男は口を開いた。
「お疲れ様です、警部。この前解体屋バラシやに殺された一家の生き残りですよ。
 どこから聞いたのか、私が『虎の牙』を一斉摘発しようとしていたのを知って、文句を言いに来てまして」
「一斉摘発って……どういうことですか?」
ソルト、と呼ばれた眼鏡の男の説明に対し、ユナはつい口を開いてしまった。
当然、ソルトは訝しげにユナとコショウを見ることとなる。

「……君は?」
「昼間、自称解体屋バラシやにダシにされた女性だ」
「ああ、アマのハンターとか言う」
その、どことなく見下したような物言いに、ついユナはムッとしてしまった。空腹のせいもあってか、いつもより短気である。

「そんなことよりも。それって解体屋バラシやよりも優先するべきことなんですか?
 あんな、何人も殺している殺人鬼なのに」
「そちらの捜査にも全力を注いでいる。君が文句を言うことではない」
「一年も、素手で人間を殺している人間を捕まえられていないのによく言えますね」
「そう言ってくれるな、お嬢ちゃん。こっちも頭悩ませてんだ。
 素手で人間の肉を千切る大男なんてそういないのに、足取り一つ掴めねえんだからな」
ソルトに食って掛かるユナに対し、コショウは頭を掻きながら止めに入る。
彼としても、これ以上警察の恥部を晒されるわけに行かないのだろうか。
その顔には諦めとも焦りともつかない表情が浮かんでいた。

一方、ソルトは右手で眼鏡のずれを直すと、ユナの方に向きなおした。相変わらず、その表情には侮蔑のようなものが見える。
「君こそ、何でストリートチルドレンにこだわる。言っては悪いが、彼らは社会のクズだ。
 彼らを社会から根絶し、住みよい街を作ることも警察の義務だ」
「……随分恵まれた人生を送ってきたんですね」
そんなユナの皮肉にも、どこ吹く風だ。
「君はハンターだと言ったね。大方、『虎の牙』に盗まれた品が目当てといったところだろう。
 だからこそ、今警察に押収されては困る。違うかね?」
「な!?そんなつもりじゃ!」

彼女の抗議を最後まで聞かず、ソルトは振り向き、歩き出した。
「君も仕事だろうが、我々も『市民のために』行動している。
 悪いが、君の『ハンターごっこ』に付き合う余裕はない。引き取りたまえ」

かちゃり、と無情に閉められた扉に向かい、ユナは忌々しげに呟いた。
「……その『ハンターごっご』とやらで足元すくってやろうじゃないの」





ザバン市のスラム街。その一角にある廃ビル。
コンクリートの壁は所々崩れ、電気は通っておらず、陰気な雰囲気を醸し出している。
一般人であれば到底近寄らないであろう場所だが、そのビルの中には何人もの子供がいた。
無論、ただの子供ではない。この一帯でその名を轟かせているストリートチルドレン「虎の牙」である。

そのビルの最上階。多くの子供達が集まっている、彼らの本部。
そこは今殺伐とした雰囲気に包まれていた。
その理由は、中心に高くせり上げられた場所に座る一際大きい少年――「虎の牙」のリーダーにあった。

「どういうことか、ちゃんと説明できるんだろうな、ペンソー」
その少年の低い、しかし怒気のこもった声に、声を掛けられた少年はその肩を震わせた。



[27521] 22話 解体屋・5
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/12/24 03:01
始まりは、子供ならば誰もが持つ無邪気な好奇心だった。
多くの子供がやったとおりに、その子供も虫を捕まえては羽をむしり、体を千切った。
苦しんでいる虫を、興味と少しの愉悦が混じった感情で見つめたものだ。

しかし、多くの子供はそこで止まる。
残酷な好奇心は、しかし命の意味を確かに子供に教える。
あるいは、もう少し進んで他の子供に痛みを与えることもある。
しかし、それも争ううちに痛みを覚え、傷つけることの罪深さを知る。

傷つけ、傷つけられ、子供は痛みを覚えて大人になっていく。
誰しもが登るはずの階段。だが、その子供だけはそれを登らなかった。
……いや、登ること自体を拒否したと言える。

その子供は、いつまでも虫を千切ることをやめなかった。
それどころか、徐々にその行為はエスカレートしていった。

虫の次に手を出したのは、道端を歩いている野良猫だった。
餌付けをし、なついた頃を見計らって首を切り下ろした。
普通の人間ならば思わず目を背けそうなその光景を、少年は確かに美しいと感じていた。

実の親を失い、養親から愛情を受けられなかったことも関係しているのかも知れない。
少年は、徐々に生き物を殺すことに夢中になっていった。

周りの大人たちに隠れ、動物を捕まえては殺していった。
最初は刃物を使用していたが、いつしか素手でその肉を触りたくなっていた。
そして、純粋なその想いのために、素手で動物の肉を千切れるほどの筋力を手に入れた。

素手で千切る感触は、刃物で切るのとは比べ物にならなかった。
命の鼓動が、まさしく自分の手によって消えていく瞬間。
その瞬間こそ、正に少年にとっては生を実感する瞬間であった。

そして、動物を殺すことに快感を覚えていた少年はついに禁忌を犯す。
いや、それは当然の帰結だったのかもしれない。


――人間を、この手で千切ってみたい。


傍から見れば理解しがたい、異常とも言える思考。
だが、少年にとってはいつしか、それが生きる全てになっていた。

少年がそのような思考に陥るのは、避けられない事態だったのか。
あるいは、どこかで誰かが間違っていなければ、このような悲劇は起こりえなかったのか。
その答えは誰にも分からない。




    第22話 解体屋バラシや・5




「くそったれ!!」
肩を怒らせながら、黒髪の若者――レオリオは街を歩いていた。
その様子に人々は思わず道をあけ、怯えたような視線を送るが、本人はそこまで気が回らないようだ。

なぜ、彼がそこまで憤慨しているのか。それを説明するには、一時間ほど遡らなければならない。
それは、一見戦場に迷い込んだかと見紛うほどの光景の中の出来事。
ザバン市の警察病院の廊下には、両手の指ではとても足りないほどの数のけが人が、所狭しと敷き詰められていた。
警察官の姿だけでなく、まだ少年と言っても差し支えない年齢の人々もその中には多くいた。
当然、そんな状況では医者の数も足らず、医師免許を持っていないレオリオですら助手と言う形で駆り出されていた。

次から次へと押し寄せてくるけが人の治療をしながら、レオリオはやり場のない怒りを抱えていた。
警察はまだいい。彼らは、体を張るのが仕事だ。多少のけがは覚悟の上だろう。

だが、この少年達はどうか。確かに、住民には迷惑をかけているかもしれない。
しかしながら、彼らもある意味では被害者なのだ。
親がなく、学がなく、住む所がなく、当然ながら職もない。
そんな彼らが生きるためにはどうするか。
ごみを漁るか、体を売るか、犯罪に手を染めるしかない。

それを良しとせず、警察は半ば強引に確保してきた。
まるで凶悪犯に対処するかのように重装備を固め、大人数を動員し、少年達のたまり場に強行突入した。
その結果、少年達のほとんどが、命に別状はないとは言え怪我を負っていた。
貧困街の出身であるレオリオは、どうにもこれに納得がいかない。


――所詮、貧乏人はごみ以下ってことかよ……


いてえ!もっと優しくやれよ!」
「あ、ああ、すまん」
つい憤りのままに力いっぱい包帯を締め付けてしまい、抗議の声を受けてしまった。
目の前の少年は、数箇所の打撲と擦り傷ですんでいる。しかし、中には骨折したものもいる。
警察が強引に確保しようとして少年達と争ったためだ。
さすがに銃器は使用されなかったらしいが、あまりにも強引なやり方につい腹が立ってしまう。
ストリートチルドレンは人間じゃない。そう言われているようで無性に腹立たしい。

治療を始めて、三時間くらいだろうか。突如として、師であるクロップが話しかけてきた。
「交代が来た。終わりだ、レオリオ」
「ちょっと待ってくれよ、クロップさん。まだ廊下には多くのけが人がいる。俺達もいなきゃ足りないだろ」
「俺達の仕事は交代が来るまでの繋ぎだ。これ以上残っていたところで1ジェニーの得にもなりゃしねえ」
「だからってよ、あんなに残ってるけが人放っておくのかよ。もう少し落ち着くまで――」
「終わりだと言っている。さっさと準備しろ」
「おい!待てって!じゃあ俺が残ればいいだろ!?」
「駄目だ。俺にも監督責任があるからな。従わねえんなら、これ以上お前に教えることはねえよ」
そう告げてクロップが外に出て扉を閉めると同時に――

「くそがっ!!」
レオリオは壁を蹴飛ばし、地震かと思われるほどに大きな音が鳴り響いた。
それを見ていた少年が、それまで見せなかったような怯えを浮かべた表情をしたことは言うまでもない。



そんなことを思い出しながら、街中を歩いていたときだ。
いつの間にか、裏路地に来てしまったらしい。辺りは随分とさびしげになっていた。

と、どこからか声がしてきたので、ついそちらの方に目が向いた。
それは、乱立する廃ビルの隙間にある、一箇所の空き地だ。
少年達が円を描くように集まって、中心に向かって足蹴りをしていた。
よく目を凝らすと、中心にはうずくまっている人影が見える。


――集団リンチか。よくもまあ、やるもんだぜ


放っておいて、先に進もうとした。どのみち、自分には関係のないことだ。


「おらっ!!」


鈍い、肉を叩きつける音が聞こえ――


「ゴホッ!!ゴホッ!!」


血にむせるせきが聞こえ――


「ぎゃはは!!吐いてやがんぜ、きったねえ!」


耳障りな笑い声が聞こえ――


「だーーっ!!てめえら、よってたかって何してやがる!!」


――気が付けば、レオリオは少年達に対して怒鳴り声を上げていた。


「あ?なんだ、オッサン」
「殺すぞ、コラ」
「俺たちが誰か、分かってんのか?」
少年達がこちらを向き、口々に威嚇の言葉を発すると――


レオリオは黙って木造の廃屋のところに歩いていき――


――その柱の一本を叩き折り、抜き取った。


「……誰を殺すって?お?」


――修羅。折れた柱を持ち、憤怒の形相で近づいていく彼はまさにそう形容するにふさわしい表情をしていた。
まさに死を具現化した存在。少なくとも、少年達にはそう見えた。

――ゆえに、彼らが一目散に逃げ出したのは無理からぬことだった。


「おう、ガキ。大丈夫か?」
ゆっくりと少年に近づき、しゃがみ込む。見ると、全身打撲だらけだ。が、骨折までは至ってないだろう。
そんなことを考えていると、目の前の少年から蚊の鳴き声のような音が聞こえた。

「……んで……だよ……」
「ん?」
「なんで助けたんだよ!オッサンに助けられる覚えはねえぞ、バカ!」
少年は涙を流しながら、腫れぼった顔を上げ――

「誰がオッサンだ、コラ」
「……すみませんでした」

――その凄みについ謝罪してしまった。




昼下がりの街は、平日とはいえ幾分多くの人々が溢れていた。
カフェには人が多く集まり、コーヒータイムを楽しむ。

「ああもう!なんなの、あれ!?」
そんな雰囲気には似つかわしくなく、肩を怒らせながら、一人の金髪の少女が歩いていた。
その手には、先ほどファーストフード店で買ったハンバーガーが握られている。
彼女の頭の中にあるのは、先ほどの警察署内でのやり取りだ。
自分の人生を否定されたかのような言動に、どうにも腹が立ってしまっていた。
……その原因の中には、昼食を取り損なってひどく空腹状態であるということも多分に含まれているのかも知れないが。

ハンバーガーにかぶりつきながら、先ほどのやり取りを思い出す。
あの筋肉ダルマと、眼鏡の警察官をやり込められる方法はないだろうか。
そんなことを考えながら歩いていた。

なんとか「虎の牙」の子達を逃がせられないだろうか。そうすれば、一泡吹かせられるかもしれない。
それに、一年近く捕まっていないという“解体屋バラシや”。それも捕まえることが出来れば、更に見返すことが――?

そこまで考え、ユナはふと歩みを止めた。


――ちょっと待って


強烈なまでの違和感。先ほどの警察署内でのコートを着た男性の言葉を思い出す。


――素手で人間の肉を千切る大男なんてそういないのに、足取り一つ掴めねえんだからな


……何で、一年も捕まっていない?
その疑問が、どうにも拭い去れなかった。

素手で人間を千切る。不可能とは言わない。実際ファルグなどは素手でコンクリートをぶち破っていた。
しかし、そんなことが出来る人間がそう多くはないことも事実だ。
ある程度捜査をすれば、容疑者は簡単に絞られるだろう。

また、素手で千切ればどうしても指紋が着く。そうでなくとも、千切った後から手の大きさを類推でき、そこから犯人の体型が推測できるはずだ。
しかし、あのコートの警察官は「足取り一つ掴めない」と言った。つまり、これらの情報も一切手に入っていないということだ。
……そんなことって、あり得るのだろうか?

道の真ん中で立ち止まり、ハンバーガーを口元に当てながら考え込むユナを、人々は不思議そうに見ながら通り過ぎて行った。
が、思考の海に沈んでいる彼女は、それを気にする様子がない。

一口、ハンバーガーをかじりながら考える。そして、一つの結論に達する。
――あり得ない、と。
では、どういうことか。警察が捕まえることの出来ない理由は――


「きゃっ!!」
そんなことを考えながら立っていると、後ろから思わぬ衝撃を受け、前につんのめってしまった。
何とかハンバーガーを落とすのは防いだが、自身は前に倒れこんでしまった。

そんな彼女に返ってきたのは謝罪でも心配の言葉でもなく、罵声だった。
「そんなところに立ってんじゃねえ!」
そう言い捨てながら走り去っていく男達はまだ若い。少年と言っても差し支えない年齢だ。
何かから逃げるように、慌てて走り去っていく。

「もうーーっ!!なんなの!!」
今日自分はどこまでついていないのか。そんな想いが凝縮された叫びは、悲しいかな、誰にも届かない。
だが、彼らは走り去るときに気になる一言を言っていた。
「もう少しでペンソーの野郎を……」
一体彼はどんな目にあっているのか。彼らが逃げてきた方向へと、駆け出した。




「いてえ!!俺はケガ人だぞ、もっと優しくやれ、バカ!!」
「ああ!?んな元気あんなら大丈夫だ。ほら、そっちの腕を貸せ」
しばらく歩くと、どこかで聞いたことのある声がしてきた。
声がしてきたほうを見ると、二人の男性がいるのが見える。
一人は黒髪でスーツ姿。こちらに背を向けており、その顔までは分からない。
もう一人は栗色の髪のまだ幼い少年。この街に来てから何度も会った、よく見知った顔だがその顔面は傷だらけだ。

「ペンソー君!?どうしたの、そのケガ!?」
そう言いながら駆けつけるユナに気が付くと、ペンソーは露骨に嫌そうな顔をして怒鳴り散らした。
「何でもねえよ!!来るんじゃねえ、バカ!!」
「ん?知り合いか?」
振り向いた男は、サングラスをかけていた。二十代だろうか。そんなことを考えながら、ユナは話しかけた。

「一体、どうしたんですか」
「なんかガキどもに殴られてたんだよ。で、俺がケガを診ていたらやたらケンカ腰でよ」
「うるせえ!!オッサン!」
「だから、オッサンじゃねえつってんだろ!!」
「はは……すみません」
まあ、子供からすれば、自分より年上の人はみんなオジサン、オバサンだもんね。
二十代くらいの人なら無理ないか。そんなことを考えながら、代わりに謝罪をした。
だが、彼女は知らない。目の前の男が、実はまだ十代であることを。――そして、自分と年齢が同じであることを。

「ほれ、これで一通り終わりだ、クソガキ!」
レオリオと名乗ったサングラスの男は、一通りの手当てを施すと、ペンソーの背中を勢いよく叩いた。
「痛え!」という声が聞こえるが、まるで本人は聞こえないようだ。

「ありがとうございます。お礼は――」
「あ?いいよ。それより、名前は?」
「へ?ユナですけど」
「そうか。まだちょっと時間あるし、どこかに行がなっ!?」
そう言いかけたところで、レオリオは背中に衝撃を受けて吹き飛ばされた。
その後ろには、肩から体当たりしたであろうペンソーが鼻息を荒くしていた。

「てめえ!何しやがる!」
「うっせえ!さっきの仕返しだ、バカ!」
「上等だコラ!」
そう二人が言い争うや否や、すぐに殴り合いの大ゲンカになってしまった。

「ちょっと、二人とも――」
止めようとしたユナだが、すぐに思いとどまった。代わりに、微笑んだ。


――なんか、楽しそう


ただのケンカに見えるが、実際には仲のいい兄弟がどうにもじゃれあっているようにしか見えない。
そんな様子が微笑ましくもあり、羨ましくもあった。
自分は、果たしてこれまでどれくらい「楽しい」という感情を持ったことがあっただろう?
そんなことを思うと、どうにも寂しさがこみ上げてきた。




「どうだ……参ったか、クソガキ」
「うるせえ……俺は負けてねえ……」
息も絶え絶えに話す二人だが、お互い頑固で、なかなか負けを認めない。
もちろん、レオリオの方は子供相手に手加減しているのは分かる。
それでも、勝ちを譲らないところがどうにも大人気ないと思えて仕方なかった。

が、そのこう着状態も終わりを迎える。突如、レオリオの携帯電話がけたたましく鳴り出したのだ。
そのコール音に出ると、「レオリオ!!どこほっつき歩いてやがる!!」とこちらまで聞こえてくるほどの怒鳴り声が発せられた。

「クソガキ、この勝負はお預けだ。用事が出来たから、俺は戻るぜ」
「逃げんのかよ!」
「俺だって戻りたくねえよ!でも、しょうがねえだろ!」
結局、二人は再戦の誓いを果たし、レオリオは立ち去っていった。全く、この二人は仲がいいのか悪いのか……。

「大丈夫?今ので傷口開いちゃったんじゃない?」
そう言いながら触ろうとしたが、その手が勢いよく払いのけられた。
驚いて目を見開くユナに対し、叫び声が浴びせられた。

「俺、弱くねえからな!さっきも負けてねえんだ!」
「分かってる」
「分かってねえ!!」
「……どうしたのよ」
ユナは戸惑ってしまった。その目には涙が溢れていたから。
――そして、「助けてくれ」と言っているようだったから。
「大丈夫。大丈夫だから」
そっと頭を撫でながら、ペンソーを抱きしめた。

「大丈夫」。自分が子供の頃に母親から何度も聞かされた言葉。
その言葉通りに上手くいったことなど、ほとんどなかった。
それでも、ユナはこの言葉が好きだった。どこかで、母親が見てくれているような気がするから。




ひとしきり泣きじゃくったペンソーが落ち着いた後、二人で公園のブランコに並んで座った。
何か言いたいことがあるのだろう。そう思ったユナは、あえて何も言わず、じっと待った。
どれくらいの時間が経っただろうか。ポツリと、呟きが漏れた。

「……おふくろから、親父について何か聞いてるか」
「ちょっとだけね」
「暴漢に襲われて死んじまったことは?」
「……それも聞いてる」

ゆっくりと、ブランコを漕ぎ出しながらペンソーの話は続いた。
「親父は腕っ節が強くてさ、すげえ怖かったんだ。ほんと、頑固親父って感じで。
 でも自分の仕事に誇りを持ってる感じでさ、俺もかっこいいと思ってたよ」
誇らしげと言うのは嘘ではないのだろう。その目は、今までに見たことがないほどに輝いていた。

「厳しい親父だった。曲がったことが嫌いで、よく怒られた。
 俺が風邪引いて寝込んじまったときもろくすっぽ看病せず、治ってから『風邪に負けない強い男になれ』とか言うんだぜ?」
「ひでえ親だよなあ?」と同意を求めながらブランコを漕ぐペンソーの顔は、その言葉とは裏腹にどこか嬉しそうだった。

「で、ある日親父とおふくろが大ゲンカしちまったんだ。きっかけは、ホントに大した事じゃないんだ。
 晩飯の献立が気に入らないとか、そんなことだったと思う。でも、互いに譲らなくってさ。
 最後におふくろがキレて『そんなに飯食いたくないんなら、どこにでも行っちまいな!』って行って親父が出て行っちまったんだ」
その顔は下を向いており、表情は伺えない。

「でも、そんなケンカ良くあることだったんだよ。
 しょっちゅうケンカしてるけど、ちょっとしたら戻ってきて、またいつも通りの生活が始まる。
 その時もそうだと思ってたから、俺軽く考えてたんだよ。何で、あの時にもっと親父と話さなかったんだろう……」
いつの間にか、彼はブランコを漕ぐのをやめていた。

「あの日は違った。夜、家に強盗が入ったんだよ。俺が物音で目が覚めて、なんとなく廊下を歩くと、ナイフで切られたんだ。
 あんまりにも痛くてさ、思わず泣き叫んだよ。そしたらその強盗が振りかぶって、更に切ろうとするんだ。俺は怖くなって目をつぶった。」
今、彼はその日の夜に戻っているのだろう。情景がありありと浮かぶようだ。

「でも、来るはずの痛みはなかった。親父が、いつの間にかいて俺を守ってくれてたんだ。
 それから二人の殴り合いになったんだけど、親父はナイフでめった刺しにされてさ。
 その強盗は捕まったんだけど、親父も死んじまった」
彼はブランコからゆっくりと立ち上がり、歩き出した。

「俺が強けりゃ、親父は死ななかったんだ。でも、そんなの認めたくなかった。
 だから、『虎の牙』に入って騒いでた。俺は強いんだぞって言いたくてさ」
振り向いたその目には、また、涙。

「でも、やっぱり俺は強くも勇敢でもなかった。警察が来たときも、ビビッて逃げちまったんだ。
 その結果が、このケガだよ。俺は、みんなに嫌われて、殴られて、放り出されたんだ」
「でも、それは――」
ユナの言葉を、首を振ってペンソーは遮った。

「いいよ。俺が悪いんだ。でも、おふくろのところにも戻れない。
 いまさら、どんな顔して会えばいいって言うんだ。俺、ひどいこと言っちまったんだぜ?
 『お前が出て行けって言ったから、親父はいなくなっちまったんじゃないか』ってさ」
「簡単だよ。『ごめんなさい』って一言でいいんだから。お母さんも、君が帰ってくるのを待ってるはずだよ」
その言葉にも、首を振って返した。

「ダメなんだよ。俺は強くも勇敢でもないんだ。もし……拒絶されたらと思うと……怖くて……
 なあ、俺どこで間違ったんだと思う?ただ、みんな笑っていて欲しかっただけなのにさ……」
そこまで聞いたユナは立ち上がると、その頬を思いっきりひっぱたいた。

「情けないこと言うな!あの人がどれだけ君の事を心配しているか、本当に分かってるの?」
しばらく呆然としていたペンソーだが、俯くと小さく「ごめん……」と返した。
その様子に、ため息を吐きながらユナは続けた。
「とにかく、一度きちんと会ってみなよ。私も、出来ることはするからさ」
「本当か!?」
「ただし、有料ね」
「うえ!?」
「そんなお金あったかな……」と呟きながらポケットを漁るペンソーを、ニヤニヤしながらユナは見つめていた。
やがて、「あった!」と嬉しそうな声と共に出てきたのは、古びた500ジェニー硬貨だった。

「ごめん、これしかないんだけど……」
「冗談だって言うのに」
「だめだ。受け取れ。そしてお前も、おふくろを喜ばせる方法を考えろ!絶対だ!」
「えええ……」
墓穴を掘ったかもしれない。そう思いながらも、どこか嬉しそうにジャケットにしまった。
「ハンター、ユナ。確かに、この依頼承りました」
「絶対だぞ!」
「お金の上での約束は破らないよ。で、すぐに行くんでしょ?」
「一応……荷物とかあるし……。それに、何か持っていきたいから、明日ちょっと買い物に付き合えよ!」
「オーケー。じゃあ、明日またここで」

足取りも軽く去っていくペンソーを見送った後、ユナはあることに気が付いた。
「あ……絵の交渉どうしよう……」




人通りのない路地裏を、ペンソーは一人歩いていた。目的地は、見慣れた「虎の牙」のアジト。
とはいえ、自身はもうその一員ではない。見つかれば、また殴りかかられることは必至だ。
だからこそ、夜まで待ち、闇にまぎれながらこっそりと忍び込もうとしていた。

どうやって見つからないように忍び込むか。そんなことを考えながら電柱から入り口を覗き見ると、見慣れない人影が入っていくのを見つけた。
……それは、筋肉質の、縮れ毛の大男。「虎の牙」にあんな人物はいない。
かといって、警察にも見えないし、一般人がこんなところに来るはずがない。
大体、雰囲気からして違った。「虎の牙」の幹部達も自分から見れば十分怖いが、あれはそんなものではない。
そもそも、人間であるかすら怪しい。見たときから心臓の高鳴りが止まらなかった。

一体何者なのか。考えていると、一つの信じられない答えにたどり着いた。


――解体屋バラシや


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