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[26673] 君を喚ぶ声【異世界トリップファンタジー】
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:ef867b76
Date: 2011/09/09 19:34
小説家になろうでも掲載させていただいています。

*3月25日~arcadiaに掲載。
 推敲することがありますが、本篇の大きなストーリーには影響はないと思います。

【あらすじ】
 
二日酔いから一転。目覚めるとなぜか森の中だった。山林を彷徨う中、未知の生物に出会い、巨大な石で出来た遺跡を見つけた。引き寄せられるように遺跡の輝く白い巨石に触れると、見知らぬ文字が浮かび上がる! ようやく辿り着いた村の酒場で望月エリカは保護を受けることになるが――。 『お前はエリックとして一年後魔法騎士団で働いてもらう』とファミエール家監修の元、潜入捜査の協力を求められる。 ――画してエリカの男装の日々が始まった。次々と湧き起こる不可解な謎。エリカはこの世界に関する謎を解こうと密かに調べることを誓うが……。

第一章 はじまり
◇異世界ハウメアのど田舎、スビアコ村。その酒場で保護を受けることになったことから、エリカは波乱の冒険に巻き込まれる。

第二章 旅の準備
◇自身の運命を受け入れ、今後来るであろう旅立ちに備え、学究院へ通い始めた。そこで出会った友人たちと成長しながら、異世界の歴史や魔法などを学んでいく。


8月20日>> 前書きと本編を分離しました。

9月5日>> プロローグ部分加筆。
      また時間のある時に少しづつ加筆する予定。
      ある程度まとまった時間がある時に(たぶん来年以降)大幅な改稿に着手。大きく以前の部分を削除するかもです。



[26673] 01 prologue
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/09/05 12:33
第一章はじまり 

 序章 prologue 0

「ねぇ、みぃたん。お前は何?」
 雪のように真っ白でふわふわな羽毛をはためかせ、エリカの目前を浮いていたそれは石畳の地面に降り立ち「みぃー」と首を傾げ鳴いた。
 トコトコと猫のような優雅な歩みでエリカにすり寄り、くりくりの真っ黒な瞳をキラキラと輝かせてピンクのくちばしで甘噛みしてくる。
 以前の姿を知らなければ怯えていたことだろう。
 羽のついた子猫のようだったみぃたんは、今では威厳あるライオンのようだ。さらに大きな翼を広げると、全くとてもこの森を治める王のように荘厳な姿だった。
「ここはどこなんだろう……?」 
 何度となく呟いた言葉を吐きだし、エリカは周りを見渡した。
 大きな巨石が12基環状にそびえ立ち、隣り合った石の柱の上にも巨石が重なり合うように渡してある。
 まるでストーンヘンジだ。
 何日も森の中をさまよいたどり着いたこの場所。
 はじまりの場所。
 そう、全てはここに繋がっている気がする──。
 
 ◇

 ――ヴァレンディア王国バスティ山。

 このあたりでは村人もあまり近寄らないような深い森の中。白んできたばかりの空も濃い霧が立ち込めており仰ぐことはできない。夜空に浮かぶ二つの月も、昇ってきたばかりの光星も道を照らすには弱すぎた。
 目覚めたばかりの山林を魔法光が通り過ぎる。女性の呪文(スペル)によって生み出されたそれが薄暗い頼りなげな道を照らす。

 ハァハァ……。

 バスティ山頂へと続く石段を辛そうに登っていく身重の女性がいた。
 大きなお腹を右手で支え、踝まである薄紫色のワンピースの裾を引きずらないように、左手でスカートをたくし上げ一段一段踏みしめながら頂上を目指す。
 額には玉のような汗が滲む。額に張りついた長く艶やかな黒髪を気にすることなく浅い息をさせながら進む様は、死に魅入られた絶望を宿した人間のようだ。
 若く美しい面は悲しみに歪み、ドレスとお揃いの薄紫色の大きな瞳にも力はない。目の下の隈が白磁のような肌を一層血色を悪く見せている。
 長く終わりがないと思われた石段をやっと登り終えた。
 目の前にそびえ立つ見上げる程の巨大な石たち。12個もの巨石が環状に立ち並ぶ。
 石でできたこれらはいつのものかわからない程の古い歴史を持つ遺跡だ。
 若き妊婦はそこに着いた途端に崩れ落ちた。
『……クリスティーヌ』
 ポタポタと石畳の上に大粒の雫が落ちる。
 悲しみに沈む女性に近づく影があった。
『……誰?』
 驚きに見開かれるアメジスト色の瞳。
 身重の女性の目の前に跪いたその人物もまた若い女性だ。艶やかな黒髪に紫色の瞳。向かい合う女性たちはまるで双子のようにそっくりだった。違いはドレスの色のみ。対する女性は薄紅色のドレスを着ていた。
『……ドッペルゲンガー。私はこのまま死ぬのね……? いいわ。早くクリスティーヌの元にいきたい……』
 淡いピンク色のドレスを着た女性はそっと目の前の身重の女性の涙を拭い、微笑んだ。
『大丈夫。クリスティーヌは生きています。希望を持って』
 そう言うと微笑みを浮かべたまま消えてしまった。

 ◆ ◆ ◆
 
 鳥の美しいさえずりが、深遠の森の中で響いている。朝焼けの木漏れ日が、横たわる黒い塊に降り注ぐ。
「ぐぅ……ぐぅ……」
 黒い塊はいびきをかいていた。草木が生い茂る地面に、何故か南瓜を枕に、ぐったりとしているソレはこの物語の主人公であるのだが……。
「……ぐぅがぁ?! ……ぐぅ」
 まだ、深い眠りの中である。
 黒のローブの中に丸まり、同じく黒の三角帽からはみ出しているのは、縮れた白髪。熟視すれば、年寄りのような髪には、似つかわしくない若々しい相貌が見える。だが、ぐったりと横たわる姿は一見、老人、魔法使いのそれを連想させた。
 気がつけば太陽は真上に来てさんさんと日光が降り注いでいる……が「んあっ?!」と一瞬目を開けまた瞑ってしまう。
 いつになったら起きるんだとか突っ込まないで頂きたい。
 これには事情があるのだ。
 結局、この全体的に黒い格好の人物が目を覚ましたのは翌朝のことだった。
 ちなみに夜中に目を覚ましたが真っ暗なのでまた寝た……ことは割愛させて頂こう。
『……起きなさい』
 深い眠りの中にいる彼の人の耳元でそっと囁く。ヴァレンディア語だった。きっとわからないだろうが加護だけでも与えていきたい。
 女性は自身の首に手をかけ、鎖を手繰り寄せるとドレスの胸元からネックレスを取り出した。
 金の鎖のトップには綺麗で大きな宝珠が鎮座している。紫色に輝くそれをみつめ、また服の中へと仕舞いこむ。
『未来に希望がありますように……』
 祈るように呟き、薄紅色のドレスをはためかせ去っていく若い女性がいた。

 ◆ ◆ ◆
 
 暖かい日が降り注ぐ木陰の下に魔法使いのような格好をした人物が一人蹲っている。
 三角帽からはみ出ているのは白髪。
 だが、その面立ちは若い女性のものだ。
 大きなぱっちりとしたの瞳は紫水晶色。その双眼を縁どるまつ毛は漆黒。鼻筋の通った相貌はかなり整っている。
「ふぁ。良く寝たぁ……」
 深い眠りから覚めた望月エリカは、うーんと思わず唸ってしまった。
 家の玄関で寝ってしまったはずのエリカが、次に目覚めたのは見知らぬ森の中だった。
 それもそのはず、エリカは家まで帰って来たところまではちゃんと記憶があるのだ。たとえ飲みすぎてところどころ記憶が抜けていたとしても……。玄関までは確かに。
「どこ、ここ?!」
 だが、それに応えるものはいない。
 たしか昨日はハロウィンパーティーで仮装して飲んで、二次会でも飲んで三次会でも飲んでカラオケして……。家に着いたのは夢ではなかったはずだ。酔って手もとの狂う震える手で鍵を開けてそのまま玄関に座りこんでしまったことをはっきりと思い出すことができる。
 そのためか体中の節々が痛い。
 たまに夜中に目が覚めた時に大自然が目に入ったような気がしたけれど、きっと気のせいだと思っていた。
 辺りを見渡してみるが、鬱蒼とした森が広がるばかりだ。
(あっ。携帯)
 望月エリカは、草むらに転がっていた自分の鞄の中を漁り携帯を探す。
「とりあえず、会社に連絡しよう」
 なんと連絡しようか考える。「二日酔いで起きたら知らない森の中でした」とは通用しそうもない。理由にならないだろう。しかし他に言葉が見つからなかった。
 エリカもこの状況を理解できていないのに説明できるわけないではないか。
 Iphoneを取り出す。……が圏外だ。
「圏外?!」
 画面を見つめるが圏外の文字がいつもはWi-Fiのマークが浮かぶ部分にあるばかり。3G回線まで繋がらないとは相当山奥なのかもしれない。
 ドコモも持ってくればよかったと嘆息するがもう後の祭りだ。
 使い物にならない携帯の電源を切り、途方に暮れる。
 どう考えてもなぜこんな山林の中寝ていたのかさっぱり理解することができない。
 また失態をやらかしたのだろうか。
 ひとり青くなるエリカ。
 お酒で数々の失敗をしてきているので、心当たりがありすぎて笑えない。
 まさか鍵閉めないで玄関で寝て誰かに拉致られて森に捨てられたとか――?
 状況がわからないせいで想像も段々と悪い方に膨らんでいく。
 犯罪に巻き込まれたのか――思いつく限りの最悪の状況を思い浮かべ慌てたが、外傷などなくちゃんと服を着ていることを確認しほっと息をついた。
 鞄には財布もIpnoneも入っているし化粧ポーチなども昨日鞄に入れたままの物たちが、そこには収まっていた。
 着衣の乱れはない。
 とりあえず帰ろうとグーグルマップを開こうと無意識に携帯に手を伸ばすが圏外だったことを思い出す。
 エリカはまたIphoneをしまい、暫し考えこむように眉間に皺を寄せ胡坐をかいた。
(とりあえずコンタクト外そう)
 エリカは洗面道具からコンタクトケースを取り出し、保存液を入れ紫色のカラコンを外す。
 ハロウィンパーティーだったのでカラコン装備で黒いスキニーに黒ブーツ、ひょう柄のシャツにベストを着て、腰までの長いアッシュブラウンの髪を後ろでワインレット色のビロードのリボンで括っていた。
 エリカ的には魔王チックな仮装をしてきたつもりであったのだが『女の子は、魔女っこスタイルでしょ』と渡された黒いローブと、白髪付き三角帽をいつの間にやらかぶっていた。
 そんなこんなでカラコンを外し三角帽を脱いだエリカは、日本人としては標準であるダークブラウンの瞳に、アッシュブラウンに染めた髪を括った姿をさらす。
 色彩が変わると外国人のように見えた相貌は、日本人のそれになる。
 彫が深い整った顔立ちなので、カラコンをつけると外国人かハーフのように見えてしまうのだ。先のハロウィンパーティーでもエリカを知らないたち人から『ハーフ?』などと聞かれていた。
 大学時代留学していた時も、エリカという外国人風とも日本人ともとれる名前と、学校のクラス以外でも英語のみで皆コミュニケーションを図っていたこともあって、日本人の友人やスペイン人、スイス人の友人達から日本人だと認識されないことも多々あった。
 だが、望月エリカは生粋の日本人である。
 つけっぱなしだったカラコンを外すと視界は悪くなったが、乾燥した瞳に潤いがもどりすっきりする。
 目薬を出しさすとさらに爽快に向かう。
 顔を洗いたい。魔王メークも落としたい。エリカは鏡を出し、アイメークばっちりの目の下クマメークを見てウゲッと呟いた。
 酷い顔だ。魔王のようにみえるようにいつもはしないどぎついアイラインで瞳を囲い、目の下も隈にみえるようにグレーのアイシャドウを濃く塗りたくっていたのだ。
 落とさずにいたメイクが崩れ、もっとひどいことになっている。
 まず森から出て道路を探そう。その前に水辺があったら顔洗したい。
 エリカは持ち前の前向きさで行動し始めた。
「早く森から出てタクシーつかまえて家に帰ろう。私を拉致ったやつ見つけたら、ただじゃおかないんだから! どうやって貶めてやろうか……。ふふふふふふ……」
 なにやらぶつぶつと恐ろしいことを呟きながら、エリカは当ても無くフラフラと森の奥へと歩き始めた。
 ここからこの物語は始まる……たぶん。 

【あとがき】
これからも少しづつ改稿していく予定です。
まだ納得いくものになっていませんが、少し修正したものをのせてみました。
次話も並行して執筆中です。



[26673] 02 二日酔いと遭難
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:13
 エリカは先日送られてきた受信メールを見ていた。おとといのハロウィンパーティーのお誘いメールだ。
 パーティーから帰って来て目覚めたらこんな森の中にいたのだ。だからきっとこれはドッキリか何かなのだろうと手掛かりになるようなものはないだろうかと携帯の画面を見る。
「ドッキリなわけない……よね。あいつらならあり得るかも」
 そんなことも友人たちならやりかねない。だが、ネタばらしはすぐにするはずだ。そしてすぐ近くでこっそり見ているはず。
 彼らの気配がないということはこれはドッキリではなく現実問題、ここに横たわる困難の中にエリカが投げ込まれたということだ。

受信メール
差出人:有田 龍平
宛先:erika_a#####@i.softbank.jp

ハロウィンパーティーのお誘い
 
お疲れ様でございます!
キドラズハロウィンパーティーの
お誘いです(^◇^)
日程:10月30日(土)
場所:南4西8 56号線沿い
「THE DAY」
時間:20:00~23:00
会費:3500円
内容:書くと長いんで秘密ってこ
とで(笑)
(みんなと仲良くなれる企画やり
ます)

生粋の日本人なのでハロウィンっ
て何かをあんまりわかってないん
ですけど、楽しいことするきっか
けほしいんでこじつけました(笑)

あと、気まぐれで当日のドレスコ
ード決めちゃいます!

「ハロウィン的な要素を身につけ
て来てちょうだい(^◇^)」

これだけです(*^^)v
カボチャモチーフ、アクセ、何で
もオッケー!

もちろんガッツリ仮装(魔女の格
好とか)して来ても大歓迎!
入り口でチェックします(笑)

キドラズだけど、当日は気取って
来てください♡(笑)

参加したい人、してみたい人、し
たくない人(笑)連絡ください!

よろしく(*^^)v

 エリカは眉間に皺をよせながら受信メールを穴が開くほど見たが、何もおかしなところは見つからない。どっきりでなければ今のこの状況をどう説明したらよいのだろう。
 エリカは何も思い浮かばなかった。
「……さすがにここまではやらないよね。やってたら犯罪だし。じゃあこの状況はどう説明したらいいの?」
 エリカは不安な気持ちで携帯を覗きこみながら、パンパンに膨らんだ鞄を肩にかけ、獣道を歩く。
 道路とか人の気配とか全くないことにどんどんと不安感が募っていく。
 誰でもいいので人に会いたい。出てきてほしいと人気のない山の中、ひとり語りかけるがもちろん誰が答えるでもなくこだまは林の中へと消えていった。
 混乱と動揺と不安感いっぱいの気持ちとは裏腹に空元気を出して心を落ち着けようとする。
 歩いても歩いても獣道が人界に出ることはなく、エリカは疲労困憊と不安でげっそりしていた。ハロウィンパーティーでもらった飴やチョコを食べ、ペットボトルのお茶を飲む。
 もうあと一口ほどしか残っていない。
 水辺で水を確保しなければ脱水になってしまう。
 遭難と呼べる状況にしっかりと意識を保たなければと、逆にエリカの気持ちは少しづつ落ち着いてきた。
 水辺の確保。川を見つけること。それが今するべきことだ。飲み水も手に入るし、もしかしたら川を伝っていけば人里に出られるかもしれない。
 目的を得たエリカの足は自然と早まった。だが、もう体力の限界が来ていた。それもそのはず、目覚めてからずっと当てもなく歩き続け、空は陽が沈みかけていた。
 エリカは左腕の腕時計を見た。
 10時7分だ。今は夕方のはず。電源を入れ携帯も見てみるが同じく22時台。 
 だがどうみても空模様は夕方なのだ。
 エリカはオレンジ色に染まった空を見上げた。
 もう一度携帯をみる。何度も確かめた。画面は22:09。時計が狂ってるわけではないようだ。
「なんで? 夕方だよね、今」
 なぜか森の中にいることや今や遭難確実かというこのふざけた状況に考えること自体が大きなストレスになってくる。身体の疲れも眠気を訴えてくる。
 もう寝てしまおう。これはきっと夢だ。悪夢。きっと覚めるはず。
 大きな樹の下に草むらからススキのようなものを集め、樹の下に敷き詰め枯れ木や小枝、落ち葉を集めて寝床の準備を始める。
 ずっと山道を彷徨っていたのだ。もう体力は限界を当に超えていた。
 しばしばと降りてくる瞼と戦いながら、寝床と焚き火の準備をする。
 山林の中を歩き回っている時は感じなかった寒さが、汗が冷えたことで如実に表れてきていた。
 エリカは野宿などしたことはなかったが、幸運なことに幼少の頃は子供会のリーダー研修なるボーイ&ガールスカウトでキャンプのイロハは叩きこまれていた。そして毎年キャンプに行っていたり彼女自身もアウトドアが好きだったのもあり、基本的な知識はあった。
 まさか、それがこんな風に役に立つ時がくるなんて……。
 エリカはパチパチと音を立て始めた焚き火の傍に腰を下ろす。
 ライターがあってよかった。いらない煙草も一緒に入ってるけど、あいつもたまには役に立つ。鞄には幼馴染の龍平が『預かっといて』と入れた、煙草とライターが入っていた。
 この状況の中で火をつける道具があったのは、まさに天の助けとしか思えない。
 煙草は吸わないし、ライターがなかったら火つけるの大変だったはずだ。
「……眠い。お休みぃ」
 誰の返事もない。
 エリカはひとり夢の中に落ちていった。

 ◆ ◆ ◆
 
 タラリン タラリラ タラリラーン タラリン タラリラ タラリラーン……。
 
 この深遠の森の中に不釣り合いな音が響きわたる。無音の広がる空間に、ただ場違いなメロディーだけが音を奏でていた。
 草を敷きめできている寝床にまるまって眠る影がひとり。
 まだ真っ暗な暗闇の中でもぞもぞと音の方に手を伸ばす。
 音源の表面をシャッとなぞり、また深い眠りの中へ落ちていく。

 ……5分後。
 
 タラリン タラリラ タラリラーン タラリン タラリラ タラリラーン……。

(携帯のアラームが聞こえる)
 エリカはそろそろ起きないと、と携帯に手をのばしシャッとアラームを解除する。
 しばしばと下りてこようとする瞼と戦いながら、起き上ると暗闇の中、目の前に広がる景色にため息を吐く。
「やっぱり夢じゃなかったんだ……」
 起きたら全て夢でいつもの日常がくることをどこかで期待していた。
 どこかもわからない場所でそれも森の中にひとりぼっちということに、思いのほかこたえていたのかもしれない。
 そんなに待ち望むほどの日々ではなかったとしても、普遍的な日常は安心感を与えてくれるものだった。
 寝ぼけてぼーっとした頭を押さえながら、エリカはホームボタンを押し画面を覗きこむ。

 6:08 11月2日(火)

 寝る時もずっと左手にしていた腕時計も、1~2分の誤差はあるが、同じ時間、日にちを示す。
 10月は31日まであるので、文字盤のカレンダーも正確なはずだ。
 さすがにこんなに日にちが経っているのは拙いだろう。
 まさかこんなにも深い森だとは思わなかった。昨日一日歩けば、さすがに道路に出ることができると簡単に考えていた。
 とりあえずコンタクトつける。  
 エリカは鞄に手を伸ばし、ポーチから紫色のカラーコンタクトと保存液をとり出す。
 サッと指先を保存液で清め、ティッシュで軽く拭う。
 コンタクトレンズを入れると、さっきまでぼやけていた視界がくっきりと浮かび上がった。
 ポーチの中にはワンデーの使い捨ての普通のコンタクトも入っているが、いつまで続くかわからない遭難にとっておくことにした。
 太陽はまだ出ていないみたいだ。真っ暗な周りの様子に昨日の夕暮れ時の時間があべこべだったことを思い出す。
 準備完了だ。まずは人里に出ないことには何も解決できない。
 エリカは鞄を引き寄せ、草を敷き詰めた寝床にと広げた荷物をしまう。
 燻っている焚き火に、継木と太い枝の先をくべる。松明にはならないかもしれないが、何もないよりはましだろう。
 エリカはケータイの電源を切り、最後に鞄に入れた。
 時間は6時42分。辺りはまだ夜の闇が支配しているが、そろそろ太陽が昇ってもいい頃だ。
 昨夜の夕方の時間が22時だったことといい、混乱してしまう。
「そろそろいいかな?」
 エリカは炎の中から枝をとり出し焚き火を消す。そうして手にした枝の先には、炎が灯っていた。 
「よし! 川を探しますか。ここはベースキャンプってことにしようかな」
 そう言い、眼前の森の中へ足を踏み入れた。
 肩掛けの鞄をリュックのように背負い、右手に松明を持って獣道を進む。
 暗闇の中でもなんとか歩けるような、なだらかな傾斜のあまりない下り坂がつづいている。
 まだ目覚めない森の中は無音が広がり、エリカの息遣いや足音だけが生者のしるしのように響いていた。
 この静けさなら水音も聞こえるはず。
 耳には自信がある。小さな頃から両親や弟の足音や家の車の音も聞き分けることができたし、今はもう別れた元彼の車の音も付き合っている当時は聞き分けることができた。
 エリカは耳をすましながら、山道の中を進む。
 時々足を休めながらも川を目指し耳を頼りに進んでいく。
 エリカは鬱蒼と茂る木々に隠れた空を見上げ、汗を拭った。
 見上げた空には、地球ではありえない二つの月が浮かんでいたが、木の葉に遮られ気付かない。
 どのくらい進んだだろうか。先程まで闇が満ちていた森に日が差し込む。白んできた空を確認し、エリカは手に持つ松明をおろし火を消した。
「日の出は9時48分かぁ……」腕時計をみて呟く。
 鞄からペットボトルのお茶を出し喉をうるおす。ハロウィンパーティーでもらった飴をひとつ口に放り込み再び歩き始めた。
「水の音だ」
 微かに聞こえてくる水が流れる音を聞き、エリカの足は自然と早まった。 
 流水の音は次第にくっきりとその存在を主張し始める。
 だんだんときっと川であろう水が流れる音が、近づいてくる……。

 ゴーーーッ

「……」
 妙に圧迫感がある力強い音が、聞こえる気がする。だが……気のせいだと信じたいエリカは、アレだって水音には変わりないのだし……だたちょっと水音が大きいだけで……と自分に言い聞かせて、音の方向に足を速める。
 草木の生い茂った林を分け進んでいくと、目の前に続く細くかろうじて歩みを進められるくらいだった獣道は、立派に山道と言えるものに様変わりしていた。
 密集するように生えていた木々は数を減らしていき、やがて姿を消し視界を遮るものはなくなった。
 目の前に開けたその景色に、エリカは目を見張った。
 そこには轟々と流れる2つの川が交わり、そして下方に続く……続くはずの流れは、眼下から消え去っていた。その激しい流れは滝となって、エリカの目からは確かめられない崖下へ続いているのだろう。
 そう。エリカがやっとたどり着いたのは激しい川が滝になり消える崖上、そんな場所だった。
 エリカは水辺を見つけほっとした気持ちと雄大な景色に圧倒され、言葉もなく立ちつくした。
 どのくらいそうしていただろうか。やっとエリカは激しく流れる河川に駆け寄り、鞄からペットボトルを取り出し水を汲み一息で飲み干す。
「生き返った!」
 水を飲んで元気を取り戻したエリカは、木々がまばらに残る山道に引き返し、その入り口から少しずれた所に小枝や枯れ木、草葉を集め寝床や焚き火の準備を始めた。
 ココを第2のベースキャンプに認定し、お昼休憩を決め込む。
 腕時計は12:19。昼休憩にはちょうど良い。
 口に放り込んだチョコがおいしい。ここを拠点にして食糧探索をすればいいかもしれない。少しだけ休憩しようと草を集めたそこに腰をおろす。
「疲れた」
 エリカは集めて来た草を敷き詰めた寝床に、ゴロンと横たわり空を見つめた。
 ぽかぽかと陽気が暖かい。
 はぁーと大きなため息をつき、こんな状況であるのに心の奥では忙しない日々から解放されてほっとしている自分自身がいることに気付いた。

 ――本当にこれはギフトだ。きっと神様が与えてくれた猶予期間。

 ――最近立て込みすぎだったスケジュールの合間に少しだけ落ち着きやっと羽を伸ばして遊び、自分らしさを取り戻したのが先のハロウィンパーティーだった。
 8月から9月にかけて1カ月の相談援助実習が終わり、やっと締め切りの迫るレポート、課題を提出し終わった、そんな時期だった。
 実習の間休みを頂いていた仕事に復帰し、大学の課題や国家試験の勉強をこなしながら日々の仕事に追われていた。正直、忙しさストレスでどうにかなりそうだった。
 それでも国家試験が終わるまで卒業まで来年の3月までだから、と自分に言い聞かせて仕事をこなしていた。
『それで卒業したらどうするの? やっぱり望月さんは、そっちの社会福祉の道に進むの?』今年の4月に行われたエリカの勤め先での面談で、病棟看護師長から問われたエリカは『はい、大学を卒業したら、転職しようと思っています。』と、答える。
 卒業と同時に転職するつもりでいた。それはこの仕事、介護の仕事をすると決めた時から、エリカ自身決めていたことの1つだった。
 6年前、大学を卒業し大手企業で営業を行っていたが、企業の不正がニュースを賑わせ、営業の仕事は難しいものになっていた。
 それでも頑張っている同期はたくさんいたが、エリカは早々に退職し、介護の道に進んだ。
 理由は奉仕の精神とかそんな立派のものではなかった。ただ手に職をつけたい、でも今からまた学校に行くような仕事はできない、そんな理由だったと思う。
 5年たったらケアマネジャーの資格をとって辞める、そう決めていた。
 手に職をつけることで、結婚して子供を産んでもまた働ける、そんな基盤を作りたいと思った。
 基盤があれば人生の保険になる、それを5年で手に入れようと思い決めた仕事だった。そうすれば、基盤を作ったあとはもう少し自由に生きれると思ったから……。
 3年目で介護福祉士を取得し、ケアマネの資格の受験資格を取るまでに2年あったので、通信の大学に4年次編入し、社会福祉士をとろうとして今に至る。
 介護の仕事はそれなりにやりがいもあったが、厳しい仕事のわりには、給与も少なく待遇も悪く、社会的地位も低く、エリカは5年、5年と言い聞かせていた。
 その5年目は実習もあり、多忙を極めていた。
 職場の回復期リハビリテーション病棟での高齢の認知症の患者さんたちとの関わりでも、ストレスがたまりなんとか仕事中だけは、笑顔の仮面を貼り付けていた。休憩中は愚痴しかでない。
 『残念ね、仕事はゆっくり探したら? 1年くらいゆっくり探してもうちょっと働いてほしいな。ソーシャルワークの仕事だったらここでもあるわよ』
『なるべく早く、新しい仕事に慣れたいので……ここでの仕事は本当に勉強になりました。違う環境に身を置いて頑張ってみようと思うんです。3月までよろしくお願いします』
 そうは言ったものの、このまま社会福祉の道に進むかは、まだ決めかねていた。
 これで基盤はなんとかできたと思うから、もう少し自由に生きたい。心からやりたいと思える仕事がしたい、そう考えながら仕事、学校、就職活動に忙殺されていた……。

 ◆ ◆ ◆

 見上げていた空の雲を追いながら物思いに耽っていたが、草を敷き詰めた寝床から起き上り意識を現実に戻す。このギフト――与えられた自由な時間――に感謝しよう。
 今この瞬間は自分らしく自由に生きよう、そう望月エリカは決心した。



[26673] 03 白のもふもふ
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:12
「よしっ! 昼休憩終わりっ」
 エリカは、自分を奮い立たせるように、大きく宣言し、立ち上がった。焚き火の近くに置いてあった鞄の方へ向かい、鞄から洗面セットを取り出す。
「あぁ、鞄に入れといてよかったぁ」
 ハロウィンパーティーでしていた魔王メイクを、パーティーが終わったら落とそうと、入れていたのだ。
 まぁ、酔っぱらって、落とさず今に至るわけだけれど……。
 やっと顔洗を洗えることが純粋に嬉しい。お風呂も入りたいけど……後で考えよう。
 エリカは、急流に流されないように気をつけながら、川で顔だけ洗う。
 もう少し穏やかな川だったら、水浴びもできようが崖下まで流されたらかなわない。
 せっかく陽気が暖かいのに残念だ。
 朝と夜は少し冷え込むが、日が照っている間は暖かい。
 川岸から戻ったエリカは、焚き火を消し鞄を寝床の草葉の中に隠す。
 近場で何か食べられるものを探しに行くつもりだ。川にはきっと魚がいるだろうが、道具もないのに釣れる技術は持っていない。せめて穏やかな小川とかだったら、川をせき止め魚を閉じ込め手づかみでもいけると思うんだけど…… など考えながら、魚はあきらめ山の幸を探すことにする。
 そろそろ、飴などの食料はは尽きかけていた。
「山の幸といったら、キノコとかタケノコとか木の実とか、山菜とかかな?」
 キノコは素人には無理、毒キノコとかだったら怖いし……と考えながら、元来た山道沿いに探そうと、道に入って行く。
「何かないかなぁー? 山菜、木の実でもいいから、何か食べられるものあるのいいな」

 川からあまり離れたくないと、山道の入り口近辺で探していたのだが、木が疎らにしか生えていないこの辺で探すのには、やはり限界があるのか見つからない。意を決して、もう少し深い森の中へ足を延ばすことにする。
「私、方向音痴なんだけど……日が暮れるまでに切り上げよう。22時くらいが日の入りだから、まだまだ大丈夫だよね?」
 エリカは、時間を確かめる。腕時計は2時。14時だ。なるべく早く切り上げようと思いながら、注意深く森の奥の方に、入って行った……。
 そのかいもあって、野イチゴ、たらんぼの芽、わらび、ヨモギ、フキを見つける。
「大量、大量! さて、帰りますか!」
 エリカは、着ていたローブを脱ぎ、それを風呂敷のように、戦利品を包み、背負った。
「ずいぶん奥に来ちゃったなぁ」
 元来た道に、引き返そうと歩き始めた時、草むらから、何かの鳴き声が聞こえた。
「みぃー、みぃー」
「……何だろう? 何かいる……?!」
 エリカは、鳴き声のする草むらへ、近寄る。
 背の高い草をかき分けると、そこには、小さな白のもふもふがいた。
 見たこともない生き物……初めは、子猫かと思ったが、それには、薄ピンク色のの大きなくちばしと、真っ白な翼が生えていた。それは真っ白な柔らかな羽毛と猫のような滑らかな毛皮とが合わさったような毛で覆われていて、頭の上にはかわいい丸い耳がちょこんと付いている。四足の肉球はぷにぷにと柔らかそうだ。
「何コレ? かわいいー!」
 そっと手をソレに伸ばすと、みぃーと鳴き、エリカの方へ近寄ってくる。
「お前、どこから来たの? かわいいね」
「みぃー」
「私、もう帰らなきゃならないの。お前も来る?」
「みぃー」
 ソレはうれしそうに、パタパタと羽をはばたかせ、少しだけ浮き上がる。
「お前、なんていうの? 名前は?」
「みぃー」
 みぃとしか答えられないソレに、エリカは色々話しかける。
 やっと自分以外の誰かに会えたのだ、たとえそれが、見たことのない生物だったとしても、エリカはうれしかった。
「……みぃたん、みぃたんはどう?」
「みぃー」
「決まりだね! 一緒に帰ろう? みぃたんも迷子なの?」
「みぃー」
「そっかぁ……。でも大丈夫。これからは私がいるよ? 行こうっか!」
「みぃ」
 エリカは歩き始め白のもふもふを振り返ると、みぃたんと名付けたソレはエリカの後ろから、トコトコと歩いてついて来ていた。
 それにしてもこのもふもふ……まさかとは思うけど、異世界トリップフラグですか?! 誰だ喚んだ奴。……もうちょっと人里に召喚してくれたらよかったのに。
 異世界トリップ……そんな予感を感じつつ、エリカはみぃたんと帰路につくのだった。
「ただいまぁ」
「みぃー」
 滝上のベースキャンプに戻ってきた1人と1匹は、じゃれ合いながら夕食の準備を始める。
 エリカは焚き火をつけ、今日ゲットした食材を川で洗う。
 その横でみぃたんは、水の中に前足やくちばしをバシャバシャと突っ込んで遊んでいる。
「みぃたん、魚でもいたぁ?」
「みぃ?」
 みぃたんはきょとんともふもふの顔を傾ける。
 エリカは隣に寝そべり、川をじぃーと見つめスッと腕を挿し入れる。
「ありゃ、かすりもしないや。ぜんぜん駄目かぁ」
 魚を獲ろうと試みたが、やはり駄目みたいだ。
 明日は川沿いに歩いて、魚を獲れそうな穏やかな場所を探してみるか……とエリカは考えながら焚き火の方へ戻り、継木をする。
 川の水で洗った野イチゴを大きな葉の上に置き、フキの皮を剥く。大きな葉を水で濡らし、その中に皮を剥いたフキやたらんぼの芽、わらび、ヨモギを包み入れ、そのまま焚き火の端に置く。
 蒸し焼きになれば……と考えたのだが、どうだろうか。
「みぃたん、明日は魚が獲れるといいね? ちょっと川沿いを探検してみようか?」と、川で遊ぶのに夢中になっているかわいらしい白い生物に話しかける。
 みぃたんは「みぃ」と返事だけし、川岸でじゃれている。
「こっちおいで? みぃたん、そろそろご飯食べよう?」
 焚き火の前でエリカは、みぃたんを呼ぶが来る気配がない。
(もしかしたら、炎が怖いのかな?)
 エリカは焚き火から離れ、みぃたんを呼んでみる。
「おいで!」
 すると「みぃー」と鳴きながら、トコトコと駈けてきた。
「お前、火が怖かったんだね?」
「みぃ」
(あぁ、癒されるなぁ)
 エリカはみぃたんの柔らかな毛で覆われた頭を撫で、ぎゅっと抱きしめる。じっと抱かれたままになっているみぃたんを連れて、えりかは焚き火から少し離れたところに一緒に腰かけた。
「ご飯にしよう。お前の分はコレだよ、これは火を通してないの。食べれる?」
 みぃたんは、恐る恐るエリカが差し出した山菜と野イチゴをくちばしでつついて、やがて食べ始めた。
「みぃー!」
「おいしい? よかった! 食べれたね。草食なのかな、雑食かな?」
 みぃたんが食べ始めたのを見届けると、エリカも蒸し焼きにしていた山菜をそうっと口に含んでみた。
 まぁ、こんなもんかという味だ。調味料がないから味気ない。不味い。
「いつまでもこの森にはいられないな。はやく人がいる場所を見つけたい……」
 独り言ちていたエリカを不思議そうにみぃたんが見つめ、エリカの止まっていた指先をくちばしで甘噛みする。
「あ、ごめんね。みぃたんもいるのにね。私やっぱり人間なんだなぁ……。みぃたんだけじゃ寂しいや」
 そう呟いたエリカにみぃたんはすり寄りじっとエリカを見つめ、いつの間にか沈んできた太陽の方を振り返り何か考え込むように、その方向を見続けていた。
 エリカはそんなみぃたんの様子には気付かず、日が暮れ始めてきたので寝る準備をし始めた。
「もう夕方かぁ……ん? あれ? 22時じゃない、20:13だ。やっぱり時差では、なかったんだ……」
 腕時計の針は8時13分を示していた。
 ふぅとため息をつき、寝床に寝転がり空を見つめる。そこにはうっすら姿を現し始めた2つの月が並んでいた。
「異世界」
 エリカはぎゅっと目を瞑り一瞬顔を背けたが、まっすぐ2つの月を見つめなおし、そしてそのまま逸らすことはなかった。
 エリカのそばで横たわる白き生物もまた、2つの月を見つめていた。



[26673] 04 対岸の遺跡
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:10
 ジジジジジジ……ゴトンッ。

「ハッ?!」
 燃木が折れた音で、ハッと目を覚ましたエリカは、白みかけた薄暗い空の下、独り言つ。
「また、ひとりぼっちか……」
 エリカが、寝るまでには、確かに、エリカにすり寄って並んで眠っていたはずのソレは、今は何処にも姿が見えない。いつの間にか、自分の棲みかに帰ってしまったのだろう。
 白いもふもふ――みぃたんがいなくなってしまったことに、言いようのない寂しさがこみ上げる。
「みぃたん?! みぃーたーん!!」
 エリカは、ベースキャンプの周りを探しまわったが、みぃたんを見つけることは、出来なかった。
(せっかく仲間ができたのに……ひとりはヤダよ……)
 遭難のさなか、やっと出会った友達――出会ってから、半日ほどしかたっていないが――が、いなくなってしまって、エリカはまるで道を失ったように、座り込み動けなくなってしまった。
 独り焚き火の前で、足を抱え頭を垂れ小さく蹲っていたエリカの目には、涙が光っていた。

 トコトコトコ……

 聞き覚えのある足音に垂れていた頭をあげると、川の上流から歩いてくる白い影が見える。フワフワの白い羽をはためかせながら、駆け寄って来る。
「みぃたん!」
エリカは顔を涙でグチャグチャに濡らしながら、みぃたんへと走り、抱き付いた。
「何処に行ってたの?! 私、淋しかった……でも、お前にも帰るとこあるもんね」
 ギュッと抱き上げていたみぃたんを、地面に降ろし「ゴメンね」と頭を撫でた。
 そんなエリカにみぃたんは、フワフワな柔らかい毛に覆われた前足で、ポフポフと肉球を押し付ける。まるでそれは、頭を撫でる真似をしているようだった。全然、頭には届いていないが。 みぃたんに慰められてしまったエリカは、ようやく落ち着きを取り戻す。
「あれ? みぃたん、何咥えてるの?」
 薄紅色の大きなくちばしに、みぃたんが何かを挟んでいるのに気付く。そう言えば帰って来てから一度も「みぃー」と鳴いているのを聞いていなかった……。 みぃたんは挟んでいたソレを地面に放し、やっと子猫のように「みぃー」と鳴いた。
「もしかしてそれを採りに行って来たの?」
 エリカは地面に並べられた2匹の魚に驚く。
「ありがとう! みぃたん」
 みぃたんからの予期せぬ食材に感謝し、エリカは朝食の準備を始めた。……とは言っても、スブッと細い枝を突き刺して焚き火で炙っただけだが。
「おいしい!!」
 この世界に迷い込んでから初めてのマトモな料理に、エリカは涙目になった。
 エリカの横ではそんなエリカの様子を嬉しそうに眺めるみぃたんが、こちらは生のまま魚に噛り付いていた。

 ◆ ◆ ◆

 川岸を荷物を背負って歩く一人と一匹。
 今朝みぃたんからもたらされた食材に偉く感動したエリカは、ベースキャンプの移動に踏み切ることにした。場所はもちろん、みぃたんが見つけた釣り場。この川の上流だ。
「みぃたん、まだぁー?」
 結構な道のりを歩いている様な気がするのだが……みぃたんはまだついて来いと言うように、エリカの先をトコトコ歩きながら振り返る。
 それにしても、さすがに登りは厳しい。そう言えば、今までは下ってばかりだった……と気付く。
 真横に見えていた太陽は、大分上の方へ登っている。今はこの世界の昼頃なのだろう。ずっと付けていた腕時計は異世界では意味をなさないことに気付いたので、今は外している。 こちらの時の刻み方は、あちらよりもゆったりしているようだ。
「少し、休もう?」
 野生の動物と普段、車移動や公共交通機関に慣れしたしんでいる現代人……体力、脚力の差は歴然だ。
木陰に逃れ座り込んだエリカの横にみぃたんは引き返し、丸くなって目を閉じる。どうやら休んで良いよということらしい。
(不甲斐無い旅の仲間ですみません……これからは毎日体力向上の為、修行に励みます)
 一人反省しみぃたんからもぎ取った休みを、ありがたく頂戴することにする。
 ぼーっと木陰で足を抱え座っていたエリカは、ゴソゴソとローブのポケットを探り、昨日の野いちごの残りを葉で包んでいたものを、そうっと取り出す。
 そんなエリカの様子に閉じていた目を開いたみぃたんは立ち上がり、後ろ足を折り曲げ伸びをする。
「食べる? お腹空いたよね」
 エリカは野いちごを差し出す……が、みぃたんは「みぃ」と鳴き、一人森の中に入って行く。
「何処行くのっ?!」
 後を追いかけて行くと、小動物を咥えたみぃたんの姿。どうやら狩りをしに行ったようだ。
(なんだ、みぃたん立派なハンターじゃん)
 頼もしい反面、一抹の寂しさを感じるのはなんでだろう……なんて思いながら、エリカは木陰に戻った。 木陰で野いちごをつまんでいると、みぃたんが帰ってきた。ポトンとエリカの足元にネズミらしきものをよこすが、遠慮しておく。
「みぃたんが食べて? 採って来てくれてありがとう!」
 エリカは、みぃたんの頭を撫でる。
 休んで疲れが回復したエリカと元気いっぱいのみぃたんは、また川の上流を目指して歩き出した。登りの山道に慣れて来たのか、それともだんだんとなだらかにほとんど傾斜がなくなって来たからか、エリカの進む足は早まる。
 暫くなだらかな道が続き、そしてみぃたんが足を止める。
 エリカの足も自然に止まっていた。
「えっ? ……あの川岸の向こう側にあるのは何?」
 エリカの対岸には、巨大な石で出来ているであろう何かがあった――イギリスのストーンヘンジに似ている何かに惹かれ、自然にエリカの足は川岸に引き寄せられる。
 川の流れは下流と比べ穏やかなようだ。エリカは今すぐ対岸に見えている不思議な建造物に渡りたいところを、ワクワクと好奇心が騒ぎ出すのを無理やり抑えこみ冷静になろうとする。
 近場で集めた枝木や草に火を起こし焚き火を付け、ローブやブーツ、服を脱ぎ下着になり髪をリボンで固く括ると、エリカは川へ飛び込んだ。

 バシャンッ

 凍えるような冷たい川の水の中、エリカは対岸に向かって泳ぎ始める。透き通った水晶のような水の中、そうっと目を開いてみると、何かがキラッと川底で光る。
(ん? 何か光った?)
 川底の砂に半分埋もれ、あまりはっきりは見えないが、日の光が、ちょうどソレに当たった時だけ、キラキラと輝く。
(お宝、発見?)
 エリカは川底に潜り、太陽の光を浴びて黄金色に光る細い鎖の先端に手を伸ばす。
 繊細な金の鎖を引っ張ると、その先には、見たこともない大きな紫水晶が鎮座していた。
 ピーマンくらいの大きさ、いや、形からするとちょっと角ばったメークインと言うところか……などとエリカは考えるが、宝石を例えるのには失礼すぎる形容である。エリカの庶民っぷりが知れる。
 エリカが見つけたソレは、大きなアメジストのような宝石が金の鎖に繋がれているペンダントだった。
 エリカはソレを首にかけ、息継ぎをするのに水面に上がる。
 ぷはーっと空気を吸い込み胸元に輝くお宝を見つめ、ニンマリと黒い笑みを浮かべる。
「ラッキー! これはもう私のものね」
 ちゃっかり自分のモノにしている。
 価値ある拾いものをしてすっかりいい気分になったエリカは、川岸でエリカを心配そうに眺めているみぃたんに手を振り、再び対岸に向かって泳ぎだした。
「みぃたぁーん、お前も来る? おいで!」
 川岸に手を付きながら、川の中から叫ぶ。
「みぃー」
 みぃたんは川岸から逆に遠ざかり、そしてこちらに向かって走り出した。助走をつけている……?
 勢いよく走り川岸から大きくジャンプし、羽をパタパタと羽ばたかせる……が川の半分ほど来たところで、失速してしまう。
「あっ!」
 急いで、みぃたんの救出に向かう。
「みぃ」
 なんとか対岸にたどり着いた一人と一匹。みぃたんは川に落ちそうになったところをエリカの頭に乗っかり、なんとか溺れるのを免れ、よほど怖かったのかブルブルと震えていた。
「みぃたん、大丈夫?」
「みぃー」
 なでなでと頭を撫でてやると、みぃたんの震えは収まった。
「行くよっ」
 みぃたんに声をかけ石の建造物の方に歩きだす。みぃたんもトコトコと横に並んでついてくる。
 好奇心に胸をワクワクさせながら、たどり着いたソコは環状に巨石が立ち並ぶ場所だった。
「本当にストーンヘンジみたい……」
 エリカは巨石の表面を手でなぞりながら、環状の石たちを時計回りに廻っていく。すると、半分ほど進んだところ――12番目の石だろうか――の巨石の陰に、それまでの巨石と比べると異質な白く輝く宝珠のような巨石があるのを見つけた。
(これだけ何か違う……?)
 明らかにそれは他と異なっていた。これ以外の巨石はゴツゴツとした、何処にでもありそうな石が大きくなったようなつくりなのに対しコレは明らかに違う……六角形に整えられ、表面は滑らかだ。
 白く輝くその表面をそっと撫でると、ぽうっと文字が浮かび上がった。
「……っ!」
 見たこともない文字。でも、エリカの心に直接響くように理解できる。
『会いたい。帰りたい。君のいる世界へ』

 ぐわんっっ

(何? コレ……)
 急に頭が重くなり、立っていられなくなり体が揺れる。
(助けて……)
 視界の端に、みぃたんが駆け寄ってくるのが見える。
(もう……ダメっ……)
 エリカはそこで、意識を手放した。

 ◆ ◆ ◆

「みぃー」
 体が揺すられる感覚がする。体に感じる大きな肉球の感覚。
(……重い)
「みぃたん?」
 うっすらと目を開けると、目の前に大きなくちばしが……!
(食われるっ!)
 思わず、素早く地面に座ったまま後ずさったエリカに、「みぃ」と恨めしい声をあげる。
「え? みぃたんなの? どうしたの、その姿?!」
 エリカがビックリしたのも頷ける。目の前のみぃたんらしき白のもふもふは、エリカが見上げるほど大きくなっていた。
 子猫位の大きさから虎並みに大きくなっている。翼もあるのでいっぱいに広げると迫力があり、威圧感すらある。
「……成長期? ……んなわけあるかいっ」などと自分に突っ込みをいれつつ、もふもふのもとに戻り、瞳を覗きこむ。
「ごめんね、みぃたん?」
 くりくりの瞳をみて懐かしいものを感じたエリカは、コレがみぃたんだと確信する。
 そんなエリカに「みぃー」といつもどうりの鳴き声で応えてくれた。
(ゆるしてくれたのかな?)
 くいっくいっと、首で背中を示すみぃたん。
「背中に乗れっていうこと?」
「みぃー」
 エリカは、恐る恐るみぃたんの羽の根元をつかみ、背中によじ登る。みぃたんの背中はふかふかで暖かい。するとみぃたんが、走り出した。
「待って、まだ心の準備が……ギャーッ!!!」
 勢い良く走り出したみぃたんに必死にしがみ付きながら目を開くと、川を目の前にバサバサと羽ばたこうとしているところだった。
「ギャーッ!!」
 叫ぶエリカに動じることなく、みぃたんはエリカを乗せたまま軽々と川を渡り切ってしまった。あっという間に元いた向こう側についてしまった。焚き火はくすぶっているが、まだ消えてはいない。
「お前、すごいね?」
 エリカを乗せたまま、川を飛び越えてしまった大きくなったみぃたんに賞賛をおくる。
「みぃー」
 みぃたんは誇らしそうに目を細める。
「それにしても、なんでみぃたん大きくなっちゃったんだろう? ……急成長? ……ってことは、私は老けちゃった?!」
 エリカは慌てて鞄を漁り鏡を探す。鏡に映っていたのは、いつもの……自分……ではなかった。
 どう見ても27歳ではない。この肌の艶、ぴちぴちとした肌。これは10代の肌だ。
 どうやら、エリカはみぃたんとは逆に若返ったようだ。
 高校生くらいに見える。17歳位だろうか。10歳くらい若返ったことになるのかなと意外と冷静に受け止める。
(老けていなくてよかった……)
 切実な安堵感が漂う。
 そんなこんなで、若返った女人が一人と立派に成長した一匹の新しい生活がはじまった。



[26673] 05 橋の向こう
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:09
 石の遺跡前にベースキャンプを移してから、12日がたった。魚と山の幸だけで生活を始めてから、2週間以上。エリカとみぃたんの野外生活は意外と順調だった。
 エリカが山で山菜や木の実などを採り、みぃたんが小動物や魚を獲るという連携ができていた。小動物は遠慮させていただいたけれど。やはりパックのお肉に親しんでいる現代人としては、野生の動物を処理して料理するということがどうしてもできない。
 お風呂は川で水浴びをすることで済ます。洗面セットに入れていた洗顔石鹸で、体も髪も全身洗う。タオルがないので、焚き火の前の草のベッドに寝ころびゴロゴロと時間をつぶす。自然乾燥だ。着替えはローブと服を交互に川で洗い着ている。
 だいぶ痩せた。胸も小さくなった。痩せたのはうれしいけれど、これ以上は女性らしさがなくなりそうだと心配になってきた。
 意外と快適な生活だったが、そろそろ山を降りることを考え始める。石の遺跡のあの白い巨石の謎も気になるがまた来ればいい。
 あの後、対岸の遺跡にはみぃたんと一緒に毎日行っていた。あの白い遺跡には触れないように、色々と調べてみたのだ。あの白く輝く大きな岩石の向かいにある、変哲のない巨大な石の石肌に、見覚えのある文字が炭かなにかで、書きつけられているのを見つけた。
 それは、カタカナで『ワタシハ ココニ モドッテ キタイ アナタノ イル セカイヘ』と書かれていた。
 なぜ日本語がかかれているのか。それも片仮名。あの時浮かび上がった文字は見知らぬ文字だったけど……。 
 わたしの前にもここに来た日本人がいるってことかな、とエリカは考える。
 もうひとつ遺跡のある対岸を調べて、山の下の方へ真っ直ぐ続く階段があることがわかった。
 みぃたんと降りてみたら、石段は橋の前で終わっていた。この橋を渡ったら何処に着くのだろうか。 
 何度か渡ろうとしたのだが、橋の向こう側に甲冑が2対、長剣をもって立っているのを遠巻きに見つけてしまい、渡れずにいた。
 いきなり襲われたら怖い。こちらの知識が何もないので、未知との遭遇には慎重になってしまう。
 幸運なことにその鈍色に光る鎧と兜を着こみ長剣を持った戦士たちは、向こう側を向いて立っているのでエリカたちには気付かなかったようだ。
 みぃたんと飛び越えてしまおうかとも考えてみたが、距離がものすごく長く飛んでは渡れなかった。川の流れも速いので、落ちてしまったら危険だ。
 そして今夜、私たちはあの橋を渡る。
 準備は出来ている……と思いたい。
 毎日こっそりと様子を伺い、あの甲冑たちがいなくなる一瞬があることがわかった。朝、昼、晩と今から向かう夜中だ。夜中が一番あの橋を空ける時間が長い。闇にまぎれてあの橋を渡るには良い時間だ。
 服にローブ、白髪のかつら付きの三角帽子をかぶり、鞄ひとつに家を出た時のままのなけなしの荷物をまとめた。
 チャックを閉めそれを背負い、エリカはみぃたんの背中に跨った。
「みぃたん、そろそろ行こうか?」
「みぃー」
 エリカはみぃたんの耳の後ろをなで励ますと、逞しく大きく成長した異世界の生物はひらりと目前の川を飛び越える。
 月明かりと星の煌めきしか夜道を照らすものはない。風を切って暗闇の森の中をかけぬける。
 エリカはみぃたんの首の後ろの毛をぎゅっと握った。夜の冷気がスピードが増すほど頬や耳、指先に突き刺さる。
 そうっと石段を下っていくと、思ったとおり甲冑を着た者たちはいなかった。
「よし。渡っちゃおうか」
「みぃー」
 長く続く石造りの橋を渡り終えると、その先にはまた石段が下へと続いている。
「行こう」
「みぃ」
 結構な段数を降りたことろでやっと階段が終わり、土が踏み固められただけの道が続いていた。道の先の方に、ぼうっと暖かい光が見えてくる。
 しばらく進むと、土の道が石畳の道へと変わり疎らに建つ家が見えてきた。どこにでも転がっているような灰色の石を切り出したようなレンガで出来た家々は、一見するとヨーロッパの田舎の風情を醸し出しているように思える。
 きちんと整備された道を進んでいくと、ひらけた広場が村の中心に鎮座しており、噴水がそこから放射線状に存在する家々を見守っていた。
「……村? やった! みぃたん、村だよ」
「みぃー」
 甲冑の騎士が橋を封鎖していたので、まさか普通の村があるとは思っていなかった。不安だった気持ちが一気に解けた。ほっといたのと同時に眠気が襲ってくる。夜中という時間帯を考えるとしょうがない。
 寝る場所を確保しようと徘徊する。
 こんな夜中に空いている宿はないかもしれない。それにこの世界のお金もない。エリカは途方に暮れてしまった。折角人里に辿りついたのにまた野宿に逆戻りしなければならないのか。
 村はシーンと寝静まっているようだ。
 ぶらぶらと広場を徘徊していると、一軒だけ煌々と明るい光が洩れている建物が見える。
「……酒場&商人ギルド?」
 見たことない文字だ。それなのに、なぜかそう読むことができた。
 電線もコンセントもささっていないのに明るい電飾で描かれた酒瓶のマークとローマ字に似て非なる文字が、建物の前の空中に浮かんでいる。
 エリカは看板であろうそれを不思議そうに見上げ、また後ろに回って見てみるが全くどんな仕組みなのかわからない。看板を眺めながらくるっと半回転し酒場の扉の方へと歩きだす。
(入ってみようかな?)
 エリカはみぃたんに外で待つように伝え、建物に近づいていく。
「みぃたん、ちょっと待ってってね?」
「みぃー」
 みぃたんは、建物の陰に丸まって横たわる。

 カランカラン。

 重厚な木製の両開きの大きな扉を開けると屈強な男たちが振り向いた。すごい迫力だ。留学していた時を思い出す。西洋人のような外人たちが不思議そうにこちらを見つめる。その中でも一番逞しそうな、50歳前くらいのダンディーなおじ様が話しかけてきた。
「この辺で見ない顔だな。坊主」
 聞きなれない言葉。英語でもフランス語でもスペイン語でも中国語でもなく、ただ未知の言葉であるというのが突き刺さる。それなのになんで何と言っているのかわかるんだろう。
 エリカはその異常さに気付きながらも、恐る恐る一泊の宿をお願いしてみる。
「……えーと。道に迷ったみたいなんです。一晩泊めていただけませんか?」
 自身の口からこぼれる言語もまた聞きなれぬ音、リズム。
 どこか英語など欧州寄りの言葉のようにも感じるが、はじめて聞く音。このグローバルな世界で。世界は狭くて色々な情報が手にとれる世の中でそんなことがあるのだろうか。
 壮年の男性は少し考え込むような仕草をし、呆然としていたエリカを奥の部屋へ来いと顎で示す。
「ちょっとこっちに来い」
 親父さんの迫力に負けて、言われたとおり恐る恐る彼のほうへ歩いて行くと、腕を掴まれ隣の部屋へ引き込まれた。
 少しまずい状況かもしれない。
「痛いです! 離してくださいっ」
「坊主どこから来た? 迷子か。それとも家出か?」
さっと白髪の鬘付き三角帽子をはぎ取られ、じっと見つめられる。
 乱暴にはぎ取られた鬘と一緒に長い腰までの髪をくくっているリボンもほどけ、顔周りに広がった。
 壮年の男性の深蒼色の瞳が驚きで見開かれる。
「坊主、お前……女の子か」
「そうですけど。え? どう見ても女じゃないですか、私」
 エリカは男の子に間違われたことに少なからずショックを受ける。野宿生活はそんなに女性らしさを奪ってしまったのだろうか。
「ここはどこですか?」
 エリカは男性に尋ねる。
 みぃたんのような未知の生物の存在やストーンサークルの遺跡での不思議な体験。ヨーロッパなどにもなさそうな聞きなれない言葉などにも触れ、なんとなく地球ではないどこかだということは理解できる。それでも最後の望みをかけ、男性にここはどこかと尋ねたのだ。
「ここはスビアコ村だよ。お嬢ちゃん」
「……スビアコ村? どこの国のスビアコ村ですか?」
「それはもちろんヴァレンディア王国のスビアコだ」
 男性は不審な顔をしつつ答えてくれる。
 変なことを聞くやつだと思われているに違いない。エリカだって自分がとてもおかしいことを聞いているとわかっている。それでも確かめずにはいられなかった。
「今は西暦何年ですか?」
 タイムリープの可能性も考える。
「西暦? 何言ってるんだ。そんなのは聞いたことがない。今はハウメア紀だ」
 目の前が真っ暗になる。最後の望みが断たれてしまった。
 ここは地球ではない。
「……ハウメア?」
 やはりここは異世界なのだろうか。
「異世界……?」
 エリカはフラフラと力なくその場にへたり込んでしまった。
「お前、エリスから来たのか?」
「え?」
 いきなり先程までのトーンから一変し、鋭い冷やかな声で問われる。
(何言ってるんだろう、この人)
 エリカは訳がわからなかった。それに恐い。
 自分の言葉に何か原因があったのか。
「エリスって何ですか? あの石の遺跡のこと?」
「違うのか……。あの遺跡はここらじゃコンパスって呼ばれてる。本当の名前を知ってるやつは、もう少なくなっちまった」
「コンパス? コンパスって方位を知るために使うやつですよね?」
 何を言っているのだろう。段々と話がわからないほうへと逸れていく毎にエリカの不安感は増してきた。
「方位? エリスから来たという男が、大昔に作ったものらしいが……。よくわからねぇが、コンパスの方に行ったやつらがいきなり消えちまったりすることがあって、今じゃあ危ないから封鎖してるんだよ」
 いきなり消えてしまったことがある……?
 神隠し。
 封鎖している場所……。だから誰もいなかったのか。というか、そんな危ない遺跡は早く取り壊してくれればよかったのに。もしかしてあれが原因でこの場所に迷い込んでしまったのかもしれない。
「そうなんですか。私もよくはわからないです。気が付いたら山にいて」
 エリカは床を見つめたまま呟いた。
「そうか……。わるかったな。俺はジン。この店のオーナーだ」
 この人に非はない。むしろコンパスにこの村の人間が迷い込まないように気を配っている良い人だ。きっと信用に値する人間に違いない。
「いえ。いいんです。私はエリカです。エリカ・望月」
 エリカはゆっくりと発音する。
「エリカ……モチヂュキィー?」
 うーんとなんかものすごく違う気がする。
「モ・チ・ヅ・キ。望月です」
「モチチュキー?」
 餅つきでは決してない。いや……気にしまい。 
「はい。エリカ・モチヅキです。よろしくお願いしま……あっ! ジンさんここで働かせてくださいませんか? よかったら住み込みで。お願いしますっ」
 エリカは、ガバっと頭を下げる。
「……」
 ジンは黙って考え込んでいる。
「ダメですか?」
「……ひとつ条件がある」
「条件?」
 ただでこんなにおいしい話があるとは思っていなかったが、条件の提示によってはまた野宿に戻らなくてはならないかもしれない。
「あぁ。ここで働くからにはお嬢ちゃんには坊主のフリをしてもらう。ここは酒場だしギルドもやってるから、荒くれ者が来ることが多い。お嬢ちゃんみたいな、若い女の子が働くような場所じゃない」
 良心的な提示。むしろエリカのためを思っての条件。
 男のフリをするくらいどうってことない。もともと自分は男らしい性格だ。見た目はどうであれ、野宿で痩せた今となっては、女性らしい丸みはなくなってしまった。それは『坊主』と間違えられたことでも証明されている。
「……わかりました。男の子のフリをすればいいんですね?」
「できるかい?」
 できないなんて言わない。やるからにはやってやろうじゃないか。
「あぁ、もちろんだよ。ジンのおっちゃん」
 男の子になりきって、低い声で返すエリカ。
「じゃあ……エリカだから……エリカ、エリカ……。うーん」
 ジンはエリカの名を呟きながら、考え込んでいる。
「よし。今日からお前はエリックだ。エリック、今日はもう遅い。仕事は明日からだ。2階の端に余ってる部屋がある。そこを使うといい」
 エリカだからエリック。単純明快だ。これなら間違っても誤魔化せるし良い名前だ。ただ、モチヅキは変えなければならないだろう。ジンには発音がどうもしにくいらしい。それにきっとここでは違和感を感じる性かもしれない。
「ありがとうございます! ジンさん」
 部屋に案内されたエリカは、窓を開けみぃたんに呼び掛ける。
「みぃたん、ここでしばらく暮らすことになったよ。明日会いに行くからまっててね」
 みぃたんは窓から顔を出しているエリカを見上げ「みぃー」と返事をし、家の陰に消えていった。

 ◆ ◆ ◆

 少女が2階に上がったのを見届けるとジンは酒場のある店舗部分へと向かった。ジンは妻の姿をみとめ微笑んだ。L字のカウンターでは妻のエヴァが艶やかな黒い黒髪をなびかせ接客していた。
 がたいの良い荒くれ者たちを上手くあしらいながら、酒やちょっとしたつまみを出している。
「なぁ、親父あの坊主はどうしたんだ?」
 常連のボブが聞いてくる。
「ああ。一瞬誰か気付かなかったが、甥っ子が訪ねてきたんだ」
 ジンは誤魔化す。
 ジンは普段から寡黙であまり多くを語らない。だから誰もそれ以上は尋ねようとはしなかった。
 ただ、妻のエヴァだけが弧を描いた眉を上げ、ジンに菫色の澄んだ瞳で一瞥を投げかける。
「さぁ、悪いけど今日はもう店じまいだ。これは俺からのおごりだ。これを飲んだら帰ってくれ」
 ジンはポリポリとアッシュブラウンのツンツンと立った短髪を掻き、一杯ずつ客たちに酒をふるまいつつ外に閉店の文字を放つ。
 客たちは誰も文句を言うことなくさっさと酒を飲み干し勘定を済まし帰っていった。
 ジンはこの村で一目置かれていた。誰も彼には逆らおうとはしない。信頼される人望とそれにギルドでは尊敬を集める強さを持っていたのだ。
 客たちが帰っていくと妻のエヴァが事情の説明を求めに近づいてくる。
 美しいこの女性は激しい気性と情熱をエレガントな所作でヴェールに包み秘めている。
 ジンは妻を逞しい腕の中に閉じ込め、柔らかな甘い唇に接吻を落とした。
「ジン。誤魔化さないで」
 満足そうな甘い呻き声をあげ、エヴァは抗議するのも忘れない。
 だが、彼女は間違っている。
 ジンは全く彼女に秘密を持つつもりは欠片もなかった。ただ、美しいこの人を味わいたいと思った本能に従ったまでのこと。
「エヴァ。逸材を見つけたよ」
「……え?」
 ジンはエヴァを腕の中にとらえたまま彼女の耳元にささやいた。
 彼女は逸材だ。
 俺達家族のために協力してもらおう。



[26673] 06 酒場
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:09
 一階の酒場のカウンターでジンと、灰色のローブを着た人物が、何やら深刻そうに話している。ジンが手紙を直ちに一番早いある方法で送り、この人物を呼び寄せたのだ。
 ローブのフードを目深に被っているのは、人目を気にしているからか。建物の中でフードを脱がずにいるのは、不自然に見える。だが、この不自然さに目をひそめるものはいない。さっきまで人で賑わっていた酒場には、今はこの二人だけだ。店の外のドアには、『閉店』の文字が浮かんでいる。
「なぁ、ヴィンス。いい加減そのウザってぇフードをとったらどうだ?」
 ジンが苛々した声でヴィンスと呼ばれた人物に問いかける。その声とは裏腹に、カウンターに頬杖をついて、相手を見つめる顔はニヤついている。
 ヴィンスと呼ばれた人物は、フードを脱ぐ。ウェーブした漆黒の髪にいくらか白髪が混ざってはいるが、若々しい印象を受けるその甘いマスクに、困惑の表情を浮かべ、薄紫色の双眼を伏せ、大きなため息を吐く。
「そのニヤついた顔を見ないで済むように被ってたんですよ。ジン・ファミエール団長」
「言うようになったな、ヴィンセント。団長はやめろ。今はお前が団長だろ?」
 ジンは、短くツンツンと立てたアッシュブラウンの髪をポリポリ掻きながら苦笑した。だが、ヴィンセントを見るその深蒼色の瞳は優しい。
「貴方が俺に押し付けたからだろ? 自分だけさっさと引退して。まだこんなにピンピンしてるのに。副団長は謎の失踪をするし。どうしてくれるんですか」
「わるかったよ、ヴィンス。まだあいつは見つからないのか?」
「……はい。全然足取りをつかめないんですよ。まるで消えたみたいだ」
「……」
 ジンは顔を顰め、考え込む。
「……エリス……か?」とジンは呟く。
「エリスって、あのエリスですか? ジンさん、もしかしてアイツも組織の仕事を……?」
 ヴィンセントは驚きに満ちた顔でジンを見る。
「いや、アイツは組織の人間じゃない。ただ、少し引っかかるんだ……」
「もう訳がわからないです。ジンさんもエヴァもずっと俺に防人のこと隠してたし。……俺は、憧れの団長がいるから魔法騎士団に入ったのに、俺に団長押し付けて辞めるしな」
 ヴィンセントは恨みがましい目でジンを見つめ続ける。 
「組織のこともあんまり教えてくれない癖に、かと思えば気まぐれに俺に小出しに情報流す。俺は気になってついつい調べてしまう。これは貴方の策略ですか? 義兄さん。どうしてくれるんですか」
 ヴィンセントは一気に捲し立て、ジンに詰め寄る。
「……わ、悪かったな」
 ヴィンセントのあまりの迫力に、ジンは頬杖から顔を落とし唸る。
「悪いって思うんなら、エヴァを返してください」
「おい、シスコン。悪いが妻は変態シスコンのいる実家になんて帰さないぞ」
 不穏な空気が立ち込めるが、階段を下ってくる人物によってその空気は破られた。
「何バカなこと言ってるの! 二人とも、喧嘩しないの。兄様、元気そうね」
 ヴィンセントと良く似た同じ漆黒の髪に薄紫色の瞳をした艶っぽいマダムが二階から降りてきた。
 エヴァだ。
「兄様も早く結婚すればいいのに。ねぇジン?」
「そうだな。早く結婚しろ。もう40だろ?」
 ヴィンセントは引き攣った笑みを浮かべ「努力するよ」とのたまう。
「そういえば……アイツはもう寝たか? エヴァ」
 ジンはエヴァに耳打ちする。
 そんな二人の様子を見て、ヴィンセントはまたいじけて「どうせ俺なんて…… 」とぶつぶつ呟いている。
「おい、ヴィンス。いじけるなよ。お前に娘をやる」
「お断りします」と即答。
「何かかん違いしてないか? 娘の後見を頼みたいんだ」
「お断りします。大体、アイツは男でしょう」
 ジンはふぅーっとため息をつく。
「やっぱり勘違いしてるな。娘の後見だが息子として扱って欲しいんだ」
「だから、嫌です。あのジャックを俺が後見? いくらジンさんの頼みでもお断りです」
 やはり勘違いしてるな、とジンは苦笑する。
「おい、クリスティーヌのことじゃない」
 ヴィンセントは苛々と青筋を立て、バンっとカウンターをたたく。
「ジンさん、あいつは歴とした男ですよ。ジャックって名前でクリスティーヌの名を騙って女装しているが。本当に困った甥っ子だ。あいつは本当は女ったらしのくせに……」
「あいつがクリスティーヌの名を騙るのには……。いや、やめておこう」
「兄様、ジャックのことを頼みたいわけじゃないの。今日ここに訪ねてきた子を後見してもらいたいのよ。そうでしょ、ジン?」
「そうだ、エヴァ。今二階で休んでる子なんだ、ヴィンセント・カスティリオーニ頼まれてくれないか?」
 フルネームで呼ばれたヴィンセントは、姿勢を正す。
「事情を教えてくれないか? それから考えさせてもらおう。ジン・ファミエール」

 ◆ ◆ ◆
 
 コンコン。

 ドアを叩く音が聞こえ、エリカはそっと扉を開く。そこには艶めく黒髪の薄紫色の瞳をした綺麗な女の人が優しい笑みをたたえて立っていた。
「あの?」
 エリカは、その女の人が誰だかわからず、何の為に訪ねてきたのだろうと首を傾ける。
 そんなエリカの様子にエヴァは、にっこり笑って提案する。
「私はエヴァ。ジンの妻よ。何か私にお役に立てることはないかしら?」
 そんなエヴァの言葉にエリカは、涙を浮かべた。
「エヴァさぁん。私……あの、僕、ココのこと何にもわからなくて。どうすればいいかわかんなくて。それでそれで……」
 エヴァは、パニックになっているエリカの頭をそっと撫でた。
「あなたのことはジンから聞いてるわ。エリカ、大丈夫よ。女同士しかわからない悩みがあると思うから、遠慮なく何でも頼って。ね?」
「……はい。ありがとう、エヴァさん。あの……私お風呂に入りたいです。それと着替えがなくて」
「お安いご用よ」とエヴァはウィンクする。
 右手をスナップしたかと思うとエヴァの腕には、下着やら服やらが山積みに乗かっている。
「……何?!」
(どうなってるの?)
「はい。コレ使って頂戴ね。下着は私の服は息子のだけど。我慢してちょうだいね?」
「……はい。ありがとうございます! 今のって……魔法ですか?」
「えっ?」と首を傾げるエヴァ。
「貴方、魔法を知らないの?」
 エヴァに問われ、エリカは正直に話して良いものなのか、悩んでしまう。
 ジンもエヴァも信頼できそうな人達だから正直に今までの経過を話すことにした。きっと力になってくれるはずだ。
「はい。……私、異世界から来たみたいなんです」
「……え?」
 エヴァは、薄紫色の瞳を大きく見開き、声を失っている。
「コレって言ったらまずかった……ですか?」
「ごめんなさいね。あんまり驚いてしまったから。貴方エリスから来たの?」
(ジンさんにも同じこと聞かれたな…… )
「エリスってなんですか? ジンさんにも聞かれたんですけど。何を言われているのかわからなくて」
 エヴァは、しばらく考え込んでいたが、にっこり微笑んでこう言った。
「詳しいことはまた明日。ジンに聞いて頂戴。まずは、お風呂に案内するわね?」
 エリカはエヴァについて部屋を出て行き、お風呂場だというところに案内される。エヴァが浴槽に手をかざすと、さっきまで空っぽだった浴槽にお湯がたまっている。
 魔法なのか。
 どういう仕組みになっているんだろうとエリカの頭はさっきからフル回転だ。
 エヴァはエリカに石鹸とタオルを手渡すと「これを使ってね、あと必要なものは、大丈夫だと思うけど……着替えはそこに置いておくわね」と出て行った。
 エリカは久しぶりのお風呂に感動した。川で水浴びをしてはいたが、先程全身鏡の前を通った時に映った自身の姿はまさに浮浪児のようだった。あれならジンに男の子に間違えられたのも仕方がない。
 エリカはシャワーや蛇口をひねろうを手を伸ばす。
 だが、彼女の伸ばした手は空をきる。瞑っていた目を開き探すが見当たらない。
 もしかしてと脳裏をすぎる。先程エヴァがお湯をはってくれたのも魔法だった。
「この世界って魔法が使えないと生活出来ないんじゃ……」
 湯船の中で独り言ち、サーっと蒼ざめる。でも今まで野宿でもなんとかなったから大丈夫だと楽観的に考え直した。
「とりあえず、なんとかなるよね」 
 お風呂から上がったエリカは、用意されている服に着替え部屋に戻った。紫色のカラコンをはずし、少しぼやけた視界の中ベットに入る。なんだかとても長い夜だった。野宿生活では日暮れとともに寝て、夜明けとともに起きる生活をしていたから尚更だ。とりあえず明日の朝二人に相談して、色々考えることにしようとエリカは目をつぶった。
(眩しいな、コレ)
 エリカは天井に浮かんでいる光を消そうと、スイッチを探すが、見当たらない。
「コレも魔法か……」
 エリカはガバっと布団の中に潜り目を瞑る。次の瞬間には、もう寝息をたてていた。



[26673] 07 密談
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:08
「……夢?」

 久しぶりにふかふかのベットで寝たエリカは、一瞬、独り暮らしの自分の家で起きたのだと勘違いしてしまう。だが、起き上り見覚えのない部屋を見渡すと、ここが酒場の二階、ジンとエヴァの家だと思い到る。
 窓の方を見ると、外はまだ薄暗い。昨日は寝るのが遅かったけれど、いつもどうりの夜明けごろに目が覚めたようだ。
 この世界の時間は、どうも地球よりもゆったりと流れているようで、日の出と共に起き出したとしても、ちっとも寝足りないと思うことはなかった。
 エリカは窓を開けると、みぃたんを呼ぶ。

「みぃたん?」
 家主を起こさないように、微かな声で呼ぶ。

「みぃー」
 何処からともなく、みぃたんが姿を現す。

「今行くからまってってね?」
「みぃー」
 パタパタと翼をはためかせ、浮き上がる。

「おっ?」

 みぃたんは開け放たれた窓に向かって、突進してくるが、この窓の大きさでは入れないだろう。

「ちょっと、みぃたん危ないよ! ちょっ……」

 ドスン

 窓枠にぶつかり、敢無く墜落するみぃたん。
 大丈夫だろうか。まだ、体が大きくなったことに慣れていないだろう。

「だ、大丈夫?」
「みぃ」

 力なく返事をするが、怪我はしてなさそうだ。もう立ち上がってウロウロしている。

「今、行くか……ら?」

 ドンドン

 部屋の戸を叩く音がする。もしかして今の音で、誰かきてしまったようだ。
 エリカは窓から扉の方へ向かい、「はい」と返事をし、扉を開けた。

「――――――、――――――?」
「何? 何言ってるか、さっぱりわかんないよ、ジンさん!」
「――――――――――!」
「え? 何? ジンさん」

 エリカはジンの言葉が全くわからない。それはジンも同じようだった。エリカの言葉がわからないみたいだ。

(昨日は通じたのに何でだろう?)

「昨日と違うもの。昨日と違うもの……ってなんだーっ?」

 ぶつぶつ呟きながら戸を開け放したまま、部屋の中を歩き回るエリカ。 
 ジンが部屋に入って来て、ベット横のチェストに置かれたペンダントを放ってよこす。

「?」

(コレが何か……?)

 とりあえず、ペンダントをかけてみる。

「おい、どういうことだか説明してもらおうか?」
  
 ◇ ◇ ◇

 そういうわけで今私は、ここにいるのだが……。誰か説明してくれないか、何で私が魔法騎士団にいるんですか――?

「おい、エリック何やってんだ?行くぞ」
「待って、ウィル!」
「ウィルじゃない。ここでは副団長と呼べ」
「……ふぁーい」
「何だよ、その不満そうな返事は! エリック」
「へい、へい」にやりと黒く笑うエリカ。
 
 私の魔法騎士団生活の始まりは、あの村の酒場&商人ギルド――ジンとエヴァ、ヴィンセント団長、そしてこのウィル・アークライトに出会ったこと――の扉を開いた時から決まってしまった。
 
 エリカはまたあの朝に意識を戻す――。

 ◆ ◆ ◆

「どういうことだか説明してくれないか?」
「あのー。怖いです、ジンさん」

 開店前の朝早い時間の酒場のテーブルで、ジン、エヴァ、ヴィンセント、エリカが密談していた。いや、ジン、エヴァ、ヴィンセントにエリカが詰め寄られていた……とでもいう方が正しいか。

(えーと、この新たな甘いマスクのおじ様は誰なんだ……)

 ヴィンセントの方をチラリと見て、深く突っ込まないでおこうと、ジンに意識を戻す。

「えーと、ハロウィンをお祝いするという名目の飲み会パーティーに行っていて、家に帰って来たところまでは、覚えてるんですけど……。気が付いたら、あの山の中にいたんです」
 エリカは窓の外から見える山を指差した。

「バスティ山に?」とジンは呟く。

「あの山、バスティ山って言うんですね」
「貴方、昨日、異世界から来たって言っていたけど、どうしてそう思うの?」とエヴァ。

「えーと、それは、最初はいきなり森の中で目が覚めて、混乱していたけど、事件に巻き込まれただけだって思っていたんですけど……。見たこともないもふもふの生き物に出会ったり。あっ、今は友達なんですけど。……確信したのは、月が二つあったから」

「……」黙り込む三人。

「えーと、私何か変なこと言いました?」

 沈黙を破って、ジンが問いただす。

「月が二つあったから……って、月は二つあるものだろ? お前エリスは知らないって言っておいて、本当はエリスから来たんじゃないのか!」

 ジンの怒鳴り声にびっくりしつつも、身に覚えのないことで怒鳴られ、腹が立ったエリカは言い返す。

「エリスなんて知らないっていってるでしょ! この頑固おやじ」

「ぷっ」今まで沈黙を守ってきたヴィンセントが思わず噴き出す。

「何よ! 何笑ってんの? そしてあんた誰なのよ」
「これは失礼、お嬢さん。俺は今日から君のお父さんだ、お父様と呼びなさい」

 エリカは開いた口が塞がらない。

「はっ?」

「兄様、話がずれるから後にして!」エヴァがヴィンセントを窘める。

(エヴァのお兄ちゃん?)

「おい、頑固おやじとはいい度胸だな、エリカ」
「あ……だってジンさんがいきなり意味分かんないこと言うからでしょ。私が来たのは、地球だよ。EARTH――アース、ちきゅう、エリスなんて知らない」

「チキュウ?」初めに沈黙を破ったのはジンだった。

「うん、地球。蒼くて美しい星だよ……宇宙から見たら、蒼い宝石見たいなんだって、昔の宇宙飛行士が言ってた」
「……あいつも言ってたな、宇宙からみたらエリスはとても美しいところだと。チキュウはエリスと同じような世界なのかもな」ジンが呟くように言った。

「あの……私は、エリスなんて聞いたことないけど、宇宙に行けるのは、ほんの一握りの特別な宇宙飛行士だけです……だから、ジンさんの知っている人とは違って私は実際に、宇宙には行ったことがないよ」

 ジンが言うように、エリスの知り合いだという人物が、宇宙からみたエリスは綺麗だと言ったのなら、たまたまこの世界に迷い込んだのか、はたまたどうやって来たのかは、わからないが、エリスはとても科学の進歩したところなのだろう。もしかしたら、地球以上に……。

 エヴァが立ち上がってカウンターの奥に消える。

「お茶を入れてくるわ」
「あぁ、頼む」とジン。

「あのさ、よくわかんないけど、俺はエリスのこともジンと違ってほとんど知らない。っていうか、このヴァレンディア王国のやつらのほとんどが知らないと思う。何が言いたいかっていうと、お嬢ちゃんが何にもわからなくて不安って顔をしているのが嫌だったら、手掛かりを探しに行けばいいだろ? ちきゅうのことやエリスのこと、この世界のことを。だろ?」

 お父様と呼べ宣言した人が、なんかいいこと話してる。エリカはにやりと笑う。

「はい、お父様」
「ゴホン、お茶よ。兄様、そのにやけた顔をどうにかして」エヴァがお茶をテーブルに並べながら言う。

 ヴィンセントの顔は、エリカのお父様と言う言葉で、破顔していた。黙っていればダンディーなおじ様なのに、なかなかおちゃめな人だ。

「どうだ? エリカ、いやエリック。手掛かりを探しに行く気はあるか?」改めてジンに問われる。

「……はい。私も謎は解いておきたいん性分だし、探しに行きたいです」

 黒い笑みを浮かべるジンとヴィンセント。
 なんか怖い、罠にはまった気がするのはエリカの気のせいだろうか。

「いい返事だ。じゃあ、エリックにはヴィンセントの息子として、来年魔法騎士団に入ってもらう。とりあえずはその準備だ。俺が直々に鍛えてやるから覚悟しておけ。あっはっはっは……」

 魔王がいる。
 なんだこの黒いオーラは、いたいけな女の子をつかまえて直々に鍛える?
 何いってるんだこの人、冗談もたいがいにしてほしい。
 だが、冗談ではなかったらしい。話し合いの後、正式にヴィンセントの娘じゃなく、息子となった私はエリック・カスティリオーニとしての生活が始まった。
 ヴィンセントが後見人になったのは、異世界から来たというエリカの状況ではこの国の個人の登録がなく、何かと不便らしいからだと教えてくれた。
 なんでジンとエヴァさんの養子じゃだめなのか聞いたら、ヴィンセントに子供が出来たら面白いから――なんて言っていた。……ヴィンセントって我がお父様ながらなんか不憫な人だ。
 さっそくこの国の知識を勉強することになったのだが……。また丸投げですか?
 どうやらこの世界の常識がすっかりないエリカに教えるのは、大変だとあきらめたのか、ここスビアコ村よりも栄えている大きな町リーラベルの学校に通うことになった。
 それだったらジンさんの体術と剣術の稽古もエヴァさんのスパルタ魔法訓練もさじを投げてくれればよかったのに……。
 あの二人はこんなスビアコ村みたいなところに引きこもっているような人じゃなくて、ものすごい偉い人らしいんだけど……それを二人は上手く隠している。
 多分あのコンパスという石の遺跡の防人をしているとかなんとか。お父様もあまり詳しくは教えてもらっていないらしい。
 そのことも含めてエリカは調べてみようと思っていた。
 どうせ、暇だし、なんでこの世界に来たのかもわからないし。理由なんてないのかもしれないけど――。
 ちょうど、向こうでも転職して、新生活を始めようと思っていたから、思いっきり知らない世界で新生活を始めるものいいのかもしれない。
 魔法騎士団に転職しました――なんて、普通は出来ない、これって、ある意味ラッキーなのかも。



[26673] 08 異世界ハウメア
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:07
 密談が終わったエリカは、少し出てくる、とみぃたんのいる外へと向かった。今後のことが色々急に決まってしまって、みぃたんとの生活が壊れてしまうのではと不安になる。
 エリカについて来て人里まで降りてきてしまったが、本当は森で暮らしていく方がいいのではないか、そんなことも頭を過る。
 この格好で出てきたが、大丈夫だろうか? 
 エヴァから譲り受けた息子さんの服を着て、長い髪は後ろでひとつに括り、服の中に隠してある。一応だてメガネもかけて印象も変えている。
 エリックとして、この家にお世話になるからには、女だと気付かれないように隙を見せてはならない。
 それにしても、なぜジンは魔法騎士団に入れと言ったのだろう。色々と引っかかることが多すぎる。信頼の置ける人だと思うし、そう信じたいが、エリカが言う『石の遺跡――コンパス』『触ると10歳くらい若返った白い石のこと』『異世界』『二つの月が変だと思ったこと』それと『言葉が通じなかったこと』に異様に反応してた。それも悪い意味で。
 このキーワードが、ジンの言う『エリス』に繋がるもの……?
 ジンの言う『エリスから来たアイツ』という人物が、何かのキーワードではないだろうか。

「エリス、異世界。宇宙からみたエリスは美しい。……エリスは違う星? それで科学がきっと進んでいる……?」

 エリカは今までの会話を思い出して、自分なりの推測をしてみる。
 こうして、改めて情報をまとめてみると、エリスと言う世界は限られた情報だけでみると、極めて地球に近い印象を受ける。だが、エリカからしてみれば、たまたまこの世界に来たエリスの人間が宇宙から自分の星を見たことがあって、そしてあの謎の白い巨石がエリスに関係があるものだとすれば、エリスほど遠い理解の及ばない世界はないのではないかと思った。
 エリスはとんでもなく科学の発達した星……?
 それでも、ジンからみるエリカとエリスから来た人の印象は似ていたのだろう。
 エリスとはこの世界にとってどういう存在なのだろうか?
 この国のほとんどの人間はエリスのことを知らないとヴィンセントが話していた。やっぱりこれから自分で調べていくしかなさそうだ。
 そんなことを考えながら、みぃたんを探しに村を歩いていた。
 あの窓枠にぶつかった後、すぐに会いに行けなかったことが気になっていた。
 酒場の裏にはいないようだったし、何処にいるのだろう?
 獲物を狩に行ったのだろうか?

「みぃたん? どこ?」

 村の外れまで来たみたが、見当たらない。

「おい、おいってば!」

 甲冑さんが立っている。
 ありゃ、気が付いたら橋のところまで来ちゃってたか。

「はい、何でしょう?」

 笑顔を張り付けて甲冑さんの方を向くエリカ。
 甲冑さん、中身入ってたんですね。

「ここから先は、危ないぞ。行かないように」
「はい、わかりました。すみません、僕知らなくて。あの、この辺で白いふわふわな毛に覆われていて、猫に翼がついたような動物みませんでしたか?」とエリカは問う。

 もしかしたら森に行ってるかもしれないし、ここを通ったかもしれない。

「いや、見てないが……。その動物、魔従か? 魔従だったらメリーさんの牧場にいっぱいいるぞ?」

(マジュウって何だろう? それってもしかして魔獣ですか? 恐ろしい)

「えーと、そんな恐ろしものじゃないんですけど。むしろかわいいというか……」
「何いってるんだ? お前。とりあえず、早く引き返してくれ。ここから先は侵入禁止だ」

 あまり噛み合っていない二人の会話。

「はい、わかりました」とエリカはその場を引き返した。

「おい、メリーさんの牧場はあっちだぞ」と甲冑さんが、示してくれる。

 結構優しいな甲冑さんなんて考えながら、エリカはそちらに歩き始めた。

「ありがとう! 甲冑さん」

 手を振りお礼を言いながら遠ざかると、遠くで甲冑さんがよろけるのが見えた。

 ◆ ◆ ◆

「みぃたーん? みぃたん……がいっぱい?」

 甲冑さんに教えてもらったメリーさんの牧場に着いたエリカは、柵の中にいる生き物たちに目をまるくする。
 猫に翼がついたもふもふとした動物を探している――と甲冑さんに尋ねたら、この牧場を教えてもらったのだ。
『それってマジュウか?』と言って、それだったらこのメリーさんの牧場にいっぱいいる、と聞いて訪ねてみたのだが……。確かにみぃたんはマジュウなるものなのだろう。目の前の柵に囲まれた広大な草原の中に、たくさんのみぃたんに似たモノ達がいる。

「うーん、みぃたんは……いない……かな?」

 確かに、みぃたんそっくりな動物はたくさんいるのだが、真っ白なもふもふは一匹もいないようだ。みなさん濃かったり、薄かったりのココア色をしていらっしゃる。

「少年、そんなに魔従がめずらしいかのう?」

 エリカがみぃたんはいないかと牧場を見つめていると、柵の中にいる好々爺に声をかけられる。

「あの、マジュウとこの動物はいうんですね……僕の友達になってくれた子も、この動物とそっくりなんです。ただ、色は真っ白なんだけど」

 「あぁ」と頷いて、おじいさんはエリカに魔従のことを教えてくれた。

「こ奴らは魔従キャロと言うてだな、厳密には動物とは呼ばず、魔物の括りなんじゃ。ただ、人懐っこいかわいい奴らじゃろ? 魔物と違って人に従うもののこと達を、ワシ等は魔従と呼んでいるんじゃ」

「おぉ、なるほど」と相槌を打ちながら、エリカはふと思った疑問を聞いてみる。

「おじいさん、魔従ってこのキャロの他にもいるんですか?」

「いい質問じゃ」といって好々爺は講義をしてくれる。

「この辺の者たちは、魔従キャロの牧場がある為か、魔従というとキャロを思い浮かべるみたいじゃが、魔従は色々と居ってな、キャロの他に、有名なところで言えば、ドラゴン――」
「ドラゴン?!」

 品の良いご老人は、ドラゴンという単語に反応して思わず遮ってしまったエリカを見て、笑って先を続ける。

「そう、ドラゴンじゃ。まぁ、ドラゴンはなかなか魔従化させるのは難しいからのう……。なかなかお目にかかることはできないじゃろうが。確かにドラゴンを従わせておるものは居るのじゃよ。他にも――」好々爺は、急に真上を見上げ、にやりと笑う。

「……少年、あやつもお主を気に入ったらしいのう」
「……?」

 一体何を話しているのだと怪訝な顔をしてると、キャロ達が急に小屋の方に走っていく。すると周りの草木が微かに揺れたかと思う間もなく、すごい風圧がエリカの体にかかってきた。たまらず足を踏みしめる。

「……!」

 目の前には、暗黒のドラゴン――? が好々爺の隣に降り立った。

「少年、こやつがワシの魔従ドラゴン――アキシオンじゃ」
「魔従ドラゴン……おじいさんってすごい人だったんだね。……ドラゴンを魔従化させるのって難しいんだよね?」

 自ら魔従化させるのは難しいと説明しておきながら、まさか自身でそのドラゴンを披露するとは、この目の前の好々爺は何者なのだろうか――エリカはそんなことを考えながら、目の前の人物を見つめた。そういえば、まだ名前も聞いていないことに気づく。

「ただの隠居じゃよ」

 老人の賢人はそう言うが、唯者ではないことは、なんとなくエリカにもわかった。

「僕はエリック・カスティリオーニと申します。あの、おじいさんのお名前も教えていただけますか?」
 エリカは自分から名乗り、この方のことを知りたいという思いをぶつける。
 その名は、この世界で与えられたばかりの偽りの名前だったが……。

「……エリック、ワシは、ススと呼ばれておる。すまんが、時間じゃ。ワシはこれでもまだ少し忙しいのじゃよ。お主は面白い気配がしておるな。ワシはお主を気に入ったようじゃ、こやつもな」

 ススはアキシオンの方を向くと、こう繋げた。

「エリック、ワシのところに訪ねてくるがよい。色々ともっと話をしてみたいんじゃ」
「はい、もちろんです。あの、このメリーさんの牧場に来れば会えますか?」エリカはススに問う。

「ほう、ここはメリーさんの牧場と言うのじゃな。いいや、エリック、ワシはこの牧場とは所縁のないもの。……お主にこれをやろう」

 エリカに差し出されたのは、漆黒の小石ほどの宝珠だった。

「え? こんな高価なもの頂けません!」

 エリカはいきなりほとんど何も知らない人から、宝石らしいものをもらい戸惑った。

「うーん、お主は貴石のことを知らないらしいな……。お主の首からかかっているソレも貴石だろうに」

 エリカは思わずギュッと胸のあたりを掴む。紫水晶のペンダントは服の中に隠してかけているはずなのにこのススにはわかってしまっているのだろうか。

「この貴石の気配をたどってワシを訪ねておいで。その時は、また色々話をしよう。もう行かないと。じゃあな、エリック・カスティリオーニ」

 エリカはひらりと魔従ドラゴンのアキシオンに飛び乗り、颯爽と飛び立っていくススの背中を見送った。

「ありがとうございましたぁ!」

 エリカは大声で小さくなっていく背中に頭を下げる。

「かっこいい。何あのじいちゃん……」

(てっきりメリーさんかと思っていたら、なにも縁のない人らしい)

 キャロ達が入っていった小屋の方を見て、エリカはメリーさんはいないかと、キョロキョロあたりを見渡す。誰かが濃い茶色のキャロに乗って牧場の方に来るのが見える。メリーさんだろうか?

「こんにちは! あの、メリーさんですか?」

 エリカはこちらに走って来る女性に声をかけた。

「ごきげんよう。いいえ、わたくしはクリスティーヌですわ。あなたエリックね?」
「え? 何で……?」

 なんで見ず知らずの女性がエリカの名を知っているのか――それも新しいエリックという名を。

「探しにまいりましたのよ。父上と母上が待っていますわよ?」

 うーんと唸って、それはジンとエヴァのことだろうかと考える。ジンとエヴァには息子が一人いたはずだが……このクリスティーヌってもしかして……。
 エリカはそこで深く考えるのはやめようと思った。だって、この美しい女性が……だなんて考えたくもない。

「……それってジンとエヴァですか?」
「そうよ。早くもどりましょう。昼食の時間よ」

 引き攣る顔をなんとか笑顔にしてエリカは答えた。

「友達の真っ白な魔従キャロを探していて……見つけたら帰ります」

 クリスティーヌは美しい眉をあげて、こう言った。

「あのキャロなら家の飼育小屋にいるわよ?」
「へ?」


 何だ、あんなに色々探していたみぃたんが、酒場の隣の飼育小屋にいたなんて、意外と灯台もと暗しだった。
 みぃたんのことは、ちゃんと話していなかったから、午前中に紹介しようと思っていたのだ。
 ジンやエヴァに理由を話して出かければ良かったかもしれない。そうすればこんなすれ違いはなかったはずだ。
 今度からそうしよう――等と、エリカは熟々と考える。

「ねぇ、わたくしたちイトコになったんだから、もっとおしゃべりして仲良くなりましょうよ」

 自称クリスティーヌの言葉がエリカの彷徨っていた思考を現実に呼びもどす。

「え? ……あ、イトコ?」

 エリカがヴィンセントの息子になって、ヴィンセントとエヴァは兄妹みたいだから……。そうか、このクリスティーヌはエリカのイトコという関係なのか――。

「そう、イトコ。よろしくエリック」

 ぞわっするよるような色香を漂わせて微笑するクリスティーヌ。何か一瞬おしとやかな美少女の仮面がとれた気がしたのだが、気のせいだろうか……。

「よ、よろしく。クリスティーヌ」

 エリカの女の部分がクリスティーヌの色香に反応する。なんだセクシー垂れ流しな美人。……うらやましい。
 危ない危ない、この人の前では女だって絶対ばれないようにしないと。なんだか人たらしの気配を感じる。

「ねぇ、わたくしたち本当のイトコみたい。結構似ていると思わない?」

 自称クリスティーヌがエリカの顔をじっと凝視して言う。

「な、何で? 全然似てないと思うけど……クリスティーヌさんみたいな美人さんに似てたら嬉しいけどさ。僕、もうちょっと男らしくなれたらなぁー……なんて」

(あんまりじっと見ないでほしい。女だってばれたら困るし)

 エリカはクリスティーヌから顔を逸らしながら、だてメガネを無意識に触る。

「やっぱり似てますわ。菫色の瞳がお揃いですわね?」

 エリカの背けた顔を覗き込むように、見つめてくるクリスティーヌと目が合い、エリカはなんだか赤面してしまう。

「かわいい。小さい顔。本当、女の子みたいですわね? エリック」

 エリカを見つめ、クリスティーヌはクスリと笑った。
 

 ◆ ◆ ◆

「お父様、お母様、ただいま帰りました」

 酒場に帰って来たエリカとクリスティーヌは、盛り場を通り越して居室部分の奥の部屋に入る。

「ああ、ジャックありがとう。エリック、遅かったから迷ったのではないかと息子を迎えに行かせたが会えたようだな」

 ジンはふっと笑って、顔が引き攣っているエリカに手招きをする。
 ジンに手招きされ、何だろうと怪訝に思いながら、エリカはジンの方へ歩く。

「俺の息子は、かわいい女みたいな姿をしているが、ああ見えて危険な男だ。絶対、女だってばれるんじゃないぞ。ジャックは女ったらしなんだ」

 エリカの耳元で、本人には聞こえないようにコソコソと耳打ちする。
 やはり男の娘だったか……とがっくり肩を落とすエリカ。
 しかもそっちの趣味の人ではなく、女ったらしですか……。なんで女装しているんだあの人。まぁ似合ってるんですけど。むしろ女として負けているような気がするんですけど。……はぁ。
 ジンとエリカがコソコソと何やら自分のことを話しているらしいと察したクリスティーヌ改めジャックは、じろりとこちらを睨み、腰までの長く美しい黒髪の鬘を外す。薄茶色の短髪になったジャックはさすが美人。イケメンだ。

「あーあ、もうバラしちゃうんだからな、父上は。俺はジャックだよ、改めてよろしくエリック。年も近いみたいだから、仲良くしような。弟が出来たみたいで嬉しいよ」

 ジャックは妙に色気のある顔で二コリと笑い、エリカを軽く小突いた。

「お、帰って来たかエリック」
 ヴィンセントが部屋に入って来る。

「お帰りなさい、エリック」
 エヴァも一緒だ。

「朝食もまだだったでしょ? これからお昼にしましょう」

 エヴァはテーブルに手をかざし指をならすと、湯気立つ良い匂いのおいしそうな料理が並んだ。魔法だ。本当にどうなっているんだろう。
 うーん、おいしそうな匂い。
 でも、ご飯の前にやることがある。みぃたんに会いたい。

「あの、僕の友達のキャロみぃたんに会いたいんだ」

 そう言ったエリカの方をジン、エヴァ、ヴィンセント、ジャックの四人が見る。

「やっぱりあの魔従がお前の言ってたもふもふの友達だったか」

 ジンは、何とも言えないような微妙な顔をしている。

「あの子なら隣の飼育小屋にいるわ」とエヴァ。

 ほっと胸を撫でおろし、みぃたんは、なんだか四人が妙な雰囲気を醸し出しているのに気付く。

「ご飯の前にちょっとだけ会いに行ってもいいかな?」とエリカが尋ねると、みんなそろって一緒に行くと言い出した。
 本当にどうしたんだろう。

「真っ白いキャロなんて俺、初めて見たんだけど」こそこそとジャックがジンの脇腹を肘打ちし囁く。
  
 ◆ ◆ ◆

「みぃたーん!」

 昨夜ぶりにみぃたんと再会したエリカは、思わずもふもふの真っ白いふわふわの体に抱きつく。うーん、ふわふわしていて気持ちいい。
 そんなエリカを遠巻きに、しかし凄く羨ましそうに見ている。

(ん? みんなどうしちゃったんだろう?)

「エリック、お父さんもその魔従に触ってもいいか?」ヴィンセントがエリカに切り出す。

「お父様、もちろんいいよ。みぃたん、良い?」エリカがみぃたんに問う。

 するとみぃたんは今までエリカが見たことのないツーンとした態度をとってそっぽを向く。エリカに懐いている態度とは大違いだ。
 もしかしてツンデレですか、みぃたん?
 それで、エリカはあの妙な雰囲気の意味がわかったと思った。もしかしてみんなみぃたんに懐かれようと苦心していた……?

(みぃたんのツンツンしているところなど初めて見たよ。意外な一面発見だね。でも自分だけにデレデレ懐いてるのってなんだかちょっと気分が良いかも)

「みぃたん? ヴィンセントはわたしのお父様になってくれた人だよ。ほら、こんなに仲良し」
 エリカはヴィンセントにぎゅうと抱きつき、仲の良い様子をみぃたんに示す。

「エリック……お父さんは、お父さんは、お前みたいな良い息子ができて本当にうれしい……」

 うっすら赤くなりながら、破顔しているヴィンセントは、もはやみぃたんよりも、エリカが抱きついたことに感動している様子だ。

「みぃー」

 そんなエリカとヴィンセントの様子をみてみぃたんもヴィンセントに対するツーンとした態度を軟化させヴィンセントに触らせることを許す。

「俺も仲良しイトコだよ」
 と、どさくさに紛れてジャックも抱きついて来たが、身の危険を感じ、ひらりとかわした。
 油断も隙もないやつだ。

 最初は四人に対してツンとしていたみぃたんも、エリカと皆が打ち解けている様子をみて、だんだんと懐くようになってきた。

「良かったね、みぃたん。僕もみぃたんもここでしばらく暮らせるんだって」みぃたんにそう語りかける。

「改めて皆さん僕と魔従キャロのみぃたんをよろしくお願いします」エリカはそう言って、皆に頭を下げた。

「あぁ、よろしくな」
「よろしくね、エリック、みぃたん」
「よろしく、息子よ、白いの」
「よろしくー」
 
 ◆ ◆ ◆
 
 みぃたんを飼育小屋に残し、酒場の居室に戻る。
 昼食の後は、いよいよ新たな生活が始まる。
 しばらくは、酒場の手伝いと、併設されている商人ギルドの簡単な依頼をこなし、この世界に少しづつ慣れていくことから、始めようか――と食事をしながら話し合い、相談して決めた。
 ヴィンセントは魔法騎士団の仕事がある為、昼食後、王都に戻ってしまうらしい。忙しいらしく今度会えるのはエリカが魔法騎士団に入る一年後になりそうだ。
 
 「じゃあ、エリック元気でな。お父さん、お前に会えるの楽しみにしているぞ……うぅ」

 嗚咽を漏らしながら、ヴィンセントは別れを告げる。
 今後のことを相談しながらのゆったりとした昼食が終わり、ヴィンセントが王都へ帰る時間となった。たった半日しか一緒に過ごしていない養子とした息子――ほんとは娘だけど――にここまで悲しそうに別れを告げる父親はヴィンセントをおいて他にはいないだろう。なんて純真な人なのだろう。家族限定みたいなようだが。
 それにしても、一年後エリカが魔法騎士団に入団するまで会えないなんて、よっぽどヴィンセントは団長の仕事が忙しいのか、はたまた王都が遠いのか……。それは追々調べてみよう。

「ヴィンセントお父様、遠路気をつけてお帰りください。次会う時には団長とお呼びしますね」

 エリカがそう言うとヴィンセントは少し寂しそうな顔をしてこう言う。

「休みの日はお父様と呼んでくれ」

 半分冗談だったのに……真面目に返されてしまった。

「気をつけてね、兄様」
「おじ様、気をつけてお帰りになってね?」エヴァとふざけてクリスティーヌになりきっているジャックも見送る。

「おい、行くぞ」

 ジンが濃紺のローブでフードを目深に被った格好で、部屋に戻ってきた。ヴィンセントを外に促すと、ヴィンセントも灰色のローブのフードを被る。
 どこか人目を気にしているような姿に唖然としていると、ヴィンセントが苦笑して、言う。

「これでも王都の魔法騎士団の団長だからね。こんな辺鄙な村にお忍びで来ているなんて知られたら困るんだよ、しかも仕事サボって来ちゃったし……」

(サボりって、何しに来たんだこの男は。まさかエヴァに会いに? シスコンめ……)

「へー」すっかりエリカにもヴィンセントのシスコンぶりは、ばれていた。

「おい、早くしろ」ジンがヴィンセントを隣の飼育小屋へと促す。

「あんまり目立ちたくないんだ。見送りはいいから……」ヴィンセントはエリカにそう言うと、じゃあ、と隣の飼育小屋の中へジンに伴われて消えて行った。

 飼育小屋には茶色の魔従キャロが数匹いる。みぃたんも今朝からそこにいるが、ヴィンセントはキャロに乗って行くのだろうか、そんなことを考えながらエリカは、ヴィンセントとジンの背中を見送り、酒場の閉じられたドアを見つめた。

「エリック、片づけを手伝って頂戴。魔法の勉強をしながら片づけるわよ?」エヴァが声をかける。

「はーい」

 いったい食べ終わった食器の片付けと魔法にどんな繋がりがあるのだろう、でも居候の身の上だから、むしろこき使うくらいいっぱい働かせて下さいとエリカは思う。
 せめて食費くらいは稼いで渡したいなぁそんなことを思ってエリカはエヴァに相談する。

「エヴァ、僕、食費くらいは入れたいなと思ってるんだけど……」

 そんなエリカの言葉にエヴァはキョトンとした顔をしてこう言う。

「あら、話してなかったかしら? 一年間貴方のここでの生活の面倒を見る代わりに、私たちは貴方の来年の一年間をもらうのよ。来年の一年間は私たちの為に働いてもらうわよ、魔法騎士団で」

(さらっと凄いことを言ったような……そんなこと聞いていない)

「……」

 エヴァの言葉に絶句しているエリカに向かってエヴァは続ける。

「結構まっとうな取引だと思うけど。ここでの生活の知恵も私たち家族が教えるし、学校にも通わせてあげるわ。一年で、この世界で生きていけるようにしてあげる。その代わりに一年間を私たちのために働いてほしいだけよ。はい、コレ」

 エリカはエヴァから渡された羊皮紙を受け取ると、その内容に目を通す。




 ギルド 特別依頼書 

 依頼内容:ファミエール家の為に一年間魔法騎士団に入り働くこと。
     詳細は追って伝える。

 報酬:1000000パル


 依頼人:ファミエール家 
                
 ギルドって何だろう? 何の依頼書?

「私以外の人にも募集してるの?」エリカはそうじゃあ、私ではなくても良いはずではと思い、エヴァに尋ねた。

「そう。条件が当てはまる人が依頼を受けてくれれば、ファミエール家としてはよいのだけど……。残念なことにその条件にある人がエリック、あなたを除いてはいなかったのよ」
「条件? それって……」
「息子のジャックと共に潜入捜査ができるスキルよ」

(もしかしなくても、それは女装スキルですか……?)

「えーと、それはもしかしてクリスティーヌがジャックだから……。えーと、女装してどこかに潜入する捜査をしなきゃならいっていうこと?」

(あぁ、それならば、高額な報酬につられて依頼を受けたとしても、屈強な男性たちは無理な条件に弾かれてしまう。成程、それで条件に合うものがいなかった訳だ。でもそんな条件どこにも書かれていないけど……)

 エリカは条件を書かずに募集したからピッタリの人物が集まらなかったのではと、エヴァに詰め寄る。

「条件が書いていないようだけど、だから集まらなかったんじゃないですか?」
「最初は書いていたんだけど、うちの息子と一緒にという条件を見て、嫌煙されてしまったのよ……あの子の女装に対する情熱をこのあたりの人は嫌というほど知っているからかしら……」

(……ジャックだめじゃん。あいつのせいか)

「あぁ、それはなんかわかる気がします」エリカは遠い目をしてそう言った。

「でも、エリックあなたならあの子の合格が出ると思うの」

 出なかったら女としてどうなんだろう、悔しすぎる――とエリカは思うが、ジャックの女装、クリスティーヌの姿を見ているだけあって、高い完成度を求められるのだろう。もしかしたら結構ヤバいかもなどとも思った。

「でもこの依頼は必ず受けてもらうわよ? ソレじゃないとこの世界での生き抜き方の授業料と、学校代、この家の宿泊費として、1000000パル頂くわ」

 逃げ道を塞がれてしまったエリカは、依頼を受けることとなった――ほぼ強制的に。

(これって詐欺だ。ファミエール家恐ろしい)

「わかった。でも一年たったら自由でしょ?それはちゃんと保障して下さい。約款に書いておいて」
「それは保障すると約束するわ」

 エヴァは依頼書の羊皮紙の上にエリカの手を重ねさせ、何か呪文のようなものを呟くと、その羊皮紙はエリカの手の中に吸い込まれていった。手には目に見える変化はないが、なんだか気持ち悪い。

「これで正式に契約成立よ。よろしくエリック」
「エヴァ、契約しておいて悪いんだけど、僕、魔法なんて使えないよ? それで魔法騎士団になんて入れるものなの?」

 エリカは、ずっと疑問に思っていたことをエヴァに尋ねる。

「それなんだけど、たぶんなんとかなると思うわ。貴方は貴石をもってるらしいって、ジンが言っていたのよ。今朝、貴方の部屋を訪ねた時に見たって……」
「……貴石? ソレと魔法にどんな関係が?」

(貴石……って、ススも言ってた。きっと紫水晶のことだ)

 エリカは思わずギュッと服の下のペンダントを掴む。

「やっぱり持っているのね……貴石には故人の能力が宿っているの。その持ち主になれば、そのまま故人の能力を受け継ぐことができる。だからエリック、貴方はきっと魔法が使えるようになるわ」

 エリカは、エヴァの言葉の意味を、熟慮を重ね、推し量る。

(今朝、ジンが訪ねて来た時、ジンの言葉が全くわからなかった。でも、ペンダントを放ってよこされ、ソレをかけたら、ジンの言葉がわかった。それも故人の能力を受け継いだから……?)

「きっと僕は、その故人の能力を受け継いでいるから、魔法が使えるはず……って言っているんだね?」
「そうよ、きっと貴方は素晴らしい魔法使いになれるわ」
 エヴァは、確信に満ちた声で、断言した。

 エリカはそっとペンダントに触れ、故人の能力が宿ると謂われる貴石、という貴重な拾い物をした自分の数奇な運命に驚愕を隠せなかった。

「そう……この貴石ってそんなに凄い物だったんだね。知らなかった。素晴らしい魔法使いになれるかはわからないけど、この石に恥じないように頑張ってみるよ」
 エリカはそう言い、自分を奮い立たせた。

「貴方なら出来ると思うわ、ビシビシ扱くから覚悟してちょうだいね」
「はい!」

 ◆ ◆ ◆

「私が、食器を洗うのを見ていてね、ゆっくりやるから良く見ているのよ?」

 そう言うと、エヴァは水の溜まったシンクの中に食器を浮かせてどんどん入れていく。泡立つ水の中ではガチャガチャと食器の洗う音がする。

「うわー、すごい! 食器洗い機みたい」

 エリカはエヴァが手を使わずに食器を洗っていく様子を、食い入るように見つめる。

「よしっと。これで上げれば終了よ」

 エヴァは、シンクの中から食器を浮かせ上げながら、食器を浮かしたまま棚に戻していく。良く見ていると、泡立つシンクから出すと同時に泡を洗い流し、それとほぼ同時に乾燥もさせているようだ。食器たちは、まるで自分たちの戻るべき場所がわかっているかのように、どんどん片付けられていく。

「……凄すぎる。みんなこの国の人は魔法で洗っているの?」

 エリカは、コレが標準じゃ困る、と切実な思いでエヴァに尋ねた。

「残念ながら、厳密にいえば違うと言うしかないわね。でも、大体の家で食器をシンクの中で洗うことは魔法でやっていると思うわ。私みたいに、洗いから、すすぎ、乾燥、片づけまで一度に出来る人はあまりいないかもしれないわね。私はわりと魔法が得意なほうだし、なるべく面倒な家事はやりたくないから効率的な魔法での工程を研究したのよ」

 エヴァの言葉に安堵するが、きっとエリカに求める基準はエヴァの方法で出来るようになることなのだろう。

「僕にコレが出来るようになれと?」
「もちろんよ。今日から私と一緒になんでも魔法でやるようにしてもらうわよ」

 あぁ、恐れていたとおりだった。エヴァ、スパルタ過ぎるよ。

「まずは、見て、どんな魔法が使われているか、自分だったらどうするかをイメージして。貴方は貴石の主だから、イメージが攫めれば出来るはずだから」
「はい、頑張ります」

 ◆ ◆ ◆

「ギャー!!」

 エリカは魔法で溜めたお湯の中に入って、あまりの熱さに悲鳴を上げた。
 はぁ、また失敗だ。
 ちゃんとお湯に手を入れて温度を確かめてお風呂に入ったのに、底の方が熱かったみたいだ。おかしい。
(お湯は温度が高い方が、上にくるはずでしょ? なんで科学を裏切りやがるんだ、この魔法は)

「もう! なんでこうなるのよっ!」
「エリック、女言葉は禁止」

 エリカの叫び声を聞きつけ、浴室を覗いたエヴァから厳しいチェックが入る。
 恒例となりつつあるこの光景。
 あれからエリカはなんでも魔法でやる生活を送らされている。大切なのはイメージ、そしてその仕組みを知るために魔法学術的な理論もまた、エヴァからみっちり仕込まれている。
 生活魔法って難しい。微妙な位置の調節とか、人肌くらいの温度調節とか……。 私はドーンと派手な大魔法の方が得意みたいだ。あとは、箒で空を飛べたら最高なんだけど、それをエヴァに話したら『何ソレ?箒で空が飛べるはずないでしょ』と言われてしまった。
 きっと箒で空を飛べる仕組みを理論化して飛んでみせる、とエリカは決意した。
 



[26673] 09 失踪した愛娘
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:06
 エリカの日課、朝の散歩。みぃたんの背に乗って、バスティ山のコンパスという通り名の石の遺跡まで走る。
 スビアコ村の外れにあるイーシュ川を架ける長橋を渡っていくのだが、そこが第一の難関である。あの橋の袂には甲冑さん達が長剣を持って通る者を拒んでいるのだ。
 それはコンパスでの不可解な失踪を防ぐためにジンが防人として警備兵を置き命じたことであったが、その警備を掻い潜ってあの遺跡まで行くことをエリカに命じたのもまたジンであった。
 時間指定は早朝の朝食前。警備兵が持ち場を離れる一瞬を狙ってあの橋を行く。 朝、昼、夜、そして真夜中と警備兵が持ち場を離れる時間があることは、以前、バスティ山からこのスビアコ村へ下るときに調べていたのでエリカは知っていた。指定された早朝のその時間は、丁度朝の警備兵のいなくなる時間が重なる。
 警備兵が橋を離れる僅かな一瞬を狙って、エリカはみぃたんと共にコンパスへと向かった。
 コンパスではエリスの謎に繋がると思われる白く輝く巨石を調べる。
 以前、この石に触れた時、エリカの肉体は10年程若返り、逆に魔従キャロのみぃたんは年を重ね成長を遂げた。その為、この石に触れることに躊躇していたのだが、エリカが「あっ」と止めようと手を伸ばすも間に合わなく、みぃたんが触れてしまったが、何の変化もなかった。
 エリカも恐る恐る触れてみたところ、身体に特に変化はない。以前は浮かび上がった文字も、現れることはなく、目の前の白い石塔は沈黙を守っていた。
 この石を調べていたエリカだったが、目的はこの石を調べることではなかった。
 調べたのはついでだ。

 ジンからは、この遺跡に着いたら、遺跡の真ん中から、上空に向かって光の魔法を思いっきり放てと言われていた。
 時間は、午前5時きっかり。『コンパスの6番目と12番目の巨石の対角線上にある十字の模様が入った石板の上で垂直に真上に光を放て』と言われたとおりに実行しようと腕時計で時間を確かめる。
 この世界――ハウメア、ヴァレンディア王国でも時間の概念は地球と一緒らしく、一日24時間というのは同じらしい。
 エリカのしていた腕時計がだんだんとずれて行き、時計として機能しなかったこ
とはどう説明すればいいのか、疑問に思い、時計を見せ、ジンに尋ねたところ、このように動く時計というものを見たことが初めてだったようで、ジンは驚いていた。
 この世界で時を刻む時計は、時を示す針の代わりに魔法で動く光線が時を示して
いるものであるらしい。
 エリカは慣れ親しんでいる時計の仕組みを簡単に説明すると、どうやら地球とハ
ウメアの時間の進む速さに大分ずれがあるようだった。ハウメアの時の方がゆったり進んでいるらしく、魔法の得意なエヴァが魔法で時計の針の進み方をハウメアの時の刻み方に合わせてくれた。
 時計は5時を示す。
 ジンに言われた通り真上に光の魔法を思いっきり放つ。
 一瞬、薄暗い空に眩しい閃光がまたたき、あたりを照らす。
 普段はジンの日課であるらしいこれは、魔法を習いたてのエリカの練習にピッタ
リだ、ということで毎日する課題の一つとなった。
「これは何の為にしているの?」と尋ねたところ、このあたりが空路になっている
飛鉱艇とやらが、遺跡の上空を間違って飛ばないようにするためにやっている、とジンが話してくれた。
 何年も前に運悪くこの遺跡の真上を通った飛鉱艇が忽然と姿を消してしまったこ
とがあってから、その消えた時間帯の早朝に危険を知らす合図を放つことになったらしい。
 エリカは、以前は思いっきり魔法を放つ良い練習だ、程度に考えて行っていたが、それを聞いてからは、責任の重みに背筋が伸びた。
 それにしてもジンは容赦がない。コンパスからの帰り道、あの橋には甲冑さんこ
と警備兵が2人、長剣を持って橋を封鎖している。
 ジンの仕事をしばらくの間引き継ぐということで、コンパスへ行く許可を貰って
いるが、警備兵には知らせてないようだ。
 なるべく衝突は避けるように、警備兵のいない時間帯を狙って行きの時間は、合
わずに済んでいるが、帰りは昼まで待たないと鉢合わせしてしまうのは避けられない。結局、午前は他にも色々と日課があるので警備兵と攻防を繰り広げることとなる。

「そこ通してー!」
「こらっ! ここは立ち入り禁止だぞ。どうやって入り込んだんだ? 待てっ」

 みぃたんの背に乗って橋を走り抜けようとするエリカに、警備兵は容赦なくを向
け長剣を向けてくる。刺さったらエリカもみぃたんもひとたまりもない。寸前のところで、ひらりと飛んで躱しつつ、橋を走り抜ける。

「ふぅ、今日も無事完了」

 橋を渡りきったところで、やっと朝の散歩にしてはちょっとハードな訓練つきの
日課が終わる。
 バスティ山に登ったついでに時間に余裕のある日は、木の実や野草などをついで
に採ってくることもある。酒場と併設している商人ギルドの簡単な依頼にそれらの採取があるので、ちょこちょこ小銭を稼ぐために採ってくるのだ。
 基本的に、ジンの日課、武術の練習、エヴァの魔法学術理論の講義、家事手伝い
をしながらの魔法演習の時間以外は、今のところ自由時間なので、商人ギルドで簡単そうな依頼を受けて、小金稼ぎをしている。
 今年1年は、生活費タダなので、頑張っただけ溜められそうだ。
 もう少しここの生活に慣れたら、バスティ山脈の麓にある大きな町リーラベルの
学校に通う予定だ。そして、ジャックの女装、変装の授業も追々やらなくてはならないらしい。ジャックは昨夜遅くに王都の学校へと戻って行った。幸運なことに、ジャックは今、王都の全寮制の学術院という大学院のようなところで学んでいるらしく、しばらくは顔を合わさずに済みそうだ。

「よし、今日もいっぱい小銭を稼ぐぞ」

 エリカはそう言い、エヴァの作る朝食の待つ酒場へ急ぐ。
 ススから貰った漆黒の貴石を失くさないように耳飾りに加工してもらうには、ま
だまだお金が足りないようだ。朝食を食べて、魔法での片づけが終わったら少しだけ時間が空く。そうしたら、ギルドでエリカにも出来そうな依頼がないか見てみよう。

「ジンのおっちゃん、何かお勧めの依頼ない?」

 エリカはカウンター越しにジンにお勧めの商人ギルドの依頼がないか尋ねる。
 エヴァとの魔法演習というなの酒場の裏方手伝いが一段落したエリカは、暫しの
開いた時間を使って小金稼ぎをしようと依頼を受けに来たのだ。
 こういう時って、住んでる所が酒場とギルドっていうのは、都合がいいと思う。
少しでも空いた時間を使って色々な情報を集めることができるからだ。

「これなんかどうだ?」

 ジンがそう言って差し出した依頼書は、バスティ山麓の町リーラベルまで小包を
届けるというものだった。
 リーラベルと言えば、エリカがこれから通う学究院のあるところだ。
 魔法や武術はエヴァとジンという強力な家庭教師がいるので、これ以外の基礎教
育を受けに定時制の学部に進む予定だ。
 こちらの世界ハウメアではどのような学問を一般的に基礎科目というのかはわか
らないが、エリカとしてはハウメアでの一般常識やこの世界の歴史などなにも知らないので、それだけでも学びたいと思っている。

「リーラベルに届け物? おぉ、それ受けたい! 学校始まる前にリーラベルに行
ってみたかったんだよね」
「じゃあ、依頼受諾で契約成立でいいな?」

 そういうジンの言葉に頷き、エリカは手を差し出す。ジンは差し出されたエリカ
の手の平の上で呪文を唱え、依頼書はエリカの手の中へと消えた。契約成立だ。

「あぁ、それとエリック、お前のその変装じゃあ、まだまだ男として通用しないぞ。エヴァにその辺頼んでおいたから、出発する前にエヴァの部屋に行け。
いいな?」
「え? これじゃダメなの? あーあ、結構様になって来たと思ってたのになぁ」

 まぁ、酒場に入ってすぐにジンには『お嬢さん』と言われ見敗れた格好のままほ
とんど変えていないので、そう言われてしまってもしょうがないのだが……。この国ヴァレンディア王国では女の人は肌を晒さないように長いスカートのワンピースのようなドレスを着るのが普通なので、男性が着るようなブリーチズを履くエリカのことを女性だと思う者はいないと思っていたのだ。
 この村スビアコでもエリカがエリックとして暮らしていても女性だと見破る者が
いなかったのも、エリカの自信を助長させる原因となっていた。

「ただ、男物の服を着て男言葉を使っただけで、見破られないと思っているあたり
が危なっかしいんだ」ジンにそう言われてしまい返す言葉もないエリカ。

「……」

(ごもっともな言葉です。正論だよ、ジン)

「わかった。エヴァのところに行って教授してもらう」エリカはそう言ってヒラヒラと手を振り、カウンターを後にした。

 ◆ ◆ ◆

 エヴァの部屋を訪ねたエリカを迎えたのはヴィンセントに良く似たハンサムな壮
年の男性だった。

「えーと、どなたですか?」

 部屋を間違えたのか、それともまずい場面に出くわしてしまったのか……エヴァの部屋に夫のジン以外の男性がいるのは拙いんではないだろうか。
 その男性を見たまま大きな口を開けたまま固まるエリカを見て、目の前の男性が
声をあげて笑う。

「エリック、どうしたの固まっちゃって。私、エヴァよ」

 エヴァだという目の前の男性の言葉にやっと身動きするエリカだったが、あまり
にも目の前の男性が逞しく、女性の鏡のようなエヴァとのギャップに驚きを隠せない。

「エ、エヴァなの? 本当に?」そう聞くエリカにエヴァはもう爆笑だ。
「うふふふふ……こんなにだまされやすくて素直な子ね。面白い」

 この話し方はエヴァだ、とやっと確信に至るエリカ。

「エヴァさん? わぁ、びっくり。男の人にしか見えないよ」

 そう言うエリカにエヴァはにっこり笑って、のたまう。

「さぁ、なんでここに来させられたかわかっているわね?」

 なんとなく後ずさるエリカをエヴァはギュッと腕をつかまえる。

「逃げないの。エリック貴方を一人前の男にしてあげる」

 いやに色っぽいもの言いだが、男装しているエヴァに言われると、逆に引くとい
うか、危ない扉を開けてしまった気になるのは気のせいだろうか。

「凄く遠慮したいところだけど……。よろしくお願いします」

 しかたなくエヴァから教授を受けることとなったエリカは、エヴァの男装の技術
に舌を巻く。

「凄い! なにこの技」

 エヴァから一通りの技術を教えてもらい、その技を使って男装した自分の姿を見
たエリカは、鏡に映る姿に唖然とする。これなら誰も疑わないだろう。
 さすがに17歳の姿であるエリカには年相応の青年の姿になることはできなかっ
 たが、どうみても少年に見えることは間違いない。
 エリカの細い腰を隠すように、腰回りを覆うように特殊な布を巻きつけ魔法で固
定する。胸も押しつぶすように同じように特殊な布で固定する。
 野外生活で大分痩せたので、胸もお尻も小さく隠すのは簡単だった。
 その上からチラリと見えただけでは見破られないように幻影の魔法をかける。
 エヴァから毎日みっちりと魔法を仕込まれているエリカではあったが、幻術はと
ても複雑で、この講義だけで完全に自分でかけられるようになるのは無理だ
った。
 これから毎日エヴァの下この幻術をかけ男装するように言われた。とりあえず今
日はエヴァが魔法をかけてくれる。
 体系は少年のそれになったが、エリカの長い腰まである髪を見て、エヴァは首を
傾げる。

「その髪どうしようかしらね?この国では女性はみんな髪が長くて、男性は短くす
るのが一般的なの。貴方とっても綺麗な髪をしているから切るのはもったい
ないけど……」

 そういってエヴァはエリカの長い髪に手を触れる。

「切っちゃってもいいよ」

 エリカはそう言うが、エヴァはまだ迷っているようだった。

「私はとても強い幻影の魔法をかけることが出来るけど……貴方が入るのがあの魔
法騎士団だから、見破られないとも言いきれないのよね」

 うーんと迷っているエヴァを横目にエリカはざっくりと風の魔法で髪をそぎ落と
す。
 まだ、上手く魔法を操れないエリカの左頬には、薄らと血の滲んだ痕が残った。

「……!」なにもそこまで短く切らなくても……とエヴァはエリカの短くなった髪を見て顔をしかめた。
 エヴァはエリカの左頬に左手をかざし、古語で呪文を呟く。
 エリカが触ってみると、頬の傷跡はざらりとした瘡蓋になっていた。自然に剥が
れる頃には、傷は跡かたもなくなくなっているだろう。

「髪は伸びるからいいよ。僕としても女だってばれて男ばかりの騎士団で、トラブ
ルに巻き込まれても嫌だし」エリカはそう言うと、すっきりとした笑みをもらした。

「そう、その意気よエリック。でも、この髪はもったいないから鬘にしておくわ
ね」
 エヴァはそう言い、エリカの切り落とした髪を大事に木箱に入れてしまった。

「そしたら、もう行くね、エヴァ」エリカは完璧な男装にさらにだてメガネをかけ、リーラベルへと向かった。 

「いってきます!」そう言い元気に酒場を出たエリカは真っ直ぐ魔従キャロのみぃたんのいる飼育小屋へと向かう。

「みぃたん、ひさびさにコンパス以外にお出かけだよ」エリカはみぃたんに鞍を付けながら話しかける。

 鞍はファミエール家の魔従キャロに使用していたものだが、今はもう乗っていな
い魔従の鞍を譲り受けたのだ。鞍を着けると遠出でも楽に乗っていられる。

「みぃー」ひさびさに遠出と聞いてみぃたんも嬉しそうだ。

 ジンから預かったギルド依頼の小包を鞍につけたサイドバックの中にしまうと、
みぃたんを飼育小屋から外へと促し鞍に跨った。

「リーラベルへ出発!」
「みぃー」

 今いるスビアコ村からリーラベルの町まではバスティ山から下る一本道となって
いる。リーラベルまでは迷わず楽に行けそうだ。
 ギルド依頼は、ユベール商会のリーラベル店へ小包を届けるという内容だった。
 スビアコ村にもあるその店の看板は覚えているので、すぐに見つけられるだろ
う。一応、ユベール商会で買った地図も持って来てある。

「よしっ、ちゃっちゃと届けてリーラベル見物しようね」
「みぃー」

 エリカはみぃたんの背に乗って、リーラベルへと足を速めた。

 ◆ ◆ ◆

 スビアコ村の酒場の居住スペースの居間でジンとエヴァは何やら話しこんでい
る。酒場と商人ギルドの扉には、まだ準備中と文字が浮かんでいる。

「あいつ『月が二つあったから』ってなんで符牒を知ってるんだ?」
 
「ジン、貴方は時々あの子につらく当りすぎるわ……あの子はエリスとは関係ない
と思う。本当に何も知らないようだったわ。もしエリスから来ていたとして
も組織とは関係ないわよ、若すぎるからそれはほとんど不可能だわ。ジン、
貴方のことが心配なの。もう組織には潜入するのはやめましょう?」

 エヴァはジンに訴えかける。

「そうかもな……でも、もしかしたらと全て疑ってしまうんだ。あの子を、クリス
ティーヌを失ってしまってから、俺は誰かを信じることが怖くなってしまっ
た。エヴァやジャックまで失ってしまうのが怖いんだ。俺たちみたいな思い
をする人を少しでも減らしたい。そういう気持ちで始めた二重生活のはずだ
ったのに……エヴァ、お前にまで心配をかけてしまってすまない」

 ジンはそう言って項垂れた。
 エヴァはジンの頭を抱き寄せ、囁く。

「大丈夫よ。私たちはいなくなったりしない。それにクリスティーヌだってきっと
どこかで元気に暮らしているわ。そうでしょう? だって私たちの娘だもの」

 エヴァの胸の中でジンはふっと笑い、逆にエヴァを抱き寄せる。

「そうだな。きっといつかクリスティーヌを見つけ出して見せる。その為にもエリ
ックのことを信じて、協力してもらわないとな」

「そうよ。エリックはきっと私たちの希望になる。あの子には不思議な雰囲気があ
るもの」
 エヴァはそう言い、ジンの腕の中で幸せそうな笑みをもらした。

 ◆ ◆ ◆

 迷わずリーラベルまでたどり着いたエリカとみぃたんは、ユベール商会を探して
街中を彷徨う。こうしてみぃたんと歩いていると、後ろから急に声をかけられる。

「エリック、久しいのう。わしじゃ、ススじゃよ」

 振り向いたエリカの視界に入ったのは、以前メリーさんの牧場で魔従について色々教えてくれたススだった。

「ススさん! お久しぶりです。どうしたんですか? ススさんこの町に住んでい
るんですか?」

 矢継ぎ早に次々と質問をぶつけるエリカに苦笑して、ススは答える。

「いいや、今日は少し買い物があってなぁ。もう帰るところなんじゃがお主を見つ
けて声をかけたんじゃよ」

 ススには色々と聞きたいことがあるエリカは、ススに時間があるか尋ねようとす
るが、ススが遮るようにこう続ける。

「エリック。その魔従は珍しい毛色をしておるな。リーラベルはバスティ山脈から
麓で山道が交わる貿易の盛んな大きな町じゃ、そのような珍しい毛色の魔従
を連れていると何かと物騒事に巻き込まれることもあるじゃろう。幻影の魔
法をかけて一般的な茶色にすることを勧めるぞ」

 ススの言葉にエリカは、すぐに幻影の魔法をかける。上手くかけれたようだ。
 みぃたんの真っ白の毛色は薄い茶色へ変化した。
 少しまだらなのは目をつぶろう。

「おお、なかなか良い筋をしているのう。まぁ、ちょっとまだらなのは御愛嬌じゃ。それなら大丈夫じゃろう。魔従キャロよ、よい主を見つけたな」
「みぃー」

 ススはみぃたんの頭を撫でると上着の内ポケットから何かを取り出しみぃたんの
首へとかけた。

「これはお前さんへの贈り物じゃ。受け取ってくれないかのう」
「みぃー」

 みぃたんの首にかけられたソレは、なめし皮で作られた首輪に古語で書かれた呪
文が型押しされているものだった。

「これって……?」エリカが問うとススは教えてくれる。

「これは幻影の魔法を半永久的に留めるものじゃ。これを外さない限りは、この魔
従の魔法は解かれないだろう」
「ありがとうございます。どうしていつも色々親切にしてくれるんですか?」

 エリカはこの間もらった漆黒の貴石についてだってそうだ、と思いながら尋ね
る。

「わしは、長い時を彷徨って人を見る目はあるつもりじゃ。お前さんだから色々を
手をかしてやりたいと思えるのじゃよ。いずれゆっくり話をしよう。今はま
だその時じゃない」そう言うとススは笑い、人ごみへと消えて行った。

「行っちゃった。……不思議な人だなぁ」

 エリカはしばらく見えなくなった人ごみの中を見つめていたが、依頼の届け場所
のユベール商会を探すことにした。

「みぃたん、行こうっか?」
「みぃー」

 エリカと茶色の幻影をまとったみぃたんは町の雑踏の中に歩きだした。

 大通りをみぃたんの手綱を掴み進んでいくエリカは、リーラベルの魔従キャロの
乗り合い駅前まで来ていた。
 さすがは貿易の盛んなりーラベル、中心街から少し外れたこの場所でも凄い賑わ
いを見せている。むしろ整然と小綺麗な店の立ち並ぶ中心街よりも所狭しと露店がひしめくマーケットの方が、ガヤガヤと野次が飛びかい一層の賑わいを見せていた。
 初めて見る魔従キャロのクーペやコーチに興味深々なエリカとみぃたんは辺りを
見渡しながら、近づいて行く。馬車の魔従キャロ版か。

「おぉ、馬車みたい! みぃたん、お仲間だね?」
「みぃー」

 何しろ以前は森の中をひたすら彷徨い、野宿の日々だったし、小さなスビアコ村
しかこちらの世界に来てから知らないので、リーラベルの町は見たことのないものの連続で楽しく、驚きに満ちていた。

「坊主、そんなぁにキャロックが珍しいかぁ?」
 クーペの御者台にのるおじさんから声をかけられる。
「キャロック?」
 エリカは首を傾げる。
「ああ、お前田舎から出てきたばかりなんだなぁ? これだよ、おいらが乗ってる
やつだぁ」
 そう言い御者のおじさんは乗っているクーペを指差した。
「おじさんの乗ってるやつが、キャロックって言うんだね? 一つ勉強になった
よ。じゃあ、僕用事があるからもう行くね。ありがとう」
「みぃー」
 そう言うとエリカとみぃたんは乗り合い場を後にした。

 エリカはジャックのお古のショルダーバックからリーラベルの地図を出し、ユベ
ール商会の場所を調べる。
 スビアコに支店があったので看板はわかっているが、リーラベルのあまりの大き
さにやはりウロウロと歩き回っただけでは、見つけられなかったのだ。

「うーんと、ここはキャロック乗り場でいいのかな? マーケットもあるし。ユベ
ール商会は……と。あった! おお、良い場所に立ってるじゃん、中心街のロクビー通りにあるんだ。ここからだと……このマーケットを抜けて、左折して真っ直ぐね。よし、みぃたん行くよ?」
「みぃー」

 エリカとみぃたんは地図を広げながらユベール商会に向かう。
 なんとか若干迷いながらも無事ユベール商会にたどり着いたエリカは、みぃたん
を近くの酒場の飼育小屋に賃金を払って預け、小包を手に店に入って行った。

 カランカラン

「すいませーん。お届け物でーす」
 エリカは真っ直ぐ店の奥に進み、カウンターへ向かうと、若い女性の店主に声を
かけた。
「あら、ギルドの方ね。御苦労さま。はい、これは報酬の900パルよ」そう言って銀貨を18枚くれた。
「まいどー。確かに届けました!」

 依頼が終わってユベール商会を後にするとエリカはみぃたんを預けている酒場の
飼育小屋へと向かった。

「みぃたん、終わったよ! 今、酒場のカウンターでご飯買ってくるから待っててね」
「みぃー」

 エリカは酒場のカウンターへと向かうとキャロ用の餌を買い求め、みぃたんの元
へと戻る。

「はい、これ。食べてね?」
「みぃー」

 みぃたんはおいしそうにパキーナの実を食べ始めた。

「帰ったらネズーラもあげるからね?」
「みぃー」

 嬉しそうに目を細めるみぃたんを飼育小屋に残し、エリカも食事をしに酒場へと
戻った。

「すいませーん、本日のお勧めおつまみの盛り合わせと、シャルトリューズ下さい」

 実は今日のエリカの楽しみの一つに酒場で酒盛りをすることが含まれていたのだ。
 いつもファミエール家の経営する酒場で居候させてもらっているエリカだった
が、17歳位に若返ってしまったのに加え、さらには男装をすることになったので、年端の行かない少年に見えてしまうので、酒場で飲ませて貰えなかったのだ。
 実年齢は27歳と日本でもこのハウメアでも18歳の成人を迎えており、酒を飲
むことに何の問題もなったが、偽りの身分では、スビアコのあの酒場では堂々とこんな風には飲めなかった。

「あぁ、幸せー。ハウメアのお酒ってすっごく興味があったんだよねぇ」

 大の酒好きのエリカには堪らないひとときだ。

「旨そうに飲むな。君はハウメアのお酒は初めてなのか?」
 ちょっとホロ酔いのエリカに、若い男の声が尋ねる。

 声の方を向いたエリカの視線の先には、ストールを頭から首に廻し掛けている旅
人風の男性が映る。
 ストールで髪は隠れているが、綺麗な碧の瞳が印象的な整った顔をしている若い
男性だった。

「ああ、こんなにおいしいお酒は初めてかも。僕はお酒大好きなんだけど、地元じゃああんまり飲ませてもらえなくてね」

 男性の目が鋭くなるが、ホロ酔いのエリカには気付かない。

「隣良いかな?」そう言うと男性はエリカの隣へ座った。

「まだ、どうぞって言ってないけど。まぁいいですよ、一緒に飲みましょう」

 酒のせいで何時もよりも陽気になっているエリカは隣の男性にも酒を勧める。

「かんぱーい」
「……楽しそうだな。俺も飲むか。乾杯」

 こうしてエリカと旅人の酒盛りは始まった。

「これでも僕27歳なんですけどねぇ。何か変な石に触ったら17歳位になっちゃ
ったんですよ。聞いてます?」
「ああ、聞いているが、お前もうそろそろ飲むのやめた方がいいんじゃないのか?」
「何いってるんですかぁ。夜はこれからですよ。前は朝までだって飲んでたんだ
から、この位平気です。全然平気……野宿生活と居候生活で酒断ちしてて肝臓なんて元気なものですよ。マスターお代わり!」
「とんだ酒乱につかまっちまったな。まぁ、最後まで付き合うか。店主、俺にもシャトルリューズをもう一本貰おうか」

 酒場の店主は苦笑しながら、酒を出す。気がつけば、客はエリカたちの他にパラ
パラといるだけになってしまっていた。

「で、あんたはリーラベルに何の用で来てるの? 見たところ旅人みたいだけど」
「俺は、ちょっとした観光さ」

 ふーんと、エリカは男の答えに満足していない様子だったが、酒盛り中なのであ
まり気にしていない。

「じゃあ、お前は何してるだよ。この町に住んでるのか?」
「ああ、僕はギルドの依頼で届け物をしに来たついでにリーラベル見物とちょっと
飲みに寄っただけだよ」

 エリカの答えに男は怪訝な顔をする。

「ちょっと飲みに来ただけって、こんなに飲んでちょっととか、お前の酒の強さど
うなってるんだよ」
「えへへ。ちょっとだけ飲んだくれかな?」

 エリカが笑ってごまかすと、男はハァーっと大きなため息をつき首を振る。

「こいつは関係なさそうだな。ただの不思議なやつか」
「ちょっと何ぃー? なんか悪口言ったね、僕のこと」
「何でもない、こっちの話しだ。まぁ、飲もう。乾杯」

(何か誤魔化された気がするが、気のせいか?)

 エリカはまぁいっかと乾杯をする。
 こうして二人の酒盛りは延々と続き、夜は更けていった。

 ◆ ◆ ◆

 チュンチュンチュン
 外で鳥のさえずりが聞こえる。

「んー、頭痛い……へ?」

 そう言い目を覚ましたエリカの横には金髪の髪の毛が煌めいている。何故か見知
らぬ男性の腕の中で目を覚ましたエリカは、状況が理解できなく口をパクパクとさせている。

「キャー!」

 一呼吸置いてからエリカが叫ぶと、もぞもぞと金髪の頭が動いた。

「あ、大声出すな。……頭が割れそうだ」
「なんで、なんで一緒に寝てるの? あんた誰?」

 パニックになっているエリカに見知らぬ男はベット脇に落ちていたストールを被
って見せると、昨日一緒に飲んでいた男性だった。

「あんた、そっちの趣味の人だったんだ。僕を無理やりベットに連れ込むなんてっ」
「……おい、誤解だ。あいにく俺は女好きだ。それに酔いつぶれたお前を運んでき
て俺の宿に泊めてやったんだぞ。文句は言うな。ソファに寝かしていたのにベットに入って来たのはお前だろ。ったく困った野郎だ」
「……え、あ、大変申し訳ありませんでした。あの、他に粗相はありませんでした……か?」

 恐る恐る尋ねるエリカにショルダーバックを指差して言う。

「お前の分の代金は、勝手に鞄の中の財布から払っておいた。確かめとけよ」
「す、すいません……」

 久しぶりのお酒にちょっと飲みすぎてしまったみたいだ。

「はぁ、まぁ昨日は楽しかったから、あんまり気にするな。俺は二日酔いだからま
だ寝る。お前もソファで少し寝て行けば?」

 そう言う言葉に甘えてエリカは少しソファで寝て行くことにした。飲酒運転はい
かんよね、魔従キャロに乗るのでも。

「あの、こんなにお世話になっておきながら、自己紹介がまだでした。僕はエリッ
ク・カスティリオーニと申します」
「……カスティリオーニ?」

 不思議そうな表情でエリカの瞳を覗き込むと、ふっと笑う。

「エリック。どうやらお前とは縁があるらしい。俺はウィル・アークライトだ。よ
ろしく、エリック」ウィルはそう言うと、にやりと笑った。

 昨日酒場で出会い酒盛りを一緒にした相手、そして酔っぱらってそのまま一泊
お世話になったウィル・アークライトの泊まっている宿屋にて、正座してエリック・カスティリオーニだと自己紹介した佳月エリカは、『縁があるらしいな』とのウィルの言葉に、意味がわからず、うーんと首を捻っている。

「縁があるって……どうゆうこと?」

 わからず聞いたエリカに、ウィルは澄ました顔で、こう言う。

「秘密」クスっと笑い、誤魔化されてしまう。

「はぁ?」
 ムッとしたエリカは、ベットで布団を被っているいるウィルに向かって渾身の飛
び蹴りをかまそうとするが、軽く躱されてしまい、不発に終わった。

「おい、エリックいきなり蹴るなよ」
「ウィルが秘密とか言うからムカついたんだよっ」
「まぁ、そのうち会うんじゃねぇ? お前がスティリオーニ家の人間ならな」そう言ってウィルは蹴りを外されベットで伸びているエリカの髪をガシガシと撫
でる。

「やめろよ! 僕はこれでもウィルよりも年上の27歳だぞ。……いや、17歳だぞ」

 昨日『本当は27歳なんだ』とウィルに言ったこともすっかり記憶を酒で飛ばし、ジンたちから『見た目通り17歳ということにしておけ』と言われた通りの
設定、17歳と言いなおす。
 どうみてもウィルは17歳の姿のエリカよりも年上に見えたが、思わず27歳の
感覚で言ってしまったのだ。

「はぁ? お前17歳だろ。何言ってるんだ。俺はそんなにガキじゃないぞ。もう
23歳だし」
「……はははは。ごめん。ウィル若く見えるね」

(4歳も年下か。まぁ、この姿なら年上なんだけど)

 実年齢で考えて言ってしまった発言を笑って誤魔化すエリカにウィルは「変な奴
だなぁ」と言ってまたガシガシと髪をぐちゃぐちゃに撫でまわす。

「やめろー! ウィル」
 エリカはウィルの堅い筋肉に覆われた腹を押して逃れようとする。

「はは、だって弟が出来たみたいでなんか構いたくなるんだよ。お前見てると」

 エリカは年上で女の自分が弟かよ……と複雑な気分で深いため息をつく。

「弟じゃないし」
 そう言い拗ねるエリカにウィルはしょうがないなぁ、とベットの上の布団をかぶ
せ自分はソファへと移る。

「拗ねるなよ、エリック。まぁ、まだ二日酔いだろ? ベットは友達になった記念
に譲ってやるからもう少し寝てろよ。俺も寝る。ふぁ、ねみぃ」

 エリカは友達という言葉にピクっとベットの中で反応し、にこっと微笑んだ。こ
の世界に来てから初めての同世代の人間の友達ができたことが物凄く嬉しかった。

「ありがとう」
 笑顔でそう呟いたエリカを見てウィルは顔を逸らしてソファの毛布に潜りこんだ。

「……俺、何ドキっとしてるんだ。相手は男だぞ……」
「何か言った?」
「な、何でもねぇよ。おやすみ!」
「おやすみぃ」

 ◆ ◆ ◆

 ハッと目を覚ましたエリカは腕時計を見る。

(7時43分。あれから3時間程寝たのか)

 ソファでまだ寝ているウィルを起こさぬよう、そうっと帰る準備をする。
 少し寝たことで、さっきよりも酒でボーっとしていた頭も働くようになる。冷静
になると、酒場の飼育小屋で待っているみぃたんのことも気になってきたし何よりスビアコの酒場の家にいるジン達に何の連絡もせずに無断外泊をして
しまったことに今更ながら気付き、早く帰らなければ、と焦ってしまう。

(この世界って携帯とかないからこんな風に予定外の行動をしちゃいけなったん
だ。連絡の取りようがないから、きっと心配してるよね……)

 エリカは鞄に入れていたスケジュール帳の後ろの方の紙を破り、ボールペンでス
ラスラとヴァレンディア語で書き置きを書く。

 ウィル
 
 ありがとう。
 僕は、もう帰ります。
 もうすぐこの町の学究院へ通う予定なので
 また、会えたらいいな。
                エリック

 ベット横のナイトテーブルに書き置きを置き、そうっと部屋を出た。
 宿から出ると、幸いなことに酒場はすぐ近くに在ってすぐ見つけられた。
 隣の飼育小屋へ真っ直ぐ向かうとみぃたんが丸くなって眠っていた。エリカはそ
っとみぃたんの背をトントンと叩き、みぃたんを起こす。

「みぃたん、ごめんね? こんなに待たせちゃって……帰ったらネズーラとパキー
ナの実とかみぃたんの好物いっぱい用意するね」
「みぃ」少し恨めしそうな声で、でも身体をエリカへ摺り寄せてくる。

「帰ろうか。きっとジン達、心配してるよ。怒ってるよね……あたしって勝手だ。
居候の身なのにこんなんじゃ駄目だね」
「みぃー」

 飼育小屋の入口で、飼育員さんに追加の預かり賃を払い、エリカとみぃたんは外
に出た。
 宿の近くの中心街の店はまだ開いてなく、人通りも少ない。リーラベルの外れに
行こうと、マーケットの方を抜けようとすると、そちらは朝から活気に満ちていた。

「今度、学校が始まったら、マーケットも覗いてみようね?」
「みぃー」

 マーケットを抜け、郊外に出たエリカは、みぃたんの手綱から手を離し、鞍へ跨
る。

「お願いね? みぃたん」
「みぃー」

 みぃたんに乗ったエリカはスビアコの酒場へと急いだ。

 リーラベルからの山道を駈け登りスビアコへと帰って来たエリカが、みぃたんを
連れ、飼育小屋に入って行くと、僅かな時も経たずに閉じられた扉が開く。
 扉の前には、強張った顔のジンが立っていた。

「あ……ジン>、ごめんなさい。無断外泊して。私、身勝手な行動だったって反省してます。こんなにお世話になっているのに迷惑かけて本当にすみませんでし
た!」

 ガバっと頭を下げる。気が動転していつも注意される女言葉になってしまう。

「何してたんだっ! 帰ってこないから如何したのかと思って心配してたんだ
ぞ!」
「ごめんなさい……酒場でつい飲みすぎて、寝てしまって……」

 ジンはハァと深いため息をついて「無事で良かった」と寂しげな微笑を浮かべた。

「本当にごめんなさい」
「エヴァも心配してる。早く家に入って顔を見せてやれ」そう言うとジンは先に母屋の方へと向かった。

「……はい」

(ジンには物凄く怒られると思ったのに……意外と優しい。だからこそ凄く心配か
けたことが分かってしまった。逆に思いっきり怒ってくれた方が私の気は晴れたかも……)

「もう心配かけないようにしなきゃ……ね」

 そう独り言ちて、エリカも母屋の方へと向かった。
 酒場の母屋に入っていくと、エリカはエヴァに抱き竦められた。

「心配したのよ。どうして、いなくなったの。何処にいたの。どうして、どうし
て、どうして……」
 そう言うとエヴァはそのまま泣き崩れてしまった。

 エリカは床に座り込んでしまったエヴァに跪き、そっとエヴァの右手を取りギュ
ッと握る。

「ごめんなさい、心配かけて。何も考えずに身勝手に飲み潰れていました……エヴァ? 泣かないで……もうこんな風に予定外の行動を取るのは慎むから、心配かけないようにするから」
「貴方までいなくなったかと思った。もうあんな思いはしたくないの。心配かけな
いで……エリック」
 エリカが握っている手の上にエヴァは左手をそっと重ねた。
「クリスティーヌのようにいなくなったりしないで」
 深い悲しみの溢れる菫色の瞳でエリカを真っ直ぐ見つめ、涙で擦れた声で、そう
言った。

 部屋の壁を背に立ち二人の様子を見守っていたジンがこちらに近づいてくる。エ
ヴァを支え立たせると、腰を抱いて2階へとエスコートしていく。

「エヴァが落ち着いたら戻ってくる。それまで食卓にある朝食を食べてろ。まだ何
も食べていないんだろう?」
「はい。エヴァ、ごめんね」

 食卓にはエリカの分の朝食が用意されていた。
 様々な果物をダイスに切り、ふわふわのほんのり甘いチーズ味のクリームが乗っ
ているそれは、ハウメアでエリカが好きな料理の一つだった。
 クコ茶をカップに注ぐと独りテーブルで食事を摂る。
 しばらくするとジンがエヴァを伴って階段から下りてきた。

「ごめんなさい。取り乱してしまって」
「謝らないで。悪いのは僕だから」

 お互いに人心地がつき、エヴァもエリカも冷静さを取り戻していた。
 談話室へ移り、三人はソファに腰を落ち着ける。

「クリスティーヌは俺たちの娘なんだ……」

 ジンはエヴァの背に腕をまわしたままそう言い、彼らの娘クリスティーヌのこと
を語り始めた。

「クリスティーヌは、15年前、飛鉱艇に乗ったまま消えてしまったんだ」
「飛鉱艇って、もしかして毎朝あのコンパスの近くを飛ぶあの……?」

 この世界ハウメアでは飛鉱艇と呼ばれる、魔力を込めた鉱石、魔鉱を浮力として
いる飛行艇がある。
 ジンの日課であり、今はエリカがその役目を課題と称して行っている飛鉱艇の航
空進路を遺跡コンパスから逸らす役目を始めたのは、その飛鉱艇の忽然の消失がきっかけではなかったか――?

「そう、あの日、クリスティーヌはジャックと共に隣国に住んでいる祖父母たちを
訪問する為に、飛鉱艇に乗ったんだ……」




 ――まだ俺達がヴァレンディア王国の王都に暮らしていた頃、俺は魔法騎士団で団
長として王国に仕えていたが、エヴァはジャックとクリスティーヌの双子を身ごもってからは、今まで勤めていた学術院の副校長職を辞して家に入った。

 毎年、隣国の俺の実家にいる両親を家族で訪ねることが、建国記念長期休暇の恒
例だった。
 まだ、ジャックやクリスティーヌがエヴァのお腹の中にいた時から家族全員で行
っていたのだが、その年はエヴァが3人目を身ごもっていて、しかも丁度つわりが辛い時期だったこともあって、大事を取って俺とエヴァは残ることにしたんだ。
 始めは家族全員、今年は行かないと決めたが、クリスティーヌがどうしても祖父
母に会いに行きたいと泣いて訴えるので、毎年行っているし、俺の両親も空港に迎えに来ることを快諾してくれたこともあって、ジャックと二人で行かせることになった。
 エヴァを家に残して、飛鉱艇の艇着場へ二人を送って行き、飛鉱艇を見送った俺
の前に、クリスティーヌと一緒に飛鉱艇に乗ったはずのジャックが、ヒョッコリ現れた。

『ジャック! どうしてここにいるんだ。もう飛鉱艇は離陸しただろう。クリス
ティーヌは何処だ?』

 もう飛び立った飛鉱艇に乗っているはずのジャックが独り戻って来たのだ。クリ
スティーヌの姿は見えない。

『クリスはちゃんと乗ってるよ、ヒコーテーに。僕、ママが心配だったんだもん!』

 ジャックはエヴァの具合が悪いことを心配して、一人飛鉱艇を降りてしまったら
しい。
 ママッ子のジャックは体調の優れないエヴァの様子が気懸りで、どうしても離れ
られないとギリギリになってから降艇し、クリスティーヌはワタシは大丈夫と、送り出してくれたのが、ことの顛末だった。

『本当に困った子供たちだ』

 ジンとエヴァはそんな二人の子供たちのことを笑って、クリスティーヌの飛鉱艇
が無事、隣国に着くことを願った。 

「――だが、クリスティーヌの乗った飛鉱艇は祖父母の元に着くことはなかった。バ
スティ山脈の辺りで艇ごと忽然と消えてしまったと、色々と調べていくうちにわかったんだ」
「それでこのスビアコ村に移って来たの?」

 エリカが尋ねると、ジンは「ああ、そうだ」と答える。

「それから王都の魔法騎士団の団長職を副団長だったヴィンスに引き継ぎ、副団長
には俺の従騎士だった男をつけた。俺は飛鉱艇失踪のことを調べるうちにディ
スノミア財団という組織の存在に行き当たったんだ」
「ディスノミア財団……それって?」
「エリスとハウメアの再統合を目的としている組織だ」

(……エリスとハウメアの再統合? 2つの星の統合って、そんなこと可能なの
か。それに再統合と言うからには昔は統合されていた……ということなのか?)

「……そのディスノミア財団と飛鉱艇の消失にどんな関係が?」話がまだ見えないエリカはジンに結論を促す。

「それは……まだはっきりとはわからないんだ。あれから俺は密かに組織の会員と
して入り込んだが、有力者の多いディスノミア財団でそれなりの重大な秘密を握る地位を手に入れるにはまだまだ年季が足りないらしい。あと一歩で手が届きそうなんだが、なかなか尻尾を掴ませてもらえなくてな」

 ジンはそう言うとエリカの目を真っ直ぐ見つめてこう言う。

「だから、お前の協力が必要なんだ。クリスティーヌを見つけたいのもあるが、今
は財団の目的も俺としては気に入らないし、エリスの隠れ里にいる一部のエリス人たちもそれは望んでいない。俺は独自に作った防人の代表としてお前に協力を頼みたい。引き受けてくれないか?」

 何に協力すればいいのだろう。あまりにも複雑で、難解な問題にエリカが協力し
て何か役立つことなどあるのだろうか?なぜエリカなのか、それがどうしてもわからない。

「なぜ、僕なんです?僕は何も特別な力などないし、この世界ハウメア、そしてエ
リスのことも何一つわからないちっぽけな唯の異世界からの迷い人です。僕に頼む訳を教えてください」

 エリカはずっと疑問に思っていたことをきり出す。

「それはお前がその貴石の持ち主だからだ」

 そう言ってジンはエリカの胸元を指差す。服の下に見えないようにかけている大
きな紫水晶の貴石がその位置にはあった。

「……この貴石は、なんなんですか?」

 エリカは見えるように貴石を胸元から出すと、ジンと横に並ぶエヴァの方をしっ
かりと見据え、質問する。

「たぶんそれは、俺たちの知っている貴石とは少し違う。きっとハウメリスの時代
に作られたものだろう。もう現存する古代遺物はほとんどないと聞いていたが、まさかお前がそれを持っているなんて……」

「コレが古代遺物……」

 エリカはアメジストのペンダントを握りしめる。 

「私も驚いたわ。まさか伝説の時代の遺物が存在するなんて……」

 エヴァはエリカのかけている紫色に輝く貴石にそっと手を伸ばし触れ、さっと手
を離す。

「伝説の時代って、さっき言ってたハウメリスの時代?」
「そうよ。ハウメリスは古い伝承で伝えられているのだけど、誰もその存在を証明
できてはいないの。だから伝説だって思われているのよ」

 エリカの貴石が確かに古代の遺物であるのなら、それは唯の伝承ではなく実際に
あったのだということか? 

「俺はハウメリスはあったと確信してる。ディスノミア財団の連中もそうだ。エリ
スの民にあった者ならそう思うだろう。ちょっといいか?」

 そう言うと、ジンはエリカの首からペンダントを外した。
 何やら貴石をじっと調べているようだ。

「――――――――?」

 ジンが話しているが、何を言っているのか全く理解できない。

「何を言ってるのかわからないよ、ジン」

 エリカはそう訴えるが、ジン達にもそれは同じらしいことが窺がい知れた。

「――――」

 ジンが何か言いながらペンダントを返すと、エリカは首にひっかける。

「言葉わかるか?」
「今はわかるよ」

 ジンはやっぱりなと、納得している。

「やっぱりそれは古代遺物か……もしくは……否、それを知るにはやっぱりあそこ
に行くしかないな……」

 ジンの言葉を聞いていたエヴァはうーんと考え込んでいる。

「エリックにあそこに行けるかしら? だって、ちょっと特殊な方法でしか行けな
いじゃない」

 二人の会話を聞いていたエリカは、なんだか厄介事の予感をうすうす感じながら
尋ねる。

「何その特殊な方法でしか行けない場所って?」

「月が二つあったから」ジンとエヴァは同時にその言葉を発する。

「え?」答えになっていないことを返され、しばらく頭がフリーズする。

「月が二つあったから? それって何か意味があるの?」

 エリカがそう言うと、ふーっとため息を吐いてジンが苦笑する。

「やっぱりその意味知らないで言っていたんだな」
「何?」

 訳がわからない。その言葉は確か以前エリカが言った言葉だった。でも、それは
この世界が異世界だと気付いたのは『月が二つあった』のを見たから、だから確信した、という意味で言ったまでのことだ。あの時、ジンが嫌に怒った様子で『エリスから来たのか!』と言ったいたのはこの言葉を発した時だったか――?

「お前が秘密の符牒を知っているのは、偶然か、それとも必然か……俺はお前にジ
ーナに行ってもらいたいと思っている」
「ジーナって……?」初めて聞く地名だ。

「エリスの民の隠れ里だ」

 ――エリスか。どうしてもエリカはエリスとハウメアを廻る件の渦中に巻き込まれ
てしまう運命らしい。イーシュ川でこの貴石を拾ったのが始まりか。
 エリカはハァーとため息を吐くとこう言った。

「で、そのジーナにはどうやって行ったらいいの?」

 エリカの質問にエヴァはどうしたものかとジンを窺い見る。確か特殊な方法でし
かさっきエヴァは言っていたような……まさか凄く厄介な方法か?
 エヴァのそんな様子を見て、エリカは不安になる。

「うーんと、今はまだ行けないと思うの。これからその準備をしなければならない
わね」
「……準備?」
「ええ、準備。エリック、貴方にはドラゴンを魔従化してもらうわよ」

 ……何かの冗談だろうか?

「今、ドラゴンって聞こえたような……」

 エリカの弱々しい声を聞いてジンは少し心配そうな顔をしている。

「今すぐに行けということじゃないから安心しろ。他にも方法がないわけじゃない
んだ」
 ジンの言葉にエリカは顔色を取り戻した。是非その他の方法とやらでお願いした
い。
「他のやつでお願いします」

 きっぱりとエリカは宣言した。

「まぁ、しょうがないわね……異世界人だという貴方にここまでやってもらうのは
申し訳ないのだけど、きっと貴方が喚ばれたのにもエリスは関わっていると思うから、全くの無関係ではないと思うのよ。何の方法であれ、貴方にはジーナに行ってもらうわね」

 エヴァの言葉で、思いも寄らなかったことに気づく。

(私の召喚にはエリスが関わっている……?)

 召喚されたことに怒りや不満はないが、なぜエリカだったのかそれが知りたいと
思った。
 丁度仕事も辞めようとしていたし、先立つものさえあったなら、ワーキングホリ
デーでもして人生の休憩をしたいと思っていたエリカは異世界召喚に異存はない。海外留学よりももっと遠い異世界留学に来たと思えばいいだけだ。

「そうだね。この世界に来たのにエリスが関わっているかもしれないなら、僕はも
う被害者ってやつだ。全然恨みはないけど、理由は知りたいからジーナに行くよ。そこで何かわかるんでしょう?」

 エリカの言葉に二人は笑顔になる。
 それもそうだ、二人はクリスティーヌという娘を失くしているのだ……もしかし
たらエリスへと?
 エリカはジンとエヴァの助けになりたいと願う。家族を取り戻したいと思う人に
協力したいと思うのは人として当然のことだろう。そう思っていた。この時は。



[26673] 10 コーワン学究院
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:05
 大分ハウメアでの生活に慣れてきたエリカは、今日からリーラベルの学究院へ通うことになった。
 ハウメアの常識が全くないエリカの為に、一般教養や広く知られている歴史を学ぶためだ。魔法や武術はエヴァとジンから教えてもらっているので、学究院は定時制、パートタイムと言おうか、必要な授業だけを選択して短期で修了するというかたちのコースを選んだ。
 リーラベルのクレアモント通りを進み、街中よりも少し郊外に出たところにコーワン学究院はあった。 白いレンガ造りの大きな古めかしい教会のような建物が、中庭や校庭の緑々とした芝生に映えて、とても美しい学校だ。
「ここがコーワン学究院か」
 エリカはみぃたんを学校の飼育小屋に預け、レセプションルームへと入っていく。
「あの、今日からここで勉強することになっているエリック・カスティリオーニですが……」
 受付の女性に話しかける。
「エリック、エリック、エリック……。ああ、ル・カスティリオーニね。この羊皮紙に記入を。書き終わったら、突き当たりの部屋へ行ってね。学力試験を行います」 
「わかりました」
 エリカは言われた通りに羊皮紙に名前や住所、年齢などを記入していく。
 試験が行われる部屋へ行くと、少し年齢に幅があるのか10代前半から後半位の人まで様々いる。ハウメアの教育はどのような仕組みになっているのだろう?
 エヴァに少し尋ねたことがあるが、このヴァレンディア王国では学校で学ぶ人や、家庭教師をつけて家で学ぶ人など様々らしい。途中から家庭教師を辞め学校へ通う人や、その逆もあるようなので、学校に途中から入る人には、学力試験をしてクラス分けをするのが一般的らしい。
 だから年齢とか関係ないんだな、と一人納得するエリカは、前に座っている少しだけ年上らしく見える人物によって思考を遮られた。
「なぁ、俺学校に通うのはじめてなんだ。俺はモーリー・ビンデバルト。よろしくな」
「エリック・カスティリオーニだ。こちらこそよろしくな」
 そう言って二人は握手を交わした。
 しばらくモーリーと話していたが、先生らしい恰幅のいいおばさんが入って来る。
「はい、今日からここで学ばれる新期生の皆さん、全日制の人も、選択制の人も、今日は同じ試験をしていただきます。羊皮紙を配るので、始めてください」
 そう言うと一斉に皆の机の上に羊皮紙が現れた。魔法だ。
 羊皮紙には国語であるヴァレンディア語、数学、古語、生物学、薬学、歴史の問題が並んでいた。
(うーん、国語、数学、古語まではなんとかなるかもしれない。問題は後の三つだ。……歴史に関しては全くわからない)
 エリカの持っている貴石は、故人の能力――言葉や、魔法に関しては助けになるが、知識などは与えてはくれない。まぁ、ヴァレンディア語や古語もわかるのはとても有り難いが……。
 出来るところだけでもやろうと、エリカは問題を解いていった。
 数学は、この世界の数学は遅れているのか、理数系の苦手なエリカにも解ける問題ばかりだった。一応文系だが、二回も大学に通っていた身だ。出来なくてはおかしいが……。
 生物学も意外と出来たことに驚いた。魔従キャロやドラゴン、魔物についての問題はさっぱりだったが、しかし地球と共通の生物や植物もたくさんあることがわかった。ファンタジー小説などに出てくる魔物やマンドレイクなどの植物も存在することを知って、驚愕を隠せなかった。エリカの知っている架空のファンタジーの産物がその通りの設定であればいいのだが……。そうすれば、生物もなんとかなるかもしれない。
 薬学は若干知っているハーブの用法を除いては全滅だった。これはこれから覚えていかなくては。
 歴史は……これは説明するまでもないだろう。全滅だ。白紙のまま提出した。
 ようやく試験が終わったエリカは、羊皮紙を魔法で提出して席を立つ。
 中庭に出ると、先に終わっていたモーリーがエリカの姿を見つけ駆け寄って来る。
「試験どうだった?」
 そう尋ねるモーリーにエリカはにやりと笑う。
「国語と古語、数学はたぶん大丈夫だと思う。生物は微妙かな。薬学と歴史はお手上げだ」
「はぁ、俺は古語がさっぱりだった。昔から苦手なんだ。だから魔法も苦手で……。昨日の魔法の試験は散々だったよ。エリック、昨日はいなかったみたいだけど君は選択制なの?」
「そう、僕、選択制なんだ。魔法や武術は家庭教師に習ってる」
「俺は、ずっと家庭教師に習ってきたんだけど、あまりにも魔法が上達しないからって、学究院に通うことになったんだ」
 エリカとモーリーが話していると、中庭に続々と生徒が出てくる。どうやら試験が終わったらしい。
 試験の結果、クラス分けをするが、発表は明日になるらしい。今日はこのまま解散だ。
「なぁ、この後どうするんだ? 何も予定がないなら帰りに俺んち寄っていかないか?」
 そういうモーリーの誘いにエリカは無断外泊したこの間のように予定外に帰りが遅くなるのは避けようと思い、渋々断った。
「僕んちスビアコ村なんだ。ちょっと遠いから、家族に言ってからじゃないと寄り道あんまり出来ないんだ。また誘ってよ」
「そっかー。残念だけど、スビアコなら遠いから連絡なかなか取れないもんな。また誘うよ」
 モーリーと別れたエリカは、飼育小屋にみぃたんを迎えに行く。
「帰るよ」
「みぃー」
 そう言えば、ウィルはいるだろうか? と思い、少しだけリーラベルの酒場に寄ってみることにした。
 酒場にはいないようだ。まぁ、旅をしているようだったから、もうどこかに旅立ったのかもしれない。 酒場に併設してある商人ギルドの掲示板を少し見てみようと近づいていくと、エリカに宛てられたと思われるメモが貼ってあった。
 
 飲んだくれのエリックへ
 休暇が終わったから王都に戻る。
 来月の建国記念長期休暇にまた
 この町に来る予定だ。
 その時はまた飲もう。
         ウィル

「……来月、長期休暇があるんだ。ジンたちに聞いて何も予定がなかったら来てみよう」
 そう呟くとエリカは、そのメモを引っ張り鞄に突っ込んだ。



[26673] 11 依頼
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:04
 リーラベルからバスティ山脈を抜ける洞門を通り、スワンボーン、アルヴィナ湖、ベルジュを越えると長閑な田園風景は終わりを告げ、貴族たちの格式高い優美な住宅が見え始める。王都の玄関だ。
 王都バリュスの郊外には、ハイゲートと呼ばれる高級住宅地がある。
 ヴァレンディア王国の貴族たちは、ハイゲートに屋敷を構え、また王都の中心にある王宮へと続く12本の放射線状に広がる大通り沿いに別邸を持つことが、ある種の身分証明となっていた。
 特に王都を貫くアルムフェルト川畔と並行する大通り沿いは非常に人気があり、そこに居を構えられるのは、一部の特権階級か王立の施設だけだ。
 12本の大通りを網目状に結ぶ雑多なバイパスや裏通りは、メインストリートとは違った趣がある。
 上品な大通りの邸宅や美術館や図書館、劇場や百貨店などが立ち並ぶ表参道にはない雑多な町並みや、庶民の雰囲気が裏通りにはあり、12の表参道、多くの裏道、バイパス、が交差する対照的な多様な通りが混在する町並みは王都の魅力となっていた。
 外側西部にはセンヌの森、外側東部にはローニュの森が広がり、大都会ながらも自然と調和している姿はハウメアでも、ヴァレンディアの美しい王都バリュスは一見の価値あり、と名を馳せていた。
 そんな王都バリュスの中でも一層優美な魅力を湛える王城アルバニーの魔法騎士の館の一室に、ウィル・アークライトがベッドに腰掛け、紙切れをじっと眺めている。
 エリカの書き置きだ。
「エリック・カスティリオーニ……か」そう独り言つ。
 
「ウィル! 団長が呼んでるぞ。何やらかしたんだ、お前?」
 騎士団員だと思われる男性が部屋の戸を半開けし、顔を突き出す。
「何だろうなぁ。俺は何もやらかしてないと思うが……休暇で王都を離れてたし。まぁ、行ってみるよ。団長の部屋でいいのか?」
「あぁ。早くしろよ。団長がお待ちかねだぞ」
 
「失礼します。俺をお呼びとか?」
「ウィル。入ってくれ」
 執務室の奥にある大きな木製の重厚な机の前までウィルが入って行くと、ヴィンセント団長が黒の革張りの肘掛椅子に腰かけ、羊皮紙の束を置き、視線を上げた。
「まぁ、掛けろ」
 ウィルは向かいの椅子に腰を下ろす。
「それで俺に何の用です?」
「頼まれて欲しいことがある。副団長にお前を推薦したい」
「は?! 何かの冗談でしょう? 俺はまだまだ経験も足りないし、もっと他に相応しい人がいる……それに副団長が戻ってくるかもしれないじゃないですか?」
「お前はそう言うだろうと分かっていたよ。だから、今すぐとは言わない。少し考えてみてくれ。あともう一つやってもらいたいことがある。これは頼みじゃなく、命令だ……」
 ウィルは大きくため息を吐く。
「命令? また碌でもないことじゃないでしょうね」
 椅子の肘掛を人差し指でトントンと叩きながら顔を顰める。
「まぁ、そう言うな。ちょっと私的なことなんだが、息子が来年ここに入団することになってな。お前にあいつの支援をしてもらいたいんだ」
「新人の御守ですか。それも貴方の息子だなんて。初耳ですね。いつご結婚を? たしか団長は独り身だったはずでは?」
 ウィルの応酬にヴィンセントは苦笑いをして、中指の指輪を右手で弄ぶ。
「最近できた息子だ。養子をとったんだ」
「はぁ、何かきな臭いですね……で、支援って具体的に俺は何をするんですか?」
「用意が出来次第、お前にはリーラベルへ行ってもらう。ただし、陸路で」
「陸路?! どれだけ時間がかかると思ってるんですか? 今は便利な飛鉱艇があるのに」
 ヴィンセントは皺になった眉間を右手で揉みながら、左手で羊皮紙を机上を滑らせウィルの方へ押し出した。
「何ですか、これ?」
 ウィルは羊皮紙を手に取ると、ざっと目を通して突き返す。
「副団長の実地試験内容だ」
「……結局もう、決定事項なんですね」
「そうだ」
「その実地試験が団長の御子息を陸路で迎えに行くことだと? なぜ、陸路なんですか」
「……言う必要のないことだ。ただ、息子は世間知らずだから、色々経験させたいと思ってな。それにお前も言ってたじゃないか、経験不足だと」
 ウィルはヴィンセントの机を指で打ち鳴らす。
「で、何で行きも陸路なんですか?」
「……それは陸路の安全を確かめてもらいたいからだ……」
 ウィルは左手で顎をさすり、考え込む。
「団長の息子って……エリック……というのでは?」
「!」
 ヴィンセントは先ほどまで机上の羊皮紙にを落としていた目を見開き、ウィルの顔をまじまじと見つめる。
「……なぜ、それを?」
「あ、当たってました? 俺ってすげぇ。内緒です」
 クスリと笑うと、
「いいですよ。引き受けましょう」
 と承諾した。
「やっぱり、やらなくていい。違うやつに依頼する。お前は何か信用ならん!」
 ヴィンセントは慌てた様子で、ワタワタと先ほど驚きで机に散ばした羊皮紙の束を集めている。
「もう駄目です。俺やるって決めたから。団長の頼みは断れませんから!」
 そう言うとウィルは、ひらひらと手のひらを振って執務室を後にした。



[26673] 12 帰宅 
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:03
 王都バリュスのダウンタウン、ノースブリッジの一角でこの界隈では少し浮く小綺麗な身なりをした男がフラットから出てくる。ウィルだ。
 目立つ金糸の髪を隠すように、頭から首まで、大きな灰色のストールをまわし掛けているが、たまに道端を歩いている女たちがウィルの方をチラチラと窺い見ることから、あまりその整った相貌を隠す役には立っていないようだ。
 ウィルはそんな周りの目など、いつものことなのか全く気にする様子を見せず、大きな荷物を背負い裏通りの人ごみの中を縫って歩く。 裏通りを抜け、放射線状に延びる大通りへ。 アルムフェルト川沿いの邸宅へと入っていく。貴族の豪邸だ。
 ウィルは正面玄関を避け、裏庭へと回り込みテラスから屋敷へ入って行った。
 頭を覆っていたストールを外しながら、大広間、応接室を抜け、図書室へ急ぐ。
「坊っちゃん、お帰りになるなら大鴉(レイヴン)を遣わして下さればいいものを。そうすればもっと準備をいたしましたのに……」
 図書室へと急いでいたウィルの背後から、呼び止めるしわがれた声が聞こえる。
 ウィルは声の方へ振り向くと温かみのあるハシバミ色の瞳に優しさを湛えた、ロマンスグレーの髪をした60代位の執事が笑みを浮かべ立っていた。
「家には有能な執事がいるから、予告なしで帰っても何も問題ないと思うのだが。それに鴉は苦手だ……考えただけでもゾッとする」
 執事に向かってニンマリと悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
 そんなウィルに彼はフッと笑い、ウィルの外套を預かる。
「坊っちゃんは嬉しい言葉で直ぐに誤魔化すんですから……それに大鴉(レイブン)は坊っちゃんが鴉がお嫌いだから、稀なアルビノの白鴉にしたのですよ?」
「それでも嫌いなものは嫌いなんだ。お前も知っているだろう? ファーガス。色が白かろうと、駄目だ。もちろん真っ黒な鴉ほど嫌なものはないけどな!」
 ウィルはまるで駄々をこねる小さい子のように、屁理屈を並べ立てる。
 ファーガスと呼ばれた執事は、不得手な鴉のことを話題にされて少し不機嫌なこの家の子息ウィルに臆することなく、図書室へと歩き始めたウィルの後に続く。
「では、せめて従者をキャロで遣して言付けて下さい。ご主人様も奥様も、フレッド様もリズ様もいつも心配していらっしゃいますよ。ご兄妹たちは、心配というよりもウィリアム様の冒険話しを聞きたいようでしたが」
 図書室の扉の前まで来て、歩みを止めた二人は、今までよりも声のトーンを落とし、ささやき声で続ける。
「……定期的に手紙は商人ギルドの配達人に届けてあるし、従者は必要ないと断っているだろう? 俺は今はただの魔法騎士団の一介の騎士ウィル・アークライトとして慎ましく生活しているんだぞ。従者など持てる訳がないだろう」
 扉のドアノブに手をかけながら、ふとウィルはファーガスを振り返る。
「……まさかもう中に?」
 ウィルが尋ねると、ファーガスが申し訳なさそうに静かに頷いた。
 ハァとため息を吐きながら扉を開け放つと、本に手を伸ばしていた、明るい栗色の髪をしたすらりと均整のとれた体躯の人物が、振り返った。
 ウィルと同じエメラルド色の悪戯っぽい瞳が、微笑む。
「ウィル!」
 その人物は、満面の笑みを浮かべウィルを抱きしめる。
「フレッド」
 ウィルはフレッドの腕から逃れ、正面から見据える。
 にやにやと嬉しそうに笑いながらウィルを見る相貌は、淡い栗色の髪の毛以外はそっくりだ。特に好奇心を覗かせ煌めく碧色の瞳が。年頃は同じくらいか少しフレッドの方が上か。
「ウィル、王都に帰って来たんだったらもっと早く家に帰ってこいよ。かわいい弟の話が聞きたいだろう? ……ファーガス、ありがとう知らせてくれて。もう下がっていい」 
 フレッドはファーガスを下がらせ、弟のウィルと図書室に引っ込んだ。
 四方を本に囲まれ、縦に整然と書籍でいっぱいの棚が並び、部屋の真ん中から中二階に続く階段が続いている。
 二人は階段を上り、本棚でたくさんの階下を見渡せるロフトに向かい合って置かれた、落ち着いた濃茶の革製の一人掛のソファに、腰を落ち着けると話し始めた。
「……で、どうだった?」
 フレッドはウィルを見やるとこう始める。
「どうだったって……何が?」
 唐突に投げかけられた質問をかわすとウィルは、やれやれとため息を吐く。
 ウィルが18歳で魔法騎士団に入った時から、いや、物ごころついた時からこの兄フレッドは、ウィルが体験したことを聞きたがる。特にフレッドが18歳の成人の儀を終えた辺りからその傾向は益々強くなってきたように感じる。
 フレッドはウィルよりひとつ年上の24歳だが、長男ということもあり、家族のことを気にかけ守ろうとする意識が高いのだろう。何でも把握しておきたいという性格は、ウィルにとって迷惑この上ないが、愛すべき頼れる兄であることも確かだった。
「もちろん休暇中の旅のことだよ。それで見つけたのか? 彼女を」
 ひとつ上の兄フレッドに問われ、ウィルは「まだだ」と答える。
 彼女はまだ見つからない。

『ウィルには秘密にしておくように……』
 6年前のあの日、父の書斎の扉の隙間から漏れ出る光に引き寄せられ、中を覗いた17歳のウィルは、この家の当主であり父であるカーティスが、長男のフレッドにこう話しているのを聞いた。
 話の内容は聞くことは出来なかったが、ウィルはその夜、フレッドに詰め寄ったのだ。何が彼に秘密なのかを――。
 フレッドはそれは絶対に話せないと言ったが、後ろめたいことは何もないと誓った。これは次期当主になる者しか伝えられぬ話し故、何者であっても口外することはかなわぬのだと。
 だが、フレッドは『秘密は話すことは出来ない』と教えてはくれなかったが、手掛かりをくれた。
『彼女を探せ』
 そう言い、この家の当主に受け継がれている話を少し教えてくれたのだ。この家に纏わる昔話だ。

 始まりは終わり 絡まり――る 
 ――ら 喚び寄せられし迷い人
 彼の人舞い降り 繁栄をもたらさん
 時は来たれり 扉は二――
 混沌の時を統べる者よ 汝抗うことなかれ
 悲しき娘は ――還る 
 息子よ ――解き 彼の人を母の元へ留めよ
 ――ちよ 眠る場所は 母なるこのハウメアの地
 異界より ―― ――    
 ――扉―― ――
 ―― ――
 ―― ――
 
『ここから先は、燃えた形跡があってわからなかったけど……』
 そう言い、部分部分語ってくれた。 
 肝心な部分は羊皮紙が燃え朽ちてしまい、読み取れなかったと言い、フレッドが教えてくれた物語。
 彼女とは、喚び寄せられし迷い人なのか、悲しき娘なのか、それとも両者なのか――?
 フレッドも良くは知らないらしいが、当主であり、父であるカーティスがこれは当家にとって大切な女性の話しだ、と言って兄に伝えたらしい。
 ウィルは、良くはわからないが当家の為になるなら、と彼女を探すことをフレッドに約束した。
 過保護でやや煩いところがある長兄だが、ウィルもまたフレッドのことが大好きだし、尊敬もしていた。その兄の頼みとあらば、躊躇うことはないだろう。
 ウィルは、その女性というのは異世界から召喚された者ではないかと考えていた。きっとエリスからの――
 
「おーいっ! 聞いてるかぁ? ウィル」
 ハッとフレッドの声で現実に引き戻される。
「……いや、考え事してた。ごめん、何?」
 6年前のことを思い出し、ぼうっとしていたウィルをフレッドは心配そうな顔で覗きこむ。
「大丈夫かぁ?」
「あぁ、大丈夫だ。フレッド」
 今回の休暇では、異世界エリスの情報を得ることは出来なかったが、ひとつ気になることがあった。ウィルはそれを確かめる為に帰宅し、図書室に来たのだった。
「それで、何を言いかけてたんだ? フレッド」
 ウィルが重厚な革の椅子の上で姿勢を正し、ようやく聞く素振りをみせたので、フレッドは身を乗り出し話はじめる。
「いやさ、お前がこの家に帰ってくるのには、何か訳があったんだろう? 帰ってきて俺たちに会いもせず、図書室に真っ直ぐ向かった。……その訳を教えろよ」
 フレッドの問いは、まさに的を得ていた。
 実際、ウィルが誰にも合わないように図書室へ向かったことは確かだった。ただ、フレッドにはお見通しだったようだが……。
 長兄は、いつも独自の連絡網を使い、ウィルの事や彼自身の関心事に関して、常に情報を集めている。
 今回も大方、ウィルが王都に帰って来たことも、王城に併設されている魔法騎士団の宿舎を出て、ダウンタウンのノースブリッジにあるウィルのフラットに向かい、そして実家に向かったことも全て兄にはお見通しだったのだろう。
 有能な執事ファーガスも一枚噛んでいるに違いない。
「やっぱり兄さんには、何も隠しておけないな」
 ウィルは、そう言うと左胸の内ポケットから、紙片を出す。つるりとしてとても滑らかな手触りの見たこともないようなきめ細かい繊維の紙だ。
 羊皮紙ではないのだろう。
 それはエリック・カスティリオーニという少年が書き置きしていった紙だった。
「……これは? ……羊皮紙じゃなさそうだな。これ、どうしたんだ?」
 フレッドは、ウィルの手にする紙片を良く見ようと、覗き込むように一人掛ソファから腰を浮かす。
 新しいおもちゃを見つけた子供のように、興味深々だ。
 ウィルは、フレッドにも良く見えるように、向かい合う二人の間のローテーブルの上に、その紙切れを広げ置いた。
「これ、どう見ても羊皮紙じゃないだろ? もしかしたら失われた古代術で出来た遺物なのかと思って、家の図書室で調べようと思ったんだ。……どう思う? フレッド」
 何故か、家には他所では手に入らないような書籍や、資料が揃っている。
 収集癖のある父カーティスの蔵書は、歴史学者なら喉から手が出る程欲しいと思うものも混ざっているかもしれない。
 その趣味は、しっかりと子供たちにも引き継がれているようだ。
 父親似のフレッドはもちろん、母親似であるウィル、妹のリズもまた、珍しいものを見つけると、それに夢中になった。
 一般的な家庭では、まず話題にもならないような、古代伝承や各地の伝説などを、幼いころから子守唄代わりに父から聞かされていれば、自然と興味を持つようになるのは免れないだろう。
 失われた時代の伝承の話を友人にして、『お前そんな伝説を信じてるのかっ?!』と、鼻で笑われてからはじめて、自分たちの環境が、少し特殊なのだと気付いた。一般的には、失われた古代伝承などはもはや都市伝説なのだ。ほとんどの人が信じていない。
 ひゅーっ、と口笛を鳴らし、テーブルに広げた紙片を手に取りとり眺めていたフレッドが、嬉しそうに目を細める。
 手にしていた紙片をウィルに渡し、ソファの背に身を預ける。
「これは、凄い発見かもしれないぞっ!」
 ウィルと同じ悪戯っぽいエメラルド色の瞳を輝かせながら、フレッドは満面の笑みを浮かべた。
 エリック・カスティリオーニが残したウィル宛の置手紙の紙片が、もしかしたら失われた古の術で作られたものかもしれないという可能性に、二人の兄弟は興奮を隠せない。
 エリックはそんなものを何処で手に入れたのだろうか? 
 それに今まで結婚など見向きもしなかった団長が、いきなり結婚もすっ飛ばして養子をとったということも、何か裏を感じさせる。
 確かカスティリオーニ家には団長の上に兄たちが居たはずだ。結婚もしており、息子もいる。跡取りが居ないから……ということではなさそうだ。
 熟々と思考を彷徨っていたウィルは、団長の命令であるエリックの面倒をみることに新たな楽しみを見い出した。彼が何者であるか探ろう、と。
 だが、エリック・カスティリオーニの顔を思い浮かべてみると、確かにカスティリオーニ家縁のものだと直感が告げる。
 澄みきったアメジストのような輝く瞳は、カスティリオーニ家のもの。団長の眼差しにそっくりだ。
 だとしたら、エリックは団長の不義の子か?
「あぁ、わかんねぇー!」
 ウィルは一人掛けソファの背もたれによしかかり、煌めくブロンドの髪を掻きむしる。
「ウィル? どうしたんだ」
 ひとり悶絶している弟に、フレッドは怪訝そうな表情を浮かべる。
 だが、ウィルはエリックのことをまだ兄に話すつもりはなかった。もう少し彼自身で調べてみたいと思ったからだ。
 何にしろ、エリック・カスティリオーニが鍵を握っているに違いない。
「なんか見たことがある気がするんだよ、この紙。……確か家の図書室で見たような気がしたんだけどな……。フレッド、何か知らないか?」
 ウィルは、何か言いたそうな兄の言葉を質問で封じる。
 それに、どこかで見たことがあるのも確かだった。この家の図書館だった気がする。……いや、幼い頃のことだから、もしかしたら違うかもしれないが。
 あれはどこだったのだろう――?
 頭に靄がかかったみたいでまるで思い出せない。
「……いや、すまない。わからないよ」
 フレッドは目を伏せたまま、革のソファから席を立ち、部屋の奥にある本棚に手をのばす。
 何冊かの書籍を持って戻ったフレッドは、ローテーブルの上に置く。
「ウィル、役に立ちそうな本を選んでおいたよ。ゆっくり調べるといい。私はもう戻るよ」
 フレッドはそう言うとウィルを図書室のロフトに残し、いそいそと階段を降り図書室から出ていった。
「あ……!」
 ウィルは慌てて立ちあがり、先程フレッドが本を出していた本棚に向かう。
 何冊分か空白になっている場所を見つめ、また兄の残して行った本の数を確かめる。
「ちっ、一冊分足りない」
 やはりフレッドは何か知っているのか――?
 なぜウィルに隠す必要があるのか、当主を受け継ぐ者の務め?
 6年前の出来事が頭を過る。『――ウィルには秘密だぞ――』
 家族を疑いたくはないが、どうしても父と兄に懐疑的にならざるを得ない。
「……どうして俺にだけ秘密なんだ」 

 ◆ ◆ ◆

「……良いのですか? フレッド様」
 図書室の前の廊下に控えていた執事のファーガスに顰めた声で問われ、フレッドは自嘲する。
「あぁ、かわいい弟の為なんだ。あいつには幸せになってもらいたい。これは私の我儘かもしれないな」
 後継ぎである子息フレッドの言葉に、ファーガスは苦しそうに顔を歪める。
「それでは、本末転倒です。この家を、ヘイフォード家を守ることこそ、ウィリアム様の為だとわたくしめは思うのです。……だからっ――」
「いいんだ。なるようになるさ。ウィルは私たちの――」
 そこでフレッドたちの会話は、廊下から走って来る妹のリズ嬢によって遮られた。
「リズっ! はしたない。廊下を走るのはやめろ、といつも言っているだろう?」
 リズと呼ばれた少女は、ぺろっと小さなかわいい舌を出し、悪戯っぽい微笑みを浮かべ膝を少し曲げ、フレッドに礼の型をとる。
 そんな妹の様子にフレッドと老齢な執事ファーガスは、呆れた顔をしながらも、微笑まずにはいられない。
 大方どこかからウィルが帰宅したのを聞きつけて来たに違いない。
「ウィルお兄様はどこですか? あぁ、帰って来たならお知らせしてくれたらいいのにっ! フレッドお兄様知っているなら教えてくださいな」
 母親ゆずりのブロンドを左右にはためかせ、プクっと血色の好い薔薇色の頬を膨らませて、父親ゆずりの琥珀色の瞳に涙を浮かべ、可憐しく拗ねる様はとても可愛らしい。
「ウィルならこの中だよ、リズ」
 もうこの騒がしさで図書室の中にはウィルはいないかもしれないが……。
 リズのためにフレッドは扉を開くが、そこにウィルの姿はなかった。窓にカーテンが挟まっているところからみると、そこの窓から外に出ていったようだ。
 フレッドにべったりのリズの声を聞き、早々に退散することにしたのだろう。
「いやぁぁぁ! なんでウィルお兄様はわたくしにお会いしていってはくれないのっ! 折角久しぶりに帰宅なさったのに」
 
 ◆ ◆ ◆

 窓の外でウィルはひとりため息を吐く。
 妹のリズはかわいいが、捕まったら厄介だ。何時間もお茶を一緒におしゃべりに付き合わされることになるだろう。
 今は時間が少しでも惜しい。
 ウィルは、フレッドが出して寄こした本を鞄に詰め、自宅をあとにした。



[26673] 13 星の巣 学園生活のはじまり
Name: 佳月紫華◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:02
第二章 旅の支度

13 星の巣 学園生活の始まり


「エリック! こっちこっち!」

 リーラベルの学究院の大講義室でエリカに向かい、大きく腕を振っている人物がいる。
 ダークブラウンの波打つ髪に灰色の瞳をした逞しい身体の男性――モーリー・ビンデバルトだ。
 すり鉢状に机が並ぶ教室の、後方上部の席を陣取っている。その横に、見覚えのない人物も一緒に座っていた。
 赤褐色の髪に蜂蜜色の瞳にあどけない笑顔を浮かべている。彼は周りの生徒たちと比べると、どことなく洗練されており、なにか雰囲気が違って見えた。
 エリカは、違和感を感じるのはどこだろう? と考えながら、彼らのいる席の方へ上方の扉から歩いていった。
 服の着こなしが垢ぬけているのだ、と彼を目の前にした時に気付く。
 ピッタリとしたブリーチズではなく、ゆとりのある長ズボンを腰のあたりで履き、シャツはウェストから出しており、クラヴァトは絞めていない。シャツの上から、素材の違うベストを着こみ、外套を羽織っていた。
 もしかしたらこのハウメアでは、異端なだらしない着こなしと思われるかもしれない。エリカが彼のセンスを好ましいと思ったのは、たぶん彼に現代的なものを感じたからだろう。

「モーリー! こちらは?」

 エリカは、彼を紹介してもらおうと友人のモーリーに促す。
 年頃は今のエリカと同じ位だろうか? 
 だいぶ幼く見える。
 
「彼はマルクス・ヨッカー。マルクス、彼はエリック・カスティリオーニだ」

 モーリーがエリカとマルクスをお互いに紹介する。
 
「はじめまして、マルクス」
「マルクス・ヨッカーです」
 エリカはマルクスが差し出した右手を力強く握り返し、握手を交わした。

 ざわざわと生徒で教室がいっぱいになってきたので、三人はモーリーがとっておいてくれた席に着くことにした。
 今日は、この間のクラス分けの結果発表の日だ。
 巣(ネスト)と呼ばれる母体のホームクラスと、それぞれの科目のクラスを決めるのだ。教室の方へ行く前にレセプションルームで尋ねて教えてもらった。
 エリカはそれぞれの教室へと続く廊下に張られた虹色の薄い膜のような魔法陣の中をくぐると、この大講義室へとたどり着いた。
 初めて経験する魔法だった。
 通り抜ける時に、『エリック・カスティリオーニ。星のネスト。星のネストの教室まで運びます』という女の人の声が聞こえた。
 この教室にいる生徒は、星の巣(ネスト)だ。星の他に、月、光星の巣(ネスト)があるらしい。

「なぁ、マルクスにはもう話してたんだけど、俺たち同じ巣同士、週末の課外活動一緒にやらないか?」とモーリーが提案する。

 課外活動とは、学校で斡旋している色々な活動を総称して言う。
 参加は自由だ。
 イーシュ川下りや、野営、小旅行など色々ある。日帰りのものや、2日間のもの、週末の3日間全てかけて行うものなど、種類は様々だ。
 5番目の日から7番目の日を週末と呼ぶ。1番目の日から7番目の日があるのは、月曜日から日曜日まであるエリカの知っている1週と同じだ。
 ただ、週末と呼ばれ、休みが入るのは、ここで言う5番目の日――金曜からなので、3日間も休みがもらえる。
 働きすぎの日本とは大違いだ。これは嬉しい驚きだった。
 課外活動の他にも、様々なクラブがあったり、友人同士でユニットを組み、商人ギルドの依頼をこなしたり、とコーワン学究院の生徒達の活動の幅は大きい。
 その課外活動をモーリーは一緒にやろうと誘っているのだ。
 楽しそうだ。
 でも、毎週は無理かもしれない。今後の為に色々と貯蓄をしたいし、それにエリカには、エリスのことを調べるという目的もある。毎週一緒に遊んでばかりはいられないだろう。

「毎週は無理かもしれないけど……。モーリーとマルクスと一緒だったらすげぇ楽しそう!」

 エリカがそう言うと、モーリーとマルクスは目配せして「だろっ?」と白い歯をみせて笑った。

「マイシュウは無理ってなんでナノ?」とマルクスがエリカに尋ねる。

 ……マルクスはなんでカタコト? というか、話しは普通に通じるが、ときどき発音がおかしい。訛っている。
 不思議そうにエリカが首を傾げていると、マルクスが苦笑してまた、聞き直す。

「あぁ、発音ワルカッタかなぁ? なんでマイシュウ無理?」
「あ、ごめん。マルクスって外国から来たの? 話はわかるよ、大丈夫」
  
 そう言うエリカの疑問に、モーリーが横やりを入れる。

「マルクスは留学生なんだ。国名はなんだったっけ……マルクスもう一回教えてくれよ」
「言ってもキットわかんないとオモウな。だってモーリー覚えてナイデショ」

 エリカは考えこむように、腕を組んでうーんと唸っていたが、マルクスにもう一度聞いてみる。

「何かマルクスの国の言葉で話してみてよ。僕もしかしたら話せるかも。僕の家庭教師、語学には厳しい人だからさ」
  
 嘘だ。ただ、まったくヴァレンティア語がわからないエリカが、貴石の力で、普通に会話できているので、マルクスの国の言葉もわかるのではないか、と考えたのだ。
 魔法詠唱の時に使用する古語もわかったのだ。もしかしたら、話せるかもしれない。
 エリカがそう促すと、マルクスはちょっとだけ挙動不審になり頑なに拒否する。

「や、やだよ。きっとすごく遠いクニだからワタンナイとオモウし、せっかくヴァレンディア語覚えタばかっりナノニ、話したくナイヨ」
 
 そういうもんかな、と妙に納得いかないような、小骨が喉に引っかかったような嫌な感じが残るが、マルクス本人が嫌がっていることを、無理やりさせるようなことは避けたい。
 ふーん、とそのままその話は終わってしまった。

 すり鉢状の席が生徒達でうまった頃、大講義室の後方上部にある、重厚な木製の扉が開いた。
 颯爽と、一番下の段の真ん中にある教壇まで歩いて来るのは、きっと教授だろう。
 燕尾服のようなカッチリとした正装を着こみ、その上からマントのようなフードの付いたローブを肩から羽織っている。
 あちこちに広がって収まりつかない髪の毛と同じ、濃い金茶色に白いものの混じった口髭と、揉み上げから顎先までびっしりと生えた顎髭が、威厳ある大きな獅子鼻とダークブラウンの厳しそうでいて、どこか目じりの皺が優しそうな相貌と合わさって、年老いたライオンのように見える。
 エリカはマルクスの言ったことを反芻していたが、姿勢を正して中央の人物に意識を集中した。モーリーやマルクスも、さっきまでのにこやかな表情を硬くして、見つめている。
 この人物には教室をシーンとさせる力があった。
 背筋が伸びるような張り詰めた緊張感が、この教室を支配していた。

「おはよう、星の巣(ネスト)の諸君。ようこそコーワン学究院へ! 私は君たち星の巣(ネスト)の監督教師のベランジェ・マンスフィールドです。今日から君たちは、ここコーワン学究院で様々なことを学び、吸収して、大きく成長していってほしい……」

 マンスフィールド教授が教壇の前で、エリカたち生徒が座っている段々になっている座席を見渡しながら話し始める。
 猛々しい相貌からは想像しなかった柔和で深みのあるバリトンの声が、優しい口調で語りかけるので、
さっきまでの緊張感が、いくらかほぐれた。
 右隣りに並んで座るマルクスとその隣のモーリーの方をチラッと伺い見たところ、彼らもほっとしたような若干くつろいだような表情を取り戻していた。
 
「……それで、本日は君たちに、これからの説明、それと啓示板を配るので、聞き逃さないように!」

 ……ケイジバン? 壁に情報を貼る掲示板を配るってどういうことだろう、と考えていると、マンスフィールド教授がボソッと呪文を呟くと同時に、生徒達の机上に透明な見た目はガラスのような板が現れた。
 大きさは手のひらサイズ。ケータイよりも少し大きい位、電子辞書位の大きさだ。
 何に使うのか、とみんな興味深々で、手に取りながめている。

「君たちの机の上にある啓示板とは、私から何か連絡する時や、複雑な時間割など学園内での連絡事項を知らせる為の魔導具です。使い方を説明する前に、まず、各々の啓示板の左上にある溝に指を乗せてください」

 エリカは言われた通り、左上にある窪みに左人差し指を乗せる。
 マルクスが「エリック、ここでイイヨネ?」と聞いてきたので、「大丈夫、合ってるよ」と頷き合った。
 マンスフィールド教授が教室を見渡し、生徒達がみんな溝に指を置いたことを確認すると、古語で魔法詠唱を始める。

『血を収めよ』

「……痛っ!」
 呪文が唱えられたと同時に、エリカの啓示板の上に置かれた左指に鋭い痛みが走った。

「痛てっ!」
「ouch!」

 モーリーとマルクスも痛みを感じたようだ。教室中の生徒達も指を押さえている。
 痛くするなら最初に教えてほしかった。注射する時みたいに身構えておかないと、びっくりするじゃないか。
 生徒達の様子に苦笑しながら、マンスフィールドは再び魔法詠唱にはいる。

『癒しの風よ……』

 ふわっと髪がなびいたかと思うと、指に空いた注射針よりも少し大きい位の血の滲んだ痕が、塞がり、新しいピンク色の肌が現れていた。
 痛みももうない。

「すまないね、いきなり。これで君たちの持ち物だと記憶させることができた。この啓示板を使用できるのは、今登録した持ち主だけです。ちょっと表面に手をかざしてみてほしい……」

 マンスフィールドの言葉に導かれ、みんな恐る恐る、嬉々として、ワクワク、そうっと、というように各々色んな思いを秘めて啓示板の上に手をかざす。
 すると、ガラスのように机を透かして見せていた透明な啓示板が、黒曜石のように黒く変化し、蛍光色の様々な鮮やかな色で綴られた文字が浮かび上がった。
 ……これは時間割か?
 エリカのようにびっくりしている生徒はあまりいないようだ。魔法が普通に存在するハウメアでは一般的なものなのだろうか?
 でも隣のマルクスの方を見てみると、不思議そうに裏側を眺めてみたりしていてほっとした。エリカだけじゃなかったんだと安堵する。
 ハウメアで科学や機械工学が発達していないのも頷ける。魔法はとても便利で、魔導具なるものも、機械のように便利だ。全く仕組みはわからないが、魔法術式を複雑に組み合わせて作られているのだろう。
 啓示板の時間割らしきものを見ていると、隣のマルクスとその隣のモーリーが、エリカの啓示板を覗きこむ。

「おっ、結構一緒の授業多いな。やったぜ」
「わお! エリックと俺、ホトンド同じダネ」

 エリカも2人の啓示板を見てみると、大体同じクラスになっている。よかったな、と考えていると、マンスフィールド教授が説明を続ける。
 彼が話し始めると、ざわざわと隣近所で話していた生徒達がシーンと、水を打ったように静かになった。

「ここで注意事項があります。自分の啓示板でないと、術が発動しない為、使用できないことが1つ。このコーワン学究院の敷地内でしか、使用できないことがもう1つ。まずはそれだけ覚えておくように」

 どうやら魔導具というのも機械のようにどこでも使えるというような利便性は備えていないらしい。魔法も便利なようで、不便なところもあるようだ。
 学園外が魔法圏外ってどんだけ電波弱いんだよ。あ、魔法の効果というべきか。
 E-MAIL のように気軽に連絡できる手段になり得るかと思ったが、そうも上手くはいかないようだ。
 はぁ。ジンやエヴァ、それに学校の友人たちと、今まで日本で当たり前にできていたように、気軽に連絡をとることは難しいようだ。

「それで時間割ですが、それぞれこの間の学力試験の結果でクラスを決めさせてもらったので、自分の啓示板のクラスを確かめて、授業へ行くこと。ここまでで何か質問は?」

 マンスフィールド教授がそう言うと、前の席の方で誰かが手を上げたのが見えた。

「はい、君はラ・ムーアだね?」
 
 そう指名された女生徒がコクンと頷く。カールした赤毛の頭にみんなが注目する。

「はい、この巣(ネスト)は何のためにあるんですか? 科目ごとにクラスが分かれているなら必要ないと思うんですけど」

 それはもっともな質問だ。エリカも女生徒の言い分を聞いて、そうだよなぁと考える。この巣(ネスト)は何のためにあるんだろう。
 質問を受けて、マンスフィールドは、うんうんと頷きながら、生徒達を見渡す。
 教室を見渡してみると、他の生徒達も同じようなことを疑問に持っていたようだ。みんな「そうだよなー」などと、口々に呟いている。

「なるほど。そうだね、巣(ネスト)は、君たちの学園でも家とでも思ってもらいたい。そして君たちがひとつの家族だと。それぞれがお互いに助け合っていってほしいんだ。それは授業でわからないことがあった時もそうだし、課外活動でも大いに協力して色んな経験を一緒にしていってほしいと願っている」
 
 マンスフィールド教授はひとりひとり生徒達の顔を見ながら語りかける。
 彼の言葉にはカリスマ性がある。みんなその話術に引き込まれ、熱心に聞き入っている。

「それに巣(ネスト)には、私のような監督教師がいる。なにか困ったことや、聞きたいこと、雑談でも私のところに訪ねて来くといい。いつでも大歓迎だ。これで君の質問の答えになったかな? ラ・ムーア」

 ラ・ムーアと呼ばれた女の子が大きく頷くのが見えた。

「はい。わかりました。ありがとうございました」
 
 マンスフィールドが教室を見渡す。

「他に何か質問のある人はいないかな?」

 生徒達はまわりと話し始める。質問する人はいないようだ。エリカたちも「何かある?」とお互いに聞いていたが、マルクスもモーリーも「特にないよな」と話している。
 
「質問はないでーす」

 誰かが言ったその言葉を聞いて、今日のオリエンテーションはお開きになった。

「では、今日のところは終わりにしよう。何かあったら、私の部屋は東の塔の蒼の部屋にあるので、いつでも訪ねて来なさい」

 ◆ ◆ ◆

「エリック! 帰りにちょっと寄り道していかないか?」

 マルクスと一緒のモーリーに誘われ、エリカはみぃたんを連れて、リーラベルにあるモーリーの家に来ていた。
 魔従キャロのみぃたんを飼育小屋に預け、今はモーリーの部屋で男同士の語らいをしている。うーん、エリカは物凄くなじんでいるが、女性だ。
 しかし、気のおけない集まりで、すっかりエリカ自身も女性だという自覚なく、男同士の話にノリノリでまじっている。
 
「でさぁ、さっきの子の顔が見たいってこいつが言うから、お前を誘う前に玄関まで先回りしてたんだよ。あの子だよ、ほらマンスフィールドに質問した子」

 モーリーが机の前に置かれた木製の椅子の背もたれを逆にして、木馬のように跨りながら、向かい側のベッドに座るエリカとマルクスに話しかける。
 
「ヤメテヨ、チョット気になったダケなんだから!」

 マルクスが焦ったように茶化すモーリーに反論する。
 耳がマルクスの髪の毛みたいに真っ赤だ。
 後ろ姿しか見えなかったが、確か赤毛のくりくりパーマの子の話だ。

「ああ、あの女の子ね。確かラ・ムーアって子。なに、マルクスはああいう子が好きなんだ?」
 
 ちょっとからかってやろうとエリカも悪乗りする。
 そんなエリカにマルクスはムッとしたように、肩を揺さぶる。

「エリックまでからかうンダカラァー! こうしてやるッ」
「ちょっ……頭クラクラするからやめろよーっ」

 じゃれ合う2人をモーリーがニヤニヤしながら見ている。

「モーリー! そんなことヨリ、カガイカツドウの話するンデショ?!」

 マルクスがなんとか話題を変えようと、エリカを揺すりながら話す。
 もうエリカはフラフラだ。

「目が廻るぅ……」
「あ、ゴメンヨ」

 やっとエリカの肩を揺さぶる手を止めたマルクスの横で、エリカは座っていたベッドにバタンとうつ伏せに倒れこむ。
 
「エリック、大丈夫かぁ?」
「ゴ、ゴメン……」
「ん、大丈夫だけど、ちょっと横にならせてー。話は聞いてるから話してて……」

 エリカはクラクラする頭を落ち着かせるように、目を瞑る。
 そんな彼女を2人は気遣っていたが、エリカが横になったまま手を挙げて話すように促したので、課外活度について相談を始めた。

「ではではー、課外活動俺らやるじゃん。色々あるじゃん。俺は野営とかしたいんだけど、マルクスは何やりたい?」
 
 モーリーが仕切り、話を進めていく。

「オレは、商人ギルドのイライをウケテミタイナァ。さっき学校の掲示板で見たンダケド、飛鉱艇ノ清掃ボシュウってカイテアッタヨ」

 ふたつとも楽しそうだ。野営(キャンプ)も飛鉱艇という響きにも惹かれる。
 アウトドアは大好きだ。男装も悪くない。もともと見た目とは裏腹に、性格や、趣味は男らしいエリカなので、モーリーやマルクスたちと男の子として一緒にこれらの計画を立てるのは、楽しい経験だった。

「僕も、それやりたーい! どっちとも賛成。両方やればいいんじゃない?」

 エリカもベッドに横になりながら話し合いに参加する。

「じゃあ、決まりな! 細かいことはまた学校で話そうぜ。エリックお前んちスビアコって言ってただろ? そろそろ明るいうちに帰ったほうがいいんじゃないのか?」
「あ! ありがと、僕そろそろ帰るよ」

 モーリーとマルクスと一緒に飼育小屋までみぃたんを迎えに行く。
 
「マルクスは帰らないの?」
 
 エリカがそう尋ねると、マルクスはモーリーの家にホームステイしていることを教えてもらった。

「じゃあな、エリック」
「マタ明日ネ」
「バイバイ、モーリー、マルクス!」

 エリカは魔従キャロのみぃたんの背に乗って、モーリーの家をあとにした。

 ◆ ◆ ◆

「お願いね、みぃたん」
「みぃー」

 猫のようなふわふわな毛に覆われた、背の翼の根元らへんに乗せた鞍に跨り、エリカはスビアコの家を目指す。 
 茶色と白のまだらに魔法で染めた毛のキャロは、エリカを乗せてどんどんバスティ山の山道を登っていく。
 みぃたんのおかげで登下校はだいぶ楽が出来ている。

「いつもありがとう、みぃたん」
「みぃー」

 みぃたんは薄ピンク色の大きなくちばしと頭の上のかわいいまるい耳を揺らしながら、エリカの呼び掛けに答えた。
 スビアコ村に着いたが、まだ、空は明るい。
 エリカはみぃたんを小屋へ連れて行き、大好物のネズーラを与え、酒場の母屋へと向かった。

「ただいまー!」

 酒場の入口の方から入って行くと、まだ営業中じゃないのにもうお客さんがいるようだ。
 カウンターに座るその人物が振り返ってエリカは目を見開いた。

「なんでいるの?!」
「よっ! エリック」



[26673] 14 再会
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:01
「よっ! エリック」
「な、なんでウィルがここにいるの?!」

 スビアコ村の住居である酒場のカウンターに座っている人物を見て、エリカは驚きを隠せない。
 彼はエリカがリーラベルの酒場で一緒に酒盛りをし、酔いつぶれたエリカを彼の宿屋へ泊めてくれた人物だった。
 ウィル・アークライト。休暇中に旅をしている、と言っていた人。
 この世界ハウメアに来てたら初めて出来た同世代の友人と呼べる人。
 リーラベルの酒場の掲示板に『来月の建国記念長期休暇にまた来る』とエリカに書き置きしていなかったか――?
 『来る』と書いてあったのは、リーラベルの酒場のはずだ。来るならリーラベル。
 まだ、あれから1週間ほどしかたっていない。というか、なんでここ、スビアコ村の酒場にいるのだろう? 
 エリカがここに住んでいるのを知っていてここに?
 ……それとも、これは偶然?

「あぁー、もう! わけわかんないよっ。なんでウィルはここにいるの?!」
「ふはははは。……これは何でしょう?」

 不気味な笑いと共にウィルがエリカに見せたのは、一枚の羊皮紙で……。

「はっ?! 何コレ?」

 エリックが持っている羊皮紙を奪い取り、内容を見て唖然とする。

(何だこれは?! え、もしかしてウィルが私の直属の上司になるの?!)

 まさか……と思いながら見たそれは、ウィルがエリック・カスティリオーニの教育係として、魔法騎士団で面倒をみること、そして住居まで迎えに行き、王都まで安全に送り届けること、が義理の父ヴィンセントの署名で書かれていた。
 しかし、魔法騎士団に入るのは一年も後のはずだが……。来るのが大分早くないだろうか。
 様々な疑問が脳裏をよぎったが、色んな種類の感情が混ざりあった震えに揺れる手で握られた羊皮紙を、その動揺の原因となったウィルに奪われてしまった。

「ってゆうことだから。よろしく!」
「……っう」

 声にならない叫びを漏らし、しばし呆然とするエリカを傍目に、ウィルは飄々とカウンターで飲食をしている。
 あまりにもエリカがウィルの方を直視したまま固まっているからか、「……食べる?」などプレートをよこしてくる始末。
 
「や、いらない……じゃなくて、説明してよ、ウィル! どうゆうこと?!」

 やっぱり何度考えてもさっぱり意味がわからない。エリカは混乱した頭を冷やし、冷静に考えを廻らそうと試みたが、できない。どう考えてもこの間偶然リーラベルで出会った男性と義理の父の書状の内容があまりにも出来すぎていて、不自然きわまりない。冷静になるどころか混乱してしまう。

「説明って言われてもなぁ……そこに書かれてる通りっていうか……。うーん、何が聞きたい?」

 ウィルは何でも質問していいぞ、とエリカに向き合う。
 エリカは一番聞きたかったことを尋ねてみる。

「あの……さ、こないだリーラベルの酒場で一緒に飲んだのは、これがあった……から?」

 リーラベルでの偶然の出会いだと思っていたのでさえ、何かの目的があってのことだったら、と思うとエリカの気分は沈んだ。
 はじめて異世界ハウメアで同世代の友人ができた、と嬉しく思った、感動した気持ちを返してほしい。
 エリカはウィルの翡翠色の瞳をじっと見つめ、答えを待った。

「あれは、本当に偶然。俺もびっくりしたんだ。団長にお前のこと頼まれて、話を聞いてみたらエリックのことみたいだったから」
 
 ウィルの瞳に揺らぎはない。どうやらあの出会いは本当に全くの偶然だったのだ、ということがウィルの言葉からわかると、エリカはやっといいようのない不安感から解放された。
 これでちゃんと信じられる。
 異世界で、僅かな頼れる人たちのことが信じられなければ、いったい何を指標に生活していけばいいのか……。そんな不安が、あの羊皮紙を見た瞬間に過ったのだ。
 でも大丈夫、この人なら信じられる。ウィル・アークライトの澄んだエメラルド色の瞳を見てそう思った。

「よかった。誰も信じられなくなるかと思った。……ウィルを信じるよ。最初から教えて?」

 エリカがそう頼むと、ウィルはリーラベルから王都の魔法騎士団で義理の父ヴィンセントにエリックの教育係を頼まれたこと、エリックを迎えに行くことを頼まれたこと、そしてそれがウィルの魔法騎士団の副団長の実地試験代わりになること等、順を追って教えてくれた。
 それにしても迎えに来るのが早すぎるのではないか、という疑問が残る。
 そう尋ねようと思ったところに、エリカを呼ぶ声で遮られた。

「ねぇ……ウィル来るの早く――」
「エリック! 少し手が足りないの。手伝ってくれないかしら?」

 エヴァがカウンターの裏の部屋から呼んでいる。
 エリカは「はーい、今行くー!」と返事をし、ウィルを残しカウンターの奥のキッチンへと入って行った。
 キッチンの奥にはエヴァとジンが並んで待っており、エリカが来たのを確認すると、無言で奥の部屋へ来るようにジェスチャーする。
 2人について行き奥の部屋へ着くと、心配そうな顔をして顔を見合わせている。
 2人はもうウィルと話したのだろうか?
 
「エリック、兄様から手紙が届いたのだけれど、彼が貴方の面倒をみるそうよ。……貴方、彼と面識があるようだけれど、どうして?」

 エリカはリーラベルでウィルと偶然酒場で一緒になり飲んだことを、酔いつぶれて一泊ウィルの宿屋に厄介になったことを省いて2人に説明した。
 どうやら納得してくれたようだ。義理の父(ヴィンセント)の手紙のことを聞く。

「それでお父さんからは、なんて?」

 エリカの質問にジンとエヴァの2人は頷き合い、羊皮紙の封筒を渡してくれる。
 
「今日尋ねてきた青年に貴方を任せたいそうよ。……でもこんなに早く来るなんて書いてなかった。彼には陸路で来るように指示したそうだけれど……」
 
 エヴァは考え込むように、言葉を噤む。
 エリカは封筒の中の手紙に目を通した。大体のところウィルが言っていたこと、エヴァ達の言葉の整合性は合う。
 ヴィンセントの手紙にも同じようなことが書いてあった。それにウィルには陸路で往復するように言ったから、1か月くらいしたら訪ねてくるだろうことも。
 ウィルはどうやら陸路で来なかったようだ。
 それでなければ、どう考えても早すぎる到来だ。

「状況はわかったよ。……で、どうすればいいの? まだ魔法騎士団に入るのには時間があるし、学校にも通い始めたばかりだし。もう王都に向かわなきゃいけないってこと?」

 論点はそこだ。今後どうすればいいのか、話し合う必要がある。
 まだまだ魔法も上手く使えず、この世界ハウメアの常識や歴史などもほとんどわからない状態で、旅立つのには不安が残る。
 しかもウィルにはエリカの素性を明かしていない。
 エリカが性別を偽っているのは、秘密にしておいた方が良いと判断したのだ。
 エリカが女性であるというのを知っているのは、ジンとエヴァとヴィンセントだけだ。ジンとエヴァの息子のジャックにも、それは明かしていない。
 
「それなんだが、エリックはここで学ぶことがあるから、王都にはまだ向かわせない、とはアークライトには釘を刺しておいた」

 ジンがそう言うのを聞いてエリカは少し安心する。
 まだ猶予はあるみたいだ。早く学ばなくては。
  
「そっか……よかった」
「エリックまだ安心するのは早いわ。ちょっと相談しておきたいことがあるの。貴方の瞳のことなんだけど……」

 エヴァは右手をエリカの頬に触れ、エリカの菫色の瞳をじっと見つめる。
 
「そうだな。それは俺も聞こうと思っていた」

 ジンもそう言って数歩近づく。
 エリカの瞳のこと、といったらカラーコンタクトのことだろうか?
 そう言えば、風呂上がりに裸眼で過ごしているときや、寝起きに廊下をウロウロしている時など、2人の視線をやけに感じる気がしていた。
 視界があまりクリアではなかったから、気のせいかと思っていたのだが……。
 きっとこの世界にはコンタクトなどないのかもしれない。ましてやカラーコンタクトなんてきっとないに違いない。
 レンズを外した裸眼はもちもん日本人としては当たり前の黒い瞳。
 幻術で毛色を変えることや、男らしい姿形に見せることも出来るのだから、カラーコンタクトという発想すらないのかもしれない。
 魔法で色を変えられるのであれば、わざわざ目に異物を入れることもないのだろう。
 そんなことを思いエリカは片眼の紫色のカラーコンタクトを外してみせる。

「……目に色のついたのを入れていたのか」
「はじめて見たわ。瞳に色をつけるなんてできないもの」

 2人は不思議そうにエリカのコンタクトを外した方の黒い瞳を覗きこんでいる。
 意外だと思った。魔法の方がエリカにしてみればもっともっと不思議なのに、こんなことで驚いている。

「魔法で自在に色を変えられる人たちから見たら、わざわざカラコンを入れる必要はないよね」

 エリカは苦笑する。
 そんなエリカを見て「そんなことはない!」とジンが否定する。

「本当に驚いているのよ。私たちは魔法や幻術を使うから必要ないって思うかもしれないけど、あり得ないことなの。瞳の色は絶対に魔法では変えられないのよ。だから……とても驚いたわ」

 エヴァが詳しく説明してくれた。
 髪の毛や、見た目をそれらしく幻術で誤魔化すことができても、瞳など、デリケートな部分に幻術はかけることは出来ないのだそうだ。
 それならエリカの瞳の色が時々変わっていたのを見て、さぞ驚いたに違いないと納得した。

「そうだったんだ……っていうことは、もしかしてカラコン外したところ、誰にも見られたら拙いってことだよね?」

 エリカは思い当った事実に唖然とする。
 それはこれからの生活ですごく不便で、大変ではないだろうか。いや、確実に辛いに決まっている。唯でさえドライアイなのに……。
 
「そうゆうことになるな。……おい、大丈夫か?」

 嘆息しているエリカを気遣うようにジンがポンっと頭に手を置く。

(お父さんみたいだ)

 心配そうに覗きこむジンの深い蒼色の瞳を見てエリカは微笑んだ。
 大丈夫、きっとその解決策をきっとこの2人は一緒に考えてくれる。頼りになる。本当にお父さんとお母さんみたいだ。
 この世界の家族。頼りになる。

「どうすればいいと思う? ウィルはこの家に泊まる……んだよね? ばれないように過ごすにはどうすればいいかな?」

 エリカの相談に知恵を絞ってみるが、とりあえず今すぐの解決策を得るにはいたらなかった。
 少し時間がもらえれば、カラコンをどうにかもう少し何日かつけっぱなしでも大丈夫になるように魔法でどうにかならないか、エヴァが研究してみてくれるそうだ。
 問題はそれまでどう乗り切るかだ。
 それはエリカの努力と2人の協力でどうにか乗り切るしかない。

「がんばってみる。エヴァ、お願いね」
「わかったわ。任せておいて」

 エヴァはニッコリとウィンクしてエリカを二つ隣の部屋のカウンターへと送り出した。
 エリカがカウンターに戻ると、ウィルが顔をあげる。
 エリカはエヴァが持たせてくれた小料理とお酒をカウンター越しに給仕する。

「はい、どうぞ」
「お、ありがとな。……あ、ありがとうございます!」
 
 ウィルがエリカの後ろに目線を移したのを見て、エリカも振り返ってみると、ジンとエヴァも酒場の方へやって来たようだ。
 ジンはウィルの隣の席に腰かけ、エヴァに酒を頼んでいる。
 一緒に飲むつもりなのかもしれない。うらやましい。

「いいなぁ」
 
 羨ましそうにエリカが呟くと、ジンとエヴァがキッと鋭く睨みを利かせ、「だめっ!」と声をそろえて言われてしまった。はぁ、飲みたい。
 ウィルはそんな様子のエリカを見て笑っている。
 
「俺、いや、私はジン元団長殿と一緒に飲めて光栄です。ヴィンセント団長から色々と伝説を聞かされていたので、本当にうれしいです!」

 ウィルが少年のように翡翠色の瞳を悪戯っぽく輝かせてジンに話しかけている。
 そんな様子にジンも、カウンター越しに給仕していたエヴァも顔を見合わせて笑っている。

「アークライト、君の部屋なんだが、息子のジャックの部屋を使ってくれ。とりあえず、こんなに早く迎えが来るとは思ってみなかったから、客室の準備がまだ出来ていないんだ」
「ごめんなさいね。2、3日中にはちゃんとした貴方の部屋を用意するわ」

 ジンとエヴァの言葉にウィルは恐縮している。
 元はと言えば、ウィルが早く来すぎたのにも問題はあるのだ。義理の父(ヴィンセント)の命令を破って陸路以外の方法できたのは彼だ。文句は言えないはずだ。

「いや、本当に俺が早く来すぎたんですから、気にしないでください。それに息子さんの部屋なんてわざわざ用意してもらわなくていいですよ。数日なら、こいつの部屋に厄介になりますから。な、エリック」

 ウィルはそう言うとエリカに向かって「頼むなっ」と右手を挙げた。

「駄目だぁぁぁぁぁ!!」

 急に部屋の温度が下がったようにヒヤリとした空気が流れ込んだ。
 外へのドアが開いている。
 酒場の中へ喘鳴(ぜいめい)をさせながらフラフラと侵入してくる怪しい人影が濃灰色のローブの裾を引きずりながら近づいてくる。

「ヒィィィっ」
 
 エリカは思わず小さな叫び声を漏らしてしまう。

「駄目だったら、駄目だァー!!」

 ウィルは椅子から立ち上がり怪しいローブの人物の前で膝を折って礼をする。

「団長、わざわざ様子を見にいらしたんですか?」

 ウィルの言葉を聞き、ハッと見てみると丁度ローブをはいだところだった。
 義理の父(ヴィンセント)だ。人騒がせな……。

「ヴィンス、来たのか」
「あら、兄様」
「お……お父さん?」

 ヴィンセントはズカズカとジンの隣に陣取り、ウィルの飲みかけの酒をあおった。

「絶対にエリックと同じ部屋はだめだ。今日は俺が息子の部屋に泊まる」
「えっ?」

 どうやら今夜はまだまだ長丁場になりそうだ。エリカは嘆息し、やれやれとヴィンセントとウィルのために新しい酒を用意した。



[26673] 15  おはようの朝
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 23:00
「はい、ウィル同じので良い? お父さんは何飲みますか?」

 エリカはグラスを2客出すと、エヴァから鋭い一瞥を投げかけられた。
 魔法で出せということらしい。まだ現出の魔法は苦手だ。グラスなどの割れ物は特に。グラスやお皿、酒瓶、そして居住スペースで使用する物など、色々な物にはエヴァによって座標指定の魔法がかけられている。
 エリカは酒瓶の座標に意識を集中して現出の呪文スペルを古語で唱える。
 勢いよく現れたそれに飛びつき、なんとか落とすことは免れた。

「ラキをくれ。水割りで」

 ヴィンセントが注文した銘柄の酒瓶も呪文で呼びよせる。
 ウィルは先程のケレスをまた頼んだ。
 冷えたグラスの片方には氷を入れ、ラキを注ぐ。そこに水を加えていくと透明だった蒸留酒がミルクのように白濁していく。
 さすがに中身を溢すと大変なのでカウンター越しにラキを渡し、ケレスをグラスに注いだ。
 ビールのように琥珀色の液体が泡立つ。
 エリカは物欲しそうな表情をしながらウィルにケレスの入ったグラスを渡す。

「どうぞ」
「ありがとな」

 ジンとヴィンセント、ウィルの3人が酒を飲み交わしてしているのをカウンター越しに見ながら、エヴァとつまみの追加の準備をする。
 
「……それでお前はなんでこんなに早くここに来てるの……かな? ウィル・アークライト」
 
 底冷えのするような凍てつく声とは裏腹に、穏やかな口調でヴィンセントが問いかける。
 その相対する一言が彼の怒りを表しているようで、不気味な迫力を宿していた。
 ウィルはそんなヴィンセントの怒りに当てられても顔色を変えることもなく飄々としている。

「なるべく早く着くように努力したんですよ。団長」
「お前には陸路で行くように言ったはずだが。ちゃんと陸路の安全を確かめて行けと言っただろう」
 
 言い争いになってしまった2人を諌めるようにエヴァが仲介に入る。

「兄様、もっと言って頂戴。ル・アークライト、本当貴方来るの早すぎよ? ちゃんと陸路から行ってもらわないと困るのよ。行きも安全性を確かめることが重要なの。それにこんなに早く来て何をするつもりだったの?」

 ……言いなおそう。諌めるどころか、火に油を注いでいた。
 さすがのウィルもエヴァからの攻撃は効くようで、狼狽している。
 ジンは……というと、ひとりで黙々とケレスを飲んでいる。話を挿む気はないらしい。

「ちゃんと陸路の安全性は確かめましたよ。少し前に休暇でリーラベルまで来たときに。その時エリックに会ったんだよな?」
「えっ? あ、うん。偶然リーラベルの酒場で会ったんだ。……まさかここで再会するとは思ってなったよ」

 この間リーラベルで出会った時にウィルは陸路で来たと言っているのだろう。
 確かに幾分も日がたっていないので彼の選択は間違っていないとエリカは思った。『時は金なり』と言うではないか。効率的で合理的な考えに賛同する。
 それにしてもなぜそんなにも陸路にこだわるのだろうか?
 エリカとしてはわざわざ時間をかけて大変な道を行くよりも飛鉱艇で行く方が良いように思えた。
 それに飛鉱艇という響きがワクワクするではないか。魔法の力で飛ぶという異世界ならではの乗り物に是非乗ってみたいと好奇心が疼くのだ。
 
「……そう。それならいいわ。だけど……エリックと王都に向かうときは必ず陸路で向かって頂戴ね」

 遠い目をしてそう言ったエヴァの横顔はとても悲しそうに見えた。きっといなくなった娘、クリスティーヌのことを思っているのだろう。
 だからなのかもしれない。ここまで陸路と安全性にこだわった理由がエリカにはわかった気がした。

「わかりました。約束します」

 力の籠った眼差しでしっかりとエヴァを見やるウィルの瞳に曇りはない。翡翠色の煌めきはエヴァに信頼するに値する理由を与えたようだ。エヴァも人の性質を見抜くことに長けている。
 少し気まずい空気も酒が進む頃には消えてなくなっていた。
 いい具合にホロ酔いの男性3人と、いつの間にかカウンターのジンの横に座り込み一緒にヴィヌムを飲み始めたエヴァ。
 ひとりエリカがカウンターで酒をつくっていた。
 
「……生殺しだわ」

 ボソッと独り言ちる。
 目の前でおいしそうに飲む姿だけ見せられて飲めないなんてエリカには耐えられない。大の酒好きにはどんな罰ゲームだろう。
 裏のキッチンにグラスを片づけ手早く洗いものだけ済ましてしまう。
 もう彼らは放っておいて、ひとり先に寝るつもりだった。まだ盛り上がっているので今のうちに入浴も済ましておいた方が色々と都合も良いだろう。
 エリカはそのまま2階の自分の部屋へ上がって行った。一応念の為に補正ベルトと幻術はかけておく。
 入浴を済ましたエリカは、自室へと戻りベッドに潜り込む。
 カーテンを硬く閉め、朝の光は届かないように、魔法でシェードを2重にかける。固定だ。
 明日は5時にコンパスでの上空発光をするギリギリに間に合うように起きようと、すぐ出発出来るように服も着たまま布団入った。
  
「飲んだくれどもめ……私だって飲みたいのに」

 ◆ ◆ ◆

 エリカがうつらうつらと深い眠りに落ちようとしている時、部屋の扉が開く気配がした。
 カラコンの入っていない視野のぼやけた目を凝らし、入口を凝視する。
 フラフラとまるで宙を歩くようにベッドへ向かって来る人影が見える。体格からして男性だということが辛うじてわかった。
 ヴィンセントだろうか。今晩は彼がエリカの部屋に泊まると恐ろしい形相でウィルに宣告していたのできっと義理の父(ヴィンセント)に違いない。
 エリカはベッドを抜け出し、真っ直ぐにベッドにふらつきながら向かってくる人物に手を貸し、ベッドの足もとにあるソファへ支えて歩く。
 部屋は真っ暗なので、良く知らない人にはおぼろげにしか家具の場所はわからないだろうと手引きした。
 がっしりとした腕を左手で掴み、逞しい背中に右腕をまわしソファに押していく。
 ラキの甘い香りがする。相当飲んだのだろう。
 ライオンのミルクと呼ばれるとても強いお酒だ。大の男(ライオン)でも飲みすぎると猫のように丸くなって寝てしまうという曰く付きのものだ。
 なんとかソファに横たえベッドに戻ろうとすると手を引かれた。思わず勢い余ってソファに座り込んでしまう。

「ありがとな」

 そう投げかけられた言葉に目を凝らして顔に見やると暗闇の中でも色彩の薄い髪が視界に入る。
 
「……ウィル」

 そのまま寝息をたてはじめたウィルに苦笑し、立ち上がろうとしたがウィルがしっかりと上着の裾を握って離さない。

「かわいい。おやすみ、ウィル」

 そうっと起こさないように指を外し、エリカも布団に戻り眠りに落ちていった。
 うとうとと微睡(まどろみ)の中を揺蕩たゆたっているうちに、夜の帳は明けていく。薄らと白み始めた空。だが、エリカの部屋はしっかりと朝の光を締め出して闇に包まれている。
 それでも魔法でおろされたシェードから漏れ出した朝日が1日の始まりを確実に運んできはじめていた。
 春の早朝は冷え込む。だが今朝はとても暖かい。

(温い……)

 エリカはぽかぽかの温もりに包まれる。
 日だまりの中のような居心地の良さ……?
 薄らと目を開けると金色の長い睫毛と彫の深い彫刻のように整った顔を縁どるブロンドの髪が目に入った。
 ウィルの左腕を枕に向かい合うように抱きしめられ寝ていたのだ。
 この状況には納得できないが、不思議とそんなに嫌ではなかった。きっと彼もエリカと同じように酔っぱらうと色々と失敗してしまうタイプなのだろう。
 エリカはウィルが目を覚ます前にカラコンだけ入れてしまおうとベッドサイドにあるケースに腕を伸ばすが、しっかりと抱きしめられていて身動きがとれない。
 部屋の中が薄暗いのがせめてもの救いか。ウィルが目覚めてもなるべく俯いておこう。瞳の色を見られても部屋の暗さを理由に誤魔化せばいい。
 そう考えまた瞳を閉じた。

「痛てぇ!」

 大きな物音と呻き声、そして狼の唸り声のような音が聞こえる。
 エリカは恐る恐る目を見開くと彼女を覗きこむ紫色の瞳と視線が合った。義理の父(ヴィンセント)だった。
 エリカに向ける眼差しは優しい。
 さっきまでエリカの隣で寝ていた彼はいない。起き上ってみると床に転がっているのが見えた。
 なんとなく状況が理解出来たエリカは、ヴィンセントとアイコンタクトし素早く扉へ向かう。

「おはよう! トイレ行ってくる。……あぁ洩れそう」

 サイドテーブルのコンタクトケースを掴み洗面所へと向かった。
 ヴィンセントの助けがなくてもなんとかなったとは思うが、義父は頼りになる。ちゃんと見守っていてくれているんだなと再確認できた。
 レンズを入れ身だしなみを素早く整える。
 幻術に乱れはないか確かめ部屋へと顔を出す。

「おはよう。お父さん、ウィル。僕いつもの日課に行ってくるね!」
「おいっ……」
「うむ。行って来い、息子よ。こいつは俺が絞めとく」

 そう言い残し家を後にコンパスへと向かう。
 ヴィンセントがさらっと物騒なことを言っていたが、まぁ大丈夫だろう。……きっと。

「みぃたん、おはよう。おいで!」
「みぃー」
 
 飼育小屋にみぃたんを迎えに行く。
 エリカの方へ駆け寄って来たそれのふわふわな首元に抱きつき顔を埋め、わしゃわしゃと身体を撫でると目を細め気持ち良さそうに鳴き声をあげる。
 
「みぃー」
「うふふ。今日もかわいいね! みぃたん」

 みぃたんの背に毛布をかけ鞍を置き腹帯で固定すると、エリカは手綱を引き外へと連れ出した。
 まだ5時前。日が昇り始めたばかりなので丁度目に射し込む角度の光が眩しい。
 陽光に目を細めながら鞍に跨ろうとするところで後ろから声をかけられた。

「エリック! 俺も行く」
「ウィル! 大丈夫だった?」

 先程の状況から彼がヴィンセントからの制裁を免れたとは考え難い。……いや、ウィルなら上手く誤魔化して抜け出してこれるかもしれない。優に今、彼はエリカの目の前にいる。
 それにエリカたちは何もやましいことはしていない。単に酔っぱらって寝ぼけでもしたウィルがベッドに間違って入ってしまったという笑い話だ。
 エリカは今、男性に身を寠(やつ)している。だから女性だから持っているであろう危機感もそんなには感じてはいなかった。ウィルの人格をかっている、信頼できているのも大きな要因だ。
 エリカはウィルを一瞥し、急ぐように声をかける。
 時間までにコンパスに辿り着かねばなぬのだ。今から他のキャロに鞍を置き準備する時間もまどろっこしい。

「ウィル。僕、急ぐんだ。この子の後ろに乗って。もう出ないと」
 
 エリカは自分の後ろに乗るよう声をかけ、自身もみぃたんに跨る。ウィルもフラップに足をかけようとするが、みぃたんはもの凄い速さで走り始めてしまった。
 
「ちょっ……! みぃたん?! ウィル! とりあえず行くから、ついてくるなら走って!」
「うをっ! わかった、先行けっ」

 スビアコ村の外れまで走りコンパスへと続く石段を駈け始めたみぃたんにしっかりと捉まり、終着点を目指した。チラリと後ろを見やるとウィルが怒涛の勢いで登って来る。

「速っ!」

 凄い脚力だ。
 最後の階段を登りきって巨石の遺跡にたどり着いたエリカは、魔従キャロのみぃたんの背から降りる。程なくしてウィルも姿を現した。本当に早い到着だ。
 左袖を捲り腕時計を見やると4時51分。そろそろ時間だ。

「お疲れ様。凄い速くてびっくりした。凄いね、ウィル」
「あぁ、さすがにキャロの脚力についていくのは大変だったよ。もう少し長い距離だったらもっと引き離されてたと思う」

 ウィルは乱れる息を整えながら額の汗を拭う。
 エリカはウィルの手を引き、遺跡の真ん中へと歩く。

「これが僕の日課なんだ」

 エリカは時計の針が5時を示す瞬間を待ち、上空へと光線を放った。

「……っ! お前っ、結構やるな。凄い魔力だ」

 ウィルは一瞬辺りを包んだ強い光に目を細めながら彼女に視線を向けた。

「え? そうなの? 僕魔法は苦手なんだ。調節が上手くできなくて……。唯一これだけかな、得意なのは」

 そう言い、エリカはにんまりと笑った。
 帰りこそはみぃたんに相乗りしていこうと試みたのだが、どうやらウィルはみぃたんの機嫌を損ねてしまったようだ。いくらウィルがみぃたんに近寄ろうとしてもふいっと頭を逸らしてしまう。

「みぃたん? あれ、どうしたんだろうね。うーん、なんか機嫌が悪いみたい」
「俺、なんかしたかなぁ」

 結局2人と一匹は家まで歩いて帰ることにした。
 エリカとウィルが並んで歩いているとみぃたんが間に入ってきてウィルをくちばしで突くのだ。

「え? 俺お前に何かしたか? ちょっ!」
「みぃたん! どうしたの? やめなよ」
「みぃ」

 本当に今日は機嫌が悪いみたいだ。どうしたんだろう。
 
「……嫉妬かよ。お前男だろ」

 ウィルがぼそっと呟いた。



[26673] 16 マルクス・ヨッカー 
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:836b9f84
Date: 2011/08/20 22:54
「なんでウィルが一緒なのかな?」
「ん? だって俺、お前のお守頼まれたし」
「みぃ」
「みぃー」

 魔従キャロに乗りリーラベルへの山道を下るエリカとウィルはコーワン学究院へと向かっている。
 今朝の日課を終えたエリカが朝食後学校へ行こうと飼育小屋でみぃたんを連れ出そうとしていたところをウィルにつかまったのだ。
 エリカがみぃたんに鞍をつけ終え外に出たところ、すでに鞍上(あんじょう)の人であったウィルに呼び止められ、今こうしてキャロで並んで駈けている。

「学校にまで一緒に来るの?」
「そうだ。気にするな」

 苛立ちを隠さずそう言うと、なんでもないことのように綺麗な笑みを浮かべるウィルに嘆息する。
 まさか本当に学校まで着いてくるつもりなのだろうか。
 お守といっても、こうどこまでも金魚のフンみたいに一緒だとかなわない。唯でさえウィルにはエリカが女性であることも異世界から来たことも秘密にしているのに、いつもこんな風に隣にいたら気が抜けないではないか。

「気にするなって言われてもさ。気になるよ、何その格好?!」

 マンスフィールド教授が着ていたマントのようなローブ。胸にコーワン学究院のエンブレムが入っている。
 さっきから気になっていたウィルの着ているローブはエリカの着ているものと同じものだ。そして教授のと同じデザイン、色違いの灰色のローブ。
 オリエンテーションの後に各自に配られたものだった。袖を通したのはエリカも今朝がはじめてだ。なぜウィルも着ているのか。まさかとは思いながら聞いてみる。

「俺も通うから。お前と一緒に」
「はぁ?!」

 どうやらウィルは本当に片時もエリカと離れる気はないらしい。監視をされているようななんとも居心地の悪さを感じる。
 ウィル自体傍にいても嫌な人物ではないのだが、あまりにも露骨な見守り方をされてしまうとふらっとひとりで消えてしまいたくなる。エリカは基本的に自由人だ。束縛は苦手。……といってもすでにウィルの存在に慣れてしまっているエリカがいる。
 なぜかウィルといると安心する。それは今までのエリカからは考えられないことだった。男のフリをしているせいもあるかもしれない。
 女性としてではなくひとりの人間としての付き合いが、とても心地の良いものに感じた。見た目に惑わされ寄って来るような軽い男性たちとは違う。エリカをエリカとして扱ってくれる。そんな生活が新鮮で男装も悪くないと思っていた……。

「エリック? 何、そんなに嫌なのかよ。だいぶ無理して俺も一緒に通えるように手回ししたのに」
「……え? 嫌だよ。だって僕だって自由が欲しいに決まってるじゃないか!」

 急に地面を見つめるように俯いたウィルの姿に言葉が過ぎたかと少し心配になった。みぃたんを操り近づいていくと背中が小刻みに揺れている。

「……ウィル。何笑ってるの?!」

 こいつ笑ってやがる。本当にふざけた奴。

「ぷははははっ。だってお前があまりにも簡単に騙されるからっ……くくくくくっ」

 落ち込んだように見えたそれは、ただ単に笑いを堪えていたのだ。

「何なの?! いやっ、もう本当にムカついてきた。みぃたん行くよっ」

 エリカは魔従キャロみぃたんの腹を踵で軽く触れ速足(トロット)で駈けだした。

 リーラベルの街中に入ったエリカは、みぃたんから降り手綱を引いて歩く。
 隣にはすぐに追いつき並んで歩くウィルがいた。

「エリック、ごめん機嫌直せよ。このローブは唯の冗談だ。学校には行かない。送り迎えだけしようと思ってだな……」
「……本当に? 随分手の込んだ冗談だけど」

 エリカはまだ着られたままの灰色の学校支給のローブに目を向ける。

「あぁ、これか。学校に本当に通うんじゃないが……学生のふりはしようと思ってる」
「なんでそこまでするの? 必要があるの?」
 
 怪訝そうにそう尋ねたエリカに彼は愉快な悪戯を思いついた子供のような顔で笑みをたたえる。
 その顔は2つ年下の弟がよく見せる顔にそっくりだ。エリカは日本で元気にしているであろう家族に思いを馳せた。
 なぜだか記憶に霞がかかったみたいで上手く思いだせないが幼いころに悪戯を一緒に考えている時の弟の顔のように見えたのだ。あれはいつだったか――?
 
「ちょっと学生気分を味わおうかなって思ってな」
「何ソレ。変なの!」

 冗談か本気なのかそんなことを言っているウィルに振り回されながらも、賑やかなマーケット街を抜けクレアモント通りにさしかかる。この道を抜けるとそろそろコーワン学究院だ。
 リーラベルの郊外に位置する学校のキャンパスが見えてくる。緑豊かな場所に佇む白磁のような建物。
 エリカとウィルはキャンパス内のキャロ専用の小屋にみぃたんとウィルの乗っていた魔従キャロを預け校内と入っていく。
 
「じゃあ俺はここで。エリック、授業が終わったら図書室に来てくれ」
「わかった。じゃあもう僕行くね」

 ホールを抜け各教室への廊下が始まる辺りで別れを切り出した。
 ウィルも教室とは反対の方向へと目を向ける。

「ああ、がんばれよ」
「ウィルも本でも読んで知識を高めるように!」
「何だよ、それ」
「ぷははっ。そのまんまの意味だよ。じゃあね!」

 クスクスと笑いながら片手を振りながら教室へと向かう。鞄から啓示板を取り出し、今日の授業の講義室の場所を調べる。
 まだ慣れない魔導具のそれに触れ起動させるとガラス盤のようなそれが黒曜石で出来た黒板に変化する。浮かび上がる文字は色とりどりの蛍光色。まるでエリカに必要な情報がわかっているかのように思い浮かべたものの詳細な案内が表示された。今日の時間割に教室までの道順など。どういう仕組みかはわからないが、すごく便利な道具だ。欲を言えば学園外でも使用できたら良いなと思う。
 1限目は歴史。教授はエリカのホームクラス、星のネストの監督教授マンスフィールドらしい。彼がどのような授業をするのかとても興味がある。
 モーリーやマルクスも同じクラスだといいなと思いながら、歴史の講義へと向かう。
 啓示板の地図を見ながら廊下を進むと、エリカのように板を見ながら歩く生徒たちが疎らにいる。毎月新たな生徒が試験を受け入学してくるので彼らも新入生だろう。
 学力によってそれぞれの授業のクラスは振り分けられるらしいので、新入生と在校生とが同じクラスということも少なくないようだ。
 唯、ホームクラスだけは同じ月に試験を受けた生徒たちで構成されるので、不安なことや困ったこと等を一緒に共有する仲間になるわけだ。
 そんなことを考えながら歩いていると、教室に辿りついた。コーワン学究院の中は本当に広い。そして複雑な造りでもある。啓示板がなければエリカならば迷子になったに違いない。
 開かれた扉をくぐり教室へ入っていくと見覚えのある赤褐色の髪の毛が目に入る。後ろ姿しか見えないがあれはきっとマルクスだ。マルクス・ヨッカー。留学生の青年だ。
 
「マルクス!」

 そう呼び掛けたエリカの声で彼は振り返った。
 
「エリック! 君もイッショのクラスダッタンダネ。良かった、キット俺ダケだと思ったンダ。オチコボレのクラスにようこそ」
「それ言うなよ。まぁ自覚はあるけどね」

 マルクスの言うようにこの歴史のクラスは落ちこぼれクラスに違いない。初級クラス。そう啓示板には書かれていた。
 少し外国訛りのあるマルクスが歴史が苦手だとしても不思議なことはない。
 エリカも異世界から召喚されたことを考えれば全くわからないことに変わりはないのだが、それを誰かに話すわけにはいかない。今エリカは、エリック・カスティリオーニというハウメア・ヴァレンディア王国での立派な籍がある。父親は王都の魔法騎士団長。上流社会でも通用する身分だろう。
 そんな境遇にあるエリックとしての彼女が歴史が全くわからないというのはあまり人に知られない方が良い。少しでも早くこの世界について学ぶ必要がある。
 マルクスには貴族の馬鹿な放蕩息子とでも思わせておこう。
 
「さぁ席に着こうか」
「ソウダネ」
 
 ちょうど2人が席に着いた時、マンスフィールド教授がローブをはためかせながら颯爽と教室に入ってきた。机の間の通路を歩きながら生徒達を見渡すと、「全員出席。よろしい」と言ってにっこりと笑った。
 
「さて、教科書だが君たちにはこれが良いだろう」

 そう言って各自の机上に現出されたのは分厚い本が3冊。国史、世界史、ハウメア記と書かれている。中をペラペラとめくってみると、簡単な言葉でとてもわかりやすく書いているようだった。
 隣の席のマルクスのを一瞥すると、彼も教科書を開き、ゆっくりと一文一文指でなぞりながら読めているようだ。

「教科書を見てもらえばわかるように、この歴史のクラスでは国史、ヴァレンディア王国と密接に関わっている国々の世界史、そしてハウメアの成り立ちを学んでいく計画だ。ここまでで何か質問は?」

 居心地の良い広めの書斎のような教室にいる8人の生徒たちの一部でクスクス笑いが起こる。

「ラ・ヘイノどうしたのかね? 私は何か可笑しなことでも言ったかな?」

 マンスフィールドは笑いの起こったところにいる女生徒に尋ねた。

「ハウメア記なんて本当に習うんですか? だってそれはおとぎ話でしょう?」 
「そうか。君はおとぎ話だと思っているんだね、ラ・ヘイノ。確かに失われた歴史は今では一般的には夢物語のように伝えられているが……もしもそれが本当に起こったことだとしたら? それを学ぶことはとても重要だと思わないかい?」 

 マンスフィールドの言葉に虚を突かれたような顔をしている少女ラ・ヘイノが「信じられないわ」と囁く。
 ラ・ヘイノの隣の女生徒も顔を見合わせ驚いているようだ。
 マンスフィールドはそんな様子の生徒たちににっこりと笑い掛け、教室の他の生徒を見渡した。

「どうやら君たちの多くは、ラ・ヘイノと同じ意見のようだ。失われた歴史は時を経るにつれだんだんと忘れ去られ、伝説のようなものになってしまったからね。……しかし失われた時代は存在する。これは私の研究対象でね。是非若いみんなに継承していきたいと願っている」
「僕は信じます。先生」
 
 エリカは教授の意見を支持した。
 マンスフィールドの言葉はエリカにとって思ってもいない収穫だった。ハウメアの失われた時代のことは彼女の知りたいことそのものだ。エリスのことがわかるかもしれない――そう思った。
 ジンとエヴァが言っていた。その昔、ハウメアとエリスはひとつだったという伝説があると。ハウメア記を学べば得るものもあるだろう。
 それにしても本当に一般的にはおとぎ話だと思われているらしい。今日の生徒たちの反応がまさにそれを表していた。
 
「ありがとう。ル・カスティリオーニ。では授業をはじめよう」

 マンスフィールドは3冊の分厚い本を空中に並べパラパラとページをめくる。

「さてまずは君たちに馴染みの深い国史から勉強していこうか。そしてもっと身近なことから学んでいこう。ル・ヨッカー、君は留学生だったね?」

 教授はマルクスに質問する。
 マルクスはあてられた瞬間びくりと身体をこわばらせたが「はい、ソウデス」と返事をした。

「ル・ヨッカー、君は今ここにいる生徒たち、学究院に学びに来ている生徒が、一体この国の子供たちの何割位だと思うだろうか?」

 マンスフィールドの質問に暫し考え込む様子だったが、マルクスは答える。

「たぶん、5ワリ? ガッコウに来る子とカテイキョウシに家デナラウ子がいるトオモウからです」

 マルクスの答えに教授は頷きながら続ける。

「うむ。興味深い答えだね。大体それは正しいと言える。ル・ヨッカーが答えてくれたように、ヴァレンディア王国では、半数が学校に通い、また半数が家庭で学ぶ。これはその家々でどちらを選択しても良いことになっているんだ」

 マンスフィールドはそこで一呼吸置き、空中に浮かんだ本のあるページで指を止め、その一文を読み始める。

「国史の教科書の37頁を見てみよう」

 生徒たちは本をめくり始める。

「確かにこの国では学究院で学んでも家庭で学んでも良いことになっているが、それでは学力に差が出ることになると思わないかい?」

 そこで一番前に座っている女の子が手を挙げた。ラ・ヘイノの隣に座っている女の子だ。

「ラ・チェン」
「はい。確かに先生のおっしゃる通りこの国では学究院で通っている者と家庭で学んでいる者に学力の差が出ています。学究院ではある基準までの学力に届くように勉強していきます。家庭では基準に満たないことも多くあるし、逆に基準以上の高い知識を得るような教育をしている家もあります」

 エリカはラ・チェンと呼ばれた女生徒の明瞭な答えに舌を巻いた。初級クラスでもこの位答えられないとならないのだろうか。

「すばらしい。ラ・チェン。君の言うとおりだ。でもまだ忘れていることがあるな」

 そこでマンスフィールドは男子生徒の方を見つめる。

「ル・スカリ。ル・ヨッカーとラ・チェンの答えに付け足してくれないか? そう。君の指差している一文のところに載っているね?」

 男子生徒は教科書を見ながら答える。

「えーと、この国では全ての18歳までの子供が等しく学ぶ権利があり、保護者や後見人はそれを認め、学ばせなければならない」

 マンスフィールドは頷きながらそれに付け足した。

「ありがとう、ル・スカリ。その通りだ。この国では全ての18歳までの子供たちが等しく学ぶ権利がある。一昔前まで考えられなかったことだね。学究院で学び始めるのは6歳から8歳位からだ。10年間学ぶことが義務付けられている。ただし学力が満たない時は落第もある。最大5回落第してもまた学ぶことが出来る。ここまではわかるかな?」

 そこでラ・チェンがまた手を挙げた。

「ラ・チェン。どうぞ」
「先生は学校でも家庭でも学んでいない子供たちのことを忘れているわ」

 マンスフィールドはにっこり笑ってとても満足そうに頷いた。

「君は本当に素晴らしいよ、ラ・チェン。そう。私は君たちに知っておいてもらいたいことがある。それはラ・チェンが言っていたように学究院でも家庭でも学ぶことのできない子がいるということだ」

 教室が少しざわざわとなる。きっと知らない生徒もいたからだろう。
 エリカも当たり前のように義務教育がある国で生活していたので、生活水準がある程度高いこの国の識字率が100%ではないという事実は驚くべきものだった。

「この国で身分制度が今のような形骸化されたものになる前には、学究院で学ぶことが出来るのは貴族の子息、子女だけだった。それが段々と大商人の子供たちや普通の商人の子、農民たちにも門徒は開かれたが、まだまだ貧しい家では学究院へ行けないということも珍しくない」

 マンスフィールドの言葉にみんな熱心に聞き入っていたが、まだ当てられていなかった男子生徒が興奮した様子で教授の話に追々する形で発言する。

「でも身分制度はまだ残っているし、議員などの名誉ある職業や新しい事業に乗りだすことの出来るのは貴族などの一部の特権階級や大富豪だけじゃないですか!」

 「そうだね。君の主張はもっともだ、ル・リバー。確かに身分制度はまだまだ残っている。それは今までの慣習からだったり、これまでの貴族が領民を守ってきたことの賞賛からかもしれない。そしてこのハウメアを守ってきたことに対しての……もっともそれは君たちにはおとぎ話だと思われているがね」

 マンスフィールドは一呼吸置いて話し始める。

「学究院の授業料は基本的に無料だ。国と町で支援しているからね。でも全てじゃない。君たちの着ているローブ――これは特殊な生地で出来ていてね。とても高額なんだ――そして教科書、本も高額だね。後はそれぞれの授業で使う材料――薬学などで使用するハーブなどの素材だね――これらのものは君たち自身で用意しなければならないものだ」

 教授の言葉に反応してエリカとマルクスの隣の島にいる女生徒達が発言する。

「だから貧しい家の子たちは学校にこれないのね」

 フムとマンスフィールドは頷きながら女生徒に視線を向けた。

「そうなんだ。ラ・スペンサー。君の言うとおり、授業料を支援して学究院で学ぶよう促しても貧しさを理由に子供を通うことを認めない保護者や後見人はいる。しかし問題はそれだけではないんだ。ラ・ワイルド、他にはどんな障害があるだろうか? もちろん学ぶことに対する障害だよ」

 ラ・ワイルドと呼ばれた女の子は先程発言したラ・スペンサーと顔を見合わせ相談しているようだ。
 暫くして彼女は答える。

「えーと、例えば貧しい農民の子の場合は子供たちも働かなければならないので両親は学校に行かせられないのだと思います」

 教授は満足そうに頷く。

「そうだね。ありがとう、ラ・スペンサー。その通りだ。貧しい家では子供たちも重要な働き手なんだ。ヴァレンディア王国ではそういう子たちにも学ぶ機会を与えようと働くのは18歳になってからという法をつくったが、抜け道があるんだ。君たちの何人かも経験があるかもしれないね」
 
 マンスフィールドの言葉にル・リバーが手を挙げた。

「僕は小遣い稼ぎに商人ギルドに仕事を紹介してもらったよ」

 エリカもこないだ商人ギルドで小包をリーラベルの店まで届けたことを思い出し、ル・リバーの発言に身を乗り出す。18歳から働く、というのは知らなかった。

「そう。ここで商人ギルドの特例が出てくるんだ。ありがとう、ル・リバー。今では大商人は貴族と同じ位の力を持っている。……まぁ貴族にしか与えられていない特権はいまだあるわけだが――それはハウメア記が関係してくるので今説明するのはやめておこう――嘗て商人たちは自分たちが力を持てるように組合をつくり商売を独占していったんだ」

 マルクスがぶつぶつと隣で何か呟いているが、エリカは教授の言葉に神経を集中させ待った。

「それが商人ギルドの始まりだ。そうして今では大商人と貴族の力は均衡してきている。ある程度まではと付け足さなくてはならないがね」

 そこでマンスフィールドは教科書を閉じた。空中に浮かんでいた3冊の本は教壇の上へと綺麗に積まれる。
 エリカは腕時計で時間を確かめた。一時間半経過していた。マンスフィールドの授業には本当に引き込まれた。
 生徒たちもみんな一心に教授の話に聞き入っているようだ。そしてマンスフィールドはひとりひとりが考えるよう仕向ける上手な案内人に違いない。
 
「今日の最後に、なぜ貴族や大商人たちと一般的な市井の人々の間に貧富の差が生まれているのか――一旦この国の富は等しく再分配されたことは知っているね? 身分は名称だけ残し、貴族が持っていた領地も国に返還された。この国は王政だが、実際に政治を行っているのは国民に選ばれた議員たちだ――それでもなお貧富の差は広がっている。それが今日の宿題だ。なぜ今なお貧富の差が埋まらないのか、それを各自調べてくるように!」

 マンスフィールドの出した宿題にみんなざわめいている。エリカも隣のマルクスもお手上げといったように嘆息していた。
 
「マルクス! 宿題一緒にやらない?」

 エリカはマルクスに声をかける。

「うん! ヨカッタ、君とイッショにできたら心強いヨ」

 マンスフィールドが教室を見渡しにっこり笑う。

「もちろん協力し合ってしてくるのは構わないよ。では今日の授業はおしまいだ」

 そう言って教壇の上の本を消し、颯爽と教室から出て行った。
 歴史の授業が終わり生徒たちのいなくなった教室でエリカとマルクスは先程出された宿題について相談していた。

「マルクスこの後魔法の授業でしょ? 僕は授業ないんだ。マルクスが終わるまでちょっと調べておくよ」
「俺も魔法はトッテナイんだ。デモ待ってテ。モーリーにツタエテクルカラ」

 そう言うとマルクスは教室の外へと駈け始める。
 
「あ! マルクス、僕は図書館に行ってるから。そっちに来て」
 
 マルクスはエリカの言葉に「OK!」と返事をすると親指を立て腕を大きく振って出て行った。

「え……?! マルクスも魔法の授業受けないんだ……もしかして」

 考え込むようにマルクスの背中を見送った。  
 エリカはこの後しばらく時間が空く。これからある魔法の授業が免除されているからだ。
 かといってエリカは魔法が得意な訳では決してない。エリカが魔法は家庭で学ぶことを選択しているから授業を受けなくても構わないという理由からだ。
 魔法はエヴァから教わっている。まだ生活に必要な基本的な魔法しか習っていないが、彼女は良い教師だろうと思う。魔法に関する何の知識もないエリカに一から叩きこむのはとても骨の折れる仕事だと推測された。
 唯一救いがあったのは、エリカが魔法詠唱の際に使用する言葉の壁がなかったことだ。古語が話せたことは大きい。古語はヴァレンディア語と同じように自然と紡ぐことができた。それはエリカのかけているネックレスのお陰だ。
 貴石――故人の能力を秘めた特別な石。
 エリカのネックレストップは貴石だ。アメジストのような輝きを放つそれは、この世界で生き抜いた人の結晶らしい。
 悲しい思い出を語るように少し濁すようにぽつりぽつりと話してくれたことによると、どうやらこのハウメアでは亡くなった人は朽ちていくのではなく、世界に満ちるとか。
 エリカはあまり理解出来なかった。地球にある様々な宗教観や死生観とは根本的に違うような気がする。
 貴石は故人が消えてしまうのが悲しく傍にいてほしい、失いたくないたとえ姿が変わってしまっても……という思いから生まれたものだという。
 形は変われどミイラのようなもの。
 悲しいものだ。
 もちもん誰にでも出来ることではない。裕福で権力のあるものにしか許されない禁忌に近い儀式。庶民にはその知識さえも伝わってはいない。
 それがエリカが聞いた貴石の知識だ。
 そのおかげでエリカは今言葉や文字の書きとりなどで不自由していないという訳だ。
 唯、解せないのはなぜそんなものがエリカの手に入ったということだ。あの日、訳もわからず異世界ハウメアに迷い込み、森の中を彷徨っていたエリカが川の中でこれを見つけた。
 それは偶然だろうか――?

 エリカは教科書と筆記用具をまとめ鞄へしまうと、啓示板で図書室までの道順を調べる。
 軽く触れると透明だったそれは漆黒へと変化し、蛍光色で描かれたシンプルな地図が浮かび上がった。
 啓示板の地図を見ながら校舎の中を進んで行く。
 生徒たちがきゃっきゃと騒がしかった教室の辺りの廊下とは違い、図書室に近づくにつれ人は疎らになり静まりかえった環境がそこにはあった。

「あ……。ここか」

 見上げるほどの立派で重厚な造りの木製の両開き扉が開け放たれ、中へと誘(いざな)っている。
 そっと覗きこむと果てしのない空間が広がっている。本は十分な広さを確保された通路を幾つもつくっている本棚にびっしりと収まっており、迷い込みそうな空間で一息入れられるように所々に座り心地のよさそうなソファや一人かけの椅子もある。
 様々な大きさの机や窓からの光を助ける為の色とりどりの暖色の魔法光も浮かんでおり、幻想的な雰囲気を醸し出していた。 本棚の間の通路を進んでいくと足音はふかふかな絨毯のお陰で全く響かない。エリカは図書室特有の古い本の匂いを胸一杯に吸い込んではーっと息を吐いた。

「本の匂いがする……」

 あちこちの本に目移りさせながら奥へ奥へと歩いて行くと、複雑に立ち並ぶ本棚で出来た迷路のような道にに入りこんでしまった。
 どちらが入って来た入口だろうか。
 マルクスがもうすぐ来るはずだから、わかりやすい場所へと引き換えそうと踵を返す。

「ウィリアム。どうしたんだい? また来たのか」

 聞き覚えのある声に足を止める。
 聞き間違えではないはずだ。先程までずっと聞いていた声なのだから。
 マンスフィールド教授の声だ。

「ベランジェおじさん。授業は終わったんですか?」

 立ち聞きは良くないと引き返し始めたエリカは再び歩みを止めてしまった。
 この声はウィルだ。
 どういうことなのだろう。2人は知り合い?

「また調べていたのか。君は本当に父上に似て歴史が好きだな」
「埋もれた史実の欠片を集めるのは男の浪漫ですから」 

 マンスフィールドの柔らかな笑い声が響いた。

「くくくっ……本当に君はカーティスにそっくりだ。あいつもよく悪戯を思いついたような瞳をキラキラさせながら私にハウメア記の考察を語っていたよ」
「よく言われます。兄妹みんな父に似て古いものが大好きなんです」

 朗らかに話している様子を推察すると知り合いなのだろう。

「まさか! みんなとはあのかわいい小さなリズ嬢もかい? 女の子なのに古臭い考古学に夢中だなんて変わっているな。カーティスに少し言ってやらないとな。そんなだと娘まで冒険に出たいと言い出すぞ! ってね」
「暗に俺を責めてるんですかっ。まぁリズはもう少しお転婆を直した方が良いのは同感です。母も手を焼いてるんですよ。目を離したらすぐに俺についてこようとするみたいで」

 賑やかに笑いながら家族の近況を話す様子にエリカは家族ぐるみの親しい仲なのだと推測した。
 思わず立ち聞きしてしまったが、本意ではない。
 そのまま場を後にし、入口を探しながら元来た道を引き返した。

 複雑に本棚が並び道作られている図書館の通路はまるで迷宮のようだ。
 入口を目指してしたのにどうやら違う方向に辿りついてしまったらしい。
 本棚の道が終わりを告げ、どうやら壁際には到達したようなのだが、さっきは見た覚えのないカウンターがある。
 キョロキョロと周りを見渡しながら近づいていくと、誰もいないはずのそこから声が聞こえる。

「迷子なのかえ? 新入生なのかしらねぇ」

 のんびりゆったりとした話し方のしゃがれた声がカウンターの下から伝わってくる。

「……え? 誰ですか?」

 そう言いながら声の聞こえるカウンターの前まで歩き覗きこんで見ると、「ヨイショ、ヨイショ」と小さな踏み台を持ちながらカウンターの中を歩いてくるとても小さな人がいる。

「よっこらしょ。やれやれ、これでお前さんに見えるかしらねぇ。大きな新入生さん」

 運んできた小さな踏み台に乗ると、くしゃくしゃの蜂蜜色の髪の毛に皺くちゃだが愛嬌のある顔に優しい茶色の目をしたおばあちゃんの顔が、カウンターからちょこんと現れた。
 
「あの……こんにちは」

 エリカは小さなおばあさんに深々と頭を下げた。

「おやおや、珍しい挨拶の仕方だねぇ。こんにちは」

 おばあさんの言葉にハッとする。頭を下げるお辞儀という挨拶はとても日本的なものだ。
 思わず笑って誤魔化した。

「あの、僕入口を探していて。あんまり広いから迷ったみたいなんです」

 エリカの言葉にうんうんと頷きながら、小さなおばあさんはにっこりと笑った。

「そうかい、そうかい。本にここは迷いやすい作りになっとるからねぇ。どれ、あたしゃが地図を描いてあげようねぇ」

 おばあさんはカウンターの内側の引き出しをゴソゴソと探り羊皮紙を取り出し、鉛筆でカウンター近辺の地図を描き、万年筆で道順を示してくれた。

「今がここさねぇ。それでこの道を真っ直ぐ歩いて斜め左上に進んで右、斜め右下へ進めばもう入口さねぇ」

 エリカは地図を覗きこみながら万年筆の後をなぞり道順を確かめる。
 どうやらここからとても近い場所に入口はあるようだ。それにしてもとても複雑な造りだ。どうしたらこんなにあべこべな道ができるんだろう。まるで迷宮のようだ。
 エリカの方向音痴を差し引いたとしても、この図書館の本棚で道作られる通路には皆悩ませられるはずだ。
 
「ありがとう、おばあちゃん。たぶんこれで行けると思う」

 エリカは小さなおばあさんにお礼を伝え、手を振り入口へ向かった。
 
「またおいでねぇ。大きな新入生さん」

 おばあさんはカウンターからちょこんと小さな腕を挙げて手を振ってくれた。
 描いてもらった地図を頼りに入口を目指す。
 マルクスはもう来ているかもしれない。自然とエリカの足は速まった。
 ――マルクス・ヨッカー。
 エリカは今までずっと引っかかってきた違和感について考えていた。マルクスはきっと――に違いない……。
 エリカはそっとペンダントを外し外套のポケットへと忍ばせた。
 
「エリック!」

 古びた羊皮紙の地図と青銅色の絨毯から声の主の皮靴に目を走らせる。
 視線を上げていくと考えを廻らしていた相手だった。

「マルクス」
「――――――? エリック」

 貴石のペンダントを外しているのでヴァレンディア語は理解できない。唯、エリックと呼びかける名前だけは辛うじて聞き取ることができる。
 これはある種の賭けだ。

“You must be understand my language,don't you?”

 10年も使っていなかった錆びついた拙い英語でそう質す。

“……Why? I guess so. ……That's impossible!”

 やはりマルクスも地球から異世界ハウメアへの迷い人か。
 最初からエリカが感じていた違和感の正体はこれだったのだ。時々混じる聞きなれた呟きが英語のそれだと気付くのに若干時間がかかってしまった。
 ヴァレンディア語と英語には共通点が多いのがその理由だ。だからまさかとは思ったのだが、エリカはハウメアに来てから初めて“OK”というのを聞いたのだ。それが先程のマルクスの別れ際の言葉。
 ジンやエヴァたちは使用しない言葉。それが確信へと変わった瞬間だった。
 
『やっぱり君は地球から来たの?』

 震える声で英語でそう問いかける。
 
『ああ。もう2年になるよ。まさかエリック、君も?』

 マルクスの蜂蜜色の瞳が揺れていた。目に光るものが見える。
 ――涙。そこにマルクスの2年間の苦しみを見た気がした。どれだけ不安だったことだろう。エリカは森での遭難から魔従キャロのみぃたんやスビアコでジンたちに出会うまでひとりで心細かったことを思い出した。
 エリカには守ってくれる人達がいる。でもマルクスには――?
 モーリーはどうだろう。彼はマルクスの事情を知っているのだろうか。

『僕はまだ1カ月位だよ。日本から。気が付いたらバスティ山にいたんだ』

 エリカはあの時のことをポツリポツリと話した。
 気が付いたら見知らぬ森の中にいたこと。魔従キャロのみぃたんとの出会い。不思議な遺跡のこと。ようやくスビアコに辿り着いたことなどを。
 エリカの話に真剣に耳を傾けながらも時折マルクスが質問を挿みながら、女性であることや魔法騎士団に入ることなどは伏せたまま大体の事情は説明した。
 全て話さなかったのはジンやエヴァたちファミエール家の特殊な事情を考えてのことだ。

『……まさか! だって君はまるでハウメア人そのものじゃないか。ヴァレンディア語も古語だって巧みに操っているし。それに日本人だって? どう見ても君は西洋人じゃないか』

 マルクスの言葉にエリカは外套のポケットを探る。
 取り出したアメジストのような貴石が淡く輝く。ネックレスのそれを首にかけた。

「これは貴石と言って故人の能力を秘めた石なんだって。だから僕は言葉に不自由はしなかったんだ。それに僕の見た目が日本人らしくないのは元々で……。でもカラーコンタクトを着けてるからなのもあるかも」

 貴石を身につけヴァレンディア語で紡いだ言葉にマルクスは苦笑する。

「俺がドレダケ必死にヴァレンディア語を覚えたトオモッテイルンダヨ……。ナンカバカらしくナッテクルな」

 それに――とマルクスは話し出した。

「2年間デ24歳ダッタ俺のカラダハどんどんと若返りヲハジメテ……ドウシタラ周りのニンゲンニ不信にオモワレないように生活するか、タイヘンな日々だったよ」

 彼の言葉にエリカは絶句した。とても想像出来ないほどマルクスは辛い過程を生き抜いてきたのだ。エリカはとても恵まれていた。彼の言葉からいかに自分が幸せな環境にあるのか再確認することができた。
 
「エリック、君もカラダは大丈夫ナノカ?」

 そう気遣いの言葉をかけてもらいハッと石化からとけた。
 
「うん。僕はコンパス――遺跡の巨石に触れて一気に若返ったみたいで……。だからマルクスみたいな徐々に変化する苦しみは味わってないんだ。幸運なことに」

 どういうことだろうか。徐々に身体が若返りをする?
 これは本当に過酷な生活を強いられてきたに違いない。外見が成長しない、むしろ逆に若返ってしまうことを悟られないようにするためには、長く同じ場所に留まることもできなかったのではないか?
 そんなことを思い質問した。
 
「ソウ。言葉もナニモワカラナイ、このセカイのことダッテ習慣もジョウシキもワカラナクテ……ようやく馴染んでキタと思ったらカラダのことで不信を抱かれて。長く同じバショにトドマルことはデキナカッタヨ」

 人生に疲れたような悲しみと怒りの混在した静かな言葉は、マルクスの今までの苦労を物語っていた。

「マルクス。……大変だったね。なんて言ったらいいか……ごめん」
「……イインダ。君の性ジャナイのはワカッテルンダ。タダ、今までこのイキドオリを向けるアイテがいなかったカラ……」

 マルクスの握った拳が震えている。
 エリカはそっと彼の拳を両手で包み込んだ。

“Thanks”

 擦れた言葉に彼の俯いた顔を見たが、冷たい雫が手の甲に落ちたのを感じ目を背けた。
 誰だって見られたくない時があるものだ。こんな泣き顔、エリカだったら見られたくはない……。



[26673] 17 マルクス・ヨッカー 2
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:c1d08efb
Date: 2011/08/20 22:53
「……落ち着いた?」

 エリカたちは先程の入口近くの通路から、図書室の少し奥まった場所にいた。
 ローテーブルの前にある座り心地の良いソファーに腰かけている。
 
「ああ。ありがとう、エリック」

 赤く充血した蜂蜜色の瞳を伏せ、微笑する。
 マルクスのこれまでの経緯を聞き、どれだけ彼女自身が恵まれた環境にあるのか感謝する。
 あの日――はじめてハウメアのバスティ山の深遠の森の中で目覚めた日――から今までこうして無事に平穏な生活ができているのは、どれだけ幸運なことだろうか。
 同じく地球からトリップしてしまったマルクスが大変な日々を送ってきたというのに……。
 
「それからどういう風に過ごしてきたのか……教えてもらってもいいかな? マルクス」

 彼には心から打ち明けられる協力者がいたのかどうか――それがエリカの気がかりだった。
 純粋にマルクスのことを気遣っての言葉かと問われれば、否と言うざるを得ない。そこにはエリカ自身の保身もあった。
 彼に彼女自身も地球から異世界ハウメアへと迷い込んだことを打ち明けた以上、そこから自身の身の上が明らかになるのを恐れたのだ。
 ファミエール家に協力すると契約した以上――いや、これまでもこれからもお世話になっている本当の家族のようなジンやエヴァのために――マルクスとの話は広げたくないと思ったのだ。

「アレカラ……俺はモーリーの家、ビンデバルト家にヒロワレタンダ。モーリーの父君が俺のようなマヨイビトをシエンシテイルらしい」
「それじゃあモーリーは君の事情を知っているの?」

 マルクスは俯いていた顔をパッとあげ微妙な顔をする。

「……ドウダロウナ。俺はモーリーには話してナイヨ。でも……ワカラナイ。タダ、あいつが信用デキル奴だってコトハ俺がよくワカッテル」
「それは同感だ」彼の言葉にエリカも力強く頷く。

 まだ浅い付き合いだが、モーリーもマルクスも信頼できる友人だということはわかる。
 モーリーには事情を打ち明けても良いのではないか――エリカの心は揺れる。マルクスのこともある。彼が心から慕う友人にエリカも含めて協力を仰ぐことはいけないことだろうか?
 全て話すことは出来ない。約束だから。
 ファミエール家の失踪した娘クリスティーヌの命運がかかっている。だから打ち明けられない部分もあるだろう。
 それにまだエリカにはわからないのだ。物事には多面性がある。何が正しいのかなんてその人の立ち位置で決まるものでしょう? 
 片方の立場からの情報しか知らないエリカは何をもって正義を判断すればいいのだろう。だからまだ自分の行動に確信を持って実行出来ずにいた。

「打ち明けるのか? モーリーに」とエリカは問う。
「迷ってルンダ……」
  
 マルクスは赤褐色の髪をかきむしり考え込むように嘆息し、頬杖をつきうーんと唸っている。
 きっとモーリーは心強い味方になってくれるはずだ。マルクスはもちろん、エリカにも。
 それにモーリーの父の話も聞いてみたい。何かわかるかもしない。迷い人を保護しているのなら、エリカ達のほかにもまだ地球から来た人々がいるのだろうか?
 帰る手段がわかるかもしれない……。
 今まで考えないようにしてきたけれど、故郷の日本に残してきた家族、友人、生活、仕事――全てのことが中途半端に放ってある。それなりに幸せな日々だったと思う。何気ない日常を送っていた。不満もあったが深刻な悩みはなかった。
 忙し過ぎた日々に辟易していたのは確かだが、全てを投げ出してまで抜け出したいとは思っていなかった。
 ……いや、ハウメアにとばされてしまって正直ほっとしたのも事実だ。唯、無責任に仕事も生活も家族も友人も放りだしてきてしまったことに心が痛むのだ。
 まだ帰れない。ハウメアでやることが残っている。その後は? 帰るべき場所は――?

「じゃあコインで決めよう。表だったらモーリーに言う。裏だったら言わない。どう?」
「ワカッタ」

 エリカは銀貨を取り出し左親指の上に乗せる。
 弾かれたコインは綺麗に宙を舞いエリカの手のひらの甲へと落ちてくる。
 被せた右手をそっと外す。

「あ……おも――」
「なぁ、何してるんだ?」

 凄くいいタイミングで賭けの対象がやって来た。

「モーリー!」エリカはニヤッと笑ってマルクスにウィンクする。
「マルクス、表だ」
「リョウカイ」とマルクス。

 モーリーは狐につままれたような顔をしている。

「モーリーに話がアルンダ。チョットいいカナ?」そう言うとマルクスはエリカに目配せする。
「誰にも聞かれたくない。どこか良い場所しらないか?」エリカはモーリーに尋ねた。
「何だよ? ……ちょっ」

「えっ? えぇっ?!」と言いながら混乱しているモーリーを、2人で両脇を抱え図書室の奥へと引っ張っていく。
 大分奥まで来た。
 座り心地のよさそうな椅子もある。
 エリカは周辺の様子を見てまわる。近くに自分たちのほかに誰もいないことを確かめると2人に座るように促した。

「話がある。秘密の話だ。誰にも言わないと約束できる?」

 モーリーの灰色の瞳を真っ直ぐ見据え、エリカは椅子に座る彼の前で跪き答えをじっと待つ。
 いつものようなにこやかな談笑とは違った張り詰めた空気に、モーリーの顔も緊張を帯び真剣な眼差しへと変わった。

「俺はおちゃらけてるけどさ、約束は守る。話せよ。何だよ?」

 真剣な声で2人を見つめる灰色の瞳に曇りはない。
 場所を移してからずっと沈黙を守ってきたマルクスが口を開く。

「俺タチのコトダ。モーリー、俺タチ地球アースからキタンダ」
「アース? ってどこだっけ。俺、地理は意外と知ってる方なんだけど……聞いたことないな。お前が前に言っていた国名と違うだろ、マルクス」

 キョトンとした顔でマルクスの方を向く。
 その言葉にマルクスとエリカは頷く。

地球アースはこことは違う次元の異世界……なんだと思う。たぶん」エリカがその問いに答えた。
「はぁ?!」

 モーリーの目が大きく見開かれた。唖然とした表情のまま固まっている。彼の両手は頭を抱え、髪をかきむしっている。波打つダークブラウンの髪の毛が動揺のあまり乱れている。

「……異世界? まさか。そんなはずは……だったら親父は……」混乱した様子で口走る。「俺は……信じてたのに。もう抜けたものだと……」
 
 モーリーの動揺にエリカは不安になった。彼は何を言っているのだろう?
 まるでモーリーの不安感が伝染したかのようにエリカも神経質になる。

「大丈夫ダヨ、モーリー。俺は君ノコト信頼シテル」力強くマルクスが語りかける。「何か君の父君ノコトデ気になるコトガアルンダネ? ……ヨカッタラ話してクレナイカ?」

 先程まで涙を流していた人物とは思えないほど、マルクスはしっかりとした態度で向き合っている。
 見た目は若返りのために幼く見えるが、彼は歴とした社会人の男性なのだ。エリカとそう年も変わらない。
 マルクスの態度にモーリーも落ち着きを取り戻す。

「もう大丈夫だ。ありがとう、マルクス」モーリーは静かに語り始める。「家の親父は商売をしていて結構手広く上手くやってるみたいなんだ。まぁ、大商人ってやつだ」

 モーリーの冷静な口調にエリカも気を取り直し、彼ら2人が座るソファーの向かい側のひとり掛けの椅子へ腰を落ち着け話を待つ。

「何年か前から親父が身寄りのない流民たちを連れ帰って来るようになったんだ……」モーリーは言葉に迷ってるかのようにゆっくりと語彙を選びながら続ける。「彼らは外国人のようだった。考え方が変わってるんだ。……なんというか不気味で、古風な話し方をした」

「古風……?」エリカは遮った。
「ああ、何世代も昔のような変わった話し方をする人たちでさ……。まぁ老人や中年ばかりだからかもしれないけどさ。遠い外国から来た流民だっていう話だった」

 はじめて聞く話に真剣に耳を傾ける。
 
「親父はそんな彼らに住む場所や施しを与えていた。まだそこまで年をとっていない働ける者たちには仕事を……。だけどそんな親父の慈善に口を出してきた財団があったんだ」

 モーリーの言葉にハッとする。

「財団……?」
 
 財団とはディスノミア財団のことだろうか。ジンたちが敵対している組織?
 ハウメアとエリスの併合の研究をしているとか……。

「あぁ。俺もよくは知らないんだが、さる偉いお方達が秘密裏に集う財団に入らないかという誘いがあったみたいなんだ。親父は喜んでいたよ。事業も成功を収めていたけど何しろ身分はただの商人。箔が欲しかったんだろうな……」

 昔のことを思い出すように遠い目をして寂しそうにモーリーは話す。

「親父は財団に入ってから意気揚々に出かけて行っていたよ。いつからか保護している流民たちを連れて行くようになったんだ。……そのころから財団について語ることを嫌がるようになったんだ」
「ソノ財団ってイウノハ何なの?」マルクスは尋ねる。「何をシテイルの? ソノ組織は」
 
 ズバリと尋ねたその質問にエリカも身を乗り出した。
 モーリーも一旦語るのを止めこちらに視線を向ける。結んだ両手に力を込めてふーっと嘆息する。
 
「俺も……よくは知らないんだ。気になって……親父がぽろりとこぼした言葉の端々から推し量ったことしかわからない。ただ、俺は財団が憎い」彼の握った拳が震える。「母さんが死んだのは彼らのせいだ」
  
 モーリーの告白に言葉も出ない。
 彼の灰色の瞳はいつものような穏やかさはなく、おちゃらけたムードメーカーの片鱗も影を潜めている。
 エリカがそんな彼に声をかけようとするとモーリーがふっと軽く微笑んだ。

「ごめんな。湿っぽい話になっちまった。もう何年も前のことだ。大丈夫。そんな顔するなよ、エリック」
「あ……。モーリーごめん。話すの辛いよね」

 傷口をまた広げるようなことをしてしまった。彼の明るさが眩しい。その笑顔の裏にどんな悲しみを抱えていたんだろう。
 
「気にすんなよって言っても気にするよなぁ……。まぁ、そんなことがあって親父は財団から手を引いたはずだった。いまだにマルクスみたいな外国から留学生の支援はしてるみたいだけど。なっ! マルクス」

「ソウダナ。モーリーの父君ニハお世話にナッタヨ。デモ俺は外国人じゃない」マルクスは苦笑する。

 実際マルクスは外国からの留学生ではなく、エリカと同じく地球からどういう訳かハウメアへと迷い込んでしまった異世界人だ。だからモーリーの父親が財団から抜けたというのは微妙だ。息子のモーリーに悟らせないように今でも組織の一端を担っているのかもしれない。だとしたら性質が悪い。
 どういう経緯でモーリーの母親が亡くなったかを詳しく聞くのは憚(はばか)れる。その原因だと自身の息子が思っているのに財団に関わり続けるのには、どんな理由があるのだろう。
 マルクスの話だけを聞いている時には、とても良い人のように感じていたが……。
 エリカは益々わからなくなってきた。
 本当はモーリーの父親からも話を聞きたかったが、やめた方が無難だろう。
 
「そう……なんだよな。親父は何やってんだ。で、アースってのが異世界なんだって?」モーリーは2人に尋ねた。

「うん。こことは違う世界っていうのは確かだよ。僕たちの世界には魔法も存在しない。言葉はアースでいうところの英語や欧州の言葉に近いみたいだけど……地球アースにも存在しない言語だし、文字も見たことないものだったし」

 エリカがそう言うとマルクスも頷き続ける。

「エリックの言うトオリ地球アースはココトハ大分チガウ。俺は2年前マヨイコンデしまったところをモーリーの父君にタスケテモラッタンダ。君の父君は俺が異世界カラきたことを知ってイルヨ。ただ俺は今までのマヨイビトとは何かがチガウって言っていた。この若返ッテイク容姿のコトダト思うケド」

 エリカとマルクスは今までのことを彼に説明した。
 モーリーはたまに冗談を言いながらもちゃんと真剣に聞き理解を示してくれた。
 
「大体のことはわかったよ。で、俺はどうすればいい?」そう尋ねたモーリーにエリカは灰色の瞳を真っ直ぐに見据え訴えた。「僕たちが異世界から来たことは秘密にしておいてほしい。でも……」エリカはマルクスに目配せする。「デモ俺たちに協力してホシイ。色々教えてクレ。ハウメアのことナンカヲ」マルクスが言葉を結んだ。

 それからの日々はモーリーは2人の良き友人、教師として様々なことを教えてくれた。この世界の常識や若者らしい遊びなんかも。
 エリカは貴石を外してもヴァレンディア語が操れるようにマルクスとモーリーに教えてもらいながら言葉を学んだし、マルクスも貴石を貸しそれをかけて学ぶことによって彼の語学力も大分上がった。
 モーリーにはこの世界にはない科学のことを話した。そして地球の話は彼の一番の関心事になった。彼の苦手な古語は貴石をかけてエリカが教えた。
 3人はお互いの足りないところを補完し合いながら、成長していった。悪ふざけや遊びを通してだったり、学校での課題やいっぱいの宿題を共にこなしたりしながら。課外活動も何度も一緒にしている。
 こうしてエリカたちの学園生活は充実したものになっていった。 



[26673] 18 飛鉱艇 1
Name: 佳月紫華 ◆2e329948 ID:29623c4f
Date: 2011/08/20 22:52
 生徒たちはこのところそわそわしている。もちろんエリカたち3人組も例外ではなかった。
 もうすぐこのヴァレンディア王国の建国記念休暇ヴァカンスだ。30日間の会談を経ての建国に至ったことから、ヴァカンスは30日間与えられる。
 かつて混沌とした時代、ハウメアでは豊かな土地をめぐっての戦いや略奪、殺人、凌辱など様々な犯罪が横行していた。今はヴァレンティア王国と呼ばれるこの地も溢れる星の恵み――魔力をめぐって無秩序な時勢を過ごしてきた。
 一説によると、現状を憂いたひとりの勇敢な若者が同じ志を持った仲間と一緒に混迷した世界を救うためにグリフォンと戦いこの地を守ったとか。グリフォンが何であったのかは諸説あるが、史実は本来の意味を長きにわたる時の経過で失った。今ではこの国の王の始祖であるジュラール・ルオット・ヘイフォード・コル・デ・ヴァレンディアをかのグリフォンを倒した英雄のひとりとして讃えるおとぎ話となっている。
 ジュラールとその仲間たちがグリフォンの住まいであった塵雨じんう腐砂ふさを古代の秘術で封印し、この地の祝福を逃さないようオーロラで覆ったという。世界を救った勇者たちは30日の話し合いを経て、ハウメアの土地を分けそれぞれの国をつくった。
 それがこのヴァレンディア王国の創世記であり、他国の根源となる物語だ。
 図書館でエリカはハウメア記の教科書を閉じる。
「へぇ。これがヴァカンスの起源なんだ」とエリカが言う。
「そうだな。大体子供でもそのおとぎ話は知ってると思うぞ?」とモーリーが頷く。
「ふーん。ねぇねぇ、グリフォンって何ナノ?」
 最近とても言葉の発音が良くなってきたマルクスが尋ねた。
 彼の問いかけにモーリーが本棚から一冊の本を取り出して開くと、エリカとマルクスが囲んでいた長机の上に開いたままの頁を見えるように置いた。表れた紙面に描かれた挿絵を見て息をのむ。
「魔従……キャロ?」
 四足の逞しい胴体に大きな翼を持ち、鋭いくちばしの獣。これはみぃたんと同じ特徴だ。絵は恐ろしく描かれていたが、実物のキャロは愛嬌があってとても可愛らしい。
「これはキメラ……カナ?」とマルクスが呟いた。
 キメラ。グリフォン。ギリシア神話で語られる想像上の生き物たち。
 こういう共通点を見つけるとハウメアと地球の不思議な接点を実感する。
 地球への帰り方を見つける為に3人で図書館に籠っては方法を探していた。エリカはその他にエリスのこともクリスティーヌを探すために探っている。
「グリフォンのひとつの諸説に魔従キャロに乗って塵雨の腐砂へと去った人々だという説があるから、キャロの姿がグリフォンの原型になったのかもしれないな」
 モーリーが本を戻しながら言う。
「それはそうと、お前らヴァカンスはどうするんだ? もちろんどっか行くだろ。一緒に」
 へへへと笑いながらモーリーが出してきたのは一枚の羊皮紙。
 マルクスが奪い取ったそれを覗きこむ。
「ちょっ……! 飛鉱艇?!」とエリカ。
 魔法の力で飛ぶ飛行艇ならぬ飛鉱艇とやらに興奮を隠せない。魔鉱石を浮力に動く乗り物だ。まさにファンタジー。わくわくする冒険のはじまりだ。
「それ俺が商人ギルドの掲示板で見つけたやつ?」と流暢なヴァレンディア語でマルクスが問う。
 もうすっかり現地人並みの発音である。たまに訛りがでるが気付かない程度のものだ。貴石を着けての語学のレッスンが上手く作用したようだ。
 エリカも貴石なしで話せるようにマルクスと特訓しているが、理解はできるもののまだまだマルクスには遠く及ばない。もう練習あるのみだ。
「そうそう。マルクスがどうしても飛鉱艇に乗りたいっていうからさ。隣町のスワンボーンから出発する便のクルーに欠員がでたらしい。ヴァカンス中は結構あるんだよ。みんな休みたいからな」
 モーリーが詳しく説明してくれた。
 ヴァカンスに休みをとりたい人が多くでることから、商人ギルドではその穴埋めとなる人材を募集すること。ほとんどは経験や技術を必要としない簡単な仕事ばかりだが、18歳以下の学生には就きたい仕事に触れる機会となるため、人気のある職種の募集はこれからのコネクションになるのでとても倍率が高いこと。ヴァカンス中は書入れ時となるため、時期をずらして休暇をとる商人たちも多いことなどこの国の人々ならば知っている常識を教えてくれた。
「じゃあ早く申し込みしようよ。飛鉱艇って人気ありそうだから倍率高いんでしょ?」
 エリカが尋ねる。
「当り! 早く申し込もうぜ。で、もう用意してあるんだよ。これ」とモーリーが見せたのが、準備の良いことにギルド依頼の契約書だった。
「さすがモーリー! 準備早いな」
 マルクスがモーリーの肩に腕をまわしてにやりと白い歯をみせた。 
「モーリー最高! 楽しみだな」
 エリカも反対側の肩を抱き3人で小躍りする。
 もうすぐ来るヴァカンスにエリカたち3人を含めて生徒たちが浮足立っていた。夏休みの冒険。様々な問題は置いておいても今はこの世界を楽しみたい。そんな魔法がこのヴァカンスにはあった。
「エリック。何の計画だ?」
 いきなり表れたウィルにエリカはびくりと固まる。
 まるで悪戯を見つかった子供のようになってしまう自分にいら立つ。
「なんでもない」とエリカは机に広げていた羊皮紙を後ろ手に隠した。
「ん。出して、それ」とウィルが迫る。
 エリカの不審な行動はウィルの高い観察眼からは逃れられなかった。真っ直ぐに伸ばされた手に、穏やかな目におずおずと秘密を差し出す。
 そんな2人の様子にマルクスもモーリーもぽかんとしている。
 そう言えばまだ2人はウィルと初対面だった。
 ウィルがにこりと笑みを浮かべ挨拶する。
「ウィル・アークライトだ。俺はこいつの教育係」
 羊皮紙にさっと目を通してモーリーたちに向き合うと、余所行きの笑顔で愛想をふりまく。
「あ、俺はモーリー・ビンデバルトです」
「マルクス・ヨッカーです。はじめまして」
 好奇心を覗かせて2人はウィルと握手を交わした。
 チラチラとエリカを伺い見ることから、もっと詳しい説明を求められているのだと悟る。
 魔法騎士団に入団予定であることは話していないので何と説明しようか迷いながら紹介する。
「2人は僕の大切な友達だよ。ウィルは……」
「俺はこいつに勉強なんかを教えてるんだ」とウィル自ら助け船を出してくれた。
 彼の真意はわからないが助かった。まぁ、この2人になら秘密にする必要もないのだが、クリスティーヌのことに関わることなので慎重にならざるを得ないのだ。
「君の言ってたスパルタの家庭教師か」とマルクスに妙に納得されてしまった。
 違うんだけど。スパルタはジンとエヴァなのだけど。
「ウィル。ちょっといい?」
 エリカはウィルの外套の裾を握り図書室の奥へと引っ張る。
 モーリーたちから声の届かないところまで移動したのを確認するとエリカはウィルに詰め寄った。
「なんでそこまで干渉してくるの? 僕の休暇中のことまで口をはさまないでよ」
 向きになってそう食ってかかる。
「別に邪魔をしようなんて考えてないさ。俺も参加させろってだけだ」
 ウィルは不敵な笑みを浮かべる。
 エリカはフンっと鼻を鳴らす。
「なんで僕がウィルのいいなりにならないとならないんだよ」
 少し強気にでたが、後悔することとなった。
「へぇ。いいんだな? エヴァさんに話しても。飛鉱艇に乗るってこと」
 エヴァの飛鉱艇嫌いはこの間の酒場での一件でウィルにも知られることとなった。その結果がこれか。彼がエヴァにこのことを話せば確実に反対されるに違いない。そして悲しませることにも。
 もう良い大人。行動を他人にとやかく言われるのは我慢がならないが、そうせざるを得ない自身の立場に苛立ちが募った。
「わかった。ウィルも一緒に参加すればいいよ。モーリー達には僕から話すから」そう言い2人の場所へと引き返す。
 エリカはマルクスたちにウィルも一緒に申し込みをしてくれないかと、口うるさいお目付け役に辟易しているという皮肉も忘れずに頼んだ。
 モーリーたちは「大変だな」と苦笑しながらも快く了解してくれた。
 あとはウィルと共にジンとエヴァに予定をどう誤魔化して話すかだ。数日家を空けることになるので、エヴァに説明するには細心の注意が必要だろう。こうなったからにはウィルにはとことん働いてもらう。
 エリカは黒い笑みを浮かべふふんと乾いた声をあげた。



[26673] 19 飛鉱艇 2
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:29623c4f
Date: 2011/08/20 22:51
Date: 2011/06/30 13:49

 気持ちのよい暖かな朝の日差しが開け放ったテラスと大きな飾り窓から居間へと射し込む。
 もう初夏の訪れが端々にみられる。
 いかにも田舎風な垢ぬけない素朴な外観と内装である酒場と商人ギルドの支部になっている店舗とは違い、住居空間である母屋の雰囲気はエレガントで落ち着いた趣味のよい家具が置かれており、保養地の貴族の別宅のような印象だ。
 心地よい風を受けながらウィルは、ダンスでも踊れそうな広さの居間でひとりくつろいでいた。
 ウィルが面倒をみることになったエリック少年の姿はない。隣の部屋からエリックとこの家の奥方エヴァの声が漏れ聞こえてくる。
 今日エリックは学校が午後からなのだろう。バスティ山の頂きにある古代遺跡、ストーンサークルが立ち並ぶあの場所での日課が終わった後、朝食をとり、今はエヴァに魔法の実技を習っているようだ。
 ウィルは奥の隣の部屋から聞こえるエリックとエヴァの掛け合いを聞きながら、テラスからのガラスドアと鮮やかな絵の描かれた大きな明かりとりの窓から朝日が差し込む東側の居間のカウチに腰かけ、新聞を読んでいた。
 時折エリックの弱音とエヴァの窘める声が届き、あどけなさの残るエリック少年にウィルは深く同情した。
 どののような教育を受けているのか以前様子を伺ったところ、基本的な生活魔法しか習っていないようだった。だが、本当に見る目のある人ならばその端々に高度な魔法技術を教え込んでいるのがわかるだろう。エリックは何気ない生活魔法の勉強をしながらとてつもない英才教育を受けているのだ。
「俺もエヴァさんとジンさんにしごかれたらきついだろうな」とウィルは嘆息する。
 しかしエリック本人はそれに気付いている様子はみられない。それは彼が言う「これが初級編だったらこれからどうなるの?!」という悲痛な叫びからも推察できた。
 ウィルは益々同情するとともに少し恐ろしくもあった。次の段階に進む頃にはあのエリック少年にどのような試練が待っているのか。またそのようなしごきに泣きごとを言いながらもひとつひとつ達成していっている彼の素質に末恐ろしいものを感じる。
 早朝の日課で放ったあの光線。その威力にウィルは驚きを隠せなかった。
 まだ変声期もきていない少年の将来の展望はきっと明るいに違いない。
「遺伝なのかもな……」
 カスティリオーニ家の血なのだろうか。ぐんぐんと成長していっているのがウィルの目から見てもわかる。
 それに様々な英雄伝を残し、悪魔のようなしごきが古い団員達の間で語り草になっている伝説の魔法騎士団元団長ジン・ファミエールに武術を直々に叩きこまれているのだ。
 あの2人の訓練を見ていると情け容赦ないジンに食らいついていくエリックの根性には感心するばかりだ。
 エリックを養子に迎えた父、現魔法騎士団団長のヴィンセントが伝説の元団長のジンやヴィンセントの妹君、女性で若くして学術院の副校長にまで上り詰めた魔法のエキスパートであるエヴァに預け、英才教育を行っている。
 エリック・カスティリオーニという少年は一体何者なのだろう。
 カスティリオーニの血を引く者?
 あの菫色の眼差しはヴィンセントやエヴァとそっくりに見えるが、今まで存在を隠されていたのか、それとも本当にどこかから養子にもらっただけなのか……。
 ウィルはこの不思議な少年から自然と目が離せなくなっていた。
 エリックが書き置きしたあの古代技術で作られているらしき紙片の存在や不自然な出生。そのどれをとってもエリックの存在はウィルの好奇心を刺激する。
「あぁ。疲れた。エヴァってばスパルタだよ」と言いながらエリックが居間に入ってきた。
 エヴァの姿はない。“スパルタ”という言葉はわからない。どこかの方言なのだろうか。
 たまに彼の口から出る聞きなれない言葉にウィルは何か言いようのない違和感を感じていた。これでもウィルは幼いころから休日を使って色々な地域や国をめぐる旅に出ていたのだ。魔法騎士団へと入団してからも遠征や友好な他国への視察などでも積極的に学ぶようにしている。
 いわゆる英才教育を彼自身も幼いころから受けてきている自負はあった。それなのにエリック少年は思いもよらないことを口走ったり、突飛な考えを披露することがたびたびあった。それも何の気負いもなく。さも当たり前のことのように……。
 本当に不思議な奴だ。
「スパルタ? なんだ、それ」
 そう聞くといつも慌てふためく。何か変わったことを言ったりするたびにウィルは彼に突っ込みを入れるのだが、そうすればエリックは急に落ち着きをなくすのだ。
 それが面白くもあり、そして益々違和感を深めることにもつながった。
 最近エリックが自分を避けていると感じるのはきっと気のせいではないはずだ。
「うーんとスパルタってのは最近学校で流行っているスラング……えーと、若者言葉だよ。やだなー。ウィルってばおじさんなんだから」
 はははは……と笑いながらエリックは目をそらした。
 こいつのこんな時は嘘をついている。
「おじさんって。俺はまだ23歳だ」
 ムッとしてそう言うと、エリックは笑って誤魔化すばかりで、斜め下に目をまた目をそらして逃げようとする。
「そろそろジンの訓練だなー」
 そう言いながら背を向けたままテラスから外へと向かう彼にやれやれとため息を吐いた。
 どうしても本当のところを話すつもりはないらしい。ウィルが怪訝な顔をしていることにちゃんと気づいていて、それでも絶対に口を割らない。こういうところは結構頑固な性格をしていると思う。
 こういう味方がいればさぞや心強いに違いない。
 基本的にとても良い奴なのだ。ただまだウィルに心を開ききっていないだけで。
「待てよ。俺も行く」
 そう言いエリックの後に続いた。約束を果たさないと。
 エリックに「協力しろ」と迫られた案件。
 飛鉱艇での依頼をそれとなくエリックが行えるように伝えること。もちろんウィルも一緒に。
 ヴァカンスの数日間、エリックの面倒をみさせてもらえるようにジンに頼まなくては。2人を心配させないようにこいつの面倒をみる。
 飛鉱艇という言葉はエヴァの前では禁句だ。
 ヴィンセント団長に聞いたのだ。エヴァは飛鉱艇の事故で娘を亡くしたらしい。
 伝説の元団長と謳われるジンとエリック少年の武術の特訓場所へと向かった。
「訓練内容も気になるんだよな」
 そこはウィルも一介の騎士だ。どんな訓練をしているのか気になる。
 できれば彼自身もジンに訓練をつけてもらいたいほどに。
 母屋の裏手の庭へと着くと鎧で完全武装したエリック少年を相手に普段着のまま向き合っているジンをみつけた。
 これは……すごい訓練だ。 

 向かい合う2人。
 まだ成長の余地のある華奢な少年であろう甲冑を身にまとった人物。対するのは、注視すれば仕立ての良い運動には適さないような布製の普段着をまとった人物――屈強な肉体を持ち数多の困難を潜り抜けてきたであろう経験豊かな壮年の男性だ。
 エリック少年ことエリック・カスティオーニと彼の師匠でここの酒場の主人であるジン・ファミエール。
 かの人たちの訓練の場面である。
 ウィルは深い興味をもって彼らの武術の鍛錬を眺める。
 場所は母屋の裏の庭である。魔法騎士には馴染み深い魔従キャロの小屋と垣根の陰になっており、母屋のテラスからしか辿りつけないこの庭は格好の訓練場だった。
 裏庭は表通りからは隠され、回り込んで入ろうとしてもすぐに広がる鬱蒼とした林に遮られる。
 まるで堅い意思をもって隠されたようなところだった。
 エリックの着こんでいる鎧は何百年も前の国同士で争った対人の戦で先人達がまとったものだ。和平が結ばれ何世代も経ち、平和の訪れたこの現代では過去の遺産であり、お目にかかれるのは式典の時か武装した凶悪な犯罪者を捕える我ら魔法騎士団の特殊部隊だけであろう。
 古くからいる先輩たちはこの甲冑は馴染み深いものらしい。それはジン・ファミエール元団長の訓練では欠かせないものだったからだ。
 ウィルは18歳で入団してから6年。先輩たちからみればまだまだ経験も浅く、もちろん伝説の元団長の鎧をまとって行う訓練は、話に聞くだけのものだった。
 今ではこれよりももっと軽く動きやすい革製の簡易の防具をつけての訓練をしている。
 もちろん訓練時は刃のついていない木刀で行ったり、キャロに乗っての訓練は的当てであり、弓もまた標的を模した的に当てるといったものだ。
 木製の訓練用の武器は凶器になり得る鋭さはないが、怪我をしない程生易しい訓練ではない。
 鍛え抜かれた屈強な男たちが思いっきりやり合うのだ。命にかかわるようなへまはしないように考えながら打ち合いをしていても毎回回復魔法の世話になるものはいた。ウィルもそれは免れなかった。
 それに実践を模した訓練もあった。
 使用する武器もサーベルにキャロの鞍上(あんじょう)から振り回す槍、長距離の攻撃に適している弓矢、そして最近古代技術を紐解き開発されたばかりの拳銃だ。
 どれもウィルは幼少のころから修練してきている。
 だが、今眼前で繰り広げられている鍛錬は今までウィルが目にしてきたものとは大分違っている。
 よく見知った長剣や短剣、槍、弓矢、そして銃もなめした皮を広げた大きな石台の上にずらっと並べ置かれた武器の中にある。
 しかし今2人が手にしているのは何だろう。あれは農耕具であろうか。
 何でも身を守る武器になるように教え込んでいる――?
 容赦のない打ちこみはエリックの鎧に何度も何度も襲いかかる。エリックは受けるのに精いっぱいのようだ。
 肩が上下している。
 息があがっているのだろう。
 隙を見せれば防具の隙間を狙いついてくる打撃を避けるように体制を保っているが、もうもたないだろう。小手の隙間や関節、プレートがなくなっている身体の裏を狙いすました攻撃がとぶ。
 鎧に当っただけでもよろけているエリックが執拗に攻めてくる打撃に倒れるのは予想できる。
 ウィルがそう思った時にはエリックはジンのタックルに投げとばされ地面に転がっていた。
 エリックは腕から離れた転がった武器に手を伸ばす。微かに右手に触れた柄を握ろうとするが、ジンは不敵な笑みを浮かべ農具を蹴りとばした。
 エリックに馬乗りし関節の隙間を狙う。
 もうだめだろう。そう思ったウィルは嘆息した。
 ジンのあまりの容赦のなさに驚きを隠せない。
 だがまだエリックはあきらめていなかったようだ。
 空気が変わった。
 2人のまわりに砂埃が舞い渦が生み出される。
 見えない。砂が、ウィルの視界を遮る。
 あれではジンも視界を奪われたかもしれない。
 風を魔法で起こしたのだろう。
 何かがウィルの視界の端に飛んでいくのが見えた。
 爆風が巻き起こり、一瞬の後に一気に砂埃がたち消え晴れた。
 エリックは地面に倒されたままだ。しかしジンは最後の一撃を構えエリックを縫いつけていた身体を離し、不自然に腰を捻り後ろを振り返っている。
 地面にはおられた何本もの矢が転がっている。後方から飛んできた矢を叩き落としたのだろう。
 そして長剣や短剣、鍬や鋤、槍までもがそこにはあった。ジンの身体中に赤のインクで書かれたような跡が滲む。
 傷だらけの顔にフッと笑みが浮かんだ。
「いいだろう」
 ジンがエリックの手をとる。そして彼を助け起こした。
 訓練は終わりらしい。
 体術で押されっぱなしだったエリックが最後に見せた魔法を使った反撃。攻撃魔法ではない物を座標に呼びよせるだけの生活魔法を使って繰りだした攻撃だった。絶対絶命だったピンチを凌げるようにあの一瞬で考え対応できたのには脱帽した。
 何倍もの力の差がありながらも最後まであきらめなかった。
 もちろんジンに負わせられたのはかすり傷だけで、大した損害もなかったようだ。あのまま続けていればとどめを刺されていたのはエリックの方だろう。
 最初からずっと押されていたし、実力の差がありすぎる。
 それでも一瞬垣間見せられた才能の片鱗に、これからの可能性にウィルは末恐ろしいものを感じた。
 荒削りだが、光るものがある。
 ジンもそう感じたのだろう。あの笑み。
 満足そうに細められた深蒼色の瞳。
 その瞳がはじめてウィルを捉えた。
「どうだった? なかなかいい筋をしているだろう」
 自慢の息子を誇らしげに紹介するような優しげな声で問いかけてくる。エリックは彼の甥にあたる。
 喘鳴をさせながら小手や兜、鎧を脱ぎ石台に広げた武器や地面に散らばった武器を片づけている彼へと視線を向ける。
「ええ。最後の反撃には目を奪われました。あきらめが悪いところがとてもいい」
 ウィルの言葉に満足そうに頷く。
「君もどうだい? 稽古をつけるかね」
 ジンにそう問われウィルの胸は熱くなった。
 しかし今日はそれをねらってきたのではなかった。
 魔鉱石の浮力で空を翔る飛鉱艇での依頼をエリックとその友人たちが受けられるように頼みにきたのだ。
「いえ。今日はお願いがあって来ました」
 彼の眉が弧を描いた。
「……お願い? それは許されるものかな」
 虚を突かれたような顔をしている。まさか頼みごとをされるとは予想もつかなかったのだろう。 
「はい。エリックたちが飛鉱艇での仕事をすることを許可していただきたい」



[26673] 20 飛鉱艇 3
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:29623c4f
Date: 2011/08/20 22:46
 ウィルは空を見上げた。
 ピンクと水色を筆で混ぜたような、鮮やかでそれでいて落ち着いた淡い色のグラデーションが、広がっていた。薄灰色の疎らに散った雲に沈みゆく光星の光があたり空というキャンパスに絵を描いたような夕暮れ時。
 ウィルたち4人はリーラベルから南にバスティ山脈を抜ける洞門を通り、隣町のスワンボーンへとやってきた。
 目的はもちろん飛鉱艇。
 魔鉱石を浮力とし、風の力を魔法で助け天翔る魔導船だ。
 ここスワンボーンはバスティ山脈から大河アルムフェルト川の豊かな水流が流れ込み、ラピスラズリを溶かしこんだような真っ青な水をたたえた大きな湖が佇む美しい場所だった。
 湖――アルヴィナ湖は空が落ちてきたように澄んだ蒼い色をしている美しい水源郷だ。
 アルヴィナ湖畔に面するここスワンボーンは本格的に暑くなっていくヴァカンスの人気の避暑地で、夏の時期は特に人気の観光地だ。 
 美しい湖は人を惹きつけてやまなかった。
 そして何よりもこの街の花形である飛鉱艇がその湖面に浮かんでいる様は、大変幻想的だった。
 水深深いこのアルヴィナ湖は、まるで海だと言えそうなほどに大きさをも誇っている。対岸に見えるのは魔法光が灯りはじめた家々の白い壁が小さくぼんやりと望めるだけ。
 バスティ山脈寄りのこちら側、商業都市リーラベル、ここ観光都市スワンボーンなどが連なるバスティ地方とはうってかわって、対岸の芸術都市ベルジュや海運交易が栄えているルクス洋西岸に位置する港町フリーマントルなどの主要都市がある王都バリュスのお膝元には洗練された華やかさがある。
 しかし、この街スワンボーンに立って飛鉱艇が浮かぶアルヴィナ湖を眺めていると、文明から離れて暮らす喜びを求めここに集う人々の気持ちがわかる気がした。
 豊かな自然の中にそっと隠されたような理想郷。
 夏の訪れとともに多くの人が押し寄せ休暇を楽しむ避暑地。
 飛鉱艇はそんな彼らをせっせとこの地へと運んでいた。
 湖上に浮かぶ飛鉱艇が停留している桟橋を2週間分の荷物を積んだ魔従キャロの手綱を引き渡る。
 ウィルと上司ヴィンセント・カスティリオーニ魔法騎士団長に面倒をみると約束させられた彼の養子エリック、そしてその友人モーリーとマルクスはそれぞれ魔従キャロを引き連れ飛鉱艇へと乗り込んだ。
 3人がデッキへと足を踏み入れキョロキョロと好奇心を隠せない様子であたりを見渡す様子は、何度も搭乗したことのあるウィルにとっては微笑ましいものだった。
 兄フレッドの気持ちが少しだけわかった。妹のリズに抱く保護欲とはまた違った気持ちが芽生える。
 弟がいたらこんな感じなのか――そんなことを考えながら、これからこのかわいい弟たちを見守りながらも、逞しい男に鍛え上げたいといった気持ちが湧き起こる。  
 左側を見れば、エリックが大きな澄んだ紫色の瞳をもっと見開いて感嘆の声をあげていた。
 まだ少年の域を抜けぬこの青年の目に好奇心が覗く。
 どのような生活をしてきたのだろうか。王都の魔法騎士団長の息子である彼はまるで全てがはじめて見るもののように関心を隠せずにいる。
 飛鉱艇が主な長距離の移動の手段になってから何十年も経つ。
 王都バリュスにももちろん飛鉱艇は運航している。にもかかわらず、この魅せられようは若さゆえなのか。
 自身の17歳の頃を思い浮かべてみれば、やはりエリックたちと同じようにはしゃいでいるはずか、と納得し、自分も年をとったってことかなと首をふり自嘲する。そして我先にと飛鉱艇へと駈けだしていったエリックの友人モーリーとその彼にやれやれと付き添ってウィルたちの前を歩きはじめたマルクスに目を向け苦笑した。
 23歳の自分とそんなに変わらないと思ってはいたが、少年から青年へと大きく成長していくこの時期の5、6年の差は思ったよりも大きいのかもしれない。
「何?」
 じっと見つめていたウィルの視線に気づきエリックが首を傾げる。
「いや。若いっていいなと思って」
 そう言ったウィルの言葉に「それはすごく思う」と綺麗な笑みを見せた。
 エリックも含めた3人へ向けた言葉なんだが……と複雑な気分になりながら「お前が一番若いんじゃないのか」とわしゃわしゃと彼の真っ直ぐな黒髪を空いている方の左手で撫でまわす。
「あ……。そうだったっけ? いや、マルクスが一個下」とウィルの手を払いのけながら、「みぃたん、行こう」と魔法光で目立つように打ち上げられた『短期勤務の方はこちら』と書かれた看板の方へと歩き出した。
「……でも実際はモーリーが一番下で私が一番年上なんだけど」とエリカが小さく呟いたのには気付かない。
「なんか言ったか?」
 湖上の上を吹き抜ける強い風が帆に当りバタバタと騒がしい。
 さわさわと流れる風が気持ちよかった。
「なんでもない!」
 大きく叫ぶようにみぃたんの頭を撫でながらエリカは返事をした。

 飛鉱艇のデッキを吹き抜ける強い風でかき消されたエリックの言葉。
「なんでもない!」と誤魔化されたような気もするが、眼前を看板の元に真っ白な船員服のお仕着せを着こみ立っているこの艇の船員(クルー)――あの服装からして結構な上等船員であろう――の方へと歩み始めたエリックの背中を追う。
 船員の前にはガヤガヤともう人々が集まりだしてきていた。
 中でもお調子者で騒がしいモーリーに年の割にとても落ち着いているマルクス――3人の中で一番年下だったのは驚きだ――そしてエリックと彼らの魔従キャロたちがいる一帯は悪目立ちしているようだった。
 商人ギルドの仕事を求めてきた中では若手の部類が3人も軒を並べ、それに輪をかけて騒がしいときている。それに魔従キャロの3匹も「みぃーみぃー」と叫喚をあげ、一層のけたたましさを加えていた。
 ウィルは近くにいた白のセーラーを着た下等船員らしき男に声をかけ、魔従キャロはどこに預ければいいのか尋ねた。一般客と同じ飼育部屋でよいらしい。
 エリックたちの方へと足を運び、声をかけた。
「おーい。キャロを先に預けた方がいい。誰かひとり手伝ってくれ」
 さすがにひとりでこの飛鉱艇の中を4匹の魔従を御して歩くのは骨が折れる。
「あ、僕が連れてく。みぃたん、クロウ、ブランディ」
 エリックが3匹のキャロたちの手綱を引き、説明を聞くために集まった人ごみの中を抜けウィルの方へと進んでくる。珍しい茶と白のまだら模様のエリックの相棒みぃたんとモーリーの愛獣クロウは濃い茶色の気性の激しいやつだ。ブランディは魔従キャロに乗りなれないマルクスにモーリーが準備した薄茶色のおとなしい雌獣だ。
「マルクス、モーリー! 話ちゃんと聞いておいてね」
 エリックの呼び掛けに2人とも白い歯を見せてニッと笑う。
「俺に任せとけ!」
 ズンと突き出した胸板に右手の拳を置いてモーリーは返事をする。
「もちろん。ウィルさん、お願いします」
 マルクスもエリックに目配せをし「大丈夫」と口だけ動かして伝えていた。
 そんな2人を確認してエリックも頷き、ウィルの横へと並んだ。
 一般客の搭乗はまだだ。今のうちにキャロ達を預けた方がいい。デッキから飛鉱艇の船底へ向かうスロープを下り、魔従や家畜、物資を保管する区域へ急ぐ。
「頼りになる友人をもったな」
 エリックからモーリーの魔従キャロ、クロウの手綱を受け取りながら視線を向ける。
 リーラベルでモーリー、マルクスの2人と合流してから、ここスワンボーンまで短くはない時を移動してきて、エリックたち3人が堅い友情で結ばれているのがわかった。まだ学究院で出会ってからそれほど長い時間は過ごしていないはずだが、エリックは親友という得難いものを手に入れたようだ。それもこいつの魅力のなせる技かもしれない。
「うん。モーリーとマルクスは大切な友達だよ。ウィル」
 一所懸命細い腕で魔従キャロみぃたんとブランディーを御しながら、笑顔を向ける。
「そうか。よかったな」
「うん。僕はラッキーだよ。あいつらと友達になれて」
 ここまでの信頼を得られている2人を羨ましく思いながら、リーラベルの酒場でエリックと出会ってからスビアコでこいつの上官として再会したことを口惜しく感じた。きっとあれからエリックはウィルに一線を引いている。当たり前かもしれない。自分が同じ立場なら監視役のように感じてしまうだろう。
 それに実際エリックの不自然な出自も気になっていた。何かがおかしい。そうウィルの感が告げるのだった。
 ヴィンセント魔法騎士団長から命を受けたエリックの守護ももちろん大切な役目だし、責任を持って取り組むつもりではある。しかし、実家ヘイフォード家の密命、異界から来たという女性を探しだすこともまたウィルに与えられ使命だった。
 エリックは何か知っている。そんな気がする。
 以前エリックが書き置きをしていった紙片。あれは失われた技術で作られたものだった。国策として失われた技術の復帰作業も行われていることも知っているが、その技術の恩恵はなかなか一般人にはいきわたるものではないはずだ。
 だとすれば考えられる可能性は、高い技術力を誇っていたと言われるエリスの民に関係するものか、国策に関われるだけの身分をもった人物。おそらくは王族。
 カスティリオーニ家の後見を得ているとなれば王族ということも考えられる。なにしろ白くてきれいな手をしている。あれは貴族の手だ。それに妙に世間の常識を知らないところも当てはまるような気がした。
 だが、ウィルも大貴族ヘイフォード家の腐っても二男である。王族で顔を知らぬものがいるとは考えられなかった。隠された落胤か。その可能性は低いと思う。何しろ珍しいくらいに最近の王族たちの婚姻は上手くいっているともっぱらの噂だし、父カーティスの折り紙つきだ。父の情報は確実だし、それは真実なのだろう。
 ウィルは魔法騎士団では、母方のアークライト姓を名乗っている。それは身分ではなく実力でどこまでできるのか挑戦してみたかったからだ。
 魔法騎士団でウィルの身分を知っているのは、おそらくはヴィンセント団長のみ。団長にも秘密にするよう根回ししていたのだが、この間副団長職の打診があったのはそういうことなのだろう。
 できれば実力で勝ち取ってみたかった。そう思わなくもなかったが、与えれた命をしっかりとこなし、その職に恥じない実力をつけようと決心した。

 ◆ ◆ ◆

「ジン、あの子は大丈夫かしら?」
 スビアコ村の酒場の奥の母屋の一室で、エヴァが問いかける。
「ああ。ヴィンスがよこしたル・アークライトが付いている。彼は頼りになりそうだ。きっと無事に連れ帰ってくれるさ」
 ジンはエヴァの腰を抱き寄せ、黒髪にキスを落とした。
「でも……あの子は、女の子でしょう? 本当に大丈夫かしら。今まではこの家で私たちが守ってあげられていたけれど、今回は泊まりがけで男の子たちに囲まれての仕事なのよ?」
 薄紫色の瞳が不安げに揺れる。
「飛鉱艇に乗ることになってしまって、すまない」
「……いいの。私も気にしすぎね。でもクリスティーヌのことがあったからだけじゃないのよ。それはわかって?」
「ああ。わかってる。あそこでは魔法が使えない。あの子にかけている幻術が切れてからのことを心配しているんだってことは、ちゃんとわかってる」
 飛鉱艇は魔鉱石の浮力と魔法で風を起こし飛ぶ。そのためその2点に魔力を集中させなければならなかった。だから魔力の乱れを防止するため、乗客には一切の魔法の使用を禁止している。もちろんそれは乗務員にも例外なく提示されていた。
「あの子には私から用心するように言い聞かせたわ。それにもしもの時のために女の子にもどれるよう鬘やドレスも用意した。幻術が切れてからのために付けひげや腰回りに入れる特殊な素材も渡してある。……それでも不安なのよ」
 エリカがかけている幻術は一日しかもたない。毎朝かけ直さなくてはならないのだ。それほど女性を男性に見せる幻術は複雑なのだ。ちゃんとかけ直さないとほころびができてしまう。髪の色を変えるだけのような単純な幻術とはわけが違った。
 魔従キャロにかけている毛の色を変える幻術は比較的単純なものであるし、魔導具で半永久的に保つことができているので問題はない。
「そうだな。俺もエリカが心配だよ。本当の娘みたいなものだ。……もしあの子が生きていたら、きっとエリカと同じくらいだって考えてしまうんだ」
「……そうね。名前も贈る前に旅立ってしまったあの子。もし生まれてきていたら私たちきっとお姫様みたいにうんと甘やかして、ジャックもクリスティーヌも……うっ……うっ」
 エヴァの嗚咽が居間に響いた。
 そんな彼女をジンが強く抱きしめる。
「大丈夫。クリスティーヌはどこかで元気にしているさ。それに亡くなったあの子も見守ってくれているよ。エリカも今はわざと子供らしくやんちゃに振舞っているが、しっかりとした女性だ。きっと無事に乗り越えられるさ」
「そうね。エリカは私が昔あった娘に似ているわ。あの子を見ていると“大丈夫”だって力が湧いてくるのよ。不思議な雰囲気の子ね……」
 ジンとエヴァは大きく開け放たれたテラスから空を見上げた。
 美しい夕暮れ時だった。薄紅色が映った雲の隙間から二つの月がぼんやりと姿を現し始めている。光星の支配する時間はもうじき終わる。



[26673] 21 飛鉱艇 4
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:bae6d347
Date: 2011/09/16 13:13
 みぃーみぃーと鳴く魔従キャロたちは、大きなガレー船のような飛鉱艇の第5層にある倉庫区横の飼育スペースに預けてきた。キャロの場所は土や牧草で敷き詰められており、水や大好物の赤いラディッシュのようなネズーラという野菜やネズミなどの死骸が木桶の中に積まれている。魔従やペットの種類別に分かれており、みぃたんたちも快適そうだった。
 エリカは恐る恐る違うスペースの扉の向こうを伺ってみたが、ドラゴンはいないようだ。
「ドラゴンはいないみたい。よかった」
「ぶっ」
 隣のウィルが噴き出す。
「お前っ。ドラゴンが乗ってるわけないだろう?!」
「へっ?」
 エリカは不思議そうに首を傾げる。
 少しだけの好奇心と恐ろしさを感じながら、ドラゴンが垣間見えるものと期待していたのに残念だ。 
 色々な地方へと運搬される家畜たちも、少し離れた柵の中に放たれている。
「バカだな」とフッと笑いを浮かべたウィルの横顔をキッとにらみ、エリカはみぃたんたちを預けた第5層から上層へと踵を返す。
 飛鉱艇の内部は本当に驚くべき作りだった。巨大なガレー船のような外観からは想像できないような繊細な内装を施された第2層、第3層の客室部分。先程はキャロたちを御すのに精いっぱいで、良く見えていなかったが、まるで映画で見たタイタニック号のような豪華な船内に息をのむ。
 優美な吹き抜けのある大ホールを横目に、木目調の長い廊下を進む。
 目の前にはエレベータがあった。先程は魔従キャロを連れていたので、なだらかなスロープを右に左に下ってきたのだが、帰りはこれに乗るらしい。
「エレベータ?」
 エリカが固まっていると「乗るぞ」と肩を押しだされた。
 どんな仕組みかは全くわからないが、昔の外国映画で見たようなレトロな百合を模った黒鉄柵の扉のついたエレベータは地球にあるのと変わりないように感じた。ただスイッチに浮かぶ各階の数字がなぜかローマ数字で、その表面に僅かに魔力を感じ取ることができることに、これも魔法か、魔導具の一種なのだろうと考えた。
 いや、確か魔法はここでは使ってはならないはず。エヴァの言葉が脳裏をよぎる。
『エリック。いいこと? 飛鉱艇の中では魔法は使ってはダメ。大変なことになるから絶対に使ってはだめよ。約束して頂戴。いいわね?』
 大変なこととはどんなことなのか、しっかり聞いておけばよかったと思ったが、もう後の祭りだ。 
 それなら科学なのか?
 もっとちゃんと学究院やエヴァの座学で、勉強しておくんだったと嘆息する。
 魔法がある為、あまり発達されていないとされている科学。でも理工学もさっぱりなエリカからしてみれば、科学も魔法もどちらも同じ不思議で便利な力に違いはなかった。
 ウィルは何の疑問も感じず乗っているように見える。ここでは当たり前のものなのかもしれない。スビアコ村やリーラベルの学校で過ごしてきて大分この世界に慣れたと思っていたけれど、まだまだ知らないことがこんなにもたくさん溢れている。
 歓声をあげながら走りまわって色々なものを見て回りたいのに、いつも見慣れている何でもないふりをして過ごすのは骨が折れた。まるで旅行に行ったのにホテルに缶詰にされた気分だった。
「早く戻ってモーリーとマルクスに話を聞かないとね」
「そうだな。あいつらちゃんと聞いてるかちょっと心配だ。飛鉱艇は客としてはいつも乗ってるが、俺も乗務員は初めてなんだ。早く戻ろう。まだそんなには時間は経ってないはずだ」
 わしゃわしゃとエリカの短い黒髪を大きな右手で撫で、エレベータを降りモーリーとマルクスのいるデッキへと続く扉へと颯爽と歩きだす。
「待ってよ。迷いそう」
「早く来ないと置いてくぞ」
 振り向いたウィルの翡翠色の瞳は悪戯ッ子のように笑っていた。
 鉄製のドアを開けデッキへ出ると、先程の大きな目立つ看板の下でまだ説明は続いていた。台の上に乗っているのか、集まる人々から白のセーラーを着た船員の姿が最後列からでも見える。
 モーリーとマルクスは前列にいるはずだ。さすがに遅れていって割り込みするのは気が引けるので、後方にそのままつき船員の話に耳を傾けた。
「あー。また新人が来たようだ。これは重要だからまた同じ話を繰り返すが……」
 ウィルとエリカが遅れてきたため、また説明してくれるらしい。それは助かるとエリカは姿勢を正した。
「これはまぁ常識なので知っているとは思うが、ここ飛鉱艇では魔法は制限されている。今回はヴァカンス中ということもあって、学生たちも混じっているようだから詳しく説明しよう」
 そう言って船員はエリカたちの方へと視線をよこした。前列の方へも視線を向けたことから、モーリーやマルクスはあそこにいるのだろう。
「学校で習ったとは思うが、魔法は大地の力の中に眠っている魔力を引きだして紡ぐもの。魔力というのは大いなる存在――至高なるものの通称だが……」
「おいおい。そんなことはいいからさっさと説明しておくれっ」
 ガヤガヤと民衆の中から野次が飛ぶ。
 大いなる存在。至高なるもの……?
 エリカが記憶を手繰り寄せるように、エヴァや学究院での授業を思い返していた。習ったような気もするし、はじめて聞くようでもある。そうだ。はじめて魔法を習った時にそんな話をエヴァから聞いた。でも、あまりにも全て信じられないことだらけの日々で、すっかり頭から抜けていたのだ。
 本当にこの世界は、地球とは異質で不思議なことだらけだ。そうかと思えば、人々の姿は地球と変わりはないし、妙な共通点もたくさんある。
 それがエリカを混乱させた。
 流されてここまできたが、これからどうしたらいいのだろう。あまり考えると思考の深淵から浮上できなくなりそうで、楽天的に過ごそうと決めていたのに、ふとした時に負の思考が足をからめとる。
 肩に置かれた手にエリカはハッとした。
 ぼんやりとしていたのに気がついたのか、ウィルが心配そうにエリカを覗きこんでいた。
「おい。大事な話だ。ちゃんと聞いておけ」
「う、うん。わかった」
 ウィルは隣で深刻そうな顔をしているエリカを見て眉を寄せた。
 たまにこんな時がある。何を悩んでいるのか、ふとした瞬間にとても遠い目をして沈んでいることがある。とても悲しそうなやるせない表情を見ていると、不思議と守ってやりたいと思ってしまう。
 最初はいやいやだったお守役だったはずなのに、そんな自分に自嘲する。保護欲なのか――。自分でもよくわからない感覚に頭をふり、ウィルは前を向いた。
「とにかく、飛鉱艇は大地から遠く離れ大空を翔る船だ。大地から離れるということは、魔力もそれだけ引き出しにくい。引き出せることも問題なのだが――。上空から地上の魔力を引きだすことの弊害は集まった皆さんは知っているようなので……ゴホン、ゴホン」
 またしても長ったらしい説明に、人々の間から不満の声が洩れ、船員はむせ込んだ。
「というわけなので、飛鉱石上昇魔術航空士と風魔術士、一等から二等航空士、船医、船長以外の魔術使用を禁止する。これを守らなかったものは、一切の弁明を許さず即座に降船を言い渡す!」
 船員の説明が終わったかとザワザワし始めたところ、海賊のような風貌の男性がぬっと顔をだした。年季の入った茶革の外套の中には、濃紺の上下の擦り切れた服が見えた。着崩してはいるが、チラリと見える銀モールの刺繍から推測するに船員服だろう。ぼさぼさの黒髪は薄茶色の左目にかかりそうなほど長く、肩まである後ろ髪は邪魔なのか一部まとめている。
 どうみても堅気の人間には見えない迫力のある彼の姿に、先程までの元気はどこへやら野次も止み、皆借りてきた猫のようにおとなしくなった。
「船長!」
 説明をしていた船員が心臓の位置に手のひらを置き、片膝をつき礼の型をとる。
「船長?! あれが?」
 思わず声をあげたエリカの方をぎろりと睨み、にやりと笑った。

 鋭い視線がエリカを刺した。
「てめぇも人のこと言えねぇだろうが。女みたいな顔しやがって……」
 船長と呼ばれた彼の悪態を聞いたのは、隣の船員と最前列にいる一部だけだった。
 まさに海賊か空賊というような風貌で口も悪いときている。
 飛鉱艇といえば貴族の社交場だという一面ももっているのに、この船長はちゃんとやっていけているのだろうか。運悪く呟きを聞いてしまったモーリーは、マルクスと顔を見合わせ苦笑いする。
「あれが船長?!」と後ろから飛んだ感嘆の声はエリックのものだった。
「バカ野郎。それは思っても言っちゃだめだろう」とモーリーは息をひとつ吐いた。
 誰しもがあの瞬間考えたに違いない言葉。思わず口からこぼれ出たのだろう。ご愁傷様。きっとエリックは目をつけられたに違いない。自分たちにもとばっちりがきそうで思わず首を竦める。
 マルクスもエリカの方をチラリと振り返り、心配の面持ちだ。
エリカはしまったというように両手で口をおさえている。そんな彼女を安心させるようにウィルは、ポンと肩に手を置いた。
「気にするな。彼はそんなに狭量な人物じゃない」
 面識があるのか意味深な言葉を残す。
「えっ?」とウィルを見上げると笑いをかみ殺している。
「笑えばいいのに! 堪えられた方が逆に嫌だ」
 先程までの嫌な緊張感が、いつの間にか消えていた。
「船長のガイ・フォースナーだ。先程バウアー二等航空士から詳細の説明があったと思うが、そういうことなので各自気をつけてくれ。2週間の短い期間だがよろしく頼む。あとはそれぞれ持ち場についてから上司に指示を仰いでくれ」
 広いデッキの後方まで良く通る声で挨拶をする姿は、堂々としておりエリカの先入観が間違いだったのだと悟った。こんなに船長らしくなく見えるのに、一声挨拶するだけで船長は彼にしかあり得ないと思わせる存在感、カリスマ性があるのも稀有だ。
「はい、船長!」
 方々から一斉に声があがった。
「はい。……フォースナー船長」
 エリカも一拍後、小さく返事をした。
 そんなエリカの様子を知ってか、船長がにやりと笑いウィンクをよこした。
「ほら、な?」
 そう言いながら、ウィルは思わず後ずさったエリカを見てまた笑っている。そんなウィルを軽く小突いて文句を言おうと口を開きかけたが、あまり小さなことに拘るのも男らしくはないと思いなおす。
 説明が終わり人がばらけはじめたところにモーリーとマルクスがやってきた。
「やっちまったな、エリック。あんな人相悪い船長に睨まれたら、これからの仕事が思いやられるよ。まぁ、下っ端の俺たちにはあんまり接点もないし、関係ないとは思うけどな!」
 モーリーがそう言い、エリカの肩に腕をまわし顔を覗きこんでくる。
「戻ってたんだな。最後の説明は聞けた?」
 マルクスが苦笑しながら質問する。敢えて話題を逸らしてくれたのかもしれない。目礼し、すぐ横で覗きこんでいるモーリーの顔を手のひらで押し出すと、ウィルがモーリーの腕をよけてくれた。
「痛てて……! ウィルさん、力入れすぎですってば」
「こいつのひょろっこい肩にお前の体重は、毒だ。自粛しろ」
「はぁー? 何いってるんすか。いつものことだから大丈夫ですよ」とウィルを振り返ったモーリーの顔が一瞬固まったが、あまり気にした様子もないようだ。またエリカの肩にもたれかかろうと腕を伸ばした。
 モーリーの気配を感じたエリカはさっとウィルの後ろに移動した。いつもなら別段気にしないが、今日からはじまる2週間の寄宿生活では用心を重ねた方が良い。誰にもエリカが女性だとは気付かれないようにしなければ……。
 そんな事情を知らないモーリーははじめて拒否されたことにしゅんとなる。
「エリックー。俺なんかした? なんかさみしいなぁ……」
 モーリーの様子に申し訳ない気持ちになりながら苦笑する。
「男同士あんまりくっついてたら暑苦しいだろ」
 そう言ってモーリーの肩をポンポンと叩いて慰めた。
「はぁー。俺、いつも頭で考える前に行動しちゃうから、なんか気に障ること知らないうちにしたのかと思って焦ったぜ」
 エリカのフォローにもう笑顔だ。エリカは微笑ましい気持ちになった。まるで犬っころか弟のようだ。身体は学究院の巣(ネスト)で一番逞しいのに、エリカたち3人の中で一番幼く感じる。
 実際はエリカもマルクスもモーリーよりも大分年上なのだが、それはモーリーには話していなかった。別に秘密にしたわけではなかったのだが、マルクスにまたあの日々の話をさせることが躊躇われたのと、モーリーとは気の置けない関係をこのまま続けたかったからだ。
 地球から迷い込んだエリカとマルクスは2人とも大体10年程、身体が若返っていた。
 本当ならエリカがウィルを含めても一番の年上で、マルクスが2番目のはずだった。でも不思議なことにこのハウメアでは時の歩みが地球よりもゆったりしているようで――それは地球の時を刻む腕時計でも確認できた――実際この世界の人々は年齢よりも大人びているように感じた。
「さて、まずは割り当てられた部屋に行って着替えてこようぜ。さっき配布されたセーラー服がここにある」
 そう言ってモーリーがエリカとウィルに制服を数着手渡した。バウアー二等航空士が着ていたものと似ている。襟の線の数が一本しかない。一番下っ端のしるしだ。
 エリカたちは荷物と制服を抱え、第4層の部屋へと向かった。



[26673] 22 飛鉱艇 5
Name: 佳月紫華 ◆014eb1fb ID:bae6d347
Date: 2011/09/21 15:37
 部屋はこじんまりとしており、二段ベッドが両壁に向かい合うように並んでいる。1台が右側の壁に、左側にも1台という具合に。全部で4床だ。
 二段ベッドにはそれぞれカーテンで仕切られているのが不幸中の幸いか。一応プライバシーには配慮してくれているようだ。
 6帖ほどの狭い部屋に、ベッドの他に小さなソファーとテーブルがひとつあった。ソファーには枕と毛布が置かれていた。場合によってはベッドにもなるらしい。 
「俺、左奥のベッドは嫌だなぁ。すっげぇ狭くて出ずらそう」
 モーリーが左壁側のベッドの方を覗きこみ、狭い通路を両腕で測っている。
 左側の二段ベッドの横にはソファーも置かれており、壁側から乗り降りするようになっていた。
「僕は、下のベッドがいいな。上のベッドは荷物を持って登るのが大変そうだ」
「そうだな。お前は身体も小さいし上は大変だし……。狭いのは大丈夫そうだな。左下にしろ」
 エリカがそう言うと、ウィルがエリカの荷物を左壁側下のベッドに乗せてくれた。
「ありがとう、ウィル」
「マルクスも下でいいか?」
 ウィルの言葉にマルクスも頷く。
「はい。俺はどこでもいいです」
 荷物をエリカの隣のベッドへと置きおもむろに外套を脱ぎだした。
「じゃあ、俺とモーリーは上のベッドにしよう。モーリーお前は右上だ。早く荷物を片づけておけ。ここは狭いから邪魔になる」
「了解っす! ウィルさん」
 モーリーも荷物を上に上げ着替えをはじめた。
 勝手にみんなベッドのカーテンを引いて中で着替えるものと思っていたが、その場で脱ぎ始めるとは。
 エリカだけベッドに戻りカーテンの中で着替えるのは不自然かもしれない。今は幻術がかかっているので誤魔化せるかもしれないが、明日には魔法は綻んでいるだろう。それに身体を洗うにしても、まさか皆の前で肌を晒せるはずがない。
 エリカはエヴァ達の心配が杞憂ではなかったのだと今更ながら気付いた。本当にどうかしていた。安易に考え過ぎていた以前の自分に説教したくなる。前途多難な初遠征の仕事に不安が募ってきた。
 せめて誰かひとりでも事情を話せたら……。
 だが、それはできない相談だ。仲の良い友人だとしてもだからこそ話すわけには。
 それに男たちがひしめき合っているこの大部屋で女性だと正体を明かすことこそ、余計危険だと思いなおす。いくら仲が良くても、信用していても、それは男友達だからかもしれない。もしかしたら、女性だとわかった途端、この心地よい関係も変わってしまうかも……。
 これからの共同生活を男として送るのには、やはりばれるわけにはいけない。そう思いなおし、気を引き締める。
 今後、魔法騎士団に入団することに比べれば、まだ今回はマシだと思わなくては。これ位のことを乗り切ることができなくては、先が思いやられる。
 エリカは覚悟を決めて外套をサッと脱ぎ、Tシャツの上からセーラーを被った。特殊な生地をさらしのようにきつく巻いて胸をつぶし、腰回りを太く補正している部分が見えないように上衣のシャツのめくれに気をつける。
 恥ずかしい気持ちをなんとか落ち着けながら、長ズボンも一気に下ろし、紺の半ズボンにはき替える。
 女性用の下着の上に男性用の下着を重ねて履いているので、これはショートパンツなんだと暗示をかけたが恥辱感は拭えなかった。
 そんなエリカの心情など知らずに3人は、上半身の裸体を晒し、セーラーに腕を通す。
「エリック、下着脱がないと暑くないか?」
 マルクスが話しかける。エリカは赤くなりながら「いや、冷え症なんだ」と、か細く呟いた。
「ふーん。まぁ、細いから薄着だとつらいのかもね」と納得する。
 そんなやりとりをしながらマルクスに目を向けると、エリカとはやはり身体の作りは違い、男の子という感じだ。若返った肉体はまだ少年のものだが、さすが西洋人。当然といえばそうなのだが、マルクスも少年のような相貌からは想像できない位に身体が出来あがっていた。
 一緒に並んでしまうとエリカの男装にはやはり無理があるのを痛感した。
 2人のやり取りを聞いていたらしいモーリーとウィルがぼうっとエリカを眺めていた。
「エリック、お前もう少し食べて鍛えた方がいいぞ。それじゃあまるで女の足だぜ?」
 モーリーの言葉にドキリとする。
「まだ成長期だ。これから逞しくなるさ」
 その慰めの言葉とは裏腹に、ウィルは何か考え込んでいる仕草をしている。
「僕だって、みんなみたいに筋肉つけたいけど……。遺伝だよ、だってお父さんはひょろっとしているし」
「お前の父親がひょろっとしてるって? あの団長が?!」
 ウィルの言葉に墓穴を掘ったことに気がついた。
「……いや、若い頃の話さ。僕みたいに昔は細かったって慰めてくれたんだ」
「ああ、団長なら本当は違ってもそう言って励ますだろうな……」
 ウィルは家族に対して異常な程執着をみせるヴィンセント団長を思い浮かべ納得した。
『臨時船員、清掃班は、二〇〇〇に第4層第3ホールに集まるように! 繰り返す臨時船員、清掃班は……』
 部屋の入口近くの鉄製のパイプから声が響く。
「俺達のことだ」
 マルクスが教えてくれた。
「俺たちの役目は飛鉱艇の清掃と、明日から乗船してくるお客様の荷物持ちなんだと。はぁ、俺もっと機関士とかやりたかったのにな」
 モーリーが残念そうに頭を振る。
「へぇ。機関士か。めずらしいな。普通は魔術航空士や一般航空士が人気なのにな」
「俺は魔法が苦手なんです。それよりも魔導具とか失われた技術に興味があるっす」
 人好きのする大きな笑みを浮かべ、ウィルにじゃれついた。
 エリカは腕時計で時間をそっと確かめた。19時42分。そろそろ行った方がいい頃間だ。
「早めに行こうよ。なんたって初日だし遅れたくない……」
「それにお前は船長に睨まれてるからな!」
 あははと笑いながらモーリーが余計なひと言を挿んでくる。
「俺たちだってとばっちりが来るかもしれないぞ」とマルクスが逆にモーリーをやりこめる。
「お前のせいだぞ!」
「モーリーだってきっとその口が災いして船長に睨まれればいいんだ」
 負けじと言い返すエリカにニヤニヤしている。
 カチンときたエリカはそのまま3人を残して部屋を出た。ただの悪ふざけだとわかってはいるが、今は余裕がなく苛々していた。
「大丈夫か?」
 いつの間にか肩に置かれた手に振り返るとウィルだった。追いかけて来たらしい。
「うん。気にしてないよ。ちょっと時間がたてば落ち着くから……」
「何か悩みでもあるのか? 最近様子がおかしかったから、心配していたんだ」
 ハウメアでも生活にも慣れてきて、余裕ができてたこともあってか、故郷や家族、友人のことなど思いだす機会も増えてきた。今までは驚くことの連続で考える余裕もなかったが逆にこうして思い浸るのは、それだけここでの生活に馴染んできた証拠だ。
 男装自体を軽く考えていたのが今更不安で、今後のことが不安でたまらなくて苛々してしまうなんて言えるわけがない。それは打ち明けられないことだ。
 何も言えず視線を彷徨わせていると、ウィルはフッと微笑み、ポンとエリカの頭を撫でた。
「言えないならいい。だけど、俺はお前の味方だ。いつでも言いたくなったら来い。お前の場所は残しておく。お前の上司だからな」
 そんな彼の言葉に少し胸が軽くなった。

「皆さん、揃ったようですね」
 直属の上司であろう船員が第三ホールの群衆を見渡す。
 エリカとウィルは一番前に、モーリーとマルクスは何人か後ろの少し離れた場所にいた。きつい言葉を残したままひとり先に部屋を出たので、気まずい雰囲気だ。
 すぐにいつもどうり話せば瑣末な笑い話ですんだろうに状況が許してくれなかった。モーリー達のところに行こうにも、ごった返した人をかき分けて戻るのも躊躇われた。
 そうこういっているうちに説明がはじまった。皆集まったのか、少し予定を早めることになったらしい。
「私は、三等一般船員のナスラです。皆さんのような臨時船員の監督をしております。貴方達には毎日、飛鉱艇内の清掃と、明日から乗船してこられるお客様の荷持つをお部屋までお運びする役目を担っていただきます」
 上品な語り口とは裏腹にナスラ船員は、野太い声に熊のような相貌だ。日に焼けた褐色の肌に濃茶の髪、髭と瞳。背は飛びぬけて高くはなかったが、体格が良いため大きく見えた。
「はい!(アイ) ル・ナスラ」
 古参がいるのか返事があがる。
「はい(アイ)。ル・ナスラ」
 遅れて他の者達も声をあげた。
「まずは荷粉を掃き出す! 持ち場を割ふる。間違っても魔法は使うなよ? デッキブラシの使い方はわかるな?」
「アイル!」
 そろった返事に気を良くしたのか、自が出たしゃべりへと変わっていた。彼には上品さは似合わない。
 見た目に苦労しているのであえて丁寧な話し方をしていたのかもしれない。フォースナー船長とそろって船員たちがぶっきらぼうだと、まさに海賊、空賊の一味に間違えられるに違いない。
「2部屋で1組のバディだ。部屋割ごとに固まってどこかと組みを作るように!」
「アイル!」
 人々が動き出し4、5人に集まりだした。まずは部屋毎に散らばっていた人等が徒党を組む。
 エリカはなるべくゆっくりと時間をかけながらモーリーとマルクスがいる方へと足を向けた。
 仲直りってどうすればいいんだっけ……。こんな子供じみた喧嘩は久しぶりだ。
 気まずさで俯きながら合流すると、いつもは賑やかでムードメーカーのモーリーが、とても静かでほとんど言葉を発しない。チラリとモーリーに視線を向けたが、目を逸らされた気がした。
「まだバディを組んでいない部屋を探そう。俺達は最後の方だ。ほとんどの部屋がもうバディを組みはじめてる」
 ウィルが異様な雰囲気のメンバーをまとめる。
「そうですね。あの人たちはどうですか? ほら、こっちを見てる」
 マルクスも無理して明るく振舞っている。
「いいんじゃねぇか」
 ぼそりとモーリーが呟いた。
 エリカはモーリーの方を見れなかった。また目をそらされると立ち直れないからだ。
 どうしてこんなに拗れてしまったのだろう。
 エリカが何も発しないでいるとモーリーの「クソッ」という悪態が聞こえた。
 ますますエリカは仲直りのタイミングを逃してしまった。
「エリック、行こう」
 ウィルがエリカの背を押す。
「……うん」
 暗い気分になりながら、他部屋の男たちと合流する。5人それぞれ挨拶と自己紹介をしたが、モーリーの態度がずっと気になっていて、おざなりなまま終わった。短い期間だが同年代が集まる林間学校のように貴重な経験だ。お互いどんな相手だか気になるところ。色々な質問も飛び交ったが、エリカも、そしてモーリーも気のない返事をするだけなので、彼らは2人に話しかけるのをやめてしまった。
 そんな自分にエリカは愛想がなくて性格の悪い奴だと思った。
 エリカとモーリー2人の穴を埋めるように、ウィルとマルクスが彼らと色々と話をしているのを、ただ静かに何の気なしに集まった人々を見ながら聞き流していた。 
 甲板で行われたはじめの説明の時にはいた女たちがいない。彼女たちは違う職種を割り当てられたのだろう。比較的若い男たちが集まっているエリカたち臨時の清掃班、見習い客室係の仕事は、体力的に大変かもしれない。
 全部の部屋がバディを組み終わった頃、ナスラ船員が指示をそれぞれの班に出し始めた。
「1班は甲板を。2班は第1層。3班は第4層。4班は第5層だ」
 塊ごとになった組みに、ここは何班と声をかけながら、受け持ちの場所を決めていく。エリカたちの班は4班。第5層。荷を積む倉庫地区と家畜と魔従達の預かり所がある層だ。
 それぞれ担当になった層の説明をしながら、各班につく上司の元へも指示を出す。
 あとは直属の上司について学び、仕事をするようにと説明は終わった。
 第5層へと移動し、注意点を何度も聞かされながら、手順を教えられる。まだ荷のほとんど積まれていない倉庫部分をまずは清掃することになった。
 臨時のエリカたち4班の他にも、この艇の船員たちも一緒に清掃にあたる。彼らは荷をつるすクレーンのような機関部分や、何の用途に使うのかわからない精巧な機械らしいものの近くを掃除し、エリカたちには何も置かれていない床の清掃を命じた。
 何百人も運ぶ飛鉱艇だ。その広さは伊達じゃない。根をあげたくなるような作業だったが、今は何も考えず没頭できる時間がありがたかった。
 半分ほどの荷粉を掃き集めたところで、上官から声がかかった。
「お前ら休んでいいぞ。初日だから疲れただろう。めしの時間だ。一旦食べてからまた1時間後にここに集合だ」
 そう言えば飛鉱艇に着いてからずっと何も口にしていない。緊張と喧嘩のストレスで空腹もすっかり忘れていた。思いだした途端、腹の音が鳴る。
 22時。遅い夕食だ。
 まだいぬ乗客たちの食事の時間とかぶらないようにずらした結果だそうだ。
「ありがたい」
 他部屋の5人が作業をやめて帰っていく。エリカたちもブラシを置き、船員たちの食堂のある第4層へと向かった。
 お互い口数も少ないまま食事も終わり、残りの作業も終えた。
 些細な言い合いがここまで大きな喧嘩へと発展するなんてどうして思っただろう。
 男同士なら殴り合いでもすればいいのかもしれない。そうすれば、お互い殴った後は笑って許しあえる気がする。
 男のフリをしていても、なりきれない。女のいやらしい部分に吐き気がした。
 自身の頑固さと素直に謝れない意気地の無さに嫌気がさしながら、部屋へと戻った。
 泣くのは反則だ。
 男装をやり遂げる為に自身に課した決まりごと。男らしく泣かないと決めた。
 最近、あまりにも順調で笑顔で過ごせていたから忘れていた。
 こんなことで泣くのは男らしくない。だから泣かない。
「エリック。身体を拭いてこい。浴室の場所はわかるか?」
 荷物の整理をしている背中にウィルから声がかかる。
「艇内図を見たからわかる。片づけ終わったら行ってくるよ」
「わかった。俺達は先に行く。じゃあ後でな」
「了解」
 ウィルとマルクスが部屋を出る。モーリーが一瞬留まり、エリカに話しかけようとしていたが、ベッドの方に身体を向けたまま振り返らずにいたため気付かなかった。
 そんなエリカの様子にモーリーも部屋を出て行った。
 部屋にひとりになり、ベッドに腰をおろす。
「今日だけ。……明日からはがんばろう」
 弱気になるのは今だけ。明日からはちゃんと男らしく振舞う。そう自分に言い聞かせる。
 浴室へ向かおうと立ち上がり、ふと気がついた。
「お風呂! どうしよう」
 一番の心配ごとに蒼くなる。そうだった。エヴァからも言い聞かせられていた。男湯へは行けない。女湯へ行かなければ。方法は考えてきてある。
 エリカは鞄に必要なものを詰め込み廊下を出てすぐの共同トイレへと駆け込んだ。
 暫し女に戻るのだ――。



[26673] 23 飛鉱艇 6
Name: 佳月紫華◆d3e6567e ID:68f2d2f7
Date: 2012/03/19 21:42
 油断していた。
 まさかこんなことになるなんて――。

 ◇
 
 共有トイレからひとりの女性が姿を現す。
 顔の醜美は見えないが、すらりと背が高く、独特の存在感がある。
 地味な服装の割にそそる物腰だ。下女か料理女か。
 擦り切れたありふれた木綿の濃茶のワンピース。ベージュの飾り気のないエプロンをしている。モスリンハットからは黒髪のおくれ毛がチラリとのぞいていた。
 人目を避けるように立ち去ったのは、逢引でもしていたのか。男性たちの部屋の区画とは別のところに女性たちの部屋はあるはずだった。
 すれ違いざまに顔でも拝もうかと、目を向けた。
 こちらの思惑をわかっているのか、瞳の色すら見ることが叶わない。
 それでよく歩けるものだというくらい堅く目を瞑り、床と言うよりは斜め左下の床と壁を凝視し、不審な程怪しい顔の背け方をしている。
 全身から目を向けるなと叫んでいるような仕草に、男は舌なめずりをした。
 見れぬものほど見たくなるのが人間の性だ。
「ねー、奥さん。お嬢さーん? そうそう。君だよ君! 顔見せてよ。こんなところで何してるの? 僕とも遊んでよ。どうせ、もういいことして来たんだろ?」
 馴れ馴れしくしなだれかかってくる見知らぬ男に、エリカは俯きながら首を振った。
 男の顔が近づいてくる。プンと酒の匂いがする。酔っぱらいを軽くあしらうくらい朝飯前なのだが、そうも言ってられない状況だった。
 長い廊下の先に、同室のウィル、モーリー、マルクスがこちらへ向かってきているのが見える。
 彼らは紳士だから助けようとするだろう。それは一番避けたいことだ。
 ドレスの胸元を無意識にギュッと探る。いつもあるはずの貴石がそこにはない。
 エリカは男の伸ばした手から逃げるように走り出した。
「おい!」
 立ち去った背中に、男の舌打ちと下世話な罵りが届いた。
『こっちが黙ってれば調子に乗って……! あんたみたいな気持ち悪い男なんてこっちから願い下げだわ。ああやだ。生理的に受け付けない』
 一気に廊下を走り抜け、エレベータに乗り甲板へ出ると日本語で悪態を吐いた。
 思わず出た汚い言葉に苦笑する。久しぶりに女性に戻って、日本語で言いたいことを吐き、そんなことでイライラが緩和される自分に笑いが止まらなくなった。
『あははは……。わたしって単純だ』
 甲板の船縁に寄りかかり、真っ黒な湖を眺める。
 ふたつの下弦の月が雲間からのぞいていた。月明かりとカンテラが真夜中の艇を淡く浮き上がらせる。
 陽気な歌声が風に乗って運ばれてくる。
 艇乗りたちの歌声だ。
 離陸前の港の夜泊まりは、船員達にとって束の間の休息なのかもしれない。
 まるで海賊船のようだと自然と笑みがこぼれた。

 かあちゃんのめしが一番の肴さ
 冷えたラキに安いヴェヌムを流し込み
 大地の恵みに舌鼓(したつづみ)
 空の女神を一時忘れ 地上の美女を愛でるのさ
 空は自由を与えるけれど 優しさは持ち合わせてはいない
 俺らは厳しい天空(そら)の虜 自由を愛する飛鉱艇乗り
 死ぬほど酒樽を積み込め ヨーホー
 ちょっぴり干し肉 魚 野菜に 果物も
 ヨーホー ヨーホー
 夜泊まりの港で 女を抱くのさ
 俺らは陽気な飛鉱艇乗り
 琥珀の魅惑の泡立ち ケレスを並々注いで
 ジョッキを掲げろ ヨーホー
 自由に空を飛びまわり 各地の美女を愛でるのさ
 ヨーホー ヨーホー
 明日は離陸だ 天翔る船 飛鉱艇
 準備はいいか 飛鉱石に魔力を注げ
 準備はいいか マストに魔布帆を張れ
 風魔術の威力を確かめろ
 ヨーホー ヨーホー
 俺たちは逞しい飛鉱艇乗り

『ヨーホー……』
 思わず真似して口ずさんでみる。
「ヨーホー。俺たちは飛鉱艇乗り」
 すぐ後ろの頭上からバリトンが聞こえる。エリカはハッと振り返った。ウィルだ。
 目線を下げ床を見つめたまま立ち去ろうとした背中をウィルの声が引きとめる。
「お嬢さん。レ――?」
 暗に名を求められているのだ。
 彼は未婚か既婚かわからない女性に対する敬称『レ』に続く姓を尋ねている。
 ふふっと微笑む。ウィルはエリカだとは気付いていないようだ。紳士的な距離を保ちつつも、じりじりと焼け付くような視線が刺さる。眇められた翡翠色の瞳は好奇心に輝いている。その目には苛立ちも混じっていた。
 言葉を発しないエリカの態度に彼はどのような行動にでるのか、エリカは少し試してみたくなった。
 真っ暗な闇に感謝する。エリカは何も告げずに彼の前を去ることにした。
「お嬢さん……」
 ウィルの呼び掛けは宙に浮いたまま、伸ばした右手も空を切った。
『だめなの。貴石が盗まれてしまったから……。取り返すまでは話せない。言葉は理解できるけど、訛りがまだ抜けていないもの』
 甲板から第4層まで下る階段を一気に駈け下りながら日本語で呟く。
 女性たちが寝泊まりしている区域のトイレにそっと忍びいる。並んだ個室のひとつに入り、モスリンハットを脱ぐ。ひっつめにしていた髪を解くとまだ乾ききっていない短い黒髪があらわれた。
 ごわごわした濃茶のドレスを脱ぐと、幾重にもさらしを巻く。腰回りにも程良い硬さの砂袋を入れ、さらにさらしを巻いた。
 臨時職員、皆に配られた白のセーラーと紺のズボンに着替えると、少年へと姿は変わる。
 女性の浴室で水浴びを終え、すぐに部屋に戻る予定がこんな時間だ。
 もう戻らなければ。明日も早くから仕事だ。乗客が搭乗する日でもある。すなわち大空へと舞う日。離陸が迫っていた。
 貴石がないことの弊害は、ウィルの前で言葉を発せられないことだ。
 コーワン学究院でモーリーや同じ地球からの迷い人マルクスと共に、貴石がなくても言葉が理解できるよう勉強を重ねてきた。だが、リスニングは上達したものの、エリカがネイティブ並みの発音まで流暢に話せるようになるには、時間が足りなかった。
 マルクスのスピーキングは大いに上達した。エリカも不自由はしなくなった。ただし、訛りがひどかった。
 今まで普通に話していたのに、急に訛り混じりの言葉になるのは不自然だろう。
 入浴時、浴室の建て付け棚に着脱した衣類に隠すように貴石を置いた。身体を水で清拭する僅かな間に誰かが盗っていったのか、気付いた時にはなくなっていた。
 なぜ片時も肌身から離さずにいなかったのか。後悔先に立たずだが、悔んでいる暇はない。
 飛鉱艇にいる間に貴石を探し、取り返えす。ただ、それだけを考える。
 なぜだかとてもあの石がないと不安になる。言葉の理解などの恩恵があるのはもちろんだが、いつの間にかお守りのように思っていた。守ってくれていると。加護が宿っていると。
 無意識に貴石のあった胸元を探ってしまう。
 部屋の前で一呼吸おき、シャンと顔をあげドアをくぐった。
 ウィルはまだ帰っていない。
 ざっと中を確かめる。
 モーリーとマルクスだけが部屋にいた。チラリと視線を向けると、彼らもエリカを見つめる。
 仲直りをしようと謝罪の言葉を口の中で彷徨わせる。
「アノね……。ソノ……」
「エリック。戻ってたのか」
 頭上から低音が響く。ウィルが戻ってきた。
 びくりと身体が強張った。振り返らずにエリカは自分の下段にある二段ベットへと向かう。カーテンを引き外の世界を締め出した。
 ウィルが戻ってこなければ、モーリーとマルクスに謝り協力を仰ぐつもりだった。異世界から来たという事情を知っている彼らなら、快く手伝ってくれるはずだ。
 貴石がないことで、言葉に不自由してしまったエリカには誰よりも友人たちの助けが必要だった。心の支えも。

 ひとりカーテンの中に閉じこもり、二段ベットの内側で息をひそめる。必死に優しさを拒絶する。
 本当は頼りたくてたまらないのに出来ない。守秘義務が課せられているから。ジンたちファミエール家の娘、クリステーヌの命運も懸かっている。
 中に籠っていても、部屋の中に漂う気まずい雰囲気は伝わってくる。
 低く響く足音がカーテン越しに聞こえる。息遣いまで聞こえそうな程に、大きな存在が感じられた。
 貴石を見つけるまでは辛い状況に耐えなくてはいけない。事情を知っているマークスやモーリーにも手伝いを頼みたいが、この共同生活の中で3人きりになる時間を作れるとは思えなかった。なにせいつもウィルが一緒なのだ。今のように。
 頼りになる人だが、この状況ではありがたみも半減してしまう。それだけエリカたち3人のことを見守ってくれているということなのだが、正直息が詰まってしまいそうだ。
 日本の男性とは違う扱いに、エリカの女の部分が反応してしまう。男装をして男として振舞いながらもドキッとさせられることがあった。そんな時程落ち着かなくなってしまう。
 この言いようのないイラつきは何なのか――?
 急に変わってしまった関係性に対するものかそれとも――?
 義理の父である騎士団長ヴィンセントの命令によって見守りの対象とされたことで、以前出会った時とは関係が変わってしまったように感じる。それが少しさみしい。
 ――何でそんなに優しいの?
 その優しさは命令だからなのではないか。そんなことが頭をよぎる。
 ――相当キテルかも……。
 弱気な考えが頭をよぎるのは、いつもこんな時だ。逆境の中にいる時こそ心を強く持たなければならないのに。以前、自分の中で消化できていたと思っていたウィルに対する信頼感が、些細なことでまた揺らいでしまう。ゆらゆらゆらゆら。そんな自分に腹が立つ。それでもネガティブな考えを追い払うことができなかった。普段の前向きな自分はどこに行ってしまったんだろう。
 ただ気の置けない友人としてモーリーやマルクスたちと同じように友情を育んでいきたい。命令だから、守る対象として見守られる。そんなことは望んで望んでいないのに――。
 それに――守られることに慣れていない。特にここ数年は――。
 幼い頃は……両親に大事にされてきて、大切に見守られてきた。それは覚えている……。
 大学を卒業してから今まで、ひとり暮らしをしながら自立した生活をしてきたからか――。今更、保護者がつくような生活に戻ることに慣れるのは難しい。
 一度手にした自由な生活は、手放せないものだ。自由に空を飛びまわった鳥は、篭に入りたがらないように。
 ズキンと頭に鈍痛が走る。こめかみ押さえ、揉みほぐす。
 朝から長い距離をみぃたんたち魔従キャロに乗って駈けてきて、飛鉱艇ではじめての仕事をして疲れたのかもしれない。
「エリック、大丈夫か?」
 その声に彷徨っていた意識は現実に呼び戻された。
 見えている訳がないのに、ちょうどよくかけられた気遣いの言葉に涙が滲む。
「だ……」
 本当はたくさんの言葉を伝えたいのに出来ないことがもどかしい。貴石さえあれば話せるのに。
 以前のエリカはペンダントがなければ理解できなかったが、今は逆にヴァレンティア語がわかるだけに余計歯がゆさが募る。
 しかも話せるのだ。訛りが酷いがために黙っているしかないだけで。簡易ベッドを遮るカーテン越しに立っているウィルの大きな存在に、エリカの心は揺さぶられる。
 秘密を守らなければならない立場でなければ真っ先に伝えたい人なのに。信じたい人なのに。
 無言でいることは堪える。
 それだけに早く貴石を見つけようという思いは募る。
 どこにあるのか――。
 それさえわからない今は、何から手をつけたらいいのかお手上げだ。そしてこの飛鉱艇での生活は、ひとりの時間を作るのにも苦労させられそうだった。
「大丈夫。俺はいつでもお前の味方だ。話したくないならいい。ただここに味方がいるってことを覚えていてくれ」
 一言々々紡がれた力強く温かい声に、エリカの心は震えを止めた。
『ありがとう』
 微かにささやく。決してウィルにはわからない母国の言葉で。
「え――?」
 カチカチと耳慣れない音を聞いたような気がして、ウィルは閉ざされた布の向こうをじっと見つめる。なぜだか放っておけない弟分のエリックが悲痛な心の声を上げているように感じたのだ。
 過保護な自分に苦笑する。兄のフレッドは弟の自分に対してこんなに心配などしないはずだ。二男坊の自分はこの通り、自由に生活をさせてもらっている。制約の多い貴族の子息としては恵まれている。
 なのに保護欲を刺激されてしまうのは、あの綺麗な顔が時折見せる悲しい表情のせいか。一瞬、忘れてしまう。あいつが自分に任された候補生だということを。それも自分の部下となる存在だ。甘やかしてどうする。上下の規律の厳しい男社会で通用するように、厳しく立派な騎士に育てなければならないのに。
 ――少し距離を置こう。
 冷静になれば、この不自然なほどの異様な執着が恐ろしく思えてくる。吸い寄せられるように目が追ってしまうのだ。一瞬よぎったありえない馬鹿な考えを一蹴し、ウィルは踵を返し部屋を後にした。



[26673] 24 飛鉱艇 7
Name: 佳月紫華◆b06feb3c ID:d717b1dc
Date: 2012/04/24 00:46
 頭を突き合わせて波打つ濃茶と赤毛の少年たちが、何やら深刻な面持ちで話し合っている。その表情は悪戯を悪巧みするようなものではなく、彼らを年よりも大人びさせてみせていた。
「なぁ、どう思う?」
 モーリーが悩んだ様子で問いかけると、マルクスは困った表情でこう引き取る。
「……たぶんまずい状況にあるんだと思う。エリックは些細なことでいじけるような奴じゃないから」
 マルクスなりに熟慮を重ねた結果だった。
「じゃあ何で挨拶もなしに引きこもるんだよっ」
 自分の言葉がきっかけで拗れてしまったことが辛く、モーリーの声は震える。
「エリックが部屋に戻ってきたとき、俺たちの方を見て何か言いかけていたんだ。でもウィルさんが来たから……」
 少しずつ先ほどのことを振り返ってみると、エリックは確かにマルクスたちに視線を送っていた。何か伝えたいことがあったに違いない。でも、できなった。それはウィルがいたからか……?
「ってことは、困ってんだな?! エリックの奴。早く戻って話を聞こうぜ!」
 マルクスの推測を聞いて先ほどまでのらしくなく大人しかったモーリーが、いつもの調子の良い彼に戻る。明るい声には、希望が満ちていた。
「落ち着けよ。ウィルさんがいないところで話を聞かないと!」
 そしてこうも考えられる。この状況を逆手にとることできるのではないか。マルクスはモーリーの耳にこそこそと自分の考えを耳打ちする。
「……え? お前、すごいな! おう、それいいなっ」
 マルクスのアイディアにモーリーの目は丸くなる。計画通りに事が進めば、エリックの助けになるかもしれない。
 倉庫区域の片隅で薄暗いカンテラの下、彼らは夜が更けるまで延々と話し合いを続けた。
 ◇
 貴族階級ではない一般客や飛鉱艇乗務員向けの小汚い酒場のカウンターで、ウィルは琥珀色に泡たつケレスを飲んでいた。距離を置くと決めた途端にもうエリックのことが心配でため息がでる。
「おいおい。恋煩いか?」
 カウンターの木目から視線を上げると、飛鉱艇の船長ガイ・フォースナーその人だった。
「ガイさん?! 恋って。……そんなんじゃないですよ」
 ため息を吐きながら首を振る。
「お前、そんな様子じゃねぇか! くっくっくっ……お前をこんなにしたレディーは大した大物だな」
 身体をよじって爆笑する様は、とてもこの艇で一番の格、船長その人には見えない。まるで空賊の船長だ。乗客たちの前でのガイを知っているだけに、いつもその違いに戸惑ってしまう。どちらの彼も本当の彼でありながら、自由な生き様に憧れを感じたものだ。
「本当に違いますよ。あいつは歴とした男だ……」
「おまっ、それ?! ぷふぅ」
 笑いをこらえながら厳しい顔を繕おうとするが、どうにもにやけ顔になってしまうガイに、苛々を募らせる。尊敬しているガイに軽口はたたきたくはないが、涙が出るほど大口を開けて笑っている彼を見るとこれ以上堪えそうにない。
「おいっ! ガイさんでも怒りますよ?! 何がそんなに可笑しいんです?」
「くっくっ……おまっ、目が笑ってねぇぞ。怖ぇ顔すんなよ」
 ガイ船長はバシバシと大きな手のひらでウィルの背中を叩き宥める。
「まぁ、その調子じゃあ気づいてないんだな」
 ガイがボソリと呟く。
「えっ? 何のことですか?」
「いや、こっちの話だ。何でもねぇ。その方がおもしろいもんが見れそうだしな」
 再びクツクツと笑い出したガイに、ウィルは何がそんなに可笑しいのか皆目検討もつかず頭を捻った。
 変わり者の船長。そんな彼の事だ。考えていることがわかるようになるには、まだまだ経験が足りないらしい。
「とにかく、断じてそんなんじゃなありませんから! ……ったく冗談が過ぎますよ」
 グイッと残ったケレスを飲み干し席を立つ。
「じゃあ船長、ゴチになります! 俺をからかった罰です」
 わざと大きな声で彼の存在を明かした。お忍びで来ていたに違いないガイにはこれが一番堪えるはずだ。
 にやりと笑い「ごちそうさまでした」とひらひら手を振る。
「ったく憎たらしい餓鬼が……」
 フッとガイの口元が笑いで歪む。
「フォースナー船長! 探しましたよっ」
 早速駆け込んで来た部下の顔を見て、ガイの眉間には深い皺が刻まれた。
「あのやろう。わざとだな。拡声器に向かって叫びやがった」
 鉄のパイプでできた拡声器の方を見て舌打ちしながら、ボサボサの漆黒の長髪を掻きむしる。
「船長! 無視しないでくださいよ。明日の最終確認がまだです。何事もないように準備しないと!」
 もっともな事を抜かす部下に、やれやれと馴染んだ堅い木製の椅子から腰をあげる。
「いよいよ明日だな。行くぞ」
「アイル! フォースナー船長」
 ◇
 しんと静まりかえった部屋でひとり、エリカはベッド上で胡座をかきそうっとカーテン隙間からの部屋の中を窺う。
 息を潜めてみたものの、やはり部屋はものけの空だ。
 モーリーとマルクスまで出て行ってしまうとは思わなかった。彼らに助けを求めるつもりだったが、エリカの思惑は叶いそうにもない。こうなれば後は頼れるのは己の力のみ。もう自分でなんとかするしかない。同室の仲間たちに気づかれないよう、なくした貴石を見つけ出すのだ。
 今が絶好の機会に思える。ひとりになる時間は限られている。
 自由に動くには誰も知らない姿になるしかない。
 鞄の底に隠してあったドレス一式を取り出しそっと撫でる。エヴァはまるでこうなることを予想いていたようだ。滑らかな素材は一級品だ。揃いの手袋に室内履き、小さな鞄にベールのついた帽子まで貴族の子女が着るのにふさわしい品々がそこにはあった。
“Murkus,May I ask a faver of you?”
 マルクスに向けたメモを彼の枕元に忍ばせる。
 明日、乗客たちが乗船する。
 エリカは大きな鞄を抱えみぃたんのいる倉庫区域へと急いだ。
 カサリと何かが手に触れた。枕の下でくしゃくしゃになってしまっている。紙だ。
 ――いつからここに?
 マルクスは暗闇の中、明かりを探る。二段ベッドの枕元に備え付けられている小さな魔法灯は、心許ない豆電球のようなほの暗い光で手元だけを照らした。
“Murkus,May I ask a favor of you?”
「えっ……?」
 なじみ深い言語に目を奪われる。英語。母国の言葉。
 助けを求める手紙だ。やはりエリックは困ったことになっているようだ。
 マルクスは薄暗闇の中、小さなメモの字を追う。
『マルクス、頼みを聞いてくれる? 困ったことになりました。貴石をなくしてしまったのです……』
 出だしはこうはじまっていた。
“No way!”
 思わず小さくひとりごちる。懐かしい言葉で綴られた手紙にマルクスの口からも自然と英語が漏れた。
 殴り書きで短く要点だけが簡潔に書かれたメモは、途中までで終わっていた。相当慌てていた様子がわかる。
 ――さて、どうしたものか。
 マルクスはベッドの端に腰掛け、ローテーブルを挟んだ向こう側のベッドをじっと見つめた。
 そこにエリックはいない。どうにか誤魔化してほしい。彼の頼みはこうだ。もちろん助けるつもりだ。同じ地球からの迷い人として。大切な友人、仲間として――。
 マルクスは自身の毛布を丸め、エリックの寝床にそっと入れる。
「モーリー、ウィルさん朝ですよ。起きて」
 2人を呼ぶ。しかし昨日は遅かったのか、なかなか返事がない。
 暫くしてモーリーがひょっこりとベッドを仕切るカーテンの中から顔を出した。彼の灰色の目は充血しており、目の下にも隅ができている。昨夜の寝不足が祟ったようだ。
「ウィルさん? あれ? いないのかな……」
 何度か呼びかけたが返事がない。そっとモーリーの上のベッドのカーテンを開けてみる。
 彼の寝床は皺ひとつなく整えられており、誰かが寝た形跡はなかった。ウィルは帰らなかったらしい。
「モーリー、ちょっといいか?」
 ウィルのいない今が良い機会だ。マルクスはメモを見せ耳打ちする。
「やはり困った状況らしい。どうにか助けになりたいんだ。辛いかもしれないけど、エリックのことを無視するぞ」
「なんて書いてあるんだ?」
 モーリーはヴァレンディア語と似て非なる文字にじっと見入っている。
「貴石をなくしてしまって人前では話せないから暫く話しかけないように協力してほしいと。……それと暫く姿を消すことがあるけど大丈夫だからと。誤魔化してくれたらありがたいとも書かれていたよ」
 それに最後に書きかけの文字を見てフッと微笑んだ。
「それに……いや、きっと直接聞いた方がいい」
「何だよ? マルクス」
 穏やかに紙面を見つめる蜂蜜色の瞳が柔らかく細められている。懐かしい故郷の文字を見て、残してきた大切なものに思いを馳せているのかもしれない。
 父が母を思っているときの眼差しに似ている。こいつらを助けてやりたい。あの日、2人から異世界地球(アース)のことを打ち明けられてからずっとそう思ってきた。
「そうだな。あいつに……エリックに直接聞いてみるよ」
 だから早く仲直りさせてくれよ。お前と離れていると調子が狂う。些細なことで拗れてしまった関係のままこんな状況になってしまうなんて思いもしなかった。あいつは大丈夫だろうか。大切な友達の危機に何もできずにいることが歯痒い。
「大丈夫だよ。エリックは強い奴だ」
 マルクスの言葉に頷く。飄々としてつかみ所がなく、それでいて優しい。そんな男だが、儚げな姿に見える時がありひとりで頑張っている姿を想像してしまうとどうにか手助けしたいと思ってしまう。
 そんなこと言うと「余計なことすんな」って怒られそうだけどな。
「だな。じゃあ俺らは俺らでギルドの仕事をあいつの分まで頑張ろうぜ!」
「行こうか」
「おう」
 マルクスとモーリーは部屋を後にし、持ち場の第五層へと向かった。
 ガヤガヤと短期職員たちが集まっている。そわそわと落ち着かない気配と喧噪がフロア一帯に満ちていた。そんな我らの気配を察してか、同じ第五層の飼育区域の動物や魔従たちも興奮し、騒々しく鳴き頻(しき)る。
「なんか昨日とは雰囲気違うな、マルクス」
「ああ、今日は乗客たちが乗船するのと離陸するっていう一大行事があるからね」
 モーリーは納得したと言うように「そうか」と頷いた。
 上司の船員たちの姿も見える。彼らもピリリと少し緊張した面持で指示を出していた。
「いよいよだな、マルクス」
「もうすぐだ」
 倉庫区域と飼育区域のある第五層には乗船前に乗客たちの荷物やペット、家畜や魔獣たちが運び込まれる。その作業が終われば、次は乗客たちの乗り込みといよいよ離陸だ。
 次々に運び込まれる大きな貨物や生き物たちを仕分けし、重量が均一になるよう配置する。人力だけではどうしようのない大きな貨物は機械で吊り上げるようだ。魔法に制限のある飛鉱艇では、機関士たちが活躍していた。
 リフトを動かす上司にモーリーの目は輝く。失われた古代技術に興味があるのだ。失われたとは言っても、市井の人々にとってはの話で、国策で古代遺跡の発掘作業などをして技術開発に忙しいらしい。
 飛鉱艇でもそこら中に古代の技術が散りばめられていた。
「おい、新入り! お前たちはここはもういい。次は乗客たちの手荷物を部屋まで運ぶ手伝いを頼む」
 上司が声をあげる。
「アイル!」
 同班の青年たちが威勢よく返事をした。
「はい! えっと……アイル!」
 慣れない船言葉にマルクスに一瞬躊躇したが大きく叫んだ。
「アイルッ!」 
 モーリーは右の拳を胸に置き忠誠の構えもばっちり決まっている。流石に飛鉱艇に憧れていただけある。
「行こうか」
 同じ4班の5人に声をかける。
「君たち2人だけ? あとの2人はどうしたんだよ?」
 怪訝そうに聞いてきたのはリーダー格の青年だ。
「2人は違う仕事を頼まれたらしくて……」
 マルクスは曖昧にはぐらかす。
「そうか。じゃあ行くか」 
 その答えで納得したようでマルクスとモーリーは目配せし嘆息した。
 第五層から甲板へ出ると外は賑やかな活気に溢れていた。人々の期待に満ちた興奮の声や未知のものへの不安を含んだ子供たちの囁きなど様々な思惑が渦巻いている。ペットの動物たちや家畜、魔従たちも敏感に変化を察知し哮(たけ)る。
 甲板へ架かる舷梯(タラップ)へと続く桟橋にごった返した人々と大小様々な生物。それらが今か今かと飛鉱艇の舷梯が架かるのを見つめている。
「さぁ、舷梯を架けるぞ! 野郎どもッ下がれ」
 熊のような相貌の乗組員、上司ナスラ三等一般船員がローブを着た人々を連れてぬっと姿を現した。


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