攻強皇國機甲 第一話 「あいさつの魔法。」
あいさつ――
そう人は、なぜあいさつをするのだろうか。
人が人にあいさつをするとき、我々は何を思ってあいさつをするのだろうか。
あいさつとは、そこに込められた意味とは、そしてその存在意義とは――
いったい何だろうか。
「ジリリリリ……」
日々の朝は、けたたましく始まる。
彼ら、日々を生きる人間にとって、朝の一分一秒は何よりも貴重だ。
その貴重なはずの時間を浪費している少年が、一人。
「ジリリリリ……」
まだまどろみの中を泳いでいるのか、目覚ましがむなしい悲鳴を上げ続けている。
「起きなさい、正太郎!」
怒鳴りながら部屋に入ってきたのは、彼の母親だろう。正太郎と呼ばれた少年はようやくその目を開けた。
「一体何時だと思っているの、いいかげんにしなさい」
「う~ん、もう少し~」
「何言ってるの、もう8時15分よ!」
「えっ!?」
数字を聞いて飛び起きる。
「うそー!? もうこんな時間!!」
「朝ごはんできてるから、早く着替えて降りてきなさい」
そう言う母の姿はすでになかった。
「もう! どうしてもっと早く起こしてくれなかったの!」
目玉焼きを飲み込んだ正太郎が叫んだ。
「ちゃんと起こしました。それも3回」
「僕が起きなかったら意味ないよ!」
トーストを口いっぱいにほおばる。
「『あともう少し』って何回聞いたと思う?」
「それは……、ゲホゲホ」
言葉に詰まる。そして喉も詰まった。
「慌てて食べるからよ」
というあきれる声を聞いた。
涙目の正太郎は二重の意味で言い返せない。
ミルクでなんとかトーストを流し込んだ。サラダがまだ残っているが、時計はすでに25分を回っている。
「よし!」
「何が、よし! よ。サラダが残ってるじゃない」
「だって今日は時間ないもん」
言うが早いか、ランドセルを背負って玄関へ駆けだした。
「待ちなさい、正太郎」
怒られる、そう彼は思った。だが、母は白い袋を手渡した。
「はい、給食エプロン。ちゃんと洗濯しておいたからね」
「あ、……うん」
拍子抜けした正太郎に、次の言葉は出なかった。ため息を聞いた気がする。
「じゃ、いってらっしゃい」
「……うん」いってきま――
が、突然鳴りだした電話に彼の台詞は遮られた。
母親はすでにそちらへ向かっている。
正太郎はしばらくそこにたたずんだが、やがて、
「お母さんなんて勝手なんだから!」
と吐き捨てたのち、ドアを開け、駆けた。
教室のドアを開けると、同時にチャイムが鳴りだした。
「ふぅ~、なんとか間に合ったぁ」
いそいそと正太郎は自分の席へ向かった。
「おそよう」
座ろうとした正太郎に、ふいに隣の席の女の子が声をかけてきた。
「おそようってなんだよ!」
「おそようはおそようじゃない」
満面の笑みで言ったのは、シア・タウスだ。席が隣ということもあって、正太郎とはよく話す仲だ。
「ふんっ! 今日は僕のせいじゃないもん」
一人ですねてしまった正太郎に、シアは首をかしげた。
だが、その理由を考えるよりも、ふとあるものに目が行った。
「正太郎君、それ……」
「なに?」
彼女が指しているのは給食エプロンの袋。
「とってもキレイにたたんである」
「うん、今朝お母さんが”勝手に”わたしてくれたんだ」
正太郎としてはまだ今朝のことを根に持っている。
だが、シアは逆の意味で受け取った。
「いいなぁ」
「えっ?」
「だってお母さんがやってくれたんでしょ? シアのお母さんは自分でしなさいって言うから」
言われて、正太郎は改めて袋を見た。純白の袋には、いつも通り丁寧にアイロンがけがされたエプロンが入っている。
「あ~あ、正太郎君がうらやましいなぁ」
シアのつぶやきに、彼は返す言葉を見つけられなかった。
攻強皇國機甲-Armored Chrysanthemum-、通称AC。
それは来るべき大神祭の脅威に備えて、日本政府が秘密裏に設立した特務機関である。
その総合指令室の一角に、観葉植物が並べられたスペースがある。
そしてそのそばに、女性が一人。
鼻歌を唄いながら水をかけている。
「やぁ、美乃里(みのり)君」
後ろから声をかけられた。
江石美乃里が振り向くと、そこには堂々たる体躯の男が立っていた。
「あっ長官」
言いつつ美乃里は、その手に持った霧吹きを体の後ろに隠した。
この男こそ、AC司令長官・絵多野幸太郎その人だ。
「水やりとはさすがは美野里君だ、細かいところによく気がつく」
「いえ、なかなか気遣う人がいないものですから」
「私は君のそういう点を、秘書として高く評価しているのだよ」
とんでもない、と美乃里はかぶりを振った。
絵多野長官は笑みを作った後、こう尋ねた。
「これは…芽生(めばえ)君が置いてくれたもの、だったかな?」
「はい、妹は――芽生は『指令室は殺風景すぎるの』だと」
まったくだ、と長官は笑った。
「そういえば、芽生君、それに幾重(いくえ)君はどこにいるんだ?」
「今日は平日ですから、二人とも学校ですわ」
「そうか、彼らにはそちらの日常もあるのだったな」
そう言って長官は指令室の前面にかかるメインモニターを見やった。つられて美乃里も顔を向ける。
画面には単なる地図が映し出されてあるだけだ。それはつまり、平常であることを告げている。
「……現れませんね、大神祭」
「私はいっそ、このまま現れないことを願っているのだがね」
「ええ、その通りですわ。そして――」
「あいさつの魔法、その使い手も、だ」
長官はうなずき、そして美乃里はその目を細めた。
終わりの会を終えた教室から、三々五々と子供たちがあふれてくる。
ある者は校庭に仲間と繰り出し、ある者は会話に花を咲かせ、またある者は目もくれず家路に着く。
そんな中、正太郎は二人で帰路を進んでいた。
相手は江石芽生、クラスメートでは唯一帰り道を共にしている存在だ。
「あ~あ、また今日も、幾重先生に怒られちゃったなぁ」
正太郎はわざと明るい声で言った。クラスの担任である江石幾重は芽生の姉だからだ。
言わずもがな、美乃里、幾重、芽生は三姉妹である。ただし、芽生は腹違いではあるが。
「また、そんなこと言って、正太郎君が悪いんだからね」
「僕が?」
「だって、またあいさつしなかったでしょ?」
そう、彼らの担任である幾重は、特にあいさつの指導に厳しい。
今日、正太郎が怒られたのも、それが原因だ。
「幾重先生はあいさつあいさつって、うるさすぎるよ。そんなにガミガミすることないじゃん」
「ほんとにそう思ってる?」
芽生は立ち止まり、しっかりと彼の目を見据えていた。
軽い気持ちで言った正太郎はただ困惑した。
長い沈黙の後、ややあってから芽生は前に向き直り、再び歩き出した。
軽い動悸から解放された正太郎は、ふと今朝のこと、母のことを思い出していた。
三度も起こしてくれたこと、給食エプロンもちゃんと用意してくれていたこと。
そのお礼も、食後にも、出かける時も。
「どうして僕はあいさつをしなかったんだろう……」
「すればいいじゃない」
「えっ?」
「あいさつをしたら、それでいいじゃない」
芽生の言葉に正太郎は目が覚めた思いだった。
「うん、そうだよ、そうなんだ!」
帰ったら一番にお母さんにあいさつしよう、そう心に決めたその時だ。
突然、空が赤くなった。
次いで、轟音、そして衝撃が来た。
悲鳴があちこちで聞こえる。
「な、何が起こったの!?」
正太郎の叫びに芽生が答えた。
「来た……!」
「来たって何が?」
「大神祭!!」
攻強皇國機甲、その全域に緊急警報が鳴り響いた。
「長官!」
と、美乃里が振り向くと、
「どうやら、私の願いは聞き届けられなかったようだな!」
長官はすでにその身を指令座に置いていた。
「現在の状況は!」
「正体不明の巨大ロボットが、突然出現しました!」
「突然だと!」
ふむ、と声を挙げたのは長官の前の席に座っている老人だ。
「会田博士?」
「間違いない。この空間転移魔法は、奴らにしか使えんものじゃ」
博士は立派な禿頭をなでながら答えた。
「間違いないのだな?」
「ハッハッハ……、我々人類には百年かかっても会得できない技術じゃよ」
「よろしい、ならば!」
長官はおもむろに机を叩いた。
その音に機甲の構成員たちは動きを止め、そして仰いだ。
長官は指令室内に響き渡る大声で、今こそ宣言する。
「現時刻をもって、正体不明のロボットは大神祭による災いと認定する」
よって!
「我々、攻強皇國機甲はその本来の目的を果たす、すなわち全力を持って大神祭の災いを撃滅する!!」
応!! と応えるは構成員。そしてすぐさま己の成すべきことに注力する。
長官はうなずき、続けて博士に問うた。
「博士、ACナンバーズは――」
「AC-D01、AC-G02の二体が出動可能じゃ。後のナンバーズは調整中での…」
「今はその二体にかけるしかない! パイロットの犬埼君、宇佐見君に今すぐ出動準備を――」
正太郎君、とおもむろに芽生は呼んだ。
「私、行かなきゃいけないから、行くね」
「行くってどこへ!?」
「……ごめん、言えない」
そうして元来た道を戻ろうとした。が、
「正太郎君。……正太郎君は逃げて」
そう言い残し、今度こそ駆けた。
残された正太郎は、もう一度爆音の生じた方向を見やった。
「逃げろって言われたって……」
刹那、今度は前よりも近いところで、新たな火の手が上がった。
そしてそれは、
「ウチのほうだ! そんな――」
お母さん!!
その時、正太郎の周囲の空気が揺れた。
待ってください、と右手から声が上がった。
「どうした!」
「別の反応があります! これは――魔法の波動!?」
瞬間、長官と博士は見合わせた。
「どうやら、現れたようじゃの」
「これまで我々がいくら探し続けても、見つからなかったというのにか」
「この状況、このタイミング、まるで計ったかのようじゃの」
二人は互いに苦笑を作った。
「この戦いの鍵は、魔法の使い手――彼が全てを握っている」
博士はうなずいた。
「よし、波動の震源は?」
「はい、特定できます」
「よろしい。では、犬埼君はAC-D01・こんにちワンで敵ロボットの牽制を、宇佐見君はAC-G02・ありがとウサギで魔法の使い手との接触を」
一呼吸置き、
「攻強皇國機甲、出動だ!!」
攻強皇國機甲 第一話 「あいさつの魔法。」 完