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[26723] 13人目の異端者 (鋼殻のレギオス 二次創作 主人公TS、設定改変多数) 
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/05/15 20:45
この作品は鋼殻のレギオスの二次創作です。
内容はレイフォンTS、オリキャラと設定改変多数で、原作とは全く異なるオリジナル展開になります。
原作の展開を変えるなんて許せないという人に対しては、この小説はお勧めできません。
ですが、厳しい指摘、疑問点などがあれば是非お願いします。
ネタバレに気をつけつつ、真摯に対応したいと考えています。
できる限りこの作品をよくしていきたいと考えていますので、どうかこれからよろしくお願いします。



原作との違いと作品の注意点として
・ レイフォンTS(何か事件が起こって性別が変わっているわけではない、並行世界のため性別が違う)
・ TSレイフォンは、グレンダンをまだ追放されていない。
・ 設定改変により、TSレイフォンが天剣になった時期が違う。
・ TSレイフォンは女の子+苦労人なので、原作より天然でやや現実的。
・ TSレイフォンが主人公で彼女を中心としてストーリーが展開。厄介事と逆境も主人公故に原作以上。
・ 原作で主人公級の扱いだったリーリン、ニーナの出番は少ないかもしれない。

作品の注意点としては、残酷な描写、痛々しい描写が存在します。
ストーリーもけっこうシリアス成分大目です。
なお、ストーリーは現在編(舞台はツェルニ)と過去編(舞台はグレンダン)の2つに分かれています。
両者は独立しており、両方とも読まないとストーリーが理解できなくなるということはありません。
また、レギオスの絵師である深遊さんの漫画のキャラや事件にも関わる予定です。



タイトルはもっと良いものが思い浮かんだら、変更するかもしれません。


追記
4/6
現代編の章にタイトルをつけました。
現代編時のときの最新話はnewで示し、一番下ではありません。

4/24
現代編第1章4話を一部修正しました。
5月1日チラシの裏からその他板へ移動しました。





[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第1話
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/04/06 17:46
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第1話










「……ツェルニ……」

窓から外を眺めていた茶色の髪の少女の唇が、かすかに動いた。
窓に映る光景は地平線の先まで伸びる荒野と小山。
今は風が弱いらしく、風景をさえぎる砂嵐を発生してない。
先ほどの呟きは、小山をいくつも越えた先にある高い建物の頂部の塔の先に掲げられた旗を見たためである。

少女は頭を軽く振った後、視線を窓から外し、大きな鞄の中から書類を取り出し目の前の小さな机の上に置いた。
そして、周囲の様子を少し観察した。
寝ている人、退屈そうに何度も観た映画を観ている人、寝ている人に迷惑をかけないよう声量を抑えて話している人
など様々だ。だれも少女の様子に注視していない。

そのことに安堵の息を漏らすのと同時に苦笑した。
この放浪バスの旅も既に1週間は過ぎている。皆この閉塞空間での長旅に疲れが出ていて、他人の行動に一々反応
したりはしないのだ。

さらに言うなら、座席の前に置いてある机は例え左右前後の人々でも除き見られない造りになっている。だから
見られて困る書類を取り出しても周りを警戒する必要などないのである。
なんといっても放浪バスの旅は長い。その長い時間の間に時間潰しのためにも書類仕事を進めたいという人は多いの
だから、機密に関してもしっかり対策してあるのだ。

外は汚染物質で満ちている。汚染物質に触れると人の体はすぐに侵食され、腐り落ちる。
それ故に長時間の移動に適した移動都市レギオスと同じ多脚式の放浪バスが都市間移動に利用されていた。
だが、レギオスは常に移動している上、都市の位置は無線などで確かめることができない。
汚染物質により無線の電波が妨害されるためだ。

レギオスの位置情報は全レギオスの位置情報を司る交易都市ヨルテムのデータを放浪バスで各々の都市に運ばれる
ことで更新される。つまり放浪バスが得ている都市の位置情報は最新のものではなく、良くても数日前どころか
1週間以上前であることが普通である。
その日数の間にレギオスが大きく動いてしまうために、都市の位置情報は絶対的なものではなくある程度までしか
信用できなく、長距離がある都市間の一度の移動は不可能な上、実際の到着予定も数日間の幅を持たせるのが普通
である。
さらに、峻険な山々や汚染獣に対する迂回によって、さらに日数がかかることもざらであるので、旅が1週間経った
ことに対し気にも留めていない。
運転手も見ても冷静そのものである。

書類には先ほど見た旗に描かれていたものと同一の小さな少女の絵がある。
少女の目的地である学園都市ツェルニのパンフレットに偽装した書類を、少女は一枚ずつ丁寧にめくる。

……現在の学園都市ツェルニの状況は非常に悪い。いや、悪いというより最悪と言ってよいぐらいだ。
放浪バスの人々は詳しい被害を知っているわけではないが、ツェルニに何が起こったかは広がっている。
ツェルニに行くと言った少女に対し、

「お気の毒に」
「ほどほどに頑張れよ、放浪バス内では暗いことを考えるには向かないから、実家に対する釈明と心の整理は
ツェルニにいる間にやっておけよ」

などの同情を含んだ言葉や苦笑することしかできない言葉を冗談半分に送ってきた。

出発前に言われた諸注意を思い出しつつ最後のページを読み終えると誰かが叫んだ。

「あっ、レギオスだ」

少女と同じ武芸者である青年が発した声によりバス内がざわめく。窓に張りつく者、長時間座って疲れた体をほぐす者、
周りの喧騒にしかめ面をしながら目覚める者など様々だが、一般人の目にはまだ数万人が生活する巨大移動都市
レギオスの姿形は見えない。
一般人を凌駕する身体能力と感覚を持つ武芸者だからこそ、遠く離れた都市を見ることが可能なのだ。

……しばらくするとレギオスに大分近づき、一般人にも見えるぐらいになった時点で、運転手から下りる準備をする
ようにというアナウンスが入る。
少女もこの長い旅もようやく終わり、この狭い車内と違い体をほぐすことができることを考え、急に元気がでてきた。

「……出発前はあれだけブルーだったのに……」

本当に自分は単純だと思ってしまう。
長期任務が嫌で早く仕事を終わらせたい気持ちは変わらないが、それと同時に自分の生まれ故郷とは違うレギオス
での生活に、少しだけわくわくしてくるのだ。

放浪バスは指定の乗降場から都市内部に入り、専用のエレベータを使い地上に上がり放浪バスの停留所まで辿り着いた。

「頑張れよ」
「武芸の本場グレンダンの力、期待してるよ」

掛けられた声に少女は小さくお辞儀をすると、先に下りた人々とは別の方向へ歩き始める。
放浪バスに乗る人は、商人や旅人など学園都市に一時的に滞在する人がほとんどだが、彼女は違う。
間に合ったことに安堵しながら、少女は大きな鞄と地図を持って歩いていった。







学園都市ツェルニに着いてからの少女の生活は慌ただしかった。
何しろ時間がないのだ。ここは学園都市ツェルニ、転入式後すぐに授業が始まってしまう。教科書など授業に必要な
ものの手配と手続きは式後にやることになっているが、生活環境を整えるのは今の内にやらなければならない。

「寮を借りていたら楽なのにな~」

大体、わたしが1人部屋なんて……と1人部屋が必要不可欠である現実につい愚痴をこぼしてしまう。
放浪バスの旅程が不安定なことを考慮して、通常、転入式の日程はかなり余裕があるようにしてあるし、式に
間に合わなくても配慮するようになっている。

だが、少女は日程的にギリギリだった上に小心者。
転入式後、生活環境が整っていないために授業を自主休講します、とは絶対に言えない。
……授業についていけるか怪しいという不安も彼女の手をせわしく動かす要因の一つである。

「え~~と……これとこれは隠しておいて……明日、必要の書類は…………これで全部だっけ?」

机の上に置いた手引書を三度開きながら必要なものを確かめる。
ついでに部屋の様子も大丈夫か確認する。
ここはアパートの一室、少々隠しておく荷物が多い所為で、広め(家賃多め)の一人部屋になってしまった、
憎く、落ち着かない部屋だ。

「家具良し(まだ着てない服は鞄の中だけど)、電化製品良し(冷蔵庫と掃除機しかまだないけど)、荷物の整理良し(見られて困るものを隠しただけ)、これでもし誰か来ても大丈夫だ……よね?」

見慣れない部屋の様子につい少女は問いかけてしまう。
今までは常に誰かがいた。
だがここは異郷の一人部屋。

故郷グレンダンの騒がしくも楽しい人々の顔を思い浮かべようとして……慌てて首を振った。
いくら何でもホームシックになるのは早すぎる。
この都市でこれからやることはたくさんあるし、明日以降しなければならないこともいっぱいある。

気分転換のため少女は手を水平方向に伸ばした。
平均的な身長を持つ少女が部屋の真ん中で手を伸ばしても、家具は愚かベッドまでも……。

「………届かな~い」

想像以上に広かった。
今までこんなことはなかったのに……と涙目になり、理不尽な現実にいじけるほど数分。
いじけている場合じゃないと決意して、彼女は動いた。ベッドの方へ。

心持ちが良くないときは寝るのが一番。

自作の格言を脳裏に浮かべて、少女は瞳を閉じ夢の世界へ旅立った。







「はあ~」

茶髪の少女は講堂の中に入ると息を吐いた。
式と名がつくものにはどうしても緊張してしまう。王宮のときに比べれば人も飾りもかなり劣っているが、
それでも式独特の重苦しい雰囲気が少女の精神に突き刺さってくる。

ここは第三講堂。普段コンサートや少人数の科や属(属は専科の一種で科の下の位置するもの、ツェルニでは
科→属→コース→研究室、となっている)が集まるのに使われ、収容人数は1000人弱である。
留学生の大体600人前後なので毎年この会場を使うのが通例となっているのだ。

少女は空いている席に座ると周囲をさりげなく観察した。
留学生は皆、学年を示す色が異なるバッチの他にも、もう一つバッチをつけているからすぐにわかる。
2つのバッチを持つことが留学生であることの証であり、身分証明のための義務であった。

今年の留学生の人数は300人ほどしかおらず、席に空白が目立っている。
元々ツェルニは前回の戦争でボロ負けした結果、レギオスの生命線である鉱山の数が少ないために人気がないと、
確か留学について説明してくれた人が言っていた。
その上、ツェルニが汚染獣に襲われ大きな被害が出たことが広まって、留学のキャンセルが相次いだことも重なった
結果が、この空席だった。

留学は学園都市で外の情報・技術を知りたいが、6年も滞在する気はないという人々のために設けられた制度である。
滞在期間も最低1年以上と規定されているだけで、扱いは学生とほとんど変わらない。
大体、1年~3年の滞在を望む人がほとんどで、少女もその中に属していた。

また、この留学制度はツェルニ独自の制度ではなく、人の出入りにおおらかな学園都市全般に存在している制度で
あり、また、留学希望する人数も留学募集する人数もさほど多くないために、人気の偏りが入学より激しい。
さらに、留学生は他の学生より短い期間で成果を出さないといけないのだ。
そのための綿密な情報収集の結果が人気の偏りであり、この講堂の閑散さの要因だ。

留学生たちの顔色には新生活に対する覇気や喜びはなく、どこか不安そうになっているのが見て取れる。
暗い人々に囲まれると自分まで暗くなる。
緊張の上、不安感まで共感してしまうのは嫌なので、少女は周囲の観察を止め背筋を伸ばし、開始の時刻を待った。

「ただ今から、転入式を開始します」

形式ばった挨拶から式が始まった。人数が少人数とは言え、ツェルニの新たな住民を迎え入れる大切な儀式だから
生徒会、すなわちツェルニの最高執行部が主催・進行している。

生徒会役員と格専科の学科長の挨拶が終わった後、少女は不躾にならない程度に関係者になりそうな人を観察した。

生徒会長は一言で言えばやり手の美形だ。
男だが長くきれいな銀髪に高級そうな眼鏡をかけており、いかにもエリートといった感じだ。挨拶も立ち姿も
素晴らしいもので、この短い時間で大衆の心を掴むカリスマのようなものを持っている印象さえ与えてくる。

少女の所属する科の長である武芸長は、無精髭を持ち、プライドの高い学生武芸者に通用しそうな威圧感を持つ大男だ。
……実力はいうと…………一般武芸者よりやや強いといったところだろう。
技量が身のこなし以上に優れていれば2人を相手どっても勝てるかもしれない。
学園都市とはいえ、数百人の武芸者の上に立つにしては弱いような気がするが、グレンダンとは事情が違うのかも
しれないと思い直した。

グレンダンでは異常に汚染獣戦が多い上、一騎当千に値する武芸者がいるために武芸者の実力が最重視される。
実力は低いが指揮能力が高い武芸者は評価されるが、尊敬・出世は望めない。

汚染獣は、しぶとく頑丈で一撃必殺の破壊力を持つ化け物。
実力の低い武芸者では、どんなに護衛を厚くしても一瞬の隙を見せた瞬間、護衛する間もなく殺されてしまうという
事情も、グレンダンの武芸者の‘強い者ほど偉い’という信念を助長させている。

だが、学園都市では
汚染獣戦は滅多にない。
都市同士がセルニウム鉱山をめぐって争う戦争も、安全装置を備えた武器を用いる武芸大会と形式で行なわれる
という安全重視の方針のため、個人個人の危機感が不足している。
武芸者が都市の大切な戦力で資源である以上、基本的弱い、または問題のある武芸者しか外に出されない。

などが原因で実力主義になりにくく、指揮・統率力重視の風潮が敷かれているのかもしれなかった。

だが百聞は一見にしかず。
実際に実力を見れば考えるまでもなくわかることと結論付けると、少女は式に意識を戻した。

式は滞りなく進んでいく。たった300人と定員の半分しかいないのに関わらず、壇上の人々は嫌な顔を一時も
見せずに常に真面目な・または人好きのする笑顔をしている。

少女もパフォーマンスのため、外面に人好きのする笑顔を振りまく機会があったが、あれはかなり大変だ。
この人々の中には明らかに研究一筋の広報に向かなさそうな人もいるから、これはツェルニの首脳陣の外面が
たいそう優れているのではなく、新たな生徒を迎えるという明るいニュースによる喜びからだろう。

……余裕がないときほど、明るい、そして暗いニュースにはいっそう過敏になってしまうのだから……。

「それでは皆さんがツェルニで有意義なときを過ごし、我々同様ツェルニに愛され、ツェルニを愛していただけたら
幸いです」

式の最後の挨拶が終わると盛大な拍手が起きた。
壇上者が去った後、少女たち留学生も動き出した。

この後もまだまだやることはたくさんあり、スケジュールは夜まで埋まっている。
何せ途中編入の留学生。入学式と違い、既に始まっている授業のために時間は少なく、また、カリキュラムや校則も
一般学生とは違う独特な制度があり、トラブル回避のためにもそれをすぐに理解しなければならない。

説明ばかりな午後の予定に、今から疲れを覚え、思わずぼーっと立ち止まってしまったが、集団に1人放置されそう
になったので、慌てて少女も動き出す。

まずは、学生証の配布。
制服やバッチだけでは偽造も簡単なために身分証明、すなわちツェルニの様々なサービスを受ける保障にはなりえない。
つまり、この学生証を受け取って初めて、ツェルニの学生になれるのだ。

「おめでとうございます」

事務的な感謝の言葉とともにカードを受け取る。

少女の写真と所属が載っているカード。
あまり通っていなかった義務教育のための学校には、学生証はなかったために、新鮮味を感じ笑みがこぼれる。

レイリア・アルセイフ。

光を反射する真新しいカードを見ていると、わざわざ偽名を使わなくて良かったと、とある任務で学生都市に派遣
された少女、レイリア・アルセイフは思った。





ガシャガシャと巨大な機械を動かすときの作動音や、エアフィルターに阻まれ拡散する風の声。
どれもレイリアには聞きなれた音だった。
この光景から故郷を思い出すには少々邪魔なものが目に入る。

穴の空きひび割れた道路、瓦礫が撤去され、大黒柱のみが立つ元建物、除去されきれていなかった細かい金属片。
廃棄された取り壊された地区、いや、まるで戦争があったかのような様子なのは当然だ。

ここで、実際に生存戦争が起こったのだから。

都市外延部。汚染物質が満ち荒れ果てた大地に直接繋がる場所。生活感がまったくない場所。
外の風やレギオスの足音による騒音が原因で無人なのでない。

外に通じるこの場所は通常、戦争のために何百人もの武芸者がぶつかりあう主戦場になる土地だ。
最外殻は接舷するために何もない広い空間が広がり、そこから都市部に向かう外郭は、侵入者防止用に入り組んだ
道となり、殺傷目的の罠も設置してある。

だが、その入り組んだ道も罠も今は何もなく、ただ瓦礫が撤去されてもなお残る戦場の傷痕のみが残っていた。

「……幼生体に全て押し潰された」

レイリアは資料の内容を思い出した。
ツェルニの内部から送られた情報なので戦況もある程度わかっている。

汚染獣の最終防衛ラインを破られ、一時はシェルターにまで汚染獣が迫るという滅亡の一歩手前まで追い込まれた。だが、備蓄された質量兵器の解禁と負傷者まで用いた総力戦により、一般人に被害が出る前に汚染獣の殲滅に成功
したと書かれていた。
流石に死傷者の細かい数まではわからなかったようだが、必要な情報としてはそれで十分だ。

戦場跡はさほど広くない。
幼生体の大きさ次第で被害や戦場規模が変わるとはいえ、この程度の広さならグレンダンでは500前後。
ツェルニが迎撃に失敗して、汚染獣を各個撃破できなかったとしても2000弱といったところか。

……幼生体如きに、戦線が一箇所しかないのに突破されたということは、学園都市の武芸者のレベルが低いという噂
は本当のようだ。

出発前にグレンダンの学生武芸者(グレンダンでは汚染獣と戦う実力を持って初めて武芸者と名乗れるので、正確には武芸者の卵というべきか)の強さを見たが、彼等と同程度の実力があればここまで被害はでない。
初めての汚染獣戦による恐怖と緊張で普段の実力を出せないことを考慮に入れても……だ。

……そうなると武芸長はツェルニでもトップクラスの実力者なのかも。

レイリアは、

ツェルニのトップクラスの武芸者>ツェルニの武芸長>グレンダンの武芸者>>学生武芸者
という実力想定を
ツェルニのトップクラスの武芸者≧ツェルニの武芸長≧グレンダン武芸者>>>>>学生武芸者
に変更した。

……とりあえずここで必要なものはすべて見た。
質量兵器が全て使用されたかどうかが少し気になるが、質量兵器の知識がないレイリアでは発射口すらわからない。
わからないものはわかるまで待つのがレイリアの信条だから、これ以上の調査をする気はない。

「……滅亡前に間に合って本当に良かった」

本当にあんなことが起こるのか半信半疑だが、とりあえず廃貴族がいること、それが武芸者に天剣授受者に匹敵する
かもしれない力を与えるのは、報告されているのだ。

後は、戦いを通してそれが始まるのを待つ。
レイリアは戦いでツェルニが滅びないようにしつつ、チャンスを待って廃貴族を捕らえる。

自らの役目を胸に刻みつつ、進入禁止の柵を飛び越え、家に帰ることにした。

日はしっかり沈み、都市の授業棟の電気も一部の部屋のみ点いている。
転入式後の説明会が終わり、荷物を家に置き夕食の買い物をした後、すぐにここに来たのだ。
明日からは授業。まさか学生の真似をし勉学に励まなければならなくとは……と我が身に迫る災厄に頭痛を感じ
ながらもレイリアは願った。

早く任務が終わり、大切な人々が待つグレンダンに帰れますようにと。







「あっ」

帰途の途中、レイリアは忘れていたことを思い出した。

「……顔を出さないといけない場所があったんだった」

レイリアがここに辿り着いているのだから、当然手紙も届いているはずだ。

「……夜も遅いし、私服に着替えるのも面倒くさい」

ここ最近は忙しかった、自分である程度情報を集めてから接触したかった、などと肩書きしか知らない相手に対し
届くはずもない言い訳を繰り返しながら、罪悪感から空を見上げた。

……忙しいのなら手紙を送ればいいとか、到着の報告だけして詳しい打ち合わせも後ですればいいという手段もある
のだが、レイリアはそうするつもりがない。

いや、思いつかないといってもよい。

レイリアは協力者に求めることはほとんどない。
それが相手のプライドと数十年の苦労を踏み弄るものだとわかっていても、自分の考えを曲げる気はない。
……手柄を奪っても、陛下が必要以上に彼らを冷遇することはないという打算もある。

仲間ではなく、競争相手として対応。

レイリアは小さく頷くと今日のメニューは何にしようかか冷蔵庫に入った食材を思い浮かべ続けた。

「買い物した初日って、色んな食べ物で何を作ろうかわくわくするな~」

幼馴染のリーリンがいれば、賞味期限を見て痛みにくいものから使いなさいと怒鳴られるところだが、今は一人。
数日後、賞味期限が迫った大量の食材を前に困ることを知らずに、レイリアは今の楽しい気分を味わっていた。










後書き
老生体戦はどうした? と疑問に感じるかもしれませんが、それは後々説明されます。




[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第2話
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/04/10 18:21
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第2話










「レイリア・アルセイフです。武芸科の1年で出身都市はグレンダン。転入したばかりでわからないことばかり
なので、皆さんの手を色々と煩わせるかもしれませんが、わたしもツェルニの生徒の一員としてこのクラスとともに
学校生活を楽しみたいので、これからもよろしくお願いします」

レイリアの無難な挨拶に、クラスメイトは大きく拍手をしてくれた。

クラスには担任が存在しないため、クラスの雰囲気は構成する人たちの性格でかなり左右されるらしいが、そこから
考えると、レイリアのクラスの人たちはかなりお祭り好きのようだ。

口笛を吹いたり、後ろのボードに大歓迎と派手に装飾しているぐらいなのだから。

「グレンダンで武芸者ということはやっぱり強いんですか?」
「うちのクラスの平均よりかなり上だな……しかも、立ち姿が様になっているのに、話しがけづらい雰囲気はない。
これはチャンスかも……」
「趣味は何ですか? 音楽に興味があるならうちのバンドに参加してください。武芸者のアクロバットな
パフォーマンスのついた演奏があれば、絶対にウケること間違いなしだから」

飛び交う質問の集中砲火に、レイリアは笑顔を維持しながらも思わず尻込みしてしまう。
そもそも一遍に質問されても答えられない。
この流れで席に向かうわけにもいかずに困っていると、隣にいた人から助け舟が出された。

「おい、お前ら。相手を立たせたまま遠慮なく質問するな。まずは席に座らせてやれ。それと当たり前だが、お前ら
と違って緊張している留学生を騙したり、失礼な質問を投げかけたりするな」
「代表、わたしたちの品格が疑われるようなことを言わないでよ。わたしたちはレイリアさんを歓迎して困ったこと
があれば助けようと……」
「善意と好奇心を一緒にするな」

質問を遮った代表に、クラスメイトがブーイングをするものの質問は止まり、レイリアは席に向かうことができた。
どこに座るか、皆に注目の視線を一身に浴びているレイリアにとって大変選択し辛かったが、その悩みは隣から
伸びてきた手によって強制的に開放されてしまった。

「レイリアさん、色々聞きたいことがあるからこっち座って」

金髪をツインテールした少女が、レイリアの手を掴み自分の席の方へ引っ張ってくる。
押しに弱い人に弱いレイリアは、抵抗できないままにその少女の隣の席に座った。

「わたしはミィフィ・サットンで一般教養科。これからよろしく~」
「おい、ミィフィ! お前留学生を独り占めする気か!? 不当な独占に対し、このクラスは一致団結して抵抗するぞ」
「そしたらペンを使って、あんたらを内部崩壊させてやるわよ。……わたしも後で皆と情報を共有するようにするし、
後々に留学生を独占したらもっと怒るでしょ。だから強引でも今の時間を貰うわ」
「くそ、いつも通り自分勝手な意見を……。約束は忘れるなよ」
「大丈夫だって。邪魔者をいなくなったところで改めてよろしくね。レーちゃん」
「レーちゃん?」

いきなり周りと揉めると思ったら、すぐに停戦が結ばれ、何事もなかったかのように話しかけてくる。
その切り替えの早さについていけないレイリアに対し、いきなりの渾名。

よく呼ばれていた渾名だから反応できたが、レイリアは目の前の少女が、子供にも負けないほどのバイタリティーを
持っている少女だと認識し、笑顔を向けた。

こういう人に自分から話しかけても、相手の話題にすぐに呑み込まれてしまう。
無視しても通用することはないし、内気なレイリアとしても相手から話しかけてくれるのは助かるのである。

「あれ? 渾名がすんなり受け入れられすぎている? もしかしてレーちゃんって結構呼ばれ慣れしている?」
「うん、グレンダンではレイちゃん、レーちゃん、レーレーみたいな渾名で呼ばれていたよ」

「むむむ、人生に一度の新天地での新たな友と生活とともに、心は心機一転。なのに肝心の呼び名が、新たな風を
感じる始まりとなるべき渾名が昔と被っているとは……わたしも堕落したものだ」
「あはははは、言っていることはよくわからないけど、レーちゃんってレーちゃんっぽいとは言われたことがあるよ」

雰囲気はいつもポケポケしていて、子供たちにはお願いをされたらその場で鷹揚と受け入れるし、子供の腕白な行動
に振り回されても、嫌な顔一つしないで子供と遊ぶ、遊ばれるために、年長者の威厳は全くない。

それでも、レイリアはグレンダンで高い地位についているので、昔に比べて渾名で呼ぶ人の数は減っている。
渾名で呼んでくるのはほとんど子供たちであり、幼馴染のリーリンなどには

「子供からレーちゃん、レーレーみたいに呼ばれているから、地位に見合った偉そうな、すごそうなオーラが出なく舐められてしまうのだ」と言われたが、自分には子供に振り回される姿が似合っていると思うし、渾名で子供たちが
少しでも親しみやすいと感じてもらえるなら、今後も現状を変える気はないのだった。

「おい、ミィ。何を馬鹿なことを言っている。渾名が昔と被っているなんて、まさにあたしたちのことだろう。
自分を棚上げして暴走するな」

ミィフィの隣にいる赤毛の少女が呆れた目つきを向けるが、逆にミィフィは闘志を燃やして熱弁しだした。

「あっっっまーーーーいぃぃ!!! 所詮、ミィフィちゃんの深慮遠謀を理解していない浅学の愚かさが滲み
出てるわ。いいこと、わたしたちは幼馴染とともに新天地にやっていきた。どうしても過去を振り払えなく、
渾名が昔と同じなのも致し方のない・け・れ・ど……」

逆接を強調しながら、ミィフィ口調を何故か演説風のものに変えた。

「レーちゃんは違う。遠くグレンダンからはるばるやってきて、これまでとは全く違う生活を送るのだ。留学生
だからわたしたちほどのんびりできないし、新たなルールや困難に立ち向かうために、早く自分を生まれ変わらせ
ないといけないのだ。今までと違う自分というものを作り上げるのに協力するためにも……新しい渾名を考えるのが、
今のわたしの使命なのだから……」

「…………その心は」
「だってぇ、いきなり渾名で呼んでも、レーちゃん、全然動じなくて普通に受け入れているもん。これじゃあ、
つまらないから、とりあえずノリでつっ走ってみようと…………ナッキ! ノリの途中でツッコミを入れて解説
させるなんて無粋すぎる。冷血漢、人でなし、堅物ゴボウ」
「誰が堅物ゴボウだ。お前の評価がまだ落ちないようにと思って、暴走を止めようとしたあたしの好意を無駄に……」

ミィフィの悪口に反応して、赤髪の少女がミィフィの頭をグーで挟み、そのままぐりぐりとする。
痛みに耐えかねたミィフィはギブギブと言いながら、攻撃してくる手を叩いて降参の意を示したが、受け入れられ
なかった。

公共の教室で、うっぎょお~~と叫ばせるのは同じ女としてどうかと思うが、これも仲の良い証拠だろう。
三回目の降参の合図でようやく攻撃が終わったので、レイリアも話を戻すことにした。

「渾名なら、案外名前だけで呼んでくれると新鮮かも……。同年代との付き合いがあまりなかったし、そもそも
同年代から普通に名前を呼ばれることもなかったから」

レイリアが意思表明をすると、ミィフィは笑顔を、もう一人の少女は驚いた表情を見せた。

「同年代から普通に名前が呼ばれることがないって珍しいね、皆から渾名で呼ばれていたんだ。レイリア、レイリア
か……。確かにやや言いづらいから、省略したくなる気持ちがわかるな。うーーん、本人のリクエストとはいえ、
やっぱりレーちゃんのキャラ的に渾名は欲しい気がする」
「ミィフィの勢いと、その後、あたしたちの方へ話が脱線したから呆れられているか、困っているかと思ったが、
何事もなかったかのように会話を戻すとはなかなかだな。……ミィフィと相性が良すぎて危険か」

「普通」に呼ばれることが珍しいのだが、ミィフィは勘違いをしてくれていた。
そこを詳しく突かれると困ったことになるのでラッキーと言うべきだが……突かれなかったので、レイリアは
自分が問題発言をしたのに気付かなかった。

そして、ぶつぶつ口を動かしながら渾名を考え始めたミィフィに、新しい渾名を考えるなら思いつくままに言った方
がよくないかと提案したが、拒否された。

それでは、新しいものを発見した感動がない、と。

赤髪の少女はレイリアの方を見ると、すまんと自己紹介してないことを詫び、遅れた自己紹介をした。

「あたしはナルキ・ゲルニ、武芸科だ。ミィ――ミィフィのことだが――とは同じ都市出身の幼馴染だ。
これからよろしく」
「こちらこそよろしく」

差し出された手を握る。
女性にしてはゴツゴツとした感触に、レイリアは確かに武芸者だなと感じた。

武芸科ということは、この前の汚染獣襲撃にも対応したはずだ。
その詳しい経緯と被害を聞きたいところだが、今は授業前。
時間が足りないだろうし、一般人の前で話す内容ではない気もする。

後回しにしようと決めた後、ミィフィが「よし」と叫び、レイリアに自信満々の表情を見せてきた。

「レーちゃんはあーちゃんに決めた。じゃあ、あーちゃん、改めてよろしく」
「あーちゃん……確かにないかも」
「やっぱりね! 報道で鍛えた感覚に外れはないのだ」
「あーちゃんって、レーちゃんと大して変わらないじゃないか」
「なにをぅ! 表と裏、そんなわずかな違いだからこそ、今まで呼ばれずに生き残ってきたこの呼び名なのに……。
レーちゃんという強力な潜在意識があるからこそ、あーちゃんという似たものが今でも新鮮味を誇っているのだよ」

あーちゃん……レーちゃん、レイちゃんの方がわかりやすく言いやすいので、そう呼ばれたことはなかった。
新鮮……と言われると微妙だが、それでも悪い気がしない。
それもこの社交的な友人を通して、クラスに何とか溶け込めそうのためかもしれなかった。

「それでね……せっかくの留学生だから、教えてもらいたいことがあるのだけど」
「構わないけど何? わたしもまだ部屋に家電がそろってないとかあるから、色々と良い店を教えてほしいけど……」
「そんなの任せて! 自作マップでどこが安くてお得なのか買い物に付き合ってあげる」
「自作マップまであるなんてすごい! しかも買い物に付き合ってくれるなんて本当にありがとう」

「いやいや、こちらも助けてもらうから気にしないで。……実はわたしがバイトしている出版社で留学生特集を
やるんだ。1年生とはいえ数少ない留学生の武芸者は貴重だからさ。ちょっとインタビューをしていいかな」
「インタビュー?」

……話が変な方向へ転がっていった。
一応、秘匿任務を受けている身としてはまずい、非常にまずい。

何とか断るために、脳をフル回転させているが、急に名案が思い浮かぶかは怪しかった……。

「インタビューはちょっと……顔が載るのは困るし」

突然のピンチに混乱しているとはいえ、名案どころか、顔が載るとまずいという犯罪者染みたことを言ってしまった
自分にますます焦ってしまう。
顔が載れば、ツェルニの生徒として潜入した意味がなくなるとはいえ、もう少しオブラートに隠すべきだった。

「顔……ああ、恥ずかしいのね。まだ1年生だからそれくらいの要求なら大丈夫だよ。ツェルニの危機でも
逃げ出さなかった、勇気ある武芸科留学生の抱負とかを特集するだけだから安心して」

ミィフィは笑顔でレイリアの問題事項を潰すと、特集の内容を簡単に説明していく。
まだ、受けるとは一言も言ってないが、話はどんどん先に進んでいった。
しかも、入った直後にできた友人の頼みを断るのは、少々良くない気もしてくる。

「わたしも後で皆と情報を共有するようにするし」

ミィフィが留学生で転入生であるレイリアに群がろうとした人に言った言葉だ。
この言葉の意味はもしかして……。

「あれ、インタビューって質問攻めの代わり?」
「気付いちゃった? 大丈夫だって、皆から質問攻めされるより、一人から質問攻めされた方が楽だから」

クラスデビュー……それは思っていた以上に大変なものかもしれなかった。







ここは錬武館エリアにある修練場の一つだ。
生徒が60人ばかりいるが、手狭な印象は全くない。
衝撃を吸収する床で構成された内部は、ランニングにも用いることができるほどの広さがある。

それも当たり前、ここは一般人とは比べ物にならないほどの身体能力を持つ、約60人の1年生武芸者が鍛錬の授業を
行うための場所なのだから。

レイリアは模擬剣を受け取ると、指定された場所に移動した。
レイリアは武器に拘る気がないので適当に選んだが、武器を気にする人はいくつもの武器を持って、その感触や形、
重さ、剄の走り具合を入念に調べている。

自分の錬金鋼があれば、わざわざ支給の専用の調整がされていない武器を使う必要がないのだが、武芸科の1年生は
入学してから半年間、錬金鋼を持つのを禁止されている。
だから、ここにいる生徒のほとんどは、支給用の武器を使用しているのだった。

訓練といっても60人が一ヵ所でやるのではない。

一言武芸者と言っても、使う武器により間合いや体の使い方が全く違うので、それぞれの専門で分かれて訓練をする
ことになっている。
グレンダンの百を遥かに超えている流派ほどは細かく分けられず、非常に大ざっぱな分け方をしているように
レイリアには思えた。

だが、それぞれの都市で武芸を今まで磨いたため、基本から武器までスタイルが全く重ならない学生武芸者を鍛える
には、仕方のないことかもしれなかった。

分け方は使う武器に応じて分けられている。
剣、槍などの近距離、鞭などの中距離、銃、弓などの遠距離に分かれた後、人数の多い近距離のみが剣などの
斬撃武器、槍などの長柄武器、打棒などの打撃武器、というのが分類のされ方だ。

せっかく知り合いになったナルキは打棒を使うので別れてしまい残念だが、我慢するしかない。
ナルキのことを気にするより、まずは自分のことを気にしないといけないと思い直すと、授業が始まるのを待った。





学園都市なので講師も当然大人ではなく学生で、武芸科の上級生だった。

同じ学生に舐められないようにするためか、鋭い目つきで様々な斬撃武器を持った学生を睨むと、2人1組で基本を
するように言った。
基本が終わってから、本格的指導を開始するようで、講師役の男たちは全体が見える位置にすぐに移動していた。

「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」

レイリアと一緒の組になったのは、レオ・プロセシオという声の大きい少年だった。

レイリアと同じく長剣を使うようで留学生で新顔であるレイリアの一挙一動を、じーっと不躾に見てくる。
実力のわからない者が気になるのはわかるが、もうちょっと遠慮してほしい。

だが、見られて授業放棄をするのは論外なので、レイリアは慎重に基本を確かめた。

武芸科の学生に偽装すると決めたとき、一番苦労したのは勿論留学試験のためのテスト勉強だが、次に苦労したのが
どうやって学生レベルまで実力を落とすのかだった。

レイリアは剣を振るう。
上段、中段、下段、頭、胴、手など様々な個所を想定し斬る、つなぐ。

その一振り一振りは遅く、鋭さも大してない。
周囲と比較しても、技と技の繋ぎが良い分だけ上、といった程度といったところだった。

事前に想定した手加減が上手くいったことに、レイリアは笑みを浮かべた。

下手が上手になるには、練習に長い年月をかければどうにかなるが、上手が下手の振りをするのは難しい。
剄量を制限して威力と速度を遅くしたとしても、体にしみこんだ技量までは劣化させることができない。

剄量が少ないのに技量は達人級。
逆ならともかく、そんな人物が武芸のレベルが低い学園都市で学べることは何もない。

そうやって怪しまれるのを回避するために、レイリアが頭を悩まし考案した方法が以下の通りだった。

まず、剄量を周りに合わせて制限することで運動能力を落とす。
次に剄を練る際、必要量の半分を練った時点で止めるのだ。
練ってない半分の不安定な剄により体を上手く制御できなくなり、せっかくの技量も満足に発揮できなくなる。

……不意打ちに対する対応の早さや、剄を練る早さはどうしようもないが、その欠点を差し引いても十分である。
後は、無意識に剄を練ることだけに気をつければよい。

そう考えていて、そこは無事問題なく訓練できていたレイリアだが、他の問題が浮上しつつあった。
それは……。

「アルセイフさん、本当にすごいね。どの技を繰り出しても体の軸はずれないし、技と技の間もとっても自然だ」
「……………………」

体の軸はぶれているし、技と技の繋ぎも無様すぎると言いたくなる衝動を、必死で堪える。
この程度の錬度の基本ですごいって、グレンダンで言ったら殺されてしまうと忠告したくなるのを、懸命に我慢する。

……確かに目の前のレオ少年よりは上手いが、それは彼が下手すぎるだけであるというのが、レイリアの感想だった。

活剄による肉体強化が不安定なため体のバランスが崩れ、残心が全くできていない上、剣に込めた衝剄の量も一定で
ないために、剣に振り回されているときさえある。

本当に基本の基本さえできていない。
剄技に入るなんて考えられないレベル。

基本ができていないのに、師匠から離れてどうするつもり?
それじゃあ、強くなる前に絶対に悪い癖がついてしまう!

剄量だけは悪くないが、その本人も扱い切れていない剄量が、本人の技量をますます悪くしている。

独力で強くなるだけの土台がないのに、学園都市で強くなろうとするのが、レイリアには信じられなかった。

学園都市は大人がいない、熟練の武芸者がいない。
講師役の上級生もいるが、彼らだって細かく指導はできない。
しないではなく、できない。

都市によって、武芸者の鍛え方は全く違う。
例え偶然同じ武器を使っていたとしても、体の動かし方が微妙に違う、戦術目標が違う、剄の練り方が違う。

学園都市の武芸者は、何も知らない子供のときとは違い、ある程度の武芸の下地を叩きまれ、初めは無限にあった
強くなるための道も、‘自分に合った’という言葉の下、限定されている。
つまり、強くなるための方法を間違えたときのリスクが上がっているといえた。

体が大きくなり強くなりやすい時期ではあるが、自らの状態に最も繊細に注意しなければならない、簡単に言えば
後々に残る悪い癖がつかないようにしないといけないとも言い換えることができる。

学園都市の武芸者は所詮、外に出ることを許された落ちこぼれの集団。

その言葉を実感した。
入学当初から基礎もできていない弱い武芸者が、きちんとした指導環境のない中、ほぼ独力だけで強くなろうと
しても上手くいくはずがない。

上手くいく人は、叩き込まれた基礎が急に開花した遅咲きの人か、最初から強く、独学のみで十分研鑚できる人のみ
だろう。
武芸の道は誰でも楽に強くなれるほど、甘くはないのだ。

レイリアの学園都市の武芸科の現状に対するショックはまだ終わらなかった。

基本が終わって集まり、活剄と衝剄に関する訓練になったときだ。

活剄についての訓練は、自動機械が設置され、銃弾や打撃が飛び交う中を武器なしでどれだけ進めるかというもの、
衝剄の方は、円内で位置し、円外から飛んでくる銃弾を剣、または衝剄ではじきとばす、回避してもよいが円から
出ては終了で、何秒円内に留まることができるかというものだった。

さて、レイリアが何にショックしたのだが、当然自分の成績に対してではない。

他の武芸者の錬度についてだった。
レオほど基本ができていない者は少なかったが、錬度が活剄と衝剄どちらかに偏っているものがほとんどだった。

活剄ができていないと武芸者の命であるスピードが足りなくなるし、衝剄ができていないと遠距離に攻撃できない
どころか、そもそも攻撃力不足に陥ってしまう。

武芸者は通常、活剄、衝剄どちらかに特化しているより、両方をまんべんなく磨いていた方が強い。
活剄だけなら攻撃力がないために無視すればいいし、衝剄だけなら不意打ちして倒せばよい。
集団戦の一回勝負なら活躍できるかもしれないが、二度目や時間をかければ見破られて対処されてお終いだ。

特化させるとしたら、弱点をつかれても対処できるくらいの力量になってからだ。

まだ、1年生とはいえ、都市を離れ、自力で強くなろうとしているのだから、もうちょっとマシでいてほしい。
幼生体戦で青色吐息になったのも当然だ。

レイリアは、自分が厳しいことを考えているとは思わなかった。

汚染獣戦は確率的に滅多にないので対処できなかったとしても、戦争には全員戦力として数えられるのだ。
そのとき弱点があって、悪い癖があってやられましたでは、話にならない。

精神的な疲れとともにチャイムの音を聞くレイリアだった。







授業終了後、レイリアはミィフィの案内で見つけた中古の電化製品を部屋に配置した後、再び外に出ていた。

レイリアとしては外も暗くなっていたので、ミィフィに案内のお礼に食事を作ると言ったのだが断られた。
逆に、正式なインタビューの前に色々と話がしたいとせがまれ、外に食べに行くことになったのである。

レイリアがお勧めの美味しい店情報など持っているはずがないので、再びミィフィの案内の下、徒歩十数分。
店の前にたどり着いた。

飲食のみを目的としたファミレスとは違う、看板を派手に、外観を地味にしたのが、ちょっとおしゃれな若者向きの
店っぽい雰囲気を醸し出している。

だが、レイリアの顔はちょっと引きつった。
看板には食べ放題、飲み放題と書いてある。明らかに居酒屋だ。

レイリアたちは、まだ酒精解禁の年齢でない。

思わず怯むレイリアを対して、ミィフィは気にしない。
ミィフィが普通に入っていったので、レイリアも今更帰るわけにも行かず、店内に入った。

「「「「レイリアさん(ちゃん)、留学おめでとう」

祝いの言葉とともに、クラッカーが鳴らされ、ギターを弾き始める者さえいた。

「え~~と」
「主賓がそんなところに突っ立ってないで、早く席に座る」

流されるままに進んでいくと、大人数用の横に長いテーブルに見覚えのある生徒たちが座っているのが見えた。
そこで背の高い知り合いの少女――ナルキを見つけたことで、ここにいる全員がクラスメイトだとわかった。

イリアが席に座ると注文表が渡され、とりあえず無難な飲み物を頼むとすぐに全員分の飲み物がテーブルに並んだ。
他の人の注文を見ていないことから、事前に注文し、作ってあったのだろう。

酒の匂いがするのは……まあ、当然のことなんだろう。

「それじゃあ、わたしが簡単に司会・進行をするけど、乾杯の音頭はよろしくね」
「え、いきなり!?」

挨拶など大の苦手なレイリアは困り顔をするが、ミィフィは適当でいいよと言うと奥へ進み、台に上に立った。

ミィフィがマイクを持って台に上がっても、生徒たちはレイリアに話しかけてきたり、隣の人と仲が良さそうに
おしゃべりをしていて無視しているが、

「ちゅ~~もっ~~く、注っ目!」

ミィフィがハウリングを起こすほどの大声を出すと、ようやく場は少し静まり返った。

「え~、この度は急に決めた歓迎会にこれだけの人数が集まった、うちのクラスのノリの良さと暇人の多さに、
酒さえあれば女の子相手でも近づけるというおめでたい頭の持ち主の多さに、感謝したいと思います」

「下心を隠せないほど子供じゃない」
「酒は建前を取り除いてくれる聖水なんだ。本音をぶつけられて悪く思うような子などいない」

「……馬鹿ばかりだわ。これ以上、わたしが出しゃばっても邪魔なので、主賓と代わりたいと思いま~す」

……ミィフィの偏見をあまり否定していないクラスメイトに若干不安を覚えるが、その余韻に浸る暇はない。

ミィフィからマイクを受け取り立ち上がったら、飲み物も持ってと言われ、そのまま壇上まで連れて行かれた。
てっきり、その場で挨拶をすると思っていたのだが、これでは全員の顔が見えてしまって、とても緊張してしまう。

レイリアは、皆早く飲み食いしたいだけなんだと、自己暗示をして心を落ち着かせた後、前を向いた。

「皆さん、今日はわたしのために歓迎会を企画していただきありがとうございます。皆さんの期待に応えられるかは
わかりませんが、この場だけは期待に応え、今後に繋げていきたいと思います。それでは、酒場で何も飲み食いせず
にお腹を空かせて長い時間待ってくれた人たちや、クラスのお勧めの店での料理を楽しみにしているわたしのため
にも…………乾杯」
「「「「「「「「乾~~~杯」」」」」」





主賓の役割とは何か?

場の雰囲気を盛り上げ、来賓者や参加者を楽しませ、心証を良くすることが重要だが、それは目的。
それを達成するために必要な行動は、相手の話したい話を聞くことと、そのための会話の切っ掛け作り。

つまり、進行の流れや話しかけてくれる人だけに意識を集中するのではなく、会場全体に目を配り、こちらに
話しかけたいと思っていそうだが話しかけられない人にこそ、注意を払い、気を遣うべきである。

その方が強く繋がりができることを、レイリアは経験から知っていた。

「レイちゃんって強いんだ。流石、武芸の本場グレンダン出身ね」

他のクラスメイトからも。早くも‘レイちゃん’と親しみをこめた渾名呼ばわり。
歓迎会も無事、成功だと感じつつ、レイリアはホスト役を続けた。

「そんなことは……わたしもまだまだだから……」
「そんなことはない。レイリアさんは僕が打ち込んでも、全然構えを崩さなかったし、打ち込んだ衝撃もまるで真綿
に吸収されるようだった。活剄も衝剄も平均以上だったし、本当にすごかった」
「はいはい、レオの熱心な解説は何度も聞いたから、あっち行ってなさい」

女子にしっしと追い出された少年は、尻尾を丸くした犬のように落ち込んで、名残惜しそうな瞳をしながら
去っていた。

「ごめんね、あいつ空気を読めない直情バカだけど打たれ弱いだから、邪魔だと思ったらさっきみたいにガツンと
言っちゃって追い払えばいいよ」
「追い払うなんて……確かにベタ褒めで恥ずかしかったけど……邪魔とまでは思わないし」
「甘いわねー。男子なんてすぐ調子に乗るから、速攻で殴りたいぐらいの気持ちと対応でちょうどいいのよ」

過激な対処法にレイリアは恐れを抱きつつも、彼女の堂々とした振る舞いならそれもあり得ると思ってしまう。
まさに女傑、女王様といった感じか。

その後も、ツェルニやクラスの様子について、色々と教えてもらった後、彼女は去っていった。
留学生に対する交流会なので、一人が時間を掛けすぎないように気を遣ったのだ。

それに感謝しつつ、レイリアは忙しく、ほとんど食べることができなかった料理に手を出していると、飲み物を置く
音とともに声を掛けられた。

「あーちゃん、ご飯をまだ食べていないくらい、クラスの皆と交流できてたんだね。ここは働き者のミィちゃんが
疲れに効くものをプレゼントしてあげよう」
「……ジュース? 違う、カクテル?」
「そうそう、酔っぱらいの相手もいて大変だったでしょ。あーちゃんも酔っちゃえば怖いものはなくなるよ」
「普通の人はお前とは違う。爆発に巻き込まれる前に自爆しようなんて考えを受け入れるはずがないだろう」
「……二人とも、レイリアさんを労りに来たのに、脱線をしたら駄目だよ」

レイリアに声をかけてきたのは、ミィフィとナルキだった。
その後ろで、まだ話したことのない黒髪の少女が、二人の行動を先読みして嗜めていた。

レイリアが目を合わそうとすると、ビクっと震え、固まってしまう。
大きい動物と急に目が合った小動物の雰囲気を醸し出していた少女を、ミィフィは背中をバンと叩きながら紹介した。

「こっちはメイシェン。わたしたちの幼馴染で、見ての通り、人見知りで気の弱い子で、この対応がデフォだから
気にしなくていいよ」
「おい、メイシェン。挨拶すると決めたんだから、ミィフィ任せにするなよ」

ナルキの物言いは普段より優しい。
男性的な武芸者っぽい話し振りも相まって、同級生ながら姉御、いや兄っぽいなと、レイリアは思った。

「……うん。…………一般教養科1年のメイシェン・トリンデンです。ミィフィやナルキと同じ都市出身で、
生まれたときから幼馴染をやってます」
「レイリア・アルセイフです。生まれたときから幼馴染なんだ……。わたしは孤児では兄妹はたくさんいたけど、
幼馴染は他の人を見てもほとんど誰も持っていなかったの」

「こ、孤児?」

物騒な単語に、三人が驚きと心配そうな視線を向けたが、慣れたものなので、レイリアはすぐにフォローを入れた。

「そう、でもあまり、気にしないで。わたしは元々両親がいないし、家も子供がいっぱいで騒がしいから、寂しく
感じたことは滅多にないの」

レイリアは、どう反応するのか迷っている三人に、冗談めかしてさらに言葉を追加した。

「それに学園都市で親がどうこう言うのもおかしな話じゃない? 皆親元から離れて違う都市に来てる。保護者と
親の違いなんて、学園都市なら全く関係ないよ。……だから、気にしないで」
「……確かにわたしたちは親元を離れて……それにしてもあの手紙……ぷぷっ、あはは」

レイリアの言葉に、ミィフィが思い出し笑いをし、ナルキが手を組んで神妙に頷き、メイシェンはレイリアの瞳を
じっと見つめている。

歓迎会を相応しくない、嫌な雰囲気を打破したことに安心したレイリアは、話題を完全に変えるために疑問を口にした。

「ミィフィ、手紙って?」
「よく聞いてくれました。うちのお父さんが出した手紙がね……最初の一通は普通だったの。そちらの生活環境は
整えたのか、他の二人に迷惑を掛けていないか、という内容の紙と家族全員の写真が一枚。でも次に送られてきた
手紙……というかお母さんによって発掘された、ボツになったはずの写真の束だったんだけど……」

そこで笑いのつぼが最高潮になったのか、お腹と口を抱え込んで、大笑いするのを何とか耐えていた。

「全部お父さんの写真だったの。色んなアングルで取った中年の男の写真。……お父さん、娘が寂しがっては
いけないと考えて、自分の一番カッコいい写真を送ろうと色んなポーズの写真を撮ったんだって。途中で我に返り、
無難な家族集合の写真にしたらしいけど、あの服装とポーズは…………色々と超越しすぎて……」
「……トラウマじゃなくて、笑いの方向で済んで良かったね」

一般中年男、しかも自分の父親の気取ったポーズの写真集なんて嫌すぎる。
レイリアの養父が年を考えずそんなことをしていたら、乱心したか、よく似た別人だと思い込んで、すぐ焼却処分を
しただろう。

嫌な想像をして疲れた脳を癒すために、持ってきてくれたカクテルを口につける。
口当たりがよくアルコールが気にならない。
ミィフィはレイリアがお酒を飲めるかどうか知らないから、飲みやすいものを持ってきてくれたのだろう。

三分の一ほど飲んで、グラスから手を離すと、ミィフィが興味津々な様子で質問してきた。

「……ところでさあ、あーちゃんって孤児だけどけど、実は武芸者としてすごかったりする?」

一瞬、図星を指されたと思い、心臓が大きく音を立てた。
グラスに触れながら、レイリアは冷静を装って謙遜した。

「……ミィフィもレオ君が大げさに言っていたことを聞いてたの? あれは過大評価が過ぎるよ」
「報道人を目指すわたしが、そんな主観的でいい加減な情報を信用することはないよ」

レオの言ったことを信じている様子は確かにない。
それならばもう一人の武芸者の方を見ると、首をすくねながら疑問を先取りされた。

「わたしだって今日一日レイリアが授業を受けた様子を見ただけだから、実力なんてわかるわけがないだろう。
活剄と身のこなしならならわたしが上、衝剄と遠、中距離戦ならレイリアが上だとわかったぐらいで、武器や体術
の技量が大きく影響する近接戦や戦術面の方はさっぱりだ。わからないものを他人に説明することはない」

警察官を目指しているらしいナルキの、直球で曖昧さを嫌った発言だった。

「そんな、勝ち負け以外で武芸者の細かい実力差が、一般人のわたしにわかるわけないじゃん。……たださ、
エリート、お金持ちっぽいところがない庶民派なのに、結構広い部屋を借りていたのと、この絶体絶命のピンチに
陥っているツェルニへの留学をキャンセルしなかったという2点。それがわたしの根拠だよ。で、どうなの? 
そこそこ高い家賃の部屋を借りられるぐらい奨学金が良かったり、背水の陣の武芸大会で大活躍を目指すぐらい、
強かったりするの?」

興味津々のミィフィに対し、レイリアは冷や汗を感じながら、良い言い訳を探さなければならなかった。
とはいえ、口で言いくるむことができるほど、レイリアの口は回らない。
今までの人生上どう考えても、口で言いくるまれ、誤摩化される方の人間だったのだ。

「奨学金もC程度だし、バイトが好きだから広めの部屋を借りただけだよ。それにツェルニ以外のテスト勉強を
していなかったから、今更他を受けようとは思わなかったし……」
「そっか、グレンダン出身だから1年性でも期待しちゃったけど、そこまで美味しい展開はないか」

最低限の事実を述べただけだが、ミィフィは運良く納得してくれた。

「……ツェルニの被害、そんなに酷かったの? 外には詳しい情報が流れていなかったのだけど」
「うん、酷かった。わたしは数字と傷跡の雰囲気しか知らないから、詳しくはナルキに聞いた方が良いと思う……」
「ああ、はっきり言って酷い。少なくても汚染獣戦で重傷を負ったり、仲間を失ったことでトラウマを負ったものが
都市から去るのを止められないぐらい酷かった」

目的語がなくても通じるほど、あれだけ明るい性格をしているミィフィでも即暗くなってしまうほど酷かったようだ。

一般人も暗くなっているということは、あまりの被害に都市運営に異常をきたしたのか、都市の被害が一般人にも
目撃できるほど広域だったのか、それともその両方だったのだろうか……。

「わたしが参加した戦域は後方な分、まだマシだったが……他は酷かった。敵の数は減らないどころか増援で増えて
くるし、治療用の簡易ベッドは混雑と悲鳴ですぐに埋まってしまった。……全質量兵器の消費に壊れ平らに押し
つぶされた外縁部、総芸者数の四分の一の減少が損害だ。まあ、いなくなった四分の一が全部死んだのではなくて、
全治数か月の重傷者や植物状態の人、さっき言ったツェルニを去った人を含んでいるのだが……」

「そんな感じだね。ツェルニの復興や武芸大会のために他から予算を持ってきた所為で、武芸科に対する風当たりは
かなりヤバくなっているからね……。明るい話題なんて、有名なサリンバン教導傭兵団がツェルニを鍛えてくれて
いるくらいだよ」

四分の一……ツェルニは六学年制だから、一学年以上の数の武芸科の生徒がなくなったという計算になる。

学園都市の未熟な武芸者とはいえ、質量兵器と地の利があって、そこまで損害が出るほど弱くはない……と思う。
おそらく、熟練者がいない中、皆、汚染獣戦が初めての中で混乱し、適切な対処ができず、後手、後手に回って
しまったのだろう。

少なくても、始めから質量兵器を全部使えば被害は半数にまで減ったと思うが、その判断ができないのが、未熟者が
集まる学園都市というものであった。

「そういえば、サリンバン教導傭兵団ってグレンダンが母体になった組織らしいけど、あーちゃんは何か面白いこと
知っている?」
「サリンバン教導傭兵団なんて、先代の女王、今から30年以上前に結成されたものだから、わたしもほとんど
知らないよ」
「そっか、そんなに昔なんだ……。それにしてもグレンダンの武芸者はどれだけ強いの? 小隊員というツェルニの
エリートが教導を受けているのだけど、全然歯が立たなくて、毎回、自分の未熟を体に叩き込まれているんだって。
学園都市とはいえ、上級生なら20歳を超えているから、帰ったら即都市の戦力に編成されるというのに……」

サリンバン教導傭兵団もすでに世代交代を終えているから、それほど質は揃っていないだろう。
一般都市の平均ぐらいの強さの傭兵もいるはずなのだが、毎回、叩き潰されている。

経験の差もあるが、何より学園都市という同世代しかいないというぬるま湯に漬かることで、強者に対する戦い方を
忘れてしまったこと。
それと自分たちが全てを使い果たし、犠牲者を大勢出してまでしてようやく勝てた汚染獣相手に、傭兵団は何度も
戦い勝利しているという事実に、心底ですでに敗北を認めてしまっているかもしれないこと。

この2点が一番の敗因かもとレイリアは思ったが、根拠のない妄想にすぎないので言葉にはしなかった。

代わりにグレンダンの現実を口にする。

「ツェルニとグレンダンを比べても意味ないよ。あそこは異常だから。武芸者もツェルニの10倍はいるし、戦力も
100倍以上違うから」
「10倍! 100倍!? 流石は世界一汚染獣と戦っている都市。学園都市とは格が違いすぎる」

100倍以上と言っても、実際は一桁以上違うけど……。

ジーザスと頭を抱えているミィフィを見ながら、レイリアは周囲を見渡した。
ミィフィもナルキもメイシェンもクラスの皆も強いと思う。

これだけの被害を受けた上に鉱山は残り1つ。
今年の武芸大会で負け越しをしたら、その時点で都市が所有する鉱山がなくなり、都市は終焉を迎えることになる。

それでも、毎日を不安で染めずに、今日、こうして新たな住民を祝う心の余裕がある。
食料危機ほど命の危機が迫っていないしても、この余裕はグレンダンでは全くなかったものだった。

できるなら……。
都市が、前回とは比べ物にならないほどの危機にさらされたとしても……。

この明るさと優しさを維持してほしいと、レイリアは願った。










後書き
Q.レイリアがクラスに自己紹介したとき、三人組から一人欠けている気がしたのですが……?
A.ちゃんといます。けど彼女は転入生にいきなり話しかけることができるほど、社交的ではありません。

Q.レオってオリキャラ?
A.レギオスの絵師である深遊さんが描いた漫画のキャラです。また、他クラスメイトは全てオリキャラです。
  原作では、クラスの様子はほとんど描写されていませんが、あれだけ変人が揃っていることはありません。




[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第3話
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/04/17 18:17
現代編 第1章 嵐の前の静けさ  第3話










試合終了のサイレンが鳴り響く。
そのサイレンの音に一瞬だけスタンドも静まり返ったが、すぐに勝利の歓声や敗北の嘆きに変わった。
対戦した隊長同士が握手をしたところで、一際大きな喝采が起こった。

「これがツェルニの小隊対抗戦なんだ」
「そうだよ、ツェルニのメインイベントだから、人気も規模もこれに勝るものはないわね」

レイリアとミィフィは観客席にいた。
強化グラスで仕切られた向こうでは、武芸者が集団で戦えるほど広い野戦グラウンドになっている。

野戦グラウンドには罠が仕掛けやすい森林地帯、障害物があるが高台から見渡しやすく狙撃がしやすい岩石地帯、
集団で正面から戦うことができる平野地帯など様々な地形があり、色々な戦術を生かせるようになっている。

そこにツェルニで実力と人気を兼ね備えた武芸者たちが、汗と熱気と勝利への執念を持ってぶつかるのだから、
見ているだけでもとても見ごたえがあるのだ。

武芸者として試合に参加することはあっても、見ることはあまりなかったレイリアにも、他人の試合、グレンダン
ではあまり重視されていなかった少人数での集団戦の観戦は楽しむことができた。

これは実力が拮抗し、ある程度緊張と迫力を伴った試合であることに加えて、会場に設置された大きなスクリーンや
やたら叫んでいた実況の熱さが相乗効果を起こした結果だと推測した。

「それでさ、あーちゃんは試合を見てどう思った? あの人がすごいとか、あの人がかっこよかったとか?」
「う~~ん、試合自体は順当な結果になったね。囮で相手の隊列を乱した瞬間、その穴に集中攻撃をして突破する。
狙撃手が焦って攻撃を外し相手の勢いを止められなかった時点で勝負が決まっちゃったと思う」
「あれ? ミーハーな話題を期待したのに、解説者のような真面目なコメントだ。……そうじゃなくて事前に
メンバー紹介されていたし、誰か気に入った人とかいないの?」

気に入った……見た目の好みの人ということだろうが、レイリアはあまり顔に興味ないために困ってしまう。

そもそも、武芸者で顔が良い人には少しトラウマがあるのだ。

グレンダンでの貴重な組み手相手だったが、戦闘狂で息が詰まる攻防になればなれるほど、笑みに凄惨さが増して
正直怖かったのだ。
手加減ができない上に、10歳も年下の少女に大人気なく嫉妬し、薙刀を振り回す危険人物もいたために、やっぱり
人間は性格が一番だと悟ってしまっている。

そのようなことをぼかして説明すると、ミィフィはへえーと言った後、スクリーンを指差した。

「あの人みたいに結構顔がよい人がいるのに興味がないということは、その人の方がレベルは上なの?」
「顔と武芸のレベルはね……。性格ならツェルニの方が圧勝だよ」
「く、美形慣れとは贅沢な奴め! その幸運をどこから生まれる? わたしの上位可換のような体つきからか?
それとも、ほんわかしていて、武芸者なのに牙がない羊っぽさが良いというのか!?」
「きゃああ! や、やめて!? セクハラ、暴力反対」
「暴力が仕事の武芸者が何を血迷ったことを言っている」

レイリアの胸や二の腕にわき腹を揉んでくるミィフィに、レイリアは真っ赤になるだけでなす術がない。
どうにかして逃げ出そうと足を動かすが、何かに引っ掛かってこける。

尻餅をついて「いたーい」と言って涙目になるレイリアに、ミィフィは、

「このコンボが成立するだと……!? これが潜在能力のある人とそうでない人での圧倒的な差なのか……」

がっくりと項垂れてしまった。
レイリアは立ち上がった後、ミィフィをつんつんと突き、安全を確認すると雑談を終了し、本題に入ることにした。

「試合も見れたし、早くインタビューを始めて終わらせよ?」
「……そうだね。切り替えの早さで負けていられないし、始めよっか」

今日は遊びに来たわけではない。
正確には、小隊戦を見るという遊び半分、前に頼まれた留学生特集に関するインタビューを受けるという仕事半分だ。

レイリアとミィフィは、残り半分の仕事をできる静かな場所を求めて歩き出していった。





野戦グラウンド周りの食堂は非常に混雑していた……事前の情報通りに。

レイリアとミィフィは室内に設置されている休憩用のテーブルで寛いでいた。
テーブルの上には、彩り豊かな弁当と、やや大きめで地味な弁当が置かれている。

「ミィフィの弁当って、いつ見ても見ただけで楽しめる分、余計に美味しそうだね」
「まあ、調理師希望で、いつもメニューの内容を考えているほどだから。でも、わたしも美味しい店を発掘しては
連れて行ってあげているから、メイの実力の半分はわたしのおかげだね」
「完全なスポンサーなら、そうだねって言いたいのだけど……」

メイとは、ミィフィの幼馴染であるメイシェンの渾名だ。
メイシェンは将来、パティシエを目指しているほどの料理好きで、しかも上手である。
ミィフィたちが食べている弁当はいつも彼女の手作りのものだ。

レイリアも孤児院出身のため、料理はある程度できるが、味に拘らない性格のため、腕前はそこそこ程度。

弁当を作るのだって、食材が切れていない、深夜のバイトを入れていない、の2つの条件を満たすときだけだった。
今日、作った弁当も当然、味も見た目もメイシェンのそれより劣っていて、勝っているのは量だけである。

適当におかずを交換しながら箸を進める。
同じ卵料理でもふわふわとした食感が全く違う。
味も後味のすっきり感が違う。

おそらく、何か細かい処理の違いと隠し味というものが存在しているか否かの差だろう。

完敗。レベルが違う。

だけど美味しいものが食べられることの嬉しさに、悔しさなど吹き飛ばしていた。

「それじゃあ、インタビューを始めちゃう?」
「え? 今から? 食事中だよ」
「だって午後からも試合があるから仕方ないじゃん。すぐに答えが思いつかなかったら、また後で聞くから気楽に
受けてくれればいいよ」
「……そんなことを言われても、インタビューに関してそこまで気楽になれないよ」

真面目で不器用なレイリアにとって、2つを同時進行するのは難しい課題だった。
最悪、試合会場の応援席で、弁当の残りを食べることになるかもと思った。

「それじゃあ、インタビューを開始します。まず、ツェルニでやってみたいことは何ですか?」
「やってみたいことですか……まだ、新しい生活環境に慣れることを優先しているので何かできているとはいえない
のですが、今は色んなバイトをしています」
「例えばどのような?」
「武芸者なので基本的体力仕事です。機関掃除だったり、荷物運びだったり、普通の接客などですね。短期で報酬の
よいバイトがこれから見つかれば、それにも参加したいと考えています」
「随分と色々なバイトに手を出していますね。貯めたお金で欲しいものがあるとか……?」
「いえ、使い道はあまり考えていませんが、貯金が少ないって、いざというときを思うと落ちつきませんので……。
使う機会がなく留学終了のときが来たら、ぱーーと気前良く使い切っちゃおうと思います」

「そうですか、ありがとうございます。転入式が終わり1週間経過しましたが、ツェルニに来て困った、戸惑いを
覚えた習慣とかありましたか、教えてください」
「戸惑い、ですか……。留学時の手続きの多さがちょっと大変でした。バイトとかは簡単でしたが、保険、保障関係
の手続きが面ど、いえ大変だったのが、新たなことへの挑戦を推奨している学園都市らしいと思いました」
「……被害の復興とその混乱で、手続きが増えたって話があったかも……」
「そうなのですか?」

「あのときは詐欺とかも横行したから、それを取り締まるために……て、わたしが質問に答えるって逆じゃん。
……では改めて話を戻しますが、ツェルニでやりたいことは何ですか? ツェルニに留学している間に達成したい
こと、または抱負などを話していただけたいのですが」
「(……廃貴族を捕らえるために、ツェルニの学生を一人グレンダンまで連れて行きますとは言えないので、代わりの
言葉を探す)…………学園都市に来たので新たな武術……いえ、独自の訓練法があれば今後のために知っていきたい
と思います。他にも教導についてあまり詳しくないので、そこもここで勉強したいと考えています」
「そうですか、ありがとうございます。最後に、今後の抱負を聞かせてください」
「……自分中心なことばかり語ってしまいましたが、わたしもツェルニの一員として、この危機を乗り越えたいと
考え、復興や武芸大会に微力を尽くし協力していきたいと思います」
「ありがとうございました……OK、インタビューはこれで終了」





インタビューが終了したので、レイリアは大きく息を吐いた。

ミィフィはマイクと録音機器を片付けている。
その満足そうな顔を見ると、どうやら失敗しなかったようだと安心できた。
意外と早く終わったから時間はまだたっぷりある。

弁当を食べるのを再開すると、ミィフィもそれに倣った。

「あーちゃんはさ、ゴルネオ先輩って知っている?」
「ゴルネオ先輩……心当たりはないけど、有名人?」
「あーちゃんと一緒のグレンダン出身で、汚染獣戦で一武芸者としても指揮官としても八面六臂の大活躍をした
第5小隊の隊長さんだよ。今、武芸科で一番人気のある人だって言い切れるね」

そう言って一枚の写真を取り出した。
銀色の短髪でいかつい顔をした大男の写真。

その水色の目にはどこか愛嬌があり、威圧感はあっても押しつぶしてきそうな、凶暴そうな印象は与えてこない。
だが、どこかで見覚えのある顔だ。

もっと眉間にしわが寄って、口元も引き締まることで常時、威厳があると仮定して……。
または、いかついごつごつした顔ではなく、もっと顔を細く目も細くして、髪を長髪にすると……。

「ルッケンス? ひょっとして、あのルッケンス? もしかして弟さん?」
「やった、心当たりがあるのね! やっぱりグレンダンでも有名人? 威厳もマナーも実力もあるから上流階級出身
だろうと予想されているけど、本人が過去を話したがらないのとグレンダン出身の人がほとんどいないことから、
昔の情報に皆飢えているんだ。あーちゃん、知っていることがあったらぜひぜひ教えて、噂でも構わないから」
「ルッケンスって化錬剄を補助に使う格闘術を主体にしている?」
「そうそう、名字でそこまでわかるなんて、やっぱり名家なんだ……そこのところ、詳しく詳しく」

目を爛々と輝かせて迫るミィフィに、レイリアは勢いに押されてつい知っていることを話してしまう。

「ゴルネオ先輩のことは全く知らないっていうことを前提に聞いてね。……ルッケンスはグレンダンで最も隆盛を
誇っている武門の一つだよ。ルッケンスを名乗るということは直系か、それに近い傍流なんだと思う」
「へえー、ツェルニの10倍武芸者がいるグレンダンで最王手か……格闘がそこまで流行るもんなんだね」

流行る……その軽い物言いに、武芸者としての誇りがないレイリアでも苦笑するしかなかった。
他の武芸者が聞いたら、神聖な武芸を何だと思っていると、怒気を発する場面だろう。

だが、一般人が格闘術を珍しがるのも無理はない。
両手、両足と手数は一番とはいえ、リーチも重さもある武器を使った方が、見た目も派手で強そうに見えるのだろう。

武芸者がいなかった古代では、格闘術は武器なしでも使える武術、護身術として重宝されたらしいが、今は武芸者が
いて、敵も同じ武芸者か人間の天敵である汚染獣だ。
武器を持てない制限された戦いなど、基本的にあり得ないのである。

「ルッケンスは昔の天剣授受者が創設した歴史のある武門で、最近にも天剣授受者を輩出したから人気があるんだ。
格闘術を教えると言っても四肢のみを使う流派じゃないよ。武器を持った人もその武器を生かした格闘術を教えて
いて、サブの道場として通う人も多いから、隆盛を保っているんだ」
「そうなんだ。……それでゴルネオ先輩はその道場でどれくらい偉いの? もしかして跡継ぎだったりする?」
「知らないけど跡継ぎは確かおじさんも悩んでいるって言ってた気がする。まあ、あの人が道場を継ぐ気がなく、
飄々と毎日を楽しんでいるのが原因なんだけど……」

若手の天剣授受者の中で、戦い以外のことを気にするのは、レイリアを含めても2人ぐらいだ。
天剣で一番の人格者だって趣味はなく、一日の大半を修行に費やしているのが現実だった。

「……あーちゃんは随分と詳しいね。ひょっとしてルッケンスに通っていたの? おじさんってルッケンスの当主様
と知り合いなの?」

まずい、話し過ぎた!

気を抜き過ぎ、舌が回り過ぎたことを嘆くが、吐いた言葉は戻ってこない。
目を泳がせ、足をプラプラさせながら必死に脳を働かせる。

「え〜〜〜〜と……ちょっとした縁で……その……お礼というか詫びというか、食べ物につられてそれで……」

顔色が蒼くなり、口が何を言っているのかわからなくなって、ますます焦りが募る。
焦った後、良い結果に逆転したことが一度もないことを思い出すと、思わず逃げ出したくもなってくる。

……逃げないのは、逃げても後々に捕まるだけという経験則から来ていると考えると、人生が少し虚しくなるが……。

「ふーん、それで? 他には?」

ミィフィの獲物を前にしたニヤリ顔とは対照的である冷静で平坦な口調が、さらにレイリアを追いつめた。

「他にはと言われても…………ルッケンス家の詳しい家事情や勢力図なんて知らないし……」
「嘘はなさそうだから……冷静になって思い出すのを期待するしかないか。今手に入った情報だけでも特ダネと
しては十分だしね……そして、将来の特ダネも大丈夫そうだしね」

そう言ってチェシャ猫のようにニヤニヤと笑うミィフィの顔は、どう考えてもヤバい。
武芸者なら、幾十にも仕掛けた罠に、今にも敵が嵌りそうといった感じだ。

「前々から気になる点はあったんだよね。挨拶や接待が妙にこなれている感じなのに、普段の性格は注目を浴びるの
が苦手で、でも頼まれ事は断らないというお人好しな庶民派。武芸者っぽい堅苦しい一面や雰囲気もなく、初対面
なら誰も武芸者だとは気付けないほど……」

トリックを見破り、犯人に証拠を一つ一つ挙げていく探偵のような冷静な口ぶりだ。
言葉に確信が宿り、目はレイリアが反応したわずかな動揺も見抜きそうだった。

「……自信のなく、偉そうでない武芸者ならレオ君のようにたくさんいるけど、自信があるのに偉ぶらない、誇りを
振りまいていない武芸者って滅多にいないんだよね。ナルキだって偉ぶりはしないけど、自分の武芸を、今までの
努力の結晶である武芸を誇りに思っているからこそ、五月蝿いし堅苦しくなるのだな、これが……」

「でもあーちゃんは違う。自分の才能に鼻を掛けているわけじゃない、自分が弱いと思っているわけじゃない、
武芸で努力していないわけじゃない、でも自らを他の人のように誇ってない。試合を見る様子も冷静沈着で、解説も
的確。留学生じゃなかったら、一緒に実況と解説をしようと頼んで、足に縋るくらいはするよ」

前振りを十分にして、さらけ出した急所に暴いた真実を貫き通す。

「あーちゃん、実はかなり強いんじゃない? グレンダンにも認められるほど、小隊戦を見ても実力差をあまり
感じないくらいには」
「……」

問われても無言を通すしかない。
友達と思っていても、薄情だと思われても正直に明かすことはできない。

この胸の苦しさには慣れている。
レイリア・ヴォルフシュテイン・アルセイフは家族すらも現在まで欺き続けているのだから。

「なーんてね。そんなに苦しそうな、罪悪感を抱いてますって顔に書かなくてもいいよ。別に1年生レベルを
超えているというのも、単にわたしの妄想で根拠もないし、手加減してはいけないなんて校則にも書いてない。
……留学生が強いと嫉妬とかで色々と面倒事に巻き込まれる可能性もあるしね。武芸者は特に愛校心が強くて、
愛校心の薄い留学生を差別している点が心情だけではなく制度上にもあるし……」
「……ミィフィ」
「わたしだって、報道で友達を売ったりはしないよ。今回だって、あーちゃんの隠し事レベルを探りたいから、
本人を前にネタバレをしたんだよ。レベルが結構高そうだから、実際に活躍したときしか記事にしないよ」

ミィフィの友達に関する気遣いにありがとうと言おうとしたが、ふと気付いた。

記事にしないとは言っていない。
条件付きで、いわば保留ということだろう。

「記事にしないと確約してほしいのだけど……」
「駄目駄目、生なら幼馴染の痴態さえ記事にしてきたわたしは、できない約束はしない。報道の自由ということね」

笑顔で過去の戦歴を語るミィフィは忠告混じりに一言加えた。

「大体、あーちゃんってうっかりが多そうだから、生でも想定より早く記事にできそう」

全然否定できそうにない的確な言葉に、レイリアは冷や汗を浮かべるしかなかった。







この話題も一区切りついたが、まだ中途半端に時間が余っている。

お昼休憩は、外へ食べにいく人のために多めに取られている以上、仕方のないので、二人で食後の飲み物を買いに
行くことになった。

廊下を少し歩くと、奥から二人分の怒鳴り声——言い争いが聞こえてくる。

血の気の多い武芸者の試合を見に来ているので、こういうこともよくあると思って引き返そうとしたが、ミィフィが
袖を引っ張ってきた。

何事かと一瞬だけ考えたが、ミィフィのわくわくとした顔を見たら、すぐに考えがわかった。

その結果、おそらく呆れ顔をしたためか、ミィフィが手を合わせて何度も無言で頼み事をしてきた。
結局、拝み倒される形で、覗き見をする羽目になったレイリアであった。

「おい、巫山戯るな」
「巫山戯るなと言われても、駄目なものはどうしようもないだろう」

男2人が揉めている。
ところどころ剄がわずかに放出されていることから、二人とも武芸者だ。

よって、顔が見える位置まで移動しようとしたミィフィの行動を止めた。

距離が結構あるので、大きな怒鳴り声以外はよく聞き取れない。

この時点で、帰ろうと主張するレイリアと、活剄で聞き取ってと主張するミィフィで揉めたのだが、ミィフィが録音
機器とマイクを取り出した段階で、レイリアは降伏した。

いくら何でも、喧嘩の内容を録音するのは意地が悪すぎるためだ。

「おい、お前はちゃんと頼んだのか、最善を尽くしたのか? 俺はちゃんと教えたのに、その報酬がやってみたが
出来ませんでしたでは納得するわけないだろう」
「お前の気持ちもわかるが、元々可能性の低かったことだ。特別扱いを却下した武芸長の判断は適切と言わざるを
得ないことは、客観的に考えてわかるはずだ」

「客観的? 特別扱いされているお前らがそれを言うのか! 特別扱いを理由にするなら、留学生である俺を小隊に
入れてくれれば問題ない」
「……それは制度上不可能だ」
「制度だと!? この絶体絶命の危機の中でもそんなものが大事か! そんな差別じみた制度などなくせばいい。
俺が最初の前例になってやる」
「……小隊の地位は、独善的な考えの持ち主を受け入れるほど安くはない。小隊員は武芸科のエリートであり目標だ。
愛校心のない存在がいたら周囲から反発が増す。この重要な時期に混乱を加速させるのは、隊長としてできない」

「巫山戯るな!!! 何が愛校心だ、お前らの心の狭さを言い訳するための言葉だろう! 混乱、反発? だから
なんだ。現状維持や前例が役に立つ時期は終わった。そんなもの、戦争は考慮しないぞ」
「……俺にだって戦争前にツェルニを崩壊させない責任がある。リスクの高い選択は無理だ」
「ふん、リスクとはエリートらしく現実が見えていないな……はっきり言ってやる、ツェルニはほぼお終いだ。
お前はツェルニのために言葉を弄しているのではなく、自分の経歴に傷がつくのを恐れ、精一杯戦ったという満足感
を得たいだけなんだよ」
「貴様、その言葉、今すぐ撤回しろ」

その後、二人は冷静さを完全に失い、お互いに罵り合うだけとなった。
殴り合いをしたらすぐに運営と警備員に連絡しようと考えていたが、両者ともそこまで我を失っていないようだ。

試合15分前を知らせる放送により、二人の怒鳴りあいは終わりを見せた。

急に止まった争いに、レイリアたちは逃げる機会を失い、お互いにどうしようと視線を交わす。

通路からやってきた男は、突っ立ている少女二人を睨むと通り過ぎていった。
聞き耳を立てていたことには気付いたが、公共の場で騒いでいた自分も悪いと考え、睨むだけで済ませたのだろう。

絡まれなかったことに安堵の息を吐いた二人は、目的のジュースを買って観客席に戻った。
ジュースの冷たさが、バクバクと鳴る心臓にはちょうど良く、一口の予定が、三分の一も飲んでしまった。

「それで、さっきの話なんだったの?」

ミィフィが興味津々の様子で話しかけてきた。
精神的にタフだなあと感じつつ、レイリアは聞き取った話の内容を説明した。

「……という感じで、約束を破った隊長さんをあの人が怒っていたの。途中参加した所為で、二人の揉めた内容は
よくわからなかったけど」
「それなら想像ついた、いえ多分間違いはないわ。留学生の人は傭兵団の訓練の参加の斡旋を頼んで、断られた。
費用上、小隊員のみが参加となっているために反発は大きいって先輩が話していたもの」

傭兵団がツェルニの小隊員を鍛えていると、前に聞いたのをレイリアは思い出した。

少数精鋭の形で鍛えるという考えは理解できる。
短時間で成果を出すには、それが一番だからだ。

傭兵団も理由もなく都市に長い時間滞在するわけにはいかないので依頼を受けたのだろうが、ツェルニ首脳陣も
よく頼む気になったものだと思う。

心臓の毛の太さが見かけと全然違うと、エリートで金持ちっぽかった生徒会長を呆れ半分に感心した。

「全く、約束して対価を払ったのに、やっぱり無理だったと偉そうに謝罪されれば、留学生の人も怒って当然よ。
でも第3隊長のウィンスって融通の聞かない神経質な人らしいから、人選ミスでもあるわね」

ミィフィの話によると、今の武芸科はかなり問題を抱えているらしかった。

汚染獣戦からの復興と武芸大会でかなりの予算が配分されている分、他学科から陰口は絶えないし、先行きの不安と
今もなお続く汚染獣の恐怖による士気の低さと戦闘時の諍いとかにより、団結力がない学年もあるという噂もある。

小隊戦も、汚染獣戦で被害の少なかった第1小隊と第5小隊が大差をつけて他を引き離しているために、後半戦に
入っても例年より盛り上がりに欠けているのだった。

そこに、汚染獣戦の被害さえなければという愚痴まで飛び出ることもあるから、ツェルニの雰囲気は最悪だという
評価も否定できない。

「……愛校心か、大丈夫かな」

ツェルニの生徒の愛校心が足りていないと困ったことになる。

これから起こるツェルニの災厄を乗り越えるには、レイリアの実力を持ってしても不可能だ。
資格のないレイリアでは、いつか体力が尽き、力つきてしまう。

最終的に解決できるのはツェルニの生徒だけなのだが……。

最悪のケースを想定しないといけないかもしれない。

そのとき、都市は瀕死、または死ぬ以上のことが起こるかもしれないが、都市民が死ぬよりはよい。

レイリアは早めにあれを斬る決意を固めることにした。










後書き
ミィフィが優秀なわけではなく、レイリアがヘッポコなだけです。



[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第4話 
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/04/24 18:07
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第4話 











ツェルニ外縁部。
前に来た戦場跡とは別の場所だ。

巨大な移動都市が発する音が相変わらず騒々しい。
だが、よく観察すると、音の大きさは脚を動かす距離によって微妙に異なっているし、ちょっとした山や谷に足を
突き刺すときも、通常とは違うようにできている。

山々や大岩に地割れに近い溝がる荒野を多脚で移動するのに、地上部ではほとんど揺れを感じないレギオスの性能の
優秀さに、レイリアは感心する以上に人類の力を超えた神秘的な何かまで感じた。

しばらくレギオスの進行方向に目をむけ耳を向け、異常がないことを確認する。

昨日と今日が変わらなければそれで良し。
変わっていれば……それがレイリアの羽休めの終わりになるはずだ。

今日もまだ大丈夫と結論づけたところで、レイリアは外縁部から去った。

道に戻ると、今日は見覚えがあった。
確か、初日の放浪バスから降りてきたときに通った道に近いところだ。

標識や目立つ建物から現在地を考え、家まで一番近いルートを脳内で構築していく。

路面バスとか使った方が道はわかりやすいかもしれないが、レイリアは武芸者だ。
道がわからなくなっても、上空高くまで跳び上げれば何とかなる。

よって、近道であるはずの路地裏に入った。

滅多に人が入らない道らしく、街灯はないし道は狭い。
外縁部近くでも居住地ではなくゴミや異臭がしないのは助かるが、ボロボロになった布きれや足音だけが甲高く周囲
に反響すると、幽霊が出てきそうな恐ろしい雰囲気が醸し出てくる。

剄で灯りでもつけようかと考えたところで、ガタッと鳴った。

「きゃあ? 悪霊退散」

背が縮み上がり、肌に鳥肌が立つ。

無人な場所での怪奇的な恐怖を降り払うために、剄を光に変換して辺り一面を照らした。

「幽霊は見えないから怖い、み、見えるなら、明るくなれば……多分、大丈夫……?」

と呟いて周囲を見渡す。
ねずみか何かがいると思ったが、そうではなかった。

「……子供?」

隠れていたのは子供だった。

年齢は5歳程度。大きくぱっちりとした目が特徴で髪も長い、座るだけで地面につくほどだ。
服装は地味だが、そこまで汚れていない。

時間と場所を考慮しなければ、親とはぐれた子供と近い雰囲気か……。

「大丈夫?」

しゃがみ込んで頭を撫でながら、優しく話しかける。

何で学生都市に子供がいるのかとか、夜なのに何故ここにいるのかなどの野暮の質問はしない。

初対面の子供には、笑顔で話しかけて手を繋ぐことで人の温もりを与える。
それが一番、他は全て後回しすれば良いのだから。

「大変だったね、お姉ちゃんと一緒にご飯食べる、それともしばらく一緒に遊ぶ?」

子供——おそらく女の子だろうーーがじっとレイリアの顔を見てきたので、にぱっと笑う。
女の子が少し握る力を強めたのを感じると、彼女を頭の上にのせて肩車をする。

「冷たくて大変だったね。温かいものを食べて元気を出しましょう」

迷わず、優しさと笑顔を全面に。

レイリアは、肩車をしたまま家まで帰宅したのだった。





「ちょっと人の多いところに行くけど、皆親切な人ばかりだから楽しみにしててね」

レイリアは翌日、あの少女を連れて学校に来ていた。

訳ありだろうと思って連れて帰った少女はやはり訳ありだった。
そもそも、子供がいない学園都市のあんな場所に一人でいる子供だから当然なのだが、事情が全くわからないのは
流石に厄介だった。

少女は言葉を一切話せなかったのだ。

先天性か後天性かは、医者でないレイリアはわからなかったが、少女に虐待の痕がないことには安心した。
部屋の隅に縮こまり、人を怖がる傾向があったが、食べ物を食べる元気があるので心配しすぎない方が良いだろう。

「きゃああ!? かわい〜い〜。レイちゃんその子どうしたの? もしかして実子?」
「すごい、目が大き〜い。肌もぷにぷにだ〜」
「わたしまだ十六歳だから、こんな大きな子供は産めないよ。この子、道に迷っていたところを保護したのだけど、
そのとき時間も遅かったから家に連れてきちゃった。授業後、親を捜すつもり。あと、人見知りする子だから、
あまりベタベタ触らないでね」
「家に連れてきちゃったって……普通、そんなことしないわよ。たまにだけど本当に突拍子もないことをするね」

レイリアは壁として立ち阻むと、独り占めはずるいとブーイングが起こるが、少女がレイリアの後ろに隠れると
彼女たちも慌てて止めて、子供の潤んだ目を前に戸惑ってしまった。

触りたい、可愛がりたい。
でも、嫌われるのは嫌だし、泣かれたら困ると顔に書いてあった。

ちなみに、クラスの男子は女子の勢いに圧倒され、遠巻きに見ているだけだった。

レイリアが大丈夫だと言って女の子を前にやると、握手といって小さな手の平を出させる。
それをクラスメイトがおそるおそる握ると、女の子がペコッと頭を下げた。

そのぎこちなくも可愛い動作に、女子は歓声を上げて喜ぶ。

その後、レイリアの膝の上に少女を乗せて1列になって触るようルール付けると、あっという間に列ができた。

「ねえねえ、この子ってツェルニに似ていない?」
「ツェルニって都市の電子精霊の方の?」

都市には電子精霊と呼ばれる都市の頭脳と呼ぶべき存在がいて、ツェルニでは幼い童女の姿をしている、

似ていると言われても、相手は雷っぽい何かで構成された生命体(雷っぽいというのは、見た目は童女だが、機嫌の
悪いときに触れると感電するため)で機関掃除でも滅多に見ないのでよくわからない。

「相変わらず鈍いわね。確かハンカチに描かれていたはずだから、見てみて」

ハンカチに描かれているデフォルメされた童女は目が大きくて髪は長く、確かに目の前の女の子と似ていた。
表情は違うものの、顔の輪郭まで似ているとは非常に驚いた。

「それで、この子どうするの? 家に一人で置いておくわけにはいかないのはわかるけど、学校に持ってきても
先生が文句を言う気がする。うちのクラスじゃあ、子供が泣く、いえ可愛い動作をした瞬間、授業にならなくなるわ」

うちのクラスはお祭り男、お調子者ばかりが集まっており、先生たちがブラックリストに載せている噂さえある。
故に彼女の指摘は正しい。

だが、レイリアも自分の思惑があるからこそ、学校に連れてきたのだ。

「とりあえず、授業が空いている人がいたら預けたいと考えているのだけど……」

その言葉を切っ掛けにクラス全員で話し合うが、ここにいるのは全員が1年生。
学科が違う人がいても授業カルキュラムにそれほど差がなく、全授業時間中誰かが預かるようにするのは不可能だった。

「やっぱり、午前中の授業を休んで先に親を捜した方がいいんじゃない? ノートなら後でコピーするし」
「うーん、それも考えたけど……ちょっと都合が悪いというか……ごめん」
「……まあ、レイちゃんが責任者で保護者だから、意見を尊重するけど……それでどうするの?」
「時間もあるし、バイトの先輩とか知り合い全てに当たってみる」

そこで真面目な話し合いは終了となり、また皆が子供を眺める体勢に移った。
大きな声を出すと子供がビクっとするので、皆は小声で話している。

子供嫌いで空気の読めない行動をする人がいないクラスで良かったと思った後、人前に出ても泣かなかった女の子の
勇気を称え、やさしく撫でることにした。

人前まで連れてきたのは、今後必要だと思ったからだといえ、ベストな選択とは言えないだろう。
この短い時間とはいえ、知らない人(といってもレイリアも知り合って半日しか経っていない)と一緒にいることを
同意してくれた女の子の献身に、レイリアは心から感謝をしないといけなかった。

「あーちゃん、わたしも親探しを手伝おっか? 人海戦術をとった方が楽だろうし」
「ごめん。子供を持つ親なんて、放浪バスで来た外来者ぐらいだから、宿泊施設に直接行けばすぐ終わるよ。
わたし一人で大丈夫」
「でも……」
「大丈夫だから」

レイリアが珍しくも強く押し切ると、ミィフィは不承不承頷いてくれた。







お昼前とお昼後、この2つが誰も空き時間がなかった。
そのために、レイリアは知り合いに預けるために別の校舎に向かうはずなのだが、そのつもりは一切ない。

人通りのない道に入り込み、誰にも見られていないことを確認すると、静かに剄を高めた。

活剄衝剄混合変化、千斬閃。

レイリアの隣で剄が収束し渦巻き、人の形をとり輪郭が現れ色彩も人と同じものに変化した。
レイリアは剄で実体を持つ分身を作り出したのだ。
その分身の精度は体格や顔の輪郭のみでなく、髪一本一本や着ている服にまで及んでいる。

さらに、錬金鋼を復元して長時間持つようにするための仕掛けをして、分身を教室に戻す。

そして、何事もなかったかのように女の子の手を引っ張ろうとすると、驚きのあまり目をまん丸としていた。
声を失っていなかったら、叫び声をあげていただろう。

「わたしは強いんだから安心して。さあ一緒に家まで帰りましょう」

分身を通して聞く感じる話すことはできるが、見ることはできない分、授業のノートは取れない。
友達と受け答えをするだけで精一杯だ。
だが授業如きで、子供を見捨てるわけにはいかないので、授業は後で友達にフォローしてもらうしかない。

分身ができるといっても脳は一つ。

自分の周りに気を配りつつ、分身の方にも意識を向けるのは難しいという欠点もあるので、日常に便利な技とは
いえないのである。

授業が終わると分身を教室から抜け出させ、本体たちと合流。
分身は役目を終え、消滅させた後、何食わぬ顔で教室に戻った。

当然、誰にもレイリアが分身と入れ替わっていたことに気付かれていない。

これとクラスメイトの協力により、全授業時間中での子供の世話を乗り切った。
そして授業後、レイリアは女の子を連れてバスで移動していた。

バスを降りると、授業後にも関わらずほとんど人はいなかったが当たり前だ。

ここは外部の人用の宿泊施設の手前で、学生用の施設はほとんどない。
外部からの不法侵入対策用に監視カメラやゲートがあるくらいで、いつも閑散としている。

女の子には全てを話しているが、それでも心配そうにレイリアを見つめていた。
その微妙に細めた瞳に宿るのは明らかに恐怖心で、体はダタダタと震えている。

敵を倒し、自由になれる喜びではなく、せっかくの自由がなくなる恐怖。
そして、厄介事に巻き込んだ人が目の前で犠牲になってしまうという恐れ。

多数の敵を相手取るから無理もない反応だが、この尋常でない怯えの反応にレイリアの怒りはますます増した。

普段のおっとりとした雰囲気はなくなり、目から感情は削げおちた怜悧そのものの顔つき。

戦うときに余分な感情は必要ない。

数多の戦いの経験から構築した戦闘の心構えが、戦闘とは関係ない普段の雰囲気を駆逐した結果だった。

「レストレーション」

分身を作るときにも使った錬金鋼を復元する。
手に握られたものは柄のみで、刃も何も見えないが、それは常人の目だからだ。

柄の部分を拡大すると、小さなたくさんの糸、鋼糸の存在が見て取れる。

鋼糸とは普通の剣を糸状に分解した武器で、その糸は周囲10キルメル先でも張り巡らすことが可能なほど細長くて
数も多い。

レイリアは常人の目には、いや武芸者でさえ全てを見ることができない鋼糸を剄で自在に操り、周囲に拡散させる。

周囲に拡散したことを確認すると、意識を剄に、剄が伝えてくれる情報に集中する。
情報量の多さに頭が悲鳴を上げるが、慣れた痛みなので無視して専心して、周囲の様子を探る。

いた。直線距離にして南東1キルメル先の建物に一人隠れている。
宿泊施設に行く者を待ち伏せしているのだろう。

建物が視線を遮っているためにこちらをまだ発見してできていない。
奇襲して一瞬で潰す!

男の近くに張り巡らした糸に剄を一気に流した。
突然の攻撃的な剄の気配に、男が外に飛び出した瞬間顔を真っ青にした。

殺剄をしていたレイリアが、男が来るであろう逃げ道で待ち伏せしていたからだ。

剣で容赦なく胴体を打ち砕く。

ここは学園都市、全錬金鋼には安全装置が掛けられ斬ることができないという前提があるので、剣の腹を使った。
斬れなくても、それなりの重量をほこる長剣なので破壊力は十分だ。

骨を砕く音とともに、男は地面に叩き付けられた。
内蔵が傷ついたのか、男の口からこぼれたのは大きな血の塊。

痛みで脂汗をかいている男の背を踏みつけると、レイリアは剣を突きつけた。

「ぐはっ」
「ねえ、この人があなたを攫った誘拐犯?」

女の子は男に怯えた様子を見せながらも、こくりと頷いた。

「く、てめえはあの餓鬼と一緒にいた子供……一体何者だ? 学生如きがこんな真似できるはずがない」
「ちゃんと情報収集していたのね。わざわざ派手に行動した甲斐があってよかったわ」

レイリアは女の子に初めて会った瞬間から、誘拐もしくは犯罪に巻き込まれたとわかっていたのだ。

夜に子供が一人で隠れていたというのも判断の一つだが、虐待の痕もないのに子供が初対面のレイリアにもすごく
怯えていたし、親や身の上の話を一切しないという怪しさが一番の理由だった。

犯人に恐怖をその身に刻まれたからこそ、偶然助けの手が来ても受け入れることができない。
事情を話すことが出来ない。

レイリアも、似たような話は何度も聞いたことあるのだった。

「さて、せっかく話せる程度には手加減をしたから、役立ってもらうわよ」
「くそ、お前こそ調子になるなよ。奇襲の手並みは見事だったが、仲間はすぐに異常を察知してやってくるぜ。
都市警で人海戦術を取られたら厄介だったが、学生のひと……ぐふっ」

男の怪我した腹を強く踏みつける。
骨がきしむ音が聞こえるが、レイリアの顔色は冷徹そのもので全く変化しなかった。

「あなたの声であの子が怯えている、黙ってなさい。……どうやって援軍を呼ばせようかと考えていたけど、その
必要がなくて助かったわ。あの部屋で放置されているトランシーバーに必死に仲間が呼びかけているのが、異常の
察知って奴ね。それじゃあ、あれを破壊すれば早くもっと来そうね」

鋼糸を使い、トランシーバーを破壊する。

その場から動かずに、隣の建物の中に放置された機械を察知し破壊したレイリアの尋常ではない実力に、男は理解
できない正体不明の化け物を見る目を向けた。

そこに先ほどまでのふてぶてしさはなく、ただ狼狽と焦燥で染まっている。

「お前は……本当に……何だ?」
「子供を食い物にする悪党が一番嫌いな武芸者よ。……そろそろやってくるみたいだから、あなたにもう用はないわ。
気絶してなさい」
「ぎゃああああああっ、ああぁ」

レイリアは男に鋼糸を巻きつけ、剄による電撃を放つ。
体を麻痺させて動けないようにするためだ。

さらに脳付近に極小の衝剄を浸透させることで、無様な叫びを中断させ気絶させた。

鋼糸で探知しなくても足音が聞こえてくるくらいには近づいてきている。

二人組だ。もう一人ぐらい狙撃のために隠れていることを考慮して、気絶した男をその辺に放り捨て、誘拐された
童女をレイリアの後ろに隠す。

殺剄もしないで近づく敵の油断と情けなさにため息をつきつつ、レイリアは剣を中段に構えた。

「「レイリア(さん)」」

あれ? 何故名前を知っている? 
しかも聞き覚えのある声のような……。

「良かった、まだ無事だった。宿発施設にはやっぱり髪の長い幼児などいなかった」
「ミィフィさんの事前情報通りでした。しかも今、怪しい武芸者たちが宿泊しているみたいで、戻るのは危険です。
彼女は何か事件に巻き込まれたのかもしれません」

長身の女生徒と元気のある声が特徴の生徒。
同じクラスのナルキとレオだ。

なぜ、二人がここに? とレイリアは戦闘中なのに雑念を抱いてしまう。

「怪我はないな。何とか最悪の事態は防げたか……」
「そうっすね、後は都市謦に保護してもらうのが一番かな」
「……何で錬金鋼を持っている? 都市謦にでも勤めないとまだ支給されないはずだぞ」

二人はレイリアに近づき、安堵した様子を見せてくる。
二人が何故このタイミングでやってきたかわからないレイリアが、目を丸くして思わず疑問を口にしようとした瞬間、
体が勝手に動いた。

外力系衝剄の変化、閃断。

剣を振り向き、刃の形に凝縮させて飛ばした剄が、飛んできた銃弾を撃墜する。

「あれを咄嗟に迎撃するとは……あいつを倒しただけあるな。学生レベルじゃない。油断するなよ」
「通信が急になくなった後での、攫ってきた餓鬼のことを探る二人組。何か罠かと思った逆で、幸運の女神様からの
贈り物だったみたいだな。学生レベルを超える奴がいても足手まといが二人……くくくくくくっ」

二人組の男たち、その手には復元された錬金鋼が握られている。
レイリアと同じ、学生都市に相応しくない、肉と骨を切り裂くことが可能な武器。

目の前の男たちは銃を持っていないので、隠れているのも含めて誘拐犯が少なくても三人以上。

最悪のタイミングでやってきてしまった。







レイリアは自分の馬鹿さ加減に頭を抱えたくなった。

ツェルニに似た少女を怪しいと思うのは当たり前なのだ。
少なくてもあれだけ一緒にいれば、レイリアと同じ結論にあたり、裏付けをとりに動くのは普通なのだ。

それなのに、自分一人だけで動いた結果、最悪のタイミングで巻き込んだことは悔やんでも悔やみきれない。

……とはいえ、男たちを殲滅するだけなら難しくない。

圧倒的な剄量を使えば終わりだ。
鋼糸はすでに全域に配置してあるから、建物の破壊を気にする必要もない。

隠していた実力がばれ、今後に支障が生じるデメリットさえなければ、すぐにでも実行したいところだが……。

流石にまずい、できない。

敵は実戦慣れしていて学生武芸者より強いのは見て取れるが……とりあえずやれるだけやってみよう。
命のかかる実戦だが剄量のみを制限、技量の制限は解除することを決めて、レイリアは動いた。

「レオ君、この剣を使って。わたしが二人以上を相手取る。だから、ナルキたちは二人掛かりで一人をお願い。
怪我をしそうになったらわたしに押し付けていい。狙撃手の攻撃も全てわたしが防ぐから」
「馬鹿、敵は学生レベルではない。悔しいがここは逃げに徹するべきだ」
「敵に背を向ける方が危険だよ」

レオが剣を受け取ったところを見ると、レイリアは新たな剣を復元させ、ナルキの忠言を無視して飛び出した。

狙いは左の男の首筋。
剣と剣がぶつかり合う。

そのまま鍔迫り合いに持っていこうとする男に対し、レイリアは剣をずらし後退した。
その空間に槍の薙ぎ払いが通過する。

仲間の男にはぎりぎり切っ先が届かない見事な連携。

距離をつめ、さらに追撃を仕掛けようとする剣使いを無視して、レイリアは鋼糸を展開した。
響く銃声と飛んでくる剄弾はレイリアの前方の鋼糸によって絡み取られ、明後日の方向へ飛んでいく。

レイリアは力のこもっていない牽制の剣を弾くと、その勢いのままに衝剄を放つ。
衝剄は槍使いの足元に突き刺さり、満足な踏み込みをさせない。

それらの結果、男たちは間合いから離れるレイリアを見送ることしかできなかった。

「すごい」
「やるな」

驚嘆のこもった声がナルキで、褒め言葉とともに余裕を見せている方が剣使いだった。

レイリアは舌打ちをしたくなるのを必死に我慢していた。

最初の銃の射手による奇襲。

咄嗟に閃断で防いだが、あそこで冷静だったら、即追撃を放ったり、敵の位置まで閃断が切り裂くようにできたのに、
実際は敵の攻撃を撃墜して防ぐだけで終わってしまった。
あのとき、あの男にダメージを与えられなかったのが、今になって響いている。

的確な射撃にクラスメイトや名の知らぬ女の子がいつ狙われても大丈夫なように警戒しないと行けない上、あの男は
手加減しているとはいえ、鋼糸の攻撃で致命傷を負わない程度の実力がある。

今も、見えない向こうで鋼糸を操って襲わせているが、良い手応えは感じない。

槍と剣の猛攻を捌きながら、レイリアは必死に頭と体と剄を動かす。

空中に設置した鋼糸を足場にした、三次元の変則的機動で戦いを優位に進めているものの、仲間の防衛にかなりの剄
を割いているので完全に攻撃力不足。

勝敗に決着が着くまでに時間が掛かり、思わぬアクシデントによる危険が高まってしまう。

何か名案がないか考えた結果、あの二人に女の子を連れて逃げてもらうという案を思いつき、実行しようとしたが
遅かった。

「は」

ナルキが槍使いに対し、打棒を突き出す。

打棒は棒といっても取り回しを重視した短いもので、リーチも長剣以下の近接専用の武器だ。

長柄武器が苦手なはずの近接戦だが、柄の真ん中を持ち、円軌道で器用に取り回すことで、打棒の連撃を完全に
防いでいる。

軽い打棒の方がスピードは上なのに攻めきれていないという、経験による厚く高き壁。

ナルキの援護をするために数本の鋼糸で後ろから斬りにいったが、全身から発せられた衝剄で弾かれる。

するとレイリアの意識が逸れたのを感じたのか、剣使いが今まで以上に剄を高めて剣を振るう。
その鋭い斬撃と衝剄を前に、レイリアは防御に徹するしかなく焦りが募る。

ナルキは大丈夫だろうか?

鋼糸でだいたいの動きと剄の様子はわかるためにまだ無事で戦闘意欲を失っていないことはわかるが、怪我をした
かどうか、格上相手による精神的疲労はどの程度かはわからない。

「向こうのお子様のお守は大変だな。焦りが表に現れているぜ」
「あなたを倒せば戦況の拮抗は終わる」
「はっ、逆だ。俺がお前を足止めしていれば終わるんだよ。戦力は足し算ではない。未熟な弱者を援護しているお前
は一人で戦うときより明らかに弱い」

男の言葉に、レイリアは内心苦虫を噛み潰すしかなかった。

チームワーク……レイリアたちが圧倒的に劣っている部分だった。

致命傷になりそうな攻撃は全て鋼糸で逸らしているものの、ナルキは窮屈そうに動き、小隊員レベルはあるいつもの
身軽さはなかった。

それは初の実戦と言う要素の他にも、自分を援護してくれる鋼糸が目に見えていないためだ。

目に見えないものを完全に信用できるほど、ナルキはレイリアの実力は知らないために、援護を信用した思い切りの
良い動きを取ることができず、また援護でできた隙も上手くつけない。

レオは蒼い剣を持ったまま、初めての実戦の空気に震えていて隙だらけだった。

レイリアも、鋼糸の攻防にかなりの剄と意識を割いているため、目の前の男に対し、カウンターを狙うので精一杯だ。
とてもじゃないが、力や速さの乗った技で押し切る余裕がない。

小隊員程度の剄では現状維持が限界であり、長時間の戦闘ではミスが出た方から崩れ、負ける。
そしてそれは当然、色々と未熟なレイリアたちの方になるだろう。

失敗してからでは遅い。

レイリアは限界を来たと認め、全力の剄を出すことを選択肢に入れ始めた瞬間、事態は動いた。

「うあああああぁぁぁ」

レオが槍使いに向かって衝剄を放った。
収束の甘い衝撃波が地面を削り、周囲の大気をかき混ぜながら進んでいく。

「馬鹿」

経験からレイリアにはわかってしまう。

疾影をして、気配を惑わすとレイリアは走った。

内力系活剄の変化、旋剄。

足に剄を集中させて高速移動を行う技だ。
移動中に方向転換できないという欠点があるため、移動先を読まれないようにしないと使えない技でもある。

高速移動で視界が霞む中、レイリアの目は想定通りの光景を見ていた。

衝剄が襲い掛かるが、槍使いの男はその衝剄に突っ込んだ。
未熟な衝剄を、圧縮した衝剄で穴を空け通り道を作り、勢いは一切失わないまま突撃する。

急な衝剄の援護にたたらを踏んだナルキは、男が通り過ぎていくのを止めることができなかった。

援護が完全に裏目に出た結果であり、高速戦闘中の援護は、経験もない学生武芸者が咄嗟にできるほど簡単ではない
ことを忘れていたレイリアの落ち度だった。

レオ目掛けてのスピードに乗った槍の突進。

止められない。

鋼糸の壁も形成する前に吹き飛ばされた。

旋剄の速さを殺しながら受け止めようとしても無理。

そう判断した瞬間、レイリアは剣を基礎状態に戻し、剣帯から新たな錬金鋼を復元した。

薙刀。

槍と同じように、長い柄の先に刃物をつけたものだが、これは斬ることを目的としたものだ。

空中の鋼糸を蹴って無理矢理方向修正をする。
足の筋と骨がミシミシと嫌な音を立てたが無視し、薙刀を体全体を使って振り回した。

外力系衝剄の変化、餓蛇。

天剣授受者カウンティアの技だ。

薙刀とともに自らを巻き込むように回転して周囲を切り抉る大技で、十分な剄を込めれば汚染獣の腹に大穴さえ可能だ。

突進する男の斜め前から大旋回させた薙刀の一撃。

その一撃を、槍を盾にして受け流そうとするがそれは下策だ。
一撃を後退させられながら耐えた男に、回転し遠心力のついた二撃目が迫る。

二撃目を防がれでも三撃目。
三撃目が槍を弾いたら四撃目。
四撃目が直撃したら追撃で五撃目……。

汚染獣最強である老生体の強靭な生命でさえ刈り取る技。

その連撃の嵐は、最初の一撃を弾き飛ばさないと止められない。
重たい一撃は敵の体勢を崩し、反撃を許さずに次の一撃に繋がるためだ。

餓えた蛇が獲物に噛みつき、牙を食い込ませ逃がさなくして、全てを呑み込む。

ただの獲物である男が絡みつく蛇の牙の刃から逃れられるわけはなく、何度も切り砕かれ吹き飛ばされた。

徹底的に攻撃のみを追及した狂人カウンティアの技。

剄を制限していても、男を一発でボロ雑巾にしてしまうほど、その威力は強大だった。

レイリアの通った道には、天から巨大な刃で切り裂いたような斬り込みが刻まれている。
薙刀を振り回し、広範囲を切り裂く技にレオを巻き込まないよう、斬撃軌道をずらした結果だった。

回転を緩めて勢いを殺そうとしているレイリアに銃弾が、続いて剣からの衝剄が迫ってくる。

大技を発動した直後の隙をついた素晴らしいタイミング。

仲間がやられても冷静に戦況を観察したために可能な行動に、敵ながら見事とレイリアは思った。
犯罪者とはいえ、いや犯罪者だからこそ情に引っ張られることなく勝機を見逃さないのだろう。

だが、レイリアには意味がない。

剄を即座に満たしてそれらを切り裂く。

別に制限した剄量を一度で全て使っても、虚脱感や脱力感を感じることはない分、すぐ反撃できる。

大技後の動きに鈍りのないレイリアに驚愕の表情を見せた剣使いに、容赦なく薙刀を振るう。

外力系衝剄の変化、針剄。

固体まで凝縮された剄に胸を撃たれて、男は昏睡した。

後は一人。

逃げようとする気配を鋼糸が伝えてくる。
だが、逃がさない。
敵を追いつめるために振りかぶって肘を後ろにそらした瞬間、

「あっち、あっちへ逃げてる」

背後からの甲高い子供の声。

誘拐されていた女の子があっち、あっちと指差しながら、声を張り上げていた。

声が戻っている。

誘拐犯がやられたところを見て恐怖心を克服したのか。
それとも逃げようとしていることが許せない怒りから克服できたのか……。

その理由などは、彼女の必死に喉と震わせ指を振り、髪を発光させている姿に比べればどうでも良いことだ。

彼女の髪の一部は、ホタルのように発光しながら揺れ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
錬金鋼なしに遠く離れた男の居場所がわかったことからも、彼女はかなりの潜在能力を持った念威操者のようだ。

「居場所を教えてくれてありがとう。後はわたしに任せて」

優しい声と同時に薙刀を投擲した。

薙刀は敵の近くに突き刺さると独りでに引き抜かれ、宙を舞い襲い掛かる。

「レオ君、剣を貸して」

レオから剣を受け取ると再び投擲し、同じく宙を舞わせ襲いかからせる。

鋼糸によってではなく、込めた剄による遠隔操作。

鋼糸、薙刀、剣の3つの脅威に囲まれた敵は逃げ切れず、悲痛な叫び声が響き渡って戦いは終わった。







「犯人逮捕の協力に感謝する。ありがとう」

小柄だががっしりとした体格の男に握手を求められ、レイリアたちもそれに応じた。

犯罪調査に相応しすぎるほどの鋭い目つきの上、顔も学生とは思えないくらいだが、今の雰囲気は人好きのするもの
で、この男の警察官らしくない気さくな性格を簡潔に表していた。

あの気絶した誘拐犯たちを捕縛した後、警察でバイトしているナルキの直接の上司に通報したのだ。
フォーメッド・ガレン。養殖科4年で警察の課長というのが、目の前の男の経歴である。

犯人は事情聴取を済ませた後、即ツェルニから退去処分。
自家用の放浪バスに押し込める予定だと教えてくれた。

慌ただしい処分だがこれも仕方がない。
ツェルニには犯罪者を留める留置所がないのだ。

基本的、学生が犯罪を起こしたら停学で自宅待機か退学のどちらかで、留置所の必要性がないためである。

今回の犯人は誘拐、しかも錬金鋼を持って抵抗した凶悪犯。

また何か問題を起こす前に追い出そうというのがツェルニの警察の方針で、怪我も簡易処置だけされて治癒を
待たないことになっている。

「え~と、すみません。話が終わりなら帰っていいですか?」
「錬金鋼の不法所持がばれて気まずいのはわかるが、落ち着け」

単刀直入、ずばりと言い当てられて、レイリアはあうぅと縮こまった。

まず、犯人の供述内容を要点だけ説明された。

犯人はやはり誘拐犯で、外から優秀な武芸者の子供を誘拐し売買する人身売買のブローカーだった。

あの女の子は他都市の武芸者の名家から誘拐されて、別の都市に売られる途中逃げ出してレイリアと出会ったという
のが、この事件の始まりの経緯だ。

藍曲都市コーヴァス出身だという彼女の声が出なかったのも、やはり誘拐による恐怖を薬で増幅された結果だった
らしい。
詳しい成分などはわかってないが、一度声を出せれば問題なく、副作用の心配もほとんどないようだ。

「まあ、副作用がある薬などを使ったら後々困るのは確かだから、信用はできると思うぞ」
「確かに」

レイリアが小さく頷くと、フォーメッドは話の内容を変えた。

「錬金鋼の不法所持も所詮、入学したばかりの新入生が羽目を外して馬鹿な真似をしないようにするために作られた
法律だ。別に1年でも専用の錬金鋼を自都市から持ってくるのに問題はないし、今回も正当防衛で錬金鋼の所持の
問題の方は片付く」
「問題の方は? 課長、他に問題があるのですか?」
「ああ、医者が怪我を見て過剰防衛じゃないかと嫌味を言ってきただけだ」

過剰防衛……確かにそう取られても仕方のないことだった。

手加減したとはいえ、飢蛇をまともに当てたのだ。
感触からいっても、肋骨が全て砕けていても不思議じゃない。

武芸者とはいえ、しばらく入院が必要なぐらいの大怪我のはずだ。

「不安そうな顔をしているが大丈夫だ。先に都市謦に連絡しろと説教をしたい気分はあるが、アルセイフさんには
アルセイフさんなりの勝算があったんだろう。俺の部下も完全に足手まといだった上、非戦闘員を守って勝ったの
だから、部外者が贅沢を言えん」
「そうですか、すみませんでした」

足手まといという言葉に、ナルキは悔しそうに唇を噛み締めるが、否定をしていない。

レイリアも初実戦なら仕方のないなどと言った慰めの言葉をかけようとは思わなかった。

いくら言葉で取り繕っても、敵にいいようにあしらわれ、一矢報いることができなかったのは事実。
その悔しさは本人一人で昇華させるしかない。

「……すみません。あの女の子のことの今後について聞きたいのですか……」
「……そうだな。だが、その話をするなら本人も一緒の方がよいだろう。今日、明日ぐらいまでは検査通院しないと
いけないが今なら話す時間がある」

そう言って、フォーメッドは部下のナルキを伝令に出した。

待つことしばし、ナルキは一緒に危機を乗り越えた童女を連れてきた。

童女はレイリアを見ると笑顔を見せて近寄ってきた。
頭を撫でると、花の咲いたような笑みを見せてくれた。

「……もしかしたら感づいているかもしれないが……彼女はしばらくツェルニにいる、すぐに家に戻すのは不可能だ」
「何でですか? 誘拐されて救助されたのに、親元に帰れないなんてあんまりです」

声を荒げたのはレオだった。

フォーメッドが手の平を突き出し黙らせると、説明を続けた。

「下手に帰してまた誘拐されては何も意味がない。とりあえず、今放浪バスを待っている人にコーヴァスに着くまで
面倒を見てくれないかと頼むが、ツェルニからコーヴァスは遠い。何せコーヴァス出身の生徒さえいないぐらいだ。
コーヴァス行きの人すらいないと考えた方が良い」

誘拐した犯人が近場で売買するはずがないので、コーヴァスがはるか遠くにあることはある意味必然だ。

長旅をしてきたであろう女の子も、すでにそのことを気付いていたのか、それとも事前に説明を受けていたのかは
わからないが、動揺している様子はない。

「……それならどうするのですか? ツェルニにずっと居させるわけにはいかないでしょう」
「コーヴァスから迎えに来てもらえるよう手紙を送る」

無難な判断だとレイリアは思った。

名家出身なら迎えに来てもらえる可能性は高い。

なら、レイリアのすることは一つだ。
事前の予測通り、躊躇うところは一つもない。

「わかりました。迎えが来るまでの間、わたしが世話をします」
「な、レイリア!?」
「レイリアさん!? 大丈夫なんですか、大変ですよ」

二人が心配してくるが無視する。

不安をみせてはいけない。
子供は、大人が考える以上に鋭く、敏感で賢いのだから。

「お姉ちゃんの部屋は広いことは知っているでしょう。それにツェルニにも保育園とかはあるから友達もできるよ。
それにわたしは子供好きで寂しがり屋だから、是非一緒に住んでほしいのだけど、駄目?」
「……イラ・ロシリニアです。こちらこそよろしくお願いします」

礼儀の行き届いたお嬢様らしい挨拶を精一杯した後、イラの涙腺は緩み、涙がこぼれてきた。

……まだ、5歳くらいの子供。

誘拐されて声が出せないくらい怖かったところから、ようやく解放されたのだ。

その子供の甘えに応えられなくては、引き取るなどできるはずもない。

レイリアは彼女の気が済むまで、抱きしめ続けていた。







レイリアたちは今、病院の待合室にいた。

イラの検査が終わるまでは待機中で、時間が遅いためか他に人はいなかった。
時計の針の音がチクタクと聞こえる静寂と病院特有の臭いに満ちた空間。

「おい、レイリア、脚は大丈夫なのか? 病院にいるなら見てもらった方がよいと思うが」
「ええっ!? あ、脚って気付いていたの?」
「当たり前だ。最後の男を倒すときにわざわざ武器を投擲するなんて不自然すぎる。あの派手な回転技の際に
痛めたんだろう」
「脚を痛めていたんですか、レイリアさん? しかもそれって僕を巻き込まないために無茶しちゃんじゃ……」
「ええっと…………歩く程度なら問題ないし、放っておけば治るよ」

レオが水をかけられた犬のように元気をなくしていく。
レオの言った言葉は事実なので否定して励ますこともできず、レイリアは早く検査が終われと祈ることしかできなかった。

「そもそもレイリアさんから剣を受け取ったのに僕は何も出来なかった……。ナルキさんは刃にさらされても一歩も
退かずに戦っていて、レイリアさんは不利な状況の中、全体をフォローして戦っていた。連携を無視した衝剄を
放って場を混乱させ、ピンチを招き怪我までさせた僕なんかとは大違いだ」
「あたしだってレイリアの足を引っ張っただけだ。足止め程度でよかったのに初めての実戦に緊張して、普段の動き
ができず、完全に敵に翻弄されていた」

二人が戦闘の反省をして項垂れている。

二人ともレイリアの足を引っ張ったと思っているが、レイリアの意見は違う。
普通の学生が一般武芸者に勝てないのは当然であり、それを責めるほどレイリアは高慢でない。

そもそも、一人で解決しようとしたこと事態が間違いで、二人はそれに巻き込まれただけなのだ。

戦闘の判断も、二人の緊張とかを全く考慮せずに自分一人で早々と突っ込むという、まさに猪武者そのものだった。

普通の人なら、罠に自ら飛び込もうとしている人物を止める。

レイリアが実力を隠していることを忘れ、グレンダンにいたときと同じ考えで対処しようとして失敗してしまった
だけであり、まさに自業自得だ。

巻き込んだ二人にこそ、平身低頭で謝らなければならない。
そのようなことを多少ぼかして謝ると、向こうも恐縮して再び謝ってきた。

全員が真剣な顔をして謝る姿に誰かが滑稽に思ったのか、一人が笑う。
それが他の二人にも移り、三人は五月蝿くしないように声を抑えて笑った。

「他都市での初めての経験で皆失敗したということで、反省会はまた個人でだな」

ナルキがリーダーシップをとって話をまとめると、他の二人はうんうんと首を動かした。
その後、ナルキはレイリアをニヤニヤと見ると、肩にポンと手を乗せた。

「それにしても……レイリアは実はかなり強かったんだな。ミィフィがもっと強いと主張していたが、それが
当たっているとは……。特に剣以外の何かを使って敵全員を攻撃していたのは驚いた。どういう仕組みなんだ?」
「それは僕も気になります」

レオまで話に参加してきた。
聞かれて困る話題だが、ここまで見られては黙り込むわけにはいかなかった。

「……あれは鋼糸といって細くて長い糸を何百本も剄で操っているの」
「鋼糸? つまり鞭の一種ということ? 今はいないけど小隊の隊長にワイヤーを使う人がいた気がするけど、
手で操作していなかったですよね。どういう仕組みなんですか?」
「何百本もあるから、手じゃあとてもじゃないけど操作できないよ。剄の流れによって一本一本操作するの。
とても精密に剄を扱わないと制御できなくて危険だけど、色々応用が利くから」

学園都市で、同級生に敬語を使われるのも妙な気分だが、生真面目なレオが使うと馬鹿にされた感じも違和感もない。

だから、レイリアは質問にも丁寧に答えた。
そのことについて、次はナルキからも質問が飛んだ。

「じゃあ、何で今まで授業で使わなかったんだ?」
「使わないじゃなくて使えないの。細すぎて安全装置なんて絶対に無理だから、ルール上、攻撃して血を噴かせた
瞬間、反則負けを取られちゃうもの」
「ああ、確かに学生都市で使うには危険すぎるか……」

ナルキがふむふむと納得したところで、奥からアルセイフさ~んと声がかけられた。

保護者としてレイリアが医者の下へ向かうと、二人は息を殺して去っていった奥を確認した。
しばらく時間がかかると判断すると、二人は別の話を始めた。

「……レイリアさん、授業とは比べものにならないくらい強かったですね」
「そうだな。授業でも妙に戦い慣れていると思ったが、本気では小隊員を完全に超えていた」

二人が思い出すのは、戦闘中のレイリアの獅子奮迅の活躍っぷりだった。

敵ははっきりいって強かった。
全員小隊員以上の実力者で、三人ながら総合力では上位小隊に匹敵するほどの実力。

1年生二人ではかすり傷を負わせるのも不可能な相手三人と互角に戦うどころか、一般人の子供と動けない武芸者一人
を守る余裕さえあったのだ。

同じグレンダン出身で第5小隊隊長であるゴルネオも汚染獣戦のときに大活躍したが、あのときのレイリアには遠く
及ばない。

目の前の敵の攻撃を捌きつつ、非戦闘員への攻撃を防ぐこと自体理解を超えているが、見もしない、念威操者の補助
もないのに的確にナルキの援護をして、致命的な槍の攻撃を全て防いだのは、まさに神業と呼ぶしかなかった。

「レイリアさんがあれだけ強いなら、絶望的だった武芸大会も希望が見えてきたと思いませんか?」
「……ああ、実力を隠していた理由はわからないが、武芸大会で手を抜くことはあり得ない。あいつは戦闘の邪魔
にしか過ぎないわたしたちお荷物を最後まで見捨てないほどのお人好しだから」

レオが一筋の希望に目を輝かせる中、ナルキはお人好しという言葉をもう一度呟いた。

実力を隠している。

その理由は気になるが、好奇心の強いミィフィも強引な調査をしていないようだし、友達の秘密を暴く趣味もない。
あの性格を考慮すると、嫉妬が怖いとか、注目されるのが苦手とかの精神的なものが主な理由かもしれない。

……まさか、天然で隠し事など全くできないレイリアが女王からの密命を受けているとは夢にも思わず、ナルキは
真実を目の当たりにするまでずっと思い違いを続けるのであった。










後書き
このssではこのように敵が強化されている場合が多いです。いわゆる主人公補正という奴です。



[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 閉話 傭兵団との協議、ではなく対談
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/05/01 18:26
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 閖話 傭兵団との協議、ではなく対談









放浪バスの停留所。
そこに一際目立つ大きな放浪バスがある。

本来、特定の時間帯のみやってくる整備士、警備員を除いて無人であるはずの場所だが、その巨大な放浪バスの周囲
には人々がたむろしている。

いや、緊張しているというべきだろう。
せわしなく周囲に目を動かし、何度も時計を見ている。

仲間と協力することで死角をなくし、警戒する姿は様になっており、この者たちが素人でないことは見て取れるが、

「こんにちは」

突然、気配が現れ、声を掛けられた。
警戒していた男たちのすぐ目の前に茶色の髪の少女がいる。

この近距離まで、しかも声を掛けられるまで気づかなかった事実に、男たちは全員絶句した。

プライドを崩され顔を歪める者もいたが、その程度の内心を考慮する気はない。
彼女にとって、この程度の出来事は当然でよくあることで、いちいち気を遣ったらきりがないためだ。

「事前に連絡しましたが、準備はもうできていますか?」
「お、おう。大丈夫だ……です」

年下の少女からの年長者に対する丁寧な問いかけ。

普段なら、鼻で笑うかぶっきらぼうに対応するだけなのだが、今回は異なる。

背筋をピンと伸ばした目上、いや格上に対する対応。

話だけは聞いていた作り話じみた戦歴が事実だと、確信させられたが故だった。

サリンバン教導傭兵団専用の放浪バスは一時的な本拠地として使用できるよう、衣食住の他に、整備、情報収集など
も可能なように作られており、とても大きい。

きちんとした話し合いや会議をできるほど広いので、放浪バスの常識から外れているといっても過言ではない。
レイリアがそこに入り案内された部屋の戸を開けると、すでに数人が席に座っていたが、レイリアの姿を見ると
機敏な動きで立ち上がって敬礼した。

「待たせてしまってすみません」
「いえ、こちらこそ、ヴォルフシュテイン卿をお呼び立てした無礼、お許しください」
「フェルマウス、苦労を全て俺たちに任せた後、美味しいところだけ持っていこうとする狗に、おべっかを使う必要
はないさ~」

傭兵団が所有する放浪バスの一室。

傭兵団の放浪バスが特別製で大きいとはいえ、所詮は面積が限られた乗り物の中で、しかもインテリアには興味の
ない無骨な傭兵たちが管理している部屋は殺風景で飾りや余計なものは一切なく、話し合いに必要なテーブルと機器
があるだけだ。

「ハイア! こちらの不手際で派遣されたことはわかっているのだろう」
「ふん、そこは確かに俺っちの致命的なミスだったが、俺っちにも傭兵団団長としての誇りがある。雇い主でもない
相手に簡単に頭を下げる趣味はないさ~」
「ハイア……すみません。ヴォルフシュテイン卿。こいつは傭兵団の三代目団長で、18歳ながら先代にも劣らない
ほどの実力を持っているのです。ですが、グレンダン出身ではなく傭兵団の中で育てられたので、礼儀や敬意を
知らないのです。後ほど性根を叩きのめしますので、どうかご寛恕を」
「別にツェルニでグレンダンの身分を押し通す気はないので構いません。……ただし、足を引っ張るほど無能なら
容赦なく粛清します」

一瞬、視線が交差し、火花が散った。

レイリアとしても傭兵団の上位者として来た以上、舐められ勝手な行動をとることを許す気はないし、向こうの団長
も素直に急な年下の上司を受け入れる気はなさそうだった。

それよりも気になることがあるので、ハイアを叱責した人の方へ怪訝な視線を向けた。

顔に刺青をいれているハイアも変わっているが、その隣にいる人物ほどではない。

容姿からして顔全体を覆う仮面をしている変人だが、その上声を出すときも肉声ではなく電子声。
すぐ近くにある念威端子によって日常会話をしているのだ。

見た目というのは、第一印象で一番大切なものである。
顔の傷程度なら名誉の勲章とみなされるかもしれないが、この二人が並ぶと色々とアウトになってしまう気がする。

傭兵は信用と契約が大事なのに、この二人がトップで大丈夫なのかと思わず心配してしまう。

「……やはり気になってしまうようですね。わたしはフェルマウス・フォーアと申します。ご覧の通り、念威操者で
若い団長を補佐している者なのですが、声帯が駄目で念威を通してでしか話すことができません。天剣授受者である
卿相手に失礼なことは承知ですが、見逃していただけると幸いです」

失礼云々よりも、背中が痒くなる敬語をどうにかしてほしかったが耐えた。
ただでさえ見た目で舐められやすいのに、個人の我が侭でそれを助長させるわけにはいかないためだ。







「それではそろそろ本題に入りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「わかりました。それではわたしたちが観測した廃貴族の映像がこちらになります」

スクリーンに生気のない禿頭の男が、鎖で縛られている姿が映った。

人形のような目つきで表情を変えず拘束されているのも異常だが、それ以上におかしいのが背後にいる黄金色の山羊
と垂れ流しされている莫大な量の剄だった。

小隊員の戦闘衣を着ているのでツェルニの生徒だとわかるが、学園都市の武芸者があれほど剄を持っているはずが
ないし、剄を活剄にも衝剄にも変換せずに拘束されたままでいるのはもっとあり得ない。

傭兵団の、未熟な学生武芸者なら黄金色の山羊から授かった莫大な剄を使いこなすことできないという予想が見事
的中したが故の光景だった。

「この武芸者は都市の命運を救うために違法酒に手を出すほど追いつめられていたので、廃貴族の山羊を憑依させる
よう追いつめるまでは簡単でした。ですが、その後の失態は弁明の余地もありません」
「元々、違法酒に手を出すのはこの都市でも重罪で、この都市の首脳部がこの件を表沙汰にして武芸科のさらなるイメージダウンするのを避けたがっていたのさ~。だから俺っちたちがその違反者を秘密裏に処分するという汚れ役を
引き受けて堂々と介入していたのがこの映像のシーンさ~」

違法酒とは剄脈を異常脈動させて通常以上の剄を生み出す薬のことだ。

剄量は訓練でなかなか増やすことができないため、効能だけを見れば素晴らしいものだが世の中それほど甘くはない。
異常は異常でしかなく、剄脈の機能不全を起こす可能性が高くて武芸者は廃人となってしまう。

太古から続く汚染獣との戦いによって、医療技術は脳と剄脈の異常以外は何でも直せるほどの域になっているが、
逆に言えば、剄脈か脳が異常を起こせば、その時点でお陀仏なのだ。

廃貴族……滅びた都市の電子精霊が武芸者に他を超越した力を与えるという伝説上の存在であるそれは、武芸者の
実力ではなく、志、都市を守ろうとする意志力の強さで宿主を決めると長年の調査でわかっていた。

今回、汚染獣との戦いでボロボロになったツェルニが急いで鉱山へ移動都市の燃料であるセルニウムを補給しに来た
ときに、その滅びた都市と遭遇、そして廃貴族もツェルニに侵入。

そのことがその廃都市を調べたときにわかったので、傭兵団もツェルニへすぐに向かったのだった。

今まで廃都市を調べても廃貴族が発生していなかったり、去っていてから大分時間が経っていて手遅れだったことが
ほとんどだったから、その行方を掴み、追跡に成功したのは非常に運が良かったといえる。

今回の違法酒の件で上手く立ち回せば、都市に隠れている廃貴族を顕現できる。

さらに学生武芸者に莫大な剄を制御できるはずもなく、捕獲するのも予想通り容易だった。
……そして、過去形でそれを述べないといけなかったからこそ、レイリアがツェルニに派遣されたのだった。

レイリアは男の、命を捨ててでも守るという崇高な信念には共感するが、同情するつもりはない。

レイリアから見れば子供の遊びにしか見えない武芸大会が舞台であることも理由の一つだが、それ以上にグレンダン
の子供たちが大事で、ツェルニの見知らぬ武芸者がもがいていても、利害とぶつかるなら助ける気がないためだ。

……思考が失態の件から逸れていっていることに気付いたレイリアは一息吐くと、スクリーンに目を戻した。

拘束された男が力を込めても、鎖は揺るがない。

男に近づこうとする他のツェルニの武芸者数人(数人と少ないのは小隊戦中の出来事で、また煙幕で観客に異常を
悟られないようにさせていたため)を傭兵団員が牽制している。

「あー、全く余裕見せてないでさっさと気絶させていたら良かったんだが……」

語尾にさ〜をつけていない、ハイアの真剣味をおびた述懐が漏れる。

ハイアが男の前に歩いていく途中で異変が起きた。

わき上がる剄の勢いがさらに増えた直後、赤熱しながらボロボロと自壊してしまう拘束用の鎖。

おそらく漏れだした剄が拘束している錬金鋼の鎖にも流れ、その許容量の限界を超えたためだろう。
レイリアも昔似たようなことをやったことがあるから、見ただけで原因が推測できた。

男は自由になると、ハイアを敵と見なす頭脳はまだ残っていたのか、まっすぐ突進していく。

意外な展開に目を丸くするハイアだったが、刀を構えると紙一重で見切りながらの一閃。
男は突進の勢いも相まって大きく吹き飛ばされて倒れた。

そして、その近くにいたツェルニの武芸者……わけのわからない展開に唖然としていた彼らが、目の前の生気の
ない青白い肌をし、痛みでピクピクとして動けない仲間を見て、戦意を取り戻した。

数人が文字通り盾になって傭兵団の守りを突破させると、金髪を縦ロールにしているという豪華な髪型をした女性
武芸者が涙ながらに肩を抱いて何かを囁き……黄金色の山羊は消えてしまった。

「廃貴族はあの黄金色の山羊であり、彼女が彼の信念を折ってしまったためにいなくなってしまいました。我々も
廃貴族の行方を追ったり、誰か廃貴族が憑依しそうな人を捜したのですが、ツェルニからの妨害により上手くいって
おらず、卿の手をわずらわせる結果に陥りそうなのが現状です」

「わたしとしても到着前に事が始まっていて到着すらできないという最悪のケースでない分、問題ありません。
必要なものも全て持ってきているので、今すぐに事が起きても大丈夫です」
「ふん、何が今すぐでも大丈夫だ、俺っちたちは今日が初対面で何も話し合いをしていないだろう。……どうやら
ツェルニに着いてすぐここへ来たわけでないようで、天剣授受者様は随分余裕綽々の毎日を過ごしているようだ。
その危機管理の低さで本当に大丈夫なのか、はなはだ疑問が離れないさ〜」
「おい、ハイア、いい加減にしろ! お前は傭兵団の団長なんだ。あまり私情を含みすぎるな」
「人前での説教はさすがに勘弁さ〜」

相変わらず突っかかってくるハイアに、フェルマウスの静かな叱責が飛んだ。

それにより、ハイアがそっぽを向きながらも襟を正し、皮肉げな雰囲気をなくした。
その様子は親に叱られた子供のようで、フェルマウスにハイアは全く頭が上がらないことを簡潔に示していた。

「話し合いですが、わたしはあなたたちに多くを望みません」
「多くを望まない? 俺っちたちは気品のない傭兵だ。パーティーの進行のように話をもったいぶるより単刀直入で
済ましてくれるとありがたいさ〜」
「わかりました。戦闘はわたし一人だけで十分です。あなたたちには後方支援……錬金鋼の整備や索敵のみをお願い
します」





「……どういうことさ。廃貴族奪還は初代から続くサリンバン教導傭兵団の宿願だ。それを目の前にして黙って
みていろと命令する気か? そんなこと、様々な犠牲を積み重ねてきた俺らが納得すると思うのかっ!」

バンッと机を強く叩き、ハイアの烈火のごとき怒りが周囲を震わす。

彼らの怒りは尤もであるが、レイリアは彼らの労苦と感情を斟酌する気はない。

故に冷厳な声を維持し、詭弁を弄す。

「……廃貴族発見の功績だけでも十分だと、陛下がおっしゃったのはそちらもご存知のはずです。数十年追い求めた
本懐を後少しで遂げる前に戦死することはそちらも避けたいと考えているでしょう。後は全ておまかせください。
そもそも、わたしは一人で戦うことに慣れていて、足手まといを抱えた経験はほとんどないのです」
「足手まといだと? 数々の戦場を渡り歩いた百戦錬磨の屈強な傭兵団に、そこまで舐めた口を聞いた奴に出会った
のは初めてだぜ」
「ハイア、やめろ」
「フェルマウス、止めるな! こいつは傭兵団全員を見下しやがった。その思い違いを放置したままにしておくのは
皆の誇りと名を背負う団長としてできない」
「やめろ、本場グレンダンから見たら否定はできない」

傭兵団の中でも古株であるフェルマウスがレイリアの侮辱に同意したことに、ハイアは絶句した。

「天剣授受者とはそういう存在だ。他の武芸者とは並び立てない領域に立つ武芸者で、戦場では基本一人。
それでも滅多に戦死することなく汚染獣を狩り続けている、グレンダンが誇る逸脱者集団だ」
「その認識は正しいです。わたしもグレンダン最強の武芸者であるリンテンスさんに技を習い、広域での防衛も
強敵との長時間に及ぶ戦闘もこなすことも可能で一騎当千に値する武芸者です。まだ若いですが、手数の多さ、
戦術の広さ、あらゆる戦闘に対応できるユーティリティーの高さは天剣一で、天剣なしならリンテンスさんと
陛下を除けば最強です」
「さすがは前例のない快挙を成し遂げた方。その言もけっして大言壮語ではないのでしょうね」

フェルマウスは電子声にも関わらず、器用にも感心したといったニュアンスの声を発している。
だが、ハイアはその大口に対し、露骨に嘲ってきた。

「俺っちより年下なのに大きく出たもんさ〜。大体最強だと? 刀を捨てた分際でそうなれるのなら、天剣授受者と
いうものも噂ほどは怖くはなさそうさ〜」

刀……過去の悩み抜いて下した結論を掘り返されて、レイリアは眉を顰めた。

「刀……そういえば傭兵団初期はサイハーデン流の人が中心だった」
「そうさ。さすがにこれだけ年月が経つと、純粋にサイハーデン流を主力とする者は随分減ったが、養父である先代
の団長もサイハーデン流で三代目の俺っちもサイハーデン流だ」

サイハーデン流はレイリアの養父が師範を務める流派で、刀を武器にし、生き残る術を重視した武術だ。

その理念故に傭兵団で主力となれたようだが、勝つことを重視するグレンダンではウケが悪く、道場生も数人しか
いない弱小流派で、真剣に後継者に悩んでいるぐらいだ。

正直、数十名しかいない傭兵団の方がサイハーデンに関しては、人数も質も上なのかもしれなかった。

レイリアがそのまま刀を使っていたら、天剣授受者を純粋培養した流派として賑わいを取り戻せたかもしれないが、
今となってはもうどうしようもない。

「剣を使うようだが、刀から変えた腑抜けた剣でどうにかできるか……今から試してみるか」
「グレンダンよりぬるい戦いをしている傭兵に教わることは何もないわ。逆にわたしがあなたに教えてあげた方が
いいのかしら? 今回の敵はあなたたちが戦い慣れた武芸者相手ではないのだから」

剣帯から基礎状態の錬金鋼を抜き出し、闘志をぶつけてくるハイアに、レイリアは冷たい眼差しを浴びせる。

普段は言わない挑発そのものの言葉が飛び出したのも、刀という逆鱗に触れられて感情から氷山の一角が顔を出して
いるためかもしれなかった。

ハイアの戦意を、今はレイリアが一応は受け流すという形を取っているが、いつ爆発してもおかしくない状況。

その緊迫を破ったのは、やはり感情のこめられない声だった。

「ハイア! 室内で錬金鋼を抜くとは何を考えている。ヴォルフシュテイン卿も戯れはよしてください。二人が本気
でぶつかりあったら、この部屋は壊れ、最悪壁に大穴が空いてしまいます」

フェルマウスの叱咤に、二人は挑発をやめ、席に座る。

そして、フェルマウスは二人の導火線に再び火がつく前に、さっさと話を進め、終わらせることにした。

「ヴォルフシュテイン卿、戦闘時の援護は不要ということですが、本当に大丈夫でしょうか? 卿ほどの武芸者には
今更のことかもしれませんが、敵は複数で来ることも考えられます。もう少し細かく打ち合わせていただけると
いざというときに困らないと存じ上げるのですが……」

フェルマウスの忠言も普通なら理にかなっているので受け入れるだろう。

だが、レイリアは違う。
常識を突破している人間が、常識の枠に捕われた提案を受け入れることはないのだ。

「必要ありません。サリンバン教導傭兵団約40名。そこで一番強いのは団長でサイハーデン流を主力にしていますね」
「はい、その通りですが何か問題でも……」
「団長と同じくらい強い武芸者は存在していますか?」
「いえ、フォローはなんとかできますが、その程度が限度の実力の武芸者しかおりません」

予想通りの答えにレイリアは鷹揚に頷いた。

ハイアは学生ぐらいの年齢なのに、団長に選ばれた。
つまり他とは隔絶した、経験や若年の不利さを遥かに凌駕する実力を持っているということでもある。

しかも、レイリアはサイハーデンのことをよく知っている。
その特徴も、長所も欠点もその他色々な全てを……。

それらの情報から、結論を導きだした結果、

「それなら基本的に援護の話し合いは必要ないです。サイハーデン流の強者一人と熟練武芸者が約四十人、その集団
よりわたし一人の方が敵を複数相手どることもできるし、強敵相手には並び立てない者などいるだけ邪魔です。
わたしが支えきれないほどの大群の敵が来たのなら……」

サイハーデン流に一撃必殺や広域殲滅の技はない。
それにツェルニの戦場の傷跡を、被害の多さを、一年武芸者の実力を考慮すると……、

「ツェルニはなす術もなく滅亡します。だから話し合いなど無意味です。廃貴族の気まぐれを祈る方がよほど効果が
あると思います」

レイリアの迷いのない断定的な言葉に、傭兵たちは皆言葉を失った。

「もし、わたしがカバー仕切れる範囲を少しオーバーしたときや、敵が少数でわたしが出るほどでもないときは
お願いするかもしれません。そのときはよろしくお願いします。それと傭兵団はグレンダンから長く遠ざかって
天剣授受者の隔絶した実力を忘れているようなので、初戦でその目を覚まさせてさしあげます」

レイリアの大言壮語が静かに響き渡る。

話し合いは終わった。
そう判断してレイリアは席を立った。

高圧的な自分を演じてやや疲れている。

家にいる新しい家族とのふれあいで疲労を減らそうと考え、街中へと消えていった。







「どうやら本当に帰ったようだ」
「居場所は突き止められたか?」
「いや、都市内部に入ったことを確認したが、すぐに振り切られた。都市内部に設置した念威端子にも反応がない。
隠していた念威端子の存在を完全に知覚されたようだ。今後、居場所を探りだせる可能性は0だな」

フェルマウスの報告に、ハイアは露骨に舌打ちした。

「ふん、あの大言壮語をした後ドジをしていたら鼻で嗤ってやろうと考えていたが、そこまで雑魚ではないか。
フェルマウス、天剣授受者様がわざわざ俺たちから身を隠している理由は、やはり他の派遣員でもいるのか?」

なんせ廃貴族を捕まえれば、サリンバン教導傭兵団の役目はなくなる。
そして、各自が報酬を受け取り、各々の母都市に帰ることになるだろう。

傭兵団結成してもう団長も三代目。
世代交代しているとはいえ、その構成員はまだグレンダンが中心だ。

傭兵をスカウトできるだけ都市戦力に余裕がある都市自体が少ないのだから、これも当然の成り行きであった。

その帰ってくる傭兵を査定するために、他の人員が傭兵団に知らせずに派遣されていても不思議ではない。

傭兵相手に報酬を少しでも値切ろうと、細かいところまで突いてきた相手はいくらでもいた。
そこにグレンダンの名が増えても何の違和感もない。

グレンダンは武芸者が多い分、支出も多く世界でも有数な貧乏都市なのだから。

「その可能性もあり得なくはないが、我々が心配しすぎる必要のない仮定の話でもある」
「確かにそうさ~。俺たちの実力をわざわざ都市外に来て隠れてまでして測りたいというなら好きにすれば良い。
グレンダンに帰る仲間が受ける面倒な調査が減ると考えれば、特等席を用意してやってもよいぐらいさ~」

でんと構えていれば良いと決めても、ハイアの心は晴れなかった。
その心中を付き合いの長いフェルマウスが見抜き、小言を発した。

「もう一度言っておこう。決して我を張って天剣授受者と敵対は勿論、張り合おうとも考えるな」
「俺が刀を捨てた奴に劣るというのか」
「少なくても対汚染獣戦ではそうだ。傭兵といっても我々は基本的に対人経験しかない。それに対してグレンダンの
武芸者の敵は基本的に汚染獣だ。経験とノウハウでは比べ物にすらならない」
「それくらいわかっているさ~」
「わかっていても無視しては意味がない。お前はサリンバン教導傭兵団43人の命運を握る地位にいるんだ。個人の
感情に従って行動できる身分ではない。サイハーデン流のしがらみに囚われるのも仕方がないが、時と場合を選べ」

フェルマウスは先代の団長をずっと支えてきた歴戦の勇者であり、その助言はいつも的確だ。
顔に仮面をつけているという外聞の悪ささえなかったら、間違いなく団長の座に収まっていたはずだ。

だが……ハイアの脳裏に親父と呼んで尊敬していた先代団長の姿が思い起こされる。

グレンダンに残した弟弟子に対し、いつも申し訳なく思っていた養父の暗い影。
その弟弟子がわずか数年でサイハーデン流の教えを全て伝授できるほどの才能ある武芸者を指導し、これなら自分が
我が侭を通して潰しかけた伝統的な流派の存続がなると喜んでいた養父の笑い声。
そのサイハーデンを継ぐはずの者がサイハーデン流と決別し、深くため息を吐いていた養父の年相応の後ろ姿。

……サイハーデン流を捨てた奴には絶対に負けられない。
これだけはフェルマウスから注意されても修正する気はない。

そのためにはどうするべきか?

密かに闘志を燃やしながら思案に暮れるハイアだった。










後書き
幼生体に外延部を中心に破壊され、人員的にも資源的にも都市機能的にもかなり被害を受けたために、ツェルニは
すぐにエネルギーを補給しに鉱山へ行きました。
これにより、2巻の老生体戦を回避。
以上、裏設定でした。



[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第5話
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/05/08 17:54
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第5話 










レイリアの朝は、早いか遅いかのどちらかで二極化をしている。

機関掃除の深夜バイトがあるときは遅く、その他のときは同居人と同じく早寝をするために朝早く目が覚めるのが
基本で、朝に時間があったら武芸の軽い修練をしたり、掃除洗濯をして過ごしている。

一人のときは時間に余裕があったら二度寝したり、朝食も焼いたパンだけを食べる手抜きだったりしたが……、

「お姉ちゃん、手抜きは駄目」

と幼児のイラの叱られたために、今はきちんとした生活を送っている。

名家出身で親の躾が厳しかったからなのか、イラは部屋を汚すことはなく生活態度にはけっこう手厳しい。

だが、夜間バイトで疲れているときは、先に目を覚ましても起こさずにじっと待っていてくれるのだから、その
厳しさも優しさの裏返しだと感じて喜んでしまう。

時間潰しが終わると、手馴れた動きで冷蔵庫の中身を確かめ、お弁当の準備を始めた。

「るっるっるー」

やはり一人でないというのは良い。

食事も自分のためではなく誰かと一緒に食べるために作ると思うと、嬉しくてつい音楽を口ずさんでいる。

お弁当を作り終えた後、イラを起こしに行く。

レイリアの部屋は居間兼台所と寝室が異なる2LDKのために、早起きしてお弁当らその他の行動で少しドタバタして
いても、起こす心配はないのが嬉しい。

高い家賃を払ってよかったと思える数少ない出来事だ。

「むにゅ~……おはよー」
「おはよう」

イラが洗面台まで辿り着くと、レイリアは朝御飯を作り始めた。

今日のメニューはパンとサラダとベーコンエッグ。

起きてすぐ朝食をとるのではなく、身嗜みを整えてから食事を取るというイラのライフスタイルに、孤児院育ちの
レイリアは初めて見たときかなり驚いてしまった。

食事中、目の前の小さな女の子の髪はしっかりと梳かれ、目は冷水で洗ったために大きくパチリと開いている。
それに比べて髪は寝癖で跳ね返り、目も動作も鈍くぼけーっと眠そうにしていて、5歳にも負けている自分が猛烈に
恥ずかしくなったものだ。

本当に他人の目がないと手を抜き、すぐにいい加減になってしまう。

グレンダンでは家族に常に囲まれていたために気付けなかったことであり、他人に見つかって笑われる前に改善
できてよかったと安堵した。

服とか、化粧とかはよくわからないが、一応見た目の大切さは知っているはずだ。
友達には全然意識が足りないと、駄目だしされることが多いのだけれど……。

朝食を食べ終わると、各々が出かける準備をする。

レイリアは学校、イラは保育園。

弁当を持ったことをお互いに確認すると、レイリアは実体を持った分身を生み出し、イラと手を繋がせ引率させる。

保育園から授業の校舎まではかなり遠く、一緒に行っては遅刻してしまうための処置だ。

保育園が遠い理由は、最初保育園に通う子供と同居することなんて思いもせず、校舎に近いところの部屋を選んだ
ことも大きいが、一番は保育園の数が少ないためだ。

ここは学園都市。
子供なんて、避妊に失敗した愚かな学生がいない限り産まれてこない。

さらに愛情ある親なら、両親から殴り殺される覚悟で子供を卒業時引き取るので、残る子供は皆親から捨てられた
孤児であり、神経質な子供が多い。

故に毎日送り迎えをしてイラの様子を気にかけたり、イラが排他的な子供たちに受け入れやすくされるよう、夕方の
バイトを減らして保育園に顔を出し、イラを含めた子供たちと一緒に遊んだりもしていた。

初めは分身に授業に行かせて本人が保育園まで送っていたのだが、分身では視覚がなく授業を上手く聞けないことが
ばれて説教。

5歳児に正論を吐かれて言い訳が論破、身を小さくしていることが多いことに頭痛を覚えながら、レイリアの今日の
一日が始まるのだった。







武芸の授業。
いつものように基本練習を終えた後、全員が講師の前に集合していた。

「よし、集まったな。今から事前に知らせた通り、チーム戦の振り分けを発表する。チームは戦力を均等に
振り分けたものだが、それでもチーム毎に違いはかなりある。チームの特色をよく生かし、全員一丸となって戦う
ように。試合は二週間後に始まる、各々しっかりと準備をしておけ。この試合は成績にも大きく響くぞ」

チーム分けが書かれた紙を全員が受け取った後、それぞれのチームで指定された場所に集合していく。

レイリアは第三チーム。

誰か知り合いがいるのかと確認するといた。

「レイリアさんも一緒ですよね。同じ前衛がよく知っている人で心強いです。他のメンバーもすぐに揃うと思うので、
早くこっちに来てください」
「レオ君、そんなに急がなくても……」
「駄目です。こういうときは急がないと相手に失礼です」

初対面ではない、同じ授業を受けている同級生相手ならゆっくりでも大丈夫だと、レイリアは周囲の様子を見渡し
ながら思ったが、手を引っ張られたために駆け足で進む。

メンバーはすでに一人が待っていたので、レイリアは会釈した。
残りの人たちもすぐにやってきて、全員が揃ったところで簡単な自己紹介をすることになった。

「レオです。武器は剣です。よろしくお願いします」
「レイリアです。武器はレオ君と同じく剣です」
「カタリナよ。武器は弓」
「カルスだ。武器は矛。衝剄が得意だしこのメンバーなら中距離を担当したいと思う」
「アレク。……念威操者です」

名前と使用武器を一致させた時点で、話を次に進めた。

普通の新チーム結成なら、この後親睦を深めるためにどこかでかけたりするかもしれないが、今は授業中。
それに授業の一環として、他の武器を使う同級生と組むことも何度か経験しているため、留学生のレイリアでも、
ほとんどの同級生の名前と人柄はわかっているのであった。

「他のチームと比べると……うちのチームは編成もオーソドックスでパンチ力に欠けるわね」
「げげ、ナルキのチームが強くね!? あいつが隊長を担当して逃げに入られるだけの余裕があるじゃねえか」
「でも、うちのチームだって負けていません。動きがすごくても上手く罠まで誘導できれば……」
「わずか二週間でそこまで戦術を深めるのは難しいわ。今回は総当たりのリーグ戦で試合間隔も短い。敵の戦術に
どう対応するかよりも、チームの力をできる限り発揮できる状況を作り上げること、後は引き際を間違えないことが
大切だわ」

狙撃手で、冷静沈着なカタリナが中心となって話を進めている。

「先輩から聞いた話だけど、過去に最初は連勝するほど好調だったチームが、無理をして重傷者を出し戦線離脱者を
出した瞬間没落して、下位の成績で終わったということもあったらしいわ」

チームは何処も五、六人で構成されている。
だから、負傷者が出て次以降の試合に参加できなくなると、一気に不利に陥ってしまう。

連戦を意識しないといけないかなり厳しいルールだが、これは武芸大会を考慮しているためだ。

武芸大会は何百人の武芸者がぶつかり合うために、勝敗が決まるまでけっこう時間がかかる。
小隊戦が十五分以下で終わることが多いのに対して、武芸大会は長いときは半日ぐらい。

そのため、何度も敵と戦っては戦況に応じて後退し、気がつけば十回以上敵と戦っている部隊もあり得るのだ。

一年は予備戦力扱いで、そこまで激戦区に回されることはないとはいえ、一回の戦いで引き際を誤り、欠員を
出しましたではかなり困る。

よって、事前に連戦のノウハウと部隊というものを実感させ、本番の糧とするのがこの試合の主目的である。

また、チームが全て一年生のみで構成されているために、チーム事情も様々だ。

近接組が長柄武器のみだったり、狙撃手が二人だったり、念威操者が二人だったり。

故に敵チームの戦術も、十人十色まではいかないが十人五色くらいはあり、敵の戦術を研究していたら時間が
足りないというカタリナの発言も理にかなっているのである。

「とにかく、敵を熟考するより先に、自分たちのことを考えましょう。まず、隊長は誰にする? 一番やられにくい
というのが第一条件なのだけど」

カタリナの鋭い鷹のような目が、全員をじっくりと眺める。

隊長というのはチームの代表者や責任者というわけではない。
ルール上の役職で、隊長がやられた瞬間にチームの負けが決まるのだ。

他に敗北条件はなく、他の仲間が全員倒れても隊長さえ無事なら試合は続行できるし、その隊長が敵の隊長を倒せば
華麗な大逆転を決めることもできる。

だから別に指揮能力で選ぶ必要もないし、雑用が面倒という事情があるわけでもない。

「無難に狙撃手にするか?」
「……狙撃手が隊長だと敵も後方目指して必死に前線を突破しようとするから、そこをわたしが狙い撃つことになる
けど、位置がばれたらわたしは鈍重の紙装甲なのですぐやられるわ」
「えっと、敵から少しの間逃げ切れないの? 時間を稼げば前線から一人援護に行って敵を逆に挟み撃ちにできると
思うけど」
「無理ね。わたし活剄が苦手だもの。殺剄は努力したから狙撃手にはなれるけど、逃げながら敵を牽制して時間を
稼ぐなんて絶対に不可能な程度の力量よ。だから隊長はレイリアにやってほしいのだけど」
「わたし? 無理だよ。最前線で戦う分、三、四人がかりで集中砲火されたら耐えきれない」

思わぬ展開にレイリアは慌てて顔を振った。

手加減しているために実力は一年の上位くらいだが、突出したものはほとんどない平均的な能力で戦っているために
数の暴力で攻められたら対処法がない。

未熟でも切り札的な何かがあればどうにかできるかもしれないが、現状態ではそれは不可能だった。

髪が乱れるほどの勢いでレイリアが首を振るのを見て、今度はカルスが鼻を鳴らしながら立候補した。

「隊長なら中距離用の武器を持ち、最前線から少し離れられる俺の方がいいじゃねえのか?」
「カルスは防御が苦手。……防御に関してはアルセイフさんがチーム内で抜き出ている」
「何だよ、アレクも賛成か。頭脳派の二人が賛成するなら俺も賛成だ。……確かに俺も目の前の敵ごと狙撃で
狙われてはどうしようもない気がする。三人がかりどころか二人がかりでも無理だな、あっはっはっは」
「レイリアなら勘も鋭いしどうにかなる」
「そうですよ。レイリアさんなら大丈夫です」

レオからは、心配や不安を全く含まない澄んだ目を向けられていた。
そして、カタリナには手を握られて、顔も後十数センチで額と額がぶつかるところまで密接している。

その顔は笑顔とは全く違う迫力のあるもので、狙撃手の眼光はレイリアを完全にロックオンしている。

「お願い」

位置の関係から、カタリナの表情は他の三人に見えていない。
他の三人はレイリアに、隊長をやってもらうにしても雑務を押し付けるつもりはないなどと、協調的な善意の言葉を
投げかけてくれている。

飴と鞭。

その言葉が脳裏をよぎった瞬間、レイリアの抵抗の意志は折れた。

「……できる限りがんばります」
「ありがとう。わたしもできる限りフォローをするから」

握られた手が上下に振られ、目の前の顔も一瞬で優しげな微笑に変わった。
すぐに笑顔を向けられるカタリナを恐ろしいと思ったが、口に出すほどレイリアは愚かではない。

だが、次の言葉には表情を隠すのは不可能だった。

「でも良かった。隊長って受け身の下手な人がやると重傷で戦線離脱しやすいから、わたしは断ったんだ。
レイリアなら大丈夫だと思うけど、無理はしないでね。負けたと思ったらすぐ降参していいから」

え? 引き受けた直後にそれを言うの…………!?

苦労が増えた。

そう感じるとレイリアはただ静かに肩を落とし、そこから力が一気に抜けてしまった。







数日後、レイリアたちは練武館でチーム連携を強化の訓練をしているのだが……。

「おい、もうちょっと粘れ、というか俺の動きを考えて動け!」
「無理です。それより早く助けて~」

自動機械が振り下ろす剣をレオは必死でかわす。
受け止めないのは、機械の強力な膂力により生み出された攻撃により、すでに腕が痺れているためだ。

レイリアとカルスも援護したいところなのだが、レオはかわすのに精一杯で、味方の援護のための射線を考える余裕
はなかった。

カルスはもう一人の機械の相手をしている。
短時間の間に敵を倒したり、振りきったりするのは無理そうだ。

助けにいくか、いかないか。

レオを助けにいくと、前線に取り込まれてしまう。
そうしたら、隊長を倒し、戦闘に勝利するために、機械たちがレイリアに集中攻撃を仕掛けてくるはずだ。

狙撃手の発見がまだなので、狙撃で先手を取られたところを集中攻撃されたらかなり危険だ。
隊長がやられたら終了なので慎重にならないといけないが……。

時間はない。
だが焦りによる誤った決断は論外。

自動機械のプログラムは狡猾だ。

レオに何度も攻撃をかわされているが、こちらの援護を許さないように位置を計算して動いている。

小隊員や上級生も訓練に用いるほどの実力を、余すことなく発揮している自動機械。

前回は似たような状況で狙撃手が動いたが、攻撃はやっぱり防がれてしまった。
その後、位置のばれた味方狙撃手は敵狙撃手に撃たれ、レオも続いてやられて……残り三人。

戦力が激減して敵うはずもなく、完敗したという苦い体験が頭の片隅でズキズキと主張している。

「レイリア、どうする? いっそのことレオが負けた瞬間をわたしが狙おうか?」
「駄目、今もレオ君を餌にしている余裕が敵にあるから、とどめの隙を狙っても通用しない」

念威端子を通して、遠くで隠れている狙撃手カタリナと短く相談をしたが、現状改善の兆しは見えない。

どうする?

待つのは駄目、援護は無理、斬り込みにいくのは敵の思う壺……。

「ああああっ」

どうしようもない状況にうなり声が漏れてくる。

前線で部下を指揮しつつ戦う指揮官のような経験などなく、妙案は出てこない。
味方も未熟者ばかりで独自判断やまぐれ当たりに期待できず、自分でどうにかしないといけない。

「賭けよう」

レイリアは簡単な作戦を脳裏で描くと動いた。
仲間に詳細を説明する時間もなく、今は上手くいくことを祈るしかない。

「カリス、向こうをよろしく」

レイリアはカリスの方へ衝剄を飛ばした。

レオではなくカリスへの援護。

戦況を無視した攻撃は自動機械も予想外だったのか、下がりながら慌てて衝剄を防いだ。
間接をフル稼働させている機械の稼働音が周囲に響く。

その隙にカリスはレオの方へ駆け出した。

その隙だらけの後ろを追撃されないよう、レイリアは剣を振るう。

人間なら急変する状況に隙を見せたりするのだが、敵は機械。
追撃は無理と判断したのか、去っていくカリスに目も向けず今はレイリアのみを狙っている。

レイリアは、無事目の前の敵から離脱したカリスがレオを追いつめていた敵に矛を突き出し、その隙にレオが下がる
のを確認した。

作戦は綱渡りだったが、何とか成功!

カリスが無事離脱できるかということと、警戒外の方角からの強襲とはいえ、カリスが一人でレオが離脱できるほど
敵を追い込むことができるかが問題点だったが、どうにか達成できた。

これでレオの痺れが治るまで耐えれば、戦況は仕切り直し。
いや、奇襲で機先を制した分、こちらが優位になっていくだろう。

「レオ君、戦えるようになったらカリス君の援護をよろしく」
「了解、助けてくれてありがとうございます」

無理をせず冷静に武器の軌道を見切り、時間を稼ぐ。
カリスも初手を上手くとれたからか、単独ながら戦いを互角に進めていた。

攻撃の方が得意らしく、矛の一撃は遠心力がしっかり乗っていて重い。
疲労の分、互角程度の状況になっているが、レオが一押しすれば勝敗を決められるだろう。

「いきます」

思ったよりもレオが早く復活してくれた。

これで向こうの敵を倒し終えるまで、狙撃を警戒しながら耐えればよい。

そう思っていたのだが……。

「おい、レオ!」

焦ったカルスの声のすぐ後に、甲高い金属の悲鳴とともに何かを強打した鈍い音が鳴り響いた。

「あれ?」

レオが倒れている。
さっきの嫌な音は、レオが敵の一撃をまとも食らったために発生したものだ。

あれほどなら間違いなく……。

「レオは意識を失った。敵も戦闘不能とみなしている。しかも……」
「うげえっ!?」

念威操者であるアレクの報告。
おまけにさらに悪いことは続くようだった。

「レオが負けた隙を突かれてカリスも腕を負傷した」
「すまん、レイリア。敵を前にして、頭を一瞬真っ白にしちまった」

……やっぱり。

もうすぐ勝てそうというときに仲間がやられ、作戦が完全に破綻した直後で動揺を押し込めるなんて、経験豊富で
ないと不可能だ。

学生武芸者ではこれで限界。

「……降伏します」
「わかりました」

念威操者が特殊な電波を自動機械に送り、機械は動きを止めた。

「また、負けか」

聞こえてきたたんたんとした音色の声に、レイリアは大きくため息をはいた。




訓練室の外にある休憩室。

アレクが買ってきた飲み物を片手に、五人がテーブルを囲んでいた。

アレクは念威操者で戦闘中常に色々な情報を処理しているためか、言葉は少ないながら気が利く上事務にも長けた
少年で、今日、自動機械を借りられたのも彼のおかげだった。

事務処理が苦手なレイリアとしては、感謝してもし足りない相手であった。

「さて、今日の反省だが……レオ、カルス、もう少し上手く連携できないの?」

お互いがきちんと援護できていたら、ああも一人だけが追い詰められることもない。
それ故の発言だった。

「無理無理、剣と矛で授業中、同じカテゴリーに入っていない分、お互いの動きを全然知らないんだ」
「うっ、もっと精進させていただきます」

反省会の議長役は相変わらずカタリナだ。

彼女の年齢に似合わない冷厳な声に対し、カルスはふてぶてしく聞き流し、レオは俯いて身を小さくしていた。

「でも、レイリアとは上手く連携できていたようだけど」
「あれは向こうの視野が広いからだ。レオと違って俺の動きと敵の位置、さらには敵が誘い込みたそうな位置まで
確認しながら動けるんだぜ。その認識力と足捌きが優れた防御に繋がっていると見事に理解できた」
「一緒に訓練してどの程度まで錬度を上げられる?」
「レイリアと同じくらいは絶対無理。どのくらいと言われると……同士討ちをしないくらいか?」
「そんなの基本以下。改善は無理そうということね」
「不安定で援護しにくく、申し訳ありませんでした」
「ちょっと……話が近接の連携だけに偏っているから、もっと別の話題も上げましょう」

どんどん身を縮みませているレオが可哀想になってきたので、レイリアは助け舟を出した。
だが、カタリナは目で甘いと言って、追求を止めようとしなかった。

「狙撃についてはあれが限界。狙撃以外をわたしに期待するとどうなるかは、すでに見せたわ」
「……………………確かに」

カタリナは本人の申告通り、狙撃以外は及第点にも及ばなかった。

狙撃は一年にしては飛び抜けているが、外したらもう終了。

二撃目が遅いからこちらに向かってくる敵を迎撃することはできないし、身軽さも完全に亀で、逃げるという選択肢
を完全に捨てている戦闘スタイルだった。

「とりあえず、隊長を変えることを、近接組の連携次第では変更を考えるべきかもね。あるいは試合毎に隊長を
変えていくのか……」

隊長が負けたら終わりのため、隊長が最初から最前線に行くわけにはいかない。

錬度が高く、相手が乱戦に持ち込んでも、そこから離脱できるのなら囮として有効だが、一年でそこまでは無理。
そこで残る二人が前線に立ち維持し、隊長が中衛で囮兼援護により敵を崩していくのが基本方針なのだが、連携の
難しさの壁が目の前に立ちふさがってきた。

カルスとレオの連携は稚拙で前線を上手く支えきれない。
レイリアとカルスでは連携は上手く行くが、実力の低いレオが隊長では狙撃だけでやられてしまう可能性がある。
レイリアとレオでは連携は普段慣れているためにそこそこのレベルだが、敵に玉砕覚悟で突破を仕掛けられると
上手く止めることができず、隊長のカルスまで敵の前衛の攻撃が届いてしまう。

「…………」

どれも一長一短。

訓練は一つを集中的にやった方が効果が高い。
早めに方針を決め、付け焼き刃でもよいから体に叩き込みたいところだが、全員で悩んでも答えが出なかった。

なお、この悩みの原因は主にレイリアにあった。

チーム分けをした講師の思惑としては、基本を共に行い、武器も一緒で息の合うレオとレイリアを前線、その後ろを
衝剄の得意なカルスが隊長として援護。

攻撃に頼りがちなカルスに隊長を経験させることで、援護と防御の大切さを学んでもらおうということだろう。

だが、レイリアが想定以上に優秀だった。

五年以上の実戦経験から、レオとカルスの稚拙な連携の穴を援護である程度埋められるし、カルスとの即席コンビ
でもある程度形にすることができる。

しかも、最前線に集中的に狙われても、ある程度までなら逃げることができるという万能性を持っているために戦術
の幅が広がり、編成を選択できるという、嬉しくも大変で重要な悩みを抱える羽目になったのだ。

「……決まりそうにないわね。まあ、隊長を変えるという奇策が苦し紛れとはいえできるのは多分うちだけよ。
どの選択肢を取っても弱いチームにはならない。残りの日々も試行錯誤していきましょう」

カタリナが話を明日以降に持ち越すと結論付けて、今日は解散となった。







解散後も、レイリアとレオの二人は残って自主練習をしていた。

「すみません。わざわざ付き合ってもらって……」
「いいの、この前面倒事に巻き込んだお礼を兼ねているのだから」

この前とは、イラを攫った犯人と戦ったときのことだ。

それに対するお礼をどうしようか考えていたところで、偶然同じチームになり、レオが授業後も残って自主錬をして
いることを聞いたので、それを手伝うことにしたのだ。

もう一緒に訓練するのも数回目となっているのに、レオは未だに遠慮が隠せていない。

普段、レイリアを過剰に褒めているときの様子とは大違いだった。

簡単なコンビネーションや合図による連携攻撃、それに高速移動による撹乱など、徐々に難易度を上げながら連携を
形作れるようにする。

レオの動きは拙く、また焦って突拍子ない行動に出るときもあるが、それも訓練を重ねるごとに予兆っぽい何かが
わかって対応できるようになってきている。

とはいえ、本番は矛使いを加えた三人に狙撃手の射線まで考慮しないと意味がない。

そこで二人の連携訓練もほどほどで切り上げると、個人の技量の向上のための組み打ちに移った。

授業のときのように片方が攻撃のみ、もう片方が防御のみを担当する型の練習の延長線上にあるものではない。
後退あり、体術あり、衝剄ありの実戦に近い形式のものだ。

レオは必死で剣を振り下ろし、その勢いを殺さぬまま連続攻撃に繰り出す。

レオが手加減レイリアに勝るのは剄量による威力のみ。

距離を取られたら衝剄とスピードで撹乱されて敗北。
距離を剣の間合い以下に縮められたら体術により敗北。

それ故の猛攻だった。

それをレイリアは顔色を変えずに全て受け流していた。

武芸者とはいえ、全力での攻撃はそう長くは続かない。

体に蓄えたエネルギーを使い尽くし、その消費しつくした活力を回復させるための一呼吸。
それにより途切れた攻撃のリズムをレイリアは見逃さない。

一歩大きく踏み込み、剣の間合いを潰す。
剣の威力を十分に発揮できなくする。

レオが動揺した顔で縮められた間合いを元に戻そうとするのを見て、レイリアは次の行動へ出た。

自然落下を利用し頭を低くした後、腰を捻り体を回転させる。
その流れのまま剣を上段まで振り回した後、全体重を乗せた一撃を放った。

レオは急にしゃがんだレイリアを見失った所為で、派手な技を発動前に潰すことができなかった。
代わりに足でしっかり踏み込み、剣を盾にして歯を食いしばったが……。

「勝負ありね」

鈍い金属音とともにレオの剣が叩き落とされた後、レイリアは剣を突きつけ勝利宣言をした。

「ははは、また負けちゃったか」
「呼吸を読まれたことに動揺しすぎ、動揺を体にまで到達して隙が現れた。だからあんな隙だらけで大振りの攻撃を
受け止める羽目になるの」

呼吸は剄脈で剄を生み出すのに必須であり、息を吸わなければどんな優秀な武芸者でも剄を発生させることができない。
故に行動の切り替え時に呼吸をし直す武芸者は多く、そのタイミングを読まれるとリズムを完全に崩されてしまう。

だからある程度焦るのは仕方がないが、足を滑らせそのまま谷底に落下してしまうかのような連鎖は駄目だ。

自動機械の隙を無理に狙って一撃でやられてしまったのも似たような焦りの連鎖のケースだと思われるので、至急
改善してもらわないといけない。

それにもう一つ指摘したい点があるが、それはもう少し確証を得てからにしようと思った。

「力押しというのは良い選択で、自分では今まで一番いいところまで行けた気がするけど、どう思います?」
「基本は剄量を生かした力押しでいいと思う。接近する際の罠はわたしが援護することで防げるし、一年生の突発
チームなら、押されている振りをして伏兵の位置まで誘い込むなんていう高度な戦術の可能性もないだろうし」
「やった、レイリアさんのお墨付きを貰えました!」

ガッツポーズをして喜んでいるレオの姿を見ていると、思わず微笑ましい気分になってくる。

その後、お互いの細々とした欠点を指摘しあっていると、レオが時計を見て頭を下げた。

「あ、そろそろ時間だ。付き合ってくれてありがとうございました」
「ちょっと待って」

いつも通り出かけようとするレオを、レイリアは思わず呼び止めた。

もう試合まで十日をきっている。
どうにかしまうと思ったら、一日たりとも無駄にはできない。

「わたしもついていっていいかな? 小隊の訓練で何をしているのかが気になっていて……」
「勿論問題ないです。でもいいんですか? レイリアさん、夕方からはバイトとかで色々忙しいんじゃ……」
「大丈夫。今日は予定を入れていないから」
「そうですか。アントーク隊長は僕に嫌な顔一つ見せずに受けいれてくれるほど真面目な良い人なので、熱意の
ある人を絶対に拒まれません」

こうして、レイリアはレオの後をついて行くことになった。

これで、レイリアの心配が当たっているかどうかわかる。

だが……もし心配事が当たっていたのだとしたら……。

……どのような行動をとれば良いのだろうか?

レイリアは考えを纏められないまま、目的地に到着してしまった。





「よろしくお願いします」
「レイリアさんは僕より強いので、訓練にも十分について行けると思います」
「レオの友達か。そう言えばこの時期は一年の隊別試合だったか……。よし、レオから話を聞いたが、お前は隊長だ
という話だ。わたしたちの練習から盗めるものは何でも盗んで役立ててほしい。勿論、アドバイスとかも大歓迎だ。
わたしも下級生で何でも答えられると驕る気はないが、できる限り後輩たちを助けたいと思っている」

十七小隊の隊長は、整った顔を持つ凛とした女性で、若さと高潔さが内心からも溢れんばかりだ。

ニーナ・アントーク、三年。

一年から小隊入りした逸材である上、秀麗な容姿と誠実で硬派な風格から女性陣にとても人気があると、ミィフィが
話していたことを思い出した。

「おお、隊別試合か。公平に分けたといいつつ、どう見てもフェアにならないあれか。正直、怪我人を出した隊が
最下位争いをするのが通年となっているから、お前らも無理せず気軽にやれよ」
「おい、シャーニッド。一年のやる気を削ぐようなことを言うな。誰もがお前のようにいい加減に日々を過ごすわけ
ではないんだぞ」

髪を束ねている男の軽口に、ニーナが顔をしかめている。

第十七小隊は四人。

向こうにレイリアより小柄で人形のようにきれいな人が一人、中肉中背で神経質そうな男が一人いる。
二人ともこちらに簡単な自己紹介をして去っていったことから、あまり歓迎してないことが読み取れた。

小隊の規定人数が最大七人であることを考慮すると、四人しかいない十七隊はそれだけで弱く感じてしまうが、成績からみるとそんなことはなかった。

トップ争いをするほどではないが、それでも並居る上級生のチームを下して五割を下回る心配はない優秀な勝率。

発足当初は下級生が過ぎた虚栄心から作ったにわか小隊だと見なされていたために、汚染獣襲撃の際に最前線に配置
されず、他の小隊と違って人的被害が少なかったという裏事情があるが、それでも人数的に不利な点は変わりない
ので大したものだと褒め称えるべきである。

レオはレイリアが到着したときくらいから、この小隊の訓練に参加させてもらっているらしい。

小隊の人数は七人以下という規定より、レオの実力が十分ならば小隊員にスカウトさせる可能性もあるのだが、残念
ながら実力が全く足りていないというのが、この訓練に参加するだけでわかった。

「ぎゃあ」
「うわあ」
「ご、ごめんなさい」

基本訓練でも、エリートのための訓練なので一年の授業よりかなり厳しい。

レオはついていけず何度も失敗していたが、たまに面倒を見ている小隊員の顔色が変わらないことから日常茶飯事の
出来事だと見て取れる。

レイリアも剄量の差から、見学者用のやや簡単なメニューでもついていくのがかなり大変だった。

「これが小隊員……」
「レイリアさんでも疲れるんですね。でも本気……」
「レオ君、ストップ。その先は秘密でしょ。それに肉体が酷使すればわたしだって疲れるよ」

レオは同じ訓練仲間が増えて嬉しいのか、こちらによく話しかけてくる。

「この先もまだまだ訓練が長そうだけど、何かコツとかある?」
「コツですか……えーと、うーーん……一生懸命やるとか」
「おいおい、レオ。それはコツじゃねえよ。訓練に参加してもう大分経ったんだから、自分なりのノウハウぐらい
身につけておけよ。手の抜き方と入れ方を知らないと人生の半分を損するぜ」
「は、は、半分!? レイリアさん……アドバイスできるようになるまで、あと倍は時間がかかるかもしれません」
「……お前さんを過大評価しすぎた。実際は9割損、つまり時間は10倍。アドバイスなら10年かかるな」
「そ、そんな!? 学生は六年しかないのに!」

シャーニッド先輩の容赦ない言葉に、レオは両手で頭を抱えていた。
彼のオーバーなリアクションにどこからかクスクスと笑いが漏れる。

小隊戦も後半戦とはいえ、まだ続いている。

即戦力になりえない、訓練にもついて行けない一年生など邪魔であるにも関わらず参加を許されているのは、彼の
誠実で純朴な人柄のためだろう。

訓練も一区切りをつけて休憩になると、レオはへばって倒れ込んだ。

レイリアも荒れた息をゆっくり整えていると、隊長であるニーナが何かを投げてきたので受け取る。

ひんやりとした感触が気持ちいい。
運動後に最適な、甘さ控えめで飲みやすい、だが消費したカロリーを十分に取れるジュースだ。

「よく頑張ったな。訓練に何とかついて行けるとは、さすが隊長に選ばれる実力はあるな」
「いえ、前半でぎりぎりだったので、後半もっと激しくなることを考えるとかなりきつそうです」
「初めてで先のことを考える余裕があるなら、十分に優秀だ。わたしだって一年生のときにいきなり小隊員に
スカウトされたときは、訓練に参加するだけで精一杯で余裕などなかった」

少し天井を見上げると、ニーナは自分用に買ってきたジュースを開けた。

缶ジュースを音を立てずに飲む様子はどこか品がある。
レイリアはこの人が女性からモテる一因を垣間みた気がした。

「……それでレオはどうだ? 試合で活躍できそうか?」
「え、あ、はい。連携訓練を重視して、試合までには間に合わせたいと考えています」
「なかなか苦労しているようだな。まあ色々と急造なチームだ。ほんの偶然で勝敗が決まることもある。下手に訓練
に熱を入れるより、仲間の間の士気の維持の方が重要かもしれん。まぐれ勝ちで勢いがついて、その前の連敗が嘘
だったかように連勝したチームもあった」

「士気、ですか」
「ああ、だがお前のチームは問題なさそうだ。士気というかチームワークを駄目にする一番の要因は隊長とチーム内
の実力を均等にするために配置された弱者だ。どちらも試合の勝敗を決めてしまうことが多い分、仲間からの
風当たりが強くなる場合がある。レオは才能がないわけではないが、思うほど実力が伸びてない一面がある。
その試合で自信をつけてくれると良いのだが……」

押し掛け一年生の成長を真摯に願っている。
この優しい心根があるからこそ、レオはニーナを熱烈に慕っているのだろう。

そして、今回の目的である気になる一言も聞けた。

「……レオ君、やっぱり実力は伸びていないのですか? 」
「ああ、まだ一ヶ月も見てあげてないし、剄量はあるから先は長い、真面目で腐らずコツコツと積み重ねればよいと
言いたいのだが……わたしたちの縁も長いとは言えないのがツェルニの現状だ」
「…………それとレオ君がどのように訓練に参加しているか聞いてもよろしいですか? さらなるアドバイスや一緒
に個人訓練をすることを頼み込んだりしているのですか?」
「レオの訓練だが、まだまだメニューに遅れないようにするだけで精一杯だ。わたしも気にかけるようにはしている
が、あいつも無理をいって訓練に参加したという負い目があるからか、わたしたちと壁を作っている感はある」
「……やっぱりそうですか」

レオはやはりわかっていない。

強くなるということがどういうことなのか……。
自分一人だけが強くなることがどれだけ大変なのかということを……。

「……レオ君」
「どうしたんですか、レイリアさん? 休憩時間ならまだ大丈夫ですよ」

前半を無事乗り切ったと言わんばかりに、疲れながらも爽やかな笑顔を浮かべているレオ。

これでは……無理だ。
そう判断した瞬間、迷いの壁を突き破って言葉が飛び出てきた。

「……このままじゃあ駄目だよ」
「駄目ってどういうことですか? 試合の準備なら、駄目なところはあって迷惑をかけるかもしれませんが、うちの
チームなら負けません。その自信の源であるレイリアさんには感謝しています」
「……そうじゃない。そんな考えじゃ強くなれない。……レオ君、はっきり言うけど…………その程度の心意気で
強くなれるほど武芸の世界は甘くない」

二人の関係を大きく変えることになる出来事の始まりを告げる言葉がたった今、飛び出してしまった。










後書き
一年生チームの戦闘力表(上級生の平均の実力を100とする)
手加減レイリア 65+15(+15は実戦経験を考慮)
レオ 40
カルス 70
カタリナ 60
アレク 10(念威操者なので低い)

小隊員の平均 115
ナルキ 90

個人の実力はこんな感じです。
実力は総合評価なので、戦術と状況次第で上位者が下位者に負ける可能性は十分にあります。



[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第6話 
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:50718001
Date: 2011/05/15 19:08
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第6話










強くなれない……レオの努力を真っ向から否定したその言葉に、レオは怒りで顔を紅潮させた。

「強くなれないって、そりゃあレイリアさんと比べれば僕は弱いかもしれないけど、それでも役立たずな自分は嫌だ
と思って訓練の日々を続けている。いつかは足を引っ張らないくらいにはなれる!」
「いつかっていつのこと? 武芸者は皆努力している」

顔は怒っていても、声は冷静さがある程度残り、怒り狂っている様子はない。
その所為で、‘いつか’という言葉も未来への希望ではない、どこか悲痛な叫びのように聞こえてしまう。

「レオ君も知っているはず。いつかという言葉がどれだけ頼りないかを……。誰かより強くなること、今の自分を
乗り越えることがどれだけ難しいのかを」
「う、う、五月蝿い」

レオの唇は震え、その震えは体にも侵食していた。

明らかにレイリアの言葉の所為だ。

これほど過剰に反応するのは、昔似たようなことを言われたことがあるからなのか……。

だが、レイリアもここまで言ってしまった以上、止まることなどできはしない。

「だいたい、目の前の試合を諦めた時点で……」
「うるさい、五月蝿い、五月蝿い! 才能あるレイリアには才能ない人の気持ちなんかわかるはずがない!!!
実戦でも全体を見れて動ける人に、つい目の前の敵だけに囚われて簡単に負けてしまう者の無念さがわかるわけがない!
カッコいい人の後をついていって、少しでも近づきたいと思っていることなんてわかるはずがない!
故郷で十分チャンスに恵まれた人々に、ここでしかチャンスのない僕の虚しさなんて、理解できるはずがない!」

レオの奥底の悲痛の叫び。

あの明るく人懐っこい態度が演技だったのならただ騙されていただけで単純なのだが、実際はそうではない。

実力がないからこそ、性格で補うしかなかった。
過剰に褒めていたのも、嫉妬心を封じ込め、なおかつその人に近づくためのレオ独自の処世術なのだろう。

才能のない人の苦しみを知ってはいる。

だが、知ってはいるだけでは……目の当たりにしただけで、怖気づいてしまう。
事前に散々迷って決めたことにも関わらず、だ。

「…………でも」
「もういいよ。今までありがとう」

レオの明確な拒絶の意思と反論を許さない怒りを込めた瞳。
普段の明け透けな様子が想像できないような荒んだ雰囲気。

それを前に……やっぱりとレイリアは思ってしまう。

きちんと指導をできるほど、立派な人間ではない。
それなのに、どうせ用事が終わったらすぐに帰る薄情人の分際で、口を出すからこうなってしまう。

才能のある人、才能のない人。
その間に深い溝が生じる、それが険しい武芸者の世界。

その溝を越えるのは容易でない。なあなあで越えられるような甘いものではない。
それを乗り越えてもらうために、伝えるべきことをまだ全て伝えてない。

だが……レオはこちらに背を見せて無言で威嚇している。
その一メル先の高き猛き壁を前に、体と意志は恐怖で収縮し、目は中空に逸れてしまう。

ここで逃げてどうする? 
これ以上頑張ってどうする?

……伝えようと言葉を重ねても、結局は意図が伝わらないのではないか?

相反する考えが頭の中で木霊する。
理性と恐怖が混ざりあい、何を考えていたのかもわからなくなる。

覚悟が足りない。

自分が正しいのだという自信が足りない。
嫌われるという恐怖に穴を空けながら突き抜けるための勇気が足りない。
相手の逆鱗に触れた結果を直視するという度胸が足りない。

その結果が……、

「ごめんなさい。他人を偉そうに否定的に評価するなんて……わたしの高慢だったね」

そう言って、レイリアは胸を抑えながら風の速さで訓練場から消えて行った。







「先輩、迷惑をかけてすみませんでした」
「レイリア!? まさか、ずっと待っていたのか!」
「はい、レオ君は話しかける勇気を持てず、後ろ姿を黙って見送っただけですけど……」
「わたしたちなんかを気にするより、チームの仲間こそ気にするべきだろう」

練武館から出てきたニーナたちは、屋根から降りてきたレイリアに呆れた声を発した。

「とりあえず、ここでは話もできないから移動しようぜ」
「そうだな。食事をしながらじっくり事情を聞くか」
「えっ??? 謝ろうとは思いましたが、相談にはまだ心の準備が……」
「試合前の重要な時期に、心の準備を待つ余裕などない。一日解決が遅れたら連携は二日分落ちると思っておけ」

レイリアの泣き言をばっさりと切り捨ていると、ニーナは行くぞと声をかけて歩いていった。

歩くこと約十分。

始めはラーメン屋に行こうという話になったのだが、手入れが行き届いている長い銀髪を風ではためかしている小柄
な少女、フェリが猛反発。
その結果、レイリアたちは定食屋で話をすることになった。

「しかし、こうして小隊が揃って訓練以外のことをするのも久しぶりだな」
「……大変遺憾なことだが、その通りだ」
「……事実とはいえ、後輩の目の前で情けない事実を暴露するな」

定食屋のメニューを見て注文を決めた後、ニーナがすぐに事情を聞こうとしたが、シャーニッドと残る一人の男性で
あるもの静かな男がやんわりと阻んだ。

シャーニッドがニーナをからかって矛先を変えた後、もう一人が言葉少なめに後輩の前でありチーム内で内輪もめ
するな、もっと気を遣えと叱責。

部下とはいえ先輩相手に自らの無作法を指摘されては、ニーナも拙速に物事を進めることができず、夕飯を食べて
ある程度話をしやすい雰囲気になるまで待つことになったのである。

「お待たせしました」

店員が持ってきた料理が各々の席に配られる。
全員が武芸者なので、念威操者のフェリのものを除けば全部大盛りだ。

ニーナとフェリは背筋を伸ばし、口を小さく開いて黙々と食べている。
大口や音を一切立てないという庶民派の店には合わない作法も、上流階級じみた気品を持つこの二人がやると何故か
浮かなく、全く違う店の料理を食べている気がしてくるほどだ。

料理はそこそこ美味しいのだが、この後尋問が待っていると思うと気が重い。
ニーナたちを見習ってゆっくり食べて時間を稼ごうとしたが、やはり無駄な抵抗に終わった。

「さて話を再開するが、何故レオにあんなことを言った? あいつは確かに試合で足を引っ張るほど弱いかもしれん。だが、一年の試合なら戦力が均等になるよう振り分けられている分、他のチームも事情は同様だ。臨時とはいえもし、
努力している者を見捨てるような隊長なら……その根性、わたしが叩きのめしてやる」

興奮したニーナがテーブルを強く叩き、こちらをまっすぐ凝視してくる。

ごまかしを許さず、自らの主張と相手の主張と正面からぶつかり合わせる対話。
初対面であることを考慮すると反発が沸きそうなのだが、ニーナの真摯さがそれを拭い去ってしまう。

なるほど……これが下級生で隊長になるだけのカリスマか、とレイリアは思った。

「努力……ですか。それはそこまで価値があるのですか?」
「何?」

レイリアの言葉に、ニーナは目を鋭くした。

この直接的な物言いだと相手を怒らせるとわかっていたが、一本気なニーナに対し曖昧な言葉を使うと、すぐに相手
の勢いに呑まれ、言いたいことも伝えられなくなってしまうだろう。

故に言葉を探しながら、簡潔に考えを伝える。

「努力なんて、武芸者ではして当たり前。優遇され社会的に強くなることを求められる武芸者に対し、武芸者が努力
して応えることは前提条件です。道が無限にある一般人なら努力は美徳ですが、道が一つしかない武芸者が努力する
のはただの義務です。唯でさえ武芸者は社会的に優遇されているのですから」
「義務だと……確かに強くなることは武芸者の義務だが……レオが授業外もこうして小隊の訓練に参加して頑張る姿
も結果が伴わなければ無駄と言う気か! そんな高慢な考え、わたしは認めないっ!!」

ニーナはレオに関して色眼鏡をつけて見ていると思ったが、それは非難すべき点ではないと考え直した。

ここは学園都市なのだ。

自らで挑戦し、調べ、学び、身につけたものを、下の代に伝えていく。
大人がいない子供、いや大人に成長しようとしている青少年たちのみの世界。

自主性が大事な学園都市では、努力することを評価するのも当たり前だ。
結果がすぐに出なく失敗したことも後々になって活かせることがあるため、過程主義が尊重されるのは必然なのだ。

やはり、あのときはもっと言葉を選ぶべきだった。

悩んで結局失敗してしまう自分の愚かさが嫌になるが……今考えるのはそこではない。
失敗を挽回するために、こうして相談に乗ってもらっているのだから。

「レオ君の頑張りはよく知っています。でもあれでは結果に結びつかないと感じました」
「結果を結びつかない? それは時間的に間に合わないということか? 確かにツェルニの武芸大会までにある程度
のレベルまで引き上げるのは、現状の成長速度では厳しいかもしれないが……」
「いえ、そうではありません。強くなるということは本当に大変なことです」

この先を言葉で上手く伝えるのは難しい。

レイリアの懸念だって、将来ちょっとしたことを切っ掛けに解決したかもしれないのだ。
それをわざわざ拾い上げようとする。

拾い上げて本当に解決できるのか……それがレイリアの一番の憂苦だった。

「皆が努力している中を突出して強くなる。才能や環境、経験で大きく差が出た状態を縮めるのは本当に難しいと
思います。頑張ればできる? それは頑張れない環境にいる人に言う言葉です。レオ君は強くなる苦しさを全然実感
していません。苦しさを感じない程度の心意気で強くなれると思っている彼の惰弱さが一番の問題です」
「心意気? 訓練に手を抜いているところとかはない分、長い目で見れば強くなれると思うが……」

ニーナが、レイリアの批評に納得がいかないといった様子で反論してきた。

他の人の様子を見ると、フェリは我関せず、シャーニッドは軽薄な笑みを止めて真剣な顔をしていて、寡黙な男の人
は眉間に皺を寄せながら腕を組んでいた。

「長い目? そんな悠長なことを言って本当に強くなるのですか?」
「悠長とは言いすぎだろう。不器用な人間が時間を多く要するのは仕方のないことなのだから」

「長い時間を使うなんて論外です。グレンダンでは強い者ほどより良い環境に恵まれ、より実力を伸ばすことが可能
となります。つまり、どこかで遅れると、その後も周囲と差がより広がるということです。レオ君の都市でこの理屈
がどれだけ通用するかはわかりませんが、少なくても基礎ができていないという圧倒的に不利な要素を含んでいるの
です。そこから生まれる格差は生半端な努力では埋められませんし、これからも広がる一方です」

レオの出身都市では、レオの実力が平均レベルということはないだろう。
レオがどのように機会に恵まれなかったのかはわからないが、きちんと基礎を修め、学園都市に行くことを許され
ない優秀な同世代の武芸者がいたはずだ。

レオは学園都市というぬるま湯の中で、かつて先に行ってしまった者たちに追いつかないといけないのだ。

「小隊の見学者用訓練に参加する、わたしと一緒に個人訓練をする……全く努力が足りてません。もっと貪欲になる
べきです。アントーク隊長に直接訓練をお願いしたり、わたし一人と訓練するのではなく、他のチームメイトにも頭
を下げて、全員で訓練できるようにしたり……」
「生真面目な一年生に、相手の迷惑を考えずに自分の都合を押し付けろというのはちょっと厳しすぎはしないか?」
「……確かにそうかもしれません」

シャーニッドの指摘にレイリアは首肯した。

現実の都合を少し無視しすぎた。
一息おいて初心に帰ろう。

「……わたしが一番問題だと思った点は、レオ君に反骨心、勝利への執着心がないということです」
「勝利への執着心? そんなものを持たないなんてありえないだろう」
「練習中足を引っ張ることに対し、申し訳なさそうにして改善しようと努力はしてますが、悔しさがこもっていない。
個人訓練のとき、前の練習試合でやられたのと同じ軌跡の攻撃をされても反応できずにやられてしまう。敗北が
きちんと刻み込まれていれば無様になっても足掻くところです。アントーク隊長も何か心当たりはありませんか?」
「……………………ない、こともない」

地の底から搾り出したような声だった。
その後、ニーナは頭に手を当てて項垂れてしまった。

「……すまなかった」
「何がですか?」

唐突なニーナの謝罪に、レイリアはきょとんとするしかなかった。

「レオは武芸者としては基礎もできていない未熟者だったが真面目で、訓練に失敗したりついていけないことが
あっても腐らない姿を見て、いつかは大成できると感情移入してしまった。……ツェルニはこの未だかつてない危機
的状況だが、わたしが少しでも力を伸ばして足しになればどうにかなる、いやしなければならない。そう信じている
からこそレオの努力も必ず実を結ぶ、結ばなくてあんまりだとな……」

ツェルニを守る。
ニーナの声色は焦燥一色で染まっていて、決して楽観視して出た言葉でないことはすぐにわかった。

その音色から本来なら危機感を共有してしまいそうな気がするが、ニーナの場合はそうにならない。

本気でどうにかしようとしていることがまっすぐ伝わってくるから、この人がいるなら大丈夫と逆に明るい未来を
抱かせてくれるのだ。

現実的に見ると根拠のない誘蛾灯に引き寄せられただけにすぎないのだが、現在の暗い風潮に一筋の希望を与えて
いるだけでも彼女はすごい。
他の小隊長でも、おそらく真似のできないことだろう。

「本当にすまなかった。お前の言ったことはわたしが先に言うべきだった。下級生を移動する上級生、しかも武芸科
の代表者となるべき隊長がえこひいきをして注意をしようとしなかったとはもってのほかだ。わたしが感情移入さえ
しなければすぐに気付けたことだったのに……」
「いえ、わたしが相談もせず性急に動きすぎたことの方が問題でした」

ニーナは爪を食い込ませるほど手を強く握り締めている。

レイリアも自らの主張を余すことなく伝えることができて、安堵の息を吐いた。

これも、向こうが理性的な態度を維持していたためだ。
尋問のような様子で問い正されたら、雰囲気と後悔から萎縮して上手く話せなかったはずである。







「……それでこれからどうするんだ?」
「……そこが一番相談したいところなのです」
「? レイリアにレオを見下す気持ちがなかったんだ。誤解を解けばすぐに解決するだろう」
「「「「…………」」」」

あっけからんに言うニーナに対し、全員から白い目が突き刺さった。

「隊長の頭のおめでたさは、とても言葉で表現できません」
「おいおい、ニーナ。感情は正論で解決できないぜ」
「……な、な、フェリとシャーニッドから同時に駄目だしされるとは、わ、わたしはそんなに変なことを言ったか?」

軽薄なシャーニッドと無口無表情で常に理性的なフェリ。
普段はあまり気が合わない二人。

その二人による稀有なタッグ攻撃に、ニーナが動揺し、たじろいた。

「根本の問題はレオ君の劣等感にあると思います。わたしが前言撤回して謝ってお茶を濁すことも考えましたが……」

あのときのレオの様子を思い返す。

あのときの罵倒の半分は悲痛さで構成されていた。
そこから考慮すると……、

「そうしたら、後々もっと問題が積もり積もってから再爆発するか、謝罪が受け入れられず、火に油を注ぐことに
なると思います」
「問題はレオの心にあるということだ。同学年の奴にお前のやり方では強くなれない、腑抜けた精神面をどうにか
しろと言われて受け入れられる人間なんてまずいない。そんなデリケートな話題を解決しようなんて所詮、にわか
教師にしかすぎない上級生でも無理だ。母都市の師匠ぐらいだな、そんなことを言えるのは」
「わたしたちに無理だと……ならば誰がレオを救ってやるのだ? 時間が経って解決するのをただ願っていろという
のか! 大体レオの性格を考慮すると、不協和音でチームワークが悪くなれば、それはますます悪化してしまう」

劣等感……それを常に向けられていた側であるレイリアでは、おそらく一生理解できないし、理解できると考える
ことさえしてはいけないものの一種だろう。
戦い以外のことはほとんどできていないとしてもだ。

それを拭うには単純な話勝利を重ねて自信をつければよいのだが、それはどちらかというと結果より。
実力がないからこそ負け続けて、勝ち方、勝つための努力の仕方を忘れてしまったということが本題である。

そして、レイリアはそのようなことに悩んだことは一切ない。
故に何もアドバイスできない現状が悔しかった。

武芸者の世界は完全な実力社会。
実力のない者なんて死ぬ前に淘汰された方が幸せだと割り切るには……レオの友達なので不可能であった。

「……正直、わたしにはレオ君と次会ったときにいつも通りに振舞える気がしません。このままじゃあチームに迷惑
をかけてしまうのも確実なので、何か良い知恵があれば借りたいのですが……」

実力が突出しすぎ、他者が足手まといになるレイリアにとって、チームを組んだ経験は多くない。
しかもそのときはベテランばかりのメンバーだったから、このような問題が発生することはなかった。

故にレイリアは頭を低くして教えを請うたのだが、小隊員である彼等の反応は鈍い。
シャーニッドの言った通り、経験のすくない学生武芸者には難しすぎる問題であるからだ。

どうすればいいのか?
謝り倒してその場をごまかし、先延ばしするするしかないのか?

それとも……、

「レイリア、お前がやれ」
「え、何をですか?」
「お前がレオに付きっ切りで指導しろ。それで成果がでれば、レオとのわだかまりも溶けるだろう」
「ええええっ!」

ニーナの命令に、レイリアは思わず悲鳴を上げた。

「そ、そんな無理ですよ。指導なんてほとんどしたことないですし、大体、あれだけ言い争いをした後、訓練以上に
信頼関係が重要な教導なんて絶対に無理です。しかも成果が出なかったらますます悪化してしまいます」

教導とは凡人に自らの技術を伝えることだ。

だが、レイリアは剄の流れを視て全容を理解できるという、才能というより特異能力というべきものによって独自に
学んできたため、自ら学んだ技術を他人に伝えるのは不可能だ。

精々、千に一つでも伝えられれば良い方である。
レオも技のコツ一つ掴めない自分の才能のなさに、自己嫌悪を覚える可能性さえ存在する。

グレンダンでは、こういう問題が過去に実際に多発したからこそ、天剣授受者がその卓越した技術を伝える慣習が
ないのである。

天才が自ら流派を開こうとしたら、直弟子を取り、その弟子に自分の名前を貸すのが一般的である。
現在の天剣授受者の中で唯一流派を興したカルヴァーンも、直接指導するのは高弟のみらしかった。

「まだ下級生だから指導に関して詳しくは語る資格はないが、訓練ではできないことも指導ならできることもある」
「なっ!? それならもっとできない可能性になる気が……」
「できる。お前たちならできる」

ニーナは重々しく言いきった。

その言葉には何故か確信が宿っているようだ。
自らの言葉に、レイリアを見る瞳に迷いの色は一切見られなかった。

何故、そんなに自信満々でいられるのだろうか?

ニーナもレオを可愛がっていたはずである。
それなのにリスクの高いの賭けを信じきることができることが、レイリアには理解できなかった。

周りに助けを求めようとしたが、

「つまり、俺たちは見守るだけで結局何もしないと」
「当事者にならないだけだ。相談には勿論乗るし、必要なものがあるなら用意するし協力もする。試合まで期間は
短いが、精一杯取り組めば必ず結果が出る」
「そういう方針か」

とシャーニッドがあっさりと引き下がった後、ニーナに意見する人はいなかった。

自分たちの隊長のやることだから大丈夫と信じているのか?
それとも、初対面のレイリアにはわからない意図が隠されているのか?

「自分を信じろ」

レイリアの戸惑いを見抜いて、ニーナが言葉を重ねてきた。

「信じろと言われても……経験もない、自信もない、知識もない未知の挑戦に関して何を信じればよいのですか!? 
しかも、失敗して一番被害を受けるのはわたしではなくレオ君なんですよ!」
「それでも自分を信じろ。お前は既に勇気を持っている。レオのために言いたくもない欠点を指摘したじゃないか」

あれは勇気じゃない。
ただ、進むべき道を勘違いしているレオを見ていられなくなったから言葉が零れただけなのだ。

間違ったことを言ったとは思わないが、正論が時と場合次第で正論でなくなることぐらいは知っている。

武芸で天才と言われても、それは所詮他のとは比べようもなく強いだけだ。
きちんとした助言もできないし、訓練を一緒に行っても強くしてあげることもできない。

グレンダンで馬鹿げた目標を掲げても、具体的なことは大したこともできずに目を回していた、ただの小娘にしか
過ぎないのだ。

「お前のことは少しだけレオから聞いたことがある。同い年で同じ武器を使うすごい人がいるとな」

すごいと褒められたことに、レイリアはいたたまれなくなって目を伏せた。

レオはレイリアが大人の武芸者複数を叩きのめした戦いを見ていたので、すごいと表現するのも当たり前だ。

そして、その動きは真似も教授もできないことを、レイリアは昔からよく知っているのだった。

「レイリアが留学した頃からずっと言っていたぞ」
「えええっ!? 最初からですか? 半月ぐらい前ではなくて?」
「何を驚いているのかは知らないが最初からだ。安定した強さを持っていることをいつも絶賛していた。自分もああ
なりたい。自分も相手も知り尽くした動きを、隙の少ない経験豊富っぽい面を少しでも吸収したいと」
「……レオ君がそんなことを」

レオが訓練していたときに、そんなことを考えているとは思わなかった。

教えてと言ってくれれば良かったのに……と考えたところで、レイリアは首を振った。
こういうことができなく、必死さと弱さへの危機感が足りないからこそ苦言を呈したのだ。

レイリアはSOSを無言で発せられても、不器用で鈍いから気付けない。
教えてと言われる前に動くには……、

「指導ですか……わたしにわたしが学んだことを人に伝えることができるのでしょうか?」
「初対面でレイリアのことを知らないわたしでは大丈夫だと保証することはできない。ただ言えることは、お前に
憧れをしていたレオがその申し出に断ることはまずないということだ。無責任にも言いたいことだけ言ってその後
何もせずに終わらせる気はないのだろう? なら後は自分を信じるしかない」
「どうせ時間は短いんだ。結果を残せなくても、それならそれで残念会兼仲直り会をやって師弟間の苦労話をして
酒とともに盛り上がればいい。まだお前たちは一年なんだ。失敗したところでいくらでも取り返しがきくさ」

失敗、取り返し……レイリアにはシャーニッドが言うほど楽観的にはなれない。
あのときと状況が全く違うとはいえ、やはり失敗のリスクは大きい。

それでも…………レイリアがレオの停滞した状況を動かしたのだ。
それなら、どうにかして責任を取らないといけないだろう。

「わかりました。時間は少ないですが頑張りたいと思います」
「良い宣言だ。先ほども言ったが、協力して欲しいことがあったら遠慮しないで言え」
「俺が後輩の勇気と友情に乾杯するためにジュースとデザートを奢ってやる、何でもいいから頼んでくれ」

メニューを渡されたレイリアはすぐに注文を頼んだ。

今は悩んで得る巧緻より、勢いで進んでいく拙速。

無口の方の先輩が他の全員にも飲み物を奢って、レイリアの新たなる挑戦に全員で乾杯をした。










後書き
ニーナの上から目線が酷いと書いていて思ったが、原作ではある意味もっと酷いんですよね。
隊長なのに猪突しすぎ、自己完結して相談しなさすぎ……。



[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第7話
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/05/22 19:28
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第7話 










「今から特訓を開始するわ」
「こんな朝っぱらから何をするんですか? 一応毎朝ストレッチぐらいはちゃんとやっていますよ」

ここは農業地区の中でも人通りのほとんどないエリアだ。
野外でお金を使わずに訓練できる広い場所を探したときに、ここを教えてもらったのだった。

今の時間は太陽が昇ったばかりの早朝である。

レオの言葉に棘が含まれているのは、昨日の諍いだけではない。
昨日、急に早朝集合と決めた性急さに対する非難も含まれているだろう。

レオが尊敬するニーナ隊長に、事前に根回ししてもらうよう頼んだから来てくれたのであって、レイリア一人で提案
していたらすっぽかされていた可能性も、今のレオの顔色を見ると高かったような気がしてきた。

「自主訓練でできることならわざわざ呼び出したりしないわ。レオ君には試合のために新しい技を覚えてもらいます」
「新しい技? む、無理です。期間が一週間しかないんですよ。天才のレイリアさんには可能かもしれませんが、
僕には絶対に無理です」
「短時間で覚えられる単純な技だよ。それに無理を通すためにこんな時間から特訓を開始するの。レオ君の言う通り
期限が短いから、無駄にできる時間は一秒もない」

レオの弱音を一刀両断すると、レイリアは錬金鋼を二つ復元し、片方を投げ渡した。

「な、錬金鋼を使うのですか!? しかもこれ、安全装置のかかっていない剣ですよ!」
「錬金鋼なしでできる訓練なんて高が知れているわ。それに斬れる刃如きにびびっていたら……」

そこで言葉を止めて、剣を振り抜いてレオに突きつける。
風切り音も発さないほどの鋭い斬撃は、ただ青の残光のみを残していた。

「武芸者として一生役に立たない。再び汚染獣が襲撃してきたときも、そうしてまた怯えるの? 犯罪武芸者相手に
震えていたのと同じように……」
「なあっ……」

レイリアの挑発に、顔を歪めたもののレオは反論しない。

その姿に、レイリアは悲しいを通りこして哀れだと感じてしまう。

怒ってよい場面なのに怒れない。
感情を内にこもらせながらその場を誤魔化し、ただ時が過ぎるのを耐えている。

こんな感じに自分を日常的に騙していては、才能の壁を越えようなんて夢のまた夢だ。

圧倒的に意志が、意志の力を生むための感情の力が足りない。
そのための礎を、本当に自分が築き上げる手伝いなどができるのだろうか?

だが、もう迷いは許されない段階にいる。

ただ、伝えることをできる限り伝えて、天の采配に任せるしかないのだ。

「技の見本を見せるわ。タイミングはいつでも良いからその剣で攻撃しなさい」
「えっ?、え、え、え?」

レオから距離を取ると、レイリアはその周囲を飛び回った。
その速度は大したことはない。レオの目にも十分に追える速さだ。

「動かないと何も始まらないわ」
「……怪我はするのもさせるのも嫌ですからね」

斬ることができる錬金鋼を使ったいきなりの訓練に戸惑うレオに、発破をかける。
レオもそれで少しはやる気が出たのか、剣を構えレイリアの動きを読もうと目をせわしく動かす。

「そこだ」

タイミングを掴んだレオが衝剄を放つ。
衝剄がレイリアに向かっていく中、レオは何が起こってもすぐ対応できるように構えを戻した。

レイリアは迫り来る衝剄に剣先を向けながら動いた。

内力系活剄の変化、流幻。

「え? 残像!?」

レイリアに直撃したはずの衝剄はその背後へ通り抜けていく。
衝剄に貫かれたレイリアの姿は陽炎のように揺らめいていた。

「何処にいっ……たあっ!?」

見失ったレイリアの姿を探そうと一歩下がったレオは驚愕した。

レイリアの姿が複数に見える。

動きに緩急をつけることで残像を残しながら移動する歩行法。

どれが本物か判断できず、レオの動揺が一瞬、剣にも伝わってしまった。
その隙にレイリアは急加速、そして、レオの首筋に剣を当てた。

「ま、参りました」
「残像を残して移動する単純な技。これを覚えてもらう」
「かなり難しそうなんですけど」
「そんなことはない。これは剄技というより体術に近いから、体に叩きこめば誰でも使える」

叩き込むという物騒な言葉に、レオの顔が明らかに引きつった。

「とりあえず、今の動きがどういう風だったのか、どれだけわかった?」
「えっと…………緩急をつけて残像をつけたこと、ぐらいしか……」

本当に大丈夫だろうか?

レオの観察眼のあまりの欠如にため息を吐くと、レオはびくっと震えた。

別に武芸になると性格が変わるとこは自覚しているが、少なくても理不尽や癇癪を起こす気はない。

そう言って勘違いを正そうかと思ったが止めた。

これから限界まで足掻いてもらうのだ。
恐怖心で必死になるなら、教導する身としてそれを助長させた方が良い。

「それじゃあもう一度挑戦ね」
「ひょっとして正解するまで続くんじゃ……ちょ、無言で剄を高めないでください。何故かかなり怒っていません?」
「怒ってはいない。ただこれから苦労しそうだと考えてしまっただけ」
「なら、もうちょっと手加減かヒントをください!」

レイリアが牽制の衝剄を織り交ぜたことで、レオが助けの声を張り上げる。

声が出るならまだ余裕がある。

レイリアがさらに厳しくした結果、レオがいつまでも正解できずに疲れでダウンしリタイアしまう。
その結果、技の披露は時間切れで終了という幸先の悪いものになってしまった。

「流石にこれ以上遅くなると困るから、技の説明を開始するわ」
「はあはあ、それよりも休憩か食事を……朝から動きすぎたからもう体に力が入らない」

早朝とはいえ、体力が有り余るはずの武芸者がこの程度で疲れるなんて……と思ったが口には出さない。
代わりに事前に買ってきたジュースを渡した。

「これで少しはエネルギー補給をして。それであの技、流幻と言うのだけど結局わかったのは……」
「……緩急をつけると同時に殺剄をして幻惑していることだけです」
「初めにこの技は剄技というよりもむしろ体術に近いと言ったんだけど」
「あああっ? 僕の馬鹿っ!」

重要なヒントを動いている内に忘れていたレオは、叫び声を上げて頭を抱えた。

「緩急の緩の動きをするときに殺剄で気配を殺し、急の動きで抑えていた剄をやや開放させながら移動することで
残像を残す。流派によっては殺剄をしないで同じことができるところもあるけど、これは剄を出し入れすることで
難易度を低くした技でもあるわ」
「殺剄をなしで、ですか」

残す剄の密度や性質を変えることで、残像の数を増やしたり、残像自体を動かしたりしてさらに敵を幻惑させること
も可能だ。
この技を極めていた武芸者は残像の剄を化錬剄の伏剄のように応用して、大技の前の下準備としていたが、そんな
熟練武芸者にしか到達できない技法を要求するつもりはない。

実戦には、幻惑してできた隙を見抜いて突くだけの器用さがいるが、今回の試合は個人戦ではなく集団戦。
そこは他人に任せても大丈夫なはずだ。

「そう、技術の奥深さは底知れないということね。この技で一番重要なものは重心よ」
「重心?」
「ええ、緩急や殺剄で相手の感覚を誤魔化しても、初動が読まれたら意味はない」

初動が読まれたら、その技は単にのろのろと歩行するだけの技。
移動先で読まれて一瞬でやられてしまう。

それを読まれないため、またどの体勢でも好きな方向へ自然に移動するために、重心は絶対に鍛えないといけない。

「だから、わたしもレオ君の攻撃が迫るギリギリのタイミングや大振りの後などのときしか発動させなかった。レオ
君には殺剄と重心、この二つを徹底的に学んでもらう」

基本方針を告げると休憩を終わりにして、さっそく訓練を再開した。

まずは殺剄の練習から。

剄のコントロールが苦手なレオでは、かなり苦戦しそうだと推測していたが……、

「剄息が荒い。殺剄というのは息を潜めるのと同じ。呼吸が安定してなくては話にならない」
「馬鹿! 息を潜めろとは言ったけど、実際に息を止めたら剄を練れないでしょ!?」
「殺剄の解除が荒いし遅い。動きが変化する一瞬の内に切り替えできるようになるまでが、殺剄の基本よ」

レイリアの怒声が止まらない。

ここが人通りのない場所で良かった。
そうでなければ目立って恥ずかしくなり、こうも訓練に集中できなかっただろう。

まずは体を動かさずに剄の操作のみに集中させることで、殺剄の感覚を体に叩き込ませる。

剄の流れの詳細が視てとれるので、殺剄が甘くなればすぐわかる。
それもレオが気付かない細かいような点まで。

この能力の所為で、他人が剄で苦労する感覚が全然わからないという、天才ゆえの教導する上で致命的な欠点が
あったが、それが逆にプラスに働いてくれるとは嬉しい誤算だ。

長期的な教導なら、細かいところに目が向きすぎて全体の流れを損なう可能性があるが、今回の短期的な教導なら
時間の許す限りスパルタ形式で叩き込んで欠点を一つ一つ潰せばいい。

この教導の経験は必ず将来で役に立つ。

そう考えたら、さらに集中力が増した気がした。
そんな感じで訓練に熱中しすぎた結果、

「あ? ああああああっ???」
「うわっ? あれ!? 怒声が来ない……レイリアさんどうしたんですか?」
「訓練に熱中しすぎちゃった。時間がまずい」
「嘘! もう学校の時間ですか?」

レオが慌てて時計を出して確認すると、まだ授業が始まるまで少し余裕があった。

家が多少遠いとしてもレイリアは優秀な武芸者。
その健脚で走れば、身支度に時間がかかる女性でも大丈夫だろうと言おうとして隣を見ると、

「……いない?」
「ごめん! イラちゃんのご飯を作って保育園まで送らないといけないから、また学校で会いましょう。授業中でも
訓練してもらう予定だから、今感じていた感覚忘れないでね」
「なっ!? 授業中もやるってどういうことですか? 僕、訓練で疲れた体をその時間でゆっくり休めようと思っていた
んですけど」 

だが、その抗議はレイリアの耳まで届かなかった。
レイリアは神速で自らの荷物をまとめ終えていて、レオに別れの言葉をかけたときは既に100メル以上離れていた。

レオのところまで届いたのは、活剄の威嚇術によって声に対しスピーカーのように指向性を働かせたためだった。

レオは声のした方向を見たが、もう人影は小さな点でしか見えない。
ここは農業区、視界を遮るものはなく、かなり遠くまで見渡せるのに関わらずだ。

「ははは……初日の朝でこのレベルって……この先どれだけ厳しくなるんだろう……」

レオの哀愁のこもった乾いた笑い声が、広い空の向こうへ吸い込まれていった。







「……これはきつい」

今は授業中、別に難しくも苦手でも内容なのに、冷や汗が噴き出すのをレオは感じていた。

周りに気付かれていないか、変に思われていないかどうか確認しようとすると、

「確認しない方がいい。レオ君はわたしと一緒で緊張を自覚するとそのままどつぼにはまるタイプ。限界に近く
なったら私が警告するから、授業か訓練に集中して」

レイリアのアドバイスにより中断された。

レイリアとレオの席は、席数個分以上は離れている。
だがレイリアは鋼糸を介して音を伝達させることで、レオのみに話しかけることを可能にしたのだった。

しかも活剄で身体強化をしてようやく聞き取れる声量なのだから、教師は勿論、隣のクラスメイトにも密談に
気付かれている様子はない。

レオは一息を吐いて内心を少し整理すると、殺剄を維持しながら剄を高める、高めた剄を一瞬で体内に留め、気配を
殺すという、早朝にやったのと同じ訓練を繰り返す。

農業区のような誰もいない、何もいない修行に適した広い空間ではなく、人も多く、物もところ狭しと置かれている
教室という空間。

体を動かす必要のない訓練とはいえ、緊張で体が硬くなる。

剄が暴発したら、教室という公共の場で剄を高めていることがばれたら……最悪停学もあり得てしまう。

社会的に保障されている武芸者だが、その分暴走やその他の反社会的行動には厳罰が課される傾向があるのだ。

それらの不安で、授業前にレイリアに泣きついたが、

「たかが教室でそこまで深く考える必要はないよ。そういうことが雰囲気的にできないときはお偉いさんとの会合の
ときだけ。わたしだって、昔たまに出席してもわからなかった授業では、見えなくした剄で空中に文字を書いて
遊んでいたりしていたもの」

このような感じでばれる可能性が低い、フォローもするからと言われて押し切られた。

剄とはエネルギーである。
殺剄をしてそのエネルギーを内部に閉じ込めるということは、内部に余分な熱を溜め込むということ。

そして、それは当然自然な状態ではない。

水が高きから低きに流れるように、その余分な熱も外に出ようとする。

封じ込めたものが表に出ようとする。

「あっ、まずい!」

抑えていた剄が抑えを越えて溢れ出ようとしている。

既に練ってある剄が外に出れば衝撃波に変換され、教室は大惨事になってしまう!

……だが、その危惧は外部補助により飛散した。

剄路が何かによって干渉されたことで、漏れた剄も衝撃波の形を取らずに分解されて拡散される。

その何かとは会話にも使った、目に見えないほど小さな鋼糸。

その極細の糸は血を出すこともなく体内に侵入させることが可能なほどで、そこに込められたレイリアの剄がレオの
剄に直接干渉した結果がこれだった。

「体の緊張を無視しすぎ。体の状態をいつでも戦闘用に最適化できるほどの経験はないのだから、体の状態を無視
しては駄目だよ。無理をするのではなくて体の状態に合わせてベストを尽くすのが基本なのだから。それより今の
限界の感覚を覚えている間にもう一度挑戦しましょう」
「……はい」

先ほどまでの焦りとその直後の安堵で心臓がまだバクバク鳴っていたが、師にそこを考慮する気はないらしい。

精神的な疲労が心臓に圧し掛かっているかのように感じつつ、レオは再び訓練を開始した。

「あ、できれば授業も聞いてね。殺剄にかまけて周囲を観察できないなんて本末転倒だから。それにわたしもレオ君
の訓練に意識を割いている分、あまりノートを取れていないの」
「りょ、了解です」

やることが増えた。
レオは授業中、レイリアの補助を何度も受けながら四苦八苦していくのであった。





授業も終わり今は授業後。
バイトをしたり友達と遊びに行ったり買い物をしたりと、ツェルニではお昼の次に賑やかな時間だ。

だが、今ここにその空気を真っ向から破壊している存在があった。

「あはははははは……もう、僕は駄目だ」
「レオ君、そろそろ気持ちを切り替えようよ。カタリナも心配したからこそきつい物言いをしただけだから」
「全ては僕が悪いんだ。どうせ僕は基本概念すらわかっていない武芸者の卵以下のうじ虫なんだ」

今日の最後の授業は武芸科の授業。

その内容は、試合のチーム内で連携を高めたり過去の試合を見て戦術の研究を深めたり個人の訓練に当てたりと、
チーム単位の行動なら基本的に何をしてもよいことになっている。

過去に親睦を深めるためと称して野外訓練という名の遊びを行った猛者もいたようだが、このチームでの成績が一年の成績に、そして上級生が一年生の実力を調べるときにも大きく影響しているので、手を抜く人はいない。

それなのにレオは授業中の訓練により始まる前から精神的疲労が大。
その上、普段の動きと全く違うことをしていたために、頭と体と感覚の間のギャップが発生。

その結果、カウンターで急所を思い切り攻撃され、悶絶を通りこしての気絶。

肩を揺らしても反応は一切なく、重傷だと思って病院に連絡しようと携帯を取りに行った者をいたぐらいで、
情報収集のための念威端子を使って簡単に診察したアレクが止めたためになんとか大事にならずに済んだのだった。

安全を重視された自動機械が相手だからこそ数十分の気絶のみで何も後に引くものはなかったが、これが本番なら別。

一人を欠いたままその先の試合をするようになって、チームの最下位争いの参入が確実視されてしまう。

「焦って自滅するにしてももっと上手くやられなさい。それとも、本番を意識させるために人間の攻撃を受けて実際
に体験しないとその危険性がわからないのかしら」

冷たい氷水(わざわざ買ってきた)で強制的に覚醒させられた後でのこの一言。
弓を向けながらの、半ば本気の殺意と怒気が混じった言葉に、レオの心は完全に打ち砕かれたのだった。

「ううっ~~、レオ君が回復しないなあ。どうすればいいんだろう?」
「レオ、お前はいつまでうじうじしている。それが練武館にいる武芸者のする行動か! 返事はどうした!?」
「は、はいっ!」

何度慰めたり、励ましたりしても回復しなかったレオが、ニーナの一喝で反射的に気をつけの姿勢。

「お前は強くなりたいから、今日もわざわざ十七小隊の訓練場まで来たのだろう。それを無駄にするということは隣
で困っているレイリアの時間も無駄にするということだ。お前は本当にそれでいいのか? ここに来た目的を本番
でもない練習試合の結果ぐらいで駄目にする気か!!!」
「申し訳ありませんでした。そしてご指導ありがとうございます」

大きな声でそう言って頭を下げた後のレオの瞳には、活力が戻っていた。

言葉より勢いを重視した、完全に体育会系の対応にレイリアは目をパチクリさせていた。
武芸者の序列を歩かずに一気に飛んでいった身として、こういう経験をしたことがない故だった。

レイリアの、授業が終わってからの十数分の苦労を考えると釈然としないものが胸に残るが、頭を振ってその思いを
追い払った。

納得しがたく感じるより、現状を改善できなかった未熟を嘆くべき。

そう思い直すと、本日四回目となるレオとの訓練を開始した。

「うわあ」
「足の剄を切らさないようにするのは当然だけど、ボールの位置や分布にも注意してね」

いつもは十七小隊が考案した訓練メニューを行うが今日は違う。

足技の流幻を覚えるための訓練を行っている。

朝は授業中でもできる訓練をするために殺剄に重きを置いたが、十分にスペースがあるここでのテーマは重心。

地面にたくさんの硬球が転がっている。
この不安定な硬球の上に乗り、基礎練習を行うことでバランス感覚や足元への注意力を高めるための訓練だ。

硬球に乗るだけなら簡単だが、そこで何か動作をしようとすると結構難しい。

人間は大地で生きる生物で、動くときは踏み込みがとても重要である。
踏み込みが浅いとパワーもスピードも出ないが、不安定な硬球の上に下手に強く踏み込もうとすると……、

「うわあああ」

このようにバランスを崩して派手に転倒してしまう。

レオは尻についた土を払うと、はあ~と大きくため息をついた。

「レイリアさ~ん、何かコツを教えてくださ~い」
「コツと言われても……」

レオが泣き声になるのもわからなくない。

レイリアが保育園に迎えに行くために一時的に抜け出してから戻るのに数十分はかかったはずだが、それだけの時間
をかけて練習しても大して進歩をしていないのだ。

レイリアがいない間にレオの相手をしていたニーナは数回こけた後すぐコツを掴んで、その後はレオよりも遥かに
安定していた。

相手がエリートで優秀な武芸者とはいえ、レオが大きくショックを受けたのは言うまでもない。

レイリアもできればどうにかしたいのだが……、

すでにある程度対策はしていた。

アドバイスをするのは勿論、地面の表面を砂状にして硬球が転がりにくくもした。
そこでゆっくりと打ち合いなどの基本練習をしようとしても、レオは踏み込んだだけで転んでしまっている。

打ち合いに集中して足元を疎かにしたとか、回避しようとして足を滑らせたという次元にもほど遠すぎるから、
レイリアとしてももう何も言葉が出てこない。

教導経験豊富な人なら今の状況かも何とかできるかもしれないが、この方面で未熟なレイリアには無理な話。

……結局、レオのモチベーション維持のために、朝にやった殺剄の訓練を織り交ぜることにした。
別名、後回しでもある。

あれも地味で体をあまり動かさない分、モチベーションを上げるには微妙な訓練だが、レオの気力がそれで回復した。

硬球で悪戦苦闘したのが余程、堪えていたためだろう。

そういった内容で、日が暮れてもなお訓練を続けた二人だった。

「わたしもそろそろ家に帰らないとまずいから、今日はここまでね」
「ようやく……もう完全に燃え尽きた」

レイリアが終了の宣言をした瞬間、レオは地面に倒れこんで大の字になった。
朝から休みなしで修行して精根尽き果てたレオは、背中から感じる地面の冷たさをじっくりと堪能していた。

現在の時間は、すでに十七小隊の訓練が終わっている時間。
自主錬としてニーナだけが残っているほど遅いのだ。

「それじゃあ、また明日の早朝からね」
「なっ!? 明日も、ですか?」
「継続させないと意味はないよ。バイトの時間以外は、いつもこのくらい訓練するから」
「あ、あ、あ、あっはっははははははははっ」

押し掛けの師のスパルタな宣言にレオから乾いた笑いが漏れ、その背は白く煤けてしまった。





朝も昼も夕方も夜も続く過酷な修行を続けて今日で四日目。
試合まで後三日で、ちょうど折り返し地点といえる日だ。

その道筋は順調とは言いがたかったが、これ以上延ばす余裕はないのでレイリアは決断した。

「ある程度、技の形もできてきたので今日から実戦訓練に移るわ」
「やったーーー! ようやく転ぶ機会が減る」

万歳をして喜ぶレオに、心配そうな視線を向けながらレイリアは早速実戦訓練に移ることにした。

グラウンドに移動すると、お互いに剣を向き合わせる。

初日とは違い、今度はレイリアが攻める。

ヒットアンドウェイで翻弄しようとするが、レオは最小限の動きでそれを防いでいる。

今までのレオは防御が甘く、相手に主導権を握られると明らかに焦りを見せていたが、今は冷静に対処している。

敵が激しく動けば隙ができる。
その隙を広げるための技を叩き込められているために、猛禽のような目でレイリアの動きを読もうとしている。

タッタッタッタンッタタ。

そのリズムに合わせてレイリアの動きを一瞬先読みした瞬間、レオは守りの構えを捨てた。

内力系活剄の変化、流幻。

レオの輪郭がぼやけ、レイリアの一撃は空を切る。

レイリアの無防備な背を目視できたレオは、成功の喜びを無言で噛み締めた。

後は、押し切るのみ。

減速しているレイリアの隙を突こうとした瞬間、レオの体は大きく揺さぶられた。

何故? と疑問を感じる前にレオは土塗れになり、意識が遠ざかっていった。










後書き
やや長いので二話に分割しています。




[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第8話
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/05/22 19:28
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第8話










「レオ君、良かった。気がついた」
「想像以上に上手く当たったとはいえ、気絶するとは思わなかったからわたしも焦った」
「あれ? レイリアさんにアントーク隊長、どうしてここに?」
「覚えてない? レオ君、背後から攻撃されたのよ」
「ああ、そういえば背中から衝撃を感じて……って攻撃!? 一体どこから?」

気絶から目が覚めたレオは背中を擦りつつ、疑問を発した。

あのとき、レオの幻影を通り過ぎていったレイリアを攻撃しようとしていた。
その背後には当然、誰もいないはずであるなのに、攻撃されてしまった。

流れ弾なら運が悪かったと諦めがつくが、攻撃という故意の単語に何故かこの場にいる隊長。

それらの疑問には、レイリアが答えた。

「それがこの技の難しさよ。レオ君、攻撃の気配すら感じられなかったでしょ?」
「確かにそうですけど」
「実は少し離れたところにニーナ先輩がいて、そこからの攻撃なの」
「そんなところからの攻撃、予測できるわけないじゃないですか!」

一対一のはずがいつの間にか二対一になってことに、レオは声を荒げた。

だが、怒鳴られた方のレイリアは落ち着き払ってレオを見つめると、逆に問いかけてきた。

「……本当にそうなの? それに本当にそれでいいの?」

澄んだ瞳を直視できず、レオが思わず視線を逸らして映ったのはニーナの姿。

気持ちいいほど真っ直ぐなニーナが一対一の訓練に乱入して何も言わない、謝らないのは明らかにおかしいことだ。

「あのとき、ニーナ先輩はあそこにいたけど気付いていた?」

レイリアが指差した位置はここから少し離れた木の側で、距離的に遠距離とはいえないほどの距離だった。

「ニーナ先輩はわたしたちが戦い始めてからそこに移動してもらったの。……殺剄なしで」
「殺剄なしなんて信じられません。それなら僕でも事前に気付けるはずです」
「ええ、技や相手の挙動に意識を囚われていなければ気付けたと思うわ」
「あっ……」 

一対一の訓練が多い上にレイリアの動きを注視していたので、周囲への警戒が薄れていたこと。
守りを固め技を繰り出すという、普段慣れていない行動を取ったために他に注意力を割く余裕がなかったこと。
連日の修行による疲れ、特に精神的な疲労で視野が狭くなっていること。

それらが相まって、レオは不意打ちともいえない攻撃すら知覚できなかったのである。

「技を使うことと実戦で技を使いこなすことは全く違う。最低でも周囲を警戒しつつ自然に足技が出るくらいに
ならないと試合では全く役に立たない」
「……それじゃあ、これだけ頑張ってもそのレベルまで到達できなかったら……全て無駄になるということですか?」

「ええ、そういうことよ。そもそも技なんてそういうもの、技を覚えて、その次にその技を最大限生かすための戦術
を編み出して初めて使い物になる。覚えた技を使う機会がない、使ったら悪化しそうというのも武芸者では当たり前
のこと……」

基本的に強すぎる技というものはない。
技を身につけるよう体や技術を鍛えたこと自体が、最強への道へ繋がっているのだ。

そもそも速度が生命線で、戦いが短時間で終わる武芸者の戦いは、最初の一瞬の交錯だけで勝敗が決まり、身に
つけた技をほとんど使わないまま終わることも珍しくもない。

色んな環境でも戦えるように技を複数身につけることはあるが、基本的に武芸者は自らの長所を伸ばし、鍛えぬいた少数の技のみを頼りにするのが基本だ。

レイリアのように複数の技と武器を状況に応じて使い分ける方が異質で、学生武芸者が弱いのも戦闘技術の専門性が
高く、基本以上の細やかな技術を教授するのが非常に難しいためである。

「そんな現実……」

その厳しい現実を目の当たりにして、レオの拳がギュッと握られ、小刻みに震える。
唇を青白くなるほど強く噛み、顔を下に向けてしまった。

だが、そこまでしても抑えきれない感情と苦しみが口からこぼれ出てしまう。

「……これだけ努力しても弱い僕なんかじゃあ結局は無駄になっちゃうんだ」
「そんなことは……」
「適当な慰めは止めてください! 自分の実力は自分が一番わかっている。せっかく覚えた技も後三日では使い
こなせない。これだけ濃密な修行も普段と全く違うことをやったから、試合形式の訓練では逆に動きが鈍くなると
いう逆効果。才能がない、予定された練習も満足にできない僕なんかでは、足を引っ張らないようにしようという
ささやかな願いすら、越えることができない大きな障壁なんだ!」

落ちこぼれの武芸者の悲痛な叫び。
誰かを責めることのできない、自分の未熟さ、情けなさを嘆く叫び。

三日間夜遅くまで訓練しても結局、硬球の上での基本練習を一人ですることができなかった。

転ぶときの予兆を覚えてしまったレイリアが、剣をタイミング良く打ち付けて鍔迫り合いをして支えとするような、
小手先の誤魔化しでまかり通したほどなのだから。

レオは拳を地面に勢いよく叩きつける。

地面に割れ、その反動で拳から血も流れ出るが、レオは止まらなかった。
涙とともに零れる嘆きも留まる様子さえ見せなかった。

「レオ……お前は一年なんだ。試合に間に合わなくてもまだこれから先、化ける可能性があるんだ」
「可能性? 隊長は優秀だったからそんなことが言えるんです。今まで一度も化けずに取り残されていたから、今も
落ちこぼれなんです。今回の訓練で自分がどれだけヘッポコか思い知らされました。皆ができることができない、
自分の長所もない分際で、輝かしい未来なんてあるはずがない!」

ニーナの励ましも今のレオには届かない。

今まで積み積もっていた劣等感を前に、才能の差という種が異なる人の言葉は届かない。
受け入れられることはない。

「落ちこぼれは、ずっと落ちこぼれのままなんだ!」
「…………レオ」

負の鬱憤を直接浴びせられたニーナは圧倒されて、口を噤んでしまった。

重い空気が場を支配しようとしていく中、今まで黙って見守っていた者が口を開いた。

「……レオ君、わたしがずっと無意味なことに付き合うと思うの? 完成させられない技に拘るほど間抜けな師匠だ
と思うの?」
「そんなこと、僕の情けなさが想定を遥かに超えていただけだよ」
「レオ君の情けなさなんて、初日で嫌というほど思い知ったよ。それでも何とか四日目で形になった」
「形? こんな欠陥があって何の役に立つ? 試合で使ったら無防備なところを攻撃されて即昏睡。カタリナさんが
危惧していた通り、チームから一人消えて最下位争いに参戦するに決まっている」

レオから、いつもの敬語が消えている。

強者と敬意を結びつける処世術を実行するだけの余裕がないことの証左だ。

ニーナやレイリアを疎ましく、妬ましく見つめる瞳。

これが、レオが常に覆い隠そうとしていた本心の奥底なのだ。

ベールが剥がされた高き厚き壁を前に、レイリアは予定通りに動いた。







「皆、入って来て」
「おいおい、レオ。男なら情けないこと言って女を困らせるな、モテなくなるぞ」
「まさかあのヘタレのレオがこんなに頑張っているなんて……わたしもうかうかしていられないわね」
「……失礼します」

入ってきたのは、同じチームメイトの三人だ。
初めて見る小隊用の訓練室を興味深そうに眺めながら、レイリアたちのいる場所まで近づいてきた。

「何で皆がここに?」
「お前だけで訓練しても拉致があかないからな。俺たちも手伝ってやるということだ」
「そういうこと。こんなに頑張っているのに、わたしたちだけが遊んでいるのも悪い気がしてくるからね」
「……補足すると、レオが新しく技を覚えたので戦術の幅が広がる、そのための訓練をしに来たんだ」
「これからは二人ではなく、五人全員で訓練ということなの」

制服ではなく、訓練衣に着替えている三人がそういうと錬金鋼を復元させる。

念威用の杖、碧宝錬金鋼の弓、白金錬金鋼の矛。
どれも見慣れた武器ばかりだった。

「おい、どういうことだ? わたしは何も聞いてないぞ、あと三人も訓練に参加するなんて!」
「俺たちが許可を出した」
「別にスペース的に無理というわけじゃないから構わないだろ、ニーナ」
「そういうことではなく、隊長のわたしに黙って重要なことを決めるな」

そういえば、レオの嘆きの騒ぎにも他の小隊員三人は一切関わらず、動揺もしていなかった。
つまり、ニーナ一人だけが除け者にされていたということである。

その正当な怒りを、シャーニッドは飄々と肩をすくめて受け流した。

「だってニーナ、腹芸ができないタイプだし、一年同士の訓練にも大分心を傾けていただろう?」
「当たり前だ、経験の薄い一年生を助けるのは小隊隊長としての義務だ」
「目の前の悲痛な叫びを無視するニーナなんてあり得ない。自然な対応をしてもらうために、ニーナに話さないこと
を僕たちからレイリアに提案した」

シャーニッドたちの的を射た評価に、ニーナはぐっと唸りながらも反論を続けた。

「それなら、最初からそういう予定だとレオ本人に言っておけばよかったんだ。別にサプライズイベントのように
しなくても……」
「良い悪いかは、一年たちの様子を見ればわかる」

レオの顔色は、さきほどまでの青ざめ、涙まみれになっていたのが気のせいと思えてしまうほどの笑顔を浮かべている。

仲間が共に苦労を背負ってくれるという喜び。

その感情が表情だけでなく体中から表現されている。

レオには根付いている、本人ですら全てを自覚できないほど深刻な劣等感。

それを曝け出す前にこの提案をしていたら、レオはまたチームに迷惑を掛けていると思って萎縮し、これほどの
一体感と感動を表に出せなかったはずである。

まさに雨降って地固まるそのものであった。

「最終日を休養にあてることを考えると時間は今日を入れてもあと三日しかない」
「別に十分だろ、要するに戦術の幅が一つ増えるだけ。時間は三回分の授業以上はあるし、環境も一年用の古い
訓練場でなくて、小隊用の良いものを使えるんだ」
「三日しか取れなくてごめんなさい。本当は四日は大丈夫だと思ったんだけど……。でも、わたしもレオ君を教導
してその癖や思考が大分読めるようになった。今なら連携も大分形になれると思う」
「実際にここ二、三日の前衛の連携の精度は上がっていいます。まさしく二人の特訓の成果が出ている証左です。
二人だけの訓練を応用するだけでも成果が出るのですから、五人でやればもっと成果がでます」

堅実なカタリナが懸念や問題を提示し、楽観的なカルスがそれを笑い飛ばす。
レイリアが自信なさげながらも可能なこと、不可能なことを言った後、アレクがデータに基づいた発言をして、
それぞれの言葉に説得力を持たせる。

チームの中で各々に適した役割ができ、それに従い一つの問題に協調して対処する。

即席のチームながら、常に最良を求め続けたことに対しての成果がそこにあった。

「皆、僕のために……本当にありがとう」
「おい、レオ。勘違いするなよ」
「勘違い?」

カルスの言葉に、レオは首をかしげた。

「一番苦労して頑張っているのはレイリアだ。小隊全体で親身に対応してくれているとはいえ、四六時中、お前の
訓練に付きっ切りな上、必要なものや計画を全て自分で用意しないといけないんだぞ」
「メニューを渡してその成果を見るのではなく、ワンツーマン形式でずっとやっているみたいだからね。全く……
バイトを掛け持ちしているけど本当に大丈夫なの? 夜遅くまで訓練した後、深夜の機関掃除のバイトもしたという
話も聞いたわ」
「体力には自信があるから大丈夫。バイトも無理を言って夕方のシフトは試合の翌日以降にずらせたし」
「レイリアさん……」

場所や道具の確保。
それに一週間という短時間で結果を出すための、訓練計画予定とその修正。

レオが与えられた課題をできないことも多く、その度にレイリアはアドリブで難易度を下げたり、他の訓練法を
ニーナと一緒に相談して実行したりしていた。

小隊がバックアップをしてくれているとはいえ、その苦労は並大抵のものではない。
しかも、レイリアの家には、五歳児の子供がいて、帰ったらその世話もしないといけないのだ。

与えられた訓練をひたすらこなした後、帰って寝るだけのレオとは比べることさえ失礼になるかもしれなかった。

「レイリアさん……本当にごめんなさい」
「え? レオ君、突然どうしたの?」
「レイリアさんの苦労なんて全然気付かず、自分のことばかり考えてました」

「わたしの苦労なんて、レオ君に比べたら全然だよ。教導経験が全然ないから、適切な指導をしていたとはとても
じゃないけど言えない。教導内容やその予定についてはニーナ先輩やシャーニッド先輩にも相談して散々駄目出し
されるようなものだった。それなのにここまでついてきてくれたレオ君には本当に感謝しているの。ありがとう」

レイリアのありがとうという言葉。

その裏に秘められたレオへの献身に、レオの胸は熱くなった。

「レイリアさん……情けない僕を思い切り殴ってください。空を舞う、いえ飛ぶような勢いで殴ってください!」
「は?」
「師匠の秘めた思いに不肖な弟子は全然気付かず、練習試合中に覚えたスキルを全然生かせなかったことで、こんな
ことを覚えて本当に意味があるのか、教導も無駄になるんではないかと疑っていた愚か者なのです。一度罰として
本気で殴り飛ばしてください」
「えええっ?」

そんなことを言われて遠慮なく殴れるように、レイリアの性格はできていない。

仁王立ちして歯を食い縛って待ち構えるレオをどうしようかと、困った顔をしていると、鈍い音とともにレオが
吹き飛ばされた。

淡い緑の残光が、レオの立っていた位置に僅かに残っていた。

「がはっ……、カ、カタリナさん、何をするんですか!?」
「馬鹿にお仕置きをしただけよ。レイリアのキャラに合わないことをやらせないで。一種のパワハラよ」
「……おっかねえ女」

カルスが、澄ました顔で天罰を下しただけという顔をしているカタリナを見て、ぼそりと呟いた。

弓で殴られたレオがカタリナに食って掛かるが、カタリナはその文句を一刀両断し、弓を向ける。
言葉と物理的脅威の両方で警告されたレオはガタガタと震え上がり、それ以上の反論を控えた。

その後は五人で訓練を開始した。

レイリアが知ったレオの癖を基に、流幻の際に現れる隙をフォローしていく。
また、レオも周りからの助けや戦術により、隙を突かれない発動タイミングを探っていく。

目の前の敵しか幻惑できず、俯瞰すると隙だらけになっているレオは何度も狙撃で狙われたが、そのいくつかは
アレクが作成した予想射線を参考にすることで、レオの癖を知り尽くしたレイリアなら撃墜することも可能になった。

他にも流幻中心ではない、いつも通りの練習試合などをしている内に、時間は瞬く間に通り過ぎていってしまった。







「また明日ね」
「明日もまたよろしく」

夜も遅くなり、皆が帰っていく中、レオはレイリアを呼び止めた。

「どうしたの? ひょっとして忘れ物ではしていた?」
「違います。ただちょっと聞きたいことがあって……」

慌てて鞄の中身を確認しようとするレイリアを止めて、レオは頭を下げた。
夜遅くに呼び止めて申し訳なさそうにしているレオに、レイリアは頷いて指を指した。

「そこのテーブルで座って話をしましょう」

自動販売機が置いてあるだけの簡易な休憩所だ。
テーブルと椅子ぐらいしかない場所だが室内であるので、話をするだけなら十分な場所である。

そこに腰をかけると、レオは自動販売機で買ったお菓子を開封した。

「レイリアさん、本当にありがとうございました。訓練でお腹が減っていると思うのでこれでも食べてください」
「ありがとう! わたし、お腹ペコペコなんだ」

運動した後なので、濃い味のスナック菓子もどんどん口に進む。

半分ほどがあっという間に減ったところで、レオは本題を切り出した。

「レイリアさん……なんで僕にこんな苦労をしながらも教導しようと思ったんですか?」
「そのこと? ほら、教導する前日に、レオ君を怒らせちゃったでしょう」
「ええっと、あああっ、確か強くなれないと言われて、僕が怒ってレイリアさんを追い出したことですね」

あのときかなり怒っていたはずなのに、今ではすぐ思い出せないほど、脳内の奥深くに埋没している。

そして、そのときを思い起こしてももう怒りは沸いてこない。

ここ数日、がむしゃらに訓練し、自らの未熟さを深く自覚したためだろうと、レオは自己分析をした。

「あれでわかったと思うけど、わたしは本当に言葉足らずで、思ったことを上手く伝えるのが苦手なの。あれじゃあ
言いたいことが伝わらない。先輩にも相談に乗ってもらって出した結論が教導だったの」
「教導?」
「ええ。途中どうなるかと思ったけど、何とかなりそうで今ほっとしてるわ。これも皆が協力してくれたおかげね」

そう言ってレイリアは柔らかく微笑んだ。

レオは伝えたいことが何か聞き出そうとしたが、レイリアは口で言ったら伝わりにくくなると言って口を割らなかった。

「レイリアさんは辛くなかったんですか? イラちゃんの世話もあって夜遅くなるのは避けたかったはずです。
僕ならこんなできの悪い教え子の世話なんて絶対にできそうにないのですが……」
「何言っているの?」
「えっ?」
「教え子じゃないよ。友達を助けると思ったから、一切妥協をしなかったの」
「友達……」

友達という言葉に、レオは何故か脳をハンマーで殴られるような衝撃を受けた。

脳がシェイクされ、何かが崩れる。
そびえ立っていた防壁に、罅が入る音を聞いたような気がした。

「友達、ですか……僕とレイリアさんじゃあ全然つりあわないですよ。才能だって違うし勇気だって違う」
「そんなの関係ないよ。それにレオ君は勇気を持っている。犯罪武芸者との戦いに巻き込まれたときも逃げなかった
し、辛くわかりにくいわたしの教導にも逃げなかった。弱いということは、才能があるわたしには想像できないほど大変だったんだろうけど、レオ君は強くなるという気持ちを捨てなかった。それは本当に凄いと思う」

レオは過大評価だと言おうとしたが止めた。

レイリアの澄んだ、お世辞を含んでいない瞳の色を見たためだ。

才能ある武芸者に落ちこぼれの人間が認められている。

その瞬間、ドクン、と心臓が大きく高鳴り、脈が速くなるのをレオは感じた。

「それにわたしも教導経験を積んで色々と成長できた気がするし。人に教えるのがあれだけ難しいことを実感できて
しまった分、出来損ないの師匠として見放されたらどうしようと、内心はいつも怖がっていたの」
「優秀なレイリアさんが出来損ないなら、他の武芸者の立場がありませんよ。僕がいうのもなんですけど、自分を
卑下しないでください。僕はレイリアさんを本当に尊敬しているのですから」

才能があることと、教導が上手いことは全く違う。

逆に才能ない方が苦労する分、人に教えるのが向いているのかもしれない。

勿論、他にも色々な要素がある分、一言では判断できないが、将来レオがレイリアから学んだことを他人に教える
とき、レイリアのときより上手く教えることができるだろうと、ふと思った。

「それよりもわたしはレオ君のことを友達だと思っているの」
「はい、ありがとうございます」
「そこだよ、わたしの不満点は」
「そこ?」

レオはレイリアが何を怒っているのかわからず、思わず聞き返した。

ぷんすかと言いたいかのように、レイリアは頬を膨らませて怒りの感情を表現している。

その迫力のない表情は、逆に愛嬌を意図せず振りまいているようで、表現方法としては逆効果だった。

「レオ君、同い年のわたしにいつも敬語を使っているよね。わたしは友達だと思っているし、今回の件でお互い大分
親しくなったから、そろそろ敬語を止めてくれてもいい頃だと思うのだけど」
「確かにそう、かも」
「本当っ!? ありがとう!」

レオの承諾の言葉に、レイリアは花の咲くような純粋な笑みを浮かべた。

その笑顔を直視したレオは、思わず顔を逸らし息を吐く。

そうしても、今まで以上に高まる心臓の鼓動を抑えきれず、顔が赤くなっているのを自覚できてしまう。

才能が溢れるほど優秀にも関わらず、劣等生にも優しく粘り強く接する温かさにも似た裏表のない優しさ。
よく慌てたりドジをしたりという、エリート武芸者ではまずしない行動を取っている、高嶺ではなく野に咲き誇る
親しみやすい花のような雰囲気。
そして、武芸では人が代わったかのような厳しくも凛とした姿。

「それじゃあ、また明日も一緒に頑張りましょう。それとお菓子奢ってくれてありがとう」
「は、はい。こちらこそ」

レイリアは席を立って去っていった。

レオが一人この場所に残っていても意味がないのだが、まだ動く気になれない。

また明日も一緒に……。

その言葉がぐるぐると脳内に駆け回っている。

「……明日からどうしよう」

幸せで深刻な新たな悩みを抱えることになるレオであった。










後書き
現代編第1章は残り二話ほどです。1章が終わったら、次は過去編に行く予定です。




[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ 第9話
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/09/01 21:34
現代編 第1章 嵐の前の静けさ 第9話 










「「この度の勝利を祝って、乾杯」」
「「「「「「「乾~~杯」」」」」」」

乾杯とともに軽快な音楽と流れ、それまで貯めていた感情、喜びが溢れかえる。
人数は多くないので、全員がグラスをぶつけ合った後、同時に飲み始めた。

冷たく甘いものが喉を潤す。
そこにはこういう雰囲気でしか味わえない味がある。

他の人もそう感じているのか、手に持った飲み物をぐいぐいと飲み続けている。

「いやー、酒が旨くてよかったぜ。勝利の美酒でなければこうはいかないからな」
「何が勝利の美酒だ。わたしたちは直接関係してないし、お前はいつでも酒を楽しんでいるだろうが……」

今回の祝賀会は一年のチーム対抗試合終了を祝ってだ。

十七小隊のシャーニッドが中心に企画したもので、選んだ店は流石上級生ということもあって薄暗さと内装が良い
雰囲気を醸し出している上、酒もかなり旨いらしい。

……酒精解禁の年齢ではない一年生には、ある意味間違った店の選択のようにも思うが、シャーニッドの言によると
こういう情報は早めに集めて、試してみる方が良いらしい。

酒を飲んで醜態を晒すより先に、酒の味と雰囲気に慣れておけとのことだ。

この店も本来、飲み会のコースがある店ではないのだが、シャーニッドはこの店の常連客だ。
その繋がりから得たバーテンダー兼店長の好意から、今回この店で祝賀会を開くことができたのだった。

一年生チーム五人と十七小隊四人――フェリがこういうことを好まないためにいないが、もう一人ニーナの幼馴染で
ある小柄な整備士の男がいる――の計九人で、この場は盛り上がっていた。

「しかし、ちゃんと勝ち越して良かったな。確か七勝三敗か?」
「はい、そうです。初戦を落としたときはどうなるかと思いましたが……」
「わたしたちは変幻自在まではいかなかったけど、戦術の幅が広かった。それが後半の追い上げの一番の要因です」

カタリナが相変わらず冷静さを崩さない口調で勝因を簡潔に分析した。

七勝三敗。

トップが八勝二敗なのでトップにはなれなかったが、それでも十チーム中同率二位の好成績だ。

結局、レイリアがずっと隊長をやることになり集中砲火を浴びて大変だったが、こうして喜べる結果を残せたことに、
頑張った甲斐があったと表情を綻ばせた。

「相変わらず固いことばかり言っているな。ここは祝宴。ならMVP二人を讃えるべき場だろう。ほらレオもこっちに
来てそこに座れ」
「ちょ、ちょっと待って。まだ心の準備が……」

女の輪に強引に割り込んだカルスがレオを強制的にレイリアの隣に座らせる。
レオの顔が熟れた果実のように真っ赤になっていたのは、酒のみが原因ではないだろう。

「MVPはこの二人か。秘密特訓をした二人が試合で華々しい活躍をする。実に良い話じゃないか、その詳細を是非
語ってくれ、ニーナも聞きたそうに聞き耳を立てていることだしな」
「聞き耳を立てるなどという失礼なことなどしない! だがわたしもそれを知りたいのは確かだ」

残る一人の小隊員の男とつなぎを着た、見るからに器械弄りが好きそうな男も、興味深そうにこちらを見ている。

全注目を浴びながら自分の武勇伝を語るのは、恥ずかしすぎて勘弁してほしかったが、この雰囲気下では断れそうにない。

よって、なるべく主観を外し、簡潔にまとめてさっさと終わらせようと、レイリアは決めた。

「MVPといっても逃げ回ったり援護したりするのが、このチームの中では優れていただけです。隊長ながら被撃墜率
が一番低いから、そう呼ばれているだけなのです」

実際、レイリアはひたすらフォローと防御に徹していて、敵を倒したのはカルスかカタリナばかりなのだ。
この役目の重要さはわかるが、それでもこの程度の働きで賞賛されると背筋が痒くなって仕方がなかった。

経験さえ豊富なら、即席チームで上手く働くのはできて当然のことなのだから。

「なるほど、それは確かに重要な働きだ。それに自分の強みをきちんと認識して生かせたということだろう」
「隊長としてニーナより優秀なんじゃないか? 確かニーナが一年のときも隊長をしていたが、一年生で小隊員に
選ばれた実力を過信し、敵陣に率先して突っ込んだら罠に嵌められ散々な目にあったはずだろ?」
「そんな話を蒸し返すな! あのときは小隊と一年のみのチームの間の力量の差や、研究されることの危険性を
わかっていなかったんだ」
「あのときのニーナは本当に落ち込んでいたからね~」

ツェルニの才媛の意外な過去に、一年全員が好奇心を含んだ視線を向けた。

シャーニッドの言を否定していない上、ニーナと同学年の十七小隊の整備士ハーレイも認めたということは、散々な目というのも誇張ではないようだ。

「……今はもうそんな初歩的なミスはしないからな。失敗を通してわたしも成長しているんだ。お前たちも今回の
試合で学んだことを大事にしろよ」

ニーナの念押しと恥ずかしさを誤魔化すために取ってつけたような訓戒に、皆が笑いを堪えた。

今でも気にしているあたり、そのときの失敗はニーナにとってとても重たいようだった。

「次はレオの番だな」
「ぼ、僕ですか!?」

指名されたレオはまだ心の準備ができていなかったのか、明らかに狼狽した。

注目を集めることや、自分の話をすることに慣れていないのだろう。
レオはいつも武勇伝を聞く側に回っていたのだから。

「ほらレオ君、皆あなたが挙げた大金星の話をもう一度聞きたいんだから。冷静になった今ならその直後とは違う
喜びも出てくると思うよ」
「……レ、レイリアも聞きたいの?」
「もちろん。一緒に頑張ってきた仲間の話なら聞きたいに決まっているよ」
「そ、それなら……」

レオは緊張していたはずの表情を、急に満足そうに緩めた。

大したことを言ってないのにやる気になったレオの変化が不思議だったが、やる気が出たのならそれでいいのだろう。

だが、一つ突っ込まないといけない点がある。

「……わたしの方を見て話をしようとしてどうするの? しっかりして、レオ君」
「わーーーっ、ごめんなさい」

レイリアがそう言って肩を叩くと、レオは顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。

この慌てぶりがレオらしいと思いつつ、パニックの被害がテーブルに出たら、祝宴が台無しだ。

「ほらこれでも飲んで落ち着いて。楽しい時間だから、焦る必要なんて何一つないのだもの」
「あ、ありがとう」

レオが小声でお礼を言うと、水を一口飲んでから顔を俯かせた。

再び最初の緊張状態に戻ってしまったかと心配したが、何か口を挟んで同じことを繰り返すわけにはいかない。
こういうことは、もっとお祭り騒ぎに慣れている人に任せようと決めた。

そこでふと周囲を見ると、何故かシャーニッドがニヤニヤしている。

その笑みは普段の軽薄でモテそうなものではなく、何か絶好の獲物を見つけた狩人のような笑みだった。

「なるほど、そうなっているのか……これは楽しくなりそうだな」
「シャーニッド先輩、余計な手出しは無用です。唯でさえ可能性が低いのですから」
「……カタリナちゃん、本当に容赦を知らないね」

カタリナがシャーニッドに釘を刺している。

話の流れはわからないが、関係なさそうだし放っておくのが良いと判断すると、新たな料理が運ばれてきた。

出来立てのほやほやで、熱気とともに香ばしい香りが食欲をそそる。
人数分に分け、新たな飲み物を頼んだところで、話は再開することになった。

「僕の活躍といっても、最後のところで運よく活躍できただけですから、他の試合内容は聞かないでくださいよ」
「戦う上で幸運っていうのは大事なものだぜ。幸運の女神に好かれたのなら、遠慮なく惚けてくれ」
「……まあ、降って沸いた幸運を掴み取れるかは、自分の力量次第だからな」

レオの謙遜を、エリートにして経験も豊富な二人ともが声を揃えて否定した。

ちなみにシャーニッドはレイリアに意味ありげな視線を投げかけてきたが、レイリアが理解できずに首をひねると
やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

「ちょうどトップの成績のチームとの対戦だったのですけど、向こうの前衛が衝剄を絡めずに積極的に近接戦を
挑んで来たので、実戦で見事に流幻を決めることができました。それで相手を幻惑させて主導権を握っていたら……
いつの間にか勝てちゃいました」

このときの相手はナルキのチームだった。

敵は狙撃手が二人いる変則チームだ。
衝剄に優れた者が後衛にいた分、前衛は衝剄の苦手の人ばかり。

レオの流幻は移動範囲が狭く、広範囲攻撃されたらどうしようもないという致命的な欠点が残っていたため、他の
試合で使っていなかったことも効をなし、レオ一人でナルキの小隊員に匹敵する機動力を見事に潰したのだった。

また、試合も後半でナルキのチームの一位抜けがほぼ確定していたため、ああも上手く嵌まってくれたのだろう。

「最後で優勝チームの鼻を明かしたのか。これなら成績でもかなり色をつけてもらえそうだな。例え、試合後半の敵
の油断を突いた形でも一勝は一勝。大きな成果として見なされるはずだ」
「そうなりますかね? 僕としてもあのときの状況がちょっと上手く行き過ぎて、今思い返すと夢のようなんですよ。
もう一度やれと言われてできる気がしませんし」

レオは本当に嬉しそうに試合を振り返っている。

いつものレオは、試合の後いつも失敗に対し気を揉んでいたが、自らの力が直接勝利に繋がったことで良い意味での
自信をつけたようだった。

この姿を見ると、苦労して教導した甲斐があったとレイリアも嬉しさがこみ上がってくる。

「あれだけ苦労して覚え、磨いた流幻も実際の試合では一回使えただけ。他では全く使う機会が作れなかったことで、
僕の未熟さも再確認できちゃいました」
「レオ君、技を状況に応じて使わないようにするのも非常に重要だよ。幻惑技なんて一度使ってしまえば、知った
だけで対峙しなくても対策をとられちゃうのだから、あの一勝はレオ君がそれまでの試合で適切な試合運びをした
成果。わかる人ならそう評価してくれるはずだよ」
「レイリアさん……ありがとう。これも全てレイリアさんのおかげだよ」

奇襲を成功に導き、ジャイアントキラーを果たしたのだから。

そう締めくくると、レオが感極まって手を握ってきた。
レイリアももう片手を添えることでそれに応じ、師弟のときに育んだ絆の強さを深めた。

「おいおい、レオ。友達になったから‘さん’付けは止めるじゃなかったのか?」
「え? あっ、うわあああっ!?」

カルスのからかいというには棘の成分の多い呼び掛けに、レオは大きく取り乱した。

レイリアの目の前にあるレオの瞳が大きく見開くと、瞬速の動きで近づきすぎた距離を正常に戻す。

その後、ぶつぶつと小さく唇を動かしながら首を何度も振った。

まるで、取りついた考えをふるい落とそうとしているような動作だった。

「ふふふ、酒のつまみが尽きないというのは良いことだな……」
「……あまり、後輩を玩具にするなよ」

シャーニッドのにやけ顔がさらに深まり怪しげな笑い声まで漏れてきたところで、隣のもの静かな上級生が呆れ
ながらも注意をした。

その様子は、この状態のシャーニッドの扱いにも慣れてしまったものといった感じだ。

その後も楽しい祝宴が続く。

強い酒に挑戦して撃沈された者もいる。
奉行のように、料理を全員分に分け、空いたグラスや皿を率先して片付ける者もいる。
話の種がどんどん膨らみ、いつの間にか人盛りができ、料理や酒をそっちのけにしている集団もいる。

一つの目標に一丸となって挑戦し、頑張ってきた者たちのみが味わえる苦労と喜びを共有した空間。

「こんな楽しい食事会は本当に久しぶり……」

レイリアから、年に似合わない述懐が漏れる。

気を遣う必要もない気心を知れた者のみなのがすばらしい。
レイリアの参加したパーティーは常に人を陥れようとする腹黒い人ばかりだったのだから。

そのとき、レイリアも挨拶とか交友を広げるとかで色々と忙しかったので、こうしてゆっくり彩りのきれいな
カクテルを飲み、メインディッシュを温かいうちに味わうのがこんなに美味しいなんて久々に知った。

「おいおい、何黄昏ているんだ?」

グラスを持ったまま、カルスが近づいてきた。

その耳まで赤くなった顔を見るまでもなく、匂いだけで酒を飲みすぎていることがわかってしまう。

その強烈な匂いに、レイリアは手で鼻を覆った。

「カルス君、酒臭いよ。水でも頼んで来ようか?」
「野暮なことを言うなよ。せっかく楽しい気分なんだ~。明日はバイトもないし、授業に遅刻してもいいから今日は
飲むんだ、無礼講だ」
「何馬鹿なことを言っている! さっさと水を飲んで頭を冷やせ」

怒り声とともに低い音が響き、テーブルが強く振動する。

ニーナは水面が大きく揺れているコップを差し出した。
そして、カルスの手が動かないのを見ると、目を細めて睨みつけた。

その獣以上に鋭く、畏怖さえ与えてくる眼光を前に、カルスの風船のような勇気は一瞬で萎み、ニーナの言に従う
しかなかった。

理性の働かない相手に無駄に言葉を重ねずに、一喝して萎縮させる。

水を飲んで頭を振るカルスの姿を見て、ニーナは表情から力を抜くと息を吐いていた。

「全く、一つ試練を越えて酒を飲むくらいの羽目外しは見逃すが、これ以上は許さん。ここは飲み会専用の店じゃ
ないんだ。……大体、一年の武芸科のメインイベントは終わったが、まだテストに武芸大会とやることはたくさん
あるのだぞ。今年は武芸科に対する目が厳しい分、この先ますます都市中で殺気だった雰囲気になる可能性もある。
一年生とはいえ、同じ武芸科の一員でツェルニを守る者。一般生徒の期待を背負い、それに応えるよう、普段の行動
にも十分気をつけないといけないのがわかっているのか!」

酒を飲んで普段と性格が一変する人もいるが、ニーナは逆だった。

普段の固い性格を溶解炉でさらに鍛え上げたような、頑固で留まる様子を見せない説教。

「昔から、わたしの周りには本当にいい加減な男ばかりだ。普段から規律に従い、礼節に則った態度を取るからこそ、
武芸者は尊敬に値する立場に立てるのだ。無論、親しみやすいのは良い事だが、それでもメリハリというのが……」

普段から鬱憤が溜まっているのか、ニーナの口はマシンガンの如く、止まる様子を見せない。

カルスはすっかり酔いも冷めて周囲に助けを求めるが、一年生たちは巻き込まれたくないと一心に目を逸らす。

小隊員たちも頑なに目を合わせようとせず、ニーナの視界に入らない位置にこっそりと移動。

ニーナに居場所がばれたら、自分も説教を受けると言わんばかりに、額から冷や汗が流れ出ていた。

結局、唯一ニーナから隠れていなかった無口の男がニーナを止めたところで、時間的に解散。

レイリアは他の皆と別れた後、一人夜道を歩いていた。

空には雲ひとつなく、月と星々が散らばって夜空を宝石の服のようにコーディネートしている。

他都市からの人員で構成させる学園都市ツェルニで街並みは全く違うが、空だけは昼も夜も故郷と変わることはない。

それ想うと、汚染物質の脅威により閉鎖され天敵から逃げ回っている人類の生存領域も、世界という輪の一部に
過ぎないのだと実感させられる。

あの月はずっとこの大地と都市を見守っているのか……。

そんな詩人じみた考えが浮かんでくるほど、レイリアの心は高揚していた。

初めての教導で、失敗も後悔もたくさんあったが、それでも目的を達成できた。

あれならレオもこの先きちんと前に進めるだろう。

技一つ覚えるのが難しいこと。
実戦で技一つを生かすことはもっと難しいこと。
そして、勝利の喜びは何事にも耐え難いものであること。

強くなることの厳しさ、実戦の大変さ、そしてそれらを呑み込んでの勝利のための執念の種が根付いたのなら、
レイリアとしても満足だ。

技量などは、今は劣っていてもきちんと努力すればどうにでもなる。
問題は努力できる環境にあるのか、苦しいときも挫けず腐らず努力できるモチベーションがあるのかという点なのだから。

そうして初めて自らに聳え立つ壁を壊し、乗り越えることができる。

自分の壁を越えないといけないのは、才能のあるなしに関係なく武芸者が必ず通ることになる道なのだ。

レイリアだって、あの出会いと別れがなかったら、ツェルニに来ることもなかったはずである。

今と昔を回想しているうちに、家の前まですぐ辿り着いてしまった。

「……休息もこれで終わりか」

ポストの中身を習慣として確認した手に握られた手紙に押されたのは、普段とは全く異なる印。

ツェルニの郵便局を通さず、直接ここに入れられたためで、それほどツェルニには知られたくない情報が載っている
という証左でもある。

手紙の内容はレイリアの予想通りだった。

苦しい受験勉強をしてまでして得た、楽しい学生生活の時間はこれで終わり。

明日からはレイリア・アルセイフではなく、レイリア・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。

今でさえ前途多難なツェルニだが、これからは苦境、大難などでは表現できない事態に襲われる。

「わたしが頑張らないと……」

グレンダンと違い、レイリアの背中を託せる者は誰もいない。

ツェルニの命運に大きく関わることになる少女は、静かに空の向こうに視線を送った。







「重大な事態を発見したというが、こちらとしても君たちが積極的にツェルニの危機を知らせてくれることへ感謝
したい。我々としても未熟な上やることが多い分、どうしても取りこぼしが出てくるからね」
「俺っちたちだって、ツェルニにいる間はそこに貢献をいくらでもするさ~。それに教導でお金も貰っているんだ。
大事な顧客のご機嫌を取るために、粉骨砕身で働くのは当然のことさ~」

ここは生徒会長室。

そこで向かい合うのは、ツェルニの生徒会長とサリンバン教導傭兵団の団長。

両者とも相手への感謝、献身の言葉を投げかけているが、口元は笑っていない。

融解未遂事件以来、傭兵団はツェルニを再び出し抜こうと、生徒会長は再びあの事件を起こさないために傭兵団の
動向を調査、妨害していたのだから、この薄皮に隠れている警戒も自明の成り行きである。

「今回は俺っちたちの中で一人遅れている奴がいる。だから用件に入るのは少し待ってほしいさ~」
「遅れている? 団長で最高権力者の君を待たせるほどだから、その人は相当偉い人なのかもしれないね」

この部屋にいるのは傭兵団側がハイアとフェルマウスを筆頭にした傭兵団の幹部数人。
ツェルニ側は会長のカリアンとその秘書、それに武芸長ヴァンゼとグレンダン出身の小隊長ゴルネオの四人。

生徒会と関係ないゴルネオが同席しているのは、グレンダンに詳しい者なら他の人が気付かない些細なことにも
気付くことができるかもしれないという期待のためだ。

傭兵団は結成して三十年余り。その間一度も母都市に戻ってないので、グレンダン出身とはいえ役立つ情報に
気付く可能性は低いが、それでも連れてくるあたりに、ツェルニの厳戒態勢の程度がわかる。

「まあ、そうさ。そこのいかつい銀髪の方は確かグレンダン出身だったか。なら名前ぐらいは知っているはずさ~」

推定ではなく断言。

その決め付けに生徒会長のカリアンの瞳はわずかに細まった。

任務を後一歩のところで失敗した傭兵団にグレンダンが援軍を送ってくることは、以前から検討していた。

だが、都市外を移動するのは並大抵の苦労ではない。
故に替えのきかない大物が来るよりというよりサポート要員、いわゆる暗部というものが来て、またツェルニで騒動
を起こされることを警戒していたが、ハイアの言によると、遅れて来るのは名が知れ渡っているほどの有名人。

虚言や囮の可能性も考慮しつつ、カリアンは最高権力者として様々な想定を考え始めようとし……、

コンコンとノックの音が響き渡る。
秘書がどうぞというと、扉が開けられて一人の少女が入ってきた。

「「が、学生っ!?」」

ハイアとカリアンの驚愕の声が被さった。

新たに来室したのは、栗色よりはやや明るい髪を持ったこの場の誰よりも年下に見える少女。
その服装はツェルニ指定の、よれも汚れも少ない制服。

失礼しますと言いながら入ってきたが、ここに間違えて入ってきたわけではないのは、傭兵団の目上に礼を取るかの
ように深々と頭を下げた点からも明らかだった。

「まずは自己紹介させていただきます。わたしはレイリア・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。グレンダンから女王
の密命を受けてツェルニに派遣された者で、傭兵団の上に立つ人と考えてもらえば大丈夫です」
「ヴ、ヴォルフシュテイン卿だとっ!? 馬鹿な!!! そのようなお方が都市外に出れるはずがない」
「グレンダン出身の人ですか……傭兵団の任務は先代の頃から始まった長きにわたる重要なもの。その実現を間近に
控えたところで天剣授受者が派遣されることに何も不思議はありません。……元々、傭兵団の結成は王家が中心的な
役割を果たしていたのですから」

勿論、天剣は持ち出すことはできませんが、とレイリアは付け加えた。

「ちょっと待ってくれ。グレンダン出身の者なら今の話を理解できるかもしれないが、自都市以外の都市に詳しく
ないわたしたちでは全く理解できない。重要な部分だけでよいから教えてくれないか?」

幼生体の襲撃でさえ、冷静さを維持していたツェルニの勇者が、名前を聞いただけであからさまに動揺している。

予想を遥かに超えた異常で重大な事態に、カリアンは慌てて質問を投げかけた。

この内容を理解できずに見逃すとまずいと、今までの人生で培った勘と経験が最大音量で警告していたためだ。

「……ヴォルフシュテインという称号はグレンダンで最高峰の実力を持つ者に与えられる称号です」
「最高峰? どう見ても下級生にしか見えない少女が、それほどの称号を得られるというのか?」

武芸長ヴァンゼの疑問には、明らかに疑いの成分が多量に含まれていた。
つまり、偽証の可能性がないのかということを、オブラートに包んで確認しているのだ。

「得られます。それらの称号を持った人々を天剣授受者というのですが、それは他を隔絶した実力の持ち主しか得る
ことができません。家で引き継がれるものでもない、組織で引き継がれるものでもない。実際に俺がツェルニに来て
一年ぐらい経ったときに、ヴォルフシュテインが実力で代替わりしたという話がありまして、その代替わりした少女は当時十二歳。目の前の卿と一致していますので、まず間違いないです」

ゴルネオはレイリアと目を合わせようとしない。
レイリアの視線を感じると、体を強張らせつつも深々と頭を下げて敬意を表す。

敬意を超えた先にある、絶対的強者に対して慈悲を請うかのような態度。

他の人の視線がなかったら、即座に跪き、頭を垂れていてもおかしくないほどだった。

「突然の来訪で色々と混乱はあると思いますが、緊急事態のために皆様に集まっていただきました。フェルマウス、
時間もないので説明をお願いします」
「畏まりました」

レイリアの要請にフェルマウスは恭しく応じた。

念威端子を復元させると、他の傭兵が事前に持ってきたスクリーンのシートを天井からぶら下げる。

そこに、フェルマウスはいくつかの映像を映し、その解説を始めた。

「この一番大きな映像は今のツェルニの進行方向先を取っている映像で、わたしが今も念威端子を通して調査して
いる最新の画像です。そして、その隣の映像が、ここ数日観察したツェルニの進路です」

大きな映像には、岩とは異なる大きな塊が複数存在している。

小さな丘に見間違えるような大きさ。
拡大しなくて確認できる、鋭い鱗に閉じられた瞳や長い牙が見え隠れする口。

「……馬鹿な……汚染獣じゃないか! しかもこの大きさで複数だなんて」
「信じられない……データによると数日前からツェルニが汚染獣目掛けて突撃しているように見える。レギオスは
汚染獣を察知し回避する能力があるんだ。この近距離で逃げようとしないなんてあり得ない!」

カリアンとヴァンゼ。
ツェルニの最高責任者たちで、それに見合うだけの能力と胆力を持ち合わせた二人にも関わらず、絶句してしまった。

汚染獣、幼生体と比べて数が少ないとはいえ、比べ物にならないほど大きい魔物が一二体。
幼生体で滅亡寸前、しかも消費した質量兵器を全く補給できていないツェルニの現状から見れば、敵は強大無比。

常に下の者を鼓舞しないといけない首脳部でも、絶望しても仕方のないといえるほどの危機的状況だった。

「いったい、ツェルニがどうなったというのだ!」

カリアンの、感情を露にしながらの激昂。

裕福な家に生まれ、常に他人の上に立つエリートになるように教育されたカリアンが、そのような無様を他人の前で
晒したことは一度もない。

それなのに抑えきれず飛び出てしまった点が、カリアンのツェルニに対する愛の深さの証であった。

「今回はわたしが何とかします」
「…………傭兵団が汚染獣退治をしてくれるということか?」

レイリアのこの緊急事態に似合わない、平坦で買い物にでも行くかのような声に、カリアンが反応した。

その顔は経験豊富な傭兵集団という一筋の光を見たために、普段の冷静さの何割かを取り戻している。

生徒会長は柔和でエリートな見た目に反して、かなり打たれ強くもあるようだった。

「傭兵団? わたしが一人で何とかすると言ったんです。あの程度の敵では歯応えが足りないのですが、これも
仕方ないことです」
「一人でなんて無謀で馬鹿な真似だ! 敵の突破を一体でも止められなかったとき、被害にあうのは戦う力のない
無垢な一般人なんだぞ。勇気と蛮勇を取り違えるな!」
「武芸長!」

ヴァンゼのツェルニを想ったための一喝に水を差したのはゴルネオだった。
ヴァンゼは邪魔をした大男を睨みつけるが、ゴルネオは乾いた声でヴァンゼの前提を否定した。

「武芸長、天剣授受者を俺たちの常識で推し量ってはいけません。一般武芸者の常識では一人で複数の汚染獣と戦う
なんて自殺にしかすぎませんが、彼女は違います。できることを当たり前のように言っているだけなのです」
「その認識で問題ありません。この急な事態に学生武芸者が臨機応変に対応しろというのは酷なので、今回は最初
からわたしが戦います。わたしが戦いを終えたら、また今後の戦いについて話し合いましょう」
「待ってくれ、今後の戦いとはどういうことです? まだ……次があるというのですか?」

カリアンはレイリアが何気なく言った言葉を見逃さなかった。

今後ではなく、今後の戦いについての話し合い。

つまり汚染獣退治の報酬の話でないことを、カリアンの明敏な知性が早々に見抜いたためだった。

「今回の問題はツェルニが暴走していることが原因だから、戦いが一度で終わらないのも当然の話さ~」
「我々傭兵団の長年の調査で、廃貴族に取りつかれた都市のほとんどが汚染獣の襲撃、それも一度や二度ではない
戦闘によって滅ぼされています。その原因は暴走。自分の都市を汚染獣に破壊された廃貴族の怨念が都市の電子精霊
を乗っ取り暴走させて、レギオスを汚染獣目掛けて突撃させていることがわかっています」

廃貴族。ツェルニとサリンバン教導傭兵団を結びつける唯一の糸。

それが事態を引き起こしたと聞かされて、ツェルニ首脳陣は言葉を失った。

「それでは、戦闘準備をしないといけないので失礼します」

レイリアが部屋から去ると、傭兵団もそれに続いた。





部屋に残るのは、自都市の危機なのに何も要請されずに事態から取り残されたツェルニの幹部たち。

傭兵団が廃貴族を、とり憑かれた武芸者ごと誘拐しようとしたのを阻止したことが回想させる。

「……あのときの判断がこれを引き起こしたのか?」
「そうかもしれないが、あのときはあの判断が必要だった、正しかった。学園都市で学生が犠牲にされるのを認める
ことはできない。外部の人間に学生が攫われたという醜聞が広がったら、内部での混乱は勿論、外部からも厳しい目
で見られ、来年ツェルニに入学してくる生徒がいなくなる可能性だってあったのだから」

ヴァンゼの苦渋をカリアンが宥める。

だが、論理的に語るカリアンの表情は厳しく、その音色は自分に論理を言い聞かせているようでもあった。

「我々は役立たず、足手まといと見なされたが……本当にあいつ一人で大丈夫なのか? 戦うだけなら一人でできる
かもしれんが、戦闘には、戦闘場所の確保と閉鎖、一般人の避難等と戦う以外にすることはたくさんある。その基本
も確認しないような奴がツェルニの命運を握っていていいのか?」

敵は幼生体とは比べ物にならない質量と、鱗の防壁による耐久力に生命力を持っている。
あれの十分の一以下の大きさにしか過ぎない化け物の外殻を存分に切り裂けたのは、数百名いる武芸者でもほんの一握り。

しかも、成体の汚染獣は空を飛ぶ。
基本、地上を歩いて移動していた幼生体とは、機動力も比較対象になりはしないだろう。

武芸者であるとはいえ、人間と汚染獣。

その差は、生涯訓練を続ける武芸者でも、恐怖を拭いさることが不可能なくらい大きかった。

「我々がいても邪魔になるだけです。今後のことは話し合わねばなりませんが、今回は下手に動いても邪魔になる
だけだと思います。戦場を指定しなかったのも単に必要ないだけですので」
「必要ない? どういうことだ?」
「天剣授受者はその圧倒的な実力故に戦場で一人で戦います。そしてその凄まじい戦いになると、都市外延部ぐらい
では狭すぎるため、普通は都市外装備をつけて汚染物質の溢れる外で戦います」
「……外でたった一人戦い続けるだと……そんな超人がいるなら、グレンダンが滅びていないのも当然だな……」

最悪の事態を想定して動こうとしたヴァンゼだったが、グレンダンの非常識な現実を知らされて動きが止まった。

「下手に動くと我々はその準備に忙殺され、今後の話し合いにおいて致命的な遅れを取る可能性がある。……何も
できない、彼女等を頼ることしかできない我々に発言権があるかはわからないが、それでも未来へ向けて動かないと
いけない」

カリアンは、全員の顔を確認すると指示を出した。

異常事態にトップが率先して動かなければ、組織は右往左往どころか空中分解する恐れもある。

トップは間違うことも止まることも許されはしないのだ。

「まずは傭兵団と連絡をとって我々も向こうの戦場の様子を確認できるように準備を。また、ツェルニが汚染獣に
気付き逃げ出したら異常事態は解決したということになる。そのときは生徒を非難させて、汚染獣の迎撃のため
武芸科の召集命令を出すように」

大まかな方針を挙げた後、細かい点はヴァンゼとそのスタッフに全権を委ねた。
武芸長は指示を受けると、すぐスタッフを集めて動き出した。

戦闘の準備は武芸長が中心として動くので、門外漢の生徒会長がやる仕事は少ない。

だが、今からやることは戦闘後の布石。

「レイリア・アルセイフについてどんな細かいことでもよいから至急調べてくれ。制服をわざわざ着ていたという
ことは不法侵入ではなく、正規で留学してきた可能性も高い。性格、交友関係、行動範囲……人員も最大限使って
いい。ここに一番重点を置いて行動してくれ」
「は、はい」

カリアンは秘書を通じて、密かに最重要指令を通達させた。

今の動きは戦略というよりは政略。

そのため、ヴァンゼたちには知らせない。
誠実な武芸者では、このような搦め手をするのに向いていないためだ。

「さてさて、少しは話が通じる部分があるとありがたいのだが……」

ツェルニの制服を着ていたという事実の解釈。

身元を探られる危険性を考慮するなら私服を着ればよく、そうしていたらこうも迅速に動けなかったはずだ。

それに、レイリアの制服姿に傭兵団団長のハイアも驚きを露にしていた。

そこにどういう事情があるかは、調査を重ねないと仮説すらたどり着けないのだが……。

「付け入れる隙があるとしたら、その辺りか」

カリアンの独白は、誰の耳に入ることなく虚空へと消え溶けていった。









後書き
物語をさっさと進めるため、1年のチーム対抗戦はキングクリムゾンされました。




[26723] 現代編(ツェルニ編) 第1章 嵐の前の静けさ エピローグ 
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/09/17 18:44
現代編 第1章 嵐の前の静けさ エピローグ









「久しぶりね、この感触も」

動きやすさを重視した戦闘用の衣服から感じる感触の懐かしさに、レイリアから言葉が漏れた。

レギオスの内部ではない、荒れた大地の上に砂嵐が汚染物質とともに舞い上がる死の大地。
生身の身を晒せば、生物は5分も経たないうちに肺を侵され死んでしまう死しかない領域。

いくら隔絶した実力を持とうと、この大地の運命からは逃れられない。

レイリアも、外を出るためにしっかり装備を固めている。

頭部をしっかりと覆うヘルメット。
全身を隙間なく包む上、接合部をしっかり密封させてインナースーツ。
硬い大地や岩を踏みつけても、摩耗し壊れる心配のない頑丈な靴。

それに腰の剣帯に入れられた、十以上ある基礎状態の錬金鋼。

レイリアが誰かにばれないよう、大きな部屋を借りてまでして隠していた物々がこれらの装備だった。

どれも戦場では錬金鋼以上に不可欠な保護具。

特注で作られたそれらを触れて、グレンダンの頃の雰囲気を思い出していく。
二ヵ月間の平和のぬるま湯でなまった心身を、昔のそれに近づけていく。

レイリアの強化した視力は敵の姿を既に捉えている。

敵は大きさからいって雄性体の一期か二期が十二体。

幼生体が成長し、脱皮をした時点で成体となる。
また、汚染獣は成体になってからも成長を続け、再び脱皮をすることが今までの調査でわかっている。
一期、 二期とは脱皮をした回数のことで、汚染獣が大きいほど、脱皮した回数も大きくなっていく。

よって、今回の敵は成体の中では最弱。
集団で休眠していることから、同じ母体から生まれた兄弟なのかもしれなかった。

「レストレーション」

錬金鋼を複数、復元させる。

剣を一つに鋼糸を二つ。
鋼糸を操るための二つの基盤は、片方は剣の柄尻に、もう片方はブレスレットとして利き腕でない方に装着している。

鋼糸を動かし周辺に散布させるが、剣はまだ動かさない。
休眠中の汚染獣の外皮は普段より硬く、起きるのを待った方が効率の良いためだ。

手持ち無沙汰の時間ができたので後ろを振り返ると、ツェルニは相変わらずこちらへ向かって移動している。

「暴走ね……滅んでからも迷惑をかけるなんて、本当に厄介ね」

グレンダンのように暴走し続けるツェルニに対し、思わず愚痴がこぼれてしまう。

「失礼します。どうやらそろそろ汚染獣が動き出すようです。体内の温度上昇を観測しました」

「十二体が同時に動き出すみたいさ~。俺っちたちは約束通り、汚染獣がツェルニの目前に来てしまったときだけ
相手をすればいいんだな? あんたが突破され汚染獣の尻を無様に追いかける真似を仕出かしたら、俺っちたちが
出陣してフォローしてやるから安心して戦うといいさ~」

「この程度の敵にそんなミスはしないから、のんびり座って待っていればよいわ」

通信機越しのハイアの上から目線の言葉を、レイリアは冷淡に突き放した。

視界は汚染物質と砂嵐が荒れる空にも関わらず良好だ。
これもフェルマウス念威との接続による戦闘補助である。

ゴーグルには視覚補助以外にも、地理や汚染獣とツェルニの位置が記載され、リアルタイムで更新されている。
かなり広範囲の地図が詳細に記述されているので、フェルマウスは相当優秀な念威操者のようだ。

「……来る」

休眠中の汚染獣の体が振動し始めた。

ツェルニの濃厚な餌の匂いを感じ、体が動けるように準備をしているのだ。

「行かせない」

汚染獣たちが動き出した瞬間、レイリアは錬金鋼で収束、増幅させた衝剄を放った。
学生レベルに合わせていたときとは比べ物にならない規模と密度を持った衝撃破が汚染獣全てに襲い掛かる。

汚染獣全てを巻き込むほど広範囲の攻撃により、大きな砂埃が舞い上がった。

汚染獣が一箇所に固まっているとはいえ、十二体全員を巻き込むために必要な攻撃範囲は約100メル。

複数の武芸者で扱う剄羅砲でないとできないほどの広範囲攻撃であり、これを一人で軽々と成し遂げた光景を見たら、
ツェルニの生徒は言葉も出なくなるだろう。

念威の補助があるため、視界が悪くなっても問題はない。

汚染獣の戦意が、餌に食べに行くのを邪魔した、目の前の小さな生物に集まる。
巨体の重圧感と鬼気迫る飢餓感から生み出される凄まじい殺気。

「これでわたしを敵として認識してくれたみたいね」

その慣れた殺気を剄の波動で振り払うと、レイリアは鋼糸を汚染獣たちの体に巻きつけた。

砂煙から抜け出そうとする汚染獣だが、お互いの体に巻きついた鋼糸がその動きを阻害する。

「まずは落とす」

外力系衝剄の変化、閃断。
極薄にまで凝縮された衝剄の刃が、動きの止まった汚染獣たちの羽を易々と切り裂いた。

重力に逆らえなくなった汚染獣たちは墜落し、地面に小規模な地震を起こす。

普通の生物なら空から墜落すれば重傷を負うのは確実だが、汚染獣の強靭な鱗と生命力はその程度を痛打に感じない。
地上を蛇のように這い回って進み、レイリア目掛けて鋭い牙を突きたてようとしている。

相変わらず止まることを知らない凶暴な化け物。

できればもう少し空を飛ぶ奴らを落としたかったが、時間的に限界のようだ。

レイリアは鋼糸を念入りに汚染獣に巻きつけた後、巨体の突進を飛んでかわした。

地上を二次元で走り回まわりはしない。

敵は過酷な大地に生きる常識の通じない覇者。
地形に左右されつつ走っていたら、いつか障害物ごと汚染獣に奇襲され食べられてしまう。

汚染獣を盾にしていれば大丈夫と過信しても駄目だ。
敵を倒すついでに仲間の肉を引きちぎることを平気でしてくるためだ。

空から、あるいは地面を押し潰しながら、その鋭い牙が乱立した大きな口を開いて噛み砕こうとしてくるのを
レイリアは空中に張り巡らせた鋼糸を利用して空へ逃げる。

逃げた先にも汚染獣は待ち構えているが、その牙をレイリアは衝剄の反動で方向転換をしたり、牽制の攻撃や鋼糸を
放ったりすることで防ぐ。

巨体同士の隙間に流れる風と一体化するかのように流れかわすレイリア。
風でふわふわ流される綿を殴ろうとするかの如く、汚染獣の牙は目標を捕らえることができない。

それどころか、大地や他の汚染獣と衝突し動きが鈍った汚染獣が背に着地され、その無防備な背を衝剄の乗った刃で
切り裂かれた結果、体の一部が血で紅く染まっている。

全力で剄を練れば一撃で仕留めることもこの大きさぐらいの汚染獣なら可能だ。

だが、そのためには錬金鋼の限界近くまで剄を注ぎこむ必要があり、そうすると放熱のためにしばらく錬金鋼が
使えなくなるという、乱戦を考慮すると選択肢しづらい欠点があった。

それに今回の戦闘は天剣授受者の実力を見せつけるというパフォーマンス的な面もある。

十二体の汚染獣を一体ずつ片付けるというのは、被害さえ無視すれば傭兵団でも確実に実行できる。

複数の熟練武芸者でやることを、一人でできるだけの天剣授受者。

……それでは駄目だ。もっと絶対的実力差を見せつける必要がある。

グレンダンでは、天剣授受者が十二人揃ったことは稀で、現在に一回と過去に一、二回あったぐらいだ。

グレンダンでトップクラスである武芸者なら、天剣を授けられるわけではない。
武芸が盛んなグレンダンでのトップクラスの実力者でも、明確な実力差を悟らせてしまうのが天剣授受者。

天剣があればこうして下準備を重ねる必要はないのだが、その苦労ももう終わりだ。

最後の仕上げに、レイリアはブレスレットから出ている鋼糸を全ての汚染獣に十分に巻き付かせた後、ブレスレット
を外した。

ブレスレットは自動で宙に浮き上がり、ある一点で静止し、大きく振動する。

十二体の汚染獣による綱引き。

それにより汚染獣の圧倒的な力を打ち消し合わせ分散させた残りを、鋼糸に込めた剄で封じ込め完全に拘束する。
天剣授受者の剄とはいえ、サイズが圧倒的に違う汚染獣の動きを封じることができる時間は精々数秒ほどだ。

その僅かな猶予を前に、レイリアは無言で柄を握り、剣身に左手を添える。

剄を練る。剄を奔らせる。

青石錬金鋼が伝えてくる手応えを確認しながら限界値を読み、剄技へと変換。

これを敵に向かって放つのが常識だが、レイリアはそれを放ち、留めた。

「くっ」

全身にかかる圧力に、レイリアは柄をぎゅっと握りしめた。

今にも爆発しそうな剄を制御しつつ、新たな剄を錬金鋼に再び奔らせ、放ち、留める。

発生した二つの剄は表面に施した剄膜を通して混ざり合う。
空に似た淡く透明な水色の剄光の輝きが増し、辺りを優しく照らす。

さらに増す圧力に耐えながらも、時間の許す限りレイリアは剄を加え続けた。

これはレイリアが編み出した独自の剄の使い方で、連弾と名付けた。

錬金鋼という安定装置から去った剄は不安定になり、爆発する。

その爆発したエネルギーを爆発させずに留めるという矛盾。

化錬剄で伏剄という剄を外に出して後々利用する技術があるが、あれは剄技に変換せずに剄を留めるもので連弾とは
全く異なるものだ。

伏剄との一番の違いは、放ち留めた剄技を一つにまとめることができること。

通常の武芸者なら、このような手間をかけず全力で剄を込めれば良いのだが、レイリアの場合全力で剄を込めると
錬金鋼の許容量を超えてしまうために、別の方法を考える必要があったので、連弾を作り上げたのだった。

剄が錬金鋼に耐えられない状態になった武芸者は普通、天剣授受者になる。
なってしまえば不要な技術なので、他に使い手はいない。

天剣授受者になった後は使っていないが、それでも必要としたときがあり、散々苦労して生み出した技だ。

そのこつを忘れているなどあり得ない。

鋼糸が限界を示しかけたとき、レイリアは上空目掛けて剄をまとめて解き放った。

天剣技、霞楼、散の型。
霞楼、天剣を使わなければ不可能なほどの膨大な剄を必要とする技。
通常は複数の斬撃を浸透させて、任意の場所で発現。
汚染獣の外皮に剄を浸透、内部に斬撃の檻を作り上げ、臓器や器官を細切れにしてしまう。

そして連弾の剄に耐えきれず、青石錬金鋼が色を失い、炭のように崩れ落ちていく。

爆発もしない、物質の精力を全て失った静謐な崩壊とともに汚染獣たちの一際大きな悲鳴が響き渡った。

声圧だけで大気も大地も振るわせるほどの絶叫。

その絶叫はすぐに力弱くなり、地上へと頭から墜落した。

落下した衝撃で、どの汚染獣からも傷から大量の血が噴出しだした。

「馬鹿な……あれだけの汚染獣をたった一振りで……」

ハイアの驚愕した声が念威端子から聞こえてくる。
歴戦の傭兵団長の度胆を抜くことができたのなら、この布石をやった甲斐があるというものだ。

外観は多くないが、霞楼で内部から縦横無尽に切り刻まれ、その強靭な生命力をすっかり刈り取られていた。

レイリアの内部破壊の技では最高峰の威力を誇るが、基本は単体の敵に用いる技。

だが今回は、鋼糸を媒体に浸透斬撃を全ての汚染獣に分散させた。

鋼糸を通って傷口に達し、そこから内部に浸透し臓器を細切れにする。

単体用の技を十二体に分散させた分、一体ごとへの攻撃力は低くなっているが、邪魔な鱗のない傷口から浸透させる
ことで効率的な攻撃を可能にしたのだ。

限界を超えた剄を与えられたブレスレット型の錬金鋼が爆発した。

その爆発音に触発されたのか、汚染獣の怒りに満ちた咆哮も発せられた。

「全部も仕留められなかったか……」
「一番遠くにいた二体は重傷を負ったようですが生きているようです。他の十体は死亡を確認しました」
「一番遠くにいた分、少し外したか」

おそらく、他の汚染獣が一瞬早く切り刻まれ、綱引きの力を弱まった瞬間、体をよじったのだろう。

その刹那にも満たない時間を有効活用しているので、汚染獣の生存能力には本当に油断ならない。

天剣があれば、仕留め損ねることはなかったのにと思いつつ、レイリアはとどめを刺す。

崩壊した剣の柄尻に装着してある鋼糸を操り、傷口から汚染獣内部へ侵入させ衝剄を放つ。

通常の汚染獣なら、頑丈な筋肉が鋼糸の動きを阻害し、内部に侵入させることはなかなかできないが、内部から切り
開いた道がある今なら簡単だ。

切断面から侵入した大量の鋼糸に再び内部を切断されて、汚染獣は牙を向ける間もなく息絶えた。

汚染獣十二体の殲滅完了。

レイリアは深く息を吐くと、戦場に背を向けた。

今は始まりが終わっただけ。

ツェルニは結局、戦闘中も一度も進路を変えなかった。

そして、今は少し進路を変えている。

つまり、暴走は相変わらず続き、新たな汚染獣を探し求めているということだ。

念威操者の案内の下、来たときとは別の道でレイリアはツェルニに帰還した。

レイリアも見て、出迎えをしている傭兵は見事な敬礼をした。

その表情は取り繕っているが、圧倒的力に対する恐怖と、それに対する畏敬が見え隠れしている。

「ヴォルフシュテイン卿、見事な戦いでした」

フェルマウスが代表して祝辞を述べてきた。
出発前に突っかかってきたハイアも、今は動揺を押し隠した作り笑いを浮かべている。

この傭兵団の様子からして、パフォーマンスは大成功だ。

錬金鋼を2つ消耗した甲斐もあったというものだ。

「ツェルニもちゃんとこちらの戦闘を見ていた?」
「はい、探査機に念威端子を乗せて観測しているのを確認しました。向こうが何か動き出す前に、こちらから
出向いて様子を確認しますか?」
「そこまでする必要はないわ」

圧倒的実力差を見せつけられ、動揺している隙を突こうというフェルマウスの提案を却下した。

力関係ははっきりしているから、急いで動く必要はない。

「それじゃあ、ツェルニとの会談は予定通り明日で行きます」
「わかりました。こちらから改めて連絡させて頂きます」

フェルマウスの了承の言葉を聞くと、レイリアはその場から消えた。

この先は長き戦いになる可能性もある。

消耗した体力を取り戻すため、レイリアはまっすぐ帰宅するのだった。










後書き
現代編第1章終了。
不定期な更新になるとは思いますが、時間を見つけては書き溜めて更新していきたいと思います。



[26723] 現代編(ツェルニ編) 第2章 暴走する都市と染み入る滅び 第1話 
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/10/09 13:22
現代編 第2章 暴走する都市と染み入る滅び 第1話 










「今から第1回汚染獣迎撃合同対策会議を始めます」

司会の生徒会長カリアンの宣言ととともに、ツェルニの今後を決める重大な会議が始まった。

参加メンバーはカリアンを筆頭にした生徒会に武芸長を中心とした武芸科の幹部たち、それに各科長が全員揃って
いて、予算会議のときより多くの人員が集まっている。

それだけでこの会議、いやツェルニの存亡の危機に全力を注いでいるのがわかるものだ。

合同という言葉が指し示すように、ツェルニ以外の外部のメンバーもこの場に出席している。

サリンバン傭兵団の団長ハイアにその補佐フェルマウスと傭兵団幹部が数人、そして司会カリアンの隣に立っていて会議室にいる全員から畏怖の目で見られている少女、レイリアが会議のメンバーだ。

見た目は15歳そのもの、エリートじみた空気やカリスマ性に優れた風格を出していないのに関わらず、レイリアの
一挙一動に注目が集まっていることから、レイリアと汚染獣の戦闘映像を全員が見ていることがわかる。

目線を合わせようとすると恐怖を浮かべられた後逸らされる。

そのあからさまな反応に、レイリアは結構へこんだが顔には出さなかった。

人類の天敵汚染獣。
ツェルニに多大な被害をもたらせた化け物。

その化け物複数を一人で瞬殺した武芸者、レイリア。

舐められるより畏怖された方がマシ。
経験から学んだ現実を思い浮かべつつレイリアは気持ちを切り替えた。

体を動かすわけではないが、ここもレイリアにとって重要な場、いわば剣のない戦場。

本物の戦場のときのように感情を表情から抜け落とすようなことはしないが、緊張や気恥ずかしさなどの交渉や交流
に邪魔な感情を笑顔の裏へ押し込んでいく。

ハッタリのための感情制御に力を割く分、突発的事項に対する反応は鈍くなるが、今回の会議はこちら側に余裕が
あるので問題はない。

レイリアの頭の出来はお世辞にも良いとは言えないが、自分たちの優位くらいは把握、計算できる。

向こうのトップに司会という重大な役割を任せているのも、その程度の譲歩なら問題ないという判断を傭兵団と共有
しているためだ。

挨拶後の全員の自己紹介が終了後、カリアンは早速本題に入った。

「現在、ツェルニが汚染獣に向かって暴走をしている。その対処を検討するのがこの会議の目的なのだが……武芸長、迎撃準備はどの程度整っている?」
「小隊の隊長には事態を伝えるのと同時に準備を進ませてはいるが……前回の被害を知っているためか小隊長でさえ
士気は高いわけではない。次の襲撃は五日後、こんな短時間では訓練や訓戒で士気を上げることも難しい」

武芸長の厳しい意見、何よりツェルニで最も強い実力と愛校心を持つ小隊長でさえ目の前の悲痛な現実を前に自己を
保てていないという事実に、科長たちは呻き声を上げた。

学生がどうにかできる状況を越えていることを改めて自覚したのだ。

「次の襲撃の際の汚染獣のデータをこちらにまとめていますのでご覧下さい」
「今回の汚染獣は三期だと思われます」

カリアンが表示した画像を、情報提供者であるフェルマウスが補足する。

ちなみに、レイリアが戦った雄性体一期と雄性体三期では体格は倍以上異なっていて、強さも当然段違いだ。

一期は幼生体が脱皮したばかりで、いわば尻にまだ殻をつけた半人前の汚染獣。
三期は子供を生む雌性体にも変わることも可能で、いわば一人前のなった本当の意味での成体汚染獣。

その一人前の汚染獣の数は三体。

岩山を紙くずのように砕いても傷一つ入らないごつごつとした鋭い鱗。
見るもの全てを食いちぎる破壊者の眼光に山をも砕く牙。

さらに変わり映えのしない死の荒野でさえわかってしまう汚染獣の圧倒的大きさ。
素人にさえ、汚染獣は人類の天敵という看板に誇張はなしということを強制的に悟らせていた。

「……これが汚染獣」

普段、シェルターに避難する一般人が汚染獣の姿を見ることはまずあり得ない。
本物のみが持つ脅威に、ツェルニの生徒たちから悲鳴と慄きの声が漏れた。

「……せ、せ、生徒会長…………ツ、ツェルニは一体どうなってしまうのですか?」

科長も数百、数千人の生徒の頂点に立つ者。度胸と気遣いを備えた優秀な者ばかりの筈だが、ここは学生都市。

絶望的な状況でもトップの地位の立つ者に頼れる人はいない。
未熟な学生だけでどうにかできなければ全ては終わってしまう。

その緊張と絶望感が科長の声を震わせ、表情を涙目にしていた。

その反応にレイリアもどうにかしたいと思わなくはないが、ここは我慢のとき。
具体的に手助けするかの言質を自分たち側から出す必要はないと事前に決めているのだから。

「……確かに我々未熟者の総力を結集してもこの危機を乗り越えるのは難しいだろう。我々の出身都市ですらこの
危機を乗り越えると断言可能とは思えない、それほどの異常事態だ」

そこでカリアンが言葉を止め、現状を皆の心に染み渡らせる。

さらに一瞬だが傭兵団とレイリアの方へ視線を送ってきた。

つまり会議という名の説明会はこれで終わり。

次こそ会議の主目的、迎撃を合同に行うための交渉がようやく始まるのを悟り、レイリアは歯を強く噛み締めた。

「だが希望の光は存在している。遠くグレンダンから派遣されたレイリア殿と名高いサリンバン教導傭兵団の方々だ。
どちらもかなりの実力者で、この事態に関して我々よりかなり詳しい。……よってツェルニの基本方針だが専門家
である彼等の言に基本的に従おうと考えている」
「……武芸長として補足しておくが、俺たちの力では目の前の汚染獣にすら勝てるかどうかわからん。何せ汚染獣と
戦ったことがある奴がほとんどいないからな。敵が弱い可能性より、敵が予想以上に強く苦闘で済めばよい方だと
考えて欲しい。しかも戦いは一度で終わらないのだから、独力では生き残る可能性は……ゼロだ」

カリアンとヴァンゼの厳しい通告に恐怖で震える者、悔しそうに俯く者などいるが方針を否定する人は誰もいない。

彼らの反応に小さく肯くと、カリアンは今日の本題を正面から切り出した。

「貴方方にもツェルニを守るため是非力を貸していただきたい。今は存亡の危機、ツェルニに支払える代価を惜しむ
ような真似は絶対にしないと生徒会長が宣言します」

自らの未熟を噛み締めるが、卑屈にはならない。

ツェルニを護る、そのために必要な犠牲は全て受け止めるという矜持をこめたカリアンの表明から対策は始まった。







「……カリアン、本当にあれで正しかったのか?」
「正しいかどうかは未来になって初めてわかることだよ。それに正しい、正しいというの観点から見れば、外部の力
を借りるという発想自体が健全な都市運営の側面から見て間違っているのだから、そこに拘ってはいけない」
「……お前に聞いたのが間違いだった。お前の口の上手さを忘れて単純で誤魔化しの効く質問するなんて、俺も
かなり動揺しているということか」
「仕方ないさ。武芸科にとって予想通りとはいえ最悪ともいえる結果に陥ったのだから」

第1回汚染獣迎撃合同対策会議を無事に終えた後、各科長や傭兵団たちはそれぞれの準備のために部屋を出て行った
ので、この部屋に残っているのはカリアンとヴァンゼだけだった。

傭兵団、いやグレンダン側からの要求は要約するとたった一つの事項、廃貴族の捕縛に収束した。

この暴走は廃貴族が引き起こしていることと廃貴族の習性を第十小隊の事件を例に説明した後、廃貴族の捕縛に全力
を尽くすべきだと彼等は主張。

その方法はツェルニ生徒たちを傭兵団の援護無しで汚染獣と戦わせ、廃貴族の覚醒を狙う。
駄目な(その判断基準は敗走)時点で傭兵団たちが退却の援護をしつつ汚染獣を殲滅するというものだった。

また、ツェルニ側が傭兵団たちの武器・弾薬のフォローすることも約束している。

何度も戦うことになるから、全滅する前にフォローを入れるとは言ってきたが、ツェルニの生徒を危機的状況に陥れ
刻が来るまで何度も磨り潰す方針なのは素人から見ても明らかだ。

故に生徒全員が猛反発、糾弾により会議進行は不可能と思われるほど荒れたが、進行で代表でもあるカリアンが承認。
武芸長もそれに反発せずに受け入れたことから、火花が火薬庫に飛び火することなく対策会議は終わった。

「武芸長という立場にとって、あの方針は頭が痛いという表現では納まりきらん」
「そこはプロである彼らを信じるしかあるまい。この暴走が長引く以上、ツェルニの生徒たちを一戦だけで磨り潰す
ような真似をするはずがないのだから」
「それはそうだが……」

ツェルニの防衛の責任者として、その提案は頭で理解しても受け入れがたいという様子のヴァンゼの様子にカリアン
は微笑した。

理を受け入れるだけの柔軟さは必要だが、ツェルニの守護者としてのプライドを捨てていないのは好ましい。

人は理性だけ生きているわけではない。
感情を考慮して、ときには覚悟を持って間違いを貫くのも上に立つ者として重要な覚悟なのだから。

「それにわたしはレイリア殿たちに感謝しているのだよ」
「感謝?」
「汚染獣は強大だ、強大すぎる。人類が何百年も研鑽を重ねてもなお及ばない怪物で、その脅威に誇張は一切ない。
我々は幼生体戦でそれを思い知った。……そして我々は汚染獣の巣にいるという生存皆無な状況にいるのに誰も自棄
になっていない。不利な提案に噛み付くほどの元気を持っているくらいなのだから」

ヴァンゼはカリアンの言いたいことを察し、黙って頷き続きを促した。

「それもこれも彼女が見せた圧倒的力のおかげだ。あの力があればこの危機を乗り越えられる。その思いがあるから
こそ前に進むことができている」
「だが向こうにも目的がある。ツェルニに慈善活動をしに来たわけではない」
「そうだ。故にわたしも向こうに遠慮をする必要がなくなる分、あちらが善意百%でないことに感謝しているのだよ。
善意の塊を騙し誤魔化すことは流石に罪悪感を感じてしまうからね」
「感じても止めない奴が何を言ってやがる」

ヴァンゼが虚言のベールを剥がしても、カリアンの笑顔の裏に隠された厚い皮はビクともしない。

政治家や金持ちがこんなのばかりとは思いたくない上、これ以上こいつを見ていると人間不信になりそうだと感じ、
ヴァンゼは話題を変えた。

「話を戻すが……武芸長として部下に「確率的には生き残られる可能性が高いから勝てなくても頑張れ」とは絶対に
言えん。それに敗北というのは人の心を確実に荒らす。それによって脱走、狂乱、一般人または傭兵団との衝突が
起きたら、汚染獣に関係なくその時点でこの都市は終了だ」

ヴァンゼの口調は重い。

負けても大丈夫といえるほど敗北は軽くない。敗北の重さを彼は何度も経験している。

一回目は二年前の武芸大会での完敗。
二回目は幼生体の襲撃。

どちらも戦闘後の武芸科の風当たりは強かった。

敗北から発生した様々な非難を、戦闘後に武芸科生徒たちは粛々と受け止めなければならない。
他の科の生徒は敗北の重い雰囲気を当事者に押し付けることができるが、当事者は黙ってそれを受け止めるしかない。

他者からの非難、不甲斐ない自分に対しての慙愧、同情されることよりいっそう沸いて出るやるせなさ。

負の感情の捌け口はなく、積み重なっていった黒き念による爆発は本当に怖い。

普段、虫も殺さないほどの小心者やリーダーシップに富み皆を引っ張ってきた者が唐突に暴れ、捕縛され、我に返る。
暴れ傷つけた物々以上に加害者の精神に決定的な傷が入り、通院・入院が必要になることが何件もあった。

誹謗による精神的傷と鬱憤の爆発は想像を遥かに超える酷さだった。
それに対処していると、我慢の限界を超える前に退学した者の判断を英断だと讃えるようになってしまうほどだ。

退学を確認した当初は、ツェルニを護りたいと思わないのか、逃げるなんて武芸者の風上に置けん! と激昂して
いたのにも関わらず……。

そのヴァンゼの懸念にカリアンは首を振った。

「君の懸念はわかるが彼等から譲歩を願い出るにはまだ早い。今のツェルニが彼等に差し出すことができるカードは
何もない。ブラフを使うにも手札がゼロの状態ではリスクが高すぎる。同情や憐憫から譲歩を無理矢理勝ち取ったと
してもそれは砂上の楼閣さ。向こうが不利になればすぐに破棄されてしまうだろう」

だから今は彼等の提案を丸呑みして、少しでも好感度を上げておこう。

カリアンのおふざけが入った言葉に苦い顔をしつつもヴァンゼは小さく頷いた。

「敗走時の向こうとの連携も、この短時間では形にすることすら不可能なのは確かだ。そう考えると純軍事的に経験
豊富な傭兵団に難しい判断を委任するというのは悪くない。……ただ今後改善を要求する際の足がかりがない点が
未来にかなり響くかもしれない」

ゼロと一の差は大きい。この差が吉と出るか凶と出るのか……を考えようとして止めた。

もっと他に重要なことはたくさんあるし、カリアンが痛い点を突いてきたためだ。

「ヴァンゼ、連携という綺麗な言葉はあまり使わない方がよい。汚染獣戦滅で一番良い方法は圧倒的実力の持ち主で
あるレイリア殿が突っ込み、経験豊富な傭兵団がそれをフォロー。我々はツェルニが万が一に備えて予備兵力化だ」

兵法家として素人のはずのカリアンだが、その意見は間違っていない。

レイリアは一人だが攻撃範囲、移動範囲は武芸者数百人に匹敵するほどだし、そんな規格外を援護できるのは経験
豊富な精兵のみで、未熟な弱兵であるツェルニの生徒は邪魔しないようにするので精一杯だ。

「ツェルニの暴走解除が主目的だからその方法は取れない。向こうの仕事を一言で言うならこちらの敗北がしたとき
の尻拭いだ。士気高揚のために美辞麗句を使うのは問題ないが、我々指導者が美辞麗句に囚われ現状を見失うこと
だけはあってはならない」
「わかっている。この初戦が今後の関係を決めるということもだ」
「流石は武芸長だ。今交渉材料はないが、ツェルニが独力で勝利できればそれは有益なカードと成りえる。無茶は
禁物だが頼んだよ、ヴァンゼ」

ポンと肩を叩くとヴァンゼが嫌そうに顔を顰める。

カリアンの腹黒い面を色々と見ているので、正面から頼まれると逆に気持ち悪いとも言いたげな表情だ。
その失礼な反応にカリアンが益々笑みを深めていくと、ヴァンゼはため息を吐いて表情を戻した。

表情に出していないが、この負けず嫌いの性悪がと悪態をついていることを、付き合いの長いカリアンは知っていた。

話し合いが終わりヴァンゼが去った後も、カリアンは今後に関して思考を費やした。

手に薄い書類がある。調査期間が短く、まだ途中報告という形だが重要な情報源となっている。

「レイリア・アルセイフ。グレンダンからの留学生としてツェルニに在学。誘拐事件の被害者で保護した子供、
イラ・ロシリニアと同居中。性格は温和で人よりテンポが少しずれている様子、社交性が高いというわけではないが
留学生という話題に富んだ存在なのでクラスには打ち解けている。武芸の成績は剄・身体能力は平凡だが苦手分野が
なく、判断力に優れている……か」

グレンダンでの人物像が一番気になるが、ツェルニにはグレンダン出身の人がほとんどいない。

一番年少で第五小隊隊長ゴルネオがいるが、彼がグレンダンにいたのは五年も前の話。

昔のレイリアについて何か知らないか尋ねたが、残念ながら全く交流がなかったようだ。
彼女が有名な大会で優勝していて名前なら知っているという程度で、昔から強いということがわかっただけだった。

まだまだ情報が足りなく、人物像の核心に近づけたとはとてもじゃないが言えないがわかったことがある。

彼女は基本的に善人。武芸は天才としか言いようがないが、それに鼻をかけた様子は今のところない。
断言するにはまだ早いが、圧倒的優位にも関わらず交渉事を持ちかけてこないことから諜報向けの人間ではない。
交渉時と普段の様子の違いから、公人と私人で性格が異なるタイプである。

少しでも彼女をツェルニ側に引き寄せたいが、状況はかなり厳しい。

性格上、不特定多数より身近な誰かのために戦うタイプだと思われ、仲の良い武芸者の戦死を防ごうと考えてくれて
いるなら交渉の余地があるのだが、その様子はない。

グレンダンへの忠誠が高く、帰還を第一の目的をしているというツェルニとしてはどうしようもない可能性もあった。

また、傭兵団への交渉は足元を見られ骨までしゃぶられる可能性があり、リスクが高すぎる。
そこまでいかなくても、汚染獣戦時に第十小隊のときのような小細工をかけられては堪らないのだ。

「戦闘まで何もしないのは怠慢。交渉をしようにも交渉カードは今だない……。となると…………」

売れそうな借りを探すのでなく、借りを作って売り込む。

「……本当にわたしは度し難いな。だがツェルニを護るために手段を選ぶ余裕などない」

良心が疼くが、その痛みは半年以上前にも無視をした痛み。

携帯電話を取り出すと、最近一度ではまず繋がらない番号にかけ、留守電に待ち合わせのメッセージを残した。







会議から四日後、ツェルニの進路は変わらず汚染獣の接触まで後一日となっているが、街並みに表向き変化はなかった。

武芸科を集めて現状説明を行ったが、一般人にはまだ説明していない。

この異常事態の混乱を先延ばしし、初戦に全力を注ぐためだとフェルマウスは分析したが、レイリアはツェルニの
都市運営事情に興味などないので細かいところは聞き流していた。

汚染獣迎撃のため、外延部で武芸科を中心に慌ただしく動いているが、レイリアはそれに関わる気はない。

ツェルニの作戦を知ったところで、レイリアが動くときはその作戦が失敗したときだ。
そのとき整然と行動できるはずがないので、レイリアは戦闘準備をせず時間潰しに街を歩いていた。

「いつもより活気がない……。やっぱり一般人も空気の変化を感じ取っているのかな」

情報開示されていないとはいえ、首脳部と武芸科が活発に動いていれば、嫌でも何かが起こっていると勘づいて
しまうのだろう。

そういえば、情報に貪欲な友人がいたなと頭によぎった瞬間、

「レーちゃん」

噂をしたら影というべきか、声をかけてきたのはミィフィだ。

その後ろにメイシェンがついてきているが、ナルキは武芸科で作戦会議中なのでいなかった。

「探したんだよ、見つかってよかった」
「用があるなら連絡してくれればよかったのに」
「武芸科が最近忙しそうで連絡しても通じない可能性が高かったからね。授業後、この辺りを歩いているって話を
聞いたから追いかけたんだ。すれ違いにならなくて良かったよ」
「……誰に聞いたのか知らないけど相変わらずタイムリーな情報収集能力だね。でも珍しいね、遊んでいるわけじゃなさそうなのにメイシェンと一緒に行動しているなんて」

時間的に遊びに行こうという誘いでなさそうなので、レイリアは疑問の声を上げた。

ミィフィが情報収集するとき、基本は単独でだ。

ガセネタも多いミィフィの情報からもわかるが、情報というのは外れも多く玉石混合なのが当たり前だ。
おまけに根掘り葉掘り聞いて相手の機嫌を損ねることも多いらしいので、一人で情報収集するのが基本だと以前
言っていた。

……周囲から苦情が多くなると、ナルキが現場を取り押さえてお仕置きをするようだが、最近はそこまでは暴走して
いないらしい。

「上は情報規制をしているようだけど、ミィフィちゃんのジャーナリスト魂が隠されたものを暴きだせ!と疼いて
疼いて仕方がなくてね。武芸科全体の集まりがあるのにこんなところで暇を持て余しているレーちゃんに突撃取材を
決め込もうという予定なのさ。勿論質問に拒否権はないからね」

立ち話もなんだからということで近くの喫茶店に入った後、ミィフィは目を輝かせながらすぐに口を開いた。

ミィフィの好奇心は注文が届くまでの時間も惜しいようで、レイリアはその勢いに押され思わず冷や汗をかいた。

失言に注意しないといけないが正直自信がない。

ナルキがいればミィフィの暴走を止めてくれるのだが、この場にいるのが大人しいメイシェンではその助け船を出す
のも難しそうだった。

「それじゃあ単刀直入に聞くね。武芸科って全員が集まって何をして……いや、この質問は緘口令があるらしいから
駄目か……。それじゃあ、レーちゃんは他の一年とは別行動しているようだけど、やっぱり何か重要な役割を
任されたりしているの? 優秀な留学生への密命とかドラマっぽくてかっこいいし記事にも見栄えがいい」
「ええっと……かっこいい?」

情報に相応しくない単語にレイリアはきょとんと首をかしげた。

その反応に、ミィフィはわかってないなーと自論を力説した。

「武芸者は無骨な人ばかりで大衆的イメージを馬鹿にしているようだけど……」

そこで言葉を止め、ミィフィは拳でバンッと思いっきりテーブルを叩いた。

「それは違うぞ、間違っている。わたしたちに武芸の奥深さ、凄みなどわかるわけないんだ。もっとわかりやすい
一面をクローズアップして捏ぞ……げふんげふん、紹介するのはむしろ一般人のための義務なんだ」

周囲から迷惑そうな目で見られ、さらに叩き付けた拳を真っ赤にしたものの、興奮したミィフィはそれらを全て無視
していた。

……こういうときにナルキがお仕置きをするのかと逃避気味に思い浮かべるが、この場にいるのは残念にもレイリア
とメイシェンだ。ミィフィのマシンガントークを前にコクコクと相槌を打つことしかできなかった。

「誰だってヤクザにも似た歴戦の中年武芸者が勝つより、かっこいい、可愛い武芸者がピンチを乗り越えて逆転する
方が燃えるんだよ、盛り上がるんだよ」
「そんなマンガみたいな都合のいい展開なんて……しかもここは学園都市で中年の武芸者なんていないよ」

レイリアが夢見がちすぎる意見を修正しようとするが、それは火に油を注ぐことに繋がった。

「現実的見解なんてわたしにはどうでもいいの! さっきも言ったけど全員にマンガ的展開は流石に期待しない。
誰もが上手くいかない中でたった一人が知恵と運を振り絞って成し遂げる、百発一中があればいいの。その一中を
わたしがクローズアップしやすくするために、レーちゃんにはかっこよさ、可愛さを是非追求してもらいたいの」
「……どういう意味? 武芸は実力主義で見た目の依怙贔屓なんてないのだけど」

「一中できるかどうかはレーちゃんの努力と才能次第で、わたしが言いたいのはそれとは全く違う! いいこと、
一般人は単純なの。誰も知らない人があと一歩の惜しいところまで行っても所詮負け犬扱い、世間は無視していく
けど、人気のある人は違う。あと一歩まで行けばそれだけで次代の星、新たな一矢としてチヤホヤされるの」
「チヤホヤって……外部からチヤホヤされても結局実力には関係が……」
「そこでないと言い切れるの? 乾坤一身の努力があと一歩届かなくて気落ちしている状況で、周囲から放って
おかれるのと、惜しい、次はいける、頑張れと応援されているので本当に差が出ないのかな?」
「そう言われると確かに…………そうかも?」
「そ・う・な・の! だからかっこ良さが重要なの」

ミィフィの力強い言葉を前にして、レイリアはそういえば……そうかもと思い始めてきた。

ミィフィの意見も穴も突っ込みどころが多いものだったが、高いテンションに巻きこまれたレイリアはそれに気付く
ことはなかった。

警戒していないときのレイリアの遠慮深謀は一般人より遥かに低く、とても流されやすいのだ。

「だからこれから先有望っぽいレーちゃんには武芸のときに色々気を遣ってもらいたいんだよね。天才留学生の武芸
と日常といった感じで、そのギャップをより強調できればすぐ人気者になれそうだし」
「に、人気者!!? む、無理だよ、そんなまめで気が利くような性格でないし……わたしよりナルキの方が良い人
だから、絶対そっちを応援した方がいいよ」
「ナルキは姉御で面倒見の良い性格をしていると思うけど、生真面目で無骨な典型的な武芸者じゃん。それじゃあ
読者は食いつかない。人気を得るには他人が真似できない武器が必要なの」

ミィフィはツェルニで人気が高い人とその人気の秘訣を話しだした。

携帯で顔写真と簡単なデータを見せながらの手振りを交えた説明で、即興で語りだしたとは思えないほど詳しい。

アングル的に盗撮じみた写真や、どこどこの店との店員のやりとりが魅力的とかいうストーカーぎりぎりな逸話が
あったりして、まさにプライベートをほとんど網羅している感じだ。

都市は閉鎖的な空間なのであり得ない話ではないが、これを実現した学生パワーの極致にレイリアは内心戦慄の思い
さえ抱いていた。

なお、この現象は学園都市特有のものではなかった。

グレンダンでも似たようなことはあり、天剣の女性陣の中でプライベートの管理が甘く、人格的に比較的問題の
少ないレイリアにも同じようにファンクラブがあるのは、本人のみが知らない公然の秘密である。

「……そういえば、結局レーちゃんは一人別行動をして何をやっているの? 機密が関わるなら言っても大丈夫な
ところと機密解除、いえ事件が始まった瞬間でもいいから全部教えて」
「えっ?? え、え~~~と」

ツェルニの話の留まることは知らないかのような勢いは注文の品を食べ終えても続きそうだったが、ミィフィも語り
飽きたのか、それとも本題を思い出したのか唐突に話題を戻した。

名残惜しそうに説明に使った携帯端末を仕舞っていたところからおそらく後者だと思うが、今度は手帳を取り出して
矢継ぎ早に質問を飛ばす彼女のバイタリティーは本当に恐ろしい。

彼女が武芸者なら、持ち前のしつこさで、いつの間にか対戦相手が根負けさせ見事な逆転勝利を収めそうなほどだ。

「今、武芸科全体で何をしているの?」   
「……」
「レーちゃんは前から他の一年と別行動しているようだけどそれはいつから?」
「……(これは大丈夫)三日前から」
「ふーん、別行動は上から指示、しかも本当だったんだ」

あれ? ひょっとして誘導尋問に引っ掛かった? とレイリアは思ったがピンチはまだまだ序章だった。

「実戦経験豊富っぽいところが評価されたの? それともグレンダン出身だから? 最近、ゴルネオ先輩も生徒会に
よく出入りしているらしいし」

(小動物のようにビクッと肩を震わす)

「実力があるとはいえ、一年生が特別扱い……。武芸科全体で動くような何かがある。まだ公式発表がないことから
武芸大会に向けた大規模演習ではない」

ミィフィは淡々と分析をしているのが逆に怖いと思ったが、そもそもミィフィなら勘付いていても不思議でない。

街の雰囲気も明らかにこれから来るであろう危機の予兆を感じ取っていた。

一般人より情報収集に長けたミィフィなら見え隠れする予兆を確かめようとするのは当然で……、

そこまで考えたところで、メイシェンの姿が瞳に映った。

レイリアのように尋問されているわけではないのに、恐怖で震えている。
ミィフィもよく見れば質問と考察を重ねる毎に、瞳に動揺の色が漂い始めていた。





「大丈夫」
「え?」
「何が起こっているか今は言えない。でも近く知ることになると思う」
「……レーちゃん」
「でも大丈夫だから。わたしが何とかする」

レイリアは口元を引き締めると胸を張って言い切った。
胸を拳でドンと叩いてみせると、何故かミィフィとメイシェンが笑い始めた。

ミィフィは腹を抱えてツボに嵌った感じで、メイシェンは必死に笑いを抑えようとしているが、表情までその努力は
及んでいなかった。

「あはははははははっ、何そのたれ目、そんな脱力系の啖呵初めて見た。ププププッ、武芸のときは凛々しいのに
日常じゃその1%も出せないなんて」
「ミィちゃん、レーちゃんはわたしたちのために言っているんだから、笑っちゃ……」

メイシェンはミィフィの笑いを止めようとするが、必死にレイリアと目を合わせないとする様子から、彼女が
有言実行をできていないのは明らかだった。

「失礼な反応ね! 嘘なんてついてないのに」
「ごめん、ごめん。説得力がなくて笑っているわけじゃないから……ただ可笑しくて」

レイリアはむむむっと頬を膨らませるが、相変わらず迫力がない。

小動物以下の威嚇がミィフィにさらに燃料を投下、大爆笑。

さらに長引きそうだったこの流れは、第三者の介入により終わりを告げた。

「おい、お前たち何やっているんだ? わたしは早く帰れといったはずだが」
「レイリアさん、おはようございます」

新たに登場したのはナルキとレオだった。

変わった組み合わせだが、一緒に戦った仲だし、武芸科の集まりで一緒だったのなら帰りも一緒になることもある
だろう。

「ナルキも固いこと言わない。ちゃんとボディーガードもいるんだから問題ないって」
「え? あっ!? うん」

ミィフィがレイリアの手を握って「頼りにしているよ」と笑顔を向けてくる。

そのミィフィの即席の誤魔化しに、ナルキはため息を吐くがそれ以上小言を重ねることはなかった。

普段元気なレオも今は勢いがない。

女性陣に囲まれているのが気まずい……だけではないだろう。

明日の脅威を前に、学園都市の未熟者が、一年の武芸者の卵が平静でいられるはずがない。
こうして友人に顔を見せる元気があるだけでも、精神的に強いと言えるのかもしれなかった。

「ナルキ、レオ君。明日は気負わずにただ力尽きることがないようにすれば大丈夫。焦りは禁物、結局は基本が大事
で無理しないこと。なんだかんだで単純な話に帰結するものだよ」

一般人の前で詳しいことは言えないし、直前で細かいことを言っても消化できない一面もあるので、簡潔で抽象的な
だが経験を伴ったアドバイスを二人に送った。

戦場に立てば絶対も安全も例外もない。

廃貴族を優先すると決めたレイリアは口が裂けても助ける、護るとはいえない。

だが、二人に生き残ってほしいと思う心は本物だ。
中途半端、偽善という言葉が頭によぎったが、アドバイスをしたことに一片も悔いはなかった。

「レイリアさん、ありがとうございます」
「レイリアも気をつけろよ。釈迦に説法かもしれないが、グレンダンとツェルニでは勝手が全然違うことを頭によく
叩き込んでおけ」

ナルキはミィフィを回収しにきただけのようで、もう日も落ちている。
また今度、と握手をしてその場は解散となった。

ミィフィは何か問いたげだったが、手帳を勢いよく閉じるとそれ以上記者として動くことはなかった。

別れの挨拶をした後、レイリアは夜になりかけのまだ明るい夜空を見上げた。

空は変わらない。明日の戦いの勝敗がどちらに傾こうとも、今日と同じように日が昇り雲は流れ、星が輝く。
その日毎に変わる、でも長い時間で見ると変わらない空を見上げるのがレイリアは好きだった。

「雄性体の三期が三体、普段なら何てことない敵だけど……」

ナルキが言っていた通り、ここはツェルニでグレンダンでない。
勝利条件を考慮すると非常に厄介になるはずだ。

「ナルキたちも無事な可能性が高いと思うし」

これも根拠がないわけではない。

汚染獣による被害は格闘部隊か、最前線が突破されたときの防衛部隊のどちらかが被る場合が多かった。

どちらも戦況を決める、もしくは失敗が許されない重要な部署。

そこに未熟な一年生が配置される可能性は低いと考えるのは、的外れにはならないだろう。

「……同じ戦場に立たないわたしが何か考えても、結局は意味がない、か」

死が降りかかるのはレイリアだって例外ではない。

それなのに他の武芸者の心配をしているなんて、思っていたよりクラスメイトたちとの日常を楽しんでいたんだなと
レイリアは自覚した。

「…………問題はないよね。廃貴族の捕縛とツェルニを護ることに相反要素はないのだし」

新たに湧き上がった戦う理由を噛み締めると、レイリアは空を見上げるのを止めて、家に帰ることにした。







こうして、それぞれが明日の決戦の準備をし、英気を養っていた。

だが、彼らは知らない。

成体の汚染獣の脅威を、弱兵の友軍という名の脅威を。

そのツケの呪いが歯車を狂わせる石として現れ、徐々に浸食し降り積もっていくのだった。










後書き
勢いに乗って、現代編2章を更新していきます。
原作ではレイフォン一人で背負っていた労苦が、このssではツェルニとレイリアたちに分散され、またツェルニの暴走解除(廃貴族捕縛)を第一に動きます。



[26723] 現代編(ツェルニ編) 第2章 暴走する都市と染み入る滅び 第2話 NEW
Name: 銀泉◆56b67a15 ID:23731bea
Date: 2011/10/09 13:22
現代編 第2章 暴走する都市と染み入る滅び 第2話










「嫌です」
「……そうか、前線全体の戦闘補助は無理を言い過ぎたか、それならば念威操者を纏めるだけでも」
「論外です。認識が根本的なところからずれていますので、譲歩は無意味です」
「……交渉の場を蹴飛ばすような行為はいただけないね。わたしが要求を突きつける価値もない男と思われるのは
流石にショックなのだが……」
「兄さんの自業自得です。自身の所業を振り返ってから戯言は言うようにしてください」

取り付く島もない。

予想していたとはいえ、けんもほろろな妹との交渉に、カリアンは苦笑いを浮かべるしかなかった。

合同会議を終了後、連絡を取った相手が目の前の少女、カリアンの妹でもあるフェリだった。

彼女はツェルニでは学ぶことはないもないと言いきれるほど優れた念威操者である。

精神的問題があったためにツェルニの武芸科ではなく一般教養科に入学するという経緯があったが、生徒会長である
カリアンが半強制的に武芸科に転科させたという事情がある。

つまり、フェリはカリアンに裏切られたと思い、猛烈に嫌っていているのだ。
フェリの態度は提案の内容以上に、カリアンの提案は生理的に嫌だという感情的要因も含まれている。

この時点で白旗を揚げたくなったのだが、カリアンはツェルニのトップである生徒会長。

ツェルニを存続させるために、成功の可能性が僅かにでも存在しているなら諦めるという選択肢を選ぶことはなかった。

外で夕食を食べながらの会談という形をとっているので今だ席を立つことはないが、これが家の中での会話だったら
ここで話はお仕舞いと部屋に逃げられてしまっているだろう。

「前線を援護するなら嫌なら、後方だけでも構わないし、協力したときの報酬はできる限り善処しよう」
「後方なんて言葉で誤魔化さないでください。前衛が突破されたら即第二の前線になってしまう場所なんて、絶対に
ごめんです」

カリアンの譲歩の裏に潜むものを、フェリは一瞬で見破ってきた。

フェリとカリアンは都市間の情報貿易業で財をなした名家出身だ。

カリアンも人の上に立つための教育を受けていて、交渉事にはかなり自信があるし実際に実績を重ねてきたが、
フェリは生まれながら天才的な念威を持った武芸者。

その才を生かすため、利用されないためにカリアン以上の教育を受けているのだ。

よってブラフや脅し、誤魔化しなどはほとんど通用しなく、相手に通じる切り札的カードがなければ逆転に転じるの
は非常に難しい。

カリアンが一瞬口ごもった隙を見逃さず、フェリが追撃を畳み込んできた。

「兄さんはツェルニの未熟者武芸者の敗北したときのフォローをしろとわたしに頼みたいのですね?」
「……敗北すると決まったわけではない。敗北しないように手を取り合って協力してもらえるのが最善だよ」
「敗北しないように? わたしは天才で念威操者数十人分の役割を兼ねることができますが、所詮は念威操者。
武芸者の実力最大限高めることしかできない無力な存在です。一太刀で汚染獣十体を殺害した規格外と比べたら
小石以下の価値です」

無力……数十人に匹敵すると直前に言っていた人には似合わない言葉だが、フェリに謙遜の色はない。
フェリは本気で自分のことをそう思っているのだ。

「そもそも敗北を避けたい、いえ敗北による取り返しのつかない被害を避けたいのならもっと有効な方法があります」
「……そんな夢みたいな方法があるなら是非教授していただきたいが」

「単純です。敗北して混乱するため、撤退が難しくなり被害が広がるのです。それなら最初から撤退に全力を注げば
解決です。撤退のための大部隊を用意、多少の足止め以外とともに、判断能力を失っているものは複数による
不意打ちで気絶させてもよいからとにかく混乱を防ぎ、専門家に後はお任せするのです」

フェリの大胆すぎる案に、カリアンはかぶりを振った。

純軍事的には即行で切って捨ててよい案ではなく、検討には十分に値する。

前線への兵数が減る分、勝てる可能性が極端に低くなっているが、死の連鎖という最悪の事態の回避が可能だ。
前線への兵数減少による懸念も、一度に攻撃に参加できる人数には限度があるから戦術次第で補えるだろう。

予備兵力がなくなる分、長時間の戦闘は不可能になるが、汚染獣相手に長期戦など考えるだけ無駄だ。

短期決戦を挑み、負けたら全力で撤退。

机上の作戦、人を数だけで見るなら最高に近い結果を得ることもできるもしれないが、世の中そこまで楽ではない。

「敗北しないこと、生き残ることを第一にするなら悪くない案だが……現実的には不可能だ」
「現実的? ツェルニ存続のための手段を選ばなかった貴方が、今更手段に対し躊躇するのですか」
「当然躊躇するさ、わたしは臆病だからね。……武芸者に安全である者と安全でない者という違いをつけては暴動の
種となる。神聖な武芸者が暴動という無様な真似をすれば、一般人の不安は頂点に達する。……その瞬間都市は終わり
だ。都市機能を維持できなくなったら、傭兵団たちも任務不可能と判断し自前の放浪バスで帰ってしまうだろう」
「貴方が恐怖政治でも敷けばよいでしょう。暴動を起こしそうな精神的に不安定な者を難癖つけて捕縛。恨みや鬱憤
が警戒の厳重なツェルニの最高権力者に向くなら、暴発の可能性も減るでしょう」

フェリの過激すぎる提案に、流石のカリアンも頬を引きつらせた。

学園都市ツェルニは学生だけで運営されている都市だ。

自分たちのみで都市運営という大変な仕事を行っている以上、自尊心、愛国心は非常に強い。
そして、若い学生という身分と高い自尊心が化学反応した結果、上への反骨心もかなり高いのだ。

つまり、恐怖政治の長に就任することは地雷原で踊り狂うのと大差ない愚行で、よくて退陣、悪くて最終学年なのに
退学の事態にまで陥ってしまう。

それでツェルニを確実に護れるなら…………………………………………………………その案も前向きに考慮するが、
この危機が解決される前に退陣してしまい、無政府状態が発生するリスクを考えるとやはり受け入れることは
できなかった。

「……結局、自分の身が可愛い……いえ、ツェルニに被害がいく博打には乗れないということですか。兄さんがその
スタンスを崩すことがない限り、わたしは話すことはありません」

カリアンを冷たく引き離すと、話は終わりですと言って席を立った。

声をかけようとしたが……今回は完敗だ。

相手に論破され、説得に失敗した以上、手を伸ばして失敗の傷口をさらに広げるわけにはいかない。

初戦に全力をつぎ込めないのは痛いが、よく言えば今後の切り札が温存されたという一面もある。

「天才は希望に頼らないか……だが、我々凡人にそんな真似は不可能なのだよ」

ぽつりと呟いた後、気分を切り替えた。

最善の方法が上手くいかないなんてよくあること。駄目なら次善にすぐに切り替える。

失敗を繰り返す凡人のみが勝る点、それは打たれ強さ。
粘り強さと言い換えても良い。

初戦のためにやることはまだたくさんある。

不屈の精神を胸に、カリアンは一人食事をしながら今後の未来の予想図を組み立て始めた。







レイリアは錬金鋼の具合を確かめながら、空の向こうを見つめていた。
活剄で強化された視野は、砂嵐が酷くなければエアフィルターの先で高く舞い上がっている石粒も識別可能だ。

だが、レイリアにそんなものを見る趣味はない。

見ているのはツェルニに向けていつも以上の速度で接近している異形の怪物、汚染獣だ。

これほど近いと間近で確認するのと変わらないほど鮮明に映る。

かなりの近距離に敵がいるのに関わらず、戦闘準備もせずにのんきに観察している現状に感じる違和感。

……別天地に来たものだとうんうん一人頷いていると、定時報告が来た。

「汚染獣が迎撃範囲に入るまであと1時間ほどです」
「そう……ツェルニの様子は?」
「そろそろ汚染獣を肉眼で確認できる者も現れたようで、ざわめきがところどころ湧きましたが、隊長クラスが冷静
沈着に動揺を鎮めています。……ツェルニの生徒たちも経験を糧に成長しているようです」

汚染獣を前に、見事な統率力だと少し感嘆した様子のフェルマウスに、レイリアは奇妙な視線を送った。

歴戦のフェルマウスが褒めるほど、目の前のツェルニの武芸者たちが優れているとは思えないのだが……。

「ヴォルフシュテイン卿から見れば、いえ汚染獣の駆逐にこの世で一番優れているグレンダンから見れば心もとない
と感じるのも無理はありませんが……彼らぐらいが世間一般です。誰もが死を背中合わせにして剣を振るえるわけ
ではありません」

だからこそ、何かと制限の多い傭兵業でも儲けることができるのです。

そう付け加えたフェルマウスの見識に、レイリアは外の武芸者にも凄い人がいると改めて思った。

レイリアの危惧を見抜いた慧眼も見事だし、念威操者としての腕も汚染獣とツェルニ全体の様子両方を把握し続けて
いる凄腕だ。

「……確かにツェルニの動揺は収まっているようね」
「……ハイアに対しても常々思っていましたが、高位武芸者は本当に常識を軽々と飛び越えますね。通常の念威操者
の探査範囲外の遠距離にも関わらず、聞き耳を立てることが可能なのですから」

レイリアのいる場所は、外延部から少し離れたところにあるビルの屋上だ。
武芸大会のときの前線維持のための後方拠点で、外延部一帯を見渡すことが可能になっている。

……ちなみにこの場にはレイリアしかいない。

ツェルニの後方待機要因や司令部はもっと外延部近くにいて、戦場に対し臨機応変に動けるようにしている。

武芸大会用で設備もかなり整っているこの建物を使っていないのは勿体無いとレイリアは思っていたが、ツェルニ
からしてみれば当然の選択である。

武芸大会の敗北条件である生徒会棟への進入を防ぐための建物。

武芸大会毎にボロボロになるために周辺は居住禁止区域になっているが、外延部より居住エリアの方が近いような
立地条件なのだから。

……しばらく時間が経ったところで、ツェルニ勢に動きがあった。

錬金鋼を持って隊長を中心に集合する者たち。
敵を狙撃するために剄羅砲周辺に集まり、いつでも撃てるよう準備する者たち。
連絡に索敵、最終確認と忙しく動き回っている大量の念威端子。

不敵に嗤っているような戦闘狂じみた猛者はいないが、至る所で剄が高まり、復元された錬金鋼の鈍い輝きが
ときどき目に入る。

中には顔色が恐怖で染まっている者や、緊張のあまり剄光まで震えそうになっている者もいるが、そうした人には
周囲がすぐに声をかけてリラックスさせ、決戦の最終準備をテキパキと進めていた。

「汚染獣の接近まで後10分だ! 総員戦闘準備!!」

武芸長の威厳のある声が外延部全体に響き渡る。

彼の指示に、最初に集中砲火を試みる砲撃部隊は武器を構え、念威操者の誘導の下砲火を一転集中できるようにして、
足止め部隊はやや顔を青ざめながらも陣形を形成し武器を構えた。

「はっ、はっ、はっ……」
過呼吸している息遣いが汚染獣に狙いを定めている部隊から漏れた。

汚染獣たちはもう目の前まで迫っている。
その重圧はエアフィルター越しでも十分に感じ取れてしまうのだった。

エアフィルターの向こう側にいる限り、こちらの攻撃は大気の壁で減衰される。
逆に言えば、その厚い大気の壁を通り抜けようとする瞬間隙ができるので、ツェルニの武芸者たちは獲物を狩る猛獣
の目つきで虎視眈々と敵の動きに注視している。

幼生体とは比べ物にならない巨体と凶暴性を持つ汚染獣を凝視することに極度の緊張を覚え、落ち着くための深呼吸
やはやる心臓の鷲掴みをしている者がいるが、敵から目を逸らす者は一人もいない。

「……………………」

聞こえるのは汚染獣の牙の噛みあう音と心臓の普段より一段と早い鼓動音。

念威端子もこの静寂や緊張感に呑まれているのか静粛に動き、風切り音一つ発するのを許さないといった様子だ。

戦闘の直前の僅かな静謐、天剣授受者になってからは遠ざかっていた感覚をレイリアは味わっていた。

これからは凄惨で血を血で洗う地獄が始まると、剄を静かに高めようとしたところで無意識に首を傾げた。

……何か違和感を感じている?

言葉にできない、レイリア自身もよくわかっていないあやふやで些細な何か。
自分の経験と勘が何かを訴えていることはわかったが、それが何かはわからない。

戦場に立っているクラスメイトが心配なのだろうかと思ったが……どうもしっくりこない。

ツェルニには荷が重い相手だから、敗走したときの対処をきちんとできるか不安に感じているのか……?

「うーーーん」

十秒考え込んでも答えが出なかったので、レイリアはあっさり思考を放棄した。

もうすぐ刹那の刻も見逃せない戦場が始まるのだ。

その中で、余計な思考を回す余裕などあってはならない。

普段の眠たげな雰囲気を醸し出している瞳が、戦場用に最適化された油断のないものに変化。
錬金鋼も復元し、何があっても即時に、臨機応変に対応できるようにする。

「……この危機に、廃貴族が本当に現れたら……」

武芸者に天剣を越えるかもしれない莫大な剄を授ける、憎悪と妄執に囚われた亡霊。
その憎悪と滅びに生者だけではなく、同族の電子精霊や宿主にまで巻き込む厄介者。

レイリアの目が細まり、錬金鋼が軋む音が響く。

廃貴族の捕獲方法を具体的に考えようとした時点で、ついに静寂が破られた。









「汚染獣が来るぞ」
「グオオオオオオオオッッッッッ」

汚染獣が雄叫びを上げながら、エアフィルターを突破する。
その数は三体、妨害がなかった分同時に突撃してくるのが厄介だ。

エアフィルターは外からの汚染物質の進入を完全に遮断するもの。
汚染物質の付着した岩が飛んできても確実に除去するだけの性能があるくらい、通過するのときの粘りにも似た空気
抵抗の影響は大きい。

武芸者でも遠く及ばないだけのパワーの持ち主でも、汚染物質を剥ぎ取る空壁を無視できない。

普段と異なる空気抵抗により、都市上空に現れた瞬間バランスを崩した。

「狙撃部隊、撃てえええええええっっっっっっっ!!!!!」

合図とともに、十分に練られた剄弾が、剄羅砲が四方から火を吹く。
それらは見事に汚染獣の鱗全体に、口の中に衝突し爆発し、その爆破が連鎖して大気を大きく揺るがす。

「念威操者、効果はどうだ?」
「……ただいま解析中ですが、剄の多重干渉による乱れでやや時間がかかります」

各々の剄が多重に干渉し合った結果の大爆発が先頭の汚染獣を包み込んでいる。

その集中砲火を浴びなかった他の汚染獣に対しては、さきほどの攻撃に参加していない部隊が牽制し、都市に近づけ
させないようにする。

汚染獣も小癪な敵の姿を認識した後、上空を旋回し無理に突破しようとしてこない。

作戦通りに状況が進んだことにツェルニ勢に笑みと安堵の息が漏れている。

「よし、痛打を負わせた汚染獣から各固撃破していくぞ。格闘部隊、全員抜剣! 爆発が晴れ次第、弱った汚染獣の
とどめを刺すぞ」

ツェルニの指揮官が威勢のよい檄を飛ばす。

その檄に触発されていつも以上に剄を高めたところで、爆発が晴れてきた。

「ぬなあっっっっっっっ???!? そんな馬鹿なっ!!!」
「宙に浮いたままということに全員気付いていないだなんて…………大体この程度で倒せるようなら、汚染獣が人類
の天敵と称されることはありえない」

驚愕の声を上げたツェルニの武芸者たちに対し、レイリアはその見通しの甘さを聞こえないとわかっていながら口に
だした。

集中砲火を浴びせた汚染獣は鱗の隙間や口から血が零れているが、重傷を負った様子は一切ない。
汚染獣の固い外皮を砕くにはあまりにも威力不足、特に貫通力不足だったのだ。

一番脆そうな羽も、焼き爛れているが飛ぶ機能を失うほどの怪我ではないようで、今もきちんと動いている。

「ガガアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」

傷つけられた怒りに触発されてか、今までは比べ物にならないほどの咆哮が発せられる。

その咆哮はもはや音を伝えるというよりは、火を伴わない爆発という名の爆風。

前方に残っていた煙を軽く吹き飛ばすと、汚染獣は怒りと飢餓感のこめ、真っ直ぐ突っ込んできた。

「くっっ……敵の動きは単純だ、落ち着いて迎撃しろ!」

指令とともに剄羅砲や剄弾が再び発射されるが、汚染獣の固い鱗はその攻撃を易々と弾いた。

本来、ビルでさえ打ち砕く威力のある剄弾でさえ、汚染獣にとってはゴムボールをぶつけられたのと変わらないの
かもしれない。

顔面に迫るものを噛み砕きつつ、汚染獣はさらに突撃の速度を上げた。

「くそったれが! 散開」

汚染獣を止められないと判断し、汚染獣の進路にいた武芸者たちはすばやく散開する。

汚染獣は逃げ散らばっていく小さな武芸者に目もくれず、自らの鱗の傷をつけた兵器、剄羅砲を巨体で押し潰した。

巨体に見合う質量を伴った体当たりは、剄羅砲をガラス細工のように粉々に砕くだけでは終わらない。
剄羅砲が設置されている高台にも罅があっという間に広がる。

最前線に設置されている故に通常より頑丈に作られていた土台も、所詮は人工物。

人智を超えた怪物にとって意味をなさないといわんばかりに崩れ落ちて、外延部そのものを大きく揺らした。

この破壊で怒りを発散したのか、それとも高台そのものを破壊するのが多少はエネルギーを消費したからかは
わからないが、存分に破壊を撒き散らし瓦礫に塗れた汚染獣の動きがそこで止まった。

その隙を狙うべき武芸者だが、宙へ飛び広がる瓦礫の影響と汚染獣の圧倒的膂力と耐久力を前に茫然と萎縮して
しまい、動けずにいた。

集中砲火をものともしない耐久力と、砲台はおろかその土台の地盤ごと破壊する膂力。

どちらも想像を遥かに超えており、非常事態を何十パターンも想定してきた指揮官クラスでさえ有効な指示はおろか
茫然自失な状況を打開する空元気の指示すらも出せなかった。

単独でもレギオスそのものを滅ぼせる化け物。

その理由を彼らは目の当たりにし、理屈を超えて本能で理解したのだ。

「まずい!」

戦場では一瞬の油断も許されない。

敵は一匹ではない。今悲鳴が上がったのは他の二匹を相手にしているところからだった。

悲痛の声を上げたのは、先ほど破壊された高台から少し離れたところにある剄羅砲を扱っている者たちだ。

彼らは空を旋回する汚染獣を必死に迎撃しようとするが、その苦闘は実らず大気を貫くだけだった。

その原因は先ほどの汚染獣の突撃による小規模の地震だ。

高台そのものを粉砕したそれは、周辺の地盤をも大きく歪めた。
その結果、地面そのものに傾きが発生し、砲に付いている照準計器が全く当てにならなくなってしまったのである。

剄羅砲は複数の武芸者の剄を一つに纏めて発射するという精密機械だ。
その高度に計算尽くされた設計故に、少しのずれが致命的になってしまう。

砲台そのものは戦場で用いる以上、歪みがあっても大丈夫なように設計されているが、地盤のずれまでは対応できない。

一つの乱れを他の砲が必死に補おうと火を吹き続けるが、それは冷静さを失った攻撃。

砲撃の乱舞が舞い、汚染獣が避けきれないほどの広範囲攻撃を繰り出すが、同時に弾幕の薄い部分が出てしまう。

そこは庇おうしていた場所。
そこだけは弾幕をうまく張れないところであり、敵にとって絶好の活路となってしまった。

痛打を味わい興奮した汚染獣はその隙を見逃さない。
弾幕の衝撃を狂乱に変換し、着弾の衝撃でバランスを崩しても構うことなく突っ込んできた。

こういう事態に柔軟に対応するはずの格闘部隊は……動けなかった。

いや、動いたが事態を打開できなかったというべきか……。

「……経験がないというのは本当に……」

致命的ね……。

歴戦のレイリアでも、ここまで悪いことが重なり、挽回が効かない戦いを見たことはない。

こういうときのセオリーは危険を返りみずに跳躍して、空を飛ぶ汚染獣を全力で斬りつけ気を引くこと。
リスクが大きい行為だが、遠距離からの攻撃では威力も精度も足りないため、引き付けるには一番確実な手段だ。

だが、上空は砲の寿命を著しく縮めるほどの弾幕が飛び交い、とてもじゃないが接近できない。

地上からも剄弾を飛ばすが、彼らの泣き出しそうな表情がその効果を如実に示していた。

照準が外れた砲のところへ、汚染獣が飢餓と狂気を乗せた雄叫びを発しながら迫る。

久しぶりの食料、絶対に逃がさない! 

人間の戦いとは全く違う、飢餓感丸出しの鬼気迫る闘志。
その牙に呑み込れれば、骨すら残さずに死ぬ。
十数年の生きていた証が一瞬の内に消え去ってしまう。

「う、うううああああああああっっっっっっ」

名誉も意思も遺体すらも残らない凄惨な死の情景を目の当たりにして……武芸者たちは正気を失った。

奇声を上げながら逃げる、泣き笑いをしながら剄羅砲の剄を腹いっぱい敵の口に放り込もうとする、錬金鋼を復元、投擲した後、絶望したまま尻餅をつく。

彼らの自棄の攻撃など通用するはずもなく、汚染獣の巨大な下顎が全てを呑み込もうとした瞬間、光が疾った。
光輝く剄弾が硬直した武芸者たちを吹き飛ばした結果、汚染獣の牙は空を切る。

汚染獣の複眼は口からすり抜けた生意気な獲物の姿を追っていたが、加速した体は今更針路変更できない。
汚染獣は遠ざかっていく獲物を血走った双眸で睨みながら、砲と大地のみしか押しつぶすことができなかった。

「……遅すぎても早すぎても駄目なタイミングを見極めた上、なんて」

最悪の事態をぎりぎりで回避させた手腕に、レイリアから感嘆の声が漏れる。

見事な回避劇を演出した方へ視線を向けると、冷や汗を大量にかきながらも安堵の息を吐く男がいた。

この危機的状況に似合わない派手なピアスをつけた軽薄そうな男は、今だ剄光を放つ細剣を引き戻した後大仰な動作
で、困難な任務をやり遂げた部下と自分を褒め称えていた。

普段なら「油断するな、笑っている暇があったら手と剄を動かせ!」と言われそうな場面だが、彼に冷や水を
浴びせる人は誰もいない。

「ざまあみやがれ、突撃馬鹿が!! その程度じゃ、俺の崇高な頭脳の足元にも及ばないな」

あまりの突撃の勢いで瓦礫に埋もれた汚染獣。
それを見て笑い飛ばす彼の声には特別な力があった。

汚染獣にまた突破をされた結果貴重な剄羅砲を失っているので、再び陣形を組み直す必要がある。
先ほどの緊急退避させた人たちを退避させるための人員も割かなければならない。

事態は何一つ改善していないのにも関わらず、今度の立ち直りは早い。

暴れる汚染獣を見ている目にも光が灯り、隊長の威勢のよい声が力みすぎていた体と心を和らげる。
恐怖の裏返しの勇敢さではなく、勝って生きて帰るという変わらなく折れない意志。

戦場の一区域に過ぎないが、そこは確実に空気が変わった。

そして、被害の建て直しに手間を取らないことで、戦況全体の流れも変わるかもしれない。

たった一つの勇猛や光明が不利な態勢をひっくり返した話は、実例としていくらでもあるのだから。

レイリアは思わぬ展開に無意識のうちに拳を強く握っていた。

「よし、お前らはあっちへ回り込め。飛ぶ瞬間を時間差で狙い、チクチクと嫌がらせをするぞ! もし瓦礫ごと暴れだしたら……ちょっと待て」

迎撃の準備を整えようとした時点で男は言葉を止めた。

視線を向けた先にいたのは我を省みずに必死に逃げている青年だ。
汚染獣にパクリと食われそうになった部隊の一員で、数少ない意識のある生き残りでもある。

気絶したところを護衛、救出する手間を考えれば、自力で生き延びた彼は敢闘賞に値するかもしれなかった。

「よく生きて帰ってきてくれた」
「……だ」

レイリアはその青年を見て急に表情が引き締まり、体に剄が奔った。
嫌な警鐘が鳴り響く。

これに似た感覚はどこかで感じていた。
確か、戦闘前に感じていた焦燥にも似たもやもやだ!

「うーーん、流石にあの状況に遭ってこちらの声なんか届くわけないか……。後方でゆっくり……」
「じ、じゃ、邪魔だあああああああ!!!!!」

誰も想像だにしなかった光景。

狂刃が走る。
復元してもいない錬金鋼から剄が放たれ、青年の目の前にあるもの全てを薙ぎ払おうとする。

その突然の凶行に誰も反応できない。

あぶない! という言葉が飛び出ることもなく、ただ目の前の衝撃波を見つめる部隊長たち。

誕生したばかりの光明の灯は、あっさり狂気の風圧で吹き枯らされてしまった。

「おいっ! 俺たちは味方だ、正気に戻れ」
「……………………」

倒れた武芸者が傷みに顔を顰めながら呼び掛けるが、届かなかった、届かなくなった。
痛みで声が掠れている上、大声を上げながら他の武芸者たちが走りよって来ているためだ。

無防備なところを攻撃されたが、剄を練る時間も惜しみ錬金鋼で増幅されていない一撃。
重傷を負った者は運よくいないが、この混沌とした状況で事態はさらに…………、

感情が抜け落ちているレイリアの戦闘状態の表情がさらに怜悧になった。
この混乱を引き起こした者、この状況をさらに混沌とさせてしまう者などを見て、レイリアの心に冷たい何かが宿る。

「素人のみだとこれほど酷くなるなんて……これほどなら案外早く廃貴族が現れるかも」

危機的状況にこそ、絶望がすぐ目の前に迫るからこそ、都市を護るという意思は極限まで研ぎ澄まされる。
そして、廃貴族はその瞬間に「都市を守る力が欲しいか」と惑わし唆し、汚染獣を殲滅させる力を授ける。

自らの目的を口に出すことでレイリアは自らの目的を再確認し、唇を噛みしめながら戦況の変化を観測し続けた。

急いで駆けつけ助けようとする者や大声で警告する者など行動はバラバラだが、変わらない者が一人だけいる。
その者は目の前の混乱にも呼びかけにも耳を貸さずに、ただひたすら地面を蹴り足を動かしていた。

狂刃を振るっても、その表情はなお恐怖と怯えが増すばかり。

汚染獣から逃げたい。戦場から一刻も早く身を隠したい。

彼にとって、目の前にあるのは全て逃亡を邪魔する障害物。

何とか避けた死の刃が後ろから再び忍び寄る前に、少しでも遠ざかろうという思考で塗りつぶされていた。

そのために、目の前にあるものは全てどかすと乗り越えるか……踏みつけるか。

「ぎゃあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

大きな悲鳴が響き渡る。次の凶刃は戦闘用の頑丈な靴だった。

活剄によって高められた踏み込みは骨を砕くこともたやすい。

戦闘中の痛みなら骨が砕けるほどの痛みでも耐えられるが、それは覚悟があってのもの。
味方という最も覚悟が必要ないはずの方面からの痛撃に、声を抑えることなど不可能だった。

この悲鳴を期に、駆けつけた者たちは錬金鋼を構え力尽くでも止めようとする。

正気を失っているとはいえ、同じツェルニの武芸者。
隙をついてなるべく一撃で終わらせようとその挙動を観察しようとしたとき、

「ひいいっ、う、腕が……」

逃げる青年の腕はくっきりと折れていた。おそらく飛び散った瓦礫にやられたのだろう。

折れたところから血がにじみ落ちているのにも関わらず、青年は逃亡するために全力で腕を動かしている。

周りの状況も見えていない、自らの痛みも感じてない。

顔も死人のように青白くなっている。
幽鬼という存在がいたらまさに目の前の存在なのだろう。

身の毛がよだつような精神的恐怖によって、包囲網に隙が生じ突破される。

「……………………………………………………」

レイリアの左手が胸元に添えられる。
ただ冷徹に絶対零度の表情で見つめているレイリアに、左手を動かしたという自覚は……なかった。

「くそっ、誰か頼む」

みすみすと逃がしてしまった者が叫ぶが、それに反応してくれる人はいなかった。

相手は戦場の恐怖に囚われ、武芸者であることを放棄。
誇りも矜持も未来も全てを忘却した、生に囚われた亡霊とでもいうべき存在。

誰もそんなものに向かい合いたくない。
敗北、絶望、死といったものを内包している者と関わって、感化されてしまうことなどあってはならない。

彼を止められないのは、彼がツェルニの武芸者たちが内心押し隠しているものの発露だったためだ。

武芸者といっても所詮は学生同士。

敵前逃亡者は即抹殺といった過激な風潮などあるわけがなく、念威操者の悲鳴がかった呼びかけをBGMに逃走が
成功しかかった瞬間、4つの剄弾が四肢を貫き砕いた。

外力系衝剄の変化、九乃。

逃げられてしまうという確信が生まれた瞬間、レイリアの腕は動き、狙撃していた。
指の間から放たれた細い剄弾は外れることなく外延部まで届き、狙い通りに突き刺さり、衝撃を内部へ開放する。

崩れ落ちる逃亡者を見ながらレイリアは……。

「え……なんで?」

ぽつりと疑問の言葉を発し、剄弾を放った左手を茫然自失の態で見つめていた。










後書き
戦闘シーンが思っていた以上に長い……。
それとツェルニが弱すぎると感じるかもしれませんが、ツェルニが弱いのではなくて汚染獣が敵補正を受けて強く
なっていると考えてください。



[26723] 過去編(グレンダン編) 第1話  5歳 原点 前編
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/03/26 18:07
過去編 第1話  5歳 原点 前編










「……え~~と」

普段は寝ることぐらいにしか使わない狭い部屋。
三段ベットと大きな箪笥の所為で非常に狭くなっている部屋の中に自分の兄、姉たちが小さな紙を中心にして
集まっている。
子供とはいえ部屋の許容人数を大幅にオーバーしているために、部屋の中はまさにすし詰め状態だが、文句を
言うものは誰もいない。

子供たちを見ている茶髪の少女――義務教育も始まっていないから少女というより幼女というのが正しい――に
幼児のぷにぷにとした肌の柔らかさはなく、栄養状態がよくないことが見るだけでわかってしまう。

だが、それも部屋にいる子供たちと比較すると軽いものだった。
長袖のシャツやズボンの先から見える細い手首と足首。そこから血管の影も見えてろくに肉がついていないことが
よくわかる。
ほほの肉も削げ落ちている上、修繕跡が残った小さめの色あせた服。

外に出れば、浮浪児と呼ばれても仕方のない格好であった。

「ちょっと遠いけど、この場所で貰えそうだぞ。ここは一度暴動が起きて配給がストップしたけどもうすぐ再開するって話だ。役人も混乱しているから何気ない顔で並んでおけばばれないと思うぞ」
「馬鹿。ばれるに決まっているでしょ。暴動が起きた場所でよそ者に優しいわけないじゃない」
「やってみないとわからないだろう」
「遠い、補導される、並ぶ以前の問題、却下。やっぱり処分市よ。お義父さんが適当にしまいこんだ冬服がある
じゃない。わたしたちが着るには大きすぎるものを使えば損しないし物々交換だって可能だわ」
「……もったいなくない? 大きめの服を切ればわたしたちのサイズになるのに」
「もったいないから交換できるの」

ここに孤児院。
子供たちは全員孤児で身寄りがない。身寄りにあてがある子供はすでにこの院からでている。
つまり、ここにいる子供たちは全員、親に見捨てられたか捨てられた子供たちなのだ。

大人しくしていても助けは来ない。
子供でもピンチは自力でなんとかしなければならない。
子供たちの生存本能が自然に学んだことだった。

……全ての始まりは畜産プラントの原因不明の故障からだった。
食用動物が原因不明で次々と死んでいった。
理由は今でもわからず、突然変異した病原菌や、プラントが故障し発生した有害物質が原因だとも言われている。

食料を自給自足し、外からの輸入が不可能というレギオスの生活では大事件といえる畜産の変死事件は当時、大々的
に報じられず、対策もあまり力を入れられていなかった。
今から考えると信じられない怠慢だが、当時の風潮は全く違った。

武芸の黄金世代。グレンダン史上最強という名での都市全体でのお祭り騒ぎ。
数年前から、優秀な武芸者がたくさん現れたのだ。
外と中両方から。
10年前までは5人しか存在していなかった天剣授受者も毎年のように選ばれ、今年で既に9人。
残り3人も外から優秀な武芸者がやって来ているため、後は実績を得るだけの時間の問題だと噂されていた。

怪死事件も起きてしまっても水を差すなと言わんばかりに、同時期に起きた天剣授受者授賞式の祝事ですっかり無視、
対策がおざなりにされてしまったのだ。

警告した人も、少人数ながらいたらしいが、

「肉を我慢すればよい」
「予算がない」

といった声に潰されてしまったのだ。

畜産プラントの怪死事件も肉を買う主婦ぐらいしか思い出さなくなった頃に次の事件が起きた。
プラントの異常が主食料である穀物・農業プラントでも発生したのだ。

畜産プラントの原因もまだわかっていなかったために、被害拡大を食い止めることができず、穀物はほぼ全滅。
備蓄も少しはあるが、来年の収穫時まではとうてい足りない。

こうして、グレンダンの食糧事情は一気に悪化、炎上したのだった。


「ねえ、わたしにできることは……」

レイリアと名付けられた幼児は、同じ孤児院出身の姉、兄たちに声をかけた。

姉兄たちの反応は2つに分かれた。
レイリアに優しく諭すような目と、露骨ではないが邪魔者、いや恨めし気に見る目。

「レーちゃん、心配かけてごめんね。わたしたちはレーちゃんが心配してくれるだけで嬉しいから。
レーちゃんは希望の星だもの」
「……そうだぞ、レイリアは既に十分孤児院を助けているのだから」
「……でも」
「「大丈夫だから」」

頭の良い兄姉にやんわりと拒絶され、レイリアの勇気も萎んでしまう。
だが、ここで勇気をなくしたら声をかけた意味がないし、何より役立たずな癖恵まれている自分が許せなくなる。

姉兄の拒絶のオーラに負けないよう、武芸のときのように息を整え小さく一礼して相手の目を見て話しかけた。

「でも、わ、わたしだってお姉ちゃんたちを助けたい! 肉体強化もできるようになったから重い物も持てるし、
遠くの物も見えるよ。気配を読む、隠すのも少しならできるから、遠くの場所でも案内……」
「いやいやいや、神聖な武芸の力を悪用させたら、わたしたちお義父さんにぶっ飛ばされちゃうよ」
「そうそう、天才武芸者のレイリアがいるのだから役人からお金だって貰えるし、あの金持ちの兄ちゃんから食べ物
を援助してもらったりできるんだぞ。後は俺たちに任せてくれればいいからな。レイリアは強くなることだけ考えて
いれば良いからな」

レイリアの提案を全部聞くことなく、兄姉たちは言葉を重ねてレイリアを部屋の外に追い出し、扉を閉めてしまう。

兄姉とお前では住む世界が違う。
お前は特別で別の……。

大きな扉がレイリアに恐怖の言葉を投げかけてくる気がしてレイリアは逃げた。

逃げる途中で同じくらいの背の女の子とすれ違う。
他の子供と同じくレイリアより痩せこけた女の子は、レイリアとは正反対の顔をして、追い出された部屋に軽々と
入っていった。

「お兄ちゃん、お義父さんの明日の予定わかったよ~」
「でかした、これでスケジュールが建てられる」

レイリアと同じ年の女の子が皆に褒められるのを聞いて、レイリアの心に針が突き刺さったかのように感じた。

「心配性で子供たちが危険な場所に行くのを許さないお義父さんだからこそ予定を調べ、ばれないようにしなければ
ならない」
姉が言っていた言葉だ。

レイリアでは嘘がつけなく、隠し事がすぐにばれてしまうから、やるといっても拒否されてしまったことだった。

希望の星、天才武芸者。

そんなのが何だ。
そんな大層なあだ名があるのに、レイリアは今、家族に何もできていない。

兄妹でひとりだけ武芸者。
ひとりだけたくさんのご飯。
ひとりだけ……何もしなくてよい。
そして……普段は賑やかな食卓に今、ぽつりとひとり。

「さみしい……よう……」

レイリアの目から涙が流れる。
泣き声だけは押さえようとしたが、結局彼女は大泣きしてしまった。







「レイリア、また泣いていたのか」

図星だからレイリアは目をそらした。

「レーちゃんは泣き虫だから仕方ないの。なになに? 娘心のわからないお義父さんなんて嫌いだー! だって」
「……ルシャ、お前には聞いてないし勝手に代弁するな」

孤児院の院長で養父でもあるデルクは、可能な限り家族全員で食事をすることにしている。
そのため、作った料理を居間にある大きなテーブルに運んで、全員が食べられるようにしていた。

昔は料理を大皿に入れ、そこから個人が適量を取るシステムになっていて、食事時はいつもおかずの取り合いに
なっていたものだ。

だが、今は違う。
それぞれの前に置かれた野菜炒めが盛り付けてある皿と、とうもろこし入りのスープが入ったカップ。
少ない食料を皆で分け合うために、こうしてしっかり分けているのだ。
肉と穀物がほとんどない侘しい食事だが、全員がそのことにもうすっかり慣れてしまっている。

ちなみに、とうもろこし入りのスープであって、コーンスープでは決してないと兄が主張したために、
誰もこのスープをコーンスープとは呼ばない。

誰かが冗談を言っては突っ込まれ、子供たちが笑い笑われながら楽しく食事をするのが、この家のスタイルだ。
だが、レイリアは話しかけられない限りは、デルクのように黙々と食事を続ける。

レイリアは武芸者であるため、他の人より多めに料理をよそってある。
皆と話しながら食べると、量が相対的に多いレイリアだけが一人残って食事を続けることになる。
それが嫌なので、皆のペースに遅れないように急いで箸を口に運んでいるのだ。

テレビは相変わらず暗いニュースを伝えている。
暴動がまた起きたとか、ようやく始めた政府の食料の配給に殺到する人々の様子だとか、政府の動きの鈍さとか……。
子供たちはテレビの内容に誰も注視しない。
それどころか、煩くてテレビの音が聞こえないとデルクから叱られるぐらいだ。

前にレイリアがその理由を尋ねると、

「義父さんの前で情報収集の証拠を残す真似はしないわよ。わたしたちは義父さんが使わないネットや噂で情報収集
をすればいいの」

と返ってきた。

ニュースを理解できないレイリアが気にすることじゃないと言われたので、よくわからないまま納得したのであった。
兄姉は食事を終えてもまだ楽しくおしゃべりをしている。

食事を終えるということは手も止まり、両手が空くということであり、極たまに会話から両手を駆使した
取っ組み合いに発展することがあるが、今日はないようだ。
良かった、今日も早く食べ終わろうと決意し、レイリアは小さな口をひたすら動かし続けた。

食事を終えてから就寝時間までは自由だ。
今日は何して過ごそうか考えていると、養父が珍しく声をかけてきた。

用事があるときは大抵稽古後に話すのに、今日は言い忘れたのだろうか?

レイリアが反応したのを見ると、」部屋で話があると言って部屋の中に入っていったので、レイリアもそれに続く。
養父の部屋はものがほとんどなく殺風景だ。
私物で溢れている子供部屋とは全然違うのであった。

「お義父さん、話って何?」
「まずは座りなさい、レイリア」

養父に言われた通りレイリアは近くの椅子に座る。
大人用の高い椅子に座るのは、なんだか大きくなったような気がして好きなレイリアだった。

「レイリア、体調は大丈夫か?」
「うん、大丈夫。最近は調子いいから心配しないで」

思えば、養父とじっくり話をするのは久しぶりである。

孤児院のために、せわしく動き回っている養父はとても忙しい。
たまに家族が減って恨みたくもなるが、この危機の中義理の家族のために必死になっている養父のことが、親が
いなく愛情に飢えている子供たちは大好きだった。

レイリアに「最近はどうだ?」 などを尋ねてくる養父に、レイリアは笑顔で答える。
途中レイリアが話を脱線させても、養父は気にせずレイリアの話を聞いていた。

「……でね、リーリンたら凄いんだよ。わたしの疑問を……」
「……の魔法少女が卑怯な敵を相手に……」
「向かいのおばさんがね……」
「……を教えてくれた、たっ」

久しぶりに長く会話をした為か、舌を噛んで涙目になるレイリア。
稽古の痛みとは全く違う痛みに、派手に悶絶するレイリアの回復を待って、養父が問いかけてきた。

「……レイリア、楽しそうだな」
「わたしが苦しんでいるのにお義父さん、何言っているの? 本当に痛かったんだから」

そう言って舌を出す娘に、養父は声を出して笑った。

「ははは、すまなかった。お前をからかう気などなかった。……ただ、最近お前が寂しそうにしているのを見ていた
から、つい心配してしまった。だが、お前には助けてくれる家族がたくさんいるのだな」
「お義父さんが一番だよ」

どこか突き放したような言い方をする養父に、レイリアは即答した。

その言葉に、養父は一瞬はっとすると、喜んでいるような苦しんでいるような、愛憎入り混じった表情をしたが、
感情の細かい機微に疎いレイリアには、苦しむのはおかしいから照れているのかなと思った。

「……結局、お義父さん、話って何だったの?」
「いや、話はもういい。考えてみればこの質問をレイリアにする方が間違っていた。レイリアが家族のことが好きだ
とわかっただけで十分だ」

養父は何かを悟ったように重々しく頷いていたが、レイリアから見れば面白くない。
楽しかったことは事実だが、舌を噛んでまぬけな姿を見せた後、いつの間にか話が終わっていたのだ。

「皆、お義父さんと話をしたがっているんだから、わたしの雑談を聞く余裕があるお義父さんはもっと頑張ってね」

レイリアは捨て台詞を残すと軽い足取りで部屋から去っていった。

「……一番か。子供に教えられるとはわしも未熟だな」

天才武芸者。1を見て10を知る者。新たなる世代の旗手。
レイリアを武芸者の一面から見たときの評価だ。

デルク自身、レイリア以上の才能の持ち主に出会ったことはないし、老齢で流派を弱小にしてしまった自分がその
才能を伸ばせるのは、天の恩寵といっても過言ではないと考えている。

そして、それは武芸者ならだれでも抱く考えでもある。
光溢れる原石を磨き上げ、最強という宝石を作り上げるという、武芸者にとって最高の栄誉。

「……わしもあまりの輝きのあまり、足元を見なくなっているな」

才能があり、千の技を覚え、音より早く動けたとしても、一瞬の油断が死を招く武芸者の冷たい世界。

「力に驕る面はない分、問題は精神面のみ」

その精神面でデルクは取り返しのつかない失敗をするところだった。

レイリアは武芸者である以前にまだ子供、いや甘えん坊の幼児だ。
寂しがり屋で内気で、強く言われたら家族にさえ反論できない、でも他人を思いやれる優しい子。

そんな子供にこんな重大な判断をさせるのはもっての他だ。
1つしか言えない答えを聞くなんてまさに外道すぎる。

デルクは書類を鞄の中に仕舞うと、部屋から出ていった。

この後、子供と話をして、途中格闘技戦(別名、悪ガキ懲らしめ)に移行したデルクは気付けなかった。
デルクの部屋に子供が一人こっそりと入っていったことを……。







レイリアは翌日、道場にいた。
ここはサイハーデン流の師範を務めるデルクの道場で、門下生は数人しかいない超弱小流派だ。

本来、レイリアの年齢で武芸者の修業をすることはない。
だがレイリアは、大人たちの訓練を見ただけで剄の扱いを覚えてしまうだけの才能があったために、安全のため
剄の制御を学ばなければならなかった。

剄の流れが見える。それがレイリアの才能、特異性。

剄とは武芸者が超常的な力を発生させるための元となるもので、剄を用いることで肉体強化したり、衝撃波を放つ
ことができる。
通常、剄を発生、操るのは数年の訓練を要するのだが、レイリアは視て真似るだけで剄を操ることができた。

「えい、えい」

声だけ聞くと玩具を振り回す、微笑ましい幼児そのものだが、摸擬刀の動きは周囲に全くひけをとっていない。

通常、幼児が子供用とはいえ大きすぎる模擬刀を振り回せば、遠心力に振り回され、柄がすっぽ抜けてしまうのだが、
レイリアの振るう模擬刀は鋭く空気を切り裂き、かすかな風切り音しか発さない。
重さに頼る、もしくは振り回されていては絶対にできないことだ。

空気を力で押し出し豪風を生むのではなく、空気の流れに逆らわず2つに裂く。
切り裂くではなく、空気の流れを読み取って切り込みを入れ、後は流れと一体化する。

刀の基本にして奥深い技術、それを5歳の少女が刀使いと名乗れる程度までマスターしていることが見て取れる。
これを幼年部の大会で披露したのが、天才武芸者と呼ばれる切っ掛けだった。

踏み込みが道場全体を震わす中、基本を繰り返し、体の動きに剄を馴染ませる。

「レイリア、休憩」

師範からの指示でレイリアは刀を振るうのを止めた。

レイリアの訓練はあくまで剄の制御。
剄の制御に失敗して他人に迷惑をかけないようにするもので、強くなるためにするものではない。

だから、基本が終わった時点で休憩、見学となり、大人たちがさらに激しく訓練するのを観察することが日課だ。

レイリアにも基本以外の技を試したいという思いはあるが、目の前で、

「きえええぇぇぇぇーーー」
「いややややーーーー」
「脇の締めが甘い、重心を悟らせるな。来るとわかった攻撃なんて屑だ」

と気合や金属の激しい衝突音とそれによる大気の震え、何より養父の渇が木霊する中に入り込む勇気はない。

それに身体強化や気配を隠すという、日常に役立ちそうな訓練は自主的でもできる。
だから、レイリアは途中で訓練に参加できないことに不満を覚えず、ただ黙って見ているのだった。

「お養父さんたちはいつ見てもすごいな。痛みに全然怯まないどころか、痛がる素振りさえ見せないなんて」

基本を確かめた後の訓練は、厳しく激しい。
床に叩きつけられるなんてしょっちゅうだし、無様な攻撃、防御を見せるとその隙に容赦なく模擬刀を打ち込んだり
している。
また、限界を超えた高速移動の制御に失敗して地面に転がる、または壁に激突することもある分、武芸者というもの
は本当に大変なんだと思う。

「終了! 集合、礼。 ではお昼休憩だ」

養父の号令で道場生が並び、深々と礼をすることで午前の練習は終わる。

厳しい訓練で足腰が震えている者もいるが、懸命に堪え隣の食堂に移動した。
グレンダンでは、道場の近くに食堂があるのは常識だった。
武芸者の訓練は人一倍エネルギーを使うのだ。
その武芸者を対象とした商売が成り立つのは自明の流れである。

今は食糧難で普通のお店ならほとんど休業状態のはずだが、武芸者御用達の店では、武芸者が自らに援助された食料
を持ち込むので、食堂の臨時開店が可能になるのであった。

「レイリア、今日の俺は良かっただろ」
「バランス崩されて転がり続けたことを忘れたとは本当にお前は鳥頭だな。共食いは忍びないからこれは貰ってやる。
感謝しろよ」
「てめえ! しかも汚え!? レイリアのところに入れやがるなんて、そこまで性根が腐ったか」

養父の道場生は人数が少ないが全員気の良い人たちで、人見知りのレイリアにも気さくに話しかけてくれる。
顔に切り傷がある強面の男もいて初めは怖かったが、今は良い人とわかっているから怖くはない。

……だが、高い高いといって数メル先の上空まで放り投げるのだけは勘弁してもらいたいが……。

「レイリアさんの成長は本当にすごいね。刀の基本はほぼできているし、活剄の精度も見る度に見違えているよ」
「ありがとうございます」

まだ幼児のレイリアのことをレイリアさんと優しく呼ぶのは彼だけだ。

ユアン・ヴェルト。

1人気品よく食事をしている青年で、何で弱小道場にいるのかわからないくらいの名家の出身者だ。
名家の名に負けないくらいの気品と実力を併せ持つ武芸者で、レイリアとしても道場生の中で一番大好きな人である。

ちなみに孤児院に食料や勉強道具を寄付してくれるのもこの人で、孤児院の皆は金持ちの兄ちゃんと呼んでいる。

「基本だけを見たら学生くらいの実力を持っているのだから、焦らず頑張ってください。……まあ、優しいレイリア
さんにはこんな時勢にのんびりしろと言っても納得しづらいかもしれませんが、子供の頃は友達や家族と遊ぶのが
一番なのだから……。困ったことがあればいつでも大人に相談してください。少なくても道場生の仲間はすぐに
助けてくれるはずです」
「……ありがとうございます」

困ったことがあれば……その言葉に反射的に口が開こうとするのをレイリアは抑え、別の当たり障りのない言葉に
変換する。

寂しい、兄姉から特別扱いされていて寂しい。

こんなこと、すでに孤児院を十分助けてくれているユアンさんに言うべきではない。

その後も共通の話題である武芸や養父の話をしていると、そこに他の者も加わり会話はさらに花を咲かせた。

そろそろ午後の訓練の時間だということで食器を片付けた後、見送るレイリア(午後の訓練は危険だからと見学も
許されていない)にユアンが一言声をかけてきた。

「どうやら振られちゃったみたいだけど……いや僕の余計なお世話だった言うべきかな。僕はレイリアさんの勇姿を
初めて見たときからの大ファンだから、これからも相変わらず応援させてもらいます」

レイリアは言われたことに心当たりはなく、きょとんと首を傾げるだけだった。







レイリアは服を着替えると、憂鬱な気分のまま孤児院に戻っていた。
兄姉たちは押入れから午前中に探し出した服を、処分市に売りに行っているはずだ。
つまり、孤児院に人はほとんどいないので、帰る足取りも重くなってしまう。

「おい、レイリア」
「レンウェイお兄ちゃん! あれ、1人なの?」

レンウェイはレイリアより4歳年上の男の子だ。
やんちゃですぐ手が出る性質でレイリアも何度も泣かされたりしたが、レイリアと同じく物心がつくときから孤児院
にいる仲間で、レイリアもよく慕っていた。

「こんなに早く帰ってきていいのか? ユアンが優しいとはいえ、優しさに甘えすぎるのは将来的によくないぞ」
「……? お兄ちゃん、何の話? わたしはいつも通り訓練が終わって帰ってきただけだよ」

レイリアののんきな疑問顔に、レイウェイは声を出して笑った。

「ははは、俺たちに気を使わなくていいって。ユアンから話はあったんだろ? 良い話じゃないか。こんな人の
少なくつまらない家に帰るぐらいなら、道場で待っていた方がよほど良いと思うぞ」
「……何を言っているの?」

レイウェイの話し方に恐怖を覚えたレイリアは、後ずさりをしながら強張った顔をレイウェイの方へ向けた。

この話し方は知っている。印象に残っている。
雰囲気……そう雰囲気は陰性と陽性で真逆だけどあれは……あれは家族が…………。

レイリアは更なる恐怖に襲われ、つい小石に躓きそうになった。

普段なら気にしないような小さな小石。

その小石がコロコロ転げ落ちていく音が、なぜかレイリアにははっきりと聞こえた。

「何て、ユアンから養子の話があったんだろ? こんな良い話は2つはないし、ユアンほど良い人も2人といないぞ。
名家の一員、しかも厄介扱いになりそうにないって、流石孤児院の出世頭、いやシンデレラじゃないか」

……養子? 何を言っているの!? わたしたちは皆お養父さんの養子じゃない!?

言葉は声にならず、ただ歯がガチガチと噛み合う音のみが響く。

「……聞いてない、そんなの知らない」

唇が動かないまま声が漏れる。
養子? わたしとユアンさんが実は血が繋がっている!?

……そんなことはない。わたしは5歳、ユアンさんは19歳。

いくらなんでも年齢が近すぎるし、それなら一度くらいはユアンさんの実家にお養父さんが行っているはずだ。
お養父さんは子供のためになるなら、捨てた親にも直接談判を何度もするぐらいなのだ。

だが、実は親が生きているなんて話は聞いたことはない。
そもそも、わたしの親は放浪バスの事故で死んだって聞かされたのだから……。

だから、養子なんて、アリエナイ。
頭が混乱する中、ユアンさんに最後に言われた言葉を思い出す。

「……どうやら振られちゃった」

あれだって会話中にユアンを無視したか何かに対してだ。
そうだ、だからあのときにユアンさんの瞳は……。

「嘘だ」

自分の声とは思えないくらい大きな声がでる。その声が自らの思考を止める。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ。わたし何も知らないもん。お兄ちゃんの嘘つき。お兄ちゃんの嘘なんてすぐばれる癖に!」

レイリアの大きな声にレイウェイはむっとすると、レイリアの声に負けないよう怒鳴り返した。

「五月蝿え! 近所迷惑だろうが!! しっかし親父の野郎まだ話してないのか? 詳しい話はそこの空き倉庫で
するぞ。最近、近所の目も厳しいからな」

レイウェイはレイリアを一喝すると、小さな手を持って引っ張り、近くの倉庫の中に入っていった。










後書き
「5歳 原点」は前編、中篇、後編、エピローグ編と続きます。




[26723] 過去編(グレンダン編) 第2話  5歳 原点 中篇
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/03/29 18:05
過去編 第2話  5歳 原点 中編










「大体、そんなことお兄ちゃんが知っている訳ないじゃない。わたしもお養父さんも知らないことを、お兄ちゃんが
知っているなんてありえないだから」
「……今日のお前は随分生意気だな」

孤児院から養子に出される話は食糧危機以来何度かあったが、それは養父と当事者が養子先と話し合い、養子縁組が
決定した後、孤児院の家族に通達されるはずだ。
当事者から情報が漏らすので、通達される前に家族は全員その話を知っているのが常だが、今回は当事者のレイリア
すら知らないことなので、そのケースには当てはまらない。

「大体、わたしの両親は死んでいるらしいんだよ。その親戚が偶然ユアンさんだったなんて話が出来すぎている」

レイリアの反論を、レンウェイはニヤニヤと受け流している。
これはおかしい。レイウェイは短気で無鉄砲な性格の分、すぐ反論してくるはずなのに……。

「……何で親父が話してないのかは知らないけど信じられないのはよくわかる。ユアンは良い奴だとはいえ、貧乏で
社会の底辺にいる俺らとは全然違う、見栄えと先祖ばかり良い名家出身だからな。だが、レイリア。これを見てみろ。
最近、親父のレイリアを見る目が違ったから調査していたら昨日、鞄の中から見つけてコピーしたんだ」

レンウェイが取り出したのは書類の束だった。表紙にはレイリアちゃんへと手書きで書かれている。

「まだお前じゃ読めないから、頭の良い俺が解説してやる。……これが養子縁組の紙だ。ちゃんと印鑑が押されてあるから、後はお前が承認すれば親父が印鑑を押して終了だ。事務手続きもほとんど終えているらしいぜ」

レンウェイが指差すところを確認する。
読めない字をレンウェイに教えてもらいつつ読んでいくにつれて、レイリアの顔色は真っ青になっていった。

書類は確かにレイリアの養子縁組の内容だったが……。

「……あれ、親権のところにグレン・ヴェルトって書いてある?」

ユアンとグレン、書き間違えるにしては間違えすぎな気がするが……。

「グレンってユアンの親で現当主様だ。すごいぞ、名家の現当主様が直々に動いているんだ。勿論、ユアンが中心に
なって親を説得したんだろうけど……流石、親父に目をつけるだけはあるな」
「どういうこと? 知らない人の養子なんて……」
「わかってないな。実際にユアンの養子にしただけじゃ保証が足りないだろ。御曹司の戯れ、次期当主の下々への
パフォーマンスなんて言われて、養子なんて使用人や親族から見下されてしまう」

瞳に暗い焔を灯しながらレイウェイは言葉を続ける。
レイリアはふと、レイウェイが武芸者の名家に詳しく、だから色々知っているのだと思い至った。

「でも、次期当主と現当主のお墨付きがあれば話は別だ。誰も現在と未来の最高権力者を敵に回したくないからな。
あいつらは犬みたいにご主人に尻尾を振るのが一番の仕事だから……。しかもそれだけではなく、現当主の奥さんや
流派の師範の承認まであるんだぜ。これだけの承認を取れるなんてユアンが凄いのは勿論、お前も本当に凄いんだな」
「……わたしが凄い?」
「当たり前だろう。ユアンが気に入っているだけじゃあ他の人達は説得できない。お前の実力は向こうの家に
‘我が家に迎え入れたい’と思わせるほどあるんだ。つまり、良いもの食って、あんなボロ道場とは比較にならないほどの良い環境で練習している名家の坊ちゃんどもが遠く及ばないほど、お前は強くなれるんだ。半端な才能なら
流派に招くだけで十分だから」

レイウェイは興奮気味に語る。
その熱意に押されて、レイリアは少し頭が回るくらいには冷静になった。

まず、養子縁組の話があること自体は事実なのだ。
レイリアが話を聞いていないというのは関係ない。
現実はいつも、レイリアの意志とは関係ところで進んでいくのだから。

ユアンさんのことは好きだ。
親切だし、あの気品溢れる姿、見せびらかしたりしないが注目を集めても、極自然体を振舞うことができる姿が
本当にかっこいいと思う。
偉そうにしている役人武芸者とは大違いである。

養子に入り、ユアンさんやその家族と優しさに包まれながら、ヒラヒラとしたきれいな服を着て、他者から注目を
集める自分の姿を想像してみる。

上流階級の憧れは確かにある。食糧危機で自分たちはこんなに苦しんでいるのに、未だに清潔感溢れる服を着て、
暴動とは関係ない地区に住み、閉鎖されていない高級レストランに入る別次元の世界の人々。

その世界に通じる糸が、偶然か幸福か目の前にあるのだ。

「レイリア? もしかしてお前自信がないのか? 確かに思うほど強くなれなかったらまずいのかもしれないが、
お前なら絶対大丈夫だ。親父もユアンも認めた、最高の素質を持っているのだから。お前は親父が60年間見た武芸者
の中で最強でもなんだ。もしかして天剣授受者にも手が届くかもしれないぞ」

天剣授受者とは最強の武芸者たちに授けられる称号であり、グレンダンの最高栄誉だ。
その遥か遠くの栄誉の光が目の前まで近づいたことに、レイウェイは興奮している。

そして、レイリアはレイウェイが興奮するほど、何かが冷めていくのを感じていた。

「……お兄ちゃんはわたしがいなくなってもいいの? 寂しくないの? ……それにわたしがいなくなったら補助金
がなくなって家はさらに困ることになるんじゃ……」
「そんなこと、お前が心配する必要がないし、お前が思いつくことはユアンさんも当然思いついている」

レイリアの心配事など小さなことを言わんばかりレンウェイは笑う。

「レイリアが向こうの養子になったら、孤児院にお金が支払わられるようになっている。要するに謝礼ということだ。
わざわざレイリアが遠戚の子という設定にしていて、今まで育ててくれた養育費って名目だとよ」
「…………」
「おいおい、親父が金に目が眩んでこの申し出を受けたとかはありえないからな」

レイリアの顔色から内心を予測したのか、レイウェイがさらに補足を続ける。

「レイリアの家族愛が、孤児院の仲間意識が深いのは向こうも知っている。だから、孤児院なら大丈夫だから
レイリアも安心しなさいというあっち側のメッセージだ。よくわからないけど向こうも孤児院に寄付することで
レイリア以外の事で得する事があるみたいだから、レイリアが裏を勘ぐる必要はない」

そこで言葉を止めると、レイウェイは皮肉をこめて一言付け加えた。

「ま、金持ちの慈悲って奴だな。ユアンも自分の管轄内のお金ではこれ以上孤児院を助けられないから、家の金を
動かしたのかもしれないがな」

言いたいことを全て終えたからか、レイウェイはレイリアから視線を外し1人で何度も肯いている。

孤児院の皆を助けてくれる。しかも向こうはレイリアを冷遇するつもりはない。
それどころか、名家のしがらみを乗り越えて家族として接してくれると言っている。
ユアンさんは信用できるので騙される心配もない。

全員が助かる。素晴らしい道だ。
食糧危機以来、すっかりなくなりかけた、人の、家族以外からの温情、助けの手。

そのことはとても嬉しい、今もユアンさんに対して感謝の念が溢れてくる。

わたしのためにありがとう。
わたしのことを最大限助けようとしてくれてありがとう。

……でも、でも、それ以上に悲しく虚しい思いが湧いてくるのは何故だろう。

「……おい、おい、レイリア。最後の方のページは、向こうの家族がわざわざレイリアに対して書いてくれた
メッセージがあるから読んどけよ。……全く善人の親は善人ってか。ユアンの奴、顔、金、家柄、性格、実力、家族
全部良しってどういうことだよ」

そう言ってめくられたページは、レイリアでも読めるような簡単な言葉で書かれており、家族の特徴、ユアンが家で
話しているレイリアの話を聞いてどう感じたのか、そしてレイリアのことを楽しみにしている、レイリアと早く
会って色々な話がしたいという、新たな家族を迎える歓迎の言葉が、レイリアにも読めるよう簡潔に書かれていた。

新しい家族からのメッセージ。
レイリアのことを本当に理解、尊重してくれる温かな優しいメッセージ。
レイリアが断る理由がないほどの、思いやりに満ちた選択。

……家族、今の家族、騒がしく、そして今を生きることができるかわからない苦しい家族。
……家族、新しい家族、レイリアの心配事を全て解決できる家族、優しさと思いやりに満ちた家族。

優しすぎる、恨む理由が、孤児院の仲間から外れる悲しみと怒りをぶつける対象がないほど……。
優しすぎる、その優しさがレイリアの今までの我慢を全て溶かすほどに……。
閉じ込めていた我が侭を曝け出すほどに……。

「……いや」

声が出る。我が侭が、皆に遠慮して言えなかった言葉が飛び出してくる。

「皆を助けて欲しい、助けたいと思ったことはあるけど、新しい家族が欲しいと思ったことないもん。お母さん
なんてよくわからないもん、今の家族が大好きなんだもん、ユアンが孤児院に来ればいいんだよ」

想いが溢れる。感情のみの脈絡のない言葉が次々と溢れてくる。

「ユアンさん達すごすぎるよ、優しすぎるよ、ズルすぎるよ。わたしたちが皆で知恵を絞っても解決できなかった
問題をこんな一瞬で解決して……。何が大ファンだ、レイリアはすごいだ、わたしなんてユアンさんの足元にも
及ばないし、わたしの力じゃ全然家族を助けられなかった」
「おいおい、落ち着けよ。名家が俺たちより凄いって当然だろ、何訳分からないことを言っているんだ?」

涙でほとんど目が見えていないレイリアは、声をした方向を向くと、今度はそちらに対して矛先を向けた。

「大体レイウェイも全然わたしの気持ちがわかってない。フクザツな女心がわかってない。普段は養子の話になれば
真っ先に反対する癖にわたしに養子に行け、行けと……」

レイリアは家族を愛している。親がいない分、それだけいっそう家族を愛している。
例え家族のために加えて、自分が不幸になることはないといっても、家族に引き止めて欲しかった。
だが、その想いを相手は理解することができなかった。

「一体、何が不満なんだ? 善人の武芸者の名家だぞ。そんなの孤児院で大和撫子が生まれるくらい珍しいんだぞ」

レイウェイは、信用できる知り合いが助けてくれると言っているのに拒否するレイリアが理解できない。
そして、それがどれだけ貴重で運が良いのかわかっていないレイリアに掛ける声も、自然と険がこもってしまう。

「そんなの欲しいと思ったことない! お母さんやお爺ちゃん、お祖母ちゃんなんていうよくわからないものなんて
いらない。お兄ちゃんたちとお養父さんだけいれば十分だから」
「何馬鹿なことを言ってやがる!? 人見知りが激しいにも限度がある! その程度で甘えるな。
ユアンは好きなんだろ。なら、そのユアンの信用している人くらい簡単に会えるだろう」

簡単に??? わたしの気持ちも知らないで…………と、
レイリアは自分が何に恐怖しているのかも分からず声を荒げる。

「簡単? わたしはお兄ちゃんたちみたいに優秀じゃなくて、役立たずなんだもん。そんなのできっこないよ」
「俺たちが優秀? お前が役立たず?? 何を言ってやがる、この話が来たのだってお前が優秀だからだろう。
俺たちじゃ天地がひっくり返っても、こんなことはあり得ないからな」

あり得ない。こんな話が来るのは天才だけで凡人以下の人間にはあり得ない。
レイウェイは義妹に対する嫉妬を隠しながら、冷静な声を維持しつつ言い聞かせたが、レイリアには効果がなかった。

「お兄ちゃんたちはすごいんだもの。わたしには理解できない話し合いをして、色んな物を手に入れてるもん。
それに比べてわたしは、何もできなくていつも家にいるし、武芸だって基本しかできない分、役立てたことなんて
ほとんどない。それに痛みが怖くて基本以外の練習がしたいって言う勇気さえ持っていないし……」

さっきまで、レイウェイを怒っていると思ったら、今度は自虐し、ぽろぽろと涙をこぼす。
義妹のわけわからなさにレイウェイは面倒くさくなって、とりあえず説得ではなく行動に身をまかせることにした。
言い換えれば、キレて問題を先送りしたともいえる。

「あー、うじうじするな鬱陶しい。お前は孤児院の皆を過大評価している。お前は自分が役立たずといっているが、
孤児院の皆も基本的に役に立っていない。ただ何人もの役立たずの犠牲の下に、成功者が1人いるだけだ」
「……お兄ちゃんも失敗しているの?」
「五月蝿い、黙れ」

レイリアを殴って黙らすと、レイウェイは歩き出した。

「ついて来い、実地訓練だ。お前に現実というのを教えてやる。現実を知ったらさっさとお偉いさんにゴマをすって
俺たちに腹いっぱい食わすって約束しろよ」

レイウェイは言いたいことを言うと、レイリアの様子を見ずに外へ出て行く。
唐突な展開に唖然としたレイリアだが、置いていかれそうなことに気付くと、

「ま、待ってよ」

慌ててレイウェイの後を追いかけていった。







「えっと……ここを迂回すれば、怖そうな人は避けられるけど」
「待て、ここで迂回するのはまずい。隠れてやり過ごすぞ」

レイウェイの指示通りに近くの隙間に隠れ、刺青をしたいかついおじさんが通り過ぎるのを、息を殺して待った。

「あんな怖い人に会ったら何されるかわからないから、早く帰ろうよ~」
「危険なのは承知でここに来ているだよ。これは俺たちには必要なことだ。怖くて帰りたいならさっさと帰れ。
そして、養子の話を受けにユアンのところまで行ってろ」
「……意地悪、酷いよ、人でなし」

レイリアが承諾できない提案をするレイウェイに、レイリアは文句を言うが相手に無視された。

ここは貧乏人たちが多く住む地区……レイウェイはスラムと言っていた……の中でもかなり奥の方だ。
無秩序に立てた建物や廃棄された倉庫、工場の所為で道は入り組んでいて狭い。
しかも、養父が危険だから用があっても近づくな、と厳命していた場所でもあった。

レイリアが住む地区も、貧乏人ばかりできれいなところとはいえないが、それでもここよりはマシだ。
工場跡から漂う気持ち悪い匂い、所々に道場で見るような傷のあるぼろい家々、ときどき見かける派手な格好をした
怖い集団とその怒鳴り声。
レイウェイが平気な顔をしていなかったら、レイリアは全力で逃げ出していると断言できるほどだ。

「……ねえ、何でさっき迂回しなかったの? それと何処に行くの?」
「質問は1つにしやがれ。……迂回しなかった理由はな、向こうに嫌な奴がいるからだ。あいつに会うぐらいなら
怖い連中とすれ違う方がマシだ」

知り合いがいると聞いてレイリアは驚いた。
近所の怖いおばさんの10倍は怖そうな人々と知り合いになれるなんて、レイリアには絶対にできないと思ったからだ。

「おい、向こうにいる奴と俺が仲が良いなんて勘違いをするなよ。あいつも孤児で偉い奴にはヘコヘコしている癖に、
唯一の年下の俺には威張り散らしてくるムカつく奴だ。……クソ、親父が五月蝿くなければ絶対にボコボコにして
やるのに」
「……? その人わたしたちと同じ孤児なの? なら仲間同士助け合いはできないの?」
「孤児で仲間なのは一緒に寝食を共にする奴だけだ。他の奴らは互いに寝首をかいたり、少しでも相手の優位に
立とうと必死なんだ。他の孤児なんて全て敵だと思っておけ、いいな」

孤児が敵、仲間じゃない。
そのことについて、レイリアの反発しそうな内心を読み取ったのか、レイウェイは強く念を押した。

「……とにかく、お前はだれか近づいてくる人を教えてくれれば十分だ。なんていっても一般人の俺には気配を読む
なんていう不思議な真似はできないからな」
「一般人を探すのに気配を探るなんて言わないよ。気配を探るは隠れた武芸者を発見するっていう意味だよ」
「そんな細かいところどうでもいい。武芸者用語なんて聞きたくないから」

一般人の場所を探るなら、活剄で耳の感覚を強化すれば十分である。
それだけで、半径100メル内の足音をしっかりと聞き取れるのだから。

その後も隠れたり、迂回をしながら、数十分ぐらい歩いたところでレイウェイは止まった。

近くに人がいないのに止まった姿を見て、レイリアは不安になった。
まさか、色々入り組んだ道を歩いた所為で、迷子になってないかと……。

「おい、レイリア、着いたぞ」
「え、何もないけど」

周りを見渡しても今までと何も変わっていない。入れそうな建物すらない。
誰か隠れている人がいるかと思って気配を探っても、やはり誰もいない。

「ここからが俺の仕事だ。簡単に言えば決められた範囲を歩いて回り、誰がいるのかを報告するんだ」
「……それって警察の仕事じゃないの?」

つまり、怪しい人がいないか、街中を歩いて探すということだろう。
しかも、誰がいるのかと言われてもこの町の人など、よそ者のレイリアたちはほとんどわからないのに……。

「警察がこんなかび臭いところに来るわけないだろう。まあ、見回りと考えていれば良いが、怪しい誰かを
見つけても声を掛ける必要はないぞ」
「どうして?」
「孤児の俺たちが怪しい奴を見つけてもどうにかできるわけがないだろう、返り討ちにあうだけだ。誰かいたらその
人の特徴を覚えて通り過ぎればいい。別にまとめて報告すれば構わないと言っていたしな」
「……つまり、決められた場所を歩くだけ?」
「その通りだ。チンケでやりがいのない仕事だが、所詮孤児がやる仕事ってことだろう。給金も安すぎて涙が出て
くるが、それでも貰えるだけでマシだ」

お偉いさんの考えることはわからん。これもポーズの一種か……と呟きながらレイウェイはレイリアの手を掴んで路地裏の道の向こうへ足を進めた。







仕事を開始してから30分。レイウェイは本当に説明した通りのことしかしていなかった。

覚えた道順に沿って歩く。途中で人を見かけても、その簡単な特徴――性別、髪型、服装――をメモするだけだ。
話しかけていないから、こちらがメモした特徴も正しいかはわからない。

レイリアはこれで大丈夫か、これでお金を貰えるのかとますます不安になったが、レイウェイはいつもこの内容で
提出し、文句や問題は発生していないらしい、今のところは。

「後、1時間ぐらい歩いてノルマは終了だ。レイリア、俺の仕事だって全然大したことしてないだろう。給金だって
本当に子供の小遣い以下だし……」
「そんなことないよ。わたし1人じゃ、こんな怖そうな道、絶対1人じゃ歩けないし……」
「俺だってレイリアみたいに武芸者の才能があれば、もっといい仕事を探せるのに……。今だって見回りをしている
けど、気配を探れる武芸者を1人雇った方がよほど効率的じゃないか。レイリアでも最低で俺の数倍の効率だ」

レイウェイの言葉には、自らの無能に対する嘆きとレイリアの働きの賞賛がこもっている。
そんなことないと言おうして、レイリアの唇は止まった。

レイウェイが見たことのないような怖い顔をしている。
普段の怒鳴っている顔ではなく、もっとおどろおどろしい何かに囚われた暗い闇を宿した眼差しで、レイリアの
後ろの方を覗き込んでいる。背後に誰かいるわけではないのに……。

レイリアは、レンウェイから武芸についてほとんど聞かれたことがないのを思い出した。
レンウェイが武芸の家系に詳しいのに関わらず……だ。

兄は武芸のことを嫌っている?
それなのに何故、レイリアに武芸者の家の養子に行くことを勧めたのだろう?

新たに見つけたレイウェイの側面に混乱しつつも、その足は止まらないため、止まってじっくり考えることもできない。
そして、強化した感覚が拾った新たな音が、レイリアの思考を止めた。
聞き間違えたかと思って耳を澄ますが、音の発生源は変わらない。

「お兄ちゃん、あそこに誰か隠れているよ。息遣いが聞こえる、それに緊張している」

レイリアが指差したのは、数十メル先にある細い隙間だ。
大人が通るにはやや厳しい、そんな子供の抜け道じみたところだった。

「レイリア、他にも人はいるか?」
「……1人だけみたい。他の人はいないと思う」

レイリアの報告にレイウェイは警戒心を露にした。

何しろ、ここは周りに人は住んでいなく、見るからに治安の悪そうな場所。
不審者に対し、警戒しすぎることはないのだ。

敵は、子供程度で1人、おそらく一般人。
レイウェイは逃げるか対峙するか迷ったが、今は仕事中、給金が貰えないのは困ると考え、対峙することにした。

「おい、そこに隠れている奴出て来い。俺たちに用事がないなら、さっさとそこからいなくなれ」

意識して高圧的な声を出す。
何が目的かはわからないが、隠れている相手を気付いているという優位があるのだから、弱気だけは出さないつもりだ。

その声に反応して1人の少年が出てくる。
レイウェイと同じやせ衰えた体に、物質的にも精神的にも餓えた猛獣のギラギラした目つき。
ある意味ではレイウェイと似ていると言えるだろう。

だが、違う点が2点。

1つ目は向こうの方がやや年上のため、一回り体が大きいこと。
2つ目は向こうの手に握っているもの。身長の三分の一ほどの棒。

剄を感じなく武芸者ではないから、そんなに重たいものは持てない。
あの棒は中が空洞の鉄パイプといったところか。

「死ね、俺は最初からお前が気に入らなかったんだよ」
「俺だって、小物なお前が気に入らなかった」

鉄パイプを持って、こちらへ走りこんでいる少年に対し、レイウェイは気迫で負けないよう睨み返し、全身に力を
こめた。

互いに瞳に宿るのは近親憎悪というべき憎悪と蔑視。

レイウェイの同僚で隣の地区の担当者、同じ孤児で初めて会ったときからの犬猿の仲。
孤児が孤児に対しその頭を潰そうと、容赦なく鉄パイプを振り下ろした。







「おい、何のつもりだ。お前も見回りの時間じゃないのかよ……」

容赦なく振り下ろされた鉄パイプをかわしたレンウェイは呟いた。

鉄パイプで思い切り地面を叩いたときの反動で、敵の動きが止まっている。
敵の馬鹿さ加減に、少しだけ感謝するレンウェイだった。

「より美味しい仕事があれば副業だってこなすのが俺たちだろう」
「副業?」
「ああ、いくらお前のことが気に入らなくても、金が関わらなきゃこんなことはしない」

鉄パイプを持った少年は不適な笑みを浮かべて余裕を見せている。

武器という新たな力による優位と、暴力の行使という名の麻薬。
それらが、少年の容赦と自制という精神を駆逐していた。

「待って、あなたも孤児じゃないの、何でわたしたちを襲うの? 人違いじゃないの?」

目の前で突然、始まった暴力劇を前にレイリアは叫んだ。

暴力とはレイリアにとって、稽古の時間のみに発生する別次元の出来事だった。
習っている武芸だって、暴走して他人に迷惑を掛けることがないようにするもの。基本技を覚えたのだって、
そうすれば褒められるからであり、それを使うこと、すなわち実戦、暴力については想定したこともない。

「お前は誰か知らないが、関係ないから黙ってろ。ずっと震えたままでいればいいんだ」

言われて初めて気がついた。
レイリアの足が、手が、体が恐怖で震えていることに……。

目の前の喧嘩や稽古とは全く違う暴力の迫力は、体の状態に気付けないほどレイリアから現実感を奪っていた。

「レイリア、お前はさっさと逃げろ」

逃げろと言われても、レイリアの足は相変わらず震え、地面に固定されたかのように動かない。
動けないレイリアを無視して事態は進んでいく。

振り回される鉄パイプを必死で避けるレイウェイ。
近くに武器はないか目をせわしく動かしているのを見て、敵が嘲笑混じりに忠告した。

「武器を探しても無駄だ。事前に全部片付けて置いたからな」
「くそが! 本当に嫌な奴め」

笑いながら鉄パイプを振り回し、人の体を砕くのに全く躊躇を見せない少年に、レイリアはさらに身が縮こまった
ことを自覚したが、同時に気付いたことがあった。

「ひどい……体力温存? 違う、甚振ろうとしている」

攻撃の仕方が鉄パイプを思い切り振り下ろすことから、軽く振ったり、牽制の突きを織り交ぜたものに変わっている。
だから、レンウェイは鉄パイプが何度か命中していても無事なのだ。
体重を乗せた鉄の塊で殴られれば、人間など簡単に破壊されてしまう。

「くそ、それだけ振り回しているのだから、いい加減体力が尽きろってんだ」

レンウェイは悪態をついたが、戦況は既に傾きつつあった。

今まで鉄パイプを振り回しにくい空間に逃げるなどして、何とか凌いでいたレンウェイだが、足が震え限界が
近くなってきている。

鉄パイプを振り回したことによる消耗と、振り回される鉄パイプを恐怖と共に避けたときの消耗。
後者が前者を上回り、レンウェイが負けつつあることを、レイリアの優秀な戦況眼が見極めてしまう。

「くそ、レイリア」

レンウェイが大きく叫ぶ。
声にはかなり焦りが含まれており、顔は緊張と疲れから青白くなっていた。

「随分と無様だな」
「武器を持っても俺を倒せないお前ほどじゃない」
「長引けば長引くほど、お前の必死で苦しそうな顔が見られるから、僕としても今を十分楽しんでいるよ」

そう言うと、少年は鉄パイプを構えつつも一度足を止めた。

「ところでそこの女の子は誰なんだい? 君とはかなり毛色が違う人種のように思えるけど、ひょっとして幼稚園児
までカツアゲの対象にでもする予定なのかな?」
「馬鹿にするな、レイリアは家族だ」

家族……その言葉でレイリアの震えは弱まり、心に温かい何かが湧き出るのを感じた。

「はははははははっ、家族? 仲間!? 笑わせてくれる。お前、僕の攻撃から逃げることしかしてないじゃん。
そりゃあ、僕の目的は君だけで彼女は関係ないと言えるけど、君が僕の慈悲に期待するとはねえ~」

語尾を上げてレンウェイの無様さをじっくり眺めるという、あからさまに馬鹿にした態度を取った後、馬鹿に物事の
道理を教えるかのように言い加えた。

「彼女の安全を考えるのならダメージ覚悟で僕に突っ込むべきだったんだよ。……まあ、一撃を食らわせれば素手
でも僕が9割勝てるから、それでも構わなかったけどね。それか君だけの安全を確保するならさっさと逃げれば
よかったんだよ。僕は君がこの場所に来ないようにする、できればボコボコにするよう頼まれただけだから、尻尾を
まいて逃げれば大笑いして追わなかったかもよ」

そう言って、少年は高笑いをした。

少年のレンウェイを心底馬鹿にした態度にレイリアを腹が立つのと同時に、初めてレンウェイのことを考える余裕が
できた。

何故、兄は逃げなかったのか? 
わたしは武芸者の卵、肉体強化をすれば鉄パイプで武装した一般人くらいなんともない。
常人には耐えられない打撃だって余裕で耐えることができる。

……答えは1つしかない。わたしのためだ。

わたしが武芸者なのに恐怖で震えていたから、兄が囮の役目をした。
鉄パイプが目の前を通り過ぎる恐怖と戦いながら、わたしに逃げろと言ってくれた。
わたしは天才武芸者、希望の星と言われているのに、この無様さは何だ。
いくら褒められたって、戦えない武芸なんて何の価値もない。

「待ちなさい」

のんびりしていて争い事が嫌いな自分とは思えないほど鋭い声が出た。
恐怖からの震えを剄で打ち消しつつ、レイリアは精一杯少年を睨んだ。

「お、お兄ちゃんをこれ以上虐めるのは……」

虐め……そのレベルの暴力ではないが、あえて虐めということで、目の前の暴虐の敷居を下げる。

「武芸者であるわたしが許さない。逃げるのなら追わない。まだここにいるつもりなら今すぐにボコボコに
してやるのだから」

レイリアの啖呵に、少年はつまらなさそうに一瞥した。

「ずっと震えていたのに今頃になって何をいっているのだか……。さっさと逃げるべきだったのに……大体、武芸者
であることが本当でも、まだ子供じゃ制御できないのに強がっちゃって」

制御……その言葉にレイリアは自分が何に恐怖していたかわかった。

鉄パイプを振り回している姿が怖かったのではない、稽古ではあれの十倍は速いのだから。
容赦ない暴力の雰囲気も怖かったが、それと同時にその空気に呑まれて手加減できなくなることが怖かったのだ。

剄の制御はできている、だから武芸者の恐ろしさもよくわかる。
ほんのちょっと力を込めただけでミンチのように潰したり、壁まで吹き飛ばすようなことになるのかもしれない。

一般人に対する力加減など知らない、全く知らない。
力の制御を散々叩き込まれ、一般人に迷惑をかけるなと教え込まれたレイリアにとって、一般人相手に力を振るう
ことは禁忌に等しいのだ。

……だが、その禁忌も兄を守るためなら乗り越える勇気が湧いて出る。
家族のために自分の力を使いたいと、ずっと考えていたのだから。

「手加減してやるから立ち上がるなよ」

素っ気ない一言とともに鉄パイプが振り下ろされる。
普通の5歳児には避けられない速度。肉体強化したレイリアには遅すぎる速度。

軌道を見極め、体を半歩ずらして避け、鉄パイプの振りおろしが地面に一番近づいた瞬間を見計らって思いっきり踏む。

予期せぬ衝撃がかかったことで、鉄パイプは持ち主の手から簡単に離れ、道路に食い込む。
武芸者が思い切り踏み込みをすれば、道路など簡単に陥没するので、これは当たり前の結果であった。

突然の手の痛みと、鉄パイプのめりこむ音に呆然とする少年を、レイリアは一喝した。

内力系活剄の変化、威嚇術。

威嚇術は剄を込めた声を発する術だ。
それにより、より重圧感を相手に与えたり、声の衝撃を何十倍にも増幅して大気ごと正面を吹き飛ばしたりできる技
である。

レイリアの渇を浴びただけで、少年は軽く吹き飛ばされ尻餅をつく。
本物の武芸者の迫力に触れてしまった少年は、腰が抜けてしまってただ呆然としていた。

一番穏便に制圧できたので、レイリアは安堵の息を吐いた。

「レイリア、お前は本当にすごいな」

レンウェイが格好よかったぞといいながら近づいてきた。
それに笑顔で応えようとして、レイリアはまだ自分の体が強張っている、いや恐怖で震えていることに気がついた。

おかしい、戦いは終わった。
目の前で怯えている少年が実は演技で、余力や奥の手を残していると感じはしない。
戦いの余韻が今になって現れているのだろうか……。

恐怖とはセンサーだ、大切にしなさい。

稽古中、どうしても相手の気迫に呑まれてしまうレイリアに養父が言った言葉だ。

敵を前に怖がることは決して悪いことではない。勿論、恐怖を前に勝機を逃すのは問題だし、その点、お前は戦う
前から気持ちで相手に負けているというのは改善すべき欠点だが、お前はそれ以上の良い点がある。それは観察眼だ。
お前の感覚は観察眼による分析結果を一番信じている。その観察眼が相手の実力を全て見抜く、自分より優れた点を
見てしまうからからこそ、お前は恐怖を感じているのだ。

恐怖を感じたら、何に対して恐怖しているかよく考えなさい。
感覚が正しいことを伝えても、心がそれを無視したら意味がない。
自分を正しく把握する。難しいかもしれないが、頑張ってみなさい。

そうだ、精神的の、一般人と戦うことに対して恐怖をしていたのでない。
今、恐怖しているのはもっと即物的、稽古でいつも感じていたもの。

レイリアは一度目を閉じ、恐怖に、体が伝えてくれる情報に正面から向き合う。
耳を肌を研ぎ澄まし、自分の感覚が伝えようとしていることを読み取ろうと意識を集中する。

音は聞こえない、風の流れは感じない、でも、これは……これは……視線?

「伏せて」

レイリアはレンウェイの腕を引っ張ると叫んだ。
声と同時に響くのは、3発の銃声と何か硬いものを砕いた音。

「あ」

伏せたレイリアの目に、赤い何かが映る。
どんどん地面に広がっていくそれにより、肉体強化をしなくても生臭い匂いが広がっていくことがわかる。

「な、何なんだよ、これは……」

初めて聞くレンウェイの弱弱しい声。

だが、レイリアにはそちらを注視している余裕はない。
もっと直接的な恐怖が、暴力の具現が目の前に迫っているのだから。

「君、幼児とは思えないぐらいすごいね。まさか剄を使っていないのに、攻撃が読まれるとは思わなかった」

男は場違いな明るい声と共にこの場に降りてくる。
高さ十数メートルから飛び降りて無傷の男。手には銃が握られている。

「一般人の犯行に偽装するために剄を込められない一般用の銃を使ったが、その攻撃タイミングを読むとは本当に
すごい、俺じゃあ攻撃されてから弾くので精一杯だよ」

男は銃を捨て、腰から小さな金属を取り出すと小さな声で呟いた。

「レストレーション」

男の手の平に、まるで手品のように突然剣が現れ、握られる。
そして、それがレイリアたちに向けられる。

「こっちも仕事なんでね……。子供相手とはいえ、全力を尽くさせてもらうよ」

つい先ほど、少年1人を殺したとは思えないほどの冷静さで、男は生き残った子供たちに宣戦布告した。










後書き
次回、錬金鋼付き熟練武芸者VS学生レベルぐらいの錬金鋼なしの幼児武芸者。
ちなみに、襲い掛かってきた少年は、ヘッドショットされました。




[26723] 過去編(グレンダン編) 第3話  5歳 原点 後編
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/03/31 17:52
過去編 第3話  5歳 原点 後編










武芸者、それも年齢と風格から熟練の猛者であることがわかってしまう。
このままではいけない。そう体が判断し、レイリアの体を動かす。

「はっ」

近くにある標識の下部と上部を手刀で切り裂き、即席の棒とする。
剄の増幅ができなく、錬金鋼と比べると頼りなさすぎる武器だが、素手よりはマシだ。

棒を向け、剄の圧力を全開にして威嚇するレイリアに、レンウェイが慌てて声をかけた。

「おい、レイリア? 何をけんか腰になっているんだ? 相手は神聖な武芸者だぜ、子供の俺たちに危害を加える訳
ない。きっと保護しに来てくれたんだ……」

そう言ったレンウェイの声に抑揚はない。
死体には背を向け、焦点の合ってない目で中空を見ている。

レンウェイも孤児であるから、生ゴミを漁ったり、喧嘩をしたことはよくあるが、それも子供の範疇の出来事だった。
生ゴミを漁るところを見られても追い払われるだけだし、喧嘩もこぶや痣ぐらいの怪我しかしない。

孤児であっても、ニュースで自殺者が増えていると聞いたとしても……死とは身近ではなかった。
目の前で発生して正気を保てるほどの経験はなかった。

「保護ね……仕事とは確かに言ったのだが」

やれやれといった感じに肩を竦めると、剣をレンウェイの方へ向けた。
剣から生じる圧力だけで、レンウェイの腰は砕け、ぺたんとお尻がついてしまう。

レイリアはその隙に襲い掛かろうと考えたが、その意図はすぐに見破られる。
レイリアの重心の変化に対応して、剄の圧力が突き刺さる。
完全に格上だからこそ取れる相手の対応に、レイリアは二の足を踏まざるを得なかった。

「仕事は巡回している子供の始末だ。さっきの銃撃で終わらせられれば、後は偽装するだけで済んだんだがな。
咄嗟に兄貴まで助けるなんて、よくできた自慢の妹じゃないか……」

「う、嘘だ! 武芸者が、親父と同じ立派な武芸者が人殺しなんてするはずがない」
「親父、養父か? なるほどね……。その年でしっかりと基礎を会得した並外れた才の武芸者が、どうしてこんなに
みすぼらしい格好をしていると思ったら、親が駄目人間だからか……。全くこんなご時勢、エリートになれるほどの
才能の持ち主を、嫉妬するしか能のない底辺連中と一緒にしたら駄目だろう。さっさと名門武家に預ければよいのに
……天才を育てる、天才が育った場所はここだという名誉欲に眩んだのかね」

養父を、家族を馬鹿にするような言葉を聞いた瞬間、レイリアが我慢を司る糸が切れたことを感じた。

雄叫びを上げ、棒を振り上げる。
狙いは頭、左右どちらに避けても即追撃できるようにするのも忘れない。

バキッ。

だが、現実はレイリアが想定していたものとは全く違った。
いや、冷静に考えればこうなることは自明だから、レイリアが己のことも知らない愚か者だっただけだ。

剄のこめられない棒と、剄を収束し衝撃波を威力に上乗せできる剣。
あらゆる金属よりも硬い汚染獣を切り裂くための武器に、普通の金属を勢いよくぶつけても……折れるだけだった。

武器が簡単に折れたことで勢いが余り、バランスを崩したところに、剣が突き込まれる。
レイウェイは半身をずらすことで回避をしようとしたがその瞬間、悪寒が迫り予定を変更。
バランスをさらに崩すことを省みず、前のめりになり、足を無理矢理動かし、突破口をつくる。

肩に刃が掠めたが、無事敵の脇を抜けて脱出に成功。
レイリアは短くなり、間合いの優位さを失った棒を投げつけると、新たな標識を切り裂き、再び武器にした。

そして、お互い武器を構えながら向かい合う。
さっきのように冷静さを欠いて突っ込んだりはしない、勝機はカウンターと考え、敵の一挙一動を見逃さないように
目を凝らし、敵の剄の流れを凝視した。

……正確な時間は緊張のあまりわからなかったが、対峙してかなり時間が経ったと感じたとき、敵が話しかけてきた。

「君、本当にすごいね。その長く扱いなれない棒をもっても構えは長時間崩れないし、何より俺の予備動作、いや剄
の動きに見事に反応している。突きが薙ぎに繋がる罠だと気付いたところも本来あり得ないし……その凄さの秘密は
眼かな?」

こんな僅かな攻防で、自分の特異性、勝つための希望の一筋を見破られ、レイリアは思わず動揺してしまう。
これが、歴戦の、経験豊富の武芸者だということだろうか……。

「その凄さに感動したおじさんも、少し本気を出すとするか」

声と同時に、剣を振り下ろしてくる。

レイリアは剣のはるか間合いの外にいたが、慌てて避けた。
避けた場所には研ぎ澄まされた衝撃波が通り抜けていく、しかもそれは1つではない。
レイリアの避けた場所、次に避けそうな場所など様々な場所に連射される。

外力系衝剄。
剄のエネルギーを衝撃波として放つ、武芸者の基本攻撃手段で唯一の遠距離攻撃手段である。
レイリアも衝剄は使えるが、衝剄は錬金鋼を通す、通さないで威力で大きく差が出る。
よって、錬金鋼を持っていないレイリアは回避に専念するしかないのだ。

近接戦では、万が一があり得る。
それ故の遠距離戦であり、その弾幕と足捌きの前に、レイリアは距離を全く詰められない。

街中で衝剄を使うなんて滅茶苦茶だとレイリアは思ったが、ここは警察もあまりいない無法地帯。
しかも仕組みはわからないが、衝剄はレイリアが避けた後、重力に従うかのように方向に進路を変更して地面を穴
だらけにしており、周囲の建物を破壊することはない。

それはつまり、建物が崩壊したときの大きな音が発生せず、だれもレイリアの戦いに気付くことがないということ
でもあった。

レイリアも必死に避けるが、それでも相手の的確な攻撃に、重傷はないがかすり傷は増え、全身が赤く染まっていく。
飛び散った血が目に映ることで、ますます焦りが増していく。

「そろそろ終わりにするか……。ちゃんと受け止めろよ」

受け止めろ? 何のことだと思って相手を見ると、剣の向きを変えていた。
そして気付く、あの方向には……武芸者から見れば塵芥にすぎない力の持ち主がいる!

レイリアは人の前に立つと、迫る広範囲の衝剄に対し、こちらも衝剄を放ち防御を全開にした。







レイリアの限界まで引き出した剄が大気を震わせ、地面を振動させた。

だが、負けたのはレイリア。
衝撃で血を撒き散らしながら吹き飛ばされる。
ある程度は抵抗できたために、意識は失っていないが重傷である。

収束してない生身の衝剄では、剄量で上回っても収束された衝剄には勝てないという当たり前の結果であった。

「おい、レイリア、大丈夫か、大丈夫か!?」

意識が朦朧としている赤染めのレイリアを前に、ようやく正気を取り戻したレンウェイが声をかけながら揺すった。

「さて、勝負ありといったところだな。後は幕を締める作業をするだけか」

男はかつかつとレイウェイたちの方へ近づいていく。
その歩みに先ほどまでの警戒はなく、やり飽きたことを事務的に対応するが如く、
緊張感がなく余裕綽々のものであった。

「待て、レイリアまで殺す気か?」
「当たり前だ、目撃者を残しては口封じの意味がないからな」
「口封じ?」
「子供の巡回の役目はもう終わったんだ。後は未来のために処分を終わらせれば、俺たちも安心できるってわけだ」

レイリアまで死ぬ。レンウェイはこの怪しい仕事を引き受けたことに心底後悔していた。
多少危険な目にあっても大丈夫と高を括った結果がこれだ。

しかも、関係ない妹のレイリアまで巻き込んだことに、レイリアがレンウェイを庇って重傷を負ったこと。
レンウェイのレイリアに対する疫病神ぷりに、情けなさに唇を強く噛み締めると、涙までこぼれ落ちてくる。

……泣いていても事態は好転しない。レイリアはあんな強い武芸者相手に必死に立ち向かっていった。
天才と呼ばれてもまだ、本格的に武芸を習う年齢ではないのに関わらずだ。

あんなに頑張って倒れたレイリアを、兄であるレンウェイが守らなくてどうする!?

それに目の前の男が言っていた。

並外れた才能の持ち主を、底辺連中と一緒にしたら駄目だろう。
その通りだ。レンウェイが純粋で悪いことなどできないレイリアを巻き込んだからこそ、こうなってしまったのだ。

名門武家に預けていればよいのに……。

その通りだ。そして、実際その話はあるのだ。
後、数日すれば養子の話は進み、レイリアは名門武家の一員になっていたはずだ。

そのことを考えると、今でも嫉妬の炎が湧き上がってくる。
こんな絶体絶命のときで、レイリアに多大な借りがあるのに関わらず、だ。

レンウェイが養子の話をしたとき、レイリアがどんな顔をしていたか全く思い出せないことに思い至った。
あのときは事実だけを捉えて話すようにして、自分の感情を読まれないよう懸命に兄を演じていた。

レンウェイの事情、心情にレイリアを巻き込みたくない、そんなの格好悪い。
そんな想いでいっぱいいっぱいだったのだ。

喜んでいたのか、それとも突然の幸運に当惑していたのか?
いきなり癇癪を起こしたが、メッセージで何か気に入らないところでもあったのか?

そのときのレイリアの様子について、何もわからない兄がいることに、レンウェイは愕然とした。

養子縁組の話の相談は、基本そんなに出しゃばらない。
親から捨てられた子供にとって、新しい家族というのは憧れ3割、不審5割、養父の信用による妥協2割のとても
複雑なものなのだ。

当事者が消化しきれない思いを吐き出すために相談や気晴らしには協力するが、葛藤や決断は一番悩んだ本人に
任せるしかない。
外野が細かく口出しして、家出騒動まで発展したこともあるのだから。

レンウェイは生まれが原因で親というものに全く憧れていないし、養子というのも基本的碌でもないものと考えている。
だから、養子にいくという話が出るとやめておけと言うことが多いが、それも相手が嫌そうな顔を見せればそれ以上
は言わない。レンウェイにとって孤児院というのは、貧乏だったり見下されるデメリットを無視しても心地よいと
思える場所だが、他の兄妹はそうでもないからだ。

趣味に精力を費やしたいと考えても、お金の面や兄妹の世話に足を引っ張られてできない。
孤児院出身というレッテルで、学校でもうまく友達ができない。

それを解決できたから、少々居心地の悪い家族でも何とか生活できる。
養子に入った後、そう言った人もいたのだ。

……だが、レイリアは養子についてどう考えているのかは全くわからない。
良い話でこれ以上の良縁がないと断言できるのは間違いないが、そんなものはユアンと付き合いが深いレイリアの方
がよくわかっているはずである。

レイリアの不安を1つずつ解決させ、最終決断を養父とレイリアに任せる。

不安が何か全くわかっていないのに、何偉そうなことを言っているんだ、それよりも現状を乗り越えなければ、明日
すら来ないことはわかっているが、未来を考えることはやめない。

それが兄としての、目の前の敵に立ち向かう勇気の燃え上がらせる原動力になる気がするのだから……。

レイリアの不安を1つずつ解決すれば、やはり養子の話を受け入れることになる。
それが孤児院にとってもレイリアにとっても最善であるからと思い至ったところで、レンウェイが何かが
引っ掛かっていることに気付いた。

レイリアが養子に行って名家の一員となる。孤児院の援助も増える。全員食糧危機を乗り越える。
良い事ばかりだが、何かを忘れている。それが何か思い出そうとしたところで、再びあの男の言葉が甦る。

天才を育てる、天才が育った場所はここだという名誉欲に眩んだのかね~。

そうだ。1つだけ不利益がある。
レイリアがいなくなれば、近所の人や学校の子供たちは再び孤児院の人間を馬鹿にするだろう。

最近、孤児院に対する扱いが良くなったのは、レイリアが天才武芸者として大会で入賞し、ローカルテレビや新聞で
紹介されたからだ。
優れた人が1人出てきただけで、孤児院全体への態度が変わる町の人々のミーハーさに腹が立つが、それ以上に
喜んでいるのがレンウェイたち、孤児院の出身者なのだ。

街中を、学校を歩いていても馬鹿にされない。
それどころか話まで聞かれて中心者にさえなれる。

そんな変化があったからこそ、レイリアが多く食事を貰っても誰も文句は言わないし、レイリアがこの食糧危機で
何もしてなくてもいい「お姫様」を維持できているのだった。

嫉妬とレイリアが出ていくことによる逆行の恐怖。
それがレイリアの顔を見なかった理由。

養子の話に対する分析が済んだときに、レンウェイは状況を忘れて大声で笑いたくなった。
レイリアのために養子縁組の話をしながら、その奥ではレイウェイの感情と不利益、つまり自分のことしか考えて
いなかったのだ。
これで偉そうに兄と振舞おうなんて恥ずかしすぎる。

兄の威厳を取り戻すためにも、レイリアともう一度話し合おう。

その決意とともに、レンウェイは近づいてくる男を睨んだ。
白く輝く剣身がこれから真っ赤に染まると考えると怖くなるが、さっきの衝剄を使えば、近づくまでもなく殺せる
のに、そうはしない男の余裕に、明らかに見下されているレンウェイたちの現状に腹が立ってきた。

考えている間に策は思いついた。
その策を実行する勇気も、再びレイリアと話し合うという決意とともに湧いて出る。
分は悪い、だが起死回生の一手となりえるのは確かだから、堂々と、追い詰められているのはお前だと言わんばかり
に自信満々の声を発した。







「おい、待て。お前は孤児の命だから、どうせ真剣に捜査されないと考えているだろうけどそうはいかないぞ。
正気を取り戻した俺に、そして、殺さなかったことに感謝するんだな」
「ふーん、命乞いか。……子供の浅知恵ぐらいは聞く余裕はある。良い話なら墓碑に刻んでやるから言ってみろ」

朦朧としていたレイリアだが、レンウェイが何か話し出すのを見て、急いで立ち上がろうとした。
レンウェイが動けるようになったのなら、レイリアが男を足止めすれば逃げ切ることができる。

そう考えて足に力をこめようとしたレイリアだが、それをレンウェイの手が止めさせる。
兄が頑張るから妹は黙って見ていろと言わんばかりの優しい手だった。

「俺は孤児で底辺の生活を送っている、金に目が眩んで始末されてしまう大馬鹿野郎だ。だが、だからといって
死んで捜索されないほど、世の中と縁が薄いわけではない」
「なるほど……そこの女の子ならともかく、薄汚いお前が実はかなり価値がある人間だと言いたいのか」
「そうだ」

レイリアは1人の少年を殺した凶暴な男が、普通に話し合いをしているのを不思議に思った。
相手は、一般人のレンウェイを囮に使うような危険人物なのだ。

命なんてなんとも思っていないのに、今は先ほどの行動と矛盾した行動をとっている。
それがレイリアに戦闘で負けたとき以上の恐怖を与えた。

「家の事情で孤児だがな……俺の父親はリリエンタール家の次期党首候補だ。父親は現当主の長男で元々次期当主
だったんだ。決められた結婚に逆らった結果、俺が生まれて孤児院に行く羽目になったんだ。……家のしきたり上、
見知らぬ女が産んだ武芸者ですらない男の子をリリエンタール家の一員としては認めないらしいが、父親は忘れ形見
である俺をある程度気にかけてくれている」

レイリアは嘘だとすぐに気付いた。
レンウェイの家族構成は聞いたことがないが、レンウェイの父親が孤児院を訪ねてきたことはない。
こんな恐ろしい男を騙そうとするなんて危険すぎると思ったが、作り話にしてはレンウェイの家族を語る言葉に宿る
感情の色が濃い。

……レイリアは、とりあえずレンウェイを信じ話に口を挟まない、疑問を顔に出さないと決めた。
この時間の間に活剄による治療をして、いつでも動けるよう準備するのだ。

「家の圧力が俺に来ないよう気を遣ってか、プレゼントとかは一切ないためにこんな格好をしているが、それでも
この食糧危機の中、安否の確認をしてくれる程度には愛してくれている」

そこで言葉を止めると、レンウェイは男に近づき、男の無知をあざけ笑いながら逆に脅した。

「つまり、行方不明になれば父親が全力を挙げて犯人探しをするってわけだ。孤児に関しては、一般人の俺に
リリエンタール家の名は重過ぎると考えて泣き寝入りをしているが、殺害となれば話が別だ。俺も小心者の父親の力
を借りようと考えていなかったから小金に飛びついたが、命の危機のときに意地を張る気はない」

……レンウェイから家族の話を聞いたことがないレイリアには、この話がどれだけ本当なのかはわからない。
わかるのは、レンウェイは生まれたときから孤児であり、両親や親戚が尋ねてきたことが一度もないということだった。

だが、レンウェイが名門出身なら名家に詳しいのも納得できる。
実の親の情報が全然ないレイリアにはわからないが、死んだ、捨てた親の職業や人柄を知りたいと考える孤児は多い。
レンウェイもその1人であるというのは十分説得力のある話である。

リスクの観点から妥協を迫られた男だったが、その表情は相変わらず笑っていた。
まるで子供の、絵に描いたような夢の話を聞いたように……。

「……まあ、40点というところだな。堂々とした態度と目の付け所、話の付け所は良かったのだが、それだけだ」

赤点だな。
そう付け加えると男はレンウェイを殴り飛ばした。

剄をこめていないとはいえ、大の男の一撃。
それ食らい、レイウェイは再びレイリアの側まで吹き飛ばされてしまった。

「てめえ、何しやがる!? 俺の話を嘘だと思う程度の脳みそしかないのか?」
「リリエンタール家のことは知っている。約十年前に起こった不祥事で悲劇だ。ニュースではあまり報道されて
いなかったが、武芸者間では噂になったよ。愛人扱いを我慢できなかった坊ちゃんが、家も婚約者も捨てた結果、
全てをなくして戻った敗残者に生まれ変わったとね」
「そこまで知っているのにどうして……?」
「駆け落ちしてまで得た一般人の奥さんが、出産で命を落としたことまでは知っているよ。でも、流石にその子供の
行方までは知らなかった。リリエンタール家の情報制限があるから、生きているって情報も今初めて知ったよ」

物覚えが悪い生徒に対してのように、男は丁寧に種明かしをしていく。
そして、男はレンウェイの嘘を見破った最大の理由を口にした。

「さて、君の話を嘘だと判断した理由はね……感情だよ。孤児は、愛情を与えてくれる親に対してならそんな
素っ気無い態度は取らない。君が、自分が先天的に得られなかった武芸者という存在そのものやリリエンタール家を
憎んでいるのはわかった。だが、それ以上に憎んでいるのは……」
「やめろ、言うな」

レンウェイの顔は恐怖で染まっている。
だが、男はレンウェイの悲痛な叫び無視して真実を暴き出した。

「父親だろう。大体君が親を父親なんて他人行儀に言う性格じゃない。人を騙すにはもっと細かいところまで気を
つかうだな」

父親が憎い。それが、あれだけ養父に懐いているレンウェイの本心とはレイリアには信じられなかった。
そもそもレンウェイの実の父親が生きていることも初めて聞いたのだ。
なら、その一度も表に出したくなかった者に対する憎悪はどれだけ重いのだろうか……。

「武芸者と一般人との間でよくある悲劇だな。生まれるまではとても楽しみしていた、愛情をたっぷりと注がれて
いた胎児が、母体と引き換えに生まれた瞬間……その愛情は憎しみに変わる」
「やめろおおおぉぉ――。それ以上は言うな」

レンウェイが泣き叫んでいる。ただ感情に赴くまま泣き喚いている。
涙と鼻水が顔を汚し、かなりみっともないない格好になっているが、そのことを気にしない。
過去のトラウマに完全に意識が囚われているからだ。

「大体、武芸者のことも憎いようだけど、心の奥底では妹の天才武芸者も憎いんじゃないか? 何しろ自分が欲しいと思うもの、自分がなくしたものに手が届くだけの能力を、努力しても手に入らないものを持っているのだから」
「何を……言っているの? お兄ちゃんがわたしを憎む訳ないじゃない? だいたいこれ以上お兄ちゃんを苦しめ
ないで」

レイリアの叫びにも、レンウェイの慟哭にも男は気にした様子を見せない。
せいぜい、音が大きいスピーカーに対し顔を顰める程度。

人の心を傷つけても何とも思わない、レンウェイの身も毛もよだつような叫びを聞いても心が動かされない。
レイリアは悟った。この男が暴力性以上に危険な、心を切り裂く刃を持つ化け物であることを。

「君は今はさほど実績を挙げてないが、近い将来、他の武芸者が真似できないような成果を成し遂げ、武芸者から
見ても化け物と呼ばれるような次元まで到達するだろう」

目の前の、人を殺しレンウェイの心を大きく抉った男もレイリアの武芸の才を素直に賞賛している。
だが、レイリアにはその賞賛を素直に受け取ることができない。
逆に、今まで無視しようとして何かに直面される気がして、男の顎を蹴って口止めしたくなる衝動に駆られた。

「そのとき、君の仲間は、1人華やかな戦果をあげ、パーティーに招待されては雲の上の有名人と知り合い、そして
その祝宴、式典などのために高級な服をプレゼントされる君の姿を見て……」

男はあり得ない妄想を語っているのでない。
現時点でもヴェルト家次期当主という有名人が知り合いだし、テレビで紹介され、地元で名がしれる程度の成果が
ある。貸衣装を着てテレビに出たこともあるのだ。

「特別だ。別次元の人間だ、自分たちとは全然違うと思うのでないかな。羨ましい、いい身分だとも思うのでは
ないかな。君が彼らを対等の仲間だと思っていることも知らないで……」

暴かれた、思わずそう思ってしまった。

数時間前にレンウェイに言った言葉がリピートされる。
全然わたしの気持ちがわかってない。

……レンウェイだけではなく、レイリアを特別扱いする兄姉全員に言いたかった言葉。
……嫌われるのが怖くて、無我夢中でないと口に出せなかった言葉。

レイリアも皆の苦労を共有したかった。
将来性、なんて言葉で何もしなくて良いという‘仲間外れ’にして欲しくなかった。
レイリアはそんな扱いを望んでいなかったのに……。

過去の慟哭が頭によぎった瞬間、レイリアの心は折れてしまった。

「さて、少年は我が質問に答えるだけの余裕がないから、今度は俺の話に移らせてもらおうか」

男は突然話を変えると、小さなものをレイリアに投げ渡した。市販の傷薬だ。
レイリアの道場で使っているものと同じだった。

「俺としてもこのままお前たちを見逃すことは仕事上できない。だからお前たち、俺の傘下に下れ」
「え?」
「これほどの武芸の才を開花前に摘み取るのは武芸社会にとって致命的だ。当然、お前だけではなく兄も保護する」







仲間になれ……命が助かるのならまだマシという考えもあるかもしれないが、レイリアにとっては違う。
人を殺し、なおかつレンウェイを精神的に痛めつけた者の仲間の言葉なんて聞きたくなかった。

「いやよ、大体今まで散々わたしたちを虐めて何を今更……」
「なら、この兄から死ぬ」
「あ……」

剣がレンウェイの首につきつけられ、レイリアは言葉を失った。

選択肢なんて存在しない。
こんな命を何とも思わない男のいうことを聞かないと思うと、目から涙がこぼれてくる。

だが、冷徹な男がレイリアの感情に気を遣うわけがなく、反抗しなくなったレイリアに満足すると話を続けた。

「保護といっても好き勝手に行動するのは論外だ。戸籍的には死亡扱いで、顔も整形してもらう。当然、家族の元に
返さない」

家族の元に帰れない?

だが、それを受け入れなければレンウェイが殺されてしまう。
視界に映るあの少年の遺骸、もの一ついえない塊になった姿には絶対になりたくないし、レンウェイがあの姿になる
のを見るのは真っ平ごめんだ。

死ぬよりマシ、それはその通りだ。
生きる為に姉兄も色々知恵を絞っているのだし、レンウェイがここに来たのも仕事でお金を得るためであり、それは
すなわち、生きることだ。

目の前の男に勝てないのはよくわかっている。隙をついてレンウェイを助けたしても、地力が違うのだ。
今はもう、錬金鋼がなくても勝てる気がしない。

従うしかない、家族を守るために家族と別れなければならない。

だが、レイリアにとって……家族をとったら何が残るのだろうか?

その疑問に行き着いた瞬間、レイリアは泣き叫んだ。

泣きながら家族全員の名前を呼ぶ。
泣きながら約束を破ってごめんなさいと謝る。
泣きながら怖いよ、助けてと周りに助けを頼む。

武芸者であることを忘れた、子供としての恐怖と悲しみの発露。

子供が泣き叫べば誰かが助けてくれるのが普通の世の中だが、ここは治安が悪い廃棄地区で人はいない。
助けてくれる人は現れない。自力でなんとかしないといけない。

だが、ここにいるのは彼女1人ではない。

倒れ、過去に囚われたとはいえ、その人は本当に乗り越えられないものだろうか?
過去に囚われたとはいえ、最初の目的を忘れ、助けを求める家族の声を無視するのだろうか?

「おい、レイリア」

過去を乗り越えたからこそ、今に至るのだ。

レンウェイは、妹のためなら嫉妬だって隠すし、妹の悩みだって気付けば真摯に向き合おうとする。
そんな血の繋がりがなくても、いやないからこそ良き兄になろうと志すレンウェイが、レイリアの泣き声を無視する
はずがない。

惨めな姿ばかり晒しているのに、挽回しないまま終わるなどあり得ない。

「いくら泣き虫だからって、こんなむかつく奴の前で泣くな。こういう奴は泣くと調子が乗るのが相場だから。
……ん、げ、俺人質になっている!?」
「気がついたか。立場を自覚したのなら大人しくしてろ」
「レン……ウェイお兄ちゃん?」

孤独じゃない、そのことに気付いたレイリアの泣き声が弱まり、顔を上げる。

視界に映るのは、起き上がったレンウェイとレンウェイに剣を当てている男の姿。
状況に改善はない。レンウェイが暴れて、男の機嫌を損ねることを考慮すると悪化したのかもしれなかった。

だが、レンウェイは笑っている。
レイリアに泣き止め、怖がるな、安心しろ、俺がついているといわんばかりの笑みを浮かべている。

「レイリア、戦うぞ」
「え」

聞き間違いをしたかと思ったが、レンウェイは本気のようだ。
人質されているのに、そもそも一般人が武芸者に勝てるわけがないのに戦うと言ってくれている。

倒してくれ、勝ってくれではなく、一緒に戦うと言ってくれている。

レイリアは、心に炎が灯るのと同時に、剄が体中に行き渡るのを自覚した。
そして、レイリアが剄を通しているのに気付いた男も新たな行動に出た。

「おい、動くな、人質は見えているだろう? 不意打ちが通用するほどの実力差はない、お前に人質を無視するほど
の非情さもない。八方塞がりだからさっさと諦めて剄を止めろ」
「おい、レイリア! こいつの口車に騙されるな、今は千載一遇のチャンスだぞ」

……動いたのはレンウェイだった。目の前にある剣を無視して男のわき腹めがけてタックルをする。

通常なら、武芸者に一般人、しかも子供の抵抗が通用するはずがないが、

レイリアに対する人質としてレンウェイを殺すわけにはいかなかったこと。
レイリアに対処するために活剄で肉体強化をしていたため、咄嗟の手加減が難しく対応が一歩遅れたこと。

2点が素人の奇襲を成功に導いた。

しかし、男は武芸者、素人のタックルをまとも食らってもバランスを崩すことなく耐えると、レンウェイに足払いを
して転ばし、抵抗を封じる。

男がレンウェイを意識したのはほんの一瞬。
レイリアにはそれで十分、何より助けてくれた兄の献身を無駄にすることなどあってはならない。

足に全力の剄をこめての加速……だけではなく剄を一瞬大規模に放出した後、剄が漏れるのを防ぐ。

内力系活剄の変化、疾影。

幻惑の剄技だ。本来は気配を持った剄の塊を放出した後、殺剄をして相手の感覚から隠れる技だが、レイリアの場合、
剄の塊の維持時間が短く、隙が生じたときに使わないと相手を幻惑できない。

稽古中に見て覚えて練習できた数少ない技で、ある程度の形まで習得できた過去の自分を褒めてやりたい
レイリアだった。

男はレイリアを見失い、不意打ちに備えて周囲を警戒している。

人質をもう一度とろうとはしない、悪手だからだ。
人質をとるということは、人質をいつでも攻撃できる態勢をとって脅さないと意味がない。
今、そんな真似を見せたら一瞬の隙ができる。

そして、レイリアはその隙を突くができる実力の持ち主であるのだ。

時間はまだある。そう確信したレイリアは血だまりのところまで走り、死んだ少年が振り回して鉄パイプを回収した。

これで必要なものは揃った。
敵の強さはわかっている、殺剄をしても一定範囲まで近づくと気付かれるから――真っ向勝負あるのみ。

抑えていた活剄を全開にして男の方へ突っ込む。
男もレイリアの方へ振り向くと、剣を振り下ろす。

完全にタイミングがあった鋭い一撃。

回避できず鉄パイプで受け流そうとするレイリアの行動に対し、男は目で嘲笑った。
剄をこめた一撃を、剄のない棒きれで止めることができるわけない、餓鬼の悪あがきだと。

わずかに剣速を緩めただけで、衝剄の乗った剣は鉄パイプを斬り砕き、レイリアに襲い掛かる。

まともに食らえば命に関わるかもしれない一撃を前にレイリアは……笑った。
全ては作戦通り、後は自らの才を信じるのみ。

鉄パイプの犠牲で、やや疾さが鈍った剣を掴み取る。
散らばった破片も手の中に入り突き刺さり、剣が肉に食い込むが無視し、手から剄を全力で流した。

……天才と呼ばれているレイリアだが、今は5歳児。
基本だけしか能がなく、その基本も精々学生武芸者レベルで、10年で蓄積するはずの技術を1年以下で追いついた
鬼才ではあるが、まだ、熟練の武芸者には遠く及んでいなかった。

だが、レイリアにはもう一つ強大な武器がある。未熟なままでは危険すぎるほどの、制御されていない剄が百分の一
漏れただけでも周囲を破壊してしまうような、訓練無しでは危険すぎる膨大な剄。

未だ全てを使いこなすことはできず、レイリアの制御できる範囲でしか発生させなかった剄。

その膨大な剄を剣に流し込む。

限界を無視する。
剄の閃光がレイリアを、男を、そしてあたり周辺を塗りつぶしていった。

剄の体から漏れた圧力だけで、男の衝剄の余波が振り払われる。
込め切れなかった剄が、志向性のない衝撃波となり手を傷つけ弾き飛ばそうとするが、その剄を新たな剄で捻り
つぶし続ける。

剄が制御しきれずに全身を必要以上に活性させることで傷口が広がり、血が全身から湧き出るのも無視して、ただ
意識を手に流れる剄の流れのみに集中する。
細胞1つ1つから、筋と筋の動きから、血液の流れからも発する僅かな剄も感じ取り増幅させ、進めと命令する。

剣が纏っていた衝剄がレイリアの手を払いのけようとするが、レイリアは決して手を離そうとしなかった。

「ち、武器破壊の剄技を知らない癖に、剣を掴むとはいかれてやがる。指がなくなっても文句を言うなよ」

男は剣に衝剄をさらにこめ、邪魔な小さな手を吹き飛ばそうとした。

……だが、衝剄に抵抗できるはずがない、柔な人間の手は吹き飛ばされなかった。

それどころか、剣を輝かせていた剄の色が次第に弱まり、質が変わった。
剄による緑の剄の輝きから、鉄を溶かしたときのような赤橙色の金属の悲鳴に……。

錬金鋼に剄が込められないという異常事態に、男が顔を引きつらせながら叫んだ。

「餓鬼、何をしやがった!?」
「何って、剄を思いっきりこめただけだよ。その剄が錬金鋼の許容量を超えて壊れただけ……」
「……天剣授受者レベルかよ」

レイリアのやったことに男は絶句することしかできなかった。

錬金鋼は剄の収束、衝剄への変換を助けてくれる武芸者にはなくてはならない武器であるが、剄という不安定な
エネルギーを制御する精密機械でもある。
精密機械が処理できないほどの剄を流して破壊することは、理論的には可能だが現実的にそれを可能な人はほとんど
いない。錬金鋼の剄の許容量が、一般武芸者の剄の発生量よりはるかに多いためだ。

……武器破壊という錬金鋼の破壊を目的とする技もあるが、あれは相手の錬金鋼内部に変換できない剄を流し込んで
破壊する技であり、剄量にまかせて錬金鋼を破壊するのとは全く異なるものである。

レイリアは肉が焼かれる痛みを無視してさらに力をこめ、故障した錬金鋼を腕力のみで砕き折った。

剣の破片がきらきらと散らばっていく。

砕けた剣身を見つめ、迷った表情を見せた男の瞳には、先ほどまでの余裕と残忍さはなかった。

常識を超えた出来事に対する恐怖。
錬金鋼という、圧倒的アドバンテージを失ったことに対する恐怖。

「くそが」

男は、ボロボロだが強大な剄を放つレイリアから一歩下がると、足に力を入れて大きく後退した。

5歳の幼児にしてやられたことに唇を噛み締めながらの、精神を立て直すための後退だったのだが……。

「逃がすか、俺にも気付けないなんて……びびり過ぎだぜ」

倒れていたレンウェイに足を掴まれ、数十キロの足枷という重りが加わったために失敗した。

思ったほど後退できず、バランスを崩す。

そこに足枷のないレイリアが一足で追いつき、折れた剣身をもってとどめの一撃を放つ。
火傷で指が動かないが、剄を込めることは可能な左手を剣身に添えての、抜き打ち。

外力系衝剄に変化、焔切り。

レイリアの通う道場で教えてもらった技。
剄で作った鞘により、剣身を加速させた一撃を繰り出す斬撃技だ。

その速さは男の防御を許さずに、胴体を薙ぐ。
剣に上乗せされた衝剄に吹き飛ばされた男は、壁に衝突し、血の塊を吐いた後、がっくりと項垂れた。

レイリアが男の様子を慎重に確認すると、息はあるが意識のなく、気絶しているのだとわかった。

「……やった、勝った」
「レイリア、やったぜ。5歳児相手に卑怯な手を取る様な卑劣漢に、俺たちが負けるわけなかったな」

2人は喜びを分かち合おうとハイタッチをした後、悶絶した。

レイリアは細かい傷による出血によって全身血まみれ状態で、左手はかなりの重傷。
レンウェイは最後、動き出す武芸者の足を掴んだ結果、かなりの速度で引きずられ擦り傷だらけだ。
さらに着地の際の急減速で、体のあちこちを打撲、強打している。

興奮と緊張で無視していた傷による痛みが、ハイタッチをした衝撃により復活したのである。

「これで帰れるね」
「…………ああ、そうだな」
「どうしたの? まだ何かやることでもあるの?」
「いや、確かに後は帰るだけなのは確かなんだがな……」

そこで言葉を切ると、レンウェイは深刻な顔をしてレイリアに相談を持ちかけた。

「おい、レイリア。何か親父を誤魔化す良い方法はないか? こんな重傷、しかも気絶した武芸者とともに帰ったら
家は大騒ぎになるぞ。……いや、それ以上に危険地区に行って危険人物に命を狙われ、重傷を負って帰ってきました
なんて言ったら、俺たち親父に殺されるんじゃないのか?」

「…………………………。…………怪我してるし、怪我を悪化させないよう手加減してくれると思うけど」
「馬鹿、それは手加減じゃなくて延滞だ。後々倍殺しされるための猶予期間だ。くそ、親父はレイリアには甘いけど
俺に甘いということはないしなあ~。しかも俺は主犯だ、やばすぎる。家族で盾になってくれそうな奴は……」

結局、家に帰ったときに誤魔化すことはできず、孤児院で10年に1度の大事件となり、養父から兄妹から、何日も
たっぷりと絞られた2人だった。










後書き
次回、エピローグ編を投稿した後、現代編(ツェルニ)に戻ります。




[26723] 過去編(グレンダン編) 第4話  5歳 原点 エピローグ編
Name: 銀泉◆b6faa4a8 ID:74c548e8
Date: 2011/04/03 18:14
過去編 第4話  5歳 原点 エピローグ編










ここは病院。レイリアは風邪を引いて看病されたことは何度もあるが、入院というのは初めてである。
新鮮さを感じ、楽しんでいたのは初日……の内の数時間だけだ。

今は憂鬱すぎるのがレイリアの本音だった。

白いシーツやカーテンにベッドで囲まれた殺風景で静謐な部屋。
それに加えて、安静と言われて病院内を歩く時間すら制限されているのに、部屋には遊び道具は全くない。
家には遊び用のカードがあるのだが、入院兼反省中のレイリアたちはそれを使わせてもらえないためだった。

何より、この怪我(戦い)をした原因である無茶無謀に関して、朝から説教を受けたことが一番つらかった。

本気で死に掛け、命が助かったのは運が良かっただけだから仕方のないと思う一面はあるが、反省文と怪我した日の
行動の詳細の記録を書かされるのは勘弁して欲しかった。
未だ知らない文字の多いのに書かせるんじゃないと思いつつ、レイリアは協力者に色々教えてもらうことでそれを
こなしていた。

「だあ~~~、書いてられるか! 勉強に反省に書くものが多すぎるんだよ。問題集1冊とか1ヶ月の献立表とか
いったい何なんだ? 反省とは関係ない、罰というより嫌がらせじゃないか」

理不尽さに爆発したのは今回の事件の主犯であるレンウェイだった。

主犯であるので、レイリアよりも罰は非常に多い。
そのため、1時間に1回は爆発して手が止まってしまう。

爆発後はレイリアと気晴らしに愚痴を言い合ったりするのだが、今は夕方であり、爆発は既に4回目だ。
話題も尽きてしまって、会話する元気もなくなりかけているのが現状だった。

テレビをつけるとニュースをやっていた。
とある容疑者の逮捕がきっかけで判明した食料の違法買占めと闇市の摘発の報道をしている。

レイリアはすぐにニュースを消した。
これを見たくないからこそテレビをつけていなかったのに、まだこの事件を放送している。

この事件はレイリアたちが引き渡した男に対する捜査から得た情報が基盤だ。

レイリアも始めは警察にも事情を説明し説明され、凶悪な犯人を見事に捕まえたという名誉や誇りで嬉しかったが、
何度も説教された所為で、説教の元凶である事件を思い起こさせるニュースも疎ましく感じてしまったのである。

レンウェイが命を狙われた理由は、あの男の申告通り口封じだった。しかもあの男とレンウェイに仕事を与えた人
がつるんでいた、いやレンウェイが殺されるまでが仕事だというのだから、世の中は本当に碌でもない。

子供のレンウェイが知らない町の巡回という、役に立てそうもない仕事を引き受けることができたのは、相手の期待
していた働きが囮だったためだ。

元々、あそこで違法取引が行なわれているという疑いがあって、あの場所に私服警官が何人か派遣され調査を開始
していた。
男の組織はどうにかして調査を妨害しようと考えた結果、囮、つまり、子供を何人も雇い町を歩かせることで
カモフラージュすることにしたのだ。

毎日、同じルートを歩いている子供なんて当然怪しいし、私服警官に言葉巧みに目的を聞かれ、答えてしまった子供
もいただろうが、組織としては全く問題なかった。

この地区の治安の悪さから、街中を巡回するよう頼まれたと聞いても不思議ではなかったし、何より子供に嘘をつく
ように指示しなかったから、子供の巡回の結果を私服警官は調査の参考にしてしまう。
それが罠とは知らずに……。

男の組織は子供たちの巡回ルートを全て把握しており、その巡回の隙間を利用して取引をしていたのだ。

子供たちは当然、その取引を目撃することがないから、組織は巡回に困らない。
子供たちという役に立ちそうで立たない証言者という足枷をつくることで、組織は調査の妨害に成功したのである。

子供たちが見た人の容貌に関する注文が、曖昧で適当だったのも当たり前だった。

組織にとって町に怪しい奴がいるかどうかはどうでもよい話であるし、服装や髪型などで人の印象が簡単に変わる
以上、適当な情報など参考にできるはずがなかったためだ。

……だが、調査妨害も完全ではない。警察が裏道を含め、完璧な街の地理を把握し、子供たちの巡回ルートまで全て
調べてしまったら、その隙間に気付くかもしれない、取引の現場に辿り着くかもしれない。

その危険性をなくすために、死人に口なしを実行しようとしたのである。

そして、殺しを開始し、1人を殺したところで、レイリアに返り討ちにあったのが事件の全貌だった。

「なあ、レイリア……、悪かったな」
「何が?」
「養子の話だよ。頭を冷やして考えみれば、親父の元に養子の話が来たのにお前に話がいってないということは、
養子縁組を断るに決まっているんだった……。それなのに名家の養子の話が来たと1人舞い上がって暴走して……
お前の心情なんて全く考えずに話をしていて、事件にも巻き込んでしまった。……ごめん」
「そんなことないよ、大体わたしが行かなかったら、お兄ちゃんは殺されていたから、結果オーライだよ」
「結果オーライって……それは違うだろ」

唐突な話題だとも思いつつ、レイリアは養子に関して、養父から事情を聞いたが、レンウェイと話し合っていない
ことに初めて気付いた。

入院している間ずっと一緒にいたのに不思議な話だが、それだけ事件の衝撃が大きかったということだろう。

「あのとき俺が養子縁組を勧めたのも……そうした方がお前が幸せになれると考えたからじゃなくて、俺がもしお前
の立場になって養子縁組の話が来たらっていう仮定で考えて話していた……あのときのアドバイスは全て忘れた方が
良い」
「どうして? 相手の身になって考えるってよいことだと思うけど……」

レイリアはレンウェイの意見が間違っているとは思えず首をかしげた。

養父から養子になることを考える必要がない、お前はうちの子だと言われたときは、嬉しさのあまり涙が出てきたが
それでも、客観的にみたら名家に行った方がメリットが多い分、そうアドバイスをするのは当たり前なのだ。

「相手の身になって考えてなくて、俺ならこうする、こう思う、で話していたんだ。正直、お前の気持ちなんて全く
考慮していなかった。お前は孤児院を出たくないのに、絶体絶命時に家族皆の名前を呼ぶくらい、家族のことを
愛しているのに……俺はお前を出て行くことに対し寂しがりもしなかった上に、向こうに行っても会いにいってやる
の一言も言えなかった」

兄がわたしの想いを理解してくれている……。

そのことにレイリアは胸がいっぱいになる。嬉しくてありがとうと言おうとするが言葉が出ない。
体が感無量状態で、舌も口も顔も上手くコントロールできないためだ。

「……それに、お前も聞いただろう? 俺が名家から捨てられた存在だって」

事件のときに、男に向かって交渉したときの話だ。

親が最初からいないレイリアには、親から捨てられた苦しみはわからない。
生まれたときから親から憎まれているなんて、わかる以前に想像すらできない出来事だった。

「あいつの言っていたことはほぼ事実だ。俺の父親は母親を殺した子供に対して、「親殺しの役立たずなんて見たく
もない、母親と一緒に死んでいればあいつも寂しくならなかったのに」と言いやがった。考えただけでむかつく奴だ。
そんな奴だからこそ親というのが大嫌いだし、こんな俺の状況を生み出した名家というのも嫌いだ、憎んでいる」

「状況? 名家も? 父親が酷いということはわかるけど、名家も酷いことをしたの?」
「ああ、名家の命令で父親は俺だけを捨てた。正確には俺と同じ母親を殺した子供であるのに……家の圧力に
負けて双子の女の子だけを引き取ったんだ。……武芸者で名家の血を一応は引いているという理由でな」

勝手な都合で1人を捨てて、1人を引き取った……そんな残酷な真実にレイリアの頭が真っ白になった。

一般人との結婚が認められない家があるくらい、武芸者の血筋は重視されている。

武芸者が生まれる確率は武芸者同士の方が高く、一般人と武芸者では子供が武芸者でない場合も多いし、一般人が
母体のときは、出産の際の負担で死んでしまうことも珍しくないためだ。

家を継ぐことが重要な名家にとって、子供が武芸者であることはかなり大事で、きちんと養える能力さえあれば愛人
を持つのも社会的に黙認されているのだ。

今はいない、院を出て行った兄姉に腹違いの兄妹がいたと聞いたことがあるほど、愛人制度は社会的に広まっている
のだった。

「だから、俺は父親が名家の圧力で仕方なく俺を捨てたんだっていう……今思えばアホ過ぎる思いを抱いて父親に
会いに行ったことがあって……それで血の繋がりという幻想を粉々に打ち砕かれた」
「…………思い出して大丈夫なの?」
「はらわたが煮えくり返るのを必死で我慢しているから黙って聞いてろ。……そのときからこんな俺を生み出し
放置している血の繋がりも名家も唾棄したくなるほど嫌いになった。武芸者という、努力でどうにでもできない壁も
憎んでいる。俺が武芸者であれば……あいつが武芸者でなければよかったのにと思うことも多い。俺はお前と違って
孤児院が俺を捨てた家よりまだ居心地が良いだけで、天国とは思わない。あんな怪しい仕事、金さえあれば請ける
必要がない。だから、憎い家の地位や庇護でも無性に羨ましく思うことがあるんだ……憎悪も一緒に燃え上がらせ
ながらな」

孤児院が天国ではない……数日前までのレイリアではまだ実感していなかった言葉。
食糧危機で親族に引き取られる子供が多くなったのを見て、感じつつも見ないようにしていた現実。

危険地区に入って仕事をするのに足元を見られた安い給金……しかも最後には始末されるという悲しい現実が待ち
受けていた孤児の現実。

一番、悲しいのはそれほど危険な目にあっているのに関わらず、誰も助けてくれない、再び自分で自分を助け
なければならない点だ。

普通なら、危険な目にあった子供を親はひどく心配し過保護となり、数ヶ月は学校以外で外に出るのを禁止するかも
しれない。

だが、孤児にその余裕はない。
危険な目にあったら、次はまだ危険な目に合いそうにない場所で生きるための努力、行動をしなければならない。

家族の皆もレンウェイの軽挙妄動を責めるが、心配だから家に閉じこもっていろとは誰も言わない。
家族の庇護がない孤児たちは、社会的危機のとき、よりいっそう行動に出ないと生きることさえままならないことを
無意識の内に悟っているためだ。

……レイリアは自分が恵まれていたことを自覚した。

レンウェイが指摘した通り、レイリアは孤児院のことを天国だと思えるほど愛していたが、それは泥をかぶりながら
何かをする必要がないほど恵まれ、守られていたからである。

泣いて行動しない我が侭を言っても許させるぐらい守られていたのである。

無論、そこに正当な理由はある。天才的な武芸の才能。
将来、他の孤児とは違って万人に認められるであろう才能。

レイリアは覚悟を決めた、今すぐには無理だが、急いで武芸の才能を開花させよう、早く一人前になろうと。

そのために痛そうな訓練も我慢するし、年齢を理由に訓練を渋られても、相手が折れるまで頭を下げ続け、駄目でも
覗き見て技術を盗み取る。

一人前になったら、それまでの間助けてくれた恩を百倍ぐらいにして返そうと……。
別の危機がやってきても兄妹たちが危険な場所に行く必要がないようにと……。

「……レイリア、黙るな。あくまでここからが俺の言いたいところだから」

レンウェイの叱責に、レイリアは我に返り、慌ててレンウェイの方へ顔を向けた。

「武芸者を憎んでいると言ったが、それは双子のあいつであり、そこから広がった武芸者全体のことであって……」

レンウェイはそこで言葉を止めると、視線をレイリアから少し外し、指で頬を掻いた。
顔も少々赤くなっていて、明らかに恥ずかしがっていた。

「武芸者以前に妹で仲間であるお前を憎んでいないからな。そりゃあ嫉妬がないか聞かれれば困るが、憎んでいる
ことはあり得ない。あの男が俺はレイリアを憎んでいるって的外れな決め付けをしていたから訂正しておこうと
思ってこの話をした。……そもそも、俺が気に入らない奴と共闘することなんてあり得ないって頭に入れておけよ」
「レンウェイ……お兄ちゃん」

レイリアが男の言葉に動揺したことを覚えていたからの気遣いだった。

あのトラウマに呑まれていたときでも、レイリアのことを意識していてくれた。

心に引っ掛かっていた枷がなくなり、感情が溢れ、入院中にできた憂鬱な気持ちを吹き飛ばし、追い出す。
心臓がバクバクする。満ちた喜びの感情に剄脈に反応し、体からかすかな光が漏れる。

「ありがとう……大好き」

剄が感情によって引き出されることがあっても、剄が感情を表現することはない。

だが、レイリアが嬉し涙とともに発した剄の光に攻撃的な気配はなく、陽光にも似た温かい、見るものを安心させる
ような輝きを放っていた。

兄妹愛により奥底の不安を溶かされ、喜びに満ち溢れているレイリアの心のように。

嬉しさとともに、この優しい家族を将来、守るという決意を、さらに胸に刻み込むのであった。







翌日、レイリアは身辺整理をしていた。

身辺整理といってもたかが数日間の入院生活。
私物は着替えくらいしかない分、書いた反省文などを確認するぐらいだった。

ちなみにレンウェイの入院期間はもう少し長い。

レイリアは直接戦った分、レンウェイより重傷だったが、活剄により治癒速度を促進させることで早く退院できた
ためだった。

「暇な俺に付き合うためにも、もっと入院していたら良かったのに……。どうせ帰ってもまた説教だし、入院費は
警察が出してくれているから、俺たちの懐は痛まないし」
「入院期間は病院の先生が決めるのだから、延長なんて無理だよ」
「俺は活剄による治癒速度の調節をしなかった、お前の気の利かなさを責めているんだ」

警察が調査していた事件に、子供2人が巻き込まれ、解決してしまった。

事件が大事になっている以上、警察にとってかなりの不祥事である。

よって、お礼や口止め料の一環として、レイリアたちの入院費は警察が出してくれているのであった。
だから、今まで高い入院費を気にする必要が一切なかったのである。

退院時間前に養父と兄姉が迎えに来ることになっている。

それまでの時間を適当に潰そうとするが……できなかった。

そもそも入院中、課題以外の時間は全て退屈で、時間を潰すにも色々と努力をしないといけないのだ。
今更、新たに時間を潰すことができず、頭を捻っていたレイリアだったが、解決していないことを一つ思い出した。

「そういえば……結局、あのレンウェイお兄ちゃんの知り合いの男の人の身元ってわかったのかな? ちゃんと
家族に見送られて天国に旅立ったのかな?」
「さあな、悪態を突きあっていた俺らだって、お互い名前を言っていなかったんだ。名前さえ不明の孤児の身元
なんて、警察もどれだけ真面目に調査しているのだか……」
「……それでもわたしたちが…………」

放置して去らなければ、発見が遅くなっていなければ、どうにかできたかもしれないのに……。

言葉にしては何度も否定された考えが、脳内を駆け巡る。

戦いが終わった後、レイリアとレンウェイは気絶させた男だけを抱えて、帰ってしまったのだ。

生き残れた安堵から、死んでいた少年のことをすっかり忘れてしまっていた。
少年の使っていた武器を借りたのにも関わらず……だ。

警察の事情聴取を受けている際に思い出し、遺体を回収したらしいが、身元はまだわかっていないらしい。
怪我をある程度治療してから事情を話したので、遺体発見に数時間は余分に時間がかかっていた。

数時間……それが遺体にどのような影響を及ぼすかわからない。

レイリアが遺体を運んでも、結局身元はわからなかったかもしれないが……でもひょっとしたら変わったかも
しれないという希望が頭の片隅によぎるのだった。

レイリアは、いきなり襲い掛かってきた少年のことを、怖いとは思うが、憎いとか自業自得だとは思えなかった。

あの少年は男と違って殺意はなかった。
レンウェイを鉄パイプで殴ろうとしたことに対し恐怖を覚えるが、レイリアには思いっきり殴ろうとせず、精々
邪魔者を追い払う程度の敵意しか見せなかった。

だからこそ、あの少年の死後の行先を気にする余裕があるのかもしれないが、レイリアとしてはそれでもよかった。

死んでしまった少年に対し、可哀想と思うことは悪いことではないし、あの人もレイリアと同じ孤児なのだ。
同じ孤児だから、どうしても仲間意識は生まれてくる。

銃撃に晒されたとき、避けてと言った相手には、あの少年も含んでいたという思いもあった。

孤児だから、死んでしまっても誰にも惜しまれず、誰にも墓参りを、墓さえあることに気付かれずに終わってしまう。

……レイリアは自分の想像に怖くなった。

孤児とはいえ、そこまで他人と繋がりが薄いはずがない。
懸命に探してくれるはずの両親はいないにしても、仲間がいるはずだし、養父のような孤児院の院長だっているはずだ。

そうした人々が気付いて弔ってくれるに決まっているのに、つい不安がよぎる。

食糧危機の混乱で連絡が取れないだけとみなされないか、
遠くの地区に行ったと考えず、検討違いの場所を探していないのかと……。

そういえば、レンウェイは同じ孤児の少年のことを初対面から気に食わないといい、少年も同感だと言っていたこと
も思い出した。

同じ孤児、少し生まれた場所が違えば仲間、家族だったかもしれない人たちが争う。

レイリアはその理解不能な敵意が悲しかった。

自分にもう少し力があれば、あの男の殺剄を見破れるくらい、欲をいえばその身に秘める圧倒的な剄を全て使い
こなし、剄圧だけで男を圧倒できていれば、戦わずに勝つこともできたかもしれなかったのに……。

この日、レイリアは後悔とそれに強くなるための新たな理由を胸に刻み込んだ。







その後、レイリアが退院してしばらく経っても、少年の身元が判明することはなかった。

警察の説明によると、行方不明の届出の中で該当する人物がいなく、名前のわかるものを所持していなかったために
これ以上の調査は不可能ということだった。

今、レイリアがいる場所は共同墓地。

共同墓地というのは、個別に埋葬されなかった人のための墓地で、身元不明の死者や、貧乏などで墓を作る余裕の
ない家の人たちがほとんどだ。

また、レイリアが1人なのは、レンウェイも誘ったのだが断られたためだ。

事前に教わったように、小さな墓を洗い、1時間かけて探した、野生のきれいな花を供える。

墓碑銘に名はない。ただ死んだ日時と場所が描かれているだけだった。
墓石に誰も訪れていないのか、風雨に晒されてかなり汚れていたのだが、たわしでこすることで汚れはすっかりとる
ことができた。

レイリアは祈った。

守れなくてごめんなさいと謝るには関係が薄すぎた、出会って数分間後に死んでしまった名もわからない少年。

レイリアは、少年が誰にも悼まれていない可哀想な最後を遂げたというのが納得できなかった。

食糧危機の所為で死者、行方不明者が増えているのは知っている。
だが、死後も孤独で苦しむとは、世の中は残酷すぎると思ってしまう。

こんなのはいけない。
レイリアと同じ孤児がこんなに苦しまないといけないなんて納得できない。

普通の子供なら納得できなくても巨大な現実という壁にできることはなく、日々の忙しさに長く追われてやっと何か
できる大人になった頃には、子供の頃に感じた理不尽など忘れてしまう。

だが、レイリアは違う。

剄の流れを読み取り、1年で10年分の基本を身につけるほどの早熟の資質。
内に秘める、錬金鋼を破壊するほどの膨大な剄という天賦の才。

この2つを使い、胸に誓う。

恵まれている自分が家族を守ること、
孤児が死に、誰にも弔われないということがないようにすること。

それが、自分が天より授かった恵まれた剄の才でしなくてはいけないことだと。





この2つがレイリアの願いの原型。原動力の原点。

現時点では後者の願いは、前者のそれに比べて小さいものだった。だが……、

願いの底に秘められた想いが、今は知らない現実の凄惨さが、将来のレイリアの心を捻じ曲げることになる。

そして、多くの人を、硬直した閉鎖社会を巻き込むほど大きくなることになるのだった。










後書き
次回からは現代編です。



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