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[26553] 【カオスフレアSC】夜明けの戦機【TRPG二次創作】
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2012/05/02 01:24
 この作品は、クロスオーバーTRPG・異界戦記カオスフレアSCの二次創作作品です。

 リプレイとノベルを足して二で割った感じで進めていく予定ですが、実プレイに基づいているわけではないので、実際のセッションと比べると不自然な場合等あるかと思われます。

 また、このカオスフレアという作品の性質上、既存の作品のオマージュ、パロディ等がかなり見られることになります。その辺りに不快感を覚えられる方もあるかもしれません。
 ただ、そういうごった煮のまさしくカオスな世界観がこのTRPGの魅力の一つだと思いますので、興味を持っていただければ幸いです。

 では、まずはお約束から入りたいと思います。





[26553] 第一話『曙光の異邦人』セッショントレーラー兼ハンドアウト
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/03/17 01:41
 ある日、立ち寄った本屋で見かけたあかがね色の本。

 何故か気を惹かれたその本を手にした時、雪村あさひは地球から始原世界オリジンへと召喚された。

 気付いた場所で出会ったのは、自らを人型機動兵器モナドトルーパーの制御ユニット、アニマ・ムンディと名乗る少女。

 彼女はあさひを『フォーリナー』と呼び、自らの半身たるモナドトルーパーに搭乗するよう促す。

 だが、格納庫まで辿り着いた二人に鉄の獣が襲いかかる。

 すんでのところであさひたちを救ったのは、VF団のA級エージェントを名乗る一人の少年、ローレンだった。

 オリジンを含む多元世界『三千世界』の統一のための組織であるVF団の助けとするため、フォーリナーであるあさひを救いに来たのだと彼は言う。

 同じくその場に現れた、VF団とは敵対関係にあるという組織、神炎同盟からフォーリナーを保護するために来たという、アムルタートの龍、フェルゲニシュと更にそれとは別口からフォーリナーの手助けをするよう頼まれたのだと語る謎の女、サペリア。

 事情も思惑も食い違うが、その中心にいるあさひを軸としてぎこちないながらも行動を共にする一行。

 やがて辿り着いた集落で、あさひはオリジンの現実を目の当たりにする。

 それぞれの組織が語るそれぞれの大義。

 そして、それらすべてを超越し、破壊せんとする夕闇の使徒ダスクフレアがあさひ達に迫る。

 異能の力が、龍の咆哮が、光の指先が、そして、明日を掴む鋼の腕が、希望へ続く道を切り開かんとダスクフレアと激突する!


――異界戦記カオスフレア Second Chapter――

『曙光の異邦人』

 人よ、未来を侵略せよ!



[26553] 第一話『曙光の異邦人』① 運命の都
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:21
Scene1 開かれた扉


 その日の下校途中、雪村あさひは上機嫌で商店街を歩いていた。口元にはうっすらと笑みが浮かび、足取りは軽く、ポニーテールにまとめた髪までも楽しげに踊っているように見える。
 目指すは常連となっている個人商店の本屋である。今日は楽しみにしていた小説の新刊が発売する日なのだ。
 やがて目当ての本屋に到着したあさひは、さりげなく周囲を見回して知り合いが視界内にいないことを確認。バスケ部から熱心に勧誘を受けた運動神経をフル活用し、素早く、滑りこむようにドアをくぐって店内に入る。


「……なんでそんな忍者みたいな入り方してるのこの子は」
 入り口脇のレジから、四十歳ほどの女性、ここの店長が呆れの混じった視線を投げかけてくる。
「いやあ、なんていうかちょっと気恥ずかしくて」
 照れ隠しに頭をぽりぽりと掻きながらあさひは苦笑いを浮かべてみせた。
 あさひが本日のお目当てとしているのは、正統派、直球ド真ん中の恋愛小説なのだ。
 あさひは、自身のパブリックイメージとして『活発・気が強い』という項目が上位にあることを自覚している。それについてはその通りだと彼女自身認めているし、反論するつもりもない。
 だが、そういった一面とは別に、彼女は甘いラブロマンスの物語を好む傾向があった。
 それについても別段悪いことではないと分かってはいる。分かってはいるが、普段の自分とのギャップが大きいこともまた事実。ゆえに、できれば秘密裏にそうした本の購入は行ってしまいたいのだった。


「まあ、別にいいけどねえ……。今のあさひちゃん、同年代の男の子がエロ本買いに来るときとそっくりだったよ」
「エ、エロ……っ!? 花も恥じらう高二女子になんて事言うのーっ!?」
 うがー、と両手を振りあげて怒るあさひに、店長は気にした風も見せずにからからと笑う。
「ほれ、小説の新刊はいつものとこにあるからさっさと持っておいで」
 はーい、と少々むくれながら返事をして、小説のコーナーへと向かう。レジからやや離れたその場所で、平積みにされている新刊を手にとって思わずにんまりと微笑む。
 この場でページをめくり始めたいところだがそこはグっと我慢して、家に帰ってからの楽しみとしてとっておくことにする。


 さあレジへ、と思ったその時、あさひはなんとはなしに背後を振り返った。
 そこは参考書のコーナーになっていて、普段のあさひならあまり興味を抱かないような一角である。しかし、今はなぜか違った。引き寄せられるように視線を滑らせたその先には、背表紙に何のタイトルも示されていない一冊の本が収まっている。


「……なんだろ、これ」
 手を伸ばし、その本を本棚から抜き取る。
 あかがね色のビロードで装丁されたその本は、背表紙だけでなく表紙にも何の文字も記されていない。裏返してみるが、バーコードや値段も印字されていない。
 誰かが悪戯でここに紛れ込ませたのだろうか。そんな事を思いつつ、あさひはその本を開いた。


 そこには何も記されていない。
 いや、違った。
 装丁と同じあかがね色の、見たこともない文字が次々に記されていくのだ。やがて文字はあさひの見ているページを埋め尽くし、そしてひとりでにページがめくられてそこにも文字が浮かび上がる。
 あさひが魅入られたようにそれを見ている間にも文字が浮かび上がる速度はいや増していき、ぱらぱらと連続でページがめくられていく。
「な、なに、なに!?」
 はっとあさひが我に帰ったのは、その本が淡く光を放ち始めた時だった。光は次第に強くなり、それと共に本の中から文字が空中に溢れ出してあさひを取り囲む。


「うええ!? ちょっとやだ! ストップ!!」
 そう言っては見たものの、この怪現象はとどまる様子を知らない。焦るあさひを文字と光が包みこんでいく。
 やがて、光が収まった時、そこにあさひの姿はなかった。彼女がいた場所に開かれたまま落ちているあかがね色の本がただその名残だったが、ひとりでにぱたんと閉じられると同時に、その本も跡形もなく消え去ってしまった。









Scene2 世界の中の影


 三千世界とは、遥かな昔、造物主デミウルゴスによって創造された、数多の世界の総称である。
 初めは世界の創造に喜びと愛を持っていた造物主デミウルゴスだったが、やがて己の生み出した世界――孤界スフィアの内に生きる者たちがその世界を作り替えていくことを、その多様性と可能性を疎むようになった。
 そしてついには造物主は、己の意図しない変化を内包した孤界の全てを破壊し、再び創世を行おうとしたのである。


 これに対し、それぞれの孤界に宿る神々アイオーンが異を唱えて抗戦し、やがては三千世界に住む者全てを巻き込んだ大戦へと発展していった。
 大戦は、様々な要因によって造物主の敗北に終わった。造物主は最初に創造された世界、オリジンにて討ち果たされ、三千世界は滅亡を免れたかに見えた。
 だが、造物主の執念は、様々な呪いとなって三千世界に散らばっていた。それは今、大戦より幾星霜の時を越えてなお、三千世界を滅ぼして新たな創世を行うために蠢いているのだ。



 世界間移動組織VF団。それは大首領ヴァイスフレアの意志のもとに三千世界の全てを平定すべく幾つもの孤界を股にかけて活動する秘密結社である。当然、その活動の手は始原世界オリジンにも伸びている。
 十三歳という若さでそのVF団のA級エージェントとしての地位を得ているローレンはエリートと言って差し支えないだろう。
 組織の性質上、あまり大っぴらに出来ないことであるのも確かだが。

 そのローレンが、今は片膝を付き頭を垂れている。
 敬意を示すその所作の先に浮かぶのは、ぎょう帝国風の衣装に身を包んだ白髪、白鬚の老人の立体映像だ。
 もしもあさひのような日本人が彼を目にしていたなら、やや迷いながらも仙人と形容したかもしれない。迷いの原因となるであろう部分は、レンズのような右目を始め、右半身を中心にして体の二割ほどを覆っている機械だ。
 後天的に埋め込んだというより、生身が機械に変じたという印象を感じさせるような造形。見るものが見れば、機械生命体グレズによる生命の機械化――『調和』を受けた影響だと知れるだろう。より深くグレズを知るものなら、調和の影響をここまで強く受けていながら、人としての意思と命を保っているこの老人に驚くかもしれない。
 彼の名は“入雲龍”公孫勝。ローレンの直属の上司にしてVF団の幹部、八部衆の一角を占める人物だった。


「エルフェンバインに向かえ」
 ややしゃがれてはいるものの、高齢を感じさせない芯の通った声。立体映像越しとは思えない威圧感すら伴って、公孫勝の声はローレンに届いた。答えるように顔を上げた彼に向けて公孫勝が続ける。
「かの地へとフォーリナーが落ちる。これを確保して迎え入れ、我らの力とするのだ」
「はい。ではすぐにでも出立いたします」


 答え、立ち上がろうとするローレンを公孫勝が手を上げて見せることでとどめる。
「もう一つ。ワシの卜占によればフォーリナーが我らの役に立つ品をかの地より持ち出してくる可能性がある。可能なかぎり、そちらも回収するのだ」
「了解いたしました。……その品とはいかなるものでしょう。フォーリナーが持つという絶対武器マーキュリーとはまた別のものでしょうか?」

「アニマ・ムンディ。知っておるな? 騎士級モナドトルーパーの核たる機械人形よ。エルフェンバインの中央工廠地下に取り残されたそれが、我らVF団の目的の為に役立つのだ。常ならば、かの地を牛耳る機械生命グレズのメタロード、ディギトゥスの存在により入手は困難を極めるであろうが、フォーリナーという因子が状況を動かすであろう。そこを利用するのだ。ただ、必要以上にディギトゥスを刺激すれば、今はエルフェンバインのみにとどまっているグレズどもの活性化を招く恐れもある。存分に注意してことに当たれ」


 命は下された。ローレンは立ち上がり、立体映像の公孫勝と視線を合わせる。
「ヴァイスフレアのために!」
「ヴァイスフレアのために!」
 どちらからともなく唱和して、ローレンはすぐさまきびすを返す。任務の達成が一分、一秒遅れたならば、それはVF団の理想が実現するときが遅れることと等しいのだ。
 だから彼は見なかった。公孫勝の右目のレンズの内側に、ちろりと黒い炎が揺らめいた事を。






Scene3 龍の宮


 オリジンでも最大の規模を誇る都市、宝永。その概観は一言で言えば樹木だ。ただし、非常識なまでに巨大な。
 もとは数十万の民を乗せて宇宙をゆく船であったそれは、今では宇宙船としての機能を失ってオリジンにその根を下ろしている。
 もともとの住人であった富嶽の民に加えて、先のバシレイア動乱においてイスタム神王国の都である“木蓮の都”エルフェンバイン、アムルタートの本拠地たる移動要塞エマヌ・エリシュが失陥したことを受けて、それぞれの指導者たる神王エニア三世、冥龍皇イルルヤンカシュによって亡命政権が立てられたことによる移民もあり、現在では実に雑多な雰囲気をもつ都市となっている。


 そんな宝永の一角を、一人のアムルタートの戦士が歩いている。
 彼らアムルタートの龍は、基本的に三種の姿を持つ。ごく普通の人間の姿に、角や僅かな鱗を持つ人間形態。直立歩行する人型の龍(リザードマン、などと形容すると字通り彼らの逆鱗に触れる)である龍人形態。そして彼らの真の姿、世界の調停者たる完全生物、龍の本性たる真龍形態である。
 今、彼の戦士はこのうちの二つ目、龍人形態を取っていた。向かう先は、先に名前の上がった冥龍皇イルルヤンカシュが居を構えるジグラッドである。

 彼がジグラッドの門をくぐり、謁見の間に足を踏み入れたとき、そこには一人の少女が玉座に腰掛けて待っていた。
 外見だけ見れば、耳の後ろに角を持つ、十代前半の人間の少女でしかない。だが彼女こそは1万年を超える時を生きてきたアムルタートの指導者、冥龍皇イルルヤンカシュなのだ。


「フェルゲニシュ、お召しに従い参上いたしました」
 フェルゲニシュと名乗った彼が、恭しく膝を突いて頭を垂れ、尾を体の前に回して自分の片手で押さえつける。
 こうしてすぐに飛び掛れない姿勢を取る事で相手に対する恭順を示すアムルタートの流儀である。そんな彼に対してイルルヤンカシュは大儀である、と鷹揚に頷くと早速本題に入った。


「わらわの姉上、月龍皇ナンナルより夢の啓示を受けたのじゃ。姉上曰く『木蓮の都に界を渡りて星が落ちる。それに伴い鋼が動き、夕闇を招き寄せる』だそうじゃ」
 フェルゲニシュは主の言葉に顔を上げ、数瞬の思案の後に口を開いた。
「木蓮の都……エルフェンバインですか。と、なればナンナル様のお言葉にある鋼とは、やはりグレズでありましょうか」
 バシレイア動乱やそれ以前の戦乱において中央大陸狭しと暴れまわったかの機械生命体の猛威を思い出し、フェルゲニシュは僅かに牙を剥いて顔を歪めるが、龍皇の御前であることを思い出し、即座に居住まいを正した。
「おそらくそうじゃろう。そしてその後にある夕闇。これはわざわざ言うまでもあるまいの?」


 夕闇の使徒。造物主の走狗。世界の卵。すなわち――ダスクフレア。
 エゴを極限まで増大させ、己の望みのままに世界を作り直そうと――再創世を行おうとする造物主の写し身にして意思の受け皿となった者達。
 世界を循環する生命の力、フレアを吸い込むブラックホールと成り果て、あるいは欲望のために、あるいは理想のために、あるいは愛のための行動と謳いながらも、今ある世界を滅ぼさずにはいられないなにか。
 それが動き出す危険があるというのなら、一刻も早く手を打つ必要がある。


「委細承りました、イルルヤンカシュ様。エルフェンバインに赴き、まずはかの地へ降りた界渡りと接触いたします」
「うむ。宜しく頼む」
 主の言葉を受けたフェルゲニシュは立ち上がってその場を辞すべく一礼する。と、そこにぽつりとイルルヤンカシュの声が投げかけられた。
「――必ず生きて帰れ。よいな」


 礼を深くしてフェルゲニシュは無言のうちに己が主の気遣いに答えて見せ、そのままジグラットを後にした。
 調停者たる龍として、何より三千世界に生きる者として、ダスクフレアの跳梁を止めるために。







Scene4 配役は為された


「ちょっと待ちな、姉ちゃん」


 その日、オリジン西部のとある街道で響き渡ったのは、こんな一言だった。
 乱暴さに劣情と嘲笑をたっぷりとまぶした、悪意が滴り落ちそうな、そんな言葉だ。

 言葉を発したのは、鍛えられた肉体にハードレザーのプロテクター(何故かあちこちにトゲが付いている)を身に付けた、モヒカンヘアーの男である。
 そして彼の背後には、似たような格好の男達が十数人控えていた。どの顔も好色さを滲ませた下卑た笑いを隠そうともしていない。

 そんな彼らと向き合っている、声をかけられた相手は一人の女だった。
 くっきりとした美しい目鼻立ちと、陽光にきらめく銀の髪。ゆったりとした白い衣服を身に付けていながらも、はっきりと分かる豊満な体つき。トドメに赤と青のストライプ柄のマントを羽織っているという、色々な意味で目立つ女である。


「あたしに何か用かい? 坊や達」
 彼女は、目の前にいる男達の意図がわからないでもないだろうに、うっすらと口許に笑みすら浮かべてそう言った。
「なあに。簡単なことさ。俺達ゃここんとこ仕事が忙しくて欲求不満でよ。手伝ってくれねえかと思ってよ」
 にやにやと笑いながら先頭の男がそう言って女の体に視線を這わせる。無遠慮であからさまなそんな視線にさらされても、何故か女の口許から笑みは消えない。


「なるほどねえ。まあ、あたしもそういうことは嫌いじゃないけど……こっちにも趣味というか、選ぶ権利ってものがあると思わないかい?」
 やや遠まわし気味な女の拒否の言葉にも、男達は余裕の態度を崩さない。当然と言えば当然か。なんとなれば、力ずくで押さえつけ、蹂躙してしまえばいいだけのことだ。そして、男達の中にそんな事に罪悪感を抱くようなものは一人としていなかった。むしろ、そのほうが楽しみが増すと思うほどだ。
「おいおい姉ちゃん。口に利き方に気を付けた方がいいぜえ? 何せ俺達は……」
「知っているとも。っていうか見りゃ分かるよ」
 自分達が何者か知らしめることで目の前の女の余裕ぶった態度を崩してやろうとして口にした男の言葉が遮られる。


「今、オリジンに侵攻してきている大星団テオス。その中でもひとかどの地位を占める、阿修羅神拳の使い手、拳帝ジーア。そしてジーアの配下である、阿修羅神拳と対になる帝釈正拳の使い手やその流れを汲む者たちで構成された戦闘集団ダーカ。それがあんた達だ。そうだろ?」
 立て板に水、さらさらと彼女の口から語られた言葉は、彼らの素性を正確に言い当てていた。
 だがそれだけだ。なるほど、確かに彼らはダーカ。だが知られているからといってどうだと言うのか。冷酷なる侵略者、テオスの内にあってなお、弱者への無慈悲をもってなるダーカ達である。そのような言葉だけで、彼らの欲望を掣肘することなとできはしないのだ。
 この一団をまとめる立場にある先頭の男はそんな風に考えた。弱肉強食を至上の掟とするダーカにあってはごく自然な考えと言えたし、このような考えに基づいて行動し、略奪を行うことに何の問題もなかった。
 今までは。


「あんた達みたいなのも実に人間らしいとあたしは思うよ。だからその行動自体にどうこう言うつもりは、実はあんまりないんだ。……ただ、ね」
 今までと同じく、飄々とした余裕の口ぶりで女が並べ立てる。いや、ほんの少し、彼女の口元の笑みが深くなったように見えた。
「分を弁えない輩、っていうのにはお仕置きが必要だよねえ」
 言うが早いか、女がマントの下から両腕を突き出して男達に向ける。
 対するダーカ達のほとんどは、ただ薄笑いを浮かべたままそれを眺めていたが、リーダー格の男だけは違った。彼は知っていたのだ。ここオリジンには、かつての故郷、弧界エルダの常識に照らし合わせればありえない力が存在することを。
 ――その名を魔法ということを。


「クソ! 数は圧倒的なんだ! 押さえつけちまえ!」
「遅いよ」
 危機感に煽られて男が叫ぶが、女の言う通り、既に遅きに失していた。
 女の右手首にはめられた紅い腕輪。左の手首にはめられた青い腕輪。
 それらが光を放ち、女は胸の前で両手を交差させる事でその輝きを融け合せ、再び両手を正面、男達に向けて突き出す。
 女の仕草に従い、彼女の両手に宿る光が男達に向かって迸る。それだけでもう全ては終わっていた。
 後に立つのは彼女一人。ダーカ達は死体も、断末魔すら残さず彼女の魔法によって消し飛ばされたのだ。


「まったく、最近は物騒で困るねえ」
 ダーカ達など比較にならない水準で物騒な真似をしでかした女が全く困っていない口調でそう零す。


「相変わらずですね、サペリア」
 もはや彼女――サペリアと呼ばれた女以外には誰もいない筈の街道の片隅で、突如としてかけられた声にも、サペリアは全く動じた様子を見せることなく振り返った。その声は、彼女がよく知る相手のものだったからだ。
「久しぶりだね、エロール・カイオス」


 そこに立っていたのは、喪服に身を包んだ金髪の女だ。儚げな美しさと、それに相反するような大きな存在感を感じさせる、そんな女性だった。
「で? あんたが直接現れた、ってことは結構な厄介ごとなんだろ。あたしに何をさせたいんだい?」
 エロール・カイオスは一つ頷き、サペリアを正面から見据える。
「新たなフォーリナーがこのオリジンへとやってきます」
「ふむ。あたしにその面倒を見ろって? 言っちゃなんだけど、そういうのはあんたのところ――宿命管理局にもっと向いた奴がいるんじゃないのかい?」


 いかにも面倒臭そうな様子のサペリアに対して、エロール・カイオスは軽く目を伏せる。
「オリジンに顕れるフォーリナーは、必ず何がしかの運命の導きを持っています。その導きの先に、サペリア。今回は貴女がいるのです」
「運命、ねえ。まあ、あんたが言うならそうなのかな。……と、いうかさ。運命ってんならあんたが作るもんじゃないのかい? かつての造物主配下、最大の使徒アルコーンである『運命フォルトゥナ』がさ」
「いいえ。私は運命の傍観者に過ぎません。それも、見えているのは運命という布を織るための糸のはし程度のもの。布がどんな模様になるのか決めることは出来ません。せいぜいが時折こうして口を挟むくらい。本当に運命を造るのは、三千世界に住むすべての生命なのです。無論、貴女もその中に入るのですよ、サペリア」


 どこか悲しげに語るエロール・カイオスを見て、サペリアは深く溜息をつく。
「分かったよ。なら、あたしの運命の人に会いに行こうじゃないか。デートの待ち合わせはどこになるんだい?」
 冗談めかしたその言葉に、エロール・カイオスが僅かに表情を和らげて、その地の名を告げた。
「“木蓮の都”エルフェンバイン。そこが運命の交わる地です」
「うげえ。よりによってあそこかい。人間の一人もいない土地なんて面白くも何ともないんだけど……。まあいいか。出会いの量でなくて質に期待する事にするよ」
 冗談めかしてサペリアがそう言うと、エロール・カイオスは満足げに微笑んだ。頼みましたよ、と囁くように呟く。
 次にサペリアが瞬きをした瞬間、最早そこに彼女はいない。この場にいるのは、再びサペリア一人となった。


 やれやれ、と一人ごちて、サペリアはエルフェンバインのある方角の空を見上げ、ふと眉根を寄せた。空にかすかな違和感を感じた次の瞬間、昼間の青空を流れ星が横切ったのだ。
「……おやおや。のんびり歩いて行ったんじゃあデートに遅刻かねえ。エロール・カイオスももうちょっと時間に余裕を持って知らせに来てくれりゃあいいのに。……文句言っても仕方ないか」
 不満げにそう呟いたが早いか、街道に眩いばかりの光が満ちる。
 まるで太陽が地上に現れたようなその強烈な光は、現れたときと同じように唐突に消えた。否、凄まじい速度で光の塊がその場から飛び去ったのだ。無論、向かう先は流れ星の落ち行く先、エルフェンバイン。エロール・カイオスの言葉を借りるなら、運命の交わる地である。







Scene5 来訪者


 あさひが我に返ると、そこは見たこともないような場所だった。いや、似たような場所を見たことはある。ただし、映画やドラマ、アニメの世界の話だ。一言で表現するなら、
「え、SFモノ……?」


 そこは、一面が機械で構成された部屋だった。照明は点いていなかったが、部屋のあちこちに設置されたモニターやコンソールの発する光がぼんやりと辺りを照らし出している。
「な、なんで……? なんなのよコレ……?」
 全く訳がわからなかった。確かに自分は本屋にいたはずだ。大掛かりなドッキリであるならまだいいが、どう考えてもそれはない。
 本屋で見た、あのあかがね色の本といい、一瞬のうちに周りの風景が全く違うものになっていることといい、どう考えても個人で、いや、あさひの知っている常識の範囲内で可能な技術を超えている。
 なんとなく脳内に浮かぶ答えはあるが、それを認めたくはなかった。認めてしまえばもう後戻りは出来ないような気がしたのだ。


 そんな風にあさひが懊悩していたときだった。
 部屋の隅。周囲に光を発する装置がなかったために闇がわだかまっていたその一角で、突如として機械の作動音が起こったのだ。
「う、うえ!? なになになに!?」
 思い切りビビって慌てふためくあさひをよそに、事態は進行していく。
 ようよう部屋の暗さになれてきたあさひの目に、そこで動いているものがぼんやりと見えてくる。床面に斜めになるような角度で安置されている円筒形のカプセルだ。大きさは、丁度中に人間が一人入れるくらいだろう。


 内心で逃げ出したい気持ちを抱えながらもその場から動けないあさひの見ている前で、カプセルから圧搾空気の抜ける音が響き、前面部分がゆっくりと開いていく。ごくり、とあさひがつばを呑み込むのと同時に、開ききったカプセルからゆらりと人影が立ち上がった。
 あさひは不思議なほどに落ち着いている自分を感じていた。いや、緊張はしている。が、この状況ならもっと恐怖にかられてパニックに陥っているのではないかと自分で思うのだ。
 そんな分析が出来ていること自体、精神に余裕のある証拠だとも思えた。こんなわけの分からない出来事に連続で直面して冷静さを保てるほど自分が肝の据わった人間だとはあさひには思えなかったが、少なくとも現状では好都合でもある。
 何が起こっても――到底あさひの手に負えない事態が起こる可能性もあるが――対処できるように身構えたまま、起き上がった人影を見つめる。


 人影はゆっくりとあさひに向けて近づいてくる。それにつれて、人影の姿があさひの目に映るようになってきた。
 身長はおそらくあさひと同程度。体の線がくっきりと浮き出るボディスーツのようなものを身につけており、体型から判断するに間違いなく女性。
 スタイルは完敗だ、と頭のどこかでささやき声が聞こえたが、非常事態につき封殺。腰まで届く長い金髪を揺らして彼女がこちらへ歩いてくる。

 あさひから歩幅二歩分のところで、彼女はその足を止めた。
 この距離まで来て、ようやく彼女の顔立ちをあさひははっきりと見ることが出来た。簡潔に言い表すなら、超の付く美少女である。
 すっと通った鼻梁。肌は白磁のように白くすべらかで、ほほは薄紅の花びらを一枚浮かべたかのよう。小さな花がほころんだような唇は愛らしく、やや垂れ気味の金色の目は全体的な造作に絶妙なバランスを与えるアクセントとして機能し、彼女の魅力を引き立てている。


 思わず見とれてしまったあさひに向けて、彼女は薄っすらと微笑んで見せた。不覚にもどきりとしてしまい、動揺するあさひをよそに少女は口を開いた。その容姿に似つかわしい、鈴を転がしたような可憐な声。
「オリジンへようこそ、フォーリナー。私はエルフェンバイン中央工廠開発、フォーリナー専用モナドトルーパーである『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディです。……状況の説明を行いますか?」



[26553] 第一話『曙光の異邦人』② 異世界にて
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:21
Scene6 コンタクト・オリジン



「まとめると、ここは地球じゃなくて異世界オリジン。で、あたしみたいな地球から来た人間は今のところ例外なくスゴイ力を持っていてフォーリナーと呼ばれる」


 床にぺたりと座り込んで先程まで聞いていた説明を要約するあさひに、アニマ・ムンディと名乗った少女がこくこくと頷いてみせる。
「今、このオリジンでは色んな悪い奴が暴れてるけど、特に最悪なのが悪い神様の化身ダスクフレアで、フォーリナーはそのダスクフレアに対する切り札に成り得る。だから、この国のえらい人がフォーリナー用の巨大ロボット……MTモナドトルーパー、だっけ? それを作って支援しようとした。あなたはそれを動かすために必要なアンドロイド、と」
「ご理解を頂けたようでなによりです。フォーリナー。ですが、私はアンドロイドではなく、『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディです」


 少女がにっこりと笑いながらあさひの台詞の最後の部分を訂正する。ここは譲れないこだわりなのだろうかと思いながら、あさひも言葉を返す。
「じゃああたしもフォーリナーじゃなくて雪村あさひ、よ。ちゃんと名前で呼んでくれるかしら? シアル」
「了解しました、あさひ。それと、シアル、とは私が管制するMT『シアル・ビクトリア』の固有名詞の一部であり、私の固体名ではありません。現在、私自身を表す固有名詞は存在しておりません。製造時に与えられた識別番号ならありますが、あまり言い易いとは思えませんので固有名詞として使用するのはお薦めしかねます」


 淡々とした口調でそう述べる少女にあさひは驚き、
「あれ、そうなの? なんか長い名前だなー、って思って最初の部分だけ呼んだんだけど……。じゃあどうしよう。あなたのことは何て呼べばいい?」
 アニマ・ムンディの少女はあさひの問いにほんの一瞬、どう答えるべきかを考え、
「シアル、で構いません。あなたがそう思ったのであるなら、それが今より私の名です」


 きっぱりと言い切った。迷いも躊躇もないその断言っぷりに、逆にあさひの方が戸惑いを覚えるほどである。
「い、いいの? あたしのちょっとした勘違いなんかから名前を決めちゃっても」
「はい。あさひには『シアル・ビクトリア』に搭乗していただく必要がありますので。必然、私はあさひのモノになります。名前をいただけるのはむしろ光栄です」
 にっこりと笑って言い切るシアル。聞き流せないのはあさひの方だ。
「ちょ、ちょっと待って! あたしのモノってなに!? あと『シアル・ビクトリア』っていうのはMTで、要するに巨大ロボットでしょ!? ムリムリムリ、絶対ムリ! やったことないしできっこないってば! っていうかそもそもなんで乗る必要があるの!?」
「はい、とりあえず後者については差し迫った問題ですので説明いたします。現状、私達……いえ、この地が置かれている現状について」


 あさひの発した当然の疑問に、シアルが頷いて言葉を返す。
「ここ、エルフェンバイン中央工廠は、その名の通り、オリジンの盟主たるイスタム神王国の首都、エルフェンバインにあります。が、エルフェンバインは現在、イスタムの統治下にないのです」
 平坦な中にもどこか哀切を感じさせる声音でシアルがとうとうと語る。
 あさひはその様子と語られつつある内容に、激烈に嫌な予感を憶えつつ、聞かないわけにもいかなそうなので先を促す。


「オリジンへの侵略者の一つ、機械生命グレズ。それらの首座たる調和端末メタゴッドヴォーティフによってエルフェンバインは陥落し、機械の街と化しました。ヴォーティフ自体はとあるフォーリナーとその仲間によって倒されましたが、この街は依然としてグレズ勢力下にあり、おそらく街の中に生きた人間は一人として存在しないでしょう。――あさひ、あなたという例外を除いては」
 現状がどうやら壊滅的にマズいということを感じ取り始めたあさひが沈黙するのをよそに、シアルが更に現状についての言及を続ける。
「グレズの行動原理は、全ての生命を機械化することです。今まではここには生身の生命は存在せず、グレズ達もこの場所にこだわるような事はありませんでしたが、あさひ、あなたの存在を感知すればおそらくグレズの尖兵たるメタボーグやメタビーストがやってくるものと思われます」
「念のために聞くんだけど……その、メタなんとかに捕まったりするとどうなるの……?」


 おずおずと挙手してのあさひの質問に対し、シアルが無情なまでに明確に答えを返す。
「先程も申し上げた通り、グレズの目的は全ての生命の機械化――彼らの言を借りるなら『調和』です。グレズの手に落ちた人間はほぼ例外なく機械へと変化させられます」
 機械になる、というのがどういうことか、まだピンと来たわけではないが、決して楽しい事ではなさそうだということはあさひにも想像がつく。どうにかしてそんな未来図は避けられないものかと、目の前のシアルへ縋るような目を向けた。
「な、なんとかならないの……?」
「なります。そして、その為に『シアル・ビクトリア』が必要なのです」


 あさひの視線を受けたシアルが力強く頷いてみせる。心細げなあさひを安心させるように彼女の手を取り、言葉を続ける。
「これも先ほど少し申し上げた事ですが、そもそもフォーリナーには大きな力が備わっています。その名も“絶対武器マーキュリー”」
「……絶対武器?」
 オウム返しに繰り返すあさひに正面からの視線を寄越し、
「はい。時に全てを切り裂く武器であり、時にあらゆる害悪を跳ね返す防具であり、時に人知を超えた事象を引き起こす器物であり、時に悪を討ち果たす魂の具現。それぞれに形は違いますが、今までオリジンに現れたフォーリナーは必ず絶対武器を持っているのが確認されています」


「……でも、あたしそれっぽいものなんて何も持ってないよ?」
 ぱたぱたと服のあちこちを叩いてみたり、ポケットを探ったりしてみるが、何も出てこない。
 いつの間にかそれらしいものが持ち物に混ざりこんでいる、というお約束もあさひは少し期待したのだが、起こってはいないようだった。あからさまにがっかりした様子のあさひに対して、シアルは未だ平然としている。


「わたしがあさひをフォーリナーだと判断したのは、服装の特徴や組成などが過去のフォーリナーのデータと一致した事もありますが、なによりあさひの膨大な内在フレアによります。フレアとは、世界を構成する要素であり力。命と命、または命と世界の間を循環するもの。絶対武器を持つフォーリナーは、他者を冠絶するフレアを持ちます。故に、今は手元にない、あるいは使えていない、というだけであなたは絶対武器を持っているはずなのです」
「でも、今使えなかったらピンチを脱する役には立たないんじゃ……?」
「はい、そのとおりです。ですので、絶対武器以外を使った現状の打開策として提案するのが『シアル・ビクトリア』の使用です」
 あさひの手を握る指に力を込め、真正面から目と目を合わせてシアルが今までよりやや力の入った口調でそう切り出した。


「『シアル・ビクトリア』はフォーリナー級のフレアの持ち主以外では搭乗したところで動かす事すら叶いませんが、逆に水準を満たすフレアの持ち主をライダーとし、私がバックアップを行うならばメタビーストやメタボーグ程度ならば物の数ではありません。そしてあさひ。あなたは『シアル・ビクトリア』を動かすに足るだけのフレアの持ち主です。例え今、絶対武器の使い方が分からないとしても、MTに乗り、それを私がサポートすれば現状を脱する事は十分に可能です」
 言うべきことは言い切った、とばかり、そこでシアルは言葉を切り、あとはただじっとあさひの目を見つめる。


 正直なところ、あさひはまだ半信半疑だった。シアルの語る内容が、ではなく、自身を取り巻く現状全てに対して、である。
 少なくともあさひが持っている常識に鑑みれば、夢を見ているか、あまり考えたくは無いが精神が錯乱して妄想の只中にいると言われたほうがまだ説得力がある。
 そうだと言い切れないのは、あさひを取り巻く情景の持つ否応無いほどの現実感だ。
 部屋を構成する機械の質感や、自分の手を握るシアルの体温は夢や幻と断じてしまうにはリアルに過ぎた。


「……ぶっちゃけちゃうとね、まだ状況を理解したとは言い難いんだけど。でも、シアルを信じてみようと思う。だから乗るよ、MTに。『シアル・ビクトリア』に」
 しっかりとシアルと目線を合わせ、あさひは宣言した。
 その瞬間、真正面から見詰め合うシアルの金の瞳の奥に星の瞬きをあさひは見た。見間違いかと思って目を擦ろうとしたが、その前にシアルに両方の手をがっちり握られて身動きできなくなる。
「フォーリナー専用MT『シアル・ビクトリア』ライダー名『雪村あさひ』で登録完了いたしました。例え三千世界の果てと果てに分かれようとも、私は御身の元へ馳せ参じて見せましょう。なんなりとご命令を、マイロード」


 満面の笑みを浮かべ、愛しげにかき抱いたあさひの両手を胸元へ抱き寄せるシアル。もともとの造作が洒落にならないくらいに整っているので、凄まじいまでの破壊力だった。
「かっ……可愛いじゃないの……! じゃなくて! なにそのマイロードって!?」
「アニマ・ムンディを得て稼動するMTは一般的に騎士級と呼ばれます。同様にそのライダーも騎士と呼ばれることが多くありますので、このようにお呼びさせて頂きましたが……お気に召しませんでしたか、マイロード?」
 不思議そうにこくん、と首を傾げてみせるシアルに、あさひは慌てて首を振る。
「カンベンしてよ……。呼び方はあさひでいいから。普通が一番だから、ね?」
「了解しました、あさひ」


 もっとごねるかと思われたシアルだが、以外にあっさりとあさひの提案を受け入れて、そのまますっと立ち上がる。
「ではあさひ。まずは格納庫へ。我が半身『シアル・ビクトリア』のもとへ参りましょう」
 あさひがその言葉に頷くと同時、部屋の一角で機械音が響き、その部分の闇が四角く切り取られる。一瞬まぶしさに目を細めたあさひは、それが照明の灯りであり、この部屋の扉が開いた事を理解した。
「うし、じゃあ、行きましょっか!」
 自身に気合を入れるようにぐっと拳を握ったあさひ言葉と共に、二人の少女が手に手を取って開いた扉から部屋を出てゆく。
 雪村あさひのオリジンでのフォーリナーとしての歩みが、今この瞬間から始まったのだ。





Scene7 格納庫の宴



 “木蓮の都”エルフェンバイン。かつてはその名に相応しい壮麗で優雅な都市だったそこは、今では最早見る影もない。
 グレズによる調和で街の構造物は全て機械の塊へと変貌し、オリジンのあちこちから様々な種族が集い、賑わっていた街路を闊歩するのは人型機械、メタボーグや獣型機械、メタビーストばかりである。

 生身のまま踏み込むことは死に直結するこの機械の都を、奇妙な物体が低空で飛行しながら移動していた。長辺が一メートル半ほど、厚さは数センチほどの直方体である。
 黒曜石のような漆黒の外観は磨き上げられ、鏡のように周囲の風景を映し出している。結構な数のグレズ達と『鏡』はすれ違っているが、グレズ達は何故か『鏡』を迎撃することも、反応する事さえない。
 市街の中央部に向けて真っ直ぐに飛行していたその『鏡』は、ある地点まで来るとぴたりと停止し、しばらくその場に留まる。周囲を観察するようにくるくると回転したかと思うと、一つの建物を見定めて、その中へとするりと入り込んでいく。
 『鏡』の目的地はどうやら地下であるようだった。
 階段を下り、隙間を見つけてエレベーターシャフトへ潜り込み、ひたすら下を目指す。フロアにして五つ分は降下しただろうか、というところで『鏡』は進行方向を垂直から水平へと切り替えた。曲がりくねった廊下を、同じ方向を目指すように駈けていくメタビースト達を追い抜きながら飛翔する。


 やがて『鏡』は、施設の奥まった部分に存在する、大きな空間へと辿り付いた。
 三つか四つのフロアを縦にブチ抜いて造られたであろうその空間にいる存在は『鏡』を除けば大雑把に言って三種類に分けられる。
 まずは、この建物内を巡回していたらしいメタビースト達。既にこの空間内に踏み込んでいる数体に加え、『鏡』が追い抜いてきたもの達や、他の入り口からやってくるものも含めてまだまだ増えそうな勢いである。
 次に、奥まった部分に立ち尽くしている、身の丈十数メートルに及ぶ巨人。人型機動兵器MTである。
 最後に、今まさにこの空間――MT格納庫に駆け込んできた存在。
「もー死ぬ! あたしもーだめー!」
「もう少しですあさひ! こちらが格納庫になります!」
 手に手を取って、背後から追いかけてくるメタビーストから逃げている、二人の少女だった。


 二人は格納庫に入るや否や、絶句してしまう。
 口振りからしてここへ辿り付きさえすればどうにかなる、と踏んでいたのだろうが、すでに結構な数のメタビーストが格納庫内に入り込んでいる。奥にあるMTと二人の間には何をかいわんやである。
 二人が動きを止めたのはほんの一瞬の事だったが、機械であるメタビーストにとっては十分すぎる時間だった。本物の肉食獣もかくや、という動きで床を蹴り、二人の少女をその牙にかけんとして踊りかかる。


「あさひっ!」
 金髪の少女がもう一人を抱きすくめ、メタビーストの爪から身を呈して庇おうとする。そんな二人を、機械の獣はもろともに押しつぶそうとし、それは次の瞬間には現実のものとなるはずだった。
「ちょ、ちょっとシアル、あれ!」
 金髪の少女、シアルに抱きしめられる形になっていたもう一人の少女、あさひは、意外な力強さで自分を放さないシアルの腕の中でもがきながらそれを見た。
 目の前にいる、もう一組のあさひとシアル。否、それは目の前に――彼女らとメタビーストの間に割って入った、真っ黒な鏡に映る像だった。事態についていけないあさひの前で、メタビーストの爪を受け止めた『鏡』はひび割れ、閃光を放って砕け散る。
 だが、それで終わりではない。『鏡』が割れると同時に生じた閃光が一箇所に集まり、ひときわ強く輝いた。まぶしさに目をつぶったあさひが次に見たのは、その場に立つ一人の少年だ。
 年はおそらくあさひより三つか四つは下だろう。彼女の感覚でいえば中学生くらいに見える。収まりの悪い栗色の髪と、それと同じ色の瞳に勝気そうな気配を漂わせて、少年はあさひとシアルに一瞬ずつ視線を配る。


「……フォーリナーと、アニマ・ムンディ。間違いないか?」
 切り捨てるような少年の口調に、シアルが何事か口に出そうとしたが、あさひは反射的に頷いてしまう。
 それを見た少年は平坦な表情のまま頷き返し、目の前にいるメタビースト――何故か少年がかざした手の先で動きを止めている――に向かい合う。あさひ達に背中を向けたままでもう片方の手を目の前の空間を薙ぐように動かし、次いで天井に向けて突き上げる。
「俺は、VF団のエージェント、ローレン。あんたらを助けに来た」


 それが起こったのは、少年、ローレンの言葉と同時だった。
 格納庫の隅に積み上げられていた数々の資材。それらがふわりと空中に浮き上がる。そして、ローレンが上げていた腕を振り下ろすのに合わせて、メタビースト達に降り注ぐ。
 メタビースト達もかわそうとするものの、いかんせん降って来る資材の数は多く、またサイズも大きい。最初にあさひ達に飛び掛ったものを始め、その周囲を取り巻いていた何体もの機械の獣が、轟音と共にまとめて資材の下敷きとなった。


 驚きにあんぐりと口を開けているあさひを背に庇うようにシアルが前に出て、少年との間に入る。その目にはありありと警戒の色が宿っている。
「助けて頂いた事には感謝いたしますが、VF団が私達に一体何の用ですか」
「ちょ、ちょっとシアル!? 助けてもらったんだからもうちょっと態度をやわらかくしないと」
 我に返ったあさひが、シアルの硬質な対応をたしなめる。シアルは困ったような視線をあさひに投げかけ、もう一方の当事者であるローレンはまるで気にした様子も見せなかった。
「細かい話は後だ。まずはクズ鉄どもの歓迎をしてやんねーとな」


 ローレンの鋭い視線が射抜く先、資材の山の向こうから新たなメタビースト達が顔を出し、次の瞬間にはローレンが懐から取り出した銃が一閃――文字通りに閃光を吐き出してあさひを驚かせた――し、打ち抜かれて崩れ落ちる。
「……確かに、まずはこの場を切り抜けることが最重要ですね」
 シアルがささやかな溜息と共にローレンに対する眼差しを緩め、あさひに向き直る。
「あさひ。事前の話の通り『シアル・ビクトリア』を起動させて突破します」
 ごく自然にそう言うシアルだが、格納庫の奥のMTへと目を向けたあさひは顔を引き攣らせる。
 そこへたどり着くまでの間に、三十体を越えるメタビーストが三つほどのグループに分かれて布陣しているのだ。とても突破できるとは思えなかった。試しに先ほど複数のメタビーストを一気に仕留めて見せたローレンに視線を振ってみるが、
「いくらなんでも数が多い。突破は無理だろ」
 そう言って肩をすくめて見せられてしまった。が、シアルは余裕ある態度でローレンを一瞥し、あさひに語りかける。


「問題ありません、あさひ。既に貴女のライダー登録は終わっており、『シアル・ビクトリア』の端末たる私がこれだけMTの近くにいるのです。この位置からならMTのジェネレーターであるモナドドライブを起動させる事も、遠隔操作で私達のそばまで来させる事も十分可能です」
「なるほど。モナドリンケージ機能か」
 シアルの説明に、端で聞いていたローレンが手を打って納得する。
「やれるんならとっととやってくれよ。いい加減鉄クズどもも様子見を止めて襲い掛かってくるぜ」
「言われるまでもありません。あさひ、手を」
「う、うん」
 シアルに促され、あさひがシアルと手を重ねる。シアルがまぶたを閉じ、再び開く。正面から向き合っているあさひには、彼女の黄金の瞳がぼんやりと光っているのがよく分かった。


「モナドドライブ起動シーケンス実行します。フレアライン確立成功。ライダー情報定着成功。……あさひ、私の目を見てモナドドライブの起動を命じてください。声紋及び網膜認証にて起動シーケンスを最終認証します」
「よ、よく分かんないけど分かった。……こほん。動け、モナドドライブ!」
 シアルの求めに応じてあさひが言葉を発し、それに応じるようにぴくりとシアルの体がぴくりと震えるのが繋いだ手を通じて伝わる。
「コマンド受領、初期設定完了しました」
 ごうん、という音が格納庫に満ちたのは、そのシアルの言葉が終わるよりも早かった。音の源は言うまでも無い、メタビーストの群れの向こう側に存在するMTである。
 先ほどまではただその場に立ち尽くすのみだったそれは、自身の鼓動たるモナドドライブの駆動音を響かせて、その力を解放できるときを今か今かと待ち望んでいるかのようだった。


「さああさひ。呼んでください、『シアル・ビクトリア』を! あなたを守る鎧にして剣、あなたを守るためにある私の半身を!」
 熱の篭ったシアルの台詞にあさひは一つ頷いて見せ、『シアル・ビクトリア』を見上げる。
 頭部に備え付けられた、人で言えば両目に当たるメインカメラに光が灯り、機械の巨人と視線を交わしたような気分を覚える。
 片手をシアルと繋いだまま、もう片方の手を、これから頼るであろうもう一人の相棒、『シアル・ビクトリア』に向け、腹の底から声を出す。


「来なさい、『シアル・ビクトリア』!!」


 あさひの叫びが格納庫内に木霊し、一瞬の静寂が場に満ちる。
 そして、次に動いたのは痺れを切らしたメタビースト達だった。
「おい、どうなってんだポンコツ! デカブツが動かねえじゃねえか!?」
 襲い掛かってくるメタビースト達に再び周辺の資材を叩きつけて迎撃しながらローレンが毒づく。彼の言葉どおり、『シアル・ビクトリア』はぴくりとも動く様子を見せない。
「そんな、そんなはずはありません! ライダー権限代行、アニマ・ムンディが命じます! モナドリンケージ、実行!」
 今度はシアルが声を張り上げるが、やはりMTは動く気配を見せない。
「そんな……!?」


 悄然とするシアルの隣で、『シアル・ビクトリア』を見上げていたあさひが急にぶるりと身を振るわせる。
 そのまま寒さから、あるいはもっと他の何かから身を守ろうとするように両手で自分をかき抱く。
「……なんか、変だよ、シアル。ローレン君。あのMTの周りに、黒い、何かが……!」
 顔を蒼褪めさせてあさひが零す。それを受けた残る二人の反応は、それぞれに違うものだ。
 シアルは要領を得ないといった風に首を傾げていたが、ローレンには何か感じるところがあるようだった。
「そうか、こいつは……」


 ローレンが言葉を続けようとしたとき、いくつかの事が連続して起こった。
 一体のメタビーストがローレンの迎撃を掻い潜って、その後ろにいたシアルに襲い掛かった。これに反応したあさひがシアルの腕を引っ張り、彼女らはいっときメタビーストの爪牙から逃れたものの、もつれ合って倒れこむ。
 そこを狙ってさらに二体のメタビーストが襲い掛かり、しかし一体はローレンが鼻先に手をかざした途端動きを停止し、もういったいは進路上に突然現れた『鏡』にぶつかって弾かれる。


 だが、更に新手のメタビーストがまだ倒れたままのあさひとシアルに肉迫する。
 かくなる上は自分自身を盾にするしかないか、とローレンが腹を括るのとほぼ同時だった。
 ローレンたちの背後にある壁に、突如として大穴が開いたのだ。爆発で吹き飛んだのでも、何か大きな力で崩されたのでもない。まさに消失だった。
 続いて、その穴から大柄な影が格納庫内に飛び込んでくる。二メートル半を優に越える巨躯からは想像しがたい俊敏さであさひとシアル、ローレンの前に走り出たその影は、メタビーストの突撃を片手で悠々と受け止めると、


「ゴァアアアアアアアアアアアアア!!」


 格納庫全体の空気を激震させて咆哮を放った。あさひ達は肌がびりびりと震わされるのを感じていたが、真正面からその咆哮を受けたメタビーストはその程度ではすまなかった。
 四肢を引きちぎられながら吹き飛び、他のメタビーストに激突して四散したのである。
「詰めが甘いな小僧。だが弱き者の盾とならんとするその心意気やよし! 勇者の資質ありと認めてやろう!」


 野太い声を放つその口には牙が並び、ローレンに向けて差し伸べられた厳つい手には鱗が生え揃っている。機嫌よさげに床を叩く尻尾はシアルの胴体ほどもあり、爛々と輝く瞳は、気の弱いものが見ればそれだけで萎縮するだろう。
「……アムルタートの、龍……」
 思わず零れたローレンの呟きに対して器用に口の端を歪めて笑って見せたのは、アムルタートの龍戦士、フェルゲニシュだった。


「おーいフェルの旦那あ。あたしにゃ壁抜きやらせといて自分だけカッコつけちゃうってそりゃあないんじゃないかい?」
 そんな風に声をあげて、赤青ストライプのマントを羽織った女、サペリアがへらへらと笑いながらあさひたちの方へと歩いて来る。
「お待たせ少年少女たち。おっかないおぢさんとキレイなお姉さんの援軍だよー」
 そう言ってぐっと親指を立ててみせたかと思うと、そのまま両手を掲げて手首の腕輪を打ち合わせ、そこから発した光で今にも飛びかかろうとしていたメタビーストをまとめて薙ぎ払う。


「さーて、躾の悪いケダモノ共にはご退場願って、とっととトンズラ決め込もうじゃないのさ」
「そうだな。察するに、あのMTを使うつもりだったのだろう? メタビーストどもの攻撃なぞ俺が全て弾き返してくれよう。少年、お前はそこのハデな女と連中を蹴散らして道を開け」
 サペリアはにやにやと笑いながら、フェルゲニシュはふん、と鼻から息を抜いてローレンを見下ろしながら言う。ローレンは倒れていたあさひとシアルに手を貸して助け起こしながら、自分たちを助けた奇妙なコンビを睨めつける。


「助けてもらったのは礼を言う。この二人を助けにきて別の誰かに助けられるってのもマヌケな話だけどよ」
 そこまで言って一旦言葉を切り、ローレンは真面目な表情を作る。


「ここから逃げるのには賛成だが、あのMTは置いていくべきだな」
 この一言に最も早く反応したのは当然のごとくシアルである。
「何故です!? 確かにモナドリンケージは動作しませんでしたが『シアル・ビクトリア』があったほうが脱出は容易になるはずです!」
「そのモナドリンケージが作動しなかった理由が問題だ。ポンコツは気付かなかったみてえだけどな、アレは……」
 胡乱気な表情でシアルに視線を向けながら、ローレンはその理由について言い募ろうとしたが、それは意外なところから上げられた声で遮られた。


「ちょっと……ヤバいよこれ。なんだろう、なんだか分からないのに、とんでもなくマズイのは分かるの……!」
 声を上げたのは不安げにあたりを見回すあさひだ。
「いい勘してるね、お嬢ちゃん。これは本格的に急いで逃げないとダメかもねえ」
 飄々とした態度はそのままだが、あさひに向けられるサペリアの声はやや硬い。そしてその理由はすぐに知れた。


 彼女の見つめる先、あさひ達と『シアル・ビクトリア」の中間地点。そこを基点にして、風景がぐにゃりと歪み始める。否、歪んでいるのはその場の空間そのものだ。
 捻れ、曲がり、歪んだ空間が、ある一点で限界を超えたように元に戻る。
 そしてそこには、ひとつの異形があった。
 一言で言い表すなら、手、だ。
 機械で出来た、巨大な手がその場に浮いていた。掌に当たる部分に象嵌された、三つの瞳が無感情にあさひたちを睥睨している。


「メタロード、ディギトゥス……!」


 搾り出すようなシアルの声が、不吉な響きを伴ってあさひの耳に届いた。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』③ 脱出行
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:21
Scene8 凶兆・来たる


 機械生命体グレズ。

 その大元は、機械文明が栄華を極めたハダリアという名の弧界にて環境の維持のために創造された、完全調和システムG.R.E.Z.だという。人を含め、弧界に生きる全ての生命を守るために作り出されたはずのそれは、生命の安寧のためには全ての生命の機械化――機械調和が必要だという結論を出し、機龍グレズへと姿を変えて、統合意識と呼ばれる一種のネットワークで全ての機械生命を掌握して有機生命体に対して突如として牙を剥いた。

 ハダリアは瞬く間に機械の世界と化し、グレズ達は他の弧界をも機械調和すべく、三千世界に散っていったのだ。

 オリジンにグレズが現れた当初、その指揮固体として他のグレズを統率していたのは、調和端末ヴォーティフであった。襲来するや、オリジンの三分の一を瞬く間に制圧したグレズ達であったが、首座であるヴォーティフが討たれた事により、その活動範囲はエルフェンバインに限定され、また、多くのグレズ達が統合意識から解放され、本来の使命である人と世界の守護者としての立場を取り戻したのだ。

 無論、そうしたグレズが全てではなく、統合意識からの解放は為されたものの、理性も自我も無い獣同然に暴れまわるものも多く、また、未だに統一意識の指揮下にあるものもまた多い。

 現在、オリジンにおいてそうした機械調和を狙うグレズ達を束ねるもの。それこそがメタロード、ディギトゥス。配下に何体ものメタロードを抱え、しかしながら一つの都市に半ば引きこもる状態のディギトゥスは、オリジンの諸勢力にとっても、大星団テオスを始めとする侵略者にとっても、うかつに刺激したくない危険な爆弾である。




 眼前に浮かぶ機械の手。

 前述したようなディギトゥスに関する知識は当然ながらあさひにはないが、それでもその異形からあさひは目を離せなかった。押えようとしても体を震わせる恐怖の故に。
 一瞬の沈黙が格納庫に満ちる。メタビースト達は己の主に畏怖を示すように静まりかえり、シアルも、ローレンも、フェルゲニシュも、サペリアも、突如として現れたディギトゥスに対して迂闊に動けない。
 その沈黙を破ったのは、格納庫に飛び込んできた一台の機械だった。一見したところの印象は小型の自動車に似ている。が。決定的に違う点として、車輪が存在しない。自動車であれば前輪と後輪が備え付けられている場所には、地面と平行に楕円の円盤が備わり、地面から数十センチの高さを滑るように進んできたのだ。

「逃げるぞ! 来い! フォーリナー、ポンコツ!」

 最初に反応したのは、ローレンである。飛び込んできた機械――エアロダインを一瞥するや、その進路上へ絶妙なタイミングで身を投げ出し、これまた見事なタイミングで跳ね上がったキャノピーの内側でシートに収まってコントロールを掌握し、あさひとシアルを拾うべく、二人の方へとエアロダインを向ける。

 残る者達も、ローレンに一瞬遅れはしたものの、めいめいに動き出した。

 メタビースト達は思い出したかのように機械調和すべき有機生命体に向かっていく。
 それを迎え撃つのはフェルゲニシュとサペリアである。メタビーストの突進のことごとくを龍戦士が受け止め、あるいは咆哮で吹き飛ばし、怯んだところを魔法がまとめて消し飛ばす。

 ローレンはそんな二人の奮戦をちらりと横目に見るも、構うことなくシアルとあさひの元へ向かう。フォーリナーとアニマ・ムンディの確保こそがローレンに与えられた任務なのだ。あの二人に先ほど助けられたのは事実だが、その借りと任務を秤にかけるようなことはありえない。VF団のエージェントたるもの、その血の一滴までもヴァイスフレアの理想に捧げなければならないのだ。
 やや乱暴にブレーキをかけ、ローレンのエアロダインがあさひとシアルのすぐ傍に停止する。

「乗れ! さっさと逃げるぞ!」

「え、ちょ!? きゃあ!」

 ローレンがシートから身を乗り出してあさひの手を強く引く。身長で言えば彼はあさひより二十センチほどは低いのだが、それでも鍛えてあるのか、あっさりと彼女をシートの後部へと引っ張り込む。
「ポンコツ! お前もだ」
「先ほどから言おうと思っていましたが、その失礼な呼び名は撤回してください。私の名はシアルです」

 半眼でローレンを睨みつけて文句を言いつつも、シアルが後部シートに飛び込み、あさひの横に座る。前後のシートはそれぞれ一人乗りの設計で多少手狭ではあるものの我慢出来ないほどではない。

「よっしゃ、トンズラするぞ!」

 アクセルに足をかけ、エアロダインを加速させようとしたローレンに、あさひが制止の声をかける。

「ちょ、ちょっと待って! あの龍の人とマントの人は!?」

「連中なら大丈夫だ!」

 即座に叫び返すローレンだが、勿論根拠など無い。だが、いくらこのエアロダインでもこれ以上は乗せるとスピードが鈍る。特にあのアムルタートは明らかに積載オーバーだ。また、VF団のエージェントとして任務のことを考えねばならない、という理由もある。だから、あの二人は放置して逃げるのだ。明らかにあの二人を見捨てるという選択肢を取れなさそうなフォーリナーにそのことを気付かれてごねられる前に、できるだけこの場から離れなければならない。
 脳裏をよぎったそんな思考が、ローレンがアクセルを吹かすタイミングをほんの一瞬、遅らせた。
 エアロダインが凄まじい衝撃に襲われたのは、その時だった。


 ほんの少し、時間を遡る。

 
 龍の強靭な鱗がメタビーストの爪と牙のことごとくを弾き返し、赤と青の輝きが、群がる敵を片端から消し飛ばす。サペリアとフェルゲニシュのコンビの前に、メタビーストたちは屠られゆくのみであった。
 だがしかし、二人の表情は冴えない。むしろ、色濃く焦りが浮き出ている。
 その理由は、未だ沈黙を守る異形の手、メタロード・ディギトゥスである。わざわざこの場に現れたからには何らかの目的があると考えて然るべきだが、その実、この機械生命の首魁は、ただその三眼でその場を睥睨するのみで、何の行動も起こそうとはしない。その不動が、却って恐ろしい。二人はメタビーストをなぎ倒しながらも、ディギトゥスからの重圧をはっきりと感じ取っていた。

「どう思う?」
「さあてね。機械の考えることなんて分かりゃしないよ。まあ、動かないでいてくれたほうが助かるってのは確かだけどね」

 二人が視線を交わし、言葉を投げかけあう。その間にもメタビーストは堰き止められ、消し飛ばされてゆく。が、一向に数が減ったようには見えない。

「やれやれ。ケダモノ共は潰した端から増えるし、たまったもんじゃないね。……あの三人は上手いこと逃げられそうだけどさ」
「お前は便乗しなくていいのか? 俺はともかく、そちらならまだなんとかなろう」

 エアロダインに飛び乗るローレンを横目に見ながら、そちらに続こうという動きをまるで見せずに二人は暴風のように猛威を撒き散らす。

「んー。まあねえ。なんとかなるっしょ」
「そうか。まあなんとかなるだろう」

 にやり、と。
 龍と人、見た目はまるで違うというのにそっくりな笑みを交わす。自棄っぱちのようでもあり、絶対の自信があるようにも見えるような、ひたすらに獰猛な笑み。
 ちらりとフェルゲニシュがエアロダインの方を伺うと、金髪の少女がシートに飛び込むところだった。
 それが、隙だった。

「旦那っ!」

 サペリアの声に意識を眼前に集中させた時には既に遅かった。視界いっぱいに広がる鈍色の壁。否、掌。

 ――ディギトゥスかっ!?

 胸中で歯噛みする間もあらばこそ。メタビーストの突撃に小揺るぎもしなかった龍人の体躯が、人形のように軽々と吹き飛ばされる。凄まじい速度での空中遊泳を体験させられ、数瞬の後に何かに激突してようやくフェルゲニシュが止まる。
「がっ……!?」
 強靭無比な龍の鱗といえど耐え切れずにいくらか砕け、骨格がきしむ。いや、龍だからこそ耐えられたというべきか。それほどの威力だった。
「お、おのれ……っ」
 それでも意識を手放すことなく、立ち上がろうとするフェルゲニシュ。だが、さすがにダメージは大きく、思うように体が動いてはくれない。
 此処に至って、フェルゲニシュは自身が叩きつけられたのがあさひたちの乗るエアロダインだったことに気づく。相当頑丈に出来ていたらしく、破損は見られるものの、機体はまだ浮遊機能を失っていない。が、キャノピーが砕け、乗っていた三人のうち、二人が――あさひとシアルが車外に投げ出されていた。
 そして、事態がさらに悪い方向へと転がっているのを彼は見る。動かない体に牙が砕けかねないほどに歯ぎしりし、せめて、と気力を振り絞り、声を上げる。
「逃げろ、急げっ!!」


 フェルゲニシュの声はあさひに聞こえていた。が、動けない。エアロダインから投げ出された際に体のあちこちを打ち付けたが、シアルがとっさに自身を抱きすくめて庇ってくれたお陰もあって、大したダメージはない。
 動けない理由は、あさひ自身ではなく、彼女の目の前にあった。
 立ちはだかる鈍色の掌。
 ただこちらを見るだけの三つの瞳。
 メタロード・ディギトゥス。

 なんらの敵意も、感情すら感じさせない無機物故の威圧感。
 それに気圧されて、へたりこんだままあとずさったあさひの手に、なにか温かいものが触れた。反射的に後ろを振り向くと、そこにはシアルが倒れている。美しい金髪を床面に散らし、どうやら意識を失っているらしくぐったりとしていた。
 
 その光景が目に入り、その意味が意識に浸透すると、あさひの心の中にごんごんと熱量が湧き出してきた。その熱量の全てをやせ我慢と強がりに変えて、ディギトゥスを前にしてすくんだ体に叩き込む。
 もう体は動く。だから、あさひは自分のやるべきことをやるために立ち上がった。倒れたままのシアルに駆け寄り、彼女の首の後ろと膝裏へ手を回す。
「ど、根性おーっ!」
 そのまま、いわゆるお姫様抱っこの形でシアルを抱いて立ち上がる。思っていたよりも彼女の体は軽いが、それでもいつまでも支えてはいられない。すばやく周囲を見回し、ローレンが乗ったままのエアロダインの位置を確認。そちらへ向けて全速力で走り出す。

「へい、タクシーっ!」
 半ばヤケクソ気味にローレンに向けてそう叫ぶ。彼の方も衝撃を受けたエアロダインのチェックを終え、あさひたちをピックアップするために機体を動かそうとしていた。

 もう少し。あさひがそう思ったところで、意識を取り戻したらしいシアルが腕の中か語気鋭く警告を発する。
「あさひ、後ろです!!」
「分かった!」
 後ろも見ずにあさひは答えた。追って来ているのが機械で出来た獣であれ手であれ、振り返ったところであさひに出来ることは何も無いのだ。だから、足を動かす。ひたすらに前へ。エアロダインまで後十歩。

「私を落としてください!!」
「却下あ!」
 あさひの腕の中から後ろをうかがい、悲鳴混じりに上がるシアルの言葉を間髪要れずに棄却する。正直、人一人を抱えて走ることと、状況から来るプレッシャーがあさひの足から力を奪い始めていた時だったが、シアルの言葉がそんなあさひのエンジンに新たなガソリンを入れた。
 ナメるな、と。そう思ったのだ。だからまだ足に力は入る。まだ走れる。エアロダインまで後七歩。

 シアルは最早言っても無駄だと悟ったのか、せめてあさひが走る邪魔にならないよう、彼女の首にぎゅっとしがみつく。
 あさひの口許には引き攣ったような笑みが浮かんでいる。走ること、前進することにほとんどのリソースを傾けた意識の内側、その片隅にある冷静な部分が、脳内麻薬が過剰に分泌されてハイになっていることを自覚する。エアロダインまで後五歩。

「右に飛んでください!!」
 ほとんどノータイムで、あさひはそう叫んだシアルの言葉どおりに行動した。それとほぼ同時に、左前方、あさひが真っ直ぐ走っていればちょうどその辺りにいた、という場所に、一抱え以上もある四本の杭が打ち込まれる。いや、それは杭ではなく、指だ。浮き上がってあさひの頭上を越えたディギトゥスが、その指を地面に突き立てていたのである。
横に飛んだことで、目標からは少し遠ざかった。エアロダインまで後六歩。

「く、ぬぅあーっ!」
 あさひはシアルを抱えたまま、横っ飛びで崩れた体勢を強引に立て直す。
 ディギトゥスが床から指を引き抜いてあさひたちに向き合う。
 エアロダインまでの最短距離を進むには、ディギトゥスの脇を抜けていく必要がある。
 あさひは一瞬たりとも迷わなかった。体に残った体力と意地と根性と気合をかき集めて床を蹴る。
 あさひが見せた、人生で一番の加速だった。バスケ部の試合に助っ人で入った時だってこれほどの動きは出来なかった。
 エアロダインまで後四歩。

 そこまでだった。

 ディギトゥスが取った手段はなんと言うことはない。落下である。距離にしても三メートルも落ちていない。だが、それでもなお、格納庫を揺るがすほどの衝撃が生まれた。
 あさひにはひとたまりも無かった。
 まともにバランスを崩し、その場に転倒する。それでも、シアルを手放すことはしなかった。
 抱き合ったまま倒れているあさひとシアルに、のしかかるようにディギトゥスが迫る。あさひは腕の中のシアルを守るようにぎゅっと抱きしめ、シアルはディギトゥスを押し留めようとするかのように必死に腕を伸ばした。
 どちらもが儚い抵抗であり、意味を為すことは無い。本人達ですら、意識のどこかでそう思っていた。

「……あれ?」
 最初に状況に対して疑問符を打ったのはあさひである。いつまでたっても何も起こらない。流石におかしいと、首を回して後ろを顧みる。一瞬で後悔した。すぐ目の前に、ディギトゥスの三つの瞳のうち一つがあるのである。本気で腰を抜かしかけ、しかしやはりおかしいと思い直す。
 ディギトゥスは、そこで止まっているのだ。
 更に視線を巡らす。逆三角を描くように配置された三つの瞳の中心点。そこに、白い指先が触れている。あさひに抱きすくめられた状態で伸ばされた、シアルの手だ。
 それをたどるように、あさひはシアルへと視線を向けた。丁度シアルもこちらを向いたところで、真正面から見詰め合う。それであさひは理解した。シアルにも、この現状がどういった原因によるものなのか分かっていない。少なくとも、今の彼女の瞳に浮かんでいるのは混乱の色である。

 ともあれ、今は重大な事実が一つある。
 ディギトゥスが、止まっているのだ。
「ちゃーんすっ!!」
 今度こそ、最後の力。震える足を無理やりに動かして、あさひは立ち上がった。意固地になったかのようにシアルは抱えたままである。

「ポンコツを放り込め!」
 そして、そんなあさひのすぐ脇に、やっと再起動を終えたエアロダインが滑り込む。否やなどあさひにあるわけも無く。シアルを後部シートへ放り込み、すぐさま自分もそこへ転がり込んだ。

「よし、そんじゃあ……」
「とっととずらかるよ皆の衆!」
 とん、と軽い感じの音を立ててエアロダインの後部ボンネットにサペリアが降り立っていた。いかなる手品か、かざした手の先には傷だらけのフェルゲニシュが浮かんでいる。
「アホか! 積載オーバーだっつの!! 降りやがれ!」
 思わず叫んだローレンに向かってサペリアはからからと笑う。
「だいじょーぶだいじょーぶ! 何とかなるって! ほれ、お嬢ちゃんも何とか言ってやんな」
「ど根性ーっ!!」
 未だ脳内麻薬が出っぱなしらしいあさひが腕をぐるぐる回しながら叫ぶ。
「何で二人してキマってんだばか女どもがーっ!」
 思わず叫び返すローレンだが、サペリアはまるで頓着した様子がない。
「いいからほら急げ少年! 急げ急げ急げーっ」
 笑いながら足を伸ばして運転席のシートをげしげしと蹴りたくる。
「急げーっ!」
 触発されたようにあさひが後部シートでどかどかと足を踏み鳴らす。

 よく耐えたほうだっだろう。ローレンはこの時点までは肩を震わせながらも女二人の暴虐に耐え忍んでいた。
 が、限界が訪れた。
「もう知らん! 振り落とされても他の要因で死んでも文句は受け付けねえからなテメエら!!」
 一声高く宣言して、いきなりアクセルをベタ踏みした。蹴りとばされるような勢いで加速するエアロダイン。
 ディギトゥスも、メタビーストたちも何故かそれを黙って見送るばかりで追おうとはしない。
 が、現在のところ、本来ならば追われる立場の者たちの中にそのことについて気を配っているようなヤツは一人としていなかった。

「はあーっはっはっはーっ! 飛ばせーっ!」
 どういう理屈によってか後部ボンネットに仁王立ちして哄笑する赤青マントの女と、
「あーっはっはっはーっ!」
 色々振りきれてテンションがおかしな具合にキマってしまい、やはり大笑いしている後部座席の少女と、
「うるせえ黙ってろ放り出すぞクソアマどもがっ!」
 そんな二人に向かってがなり立てながらも自在にエアロダインを駆って施設の廊下を爆走させる少年と、
「…………」
 そんな三人の様子にいささか引いて沈黙している金髪の少女と、
「…………」
 傷に響くからもう少し静かにして欲しいと思いながらサペリアの術によって魔法的にエアロダインと連結されて空中を引っ張られていくアムルタートがいるだけだ。

 やがてエアロダインは中央工廠の地上部分まで到達する。
「出口だっ!」
 そう叫んだのは誰だったのだろうか。
 ともかく、エアロダインはようやく見えた出口の光に向けて疾走する。

「ぃよっしゃああー!」
 そんな咆哮とともに、エアロダインはエルフェンバインの中央通りに飛び出した。
 奇声と笑声と怒声の尾を引きながら、危地を脱した喜びを乗せて、市外に向けて爆走していく。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』④ カオスフレアたち
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:21
 Scene9 もろもろの事情

 
 現在、オリジンを治めている王は、神王エニア三世という。
 彼女はイスタム神王国の君主であるが、大星団テオス等の侵略が行われている現在はもとより、それ以前においても、イスタムがオリジン全土を直接治めていた訳ではない。
 実際に統治を行うのは、各地に存在する王国や諸侯国の役割で、むしろ神王がそうした各国の統治活動に積極的に口を出すことは少ない。現実問題として、神王から何がしかの意見や要請があった場合、オリジンのどの国家であろうともそれを軽んじることは出来ないほどの権威が神王にはあり、諸侯達からも深い忠誠を捧げられてはいるが、基本的には象徴として君臨するのみである。


 ともあれ、そうしたオリジン諸国家のうちには、いくつか騎士団という武装勢力が一定の領土を治めている騎士団領が存在している。エルフェンバインから見て西側に勢力を持つティカル騎士団もそうした勢力の一つだ。
 公選で選ばれる騎士団長をトップに置き、国民皆兵の強烈な軍国主義を採る精強な一団である。古くからゴスゴール山脈を主な根城として殺戮をその性とする魔物、レッドキャップや、西にある嵐の海から来る魔王達と激戦を繰り広げてきたこともあり、現在でもその武名は高い。


「つまり、物騒な連中の根城が近くにあるからこの辺はある程度は安全ってことだ」
 エルフェンバインから西へいくらか離れた街道、ティカル騎士団の勢力下まで徒歩で半日ほどの距離に、一台のエアロダインが止められている。その運転席のコンソールで車体の各部をチェックしながら、ローレンは現在地についての軽い解説を締めくくった。
 すっかり落ち着いた様子のあさひはエアロダインの後部シートに腰を下ろし、ふむふむとそれに頷いている。


 エルフェンバインを脱出してからエアロダインを走らせること二時間ほど。ここまで来れば落ち着いて休めるだろう、との判断で街道脇にエアロダインを止めたのがつい先程。
 ローレンはエアロダインの再チェックを行うとのことでコンソールにかじりつき、サペリアは一度辺りを見回ってくると言い残してふらりとどこかへ行ってしまった。シアルは先程からローレンに険しい目付きを向けながら、あさひにぴったりと寄り添っている。
 フェルゲニシュは近くの木立に背を預けて腰を下ろし、休んでいる。傷は大丈夫かとあさひが尋ねたところ、メシを食って休んでればじきに治る、との返答で、その言葉通りに懐から取り出したチーズの塊を口の中に放り込み、彼はニヤリと笑ってみせた。
 あさひも一口分けてもらった茶色いそれは、オリジン北部を本拠とするヴィーキングと呼ばれる人々の作るもので、ねっとりとした口当たりとキャラメルのような風味を持っていた。あさひの知るチーズとはいささか趣の異なるものだったが、素直に美味しいと思い、それを口に出して礼を伝えたところ、フェルゲニシュは何も言わずに顔を歪めてみせた。龍の表情は人間のそれとはだいぶ違うが、それでも照れているのだと知ることが出来た。くすりと笑ってもう一度礼を言い、あさひはその場を後にした。


 ここまでの移動中に、各自の簡単な自己紹介などは終えてある。自身がVF団であることを伏せたままにしようとしていたローレンが、シアルによってあっさりと暴露されるというハプニングもあったが、VF団というものについてイマイチ理解の及んでいないあさひの反応は薄く、サペリアも「ふーん」の一言で済ませてしまっていた。フェルゲニシュからはやや剣呑な雰囲気が感じられたものの、その場でなにか言うつもりは彼にはないようだった。


「お待たせー。周辺の安全確認終了っ。グレズも追ってきてないみたいだし、野生のモンスターとかモヒカンとかもいなかったよ」
「モヒカン……?」
 見回りから戻ってきたサペリアの言葉にあさひは首をかしげるが、おそらく自分の知らない危険な動物かなにかをオリジンではモヒカンと呼んでいるのだろうと結論付ける。時間があるときにシアル辺りにでも聞いてみることにして、些細な疑問は一旦棚上げにした。
「おーい少年。いつまでも機械いじってないでちょっとこっち来なよ」
 少し考え込んだあさひを余所に、サペリアが運転席のローレンを呼ぶ。呼ばれたローレンはといえば、面倒くさそうな顔つきでサペリアを一瞥したものの、すぐに立ち上がって運転席から降り、フェルゲニシュの傍で待っているサペリアの方へと歩き出す。一拍遅れて、あさひとシアルのコンビもそちらへ足を向けた。


 フェルゲニシュが近辺から持ってきた適当な石を椅子替わりにして五人が車座になる。口火を切ったのはそのフェルゲニシュだった。
「さて、改めて各自の立ち位置の確認から始めようか」
 一旦言葉を切り、ぐるりと全員の顔を見渡す。


「神炎同盟、アムルタートの冥龍皇イルルヤンカシュ様の命により、エルフェンバインに降りるフォーリナーとの接触と保護、並びに出現の予見されるダスクフレアに対抗するためにやって来た。フェルゲニシュだ」
「ダスクフレアが確認されてんのか?」
 聞き流すことの出来ない単語に対してローレンから疑問が飛び、フェルゲニシュは重々しく頷いてみせた。
「イルルヤンカシュ様の姉上、ナンナル様よりの啓示だそうだ。『木蓮の都に界を渡りて星が落ちる。それに伴い鋼が動き、夕闇を招き寄せる』とな。実際にダスクフレアの出現が観測されたわけではないが、ナンナル様の啓示は滅多にあるものではなく、それ故に重大かつ確度の高い情報だと俺は踏んでいる。」
「そうか。……ああ、悪い。続けてくれ」
 ローレンがそう言って促すが、フェルゲニシュとしてはとりあえず最初に言うべきことは言ってしまっているので、サペリアに目で合図を送る。


「サペリアさ。古い知り合いに、エルフェンバインに現れるフォーリナーを助けてやってくれって頼まれてね」
 彼女はあさひの顔を見てにやっと笑い、
「なんでもそいつの言う事にゃ、そのフォーリナーはあたしと運命の糸で結ばれてるんだってさ」
「うええっ!?」
 当然、慌てふためいたのはあさひである。
「う、運命の糸っ!? い、いやあたし、女同士はちょっと! サペリアさんは綺麗だしスタイルいいし、楽しい人だとは思いますけど、その、あくまでお友達としてですね……!?」
「あっはっは! 運命ってのはそういう意味じゃないよ。まああたしはどっちでもイケる口ではあるけども、少なくともさっきのは別段愛の告白じゃないから安心しなよ」
「は、はあ……。そうですか……」
 分かりやすくパニくるあさひに、笑いながら誤解を解くサペリア。微妙に問題発言が混じっていた気がしたが、恥ずかしさやらなにやらで混乱しているあさひはその辺りに気付かずに流してしまう。
「ま、あたしからはそんなとこかね。じゃあ次いってみようか?」


「VF団のエージェント。ローレンだ。上からの命令で任務のためにエルフェンバインに来た」
 やや仏頂面で、簡潔に言い放つローレン。これ以上は言うことはない、とばかりに口をつぐんだ彼に向けて、とげを含んだ視線とともに言葉をかけたのは、あさひの隣に座るシアルである。
「任務の内容をお伺いしたいのですが?」
「いちいちバラすと思ってんのか?」
 シアルの顔すら見ずにローレンが即答する。が、シアルに諦める様子はない。
「私にはあさひを守る義務があります。VF団があさひを利用しようというのなら、それを看過する訳にはいきません」
「利用しようとしてんのはお互い様じゃねえのか? アニマ・ムンディはMTのライダーがいなきゃただの人形だろ。だからそいつをライダーに仕立て上げようとしたんじゃないのか? まあ、それすらもできなかったみたいだけどよ」


 平坦に言い放たれたローレンの言葉は、絶大な威力を持っていた。言い返すことすらままならず、全身を硬直させるシアル。その気配を感じたあさひが、ローレンをきっと睨みつけた。
「ちょっとロー君。今のは言い過ぎだよ。シアルはあたしが助かるためにMTに乗るよう言ってくれたんだから」
「……おめでたい台詞だな。つーかロー君ってな何だよ」
「ローレン君、ってちょっと言いにくいし……」
 にへら、と笑うあさひをしばし見返すローレンだが、やがてふい、と視線をそらした。勝手にしろ、と小さく呟いてそのまま黙ってしまう。
「シアルもあんま気にしなくていいからね。ロー君は生意気盛りの男の子なんだから、あんまりつっかかっても大人気ないよ?」
「おい待てコラ。何を自然な流れで人をガキ扱いしてんだ」
 美しい金髪を梳かすようにシアルの頭を撫でながらのあさひの台詞に、言葉をかけられた当人より先にローレンが反応した。
「えー。だってねえ。ロー君今幾つ?」
「……十三だよ」
 苦虫を噛み潰した顔のサンプルにしたいくらいの表情で答えたローレンに向かい、あさひはぱん、と手を打ち鳴らして我が意を得たりとばかりに満面の笑みになる。
「あたしのほうが四つも上じゃない。素直にお姉さん達に甘えてもいいのよ?」
 冗談めかして言ったあさひの言葉に、ローレンは深々と溜息をついてそっぽを向いた。
「もういいから話進めろ。アタマ痛くなってくる」
 予想外につっけんどんな態度にちょっと弄りすぎたかな、と軽く反省するあさひ。ともあれ、確かにいつまでも話を停滞させているわけにもいかない。改めての自己紹介を済ませていないのはあとは自分とシアルだけなのだ。


「ええっと、地球から来ました、雪村あさひです。フォーリナー? というやつらしいです。……とりあえずそれくらい、かな?」
 こくん、と首を傾げて少し思案した後、シアルの肘でつついて彼女の言葉を促す。
「シアルです。フォーリナー専用MT『シアル・ビクトリア』の専用アニマ・ムンディとして製造されました。現在はあさひの所有物です」
「ちょっとシアル。所有物とか言わないでよ」
 現代日本で生まれ育ったあさひからすればあまりに価値観の埒外にある台詞に、思わず口を挟む。突っ込まれたシアルはといえば、あからさまに肩を落として落ち込んだ様子を見せた。
「……そうですね。結局わたしはMTの制御に失敗したどころか、ライダーであるあさひに逆に守られてしまうような欠陥品ですから。捨てられてしまっても文句の出ようなどありません」
「いやだから、そういう事じゃなくてね?」
 どう言えば分かってもらえるのだろうか、と内心で頭を抱えたあさひに、そのとき意外なところから救いの手が差し伸べられた。

「モナドリンケージの失敗については、そこのポンコツのせいとは言い切れないぜ」

 あさひはきょとん、とした表情で今の台詞の出所を見つめる。あさひの視界の外では、シアルも同じような表情でそちらを見ていた。目をぱちくりさせている二人に代わって、言葉の真意を問いただしたのはフェルゲニシュである。
「どういう意味だ、ローレン?」
 どうもこうもねえよ、とローレンは肩をすくめ、フェルゲニシュにぴたりと目線を据える。
「この件にダスクフレアが絡んでる可能性が高いっつったのはアンタだろ、オッサン」


 ぴくり、とフェルゲニシュの口許が動き、その内側の牙が一瞬だけのぞく。真意を探るようにローレンをじっと見つめる彼に代わって、今度はサペリアが口を開く。
「つまり、シアルちゃんがMTを呼ぼうとしたときに、ダスクフレアが横槍を入れた?」
「多分な。あさひが反応しなきゃ、俺も気付かなかったかもしれねけどよ」
 話の流れについていけずぼけっとしていたあさひが、唐突に出てきた自分の名前に、あたし!? と驚いて自分の顔を指してみせる。
「モナドリンケージに失敗した後、言ってたろうが。なんか変だ、MTの周りに黒い何かが見える、ってな」
 ローレンの台詞に、そう言えば、とあさひはぽんと手を叩き、フェルゲニシュが喉の奥から唸るような声を出す。
「プロミネンスか……!」

「……ところで、そのプロミネンス、って何?」
 深刻そうな表情のフェルゲニシュやローレンとは対照的に、ごくあっけらかんとした様子であさひが疑問を口にする。
「ダスクフレアという存在については少しお話しましたね? そのダスクフレアが身に纏い、世界を侵食する力。これをプロミネンスと呼びます」
「つまり、あたしがあの時見たのはそのプロミネンスで、ダスクフレアがあのときMTを呼ぶ邪魔をしたってこと?」
 おそらくは、と神妙な表情で頷いてみせるシアル。あさひは腕を組んで少し考え、
「それは、あたしがフォーリナーだからなのかな?」
「……断言は出来ませんが、可能性はかなり高いと思われます」


 そっかー、と再びあさひは考え込む。数瞬の静寂が場に満ち、そしてそれを渇いた音が打ち破る。ぱん、と手を打って全員の注目を自身の方へ向けさせたのはフェルゲニシュだ。
「ともあれ、ダスクフレアの蠢動はほぼ確定的と見てよかろう。であれば、今後ダスクフレアの干渉を受けるであろうあさひを守り、ダスクフレアの正体を探ってこれを討つ。少なくとも俺はそう動く。そちらはどうする。VF団のエージェント殿?」
「何でまず俺に聞くんだよ。……まあいい。ダスクフレアは我らがヴァイスフレアの理想を阻むものだ。言われなくてもブチのめしてやるよ、神炎同盟の戦士殿」
 試すような色を含んだフェルゲニシュの言葉に、ローレンが挑発するように笑って返す。

「やれやれ。男の子はしがらみが多くて大変だね、まったく。まあ、あさひちゃんはあたしの運命の人だからねえ。キッチリ守ってあげるよ」
 ぽん、とあさひの頭に手を置いて、サペリアがからからと笑う。
「その運命の人ってのはやめてよー、サペリアさん。……でもちょっと安心したかな」
 うん? と小首を傾げたサペリアのほうを見て、あさひは少し笑う。
「実はシアルにVF団に気を許すな、ってこっそり言われてたから。でも、ロー君は悪い子に見えなかったし。だからほら。あの子が悪い奴をやっつけるのに乗り気でよかったなあ、って」
「あさひ、それは……」
 何事か言いかけたシアルの頭に、あさひに載せているのとは逆の手をサペリアがぽんと乗せる。
「まあ、VF団が物騒な連中だってのは確かだけどさ。シアルちゃんはあさひちゃんが大事だから色々気を使ってるんだよ。その辺は分かってやりな」
「それはもちろん!」
 にっこり笑ってあさひが頷くと、サペリアも満足そうに笑った。シアルはまだ少し複雑そうな顔をしていたが、あさひに笑いかけられて、仕方ないなあ、という風情で微笑んでみせた。



Scene10 溝

「あー、ごめん。ちょっと花摘みに行ってくる」
 あさひがそう言って立ち上がったのは、フェルゲニシュとローレンの精神衛生上良くなさそうなにらみ合いがしばらく続いてからのことだった。
「はあ? あのなあ。この辺が比較的安全っつってもヤバいのがいない訳じゃねえし、何よりダスクフレアに狙われてるかもしんねーんだぞ? そんなに花が欲しけりゃ脳内のお花畑ででも――」
 あからさまに馬鹿にした様子でまくし立てていたローレンが唐突に黙る。なぜかといえば一目瞭然で、フェルゲニシュがその大きな掌でローレンの顔面を鷲掴みにしているからである。
「気にするな、行って来い。ただしあまり遠くまで行かないように。あと……」
「あたしがついてくよ」
 ひょい、とサペリアが立ち上がってあさひの横に並ぶと、フェルゲニシュは何も言わずにローレンの顔を握ったままの方とは逆の手を振って見せた。
「ありがと、サペリアさん。じゃあフェルさん、ちょっと行って来ます」


 あさひはフェルゲニシュに手を振ると、サペリアと並んで街道脇の雑木林の中に入っていく。フェルゲニシュはそれを見送った後、照れ臭そうに顎の下を爪で掻いた。
「ふふ。フェルさん、か」
 そう呟いたフェルゲニシュの頭部に、先ほどまであさひが座っていた石が突如として浮かび上がり激突した。大した速度は出ておらず、頑強な龍の鱗は傷一つつかなかったが、それでも衝撃でフェルゲニシュは片手に掴んだままだったものを離してしまう。すなわち、ローレンの頭部を、だ。
「なーにが『フェルさん、か』だコラ! いつまでも人の頭鷲掴みにしてんじゃねえぞ!」
 先ほどの石はどうやらローレンが手を触れずに持ち上げてぶつけたらしい。怒り心頭といった様子のVF団エージェントを、アムルタートの龍戦士はふっと鼻で笑った。
「わめくな未熟者」
「ンだと?」
 ローレンがぎろり、と睨みつけるのも何処吹く風。やれやれ、といった雰囲気を隠そうともせずにフェルゲニシュが肩をすくめて見せる。
「婦女子がああいう物言いをしたらはばかりだと相場は決まっている。それぐらい察してやらんか」
「……はばかり?」
 毒気を抜かれた様子で首を傾げるローレン。
「ご不浄、厠、用足し。いわゆる生理現象としての排泄のことです」
 あさひにはついて行かず、その場で黙ったままことの展開を見守っていたシアルが淡々とした口調で解説を入れる。
「あ、あー……」
 今のローレンの表情に題名をつけるのなら『納得と気まずさの二重奏』だろうか。


 それこそサビの来た機械のような動きでぎしぎしと首を回したローレンの視線が雑木林の奥に向きそうになる。
「えい」
 感情の篭らない掛け声とともに、シアルがローレンの顔面めがけて下方から手を突き出した。明らかに目潰しを目的とした、容赦無用の三本抜き手である。すんでのところでローレンが仰け反ってそれをかわし、シアルがごく小さく、ちっと舌打ちする。
「何しやがんだこのポンコツが!」
「あなたこそ何を見ようとしたのですかこの変態が」
「ばっ、ち、ちげえよ! ってか何も見えるわけねえだろ!?」
「先ほど見ようとした方向に見えるとマズいものがあったというのですか? 今のは覗き未遂の自白ととってもよろしいのでしょうか」
「だから違えっての!」
「さて、どうなのでしょうね。あなたは透視ぐらいはやってのけそうな気がするのですが。パンデモニウムの超能力者スペリオル?」
 先ほどから変わらない無表情のまま、シアルの声に含まれた敵意だけがその濃度を増す。釣られるように、ローレンの纏う空気も剣呑なものへと変わっていく。先ほどまで覗きの容疑をかけられて動揺していた少年の口許には、今は三日月のような笑みがある。


 二人の間にある緊迫感が弾け飛ぶ一瞬前に、二人の眼前を褐色の丸太のようなものが空気を抉り抜いて通り過ぎた。
「まあその辺にしておけ」
 野太い尻尾を思い切り振り抜いたフェルゲニシュが口元を歪ませて牙をのぞかせる。別段威嚇しているわけではなく、彼なりの笑顔である。


 しばらくそんな龍人を見つめたかと思うと、ふ、と鼻から息を抜いてローレンはどっかと椅子替わりにしていた石に腰を下ろした。がりがりと頭をかいてから空を見上げ、そのまま独り言のように告げる。
「フォーリナーってな、みんなあんな感じなのか?」
「あんな感じとは?」
 さきほど振り回した尻尾を右へ左へ揺らしながら、フェルゲニシュが問い返す。
「危機感なさすぎだ。……そこのポンコツからVF団についてあれこれ吹きこまれてるだろうに、オッサンやポンコツみてえに俺を警戒する素振りも見せやがらねえし」
 ふむ。と顎をさするフェルゲニシュに代わって、鈴を転がすような声が彼の疑問に答える。
「全員が、というわけではありませんが、記録によれば、今まで現れたフォーリナーには似たような傾向が見られたようです。警戒心が薄く、戦慣れしておらず、戦乱にさらされたオリジンの人々に比べ、甘く、優しい。地球という孤界は、ここよりもずっと平和なのでしょう」
「なるほどな。文字通りに平和ボケってことか」
 視線を地面に落として吐き捨てるローレン。
「まあそれを補うためにシアルはこうしてローレンを警戒しているのだろう? だから、ローレンに対して釘を刺しておきたかった。同じくVF団に対して警戒心を持っている俺と同じくな」


 鋭い視線をシアルとローレンの双方に送りながら、フェルゲニシュが続ける。
「フォーリナーたるあさひは……まあ、このオリジンの情勢が今ひとつ分かっていないせいもあろうが、VF団と神炎同盟の関係にも今のところ無頓着だ。サペリアは……やつはひょっとしたらあさひ以上にそうした諍いには興味がないかもしれん」
「……どういうことだ? オッサンはあの女とは長いのか」
 やや歯切れの悪い口調のフェルゲニシュに、ローレンが首を傾げる。
「いや。エルフェンバインで偶然出くわしたのが初対面だ。そのまま目的地が同じようなので同行したのだが……。まあ、サペリアの件については俺の憶測だ。今は置いておこう。ともかく、だ。正面からVF団に対抗する意思と実行力を持つのが俺だけだから言っておくが、あさひを妙な陰謀に巻き込もうというのなら子供相手とて容赦はせんぞ」
 その時フェルゲニシュが全身から放った威圧感は、並みの人間であったなら意識を保つことすら困難であろうものだった。だが、それを受けてなお、ローレンは笑ってみせる。
「そっちだってフォーリナーを体よく利用するつもりんじゃねえのか? ……ま、別にいいけどな。どっちにしろまずはダスクフレアだ。そっちを何とかしないことには、オッサンとやりあう余裕はねえだろ」
 ローレンの言葉に、フェルゲニシュは重々しく頷き、視線をシアルへと移す。
「そういうことだ。思うところはあろうが、しばらくは我々は共闘することになる。無論、その間にも警戒を怠るつもりはないが、あまり正面きって衝突するのは自重してくれ」


「……はい」
 しばしの躊躇いのあと、シアルはこっくりと頷いた。ローレンがそんなアニマ・ムンディをまじまじと見て、ついで彼女にそうさせたアムルタートの方を見やる。
「意外に話が分かるんだな、オッサン。アムルタートってのは基本的に『コブシでナシつけてやる』って連中だと思ってたんだけどよ」
 しみじみと語るローレンに対し、フェルゲニシュが苦笑を漏らす。
「まあ否定はせんよ。俺はどちらかというと変わり種だからな。……それとは別に、お前さんに謝っておかねばならんこともあるしな」
「謝ること?」
 うむ。と深く頷いて、龍人はそのいかつい手で街道脇に止められたままのエアロダインを指さす。フェルゲニシュが叩きつけられた時に砕けたキャノピーは修理できず、オープンカーのような風情だ。
「あのエアロダインだが、お前さんのものなのだろう?」
「ん、ああ。行きは一人で潜入するアテがあったんだけどな。帰りは足が必要になりそうだったから、時間差で追いかけてくるように設定しといたんだよ」
 予想してたよりも到着が遅かったんで焦ったけどな、というローレンの言葉に、フェルゲニシュがぴくりと体を震わせた。


「……前面に凹みがあるな?」
 フェルゲニシュがエアロダインに向けた指を微かに動かし、そこを指し示す。
 確かに、車体の前面部にも大きな凹みがある。脱出の際、ローレンは神業的なハンドリングを見せて狭い通路を一度の接触もなく駆け抜けたのだが、何故かそこが凹んでいたのだ。まあ、ハイテンションになっていたので気づかなかったか、格納庫までの道のりでメタビーストか何かにぶつかったか、とローレンは思っていた。
「俺がエルフェンバインに入ってからすぐ後のことだ。にわかにメタビーストどもが騒がしくなり始め、その動きの流れを追って俺は市外の中央へと向かっていた」
 唐突にフェルゲニシュが語り始めたのは、さっきの一言とは特に関係ないように思える話だ。そんなふうに思うローレンの眼差しに気づいていないわけでもないだろうに、彼はそのまま話を続ける。
「とある曲がり角を曲がった時だ。突如としてこちらに走りこんでくる鉄の塊があった。知っているか? グレズの中にはネフィリムの連中が使うような四輪の車の形をしたものもいてな。てっきりそのたぐいかと思って……」
「おい」
 ローレンが話の途中で低く抑えた声を放つ。が、フェルゲニシュは気づかなかったようにそのまま話を続行。


「つい思い切り拳を叩き込んでしまってな。そのグレズと思しき機械は鼻っ面を凹ませて吹き飛び、俺はそのままそちらを見もせずに先を急いだわけだが……」
「おいコラ」
 再びのローレンからのツッコミに、やはりフェルゲニシュは反応しない。いや、よく見ると微妙に彼から目を逸らしているのが分かる。
「翻って、あのエアロダインをよく見るとだな。どうもあの時殴り飛ばした機械に似ているというかそっくりというかそのものズバリというか。いやはや、不幸な事故とはいえ、これは俺も一つ頭をさげるべきかもしれん、とな」
「エアロダインの到着が遅れたのはアンタのせいかよ!? もっと早くアレが着いてりゃもっと脱出も楽だったかもしれねえじゃねえかよ!」
 怒り心頭、といった具合でローレンが立ち上がり、拳を振りあげてフェルゲニシュに詰め寄る。


「いやだからすまんかったと思っている。これからは共闘関係になるわけだし、とりあえず過去の因縁はまとめて水に流すべきではないか?」
「一見して正論ぽいけどよくよく考えるとただの開き直りじゃねえかよ!」
「いちいち器の小さいことですね。謝罪を受けているのだから素直にそれを容れれば良いではないですか」
「お前もとりあえず俺に因縁つけたいだけじゃねえのか!?」


 うがー! とばかりに立ち上がって腕を振り回す若きエージェントの咆哮が街道沿いに響き渡った。




Scene11 両天秤


「……ん? 今なにか聞こえた? サペリアさん」
「ふうむ。その辺で野生動物がじゃれあってるんじゃないかな?」

 街道わきの雑木林の中、少し歩いて奥に入った場所から目的を済ませて他の三人のところへ戻る途中、あさひとサペリアはそんな会話を交わしていた。

「うーん、そういう感じじゃなかったような……? まあいっか。それよりありがとうね、サペリアさん。わざわざ付いてきてくれて」
 隣を歩くサペリアを軽く見上げながらあさひは歩く。身長差は丁度頭一つ分、といったところだろうか。あさひの身長が157センチ。大雑把に考えてもサペリアの身長は180センチ近い。女性としてはかなりの大柄である。まあ、あさひが基準として考えているのは日本人なので、オリジンではこんなものなのかも、とも思ってたりするのだが。


「気にしなくてもいいよ。それに、地球じゃこういう時は連れ立って行くのが習慣なんだろ?」
「いや、別に習慣ってわけじゃ……。確かに皆で行く場合って多い気がするけど。っていうかそんなこと誰から聞いたの?」
 オリジンの住人であるサペリアの口から地球の話題が出たこともびっくりだが、その内容もびっくりである。当然沸き上がってくるであろう疑問をあさひはサペリアにぶつける。


「前に、ちょいと別のフォーリナーと話をする機会があってね。そのときにさ」
「別のフォーリナー……。そっか。以前にも何人も来てるんだよね」
 いつの間にかあさひは足を止め、腕を組んで考え込んでいる。サペリアはそんな彼女を急かすでもなく、傍らに立って見つめていた。
「サペリアさん。そのフォーリナーは今どうしてるの?」
 サペリアはこの問いに対し、腕を組んで少しあさっての方向へ目線をやってから答えた。
「さてねえ。宝永のソバ屋で相席になって話を聞いただけだから、さ。今頃どうしてるんだかねえ。まだオリジンにいるかも知れないし、地球に帰ったかも知れない」


「……帰れるの?」
 恐る恐る、という風情のあさひの様子に、サペリアはからりと笑って言う。
「そりゃあね。ただまあ、どうやれば帰れるのかはよく分かっちゃいないんだ。偶然道が開いて帰れる場合もあるらしいし、フォーリナーが自力で帰った、なんて事もあるらしい」
 詳しくはあたしも知らないんだけどね、と肩をすくめてサペリアは話を結ぶ。あさひはややうつむき加減のまま、それを黙って聞いていた。


「……帰りたいかい?」
「それは! ……それは……」
 囁くようなサペリアの問いに、あさひがばっと顔を上げる。勢いのままに口を開き、しかし言葉を発する前にそれはつぐまれてしまう。


「あたしは……どうしたらいいんだろう……?」
 やがて、ぽつりと零れたのはそんな言葉だった。ぽん、とあさひの頭にサペリアの手が乗せられ、そのままくしゃくしゃと髪をかき回された。
「きゃ!? ちょっと、サペリアさん!?」
「あんたは真面目なコだねえ。ンなことでいちいち悩むなんてさ」
 あさひはサペリアの手から逃れようと身をくねらせるが、いかんせんリーチが違う上に妙にパワーのある彼女からなかなか逃げられない。
「だって、ダスクフレアっていうのは世界を作り変えちゃうんでしょ? そうなったらオリジンだけじゃなくて全部の世界がそれに巻き込まれるって聞いたわ。フォーリナーはダスクフレアに対抗出来る有力な候補の一つだってことも」
 抵抗を諦めてサペリアの為すがままになりながらあさひが言葉を紡ぐ。
「まあ、そりゃあそうなんだけどさあ」
 サペリアがあさひの頭を撫で回すのとは反対の頭で自分の頭をポリポリと掻く。そのまましばし言葉を探すように視線をあちこちに彷徨わせた。やがて、言うべきことが決まったようで、彼女はあさひの正面に回ってやや腰を落とす。丁度、二人の目線が同じ高さになった。


「あのさあ、あさひちゃん。あんたがオリジンに来たのは運命で、あたしと会ったのも運命なんだってさ」
 サペリアは常と変わらない飄々とした口調のままだったが、あさひは何故か口をはさむ気になれず、黙って彼女の話を聞いている。
「ただね、そう言ったやつがこうも言ったのさ。その先どうなるかまでは分かんない、ってね。だから別段、あんたが帰っちゃってもなんとかなるかも知んないよ? 実際、今までもダスクフレアは何度も現れて、その度に倒されてる。磁石で引きあうように現れる、カオスフレア達にね」


「カオスフレア?」
 シアルの話の中には無かった単語だった。思わず首をかしげたあさひに、サペリアが説明する。
「ダスクフレアには、星を落とす魔法使いも、山を割る剣士も、星の海を往く船も、精強な軍勢も、それだけでは敵わない。そこに、カオスフレアの力が必要なんだ。カオスフレアは万物との繋がりによってフレアの力を高め、そうして高められたフレアの輝き、コロナの力でダスクフレアのプロミネンスを打ち砕く。白銀の樹の如く立ち上がるコロナ“星詠み”。青空の如き翼を広げるコロナ“光翼騎士”。紅い宝石の如く輝くコロナ“執行者”。そして、金色の炎の如く燃えるコロナ“聖戦士”」


 四本の指を立てた手を軽く振って、サペリアはそれをあさひの目の前に突き出して見せる。
「カオスフレアの力はこの四つのうちのどれかに分類されるんだ。……あたしの場合は、銀の星詠み。フェルの旦那は、多分、青の光翼騎士かな。まだ確証はないけど。ロー君も分かんないね」
「みんな、そのカオスフレアなの!?」
 あさひの驚きを、やはりサペリアは軽く流す
「ああ。カオスフレアってのは、お互いに引き寄せられるそうだよ。そして、お互いに相手が『そう』だってのが何となくわかるもんでね。ついでに言うとね、あさひちゃんも多分そうだよ」
「あたしも……」
「あくまで多分、たけどね。あんたにそういう力の兆候はまだ見えないしさ。ただ、少なくとも今まで聞いた話で、フォーリナーがカオスフレアじゃなかったことはないらしいよ」
「だったらなおさら……!」


 勢い込んだあさひは、ただサペリアの視線にその言葉を止められた。ほんの一瞬だけ、彼女の顔から笑みが消える。
「あさひちゃんは確かにカオスフレアかも知れない。あんたが此処に来たのは、ダスクフレアが創世を行うことを止めたい、世界そのものや絶対武器の意思が絡んでるのかも知れない。そういうのをひっくるめて運命って言うのかも知れないさ。けどねあさひちゃん。あたしは、そういうものにただ従うより、自分自身の意思を貫くやつのほうが好きだね。そういう連中を見てるのがあたしの生き甲斐なんだ。だからあんたも好きにすりゃいいのさ。唆した以上は、出来る範囲であたしもケツ持ってあげるよ」
 にやりと笑ってウインクを一つ。そうしてから姿勢をもとに戻し、腰をトントンと叩いてみせた。

「サペリアさん……」
 こちらに背中を見せて、街道の方へと向かって行くサペリアを目で追い、そしてあさひは小走りに駈けて彼女の隣に並び、雑木林の外へと歩いてゆく。そこで彼女らを待っているだろう、運命が引きあわせた残る三人のところへ。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑤ はじめての夜
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:22
Scene12 都で何が起こったか


 ティカル騎士団、第八近衛歩兵軍団。通称を『煌天騎士団』。
 騎士団がいくつか抱えている常設軍の一つであり、精強をもってなるティカル騎士団の中にあっても特に意気高く勇猛な一団として知られている集団である。
 また、他に知られた特色として、彼らは領内から集められた孤児で形成された師団であることが挙げられる。
 ティカル騎士団は長らくレッドキャップや魔王たちと戦いにおいての最前線であったこともあり、当然、戦による死者も多かった。戦災孤児に対する補償は、そんなティカル騎士団領において特に重視されている政策の一つである。
 国家よりの補助を受け育った子供達は、長じてその恩を返すため、または自分達と同じ境遇の子供達を少しでも減らすため、戦いに身を投じていくのだ。兵役を受けないものに参政権を与えないティカル騎士団領とは言え、そうした孤児出身者の軍務に対する熱意は比類ないほどに高く、すなわち、それは彼らの集団である煌天騎士団の戦力の高さを裏打ちしていた。


「と、まあ、我々に関してはこんなところでしょうか」
 たくましい軍馬にまたがり、ゆるゆると進むエアロダインと並ぶようにその馬を歩かせている青年が愛想のいい笑顔とともに説明を締めくくった。
 煌天騎士団、第三中隊長サルバトーレ・メッツォ。
 とりあえず、近隣の人里まで行こう、ということでエアロダインで西へと向かっていたあさひたち一行の前に現れた、完全武装の一団。それを率いていた青年の名乗った肩書きである。
 彼らは領内やその周辺において、北から来るレッドキャップや、東のエルフェンバインにいるグレズ達に対する備えとしての巡回任務から戻るところだったのだという。
 その途中で行き会った、あちこちへこんだり壊れたりしているエアロダインにあからさまに過積載の状態で乗っている五人を見かけ、近くの町までの護衛を申し出てくれたのだ。


「しかし災難でしたね、メタビーストの群れに襲われるとは。確かに最近、連中がこちらへやってくる頻度が上がっていて、我々の方でも警戒はしていたのですが……。申し訳ありません」
 実に真摯な態度でサルバトーレが馬上で頭を下げてみせる。
「気にしなさんなって。あんたはちゃんとお仕事してるんだからさ。しかもあたしらからすりゃあ、わざわざ護衛までしてくれるってんだから文句なんざ出やしないよ」
 からからと後部ボンネットにあぐらをかいたままサペリアが笑う。サルバトーレが「ご婦人をそんなところに座らせたままにするわけには!」と彼らの隊で保有している馬車に乗るよう勧めたのだが、本人は全く意に介さずその場に座ったままだった。
「全くだ、サルバトーレ殿。ご迷惑をかけているのはこちらなのだから、貴殿が頭を下げる必要など皆無だろう」
 エアロダインの後ろをのしのしと歩きながらフェルゲニシュが続く。彼も馬車に移るようサルバトーレに勧められたのだが、いい運動になるから、と徒歩での移動を選んでいた。


 そもそも、グレズの巣窟たるエルフェンバインに突入してきた帰りであり、彼らがグレズと戦った経緯にはサルバトーレの責任など砂粒一つ分も存在しないのだが、その辺の事情はおくびにも出さずに二人は人の良い中隊長と会話のやり取りをしていた。そういうところは、運転席に座るローレンや、定位置であるあさひの隣にいるシアル辺りも同じことで、全く表情に出さない。が、あさひだけは少々別だった。
 サルバトーレが申し訳なさそうにしたり、謝ったりするたびに罪悪感がちくちくとあさひの胸を刺激するのだ。とは言え、あさひがエルフェンバインにいたことに彼女自身の意思は関わっていないのだから、彼女にも責任はないのであるが、なんとなくバツの悪い気分になってしまうのはどうしようもなかった。


「ああ、見えてきましたよ、皆さん。あれがウェルマイスの街です」
 悶々としていたあさひの耳に、前方を指さすサルバトーレの声が飛び込んでくる。顔を上げた視線の先、確かにそこに街が見えた。遠目から見ても分かる、レンガ造りの街並み。
 近づくにつれ、そこが確かに人の暮らす街なのだということが分かってくる。丁度夕餉どきなのか、家々からあがる炊事の煙。窓際に干された洗濯物や、石畳の街路を走りまわる子供たち。外観はヨーロッパの古い町並みが一番近いだろうか。本や映画の中でしか見たことがないような風景でありながら、そこに漂う、どこかノスタルジックな雰囲気と確かな生活感をあさひは受け止めていた。

「おおー……」
 エアロダインの座席から身を乗り出してきょろきょろとあたりを見回すあさひに、サルバトーレが微笑ましげな視線を送る。
「どうやら気に入って頂けたようですね?」
 そう声をかけられたことで我に帰ったあさひは、おのぼりさん全開な自分の行動に気がついて思わず赤面し、そそくさと座席に座り直す。
「いやあ、あたしの故郷とは随分雰囲気が違うもんだからつい……」
 照れくさそうにぽりぽりと頭をかいて、誤魔化し笑いをする。そして、改めて周囲の風景をぐるりと眺め、
「でも、なんかいいなあって思います。上手く言えないけど、すごく、人が生きてるって感じがするって言うか……」
 そんな風に異世界の街並みに対する感想を述べた。
「そうですか。ありがとうございます」
「……? 何故、あなたがお礼を言うのですか?」
 ニコニコと笑みを浮かべる馬上のサルバトーレに、こくんと首をかしげてシアルが問いかけた。
「そりゃあまあ、ここは私の故郷ですから。ふるさとを褒められて嬉しくない人はそういないでしょう?」






 街に入ってから少しして、あさひ達一行はサルバトーレ率いる第三中隊と別れ、彼らの紹介してくれた宿屋に入っていた。受付で対応してくれた中年の女性はサルバトーレと個人的に知り合いだったらしく、彼からの紹介で来たというあさひ達に対して実に好意的に接してくれていた。
 中年女性がお喋り好きなのは地球でもオリジンでも変わりはないようで、宿の一階部分にある食堂で手料理を振る舞いながら、彼女はサルバトーレがこの街の出世頭の一人だということを我が事のように誇らしげな様子であさひ達に語って聞かせていた。


「せんだってもねえ、機械で出来た動物……なんてったっけ? ああそうそれ、グレズだね。そのグレズが町の近くまで群れで来たことがあったんだよ。その時もねえ。トト坊が部隊を率いて駆け付けて、ん? トト坊って誰かって? いやだよまったく。アンタたちをここへ連れてきたサルバトーレ坊やのことさ! え、ああ。トト坊が部隊を率いてやってきたとこまでだっけ? そうそう。それで部隊は獅子奮迅の大活躍さ! 見事に連中を追っ払ってくれたんだよ。いやあ、ホントに立派になったもんだよ。ついこないだまでその辺を走りまわってる悪タレ坊主だと思ってたのにねえ」

 
 立て板に水、というより速射砲のごとく繰り出される女主人のお喋りに半ば以上圧倒されていたあさひ達一行だったが、それまでサイズの合わない人間用の食器を実に器用に使いつつ、黙って食事をしていたフェルゲニシュが女主人の勢いを遮るように声を上げた。
「失礼、女将。そのグレズがこの街周辺に来たというのはいつ頃の話だろうか?」
 地元の英雄自慢を滔々と語っていたところにこれは予想外の質問だったのだろう。僅かの間、きょとんとした表情を見せた女主人は、それでもすぐに表情を取り繕う。このあたりはいかに下町気質の親しみやすいおばさん、といった風情であっても、最近まで異世界人の排斥派が主流だったティカルにおいて、龍人形態のアムルタートに対して物怖じしない態度を見せることと併せて、彼女がたくましい商売人であることを伺わせた。
「そうだねえ。ざっと半月前かね。トト坊の部隊がこのへんに来るのもだいたいそれくらいのサイクルだからねえ」
「ここ最近、グレズの動きが活発化しているとサルバトーレ殿は言っていたが、やはりそうなのだろうか?」
「街の近くまで来たのは半月前が初めてかねえ。街から離れたところでどうなってるのかは、あたしらにゃ分からないけどねえ」


 やや首をかしげて答える女主人にフェルゲニシュは短く礼を述べ、食事に戻る。
 その後も女主人はいい調子で郷土自慢を続けていたが、真正面からそれに対応していたのはあさひとサペリアくらいで、残る三人は適当に相槌を返しつつ、時折考えこむような素振りを見せたあと、互いに目配せを交し合っていた。




「どう思う?」
 宿屋の二階。男女に分かれて宛てがわれた二部屋のうち、男部屋に五人が集まるやフェルゲニシュが口にした言葉である。
「……今まで無かったことが起こった。そこだけ考えると繋がりはありそうだな」
「ですが、半月のタイムラグがあるのはやはり気になる部分です」
 打てば響くように、ローレンとシアルが答えを返す。


「……え? え? 何の話?」
 話についていけない風情で、きょときょとと三人の顔を順繰りに見回すあさひの頭に、ぽんと誰かの手が乗せられる。
「さっき、女将さんが話してたグレズの話さ。連中がダスクになった例だってあるからね」
 見上げたあさひの視線の先にあるのは、唇の端を歪めてみせるサペリアだ。ああ、と得心がいって手を打ち合わせるあさひを横目に話し合いが続けられる。


「基本的にグレズを群れで束るにはグレズの統合意識を以てするのが一番手っ取り早い。メタロード級のグレズが動き出していると考えるのが妥当だろう。それをダスクフレアと結び付けられるかどうかはまた別の話になるだろうがな」
「あたしとしちゃあ、あさひちゃんとシアルちゃんを前にしてディギトゥスが止まったのが気になるね。龍皇の予言もあることだしさ、グレズが今回の件に関わるダスクか、そうでなくても問題の中枢に近いところに関係してくるのは間違いないんじゃないかい」
「あの時ディギトゥスが停止した理由は私にも分かりません。原因がこちらにあるのか向こうにあるのかも不明です。ダスクフレアの正体が何であれ、グレズと多少なりと関わりがある可能性が高いことは否定しませんが、ディギトゥスの件に関しては一時棚上げもやむ無しかと判断します」
「ともかく、この街周辺で見られたグレズの活動については俺の方のツテで探りを入れてみる。ダスク絡みなのか、全くの無関係に偶然群れが来たのか推測する材料ぐらいは見つかるかも知れねえ」


 二つ置かれたベッドの中間でローレンとフェルゲニシュが椅子に腰掛け、サペリアとシアルがベッドに腰をおろす形でそれに向かい合い、議論が続いている。
 しばらく続いた話し合いのさなか、ふと、その途中でシアルが振り返った。
「どう思われますか、あさ……」
 ひ、と続くはずの言葉が空中に溶けて消える。そちらを向いたまま固まっているシアルに釣られるように、他の三人の視線が動く。
 シアルとサペリアが腰掛けていたのとは違うベッドの上、その隅っこで、膝を抱えて背中を丸めたフォーリナーが座り込んでいる。


「あ、あの、あさひ?」
 いいのきにしないであたしおとなしくしてるからみんなでさくせんかいぎしてて。
 恐る恐る声をかけたシアルに対して、あさひはそんな風に棒読みで答えた。
 だいじょうぶあたしこういうときはやくにたたないからちゃんとしずかにまってる。
 さらに棒読みで言葉を重ねるあさひを真正面から見つめ、ここに至ってシアルはあることに気がついた。身を起こして部屋の中をぐるりと見回す。さして広くもない部屋の中のことである。すぐにそれは見つかった。


「……酒瓶……」
 部屋の真ん中に鎮座したテーブルの上に置かれている瓶。栓は既に抜かれていて、傍らに置いてあるコップに使用された形跡がある。再びあさひに視線を戻す。
 わたしってばなにもしらないやくたーたずー。るーるーるーるるーるるるーるーるー。
 色々な意味で危険だった。
 更に視線を巡らせる。
 面倒くさい、関わり合いになりたくない、という表情を隠そうともしていないローレン。
 いつの間にかあさひの背後に回りこみ、ボリューム満点のバスト――本人の申告するところによると、ネフィリムの単位で言えば1メートル越え、とのことだ――をあさひの頭に載せて、元気だせよー、と笑うサペリア。
 そして、巧みにシアルと視線を合わせまいとするフェルゲニシュ。
 この時点でシアルは犯人に当たりをつけた。つかつかと龍人のもとへ歩み寄る。


「いやあ、寝る前にでも一杯やろうと思って女将に頼んでおいたのだが、まさかあさひに飲まれてしまうとはなあ、はっはっは」
 シアルが温度の感じられない目付きでフェルゲニシュを見る。次いで、行きがけの駄賃に引っ掴んできた酒瓶を見る。
 漂ってくる香りからしておそらく果実酒。それもどちらかというと甘口の、酒であることをあまり感じさせない口当たりの良いものだ。瓶には銘柄を示すラベルもはられているが、異世界人たるあさひに銘柄からこれが酒であると察しろ、というのも酷な話だろう。フェルゲニシュに対してこれはお前のせいだ、というのはそれと同じレベルの話である、ともシアルは思った。


 深々と溜息を付き、酒瓶をフェルゲニシュに押し付けてくるりと踵を返す。そして見える状況はまるで好転していない。むしろ酷くなっている。
「あさひちゃん面白い酔っ払い方するなあ! でももっとテンション上げてみようじゃないのさ!」
「もう今日はいいからお前ら自分の部屋に帰れよ……」
 あさひと違って素面のくせに酔っぱらいにしか見えないサペリアがゲラゲラと笑い、その横でローレンが心底うんざりした表情を浮かべている。
「まあ酷い、聞いたかいあさひちゃん。ロー君はあたしらが邪魔らしいよ!?」
「あなた達、事態をややこしくしないで下さい!」
 るーるるるるーるーるーるるるー。




Scene13 正しい選択


 雪村あさひは考えていた。
 既にすっかり酔いは醒め、思考は普段の様相を取り戻している。お酒だと知っていたら飲まなかった。飲まなきゃよかったと思うが、もっと飲んでおけばよかったかも、とも思う。度を越した飲酒は、時として飲んだ人間の記憶を消し飛ばすという。どうせならそれくらい酒に飲まれてしまいたかった。酔っていた自分の言動の全てを克明に記憶しているのがいたたまれない。


「うう……。不覚……」
 口の中でそう呟いて、寝返りを打つ。既にあさひはベッドの中にいる。部屋の明かりは落とされ、隣のベッドにはシアルが寝ているはずだ。同じ部屋のサペリアは、しばらく前に夜の散歩とうそぶいてふらりと部屋を出て行った。
 すぐに戻る、と言っていたし、何よりあさひは彼女の力をエルフェンバインで見ている。少なくともその辺のチンピラにどうこうできるような相手ではなく、あまり心配もしていなかった。


「ねえシアル。起きてる?」
「はい。どうかしましたか、あさひ?」
 
 なんとなく寝付けずに発した問いに、すぐさま答えが返ってきた。しかし、特段何か話があったわけでもない。少しあさひは考えこみ、
「ええっと、さっきはごめんね、なんか見苦しい事になっちゃって」
 既に何度か繰り返した話題を口にする。そのたびごとに、シアルは気にするな、とか色々あって疲れているのだから仕方ない、というような事を言ってあさひを慰めていた。
「いいえ。私の方こそ、あさひに謝罪しなければいけません」
 だが、今回はそうではなかった。
 窓から差し込む月明かりにぼんやりと照らされて、寝台の上で上半身を起こしたシアルがあさひの方を見つめている。あさひも同じように体を起こし、彼女と視線を合わせる。
 柔らかな月光に浮かび上がるシアルは、同性のあさひから見ても息を飲むほどに美しい。数瞬、あさひは呼吸も忘れてシアルに見入っていた。


「私はアニマ・ムンディです。アニマ・ムンディとは、戦うための人形なのです」
 それは、昼間にローレンが口にした言葉だった。それを繰り返すシアルの表情には、深い苦悩が刻み込まれている。
「あのVF団員が言ったとおりです。モナドライダーがいなければ戦人形としてのアニマ・ムンディに価値はなく、そして、きっと私はそれ故にあさひのものになろうとしたのです」
「でも……」
「あまつさえ」
 シアルの言葉に反論しようとしたあさひの言葉が、静かな、しかし有無を言わさぬシアルの声に遮られる。
「私は戦うことにすら失敗しました。あれから何度も『シアル・ビクトリア』との接続を試していますが、一向に繋がりません」
 シアルの表情は仮面が張り付いたように不動であり、その声は凪の湖面の如く揺らぎがない。
「あさひ、あなたはご自身を役立たずだとおっしゃいましたが、何のことはありません。一番の役立たずは他ならぬ私です」
「……シアル……」
 あさひの声に滲む気遣わしげな色に気付いたのだろう。シアルが表情を和らげ、微かに微笑んでみせる。
「心配して頂く必要はありません、あさひ。……いいえ」
 声に僅かな逡巡を滲ませて、シアルが言葉を区切る。
「心配していただく必要を、なくしましょう」


「……どういうこと?」
 こちらへ向けたシアルの無表情に、何故かあさひの胸の内がざわめく。
「あの地下工廠で、私があさひにMTに乗るようお勧めした理由に、あなたが自身の絶対武器を使えていない様子だったこと、その時の状況が、戦力を必要とするものだったことがあります」
 私の思惑についてはこの際置いておきます、と自嘲気味に付け加え、更にシアルは言葉を重ねる。
「現状を鑑みるに、あさひが絶対武器をまだ使えない事には違いありませんが、あなた自身がMTを必要とするほど切羽詰まってはいません。あの三人にはそれぞれの事情があるようですが、それだけにあなたを守ってくれるでしょう。いずれはあなたもフォーリナーとしての力を振るえるようになるかも知れません」
「それはまあ、そうかもしれないけど。それとさっきの話と、何の関係があるの?」
 あさひの問に、シアルが沈黙する。眼を閉じて、やや深めの呼吸を二回。それだけの時間を開けて、彼女は再び口を開いた。
「……つまり、あなたに私は必要ないということです」
 突き放すような語調と内容をもって、シアルは言い切った。


「今は緊急避難的にMTをあてにする状況ではなく、そもそもモナドリンケージをプロミネンスで封じられている時点で、MTを戦力として計算することは出来ません。ですが、ここへ別の見地を持ち込むことも出来ます」
「……別の見地?」
 自身の言葉尻を繰り返すあさひに頷きをひとつ返し、
「ダスクフレアは、『シアル・ビクトリア」を封じるために相応のリソースを費やしていると見ることも可能です。そして現状、その『シアル・ビクトリア』と直接の繋がりを持つのはライダーとアニマ・ムンディのみです。そこからアニマ・ムンディを切り離し、その保全の必要をなくしたならば、例えば囮として……」
「シアル!」
 思わず、鋭い声があさひの喉から発せられる。思いの外大きく響いた自分の声に、今が夜であることを思い出して軽く咳払いしてからシアルに向き合う。話を途中で遮られたにも関わらず、彼女は泰然とした様子であさひを見つめていた。
 言いたいことはある。が、あさひの中でそれは上手く形にならない。
「あさひ。あなたから一言、私に『次の主を探せ』と仰って頂ければそれで済みます。以降、私とあなたの間には何の契約も責任も存在しません。きっとあなたはMTなど無くても大丈夫です。なにせ、絶対武器を持つフォーリナーなのですから」


「それで……。それでシアルはどうするの?」
 しばしの沈黙の後、搾り出したようなあさひの問いにシアルは軽く首を傾げる。
「当面は次の主を探すことになります。まあ、そうなった場合、既に私はあなたの許を離れたことになります。気にしていただく必要は皆無です」


 胸の中がもやもやする。
 流石にシアルの言葉を丸ごと鵜呑みにするほどあさひは馬鹿でも脳天気でもない。彼女は現状で戦力となりえない自身をあさひから切り離すことで、あさひの安全度を上げようとしている。
 あの格納庫でディギトゥスに追われた時もそうだった。あさひの安全のために自分を見捨てることを彼女は提案した。
 あさひの心中に浮かび上がってくる結論は、あの時と同じく考えるまでもなく否だ。
 だが、それだけではきっと駄目だ。
 格納庫の時は、良くも悪くも考える時間など無かった。勢いで押し通してしまうことが出来た。だが、今は違う。それはやりたくない。


 そう、やりたくない、だ。きっと、二度とそんな事を言うな、と命令すればシアルはその通りにする。少なくとも彼女は自身を人形と定義しているのだから。
 彼女を翻意させること自体はできる。至極簡単だ。だが、それは嫌なのだ。
 だから、あさひは考える。何故自分が彼女を切り捨てたくないのか。曖昧な衝動ではなく、言葉としてそれを表現するために。シアルだけでなく、自分自身に対してもそれを明らかにするために。
 考えて考えて、ふと、あさひの思考が一瞬止まる。
 その要因は、現状に対して覚えた既視感だ。
 懐かしさともどかしさを足しあわせたようなその感覚を辿り、何故それを得たのかをあさひは探る。


 寝台の上で腕組みをしたままあさひが沈黙して、数分が経過しただろうか。ようやっとあさひは考えをまとめたらしく、腕組みを解いてシアルに向き合った。


「あのねシアル。あたし、サペリアさんに気遣ってもらったの。ダスクフレアなんて放っといて地球に帰ったって構わないんだって言われたわ」
「……彼女が、そんなことを?」
 シアルの疑問に頷きをひとつ返し、
「その時はね、ああ、気遣ってもらえてるんだなあ、ってそれだけを思ったの。でもね、さっきは違った。何故か、シアルに反発を覚えたの。気遣いをもらったのは同じことなのに、ね」
「それは、何故ですか?」
 あさひはひとつ息を吸い、あさひはゆっくりと自身の思いを言葉にしていく。
「あのね、サペリアさんは、私を取り巻く状況の全てに対して背を向けても構わない、ってことを言ったのよ。でも何ていうのかな。対象が大雑把過ぎて、あたしにはその気遣いの通りにしたときに何がどうなるかが想像できてなかったんだ」
 でもね、と一旦言葉を区切り、少し視線を彷徨わせる。
「シアルの気遣いは、もっと焦点を絞ったものだったんだと思う。あたしが今の状況にどう向き合うかはともかくとして、まずはあたしの安全度を少しでも上げようとしてる。それこそ、シアル自身を捨て駒にしてでも、ね」
「双方の違いはわかりました。しかし、あさひが私の提案に反発を覚える理由はどういったものなのですか?」
 あさひの言葉を黙って聞いていたシアルが疑問を提示する。
「サペリアさんに言われた時には、ここで帰っちゃえばシアルを見捨てることになるっていうとこまで頭が回らなかったの。でも、シアルは明確に自分自身を見捨てるように提示してきた。だから、あたしはあなたの言葉に頷けないの」


「ですがあさひ。私はアニマ・ムンディです。モナドライダーと共にあり、戦うために存在する人形です。MTを使えない今、私にできる戦いは、貴女を守ることです。どんな手段を用いても」
 シアルが真正面からあさひを見据える。
 決然とした語調には、彼女がそうであると主張する人形には不似合いの強い意志が感じられてしまう、とあさひはそんなことを思った。
「うん。シアルの見解はそうなんだと思う。それは、シアルの立場と考え方からすればきっと正しい選択なんだと思うよ。でもねシアル。あたしはシアルじゃないもの。その通りには考えられない」
 だから、きっぱりと自身の意思が、彼女の意思と真っ向からぶつかるのだと伝える。
「MTに乗るって決めたのはあたし。あなたを信じると決めたのはあたし。それから……」
 一瞬だけ上目遣いにシアルを見て躊躇し、それからこう続けた。
「友達を見捨てたくないと思っているのもあたし」


「……あさひ。何度も申し上げますが、私はアニマ・ムンディです。貴女の所有物であり、更に言うならMTの部品です。友人などという立場に置かれるべきものではありません」
 完璧に表情の見えない顔で、シアルはあさひの言葉を斬り捨てる。
 あさひは、その言葉に対して――笑ってみせた。


「うん。シアルはそれでいいよ。あたしが勝手にあなたを友達だと思うだけ。あなたにあたしを友達だと思え、なんて言えないよ」
 無論、そう思ってくれれば嬉しい。が、それはあさひが友達だと思うシアルの意思とは食い違う。そのことを無理に変えようとは思わない。何故かと問われれば、あさひはこう答えるつもりだった。
「少なくとも、あたしは友達っていうのはそういうものじゃないかなって思うから」


「……困った方です。貴女は」
 シアルはふっとため息をついてゆるゆると首を振ってみせた。
「大体ですね。私の意志を尊重するようなことを言っておいて、結局は私の提案には頷いて下さらないのでしょう?」
 半目になってじっとりとした視線をあさひに向けるシアル。その湿度と圧力に耐えかねたあさひは明後日の方を向いて乾いた笑いを漏らす。
「や、そこはそれ、譲れない一線があるといいますか……」
「もういいです。主がそう望むなら、その望みに沿うように全力を尽くすのもまた、アニマ・ムンディのあり方ですから」
 気まずげなあさひを澄ました表情で見やりながら、しれっと言ってのける。その様子に、あさひは一瞬きょとんとした表情を見せ、それからくすくすと笑い始めた。
「何がおかしいのですか?」
「なんだろうね。なんか色々あったし、ワケわかんないや」
 なおも顔を伏せ、肩を振るわせるあさひ。シアルは黙ってその様子を見つめている。
 たっぷり二分ほどもそのままだっただろうか。ようやっと平常運転に戻ったあさひが顔を上げる。その視線はまっすぐにシアルへと向けられている。


「ねえシアル。これからどうなるのか、あたしがどうするのかはまださっぱりだけど、あたしはあたしの思うようにやってみるよ。後で振り返って、後悔しないようにしてみる」
「はい。もうその方針については何も申し上げません。力の限り、お手伝いいたします。私は、あなたのアニマ・ムンディですから」
 シアルが力強く頷いて請合うが、あさひの表情を見てやや首を傾げる。
「……何か、ご不満の点でもありましたか?」
「不満って言えば不満かな。でもまあ、これはじっくりやるしかない問題だしね」
 ますます分からない、という風に首の傾斜を深くするシアル。そんな彼女にくすりと笑みを向けて、あさひが言う。
「今はまだ片思いだけど、いずれは両思いに、ってね。覚悟しててね、あたしの友達マイフレンド
「なるほど。ですが、それについてはあまり期待せずにお待ち下さい、我が主マイロード



[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑥ 魔法の指先
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2012/01/31 19:05
Scene14 さざめく者たち

『泣く子と地頭には勝てぬ』という言葉がある。
 厳密な意味としては、道理をわきまえない子供や横暴な権力者のような、理屈の通じない相手には勝ち目がないので従うほかない、といったところか。
 が、今回はそこまで細かい意味に言及したいわけでなく、ただ眼前の光景を見て、ある印象と共にその言葉があさひの脳裏に浮かんできただけなのだ。
「よーするに子供最強よね……」
 ぽつりとつぶやいたその言葉は、まさにその泣いている子供の声にかき消され、周囲の仲間の誰の耳にも入らずにふわりと空気に溶けた。


 少しだけ時間を遡る。


 ウェルマイスの街、滞在二日目である。
 ローレンやフェルゲニシュがそれぞれの手段や伝手を用いて情報を集めてはいるものの、それらがすぐさまに結実するかといえば当然そのような事はなく。情報がもたらされるまでの間、あさひ達一行はしばしこの街に滞在することに決定した。
 
 
 最初に街へ出ようと提案したのはあさひで、すぐにそれに乗ったのがサペリアだった。シアルはあさひが乗り気であることに積極的に異を唱えるような事はせず、フェルゲニシュは中立で、一人難色を示していたローレンも終いには折れた。あさひとサペリアに駄々をこねられるのが鬱陶しかったからであって、決してあさひの『一日中部屋でじっとしてるなんてロー君引きこもりみたい』という言葉に乗せられたわけではない。断じて違う。少なくとも彼はそう思っていた。


 ともあれ、街の散策である。やはり一番満喫しているのは、異世界の街初体験のフォーリナー、あさひである。少し歩いてはあちこちのものに興味を惹かれ、きょろきょろと目移りするさまはまさにお上りさん丸出しであった。
 しかし、そんなあさひも一行の中では実はそう目立ってはいない。何故かというと単純な話で、もっと衆目を引く存在が一行の中にはいたからである。


 身の丈二メートル半。褐色の鱗に覆われた体躯は、まるで大岩が歩いているかのような頑強さを印象付ける。口を開けばぞろりと覗く牙は刃物のような鋭さで、その迫力は龍そのものである顔の造りと相まって、気の弱いものなら正面に立つだけでも一苦労といった風情。
 言わずと知れたアムルタートの龍戦士、フェルゲニシュである。


 オリジンは古来より他の孤界からの界渡りがやってくることが多く、ごく一般的な人間の姿からやや外れた民もそれなりに存在はしているが、それでもやはりアムルタートは目立つ。その容貌もそうだが、バシレイア動乱以前には侵略者としてグレズに勝るとも劣らぬ勢いでオリジン諸国家に攻めかかっていたことも、道行く人々がフェルゲニシュにおっかなびっくりしながら視線を向けていることの原因の一つだろう。
「じゃあ、フェルさんたちも元は侵略者だったんだ?」
「うむ。あくまで元は、と付け加えておくがな。とはいえオリジンの人々には償いきれぬほどの迷惑を……」
 突然に、フェルゲニシュが言葉と歩みを止める。釣られてあさひたちも立ち止まり、次いで、フェルゲニシュの視線が足元へ向けられていることに気付き、そちらを見る。
「……………………」
 3、4歳くらいだろうか。一人の小さな女の子がフェルゲニシュを見上げていた。涙目で。


 マズイ、とあさひが思ったときにはもう遅かった。女の子の瞳に溜め込まれた涙はみるみるうちにその量を増し、ぽろぽろとそのほほを零れ落ちる。くしゃりと表情がゆがみ、ひゅっと音を立てて大きく息が吸い込まれる。
「びええええええええ!」
 そんな風に聞こえる絶叫を上げて、女の子が盛大に泣き出す。無理もあるまい。
 女の子はすぐそばの路地から出てきたところをフェルゲニシュの足にぶつかり、その後上を見上げたら彼と真正面から見つめ合ってしまったのだ。
 この世界に来て三人目にあったのがフェルゲニシュであったこと、そのときに助けてもらったこともあって、割と彼に慣れているあさひでも、何の前準備もなしに彼の顔がぬっと目の前に出てきたら間違いなくビビる。免疫のない、しかも幼い子供ともなればひとたまりもなかった。


「あ、ええっとね、このおじちゃんは怖くないよー?」
 しゃがみこんで女の子と視線を合わせ、あさひがとりなしてみるが、いやいやをするように首を振り、一向に泣き止む気配はない。どうしたものかと思い、さっと周囲に視線を巡らせるが、サペリアもローレンもさっと目を逸らす。
 薄情者め、と思いつつさらに視線を動かした先、シアルはどうにかしようとする意思はあるようだが、あさひ以上にどうしていいか分からないらしく、その場でおろおろとした様子を見せていた。
 そうこうしているうちに、フェルゲニシュがすっとその場でしゃがみこむ。とは言っても、もともとの体躯が大きいので、女の子からすればそれでも見上げるような相手だ。むしろ顔が近づいたことで、女の子は更に激しく泣き出してしまう。
 そろそろ周囲の視線が痛い、とあさひが思い始めたところで、フェルゲニシュが女の子の顔にそっと被せるように掌を置いた。
「怖がらなくていいぞ。すぐに済むからな」


 何をするつもりなのか、と問う暇も有らばこそ。
 フェルゲニシュの体がふわりと光に包まれる。一瞬だけ光が強くなり、思わずあさひは目をつぶる。次に目を開けたとき、褐色の龍人はそこにいなかった。
「あ、あれ……?」
 代わりにそこにいたのは、先ほどのフェルゲニシュと同じ姿勢で女の子と顔を掌で覆っている一人の男性だ。
 褐色の髪をオールバックにまとめ、口髭を蓄えている。また、耳の後ろに、どこかで見たような角が生えている。年のころは三十台から四十台といったところだろうか。がっしりとした体躯はその身を包む軍服風の衣服の上からでも鍛えこまれていることが容易に伺え、どこか野趣を感じさせる顔つきは、男臭さを含みながらも卑しさは見受けられない。
 彼はその掌をそっと外すと、女の子に微笑みかける。
「もう大丈夫だ。怖いやつはおじさんが追い払ったからな」
 状況の変化に思わず泣き止んでしまったらしい女の子は、きょろきょろと辺りを見回してから、目の前の男にこくんとうなずいて見せた。


「やれやれ。子供に泣かれると心臓に悪いな」
 男はそう言いながら立ち上がり、同意を求めるようにあさひに視線を向けた。そのあさひはと言えばまさしく呆然といった趣でその場に立ち尽くしていた。
「えーっと……フェルさんなの?」
 おそるおそる、あさひがそう尋ねる。
「目の前で姿を変えたというのにそれを聞くか?」
 髭を蓄えた口元を歪ませて、フェルゲニシュが苦笑を形作る。姿はまったく違うが、その声や雰囲気は間違いなくアムルタートの龍戦士のものだ。
「いやあ、何ていうかびっくりしちゃって。でも、フェルさんってそんな姿にもなれるんだねえ」
 人間形態をとったフェルゲニシュを頭からつま先までまじまじと観察するあさひ。
「ふむ。おかしいかな?」
 好奇心に満ちたあさひの視線を余裕のある態度で受け止めながら、そう言ってにやりと笑ってみせる。
「すっごい格好いい! ダンディだよフェルさん!」
 実際、あさひの見るところ、今しがたの野性味溢れる笑みを一発キメてやればその辺のこういう渋めの男が好みの女性はコロっといってしまうのではないかと思う。
「ははは。お褒めに預かり光栄だな」
 にこやかに笑いながら、フェルゲニシュはふとあさひから視線を外してぐるりと周囲を見回し、すぐに視点を固定する。あさひもそれを追ったので、彼が何を見ようとしたかはすぐに分かった。そこでは、いつの間にそうしていたのか、サペリアが先ほど大泣きしていた女の子を抱き上げて何事か話している。サペリアのほうもあさひたちの視線に気付き、女の子を抱いたまま歩み寄ってくる。
「あのさ、この子迷子みたいなんだよね」
「……帰り道が分かんねえのか?」
 すっと顔を寄せたローレンの問いに、女の子はこっくりと頷いてみせた。
「ったく。しゃーねえな。その辺で聞いてみようぜ。誰かこいつの顔見知りでもいりゃあ話が早い」
 がりがりと頭を掻きながら、いかにも不機嫌そうな様子でローレンがあさひたちをぐるりと見回し、ぴたりと動きを止めた。
「……んだよそのツラは」
 あさひも、フェルゲニシュも、サペリアも、意外だ、という感情も同時に表れているがシアルまでもがよく言えば微笑ましげな、悪く言えばニヤニヤとした薄笑いを浮かべてローレンを見ていた。
「なーんでもないよっ。じゃあ、その辺で聞き込みしてみよっか」
 ニコニコと上機嫌なあさひにぽんと背中を叩かれ、なんとなく反論する気を削がれたローレンは深々とため息をついてみせた。


 自身を指して、ミリ、と名乗った女の子の住まいは数人に聞き込みをしたところ、すぐに知れた。あさひたちとミリが出会った場所から少し歩いた場所にある孤児院の子供だという。そのことを教えてくれた、犬の散歩中だったらしい初老の男性に丁寧に礼を述べて、あさひたちはミリを孤児院まで送っていくことにした。


 先頭に立って歩くサペリアがミリを肩車している。長身の彼女に担がれたミリは普段からは考えられない視点の高さにややおびえ気味ながらも楽しそうに笑っている。
 そこから少し遅れて、フェルゲニシュとあさひが並び、そのすぐ後ろにシアルとローレンが続く。
「しっかし勿体無いなあ。なんでフェルさんは普段からその姿じゃないの? すっごい渋いのに」
「オヤジ趣味なのか、お前」
 人型になってもサペリアと並ぶ長身のフェルゲニシュを見上げるような形で勿体無いと繰り返すあさひにローレンの突っ込みが入る。
「ちっがうよもー。分かってないなあ。カッコいいおじさんっていうのは貴重なのよ。ロー君だってねえ、今は美少年のカテゴリだけど、気をつけないと年をとったらウチのお父さんみたいに太鼓腹になっちゃうんだから」
「勝手に将来の俺を太らせるんじゃねえよ。っていうかやっぱりオヤジ趣味なんじゃねえのかそれ」
 くるりと振り返り、人差し指を立てて言い含めるあさひをローレンが一蹴する。
「だから違うってば。目の保養みたいなもんだよ。ロー君がサペリアさんのおっぱい見ちゃうのと同じことだよ、うん」
「……仕方ありませんね。どうしても我慢できなくなったら私の胸部を触る許可を出します。あさひを襲われるよりはマシですので」
「見てねえよ! あとナチュラルに人を性犯罪者扱いしてんじゃねえよこのポンコツが!」
 猛烈に抗議を行うローレンであるが、モナドライダーとアニマ・ムンディのコンビはどこ吹く風である。
「照れなくてもいいのに。大丈夫、気持ちは分かる! あれは女のあたしでも思わず見ちゃうド迫力サイズだから! 羨ましい! 」
「だーかーら違うっての。大体よ……」
 声を上げるのに疲れたように肩を落とし、ローレンがサペリアとあさひの間で視線を往復させる。
「女の癖に視線が行くほど羨ましいのか? お前だってそこそこあるだろうによ」
 ため息と共に言うローレンの視線を、あさひが追う。明らかに自身のバストにそれが向けられているという判断が彼女の中でなされるのに遅れることコンマ数秒。
「な、バっ……!」
 みるみるうちにあさひの顔面が朱に染まる。ぶん、とその右手が振りかぶられ、
「ロー君のスケベっ!」
 ばしん、という小気味よい音とともにローレンは思い切り頭をはたかれた。思わずつんのめるローレンを他所に、あさひは、たた、と駆け出してサペリアとミリの方へ行ってしまった。


「いっつー……。ってーかよ、話し振ってきたのあいつだろ。何で俺が殴られるんだよ」
「今のはお前さんが悪いな」
「明らかにあなたが悪いですね」
 納得いかねえー! とわめくローレンを完全に無視して、シアルはフェルゲニシュに視線を投げる。
「それで結局のところ、普段は龍人形態であることに何か拘りでもあるのですか?」
「何だ。お前さんも気になるのか?」
 シアルはふるふると首を横に動かす。
「いいえ。しかしあさひは気にしていたようですので。そこの変態のおかげで途切れてしまった疑問を代わりに聞いておいて、後で教えておこうと思いまして」
 変態言うな! という声は聞き流して、フェルゲニシュはふむ、と頷く。
「まあ、真の姿に近い形を取っていたほうが力を出しやすい、というのはある。何といってもアムルタートは強きを尊ぶからな」
「それ以外にも理由があるような口ぶりですが?」
 表情を変えないままシアルが投げかけた追加の疑問に、フェルゲニシュの口元が少し緩む。力の抜けた、優しげな笑みだ。
「大したことではないのだがな。人の姿を取るのは、女房とイチャつく時と子供をあやす時だけにしようと決めているのだ」
「妻子がいらっしゃるのですか」
 かすかな驚きと共に吐き出されたシアルの言葉に、フェルゲニシュは頷きで答える。
「娘はもうじき二歳になる。だからかな。あのような幼子に泣かれると堪えるのだ」


「……おいちょっと待てよ」
 今は離れている家族を思ったのか、どこか遠い目で語るフェルゲニシュに向けてローレンが声をかける。
「なんだ。先ほどの一幕についての抗議は受け付け不可だぞ」
「そこから離れろ! ……そうじゃなくてだな。アムルタートは子供が生まれなくなった状況を打破するためにオリジンに侵攻してきたんじゃないのか? なんでそのアムルタートのあんたにガキが生まれてんだよ」
 そういうことか、とフェルゲニシュは得心の言った様子で口髭を撫でる。
「お前さんの理解は間違いではないが完全ではないな。新たに生まれなくなったというのは真龍だ。アムルタートは龍皇が真龍を産み、それを頂点として基本的に社会を構成している。故に、それが生まれなくなったことが問題となったのだ」
「じゃあ、その真龍意外ならオッケーってことなのか」
 そのローレンの言葉に、しかしフェルゲニシュは首を振る。
「繁殖力の低下はアムルタートの全体に及んでいる。純血の龍が新しく生まれることはまずないと言っていい」
「……なるほど。つまり、異種族間なら子孫を残せるということですか。あなたのお子さんもそうなのですね?」
 それまで黙って話を聞いていたシアルの解答に、正解だというようにフェルゲニシュが笑みを浮かべる。
「そういうことだ。うちの女房はオリジンの人間だ」
 へえ、と感心したようにローレンが吐息を漏らす。余計な力や険の抜けたその表情は、年相応の少年のようだとフェルゲニシュは思った。
「しかし、強さがすべてのアムルタートがよくオリジン人と結婚したよな。……やっぱオッサンが変わり者だからか?」
「いや、そこは単純な話でな。あいつは俺より強い」
 その一言を聞いたローレンの顔がまともに引きつった。
 フェルゲニシュの力はあの格納庫でしっかりと見たのだ。無論、あれで底を見せたわけもなく、真の実力は間違いなくあの時見た以上のはずだ。何より『強いやつがエラい』を標榜しているアムルタートがごく自然に自分より強いと認めるのである。フェルゲニシュの女房はどんな化物かと戦慄する。
「一つ断っておくが、うちの女房は化物や怪物の類ではないからな。人間の基準でいっても割と美人だと思うぞ?」
 ローレンの表情から彼の思考を読み取ったのか、やや憮然とした様子で言うフェルゲニシュ。
 外見どうこうの問題じゃねえよ、とローレンが口にしようとした時だった。
「おーい! フェルさーん! ローくーん! あれがミリちゃんちだってさ!」
 行く道の先、ミリを肩車したままのサペリアと並んだあさひが、向こうに見える建物を指差してこちらに手招きをしていた。


 そこにあったのは煉瓦造りの二階建ての建物だった。どこか学校を思わせるような、清潔感のあるその建物の周囲からは、そこで遊んでいるのだろう、子供たちの歓声が聞こえてくる。
「おや、皆さん。ここに何か御用ですか?」
 門に近寄って中を覗き込んでいたあさひに声がかけられる。
「え? あ、えーっと、ここのミリちゃんが迷子になってたんで……ってサルバトーレさん?」
 門のすぐ内側に立っていたのは、昨日、あさひたち一行を案内してきたティカル騎士団の中隊長だった。





「私もここの出でしてね。今日は非番なので実家の様子を見に来たというわけなんです」
 迷子になっていたミリを連れて来たことを説明すると、サルバトーレは大げさなくらいにに感謝してあさひたちを孤児院の中へ迎え入れ、応接間に通してお茶を振る舞い、自身がここにいる理由をそんな風に説明した。
 ちなみにミリは彼女がいなくなったことに最初に気付いたという十歳くらいの女の子に連れられて行ってしまった。
 ユージーンは責任感の強い子ですから、きっとミリはこれからお説教ですね、とサルバトーレは笑った。
「ミリはおっとりしている割に好奇心旺盛で、今日もいつの間にかふらふらと町へ出てしまったようなんです。こちらでも皆さんがいらっしゃる少し前にいなくなっていることに気付きまして、探しに出ようと思っていたところだったんですよ」
 本当にありがとうございました、とサルバトーレが深々と頭を下げたとき、応接間のドアがノックされる。
 どうぞ、とサルバトーレが入室を許可するのを待って、ドアが開く。


「失礼します」
「しつれーします」
 はきはきとした声と舌っ足らずな声が相次いで挨拶の言葉を述べる。そこにいたのは、元・迷子少女のミリと、眼鏡をかけて、亜麻色の髪をストレートに伸ばしている、先ほどミリを連れて行ったユージーンという女の子だ。
「どうしたんだい、ユージーン?」
 サルバトーレの問いかけに、ユージーンは軽いため息をついたあとであさひたちに向き合う。
「わざわざミリを連れてきて下さって、ありがとうございました。この子ったらちゃんとお礼も言ってなかったそうですので、取り急ぎご挨拶をと思ったんです」
 あさひたちに会釈してから、ユージーンがすらすらと口上を述べ、ほら、とミリを促した。
「えーっと、ありがとーございました!」
 ミリがそういってぺこりと頭を下げ、それから期待に満ちた表情で隣に立つユージーンを見上げる。
 ユージーンはというとその視線を受けて、しょうがないなあという感じに笑ってから、よくできました、とミリの頭を撫でた。とたんにミリがにぱっと笑顔を浮かべる。


「ユージーンちゃんはしっかりしてるねー。あたしがユージーンちゃんくらいの頃なんて、もっと頭悪かったんじゃないかなあ」
「ええ、年に似合わず利発な子で、ここの先生方もみんな褒めていらっしゃるんですよ」
 感心したようなあさひの言葉にサルバトーレが続く。話題の対象となった当のユージーンはといえば、顔を真っ赤にして照れていた。ミリはユージーンが褒められたことが嬉しいのか、彼女の隣でニコニコと上機嫌の様子である。
「現状で比較しても精神年齢で負けてんじゃねえのか?」
「あー。ロー君ひっどーい! ムッツリスケベの癖にい」
「冤罪だ!!」


「トト兄ちゃん、まだ終わんねーのかー?」
 あさひとローレンがぎゃんぎゃんと言い合いをしていると、いつの間にかドアから数人の子供たちが顔を出している。そのうちの一人が言葉を投げかけたのだ。見たところ、ユージーンと同じくらいか、少し年下。よく日に焼けたやんちゃそうな少年である。
「今日は騎士団の話をしてくれる約束だろー。早くしてくれよトト兄ちゃん」
「ヒューイ! お客様が来てるのよ!」
 不満顔でトト兄ちゃん――サルバトーレを急かすヒューイをユージーンがやや強い語調でたしなめる。
「ああ、済まんな少年。邪魔してしまったようだ。……サルバトーレ殿」
 更に言い募ろうとしたユージーンの頭をフェルゲニシュが軽く撫でながら制止してヒューイに対して軽く頭を下げ、サルバトーレに目配せした。サルバトーレはその意図を正確に汲み取り、腰掛けていたソファから立ち上がってあさひたちに軽く頭を下げる。
「済みません、皆さん。ちょっとこの子達の相手をしてきます。先生方にも皆さんの事は伝えてありますので、もしよろしければゆっくりしていって下さい。……少々騒がしいところで申し訳ありませんが」


 サルバトーレの後について、子供たちがぞろぞろとその場をあとにするなか、部屋から動かない子供が一人だけいた。サペリアの赤青マントの端をきゅっと握って彼女を見上げているミリである。
「ん? どしたい、ミリちゃん?」
 長身を折りたたむようにして、サペリアがしゃがみこむ。
「おねーちゃんのおはなしききたい」
 ミリは好奇心に目をきらきらさせている。ここまで肩車をして連れてくる間に、随分とサペリアに懐いたようだった。
「こら、ミリ!」
 たた、と駆け寄ってきたユージーンがミリの手を引いて連れて行こうとする。が、そのユージーンの手をサペリアが取った。
「まあまあユージーンちゃん。あたしゃ構わないよ。少なくとももうしばらくはやる事もないはずだからね。……そうだろ?」
 サペリアが振り返ってローレンとフェルゲニシュを順繰りに見る。二人ともが現在自分たちを取り巻く状況について情報収集を行っているが、それぞれの所属する組織の情報網を利用する性質上、すぐに情報が手に入るわけでもない。それらが手元に届くまでは待ちの姿勢になるのだ。
 つまり、サペリアの視線に込められた意思を翻訳すると『お前らのトコから情報が引き出されるまではヒマなんだからこの子達に付き合っても構わないよな?』ということになる。
 その事を理解していた二人はサペリアに対して頷いて見せた。残るあさひについては全く否やはないようであり、自動的にシアルも反対はしない。
 だから、サペリアはミリとユージーンそれぞれの頭にぽんと手を置き、にかっと笑ってみせたのだった。




「さて、お話っつってもね。あたしゃ子供向けの話ってのは苦手だから、ちょっとした魔法を見せたげるよ」
 おおー。と子供たちの間からどよめきが起こる。
 サペリアの周りに集まっているのは、どちらかというと女の子を中心とした子供たち。男の子はそこから少し離れたところでサルバトーレの話す騎士団の体験談に夢中になっている。
「おねーちゃんはまほーつかいなの?」
 最前列で黒目がちな瞳をいっぱいに開いてきらきらさせているミリが尋ねる。即座に肯定するかと思いきや、うーむとうなりながらサペリアは腕組みをした。
「正確にはちょっと違うんだけどね。まあ、魔法を使えるのは間違いないのさ。すんごい疲れるからあんまり本気出さないけどね」
「サペリアさんって魔法使いじゃないの?」
 集まった子供たちの最後列にいたあさひが、自分の両隣にいるローレンとフェルゲニシュに問いかける。
「俺に聞くなよ」
「格納庫で使っていたのはエネルギー操作系列の高位魔術だと思うのだがな。それ以上のこととなると俺には分からん」
 ローレンはばっさりと斬って捨て、フェルゲニシュは少し説明はしたものの、詳しい事となるとお手上げのようだった。そっか、とあさひはつぶやいて、再びサペリアに注目する。
「まあ、今からやる魔法は簡単なやつだから本気出さなくても問題はないさ。どれくらい簡単かっていうと、今からあんたたちに教えてやればすぐに使えるようになるくらいだよ」
 子供たちから二度目のどよめき。しかしさっきよりもそこに込められた驚きは大きく、深い。
 オリジンにおいて魔法とは親しみ深いものであるが、だからこそ、その行使には知識と鍛錬が必要になることもまた広く知られている。一足飛びに魔法を使えるようになるような事例は、一部の天才が為したもの以外には殆ど知られていないのだ。
「あー。フカシこいてんじゃないの? って気持ちは分かるけども。お姉さんを信じなさい」
 魔法に関するあれこれを聞き知っている年長の子どもたちを中心にしたざわめきを、サペリアが自信満々の口調で鎮めてしまう。


 ともかく、まずは魔法を使って見せようということになり、サペリアは彼女にしては珍しく至極真剣な面持ちで子供たちに向き合う。自然、引き込まれるように子供たちもサペリアをじっと見つめていた。
 サペリアはまず右手を開いて子供たちに向ける。お姉さんの指先に注目、と言い置いて、にっと笑った。
「……光、あれ」
 ぽつり、とサペリアの唇から零れた言葉に呼応して、彼女の右の五指に赤い光が灯る。親指に真紅の光。そこからグラデーションを描いて、小指にはピンクの光が瞬いていた。
 わあっと子供たちから歓声が上がる。気を良くした様子のサペリアは、今度は左手を子どもたちの前に同じように掲げてみせた。
「光、あれ」
 今度は青い光が、同じようにグラデーションを描いて五つ、そこに灯った。
 サペリアは赤い光が灯ったままの右手でミリを手招きする。とことこと寄ってきたミリに、人差し指を出すように言い、
「光、あれ」
 三度繰り返されたその言葉と共に、ピンクの光がともった右の小指をミリの人差し指にちょんと触れさせる。二人の指が離れたとき、ミリの小さな人差し指には、サペリアの小指にあるものと同じ、ピンクの光が灯っていた。
「大事なのはイメージさ。強い光、弱い光、赤い光、青い光。きっちりそれが心のなかに描けたなら、今あたしがやったみたいに他の人や物に光を移せるよ。色を変えたりだって慣れれば出来るようになるさ」
 

 目を一杯に見開いて、驚きと喜びで顔中を埋め尽くしていたミリが、サペリアの言葉を聞くやいなやユージーンに駆け寄った。言葉も出ないくらいに興奮して、ユージーンの目の前でピンクの光が灯った指先をぶんぶん振っている。ユージーンがそんなミリの様子にくすりと笑みをこぼしてそっと人差し指を差し出す。先程までの興奮が嘘のように、ミリはそうっとそこへ自分の人差し指を触れさせた。
「ひかり、あれ!」
 大きな声で呪文を唱え、しかし人差し指をくっつけたままミリもユージーンも微動だにしない。周囲の子供たちも息を飲んで二人を、その指先を食い入るように見つめている。


 やがて、どちらからともなくそっと二人の指が離れる。
 果たしてピンク色の光はミリとユージーン、双方の指先に宿っていた。


 おおお、と今日一番のどよめきが子供たちから漏れ聞こえる。そして次の瞬間には、サペリアのもとへ子供たちがどっと押し寄せていた。我も我もとサペリアに指を突き出す子供たちをあさひたちが順番に並ばせ、サペリアから光を受け取らせる。
 最初に見せた赤と青、黄色に緑に紫。様々な色が子供たちの指先に灯り、そしてそれらが大喜びの彼ら彼女らによって他の子どもたちの顔や体、その辺りの壁や床にもくっつけられていく。


「いやあ、これは凄いことになりましたねえ」
 サペリアのもとへ殺到する子供たち――いつの間にか、サルバトーレの方で話を聞いていた子供たちもこちらへ雪崩れ込んできていた――の列整理に忙殺されていたあさひがようやく一息を入れられるようになった頃、背後からそんな声がかけられた。
「あ、サルバトーレさ……ぷっ」
 思わず吹き出すあさひ。振り返って目に入ったサルバトーレが、顔のあちこちをぴかぴかと光らせていた為である。
「こらこらあさひ。人の顔を見ていきなり笑うというのは感心せんな」
「いやだってフェルさぶっ!?」
 続けて声を掛けてきたフェルゲニシュの顔を見て、今度は盛大に吹く。
 彼は口ひげの部分だけを信号機カラーにぴかぴかと光らせていた。
「ちょ、それ……っ!」
 もう言葉にもならないらしく、あさひはその場で身を折ってひーひー言うばかりである。そしてそんなあさひを見てぐっと親指を立てあう男二人。
 ちなみにシアルとローレンは子供たちに囲まれてあっちこっちをぴかぴか光るようにされている。ローレンは子供たちを威嚇しながらも邪険に出来ず、シアルはどう扱っていいか分からずおろおろしているうちに完全に包囲されてしまったのだ。


「しかしなんだな。どちらかというとこれは、魔法を教わる、と言うより、魔法を使わせてもらっている、と言った方が近いのではないかな」
「確かにその方が表現としては正しい気もしますね」
 未だ撃沈したままのあさひを尻目に、何事もなかったかのような表情(但しぴかぴかしている)で言葉を交わすフェルゲニシュとサルバトーレ。
「ところがそうでもないんだねコレが」
 男二人の背後にぬっと現れ、彼らの肩にぽんと手をおいたのはサペリアである。
「確かに最初はあたしから光を渡してあげなきゃいけないし、何度か他に移したらそれで光は消えちまう。さっきまではその度にあたしが光を渡し直してたからね。フェルの旦那が言ったようにも見えるだろうさ」
 彼女はフェルゲニシュとサルバトーレを肩が触れるくらいに並び立たせ、その後ろに隠れて子どもたちの目に自身が入らないようにした上で続ける。
「でもね、あの光を誰か、もしくは何処かに移すには、その時の持ち主が魔法を使わなきゃいけない。ごくささやかで簡単な魔法だし、何より自分の指先には今まさに魔法の灯りがあるんだ。絶対にできるっていう思い込みが後押しをしてくれる。……そうこうしてるとね。ほら、あそこをご覧よ」


 サペリアがフェルゲニシュの背に隠れながら指さした先、そこにはユージーンと、ミリを始めとした年少の子供たちが数人固まっていた。どの子供の指にも今は光はなく、小さな子供たちは縋るような上目遣いでユージーンをじっと見つめ、見つめられた方はと言えば、落ち着かなく辺りを見回している。
「……お前さんを探してるんじゃないのか、サペリア」
「しーっ! 見つかっちまうじゃないか。いいから黙って壁におなりよ旦那」
 フェルゲニシュは密やかにため息をついて、サペリアの言うとおり彼女が子供たちから見えないように微妙に位置を調整する。
 そうしているうちに、どうしてもサペリアが見つからなず困っていた様子のユージーンが、今にも泣きそうになっている年下の子供たちを見て、覚悟を決めたように一つ頷いた。何事かを言い聞かせ、子供たちにくるりと背を向け、両手を胸の前で合わせるような姿勢を取る。
 しばらくそのまま動かずにいたかと思うと、ユージーンはまたくるりと振り向いた。
 その顔には輝くような笑みがあり、そしてその指先には、淡い青の光があった。


 ほう、とフェルゲニシュとサルバトーレから驚きを含んだ息が漏れる。
「ユージーンちゃんが魔法を使ったの?」
 ようやく復活してきたあさひが、その場を代表しての疑問を口にする。
「見ての通りだよ。あたしから受け取った魔法を他へ移すことでやり方自体は体が直接覚えてくれてるんだよ。あとは、世界を侵略するだけの意思があれば、フレアはそれに応えて魔法になるのさ」
 まだフェルゲニシュとサルバトーレの後ろに隠れたままのサペリアがにっと笑う。
 子供たちの方を見れば、ユージーン以外にも自分自身で灯りを作り出し、それを別の場所にくっつけたり他の子どもに分け与えたりする子が出始めていた。
「ふーん。なるほど……」
 あさひが腕を組んでしばし考え込んだかと思うと、すぐにパッと顔を上げてサペリアに尋ねる。
「ねえ、そういうやり方で、あたしのフォーリナーの力っていうのも引き出せないのかな?」
 だが、サペリアは即座に首を横に振って見せる。
「フォーリナーの力っていうのは魔法とはまた別物だからね。同じやり方をしても引き出せはしないよ。っていうかあたしにもどうやったら引き出せるのかなんてさっぱりさ」
 そう、とだけ零してやや俯くあさひだが、
「でもね、根っこの心構えは覚えておいてもいいかも知れないよ」
 そう言って付け加えられたサペリアの言葉に再び顔を上げる。
「さっきも言ったろ。世界を侵略するほどの意志の強さ。世界を構成するフレアに干渉するにはそういうものが必要なのさ」
「侵略って……なんか言葉が悪い気がするんだけど」
 言わんとすることは分かるけど、と微妙な顔をするあさひ。
「強い言葉ってのは、それだけ強い意味が乗っているってことさ。普通にしてたら起こらないようなことを起こしてみせようと思ったら、ただ『強い意志』って言葉だけで括ったんじゃあ足りないくらいのそれが必要なんだ。だから、侵略なのさ。己の意思を以て世界を侵し、書き替えるんだよ」
 恒常的に浮かべている薄笑いを引っ込めて、サペリアが言う。
「分かった。覚えとく。多分、大事なことだよね」
 しばし腕を組んで考えたあと、あさひはそう言って笑った。それを受けたサペリアも、唇の端を上げることで答えとする。


 ふとあさひが視線を動かした先、ユージーンが幼い子供たちに指先から光を受け渡している。彼女は、子供たちが泣くことを止めたいがために、ささやかながらも世界を侵略してみせたのだ。
 部屋を埋め尽くさんばかりの色とりどりの光の洪水とともに、そのことを覚えていようとあさひは思った。





Scene15 このましからざる再会



「グレズのことで、ちょっと面白い話が出てきたぜ」
 ローレンがそう切り出したのは、孤児院を辞して宿に戻ってからすぐのことだった。
「そう言えばここへ戻る途中でフラっと消えた時があったな。その時か?」
 フェルゲニシュの問いに対してローレンはひょいと肩をすくめるだけで答えず、代わりにその面白い話というのを提示した。


 曰く、半月前にウェルマイス周辺に現れたグレズの群れについて、煌天騎士団第三中隊は交戦時にその内何体かを鹵獲している。
 曰く、野生化したグレズを手懐ける技術を持つパッドフット族の協力の下、ネフィリムから提供された技術なども利用して鹵獲したグレズから幾らかのデータ抽出に成功している。
 曰く、グレズの思考を翻訳することは困難だが、鹵獲したグレズが共通して抱えていたロジックは次の通りである。


「……『統括個体の帰還に伴い、その命に従って行動する』、か」
 龍人形態に戻ったフェルゲニシュが顎を撫でながら呟く。
 

 現在、オリジンにおいてグレズの指導者と言えばディギトゥスである。その下に配されているメタロード達という可能性もあるが、統括個体という響きは、そこに当てはめるには少し違和感が残る。
「しかし、この統括個体を仮にディギトゥスを指すものだとすると、今度は帰還という言葉がおかしいのではないでしょうか?」
 細いおとがいに手を当てて、シアルが首を傾げる。
 確かに、ディギトゥスが事実上のグレズ首座となったバシレイア動乱以降、オリジンから離れたという話は聞かない。だが、帰還というからには、この『統括個体』とは一度オリジンから居なくなったか失われたかしたはずの存在である。
「……ねえ。あたし、最悪の想像が浮かんじゃったんだけどさ。みんな聞きたいかい?」
 唇を皮肉げに歪めたサペリアの言葉の続きは、オリジンの事情に疎いあさひでも察することが出来た。


「……調和端末ヴォーティフ、か」
 それは誰の呟きだったのか。ぷかりと部屋に流れたその単語の不気味さに、数瞬の沈黙が訪れる」
「でも、そのヴォーティフっていうのはバシなんとか動乱でやっつけられたんじゃないの? あたしと同じフォーリナーに」
 そうだな、とフェルゲニシュが頷く。
「……バシレイア動乱以降、人の味方となったグレズを束ねているのはモナドドライブの開発者でもあるマリア・カスタフィオーレ博士だが、顧問として彼女に助言を与えているグレズが存在する」
 フェルゲニシュは腕組みして天上を見上げたまま言う。
「そのグレズは、軌道エレベータが本体であるヴォーティフの、軌道上での制御を行う端末、言わばもう一つのヴォーティフだったそうだ。制御用として用いられていたことと、動乱時のダメージの影響で戦闘力はないそうだが、彼もまたヴォーティフであったことには変りない」
「旦那。それはつまり、そのグレズが調和端末として動き出したってことかい?」
「それもどうだろうな。アムルタートである俺が言うのも何だが、元は侵略者であるグレズに未だ疑いの眼を向けるものは多い。加えて、そうした疑いの目以外にも、彼を解析することでグレズ統合意識の秘密を知ることが出来るのではないかと考えてその身柄を狙うものもまた多い」
 フェルゲニシュはそこでちらりとローレンを見る。見られた方はややオーバーアクション気味に肩を竦めてみせた。VF団もそうした『彼』を狙う一派であるということなのだろう。
「ともあれ、彼は対グレズのブレインという重要人物でもあり、グレズに気を許していない人々からすれば、いつ裏切るとも知れない危険人物でもある。何か行動を起こしたなら、それこそ神炎同盟やテオス、VF団などが放ってはおかないだろう」


 フェルゲニシュの言葉を最後に、全員が黙りこむ。
 無論、半月前のグレズ襲来はあさひ達一行には何の関係もない可能性も相当にある。
 が、月龍皇の予言の内容、フォーリナーがエルフェンバインに現れたこと、そのフォーリナーを目の前にしてグレズの首座たるディギトゥスが動きを止めたこと。あまりに今回の件とグレズとの関わりが大きい。単なる偶然と切って捨てることは出来なかった。


「……もう一つ。これは裏が取れてない未確認の情報だ」
 ローレンは難しい表情で沈黙を破る言葉を放った。全員が彼に注目する。
「鹵獲されたグレズは当然ティカルの本拠地に運ばれたが、協力を依頼したパッドフットがこの街に拠点を構えている関係もあって、一機だけこの街に残されたらしいんだが、昨日の段階で、そのグレズに異常が見られたそうだ。パッドフットの制御から抜けだして独自に動こうとしたが、制御を奪い返すことには成功したらしい」
 そこで一拍を置き、ここからが未確認だ、と前置きして続ける。
「当然、原因を探ろうとあれこれと調べることになった。で、得られた情報は鹵獲時とほぼ同じだったらしい」
「統括個体が云々、というものか?」
 確認としてのフェルゲニシュの疑問に、ローレンが頷きを返す。
「もっとも、昨日の今日の話だ。先方もバタバタしてたらしいし、情報の確度としてはちょっと頼りないのも事実だな」
「なんかヤな符号だね、それは。あたしらがこの街に入った日に、そういう事が起こってるってのは」
 ぽりぽりと頭を掻きながらぼやくように言うサペリア。
 確かに、タイミングとしては出来すぎの感があった。なんとも言えないぶよぶよとした気味の悪さが五人の間に漂う。


「よろしいでしょうか」
 そっと手を挙げて全員を見回したのはシアルである。
「この街にその鹵獲されたグレズがあるのであれば、それを調べさせて頂くことは不可能でしょうか? 現状分かっている以上の情報が出てくる保証はありませんが、先程の未確認情報の内容を確定できるだけでも意味はあるかと思いますが」
 ふむ、と頷いて、しばしの思案のあとフェルゲニシュが口を開く。
「確かにな。事がダスクフレア絡みであることを話せばどうにかなるかも知れないが……」
 そこでちらりとローレンに視線を送る。
「……鹵獲したグレズについての情報ソースを突っ込まれるだろうけどな。テキトーにかわせねえかなあ……。」
 思案気なローレンの声を受けて、シアルがポンと手を打つ。
「いざという時は実行犯のVF団を突き出して解決しましょう」
「ぜってえ巻き添えにしてやるからなポンコツ」


 深く静かに睨み合うシアルとローレンの間であさひが仲介をしようと四苦八苦していると、フェルゲニシュが何かに気付いたように顔を上げ、窓のほうを見た。次いでサペリアが立ち上がり、窓の外から見えないような位置取りでそっと外を覗き込む。
「あっちゃー。囲まれてるよ」
 ぺしん、と額を叩き、おどけた様子でサペリアが言う。
 ローレンとフェルゲ二シュも、そっと窓の外を伺った。確かに宿の周りを武装した兵士が取り囲んでいる。しかも、兵士たちの出で立ちには見覚えがあった。
「サルバトーレ殿の部隊の連中だな」
「じゃ、じゃあ、単に私たちに何か用があるんじゃあ……?」
 不安げな口調でそういったあさひに向けて、ハ、とローレンが鼻で笑ってみせる。
「どう考えてもその用ってのは物騒な用事だぜ、こりゃあ」
 軽いノックがあさひたちの集まっている部屋のドアを叩いたのは、ローレンのその台詞とほぼ同時だった。


 部屋の中の全員が一瞬目配せを交わしあい、フェルゲニシュが代表してどうぞ、と声をかける。ゆっくりと、ごく穏やかに開かれたドアをくぐって現れたのは、孤児院でも顔を合わせた煌天騎士団・第三中隊長、サルバトーレ・メッツォである。孤児院の時と違うことは、彼が完全武装でこの場に臨んでいることだった。


「突然の訪問、申し訳ありません。ですが、事情合ってのことですので、ご了承ください」
 まず、部屋の中を見渡して五人が揃っていることを確認してのち、サルバトーレはそう言って軽く会釈してみせた。
「いや、構わないさ。で、御用向きは何なんだい? デートのお誘いなら日程を調整させてもらいたいんだけどね」
 軽い調子で言うにやけたサペリアに微笑を返し、
「日程の調整をしていただく必要はありません。この場であなた方五人を拘束します。ティカル騎士団に対するスパイ行為と……」
 そこで一旦言葉を切り、こう言った。


「調和端末ヴォーティフの復活を企図したことについて容疑が掛けられています。抵抗はなさいませんよう、お願いします」







[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑦ 露見
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:22
Scene16 黒い炎


 グレズ、とは如何なるものか。
 全ての生命の機械化を使命とする調和機械軍の総称であり、そのマスタープログラムたる機龍の名でもある。


 では、グレズのオリジン侵略においてその指揮をとっていた調和端末メタゴッド、メタロードとは、如何なるものか。
 メタゴッドとは、グレズ技術の根本にして究極、グレズコアを生み出すことの出来る存在を指して言う。
 グレズコアとは、グレズを形成する機械細胞を統御する演算機構であり、半永久的に莫大なエネルギーを生成するジェネレーターでもある。このグレズコアによって稼働するグレズのうち、周囲の環境を機械化する能力を持った指揮官クラスの個体をメタロードと呼ぶ。


 グレズコアを構成する機械細胞が増殖、進化することによって生まれるグレズクリスタルという物体も存在する。
 基本的な機能はグレズコアと変わらないが、その能力は桁違いであり、無から有を生み出すとさえ言われている。
 このグレズクリスタルはメタゴッドや高位のメタロードが搭載している場合があり、それらのグレズが他と一線を画する性能を発揮する要因となっている。


 また、対グレズ、対アムルタートの兵器としてのデザインコンセプトを持つMT、その動力源であるモナドドライブも、このグレズコアを原型として、オリジンの魔法技術を加えてマリア・カスタフィオーレ博士が完成させた代物であるし、アンチグレズと呼ばれるデバイスを使用して、グレズコアの力を調和の危険なしに引き出して戦う者も存在する。


 このように、現在のオリジンにおいてグレズとは強大な敵であると同時に、戦う力の源のひとつとして扱われる側面も持っている。
 故に、グレズに関する様々な研究が行われ、成果を上げている。
 そのうちの一つに、グレズの個体識別技術がある。
 もとはMTの開発過程において、モナドドライブと接続されたMTが機体ごとに個別の電磁波パターンを放つことが確認されたことが始まりで、グレズコアを搭載したグレズにも同じ識別が可能なことが発見されたのである。
 この技術によって、著名なメタロードについては機材とデータさえその場にあれば出現を確認することが可能となっている。現在のグレズの首魁、ディギトゥス、地下世界アルビオンで活動するアウリ・キュラリス、そして既に討ち取られているが、ヴィンラント共和国を襲撃したメディウスなどはその筆頭であろう。



「鹵獲したグレズが統括固体として認識していた電磁波パターンは、バシレイア動乱時に確認されたヴォーティフのものと一致しました。故に我々は、不完全ながらもヴォーティフの復活が為されつつあるものと判断したのです」
 ウェルマイスの街の外れにある、ティカル騎士団の詰め所。その取調室であさひと一対一になったサルバトーレはそう切り出した。


 スパイ行為云々はともかくとして、ヴォーティフ復活を企んだというのは明確な濡れ衣である。下手に抵抗するよりも誤解を解いた方が後々のために良かろうと判断して一行は大人しく拘束される選択をした。
 騎士団が持っていた情報についてはローレンが内部に潜入しているVF団構成員を通じて引き出し、その構成員の存在を感付かれたことによって情報の提供先であるローレン達まで捜査の手が伸びたわけであるが、当の構成員は危ういところで追及の手を振り切っていた。
 これによって、サルバトーレは情報漏洩者がいた事までは掴んでいても、それがVF団であることまではたどり着いていないという状況が生み出されている。
 連行される前にサルバトーレと会話を交わし、自分達のなかにVF団が混じっている事に相手が気付いていないことに気付いたフェルゲニシュとローレンは、自分達の目的のためにやむを得ず騎士団内の不心得物から情報を引き出した、というストーリーをでっち上げた。
 それはそれで真実ではあるし、ティカル騎士団から不法に情報を引き出したという点は変わらないのだが、VF団が一行の中に存在していると認識されて態度を硬化されてしまうことを避けたいという思惑と、ダスクフレアが今回の件に関わっている可能性があるという情報をタイミングを見計らって開示する事で拘束されている状態を脱することができるのではないかという計算の結果、そうしたカバーストーリーが構築されたのである。
 結果としてあさひたち五人は武装を解除――あさひやシアルはもとより丸腰だったが――され、バラバラに独房へと放り込まれたのである。


「ええと、ぶっちゃけちゃうとですね。あたしはオリジン滞在暦二日のフォーリナーなんで、あんまり大それたことはできないんですけど」
 やたら頑丈そうな椅子と机の用意された詰め所の一室で、あさひはサルバトーレと差し向かいになっていた。
 部屋の中には二人だけだが、当然扉の外にはあさひの逃亡を防ぐために騎士団員が張り付いている。そんなことしなくてもどうしようもないのになあ、というのがあさひの正直な感想だが、そういう仕事なのだな、と納得する事にした。
「しかし、フォーリナーは絶大な力を持つものです。仮にあなたに世間を騒がせるような意思がなかったとしても、何かに利用されていないと断言する事はできますか?」
 丁寧な口調ながらも、サルバトーレがあさひの主張を真正面からバッサリと切り捨てる。
「いやまあ、その辺は確かにそうかもしれないですけど……。でもあたし、絶対武器も使えないんですよね」
 先ほどからやたらと口の軽いあさひだが、このあたりは引き離される前に仲間たちから入れ知恵された結果である。
 あさひの受けたアドバイスを総合すると、『腹芸は期待してないからとりあえず正直者でいろ』ということだった。ただ、ローレンの素性についてはぶっちゃけてしまうと色々とややこしくなるので、そこだけは伏せておくように、と念を押されている。
 なので、仲間たちの素性についてはよく分からない、というのがあさひの口から出た最多の単語となっている。実際問題、互いに軽く自己紹介した以上のことは分かっていないので、そう不自然な受け答えにもならなかった。


「確かにあなたが絶対武器を扱えたなら、我々を薙ぎ倒してこの場を突破する事も可能でしょう。その後にはティカル騎士団そのものを敵に回すという事になりかねない、ということを考えなければ、ですが」
 つまり、実は絶対武器を使えるが、後々のリスクを避けるためにそれを欺瞞しているのではないか、ということをサルバトーレは疑っているのだ。
 状況と、サルバトーレたちの職責を考えれば致し方ないこととはいえ、流石にげんなりとした気分であさひは思わず机に突っ伏す。やや目の粗い木製の机がちくちくと頬を刺したが、顔を上げる気にはならない。
「そんなに警戒されても何にも出てこないんですってばあ」
 やや大げさに悲しげな声を出し、突っ伏したままの上目遣いでちらりとサルバトーレの様子を伺うが、全くのノーダメージのようで、彼は先ほどから変わらない生真面目な視線をあさひに注ぐのみである。
「ですが、あさひさん。あなたが一番真相に近い場所にいることはおそらく間違いないことです」
 あさひは突っ伏した姿勢を変えないまま、サルバトーレの言葉に怪訝の色を浮かべ、 サルバトーレはそんなあさひにしばらくの間、探るような視線を投げかける。


 状況が違ったなら恋が芽生えてもおかしくない、というくらいの時間と密度の見つめあいから、先に目を逸らしたのはサルバトーレの方だった。彼は視線を一旦下に向けて、ため息を地面に落とす。
「あくまで個人的な見解ですが、おそらくあなた自身はシロでしょう。少なくともヴォーティフに関連する事柄については、ですが。我らティカル騎士団からの不正な情報の取得については少し言動に怪しい部分が見られますからね」
「う、いや、それはそのう」
 一旦安心させてからのサルバトーレの切り込みに、あさひはしどろもどろになってしまう。が、取り調べ役はそこを追求するでもなく、僅かに頬を緩めてみせた。
「まあ、そこは然程に重要視しているわけでもないんです。いや、問題は問題なのですがね。ティカル騎士団は権謀術数を是とする風潮がありますから、内部に存在する情報の漏洩者を見逃していたこちらの迂闊だったと、そういう思いのほうが強くあります。あとは、そこへつなぎを取る事に成功したあなた方への賞賛でしょうか」
「そうなの? じゃあそこについては実はお咎めなしとか?」
 ぱっと顔を上げて話題に食いつくあさひに苦笑しつつ、サルバトーレは首を横に振る。
「流石にそういうわけにもいきません。問題は問題だ、と言ったでしょう?」
「うぐっ。やっぱりそんなに甘くないかあ」
 再び机とあさひの顔面が仲良しになる。
「でも、策略の類がいいことだ、ってちょっと変わってますね。あたしの故郷の騎士のイメージとはだいぶ違うかも」


 ふと思い浮かんだ疑問があさひの口をついて出る。ふむ、とひとつ頷いてサルバトーレがじっとあさひを見る。
「無論、私利私欲や権勢のためだけにそうした策略を巡らせる事をよしとするわけではありません。あくまで我々が弱き人々の剣であり盾であり続けるために、単純な武力を用いる以外の戦にもティカルの騎士は精通していなければならないのですよ」
 淡々としながらも、己の属する騎士団に対する誇りが垣間見えるサルバトーレの言葉を聞いたあさひは、それを次のように意訳して口にした。
「つまり、脳みそ筋肉じゃ世界の平和は守れない、ってこと?」
「極論すればそういうことになりますね」
 身もふたもないあさひの言葉にくすりと笑いを漏らし、サルバトーレが頷く。
「ただでさえこのオリジンは戦の絶えない世界です。神王エニア三世陛下のお力とご威光で侵略者たちの力を削ぐことが可能といっても、完全な撃退には至らず、オリジン古来の災厄も未だ多くあります」
 そう言ってサルバトーレは視線をやや遠いものにし、
「あなた方が今日訪ねたあの孤児院の子供たちはその八割が戦災孤児です。この事実だけでもオリジンの現状がどういうものか、ある程度はご理解いただけるでしょう?」
 あさひはむっくりと身を起こし、沈黙したまま目線で頷く事で答えとする。
「我々は強くあらねばなりません。すべての敵を打ち破れるほどに。我々は聡くあらねばなりません。すべての災いの芽を摘み取れるほどに」
 あさひと目を合わせたサルバトーレが詠うように信念を語る。
「ヴォーティフが復活して再び人々の脅威となる事など、看過するわけにはいかないのです。あの子たちのためにも」
 再びあさひとサルバトーレは視線をぶつけ合わせる。今度はその視線を逸らさぬまま、サルバトーレは言葉を続けた。
「全ての中心にあるのは、あなたと主と仰ぐアニマ・ムンディ……シアル嬢です。彼女からは……」
 サルバトーレがその先に続く事実をあさひに伝えようとした時だった。
 突如として轟音が立て続けに起こり、詰め所を揺るがしたのだ。






 ローレンは放り込まれた独房の片隅でまんじりともせず座り込んでいた。
 ティカル騎士団から情報を窃取したことが発覚したのは痛かったが、まだ致命的な事態ではない。VF団が絡んでいるという事が知られれば対応も多少変わってくるだろうが、現状ではそれを辿るための糸はほとんど切れている。
 あさひが口を滑らせたり、シアルが何もかもぶちまけたり、という可能性もちらりと脳裏を掠めるが、そこは心配しても仕方がない。その時はその時で過たず対処すればいいだけのことだった。
 それよりも、捕まってから気がかりになっている事に思考を振り向ける。


 内通者を通じてティカル騎士団が保有していた情報を不正に得たことがバレて捕まった。
 これは別にいい。いや、良くはないが、筋は通っている。
 だが、自分たちをヴォーティフ復活と結びつけたものは何か。
 サルバトーレたちが保有している、鹵獲したグレズを由来とする情報によって、そこに何らかの関連性を見出したのかもしれない。そう考えれば一応納得できない事はない。
 だが、事態はそこから一歩踏み込んで展開している。
 自分たちは『ヴォーティフ復活を企む一派』として認識されていた。これはおかしい。
 自分たちが知りえない情報によって、一行とヴォーティフの間に何らかのつながりをサルバトーレたちは見たのだとしても、それ以上の、ローレンたち一行がそんな意思を持っているということを見出す事はできないはずだ。せいぜいが重要参考人扱いがいいところだろう。少なくとも、この街に入ってからの一連の行動に、そんな疑いを招くようなものはなかった。それでもなお、サルバトーレの言うような疑いがかかるというのは、これはどうしようもなく人為的な匂いを感じずにはいられなかった。


「ハメられた、か?」
 ポツリとつぶやく。疑問系になるのは、今の状況が誰かの差配によるものだと仮定すると、タイミングがあまりにピンポイント過ぎることと、そこから導き出される可能性の一つとして、ローレンにとってあまり愉快ではないものが上位にランクインするからだ。


 騎士団が情報の漏洩に気付き、その流出先であるローレン達の確保に動くまでが早過ぎた。
 実際に情報を抜き出したりそれを外部へ持ち出したりという動きがあれば、その分だけ発見される可能性が高まる。内通者が尻尾を掴まれたのもそれが大きな要因となっているのだろう。だが、結局のところ内通者は逃げ切っているのだ。自然、その後ろについていた組織がどこであったのか、情報がどこへ漏れていたのか、という事についての明確な証拠も確信もティカル騎士団側にはなかったはずなのだ。
 

 だが、驚異的ともいえる速度でサルバトーレはローレン達にたどり着いてみせた。
 情報の漏洩に気付き、事実を確認し、検証して実際に動くまでのタイムラグを考えれば、彼らがそれに気付いたのは内通者がローレンに情報を送る手はずを整えたのとほぼ同時と言っても過言ではないだろう。


 なぜ、今までは問題なくティカル騎士団内に潜り込んでいたVF団のエージェントが発見され、あれほどのスピードでサルバトーレたちは動けたのか。
 仮説その一。単なる偶然。
 そうであればあれこれ悩む必要はないのは事実だが、あまりに楽観的思考に過ぎる。
 仮説その二。内通者は以前から発見されていて泳がされている状態であり、外部への連絡を行った時点で騎士団は確保に動いた。
 有り得ない話ではない。サルバトーレたち第三中隊の迅速な動きについても、内通者がもとより監視下にあったのだとすれば説明はつく。が、情報の提供先であるローレンたちがヴォーティフの復活を企む一味である、という結論に至った理由が見えてこない。
 仮説その三。
 何者かがティカル騎士団に対して内部にいるVF団のエージェントがいること、そこから情報がどこに漏れたのかを教えた。
 外部からのタレコミがあったなら、ローレンたちにヴォーティフ云々の嫌疑かかかることにも説明はつく。その何者かが情報の漏洩先がそういった者達だと吹き込んでしまえばいい。実際に身内に内通者がおり、情報を盗み出している事まで真実であるなら、その言葉の説得力は十分なものとなるだろう。


「問題は、だ」
 そう、問題は。
 ティカル騎士団側に内通者の存在を気付かせ、情報の漏洩先を教え、なおかつそれらのリークを内通者がティカル騎士団から逃げ切れるようなタイミングで行えるような存在。
 どう考えてもそれらの条件をすべて満たす筆頭候補は、内通者と同じ側に立つ存在、すなわちVF団である。
「このタイミングで内ゲバかよ……」
 がりがりと頭を掻くローレン。
 VF団構成員の特徴は、ヴァイスフレアに対する鉄の忠誠である。その凄絶さたるや、末端の構成員に至るまで目的のために自爆して果てる事を厭わないほどだ。
 だが、いや、それ故に、なのかも知れない。VF団内部においても派閥争いというものは存在する。最高幹部たる三将軍、その下の八部衆においても相性の良し悪しや思想の食い違いからくる競争は割りと日常的だ。
 それでも、作戦行動中の相手に対して露骨な妨害行動に出る、というのはかなり珍しい。まして、今回ローレンがついている任務は、八部衆の一員である公孫勝がヴァイスフレアの名前を出して下した命令によるものである。これに横槍を入れるというのは、すなわちヴァイスフレアに対する叛逆と取られても文句は言えない。


 そんな輩がVF団構成員にいると信じたくないというのが半分、しかしそれが現実的に一番可能性が高いと言うのが半分、というところが現在のローレンの心中である。
 そんな風にもやもやとした気持ちを抱えつつ、今後どう動くべきかをシミュレートしていたローレンの耳に、低くしわがれた、しかし力の篭った声が届いた。
「難儀しておるようだな?」
 ぴくりと体を震わせ、ローレンは独房の中に視線を走らせる。声の主はすぐに見つかった。自分がもたれかかっている壁に半ば埋もれるようにして、半透明の姿の老人がいつの間にか佇んでいる。VF団八部衆の一人“入雲竜”公孫勝であった。
 半透明なのも壁を透過しているのも、今ここにある彼が実体ではないからだ。暁帝国に伝わる仙術を用いて、精神体のみをこの場に顕現させているのである。
「申し訳ありません、公孫勝様。不手際をさらしてしまった事をお許し下さい」
 ローレンは公孫勝に顔を向ける事すらせず、先ほどからの姿勢を維持したままで詫びの言葉だけを述べる。本来であればこのような八部衆への礼を欠いた行為は決して取りはしないが、仮にひざまづいて頭を垂れている場面を見回りにでも見られると面倒である。それ故の、敢えての無礼だった。公孫勝もそれは承知しているのか、ローレンの態度には何も言わず、そのままローレンからの報告を受ける。


「……ふむ。同胞からの妨害、か」
「その可能性もある、というレベルですが」
 ローレンから現状とそれに関する考察を聞いた公孫勝は顎髭をしごきながらしばし沈黙し、ふむ、と頷いてから口を開く。
「そちらはヌシがこれ以上気にする必要はない。現場にいながら後方の監視をするのも厳しかろう」
 そうそう、と思い出したように機械化した右の人差し指をピンと立ててこうも付け加えた。
「ヌシらがエルフェンバインより持ち出したアニマ・ムンディだがの、アレは現時点をもってワシが引き取らせてもらう」


「お言葉ですが公孫勝様。あれを今フォーリナーから引き離すのは得策ではないかと存じ上げます」
 公孫勝の言葉に、ローレンは反射的にそう反論していた。
 目を合わさずとも、公孫勝から射抜くような視線を向けられていることを感じ、背筋に冷や汗が伝うのを感じる。
「理由を聞こうかの」
「は。フォーリナーの性格上の問題です。アニマと離れることを受け入れるような性質ではありませんし、あれの存在が精神の安定に一役買っている部分もあると見受けます。フォーリナーを味方に付けるのであれば、無理に引き剥がして信頼を失うよりは、そばに置いておき、諸共に取り込むのが上策かと」
 公孫勝は黙したまま答えない。そんな八部衆の様子に気圧されるようにしてローレンが言葉を重ねる。
「また、アニマ・ムンディは人形とはいえ意思を持ちます。現在はフォーリナーを主人として認識している以上、フォーリナーを抱き込んだ上で活用するほうがやり易いかと愚考いたします」
 言うべきことは言い切った、と、ローレンは軽くうつむいて瞑目し、公孫勝の沙汰を待つ。
「確かにの」
 短く、それだけがローレンの耳に届く。
「ワシはフォーリナーを味方につけよと命じた。可能ならばアニマ・ムンディを確保せよとも命じた。任務に忠実なヌシのことじゃ。そのような言が出るのも当然と言えような」
 はっと顔を上げると、真正面に半透明の公孫勝が立っていた。右目のレンズが無表情にローレンを見下ろしている。
「しかしの。少々事情が変わってきた。彼のアニマ・ムンディは、ワシにとってフォーリナーなどよりよほど価値を持つものよ」
 それに、と口調にやや笑みを混ぜて公孫勝は続ける。
「フォーリナーがアニマ・ムンディを拠り所にしておるというなら、それを奪った上で付け込むというのも有効な手段だとは思わぬか?」
 話は以上だ、とばかりに公孫勝はその場で指刀を切る。仙術の効果を終了させて、この場にいる精神体を本来の体に戻すつもりなのだ。


 何かがおかしい、とローレンは感じていた。
 公孫勝の言動について、ではない。
 彼の物言いは確かに非情な側面があるが、任務を達成する上での効率を考えれば的外れなものではないし、アニマ・ムンディを急に重要視し始めた事についても、実際に現物を見て何らかの発見があったからかもしれない。そもそも、何故あのアニマ・ムンディが必要なのかをローレンは聞いていないのだから、そこについては考えるだけ無駄だとも思う。
 だから、ローレンが全身全霊を研ぎ澄まして公孫勝を、その裏にある何かを見抜こうとしたのは、純粋に、彼の第六感に拠るものだ。
 魔術的なアプローチでも、ローレンの最大の武器たるESPによる知覚でもなく、機械的な分析でもなく。
 内在フレアを最大限に活性化させ、ローレンが見通そうとしたのは、一言で言えば世界の理である。そこにある世界を構成する何か。世界の構成要素たるフレアを通じて、そうしたものを感じ取る根源的な知覚を極限まで増幅したのだ。


「……何が視える。ローレン?」
 術の行使を途中で止めた公孫勝が真正面から尋ねる。
 もとよりこの手の探知はローレンの得手ではない。おそらく、同じ分野の感覚が一番鋭敏なのはフォーリナーたるあさひである。エルフェンバインの格納庫で見せた直観力は、ローレンの遥か上を行っていた。
 そこを補うためにローレンは自身のフレアを最大に活用していたが、それが目の前の公孫勝に気取られないはずもない。
 それでも、視なければならない、という半ば強迫観念じみた思いに駆り立てられて、ローレンは感覚を研ぎ澄ます。


 そして、ローレンはそれを視た。


「……いつからですか」
 からからに渇いたのどから、ようやくそれだけを絞り出す。
「さての」
 公孫勝は飄々とそれだけを答える。
「まあ、ヌシとの付き合いほど長いわけではない。九年前、弧界エルダで超能力者狩りに追われていたヌシを拾ったときは、そうではなかったからの」
 からからと笑って付け加えるその言葉に、ローレンは当時の事を思い出す。


 二大国間の冷戦に火が点き、重陽子ミサイルの撃ち合いで滅んだ弧界エルダ。ローレンはその世界にかつて存在した超能力者の集落、ロプノールの血を引いている。
 ロプノールは重陽子ミサイルによる最終戦争より前に超能力者狩りによって滅ぼされた里だった。超能力者自体がエルダでは迫害されていたという経緯もあるが、ロプノール出身の能力者は珍しい能力を使う事も、彼らが目を付けられた理由だった。
 『ロプノールの鏡』とよばれるそれは、超能力者が自身の能力を結晶化させて作る物質で、熟達者の手になる『鏡』は、その内側に使用者を格納して星間航行することすら可能な代物だという。
 その力――超能力者狩りの者達の言葉を借りるなら『レア物』――のおかげで里が滅ぼされた事を思えば、そんなものを一族に与えた運命やら神様やらに一言物申したいというのがローレンの正直な感想だが。
 

「……里から落ち延びた両親の産んだ、実際のロプノールを知らない俺みたいなガキまでエルダでは狩り出されました。そのとき俺はあなたに助けられ、そして、ヴァイスフレアの元に全ての世界を統べるというVF団に忠誠を捧げました」
 目を瞑り、ローレンは今の自身を形作る原点を思う。
 数多の世界の人員で構成されるVF団。その目指す未来に己の全てを懸けてみようと決めたのだ。
「俺にきっかけを下さったのは公孫勝様、あなたです。組織内の超能力者に師事できるよう取り計らって下さったのも、部下として取り立てて下さったのも、全て」
 斬り付けるようなローレンの言葉を、公孫勝は身じろぎすらせずに聞いている。
「で、あればなんとする。過去のよすがで今ヌシが視たものをなかった事にするとでも言う気か?」
「いいえ。世界はヴァイスフレアによって統べられるべきもの。何人たりともそれを侵させるわけにはいきません」
 ですが、という言葉の後に一呼吸を入れて、ローレンは続ける。
「それを俺に教えたのすらあなたです。だから、あなたに問いたい。何故なのですか」
 ローレンの声は、どこか苦しげでさえあった。内面の葛藤がありありと伺えるその声音に対し、公孫勝は飄然とした態度を崩さない。
「ヴァイスフレアへの忠義には今でも一片の曇りとてないつもりよ。……要はやり方の問題よな」
 その声は自身と力に満ち満ちていて、彼が己の道に絶対の肯定をもって望んでいる事がはっきりと感じられた。
「三千世界は広く、争いの種は限りない。いかにヴァイスフレアの威光をもってしても、その統一へ至る道は遥かに遠い」
 そう語る公孫勝だが、それは分かりきった事だ。少なくともローレンはそう思った。だからこそ、その道のりを踏破するための時間をほんの少しでも短縮するため、VF団は活動し、研鑽を積んでいるのではないのか。
 そこまで考えて、ローレンは先の公孫勝に対する自身の問いの答えを得た。


「だから、ですか」
「ふむ?」
 す、と立ち上がり、公孫勝に向き合うローレン。顔の左半分に興味深げな色を乗せて、八部衆は部下の挙動を見守っている。
「だからあなたはこう思った。手っ取り早く、今ある世界を『ヴァイスフレアによって統べられる世界』に作り直してしまえばいい、と」
 くい、と公孫勝の唇の端が上がる。それを目にした瞬間、ローレンの中にあった最後の希望が砕け去った。
「最初の質問に答えようかの。……二年よ。それだけの間、ヌシはワシのことに気付かなんだ。今になって気付いたのは、やはりフォーリナーの影響かの」
 間違いであってほしかった。上司であり、親にも等しい目の前の人物がVF団にとって、否、三千世界にとって不倶戴天の敵と成り果てたことなど、認めたくはなかった。
 それでも、現実から目を逸らすような愚かな真似はできない。だから、彼は自分自身にそう教えた人物に向けて、言葉を作る。
 真正面からかち合った視線の向こう、公孫勝の右目のレンズの内側で、黒い炎がちろりと踊る。


「あなたはダスクフレアに堕ちたのですね」


 訣別の言葉だった。





[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑧ ダスクフレア
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/01/31 19:04
Scene17 虜の選択

 シアルは実に落ち着いているように見えた。
 殺風景な独房に備え付けられた寝台の上、ぴんと背筋を伸ばして座り、取り乱した様子など欠片も見せない。
 しかし、それはあくまで見かけ上の話だった。
 

 現在のシアルの内心を風景として表現するとすれば、大嵐であった。現状に対する不安が、彼女の意識を大きくかき乱している。そのうねりを言葉にするなら、
 ――あさひは大丈夫でしょうか。
 ということになる。
 自身の情動に素直に従っていたなら、今頃シアルは独房の中を落ち着きなくうろうろと歩き回ったりしているに違いない。現状、そうなっていないのはシアルがアニマ・ムンディ――多くの界渡りを迎え入れてきたオリジンの科学と魔術の結晶たる存在ゆえだ。


 アニマ・ムンディは極限まで人間に似せる事をコンセプトに製造される。その度合いは、人間にできる事でアニマにできない事はない、と言わしめるほどである。これは、モナドドライブが『接続する機体が人型に近いほど出力が安定する』という特性を持つが故の仕様である。MTに直結されたアニマ・ムンディは、モナドドライブに己が駆動させているのは人間そのものと言っていいほどの機体であると誤認させ、その出力と安定性をハネ上げるのだ。
 反面、情緒面については抑制して製造されるのが主流だ。モナドドライブが求めるのは人型であることであって、内面が人間らしいことではない。ならば、MTの部品と言って過言ではないアニマ・ムンディに必要以上の情緒を持たせる事は、どちらかというとデメリットの方を多く含む。


 翻って、シアルが感情を表に出すよう設定されているのは、彼女がフォーリナー専用MTのアニマであることに起因する。
 フォーリナーとはその名が示すとおりに異邦人である。多くの場合、オリジンに知己すらなく、しかし戦いに巻き込まれる事がほとんどだ。
 そうしたフォーリナーの精神安定の一助として、シアルは感情をスポイルされずに製造されている。
 単純な話、無表情、無感情な相方よりは、人と同じに笑う相方の方がやりやすいだろうとの判断である。
 シアル自身はその判断について評価を下す立場にないと考えているが、少なくともあさひに対してはそれがプラスになっていると見ていた。それが故に彼女がシアルを必要以上に大事にしている事に関しては思うところもあるのだが。


 ともあれ、今シアルは、そうした経緯で搭載された己の感情表現プロセスにインタラプトして、表に出てこようとする、『そわそわと歩き回る』『落ち着きなくあたりを見回す』『大声を出してあさひの安否を誰かに問いただす』といったタスクを片っ端からキルしている。結果として、彼女は外面的には極めて落ち着き払っているように見えているのだ。
 人間であれば強靭な精神力を持って行うであろう不安への対抗を比較的簡便に行えることの幸運を噛み締めつつ、ただじっと時を待つ。


 別々の独房へ引き離されるとき、主の身を案じて盛大にゴネたシアルに対して、あさひは「大丈夫だから」と彼女を諭した。身に覚えのない事なのだから、すぐに解放されると言って笑ったのだ。
 そこまで思い出して、シアルは少し気分を下降させる。本来なら、自分があさひを安心させる役割を担うべきなのに、この体たらくである。


「とは言え、現状では何が出来るわけでもありませんしね」
 ぽつりと出たその言葉も、どちらかというと感情の内圧を下げるために外へ吐き出されたようなものだ。
 とんとんとん、と石を叩くような音を聞きつけて、自身が貧乏揺すりをしていることに気付く。すぐさま無意識系の身体制御プロセスにインタラプト。脚部へ出されていたコマンドを捻り殺す。
 思った以上にストレスが溜まっているらしいことを自覚し、シアルはそっとため息をつく。こうした行為で少しずつでも抑圧を減らしていかないと、そのうちおかしな事をやらかしてしまうような気がしてきた。


 ――シアル・ビクトリアとのリンクさえ確立されていればこんな独房ごときすぐさま粉砕してあさひの下へ駆けつけられるのですが……。
 既に危険な色に染まりつつある思考を脳内で展開していたときだった。
 とん、と床を叩く音がした。反射的にシアルは身体制御プロセスをチェック。コンマ1秒でログを辿ってさっきのような貧乏揺すりをしていないことを確認し、部屋の中を見渡す。


 そこにいたのは人形だった。背の高さは龍人形態のフェルゲニシュとほぼ同等だ。
 シアルたちアニマ・ムンディのような精巧さを持っている人形ではない。むしろその逆、人体をずんぐりむっくりした形にデフォルメした、ユーモラスな造形の人形である。
 人形がシアルに向けて一歩を踏み出す。ややバランスの取れていない危なっかしさを含んだ、微笑ましさすら感じさせる所作だったが、シアルはその表情に警戒心を一杯にたたえて後ずさる。


 ――いくつか、分かった事があります。
 シアルは内心で一人ごちる。
 目の前の人形の動作原理が掴めないということ。どちらかと言えば魔術的な機構で動いているように感じられるが、それも確信には至らない。
 そこかしこに施された意匠が暁帝国風であること。ティカル騎士団領からは遥か北にある異郷の細工がここで見られるというのはどうにも不自然である。
 独房の扉からではなく、部屋の中に忽然と現れたこと。この場合、シアルが問題とみなしたのは手段よりも動機である。正規の手段以外で部屋のなかに入ってきたと言う時点で、何かロクでもない企みを腹の中に抱えていると考えるのが妥当だった。


 人形がシアルに向けて更に二歩を進み、同じだけシアルが下がったところで壁に背中がついた。
 この場で大声を上げて人をこの場に集める事も頭によぎったが、それでこの人形を変に刺激してしまうのも避けたいとシアルは考え、一旦様子を見ることにする。
 人形とシアルがにらみ合う事数秒。先に動いたのは人形の方だった。
 いや、動いた、という表現は適切とは言い難い。
 人形の胴体部が割れたのだ。大きな卵形のボディの中央に輝線が走り、それに沿う形でばくんと音を立てて左右に開く。


 人形の内部には座席が設えられていた。それに座っているのは、一人の老人だ。
 真っ白い見事な髭を蓄え、右半身を機械に覆われた、暁帝国風の衣装の老翁である。
 老人はレンズの右目と生身の左目でシアルをひたと見据える。
 その瞬間、シアルは全身に走る電流を感じた。
 否、実際に電撃がシアルを襲ったわけではない。が、それに等しい心理的な衝撃がシアルの裡を駆け巡っていた。
 その衝撃が、シアルの意識の奥まった部分に向けて、静かに、しかし抗いがたい強さで囁く。
 目の前の老人は同胞である、と。


 ふらり、とよろめいて壁に手を着き、シアルは老人を睨み付ける。
 何か、相手を操るような術を掛けられたとシアルは判断した。目の前の老人に見覚えなどないのだ。にも関わらず、先ほどのような感覚を得るということは、原因は内ではなく外にあるはずだった。
 そうした意思を込めたシアルの視線を柳に風と受け流し、老人はにたりと哂う。
「感じたか、人形よ。我が同胞よ」
「どなたかとお間違えではありませんか、ご老体。あなたとお会いした事は無いように思いますが」
 言いながら、シアルは老人と目を合わせないよう気を配る。その瞬間、彼の術中にはまるおそれがあった。
「いかにも、我らは初対面。まあ、ワシは配下たるローレンの報告を受けてより遠見の術を持ってヌシらを見ていたのだがの」
「覗き見とは流石はVF団。やる事に節操がありませんね」
 辛辣な一言に、老人――VF団八部衆が一角、公孫勝はくく、と喉を鳴らして笑う。
「そう言うてくれるな。ヌシに会えるのをそれこそ一日千秋の思いで待っておったというのに」
「ストーカーというやつですね。変態の上司はやはり変態ということですか」
「本当にキツいのう。……まあ良い。一先ずワシと共に来てもらおう。あまりぐずぐずしていると邪魔が入ってしまうでな」


 そう言うと公孫勝は人形の胴体からふわりと浮きあがって抜け出す。と、同時に人形がその腕をシアルを捕らえんと伸ばしてくる。
 一度、二度、人形の手をどうにかかいくぐる事に成功するシアルだが、三度目で胴体を鷲掴みにされてしまった。人形は戒めを振り解こうともがくシアルを、先ほどまで公孫勝が納まっていた空間に押し込もうとする。
 自由になる手足を突っ張って、それを阻止しようとしたシアルの抵抗も虚しく、今まさに全身が押し込まれてしまう時だった。
 凄まじい轟音が詰め所に響き渡る。岩と岩を思い切りぶつけ合わせたような、硬く、腹の底に響く音が立て続けにいくつも連続する。シアルと人形とが何事かと一瞬だけ動きを止め、そして再び動き出すより早く原因が知れた。
 再びの轟音とともに、シアルの独房の扉がその周囲の壁ごと吹き飛んだのだ。


「無事かポンコツ!」
 瓦礫の山を乗り越えて独房に駆け込んできたのはローレンだった。そしてシアルの返事を待つまでもなく、部屋の中の様子を見て取ったローレンが念動力で瓦礫を持ち上げ、シアルたちに向けて――正確にはシアルのすぐ背後にいる人形向けて撃ち放つ。
 人形は苦もなくその瓦礫を空いている手で叩き落したが、ローレンはそれを読んでいた。その時には既にもう一発の瓦礫を打ち出している。狙いはシアルを捕まえたままの、もう片方の腕。
 先の一発を叩き落していた人形はそれに対する反応を遅らせてしまう。結果、
「助かりましたが、どういう了見です?」
 シアルは人形の手から逃れる事に成功していた。人形から距離をとり、ローレンに対しても警戒心を見せつつ問いかける。
「あの人形は宝貝・黄巾力士。で、あっちはその使い手、VF団八部衆の一人“入雲竜”――」
 いや、と首を振り、
「ダスクフレア、公孫勝だ」


 はっと顔を上げたシアルの見つめる先、公孫勝は飄々とした態度で髭をしごいている。
「やれやれ、こうなっては厄介ごとが雪だるま式じゃな」
 そういってちらりと視線を向けたのは、先ほどローレンが空けた穴、その向こう。そこには物音を聞きつけた数人の騎士たちが武装してやってきていた。
「このポンコツを狙うってことはあんたの創世にこいつが必要ってことか、ダスクフレア!?」
 殊更に大きな声で発せられたローレンの言葉に、独房の中で睨み合う連中に対して一瞬態度を決めかねていた騎士たちに緊張が走る。が、彼らはすぐさま我に返って行動した。
 駆けつけていた騎士たち四人のうち三人は独房内に入って公孫勝と対峙し、残る一人は何処かへと走り去る。応援の要請に走ったに間違いなかった。


「さてヌシら。面倒が増える前にそこの人形娘をワシに渡す気はないかの? さすればこの場は大人しく退散しようほどにな」
 危機感の欠片も感じられない表情で公孫勝が言う。
「貴様がダスクフレアであるかどうかはともかく、拘留中の人間の独房へ無断で入るような者をそのまま帰すわけにはいかん。大人しくしてもらおう」
 独房内に踏み込んだ三人の騎士のうち一人が公孫勝に剣を突きつける。残る二人はその後ろで、おそらくはネフィリム製の拳銃を抜いて公孫勝にポイントしていた。
 じりじりとした緊張感が場に満ちる。呼吸三つ分の沈黙の後、動きがあった。公孫勝が騎士たちを順番に見回し、自身に剣を突きつけている騎士に向けて唇の端を上げて笑って見せたのだ。


 剣の騎士はその次の瞬間には動いていた。
 思い切り、殺しても構わない気構えでいく。
 目の前の老人がダスクフレアであるならこの程度で仕留める事は適わないだろう。仮にこの一撃で深手を与えてしまったとしても、即死でさえなければなんとかなる。その程度の治癒魔法の使い手は部隊に帯同していた。
 だから、彼は手にしていた剣をまっすぐに突き込んだ。公孫勝に突きつけていた剣をそのまま前へ出す形だ。
 通常、突き技の際には勢いを付けるために一度腕を引くものだ。が、彼はそれをしなかった。一瞬でも早く目の前の老人に剣を叩き込むためだ。老人がダスクフレアである確証はないが、それでもその力の大きさは感じられる。
 だからこその拙速。それでも、足先から膝、腰、肩を経て腕へ、そして剣へと力と速度を伝達させされた突きをこの至近距離でかわすのは、至難の業と思われた。


 完璧なタイミングの殺し技。
 傍で視ていたローレンでさえそう思った。剣を繰り出した騎士はなおさらだったろう。
「な……っ!?」
 疾風の如き速度で公孫勝の胸元に迫った切っ先が、標的に届く寸前でぴたりと動きを止めてしまうのを見るまでは。
 立て続けに、銃の騎士二人が頭と胸をそれぞれ狙って二度ずつ引き金を引く。が、結果は同じだった。計四発の弾丸は、公孫勝に届くことなく空中で静止していた。
 ゆらり、と公孫勝の周囲の空気が黒い色を含んで揺らめいた。剣と弾丸を絡め取った黒い陽炎。それを見て取った騎士の口から歯軋りと共に呻く。
「プロミネンス……!」
「いかにも」
 公孫勝が頷く。
「ワシの作り上げる新世界、その雛形がワシを守っておる。ヌシら程度では毛筋ほどの傷をつけることすら叶うまい」
 言うが早いか、陽炎が黒い炎へと変ずる。そして一瞬だけ収縮し、当然の反動として爆発的に広がった。


 独房内を荒れ狂った黒い炎が収まる。ふむ、と一人ごちてぐるりと見回す公孫勝の視界の中、未だにその場にたっている人影が二つ。ローレンと、その後ろに庇われているシアルである。
 騎士たちは三人ともが吹き飛ばされ、独房の壁に叩きつけられていた。が、微かなうめき声が公孫勝の耳にも届く。結果として先ほどの攻撃で一人に人死にも出ていない事に公孫勝は微かな驚きを覚える。
「なかなかやるものよな」
 そういって視線を向けた先には、肩で息をするローレンがいる。


 公孫勝がプロミネンスを爆発させた瞬間、ローレンの体を、紅玉のような赤い輝きが包んだ。執行者のコロナの輝きだ。そのままローレンが腕を振るうと、コロナの輝きを引き連れた念動力が、プロミネンスの奔流を逸らし、いなし、結果として致命的な結果を起こさせなかった。彼が力を振るわなければ、ローレンやシアルも倒れ伏していたであろうし、至近距離でプロミネンスを浴びる形となった騎士たちの命はなかったかもしれない。


「しかし、それ以上は厳しかろう」
 淡々とした口調で指摘する公孫勝に、ローレンは密かに臍をかむ
 プロミネンスへの干渉とダメージの軽減に力を使った事で、体力とフレアをごっそりと削られてしまっている。造物主の写し身として圧倒的な力を振るうダスクフレアを相手に、現状でこれ以上戦うのは自殺行為とすら言えた。
 ――なんとかもう少し持ちこたえれば……。
 これだけの騒ぎである。自分は公孫勝の精神体との接触があったため、それが自分の独房から消えると同時に行動を起こしたが、あの連中もローレンが独房の壁を破壊する音や、さっきの戦闘音で何らかの非常事態であると気付いて動くはずだ。それまで時間を稼ぐ事ができれば、突破口は開ける。そう考えたときだった。


 かちゃり、と金属の鳴る音がローレンの背後から聞こえる。気配からしてシアルが後ろで何かをしていることは読み取れるのだが、公孫勝から目を離す訳にもいかず、振り返る事はできない。
「この場は退いてもらいましょうか、ダスクフレア」
 もう一度、かちゃり、という音。
 今度は分かった。拳銃のセーフティを外す音だ。騎士達の持っていた拳銃を拾っていたのだろう。
 はっきりと無謀であるとローレンは思った。例え拳銃が大砲であったとしても、それがを扱うのがカオスフレアでなければダスクフレアにとって何らの脅威にも成り得ないのだ。
 そのことを口に出そうとするより早く、背後にいるシアルが声を放つ。
「私が必要なのでしょう?」


 ぴくり、と公孫勝が眉を動かす。繰り返すが、ただ拳銃を突きつけられた程度でダスクフレアがどうこうなるわけもない。加えて今の一言である。既に大方の事態はローレンにも予想はついていた。だから、敢えて公孫勝から目を離さないようにしつつも体を斜めにしてシアルを視界に入れる。
 そこには予想通りの光景があった。
「お引き取り頂けないなら今すぐ引き金を引きますが、よろしいですか?」
 シアルが自らのこめかみに銃を突きつけていたのである。


「それが――」
「できるのか、と言うのは愚問です、ダスクフレア。これでもアニマ・ムンディ。戦うための人形です。その程度の事ができないと思われる方が不愉快ですよ」
 髭をしごきながらの公孫勝のせりふを遮って、鋭い声が飛ぶ。固さも震えもない、自然体の声音。それは、聞く者に彼女は本気なのだと悟らせるには十分なものだった。
 だから、公孫勝はこう答えた。
「やっても構わんぞ」
 今度はシアルがぴくりと眉を動かす。公孫勝の表情を見極めようと目を凝らすが、皺深く、髭に覆われている彼の表情はひどく読みにくい。
 ブラフだろうか、とも思うが、こちらが混じり気なしに本気なのは伝わっているはずだ。ならば、その上でチキンレースを仕掛けてきているのか、あるいは、
 ――私が機能喪失するような損傷を受けたとしても彼の目的に支障はない、ということですか。
 この見立て自体は間違ってはいないだろう、とシアルは判断するが、同時にそれが全てではあるまい、とも思う。
 何故なら、本当にシアルが脳天を鉛弾でブチ抜いても構わないと言うなら、こんな問答がそもそも行われてはいないはずだ。拳銃の存在など気にも留めずにシアルを奪取するために行動すればいい。その際にシアルが損傷したとて構わないのだから。だが、公孫勝はそれをしない。そこに、シアルは公孫勝の言動の矛盾を見る。それに、この独房に最初に現れたときも彼がシアルに対して行ったのは捕獲行動だ。
 ――私が破損しても構わないが、可能なら無傷で手に入れておきたい、といったところでしょうね。
 だからこそ、現状では強引に動かずに様子を見ているのではないか。


「さて、いつまでも睨み合っているだけというのもいささか芸がないの」
 ゆるり、と公孫勝が一歩を踏み出し、黄巾力士がそれに追従する。シアルはきっと公孫勝を睨み付け、引き金にかけた指に力を込めてみせる、が、一向に意に介した様子もない。本当に引き金を引いてしまおうかとも思うが、そうしたところで公孫勝が別段痛手に思わなさそうな辺り、素直に実行するのも癪に障る。
「そもそも、何故私を欲するのですか」
「さてな。ワシと共に来ればそれも分かろうよ」
 ひょっとしたら時間稼ぎになるか、と問いかけてみるが、流石に足を止めてぺらぺらと喋りだす、という事はない。ローレンが何か仕掛けても即応できる体勢を整えたまま、ゆっくりと、しかし着実に公孫勝はシアルに向けて歩み寄る。
「まあ、そろそろその理由の一端にたどり着く者はおりそうだがの」







 最初に詰所内に轟音が響いたとき、サルバトーレはすぐさま取調室を飛び出して原因を探りにいく――というようなことはしなかった。
 詰所内には当然のことながら多くの騎士たちがおり、サルバトーレがあさひの取調べのためにこの部屋にいることも知っている。下手に動き回るより、部下が持ってくる報告を受け取って現状についての判断を下し、行動の命令を下す。それこそが部隊長である彼の役割だった。
 まず彼の元へ届けられた報告は、アニマ・ムンディの独房に超能力者の少年がいつの間にか侵入しており、その二人が暁帝国風の、半身をグレズに侵された老人と対峙していたという事、そして、その老人がダスクフレアらしいというものである。
 これだけでも極めつけの凶報と言って過言ではないが、この後に届けられた報告は、サルバトーレにとって輪を掛けて予想外のものであった。取調室に飛び込んできた、おそらくは事務肩であろう隊員はよほど慌てていたのだろう、部屋に入るや否や、こう口走ったのだ。
「大変です隊長! つい先ほど、ヴォーティフの反応がこの詰所内から、それも二つ検出されました!」
 息せき切って駆け込んできた隊員は、報告に対して返ってきたのが隊長からの刺すような視線である事に気付いてびくりと身を震わせ、それから部屋の中にいるあさひに気付いてしまった、という表情を浮かべた。
「ヴォーティフって、あたしたちが復活させようとしてるって濡れ衣着せられてるアレ?」
 あさひから疑問の声が上がるが、サルバトーレはこれをスルーして報告役の隊員に声を掛ける。
「詳細な場所は?」
「は、二つとも五番独房内です!」
 報告を聞いたサルバトーレが大きくため息をつき、あさひにちらりと視線を送ってから数瞬の間、黙考する。

 
 やがて彼は顔をあげると、あさひに真正面から向かい合う。
「あさひさん」
「はい?」
「確認させて頂きます。あなたにお話し頂いた内容、特に、シアル嬢に関する事柄に間違いも虚偽もありませんね?」
 まっすぐにこちらの目を見つめて問いかけてくるサルバトーレに、あさひは困惑してしまう。自分がオリジンに着てからの出来事はあらかた彼には話している。ローレンの素性以外や、プライベートにあたると思った事以外の隠し事はなしだ。
 だが、妙に切迫した態度のサルバトーレを見ていると、そうした話していない事柄、話す事をとめられている事柄も話さなければならないのだろうかという考えがふっと頭をよぎる。
「ええっと、そのう。あたしとシアルに関する事では少なくとも嘘も隠し事もないです」
 それ以外ではある、とはっきり言ってしまったあさひに苦笑をもらし、サルバトーレは頷く。
「ええ、それで十分です。では、ついて来て下さい」
 言うなり、早足に取調室を出る。報告にやってきていた隊員がすれ違いざまに指示を受け、それを伝達するために走り去っていく。


「あたしとシアルに何があるんですか?」
  やってきた数人の部下と合流し、彼らから受け取った武装を身につけながらずんずんと廊下を進むサルバトーレに追いすがったあさひが問いを投げかける。腰のホルダーに剣を固定しながらサルバトーレは一瞬沈黙し、しかしややあってから口を開いた。
「我々は、あのアニマ・ムンディ、シアル嬢を使ってあなた方がヴォーティフ復活を目論んでいると踏みました」
「シアルを使って?」
 鸚鵡返しの台詞に、サルバトーレは進行方向を向いたまま頷きだけを返し、
「昨日から我々は幾度かヴォーティフのものと同質のグレズ反応を捉えていました。その場所と時刻を照合すると、あなた方の居場所と完全に一致します。そして、あなた方の中で機械と近しいのはシアル嬢です」
 ですから、と前置きし、合流してきた部下たちにちらりと目配せを送る。彼らが一様に緊張を身にまとったのがあさひにも感じられた。目的地の部屋が近いのだろう。
「他にもいくつかの理由をもって、我々はあなたがたを怪しいと判断しました。ですが、どうも我々が思うより事態が複雑だったように思えてきましてね」
 そういって立ち止まった彼の視線の先に、ドアを吹き飛ばされた独房の入り口がある。
 そして、更にその内側。そこにある光景を見て、あさひは声を上げた。
「シアル! ロー君!」
 自分の頭に拳銃を向けたシアルと、彼女を庇うようにたつローレンに向けて、黄巾力士が今にも手を届かせようとしているところだった。


「シアル!!」
 もう一度、さっきより強く彼女の名を呼んで、あさひが独房の中に駆け込もうとする。
 が、その前に腕を掴まれ、行動を制止させられた。
 あさひが自分を止めた人物――サルバトーレの方へきっと視線を振り向けて文句を言うより早く、語気鋭くたしなめられる。
「やめなさい。あそこにはダスクフレアがいる」
 そう言うサルバトーレの視線をあさひは追う。そこには、黒い陽炎を体にまとわせた一人の老人がいた。
 

 ぞくり、と肌が粟立つのをあさひは感じる。同じ感覚を得た事がある。記憶を探るまでもなく思い出せる。
「エルフェンバインの地下で感じたのと同じ……。これがプロミネンス……!?」
 自分の体をかき抱くようにして、あさひはその老人、ダスクフレア・公孫勝を睨み付けた。対する公孫勝があさひに向けてにやりと哂う。
「いかにもワシはダスクフレア。姓を公孫、名を勝という。そこのアニマ・ムンディを貰い受けに参上した。抵抗は無意味ゆえ、大人しくしておるが良かろう」
「ふ、ふざけないでよね!? そう言われてハイそうですか、なんて言う訳ないじゃない!!」
 黄巾力士にローレンとシアルを牽制させたまま、公孫勝は騎士たちと部屋の入り口とを挟んであさひに向かい合う。
「勇ましい事よな。絶対武器もなしにダスクフレアに啖呵を切るとは。無謀、と言い換えることもできるがの」
 く、と息を詰めるあさひに、サルバトーレが公孫勝に対して身構えたままで声を掛ける。
「この場に来てから使えるような感覚がある、というようなことはありませんか」
 そう言われるが、あさひとしては首を横に振る以外にない。ダスクフレアを目にしたときに、言いようのない悪寒を感じはしたものの、それだけだ。サルバトーレが僅かに落胆したような様子を見せ、公孫勝が笑みを深くする。
「フォーリナーは大抵の場合、ダスクフレアと戦うさだめを持ってオリジンへ現れる。ダスクフレアに引き合わせればそれがきっかけで戦力化できるのではないか、といったところかの。アテが外れたのう、騎士よ」


 嘲りを含んだその言葉に対する最も早い返答は、サルバトーレからでもあさひからでもなく、公孫勝のすぐそばの独房の壁から来た。壁が部屋の内側に向けて吹き飛び、瓦礫の群れが公孫勝を襲ったのだ。
 瞬間的に意識をそちらに振り向け、しかし公孫勝はすぐにそれを無視する。己の纏うプロミネンスを貫いてくるような性質の攻撃ではないと見切ったからだ。
 そして、そのタイミングを見計らったように光が奔る。
 吹き飛んだ瓦礫に追いつき、それらを消滅させながらダスクフレアに迫る。瞬きほどの間すら置かず、光は公孫勝にぶち当たり、そして弾ける。
 撃ち込まれた光が空間に散り、溶け消えたあと、そこには公孫勝が健在なまま佇んでいる。が、先ほどまでとは一つ、違う事があった。
 彼は今の光を防御したのだ。先ほどまではプロミネンスにただ任せきりであったものを、防御しなければならない、つまりは自信にダメージを与えうると判断し、行動したのである。
「やーれやれ。折角出待ちしてたってのに防がれちまうとはね。これで決まりゃあ楽だったのに」
「奇襲の機会を伺っていたと言え。ただの目立ちたがりのようではないか」


 ブチ抜かれた壁の向こう、拳を振りぬいた姿勢のフェルゲニシュと、光の魔術を放ったサペリアが軽口を叩き合う。
「やれやれ。これでカオスフレアが三人。……戦力にならぬ者も含めれば四人かの。面倒な事態とも言えるし、まとめて叩き潰してヌシらのフレアをワシの役に立てる好機とも言えるのう」
 飄々と言い放つダスクフレア。流石にアムルタートの矜持を傷付けられたのか、フェルゲニシュの尻尾がぴくりと動く。
「言ってくれるな造物主の走狗風情が。貴様こそこの場で討ち取って世界の憂いを消してくれようか」
 言葉の攻撃性とは裏腹に、フェルゲニシュはじり、と慎重に間合いを計る。
「そういきり立つでない、龍の戦士よ。機を伺っていたなら聞いていたかもしれんが、そこのアニマを引き渡せばこの場は引き下がろうと言うたところよ」
 全く表情を変えず、自身のこめかみを銃口でポイントしたままのシアルと、火を噴きそうな視線を向けてくるあさひを順番にちらりと見て、公孫勝が口許を歪める。
「ヌシらとてこの場で突発的に――しかもフォーリナーが戦えないままで――ダスクフレアと戦端を開くのは避けたかろう? ヌシらは時間を得、アニマを失う。ワシはアニマを得、創世に必要なフレアをヌシらカオスフレアから奪う機会を失う。……取引としては悪くないのではないかな?」
「……あなたが約束を守る保証はあるのですか?」
 その場の全員が答えあぐねる中、最初に口を開いたのはシアルだ。
「ふむ。VF団八部衆が一、公孫勝の名に懸けて誓おうではないか」
「ダスクフレアがその名前で約束した事に意味があるとは思えねえな」
「それは見解の相違よな。ワシは今でもVF団――ひいてはヴァイスフレアの御為に行動しておる」
「そのヴァイスフレアに否定されているダスクフレアの言う事か!」
「よせローレン」
 公孫勝と舌戦を始めたローレンをフェルゲニシュがたしなめる。神妙な雰囲気を漂わせるフェルゲニシュを見て、彼の思考を最初に悟ったのはあさひだった。
「フェルさん!? そんなの駄目だからね!?」
 フェルゲニシュはあさひの声を無視してシアルへ視線を向ける。
 シアルはフェルゲニシュの意図を正確に読み取って、こくりと頷いてみせた。銃を下ろし、自身の前に立っていたローレンを押しのけて公孫勝の前にその身を晒す。
「シアル!」
 三度、あさひがその名を呼ぶ。シアルは肩越しに振り向いて、彼女の主に向かって笑みを見せた。
「今この場でダスクフレアと戦闘が始まれば、私にはあなたを守れません。ですが、この方法なら、少なくとも時間は稼げると判断しました」
 ですから、とシアルが続ける。
「私は行きます。他の誰のためでもなく、あなたのために。これは私にとっての喜びです。あなたを守るために、私にもできる戦いがあるのです」
「そんなこといつ頼んだのよ!?」
 サルバトーレに押さえられながら、あさひが叫ぶ。シアルはそんな彼女を見て、一瞬だけ目を伏せた。
「ええ、本来なら、『その身に代えても私を守れ』との命を頂きたいところでした。ですがあさひ、あなたはそれを言える方ではありませんから」
 顔を上げ、にっこりと微笑んで、シアルは言う。
「ですから、ただあなたが覚えていてくだされば満足です。このあと私がどうなろうと、あなたのアニマ・ムンディは自分勝手に、しかし役目を果たしたのだと。ただそれだけを覚えていて下さったなら、私はそれで良いのです」
 言うべき事はこれで全て、とばかりにシアルがあさひに背を向ける。公孫勝が彼女に歩み寄り、その手を取る。
 シアルの体がふわりと浮き上がり、黄巾力士の内側へすっぽりと納まったかと思うと、黒い炎が彼らの姿を覆い隠す。
 それが晴れたとき、そこにはもう公孫勝も、シアルを載せた黄巾力士も存在しなかった。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑨ 黄金の炎
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:22
Scene18 あらゆる敗北という名の――


 椅子に座ったままで俯いて、膝の上で拳を握る。
 あさひはその場で交わされる会話をそんな風にして聞いていた。
 サルバトーレたちの詰所内にある会議室。そこに集まっているのはサルバトーレと、彼に付き従っている副官が二人、そして一人人数を減らして四人となったあさひたち一行である。


 話し合いは、まず現状の確認から始まった。ローレンがVF団に所属している事もこの段階でサルバトーレたちに開示されたが、ダスクフレアが出現しており、ローレンがカオスフレアである以上、いがみ合っている場合ではない、というのがその場の共通見解だった。


「宝永に連絡を取って調べてもらった事について、報告があった。フォーリナー専用MT『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディ。彼女は存在していないアニマだ」
 彼女が本来用いるべきMTはエルフェンバインでプロミネンスを受けて動かせない。しかし、専用機でなくともアニマ・ムンディを載せたMTは単純に出力だけ考えても通常のMTの三倍までハネ上がる。
 ならば、代用品のMTを入手する事であさひに自身を守る力を与えられるのではないかと考えたフェルゲニシュがジグラッドのイルルヤンカシュを通じて神王宮にシアルの特徴を伝え、彼女に合ったMTを手配してもらおうとしたのだ。
「結論として、彼女は開発を途中で放棄されたアニマなのだ。より正確に言えば、エルフェンバインの中央工廠で開発が終盤に入ったところで、それを放棄せざるを得ない事態が起きた」
「バシレイア動乱、か」
 ポツリとつぶやいたローレンの台詞に頷いて、フェルゲニシュは先を続ける。
「フォーリナーを支えるための感情を持たせた内面は既に完成していたそうだが、肝心のボディの完成度が7割程のところでエルフェンバインが陥落。彼女はそのまま彼の地に置き去られた」
「だから何!? シアルは現に存在してるじゃない!?」


 問いかけるあさひの声に棘が混じる。シアルが連れ去られようとしたとき、真っ先に状況を容認したのは彼だった。そのことが、この龍戦士に対するあさひの態度を硬化させていた。
 噛みつかれる格好となったフェルゲニシュは、しかし一向に気にした様子も見せず、
「ふむ。そのあたりの推測を語る前に、まずは確固としたデータを持っている者に話してもらった方がいいのではないかな」
 水を向けられたサルバトーレは一瞬考え込む様子を見せたが、ため息と共に情報を吐き出した。
「シアル嬢からは、本来ヴォーティフのものであるはずのグレズ反応が検出されました。また、先ほどのダスクフレア、公孫勝からも同じ反応が検出されています」
「……つまり、どういうことだい?」
 首を傾げるサペリアに向けて、サルバトーレは、まずはデータから分かる事実のみを述べます、と前置きした上で続ける。
「公孫勝とシアル嬢の両名の体内には、おそらくはヴォーティフのグレズクリスタルが内包……いえ、搭載と言うべきなのでしょうか。ともかくそれを持っています。皆さんがエルフェンバインでディギトゥスと遭遇した際、かのメタロードが動きを止めたのも、シアル嬢をヴォーティフと誤認したためではないでしょうか」
「なるほどな。……しかし、公孫勝とポンコツの両方に反応があるってことは、ヴォーティフはグレズクリスタルを複数持ってたって事かよ?」
「いえ、おそらくバシレイア動乱においてヴォーティフが討たれた際にクリスタルが砕け、その欠片を持っているのではないかと思われます。公孫勝の方が強い反応を示していたことも併せて考えると、彼の所持している欠片の方が大きいのではないでしょうか」
 サルバトーレからちらりと目配せを受け、フェルゲニシュがその後を引き継ぐ。
「ここからは推測だが、砕けたグレズクリスタルが何らかの要因で開発放棄されたアニマ・ムンディのボディに入り込み、未完成部分を創造したのではなかろうか。本来ならそのままグレズクリスタルに制御を乗っ取られるのだろうが、クリスタルが砕けていたために本来の人格が起動したというところか」


「乗っ取られて悪い事考えてるわけじゃないんでしょ? だったらシアルの誕生にどういう経緯があったっていいじゃない!?」
 再びあがるあさひの声は、やはり荒い。だが、それは先ほどとは少し質が違う。先ほどの声に込められていたものが憤りなら、今の声に込められているのは焦りだ。
 ――あたし、イヤな子だなあ。
 意識の片隅であさひはそんな風に思考する。シアルがさらわれたのは、自分自身のせいだ。自罰思考でもなんでもなく、彼女自身もそう言った。あなたのために、と。
 だというのにフェルゲニシュに突っかかるような態度を取り、そして今、
 ――あたしは、あたしの言葉を信じていない。
 オリジンにやってきてからまだ短い時間しか経ていないが、それでも色々な話を聞いた。グレズや、ヴォーティフという名前がこの地の人々にとってどんな意味を持つのか。薄々とでも感じられないほど、あさひは鈍いわけではなかった。
「ダスクフレアの狙いは、シアルの持つクリスタルを手に入れることだろうな」
 だから、フェルゲニシュのその一言に、あさひはどうしようもないくらいに動揺した。
「じゃ、じゃあ、シアルを早く救出しなきゃ! そのグレズクリスタルがダスクフレアに取られたらまずいんでしょ!?」
 その場の全員が、視線を交錯させる。呼吸二つ分の沈黙。それは迷いであり、躊躇いだ。


「助け出すよりも、ブチ壊した方が手っ取り早い。ダスクフレアである公孫勝が持ってる方はともかく、あいつは構造的にはただのアニマ・ムンディだ。ボディごとクリスタルを跡形もないくらいに消し飛ばすのはそう難しい事じゃねえ」
 口火を切ったのはローレンだった。あさひを真正面から視線を合わせ、はっきりとシアルの破壊を口にする。
 言葉を失ったままあさひはしばらくローレンと見つめ合い、彼の瞳に宿る意思が揺るがない事を感じ取ると、その隣に座るフェルゲニシュに目をやる。
「初手からシアルの破壊を目的にするとは言わん。だが、必要となったなら必ずやる。恨んでくれて構わんぞ」
 あさひの視線に含まれた懇願の色に気付かなかったわけでもないだろうに、彼はきっぱりと断言した。
「……あんたはどうしたいんだい、あさひちゃん?」
 次に視線を受けたサペリアは、いつもの笑みを消してあさひに問いかけた。


「あ、あたしは……」
 シアルを助けたい。
 それは間違いない。だが、それを口にするだけの資格が自分にあるのか、分からなかった。
 シアルが公孫勝に連れ去られたのは、自分に力がなかったからだ。だからシアルはあの場で戦いが始まらないよう、無力な自分がその巻き添えにならないよう、自ら囚われの身となることを選んだ。
 今、あさひがシアルと助けたいと言ったところで、彼女には何もできない。周囲にいる、力を持った者達に縋り付くだけだ。
 それが、あさひを迷わせる。
「それじゃあ、駄目だね」
 俯いて黙り込んでしまったあさひに、冷たい声が投げかけられる。顔を上げたあさひの視界に、平坦な目つきでこちらを見ているサペリアが映る。
「駄目ってどういう……」
「それは自分で考えな」
 思わず零れ出たあさひの呟きをサペリアはばっさりと切り落とし、それ以上は何も言おうとしない。


「失礼します!」
 丁度そのタイミングで、酷く慌てた様子の一人の騎士が会議室に飛び込んできた。彼はサルバトーレに向けて略式の敬礼を取り、次のように報告を行った。
「市街北東部に、グレズが出現しました! 巨神級のメタボーグです!!」




Master Scene

 それを一言で表すなら、空にそびえる鋼の城だ。
 その巨大さは、間近にあってはその全容を認識できないほどで、いくつか離れた通りから見ることでやっと全容を認識できる。
 このグレズについて報告した兵士は、これをメタボーグ、つまり人型のグレズだと形容したが、これは半分がたの正解で、実際は上半身のみが人型をしている。
 下半身の構造は、何本もの尖塔が逆さに生えているような形状をしていて、当然それで歩けるはずもないので空中を浮遊して移動していた。
 その巨体の内側、人間で言えば心臓に当たる部分に公孫勝はいた。半ば機械に埋もれるような格好で、巨大メタボーグのコアとなっているのだ。
 そして、この巨神に力を与えているのは彼だけではない。
 胸部装甲の中央部に、金色に輝く球体が嵌め込まれている。その内側に目を凝らせば、そこには一つの人影が見える。
 十字架に張り付けられたような姿勢で浮かび上がるその姿は、公孫勝が先ほど手に入れてきたアニマ・ムンディ、否、ヴォーティフのグレズクリスタルの器である。
 公孫勝が持つグレズクリスタルが、もはや彼の一部と言っていいほどに同化しているように、アニマの内側にあるグレズクリスタルも、簡単に摘出できない状態にあった。下手に取り出そうとすれば、クリスタル自体を損傷してしまう危険がある。
 故に公孫勝が取った手段がこれだった。己のクリスタルの力で顕現させたグレズに、器ごとクリスタルを取り込んだのだ。幸いな事に、器たるアニマ・ムンディとはMTの部品として創造される存在である。こうして取り込み、同調させてしまうにはうってつけの素材だった。
 

 公孫勝とシアルの持つクリスタルを併せても往時のヴォーティフのそれにはまだ足りない。それでも上位メタロードと同等以上の出力が得られている。それにダスクフレアたる公孫勝の力も加わるのだ。創世に必要なフレアを狩り集めるには十分な力だと公孫勝は判断した。
 そして、莫大なフレアの塊が、この街には複数存在している。
 カオスフレア。ダスクフレアに導かれるよう現れる彼ら彼女らは、ダスクフレアにとって不倶戴天の敵であると同時に、きわめて魅力的な餌でもあるのだ。
 故に、公孫勝はここを勝負どころと定めた。己が裡にあるグレズクリスタルの力を解放し、練り上げた仙人としての術を持って制御する、仙術攻殻。これをもってフォーリナーを含めたカオスフレアを打ち倒し、そのフレアを手に入れたならば、そのをグレズクリスタルに注ぎ込んだならば。
「創世が、調和の世界が実現する……!」
 機械に囲まれた心臓部に反響する公孫勝の声は、彼の望みを目前とした状況とは裏腹に、どこか無機的な冷徹さを帯びていた。



Scene19 乱戦


 街の住人の避難は順調に行われていた。
 そもそもが兵役経験者率が極めて高いティカル騎士団領である。こうした非常時においてもそれは有効に働いていた。
 やがて、大してパニックを起こす事もなく、現れた巨大メタボーグの周囲やその予測進路上から民間人と非戦闘員の退去がほぼ終了した事が報告された。


「まーた唐突にハデな事態になったじゃないのさ」
 騎士団詰め所の屋根の上から街を見渡して、サペリアが言う。
 街の北東部に浮かぶ巨神級メタボーグ、そして、それに率いられるように存在する、多数のメタボーグとメタビースト達。
「こちらもハデに行くことを考えなければならんかもな」
 ばしん、と掌と拳を打ち合わせるフェルゲニシュ。グレズの群れは、明らかにこちらに向かってきている。
「狙うはダスクフレア、公孫勝。ともかく奴を仕留める事だけ考えて突破する」
 エアロダインの操縦席で計器の最終確認をしながら、ローレンが大まかな方針を口にする。
「有象無象は我々で引き受けます。ご武運を」
 そう言って踵を返し、整列して彼を待つ部下の下へサルバトーレが向かう。彼らが主にメタボーグ、メタビーストを受け持ち、カオスフレアたちはその指揮系統から外れ、ただ大将首であるダスクフレアを狙って行動する手はずだった。


「あさひちゃんが心配かい?」
 一瞬だけ、ダスクフレアとは反対方向へ視線をやったローレンに、サペリアが問いを投げる。
 あさひは民間人と同じく、後方へ避難させられていた。戦う力を未だ発揮できない以上、たとえフォーリナーであろうと足手まといだと面と向かってはっきり言ったローレンに対して、彼女は反論の言葉を持たなかった。だから、何か言いたげな沈黙を抱えたまま、あさひはその方針に従ったのだった。
「……別にそんなんじゃねえよ」
「じゃあ、罪悪感とか」
「妙に絡むじゃねえか。てめえだって反対しなかっただろ」
 ぎろ、とローレンがサペリアに睨みをきかせる。そうしながらも、半ばその通りである事をローレンは内心で認めていた。
 あのアニマ・ムンディは破壊する。最早そう決めていたからだ。手っ取り早くダスクフレアの力を削ぎ、その目論見を打ち破るには、そうするべきだと彼は判断していた。
 だが、その事を結局、ローレンはあさひに言わなかった。言えなかった、のかもしれない。
 言えば、あのフォーリナーはきっと邪魔をしようとするだろう。それを防ぐために黙っていた、という理屈もある。
 しかし、
「……見なくて済むなら、その方がいいだろ」
 ぽつりとそれだけを言い、口を閉ざす。
「確かにね」
 サペリアも言葉少なに同意し、眼下を見やる。ティカルの騎士たちが隊伍を組んで進んでいくのが見える。
「よし、我々も行くぞ」
 牙を剥いたフェルゲニシュの言葉に、カオスフレアたちは頷いた。



◆◆◆



 最初に戦端が開かれたのは、煌天騎士団とメタビースト部隊の間でだった。
「第四重装小隊、抜剣! 吶喊!!」
 叫んでメタビーストに斬りかかって行く騎士たちの主な武装は、オリジンの伝統的な剣や槍、槌などの武器だ。
 ただ、これらの武器は実はグレズとの相性が悪い。何せ相手は鋼の体を持つ機械生命である。熟練の業で振るわれる刃も、なかなか致命の一撃とはなりにくい。ネフィリムから提供されている銃火器や、魔法での攻撃なら効果は見込めるのだが、いかんせんそれらの兵科は主力にできるほどの数を揃えられていないのが実情だった。
 実際、前衛として向かっていった騎士たちは、その重装備ゆえに相手に突破を許してはいないが、有効打を与えられているようにも見えない


 無論、これらをメインアームとした上でグレズとも戦闘を行う以上、それなりの対策というものをティカル騎士団も持っている。例えば魔術的な加護を与えられた刀剣類や、もっと単純に破壊力を追求した武器で装甲を撃ち貫くというものもある。
「後は任せろ前衛! ブチ込め穴掘り野郎どもディガーズ!!」
 応、と声を上げて前衛が作った鎧と盾の壁の隙間を縫ってメタビーストに肉薄した騎士たちは、あまり武器には見えない機械を脇に抱えている。その機械の先端部、鋭く太い刺が出ている部分をメタビーストに押し付けると、騎士たちは一斉に機械に備え付けられている引き金を引いた。機械内部で魔術と火薬を触媒とした爆発が起こり、それによって機械先端の刺、否、杭が射出される。土木用のものを武器に転用した杭打ち機パイルバンカーだ。
 杭打ち貫通パイルバンクされたメタビーストが一機残らず爆散し、再び前衛が前に出て次の敵に備える。


「さあ笑え! そして戦え野郎ども!!」
 重装小隊の隊長が剣を振り上げて味方を鼓舞する。
 応、と答える者がある。
「我ら、少年従者の勇気を継ぎし者!」
 手にした得物を振り上げる者がある。
「我ら、善き心を守りし者!」
 力強く地面を踏み鳴らす者がある。
「我ら、誇りのために笑いながら死する者!」
 その場の全員が唇をまげて笑みを作る。
「我ら、ティカルの騎士なり!!」


 その咆哮を合図としたように、メタビーストの二陣と騎士たちが激突した。



◆◆◆



 ローレン、フェルゲニシュ、サペリアの三人は、ハデにぶつかり合うティカル騎士とグレズたちを避けるように、街の外周に沿うような大回りのルートを取ってダスクフレアの元へ向かっていた。
 いちいち手下のグレズに構っていては、いざ決戦という段になって息切れしてしまう恐れがあったからだ。このルートでも散発的な攻撃はあったが、フェルゲニシュが攻撃を防ぎ、ローレンが相手の動きを封じ、サペリアが魔法を叩き込むというコンビネーションによって悉く粉砕されていた。


「上手く騎士団が向こうの目を引きつけてくれているようだな」
 街の中央部の方角に眼を向けたフェルゲニシュが感想を漏らす。
「そうみたいだねえ。まあ、あたしらが気張らなきゃいけないのはもうちょっと後だからね。それまでは頑張って貰おうじゃないの」
 視線を上げて見上げた向こう、巨大なグレズの方へ向かう足を止めないままでサペリアが同意の声を放つ。
「……どうも何から何まで上手くいく、というわけにはいかねえみたいだけどな」
 続けて口を開いたローレンの視線の先に、幾つもの影がある。メタボーグとメタビーストの混成部隊。総数は十と少しというところか。今までがせいぜい単独で行動していたものに遭遇していただけだったのに比べ、明確に部隊規模でこちらに向かってきている。
「流石にそろそろこちらの手の内も向こうにバレる頃か」
 今まで三人が遭遇してきたグレズは可能な限り短時間で殲滅し、自分達の存在を他へ伝えられないよう留意してきたが、街の各部に展開しているどの騎士団の部隊にもカオスフレアがいないということに流石に勘付かれたようだった。騎士団の部隊を無視してこちらに向かってくるグレズたちが出始めている。


「ここで時間をかけるわけにもいかん。蹴散らすぞ!」
 フェルゲニシュの号令を合図としてカオスフレア達がグレズと接敵する。先頭を切るのはアムルタートの龍人である。
 グレズたちは雪崩を打ってフェルゲニシュに殺到し、牙で、爪で、あるいは内蔵した武器で彼を打ち倒そうと襲い掛かる。
「メタロードであればまだしも――」
 フェルゲニシュはその攻撃の一切をかわそうともしない。軽く腕を挙げ、ガードの姿勢をとる。そして次の瞬間、グレズの攻撃が彼に叩き込まれた。
 壮絶な打撃音と、その後に訪れる一瞬の静寂。
「ガラクタ如きに龍を傷付けられると思ってか!!」
 静寂を切り裂いたのは、龍の咆哮だった。物理的な衝撃すら伴ったその叫び声は、いともたやすくグレズたちを吹き飛ばす。
 尋常の者であれば肉片にされていたであろう攻撃を受けきった彼の鱗には傷一つ見られない。フレアに敏感な者であれば気付いたかもしれない。燐光のように彼を取り巻く青い輝き。光翼騎士のコロナの輝きに、だ。


 吹き飛ばされたグレズたちは、それでも体勢を立て直し、カオスフレアたちに再び襲いかかろうと飛び掛る。フェルゲニシュを手ごわいと見て取ったか、先陣を切った一体がサペリアに踊りかかった。
「ざーんねんでした、また来週、ってね」
 だが、サペリアが軽くステップを踏むように数歩を移動しただけでたやすくグレズは狙いを外し、その牙が空を切る。
 何が起こったのか理解できない、というように攻撃を外したメタビーストがサペリアの方を振り返る。そして、その際の動きが自身のスペックより劣る速度で行われた事を認識する。が、それ以上の考察を行う機能がメタビーストの裡にはなく、そしてその時間も与えられなかった。
「さっさと吹っ飛ばせ!」
 ESPでメタビーストの動きを鈍らせ、サペリアに対する攻撃を妨害していたローレンが大声で合図を出す。サペリアはにっと笑ってそれに応え、彼女の両手に赤と青の光が灯る。
 サペリアが両手を打ち合わせて二色の光を合成する。そこから迸る銀の輝きが、複数のグレズたちをまとめて消し飛ばした。
「絶好調、ってね。この調子で――」


 機嫌よく次の獲物に狙いをつけようとしたサペリアの前で、グレズたちが一斉にその向きを変える。こちらに向き合って戦闘態勢をとっていたものが、町の中央の方向へと頭をめぐらせたのだ。
「どういう――」
 ことだ、フェルゲニシュは言い切ることができなかった。
 グレズたちが一斉に加速して走り始めたのだ。おおまかには街の中央部に向かって、しかし一塊になることなくバラバラに。
「くっ!?」
 ローレンが呻き、倒したメタビーストや、戦闘でできた瓦礫を持ち上げて、近くを通リ抜けようとしたメタボーグに向けて叩き付ける。残る二人もそれぞれにグレズに向けて攻撃を繰り出すが、全てを倒す事はできず、いくらかはこの場から逃がしてしまっていた。
 意図の読めないグレズの行動にやや苛立たしげな様子でローレンが呟く。
「……どうなってんだ?」



◆◆◆



「いかん、連中を止めろ!」
 重装小隊の隊長が部下に向かって怒鳴り声を上げる。
「ですが隊長! 連中、散り散りになって逃げて行きます! 隊列で壁を組むにしても、これでは……!」
 小隊員が腰のハードポイントから機関銃を引き抜いて逃げ行くグレズに乱射しながら怒鳴り返す。
 相手も隊列を組んでこちらへ来るなら、その進路上にこちらも隊列というなの壁を置いてやればその侵攻をとめることは可能だ。だが、一体ずつバラバラになられると、そうもいかない。壁と壁の間を抜けられてしまうのだ。
 小隊長は一瞬考え込んで、状況を整理する。それまでは火がついたようにこちらに攻めかかってきたグレズたちの突然の行動の転換。部隊単位での行動を放棄してまでの逃散。否、これは逃げたのではなく、
「浸透戦術だ! 総員、体を張ってでもグレズ共を止めろ!」
 手近なところを突破しようとしたメタビーストに斬りかかりながら隊長が叫ぶ。
「後方の民間人に被害が出るぞ!!」




Scene20 ――敗北という名の結末のあとで


「心配することはないぞ、お嬢ちゃん。すぐにカタが付くさ」
 巨大グレズへと向かっていった仲間たちを見送ったあと、あさひは二人の騎士に護衛されながら避難場所へと向かっていた。彼女がかの巨大グレズ、すなわちダスクフレアとシアルの許へ向かう事は許されなかった。
 あさひが何を言うよりも早く、足手まといだ、とローレンが断じたのだ。その場にいた誰からも――あさひ自身からすら――それを否定する言葉は発せられず、彼女は避難場所へと行く事となっていた。
「そうそう。煌天騎士団は精鋭だからな」
 名残惜しげに、戦いに向かった者たちの方をちらちらと振り返るあさひを気遣って、同伴している騎士たちがかわるがわる声をかける。
 彼らはこのウェルマイスの街に常駐している騎士たちで、住民の避難を請け負ったのも彼らの同僚である。住民たちに親しみ、地理に明るい彼らでなければこうも迅速に避難を終える事はできなかっただろう。
 あさひとともにいる二人は避難作業についての報告を、実戦部隊の長であるサルバトーレに報告に来た者たちで、その場であさひを避難場所に連れて行くよう命じられ、こうしてともにいるのだった。
 ともに二十代の後半ほどの騎士たちは、明らかによそ者であるところのあさひにも何くれと気を遣ってくれていた。そのことについてあさひが礼を述べると、彼らはやや照れくさそうな笑みを交わしてから、しかし誇らしげに胸を張って、
「戦う力を持たないものを守る事こそティカル騎士の本懐。むしろこちらが感謝したくらいだ」
 と言ってのける。ややおどけた調子を混ぜていたのは、あさひの気を紛らわせようという気遣いだろう。


 だが、その言葉を受けて、あさひはきゅっと痛みをこらえるような表情をみせたかと思うとそのまま俯く。騎士たちはお前がハズしたんだ、とあさひから見えない角度でお互いを指差してあげつらいつつ、どうしたものかと慌て始める。
「でも、あたし、フォーリナーなんです」
 そして、顔を上げたあさひの言葉に、ぴたりと動きを止めた。
「フォーリナーというと、絶対武器を持つという?」
 騎士の問いに、あさひはこくりと頷き、
「でも、あたしはそれを使えないんです。本当なら、オリジンに来てから聞いたフォーリナーの力が本当にあたしにあるなら、シアルを、友達を守れたはずなのに、こうやって逃げ出して、守られるだけで……!」


「それの何が悪いのかね」
 搾り出すようなあさひの声に、騎士はそう応えた。
「例えば、我らティカルの騎士であるならば、ただ守られるだけの存在である事は許されないだろう。戦いがあり、敗北と言う結果の先に弱き人々の涙があるのなら、力及ばずとも笑って捨て石になり、勝利を、もしくは仲間たちがそれを掴むまでの時間を稼ぐのがあるべき姿だ」
 一人の騎士がそう言い、もう一人がその後を続ける。
「だが、君は騎士ではない。軍人ではないのだ。ティカルは尚武の地だが、戦う力なき者を否定はしない。弱きが故に守られることは悪ではない」
「でも……」
 反論しかけて、あさひは口をつぐむ。実際、今のあさひに何もできることはなく、彼らの言うとおりに守られるほかにあさひの道は存在しない。だからこそ、こうして仲間と離れてここにいるのだ。


 あさひが落ち込む気分に従うように肩を落として俯いたときだった。
「お姉さん!」
 すぐそばにわき道から、そんな声がかけられる。子供の声だ。
 あさひと騎士たちがそちらに目を向けると、年ごろの違う子供が二人、しゃがみこんでいる。
「ユージーンちゃんとミリちゃん!?」
 面識のある二人の名前を、あさひは驚きとともに口にした。


 よほど怖かったのだろう、ミリの顔は涙と鼻水でぐちょぐちょだったし、今は落ち着いているユージーンの頬にも涙の跡がはっきりと見られる。
 孤児院からの避難の途中、ユージーンがミリの手を引いていたのだが、後ろから何処かの大人にぶつかられてその手を離してしまったのだという。慌ててユージーンはミリを見つけようとしたのだが、折悪しく人ごみにまぎれて見失ってしまい、ようやっと見つけたときにはすっかり避難の列からはぐれてしまっていたのだという。
「そっかあ。大変だったね、ユージーンちゃん。でも偉かったね。ミリちゃんをちゃんと見つけたもんね」
 泣き疲れていたのと、大人に会えて安心したのだろう。眠ってしまったミリを抱きかかえながらあさひはユージーンを褒める。
「そんな。元はと言えば私が手を離しちゃったのがいけなかったんです」
 照れたようにそう言うユージーンに、彼女以外の目元が緩む。
「いいや、実に勇敢なお嬢ちゃんだ。我々も見習わなくてはな!」
「まったくだな。今度部隊の連中に心得を説いてもらいたいくらいだ!」
 騎士たちに手放しで褒められてユージーンが顔を真っ赤にして俯く。


 ぞくり、とあさひの肌が粟立った。


 反射的に周囲を見渡すあさひ。何事かと尋ねる前に、念のために同じく周囲を警戒した片方の騎士が、それを発見した。
「……グレズ!」
 見上げた先、おそらくは何かの商店であろう建物の上に、狼型のメタビーストが一機、あさひたちを見下ろしていた。
「下がれ!」
 騎士の一人が叫ぶのと、メタビーストが屋根を蹴ったのはほぼ同時だった。一瞬の間を置いて、金属質の激突音が周囲に響き渡る。
 あさひたちを庇う形で前に出た騎士に向けて振り下ろされたメタビーストの前脚が、盾によって受け止められている。
 動きの止まったメタビーストに向けて、騎士が手にした剣を振り下ろす。両手持ちの大剣だ。先ほどメタビーストの爪を受け止めた盾は、騎士の眼前でふよふよと浮いている。
 フローティングシールド。その名の通り使用者の周囲を浮遊し、自動的に防御行動を行う魔法の盾だ。
 攻撃を受け止めた事による衝撃も、この盾を用いている限りは使用者の動きを阻害し得ない。それによって実現するのは高速のカウンターである。
 騎士の剣はそれを実現してみせた。騎士の反撃をよけそこなったメタビーストは、攻撃に用いた右足を斬り飛ばされている。
 二人の騎士は、グレズに手傷を与えた後も油断を見せず、しかし迅速に敵を仕留めるべく連携して動き出す。それは、客観的に見て優勢と表現すべき状況だった。


「……だめ……!」
 その状況を目にして、あさひの口から吐息のような言葉が漏れる。
 背を伝う悪寒が止まらない。危機感がぴりぴりと肌を刺す。覚えのあるこの感覚は――
「だめえっ! 逃げてえっ!!」


 遅かった。
 結果論のみを語るなら、この狼型メタビーストに見つかった時点で手遅れだったのだ。
 右前脚を失って、しかし地面を踏みしめて立つ機械の狼の周囲を、黒い陽炎がたゆたう。
「プロミネンス、だと……!?」
 騎士たちが絶句する。
 彼らの自失の一瞬を、メタビーストは見逃さなかった。
 黒い陽炎が、一箇所に収束を始める。丁度、狼の口許へ、だ。
 そして、狼が口を大きく開く。


 一番反応が早かったのは、あさひだった。ミリを抱いている腕の中に、強引にユージーンを引っ張り込み、二人を庇うように狼に背を向ける。
 騎士の一人がメタビーストに斬りかかり、もう一人があさひたちの盾となる位置へと動いた。
 

 騎士の振り下ろした剣が命中するより早く、狼の遠吠えが響き渡る。遠吠えはプロミネンスを奔流として伴い、二人の騎士はそれをまともに浴びた。
 攻撃に出た騎士が振り下ろした剣が宙を斬り、その勢いのままに倒れ付す。
 防御に出た騎士があさひたちに背中を向けたまま膝を突き、崩れ落ちる。


 二人の子供をきつく抱きしめたまま、首をめぐらせたあさひはそれを見た。
 二人の騎士の姿に、何処か違和感を感じる。先ほどまで見ていた二人と、何かが違う。
 かちり、と何かの音が聞こえた。空耳かと思ったそれが、もう一度、かちり。
 何の音かと耳を済ませたあさひの聴覚に、それは連続で届いてくる。
 そして、あさひは気付いた。


 まずは武器と防具。もとから金属であったが故に、一番先に影響を受けた。
 次に指先と足先。それは末端から騎士たちの体を侵してゆく。
 歯車、コード、ギア、さまざまな部品。
 人が、機械に変じてゆく。


「あ……」
 意味を成さない呻き。
 あさひの喉から漏れたそれに混じるのは、恐怖だ。
 グレズは人を機械に変えるものだと聞いてはいた。
 聞いていただけだ。
 目の前でそれが起こりつつあり、そして次は自分の番であろうという状況が、あさひの心を折ろうとしていた。


 きゅ、と服の袖が掴まれた。
「お姉さん……?」
 ユージーンだ。彼女には、騎士たちに何が起こったか見えていない。あさひの体が彼女の視界を覆い隠している。だから、今のユージーンにとっては、聴覚から入る情報が全てだ。
 かちりかちりと連続する金属音。グレズが一歩を踏み出す硬い足音。そして、自分を抱きしめる年上の女性の、怯えた声。
 

 は、と吐息が漏れる。
 あさひの視界の隅、自分のすぐ脇に、先ほど騎士が使っていたフローティングシールドが落ちているのが見える。
 もう一度、腕の中のユージーンとミリをぎゅっと抱きしめる。
 覚悟を決めるのに、三秒かかった。


「大丈夫だよ」
 少女の不安を取り除く事ができるよう、精一杯に優しい声で囁く。軽く頭を撫でてやり、グレズに背を向ける格好でユージーンを立たせ、この期に及んでまだ寝ているミリを預ける。
「大物だよね、ミリちゃん」
 くすりと笑って、ユージーンの背中をぽんと叩く。
「行きなさい。街の南にある病院が一時避難所になってるはずだから、そこまで逃げるの。……大丈夫。ユージーンちゃんなら一人で行けるよ」
「お、お姉さん……!?」
 本当に賢い子だなあ、とあさひは内心で感心する。あさひが何をするつもりなのか、もうすっかり見抜かれてしまっていた。
「大丈夫だよ。お姉さんは、実は天下無敵のフォーリナーなの。知ってる? フォーリナー」
 こくりとユージーンが頷くのを見て、あさひは殊更ににっこりと笑顔を浮かべてみせる。
「だから大丈夫。さあ、行って!」
 

 あさひの声に背中を押されるように、ユージーンがミリを抱えて走り出す。ミリよりも大分年上と言っても、ユージーンもせいぜい十歳程度の子供だ。その速度は決して速くはないが、グレズはそれを追おうとはしない。あさひに目標を定めたように、こちらに向けてゆっくりと歩を進める。


「やっぱりあたしが目的か」
 半ば予想はしていた。だからこそ、ユージーンたちを自分から引き離したのだ。
 落ちているフローティングシールドを拾い上げる。ずっしりと重い金属製の盾は、さっきは浮かんでいたのに今はうんともすんとも言わない。仕方がないので両手で自分の眼前に掲げるように持ち上げた。


 メタビーストに真正面から向かい合う。
 怖い。
 だが、逃げるわけにも行かない。
 グレズは全ての有機生命を機械化するのが目的だと聞かされた。今、このメタビーストがあさひに目標を絞っている様子なのは、おそらく公孫勝の指示だ。
 だが、それが達成されればどうなるか。命令のタガが外れたメタビーストは、手近な獲物を襲うかもしれない。
 例えば、まだそう遠くへは行っていないであろう、二人の子供とか。


「しょうがないよね、思い出したんだから」
 そんなに古い記憶というわけではない。というか、つい昨日の事だ。
「思うようにやる、後から振り返って後悔しないようにする、かあ。自分で言った事ながら、結構キビシーよね?」
 あの時、一方通行の友人であるシアルに、確かに自分はそう言った。よくもまあ、偉そうな事を、と自嘲する。
 おまけに、さっきまでの自分が良くない。サペリアの、それじゃ駄目だ、という台詞も納得のヘタレ振りである。状況に流されるな、自分の意志で決めろ、と彼女は言ってくれていたのだ。自分がどうしたいかもはっきり言えないようでは、それは呆れられもするだろう。
 場違いに口元に浮かぶ笑みを自覚しつつ、メタビーストに向かい合う。


 先ほどこのグレズはプロミネンスを使ったが、おそらくダスクフレアではない。本物のダスクフレアと対峙した経験が、あさひにそう言っている。おそらくは、あの公孫勝がなんらかの手段でこのメタビーストに、限定的にプロミネンスを仮託したか、使える能力を与えたかしたのだろう。
 だからといって、今のあさひにメタビーストに対抗する手段はない。ただ、ダスクフレアを相手にするよりは気が楽、というだけの話だ。
「まあ、遅いか早いか、なんだけどね」
 ぽつり、と自分に言い聞かせる。
 まずはこの場をどうにかして切り抜ける。それが終わったら、シアルを助けないといけない。
 資格がどうとか、力がどうとかはこの際どうでもいいのだ。
 友達に向けて大見得切ったからにはやり遂げないといけない。それだけだ。
 思い出させてくれたのは、あの子供たちだ。自分がしっかりしなきゃ、と思ったら、今の自分を客観視することが出来た。
 全部終わったらお礼を言いに行こう、と考えて、また少し口元が緩む。
 ――結構余裕あるじゃない、あたし。
 自棄っぱちになっているだけかもしれないが、それでも心の熱量は体を動かすに余りあるものを得られている。
 

 盾を持つ腕と、地面を踏みしめる足に力を込める。
 メタビーストの纏うプロミネンスが再び収束するのを目にして、あさひは盾を構えてメタビーストに向けて加速した。





 彼は、自分が夢を見ているのだと思った。
 メタビーストに向けて剣を振るい、それが届かず地に倒れ、体の半ば以上を機械と化されながら見ている末期の夢だ。
 ティカル騎士団領で育った子供なら、誰もが知っている逸話。それの一幕を見ているのだと。少なくとも彼はそう思ったのだ。


 かつて、大魔王の軍勢に対して組織された多種族連合軍。
 人間種族が魔王軍に対して恐れをなし、遁走したことで大敗したその緒戦において、ただ一人、殿に立った者があった。
 人間の、さしたる力も持たない従者の少年。
 その手に聖なる剣はなく、万軍を砕く魔法はなく、帰る家さえ持たなかったその少年は、粗末な槍と盾のみを持って、とある渓谷でただ一人、レッドキャップと魔王たちの軍勢に立ちはだかった。
 数百の魔族たちを道連れにして果てた少年従者の志を継ぐべく、彼の名を冠した騎士団が創り上げられた。
 その名はティカル。
 ティカル騎士団領のみならず、イスタム全土において知られる、勇気と誇り持つ者の名である。


 身の丈に合わない盾を構え、黒の陽炎を纏う機械の獣に向けて駆ける少女の背に、薄れ行く意識の中で、騎士はティカルの姿を見た。
 そして、これが夢ではなく、現実の続きなのだと彼は認識した。
「……お……!」
 言葉にならない呻きが漏れる。
 両手両足は既に機械に変わり、彼の意思に従わない。それでも、動く部分を使って、前に進もうとする。目の前にある勇気に応えるために、だ。
 だが、全くと言っていいほどに、彼の体は言う事を聞いてはくれない。遅々として進まない自信の前進に彼が歯噛みした時、それは起こった。


 機械の狼が、大きく口を開く。その周囲に、黒い陽炎が集う。
 メタビーストに接触するまであと数歩、というところだった。僅かに、横に飛んでメタビーストの正面から逃れるような挙動を見せた少女は、一瞬だけ後ろを振り向いた。
 黒い瞳が、倒れ伏したままの騎士を見る。
 そして、彼女は回避を捨てた。
 身を縮め、盾の影にできるだけ自身の体を入れ、そのまま地面を蹴る。
 騎士は、気も狂わんばかりの焦燥が自身を焼くのを感じた。
 彼女は、自分を守るためにその場に留まったのだ。だが、彼には最早どうすることもできない。
 そして、メタビーストの咆哮とともに、プロミネンスが少女に叩きつけられた。


 腰を落とし、盾を使ってプロミネンスを受け止める。だが、叩きつけられる黒い奔流に対し、少女の姿はあまりにも頼りなく見えた。
「う、あああああああああッ!」
 少女の口から叫びが上がる。
「……逃げろおっ!!」
 やっとのことで、騎士はその言葉を搾り出した。
 少女にもそれは届いたはずだ。彼女の肩がぴくりと震えるのを、騎士は確かに見た。
 それだというのに、少女はその場から逃げようとしない。それどころか、騎士から見ればあまりに華奢な足に力を込め、プロミネンスに抗って前に進もうとしている。
「負ぁぁぁぁぁけぇぇぇぇるぅぅぅぅかぁぁぁああっ!!」


 叫びと共に一歩を踏み出したその瞬間、騎士は彼女を見失った。
 その場から居なくなったわけではない。
 その理由は、
 ――黄金の、炎……!!
 彼女の腕から、踏みしめた足から、吹き上がる金色の輝き。
 揺らめきながら輝くそれが、彼女の体を覆い、騎士の視界を塗りつぶす。
「だありゃああああああああっ!」
 全身に黒い陽炎を吹き散らしながら、黄金の軌跡を引いて駆ける少女の雄叫びが響き渡った。



 ガツン、と盾を伝って腕に感じた衝撃に、あさひはその場に尻餅を付いた。
 正直な話、盾でプロミネンスを受け止めた辺りから何があったのかよく覚えていない。がむしゃらに突進して、そして――
「うわっ!?」
 目の前に、件のメタビーストの顔がある。へたりこんだまま後ずさるあさひを追うように、メタビーストの牙があさひに迫り、
「……あれ?」
 金属がぶつかり合う盛大な音と共に、その場に崩れ落ちた。つま先で二、三度つついてみるが、全く反応を見せない。まとっていたプロミネンスも、綺麗サッパリ消えていた。
「……あたしの体当たりって、もしかして物凄い?」
「いや、それは違うのではないかと」
 なんとなく口をついて出た言葉に、背後からツッコミが入った。慌てて振り向いた視線の先には、二人の男性が立っている。さっきまで、体を機械化されて倒れていたはずの騎士たちだ。
 一瞬、きょとんとした表情で彼らの顔を順繰りに見たあと、
「ぶ、無事だったんですか!?」
 飛び上がって喜び、彼らの足やら腕やら鎧やらをぺたぺたと触るあさひ。確かに機械化していたのに、そんな名残はもう何処にもなかった。
 歓迎すべきことなのは確かだが、これは一体どうしたことかと首を傾げるあさひに、騎士たちがかわるがわるに先程見たことを説明する。


「……黄金の炎……ですか?」
「ああ。君の体から吹き上がったそれが、プロミネンスを押し返し、我々の体の機械化も綺麗サッパリ消してしまったんだ」
 騎士たちから告げられた言葉に、いまいち記憶の曖昧なあさひは腕を組んで首を傾げる。
 確かに何かぴかーっと光っていたような気はするのだが、まさか自分自身が発光していたとは思いもよらなかった。と、そこまで考えたところで記憶の中から浮かび上がってきたことがあった。
「そうだ。聖戦士のコロナだ」
 あさひの呟きを耳にした騎士たちもぽんと手を打つ。
 サペリアが教えてくれた、カオスフレアの力の顕現。その四種類のうちの一つが、黄金の炎のコロナを持つ者、すなわち聖戦士だ。
 自分でもどうやってそれを発現させたかはよく覚えていないし、それで何ができるかも実はさっぱりだが、それでも自身にカオスフレアの力があることはこれではっきりしたのだ。
 シアルを助けるための、これは大きな一歩だと内心で喜びを噛み締める。


 よし、ひとり頷いて、あさひは街の中央へと視線を向ける。巨大なグレズが宙に浮いているのがはっきりと見えた。
「あたし、行きます。ダスクフレアのところへ、友達を助けに」
 騎士たちへと振り向いて、きっぱりと告げる。
 彼らは反対こそしなかったが、自分たちも同道すると主張した。
 いかにカオスフレア、聖戦士と言えど、年端もいかぬ少女を一人戦場に送り込んだとあっては騎士失格である。助けられた恩も返さなくてはならない。是非とも供に連れていって欲しいと熱心に頼み込まれたのである。
 彼らの気遣いは嬉しかったし、心強いものだったが、あさひはこれを謝絶した。
「ユージーンちゃんたちも心配だし、他にも逃げ遅れた人がいるかも知れません。だから、街の人を守る仕事をしてください。お二人の代わりに、あたし、あそこで頑張ってきますから」
 そう言って、ちらりと巨大グレズへと目線をやる。
 騎士たちは数瞬黙考し、あさひの言を受け入れた。避難場所へ向かっているはずのユージーンに追いついて合流し、周辺の住民に気を配っておく、と、やや大げさに宣誓する。
 また、せめてこれを、との言葉とともに、あさひはフローティングシールドを譲られた。先ほどこの盾の浮遊魔法が発動しなかったのは手順を踏まなかったことが原因で、それを教えてもらった今は、盾があさひの周囲をふよふよと浮かんでいる。


「では、ご武運を!」
 そう言って拳を差し出す騎士たちに、それぞれごつんと拳を打ち合わせてからくるりと踵を返す。
「行ってきます!!」


 目指すは、街の中央付近。
 そこには、仲間と敵と、
 友達がいる。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑩ 絶対武器
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/02/02 09:00
Scene21 解放


 ウェルマイスの街の名物が何かと住民に聞いたなら、十中八九、中央広場だと答えるだろう。
 高名なパットフットの建築家が手がけたという噴水を真ん中に置き、植え込みや石畳でバランスよく装飾されたその場所は、住民の憩いの場でもある。
 しかし、今現在の中央広場は、この街でもっとも危険な場所へと変わり果てていた。
 広場の上に浮かぶ、巨大グレズ、ダスクフレア・公孫勝と、三人のカオスフレアが今まさにその場所で睨み合っているからである。


「……来たか、カオスフレア達よ。我が新世界の糧となるために」
「来たとも、ダスクフレア! お前の創世を止めるために!」
 遠雷のごとく響き渡る公孫勝の声に、三人の先頭に立つフェルゲニシュが叫びをもって答える。
「抵抗は無意味だ。大人しく我が創世に手を貸すがいい」
 いやに平坦な口調で、公孫勝の声が巨大グレズから降ってくる。
「三千世界から争いの種は消えぬ。世界を作り変えねば、永遠に平和は訪れない。我が創世を、機界調和を阻むなカオスフレア達よ。真の平穏と調和を望むなら、そのフレアを差し出すのだ」


 鋭い目つきで巨大グレズを見上げていたローレンが、ぎしり、と歯噛みした。搾り出すようにして、公孫勝に問いを放つ。
「……グレズに取り込まれやがったな!?」
「否。真理にたどり着いたのだ」
 公孫勝が答える。その声に、一切の感情は感じられない。
「情けねえ! 造物主に付け込まれてVF団の理想から外れただけじゃ飽き足らず、機械の使いっ走りに成り下がるたあよ!」
「ならば問う。異端ゆえに全てを失った超能力者よ」
 多分に侮蔑と激昂を含んだローレンの言葉を受けても、公孫勝の声は鉄のように揺ぎ無い。
「VF団の理想。全ての弧界の統一。それが只人に成し遂げられると思うのか」
 自身もVF団八部衆として、その理想のために邁進してきたはずの公孫勝が、己の部下であった少年に対して問いかける。
「仮に成し遂げられたとして、それは一時のものに過ぎないのではないか。その理想を永遠のものとするには、ヒトは煩雑に過ぎる」
「思い通りにならないから世界を作り直すのか!? 人に期待できないから全てを機械に変えるのか!?」
 まっすぐにダスクフレアを見上げ、ローレンは公孫勝の言葉を否定するように、腕を大きく横に振りぬく。
「教えてやるよダスクフレア! そいつぁな、ガキの我侭だ! いいトシこいたジジイのくせに、年甲斐もなく駄々こねてんじゃねえよ!!」


「ではお前達はどうだ。龍の戦士よ。星より来し者よ」
 ローレンが己の意に沿わぬと判断した公孫勝が、フェルゲニシュとサペリアにも問いを向ける。
「願い下げだな、ダスクフレア」
「こっちも同じく、だね」
 迷うそぶりも見せず、二人は即答する。


「そも、龍を釣る餌に平穏を用いるなど、不勉強にもほどがあろう。我らは強きを尊び、戦いに生きる者。全てが機械に成り果てたが故の平穏など、怖気が走る」
 そう言って牙を剥いて公孫勝を威嚇するフェルゲニシュが、やや相好を緩める。
「付け加えるなら、ここで膝を屈したとあっては家内からは三行半、娘からは嫌われそうだからな。全力で抗わせてもらおうか」


「あたしゃ、ヒトが好きなのさ。悩んで迷って、それに押しつぶされてしまう脆さ。そして、時折、それを越えていく強さがたまらなく愛しい」
 だから、とサペリアは笑う。
「創世も機界調和も必要ないね。むしろ邪魔さ。……あたしの楽しみを奪うような輩には、キッツイおしおきが必要だね」


「……理解した。どの道やる事は変わらない。お前達はここで果てるがいい。――仙術攻殻、全力起動。グレズクリスタル、共鳴開始」
 キン、と高い金属音をカオスフレアたちは聞いた。
 仙術攻殻の胸部装甲、そこにある金色のパーツが光り輝く。
「二つのグレズクリスタルを共鳴させてパワーを倍加……いや、相乗させているのかっ!?」
 いや増す圧力に、フェルゲニシュが身構える。仙術攻殻が、その巨大さに似合わない俊敏な動作で両の手指を組み合わせて印を形作る。
「計都来迎、急ぎ急ぎて律令の如く成せ」


 公孫勝が口訣を結ぶと同時に、仙術攻殻の両手の間に黒い火種が出現する。それは見る間に大きく燃え盛り、黒い小さな太陽となる。
「まずは地均しからだ。取るに足らぬ者たちでもまとめて焼き尽くせばフレアの足しになろう」
 黒い小太陽が、地面に向かって落ちてゆく。そして中央広場の噴水に触れた瞬間、凄まじいまでの爆発が引き起こされた。
「いかん、食い止めろ!! 街が消えてなくなるぞっ!!」


 フェルゲニシュの叫びとともに、カオスフレアたちは三方から広場を囲んで、己がフレアを活性化させた。
 青と赤、銀の三色のフレアが壁となって爆発の拡散を阻もうとする。 
 一番大きく展開され、広範囲をカバーするのが守護を身上とする光翼騎士の青いコロナ。
 青より多少狭い範囲を、ほぼ同じ規模の星詠みの銀と執行者の赤がカバーする。
「こいつぁ、ちょっと大変だね……!」
 サペリアが食いしばった歯の間から声を漏らす。
 黒の爆発をカオスフレアたちはどうにか押さえ込んで入るが、その包囲の輪はじりじりと押されている。既に中央広場は全壊し、その周囲の建物が徐々に崩されていっている状態だ。
「なかなか持ち堪えているが、そこまでのようだな」
 公孫勝がそう呟いた時だった。
 赤と銀の境目が、目に見えて黒に押され始める。このままではすぐにもそこが破られてしまう事は明白だった。
「くそ、マズい……!」
 包囲が破れれば、あの黒い炎が街中を荒れ狂い、焼き尽くすだろう。今もあちこちでグレズを戦闘を行っている騎士達も、避難している人々も、死してなおダスクフレアの糧とされる運命を辿る事になる。
 ローレンが歯軋りしながら自身のフレアを更に活性化させる。が、どうしても黒い炎の勢いを押し留められない。その威力とカバーすべき範囲に対して、そもそも防御側の力の総量が足りていないのだ。

 
 せめて、あとひとり。


 思わず脳裏に浮かんだそんな言葉を、その言葉とともに浮かんだ誰かの面影を、弱気の産物だと振り払おうとしたときだった。
「う、わああああああああーっ!!」
 聞き覚えのある、ヤケクソ気味の叫び声がローレンの耳に届いた。


 黄金が、赤と銀の間に立ちのぼる。その狭間を抜けようとしていた黒を押し留め、押し返す。
 ローレンは、信じられない思いでそれを見た。黄金の炎のコロナ、それが形作る壁の、その根本になっている四つ年上の少女を。


「ちょっとロー君これプロミネンスでしょさっきから首の後ろがチリチリしてうわ何これ勢いで割り込んだけどめっちゃ怖いーっ!?」
 自分から飛び込んできたくせにぎゃーすか喚くそのフォーリナーに、ローレンは一瞬緩みそうになった頬を引き締め、目一杯嫌みったらしい表情と声音を作ってこう怒鳴りつけた。
「遅えよ! やりゃあできんじゃねーか! このグータラ女が!!」
「せ、折角助けに来てあげたのに何て言い草っ!? ロー君可愛くなーいっ!!」
「ちょっと二人とも! 前見な前っ!!」
 ローレンの反対側でプロミネンスを押さえ込んでいたサペリアが語気鋭く叫ぶ。先ほどまでフレアの壁を押しまくっていたプロミネンスがすっと広場の中央へ向けて引いていく。
「と、止まった?」
 あさひの吐いた安堵の息が地面に落ちるより早く、サペリアがそれを否定する。
「気い抜くんじゃないよ! 最後っ屁が来る!!」
 サペリアの言葉どおりの事態が起こったのは、彼女の言葉が終わるのとほぼ同時だった。


「あ、あいたたた……」
 時代劇の笠のようにフローティングシールドを頭に載せたあさひが立ち上がる。目の前にあるのは、だだっ広い空間だ。
 中央広場は、その真ん中に今も浮いているダスクフレアのプロミネンスによってすっかり均され、その直径を二倍ほどに広げていた。
 サペリアが叫んだあの瞬間、収縮したプロミネンスはその反動とでも言うように急速に拡大、爆発した。カオスフレアたちのシールドは、どうにか包囲を崩さずに堪え切ったものの、外側へと押し出され、結果として広場が拡張される羽目になっている。


「よう、無事か」
 背後から声をかけられ、びくっと肩を震わせてから、あさひは声のした方を振り向く。仏頂面の超能力者がそこにいた。
「なんとかね。サペリアさんとフェルさんは?」
 ぱんぱん、とほこりを払い、仙術攻殻を睨み付けながらあさひが言う。
「連中がいた辺りは……」
 そう言うローレンの視線をあさひが追う。そこは、大きな瓦礫の山となっていた。フェルゲニシュとサペリアは十中八九、あの下敷きになっているだろう。
 あの二人ならその程度でどうにかなるはずがないとあさひは考えたが、それでも自力で脱出できるかどうかは分からない。
 しかし、ローレンのESPなら二人を掘り出すくらいは簡単なのではないか。そう思い至り、ローレンに二人の救出を提案しようとした矢先だった。


 ローレンが突然あさひに駆け寄り、あさひの襟首をがっしと掴む。次の瞬間にはあさひの全身を浮遊感が包み、瞬き一つ分の間を置いてから、あさひは自分がESPで浮かされている事を理解した。
 空中浮遊もつかの間、乱暴に放り出された先は、ローレンのエアロダインの後部座席だ。自動で動かす事も可能だと言っていたから、ローレンが呼び寄せたのだろう。
「いきなり何すんの!?」
 文句を言いながら顔を上げたあさひは、ローレンの行動の理由を理解する。
 広場中央の仙術攻殻から、光の矢が次々とこちらに浴びせかけられているのだ。仙術によるものか、機械による者かは定かではないが、ある程度の連射性と誘導性を兼ね備えた光の矢は、執拗にエアロダインを追い回している。
「くっそ! これじゃああの連中を掘り出すのもできやしねえ」
 巧みにエアロダインを駆って攻撃をかわすローレンが舌打ちする。
「ねえロー君」
「今忙しいから後にしやがれ!」
 後部座席からかけられた声に、そちらを振り向きもせずにローレンが答える。が、それにもめげずに、強い意思を載せて、あさひは再び口を開く。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「言うだけ言ってみろ」
 相変わらず振り向かないままにローレンが先を促す。
「あたし、シアルを助けたいの。力を貸して」
 正面から思い切り直球を投げたあさひに対して、ローレンはしばし答えに詰まる。
「できるのか」
「やりたいの。だからやる」
 端的な疑問に対する答えもまた、端的だった。


 ローレンは大きくため息をつく。思い切り頭をかきむしりたい衝動に駆られたが、エアロダインを操縦する手元にそんな余裕はない。結構な労力を使ってその衝動を抑え込み、
「俺に何をさせるつもりだ?」
 言ってからバックミラーで背後を確認するとき視界にかすったあさひの顔は、満面の笑顔だった。


 ひたすらに光の矢を避け続けるエアロダインの動きの質が、若干変わる。全力で回避運動を行い続けているのは同じだが、徐々に徐々に、広場の中央、すなわちダスクフレアに向けて近づいてゆく。
 距離を詰めた分だけ攻撃は激しさを増すが、それでも神業といっても差し支えないような機動でエアロダインはそれをかわし続ける。
「無駄な足掻きを。そも、フォーリナーが来たとてもはや我に対抗はできまい。そして分かるぞフォーリナー。お前は未だ絶対武器を扱えまい」
「た、確かにそうだけど、コロナは出せたもん!」
「もん、じゃねえよばか女あーっ! 嘘でもいいから絶対武器使えるつっとけ!!」
 真っ正直に答えたあさひにローレンが忙しない手つきでエアロダインを操縦しながら突っ込みを入れる。


「つーかホントに使えねえのかよ!? あんだけハデにフレアを放出してたくせに!?」
「あ、あれはなんかこう、ぶわーっとなってぐわーっとなったら出たの!」
「ワケわかんねえー!!」


 言い争う二人の声を置き去りにしながら、エアロダインは空を翔る。ダスクフレアの仙術攻殻は、もうかなり近くに見えていた。
「シアル!!」
 座席から身を乗り出して、あさひが叫ぶ。その視線の先、金色の宝玉の中に囚われている友人の名を呼ぶ。
「この器は最早我の制御下にある。既にこれは我に力を与える部品に過ぎぬ」
 嘲笑うでもなく、罵るでもなく、ただただ無機質に公孫勝の声が浴びせられる。
「このまま我の一部としてお前達を殺し、我が創世の糧とする。そのためと道具となるのがこれに定められた未来だ」


「違う!!」
 回避機動のGで放り出されないように座席にしがみつきながらあさひが公孫勝の言葉を間髪いれずに否定する。
「そんなのは違う! 認めない!! ……ロー君!」
「なんだ!?」
「あたしをシアルのところまで連れて行って!」
 ローレンは一瞬考え、こちらの機動性と相手の光の矢による弾幕の濃さを秤にかける。
「やれるだけはやってやる。でもすぐそばまでは無理だ。攻撃がキツすぎる!」
「大丈夫。ロー君の協力があれば何とかなるよ。我に秘策あり、ってね」


 追いすがる光の矢をかわしながら、エアロダインが空を走る。近づき、遠ざかり、また近づき、という作業を秒単位で繰り返しながら、仙術攻殻の胸元へと突撃する。
 そして、その時が来た。


「これが限界だ! ポンコツの前方を通り過ぎるから後はやってみせろ!!」
 エアロダインの描く軌道は、シアルの捉えられている部分の前方5メートルほどを通過するラインだ。
「行くぞ! 5、4、3……!」
 ローレンのカウントダウンとともに、目標地点が近づく。
 立ち上がったあさひに配慮するように、さっきまで世界最恐のジェットコースターでもここまでは、というような複雑な動きをしていたエアロダインが打って変わった直線機動に入る。
「2、1……!」
 ゼロ。
 あさひがエアロダインから飛び出す。彼女の視界の端で、短時間とはいえ回避機動を放棄していたエアロダインがついに光の矢に捉えられ、連続で被弾して落ちていくのが見える。
 そこまでして近づいたこの位置。しかし、それでもあさひの脚力ではシアルの位置まで届かない。その手前で彼女の手は空を切り、そのまま地面にむけて落ちてゆくのは必定だ。
「シアルを! 返せええええっ!!」


 落ち行くのみのはずだったあさひの足が、がつん、と重い感触を得る。
 あさひの足元にあるのは、フローティングシールド。そしてその周りに散る光の残滓。
 ――ロー君、グッジョブ!
 あさひが内心で快哉を上げる。
 使用者の周囲を浮遊し、加えられた攻撃に対して自動反応して防御を行うフローティングシールド。その使用者が空中にいる際、下方から攻撃を加えられるとどうなるか。その答えがこれだった。
 

 今まさに墜落しようとしているエアロダインから身を乗り出して、ローレンはそれを見上げる。自身が撃ったレーザーガンに対する防御を行ったフローティングシールドを足場にして、ダスクフレアに、否、それに囚われたシアルに向けて最後の跳躍を行ったあさひを。振りかぶったその拳に宿った、黄金の炎を。
「やっちまえ、あさひ!!」


 ローレンの叫びは、確かにあさひの耳に届いた。握った拳に力を込めて、その答えとする。
 金色の軌跡を引いて、あさひの拳がシアルを戒める檻へと走り、


「抵抗は、無意味だ」


 瞬間的に吹き上がった暗黒の炎に弾き返された。
 あさひの体が反動で空中へと放り出される。


「言ったはずだ。未来は既に定められている」


 高揚も優越もなく、公孫勝が淡々と語る。
 それが、彼にとっての事実であるが故に。
 それが、造物主の裁定であるが故に。
 だが。


「認めない!」


 あさひの叫びが響き渡る。
「あなたに未来を決める力と権利があるとしても、あたしはそれを認めない!」
 空を翔ること叶わぬ身で、それでもシアルの許へ近づこうとあさひはあがく。
 そして、


「よく言った!! もう一押し、言ってやりな!」


 聞きなれた、女の声。
 それが響くのとほぼ同時に、振り回していたあさひの足が、確かに足場を感じる。一瞬遅れて、視界の隅ではじける赤い光。
 あさひの背後、広場の中心からずっと離れた瓦礫の山の、その上。
 銀の髪を振り乱し、額から流れる血で彩られた壮絶な笑顔を見せる女がいる。
 その女、サペリアは、赤い腕輪を嵌めた右腕を真っ直ぐに、広場の中央に、あさひに向けていた。
 先ほどローレンがやったのと同じ。あさひに攻撃を向けることで、フローティングシールドを足場と為さしめたのだ。


 盾を踏みしめたあさひの足に、
 再び振りかぶったその拳に、
 真っ直ぐに友を見るその瞳に、
 黄金の炎のコロナが、聖戦士の証が燃え上がる。


「あたしは、未来を――」
 変える。
 いいや違う。そうじゃない。
 雪村あさひの意思は、その程度では表せない!


 あさひを取り巻く黄金の炎が逆巻き、燃え盛る。
 あさひの全身を包み込み、それでも足りず、その倍、更に倍と巨大化していく。


 分かる。自身を包む、フレアというものの本質が。
 世界を循環し、世界を構成するもの。
 フレアの循環を通じて、全ては繋がっている。
 ローレンと、フェルゲニシュと、サペリアと、サルバトーレと、宿屋の女将と、この街と、空と、世界と!
 当然、シアルとも。そして、もう一人の相棒とも。
 この繋がりこそが、カオスフレアの力!


 拳を振りかぶったあさひの背後、そこに逆巻くコロナが、一つの形を取る。
 あさひがそうしているのと同じ、握り拳。
 そして、更なる変化が顕れる。
 コロナの拳の中心に、小さな鉄の塊が出現する。それは、一つだけではなく、次から次へと。
 顕れては他の鉄と繋がり、組み合わされる。
 骨組みが完成し、様々な機構を持つのであろう部品がそれを覆い、最後に装甲板が被せられる。
 そこにあったのは、あさひの体よりも大きな、鋼の拳だ。


「あたしは、未来を侵略する!!」


 あさひが拳を振り下ろす。その動きを完璧になぞり、鋼の拳も振り下ろされる。あさひの纏う聖戦士のコロナが、シアルを捕えているプロミネンスとぶつかり合い、せめぎ合う。
 そして、
「シアルーーーーっ!!」
 その名を呼ぶ。
 呼応するように、あさひのコロナが一際激しく輝き、そして、目の前の風景が弾け飛んだ。
「きゃあっ!?」
 悲鳴を上げて吹き飛ばされたあさひを、柔らかく受け止めるものがあった。一瞬、エアロダインの座席のように感じたが、そうではない。やたら衝撃の吸収性に優れた座席シート。そこにすっぽりとあさひは収まっていた。
「……え?」


 きょろきょろと辺りを見回す。
 周囲の景色を映し出しているらしいモニター類。ボタンとレバーで構成されたコンソール。座席の肘掛の先端部分に備え付けられた半球形の装置は、おそらくそこに手を置いて何らかの操作を行うのだろう。五指の形に凹みが作られている。
 びしり、と何かがひび割れる音を聞いて、あさひは我に返った。音の聞こえた方、正面方向を見る。
 そこはハッチになっていて、今は開け放たれている。そして、その向こう側。
「シアル!」
 鋼の拳が打ち込まれた金色の球体。その中に見える、意識を失っているシアル。
 びしり、と再びあの音。
 音の原因は、探るまでもなかった。シアルを閉じ込める球体に、もはや止めようもなく縦横無尽にひびが走る。


 何百枚ものガラスが一斉に砕け散るような音とともに、球体が崩壊する。
 意識を失ったまま、戒めから解き放たれて落下する金髪のアニマを、打ち込まれた拳とは逆の手が、鋼の掌が受け止めた。
 そのままゆっくりと、彼女を載せたまま、鋼の掌はあさひの前に開かれたハッチまでシアルを運んでくる。
「……シアル!」
 シートから立ち上がり、ハッチを乗り越えてシアルのもとへあさひは駆け寄る。
 大きな鋼の掌の上で倒れ伏すシアルを抱き起こした。後頭部に手を添えて顔を覗き込むと、金の絨毯のように広がる髪と同じ色の瞳がうっすらと開かれた。


「……あさひ?」
 意識を取り戻したシアルの目に映ったのは、視界いっぱいのあさひの顔だ。笑顔と泣き顔がミックスされた、曰く一言で表現し難い、しかしそこに込められた歓喜だけははっきりと感じ取れる。そんな顔だった。
 そして、見上げる視線の先。あさひの背後に見える、機械の巨人。開いた胸部ハッチの前で、左手に二人の少女を乗せているそれは、
「……『シアル・ビクトリア』?」
 見間違うはずもない。彼女の半身たるMTがそこに屹立している。


「何故だ?」
 疑問の声は、シアルからではなく、公孫勝から発せられた。仙術攻殻が右腕を振り上げる。
「シアル、こっち!」
 あさひがシアルを打き抱えて、胸部ハッチの内側、MTのコックピットに飛び込む。
 そのままシートに飛びついて、コンソールに指を走らせる。ハッチが閉まるのを待つことすらせずに、『シアル・ビクトリア』は一瞬屈みこんだかと思うと思い切り横っ飛びに跳躍する。鼻先を掠めるようにして、仙術攻殻の拳が通りすぎていき、そして遠くなる。
 機械で出来た巨体は、その事実からは想像しがたい身軽さで中央広場跡地を跳ぶ。今度は体躯に似つかわしい音と地響きを立てて着地した場所は、サペリアが立っているのとは別の瓦礫の山のすぐ前、崩し広げられた広場の端だった。


「モナドリンケージはプロミネンスにて封じてあった。そのMTがここに来る道理はない」
 相変わらずの感情の乗らない声が、あさひのもとに届く。だが、ほんの少し、そこに揺らぎがあるようにも感じられた。
「あ、あたしにだって分かんないわよっ。……シアル、なんで?」
「目覚めたばかりの私に何を説明しろというのですか、あさひ」
 コックピット内で揃って首を傾げる二人。
「ははは! 皆して勘違いしてたってことさね」
 笑い声を上げたのは、いつの間にか『シアル・ビクトリア』の肩の上に立っているサペリアだ。袖口でぐいっと顔の血を拭い、赤青のマントを風に靡かせている。
「こいつが単なるMTなら、リンケージを封じさえすりゃあそれで済んでたんだろうよ。実際、あさひちゃんとシアルちゃんがリンケージを試しても、実行はできなかった」
 かん、とMTの肩を踵で叩く。
「でも、こいつは此処に来た。リンケージは使えなくても、あの子とのパスを、フレアの繋がりを辿って。まあ当然っちゃあ当然なのかもね。初めっからそうだったのか、さっきそうなったのかは分からないけど、こいつはあさひちゃんの一部でもあるんだから」
 サペリアの物言いに、まさか、と声を漏らしてあさひはシアルと見詰め合う


「それはかつて滅びた世界の欠片。造物主が最後に作った世界である地球に置き捨てられた、かの神の善き心に惹かれてフォーリナーを、そして今ある世界を守る、希望の具現」
 朗々と、謳い上げるように、サペリアが言葉を紡ぐ。
「――それこそが、絶対武器マーキュリー


「そのMTが絶対武器だと言うのか」
 遠雷のような公孫勝の声が問いを投げる。あさひとシアルは事態の展開にまだ付いていけていないらしく、モニターに映し出されたサペリアと公孫勝の間で視線を行き来させている。
「フォーリナーが心底から必要として呼んだなら、絶対武器は何処からだろうと、何処へだろうと現れる。そして、使い手に己を扱う能を与えるんだ」
 『シアル・ビクトリア』の頭部をこん、と叩いてサペリアがにやりと笑う。
「まさにその通りじゃないかい? 封印されてたモナドリンケージ機能を使って呼ぼうとしてたから来られなくて、その辺が勘違いの原因になったんだろうけどねえ」


「なるほどな。それならモナドライダー初心者のあさひがぶっつけ本番で動かせたのも納得がいくか」
 会話に割り込んできたその声に、サペリアは肩の上から下を見る。『シアル・ビクトリア』の左手に握りこまれるようにして、その親指の上に頬杖を付いているローレンがそこにいた。
 先ほどの跳躍の直前、仙術攻殻の足元(足はないが)に墜落したエアロダインの残骸のそばから掻っ攫われて、そのままになっていたのだ。


「認めよう。お前達が我の想定を越えたことを」
 ごうん、と全身から駆動音を響かせて、仙術攻殻が前進する。
「故にこそ、お前達は排除する。平穏と調和の新世界に至る為、障害を全力を持って取り除く」
 プロミネンスが燃え上がり、ダスクフレアを包み込む。それは、今の世界に対する拒絶。ダスクフレアの望む新たな世界が今の世界からの干渉を絶つ、まさしく結界。
 しかし、その拒絶は絶対ではない。夕闇のプロミネンスを貫いて、混沌たる三千世界に夜明けをもたらす者がある。
 それこそがカオスフレア。
 

 
「あさひ、やっと、私の力を役立てる時が来ました」
 そう言ってコックピットの中でシアルが立ち上がり、シートのすぐ後ろ、そこに備え付けられている円柱のような物に手を触れると、円柱の正面が音もなく開く。中は、人が一人入れる程度の空間となっていた。
 シアルがあさひに一瞥を送ってから、その中へと足を踏み入れる。
 数瞬の間を置いて、コックピット内のモニターに様々な表示が現れた。
 今のあさひには、それらがアニマの接続完了を知らせる物であり、それに伴ってモナドドライブの出力限界が通常の400%まで引き上げられた事が理解できた。
 それらの事に驚くまもなく、シアルが乗り込んだ円柱の正面、その上半分ほどが組木細工のように展開する。ガラスのような透明な障壁の向こうにシアルの上半身が見え、あさひは衝動のままに浮かんだ言葉を口にのぼらせた。


「何でマッパなの?」
 やや頬を紅潮させて、胸を両手で隠しているシアルが即座に答える。
「こ、この方が安定性が上がるんですっ」
 円筒の中は柔らかな光に満たされ、その中で無重力にあるように黄金の髪を浮かび上がらせたシアルの裸身は、女神のように美しい。ノーマルのあさひでさえ、ちょっとクラっと来てしまったくらいである。
「まあ、今はその辺の事は置いとこうか」
 あさひがシートに座ると、自動的にシートベルトが巻かれ、あさひの体を固定する。肘掛けの上の操作機に手を置き、モニター上のダスクフレアを睨み付けた。
「あたしの友達にちょっかいかけたこと、後悔させてあげるわ」
 ええ、とシアルが同意し、頷く。
「私の主に害を為そうとしたこと、後悔させて差し上げましょう」


 滑るように広場を進み出ながら、仙術攻殻がその腕を上げる。
「まずはフォーリナー、そして我が部下よ。お前達からフレアに還してくれよう」
 左右の肘の少し下に備え付けられていた腕輪のような部品がするりと抜けて、空中に浮かぶ。
「往け、乾坤圏」
 公孫勝の言葉とともに、円形の部品、乾坤圏が高速回転し、光を纏う。そのまま不規則な機動を描いて、あさひたちの方へと向かって殺到した。
「回避するよ! ロー君、しっかり掴まってて!」
「むしろお前にしっかり掴まれてスプラッタになるんじゃないかと気が気じゃないんだが!?」
 MTの手に掴まれたままのローレンが割と切実な響きを乗せて返答する。
 ――アレだけ言えるんなら問題ないよね。
 あさひはそう判断して、乾坤圏を回避すべく、『シアル・ビクトリア』を身構えさせる。


「その必要はないぞ」
 腹の底に響くような重低音を響かせて、そんな声があさひの耳に聞こえてくる。
 そして次の瞬間、あさひたちの背後にあった瓦礫の山が内側から消し飛んだ。
 内側からそれを行ったのは、MTの倍近い体躯を持つ褐色の何かだ。少なくともその時、あさひにはそこまでしか認識できなかった。
 何故か。
 その褐色の『何か』が、サイズに比して常軌を逸した瞬発力を発揮したからである。
 凄まじい勢いで『シアル・ビクトリア』の背後から右手側へ飛び出したその『何か』は、MTの真横で地面に激突。一瞬前までの進行方向へ向けて盛大に土砂を飛ばし、その場に小さなクレーターを作るのと引き換えにして鋭角に方向転換。『シアル・ビクトリア』の前に出て、さっきと同じように地面に激突した。
 いや、正確にはそうではない。その巨大さに似つかわしい太く頑強な四足で思い切り地面を踏みしめたのだ。何故それが分かったのかと言うと、その『何か』は今度はターンではなく、静止を行ったからである。


 その『何か』は、全身を褐色の鱗で覆っていた。先ほど述べたように重厚な四本の足で体を支え、背には蝙蝠のそれに似た皮膜を張った翼がある。太く逞しい胴体からはやや長い首が伸び、その先には角を持った頭部があり、蛇に似た瞳が敵を見据え、開いた口からは鋭利な牙がぞろりと覗いている。


 だが長々と語るより、ただ一語を持って表現する方が分かりやすいだろう。そして、彼らに対する礼儀としても正しいだろう。
 すなわち、龍、と。


 MTの前へとその身を躍らせた龍は、迫る乾坤圏を睨み付け、そして大きくあぎとを開く。
 轟、という音をあさひは聞いた。
 後にシアルが語ったところによると、その瞬間、発せられる音量を予測していたシアルは機体外の音を拾うマイクの機能を遮断したのだという。しかし、その音、龍の咆哮は、MTの装甲板を越えてあさひの聴覚を、いや、全身を空気の振動で揺さぶったのだ。
 しかし、もっともその影響を強く受けたのは、龍の真正面に位置していた乾坤圏である。物理的な威力さえ伴った吠声が、濁流に飲まれる木の葉のごとく、乾坤圏を翻弄し、押し流す。
 やがて乾坤圏が仙術攻殻の手元に戻り、再びその腕の一部となるのを見届けて、龍は機嫌よさ気に喉を鳴らした。


「もしかして、フェルさんなの?」
「もしかしなくても俺だとも、あさひ」
 神話の中から抜けだしてきたような龍が聞き慣れた声で返事をするのを耳にして、ようやくあさひにもこの龍がフェルゲニシュなのだという実感が湧いてくる。
「おかしいかな?」
 MTの方を振り返った龍が、僅かに口を開いて牙を覗かせた。それが笑顔であると、あさひにはなぜか直感できる。だから、こう返した。
「すっごい格好いいよ、フェルさん!」
 瞳を細めて、ぐるぐると龍が喉を鳴らす。あさひもくすくすとシートの上で笑っていた。


「ふむ。あたしもそろそろ本気出すかね」
 まだMTの肩に乗ったままのサペリアが、そう言っていつも羽織っていた赤青ストライプのマントを外す。
 何をするつもりなのかとあさひが訪ねるより早く、サペリアは、とん、と軽い音を立ててMTの肩の上から身を躍らせた。
 直立の姿勢のまま落下しながら、外したマントを手の中でくるりと丸める。次の瞬間、そこにあったのは小さな宝玉。赤と青の炎を内側に躍らせる、銀の珠だった。
 

「顕・真!」
 右手に持った宝玉を頭上に掲げ、サペリアが叫ぶ。それと同時に、凄まじい閃光が辺りを覆った。光が収まってから、思わずつぶっていた目をあさひが開いたとき、彼女の目にまず入ったのはたなびく銀の髪だった。


 水銀のような光沢を持った滑らかな皮膚が全身を覆い、それによって構成されたボディラインは豊満な女性のそれ。
 風に流れる長く美しい銀の髪。
 顔立ちも若い女性を連想させるが、口や鼻腔は見当たらず、白目のない紫水晶のような両目が輝いている。
 そして何より特筆すべきなのは、『彼女』があさひの乗るMTよりも頭一つ分――無論、MTの頭部だ――身長の高い、巨人であったことである。


 ついさっきのサペリアがそうしていたように、右手を頭上に突き上げていた『彼女』がゆっくりとそれを下ろし、MTの方へと顔を向ける。
「あたしはカッコいいかい?」
 そして聞こえたその声は間違いなく、
「もちろん、サペリアさん!」
 
 
「ところで、何処から声が出てるの?」
 唐突にぶつけられた疑問に、銀の巨人、サペリアがかくん、と肩を落とし
「細かい事気にするんじゃないよっ。っていうかえらい余裕だねえあさひちゃん」
 びし、とMTに突っ込みを入れてから、正面へと向き直る。
 そこには、黒い炎を纏った、世界の敵がいる。


「なんかね、分かったから」
「何が分かったってんだよ?」
 さっきまでサペリアが立っていた『シアル・ビクトリア』の肩の上に立つのは、いつの間にかMTの拳の中から逃れていたローレンだ。
「あたし達は、繋がってる。こんなにカッコ良くて強そうな皆と、この世界と、フレアを通して繋がってるんだよ。負けるワケないよ!」


「愚かな台詞だな」
 割り込んできたその台詞に、あさひがはっと顔を上げる。
 先程よりもやや高度を上げて、仙術攻殻がカオスフレアたちを見下ろしていた。
「その世界を壊す者こそ我。古き世界を糧として新たな平穏と秩序を打ち立てる者こそ我」
 造物主の化身が、神の傲岸をもってそれに抗う者たちを睥睨する。
「フォーリナーよ。お前の言う繋がりも、我に破壊されるものに過ぎぬ。新世界には必要ないものだ。故に、滅びよカオスフレア!」


 仙術攻殻が両腕を掲げる。
 プロミネンスの黒い輝きがそこに集う。
 カオスフレアたちに緊張が走る。


「ねえシアル」
 モニター越しにダスクフレアを睨みつけながら、ふとあさひは背後にいるアニマの名を呼んだ。
「なんですか、あさひ」
 すぐさま帰ってきた返事に、あさひの口元がほころぶ。それを消さぬままに、ただ一言を口にした。
「勝つよ」
「もちろんです」

 
 背中から聞こえる声にあさひが笑みを深くするのと同時に、戦闘は開始された。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑪ 決戦
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:23
Scene22 激突!!


 先手を取ったのはダスクフレアだった。
 いや、あさひたちに言わせるなら、いつの間にか先手を取られていた、という表現が正しかった。
 仙術攻殻を包み込むプロミネンスがその強さを増した、と感じたその瞬間には、グレズクリスタルを介して機械的に増幅された公孫勝の仙術があさひたちをその渦中に捕えていたのである。


「え? ちょっとこれ、どういうこと!?」
 混乱したあさひがきょろきょろと辺りを見回すが、現実は変わりはしない。
「……プロミネンスだね」
 紫水晶の両眼で油断なく周囲を観察しながらサペリアがポツリと答える。
「多分、時間か空間、もしくはその両方をプロミネンスを介して限定的に操作したんだよ」
「そんな無茶苦茶な!?」
 思わず悲鳴を上げるあさひだが、ローレンとフェルゲニシュのリアクションの方向性は彼女とは全く違っていた。
「成る程な。ダスクフレアならそれくらいはやるか」
「え、ロー君何その『想定の範囲内』みたいな答え」
「あさひ。プロミネンスとは、それを操るタスクフレアと戦うというのは、こういうことだ」
「フェルさんまで……」
 どうやら自分の方がマイノリティらしい、と悟ったあさひはげっそりとした声を出す。
「逃げたくなったか?」
 フェルゲニシュの問いがあさひの耳朶を打つ。
 ちょっとムカっときてあさひは顔を上げてそちらを見た。
 何が腹立つと言えば、100%その質問にイエスと答えるわけがないと信じきっている、半笑いの声に腹が立つ。こちとらか弱い女子高生である。もう少し労わられたり見くびられてもバチはあたらないと思うのだ。
 そんな憤懣を抱えたあさひの返事はこうだった。
「ジョーダン! きっちり落とし前は付けさせてもらうんだから!」


 天と地を、八角形の法陣が互い違いに回転する。その狭間にあるのはカオスフレアたちだ。
「天崩地壊・千邪万聖・全倒尽砕」
 公孫勝が口訣を結び、仙術攻殻が拳を打ち合わせて印とする。
「急ぎ急ぎて律令の如く成せ。天帝陣八極炉」
 天地の法陣に、馬鹿らしいほどの力が満ちる。
「閉塞力場内に補足されています! このままでは全員まともに高エネルギーの餌食に……!」


「そうはいくかよ!」
 切羽詰ったシアルの報告に対し、リアクションを起こしたのはローレンだ。
 目を固く閉じ、やや両足を開き気味にして立つ彼の周囲に、きらきらと光の粒子が舞い飛ぶ。
 やがてそれらが寄り集まり、形を成す。一つ、二つ、三つ、四つ、更に数は増える。
 ロプノールの鏡。
 周囲に十を数えるそれを現出させ、ローレンがダスクフレアを見上げる。
「確かにこの能力は俺から色んなもんを奪っていったさ。けどな――」
 さっとローレンが両手を振り上げると、全ての鏡が別々の方へと頭を向ける。
「何もかも無くした覚えはねえし、それで世界をぶっ壊してやろうなんて思うかよ!!」
 振り上げられた両手が、空気を抉る音とともに横へと広げられる。それに伴い、鏡たちが凄まじい速度で天地へ散っていく。
 天の法陣、地の法陣、それぞれに五箇所。
 術の要諦となる部分に打ち込まれた、彼の超能力を結晶化させた鏡が、八極炉を崩壊させる。


「お前の力で破れるような術ではなかったはずだが」
 術を破られた公孫勝の声に動揺した様子はない。ただ、術の仕様とローレンのスペックを考慮した際、これは起こるはずのないことなのだ。それが起こった事に対する確認として、その問いはあった。
「……何年、あんたの傍にいたと思ってんだ。規模自体はもっと小さかったけど、この術は見たんだ。あの時俺は、心底あんたをすげえと思ったんだ……!」
 血を吐くようにローレンは小さく言葉を零した。それは届いたのかもしれない。届かなかったのかもしれない。ダスクフレアから、答えはなかった。


「閉塞力場、崩壊しました! あさひ!」
「がってん!!」
 シアルの報告を受けて、あさひが『シアル・ビクトリア』を操る。
 右手を背中に回し、そこにあるホルダーから抜き払ったのは、両手持ちの実体剣だ。
「ぶった斬る!」
 大剣があさひのフレアを受けて金色に輝く。モナドドライブが回転数を上げ、今にも飛びかかろうとした矢先だった。


「九天応元雷声普化天」
 ごく短く、公孫勝が口訣を結ぶ。
 仙術攻殻がその腕を天へと掲げ、天へと光の牙が突き立てられた。
 天に立つ牙とは、すなわち稲妻である。
 幾条もの雷光が公孫勝の頭上へと放たれ、ある一転で方向を転換する。
 先ほどの術のあと、まだ残っていた天地の法陣が一つに合わさりその形を変え、その中心へ向けて稲妻が走る。


「全員、俺の周囲から離れるな!!」
 フェルゲニシュがそう号令し、MTと銀の巨人が龍のそばに寄り添い、超能力者はその陰に入る。
 法陣によって強化、収束された稲妻が、それでもあさひたちを一網打尽にすべく広範囲に向けて降り注いだのはその直後だった。


 耳を聾するほどの雷鳴の中にあってなお、あさひの耳朶を打つものがある。
 ばさり、という翼の広がる音。
「悪栄えれば善を為し――」 
 高く遠く響く、龍の鳴き声。
「善蔓延れば悪を為す――」
 青き翼の、光翼騎士のコロナを立ち上らせて、フェルゲニシュが吠える。
「龍の理、是に有り!」


 フェルゲニシュが唱えた誓句とともに、彼から放出されたフレアがあさひたち三人を包み込む。やがてそれは煌く壁となり、驟雨の如く降り注ぐ稲妻を受け止める盾となった。
「ぐう……!?」
 凄まじい負荷に、フェルゲニシュが呻きを上げる。フレアの障壁で支えきれない幾筋もの稲妻が褐色の龍を打ちのめし、その鱗を砕く。
「フェルさん!?」
「旦那、気張っておくれよ!」
 サペリアが両手を前に突き出すと、輝く障壁が形成される。光翼騎士のコロナが形作るそれとは比べるべくもないが、それでも幾らかの雷撃を受け止める。
「ったく、世話の焼ける!」
 ローレンが赤いコロナを纏わせた鏡を生成し、フェルゲニシュの前面に投射する。鏡は龍の頭部に直撃するはずだったいくつかの稲妻の軌道を逸らし、しかる後に別の稲妻の直撃を受けて砕け散った。
 そうして数を減じながらも、相当数の雷光がフェルゲニシュを打撃する。が、彼はそれに耐え切った。


「今度はこっちの……!」
「いいや、まだだ」
 いざ反撃、と勢い込んだあさひを押し留めるように公孫勝が言葉を放つ。無論、その言葉だけでカオスフレアを、フォーリナーを留める事などできはしない。それでもあさひは『シアル・ビクトリア』を急停止させた。何故なら、
「また法陣が!?」


 モニター一杯に映し出されたのは、先ほど見たものに良く似た、八角形の法陣である。だが、先ほどと違う点もある。
 巨大な法陣が天と地の二つ展開されていたのに比べ、今は先ほどよりも小さなサイズ――それでも一つ一つがMTが上に乗れるほど――だが、数が多い。ぐるりとカオスフレアたちを取り囲むように展開されたその数、十。
「何度やろうと……む!?」
 総身に傷を負いながらも、再び攻撃を受ける盾となろうとしたフェルゲニシュが青いコロナを展開させる。が、何かがおかしい。
常にない妙な感覚が、角の根元を疼かせる。
 その感覚に対して、答えをもたらしたのはローレンの一声だった。
「魂魄打撃だ! 全員、気を強くもって抵抗しろ! 廃人にされちまうぞ!!」


 ローレンの警告を受けて、仲間達の間に緊張が走る。次の瞬間、十の法陣が一斉に強烈な光を放つ。
 それは、受けた者の精神を砕く光。他者を守る光翼騎士のコロナすらすり抜けて、カオスフレアたちの心を殺す十絶陣。
 だが。


「お舐めじゃないよ!」
 高らかに声を上げたのは、銀の巨人、サペリアである。
「仮にも大戦を潜り抜けた使徒アルコーンの精神を、この程度で砕けると思わないでもらいたいね!」


 運命フォルトゥナカルマの姉弟を筆頭とする、かつての大戦で造物主の手足となって戦うべく作り上げられた者たち。それこそが使徒だ。
 これら使徒たちは造物主の強力な手駒となって大戦時に猛威を振るったが、造物主の敗因の一つのなったのもまた使徒たちだ。
 運命の裏切り、業の傍観。神々の対存在として作られた龍たちの造反。その他、世界の全てを自身の思い通りに壊し、作り直し、また壊す造物主に対して反感を抱いた様々な使徒たち。
 銀色の巨人は、そうした造物主に反旗を翻した使徒の一柱だ。
 ヒトの心に触れ、それに魅せられ、もっと見ていたいと思ってしまった。
 ヒトも神もそれ以外も、多くの命が失われたあの大戦を生き残り、己の望んだとおりにヒトの営みを、心の移り変わりを見つめてきた。
 そんな彼女だから、この術を看過することはできない。
 心を踏み砕き、無価値なものへと貶める事など、許せるはずはなかった。


「造物主の操り人形に、あたしの楽しみを邪魔されてたまるもんかいっ!」
 銀の巨人――サペリアの両腕に、赤と青の紋様が浮かび上がる。蛮族の戦化粧を思わせる、炎を象ったそれが彼女の肘から先を覆った。
 ばしん、とサペリアが両の掌を打ち鳴らす。それを開いたとき、左右の掌の間には、光の帯が生じている。
「遍く事象は八つに裂かれるべし!」
 ぐるん、とサペリアが円を描くように手を回し、光の帯を光の輪へと変貌させる。
 サペリアの眼前に浮かぶ光の輪は、激しく回転しながら自らを分裂させて数を増やす。
 一つが二つ、二つが四つ、四つが八つ。
「斬っ!」
 サペリアの号令一下、八つの光輪が宙を舞う。
 狙うは公孫勝の作り出した十の法陣。浴びたものの魂魄を砕く光を生み出す、仙術の極致である。
 果たして光輪は法陣へ至り、激突し、お互いを食い合うようにして消えてゆく。
「相殺した!?」
 ローレンが驚きの声を上げる。
 先ほど彼自身が天帝陣八極炉を破ってみせたのは、あの法陣を以前に見知っていたからだ。だからこそ、それを崩すための要に鏡を打ち込むことで対処できた。
 しかし、サペリアが今の術を知っていたとは思えない。ローレンとて、術の効果については見当が付いたものの、それ以上は手の出しようがなく、耐え切るよう周囲に指示を出したのだ。
 その事を思えば、今サペリアがやってのけた事態の異常さがありありと見えてくる。
 まるきり初見の、しかもダスクフレアと化した公孫勝の仙術を、ほぼ真正面から力押しで相殺したのだ。とんでもない、としか表現のしようがなかった。


「あと二つっ!」
 自らが作り出した光輪の戦果を確認するより先に、サペリアは数の差で残るはずの二つの法陣へと突っ込んでいた。それが光を放つ前に、光を纏った左右の抜き手をぶち込む。
 ぱん、と風船が割れるようなあっけない音とともに、その二つの法陣も消え去る。
「次、頼むよ旦那っ!!」
 ダスクフレアの攻撃を防ぎ切ったサペリアが、後ろも振り返らずにフェルゲニシュの名を呼ぶ。
「応とも!」
 フェルゲニシュが一声上げて、ぐん、と四肢に力を込める。そしてたわめたその力を解放する寸前、
「あさひ、乗れ!」
 あさひは返答すらせずに、MTを操った。『シアル・ビクトリア』がふわりと機体を翻し、褐色の龍にまたがる。
「では、往くぞ!」
 即席の龍騎兵が、ダスクフレアに向けて突撃する。迎撃として光の矢が放たれるが、龍の巨体が信じがたい俊敏性を発揮してそれらをかわし、あるいはその背のMTが振り回した大剣で迎撃し、更に距離を詰める。
「あたしたちは、負けない!」
 コックピットで吼えるあさひに呼応するように、『シアル・ビクトリア』のまとうコロナの輝きが強さを増し、戦場を照らす。


「小賢しい。群れ集まって新世界を否定するその惰弱、叩き潰してくれよう」
 光の矢で龍騎兵を牽制し、プロミネンスを込めた腕でその攻撃をいなしながら、仙術攻殻がその出力を上げる。
 左腕が変形し、巨大な砲として再構成される。真っ直ぐにその砲口が向けられた先は、
「いかん!!」
「こ、この状況で前衛あたしたちじゃなくて後衛ロー君たちを狙うの!?」
 フェルゲニシュとあさひが突出した事で、後方に残っていたサペリアとローレン。その二人を照準していた。


「させるかあああっ!」
 『シアル・ビクトリア』が大剣を振るい、砲撃を阻止しようとする。
 MTの振るった剣が、仙術攻殻の左腕をカチ上げる。ほぼ同時に、赤黒いエネルギーが幾つもの弾丸となって上空へと撃ち出された。
「やった!」
「遅い」
 あさひが胸中でガッツポーズを取ったのも束の間、頭上へ向けて発射された無数のエネルギー弾が、突如として軌道を変える。
「誘導弾!?」
 その言葉が示すとおり、エネルギー弾の群れは吸い寄せられるようにサペリアとその足下のローレンに向けて殺到する。
「ロー君! サペリアさん!!」
 今から取って返しても、到底間に合わない。事実、そう思った次の瞬間には、銀の巨人と超能力者の姿はエネルギー弾の炸裂が引き起こす閃光の向こうに消えていた。


「そこな龍ならともかく、あやつらでは先の攻撃に耐え切れまい。お前達も疾く真理を悟り、新たな世界に頭を垂れるがいい」
 そう言葉を投げかけながら、公孫勝はフェルゲニシュとMTの様子を観察する。
 龍の表情は同族でなければ読みづらく、フォーリナーはMTの内側にいるためにどのような顔で仲間の死を受け止めているかは伺えないが、戦力が文字通り半分になった以上、最早勝敗は決したと言っていいだろう。
 だというのに、龍もMTも、その内側のフレアをいささかも衰えさせない。それは、彼らの心が折れていない何よりの証拠だった。


「まだやるのか」
 その声に、うんざりだ、というニュアンスが混じって聞こえたのはあさひの気のせいだろうか。
「当たり前でしょ。ぜっっっったいに、負けないんだから!」
「愚かな。既に戦力差は……」
「――先ほどから変わっていないとも」
 決定的だ、と続くはずだった台詞がフェルゲニシュの一言で遮られる。
 その瞬間、手で触れられそうなほどに濃密なフレアが、MTのセンサーとあさひの感覚とを直撃する。その源は、
「ロー君!!」


「勝手に人を殺して戦力外扱いしてんじゃねえよ」
 超能力者の少年が、宙に浮いていた。
 両手を広げたその姿に、執行者の赤いコロナが重なる。
「ロー君、凄い……」
 ただ、そのコロナの規模と力強さは異常だった。
 紅玉のような赤い輝きは、今までと比較にならないほど鮮やかで、ローレンの背後に立つ、銀色の巨人、サペリアの姿と比べても遜色のないほどの拡大を見せていたのだ。
「……あれは、カオスフレアの真の力だ。覚醒イグザクトと呼ばれる」
「覚醒……?」
 鸚鵡返しに呟きながら、魅入られたように赤いコロナを見つめるあさひに、フェルゲニシュが頷く。
「肉体という殻の限界を超えて、世界そのもののフレアの様相と自らのそれを合致させているのだ」
「よく分かんないけど、とにかく凄い力なんだよね?」
「まあ、その理解でも問題はない。ないが……」
 フェルゲニシュが一瞬だけ言いよどむ。
「あれは諸刃の剣だ。常人であれば死に直結するダメージの先にある現象だ」
 コックピット内あさひが息を呑むのが、龍の鋭敏な感覚には伝わってくる。だが、フェルゲニシュは言うべきことを言う。
「ローレンは今、黄泉路の半歩前に立っている」




「……役目は果たしたぜ。あとはきっちりシメてくれるんだろうなあ?」
 やや荒い息の下で、ローレンが言葉を紡ぐ。ちらりと視線を向けた先は、背後にいるサペリアだ。彼女は右手を天に、左手を地に向けた姿でその場に立ち尽くしている。
「ああ、もちろんさ。ロー君が身を挺して作ってくれたチャンス、無駄にゃしないよ!」
 サペリアの両手がゆっくりと円を描く。彼女の胸の中央に、炎を象った小さな紋章が生まれ、それを中心にして彼女の体を赤と青の炎紋が飾ってゆく。
 ゆるゆると動かされた両手のあいだに、銀の輝きが収束していく。それと同期するように、炎の紋章も強い光を放つ。
 サペリアの両手が、胸の前で十字に組み合わされる。炎紋の輝きが一瞬強くなり、その全てがサペリアが交差させた手首に集い、
「受けよ、命の光芒!」
 目も眩むような光の奔流が、十字に組まれたままのサペリアの手から、ダスクフレアに向けて迸る。


「ぬ……!?」
 公孫勝が漏らした呟きには、僅かながらに焦りが見て取れた。それだけの威力を持つとはっきりと分かる、それだけの光だ。
 まともに受けるわけにはいかないと判断し、回避軌道を取ろうとする。しかし、
「逃がさないんだから!」
 MTと龍が逃げ道をふさぐ。強引に押しのけようとするも、自身の動きが妙に鈍い。この感覚には覚えがあった。部下として鍛えた相手の事だ。間違えようはない。
「念動力による拘束か……!」
 フレアを拡大させているかつての部下の手際である事を認識した直後、仙術攻殻の胸元にサペリアの放った光線が叩き込まれた。


 仙術攻殻に命中した光線は、激しい爆発を引き起こした。至近距離にいたフェルゲニシュとあさひは少し距離をとり、離れた場所にいるローレンとサペリアはじっと爆光の向こうを見据えている。
 と、サペリアががくりと膝を落とす。
「あー。やっぱコレはきついねえ」
 その体を飾っていた炎紋はほとんどが消え、胸元の小さなものだけが残っている。それは、サペリアの消耗を示すように、ちかちかと明滅を繰り返していた。
 ただ、彼女を取り巻く、星詠みの銀のコロナだけはいささかも衰えをみせない。いや、むしろ冴え冴えとしたその輝きは、先ほどよりその強さを増している。
 覚醒だ。
 先の光線は、それを放つ事でサペリアの肉体にそれほどの負荷をかけたのである。


「……やりましたか?」
 サペリアの攻撃に込められたあまりのフレアにセンサーがかく乱されているために、機体のセンシングに頼れないシアルがポツリとこぼす。
「そういう台詞を言っちゃうと、大抵の場合……」
 モニターに目を凝らしながら返すあさひの視線の先で、煙が晴れる。
 幾分か装甲に欠損が見られるものの、未だ健在の仙術攻殻がそこにいた。
「……申し訳ありません、あさひ」
「いや、実際関係ないと思うけどね」
 大真面目に謝るシアルに軽い口調でそう返す。
 が、心中は穏やかではない。
 カオスフレアとして戦う力に開眼したあさひには、先ほどの攻撃がどれほどの威力を秘めていたか、はっきりと感じ取れた。あれで決着が着いていたとしても全くおかしくない。それほどの一撃だった。


「流石は使徒の一柱と言ったところか。だが、もう一度は撃てまい」
 光線を受ける直前に僅かに見られた焦りは鳴りを潜め、公孫勝は再び平坦な語り口を取り戻している。
 覚醒したカオスフレアは、肉体の限界を超越した存在である。常であれば自身に反動のあるようなフレアの活用法も、さしたる支障もなしにこなして見せることが可能だ。
 ただ、ある程度は、という但し書きが着く。
 サペリアが使った光線による肉体への反動は、そのある程度、の範疇を軽々と超えていた。
 そして、フェルゲニシュが語ったように、覚醒したカオスフレアは力を得る代わりに、死にごく近い位置に立つ事になる。
 あの光線ほどの反動をもう一度受けたなら、間違いなくその先にあるのは終焉だ。


「あたしが命がけであんたを潰しにかかる、とは考えないのかねえ」
 ゆらり、と立ち上がり、笑みを含んだ声をサペリアが投げかける。
「やれるものならやってみるがいい」
 淡々と返された言葉に、サペリアは胸中で舌打ちする。反動云々は無論のことだが、そもそもあの技自体、短期間に連発が可能なものではない。少なくとも、このダスクフレアとの戦闘中に再度の使用は不可能だった。


「フェルさん、ロー君」
 唐突にあさひが声を放つ。フェルゲニシュにMTを跨らせたまま、仙術攻殻と近接の牽制を交換し合いながら仲間達に向けて問う。
「瞬間的な攻撃力でさっきのサペリアさんの上をいける?」
 返答は、沈黙で為された。それが含む意味は、否である。
「ねえシアル」
「はい」
「押し切れるかな?」
「現状のままでは不可能です」
 シアルの返答は、あさひの予想と合致していた。
 『シアル・ビクトリア』の大剣や、フェルゲニシュの龍咆ドラゴンブレス、サペリアの魔術に、ローレンのESPによる攻撃。
 ダスクフレアにダメージを与える術はある。それを積み重ねれば、如何にダスクフレアとて耐え切れなくなるときは来るだろう。
 だが、それよりもこちらの全滅の方がおそらく早い。プロミネンスを応用したダスクフレアの攻撃の苛烈さは、こちらの耐久力の限界を遥かに超えている。
 故に、持久戦は悪手でしかない。
 サペリアが試みたように、一瞬にこちらの全力を投入して短期決戦を挑むほかに、おそらく勝ち目はない。
 だが、サペリアの切り札に二枚目はなく、ローレンとフェルゲニシュには、それに並ぶ攻撃の切り札がそもそもない。
 だから、


「モナドドライブのあたしとの同調率を限界まで上げて。ありったけのフレアをブチ込んでブン回すよ」
「……一撃です。二度目は許可できません。よろしいですか」
 一瞬の躊躇のあと、シアルはあさひの言うとおりに機体の設定を変更した。
 これで、この機体は搭乗者のフレアを無制限に取り込んでその出力を天井知らずに上げる事ができる。
 無論、リスクは存在する。
 簡単な話だ。人間の体が限界を超えた筋力を発揮した場合、破壊されるのと同じ。
 力を必要以上に高め、それを振るえば、相応の反作用があるのは自明である。
 そして、生命の力であるフレアを過剰に使用した際の反動は、当然、生命に返ってくる。
 世界との繋がりによってフレアを高め、循環させて力とするカオスフレアとなったあさひに、それが分からない道理はない。


 それでも。
「それでも、やらなくちゃ」
 正直、三千世界全ての危機とか、あさひにはピンと来ていない。
 だが、目の前のダスクフレアが内包する危険性は十二分に感じ取れる。これを放置すれば、凄まじい惨禍を招く事は疑いない。
 ここで屈すれば、仲間達はもちろん、この街で知り合った人たちも、全てが明日を奪われるのだ。
 少なくとも、あさひがこの数日で出会った人たちは、そんな風に理不尽に未来を奪われていい存在だとは思えなかった。


「うわああああああああああーっ!!」
 思い切り声を出す。気合を入れる以上の意味はないが、フレアというものの性質を考えれば、それなりに効果はあるのかも、ともあさひは思う。
 シアルの存在によって出力と安定性を高められているモナドドライブが、あさひのフレアを貪欲に飲み込んでさらに出力を増す。
「フェルさん! 勝負をかけるよ!!」
 フェルゲニシュが咆哮を上げる事で答えとし、仙術攻殻へ向けて、突撃をかける。
 『シアル・ビクトリア』が大剣を高々と掲げた。黄金のコロナが剣を覆い、太さは一回り、長さに至っては倍以上の輝く剣が作り上げられる。


「愚かなフォーリナーよ。世界と運命に踊らされる人形よ。くだらぬ旧世界のために生命を懸けるか」
 仙術攻殻をプロミネンスで包みながら、公孫勝が言う。
 あさひこそが世界の傀儡であり、取るに足りないもののために力を振るう愚者だと断ずる。
「違う!」
 あさひは全霊でダスクフレアに反発する。
「今ある世界は下らなくなんかない! 確かにあたしは余所者で、このオリジンに着てからほんの短い時間しか経ってない! それでも!」
 フェルゲニシュが四肢に力を込める。青いコロナが輝きを増し、その背のMTに向けられた攻撃を遮断する。
「助けてくれた人がいた、優しくしてくれた人がいた! 守ってあげたいと思う子達がいて、友達になりたい人もいる!」
 サペリアが指先に光を灯し、中空に図形を描く。あさひの剣を覆う黄金の炎に、銀の輝きが加わり、その力を増す。
「あなたが、神様が満足できないからって――」
 ローレンのESPが赤いコロナの輝きを伴って仙術攻殻の動きを封じる。
「何もかも無かった事にされてたまるかあああっ!!」
 黄金に輝く剣が振りかぶられる。あまりに長大な、龍の背に乗る機体の姿とあいまって突撃槍のようにも見えるそれが、横薙ぎに振るわれる。


 銀を纏った黄金が青に守られて奔り、赤に縛られた黒に突き刺さる。
 龍騎兵が仙術攻殻と交錯し、剣を振り抜いてその背後へ駆け抜ける。
 振り抜かれた剣に、黄金の輝きは既に無く、
「どうだっ!!」
 しかし、振り返ったあさひの視線の先、仙術攻殻が纏うプロミネンスを貫き、その胸部を半分まで切り裂いた黄金の刃がそのままダスクフレアの機体に残されていた。


 一瞬、仙術攻殻に突き立ったままの刃が一際強く輝き、弾ける。
 そして、それに押されるようにして、浮遊していた仙術攻殻が広場の地面に落下する。
 どう、という地響きとともに、倒れ伏すダスクフレア。


「……う、ああっ!?」
 自身の一撃の結果を見届けたあさひの体を、強烈な衝撃が襲う。
「あさひっ!? 大丈夫ですか!?」
 シアルの焦った声が聞こえる。
 端的に言って大丈夫ではない。なにせ、先ほど攻撃に乗せたフレアは、本来使いうる限界と比べてもざっと十倍以上、さらにそれを聖戦士のコロナの力で倍化させていたのだ。あさひの受けた反動たるや、想像を絶する。
「だ、だいじょぶ……。これで、なんとかなった、よね」
 それでもあさひは目一杯に強がる。
 体がバラバラになりそうなくらいに痛むし、『シアル・ビクトリア』にもかなりのダメージがいっているのが分かるが、何故か気力は不思議なくらいに充実している。
 これが肉体の限界を超えた先にある、覚醒というやつか、とあさひが独りごちたときだった。


 ぞくり、と肌が粟立つ。
 脊椎をそのまま氷柱と入れ替えられたのではないかというような悪寒が走る。
 その理由が、シアルの口から言葉として発せられる。
「プ、プロミネンス反応、増大! ……そんな。観測初期値を超えて、三倍、四倍……!? まだ上がります!!」


 そして、カオスフレアたちは見た。
 地に伏したはずの仙術攻殻が、ダスクフレアがゆるりと起き上がるさまを。その様相が一変していることを。
 そこにあったのは、闇だった。
 仙術攻殻の形に切り取られた、世界に開いた穴。その向こう側に覗く、輝く闇。
 世界を形作るフレアを無尽蔵に食らうブラックホール。
 ダスクフレアの本質が、そこに顕現していた。


「ひれ伏せ。頭を垂れよ、被造物よ。デミウルゴスの威光に従い、新世界の糧となれ」
 公孫勝のものであり、そうでない声が響く。
 ダスクフレアの持つ、造物主の意思の受け皿という一面が強く前面に出ている。
 あさひたちが向き合っているのは、ダスクフレア・公孫勝であると同時に、造物主デミウルゴスでもあるのだ。


 輝く闇そのものとなったダスクフレアが、プロミネンスを放出する。
 先ほどまでとは比べ物にならない強度のそれが、カオスフレアたちを威圧する。


「ゴァアアアアアアアっ!」
 前置きなしにフェルゲニシュが咆哮をぶつけ、 
「いい気になってんじゃないよ!」 
 サペリアが両手を打ち合わせ、ヒトの姿であったときと同じように光の魔術を行使する。
 しかし、
「ぬ……!?」
「……こりゃあ、まいったねえ……」
 龍咆も、破壊の光も、ただ闇に飲み込まれるのみだった。さしたるダメージが有ったようにも見えない。


 正確には、全く効いていない訳ではなかった。
 だが、実質的なダメージはほぼゼロに等しいレベルにまで抑えられている。
 何故なら、ダスクフレアは今ここにいて、ここにいないのだ。
 

 ダスクフレアという存在は、例外なくプロミネンスを身に纏う。
 そして、プロミネンスの根本とは、ダスクフレアが新しく作り出そうとする新たな世界、その雛形である。
 世界一つを引き連れ、盾とする。ダスクフレアを通常の手段で傷付ける事ができないのも、道理と言えよう。
 そして今、公孫勝は、それを更に強化させた状態にある。
 彼の纏う新世界は1024に分裂し、彼はその全てに存在している。彼はその何処にも存在していない。
 ここではない場所にいる存在を傷付ける事は適わない。
 どこにもいない存在を傷付ける事も適わない。
 山を斬る剣も、海を干す魔法も、街を焼く兵器も、心を砕く異能も、プロミネンスたる新世界と己のフレアを同調させ、それを傷付けることなくダスクフレアに攻撃を届かせるカオスフレアでさえ、例外ではない。


 そして、持久戦を行った場合、敗北するのはあさひたちであり、それによってカオスフレアの持つ膨大なフレアを食らったダスクフレアによって創世が行われれば、今ある三千世界は消えてなくなるのだ。


「滅びよ、不完全な世界! 造物主以外の手によって変貌せし世界! 新たなる、今度こそ完璧な世界のために!」
 ダスクフレアが両腕を天に掲げる。その間に、プロミネンスが満ちてゆく。


 モニターに映し出される世界を喰らう夕闇を、あさひはじっと見ていた。
 やおら、背後にシアルに向けて声をかける。
「……シアル」
「駄目です」
「もう一回、やるよ」
「駄目です!!」
 二度目の拒絶は、絶叫だった。
 あさひは困ったように笑い、シアルを諭す言葉を紡ぐ。
「この機体が、絶対武器が、『シアル・ビクトリア』が教えてくれる。今この場で、あいつを何とかできるのはあたし……ううん、あたし達だけだって。シアルにも伝わってるはずでしょ? あたしとシアルは、この子を通じて繋がってるんだから」
「ですが……!」
 いやいやをする駄々っ子のように、シアルが首を振る。
「この場から逃げる選択肢もあるはずです! 絶対武器を擁するフォーリナーのフレア量なしには、ダスクフレアの狩り集めたフレアが創世に至らない可能性はかなりあります!」
「それは、駄目だよ、シアル」
 必死の様相で訴えるシアルに、むしろ穏やかな表情であさひが答える。
「あなたは何故、私の言葉を聞いて下さらないのですか……!? 私は、あなたを死なせたくないんです! アニマ・ムンディとしての本能なのか、あなたが私に向けてくださる感情と同じものかはわかりません。けれど、あなたがいなくなるのは嫌なんです! それだけは確かなんです……! 後生ですから、どうか、どうか……!」
 言葉に詰まって俯くシアルに、彼女にとって唯一無二の主の声が語りかける。
「ねえ、シアル。あたし、言ったよね。後悔しないようにする、って」
「……後悔さえできなくなるよりは、悔いを抱えて後ろを振り返りながら歩いていくほうがマシではないですか……!」
「うーん。まあ確かに、地球にも後悔先に立たず、なんてて言葉はあるけど……」
 でもね、とあさひは続ける。優しげな、子供を諭すような声色で。
「不思議と落ち着いてるんだよね、あたし。多分、心配してないんだよ。信じてるんだ」
「何を、ですか……?」
「色んなものを。ロー君に、フェルさんに、サペリアさん。フレアを通じて、皆と繋がってる。当然、シアルとも、この機体とも」
「繋がっている……」
「繋がりって言えばさ、あさしたちは三位一体なんだよ? あたしと、シアルと、『シアル・ビクトリア』。きっと、なんとかなるよ。ううん、あたしは何とかする。きっとこのMTも何とかしてくれる。でもね、多分それじゃまだ足りないよ。だからシアル。あたしを助けて?」
 あさひが言葉を切る。シアルはまだ俯いたままだ。
 じりじりとした時間が過ぎる。あさひにとって、それは実に長く感じる時間だった。実際には、そう待ったはずはない。時間をかけ過ぎていたなら、それこそあさひたちはプロミネンスに飲み込まれていただろう。


「そうですね。あなたはそういう人なんでした」
 深々としたため息とともに、シアルが言葉を吐き出す。
「何かというと無茶ばかりで、こちらが心配しても知らない振り。むしろ進んで危ない方へ歩いていく始末です」
 その声の温度は低く、湿度は高い。あさひはこの時、コックピットの構造がシアルと真正面から向き合う形でない事を心底から感謝した。おそらく彼女がうかべているであろう表情に耐えられる自信がない。
「本当に……本当に支え甲斐のある方です。あなたは」
 くすり、と声に笑みを混ぜて、シアルは続ける。
「アニマ・ムンディの存在意義にかけて、あなたの意思を叶え、支えてご覧にいれましょう。我が主。何なりとご命令下さい」
 我が主、に強いイントネーションを乗せたシアルの言葉に、あさひは小さく苦笑を漏らす。
「う。……仕返しのつもり?」
「さて? 何のことか、私には分かりかねます。我が主」
 唇を尖らせてあさひがぼやけば、つんと澄ました声が後ろから返ってくる。
「まあ、助かったよ、シアル。あたし実は、ここへ来る前にユージーンちゃんに会ってね?」
「はあ」
 突然脈絡のない事を言い出すあさひに、とりあえずの相槌を打つシアル。
「で、ユージーンちゃんに『天下無敵のフォーリナーだ』とか大見得切っちゃったのよ。いやあ、この場から逃げ出したりしたら気マズイのなんのって」
「……そういう、考えなしに大きなことを口にするクセについても後ほど話し合いを持ちましょう、あさひ」
「そうだね、とりあえず後でね!」
「ええ、後で」
 意味もなく笑い出したい衝動を抑えて、あさひは顔を上げ、前を向く。
「じゃあ、やろうか」


 次の攻防で最後だと、フェルゲニシュは半ば本能的に悟っていた。ダスクフレアがプロミネンスを練り上げている。今にもそれはカオスフレアたちに襲いかかってくるだろう。
 対してこちら側の攻撃を担うのは、言うまでもなくフォーリナーにして聖戦士、あさひである。
 あさひの放つフレアの質が変わったのを、フェルゲニシュは感じ取っていた。おそらくは、さきほどダスクフレアを切り裂いた一撃。あれをもう一度やるつもりだ。
 その先に何が起こるのか、フェルゲニシュにも予測はつく。が、彼はそれについて意見を述べることはない。
 彼女は自分の意志でこの場に現れ、その意思を貫き通してシアルを奪還してみせた。
 その彼女が決めたことである。戦士として、その決意に口出しすることはフェルゲニシュにはできない。
 例え、異世界の少女に命を懸けさせる己の不甲斐なさに、はらわたが煮えくり返っていようとも、だ。
 だが、そんな己にもできる事がある、と彼は自身を奮い立たせる。
 互いに必殺を期した一撃は、練り上げるのにまだほんの少し、時間がかかる。が、おそらくはダスクフレアのそれが解き放たれる方が早い。
 ならば、その時こそ光翼騎士の出番だ。
 守護を司る青いコロナに賭けて、仲間達を守り抜き、その次に繋げる。
 それこそが、フェルゲニシュがこの場で己に課した唯一絶対の使命である。


「新たな、理想の世界を……! 秩序と、平穏を……!」
 ダスクフレアの声が響く。言葉の一区切りごとにその声色はふらふらと変わり、時に老人の――公孫勝本来の声であったり、若い男の声であったり、妖艶な女の声であったりもした。
 両腕を掲げ、収束したプロミネンスが、先ほど仙術砲へと再構成された左腕の先で黒い小さな太陽のようにして浮かぶ。それを前後から支えるようにして、八角形の法陣が、互い違いに回転していた。
 狙うは、龍の背にあるMTただ一機のみである。
 今この場で、自身の纏う1024重絶対防御結界を唯一貫き得る存在。それがフォーリナーと、その絶対武器たるMTだと、ダスクフレアも感得しているのだ。


 ダスクフレアの左腕が、龍騎兵に向けられる。龍の四肢に明らかに力が漲り、その周囲の青いコロナが輝きをいや増してゆく。対照的に、その背のMTが纏う黄金の炎は、凪の湖面のように穏やかだ。
「必ず、お前に攻撃の機会を作ってやる。それが俺の……俺達の仕事だ。だからあさひ。お前はお前の仕事をしていればいい」
 低い声で、詠うように龍がその背を許した鋼の機兵に話しかけた。返事はない。彼の言葉どおり、己がやるべきことに全ての集中力を傾けているのだ。それでいい、とフェルゲニシュは僅かに牙を覗かせて笑う。
 ほぼこれが初陣であるというのに、大した肝の据わりようだった。


 絶対武器は、フォーリナーに力を与えるだけでなく、その心をも守る。
 いくさを知らない平和な場所から、年端も行かない少年少女がやってきて、それでも数多の弧界の英雄達と比べていささかも見劣りしない戦士として活躍できるのは、その作用が大きいのだという。
 あるいはその事実を指して、フォーリナーとは絶対武器に頼り切った軟弱者だと嘲る者もいるという。
 器の小さな事だ、とアムルタートの龍戦士は思う。
 なるほど、確かに絶対武器なくば、フォーリナーは、このあさひはここまで戦えなかっただろう。
 だが、それはただの仮定だ。
 彼女は、実際にここにいる。己の力の無さを嘆き、力持つ者に相対する恐怖を踏み越え、己が命と誇りを懸けて、三千世界を滅ぼそうとする造物主の走狗を討とうとしているのだ。
 確かにそこにある闘志と勇気。これを仮定でもって貶めることに、なんの義があろうか。
 アムルタートは強きものを尊ぶ。勇気あるものを敬う。
 今、鋼の騎兵を操り、戦おうとしている少女は、龍が背を許すに足る、紛うことなき勇者であった。


「来ます、あさひ!」
 シアルの警告の声にも、あさひは大したリアクションを起こさなかった。せいぜい、褐色の龍の背がどんな動きをしても振り落とされないよう、備えをしたくらいだ。
 彼女がやるべきことは、他にあった。
 ダスクフレアに、渾身の一太刀を打ち込むこと。
 だが、
「……フレア、足んないかも……」
 そもそも先の一撃にしてから、二の矢を放つつもりなど全くない、正真正銘、全霊を振り絞った一撃だった。
 如何にカオスフレアが、世界を構成するフレアの循環を利用して自らの内在フレアを高めるといっても、一度その全てを吐き出してしまえば、再度の蓄積にはそれ相応の時間がかかる。
 覚醒の作用で、先ほどよりもフレアの質を上げる事はできているが、絶対量がそもそも足りていない。
「くうっ……!!」
 歯を食いしばってフレアを搾り出し『シアル・ビクトリア』に、絶対武器に注ぎ込む。
 ほんの少しでも、ひとしずくでも多くのフレアを次の一撃に込めるために。


「滅びよ、カオスフレア!」
 老若男女、いずれともつかぬ声が響き渡る。プロミネンスを純化し過ぎて、造物主と重なりつつあるダスクフレアが、左腕の砲を、褐色の龍に、その背に乗る鋼の巨人に向けて解き放つ。
 二つの法陣に挟まれる形であった黒い小太陽が撃ち出され、前の法陣に触れて消え、その瞬間に後ろの法陣から姿を現す。
 同じ工程が繰り返される。文字通り瞬時に行われたその回数、ダスクフレアが纏う世界の数と同じく1024。
 擬似的な加速器を駆け抜けた黒い小太陽が、光速さえ越えて龍騎兵へと発射される。
 新世界の欠片が、己の進路上にある旧世界を歪ませ、喰らい、有り得ない、許されざる速度を実現させる。


 それは、一瞬を千に切り裂いてすらまだ長すぎるような時間の経過をもって、フォーリナーが駆るMTの胸部を破壊するはずだった。
 そう、はずだったのだ。
 必中にして必滅の魔弾を防ぐ盾となったのは、褐色の龍。
 そも、龍とはそれぞれの弧界を統べる神々――世界霊の対存在として創造された生物である。
 一つの世界そのものと言える世界霊と相対し、弧界のバランスを保つ調停者として、高位の真龍たちは星の海を光の速さで駆けたのだという。
 フェルゲニシュは今、己がフレアを最大限に高め、そうした真龍の階梯へと、手を掛けてみせたのだ。


 未来予知じみた直感で、フェルゲニシュがダスクフレアの攻撃の射線上に身を踊らせる。凝縮されたプロミネンスが、青いコロナとぶつかり、互いを喰らい合う。
「ぐう……!」
 どう見ても、分があるのはプロミネンスの一撃だ。じりじりとコロナの障壁を侵食し、その向こうのカオスフレアを打ち抜かんとする。
「旦那!」
 いつの間にかフェルゲニシュの近くまで来ていたサペリアが助力しようと両腕に光を灯らせた。
「手出し無用!」
 だが、フェルゲニシュの一喝にその動きを止める。その瞬間、ついに光翼騎士のコロナが突破された。
 そして、当の龍戦士は驚くべき行動に出た。
「ゴァアアアアアアッ!」
 一声高く咆哮を上げると、己に向かう黒の小太陽に向けて、叫んだまま大きく開かれたあぎとを向け、そのままかぶりついたのだ。
 

 無謀としか言いようのない策だった。
 龍の防御力を保障するのは、その全身を覆う鱗である。が、当然、それは口の中には存在しない。そこに並ぶ龍の牙は、伝説に謳われる名剣の数々と比しても引けを取らない頑健さと鋭利さを備えた武器ではあるが、プロミネンスの一撃を受け止めることはできないだろう。
 一瞬の後には、首から上を吹き飛ばされた龍の死骸が出来上がるかと思われた、その刹那、再び龍が吼える。
 凄まじい轟音と衝撃が周囲に伝播する。
 零距離での龍咆ドラゴンブレス。歯向かう全てを灰燼と帰す龍の吐息がダスクフレアの一撃とぶつかり合う。


「ぐぬ、う……」
 結論から言えば、フェルゲニシュは生き残った。
 相殺しきれなかったプロミネンスに体内を焼かれ、己が咆哮の反動を受けながらもその巨体は倒れ伏すことは無かった。
 無論、ダメージは甚大である。彼が死んでいないのは、死線を越えることでフレアが限界以上に活性化し、覚醒の状態へと移行したからに過ぎない。他の三人がそうであるように、彼もまた彼岸の縁に立っているのだ。

 
 だが、彼は死んでいない。その背に乗せた仲間も守りきった。
 故に、
「さあ、反撃といこうか!!」


 本来の翼に、光翼騎士の名にふさわしい青いコロナの翼を重ね、龍が翔ける。その背には、黄金の剣を掲げた鋼の戦機がある。


「おお……! 度し難し、カオスフレア! 被造物でありながら、造物主に歯向かう増上慢! 滅びて我が糧となることで償え!!」
 輝く闇と化したダスクフレアから、その闇そのものが幾つもの矢となって放たれる。
 だが、龍の突撃は止まらない。鱗を砕かれ、翼を裂かれてもひたすらに前へ。
「ぐる、おお……!」
 唸り声とともにフェルゲニシュが棹立ちになってダスクフレアに襲い掛かり、鎌首をもたげ、至近距離からの龍咆を叩き付ける。
「無駄だと何故に理解しない……!」
 ダスクフレアは小揺るぎもしない。逆に、咆哮を放ったことで発生した隙に、攻撃をねじ込む。フェルゲニシュの喉下に、ダスクフレアの右拳が叩き込まれた。
 総身を結界で覆った、プロミネンスそのものと言っていい拳である。どうにかガードはしたものの、フェルゲニシュの巨体がたまらず宙に吹き飛ばされ、地響きとともに大地に叩きつけられる。
「……む!?」
 地面に叩きつけられたのは、フェルゲニシュだけだった。その背に跨っていたはずの、MTの姿がいつの間にか消えている。


 ――これで決める!
 あさひは胸中で声を上げ『シアル・ビクトリア』に剣を振りかぶらせる。
 フェルゲニシュが咆哮を放つのとタイミングを合わせ、その背から飛び上がったMTは、龍の攻撃を目くらましとしてダスクフレアの背後上空にあった。
 振りかざした剣には黄金の炎が宿り、銀の輝きがそれを補強している。あとは、ただ渾身の力と意思を込めて、ダスクフレアに最後の一撃を叩き込むのみだった。


 ――それでは足りぬ。
 ダスクフレアは己の勝利を確信した。
 確かに、絶対武器であれば、ダスクフレアの防御結界を貫く事は可能だ。何故なら、結界がダスクフレアが作る新たな世界の雛形であるのと同様に、絶対武器はかつて滅びた世界の欠片であるからだ。
 かつて存在した世界、そこに生きた命、それらが抱いた想念。
 そういったものの結晶が絶対武器である。
 世界に対して世界をぶつける。
 それ故に、絶対武器は輝く闇を切り裂きうる。
 だが、そこまでだ。
 防御結界を抜けた先、ダスクフレアを滅ぼすほどの力を、あのフォーリナーは残していない。次の一太刀をダスクフレアがかわす事は難しいが、それで滅びる事は無い。
 そして、次の一撃を凌ぎ切ったなら、ダスクフレアを倒しうる攻撃を繰り出す力は、最早カオスフレアたちには残っていまい。
 つまりこの瞬間、ダスクフレアの勝利が、それによる創世が確定したのだ。
 だからこそ、厳かにこう宣言した。
「我の勝ちだ」


「ところがドッコイ、ってな」
 いつの間にか。
 ダスクフレアの直下に彼はいた。
 VF団八部衆“入雲竜”公孫勝直属、超能力者スペリオル、ローレン。
 ローレンが片手を天へ――頭上のダスクフレアへと掲げる。その掌に、彼の纏う執行者のコロナの全てが収束し、次の瞬間、念動力が赤い竜巻となってダスクフレアを束縛する。
「貴様、これは……!?」
 響くその声に、驚きが浮かぶ。ローレンが何をしたかを、ダスクフレアが理解したが故だ。
 端的に言うなら、ローレンは自身の生命力を燃料にしてダスクフレアを拘束している。
 もともとフレアとは世界を構成する要素であり、自然、全ての生命は大本を辿ればフレアによって成り立っている。
 ローレンは、そうした生命の根幹となる部分のフレアまでもを自身の能力の強化につぎ込んでいるのだ。
 それだけでも自身を削りながらの行為だが、それだけではない。
「俺じゃあ、あんたに傷をつけることはできない。が、あさひの尻馬に乗るんなら、話は別だ」
 絶対武器による、防御結界の突破。それが成された時、ダスクフレアを取り巻くローレンのコロナは、その突破口へと殺到し、フォーリナーの一撃の威力を倍化させる。
 

 だが、この方法には一つのリスクが存在する。
 フォーリナー、あさひは、自身のコロナを剣にかえていることからも分かるように、それを直接の攻撃に用いている。
 だが、ローレンの使い方はそれとは異なる。
 いわば、触媒として使用するのだ。ローレンのコロナは、ダスクフレアを攻撃するのではなく、むしろあさひの黄金の剣による一撃でダスクフレアとともに砕かれ、その際に反応を起こすことであさひの一撃の威力を跳ね上げる。
 先に述べたリスクとは、コロナを砕かれる事によって、ローレン自身にダメージが返ってくるということだ、そして、彼は自身の生命そのものをコロナとして練り上げている。つまり、
 

「我と相打つか!?」
 ダスクフレアがローレンの束縛を逃れようと全身をよじらせる。が、赤い竜巻は僅かに揺るぎはするものの、ダスクフレアを逃がさない。
 逃がすものか、とローレンは独白する。
 いろいろな意味で、チャンスはこれきりだ。
 あさひが攻撃に残した力という意味でも、そのあさひに意図を悟られないようにこの技を使うという意味でも。
 彼女に、今、自分が何をやっているのかを知られたならば、あのフォーリナーはその剣を振り下ろせないだろう。
 自分だって命がけのクセに、きっとぎゃんぎゃんと喚き散らしてこちらに文句を言うに決まっていた。
 だから、タイミングを計った。
 誰もがもう後戻りできない、そんなタイミングだ。


「カオスフレアああーっ!!」
 戦闘を開始してより初めて、明確に感情の乗った声がダスクフレアから発せられる。
 怨嗟、焦燥、憎悪、恐怖。もろもろの負の感情がブレンドされた叫び声。
 ローレンはそれを聞いて、そっとため息をつく。
 ささやかに抱いていた期待が、最期くらいは名を呼んでくれるのではないか、という思いが叶わなかったことに対して。
 

「あなたを連れて行きます。公孫勝様」


 ローレンが別れの言葉を口にすると同時に、MTの振り下ろした剣が、ダスクフレアを脳天から真っ二つに切り裂いた。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』⑫ 再び会えたなら
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/04/12 21:33
Scene23 暁に戦士は眠らずに




 『シアル・ビクトリア』の黄金の剣がダスクフレアを中心線から二つに斬断し、その勢いのままに地面に叩きつけられる。
 びしり、と。
 何かがひび割れる音が聞こえた。
 音の発生源は、ダスクフレアだ。
 仙術攻殻を覆っていた結界が、創世されようとしていた新世界が、崩れていく。
 ひび割れの音は次々と連続して響き、やがてはガラスの滝のような音を立てて、プロミネンスが崩壊する。
 砕け散る黒い欠片は、地面に落ちるより早く空気に溶けて消えて行った。


 その場に残ったのは、仙術攻殻の残骸と、そのそばに佇む『シアル・ビクトリア』。
 そして、刀身の半ばまでを地面に埋めてようやく止まったMT用の実体剣のすぐそばに、倒れ伏したローレンの姿がある。




 
「……ひ、……あさひ!」
 混濁した意識に聞き覚えのある声が突き刺さる。幾度も呼ばれ、体を揺すられる。
 ちょっと勘弁して欲しい。ただでさえ、全身がぎしぎしと軋み、痛むのだ。もうちょっとだけ、優しくしてくれてもきっとバチは当たらない。
 つらつらとそんな思考が頭の中を流れたところで、ようやくあさひの意思が外界を認識する。
「……あれ……シアル……?」
 視界いっぱいに映るのは、くしゃくしゃに顔を歪めているシアルの姿だ。
「ああ、あたし、生きてるんだ」
 いつの間にかMTとの接続装置から出てきていたシアルにすがりつかれながら、ぐったりとシートにもたれる。
「あの一撃の反動で、あさひは一度、生命活動を停止いたしました。ですが、『シアル・ビクトリア』があなたを助けた……ように、思います。論理的な話ではなくてお恥ずかしいのですが」
 自身が思い切り動揺していたことも、恥じらいの理由なのだろう。さりげなくあさひから離れ、微妙に視線を逸らしながらシアルが口を開く。
 そんなシアルを見て頬を緩めながら、まだぼんやりとした頭であさひは自身が座っているシートを撫でる。シアルと並ぶ、もう一人の相棒。何処か遠い世界の、思い出の欠片に、感謝を込めて。


 そうしていると、一度は表情を緩めていたシアルが、再び真剣な面持ちであさひに向き合った。何事かと、痛む体をだましだまし、あさひも居住まいを正す。
「あさひ。最後の一撃を振るったときの、その瞬間を、覚えていますか?」


 言われて、あさひは記憶を辿る。
 フェルゲニシュの背から飛び上がり、コロナで作った剣にサペリアが力を込め、、赤い竜巻で戒められたダスクフレアへと――。


 がば、とシートから身を起こす。
 全身が突然の動きに反逆を起こしたように痛みを訴えてくるが、あさひは今、それどころではない。
 黄金の剣が赤い竜巻ごとダスクフレアを切り裂いた、あの瞬間。
 あれが何であるかを、あさひは感じ取っていたのだ。


「シアル、ロー君は!?」
「……行きましょう、彼のところへ」
 勢い込んで詰め寄るあさひをシアルがやんわりといなし、コンソールに指を走らせる。
 ごうん、とMTの駆動音が響き、コックピットのハッチが開く。
 『シアル・ビクトリア』が膝を付き、ハッチの前に機兵の掌が差し出される。


 シアルに肩を貸してもらい、あさひはコックピットを後にする。鋼の掌に運ばれた先には、横たわる一人の少年の姿がある。
「ロー君……!?」
 ローレンの側にしゃがみ込んで、その頭を抱いて身を起こさせる。うっすらと、ローレンが目を開いた。
「……よう。……そっちは、無事みたいだな……?」
 途切れ途切れの声。力の篭らないそれが、なにより如実に彼の状態をあさひに教える。
「ロー君、あたし……! ごめん、ごめんなさい……!」
 ぐったりと脱力したままのローレンの頭を胸にかき抱いて、ぽろぽろと涙を零す。


「ああ? 謝られるような、ことを、された覚えは、ねえよ……」
 継ぎ接ぎだらけの言葉で、ローレンが悪態をつく。
 息を荒げる様子はない、苦しげな素振りも見えない。ただ、命の灯火が細く弱くなっていく。
「お前は、よくやったよ。何も、謝るこたあ、ねえんだ。むしろ、俺は、礼を、言わなきゃ、いけねえ……」
「そんな、そんなこと……!」
 泣きながら激しく首を振るあさひに、ローレンは困ったように眉を寄せた。
「ぴーぴー泣くな、よ……。年上、なんだろが」


 あさひの背後で、じゃり、と靴底が砂を噛む音がする。
 視線を向けた先にいるのは、龍人形態のフェルゲニシュと、人の姿に戻ったサペリアだった。


「……よう、アンタらも、お疲れさん」
「……ああ」
 重々しくフェルゲニシュが頷きを返す。サペリアはそこから一歩下がった位置で、彼女にしては珍しい仏頂面で黙り込んでいた。
「なんとか、言ってやってくれ、オッサン。うじうじめそめそ、鬱陶しい、ったらねえよ」
「……泣かせてやれ。今必要なのは、慰めではあるまい」
 一度だけ、噛みあわせた牙をぎしりと鳴らしてから、なんでもないようにフェルゲニシュは答えた。ローレンは、うんざりといった表情でそれを聞く。
「……じゃあ、ポンコツ。お前から……」
 水を向けられたシアルも、唇を噛み締めながら首を振る。
「泣かしてるのはロー君なんだからさ、言うべきことがあるなら自分で言っておやり。最後なんだしね」
 腕組みしたサペリアが、無表情にポツリと言う。そんな彼女をローレンはしばらく薮睨みで見つめてから、小さくため息をついた。


「なあ、あさひ」
 小さく、弱々しく、だが確かにその名を呼ぶ。フォーリナーの少女は、しゃくりあげながら、ローレンと視線を合わせた。
「その……なんだ。気にすんな」
「ロー君、結構無茶なこと言ってるのに気付いてる?」
 ぐす、と鼻をすすりながらのあさひの返事に、ローレンは一瞬ならず言葉を詰まらせる。
「……まあ、確かに、気にすんな、てのは難しいかもしれねえけど、よ。結局は、俺が、勝手にやった、ことだ。お前は、悪くない」
 目を閉じて、深呼吸を一つ。言うべき事、言いたい事を頭の中で整理する。
「……お前はさ、すげえ奴、だよ。考えもやり方も、どうしようもないくらい甘い、そんな風に育つくらい、平和なトコから、来たくせに、絶対武器も、使えないうちから、ダスクフレアに突っかかって、いきやがった」
 ただ黙って、じっとローレンを見ながら話を聞くあさひ。フェルゲニシュとサペリアが、その背後に静かに佇む。
「バカなんじゃねえかと、思うくらいの、度胸だった。……カッコ良かったよ。だったら俺も、と、思ったんだ」
 ふっとローレンが笑みを見せる。あさひが今までにみたことのない、力の抜けた自然な微笑みだった。
「だから、なあ。教えてくれ。俺は、お前みたいに、できてたか? もしそうなら、笑ってくれ。褒めてくれ。そうしてくれりゃあ、割と、満足だよ」
「ロー君は、バカだなあ」
 涙に震える声で、あさひが答える。
「バカだけど、カッコ良かったよ。あたしなんかより、百倍も」
 あさひが表情を変える。くしゃくしゃに歪んだ顔は、どうにか泣き笑いに見えないこともなかった。
「そうか。……なら、いいや」


「……言いたい事は、もう終わりかい?」
 言いながら、サペリアがローレンの傍にしゃがみこむ。その顔は、さっきから無表情に固定されたままだ。
「……ああ、大体、終わりだな」
 吐息とともに零れたローレンの台詞に、サペリアは頷きを返す。


「……あたしはさ、元々は造物主に創造された使徒。生物兵器なのさ」
 唐突に、そんな言葉がサペリアの口から発せられる。
「あたしみたいな使徒崩れとか、元・世界霊とか。そういう連中が人に生まれ変わったり、自然物に憑依したり。そういう連中をひと括りにして、崩壊者コラプサー、って言うんだけどね」
 唐突に脈絡の無い話を始めたサペリアに、あさひは不謹慎だと怒るとか以前に、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。サペリアはそんなあさひに構わず話を続ける。
「で、そのコラプサーの定義として、周囲の物理法則、世界そのものを捻じ曲げる力を持ってる、ってのがある。例えば積み重ねた時間の重みで、例えば生まれる前から続く記憶の質量で、って具合さ。あたしの場合だと、生命力。大戦の駒として作られた兵器としての生命力をもって、周囲の世界を捻じ曲げて力を振るうんだ」
 そこまで言うと、サペリアはほんの少しだけ、唇を歪めた。
「さて、あたしが何を言いたいか、分かるかい、ロー君?」
「……さっぱり、だな……」
 律儀に言葉を返すローレンの声は、ますますもってか細くなっていた。おそらくもう、限界が近い。それを悟ったあさひの体が強張るのが、ローレンにも伝わる。


「なら、教えてあげるよ」
 あさひに抱きかかえられたローレンの傍に、サペリアが膝をつく。
 その顔には、実に人の悪い笑みが浮かんでいた。
「このあたしが、何もかもダイナシにしてやるっつってんのさね」


 その言葉の真意を周囲が問うよりも早く。
 サペリアが両の掌を打ち合わせる。すぐさまに開かれた掌の間には、赤と青の光で作られた、炎を象った紋章が浮かんでいる。銀の巨人の姿であったサペリアの、胸元に浮かび上がったものと同じ紋章だ。
「ふんっ!」
 掌打一閃。
 空中に浮かぶ炎の紋章を砕き散らし、赤と青の光の粒子を纏いながら、サペリアの掌底が、ローレンの胸部中央へと叩き込まれる。更にそれだけでは飽き足らず、全体重を乗せたその一撃は、ローレンの背中をしたたかに地面へと激突させた。


「きゃあっ!?」
「ぐ、はあっ!?」
 あさひの悲鳴とローレンの苦鳴が同時に響く。
「な、な、な……!?」
 事態が理解の範疇を超えてしまい、壊れたラジカセのように同じ一音をあさひは繰り返し、


「なにしやがんだこんのクソアマあーっ!?」
 

 やにわに勢い良く立ち上がったローレンがサペリアの胸倉を掴み上げる。
 とは言っても、身長差のせいで、ローレンがサペリアにぶら下がっているように見えてしまうのだが。
「別にいいじゃないか。どうせもうすぐ死ぬとこだったんだろ?」
「だからって文字通りに死人に鞭打つ法があるかあーっ!」
 があーっと吼え猛るローレン。サペリアはニヤニヤと笑いながらそんな彼を見下ろしている。


「ろ、ロー君……? た、立ち上がったりして、大丈夫なの……?」
 あまりの展開に感情にストッパーがかかり気味のあさひが、おずおずと尋ねる。
「……ん?」
 はた、とそこでローレンは我に返った。
 先ほどまで全身を支配していた虚脱感は、綺麗さっぱり消え失せている。いや、それどころか、妙に体が軽い。確かにすぐ隣まで来ていたはずの死の影が、今は何処にも見当たらない。
「え、あ、あれ……?」
 ぺたぺたと自身の体を触って調子を確かめているローレンに、サペリアが意地の悪そうな笑みを深め、言った。
「言ったろ。生命力があたしのウリだってさ。あたしの命をロー君に分け与えたんだよ。そういう機能を持たされてるのさ、あたしはね」
 軽々しくやれることでもやっていいことでもないけどね、と付け加え、からからと笑うサペリア。


 あさひとローレンはしばらくの間、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりして絶句していた。やがて、ローレンが限定的に復活を遂げたようで、再びサペリアに食って掛かる。
「そ、そういうことが出来るんなら、なんで最初っからやらねーんだよ!? っていうか最後なんだしね、とか言いやがったよな!? そうだよな!?」
 まくしたてるローレンの背後で、あさひがぶんぶんと首を縦に振っている。
 サペリアは、ああ、あれね、と、ぽりぽりと頭を掻きながら、
「ありゃテキトーこいただけさ」
 さっくりとそう言い放って、さらに付け加える。
「ちなみにすぐにやらなかったのは、莫迦な真似をした少年を晒し上げるためさね」
「最悪だこの女あーっ!」


 声を上げるローレンを完璧に無視して、サペリアはその場から一歩下がり、表情を作り替える。にやにやとした笑いから、やや力の抜けた、憂いと無表情の中間のような表情だ。
「『カッコ良かったよ。だったら俺も、と思ったんだ』」
 わざわざ声色を作ってローレンの台詞を繰り返した。ローレンがまともに硬直する。
「お、お前、ちょ、ま、それは……!」
 ぎしぎしと音がしそうな仕草でこちらを向くローレンに対し、にやあ、とサペリアが笑う。
「『だから、なあ。教えてくれ。俺はお前みたいにできてたか?』」
「ぎゃあーっ!? やめろ! っていうかいっそもう殺せーっ!!」
「『もしそうなら、笑ってくれ。褒めてくれ。そうしてくれりゃあ、割と、満足だよ』」
「お前も即座にノってんじゃねえよポンコツがあーっ!!」


「……く、くくく」
 ローレンを抱き抱えていた姿勢のまま固まっていたあさひから、そんな声が漏れた。のたうちまわっていたローレンと、悪魔の笑みを浮かべて彼をいたぶっていたサペリアと、無表情に彼女をアシストしていたシアルがピタリと動きを止める。
「く、あは、あはははは! あはははははははははは!」
 大爆笑であった。もう色々と振りきれてしまったらしく、倒れこんで脚をばたばたとさせながら笑い転げている。
「……くそ。散々だ……」
「女の子を本気で泣かせてこの程度で済ませたんだから感謝しな」
「貴女の行動がもう少し早ければあさひは泣いていなかったように思うのですが」
 まだ笑っているあさひを見ながら、三者三様に言葉を紡ぐ。
 呆れたようにことの成り行きを見守っていたフェルゲニシュがそっとため息をつき、しかし目許を和らげた。
「まあ、これにて一件落着、か」
 あさひの笑い声は、まだ広場跡に響き続けている。




共通エンディング


 ダスクフレアとの戦闘から数日後。
 完全に整地されてしまった中央広場周辺を除けば、フェルマイスの街はすっかりと以前の様子を取り戻しつつあった。
 ダスクフレアが倒されるのと時を同じくして街を襲撃していたグレズたちもその活動を停止し、大半はそれを制御する術を持つパッドフットの商人たちへと引き渡されていた。一部、統合意識からの解放と共に自我を目覚めさせたものについてはフェルゲニシュによって神炎同盟へと連絡が行われ、マリア・カスタフィオーレ博士率いる勇者グレズ軍団の保護下に入ることになっている。


 ティカル騎士団による事後処理も落ち着いてきた今日この頃、街の東門を出てすぐのところに、異様に目立つ集団があった。
 略式の正装を身に付けたティカルの騎士と、それに向き合うアムルタートと数名の男女、極めつけにそのそばに膝を付いているMT。
 この街を離れることになったあさひたちと、その見送りの一行である。


「お世話になりました、サルバトーレさん」
 あさひがぺこりと頭を下げる。その隣にいたシアルが、無言でそれに倣った。
「お礼を言うのはこちらの方ですよ。あなた方がいなければ、この街は今頃ただの荒野になっていました」
「どっちかってーとあたしらが厄介事を持ち込んだ感もあるんだけどねえ」
 ははは、と笑いながら、サペリアがそんなことをのたまう。
「それでも、ですよ。私たちがあなた方に救われた事実は動きません」
 律儀なこったねえ、とやや呆れたようにサペリアが笑った。
 とは言え、サルバトーレが融通を利かせてくれなければ、ティカル騎士団から情報を盗みだした一件については追求された可能性もあったのだ。彼はそんなそぶりは見せないが、あれこれと動いていてくれたらしい、ということはそういうことに疎いあさひにも聞こえてきていた。


「それで、これから皆さんはどちらへ?」
 サルバトーレの問いに、ひょいと肩をすくめて答えるのはローレンだ。
「俺はここまで、だな。俺がこいつらと一緒に行動してた理由はなくなっちまったし、ダスクフレアが片付いたってのに、神炎同盟とVF団が一緒にいちゃマズいだろ」
「あたしもここでお別れかね。騒がしいのも楽しいけど、ちょっと一人でフラフラしてみたい気分なのさ」
 さっぱりとした表情で、二人は言う。これは、カオスフレアたちの間では全員に知らされていることだった。まあ、あさひが宿でこのことを聞かされたときには一悶着あったのだが。


「わたしとあさひは、宝永へ行くことになっています。とりあえずは神炎同盟に保護を求めようかと」
「で、俺はその案内人だな」
 これも、ここ数日の間にあさひとシアルの間での相談で決められたことである。フェルゲニシュも当初よりこの案を二人に薦めていたのだが、意外なことにローレンもこれに賛成していた。
 そもそもローレンにあさひとシアルの確保を命じていた八部衆、公孫勝がダスクフレアであったこと、それによって出された命令は無効化していること、公孫勝直属の部下であったローレンは、組織内での後ろ盾を失った状態であり、その自分がフォーリナーを組織に連れていっても面倒事の種となる可能性のほうが高いこと、などが彼の口から理由として挙げられ、個人的な見解として、と付け加えた上で、フォーリナーが身を寄せるなら神炎同盟がいいんじゃないか、と意見を出したのだ。


「まあ、そういうわけであたしら二人だけ仲間はずれだね。なんなら二人旅と洒落込むかい、ロー君?」
「お断りだ」
 へらへらと笑いながらのサペリアの提案が、ぴしゃりと遮断される。
「冷たいねえ、命の恩人に向かって」
「そのあと精神的に惨殺されたのを俺は忘れてねえぞ」
 事態の解決以降も折に触れてサペリアにからかわれ続けたために、ローレンのサペリアに対する警戒度は常時MAXであった。
「まあまあ、二人とも仲良く仲良く。大人がケンカしてるとミリちゃんたちの教育にも悪いし」


 孤児院からサルバトーレに連れられて見送りに来ている子供二人の方をちらりと見ながらあさひが二人の間に割ってはいる。もっとも、テンションを上げているのはローレンのみであるので、実質は彼の抑えに入ったのだが。
「……はあ、分かったよ。お前の顔を立てといてやる」
 大きくため息をついて、ローレンは一歩下がる。サペリアが近くにいるとロクでもない事になる、と判断したらしい。


「さて、では名残は尽きないが、そろそろ発つとしようか」
 フェルゲニシュの言葉に、全員が頷く。
 あさひ、シアル、フェルゲニシュの三人は『シアル・ビクトリア』で――戦闘中に使用する機会が無かったが、この機体には飛行形態への変形機能が備わっていた――宝永へ。
 ローレンは、どうにか修理を終えたエアロダインで、近場のVF団構成員と合流するらしい。
 サペリアは、徒歩で当ても無くブラブラする、とのたまっていた。


「じゃあ、あばよ。もう会うことはねえだろうけどな」
 ローレンがそう言い、軽く片手を上げる。
「そうですね。もうVF団と関わる機会など無い事を祈ります」
 さらりと憎まれ口を返すのはシアルである。
 そして、そんな彼女を軽くたしなめながら、あさひがローレンと向かい合う。彼女は少し考えるそぶりを見せてから、にっこりと笑ってみせた。
「『再び会えたなら、微笑みを交わそう』」
 軽く目を閉じ、言葉を紡ぐ。
「『二度と会えぬなら、今を良き別れとしよう』」
「……なんだそれ?」
 ローレンが疑問符を浮かべてみせる。
「あたしの世界で読んだ本にあった言葉。結構今のシチュエーションに合ってると思わない?」
「ふむ。なかなか洒落ているな」
 あごを撫でながら、感心したようにフェルゲニシュが零す。
「じゃあ、微笑みを交わすときを楽しみにして、ってところかね」
 腕組みしてうんうんと頷きながらサペリアが続く。
「だから次はねえ、って言ってんだろ……」
「全くです」
「こういうときは妙に息が合うよね、二人とも」
「心外だな」
「心外です」
 異口同音に言い返したシアルとローレンが絶句してから互いを睨み付け、同時に視線を逸らす。


「くっそ。もう俺あ行くからな!」
 シアルに反発した勢いのままに、ローレンがエアロダインに飛び乗る。すぐさまエンジンが始動し、車体が宙に浮いた。
「ロー君! 元気でねーっ!」
 ぶんぶんと、子犬の尻尾のようにあさひの手が振られる。その横で、シアルがお義理のように小さく手を挙げていた。
 ローレンから、答える声は無い。ただ、運転席から彼の腕が突き出され、ぐっと親指を立てたのは、その場にいる誰の目からも見えた。


 あっという間に加速して姿が見えなくなってしまったエアロダインを見送って、あさひはくるりと振り返る。
「じゃあ、あたし達も行こうか」
「はい」
 シアルが頷き、相棒である『シアル・ビクトリア』を見上げる。おそらく遠隔操作したのだろう。MTがその掌を差し出してくる。あさひとシアルがその上にぴょんと跳び乗ると、そのまま胸部のコックピットハッチ前まで運ばれていく。


「ねえフェルさん! ほんとにこっちに乗らなくていいの?」
 一旦は足を踏み入れたコックピットからひょいと顔を出して、あさひがフェルゲニシュに問いかける。
「構わんさ。俺の体ではそこには入りきらんからな。そいつが空を飛べるなら、それに掴まって行けばいい」
 確かに、龍人形態のフェルゲニシュのサイズではコックピットに入りきらないが、人間形態ならば、どうにかもう一人乗れるくらいの余裕はあるのだ。ただ、フェルゲニシュが自身の拘りを盾にそこを譲らなかったために、飛行形態のMTに適当に掴まって一緒に行く、という、あさひからすると狂気の沙汰の選択肢が採られることとなっていた。


「仕方ないなあ。シアル、安全運転で行こうね」
「了解しました、あさひ」
 既に接続装置の中にいるシアルに一声かけてから『シアル・ビクトリア』を立ち上がらせる。
 メインモニター越しの視界が一気に高くなり、周囲でこちらを見上げている人々の様子がよく分かった。その中の一人の映像を拡大し、その相手に向けて声を放つ。
「サペリアさん、お世話になりました! お元気で!」
「あいよ。あさひちゃんもシアルちゃんも、あとついでにフェルの旦那も、元気でね」
「はい」
「ついでは酷いのではないか」
 すぐ後ろのシアルと、いつの間にかMTの肩によじ登っていたフェルゲニシュがそれぞれに返事をする。
「サルバトーレさん、ユージーンちゃん、ミリちゃん、わざわざ見送りに来てくれてありがとう! いつかまた、遊びに来るからね!」
 サルバトーレがティカル流の敬礼で応え、ユージーンに肩車されたミリが滅茶苦茶に手を振り回して、ユージーンは必死にバランスを取っていた。
 くすりと笑って、あさひはモナドドライブの回転数を上げる。MTの駆動音が高く高く響き渡って、最後にもう一度、あさひはモニターで周囲の人々を見回した。
「じゃあ、行ってきます!」




個別エンディング サペリア


 てくてくと街道を歩く。
 あさひたちがウェルマイスから北の方角、宝永へ。
 ローレンは南の方角、南海通商連合、ヴィンラント共和国へ。
 と、なれば、ウェルマイスへは東から来たのだから、サペリアが向かうのは西だった。


 この辺りは嵐の海に行き当たるまではティカル騎士団の勢力範囲で、治安もそう悪くない。先日のようにテオス配下のダーカたちとやりあう、というようなことはあまり考えなくてもいいだろう。
 その証拠に、先程からすれ違う者といえばパットフットの行商人か、農村の間を行き来する幌馬車くらいのものだった。実に平和である。
 サペリアはヒトの心が燃え上がるのを好むが、同時に、凪のように平穏なそれもまた同じくらい好んでいる。
 だから、割と上機嫌に、真っ直ぐ西へと歩いていた。いずれ嵐の海に突き当たったら、そのまま魔王たちの領域へと向かうか、北か南へ陸地沿いに進むか考えなければいけないが、その時に気が向いた方向へ行くことにした。行き当たりばったり極まれりである。


 ふと、調子よく歩いていたサペリアの足が止まる。
 周囲に人影は見えない。せいぜい、見上げた空の先で鳶が気持よさ気に輪を描いている程度である。
 だがそれにもかかわらず、サペリアはこう言った。
「出てきなよ。別に後ろ暗い所があるわけじゃないだろ?」
「そうですね。では、遠慮無く」
 返ってきたのは女の声。
 サペリアのすぐ目の前に、いつの間にか立っていた喪服の女。
 黒いショールから金髪をのぞかせた彼女――エロール・カイオスは、サペリアに向けてやんわりと微笑んだ。
「ってかさあ。あんたそーゆーの趣味なのかい?」
「そういうの、とは?」
「その突然現れるやつ。前もそれやったじゃないのさ」
 ああ、とエロール・カイオスが手を打ち合わせる。
「ふふ、案外そうかもしれませんね」
「さよか」
 呆れ顔のため息と共にそれだけをサペリアが返す。


「さて、今日はお礼を言いに参りました」
 礼? と首を傾げるサペリアと、穏やかな笑みを絶やさないエロール・カイオス。
「あなた達のお陰で、今回のダスクフレアは討ち果たされました。三千世界を守護するものの一人として、お礼申し上げます」
 そう言うと、優雅な物腰ですっとエロール・カイオスが頭を垂れる。
「よしとくれよ。あたしはあたしのやりたいようにやっただけさ。あんたの頼みごとに乗ったところから含めてね」
 ひらひらと顔の前で手を振りながら言うサペリアの表情と声には、心底からそう思っていることがよく現れていた。だから、エロール・カイオスも顔を上げる。
「そうですか。しかし、今は少し不便もあるのではないですか? 私たちにお手伝いできることがあれば……」
 そこまででエロール・カイオスは言葉を途切れさせる。サペリアが片手を上げて、続きを制していたからだ。
「確かにまあ、自分の命を分割しちまったせいでしばらくは大人しくしとかないとダメだけどさ。それはそれで楽しむことにしてるんだよ」
 エロール・カイオスは、世間話のようなサペリアの口調にくすりと笑みをこぼし、
「なんでもない事のように振る舞っていないと、あなたが救った少年が気に病むからですか?」
「……あんたねえ……」
 ジト目で自身を見てくるサペリアを気にした風もなく、エロール・カイオスは穏やかに微笑んでいる。
「ふふ。承知しました。今回は謝意を伝えるのみにいたしましょう。何かあれば、連絡を下さい、サペリア」
「分かった分かった。あんただってヒマじゃないだろ。さっさと行きなよ」
 一瞬だけ視線を逸らし、追い払うように手を振ったサペリアが正面を再び向いたとき、もうそこに喪服の女は存在しなかった。


「やれやれ。色々やりにくい女だね、全く」
 一言ぼやいて、ふたたびサペリアは歩き出す。
 抜けるような晴天の下、見渡す向こうに小さな農村が見える。
 今日はあそこで宿を借りようと決めた。
 ここしばらくは激しい心ばかりを見ていたから、素朴なヒトの心に触れていたい。ああいう村は、そういう目的にはうってつけだろう。
 明日どうするかは明日決めよう。
 ここは今、三千世界で一番騒がしい世界、オリジンだ。どうせそのうち厄介事の方から転がり込んできて、騒がしい日々を過ごすことになる。

 だから、それまではのんびりだらだら過ごそうと、サペリアは心に決めて歩いて行く。
 



個別エンディング フェルゲニシュ


「よくぞ役目を果たして戻った。フェルゲニシュよ。大儀である」
 宝永に建造された、アムルタートの冥龍皇イルルヤンカシュの居城、ジグラット。
 その謁見の間で、フェルゲニシュは命を受けた時と同じように、イルルヤンカシュの前で平伏していた。
 エルフェンバインにフォーリナー・雪村あさひが現れたことに端を発した今回の事件について、あらかたの報告を今しがた終えたところである。


「ときにフェルゲニシュよ。件のフォーリナーは今はいかがしておるのじゃ?」
 少女の見た目からはややそぐわない口調で、冥龍皇が尋ねる。
「は。とりあえず、私の家に滞在させております。よろしければ、イルルヤンカシュ様にお目通りをお許し頂ければと考えております」
 フェルゲニシュの言葉に、イルルヤンカシュは細いおとがいに指を添え、しばし考える。
「ふむ。よいじゃろう。ぬしが認めた勇者であれば、わらわも話を聞いてみたいからの」
 言ってから、そうじゃ、と手を打つ。
「信長とエニアにも声をかけるとしよう。MTの絶対武器の話やら、エルフェンバインのことやら、聞きたがるであろうからの」
「信長様と、エニア様もでありますか?」
「うむ。丁度、明日三人で会う予定が入っておる。その席に呼ぶとしようぞ」
「は。では、そのように伝えておきます」
 フェルゲニシュの返事に、イルルヤンカシュが鷹揚に頷いてみせた。


 ジクラットを辞去して、フェルゲニシュは帰宅の途についていた。
 今回の事件の疲れを取るため、しばらくゆっくりと休養するよう、冥龍皇から言い渡されたのだ。
「とは言え、なあ」
 実は、今家に帰っても彼の家族は誰もいないはずなのだ。
 愛する妻は、同じく愛する娘を連れて、あさひを宝永見物に連れ出している頃である。


 宝永に初めてやってきたフォーリナーは、大抵『エドムラ』とか『ジダイゲキ』とか言い出して、物珍しげに宝永を見てまわるのが常とされており、あさひもその例にぴたりとはまっていた。
 今朝も富嶽の民の民族衣装を妙に慣れた手つきで着込んでは出かけるのを楽しみにしていたので、しばらくは帰って来ないだろう。
 妻が付いているのなら、妙な連中に絡まれるという心配も要らないはずだ。もっとも、あれでもダスクフレアを打ち倒した聖戦士である。例え妻がいなくても本当にマズい事態には陥ったりしないだろうが、街中でMTを喚び出されるのもそれはそれで困る。
 
 
 やれやれ、とため息をつきながら顎を撫でる。すると、自身がうっすらと笑っているのが分かった。
 そのことに苦笑を深くして、フェルゲニシュは家路を急ぐ。帰っても出迎えがないのはいささか寂しいが、あさひのこれからについても考えるところがある。それについて色々と調べるのもいいだろう。


 こうやってなにくれとあさひのことを気にかけている様子を見て、妻は『もう一人娘が出来たみたいね』と笑っていた。さもありなん。フェルゲニシュ自身も、いつしかそんな気分になっていたのだ。
「……なかなか悪くないな」
 

 呟いたアムルタートの龍戦士の足取りは、先程よりもやや軽い。尻尾も妙に楽しげに地面を打っている。
 実は割と子煩悩なフェルゲニシュは、戦いの時からはイマイチ想像のつかない緩んだ表情を浮かべながら、家路を急ぐのだった。


個別エンディング ローレン


 仰向けに寝そべって、空を見上げる。見えるのは青い空と白い雲。ただそれだけだ。
 聞こえるのは、波の音と、どこかで鳴いている海鳥の鳴き声。
「……いい天気だなあ……」
「ちょっとアンタ! いっぺん操縦変わりなさいよ!!」
 思ったことが直通で口から出るくらい緩んだ状態でいたローレンに、鋭い声が浴びせられた。
「うるっせえなあ。俺は疲れてんだよ。しばらくそっとしとけ」
「休日のダメ親父みたいなこと言ってんじゃねーわよ! しまいにゃ乗車料金取るわよ!」


 ローレンが今いるのは、海の上だ。
 正確に言うと、海の上に浮かんでいる、VF団の多脚型歩行戦車の上部装甲上だ。
 ヴィンラント共和国でVF団の構成員と連絡をとったローレンは、今回の公孫勝の事件について報告を行うべく、とあるアジトへと移動中だった。その為の足がこの歩行戦車であり、それを操縦する、彼よりいくつか年上の少女だった。
 彼女はローレンと同じく、弧界エルダの超能力者で、同じ超能力者に師事した、いわば姉弟子にあたる相手でもあった。


「ったくもう。次の仕事はニューマンハッタンの予定だったのに、アンタのおかげでキャンセルじゃないの! ほんとに余計なことばっかりして……!」
 歩行戦車を操縦しながら、なおもぐちぐちとつぶやき続ける同僚に、いささかうんざりしながらもローレンは声をかける。
「ニューマンハッタンに何かあんのかよ」
 反応は劇的だった。
 空気を抉り抜くような勢いで彼女は振り返り、レーザーの如き視線でローレンを貫く。
「あのねえ。ニューマンハッタンと言えば、あそこには八部衆の“サンジェルマン伯爵”ジル・ド・レエ様がいらっしゃるじゃないの。今回は直接会えるチャンスだったのに!」
 きい、と悔しそうに顔を歪める姉弟子に、ローレンははっきりとわかる呆れのため息をプレゼントする。
「ジル・ド・レエ様って……あれ、ガチホモじゃねえかよ。なんぼ美形でも意味ねえだろ」
「分かってない! 分かってないわあんた! やっぱりお子様ね! バイだろうがホモだろうが、あれだけの超美形なら目の保養になるのよ!」
 拳を握って力説する姉弟子。もう完全に無視してやろうかと思ったローレンだったが、ふと思いついたことがあった。


「あー。成程なー。そのでっかいおっぱいに世の男がつい目をやっちまうのと同じか」
「ぬああっ!?」
 ボン、と音がしそうな勢いで顔全体を紅潮させる姉弟子。反射的に胸に手をやって隠しているが、ローレンの言葉通りになかなかに立派なそれは、その程度で隠れるようなシロモノではない。
「あ、あ、あ、あんたねえっ! どこでそんなこと覚えてくんのよっ!?」
 常日頃からこちらを子供扱いしてくる姉弟子の醜態に、密かに溜飲を下げつつ、
「んー。ああ、アレだ。地球産のギャグだよ。地球産」
 さらりとそんなことをのたまった。
「ち、地球!? ってことはフォーリナー経由なの?」
「まあ、そんなとこだ」
「そ、そう……地球は恐ろしいところね……」
 戦慄したように呟く姉弟子。そんな彼女を見て、くつくつと笑いながら、再びローレンは装甲板の上に寝そべって空を見上げる。


「再び会えたなら、ね……」
 彼の呟きに、答えるものはない。
 それでも、ローレンは唇の端を、ほんの少しだけ、笑みの形に曲げていた。



個別エンディング あさひ


 その日、しばらくぶりにあさひは地球から来たときに着ていた服に袖を通していた。
 宝永に来てから十日ほどだが、その間はほとんど着物で通していたのだ。
 そう、日本古来の衣装の、着物である
 宝永は、基本的に時代劇のような街並みをしていて、そこにいる人たちも、江戸時代からそのまま抜けだしてきたようなものが多い。無論、それだけではなく、龍人、イヌミミ付き、ねこしっぽ付き、二頭身のメタボーグ、タコ型宇宙人などなど、江戸時代ではありえないバリエーションの人々もチラホラと見受けられたが。


 そんな中にいても、フォーリナーの、地球の服装というのは目立つらしく、出で立ちで出自を見抜かれてしまうことが多いのである。一度だけ、美酒町、というところの出身か、と聞かれたことがあったが、それ以外はだいたいあさひをフォーリナーだと認識していた。
 そんなわけで、いちいち地球出身か、と聞かれるのが面倒になったあさひは郷に入れば郷に従え、の精神を実践して富嶽風の服装をするようになったのである。幸い、富嶽の人々は日本人と同じくほとんどが黒髪黒目で、服装さえ合わせてしまえば、時々言動からフォーリナーと見抜かれる以外は街に溶け込むことが出来た。


 ともあれ、そんなあさひが、今日は久しぶりに着物以外を着ていた。
 今日は、あさひとシアルが宝永を離れる日なのである。
 発端は、フェルゲニシュの一言だった。


「地球では、どういう暮らしをしていたのだ?」


 この質問に対して色々と答えたところ、数日のうちに、フェルゲニシュはある書類を用意してきた。
 それは、地球での暮らしと近いものをあさひに用意してやろうという気遣いであり、地球に帰る手段に近づけるかもしれないという予測も含んだものだった。
 それは、とある場所であさひとシアルが生活するためのものだった。その為の手続きや資金援助は、神炎同盟からなされることも知らされた。名目上は、ダスクフレア討伐に対する報奨金である。


 宝永での暮らしもそれなりに気に入っていたあさひではあったが、最終的にはそのフェルゲニシュの提案を受け入れた。
 いつまでも彼の家に居候をしているのも少々気まずい、ということもある。
 そんな訳で、今日、あさひとシアルの二人は宝永の都市部がある第四層の下、かつては宇宙港として使用されていた第三層からMTで飛び立つのだ。
 今回の見送りはフェルゲニシュのみである。彼の妻子とは、家を出るときに別れを済ませてきた。先日二歳になったフェルゲニシュの娘、ミツハにはあさひもシアルも相当懐かれていたため、大泣きされてしまったが、いずれまた遊びに来る、という事でどうにか納得させたのである。連れてきていたら、きっとまた火がついたように泣き出すであろうことが容易に想像できたので、この場にはいないのだった。


「じゃあフェルさん、何から何まで、ありがとうございました」
「お世話になりました」
 あさひとシアルが揃って頭を下げる。
「なに、気にする必要はない。我らは戦友だ。そして、お前たちは勇者でもある。アムルタートはそれらを尊ぶ。お前たちはお前たちにふさわしい扱いを受けたに過ぎない」
 鷹揚に手を振っていうフェルゲニシュ。とは言え、いつか何かで恩は返す必要がある、とあさひは痛感していた。心密かに拳を握って決意を強くする。
「目的地までは、中央大陸を縦断する必要がある。真っ直ぐに南下すると、エルフェンバインやら大断崖やらテオスとの最前線やらの近くを通ることになるから危険だ。一旦南西に進路をとって、ティカル騎士団領からヴィンラントを経由していくといいだろう。ああ、その場合にもTOKYOパンデモニウムと、ルイムニー大森林の直上を飛ぶのはできるだけ控えるようにな」
 むっつりとした表情でフェルゲニシュが注意事項を並べ立てる。一見不機嫌なようにも見えるが、愛娘が広場で遊んでいるのを見守ったりしている時も、だいたいこんな表情だ。こちらを心配してくれているというのはあさひにはすぐに分かる。
「大丈夫大丈夫! シアルだってナビゲートしてくれますから。ね、シアル?」
 殊更に元気よくあさひが言い、シアルが頷く。
「そうか。分かった。ではそろそろ行くがいい。そろそろ申請していた発進の予定時刻だろう?」
 確かに、そろそろ時間だった。もう一度、フェルゲニシュに頭を下げてから、二人は『シアル・ビクトリア』に乗り込む。


「じゃあ、道中よろしくね、シアル、シヴィ」
 ぽん、とシートを叩いてあさひが言う。
 『シヴィ』とは、あさひが考えた『シアル・ビクトリア』の愛称である。彼女曰く、シアルと『シアル・ビクトリア』がややこしいとのことだった。
 シアルからは、貴女が名付けたのですが、とツッコミを頂いたものの、それ以外は好評だった。


「いつでもいけます、あさひ」
「よーし、じゃあ発進! 目的地は多島海アーキペラゴ、リオフレード魔法学院!」



[26553] キャラクターシートと蛇足の解説
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/07/17 11:26
 各キャラクターシートの公開と、万に一つくらいの可能性で、カオスフレア知らないけどこれを読んでみた、と言って下さる方のために、ちょろっと解説を入れていきたいと思います。
 また、特技等の説明は敢えてぼかして書いていますので、御了承願います。


・雪村あさひ

【コロナ】 聖戦士
【ミーム】 フォーリナー/オリジン
【ブランチ】装着者/ORDER

【能力値】    肉体:6  技術:6  魔術:6  社会:4  根源:12
【戦闘値】    白兵:7  射撃:7  回避:7  心魂:11  行動:2(25)
【HP】     15(138)
【LP】     9

 宿命:勇者  特徴:勇気の証  
 闘争:平和  邂逅: シアル


・初期装備品

 右手 :なし
 左手 :なし
 胴部 :制服             (インキュベーター相当品)
 その他:なし 
 乗り物:シアル・ビクトリア      (ツェータビクトリア相当品)
 予備1:アエログレイブ 
 予備2:シアル            (アニマ・エリクシア相当品)
 予備3:近接防御機関砲        

手作りお弁当

・特技

勇気ある誓い   1度の判定でソフィア(コロナごとに決められたトランプのスート)に合致しているフレアを何枚でも出せる

不死鳥の炎    死亡時に復活する

捨て身の覚悟   白兵攻撃。差分値二倍。自分も同ダメージを受ける。

無敵装甲     防具を無敵装甲に指定。オートアクションで装備可能。攻撃を【根源】化
 
憤怒       覚醒時のみダメージにボーナス

モナドリンケージ MTをセットアップで装備できる

ワークスマシンLV3 MT関連のアイテム取得 



 とりあえず、キャラクターの職業に当たる部分の説明を先に。

 コロナ、とはそのキャラクターの大まかな役割を指します。
 光翼騎士が味方を守り、星詠みが補助と回復、執行者が相手の妨害、聖戦士がトドメ、というのが基本でしょうか。もちろん、これはあくまで基本で、それ以外の役割もこなすことは可能です。

 ミーム、とは、そのキャラクターがどの世界に属しているか、あるいは影響を受けているか、を指します。
 あさひは地球出身のフォーリナーですが、MTというオリジンの技術の産物を使いこなすということで、ミームにオリジンが入っているわけです。

 ブランチ、とは、それぞれのミームのなかでの特徴分けになります。
 フォーリナーだと、防具を絶対武器とする装着者アルマチュアの他に、武器を扱う切り札イレギュラー、道具のカテゴリに入る物を使う協力者シュネルギア、自身の魂を絶対武器として具現化させる顕現者アヴァタールがあります。


 さて、最初の紹介は、MT関係のスキル取得のために、クライマックスでダスクをぶった斬る以外にいまいちやることの無い構成になっているあさひさんです。
 彼女の名前はストレートに「朝日」からです。夕闇を打ち破るのがカオスフレアですので。


 彼女がダスクを斬る度に反動を受けていたのは《捨て身の覚悟》で、覚醒してからそれをやったのに復活したのは《不死鳥の炎》になります。
 限界を超えて全力攻撃→死ぬ→しかし復活 は、聖戦士の名物と言えるでしょう。


 補足しておくと、「相当品」というのは、例えば劇中の『シアル・ビクトリア』を例に取りますと、データ上は「ツェータビクトリア」というMTなんですが、演出の事情で『シアル・ビクトリア』として扱いますよ、という意味です。これを応用すると、全裸だけどデータ上は鎧着てるよ、とか言えます。フローティングシールド相当のゴッドモザイク、とかでもありです。


 フローティングシールドと言えば、上記の表であさひがそれを持っていないのは、シナリオ中に購入判定で買っているからです。
 購入判定といいますが、入手するのにそういう判定が必要というだけで、実際のゲーム上ではあさひのように知り合いからもらうとか、何故か天から落ちてきたとか、その辺の岩に突き刺さってたのを抜いてきたとか、入手方法の演出は購入に拘る必要はないようです。


 あとどうでもいいですが、シアルがMT接続時にマッパなのは作者の趣味です。星方武侠アウトロースター的な意味で。




・ローレン

【コロナ】 執行者
【ミーム】 パンデモニウム
【ブランチ】スペリオル


【能力値】    肉体:4  技術:11  魔術:6  社会:9  根源:4
【戦闘値】    白兵:5  射撃:5  回避:3  心魂:12  行動:10
【HP】     25(35)
【LP】     4


 宿命:喪失    特徴:心の傷  
 闘争:現世利益  邂逅:公孫勝


・初期装備品

 右手 :レーザーライフル       
 左手 :なし               
 胴部 :なし
 その他:なし
 乗り物:エアロダイン
 予備1:戦術支援AI
 予備2:みんなで撮った写真

・特技
大いなる力    対象の判定の達成値を減少

魂魄破壊     ダメージを与えた場合、ターン終了まで対象が受けるダメージが【根源】になる。《輝く闇》には無効

※アレーティア  特技級プロミネンスを1つ打ち消す

破滅の光     対象が与えるダメージを増加

俺ごとやれ!   対象が次に受けるダメージを倍にする。自分も同ダメージを受ける

バーンナップ   【社会】属性のPSI(超能力)特技ダメージにプラス

ロプノールの鏡  対象が受けるダメージを軽減

ガレキの雨    【社会】属性の範囲攻撃


 みんなの玩具、ツッコミ担当のロー君です。
 彼の名前は、ブランチ「スペリオル」の元ネタの一つである『超人ロック』より、作者的に印象的なキャラクター、ロードレオンの名前をもじって付けさせて頂きました。


 戦闘面での見せ場は、やはり一発目のシーン全体攻撃を《※アレーティア》で打ち消したのとラストの《俺ごとやれ!》でしょうか。そのあとで心身ともに酷い目に会いましたが。


 相手の達成値を下げたりダメージ量を上げたりという執行者の役割上、ほとんどの場面でなにかしらやってることはやってるんですが、いかんせん地味だったかもしれません。
 公孫勝からすると、毎度毎度彼の念動力が絡みついてくるのでウザかったのではないかと思いますが。


・フェルゲニシュ
【コロナ】 光翼騎士
【ミーム】 アムルタート
【ブランチ】プレデター


【能力値】    肉体:12  技術:5  魔術:3  社会:10  根源:3
【戦闘値】    白兵:10  射撃:6  回避:5  心魂:3  行動:10
【HP】     18(113)
【LP】     8

 宿命:決戦存在  特徴:不屈の闘志
 闘争:修羅道  邂逅:イルルヤンカシュ


・初期装備品


 右手 :剛龍爪 
 左手 :なし
 胴部 :龍鱗呪法
 その他:なし               
 乗り物:なし
 予備1:なし
 予備2:なし
 予備3:なし


・特技
光翼の盾        フレアの数に応じて常にダメージ軽減。

銀の守護者       同一エンゲージ内の攻撃対象を自身へ変更。最大HPにボーナス

きらめきの壁      範囲攻撃の対象を自分1人に変更する

※ラミエル       シーン攻撃の目標を自分1人に変更する

※ドラゴンアウェイク  覚醒時に真龍形態に変身。【肉体】と【白兵】にボーナス。防御属性【肉体】獲得。

灰燼の吐息       攻撃に対して突き返し(カウンター)を行う。

勇者の証        攻撃のダメージにプラス

※龍身解除       未覚醒でも《※ドラゴンアウェイク》使用可能

※龍気全開       《※ドラゴンアウェイク》効果時専用。達成値にプラス


 ファンタジーと言えばドラゴン、というわけで一話には必ず出そうと決めていたアムルタートの龍戦士、フェルさんです。
 彼の名前は適当にググって出てきた龍の名前を拝借したのですが、後日になってからフェル「ゲニ」シュではなく、フェル「ニゲ」シュであったことが発覚。悶絶しました。


 範囲攻撃カット、シーン攻撃カット、カウンター装備、と光翼騎士としてガチ構成となっております。
 実は基本ルルブのサンプルキャラクターをちょろっといじっただけだったりします。カオスフレアのサンプルキャラは、大抵かなりの強キャラとなっていますので。


 描写としてあさひのMTと組んでドラゴンライダーをやったわけですが、それを表現するためのスキルもあるので、作成時にとっておけばよかった、と思いながらダスク戦を書いていました。


・サペリア

【コロナ】 星詠み
【ミーム】 コラプサー
【ブランチ】宇宙怪獣

【能力値】    肉体:5  技術:4  魔術:11  社会:11  根源:3
【戦闘値】    白兵:8  射撃:8  回避:3  心魂:8  行動:5
【HP】     25(35)
【LP】     4

 宿命:守護  特徴:熱い気持ち  
 闘争:興味  邂逅:エロール・カイオス 

・初期装備品

 右手 :蒼紅の腕輪   (融合の呪文書相当品)
 左手 :蒼紅の腕輪   (融合の呪文書相当品)
 胴部 :白のローブ   (パルフォーロンドレス相当品)     
 その他:なし                
 乗り物:なし                
 予備1:七大使徒の護符        
 予備2:なし                
 予備3:なし               


・特技

女神の祝福    自分以外の対象の判定の達成値を上げる

再生の車輪    死亡・戦闘不能・覚醒を解除する。

エンノイア    対象が与えるダメージに差分値X2をプラス

星くずの記憶   対象が与えるダメージに【魔術】分プラス

光の巨人     【魔術】にボーナス。PCが光の巨人であることを示す特技。

※必殺光線    【魔術】ダメージの【射撃】攻撃。自分も同ダメージを受ける

※ガブリエル    条件を満たした時、対象が宣言した特技を打ち消す

原初の生命    【肉体】【技術】の防御属性獲得。防御属性【魔術】はプロミネンス以外で獲得不可。

天地壊滅     【魔術】攻撃を範囲に変更

 ダイナシズム全開、サペリアさんです。
 最初は元ネタであるウル○ラマンから名前を取ろうと思ったのですが、上手いのが思い付かず、いつの間にかこの名前を付けていました。

 ローレンを復活させたときの演出は、やはりウルト○マンでときたま人間に命を分け与えてたりするところから。ゲーム的には、星詠みの自動取得特技《再生の車輪》です。
 対ダスク戦でサペリアがこの特技を使わなかったことに気付いて、これは《俺ごとやれ!》で死んだローレンに《再生の車輪》だな、と思われた方もいたのではないでしょうか。
 ただ復活させるんじゃあサペリアさんとしても面白くないよね、ということであんなことになってしまいました。ロー君哀れ。

 あとさっきからウ○トラマンを連呼してますが、ビジュアルのイメージはどちらかというと往年のライトノベル「疑似人間メルティア」から。変身後も銀髪をなびかせてたり、力を使うときに紋様が浮かび上がるあたりはモロです。まあ、あの作品もウルトラ○ンオマージュでしたが。



・公孫勝
      ダスクフレア
【ミーム】 グレズ/暁帝国
【ブランチ】マシンライフ/仙人



【能力値】    肉体:7  技術:30  魔術:10  社会:3  根源:1
【戦闘値】    白兵:8  射撃:18  回避:8  心魂:10  行動:7
【HP】     893
【LP】     200


 右手 :宝貝・乾坤圏         
 左手 :宝貝・元神杖         
 胴部 :なし              
 その他:なし                
 乗り物:なし                
 予備1:なし                
 予備2:なし                
 予備3:なし                

・特技系プロミネンス

暗黒の太陽   根源以外の防御属性を得る

夕闇の波動   判定ダイスをが増える

歪んだ時空   バッドステータスを1つ解除

忌むべき想念  HP増加

不滅の悪    LP増加

輝く闇     HP0時、【根源】以外の被ダメージは1/10

那由他の一瞬  セットアップに行動。その際の達成値にプラス。行動後に未行動となる

永劫の刹那   即座にメインプロセスを1回行う。

星を落とすもの 攻撃の対象をシーンに変更する

崩壊の一閃Lv2 攻撃の対象を範囲に変更。達成値にプラス

・災厄系プロミネンス
造物主の悪意  願いをかなえる。

崩壊する大地  シーン内のエキストラなどを消滅させる。ゲスト・カオスフレアが庇った対象には効果を持たない。

深淵の誘い   NPC一人を自分の居場所へ移動させる。

存在改変    対象に、機械・龍・UD(アンデッド)・幻獣・犯罪者のいずれかの分類を与える。

歪んだ鏡    対象に任意のプロミネンスを与える。

・特技
機械中枢      「分類・機械」を得る。HPにプラス。フォーム系特技から一つ選択

フォーム:巨神形態 【白兵】にプラス。HPにプラス。

レックレスブースト 【技術】にプラス。

フルパワーアタック 【白兵】攻撃。ダメージ+差分値

機械侵蝕      ダメージの基準と属性を【技術】に変更する

デッドリースナイプ 【射撃】攻撃。ダメージ+差分値

グラビティフォールト 攻撃の達成値にプラス

剣仙        「種別:剣」のダメージにプラス。

口訣        「分類・幻獣」を得る。攻撃のダメージにプラス

宝貝創造      名称に宝貝が含まれるアイテムを取得できる

※十絶陣      【心魂値】対決に勝てば相手にダメージ。シーン全体攻撃。

孤軍奮闘      同じエンゲージに味方がいなければ達成値にプラス

アクセルモード   ダメージに差分値をプラス。


シナリオボス、ダスクフレア公孫勝さんです。
グレズに飲み込まれたせいもあって本人の影はとても薄くなってしまいました。

 戦闘ではプロミネンスをガンガン使ってカオスフレア達を追い込んだダスクフレアですが、シナリオ内でもプロミネンスは使用されています。災厄系プロミネンスというのがそれで、いわゆる「シナリオの都合」をシステム化したものです。

 あさひが《モナドリンケージ》を封じられていたのも、シアルがさらわれたのも、メタビーストがプロミネンスを使っていたのも、この災厄系プロミネンスの効果です。
 これらプロミネンスはシナリオ終了後に経験点になりますので、PLに不利な事態が引き起こされても、PL側にも利益があることとなります。
 ただ、シアルがさらわれたことに関して、実際は《深淵の誘い》ではPCが取得しているアイテムの演出としてのNPC、つまり、ルール上ではあさひがアイテムとして取得しているアニマ・ムンディであるシアルは誘拐できません。ここは敢えてルールを破っていますので、御了承ください。



[26553] 番外編『あさひの宝永滞在日記』
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/07/17 01:21
Diary1 神炎三姫



 あたしは割と物怖じしないほうだと思う。友達にもよくそんなことを言われてたし、自覚はある。


 でも、そんなあたしでも緊張する事はある。
 例えば今。
 あたしの前には、三人の女の子がいる。
 女の子、なんて呼んだら無礼なのかもしれないけど、実際そうなんだから仕方ないよね。


 まず、あたし達が囲んでいる丸テーブルの向かい、あたしから見て右手側にいる、赤毛の女の子。
 名前だけはフェルさんから聞いた事があった。アムルタートで一番偉い、冥龍皇イルルヤンカシュ様。ぱっと見、あたしよりも頭一つ分は背の低い女の子なんだけど、しゃべり方には威厳があるし、フェルさんによるともう一万年以上生きてるとか何とか。人は見た目に寄らないっていうのはこういうことかな。
 あとおっぱいおっきい。体がちっちゃい分、なんか凄く目立つ。数字的にはあたしと同じくらいかもしれないけど、見た目のボリュームは完敗だ。くそう。

 
 それからあたしの正面。ふわふわの金髪に、青い瞳の女の子。真っ白い綺麗なドレスを着てて、凄く穏やかな雰囲気をかもし出してる。
 こちらは、オリジン全土から尊敬と崇拝を集める、神王エニア三世陛下。
 なんと御年十六歳。てっきりイルルヤンカシュ様と同じパターンだと思ってたから二度びっくり。あたしより年下で王様なんて大変だなあ。
 やっぱりおっぱいおっきい。フリルたっぷりのドレスは体の線を強調しないゆったりしたものだけど、それでもなお分かるその膨らみ。
 なんというか、お姫様の理想像を体現したような優雅な印象の人なだけに、余計にそれが目立つ感じ。ちくしょう。


 そしてあたしから見て左手側。ストレートの黒髪を腰の辺りまで伸ばした、凛とした雰囲気の女の子。着物を大胆にはだけて、肩辺りまでばばんと露出させている。
 この人は、富嶽の星威大将軍、織田上総介信長公。
 織田上総介信長。織田信長ですよ。
 さっき自己紹介されて、思わず「え?」って聞き返しちゃった。
 フォーリナーは大抵おんなじ反応をするらしくて、笑って流してくれたけど偉い人相手にちょっと失敗だったな、と思う。
 当然のようにおっぱいおっきい。ていうかこの場でいちばんおっきい。
 なんというか、たとえ女同士でも目のやりどころに困る。はだけた着物が、胸に引っかかってる感じ。なにあれ。


 そして、あたしの隣に座ってるシアルを合わせた五人が、このお茶会のメンバーだ。


 順を追って話そう。
 宝永にやってきて二日目の事だ。あたしたちはフェルさんに連れられて、品川までやってきた。このあたりはオリジン人の移住者が多い地区らしくて、町並みもどっちかというと西洋風の雰囲気が出てきてる。
 で、その中心にあるのが品川離宮。イスタム神王国の王様、エニア三世が住んでる宮殿だそうな。
 神炎同盟の保護を受けるにあたって、そこで偉い人にご挨拶するのが今日のミッション。フェルさん曰く気さくなお人柄の方達だ、ってことだけど緊張するもんは緊張する。
 離宮の入り口のところでフェルさんと別れて、メイドさんの案内で庭園の端に設えられたあずまやに通されると、そこには既に三人の女の子が座っていた。
 まさか偉い人だと思わないんで、こんにちわー、とか普通に挨拶した後で向こうからそれぞれ自己紹介を受けてびっくり、と言うわけよ。
 うかつだとは思うけど、あたしが悪いばっかりじゃないよね、これ。オリジン、富嶽、アムルタートのトップがそろいもそろってこんな若い女の子(イルルヤンカシュ様の実年齢は置いとくとして)ばっかりだとは思わないじゃない?
 イルルヤンカシュ様はアムルタートの生きる力を支える母親みたいな存在だ、とかフェルさんに教えてもらったし、エニア様はなんでもオリジン全土の天候のバランスを取っているだけじゃなくて侵略者の力を弱めるバリアーみたいなものまで制御してるんだとか聞いたし、信長様に至っては日本人なら女の子になってるとは思わないよね?


 うん、脳内で自己弁護を終わらせたところで意識を現実に戻そう。そうだ。こっちからも自己紹介をしないと。いつまでもほうけてる場合じゃない。
「え、ええっと。フォーリナーの雪村あさひです。絶対武器はMTの『シアル・ビクトリア』で、彼女はあたしの友達のシアルです」
「アニマ・ムンディのシアルと申します」
 がちがちに緊張しながらどうにか自己紹介を終えるあたしと、その横で実にそつの無い仕草ですっと頭をさげるシアル。うう、なんか余計にあたしのかっこ悪さが際立つ気が……!
 そんな風に懊悩するあたしを、正面でエニア様がくすくす笑いながら見てる。バカにしてるとかじゃなくて、微笑ましいですね、みたいな感じ。ちょっと笑うだけの仕草一つとっても漂う気品が半端じゃない。まさにお姫様。
「そんなに固くなられずともいいのですよ? 今日はあなたをお客様としてお招きしたのですから」
 そう言ってにっこり笑うエニア様。うう、笑顔が眩しい。本気で言ってくれてるのは分かるんだけど、こちとら小市民。王様相手にざっくばらんに対応できるほど肝っ玉が太くないのですよう。
「そうそう、細かい事気にすんじゃねえよ。どーせここはお前さんからすりゃあ異世界なんだ。必要以上に畏まる事あねえよ」
 口角をきゅっと上げて男前に笑う信長様。そうは仰いますが、富嶽には郷に入っては郷に従え、という言葉は無いのでしょうか。
「そうじゃぞ。ぬしはダスクフレアを討って世界を救った勇者の一人ぞ。わらわが許す。気後れせずとも良い。なんならわらわもフェルゲニシュのように愛称で呼んでみるか? ほれ、試しに『いるるん』と呼んでみい」
 お許しをいただいてもなかなか心情的に難しいです、っていうか一番ハードルが高いですイルルヤンカシュ様。誰が呼んでるんですかそのニックネーム。可愛いですけど。


 結局このあと、あたしやシアルの体験談やら地球の話やらをしたり、逆にオリジンや富嶽、アムルタートの話を聞かせてもらっているうちに、どうにか緊張もほぐれてきて、あたしからこの三人のお姫様に対する呼称も『エニアさん』『信長さん』『いるるんさん』になった。最後のはちょっとどうかと自分でも思ったけど、やっぱりイルルヤンカシュさん、はちょっと長い。


 緊張してたんじゃないのかって?
 いやいや、あたしちゃんと最初に言いましたよ。自分は物怖じしないほうだって。
 その通りでしょ?




Diary2 いなせな遊び人

 
 フェルさんからちょっとしたお小遣いをもらって、あたしとシアルは宝永の街に繰り出していた。
 この宝永の街、見て回るとなかなかに面白い。
 基本は江戸の町なんだけど、色んな見た目の人たちが行き交ってるし、たまーに街中を浅葱色のだんだら模様の羽織のお兄さん達がうろうろしてたりする。
 そう、新撰組だ。
 あれって京都じゃなかったっけ。なんでも信長さん直属の治安部隊で、VF団とか大星団テオスの密偵なんかと日々しのぎを削ってるんだとか。ちなみに鬼の副長、土方歳三さんは女性らしい。相変わらず富嶽はよく分からない。


 ともあれ、新撰組の皆さんはこちらが怪しい真似をしない限りは街の治安を守る頼もしいお兄さん達だ。数人で固まってあっちこっちにやたら鋭い視線を飛ばしながら歩いてるのも、宝永の平和を守るための見回りだと思えばありがたいものです。……いや、やっぱりちょっと怖いけど。


 さて、そんな宝永をぶらつきながら、今日は団子屋にやって参りました。
 時代劇でよくある、店先におっきな番傘が立ってて、その下にある腰掛けに座ると女中さんが店の中から注文を聞きに来てくれるアレです。
「お姉さーん、お茶とお団子二セットお願いしまーす」
「はいはい、ちょっとお待ちをー」
 おお。ついセット、って言っちゃったけど通じた。
 まあ、富嶽の人たちって、見た目は江戸時代だけどホントは宇宙戦艦で星の海を旅してきた人たちなんだよね。そりゃあ横文字くらいさらっと使うか。
 シアルと一緒に店の前で腰掛けて、お団子が来るのを待つ。


「よお姉ちゃんたち。この辺じゃあ見かけねえ顔だなあ?」
 べちゃっとした、嫌な感じの声。あんまり振り向きたくないけど、声のした方へと視線を向ける。
 そこにいたのは二人組の男の人、時代を越えようが世界を越えようが存在は共通らしい、一目で分かるチンピラさんだ。
 チンピラ二人組は、どちらかというとあたしよりシアルに目を付けたっぽい。まあ、あたしだと黒髪黒目で今は着物姿だから宝永の娘さんと見た目が変わらないもんね。
その点シアルは金髪美少女、しかも服装はあたしと同じ富嶽風。そりゃあ目につくってもんです。
 男ふたりが頼みもしないのにどっかとあたしとシアルを挟みこむように腰掛ける。
 うう、いくらMTでダスクフレアと戦ったとはいえ、こういうのは正直怖い。なんていうかね、質が違うの、質が。女の子なんだからしょうがないのですよう。
 ていうかこういう時の新選組! 新選組はどこだ!? 
 あーもー普段は目立つのにあのだんだら羽織が見当たらないー!
 あ。あたしが怯えてるのが伝わったのか、シアルが凄いムっとしてる。いかん、下手するとここでMTを呼びかねない。
 どうしたものかと半ばテンパりながら考えていると、突如として救いの手が差し伸べられた。


「兄さんたち、お嬢ちゃんたちが怯えてるじゃねえか。その辺にしときな」
 そう声をかけたのは、着流し姿の男の人。三十路前後かな、服装的にはチンピラさんたちとそう大差があるわけじゃないんだけど、雰囲気がなんていうかこう、しゃんとしてる感じ。
「おうおう、なんだテメエは?」
 あたしの側に座っていたチンピラその1が立ち上がって、下から抉り込むように着流しの人にガンをつける。うわあ。このテの作法は異世界でも同じなんだなあ。
「だから、明らかに嫌がられてるじゃねえか。宝永っ子が無粋な真似するもんじゃねえよ」
 着流しさんは余裕の態度でチンピラその1にお説教である。が、チンピラとしては当然気に食わないようで、着流しさんに突如殴りかかった!
「フザけてんじゃ……い、いててて!」
 が、あっさり腕を取られ、関節を決められるチンピラその1。実に鮮やかな着流しさんの手際だ。素直にカッコイイ。
「テメエ、何しやがる!」
 シアルの側に座っていたチンピラその2が仲間のピンチに立ち上がった。その1の腕を極めている着流しさんピンチか、と思いきや。
「ふっ!」
 着流しさんが袖の内側からするりと手ぬぐいを取り出すと、それを鞭のように操ってチンピラその2の顔面をビシリと一撃。かなりいい音がして、その2が顔を押さえて悶絶する。その隙に、その1の腕を極めたまま、その2に向かって蹴りを一発。
 たまらず倒れたその2の上に、その1をポイと投げ捨てて、着流しさんがじろりと二人組を睨みつける。
「これに懲りたらこの界隈で余計な真似するもんじゃねえぜ。いいな?」
 低くドスの利いた声。よろよろと立ち上がったチンピラ二人はその声に押し出されるようにして這々の体で逃げ出してしまった。


「大丈夫だったか、嬢ちゃんたち?」
 着流しさんがこちらを振り向いてそんなふうに訪ねてくる。眉尻を下げたその表情には意外な愛嬌があって、目の前であっという間にチンピラ二人をノックアウトした人だとはちょっと思えなかった。
「あ、はい。助けていただいて、ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
 あたしとシアルが揃って頭を下げる。
「いいってことよ。じゃ、気をつけてな」
 着流しさんはさっと手を振ると、そのまま踵を返して立ち去ろうとする。
 むむむ。ここはちゃんとお礼をすべき場面じゃないだろうか。そんなふうに思ったところへ、女中さんがあたしたちのお団子とお茶を持ってきてくれた。それを見てピンときたあたしは、着流しさんに向けて声をかける。
「あの、良かったらお団子食べていきませんか? せめてものお礼ということで」
 着流しさんがピタリと足を止めて振り返り、
「いやいや、お気持ちだけで十分だよ。だいたい、年下のお嬢ちゃんに奢ってもらったとあっちゃあ、男が廃らあ」
 あっさりと謝絶された。むむ。ならば、搦手でいってみよう。
「ええっと、またさっきみたいなことがあるとちょっと怖いので、近くにいてくれるとすごく助かるんですけど……」
 あ。着流しさん考え込んだ。
 ちょっとの間そうしてたかと思うと、あたしに向けてにっと笑う。
「そう言われちゃあ断れねえなあ。ったく、ここが見世じゃなくてよかったぜ」
「……? ここはお店ですよね?」
 なんだかおかしなことを言う着流しさんに、あたしは首を傾げる。
「……は、ははは! 確かにな、そりゃそうだ! お嬢ちゃんにはちょっと早い話だったか!」
 膝を叩いて笑う着流しさん。むむ。何故笑ってるのかよく分からない。やっぱりちょっと文化の差っていうのはあるなあ、異世界だし。


 ともあれ、着流しさんの分のお団子も注文して、三人で並んで座る。
 そうしている間にも、着流しさんはちょこちょこと周りに威圧感っぽいものを放っていたりする。多分、この二人は俺の知り合いだから妙なことすんなよ、っていうのをアピールしてくれてるんだと思う。
 カオスフレアとしての力に目覚めてから、そういうのが分かるようになった。実際に体を動かすのはなんか全然ダメなんだけどね。いいもん。呼べばシヴィがいつでも来てくれるから!


 着流しさんのお茶とお団子はすぐに運ばれてきて、みんなでお団子をぱくつく。いやあ、これがなかなか美味しい。異世界であんこの和菓子が食べられるとは思わなかったから、すごく嬉しい。
「あ、そうだ。自己紹介もまだでした。あたし、雪村あさひって言います!」
「シアルと申します」
 いけないいけない。着流しさんがどうにも気安い雰囲気だから、ついついダラダラしてた。
「おう、あさひちゃんにシアルちゃんな。覚えとくよ。俺っちは、そうだな。この辺じゃあ、『遊び人の金さん』ってよばれてるモンよ」
「ぶふうっ!?」
 思い切りお茶を吹きました。


「げほ、ごほっ!?」
「あ、あさひ!?」
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
 お茶が気管に入ってむせている私を、シアルと着流しさん――金さんが心配して背中をさすってくれる。
「ごほっ……ええ、大丈夫です。ちょっとびっくりしちゃっただけですから」
「そ、そうかい。気をつけるんだぜ?」
 金さんがまだちょっと心配そうにしながら自分のお茶をすする。
「そうだ。金さん、あたしたち、宝永にはまだ来たばかりなんで、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、よろしいですか?」
「おう、なんでも聞いてくんな。おおっと、悪い遊びは教えられねえぜ?」
 にやっと笑う金さん。基本的にちょっとコワ目の顔なんだけど、笑顔になると途端に愛嬌が出る。
「ええっとですね、宝永って、やっぱりお奉行様といるんですか?」
「お奉行? 妙なこと気にするんだな」
 まあいいけど、と金さんは前置きして、すっと北の方角を指さす。
「基本的にお奉行っていやあ、宝永の町奉行を指すな。北町に遠山様、南町に鳥居様ってとこだ。近々中町奉行ってのも決まるとか決まらねえとかいう噂もあるけどな」
 ほー、とかへー、とか相槌を打ちつつ、あたしは心のなかで全く別のことを考えていた。いや、今の話題に関することには違いないんですけど。
 北町奉行の遠山様、とおっしゃいましたよ、今。
 つまり、ひょっとして、あたしの隣でお団子を食べているこの着流しさんの背中には、桜吹雪があっちゃったりするのでしょうか。
 気になる。正直、超気になります。
 でもまさか、もろ肌脱いで背中を見せてください、とか言えるわけ無いし。乙女として。


 結局、そのままお団子を食べ終えて、あたし達は遊び人の金さんと別れた。背中に桜吹雪があるかどうかは、確認出来ていない。
 金さんの桜吹雪、もし見られるなら見たかったかも……。


 追伸。見世、っていうのは、吉原の遊郭で遊女の人がお客を呼び入れる格子構えのお座敷、張見世のことなんだとか。ナチュラルにセクハラだよあの人!


~~~~~~~~~~~~~~
長くなるんで一話のエンディングに入れなかったボツ話を一人称の練習も兼ねて形にしてみる。
二話からはその他板に行ってみようかと思うんですが、どんなもんでしょうね?



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』セッショントレーラー
Name: 新◆9c42e1d8 ID:df1a8cf4
Date: 2011/07/22 20:51
 リオフレード魔法学院へと転入することとなったあさひとシアル。
 異世界での学園生活に馴染み始めたある日、群青の箒星とあさひは出会う。

 
 飛び交う銃弾と敵意。
 その裏にあるのはお互いの存在を懸けた果てなき争いの螺旋だった。


 その頃、奇しくも学院で行われる一大イベント。
 その裏に潜む陰謀に勘づいた者たちがいた。
 

 蠢く黒幕に舎弟を傷つけられた番長が、
 生徒たちの日常を守るべく動く教師が、
 時を同じくして決意と共に立ち上がる。


 そして、リオフレードの全てを、
 ひいては三千世界を巻き込んだ企みの幕が上がる。


 リオフレード狭しと縦横無尽に駆け巡る四人の戦士達。
 黒薔薇に彩られた滅びへの道を断ち切ることが出来るか、カオスフレア!



――異界戦記カオスフレア Second Chapter――

『疾走、魔法学院!!』

 人よ、未来を侵略せよ!



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』① 始まりの島へ
Name: 新◆9c42e1d8 ID:df1a8cf4
Date: 2011/11/25 20:23
Scene1 ようこそ、リオフレード魔法学院へ!


「あさひ、リオフレード島が見えてきましたよ」
 シヴィのコックピット内、接続装置の中のシアルがあさひに声をかける。と、同時にモニターの一部に拡大画像を表示。幾つもの島が連なるこの多島海で一番大きな島、あさひたちの目的地であるリオフレード島をズームする。
「ああ、やっとかあ。結構遠かったね」
 ほう、と息をついてあさひが返事する。実際、MTで空を飛ぶ事で相当に短縮出来てはいるのだが、それでも中央大陸北部の宝永から大陸南部の多島海まではなかなかの長距離だった。危険な場所を避けて迂回ルートを採っていたのでなおさらである。
「お疲れ様です。リオフレードのエアポートに着陸すれば、ゆっくり休めると思いますよ」
「そうだね、シアルもお疲れ様」
 コックピットに通信が届いた事を示す電子音が響いたのは、そんな風に二人がお互いを気遣っていたときだった。
「リオフレードからの通信です。繋ぎます」
 シアルが一言断ってから、メインモニターの端に通信画面を開く。そこに写ったのは、あさひより幾らか年上の男性だった。制服のようなものを着用しているのが見える。
「こちらはリオフレード学院航空委員会。当空域は学院の管轄下にある。そちらの所属を述べられたし」
「え、ええっと、フォーリナー、雪村あさひと、アニマ・ムンディ、シアルです。機体は『シアル・ビクトリア』。リオフレード魔法学院への転校生です」


 事務的な口調の相手にやや気圧されつつ、あさひが応える。
 そう、あさひとシアルは、この地にある学校、「リオフレード魔法学院」に転入するためにはるばるやってきたのだった。
 理由としては、地球で学生をやっていたことを知ったフェルゲニシュがそれを勧めてくれたこと。
 そしてもう一つ。
 このリオフレード魔法学院は、古くから界渡り、つまり異世界からの学生を数多く受け入れてきた場所なのである。
 このリオフレード島は、造物主との大戦後、荒れ果てたオリジンに初めて神々が降り立った地と言われており、そのせいもあってか他の弧界と繋がりやすい性質を持っているのだ。
 実際、学院のどこかには『越界の扉』という様々な世界に繋がる扉がずらりと並んだ場所があるという。
 そうした理由から、この学院では界渡りについての研究も進んでおり、ひょっとしたらあさひが地球に帰る手がかりも見つかるのでは、ということだった。


「少々待て、……よし、確認が取れた。ようこそ転校生、始まりの島、リオフレードへ」
 管制官の男子生徒がにっと笑って相好を崩す。
「ここからはこちらから管制を行う。それに従ってエアポートまでの――」
 ざさ、と管制官からの通信映像にノイズが走る。
 ほぼ同時に、シアルがやや険のある声であさひへ報告を飛ばしてきた。
「通信のジャミングが行われています。また、ジャミングの開始と二時の方角から同時に此方へ向かってきている機影が三つあります」
 既に管制官との通信画面は砂嵐状態である。そしてレーダーに目をやると、シアルの言うとおり、三つの光点が正三角形のフォーメーションを組んで向かってきていた。
所属不明機アンノウンの機体識別に成功しました。ネフィリム社製、ライトニング。戦闘機です」
「せ、戦闘機!?」


 今更ではあるが、魔法学院の上空で戦闘機が前方からこちらに向かってくるという混沌とした状況に、思わず抗議じみた声を上げるあさひ。
 シアルがそれに対して何事か言おうとした瞬間、所属不明機三機ともから通信が入る。未だ砂嵐状態のままの管制官からの通信映像の横に、新しく三つの映像が開かれる、と同時に、やたらテンションの高い男達の叫び声がMTのコックピット内を振るわせた。
「ヒャッハーア! 転校生だあーっ!」
 通信が繋がるなり、異口同音にそう叫んだ三人の男。いずも非常に柄の悪い面相に、モヒカンのヘアースタイルである。それから、それぞれに明確に見られる差として、モヒカン狩りの数が一本の者、二本の者、三本の者、となっている。
「…………え?」
 あさひはそれだけを喉から搾り出すのがやっとだった。そんなあさひを尻目に、絶好調のテンションのまま、モヒカンたちが喚き散らす。
「わぁーれわれはー! 帝釈正拳部であーるっ!」
「帝釈正拳部であーるっ!」
「あーるっ!」
 モヒカンが一本の者――あさひはとりあえずモヒカンその1と心の中で命名した――が最初の一番長い台詞、モヒカンが多い者ほど後の台詞になっていったので、モヒカンはやはり一本がスタンダードであり、偉い扱いなのだろうかとあさひはなんとなく考える。
 正直、関わり合いになりたくないが、場の流れ的に無視も出来ない。仕方が無いのであさひはモヒカンその1に向かって声をかける。


「え、ええと、その帝釈正拳部の人たちが何の用ですか? っていうか帝釈正拳ってなに?」
「あさひ。帝釈正拳とは、弧界エルダ発祥の拳法です。阿修羅神拳という拳法と対をなし、最強の暗殺拳として恐れられています」
「エルダって、ロー君の故郷だよね。……ロー君、ああいうお国柄の国の人だったんだ……」
 シアルの注釈を受け、ポツリとあさひが呟く。実際は地球でも国が違えば色々と文化が違うように、エルダを一括りにするのも大雑把に過ぎるのだが、わざわざ訂正する義理もないのでシアルはそれについては黙っていた。


「そこの金髪の姉ちゃんの言うとおりよ!」
「姉ちゃんの言うとおりよ!」
「言うとおりよ!」
 モヒカンが再び通信モニター内で喚く。
「フォーリナーが転校してくるとの情報を受け、部の勧誘にわざわざ来てやったってワケだ! ありがたく思いやがれ!」
「ありがたく思いやがれ!」
「思いやがれ!」
「あ、長台詞になると最後だけ繰り返すんだね」
「あさひ。相手にしたくないのは分かりますが、逃避しても事態が前に進まないかと」
 う、とシアルの突っ込みに怯むあさひ。もう何もかも放り投げて逃げ出してしまいたい衝動に駆られたが、すんでのところでそれを抑えこむ。
「あ、あのう。折角のお誘いなんですが、あたしとしてはその帝釈正拳部に入るつもりは無いんですけど……」
「なんだとお?」
「だとお?」
「お?」
 モヒカンたちが画面内で一斉にあさひに向けてガンを飛ばす。もうちょっと一人目が長くしゃべってあげないと三人目がキツそうだなあ、などと現実からやや思考を逸らしながらあさひはモヒカンたちの声を聞いていた。
「嫌だってンなら仕方ねえ! 我等が帝釈鋼翼拳で叩きのめして力尽くでも新入部員にしてやンぜえ!」
「新入部員にしてやンぜえ!」
「やンぜえ!」
「ええ!? なにその展開!?」
 あさひの抗議にも聞く耳を一切持たず、モヒカンたちの駆る三機のライトニングが編隊を解いて三方へ散る。
「戦闘機を操り敵を倒す、帝釈鋼翼拳の恐ろしさ、たぁっぷり味わいやがれぃ!」
「味わいやがれぃ!」
「やがれぃ!」
「それ拳法関係ないよね!?」
 思わず突っ込みを入れながらもあさひは相手と自機の位置関係を確認する。
 おそらくリーダー格の一機が此方とすれ違うような軌道で、残る二機が右上方と左下方から挟み込む形で向かってきている。


 どうするか、と考えるあさひの耳に、シアルの声が届く。
「この機体の飛行形態はあくまで巡航用で、格闘戦ドッグファイトには不向きです。軌道直交ヘッドオンは避けて、遠距離から撃墜しましょう」
「撃墜って……また過激だなあ。もしかして宝永で積んでもらったアレを使うの?」
「はい。タスラム・システムなら、あの三機の攻撃を逆手にとって撃墜する事も可能です」
 報告とともにシアルがモニター上に映し出した状況分析を横目にしながら、うむむと唸るあさひ。
 ぶっちゃけ、モヒカンの皆さんは多少手荒に扱っても問題ないような気はしているが、仮にもアレはこれから転入する先の生徒であるようだ。転校初日どころか、その前段階から先輩――アレがあさひと同年代か年下だとはどうしても思えなかった――をブチのめすというのもいかがなものか。
 どうせ学校生活を送るなら、明るく楽しく穏やかに、というのがあさひの理想である。ここで選択肢を誤ると、バイオレンスなそれを送らなければならないのではないか、と、そんなことつい思い悩んでしまうのだった。
「ロックオンされました! あさひ、回避を!」
 そんな懊悩を打ち破ったのは、シアルの鋭い報告の声だ。
「うわわ、っと!?」
 こちらに機種を向けてぐんぐんと迫るライトニングから、機銃弾が連続して放たれる。慌ててシヴィにロールを打たせ、それらをどうにか回避した。
 MTを含め四機の機体が空中で軌道を交差させ、一瞬の邂逅の後に互いに距離を離していく。
「あ、あっぶなー……」
「安心するのはまだ早いですよ、あさひ。敵機は三機とも反転軌道に入りました。こちらを追尾してくる筈です。リオフレード島上空に到達する頃に追いつかれるかと」
 安堵のため息をつくあさひに、シアルが追い討ちをかける。うげえ、と女の子らしからぬ一声を漏らし、レーダーを確認するあさひ。確かに、光点が三つ、こちらへ向けて徐々に近づいてきていた。
「何とか振り切れないかな?」
「難しいですね。人型以外の形態をとっているために、モナドドライブの出力は万全とは言えません。どうしても空戦が本職の戦闘機には一歩遅れを取ってしまいます」
 この状況下でも妙に落ち着き払ったシアルが、淡々と事実を述べる。
 深呼吸して三秒考え、


「こぉらあーっ! 一体何をやってるんですかーっ!!」


 決断を口にする前に、新たに表示された通信窓から大音声がコックピット内を揺るがした。
 そこに映し出されていたのは、ブラウンの髪をおかっぱにして、はしばみ色の瞳を一杯に見開いた中学生くらいの女の子だ。妙に顔色が青白い以外は、ごく普通の人間に見える。


「ヒャッハー! 部員の勧誘に決まってンだろーっ!」
「決まってンだろーっ!」
「ンだろーっ!」
 どうやら女の子はその場の全員に通信を叩きつけていたようで、あさひが何か言うより先に、モヒカン達が相変わらずの自前エコーで騒ぎ立てる。
 インパクト十分なモヒカン達の狂態に、しかし女の子は微塵も怯んだ様子は見せない。それどころか、鼻息荒く通信窓に指を突き付けて彼らを指弾し始める。
「お馬鹿なことやってないで降りてきなさい! 無許可での航空機の離陸も強引な部活動の勧誘も校則違反ですよ! 今なら風紀委員にとりなしてあげない事もありません!」


「ヒャーッハッハーっ! 風紀委員が怖くて帝釈正拳部やってられっかよ!」
「やってられっかよ!」
「れっかよ!」
 あからさまに女の子を見下して笑うモヒカン達。
 それを受けた女の子が、通信窓の中ですっと目を細める。どちらかと言うと幼げな顔立ちが、青白い顔色と相まってどこか凄みを帯びた。
「そちらの飛行型MT、転校生の雪村あさひさんとシアルさんですね?」
「あ、はい。そうです!」
 モヒカン達からこちらへと視線を移した女の子の問いに、あさひが頷く。女の子はそれを確認すると満足げな表情を見せた。
「あなたはこのままリオフレード島のエアポートへ向かってください。到着までにはジャミングも解けるはずですので、以後は管制の指示に従っていただければ大丈夫ですよ」
 そう言うと、今度はにっこりと微笑む。さっきまでにじみ出ていた凄みは消え、外見相応の愛らしさがそこには溢れていた。
「あさひ。通信の発信地点が特定できました。進路上、リオフレード島の海岸付近です」
 シアルが報告とともにモニターの一部を拡大表示する。果たしてそこには、通信機を片手に空を見上げている、ブラウンの髪の女の子が一人立っていた。
 通信窓の中で笑みを絶やさない女の子が言葉を続ける。
「後ろの悪い子達については心配しなくても大丈夫です。……今から、お仕置きの時間ですから」
 一瞬だけ、女の子の笑みの質が変わった。が、あさひがそれに気付くよりも早く、通信窓が閉じる。

 
 彼女はMTとの通信を追え、手にしていた通信機を腰のホルダーへとつるす。まだモヒカン達との回線は繋ぎっ放しにしてあるため、そこからは騒がしい野次が聞こえてきている。
「おいおい、お尻ペンペンでもしてくれるってのかァ!?」
「してくれるってのかァ!?」
「てのかァ!?」
 大変やかましいが、彼女はその通信を遮断しない。では何故あさひとの通信を切ったのかというと、リオフレードに慣れていない転入生に、これからの展開はひょっとしたら刺激が強すぎるかもしれないと言う心遣いである。実に教育的な配慮だ、と彼女は内心で自画自賛した。
 彼女が右手をすっと前方へ差し出す。ぱちん、と細い指が鳴らされると、何も無い空間に波紋が起きた。細く小さな手が、躊躇無くその波紋に触れる。いや、その中に潜り込む。
 二の腕あたりまでを波紋の中に突っ込んだところで、何かの手ごたえを得たように彼女の腕に力が篭る。
「よい、しょっと」
 軽い感じの掛け声とともに引き抜かれたのは、巨大な鉄塊だった。明らかに少女の体全体よりも大きい。
 一番近い形状を上げるなら、ボウガンだろうか。先端部に矢尻のような突起があり、その部分だけはどうやら白木で出来ている。後部には引き金と思われる機構があるために、なおさらボウガンのような印象が強まる。が、ボウガンなら当然あるはずの弦は存在していない。
「校則違反の上に、こちらからの警告を無視して、お尻ペンペンぐらいで済むと思わないことですよ」
 巨大な機械を軽々と持ち上げ、後部を抱え込み、前部から持ち手となる部分を引き出し、両手で鉄塊を保持する。
 空を見上げ、飛行形態のMTの後を追う、三機の戦闘機の位置を確認。
「では、行きますよ!」


 少女の状態をモニターしていたシアルが突然声を上げた。
「あさひ、可能な限り後ろの三機から離れる位置取りをしてください!」
「今やってるよ! どうしたの突然!?」
「フレアの共鳴を利用した空間跳躍攻撃です! 下手をするとこちらまで堕とされます!」


 あさひとシアルのやり取りは、当然のことながら通信をきっていた彼女には届いていなかった。が、もしも届いていたなら、彼女は口許に笑みを浮かべてこう返しただろう。そんなヘマをやらかすような腕はしてませんよ、と。
 鉄塊を抱えた少女が腰を落とす。
「穿空・砕天!」
 爆発的な勢いで前に一歩踏み込み、それと同期させるようにして引き金を引く。
 凄まじい爆発音と反動を伴って、鉄塊の先端部にあった突起が射出される。
 そして、それは文字通り、何もない空間を貫いた。


 MTのコックピットで、あさひとシアルはそれを聞いた。まだ通信回線が開いたままだったモヒカンたちとの三つの通信窓から、全く同時に響いたその音を。
 機体後部からの、耳を覆いたくなるような破砕音、そして、それに一瞬遅れた爆発音。MTの後部カメラの映像を確認して、ようやくなにが起きたのかをあさひは見た。
 三機のライトニングのエンジン部、そこを、数本の大きな杭が文字通り串刺しにしていた。杭はどうやら位置的には固定されているようで、貫かれた戦闘機たちは、直前までの運動エネルギーと、その場にとどまろうとする杭とのせめぎあいで自らを引き裂きながら、がくんと高度を下げる。
「だ、脱出だっ!?」
「だっ!?」
「っ!?」
 この期に及んでの自前エコーに続いて、モヒカンたちがベイルアウトする。
 あさひはその様を、やっぱり三人目は色々大変そうだ、と考えながらぽかんとした表情で見ていた。
「広範囲のフレアを自身の制御下に置いてその共鳴を利用、その中の一点で起きた事を他の場所で起こしたものと思われます。結果として、地上で行われた杭打ちが、それぞれの戦闘機の周囲数箇所で起こり、機体を滅多刺しにしたのでしょう。通常、掌握した空間内に衝撃波を伝播させるような技なのですが……。あのように標的のみを狙い撃てるのは相当な手練ですね」
 周囲をセンシングしていたらしいシアルが、淡々とした口調で解説を行う。既に三機の戦闘機は、リオフレード島周辺の海に向かって墜落していくところだ。脱出したモヒカンたち三人のパラシュートも、気流の関係か、海に落ちるようであった。


 そして、そうして周囲を探っていたシアルが、その状況に気付いたのは必然だったと言える。
 彼女はそれに気付くと同時に、あさひに報告するより先に先ほど女の子から入った通信のログを辿り、こちらからの通信を叩き付ける。
「すぐにその場を離れてください! 一機、あなたのすぐ傍に落ちます!!」
 いきなり通信を繋いで大声を上げたシアルに、女の子は一瞬だけびっくりした表情を浮かべ、ついでにっこりと笑ってみせる。
「心配してくれてありがとうございます。でも――」
 言葉を切って、女の子が頭上を見上げる。そこには、機関部から火を吹き上げながら、彼女に向かって落ちてくる戦闘機がある。
「これくらい、どうってことないですよ」
 笑みを崩さないままに言い切り、彼女は抱えていた鉄塊――巨大な杭打ち機を、杭を上にして地面に下ろす。彼女の動きはその武装の重さを全く感じさせないが、地面に置いたと同時に起こったやたら重量感のある音は、それが見た目どおりか、あるいはそれ以上の重さを持つものだとはっきり教えてくれる。
「穿空・叩天」
 少女は一言そう呟くと、杭打ち機をごく軽く蹴り上げた。ほんの少しだけ杭打ち機が浮き上がり、何もない空中を叩く。
 全く同時に、墜落しつつあった戦闘機が、アッパーカットを喰らったようにがつんと浮き上がった。落下の軌道を変えた戦闘機はそのまま少女の頭上を通り過ぎ、海上で一度水切りのように跳ねた後で水没、一瞬後には爆発した。


「と、まあ、こんな具合ですよ」
 少女が再びあさひたちに向けて通信越しに笑ってみせた。それと同時に、途絶したままだったリオフレードの管制官からの通信が復活する。
「こちらリオフレード航空委員会管制担当。『シアル・ビクトリア』応答願う」
「あ、はい。こちら『シアル・ビクトリア』です」
 あさひが返答すると、管制官はほっとしたように頬を緩めた。
「やれやれ。転校早々酷いトラブルだったな。ともあれ今度こそ管制を行うから、指示に従ってくれ」
 そこで管制官が一旦言葉を切るが、手元で何かの作業をしているようで、通信を介して着陸進路などのデータがあさひたちの元へ送られてきた。
「それからセルカ先生、事態の解決にご協力いただき、ありがとうございました。帝釈正拳部の連中は、風紀委員が確保したそうです」
 手元での作業を続けながら、管制官が唐突にそんな台詞を口にする。誰に向かっていっているのか、とあさひが浮かべた疑問に答えたのは、通信窓に映る、青白い顔の少女が浮かべた満面の笑みだ。
「いえいえ。学生の安全を守るのは教師の務めですから」
 しばし絶句していたあさひが再起動し、おずおずと教師と名乗った彼女に質問を投げかける。
「ええっと……先生、なんですか?」
「はい、高等部養護教諭の、セルカ・ペルテです! 改めて、リオフレード魔法学院へようこそ、雪村さん、シアルさん!」


        ◆◆◆


 リオフレード島。
 多島海の中でもっとも面積の大きな島であり、大戦のあとの荒れ果てたオリジンで最初に神々が降り立った地としても知られている。また、この島そのものが、造物主と戦ったとある遺跡巨獣である、という伝説も今に伝わっている。が、今現在、この地の名を外部に対して知らしめさせているもっとも大きな要因は、この島と同じ名を冠するリオフレード魔法学院であろう。


 もとより学院内の越界の扉の向こうからやってくる界渡りを受け入れることで著名な学府であったが、その名を良くも悪くもオリジン全土に響かせたのは、神炎同盟締結以前、未だ富嶽やアムルタートが侵略者としてオリジンの諸国家と干戈を交えていた頃、アムルタートの勇者サルゴンが叡智を求めてこの学院の門を叩いたことがきっかけだった。
 異世界から学問のために訪れたものを受け入れるという学院の理念と、オリジンはアムルタートの侵略を受けているという現実の間で、喧々諤々、紆余曲折、議論百出の末、学院長である大賢者アウゼロンの鶴の一声によって、入学試験の突破と学内規則の遵守を条件としてサルゴンの入学は認められ、それ以降、リオフレード魔法学院はその出自を問わず、三千世界の全てから学生を受け入れる学び舎として名を馳せる事となったのだ。


「と、ゆーわけで、この学院にはいろんな弧界の出身者がひしめき合ってるわけですよ!」
 あさひたちを先導しながらそういって両手を広げて見せるのは、養護教諭、セルカ・ぺルテである。
 通信を介してではなく実際に向き合ってみると、あさひより頭半分ほど低い身長も相まって、やはり中学生くらいにしか見えない。
 彼女は事態の収拾にやってきた風紀委員に引継ぎをした後、あさひたちを学生寮に案内すると言って、こうして連れ立って歩いているのだ。
 ちなみにモヒカンたちの戦闘機を撃墜した巨大杭打ち機は、いつの間にか見えなくなっている。本人曰く、いつでも取り出せるところにしまってある、ということだった。


「セルカ先生もどこか別の世界の出身なんですか?」
「いえいえ、先生はオリジンの出身ですよー? 百年位前に死んじゃってますけどね」
 あさひの質問に、さらりとセルカが答える。その受け答えがあまりに自然だったので、あさひが会話の内容に引っ掛かりを覚えたのは、問答を交わしてから数秒後の事だった。
「……え? あ、あの、先生。今、なんか凄い不穏な単語を聞いた気がするんですが……」
「ああ、心配しなくても大丈夫ですよー。先生は悪い黄泉還りじゃありませんからねっ」
「わ、悪い黄泉還り……?」
 ポンポンと出てくる、自分の常識の守備範囲外な単語にあさひが首を傾げていると、
「オリジンでは、死者の弔いを怠ると黄泉還りとなって人を襲うのです。黄泉還りは非常に強力な力を持ち、それに襲われて命を落とした人も黄泉還りとなるので大変に恐れられており、侵略者でも敵味方問わず死者の弔いは欠かさないほどです」
 シアルが横合いから知識の補足をする。へーへー、としきりに頷くあさひ。
「じゃあ先生は“いい黄泉還り”なんですね?」
「そうですよー。もともと黄泉還りは、大戦時に造物主にやられちゃった神々が気合と根性で冥府の力を持ち出して戦場に戻ってきたのが起源ですしね。先生みたいなのが、本来の黄泉還りなのです。区別がややこしいので、大抵は“リターナー”って呼ばれますね」
 さすがオリジン、色々と凄い、とあさひが感心しきりに頷く。軽く説明されただけでリターナーについて納得している辺り、彼女もだいぶオリジンの流儀に染まってきたといえよう。


「さて、ここがお二人の今日からの住まいになる、学園女子寮です! ちょうど二人部屋に空きがありましたので、同室ですよ」
 そう言ってセルカが指し示した建物は、
「お、お城……?」
「はい、神話時代の古城を改築して寮にしてるんです。お洒落でしょう?」
 彼女の言葉通り、地球の言葉で言えば西洋風の石造りの城だった。この種の建造物を初めて見るあさひが思わず見とれていると、
「はい、じゃあまずはこれを持ってください」
 セルカがあさひとシアルにぽん、と手渡すものがあった。
「クリップボードとペン?」
「それに、方眼紙ですか」
「はい、慣れないうちの寮生活では必需品ですよ!」
 にこにこと笑うセルカだが、あさひの顔に疑問符が乱舞している。
「ええと、先生。これで何をするんですか?」
「マッピングです!」
 疑問をそのまま口に出したあさひに対して、セルカの答えは簡潔だった。
「学生寮内は長年の増改築とか、学生が私的にターンテーブルやワープポイントやトラップを仕込んでいたりとかで構造が複雑化してまして。毎年新入生が遭難して、上級生による救出パーティーが組まれるんですよ」
 ですから! とびしりと人差し指を立て、にこにこ笑顔のままでセルカが説明する。
「自分の部屋と、その周辺のマッピングは必要不可欠です。一応、寮自治委員とか生活委員が定期的にマップを更新してますけど、やっぱり自分で作った方が道を覚えやすいですからね!」
 あさひは方眼紙、女子寮、また方眼紙、そしてセルカへと順番に視線を巡らせたあとでシアルに向き直った。
「シアルぅ。なんかトンでもないとこに来ちゃったみたいだよ……」
 対するシアルは、あさひの心の不安をぬぐうように、力強く頷いてみせる。
「心配いりません、あさひ。統計によると、在籍半年以上の学生の82%は、この学院でどんなことが起こっても『もう慣れた』と返答するそうです」
「なんの慰めにもなってないよー!?」





[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』② 異世界留学のススメ
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:24
Scene2 転校生は地球人(とアニマ・ムンディ)

「ええと、地球から来ました、雪村あさひです。オリジンに来て日が浅いのでわからないことも多いですが、よろしくお願いします」
「あさひの搭乗するMT『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディのシアルと申します。あさひともども、お見知りおきのほどを」
 あさひがやや緊張気味に、シアルが至極冷静にあいさつを終え、ぺこりと頭を下げると教室内からは拍手が起こった。
 最悪のパターンとして想定していたような悪い反応がなかったことにあさひはホッとして顔を上げる。
 ここはリオフレード学院高等部2年8組の教室。
 あさひとシアルは、学園側の配慮か、二人揃ってこのクラスに編入される運びとなり、たった今、朝のHRでのクラスメートへのあいさつを終えたところだ。
 ざっと教室内を見渡すと、髪や瞳の色はともかく、普通の人間に見える生徒が約8割。1割は獣耳が生えていたり、角が生えていたり、そもそも顔が猫、という生徒だったりする。さらに残る一割はざわざわ動く樹木であったり、ずんぐりむっくりした二頭身の人型機械だったりした。
 また、制服の着用についてはかなりの自由度があるらしく、あさひとシアルのように新緑のブレザーを支給されたまま着ているものはまれで、大抵もの生徒は細かい改造を施した制服をきているし、明らかに富嶽風の和服に改造しているというつわものも存在していた。


「じゃあ、雪村さんはそこ、シアルさんは向こうの席に座ってちょうだいね~」
 おっとりした口調でそう促したのは、このクラスの担任、ミカ・プラエストル教諭である。口調に見合う、おっとりとした容姿の美女ではあるが、あさひとシアルが教室に入った直後にざわついた教室を、
「二秒以内に静かにしないと、教室ごとふっ飛ばしちゃうわよ~?」
 という一言でピタリと静めたのを、そしてその際のクラスメート達の恐怖に引きつった表情をあさひは忘れる事が出来そうにない。この先生はマジでやる、とひしひしと感じられた。
 あさひとシアルが席に着く――流石に、座る席まで近くになる、ということはなかった――と、プラエストルはにっこりと笑って手を打ち合わせ、
「はあい、じゃあ朝のHRは早めにお終いです。一時間目のカシス先生が来るまで、騒がしくならない程度にしてて下さいね~」
 そう言うと、ふわふわとした足取りで教室を出て行ってしまった。
 そして、次の瞬間、あさひとシアルの周囲、それぞれに生徒達がわっと群がる。
「ねえ、雪村さん、フォーリナーなんだよね? もう部活決めた?」
「MTに乗ってやってきたって聞いたよ、ぜひ巨大ロボ研究会に――」
「バカな事を。あんな頭の中がお花畑な連中のところより、MT研の方が――」
「園芸部はどうかな。ほら、この辺の枝ぶりとか、先輩が剪定してくれたんだけど実に見事だと――」


「え、あ、ちょっと――」
 転校も初体験なら、こんな風に囲まれるのも初体験なあさひはうろたえてしまう。思わずシアルの方へと助けを求める視線を飛ばすが、そちらも数人の生徒に囲まれて質問、勧誘責めにされていた。流石に邪険に扱うわけにもいかず、難儀しているようだ。
「あの、まだ部活とかは決めてなくて、学校に慣れてから色々見てみようかと……」
 実際、まだどんな部活があるのかもほとんど把握していないのだ。せいぜいが昨日遭遇したモヒカン部、もとい帝釈正拳部くらいで、後は今聞いた名前の部活があるんだな、という程度である。
 こう言えばとりあえずこの場は諦めてくれるだろう、と踏んだあさひだが、そうはいかなかった。
「じゃあじゃあ、見学に来てよ! まずはテニス部に――」
「いやいや、ここは十一次元リリアン部へ――」
「地球文化研へ一度来てよ! 次のコスプレイベントについてぜひ本場の意見を――」
「え、え?」
 いっそう熱を上げる周囲に、あさひは押されっぱなしである。十一次元リリアンってどんなんだ、とか、地球の文化をなんか誤解してないか、といった突っ込みを入れる余裕すらない。


「騒がしいな。何事だ?」
 地を這うような重低音の男子の声が、教室内の騒ぎをピタリと止めたのは、そんなときだった。
「ふむ……」
 動きを止めた人垣の向こうから、そんな声と探るような気配が漏れ伝わってくる。
「そうか。噂のフォーリナーの転校生だな? それで雁首揃えて勧誘合戦か」
 声の主が、聞こえよがしにため息をつく。
「すまないな新入り。この学院でもフォーリナーはまだまだ珍しい。既にダスクを倒した、なんて噂つきとなればなおさらだ。そんな奴を自分の部活に引き込んで活躍させれば部費も増える、なんて踏んだんだろうよ。あまり褒められた事じゃあないが、悪気があったわけでもない。新しいダチが学院に馴染めるようにとの気配りもあったはずだ。どうか許ちゃあくれないか」
 その言葉が終わると同時に、クラスメート達がざわめく。
「そんな、番長が頭を下げるような事じゃ……」
 慌てたような声が、シアルの周囲にいた二頭身グレズ、メタプライムの生徒から上げられる。
「気にするな。俺が勝手にやってるだけだ。……それより、新入りの周りにそんなに集まられると、その前の席の俺が困るんだがな。お前らもその状態でカシス先生がここに来てみろ。全員頭にチョークをブチ込まれるぞ」
 彼の言葉にもう一度クラスメート達がざわめき、やや慌てた様子で自分の席へと戻っていく。その際に、みんなあさひやシアルに、ごめんね、と一言謝ったり、目礼をしていったりする。プラストエル先生とは違った意味で、先ほど番長と呼ばれた彼はクラスメートから信頼を得ているようだった。


 そして、あさひの周囲から人垣が消えたとき、それまでは空席になっていたあさひの前の席に、彼がいた。
 唐突だが、彼の特徴を挙げてみよう。
 リオフレードの校章が縫いとめられた縁の擦り切れた学帽を被っている。加えて、これまたあちこちが擦り切れた学ランを羽織っている。
 リオフレードの制服がブレザーである事をさて置くとしてもいささかよく分からないセンスではあるが、『番長』という先ほどの呼ばれ方からすれば、これはぴったりなのかも知れない。
 全身が金属質な銀色の光沢を放っている。
 まあ、向こうに座っている二頭身メタボーグ――メタプライムの生徒とかも似たようなものだ。地球ではともかく、オリジンでとやかく言われるような特徴ではないのだろう。
 また、金属質でありながら、その体はぷるぷると揺れている。明らかに固さを持たない物質の所作だ。
 さて、幾つか彼の身体的、外見的な特徴を並べたが、あさひの脳内には、それらを統合した一つの単語が浮かび上がっていた。


 ――はぐ○メタル番長……!


 銀色に輝く不定形の体にまとった、あさひから見て一つ二つ世代の違う学ランファッション。まさにこう呼ぶにふさわしい存在だった。
 ふと、前の席に座った――より正確に表現すると、椅子の上に乗っかった――番長がくるりとこちらを見る。目も鼻も口もない彼の向いている方向が何故わかったのかというと、頭(?)に載せた帽子の向きである。ひょっとしたらそういう意味も兼ねて彼はこの帽子を身に着けているのかも知れない。
「名乗るのが遅れたな。バルバだ。よろしくな」
 彼の体の一部がにゅっと伸び、銀色の腕を形成する。右手だ。
 目の前に差し出されたそれを、あさひは軽く握った。
「雪村あさひ。よろしくね、それとさっきはありがと」
 おう、とだけ応えて、バルバの上に乗っかっている帽子がくるりと反転して前を向く。
 ちらりとシアルの方を伺うと、隣に座った犬耳の女の子に話しかけられて、何事か答えているようだった。
 自分の席から、教室内をぐるりと見渡す。こっそりこちらを伺っていたらしい何人かと目が合い、ある者はびっくりしたように目を逸らし、ある者はそ知らぬ顔で教卓の方へ向き直り、ある者はひらひらと手を振ってきた。
 自分からも手を振り返しながら、あさひは内心ワクワクするのが抑えられない。


 何せここは異世界オリジン。
 常識の通用しないようなとんでもない事ばかり起こる世界だが、それはまるでびっくり箱のようで、あさひに退屈する暇を与えない。
 そしてこの学園は、そんなオリジンのみならず、三千世界のあちこちから生徒が集まる学校だ。
 地球生まれのあさひでは、想像もつかないような出来事があちこちで起こっているに違いない。
 故郷を遠く離れた異郷の地での学園生活、その最初の授業が始まるのを、そんな心持ちであさひは待っていたのだった。


   ◆◆◆


 再三再四繰り返すが、リオフレード魔法学院は様々な世界からの学生を受け入れている学び舎である。
 ここで一つの問いを投げかけるとしよう。
 生まれも育ちも全く異なる者達が一つところで生活するにあたって、まずクローズアップされるべき問題とは何か。


 信教の違い。
 なるほど、確かに大きな問題である。ただ、オリジンでは信じる神ごとの壁というのは驚くほど低い。古くから様々な世界よりの界渡りと接してきたオリジン人の懐の深さもあるが、もっと切実な理由がある。
 黄泉還りの存在である。
 死者の弔いを怠る事で発生する黄泉還りは、裏を返せばしっかりと弔いを行えば発生を防げる存在でもある。故に、『ちゃんと死者のお弔いをして黄泉還りが出ないようにしてくれるなら、どんな神様でもありがたい』という風潮がオリジンには存在するのだ。
 殊にこのリオフレード魔法学院では、TOKYOパンデモニウムのサイード教や、大星団テオスの掲げる造物主信仰といった侵略者の掲げる教えでさえ、それが平和裏に説かれる限りは咎めだてされないのである。無論、個々人の感情の問題はあろうが、学院が表立って全ての教えに寛容である以上、それら信教の違いから来る争いが表立って規模を大きくする事は滅多にない。


 思想、信条の違い。
 先ほどの信教と重なる部分もあるが、これも問題となろう。
 だが、学院に入学する生徒は必ず学則の遵守を求められる。現在のリオフレードは実質上、政治的な中立地帯と化しているので、その中で暮らしていくために定められた学則を守っていれば、理論上は異なる思想の持ち主同士でもいさかいは起こらないということになる。
 無論、全てがそうして理性的に丸く収まるわけでもない。政治的な立場や考え方の違い、部費の争奪戦、恋の鞘当て、様々な理由で争いは起こる。
 そうした場合は、生徒会を頂点に置く各種委員会によって争いが調停される。こうした治安維持に関わる学生達は、一癖あるリオフレードの住人達の中でも一騎当千のつわもの揃いである。大抵はその威光で、あるいは口先三寸で、ときには力ずくで問題は解決され、青春時代の一ページとして処理されていく。


「だから私はね、食事こそが異文化コミュニケーションの上で最重要であり、最大の問題でもあると思うの」
 あさひの前で、暁帝国風の白湯麺を一口すすり、熱の篭った口調でぐっと拳を握る彼女はニコル・ファブラ。あさひとシアルのクラスメートで、パットフットの少女である。
 パットフットとは、オリジンに根付いている交易を生業とする種族で、非常に手先が器用なこと、特に既存の技術をコピーする業に優れていることでも知られている。モナドドライブの開発者、マリア・カスタフィオーレ博士もこのパットフットだ。
 ぱっと見は犬耳のついた人間である。血の濃さによっては、手足の先が体毛に覆われていることもある。ニコルの場合は、薄手の白い手袋を嵌めているような外見だ。
 シアルの隣の席になった彼女は、昼休みになると二人に向けて学食までの案内を買って出て、そのまま一緒に食事を取っているのである。
「そんなもんなのかな?」
 日替わりのメニューとして出されていたハヤシライスをぱくつきながらあさひが首を傾げる。その横ではシアルが黙々とこれまたハヤシライスを消費していた。
「そうだよ。一緒にご飯を食べれば仲良くなれる。でも、好き嫌いとか風習がかみ合わなかったら逆に気まずくなっちゃうこともある。なにより、ご飯なしで生きていけるひとなんて……たまにいるけどそういうのは例外だしね!」


 ニコルの熱弁が続く。確かに、あさひが先ほどメニューを見たとき『羊一頭:生け贄用』というのがあったのには軽くビビッた。どういう層に需要があるのかは分からないが、メニューに出ているということは必要とされているのだろう。あさひからすれば異質だが、食事として必要なそれを否定していては、異文化間でのコミュニケーションは成り立つまい。


「そんなわけだから、一緒にご飯食べて仲良くなって、地球の話とか聞かせてよ!」
 きらきらと目を輝かせて、ずい、とニコルがテーブルの上に身を乗り出す。
 ニコルの話だと、パットフットというのは種族的に好奇心が強いのだそうだ。特に客人をもてなす事が大好きで、身内意識の強い彼らが唯一同族間でいさかいを起こすのが、誰が客人をもてなすか、を決める際だと言われるくらいである。
 

 そんなニコルの勢いに押されるように、あさひは自身が地球でどんな暮らしをしていたかを話していく。リオフレードでの暮らしと似たような部分もあり、全く違う部分もあるその話を、ニコルは楽しそうに聞いていた。
 あさひからすれば少々意外な事に、一番盛り上がったのはラジオの話だった。地球にいた頃は深夜ラジオをよく聴いていたあさひがその話をすると、リオフレードにも似たようなものがあるというのだ。
「ラジオとかテレビとかは、ネフィリム社のものがちょくちょく入ってきてるしね。さっきあさひが言ってたような番組なら……」
 ニコルが一旦言葉を切り、食堂の壁にかけられた時計を見る。昼休みが丁度半分ほど過ぎた頃だ。
「うん、そろそろだよ」
 そう言って、同じく壁に備え付けられたスピーカーに視線を向けたニコルに釣られるようにして、あさひとシアルの視線もそこへ向かう。
 スピーカーから、唐突に軽快な音楽が流れ出したのは、それとほぼ同時だった。


 はぁい学院生徒の皆さんこんにちわ! 放送部がお送りするお昼の放送の時間がやって参りましたよ!
 パーソナリティは、オリオン・プライム先生の『私にいい考えがある』に匹敵するインパクトとネタ性と汎用性に溢れた決め台詞を募集中、“眼鏡の”スタアでお送りします!



 音楽に続いてスピーカーから聞こえてきたのは、テンション高めの女子の声だ。アップテンポの音楽にノリながら、昨日から今朝にかけてのニューストピックや、それに関する感想などを陽気な調子で放送に乗せている。
「マスコミ系部活じゃ最大手の放送部がやってる番組でね、パーソナリティのキャラクターも含めて結構人気なんだよ」
 あさひが食堂内を見回すと、学生達が食事を取りながらも放送に耳を傾けているのがそこかしこで見て取れた。ニコルの言うとおり、この番組をお昼のお供にしている学生は多いのだろう。
 あさひも彼らに倣って、ハヤシライスを口に運びながら放送を聴く事にした。


 さて、今日最初のお便り。P.N『パイラーバッテリー』さんからです。
 [スタアさんこんにちは]
 はいこんにちわー。
 [唐突ですが、僕にはコンプレックスがあります。僕の兄はとても優秀で、いわゆる『英雄』と呼ばれる人種なのです。そう呼ばれる前からも、周囲からはよく兄と比較されて育ちました]
 なるほどなるほど。それはなかなかに重荷でしょうねー。
 [そんな僕にも、今、気になる女の子がいます]
 おおっと、面白そうな展開になってきましたよ!?
 [彼女は色々と苦労の多い人で、僕も出来るだけその助けになるようにしてきました。ですが、もし僕が兄くらいに優秀であったなら、もっと彼女は助かっているかもしれない。そんな風に思うとなかなか距離を詰められないのです。僕はどうしたらいいでしょう? 良いアドバイスをお願いします]
 っかー!! 青い! 臭い! だがそれがいい!!
 私もこんな健気系ヘタレ属の男子に思い焦がれられてみたい!
 ……コホン、取り乱しました。
 さて、文面から推測しますに、彼は思いを寄せる彼女とある程度は親しいんじゃないでしょうか。なにやらお手伝いをしていることもそうですし、距離を詰める、っていうのは、既に一定の距離を近づいてからの表現でしょうしね。
 ええと、私個人の趣向としましては、もうしばらくヘタレたままもじもじとしていただけると趣があっていいのですけど、恋する男子にそう言っちゃうのも酷でしょう。
 ズバリ、押しなさい! 押して押して押しまくるのです!
 お兄さんが何ですか! 彼女といいカンジになりたいのはパイラーバッテリーさんであって、他の人ではないのです。あなたの意思をはっきりと伝えることがまず第一ですよ!
 ……と、まあ、こんなところでどうでしょうか、パイラーバッテリーさん。もしよろしければ後日、その後の経過を投稿して下さいねー。
 さて、一つの恋の行く末にワクワクしながら今日の一曲目、先日幻像宮でライブを行った第七軽音部の――



 パーソナリティの曲紹介が終わり、ポップな音楽が食堂内をはねてゆく。
「いやあ、こういう番組って、基本的なノリは地球でもオリジンでも変わらないんだねえ」
 ハヤシライスの最後の一口を飲み込んで、感心したようにあさひが漏らす。
「放送部だけじゃなくて、アナウンサー研とかも色々番組を流すから、あれこれ聴いてみるといいよ」
 白湯麺を食べ終えてお茶をすすっていたニコルが付け加える。
 俄然、興味が出てきたらしいあさひが、他にはどんなものがあるのかを勢い込んでニコルに聞いている。
 ウェルマイスはヨーロッパ風、宝永は江戸時代風と、それはそれで退屈しない街だったが、こういった地球に近い娯楽の少ない街だったので、そういうものに飢えていたのだ。
 だから、ニコルと楽しそうに笑いあう自分を、隣のシアルがじっと観察している事に、そのときのあさひは気付かなかった。



Master Scene 黒薔薇の誘い


 その場所は、存在を知るものからは『墓標校舎』と呼ばれている。
 三十年ほど前、天才と呼ばれた魔法使い、エスカロップ教授が自らが主催するゼミに参加していた88人の学生と共に炎に消えた場所であるが故に。
 そこを根城とすると言われる秘密結社、黒薔薇騎士団の殲滅を期した風紀委員の度重なる探索でも、その場所が特定できない不気味さの故に。
 

 今もなお、その存在しない校舎には、永遠を求めた秘術の末に教え子を犠牲に捧げたとされるエスカロップ教授が生きているという噂の故に。


 見つからない、存在しないはずの校舎の存在がそれでも学生たちによって語り継がれるのは、よくある学校の怪談としてだけではない。
 力を求め、悩み、あがく者がそこに招かれ、進むべき道を、そのための力を与えられるのだ。


 それは、持ち主の欲望を増幅し、願いに至る力を与えるという黒い指輪。
 

 そして墓標校舎に今、一人の客人が足を踏み入れた。リオフレードの学生服を着た男子。俯いていて、その顔はよく見えない。
 校舎内は、窓のほとんどに暗幕がかけられているため、昼間でもなお薄暗い。僅かに入る光を頼りに目を凝らすと、廊下のあちこちに矢印の案内表示があるのが分かる。
 矢印に従って進む、進む。
 廊下を端から端まで歩き、無意味にも思える階段の上り下りを幾度か繰り返すと、やがて矢印が目的地を指し示す。
 そこは小さな部屋だ。人が三人も入ればぎゅうぎゅう詰めになってしまうであろう、狭い空間。
 壁に向かって椅子が一つだけ置いてあり、丁度、椅子に座ったときに人の顔の高さよりやや低い位置に、四角形に小さな窓が切り抜かれている。その向こうは暗くて見えないが、椅子に座れば、その向こうに誰かがいるのであろうことがなんとなく気配で感じ取れる。
 多くの人は、懺悔室を思い出すのではないだろうか。そんな作りの部屋だった。


 備え付けられた椅子に、男子学生が腰を下ろす。
「どうぞ、始めてください」
 壁の向こうから、掠れた男の声がする。情熱を秘めた若者のようにも、世の中の全てに背を向けた老人のようにも聞こえた。
「高等部三年、――――――だ。……我々には、後がない」
 ぽつり、と男子学生が呟く。壁の向こうからの答えはない。たたじっと、彼の次の言葉を待つような沈黙のみがある。
「今、巻き返しを図らねば、いずれ我々は喰らい尽くされるだろう。それが我慢ならない」
 陰々とした、しかし、その底に力を感じさせる言葉が部屋の中をたゆたう。熾火のような熱が、彼の奥深くにはある。
「一度は勝利し、我々が頂点となった。だが、束の間だった!」
 声に篭る熱が、徐々に強くなる。熾火から、炎へと変わる。
「だが、一度は味わった勝利の美酒の味を、私は忘れることができない! 今一度、勝利し、頂点に立たねばならない!」


「お話は分かりました」


 その身の内側の熱を吐き出した彼に向けて、窓の向こうから声がする。
 ことり、という音。
 壁にあいた窓、そこに、小さな箱が置かれていた。
 彼が、箱を手に取る。ゆっくりとその蓋が開かれ、
「あなたは、新世界を創世するしかないでしょう。あなたの進む道は、用意してあります」
 そこには、黒い薔薇の花をあしらった、一つの指輪があった。



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』③ 幕が上がる
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:24
Scene3 ガンメタルアクション




 当然の話ではあるが、リオフレード島はリオフレード魔法学院のみで構成されているわけではない。
 漁業を主な産業とする港町が幾つか存在しており、なかでも学院近くにあるエナージェの街は、第二のリオフレード学院と言っても差し支えないほどに学院と密接な関係を持って存在している。
 お昼時に、学食では満足できない学生達が臨時運行の路線バスに乗って大量にエナージェに雪崩込んでくる光景は、最早この街の風物詩ですらある。


 一番の大通りであり、魔法に関する店や、学生相手の食堂などが並ぶノクターン通りや、そこを抜けた先にあるプロキオン海水浴場(リオフレード島では気候的にその気になれば一年中泳げる)が学生の憩いの場としては筆頭に上がるが、学園成立以前からの港町であるエナージェには、そうした健全な場所だけがあるわけではない。
 海賊通り、と呼ばれる一角は、その代表的なもので、迷路のような路地と、店なのか住居なのか判然としない建物で構成されている。入口近くのはまだいかがわしい歓楽街、程度で済むが、奥へと踏み込むと漂う匂いに混じる犯罪のそれが一気に濃くなってくる。
 原則として生徒の立ち入りが風紀委員によって規制されてある場所でもあるが、海賊ギルドや盗賊ギルドからもたらされる情報や、非正規のルートで販売される貴重な魔法具や薬などを求めて、あるいは若い頃にありがちな暴発する好奇心によってここへ足を踏み入れる生徒は後を絶たない。


 現に、今も一人の女生徒が、海賊通りでも奥まった区画、うらぶれた通りを足早に歩いてゆく。
 三つ編みにまとめた赤毛を揺らし、釣り目気味の青い瞳が真っ直ぐに前を向いている。
 リオフレードの生徒の大多数の例に漏れず改造を施された制服は、サンドブロゥ砂漠のシスター達がまとう衣装の特徴を強く打ち出していた。
 ふと、彼女が足を止める。
 彼女が視線を向けた先に、一人の男が閉店した商店のシャッターにもたれるようにして立っていた。砂色のテンガロンハットと、同じ色のマントが上半身を覆い隠している。
 男はシスター風の女生徒を横目で掠めるように見てから、ゆらりと身を起こし、通りの中央へと歩みを進め、彼女と正面から向き合う。
 両手はだらりと力を抜いて、体の横へ垂らす。足は肩幅よりもやや広めのスタンス。
 この立ち姿で、何よりもその身にまとう気配で伝わるはずだった。この少女が、男の思う通りの人物であるならば。
 果たして、彼女は男と同じような立ち姿を見せた。
 性別が違う。体格が違う。服装が違う。
 だが、それでも鏡写しのような二人。
 何故か。
 彼と彼女が、等しい目的のために向かい合っているからだ。


 二人の間を一陣の風が吹き抜ける。
「……先に抜きなよ」
 風に紛れてしまいそうな、小さな呟き。しかしそれは、確かに男の耳に届いた。年相応、いや、蜂蜜のような甘さを含んだその声は、彼女を見た目よりも幾らか年下に印象付けた。
 だが、男はその印象を以て彼女を侮らない。侮るはずがない。
 彼女と相対するのは初めてだ。だが、向かい合って確かに感じる、自身と同じ匂い。そして、伝え聞いた彼女の二つ名と、それにまつわる逸話。それが、男の全身に心地よい緊張をもたらしていた。


 力を抜いて、だらりと伸ばしていた男の右手が、ゆっくり、ゆっくりと持ち上げられる。
 少女の手も動く。男と同じように、ゆっくり、ゆっくりと持ち上げられる。
 一瞬が無限に引き伸ばされる。
 お互いがお互いを瞳の中に閉じ込めてしまうのではないかと思うほどの意思を込めた睨み合いが、永遠の刹那の中で行われる。


 そして、それは唐突に終了した。
 終わりを告げたのは、一発の銃声。
 後に残るのは、その銃声によってもたらされた結果のみだ。


 少女が立っていた。
 男が手を押さえて蹲っていた。
 少女の手には、未だ銃口から硝煙を上らせる銃があり、蹲った男のすぐそばには、引き金を引かれず地面に落ちた銃があった。


 つまり、それが結果。勝敗だ。
「テメエ、何処の何モンだ」
 少女が問う。
 問う、ということは、彼女がそれについて知らなかった、ということだ。
 知らぬまま、彼女は彼と立会い、銃を抜き、撃った。
 挑戦を受けなければ全てを失うときがある。
 それが、サンドブロゥの荒野に生きるガンマンたち、ガウチョの教えだからだ。
 乾いた風の、砂漠と荒野しか無い故郷から、緑あふれる常春のリオフレードにやってきても、それは変わらない。


 蹲った男が、撃ち抜かれた掌を抑えながら、彼女を見上げる。痛みに震える唇を、無理やりに笑みの形に曲げた。
 訝しんだ少女が笑みの意味を問うより早く、その答えが開陳される。
 
 彼女の背後で、荒々しく扉の開く音がする。
 ちらりとそちらに目線をやると、眼の前でうずくまっているのと同じような格好の男が、彼女に銃を向けていた。
「は。一人増えたくらいで――」


 幾つかの音が、連続してその場に響く。
 通りに面した建物の窓や扉が一斉に開く音。
 そこから現れた大勢の男達が、一斉に銃を構える音。


「――アタシみたいな小娘に、ちょっと大袈裟なんじゃないの?」
 そう言ってひょいと肩をすくませ、女生徒は笑ってみせる。その笑みが、やや引きつったものになってしまうことは避けられなかったが。
「そうでもねえさ、群青の」
 蹲ったままの男が、彼女を見上げている。二人の視線が交差し、どちらからとも無く呆れと笑いを含んだため息が漏れた。


「……あばよっ!」
 唐突に少女が駆け出す。その後を追いかけるようにして、無数の弾痕が通りを穿っていく。
「追え!」
「逃すな!」
 無数の銃声と、それに負けじと張り上げられる怒号が彼女の背後で木霊する。
「こっちの火力が足んないなあもうっ!」
 曲がりくねった路地とそこかしこに散乱したゴミ箱等を利して射線から逃れながら、たまに後ろを振り返って追手に対して撃ち返し、海賊通りを駆け抜けていく。
 表通りに出てしまえば、流石に無茶なことも出来まい。風紀委員に嗅ぎつけられれば、暴徒鎮圧用のMT部隊あたりが出てくるならまだマシな方で、吸血鬼の副委員長あたりが出張ってくれば、皆揃って百舌の早贄よろしく彼女の槍で貫かれかねない。彼女にとって風紀委員副委員長は普段から世話になっている先輩だが、それでもやる。絶対にやる。職務に関することで、手心を加える様な人物ではないのだ。
 後ろから追いかけてくる連中が、その辺りのラインを心得ていることを祈りながら、彼女は全力での逃走を再開した。


  ◆◆◆


 エナージェの街の一角を、一人の女生徒が歩いている。
 フォーリナー、雪村あさひである。珍しく、シアルはその傍には見当たらない。
 彼女がシアルとともにリオフレードに転入して、十日ほどが過ぎていた。
 持ち前の順応力で学院に馴染んでいっているあさひは、よりリオフレードでの生活を満喫するために、いわゆる学生街と化しているエナージェの街を探索しに来ているのである。
 ちなみにシアルも同行したがったのだが『お互いに今日は別行動で、それぞれがあとで街の見所を報告ね!』と強引に押し切った。ついでにニコルをはじめとするクラスの世話焼き好きに、それとなくシアルと合流して街を回ってほしいと頼んである。
 どうもあさひ以外と積極的に交流しようとしないシアルを見て、あさひが一計を案じた形である。あと、なかなかこちらを友人として扱ってくれないシアルに対し、押して駄目なら引いてみな、の精神で接してみよう、という目的もあった。


 並んでいる品物が何に使うものなのかも分からない魔法関連の道具の露店を冷やかし、ニコルからオススメされた定食屋でお昼を食べて、さてこれからどうしようかとあたりを見回す。
「うーん。教えてもらったブティックでも見に行ってみようかな?」
 やはり年頃の女の子としては、お洒落には気を使っておきたい。気軽に泳げる海水浴場も近くにあることだし、いくつかの店を下見しておいて、今度シアルと水着を買いに来るのもいいだろう。
 そんな風に結論して、あさひはノクターン通りを再び歩き始めた。


「……迷った」
 そして一時間後、そこには見事に迷子になっているあさひがいた。
 大通りを歩いているときに、脇道の向こうにちょっと小洒落た雑貨屋を見つけてしまい、そこに入ったのが良くなかった。その店から出てからちょっと周囲を観察すると、いくつかの小さな店が見受けられた。大通りにあるものとは異なる、いわゆるちょっと隠れた名店、という風情だ。なんだか楽しくなってきたあさひが、そういった店を次々に見回っているうちに、ふと気づくと随分と寂れた路地に迷い込んでいて、自分が何処にいるのかも分からなくなってしまったのだ。
「困ったなあ、どうしようか」
 腕組みして、空を見上げたその時だった。


 どかどかと複数の足音が近付いてくる。
 何事かとあさひが視線を向けた先、路地の向こうから、いかにも柄の悪そうな男たちが数人、こちらへ向かって駆けてくる。
 絡まれたりすると厄介だ、と判断し、道の端っこに寄って壁に向き合い、彼らが通りすぎるのをじっと待つことにする。
 足音がだんだんと近づいてきて、あさひの直ぐ側まで到達し、
「――え?」
 そこでピタリと止まった。
 もう嫌な予感がするどころの話ではないが、おそるおそる振り返ってみる。
 ――な、なんなのこの状況ー!?
 あさひが心中で悲鳴をあげるのもむべなるかな。
 男たちは半円を描くように、あさひをぐるりと囲んでいた。


「おいお嬢ちゃんよ。こっちにあんたと同じリオフレードの制服を着た赤毛の女が来ただろう。どこに行った?」
 男たちの一人が尊大な態度であさひに問いかける。が、当然あさひにはこう答えるしか無い。
「い、いや、そんな人来ませんでしたけど……」
 あさひに話しかけた男のこめかみがヒクつく。マズい兆候だ、とあさひが思ったときには、男の顔が直ぐ目の前まで寄せられていた。
「この辺に逃げてきたのは確かなんだよ。知らばっくれてねえで、とっとと教えな。痛い目見たくねえだろ、ああん?」


 ――な、なんであたしってこんなのにばっかり絡まれるのー!?
 半ば現実逃避気味に我が身の不幸を嘆きつつ、どうやってこの場を切り抜けようかと考え始めた矢先、その声は空から降ってきた。
「アタシゃここだぁっ!」
 口調の鋭さにそぐわない、高く甘い声が路地に響き渡る。
 あさひと、男たちが見上げた先、路地を構成する建物の上に、彼女はいた。三つ編みの赤毛をなびかせ、右手には一丁のリボルバーを携えて。
「あ、あなたは……?」
「リオフレード学院、高等部二年四組、メリーベル・シャリード!」
 思わず零れたあさひの誰何の声が届いたのだろうか。彼女は不敵な笑みを浮かべ、朗々と声を張り上げる。
「人呼んで“群青の箒星”!」


 声高く名乗りを上げた彼女、メリーベルが、空中へとその身を躍らせる。
銃火の歌をI'll let the ――」
 あさひを囲んでいた男たちが、慌ててそれぞれの懐や腰のガンベルトから銃を抜く。
「――聞かせてやるよ!gunfire song!!」
 メリーベルの動きは、男たちの誰より早かった。
 まだ空中にあるうちに、彼女の左手にもう一丁のリボルバーが魔法のように現れる。
 メリーベルの両手のリボルバーの引き金が絞られ、銃声が轟く。
 彼女が着地し、一度だけ、やや長く響いた銃声が余韻となって路地の空気をわたってゆくときには、あさひを囲んでいた男達は全員が腕か足、もしくはその両方を撃ち抜かれて地面に倒れていた。
 フォーリナーとしての力が、あさひに事態を把握させてくれる。メリーベルは空中にいる間に凄まじい早撃ち――銃声が一つに繋がるほどのそれをもって、彼ら全員に銃弾を撃ち込んだのだ。
 銃撃の早さ、狙いの精度、落下中にそれをやってのけたという事実を加えれば、恐ろしいまでの腕前だった。


「大丈夫かい、あんた?」
「う、うん。ありがとう、シャリードさん」
 小首を傾げて問いかけてくるメリーベルに、ぺこりと頭を下げるあさひ。
「あたし、二年八組の雪村あさひ。よろしくねっ」
「ああ、あんたが八組のフォーリナーか。アタシのことはメリーベルでいいよ。こちらこそよろしく」
 あさひのことを聞き知っていたらしい得心顔でそう言い、右手を差し出す。
「じゃああたしもあさひで」
 その手を取って軽く振ってから、あさひは周囲を見渡す。メリーベルに撃たれた男達が苦悶の声を漏らしながら蹲っており、なかなかに凄惨な風景である。
「……とりあえず、この人たち手当てした方がいいんじゃない?」
「ンなことしてるヒマはないよ。他にもアタシを追ってる連中がいる。こんなやつらほっぽっといてとっとと逃げないと、面倒な事になる」
 流石にちょっと引き気味なあさひの提案を一蹴し、蹲る男達を見下ろして鼻で笑うメリーベル。
「あさひも一人でいるとさっきみたいにまた絡まれるかもしれない。巻き込んじまって悪いけど、一緒にズラかるよ。裏通りから抜け出せば、なんとかなるはずだから」
 言ったが早いか、メリーベルはあさひの手を取って走り出す。なかなかの健脚で、あさひも本気を出して走らないとついていけない。
 それでもちらちらと後ろを振り返るあさひに、メリーベルが諭すように言う。
「気にすんなって。最初に撃ってきたのはあいつらだし、そもそもここはリオフレードだよ?」
 愉快そうににやっと笑うメリーベル。
「普通に実弾でハジかれたくらいで人死になんてそうそう出やしねえぜぃ。回復魔法の充実っぷりが半端じゃねえんだから」
「そ、そういうもんなの……!?」
 げんなりした様子のあさひに、メリーベルが笑みを含んだ声で答える。
「そうそう、そういうもんだよ。……つってもそれも良し悪しだけどね」
 どういうこと? と聞き返そうとして、あさひにはそれが出来なかった。背筋に悪寒が走る。同時に銃声が響き、直感に従って跳んでいたあさひの足元に弾痕が刻まれる。
「おっ、いい勘してんなああさひ。まあ、今みたいに相手を撃つのに躊躇いが減るんだな、これが」
 さらりと物騒なことを口にするメリーベル。二人の背後に、別の路地を通ってきた追っ手の集団が現れていた。


 背後に銃声を、周囲に着弾音と弾痕を引き連れながら、二人は走る。
「いい逃げっぷりだねあさひ、カンもいいしさっ」
「一応、故郷じゃ運動神経のいい子で通ってたからねっ」
 路地裏を駆け抜けながら、メリーベルがあさひに向けて賞賛を送る。
 日頃から運動しといて良かった、とあさひは心底から思った。そうでなければ今頃はへたり込んでしまっていたかもしれない。ときおり走る悪寒に従って体を動かすと銃弾を避けられるのは、おそらくカオスフレアの力なのだろう。身体能力は地球にいた頃と殆ど変わらないのだが、この手の知覚、特に直感的なそれに関しては、以前とは比べ物にもならないほどに鋭くなっていた。


 やがて二人がたどり着いたのは、やや開けた場所。三本の路地が交差する場所が、ちょっとした広場のようになっていた。
「もうちょいだ! 表通りまでは――」
 メリーベルの言葉が途切れる。
 広場の出口となる二本の路地に、銃を構えた男たちが立っている。待ち伏せだ。
「くっ――!?」
 歯噛みして後ろを振り返る。そちらからも現れる追手。完全に囲まれていた。
「ど、どーする……!?」
 あさひの問いには答えず、メリーベルが三つ編みを揺らして一歩前に出る。


「おいテメエら! なんでか知らんけどアタシが目当てなんだろ!? ここで捕まってやるからコイツは見逃せ!」
 親指であさひを指し示しながら声を張り上げる。
「それでこっちに何の得があるってんだ?」
 あさひが口を挟むより早く、道を塞いでいた男たちの一人がニヤニヤとした笑みを口元に貼りつけて問いを投げる。
「断るんならこの場で限界まで暴れてやるよ。上手くすりゃあ騒ぎを聞きつけて風紀委員が来るかもしれない。そうでなくても、何人道連れになるかねえ?」
 眉を立て、きゅっと口角を吊り上げる。返答は如何に、と先ほどこちらに問いかけた男に視線を向けるメリーベル。
 が、次にアクションを起こしたのは、彼女でも追っ手の男達でもなかった。
 前に出ようとしていたメリーベルの方に置かれた手。あさひが、彼女を止めていた。
「ねえメリーベル。ここで思いっきり目立てば、風紀委員が来てくれる?」
「あ、ああ。流石にそろそろ表通りが近い。騒ぎが派手なら派手なほど、連中の目に付きやすいだろうよ」
 突然のあさひの言動に対する困惑と、こいつは何をやるつもりだ、という期待感がメリーベルの瞳に宿る。その視線を受けて、あさひは親指を立てて見せた。
「おっけ、任せて。もうこれ以上ないくらいド派手に目立っちゃうから」


 あさひがすっと前に進み出て、メリーベルと肩を並べる。深呼吸を一つ。
 追っ手の男達は油断なく二人を取り囲み、何かおかしな事をすれば即座に発砲できるよう、構えていた。
 その視線の先で、あさひが頭上高く、右手を上げる。別段、何かの武器を持っている様子はない。妙なことといえば、親指と中指を付けた状態にしている手の形だろうか。
 すうっと息を吸い込み、あさひが声を上げる。高らかに、その名を呼ぶ。
「来なさい、シヴィーっ!!」
 ぱきん、とあさひの指が鳴らされる。と同時に、黄金の光が広場を埋め尽くした。


「くっ!? 目眩ましかっ!? くそ、撃て撃てっ!!」
 視界を奪われた男達が、それでも先ほどまであさひとメリーベルが立っていた場所に向けて銃を撃つ。三方の路地をふさいでいた彼らから、ひっきりなしに浴びせられる銃弾。流石にこれだけやれば、通常なら文句なしにオーバーキルだ。銃弾で体重を思い切り増やした肉袋が二つ出来上がるのが目に見えるようだった。
 だが、


「ざーんねーんでーしたーっ!」
 あさひの声が響く。その声は、なぜか男達の頭上から投げかけられた。
 広場を包み込んだ光が消え、最初にメリーベルと問答を交わした男が視力を取り戻したとき、そこにあったのは、金属の柱が二本だった。
「なんだァ……?」
 言いながら、柱を見上げる。それは柱ではなかった。足だ。辺りの建物よりずっと背の高い、鋼の巨人の足。
「え、MT……だと!?」


「これならばっちり目立つし、安全も確保できるでしょ」
「そりゃあそうだけど……。まさかMTを一瞬で喚びやがるたぁなあ」
 コックピットのシートでニッコリと笑うあさひに、同じくコックピット内にいるメリーベルが苦笑を返す。
「っと、あさひ、足元!」
 メリーベルの警告に、あさひがカメラを切り替える。
 そこには、MTの足元へ潜り込もうと走りこんでくる数人の男の姿があった。
 常識的に考えれば、全長十数メートルのMTに対して突っ込んでくるなど、無謀を通り越して狂気の沙汰である。
 が、忘れてはならないのは、ここはオリジンである、ということだ。
 十分な実力を備えた猛者であれば、生身でMTを打倒することは決して不可能なことではない。準騎士級であるシヴィを落とすことはそうした猛者でも難しいことであろうが、決して相手が生身であっても侮るな、と宝永にいる間にフェルゲニシュから散々に聞かされていた。
 ざっと見渡したところ、メリーベルを追っていた男たちは銃の扱いに熟達してはいたものの、MTと渡り合えるほどの実力の持ち主ではなさそうだった。だが、それでも数を頼みにどうにかしてしまうということも考えられる。わざわざこちらの足元まで招き入れる道理はない。


「そんなわけで、それ以上は近づけさせないよっ! バァァァァルカンっ!」
 追いかけまわされ、銃で狙われて鬱憤が溜まっていたのか、ノリノリでMTを操るあさひ。シヴィの頭部に備え付けられた近接防御用の機関砲が火を吹き、MTに近寄ろうとしていた男たちの周囲で石畳を砕き散らす。たまらず蜘蛛の子を散らすように逃げていく男たち。
「おいおいおい。ちょっとマズいんじゃないの」
「だいじょーぶだいじょーぶ。絶対当てないから」
「いや、そうじゃなくてだな……」


「全員、武装を解除して投降しなさい!」
 突如としてその場に響いたのは、凛とした女性の声。
 それは、ひとつの建物の上に立つ、メガネを懸けたショートカットの女生徒のものだ。片方の腕に槍をたばさみ、もう片方の腕には風紀委員の腕章がある。
 見渡せば、彼女だけではなく、二十名近い風紀委員たちによって広場は包囲されていた。
「あなた方全員、拘束して事情を伺います! 抵抗すれば実力で制圧しますのでそのつもりでいて下さい!」
 風紀委員たちを統率する立場にあるのだろう、眼鏡の女子が、周囲を威圧しながらてきぱきと指示を出す。
「いやあ、これで助かったね、メリーベル」
 やれやれ、とばかりにあさひがため息をついた時だった。
「そこのMTも! 搭乗者は両手を上げてコックピットから出てきなさい! 街中で武装したMTを乗り回して、なおかつ火器を使用するなんて! 色々と覚悟してもらいますからね!」
 眼鏡の風紀委員が、びしりと槍をMTに突きつけ、宣言した。
「……あれえ?」
「……だーからマズイっつったろ……」
 コックピット内であさひが首を傾げ、メリーベルが額に手を当てて天を仰いだ。



Scene4 冷たい二人(物理的な意味で)

 
 
 擦り切れた学帽と学ランを被せた、銀色の不定形物体が男子寮の廊下を這い進む。時折すれ違う生徒の中には、普通に挨拶を交わすものもいるし、妙にかしこまった挨拶をして道を譲り、こちらに頭をさげる者もいる。
 高等部二年、ミュート星人のバルバ。クラスやその他交友範囲において、番長の呼称を持って呼ばれる学生である。
 番長と言っても、別段彼が高等部を『シメている』というわけではない。彼の舎弟を自称する学生たちは幾らかいるが、バルバが集めたわけではなく、彼らの方から自発的に集まってきたのだ。
 例えば、暴れカンガルーに襲われそうになっていたところを助けられた者、例えば、悪魔喚起実験の失敗でレッサーデーモンに襲われそうになっていたところを助けられた者、例えば、伝説のカツサンド争奪戦で絶体絶命の危機から救われた者などだ。
 バルバ本人からすれば、それが自分の生き様として必要であるから助けただけだし、どれをとってもリオフレードではせいぜい『まあ、そういうこともあるよね』程度で済まされるであろう騒動である。恩を着せるつもりはなかったし、はっきりそう言ってもいる。


 だが、助けられた者たちは、彼を慕い、彼の周囲に集まり始めた。彼に対する、番長の呼称が広まり始めたのはこの頃である。彼を番長と呼び始めたのは舎弟の一人だが、そもそもの要因はバルバ本人にあった。彼がこう漏らしたことがあったのだ。
「俺は番長ってのになりたいんだ」
 これを聞いた舎弟たちが彼を番長と呼び始めた。バルバ自身は当初、そう呼ばれるような器ではない、と言ったのだが、舎弟たちからは是非そう呼ばせて欲しいと押し切られたのだ。今では、クラスの友人たちまで彼を番長と呼ぶようになっている。


「番長! 大変です!」
 進行方向の逆側から声がかかる。バルバは前進を止め、声の聞こえた方へと向き直った。
 実際には、向きを変えることに意味はない。ミュート星人は光でも音でも温度でも振動でもなく、量子的な揺らぎを感知することで周囲を把握している。彼がこうした分かりやすい動作を行うのは、そのほうが周りが分かりやすいし、安心するだろうという気遣いだ。
 さらに言えば、ミュート星人には性別すら存在しない。バルバのパーソナリティが男性格なのは、“彼”が目指すべき相手と定めた人物が男だったからに過ぎない。
 さておき、こちらに駆け寄ってきた舎弟に向き合い、バルバが尋ねる。
「どうした。言ってみろ」
「チャックが大怪我をして、保健室に運び込まれたそうです」
 告げられた名前は、目の前の男子生徒と同じく彼の舎弟となっている学生のものだった。慌てず騒がず、バルバは話の続きを促す。どんな時でも泰然としていることも、番長に求められる資質だと考えているからだ。
「チャックは今日、仲間とつるんで無限図書館にアタックしていました。なんでも、その前に潜ったときに、面白い魔導書のある区画に辿り着いたとかで……」
 無限図書館とは、創立以来、あらゆる世界、果ては異なる時間軸の書物さえ蓄え続けているという巨大な図書館だ。内部は亜空間と化しており、濃密なフレアにあてられて書物から実体化した幻獣、本の内容が具現化した異境、本雪崩、書籍ポロロッカ等の怪異が渦巻いており、在籍半年以上の学生による、四人以上でのパーティでなければ基本的に立ち入りを許されない魔窟である。
「そこから魔導書を持ち帰って、自分で扱いきれなさそうな分は図書委員に引き取ってもらって豪遊だ、なんて言ってたんです。なのに、パーティが全滅しちまって、しかも救出した図書委員の話だと、中の怪異じゃなくて、同じく図書館に潜ったほかの連中にやられた可能性があるらしいです」
 悔しそうに顔を歪める舎弟の肩に向けて、体を変形させた触腕を伸ばしてポンと叩く。
「分かった。とりあえず俺もチャックの見舞いに行ってくる。本当に図書館の怪異以外にやられたってんなら、そんときゃ俺にも考えがあるからな」
「は、はい! よろしくお願いします、番長」
 がばっと勢いをつけて頭を下げる舎弟。おう、と一声だけ応えて、バルバは再び前進する。
 バルバの定義するところによる番長とは、強者であり、抑止力である。そして、庇護者である。少なくとも、彼の見た“それ”はそうだった。
 で、あるならば。この一件、見過ごす訳にはいかない。もしもチャックの負傷に、恣意が絡むというのなら。
「落とし前はつけねえとな……」
 そのつぶやきを置き去りにして、バルバは進む。行き先は、高等部の保健室だ。


  ◆◆◆


「やれやれ、お休みの日なのに今日は忙しいですねー」
 自身の仕事場である保健室で、ほう、と息を吐いてセルカ・ペルテはひとりごちる。授業がない日でも委員会や部活動で学校に出てくる生徒は多い。そうした生徒たちが怪我をした場合に対応するため、持ち回りで保健室の番をする制度があり、きょうはセルカが当番なのだった。そして、そんな時に限って色々とトラブルが舞い込むものなのである。
 今日は正統野球部と真正野球部の練習試合があり、真正野球部のメンバーが全員ラフプレーの餌食となって試合続行不可能でコールド負けしたため、その応急処置に駆り出されたり、無限図書館に挑んだパーティが全滅して、そちらの対応もしなければならなかった。大忙しである。もともと血の気のない顔色が、心なしかさらに青くなっているようにも思えてしまう。


 だがそれらの仕事もようやく終わり、お茶でも入れようかとしたとき、その来客は訪れた。
「邪魔するぜ、セルカ先生」
 伸ばした触腕でがらりと扉を開けて入ってきたのは、バルバである。彼は保健室に入ると、帽子の向きを右へ左へと変えて、何かを探しているような仕草をする。
「誰かお探しですか? バルバ君」
 セルカが声をかけると、バルバは動きを止め、
「チャックの奴が無限図書館でケガしてここへ運び込まれたって聞いたんだが……」
「チャック……? ああ、コシギ君ですね。ええ、彼は一度ここへ運び込まれたんですが、応急処置のあと、容態が落ち着いたところで病院に搬送されましたよ」
 にこやかに返答するセルカに、バルバは少し考えた後でこう問いかけた。
「なあ先生。チャックのケガの原因は分かるのか?」
「無限図書館に潜って、その時にケガを……」
「いや、そこまでは分かってる。その先だ」
 バルバに言葉を遮られても、気分を害したような様子はなく、セルカはおとがいに指を当てて考える素振りをみせる。
「……バルバ君は、それを知りに来たんですか? それとも確認に来たんですか?」
「確認だ。そういう物言いをするってえことは、つまり……」
 こくり、とセルカは頷き、
「救出にあたった図書委員が現場を検めたところによると、どうも学生のしわざと見受けられる部分があるそうです。本人たちもよく分からないうちにやられてしまったそうですし、確定情報ではありませんけどね」
「……そうか。ありがとうよ先生」
 身を翻して保健室を出ていこうとするバルバの動きがピタリと止まる。セルカが、学ランの裾を掴んでいたのだ。
「まあお待ちなさいバルバ君。ここは一つ、先生に力を貸してくれませんか?」
「どういうことだ、先生?」
 セルカが、エヘンとばかりに薄い胸を張る。
「正面切ってケンカするならともかく、危険いっぱいの無限図書館内で、よりにもよって闇討ちというのは流石に先生も見過ごせません。ああ、もちろんこれが学生がやったことだと仮定しての話ですよ? ともかく、先生もちょっと調べてみようと思うのですよー」
「先生が調べてくれるのはありがたいが、それなら俺が手を貸さなくてもいいんじゃないのか?」
 番長だなんだと言われていてもバルバは所詮はいち学生である。教職員の権限で調査をするのに比べたら、出来ることなどたかが知れているはずだ。
「そう卑下したものでもないですよー。バルバ君は日頃の行いのお陰でほうぼうに顔が利きますしね。ついでに言うと、弟分可愛さに暴走しないように、手元でちゃんと見ておきたいというのもあります」
 悪びれもせず言い切るセルカ。あまりに明け透けな物言いに、バルバは人間で言うなら肩をすくめる動作を取り、
「分かった。ならよろしく頼む、セルカ先生」
「こちらこそ、ですよ」
 バルバが差し出した触腕と握手を交わし、セルカがニッコリと微笑んだ。







[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』④ 今はまだ平穏な日々
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:25
Scene5 薔薇十字の指輪


「つまり、MTを喚び出したのは正当防衛で、火器の使用もあくまで威嚇目的だったと、そういうことですね?」
「はい、そうです! ご迷惑かけてすいませんでした!」
「すんませんっした!」
 生徒会棟の一階、連行された取調室で、状況を整理してため息を付いた眼鏡の風紀委員、副委員長のノエミ・バートリに向けてあさひとメリーベルがそろって頭を下げる。
「はあ……。今回は事情を鑑みて厳重注意のみで済ませますが、次に同じことがあったら強制補習刑ですからね」
 やや語気を緩めて通達されるその内容に、あさひとメリーベルはほっと安堵の息をつく。
 特にあさひは、取調べの前にノエミが席を外してメリーベルと二人きりになったときに、風紀委員副委員長が学内での凶悪犯罪に対していかに武力を振るってきたかをこれでもかと語られていたため、安心もひとしおである。


「いやー、さすがノエミ先輩は話が分かる!」
「……ところでメリーベル?」
 はっはっは、と能天気に笑うメリーベルに、ノエミの冷たい視線が突き刺さる。
「あなた、また海賊通りに入ったのね? あそこは立ち入り制限区画だってもう何度も何度も何度も言ってるのに。どうして私の言う事を聞いてくれないのかしら? 困ってしまうわ」
 頬に手を当ててうふふ、と品良く笑うノエミだが、目が全く笑っていない。思わずたじろぐメリーベルだが、ぐっと腹に力を入れて立ち直り、ノエミに反論する。
「いやでも先輩。あそこに住んでるジイさんに銃を見てもらわないとどうにも調子悪いんスよ」
「銃を直しに行って他の誰かに銃で撃たれてたんじゃあ笑えないわよ」
 聞き分けの悪い後輩に、深々とため息をつくノエミ。二人の間に流れる空気は、妙に親しげというか、手馴れた感じを漂わせている。
「えーっと、バートリ先輩はメリーベルとは親しいんですか?」
 これはメリーベルの分が悪そうだと判断したあさひが話題の転換を試みる。このままの流れだと、なし崩しにお説教に突入してしまいそうだったからだ。取調べの最中にも、理路整然とした口調で二人そろってお説教をたっぷり頂いたのである。これ以上はご遠慮願いたいのだ。
「え? ええ。部活の先輩後輩なの」
「ちなみに放送部な」
「放送部って“眼鏡の”スタアさんのアレ?」
 なんとなく意外だ、と思いながら――どんな部活があるかを調べていたときに、リボルバーの扱いと早撃ちの技術を習熟する『ガンプレイ部』というのがあったのだ――あさひは問う。そうそう、とメリーベルが嬉しそうに頷く。
「まあ、ああいう娯楽放送以外に、公共の放送全般を取り仕切るのが放送部だな。学生呼び出しとか行事のお知らせとかもウチの仕事」
「へえ。部活だけど、先生とか生徒会の仕事を手伝ってる感じなんだ?」
「そうね、そういう理解でいいと思うわ。……今から思うと、よくここまで持ち直したものよね」
 ノエミは言葉の後半部分をどこか感慨深く呟くと、こほんと咳払いして居住まいを正した。彼女の纏う雰囲気が、やや硬質なものへと変わる。


「さてメリーベル。あなたを追いかけてた男達に何か心当たりはあるかしら? 今のところ、金で雇われてあなたを狙った、っていう証言以外は出てきていないのだけど」
「それなんスけど先輩。ひょっとしたら、ってのが一つあります」
 そう言うと、メリーベルは制服の襟元に手を突っ込む。すぐに引き抜かれたその手には、ペンダントに使う細いチェーンが握られており、その先に、一つの指輪が通されている。
「それは……!?」
 指輪を見たノエミが息を呑んだ。ただの指輪にしては、ノエミの驚きようは少々大きすぎるようにあさひには思え、改めてその指輪を観察してみる。
 樹脂か、もしくはそうした色の石を使っているように見える白い帯状のリング部分。指輪の横幅と同じくらいの台座部分は桃色の材質で、上面に薔薇を象った刻印が施されている。
「薔薇十字の指輪、ね」
「ついこないだ送りつけられてきたんスよ。でも薔薇十字の争奪戦とかは興味ないし、捨てても戻ってくるしで……。海賊通りに行ったのは、コレについて魔法に詳しい知り合いに相談するのもあったんス」
 二人そろってため息をつくメリーベルとノエミ。
 一方、話についていけないあさひはきょとんとして首を傾げていた。
「その指輪、呪いのアイテムか何かなんですか?」
 二人は一瞬、意外そうな顔を見せ、
「ああ、雪村さんは転校生だものね」
 ノエミがそう言うと、納得がいったとばかりにメリーベルもポンと手を打つ。
「これはね、薔薇十字の指輪っていうの。学院では有名なものなんだけど……」
「有名な割に、正体不明のシロモノでもあるな」
 どう説明しようかと悩んだのか、一瞬だけ途切れたノエミの言葉に、メリーベルが割り込んでざっくりと斬って捨てる。
 それに僅かな苦笑を漏らして、巷間の噂の最大公約数だけど、と前置きしてからノエミは薔薇十字の指輪について、次のようにあさひに語ってくれた。


 学院にいる、強い運命を持つ者のもとに様々な方法で現れるものであるらしい。
 十九ある指輪の所有者が引かれ合い、競いあう果てに、『ひとつの指輪』が顕現するらしい。
 ひとつの指輪は、所有者を天空にある不可視の城へと招き、あらゆる望みを叶える力を与えるらしい。
 過去、学院内で起こった騒動の裏に、この指輪が関わっているといわれるものが実際に幾つか存在しているらしい。
 今までのところ、ひとつの指輪を手に入れた者はいないらしい。


「う、うさんくさー……」
「だよなあ、あさひもそう思うよなあ」
 微妙な表情で感想を述べるあさひと、我が意を得たりとばかりに大きく頷くメリーベル。
「まあ、これらの噂の真偽はとも かく、実際に何人もの所有者が確認されていて、指輪が存在する事は事実だし、色々と騒動の元になっていることも確かよ。メリーベルが狙われたのも、指輪絡みだとすればあり得る話だわ」
 神妙な表情で語られるノエミの言葉に、メリーベルがげっそりとして肩を落とす。
「メンドくせえー。決闘するフリしてわざと負けるとかできないんスかね」
「……その辺、どうなのかしらね」
「どういう意味です?」
 真剣な表情で考え込むノエミに、あさひが首を傾げて疑問を発する。
「単純に決闘だけで話が付く相手じゃないかも、っていうことよ。決闘のルールとかシステムについてはよく分からないけど、今回はもっと悪いケースを想定した方がいいのかもしれないわ」
「悪いケース、ですか?」
「カンベンして下さいよ、ノエミ先輩い」
 ノエミが腕を組んで少し考え込んでから、おもむろに口を開く。
「薔薇十字の指輪にまつわる話には、もう一つ面倒なものがあってね、黒薔薇騎士団、っていう秘密結社」
 メリーベルが首から提げたままの薔薇十字の指輪を指差し、
「それにそっくりな、でも黒い色の指輪をしてる人たちで、彼らが薔薇十字の指輪を持ち主を倒す事で、指輪の力も奪えるんだとかなんとか。まあ、そういう部分の話はともかく、実際にそう名乗る連中がいて、指輪の持ち主にちょっかいをかけるついでに学院内でよからぬ企みをしてるそうよ」
「学校で秘密結社って……」
 半ば呆れたようにため息を付くあさひの横で、メリーベルは驚いたような表情を浮かべている。
「あの話って、墓標校舎絡みの単なる怪談じゃなかったんスか」
「少なくとも、黒薔薇騎士団の名前が風紀委員の最重要目標リストにあるのは事実よ」
「はあ、番組に来る投稿でたまに話題にしてたのがありましたけど、ただのネタじゃなかったんスねえ」
 感心したようにうんうんと深く頷くメリーベル。


「ともかく、その指輪があなたが狙われる理由なのかもしれないなら、それを持っているっていう事は極力伏せた方がよさそうね」
 あの男達の背後にいるのが他の薔薇十字の指輪の所有者や黒薔薇騎士団でなかったとしても、メリーベルが指輪の所有者である事が知られれば、そうした勢力からちょっかいをかけられる可能性は十分にある。
 そのあたりを考慮して、今回の件に関する調書の中でもメリーベルの指輪に関する項目は秘匿性のレベルを高くしておく、とノエミは請け負った。
「すんません、ノエミ先輩。気ぃ遣わせちまって」
 メリーベルが殊勝な態度で頭を下げる。ノエミはその謝辞を笑って受け取り、とりあえず今回の取調べはそこで終了となった。今後、あさひやメリーベルの方で何か分かった事があれば風紀委員まで連絡する、ということを約束し、生徒会棟の入り口ロビーまで来たときだった。


「あさひ!」
 ロビーに大音声が響き渡る。行き来していた学生達が一斉にその声がした方を振り返るが、当の本人は全く気にした様子もなく、あさひの方へと駆け寄ってきた。
 心配と安堵をほぼ等分に混ぜ合わせた表情で息を切らしてあさひの元へやってきたのは、言わずもがな、シアルである。
「あ、シアル。どうしてここに?」
 取調べから解放され、軽い気分でしゅた、と片手を上げて声をかけるあさひを見て、シアルはきゅっと眉間に皺を寄せ、
「どうしてここに? ではありませんっ!」
 先ほどあさひの名を呼んだときより更に大きな声を張り上げる。
「シヴィを喚んだのが感じられて現場に行ってみればあなたはいないし、周辺を調べていた風紀委員の方に聞けば、街中でMTに搭乗して機関砲をぶっ放した生徒が連行されたとか聞かされるし! どれだけ心配したと思ってるんですか!」
 まくし立てているうちにどんどん感情がヒートアップしていっているようで、その勢いに任せてあさひに詰め寄るシアル。
「あー。その。ごめんなさい」
 結局のところ、あさひに出来たのは白旗を上げる事くらいであった。


「あー。アタシからも謝るわ。ごめんな」
 あさひの横で目を丸くして彼女に詰め寄る金髪の女生徒を見ていたメリーベルがそう言って頭を下げる。
「えっ? あ、ええと、あさひ、こちらは?」
 どうやらあさひしか目に入っていなかったらしいシアルが、その横に立っていたメリーベルから突然声をかけられたことで我に返る。先ほどまでの自分の興奮っぷりが気恥ずかしいのだろう。やや頬を赤く染めて、彼女の紹介をあさひに求めた。
「あたし達と同じ二年生で、メリーベル・シャリード。今日、ちょっとした縁で知り合ったんだ」
「こっちの揉め事にあさひを巻き込んじまったんだ。すまない」
 あさひから紹介され、再度頭を下げてみせるメリーベル。
「いえ、こちらこそ失礼をいたしました。アニマ・ムンディのシアルと申します。お気になさらないで下さい、シャリードさん。どうせ、半分以上はあさひが自分から首を突っ込んだに決まっています」
「あー。確かに後半はノリノリだったような気もするなあ」
「ふ、二人とも酷いっ!?」
 メリーベルとシアル、双方から攻撃されてあさひが肩を落とす。シアルは自業自得です、とばかりにつんとあごを反らし、そんな様子を見てメリーベルが笑い声を上げる。
「まあ、ともかく今日は助かったよ、あさひ。何か礼をしなくちゃな」
「いや、いいよ。気にしなくても。あたしも助けてもらったんだし」
 あさひは遠慮するが、メリーベルは取り合おうとしない。
「いいからいいから。借りは返すのが荒野の流儀だし、ウチの神様の教えだからな」
 そう言うと、それじゃあな、と手を振って、三つ編みを揺らして走り出す。
 あさひと一緒に逃げていたとき以上の健脚ぶりを発揮したその背中は、あっという間に見えなくなってしまった。
「元気のいい人ですね」
「そうだね。今日は色々あったけど、面白い友達が出来ちゃった」
 ニコニコと上機嫌なあさひの横顔を、シアルがじっと見つめている。
 先ほどまでの不機嫌そうな様子ではなく、いつもの冷静で淡々とした様子でもなく、どこか透明感を感じさせる無表情がそこにある。
「ん? シアル、どうかした?」
 シアルの視線に気付いたあさひが彼女の方へ視線を向ける。
「いえ、なんでもありません」
 その時にはもう、そこにいたのはいつもどおりのシアルだった。
「そう? あ、そうだ。シアルの方はどうだった? エナージェの街見物!」
 だから、あさひは大して気にせず、今日の首尾を彼女に尋ねる。
「ええ、そうですね。街に出てからニコルと、彼女の妹分だという一年生と会いまして、そのまま彼女らと――」
 シアルがそうして街見物の様子をあれこれと語るのを、隣であさひが実に嬉しそうに聞きながら、彼女ら二人は女子寮への道を歩いてゆく。




Scene6 新図書館にて


 リオフレード学院において、単に図書館、と言うとそれは無限図書館を意味する。
 この無限図書館が怪異渦巻く人外魔境であり、生徒の立ち入りに制限がかけられていることは既に述べた通りだ。
 では、立ち入りの条件を満たしていない者、満たしていたとしても、実力に不安のある者はどうするのか。そういった者達は、調べ物をすることさえままならないのか。
 答えは当然、否である。
 学生達の間で、新図書館、あるいは生徒図書館、と呼ばれる施設が存在する。
 無限図書館のように、深部に潜ればとてつもなく希少な一冊を手にすることが出来る、というようなことはないが、それでも十分な蔵書がそこには収められ、生徒達の知への欲求に応える用意が為されているのだ。


「ふう、そちらはどうですか?」
 新図書館を訪れて調べ物をしていたセルカは、内容を調べ終わった本を満載した台車から、それらの本を棚へと戻しながら――背丈がやや足りないため、中々に苦労しているのが伺える――調査の相棒に問いかける。
「今のところアタリはないな。この棚はもうすぐ終わる。次は隣の棚に行くから、先生は向こうを頼む」
 セルカが声をかけ、返事があった先には、本棚が一つあるだけだ。
 だが、その本棚の外観はやや異様な事になっている。
 ありていに見たままを言うならば、銀色の皮膜が本棚を一つ覆い尽くしているのである。
 更に細かく観察すると、その皮膜は、自身が流体として振舞えるのをいい事に、厚みを極限まで無くして何冊もの本の全てのページの間に己を滑り込ませている。そうすることで、本の内容を読み取っているのだ。
「いやあ、バルバ君が調べ物を手伝ってくれると作業効率が恐ろしいくらいにハネ上がりますねー。今度先生のお仕事も手伝ってくれませんか?」
「これをやると図書委員に思い切り嫌な顔をされるんだよ。今回だって事件の調査がらみじゃなかったら首を縦には振ってくれなかったろうぜ」
 冗談めかした台詞に、本棚に張り付いた銀色の皮膜――身体の形態を変化させたバルバが答える。確かに、ぱっと見あまり気持ちのいい光景ではないし、本棚を丸ごと占領しているというのも図書館の利用マナーとして褒められたものではない。図書委員が難色を示すのも無理のないことだろう。
 ちなみに、いつもの学帽と学ランは、本棚の上に引っかかるようにして存在している。


「むう、そうですか。それは残念ですねー」
「まあ世の中、そうそう上手くは……、おい先生。これはどうだ。367ページからだ」
 腕組みをして本気で残念そうにするセルカに言い聞かせるような台詞の途中で、バルバの声色が変わる。次の瞬間、一冊の本が本棚の最上段から押し出され、慌ててその真下に手を伸ばしたセルカの元へと落ちてきた。
「うわっとと。危ないですよバルバ君。……えーと、どれどれ……?」
ぱらぱらと本をめくり、バルバに示されたページから本の内容にざっと目を通していく。


  ◆◆◆


 バルバの舎弟、高等部2年のチャック・コシギを含む6名の図書館探索パーティは、襲撃を受け、全滅する前の回までの探索の成果を図書委員に報告書を提出していた。
 それには、彼らは無限図書館内部で希少な魔導書を発見、しかしその周囲には強力な幻獣が実体化しており、一度は魔導書の獲得を断念して撤退。装備を整えて再度の挑戦を行う予定であり、魔導書を得た際には図書委員に鑑定を依頼したい旨が記されていた。
 だが、全滅した彼らを巡回の図書委員が救出した際、現場には幻獣は存在しておらず、その場にあった本も、それなりに貴重なものではあったが、力ある魔導書と言えるほどの書物はなかったのである。
 当初は怪異と相打ちになり、本は何らかの作用でその場から転移してしまったのではないか――無限図書館ではあながちありえないことではない――という意見も出されたものの、本の行方はともかく、チャックたちのパーティを全滅させたのは怪異ではない、と救出にあたった図書委員が現場の状況から断言した。
 リオフレード学院図書委員の無限図書館担当チームと言えば、オリジンでも五指に入る対オカルトハザード部隊である。それが断言した以上、この件は学内犯罪であるとされ、風紀委員の管轄となって図書委員の手を離れた。彼らはあくまで図書館の管理を職分とし、それ以外に手を出すことをよしとしないからだ。
 ともあれ、事件が風紀委員の管轄となったことで一件に関する情報は捜査情報となり、易々と外部に漏れることはなくなるのだが、バルバに協力を願い出たセルカは、ちょっとしたコネのおかげ、と前置きして、ひとつの情報を彼に開示してみせた。
 『デ・レ・ムンドゥス』。
 それは、件のパーティが目標としていた、今は行方の知れない魔導書の名である。
 

  ◆◆◆

 
 
 しばらくの間、バルバから受け渡された本を紐解いていたセルカが顔を上げたとき、その顔には満足げな笑みが張り付いていた。
「ぐっじょぶですバルバ君。『デ・レ・ムンドゥス』についての記述がありました」
 現場から持ち去られたと思しき魔導書。
 それに記された内容がいかなるものか、いかなる用途に用いられ得るのかを知れば、それを必要とする相手にあたりを付けられるかもしれない。
 そのセルカの提案をもとに、二人は新図書室で魔導書に関する資料を漁っていたのである。
 規模としては無限図書館とは比べるべくもない新図書館とは言え、それでもその蔵書はかなりの量にのぼる。正直なところ、数日を費やす覚悟でいたセルカだったが、思わぬバルバの調査能力によって大幅に調査期間は短縮された。
「お役に立ったなら何よりだ。……で、その魔導書はどういうシロモノなんだ?」
 バルバが本棚から離れていつもの形態に戻りながら、セルカに尋ねる。
 『デ・レ・ムンドゥス』の名が記された書物――様々な魔導書の目録書のようだった――を見つけたものの、魔術に対する造詣の浅いバルバには、書かれている内容が今ひとつ理解できなかったのだ。
「そうですねえ。流石に大雑把なことしか書かれてはいませんが、どうやらフレアラインに干渉する儀式魔術についての記述が主なもののようですよ」
「悪い、先生。もう少し噛み砕いて頼む」
 セルカは微苦笑を浮かべ、では特別授業です、と前置きして、本を胸元に抱えたままバルバに向き直る。


「世界はフレアによって構成され、そのフレアは様々に形を変えながら世界の中を循環します。マクロな視点でその循環を観察すると、大動脈と言うべき大きな流れが幾つか存在しているのが見えてくるのです。この流れをフレアラインと呼びます。ちなみに暁帝国では龍脈と言われていますね。
 『デ・レ・ムンドゥス』。世界について、という意味の題ですが、その名の通り、この本は世界を支えるフレアラインを利用して大きな力を取り出す事を目的として著されたようですね。原本を読み解き、使いこなしたなら個人で扱えるものとは質も量も比べ物にならないフレアを得ることが出来るでしょう」
 説明を締めくくり、分かりましたか? と小首を傾げるセルカ。中学生にしか見えない外見と相まって非常にコケティッシュだが、残念ながらバルバに対してはアピールにならない。まあ、本人も単に無意識にやっているだけであろうが。
「ありがとよ、先生。魔導書については大体分かった。……が、そもそもの本題についてはどうなんだ?」
 学帽の乗った身体をゆらゆらと揺らしながら、バルバが問う。
 そう、そもそもここで調べ物をしているのは、その『デ・レ・ムンドゥス』を奪った人物の目的が何処にあるかを推測するためである。今しがたの知識は、それを果たしうるのか。現状、バルバにとって重要なのは、魔導書の中身でなくそこである。
「うーん、さすがにちょっとパズルのピースが足りませんねえ。『デ・レ・ムンドゥス』に記されているであろう魔術はそのほとんどが儀式魔術――つまり、大掛かりな準備と多くの人数を必要とするものです。そういった意味では、一旦動き出せばそれを察知する事もやりやすいのかもしれませんが……」
 腕組みして、難しい顔をするセルカ。折角見つけてくれたのにすいませんね、とバルバに向けて軽く会釈する。
「いや、俺じゃあそのあたりの手がかりさえも掴めなかった。少なくとも一歩前進したのは確かなんだ。先生に謝られるような事はねえな」
「おおう、流石は番長。発言が男前ですねー」
 てらいなく断言するバルバに、にっと笑ってセルカが答える。だが、すぐにその笑いを引っ込めて、リターナーの養護教諭は血の気のない顔に真剣な表情を載せた。
「ともあれ、このアプローチではこれ以上の進展は難しいでしょう。別のルートから情報を集める必要がありますね」
「別のルート……。学内のモメごとに関することなら、やっぱり風紀委員か?」
 かなり高く作られている新図書館の天井を見上げながら、セルカはバルバの言葉に首を横に振る。
 確かに風紀委員もこの件について情報を集めているだろうが、事件の直接の関係者ではないバルバやセルカに核心に至るような情報を渡すような事はないだろう。
 風紀委員の上級生徒と個人的なコネでもあればまだ話は別だが、残念ながらそうした学生の知り合いはセルカにもバルバにもいなかった。


「なら、どうするんだ?」
 そもそも顔がないために表情は存在しないが、その分、バルバの声は実に感情豊かだ。彼が意図してそうしている、ということもあるし、必要とあらばいくらでも感情を見せずに振舞う事も彼には可能だが、少なくとも、今の声を聴けば、その困惑は容易に窺い知れる。
「ふふふん。ではバルバ君、ここで問題です。リオフレードで諜報に優れた組織と言うと、どこが思い浮かびますか?」
 先ほどまでの真剣な表情から一転、チェシャ猫を思わせる悪戯な笑みを浮かべてセルカが問いを投げかけた。


 問われてまずバルバが思い浮かべたのは風紀委員だ。だが、今の話の流れでその名を挙げることに意味はないだろう。この童顔の養護教諭は、風紀委員以外に学院内に情報網を持つ組織に心当たりがあるからこそ、こんな質問をしているはずなのだ。
 次に思いついたのは学院情報局。海賊等の外敵から学院を守る学防委員会麾下の情報機関だ。確かに独自の情報網は持っているだろうが、基本は対外防衛のための情報を集める部署であって今回のようなケースではあまり役に立たないのではないか。よしんば役に立つような情報を握っていたとしても、その職責上、ぽろぽろと情報を吐き出すとは思えない。よって却下。
 他にもいくつか、生徒会系列の組織を候補として思い浮かべるが、決め手にかけるか、自分達では情報を引き出すだけの立場やコネがない、というところばかりだった。


「出来の悪い生徒ですまないな、先生。降参だ。答え合わせを頼む」
 わざわざ蝕腕を二本形成し、それを両方持ち上げてお手上げのポーズをとるバルバ。
 対するセルカはにっこりと笑顔をみせる。
「出来の良し悪しより、知っているか知らないか、もしくは、発想の問題ですねー。バルバ君は生真面目なので、おそらく生徒会系の組織――委員会の方ばかり考えてたんじゃないでしょうか」
 ぴっと人差し指を立てて、セルカが続ける。
「もう一つ言うなら、先生はさっき諜報、って言葉を使いましたからねー。それで治安系か軍事系に思考が偏っちゃったんじゃないですか? これはバルバ君が素直でよい子だと言う事ですよ」
「カンベンしてくれ、先生」
 さっき上げた蝕腕の片方でひょいと帽子を持ち上げて、バルバが全面降伏の意を示す。
「ふふ。ちょっと意地悪が過ぎましたね。先生としては、放送部に協力を頼もうかと思っています」
「放送部? ……なるほど、マスコミ系か。先生が頼りにしようってことは、情報収集についても期待できるってことだな?」
 水を向けられたセルカが腕組みした胸元を反らして、にやりと笑ってみせる。
「ええ。あの部は『放送網』と呼ばれる独自の情報収集ルートを持っています。流石に最古参クラブの一つですね。長年かけて構築されたらしい情報収集力はかなりのものですよ。ついでに言うと、あそこなら協力を頼み込めそうなコネが先生にもありますしね」
「分かった。それじゃあ……明日にでも放送部に協力を頼みに行くか」
 バルバが学帽の前面を窓の外に向ける。夕焼けの茜色が、そこから見える景色を染めていた。
「そうですね。では明日、保健室で落ち合うことにしましょう」


 新図書館を出たところでバルバと別れ、彼の銀色の身体が夕焼けの茜色を反射しながら遠ざかっていくのをセルかは見送る。
 今日の調査では多少の進展はあったが、まだまだ真相にたどり着くには遠い。やれやれ、とため息をついて首を振っていると、通りがかった何人かの女生徒から声を掛けられる。
「セルカちゃん、さよならー」
「ため息ついてると身長が伸びないよ、セルカちゃん」
「セルカ先生と呼びなさいーっ! あなたたちまとめてブチ抜きますよっ!」
 両手を振り上げて怒りをアピールすると、きゃあきゃあ言いながら生徒達は逃げていく。怒ったセルカちゃんも可愛い、などと捨て台詞を残していったところからして、全く反省していない。
「まったくもう……」
 いかにも、怒っています、というポーズを解いて、くすりと笑う。
 生徒達があんな風に楽しそうにしているのを見るのがセルカは好きだ。そこには、死の力を得たリターナーである自分には手の届かない、生命の輝きが見える。
 だから実のところはさっきの生徒達の言動にもほとんど怒ってはいない。そのあたりを正直に言うとナメられてしまい、職務に支障をきたすので口に出したりはしないが。


 何となく元気をもらった気がして、ぐっと拳を握って気合を入れる。平和で騒がしい、愛すべき日常を乱す誰かを見つけ出し、お仕置きして更生させるために。
 よし、と声に出して、ぐるりと首を回す。調べ物を続けていたので、肩が凝ったような気がするのだ。セルカは死者であるので、あくまでそんな気がするだけだが。
 その動作の途中でふと、新図書館の入り口横に設置してある掲示板に目がいく。
『新刊入荷のお知らせ・図書委員より』
『地球文化研主催、同人誌即売会。参加サークル募集中』
『最近男子寮で目撃された、知性を獲得して自律行動していると思しき青カビについての情報求む。第八化学研より』
『リオフレード縦横断レース・参加チーム締め切り間近』
『生活委員からのお願い・海で泳いだ後は水着を洗濯しましょう。放置した水着を苗床にした青カビの増殖が問題になっています』
 エトセトラエトセトラ。
 実に様々な張り紙が掲示されている。内容をざっと眺める限り、今日もリオフレードは、その大部分において平常運転である。
 そして、その『大部分』を『全て』に可能な限り近づけるのが、この学院を守る教員としての自分の役目であるとセルカは考えている。
 

「さぁて、明日も頑張りましょう!」
 おー、と右手を突き上げて、宣言する。
 それを見ていた高等部の学生数名が悪意のない笑い声を上げた。
 セルカはきりりと眉を吊り上げ、両手を振り回して彼らを追いかけ始める。
 やがて、逃げる学生と、追う養護教諭は新図書館の入口前から姿を消した。


 リオフレード魔法学院は平和である。少なくとも、今はまだ。






[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑤ 彼女の流儀
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:25
Scene7 銃声X獣声


 
「あさひーっ! いるか?」
 2年8組の教室にその声が響いたのは、HRを終えてプラストエル教諭が教室を出てすぐの事だった。
「メリーベル? どうしたの?」
 ずかずかと教室内に歩を進め、自分の机のすぐ傍までやってきたメリーベルに、首を傾げてあさひは尋ねる
「なんだよ昨日約束したろ? 助けてもらった礼をしに来たんだよ」
「気にしなくていいのに……」
 あさひが日本人らしい遠慮を見せるが、メリーベルは一向に気にしない。
「いいから黙って感謝されときなって。そうだ。昨日のアニマの子も連れてきな。随分心配させちゃったみたいだし、騎士とアニマは一心同体なんだろ?」
「あたし騎士じゃないし、一心同体ってワケでもないよ。友達だけど」
「私から見ればあさひは友人ではなく主です」
 いつの間にかあさひの背後に立っていたシアルが、いつも通りの淡々とした口調で自身の主張を述べる。
「うわっ!? い、いつからいたの、シアル?」
「騎士とアニマは一心同体、の辺りからです。それより私のことはお気遣いなく、シャリードさん。主のご友人から気遣いを受けるなど、アニマには不相応ですので」
 無駄のない所作ですっとメリーベルに頭を下げるシアル。当のメリーベルはそんなシアルをしばらくの間無遠慮にじろじろと眺め回し、
「よし分かった。とにかく二人とも来な」
 大きく一つ頷いて、あさひとシアル、二人の手を片方ずつとって、教室に入ってきたときと同じようにずかずかと歩き出す。
「ちょ、ちょっと、メリーベル!?」
 慌ててかばんを引っ掴み、それについていくあさひと、
「あ、あのう、シャリードさん。私に気遣いは不要と先ほども――」
 既にかばんを手にしていたため、あさひのようにバタつくことはなかったが、それでも困惑を隠しきれない様子のシアル。
「メリーベル、って呼んでくれると嬉しいかな、シアル。アンタたちの拘りも分からんことはないけど、アタシはアタシの好きなようにさせてもらうよ」
 ぐいぐいと二人を引っ張り、一瞬だけ振り向いて、にっと笑ってから足早に歩くメリーベル。何処へ連れて行くつもりなのか、とあさひが尋ねても、いいからいいから、と笑って取り合おうとしない。仕方が無いので、あさひは連れて行かれるに任せることにして、ちらりとシアルの方を横目で伺う。彼女の方もあさひ同様、とりあえず黙ってついていくことにしたようで、その表情からは既に動揺は消えており、粛々とメリーベルに従って歩を進めていた。


 やがて三人がやってきたのは、女子寮の裏手にあるこじんまりとした広場である。ここは普段から寮住まいの学生が集まっては談笑の場として利用している憩いの場だ。
「ほれ二人共、こっちこっち」
 メリーベルが二人を引っ張っていくのは、その広場の隅。昨日まではなかったはずの石組みの竈がそこには設えられていた。竈から視線をずらすと、椅子とテーブルのセットもすぐ側に置かれているのが確認できる。
 メリーベルはあさひとシアルの二人をテーブルに着かせると、竈の直ぐ側に置いてあった大きなクーラーボックスを覗き込んで相好を崩した。
「よしよし。誰かに持ってかれてやしないかと心配だったけど。杞憂だったかな」
 口元をにんまりと笑ませたまま、既に炭を準備してある竈に手馴れた様子で火を入れ、クーラーボックスから取り出した牛肉に豚肉、鶏肉を取り出して鉄串に通し、竈の上に並べていく。
 竈の端に乗せてある鉄網の上にお湯を注いだポットと切ったバナナを並べて、肉類の上に粗塩を振ってから改めてメリーベルが二人に向き直る。
「さて、今日はサンドブロゥ名物、シュラスコを二人にご馳走するよ」
「シュラスコ?」
 首を傾げるあさひに、ポットのお湯の様子を伺いながらメリーベルがにかっと笑う。
「まあ、簡単に言やあこうやって肉を串焼きにする料理だよ。付け合せには焼きバナナとかパンとか米とかかな。まあ、ちっと早めの晩メシだと思ってゆっくり食ってくんな」


 言いながら肉の串を動かし、焼き加減を調整するメリーベルの手元を興味深げにあさひが覗き込む。その場に並べられた食材をざっと眺め、クーラーボックスの中にもひょいと視線を向ける。それから少し考えて、
「はい、メリーベルさん。質問が二つあります」
 ぴっと手を挙げてみせる。
「はいあさひさん、どうぞ」
 メリーベルが網の上からポットを取り上げ、金属のストローが備え付けられた、壺のような形をした特徴的なカップにお湯を注いでいく。
「サンドブロゥってどんなとこ?」
 ふむ、とメリーベルは数瞬の間目をつぶり、カップから立ちのぼる湯気を、すん、と一度吸い込んだ。
「ここから東の方にある、色の砂漠周辺がサンドブロゥって呼ばれるアタシの故郷さ。見える風景は砂漠か荒野ばっかりってぇトコでさ。住んでる連中もそりゃあ荒っぽいのが多くて、派手なモメごとは、大抵コイツで片が付けられる」
 シスター風に改造されたブレザーの前をメリーベルが開いてみせると、そこにはガンホルダーとそれに収められた一丁のリボルバーがある。
 にやっと笑ってからブレザーを元に戻し、メリーベルがあさひとシアルの前にカップを置く。カップの中に直接茶葉を入れ、そこにお湯を注いでいるらしかった。カップ備え付けのストローにはよく見ると茶漉しが付いていて、このストローで飲むことでカップの中の茶葉が口に入らないようにするらしい。
 試しにあさひがストローを口に運んで一口飲んでみる。どこか緑茶に似た苦味と甘味、そして草の匂いが強く感じられる、そんな味だった。だが、悪くはない。
「マテ茶ってんだ。そいつもサンドブロゥの名物さ。正式な作法に則るなら、一つのカップで回し飲みをするんだけどね」
 なるほど、と頷きつつ、もう一口マテ茶をこくん、と飲み下し、
「じゃあ二つ目の質問。……この食卓、野菜が足りなくない?」
 あさひの言葉に、メリーベルはにっこりと笑って竈にのっている網の上を指差す。
「いや、それバナナ」
 あさひがツッコむと、今度はクーラーボックスを軽く持ち上げ、その中身の一角をあさひたちに示す。
「それはパイナップルだよね」
 グっと親指を立ててみせるメリーベル。
「いやいやいや! そんないい笑顔でサムズアップされても! もっと女の子の食事には繊維質が必要でしょ!?」
 びしっと突っ込みチョップを決めるあさひに、メリーベルはしばし考えるそぶりを見せ、やがてポンと手を打った。
「なんだあさひ、便秘なのか?」
「一! 般! 論! あくまで一般論です!」
「あさひのお通じに問題はありません、メリーベル」
「シアルもそれフォローじゃないからねっ!?」
 ばんばんと机を叩くあさひをみて、メリーベルが、はは、と笑う。


「冗談だよ。サンドブロゥってのはさっきも言ったとおり荒れた土地でさ。野菜の類はちょっと割高なのさ。まあ、それじゃあ栄養が偏るってんで、そういうときのために、そのマテ茶を飲むんだ」
 片手で作った鉄砲で、バン、とマテ茶のカップを撃ち抜くそぶりを見せながらメリーベルが言う。あさひがカップをまじまじと見つめ、シアルが相変わらずの無表情で一口マテ茶をすする。僅かな間、口の中に含みおき、それからこくりと嚥下して目をつぶることしばし。
「……確かにミネラルやビタミンが豊富に含まれています。それに、この茶漉し付きのストロー。これでは漉しきれなかったごく細かい茶葉を一緒に飲み込む事によって、さらにその効能が強められています。これは実に理に適った飲み方なのですね」
 つらつらと淀みなくマテ茶の効用を語るシアル。
「へえ。アニマってのはそんなことまで分かるモンなのか。その通りだよ。このマテ茶が『飲むサラダ』とまで言われるゆえんだね」
 自分の手元においてあるカップからマテ茶を一口。満足気に頬を緩めてから、メリーベルは竈の方へ視線を向ける。肉の串をひっくり返し、焼き加減を見て一つ頷くと両手に串を一つずつ持ち、それぞれをあさひとシアルの前の皿に乗せた。


 シュラスコとはこのまま串にかぶりつくのが料理の作法らしい。いただきます、と手を合わせてから、あさひは行儀の悪さにやや躊躇しつつもあんぐりと口をあけて牛肉の串にかぶりつく。
 まず感じられたのは粗塩の塩っ辛さで、続いて思いがけなく柔らかい歯ごたえと共に噛み千切った肉からじゅわっと肉汁が溢れてきた。一度、二度と咀嚼するうちに口の中に広がる香ばしさと微かな甘さは、おそらく下ごしらえの段階でニンニクや玉ねぎか何かをすり込んでいるのではないだろうか。
 美味しい。が、これでは足りない。あさひは日本人としてのDNAに刻み込まれた本能に従って視線を走らせる。
 そして、メリーベルがテーブルに今まさに載せようとしていた二つの皿、その片方にそれを見つける。
 その皿がテーブルに置かれる瞬間をじっと待つ。ことん、と音を立てて皿が置かれ、メリーベルの手がそこから離れた瞬間、素早く、しかし決してがっついている風には見えないよう、手元のフォークでその皿の中身――ホクホクと湯気を立てる白米をそっと掬い取り、口に運ぶ。
 日本で食べるような、もっちりとした米ではない、少しぱさついた、粒の長い米だ。しかし、たっぷりの肉汁を溢れさせるシュラスコには、これが実に合う。思わず頬を緩ませて口の中の美味を堪能してからごくんと飲み込む。
 ふと顔を上げると、にやにやとした笑みを浮かべたメリーベルと視線がかち合う。あさひはぐっと親指を立てて彼女に感謝と賞賛を送った。
「美味しい!」
 言葉にもした。そうだろうそうだろうと満足そうに頷くメリーベルをよそに、二口目を口にし、同じようにご飯を頬張る。オリジンにお米があることを心の底から感謝しながら三口目――に行く前に、マテ茶を一口。シュラスコの濃い味付けに慣らされた味覚に、マテ茶の苦味とクセがむしろさっぱりとした清涼感をもたらし、口の中をリセットしてくれる。そこで今度こそシュラスコの三口目。塩味をメインに味付けされた肉の旨みが、スタート地点に戻された舌にガツンと響く。そしてやはりご飯を一口。
「しかしアレだな、フォーリナーってのが富嶽の連中とメシの好みが近いってのはホントなんだなあ」
 至福の表情でシュラスコとご飯を交互に口に運ぶあさひを興味深げに見ながら、メリーベルが述懐する。
 うん? と口元をもごもごさせたまま首をかしげるあさひに向けて、にっと笑う。
「コメがあれば大抵のものはウマい」
 むぐ、と声にならない抗議の声をあさひは発する。
 その認識は、真実から近くて遠い。米があればいいのではなく、白いご飯は主食であり、なおかつおかずの美味さを一段上の次元に押し上げる極めて優秀な引き立て役でもあるのだ。
「ああ、確かにリオフレードに来てからも、お米を食べなかった日はありませんね」
 小動物を思わせる風情でちょこちょことシュラスコを齧っていたシアルからもそんな言葉が出るに至って、あさひは口の中のものを飲み下してからふてくされた様に口を尖らせる。
「もうっ、別にいいじゃない。日本人っていうのはそういうものなんですー」
「あの、あさひ。別段、揶揄する意図があったわけでは……」
「つーん、だ」
 やや困ったように眉をハの字にしているシアルに対し、殊更にいじけた様子を見せるあさひ。肉の串を片手におろおろとし始めるシアルを背けた視界の端でしばらく観察していたが、やがてこらえきれずにぷっと吹き出してしまう。
「ごめんね、冗談だよ、冗談。怒ってないから、ね?」
 一瞬だけきょとんとした表情を見せたかと思うと、シアルの全身からへなへなと力が抜けて、テーブルに突っ伏してしまう。それでも串をお皿にきちんと置くあたりは流石であるが。


「あれ、ちょ、シアル!? 大丈夫?」
「おい、体調でも悪いのか?」
 突然の事に驚いたあさひとメリーベルが慌ててシアルの傍に寄って、テーブルに突っ伏したままの彼女を気遣うように覗き込む。
 そうこうしているうちに、むっくりとシアルが身を起こす。
「すいません、もう大丈夫です」
 そういう表情にも、とりたてておかしなところはない。いつも通りの、冷静さを伺わせる彼女の顔だった。
「ホントに? どこか悪いとことかないの?」
「肉が駄目とかタマネギがダメとかないよな?」
 なおも心配するように問いかけるあさひとメリーベルに向けて、シアルはふわりと微笑んでみせる。
「問題ありません。先ほどのは、なんというか安心したら力が抜けてしまいまして」
「安心……って何に?」
「それは――」
 あさひの問いに答えようとしたシアルの言葉が、途中で途切れる。当の聞き手であるあさひが、突如として立ち上がり、背後――庭園の中央へ勢いよく振り向いたからだ。
 

 そこにいたのは、数人の男子生徒。
 それ以外には、周辺に人影は見えない。
 しばらく前までその辺りにたむろしていたはずの生徒達が、ただの一人も。
「お前ら全員、そこから動くな」
 軽い金属音と共に両手にリボルバーを構えたメリーベルが彼らへと銃口を向けて警告を発する。
 

 だが、銃を向けられた側は、それを全く意に介した様子もない。気負うことなく、その場からあさひたちのいる方へ向けて一歩を踏み出す。同時に叩きつけられる濃密な敵意。
 メリーベルはこの時点でサンドブロゥ流にこの場を収拾することを決めた。すなわち――
「オーケイ。銃火の歌を聞かせてやるよI'll let the gunfire song!!」
 鉛弾をブチ込んで大人しくさせるのだ。


 メリーベルの両手のリボルバーが文字通りに火を噴く。
 右の六発、左の六発。計十二発の弾丸が、越えることを許さぬ壁として彼女が敵と認定した相手に襲い掛かる。
 全ての銃弾は、狙い違わず標的の体に撃ち込まれた。引き金を引いたときには、既に中ることは分かっていた。だが、それでもメリーベルは敵が無力化されたことを確認されるまでは警戒を解かなかった。そして、今回はそれが正解だった。
 銃弾を叩きこまれたはずの男たちは、しかし誰一人として倒れない。全ての弾丸は、彼らにさしたるダメージを与えることなく、体表かそれに近い部分で止められている。
 それを為した原因は、いつの間にか変化していた彼らの身体構造だ。
 ある者は剛性と柔性を兼ね備えた獣毛を全身に生やし、あるものは全身の皮膚をキチン質のように変質させ、あるものはぬめりとてらてらとした光沢を持った状態へと皮膚を変化させている。
 顔かたちもそれに準じて、狼のようなもの、昆虫のようなもの、蜥蜴のようなものなどへと変貌を遂げていた。


「こいつら、獣鬼兵アントロポスかっ!?」
 弧界エルダを滅ぼした最終戦争における二大国家の片方、ユーラメリカを実質上牛耳っていた超巨大企業ネフィリム。そのネフィリム社が開発した戦闘用改造人間が獣鬼兵だ。
 ひとたび戦闘となれば埋め込まれた獣の因子に応じた姿へと変身し、超絶的な戦闘力を発揮する、科学の力でヒトならざる力を備えたヒトである。


「ったく。メシの最中に押しかけてくるたあ、レディに対する躾がなってないんじゃないか?」
 完全に戦闘形態へと変身を遂げた獣鬼兵たちを前に、飄々とした態度を取りつつも、内心でメリーベルが歯噛みする。
 ――相性最悪だな。
 銃火器で武装した敵兵を格闘戦で制圧することも想定されている獣鬼兵たちは、そうした武器への耐性を付与されていることがある。メリーベルの銃弾が相手の無力化を狙って肩や足へ撃ち込まれていたとはいえ、何事もなく立っているのは、この獣鬼兵たちがそうした処置を施されている手合いだからだろう。

 
 こうした相手を倒すのに有効なのは、まずは何といっても魔術。そしてメリーベルにも魔術の心得はある。あるが、彼女が身に付けているのは、サンドブロゥで信仰される神のシスターとしての他者への祝福や補助だ。攻撃に使う魔術のストックは存在しない。だからこそ、銃を使っているのだとも言えるが。
 他にはサイキックやそれに準ずる精神攻撃。それらに比べると使い手の数が減る代わりにほぼ間違いなく効果的なのは、世界そのものに働きかける、もっと根源的な攻撃だ。
 そこまで考えて、メリーベルははっと顔を上げる。
 絶対武器。
 フォーリナーが持つとされる、立つふさがる全てを打ち砕く究極の武装。


 振り向いた視線の先、そこにはフォーリナー、雪村あさひがいる。
 あさひはメリーベルの視線の意味に気付いたようで、困ったように笑ってみせる。
「まあ、この状況なら仕方ないよねー。バートリ先輩が見逃してくれる事を祈ろう」
「その物言いって……。もしかしてあさひの絶対武器は――」
 事情を悟ったメリーベルに、あさひは軽く頷く。
「あのMT『シアル・ビクトリア』。通称シヴィ。あれがあたしの絶対武器なんだ」
 あさひの告白を受け、今度はメリーベルが深々と頷き、それからにやっと笑って、おどけた様子でひょいと肩をすくめる。
「オーケイ。もしものときはアタシもハラ括ってノエミ先輩に怒られる事にするよ。いっちょ頼まあ」


 あさひがシアルに向けて手を差し伸べる。シアルがその手をとり、二人が互いの手を握り合う。
「じゃあ、いくよ、シアル」
「いつでもどうぞ、あさひ」
 シアルと繋いでいるのと逆の手をあさひが高々と掲げ、中指と親指が擦り合わされ、
「ちょっと待ったコーール、です!」


 あさひたちの背後から、聞き覚えのあるやや幼い声に続いて、拳大の銀色の球体が素晴らしいスピードで獣鬼兵たちに向けてカッ飛んでいく。
 突然の事態に、警戒態勢をとる獣鬼兵たちの眼前で、銀色の球体が突如として弾ける。一瞬で数十倍に体積を増加させ、投網のように獣鬼兵たちに覆いかぶさった。
 そのまま、障害物競走でネットくぐりをしている光景よろしく、獣鬼兵たちをその内側に飲み込んだ銀色の膜が内側から叩かれて凸凹と形を変える。
 耳を澄ますと、獣鬼兵たちが上げる怒号に混じって、なにやら肉を打つ鈍い音も同時に響いている。どうやらあの内側で、獣鬼兵たちが何かに殴打されているらしい。


 突然の事態にぽかんと固まっているあさひたちの横に、先ほどの声の主、セルカ・ペルテ教諭がいつぞやの杭打ち機を携えて現れる。
「いやあ、お願いしといてなんですが、バルバ君、やり方がエグいですねえ」
 え? とあさひが聞き返すのとほぼ同時、やっとの事で獣鬼兵が銀の膜を振り払う事に成功する。振り払われたその膜は空中でぐねぐねと蠢いて形を変え、一抱えほどの不定形の塊となってあさひの目の前にべたんと着地(?)する。次の瞬間、塊の一部が盛り上がり、変色し、彼のトレードマークである学帽と学ランを形成する。そう、この銀色の塊こそ――
「番長!?」
「おう、雪村か。奇遇だな」
 その辺の散歩中にばったり会った、くらいの気軽さでバルバがあさひの声に応える。


「どうして――」
 ここに、と続けようとしたあさひだが、それは中断された。獣鬼兵たちがダメージを受けながらも立ち上がり、こちらに突貫してきたからである。
 文字通り、獣のような咆哮を上げて爪、牙、角など各々の得物で襲い来る獣鬼兵たちの前にバルバが割って入る。
「やれやれ、忙しいな」
 言うが早いか、再びバルバが形状を変化させた。縦横に広がり、壁となって獣鬼兵の前に立ちはだかる。
 壁の向こう側から激突音が連続して響く。次々と攻撃が加えられているのがはっきりと分かるが、それでもバルバの体で構成された壁は全く揺るがない。


「シャリードさんに用があって探してたんですけどねー。バルバ君が妙な気配を感じるって言ってくれたお陰で割り込めましたよ。この広場、今、何かおかしな術で封鎖されてたんです」
 セルカがにこやかに言い放ち、がしゃりと音を立てて杭打ち機を構える。後部の持ち手のすぐ近くにあるカバーを開き、赤い石をその中に放り込んでカバーを閉じると、コッキングして先端の杭を機械の中に引き込む。
「はいはーい、それじゃあ仕上げといきますよー」
 すぅ、と目を細め、バルバが変じた壁、その向こうへ意識を集中する。その場にいる全員に、セルカから発せられたフレアが周囲の空間を満たしていくのが感じられた。
「穿空・震天!」
 セルカが口訣と同時に引き金を引き、爆発音と共に杭が射出される。
 あさひたちがリオフレードにやってきた日と同じように杭は何も無い空間を穿ち、それと完璧に同期して、壁の向こうから先ほどまでに倍する打撃音と、断末魔の声が木霊する。


「はい、オッケーですよ、バルバ君」
 軽い調子でセルカが声をかけると、銀色の壁がしゅるしゅると縮み、再びバルバが元の形態に戻る。
 壁がなくなったことで開けた視界の向こうには、変身が解け、ズタボロになった男子制服を纏った男たちが倒れている。
「あ。今度は串刺しじゃないんだ……」
 スプラッタ画像が見えることを半ば覚悟していたあさひが、ほっと安堵の息をつく。
 男たちは全身を打ちのめされているようだったが、あの杭で四方八方から滅多刺しにされたような痕は見えなかったのだ。
「そりゃあまあ、いきなり串刺しというのもどうかと思いまして。衝撃波を伝播させて、全身滅多打ちにしてみましたー」
「どっちにしろセルカ先生は番長のことエグイとか言えないと思います……」
 あれえ? と首を傾げるセルカをよそに、メリーベルが倒れた男たちを手際よく拘束していく。やがて、その作業をじっと観察していた様子のバルバが言った。


「なあ先生。こいつら、全員が全員、学生証を持ってないぞ」
「本当ですか、バルバ君?」
 瞬時に表情を真剣なものに切り替えたセルカに、バルバは肯定の意を返す。
「間違いない。このテの走査は俺の十八番だ。よく知ってるだろう?」
 ふうむ、と唸って腕を組み、考えこんでしまうセルカ。念の為に、と男たちの懐を探っていたメリーベルも、バルバのセリフが正しいことを悟ると神妙な顔をして何事か思索し始める。
「え、ええっと、学生証を持ってないと、何かおかしいのかな……? あ、いや、校則的にちゃんと持ってないとダメ、っていうのは分かるんだけど」
「ああ、学院内で揉め事を起こすような奴が、学生証を持ってないってのは色々とマズいことになるんだよ」
 メリーベルがあさひの問いに答えるが、当のあさひはますます疑問を深くして首を傾げる。
「んー? 悪いことするなら、身元がわかるようなものは持ってないほうがいいんじゃないの?」
「学院外ならそうなんですけどねー。リオフレード魔法学院の特殊性というのが問題になってくるのですよ」
 つまりですね、と前置きして、セルカが人差し指を立てて説明に入る。
「この学院は、三千世界の全てから学生を受け入れている政治的中立地帯です。この中で例え仲の悪い弧界の出身者同士がケンカしたとしても、それがお互い学生であるなら、学内のルールで処理することで外部の問題にせずに済ませることが可能です。しかし、外部から何者かが入り込んで学生に害を為したとなると、学生を守るという学院の矜持としても、政治的中立地帯としてのバランスとしても、それを行った相手に対して学院はかなり厳しい態度を取ります。ですから、もし学生が学院内で何か問題を起こすなら、むしろ学生としての枠の中で裁いてもらえるよう、学生であることの証明がすぐに出来たほうが結果的に得なのです」
 まあ、たとえ学生でも目溢ししてもらえるおイタには限度がありますけどね、と悪戯っぽく付け加えてセルカは話を締める。


「こいつらがその辺のリスクを承知していたかどうかはともかく、こういう騒ぎを起こして学生証を持ってないってことは、十中八九こいつらは外の連中だ。しかも獣鬼兵ってことは、ネフィリムの傭兵部隊、VIPER崩れか何かだろうよ。さっき先生が言ってた広場の封鎖といい、そんな連中がなんでアタシらを襲ってきたのか……」
「ちょいと締め上げて、目的を吐かせとくか」
 おとがいに手を当てて呟くメリーベルに、バルバが提案する。二人はしばし見詰め合う(バルバに目はないが)と、意思が統一されたようで、バルバが体を拡大して倒れていた男たちをまとめて体内に格納すると、広場の隅へずるずると移動していく。その後に、何に使用するつもりなのか、シュラスコ用の鉄串を数本手にしたメリーベルがついていく。


「あ、あの先生、メリーベルと番長の雰囲気がなんだか不穏なんですけど……っ!?」
「はいはーい、雪村さんとシアルさんは初心者だからちょーっとこっちで先生と一緒にいましょうねー。ちょっと残虐ですからねー」
 小柄な割にやたら力の強いセルカに引っ張られて、バルバたちとは逆の方向へ連れられていくあさひとシアル。
 

「ああ、せめてすこしでも穏便にことが済みますように……!」
「かなり望み薄だと思います、あさひ」
 自分でもそんな気がしていた事実をシアルにズバリ指摘され、がっくりと肩を落としてこれからどうなるのかに不安な想いを馳せるあさひだった。



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑥ ガールズトーク
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:25
Scene8 放送部とアナウンサー研究会


「ぢゃっぢゃーん! テレビの前の皆さんこんばんわっ! アナ研の突撃レポーター、エクリア・リュミエです! さて、私はただ今女子寮裏手の広場にやってきております。実は何と、つい先ほどまでここで外部からの侵入者が学生を襲うという事件が起こっていたのです! 幸い、侵入者は襲われた学生や養護のセルカ先生の手で撃退されましたが、一体何者が、何故、こんな凶行に及んだのか!? 現場から情報をお伝えしたいと思います!」
 あさひたちの目の前で、一人の女生徒がマイクを片手にカメラに向けてテンション高めに喋りかけている。
 獣鬼兵たちを無力化してからしばらく経った頃、アナウンサー研究会を名乗る数人の男女が広場へと駆けつけてきたのだ。
 どうやら今カメラに向けてしゃべっているレポーターのエクリアが寮住まいで、しかも広場に面した部屋の住人だったらしく、封鎖の術が解けた時点で何かがおかしいと直感して同室の撮影役を引っ張り出し、上役に連絡を入れて取材の許可を取るとおっとり刀でこの場へ駆け込んできたのである。


 彼女らが到着した頃には、バルバとメリーベルによる凄惨な尋問はあらかた終了しており、二人は先ほどエクリアにマイクを向けられて根掘り葉掘り聞かれた際にも、よく分からないという姿勢を貫いてのらりくらりと質問をかわしていた。
 あさひもつい先ほどマイクを向けられたのだが、獣鬼兵すら初見だったあさひである。腹芸をするまでもなく大した話は出来なかった。アナ研としては、すんでのところで獣鬼兵から救われた被害者Aとして同情を引くような編集をするのだとか。
 テレビに映るのは恥ずかしい、と言うと「じゃあ、目線入れて音声変えときますねー」とあっさり引いてくれたのでほっとしているところである。


「しかし今回はアナ研動き早いなあ」
 いつの間にかあさひの横にいたメリーベルがそう呟く。あさひが覗き見た彼女の横顔には、同じ報道系の部活に所属する人間として悔しそうとかそういう負の一面は見えず、純粋に感心しているようだった。
「あの人たちも放送部みたいなマスコミ系なんだよね?」
 あさひの問いに、アナ研の面々がおそらく夕方から夜にかけてのニュースに流す映像を撮影しているのをじっと見つめながらメリーベルが頷く。
「ああ、規模としちゃあ放送部に次ぐのがアナウンサー研究会だね。エンタメ系のコンテンツならあっちの方がシェアは上。報道でもかなり強いし、ちょっと前には壊滅寸前まで行った放送部を押しのけてマスコミ系はアナ研のワントップだった頃もあるくらいだよ」
「へえ。アナウンサー研究会、なのに色々やってるんだね」
 あさひの感想に、メリーベルが僅かに苦笑を漏らす。
「まあ、マスコミ系最古参の放送部からして結構手広いからなあ。アニメ研に製作を委託して、演劇部から声優借りてアニメーションだって流してるんだぜ?」
「ああ、あたし達の部屋がある階のロビーにテレビがあるんだけど、そこでみんな見てるよ。シアルは宇宙空間で活動できるでっかい蛇が毎回悪者を丸呑みしていく『宇宙毒蛇』が好きみたいでね、こないだもお風呂で『ど~くじゃ~、ふふふふふ~ん』って鼻歌歌ってたもん」
 あさひたちのいる場所から少し離れて、先ほど食事していたテーブルにセルカと一緒に座っているシアルをちらりと見て、くふふ、とあさひが愉快そうに含み笑いを漏らす。
「へえ。意外だな。ガチガチにクールそうなイメージなのに。まあ確かに面白いもんなあ宇宙毒蛇。ちなみにあれはアナ研製作だよ」


「放送部の看板の一つ、お昼の放送のスタッフから褒めていただけるというのは光栄な事だな」
 唐突に、あさひ達の横合いから声が掛けられる。振り向いた二人の前に立っているのは、一人の男子生徒だ。アッシュブロンドの髪を整髪料できっちりとまとめ、縁なしの眼鏡をかけている。レンズの向こうから、神経質そうな切れ長の目が二人を真っ直ぐに見詰めていた。また、右腕を怪我しているようで、肘から先を包帯でぐるぐる巻きにして三角巾で吊り下げている。
「ご謙遜を。アタシみたいな下っ端からしたら、マクワイルド先輩みたいなやり手さんは雲の上の人ッスよ」
 そう言ってメリーベルがマクワイルドと呼んだ男子生徒に向けてからりとした笑顔を見せる。放送部とアナ研はライバル関係にあるはずだが、そうした因縁は余り感じさせない、陽性の笑みだ。対するマクワイルドは何も言わず、ただ唇の端をほんの少し上げて応えた。それから、眼鏡の奥の視線をあさひに向けて固定する。


「そちらには名乗っていなかったな。高等部三年、アナウンサー研究会企画担当のエリック・マクワイルドだ」
「高等部二年、雪村あさひです。部活は特に入ってません」
 会釈して挨拶を返すあさひに、エリックは無表情に一つ頷いてみせ、右腕を少し掲げて、
「握手はすまないが勘弁してくれ。この腕なものでね。まさか左手を差し出すわけにもいくまいしな」
「いえ、もともと握手の習慣があんまりないトコの出身なんで、気にしないで下さい」
 ひらひらと手を振ってあさひが言うと、やはり無感動な様子でまた一つ頷く。
「例の宇宙毒蛇の指揮を取ってんのもこのマクワイルド先輩なのさ。敏腕なんだこの人。放送部からすると憎ったらしいくらいにね」
 今度は笑顔にやや皮肉げな色を混ぜて、変化球のような視線がメリーベルからエリックに送られる。
「単に先頭に立っているだけだ。実際の出来はスタッフの力だよ」
 くい、と眼鏡を押し上げてエリックが言う。謙遜か本音かはその態度からは窺い知れない。


「ところで、その腕はどーしたんスか? こないだまでそんな風じゃなかったですよね」
 メリーベルがエリックの右腕に視線を向けると、彼はにやりと笑みを浮かべてみせた。
「それについてはこの場では黙秘させていただこうか。ネタにならないならわざわざ怪我をした話はしたいとは思わないし、ネタになるようなら放送部ではなくうちで扱うよ」
 それを受けたメリーベルもにやりと口角を上げて応える。
「なるほど、ごもっともな話っスね」
 そうだろう、と頷き、眼鏡のブリッジを中指で押し上げてから、エリックが改めてメリーベルに向き直る。


「それより、僕を敏腕だと思うのなら先日の話に良い返事はもらえないものかね」
「あー。あれはちょっと……」
 あからさまに言葉を濁すメリーベル。あさひがもの問いたげな視線を向けても、彼女は三つ編みの先を所在なげに弄るだけで答えに困っている様子だった。
「簡単に言えばヘッドハンティングだ。シャリード君は放送部ではお昼の放送の裏方に回っているそうだが、是非うちで表側の人材として起用したいと以前から誘いをかけているのだがね」
 やれやれ、とややオーバーアクション気味に肩をすくめるエリック。
「彼女の声質は実に面白い。そのまま使ってもいいし、それではウケる層と拒否感を持つ層が出るというなら、今より少し低めにしゃべってもらうのも落ち着きが出る感じでいいと思うのだよ。雪村君もそう思わないかね」
 あさひに説明するというより、半ば以上メリーベルを口説き落とすために台詞を並べ立てられた台詞を耳にして、あさひは腕を組んで思考する。
 確かにメリーベルの声音は高くて甘い。放送に使ったときのインパクトは中々のものになりそうだとあさひも思う。低く抑えた感じというのはちょっと想像が及ばないが、それはそれで確かに面白そうだ。


「そうですね、たしかにちょっと面白そうですけど……」
 そこで言葉を切って、ちらりとメリーベルの様子を伺う。傍目にも本人は明らかに乗り気ではない。故に、ここでエリックの言に乗っかるのはあさひとしては無しだった。
「その辺りの事は放送部にしたって目を付けなかったはずはないと思うんですよね。その上で今は裏方をやってるんだとしたら、表に出すという名目で引き抜きをかけるのは逆効果じゃないでしょうか?」
 メリーベルがエリックから見えない角度でうんうんと頷いているのを横目に、あさひは当のアナ研の企画担当の顔色を伺う。気を悪くしただろうかという懸念をよそに、エリックは神経質そうな光を宿す双眸をしばし閉じてから小さくため息をつくと、僅かに唇の端を緩めてみせる。
「確かに雪村君の言うとおりか。どうやら性急に過ぎたようだな」
 彼の視界のギリギリ外でほっとしたように息を漏らすメリーベルに気付いているのかいないのか。気が向いたらいつでも連絡をくれ、と言い残してエリックは撮影を行っているスタッフの方へと歩き去っていった。


「いやー、助かったよあさひ!」
 がば、とメリーベルがあさひに抱きついて感謝の意を示す。
「ちょ、分かったから抱きつかないでよもうっ」
 自分よりかなり力の強いメリーベルを引き剥がすのに苦労しながら、あさひは先ほどのやり取りで疑問に思った点を口にする。
「乗り気じゃないなら自分でズバっと言っちゃえばいいのに。なんでもじもじしてたの?」
 あさひのみならずシアルまで強引にこの場に引っ張ってきた彼女である。押しが弱いなどと言う事はよもやありえない。だが、それにしては先ほどの態度は妙に弱腰だったように思えたのだ。
「なんつーか、苦手なんだよなあ、あの人。サンドブロゥにもああいうデキるリーマン系がネフィリム社から来たりするんだけど、大抵ロクでもない連中だったからさ。ああいうタイプと真正面から口論してるとうっかり抜いちゃいそうな気がするんだよ」
「うわあ。もうちょっと色っぽい話かと思ったら文字通り危ない話だったよ」
 制服の上からホルスターのある辺りをぽんぽんと叩きながらははは、と笑うメリーベルに、あさひはげんなりと肩を落とした。


「まあ、オトコの好みって話なら、アタシはああいう固いタイプよりもっと柔らかい方がいいかな」
 うんうん、と頷きながら言うメリーベル。思いがけず面白そうな方向へ転がった話に、目をきらきらと輝かせてあさひが食いつく。
「明るくて場を盛り上げてくれるようなタイプってこと?」
「いや、なんつーの? ちょっと弱々しいというか、母性本能を直撃するというか。そういうの」
「うわ、意っ外! てっきりマッチョというか暑苦しいというか、そういう方向だと思ってた」
「うるせえな。いいじゃねえかよ。そういうあさひはどうなんだよ」
 メリーベルがやや不満そうに唇を尖らせる。冗談でもなんでもなく、先ほど口にしたようなタイプが好みであるらしい。そんな彼女から話を振られたあさひは一瞬考え込み、
「あたし? そうだなあ。年上でー、頼り甲斐があってー、普段は素っ気無いんだけど実は……。みたいな?」
「夢見がちすぎるだろ」
 先ほどの仕返しか、あさひの語る好みのタイプをばっさりと斬って捨てるメリーベル。
「自覚はあるけどそんなはっきり言わなくても!?」

 
 ◆◆◆


 すっかり冷めてしまった焼きバナナをもそもそと食べながら、シアルは一見ぼうっとした様子で遠くを眺めている。視線の先にあるのは、メリーベルと楽しげにお喋りを交わしている、彼女の主の姿だ。
「シアルさん? なにやら物憂げな様子ですねえ。相談事ならお聞きしますよ? 保健室の先生というのは、学生のカウンセラー役も兼ねているものなのです」
 そう声を掛けたのは、いつの間にか彼女の隣で椅子に腰掛けてクーラーボックスから取り出した輪切りのパイナップルを齧っているセルカである。
「セルカ先生。……いえ、特に心配していただくような事はありませんが」
 ふむ? と首を傾げてシアルを横目に見ながら、セルカが残ったパイナップルの欠片を口の中の放り込む。むぐむぐと咀嚼し、飲み込んでからぴょんと立ち上がる。
「分かりました。今は深くは聞きません。でも、気が向いたら話してくださいね? 先生でなくても、誰かお友達に話すのでもいいですから。内側に悩み事を溜め込むと良くないのはどんな種族でも変わりませんよ」
「ですから、悩み事など――」
 シアルの反論も聞かず、ててて、と軽い足取りでセルカは走り去ってしまう。その先にいたバルバの前でしゃがみこみ、何事かを相談している様子だった。
 シアルはそっとため息をつくと、テーブルの上に置かれたままのマテ茶のカップを手に取り、ストローで吸い上げる。長時間放っておいたために濃くなりすぎて苦味ばかりが目立つその味にほんの少し眉をしかめ、カップをテーブルに戻す。
「ええ、悩む事など、ありません」
 小さく呟いたその言葉が、誰の耳にも届かないままに広場の風に流れて消えた。



Scene9 パジャマパーティー


「さて、では改めまして、情報を整理しましょうか」
 そう言ってセルカがぐるりと集まった面々に視線をめぐらせる。ここは女子寮の内部、あさひとシアルが暮らしている二人部屋である。あさひとシアルは部屋に備え付けの自分の椅子に腰掛け、セルカはベッドに、メリーベルは床に置かれたクッションに腰を下ろしている。バルバは床面にいつもの不定形ボディに番長ルックで床面に存在している。
 生物学上、雌雄の別が存在しないミュート星人ではあるが、バルバの持つ周囲に対するパーソナリティは男性格である。女子の部屋においそれと入れていいものかという議論が行われたが、「バレなきゃ問題ありませんよー」という発言がよりにもよってセルカから飛び出すに至り、体積を小さくする事でかばんの中にバルバを潜ませ、ここまで持ち込むこととなった。


「まず、先ほど広場で狼藉を働こうとした獣鬼兵たちについてです。バルバ君?」
 セルカから水を向けられたバルバがおう、と答える。
「適当に痛めつけたら、割とあっさりと口が軽くなったぜ。まあ、大半の連中は大した情報を持ってなかっただけだがな」
 一旦言葉を切り、バルバがその身体をぷるん、と一度振るわせる。
「結局のところ、金目当ての犯行だ。連中、VIPERで問題を起こして放逐された食い詰め者らしくてな。典型的な引きこもり魔法使いルックで、フードつきのローブで顔を隠してた怪しさ満点のクライアントからメリーベル・シャリードの拉致を依頼されて、これ幸いと乗ったそうだ」
 ちなみに、獣鬼兵たちはアナウンサー研究会にやや遅れてやってきた風紀委員たちに引き渡されている。
 アナ研相手にはしらばっくれたバルバとメリーベルだが、流石に風紀委員には素直に情報を渡していた。ひょっとしたらアナ研に情報を拾われた可能性もあるが、学生による自治(教師陣による丸投げとも言う)が強く打ち出されているリオフレードで、その象徴とも言える風紀委員に逆らうのは、いろいろな意味で賢くない選択だからだ。


「しっかしメーワクな話だよなあ。やっぱ、コイツのせいなのかね」
 襟元から薔薇十字の指輪を通したチェーンを取り出して、指先に引っ掛けてくるくると回すメリーベル。
 彼女が指輪の所持者である事をこれまで認識していなかったセルカがほう、と口許を丸くして指輪を視線で追う。
「いつから指輪を持っていたんです? それと、あなたが指輪の所持者である事を知っているのはどなたですか?」
 腕組みしたセルカの台詞に、メリーベルは数瞬、虚空に視線を走らせ、
「アタシの手元に来たのは一週間前。『王子様』とやらから手紙でさ。知ってるのは、ここにいる面子と、あとは風紀の副委員長、ノエミ・バートリ先輩。あと、昨日風紀にとっ捕まったときの調書には記録が残ってるはずかな。機密レベルを高くしておく、とはノエミ先輩が言ってくれたけど」


「風紀委員の誰かから外に情報が漏れた、って可能性は?」
 あさひがしゅた、と手を挙げて疑問を呈する。
「少なくともさっきの襲撃に関しては、その可能性はないと思う」
 メリーベルが即座に否定を入れた。横に振った首の動きにあわせて、三つ編みの先がふるふると揺れる。
「獣鬼兵たちが襲撃話を持ち込まれたのが昨日の夕方。アタシらがノエミ先輩にこってり絞られてた頃だ。もっと別の情報ソースがあると考えて間違いないだろうな」
「他に何か、有益な情報は出なかったのですか?」
 ひょいと肩をすくめてみせるメリーベルに、今度はシアルが問いを投げる。あさひやシアルからすれば意外なことに、メリーベルは待ってましたと言わんばかりににやりと笑ってみせた。


「獣鬼兵たちの中に一人、用心深いのがいてさ。そいつが隠密行動の得意なタイプだったらしくて、クライアントの後を尾行したんだと。エナージェの街のあちこちを見て回っては、懐から分厚い本を取り出して何か確認してたとかなんとか」
 ほほう、と声を漏らして身を乗り出すあさひに対し、勿体つけるような間を空けて、メリーベルが言葉を続ける。
「その辺りで気付かれて、魔法で撒かれたらしいんだけどさ。そいつが見てた本のタイトルは読み取れたらしい。その名も――」
「『デ・レ・ムンドゥス』。魔導書だ」
 ノリノリで語っていたメリーベルが作ったタメをあっさり無視して、バルバがその本のタイトルを告げる。
「ちょ、番長っ。そりゃねえだろー!?」
「話が進まないだろうが」
 メリーベルの不平をばっさり斬って捨てると、バルバが話題を引き継ぐ。
「この魔導書だがな、先日、無限図書館でとある探索パーティーが襲われた事件の現場から持ち去られてるモンだ。俺とセルカ先生はその件についてのホシを追ってる。だが、情報を集めようにも手詰まりでな。先生の提案で、放送部に協力を頼むってことで、メリーベル・シャリード。お前さんを探してたって訳だが……。思わぬところで線が繋がったようだな」


「……つまり、番長の舎弟を闇討ちした奴と、さっきの獣鬼兵をけしかけてきた奴が同一人物だってことかい?」
「少なくとも、裏で糸を引いてるのは同じ奴だと俺は見ている」
 バルバの学帽がこくりと頷きの動きを作り、メリーベルの言葉を肯定する。
「だとすると、ちょっと分からんなあ」
 腕組みしたメリーベルが、やや表情を深刻なものにしてそう零した。
「例えばさ、連中の目当てがサンドブロゥの“群青の箒星”をブチのめすとか、アタシが持ってる指輪を強奪したいとかならまだ分かるんだよな」
 部屋の中にいるほかの四人にぐるりと視線を巡らせて、メリーベルは言葉を続ける。
「そこに魔導書の強奪犯ってのが絡むってのはどういうことなんだ? アタシを襲うことと、それは一本の線で繋がるものなのか、それともやってる奴は同じだけど、別の目的を並行的に進めてるのか?」
「その辺りを推測するには、まだ情報が足りません。そうした不足を埋めるためにも、放送部の力を借りたいのですよ」
 セルカがメリーベルに視線を合わせて協力を要請する。頼み込まれた方はといえば、天井を見上げて考え込むようなそぶりを見せている。そのままぽりぽりと後頭部を掻き、それから自身の三つ編みを持ち上げてじっとそれを見つめる。
「わかったよ。アタシの一存じゃあ決定はムリだけど、部に掛けあってみる。ウチのチームの連中にしても先生には借りがあるし、多分なんとかなるだろ」
 メリーベルがそう言うと、お願いしますね、とセルカがにっこり笑ってぱしんと掌を合わせた。


◆◆◆


「そう言えばちょっと気になったんだけどさ、メリーベルってセルカ先生にどんな借りがあるの?」
 ライムグリーンのパジャマ姿で床に敷かれた布団の上で頬杖を付いて、あさひがベッドに腰掛けているメリーベルを見上げた。黒のTシャツに短パン姿で、いつもの三つ編みを解いた彼女は人差し指で頬を掻いて少し考え込む。
 だがそうして考えていた時間は結局のところほんの僅かで、言いにくい事なら別にいいよ、と言おうとしたあさひよりも先にメリーベルが口を開く。
「アタシって、放送部じゃあお昼の放送チームにいるわけだけどさ。あの番組のパーソナリティを放送部に連れてきたのがセルカ先生なんだよ」
「お昼のパーソナリティって、“眼鏡の”スタアさんを?」
 あさひが視線を横に向けると、メリーベルと同じくベッドの上に腰を下ろしたセルカがいる。ちなみにピンクに白の水玉模様のパジャマを着用しているのだが、最初にこれを見たときあさひが思わず、「先生可愛い! 超似合う!」と素直な感想を口にすると、ぷうっと膨れていた。
 本人は大人の女性として扱われない現状が不服とのことらしい。ならばそのパジャマのセレクトはどうなんだとその場にいた誰もが思ったが、敢えて口に出す者はいなかった。


「うふふ。スタアさんとは入学時からちょっとした付き合いがありましたから、彼女の悩み事の解決がてら、放送部に入るのをお勧めしたんですよー」
「へえー。じゃあ、セルカ先生はスタアさんの正体を知ってるんですよね?」
 “眼鏡の”スタアさんは、リオフレードの大抵の学生が名前や声を聴いた事がある有名人だが、何処の誰なのかは実は明らかにされていない。それがまた、彼女の人気の一因となっている部分でもある。
 他の報道系クラブがその正体をスッパ抜こうとしたことも一度や二度ではないが、真相は分厚い情報規制の壁の向こうから一向に転がり出てこないのが現状だった。
「もちろん知ってますけど、お教えすることは出来ませんよ?」
 くすくすと笑うセルカに、ちぇー、とあさひが不平を漏らす。


 さて、そろそろこの状況について説明が必要だろう。
 放送部の持つ情報網、通称“放送網”を用いて情報の収集を行う事となった後、とりあえず今日のところは解散という流れになったのだが、セルカからそこで待ったがかかった。
 曰く、目的、正体共に不明の何者かがメリーベルを狙っていることは確実であり、彼女を単独で行動させる事は望ましくない。また、メリーベルに対する二度の襲撃の場に二度とも居合わせたあさひにもなんらかの危害が加えられないとも限らない。
 故に、バラけたりせずに誰かの部屋で固まって過ごすほうがいいのではないか、というのが彼女の提案だった。
 実際、メリーベルも寮暮らしではあるのだが、いかんせんリオフレードの学生寮は馬鹿馬鹿しいほどに広大であり、現在地であるあさひの部屋からメリーベルの部屋まではなかなかに距離がある。
 当人が言うにはワープポイントを三箇所ほど経由すれば実際に歩く距離はさほどでもないとのことだったが、それでもいざと言うときに離れた場所にいるという事態は避けたいというセルカの言にはメリーベルも素直に頷いた。
 そうして、念のためにとバルバを護衛に引き連れたセルカが寮監に話をつけて(その際にはバルバは身体を縮小化して隠れていた)布団を二組ゲットし、あさひとシアルの部屋にメリーベルとセルカが泊まる段取りをつけたのであった。


「けどホントに良かったのか? アタシらがベッドを使っちまってさ」
 もともと部屋に二つあったベッドに加え、布団が二組。
 現在、メリーベルとセルカがベッドを、あさひとシアルが布団を使用するという割り振りとなっている。
 当初は部屋の主であるあさひとシアルがベッドで寝るべき、という話だったのだが、地球では床に布団を敷いて寝るのがデフォルトだったあさひが布団で寝たいと強硬に主張。シアルもそれに倣う形で布団を使うと言い張り、結果、ベッドの本来の所有者が二人してそれを使わないと言う事態が発生したのである。
「いいのいいの。あたしお布団好きだし。まあ、床が畳なら言う事ないんだけどねー」
「あさひがベッドを使わないのに、私が使う訳にもいきませんので」
 からからと笑うあさひの隣で、当然と言った表情でシアルがそう続ける。ちなみに彼女の寝巻きはあちこちにレースをあしらった純白のネグリジェである。宝永にいた頃、品川のオリジン人が開いている店であさひが買ってきたものだ。
 基本的にあさひより目立つ服装をしたがらないシアルに対して、他人の目には中々触れない寝巻きについては妥協をもぎ取る事に成功した彼女が気合を入れて選んできた結果である。


「富嶽の学生さんで、床を畳にしちゃってる人も結構いますよー?」
「マジですか先生!? うわあ。あたしもやろうかなあ……」
 虚空に視線を這わせて畳ライフに思いを馳せるあさひをにこにこしながら見ていたセルカだが、やがて何かを思いついたようで、ぽんと手を打つ。
「じゃあ、明日みんなでエナージェの街を回りませんか? 用事を済ませがてら、畳を作ってくれるお店を探してみましょう」
「あたしは構いませんけど……。いいんですか?」
「アタシもいいよ。先生の用事ってのも何となく想像付くしさ」
「あさひがいいなら是非もありません」


 女子陣三人の了承を得ると、セルカは立ち上がり、たた、と部屋の出口へ向かうとドアを開け、部屋を出たすぐのところ、入り口脇に置いてある銀色の招き猫に話しかけた。
「と、いうわけでバルバ君も構いませんか?」
「何が『と、いうわけ』なんだ」
 招き猫がふるふると震えて、重低音の声が答えを返す。
 部屋の中で一晩過ごすことを固辞したバルバが部屋の外での見張りを買って出た姿がこれである。ミュート星人には有機生命体のような睡眠はほぼ必要ないので、彼としてはこれは当然の選択だった。
 実際のところ、仮に部屋の中でバルバ以外の全員が全裸であったところで種族形態が違い過ぎる上に雌雄の区別すらない彼は全く何も感じないのだが、普段から男性人格として振舞う以上、女子達が気にするだろう、との配慮からバルバはこうして廊下で文字通り置物となっているのだ。
 『番長とは女子供に優しいもの』
 少なくとも、彼の認識ではそうなっている。
「いやですよぅ。バルバ君の知覚力なら聞こえてたでしょう?」
 だからこそ、部屋の中のことについては聞こえないフリをしていたというのに、セルカのこの物言いである。
 銀の招き猫が両肩をやれやれと言いたげにすくめ、頭を二、三度横に振る。
「分かったよ先生。明日は俺も付き合う」
「はいオッケーです。では、おやすみなさいー」
 にっこりと笑うと、招き猫の肩にケープのようにふわりとハンカチを乗せてからセルカは部屋の中に引っ込んでいった。


 ハンカチが廊下を渡る風に飛ばされてしまわないよう、少し身体の形状を変化させて固定してから、バルバは意識レベルをぐんと落とす。睡眠をとる必要がないというだけで、そういう状態になれないわけではないのだ。こうしていれば、望むと望まざるとに関わらず、部屋の中の話を盗み聞いてしまうこともない。無論、見張りとしてこうして廊下にいるのだから、異変を感知するための量子ソナーは稼働させたままにしてある。何か異変があれば、すぐさま行動を起こすための備えである。意識のスイッチはオフに、体のスイッチはオンに。
 他の種族と比べて、こういう時は自身の身体は便利な作りをしている、とおぼろげな意識の上で考えながら、バルバはひとときの微睡みに身を委ねる。


 部屋の中からは、まだ寝付けないらしい四人の楽しげなお喋りが微かに漏れ聞こえていた。



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑦ エナージェにて
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:25
Scene10 しあわせのかたち



「結局、先生の今日の目的ってなんなんです?」
 獣鬼兵にあさひたちが襲われた次の日の放課後である。
 五人は連れ立ってエナージェの街、ノクターン通りを歩いていた。
「そうですねー。言うなれば現場検証、でしょうか」
 あさひが発した疑問に、先頭を歩いていたセルカが身体ごと振り返り、後ろ向きに歩きながら答える。
 彼女の言葉に対する反応は、二種類に分かれた。
 やっぱりね、という表情を見せたのがメリーベルとシアル。バルバの表情は分からないが、なるほどな、と小さく呟いているので、彼もこちら側である。
 逆に、問いを投げた張本人であるあさひは事態が飲み込めていないようで、首を傾げる角度を深くして、どういうことなんだろうと考え込んでいる。


「昨日の獣鬼兵たちの話にあったでしょう? 彼らのクライアントが魔導書を見ながら街のあちこちをまわっていたというのが。その足取りを辿ってみようというワケですね」
 ぴっと人差し指を立て、説明モードに入ったセルカが頭上にハテナマークを浮かべたままのあさひに向けて解説を始める。
「でも先生。それで何か分かるものなんですか?」
 右へ左へと首を傾けながらあさひが問いを重ねる。養護という少々特殊な立ち位置にあるとはいえ、セルカも教師である。こうして学生から質問を受けるのは楽しい部類に入るらしく、上機嫌な笑顔を浮かべながら説明を続ける。
「先生達が追っている『デ・レ・ムンドゥス』という魔導書は、儀式魔術――つまり、準備にやたら手間隙をかける代わりに効果も大きい術を主に取り扱っている本です。例のクライアントがそれを使って何かやらかすつもりでいて、なおかつそのための下見として街を見回っていたのだとしたら、良い場所を見つければ何らかの下ごしらえを行っていても不思議ではありません」
 なるほど、と得心したあさひはぽんと手を打ち合わせ、思うところを次のように述べた。
「つまり、それを見つけ出した端から叩き潰すんですね!?」
「雪村さんは意外に思考が攻性ですねー。元気があって良いですが、その回答にはペケをつけざるを得ません」
 頭の上で両手を交差させてバッテンを描くセルカ。自信満々に口にした答えに思い切りダメ出しされ、物理的なショックを受けたようにあさひが仰け反り、それからがっくりと肩を落とす。


「ううっ。ちなみにどの辺がダメなんでしょう……?」
「そうですねえ。……はい、シャリードさん! 何故先生は雪村さんの答えにダメ出ししたのでしょうかっ?」
 唐突にセルカがメリーベルを指差す。彼女はびくっと肩と三つ編みを震わせてから、頭をぽりぽりとかきながら少し考え、
「ええと、このテの設置式の魔術ってのは、大抵の場合術式を破壊しようとしたヤツに対するブービートラップが仕込まれてるから、かな?」
「ご名答です。タチが悪いのになると、妨害者があることを前提にして、本来の術には全く必要のない術式で組んだ仕掛けを残しておいて、それをデストラップにしてあったり、なんてこともありますね」
 にこにこと笑いながら、今度はメリーベルに向けて両手でマルを作ってみせるセルカ。表情と口調は終始にこやかだが、言っている内容は中々にえげつない。
「と、いうわけで、見つけたらまず解析を行います。それで性質が見切れればよし、そうでなければとりあえず保留にして対応策を練ることになりますね」
 言いながら、説明の間中、器用に後ろを向いたままで歩いていたセルカが、唐突にピタリと足を止めた。
「まあ、先にちょっとここに入りましょうか」
 そう言って彼女が指し示したのは、一軒の店である。軒先にも様々な商品が並べられているが、それらはいちいちあさひにとって見覚えのあるものばかりだ。
「富嶽の品を専門に扱っているお店なんですよ。雪村さんの欲しい物もあると思いますから、覗いていきましょう」


◆◆◆


「たーたーみーっ」
「たたみー」
 店の奥にある畳の販売スペースに、二匹の芋虫が出現していた。
 芋虫たちは、展示用の畳の上を、ひたすらにごろごろと転がっているのである。セルカ、メリーベル、バルバの三名は他人の振りをしてそこから距離を置いている。うってかわってにこやかな笑顔を絶やさずあさひ達のそばにいる中年の男性はここの店主である。全く動揺していないか、もしくは動揺していてもそれを欠片も悟らせないあたり、なかなかの大物だと言えるだろう。
「ああ、このいぐさの匂い……! これぞ日本人の心……っ!」
 時折ぴたりと動きを止めて、いとおしげに畳にほお擦りする芋虫その1。
「……………………」
 そして彼女の隣で無表情に畳の上に寝転んでいる芋虫その2。


「な、なあ。何してんの?」
 おずおずといった様子で問いかけたのはメリーベルである。やや腰が引け気味ではあるが、未だに畳の上に転がったままの芋虫二匹を前にしての彼女の態度を誰が責められようか。
 すると、芋虫の一匹がむくりと上体を起こし、畳の上に正座する。
「長らく畳から離れた生活を送った後で畳に触れると、全身でその存在を感じたくなるのがあさひの国、ニホンに住む人々のサガなのだそうです」
 人間に進化を果たした芋虫その2、シアルが淡々と語る。
 初めて宝永の街で畳を目にしたときも、あさひはこんなリアクションを取っていたのだ。さらにはシアルに向けて、「カモン!」と誘いをかけてきた。主の言う事ならば、とそのときシアルはあさひに倣い、今回もそうしたというわけである。
 やがて畳の肌触りも満喫し終えたのか、芋虫その1が満足げな笑顔を浮かべてゆらりと立ち上がった。未だににこにこと福々しい笑顔を浮かべている店主の手を取り、
「あたし、畳買います!」
 実に幸せそうにそう宣言した。


「いやあ、いい買い物をしたよ」
 再びノクターン通りを歩く一行の中に、ホクホク顔のあさひがいた。
 いざ畳を購入という段になって、寮のあさひたちの部屋が何畳分の広さか分からず、測りなおしてからという事になりかけたものの、「こんなこともあろうかと!」とやたら楽しそうに言い放ったセルカが前もって部屋の寸法をチェックしていたという事が明かされ、無事にあさひたちの部屋に畳が敷かれる運びとなった。
 後ほど寮まで届けてくれるとのことなので、今日は帰ったら模様替えの予定である。
「しかし、タタミだっけ。そんないいモンか? 匂いも独特だしさ。悪い匂いじゃないとは思うけど」
 僅かに眉間に皺を寄せてメリーベルがそう零す。あさひが余りに幸せそうに畳の匂いをかいでいるので気になって嗅いでみたのだが単純に「なんか草っぽい」と思っただけだった。
「うーん。慣れがないとやっぱり厳しいのかなあ。シアルも最初はあの匂いが気になるみたいだったもんね?」
「ええまあ。それでも宝永で過すうちに慣れましたが」
「そういうもんかねえ」
「ええっと、例えばさ、あのマテ茶だって別の土地の人に飲ませたらクセがあってダメだ、とか言われない? それと同じようなことじゃないかな」
 あさひの出した例えになるほど、と納得しきりの様子のメリーベル。どうやら実際に言われた経験があるらしい。


「さて、じゃあ皆さん、ちょっと気分を引き締めましょうか」
 先頭に立って歩いていたセルカが立ち止まり、あさひたちを振り返って言う。いつものにこやかさが幾分なりを潜め、真剣な雰囲気をかもし出していた。
 その雰囲気が全員に伝わったのを見て取ると、セルカは満足そうに頷いて通りの脇にある一本の路地へと足を踏み入れた。当然、残るメンバーもそれに続く。
 くねくねと折れ曲がる路地をセルカを先頭に、バルバを殿に置いてさりげなく周囲に気を配りながら進むことしばし。やがて一行の足がある地点で止まる。
 獣鬼兵たちから聞き出した、彼らのクライアントが魔導書を見ながら立ち止まっていた数箇所のうち一つが、ここだった。
 そこは、何の変哲もない路地の行き止まり。三方を建物に囲まれたてはいるが、取り立てて他の路地と代わり映えのない場所。そうであるはずだった。
 最初にそれに気付いたのはあさひだった。その場所の前に立ったとき、彼女の背を冷たいものが走り抜けたのだ。
 あさひの様子がおかしい事に気付いた他のメンバーも、その場所に注意を凝らすと同じような感覚に襲われた。
 そして、あさひはその感覚に覚えがあった。リオフレードから遠く離れたエルフェンバインで、ウェルマイスで、あさひの前に立ちふさがったもの。
「……プロミネンス……!?」
 ダスクフレアの象徴にして力の源、プロミネンスの気配がそこには濃厚に残っていたのだ。


「……ふむ?」
 セルカが慎重な足取りで一歩を踏み出し、プロミネンスがわだかまる空間の寸前で立ち止まる。
 探るような目つきでしばらく問題の空間を眺めていたかと思うと、おもむろに右手を前に差し出して、ぱきん、と指を鳴らす。
 セルカが指を鳴らした地点から、空間に波紋が走る。波紋は路地の行き止まりを満たすように走り抜け、その後には、
「魔法陣、ですね」
 黒々とした塗料で描かれた幾何学模様の組み合わせ、魔法陣が姿を現していた。
「とりあえず隠蔽術だけ引っぺがしてみましたが、これは……」
 魔法陣のすぐ傍にしゃがみこんで、あれこれと検分を始めるセルカ。
「あそこが中心で、こっちが基礎記述じゃないか、先生」
 魔術の知識を持っているらしいメリーベルがその横に立ち、二人はあれこれと言葉を交わしながら魔法陣の解析を進めていく。
 後ろで見ているあさひからすると、魔法陣をじっと見ているとそこに存在する魔力の流れのようなものは何となく感じられるのだが、結局のところ複雑に組み合わさった図形のどこがどんな意味を持たされているのかはさっぱりである。


 ふと、解析に加わらずに自分の両脇にいるシアルとバルバはどうなのだろう、というのが気になった。
「ねえ、シアルはああいうのって分かる?」
 なので早速聞いてみることにする。どうせ手持ち無沙汰なのだ。もちろん、何者かに襲われるかもしれない事を考慮して、周囲に気を配る事は忘れてはいない。普通の女子高生に周囲の気配を探るなんて芸当は本来縁遠いはずなのになあ、という色々と複雑な感慨が一瞬だけ脳裏をよぎったが、心に棚を作ってしまいこむ事にする。
「そうですね。全ての魔法を網羅する、というわけにはいきませんが、MTやアニマ・ムンディの製造にも魔法技術は関わってきますので、ある程度の知識は持っています」
 ほほう、流石はシアル、とひとしきり感心し、今度はあさひの足元で沈黙を守っているバルバに問いを投げかけてみた。
「俺はダメだな。正直な話、あの二人が何を言ってるのか全く分からん」
 いっそ清々しいほどにきっぱりとした口調でバルバが答える。
 あはは、とあさひが笑みをこぼし、それとほぼ同時にセルカが後ろを振り返ってあさひを手招きする。
「雪村さん、ちょっと手伝ってもらいたいんですが、いいですか?」
「うえっ!? あたし、お役に立たないと思いますよ?」
 反射的に一歩あとずさってのけ反り気味になるあさひ。
「そんなことはありませんよ。さっきだって一番最初にコレに気付いたのは雪村さんだったじゃないですか。難しく考えないで、直感の導きのままに答えていただければ大丈夫ですよー」
 にこにこと笑いながらセルカが薄い胸をどんと叩いてそう請け負う。見た目中学生の養護教諭は、しかしこのときあさひの目には妙な説得力と大人としての頼り甲斐を持っているように見えた。
「分かりました。……じゃあシアル、番長と一緒に、周囲の警戒、お願いしててもいい?」
「承りました。お任せください、あさひ」
 片手で拝むようにして言うあさひに、シアルがしっかりと頷く。それに力付けられたようにあさひも頷きを返し、魔法陣へと駆け寄っていった。シアルはしばらくの間その背中を見つめた後、警戒を行うべく、視線をずらして周囲をぐるりと見渡した。


「雪村の傍にいたいなら向こうに行って構わんぞ。俺から隠れおおせられる奴ってのはそうはいないからな。手伝いはなくてもそう問題にはならん」
 あさひがセルカに呼ばれてしばらくしてから、いつもの学帽をくるりとシアルのほうへ向けて、バルバが唐突に言った。
「いいえ。あさひはあなたと共に周囲の警戒を、と私に命じました。それを途中で放り出す事はできません」
「別に命じちゃいないだろう。それに、そこまでこだわるような事でもないんじゃないのか」
 頑なな口調のシアルに、バルバが諭すような口調で言葉をかけると、彼女は周囲の様子を探るためにさまよわせていた視線をバルバに固定する。
「私はアニマ・ムンディです。主の言葉に従うのがあるべき姿。余計な行動はむしろ害悪だと私は考えています」
 ふむ、と一声漏らして、バルバは思考をめぐらせる。
 今まで、アニマ・ムンディの知り合いというのは彼女以外にはいなかった。だから、彼女の性向が種族的なものなのか、彼女個人が持つものなのかは判断が付かない。
 シアルの物言いは、頑迷である、とも忠実である、とも言える。ただ少なくとも、彼女自身がこうあるべき、と定めた自己の姿に可能な限り近くあろうと努めているのは間違いないだろう。
 そこまで考えて、バルバはふと自らを省みる。その結果、方向性はともかく、進む道を定めるためのロジックについて、シアルは己にごく近い存在だと彼は結論した。
 だから彼は、シアルに対し、己というものについて少し語ることにした。


「この学校へ来る前にな、俺は“番長”ってのを見たんだ。そして、それに救われた」
「……はあ」
 唐突に始まったバルバの話に、戸惑いつつもシアルは相槌を打つ。彼女が自分の話に耳を傾けている事を確認して、バルバは話を続けた。
「オリジンとは違う、別の弧界での話だ。まあ、細かい経緯は長くなるんで置いといてだな。それ以来、俺は自分の生き方を決めた。俺も“番長”になるってな。そして、そのためにこうあるべきだという基準を自分の中に作って、それに従って俺自身の行動を決める。お前さんがアニマ・ムンディであることを行動の基盤にしてるようにな」
 周辺を探るついでに、量子ソナーでシアルの様子をうかがう。彼女はじっとバルバを見つめていた。ミュート星人の優れた探査能力をもってしても、その内面まではうかがい知れない。ただ、強く興味を引かれているのは確かなようだった。


「それからもまあ、色々あってオリジンに世界移動ソーテリアするハメになって、この学校へ来る事になった。“番長”らしく振舞ってるうちに、そんな俺を慕ってくれる連中も現れた。……これはな、幸せな事だと俺は思っている」
 一旦言葉を切って、ふるりと身体を振るわせる。相変わらずシアルはこちらに視線を固定したままだ。正直な話、周辺警戒の役には立っていないが、バルバ自身が言ったように、それは彼がいくらでもフォローできる部分である。だから、彼女をそのままにして、バルバは言葉を重ねる。
「こうあらねばならないと定めた自分。こうありたいと望む自分。周囲がこうあって欲しいと思う自分。それらが重なっているんだ。だから、俺はきっと充実しているし、幸福な存在だ」
「……私は、そうではないということですか?」
 やや硬質な手触りをもったシアルの声がバルバの頭上から降ってくる。が、彼は意に介した様子もなく学帽を左右に振り動かした。
「そんなことは知らん。あくまで俺がそうだ、というだけの話だ。そういう風に思えると幸せになれるらしいぞ、という前例を示しただけのことだ」
 きっぱりと言い切ったバルバの声からは、揶揄の響きは見つけられない。彼は、彼が感じている事実のみを語っていた。
「お前さんの、自身の在り方を規定するところは俺にも通じるところがある。だから無駄なお節介を焼いてみただけだ。意味がないと思うなら忘れて構わん」
 言いたい事を言い切ったバルバは、これで話は終わりだとばかりに沈黙してしまう。隣にたたずむシアルは、そんなバルバをしばらく温度のうかがえない目付きで見つめていたが、やがて視線を切って再び周囲を見回して警戒し始めた。ゆっくりと撫でるように辺りを眺めて回る視線が、時々ぴたりと止まる。その先に誰がいるのか、バルバには感じ取れていたが、二人で周囲を警戒している間、彼が言葉を放つ事はもうなかった。



Scene11 絆の両端


「一言で言うと、非常に厄介な事態です」
 魔法陣の解析が一通り終わると、難しい顔をしたセルカが開口一番にそう言い放った。
 先ほどまで路地狭しと描かれていた魔法陣は、セルカが使用した隠蔽の魔法で再びその姿を隠されている。
 メリーベルとセルカの知識、あさひの直感によって得られた魔法陣についての情報は、次のようなものだった。
「まず、あの魔法陣をこちらで消してしまうのは非常に難しいです。酷く用心深い術式が使用されていて、下手なことをすると周囲に被害を出しかねません。それに加えて、プロミネンスで防護をかけてあります。正直な話、現状では手の出しようがありませんね」
 更に面倒な事に、そうした防御用の術式は己の存在を誇示するように記述されていたのに対し、この魔法陣の本来の役割を示すはずの部分は、それがどういった作用を起こすものなのか、ほとんど読み解く事は出来なかったのである。
「辛うじて分かったことと言えば、この魔法陣が単体で完結してないってことだな。最低でも二つ以上、おそらく、もっと多くの魔法陣との連動、連結――そういったプロセスを経て初めて起動するタイプだな」
 セルカの説明を引き継いだメリーベルの表情は冴えない。用途不明、しかもプロミネンス込みの魔法陣が町のあちこちに仕掛けられている可能性があり、しかもそれに関わる人物が自分を狙っているとあれば、それも仕方のないことでああるが。


「ともあれ、魔法陣の性質については、作成する際に用いられた情報ソース――十中八九は『デ・レ・ムンドゥス』ですが、その情報がもう少し集まらない事には解析の進めようがないですね。とりあえず、魔法陣が複数あることはほぼ確定ですので、他の魔法陣の所在をまずは突き止めましょう」
 全員の顔をぐるりと見回し、セルカが今後の行動方針について提案を行う。
「そうだな。魔導書の情報については昼休みに放送部に話を通してもらったワケだし、その結果が出る前に足で稼げる情報はできるだけかき集めてしまうべきだろう」
 バルバが学帽を上下に動かして同意の意を示し、残るメンバーも頷きをもってそれを受け入れる。
 それじゃあ、とさっきまで魔法陣が見えていた路地に背を向けて、メリーベルが先頭を切って歩き出した。
「獣鬼兵たちから聞き出した情報を元に、あちこち歩き回るとするか」
 

 獣鬼兵から得ていた、魔法陣があると思しき場所は三箇所。二つ目の場所にたどり着き、そこでも一つ目の場合と同じように解析を行うが、得られた結果はほぼ同じものだった。すなわち、魔法陣の書き換え、消去への対抗術式、本来の機能の隠蔽、複数の魔法陣との連結機能を持っているということである。
 そして向かった三箇所目。ここでも調査の結果自体は先の二箇所と同じ内容だったが、それ以外に違う部分があった。
 解析を行っているうちに、何故かリオフレードの学生が十数名、この場所に集まってきた。種族も学年もバラバラ、ただし、男女比は10:0だ。無論、男子が10である。


 通行の邪魔にならないよう、通りの端にずらりと並んだ学生たちの前に、バルバが進み出る。彼は学帽の向きをぐるりと巡らせて、学生の列を見渡すような仕草を取ってから声を放つ。
「まずは急に集まってもらってすまない。少し手伝ってもらいたい事があって、こうして声をかけさせてもらった。詳しいことは――セルカ先生、頼む」
 はいはい、と軽い調子で返事をよこし、セルカが学生たちの列の前にひょいと足を進める。
「まずは簡単に事情の説明を。私たちは現在、ある魔法陣の所在を捜索中です。これは複数存在し、現在三つを確認しています。さらに数が増えることを想定して、二箇所目の調査の際にバルバ君に頼んで、三箇所目に皆さんを集めて欲しい、とお願いしたわけです」
 一旦言葉を切り、セルカが懐から数十枚の紙片を取り出す。それらの紙には文字や図形が書き付けられており、強いて言うならお札という形容が最もしっくり来るだろうか。
「これにはちょっとした魔法がかけてありまして、私達の探し物か、それに近いものの近くに来るとですね――」
 セルカが札の一枚をすぐ傍にいたあさひに渡し、行動の指示を出す。頷いたあさひが少し離れた場所まで小走りで駆けて行き、すぐに戻ってきた。
 そして、彼女から札を受け取ったセルカが、それを顔の高さに掲げて、居並ぶ学生達からよく見えるようにする。
 先ほどまでは黒色をしていた文字や図形が、赤に変わっていた。
「このように、色が変わる仕掛けです。これを皆さんに何枚かずつお渡ししますので、あちこち歩き回って、もし色が変わる地点があったらそれがどこだったかをバルバ君まで報告して頂きたいわけですよー」
「と、まあ、そういうことだ。あと、くれぐれも言っとくが、もし引き受ける場合にも深入りは避けるようにな。調査範囲が広い方が助かる事は確かだが、ヤバい場所に足を運ぶ必要はねえ。その辺だけ肝に銘じといてくれ」
 セルカの説明にバルバがそう付け足すと、男子学生達――つまるところ、バルバの舎弟たちである――が「押忍!」と声を揃え、次々にセルカから札を受け取っていく。
「あ、はじめに受け取ったお札を全部二つ折りにして、一枚だけ開いておいて下さいね。二つ折りにしている間は機能しませんので、全部一片にまっかっか、という事態を避けられます。今開いているのが反応したら次の札を開く、という手はずでお願いします」
 お札を手にした舎弟たちが街に散っていく様子を見送り、バルバが軽くため息をつく。


「これで、捜索範囲は大分広がるだろ」
「すごいねー。さっきのみんな番長の弟分なんでしょ?」
 やれやれ、と言った口調の番長に向けて、あさひが驚きと尊敬の混じったまなざしを向ける。
「まあな。あんまり俺の都合で連中を振り回すのは好きじゃないんだが、たまにはあいつらを頼ってやらねえとな」
「……? 番長は頼られる方じゃないの?」
 あさひが首を傾げて疑問符を浮かべる。
「無論、俺が連中にとって頼りになる存在でなきゃいかん、というのは大前提として存在する。が、それと同じくらいに、あいつらにはそういう存在から必要とされてる実感が必要なんだよ。多分な」
 あさひを見上げる形に学帽を動かし、バルバは更に言葉を紡ぐ。
「要するに、双方向の繋がりだ。お互いが、お互いを必要としているという認識をもっている事が重要なんだと俺は思う」
 そう言うと、今日はどうも余計なお喋りが多いな、と小さく付け加えて、銀色に輝く不定形の身体を滑る様に移動させ、バルバはあさひの傍から離れていった。


「番長ってのも色々大変なんだな」
 いつの間にか、あさひのすぐ横に立っていたメリーベルが感慨深げにそう呟きを漏らす。
 そうだね、とだけ答えて、あさひは腕を組んで考え込んだ。
 あの番長とはクラスが同じこともあって、普段からある程度の交流がある。
 その経験に照らし合わせるならば、先ほどの彼はどこからしくなかった。
 もちろん、まだまだ短い期間のみのこと、彼の性格を全て把握しているのかと言われれば、断じて否だ。
 だから、この違和感は単なる勘違いかもしれないし、短い付き合いしかないあさひにも感じ取れるほど、普段の彼の行動とのズレがあったとも考えられる。
 そして、なんとなくだがあさひは、後者だと感じていた。
 

 バルバは、基本的には寡黙な方である。誰かに話しかけられても、「おう」とか「ああ」とかの相槌だけで済ませてしまうことも少なくない。ただ、きちんと相手の話は聞いているので、それが問題になるような事は滅多にないが。
 そんな彼の言葉数が多くなるのは、大抵の場合、誰かの世話を焼くときだ。厄介ごとや問題を抱えた相手に対して、彼はあれこれと話しかけ、注目すべき事柄を探り出し、様々な手段を用いて問題を解決してしまう。そうした積み重ねの結果として、周囲が自然に彼を“番長”と呼ぶようになった、と聞いていた。
 以上のことからあさひが考えるに、
「あたし、なんか番長から見てよろしくないトコがあったのかなあ?」
「どういうこったよ?」
 独り言としてこぼれ落ちた結論をメリーベルが聞きとがめ、今度は彼女が首を傾げる。
「さっきみたいに番長があれこれ話す時って、その相手が何かしら問題を抱えてる時が多いから。そうじゃなきゃ、大抵は口数少ないんだよね、番長って」
「……で、そういう心当たりが思い浮かばなくてもやもやするわけだ」
「そうなんだよねー。なんなんだろ」
 二人揃って腕を組み、ううんと唸って考え込む。ふと視線を向けた先では、バルバ、セルカ、シアルの三人がエナージェの街の案内板を覗き込み、次はどのあたりを回ろうかと話し合っている。


 二人のうち、先に思考を放棄したのはメリーベルだった。
「考えてもしゃーねえだろ。どーしても気になるなら番長に直接聞けばいいし、向こうがはっきり言わないってのは大したことじゃないとか、緊急の問題じゃないとかそういうことじゃねえの?」
「……そうだね。まあ、もうちょっと自分で考えてみるよ。いざとなったら相談乗ってね」
 自身に倣うように問題を棚上げしたあさひに、にかっと笑ってみせるメリーベル。
「オーケイオーケイ。こう見えても人生相談はメリーベルさんの得意ワザよ」
「……ホントにー?」
「露骨に疑ってる目だな……。よーし分かった。その時が来たらイヤって言うほどアタシの実力を見せ付けてやっからな!」
 街中の巡回方針を決めたらしいセルカ達に呼ばれて、二人はきゃいきゃいと騒ぎながらそちらへ向かって歩を進める。


 この時、バルバかメリーベルに、あともうほんの少しだけ踏み込んで話をしておくべきだったとあさひが悔いるのは、ほんの数日後のことだった。



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑧ ON YOUR MARK
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:25
Scene12 リオフレード放送事情


◆◆◆


 友人、という言葉について。


 その定義するところは何か。
 第一者と第二者が、その関係を構築するために必要な条件とは何か。
 それによって第一者と第二者にもたらされるメリットとデメリットはいかなるものか。
 構築された関係が白紙に戻される場合、そのトリガーとなる条件とは何か。
 それを予防するために第一者と第二者に求められる事とは何か。
 それが分からなくて、だからきっと、不安だったのだ。


◆◆◆


「あさひ、あさひ。どうなさいましたか?」
 隣に座るシアルから掛けられた声に、あさひははっと我に返る。
「あ、ごめん、ちょっと考え事してた」
「……どこか体調が悪いわけではないのですか?」
 あはは、と頭をかいて笑うあさひを、心配げな様子でシアルが覗き込む。
「食事の際は、いつも幸せそうにしているのに、今日に限ってぼうっとしているというのは……」
 シアルは頬に手を当てて、深いため息を一つ。
 現在、彼女らがいるのはリオフレードの学生食堂。相変わらずの喧騒の中で、あさひたちは席を確保して昼食の最中だった。


「シアルの中ではあたしってどんだけ食いしん坊なの!?」
 憤りにまかせてあさひが拳を握る。手の中にあったレモンがぎゅっと絞られ、その下にあるカキフライの狐色の衣に降りかかる。あさひの箸がさっとカキフライを皿の上からかっさらい、口に放り込んでまずはひと噛み。あつあつのカキのエキスが口の中に広がるのを堪能してから返す刀で茶碗から白米をかき込む。頬を緩めて満足げなため息を一つ。
「失礼しちゃうなあ、もう」
「あさひは鏡見たほうがいいんじゃないかな」
「そうだな」
 カキフライ定食にご満悦な様子のあさひに向けて、呆れたように横から口を出したのはクラスメイトのニコルである。
 自分の前にあるスタンニアパスタをフォークでくるくるとかき回しながら、隣で蝕腕を形成して同じメニューを身体の前面に開けた穴に放り込んでいる番長に同意を求めていた。
 バルバは基本的に食事のいらない身体であるのだが、たまにこうして娯楽として食事をするのである。
 ただ、ここ数日はあさひたちの安全のため、ということであさひやシアルと連れ立って、連日食堂へ現れる運びとなっていた。
 ちなみに、昼休みは放送部の活動にあたっているメリーベルのところには、セルカが一緒にいるはずである。これは、彼女ならお昼の放送を行っているブースに立ち入りを許可されているということも考慮されたうえでの布陣である。


 はぁい学院生徒の皆さんこんにちわ! 放送部がお送りするお昼の放送の時間がやって参りましたよ!
 パーソナリティは、在学中に一度は成し遂げたいことはアウゼロン学院長のおひげを鷲掴んでモフること、の“眼鏡の”スタアでお送りします!

 あさひがニコルに文句を言おうと口を開こうとしたとき、スピーカーから軽快な音楽とともに声域高めの女生徒の声が流れ出す。
 口から出かかった言葉を飲み込み、大人しくカキフライ定食を征服しながらあさひは放送に耳を傾けていた。


 ではまずは、本日最初のニュースから! 
 昨日夕方ごろ、近く開催されるリオフレード縦横断レースに使用する花火を製作していた火薬芸術研究会が試作型の打ち上げを行いました。
 夜空の芸術家として名を馳せる同研究会の会長渾身の作とあり、大勢の観客が詰め掛ける中実行されたこのイベントですが、目玉となる二十尺玉を打ち上げる際のパワーが足らず、地表近くで爆発を起こしたとのことです。
 直径1.5キロメートル圏内が花火に巻き込まれましたが、見物客がおのおの使用した防御魔法や、その後の回復魔法によって重傷者は出なかった模様。なお、火芸研会長は『本番は打ち上げではなく上空からの投下式での使用を検討する』とのコメントを発表しています。
 これ、ネフィリム空軍の基地近くでイベントが行われたそうで、爆発直後に基地にスクランブルがかかって戦闘機がガンガン空に上がったらしいですね。『次に同じマネしやがったらお前らをパラシュート無しで投下してやる、F○CK!』とのコメントが基地司令から火芸研に寄せられたそうです。彼らの今後の身の安全を祈りましょう。


 さて次のニュースっ。
 生活科学部から発売されていた全自動ヒゲ剃り『剃るばるう』が販売差し止めになりました。
 256枚の微小なカミソリを組み合わせ、どんなに固いひげでも敵ではない! との触れ込みで人気を博していた同商品ですが、査察委員会の調査により、内部に剃ったヒゲを捏造する回路が仕組まれている事が判明し、販売差し止め処置が下されることとなりました。
 いやあ、いつかあの街頭でヒゲを剃るCM現場に出くわしてアレでヒゲを剃ったあとで、『今朝これを使ったんだけど』というのが夢なんだ、とウチの構成さんがよく言ってたんですが、それも最早かなわぬ夢となりました。まあ、彼はロックゴーレムなので、ヒゲは生えないんですけどね!



「……なんというか、今日も学院は平常運転だねえ」
 読み上げられるニュースを聞きながらカキフライ定食を食べ終わったあさひがしみじみとした口調で言う。
「お昼の放送はこういうハデなニュースを選んで読んでる傾向もあるみたいだけどね。真面目なのは他の番組に振ってるっぽいよ。まあ、お昼休みに深刻なニュース流されても困るもんねー」
 そう言ってころころと笑うニコルと、それにあわせてぴこぴこと動く犬耳を観察しながら、あさひは思考する。
 ニコルが言った事は、報道系の部活動では半ば常識となっている事で、あさひもメリーベルからその話を聞かされたことがある。そして、付け加えるならこの話には、それ以上、が存在する。


 本当に深刻なニュースが存在し、それが抱える問題が未解決の場合、その多くは報道を差し止められるのだ。これは、学院の治安を預かる風紀委員から、無用な不安を学生達に抱かせないためという名目で横槍が入るからである。
 とは言え、風紀委員による検閲が常日頃から行われているわけではない。単純に、風紀委員の持つ情報網がそうした事件を察知し、その事件について報道が行われそうだと判断された場合、各報道機関に風紀委員が乗り込んできて警告を行うのだ。
 もっとも、この処置方法の性質上、報道系クラブが風紀委員の網より先に重大事件のネタを掴んだ場合には、公権力からの介入を受ける前にニュースにして発信してしまう場合もある。


 以上を踏まえて、あさひたちがエナージェの街で発見した魔法陣についての扱いがどうなったかについて述べることとする。
 魔法陣にプロミネンスが使用されていた――すなわち、ダスクフレア絡みであることが確定した時点で、セルカはこの件についての情報を風紀委員や教員会議へ提供する事を決断していた。これには、放送部所属のメリーベルも同意した。その結果として、この情報は風紀委員の許可が出ない限りは秘匿される事が決定されたのだ。
 ダスクフレア出現の報は、学院内に様々な混乱をもたらすことになるから、というのがその理由である。
 一般的な反応としては、カオスフレア以外では到底太刀打ちできないダスクフレアに対する不安や恐れ。これが広まると、治安の悪化などを招く恐れがある。
 特殊な反応としては、ダスクフレアを討伐して一旗上げようという学生達が出てくるおそれがある。
 まっとうに考えれば、学内からカオスフレアを召集して一気にダスクフレアに当てる事が出来るなら効率的にはそれが一番正しのだが、ここで問題となるのはダスクフレアを倒そうというものたちの動機である。
 学院に数多存在する部活に対する部費の割り当て基準について、社会的な貢献の度合いというものが入っているのだが、ダスクフレアを倒す、という功績をもってこの社会的な貢献とし、部費の大幅アップを狙う勢力が存在しているのだ。こうした勢力が幾つか競合した際に、足の引っ張り合いが起こる可能性が出てくるのである。無論、状況が抜き差しならないものになれば風紀委員をはじめとした学院の治安組織も情報を表に出すことに躊躇いはないだろうが、少なくとも現状では情報を伏せる事による秩序だった行動の方に重点を置いていた。
 

 ちなみに今もって所属部活を決めていないあさひの許には、実は今でもそこそこの頻度で勧誘が訪れている(そしてここ数日はバルバに追い払われている)のだが、これも実は『フォーリナーを部活に組み込んであわよくばダスクフレアを討伐して部費倍増』という目論見をもっているものがほとんどであったりする。
 転校当初には物珍しさや単に部員を増やしたいという動機から勧誘を行っている者がほとんどだったのだが、そういった手合いは今のところあさひが何処の部活にも入る様子がないことを見て取ると、大抵は気が向いたら是非、という言葉を残して静観の構えを見せている。結果として、現状であさひに声を掛けてくる部活の勧誘は、大部分が下心満載、という状況になっているのだった。


 閑話休題。


 ともあれ、そうした諸所の事情により、現在水面下で進行中であろうダスクフレアの企みについては、一部を除いて学生達には知らされていない。
 あさひとシアルの立ち位置は、成り行きで巻き込まれたという、そうした一部の学生の中でもさらにレアなポジションである。本来であれば関わる必要などなかった厄介ごとに関わっている、と見ることもできるが、あさひ自身は実はそうした状況について大きな不満は持っていない。
 何故か、と問われれば、ここでゴネるのはカッコ悪いからだ、と彼女は答えるだろう。
 騒動の中心にいるのは友人であり、自分にはその騒動の解決のために役立つであろう力がある。で、あれば、騒動に背を向けるのはカッコ悪い。
 カッコ悪いのは良くない。そんなことでは指をさして笑われてしまう。あるいは行儀悪く地面に唾を吐いて悪態をつかれる。
 ふと、とある少年の不機嫌そうな顔を思い出して、あさひはそう思うのだ。


 また、それとは別に思惑もある。
 あさひは、シアルの世界を広げたいと考えている。
 雪村あさひを絶対の上位者として彼女が振舞う事があさひには不安であり、不満だった。
 だが、シアルはあさひに対して、アニマ・ムンディとして自身の立場を従者のようなものとして固定してしまう。そこをいきなり変えるのは難しいとあさひは気付いたのだ。
 だからまずは、主従関係の入り込まない、自分以外の誰かとの交友関係をシアルに作ってもらいたい。
 少々不謹慎ではあるが、今現在あさひが巻き込まれているような厄介ごとは、それを潜り抜ける過程で誰かと絆を育むのにはうってつけではないかと期待しているのである。
 今のところ目立った成果は見られないが、なんとか上手くいかせてみせる、とあさひは内心で勢い込んで、ぐっと拳を握ると、視線をつい、とい横に向ける。例によってあさひとお揃いのメニューを頼んでいたシアルが味噌汁をすすっている。
「……どうかしましたか、あさひ?」
「ううん、なんでもないよっ」
 シアルはそうですか、と小さく呟き、タクアンを齧る。口許からポリポリと小気味良い音をさせている彼女をあさひはもう一度こっそりと横目で伺い、決意の炎をひとり燃え上がらせていた。




Scene13 チェック・ポイント


「いいニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞きたいですか?」
 放課後の高等部保健室。
 そこに集まったあさひ、シアル、メリーベル、バルバの前で、白衣を羽織った保健医ルックのセルカが人差し指をピンと立て、満足げな息を漏らして、この台詞、一度言ってみたかったんですよ、と笑う。
「じゃあ、いいニュースから頼む」
 そんなセルカをスルーしてバルバが話の続きを促した、一瞬恨めしげな表情でバルバを見るセルかだが、すぐに気を取り直して情報を伝える。
「『デ・レ・ムンデゥス』の写本が見つかりました」
 異口同音にほう、と声を漏らしたバルバとメリーベルが、それぞれ身じろぎして学帽と三つ編みを振るわせる。
「正確には写本の写本のそのまた写本、というくらいのシロモノらしいので、記述に抜けや怪しい部分が多いんですけどね」
 言いながら白衣の内側から一冊の本を取り出すセルカ。皮製の表紙で装丁された、重厚な作りの書物だ。
「昨日の夜に“放送網”経由でこの本を受け取りまして、今日は先生、有給を頂いて午前中一杯使ってこの本を読み込んでました。おかげで、先日の街中の魔法陣について幾らか新しい事実が判明し、あれが有する機能についても幾つか分かってきました」
 セルカが再び白衣の内側に手を差し入れ、今度は一枚の紙片を取り出す。そこに書かれていたのは、先日あさひたちがエナージェの街で見つけた魔法陣だ。どうやら、あのときに紙に書き写していたらしい。
「じゃあ、あの魔法陣を何とかする算段が付いたっていうことですよね?」
 明るい色を浮かべたあさひの問いに、しかしセルカは表情を曇らせる。どうかしたのだろうかと首を傾げる横で、ピンと来たらしいシアルが頷きをひとつ。
「つまり、ここからが悪いニュース、ということですね」


 セルカはシアルの言葉に対して頷きを返すことで答えとし、
「あの魔法陣は、一言で表すならば爆弾です。フレアラインからフレアを汲み上げて暴走させ、周囲にあるものを有機物無機物問わずに崩壊させます。そうですね、範囲としては、魔法陣一つにつき一区画は飲み込まれる事になるでしょうか。更に厄介な事に、プロミネンス付きの防護術式と、時間の経過に伴ってフレアラインに根を張るような構造のお陰で強引に引き剥がすのはほぼ不可能といっていい上、もし除去に成功してもそれがトリガーとなって他の魔法陣が起動する仕掛けです」
 うげえ、とメリーベルが女子らしからぬ声を上げる。だが、それも無理のないことだろう。少なくとも、現状手元にある情報から判断すれば、対応策は魔法陣の周囲から人を避難させてから起動させることで被害をコントロールするくらいしか思いつかない。
「他にも幾つか。まず、認識阻害の術式を組み入れてあるらしいこと。私達が見つけられたのは、事前情報と、あの場で雪村さんがはっきりとその存在を感じ取ったからでしょう。これも時間とともにフレアラインに食い込んでいくのは他の術式と同じで、現状ではひょっとしたら発見は困難かもしれませんね。それから――」
 一旦言葉を切ったセルカの表情が困惑を示すように微かに歪む。
「正規の起動手段が読み取れないんです」
「それが分からないとマズいんですか?」
 ひょい、と手を挙げて質問するあさひにこくりと頷いてセルカが向き合う。
「どうすれば起動するのかの正式な手順が分かれば、安全に解除する方法もある程度は見えてくるはずなんです。しかしそこが読めないとなると、ますます手を出すのが難しくなります」
 事態を理解したあさひがなるほど、と相槌を打って難しい顔で腕を組む。情報が入れば光明が見えると思っていたのにこの事態。二歩進んで三歩下がった気分である。


「……俺の方からもニュースがある。悪いやつだけだがな」
 言うと同時にバルバが蝕腕を形成。自分の身体の中にその腕を手首まで突っ込んでそれを抜き取ると、そこには丸められた一枚の紙がある。くるくると全員の目の前で広げられたそれは、学院とエナージェの街を含んだ周辺の地図だった。
 地図を取り出すのと同じ手順で赤ペンを取り出したバルバが、エナージェの街の中に三箇所、マルを書き込む。
「これが、俺達が実際に見た魔法陣。で、だ」
 赤ペンが地図のあちこちにマルを付けていく。エナージェの街のみならず、学院内部の旧校舎郡や幻像宮前、エメラルドの森内部、ネフィリム空軍基地近くなどなど。合計で二十を超える赤マルが地図上に乱舞していた。
「番長、もしかしてこれ……」
「もしかしなくてもそうだ。ウチの舎弟たちが持ってたセルカ先生の札が反応した場所だよ」
 不機嫌そうな番長の言葉に、残るメンバーの顔が残らず引きつる。
「ってぇことはこれ全部例の魔法陣かよ。冗談じゃねえぞ。もし全部起動してみろ。学院もエナージェもボロボロだ」
 ぎり、と歯を軋らせてメリーベルが呻くように言う。


「学院もエナージェもボロボロ……」
 先ほどから腕組みしたままのあさひが、噛み締めるようにメリーベルの言葉を繰り返す。ただ、その表情は彼女のように危機感に彩られたものではない。どちらかというと、腑に落ちない、しっくりこない、そういった感情がうかがえた。
「どうかしましたか、雪村さん?」
「え、いやその、うーん……?」
 セルカが水を向けるが、当のあさひは要領を得ない様子で右へ左へ首を傾げるばかりである。
「どんな事でも構いません。何か思いついたことがあるなら言って下さい。誰も笑ったり怒ったりしませんよー」
 あさひを安心させるためだろうか、にっと笑ってみせるセルカに、あさひもようよう重くなっていた口を開く。
「なんていうか、これで終わりなのかな、って……」
 自信無さげにそう呟くあさひ。残る四人はその言葉の意図を測りかねていたようだが、何を言うでもなく、視線で続きを促してきた。
「ええっとね、あたしが見たダスクフレアっていうのは、世界を丸ごとぶっ壊して作り直してやるー、っていうのだったわけで、いきなり街一つ吹っ飛ばそうとかしたのよね」
 ぐるりと視線を巡らせて、全員の顔色をうかがう。
「この魔法陣にもダスクフレアが関わってるのはほぼ確実で、でも、この魔法陣が全部いっぺんに起動しても、最悪、街や学院が穴ボコだらけになる程度で済むんでしょ? ダスクフレアっていうのは、どんな場合でも世界を作り直すのが目的なんだよね?」
 地図の赤マルを目で追いながらまくし立てていたあさひは、顔を上げてセルカと真正面から視線を交わす。
「ねえセルカ先生。これは、確かに凄く大きな被害を出す仕掛けだと思う。対処はきっちりしないと大変な事になると思う。でも、これで世界を壊せるのかな?」


 セルカはまぶたを閉じ、思索を巡らせる。
 発見された魔法陣には、まだ幾つか記述を読みきれない部分があるが、それでも魔法陣単体の威力や効果範囲に関してはほぼ確定しているといっていい。はっきりと解明されていないのは、主に起動するための手順と、他の魔法陣との連動に関わる部分だ。ここが判然としないために、起動させないための条件や、魔法陣を解除した際に連鎖的に他の魔法陣が起動するプロセスを阻害する見通しが立てられない状態である。
 そして、判明した威力や範囲は、確かに街中での破壊活動としては必要十分だが、世界を壊すというようなものではない。更に言えば、このリオフレードでは、日頃の大騒ぎのお陰で突発的な怪我人等に対する対処が異常に充実している。今日の昼にメリーベルたちが流していたニュースなどからもそのあたりはよく分かる。二十尺玉花火――直径二キロメートル圏内に炎色反応を起こした炎をまとった火薬玉を撒き散らす超特大の爆弾と言ってもいい――が見物人たちの頭上百メートル程度で爆発すれば普通は人死にが出る。
 そうした防御や回復手段の充実の前にあっては、あの魔法陣など、事前の対処さえしっかりとされていれば大した脅威ではないという事すら出来るかもしれない。


「いいえ、世界を壊すなど到底無理でしょう。それどころか、人海戦術をとるだけの人員的余裕さえあれば、一つ一つの魔法陣の傍に防御手段を張り巡らせることで被害を相当に小さく出来ると思います。この場合は魔法陣の発見漏れが怖いですが、逆に言えば問題となるのはそれくらいかもしれません」
 セルカは目を開き、未だにこちらを真っ直ぐに見つめているあさひを見つめる。
「ですが……そうですね。確かにダスクフレアが裏にいると考えると、少し不自然です。これが治安側に対するただの牽制なのだと仮定しても、プロミネンスを使用することによってこちらの警戒度は相当に上がります。メリットとデメリットの収支が合うとは思えません。魔法陣の読み切れていない記述の中に何らかの鍵があるのか、私達が気づいていない部分で何らかの見落としがある、という可能性を考慮すべきかもしれませんね」


 セルカの言葉を受けて、あさひたちは自分達に何か見落としがないか、頭を捻る。魔術の素養のあるセルカ、メリーベル、シアルは魔導書の写本と魔法陣の写しを見比べ、あさひとバルバは魔法陣の配置に何らかの規則性が見出せないかと地図と睨み合う。
「魔法陣が配置されているのは、エナージェの街がノクターン通り、住宅街、、ネフィリム基地近辺、ホテルプロキオン裏手の森、神社。学院に入って男女、それから夫婦寮近く、生徒会棟前、旧校舎郡、幻像宮前、エメラルドの森、ってとこか。改めてみると節操がない上に広範囲だな」
「配置も結構バラバラだもんねー。なんか魔法っぽい図形でも浮き上がってくれば分かりやすいんだけど……」
 新しく用意した地図に赤マルを書き込み、それを線で繋げていたあさひが顔を上げて盛大にため息をつく。


「失礼しまーす~。あら、セルカ先生?」
 うんうん唸りながら五人が悩んでいる保健室の扉ががらりと開き、一人の女性が入って来た。いかにも魔法使いと言った風情の、ゆったりした黒いローブと三角帽子。意外そうな表情を浮かべてセルカのほうを見ている、妙齢の美女だ。
「おや、ミカ先生、どうしましたー?」
 セルカが顔を上げて、その女性――あさひたちの担任でもある、ミカ・プラエストル教諭へと尋ねる。
「いえ、セルカ先生は今日はお休みでしたから、ここにいたのにちょっとびっくりしただけですよ~。ああ、そうそう。お薬をもらいに来たんでした、と。もう、毎度重くて嫌になるわ~」
 そう言ってプラエストルは勝手知ったる様子でぱたぱたと薬棚へ近寄ると、救急箱へ入れる常備薬のスペアが入っている場所を開けて、そこから錠剤を幾つか取り出す。
「ああ、いつものですか。別にここのをもっていくのは構いませんが、できれば自分で常備しておいて、痛みが強くなる前に薬を飲んだほうがいいですよー?」
「分かってはいるんですけど、なかなか……。あら~?」
 保健室備え付けのコップの上でくるりと指先を回し、小さく呪文を唱えてその中を薬を飲むための水で満たしながら、プラストエルがあさひたちの前にある地図を見て声を上げる。
 

「雪村さんたち、どこからチェックポイントのデータを仕入れてきたの~?」
「……チェックポイント?」
 皆が一様に首を傾げるのを見て、プラエストルも同じように首を傾げる。
「あ、あら? ひょっとして全然関係ない地図だったのかしら~?」
「何の話なんですか?」
 困惑した様子でまじまじと地図を覗き込むプラエストルに、その場を代表してセルカが問いを向ける。
「ええと、生徒のみんなはオフレコでお願いね? 今日の職員会議で、リオフレード縦横断レースのチェックポイントが資料として提出されたのよ~。実地検分は三年のマクワイルド君がオリオン先生と一緒に行って、そのレポートと写真資料を見たの。で、そこに載ってた、スタート地点とゴール地点、それからチェックポイントなんだけどね。この地図、私が知っている方から幾つか抜けているポイントもあるけれど、ほとんど一致してるわね~」
 言い終えると黒衣の魔法使いは錠剤を口の中の放り込み、コップの水を口に含んでそれを飲み下す。残る五人はそれぞれに顔を見合わせ、それから地図へと目線を落とす。


「三年のマクワイルドって、こないだのアナ研の人かな? でもなんでレースの検分に出てくるんだろう?」
 先日顔をあわせた先輩の事を思い返しながら、あさひが首を傾げる。
「アレは企画からアナ研が出してきたイベントなんだ。色んなトコからスポンサー契約も取り付けてるし、宣伝もアナ研の番組で打ち出してるし、相当力入れてるね。当日はあっちこっちにカメラを配置して中継やるらしいよ。教師向けの検分に立ち会うとなると、レースの仕掛け人はマクワイルド先輩と見て間違いないかな」
「そのイベントと、ダスクフレアがらみの魔法陣との符号、か」
 メリーベルがあさひの疑問に答えを返し、それを受けてバルバから考え深げな声が漏れる。
「……そっちの地図は、ダスクが関係してるのね~?」
 おっとりした口調はそのままに、瞳に鋭さを乗せたプラエストルがじっと地図を見る。セルカから事情の説明が行われると、ふうん、と声を漏らし、すっと目を細める。
「レースの開催は三日後、参加登録は今日までのはず。スタートとゴールの発表が締め切り後に行われて、チェックポイントの発表はレース前日の予定ね~」
 職員会議で配られたという資料の内容を思い出しているのだろう。視線を虚空にさまよわせながらプラエストルがつらつらとレースの予定を述べる。


「ダスクフレアが関わってるっていうなら、イベントそのものを中止には出来ないんですか?」
 当然と言えば当然のあさひの問いに、しかし教師二人は揃って首を横に振った。
「生徒会に働きかけて、中止に持っていくこと自体は難しいことではないのだけれど~」
「そうなった場合のダスクフレアの動きが読めないのが問題ですね。中止になると決まった瞬間、全ての魔法陣が発動する、何てこともありえます。情報を揃えた上で乾坤一擲の勝負が必要なら躊躇うべきではありませんが、今はまだそのときではないように思います」
「そっかあ……。中止が無理なら、じゃあどう動けばいいんだろう?」
 腕を組んで考え込んだあさひの横で、ぱんと手を打つ音が響いた。メリーベルだ。
「まずは、この件に不自然でない形で関われる立ち位置を確保しておくべきだな。ミカ先生、申し込みは今日までって言ったよな?」
「そうね、まだ申し込みはできるはずよ~。ちなみに場所は生徒会棟の一階にスペースを借りてるわね~」
 よし、と声を上げてメリーベルが立ち上がり、残る面子もそれに続く。
「すいませんミカ先生。もうじき今日の保健室担当の先生が戻ってくるはずですので、それまで留守番をお願いしていいですか?」
「はいは~い。まだちょっとしんどいし、しばらくここにいるわ~。あと、こっちでもあとであれこれ調べてみるわね~」
 ベッドに腰掛けてひらひらと手を振るプラエストルに会釈してから背を向けて、五人は保健室をあとにした。


◆◆◆


「四人一組?」
「はい、正規の選手を四人登録していただきます。一応、何らかの事情によって欠員が出て場合のために、交代要員として五人目までは登録が許可されますよ」
「教員の参加についての規定はどうなってますかー?」
「制限は特にありません。まあ、先生方はどっちかというと研究者肌の方が多いですから、こういう催しに自分で出ようっていう人は余りいないですね」


 リオフレード縦横断レースの受付にて、五人は参加に当たっての説明を受付上から聞くこととなっていた。申し込み最終日の、しかも参加締め切りギリギリの駆け込みだったが、内心はともかく、表面上は丁寧に受付係は説明をこなしていく。
 このレースは文字通り、リオフレード学院を縦横に駆け回るコース設定となっていること。
 スタートとゴール、各走者のリレーポイントは申し込みの締め切り後に、チェックポイントはレース前日に発表されること。
 このレースはポイント制であり、各チェックポイントとゴールの到達順位や、レース中のトリック――決めポーズや派手なアクション等、とにかくカメラのあるところでウケる動作をする――が加点対象となること。ゴールの着順がもっとも大きなポイントになるのは間違いないが、それ以外のところで細かくポイントを稼いでいれば、それが最終的な順位に影響してくるという仕組みだ。


「何というかまあ、本当にお祭り仕様ですねー」
 呆れ半分、感心半分のセルカの言葉に、あさひもうんうんと頷いて同意する。
「ともかく丁度ここに五人いるんだ。まずはこれで登録しちまおう。誰が正規の選手ってのは、まだ決めなくてもいいのか?」
「はい、レース前に申請していただければ結構ですよ」
 バルバの問いにはきはきと答え、申し込み用紙をすっと差し出す受付嬢。まずはメリーベルがそれを受け取り、ざっと目を通して必要事項を次々書き込んでいく。
「ところでさあ、おたくの企画担当、マクワイルド先輩って今何処にいるか分かる? ちょっと話がしたいんだけどさ」
 いくつか書式について受付嬢に質問しながらペンを進めていた彼女が、ふっと話題を変えた。突然の話題転換に少々怪訝な顔をみせた受付嬢だが、記憶を探るように少しだけ考えてから答えを口にする。
「確かマクワイルド先輩なら今日からレースの開催日まで有休とってたような。確か、こまごまとした準備であちこち飛び回るって言ってたから、何処にいるかはこっちでも把握できてないですね。捕まえるのは難しいかも」
 へえ、と生返事を装ってそれを受け流しながら、メリーベルは申し込み用紙を書き終え、受付嬢に確認を依頼してその場から一歩下がる。目配せした先にいるあさひたちが皆頷きを返すのを確認してから、再び正面に向き直った。
 余談だが、リオフレードで言う『有休』とは、『有単位休暇』の略語である。成績優秀者や、社会への貢献者に対する褒賞として、あるいは有意義な課外活動を行う者のためにある制度なのだが、しばしば風紀委員等の生徒会系の生徒が一般生徒を協力者としてコキ使う際のエサとしても使用されることがある。


 ともあれ、その有休を使って、このレースの企画に関わったと思われるエリック・マクワイルドが学院を休んで消息を絶っている。どう考えても怪しい、という思いがあさひたちの心中には渦巻いていた。
「どうする? マクワイルド先輩を探してみた方がいいのかな?」
 受付から離れたところで身を寄せ合って相談を始めるあさひたち。
「だが、わざわざ姿を消してるんだ。そうそう見つかるもんでもないんじゃないか?」
「調査結果の結果について風紀委員に連絡して、人海戦術で見つけ出すというのはどうでしょうか」
「状況証拠だけで風紀が大規模に動いてくれるモンなのか?」
「ことがダスク絡みとなれば不可能ではないでしょうが、ちょっとオススメはしかねますねー」
 頭を寄せ合ってああでもないこうでもないと相談する中で出てきた、こうした事態において大きな武器となる組織力に頼ろうという提案に対し、難色を示したのはセルカだ。
「先ほど保健室でも言いましたが、現時点の見込みでは大規模に人を動かしてダスクフレア候補者を捜索し、平行して魔法陣への対処をすれば被害はかなり縮小できそうです。ですが、これだけの仕込をしておいて、それだけでどうにかなる、とは考えない方がいいのかもしれません」


 順番に四人の顔を見渡してから、あくまで手元にある情報からの推測ですが、と前置きしてセルカが話を続ける。
「まず、わざわざレースのチェックポイントに仕掛けがしてある――順序が逆なのかもしれませんが――ということは、レースの開催自体が目的のために必要な事である可能性が高いです。もしそうであるなら、レースが開始されるまで、もしくは終了するまで事態が動かないと見ていいでしょう。ですが、派手に動いて向こうを下手に追い詰めると、その辺りを全部うっちゃって魔法陣を起動される恐れもあります。そうなった場合、対処の具合によってはかなり大きな被害が出ますし、混乱に乗じてダスクを取り逃がすこともあり得るでしょう。もっとも、レースの準備にカモフラージュするためだけにこの位置に魔法陣を仕込んだ可能性も否定できませんが」
 そこまで言うと言葉を切り、四人から意見が出てくるのを待つ。
 最初に声を発したのは、バルバである。
「なら、一旦は様子見に回るのか」
「それが妥当でしょう。レース開催までにもう少し色々と調べて、何らかの対抗策を見つけ出しておきたいところですねー」
「それが出来なかったら?」
 もっともな疑問をメリーベルが呈し、セルカはそうですねー、と首を傾げる。
 しばらくそうやって考えるそぶりを見せていたかと思うと、突然にぱっと笑顔を浮かべた。


「そのときはそのときです!」
 セルカ以外、全員の肩ががくっと落ちる(バルバはやや普段よりも重力に押しつぶされたような形状になった)。
「そ、そんな行き当たりばったりでいいの、セルカ先生?」
 呆れたような――実際呆れているのだが――あさひのツッコミに、しかし笑顔を絶やさないセルカ。
「いいんですよ。先生はレース開催までに全力を尽くします。皆さんもできる限りのことをしてください。自分の力だけでなく、周囲の力も頼りましょう。そうして打てる手を全て打ったなら、きっと道は開けますよ」
 きっぱりと言い切って胸を張る養護教諭に、生徒達四人の視線がまじまじと注がれる。
「……そうだな。先生の言う通りだ。まずはやれる事をやるか」
 感嘆の色を含んだバルバの台詞に、皆が一様に頷く。
「さて、じゃあ先生は一度保健室に戻ってみます。ミカ先生がまだいたら、ちょっと相談したいこともありますので」
「じゃあ、アタシはアナ研とマクワイルド先輩について洗いなおしてみようか」
「あたしはメリーベルの手伝い、かな。まだ土地勘もあんまりないし」
「では、あさひにお供します」
「ふむ、そうだな。じゃあ俺は新図書館で資料漁りでもしてみるか。何か今回の事に繋がるものがあるかも知れねえ」
 それぞれにやるべき事を確認した五人は視線を一瞬交錯させると、にっと笑みを交わし、そのままそれぞれに行動を開始した。




[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑨ 衝突
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/11/25 20:26
Scene14 あなたのしあわせ


◆◆◆


 未来、と言う言葉について。


 未だに来ないもの。どうなるか分からないもの。
 それが自分にとってほんの少しでも良いものになるように、きっと誰もが願っている。
 それが自分にとって大切な人にとっても良いものであるよう、やはり誰もが願っている。
 だから、自分の思い描くそのビジョンを実現しようと行動を起こす。
 だけど、そのビジョンは、自分自身にしか見えていないのだ。
 きっと、それが問題だった。


◆◆◆


「うーむむむ……」
 リオフレード学院高等部保健室。この部屋の主の一人である養護教諭、セルカ・ペルテが、執務机に向かって、ペンを片手に先ほどからこうして唸り声を上げていた。
 彼女がリオフレード縦横断レースの受付をした昨日から不眠不休の勢いで取り組んでいるのは、件の魔法陣の解析作業である。が、その引用元となったであろう魔導書が手元になく、写本に写本を重ねた書物を参考にしているために、どうしても核心に触れることが出来ない。
「ここの記述が爆発、これが増幅、こっちが他の魔法陣との連結……」
 ぶつぶつと呟きながらメモ用紙を真っ黒にする勢いで何事かを書き付けていくその姿はさながら試験前の一夜漬けを行う中学生のようだが、彼女の中には今、責任感の炎が燃え滾っていた。
 なにせ、生徒達の前で論理的な根拠はほぼ何もないままになんとかなる、などと大言を吐いたのである。それに見合う努力はせねばならない。


 様々な資料をひっくり返し、他の魔法学の教師にも意見を乞い、多様なアプローチをもって彼女は魔法陣に挑みかかっていた。
「ん……? これは……」
 そして、彼女はそれに気が付いた。
 魔法陣のうち、スタート地点に配されたものとゴール地点に配されたもの、そしてチェックポイントに配されたものでは、微妙に記述の異なる部分があるのだ。それらは巧妙に隠されていて、一見したところでは同じに見えてしまうような、そんな差異だ。
 セルカの口の端が、我知らずほんの少し釣りあがる。ようやく引っ掛かった手がかりである。否応なしにテンションが上昇するのを彼女は感じた。
 ふん、と気合の入った鼻息を一つ。
 先ほどにも増して勢い込んだセルカが解析作業に熱を入れ、保健室にペンの音が不規則に響き続けている。


 保健室でのセルカの作業が続く事しばし。ひと段落着いたのか、それとも単に一息入れただけか、彼女が顔を上げて大きく息を吐いてから肩や首をぐりぐりと回す。
 からりと音を立てて保健室の扉が開いたのは丁度そんなときだった。
「よう先生。邪魔するぜ」
 言いながら室内に入ってくるバルバは、身体の上部を台座のように変形させて、そこに何冊もの本を乗せていた。よく見るとどの本にも何枚かずつの付箋が挟み込まれている。そのうちの一冊が新たに形成された触腕でひょいと持ち上げられ、セルカに見えるようにして付箋の張られてあるページが開かれた。
「オリジンの戦史について扱った本だ。今回のと似たような魔法が使用された例をピックアップしてきた。ひょっとしたら使えるかもと思ったんだが、どうだ?」
 無言のまま投げかけられるセルカの問いに、そんな風にバルバが答えた。セルカは開かれたままの本を手に取り、そのページに目を通す。ふむ、と声を漏らし、本をパタンと閉じてバルバに向き合う。
「何かいい発想が得られるかもしれません。他の本も合わせてありがたく読ませていただきますよ」
「そうか。新図書館の方の調査じゃあイマイチ成果が出なかったからな。多少なりともそれが使えるなら幾分か胸のつかえも取れる」
「……好奇心から尋ねるんですが、この場合、バルバ君の胸はどの辺りになるんでしょうか?」
 小首をかしげたセルカの問いに、バルバは数瞬だけ考え込む。持ってきた本をセルカの机の隅に積み上げてから学帽の後ろをぽりぽりと掻くような仕草を見せた。
「多分、この辺り……のような気がする。まあ、気分によって変わるな」
 バルバが指差したのは自身の重心に相当する部位だ。なるほど、と頷いて、それきりセルカは本を一冊手にとって付箋の張り付けられたページを開いて読み込み始める。どうやら、先ほどの質問は本当に単なる好奇心だったらしい。


「なあ先生。俺からも一ついいか」
 本から顔を上げないままで、どうぞ、とセルカが答える。
 一方、問いかけた方であるにもかかわらず、バルバはしばらくの沈黙をみせ、学帽を右へ左へと振り向ける。そうしていたのは二十秒ほどか。ためらいを振り切ったのか、言うべき事の整理が終わったのか、彼は改めて言葉を作る。
「雪村とシアルだがな、どう思う?」
 丁度ページをめくろうとしていたセルカの指がぴたりと動きを止め、養護教諭がゆっくりと本から顔を上げてバルバに視線を固定する。
 だが、彼女の方から言葉は発せられない。じっとバルバを真正面から見詰めて、彼が言いたい事の続きを口にするのを待っている。
「どうもな。仲が悪いわけじゃない。むしろお互いに好ましく思いあっているのは間違いないだろう。だが、何と言えばいいのか……。女子同士のことだから尚更に上手くは言えないんだが、どうも気になる」


 自分でも要領を得ない物言いだと内心で呟くバルバに対し、セルカはぱたんと本を閉じて膝の上に置き、ほんの少しだけ微笑んでみせた。優しげに眉尻を下げたそれは、あとに続く者に対する、見守る者の笑みだ。
「ときどきね、あるんですよー。特に最近はグレズの学生も増えましたから、それ絡みでね」
 やや唐突な印象の否めないその台詞に、しかしバルバは聞き返すようなことをしなかった。先ほどとは逆に、じっと彼女に真正面から向き合って、話の続きを待つ姿勢だ。
「自意識の形成の方法とか、それにかける時間とか、それと向き合う側との見解の相違とか、その辺りの問題だと思うんですけどねー」
 つらつらと、取りとめもなくセルカが並べ立てる言葉は、ともすれば意味を成さないようにも聞こえる。実際、バルバにも目の前の養護教諭が最終的に何を言いたいのか、さっぱり見えてこない。
 だが、それでも幾つか分かる事はある。だから、彼はこう口を挟んだ。
「よく分からんが、先生には俺よりも問題が見えてるって事か。なら何故動かない?」
 問いかけながらも、バルバにもいくつかの予想はある。そのどれによって彼女が静観しているかは分からないが、答えによっては自身がもっと積極的に動くべきかも知れないとは考えている。
 これが平時であるなら、彼とても助けを求められたわけでもない、現時点でそれを必要としているようにも見えない問題に介入するような無粋は控えるところであるが、今はダスクフレア関連の問題ごとが持ち上がっている時期である。彼自身が動く事で不安要素が少なくなり、周囲の安全度が少しでも上がるのなら、それは有意義であると考えたのだ。


「今の段階で誰かが強く介入しても、あの二人にいい事はないと思うからですよー」
 だが、セルカはにっこりと笑ってそう言い切った。
「確かに今は時期的に色々と不安でしょう。多少強引だったり、妥協的な形ででも問題は解決しておいた方がいいのかもしれません」
「だが、それはやらないんだろう? それでマズい事態になったらどうするんだ?」
 淡々としたバルバの口調とは対照的に、セルカは明るい声で彼の懸念を一蹴する。
「大丈夫ですよ。雪村さんもシアルさんも、彼女達の周りにいる友達も、みんな良い子ですから」
 あっけらかんとしたその言葉に対してバルバは何も言わず、ただ彼の学帽がセルカの方を向いたまま、微動だにしない。どれくらいの間そうしていただろうか。実にわざとらしく大きなため息が、バルバから漏れた。セルカがくすくすと笑う。
「心配性ですねえ、バルバ君は。大丈夫、いざとなったら先生が何とかしてみせますよー」
 何を、とは言わない。あさひやシアルが抱えているらしい問題か、それともレースに絡んでいると思われるダスクフレアの企みか、それともそれらをひっくるめた全てなのか。白衣の養護教諭は絶対の自信を載せて笑顔を浮かべる。
「昨日も思ったが、先生は割と無意味に自信満々だな」
 無意味に、と言う割にその声に揶揄の響きはない。むしろ、どこか感じ入っているような様子さえ感じられた。
 それに対して、セルカはおや、というように眉をぴくりと上げてみせた。
「その辺りはバルバ君もよく分かる機微なんじゃないでしょうかねー?」
 口許を愉快そうに歪めてそう言ってから、こういうのは誰かにバラしちゃいけないことでもありますけどね、と付け加える。
「……なるほどな、よく分かった。教師ってのは俺らが思う以上に色々と面倒なんだな。ともかく、雪村たちのことは先生の判断に任せる」
 得心したような言葉を残して、バルバの身体の向きがくるりと変わる。セルカに背を向けて、保健室の出口へとするすると滑るように移動し、そのまま廊下に出ようとして、
「バルバ君、その気の回しようとか面倒見のよさとかは案外教師向きかもしれませんよー。卒業後の進路として一考してみては?」
 背後から掛けられたその声にぴたりと静止する。
「言ったろ。面倒臭え。……第一、ガラじゃねえよ」
 すぐに再起動して、閉じられたドアが学ランの背をセルカの視界から隠す。
 セルカはひょいと肩をすくめると、バルバの持ってきた本を手にとって、再びそれに目を通し始めた。


◆◆◆


「ねえシアル?」
「何でしょうか、あさひ」
 レースに関する問題解決の糸口として、アナウンサー研究会所属、エリック・マクワイルドの所在を求めての各所での聞き込みを終えて、メリーベルと合流すべく放課後の廊下を放送室へと並んで歩きながら、あさひとシアルは言葉を投げかけあう。
「唐突な質問なんだけど、クラスの皆のことをどう思う?」
 宣言どおりの唐突な質問に、シアルは即座の返事を諦めて、思考の時間を作る。
 ――クラスの皆、ということは、特定個人に対してではなく、2年8組全体の平均値に対する解答を求められていると考えるべきでしょうか。
 自問に対する頷きを一つ、あさひに向けて答えを述べる。
「いいクラスだと思います。学院に不慣れな私達に気遣いを頂いていますので」
「あー、うん。そうなんだけども……。よし、じゃあほら、ニコルとかどう? こないだも一緒にエナージェを回ったんだよね?」
 続けての質問に、今度はさっきの質問ほどには考える時間をとらずに返答する。
「ニコルは善良かつ活発な人柄だと思います。また、食を通じて異文化交流をしようという考え方は、あさひにも馴染むのではないでしょうか」
「なんでシアルはあたしを食い道楽にしようとするの……? いやいや、そうじゃなくて。好きか嫌いかとか、あるでしょ?」
 一旦はがっくりと肩を落としながらもめげずに質問を続けるあさひに向けて、シアルはこっくりと頷いてみせる。
「好悪で語るのなら、無論ニコルのことは好きです。あさひに対して色々と気を配ってくれていますし」
「そこ基準なの?」
「もちろんです」


 ――いかん。これは思ってたより相当根深い。
 内心であさひは頭を抱えた。
 クラスメイトにしろ、メリーベルのような他のクラスの友人にしろ、シアルの周囲にいる人物とはすなわちあさひの周囲にいる人物でもある。
 当たり前といえば当たり前で、二人が離れて行動する事が極端に少ない以上、交友範囲が重なってしまうのは避けられない。
 だが、シアルはあさひとの共通の知り合いに対して、『あさひに対して友好的かどうか』で評価を決めてしまう。それでは意味がないのだ。
 あさひは、シアル自身の意思と選択で友人を作って欲しい。シアルが雪村あさひから独立した一個の人格である事を彼女自身に知って欲しい。
 今の状態は自分の存在が彼女を縛り付けているようで、それが時折たまらなくなるのだ。


「ねえシアル?」
「何でしょうか、あさひ」
 やり取りが再スタートされる。
 今度はもう少し、踏み込んでみようとあさひは考えていた。
「対人関係の判断をあたしの存在を絡めないで行うってのは出来ないかな」
「何故です?」
 シアルから即座に帰ってきたのは疑問だった。完全に素の表情。何故そんなことをする必要があるのか、という問いかけだ。
 それに対して、今度はあさひが思考の時間を持つ。
 足を止めずに廊下を歩きながら、軽く目を伏せて考える。少しの間を置いてから、あさひは顔を上げてシアルのほうへと視線を向けた。
「例えば、もしあたしがシアルの傍にいられなくなったとして――」
「やめて下さい」
 ぴしゃり、と。
 断固とした口調で、あさひの言葉が断ち切られた。


 二人の足は止まっていた。ややうつむき加減で表情を隠したシアルを、戸惑い気味にあさひが見つめる。
「私は、あなたの、雪村あさひのためだけのアニマ・ムンディです。あなたに必要とされなくなり、あなたと共にいられないのであれば、その時点で私に存在する意味はありません」
 淡々と。
 少なくとも表面上は、凪いだ湖面のような声色でシアルが言葉を作る。だが、それとは裏腹に、そこに込められた強烈な意思は確かにあさひにも伝わった。
 だが、だからこそ、あさひも彼女に伝える。


「でも、でもねシアル。あなたはあなたでしょ? 意示も感情もある、好き嫌いだってある個人でしょ? それが、あたしだけに固執するのは良くないよ」
 それは、あさひが言っておかねばならないと常々思っていたことだった。シアルの事を大事に思うが故の、彼女に幸せでいてほしいと思うが故の言葉だ。
 だが、肝心のシアルはうつむいたままだ。長く美しい金髪が障壁のようにその表情を覆い隠し、あさひからは彼女の様子が伺えない。
 二人の間に沈黙が満ち、遠く、運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音が響いてくる。


「あさひ」
 呼吸五つ分の間をおいて沈黙を破ったのは、シアルの方だった。
「あなたに私は必要ないのですか」
 俯いた姿勢はそのままに、あさひに向かって問いかける。
「いや、そんなことは――」
「そんなことはないと言うのならば、何故」
 反論を口にしようとしたあさひが、そこに重ねられたシアルの言葉に遮られる。
「――何故、私があなたから遠ざかった、……あなたのいない状況を想定するのですか」
 言って、シアルはゆらりとした動きで顔を上げた。いつも通りの、ともすれば冷淡にも取られかねない薄い表情。だが、あさひを真正面から見つめるその瞳には、常にない熱がある。
「学院へやってきて、友人や知遇を得たから、もう私には用がないということですか。あなたの望むように振舞えない人形に愛想が尽きたのですか」
「な……!?」


 今までにも、シアルがあさひに対してやや強めの言葉を使ったことはあった。だが、それらは彼女が天然で言っているものであったり、お互いに分かった上での言葉遊び、じゃれあいのようなものだ。言葉の裏にある意思にあさひに対する負の要素が含まれていたことは皆無だったと言っていい。
 だが、これは違う。敵意というには弱く、隔意というには近い。だが、明らかに攻撃性を持った言葉の投げかけ。
 それにあさひは一瞬怯む。
 虚を突かれたように空白になった彼女の意識に次に浮かび上がってきたのは、憤りだ。平たく言えば、カチンときた、というのが正しいだろうか。
「なんで、そんな風に思うの!? あたしがシアルを用済みだとか、そんな風に思うと本気で考えてるの!?」
 口から出た言葉には、本人ですら思いがけないほどに力が篭っていた。頭の片隅に存在していた冷静な部分がちょっとマズい、と思考するものの、吐き出された台詞の熱が彼女自身を煽り、ぐらぐらと煮えた感情が続けようとした言葉をふさぐほどに強く存在を主張する。


「ですがあさひ。あなたは……」
 シアルが言いかけて口ごもる。再び下を向いて俯き、その拳が握られる。それは、続く言葉を口にするための力を溜めているようでもある。
「あなたは、ここからいなくなるのでは――地球へ帰るつもりなのではないのですか? だから、私を切り捨てようとしているのではないのですか?」
 きっと視線を上げて、再びシアルの金の瞳があさひを覗き込む。


 それは、あさひの急所だった。
 敢えて考えないようにしていた、だがいつも意識の何処かにはあったことだった。
 異世界オリジン。自分が存在している場所とは異なる世界。
 それがあさひの認識だ。善し悪しではなく、厳然たる事実として、彼女は異邦人であり、本来帰るべき場所はここではない。
 もちろん、オリジンを否定するつもりもない。そこに住む人々は、ウェルマイスの街でユージーンとミリを腕に抱いて覚悟を決めたあの時から、あさひにとっても守りたいものとなっている。
 だが、望郷の念はそれとは別なのだ。帰りたくても帰れない、遠いふるさと。
 もともとの性格や適応力の高さ、絶対武器の加護のおかげでオリジンでも普通に過ごせてはいる。
 帰る方法が分からなくても、なんでもないように振舞っていても、いや、それだからこそ、故郷に残してきた家族や友人、今までの暮らしが忘れられるはずもない。


「そんなの……!!」
 ぎり、という音があさひの頭の中に響く。自分でも気付かないうちに、軋むほどに食いしばった歯の立てる音だ。
 シアルの言葉はこれ以上ないほど的確にあさひの急所を貫いていた。
 そして、それ故にあさひは自分を抑えきることが出来なかった。
 彼女の中で火勢を強くしていた感情の炎が、さらに奥底から染み出してきたどろりとした何かを喰らい、更に激しく燃え上がる。


 自分は、シアルに幸せでいて欲しいと願っただけなのだ。
 この世界で最初に出会った彼女、それからずっと、あさひのことを案じ続けてくれたシアルに、自由でいて欲しいと。
 そんな思いが、あさひの中で渦を巻く。
 その激しさと熱さは、やがてあさひ本人を翻弄する。


「シアルに、何が分かるの……?」
 俯き、地面に向かって落とすように紡がれるその言葉はあさひ自身も意外に思うくらいに静かな口調で、
「シアルに、あたしの、何が分かるって言うの……!」
 だからこそ、その裏側にある炎の苛烈さは、これ以上ないほどにシアルに伝わった。
「あさひ、私は……」
「もういいっ! シアルなんか知らないんだからあっ!」
 一歩を踏み出し、何かを言おうとしたアニマ・ムンディの台詞を、フォーリナーの叫びが遮る。


 自分の靴先を見つめ、そこに向けて叩き付けるように吐き出したあさひの言葉に続く音があった。
 きゅ、という、靴底が床を擦る音と、たた、という連続した、そして一つ響くごとに遠ざかる音。
 はっとした様子であさひが顔を上げる。その目に映ったのは、廊下を走り去り、ずっと向こうにある曲がり角の向こうへ姿を消そうとしているシアルの背中だ。


「あ……」
 意味を持たない声があさひの口から漏れる。
 何を考えるでもなく、ほとんど反射的にシアルの去った方向へ足を踏み出そうとした、まさにその瞬間。廊下に響き渡った音がある。火薬による破裂音。聞き覚えのあるそれは、
「……銃声!?」


 聞こえてきたのは、あさひが今向かおうとしたのとは反対方向。そして、本来目的地としていた、放送室のあるほうだ。
「――――っ」
 聴覚として意識を向けた上半身は放送室へ、今まさに動こうとしていた足を中心とした下半身はシアルのほうへ。二つのベクトルに挟まれるようにあさひは動きを止める。
 そうしてその場で固まっていたのは、どれくらいの間だったか。
 やがて、彼女は身を翻し、一つの方向へ走り出した。
 シアルが走り去った方に背を向けて、放送室へと。


 全力で廊下を駆け抜けたあさひは、すぐにたどり着いた放送室のドアを乱暴に開け放つ。
「メリーベル!?」
 同時に室内にいるはずの彼女の名を呼ぶ。
 が、ドアを開けてすぐのブースには彼女の姿は見えない。代わりに彼女の視界に入ったのは、放送部の先輩としてメリーベルから面通しをされていた樹木系幻獣トレントのエントが床に倒れ伏した姿だ。放送部でも屈指の武闘派としてメリーベルの周囲を警戒する役を負ったという彼がこうして倒れているという事に、事態に対する焦りがあさひの中にどっと押し寄せてくる。

 ばしん、とあさひの両頬から乾いた音が響く。
 思い切り両手で頬を叩き、無理やり、かつ一時的にぐちゃぐちゃになった精神の平衡を取り戻し、あさひは次の行動に移る。
 放送室内の気配を探りながら、エントに駆け寄る。丸太そのものの彼の身体を抱き起こす。人間とは身体構造が違いすぎるために脈を取るなどで身体的な状態を推し量ることは難しいが、呼吸は普通にしている――余談だが彼は光合成によって酸素を吐き出しているらしい――し、内在フレアの状態を感じ取ってみたところ、おかしな乱れや淀みは見受けられない。専門家に診せるまでは断定は出来ないが、おそらくは気を失っているだけだろう。
 そこまで考えたところで、彼女の知覚に引っかかるものがあった。隣のブースに、人二人分の気配。同時に、二度目の銃声。音の出所を探るまでもない。間違いなく、この隣の部屋からだ。
小さめの深呼吸を一回。その時間を使って腹を括り、あさひは隣のブースへのドアを力の限り押し開いた。


Scene15 宣戦


『アナウンサー研究会についての概要』
 リオフレード魔法学院の報道系部活。部員数126人。主に娯楽系の番組において大きなシェアを誇る。
 研究会の名前の通り、発足当初はアナウンサーとしての技量を研鑽し、各報道部活に派遣することを主な活動内容としていたが、ある時期から自ら番組を作成し始める。
 ニュースの作成から始まったその番組作りは徐々にその幅を広げ、最近ではドラマ、アニメ、ドキュメンタリー、バラエティなど多岐にわたる。
 報道系としては放送部に次ぐ勢力を持ち、昨年度に起こったナイトメア事件によって放送部が活動を縮小した際にはトップに立っていた時期もある。
 しかし、その直後に起こった風紀委員のクーデター未遂事件を契機として放送部が再び勢力を伸張。驚異的な速度で復興し、再び放送部の後塵を拝することとなる。
 とは言え、いくつかの分野においては放送部を凌ぐ勢力を確保しており、今後はこの二つの大手部活の競争による切磋琢磨でコンテンツが拡充していくだろうとの見方が大勢を占めている。


『エリック・マクワイルドについての調査書』
 リオフレード魔法学院経済学科三年生。アナウンサー研究会に所属。入部してすぐ熱心に部活に打ち込む(これには後述の彼の家族構成が関係すると思われる)。主に番組の企画担当として能力を発揮し、幾つもの人気番組を送り出す。
 上昇志向が強く、ライバル部活である放送部に対して強い対抗心を抱いている事でアナ研内部でも有名。彼と同じく放送部を押しのけてトップに立ちたいと考えている部員からは熱烈な支持を受けているが、逆に穏健な融和を志向している一派からの受けは良くない。が、能力的に優秀である事、部活への情熱は誰もが認めるところであり、その点においてはタカ、ハトの派閥を問わず部内において無類の信頼を誇る。
 NBCネフィリム・ブロードキャスティング・コーポレーションの重役を父親に持つ。卒業後にはニューマンハッタンにて同社に就職を希望。部活での役職と同じく、番組の企画に携わりたいとのこと。
 最近、右前腕部を負傷した模様。ただし、医療機関にかかったような記録はなく、利き腕である右手の怪我であるのに治療魔法を用いようとするそぶりも一切見られない。
 同じく最近になって、アナ研が放送部を押しのけて頂点に立つ、という内容の発言を部内で表立って宣言し始めたという報告あり。そもそもの志向を考えればさほど不自然な事ではないが、彼自身の性格として、少々以前と齟齬を感じる部分もある。
 
 
「最近になって言動に違和感があるマクワイルド先輩、で、その右手を隠すように巻かれっぱなしの包帯、か」
 放送室内部に、吐息混じりの思案げな声が漂う。声の主はつい先ほどまでここでお昼の放送の片づけをしていたメリーベルだ。
 ちなみに、学院内に放送機材を揃えた部屋は複数存在するが、“放送室”と呼ばれるのはこの部屋のみである。学院全体への公共放送を司るのがこの部屋であり、ここの使用権を持つ部活こそが生徒会からそうした業務を託されていると証明するが故のことである。
 その放送室内部、いくつかに分かれたブースのうち、放送直前の打ち合わせ等で使用する机と椅子が乱雑に置かれたスペースで、“放送網”によって調べられた情報の記載されたファイルを手にメリーベルががしがしと頭を掻き乱した。セットの乱れた赤毛を気にする風もなく、そのまま頬杖を付いて考え込む。
 やはりどうにもエリック・マクワイルドが怪しい。数々の状況証拠が、彼が何らかの――おそらくは黒幕として――今回の件に関わっていることを示唆している。だからこそ彼は身を隠しているのかもしれないが。
 “放送網”はもちろんの事、風紀委員も重要参考人として彼を探しているのにも関わらず、その足取りは一向につかめていなかった。
 アナ研のレースに関わるスタッフにも当然風紀委員から尋問に限りなく近い聴取が行われたが、彼らが舌を巻くほどの周到さで事前にやるべきことの指示がマクワイルドから行われていたことにより、レース開催までは彼に連絡を取らずともスケジュールが進むように手配されていたために、尚更その足取りが追えなくなっていた。
「ともかく、こうまで逃げ隠れするってぇことは逆に言えば見つかると面倒だ、って向こうが思ってる証拠だよな。なんとか捕捉できれば事態を打開できそうな――」
「さて、それもどうだろうかな」


 突如として聞こえた男子生徒の声。背後からのその内容を脳が理解するよりも早く、メリーベルの身体は動いていた。瞬時に立ち上がり、声の聞こえた方へ右手を向ける。その手の中にはいつの間にか鈍い銀色の輝きを放つリボルバーが握られていた。
「随分と悪趣味ッスね、マクワイルド先輩」
 風紀委員やバルバの舎弟たちが動員され、血眼の捜索が行われているはずのエリック・マクワイルドがそこに悠然と立っていた。
「どこから入ってきたんスか? エント先輩も向こうにいたはずなんスけど」
 放送室内部はいくつかのブースに仕切られている。メリーベルが調べ物をしているのと別のブースには、彼女の護衛として放送部の先輩が詰めていた。しかし、メリーベルのところには何の物音も、争う気配さえ伝わっては来なかった。いや、マクワイルドに声を掛けられるまで、すぐ背後にいたはずの彼の存在に全く気付かなかったのだ。完全防音が施された録音ブースやその調整室ならともかく、彼女や件の先輩がいるのは今いるのはそこよりも入り口に近い、防音の緩いスペースであるのに、だ。
「心配は要らない。全く危害は加えてはいない。あとで確かめるといい」
 ちらりとマクワイルドが背後へ視線を流す。そちらにいたはずの先輩の安否が気になるが、メリーベルは微動だにしない。
 彼の眉間に銃口をポイントしたまま、視線を動かさずにその様子をざっと観察する。銀縁眼鏡の向こうに覗くいつもの神経質そうな仏頂面に、オールバックのアッシュブロンド、自信ありげな佇まいは彼女の見知っている彼そのものだ。
 ――いや、なんか違和感が……。
 そう考え、すぐにその原因に行き当たる。
「先輩、右手の怪我はもういいんスか?」
 ああ、と相槌を打ち、マクワイルドは右の掌をメリーベルに向ける形で目線の高さまでゆっくりと掲げてみせる。
「もし心配させていたなら謝罪しよう。実は怪我などしていなくてね。しばらく右手を隠す必要に迫られて包帯を巻いていたというわけだよ」
 言葉とともに、掌をくるりと返し、甲をメリーベルに向ける。
「……その指輪は……!?」
 彼の指には、メリーベルが持っているものとそっくりな意匠の、しかし漆黒の指輪がはまっている。
「話くらいは聞いているのではないかな? 君とて薔薇十字の指輪の所有者だろう」
 淡々と、しかし僅かに愉悦の色を滲ませて彼は指輪をかざし、
「黒い薔薇十字の指輪、だよ」
 微かに唇の端を上げ、そう言った。


「幾つか質問に答えてもらえますかね」
「答えられることには答えよう」
 メリーベルの右手に収まっている拳銃のことなどまるで気にした様子もなく、鷹揚に頷くマクワイルド。
「あの魔法陣は先輩の仕込みッスか」
「無論、そうだ。かなり急ピッチであちこちに仕掛けたからね。なかなかに大変な作業だった」
「アンタの目的は?」
「君ら、放送部より上に立つことだ」
 ぴくり、とマリーベルの眉が微かに上がる。それに気付いたのかそうでないのか、マクワイルドは唇の端を僅かに曲げて、うっすらと笑んでいた。次の質問には答えは返るまいと思いつつも、更にメリーベルは言葉を重ねる。
「魔法陣の起動条件は? アンタの狙い通りに事が運べば何が起こる?」
「ふむ」
 打てば響くようにすらすらとメリーベルの質問に答えていたマクワイルドは、そこで初めて一旦間を置いて考えるそぶりを見せた。その間もメリーベルの銃口は全く動かずに彼にポイントされたままである。彼の度胸が図抜けているのか、それとも、たかが拳銃一丁、意に介する必要もないのか。現時点でメリーベルにそれを判断する余地はなかった。
「残念ながら、それには黙秘させてもらおうか。本番前のネタバレなど、イベント開催側としては最も忌避するものだからね」
「……そうッスか」
 答えを得られなかったメリーベルに落胆の色はない。ただ、次の質問を投げかけようと口を開きかけ、しかしそれを閉じる。
 ためらいを感じさせる彼女の様子に、マクワイルドはまず目許だけで笑みを浮かべ、逆に彼女に向けて問いを放つ。
「それで質問は終わりかな?」
「いや、あと一つッスよ、先輩。あんたは……」
 一呼吸の沈黙。それを間に挟んで、メリーベルはそれを口にした。
「あんたは、ダスクフレアか?」


 返答は、言葉ではなかった。彼の右手が、再びゆらりとした動きで顔の高さまで持ち上げられる。
 メリーベルの全身に緊張が漲り、それに答えるように、マクワイルドの指に嵌められた黒い薔薇十字の指輪が陽炎をまとう。漆黒の色彩を持って空気を歪めるその気配を、メリーベルはごく最近に体験していた。
「――プロミネンス!」
 言葉とともに、引き金を引く。撃鉄が落とされ、弾丸が撃ち出される。
 そこまでだった。
 銃口とマクワイルドの眉間を結ぶ直線上。そこに割り込んだ黒薔薇の指輪に触れるか触れないか。
 そこで、銃弾はぴたりと静止している。


 く、とメリーベルは息を詰める。更に銃弾を撃ち込むべきか。いや、そうしたとしても、通用しないのではないか。
 それは、一瞬の迷いだった。
 だが、その一瞬こそが死命を分けるのだと、サンドブロゥのシスターでありながら、銃使いとして卓越した手腕を誇るガウチョであるメリーベル・シャリードは誰よりも知っていた。
 黒い薔薇十字の指輪から、プロミネンスの陽炎が鎖のようにメリーベルを絡め取ろうと幾筋もの手を伸ばす。
 集中力によって引き伸ばされた緩慢な一瞬の中で、メリーベルの瞳にマクワイルドの口許が写りこむ。強く持ち上げられた口角は、この立会いの趨勢を何よりも雄弁に語っていた。


 その瞬間、メリーベルは左足でたん、と軽く床を叩く。それから全身を弛緩させた。
 それは、あたかも覆しようのない苦境に対して苛立ちを抱き、全ての抵抗を放棄したようにも見える。そして、その無抵抗に乗じるようにプロミネンスが彼女を捉えようとした。
 黒い陽炎が彼女に触れるよりもほんの一瞬だけ早い。その時間差をもって、メリーベルの指が引き鉄を引く。
 撃ち出された銃弾は、マクワイルドに向かうものではなかった。
 いつの間にか彼女の左手に握られているもう一丁の銃。それが、彼女自身の真横、持ち手とは逆の右方向へ向けて射撃されたのだ。
 本来なら反動を受け止めるための力を込められているはずのメリーベルの腕は、今はその役をなさず、射撃の反動が真っ直ぐに伸ばされた腕から同じくぴんと伸びた肘へ、そして肩へと伝わり、そこから身体の外側へと抜けようとする。
 メリーベルはその力に逆らわない。結果として、彼女の身体は左側へと流された。
 右のこめかみをかするようにプロミネンスが行き過ぎてゆくのを感じながら、メリーベルは先ほどからマクワイルドの眉間をポイントしたままの右の引き金を絞る。続けざまにもう一射。
 発射された二発の弾丸、その一発目が先ほどマクワイルドによって空中に止められたままの弾丸の尻に真っ直ぐに当たり、更にその尻に二発目が当たる
 虚空に縫いとめられていた弾丸が、新参のそれに押されてマクワイルドの方へと僅かに食い込み、しかしその色を濃くしたプロミネンスによって再び静止させられる。
 その結果を目にしているメリーベルの身体は、左へと流れていくベクトルに今の二射による背後へのそれが加算され、左足を軸とした回転へと移行した。軽く腰を落とし、右足を外に出して慣性に対するウェイトとしながら、極度の集中による遅い時間の中でメリーベルが回る。
 時計回りに身を回しながら、右の銃がマクワイルドを照準しきれない角度に身体の向きが変わるのと同時に、今度は左の銃が持ち上げられ、彼から見てやや右前方から額を撃ち抜く位置でぴたりと止めた。その時点で右足を地面に打ち付けるようにして制動をかけ、身体の動きも止まる。


「メリーベル!」
 声を上げながら、あさひがブース内に踏み込んできたのは、丁度その瞬間である。


「あさひ!?」
「ほう」
 彼女の名を口にして、メリーベルは思わずそちらに向けていた右の拳銃をゆっくりとマクワイルドの胸の中心に向けてポイントし直す。
「……あさひ、エント先輩を見たか?」
「こっちの部屋で倒れてた。気絶してるだけみたいだよ」
「危害は加えていないといったはずだがね。……まあ、信用しろというのが難しい話だというのは理解しているが」
 あさひの言葉に、マクワイルドは大仰な仕草で肩をすくめてみせる。
「さて、本来ならシャリード君にこちらへの協力を願うのが目的だったのだが、こうなっては望むべくもないか」
「アタシを? スカウトならもうちょっと手段を考えた方がいいんじゃないッスかね」
 思わずそんな言葉を投げたメリーベルに向けて、マクワイルドが重々しく頷いてみせる。
「ああ、確かにね。だが、多少強引な手を使ってでも君を確保したいと思ったんだよ。まずはレースの実況をお願いしたいところかな」
「もうその辺は決まってるんじゃないんスか」


 何気ない会話を行いながら、メリーベルはあさひに一瞬だけ目配せを送る。彼女はそれがあさひに伝わったかどうかの確認すら行わなかったが、結果としてあさひはメリーベルの意思を汲み取り、じりじりと少しずつ位置を変える。それはメリーベルの射線上から外れ、なおかつ、マクワイルドに飛び掛りやすい位置だ。
「もちろん担当は既に配置されている。が、君ならば問題あるまい。無論、感情的には反発も少なからずあろうが、企画として納得させる自信は十二分にあるとも」
 怜悧な唇に笑みを乗せるマクワイルド。対するメリーベルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
「……なるほど、こないだからのスカウトはやっぱりそういうことッスか。まあ、遅かれ早かれ、ってとこかね」
「ふふ。そういうことだ。まあ、今日のところはもうお暇するとしよう。このままだと捕まえられてしまいそうだ」
「逃がすと思うッスか?」
 メリーベルが引き金にかけた指に僅かに力を込める。
「逃げるとも」
 マクワイルドがくい、と眼鏡を押し上げた。


「ここで君と事を構えるのは本意ではない」
 その台詞は、あさひの背後から聞こえてきた。
 すぐさまに振り返ったあさひから数歩の距離。そこにエリック・マクワイルドがいる。
「え、……え?」
 実際にその光景を目にしながらも、あさひは半信半疑であるかのように先ほどまで彼がいた場所と今そこにいる彼の間で視線を往復させる。
「と、まあこんな具合だよ。先ほども言ったとおり、今日はこれで失礼する。次に会うのはレースの日になるかな」
 にっと口許に笑みを浮かべ、マクワイルドが踵を返す。
「なあ、先輩」
 ぴたり、と彼の足が止まる。肩越しに視線だけが声の主に、メリーベルに向けられる。
「アタシの故郷でのアダ名を知ってるッスか?」
 唐突なメリーベルの問いに対して半身の姿勢になりながら頷いて、マクワイルドが口を開く。
「サンドブロゥのシスターとして修道院に暮らす身でありながら、そこにちょっかいをかけようとする荒くれを銃弾でなぎ倒す稀代のガンスリンガー。いや、君の故郷の言葉ではガウチョ、だったか。シスターとしての衣装の色と、敵からは凶兆、味方からは吉兆とされたその姿ゆえに、付けられた名は“群青の箒星”」


 すらすらと彼の口から語られる自身の過去に、メリーベルは苦笑を浮かべて肩をすくめた。
「由来まで調べてたんスか。ならいいや。箒星は見上げればそこに有るものッスから。必ず追い詰めますよ」
「覚えておこう」
 真面目くさった表情でマクワイルドはメリーベルの言葉に応じ、そしてまたくるりと背中を向けて歩き出す。あさひが「追わなくて良いのか」と視線でメリーベルに問いかけるが、彼女は首を横に振った。代わりに、放送室のドアをくぐろうとする背中にもう一度だけ声を掛ける。
「次に会ったらマジで敵っスから。……覚悟しとけよ」
 ひらり、と肩の辺りに上げた右手を軽く振って、その背中は振り返ることなく部屋から出て行った。
 放送室の防音扉が閉じる重い音とともに、メリーベルが両手の銃を下ろす。
 肩をほぐすようにぐるりと回した彼女の口からため息が一つ吐き出され、硝煙の匂いが残る室内をぷかりと漂っていく。


 どさり、という重い音をメリーベルが聞いたのは、そのときだった。
 そちらへ目を向けるが、何もない。いや違う。視線を少し下げると、原因が見て取れた。あさひだ。腰が抜けたような風情で床にへたり込み、どこか茫洋とした表情で虚空を見つめていた。
「おい、どうしたよあさひ!? 大丈夫か?」
 すぐに駆け寄り、ぺたぺたと彼女に触れて状態を確認する。少なくとも、メリーベルに分かる範囲内では怪我をしているというようなことはなさそうだったが、では何故、突然座り込んでしまったのか。
「……メリーベルぅ……」
 ぽろり、とあさひの口から彼女の名前が零れ落ちる。同時に、すがるような目付きが向けられた。
「どうしよう……あたし、どうしよう……!?」
 うわごとのようにそう繰り返すあさひの肩をまずは軽く抱き、ぽんぽん、と背中を叩いて落ち着かせようと試みる。そして、そうしながらメリーベルは胸の中だけで嘆息した。
 ――色々と厄介ごとがいっぺんに起こり過ぎだろ、ったく。





[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑩ ほんとのココロ
Name: 新◆292e060e ID:df1a8cf4
Date: 2011/11/26 11:04
Scene16 望みの行き先


「……なるほど、大体の事情は分かりました」
 セルカが腕を組んだまま深々と頷き、椅子に腰掛けたあさひの頭を軽く撫でる。俯いたままのあさひはされるがままで、微動だにしない。それでも、どうしよう、どうしたらいい、と心ここにあらずという様子で呟いていた先ほどまでに比べればずっとマシだ。
 密やかに深く息を吸い、吐く。
 保健室でのバルバとの会話でも話題にしたが、まさかその日のうちにこういう展開になるとは流石に予想外だった。
 メリーベルから連絡を受け、同じく話を聞かされたバルバとともに放送室に到着してあさひから話を聞いた最初の感想はそんなところだった。


「まず大前提ですが、シアルさんとこのままでもいいと思っていますか?」
 椅子に座ったあさひより僅かに高い位置から彼女を見下ろし、セルカが問いを投げる。答えは、横に首を振る動きでなされた。
 ならば、とセルカはその場から一歩前に出てあさひに近づく。
「色々と考える事、話し合うべきことはあるでしょうが――」
 セルカがあさひに向けて手を伸ばす。膝の上に置かれた彼女の手を掴み、そのままぐい、と引っ張り上げた。一本釣りのように力尽くで立ち上がらされたあさひがぱちぱちと瞬きしながらセルカを見る。
「まずは雪村さん、シアルさんを探しに行きなさい」
 あさひの身体がびくりと震えるのが、掴んだままの手からセルカに伝わる。続いておずおずと向けられた、怯えと懇願を多分に含んだあさひの視線を極低温の眼差しで撃墜する。
「まずは雪村さんが動かないとお話になりません。シアルさんの居場所を確認しておく必要がありますし、あなた以外が先頭に立って探すのは論外です。探しに行って、話がしたいと伝えてきなさい。諸々の相談はそのあとです」
 目付きだけでなく、言葉遣いも普段より引き締めたセルカの雰囲気があさひの退路を遮断していく。


「あ、でも、あたし……」
「バルバ君」
 おずおずと口を開き、おそらくは反論の言葉を作ろうとしたあさひからセルカの視線がはずれ、バルバへと向かう。
「雪村さんについていってあげてください。念のための護衛と――」
「シアルの捜索のため、か」
 バルバの学帽が位置と角度を変え、あさひを見上げる。それから、同じようにセルカへと向き直った。白衣のポケットに両手を突っ込み、不機嫌そうな養護教諭は、先ほどからじっと彼を見たままだ。
「先ほどの保健室での言葉を証明しますよ。……まあ、あまり直接的にはやりたくないので協力をお願いしたいのですが」
 セルカがそっと目を閉じ、それだけを告げる。
 そのまま場に沈黙が横たわることしばし。
「了解。行くぞ雪村」
 言うが早いか、バルバの身体がぺしゃんと厚みを失う。鏡を思わせる銀色の水面が床の上をするすると動き、あさひの足の下に滑り込む。
「え?」
 あさひが疑問を含んだ声を漏らす。何をするつもりなのか、という無言の問いに、対するバルバも言葉を用いず行動で答えた。
 あさひの靴裏に触れている部分が僅かに形を変え、彼女の足をグリップする。加えて、銀の水面から伸びた蝕腕が彼女の足首をがっちりと掴んだ。
「え、ちょ、えっ!?」
「じゃあちょっくら行ってくる」
 バルバが部屋の出口へと滑らかに移動する。そして、その上に載せられ、固定されているあさひも当然、その動きに追従することとなる。
「いってらっしゃいー」
 ひらひらと手を振るセルカにあさひが振り返り、
「いや先生ちょっと待ってこれ怖いマジ怖いですって! 勝手に動くのもそうだけど地面から生えた手に足首掴まれてるのがちょー怖いっ!?」
「うるせえ暴れるな。バランス崩すぞ」
 あさひの狼狽など何処吹く風、彼女を乗せたままバルバが悠々と廊下へ出てすぐに直角に方向転換。
「わひゃあ!?」
 体制を崩して転びかけたあさひの方をすぐさま足元から生えてきた蝕腕が支え、彼女が体勢を戻すとすぐに引っ込む。
「言わんこっちゃねえ。大人しくしてろ」
 その台詞とともに放送室のドアが閉じられ、わーきゃー騒ぐあさひの声が廊下を遠ざかっていく。


 やがて、あさひの声が聞こえなくなった頃、放送室内に残ったセルカとメリーベルが同時にため息をついた。
「……意外に厳しいんだな、先生」
「そりゃあ教師ですから。大人の威厳が必要なところではきっちりやりますよー」
 両手を腰に当てて、えへん、と胸を張るセルカ。
 メリーベルはこの先生、実はこういう仕草狙ってやってんじゃねえの、という疑問を胸中だけに留める。
「しかし、アタシらも一緒に探しに行かなくてよかったのか?」
 バルバがあさひを載せて部屋を出るとき、メリーベルもそれに続こうとしたのだ。しかし、最終的には追わなかった。セルカがメリーベルの袖を掴んでその動きを止めたからだ。
「ええ、構いませんよ。シアルさんが行きそうな場所に一番心当たりがあるのは雪村さんですし、そうした場所に近づいたとき、一番遺漏なく周囲を探れるのはバルバ君です。であれば、あの二人にこれ以上人員をつける意味はありませんし、雪村さんがシアルさんを探し、見つけることに意味があるのであって、私達が別働隊として雪村さんとは違う場所を探す事は効率の面を差し引いてもデメリットの方が大きいと思います」
 人差し指をピンと立てた右手を軽く振り、左手は腰に当てたまま、講義の口調でセルカがメリーベルを引き止めた理由を並べる。


「そーゆーもんか」
「そーゆーもんです」
 素直に頷きはしたものの、どこか納得の言っていない様子のメリーベルに、セルカはくすりと笑みを零す。
「関われないのが歯痒いですか?」
「別に――いや、そうなのかもな」
 一旦は否定しかけ、しかしやや気まずそうに目をそらしながら答えるメリーベルに、セルカが笑みを深める。
「心配しなくても、シャリードさんにも出来る事はこれから出てくるんじゃないかと思いますよ」
「そーゆーもんか」
 先ほどと同じ台詞を口にしながら腕を組み、胡乱げな視線を向けるメリーベル。
「なんてーか、一から十まで先生が関わった方が話が早いんじゃないのか?」
 メリーベルの問いかけに、セルカが先ほどとは質の違う笑みを向けた。どこか悪戯めいた、そんな笑みだ。
「生徒達の青春の悩みを手取り足取り解決に導くほど無粋じゃありませんよ、先生は」
「どういう意味だよ、それ」
 そうですねえ、とセルカは少し考えるそぶりを見せ、
「言うなれば、教師としての『分』ですよ。……ええ。教材とヒントは与えますが、そこから先は生徒の領分です。事態がどう転ぶかは、最終的にはあなたたち次第ですよ」
眩しいものを見るように目を細めてそう言った。


◆◆◆


 あさひとバルバがまず向かったのは、女子寮である。
 シアルがここへ戻ったとして、そのあとあさひと顔をあわせる事になるのが間違いない場所なので候補としてはあとに回す事も考えられたが、逆に裏をかいてみるという意図であさひたちは自分たちの部屋へと足を運んだのだ。
 

「シアル! いる!?」
 乱暴に自室のドアを開けるなり、大きな声でその名を呼ぶ。
 何の返答もない室内を一通り探し、シアルがこの部屋にいないことを確認して大きく息をつくあさひ。それは彼女が見つからなかった落胆のようでもあり、今この場で問題に向き合わずに済んだ安堵のようでもあった。
「他にシアルの行きそうで、かつ人目に出来るだけ付かないような場所はどこだ?」
 そんなあさひの手元から、重低音の声が問いかける。野球ボール大に自身を圧縮してあさひに持ち運ばれているバルバである。放送室を出てしばらくは立場が逆だったが、流石にしばらくするとあさひが自分の足で歩くと主張し、女子寮に入る段になるとバルバがそのまま入るのははばかられるという事でこのような処置をとっているのである。


「……なんで人目につかないところ?」
「ダチと喧嘩してヘコんでる奴なんてな、大抵一人になって沈み込んでるもんだ」
 こくん、と小首を傾げて問うあさひに、簡潔に答えを返すバルバ。
 あさひの首の角度が変わり、俯きの姿勢となる。最初は考え込んでいるのかと思ったバルバだが、どうもそうではないらしいことに気付いた。目を閉じ、唇をきゅっと引き結んだその表情からうかがえる言葉は、思案ではなく悔恨や悲嘆だ。
「……あたし、シアルの友達じゃないもん」
 ぽつり、と、重苦しい、どこか拗ねたような口調でそれだけをあさひが口にする。
「雪村、気マズいのは分かるがな。意地張っても仕方がないだろう。ダチじゃないなら何でわざわざ追いかけてんだって話だろうが」
 バルバは殊更に呆れたような口振りで、諭すような言葉をあさひに投げかける。
「シアルはあたしの友達だけど、あたしはシアルの友達じゃないよ、番長」


 は、とバルバが短く吐息を漏らす。正確にはそのように声を出す。呼吸を必要としない彼のそういった所作には、必ずなんらかに意味が込められている。この場合は、呆れ、怒り、そして少量の嘲りだ。
「お前らの間の事情は俺には分からんし、そういう埒もない泣き言を聞く気にはならんな。言葉遊びをするヒマがあったら考えろ。動け。まずは歩き出せ。それから次の目的地を決めろ」
 言うだけのことを言い切って、バルバが言葉を切る。
「……番長はなかなか容赦ないね」
「舎弟相手ならまずブン殴って気合いれてるところだ。……そっちの方がいいか?」
 あさひは慌ててぶんぶんと首を横に振り、それからほんの少しだけ微笑む。
「でもありがと。ちょっと気合入った」
 ささやくような調子のあさひの感謝の言葉に、バルバから答えはない。ただ。手の中に納まった銀色の球体が居心地悪げにもぞりと身じろぎしたのはあさひにも感じられた。


 それから、部屋の出口に向かって歩き出す。ドアを開け、ここのところの生活ですっかり頭の中に刷り込まれた女子寮出口までの道順を頭の中に描きながら、バルバの言葉どおりに次に向かうべき場所について思いを巡らせる。
 シアルが向かうだろう場所。バルバの言葉の通り、ある程度馴染みがあって、しかも人の少ないところ。
 いくつか候補を挙げ、それについての検討を開始する。
 おそらくシアルは、自分に会い辛いと思っているのではないかとあさひは推測する。理由は単純で、あさひ自身もそんな心境を抱えているからだ。つまり、あさひが足を運ぶ可能性が低いと思われる場所にいるのではないか。
 だが、シアルに馴染みのある場所というのは、大抵があさひにとっても馴染みのある場所という事になる。ほぼ一緒に行動していたのだから当然の話だ。
 メリーベルと初めて会った日、あさひとシアルは別行動を取っていたが、あとからシアル本人やニコルから聞いた話によると、そのとき彼女達が立ち寄ったのはノクターン通りでも学生に人気の、つまり人通りがかなり多い場所ばかりだった。今回の候補としては考えづらい。
 階段を上り、一階までのショートカットとして使用できるワープポイントへ足を踏み入れながら、あさひは更に思考する。
 

 ――じゃあ、ちょっと前提を崩してみよう。
 例えば、シアルがあさひもよく知らない学院のどこかに隠れ場所を確保してそこにいる場合。
 衝動のままに走り回って、丁度いい場所を見つけてそこにとどまっている可能性も考えられなくはない。が、これについては思考するだけ無駄だ。この場合にはあちこちをしらみつぶしにする以外に道はない。
 そうした事態になっている事も考えられる、という事だけを意識の隅に書き留めておいて、他の選択肢を検討する。
 あさひも知っているが、通常人が多くて逃げ隠れにあまり適さないと思われる場所。そういった場所で、未だにふらふらしている、もしくは上手く隠れる方法を見つけた場合。
 そこまで考えて、あさひの脳裏に閃くものがあった。
 女子寮を出て、取りとめもなく進められていた歩みがぴたりと止まる。
 既に圧縮状態からいつもどおりの姿に戻っていたバルバが足元から彼女を見上げるように学帽の角度を上げた。
「何か思いついたか?」
「うん。あたしにもシアルにも馴染みが深くて、周りに人はいるけどそれを遮断して一人になれる。そういう場所があるよ」
 弾き出した答えに対する自信を深めるように頷きを一つ。それから力強い足取りで、学院の外れに向けて歩き出す。
「行こう、番長。行き先は飛行場のすぐ傍にある格納庫。そこに預けてあるあたしたちのMT『シアル・ビクトリア』だよ」


◆◆◆


 MTモナドトルーパーとは、機械生命体グレズから得られた技術とオリジンの魔法の融合によって生み出された兵器である。
 機械中枢グレズコアを下地にして作られた概念機関モナドドライブを動力源として半永久的に稼動し、同じくグレズ由来の機械細胞を機体構成物に用いる事で自己修復機能すら獲得している。


 これらMTは昨今では様々な勢力に使用されているが、その運用方法や設計思想の傾向は各陣営によってそれなりに異なる。
 例えばオリジンに侵攻している大星団テオスのMT部隊ドミニオンは、多くのMTとライダーを確保しており、それに拠った部隊単位での運営と、それに適した量産品としてのMTを使用する傾向がある。これは、MTの提唱者の一人であり、元はグレズやアムルタートからオリジンを守るためにオリジン初の近代的軍事組織、MT部隊ミリティアを結成したファイフ王国のアネール王子がテオスの侵攻の際、イスタム神王国から離反して部隊の八割とともにテオスに寝返ったことが理由として大きい。
 対するオリジン、神炎同盟側が擁するMT部隊ORDERは、MTを困難な局面へピンポイントに投入される精鋭として運用する場合が多い。ミリティアの離反に応じなかったライダーはそのほとんどが一流の腕と機体を保有する『騎士』と呼ばれるライダーたちであり、単機で戦術的に運用する事が可能である事、機体やライダーそのもの、それに追随できる人員が少ないことが理由となる。


 以上を踏まえて、『シアル・ビクトリア』の設計思想について言及すると、オリジンの機体傾向の先端を行く機体ということになるだろう。膨大なフレアを持つフォーリナーをライダーとすることを前提に、モナドドライブのエネルギー効率をハネ上げるアニマ・ムンディを付加。騎士級MTの常として職人的な技術者によるワンオフメイドで建造された、カオスフレアによる対ダスクフレア戦を想定した文字通り英雄仕様のシロモノである。
 当然、全てのMTに基本的に備えられているセンサー類や自己修復機能の精度も群を抜いているし、あらかじめ登録された者以外がコックピットに入ったり機能中枢に触れる箇所を整備する事を魔術的な結界作用によって阻む事すらやってのける。


「つまり、あたしかシアルが誰も来ないところに引き篭もろうと思ったらこれ以上の場所はないと思うの」
 MTや飛行機が通るための大きな格納庫扉を見上げながらあさひがそう口にする。
「なるほどな。格納庫内に整備員やら何やらが大勢いるが、それについては……」
「マイクとかセンサーとかを全部切っちゃえば外の様子は分からないから。誰もいないのと一緒になるよ」
 あさひと同じように、学帽を見上げて格納庫を見上げる姿勢のバルバに相槌を打つ。
「で、だ。ご高説は承ったしためになったが……。中に入らんのか?」
 そのバルバが今度は学帽をあさひのほうに向けてため息とともに言う。
 格納庫までやってきたはいいものの、人間が出入りするための小さな扉の前まで来たところであさひが足を止めてしまったのだ。何となく気まずい間を埋めるためにMTについて語っていたようだが、それももうネタ切れのようで、あさひは苦笑を漏らして天を仰ぐ。


「ねえ番長、ちょとお願いがあるんだけど」
「言ってみろ」
 うん、と頷いて深呼吸を一つ。
「さっき言ってた舎弟の扱いってやつ、やっぱお願いしていい?」
 バルバはすぐには答えなかった。あさひと並んで、格納庫の内部を眺める事しばし。
「分かった。目ぇつぶって歯ぁ食いしばれ」
「お、押忍!」
 バルバの舎弟たちがしていたように返事をして、ぎゅっと目をつぶって奥歯に力を込める。
 次の瞬間、両肩をがっしりと大きな手に掴まれる。
 ――あれ、両手? 
 そう思い、ほんの少しだけ気が逸れたそのときだった。
 ばしん、とかではなく、どかん、だった。
「――――っ!?」
 背中の丁度ど真ん中にとんでもない衝撃が発生し、あさひの意識はそれに翻弄された。
 何がキツいかといって、両肩をしっかりとホールドされているために前につんのめったり吹っ飛ばされたりという事もなく、背中に打ち付けられたその威力が余すところなくあさひの体中に浸透し、伝播していったのがキツイ。
 ぱっと両肩の手が離されてそのまま膝から崩れ落ち、もはや声も出せずにうずくまってぷるぷると震えるあさひ。
 おおよそ三十秒ほどもそうしていただろうか。ようやくゆっくりと立ち上がる。すこし膝が笑っているのはご愛嬌だろう。
「ば、番長の手なら二本とは限らないよね……」
 あと、背中だとは思わなかったから油断しちゃったよ、と無理やりに笑みを浮かべるあさひ。
 バルバは蝕腕を三本形成し、うち二本であさひの肩を掴み、残る一本で強烈な“もみじ”をその背中に叩き込んだのだ。


「顔よりゃマシだろうと思ったんだがな。やめときゃよかったか?」
 さらりと聞かれたその言葉に、しかしあさひは首を横に振る。
「ううん。お陰でいけそう。文字通り背中を押してもらった感じ。ありがと、番長」
 応、と答えたバルバの学帽があさひを見上げる。そちらに向けてこくりと頷いて見せ、あさひは格納庫内部に向けて一歩を踏み出した。


 格納庫の中は、雑多な機械類でごった返していた。入ってすぐの辺りには飛行機倶楽部の複葉機が数機並べられ、メンテを受けている。その隣には『真・帝釈鋼翼拳』と力強い筆致で機首に墨書された戦闘機が三機並んでいたが、これについては見なかったことにする。
 更に奥へと足を進め、しばらくすると、飛行機のエリアからMTのエリアに移る。
 ずらりと並べられた同型の機体、白と黒に塗り分けられ、肩の所に赤い回転灯を取り付けられたそれは、風紀委員会が運用する暴徒鎮圧用MT『ストラーダ』たちだ。
 その隣、通路を挟んで向かい合わせになる形で都市迷彩を施したORDERの量産型MT『アローロ』を置いているMT研究会のスペースと、いかにもアニメに出てくるヒーロー然としたカラーリングや追加パーツを施した、同じく『アローロ』を置いている巨大ロボ研究会のスペースがある。日頃から『非現実的』『軍国主義』と罵りあい、蛇蝎の如くお互いを嫌いあっている両研究会だが、それ故にこそ風紀委員のすぐ目の届く場所に置かれているらしい。


 そして、更に奥へ。時々、学生であるメタボーグやメタビーストが気持ち良さげにメンテを受けているのを横目にしながら歩く。
「……あった」
 あさひがぽつりと呟きをこぼす。
 そこに、火器の内臓部分と背中のハードポイントに固定された大剣に風紀委員による封印を施された『シアル・ビクトリア』が無言のままに佇んでいた。


「シアル! ここにいる!?」
 身の丈十数メートルの鋼の巨人を見上げ、あさひが声を張り上げる。周囲で作業を行っていた者たちが一瞬こちらを見るが、あさひはたたじっとMTの胸部、コックピットがあるそこを見つめていた。
「シアル!? いないの!?」
 もう一度声を張る。が、返事はない。ひょっとして当てが外れたかと肩を落としかけたあさひに、足元から声がかけられた。
「いや、いるぞ。コックピット内部に誰かいる」
「分かるの?」
 バルバは学帽を僅かに上下させ、
「分かる。おそらく魔法による遮蔽がかかってるんだろうな。えらく掴みづらいが、それでも俺を誤魔化し切れるほどじゃない」
 その言葉に勇気付けられたように、三度、あさひが呼びかけを行う。
「シアル! いるんでしょ!? 返事してよ!」
 だが、応答を待つあさひに向けられるのは、先ほどと変わらない沈黙だ。
 いい加減焦れてきたあさひが、四度目の呼びかけを行おうとしたときだった。


「……どういった御用でしょうか」
 MTに備え付けられたスピーカーが、シアルの声をあさひたちに届けた。
 美しいが、平坦な声音。知らない者が聞いたならナビ用に備え付けられた機械音声だと言われても信じそうなほどだ。
「どういう用って言われても……」
 ちらりとバルバの方を伺うあさひ。が、さっき気合を入れてくれた番長は、今はそ知らぬフリをしている。
 ――自分でどうにかしろ、ってことかあ。
 そんな言葉を胸中に浮かべ、深呼吸を一つ。足をやや開き気味にして立ち、両背を背中に回してこっそりと拳を握る。
 腹に力を込め、きっと視線を上げてMTを、その向こうにいるシアルを見つめる。
 すうっと大きく息を吸い込み、
「さっきはついカッとなっちゃいました! ごめんなさい!」
 がば、と勢い良く頭を下げた。ほぼ直角に腰を曲げた姿勢のまま、ぴたりと静止する。しばらく待つが、シアルからの反応はない。が、あさひは何らかの進展があるまで頭を上げるつもりはなかった。根競べ上等である。
「顔を上げてください、あさひ」
 そうしていたのはどれくらいの間だったか。シアルから掛けられた声に、あさひがぴくりと反応する。が、頭は上げない。まだそれには早い。
 お辞儀の姿勢のまま動こうとしないあさひに、MTの向こうからスピーカーを通してため息の気配が漏れ伝わる。
「あさひ、頭を上げてください。先ほどは私も言葉が過ぎました。その件については謝罪させていただきます」


 その言葉に、ぱっとあさひの顔が上がる。
「それじゃあ――」
「ですが」
 喜色を滲ませたあさひの一声が、すっぱりと断ち切られた。きょとんとしてシヴィを見上げるあさひの上に、シアルの言葉が降り注ぐ。
「私達の間にある問題は、解決していません。根本にはまだ触れていませんから」
 淡々と、ごく穏やかに語られるシアルの主張をじっと聞いていたあさひが首を傾げる。
「根本?」
「そうです、あさひ。我が主」
 最後の単語を強調して、シアルが続ける。
「私は、アニマ・ムンディでありたい。ただそれだけでいいのです。あなたにとって必要なときに使われる、道具であれば。私はそれ以上を望みたいとは思いません」


「で、でも、そんなの。そんなの……。シアルには、ちゃんと自分の意思も感情も――」
 きっぱりと己は道具であればいいと言い切るシアルに対して、あさひの口にしようとする反論の言葉には今ひとつ力がない。そして、そこへ畳み掛けるようにシアルが主張を重ねていく。
「はい、その通りです、あさひ。ですが、一つ伺います。意思も感情もある者が、それでも自分は道具のままで良いと望む事は許されないのですか?」
「そ、それは……」
 シアルの問いに、あさひは答えられない。肯定否定、どちらを口にすることも、あさひにはできそうにない。
「シアル、あたしは……」
 反論のために吸い込んだ息が言葉にならずに胸の奥で詰まる。
 そのまま俯いて沈黙したあさひの、握り締めた拳に冷たい感触があった。
 銀色の手。
 バルバが作り出した蝕腕があさひの手に触れている。
「番長……?」
「一旦戻るぞ」
 それだけを言い、あさひの手を強く引く。
「え、ちょ、ちょっと!?」


 あさひの戸惑いを一顧だにしない力強さでバルバが格納庫の出口へ向かって進み始める。最初は抗おうとしたあさひだが、やがて観念したのか力を抜いてなすがままになった。
 数歩をそうして進んだところで、唐突に後ろを振り返る。
 そこにあるMTは、彼女の絶対武器は今までとは違った印象をあさひに与えた。初めて見たときには、ただ驚きを。ウェルマイスで呼び出した時には頼もしさを感じたその姿から、しかし今は威圧感を感じる。それはきっと、その向こう側にシアルを見ているからだ。あさひは、彼女を恐れている自分を自覚した。恐れの質はまだ分からないが、まずはその事実のみをしっかりと意識に刻む。これは、越えなければいけない恐れだからだ。


「ねえ、シアル!」
 少し離れたMTに向けて声を張る。バルバが前進を停止し、あさひも足を止めてシヴィのメインカメラをじっと見つめる。
「……なんでしょう、あさひ」
 やや時間を置いて、返答があった。つまり、交渉の窓口はまだ生きている。
 あさひの顔に笑みが浮かぶ。口角を上げて歯を見せた、挑みかかるような笑顔。だが、誰よりも彼女自身が知る。これは虚勢である。
 それでも、あさひは自分が怖いと思うものに立ち向かうとき、それこそが重要だと知っていた。だから笑う。こんなものはなんでもないと、自分と世界を騙すのだ。
「また、あとでね!」
 はっきりとした口調で言い置いて、踵を返して歩き出す。バルバはもうその手を引いてはいない。あさひと並んで格納庫の出口を目指して歩いていく。


「……ねえ、番長」
「なんだ?」
 格納庫を出たところであさひがぴたりと足を止めた。こくんと小首を傾げて足元のバルバに視線を向ける。
「とりあえず、これからどうしよう?」
 発せられた問いにバルバの体が重力に負けたようにすこし平べったくなった。
「えらく威勢が良かった割にそれか」
「あんなのハッタリだもん」
 力の抜けたようなバルバの言葉に口を尖らせて返すあさひ。一瞬の間をおいて、バルバが体の表面を波打たせてくつくつと笑う。
「どーせ考え無しですよーだ」
「いいや、大したもんだ。皮肉でも世辞でもなしにな」
 ひとしきり笑ったあと、バルバは口調を真面目なものに変えてそう言った。それから、あさひの問いに答える。
「まずは放送室に戻るぞ。セルカ先生も言ってたろ。諸々の相談はあとで、ってな」


◆◆◆


「よう、お帰り。片付いたか?」
 放送室に戻ったあさひとバルバを迎えたのは、陽気ささえ漂うメリーベルの一言だった。
「ううん、逃げ帰ってきちゃった」
 苦笑を混ぜて言うあさひの顔を、メリーベルはまじまじと見つめ、それから部屋の隅に視線の向きを変える。
 あさひたちが出歩いている間に運んできたのだろう、そこには机に本を積み上げて黙々とそれらに目を通すセルカがいた。彼女はメリーベルからの視線を感じたように本から顔を上げ、彼女がそうしたようにあさひの顔をじいっと見る。
「思ったよりはいい方向に動いたみたいだな、先生」
「そうですねー」
 今度はお互いに目線をあわせ、そんな風に頷きあう。
「どんな事態を想定してたの二人とも……」
 半眼になってセルカとメリーベルを順繰りにねめつけるあさひに対し、メリーベルがからからと笑う。
「まあまあ、今は過去よりも未来を見ようじゃないの」
 うんうん、としたり顔でセルカがその台詞に従って頷くに至って、追求が面倒臭くなったあさひはこの問題を放り投げた。そして、メリーベルの言葉どおり、あさひ自身の未来のために必要な言葉を口にする。
「じゃあそのために、相談に乗ってよ。あたしとシアルを助けて」




 あさひの救援要請に最初に応えたのはメリーベルだ。
 彼女がまず最初にしたのは、格納庫での経緯を知ることだった。あさひとシアルの間で交わされた会話を一字一句余すところなく聞きだし、横で聞いていたバルバにも間違いがないか逐次確認した。
 それが終わると、手元のメモに何ごとか書き付けてから、今度はセルカと代わる代わるに再びあさひへ問いを投げる。
 シアルとの出会いはどの様なものだったのか、今までの彼女の言動で印象に残ったものはどんなものか、今から思い返して、今回の事に繋がるような言動はあったか、あったならどんなものだったか。
 一通りあさひを質問攻めにすると、メリーベルはじっと黙り込んで思考の海に沈みこみ、セルカはそんな彼女から離れるように一歩下がってあさひとメリーベル、沈黙したまま成り行きを見守っているバルバの三名を視界に収める位置につく。メリーベルはそんな養護教諭の動きを横目でちらりと追ったが、何も言わずに再び思考へと没頭していった。


 考え込んで黙ってしまったメリーベルを見ながら、あさひも考えを巡らせる。
 自分はどうすればよかったのだろうか。
 これからどうすればいいのだろうか。
 ともすればそんな言葉ばかりが頭の中をリフレインする。
 一向に思考がまとまらず、軽く俯いていたあさひに、正面から声が掛けられる。


「とりあえずだな、シアルを言い負かすのはそう難しいことじゃないと思うんだよな」
 まずはそう言って、メリーベルは腕を組む。
「そ、そうなの?」
 問い返すあさひに、ああ、と頷きで応え、
「でも、そういうのはあさひのやりたいことじゃないだろ? シアルの言い分をへし折って打ち負かして、自分の傍にいさせる、ってのはさ」
 その通りだったので、あさひは大きく一つ頷く。それを確かめた上で、メリーベルが話を続けた。
「だから、そこを考える必要がある。一番波風立たないのは、シアルの言葉どおりに道具として扱ってやる事だろうけど……」
 そこで言葉を切って、あさひにちらりと視線を送るメリーベル。今度は首を横に振るあさひ。
「それは、――あたしは、嫌だよ」
「だよなあ……」
 腕組みしたままメリーベルが天井を見上げ、それからちらりと視線を逸らす。そこにいるのは、先ほどと変わらず読書に没頭している様子のセルカだ。が、本に集中している風だった彼女はメリーベルの視線にほぼノータイムで反応して顔を上げた。
「雪村さん」
 上げた顔をあさひのほうに向け、穏やかな口調でその名を呼ぶ。
「何故、あなたはそれを嫌だと思うんですか?」
「え? えっと、なんでって言われても……」
 数瞬、考えてから、やや迷いを残した口調であさひがセルカの問いに答える。
「シアルは、あたしにとって友達だから。道具だなんて思えないよ」


 メリーベルは、二人の問答を腕組みして瞑目したまま聞いていた。
「結局のところ、そこが衝突のポイントか」
 ポツリと呟かれた言葉に、場の注目がメリーベルに移った。
「シアルが道具でいたいって言い出したのはさ――」
 続けてそんな風に言葉を紡ぎ、しかしそれを自ら断ち切る。
「なに!? メリーベルにはそれが分かるの?」
 勢い込んであさひがメリーベルに詰め寄るが、彼女は黙ったままそれを手を挙げて制し、
「分かる……っつか推測だけどな。大きくハズれてないと思う」
「だったら教えて! あたしがそれを分からないから、バカだからこんなことに――」
 さらにヒートアップして身を乗り出すあさひの頭を、今度は実際に手で押し込んで止める。
「落ち着けって。あさひに分からないのは、バカだからじゃなくてお前が雪村あさひだからだよ、多分」
「……どういうこと?」
 メリーベルの言葉に、先ほどまでの勢いを失ったあさひがきょとんとした表情で尋ねる。
「うーん……」
 問われたメリーベルはがしがしと頭をかいて赤毛をかき乱し、
「それをここで言うのはナシかな、やっぱ」
「な、なんで!?」
 先ほどにも勝る勢いであさひがメリーベルに詰め寄り、しかし詰め寄られたメリーベルは平静を崩さない態度で、
「フェアじゃないから。少なくともシアルはさ、現時点での本音をあさひにぶちまけてる。まだそれをやってないあさひが、相談相手のいないシアルを相手にあいつの持ってる答えをカンニングすんのは不公平だろ」
「そ、それはそうなのかもしれないけど……」


 到底納得できない、といった様子で頬を膨らませるあさひ。そんな彼女に向けて、だからさ、とメリーベルは言う。
「あさひも本音を吐き出そうか。いや、ちゃんと本音でぶつかってるつもりなんだろうけどさ、それでも伝わってないこと、伝え切れてないことってのはあるもんだよ」
「あたしの、本音……」
 その言葉を自分の中に染み渡らせるように呟くあさひに、メリーベルは頷き、
「そ、本音。シアルをどう思ってるのか、どうして欲しいのか。そういうのをぶちまけるためにも余計な先入観はいらないかな、ってさ」
 そう言って、椅子から立ち上がって部屋の中にある戸棚に向かう。引き出しを開け、そこから何かを取り出して再度あさひに向かい合う。
「もし口で言うのが恥ずかしいとか考えをまとめきれないってんならさ――」
 言葉と共にあさひの手に、さっきの戸棚から取り出してきたらしいペンと便箋を乗せ、

「手紙に書いて伝えてみるってのもいいんじゃないか?」



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑪ 言の葉に乗せて
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/12/13 13:55

Scene17 遠く届く声


「で、できた……!」
 うっすらと白み始めた空から降りる朝の光がカーテンの隙間からあさひを照らす。その横顔は、達成感に満ちていた。
 放送室でシアル宛の手紙を書けと言われたのが昨日の夕方。
 そのあと戻ってきた寮の自室で一人、あさひはひたすら手紙の文章を練り、便箋に書き付けては破り捨て、また書くという作業を繰り返していたのだ。
 だが、それもついに終焉を迎えた。もともとが筆不精なタチだったためにかなりてこずったが、やっと手紙が完成したのだ。
 椅子に座ったままぐぐっと伸びをして体のコリをほぐす。徹夜明けの朝なのだから身体は疲れているはずなのだが、意識が高揚しているせいだろう、そんな風には感じられない。
 だから、書き終えた手紙を丁寧に折りたたんで封筒にしまうと、それを手にして足早に部屋の出口へ向かう。


 勢い良くドアを開け、ぐるりと視線をめぐらせると、目当てのものが見つかった。
「番長、手紙、書けた!」
 一仕事やり遂げた心境と徹夜明けのハイテンションのせいか、何故かカタコトの言語であさひは部屋を出てすぐのところにある銀色の信楽焼きのタヌキに向けてまくし立てる。
「分かった。シャリードと先生に伝えに行く……前に寝巻きから着替えて来い」
 タヌキの眼球がぎょろりと動き、低く太い声で答えが返る。言うまでもなく、バルバが形状を変えた姿である。
 ダスクフレアに対する警戒と、一人でじっくりとあさひに手紙を書かせてやりたいという気遣いのせめぎ合いの結果としての妥協案が、部屋のすぐ外でこうしてバルバが警戒にあたることである。ちなみにメリーベルの部屋にはセルカが泊まりこむ手はずとなっていた。
「おおっとこいつぁ失礼っ」
 テンション高め安定のままあさひが番長の言葉に答え、すぐに部屋の中に引っ込む。続いて聞こえてくるどたばたとした音は、彼女の身支度の音だろう。
「……ま、ヘコんでるよりゃよっぽどマシか」
 そう呟きながら、ドアに向かってくるあさひの足音をバルバは感じ取っていた。




 階段の昇降とワープポイントの経由をそれぞれ三回。時間にして十分ほどであさひは女子寮内の目的の部屋の前にたどり着いていた。
 ネームプレートには、メリーベルと、彼女のルームメイトらしき名前が刻まれている。
 ここで、少し困った事が生じた。メリーベルのルームメイトは、あさひの知らない名前である。そして、現在は夜明けからさほど経っていない、早朝もいいところといった時間帯である。
 友人であり、こちらの事情もある程度は分かっているメリーベルはまだしも、一面識もない人間をこんな時間にたたき起こすのは気が引ける。
 部屋を出てからここまで来る間はいわゆるナチュラルハイになっていて、そんなことは全く意識に引っかからなかったのだが、ここに到着すると同時に、幸か不幸かあさひのテンションは平常値に近づきつつあった。
 あとほんの少しハイになったままだったなら、人の迷惑を省みず呼び鈴を十六連打で打ち鳴らすくらいはやってのける事が出来たのだが、今となってはそうも行かない。
 どうしたものか、と思案に暮れるあさひがちらと動かした視線の先。女子寮内部を移動するときのお決まりの形態、掌大の球体となってあさひに持ち運ばれているバルバが目に入る。


 両手で捧げ持つようにして、銀色の球体を目の高さまで持ち上げる。
「番長、お願いしたい事が御座います」
 妙にかしこまった口調のあさひに、嫌な予感を禁じえないバルバだが、さりとて邪険にするわけにもいかない。幾らかの逡巡のあとで答えを返す。
「……とりあえず言ってみろ」
「御意」
 短く答え、会釈してからバルバをドアノブの方へ近づけるあさひ。まだ少しおかしいテンションは健在であるらしい。
「この部屋の鍵の形に変形して――」
「却下だバカヤロウ」
 あさひの提案を皆まで聞かずに切り捨てる。ええー、と不満げな声が漏れ聞こえるが、バルバはその一切を黙殺した。
「一番手っ取り早いと思ったのにい」
「はっきりと犯罪だろうが」
 ぼそぼそと言い合う二人。
 やがて、先に折れたのはあさひだった。
「仕方ないね。この上は、あたしは朝っぱらから迷惑な奴、という汚名を甘んじて受けるよ……!」


 意を決したあさひがドア横に備え付けられた呼び鈴に指を伸ばしたそのときだった。
 がちゃり、とドアの鍵が外れる音がし、間を置かずに開かれたドアからナイトキャップを被ったセルカの頭がひょっこりとのぞく。
 おはようございます、と会釈して、にっこりと笑うセルカ。
「あんまり騒がしくしちゃいけませんよー。シャリードさんを起こしてきますから、ちょっと待っててくださいねー」
 人差し指を唇に添えて囁くように言ってから、部屋の中に戻っていく。ごそごそとした気配がしばらく部屋の中で続く。
 時間にして待つこと約十分。身支度を整えたメリーベルとセルカが廊下に出てきて、音を立てないようにそっとドアを閉め、鍵をかけた。
「早かったね」
「遅かったな」
 前者があさひ、後者がバルバの台詞である。二人は虚を突かれたように言葉を止める。あさひが手の中に納まっているバルバに視線を合わせた。
「女の子の朝の準備としては驚異的に早かったよ、今の」
 あさひが人差し指を立てて諭すように言う。バルバは言葉ではなく、降参とでも言うように現在のサイズに見合う小さな蝕腕を二本形成してそれをバンザイの形に掲げてみせた。


「さて、雪村さんがこうしてやって来たということは、手紙は書き終えましたか?」
「あ、はい。ここに」
 あさひが封筒を取り出すと、セルカは満足げに頷き、メリーベルに目配せする。
「よし、んじゃ行くか」
 流石にまだ眠いのだろう、あくび混じりにぐいっと伸びをしながらメリーベルが歩き出す。
「うん、じゃあ格納庫へ――」
「いや、その前に」
 ぐっと拳を握りしめるあさひの言葉に、メリーベルが割り込む。やや入れ込み気味のあさひの気勢を散らすようにその鼻先を三つ編みの先端をくすぐるようにしてからにやっと笑う。
「まずは、放送室へ。――ちょっと仕込みをするからさ」


◆◆◆


「あ、そうだ。番長もメリーベルも先生もごめんね、こんな朝から」
 女子寮を出て朝もやの残る中を校舎へ向けて歩きながらあさひがぺこりと頭を下げた。
「今更言うかそれ」
 呆れたように、しかし僅かに笑いを含んでそういったのはメリーベルで、セルカはにこにこしたまま答えず、バルバはあさひの背中をぽんと叩いただけだった。
「手紙書き終えたらいても立ってもいられなくなっっちゃて……」
 しゅんとして小さくなるあさひに、気にするなという風にメリーベルが手を振ってみせる。
「別にいいって。同居人も起こさずに済んだしな」
「そういえば、何でセルカ先生はあたしたちに気付いたの?」
 メリーベルの言葉から状況を思い出して疑問を抱いたあさひの問いに、セルカは少し悩むような表情を見せた。
「うーん、そうですねえ……。まあ、いいでしょう」
 少しの間考え、自問の結果として答えを出したのか、ぽんと手を打って頷きを作る。
「実はですね、私が気付いたんじゃなくて、雪村さんたちがきたら知らせてくれるよう、頼んであったのですよー」
「頼む……って誰に?」
 あさひが首を傾げる。自分たちが部屋に近づいたとき、それを知らせるような他の誰かは目に入らなかった。ちらりと視線を送ったメリーベルも心当たりが無いようで、訝しげな表情を浮かべている。
「いやあ、なにぶん女子寮も古い建物ですからねー」
 にこやかな笑みを崩さないままに、答えにならないような答えをセルカが口にする。
「ま、まさか……」
 セルカの言葉を受けて、ひく、と頬を引きつらせるあさひ。そして、それとは対照的にあっけらかんとした様子で彼女が直言を避けたことをズバリと口にするメリーベル。
「ああ、やっぱいるんだ、幽霊」
「ひい、やっぱりー!?」
 半ば涙目になって頭を抱えるあさひに、しかしセルカとメリーベルから冷ややかな視線が向けられる。
「魔王も龍も悪魔も幻獣もいるオリジンで、しかもそいつらとまともに渡り合えるはずのフォーリナーが幽霊を怖がるってのもどうなんだ」
「っていうか先生、いっぺん死んで黄泉還ったリターナーですよー?」
「そ、そんなこと言われても、情緒的なものなのーっ!」


 いやいやと首を振って取り乱すあさひの肩が、ぽんぽんと叩かれる。
「とりあえず落ち着け。幽霊が怖いのは分かったが、ここにはいないだろう」
 バルバの低く重い声色は、その落ち着いた口調と相まって、狼狽しているあさひの精神を多少なりとも落ち着けてくれた。大きく深呼吸を一回。心理状態を平衡に戻して今やるべき事を心に描く。
「そ、そうだね。……ところで、放送室でなにするの?」
「また強引に話を変えたな……」
 呆れ半分、感心半分といった風情でメリーベルが言う。照れ隠しも込みでじろりとあさひが軽く睨むと、ひょいと肩をすくめてみせた。
「言ったろ、ちょっとした仕込みだよ。どういう展開になるにしろ、使えそうな道具とかあるし。で、それに関係する事で、ちょっと聞きたいんだけどさ」
 すっとあさひに身を寄せて、彼女がずっと手に持ったままの封筒を指差す。
「それ、シアルに渡す算段はついてるか?」
 え、と声を漏らしてあさひが固まる。ぎぎぎ、と錆の浮いた歯車のようなぎこちなさでその視線が巡らされ、
「な、なんかこう、秘策があったりとか……」
「ないな」
「渡す術は考えてませんねー」
 搾り出されたあさひの言葉に、セルカとバルバが無情な答えを返す。
「そ、そんなあっ。何かあるんじゃないの?」
「つかお前以外の誰に、今のシアルと直接コンタクトをとる手段があると思うんだよ」
「そ、それはそうだけど……」
 ぐうの音もでない、といった様子でうなだれるあさひの肩に腕が回される。思わず顔を上げると、メリーベルの碧眼がすぐ傍からあさひを覗き込んでいた。
「まあ、そんなこったろうと思ってさ。こっちでも色々考えたんだよ。手紙のアイデア出したのもアタシだしな」
 青い瞳を笑みの形に細めて言うメリーベル。


「簡単なトコからだと、あさひがMTの前で手紙の朗読」
 提示された案に、あさひは内心でそうか、と手を打つ。手紙なのだから渡さないと、と思っていたが、差出人が手紙を渡す相手の前で読み上げる、というのもそこそこ聞く話である。欠点としては読み上げる側は照れと闘う必要があるくらいだろうか。
「読み上げるのがこっ恥ずかしいだろうが、そこは置いとくとして、問題は途中でシアルからツッコミが入った場合だよな。なんか言われて、感情が高ぶってそっちに話を引きずられる、なんてことがありそうだ」
 メリーベルの指摘に、自分の性格を鑑みれば確かに起こりうる事態だと思うあさひだが、それとは別に疑問も抱く。


「でもさ、今回の趣旨としては『シアルに本音をぶつけてきなさい』なわけでしょ? シアルからなんか言われたらそれに答えないのも変だし、話がどう転ぶかはそりゃあ今から予測は出来ないけど、それはそれで本音にならない?」
 あさひの問いかけにふむ、と頷いてから、いいか、と前置きし、
「まず、雪村あさひの性格的傾向として、感情が理屈の先に立つタイプだろ。それがいいほうに働く場合もあるだろうけど、悪い方に転がる可能性だって同じくらいある。かっとなったらイマイチ自分でも制御利かないとこってないか?」
 自分の中にある、メリーベルが指摘したような部分にあさひは確かに心当たりがあった。だから素直に頷いてみせる。
「ましていかにも理屈屋のシアルを向こうに回すんだ。制御できる部分はきっちり制御しときたい。伝えるべき感情は手紙の中にきっちり込めてあるだろ? 必要なのは、それを伝えきる事で、的に当たるかどうか分からないめくら鉄砲を撃つことじゃないんだ」
 そこまで言ってから、あさひに見えるようにメリーベルは人差し指と中指を立ててみせる。


「アタシから推す案としては二つ。まずは、手紙の文面をMTに転送する」
「……そういうの、できるんだ」
 疑問ともいえないあさひの呟きに、メリーベルは視線をセルカに向ける。
「雪村さんたちのMTへの通信経路に関しては、先生の方で確保してあります。シアルさんが通信系を全カットでもしていない限りは放送室の機材を利用すれば割合簡単にいけますよー」
 水を向けられたセルカの説明が終わってから、メリーベルは再びあさひに視線を戻し、中指を折る。
「もう一つは、手紙を代読する。読んでる途中でシアルから突っ込み入っても中断しないように小細工込みで」
「誰かが自分の手紙を読み上げるのを聞くのかあ。……それはそれでハズかしい……」
 うむむ、と腕組みして考えるあさひの目の前で、メリーベルがひらひらと人差し指を振る。
「まあ、単にアタシからこういうのはどうだ? っていう提案だしな。自分で読み上げるのがいいならそうしたほうがいいし、他に手を思いつくならそれでもいい。結局のところ、あさひが決めなきゃな」
 最後に一度、あさひの肩をぽんと叩いてメリーベルがすっと身体を離す。
 それから放送室に着くまでの間、あさひはずっと腕組みしたままで考え込んでいた。


◆◆◆


「決めた。手紙は代読してもらって、あたしはシアルがどうしても何か言いたい時に備える。あと、シアルがそれを聞いてくれなかったら文面を送ってみる」
 放送室の内部、メリーベルの正面に立ってあさひはきっぱりと言い切った。
「手紙を自分で読み上げるにも精神的なリソースを結構使っちゃいそうだから、多少ハズかしくても誰かに読み上げてもらった方がもし何かあったときにあたしが動けると思う」
「了解。それじゃあ……」
 言葉とともにメリーベルがあさひに向けて何かを放り投げてよこした。反射的にキャッチしたそれは、手のひらに収まるサイズの四角い物体。
「持ち運び用のラジオだよ。今回の小細工そのいち、だ」
 言われてあさひは手の中のラジオをまじまじと観察する。スイッチがあり、チューニング用のツマミがあり、スピーカーもついている。確かにラジオだ。
「で、代読は不祥アタシがこの放送室で務める。――構わないか?」
 親指で自身を示しながらメリーベルが問う。
「うん、よろしくね、メリーベル」
 あさひが頷きとともに手にしていた封筒を彼女へ差し出す。真剣な表情でそれを受け取ってからメリーベルがにやっと笑い、彼女たちが今いるブースの隣、大きなガラス窓の向こうにある二人がけのテーブルとマイクが備え付けられた小さめのスペースを指差す。
「オーケイ。よろしくしようじゃないの。予備に用意されてるブースを昨日のうちに押さえてある。ここからそのラジオに声を飛ばす。アタシの方でできるのはそれだけだけど、だからこそキッチリ仕事をこなすよ」
 言い放ち、あさひに向けて右拳を突き出す。すぐに意味を理解したあさひが自分の右拳をそれに打ち合わせると、彼女は満足げな表情を浮かべてガラスの向こうの小さなブースに入る。

 テーブルの上に置かれたマイクを手に取り、それに向かってメリーベルが口を動かす。何ごとか喋っているのだろうが、ブース間の防音が思った以上にしっかりしているようで、こちら側にいるあさひたちには何も聞こえない。
 そうこうしていると、メリーベルがこちらに向けて片手を上げる。何かを持っているように指を曲げたその手を、もう片方の手の人差し指手つつく仕草をとった。
 ぴんときたあさひが、自分の手の中にあるラジオのスイッチを押し込む。ザザ、という雑音に続いてホワイトノイズが流れ出し、
 どうだ? 聞こえるか?


 手の中のラジオから、メリーベルの声が届く。ブースの向こうにいるメリーベルに見えるようにあさひが頷くと、応えるように彼女が唇の端を上げた。
 
 さて、ここからは特別サービスだ

 マイクに向けてそう言うと、メリーベルは右手で自分の三つ編みを束ねるリボンを解いた。ウェーブのかかった赤毛がふわりと広がり、それと同時に、ブースを隔てるガラス窓にかかったカーテンの半分を勢い良く閉められる。

 あ、あー。ん、んんっ、あーあー

 喉元に手を当てて、その具合を確かめるように声を出す。いや、実際に声を調整しているのだろう。一音発せられるごとに、メリーベルの声が元の高く甘いものから、音階を下げ、落ち着いたものへと変わっていく。
 そうしながら、先ほど閉めたのとは反対側のカーテンに左手をかける。ちらりとあさひの方へ流し目を送り、その目線の上に、何処からか取り出されていた眼鏡が被せられた。
 髪を解き、眼鏡をかけて全く印象の変わったメリーベルが、ガラスの向こうでにっこりと微笑む。
 残ったカーテンが先ほどにも勝る勢いで閉じられ、それとほぼ同時に、

 みんなには内緒ですよ?

 視界を閉ざされたブースの向こうから、あさひの手元のラジオに声が届けられる。
 聞き覚えのある声と口調。
 メリーベルとしてではない、いつも学食のスピーカーから流れていたそれは、
「“眼鏡の”スタアさん!?」





Scene18 わたしのしあわせ



 少女は、孤児だった。サンドブロゥではそう珍しい身の上でもない。厳しい自然と荒っぽい人々。最近ではテオスの武力侵攻やネフィリムの経済的な圧迫。
 そういった様々な要因で家族を喪う者はそれなりに存在していたのだ。
 ただ、その少女はそういった中では最上級に位置する幸運に恵まれた。とある修道院のシスターに身柄を引き取られた事、修道院がまともな――酷いときは人身売買等の隠れ蓑となっているケースもある――場所だった事、修道院の周囲に暮らすのも、ガラは悪いが善良な人々だった事。
 そして、少女は己の幸運を自覚していた。だからこそ、今度こそ喪うまいと必死になった。
 だから、力を求めた。強くなろうとした。
 サンドブロゥにおいて、最も一般的な強さと力の象徴とは、すなわち銃である。
 半ば当然の選択として少女は拳銃を手に取り、弛まぬ訓練と強い目的意識、生来持ち合わせていた大きな内在フレアが彼女の望みに応えた。
 いつしか箒星の名を冠して呼ばれることとなった少女は、志を同じくする人々と手を携えて自身の周囲を守り続けた。やがて、そうした勢力が大きくなり、ある程度の自衛は彼女を戦力に数えなくとも為し得るようになった頃、彼女の周囲の人々は、自分たちのリーダーにリオフレードへの留学を勧めたのだ。


「本人も随分迷ったそうなんですけどねー。オリジンの情勢を知り、各地の人間に知己を作るって建前と、学校生活を楽しんで来い、っていう本音の二段構えに押し出される形でこの学院にやって来たらしいです」
 あさひとともに格納庫へと歩きながら、セルカはメリーベルについての話を続けていた。あさひの手元のラジオからはあれ以来“眼鏡の”スタアさん――メリーベルの声は聞こえてこない。その代わりに、最近学院で流行りの音楽のメドレーが絶えず流されていた。
 ちなみにバルバはあのまま放送室に残り、不測の事態に備えている。
「初めて会った頃のシャリードさんは、長いこと修道院を守るために戦っていたせいか、それはもうツンケンした子でしてねー。しかも、そういうのがあんまり良くないと自分でも分かってて、でも今までの自分のスタイルを変えられなくて、もどかしそうにしてたあたりはもう超絶可愛かったですよー。ああいうのを地球の文化ではツンデレって言うんですよね?」
「いや、ツンデレを地球の一般的な文化みたいに語られるのもちょっとアレなんですけど……」
 思わず突っ込んだあさひに構わず、くふふ、と笑みを漏らしてセルカはさらに口を開く。


「まあそんなこんなで私が相談に乗ってまして。部活を決めかねていたこともあって放送部に連れて行ったら、声質のせいでしょうか、やたら気に入られましてねー。すったもんだの末、そのまま喋るのは恥ずかしいという事で話し方と声質をちょっと変えてラジオデビューする事になったのですよー」
「そんなことが……」
 突然明かされた真実に驚きしきりのあさひがセルカの話に聞き入る。
「話し方と声質を変えて、ってことは、キャラクター自体は割りとメリーベルの素なんですか?」
「そうですねえ。ちょっと放送用にテンション上がってるとこありますけど、根っこはおんなじですかねー」
 例えば、とセルカがぴんと人差し指を立てて講義の体勢になる。
「シャリードさんは故郷の神様の洗礼名を持ってましてね。戒律もあっておおっぴらには名乗らないんですが、それを含めたフルネームは『メリーベル・スタア・シャリード』なんです。つまりはそういうことですよー」
 分かったような分からないようなことを言ってにっこりと笑う養護教諭。ただ、言いたい事はあさひにも何となく伝わった。だからあさひも笑みを返す。
「ところで先生、その辺りの暴露話って、あたしにしちゃって良かったんですか?」
「ここまで聞いといて出る質問でもない気がしますけどねー。まあ、昨日のうちに『自分が手紙を読む事になったらアタシの事情をあさひにバラして構わない』って言われてますから。そうそう、『お互いにハズかしいネタを握られてるって事だからな』とも言ってましたねー」
「それは怖いなあ」
 あはは、と軽い笑い声を上げて、あさひがその場で足を止める。釣られるようにして、セルカも足を止め、そして正面を見る。学院の外れ、飛行場のそばにある格納庫入り口の大扉。それが目の前にある。
「よし、それじゃあ行きます」
「お供しましょう」
 そう声を掛け合って、二人はその中へと足を踏み入れた。


◆◆◆


 格納庫の奥、当然といえば当然だが、昨日と変わらぬ姿で『シアル・ビクトリア」はそこにいた。
 そして、自らの乗機に挑みかかるようにしてあさひがその前に立つ。
「シアル!」
「なんでしょうか、あさひ」
 昨日とは違い、返答は即座にきた。昨日より前ならば当然のことに、あさひは膝の力が抜けそうなほどの安堵を覚える。だが、まだやるべきことの入り口にも至っていない。だから、ぐっと力を込めて地面を踏みしめる。
 拳を握りしめて立つあさひの背中を、小さな掌がポン、と軽く叩く。
 あさひはそちらを振り返らない。その必要もないし、それを望まれてもいないだろう。


「話を聞いてもらいにきた!」
 MTの胸部ブロック、コックピットの存在する位置を見上げてただ声を出す。
「……回りくどいことをせずとも、あなたがただ一言『そこから出て来い』と命じてくだされば私はMTから降りますが?」
 返ってきたシアルの答えは、己への命令を、雪村あさひがシアルを従属させる事を望むものだ。だが、あさひは首を横に振り、それから顔を上げる。強い意思を込めた視線を、装甲板の向こうにいるシアルに向ける。
 両足を軽く開いて真っ直ぐに立ち、握った両拳を腰に当て、
「あたしは頭が悪い!」
 大きく、自負に満ちた声で言い放った。


 シアルからの答えはない。横にいるセルカが面白いものを見るような目で自分を見ているのが若干気にかかるが、それは無視してあさひは言い募る。
「シアルと言い合いしたらあっという間に言い包められる自信があるし、何か言われたら動揺したりカッとなったりで言いたい事の半分も言えないんじゃないかと思う! だから――」
 あさひが右手を高く掲げる。その手の中にあるのは、持ち運び用の小さなラジオ。スピーカーからは、今は少しスローなテンポのポップスが流れている。
「『ここ』からあたしが書いた、シアルに宛てた手紙が届く! それを聞いて欲しいの! シアルがアタシにどうして欲しいかは昨日聞いたから、あたしがシアルにどうして欲しいかを知って!」
「……聞くだけならば」
 低く小さく、だがしかし確かに返ってきた答えにあさひはほっと息を吐く。ラジオのボリュームを上げて、そこから流れる音楽を聞くと話に聞きながら、事前に知らされていた開始時間をじっと待つ。
 ある程度余裕を持ってこの場所に着くように歩いていたために、開始までまだ少しだけ間があった。じりじりと過ぎる時間の中で、大切な人を信じられない嘆きから始まった歌が、世の中に疲れ倦んで街を彷徨うところでフェードアウトして途切れる。時間だ。


 はぁいラジオの前の皆さん、おはようございます! 今日は時間を変更して始業時間前、朝の特別放送をお送りいたします。
 パーソナリティーは、友情の蒼い天使の糸を結ぶ“眼鏡の”スタアがお送りいたします!

 さて、本日は悩める女生徒から仲違いしてしまったお友達へのお手紙を頂いております。早速読み上げていきましょう!
 本名OK、雪村あさひさんからのお便り! えー、コホン。

[シアルへ。
 まず最初に謝っておきます。
 わたしはこんな風に手紙を書く事が苦手で、これからあなたの目に触れる内容には、おかしいところが幾つもあるかもしれません。
 ですが、心を落ち着けて、自分自身に問いかけて、わたしの気持ちを出来る限り正確に、誠実にしたためようと思います。どうか、最後までお付き合いください。


 あなたは訳も分からずこのオリジンに喚び出されてしまったわたしの前に現れた、最初のひとでした。
 あのとき、わたしは怯えていました。自分の理解の及ばない事態に、どうしていいか分からない状態でした。
 あのとき、あなたが傍にいてくれたことが、どれだけわたしの救いになっていたか、言い表す事はきっとできません。


 あなたは、いつでもわたしを守ってくれていました。
 この世界に不慣れなわたしを気遣い、ときには自分の身を挺してまでわたしのために尽くそうとしてくれました。
 わたしはそれをとても頼もしく思っていました。
 ですが同時に不安でした。
 あなたがわたしを守ろうとするあまり、いつかわたしはあなたを失うのではないかと。
 いえ、それ以前に、あなたに見限られる日がくるのではないかと。
 わたしは、わたし自身があなたにそこまで思ってもらえる存在だとは、とうしても信じきる事が出来ないのです。


 だからわたしは、あなたがわたしに向けてくれる思いにふさわしくありたかった。
 わたしに出来うる限りの事を、あなたにしてあげたかった。
 おこがましい事なのかもしれませんが、身一つでこの世界にやってきたわたしには、ただ行動するしかなかったのです。


 わたしは、あなたに幸せになって欲しいのです。
 そのために、あなたがわたし以外の誰かと関わりを持ち、友達が出来るようにと願いました。
 それは正しい事だとわたしは信じていました。
 わたしは、あなたがアニマ・ムンディであるというだけでわたしに従い、それを至上とするのを不幸な事だと思っていました。 ひょっとしたら、それはひどく傲慢なことであったのかもしれません。
 事実、あなたはわたしに、道具として扱って欲しいと言いました。
 わたしがあなたの幸せを願うのなら、その通りにするべきなのかもしれません。


 でも、わたしにはどうしてもそれが出来ないのです。
 わたしにとってのあなたは、道具ではなく友達なのです。
 

 初めてあなたの名前を呼んだときの、あなたの笑顔を覚えています。
 自分を見捨てろと言ったときの、あなたの迷いの無い声を覚えています。
 わたしがお酒に酔ったときの、あなたの困った顔を覚えています。
 自分を役立たずだと責めたときの、あなたの苦しげな声を覚えています。
 このオリジンに来てから、一番わたしと一緒にいたのはあなたです。そして、その時間の分以上にわたしの中にあなたがいて、それはもう切り離す事の出来ないものになってしまっています。
 

 けれど、そう思いながらも、確かにわたしの中には、いつかあなたと別れるときが来ると、そんな思いもありました。
 いつか地球に帰るかもしれない。いいえ、帰りたい。
 そういう心は、きっといつでもわたしの中にありました。
 だから、その後のことを考えて、あなたに接していたのでしょう。
 あなたのためと謳いながら、それはわたしの心の平穏のためでもあったに違いありません。


 何を勝手な、とあなたは思うかもしれません。
 全てはわたしの都合と思い込みで、あなたの願いは考慮されていません。
 あなたがアニマ・ムンディでなくとも、こんな相手を友達だと思うことは出来ないかもしれません。
 けれど、それでも、と思うのです。
 

 あなたは言いました。『道具である事以上を望まない』と。
 わたしは、この言葉に勝手な思い込みを持つ事にします。
 道具である事以上の望みが、あなたの中にあるのだと。
 実際にあるのかどうかは分かりません。あったとして、それはわたしにとって更に受け止めがたいものなのかもしれません。

 
 だから、教えてください。あなたにとって、何が幸せであるのか。
 だから、考えさせてください。わたしに、なにができるのか。
 そして叶うなら、一緒に考えてください。
 わたしとあなたの二人ともにとっての幸せと、そのためにするべきことを。

 わたしには、どうしてもあなたが必要なのです]
 

 ……手紙はここまでです。
 お友達の人、聞いていますか? この手紙があなたのところに届いたなら、あなたの答えを返してあげてくださいね。
 それから雪村あさひさん、いいトコ突いてると思いますよ、頑張れっ!



 その言葉を最後に、音楽がフェードインして彼女の声は聞こえなくなる。場に流れるのは、今の放送が始まる前に聞こえていた歌。過去に何があっても、未来が見えなくても、今手にしているものが次の瞬間に指の隙間から零れ落ちるのだとしても、それでも絆が愛しいと歌う。


 じっと黙ったままラジオの音楽に耳を傾けていたあさひは、くすりと笑ってMTを見上げた。
「狙いすぎだよね、これ。サービスのつもりなのかな?」
「だとしても、私に効果があるとは思えませんが」
「ウソだよ。機嫌がいいと鼻歌出るくらいには音楽とか好きなクセに。その程度にはあたしだってシアルのこと知ってるよ」
 呆れたようなシアルの言葉に、笑みを含んだ応えを返す。シアルから続く言葉は無い。これ以上話すことはないのか、言うべき言葉を探しているのか、それはあさひには分からない。だから待つ。今はそういう時間だと、自然にそう思えた。


「……私は」
 MTのスピーカーからシアルの声が零れ落ち、そこで止まる。短い言葉の中に、しかし躊躇うような、悩むような、そんな心があさひには感じられた。
「この身が道具であれば良いと、そう思いました。そこに嘘はありません。……ですが……」
 再びの沈黙があさひとシアルの間に横たわる。そこには二人が抱く、手で触れられそうなほどの不安と迷いと、期待がある。
「そう思ったのには、理由があります」
「……うん。聞かせて?」
 固体化してしまいそうな空気の中で、やっと搾り出されたシアルの言葉に、ささやくような、しかしこれ以上ないほどに優しげな声であさひが先を促す。


「あなたはこのリオフレードへやってきて、多くの友人を作りました。そのやり取りを観察した結果、私はこう判断したのです。『私にはあさひの望むような友人となることは不可能』だと。そして、遠くない将来、高い確度で私はあさひから見限られるだろう、とも」
 淡々と語られるシアルの告白を、あさひは黙ったまま聞いていた。彼女の無言に急かされるようにして、シアルはさらに言葉を紡ぐ。
「前々から、自身を友人として扱え、というのがあさひの望みでした。ですが、あなたと周囲の交流を見るにつけ、私に同じ事が出来るとは思えないのです。あなたに仕えるものとして、あなたを助けることも、苦言を呈することも出来ます。ですが、私ではそこまでなのです。そして、あなたの望みと私の実態の齟齬は、あなたがモナドライダーであり、私がアニマ・ムンディ――戦闘における主と従――である以上、放置してよいものではありません。いずれ、決定的な破綻の引き金となるでしょう」


 疲れたようにシアルが息をつくのがスピーカーを通じてあさひに伝わった。
 あさひからすれば、この時点で言いたい事はある。それはもう山のようにある。
 だが、あさひはそこを抑えた。それを可能とした心理的余裕の出所はおそらく、シアルに向けて伝えるべきことは既に伝えられていること、それを行うためにこの場でエネルギーを消費したのは自分ではない、という二点に尽きるだろう。
 ともあれ、そうした事情と、シアルの話から感じられる続きの気配に、あさひは喉もとまでせりあがってきた言葉を飲み込み、そろそろシアルの話が終わりに近づいてきたことを感じながら、ただじっと耳を傾ける。


「だから、私は道具になりたかった。あさひが私に友であることなど望むべくもないような存在になってしまいたかった。……そうすれば、せめてあなたが故郷に帰る時まででも、私はあなたにとって必要なものであり続けられると思ったのです。そうすれば、いずれあなたが帰ってしまっても、何も感じずに済むと思ったのです」


 以上です、と付け加えてシアルは話を締めくくった。
 終点をきちんと示すその律儀さにほんの少し頬を緩めて、あさひは最初から微動だにしなかったた立ち位置から、初めて一歩を踏み出した。
 そのまま『シアル・ビクトリア』の足元まで歩み寄り、脚部の装甲版にそっと掌を添える。
「ねえ、シアル?」
 そっと目を伏せて、その名を呼ぶ。
「……なんでしょう、あさひ」
 少しだけ間を開けて、いつものように答えが返る。
「確かにね、いつまでもあたしを友達扱いしてくれないのは不満だし、寂しいと思うよ。でもね、それでシアルのことをいらないとか嫌いとかは思わないよ」
 あさひは少しの間おとがいに手をやって記憶を手繰り、
「例えばこないださ、あたしが寝坊して遅刻しそうになったとき『パジャマを脱ぎ散らかすな』とか『いくら急いでいてもせめて下着の色柄は上下揃えろ』とかシアルに怒られたでしょ?」
「……ええ、そういうこともありましたね」
「あたしさ、『メンド臭い』とか『誰も見ないから別にいいでしょ』とか口答えしたけど、それであたしのこと嫌いになった?」
「そのような事はありませんが……」
 それじゃあ、とあさひは笑い、装甲版をばしんと叩く。
「あたしだっておんなじだよ。その程度の事でシアルをいらないだなんて思わない。そういう、融通の利かない、つれないとこも含めてシアルで、あたしにとって大事なひとだから」
「あさひの朝の身だしなみの話と同列化されてしまうと色々と立つ瀬が無いような気もするのですが……」
 ため息とともに呟かれたその言葉に、あさひはにんまりと笑みが浮かぶのを抑えられない。昨日以来の、しかし随分と久しぶりに聞いたような気がする、たしなめるような響きのシアルの声。日常の中にいつもあったそれが、戻ってきている。


「ねえシアル。ちゃんと話をしよう? あなたのために、あたしのために。何度でも言うけど、あたしにはシアルが必要なんだよ」
 言って、『シアル・ビクトリア』を足元から見上げる。
「あたしも手紙書いて徹夜しちゃったし、部屋に帰って一緒にお風呂入って、今日は授業サボって一緒のベッドで寝よう。寝オチするまでお喋りして、明日からの再スタートに備えよう」
 言葉の途中でちらりとセルカのほうを伺うと、ご丁寧に両耳を手で塞いで口笛を吹いていた。
 ――サボりを見逃すのは今回限りですよー。
 ――先生愛してるっ。
 視線でやり取りを交わし、再びMTを見上げる。足元からではその全体像を見ることは適わないが、胸部のコックピットブロックは見える。今は、そここそが重要だった。


 数度の呼吸をそのままの姿勢で行った頃、あさひの耳に、ここ最近で聞きなれた音が届く。
 モナドドライブの駆動音。鋼の巨人の心臓部たる概念機関が目を覚ますときの身じろぎの音だ。
 直立の姿勢をとっていた『シアル・ビクトリア』が身をかがめて膝を付き、掌を上にして地面近くに差し出した。
 ぴょんと軽い動きでその上にあさひが飛び乗ると、そのまま胸の前まで運ばれる。それと同時に空気の抜けるような音が響き、コックピットの隔壁がゆっくりと開いていく。
 一人が通れるほどの隙間が出来るや否や、もう待ちきれなくなっていたあさひがコックピットの中に飛び込み、
「あいったあー!?」
「うくっ!?」
 何かに思い切り額をぶつけた。


 そのまま、正面衝突した何かを巻き込んで飛び込んだ勢いのままにシートに倒れこむ。
 目の前にちかちかと乱舞する星の向こう、視界一杯に見えるのは、艶やかな金の髪。その隙間から覗く、やはり同じく金色の瞳。
「……シアルぅ。なんでハッチ前で待ち構えてるの……?」
「……そういうあさひこそ、何故いきなり飛び込んでくるのですか……?」
 お互いに強打した額を押さえ、やや非難の色を混ぜた言葉を交換する。そして、次の瞬間にあさひは先手を打った。
「あたしは、一瞬でも早くシアルの顔が見たかったんだよ!」
 二人してシートに倒れこんだ体勢のまま、シアルの身体に腕を回してぎゅっと抱きしめた。ついでに足でもカニばさみをかけて、さながらコアラのような様相でしがみつく。
 あさひの予想に反して、シアルからの抵抗は無かった。それどころか、少し身体をよじって腕の自由を確保すると、それをあさひの身体に回してきゅっと抱き返してくる。
「……ええ、私もです」
 あさひは予想外に直接的なその言葉にぽかんとした表情を浮かべたあと、うへへ、とおかしな笑い声を上げ、それからやたら照れ臭くなって表情を隠すようにシアルの肩に額を押し付ける。
「シアル、ごめんね」
「いえ、私のほうこそ――」
 自分の謝罪に対して謝罪を返してくるシアルを、あさひは手足に力を込める事で押し留めた。
「あなたのことをちゃんと考えてあげられない、問題を先送りするようなあたしで、ホントにごめん」
 結局のところ、自分のわがままをシアルに受け入れてもらっただけだとあさひは痛感していた。地球の事、お互いの関係の事、これらについて考えるための時間をもらい、シアルにも知恵を借りたいと。
「お気になさらず。――これは受け売りなのですが、そういうところも含めて、あさひなのです」
 声に出さずにあさひはこれに頷いた。額をシアルに押し付けたままなので伝わるだろうと考え、しかし思い直して顔を挙げ、彼女と真正面から視線を合わせる。
「うん、ありがとう、シアル」
 一瞬だけきょとんとしたシアルが表情を変えたのを見て思う。

 ――ああ、やっと笑ってくれた。

 しみじみと胸の内でつぶやいて、あさひも笑った。


◆◆◆


「ごくごく簡単に言っちゃいますと、第一と第二の反抗期がいっぺんに来たようなものだと思うのですよー」
「反抗期ですか?」
 夜通し活動している学生のために深夜から早朝に営業している銭湯『うぉーみんぐ・ふぉー・湯』の湯船に並んで浸かりながら、セルカがあさひに講義口調で語る。
 頭の上にタオルを乗せて、気持ちよさげに細められたセルカの視線の先には、今回の事情を聞いて『色々と尽力していただいたお礼です』とメリーベルの背中を流しているシアルがいる。


 格納庫であさひとシアルの和解が成ってから、それにセルカを加えた三人は放送室へ戻り、待ち構えていたメリーベルとバルバに事の顛末を説明した。
 今日はおフロ入って授業サボって寝る! と放言したあさひに乗っかる形で、どうせならみんなで風呂行くか、とメリーベルが言い出し、こうしてノクターン通りの学園に一番近い位置に陣取っている銭湯に全員でやってきたのだ。


「シアルさんは一個の存在として自意識を獲得していますが、それを得てからの歴史が浅い事も事実です。なまじ人格が外見年齢に似つかわしいのでつい見落としがちですが、彼女の精神が形成されてから、まだ1年未満、外界に触れるようになってからはせいぜい2ヶ月というところでしょう?」
 ぴっ、と湯の雫を飛ばして二本の指を立てて見せるセルカ。普段は青白い肌が今は湯船に使っているせいか、普通の人間と同じ程度まで血色が良くなっている。
「本来なら、親から無条件の愛情を受けているべき時期です。まあ、アニマ・ムンディの精神形成を人間と単純に比較するのも乱暴な話ではあるのですが、あながち間違った指摘でもないんですよー。かてて加えて、思考形態自体は十代半ばのものになってますから、雪村さんとの関係に不安を抱いてグラついてるのに重ねて思春期的なアレソレをこじらせて、今回の件に至ったんじゃないかと、そう思うわけですねー」
「つまり、あたしがその辺りを把握しとくか、自分にとってのシアルの必要性をきっちり伝えとけばここまで大騒ぎしなくても済んだワケですか……?」
 今回の一件に関する所見をセルカから聞かされ、そこから結論される自分自身のヘタレっぷりに、思わず顔の半分まで湯船に沈み込むあさひ。
「まあ、そうであった可能性はそれなりに高いですが、終わってみれば雪村さんもシアルさんも、お互いの胸のうちのモヤモヤを吐き出せた上に今後についても話し合いの機会を持とうという意識が芽生えたんですから、そう自分を責めたものでもないですよー」
「それにしたってちょっとは気が付くとかあるじゃないですかあ。情けないなあもう」
「まあしゃあねえだろ。昨日、あさひじゃ気付けないつったろ?
 浮上してまた愚痴るあさひの隣、セルカとは反対側で、シアルに背中だけでなく髪まで至極丁寧に洗われたメリーベルが腰を落とす。湯船のヘリに持たれるようにしているのはあさひやセルカと同じだが、二人は女座りなのに対し、彼女の座り方は手足を広い湯船に投げ出すような、あけっぴろげなものだ。
 メリーベルは洗い場で今度は自分の髪を洗っているシアルに目をやり、
「アタシや先生がシアルの精神状態を予想できたのは、グレズで似たような例がいくらかあるからさ。連中の中にも突然自我を持って混乱する奴とかいるからな。地球生まれのフォーリナーにゃあその辺を分かれっつーのも難しいだろ」
 あ゛ー、と親父臭い唸り声を上げつつあさひを慰めるように言う。


「まあ、そういうオリジンの作法とか常識? ――この場合は常識なのかは分からないけど、そういうのに疎いのは確かだよね……」
 あさひの口から反省込みで、はふう、と熱っぽいため息が一つ。だいぶ体が温まってきているらしい。が、もともと長湯な方なのでもうしばらくはこうして湯に浸かっていたいところだった。


 こうしてぼんやりと風呂に入っていると、体がリラックスするのに合わせてアタマの方も緩んでくるような気がするあさひである。
 あれこれと反省していたはずなのに、お湯の温度のせいでふわふわと意識が浮ついてくる。やがて、かように緩み始めた脳細胞の導きに従い、ちらりとセルカの方を伺う。
 パッと見の印象がまんま中学生の養護教諭は、脱いでも中学生だった。色々と慎ましやかである。
 生徒たちからの呼称として『セルカちゃん』が市民権を得ているのもむべなるかな。本人は大人の女性として扱われないのが大層不服らしいのだが。
 ただ、それでもやはり彼女は教師であり大人である。時折ふとした仕草にそうした一面が垣間見える事もあり、成熟しきっていない肢体とあいまって妖しい色気を感じさせるところもある。


 対して逆方向、メリーベルへと視線の矛先を変える。
 擬音にすると、だらん、という感じであろうか。彼女は彼女なりにリラックスし切った風情で湯船の縁に頭を預け、銭湯の天井を見上げていた。
 体勢的に色々フルオープンなのは女子の恥じらいとか慎みとかの観点からどうだろうかという思考があさひの中で生まれるが、湯船でそれを言うのも無粋かな、と思い直し、なにも言わない代わりにこっそりと観察することにする。
 きっちりと出るべきは出て、凹むべきは凹んでいる。また、意外に全身が引き締められており、どこか猫科の肉食獣を思わせるしなやかな筋肉が見て取れる。腰の位置も高く、総合的なスタイルの良さは相当なものだ。


 ――あたしも一応、カラダは平均点ちょい上くらいを自称できるとは思うんだけど……。
「失礼します」
 一言断って湯船に入ってきたシアルに目を向ける。
 美少女、という言葉を具現化したらこうなるのでは、というくらいの整った容姿。スタイルにも文句の付けようがない。あさひよりやや大きいバストは、しかし肌のハリによってツンと上向いており、だというのにウェストは確実にあさひより細い。腰から尻、太ももへの流れるような曲線は優美と言う他なく、ふくらはぎから足首にかけての細く締まってゆく脚線美にも隙がない。
 正直、対抗意識を抱くだけ虚しいレベルである。
 ――ただ、こういうカンペキな見た目にあたしが引きずられちゃったのも今回の原因の一つだよねえ。


「シアル、こっちおいでよ」
 シアルが湯船に入ると同時にセルカが少し位置をずらしてあさひとの間に隙間を空けてくれたので、そこを指して彼女を手招きする。
 僅かに頬を緩め――あさひが判定するところのシアルの表情基準にあてはめると、ぱあっと顔を輝かせた、に相当する変化である――シアルはいそいそとあさひの隣に腰を下ろした。
 あさひは自分の隣で湯に浸かるシアルの顔をまじまじと見つめた。すぐにシアルはその視線に気付き、生真面目な表情に疑問符を浮かべて視線を返してくる。
 ――甘えたさんの妹が出来たと思えばよかったわけだよね。
 彼女の容姿や、理性と使命感先行の言動から、シアルに対してはむしろ年上として扱うくらいの意識があさひの中にはあった。が、それはどうやら間違いだったとつくづく感じられた。
 シアルが精神的な成熟を得るまでの間、彼女を肯定する存在である必要があったのだ。
 順序で言えば、彼女には目線を同じくする友より先に、傍らで見守る親が必要だった、ということである。


「まあなんにせよ、シアル」
「なんでしょうか、あさひ」
 うん、と頷きを一つ。
「今後とも、よろしくね」


◆◆◆


 あさひたちが風呂から上がり、身支度を整えて銭湯を出ると、男湯からバルバが丁度出てくるところだった。
「あれ、番長意外に長風呂なんだね?」
「もともとが高温、高重力環境の生まれだしな。それと比べりゃあどんな風呂でもぬるま湯もいいとこだが、湯に浸かるのは嫌いじゃない」
 ふむ、と声を漏らしてセルカがバルバの銀の身体にぺたりと掌を置く。
「おお。まだ暖かい。湯たんぽに使えそうですね、バルバ君。……リオフレードの気候だといまいち使いどころがないかもしれませんが」
「人を暖房器具扱いするな」
 やや刺のある口調でセルカをたしなめると、バルバはあさひとシアルに向き直る。
「――で、お前らはこれからサボりか」
 いやあ、と後頭部を書いて愛想笑いを浮かべるあさひ。その隣でシアルがフラットな表情のまま恐縮です、と軽く頭を下げた。
「あーあー。先生何も聞いてませーん」
「アタシゃお昼の放送があるからなあ」
 続いてバルバから意識を向けられた二人がそれぞれに言う。
「まあいいさ。雪村たちは夕方まで寝てろ。……ただし、放課後に一旦集まるぞ」
「そうですねー。先生の方からも皆さんに伝えておきたいことが幾つかありますし」
 バルバに続けて言葉を作ったセルカに、他の四人から視線が集まる。が、その焦点は彼女耳のあたりだ。
 生徒たちの注目を受けて自分が耳を塞いだままきちんと受け答えをしてしまった事実に気づいたセルカがそっと両手を耳から外し、体の前に揃える。
「――読唇術です!」
 ぱん、と手を打ち鳴らし、満面の笑みと共に告げられた言葉に、生徒たちはへえ、と声を漏らした。きっと感嘆の溜息だとセルカは結論する。
 微妙に目線を外されているのはきっとそう、アレだ。ともかく問題ない。
 こほん、と咳払いを一つ挟み、

「明日は件のレースですからね。今日のうちにやっておきたいことは幾らもあります」
 しっかりこちらの言葉を聞く体勢になっている生徒たちを満足気にぐるり、と見回して、セルカは人差し指をぴんと立てた。


「コース上に仕掛けられた魔法陣の解析と対策について、語るとしましょう」



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑫ Get Set Go!
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/06/04 00:28
Scene19 スタートライン

 その日、その場所は人の波に飲まれていた。
 多くはその場所で始まる事の見物人。その他には場を仕切るもの達。そしてこれから始まる催しへの参加者たちだ。
 リオフレード縦横断レース、スタート地点となる、学院の正門前である。
 レースの開始までまだいくらか時間があるが、スタートライン上には、第一走者50人が既にスタンバイを終えていた。
 見物客の中には特定のチームを応援する目的で来ている者もいるようで、そうした客からは早くもヒートアップした声援が飛んでいるところもある。
「我等が番長のォー! 勝利をォー! 願ってェー!! 三ッ三ッ七拍ォー子ッ!!」
 ロープで仕切られた見物客のスペースの最前列に陣取った男子生徒の一団もそんなクチで、思い思いの鳴り物で三三七拍子のリズムを刻む。
 第一走者としてこの場にいるバルバの応援にやってきた舎弟たちである。
 応援されているバルバ自身、ちょっとテンション上げ過ぎだと思わないでもないが、ここは応えてやるのが務めであると考え、触腕を形成して握り拳を舎弟たちのほうへ掲げてみせる。俄然張り切ってどんちゃんと騒音を撒き散らす舎弟たち。まあ、お祭り騒ぎのイベントなので、少し眉をひそめるものも多少はいるが、基本的にそのノリは受け入れられているようだった。
 
 
『こちらシアル。最終確認を兼ねて通信を行います。番長、調子はいかがですか』
 他のランナーがストレッチをしているのを眺めながらスタートの時間を待っていたバルバの脳裏に唐突にシアルの声が響いた。音ではなく、意識に直接響いたそれに、同じく声に出さずに返事をする。
 セルカが魔力の中継用に冥府の力で低級霊を使役し、それを通じて送られる思念をシアルがシヴィに搭載された機器で増幅、中継して全員の意思の疎通をリアルタイムで行うシステムの賜物だ。ちなみに原理を聞いたあさひが半泣きになっていたのは余談である。
『こちらバルバ。感度良好だ』
『送受信ともにクリアーであることを確認しました。続けて他のメンバーからの通信を中継します』
『番長、頑張ってねー!』
『舎弟さんたちにいいとこ見せないといけませんよー』
『期待してっからな、番長』
 あさひ、セルカ、メリーベルの声がシアルのそれに続いて意識の中に流れ込んでくる。そのどれもが明瞭に認識できることを確認して、バルバは全員に向けて意識の声を作った。
『おう。まあ任しとけ』
 こちらの声も全員にはっきりと届いたようで、やんやとはやし立てる声が届いてくる。が、すぐにそれは遮断され、代わりにシアルの声が届く。
『中継の送受信も問題ないことを確認しました。では、また後ほど』


 仲間内のどの声を聴いていても緊迫感が感じられなかったが、それはそれで肝が据わっているという事なのだろう、と思い直し、ふと、身体に貼り付けるようにして保持している一枚のコインに意識を向ける。
 セルカによると、このコインが今回のレースでは様々な意味で重要な役目を果たすのだというのだ。魔術に関わることなのでバルバとしては苦手分野なのだが、だからと言って全く分からん、で済ますわけにもいかない。ゆえに、レース前に行われたセルカからの説明を、バルバはもう一度記憶から呼び出して反芻することにした。


◆◆◆


「おそらく、ですが、レースを行うということ自体が儀式としての性格を持たされているのだと私は考えています」
 レース前日の放課後、あさひたちの部屋に集まった四人の生徒を前に、セルカはまずそう切り出した。
「スタート地点とゴール地点にある魔法陣にだけ、他とは違う記述が巧妙に隠蔽されたうえで仕込まれています。スタート地点では、そこを通ったものに対する魔術的なマーキングを、ゴール地点ではそれを回収するための記述が見られます。これ以外にも何かあるだろうとは見ていますが、現状で確実に判明しているのはそれらの機能ですねー」
 つまり、と前置きし、
「スタート地点から各チェックポイントを通ってゴールする、これが完成された時点であの魔法陣は発動条件を満たすわけです」
 むう、という唸り声が場に満ちる中で、ただ一人、それを発していなかった者が手を上げた。
「よろしいでしょうか、セルカ先生」
「ハイどうぞ、シアルさん」
 ぴし、とセルカから指差されたシアルが神妙な顔つきで彼女を見返し、
「先頭のランナーがゴールした時点では発動しない可能性が高いと先生は判断しているのですか」


 シアルの言葉は問いかけではなく確認だった。あさひとメリーベルはその意味を図りかねて眉根を寄せ、バルバがどう思っているかは外見から伺うことが出来ず、
「ええ、先生はそのように考えていますよー」
 セルカは我が意を得たりとばかりに頷いてみせた。シアルはそんなセルカに頷きを返すと、あさひとメリーベルに目をやる。
「セルカ先生は、ランナーがスタートからチェックポイントを経てゴールへ至るのは、魔法陣発動の必要条件だと言ったのです。……そうですね、例えばメリーベル。あなたが使うような拳銃は、弾を込め、撃鉄が起こし、引き金を引けば発射されます。逆に言えば、引き金を引かれなければ、発射のための条件が揃っていても、銃弾は弾倉の中に収められたままです」
 シアルが右手の親指と人差し指で拳銃の形を作り、それをメリーベルのほうへ向けた。
「レースの工程は、言わば弾を込めて撃鉄を起こすまでで、何か他にトリガーの要素があるってことか?」
 シアルの例えに得心した様子のメリーベルに、セルカが再び大きく頷く。
「まさにそうです。そしてそのトリガーは術者――マクワイルド君が握っているものと思われます。誰かがゴールしたら、そのあとはいつ発動するかは彼の胸先三寸にかかっているというわけですねー」
 うげえ、という嫌そうな声がメリーベルから漏れた。さもありなん、誰かがゴールした瞬間に発動するというなら、まだその瞬間に向けて備えもできるが、いつ発動するか定かではないのにそれに留意するというのは酷く精神力を消耗する事が想像に難くない。
 だが、そんなメリーベルとは対照的に、セルカは明るい声を出す。
「まあ、シャリードさんの気持ちも分かりますが、発動するとすれば、そのタイミングはある程度絞れると思うんですよー」


 どういうことか、と無言のうちに問いかける視線に向けて、柔らかく笑みを返す。
 この笑顔は、セルカの武器の一つだ。病気や怪我で保健室に来る生徒たちの心を少しでも落ち着かせるための切り札。今回もそれはいかんなく威力を発揮し、場の雰囲気を静め、少し持ち上げた。
「全ての魔法陣に言えることですが、術式の中に『受容』の記述が共通して存在するんですねー。しかも、受け取り要領の幅はバカみたいに大きく設定されています。おそらくはスタート地点で受け取ったマーカーから何らかの情報を受け取るためのものだと思うんですが、この仕組みから見るに、より多くそれらを受け取ることを想定しているはずです。で、あれば、その容量をできるだけ多く満たしてから、最下位チームに近いところで発動する可能性のほうが高いのではないでしょうかねー」


 そこで言葉を切り、セルカは四人を順繰りに見る。雰囲気からして、何を言われているのか分からなくなっている生徒はいない。それにも増して、全員が食いつくようにこちらを見ているのが良い。理解しようとする意欲と、理解しなければならないという自分に対する思いが生徒達を前のめりにさせている。
 ――良い子たちですね。
 心中でそう呟き、笑みを崩さないままでぱん、と手を打ち合わせる。生徒達の集中を若干切る事になるが、これは必要な事だ。何故なら、ここまでは現状の把握の話で、ここからは現状に対してどう動くべきか、の話である。一旦意識を切り替えておくのが望ましい。


「さて、私たちは実際にレースに出るわけですが、その立場だからこそ出来るやり方で動きますよー」
 そう言うと、メリーベルは懐から一枚のコインを取り出した。親指と人差し指で挟み込むようにしたそれを、生徒達に見えるように目の前に掲げる。
「一見すると何の変哲も無いコインですが、これにはとある魔法を込めています。私たちは、このコインをリレーしながらレースを行います」
 言いながら、親指でコインを弾く。澄んだ音を立てて上方へ飛んだコインはメリーベルの手の中にすとんと納まった。
「込めてあるのは、例の魔法陣の発動の際に起こる爆発の抑制。ランナーに施されるマーカーと抱き合わせにしてこれを各魔法陣に潜伏させます。魔法陣の連動作用も利用する形となりますので、上手く仕込めば相当に爆発の威力を削れます」
「要するに、このコインを持って普通にレースに参加しとけばいいってことか?」
 メリーベルからコインを渡されたバルバが、蝕腕をひょいと上げて質問を投げる。
「ええ。ただ、抑制術式を仕込むタイミングと発動のタイミングが近いほど効果を発揮しますので、ゴール時期を見極める必要があります。基本的に、全ての魔法陣の傍には防御魔法に長けた人材を各委員会から派遣してもらい、発動の際に押さえ込んでもらう手はずですので、抑制効果はベストのものでなくてもなんとかなります。このあたりを踏まえて、大体真ん中あたりの順位でのゴールを狙いたいところですねー」


 他に質問は? とセルカが小首を傾げる。はい、と次に手を挙げたのはあさひである。
「例えば、そのコインを全部の参加者に配っちゃう、ってのはナシですか?」
「実にいい質問です。割と先生好みのテなんですが、いくつかの理由でちょっと難しいんですよー」
「難しい?」
 今度はあさひが首を傾げるのに、そうです、とセルカが答え、
「まず、風紀委員の方で参加者の背後が洗いきれていないこと。まあ、これは全部の参加者に配るのが難しいというだけで、それでも信用できる参加者は結構な数がいます。で、こっちがメインの理由なんですが」
 そう言うと、若干気まずげな表情を浮かべてから話を続ける。
「ぶっちゃけ、二度以上同じ抑制術式を魔法陣に放り込むと、不具合を起こすんですよー。あとから投入された『抑制』の記述が、先に放り込まれた『抑制』の記述まで効果範囲に含めてしまってですね、効果が無いどころか、逆効果になる恐れさえあるんです。どうにか調整しようとはしたんですが上手くいかず、結局、私たちのチームだけで抑制術式の担当をやることになりまして……。これは先生の力不足ですねー。全く申し訳ないです」
 ぺこり、とセルカが頭を下げる。
「いや、曲がりなりにも対抗手段を用意してくれたんだ。謝る事ぁねえだろう」
「そうそう。あたしらががんばればいいだけの話なんだから!」
 つむじが見えるくらいに深々と腰を折ったセルカにバルバとあさひがそう声を掛ける。彼女が顔を上げると、メリーベルがクチの右端を持ち上げて笑みを作り、シアルがこっくりと頷いてみせた。
「……そうですね。まだ向こうの仕掛けの全貌は見えてはいません。ですが、最低限、魔法陣の発動規模を抑えること、発動した後の被害を抑えること、この二つの手は既に打っています。あとはそれらの精度を上げるだけです。皆さん、あしたは頑張っていきましょう!」
 ぐっと拳を握ってのジェスチャーとともに、セルカはそう話を締めくくったのだった。


◆◆◆


 さあ、スタートまであと僅かとなりました、リオフレード縦横断レース! 実況はアナウンサー研究会の突撃レポーター、エクリア・リュミエでお送りしております!

 レースのために、学院や町のあちこちに設置されたスピーカーからそんな声が響き渡る。
 このレースでなすべき事を確認するための思考に沈み込んでいたバルバは、それに引き上げられるように意識を表層に上らせた。
 スタートラインからやや下がった位置に陣取り、ざっと周囲を確認する。有力な優勝候補と目される、陸上部や新体操部からの選抜チームや、たまたま遺跡探索から帰ってきていたらしい冒険部のチームなどが並ぶが、無理に勝ちにいく必要がないことを理解しているバルバはそれらからセンサーの対象を変える。
 かわって彼が注目したのは、外部からの参加組だ。今回のレースにおいては、学生以外からの参加も広く認められている。例えば、NSSネフィリム・セキュリティ・サービス――学生たちはネフィリム軍と呼ぶ場合が多いが――の軍服姿などは外部参加者として目立っている手合いだ。
 先日、叩きのめして口を割らせた傭兵たちのように、金で雇われてよからぬマネをしようという輩が紛れ込んでいる率はかなり高いとバルバは踏んでいた。


 ――当面は、場を荒らそうってヤツに注意しつつ、適度に上位に食いついていくってとこか。
 セルカから説明されたとおり、バルバたちのチームが上位を狙う必要性は薄い。が、魔法陣が発動するより前にゴールしておく必要はある。
 こうしたレースは何が起こるか分からないのが常だ。前半で順位を下げておいて、そのまま浮かび上がれず、当初の目標を達成できなかったということになれば目も当てられない。
 先頭を切るとまではいかずとも、せめて上位五分の一くらいの位置はキープしておくべきだろう。


 バルバが序盤の方針に内心で頷きを作ったところで、周囲の雰囲気がぴしりと変わる。開始の合図を告げる係員が、スタートライン脇に立ったのだ。
 ランナー達が各々に走り出しのための体勢を作り、最初の一歩に備える。
 じれったいような沈黙の中、スターターが掛け声とともにゆっくりと合図用の鉄砲を持った右手を掲げ、第一走者たちが心もち身体を沈める。
 ぱん、と軽い音が響き、ほぼ同時に全員が身体を前に撃ちだす様に駆け出した。


 スタートしました! まずは学院正門から、エナージェ入り口の第一チェックポイントまでの直線です! 現在先頭に立つのは陸上部選抜チーム『駆け出せ青春』! この辺りは流石に面目躍如といったところでしょう! ですがその後ろにダンゴ状になった先頭集団が付いていきます! まだまだレースは始まったばかり、これからどうこの順位が変動していくのか、楽しみなところです!
 ――おおっと? 約一名、先頭から大幅に遅れて……割とスローペースで現在進行形で差をつけられているのはチーム『フォーガールズ&シルバースライム』! 高等部2年8組の流体番長だぞー!?



 ――そのチーム名と俺の呼び名はどういうことだ一体。
 そんな風に思いながらバルバは最後尾から遠ざかっていく他のランナーの背中を眺める。彼の移動そのものは文字通り流れるように滑らかなのだが、いかんせん速度が出ない。せいぜいがややゆっくりめのランニング程度である。
 バルバは随分と離された彼我の距離を目測ではかり、そろそろか、とひとりごちる。
 

 おや、番長の様子が――?
 

 実況がそう疑問の声を漏らした。
 バルバの形状が変化していくのだ。大きな涙滴型となって前に進んでいたその体がややサイズを減じ、体積にして三分の一ほどの銀の球体を作り出す。それは、涙滴型のもともとあった体と細いひも状の部分で繋がっていた。
 続けて、バルバは球体型とした体の一部をハンマー投げのように頭上で振り回す。
 一回転、二回転、三回転。
 繰り返すごとに勢いは増し、回転が七回を数えたところでバルバは次の行動に移った。すなわち、振り回していた球体を、前方へ向けて投擲したのだ。


 ブン投げたあーっ!? 飛距離がぐんぐん伸びる伸びる! そして、これは――!?


 斜め上方へ向けて投げ出された銀の球体は、細い細い緒に繋がれたまま先頭を走るランナーの頭を越え、その前方にべたんと着地する。後方へ投擲の軌跡を描いて伸びていたひも状の部分がするすると収納されると、バルバは完全に投擲前と同じ形状となり、再び前進を始めた。


 流体番長、驚きの隠しワザで一気にトップに躍り出ましたあーっ! って言うかいいのアレ!? 
 ――え? あ、はい。ただ今本部より通達がありました。本大会の規定では、飛行を禁じており、また飛行の定義として5秒以上全身が地面から離れた状態となること、としています。ここで先ほどのバルバ選手の移動法ですが、空中に自分の身体を投擲し、それが目標地点に着地するまでの間は投擲地点に体が残っており、いずれの瞬間においても体のどこかが接地している事から飛行ではないとのことです。
 ええっと、要するにですね、アレはでっかい一歩なのでオッケーという判断のようです!



 歓声とともに、ええー、とかマジか、などの声が上がる。
 着地した番長は移動速度の差で再び抜き去られていくが、それに構わず先ほどの移動法を繰り返し、抜きつ抜かれつの状態でエナージェ入り口、第一チェックポイントまでやってくる。


 さあ、今、最初のチェックポイントを――通過したのはトップを走る陸上部選抜! 後続も続々とポイントを通過します! そしてここからは市街地コース! チェックポイントまでたどり着くためのコース取りは各自の自由! 文字通りの何でもありとなりますっ!


 町の各部に設置されたスピーカーからテンションを上げた実況が流れる中、各チームがいくつかの集団に分かれていく。前日に配布されたチェックポイントの所在を元に練り上げた各々の得意とするようなコースを走るためだ。
 そんな中、陸上部とその他、身軽なランナーを第一走者に配していたチームがとある商店の壁に向けて疾走する。壁を乗り越え、商店の敷地内を走り抜けてショートカットする心積もりだ。


 壁から少し離れたところで陸上部員が左足で勢い良く地面を踏み切る。彼は走り高跳びを専門としており、この程度の壁を飛び越える事は造作も無かった。
 踏み切りと同時に右膝を胸元へとひきつけるようにカチ上げる。踏み切りと足を上げた勢いによる上昇の中で、腹が地面の方を向くように体勢を捻じる。
 競技の際に常用する背面飛びではない。バーを跨ぎ越すような跳躍法、ベリーロールだ。高さを追求するなら背面飛びだが、彼の能力ならそこまでせずとも壁は越えられる。それに、壁を越えたあと、着地してまた走らねばならないのだ。そこを考えれば、飛び方は足から着地できるベリーロールにならざるを得ない。
 振り上げた膝が上半身の高度を越え、続いて全身が壁のヘリと水平な状態となり、壁を越えた、と思考ではなく経験による感覚で理解した、その瞬間だった。
 最初に感じたのは風だ。
 前へ進むことで感じる、後ろへ抜けるそれではなく、下から来る何かが空気を押しのけることによって発生する流れ。
 釣られるように下へ向けた彼の視界にまず映ったのは、瞳孔が縦に裂けた黄色い瞳。強い意思の力を持つそれが自分を見ていると思ったのと時を同じくして、下から感じられていた風が衝撃に変わった。
 衝撃は壁を越えかけていた彼の脇腹へと叩き込まれ、
「甘いわ小童があーっ!」
 咆哮とともに彼の身体を上空へ弾き飛ばした。


 陸上部員に続いて壁を飛び越えようとしていた数人が、靴底を地面に噛ませて急制動をかける。そして、彼ら彼女らはそれを見た。
 ベリーロールの姿勢で跳躍した彼の体の中心が、壁のヘリを越えたとき、空中にあり、跳躍のベクトルに従って前に進んでいた彼の体が、突如として真上に進む方向を変えたのだ。ついでに言うと、速度も倍ほどである。
 その場に残ったのは、天へと突き上げられ、固く握られた拳。
 陸上部員を空高く打ち上げたそれは壁の内側で仁王立ちする一人のアムルタートのものであり、その視線は空中へ打ち上げた陸上部員に向けられ、それから後続の彼らへと方向を変えた。
 それと同時に、陸上部員が地面に叩きつけられる。いみじくもそこは、彼が踏み切りを行った場所だ。
 ざわ、とランナー達の間に驚きと、突然の事態に対する不満が出ようとしたとき、スピーカーから実況の陽気な声が流れ出す。


 えー。なんでもありとは言いましたが、それと不法侵入とは話が別! です。あらかじめ街の方々には家屋、店舗に対する不法侵入者への対応についてはお任せしており、なおかつ大会本部からそれを掣肘することは一切ないことを申し置いておきますっ!


『どーしましょう。なんか先生、このレース楽しくなってきました』
 バルバの脳裏に、セルカの独り言じみた思念が届く。
 ――学生がハシャいでるのが好きらしいからな、あの先生。
 実際、観客はハデな展開に大喜びのようである。
 流石にレース参加者はいきなりの事態に一瞬引いていたようだが、すぐに立ち直ってそれぞれに別のコースへと散っていった。アムルタートの拳を喰らった陸上部員も、よろめきながらも立ち上がってレースを続行している。
 そんな様子を量子ソナーで観察しながら、バルバはするすると前進する。
 さっきまでやっていた自己投擲はもう使わない。より正確に言うと使えないのだ。先ほどは直線コースだったからこそああいった手が使えたのであって、海賊通り方面に踏み出し、街並みが複雑になっている今はそうはいかない。
 視界の及ばない部分もバルバなら量子ソナーで把握できるが、問題は投げるときの力加減だ。落ちる場所についての微調整はあまり利かない。下手に店舗や家屋に落着して排除される危険性を考えると、なおさら今は使えない手段である。


 だが、それは彼が不利になるという意味ではなかった。
 むしろ、複雑に入り組んだ路地を行くこの状況こそ、バルバの真骨頂とさえ言える。

 
 さあ、トップグループがコース変更を余儀なくされた影響で順位にも変動が出ている模様っ! 現在の一位は新体操部選抜『床面カレイドスコープ』! 流石は運動系最強部活の一角、ところどころで住民の皆様の守りを強引に突破していく辺り、新体操技でMTを倒せるとの評に偽りなしと言えましょう! そこから少し遅れてNSSからの外部参加チーム『ザップガン』! コワモテ揃いの割に、不法侵入が必要なルートを決して採ろうとしないあたり、民間人に極力手を出さないという軍人の矜持を感じさせますねっ。
 ええっと、他は散らばってはいるものの、次のチェックポイントまでの距離的にはダンゴ状態……。あれ? さっきハデな真似をやらかしてた液体金属ボディが見当たりませんねー?



 各所に配置されたカメラにバルバの姿が捉えられないのはある意味当然だった。
 彼は、カメラどころか他には誰も進めないようなルートを進んでいたのである。建物と建物の隙間、路地と路地の隙間、更に言えば建材と建材の隙間。
 ほんの僅かな、それこそ剃刀の刃先がようやく入るかどうか、というような隙間一つでもあれば彼はそこを通り抜けられるのだ。このメリットは、彼の通常移動の遅さというデメリットを覆して余りある。


 今、『ザップガン』が二位で第二チェックポイントを通過っ! 次なるチームは――、っと!? すぐ傍の路地から突然現れたのは全身銀色の液体金属! 今まで姿を見せなかった『フォーガールズ&シルバースライム』が三位通過ですっ!


 ――今のところはいい調子か。
 第一走者のコースは全般的に市街を通っている。バルバの特性を最大限に発揮できるコースだが、そろそろ他のチームも序盤に受けたインパクトから立ち直り、順位を上げてくるだろう。
 今の順位をキープするのはおそらく難しいが、十位以内には入った状態で次に繋げられるのでは、と彼は踏んでいた。もっとも、そのためには今できる最大効率での移動を続けてゆく必要があるが。
「まあ、いっちょ気合入れていくか」
 実際に声に出して自身を鼓舞し、彼は手近な隙間に滑り込んだ。


◆◆◆


「ふうーむ……?」
 第6チェックポイント上、第二走者への交代地点で、セルカは軽く首をかしげていた。
 レースは現在、先頭集団が第5チェックポイントを通過し、こちらへ向かってきているところだ。バルバの順位は9位。お世辞にも足が速いとは言えない彼にしては大健闘と言えるだろう。
 予定では、セルカもこのくらいの順位をキープしつつ、第3、第4走者でもう少し順位を下げる調整を行うこととなっている。


 ――まあ、それはそれとして、です。
 セルカが首を捻っていたのは、チェックポイントに仕掛けられている魔法陣の件だ。
 レース開始から、各チームの第1走者が魔法陣を通過する様子を低級霊を用いた通信システムで観察し、分析を行っていたのだ。実際に稼動する場面を見れば、今までよりもより深く魔法陣について知ることが出来、きっと何かの役に立つと判断してのことである。
 そうした観察の結果、セルカの足元にもあるこの魔法陣の、まだ解析しきれていない機能についておぼろげに見えてきたのだ。
 要となるのは『受容』を示す記述。これが何を受け取り、どの様に扱うためのものなのか。それを暴き出すためにセルカは今も頭脳をフル回転させ、のみならずその情報をシアルに伝達してMTに搭載された機器を使って分析とシミュレーションを行っているところなのである。


 そうして考え込んでいると、わっと周囲で沸き立つような歓声が起こる。
 トップで走りこんできたチームの第二走者がスタートしたのだ。そこから少し遅れて、幾つかのチームが同じように走者を交代していく。
 

 さあ、そろそろ第二走者が走り出したチームが増えてまいりました! 第二区はエナージェ西のはずれから北上、幻像宮から無限図書館、運動場方面へ向かうコースです! 第一区に比べて障害物は少なめ、走力が問われる場面が多いと言えるでしょう!


 実況を聞いて、あたりの観客からセルカに向けて声が飛ぶ。
「おいおい、そこのちっこい嬢ちゃんで大丈夫なのかー?」
 見るからに小柄なセルカに対する心配と揶揄を半々にしたようなその声音に、当の本人はにやりと唇をゆがめて見せた。
 彼女自身としては威風堂々、歴戦の兵が持つ凄みを表現したかったのだが、いかんせん外見が外見である。どうにも子供が背伸びして大人ぶっているようにしか見えず、セルカちゃん可愛い、という黄色い声が彼女を知る学生の観客から飛ぶだけだった。


『せ、先生、本気出しちゃダメだからね? いろいろ抑えて!』
『そうです。私たちはきちんと知っています。――先生がロリババアだということを』
『誰!? シアルに妙な言葉教えたの誰ー!?』
『地球文化研の方から先日教わりました。あさひの故郷のことですから、知っておいて損はないかと思いまして』
『うん、今度お礼に伺うからそう言っといてね、シアル?』
『うふふ。先生も一緒にお礼に行きますから、そのときは声をかけてくださいねー』
『…………』
『…………』
 思念で繰り広げられるあさひとシアルの漫才に一声かけると、どうしたことか彼女らは同時に沈黙した。まるで何かに怯えているような思考が微かに漏れ伝わってくる。


『おい、楽しそうなとこ悪いがな、そろそろそっちに着くぞ。先生、準備はいいか?』
 バルバから通信が入り、セルカは暗黒面に落ちかけていた精神を浮上させた。ほっと息をつくような安堵の思考があさひから伝わってくるが、今は関係ないことである。
『こちらの準備はオッケーです。どーんと来て下さい』


 バルバに向けて通信を送ると同時にセルカは鼻から強く息を抜く。
 彼女のすぐ近く、レンガ造りの建物の隙間から染み出すようにバルバが現れたのはそれからすぐの事だった。
「後は任せた、先生」
「任されましたっ」
 バルバとセルカが掌を打ち合わせる。これがランナー交代の合図だ。それと、同時に、魔力に関する感覚を鋭敏にしていたセルカには、バルバに付与されていたマーカーが自分に移ってきたことが感じられていた。続いて、そのマーカーに足元にある魔法陣が反応する。稼動する魔法陣の仕組みを読み取ろうと意識を向けつつ、セルカは力強く一歩を踏み出し、次のチェックポイントへの疾走に入った。


 セルカの走法は、一言で表現するなら、跳ねるように走る、というものだ。体躯の小ささを補うように、一歩一歩で思い切り地面を蹴りつけ、前へと飛び出すような走り方。
 一定のリズムを刻む独特のやり方で走りながら、セルカの意識は魔法陣の解析にリソースを振り向けている。実際に自分に付与されたマーカーによって発動するのを感じ取ったのは大きな収穫だった。まずは他者が魔法陣を通過するときのサンプルを多く得たいという思いから第二走者の位置にいたが、最初から自分のみで体感する方を選んでいたほうが良かったかもしれない、と今更ながらに思う。


 ――この魔法陣は、やはりその上を通過するランナー以外からも影響を受けるタイプですね。
 先ほどの発動を分析した結果から、セルカはそう考察する。おそらく、魔法陣に仕込まれている『受容』を司る部分は、むしろそうした機能をメインとしているものだ。ただ、そこについての詳しい分析をはじき出すにはまだ情報量が足りていない。
 もう一度、精度にこだわるのなら二度、魔法陣の稼動を分析したい。


 第二区最初のチェックポイントに向けて、先頭集団のトップ争いが激化しているぞー!? 一旦は順位を落とした『駆け出せ青春』チーム、エナージェから幻像宮への障害物がほぼないエリアでぐぐっと復権して来ましたっ! 流石にこの辺りは陸上部選抜の面目躍如といったところ!


 スピーカーから流れる実況を聞くともなしに聞きながら、セルカも先頭集団が通ったであろう道を駆け抜ける。
 ――しかし楽しそうですねえ。
 状況が許すなら、セルカ自身も順位をキープなどというつまらない走り方ではなく、トップ争いに加わってみたいと思うのだが、流石にそこは自重する。今は何よりもダスクフレアの企みに対処しなければならない。


 さあ、続いてチェックポイントに到達するのは、『フォーガールズ&シルバースライム』!しれっと自分を『ガールズ』の枠に入れているセルカ先生だーっ!


 ――『フォーレディズ&シルバースライム』にしようって言ったら多数決に負けたんですようっ!
 実況に対して内心で突っ込みを返すセルカ。私は大人の女なのに、と憤慨しつつも、魔法陣直前まで来ると意識を切り替える。
 たん、と地面を蹴り、魔法陣の上に着地した瞬間、先ほどと同じくマーカーに反応して魔法陣が稼動するのが分かる。
 そして今回セルカは、探知範囲を絞った形で魔法陣を観ていた。
 第一区のレースを観察する中で見えてきた、『受容』の記述の周辺。これに繋がる中で、重要と思われる部位を二箇所、セルかはあたりをつけていた。そのうちの一箇所に意識を集中して解析する。
 視野を広くする事で二箇所同時に解析する方法もあったのだが、より確度の高い方法を取った形だ。


 魔法陣が動き出すのを感じながら、思考とは別の領域で身体を動かし、強く地面を蹴って、
「――――っ!?」
 しかし次の一歩をセルカは前方への跳躍ではなく静止に使った。ざざ、と土煙を上げて彼女の体が制動をかける。


 おやー? セルカ先生、チェックポイント通過と思いきや、その場でストップです! 何らかのトラブル発生かー!?


『先生? どしたの?』
 実況の声に押されるようにあさひから戸惑った様子の通信が送られてくる。が、セルカはそれを無視した。走るのはおろか、考える事以外のどんな事に裂く労力も惜しい。
 身じろぎすらせず、数人のランナーに抜き去られるのもそのままに、瞑目してその場に留まることしばし。
『シアルさんっ!』
『はい、先生』
『先生の思考をそのままそちらに送ります! 内容を確認してシミュレート、然る後に全員に映像イメージで転送お願いします!!』
 切羽詰った、という形容そのままのセルカの思考が通信を介してシアルに叩きつけられる。
 伝えるべき事を伝えると、再びセルカは沈黙する。魔法陣を解析して、その結果とそこからの予測をシアルに送っているのだ。シアルはそれを受け取り、MTの機器を用いてその内容を精査し、起こる結果をシミュレートする。


『――あ……、これは……。失礼しました。あさひ、番長、先生、メリーベル。今から魔法陣が完全稼動した際に何が起こるかを転送します』
 一瞬、呆然としたような思考を持ったあと、しかしシアルはすぐにそれを立て直した。彼女の言葉が終わると、四人の脳裏に模式図化された魔法陣の映像が映し出される。魔法陣には無数の細い線が周囲から繋がっている。
 続いて、映像がややズームアウトする。魔法陣に繋がる線は、その周囲に表示された、丸の下に逆三角の図形、観客を表す模式図へと繋がっていた。そして更にズームアウト。この時点で、映像はレースのコース全体を俯瞰している。魔法陣の所在が確認でき、今までに通過されたチェックポイントの魔法陣の全てから、さっき見たのと同じように細い線が周囲に伸びている。


『これが現状です。そして――』
 淡々としたセルカの声を合図としたように、一旦魔法陣につながれた全ての線がクリアされ、スタート地点から、一つの赤い点が動き出す。それはチェックポイントを順番に通過していき、そのたびに魔法陣が淡く輝き、その魔法陣が周囲と線で結ばれる。
 やがて、赤い点が魔法陣に輝きを灯しながらゴールへとたどり着く。それと同時に二つのことが起こった。
 まず、全ての魔法陣へと繋がっていた無数の線が、一際強く、脈打つように光り、一瞬でゴールの魔法陣に接続され直してから、その内部へ引き込まれる。
 それから魔法陣が輝きを強めていく。明滅の周期が早くなり、またそのサイクルも同期していく。


『魔法陣は、ランナーからマーカーを受け取ることで起動し、同時にそのランナーに注目していた人々との間に擬似的なフレアの経路パスを構築します。そして、マーカーの持ち主が誰か一人でもゴールする事で全ての魔法陣は連結され、それと同時にゴールの魔法陣に統合された擬似パスを通じて人々からフレアを吸収、自らの内側に受け容れて――』
 明滅のサイクルに耐え切れなくなったように、魔法陣がその輝きを際限なく強くしていく。全ての魔法陣から光が広がり、それはコースの全てを飲み込み、それだけでは足りずに更に広がる。あさひたちの意識内に展開された模式図がどんどんとズームアウトしていくが、それと同じ速度で光が広がり、
『このレースを観ている全ての人から吸い上げたフレアが起爆剤に、連結、共鳴した魔法陣が触媒となり、リオフレード島のみならず、多島海の半数以上の島が消滅、フレアに還元されます。学院地下の越界の扉や、アルタスク島のネオTOKYOが巻き込まれることを考慮すると、還元されるフレアの総量は莫大という言葉が可愛らしいレベルのものでしょう。――ダスクフレアが創世の糧とするには十分な量でしょうね』
 セルカの思考から、さざ波のような震えが、通信を介して全員に伝わった。
『誰かがゴールした瞬間、ダスクフレアは創世の条件を満たします。おそらく、レースを実行しても起こる被害を抑えられる、と判断させられたところから私たちは向こうの掌の上でした……!』


 四人が息を飲むのを、セルカの通信は通信を介して感じていた。だが、まだ終わりではない。むしろ、こちらも王手をかけている状態だ。
 すぐさま生徒会に現状を通達してレースを中止するのが対抗策としては最善だ。
 既に通過されてしまったチェックポイントは周囲からフレアを吸い上げる機能の発動待機状態のはずなので、そちらに防御魔法の使い手を多く回すよう配置換えをして突発的な発動に備えれば、ある程度の被害は必ず出てしまうだろうが、最悪の事態は回避できる。
 そう判断して、シアルからMTの通信機能で風紀委員に連絡を取ってもらうための言葉を通信に乗せようとした、そのタイミングより一瞬早く、セルカは、いや、五人全員が等しく悪寒を感じる。
「これは、プロミネンス!出所は――魔法陣ですか!」


 セルカが思わずそう声を上げる。どういった効果を持つものか、走査すべきか――。そう考え、しかしそれを却下。
『シアルさん、MTの通信機で風紀委員に連絡を! 先ほどのシミュレーション結果と一緒に、レース中止の勧告を出すように伝えて下さい!』
 こちらの方が優先度が高いと判断し、シアルに指示を出す。そして、その指示を言い終わるより先にシアルは風紀委員に対して通信を繋いでいた。チーム内に繋がれている魔術的な通信に、彼女と風紀委員との会話が乗る。
《はい、こちら風紀委員、リオフレード縦横断レース対策本部》
《こちらはMT『シアル・ビクトリア』のアニマ・ムンディ、シアルです。風紀委員の権限で直ちにレースの中止を願います。根拠はこの通信と同時に送付したデータです》
『少々お待ちを』
 風紀委員の通信役が一言断りをいれ、背後で何ごとか相談している気配が通信の向こうから流れてくる。五人はじりじりとした焦りを感じながら、返事を待つ。そのうちに、相談の声が途切れた。時間にしてほんの銃数秒だが、あさひたちからすればもっと待たされたような気分だった。
 だが、これでどうにか事態に対処できるとの安堵も同時に感じていた。


《結論から申し上げまして、レースの中止は出来ません》
 だから、風紀委員から返されたこの言葉を、誰もが一瞬飲み込めなかった。
『バカな!? 何故ですか!?』
 チーム内での通信が風紀委員に届かない事も忘れて、強い口調の言葉がセルカから発せられる。そして、シアルも語調こそ違え、全く同じ疑問を風紀委員にぶつけていた。
《何故って……普通、イベント途中での取りやめは出来ないでしょう。観客も、テレビやラジオで注目している人も大勢いますし、下手に手を出すと騒ぎになりますよ?》
 風紀委員は、シアルの問いに心底不思議そうな口調でそう答える。
《ですが、レースの完走者が出た時点でダスクフレアの目論見が達成されてしまいます! そちらを阻止する必要があるでしょう!?》
《まあ、それも問題ですが……。でもレースは続けないと》
 シアルが食い下がるが、風紀委員の態度は一向に変わらない。むしろ、強硬にレースの中止を主張するシアルに対して不快感を僅かに覗かせている感すらある。


『シアルさん、もういいです』
『ですが先生――』
 それでも風紀委員を翻意させようとするシアルを、セルカの落ち着いた声音が押し留めた。既に彼女は立ち止まっておらず、全速力で走り出している。
『おそらくは先程のプロミネンスです。こちらが仕込みに気付いたのがバレたのか、もともと魔法陣に感知に対するトラップが仕掛けてあったのかは分かりませんが、プロミネンスによる大規模な精神操作で風紀委員会を――いやもしかしたら観客なども操られているのでしょう。下手な手段でレースに干渉すると、そうした人々からこちらが排除される危険性さえあります』


 事態の変転が自分たちの予測を超えた速度で行われている事を歯噛みしながら認め、セルカはともかく走る。
 まだだ。
 少なくとも自分たちのチームに精神支配は及んでいない。理由については分からないが、自分の意志で動ける以上、取りうる対策を考え、実行するのみ。
 まずは、こちらの敗北条件が誰かがゴールする事に書き換えられてしまった以上、そこに干渉するために自分たちがトップに立つ必要がある。


《少し、構わないだろうか?》
 シアルの元にその声が通信を介して届いたのは、セルカがそんな思考とともに走り出してすぐの事だ。落ち着いた色を持ったその声の主は、
《エリック・マクワイルド……!》
 事態の元凶たるダスクフレアの青年だった。



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑬ Run&Thought
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/01/25 19:07
Scene20 キャノンボール


《魔法陣の本来の機能が知られるほどの走査が行われた可能性が発生した場合、僕にそれが分かるように細工がしてあってね。これはマズいと思って、最低でもレースの中断が行われないように魔法陣を通じてプロミネンスを使わせてもらったんだが、どうも君らの様子がおかしいのでね。おそらく雪村君のMTを通じて連絡を取り合っているのではと思って通信を送ってみたのだが……。僕の声は君のチームの他のメンバーに聞こえているかな?》


 MTの通信窓を通して悠々とした態度で問いかけるマクワイルドに対して、シアルは沈黙する。が、ただ黙り込んでいるわけではない。その裏であさひたちは連絡を取り合っている。
『とりあえず、逆探知をかけて通信の出所について調べていますが、どう対応しますか?』
『こちらが何らかの手段で連絡を取り合っていることは大方バレているとみていいでしょう。その方法まで教える義理はありませんが、さっきの質問にはイエスで答えて構いませんよー』
『できれば何でこんなマネしてんのか聞いてみたいんだけどさ』
『魔法陣を解除する方法とかポロっと漏らしたりしないかなあ』
 割と好き勝手に通信で言ってくる仲間たちの声を聞きながら、シアルはMTに送られてきた通信窓のマクワイルドをひたと見据える。


《ここで話していることは今走っているセルカ先生を含め、チーム全員に聞こえています。その上でメリーベルからの問いです。あなたの行動理由について伺いたい、と》
 通信窓の向こうで、マクワイルドがくい、と眼鏡のブリッジを持ち上げた。ふむ、と小さく声を漏らし、
《先日、彼女には伝えたはずだが。放送部の上をいきたいのだ、とね》
『だったら普通に部活やってりゃいいだろうが。このレースだって妙な仕込が無くても盛り上がってるだろ。なんでわざわざ世界ごとぶっ壊そうなんて明後日の方向に走るんだよ!?』
 チーム内の通信でメリーベルが上げた声をシアルが薄い笑いをたたえたマクワイルドに伝える。
《残念ながら、放送部の地力は我々より上だと私は判断した。そうだろう? 昨年のナイトメア事件の際に一度は壊滅寸前まで追い込まれておきながら、現状では既に失地回復をほぼ終えている。今後、我々が一時的にでも君らの上に立つ事は可能だろうが、それでもトップが何処なのかは学院の誰もが自ずと知るだろう。あまつさえ、研究会内部には放送部との融和を唱える柔弱の輩まで出る始末だ》
 は、とため息を一つ吐いて、マクワイルドが一度視線を落とす。次に顔を上げたとき、彼は広げて右手の甲を通信窓に見えるように向けていた。彼の薬指に、黒い薔薇の意匠を施された指輪がある。
《そう思い悩んでいた私に、この指輪は現状を打破する力をくれたのだよ。なに、発想の転換だ。どうしても打ち破れない壁があるのなら、壁の土台ごと崩してしまえばいいのだ》
 言葉と同時に、マクワイルドの口の端がきゅっと釣りあがる。痛快でたまらない、といった笑顔。
《壁を既に乗り越えたと、そういう風に世界を作り変えてしまえばいい。この指輪の力があれば、それは可能なのだからね。レースをまっとうに開催しているのは、このイベントの成功をもって、私の中の放送部への敗北のイメージを払拭し、創世をより確かにするためだよ》


 通信を介して、メリーベルの感情がシアルに伝わってくる。その激しさから、自分が間に入るより望ましい方法があると判断したシアルは自分の身体制御プロセスにインタラプトをかけると制御系に新たな穴を開け、そこに情報を通すためのルートを構築する。MTとアニマ・ムンディのリンクを利用して意識下に展開されるメリーベルの思念をそのルートを使って自分の体を通した音声での外部出力を行うことにした。
 簡単に言うならば、
『メリーベル。私の口をお貸ししますので、ここからは存分にどうぞ』
 メリーベルはどういうことかと問う事すらせず、シアルの言葉に従った。次の瞬間、シアルの口から、普段の彼女からは考えられない口調で声が発せられる。
「ンな馬鹿げた目的のためにこのレースをブチ上げたのか!? アンタ以外のアナ研の連中は、まっとうにレースの成功のために頑張ってた筈だろが! 部活の仲間まで踏み台にして島ごとリオフレードを消し飛ばそうたあ、部活の連中に対してどうとも思わねえのかよ!?」
 通信窓の向こうで、マクワイルドがほう、と息を漏らして驚いたように眉を上げる。が、すぐに事情を察したようで、再び唇にうっすらと笑みを乗せ、
《そこまで察せられていたか。なるほどね。――そも、創世を成せば、そのあとにあるのはもはや我々の勝利が確定した場だ。誰も何も不満には思うまい。何も問題はないだろう》


 く、とシアルの喉奥から唸りのような声が漏れる。メリーベルの苛立ち気味の思考がシアルを通じて表現されたものだ。
 言葉は通じているが、話は通じていない。これがダスクフレアになるということか、と改めて認識する。
《推測になるが、君らがプロミネンスの精神操作から逃れているのは、君らが今回の仕掛けとそれによって起こることのすべてを理解してしまったためではないだろうか。レース自体は普通に進行してほしかったから、あまり思考を雁字搦めにはしないよう、気を配ったんだが……。そこが裏目に出たようだ》
「へえ。ならアタシらが力づくで――例えば参加者全員をシバき倒してレースをぶっ壊して終わりにする目もあるわけだ」
《そうだな。ただその場合、参加者のみならず風紀委員や会場の観客、果ては放送を通じてレースを観戦している観客の全てが君らの敵に回るだろう。このレースに関わる者で、プロミネンスの影響をいけていないのは君達以外にいないからね》
「その上、今からネタばらしをしても、もう精神操作がかかった状態じゃあ聞く耳をもたれない、か」
《ご明察だ。――まあ、予想外の事態とは言え、この状態は僕にとって嬉しいものだとも言える。放送部のメンバーが何も知らないままでいるより、真実を知った上でそれに敗北を与える方が快い》

 
 マクワイルドの言葉に、粘るような空気がコックピット内に満ちる。が、すぐにそれは打ち払われた。
 それを為したのは、遠く聞こえてくる、わあ、という歓声と、実況の声。

 セルカ先生、凄い勢いです! 比喩でもなんでもなく土煙を上げながらの爆走!さっき立ち止まっていた分を取り返さんばかり!

「誰かのゴールがこちらの敗北条件である以上、まずは状況のコントロールのために私たちがトップを獲ります! 他の誰にもゴール一番乗りは許しません! そのあとのことは――今から考えます!!」
 咆哮を上げたセルカが体を前方に撃ちだすように地面を蹴りつけるたび、鈍い音と振動を伴って砂塵が上がる。文字通り、弾丸のような勢いで小柄な養護教諭が白衣をたなびかせて駆けてゆく。


《なるほど。この期に及んで事態をどうにかしようというわけか。それはそれで一興だ。このあとの展開を楽しみにさせてもらおう》
 僅かに口の端を持ち上げて言うと、マクワイルドからの通信はそこで途切れる。数瞬の間を置いてシアルが逆探知の失敗を皆に告げると、入れ替わるように、セルカの思念が通信を介して他の四人の頭の中に響き渡る。
『先生、一旦通信からも外れてちょっと本気出します。皆さんはその間、ちょっと頭脳労働お願いします。2区が終わったら先生もそっち側ですが、学院を、引いては三千世界を壊させないために、そして個人的な好みも込みで言うならば、このレースをただのレースとして終わらせるために。ええ、学生のイベントですからね、これは。――ですから皆さん』
 一息。
 その間に一人のランナーをかわして順位を上げ、
『テストのお時間ですよー!』
 更に加速した。


◆◆◆


 15位の位置につけて走っていた暁帝国系の学生によって作られた第17サッカー部チーム『嵩山サッカー』と、同じくそれに併走している外部参加のネフィリム傭兵で構成されたチーム『フルアエロ・ジャケット』の第二走者は、背後から徐々に近づいてくる地響きを聞いた。
 否、それは地響きではない。足音だ。アナ研の実況が先ほど騒ぎ立てていた、怪我をしがちな運動部員からは実は密かに人気の――そしてそれを公言すると何故か年下趣味の烙印を押される――養護教諭である。
 ――なんつースピード、ってかあのサイズの生物が立てる足音じゃねえぞコレ!?
 近づいてくるにつれ、腹に響くような感覚をもたらすその音に、彼らは戦慄した。
 今のペースであれば、遠からず彼は抜き去られてしまうだろう。競り合えば見た目的にはフィジカルで圧倒できるはずだが、ドラムンベースで地面を蹴立てるあの足音が、もう道を譲ってしまえと囁きかけてくるような気がする。
 

 彼らが葛藤している間にもどんどんと足音は背後近くへと迫り、やがてそれぞれの決断が下される。
 両チームがさっと左右に分かれ、養護教諭が走り抜けるスペースを作ったのだ。ほんの少しでも時間が惜しいと判断したか、養護教諭は迷うことなく地面を蹴り、そのスペースを突っ切って二人をブチ抜いていこうとする。
 サッカー部と傭兵の間を、前傾姿勢の頭部が抜け、振りぬいた腕が抜け、大地を穿つ足が抜け、尾のようにたなびく白衣が抜けようとした、その瞬間だった。
 動いたのは傭兵だった。目の前を通り過ぎていこうとする白い布、風に洗われる白衣の端を掴み、思い切り引っ張ったのだ。養護教諭の蹴り足が地面に力を伝えきったその一瞬を狙った挙動。更に力を入れて後ろに引けば、いかに勢い良く走っているとは言え、小柄な彼女はバランスを崩し、あわよくば転倒するだろうということだ。


 ――まあ、普通ならこういうのは反則だが……。
 彼ら傭兵チームはネオTOKYO仕込みのサイバーウェアを脳内にインプラントしている。それを通してやり取りした他の走者が待機中に見ていた中継モニターの映像から、今のがサッカー部の体で死角になった位置で行われている事は織り込み済みだ。
 ここまでのレースではそういった手管をとるための死角の位置とそれを要するレースの展開が重ならなかったためにやらなかったが、今はやれる。だからやる。本業とは違う遊びのレースだが、だからこそナメられるのは面白くない。このまま順位を上げていきそうなチビっ子教師をここで潰して後から上に行くハラだった。

 
「――っ」
 養護教諭が息を詰めるのが伝わり、傭兵の腕に伝わる手応えが一瞬軽くなる。裾を掴まれた白衣に体を引っ張られるより早く、養護教諭が両腕を真後ろに回して身を起こしたのだ。
 結果として起こった現象は、彼女の転倒ではなく脱衣だった。傭兵が腕を引く動作に従って養護教諭の腕から白衣の袖が抜け、彼女の体から完全に離れ、
「なん、っだこりゃ!?」
 その瞬間、傭兵は白衣に押し潰され、地面に向けて激突した。
 

 サッカー部は、戸惑ったような傭兵の声と、それと同時に起こった地面との激突音、それに続く地面との擦過音に、横を向き、後ろを振り返った。そこには、脱力したように倒れこむ傭兵の姿と、薄手のブラウスにキュロットパンツという出で立ちで走りながら、既に力を失った傭兵 の手からするりと白衣をすくい上げる養護教諭の姿がある。


 おやおやあー!? 外部参加の傭兵チーム『フルアエロ・ジャケット』第二走者クラブマン選手、何故か突然倒れこんでおります! こいつぁ一体どうしたことかーっ!?


 突然の事態にアオリを入れる実況の声を聞きながら、白衣を着ながら走ることで少しスピードの落ちた養護教諭がサッカー部と併走している。彼女は背後に向かってしょうがないひとですねえ、という言葉とともに苦笑を送り、
「富嶽において産女と呼ばれる妖怪があります。暁では姑獲鳥と呼ばれることもあるそうですが、子を身篭ったまま、あるいは産褥で死んだ女の霊が転じたものであるそれらの妖怪は、赤子を抱いた女の姿で現れて、行き会った者にとある障りを起こすのですねー」
 片袖を通してから、もう片方の袖に腕を通そうとして風に煽られた白衣相手に苦戦しながら、サッカー部員に向けて講義口調でセルカが語る。
「『子を抱いて欲しい』と願い出て、その子を抱くと石のように重くなってしまうのです。最後にはその重さに耐え切れず、潰されてしまうというわけなのですが」
 ようやっと両袖に腕を通して乱れた襟を整える。
「ただ、悪い事ばかりでもないのですよ。産女の子の重みに耐え切った者の、その力を代償にして産女の親子は妄念から解き放たれ、それを為したものに加護を与えるのです。そして、先生の白衣には、産女の加護があるのですよー」
 先生も黄泉に属する存在ですからね、と呟き、にっと笑みを浮かべ、
「無理やりにこれを剥ぎ取ってしまったさっきの傭兵さんは、産女の障りを受けたわけですねー。無論、耐え切ることが出来ればあの人も加護を受ける事が出来たわけなのですが」
 引き込まれるようにして神妙な顔で講義に聞き入っていたサッカー部員に向けて頷きを送り、
「まあ、女の服を脱がそうと思うのなら、子供を抱き止める程度の覚悟は済ませておけ、という事ですねー。覚えておくと良いですよ?」
 ぱちり、とウィンクをひとつ。ざっと自分の全身を見回して身だしなみを確認し、
「それではっ!」
 掛け声一つ残し、砂塵と共に走り去る養護教諭。
 ――ああ、もう俺年下趣味でいいや。
 あとに残されたのは、そんな風に思考しながら彼女の背を追って走るサッカー部員のみだった。


◆◆◆


『先生、なんだかんだ言ってるけど、あれ自分から脱いでたよな? それであのドヤ顔の語りはどうなのよ』
『黙っていればサッカー部の彼は気付かないと思われます。青春の一ページをわざわざ汚す事もないのではないでしょうか』
『二人ともツッコミ厳しいよね……。で、セルカ先生は絶好調みたいだけど、実際どーするの、コレ?』
 通信でつながったセルカ以外の四人の意識内で、メリーベルとシアルのやりとりを聞きながら再び再生されたシミュレーション映像を見ながらあさひが深々とため息をつく。それに頷くような気配の後で、重々しい口調のバルバが続いた。
『……こういうのに一番詳しいのが先生であるわけだしな。思考を放棄するつもりはないが、正直取っ掛かりすら見えん』
『アタシも魔法関係はある程度出来るけど、今回の件については解析のためにあれこれやってたセルカ先生以上ではないはずだしなあ……』
 ううむ、と行き詰った思考が唸り声の形で表現される中、声を発したのはシアルだ。
『セルカ先生の思惑としては、二通りに解釈できると思います』
『二通り?』
 はい、と肯定の意思を伝え、
『一つ、レースで走るほうに集中している間、魔法に関しては自分以下の生徒達にとりあえず解決を探るよう言ってはみたけれど、実のところ別に期待はしていない』
『うわあ……』
 ミもフタもねえ、とシアル以外の三人の思考が統一されるのを余所に、更に彼女は続ける。
『一つ、魔法陣の解析に関してチーム内でトップの先生が抜ける以上、私たちにはそことは他の部分からのアプローチが求められている』
『他の部分からのアプローチ……?』
『何でもいいのです。機械的なものでも、魔法に関する先生とは別の視点でも、あるいは単なる直感からでも。複数の思考が寄り集まる事の最大のメリットは、発想の多様化ですから』
『なるほどな』
 シアルの解説に、最初に反応を示したのはメリーベルだ。
放送部ウチの会議なんかでさ、議題に対してこれはどーなってんの、なんでなの、みたいな素朴な疑問が出てさ、そっから思いもしなかったようなアイデアが出ることってあるんだよな。――つまり、魔法が苦手ならそれについてはとりあえず置いといてさ、現状に対する疑問とか、こういうことはできないのか、とか。自分の見える、分かる範囲から何か言えって事だろ?』
『ああ、そういうことかあ。よし、じゃあ先生があたしの3区に来るまでの間、ちょっとブレインストーミングいってみよっか』


◆◆◆


 さあ、先頭集団は第2区終盤に差し掛かってきております! それに追いすがるチームの中で、今一番アツいのは文句なくここ! なんかもうおかしいくらいの勢いで爆走する『フォーガールズ&シルバースライム』セルカ・ペルテ養護教諭だーっ! 第7チェックポイントでの突然の停止により大幅に順位を落としたのも束の間、現在は9人ごぼう抜きで8位! そして今、7位、武闘派で知られる第四テニス部、チーム『庭球の惣領様』と6位、全身サイバーウェアの肉体派、電算部チーム『ルシフェラーゼ・ハッカーズ』を射程圏内に捉えているぞっ!


 セルカの現在位置は、第2区も三分の二を消化しようという地点。幻像宮の外周をぐるりと回り、運動場を抜けてエメラルドの森入り口まで行けばそこで第三走者に交代だ。そこにたどり着くまでに、少しでも順位を上げておく必要がある。
「さあ、ガンガンいきますよーっ」
 だから、思い切り飛ばす。前にいる二人の学生も、一気に抜き去ろうと意識を前のめりにしたその時だ。
 目の前に突然、金属で出来たカゴが飛来してきた。サイズはセルカが丸ごと入れるようなもので、その中身は、
「ゴミですかーっ!?」


 おおっと!? 電算部が走りながらほぼ真上に蹴り上げたゴミ箱が後続のセルカ先生にあわや命中というところでした! とっさに払いのけた辺りは流石ですが、幾らかのゴミを被ってしまった模様! これは屈辱です!
 えー。本レースにおいては選手を直接攻撃することによる妨害は禁止されております。その上で先ほどの電算部の行為についてですが、少なくともセルカ先生に狙いを定めたものではなく、コースを荒らして後続の足を鈍らせようという――まあ、あまり褒められたものではありませんが――行為ということでルールに抵触しないとの判断が本部から伝えられておりますっ。



 ――プロミネンスの影響か、レースも中盤に差し掛かってきてみんなテンション上がっちゃってるのか知りませんが、妙に荒れてきましたねー。
 髪に絡んでいた紙クズを丁寧に取り除きながら、セルかは内心でため息をつく。
 流石にゴミ箱をぶつけられて腹が立つのは事実だが、ルールに抵触しないという判断が出ている以上、ゴネるのも報復するのも大人気ない。正々堂々、真正面から彼らを抜き去ってこそ、教員として、大人としての面子も立つというものだ。
 そんな風に考える視界の中、再び電算部がゴミ箱を蹴り上げた。
 ――ふっ。同じワザが通用すると思ったら大間違いですよーっ!
 そう考え、華麗にゴミ箱をよけつつ前の二人を抜き去る算段を始めたときだ。


 テニス部員がベルトに差し込んで後ろ腰に保持していたラケットを突如抜き放った。反対の手には、いつのまにやら黄色も鮮やかなテニスボールが三つ。
「あー。なんか急に壁打ちをしたくなってきたなあー!」
 やや棒読み口調の宣言が行われると同時、ラケットが一閃され、空中に軽くトスされたテニスボール三つを一気に打撃する。
 すぐ傍の壁に向けて打ち込まれたボールのうち、二つがセルカの顔面と腰に向けて迫り来る。
 顔を狙う理由は意識をそちらに引き付けるため。本命は避けるためには体幹を動かさざるを得ない腰だとセルカは判断。
「小癪なっ!」
 一声発し、地面を蹴る方向を変えてサイドステップ。二球を完璧にかわしたところで、セルカの耳に一つの音が届く。金属質の衝突音。出所は彼女の前方斜め上。すぐさまに視線を移した養護教諭の視界を影が埋め尽くした。


◆◆◆


『――あ』
 思考を繋げながら喧々諤々の議論を交わしていたあさひたちは、中継されたその映像を目にして全員がその一音を最後に沈黙した。
 地面に逆さまになって立つ一つのゴミ箱。その周囲には、つい先ほどまでその中に収められていた雑多なゴミが散乱している。
 また、よくよく観察すると、そのゴミ箱と地面の間には、ほっそりとした足の膝下と、見覚えのある白衣の裾が覗いていた。
 と、思えば、突如としてゴミ箱がふるふると震え始めた。それは見る間に激しさを増し、そして――
「ふんっ!」
 内側からはじけ飛ぶ。それを為したのは、ゴミ箱の中に納まっていた小柄な養護教諭だ。
 

 彼女が金属音を聞いたあの時、テニス部員が打ったボールの三つ目が空中でゴミ箱の上端にヒットし、その向きを上下逆さまに変え、また軌道もズラした。
 結果、セルカに被さるようにしてゴミ箱は落下し、彼女も予想外の事態にそれを避けそこなったのだ。
「ふ、ふふふ、ふふふふ……」
 体のあちこちに付着したゴミを払う事すらせず、立ち尽くしたセルカが低く笑う。
 大きく息を吸い、吐く。そして再び彼女は走り出した。スピードも勢いも、先ほどまでに勝るとも劣らない。ただ一つ違うのは、
「うふふ、うふふふふふ……」
 俯き加減の口許から漏れ続ける含み笑いである。


『こわっ! セルカ先生こわっ!』
『……あいつらをブチのめして失格になるかもなあ、アタシらのチーム』
『先生が理性を失っていないことを祈りましょう』
『もうちょっと先生を信用してやれよお前ら。――先生なら理性を失ってなくてもあれくらいは余裕で殲滅できるぞ』
『信用の方向が違うよ番長!?』
 思わず突っ込んだあさひに、軽い笑いを含んだバルバの声が応える。
『冗談だ』
『……笑えないよ……』
『何だかんだいって、先生が無茶苦茶やるとは誰も思ってねえだろう。向こうに通信を繋ぎなおして一言言おうってのが誰もいねえんだからな。そんなことよりこっちはこっち、だろうが』
 ふむ、と誰からともなく頷きが返り、
『そうだね、ちょっと方向性が見えてきたところだし、こっちもせいぜいアタマを捻ろうか!』


◆◆◆


 ゴミ箱を喰らった影響で、テニス部と電算部からやや離されていたセルカだったが、怒涛の疾走ですぐにその差を詰める。
 その勢いのまま、養護教諭のスピードにやや驚いたような二人の生徒に向けて真っ直ぐ肉薄する――かと思いきや、突如として斜め前方への軌道修正が行われた。

 おやあ? セルカ先生、ゴミ箱直撃にもメゲず、素晴らしい勢いで走ったかと思えば何故か前を走るランナーから微妙にズレた方向へと――あっ!?


 セルカのことを実況していたアナウンサーが驚いたように声をあげ、言葉を途切れさせる。その原因は、
「ああー、先生、足がもつれてしまいましたー」
 棒読みの台詞と共に、セルカが前に向かってつんのめる。今までの疾走の勢いはそのままであり、それは転倒というより前方への跳躍と言っていい結果を生んだ。
 大砲の弾が発射されたような、斜め上方への体の射出が行われ、そしてその先には、
「転びそうになった先に、丁度良く掴める物がありましたー」
 再びの棒読み。
 それが発せられると同時に、セルカはその物体、豊かなヒゲを蓄えた老人の胸像の頭部に手を置く。
 跳躍、もとい転倒の勢いが彼女の体を持ち上げ、そのままセルカは胸像の頭に片手を置いた倒立の姿勢に移行。そしてそのまま流れるように下半身を進行方向へと振り出し、伸身の前方回転を行う。
「ぃよいしょおっ!」
 セルカの気合と共に、セルカの手元から何かにひびが入るような音と、地面から何か重いものが自身を引きずりながら動き出そうとする音がする。


 なんとおーっ!? セルカ先生、アウゼロン学長の胸像を片手倒立の姿勢から、サッカーのスローインのときにやるような回転投げ、しかもワンハンドスローだあっ! ちっこい体でなんつーパワーキャラかっ!?


 ヒートアップした実況の言葉が終わるよりも早く、アウゼロン学長(胸像)がサッカー部と電算部に迫る。思わず身をすくめた彼らの頭上を学長が通過し、その1メートルほど前方の地面に激突。土煙を上げて地面を抉った。
「いやあ、滑って転んだ先に掴みやすいものがありましたので、とっさに全力で握ったら勢いのせいでまさか投げ飛ばしの結果を生んでしまうとはー」
 胸像が産んだ重い激突音とは対照的に、軽やかな音を立てて着地したセルカはそんな台詞とともに、小鳥のように首を傾げてから、軽く握った拳をこめかみのあたりにこつん、と当てて、片目をつぶって舌を出し、
「てへっ」


◆◆◆


『ウザっ』
『メリーベル、なんてことをっ!? あたし思考が表に出ないように必死にこらえたのにっ』
『あさひ。その台詞は一般的に言って自白というものではないでしょうか』


◆◆◆


 え、えー。先ほどのセルカ先生の一投ですが、本人は事故だと申告している事、人的被害が無い事から反則を取るということはないようですが……。ああ、今協議結果がきました。反則は取らないが、行為として結果的に危険であったので、今のパフォーマンスで『フォーガールズ&シルバースライム』にはいるはずだったポイントは無し、という裁定が下った模様ですっ


 突然の事態に驚いたサッカー部と電算部が固まっている脇を砂塵と共に駆け抜けながら、セルカは軽くため息をついた。
 思わず熱くなってついやりすぎてしまったように思うが、まあ結果的に問題はなかったのでよしとする。自分たちにとって重要なのはポイントの多寡ではないのだから。
 そしてこの件に関する思考はそれで切り上げ、養護教諭は前方に向けて強い視線を送る。その先にあるのは、五位のランナーの背中だ。
「さあ、何位まで順位を上げて次に繋げられますかね?」
 呟きとともに、幼さを残す顔立ちに不釣合いな艶やかな笑みを浮かべ、養護教諭が加速した。



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑭ ゴールイン
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/02/19 14:34
Scene21 思いより疾く



 レース前日、あさひとシアルが授業をサボって部屋でしばらくの睡眠を取り、目を覚ましてからの事だ。
 ベッドから体を起こして正座してから話があります、と前置きし、いつも通りの生真面目さを漂わせる無表情でシアルがあさひに向かい合った。
「手を出していただけますか?」
 あさひがその通りに右手を彼女の方へ差し出すと、シアルが両手で捧げ持つようにしてあさひの右手を包み込む。


『伝わっていますでしょうか?』
「わわっ!?」
 突然頭の中に響いたシアルの声に思わず取り乱すあさひ。その態度が先ほどの問いの答えになったようで、シアルは微かに満足げな表情を浮かべて頷いた。
「アニマとライダーの間で戦闘中の意思伝達をより速く、より確実に行うための機能です。これを行うには、接触している、という定義が必要になりますが、私がMTに接続した状態であればMTとの間に繋がりを持っているあさひとは接触している、とみなしての行使が可能です。」
「な、なるほど、そんな便利機能が……。あれ? 今までこれを使わなかったのはなんで?」
 感心の深い頷きと共に一つの疑問があさひの中に生まれ、シアルは自嘲気味の笑みを浮かべた。


「ある理由から、この機能はアニマ側の感情が希薄な方が良いとされています。おそらく、私が感情を抑制されていないがために私の不随意制御系がロックをかけていたのでしょう」
 シアルは一旦言葉を切り、そっと目を伏せた。口元の笑みは、緩やかで毒の無いものへと変じる。
「皮肉なもの、と言っていいのでしょうか。道具ではないあり方を模索してみようかと思ったその日に、道具であった方が使いやすい機能が解除される、というのは」
 言葉を作るために息を吸うあさひを押し留めるようにシアルがその手をきゅっと握り、顔を上げる。視線が真正面から交わった。
「ここはひとつ、あさひに倣って勝手な思い込みで自己完結することにします。あなたの役に立ちたいという感情のゆえに、私は無意識にかけられた鍵を開けられたのだと」


◆◆◆


「雪村さん、タッチ交代ですよーっ!」
「いえっさー! タッチ交代っ!」
 ぱしん、とセルカとあさひの手が打ち合わされた。第11チェックポント、第3区への交代場所となるエメラルドの森入り口付近である。
『シアル、そっちはよろしくね!』
『お任せください』
 何を、とはお互いに言わないし聞かない。お互いに対する信頼ゆえであり、また必要もないことだからだ。


 さあ、上位チームが続々と第三走者にリレーしていきます! いよいよレースも後半戦! 今走り出したのは脅威の追い上げで3位まで順位を上げた『フォーガールズ&シルバースライム』フォーリナーの雪村あさひ!


 実況の声を耳にしながら、あさひは地面を蹴る。第3区は校舎や学校施設が多い地域を通るルートが続く。純粋な走力よりも小回りとコース取りが問われる区間だ。
「ん、こっち!」
 リオフレード魔法学院は広大な敷地と多くの施設を保有している。普通に通っていれば卒業まで一歩も足を踏み入れない校舎、というのがそれぞれの学生に存在するのだ。
 あさひが今駆け抜けているのもそうした校舎の一つ。教員の研究室が多く配置されている建物だ。
 研究者肌の教員の中には学生を捕まえては「ちょとだけ! ちょっとだけだから!」などとのたまいつつちょっとだけ鱗を生やしたりする教授やちょっとだけヒレを付けたりするような教授が存在しているため、関係がある生徒でも無闇に近付きはしない場所なのだが、その廊下をあさひは走っている。
 彼女の足取りには一片の迷いも見られない。分岐を曲がるとき、ドアをくぐるときになされる判断は常に即時のもので、それは全ての間取りを完璧に把握している者の動きだ。


◆◆◆


『しかし、つくづく便利機能ですねー』
 自分の担当を走り終えて、チーム内の通信に復帰してきたセルカが、その間に生徒達が練り上げた状況への対抗策についての吟味を行いながら、中継にちらりと映り、また姿を消したあさひを見ての感想を告げる。
『その機能にご自身の魔術を上乗せして、この通信機能を構築したセルカ先生も相当なものだと思いますが』
『ええ、確かにシアルさんが雪村さんとのやり取りに使う技術に相乗りする形でネットワークを組み上げましたが、やはり本家には及びませんねー。私のやり方で出来るのは思考の共有まで。あなた達のような、判断の共有は出来ませんから』
 セルカが通信に向けて頷きの気配を一つ送り、
『知識や経験から導き出される、思考に満たないとっさの判断や、己の積み重ねから導き出される、いわゆる勘の働きまでも共有するというのは、なまなかな事ではありませんよー』
『いかに思考を繋げていても、それを言葉として意識のうちで構築し、相手に認識させていたのでは戦闘の速度の中では遅すぎますから。そうした非論理の領域から来る判断をもってライダーを補助できる事、また、それを行いながらも機体の制御などのために意識を別の事柄に割けるのがアニマの強みの一つでもあります。本来はアニマの感情を抑制する事で、ライダーと意識を近くすることによる各種弊害を防ぐのですが』
 通信を通じて、他の三人はシアルの思考から笑みの気配が漏れるのを感じ取った。
『どうやら、私とあさひは相性が良いようで。感情の抑制無しにこれを使えています』
 釣られるように笑みながら、なるほど、と相槌を打ったのはメリーベルだ。
『まあ、実際助かるよな。あさひの手助けをしながらもシアルはこっちの相談に加われるわけだし』
『ええ。あさひのコース取りについてはお任せを。念のために学院の見取り図を精査し、最大効率のコースを模索しておいた甲斐もあったというものです』
『当の雪村はなかなか苦労してそうだがな。なにせ、さっきからほとんど中継のカメラにあいつの姿が映らん。俺ならともかく、雪村でそんな状態になるとはどんなヒネくれたコースを走ってるんだ?』


◆◆◆


 ――シアルのばかあー!
 そのドアを開けたとたん、あさひは脳内でそう声を上げていた。
 とある教授が保有している標本室。どうやら恒常的に鍵をかけ忘れているらしいその部屋は、ガラスケースで埋め尽くされていた。
 透明なそのケースの中に納まっているのは、様々な種族の標本だ。ある者はまるで生前そのままの傷一つ無い姿で。またある者は体の一部を開かれ、その中身が見えるようにして保存されている。
 ガラスケースの下部に、献体となった日時と短い謝辞が添えられているので後ろ暗い出所のものではなかろうが、薄暗がりにずらりと並んだ標本の列は問答無用の圧力をあさひに感じさせていた。
 半ば涙目になりながら標本の間を走りぬけて窓を開け、そのまま窓枠に足をかける。
 制服のスカートの下にしっかりとスパッツを履いてきたことに今更ながらの安堵の息を吐きつつ、窓枠を蹴って外へと飛び出す。その先にあったのは、隣の建物の非常階段だ。がつん、と金属質の音を立てながら非常階段の踊り場に着地したあさひは、すぐさま階段を駆け上がる。


 ちらりと横目でうかがうと、建物のわきを他のランナーがかけていくのが見える。
 ――今、何位くらいかな?
 かんかんかん、と非常階段を小気味良く踏み鳴らしながらふと思う。
 一つ前のチェックポイントを通ったときには、セルカから交代したときのまま、3位をキープしていた。コース取りを工夫しているとは言え、バルバほど効率を追い求められるわけでもないし、セルカほどの馬力で走れるわけでもない。基本的に、MTがなければあさひの身体能力は地球にいた頃と変わらない。
 ――まあ、昨日までは、だけどね。


 全力で階段を駆け抜け、屋上にたどり着く。いや、実際には屋上に足を踏み入れない。非常階段の落下防止柵に足をかけ、
「どっ、せーい!!」
 そのまま踏み越え、跳ぶ。空中に体を投げ出した瞬間、下腹から背筋を辿り、脳天までぞくりとした感覚が走り抜ける。恐怖と興奮がない交ぜになったそれを噛み締めるのも束の間、すぐに足が地面を噛む。さっき飛んだ場所より背の高い、となりの建物のベランダにあさひは降り立っていた。
「こわー! 超こわー!」
 笑みの形に顔面を引きつらせ、鍵が壊れている窓を開け放つ。誰もいない教室内を机の間を縫って走り、廊下へ出る。そのまますぐに疾走を開始。ここまで相当に動いているのに、息の切れる様子は全く見られない。
 ――どっちに行けばいいか、最初っから知ってたみたいに分かるのも便利だけど、コレもすごいわー。


 スタート地点から走りに走り、階段を駆け上がり、建物の間を飛び移る。もともと運動の得意な方ではあるし、一つ一つを取れば、自分の運動能力の範疇外の行為は何一つ無い。
 が、今のあさひはそれら全てを連続して行い、しかし疲弊していない。セルカのような超パワーキャラであるならともかく、フォーリナーとして覚醒しても直感が鋭くなる以外は特に変わらなかった自分では、本来不可能なことだ。
 不可能な事が可能になったからには、そこには理由がある。


 ――モナドライダーがMT搭乗時に得られる魔術による加護、かあ。
 MTが行う戦闘機動は、ライダーに凄まじい負担をかける。特に騎士級MTのそれは、もはや訓練でどうにかなるレベルを超えてしまう。故に、コックピット内のライダーは魔術的な防護を受け、体力や耐久力を増進させるのだ。
 現在、あさひはコックピットから離れていながらにしてその加護を受けている。流石に本来のそれよりも精度は落ちているが、こうしてレースを走るには十二分である。
 これも、昨日からシアルが行使できるようになった機能である。判断共有と同じく、シアルがMTと接続されている必要はあるが、その利便性は実に大きい。


 ――これならどんなコースでも走り抜けられる気がする!
 どちらかというと体育会系に属するあさひである。走っても走っても疲れが見えてこないという、今まで思いもしなかった状況にテンションが上がる。
 たたた、とリズム良く廊下を駆け抜け、あらかじめシアルが設定していたコースの知識に沿って角を曲がり、
「うっ」
 うめき声を一つ漏らし、思わず足を止めて制動をかける。今までの疾走の勢いが慣性となって体を前に押し出すのを感じながら、それでも先に進めない。


 この先に足を踏み入れていいのか、とあさひは懊悩する。
 勝利のためには、ここを進むのが正しい。わざわざ言葉にして諭されるまでもなく、シアルと共有した判断がそう教えてくれる。地形、建物の立地、それらの条件を考えれば、ここを避けることは大きなロスになる。
 ――だけど、それでも……!
 迷う。
 この先に進む事は、己に不可逆の変化をもたらすのではないかという思い、いや、恐れすらある。
「う、うううーっ!」
 実際に逡巡していた時間は、ほんの数瞬だ。それでも、それはあさひにとって長い長い苦悩の時間でもあった。
 だが、あさひは決断を下す。
 かつて、自身の命を懸けてダスクフレアに一太刀を浴びせたときに比肩し得る意思と覚悟を込めて、一歩を前へ。
 大きく息を吸い、そして止める。肺の中に溜め込んだ酸素が尽きないうちに、全速でここを駆け抜けるのだ。
 靴裏で踏む床の感触が変わる。廊下のリノリウムから、硬質なタイルへ。
 視界の隅に、白い何かがかする。細長く、1メートルほどの高さを持った陶器のような質感のそれが三つほど横に並んでいる。
 今までの人生で、直に目にすることのなかったそれが、殊更にここが何処であるかをあさひの意識に叩きつけてくる。その衝撃に、軽い眩暈すらあさひは感じ、声に出さずに絶叫した。


 ――あたし、男子トイレに入っちゃったーっ!


◆◆◆


『……おや?』
『どうしました、シアルさん?』
『いえ、何か、あさひから動揺したような気配が』
『気になるんなら通信を繋ぎなおしてみたらどうだ?』
『……いえ、やめておきます。あさひはこちらのことをよろしく、と。私を信用してくれていました。でしたら、こちらも同じものを返すのが礼儀ではないでしょうか。きっと、あさひも私のことを信じて、設定したコースを走ってくれているものと思うのです』
『なるほどな。じゃあ、こっちはこっちでやることやるか』
『うふふ。美しい話ですねー』


◆◆◆


「ううっ。あたし汚れちゃったよう」
 男子トイレの窓から隣の建物の渡り廊下に飛び移り、再び駆け出しながらさめざめと涙を流しそうな風情で慨嘆するあさひ。
 いや、分かっている。あさひにも分かってはいるのだ。
 これは必要な事であったとか、別に男子トイレだろうが女子トイレだろうがそう変わるものではないとか、理解はしているのだ。
 ただ、思春期特有の異性に対する複雑な感情がその辺りの割り切りを許してくれないだけなのだ。
「シアルにも女の子の恥じらいとか、そういうのをきちんと教えておかないとダメだねえ」
 コースを設定したシアルに対しての愚痴が口から漏れ出た。教えて身につくものなのかどうかはともかく、もうちょっとこう、微妙な機微が分かるようにしておかないといろいろ心配である。
「そういえば、ロー君に自分の胸を触っていい、とかサラっと言ってたしなあ」
 あさひの胸を触られるくらいなら、という注釈つきではあったが、それでも年頃の女子の発言としては色々アウトだろう。
 ――今日のレースが終わったら二人で色々と会議ね。


 思考を横道に逸らす事で禁断の地に踏み込んだことによる精神的衝撃から立ち直り、更に走る。既に第3区も半分以上を消化している計算なのだが、ほとんど他のランナーと接触する事がない。
 チェックポイントを通るたびに実況が順位をについて放送に乗せるのでそれについては困らないのだが、いつの間にか抜かれていたりしないかと不安になることはある。
 また、レースのほうに集中しているため、通信から抜けているので状況が分からないが、
「魔法陣の対策の方は上手くいきそうかな……?」


◆◆◆


『ええ、手段の方向性は問題ないと思います。使用する術式についてはゴールまでの間に先生のほうで何としても完成させるとして、問題は具体的に何をするか、ですよー?』
 シアルのシミュレーターも活用して、セルカが第2区を走っている間に生徒達が組み上げた素案を進展させたものについて検討し、セルカはそう告げた。
『それについては考えがある。十分この計画で使うに足るネタだと思うヤツがさ。どっちにしろそろそろ潮時だと思ってたし、こんだけの大舞台ならかえってありがたいくらいだ。うちの連中の協力も得られるんじゃないか?』
 養護教諭の声に答えを返したのはメリーベルだ。それを受けたセルカは、なるほど、と小さく呟き、
『大体予想が付きました。確認しますが、いいんですね、シャリードさん?』
『構わないさ。言ったろ? そろそろ潮時だって。今の時期にこういう機会が巡ってきたのは神のお導きってヤツさ』
『さすが、シスターさんは言う事が違いますねー。分かりました。それで行きましょう。……バルバ君?』
 応、と返すバルバに向けてセルカが言葉を作る。


『すいませんが、舎弟さんたちも動員して、必要な箇所に連絡を取ってください。こっちの仕掛けに協力してもらう人員が必要です』
『そりゃあ構わんが、実際問題、連絡を取った連中が動くか? 風紀委員だって使い物にならなかっただろう』
 バルバが返した疑問に、セルカは強い自信を込めて、大丈夫です、と言い切り、
『あれは私たちがレースの中断を目的として動いたからだと思います。今回はレースを盛り上げるための協力として持ち掛けるつもりですから。嘘は言っていませんし、おそらく大丈夫だろうと思いますよ。それで難しそうなら再度相談をお願いします。連絡を取る相手は……』
 セルカがずらずらと名を挙げる。バルバはそれを一度で全て記憶して、すぐに動く、と言い放って沈黙した。舎弟たちはバルバを追いかけて第2区のスタート地点まで来ていたらしいので、早速指示を出しに行ったのだろう。
『さて、シアルさんは先生と術式の準備です。MTのコンピュータをフル活用させていただきますからねー』
『心得ました』
『おい、アタシは……』
 一人、役割を振られなかったメリーベルが通信内で声を上げかけ、しかしすぐに黙った。


◆◆◆


 ――見えたっ! 3区のゴール!
 校舎の一つ、その窓から飛び出して、あさひは前方を見る。
 その先に立つ、赤毛にシスター風改造制服の人影。彼女は真っ直ぐにこちらを見て、歯を見せて笑う。
 走るあさひと立つメリーベル。二人の間の距離がぐんぐんと縮まり、
「ごめん、順位上げられなかった!」
「見せ場が残ってるって事だろ。上等だ!」


 さあ、いよいよレースも大詰め! 第4区、アンカーへと三番目にリレーしたのは『フォーガールズ&シルバースライム!』学院内からエナージェに戻るこのコース、泣いても笑ってもラストエリア! ここから巻き返せるか!?



Scene22 Ready! Lady Gunner!!


 あさひとタッチを交わし、すぐさまメリーベルは走り出す。
 コースとしては、旧校舎群を抜け、エアポート近くまで行ってから折り返してエナージェに向かうものとなる。コースの傾向としては2区と3区の中間、走力と小細工の両方が必要となるエリアと言えよう。
 ――まずは、アタシらより先にアンカーに繋いでいった陸上部と新体操部を抜かす!
 魔術による身体強化を施しながら地面を蹴り、今は廃棄された旧校舎のそばを駆け抜ける。
 打ち捨てられた墓標のような石造りの校舎の向こう、いささか離れた場所にひとり、それよりまだ向こうにもうひとり、彼女と同じように走る人影が見えた。
 手前、2位につけているのが新体操部、トップは陸上部だ。二人は序盤から激しいデッドヒートを繰り広げていた。


◆◆◆


 新体操部、アンカーを託された部長は、どこからともなくクラブを取り出し、それを両手に構えたまま軽く跳躍。空中で伸びやかに体をそらし、つま先から頭上に掲げたクラブの先までで優美な曲線を形作ってから、体を屈める動きで前方へと二本のクラブを投擲する。
 彼女が描いた曲線とは対照的に、力強い直線軌道をたどったクラブは旧校舎の壁に激突。砕かれた石壁がその下、陸上部のアンカーの前方に落ち、積み重なる。即席のバリケードが形成された。
 これで陸上部はコースを変更するにしろ、あれを乗り越えるのにしろ、時間がかかる。対してこちらには、そのための手段がある。そう思いながら、今度はリボンを取り出した。これを操り、バリケードの頂点に巻き付けて自分を引き上げる事くらい、リオフレード新体操部の一員であれば誰でも可能な事だ。
 ――一気に抜く!
 長い尾のようにリボンをたなびかせながら走る彼女の視線の先で、バリケードを目にした陸上部員はしかし速度を落とさない。
 そして、バリケードまであと15メートルほどというところで、陸上部が首の後ろから背中に向けて手を突っ込む。服の背中からするすると取り出されたのは、一本の棒だ。明らかに彼の身長の3倍近い長さの棒が背中から取り出され、それほどの長物を手にしたにもかかわらず、陸上部は体の芯をぶれさせる事なく、棒を構えてバリケードに迫る。
「どのような障害も越え、誰より速く走る! 十種競技者の誇りにかけて、負けられん!!」
 バリケードのすぐ手前の位置に棒が突き込まれ、ぐんとたわんだ棒に持ち上げられるようにして陸上部がバリケードを越えてゆく。棒高跳びだ。
 陸上部員の体が軽々とバリケードを越え、すぐあとに新体操部がリボンを駆使して同じくバリケードを乗り越えてゆく。


◆◆◆


「ったく、ハタ迷惑な!」
 バリケードを乗り越えてゆく新体操部の背中を目で追いながら、メリーベルが一言毒づく。
 進路上に作られた瓦礫の山を越えること自体はそう難しいことではないが、普通に登攀して越えていたのではロスが大きい。かといって回り道をとれば、結局のところロスは同じくらいにあるだろう。セルカなら体当たりなりワンパン叩き込むなりで突破できそうだとも思ったが、自身にそこまでの頑強さはない、と思い直す。
 ではどうするべきか。


 走りながら、メリーベルは右手に拳銃を抜いた。手首を軽く振る動きでリボルバーの弾倉を振り出して弾を抜き、懐から取り出したスピードローダーで弾を込める。それが終わると左手にもう一丁銃を取り出し、同じ作業を行う。
 疾走のスピードを全く落とさぬまま全ての工程を終えたメリーベルは、前を向き、く、と喉を鳴らした。
銃火の歌をI'll let the ――」
 両手に銃を携え、しかし引き金を引かぬまま、メリーベルが瓦礫に足をかける。そのまま瓦礫をけりつけるようにして跳躍。だが、高さが足りない。このままでは、バリケードに正面からブチ当たるのが関の山だ。
「――聞かせてやるよgunfire song!!」
 メリーベルが左右の引き金を同時に引いた。銃口の向く先は地面。
 真下に打ち出された銃弾の正体は、装薬の種類を厳選し、精製し、増量してある限界ギリギリ、否、限界以上の破壊力を持たされた強装弾だ。
 本来なら、射手の肩を外し、拳銃の銃身を破壊しかねない衝撃が、メリーベルのフレアによって抑え込まれる。そして、その衝撃に相応しい反動が、空中にあるメリーベルをさらに上へと撃ち出した。
 重ねて四度。計八発の銃弾が発射され、メリーベルの体が完全にバリケードの上まで運ばれる。
 それと同時、メリーベルがバリケードの頂点を蹴り付ける。向かう方向は言うまでもなく前方。少し先を走っていく、新体操部の背中が見える方だ。
 上方へのベクトルが前方へのそれに変換され、ぐるんと身を回して背後を向いたメリーベルがおまけとばかりに左右二発ずつの弾丸を斜め上へと打ち出す。再び彼女の体は反動に押し出され、急速に落下前進。着地寸前で再び半回転し、その時にはすでに銃はその手になく、再び身を回して前方へと走り出している。


◆◆◆


『なるほど。じゃあ、メリーベルがゴールにたどり着くまでに準備を全部終わらせとかないといけないですね』
 メリーベルに走者を交代してから通信に復帰したあさひは、セルカから計画の概要について説明を受けていた。
『ええ。走り終わったばかりで疲れてるかも知れませんが、雪村さんにはゴールまで先回りをお願いします。行けますか?』
『直線距離ならエアポートまで行って戻ってこないといけない4区の四分の一程度ですから、何とかなります。シアルのお陰でまだまだ走れますし』
『分かりました。では、すぐに移動をお願いします』
『先生、こちらバルバだ。放送部の協力は取り付けた。あとはこっちの仕掛けに乗じて動いてくれることになってる。まあ、こっちが初っ端をしくじったら動きようがない、って事でもあるが』
『了解です。ご苦労様でした、バルバ君。放送部の皆さんによろしくお伝えくださいねー』
 バルバからの報告を聞いたセルカが、通信内部で声を張る。
『さあ、前準備は整いつつあります。シャリードさんがトップで戻ってきたとき、こっちがミスって事態がオシャカにならないよう、気合入れていきますよー!』


◆◆◆


旧校舎群を抜け、エアポートまでの障害物なしの直線コース! ここで激しい二位争いが行われております! 相手をパスして一位の陸上部に追いすがるのはどちらのチームかーっ!?


 流れた実況を耳にして、ほぼ併走していたメリーベルと新体操部は一瞬だけ視線を交換する。そこに乗せられた意思は、十分すぎるくらいにお互いに知れた。すなわち、
 こっちに決まってる! だ。


 視界をさえぎるもののない平原、そこに敷かれた荒い石畳の道を駆け抜けながら、新体操部が再びクラブを取り出した。彼女の意図は明白。先ほどのように走路を乱して相手を妨害する策だ。
 それに備えるためにメリーベルが銃を抜く。次の瞬間、走りながらも華麗にステップを踏んでターンを決めた新体操部が遠心力の助けを受けてクラブを投擲。少し先の地面が砕かれ、巻き上げられる。結果、二人の前に出現したのは、真上に向けて吹き上がる細かい石つぶての壁だ。
「秘技、嘆きの壁!」
 新体操部が取り出したリボンが渦を巻く。
 前方へ向けてジャンプした新体操部の周囲を細長いリボンが回転しながら取り巻き、さながら一個の弾丸の様相をとる。
 回転するリボンが石つぶてを弾き、彼女はそのまま無傷で壁を突き破る。全力で使えばMTのビーム砲すら防ぎうる新体操部の秘奥である。この程度はわけもない。
 だが、この技を前提として巻き上げた礫壁の威力、あのシスターには防げまい。あとは前方を走る陸上部に追いつき、その前に出るのみ!


「なあ、知ってるか?」


 だから、そう思っていたところに横合いから掛けられた声に、彼女は動揺した。
 思わずそちらへ向けた視線の先で、赤毛の彼女が笑う。
 顔は土ぼこりに汚れてはいるが、その青い目は強く輝きを放ち、こちらを見返していた。


「映画なんかの銃撃戦でさ、主人公は絶対ぇタマに当たらないだろ? あの理由だよ」
「それは、主人公だからじゃないの?」
 思わず素で答えた新体操部に、サンドブロゥのシスターが微笑む。
「見えてるからさ」
「え?」
 短く端的に放たれたその言葉の意味を、新体操部が量りかねている間にメリーベルが速度を上げる。
 単純な脚力勝負では分が悪いと悟った新体操部は、次の手を打った。先ほどから手にしたままの、そしてもっとも得手とする道具であるリボンを振るった。優美な曲線を描きながらも、宙を踊るリボンが二人のすぐ前方の地面に向かう。
「ダンシング・エッジ、演技開始プレイ!」
 空中で複雑な軌跡をリボンが描き、
「破!」
 気合の声と共に、その先端が鞭のようにしなって地面を叩く。その瞬間、地面が爆ぜた。


 再び二人の前に立ち上がる壁は、しかし先ほどとは少し様相が異なる。砕かれ、巻き上げられた石礫の群れであった一度目と違い、壁を構成するのはリボンの軌跡によって歪に切り取られた、先ほどよりも大きな石塊だ。
 こうすることで、妨害用障害物としての威力を上げる。壁としての密度は下がるが、それでも人が通り抜けられるような隙間は生じない。
 さらに、新体操部は意図的にスピードを落とし、メリーベルを先行させる。
 新体操部は先ほどの壁をメリーベルが抜けた事について、一つの推測を立てていた。彼女は、自身が壁を突破した際に嘆きの壁でブチ抜いた箇所を通り抜けたのではないか、と。
 メリーベルの先の言葉の意味は、つまり安全な場所、行くべき場所を見極める力が自分にあるのだ、ということなのではないかと解釈したのだ。
 だから、彼女を前に出す。自身は嘆きの壁でこの障害を突破するつもりだが、もし彼女がそれに追随しようというのなら、今の疾走の勢いを殺し、彼女が壁を抜けるのを見送ってからそれを追いかけることになる。それだけでも立ち上がりの加速で不利になるし、
 ――次に同じことをするならば、潰れてもらう!
 嘆きの壁を構成するのは、彼女の操るリボンだ。そして、それは先ほどやって見せたように彼女の意思に忠実に動かす事が出来る。こちらの体が壁を抜けたあとならば、手元の操作で壁に干渉し、それを崩す事も可能だ。通り抜けられる穴がある、とこちらのあとについてきたならば、壁の崩壊に巻き込まれることになるだろう。
 さあ、どうでる、と考えた新体操部の視線の先、赤毛の三つ編みが小さくなる。
 メリーベルは、壁に向けて加速したのだ。


◆◆◆


 二丁拳銃を構え、メリーベルは思考する。
 ――むしろ今回のほうがさっきよりやりやすいか。
 足元から吹き上がった石で構成された壁。それを構成する、リボンによって切り出された石の動きを見る。どのように流れ、どれとどれがぶつかり、どちらに弾き出されるのか。
 尋常ではない集中力と、動体視力。それらをもって、メリーベルはさかしまに立ちのぼる石の瀑布、その流れを見切ったのだ。
 銃口を斜め下に向け、引き金を引く。撃ち出された銃弾がやや浅い角度で石の一つにぶつかり、その軌道を変えた。そして――


◆◆◆


 そして、新体操部はそれを見た。唖然としたまま、それを見送ってしまった。
 ただ一発。その一発の銃声が響いた次の瞬間、壁が裂けたのだ。
 信じられなかった。彼女とてリオフレード学院新体操部の一員、演技の完成を追い求めるが故の特訓の果て、尋常ならざる強さを手に入れてしまった一団に属する者だ。
 斜め後ろの背後から、赤毛のシスター、否、ガウチョが何をしたのかは見た。どういうつもりでその行動を取ったのかも理解はした。だが、だからこそ、信じがたい。
 ――たった一度、弾丸を撃ち込むことで一つの石の軌道を変え、それが他の石に及ぼす干渉で自分の前に空間が出来るように操作した……!
 ガウチョの見せた絶技による数瞬の自失。この場において、それは致命的な空隙だった。
「くっ!?」
 うめき声を漏らして新体操部が制動をかける。その目と鼻の先で、彼女自身が作った石の壁が吹き上げられた勢いを失い、地面に落下して積み重なってゆく。
 新体操部が呆然としたほんの僅かな時間は、彼女が壁を突破するためにリボンを展開する予備動作のための時間でもあったのだ。ゆえに、彼女は今までの疾走の勢いに乗せて壁に近付きすぎ、しかし突破するための手段を展開できなかったためにその場に踏みとどまらざるを得なかったのだ。
 壁の消えた向こう、赤毛の三つ編みを揺らした、シスター風のロングスカートが遠く小さく揺らめいている。彼我の脚力差を考えれば、今からの逆転は難しい、と新体操部は判断した。は、と吐息を漏らす。
 ――ごめんね。
 チームメイトに向けて心中で謝罪する。
 そして、次の瞬間から、全速力で駆け出した。無論、あのシスターを追うのだ。
 追いつけない相手なら追わない。そんな殊勝な心掛けができるようなら、新体操部は運動部最強の一角として恐れられはしていない。きゅ、と楽しげに口角を上げて、新体操部は駆けて行く。


◆◆◆


いよいよ大詰め、残すチェックポイントは後ひとつ! トップを走る陸上部『駆け出せ青春』とそれを追うあれこれ混成チーム『フォーガールズ&シルバースライム』! 今のところ、『駆け出せ青春』が一位をがっちりキープ! 追いすがる『フォーガールズ&シルバースライム』をその都度引き離しています!


 ――くっそ、追いつけねえ……!
 メリーベルは全速で走りながらも歯噛みした。
 レースは既に最終局面。エアポートから折り返して、エナージェに再び戻ってきたところだ。ゴールはスタート地点と同じ学院正門前。街中をしばらく走りぬけ、ノクターン通りから学院に戻ればそこが終着点である。が、ここまで来ても陸上部を抜けないのだ。さすがに走ることにかけては本職、といったところか。
 そこに追いすがるメリーベルの足も相当なものであり、街並みを利用したショートカット等で一時的に並ぶ事も出来るのだが、そこは向こうが意地を見せ、前に出させてくれない。
 既に、仲間たちはこのあとの作戦のために動いているはずだ。だが、それはメリーベルがトップで戻ってくる事を大前提としているものだ。ここで二番手に甘んじていたのでは、全てが無為に帰してしまう。
 

 ――いや、待てよ?
 そのとき、メリーベルの脳裏に閃くものがあった。魔法陣の仕掛けを出し抜くための作戦。そこからの連想で、陸上部をパスできるかもしれない手口を思いついたのだ。
 ――大分邪道だし、上手くいくかも分からんけど、この際やるしかねえか!
 腹を括り、すぐ傍にあるビルの非常階段を駆け上がる。すぐさま屋上までたどり着き、隣のビルへ飛び移る。そしてそこから見下ろした通りを、広いストライドで駆け抜けてゆく一人の男子生徒が見えた。先ほどから何度も手を掛けては抜けない背中だ。
「ふっ!」
 鋭い呼気を漏らし、メリーベルが屋上の縁を蹴って空中に身を躍らせた。ビルは四階建て、ざっと20m以上の高さがある。
 フレアでの身体強化があっても、落ち方を誤れば大怪我という高さだ。だが、彼女の体があわや地面と激突するという直前、6発の銃声が鳴り響いた。
 着地の寸前、地面に向けて射撃し、その反動で落下の衝撃を殺したのだ。すとん、と軽い音を立て、すぐさま走り出す彼女の目の前には、息遣いすら聞こえてきそうなほどの近さで陸上部がいた。
 当然、陸上部もメリーベルの接近に気付いたのだろう、街路を蹴る足に込められる力が増し、スピードが上がる。
 が、今度ばかりはメリーベルも離されない。必死で喰らいつき、今の距離をキープ。
「おい、あんた!」
 陸上部に声を掛ける。返事はない、が、メリーベルは続けて言葉を作った。
「えらい速いけど、ぜったいブチ抜いてやる。ついてはレース終了後に思い切り名指しでざまあ! って言ってやるつもりだから名前教えろ! ちなみにアタシは放送部、お昼の放送担当班所属、高等部2年のメリーベル・シャリードだ」
 陸上部の背中越しに、笑みの気配が彼をじっと観察していたメリーベルにも感じられた。
「陸上部所属、十種競技者、高等部3年のリート・カデスだ。そっちこそ指差して笑ってやるからそのつもりでいろ」
 言葉の内容とは裏腹に、その声は楽しげだ。レースも最終局面でのこうしたやり取りに興が乗ったようだった。
 策の上では上々の反応に、しかし僅かに罪悪感を覚えつつ、メリーベルは機を計る。


 そして。
 次の角を曲がれば最終チェックポイントというところで、メリーベルは仕掛けた。
 喉元に手をやり、数度の咳払い。そして、あごを上げ、首を前に伸ばす。
 体勢としては丁度、陸上部の背中越しに、彼の耳元へメリーベルが唇を寄せる格好だ。
 コーナーに差し掛かり、しかし体を傾けて走ることで速度を殺さず走り抜けようとした陸上部の耳にそれは届いた。
「――――が、――――に――――で、――――の――――」


 効果は覿面に現れた。
 ぎょっとしたように体を強張らせ、顔を赤くして振り返ろうとした陸上部は、もうその時点で死に体だった。バランスを崩し、足をもつれさせて転倒し、遠心力に従ってコーナー外側へと転がっていく。
 なまじスピードを維持したままのコーナリングを試みていたため、景気良く吹っ飛ぶ事になってしまったのだ。
 自身もやや頬を紅潮させたメリーベルがそれを横目で見送り、心中で手を合わせ、しかし彼を置き去りにして走り去る。


 陸上部の身に何が起こったのか。
 細かい内容については秘する事になるが、簡単に言えば『耳元で普段聞いているラジオのパーソナリティーが自分の名を呼びつつあんな台詞やこんな台詞を口走った』というところだ。
 

 メリーベルとしては、“眼鏡の”スタアさんの知名度からすればある程度の反応は引き出せるだろうと思ってはいた。お昼の放送の名前を出したときに、陸上部の肩がぴくりと反応した事も確認していたので、より効果があるだろうとも思っていた。
 ――思った以上に反応が激しかったな……。
 流石にああも派手に転倒するとは予想外だったのだ。おそらくこちらが思うより、彼はスタアさんのファンだったのではあるまいか。
 ――マジですまねえ……。今度アンタのハガキが番組にきたら最優先で読むからな!


 陸上部、まさかのコーナーで転倒ー! そして一位が最終チェックポイントを通過っ! そして今、ようやく陸上部が立ち上がり、走り出しました! そのすぐ後ろには、新体操部が迫っている! さあ、再度の逆転なるかーっ!?


◆◆◆


「来たっ!」
 3区を走り終えてから、最短距離でゴール地点までやってきていたあさひの目に、トップで戻ってくるメリーベルの姿が映る。見物に集まっていた人々から、わっと歓声が上がった。
 あさひはすぐさまコースから走って数メートル離れ、
「シヴィ、シアル! 来てっ!!」
 ぱきん、と指を鳴らした。黄金の炎が立ちのぼり、次の瞬間にはあさひは絶対武器『シアル・ビクトリア』のパイロットシートに座っている。


 こ、こいつぁ何ごとかーっ!? 突如としてゴール付近に光と共にMティ
 

 ぶつん、と。
 困惑と興奮に染まっていた実況の声が唐突に途切れる。
『準備オッケー! いくよ、メリーベル!』
『任しとけ!』
 メリーベルに通信が繋ぎなおされ、最後の仕掛けが始まった。


◆◆◆


「全てのモニターの映像がゴール前のものに切り替わってます! 変更できません!」
 アナウンサー研究会の映像配信拠点での最初の反応は、そんな報告だった。
 トップの選手がゴールするときは、配信する映像はそれに統一する予定だったので、外部的には問題はない。が、本来なら、この拠点でそれ以外の場所の映像を管理し、どこを実際にテレビに映すかを決めているのだ。それが出来ない現在の状況は、非常にマズいものだった。
「エクリアの実況が放送に乗ってません! 映像と音声の管理ラインを乗っ取られています!!」
 今度の報告は、もはや悲鳴じみていた。
 映像そのものはレースのものが流れてはいるものの、アナ研の撮影したものではなく、こちらで放送の制御がされていない。このままにしておくわけにはいかなかった。
「原因の特定急げ! これ以上やらせるな!!」


◆◆◆


『騎士級MTの戦闘機動に追随できるFCSのシステムを演算装置としてハッキングをかけているのです。民生品で太刀打ちするのはほぼ不可能と言っていいでしょう。ましてあさひからフレアの直接供給を受けているのですから、なおさらというものです』
『うう、MTを経由の映像を介してセルカ先生の術式を広める必要があるとはいえ、ちょっと罪悪感かも……。アナ研の人達も頑張ってるはずだもんね……」
『まあ非常事態ですし、いざとなればこの仕掛けにはアナ研も一枚噛んでいたことにすれば事件後のイメージダウンをある程度防げるはずですから。気にせずいきましょうねー』
『意外に黒いな先生……』
『策士と言って下さいバルバ君。さあ、オーラスですよ、シャリードさん!』


◆◆◆


 ゴールテープを切る直前、魔法陣のある場所の数歩手前でメリーベルが立ち止まった。
 三つ編みを解き、大きく深呼吸を一つ。陸上部と新体操部が追いついてくるまでにはまだ余裕がある。
 よし、と頷いたメリーベルの元に、勢い良く飛来するものがある。手で握るのに丁度いい大きさの筒状のそれ。マイクだ。結構なスピードで向かってきたそれを難なくキャッチし、飛来元へと視線をやると、いつの間にそこにいたのか、にっと笑って親指を立てるセルカがの顔があった。
 更に視線をめぐらせると、よく見知った顔、放送部の部員がこちらにカメラを向けている。こちらの協力要請に応じてくれた部員だろう。彼のカメラで撮影された映像が『シアル・ビクトリア』に送られ、とある処理を施された上でアナ研が今回のレースの中継用に構築したネットワークを通じてリオフレード中に放送される手筈となっていた。


 えー、高等部2年4組、メリーベル・シャリードだ。ちょっと言いたい事がある

 ゴール付近の観衆は、突然現れたMTに動揺していたが、今にもゴールするはずだったメリーベルが足を止めてマイクパフォーマンスを始めたことでそちらに意識を向け始めていた。勝利宣言でもするのか、という声が掛けられ、メリーベルは僅かに苦笑を浮かべて首を横に振る。
 喉元に手をあて、数度の咳払いのあとで、スカートのポケットから眼鏡を取り出してそれをかけた。すうっと大きく息を吸う。


 唐突ですが皆さんこんにちわ! 毎度おなじみ、お昼の放送のパーソナリティ、“眼鏡の”スタアがリオフレード縦横断レースゴール前からご挨拶申し上げますっ!

 先ほどまでの地声から、放送用の声を作ってマイク越しに観衆に向けてぶち上げた。
 どよ、と観衆がざわめく。
 マジか、カタりじゃねえの? などという囁きも混じる。

 おやおやお疑いの方もおられますねー? まあ、今まで顔出ししませんでしたので、当然と言えばそれも当然。しかし、この声、これが私の身の証。聞き覚え、ありますよね?

 にっこり笑って、聴衆を見渡すようにくるりと回る。一回転し、カメラに向けてびしりと指を突きつけて、

 いやあもういい加減バラしどきかなー、なんて思いまして、この大舞台をちょこっと借りさせていただきました次第! 番組の宣伝にもなるかなあ、何て思惑もあったりしますが……

 滑らかに口を回しながら、メリーベルは視線をゴールと反対方向へ向ける。陸上部と新体操部がもうすぐそこまで来ていた。
 ――うわあヤベエ。
 彼らから感じるものと、初めて多数の人間の前でメリーベルではなくスタアとして喋ることによるプレッシャーで、背中に思いきり冷や汗をかきながら、今度はちらりと、しかしすがるような視線をシヴィへ向ける。
 そのシヴィに搭乗しているシアルから通信が入ったのは、それとほぼ同時だった。
『擬似パスの掌握率、9割に届きました! 魔法陣に入ってください!!』


 胸元で聖印を切りながら、メリーベルはサンドブロゥの神へと向けて祈りを捧げる。
 ――上手くいきますように。
 そのままゴールテープを切り、最後の魔法陣の上に踏み入る。

 次の瞬間、彼女の視界が、否、世界がモノクロに染まった。


◆◆◆


「え、えええ!? 作戦の想定外だよね!? ちょ、何これ!?」
 シヴィのパイロットシートであさひが狼狽する。
 モニターに映るのは、どこまでもモノクロの色彩へと変貌した世界。そして、異変はそれだけではない。
『おい、どうなってんだこれは。どいつもこいつも微動だにしねえぞ』
 バルバの声が通信を介して聞こえてくる。
 あたりにいる観衆の全てが、ぴたりと静止していた。目に見える範囲、いや、センサーで探査可能な範囲で動いているのは、すぐ側のゴール地点にいるメリーベルやセルカ、そしてこちらへ向かってきているバルバだけだ。


『……アンブラル・タイム』
 ぽつり、とセルカのつぶやきが通信に乗った。誰かが問い返すより早く、彼女の言葉が続く。
『学院で語られる噂の一つです。学院やエナージェを含んだ広範囲が、時間の狭間に滑りこんでしまう現象。実際に体験したことはありませんでしたが……』
『アタシも噂にゃあ聞いてたけどなあ。それが今、この場で発動するのはなんでなんだよ』
 当惑を隠せない声のメリーベル。それに答えをもたらしたのは、低く落ち着いたバルバの声だ。
『少し離れて見てると理由が分かるぞ。……お前ら、真上を見てみろ』
 言われて真上を見上げた彼女らの目に、それは映った。


『……空飛ぶ、城……?』
 空中に浮かぶ、白亜の城。いつの間にか、それはそこにあった。
『そんな。レーダーには何も映っていません。観測上、あそこには何もないのに……!?』
 あさひは絶句し、シアルは困惑を露わにした。そして、メリーベルはそっとため息をついて、胸元に手を差し入れる。
『ノエミ先輩からちらっと聞いたんだけどさ。薔薇十字の指輪にまつわる決闘は、空にある城で行われるんだとか何とか』
 つまりさ、とネックレスの鎖に通された、その指輪を弄び、


『あそこで呼んでるんだろうさ。マクワイルド――ダスクフレアが』



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑮ 決闘者の輪舞
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/03/04 13:22
Scene23 アブラクサスへの道


「なんともまあ、凝ったことだな」
 バルバの台詞に、残る一同は深い同意を込めて頷いた。
 全員がゴール地点に揃い、どうやって空飛ぶ城まで行ったものかと話し合いを始めようとした矢先、城から一本の柱が地上に向けて降りてきたのだ。あさひたちの目の前に突き立ったそれは、柵によって外壁を構成されており、大きなドアが備え付けられている。その中はやはり大きめの柵で半円に区切られた部屋で、どうやらエレベーターになっているようだった。
「とりあえずは、これで上ってこい、ってことでしょうねー」
「上等。行ってやろうじゃないか」
 5人が乗り込むと、ひとりでにエレベーターのドアが閉じ、ゆっくりと上昇していく。眼下に見える景色はどこまでもモノクロで、この現象の大規模さを否が応にも感じさせた。


 やがてエレベーターは城にたどり着き、その内部を貫通していたシャフトを辿って更に昇る。
 そして稼動時間と速度から見て、城の真ん中あたりに到達したとき、エレベーターが唐突に停止した。
「ようこそ諸君、薔薇十字の決闘場へ」
 半円に区切られた円柱の中の反対側の部屋、そちら側のドアが開き、エレベーターに新たな乗客が現れる。
「お招き感謝するよマクワイルド先輩。アンタはどっちかってぇと裏で動いて状況を整えるほうが好みかと思ってたんだけどな。また随分とハデに前へ出るじゃないか」
 再びエレベーターが上昇を始めるのを感じながら、先頭に立ったメリーベルが、未だにかけたままの眼鏡の奥から、そこに立つ一人の男子生徒――ダスクフレア、エリック・マクワイルドへと獰猛な笑顔を向けた。
「私が普段表に出ないのは、単純に指揮官役のほうが向いているからだよ。マスメディアに関わる以上、誰も大なり小なり目立ちたがり屋だと思うんだがね。……それに、男子というのはいつまでも稚気が抜けない派手好きなものだよ」
 柳に風の様相で、それを受け流すマクワイルド。
「だからこそ気になるんだが、君らは一体どういう手を使ったんだ? こちらの魔法陣になにやら良くない介入をされたことはわかったから、こうして決闘の場を整えることで事態の進行を止めてみたんだが」
 マクワイルドが腕組みして首を傾げる。
「わざわざ手の内をベラベラと喋ると思うのかよ?」
 歯を剥くメリーベルに対し、マクワイルドはひょいと肩をすくめる。
「警戒はごもっともだが、この時間停止現象――アンブラル・タイムは、既に私の制御を離れている。もともとが薔薇十字の決闘のための舞台装置だからね、決闘の勝敗が決まり、勝者がここをあとにするまでは解除されない。当然、君らの仕掛けに私が干渉する事も、その逆も、この中にいる限りは不可能だ。決闘広場まではまだかかることだし、お喋りに興じるくらいは構わないと思わないか?」
 重ねられるマクワイルドの言葉に、しかし5人は沈黙を守る。先ほどよりオーバーアクションで肩をすくめ、ため息も追加して、彼が口を開く。
「単純な知的好奇心からの台詞なのだがね。……では、私のほうから答え合わせをしようか。とは言え、大抵の内容は君らに分析されていそうだが」
 そう言うと、彼は懐から一冊の本を取り出す。重厚な革張りの表紙で装丁された、見るものが見ればすぐにわかる魔力を充溢させたそれは、
「魔導書『デ・レ・ムンドゥス』。これを助けにして、私は今回のレースに魔法陣を仕込んだ。レースの参加者を利用して、観衆からフレアををかき集めて起爆、広範囲をフレアに還元して創世を行う――このあたりは君達も魔法陣の解析で見抜いていたことだろう。
 あと、私が裏でやっていたことといえば、シャリード君をこちらに引き込もうとした事くらいか。君がお昼の放送のパーソナリティだということは薄々感づいていたのでね。よりレースへの人々の注目をより強いものにするためにこちらに引き込もうとしていたのだが、普通に勧誘しても靡いてはもらえないし、力づくもことごとく失敗したというわけだ。さっきの君らの動きを見るに、シャリード君を逃がしたのはつくづく大きな失点だったように思うのだが、実際のところはどうなのだろうか?」


「簡単に言えば、そちらの作った魔法陣の機能にタダ乗りした、というところでしょうかねー」
 おとがいに指を当てて語り出したのはセルカだ。驚いたようにメリーベルがそちらを振り返るが、養護教諭は心配するな、とでも言うようににっこりと笑ってみせる。
「シャリードさんがゴールの魔法陣を踏んだ事で、こちらの仕掛けも既に9割がた完成しています。仮にこの場でアンブラル・タイムが解除されてマクワイルド君が妨害に出ようとしても、目の前に彼がいるわけですから、こちらもそれなりの対応は取れるというものです」
 そこまで口にしてから、セルカからマクワイルドへ、ちろりと変化球のような視線が飛ぶ。
「もともとの仕掛け人から見て、こちらの対応がどの程度のものか、という意見も聞いてみたいですしねー?」
 マクワイルドが苦笑を浮かべて頷いてみせると、セルカはちらりと視線を横に向ける。次に口を開いたのは、彼女の視線の先にいたシアルだった。
「最初の発想は、あさひから出されたものでした」


◆◆◆


 このレースそのものを儀式に見立てた魔法陣。ランナーを介して観衆全てに擬似的なパスを繋げ、そこからフレアを汲み取って起爆剤とし、周辺の何もかもを消し飛ばすはずのそれ。
 これに対抗するための策は、あさひの次の一言から始まった。
『リオフレード中の人が、ランナーじゃない他の何かに意識を向けてくれたら擬似パスは繋がらなくて魔法陣も起動しなくなったりしないの?』
 魔法陣の術式の内容について議論を交わしていたメリーベルとシアルがピタリと言葉を止めた。
 そのまま通信内をしばらくの沈黙が支配する。最初にこれに耐え切れなくなったのは、この沈黙をもたらしたあさひだった。
『え、ええっと、思いついたままにテキトーに言っただけだから……』
『いえ、あさひ。良い着眼点です』
『正直、魔法陣のほうをどうにかする事にばっかり意識が行ってたからなあ。そうか、外部要因の排除でも何とかなるかも知れないな』
 口々にあさひのアイデアに賛同するメリーベルとシアル。
『あたしが言うのもなんだけど、どうやってそんな大勢の意識を別のほうに向けるの?』
 返答は、メリーベルから来た。やや笑みの色を混ぜたその言葉は、しかしはっきりとした自信に彩られていた。
『アタシが誰だか、忘れたのか?』


◆◆◆


 メリーベルがスタアさんの素性を本人自ら暴露するというスクープを以て観衆の意識を引き付ける。これが第一段階。
 ランナーの誰かがゴールの魔法陣に到達した瞬間、スタートから通ってきた全ての魔法陣は、魔術的に見て一つの魔法陣となる。ゆえに、それぞれの魔法陣がランナーを介して観衆と繋いだ擬似パスがゴールの魔法陣に統合されるわけだが、ここを逆手に取る。
 全ての魔法陣に、『フォーガールズ&シルバースライム』が仕込んできた抑制術式。これをとっかかりとして統合された瞬間の魔法陣に介入。これが第二段階。


 パスとはフレアの経路である。
 そこにフレアの循環ルートが存在する、ということももちろん重要なファクターだが、誰と(あるいは何と)繋がっているか、ということ、そしてそれに関する認識も重要な意味を持つ。
 つまり、一人の観客からメリーベルにパスが繋がったとして、ランナーとしてのメリーベルに繋がれたそれと、“眼鏡の”スタアさんの正体としてのメリーベルに繋がれたそれは、同じ人物に繋がったパスでありながら似て非なるものなのだ。


「メリーベルに対して擬似パスを繋げるための術式処理を施した映像をこちらで流し、魔法陣が繋いでいたランナーへのパスと置換する。本来繋ぐはずだったパスと入れ替えられるほどの類似性を持ち、しかし別物のフレア流入経路を提示された魔法陣は、機能不全を起こす。これが第三にして最終段階です。この最終段階に至る直前で時間停止が起こりました」


 淡々と語るシアルにむけて、マクワイルドはなるほど、と頷きを見せた。
「アンブラル・タイムが展開されなければ、事態はおおむね君らの狙い通りに推移したことだろう。やはりシャリード君を引き込むか排除するか出来なかったのが響いた形だな。彼女でなければここまで大規模かつ迅速にパスを広げられなかっただろうに」
「でしょうねー。流石の知名度でしたよ」
 単純に感心したようなマクワイルドの口調に、セルカが同意する。
 がしゃん、という音を立て、エレベーターが停止したのは、丁度そのときだった。円柱の反対側で、それぞれのドアが開く。
 が、5人と1人のうち、誰もドアに向かわない。円柱状の部屋を真ん中で区切る柵越しに視線をぶつけ合う。


「さて、状況の答え合わせも終わったことだ。私はこの決闘を勝利し、改めて私の望む創世の為に動くとしようか。アンブラル・タイムから抜けてからでも、多少無理をすれば君らの仕掛けに介入する事は可能だろう」
 中指で銀縁眼鏡のブリッジを押し上げ、ダスクフレア、エリック・マクワイルドが宣言する。
「一応聞いておくが、抵抗を放棄する気はないかな? 最低でも、薔薇十字の指輪所持者であるシャリード君には私と戦ってもらう必要があるが、それとて無闇にいたぶるつもりはない。どうかな?」


「随分とナメてくれるな、おい」
 常にも増して重々しく声を発して、バルバが前に進み出る。
「だがまあ、それもここまでだ。テメエが今回の仕掛けの為に無限図書館でやらかしたことの落とし前、この場でつけてもらうぜ」
「無限図書館……。ああ、魔導書を手に入れたときのことか。なるほど、確かに彼には気の毒な事をしたが、それだけの為に君はこうしてここに来たのかね?」
 意外そうな響きを乗せたマクワイルドの疑問の声に、バルバが正面から答えを返す。
「他にも色々理由は増えちまったがな。俺の舎弟に手を出したヤツを、放っておくわけにはいかねえ」


「先生は先生ですからねー。まずはズルっこで自分の部活を勝たせようなんてのは止めないといけません」
 ぴん、と人差し指を立て、めっ、です。と付け加えるセルカ。
「競争ともなればある程度手段は選ばないことも当然ありえると思うのだがね」
「残念ながら、ある程度で見過ごせる範囲をかるーく越えてますよ、マクワイルド君。ついでに言うと、造物主がいらんことしようとしたら、それを止めるのが大戦の昔からリターナーの務めですからねー」


「あたしは、番長みたいにつけなきゃいけない落とし前があるわけでも、先生みたいに生徒に対する責任があるわけでもないよ」
 シアルと手を繋いでいるあさひが、マクワイルドを真正面から見つめる。
「ふむ。しかし目つきを見るに、どうも私に迎合してくれる、というわけでもなさそうだが」
「そりゃあね。世界が自分の思い通りになったら、って考える気持ちは分かるよ。もしホントにそうなったら気分いいよね。……でも、思い通りにならないことを乗り越える方が、多分もっと気分がいいんだよ。ついでに言うと、あたし、つい最近そういう山を一つ越えたばっかりだから、今世界を壊されるとその辺が無駄になっちゃってイヤなんだよね」


「アタシは、今正直言うとちょっとホッとしてるよ」
 メリーベルはそう言うと、首もとにさげられた薔薇十字の指輪をぴんと親指で弾く。
「こんなモンがあたしの戦う理由にならなくて、さ」
「まあ、そこについては同感だな。この指輪を与えてくれた彼には感謝しているから、君らと直接対決には薔薇十字のルールに沿った決闘の場を用意したが。彼は、黒薔薇が勝つ事による何かを望んでいるようだったからね」
「そうかい。ただ、アンタとこういう形でやりあわなきゃいけないのは、残念だよ」
 でも、とメリーベルは言葉を繋ぎ、指輪のネックレスを懐にしまい込む。
「アタシは、アンタがなかった事にしようとしてる放送部とアナ研の部員の努力を守るためにアンタをブチのめす。薔薇十字の指輪なんざ関係ねえ。アタシが、アンタを見過ごせないんだ」


「よく分かった。つまり、全員ここでフレアに還すしかないわけだ。なに、心配要らない。私の創世する世界には、君らの居場所もあるだろう。学園生活がなくなることは私も望まないからね」


 亀裂のような笑みを口許に浮かべ、マクワイルドが踵を返す。向かうのは、エレベーターの出口。そして、残る五人も無言のままに彼に背中を向けた。
 このドアを潜ったときからが、戦いのときだ。



Scene24 クロスファイアシークエンス



 全員がドアから出ると、そこはテラスになっていた。広さは相当なもので、学院のグラウンドよりも広いかもしれない。おそらく空間が歪んでいますねー、とセルカが呟く。下を見ればモノクロのリオフレードが一望でき、頭上を見上げれば豪奢な作りの、いくつもの鐘を備えた鐘楼が見える。
 唐突に、テラスの中央に位置していたエレベーターが溶けるように掻き消える。
「さあ、これで勝敗が付くまではここから出る術はない。舞台を整えた者が他にいるというのは業腹だが、折角だ、盛り上げようじゃないか!」
 マクワイルドがコンダクターのように腕を振る。変化が起こったのは、瞬時の事だった。


 モノクロの空に、それに近い、しかし確かに違う色が複数、横切る。轟音と白い軌跡を引いて飛ぶそれは、
「戦闘機ですか!」
「それだけではないとも」
 続いての変化は地上で起きた。風景が一瞬だけ揺らぎ、次の瞬間には歪な人型がいくつもそこに立っている。全高は4メートルほどの人型機械。MTよりも随分とサイズは小さく、しかしがっしりとして武骨な印象を受けるシルエット。歩行戦車だ。
 マクワイルドが一機の歩行戦車の掌に足をかけて肩に掴まると、歩行戦車の小隊は足裏のローラー機構を作動させ、その場かから後退してあさひたちと距離を取る。
 そしてにその隣、無限軌道と砲等を備えた装甲車両、本来の意味での戦車も隊伍を組む。


「なるほど、ネフィリムの陸戦・空戦兵器ですか」
 現れた戦闘機械群の向こうで薄く笑うマクワイルドを見据え、シアルが呟く。
「私個人もネフィリムの企業マンとなる者の嗜みとしてある程度は戦う術を身につけているが、やはりそれだけでは心許ないのでね。戦力を用意させてもらった。一応は自前だからね、君らが武器を持ち込んでいるのと変わらないとも。流石にパイロットはここへ連れてこられないからプロミネンスによる自動制御だがね」


「メカならこっちにだってあるんだからねっ!」
 シアルの手を取り、あさひが指を鳴らす。黄金の輝きをまとい、絶対武器が顕現した。その時には既に、あさひはパイロットシートに、シアルは接続装置の中にある。
「いくらプロミネンスの影響を受けていようと、ただの戦車や戦闘機がこの『シアル・ビクトリア』に敵うとでも――」
 シアルの台詞と共に、背中のハードポイントから大剣を抜き払ったMTが、真っ直ぐにダスクフレアに向かっていく。邪魔が入るようなら、斬り捨て、撃ち落すまで。事実、戦車隊も戦闘機隊も、マクワイルドの直衛についた歩行戦車隊も、シヴィの動きに追従できていないように思えた。


「騎士級MT……。戦場では一騎当千の力を振るう、まさに英雄の乗機だが、ね」
 マクワイルドが再び腕を振るう。その動きによって並べ替えられたかのように、戦闘機、戦車、歩行戦車が一瞬でシヴィとダスクフレアの間に布陣を完了した。
「くっ!」
 喉奥でうめきをひとつ漏らし、あさひはシヴィに制動をかける。陸上戦力だけならまだ突破もできるが、戦闘機が上をカバーしているのが痛い。下手に突破しようとしても、進路を塞がれてしまう。


「まずは先手」
 ぱきん、とマクワイルドが指を鳴らした。それを合図としたように、彼の体からプロミネンスの黒い炎が噴きあがり、
「プロミネンス反応……多数!? 敵性戦力の全てから、戦闘レベルのプロミネンス反応が検出されています!!」
 もともと、この場にマクワイルドが用意した戦力の全ては、プロミネンスによって自律している。ゆえに、弱い反応はもともとあった。が、今、シアルがセンサー上で感知したのは、ダスクフレア本体であるマクワイルドには及ばないものの、十分に戦闘に堪え得るほどのプロミネンス反応だ。
「分かるよ。ウェルマイスの町でも見た! こいつら、ダスクフレアからプロミネンスを分け与えられてるんだ!」


 オーケストラの指揮者のように大きく腕を振るうマクワイルドに合わせるようにして、まずは戦車隊が砲撃を開始する。プロミネンスを纏った砲弾が、あさひたちへと平等に降り注ぐ。
「うわ、やばっ!?」
 シアルが解析した結果が判断共有によってあさひに伝わり、そして彼女自身もフォーリナーの直感で理解する。ただの戦車などとんでもない。攻撃の威力だけ取れば、あの仙術攻殻の砲撃にも匹敵するレベルだ。


「バルバ君、お任せしますっ!!」
「承知!!」


 シヴィの足元から上がるそんな声。続くのは、ぶん、と空気を抉りぬいてセルカの腕が振られる音と、それによって弾丸のような速度で空中へ投擲される銀色の球体か風を切る音だ。
 銀色の球体は、空中のある一点で急激に形を変えた。爆発的に面積を広げ、まるで傘のような形状を取り、砲弾という名の雨を受け止めようとする意図を見せる。
 そして、着弾。
 傘は、熱い横殴りの豪雨を受け、時に凹みながらも、それらをいなし、逸らす。背後にいる一機と二人には、一発たりとて届く砲弾はない。
 やがて戦車隊の斉射が一旦終わると、バルバはいつもどおりの姿とサイズに戻り、シヴィの足元へべたんと着地した。


「プロミネンスを用いて強化したというのに、この結果か。なるほど、ミュートフォーマの物理耐性、ここまでのものとはね」
 感心したように漏らすマクワイルドの言葉を、しかしバルバは鼻で笑ってみせた。
「は。そんな認識じゃあ、千回繰り返しても俺をブチ抜けねえな」
 ほう、と肩眉を上げ、マクワイルドに向け、堂々たる口調で啖呵を切る。
「『番長』って言葉の重みを、教育してやる」


「いいだろう。ではもう一度だ!」
 応えるようにマクワイルドからプロミネンスが吹き上がり、今度は戦闘機の小隊が呼応した。矢じりの形に編隊を組み、あさひたちを挟み込むような位置から、主翼に抱え込んだミサイルを射出する。
「シャリード!」
「応さ!」
 バルバがメリーベルに呼びかけ、そしてすぐに体を縮小させる。その意図を察したメリーベルは彼に駆け寄ると、さっと拾い上げざまにテニスボール大の銀の球体をブン投げた。
「先生!」
「お任せですよー!」
 その先にいたセルカが口角を持ち上げる。
 メリーベルから送られたパスをワンハンドキャッチ。その勢いを殺さぬよう、受け止めた手で円軌道を描き、それを螺旋に変えて運動エネルギーを上向きのものに置換。
「飛んでけー!!」
 風切り音とともに、バルバが直上へと飛翔する。高さにして約20メートル、MTの全高を少し越えたあたりで再び傘のように展開。直後にミサイルが命中し、炸裂音が響き渡る。
 爆発の風と熱は全てバルバによって受け止められた。先ほどの焼き直しのようにべたんと着地するバルバに、セルカがそっと囁く。
「お疲れ様です、バルバ君。……で、実際どんなもんです?」
「屁でもねえ。……と、言いたいところだが、なかなかキツいな。あのテの実弾兵器をいくら打ち込まれてもどうとでもなるが、連中、広範囲を狙いやがるからな。展開防御にフレアを食われる。まだ何とかなるが、じきに支えきれなく――」


 バルバが沈黙し、セルカが行動した。
 マクワイルドの直衛としていた歩行戦車隊からの砲撃だ。三度投擲され、障壁として立ちふさがるバルバがそれを遮断する。が、それを見るセルカの表情は苦い。
「なるほど、こうやってこちらを削るハラですかー。……バルバ君以外がアレを食らうと洒落にならないでしょうし、押し切られる前にカタをつける他ありませんね」
 歩行戦車隊の装備した様々な火器による銃撃を防ぎ続けるバルバの障壁の裏で、セルカが零す。


「なら、あたし達がいくよ!」
 『シアル・ビクトリア』からあさひの声が発せられ、しかし鋼の巨人は抜いていた大剣を背中のハードポイントに戻す。
「寄って斬るだけが能じゃない、ってね! タスラムシステム、起動!」
 シヴィの装甲が数箇所、展開する。二の腕とふくらはぎ、腰の後ろといった箇所だ。
「タスラムシステム、起動を確認。狙い、撃つ意思をお願いします、あさひ。私がそれを流し、束ねますので」
 シアルの声とともに、展開した箇所から小さな――と言っても全長は1メートルはある――紡錘形の機械が飛び出してくる。それはごく細いケーブルでシヴィと繋がっており、あさひが発するコロナと同色の火の粉を散らしながらマクワイルドと、そのすぐそばに展開している歩行戦車部隊に向けて一散に飛翔する。


「有線式の浮遊砲台かっ!」
 それが何であるかを悟ったマクワイルドの一声をかき消すように、浮遊砲台、タスラムがビームを放つ。攻撃対象は、歩行戦車の三個小隊と、その傍にいるダスクフレア。彼らを取り囲むようにタスラムを布陣させての広域攻撃だ。
「此方より、砂塵の彼方におわします御神へ伏して願い奉ります!」
 タスラムの射撃にあわせ、メリーベルがサンドブロゥで奉じられる神への祈句を謳い上げる。シヴィの攻撃に、魔術的な加護を与えたのだ。
 威力、狙いともに申し分なし。およそ必中の射撃であり、歩行戦車に命中すれば、おそらく一撃でそれを破壊し、ダスクフレアにも相応のダメージを与えるであろう攻撃だ。
「吹っ飛べ!」
 奇しくも声を合わせたあさひとメリーベルの言葉が、着弾による熱で生じた爆音でかき消される。
 が、次の瞬間、シアルからも声が上がる。
「敵、歩行戦車隊、少数の機体は大破した模様ですが、大多数は健在です!」
 MTのセンサーでいち早く情報を得たシアルに続き、残るメンバーにもその光景が目に映る。確かに一、二機は大破し、戦闘不能となっているが、他は多少装甲を破損した程度で、今後の戦闘への支障はみられそうにない。
「うっそぉ……」
「着弾寸前、こちらのビームの減衰と、強力なプロミネンス反応を確認しました。何らかの防御手段を講じられたものと推測されます」


「なんとまあ……」
 半ば呆れ、半ば感心してセルカはそんな風に言葉を零す。
 今のところは向こうの攻撃がこちらのディフェンス担当、バルバからすれば決定打になりえていないのが救いだが、このまま削りあいを続けていればおそらく先に手札が尽きるのはこちらだろう、とセルカは読んでいた。
 通常なら持ち得ないほどの攻撃力と防御力を周囲に与える力。戦闘の本流を他者に任せっきりにしている、と言う事もできるが、それが上手く機能するというのは、ともすれば強烈な個を相手にするより厄介なことにもなり得る。
 ――はて。何か違和感が……?


 心の表面に引っかかったその感触をもっと確かめるためにセルカが思考を深くしようとするが、すぐにそれは阻害される。
 マクワイルド本人のプロミネンスが、今までに倍する強さで輝きだしたのだ。
「さあ、こちらからも思いきり行かせてもらおうか!」
 勢い良くマクワイルドが腕を広げ、ブレザーの袖が張られて音を立てる。連動するのは、その場にある全ての戦闘機械。一斉射撃で敵の全てを吹き飛ばす算段だ。


「ここでこれ以上押し込まれるのは上手くありませんね……!」
 小さく呟くと、セルカが指を打ち鳴らした。何もない空間に起こった波紋に腕を差し込み、引き抜けば、その手には愛用の大型パイルバンカーがある。
「我、太陽の仔にして黄泉より立ち返りし者! 九太陽天の威徳に因りて、かつて潜りし門を欲す!」 
 詠唱とともにパイルバンカーの引き金が引かれ、打ち出された杭が中空に突き刺さる。
「来たれ、冥界の扉!」
 最後の口訣と同時に、セルカがパイルバンカーの本体を九十度捻る。それはまるで、鍵穴に差し込んだ鍵を回すような動作で、そして実際にその通りだった。
 セルカの眼前に、突如として巨大な両開きの扉が出現し、彼女とは反対方向、ダスクフレアたちに向かって開いてゆく。その向こうから溢れてくるのは、強烈な光だ。
「冥界に満ちる死の力は、次なる生を授かるための力! 命が命として生き、やがて死ぬための力! 是即ち、大地を照らす太陽の力です!」
 物理的な質量さえ伴った暴力的な光が、ダスクフレアから放散されるプロミネンスを一時的にだが消し飛ばし、そしてすぐに扉が閉じられる。
 冥府の力は、セルカが語ったように太陽の力。それが長く地上にあれば、全てを焼き尽くしてしまう結末を招きかねないからだ。
 ――これで、一斉攻撃は……!
 封じた、と繋がるはずだったセルカの思考が途切れる。その原因は、彼女の視界に入ったとある風景。
 こちらに向かって拳銃を構えたダスクフレア。その銃口に集中された、今までとは比べるのもバカらしいくらいに収束されたプロミネンス。


 しくじった、とセルカは状況を理解した。冥界の門はそうそう開けるものではない。先ほどと同じ対処はもう取れない。そして、あの銃撃はあまりに致命的だ。
 

 マクワイルドが引き金を引き、銃弾が打ち出される。プロミネンスの作用を受けたそれは、通常のものとは一線を画した速度でセルカに迫り、
「先生!!」
 彼女の前に出現した銀色の盾が銃弾を受ける。
 今までは全ての攻撃を弾くか逸らすかしていたミュートフォーマの体は、しかしその銃弾をその内側へと食い込ませ、
「バルバ君!?」


 ぱぁん、と。
 風船が割れるような至極あっけない音を立て、無数の飛沫となって弾け飛んだ。


「番長!?」
 飛び散る彼の体を見て、あさひが悲鳴混じりの声を上げた。
「いいえ、まだです」
 そんな彼女に、背後のアニマ接続装置から落ち着いた声が掛けられる。
「あちらを」
 シアルが言葉ととも拡大したモニターへと視線を向ける。それは、ダスクフレアの前に壁のように立ちふさがる歩行戦小隊の一つ。そして、何故かその傍に多数見られる、
「……番長の、欠片……?」
 あさひの口から疑問の言葉が漏れるのと、それは同時だった。


 きぃ、と。
 耳を覆いたくなるような音が連続して起こる。金属と金属が擦れて起こる、奥歯の裏を揺さぶるような音だ。
 音源は、一個の歩行戦車小隊。そんな音が鳴ることとなった要因は、
「銀色の、棘……!?」
 百舌の早贄のごとく、歩行戦車のことごとくを串刺しにしている鋭利な銀色の棘。
 貫かれた歩行戦車のことごとくが爆発するのと同時、それらは収縮し、集結する。シヴィの足元で寄り集まり、再び形成されたその姿は、
「番長っ!」
「応よ」
 不定形の銀色の体に、擦り切れた学帽と学ランを乗せたバルバがそこにいた。
 八つ裂きというにも生温い状態へと一時は陥ったというのに、その姿には寸毫の瑕疵すらなく、それどころか充溢するフレアは青いコロナの輝きを放ち、その存在感をいや増している。
 だが、その姿は頼もしさとと同時に、危機感もあさひに与えた。
「……覚醒、だね」
 コックピット内でボソリと呟いたその声は、しかし量子のゆらぎで世界を捉えるミュートフォーマの感覚には届いたらしい。
「ああ。力は溢れてきてるが、それでも正直、マズいかもしれん。さっきの一撃は不意打ちだったせいか上手いこと通ったが、まだ向こうの兵隊は多い。どうにかしてダスクフレアの周囲に風穴を開けてやらんと、押し切られるぞ」
「って言われてもなあ……。シアル、どう?」
「――向こうの防御の厚さは相当なものです。とは言え、あさひの全力ならばどうにかできます。できますが……」
「反動がキッツいもんねえ……。どっちにしろ手数が足りないよ」
「……ふむ、先生、パワーには自信ありますからねー。ちょっと力溜めておいて、がっつーんといってみましょうか?」
「いや」
 ため息と共にあさひがこぼした愚痴とセルカの提案にに、別の言葉が投げかけられる。出所は、二丁拳銃をたずさえたメリーベルだ。


「セルカ先生に任せる前に試してみたい事がある。ちょっと、……いや、結構な賭けになるけど、乗るか?」


◆◆◆


「ふむ?」
 バルバによって歩行戦車の小隊が一つ壊滅させられたものの、残る戦力はまだまだ豊富である。それらの隊列を整えた時、マクワイルドの目に、こちらへ向かって動き出すMTの姿が目に入った。
 ――二手に別れた、か。
 MTの肩にはメリーベルが乗っているが、残る二人、セルカとバルバは元いた位置で身構え、マクワイルドを警戒している。
 マクワイルドは一瞬考え、標的を前に出てきている二人に定めた。ミュートフォーマのバルバは、現状で追い詰めてはいるものの、その防御を抜くのに骨が折れるのは変わらない。
 わざわざその庇護下から抜けて、無防備を晒す的があるのだから、まずはそちらから潰していくのが効率的、と判断したのだ。
 さっとマクワイルドが腕を振って指示を下す。
 戦闘機隊と戦車隊が連携を取りつつ牽制射撃でMTの動きを制限し、歩行戦車二個小隊による制圧射撃がぶち込まれる。


「行くぞあさひ、シアル!!」
「がってん!!」
「承知しました」


 一声掛け合い、メリーベルがシヴィの肩から飛び降りる。そのタイミングを待っていたようにあさひは操作器に回避機動のコマンドを叩きこんだ。モナドドライブが唸りを上げ、撃ち込まれる弾道から機体を逃し、
「タスラムシステム起動っ!」
「起動確認、フォーメーション『魔弾乱舞』ロード。反攻射撃を開始します」
 機体各部から、再びタスラムが解放される。各浮遊砲台に搭載された小型フレアコンバーターが軌道を補正し、複雑な軌跡を描いてそれらは歩行戦車隊へと迫っていく。


 MTの肩から飛んだメリーベルの体は、未だ空中にあった。まなじりを決して見据える先にあるのは、分厚い弾幕だ。プロミネンスを纏って飛翔するそれは、メリーベルが受け止めるには力を持ちすぎている。
 だが、
「いつものことだよなあ!」


 年端も行かない頃から銃を手に、自分の、先輩のシスター達の、弟妹のような孤児たちの家を守ってきた。手に余る攻撃力を相手にすることなど、それこそ日常茶飯事だ。だから、どうすればいいかは考えるまでもなく知っている。
 先に抜いた相手より速く撃つ。それが出来なければ全てを見切り、カウンターで撃つ。


 右の銃を斜め下に向けて一射。体は反動で左上へ。翻ったスカートのはしを高速徹甲弾が千切り飛ばしてゆく。
 左の銃を真下に向けて一射。体は反動で真上へ。少し遅れて上昇する靴先がロケット弾の尾翼を掠めて熱を持つ。
 右の銃を真後ろに向けて一射。体は反動で加速前進。靡いた赤毛の残像を、放物軌道を描いて上から飛来した榴弾が通り抜ける。
 左の銃をそのまま真っ直ぐ左に向けて一射。体は反動で右へ。さらに、先ほどまでいた場所へ向かって飛んできていた小型ミサイルを右の銃で狙撃。ただ回避していただけではメリーベルを巻き込んで爆発していただろう、近接信管型のそれが撃墜される。
 そこで弾幕を、
「――抜けたっ!」


「ブチかませっ!」
「言われなくても!」


 メリーベルが回避機動を行うために手にしていた銃を上に向かって放り投げる。
 あさひが狙い、シアルが操る無数のタスラムが、歩行戦車隊の戦列に飛び込んでゆく。
 メリーベルがどこからともなく新たな拳銃を二挺取り出し、敵を照準する。
 思考ではなく、瞬時の判断で、シアルがあさひに準備の整った事を伝える。


 銃撃と射撃が雨となって歩行戦車を打った。
 関節部を、駆動系を、伝導系を、制御系を、機体を動かすための要諦を、恐ろしいまでのピンポイントで銃弾と光線が貫く。
 メリーベルが銃弾を吐き出し終えて着地し、その手に先ほど放り投げた拳銃が収まる。
 タスラムがシヴィと繋がるケーブルに沿って機体へと引き戻されてゆく。
 そのときには、全ての歩行戦車は既に沈黙していた。


「くっ、何故……!?」
 マクワイルドの声には困惑が濃い。
 当然といえば当然か。今しがたのあさひとメリーベルの攻撃は、確かに歩行戦車がそのまま受ければそれを破壊するに足るものだが、同時に、彼が展開するプロミネンスの守りを突破するだけの威力はないはずだった。が、現実は違う。


「ふむ。シャリードさんは賭けに勝った、ということですね。こちらもようやく確信が持てましたよー」
 後衛から事態を見守っていたセルカの声に、マクワイルドの視線がそちらへと移る。
「単純な話で、攻撃に力を使用しているときは、すぐさまにそれを防御に転用できないんですねー。さっきからこちらの攻撃が通るのは、そちらの一撃を受けてからの不意打ちかカウンターか、ですから」
「……なるほど、そんな性質がこの力にあるとはな」
「力の性質? いいえ、そうではありませんよー」
 苦々しい口調で零れ落ちたマクワイルドの言葉を、しかしセルカは教師の顔で否定する。
「おかしいなー、とは思ったんです。マクワイルド君のプロミネンスの発露は、あまりにらしくありません」
 巨大なパイルバンカーを抱えたまま、いいですか、とセルカは僅かに首を傾げて前置きし、
「そも、ダスクフレアとは、エゴの権化です。故にこそ、己が望みだけを突き通し、それに沿った世界の創世を望みます。プロミネンスとは、そうしたエゴの塊が望んだ新世界、それが今ある世界を侵食しようとする作用の別名でもあります」
 セルカが一旦言葉を切り、マクワイルドを見、彼が従える戦闘機械群を見る。
「然るに、あなたの力の発現は不自然です。それが力の行使に齟齬を与えている。放送部の上に立ちたいという自己顕示を基礎とし、所属する部活の仲間の活動を踏み台として創世を目論む。
 で、ありながら、戦闘では周囲を強化し、それをうまく使うことにによって事を為す。ダスクフレアとしてのあなたのあり方とは、いささか以上に乖離があると言わざるを得ません。
 ――果たして、あなたの本来の在り方はどちらなのでしょうか?」
 投げかけられたセルカの問いに、マクワイルドからの答えはない。だが、それに構わずセルカは続ける。


「以上を踏まえて、答え合わせです。――ズバリ、エリック・マクワイルドはダスクフレアではありません。あなたのプロミネンスは、借り物とでも言うべきものです」





◆◆◆




「――借り物、だと?」
 返されるマクワイルドの声は、地を這うような低さだった。さもありなん、いみじくもセルカの言ったとおり、ダスクフレアとはエゴの権化。その証たるプロミネンスが借り物であるなどと、到底聞き流せるものではない。
 だが、セルカは笑う。嘲笑でも失笑でもなく、それは安堵の微笑だった。
「まあ、今のマクワイルド君に言っても詮無いことでしょうが、私としてはほっとしていますよー」
「借り物であれば勝てる、とでも言いたい訳かな? 随分と――」
「まだ間に合う、ということですよ」
 マクワイルドのセリフを切り落とすようなセルカの物言い。愛用のパイルバンカーを構え、にこりと笑う。


「フザけてくれるものだな。そして的を外している。……私は、私の裡にある強固な意思によって行動している。創世による新世界を望んでいる! 確かにこの指輪は授かり物だ。そこは認めよう。だが、それで私を量った気になられるのはやめてもらおうか!」
「的を外してんのはテメエだろ」
 割り込んで言葉を発したのはメリーベルだ。手にした銃を構えるでもなく、右に手にしたそれの銃身でとんとんと肩を叩き、ふ、と鼻から息を抜いてマクワイルドを見据える。
「テメエが放送部に勝ちたいってのは、そりゃあホンモノなんだろうさ。だが、そのためにそのクソ指輪をはめたところから、歪んじまってんじゃねえかって話だろうが。
 ……まあいいさ。先生の言ったとおり、今のテメエに話が通じるとも思えねえからな」
 小さくため息をついて、メリーベルがちらりとセルカに流し目をくれる。応える様にセルカが口角を上げた。
「さあ、お仕置きの時間ですよー! 言っても聞けない悪い子は、張り倒してからお説教がリオフレード流ですからね!!」


 声を上げるや、セルカのフレアが一気に拡大する。だだっ広い決闘場を丸ごと覆い尽くすほどの広範囲に、だ。
 続いて、パイルバンカーの機体横にあるレバーを引き、杭をコッキング。養護教諭の瞳に、ぎらりとした光が灯る。
「――何のつもりだ? この状況なら十分に防御は行えるぞ」
 油断のない目つきでセルカを睨みながら、マクワイルドが当然の問いを投げる。
 対するセルカは、ふふ、と笑ってみせた。あたりに放散する攻撃的なフレアとは清々しいくらいに対照的な、毒も力も抜けた笑みだ。
「嫌ですねえ。お仕置きだ、と言ったでしょう? ……生徒にぶつかるのに、真正面から行かない教師がどこにいますかっ!」


 ぐん、とセルカが腰を落とす。撫でるようにパイルバンカーの表面に手を滑らせ、
「ブチ抜いてあげましょう!」
 パイルバンカーの引き金が引かれる。魔術処理された炸薬が内部で爆発を起こし、先端を白木に取り替えてある特製の杭が打ち出される。
「穿空・破天!」
 周囲に広がったセルカのフレアに働きかけて同調し、範囲内の全ての対象に攻撃を叩き込む。あさひたちが初めてリオフレードへやってきた日にも目にした、空間跳躍攻撃だ。が、あの時とは違う事もある。
「で、デカっ!?」
 以前は、無数の杭が標的の周囲に現れて串刺しにしたが、今回は銀色に輝く巨大な杭が五つ、中空に表れ、それぞれの標的――戦車隊と戦闘機の小隊が二つずつと、ダスクフレア――に突き込まれたのだ。
 轟音と爆発、そして形成された五つの巨杭が、フレアの光となって散る。


「やりま……やっていませんね!?」
「あのねシアル。言った事と逆の結果になるってもんでもないからね、それ」


 セルカが使用した強烈なフレアの作用でジャミングされていたMTのセンサーが復活する。シアルが全員に聞こえるよう、外部スピーカーを通じて声を上げた。
「検出されるプロミネンス反応、1。戦車と戦闘機の全滅を確認しました。残るはダスクフレアのみです」
「……とんでもねーなー、先生」
「いやいや。パワーを重視する分、動き出しが鈍いですし、そもそもシャリードさんも助力してくれたでしょう?」
 メリーベルがあさひのタスラムに対してしたように魔術強化を今のセルカの一撃に乗せたのは確かだが、それにしたってとんでもない、とメリーベルは心中で繰り返した。威力にしろ効果範囲にしろ、その一語に尽きるのだ。
 しみじみとそう口にするメリーベルに、セルカはひょいと肩をすくめて応える。
 それに、と付け加えてセルカの体がぐらりと揺れ、パイルバンカーが大きな音を立てて地面にぶつかる音と同時に片膝を付く。
「おい、先生!?」
「プロミネンスを類感魔術か何かに応用されたみたいですねー。多分、マクワイルド君が受けたダメージをそっくり写し返されましたー」


 足元をふらつかせながら立ち上がるセルカに、そばにいたメリーベルが肩を貸し、
「大丈夫か、先生?」
「ええまあ、なんとか。リターナーっていうのは、頑丈に出来てるものなんですよー。……それより」
 普段よりも数段顔色を悪くしながらも、すい、とセルカが視線を向けた先、マクワイルドが一人、立っている。シアルの言葉通り、戦闘機械群の全ては破壊されていた。


「さて、取り巻きはこれでいなくなったわけだ。答えが分かった上で一応聞いておくが……まだやるか?」
 するりと進み出たバルバが、マクワイルドに向けて問いかける。
 先ほどのセルカの攻撃のダメージが全くないわけでもないだろうに、しかしマクワイルドは傲然とした態度を崩さないまま、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「愚問だ。この程度で私が負けたと思われては困るな」
 眼鏡に添えていた手を、そのまま高々と掲げた。そこにはまっていた黒い薔薇十字の指輪から、黒い炎が噴き出し、形を取る。漆黒の炎で形作られた人形。それがずらりと並ぶ。
 それらは銃器を構えたようなシルエットを持ち、丁度銃口に当たる部分をあさひたちに向ける格好をとっている。


「はっ。そうでないとな。なにせ……。まだお前をブン殴ってないからなあ!!」
 一声吼えて、バルバの銀色の体が弾かれたように前方へ飛び出す。二本の蝕腕を用いて自身を持ち上げ、更に三本目の腕で地面を打撃。その反動で跳躍したのだ。
「シャリードの真似事だがな……!」
 空中で今使った三本の腕を収納し、新たに一本、より大き目の腕をバルバが形成する。力強く握られた拳が、ダスクフレアを打撃せんと振りかぶられた。


「いい的だな」
 小さな呟きを一つ落とし、マクワイルドが黒い人形達へと指示を下す。プロミネンスで構成された彼らが持つ銃から発射されるのは、やはりプロミネンスの弾丸だ。そして彼の言うとおり、空中を一直線にダスクフレアへと殴りかかるバルバは、いい的以外の何者でもなかった。嵐のような勢いで、豪雨のように大量の黒い弾丸がバルバに向けて打ち込まれる。


 ――まずはひとり。
 さしたる感慨も抱かず、この場において一人目の敵を仕留めたことをマクワイルドは確信した。ミュートフォーマの物理耐性は驚異的だが、直接プロミネンスのを打ち込んでやれば、流石に耐え切れない。この辺りは先ほどの一幕で実証済みだ。
 彼が青いコロナを持つのはマクワイルドも確認していた。守護を司る光翼騎士は、ある意味でカオスフレア四つの分類においてもっとも厄介な存在と言える。それを落とす事には大きな意味がある。それが自分への私怨でただ突っ込んできてくれたのは、むしろありがたくさえあった。
「今度こそ――」
 砕け散れ、というマクワイルドの意思に、しかし現実は従わなかった。無数の銃弾を受けるはずだったバルバが、突如としてその場から消失したのだ。
 次の瞬間、マクワイルドが知覚したのは、自分の足元からアッパーカットで突き上げられてくる銀色の拳だった。


 熱した鉄板に水をぶちまけたような音がして、マクワイルドの体が弾ける。あとに残るのは、空中に散り消えてゆく黒い火の粉と、その場で銀の拳を突き上げているバルバと、そこから少し離れた場所にさっきと変わらず立っているマクワイルドだ。
「どいつもこいつも曲芸師かよ」
 呆れたようにメリーベルが呟く。
「シャリードさんに言えた義理でしょうか……」
 隣で言うセルカを無視して、起こったことを頭の中で整理する。
 バルバが銃弾の檻から消えたようにして抜け出した理由は、彼が事前に避難経路を用意していたからだ。
 おそらくは一度目に体を爆散させられた際に、自身の欠片を全て集合させず、マクワイルドの傍に残しておいたのだ。後はその欠片との間に極細の糸のような形状で繋がりを維持しておき、レースの際に投擲元から投擲先へ体積を移したのと同じ要領で動けばいい。
 バルバの瞬間移動に関してはタネはこんなところだろうと当たりをつけることができるが、マクワイルドの方はメリーベルにも、実際に何が起こったか、までしか分からない。
 マクワイルドは、バルバの拳を喰らった瞬間、先ほど彼が召喚した黒い影の一つと入れ替わったのだ。瞬時に入れ替わるような機能が元から持たされているのか、何かの折に入れ替わっていて、以後は擬態を掛けていたのかは判然としない。


「逃げ足の速いヤロウだな」
 しゅるり、と蝕腕をしまいこんだバルバが、不機嫌そうに零す。
 黒い影の兵隊達で周囲を固めたマクワイルドは皮肉げな笑みをそれにかえした。
「お互い様だと思うがね」


「先生、さっきのでドカンとやれねえのか、あれ」
「もうちょっと時間を頂けるとありがたいんですけどねー」
 メリーベルの問いに、自分の身体を確かめるようにしながらセルカが答える。
「先生、昔っから戦闘では序盤は仲間に凌いでもらって、力を溜めて後半にガツンってキャラでしたので。後衛の魔術師系というヤツですねー」
 どう考えても前衛にいてパワーで蹴散らしつつドカンだろう、と思いながらも口には出さず、メリーベルは一つ頷く。
「ともかく、ちょっとインターバルを頂ければ何とかなるんですが、問題はマクワイルド君がそれまで待ってくれるかどうかですよねー」


 彼が使役していた戦車や戦闘機は排除されたものの、それらはダスクフレアではない。本命であるマクワイルドがまだ残っている以上、警戒のレベルは下げるべきではないのだ。
 そして、セルカの懸念に応えるように、マクワイルドが大きく腕を振り上げる。
「これ以上の邪魔はさせん。勝つのは私だ……!」
 黒い薔薇十字の指輪が、プロミネンスの火柱を吹き上げる。そこから零れた火の玉が次々に人の形を成し、ダスクフレアの使役する兵団がその数を増してゆき、
「撃ぇーっ!」
 マクワイルドの号令一下、一斉に射撃した。


 攻撃に対し、真っ先に反応したのはやはりバルバだ。光沢のある体表をコロナの照り返しで青く輝かせ、その身で全てを受け止めようとし、
「ちょっとバルバ君! 今の状態では無茶ですよ!?」
 捕まえて止めようとするセルカの手をするりと逃れ、二人と一機を背後において体を変形させる。そこに現れたのは銀の壁。
 そして、プロミネンスの弾丸が、銀の壁に向けて雨あられと打ち込まれる。もはや逸らされる事も弾かれることもなく、弾丸は壁に食い込み、穴を開け、
「ぐうっ……!」
 しかし一発として貫通はしない。できない。


「……シアル! 行くよっ!」
「承知しました」
 ハードポイントから大剣を抜き払い、『シアル・ビクトリア』が全速で機動する。未だに銃弾を受け止め続ける銀の壁を回り込むようにして、ダスクフレアへと向かう。


「く、標的を……!?」
「遅いっ!」
 MTへと攻撃対象を切り替えようとしたマクワイルドの反応より早く、あさひとシアルはそれぞれの役目を果たした。
 モナドドライブのリミッターがシアルによって外され、間髪入れずに凄まじい量のフレアがそこへ叩き込まれる。
 絶対武器がフォーリナーのフレアを貪欲に飲み込み、力に変える。MTの持つ剣が、黄金の炎を纏い、その長さを二倍ほどに伸張させる。
「喰らえぇぇっ!」
 ぐん、とMTが腰を落とす。逆袈裟に構えられていた剣が、地面を舐めるような軌道で振りぬかれた。黄金の炎で作られた剣が影人形達をまとめて薙ぎ払う。
 ばしゃん、と音を立てて影人形達がプロミネンスの火の粉に変わる。ただ一人、マクワイルドは己の前面にプロミネンスを展開し、コロナの剣を受け止める事に成功していた。十数メートルの鋼の巨人が振るった剣を、人間サイズの相手が受け止める。驚嘆すべき事態であった。
 しかし、
「でぇいやあっ!」
 MTが、背中のスラスターから、いや、それだけでなく全身の結合部からコロナの輝きを吹き上がらせ、剣を振りぬく。ついに黄金の剣はダスクフレアの防御を砕き、かの敵の体へと届いた。
 その瞬間、剣の形に収束していたコロナが一気に爆発。全ての威力をダスクフレアに叩き込む。
 光爆がその場を覆って視界を塞ぎ、あまりに膨大なフレアの炸裂が、カオスフレアと言えどもその感覚を一瞬麻痺させる。


「……シアル、どう?」
 機体、ライダー共に、モナドドライブをオーバーロードさせたフィードバックをもらっている。痛む体に鞭を打ち、ダメージを受けた機体を下がらせながら、あさひはシアルに戦果を問うた。
「確実にダメージは与えました。が……。ダスクフレアは健在です」


 収まった光爆の向こう、指輪を嵌めた手で拳を作り、それを胸前に掲げて立つマクワイルドがいる。荒く上下する肩が、彼の負ったダメージを物語っていた。
「まだ……。まだだ!」
 それでも、マクワイルドは指輪ごと拳を天に突き上げる。先ほどより幾分か勢いを弱めてはいるものの、プロミネンスの火柱が上がり、再び人形達が創造される。


「キリがないよ!?」
 思わずといったようにあがったあさひの声に、その背後から冷静さを保った言葉がかかる。
「いえ、プロミネンス反応は徐々に弱まっています。察するに、あの黒い人形たちは彼とは別の戦力であると同時に、ダスクフレアの本体を削るような形で分けられた分身体のようなものかと」
「ええと、つまり……?」
「出てくる端からぶっ潰していけば、向こうにとってのダメージになる。そういうこったな?」
「ご明察です」
 未だ壁の形状を維持したままのバルバが確認するような調子で問うのにシアルが答え、
「なるほどな。……じゃあ、あとはちょっと頼むわ」
 そう言い置くと、ばしゃん、と水音を立てて銀色の壁が崩壊する。その場に残るのは、張力を失った銀色の水溜りだ。


「番長っ!?」
 名を呼ぶ声にも、答えはない。すぐさまに水溜りに駆け寄り、そのすぐ傍に膝を付いたセルカが眉を険しくする。が、それも一瞬の事で、彼女はすぐに顔を挙げ、声を飛ばす。
「すいませんが、先生のドカンは無しです! これからバルバ君の蘇生にかかりますので、雪村さん、シアルさん、シャリードさん、あとはお任せしますっ!」


「……っ! シアルっ!」
「先ほどのオーバーロードの影響がまだ抜けていません。もう少し――」
 セルカの言葉を受け、動き出そうとしたあさひとシアルのやり取りが終わるより早く。
「悪いけど、見せ場はもらってくぜ」
 たん、と足音を一つ響かせて、メリーベルが吶喊をかける。
「決着、つけてやるよ!」
 

 メリーベルは、駆けて行く先、そこに並ぶ黒い人形達と、その向こうにいるマクワイルドをひたと見据えた。それは、彼女の意思による宣誓であり、定められる照準だ。決して逃がさない、外さないという無言の宣告を叩き付ける。
 マクワイルドは、向かってくる先、そこに翻る、普段の三つ編みをといた赤毛のガウチョを睨み付ける。それは、彼の執着による宣戦であり、放たれる号砲だ。断じて負けはしない、退きもしないという絶対の自我に拠って立つ。


 黒の人形達が、メリーベルを近づけさせまいと、銃撃を行う。プロミネンスの弾丸が、嵐のようにメリーベルに迫り、
「……ふっ!」
 鋭い呼気とともにステップを踏むメリーベルに回避される。それを追うように、あるいは待ち伏せるように叩き込まれる弾丸のことごとくを、まるで舞うような足さばきでかわしてゆく。
 やがて、彼女の舞が止まる。メリーベルが足を止めたそこは、人形達の陣形のド真ん中。360度を取り囲まれた状況で、しかしメリーベルは笑ってみせる。歯を剥いた、力と意思と、攻撃性に満ちた笑みだ。


銃火の輪舞をI'll let the ――」
 メリーベルが両手を大きく広げる。その手には、当然のごとく二挺の拳銃。
「――魅せてやるよgunfire rondo!!」
 メリーベルと、ざっと20を越える影人形達の双方が一斉に引き金を引く。
 敵意と弾丸が交換され、銃声が途切れることなく響き渡る。
 そして、銃弾が織り成す舞台の上の主役は、間違いなくメリーベルだった。


 六連装のリボルバー二挺、計十二発の弾丸を三つの影人形に叩き込み、それらを粉砕する。
 たん、と強く足を踏んでステップターン。それと同時に銃を手放し、飛び来るプロミネンスで作られた銃弾をわきの下や首もとをくぐらせてかわし、重い音と共にさっきまで使っていた銃が地面に落ちたときには、既に新たな二挺がその手にある。


「……なんでアレがかわせるんだろう。っていうかあの銃どっから出たの?」
 半ば呆然として独語するあさひ。その視界の先で、またメリーベルが撃ち尽くした銃を捨て、どこからか新たな銃を手にする。
「前半は答えようがありませんが、後半については……足元です、あさひ」


 シアルの言葉に促されるように、コックピットのモニター上にメリーベルの足元の映像を拡大する。
 いっそ優雅とさえいえる彼女の足運びが映し出され、たん、とその足が強く地面を踏みつける。その次の瞬間、ふくらはぎまであるメリーベルのスカートの中から、転がり落ちるものがあった。瞬時の動きでメリーベルの足がそれを甲に乗せ、ふわりと蹴り上げる。金属の光沢を持つそれは、紛れもなく、
「拳銃をスカートの中に仕込んでたの!?」
「はい、そのようです」


 もう幾度目になるか。弾の切れた銃を捨て、スカートの中からまた取り出し、撃つ。それを繰り返し、撃ち倒された影人形の数が10を越えたところで、状況に変化が訪れた。
 全ての人形がその姿をほどき、プロミネンスの塊に還る。そして、それらは元の居場所、すなわちマクワイルドへと融合する。
 ――数から質に切り替えやがるか……!


 銃口をマクワイルド本人に向けて引き金を引きながらメリーベルは言う。
「いちいちハタ迷惑なんだよアンタ! 反省させてやるから覚悟しやがれ!」
 結集したプロミネンスを盾として銃弾を防ぎながらマクワイルドは言う。
「何があろうと、何と言われようと退くつもりはない! それだけ私が本気だという事だ!」
 メリーベルが凄まじい早撃ちで撃ち込む弾丸が、マクワイルドが胸の前にかざした指輪から発せられるプロミネンスに食い込む。が、そこまでだ。それ以上は進めない。
「本気だあ? ンなもんアタシだってそうだ! アタシ以外の放送部の連中だってそうだ! アンタ以外のアナ研の連中だってそうだ!!」
 撃ち込まれた弾丸の尻に、次の弾丸が撃ち込まれる。更に次の弾丸が、次の次の銃弾がそれに続く。
 プロミネンスの防壁を突破するまであと少し、というところだった。


 がちん、とメリーベルの両手の拳銃が撃鉄を空撃ちする。
 たん、とステップを踏んだ足元に、しかし次の拳銃は現れない。
 弾切れ。
 その一語が脳裏に浮かんだマクワイルドの口許が三日月を作り、あさひがアジャストが不十分なままシヴィを突貫させようとコマンド操作を始め、銀の水溜りの傍でフレアを大量に放射しながら虚空に腕を突っ込んでいるセルカが眉根を寄せ、


「アタシらの本気とアンタらの本気は、こんな風に暴力でぶつけ合うもんじゃねえだろうがっ!!」
 だん! と。
 強く強く、足音がする。
 一瞬遅れて、酷く重い、金属質の落下音が続く。
 その場の全員が音源に視線を送り、そして見た。
 力強く地面を踏みしめたメリーベルの足元に出現した鉄塊を。
 彼女がそれに足を引っ掛け、くるりと回して持ち上げ、手で保持する様を。
 全長1メートル弱。鉄の箱のような形状の後部から、数本の鉄棒が伸び、前部において円盤のような部品によって固定されている。そんな機械だ。
 

 自身に向けられる、その兵器の通称がマクワイルドの口から零れ落ちた。
「ミニガン……!?」
「ああ、けど、こう呼んだほうがカッコ良くないか?」
 それは、個人携行用の、
「ガトリング砲――!」
 叫びと共に、毎分3000発の速度で重火器の射撃が放たれた。


 目にも留まらぬ速度で回転する砲身から放たれるのは、影人形達が放っていたものと原理的には同じ、フレアの弾丸だ。
 紅いルビーのような煌きが、文字通り数え切れない数で叩きつけられる。
 それは、先ほどまでの拳銃の連射で削られていたプロミネンスの防壁に最後のダメ押しを与え、
「砕けろ!!」
 ついにプロミネンスが破られ、マクワイルドが打ち据えられる。
 思いがけない澄んだ音を立てて、黒薔薇の指輪が粉々に砕け散った。
 

 銃声の余韻をかき消すように、広いテラスに鐘楼の鐘が鳴り響く。
 決着を告げる鐘の音だった。



[26553] 第二話『疾走、魔法学院!!』⑯ 回るフィルムと日常の日々
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/03/08 02:37
Ending-1 雪村あさひ


「はあい、ではHRお終いですよ~。今日もお疲れ様でした~」
 高等部2年8組の教室。ミカ・プラエストル教諭が挨拶を行うと、今日一日の授業から解放された学生たちが各々の放課後へと流れてゆく。


 あさひもカバンに荷物をまとめると、寮へ戻るべく立ち上がる。すぐ傍までやってきたシアルの手を取ると、目が合ったニコルにひらりと手を振り、やや焦ったように足早で教室を出てゆく。ちなみに今日は番長は欠席だった。
 さて、何故あさひが逃げるようにして教室を出てゆくのか。先に述べた番長が欠席である事も多少関係がある。つまり、
「ほらシアル、急いで。ヒャッハーさん達が来る前にウチに帰らないと!」
「帝釈正拳部がしつこいのにも、彼らに辟易するのにも同意しますが、いざとなれば実力行使に訴えればいいのでは?」
「シアル、なんか最近導火線が短くなってない?」
 転入前日にあさひに勧誘をかけ、セルカに撃墜された帝釈正拳部のモヒカン三人組の勧誘から逃れるためである。
 彼らはフォーリナーを部活に引き入れて部費増大を狙う一派の一つであり、番長不在の今日を狙って昼休みにも教室へやってきたのだ。そのときにはどうにかかわし切ったが、放課後まで付きまとわれるのはたまらない、ということで逃げの一手を打ったのである。


「……そろそろどこか部活入ったほうがいいのかなあ」
 女子寮の自室までたどり着き、ベッドに体を投げ出してほっと一息ついたところで、思わずと言った風情でそんな愚痴があさひから漏れた。
 シアルがそんなあさひにちくりとした視線と共に、制服が皺になりますよ、と小言を一つ。
「あさひにはどこか希望の部活はないのですか?」
「今んとこはねー。……シアルはさあ、入りたい部活とかないかな?」
 何の気なしのあさひの問いかけに、シアルは一瞬だけ思考の時間を作った。


「……そうですね。放送部に興味があります」


「ふーん、放送部かあ。……………………え?」


 てっきり「興味ありません」か「あさひが入る部活に入ります」といった答えが返ってくると思っていたあさひは、数瞬遅れて聞き返す。
「ですから、部活に入るなら放送部がいいかな、と思っています」
 再度同じ内容を繰り返すシアルの言葉に、まん丸に見開いた目をぱちぱちと瞬かせ、
「え、ええっと……。そ、そうだ。理由! 理由聞いてもいい?」
 こくりと頷くと、シアルは目付きをやや遠くして、それから自分の内側を探るように胸元に手をやる。
「あの格納庫で、メリーベルがあさひの手紙を読んだでしょう? あの時のことがきっかけです」
 シアルが目許を少し緩め、部屋の中に置かれている自分の机、その引き出しの辺りに一瞬だけ視線を配る。そこには、あの日読まれた手紙が大切に仕舞いこまれていた。
「あさひ本人は目の前にいて、遠いところから別の誰かが読み上げていたというのに、私はまるであさひに語りかけられているような感覚を得ました。なんと言いますか、それがとても不思議に思えるのです。声紋を解析するまでもなく別人の声でかけられた言葉を、私は何故あさひのそれと混同するように思ったのか」
 システムチェックの結果では何のエラーも検出されなかったのに、とシアルは微かに首を傾げる。
「あの時、メリーベルが何をしたのか、私に何があったのか。それを実感してみたいのです。もう一度」


「……そっか」
 じんわりと、笑みが胸の内側から滲み出してくるのをあさひは感じた。
 それはどんどんと大きな情動となってあさひを動かす。
「よし、じゃあ放送部に入部届け出しに行こう!」
 がば、とベッドから立ち上がると、あさひはシアルの手を取った。そしてそのまま廊下へ連れ出そうとぐいと引っ張る。
「え、いえ、そんな急に……」
「いいからいいから。今なら例の企画の関係で、あたしたちに入って欲しいくらいだと思うし。もし心細かったら、あたしも一緒に入部するから。ね?」
 うきうきとした様子を隠そうともせず自分の手を引くあさひに、シアルはくすりと微笑をこぼす。
「分かりました。行きましょう。でも、あまり騒がしくしないようにしないといけませんね。帝釈正拳部に見つかると面倒事ですし」
「だーいじょうぶだって。射程範囲内にいたら気付かれる前にぶっ飛ばしちゃえばそれで済むから!」
「あさひ、導火線が短いどころか消失していませんか?」
「気にしない気にしない。ほら、行くよ?」


 満面の笑みを浮かべたあさひに導かれ、穏やかにその様子を見つめるシアルがその後を付いていく。
 あれこれと他愛もない言い合いを交わしながら、二人の声が自室から廊下へと移る。かちゃり、と鍵の閉まる音がして、そのまま二人分の足音が女子寮の廊下を遠ざかっていった。




Ending-2 セルカ・ペルテ


「はい、これでよし、ですよー」
 あちこちに擦り傷や打撲のあとをつけて保健室にやってきた男子生徒の治療を終え、にっこりと微笑んでみせる。
「押忍! お世話んなりました!」
「酪農部の部員が呪いのカウベルで牛になっちゃったのを取り押さえたんでしたっけ? ご苦労様でしたけど、怪我には気をつけて下さいねー。あんまり兄貴分の影響を受けるのも考え物ですよ?」
「押忍! 有難う御座います! しかし、番長ならああしたと思うであります!」
 男子生徒の言い分に、やれやれ、とセルカは苦笑した。
 彼は高等部在籍のバルバの舎弟たちの一人である。彼らの尊敬する番長がそうであるように、校内での揉め事や困りごとの解決に意欲を見せるのはいいのだが、何分ここはリオフレード。なかなか一般の生徒の手には余るような事態もままあるのだ。
 セルカとしては、そんな事態は生徒会系の学生たちに任せてしまうのがいいと思うのだが、なかなかそうも行かないのが若者の情熱と言う事も理解していた。


「バルバ君も無茶が好きですしねえ。――でも、ホントに気をつけないと駄目ですよ? バルバ君だって相当頑丈な方ですがそれでもヤバいときはヤバいんですから。引きずられて無理は駄目ですよ?」
 それでもこうして念を押すのは、教師としての仕事でもあるし、セルカ自身の性分でもあった。
「押忍! 肝に銘じます! 番長も先日の件では『死ぬかと思った』と仰っていましたので」
「っていうか実際に一回死にましたからねバルバ君は。魂を引っ張り戻すのに苦労したんですよ?」
 はあ、と先日のダスクフレアとの戦いの終盤を思い返してため息をつく。バルバの生命活動の停止を確認してすぐに冥界にアクセスし、小さな扉を開いてバルバをこちら側に引きずり戻したのだ。
「もうちょっと後先考えるクセを付けさせたほうがいいですねえ、まったく」
「押忍、よろしくお願いします!」
 独り言に近いセルカの呟きに、舎弟からそんな声が返る。彼らは彼らで自分たちを率いる番長が心配であるらしかった。


「失礼しまーす」
 深々とお辞儀をして出て行ったバルバの舎弟と入れ替わるようにして、そう声を掛けて保健室の中に男子生徒と女子生徒が一ずつ入ってくる。
 女子生徒はマイクを手にしており、男子生徒はテレビカメラを持っていた。
「アナウンサー研究会のエクリア・リュミエです。例の企画のインタビューに来ましたっ」
 しゅた、と手を挙げて元気良く言う女生徒に、セルカはぽんと手を打つ。
「ああ、そう言えばそんな予定がありましたねー。ええ、今は怪我人も病人もいませんから、多少騒がしくても大丈夫ですよ」
 アナウンサー研究会の二人はセルカの言葉を受け、保険室内に簡易的な照明器具等を手際よく設置していく。そんな様子を見守りながら、セルカは軽く声を掛けた。
「で、企画の進捗はどんな感じですかー?」
「はい、みんな張り切ってますから、きっといいモノが出来ると思います。ウチとしては汚名返上の意味もあって、気合入りまくりですから!」
 丁度、アナ研の準備がそこで終わったようだった。二人はセルカに向き直るとぺこりと頭を下げ、よろしくお願いします、と声を揃えた。
「はい、こちらこそですよー」


 セルカはインタビューに答えるために椅子に座って居住まいを正す。その顔には、にこにことした笑みが絶えることなく浮かんでいた。カメラ映りを気にしているわけではなく、純粋に嬉しくて楽しいのだ。
 なぜなら、
「この企画は、この間の騒動を本当の意味で乗り越えた証拠ですからねー。ばっちり協力しますとも」
 本当に心の底からの喜びと共に、セルカは言うのだった。


Ending-3 バルバ


「すいません番長。ご心配おかけしました」
 一人の男子生徒が、そう言いながら深々と頭を下げた。
「おう。気にすんな」
 バルバはその声に鷹揚に応え、それから付け加える。
「まあ、無事に退院できて何よりだ。お前に手ぇ出したヤツも、とりあえずカタにハメられたしな」
 今日は、マクワイルドに無限図書館で襲われた舎弟、チャック・コシギの退院の日だった。それを祝うべく、バルバをはじめ、幾人もの舎弟達が病院までやってきていた。ちなみに全員サボりである。


「何から何まで、ホントにすいません、番長」
 改めてかしこまるチャックに、しかしバルバは無造作に蝕腕を振って言う。
「だから気にすんなっつってんだろう。俺がやりたくてやってることだ」
 それは間違いなく真実だが、だからこそ、舎弟たちは彼に付いていくのだ。実際、チャック他、この場にいる舎弟たちの顔には、より深く刻まれた番長への尊敬が見て取れる。
「それより、だ。風紀からちょいとばかり礼金も出たんでな。これからタンジェントの特上焼肉でチャックの快気祝いといくぞ」
 おお、と舎弟たちから歓喜の声が上がる。タンジェントはノクターン通りで気風のいいアムルタートのおばちゃんが経営する人気の焼肉屋だ。そこの特上ともなれば、男子学生垂涎の的である。
「さすが番長っ! 話が分かる!」
「一生付いていきます!」
 にわかに舎弟たちのテンションが上がり、番町への賛辞が彼らの口をついて出て、


「あなたたち! 病院ではお静かに!!」
 看護士の剣幕に、バルバを含む全員が平謝りした。




 まずはタン塩から。

 舎弟たちがバルバと一緒に焼肉にいく場合、必ず守らなければならない鉄の掟である。
 普段は大抵の事に関して鷹揚かつ寛大なバルバであるが、焼肉等の鉄板や鍋の場では、何故かきっちりと仕切りを入れたがるのだ。かつて舎弟の一人が問うたところ、古い知り合いの流儀に染まっているとの返答があった。もっとも、そこで答えが返らなくとも、舎弟たちはバルバの仕切りに反抗する事はないのだが。
 訳知り顔で語るとある舎弟の言によれば、量子の揺らぎをエネルギーとして摂取できるミュートフォーマにとって、一般的な意味での食事は娯楽に過ぎず、しかし娯楽であるからこそ、そこに拘りが出るのに違いない、とのことだ。まあ、大多数の舎弟に言わせれば、だからどうした、で片付いてしまう事でもある。


 ともあれ、そうやって場を仕切りながらも、バルバは舎弟たちと歓談しつつ、蝕腕で器用に箸を操って肉を食べる。
「しかし番長、噂に聞いた、放送部とアナ研の例の企画、番長が主役なんですよね?」
 学内の情報に聡い一人の舎弟が話を振ると、他の舎弟たちは興味津々と言った風で耳を寄せた。
「別に俺が主役って訳じゃねえさ。……まあ、割と多く取り上げられるのは確かだろうけどよ」
 おおお、と舎弟たちから興奮のどよめきが上がる。が、当のバルバはそれに同調するような気配はない。むしろ、めんどくさげな声色を作る。
「俺ぁ目立つのは好きじゃねえんだがなあ。……まあ、今回は向こうの事情や言い分も分かるから乗ったけどよ」
 ぶつぶつと呟く間も、舎弟たちは盛り上がっている。慕われているからこそだと言うのは分かるが、時にはそれも大変なもんだ。
 そうバルバは心中で一人ごち、骨付きカルビを骨ごと体内に取り込んで消化した。


Ending-4 メリーベル・スタア・シャリード


「はいオッケーでーす! お疲れっしたー!」
 AD役の一年生が声を張り上げた。その場にいた学生たちがお疲れ、と声を合わせる。
 メリーベルは、今回の現場では中心に位置するメンバーの一人だ。だから、という訳ではないが、一人一人に声を掛け、労をねぎらってゆく。そして、彼女の視線は撮影が一段落したことによる安堵の喧騒から距離をとってそれを眺めている人物を捉えた。にやっと笑みを浮かべ、そちらに近付く。


「なーに仏頂面してんスか、先輩」
 ばしん、とメリーベルに背中を叩かれた彼は、その衝撃でずれた銀縁眼鏡の位置を直し、そのレンズの向こうからちろりと恨めしげな視線を送る。
「責任者を任されている以上、場を締めるのが私の役目だ。が、今は緊張をほぐし、次の場面に向けてタメを作る時間だ。私は離れているのが効率がいい」
 この現場で撮影されているものを含め、現在放送部とアナウンサー研究会が合同で進めている企画、その総指揮を任されている男子学生――エリック・マクワイルドは表情を全く変えないままに言葉を紡ぐ。神経質そうな表情も硬めの声も、ダスクフレアであった頃とあまり変わったようには感じないが、それでもどことなく険が取れたようにもメリーベルは思う。
 へえ、と声を漏らし、しかしそれで終わらせるつもりはないようで、メリーベルはマクワイルドを平坦な目付きでじいっと見つめていた。


「……全てが終われば、私も達成の喜びを皆と分かち合うつもりだとも。ただ、自分自身に課した役割として、今はそのときではないというだけだ」
 居心地悪げに身じろぎしたあと、虚空を見つめながらやや早口にマクワイルドが言う。
「ふうん。ならまあ、いっか」
 口の端を上げ、一つ頷いてからくるりと身を翻し、メリーベルはマクワイルドと並んで立つ。視線の先にいる撮影メンバーは放送部とアナウンサー研究会の混成部隊である。


◆◆◆


 アンブラル・タイムでの決闘のあと、黒い薔薇十字の指輪を砕かれてプロミネンスの呪縛から解き放たれたマクワイルドを連れて、メリーベルたちは城から出た。
 時間が止まったときと同じ、メリーベルがゴールに一歩を踏み込んだ位置に足を置いたところで時間は再び動き出し、魔法陣も予定通りに機能を押さえ込むことに成功。表彰式もつつがなく行われて、レースは表向き何事もなく終了した。


 無論、裏側では色々と騒動が巻き起こった。
 中でも最大の問題はダスクフレアとして一旦は風紀委員から追われるまでになったエリック・マクワイルドの処遇である。
 ことはアナウンサー研究会そのものの存続にまで言及されたが、事件解決に寄与したカオスフレアの一人であるセルカから、事態の収拾にアナウンサー研究会の協力があったこと、マクワイルドも黒い薔薇十字の指輪に操られており、むしろ指輪がダスクフレアの本体であったことが挙げられた。
 結果、過去にダスクフレアに操られたり、ダスクフレアになりはしたものの正気を取り戻した人物の先例もみて、幾らかの罰則や黒薔薇騎士団の捜査への協力はエリック・マクワイルドに対して課せられたものの、それ以上の処置は取られない事となったのだ。


◆◆◆


「ワビ入れの挨拶回りが終わったかと思ったら放送部まで巻き込んでこんな企画をあげるんだから、やっぱ大したもんだわ、先輩」
 感心したように言うメリーベルに、やや遠くを見たままのマクワイルドが答える。
「企画の性質から言って、早くに世に出したほうが反応がいいのは間違いないからな。……私が責任者に担ぎ上げられるのは流石に予想外だったが……」
「何言ってんスか。それこそ先輩が一番の適役っしょ」
「……君らには返そうにも返し切れない借りがあるからな。そう言われれば私に否は無いが――おや?」
 言葉の途中で視線をあらぬ方向へ向けたマクワイルドに釣られるようにして、同じ方向を見たメリーベルの目に、遠くからこちらに向けて走ってくる二つの人影が映った。
「あれは雪村君とシアル君か。察するにシャリード君に用なのではないかな」
「みたいっスね。なんだろ?」
 言いながらも、悪いことではなかろう、とメリーベルは推測する。根拠は簡単なことで、シアルの手を引いて走ってくるあさひは満面の笑顔を浮かべているからだ。


「まあ、またなんか面白いことでもあったんじゃないっスかね」
 自身も隠しきれない笑みを唇に乗せながら、メリーベルは二人の友人の方へと歩き出した。


Ending-5 共通


「皆さん、お疲れ様でした! 先ほどの編集作業の終了を以て、今回の放送部、アナウンサー研究会合同企画は完成を見ました!」
 教室の前面に備えられたスクリーンの横、教壇の位置に立った女生徒、アナ件所属のキャスターがマイクを手に声を張る。それに応えるように、歓声と拍手が部屋の中に鳴り響いた。
 この部屋は視聴覚室であり、四十人は軽く入れる教室に立錐の余地すらなく詰め掛けているのは、放送部とアナウンサー研究会の面々、部員の中にはメリーベルも混じっているし、新入部員として研修中のあさひとシアル、外部から招かれたセルカ、バルバもいる。
「本放送前のチェックを兼ねた試写の前に、製作総指揮、アナウンサー研究会企画担当、エリック・マクワイルドより一言ご挨拶がありますっ」
 女生徒から促されて進み出たマクワイルドが彼女と位置を入れ替わる。マイクを手に、ぐるりと視聴覚室内を見渡し、
「エリック・マクワイルドだ。まずは、改めて皆に謝罪申し上げる。大変に迷惑をかけたことと思う。本来ならこのような立場に立つ事は許されないのだが、企画の提出者である事、また当事者でもあること、それに加え、周囲の温情によりこうして指揮を取る事となり、企画も完成を向かえた。心底から、感謝させて頂きたい」
 一旦言葉を切り、ぐっと腰を曲げて最敬礼の姿勢をとるマクワイルドに、拍手の雨が降り注ぐ。たっぷり十秒ほどそうして頭を下げてから、再び彼は顔を上げる。


「私は、アナウンサー研究会を放送部の上に立たせたかった。いや、それ自体は今でも変わっていない。ただ、以前の私は何をおいてもそうせねばならない、と考えていた。それは良い言い方をすれば情熱であろうし、悪い言い方をすれば偏執だっただろう」
 マクワイルドが語り始めた内容に、室内はしんと静まり返る。彼は、いつの間にかマイクを持った手を下ろし、肉声を張って語りかける。
「そこを付け込まれてあの始末だ。私が思うに、ダスクフレアの何より恐ろしい点は、ある思いを持った者が強く強くその成就を願えば、思いの内容やスケールを問わずにダスクとなる可能性があることだろう。余人から見てどうということのない願いでも、当人が強烈に欲し、己のエゴに飲まれたならば、誰であろうとダスクにはなり得る」
 もう一度場を見渡し、全員が自身を見てくれていることを感じ、マクワイルドは一つ頷く。この認識こそが必要なものだったのだと自省しながら、締めくくりの言葉を紡ぐ。
「それらをこの身で知ったからこそ、今度はそれを多くの人に伝えたい。そう思い、今回の企画を立ち上げさせてもらった。これを実現させてくれた皆の協力に、重ねて感謝を申し上げる。私からは以上だ」


 マクワイルドが教壇から退き、再びキャスターの女生徒がそこに立つ。
「はい、ありがとうございましたー! ではでは、いっちょ試写を始めたいと思います。放送部、アナ件合同のドキュメンタリー企画、先日のリオフレード縦横断レースの裏側で何があったのかを描いた『そのときリオフレードが動いた・黒薔薇の陰謀』でーすっ」
 室内の照明が落とされ、スクリーンにタイムカウントが表示される。
「そう言えば、インタビューは受けましたけど、こういうのって場面の再現とかやりますよねー? ああいうのってどうなるんでしょう」
「演劇部から役者さん借りてきて再現ドラマ撮ってましたよ。あたしあんなカッコ良くないんだけど、これ放送される翌日が怖いなあ」
「ちなみに番長については特殊効果で再現したようです。……企画当初は銀色の全身タイツを役者に着せる案もあったそうですが」
「……いや、別にいいけどよ俺は。やらされる方はたまらんだろう、それ」
「ほらほら、感想諸々は見終わってからにしようぜ。もう始まるからさ」


 事件の功労者として最前列に座っていた五人が口を閉じると同時に、最初のシーンが映し出された。



[26553] 番外編その2&キャラクターシート
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/05/02 01:25
番外編『シアルのパーソナリティ研修日誌』



 私、アニマ・ムンディのシアルが放送部の部員として本格的に活動を始める最初の日がやってきました。
 入部自体は数日前に済ませていたのですが、その時期の放送部は大きな企画を進めており、それは私とも関わりのあるものだったため、そちらの手伝いにしばらくはかかりきりだったのです。


「と、言うわけで、アタシがしばらくはシアルの面倒を見ることになった。ダチだからって手は抜かないからそのつもりでいるように!」
 ここはラジオの放送に使うブースの内部。私の目の前の席に座ったメリーベルが、普段よりもやや余所余所しい色を声に混ぜて言いました。
 彼女が部活動に対して真剣であり、また責任感が強く義理に厚い人柄であることも理解していますので、それゆえの普段との違いなのでしょう。
 ブースと外を隔てる大きなガラス窓の向こう、部内の用語では『金魚鉢の向こう』と言うそうですが、そちらに目をやると、私の視線に気付いたのか、あさひが軽く手を振ってくれます。ごく僅かに会釈をし、私も小さく手を振リ返します。
「早速よそ見をしない! あさひも気になるっつーからこっちの見学を許可したんだから、邪魔すんなよな」


 メリーベルが声を厳しくして私たちを叱責しました。マイクを通しているので、金魚鉢の向こうのあさひにも当然聞こえていて、あさひがびくりと首をすくめてぺこりと頭を下げて見せます。
「申し訳ありませんメリーベル。以後気を付けます」
 私もその場で深々と頭を下げると、メリーベルはふっと笑うように吐息を漏らし、肩の力を抜きました。
 

 私がメリーベルのようなパーソナリティやキャスターといった分野に興味を示したのに対し、あさひは外回りの取材班が面白そうだと感じたようで、本当はそちらの方へ行く予定だったのですが、『シアルが心配だから初日だけでも!』と頼み込んで私の様子を見に来ているのです。
 あさひが本来やるべき事を私が阻害していることに対する苦い気持ちと、彼女が私を気にかけてくれていることに対する喜びが、私の中に混在しています。
 普段はこの比率はおよそ7:3なのですが、実際にあさひの顔を見ていると3:7……いえ、2:8ほどになってしまいます。こういうのを現金、と世間では評するのでしょう。


「さて、まず初っ端に何をするかというとだな」
 メリーベルが言葉と共に、私の前に数枚の紙を並べます。それは白紙ですが、裏側には何らかの文章が印刷されているのがうっすらと透けて見えています。私が視線でこの意味を問うと、メリーベルは楽しげに唇の端を上げました。
「アタシがやってるお昼の放送には、ありがたいことに毎日学院の誰かから手紙が来るわけだけど、そうじゃない時もあった。例えば、一番最初の放送なんかは来る訳無いよな?」
 私がこくりと頷くと、メリーベルは先ほどの紙を指差して続けます。
「この紙は、そういうときに部内で作った、いわゆるサクラネタだ。悪い言い方すれば、スタッフで手紙をデッチあげたわけだな。まあ、初回放送はニュースと曲以外はフリートークで乗り切ったし、それ以降はどうにか毎回手紙もらえてるから実際にコレ使ったことはないんだけども」
 ちょっと話が逸れたな、とメリーベルが咳払いを一つ。
「今からシアルには、これを読んで、それに対するコメントを出してもらう」
「……いきなりハードルが高いように感じるのですが」
 軽く手を挙げての私の意見に、メリーベルはひょいと肩をすくめてから、安心させようとするように微笑みます。
「そう難しく考えなくても大丈夫だよ。思うようにやってくれりゃあいい。ハナっから完璧にいくなんてこっちも思ってないからさ。まずはどんな風にやるのか、傾向を見たいってトコだよ」


 メリーベルの説明に、なるほど、と私は頷きます。
 確かに、トライアル&エラーなくして、物事の発展はありえないでしょう。まずはやってみる、というのは確かに良い手段であると思えました。
「分かりました。やってみましょう」
 決意を声に出し、目前に置かれた紙のうち、右端のものを手に取り、裏返します。内容を三度繰り返して黙読し、それから参考としてメリーベルのお昼の放送を思い出します。
 準備は整いました。マイクとヘッドホンの位置を確かめ、息を吸い、声を出します。


「みなさん、こんにちわっ♪ 最近欲しい物はSQUIDデバイス、パーソナリティのシアルですっ。さあて、早速一通目のお便りから読んでいきますよーっ。うふふっ、なんと恋愛相談のお便りです。わくわくですねっ、ペンネームは――」


 眼前のメリーベルが口にしていたコップの水を思い切り噴き出し、ヘッドホンからは何かが倒れるような騒がしい物音が聞こえてきました。喋るのを中断して金魚鉢の向こうへ目をやると、何故かあさひが機材の上に突っ伏しています。
 何かあったのでしょうか。心配になり、様子を見に行こうと腰を浮かせかけたときでした。


「い、いい今の何だオイっ!?」
「どどどどうしたのシアル!?」


 机の向こうから身を乗り出してきたメリーベルと、がばりと身を起こしたあさひが酷く慌てふためいてまくし立てます。どうしたというのでしょう。少し考え、原因に思い至りました。感情の動きに従い、頷きが一つ作られます。
「なるほど、先ほどのトークにどこかおかしいところがあったのですね?」
「いや、どこかというか何もかもというか……」
「完璧に無表情のままで声の調子だけ変わるもんだから余計にね……」
 どこか疲れたような様子で言い募る二人。どうやらかなりおかしい行動を取ってしまったようです。


「難しいものですね……。メリーベルの放送に雰囲気を近付けられるよう、私なりに工夫してみたのですが」
「あー。確かに恋愛相談系のときはたまにおかしな具合にキマることあるよね」
「え、いや、アタシってそんな風に見られてるのか? ええー……?」
 なにやらメリーベルが落ち込んでいます。彼女からすればあまりに似ていなかったために落胆させてしまいましたか。
 次に行う際の改良点をピックアップする作業に入っていると、メリーベルがやや引きつり気味の笑顔で私の肩をがっしりと掴みました。
「あのなシアル、アタシはアタシ、シアルはシアルだ。シアルが頑張ってたのは認めるが、まずは素のままでやってくれればいいからな。その方がシアルの課題も把握しやすいだろ?」


 何か鬼気迫る様子で言うメリーベル。
 確かにその通りです。余計なバッチを当てる前に、素のままのプログラム本体を走らせてバグチェックをする方が問題点を洗い出すには良いでしょう。
 わかりました、と私が答えると、メリーベルから安心したようなため息が漏れました。ヘッドホンからは、金魚鉢の向こうであさひも同じようにため息をついているのが聞こえてきます。
 二人とも真剣に私の指導について考えてくれていたようですね。有り難い事だと思います。おそらく今日のうちに同じ思いをすることは複数回あるはずなので、お礼はあとでまとめて伝えることとしましょう。


「よし、じゃあもう一回だシアル。いいな、素のままだぞ? アレンジはいらないからな? これは振りじゃないからな?」
 振り? と内心で首を傾げながらも了解の意を示すために首肯します。
 お題の書かれた紙にもう一度目を落とし、深呼吸を一回。
「では、いきます」
 あさひとメリーベルが頷いてくれるのを確認しました。声を出します。ごく普通に挨拶と自己紹介をし、そしていよいよお便りの内容紹介です。


「では本日の一通目です。P.N『やりカマ』さんから。
『突然ですが相談に乗ってください。
 私には、今お付き合いをしているカレがいます。優しくて誠実な人なのですが、少し押しが弱いところがあり、そこについてちょっと悩んでいます。
 実は私は吸血鬼で、カレから時々血を吸わせて貰っています。その時に、こう、首筋に牙を立てる訳ですが、そうなると当然かなり密着するんです。
 カレの方でもそれは意識していて、ときどき私を抱き寄せたそうな手の動きを見せるのですが、結局なにもしません。カレが私に気を遣ってくれているのは分かるのですが、反面、私に魅力が無いのだろうか、いっそこちらからアクションを起こすべきかと悩む事もあります。
 私はどうすれば良いのでしょうか? アドバイスをお願いします』
 ――とのことです。なるほど、接近の機会があり、なのに何もしようとしない男子に対して女子から行動を起こすか否か。そうですね……」


 一旦言葉を切り、考える時間を作ります。
 そのとき、私の記憶野に閃きが走りました。地球文化研で見た、かの世界から流れ着いたという資料。あの内容がぴったりなのではないでしょうか。内心で頷きを作り、言うべき内容を組み立てます。


「文面から判断しますに、やりカマさんからアクションを起こすことについては最後の手段としたいという意図が読み取れます。で、あれば、彼氏さんの方から動くように仕向ける事が出来るよう、とある弧界で吸血鬼の女子が行うとされる方法についてお話しましょう。
 まずは身づくろいです。きっちりとお風呂に入り、髪質を整えた上で会ってみましょう。シャンプー等を普段より少し香りのはっきりしたものにするのも良いでしょう。
 そして服装。これが大事です。と言っても用意するのが難しいものではありません。
 まずはマント、できれば黒が良いでしょう。
 はい、これで準備完了です。あとはそのマントを全裸の上に羽織り――」


 おや、メリーベルが再び水を噴き出しました。ほぼ同時に、ヘッドホンを通して聞こえてくる、騒がしい物音。もしやと思い金魚鉢の向こうを見やると、やはりあさひが倒れこんでいました。何ごとでしょうか。
 あさひがガラスの向こうで身を起こし、むせていたメリーベルと視線を合わせます。二人はほぼ同時にこっくりと頷き、ジェスチャーでサン、ハイ、とリズムを合わせ、
「変態かっ!!」
 声を合わせて言いました。
 随分な言い様です。確かにいささか過激である事は認めますが、そもそもこれは地球から世界移動してきたという資料にしっかり記録されていたものなのです。
 先ほど挙げたシャンプーの香りや風に揺れる髪、あとは潤んだ瞳などは恋する女の子の魔法だと。
 生まれたままの姿の上にマント一枚を羽織り、そう歌い上げる女の子は、そうした情緒に疎い私でさえ、色気とはこういうものかとはっとさせるほどのものでした。きっと効果的だと思い、例に挙げたのですが。


 包み隠さずあさひにそう言うと、
「また地文研かっ!!」
 そう叫んで激昂していました。
 あさひとしては、私が彼らに接触する事はあまり好ましくない事のようです。
 地球に関する話題は私たちの間で微妙な問題をはらんだものですので、あさひが私を気遣ってそうしていることも理解してはいるのですが、それでも私はあさひの故郷について知りたいと思うのです。
 それがあさひを知るためにほんの少しでも役に立つのではないか、と思いますので。


 話が逸れました。
 とりあえずハガキの読み上げは一旦中断ということで、私の前でメリーベルがやや難しい顔で腕組みをしています。
 二度までも途中で遮られてしまうとは、やはり私にはこういったことは向いていないのでしょうか。胸中に不安が立ち込めてくるのを感じます。
「あー。なんつーのかなあ。面白いっちゃあ超面白いんだが、色んな意味で内輪ネタの面白さだしなあ……」
 ふむ。メリーベルの物言いからして、どうやら全面的に悪い訳ではないようです。となれば、直すべきところがどこなのかを把握するために、彼女の言葉に傾注しましょう。
 そう思ったときでした。


「シアルさんっ! メリーベル!!」
 強い調子で私たちの名前を呼びながら、ブースのドアを開いた人がいます。
 眼鏡をかけた、ショートボブの女生徒――風紀委員副委員長を兼任する、ノエミ・バートリ先輩です。
「いったいどういうことなのか、説明してもらえるかしら?」
 彼女は私たち二人に向けてにっこりと笑いかけます。一点の曇りも無い笑顔。ですが何故でしょう。私の中にある、戦闘機械としてのアニマ・ムンディの部分が警報を掻き鳴らします。
「ノ、ノエミ先輩? どうしたんスか?」
 メリーベルの問いかけに、バートリ先輩の笑みが深くなりました。比例するように警報がけたたましさを増します。
「私ね、風紀委員の見回りで校内を巡回していたのよ。そうしたらね、以前にメリーベルにお願いされて書いた、もう処分されたはずの文章が、何故か校内放送で流れてきたのよ。シアルさんが妙に過激な相談内容を喋る途中で唐突に切れたのだけれど……いったい、どうしてなのかしら……?」
 はっとしたようにメリーベルが金魚鉢の向こうへ視線を向けます。そこには機材のスイッチ板を見て青褪めているあさひがいました。


 なるほど。事態のあらましは理解できました。メリーベルの視線を追っていたバートリ先輩もある程度の事情が見えてきたようで、
「察するところ、面白いからとかいう理由であの文章を保存していたメリーベルがシアルさんにそれを読ませて、何かの弾みで雪村さんが校内放送のスイッチを入れてしまった、と……そういうところかしら?」
 表情筋が固着したように笑顔のまま、バートリ先輩が推理を開陳しました。ほぼ実際そのままの内容が述べられるあたり、流石は校内の捜査権限を握る風紀委員といったところでしょうか。
「い、いやあ、その通りなんスよ、ノエミ先輩。つまりは事故で――」
「つまりは、連帯責任ということね?」
 バートリ先輩が眼鏡を外しました。かと思うと虚空から槍が取り出され……いや、槍が鎌へと姿を変えてゆきます。なるほど、P.Nの由来はこれですか。
「あなたたち、そこに並びなさい」
 ショートボブの黒髪が腰まで伸び、凄絶な眼差しでバートリ先輩が私たちを威圧します。逃げ出そうにも、先輩の立ち位置はブースの出口です。
 チェック・メイト。
 せめてブースの外にいるあさひだけでも、と思い、目配せを送りますが、困ったように笑って肩をすくめ、その場から動こうとしません。バートリ先輩は本来理知的な人柄ですので、興奮状態となっている今を凌ぎきれば酷い事にはならないと思ったのですが。
 仕方ありません。どんな不良だろうと一対一で勝てた者はいないというバートリ先輩の本気モードに怒られる覚悟を決めて、本日の記録は終了としたいと思います。
 このあとまともに部活が出来るかは疑問ですので。


追記
 後日耳にした噂では、バートリ先輩の交際相手――あさひと同じくフォーリナーだそうです――が少し積極的になったということでした。放送部の先輩方からいい仕事をした、と褒められました。この調子で精進を重ねていこうと思います。





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キャラクターシートと蛇足の解説

全PC経験点をプラス20点で作成してあります。



メリーベル・スタア・シャリード


【コロナ】 執行者
【ミーム】サンドブロゥ
【ブランチ】ガウチョ/シスター


【能力値】    肉体:10  技術:9  魔術:9  社会:4  根源:1
【戦闘値】    白兵:7  射撃:9  回避:5  心魂:7  行動:3
【HP】   37
【LP】   6

 宿命:クラブ活動 
 特徴:ド根性 
 闘争:好奇心 

装備品
 右手 :フロンティア・シックス (デザートブラスト相当品)
 左手 :フロンティア・シックス (デザートブラスト相当品)     
 胴部 :改造制服(修道衣相当品)               
 その他:不思議スカート(地獄の棺桶相当品)  
 予備1:学生証           
 予備2:放送部員(文化系クラブ相当品)        
 予備3:シュラスコ              

特技
大いなる力:対象の判定の達成値を減少

魂魄破壊:ダメージを与えた場合、ターン終了まで対象が受けるダメージが【根源】になる。《輝く闇》には無効

荒野の一つ星:即座にメインプロセスを行う

夕陽のガンマン:銃による突き返しを行う。達成値にボーナス

俺たちの勲章:銃の使用不能状態を解除する

ガンマン無頼:射撃攻撃の対象を範囲に変更

大いなる祈り:対象のダメージ増加

※大修道院長:ブランチ【シスター】の特技の効果にボーナス

※必殺の二丁拳銃:両手に拳銃装備の場合、ダメージ増加。使用後拳銃は使用不可になる

※荒野の棺桶:地獄の棺桶を常備化、使用できる。サンドブロゥの武器での攻撃、突き返しのダメージにボーナス

メディアスター:自分の意志を世界中の人々に伝える




 立ち位置的に今回のPC1、メリーベルです。
 彼女の名前は、実在した女ガンマン「マイラ・メイベル・シャーリー・リード・スター」から頂きました。作中では「スター」ではなく「スタア」と表記しているところから、分かるヒトには漫画、ベル・スタア盗賊団から引っ張ってきたというのは一発でバレているのではないかと。
 事あるごとに彼女が口にする「銃火の歌を聞かせてやるよ(I'll let the gunfire song)!」は、何かキメ台詞が欲しいなあ、と思ってた時に、同作品で何度も使われる「ディキシィを聴かせてやるぜ」が思い浮かび、あんな感じの厨二臭いセリフを出そうと捻り出したものです。ちなみに訳はGoogle翻訳先生です。ありがとうございました。
 余談ですが、メリーベルはあのセリフをキーにして射撃を補助する自己バフの魔法を掛けている、という設定。最後の最後だけバリエーションを変えて本気モードっぽさを出すのもお約束。ちなみに妄言なのでシステム的には何の意味もありませんのであしからず。

 元ネタ要素としては上記のものに加えてWILD ARMSシリーズから色々と。射撃の反動で空中移動とか、スカートから重火器とか。シーンタイトルにちょこちょことWA3の楽曲名を入れたりしていたのでこちらもバレバレだったかと思いますが。

 特技欄の最後にある《メディアスター》はミームやブランチの枠に入らない、どのキャラでも取得できる一般特技で、読んで字のごとく、テレビやラジオで顔や名前が知られた人物であることを表します。
 キャラクター作成時にPLが設定を考えるだけでなく、「こういう特技を取ってるからコイツはこういうキャラなんだ」とデータ面から設定を補強できるのがカオスフレアの面白いところだと思います。言うまでもなく作中でこの特技が使われたのはレースのゴール直前、メリーベル=スタアさんのカミングアウトの場面ということになります。




バルバ


【コロナ】 光翼騎士
【ミーム】 テオス/美酒町
【ブランチ】ミュートフォーマ/番長



【能力値】    肉体:9  技術:12  魔術:1  社会:11  根源:3
【戦闘値】    白兵:10  射撃:6  回避:6  心魂:3  行動:1
【HP】     114
【LP】     6


 宿命:番長
 特徴:番長の証   
 闘争:正義感 



装備品
 右手 :
 左手 :
 胴部 :学ラン(プロテクトアーマー相当品)              
 その他:触腕(蟲食みの呪文書相当品)
 乗り物:              
 予備1:学帽(瑠璃色の盃相当品)
 予備2:学生証
特技
光翼の盾:フレアの数に応じて常にダメージ軽減。

銀の守護者:同一エンゲージ内の攻撃対象を自身へ変更。最大HPにボーナス

きらめきの壁:範囲攻撃の対象を自分1人に変更する

不定形流動体:防御属性【肉体】【技術】を獲得。【肉体】属性の武器使用不可。プロミネンス以外での防御属性【魔術】獲得不可。攻撃のクリティカル値が常に-2

クォンタムソナー:隠密状態の対象にアクションを行える

変幻の肢体:攻撃の達成値にボーナス

変幻の触手:自分の白兵攻撃に対して対象は突き返しが行えない

舎弟:クリティカル値マイナス1。クリティカル時にHP回復

鉄拳制裁:白兵攻撃。対象を回復する。ダスクフレアに対してのみダメージ

番長の背中:特技使用時【社会】を+5して計算。

挑発:対象を自身にエンゲージするよう移動させる。移動しない場合はバッドステータス重圧を受ける

啖呵を切る:そのシーン内のあらゆるダメージにボーナス。

血まみれの笑み:覚醒した瞬間、ダメージを与える。



 変幻自在、流体番長バルバです。
 名前は、誰もが絵本で見たことがあるであろう、恐らく世界一有名な不定形生物、バーバパパから。バーバパパの生まれ故郷のフランスでは、発音がバルバパパ、という具合になるらしいです。
 作中では多彩に姿を変えていたバルバですが、流石にバーバパパには敵いません。ホントに何にでも変わりますからね、バーバファミリー。

 カオスフレアのプレイヤーキャラクターのトンチキっぷりを表現するためにミュートフォーマを出すことにし、しかしミュートフォーマの異星人っぽさを出すのも難しいなあ、と思った所で番長と混ぜることを思い立ちました。
 体は流体で、しかも明らかに炭素生命体ではないという異質っぷりなのに、「番長だから」の一言でメンタリティに昭和の香りを漂わせても何とかなる辺り、番長超便利。
 いろんなブランチと混ぜて、◯◯番長だ! が楽しいブランチだと思います。無論、シングルで古き良きバンカラも捨てがたいですが。

 素で防御属性を二つ獲得できるあたり、光翼としては割と優秀。エネミーにネフィリム系が多かったこともあり(攻撃の大半が技術か肉体属性)まさに鉄壁でした。



セルカ・ペルテ


【コロナ】 星詠み
【ミーム】 オリジン
【ブランチ】リターナー/ファイター


【能力値】    肉体:9  技術:5  魔術:12  社会:5  根源:3
【戦闘値】    白兵:8  射撃:5  回避:5  心魂:8  行動:3
【HP】     元値:22  修正値:62
【LP】     元値:6  修正値:6


 宿命:愛 
 特徴:ラブコメ
 闘争:日常 


装備品
 右手 :               
 左手 :               
 胴部 :産女の白衣(ジェオライトアーマー相当品)
 その他:ヒュージバンカー(パイルバンカー相当品
 予備1:教員免許(学生証相当)

特技
女神の祝福:自分以外の対象の判定の達成値を上げる

再生の車輪:死亡・戦闘不能・覚醒を解除する。

天上の霞:対象のバッドステータスを全て回復する

超巨大武器:武器のダメージにボーナス。行動値にペナルティ

教師 対象の出目を一つ、6に変更

ヘビーアーマー:必要能力値が【肉体】の防具は【肉体】×2まで装備可能

水波斬:白兵攻撃に対して突き返し

※冥府召喚:使用された特技系プロミネンスを打ち消す

※万軍撃破:シーン全体へ白兵攻撃。

生死去来:戦闘不能直後、それを解除し、分類:アンデッドを得る。HPを回復し、LPにダメージ。

重装鎧習熟:鎧の重さ分ダメージ増加


 カテゴリー:パワーキャラの養護教諭、セルカ先生です。
 名前の由来は、元祖パイルバンカー、装甲騎兵ボトムズのATベルゼルガのもじりです。

 実は明確な元ネタをもたないキャラクター。
 あれこれと最大公約数的な要素の持ち合わせはありますが、はっきりとこれ、というのはなかったりします。
 キャラデータを組み終わってから、「パイルバンカー持ってるからベルゼルガを名前の元にしよう」なんて発想で名前が決まった辺りは、それが顕著に出ているかと。

 せっかくリオフレード学院が舞台なので、教師のキャラが一人欲しい、というのと、舞台となる世界であるオリジンのキャラが出てきてないなあ、ということでリターナー/ファイターの教師が誕生しました。
 大人の女(笑)みたいな扱いをされているセルカ先生ですが、割とちゃんと大人してるんじゃないかなと思ってたり。
 ノリが良くてバカ騒ぎが好きで学生たちが大好き。でもちゃんと周りを見守ってるというような、そういうセルカ先生が表現できていたと感じてもらえたなら大変幸せです。

 レース中にも見せつけていましたが、かなりのパワーキャラ。《ヘビーアーマー》と《重装鎧習熟》による攻撃の固定値は相当なもので、しかもそれをシーン攻撃に乗っけるという鬼畜っぷり。オリジン人マジ戦闘民族。
 マクワイルドの項でも少し触れますが、彼の力で相当固くなってる取り巻きの防御を、メリーベルの支援付きとはいえ真正面から突破したのは彼女その辺りがの特徴が遺憾なく発揮されたところです。



雪村あさひ

【コロナ】 聖戦士
【ミーム】 フォーリナー/オリジン
【ブランチ】装着者/ORDER

【能力値】    肉体:6  技術:6  魔術:6  社会:4  根源:12
【戦闘値】    白兵:7  射撃:7  回避:7  心魂:11  行動:2(25)
【HP】     15(138)
【LP】     9

 宿命:勇者  
 特徴:勇気の証  
 闘争:平和  

装備品
 右手 :なし
 左手 :なし
 胴部 :制服(インキュベーター相当品)
 その他:なし 
 乗り物:シアル・ビクトリア(ツェータビクトリア相当品)
 予備1:アエログレイブ 
 予備2:シアル(アニマ・サティ相当品)
 予備3:タスラムフレーム
 予備4:近接防御機関砲        
 予備5:学生証

特技
勇気ある誓い:1度の判定でソフィア(コロナごとに決められたトランプのスート)に合致しているフレアを何枚でも出せる

不死鳥の炎:死亡時に復活する

捨て身の覚悟:白兵攻撃。差分値二倍。自分も同ダメージを受ける。

無敵装甲:防具を無敵装甲に指定。オートアクションで装備可能。攻撃を【根源】化
 
憤怒:覚醒時のみダメージにボーナス

モナドリンケージ:MTをセットアップで装備できる

ワークスマシンLV5:MT関連のアイテム取得 

マルチロックオン:MT装備時専用。攻撃を範囲化

聖槍乱舞:白兵攻撃および射撃攻撃にタスラムシステムで突き返し。達成値にボーナス



 前回に引き続き登場、でも立ち位置的にはPC4のあさひです。
 解説は前にもやったので省略。
 と、いうのもアレなのでMTについてちょろっと。

 今回『シアル・ビクトリア』に追加された装備、『タスラムフレーム』はMTの拡張パーツであるアーマメントフレームの一つです。
 アーマメントフレームには様々な種類があり、作中でやったように「行け、イン◯ム達よ!」ができる他に「サァァァイ◯ラァァッシュ!」とか「俺のこの手が光って唸るぅ!」とかやったり、円盤型の飛行形態に変形したり、羽が舞い散る翼を付けたり、人間だけを殺す機械をバラ撒いたりできます。
 MT関連はカオスフレアの中でもアホかというほどデータが充実しているセクションなので、ロボものに興味がある、という方は色々見てると楽しいかも知れません。



エリック・マクワイルド

      ダスクフレア
【ミーム】 ネフィリム/暁帝国
【ブランチ】コーポレイト/文官



【能力値】    肉体:3  技術:8  魔術:1  社会:37  根源:2
【戦闘値】    白兵:3  射撃:8  回避:7  心魂:11  行動:12
【HP】     546
【LP】     50

特技系プロミネンス
暗黒の太陽:根源以外の防御属性を得る

夕闇の波動:判定ダイスをが増える

歪んだ時空:バッドステータスを1つ解除

永劫の刹那:即座にメインプロセスを1回行う。

星を落とすもの:攻撃の対象をシーンに変更する

崩壊の一閃lv2:攻撃の対象を範囲に変更。達成値にプラス

禁断の法則lv2:判定の達成値にボーナス

黒き業炎:受けたダメージを攻撃者に返す。

撃ち貫くもの:ダメージ軽減無効

歪んだ鏡lv4:プロミネンスを対象に分け与える

蝗の王lv4:モブエネミーを即座に一回行動させる。


災厄系プロミネンス
心砕き:対象の記憶と人格を操作する。

時間停止:一つの地方や都市、任意のエキストラの時間を停止させる。


特技
※マルチワーク:マイナーアクションか、タイミング・マイナーの特技を二回実行できる

オフェンスフォーメーション:対象の攻撃の達成値にボーナス

財力:財産点の初期値にボーナス

火砲支援:財産点を消費して対象のダメージにボーナス

シークレットサービス:財産点を消費して対象のダメージを軽減

エグゼクティブ:財産点を消費して差分値二倍攻撃

※戦略分析:財産点を消費して対象の達成値にボーナス

予算陳情:財産点にボーナス

巧智術策:心魂値対決に勝利すればダメージ

精鋭兵団:軍団武器《精鋭兵団》を取得。


 シナリオボス、マクワイルド君です。本体は指輪です。
 やることの割に望みがショボいと評判の彼ですが、まあその辺についてはエンディングで語ってもらったので割愛。

 データとしては支援型のダスクフレアとなっています。
 ダスクフレアは作成時、能力値にボーナスポイントがあるのですが、その全てを【社会】につぎ込み、それに応じてもらえる財産点を増加、それを特技で増加、更に増加。PC側で最も【社会】が高いバルバの十倍の財産点を駆使して配下のモブエネミーたちを強化します。
 どれくらい強化してたかというと、一回のダメージブースト及びダメージ軽減につき六面ダイス20個分。期待値にして70となります。
 しかし金の切れ目がパワーの切れ目。リソースである財産点を削りきられて敗北と相成りました。
 作中で「プロミネンスで戦車とかを強化してるんだ!」って言われてましたが実際にダメージの増加や軽減に使ってたのはブランチ特技という罠。まあ、その原動力となる唸るほどの財産点はダスクでなければ実現しなかったものですし、実際にプロミネンスを分与してはいたのですけども。
 あと、カウンターで攻撃したら――つまり、突き返しに対しては――ダメージ軽減ができないというのはぶっちゃけルールミスです。軽減できます。普通に。
 まあその、あれです。セルカ先生が言ってたように、黒薔薇の指輪とマクワイルドの齟齬の演出、みたいな感じでそこは軽減しないように行動設定されてたんだということにしといて下さい……。




[26553] 第三話『災厄、彼方より』① その名は美酒町
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/05/08 22:50
【セッショントレーラー】

 三千世界で最も新しい孤界、美酒町。
 
 そこに持ち込まれた災厄の種を巡り、様々な者達がしのぎを削る。

 人、神、龍、テオス、VF団。

 種の力を求める者たちの周りで、操り糸のように蠢く黒い炎。

 人々の願いを、欲望を、祈りを喰らって災厄の種が芽吹くとき、大いなる恐怖が具現化する。

 小さな、しかし確かにそこに人の生きる新たな孤界を守りきれるか、カオスフレア!


――異界戦記カオスフレア Second Chapter――

『災厄、彼方より』


 人よ、未来を侵略せよ!





Scene1 恋する改造人間


 蜂須賀風太郎、年齢16歳。県立美酒高校へ通う男子学生。成績は中の下、運動そこそこ、帰宅部所属で最近覚えた趣味は料理。
 しかしてその正体は、三千世界の全てを飲み込み、その果てに星王ディオスの下で創世を引き起こさんとする大星団テオスに所属する戦士である。
 テオスはこれまでに幾つもの孤界や星を併呑してきた多世界帝国であり、その中には様々な階級が存在する。風太郎が属する階級は『バンダーラ』。被征服世界の民が肉体改造を受けた、言うなれば奴隷戦士とでもいうべき階級だ。
 大抵のバンダーラは人ならぬ怪人の姿へと変わり、その姿で通常過ごす事になるが、風太郎は普通の人間と変わりない見た目をしている。黒髪黒目、一般的な美酒町の住人と称して問題ない容姿だ。これは風太郎の元々の姿であり、これと、とある特徴のために彼は人間態への変身能力を与えられ、現在の任務を受けてここにいる。


 ――最近新しく出来た世界、美酒町、か。
 風太郎は心の中だけでそう一人ごちた。自身の置かれた境遇と、催眠暗示で意識に焼き付けられた蜂須賀風太郎としてのプロフィールを思い返してため息をつく。
 
 
 テオス上層部が行ったとある計画――風太郎のような下っ端にはその内容は伝えられていない――の影響で生まれたこの孤界は、いくつかの特徴を持っている。
 一つ、孤界として誕生してから年月が浅いために不安定であり、ふとしたことで崩壊を招きかねないこと。
 一つ、始原世界オリジンと密接な関わりを持ち、両世界の存在を知覚した者は比較的容易に世界移動を行えるという事。
 一つ、ここはとある孤界を模して作られた孤界であり、テオス上層部はここ美酒町を通じてその孤界へ通じるルートを構築する手法を模索しているということ。


 風太郎がこの世界において期待されているのは(厳密には風太郎達を束ねるテオスの司令官が期待されているのは)、先に挙げた特徴の三つ目に関する手がかりを掴む事だ。
 『蜂須賀風太郎』はその任務のためにデッチ上げられた名前で、彼はその名を持つ学生として美酒町で暮らしながら、どんな些細な事でも目に付いた事を報告するよう、申し付けられている。
 他にも風太郎が請け負うべき任務が一つ存在しているが、そちらは美酒町とは関係なく、常に風太郎という存在について回る任務だ。それがあるからこそ、バンダーラという戦闘要員をこうして潜入任務に使っている、という側面もある。


 長々と語ったが、つまり現在の風太郎が果たすべき任務は、ここ美酒町で暮らしつつ、気になったことを上に報告するだけである。
 もちろん、任務である以上、意識して情報を仕入れる必要がある。どんな情報がテオスの求める結果に繋がるか分からないのだから、それこそアンテナを高くして様々な事象に気を配らなければならない。
 多くの人と言葉を交わすことも無論必要だ。
 また、言葉を交わす対象が、普段から人と接する立場――例えば、そう、あくまで例えばだが、花屋の店員などをしていて、客から世間話などの形で色々な話を聞いていたりすると、情報源として接する価値は非常に高いと言えるのではないだろうか。
 つまり、これから風太郎が会う人物は、テオスの作戦行動上、重要な人物と言っても差し支えないのだ。決して、これは私情の混じった行動ではないのである。


「こ、こんにちはっ」
 理論武装を終えた風太郎が、やや緊張気味の声を出す。
 『フラワーショップ・六花』の店内で植木鉢の陳列の乱れを直していた女性が振り返った。
「はーいっ……あら、いらっしゃいませ、蜂須賀クン」
 にっこりと微笑むのは、この店の店主、烏羽雪見だ。風太郎が見るところ、おそらく年齢は二十台半ば。雪の降る日に生まれたから雪見、という名の由来は、風の強い日に生まれたから風太郎、という設定を話した際、彼女から聞いたものだ。少し親近感が沸くと言われたときには、この設定にした過去の自分に勲一等を贈呈したい気分だった。


 彼女と出会ったそもそものきっかけは、風太郎が美化委員に選出された事がきっかけだった。自分から立候補したというわけではなく、なり手がいなかった美化委員をくじ引きで決めた際、風太郎が当たりを引いてしまったのだ。いや、振り返ってみればそのくじは風太郎にとってまさに当たりだったわけだが、そこは置いておく。
 気が進まないながらも参加した美化委員の会合で、校内の美化活動の一環として各所に花瓶を置き、花を生けるというものが可決された。初回の花の購入係を決めるアミダ大会の末、見事当選した風太郎は、その日『フラワーショップ・六花』へとやってきたのだ。
 初めて彼女を目にしたその瞬間、風太郎はテオスと同じように美酒町に潜伏しているVF団のエージェントからなんらかの攻撃を受けている可能性を真剣に検討した。
 体に電流が流れたかのような衝撃。顔は熱を持ち、鼓動のリズムは16ビートでもまだ追いつかない。足元はおぼつかず、のどはからからに乾いてひりつき、上手く言葉が出てこない。
 簡潔に言えば、つまりは一目惚れだった。


「今日も美化委員のお花かしら?」
 初めてこの店に来て以来、美化委員の花の買い付けは全て風太郎が行なっている。委員会の中では校内の美化に熱心な花好きの乙女系男子、との評判が立ちつつあるが、この店に来る回数を増やす口実を得るという目的の前には些細なことだった。
 ほんの少し首を傾げる雪見の仕草は、年上だという事を忘れさせるくらい可愛らしい。すぐさま携帯で写真を撮って待ち受けにしたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢。
「いえ、今日は友人の見舞いで。ちょっと怪我をして入院してるヤツがいるんですよ」
「あら、そうなの。……わざわざお花持参でお見舞いなんて、女の子かしら?」
 ちろりと悪戯めいた流し目を送られて風太郎はどぎまぎするが、今はそれどころではない。キッチリ言うべきことは言っておく。
「いや、ヤローですから! ダチがすっころんで足にひびを入れちまったってだけです!」
 力強く、きっぱりと否定する。男友達の見舞いに花束というのもどうなのかという思考も無いではないが、所詮は口実である。不評なようなら次回からは花と一緒に何か食い物でも差し入れてやればいいだろう。


 そんな風太郎を一瞬きょとんとしたように見つめ、雪見が微笑む。心なしかその笑みは、いつもより艶を増しているように感じられ、なおさら風太郎は落ち着かない心持ちになった。
「あら残念。蜂須賀クンの恋バナが聞けるかと思ったのに」
 わざとらしく小さなため息を残して雪見が身を翻す。少し屈み込んで花を幾つか取ろうとし、それから思い出したように振り返った。
「いけないいけない。ご予算はいかほどかしら、蜂須賀クン?」
 こちらに向けられた、雪見の背中からお尻へのラインをつい目で追っていた風太郎は慌てて視線をそらして予算を告げる。承りました、と短く返事をして、雪見は手際よく花束を作っていく。
「はい、完成。どうかしら、男の子が貰っても不自然じゃないように色なんかには気を遣ってみたんだけれど」
 出来上がった花束をこちらに見せての雪見の問いに対して、もちろん風太郎に否は無い。仮に極彩色のサイケな花束を作られても首を縦に振っていただろう。
「うん、じゃあこれはいつも来てくれる蜂須賀クンにサービスね? 花言葉は『友情』よ」


 にっこりと笑って紫色の花を一輪付け加えた雪見に礼を言い、支払いを済ませて風太郎は店をあとにする。
 花束を手に、上機嫌で少し歩いてから、ふと店のほうを振り返る。『フラワーショップ・六花』の店内では、雪見がレジカウンターに座って何か書き物をしている。帳簿か何かだろうか。
 少し頬を緩めているあたり、何かプライベートな手紙とかかも知れない。
 ――まさか男とか!?
 暴走する思考に自爆しそうになったとき、雪見がふと顔を上げた。その視線が風太郎のそれとがっちり噛み合う。遠くから彼女を眺めていた事がバレて、気恥ずかしさと後ろめたさからすぐに風太郎は視線を逸らし、そのまま足早ににその場から歩き去る。
 ――早いトコ病院に行って用事を済ませちまおう。
 そう思った風太郎の前を小さな影がよぎる。羽音を立てて八の字を描くように飛ぶそれは、ミツバチだ。
 ミツバチは、風太郎が手にする花束には目もくれず、しばらくその場で複雑な機動を描いて飛行してから、どこへともなく飛び去って行った。
 あとに残るのは、憧れの女性と話をしてきたことに浮かれる男子高校生ではない。
「美酒町に、事前申請なしのプロミネンス行使の痕跡あり、か」
 鋭く呟いたその顔は、戦士のそれだった。



Scene2 ティータイムの闖入者


「今帰ったよ、ポーラ」
 美酒町郊外、綾沢山のふもとにある自宅へ帰りついたイェトライロム教授は、ドアをくぐるなり室内へ声を投げる。
「はあい、お帰りなさい教授ー!」
 ぱたぱたとスリッパの音を響かせてやってきたのは、県立美酒高校の制服を身につけた亜麻色の髪の少女だ。肩ほどまで伸ばしたふわふわの髪を揺らし、黒目がちな瞳を輝かせている。セーラー服のリボンの色は青、2年生である。
「丁度お茶の用意ができたところですよぅ、教授」
 教授の手から山高帽とインバネスコートを受け取りながら、少女が微笑む。
「ありがとう、ポーラ。すぐに頂くとしようか」
 山高帽の下から現れた二つの耳をふるりと動かして、教授が目を細める。
 その顔は人間ではなく、猫のものだった。


 イェトライロム教授は最近になってこの美酒町へやってきた人物である。
 以前にいた場所はアルビオン。始原世界オリジンの地底世界に存在する、ビクトリア女王の統治下にある王国だ。
 そこは獣相と呼ばれる、獣の体の一部を特徴として体に宿した人々が主に暮らす世界であり、イェトライロム教授のように顔が他の動物といった例の他に、眼や耳といった感覚器官だけ、もしくは手や足といった体の末端部分だけというような獣相を持つ人々も見られる土地だ。
 本来、ここ美酒町にはこのような獣相を持った人間は存在していないのだが、どうも教授を見ても「ちょっと変わった人」程度の認識しか持たれていないようだった。首を傾げながらも、コレはコレで都合がいい、とその恩恵にあずかっているのが現状である。


 書斎の隣にあるリビングへ出向くと、彼の助手である少女、ポーラ・ロックがテーブルにティーセットを運んでいるところだった。ちなみに彼女に獣相はない。外見的には、完全に普通の人間である。
 教授が優雅な動作で椅子に腰を下ろすと、ラズベリーのディップを添えられたスコーンの皿が供され、それからカップに紅茶が注がれる。すん、と鼻をひくつかせてその香りを楽しんだ教授の表情が微かに動く。


「うむ、いい香りだポーラ。腕を上げたようだな」
 賞賛の言葉を受けたポーラがまず最初にしたことは、教授の顔を覗き込むことだった。五秒ほどもそうしてポーラ自身のそれとはいささか趣の異なる教授の顔を凝視していた彼女は、やがて安心したようににっこりと微笑む。
「えーへへー。教授の頬ヒゲがぴくぴくしてるときは満足してるときだから、今回はお世辞じゃないですよねー。やったあ!」
 上機嫌に言い放ち、その場でくるりと綺麗なターンを決める。そのままの勢いで、やや乱暴に教授の向かいの椅子へ腰を下ろした。
「ポーラ。今のはレディの作法ではないな」
 ぴくぴくしている、と評された頬ヒゲをしごきながら、縦長の瞳孔をきゅっと細めて教授がポーラを見やる。
「はあい、ごめんなさいでしたぁ。教授」
 殊勝な態度でポーラが頭を下げると、教授は鷹揚に頷いて応える。彼の頭にある耳が一度、ぴくりと動いたのを見、ポーラは教授がもう怒っていない事を確認して安堵の息を吐いた。


「学校はどうだねポーラ。何か変わったことは?」
 教授は紅茶とスコーンを堪能しながら、テーブルの向かいに座るポーラに問いかける。
「うーん、特に変わったことはなかったですよぅ。コレも――」
 言葉と共にポーラの右手が自分の左手首を掴む。そのまま左手首を捻るような動きをすると、金属質の音が響いた。
「――バレたりはしませんしぃ」
 言葉を切った彼女の右手は、先ほどと同じように自分の左手首を掴んでいる。いや、彼女の左手は、肘の辺りから外れていた。
 ポーラが肘までだけになった左腕と、右手に持った肘からだけの左手を教授に向けて振ってみせる。
「軽々しくそれをやってはいけないといつも言っているだろう、ポーラ?」
 軽くため息をついて、教授がポーラを嗜める。はあい、と返事をして腕を元通りに接続しながらも、ポーラはどこか不満そうに頬を膨らませてみせた。
「でも教授ぅ。私は教授がスゴイ人だってみんなに知ってほしいんですよぅ。私やチックちゃん達を作るのなんて教授じゃなきゃできないでしょぅ?」
 拗ねたようなポーラの口調に、しかし教授は軽く苦笑を漏らすだけだ。優雅な手つきでカップを口許へ運び、紅茶の香りを楽しんでから口に含む。
 目線でポーラにもお茶とお菓子を楽しむよう促すと、まだすこし口を尖らせたまま、ポーラもカップを手に取って紅茶を口にする。
 自分の仕事振りを確認するように頷きながら紅茶とスコーンを一口ずつ口にしたポーラに、教授が諭すような声色で話しかけた。


「前にも言ったと思うがね、ポーラ。私が普段から目立つのはあまり良くない。何せ私は犯罪者でもあるわけだからね。仕事に関して必要があると判断したならその限りではないが、普段はひっそりと地味に暮らしていきたいのだよ」
「犯罪者って言っても、私が教授にお仕えするようになってから、教授が悪い事してるの見たことないですよぅ」
 両手でカップを包むように持ち、まだ納得がいかないという表情のポーラ。
「これでも私は仕事を選り好みするタチなのだよ、ポーラ。やるとなれば自身の美学に反しない限り、どんな悪どいことでもやってのけるとも」
 どこかからかうような色を混ぜてそう言い、再び紅茶を口に含む。亜麻色髪の助手はそれを真似るようにカップを傾け、それからこう尋ねた。
「じゃあ、教授は今までどんな悪い事をしたんですかぁ?」
 教授は、その質問にほんの数秒考え込み、それから真剣な声と表情を作った。
「今のところ、最後にやったのは人攫いだよ、ポーラ」
 ぽかん、という表現がふさわしいだろう。ポーラはそんな風に表情を固め、再起動までにたっぷり三十秒をかけた。
「ど、どうしてその人を攫ったんですかぁ? あと、その人は今、どうしてるんですかぁ!?」
「私が、そうしなければならないと考えたからだよ。例え法がそれを禁じていようとも、私が是としたならそれを行う。まさに犯罪者だろう? その人が今どうしているかは……そうだね、今は秘密にしておこうか、ポーラ」


 答えの半分をはぐらかされたポーラが少々難しい顔で考え込んでしまったのを視界の端に意識しながら、イェトライロム教授はあくまでマイペースにお茶の時間を楽しむ。
 そして、そうしながらも教授の頭脳は目まぐるしく回転していた。
 ここ最近、美酒町に、いや、そこに入り込んでいる者達の間に、はっきりとは言えないが嫌な雰囲気がある。
 教授が拾い上げたいくつかの情報。それらを繋ぎ合わせたときに、騙し絵のように浮かび上がってくる、なんらかの思惑の輪郭。
 そうした何かが、今の穏やかなリズムを狂わす不協和音となるかもしれないと教授は見ていた。


 とは言え、現状では何が起こる様子も無く、下手にこちらから動けば藪をつついて蛇を出す結果になりかねない。今は備えに注力する時期だろう、と結論を下す。
 ふとポーラの方へ目をやると、おそらくぐるぐると思考を渦巻かせているせいで、手元が疎かになっているのだろう。スコーンにかぶりついたまま、動きを止めてしまっている彼女に一声かけようとした、そのときだった。
 

 教授とポーラがティータイムを楽しんでいたリビングの隣、教授の書斎から、ひどく騒がしい物音が響いたのだ。何かが落下し、ぶつかり、他の何かがまた落下する。そんな音だ。
 びっくりしてスコーンを喉に詰まらせ、涙目になっているポーラを横目に、教授はするりと椅子から立ち上がり、滑らかな動作でドア横に張り付く。そのまま室内の物音を伺うと、なにやらうめき声のようなものが聞き取れた。
 教授はポーラにその場で待つように一声かけると、何が起こっても対処できるよう身構えながら、慎重にドアを開けた。


 書斎に置かれていた本棚の一つが、そばにあった机にもたれかかるようにして倒れこんでいる。もちろんその中身は床や机の上にぶちまけられていた。
 書物は丁寧に扱うのが信条の教授は、内心で大いにこの惨状を嘆きながらも、その注意は別の一点に向けていた。
 倒れた本棚と、それを支える机の間、半ば本に埋もれるようにして、一人の少女が倒れている。
 深緑のブレザー身を包み、黒髪をポニーテールにまとめている。ざっと観察したところ、取り立てて武装はしていない。また、大きな怪我もないように見えた。
 教授は小さく一つ頷くと、少女の傍に膝を付き、片手で彼女の手を取り、もう片方の手を背中の後ろに差し入れて状態を起こさせる。
 この体勢からなら、例え彼女が起きるなり暴れたとしても腕をねじ上げて押さえ込むことが出来る。紳士の行いとしては少々問題があるが、非常事態ということで教授は自身を説き伏せた。


「君、大丈夫かね?」
 少女の体を少し揺らしながら問いかけると、彼女の目がうっすらと開く。
「……あ、あれ……?」
「目が覚めたようだね。ここは私、イェトライロムの書斎だ。突然物音がしたと思ったら、君がここで倒れていた。ノックにしては少々乱暴だったし、家に訪ねてくるにしても入ってくる場所が違うと思うのだが、そのあたりの事情を尋ねても構わないかね?」
 ややぼうっとした様子で部屋の中を見回す少女に、ゆっくりと語りかける。彼女ははっとしたような表情で教授に向き直り、頭を下げた。
「す、すいません、あたし、高等部2年8組の雪村あさひって言います。なんかワープっぽいのに巻き込まれてここへ来ちゃったんですけど……。教授で書斎ってことはここは教員棟なんでしょうか? あと、私と一緒にシアルが――金髪の女の子が来てませんか?」



Scene3 魔法淑女ラディカル☆スノウ


 美酒町は、まだ生まれて間もない孤界である。
 故にその存在は不安定であり、少しのきっかけで世界としての形を失い、ただのフレアに還ってしまいかねない。
 まさにそれを為して大量のフレアを得ようという輩や、そこまで行かなくとも美酒町に悪影響を与え、自分に都合のいいように作り変え、征服しようという輩は数多い。


 だが、それと同じくらいに、美酒町を守ろうとする者も数多い。そうした存在の筆頭は、美酒町という孤界の神である世界霊アイオーンメルキオールである。
 彼女は夢を通じて美酒町の住人に警告を与えたり、自身の力や心の欠片を宿した代理人を派遣し、それを通じて美酒町を守ろうとする者を支援しているのだ。


 そして今、美酒町の夜空をメルキオールの加護を受けた一人の守護者が駆け抜けていた。シルエットからして女だ。
「ここんとこ何かと騒がしいわよねえ。テオスだっけ? 下っ端をうろちょろさせて何やってるのかしら」
 屋根から屋根へ、素晴らしい跳躍力で飛び移りながら愚痴をこぼす。白を基調に、ところどころに黒をアクセントとして配したコスチューム。全体的にフリルとレースをメインにデザインされているが、スカート部分は短く動き回るのに適した作りになっている。その下にスパッツをはいているのも、その印象を助長させていた。
「きっとろくでもないことに違いないモン! パトロールの強化が必要だモン! 気合入れるんだモン! スノウ!」
 特徴的な語尾で甲高い声を上げるのは、彼女の二の腕にしがみついている、白い小さなサルだ。


「あのねえシャンパーゼ。出来ればこの格好で街中を出歩くのは極力控えたいんだけど……」
 スノウと呼びかけられた彼女は、相変わらず人間離れした身軽さで跳躍を繰り返しながら自分の服装を改めて見やる。
 ひらひら、ふわふわの可愛らしい意匠。一言でこれを表現するなら、『魔法少女』だ。さすがに自身の年齢を鑑みて、少女、などと名乗れるほど恥も外聞も捨ててはいないので、名乗りを上げる(そんなことはしたくないのだが!)ときには『魔法淑女』の名を使っている。
「心配要らないモン! 前にも説明したとおり、メルキオール様のご加護で、『ラディカル☆スノウ』に変身中は、顔を見られても正体には気づかれないんだモン!」
 得意げに胸を張る小さなサル、シャンパーゼに、げんなりとした様子でスノウが問いを投げる。
「ホントに大丈夫なんでしょうねえ、それ。なんか妙な落とし穴とかあったりしないの?」
「例外は存在するモン!」
「ンだとぅ!?」
 続けて胸を張って断言する小猿に、流石にスノウは足を止めて、二の腕から彼を掴み上げた。
「聞いてないわよ!?」
「聞かれなかったモン!」
 がくんがくんと揺らされながら全く悪びれずに言い切る小猿。聞きようによっては詐欺師の台詞なのだが、どうもそのあたりの感覚がズレているらしい。
「じゃあ今すぐ吐きなさい! 例外って何よ!?」
「お、おお、落ち着くんだモン!? まずはいったん手を止めるモン! 脳ミソが攪拌されてしまうモン!?」
「はン。そのまま生クリームにでもなればいいのよ」


 言いながらもスノウが小猿を揺さぶっていた手を止める。やれやれ、と彼は額の汗を拭うような仕草を取ってから、
「例外は二つだモン! まず、もとからスノウの正体を知っている相手には効果がないモン!」
「……まあ、妥当なセンよね、それについては。もう一つは?」
 スノウに首の後ろを掴まれてぶら下げられたままの姿勢で小猿は腕を組み、重々しく頷いてみせる。
「真実の愛の前にこの術は効果を発揮できないんだモン!」
「……真実の愛? ってことは……!」
 一瞬だけ考え込んだスノウの表情が強張る。我が意を得たり、という表情でシャンパーゼがサムズアップ。
「スノウの正体に恋してる相手には変身してても顔バレするんだモン!」
 イイ笑顔で断言したシャンパーゼの台詞に物理的な衝撃を受けたようにスノウが仰け反り、
「ちょ、それ大問題じゃないのっ! もし私に影ながら恋してる顔よし性格よし収入よしの男性との縁がそれで切れたらどうしてくれるのよっ!?」
「……うわー。喪女の妄想マジ引くわ……」
「素!? アンタいま、素で返したわね!? 日頃どんだけウザいっつってもモン語尾取らないくせに!」
「気のせいだモン! それに心配要らないモン! 仮にそんなのがいたとして26にもなった独身女が魔法少女のコスプレで夜の街を徘徊してると知ったら百年の恋も醒めるモン!」
「アンタが原因でしょうがこのエテ公っ!」
 スノウが咆哮とともに手に掴んでいたシャンパーゼをふわりと空中に投げ出す。
「モン?」
「くたばれ乙女の敵っ!」
 次の瞬間、美しい円弧を描いてスノウのハイキックがシャンパーゼの顔面をとらえる。今まで美酒町の平穏を脅かす輩を幾度も叩き伏せてきた足技が、いかんなくその威力を発揮して白い小猿を吹き飛ばす。
「乙女ってガラかモーン!?」


 スノウは額に手をかざして、シャンパーゼが随分と景気よく吹っ飛んで行った方へ目を凝らす。飛ばされていく際の台詞にも余裕があったようだし、そもそもこれくらいであの小生意気なサルがどうこうなる事がないのは今までの付き合いで把握済みである。
「……はあ。帰ろ」
 だから、疲れたようにため息をついて肩を落とした彼女は、相棒を顧みることなく家路についた。


「エラい目に遭ったモン! 謝罪と賠償を要求するモン!」
「予想してたとは言え、こうもあっさり帰ってくるとムカつくわ……」
 自宅に帰りつき、部屋で趣味の執筆にかかってからしばし。シャンパーゼはきっちり彼女の元へ戻ってきた。
 ちなみに今は変身を解き、パジャマ代わりのスエットを着用している。
「仮にもこの世界の守護者、メルキオール様の使いであるボクを蹴り飛ばしておいて探しに来ないとはどういうことだモン!? しかも先に帰ってやってることといえばエロ漫画を描いてるときたもんだモン!」
「BL本と言いなさいよ。別にいいじゃないの。アンタの安否より、明日のイベント用のコピー本を描く方が有意義だわ」
「相変わらず酷い言い草だモン!」
 ぶつくさと文句を言いながら、シャンパーゼが彼女の手元を覗き込む。少しの間そのまま原稿を眺めていたかと思うと、やにわに首をかしげた。
「片方の男子はどこかで見たような顔だモン?」
「……気のせいよ」
 内心でぎくりとしながらも、それを表情には出さずにやり過ごす。
 この小猿の感想は実は的を射たもので、彼女の知り合い――経営している花屋によく来る男子高校生をモデルにしているのである。


 もともと彼女の店は、その性質から男子高校生などというカテゴリの客層はあまり来ないのだが、彼は数少ない例外だ。
 ただ、それだけでは流石に作品のモデルにはしない。
 きっかけは、今日の午後に彼が店に来たときの会話だ。
 普段は美化委員の活動の一環として花を買っていく彼が、今日は病院に見舞いようの花束を買うという。好奇心から女の子か、と尋ねてみれば、妙に力の入った様子できっぱりと否定し、男友達に買って行くのだと力説したのだ。
 彼女のスイッチが入った瞬間である。
 思わずニヤつきそうになった頬をすんでのところで押し留め、花束を作り、彼に手渡した。
 渦巻く妄想に衝き動かされておまけに付けた花は紫のライラックで、花言葉は『友情』の他に『愛の芽生え』などがある。
 彼が店から離れるとすぐさまレジカウンターに座ってノートを広げ、簡単にネームを切る。自分の顔に笑みが浮かび上がるのを自覚しながらそうしていると、ふと視線を感じて顔を上げた。
 ばっちり彼と目が合って、やや気恥ずかしい思いをするも、彼はすぐに視線を前に向けて歩き出したのだった。


「……ええ、単に創作意欲が突然刺激されて描いただけよ。特にモデルは設定していないわ」
 重ねて言う彼女に、シャンパーゼはやや胡乱げな視線を向けつつも、それ以上は突っ込んでこない。代わりにわざとらしくため息をついてみせる。
「明日はオリジンでイベントに参加するんだモン? まさか同人誌即売会のために世界移動されるとは思わなかったんだモン」
 皮肉の色をたっぷりと乗せたシャンパーゼの台詞にも、彼女はふふんと機嫌よさげに笑ってみせた。
「ええ、それについては、コツを感得させてくれたアンタに感謝すべきね。向こうは刺激が一杯だわ」
 彼女はそう言って一枚の紙をちらつかせる。それはカラフルに印刷されたチラシで、大きくこんな文言が記されていた。
『リオフレード魔法学院・地球文化研主催同人誌即売会』


 彼女の名は烏羽雪見。
 美酒町の平和を守る『魔法淑女ラディカル☆スノウ』にして、ここ数回のリオフレード学院の同人誌即売会に現れて人気を博している個人サークル『クロウズ・ネスト』の主である。



Scene4 即売会より色んな意味で愛を込めて


 予想よりずっと軽い音と共に彼女はそこに倒れこんだ。
 操縦者たる彼女と、それに従う金髪のアニマ・ムンディの体を受け止めたパイロットシートは、優れた衝撃吸収力を発揮して二人をしっかりと受け止める。
 だから彼女がそのとき感じたのは衝撃ではなく、慣性によって押し付けられた、アニマ・ムンディの体の柔らかさだ。
 体が熱を持っているのが分かる。いや、熱くなっているのは頭の中身かもしれない。
 口許から零れる、自分のものとは思えないような悩ましい吐息も、まつげが触れ合うほどの距離にある金の瞳に映り込んでいる自分の視線も、身も世もない熱に浮かされていたから。
 一旦は拒絶され、しかしこうして今、MTのコックピットで身を寄せ合っている。
 仲違いと、それによって会えなかった時間そのものが、燃料となって彼女の体と心に火をくべる。
「もう、離すつもりはないからね」
 片手で彼女の腰を抱き寄せ、もう片方の手を後頭部に回し、滑らかな金髪をくしけずりながら、その狭間に見える耳元へ唇を寄せてささやく。
「わ、わたしは……」
 戸惑うような声。
 拒絶と呼ぶにはあまりに弱々しい力でこちらの体を押し返そうとする彼女の腕。
 唇に嗜虐の色が混じった笑みを乗せて、彼女の耳朶に触れるか触れないかという位置で言葉を作る。
「あたしのこと、キライ?」
 自分でも卑怯だと思う問いに、答えは返らなかった。代わりに彼女の唇から漏れ出したのは、我知らずといった熱い吐息。そして、その腕からとうとう全ての力が抜ける。
 腰に回した手に力をいれ、ぐっとお互いの体を密着させる。彼女が一瞬だけ体を強張らせ、しかし、すぐに諦めたように、あるいは安心したように弛緩した。
「ふふ。可愛い」
 抱き寄せられた事よりも、むしろその言葉から逃げるように彼女が身をよじる。今度は彼女の頭に回した手に力を入れてその動きを止め、その首もとへ頬を寄せる。
「は、あ……」
 彼女の口から、言葉とも吐息ともつかない音が零れ落ちる。それと同時に震えた喉もとへキスを落として、
「逃がさないって言ったでしょ?」
 ぶるり、と彼女が全身を震わせるのが間違えようもなく伝わってくる。
 それは恐怖か、戸惑いか。
 願わくば自分と同じ、歓喜でありますように。
 心の中でだけそう言葉にして、彼女の腰にあった手をお腹のほうへと滑らせる。そこから背筋、肩へと彼女の体を震えが伝っていくのをぴったりと寄せ合った自分の体で感じながら、ゆるゆるとその手を動かす。
 制服の上からほっそりとしたウェストを撫で、びっくりするくらい高い位置にあるへその周りで指先をくるりと回し、そのまま脇腹を通ってさらに上へ。
「あ、やぁ……」
 ぎゅっと目をつぶってようやくそれだけを口にする彼女の胸元へ、その手が――



「なんっじゃ、こりゃああああああああ!!」
 とある休日、地球文化研究会主催の同人誌即売会場にて、雪村あさひが一冊の同人誌を手にしてあげた咆哮である。


◆◆◆


 三千世界のあちこちから界渡りがやってくるオリジンにおいても、地球とは、伝説の孤界として人々の口に上る存在である。
 その理由は、言うまでもなくフォーリナーだ。
 ダスクフレアに対する究極の切り札たりえる絶対武器を持つ、強大無比なフレアの持ち主。その故郷であり、また三千世界のどこからだろうと、どんな勢力だろうと、地球への世界移動手段が確立されていないことも、その神秘性に拍車をかけていた。
 極端な場合、「地球とは絶対武器マーキュリーに溢れた孤界である。屋根も道路もマーキュリーで出来ている」などという風聞が流れていた例さえある。
 地球がどんな場所かを告げるのは、そこからやってきたフォーリナーたちの言葉と、時折偶然でオリジンに流れ着く地球の物品(様々な世界からの品物がオリジンには漂着してくる)である。
 そうした数の少ない証言や証拠物品から、謎と神秘のヴェールの向こうに存在する孤界、地球の文化について解き明かそうとするリオフレードの学生の集まりが、地球文化研究会。通称、地文研である。


 地文研の活動が、同人誌の製作やその発売、コスプレ発表のイベントに偏る理由については、史上初のダスクフレアと刺し違え、しかし今もなおオリジンを守護しているというファーストフォーリナーの趣味であったという説や、そもそもフォーリナーの出身地として上位を占める日本やフランスという国がそういう文化を持っているために自然にそうなるのだという説が出ているが、実際のところは判然としない。
 なんにせよ、地文研が、その構成員以外をも巻き込んで大規模かつ楽しげに、前述のようなイベントを運営しているのは確かな事である。


 雪村あさひはその日、そうした地球文化研主催の同人誌即売会場に足を運んでいた。
 発端はイベントから遡ること数日前、あさひが地文研のサークル部屋に乗り込んだことである。
 理由はもちろん、事あるごとにシアルにいらんことを吹き込む地文研の面々にひとこと物申すためだ。
 対する彼らの言い分はこうだった。


 そも、地球の文化について興味を示し、教えて欲しいというのはシアルからの要望である。
 また、我々は地球から流れ着いた品物に基づいてかの孤界の文化を研究している。本場の地球人から見れば偏っているのかも知れないが、自分たちにはそのあたりの判断がつかない。どこがおかしいのかを一度指摘して欲しい。


 前半はともかく、後半については、当初あさひは頷けなかった。
 そういったイベントに関する知識がほぼゼロであったため、当然と言えば当然である。
 が、この手のマニアは自分のテリトリーの話題を他人に話す事にかけては多大な情熱を発揮するのが世の常。
 あさひを押し切るように力の入った口調でイベントについて説明し、あさひが好んでいるような恋愛モノの小説などを創作して発表するサークルがある(後に判明した事だが、あさひの読書嗜好についての情報源はシアルだった)ことを持ち出すにいたり、一度見に行く、ということでその場が決着したのだ。
「あれ? なんであたし、向こうのフィールドに引き込まれてるの?」
 我に返ったあさひが首をかしげたのは、女子寮の部屋への帰り道の途中でのことだった。


 そしてイベント当日。
 クラスメイトの地文研メンバーに連れられて何冊か自身の趣味に合いそうな本を購入したあさひは、そのまま会場内を案内されていた。実際にそこで本を買ってしまったあさひとしては、他にも面白いのあるかもしれないよ、との言葉に真正面から否定をぶつけづらかった、というところもある。その辺りまで含んだ案内のプランだった可能性もあるが。
 ちなみにイベント会場は学院内ではなく、NSS空軍基地の屋内訓練場である。
 何故かNSS内には地文研に同調する兵士が多く存在しており、特に地球の用語でいうところのSF系がウケているらしい。中には有志でサークルを作って参加する剛の者まで存在しているとのことだった。


 そうこうしながらあさひが連れてこられた一角。そこへ足を踏み入れた瞬間、あさひの中の何かが警戒を促す。ぴりりと肌を刺すような緊張を身に纏ったあさひに、差し出された一冊の本。
 表紙に線の細い、やや幼くも鋭い目をした美少年と、浅黒い肌の青年が並んで描かれているそのタイトルはこうだった。


『フォルテのプリンスさまっ! 12 ~飲み込んで、僕の浅井一文字~』


「こ、これは……!?」
 あさひにも幾ばくかの知識はあった。地球にいたころ、友人から勧められたこともある。いわゆるBL本である。
「い、いやあ、あたしこういうのは……」
 見目良い男子が並んでいたり、仲良さげにしているのは見ていて楽しい。目の保養になる。そこまではいいだろう。あさひも大きく肯いて同意するところである。
 が、それがくんずほぐれつ、18歳未満お断りなアレやソレに発展するとなると、ちょっと待ったコールを挟まざるを得ない。そして、もうこの本はサブタイトルからしてその辺りに抵触しまくっているとしかあさひには思えなかった。
「ああ、雪村さん17歳だっけ? まあ大丈夫だよ。ここはオリジンだし、地球の法律はノーカンってことで」
 案内役のクラスメートがあっけらかんと言い放つ。
 そういうことではない、と声を大にして言いたい。というか言った。
 

 あさひの言を受けると、ううん、と案内役は首をかしげ、それからぽんと手を打った。さっとその場を離れ、近くのサークルから見本用の同人誌を一冊借りてくる。
「つまり、こういうことよね!」
 得意満面の笑顔と共に差し出された本の表紙には、金髪碧眼の白いドレスの少女と、艶やかな黒髪を長く伸ばし、着物を着崩した少女が描かれている。なんというか、必要以上に仲良さげで、熱く見詰め合った様子で。ちなみにタイトルはこうだった。


『プロパテール様は見てるだけ 9 ~品川離宮で一晩中~』


 だからそういうことじゃねえ、とか、サブタイトルが親父臭いにも程があるとか、突っ込みどころは満載だったが、あさひが何より突っ込みたかったのは、
「エニアさんと信長さんじゃないのこれ!?」
 白いドレスの少女は、イスタム神王国の君主エニア三世に、着物の少女は、富嶽の星威大将軍、織田上総介信長にしか見えなかった。
「やだなあ。こっちの金髪の女の子はリニア三世で、黒髪の子は織田信永だよ? 前回のプロ見て8は信永×リニアだったけど、今回はリニア×信永なの!」
 
 
 何を言っているのか分からない。
 まず最初にそう思った。
 エニ――ではなく、リニアと信永の名前の前後が入れ替わるとどう違うのかも分からなかったが、聞かないほうがいいだろうと次に思った。
 タイトル末尾の数字から薄々と察してはいたが、どうやらこのノリで既に既刊が8冊もあるらしい。お上に怒られないのかと他人事ながらも戦慄するあさひ。
「いやまあ、最初にあるサークルがこの手法を始めたときはみんなびっくりしたんだけどね。それがヒットしてからは結構増えてきたジャンルなのよ。それにほら。巻末にはちゃんと『実在の人物・団体とは一切関係ありません』って明記されてるから! ……一応、今のところは怒られてないみたいだし、大丈夫なんじゃない?」
 あはは、と案内役が笑う。良くも悪くも順応性の高いオリジンの人々にあさひが半ば感心、半ば呆れていると、一人の女生徒がこちらへ足早に近付いてきた。
「おっつかれー!クロウの新刊と、突発のコピー本をゲットしてきた!」
 案内役に向けて笑みを投げかけた彼女は、どうやら案内役の同好の士であるらしい。作りの薄い冊子と、十枚ほどのコピー用紙を止めただけのものを案内役に差し出す。
「あ、いやっ、今は……!?」
 何故か案内役が慌てふためく。その姿を見て、あさひの直感が彼女に行動を指示した。今まで幾度も窮地を潜り抜けるための力となったフォーリナーの直観力に従い、案内役に手渡された冊子の表紙をひょいと覗き込む。


 そこに描かれていたのは、どこか見覚えのある金髪の女の子と、その背後から抱きしめるように腕を回している黒髪をポニーテイルにまとめた女の子だ。
 タイトルは『AMアニマ・ムンディガール ~思考回路はショート寸前~』
 そこまで認識した時点で案内役がその本をさっと隠そうとするが、その前にあさひが案内役の腕を掴んでそれを阻止する。そしてそのままにっこり笑って一言。
「すぐ返すから、ちょっと見せて?」
 案内役にはこくこくと首を縦に振る以外の選択肢はなかった。つまりは、そんな笑顔だった。


 そして、場面は冒頭へ戻る。
 明らかに自分とシアルをモデルにされた百合系18禁の同人誌である。
 この場で本を細切れにしたいところだが、すんでのところで思いとどまる。流石に他人が買ってきたものをいきなり破くわけにも行かない。
 本音では超破りたいがぐっとこらえる。
「その本の内容がどうしましたか、あさひ?」
 あさひから少し離れたところにいたために内容を見ていなかったシアルが不思議そうに首を傾げる。
「いや、なんでもないよ。シアルは気にしちゃダメ。この本も読んじゃダメ」
 シアルが微妙に不満そうな顔をするがこれは譲れない。ただでさえ情操教育が足りていないシアルにこれは悪影響が過ぎる。


「これ、どこ?」
 案内役に本を返しながら問いを投げる。怒りと動揺のあまりカタコトになっていたが、十分に意味は通じたようだった。案内役があさひの望む方向を指し示し、
「あ、あっち……こことは反対方向の壁際で、サークル名は『クロウズ・ネスト』」
「うん、ありがと」
 案内役にさっと手を振って目的の方角へ向けて歩き出す。決して急がず、しかし力強い足取り。会場内には人も多いし、ルールに定められてもいるので走り出したりはしない。
 だが、仮にそうでなくてもあさひは今のように一歩一歩を踏みしめ、刻み付けるようにして歩きながらそこへ向かっただろう。彼女の中にある、熱くて激しいものを、解放の瞬間まで押さえつけるために、だ。


「すいません、ちょっとよろしいですか?」
「あら、ごめんなさい、今日はもう売り切れで……」
 壁際に位置するそのスペースは既にすっかり片付けられていて、ただ一人、そこに残っていたあさひより大分年上に見える女性も、もう帰るところのようだった。
 軽く会釈を送りながらあさひのほうに向き直った女性がぴしりと硬直した。つうっと彼女の頬を汗が伝う。
 その反応を見てあさひは確信した。
 この人が元凶だ、と。


「ああー……ええっと、そのう……」
 だらだらと脂汗を流しながらその場に立ち尽くす女性。
「あの本について、説明していただけますか?」
 口調は丁寧だが、あさひからは壮絶な圧力が目の前の女性に向けて発せられていた。感情の高ぶりのあまりに黄金の火の粉がちろちろとあさひの周囲を舞い始めている。シアルが背後で若干引くほどの状態である。
「ああ、ううー、それはあ――」
 いよいよもって進退窮まった感の女性。
「ご――」
「ご?」
 そして、限界が訪れた。
「ごめんなさあーいっ!」
 くるりと踵を返し、脱兎のごとく駆け出そうとする。
「あ、ちょっ!?」
 が、フォーリナーの直感ゆえか、あさひの方が一瞬早い。さっと身を翻して女性の前に立ちはだかった、と思った瞬間、
「――え?」
 ふわりと体が浮かび上がるような、そんな感覚があさひに降りかかり、慌てたようなシアルの声を聞いたあと、次の瞬間に衝撃が訪れる。
 衝撃の種類は二つで、まずどこかにぶつかったようなもの、それからなにか――おそらくは本だ、とあさひはあたりをつけた――がどさどさと体の上にふりそそいでくるもの。
 そのうちの一つがいい具合にあさひのこめかみを直撃し、意識が遠のく。


 そして、沈み込んでいた意識が浮上する。
 どれくらいの時間がたったのかは分からないが、どうやら誰かに助け起こされているらしいことは分かった。体が揺すられ、深みのあるテノールの声が掛けられている。
 うっすらと目を開けて、そこにある顔をあさひは見た。
 猫である。だが、こちらの手を握っている白い手袋に包まれた手は人間のものだし、体は仕立てのよさそうなスリーピースに包まれている。
 一瞬混乱しかけるあさひだが、伊達にオリジンで月日を過ごしているわけではない。このテの友人はクラスにもいたことも手伝って、すぐに気持ちを立て直す。
「目が覚めたようだね。ここは私、イェトライロムの書斎だ。突然物音がしたと思ったら、君がここで倒れていた。ノックにしては少々乱暴だったし、家に尋ねてくるにしても入ってくる場所が違うと思うのだが、そのあたりの事情を尋ねても構わないかね?」
 そしてイェトライロムと名乗った猫顔の紳士にこちらの事情を説明し、分からない事を尋ねるべく、あさひは口を開いた。



[26553] 第三話『災厄、彼方より』② 界渡り
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/05/18 23:31
Scene5 同人作家とアニマ・ムンディ


 ぱっと目を覚ます。
 寝起きのよさは、烏羽雪見の取り得の一つである。
 イベント会場で、(こちらが一方的に)見覚えのある少女が片づけの終わったブースに現れたかと思うと、そのまま詰め寄られ、動揺のあまり世界移動して美酒町に逃げ帰ろうとしたところまでは覚えているのだが、それからどうなったのか。
 目に入る景色は、間違いなく自分の部屋だ。独身女性の部屋としてはちょっとどうか、というくらいの散らかりっぷりといい、その乱雑さを構成しているものの7割以上が趣味の本だったりする辺りからして間違いない。
 世界移動そのものをしくじったわけではないらしい、と判断して、ほっと胸を撫で下ろす。と、ふと視界の隅に、見慣れない色彩があることに気付く。
 散らかった床面を彩るように広がる、金の絹糸。いや、艶やかな金髪だ。
 もう見なかったことにしてしまいたい衝動が雪見を襲うが、それをぐっとこらえてその中心へと視線を向ける。
 そこに倒れこんでいるのは、やはり見覚えのある一人の少女。先ほど雪見に詰め寄った黒髪の少女と共にいた、アニマ・ムンディだ。


「あっちゃー……。世界移動にこの子を巻き込んじゃったのね……」
 だとするともう一人も近くにいるのでは、と思いきょろきょろと部屋の中を見回す。が、室内にいるのは自分と金髪のアニマの二人だけだ。
「うーん、別の場所に跳んじゃったか、あの子の方だけリオフレードに残ってるか……」
 どちらにしろ、責任をもって二人を引き合わせて元の場所に帰さなければ。黒髪の子と会うと怒られそうなので正直気が重いが、流石にそうも言っていられないだろう。
 雪見が深々とため息をつくと、部屋の隅に置かれている大きめのドールハウスのドアが軽い音と共に開いた。顔を出したのは、彼女の相棒、一見して白いサルのぬいぐるみにしか見えないシャンパーゼである。


「もうイベント終わったモン? 思ったより――」
 彼の言葉はそこで途切れた。視線の先にあるのは、床に倒れ伏した金髪の女の子。
 きっかり3秒、そちらを見つめてから、雪見へと視線を移す。それからあさっての方向を見ながら、不自然に声の調子を変えてこう言った。
「ええ、いつかはこういうことをやるんじゃないかと思っていましたモン。いつも怪しい創作活動に熱中していて、そのうち現実との境目を見失うんじゃないかと――」
「ストップ・ザ・偏向報道っ!」
 雪見がさっと立ち上がり、ワイドショーの報道風に喋り続けていたシャンパーゼを蹴り飛ばす。シャンパーゼの小さく白い体が壁にぶつかって跳ね返り、雪見の足元へ転がった。と思いきや、すぐにがばりと身を起こす。
「なにをするモン!?」
「や、か、ま、し、い、わ! 事情も聞かずに人を犯罪者扱いするとかどういうことなのよ!」
 シャンパーゼの頭を踏みつけて、ぐりぐりと足を動かす。ぬいぐるみっぽい見た目どおりの柔らかさを持ったシャンパーゼにはいまいち物理的ダメージはないようだが、それでもこの状況は屈辱的らしく、抜け出そうともがいている。
「事情も何も、状況証拠が出揃いすぎだモン! どう見ても誘拐か未成年略取の現行犯だモン!! メルキオール様、オー人事オー人事だモン! それから110番だモン!!」
「じ、事故よ事故!」
「故意ではないだけで、彼女をさらってきてしまったということは認めるんだモン?」
「そ、それはその……!」


 喧々諤々。
 ぎゃーすかと言い合いを続ける一人と一匹のすぐ傍でいつまでも気絶していられるわけもなく。
「……ここは……?」
 むっくりとシアルが身を起こした。
 そのまま何かを探すように視線をめぐらせてから、雪見にその金色の瞳が固定される。ぴしりと背筋を正し、言葉を放つ。
「失礼いたします。私はフォーリナー専用MT『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディ、リオフレード魔法学院2年8組、放送部所属のシアルと申します。先ほどあさひと話をしていた方とお見受けいたしますが、あさひがどこに行ったかご存知でしょうか? それからここがどこかお教え願えますか?」
 睨み付けるでもなく、口調も丁寧なものだったが、それでもそこには有無を言わせない意思と力が込められていた。


「え、ええっと、その……」
 シャンパーゼと言い合いをしているときとは打って変わって気圧された様子の雪見が現状を説明する。
 ここはオリジンではなく別の孤界、美酒町であること、自分は美酒町から世界移動してリオフレードでのイベントに参加していた者であること、あさひに問い詰められて動転し、世界移動を行ったが、どうやらシアルをそれに巻き込んでしまったこと、そして、あさひがここにはおらず、行方も分からないこと。
「ほんとーにごめんなさい!」
 一通りの現状を語り終えた後で、雪見が深々と頭を下げる。
「とりあえず現状については理解しました。謝罪を容れさせて頂きますので、以後お気になさらず。それから、あさひ――先ほどあなたに話しかけた黒髪の女生徒のことですが、彼女も近くにいるようです」
 つい、と視線を明後日の方向へさまよわせながらシアルがそう続ける。
「わかるの?」
「ええ、はっきりとした距離や方角は分かりませんが、少なくともオリジンに残っているということはありえないかと」
 寮の自室と同じ畳敷きの部屋で、靴を脱いで正座していたシアルがすっと立ち上がる。雪見に向かってぺこりと頭を下げ、
「では、すいませんが私はあさひを探しに行かなければなりませんので、これで失礼します」
 きっぱりと言い切って踵を返し、部屋を出て行こうとする。
「ああ、ちょっとストップストップ!」
 慌てた様子で雪見がその手を取ってシアルをその場に留める。不思議そうな顔をするシアルに、雪見はにっこりと笑って見せた。
「私も手伝うわ。……っていうか手伝わせて? 流石にここで放り出すのは無責任に過ぎるもの」
「よろしいのですか?」
「大丈夫よ。今日はイベントに出るつもりで店も休みにしてあるし」
「もともと雪見のせいだし、気にする事はないモン!」
 ひょいと肩をすくめる雪見をシャンパーゼがまぜっかえす。シアルはしばし考え、一つ頷いてから雪見に向き直り、
「では、よろしくお願いいたします」
 深々と頭を下げた。


 雪見の家を出た二人と一匹は、シアルの「なんとなくこちらのような気がします」という言葉に従い、市街地から見て西に位置する綾沢山の方へと歩いていた。
「ところで、これは状況からの推測なのですが」
 ふと思いついたようそう言い置いてから、シアルが雪見に問いを投げたのは、そんな道行きの途中での事だ。
「こちらへ跳ぶ直前、あさひが妙にヒートアップしていたのは、雪見さんの本を読んだからだと思うのですが、あれは何故なのでしょうか」
 びしり、と音がしそうな様子で雪見が硬直し、その肩に乗ったシャンパーゼが相棒に向けて氷点下の視線を送った。
「え、ええっとぉ……。何故っていうか……」
「自分で読んでその辺りは分からなかったんだモン?」
 あからさまに動揺した様子で言葉を濁す雪見に代わり、シャンパーゼが尋ねる。
 雪見が今回イベントで新刊として出した本の内容は、大まかながらシャンパーゼも知っていた。
 しばらく前、ネタに詰まったので朝の散歩、と称して世界移動した雪見が、偶然リオフレードの格納庫で見かけた光景がネタ元だという。よくよく見ればシアルはその本に描かれていた金髪の少女によく似ていたし、アニマ・ムンディだと自己紹介もした。これは確定だろうと彼は踏んだのだった。


「私はあの本を読んでいないのです。あさひに読んではいけない、と止められてしまいまして」
「そ、そうなの?」
 ネタ元の片方があれを読んでいないことに対して少しほっとした様子を見せる雪見に向けて、しかし肩の上から硬い声が降りかかる。
「つまり、もう一人のモデルの方はこの子の保護者的役割を自分に課してるってことだモン。自分がネタにされたことプラスこの子がネタにされたことで二倍怒ってるモン」
 鋭い考察を述べるシャンパーゼに、雪見がうなだれてうめきを漏らす。
「ど、どうしよう……」
「どうもこうもないモン。いっぺん思い切り凹まされた方が世の中のためだモン」
 反論できない雪見に向けて、シャンパーゼがここぞとばかりに畳み掛ける。
「だいたい、自分よりずーっと年下にバレて怒られるのにビクつくくらいなら描かなきゃいいんだモン。しかも言い捨てるみたいに謝罪して逃げ出そうとしたんだモン? お前それでも社会人かモン。接客業従事者の名が泣くモン」
「う、うるさいわねっ。お客さんと話すのと素で話すのは違うのよっ」
「コミュ障をえらそうに正当化するなだモン」
 一刀両断であった。
 もはやぐうの音も出ない様子の雪見が、がっくりと肩を落とした。そのまま地面に手をついて崩れ落ちそうな勢いだったが、二人のやり取りをじっと見つめていたシアルに気付き、持ち直す。
「あ、ごめんね、ほったらかしにした上にみっともないとこ見せちゃって」
「いいえ、お気になさらず」
 シアルはゆるゆると首を横に振る。
「言いたい事、言うべき事を伝え合うのは大事なことです。お二人は今、それをしているのだと思いましたので」
 薄く微笑んで言うシアルに、雪見とシャンパーゼが顔を見合わせる。かち合った視線は、二人と一匹の脳裏に浮かんだ全く同じ言葉を伝え合っていた。すなわち、
 ――そんな大層なことじゃないんだけど……。
 微妙な表情で雪見とシャンパーゼがため息をついたときだった。
 

 シアルが突然、鋭い動きで首をめぐらせ、視線を動かす。彼女が見据える先は、方角の目安としていた綾沢山の方。
 いったん目をつぶり、何かを探るように沈黙する。どうかしたのかと雪見が尋ねるより早く、シアルは彼女の方へと向き直った。その表情には、硬い緊張が浮かんでいる。


「あさひがシヴィを――MTを呼び出しました。なんらかのトラブルが起こった可能性が高いです」




Scene6 猫紳士とフォーリナー


「美酒町……。オリジン以外の異世界かあ。地球へ帰る以外の世界移動は割りとポピュラーな技術だって聞いてはいたけど……」
 イェトライロム教授の邸宅、そのリビングで紅茶とスコーンをご馳走になりながらあさひは深々とため息をついた。
 三千世界が数多の平行世界の総称だと知ってはいたが、あさひが知っているの故郷の地球とオリジンのみで、しかもオリジンが相当に濃い場所だったためにそこまで意識はしていなかったのだ。
「まあ、オリジンは多くの世界の文化が混交している世界だからね。そこにいると殊更他へ行こうとは思わないのかもしれない」
 あさひの正面の席に腰掛けた猫顔の紳士、イェトライロム教授がそう言って穏やかに目を細める。
「教授ぅ。書斎のお片づけ、終わりましたよぅ」
 ぱたぱたとリビングへやってきたのは、教授の助手、ポーラだ。しゅた、と手を挙げて、あさひの世界移動の際にぶちまけられた本棚の中身を整理し終えた事を報告する。
「ご、ごめんなさい、ロックさん。あたしが片付けなきゃいけないのに」
「いいんですよぅ。お片づけ好きですから。あと、ポーラでいいですよぅ?」
 椅子から腰を浮かして謝罪するあさひに、ポーラは満面の笑みで答える。それを見たあさひも肩の力を抜いて、改めて椅子に腰を落とした。
「じゃあ、あたしのこともあさひで」
 りょうかいですよぅ、とさっきと反対の手を上げて承諾の意を示すポーラに、教授が席に着くよう促す。彼女はそのままいそいそとあさひの隣の椅子に座り、客人に向けてにぱっと笑った。


「さてあさひ君。まず結論から入るが、君をオリジンに送り届けること自体は難しいことではない。が、私が君を送るとなると、リオフレードから少し離れた場所になってしまう。――ロンデニオン。知っているかね?」
 頬ヒゲをぴくりとさせてイェトライロムが問いかけるのに対し、あさひがこっくりと頷く。
「はい。リオフレード島から北東にある、ヴィクトリア女王の国ですよね」
「うむ。正確にはロンデニオンは女王が治めるアルビオンの首都にあたるのだがね。まあ、オリジンに住む人々の大半からすればその理解で十二分だろう」
 猫紳士はあさひの回答に満足げに頷いてまた紅茶を一口。
「ともあれ、私が世界移動できるポイントで一番リオフレードに近いのはそこになる。とは言え、そこへレディを放り出してあとは勝手に帰れというのも紳士の行いではない」
 ひげをしごきながらうなる教授。
「あ、ええっと、イェ、イェト、ラ……?」
「覚えにくかったり発音しにくければ、気にせず、教授、とだけ呼んでくれたまえ」
 助け舟を出した教授に会釈して感謝を表明してから、あさひは思うところを述べる。
「はい、教授。……あのですね、ロンデニオンからリオフレードへ帰るくらいは実は何とでもなります。あたし、飛行可能なMTを喚べるんです」
「ほう。モナドリンケージ……いや、君が地球生まれのフォーリナーであるのなら、絶対武器の特性の方かね?」
「後者の方です。なので、帰るのは簡単なんですけど……」
 ふむ、と教授は呟いて腕を組み、
「察するに君の友人のことだね? もしかしたら彼女も美酒町に来ているかもしれない、と」
 首肯するあさひに対し、教授はそのまま考え込む。


「はい教授ぅ!」
 沈黙を破り、びしりと手を上げたのは、あさひの隣で黙って話を聞いていたポーラである。
「私が探しますぅ!」
 どうだ名案だろうとでかでかと顔に書いたポーラがむふーと鼻息を漏らす。が、教授の反応は淡白だった。
「君の人を思いやる精神は素晴らしいがね、ポーラ。美酒町の面積に対して君一人が捜し手として増えたところで大して効率は変わらないよ。加えて言うなら、あさひ君の友人が美酒町に来ていない可能性だってある」
「じゃあ、チックちゃん達にお願いするとか!」
「それが出来ればいいが、チック達には他の仕事を頼んでいる。今はそちらから動かすわけにはいかないのだよ」
「むむうー! じゃあじゃあ、教授が私にすっごいレーダーとか搭載してくれればいいのですよぅ! この機に性能アップ大作戦ですよぅ!」
 勢い込んだポーラの台詞に、教授はやや顔つきを厳しくし、あさひはどういうことかと内心で首を傾げ、しかし生まれた疑問より強い衝撃がその心を走る。
「そうだ、レーダー!」
「そうですよ、レーダーなのですよぅ!」
 声を上げたあさひに同調してポーラもテンションを上げる。二人の正面で教授はささやかにため息を一つついて、あからさまにあさひにだけ視線を固定してその意思を問うた。
「どういうことかね、あさひ君?」
 自分を無視されたと気付いたポーラがぷうっと頬を膨らませ、その様子に小さく苦笑しながらあさひは教授に答える。
「あたしのMTです。あれにはやたら高精度のセンサー類が積んでありますし、あたしがMT――シヴィを喚ぶと、シアルにはそれが分かるみたいなんです」
「なるほど。こちらから君の友人を探す手立てとなり、先方にこちらの居場所を知らせる手立てともなる。一石二鳥の素晴らしい答えだ、あさひ君」
 教授は手袋に包んだ手を一度打ち合わせてあさひのアイデアを賞賛し、それから滑らかな動きで立ち上がった。
「早速わが家の庭で君のMTを喚んでみようじゃないか。ここは郊外だし、家の影に隠れるようにすればそう騒ぎにもならないだろう」


 教授宅の庭は、芝生と植木でよく整えられた小さな庭園となっていた。やや高めの生垣のお陰で外からは中を覗きにくくなっている。とはいえ、MTを喚び出せば流石に分かるだろうが。
 その庭園の中央部、芝生が敷き詰められた広めのスペースを手にしたステッキで教授が指し示す。
「ではあさひ君、この辺りでMTを喚んでくれたまえ。広さとしては十分だと思うが、いけそうかね?」
「はい、大丈夫です!」
 元気よく答えて、あさひが右手を高く差し上げる。立ったままではなく、膝を付いている姿勢をイメージして、右手の指を鳴らす。
「おいで、シヴィ!」
 ぱきん、という小気味よい音とあさひの声に応えるように、黄金の炎がその場に立ちのぼる。
 二階建ての教授宅と同じくらいの高さまで達したそれは即座に吹き散らされるように消え、そのあとには片膝を付いた状態のMT、『シアル・ビクトリア』が顕現していた。


「じゃあ、ちょっとシアルを探してみます!」
 シヴィの召喚と同時にコックピットへ転移していたあさひがコンソールに指を滑らせる。それに従ってシヴィがそのセンサー類を稼動させ、そして結果はすぐに出た。
「反応ありました! ここから南東に約2kmのところにシアルがいます! こっちに向かってるみたい」
 スピーカーを介したあさひの声を受けて、教授が一つ頷き、
「では、下手に動くことはせず、先方の到着を待つとしようか。あさひ君はそのままレーダーの監視を、ポーラ、君は玄関先でそれらしい人物が来ないか見ていてくれたまえ」
「はぁい。お客様がみえたらここへお通ししますですよぅ」
 教授の指示に元気よく返事をしてぱたぱたとポーラが走り去る。


 さて。
 ここで少し技術的な話をする。
 MTのレーダーでシアルを探す、ということ。その手順について。
 今回、あさひがシアルを見つける手段として使用したのは、いわゆるパッシブレーダーの類だ。
 アニマ・ムンディとしてのシアル。魔術と科学の融合形たる彼女が持つ、固有のパターン。『シアル・ビクトリア』に登録されているそれを、アホらしいほどの精度を誇るセンサーで捉え、位置を確定したのだ。
 簡単に言おう。
 あさひが今見ているレーダーは、シアルの反応があればそれを映し出し、それ以外は映らないということである。
 つまり、最終的に何が言いたいのかというと、シアル以外の人物がこの場に来る事に対して、あさひには全く心の準備がなかったということだ。


「お客様二名、お着きですよぅ!」
 にこにこしながら庭に入ってきたポーラの後ろに、見慣れた金髪が続き、そしてその後ろにもう一人。
 あさひと同じ黒髪黒目の、あさひよりは年上の女性。明らかに見覚えのある彼女は――
「さっきの百合エロ漫画家ぁっ!?」
「ひいっ!?」
 思わず張り上げたあさひの声がスピーカーから大音声となって響き渡り、百合エロ漫画家――烏羽雪見が飛び上がって驚いた。




Scene7 閉じる世界


「マジごめんなさいでした」
 シヴィから降り、MTの巨体を背にしてその場で仁王立ちしているあさひの前で、雪見が深々と腰を折る。
 一通りの自己紹介の後で、雪見があの本を書いた経緯について話すのをまんじりともせずに聞くあさひ。やがて雪見の話が終わると、聞こえよがしに大きなため息を一つ。
「正直、全部回収して焚書しちゃいたいですけど、今更なんでそれはいいです」
 赦しの気配にぱっと雪見が顔を輝かせる。が、そこへ被せるようにしてあさひは言葉を続けた。
「た、だ、し! 続編とかはナシにして下さい。あれっきりです。よろしいですか?」
 雪見は一瞬だけ未練を表情に乗せたものの、その提案に応じた。流石にモデルに直接怒られたのでは頷かざるを得ない、というところか。
「ほんとにごめんねー。あんまりにも創作意欲を刺激されちゃったもんだからつい……」
 もう一度頭を下げる雪見に、あさひも小さく苦笑を漏らし、
「まあね、あの時ラジオで手紙の内容を流したのも、偶然チューニングをあわせて聞いてた、って人もいたらしいし、公共の場でやり取りしてたのも事実だし、そのあとでレースとかドキュメンタリーとかで顔と名前が売れちゃったから有名税が発生するかもよ、とは言われてたんだけど……。流石にアレはちょっと……」
「レース? ドキュメンタリー?」
 あくまで美酒町在住であり、リオフレードで起こった事について疎い雪見が首を傾げるが、あさひはあいまいに笑ってお茶を濁す。
 正直な話、レースはともかくあのドキュメンタリーは雪見の同人誌と同レベルで歴史の闇に葬ってしまいたいあさひである。放送部とアナ研が協力して作っただけあってよく出来ていたのは間違いないのだが、自身の美化が著しいのが耐えられないのだ。
 特にダスクとの戦闘のシーンで、派手派手しい特殊効果とハズかしい決め台詞を撒き散らしてMTを操縦している役者が自分の投影なのだというのはもうどんな拷問かと思ったほどだ。
 ちなみに、戦闘シーンの構築に『あさひの活躍シーンをキッチリ作るため』と説得されて戦闘データの一部を供出した某アニマ・ムンディの関与が明らかになったときには彼女を超叱りつけた。

 閑話休題。

「ともあれ、無事で何よりです、あさひ。シヴィの召喚を察知したときには何事かと思いましたが」
 雪見とのやり取りが一段落したのを見て取り、シアルがあさひに微笑みかける。あさひも肩の力を抜いてそれに答えた。
「まあ、無事でよかったのはお互いに、ね」
 言いながら自分とほぼ同じ高さにあるシアルの頭にぽんと手を置くあさひ。シアルが安心したように目を細め、笑みを深くする。
「き、キマシ……!」
「自重するモン、腐れオタク」
 やや離れたところでの雪見とシャンパーゼのやり取りは意味がよく分からないのもあるが気にしないことにする。


 ぱしん、と乾いた音が庭に響いたのは丁度そのときだった。
 音は掌を強く打ち付けた結果のもので、音源は、今は手を広げて立っている教授だ。

「では、客人の再会も一区切りしたところで話を進めようか。雪見君。貴女があさひ君とシアル君を美酒町へ世界移動させたということで間違いないのだね?」
 頬ヒゲをしごきながらの教授の問いに、雪見が深く頷く。
「あ、はい。だから、私が二人を連れてリオフレードまで行けば、とりあえずは解決です」
 うむ、と教授は頷き、あさひとシアルに向き直る。
「と、いうことだ、二人とも。まずはおめでとう、というところかな?」
「はい、ありがとうございます、教授、ポーラ。お世話になってばっかりでごめんなさい」
「雪見さんにもお世話をおかけします」
 あさひとシアルがそれぞれに頭を下げる。
「いやなに。不意の客人というのも楽しいものだよ」
「元はといえば私が原因だから、むしろこっちが謝らないとね……」
 教授と雪見がそれぞれに答えを返し、
「ええぇ? お茶くらいしていきましょうよぅ。この家に三人もお客さんが来る事なんて珍しいからおもてなししたいですよぅ」
 教授の横でポーラがそういって両手を上げて自己主張する。
「ポーラ。あさひ君もシアル君も、突発的な事態で美酒町へ来てしまったのだよ。オリジン側で彼女らを心配している人もいるかもしれない。今引き止めるのはあまりよろしくないな」
 ポーラの髪を乱さないように丁寧な仕草で頭を撫でながら、教授が彼女をたしなめる。ややむくれながらも納得した様子のポーラに小さく苦笑を漏らしてから、教授はあさひたちへと向き直った。


「私としては今日は君達は帰った方がいいとは思うのだが、よければ後日また訪ねてもらえるかね? ポーラも喜ぶだろうし、準備にも気合が入るだろう」
 ひょい、と洒落た仕草で肩をすくめる教授。
 あさひ個人としては、ポーラには自分が散らかした書斎を片付けてもらった恩もあるし、彼女は楽しそうな人なのでお茶を頂いていくぐらいは問題ない。が、ここはオリジンとは違う世界のはずで、そうそう簡単に行き来が可能なのか、という疑問がわいた。
「ここ美酒町はオリジンと繋がりの深い場所のようでね。お互いの存在を知り、世界移動を経験したものならかなり簡単に行き来は可能だ。そうだろう? 雪見君」
「え? ああ、そうですね。うん。感覚としては、なんていうのかな……。見えない階段を上り下りするみたいな?」
 あさひの疑問に美酒町住人である二人がそれぞれ答える。いまいち要領を得ないが、オリジンへ戻るのを経験すれば感覚がつかめるのだろう、とあさひは開き直った。
「分かりました。じゃあ、また日を改めて、お礼を兼ねて遊びにきます」
 わぁい、とポーラがそのばでくるくる回って喜びを表した。教授はあさひに向けて目礼を送り、そのままシアルを見る。
「あさひが行くのであれば、私も参ります」
 教授の視線の意味を察したシアルが肯定を返し、最後に雪見に視線が注がれる。
「え、あれ? 私も頭数に入ってるの?」
「入ってますよぅ! 観念してポーラにもてなされて下さいですよぅ!」
 やる気満々という風情のポーラの主張を受けて、しかし雪見は煮え切らない態度で、ちらりとあさひに視線を送る。その視線に気付いたあさひは一瞬だけ考え、ぴんと来て彼女に近付いてささやく。
「もう怒ってないですから、雪見さんも一緒にどうですか? これも何かの縁ですし」
「そ、そう? ――分かったわポーラちゃん。その時には私もご相伴に預かる事にするわね」
 わぁい、と喜ぶポーラと、それを微笑ましく見つめているあさひに聞こえないくらいの小さな声でシャンパーゼが雪見に耳打ちする。
「高校生に気ぃ使われてどうするんだモン。このダメ大人が」
 舌鋒鋭い一撃に、雪見が胸を押さえてうずくまったのには幸い誰も気付かなかった。


「さあ、あさひちゃんとシアルちゃんをリオフレードまで連れて行くわよっ!」
 何かを振り払うようにヤケクソ気味に言い放った雪見が、あさひとシアル、それぞれの手を取る。
「じゃあ教授、ご迷惑おかけしました」
「うむ。気をつけて帰りたまえ」
「またのお越しをお待ちしてますですよぅ!」
 帽子を持ち上げて挨拶をよこす教授と、ぶんぶんと過剰なくらい手を振るポーラに見送られながら、
「じゃあ、行くわよ!」
 雪見がそう声を掛け、あさひは雪見と繋いでいる手に我知らず力を込め、
「……移動しませんね?」
 シアルがポツリと呟いた。


「普通ここでミスるかモン?」
 肩をすくめて首を振り、大げさにため息をつくシャンパーゼ。
「いやいやいやいや! 何かおかしいわよこれ!?」
「言い訳は聞き飽きたモン! 真面目にやれだモン!」
「やってるわよ!?」


 勢い口ゲンカを始める雪見とシャンパーゼ。すぐ傍であっけにとられて見ていたあさひが我に返ってそれを止めようとしたときだった。
「……どうやら雪見君の言うとおり、何かおかしいようだな」
 教授のテノールが場の空気をぴたりと静めた。
「私も今しがた試してみたのだがね。何も起こらない」
 教授が真剣な目つきでその場の全員の顔を見回し、自身の言葉が浸透している事を確認して先を続ける。
「理由は不明だが、現状の我々は美酒町から出られないということになるな」


「ほ、ほぉーら! 私ミスってないじゃないの!?」
「なんであからさまにホッとしてるんだモン……」
 いち早く再起動した雪見とシャンパーゼが先ほどと変わらない言い合いを続けようかというときだった。
 まずあさひが気付き、続いて雪見とシャンパーゼが揃って口を閉じて周囲を見回す。それからお互いの反応を見て頷きあった。
「……やっぱりそうですよね、これ」
「でしょうね、これは――」
「プロミネンスだモン!」


 シャンパーゼの言葉が終わるのと同時、地面から黒いもやが立ち上る。その場にいた全員がすばやく地面を蹴るか、他の誰かに連れられるようにして距離を取った。
 そして、五人と一匹の視線の先で、黒いもやが固まり、凝り、形を成す。
「うわ、グロ……」
 雪見が思わずといった風に呟きを漏らす。もやは、真っ黒い魚のような形を取っていた。あごが大きく、目は存在せず、深海魚のような様相。一匹が1m弱のそれが三つの群れに分かれて空中に浮かんでいたのである。
「来るぞ! 注意したまえ!」
 教授が警戒を促すと同時に、黒い魚達は雪崩を打って一番手近にいた雪見に踊りかかる。
「わ、ちょ、まだ準備が!?」


 雪見の悲鳴を飲み込むようにして、黒の群れが彼女に襲い掛かり、
「いかん、雪見君!?」
 手にしたステッキを振りかざして何か対策を採ろうとした教授よりも早く、津波のように雪見に覆いかぶさっていった。



[26553] 第三話『災厄、彼方より』③ 宇宙怪獣
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/05/19 08:43

Scene8 戦士たちの庭


「雪見さん!?」
 黒い深海魚――空中を泳ぐそれを魚と読んでいいのかは疑問だが――の群れのひとつが雪見に襲い掛かる。
 が、次に起こった光景はあさひの予想を裏切るものだった。
 深海魚たちが、見えない壁にぶち当たったように弾き飛ばされてゆくのだ。群れの半数ほどが突進の果てに蹴散らされたころ、彼らは錆びた金属が擦れ合うような耳障りな声を発してそこから離れる。数を減らされ、群体としてのサイズを小さくしつつも深海魚たちは再び一つの生き物のように集結した。


 そして、深海魚たちが雪見に襲い掛かる事を防いだ存在を、あさひたちは見た。
 一言で表すなら、銀の人影だ。
 やや細身に引き締まった全身を機械的な印象を受ける銀色の装甲で覆っている。
 頭部もそれは例外ではなく、目にあたる部分に大きなつり上がり気味の複眼が位置し、口の辺りは左右から閉じあわされた、顎のようなプロテクターで防護されている。眉間の辺りに触覚を思わせる二本のアンテナが配置されているところと併せて、スズメバチのような印象を受ける顔つきだった。


「怪我はないか」
 銀の怪人が肩越しに雪見を振り返り、低く抑えた声で尋ねる。男の声だが、年齢は推し量りにくい。
 雪見がぶんぶんと首を縦に振るのを確認して、彼は再び正面を向いた。軽く足を開いて腰を落とし、軽く開いた左手を前に、拳を握った右手を腰の辺りに引きつける。明らかに戦闘のためのスタンス。
「こいつらはボドリオン。ナリは小さいが、深宇宙で確認される宇宙怪獣の一種だ。放置しておけば辺りのものを無差別に喰らい尽くす。殲滅するぞ」
 その言葉と同時に雪見は彼から気迫が吹き付けてくるように感じた。
 いや、実際に彼から風が発せられているのだ。教授の家の庭に植えられた木々が、彼を中心にしてざわめいている。


「よく分かんないけどがってん承知!」
 シアルの手を取り、あさひが軽快に指を鳴らす。瞬時に二人を黄金の炎が包み、次の瞬間にはあさひとシアルはシヴィのパイロットシートとアニマの接続装置にそれぞれ着いていた。
「タスラムシステム起動!」
「タスラムシステム起動。掃討射撃を開始します」
 シアルの言葉と共に、片膝を付いたままのシヴィからタスラムが射出される。
 有線式の浮遊砲台が金色の火の粉を撒き散らしながらボドリオンの群れの一つを半球状に囲むようにして散開し、光線を発射する。シアルによって事前に収束率を最大に設定された光線は宇宙怪獣に命中後、熱エネルギーによる爆発を起こさずそのまま貫通する。市街地の住宅街、その庭での戦闘である事を考慮しての措置だ。その分だけ爆発による副次ダメージを狙うことが出来ないが、シアルは一つの光線で複数のボドリオンを打ち落とす射線を取る事でそれを補っていた。
 それに加え、
「ふむ」
 教授が手にしているステッキで庭にある敷石の一つをこつんと叩いた。連動するように芝生の地面の数箇所が音を立てて開く。
 タスラムから逃れたボドリオン達を包囲するような位置に開いたそこから機械音とともに競りあがってきたのは、台座に据え付けられた重機関銃だ。
「ふぁいやー、ですよぅ!」
 妙に楽しそうに拳を突き上げたポーラの掛け声に併せるようにして機関銃の群れが火を噴く。それは瞬く間にあさひと怪人の攻撃を受けて数を減らしていたボドリオンの群れ二つを殲滅した。


「雪見! ボーっとしてないでこっちも行くモン!」
 残る一つのボドリオンの群れを見据え、声を上げたのはシャンパーゼだ。しかし、当の雪見は明らかに乗り気でない様子を見せる。
「い、いやあ、もう私たち以外だけでいいんじゃないかな?」
「無理をすることはない。下がっていろ」
 銀色の怪人が背を向けたまま言うのにこくこくと頷く雪見。が、シャンパーゼはそれを許さない。
「バカ言うんじゃないモン! 美酒町の守護者の一人として、この状況でシッポ巻いてどうするんだモン!」
「……この状況だからシッポ巻いちゃいたいのよぅ……」
 ぼそりと愚痴る雪見にシャンパーゼから先ほどのタスラムのビームもかくやという視線が突き刺さる。雪見は戦場となった庭を見回して、諦めの篭ったため息を深々と吐いた。
「……仕方ないかあ。やってやろうじゃないの!」


 半ばヤケ気味に言い放ち、雪見が懐に手を入れる。すぐに取り出されたのは四つの輪がやや弧を描いて連結されたような、ちょうど掌に収まるほどの物体だ。
 雪見が手馴れた動きでその四つの輪を右手の人差し指から小指に通し、拳を握る。いわゆるメリケンサックだ。
「さあ雪見! マジカル☆メリケンサックで変身だモン!」
「もうやだこの設定っ!」
 叫びと共に雪見が右拳を天に突き上げる。
 そして、あさひはシヴィのコックピットで、教授は翻したインバネスコートの裾でポーラを庇いながら、銀の怪人は雪見を守るように背を向けたままでその声を聞いた。


「ラディカルランブルララパルーザ! メリーメイデンメルキオール! アサルトタッチで大・変・身!!」


 大音声で詠み上げられた口上に続いて、雪見の体が光に包まれる。
 彼女の着衣が光の粒子と化して全て弾け、しかし肌を晒すのはごく一瞬。光は白と黒の二色に分かれ、長いリボンのような形状を取って雪見の体を覆うように巻きついてゆく。
 まずは白いリボンが全体を覆い、それから各所に黒いリボンが装飾のように巻かれ、そして再び光が弾けた。
 その下から現れたのは、光のリボンと同色の、白と黒で構成された衣装。フリルを各所にあしらわれた少女的なデザイン。襟元や腰、肩口のパフスリーブ等に黒のリボンが配され、アクセントとなっている。
 スカートは膝上の短い位置までの丈となっており、その下に覗く黒のスパッツが活動的なイメージを助長していた。
 服とは対照的に、黒を基調として白いリボンを付けられたブーツを踏み鳴らして彼女が天に突き上げていた拳を下ろす。
 その場でくるりと一回転し、きりりと眉を吊り上げてボドリオンを指差した。
「平和を乱す困ったちゃんに鉄拳制裁! 魔法淑女ラディカル☆スノウ、ただ今参上っ!」


「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
 ポーズを決め、とびきりの笑顔で名乗りを上げる雪見――魔法淑女ラディカル☆スノウの肩に、沈黙がのしかかる。聞こえるのは庭を渡っていく風の音と、ボドリオンが発する耳障りな鳴き声だけだ。
 この沈黙にどんな意味を見出すかは各人の受け取り方次第だが、少なくともスノウにとっては地獄のような、と形容されてしかるべきもので、自然、耐え切れずに最初に声を上げたのも彼女だった。
「黙らないでっ! ここまでテンプレなの! 私にもどうしようもないのよーっ!」


 自棄を起こしたように言い放つと、ボドリオンの群れの一つに突貫する。誰が止める間もない、流星のようなスピードだった。
 触発されたように彼女へ殺到するボドリオンの群れを、衝突の直前で身を翻してかわす。黒い壁がすぐ傍を通り過ぎてゆくような感覚を味わいながら、スノウはその場から一歩とびのく。
「殴るんじゃないのかモン!?」
「耳元で怒鳴らないでっ。グロいからイヤよっ!」
 肩に乗ったままわめくシャンパーゼにひとこと言い返し、方向転換してこちらへ向かう群れをにらみ付ける。
 彼我の距離は約7メートル。その間合いで、スノウが後退しながら幾度も拳を繰り出す。
 細かく、小さい回転の、数を稼ぐ打ち方。届くはずもないその拳の先で、しかしボドリオンたちの群れの一部が弾ける。群れの外周を構成しているボドリオンが打撃を受け、しかしあまりダメージを受けた様子もなく、少し遅れて群れの最後尾に合流する。幾度かそれが繰り返された結果。群れは細く長く整形されていた。


「なるほど。やってやるモン、スノウ!」
「言われなくても!」
 絶えず動きながら位置と距離を調整していたスノウが動きを止める。
 肩幅よりやや広めに足を開き、腰を落とす。両手首の内側を重ね合わせ、指を軽く曲げた状態で掌を開き、獣のあごのようなそれを腰の後ろへと回す。
「ひぃーっさつ!」
 掌の間に、赤い光が集う。スノウが周囲から集め、練り上げたフレアの輝き。爆発せんばかりのそれをたたえた彼女の両手が前方、ボドリオンたちへと突き出され、
「魔咆拳!!」
 彼女の手から、赤い光が奔流となってほとばしる。それは細く伸ばされていたボドリオンの群れを丸ごと飲み込み、それら全てを消し飛ばしていた。


Scene9 協力関係


「さて、まずは助力に御礼申し上げよう、戦士どの。失礼ながら、テオスのバンダーラとお見受けするが?」
 しばらく周囲を警戒し、危険はなくなったと判断した教授が銀色の怪人に向き直り、優雅な仕草で一礼する。
「それで合っている。……気にする事はない。こちらにはこちらの都合がある」
 対する怪人の態度はそっけない。低く抑えた声で、必要最小限の言葉だけを交わそうという意思がうかがえた。


「……テオスって、オリジンに攻め込んできてるでっかい国だっけ?」
 まだMTに乗ったまま、教授達の音声を拾っていたあさひが、小さな声でシアルに尋ねる。
「はい。造物主信仰を掲げ、星王ディオスのもとに数多の孤界を併呑している超巨大国家です。造物主を信仰し、その意思の受け皿たるダスクフレアになることを至上としています。実際、トップの人員のほとんどはダスクフレアで構成され、造物主の墓所であるオリジンを手にしたうえで星王の指揮の元で一斉に創世を行い、理想郷を作る事を目指しているとか」
「聞くからに物騒な国だよね……。中立地帯のリオフレードでならともかく、そのテオスの人が何の用なんだろう?」


「単刀直入に言う。協力が欲しい」
 怪人は向き合っていた教授からあさひのMTへ、それから変身したままのスノウへと視線を巡らせる。しばらくじいっとスノウを見つめていたかと思うと、再び教授へ正対して短く言った。
 教授はしばし彼と視線を交換し、それから頬ヒゲを撫でながら口を開く。
「察するに、テオス内部のダスクフレアの造反かね?」
 銀色の怪人は、その言葉に確かに頷いてみせた。


 シヴィのパイロットシートで、話の繋がりが掴めないあさひが接続装置のシアルを振り返る。彼女は小さく吐息を漏らしてから説明を始めた。
「大星団テオスの目的が星王主導による創世であることは先ほどお話しましたね。つまり、それ以外の独断専行での創世は星王に対する裏切りなのです。そうした、いわゆるダスクフレアの暴走に対処するために、テオスはダスクフレアからすれば不倶戴天の敵であるカオスフレアの構成員を抱えていると聞きます。そして、先ほどの戦闘時におけるフレアの反応からして、彼はカオスフレアであり、光翼騎士です」


「美酒町におけるテオスの指揮官の一人、ラーレイ上級大将に不穏な動きがある。プロミネンスによる美酒町の封鎖、この孤界から出ようとした者に対する攻撃」
 銀の怪人が指を二本立てて言葉を続ける。
「ダスクフレアに対抗できるのはカオスフレアのみ。この一事だけでも手を結ぶ理由にはなるだろう。加えて、こちらからはラーレイに関する情報を出せる。――返答を聞きたい」


「最初にはっきりさせておくが――」
 体の前に置いたステッキに両手を乗せて、教授はそう前置きしてから厳めしい顔で切り出す。
「私、イェトライロムとその従者ポーラ、向こうにいるMT、それからそちらのラディカル☆スノウは現時点ではそれぞれ別勢力だ。私の返答が残り二者のそれと共通してはいないことをまず理解してもらいたい」
 目線だけでシヴィとスノウを示し、それから頬ヒゲを開いて笑みを作り、片手を動かす。銀色の怪人に差し伸ばすような形で。
「まずは君の名前を伺いたい。協力者としてそれくらいの要求は許されるものだと思いたいのだがね?」
 銀の怪人は教授の言葉にほんの少しだけ身じろぎし、それからちらりと肩越しに後ろを振り返った。視線の先にいたスノウが小首を傾げるが、何事もなかったように彼は複眼を正面に向けなおす。
「大星団テオスのバンダーラ、識別名ビーゲイルだ」
「よろしく、ビーゲイル君。私はイェトライロムだ。呼びにくければ、教授、とだけ呼んでくれて構わんよ。この子はポーラ。私の助手にして従者だ」
「よろしくですよぅ、ハチさん!」
 教授が厳かに頷き、ポーラが見た目から命名したらしいあだ名とともに元気よく片手を上げる。ビーゲイルはポーラにハチさん、と呼ばれた際に肩をぴくりと震わせたが、それ以上の反応を見せることはなく、よろしく、とだけ短く答える。


「そちらのMTはどうだ? 聞こえているんだろう?」
 教授とは少し離れた場所で膝を付いたままのシヴィに向けてビーゲイルが声を張る。
 最初の反応は、圧縮空気の抜ける音。それから、金属質の稼動音だ。胸部のコックピットハッチが開き、そこからあさひとシアルが姿を現す。
 あさひがシアルに視線を送り、シアルがこくりと頷くと、あさひは一歩前に出る。
「こっちもあなたの提案を受けます。私はフォーリナーの雪村あさひ!」
「アニマ・ムンディのシアル。そして、MT『シアル・ビクトリア』です」
「感謝する」
 またも短くそれだけを答え、それからビーゲイルが後ろを振り返った。そこには、何ごとか考え込んでいるような様子のスノウがいる。
「……なんだろう。何か引っかかるのよね……。でもそれが何なのか……。気付かない方がいいような予感も……」
 おとがいに指を当ててぶつぶつと呟くスノウ。そんな彼女に向けて、ビーゲイルが深呼吸するように大きく肩を上下させてから声を掛ける。
「あなたはどうだろうか。協力してはもらえないか?」
 が、未だにスノウは小さく独り言をこぼしている途中だった。見かねたシャンパーゼが肩の上から彼女の側頭部にケリを入れる。
「あいったあー! 何すんのよ!?」
「トリップから帰ってこないからだモン! どうせいつもの非生産的な妄想だモン!」
「むっ。違うわよ。私なりにちょっと引っかかることがあって……」
 言い合いを始める一人と一匹を、しかしビーゲイルは何を言う事もなく眺めている。代わりに口を挟んだのは、彼の後ろからこの状況を覗き込んでいたポーラだった。
「ハチさんとお友達になりたくないんです?」
 何気なく言い放たれたその台詞にスノウが彼女の方を向き、そしてそれよりも反応が激しかったのは当のビーゲイルだった。びくりと体を震わせて、ポーラとスノウの間で視線を一度往復させる。そんな彼をスノウはしばし眺め、
「分かった。とりあえずあなたに協力するわ、ビーゲイルさん」
「協力に感謝する」
 短く、低い声でスノウに答えるビーゲイル。
 一方のスノウは、その間もビーゲイルをじいっと凝視していた。そして、彼が口を開いてからすぐに、何かに気付いたように目を大きく見開き、それから酢を飲んだように顔をしかめる。やや俯いて、はあ、と特大のため息をその場にこぼし、それから再び顔を上げた。そこには、にこやかな笑みがある。


「テオスとは下っ端と何回かやりあったけど、とりあえずその辺りのことはお互い今は水に流しましょう」
 にっこりと笑いかける。ビーゲイルは一瞬だけ身じろぎし、それから教授やあさひのほうへと向き直った。
「では、これからのことだが――」
 そうして彼が口を開いた、その瞬間だった。
「ところで蜂須賀クン」
「あ、はい」
 スノウがその名を呼び、ビーゲイルが振り向いた。返事の声は、今までよりもやや高く、若い印象を受ける。
 傍目から見ていたその他の面々には分かったが、二人ともがびしりと硬直していた。
 やがて、ビーゲイル――蜂須賀風太郎の肩が細かく震え始め、
「な、なんてこと――――っ!?」
 しかし、そう声を上げて、がっくりと地面に膝と両手をついたのはスノウだった。
「違ってて欲しいと思ったのに! それなのに……っ!」
 この世の終わりが来たとでも言えそうな、悲壮感のたっぷり篭ったスノウの声。なまじ表情の見えない姿勢であるだけに、そこに込められた悲哀は周囲にたやすく伝わった。
 銀色のバンダーラが、その声を受けてまともに肩を落とした。シャンパーゼがそれに気付き、そっとスノウに耳打ちする。
「スノウ、知り合いがテオスの改造人間だった事のショックは分からないでもないがモン、もうちょっと……」
「まさか、普段の知り合いに私がこんなコスプレまがいの格好で出歩いているのを知られるなんて、あんなハズかしい呪文とポーズをキメていることを知られるなんて……!! もう死んでしまいたい……っ!」


 血を吐くようなスノウの声を追いかけるようにして、教授宅の庭を風が渡る。
 曰く言いがたい沈黙の中、くずおれた姿勢のスノウが思考をめぐらせる。


 26にもなってこんな格好をして町を徘徊していることが周囲にバレれば、社会的な死すらも覚悟しなければならない。つまり、ビーゲイルこと蜂須賀風太郎は、ラディカル☆スノウこと烏羽雪見にとって、それだけ致命的な弱味を握ったと言っていい。

 思春期の高校生+美人で年上のおねいさん(誇張表現)+おねいさんの弱味=エロ展開。

 そのときスノウに背筋に走った電流は、いかなる感情によるものか、彼女本人にも判別がつかなかった。
 ばっと顔を上げ、中身が店の常連である男子高校生であるはずの改造人間をまじまじと見やる。
 改造人間。
 そうは言うものの、全体的なシルエットは普通の人間とあまり変わらない。頭部のデザインは昆虫的だが、全身を覆う銀の装甲と相まって、雰囲気的には変身ヒーロー(ややダーク寄り)という風情だ。
 だが、油断は出来ない。
 何せ相手はテオスである。宇宙のあちこちを征服してきているという連中が作る改造人間なのだ。びっくりするような隠し玉があってもおかしくはない。
 例えば、そう。右手の装甲が展開すると、バイオな感じの触手が飛び出てくるとか――!


「そんなっ!? 初めてが触手なんてっ!?」
「お前もう黙ってるモン」
 地面に膝を付いたまま頓狂な叫びを上げたスノウの体の下にもぐりこみ、シャンパーゼがジャンピングアッパーを決める。芸術的な角度で放たれたそれはスノウのみぞおちを正確に貫いて彼女を沈黙させた。
「見ての通りコイツはただのアホだモン。そっちの素性がどうこうとかいちいち気にしてないっぽいからそっちも気にせずいるといいモン」
 心底疲れた風情のシャンパーゼの言葉に、どこかホッとしたような空気をまとって、ビーゲイルは静かに頷いた。


◆◆◆


 教授宅のリビング。
 先ほどまで庭にいた面子は、今後の相談のためにここに集まっていた。ちなみに風太郎と雪見は、普段の日常と同じ姿に戻っている。
「ささ、どうぞですよぅ」
 ごく小さな音と共にテーブルに置かれたのは、赤色も目に鮮やかな苺のタルトだ。そのすぐ傍で湯気をくゆらせる紅茶の香りと相まって、実に見る者の食欲をそそる。実際、テーブルについた面々は、程度の大小こそあれ、皆頬を緩めている。唯一の例外は、フォーリナー、雪村あさひだろうか。
「……お、美味しそう……。でも、さっきもスコーンを……」
 どうやら体重的なあれこれで懊悩しているようだった。


 ともあれ、給仕を終えたポーラが自分に用意された席に着くと、全員の準備が整った事を見て取り、この場の主でもある、イェトライロム教授が口を開く。
「まずは心ばかりのもてなしを受けてくれたまえ。今現在、この美酒町に抜き差しならない事態が起こりつつあるようではあるが、だからこそ、精神的な余裕は重要なものだからね」
 教授の言葉に、全員が思い思いに紅茶とお茶請けを口にする。直前まで葛藤していたあさひも、結局は甘味の誘惑に抗し切れなかったようで、口許をほころばせてタルトを摂取していた。


「さて、とりあえずは改めての自己紹介といこうか。各自の立ち位置も把握しておいた方が良いだろうからね」
 ぐるりと場を見回してから、教授がすっと立ち上がって優雅に一礼する。
「イェトライロムだ。気さくに“教授”と呼んでくれたまえ。美酒町にはしばらく前から滞在している。住み心地もよいので、できれば終の棲家にしたいところだ。故に、美酒町に何かが起こっているのであれば、それを解決したいと思っている」
「ポーラ・ロックですよぅ! 教授の助手をやってますよぅ! あ、あとついでに美酒高の一年生ですよぅ!」
 言葉は元気よく、しかししっとりとした所作で立ち上がり、スカートの端をつまんでポーラも一礼する。


 二人が椅子に座りなおすと、入れ替わりに学ラン姿の風太郎が立ち上がる。
「この姿では蜂須賀風太郎って名乗ってる。テオスのバンダーラ、ビーゲイルだ。呼びやすいほうで呼んでくれていい。ああ、それとそっちのロックさんと同じで、美酒高の一年だ」
 風太郎はそれだけ言うと座ろうとし、しかし迷うような素振りを見せてから再び口を開いた。
「今回の騒動をどうにかするのは、テオスとして裏切り者は処理するってのもあるけど……その、個人的な理由で、俺は美酒町を守りたい。だから、力を貸して欲しい。よろしく頼む」
 やや早口に言い終えて、がばりと頭を下げる。教授やポーラのように洗練された仕草とは到底言いがたかったが、そこには彼の心情が篭っている事が伺われた。


「では次は我々だモン!」
 シャンパーゼが陽気な声で言うのと同時に、雪見が席を立つ。
「烏羽雪見です。この白いのはシャンパーゼ。美酒町の神様の使いだそうで、こいつに見込まれて美酒町の平和を守るのを副業にしてます。本業は花屋で、ええっと……」
 そこまで口にして、雪見は続く言葉を探るように視線をさまよわせる。が、
「んー。そんなとこで! ともかくよろしくお願いします!」
 結局思いつかなかったらしく、ぺこりと頭を下げてからやや乱暴に椅子に座りなおすと、自分の方を見ていた、斜向かいに座っている風太郎と目が合って愛想笑いを飛ばした。


 最後に、あさひが隣に座っているシアルとともに立ち上がる。
「地球生まれのフォーリナー、雪村あさひです。今はオリジンでリオフレード魔法学院に通ってます。高等部2年です。オリジンに戻れないとちょっと困るし、ダスクが暴れるのは見過ごせないので、頑張りますね!」
「アニマ・ムンディのシアルと申します。あさひの乗機『シアル・ビクトリア』の管制、補助を行います。あさひと同じく、リオフレード魔法学院の高等部2年です」
 あさひが勢いよくお辞儀をし、シアルが楚々とした仕草で頭を下げた。


「では、早速だが風太郎君。そちらで分かっている事をお聞かせ願えるかね?」
 あさひとシアルが席に着くと同時に、教授が風太郎に視線を向けて、話を促す。学ランの少年はそれに頷きを返し、
「今回、創世を行おうとしていると目されるのは、さっきも名前を出したラーレイ上級大将。被征服孤界の生まれだけど、主にスタンニア攻略戦で功を上げて、バール貴族の階級に序せられた」
「そいつがダスクフレアになったんだモン?」
「というか、もともとダスクフレアだった奴がトチ狂ったってとこかな。今までは問題行動は見られなかったんだけど、ごく最近になって所在が掴めなくなったらしい。その直後から美酒町で事前の申し合わせ無しにプロミネンスが使用されていること、登録されている波動がラーレイのそれと一致していることから、最有力の容疑者として挙げられている」
「つまり、ここ最近テオスの動きが妙に活発だったのは、それ絡みなのかしら」
「そう……です。人員を増やして、ラーレイの居場所か、活動の痕跡を探していたらしいですね。いまいち成果が上がっていないようですけど」
 シャンパーゼの質問にはすらりと答えた風太郎だが、雪見に対しては一瞬詰まったあと、言葉を丁寧なものにして返答する。


「ダスクフレアが創世を行おうとした場合、何らかの手段でそれに必要となる莫大な量のフレアを確保しようとする」
 続けて口を開いたのは教授だ。頬ひげを撫でながら、全員の意識が自分の方へと向いたのを認識して言葉を続ける。
「件のラーレイ上級大将とやらも、その例には漏れないはずだろう。だから、先方が創世のために必要とする準備が何なのかを知る必要がある」
 全員の顔を教授の縦長の瞳孔が順番に見渡し、それから風太郎の上でピタリと止まる。
「……どうにも上手く情報が隠蔽されていて、不確かな情報なんだけどさ」
 決まり悪げに頭をかきながら風太郎がそう前置きして話し出す。
「ラーレイはテオスの美酒町指導者層では最後発なんだ。前任は対宇宙海賊の防衛線だったんだけど、その時に深宇宙で何かを手に入れたらしい」
「何かって?」
 あさひが首を傾げて疑問を投げかけるが、風太郎はひょいと肩をすくめるだけだ。
「ラーレイ本人が側近の部下に『種』がどうとか漏らした事があるらしい。それから『偉大な意思に触れる機会を得た』としきりに言うようになったらしいんだ。美酒町への転属願いが出されて受理されたのも時期的にそれと重なる」
 風太郎は人差し指で机をとんと叩いて一旦話を区切り、ただ、と付け加えて続ける。
「テオスで『偉大なる意思』ってのは大抵の場合は造物主のことなんだ。ラーレイの言動も、新たにダスクフレアになったり、力を増した連中のいい回しとしてはごく一般的なもので、だからこそ奴が動きを起こすまでは誰も気にしなかった」


「現状では不明瞭な事が多すぎますね。お話にあるラーレイとやらは消息不明。おそらく『種』と呼ばれる何かを使って詳細は不明だがよろしくない事を企んでいる。――正直、動きようがないのでは?」
 黙々とタルトを口に運んでいたシアルが、先ほどのあさひと同じような仕草で首を傾げて風太郎を横目で見る。が、当の風太郎は不敵に唇の端を上げて見せた。
「確かにそうだったんだけど、今は別の切り口もある」
 彼は、庭の方へ一瞬視線を向けてから、こう言った。
「宇宙怪獣だ。ラーレイが過去にああいうのを使役した記録はない。美酒町でああいうのが出た事例も今のところない。そして、テオスは宇宙艦隊を有している性質上、ああいう宇宙怪獣の探知にかけては一家言あるんだ」


◆◆◆


 美酒町における宇宙怪獣の探知は、シヴィによるセンサーと、教授が街のあちこちに設置しているという情報網を駆使して行われる事となった。先ほどの戦闘時に採取したデータと、風太郎から提供されたデータを駆使して反応を探すのだ。
 そうした広域探査の術を持たない風太郎と雪見は、リビングで待機である。ついさっきまでは紅茶のお代わりを淹れてくれたポーラもいたのだが、教授を手伝うといって部屋を出て行った。
 つまり、ここにいるのは風太郎と雪見、それからシャンパーゼのみ。日頃は人前に出ないようにしているシャンパーゼはともかく、もとより顔見知りのはずの二人だが、場に漂う雰囲気は初対面の人間を何もない部屋で二人きりにしてもこうはなるまい、というほどぎこちないものだった。


 お互いをちらちらと盗み見ながら、しかし沈黙を保つ。そんな状態が数分の間続く。
 そして、
「あの!」
 異口同音に二人が声を掛け合う。
「あ、蜂須賀クンからどうぞ」
「いや、烏羽さんから」
「いやいや」
「いやいや」
 そんなやり取りの末、最終的に風太郎から、ということになった。ちなみにシャンパーゼはタルトにかじりつきながら、呆れたような横目でそれを眺めている。


「その、すいません。面倒ごとに巻き込んで」
 ぐっと頬に力を入れて、風太郎はまずそう言って頭を下げた。それからきょとんとしている風の雪見を見て、慌てたように付け加える。
「あ、いや、もちろん他の人たちにも悪いと思うんですけど、やっぱりほら、前から知ってる人だと余計に罪悪感があるというか、その……」
 がしがしと頭をかきながら、風太郎はちらりと雪見を伺い見る。彼女はまだ驚いたように目を大きく見開いて風太郎をじっと見つめていた。
 風太郎が雪見と会うとき、彼女から向けられるのはいつも笑顔で、例えそれが営業スマイルだと分かりきっていても風太郎には嬉しいものだった。が、今の雪見は、完全に素の表情である。今までに見たことのない一面に、なおさら風太郎の精神は緊張の度合いを増し、
「だからつまり――烏羽さんは俺が守りますから!」


 口に出してから、自分が何を言ったのかようやく理解が及んだ風太郎が思い切りパニックに陥っている前で、雪見が軽く俯く。
 深く長いため息を吐いて、それから祈るように両手を組んで顔を上げる。そのまま風太郎を真正面から見据え、しみじみとこう言った。
「蜂須賀クンは、いい子だねえ……!」
「は、はあ……」
「他の人たちはともかく、蜂須賀クンは前からの知り合いでしょう? もうね、だから余計にね、いい年こいて魔女っ子ルックかよ、とか、社会人としてハズかしくないのか、とか言われるんじゃないかとばっかり……。それがあのことに一切触れないばかりか、こっちを気遣ってくれるなんて! 私感動したわ!」


 風太郎の方が雪見と二人きりになってぎこちなかった理由は言わずもがなだが、雪見の方はそんな理由で固くなっていたらしい。伏し拝まんばかりの勢いで風太郎に感謝の眼差しを送ってくる。
「い、いや、俺だってバンダーラの姿はどこの特撮って感じですし。っていうか俺は烏羽さんのあの格好変だとは思わないですよ! 似合ってると思います、いやマジで!」
 妙なスイッチでも入って勢いづいたのか、風太郎がぐっと拳を握って力説する。
 対する雪見は、一瞬ぽかんとしてから照れたように体をくねくねさせて、
「や、やだもう。お姉さんをからかっちゃだめだゾ?」
 ゾ、の発音と同時に風太郎の額を人差し指でつんとつついた。
「…………!?」
 色んな意味でいっぱいいっぱいになった風太郎が硬直する。
 そのまま場に沈黙が流れること約5秒。
 風太郎が立ち直って何を言うよりも早く、笑顔のまま固まっていた雪見がテーブルに突っ伏した。それと同時に起きた鈍い音は、おそらく額を打ち付けたときのそれだ。
 流石に我に返った風太郎が心配になって覗き込む。
 髪の隙間から覗く小さな耳は紅潮していて、そしてこんな言葉が聞こえてきた。
「マジ調子に乗りましたゴメンナサイ馴れ馴れしいというか年を考えろと言うかもうホントすいません」
 どうやら自分の言動について恥じ入っているらしかった。傍で見ていたシャンパーゼが、処置なしというように首を振る。

 結局、教授やあさひが戻ってくるまで、雪見はテーブルに突っ伏したままうわごとの様に謝罪の言葉を繰り返していたのだった。



[26553] 第三話『災厄、彼方より』④ さがしものはなんですか
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/06/04 02:06

Scene10 仄暗い地の底から


「こ、こんな……」
 イェトライロム邸の門扉をくぐって外に出たとたん、それだけをようやく搾り出してあさひは硬直していた。彼女と一緒に玄関から出てきた面々は、一様にその反応の意味を量りかねる。
「どうかしましたか、あさひ?」
 あさひの隣にいたシアルが、場を代表して問いかけた。
「だ、だってこれ……。地球の、日本だよ……?」
 ごく普通の、住宅街の風景。
 ウェルマイスのような中世西洋風でも、宝永のような江戸時代風でも、エナージェのような様々な文化の交じり合った雰囲気でもなく、あさひがよく知る、両側をブロック塀で囲まれ、とアスファルトで舗装されたその道。
 見覚えがある場所ではない。が、その雰囲気は、あさひの中にある郷愁を否応もなく刺激した。
「あさひ……」
 呆然と立ち尽くすあさひの服の肘の辺りが軽く引かれる。僅かに眉尻を下げた表情でそうしているのはシアルだ。
 その表情を見たあさひは、はっとしたように背筋を正し、困ったように笑ってからシアルの頭の上にぽんと手を置いた。
「ごめんね、ちょっとびっくりしたから」
「いえ、……その、私の方こそ……」


 シアルが表情を緩め、しかしそのまま軽く俯く。やや重くなった雰囲気の中で、しかしよく通る声を上げる者がいた。
「ここって、あさひさんの故郷に似てるんです?」
 二人の様子を不思議そうに見ていたポーラだ。全く他意の感じられない、純然たる疑問に、あさひは軽く笑みを漏らして頷く。
「うん、だからちょっと懐かしくなっちゃった。ごめんね、びっくりさせちゃって」
「故郷が好きなのはいいことですよぅ。でも、美酒町もいいトコですよぅ? わたし、ここが大好きですよぅ!」
 にぱー、と笑うポーラに、場の雰囲気が釣られて和らぐ。続いて言葉を作ったのは、雪見の肩の上で訳知り顔に頷くシャンパーゼだ。
「まあ、ここはもともと地球を模造しようっていう試みの果てに生まれた孤界だモン。似てるのも当然と言えば当然の話なんだモン」
「ああ、やっぱり地球なのか、美酒町のモデルって」
 得心したように頷いたのは風太郎である。
「元はといえばテオスの仕業なのになんで知らないんだモン?」
「ひとことで言えば下っ端だからだなあ、上から来る指示もなんか妙だし、おかしいとは思ってたんだけど」
「ぶっちゃけ、ほとんどの住人はここを地球だと思ってるモン。それなのに気付かなかったモン?」
「いや、普通『ここはなんていう世界だ?』なんて会話しないだろ」
 一人と一匹がやり取りする間に、玄関の脇にあったガレージのシャッターが音を立てて開く。中から進み出てきたのはごく一般的なワンボックスカー。そして、運転席でハンドルを握るのはイェトライロム教授である。
 パワーウィンドウがすうっと開き、教授がにっと笑ってみせる。
「さあ、先ほどの調査でアタリをつけた場所を偵察に行くとしよう。みんな、乗りたまえ」


 まず最初に教授が車を向かわせたのは、家から程近い、綾沢山の上にある瀬織神社だ。参拝客用の駐車場に車を止め、境内を進んでいく。
「ここにも宇宙怪獣が出たんだモン?」
 定位置である雪見の肩の上で、シャンパーゼが険しい表情で教授に向けて問いかける。
「正確には、拙宅の庭に宇宙怪獣が出現した際とごく近い反応の残滓を検知した、というところだよ。場所が近いこともあるし、確度はかなり高いものと思ってくれて構わない」
 教授の答えを受けて、ますますシャンパーゼは深刻な雰囲気を漂わせる。
「ここにあのグロ系の魚介類が出てくるとマズい理由があるわけ?」
 雪見が眉をひそめて相棒に疑問を投げる。あるいは、耳元でうんうんと唸られるのが鬱陶しかったのかもしれないが。
 シャンパーゼはなおもしばらく唸りを上げ、ちらりと風太郎の方へ視線を送り、それからため息をついて語りだした。
「……ここは、メルキオール様と縁の深い場所なんだモン。そこで異変が起こるというのは、事態は相当深刻なものなのかもしれないモン」


「祀られているのは祓戸大神と呼ばれる神々。ご神体は弓とのことですが、これがつまりメルキオールを指すのですか?」
 神社の由来が記された看板を読んでいたシアルが首を傾げた。が、シャンパーゼはこれを否定する。
「そこまで直接的な繋がりではないモン。もしそうだったらもっとエラいことだモン。ただ、ここは色々と曰くつきなんだモン。雨戸の騎士の逸話が生まれた場所でもあるモン」
「雨戸の騎士、ですか?」
 シアルをはじめ、美酒町以外の出身者がその言葉の響きに揃って怪訝そうな表情を浮かべ、ただ一人、雪見が得心顔でぽんと手を打つ。
「ああ、聞いたことあるわ。嵐の日に雨戸が壊れそうになったら『お兄ちゃんファイト』っていうと壊れなくなるっていう都市伝説。アレってここ発祥なの?」
「それは騎士じゃなくて建築関係者なんじゃあ……?」
「意味不明っぽさは確かに都市伝説っぽいよな」
「いいこと聞きました! 台風の季節が来たら雨戸の騎士さんにお願いするですよぅ!」


「ともあれ、あさひ君、雪見君。この場で何か感じたりはしないものかな?」
 話を脱線させている一団を余所に、周囲に油断なく目を配りながら教授が言葉を続ける。
「先ほどの襲撃の際、まずそれに気付いたのは君らだ。故に、現場での探査で頼りになるのも君らだと私は考えているのだが、どうだろうか」
「ええっと……」
「そうね……」
 二人がそれぞれに周囲を見回し、それから目を閉じて意識を集中する。


「うーん……。さっきのボドリオン、だっけ? アレと似たような気配の残り香と言うか、そういうのは確かに感じるんだけど、それ以上は厳しいわね……」
 まず雪見がそう言って閉じていた目を開き、肩で大きく息を一つ。
「ふむ。そうかね。……あさひ君の方は――」
 教授が雪見の言葉に頷き、続いてあさひに話を振ろうとして言葉を途切れさせる。あさひのすぐ隣に立つシアルが、唇に人差し指を当ててこちらを見ていたからだ。あさひ本人は、未だ目を閉じて集中のさなかにある。
「ずうっと、深く、暗く……。遠く、細く……。も、もう、少、し……」
 眉根を寄せて、小さく呟くあさひを、残るメンバーが固唾を呑んで見つめた。緊張が場に満ちる。が、それも長くは続かなかった。
「……ぶはあっ!」
 息を詰めていたあさひが、突然顔を上げる。身を乗り出すように彼女の様子を伺っていたその他5人と一匹がびっくりして仰け反った。
「あー。ダメだあ……。もうちょっとで掴めそうだったんだけどなあ」
「あさひ、何が掴めそうだったのですか?」
 大きなため息を地面に落とすあさひに、周囲を代表してシアルが質問する。
 あさひは腕を組み、しばし視線を虚空に走らせて考えをまとめているようだった。
「何ていうのかな、宇宙怪獣たちは、地面の下から来たんだよ」
「地面の」
「下だモン?」
「確かに、拙宅の庭でも、地面から沸きあがるようにしてあのボドリオンは現れたな」
 妙なコンビネーションで言葉を繋ぎながら雪見とシャンパーゼが足元へ視線をやり、教授が頬ヒゲをしごきながらそう付け足す。
「うん、地面の下に、根を張るみたいに道がある感じ」
「この下はアリの巣よろしく穴だらけってことか?」
 風太郎がかかとで足元を叩くようにしながら問う。境内の玉砂利がじゃらりと音を立てた。
「ええっと、はっきり断言できるわけじゃないんだけど、実際に穴があるんじゃなくて、そういう力の通り道があるんじゃないかな。どこから繋がってるとかはちょっと分からなかったんだけど」
 おとがいに手を当てて考え込みながらあさひが言葉を連ねた。隣のシアルがこくんと首をかしげ、
「以前、セルカ先生からうかがったフレアラインのようなものですか?」
「近い……と思う。中を通るのは世界の循環フレアとかじゃなさそうだけど」


 二人が問答を交わし、それぞれがこの意味について考えを巡らす。
「つまり、その道を通って宇宙怪獣が出現する、ということかしら?」
「じゃあ、お家の庭にもその道があったんですかぁ?」
「状況から考えて、あった、もしくは今もある、と考えた方が妥当のような気がするモン」
「そうなると、あの庭でもきちんと調べないとな。実際にボドリオンが現れた場所だから反応があるのは当たり前、って調査地からうっかり外したのは不正解だったか……」
 雪見、ポーラ、シャンパーゼ、風太郎の順で考えを整理するように言葉を作る。が、それ以上は続かず、場に沈黙が下りた。
 そして、それを打ち破るようにかつん、と硬い音が響いた。教授が参道の石畳をステッキで叩いた音だ。
「議論するのも大事だが、さらなる情報を仕入れてからでも遅くはないだろう。この場には私の方で継続的に監視を置くとして、次に移るとしよう。他の場所の調査結果と照らし合わせる事で見えてくるものもあるかもしれないからね」
 それから、この場を重要だと発言したシャンパーゼへと同意を求めるように視線を送る。
「――分かったモン。他の場所も調べてみるモン」
 雪見の肩の上で白い小猿がこっくりと頷いた。


 宇宙怪獣の反応と思しきものが検出されたのは、瀬織神社の他にも数箇所存在していた。
 そのラインナップは、何の変哲もない住宅街の一軒家であったり、繁華街のカラオケボックスであったり、雪見曰く、以前にUFOの目撃談が出てごく一時的な人気スポットになったという丘だったり、とりとめも共通点も見出せないものだ。
 調査結果については、神社のものとほとんど変わりはなかったが、新たな発見もあった。
 瀬織神社も含め、これらの場所には実際に宇宙怪獣が出現していたわけではないのだ。少なくとも、何の被害も、目撃情報もなかった。


 そして、既に日も落ちたころ。
 ようやく一行は教授の家に戻ってきた。が、休む間もなく、庭に集まり、他の場所と同じようにあさひが反応を探る。
「……やっぱり同じ。ここも道が通ってる。どこに繋がってるのかが分からないのも同じなんだけど」
 庭の真ん中で目を閉じて集中していたあさひの口から発せられた言葉。半ば予想通りとは言え、それを聞いた周囲からため息が漏れた。
 

「私には、あさひ君の言う地面の下の道を通じて、宇宙怪獣の存在を匂わせる何かが漏れ出していると、そう表現するのがもっとも正解に近いように感じられる。だが、アレは宇宙怪獣を美酒町のあちこちに出現させるためのものというわけではないのかもしれないね」
 あさひが調査をしている間、そこから少し離れた場所で携帯電話を取り出して何処かへ連絡を取っていた教授が、戻ってくるなりそう言う。
「これまでの美酒町をフレアに還元しようという企みには、いくつかのパターンがある。今のところテオスの一部が採用しているのは、美酒町住民の精神に不安と絶望を植え付け、それによって未だ不安定な世界である美酒町を崩壊させてしまおうというものだ」
「だけど、その路線は戦果が芳しくない。美酒町の住人が妙に鷹揚で細かい事を気にしない傾向が強いのと、彼らの心を守る存在がいるから」
 最初のひとことから脱線したような教授の話に、当のテオス構成員である風太郎が言葉を続ける。
「この世界の住人は、多かれ少なかれメルキオール様から分かたれた力の一部を受け継いでいるモン。その影響でちょっとやそっとのことには動じないし、ボクらみたいなメルキオール様の使者が希望を振りまく事でそれを補強するんだモン」
 更にシャンパーゼが補足を行う。「……希望……?」と雪見が半眼で呻くように呟いたが、その肩の上の白い小猿は一顧だにしなかった。


「そうした理由で、ここ美酒町は不安定であると同時に、実にしなやかで強靭だ。あちこちで宇宙怪獣が出現すれば、それは確かに大きな騒動になるだろう。が、それがすなわち美酒町の崩壊に繋がるとは言いづらい。ラーレイとやらが今回の事件の裏で糸を引いているとして、仮にもテオスの指導者層の一人だ。それが劇的な効果をもたらすと判断するというのは考えにくいのではないかね?」
 教授の最後の問いかけは、風太郎をちらりと見て行われた。
「……確かにそうかもしれない。ただ、俺たちが見たのはボドリオンだったけど、宇宙怪獣にはアレとは比較にならないくらいヤバいのもざらにいるんだ。最終的にはそういうのを使うのかもしれない。そう考えれば、召喚用の仕掛けだ、っていうのもアリだと思う」
 腕組みして虚空に視線を走らせ、思考しながら風太郎が教授に答えを返す。
「なるほど。確かに現状では答えを出すのは早計ということだね」
 教授は頬ヒゲをしごいて一つ頷き、
「では、事態に対して判断を下すために、更に情報が必要になるだろう。継続して情報収集にあたることとしたいが、その前に……」
 言葉を切って空を見上げる。思わず釣られて同じように上を見る他の面子に小さく笑いかけ、
「もう日も落ちた。今日これからのことだが、綾沢温泉で旅館に宿を求めようと思っている」


 やや唐突なその言葉に疑問符を浮かべたそれぞれの表情に向けて、教授は己の意図を説明する。
「拙宅の庭にも詳細不明の力の通路が存在し、しかも一度はそこから宇宙怪獣が現れている。以上の理由から、この場所と、おそらく我々は宇宙怪獣の背後にいる存在に目を付けられたと考えるのが妥当だろう。故に、ここを拠点とするのは危険が大きい。また、ことが起こったときのために、街中よりは温泉地の方が都合がいい。いざとなれば山中に戦闘の場を移すことも出来るだろう」
 一旦言葉を切り、
「そして、言うまでもないこととは思うが、この場にいる全員が集まっていた方が効率の面でも安全の面でも望ましい。無論のこと宿代は全て私が持つので、あさひ君、シアル君、風太郎君、雪見君、シャンパーゼ君、みなに同行を願いたいのだが、どうだろうか?」
 一人一人に視線を合わせて教授が問う。
「あたし達はそもそも今日の寝るところの確保がまだだったから、ものすごくありがたいです。宿泊費は、いずれきちんと返しますから、それでお願いします」
「お願いいたします」
「金銭に関して気兼ねする必要はないよ。レディを野宿させては紳士の名折れであるし、それに私はこう見えてちょっとした小金持ちでね。遠慮なくタカりたまえ。――残る面々はどうかな?」
 教授が頭を下げるあさひとシアルに鷹揚に頷いてみせ、風太郎と雪見に話を振る。
「あー。重ねて遠慮するのも失礼っぽいんで提案はありがたく。俺も全員集まってた方が都合がいいと思うし」
「じゃあ、私たちも同じくってことでお願いします、教授。……あ、でもそうなると明日もお店はお休みしないといけないかしら……?」
 風太郎が教授に頷きを返し、雪見が首を傾げた。
「雪見君の店舗は『フラワーショップ六花』だったね? 明日の休業の告知はこちらで手を打って店頭に張り紙を出させておこう。それで構わないかね?」
「あ、はい。ありがとうございます」
 雪見の礼に頷く事で答えて、改めて教授が手を広げて全員を促す。
「では、今日の宿へと赴く事にしよう。実は先ほど予約を入れて部屋を確保してある。折角だ、この事態の解決のために英気を養うくらいのつもりでいるとよいのではないかな?」





Scene11 おいでませ綾沢温泉郷



 ごくり、と唾を飲み込む。
 これは必要な事なのだ、と自分に言い聞かせてあさひは彼女の前に立った。
 力をあわせてダスクフレアに立ち向かっていかなければならない仲間同士。
 だが、どうあってもこれだけは、今、確かめなければならない。
「雪見さん」
 名前を呼ばれた彼女が、ふと顔を上げた。しっかりと真正面から視線を合わせ、あさひが問う。
「雪見さんは、ノーマルですよね?」
「………………はい?」


◆◆◆


 美酒市――美酒町、という孤界はゆっくりと拡大を続けているが、現在のところ、H県美酒市一円で構成されている――西部に位置する綾沢山。
 あさひたちが調査に向かった瀬織神社が存在する他に、この近辺は温泉地としてつとに名高い。
 いくつもの温泉旅館と、そこへ訪れる観光客をあてこんだみやげ物屋が並ぶ、いっぱしの温泉街が存在しているのだ。


 イェトライロム教授が今日の宿に定めたのは、その中でも高級にカテゴライズされる旅館だった。
 確保したのは隣り合わせの部屋を二つ。男性陣と女性陣で分けてある。
 双方の人数の違いから男性陣の方が体感的に広くなるが、そこは容赦して欲しい、とわざわざ頭を下げるのは教授の持つ紳士としての拘りらしかった。
 とは言え、女性陣でそれを気にする者もなく、一行は豪勢な料理に舌鼓を打ち、折角の温泉旅館なのだから、と露天風呂を堪能する事となった。冒頭のやり取りは、その脱衣所でのものである。


◆◆◆


「いやあ、ごめんなさい。読んだ本のインパクトがあまりにアレだったもので……」
「うん、まあ、その点についてはお詫びするしかないんだけどね。描く題材がそのまま性癖、って人はそうはいないわよ。私も一応、女×女も男×男も男×女も女×男も全部描くもの」
「ラスト二つの違いがよく……いや、いいです。説明は省いてください」
 湯船に並んで浸かりながらそんな風に言葉を交わしているのは、あさひと雪見である。
 同時に露天風呂にやってきたシアルとポーラは、二人とも体を洗っているところだ。
 シアルがあさひの背中を流すと言い出し、それに乗っかるようにポーラが雪見の背中を流すと言い出したので、洗われている間はできなかった話を今のうちにしている二人である。


「しかし、こんな若い子達と一緒にお風呂の機会があるとは思わなかったわ。みんなお肌にハリがあるし、スタイルもいいわよねえ。お姉さん羨ましいわあ」
「雪見さんも十分若いと思いますけど……」
 真実羨ましそうに、頬に手を当ててため息をつく雪見。あさひとしてはお世辞でも何でもなしに思ったことを言葉にしたが、だからこそか、雪見の表情がどんよりと曇る。
「あさひちゃんもね、何年かすれば分かるようになるわよ。……フフフ。お肌の曲がり角って本当にあるものなんだ、ってね……」
「雪見さん、目が、目が虚ろになってますよっ!? ほ、ほら、折角温泉なんだから、もっとこう、楽しく!」
「はっ!? そ、そうね、折角の温泉、しかもタダだものね!」
 あさひに肩をがくがくと揺すられて、雪見が正気に返る。
「失礼します」
「失礼しますよぅ!」
 洗い場から湯船にやってきたシアルとポーラが、断りを入れながらしずしずと湯船に入ってくる。シアルはあさひの向かいに、ポーラは雪見の向かいに、という具合で車座になって四人が湯に浸かる。
「うーむ。みんなレベル高いけど、総合力ではシアルちゃんがトップかしら。綺麗過ぎる上にものすごく堂々としてるからあんまりエロくないのが残念だけど」
「雪見さん、目付きがちょっとアブないですよ」
 至極真剣な表情で感想を述べる雪見に向けて、あさひが半眼でツッコミを入れる。同人誌問題で少々微妙な空気を間に挟んでいた二人が妙に馴染んだやり取りをしている辺り、裸の付き合いの効能というのはなかなか馬鹿にならないものがあった。


「私の容姿は作られたものですので。最初にアニマを製作したリオコルノ騎士団の趣味なのかもしれませんね、とかくアニマ・ムンディというのは造形美を追求される傾向にあるようです」
「男ばっかりの騎士団でアタマ沸いちゃって、美少女がいないなら作ればいいじゃない! とかいう発想が出たとか……」
「真相がそんなのだったら嫌過ぎです!」
 漫才のような掛け合いを行うあさひと雪見を余所に、落ち着いた所作でアニマの類型について述べるシアルを、隣のポーラが羨ましげに見て、ポツリと零す。
「私も教授にもっとスタイル良く作ってもらえば良かったですよぅ」
「……え?」
 雪見、あさひ、シアルの三人が驚いたように顔を合わせ、それからポーラを見つめ、代表して雪見が問いを投げた。
「え、ええっと、ポーラちゃんも……?」
「アニマ・ムンディではないですよぅ? でも、教授の作った、いわゆるアンドロイドですよぅ!」
 にっこりと笑って宣言すると、ポーラが右手で左手首を掴む。そのまま手首を捻るようにまわすと、金属質の音がその場に響いた。
「ほい、っと」
 気の抜ける掛け声と共に、軽い音を立ててポーラの左手が肘の辺りから分離する。断面に見えるのは血と肉と骨ではなく、金属の接合面だ。
「ホントは秘密にしないといけないんですけど、皆さんとは一緒にダスクフレアと戦う仲間だから大丈夫、ですよぅ!」
 分離したままの左手にVサインを作らせて、ポーラが笑顔を浮かべる。
「シアルもそうだけど、人間にしか見えないよね……」
 あさひが取り外された腕を見てうむむと唸り、
「つまり教授も、美少女がいないなら――」
「雪見さん自重して下さい」
 そろそろ扱い方を心得てきた隣の雪見にツッコミを入れた。


◆◆◆


 カオスフレア一行が宿泊する宿の露天風呂は、男湯と女湯が隣接する作りになっていた。当然、その間には視線をさえぎる衝立が存在してはいるが、どちらかで少し大きめの声を上げれば、それはもう片方へと筒抜けになるだろう。
「なあ教授」
 様々な葛藤の末、女性陣が入る前にさっと露天風呂を堪能して部屋に戻り、浴衣姿でくつろいでいた風太郎が、同じく浴衣姿の教授に声を掛ける。
「何かね風太郎君」
 意外に堂に入った浴衣の着こなしを見せる教授は、備え付けの日本茶をすすりながら風太郎の方へと目線をやる。
「こんな風にマッタリしてていいのかな。せめて見回りくらいやった方がいいんじゃ?」
 僅かに眉根を寄せた風太郎の問いに、教授は湯飲みをちゃぶ台に置いて薄く笑う。
「ふふ。気にする事はないとも。周辺の監視にも手は配ってある。無論、何かあるのでは、と気構えを持つことは大事だがね、それで気疲れするよりは、今はゆっくりしておきたまえ」
 諭すように言ってから、教授は笑みの性質をやや変える。何故か風太郎はそれを見てチェシャ猫を連想した。
「ああ、もちろんこちらの監視は女湯が見えるような配置にしていないから安心したまえ。少年の夢を抜け駆けするような事はないとも」
「……いや、そんなことは考えてないから」
 一瞬ぐっと言葉に詰まるものの、さらりと言葉を返す。おや、というように片方の頬ヒゲを持ち上げて、教授は意外そうな顔をした。
「ふむ。存外に冷静だね。頼もしいことではあるが、若者とは血気にはやるものだ。これは若さが持つ真理であり、権利でもあるよ、風太郎君」
「からかい甲斐がない、ってだけのことを仰々しく言わないで欲しいんだけど」
「ははは! これは手厳しい。だが諧謔は紳士のたしなみだよ、風太郎君。そうそうやめるわけにはいかないな」


 総合的に見れば仲良く談笑している二人を横目にしながら、そっとちゃぶ台の上でため息をつくのはシャンパーゼだ。
 見た目はまんまサルのぬいぐるみとは言え、彼も一応分類上はオスである。当然のように雪見に置いてけぼりをくらい、こちらの部屋にいるのだった。
 ――ボクだけ気を張ってるのがアホみたいだモン。
 仮にも風太郎はテオスの構成員である。この世界の守護者としての立場上、全面的に信用するわけにはいけないと結論して彼を監視することを密かな自身の仕事と定めたシャンパーゼだが、どうにもしまらない。
 妙に馴染んで会話する教授と風太郎を見て毒気が抜けたということもあるし、昼間の戦闘を思い返して気付いた事と、風太郎の態度を見ていて出したとある結論が、警戒するのはバカらしいのではないか、という思いを植えつけていたこともある。
 彼らの部屋のドアを風呂から上がってきた女性陣がノックしたのは、もうあれこれとぶっちゃけるか、そこまでいかなくても風太郎当人を問い詰めてやろうかとシャンパーゼが真剣に検討を始めたときだった。


◆◆◆


「教授、卓球しに行きましょうよぅ!」
 部屋の中に入るなり、びしりと手を挙げたポーラが元気よく声を出す。
 露天風呂から部屋へ戻ってくる途中に卓球台があったのは教授も風太郎も気付いていたが、わざわざ風呂上りに運動する気にはならなかったのでスルーしていたのだ。しかし、どうやら彼女の意見は違うらしい。
「卓球は構わないがね、ポーラ。温泉に浸かってきたばかりなのに、また汗をかくのではないかね?」
「え? そしたらもう一回お風呂入ればいいんじゃ?」
「折角の温泉だものねえ」
 やんわりとポーラを止めようとした教授の言葉に、あさひと雪見から『何言ってんだコイツ』と言わんばかりの視線とともに反撃が加えられる。
 形勢不利と見た教授は頬ヒゲを撫でて一つ頷き、
「申し訳ないが私は遠慮しておこう。こう見えても忙しいのだよ」
「めちゃめちゃくつろいでたように思うモン……」
「見えないところで成果を出すのが出来る男というものだよ、シャンパーゼ君」
 思わず零れたシャンパーゼの突っ込みに、少なくとも表面上は余裕の態度で答える。


「ううん、じゃあ教授は部屋でゆっくりしててもらうとして、蜂須賀クンはどうする?」
「行きます」
 雪見の問いに対して、風太郎は即答した。
 既に立ち上がり、部屋のタンスから予備の帯を持ち出して、浴衣をたすきがけにしていた。
 やる気満々である。
「じゃあ、雪見さんとポーラと蜂須賀君とあたしとシアルで五人だね。シャンパーゼくんは流石に卓球は無理そうだし――」
「いいえあさひ。すいませんが、私は部屋に残ろうかと」
 メンバーを指折り数えていたあさひに、その隣で沈黙を保っていたシアルから声が掛けられる。
「あれ、シアル、ひょっとしてどこか具合悪いとか? それとも疲れた? ああいや、じゃああたしも――」
 とたんに心配の色を顔に浮かべるあさひ。が、シアルはそんな彼女をやんわりと抑える。
「体調に問題はありませんので、ご心配なく。少しゆっくりしたいだけですので。折角ですので、教授とお帰りをお待ちしています」
「そ、そう? うーん、じゃあ、ちょっと行ってくるね。――教授、すいませんがシアルのこと、よろしくお願いしますね」
「しかと承ったよ、あさひ君」
 あさひが教授に向かってぺこりと頭を下げ、それからぱたぱたと部屋を出ていく。男部屋に残ったのは、シアルと教授の二人のみとなった。


「――さて、シアル君。私の勘違いであれば聞き流して欲しいのだが、何か、私に話したいことがあるのかな?」
 ちゃぶ台の上にシアルの分の湯呑みを用意しながら、教授が穏やかな口調で問いかける。
「私はそんなに分かり易いでしょうか?」
「なに、レディの機微に聡いのも紳士たるものの条件だとも」
 教授の問いへの肯定であり、自問でもあるシアルの言葉に、教授が小さく肩をすくめて言う。シアルは小さく頷いて、改めて教授に向き合った。
「単刀直入にお伺いします。……あなたと彼女の間に嘘がある理由について、お聞きする事は出来ますか?」


 真摯に自身を見つめて放たれた問いに、教授は数秒の間、思考の時間を作った。それから小さく息を吐いて、口を開く。
「君達に対して秘密がある理由、ではなく、私と彼女の間にある嘘の理由、か。つまり、彼女は君達に?」
「はい、入浴時に彼女自身の口から。本来は秘密だが、仲間だから、と」
 シアルの言葉に、教授は座椅子の背に深くもたれかかる。
「そうかね。まあ、確かに君らに話すことを止めはしなかったが」
「実際がどうであるのかに気付いたのは、おそらく私だけでしょう。あさひや雪見さんには、知覚出来ないと思われます。そして彼女は、良い人だと思います。言葉に嘘はないだろうと判断しました。ならば――」
「嘘は、私の側にある、と。そういうことだね?」
 座椅子にもたれ、顔を天井に向けて、しかし瞑目したまま教授の教授の口から、零れ落ちるように言葉が紡がれる。
「しかしシアル君、君はそれを聞いて――。いや、君は最初に言ったね、嘘がある理由を知りたい、と。つまり、私の嘘を指弾することが目的ではなく、私が嘘をそこに存在させていいと判断したのは何故かを知りたいのだね?」
 教授が天井へ向けていた顔を戻した。縦長の瞳孔に映ったシアルがこっくりと頷く。
「はい。私はそれを知っておかなければ――。いえ。知りたいと、そう思っています」
 そこでシアルはお茶を一口含んで唇を湿し、更に続ける。
「嘘が存在する背景の事情については、私たちが介入すべきではないのかもしれない、と。少なくとも、会って日の浅い者が踏み込むべきではないと判断しました。あさひに害が及ぶような要素が見られない、ということも大きいですが」
「事情については関知しないが、判断の理由は知りたい、と」
「はい。それだけでも図々しいとは承知の上ですが」


 綺麗に正座したまま、深々と頭を下げるシアルの前で、教授は既に醒めてしまったお茶を含み、小さく息をついた。
「レディの頼みにこういう言葉を返すのはいささか主義に反するが、条件を出させて頂こう」
 すっと顔を上げたシアルと視線を合わせ、教授が言葉を繋ぐ。
「シアル君には、私の嘘について今しばらく口を噤んでもらいたい。宜しいかな?」
「それは……。あさひから直接に問われない限りは」
「それで構わないとも。あさひ君がシアル君にその問いを投げるという段階まで情報が拡散するというのは、もはや潮時だろう」
 ためらいがちなシアルの答えに対し、教授は意味ありげな笑みをその表情に乗せた。シアルが自分の出した条件を飲んだ事に対する満足の笑みにしては、そこに含まれる成分に安堵が足りない。だが、シアルがその意味について深く考えるよりも先に、教授は口を開いた。


「さて、君の疑問に対する答えだが、端的に言えば、それが必要だと思ったからだよ」
「必要であれば、許されるということでしょうか」
 教授の言葉に重ねられるシアルの問いは、純粋な疑問のみで形作られていた。だから、教授もただ答える。
「許しを得るつもりはないよ。いずれ裁かれるだろうとは思っているがね。何せ私は犯罪者であるのだから」
 そういって自嘲気味に笑い、教授は自問する。
「そも、誰に許しを乞うべきなのだろうね。彼女か、私自身か、それとも私たちを取り巻く世界の全てか」
 まだ少しだけ残っていた湯呑みのお茶を飲み干し、続ける。
「仮にそれらの全てから許されざるものとして弾劾されたとしても、私は私の選択を恥じるつもりも翻すつもりもない。己の行動の結果として受け入れるのみだ。何故なら――」
 一旦そこで言葉を切り、ちゃぶ台の上に心もち身を乗り出してシアルを見つめる。
「何故なら、私たちには自分の行動を決めることの出来る意思がある。つまりはそういうことではないかね」
 教授の言葉に、シアルからの答えはない。彼女は、深く静かに己の考えに没頭していた。
 教授は、先達の余裕を以て彼女の思索が一段落するのを待つ。新たに注いだお茶を半分方飲み終えた頃、シアルが顔を上げた。


「ありがとうございました、教授。参考になりました」
 居住まいを正し、深々と頭を下げる。
「なに、これも一つの縁というものだ。君が……む?」
 途中で言葉を途切れさせ、教授が上を見上げる。
 釣られて視線を上――天井へと走らせたシアルの目が、奇妙な物体を捉えた。
 天井の戸板をずらし、こちらを覗き込んでいる球体。
 いや、正確には球体ではない。ハンドボール大の球体がそのボディの大部分を占め、そこにはマジックで描かれたような、マンガチックかつシンプルな顔。それを支えているのは、蛇腹関節の手足だ。
 妙に釣りあがった三白眼と、への字に引き結んだ口許は、その丸っこいシルエットによって、奇妙な愛らしさをかもし出していた。
「あれは……?」
「私の配下の一人、とでも言っておこうか。タイミングを見て紹介するつもりだったのだがね」
 言いながら教授が手招きすると、そいつは意外な身軽さを発揮して、天井から部屋の中に降り立つ。顔の方を教授に向けているため、シアルからは顔と反対側にでかでかと描かれた『38』という数字が見て取れた。
「紹介しておこう。私の指示で調査等を行っている、チック38号だ」
 手足つきのハンドボール――チック38号がシアルに向き直り、ひょいと片手を上げ、また教授の方を向く。
「ふむ。……ふむ。なるほど、分かった。あとはこちらで検討しよう。よく知らせてくれた、38号。引き続き、任務を続行してくれたまえ」
 チック38号はひとことも声を発しておらず、教授の前でなにやら身振り手振りをしているだけなのだが、教授にはその意味が正確に読み取れるらしかった。大きく頷いて38号を労うと、シアルに向き直る。
「どうも、町で情報収集をしていた彼に接触してきたものがあるようだ。我々に情報提供したいとの申し出を受けたらしい」
 突然のチック38号の乱入にもあまり驚いた様子を見せないシアルが、教授の言葉に首を傾げてみせる。
「それはまた、向こうも耳が早いと言うか手が長いと言うか……。相手が誰かは分かるのですか?」
 シアルから向けられた疑問に、教授は気取った仕草で肩をすくめてこう答えた。


「うむ。まあ、情報が早いのも納得の相手かもしれないね。VF団のエージェント“韓毒龍”。美酒町におけるVF団の出先機関のひとつ、13人委員会の立役者とも噂される大物だとも」



[26553] 第三話『災厄、彼方より』⑤ 守護の意思
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/07/08 01:50
Scene12 調停者


「本日定休日、だって」
 “韓毒龍”から待ち合わせ場所として指定された、喫茶店『樹蘭』の入り口前。
 ドアにかけられたプレートを読み上げて、あさひが残るメンバーの方を振り返った。
「どうしよっか」


◆◆◆


 美酒町で活動するVF団エージェントからの情報提供の申し入れは、それを受けた教授によってすぐさま他のメンバーに伝えられ――るということはなかった。
 卓球をしに行ったメンバーが一旦部屋に戻り、汗を流すと言って温泉に向かい、そこから戻ってきてからやっと、こう切り出したのだ。
「明日の朝、VF団から情報を貰いに行くので、起床時間は7時とさせて頂きたい」


 反応は様々だった。
 あさひはVF団と聞いても、取り立てて隔意を見せる事はなかった。VF団=知り合いの超能力者の図式が出来上がってしまっていて、警戒対象に入っていないのかもしれない。
 シアルはそんなあさひを、曰く言いがたい(彼女にしては極めて珍しい)味わい深い顔で眺めていた。あさひと思い浮かべた人物は同じはずなのだが、見事に対照的な反応である。
 テオスと並んで美酒町にちょっかいをかけている組織であるVF団の名を出されたシャンパーゼは露骨に眉根を寄せた。
 一方、相棒たる雪見はそこまで深刻な様子は見せていなかった。何故か時折風太郎の方へ視線を向けては口の端をにやりと上げている。
 そして、VF団と並ぶ侵略者であるテオスの風太郎はと言えば、むっつりとした表情で黙り込み、何故か結跏趺坐を組んで口の中で何ごとか呟きを繰り返している。その顔は何故か赤い。
 基本的には人見知りの割に、一旦距離を詰めた相手にはガンガン攻める雪見が女湯でセクハラ旋風を巻き起こし、ポーラがそれに乗り、あさひが反撃し、シアルが無自覚に雪見を撃沈する一部始終を男湯で聞いてしまったせいである。
 本来は一度目と同じように時間をズラすつもりだったのだが「汗臭いままなのはレディへ礼を失するし、風呂の後で話がある」という猫紳士の台詞と「別に男湯からノゾキをするわけじゃないでしょ?」という花屋の店員の台詞に押し切られてしまったのだ。
「お風呂で美少女にセクハラして、上がってから男の子の初々しい反応が見れて二度美味しい」
 とは後に雪見が語った言葉である。

 閑話休題。

 ともあれ、各自それぞれの思惑、反応の違いはあったものの、一行は“韓毒龍”との接触を決定した。
 指定された日時は明朝9時、場所は美酒商店街のメインストリートからやや外れた位置にある喫茶店『樹蘭』である。


◆◆◆


「待ち合わせは、この喫茶店の前で、とかじゃなかったんだろ?」
 風太郎が教授に話を振ると、猫紳士は重々しく頷いた。
「うむ『喫茶店、樹蘭にて』と確かにメッセージを受け取っている」
 チック38号の身振り手振りのどこを読み取ればそうなるのかは不明だったが、はっきりと教授が断定する。
「なら、入ってみましょう。定休日だから、と追い出されたのなら、その時はその時です」
 シアルの言葉に全員が同意を示し、風太郎がするりと進み出て、ドアに手を掛けた。すぐ後ろに続いた教授に目配せを送り、用心深い動作でゆっくりとドアを開く。


 備え付けられたドアベルが高く澄んだ音を立て、
「いらっしゃいませ、七名様ですか?」
 カウンターの中で、ティーポットを手にしていた女性が微笑みかけた。
 風太郎、教授、シアル、あさひ、ポーラ、雪見、雪見の肩に乗っているシャンパーゼ。
 ここまで含めて七名である。普通ならシャンパーゼを即座に人数に含めはしまい。一行の雰囲気がぴしりと引き締まる。
 年のころは雪見と同じくらいか、もう少し下。ウェーブのかかった亜麻色の髪を肩まで伸ばし、穏やかに微笑んでいるその女性に対し、教授が一歩前に出て帽子を取り、それを胸の辺りへ持ってきて一礼する。フォーマルなパーティか、さもなくば演劇の舞台の上でやらせたいくらいに絵になる仕草だった。
「“韓毒龍”どのと待ち合わせの予定が入っているのだが。お嬢さん、お聞き及びかな?」
「はい、私がその“韓毒龍”樹蘭ですから」
 優しげな笑みはそのままに、店主――“韓毒龍”樹蘭が言い放った台詞に、一行が驚きを見せる。いや、一人だけ例外が存在した。
「なるほど。お招きに感謝する、“韓毒龍”どの。私はイェトライロム。親しい相手には“教授”とだけ呼ばれることも多いね。見知り置いてくれたまえ」
 悠然とした態度で自己紹介すると、“韓毒龍”に向けてぱちりと茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。
「では、席につくとしようではないか。実のところ、“韓毒龍”どのが準備しているロシアンティーが先ほどから気になって仕方ないのだが、注文は受けていただけるのかな?」


 店の奥まったところにある、八人がけの大きめのテーブルに一行が座ると、樹蘭がジャムを添えた紅茶とクッキーのセットを全員の前に給仕した。
「うちの人気メニューなの。まずは召し上がれ?」
 樹蘭の促しに従い、それぞれがティースプーンで紅茶の中にジャムを落とし、軽く混ぜてから口にする。
 ほう、と最初に感心したような吐息を漏らしたのは教授だった。
「これは美味い。常連になってしまいそうだね」
「うふふ。ありがとうございます」


 “韓毒龍”はたおやかに微笑むと、ソファの空いた部分へそっと腰を下ろす。失礼します、と軽く会釈を受けたのはその隣に座る風太郎で、彼は無感動に一つ頷いてみせた。
「さて、“韓毒龍”どの。それとも名前でお呼びした方がよろしいかな?」
「お好きなようにどうぞ。でも、私はあなたのことはイェトライロムさん、と呼ばせてもらうわね? 教授、だとうちの上司を思い出してしまうの」
 一人一人が自己紹介を終えたのを見計らって会話を切り出した教授に対し、樹蘭が薄い苦笑とともに返答する。その上司に対する複雑な感情が透けて見える、そんな笑みだ。
「好きに呼んでくれて構わないとも。教授、と呼ばれるのが気に入ってはいるが、名前で呼ばれるというのも悪くはない。相手が妙齢の美女ならなおさらだとも」
 相変わらずの気取った物言い。樹蘭はくすりと笑みを零し、それから一行をぐるりと見渡した。おっとりとして穏やかなその視線からは、彼女の思惑はうかがい知れない。


「じゃあ、早速だけれど本題に入りましょうか」
 いきなりそう切り出した樹蘭に、あさひたちの背筋が伸びる。自分の言葉が聞き手に浸透したことに満足したように樹蘭が頷きを一つ。
「今、美酒町という孤界そのものが侵食を受けているのよ」



「侵食だモン?」
 雪見の肩の上からテーブルに降り、自分の顔の半分ほどもあるクッキーに齧りついていたシャンパーゼが顔を上げる。声のトーンは至って真剣なものであったが、まずは口の周りのジャムを拭けと雪見は思った。
 当の樹蘭はと言えば、さして気にする様子もなく頷きを返す。
「そう。内側から根を張るようにして。結果として美酒町が崩壊するのか、別の何かに変質してしまうのか……。それは分からないけれど、不可逆かつ大きな変化が訪れるはずだわ」
 根を張るように。
 その言葉に、カオスフレアたちの全員に共通して連想されるものがあった。
 宇宙怪獣を、もしくはそれと同じ力の残滓を吐き出していた、美酒町の地面の下に張られている経路。
 それこそが、美酒町を侵食するモノではないか。
 教授が自分たちの調査の結果を交えてそう口にすると、樹蘭も頷いて同意を示した。


「でも、美酒町がその侵食っていうのを受けてるとしてよ?」
 すっと手を挙げて、言葉を継いだのはあさひだ。彼女はシャンパーゼにちらりと視線を送ってから、こう続けた。
「美酒町の神様の、メルキオール様、だっけ? あとその使いのシャンパーゼ君にはその辺は感じられないの?」
「ボクはあくまで魔法しょ――淑女のサポート役だから、分からないでも不思議はないモン。ただ、確かにメルキオール様から何もないのはちょっと不自然だモン」
 シャンパーゼが首を捻り、テーブルの上でぐるりと体を回して全員に視線を送る。
「メルキオール様が美酒町の中で起こる全ての物事に干渉できるわけでもないのは事実だモン。例えるなら、美酒町の内部での一日は、メルキオール様にとっては一分か、もっと短い時間の出来事なんだモン」
「――だが、看過するには今回は事態の規模がいささか大きい、と」
 教授が思案深げに発した声に、シャンパーゼが大きく頷く。


 メルキオールとは世界霊、この孤界を見守る神である。
 未だ生まれてからの時間が短いこの美酒町という孤界において、神が占めるウェイトというのは想像以上に大きい。
 世界が世界として当たり前にあるためのバランス調整や、直系にして数十キロメートルというこの小さな孤界において、それより外が無いことを住人達に悟られないための仕掛けを現在司っているのがメルキオールだからである。
 これがもっと年経た世界であり、その存在が強固であれば、世界はただそこにあるだけで独自の理に則って動いてゆくものだが、美酒町がそうなるにはまだまだ時間も孤界そのものの規模も足りていない。
 極言してしまえば、美酒町で太陽が東から昇って西に沈むのも、メルキオールあってのことだと言えなくもない。
 そのように孤界のありように目を配り、運営を続けているメルキオールだ。細々とした些事に関わる事は難しいが、“韓毒龍”の言葉をそのまま信じるならば、ことは孤界全体に及ぶ規模である。
 メルキオールの孤界内端末としての立場も持つシャンパーゼに対し、何らの働きかけもない、というのは少々おかしい。


 シャンパーゼの語る疑問に一同が首を傾げる中、ただ一人、樹蘭だけはにこやかな笑みを崩さない。
「さて、ここからが私の提供する情報の中で、肝となる部分なのだけれど」
 さらりとそう言い放ち、周囲の反応を探る。カオスフレアたちが自身に注目しているのを改めて認識して、こう続けた。
「守護龍、という存在について、どれくらいご存知かしら?」


「守護龍、かね?」
「龍っていうと、アムルタート?」
 教授が首を傾げ、あさひが疑問を口にする。
 他の面子も、二人と似たような表情を――つまりは、“韓毒龍”の言葉の意味を量りかねる、という心境が分かる顔をしていた。


「そもそも龍というのは、孤界を司る神、世界霊と対になるべく、世界を作るための材料であるエイドーロンから造物主によって創造された生き物よ」
 そんなあさひたちの疑問に答えるように、“韓毒龍”は語り始めた。
「そうした、世界霊とともに孤界の調和を保つために存在する龍が、守護龍。アムルタートは、どちらかというとかつてそうであった龍たちであったり、そうした龍が自身を構成するフレアを裂いて生み出した者たち、というところかしら」
「その守護龍がどうしたっていうんだ?」
 どこか遠い目をして謳うように言葉を紡ぐ樹蘭の隣で、ジャムをスプーンで舐めては紅茶を飲む――ロシアンティーの作法としては実はこちらが正しい――ということをしていた風太郎が、おそらくはその場の全員が思っていたことを口にした。
 随分と年下のはずの風太郎から発せられたつっけんどんな言葉にも気分を害した様子も見せず、つまり、と“韓毒龍”が言葉を繋ぐ。
「その守護龍が一番に侵食の影響を受けているの」


 頬に片手を当てて、困ったようにため息をつく樹蘭。
「つまり、ダスクフレアにその守護龍が囚われているのでしょうか?」
 そんな彼女に向けてひょい、と手を挙げてシアルが問いを投げる。が、樹蘭はゆるゆると首を振って否定の意を示した。
「直接的に何かされてるわけではないのよ。向こうが美酒町に仕掛けた侵食がフレアを通じて守護龍に繋がるようになっているの。守護龍も美酒町に根付いている存在だから。問題なのは――」
 “韓毒龍”は一旦言葉を切る。間を計る、という様子ではない。その先を口にすることをはばかるような、そんな沈黙が生まれていた。
 が、それも長くは続かない。恥じ入るように視線を足元へと落としていた樹蘭が顔を上げたとき、その目には強い光があった。
「問題なのは、守護龍が侵食によって力と本質を持って行かれているということなの」
「力は分かるけど、本質ってのは?」
 首をかしげた風太郎からの疑問の声に、樹蘭が頷く。
「美酒町の守護龍が『どうあるべきか』という方向性、と言い換えることもできるかしら。それを、喰われているのよ」


 樹蘭の言葉は、真剣さと深刻さに満ちていて、しかしその理由を正確に把握できているものはこの場に存在しなかった。
「つまり“韓毒龍”どの。『どうあるべきか』という指針を奪われたこの孤界の守護龍が暴れ始めると、そういうことなのだろうか?」
 樹蘭の話の行く先をいまいち掴む事が出来ずに困惑を浮かべているカオスフレアたちの中で、教授がきゅっと縦長の瞳孔を細めて言う。
 自身も龍の名を冠するVF団のエージェントは、そんなカオスフレアたちの様子に小さく肩をすくめる。それから、ため息のように言葉を零した。
「守護龍、という言葉の語感が問題なのね、この場合は。繰り返すけれど、守護龍というのは世界霊と対になる存在なのよ」
 メルキオールからの干渉がほぼ見られないのは、その対となる守護龍の力が利用されているからではないか、と樹蘭は語る。


 ぴんときた。
 まさにこの言葉に相応しい閃きが、あさひの脳裏を走ったのはまさにこの時だった。
 そして、その閃きに押されるようにして、あさひの口から言葉が紡がれる。
「『悪栄えれば善を為し、善蔓延れば悪を為す』」
 それは、龍の理。
 かつて肩を並べて戦った龍戦士が力を揮う際に口にした誓句だ。
 唐突に口を開いたあさひを見つめる驚きを含んだ視線の中で、唯一つ笑みを浮かべているものがある。
 “韓毒龍”樹蘭だ。
「そう。まさにそれよ。孤界の調停者である龍は、世界霊が孤界に生きるものたちを虐げればそれに抗って善のあることを示し、世界霊が慈愛を説くならば、暴虐を振るって悪のあることを示すの」
 どこか寂しげな色を瞳に湛えながら、彼女は龍の在り方を示す。
「そういうことかモン」

 深々とため息をついてみせたのは、世界霊メルキオールの使い、シャンパーゼだ。
 相棒であるところの雪見すら未だ見たことのない真剣な目つきで、彼は樹蘭と向かい合い、厳かに言葉を交換する。
「メルキオール様は、人を愛する善神だモン」
「ならば守護龍は、人を喰らう悪龍でしょう」
 それは、まるで神聖な宣誓のごとく樹蘭の口から発せられた。
 そして、カオスフレアたちは理解する。
 守護龍の本質を食らった何か。
 それが存在するのであれば、いかなる行動を取るのかを。


「少し待って欲しい」
 手で触れられそうな緊張感が場に満ちる中、教授が落ち着いた声音とともにすっと手を挙げてみせる。ほとんど睨むように樹蘭を見ていたシャンパーゼも、おっとりとした笑みを崩さないままにそれを受け止めていた樹蘭も、そのほかの面々も、教授へと視線と意識を向ける。
「今までの話からするに、守護龍というのはこの孤界の根幹にも関わる存在だ。だとすれば、孤界の発生と同時か、それでなくとも相当に早い段階から存在していたことは想像に難くない」
 だが、と言葉を切ってから紅茶を一口含み、思案するように頬ヒゲを一度しごいて教授が続ける。
「私の知る限り、そのような悪龍が存在したと言う情報は全くない。これはどういうことだね? そもそも“韓毒龍”どの。貴女がそこまで守護龍の詳しい事情を知っているのは何故なのだろうか?」


 声はあくまで落ち着いていて、口調も柔らかいものではあったが、教授のその言葉は詰問の響きを帯びていた。
 美酒町へ渡ってきてからの期間を数えるなら新参の部類に入るイェトライロム教授だが、だからこそ、情報収集には力を入れている。が、今しがた聞かされたのは、その教授をして影すらも掴んだ事のない情報だ。
 真実であればこの上なく重要な秘密を明かされているとも取れるが、それと同じくらいに偽りであった際の危険性も大きい。そうした思考が、教授の言動に表れていた。


 自分以外の全員から穴が開きそうなほどに見つめられて、しかしそれを意に介していないように“韓毒龍”は小首を傾げる。ほっそりした指をおとがいに当てて困ったように眉根を寄せ、苦味のある笑みを浮かべた。
「守護龍が今まで表立って動いてない理由については、私からはそうせざるを得ない何かがあったんじゃないか、としか答えようがないわね。情報ソースについては、申し訳ないけど秘密よ」
 実際に申し訳なさそうにしながらそう言ってから、その代わり、と言葉を付け足す。
「それよりも実用的な情報を一つ。美酒町を侵食し、ひいては龍から力を奪っている根の、中心がどこなのか」


 さらりと口にされたその一言の重要性が一瞬の間を置いてからカオスフレアたちに浸透し、緊張が走る。
「なるほど。確かにそれは実用的な情報だ。何せ、今回の事態の核心に至る道なのだからね」
「ここまでの情報が全部正しいって前提がいるけどな」
 樹蘭の正面に座る教授が重々しく頷き、それに続いて彼女の隣に座る風太郎が投げつけるように言い放つ。
 樹蘭との会談が始まってより、穏やかな態度の中に様々な思惑の色を――おそらくは意図的に――覗かせる教授とは対照的に、風太郎は仏頂面を基本にしていた。不機嫌を前面に押し出したその態度に気付いているのかいないのか、“韓毒龍”は彼に対してもおっとりとした対応を全く崩さずに答えを返す。
「確かにテオスとVF団は対立しているわ。特に十三人委員会は美酒町を支配下に置く事でテオスに対する防波堤として機能させようとしているのだから、私に対して思うところがあるのは十分に理解しているのだけれど」
 おそらく今日始めて、樹蘭は常に浮かべていた笑みを消した。意外なほどに強い光を宿した瞳を、真っ直ぐに風太郎へと向ける。
「組織の方針がどうであれ、私個人は美酒町を守りたいと強く思っているわ。そこは信用して欲しいの」


 しばしの間、バンダーラとVF団エージェントの視線が真正面から絡み合う。呼吸五つ分の間を置いて、先に視線をそらしたのは風太郎だった。
「分かった。信じるよ。こっちだって寄り合い所帯なんだ。信用出来る出来ないを言い出したら、しまいにゃ空中分解しかねない」
 降参というように両手を挙げた風太郎に向けて、樹蘭がにっこりと微笑み、それから居住まいを正した。彼女が重要な事を語ろうとしているのを全員が察して、雰囲気がぴしりと締まる。


「美酒町の侵食の中心点は――」



Scene13 虚と実


 烏羽雪見に趣味は何かと問うたとする。
 これに対する返答は、問いかけた人物によって実は異なってくる。
 問うた人物がいわゆる同好の士であれば、それこそ雪見は自身の執筆物の内容について微に入り細を穿って語るだろう。
 逆に、そうした世界に造詣のない人間から問われたなら、彼女はこう答える。
 人間観察、と。
 丸っきりの嘘というわけではない。
 花屋を経営するうえで、こちらが選んだ花に対するお客の反応を見るうちに、通りがかる人々を観察するのがいつの間にかクセになっていた、という部分もあるし、なにより本来の趣味の執筆にも割と役立つ。
 ともあれ、そうして趣味と実益を兼ねた人間観察で磨き上げた人物眼でもって、雪見はカオスフレアの仲間たちの事を見ていた。


 まず、フォーリナー、雪村あさひ。
 さっぱりとした陽性の人物で、怒ることはあってもそれを長続きさせるには向いていない。実際、自分たちを無断でネタにして18禁の百合同人誌を描いたという、客観的に見てどうなんだそれはという雪見に対してすら、一度怒りを爆発させはしたものの、その後の対応は怒りをほとんど引きずっていないものだった。出来た娘さんだと雪見は感心していたのだ。
 それから卓球で遊んだり温泉でじゃれあったりしているうちに打ち解けて、見えてきたのはやはり年相応の女の子である、ということだろうか。
 みんなでお泊りや、みんなで温泉、といったイベントでテンションを上げているのもそうだし、時々、周りを見渡しては寂しそうな顔をするところもそうだ。いかに出来た娘さんであろうとも、やはり故郷を離れていると望郷の念が募るようだった。ことに美酒町は地球とそっくりだというからなおさらだろう。


 それから、あさひのパートナーであるところの、アニマ・ムンディ、シアル。
 基本的に冷静沈着であり、アニマならではの美貌も相まってかなり大人びて見える。あさひと並べてみれば、見た目の印象ではシアルがあさひを保護し、導く立場なのだと大抵の人間が思うだろう。実際、雪見もそう思っていたのだ。
 が、よくよく観察するうちに、精神的な意味ではむしろ彼女はあさひに守られる立場と言った方が実情に近いと思うようになってきた。
 ふとした瞬間にあさひを探して視線を迷わせ、彼女を見つけて安心したように微笑むシアルは、見た目の印象よりもずっと幼く感じられる。
 ――冷静な美人さんが明るくさっぱりした友人に子犬よろしく尻尾を振って懐いてるとかなにそれ美味しいネタ!
 あさひとの約束により、『AMガール』の続編が描けないのを心底惜しいと思う懲りない雪見である。


 次に、猫耳紳士、イェトライロム教授。
 飄々として捉えどころがないところもあるが、柔らかい物腰と細やかな気配りを見せる、紳士の名乗りに相応しい人物である。実質的に雪見たちカオスフレアは教授をリーダーとして動いているし、それを疑問に思うメンバーもいないようだ。独自の情報網を確立しているようで、見えないところで成果を出す、という言葉に違わずいつの間にかVF団との会談を取り付けていた。
 まさに頼れる大人という言葉を体現しているといっても過言ではない。
 それだけに底の見えない部分もあるが、そうした部分を他人に気にさせない不思議なところが教授にはあるように思えた。


 そして、教授の助手であるという、ポーラ・ロック。
 明るく人懐っこい、天真爛漫という言葉に相応しい少女。教授から淑女たれという教育を受けているようで、礼儀作法やお茶の支度(料理をするところはまだ見ていないが、お茶の席を用意する手際からして下手ということはあるまい、と雪見は見ている)については驚くほどきっちりと身に着けている。
 露天風呂でのカミングアウトによれば、教授によって製作されたアンドロイドだという。が、外見にしろ性格にしろ、腕が取り外されるのを見ても信じがたいレベルで人間にしか見えない。
 教授に全幅の信頼を置いているのは見ていてすぐに分かる。が、その関係性は彼女の正体を知ってもなお、製作者と人型機械というよりは親子にしか見えないのはそれこそポーラのアンドロイドとしての優秀さの証なのだろうか。
 こっそりと『おじさまとそれに思いを寄せる少女』のネタを組み始めているのは誰にも秘密である。


 最後に、テオスのバンダーラであり、それ以前に雪見にとってはここ最近の店の常連、蜂須賀風太郎。
 接客していた頃の印象は、礼儀正しくやや照れ屋の、昨今では珍しいくらいのいい子、というところだ。バンダーラ、いわゆる改造人間だと知った後もその辺りの印象はあまり変わらない。
 強いて認識に影響したところを挙げるなら、ちょっとした雑談の中で彼が蜂の因子を持ったバンダーラだと聞かされたときに「ああ、だから花が好きで、美化委員の仕事で学校に花を飾ることに気合が入っていてウチに来るのか」と大いに納得したくらいだろうか。
 ただ、VF団のエージェント“韓毒龍”樹蘭との会談を終えた今は、少々彼に対する認識に変化が生じている。
 どちらかというと女性は苦手だと睨んでいた――ふとした拍子に接近したときなどに、面白いくらいに狼狽するのだ――が、樹蘭が隣に座ってもほぼノーリアクション、果ては真正面から見詰め合っても欠片も動揺の気配がない。
 樹蘭は相当な美人だと同じ女の雪見から見ても思うのだが、はて、これはどうしたことか。どうも絵面的に面白くな……もとい、普段の印象と食い違う。


 ひょっとすると、と雪見は思索を続ける。
 あれこそが風太郎の、いや、バンダーラ、ビーゲイルの素なのではないかと。
 テオスの構成員として、誰が相手だろうと冷静かつ毅然とした態度で臨み、為すべきことを為す。
 ちょっとしたことで狼狽したり嬉しそうにしたり、そういうのは美酒町に潜り込む為の擬態なのではないか。
 そこまで考えて、雪見はぶんぶんと首を振ってその思考を追い払った。
 その結論は、なんとなく面白くない。自分が以前から見知っている彼こそが、彼であるべきだ。
 見方によっては手前勝手極まる結論を弾き出し、雪見はひとり、大きく頷きを作った。



「どうかしましたか?」
 横合いから雪見に声がかかる。そちらへ向けた彼女の視界に映るのは、緊張気味の中にも心配そうな色を混ぜた、風太郎の顔だ。
「あ、いや、ちょっとね」
 なんとなく気まずいような恥ずかしいような感覚を得て、雪見はそれを誤魔化すようにひらひらと手を振ってみせる。と、前方から別の声がかかる。
「車に酔ったようなら言ってくれたまえ。一度どこかに止めて休憩にするからね」


 昨日も移動に使用したボックスカーのハンドルを握りながら言うのはイェトライロム教授である。
 今、彼らは“韓毒龍”から得た情報に基づき、美酒町に起こっている異変の中心と思しき場所へ向かっているところなのだ。
 運転は教授、助手席にポーラが着き、二列目の席にはあさひとシアル。最後尾に雪見と風太郎、という席配置である。ちなみにシャンパーゼは定位置である雪見の肩の上だ。


「いや、ホントに大丈夫ですから」
「ふむ、そうかね。ならいいが、これから行く場所では何があるか分からないからね。他の諸君も、不調などがあればすぐさま言ってくれたまえよ」
 市街地を離れ、カーブ多い山道に入った車を運転しながら教授が言う。
 目的地は山深い場所であり、途中まではこうして車で移動し、そこからは徒歩の予定である。
 美酒町とその守護龍への侵食がダスクフレアの仕業であるなら、今から向かう先では間違いなく戦闘になるはずで、それを見越して体力を温存するのは最重要である、と事前に教授は全員に説いていた。
 雪見や風太郎が変身して他の面子を抱えていけば直線距離を突っ切れる分、車を使うよりずっと早かったりするのだが、そうしていない理由はそこにある。
 ちなみに、MTで飛行していく、という案があさひから出されたが目立ちすぎということで却下され、一旦は張り切ってシヴィを喚び出す気まんまんだった彼女は今、後部座席でシアルにもたれかかって舟をこいでいる。寄りかかられた方もうっすらと嬉しそうな表情であさひの寝顔を見つめているので、とりあえず雪見は心のスケッチブックにその光景を描きとめておいた。


 ともあれ、車を走らせること約1時間、徒歩に切り替えてから約1時間半の行程を経て、カオスフレアたちは目的地までたどり着いた。
 開発の及んでいない山奥の道のりだったが、道に迷う事もなく進めたのは、ひとえに教授の手回しのよさだろう。
 手にしたステッキを鋭く振りぬいて獣道の下生えを切り払いながら教授が先頭を進むと、一定間隔ごとに丸っこいメカが一行を迎えるのである。彼らは教授を目にすると、蛇腹関節の手を敬礼の形に構えて、身振り手振りで次の同胞がいる場所までのルートを教授に教えるのだ。
「ここいら近辺に展開していたチック8号から31号までをルートの構築に回したのだよ」
 あまり肉体派には見えない痩身でありながら、対照的に山道に音を上げたポーラを背負う余裕すら見せながらウィンクする教授に、一行は感嘆の念を禁じえなかった。


「ここだね」
 教授がそう口に出して足を止める。
 彼の目前にあるのは、山肌にぽっかりと開いた大きな穴だ。
「うん、分かるよ。この奥に、例の根っこが繋がってる」
 目を閉じて意識を集中していたあさひが情報を補強した。ふむ、吐息を漏らした教授はくるりと身を翻して洞窟に背を向ける。
 彼が手にしたステッキで地面を一つ打つと硬い音が場に響き、一行の意識と視線が教授に集中した。


「さて諸君。この奥には先日の宇宙怪獣の来襲に関する元凶が存在すると思われる。おそらくダスクフレアか、それに類する何かだ。覚悟は良いかね?」
 ぐるりと教授の猫目が全員の表情の上をなぞり、それから満足げに頷いた。
「洞窟内をしばらく進めば、かなり広い空間があることが分かっている。そこが目指す場所となるだろう」
 瞑目して厳めしい声を出した教授はそこで言葉を切り、やや長い間を取ってから、にやりと笑ってみせた。
「実は旅館の予約をもう一日取ってある。今日で問題が片付いたなら、今夜は何の気兼ねなく宴会としゃれ込もうではないかね!」
 カオスフレアたちは、一瞬顔を見合わせてから唇に笑みを乗せ、応、と声を出す。


 そして、彼らは足を踏み入れた。
 孤界と龍とを喰らう、闇を湛えた口を開く洞窟へと。



[26553] 第三話『災厄、彼方より』⑥ 心と世界を侵すもの
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2012/08/19 20:38
Scene14 地の底へ


 その洞窟は、いわゆる風穴のたぐいであるようで、歩を進めるあさひたちの髪を、強めの風が常になぶっていく。足元が比較的平坦なのが救いだが、そうでなければ風の強さと相まって歩くのにも苦労していたことだろう。
 先頭を進むのは、銀色の装甲を纏った怪人形態に姿を変えている風太郎、その後ろにあさひ、雪見、シアル、ポーラの女性陣が一塊となって続き、殿に教授がついている。さらに、その周囲を固めるようにしてチック8号から20号が円形に布陣していた。
 ちなみに、道案内役を務めていたチック達のうち、21号から31号は洞窟入り口に残って付近の警戒に当たっている。


「しっかし、この子達便利ですよね。丸まっちくて、ちょっと目付きが悪いところとかも可愛いかも」
 あさひが周囲を固めるチック達を見回して声を上げる。教授の配下として紹介された彼らに対し、初見のメンバーのうちであさひと雪見は可愛いと大騒ぎして、大いに好印象を抱いてたようだった。
 チックを抱き上げてにこにこしているあさひに気付かれない角度で、シアルの片眉がぴくりと上がる。
「チックちゃんたちは凄いんですよぅ! 器用だし、アタッチメントの変更で色んな局面に対応できて、教授のお手伝いもバッチリですよぅ!」
 我が事のようにえへんと胸を張って腰に手を当てるポーラの周りで、手の空いていたらしい数体のチックたちがその動作を真似していた。
 ちなみに、光源などない洞窟内での灯りの確保は、チックたちのうち、何体かの目がライトのように光る事によって為されている。
「可愛い上に役に立つとは君たちはやるなあ!」
 あさひが自分の足元を照らしてくれている、背中に14とナンバリングされたチックを撫でて労っていると、視界の端で目尻のあたりに指を当てて、目の形を吊り上げるような仕草をしているシアルが見えた。
「……なにしてんの?」
「……いえ、別段なにも」
 さっと手を下ろしたシアルに対し、ふうん? と首を傾げながらもあさひはそれ以上追求しない。
 チック14号を撫でるのに夢中だった――わけではない。次の瞬間には、先頭の風太郎が静かに、しかし全員に聞こえるように声を発する。
「前方からお客さんだ。二足歩行の――おそらくテオスの兵隊と、その後ろからサイズ大きめの何かが這いずってる。明らかにこっちに気付いてる足運びだぜ」
 あさひが直感で危険を感じ取ったように、風太郎は聴覚で同じものに気付いていたようだった。
「どうせ一本道の洞窟の中だ。戦闘は避けられまいね。……ふむ」
 教授はひげをひと撫でして、周囲をぐるりと見渡す。それから一瞬の思考の時間の後、てきぱきと仲間たちに向けて指示を飛ばし始めた。


◆◆◆


 上位者から受けた命令、侵入者の排除のために、洞窟内をテオストルーパー達が粛々と進んでいく。体は人型であるものの、ごつごつとした質感の肌は緑色で、目も鼻も口も持たず、その代わりとでもいうのか、頭部がやけに長い。しかも、人間なら頭蓋骨がある辺りより先は軟体動物のようにうねうねと蠢いていた。彼らはテオトル星人、その中でもエキゾチックウィップと呼ばれる種族のクローンで構成された部隊だ。遥か昔に魂も自我も失ったテオトル星人の肉体を培養して作られた彼らには、やはりそうしたものが宿る事はまずもってない(そうした個体があってもごく希少な例であるので、ここでは置いておく)。
 だが、そうした心無きテオトル星人のクローンは、それでも状況に応じた判断力を失わないのだ。
 感情も魂も無く、ただ淡々と任務を遂行し、兵士としての即応性と柔軟性を損なわず、しかもクローン培養によっていくらでも増やせる。
 大星団テオスの戦力の、実に4割がテオトル星人によって占められているという事実からしても、彼らの利便性については論を待たない。
 オリジンにおいてはテオスの戦力の主力はネチェルと呼ばれる巨人たちなのだが、最近になってテオトル星人を初めとする様々な異星人も送り込まれ始めているのだ。


 ふと、テオストルーパーたちが足を止めた。目の前の光景が、これから行われるべき戦闘とはかけ離れた印象を彼らにもたらしたせいだったのかもしれない。
「初めまして、テオスの兵士諸君!」
 煌々と、洞窟の中で一点を照らすスポットライト。
 その中心で、インバネスコートの裾を翻して両手を広げ、猫顔の紳士が声を上げる。
 場所がステージの上であったならばこの上なく似合いの仕草ではあったが、いかんせんこの場は地の底へ続く洞窟の中である。その異物感たるや相当なものだった。
「さて諸君! 早速だが私、イェトライロムは宣言しよう! 私は君らのこの地での企みを阻害するために来た者であり、必ずやそれを遂行するであろうことを!」
 スポットライトの下で、朗々と声を張る教授。
 対するテオストルーパーたちは大まかに部隊をその役割によって二つに分けた。
 一つは当初の目的どおり、侵入者である目の前の人物を排除するべく動く者。
 一つは、この突然の状況から当然連想されるべき伏兵や罠に対する備えとして周囲を警戒する者。
 一糸乱れぬ連携のもとに動いたテオストルーパー達に、死角は無いように思われた。
 が、今にも自分に向けて乱射されるであろうブラスターの銃口を見据えてなお、教授が笑う。まさしくチェシャ猫の笑みを浮かべた猫紳士が、すっとステッキを差し伸べてテオストルーパーたちを指す。
「諸君。足元に気を付けたまえ」


 教授が言葉を放ち、テオストルーパーたちがブラスターの引き金を絞ろうとした、まさにその瞬間。
 硬い音と衝撃、閃光と轟音と爆発。
 それら全てが、二つに分かれたテオストルーパー達のうち一隊、周辺の警戒に当たっていた部隊の中心で巻き起こった。


 順番に、起こったことを羅列する。
 まず、テオストルーパーたちの足元、洞窟の岩盤が突如として砕かれた。それを為したのは、地面の下から幾つも突き出ている、螺旋状に溝を刻まれた円錐形だ。
 間を置かず、それら円錐の全てが地面から飛び出す。
 全体を晒したそれの正体は、丸い体に三角帽子を被るように取り付けられた円錐、ドリルを使って岩盤を穿孔し、潜行してきたチック達、9号から20号までだ。
 彼らは、釣り上がり気味のその目でテオストルーパーたちを睥睨する。
 9号、13号、18号、19号があんぐりと口を開き、そこからぼろぼろと何かをこぼした。彼らが飛び出してきた地面に落ちる前にそれら全てが炸裂する。
 撒き散らされたのは文字通り目も眩む閃光。フラッシュグレネードだ。
 10号、11号、12号、14号、15号、16号、17号、20号が、潜行形態となることでボディ内部に格納されていた蛇腹関節の腕を展開する。
 ショットガン、グレネードランチャー、機関銃etc.etc.
 それぞれが手にした銃火器が一斉に火を噴く。ばたばたとなぎ倒されてゆくテオトル星人たち。チックたちの襲撃を受けた部隊は、ほぼ全員が行動不能に陥る。事実上の全滅である。


 残る一隊のテオストルーパーたちは、突然の戦力半減にも一切の動揺を見せなかった。状況確認のために、スポットライトに照らし出された侵入者への射撃開始を一旦中断したものの、当初の目標を仕留めるべく再びブラスターを照準する。友軍を壊滅させ、次は自分たちに向かい来るかもしれない脅威をまるきり無視できる辺りに、テオトル星人たちの兵士としての優秀性が垣間見える。


 だが、
「ラーディーカールーっ・流星拳っ!」
 闇を押しのけるスポットライトのその向こうから、紅玉のような輝きが迸る。強い光に隠されていたそれが、隠し切れない輝きとなり、文字通り幾筋もの流れ星となってテオストルーパーたちに襲い掛かる。
 紅の流星雨を放ったのは、猫紳士の少し後ろに控えていたラディカル☆スノウだ。
 十数人のテオストルーパー達に対して、瞬時に叩きつけられた遠距離拳撃はおよそ数百。
 教授へと向けられたブラスターは結局最後まで火を吹くことなく、テオトル星人たちはひとたまりもなく打ち倒される。
 が、誰一人として戦闘態勢を解く者はいない。
 スポットライトの下の教授は目を細めて闇の先を見据え、拳を振りぬいたスノウは残心の姿勢をとり、呼気を吐く。
「第二陣のお出ましだ」
 その声は、スポットライトを挟んでスノウの反対側の闇の中から発せられた。目を凝らせば、銀色のバンダーラがそこに潜んでいる事が見て取れる。彼は額に備わっている触角を小刻みに動かし、周囲の様子を探っていたのだ。
 果たして風太郎の言葉どおり、再び洞窟の奥から現れるテオストルーパーたち。が、今度の部隊構成は先ほどとは異なる。
 テオトル星人たちの部隊は先ほどとほぼ同数。違うのは、その後ろに続く異形の存在だ。
 その外見に一番近い生物を挙げるなら、ナマコだ。ぬめりを帯びた体表はそれぞれ別個に蠢く柔突起に覆われ、その蠕動によって前進している。体の最前面に開いた穴は口だろう。内側にびっしりと、何列にも連なって鋭い歯が備わっている。


「ふむ。ここまでの流れからして、アレも宇宙怪獣の一種かね?」
 僅かに眉をひそめた教授が傍らの風太郎に向けて問いを投げる。
「ああ。ガストドンだな、あれは。ガタイに見合うパワーと、腐食性のガスを使うのが特徴の奴だ」
 触角をまっすぐにガストドンに向けた風太郎が頷き、教授はそれを受けて眉間のシワをやや深くした。
「こういう閉所であまり聞きたくない言葉を聞いたように思うね」
「案外そうでもない。密着した相手でないとすぐに成分が変わってしまって効果がないし、生き物以外には効果が薄いんだ」
「なるほど。つまりは作戦通りで問題ないということだね。しかし――」
 改めて宇宙怪獣ガストドンの体躯をざっと眺め、教授がささやかにため息をついた。
「ああいうのも宇宙の神秘と言うべきかな。個人的には、その類の言葉にはもう少しロマンを求めたいところなのだがね」
 言いながら、教授が手にしたステッキで足元の岩肌をかつんと打ち付ける。
 それが、合図だった。


「来なさい、シヴィ!!」
 ややくぐもった、あさひの声。さきほどチックたちが飛び出してきた地面の穴から漏れ出す、黄金の光。
「さて、本日二度目だが敢えて言おうか。諸君、足元に気をつけたまえ」
 教授の呟きと同時、地面の下から吹き上がった黄金の炎が、MTの形を取って地面を爆砕した。


◆◆◆


「さて、ハデ目に登場したはいいけど、ここからはみんなにお任せっぽいよね」
「仕方ありません。ここはMTが本領を発揮できるような環境ではありませんので」
「まあ、作戦通りでもあるわけだし、あたしたちのお仕事をしましょうか!」
「了解しました、あさひ」
 シヴィのコックピット内部であさひとシアルが言葉を交わす。
 

 事前のチックたちの斥候活動と風太郎の感覚によって、自分たちへと向かい来る敵が人間大の兵士の部隊が複数と、何か巨大な生物だと看破したカオスフレアたちは、接敵前に作戦を講じていた。
 まずはチックたちのほとんどが一旦後方へ下がり、ドリルを用いて穴を掘る。彼らはそのまま地中を進み、会敵予定地点の直下まで前進。その上では、天井に張り付かせたチック8号によるスポットライトによって教授が敵の注目を集め、彼我の位置調整を行う(ちなみに完全に非戦闘員であるところのポーラはチックたちが穴を掘り始めた地点で待機中である)。
 教授からの合図によってまずはチックたちが兵士の部隊を攻撃。フォローに回っている雪見と風太郎も加えて、可能ならば兵士たちを殲滅、もしくは牽制する。
 あさひとシアルに与えられた役目は、この流れの中で、後続の巨大生物が戦闘に参加してきた際に、壁になることだった。
 洞窟内の床から天井までの長さは十メートル弱。教授の庭でやったように、膝を折った状態のMTを召喚すれば、ギリギリ頭部がつっかえない程度だ。これを利して巨大生物の眼前にMTを召喚し、前進を食い止める。チックたちが地中に穴を掘って道を作ったのは、彼ら自身の奇襲に利用するためでもあったが、あさひとシアルを攻撃に晒さずに前線まで移動させる意味合いもあったのだ。


 そして今、果たしてシヴィは期待された役割を全うしていた。岩盤を砕いて顕現した鋼の巨人は、片膝を付いた姿勢でガストドンに真っ向から組み付く。無論、宇宙怪獣も大人しくはしていない。ぐねぐねと体をよじり、体の各部にある突起からガスを噴出すが、グレズ由来のMTの装甲は、それをものともしない。なおかつ、頭部に備え付けられた近接防御機関砲と、シアルによって有線操作されたタスラム・システムがそれぞれに攻撃を浴びせる。


 弾丸と光線が飛び交い、曰く形容しがたいガストドンの咆哮が響き渡る。怪獣大決戦の様相を呈してきたその場から洞窟の入り口側へ数メートル。宇宙怪獣と共に進軍してきたテオストルーパー達がそこにいる。彼らの決断は、今回も迅速だった。
 数名を前方、スポットライトに照らされた教授や、その脇のビーゲイルとスノウへの警戒にあて、残る全員でブラスターを構える。照準の先にあるのは、MT『シアル・ビクトリア』だ。


 ガストドンの武器である腐食性ガスは通用していないようだが、彼らのブラスターなら話は別だ。テオスの超科学による光線銃なら、MTにも十分にダメージを与えうる。まずはMTを排除し、自軍の最大戦力たる宇宙怪獣の拘束を打ち破るのが彼らの選択した行動だ。
 戦術的に見て、彼らのその行動には十分な妥当性があった。
 だが、彼らの前に立ちふさがったのは、それを真正面から打ち砕くパワーの担い手だった。


「ぜぇりゃああああっ!」
 銀色のバンダーラが雄叫びを上げる。
 風をまとって走る。こちらを警戒していた兵士達が放つブラスターの光を身を低くしてかわし、しかし疾走の勢いは殺さない。
 テオストルーパーたちの布陣の、その中央部に到達するまで後二歩。
 そこで右の拳を握り固めた。
 後一歩。
 地を這うような軌道で打ち出された拳が、青黒い光を纏う。
 擬似プロミネンス。
 バンダーラが例外なく埋め込まれる力の源。光翼騎士の青いコロナと交じり合ったそれを解き放ってビーゲイルの拳が頭上へと突き出された。


 上向きの豪風と衝撃。
 いっそ感動的ともいえる破壊力が拳一つで実現される。見るものにその事をなおさらに印象付けるのは、銀の怪人の周囲で拳に打たれたわけでもないのに吹き飛ばされ、洞窟の壁や天井に叩きつけられるテオトル星人たちの姿だ。
 そして、ぼとぼとと、ビーゲイルによって蹴散らされたテオストルーパー達が地面に落ちるのとほぼ同時。
 円周状に展開したタスラムシステムとチックたちから集中砲火を受けたガストドンが弱々しく声を上げて生命活動を停止した。
 戦闘の終了である。



Scene15 崩壊の序幕


「彼らの環境への配慮に対して賛辞を述べるべきかな?」
 洞窟内での戦闘を終えたカオスフレアたちが、その後に見た光景。
 それに対して最初に放たれたのは、教授のそんな言葉だった。
 

 辺りに倒れ伏していたテオトル星人たち、そして、その奥に横たわるガストドン。
 それらの全てが、黒いもやと化して消え失せてしまったのである。
「……テオトル星人のクローン部隊は、生命活動を停止したら体組織が崩壊するような仕掛けを組み込まれてるケースもまれにあるとは聞いたけど……」
 ため息に押し出されたような風太郎の台詞は、尻すぼみになって消えていった。彼自身が自分の言葉を的外れだと感じていたのだから、それも当然と言えよう。


 この現象をより正確に表現するのならば、
「――喰われた、って感じかな」
 ぽつり、と。
 あさひが零した言葉は、なんらの根拠もないにもかかわらず、その場の全員に奇妙な納得を持って受け入れられていた。
「だとすれば、だ」
 山高帽を一旦脱ぎ、戦闘による埃を落としながら教授が口を開いた。場の雰囲気そのままに、その表情と声は固さを持っている。
「ここはおそらく、我々が目的とする相手の胃袋の中に等しいということになる。弱った者は、喰われるということか」
 渋い顔のまま教授は懐からパイプを取り出して火を点け、煙をふかす。
「他にも条件はあるかもしれないがモン」
「どっちにしろ試すわけにもいかないでしょ」
 うんざりした様子のシャンパーゼと雪見が相槌を打つ。その姿は、既に魔法淑女からいつもの彼女に戻っていた。この先にも荒事は間違いなく存在しているはずで、その意味では元に戻るのは非効率的ではあるのだが、どうも変身しっぱなしでいるわけにも行かないルールがあるらしかった。


「ともあれ、まずは奥を目指すとしよう。再び戦闘になった場合は――」
 教授が一旦言葉を切り、パイプをくゆらせたまま悩ましげにため息を一つ。
「気は進まないが、先ほどと同じように撃破して通るしかあるまいね。それが敵を利する事になるのは業腹だが、さりとてこの洞窟の中では迂回も難しい」
「さっきみたいに穴を掘って進むのは?」
 はい、と挙手して意見を述べたのはあさひだ。実際のところ、先ほどはその策が上手くハマったわけで、そういう思考が出てくるのは当然の成り行きではあった。そして、教授がその方法を検討していたのもまた当然だった。
「いくつかの問題があるのだよ」
 そういって教授が指折り問題点を挙げていく。
 目的地までの地盤の状態が不安定であること。途中で掘った穴が崩落しては目も当てられない。
 短距離ならともかく、長距離を、しかも全員が通れる穴をチックたちに掘らせるのは難しいこと。出来たとしても、移動速度は相当に落ちてしまうこととなる。
 そもそも、地中への潜行を看破される可能性があること。それでなくとも先ほどの戦闘で一度使った手であり、なおかつテオトル星人やガストドンが『喰われた』ことからしてもここは敵のテリトリー内だ。戦闘の現場レベルでの欺瞞ならまだしも、敵の中枢からはバレバレである恐れが強い。


「つまるところ、敵が現れたら薙ぎ倒しながら道なりに進むしかないわけよね」
 結局のところ、人差し指に“マジカル☆メリケンサック”を引っ掛けてくるくると回していた雪見の言葉に頷くより他の選択肢はなく、一行は洞窟の奥へと向けて再び歩き出した。


◆◆◆


「ところで教授のタバコ、なんか変わった匂いだよね。美味しそうっていうか……」
「いけませんよあさひ。未成年が興味を持っては」
「ふむ。実を言うとこれはタバコではないのだよ。パイプに詰めて使えるように調整したカツオ節でね。実用にこぎつけるにはそれなりに苦労したのだよ」
「ああ、どこで嗅いだ匂いだろうと思ったらカツオ出汁の匂いなんだコレ……」


 隊列のちょうど真ん中で、そんな気の抜けるような会話が交わされている。
 戦いに戦いを重ねる修羅の道行きをすら覚悟して歩を進めた一行だったが、その実、最初の交戦以降の接敵はなかった。
 隊列の先頭に立っているビーゲイルが触角をあちらこちらへ動かして索敵にあたってはいるが、そちらも一向に敵の気配が引っかかることはなかった。
 そして。


「全員止まれ」
 先頭を歩く風太郎の静止に従い、全員が足を止める。彼の声に僅かに混じる緊張が、一行に終着が見えてきたことを教えていた。
 唐突に、その広大な空間は姿を現していた。
 今までの洞窟もそれなりに天井は高かったが、この場所はその比ではない。
 ここでならば、先ほどの戦闘では片膝を付いた姿勢しかとれなかったあさひのMTですら、ある程度の機動を行えるだろう。それだけの広さと高さを兼ね備えた場所だった。
 そして、その奥。
 地下水が泉となって湧き出している一角で、入り口側でカオスフレアたちがその場所に足を踏み入れてもそちらに背を向けたままの、一つの人影。
 漆黒のマントを身に着けたその姿が、ゆらりと振り向いた。俯き加減で表情は見えないが、おそらくは壮年の域に差し掛かっている男。マントと同じく黒を基調としたテオスの軍服に身を包み、だらりと下げた右手には、銀色の筒のような物を携えている。


「ラーレイ上級大将……!」
 銀のバンダーラがその名を口にして構えを取る。カオスフレアたちの警戒の気配に釣られるようにして、ラーレイが顔を上げた。
「喰われるべき、小さき者……。だが、強い、力……」
 ぶつぶつと何ごとかを呟く彼の視線は、一行のひとりひとりの上を舐めるように通り過ぎてゆく。が、確かにカオスフレアたちを見ているはずのその瞳は、ぞっとするほどに虚ろだった。真正面から視線をかち合わせても、本当にそうしているのかすら不安になるほどに。


「な、なんかおかしくないかしら、アレ……?」
 思わずといったようにそう零したのは雪見だった。そして、程度の差はあれど、それは全員が抱いた印象でもある。
「ここでなにをしている、ラーレイ! 美酒町や、その守護龍に侵食をかけているのはお前か!?」
 背筋に走る怖気を振り払うようにしてビーゲイルが声を上げる。燃え上がるような戦意と共に叩きつけられた大音声にも、ラーレイは先ほどから変わらずに陰鬱な表情のままに虚ろな瞳で見つめ返してくるのみだ。
「これは――」
 教授が僅かに首をかしげ、何か言葉を発しようとしたときだった。


「来るよ!!」
 あさひが語気鋭く警戒の声を発する。寸毫の間も置かず、ラーレイから黒い炎、プロミネンスが迸る。彼が先ほどから右手に持ったままだった銀色の筒から、赤い光が発せられた。それは剣の形に収束し、禍々しい暗紅色の軌跡を描いて振るわれる。テオスの支配階級たるバール氏族の象徴的な武装、フォースセイバーだ。
 ラーレイが武装した、とあさひたちが認識した次の瞬間には、彼は既に一足一刀の間合いにカオスフレアたちを捉えていた。接近の過程をコマ落としにしたかのような移動法。プロミネンスの活用による擬似瞬間移動だ。
「その力、捧げよぉっ!!」
 先ほどとは一変して狂熱に浮かされたように叫びながら、ラーレイが赤光の一太刀を横薙ぎに振るう。
「させるかっ!」
 誰に何をさせる間もなく叩き込まれたフォースセイバーの斬撃に正面から立ちはだかったのは、銀の怪人、ビーゲイルだった。
 向かって左から迫り来る光の剣に対して、左腕を盾として割り込ませる。固く拳を握られたその腕からは、青黒い光を孕んだ風が吹き出している。
 振るわれた剣と差し出された盾は当然の帰結として激突した。プロミネンスの黒い炎をまとった紅い剣が、銀の腕を守る青い風をじりじりと喰らう。
 そして、幾つものことが同時に起こった。


 ラーレイがフォースセイバーのグリップの握り方を微妙に変えた。
 あさひがシアルの手を取り、指を鳴らした。
 雪見がメリケンサックを取り出し、変身の呪文を唱え始めた。
 教授が僅かにステッキを持ち上げた。
 風太郎がフォースセイバーを受け止めている腕の角度をやや浅くした。


 赤いフォースセイバーが、剣の形に収束させていた光を爆発的に広げる。それは物理的な威力を伴って、向かい合った銀のバンダーラを打ちのめさんとした。
 黄金の炎が吹き上がり、一瞬にして晴れる。MT『シアル・ビクトリア』がフォーリナーとアニマ・ムンディを乗せた状態で顕現した。
 雪見が早口で呪文を唱え終え、変身プロセスを一瞬で完了させる。彼女の位置からはシヴィが障害となってラーレイからの視線は届かないのだが、それでも変身後の見得を切り始めるあたり、彼女自身にもどうしようもないのは確かな事らしかった。
 教授のステッキが地面の岩肌を打ち鳴らす。それを合図として、数体のチックたちが一斉に銃火器を構え、ラーレイに向けてトリガーした。
 腕の角度を変えてフォースセイバーを受け流そうとしていた風太郎が、形を変えたフォースセイバーの攻撃に対応するために、光翼騎士のコロナを展開する。赤黒い光爆を、自身のコロナと体を使って全て受け止める構えだった。


 いくつもの音と声と光。
 それら全てが収まったとき、ラーレイは再び陰鬱な表情へと戻り、フォースセイバーを無造作に提げて立っていた。
 そこから少し離れた位置に、ビーゲイル。左腕から肩、胸の半分に至るまで銀の装甲が破砕され、黄色と黒の蜂を思わせる体色が覗いていた。
 そしてその後ろ。足元に丸いボディのチックたちを従えて、ポーラを背中に庇いつつ悠然と立つイェトライロム教授。
 背中のハードポイントから大剣を引き抜いて屹立する『シアル・ビクトリア』。
 肩の上にシャンパーゼを乗せ、右拳を僅かに突き出した構えを取るラディカル☆スノウ。
 誰にも、傷一つ存在しない。ラーレイの攻撃の全ては、バンダーラの光翼騎士によって防がれていた。


「蜂須賀クン、大丈夫!?」
 スノウがあげた心配げな声に、ビーゲイルはもはや装甲の存在しない左腕をぐいと掲げてみせる。
「問題ありません。こちとら頑丈が取り柄ですから。それより注意を。どうにも不気味ですけど、やる気だけは十二分らしいですよ、あちらさんは」
 ビーゲイルがそういって見つめる先、虚ろな瞳と、それに相反するような莫大な戦意を放つラーレイ。


 ――いや。
 何かが違う、とバンダーラの戦士、ビーゲイルは感じ取った。
 戦意、敵意、殺意。
 戦場で相対した者からそういったものを向けられることには慣れている。だからこそ、違和感が拭えない。
 目の前の敵が、こちらに向けているそれは、戦闘者同士が叩き付け合うそれではなく――


「先手、必勝おーっ!」
 風太郎の思考をさえぎったのは、あさひの咆哮とモナドドライブの駆動音だった。
 自分の攻撃を受け止めたバンダーラに対して警戒の意識を割いていたラーレイの隙を突いて、MTが突撃をかけたのだ。
 それはやや思考に耽っていたとは言え、風太郎が攻めの機会と断じるのを躊躇するほどの僅かなものであったが、敢えてあさひはそこを突いた。
 プロミネンスの使い手との戦闘経験を重ねる事で得た判断。すなわち、
「やられる前にやる!!」
 絶対武器とフォーリナー。言葉以上の意味で一心同体となるMTとライダーの組み合わせが、シヴィの動きに生物的な滑らかさと稲妻のような瞬発力を与える。
 一瞬でラーレイの側面を取ったシヴィが、アエロライト製の剣を振りかぶった。黄金の炎が瞬時に刀身を包み込み、それ自体が長大な剣と化して振りぬかれる。


「おお……! おお……!! その力、その力を……!!」
 それを受けるラーレイの口からは、うわごとの様な言葉が漏れる。が、その身ごなしは力強さに満ちていた。
 両の足でしっかりと地を踏みしめ、フォースセイバーを正眼に構える。赤い光刀が瞬時に膨張し、伸張する。MTであるシヴィが袈裟懸けに打ち下ろす一太刀を、人間サイズで真正面から受ける腹だ。
 無論、コックピットのあさひはそれを無謀と軽んじる事はない。たかだか十数メートルのサイズ差が戦力を決定付けないことは今まで見聞きしてきたものが教えてくれている。
 だから、初手から切り札を切る決断を下した。
 ――モナドドライブ、リミッター解除!
 言葉ではなく、思考ですらなく、そうすべき、という判断があさひとシアルの間で共有される。故に、それに対する反応も同じく刹那のうちに共有された。
 ――リミッター解除、できません! シヴィからコマンドを拒絶されました!
 シアルから送られた情報に対し、あさひの取った行動は単純だった。
 無視したのだ。
 何故、を問うことはしない。それは、今やるべきことではないからだ。
 ――どっちにしろ、やることは変わらない!
 シアルから同意が送られてくるのを感じつつ、ただひたすらにシヴィに己がフレアを送り込む。


 現状でのシヴィが受け入れられる限界までのフレアをモナドドライブに叩き込み、コロナの剣をより一層輝かせる。
「行いぃっけえええええ!」
 鋼鉄の巨人がぐんと腰を落とし、地面を舐めるような軌道で黄金の炎を纏った剣を横に一閃する。
 金色の剣はそのままラーレイを両断――はせず、赤いフォースセイバーと十文字を描くようにして衝突、拮抗する。
「こぉ、ん、のおっ!」
 あさひが手元の操作器でコマンドを流し込み、シアルが出力を調整して僅かにMTが体捌きを変える。更には、
「コメット・パーンチっ!」
 スノウが思い切り大振りの拳で虚空を殴りつける。それと同時に不可視の衝撃が空間を走った。
 真っ直ぐにラーレイへと殺到したそれは、角度を変えたフォースセイバーの切っ先によって防がれる。が、
「隙ありゃあっ!」
 今度こそ、シヴィの大剣が振りぬかれた。どうにか体を捻って刀身そのものは回避したものの、ラーレイの体を黄金の炎のコロナが包み込む。
「おお……! 熱く、眩しく、芳醇なこの力! これぞ、これこそ――!!」
 熱病に浮かされたように言葉を零し、それとは裏腹に力強いプロミネンスをラーレイが放つ。たちまちのうちに黒い炎が彼から吹き上がり、黄金のそれを駆逐する。


「ダメージは、あるみたいだけど……」
 モニター越しにラーレイの健在を確認して、あさひが臍をかむ。
 やはり、モナドドライブのリミッターを外せないのが痛い。どうにかならないものかと先ほどからシアルがアクセスを何度も試みているし、あさひからも呼びかけているのだが、シヴィはリミッター解除のコマンドのみを拒絶した状態が続いている。


「さて、ともかくこのまま押し込む他あるまいね」
 再び赤いフォースセイバーを正眼に構えて体勢を立て直したラーレイを見据えて、教授がシルクの手袋をはめたままの手で器用にぱきんと指を鳴らす。
 彼の周囲に控えていたチックたちのうち、10号から13号までの四体が前方へ向けて駆け出す。
「彼らをフォローに付けよう。好きなように暴れてくれたまえ」
「了解っ!」
 前を向いたまま言い放った教授のすぐ横を、矢のように直線的に、影のように滑らかな動きで駆け抜けてゆく人影が一つ。
 装束のあちらこちらに配されたフリルとレースを風にひらめかせて走るのは、ラディカル☆スノウだ。


 迫り来る魔法淑女の姿を認識したラーレイのフォースセイバーの切っ先が、僅かに右へ左へと揺らめく。怒涛の勢いで間合いを詰めながらも、細かく動きにフェイントを織り交ぜているスノウに対応しようとしているがゆえだ。
「仕掛けるから合わせてね、チック君達!」
 短い手足を懸命に振ってちょこちょこと走りながら先行していたチック達を追い抜き、ひと声放ってスノウが爆発的に踏み込みを行う。
 最後の間合いが一瞬にして詰められ、大きなバックスイングから右拳が打ち出される。威力を重視した、しかしそれゆえに読みやすい動きに、当然のごとく迎撃のフォースセイバーが動きを合わせる。明らかに本気の力が込められたパンチであったにも拘わらず、スノウはその威力をあっさりと放棄。赤い光剣を掻い潜るように拳を沈み込ませ、右腕を折りたたむ。そのまま腰をわずかに落とすことで腕に回転のベクトルを与えて突き上げるような肘打ちに移行。が、それすらもラーレイは僅かに下がって間合いを外す。
「ここが!」
「狙い目だモン!」
 魔法淑女とその肩の上のマスコットが咆哮する。アッパー気味のエルボーの形を取っていた右腕の、肘が矢尻だとすれば矢羽にあたる右拳。そこへ、今度こそ渾身の力を込めた左の掌底がブチ込まれた。下から上への円軌道を描いていた右肘が真っ直ぐに突き込まれる直線軌道へと変化。そしてついにスノウの打撃がラーレイを捉え、余すところなく伝播された衝撃がそれを受けた相手の体をくの字に折る。
「まだまだァ!」
 スノウは体を閉じながらさらに震脚を伴った踏み込みを敢行。折れ曲がった相手の上半身の下へ右肩を前にして自分の体を入れ、ラーレイの肩を狙って持ち上げるようにしてショルダーチャージを当てる。
「立ち大パンキャンセル――」
 僅かに足先の浮き上がったラーレイを前にして、右足を大きく後ろに引くことで体を開いて正対。両拳を腰へ引き付け、下半身をぐんとたわめてタメを作り、
「ラディカル☆乱舞!!」
 叫んだ言葉に相応しい、機銃の如き連打が開始された。
 拳、肘、肩、背中、膝、足刀、足裏、踵。
 あらゆる部位を使い、連動させてスノウが舞う。その一撃一撃を追いかけるように、彼女に続いてチックたちも体当たりを実行してラーレイの体勢を崩す。
「フィニッシュ!」
 最後に放たれた中段正拳突きがラーレイの鳩尾に突き刺さった。突きを放った姿勢からゆるりと腕を戻し、しかし構えを解かないままのスノウの視線の先で、吹き飛ばされたラーレイが洞窟内の岩壁に激突する。



「お見事――なのだが」
 スノウのフォローについていた四体のチックたちがこちらへ戻ってきて、他の個体とハイタッチを交わして自分の仕事振りに満足する中、教授は険しい視線で吹き飛んだラーレイを見据えていた。
「相当強烈だったけど、やっぱまだダメか」
 隣で彼と同じ方向を見つめていた風太郎がポツリと呟く。
 彼らの視線の先では、壁面に叩きつけられてクレーターを作ったラーレイがゆらりと身を起こすところだった。
「おお……! 申し訳ございません……! ですが必ずや……!!」
 ラーレイは相変わらずの虚ろな瞳のままで、かくかくと首を傾けながらカオスフレアたちに向けて数歩を歩みだす。


「――どう思うね?」
 こちらへと歩を進めてくるテオスの将帥に視線を固定したまま誰にともなく呟いた教授の疑問に、真っ先に答えたのは彼の後ろに控えていたポーラだ。
「なんだか、もっとエラいひとの為に戦ってるみたいですよぅ」
「同感だな。それが何かはわからないけど」
 風太郎が頷いて同意を示す。
「どっちにしろ、ここは戦って勝たないと! そうじゃないとその後の事も調べようがないわ」
 ラーレイに対して右半身の形で構えたまま、スノウが声を張る。近視眼的な意見だと言う事もできるが、
「そうだね。良い割り切りだ雪見君。それでは――」


「ぐぅ、うわあああああああああああああああああああああ!?」
 教授が仲間たちへの指示を口にしようとした、その言葉に割り込むようにして絶叫が響き渡った。
 今もなお続くそれは、彼らと対峙するラーレイの口から迸っている。
 何ごとか、と疑問を抱きながらも油断無く構えを取る一行のうち、最初に気付いたのはあさひだった。
「――喰われてる」
 ほとんど無意識にあさひの指がコンソールを走る。センサー範囲を極小に設定。代わりに準騎士級MT『シアル・ビクトリア』の持つアホらしいまでのセンシング能力の全てをその領域の走査に充てる。その場のフレアの流れの情報が手で触れられそうな精度でもたらされ、シアルによって分析される。
 そして、結果はすぐに出た。
「後ろ、洞窟の一番奥にある泉! あの中にある、小さな何かがそこの人のフレアを喰らってるんだ!!」


 あさひの声が鋭く響き渡るのとほぼ同時。
 どくん、と。
 鼓動の音が響き渡った。
 音の源は、あさひがフレアを喰らう元凶であると喝破した、泉の中に沈んでいた、小さな黒い石。再び鼓動が響き渡り、その表面にぴしりとひび割れが走る。
 三度、鼓動が響くと同時、何かが割れるような固い音を伴ってそれは起きた。
 泉から黒い炎が吹き上がったのだ。そのときには、ラーレイからのフレアの搾取は止まっていた。憔悴しきった様子でそのまま倒れこんだ彼を見るに、粗方のフレアを喰らい尽くされてしまったものらしい
 泉から今もなお轟々と燃え上がる黒い炎は、まず柱のように屹立し、それから蛇のようにうねり、のたうつ。
 いや、ように、ではない。長く伸びたその身の先端。上下にがばりと開いたそれは、口だ。その中には牙のように小さな火群の列が並び、舌のようにチロチロとうごめく炎の塊もある。まさに蛇面の様相がそこに現れていた。
 だが、変化は更にもう一つ。人で言えば耳の後ろ辺りの位置から、後ろ上方へ向けて、突起が形成される。角だ。
 そのシルエットから連想される生き物を、あさひは見知っていた。
「……龍……?」


 顔のサイズから類推するに、未だ泉に身を埋めて鎌首をもたげた頭部付近のみを表出させている、黒い炎で形成された一頭の龍。
 それが、その場の全員を睥睨していた。
「おお、おお……! 偉大なる意思よ、私は……!」
 最初に動いたのは、半死半生の態となっていたラーレイだった。地面に倒れ伏したまま、縋るように手を伸ばし、地面を這いずりながら龍へとにじり寄っていく。
「……そういうことかっ!?」
 ラーレイの言動を目にして、風太郎が声を上げた。
「いつからなのかは分からないけど、ラーレイはアレに操られるか洗脳されるかされてたんだ。そして、アレが美酒町やその守護龍を食い散らかすのに利用されてた」
「そして、己すらも喰われ掛けている、ということかね。そうあってなお、ああして縋ろうとするあたり、空恐ろしい物を感じざるを得ないね」
 教授がそれに言葉を繋ぎ、そのあいだも油断なくラーレイと黒の龍を見据えている。
「まあ要するに、相手が変わった、ってことよね」
「やることは変わらないわけだモン」


 戦意を漲らせたカオスフレアたちに対し、龍は威嚇するように大きく顎を広げる。続いて、総身を震わせた咆哮を放つと同時に前方へ向けて身を伸ばす。突撃、という言葉で表現されても不足の無いその速度の行き先は、
「い、偉大なる意思よ……! いざ、御許へ……!!」
「いかん! 彼を確保するぞ!」
 事態の進む先を悟って駆け出した教授の伸ばした手の先で、勢いよく龍の上あごと下あごが閉じ合わされる。
 その間にいた、ラーレイを飲み込んで。
 

 そして、龍は再び咆哮する。
 今度の咆哮は、ただの声ではなかった。それは、空気を震わせ、フレアを震わせ、洞窟全体を震わせる。それによって何が起こるか。
 回答は、すぐにカオスフレアたちの前にもたらされた。
 すなわち、洞窟の崩壊が始まったのだ。
 

◆◆◆


 ――ここは引くべきか?
 教授はそう思考した。プロミネンスをまとい、ダスクフレアであったラーレイをいともたやすく飲み込む存在。疑いようもなく、あの黒い炎龍もダスクフレアだ。
 先ほどまで戦っていた感触からして、ラーレイとて決して侮っていい相手ではなかった。そのラーレイからフレアを貪り尽くし、彼そのものを喰らったアレは、気軽に戦端を開いてよい存在ではない。
 だが同時に、相手に時間を与える事に対して、教授は懸念を覚える。
 ラーレイがしきりに繰り返していた、『捧げよ』という言葉。つまるところ、彼は何らかの儀式的な手法を用いて、美酒町そのものや、その守護龍のフレアをアレに捧げていたのではないか。その供物が一定量を超えたことであの炎龍が出現し、そして時間を置けばさらに周囲のフレアをアレは喰らうのではないか。
 だとすれば、早期に決着をつけなければ手に負えない相手になってしまう可能性もある。
 

 戦うか、引くか。
 最善の道はどちらか。
 教授は悩んだ。
 それは、時間にすればほんの僅かな間の事だった。だが同時に、彼が致命的な陥穽に足を取られた瞬間でもあったのだ。


◆◆◆


 あさひは即座に決断していた。
 ――逃げよう!
 判断の基準はただ一つ。
 彼女の相棒たる絶対武器が、彼女に全力を出させようとしないことだ。
 機体制御の合間を縫って、シアルがモナドドライブのリミッター解除を幾度も試みているものの、一向にそれを受諾しようとしない。
 あさひとシアルが操る鋼の巨人は、MT『シアル・ビクトリア』は、ただの機械ではない。
 よそのMTはともかく、シヴィは違う。
 それは、この機体と共に戦い、共に傷つき、時に助けられてきたあさひの確信だ。
 だから、今、全力が出せないのは、そうすべきではない、という物言わぬ相棒からのメッセージだと結論付けたのだ。
「一旦逃げよう! 全員、入口の方へ――」


◆◆◆


「一旦逃げよう! 全員、入口の方へ――」
 あさひの声がシヴィの外部スピーカーから出力され、しかしその全てを仲間たちは聞き届けられなかった。
 三度、黒の炎龍が咆哮したのだ。耳を聾するその声は、先程よりも大きな衝撃を地盤に与え、
「マズい……っ!」
 歯噛みする風太郎の視線の先で、洞窟の天井が砕け、大きな岩塊がいくつも降り注ぐ。そして、その中の幾つかは、洞窟内へ立つ者たちを押し潰すコースを取っていた。
 そのことを認識した直後、風太郎の体は決断の前に動いていた。強く強く地面を蹴り、彼女の傍へと駆け寄る。
「烏羽さん!!」
 自身の持つ光翼騎士のコロナの影響下に確実に入れるために、その体に腕を回して引き寄せた。
 細いな、と戦闘にリソースを割いた意識の片隅でそれだけを思い、未だ装甲を纏っている右腕を高く鋭く突き上げる。風を纏った銀の拳が落ちてきた岩塊を打撃し、青いコロナが盾となってそれを逸らす。
「あ、ありがと……」
 自分でも迎撃するつもりだったのだろう。拳を固めていたスノウがきょとんとした表情で礼を述べる。
 上目遣いのその表情が思いの外近くにあり、その時になってようやく風太郎は自身の行為について認識した。
「あ、ああいやそのこれは緊急事態なので」
「そ、そうよね緊急事態なら仕方ないわね」
 二人はどちらからともなくパッと身を離して早口にそんな言葉を交わし合い、
「って他のみんなは!?」
 異口同音に言って視線を巡らせた。



 結論を先に述べておく。
 それは、避け得ない事態だった。
 あさひたちの乗るMTは、そのサイズが災いしてやや早いタイミングで落石との衝突を得ており、他者へのフォローへ回す余裕をひねり出すのにまだ時間を要する状態だった。
 また仮に、防御を司る光翼騎士たる風太郎が、ラディカル☆スノウ――烏羽雪見へのフォローを行わずにそちらへ向かっていればまた話は違っただろうが、彼が彼である以上、それはありえない仮定であり、その選択がなされた以上、風太郎が想い人との接近に欠片も同様せず、最速で行動したとしても最早間に合うことはなかっただろう。


 落ちてくる岩塊の一つ。
 それは、教授から少し離れて立っていたポーラ目掛けて落ちゆくものだった。
 彼女の一番近くにいたのはイェトライロム教授であり、この状況下において、なによりもまずポーラ・ロックの身を案じたのも彼だった。
 だから、教授はポーラに駆け寄り、それでも間に合わないと判断して手にしていたステッキを投擲した。何らかの仕掛けがしてあったのか、ステッキはポーラに迫りつつあった岩塊に激突すると、不可視の壁を形成して彼女へと岩塊が降り注ぐのを防いだのだ。
 だが、彼が今、切り得る手札はそこまでだった。


「きょ……!」
 教授、と呼ぼうとしたのだろう。
 ポーラの叫びの続きを聞こうとしていたその頭部は、あっけないほど簡単に、落ちてきた岩塊と地面とに挟み込まれて潰された。



[26553] 第三話『災厄、彼方より』⑦ 帰還と追想
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2013/02/17 02:12
Scene16 撤退戦と敗戦処理


 暗く、狭く、冷たい場所。
 そこが自身の居場所だ。
 彼女はそう認識していた。
 いや、少し違う。
 明るい場所も、広い場所も、暖かい場所も彼女は知らなかった。だから、ただ、世界とはこういうものだと思っていただけだった。
 腰掛けている粗末な寝台、食事を取るのに使う小さな机、鉄格子のはめられた小さな窓。
 見飽きたと言うにも馬鹿馬鹿しいくらいに見てきたそれらを見渡し、そのためによじった体の傍で、きしりと音がする。
 鉄と鉄が擦れ合って発せられたその音。それは彼女の両腕からのものだ。
 肘から先を構成する、見覚えのない、よく見知った、鉄製の腕。
 それを目にした彼女の額の裏側辺りで、もぞりと何かが蠢く気配がする。
 それは蓋だ。
 彼女自身がしまい込み、そして彼女以外によって封をされた蓋が開こうとしている。
 何故か、彼女にはそれが分かった。
 誘われるようにして、彼女はそれに意識を集中する。それと同時、ぱちりと音を立てるようにして周囲の光景が一瞬で切り替わった。
 見えるのは、岩壁に囲まれた、広い空間。奥まったところには、黒い炎で構成された、龍の頭。それと対峙するMTと魔法淑女と銀の怪人と、そして、彼女の主人。
 いやいやをするように、彼女は首を振った。この先の光景を知っている。このままでは、彼女が最も見たくないものが眼前で展開されてしまう。
 龍が吼える。
 呼び止めようとした彼女の声はそれにかき消された。
 地面が揺れる。
 引き寄せようと伸ばした彼女の手は揺れに流されて空を切った。
 岩が落ちる。
 逃れようとした彼女の足は、彼女自身の意思を裏切って動こうとしない。
 しかし、彼女は守られる。
 不可視の障壁が彼女へと落ちゆく岩を防ぎ、その代償として――。


「――教授っ!!」
 がばり、と勢いよく彼女は身を起こした。目に入ったのは、和室の風景だ。そこに敷かれた布団に寝かされていたらしい、と意識の隅で理解する。
 が、彼女――ポーラ・ロックの精神状態は、それどころではなかった。
 たった今夢に見ていたもの。彼女が意識を失う前の光景が、目蓋の裏に焼きついている。
 自分に向かって落ちてくる大岩。そこへ向けて投げ込まれた、見慣れたステッキ。不可視の壁に防がれた大岩を見て、ホッとしたように表情を緩めた猫顔と、次の瞬間にそれを押し潰した別の大岩。
 すなわち、ポーラの主にして製作者、イェトライロム教授の最期が、だ。
 それ以外にも夢には内容があったような気もするが、そのときの彼女はそんなことを気にする余裕はなかったし、後で記憶の糸を手繰ってみても、それについて思い出すことはなかった。


 ともあれ、夢で見た教授の身に起こった出来事の記憶が事実として認識され、ポーラの体がおこりのように震え始め、
「呼んだかね、ポーラ?」
 それを止めるように、彼女の肩に何かが置かれる。ポーラがゆっくりと首を回し、自分の肩を見た。そこにあったのは、シルクの手袋につつまれた、やや細身の、しかし男性的なシルエットの手の甲。
 ポーラの視線が、手の甲から肘へ、二の腕へと辿り上がってゆく。じれったいほどに緩やかなその速度は、そのまま彼女の恐れと希望の大きさだった。
 だが、それも永続する物ではない。やがて、彼女の視線がそこに至る。
「心配をかけたようだね、ポーラ」
 いつもどおりの山高帽を被り、いつもどおりの声を発した、
「体の方は問題ないかね? どこかに変調は?」
 その体の肩と肩の間、首のある位置に、本来のそれと入れ替わるように乗っかっている丸っこい物体。への字に引き結んだ口と、よくよく見ると愛嬌が感じられないこともない三白眼。蛇腹関節を持つ手足が見えないのは、内部に収納しているからだ、と彼らの機構について知識のあるポーラはぼんやりと考えた。
 つまり、そこに乗っかっていたのは彼女と同じように教授の助手として働くチックたちの一体であった。
 ぴしりと硬直してチックたちに共通の三白眼と見詰め合うこと約4秒の後、
「…………ふうっ」
 ポーラは再びその意識を手放した。


◆◆◆


「あ、起きた?」
 再びポーラが目を開いたときそこにあったのは、やや高い位置からこちらを見下ろしている、心底ホッとした様子の雪見の顔だった。
 次の瞬間、ポーラは再び勢いよく身を起こす。意識のはっきりとしない頭をゆるゆると振り、同時に部屋の中に目を配った。
 どこか見覚えのある和室。そこに敷かれた布団に自分が寝かされていたこと、その傍に雪見が座っていること、それ以外には部屋の中に誰も見当たらないことを認識する。

「あのぅ、雪見さん」
 布団から上半身を起こした体勢のままでポーラが雪見に呼びかけた。雪見は一つ頷きを返してから、そっとポーラの手を取って僅かに力を込める。
「大丈夫。ポーラちゃんの気になってる事は分かってるから。すぐに説明するから、一旦深呼吸しましょう。ね?」
 安心しろ、と言うように背中にぽんぽんと手を当てられて、ともかくポーラはその通りにした。一回、二回。
 三度目に息を吸ったとき、部屋の扉がノックされた。どうぞ、と雪見が声を掛けると、開いたドアからあさひが顔をのぞかせる。身を起こしているポーラを見て安堵を浮かべた彼女に続いて、シアルと風太郎が部屋の中に入ってきた。風太郎の肩の上にシャンパーゼが乗り、シアルが何号かは分からないがチックを抱えているのも見て取れる。
「あ、あのぅ……」
 部屋の中に集まった面子を順繰りに見渡したポーラが不安げに眉根を寄せてそんな声を出すした。
「うん、今から説明するわね。大丈夫、不安になるような事はないから、落ち着いて聞いてちょうだい」
 雪見は頷きと共にそう言って、ポーラが気を失ってから何があったのかを語り始めた。


◆◆◆


 イェトライロム教授が落ちてきた岩石の直撃を受け、頭部を潰される形で地面に倒れこんだそのとき。誰もが程度の差はあれど衝撃と自失を得たそのとき。
 ほぼ即座と言っていいタイミングで状況の建て直しを図った人物が一人だけ存在した。
「全員聞いてください!!」
 MTのスピーカーを通して叫んだシアルだった。
「当機の周囲に集まってください! 教授の体を回収後、ここからの離脱を図ります!」
 判断共有で繋がっているあさひに対しても敢えて肉声をぶつける事で意識をこちらに引き付け、しかし完全に調子を取り戻すには時間がかかるであろうことを考慮してシヴィのコントロールをアニマの持つコ・パイロット権限であさひから奪取。自身の構築した脱出計画に必要なコマンドをマイクロ秒以下のスピードで叩き込んでいく。


「し、シアル、教授が……」
 パイロットシートからシアルのほうを振り返ったあさひが何ごとか言おうとするが、今回ばかりは悠長に耳を傾けるつもりはシアルには無かった。
「大丈夫です。理由は後で説明しますので、あさひは深呼吸をして落ち着いてください。これから一仕事お願いしますので」
 言いながらセンサーを通じてシアルは周囲の状況を走査。
 風太郎とスノウはシアルの一声の後、すぐに連れ立ってシヴィのすぐ傍まで来ていた。
 完全に茫然自失の呈のポーラと、頭部を失っている教授の体は、チックたちが協力して持ち上げ、機体の傍へ運んできている。
 既に落石は収まっているが、それに代わって洞窟自体が身をよじるような異音と振動が先ほどから続いている。シアルが分析するところ、これは洞窟自体の崩壊の前兆だった。
 続いて洞窟の奥に存在する黒の炎龍の様子を伺う。
 龍は先ほどから位置を変えず、こちらを威嚇するように咆哮をあげている。が、それだけだ。それ以上のアクションを起こす様子はない。
 ――どういう理由があるかは現状では推測のための材料が不足していますが、ともあれ好機です。
 シアルはシヴィに片膝を付かせ、コックピットのハッチを解放する。
「皆さん、コックピット内へ! 全員詰め込んだら脱出します!」


 アニマ・ムンディ接続型のMTのコックピットブロックは、ライダーとアニマの二人が出入りする必要がある関係上、通常の物よりもやや広めに作られてはいる。が、せいぜいが三人目の搭乗員を受け入れることが可能な程度で、乗組員の追加を四人も五人も受け入れられる、という訳ではない。
 雪見が飛び込み、風太郎がそれに続き、チック達によって半ば投げ込まれる形となったポーラと教授の体を、二人がそれぞれに受け止める。もともとのスペースからくる当然の帰結として、仲間たち全員を受け入れたコックピットはすし詰め状態となっていた。
「おい、これは……!?」
「説明は後です。もう少し詰めてください」
 首の無い教授の体をキャッチした風太郎が何かを言いかけ、シアルがそれを遮る。
「あとはチック君たちね」
「数が多いのが問題ですが、皆さんの頭上や足元、それから荷物用のスペースを活用して無理やりにでも押し込めばどうにか……」
 アニマの接続装置にぎゅうぎゅうと押し付けられて寄り添うようにしているスノウと言葉を交わしながら、シアルは機体のセンサー越しにそれを感じた。
 侵入者達が脱出の算段を整えつつある事を察したのだろう。黒の龍が、無理やりに体を引きずるようにしてMTへと向かい始めたのだ。
 もどかしげに身をひねり、のたうち、しかしその速度はそうした動作の印象からはかけ離れて速い。すぐにもMTの元まで黒の龍はあぎとを届かせるだろう。


 そして、それを察知していたのはシアルだけではなかった。
 コックピットの手前に集まっていたチックたちが、一様に頷きあい、それぞれが蛇腹関節の腕を伸ばして自分の後頭部にあるナンバーの辺りをぽんと叩く。一瞬のタイムラグの後、ぱかりとそこにあったハッチが開き、チックたちはそこから小さく細い棒状のものを引き抜いた。同時に、何処か愛嬌の感じられていた彼らの眼差しが、無機物的な冷たさに満たされてゆく。
 ただ一体、その作業を行っていなかったチック8号があんぐりと口を開け、9号から20号までのチックが、自分のボディから引き抜いた棒をそこへ放り込んでゆく。
 やがて全員分の棒を腹に収めた8号はぴょんとコックピット内へ飛び込み、即座に振り返ってまだそこに残る仲間達に敬礼を送った。それを受けた12体のチックたちも敬礼を返し、そして一斉にくるりと踵を返す。


 12体の、ハンドボール大の球形のボディに蛇腹関節の手足を備えたメカ達がカメラ・アイを向けた先。そこに何があるのか、この場でそれを悟っていなかったのは、おそらく自失状態に陥っているポーラくらいだったろう。
 そして、シアルはそれ以上のことを把握していた。だから、ただ行動する。
「コックピットハッチ閉鎖、腕部12番、24番装甲、脚部72番、88番装甲剥離。あさひ、コントロールをお返しします。行動補助のプログラムは組んでありますので、それに従って機体の操縦をお願いします」
 声を掛けられたあさひが反射的にコンソールを確認して自分に期待されている役割を理解し、
「で、でもあれ、チック君たちは!?」
 既に閉じられたハッチの向こう、背部カメラの映像が送られてくるモニターの一隅に映り込んでいるチックたちを振り返る。
「問題ありません。そうですね?」
 だが、あさひの逡巡はシアルと、彼女に問いを投げられてこくこくと頷きをみせるチック8号によって切って落とされた。
 それでもあさひがシヴィにコマンドを送り込むのを躊躇った、その瞬間だった。


 片膝をついた姿勢のMT、その背中に襲い掛かるまで後ほんの少し、というところまで迫った黒の龍の眼前に、小さく丸い物が放物軌道を描いて割り込んできた。が、サイズからしても、何の障害にもならない事は誰の目にも明らかだ。現に、黒の炎龍は、それが存在しないかのように一散にMTへと襲い掛かる。
 まさしくボールが跳ねるようにして進む小さな丸い物体、チックたちの内部機構で絶縁体に防護、否、隔離されていた部分が解放される。彼らがそこに抱え込んでいたのは、大きさにしてピンポン玉程度の、白い粘土のような物体だ。
 “それ”は、叩こうが燃やそうがウンともスンとも言わないが、二本の単三電池を直列で繋いだ程度の電気を流してやれば俄然やる気を出すというシロモノだった。
 黒の炎龍が行きがけの駄賃に丸い小さな物を破壊して行こうとしたとき、“それ”は先陣を切ったチック13号のボディ内部でやる気を出した。
 結果として起こったのは閃光と轟音と衝撃。
 つまりは爆発だ。
 背中に13とナンバリングされたその小さなサイズのボディからは想像もつかない、大爆発だった。
 それは、先ほどの黒龍の方向に比肩する衝撃を撒き散らし、それでも黒の炎龍にダメージを与えるには至らなかったが、その行動を掣肘するだけのインパクトは十分に備えていた。しかも、次々に同じような爆発が起こったのだ。
 12体のチックたちが、順番に黒龍に向けて飛びかかり、その体を爆発させていく。


 連続する爆発は、黒い龍の足止めに成功し、あさひたちの背中を押した。
「あさひ、絶好の機会です! すぐに離脱を!」
 言葉で促し、精神的な繋がりの部分で、チックたちの行動を無駄にするな、と諭す。
「――っ! みんな、しっかり掴まってて!!」
 あさひがパイロットシートの肘掛けに備え付けられた操作機を通じてシヴィを操る。
 片膝をついていた鋼の巨人が立ち上がり、そのまま勢いをつけて跳躍する。踏み切った方向は、龍から遠ざかり、洞窟の出口へと向かう方角だ。
「ちょ、ちょっと! ぶつかるわよ!?」
 慌てた声を上げるスノウの言葉は至極当然のものだ。今いる場所はともかく、ここまで来る間の洞窟は、MTが立って歩けるような高さを備えてはいない。だというのにあさひは何の迷いも無くそちらへとMTを跳ばせたのだ。


 ――変形!
 あさひの指が操作器の上で躍る。それに伴って、MTが形を変える。胸部が前にせり出し、そのまま胸下からばくんと開いて、頭部をカバーリングする。体側にぴったりと付けられた腕部が、胸部が開いた事で出来たスペースへと肩関節ごと回り込む。脚部が膝関節のところから折りたたまれ、背部に備え付けられていたスラスターベイが向きを変え、その周囲の装甲板がベクターノズルを形成する。
 『シアル・ビクトリア』の飛行形態。この形態であれば、全高は大幅に下がる。それでも本来なら洞窟を潜り抜けることは不可能なのだが、それを見越したシアルが変形前にスラスターベイに付属していた主翼と尾翼を形成する装甲板をパージしている。これならば、ギリギリ通り抜ける事は可能だ。
 そして、スラスターが黄金の炎を吹き上げる。『シアル・ビクトリア』のメインスラスターは、ORDER謹製のフレアコンバーターだ。魔術的な素養が薄い者でも扱いやすいようにチューニングされたそれが、あさひのフレアを吸い上げて推進力へと変換する。
 フォーリナーの莫大なフレアと、シヴィの性能と、全てのスラスターの方向を後方へと向けた飛行形態の効率が、凄まじい加速を生み出した。
 蹴り出されるように、否、文字通り弾丸が撃ち出されるようにしてMTが発進する。チックたちの爆発の余韻と、その向こうの黒い龍を置き去りにして、広場の入り口となる空洞へと飛び込んだ。


◆◆◆


「……し、死ぬかと思ったわ……」
 ようやく、といった風情で搾り出された雪見の一言は、程度の差こそあれ全員の脳裏によぎった言葉であったに違いない。
 ラーレイとの戦闘についてでも、そのあとの黒い炎龍の出現についてでもない。さらにそのあとの、『シアル・ビクトリア』飛行形態による脱出行についての感想である。
 主翼と尾翼を切り離して、飛行機というよりロケットの体裁をとった『シアル・ビクトリア』は確かに洞窟の直径よりも全高、全幅ともに小さかった。そのままで洞窟を通り抜ける事に、サイズ的な問題はなかったのだ。
 あくまでサイズ的な問題は、だが。
 当然の話だが、洞窟はただ真っ直ぐな物ではなく、緩やかではあったがあちこちでカーブを描いていた。しかも、『シアル・ビクトリア』は飛行形態の巡航速度を出していた。
 シヴィが原型を保ったまま洞窟の出口から飛び出すことに成功したのは、ひとえにグレズ由来の堅牢な装甲と、あさひの超人的な操縦技術――本人に言わせれば絶対武器たるシヴィに授けられたもので、自分が凄いわけではない、となるが――のおかげである。
 ちなみに搭乗員は全員無事だった。シアルがコックピット内部に対衝撃用の加護を全力で張り巡らせていたおかげで、人的被害と言えばポーラが途中で気を失ったことと、絶叫マシーンに弱いらしい雪見に鷲掴みにされたシャンパーゼが息も絶え絶えになった程度である。


「まあ、それより、さ」
 奥のほうで崩壊が起こったのだろう。入り口まで僅かな粉塵が届いている洞窟と、シヴィが人型に変形しながら着地した際、数十メートルに渡って抉られた地面を見比べた風太郎が、シアルへと視線を固定した。
「説明は後で、って言ってたよな? 今から頼みたいんだけどさ」
 くい、と彼が親指で示した先。未だ気絶したままであさひに膝枕されているポーラを除いて、全員がそちらを見る。
 そこにあるのは、インバネスコートを纏ったイェトライロム教授の体。首から上の失われたそれは、しかしそうした物につきものの凄惨さを感じさせない。
 何故なら、教授の体からは一滴の血さえ零れてはいないのだ。首の断面から除くのは、血と肉と骨ではなく、コードやギアといった機械部品。
 紛れもなく、イェトライロム教授の体は機械で出来ていた。


「そうですね……」
 シアルはすっと目を閉じて、数瞬考え込む。それから顔を上げて、全員の顔をぐるりと見渡した。
「正直なところ、私も教授の事情についてそれほど明るい訳ではありません。ただ、彼が機械の体であることには最初から気付いていました。教授はグレズコアをお持ちですので」
「ああ、そっか。シアルにはグレズクリスタルの欠片があるもんね」
 ぽん、と手を打つあさひに、シアルは一つ頷きを返し、
「まあ、現状では部品として組み込まれていはいても稼動はしておらず、さりとて取り外しも出来ない代物ですが。それでも至近距離に他のコアがあればその存在を知ることくらいは出来るようです」
「だから、教授が頭を潰されても慌てなかったって?」
 今度は風太郎から呈された疑問にも頷き、
「はい。教授のコアが胸部にあることまでは把握できていましたので。グレズコアはジェネレータにしてプロセッサ。それが無事であるならば、取り返しのつかない事態にはならないと判断しました」


 シアルの言葉に後押しされるようにして、ただ一体脱出行に同行したチック8号が軽い足取りで教授の体に近付く。彼は手早く教授のスリーピースの前をくつろげ、胸の中心のあたりを軽く叩いた。
 機械がかみ合う音と、圧縮空気の抜ける音。
 それらが教授の胸元から響き、ばくんと音を立てて左右に割り開かれる。やはり機械の詰まったそこから、ころりと転がり出た一つの物体。
 おおよそハンドボール大の球形で、大きく“1”の数字がプリントされている。そちらとは反対側には顔があり、目の部分は芸の細かい事にぐるぐると渦を巻いた状態になっている。
「チック君の……1号?」
 ぽつり、と雪見の口から漏れたその一言に、チック8号が体全体を縦に揺らして頷きを示した。


「いや、心配をかけたようだね。申し訳ない」
 教授のボディから現れたチック1号は、8号が背部のパネルをあけて何やら操作をするとすぐに目を覚ました。それからぐるりと仲間たちを見回して、イェトライロム教授そのままの声でまずそう言ったのだった。
「え、ええっと、教授、なの……?」
 おずおずといった風情でのあさひからの問いかけに、チック1号は一つ頷いて肯定の意を見せた。
「その通りだよ、あさひ君。この姿が、イェトライロムの真の姿だ」
 至極あっさりとした口調でチック1号――イェトライロム教授が言い放ち、言葉を続ける。
「さて、あれこれと話したいこともあるだろうが、その前にあさひ君、雪見君」
 蛇腹関節の腕をぐにゃりと曲げて、教授が丸まっちいボディの下半分、口が描かれている辺りを指でこすりながら二人に向けて声を投げる。その動作が、教授がよく行なっていた頬ヒゲを撫でるそれだとあさひは気付いた。
「先ほど8号からメモリーの提供を受けて私がシステムダウンしている間の出来事については把握している。なので単刀直入に問うのだが、この場は安全かね?」
 教授の問いの意味に気づいた二人は、少し離れた洞窟の入り口へと向けて意識を集中する。
「……あら?」
 最初に、戸惑ったような声を上げたのは雪見。それからたっぷり30秒ほど黙り込んでから、あさひも口を開く。
「ここから洞窟の奥まで繋がってたはずの道が、途中でぶっつり途切れてるね。……多分だけど、もうこの中にあの黒い龍――ダスクフレアはいないんじゃないかな」
 あさひの言を受けて、教授は再びひげを撫でるような仕草を繰り返し、
「ふむ。記録から参照するに、先方も不完全な状態だったように思われるからね。体勢を立て直すためにどこかへ移動したと考えるのが妥当なところだろうか」


「不完全、だモン?」
 教授の言葉の一部を繰り返して首を傾げるのは、ぐったりしていた様子からようやく復活したシャンパーゼだ。現在の教授はサイズ的に彼よりやや大きいという程度になっていたが、いささかも調子を変えることなく頷いてみせる。
「あの泉のあった場所から離れて動く事に難儀していただろう? そして、そもそもああいうふうに出来ているというには、その後の動きがどうにもつたない。アレは、本来想定していなかった状態だったのだろうと推測する」
 ともあれ、と仲間たちの一人一人に視線を配り、教授が一旦言葉を切る。
「ここからアレがいなくなったのなら探さねばならないし、不完全であったのなら、完全になる前にどうにかしてしまいたい。――が、急いては事を仕損じる、とも言う。先ほどの私の場合は、急くか引くかの迷いのお陰で不覚を取ったわけだが、まあそれは置いておこう。一旦場所を移して落ち着かないかね? 私としては、昨日の宿に戻るのが良いかと思うのだが、どうだろうか?」
 未だに気を失ったままのポーラにちらりと視線をやってから、教授はそう言葉を締めくくったのだった。


◆◆◆


「とりあえず、そのままこの旅館までやってきて、ポーラちゃんの意識が戻るのを待ってたのよ。詳しい話はそれから、っていわれたからね」
 布団の上で上体を起こしたままのポーラの前で、語ることを終えた雪見が大きく吐息を一つ。
 身じろぎもせず彼女の言葉に耳を傾けていたポーラは、部屋の中の全員からの気遣わしげな視線を感じながら、しかしその中のただ一つに正面から向き合う。
「じゃあ、やっぱりぃ――」
 それは、先ほどから背筋を伸ばして正座しているシアルの隣にちょこんと佇む、
「そこにいる、見慣れないチックちゃんが教授なんですねぇ?」
 投げかけられたその言葉に、それを受けた、背部に『1』のナンバリングを施されたチックが体全体を使って頷いてから声を返す。
「いかにもだよ、ポーラ。君以外の皆には既に名乗ったが、もう一度言おう。イェトライロム教授の正体は、このグレズ原初形態メタプライムであると」


◆◆◆


 少し、時間は遡る。
 イェトライロム教授があらかじめ予約していた旅館の部屋のうち、男部屋として使われているその一室でのことである。
 未だ気を失ったままのポーラを女部屋に寝かせ、カオスフレアたちはここに集まっていた。ただ一人、教授のみはポーラのそばについて彼女を看ていたのだが。
「ポーラの現実は洞窟のあの瞬間で止まっているだろうからね。目覚めたときには私が傍にいて安心させてやりたいのだよ。――ただまあ、あまり大人数で、というのもどうかとは思うのでね。君らはこちらの部屋で待っていてくれたまえ」
 そう言って部屋を出る彼は、頭部を損傷した、今まで他者が『イェトライロム教授』として認識していた体の上にチック1号のボディを乗せた状態だった。
 ポーラに記憶と現実とのすり合わせをさせるためにもこれは有効な手段のはずだ、と自信に溢れた物言いをして出て行った彼を見送り、残ったカオスフレアたちはちゃぶ台を囲んで向かい合う。




「結局のところ、さ」
 最初に口を開いたのはあさひだった。人差し指で頬をかきながら、あの洞窟での事を思い返すように視線を彷徨わせている。
「あの黒い龍がダスクフレアで、今回の騒動の大ボス、ってことでいいんだよね?」
「そう考えて問題は無いと思うモン」
 部屋に備えられていた温泉饅頭をもしゃもしゃと口にしながらシャンパーゼがあさひの疑問に頷いてみせる。
「VF団から聞いた龍の本質が喰われていると言う情報からしても、アレがそれを行っていたモノだというのはほぼ確定だモン。ただ……」
「そもそもあれがなんなのか、は分からないわよねえ」
 言葉の途中で半分ほど残っていた饅頭にかぶりついたことで途切れたシャンパーゼの言葉を接ぐようにして――食い意地の這った小猿にじっとりとした視線を注ぎつつも――雪見が首を傾げる。
「黒幕ではなかったにせよ、ラーレイがあの黒い龍――ダスクフレアに与してたのは確定です。今、上にそのあたりを伝えてラーレイの周辺をガサ入れしてますから。何か手がかりがあればこっちに連絡があるはずです」
 風太郎が腕組みして雪見に向けて言葉を放つ。それに続けるようにして今度はシアルが口を開いた。
「再戦を考えればアレが何であるかを知ることも重要ですが、事と次第によっては情報の獲得を待たずに打って出る必要もあるかもしれません」
 他の四名から視線が集まったことを自覚しながら、シアルは言葉を続ける。
「ダスクフレアの拠点に関する情報が正しかった以上、“韓毒龍”からもたらされた情報の信頼性はごく高い物と判断しても良いと思われます。で、あるならば、あの黒い龍が美酒町の守護龍の本質を喰らっている、ということについてもおそらく真実なのでしょう」
「――人を喰らう悪龍、だよね」
 あさひがポツリと零した言葉が、不気味な圧力を伴って五人の間を漂っていく。
 こうあるべき、という方向性を美酒町の守護龍は侵奪されていると“韓毒龍”は語った。単純に力を奪われているならば、そう表現しただろう。だがそうしなかったという事、これは――。
「アレは、美酒町の龍が本来そうであったはずの『人を喰らう悪龍』として暴れまわる公算が高いモン」
「で、そうすることで同時に美酒町の人々を構成するフレアを喰らって、そのうち創世リジェネシスを起こす。確かにシアルちゃんの言う通り、正体不明だろうがなんだろうが、アレが本格的に動き出す前に止めないといけないわね」
 マスコットは深刻な、パートナーたる魔法淑女はげんなりとした表情を浮かべてシアルの言葉を補った。


「正体不明と言えば……というか、分からない事があるんだけど」
 やや重くなった空気の中で、ことさらになんでもない風な声となるように務めながらあさひがひょいと手を挙げた。周囲から視線で先を促された彼女が疑問を継続する。
「あのラーレイっていうのもダスクフレアだったんだよね? 実際に向かい合ったらそんな感じはしたし」
 そこで一旦あさひは腕組みして記憶を掘り起こすように目を閉じる。
「でもその割にはやけにあっさりあの龍にやられちゃったように思うんだけど、なんでなんだろう。あの龍もダスクフレアなのは間違いなさそうだったけど」
 ううん、と小さく唸りながらあさひが首を傾げる。
「自発的に自分のフレアを捧げようとしていたからだったのか、まさかとは思うけど、あの龍がカオスフレアとしての力も持っていた、とか……?」
 ダスクフレアを打ち倒すためにはカオスフレアの力が必要。
 幾度もそう耳にしていたそのことと、あの時起こったことの違いがあさひには少し引っかかっていた。


「もちろんあの龍がカオスフレアだって事はないと思う」
 軽い吐息と共にあさひに答えるのは、まさしくダスクフレアの打倒要員としてテオスに所属している風太郎である。
 彼はその場の全員の表情をちらりと確認し、この話題について疑問を浮かべているのがあさひのみである事を見て取ってから彼女と真正面から視線を合わせて口を開く。
「通常の手段でダスクフレアを傷付ける事が出来ないのは、連中がプロミネンスの結界を常時展開しているからだ。それを無効化するためにカオスフレアとしての力が必要なわけだけど、実はダスクフレア同士ならこの結界を越えて攻撃を届かせる事も可能なんだ」
「そうなの!?」
 驚きの声を上げるあさひにうなずきを返して、風太郎が更に続ける。
「ああ。だから、力の差があるダスクフレア同士が戦えば、あっさりと片方がやられたりもする。……ただ、ある程度以上の段階に到達したダスクフレアの場合だと、もうワンランク上の――輝く闇とも呼ばれる結界を展開したりする。双方がそれをできるとなると、そこからは千日手だ。決着が付けられない。それを打ち破るためにはカオスフレアの、とりわけ聖戦士の力が重要なものになる。――まあ、実際問題として、ダスクフレア同士が潰しあいをしたところで、結局は残ってるのを排除しないと創世を起こされてしまうんだから、どうしたってカオスフレアによる対決が必要になるんだけどな」
「つまり、ダスクフレア・ラーレイが何らかの意図の下に自身の力を捧げてあの龍を活性化させたか、想定外の事態によって、ダスクフレアとして自身より大きな力を持ってしまった黒龍に喰われたか……。どちらにしろ、厄介な事態だと言えそうです」
 あさひの隣で彼女と同じように腕組みして思案の表情を見せていたシアルが、やや憂鬱な色を混ぜた吐息と共につぶやく。


「ともあれ、だモン」
 話を聞きながら和菓子を貪っていたシャンパーゼがちゃぶ台の上ですっくと立ち上がって声を張った。
「あの黒い龍の行方と、その正体に関する情報の収集がまずは急務だモン! アレが本格的に活動を開始する前に準備を整えてブチのめすんだモン!」
「そうね。ポーラちゃんが目を覚まして教授が戻ってきたら、段取りを整えて動き出しましょう」
 雪見が口の周りに食べかすをつけたままのマスコットにデコピンをお見舞いしてちゃぶ台から叩き落しながらの言葉に全員が頷いた。
 

 ポーラが目を覚ますなり自分を見て気絶した事に酷く落ち込んだ教授がこの部屋に戻ってくるのは、このすぐ後の事だった。




[26553] 第三話『災厄、彼方より』⑧ 心のコンパス
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2013/02/24 00:20
Scene17 一歩を踏み出す

 
 黒い龍のダスクフレアに関する情報収集に関して、カオスフレアたちそれぞれに割り振られた役割は以下の通りである。
 まず、あさひとシアル。
 彼女らの第一の役割は黒い龍の解析である。あの地底での遭遇時にシアルが『シアル・ビクトリア』のセンサーを用いてデータを収集していたのだ。これを分析して黒い龍に関する情報を少しでも多く詳らかにし、対象を捜索、打倒するための一助とするのである。

 次に、教授とポーラ。
 教授は、美酒町各地に散っているチックたちを使って黒龍の痕跡やその出現する前兆を探している。
 教授――つまりはチック1号――と他のチックたちは、お互いがある程度の近距離にある場合に限り情報ネットワークを構築する事が可能であるらしく、教授はチックたちの身振り手振りから情報を読み取っていたのではなく、つまりはこの機能を駆使していたとの事だった。
 ともあれ、文字通り蜘蛛の巣のように美酒町に配置されたチックたちが情報をリレーして教授のところまでデータを届けているのである。
 あさひたちの解析が進めば、そのデータもこの探索に利用される予定である。
 ちなみに教授は現在もチック1号の姿のまま、座布団の上にぽてんと鎮座して他のチックたちから送られてくる情報の吟味を行っている。
 猫顔の“イェトライロム教授”のボディは、頭部を失った状態では接触回線で簡単な動作をさせるくらいが関の山であるらしく、現在修復中である。また、猫顔紳士の体は教授本来のチック1号のボディが持つ機能のブースターとしての役割も持っていたらしく、それを失った状態ではネットワーク制御は出来ても、それを行いながら他の作業をすることがやや困難であるため、探索の状況はすぐ脇に控えるポーラがノートや地図に口述筆記で書きとめている状態であった。

 そして、雪見とシャンパーゼ。
 彼女らは、教授とポーラが情報の整理と行っているのと同じ部屋で、少し離れてそれを眺めているだけのように見えた。が、実際はただサボっているわけでもない。美酒町の神であるメルキオールとのコンタクトを試みているのだ。
 メルキオールの端末であるところのシャンパーゼがトランス状態となり、雪見がそのすぐ傍で彼にフレアを提供する事でメルキオールとの間に経路を開こうとしているのだ。雪見の役目は簡単に言えば電池のような物であるので、彼女本人としてはいささかヒマではあったが。

 最後に風太郎。
 彼はラーレイの拠点を捜索しているテオス部隊からの連絡待ちであるため、旅館の内部や周辺の警護を行っている。情報収集の間、他の面子がやや無防備となっているため、こうすべきだとの彼本人からの提案だった。
 銀の怪人の姿からは数段劣るが、生身の状態でもある程度はバンダーラの力を扱えるらしく、やたらと軽い身のこなしで旅館周囲の森と館内を行き来して警戒に勤しんでいた。


 最初に作業に目処を付けたのは教授たちであった。これは単純に数の力であろう。あちこちに散ったチックたちによって美酒町各地のデータを採取し終わった教授は、座布団の上ですっくと立ち上がる。見回りの一環としてちょうど部屋に顔を出した風太郎を見て一つ頷く。
「よし、我々はあさひくんとシアルくんと合流して、双方のデータでクロスをかけることにする。風太郎君、雪見君が一人になってしまうのでしばしこの場を任せてよいかね?」
 あさひとシアルは旅館の裏手の山中を少し分け入ったところにMTを召喚し、そのコックピットにいるのだった。教授がそこへ行けば、ここに残る雪見の身辺が手薄になる事を考慮しての発言である。
「ん、了解」
 風太郎が言葉少なに同意するのを見届けると、ポーラがひょいと教授の丸いボディを抱えて持ち上げる。
「それじゃあ、ちょっと行ってきますですよぅ!」
 しゅた、と片手を挙げて宣言すると、そのままポーラは軽い足取りで部屋を後にしていった。


 室内に残ったのは、ちゃぶ台の傍に座ったままの雪見と、部屋の入り口付近で所在投げに佇んでいる風太郎、それからちゃぶ台の大の字になって寝ているシャンパーゼである。彼が雪見の右手の小指を握ったままトランス――傍目には熟睡しているようにしか見えない――しているので、雪見はその傍から動く事が出来ない状態だった。
「……ねえ、蜂須賀クン」
「は、はいっ! なんですか!?」
 軽い足取りで部屋を出てゆくポーラの背を見送ってからややあって、風太郎に向けて雪見から声が掛けられた。心の準備がいまいちできていなかった風太郎はびくりと肩を震わせて動揺して通常より勢いをつけた返事をしてしまった。
 しまったかな、と思いつつ雪見の表情を伺うと、風太郎がいきなり上げた声にびっくりしたようで、彼女は眉を上げて普段より少し目を見開いた風情でこちらを見ていた。そのまままじまじと見つめられ、風太郎は気恥ずかしさを抱えてついと視線を逸らす。
「んー……。ええっと、これは今言おうとしたのとはまた別の話なんだけどね」
 雪見は一瞬だけあさっての方を向き、迷うような躊躇うような素振りを見せてからおずおずと口を開く。
「無理に私に敬語使わなくってもいいのよ? 他のみんなには普通の口調でしょ?」
「や、でも年上ですし……」
「それだと教授とか樹蘭さんとかもそうでしょ? まあ、教授は年齢がどうとかよく分からない事態になっちゃったけど」
 咄嗟に出た言葉はすっぱりと切り返された。それを受けて、風太郎はどう答えたものかと少しの間思考する。時間にして数秒ほどのことか。考えをまとめて言葉にする。


「なんていうか、烏羽さんは『普段の生活で関わってる年上の人』なんで。気を張ってないときのクセというか地の部分がどうしても出てしまうっていうか……。その、もし不都合があるなら直しますけど……」
 他にも年上の好きな異性へに対する気後れというか、そういう相手と向き合うための精神的な武装としての理由もあるのだが、そういうことは流石に口に出せない。全てを語っているためではないせいか、やや歯切れの悪い口調となってしまった事に失敗を感じつつ、風太郎は雪見の反応をうかがう。
 ふうん、と声を漏らした雪見は、シャンパーゼに掴まれていない方の手でちゃぶ台の上に頬杖をついて風太郎の方を見ていた。部屋の戸口に立っている風太郎に対して、座っている雪見からは自然と上目遣いとなるために余計にどぎまぎしつつも、今度は彼女から視線をそらさずに真っ直ぐ見返した。
「そっかあ。じゃあしょうがないかな? うん。蜂須賀クンの楽なようにしてくれていいわよ」
 にっこりと笑ってどこか嬉しそうに雪見が言う。今度は真正面からそれを見ることが風太郎には出来なかった。顔が赤くなるのを自覚しながら視線を彷徨わせる。そうしてから不自然な動作だと自分でも思い浮かび、どうしたものかと数瞬悩む間に再び雪見から声がかかった。


「あっと。話がズレちゃったわね。さっき言いかけたことなんだけど――」
 雪見の方で話題を変えてくれたことに感謝しつつ、自然に見えるよう表情を可能な限り取り繕って話を聞いている姿勢をアピールする風太郎。雪見は彼のそんな内心に気付いた風もなく言葉を続ける。
「教授とポーラちゃんのこと。どう思う?」
「どう……というと?」
 あまりにざっくりとした問いかけであったために問いを投げ返した風太郎に向けて、一度二度と首を傾げる雪見。口許に手を当てて、何ごとかをぶつぶつと呟く。
「本人の前では言いづらかったんだけど、いないとこで言うのもなんか陰口みたいよね……」
 余人には届かない言葉を口にすることで考えを整理したのか、やがて自らを納得させるようにして頷きをひとつ。
「今更だとも思うんだけど、どうして教授はポーラちゃんを連れ歩いてるのかしら?」


 やや気まずげにしながら雪見が口にしたその言葉の内容に、ああ、と風太郎は内心で納得を形作る。そんな彼に気付いているのかいないのか、雪見はやや早口の、まくし立てるような口調で話を続ける。思考を言葉にすることで自分の中から出してしまいたいような風情だった。
「助手だから、っていうのは分からないでもないし、それで納得はしてたんだけど、やっぱり危ないわよね? 実際、あの洞窟で何度か戦闘になったときも、ポーラちゃんの扱いは完全に非戦闘員だったわけだし……。あ、いやあのね? それが悪いってことじゃなくて、単純に心配なのよ。あの時の教授みたいに誰かが助けられるとも限らないし、助けが間に合ったとして、その人が無事かどうかも分からないでしょう? 実際教授はあんなことになって、まあ結果的は問題なかったわけだけど、だからね、その――」
「はい、分かります」
 風太郎がきっぱりと言い切って大きく頷くと、明らかにホッとした表情を見せた。彼女の言葉を遮るような形となってしまったが、これで正解だったと風太郎も内心で安堵する。
 それから、風太郎も雪見の言葉の内容について思考する。


 例えば、比較対象として雪村あさひとシアル、彼女らの場合はどうか。生身での戦闘能力がないという点においてはシアルはおろかカオスフレアである雪村あさひ当人についてまで同じことが言えてしまうが、雪村あさひはモナドライダーであり、シアルはアニマ・ムンディである。あさひはMTにして絶対武器である『シアル・ビクトリア』を瞬時に呼び出し、そこにシアルが揃う事でスペックを大幅に上昇させる事が出来る。つまり、二人が一緒に行動する事は、有事において最大の力を発揮するために必要な事だと言える。


 では、翻ってイェトライロム教授とポーラ・ロックの場合はどうか。
 少なくとも、ポーラに直接の戦闘能力があるようには思えない。ただ、それは教授に関しても似たようなもののようにも風太郎には思える。
 事実、教授は自身が戦うというよりチックたちを代表とした各種のギミックによって戦闘を行っている。そういう意味ではポーラと同じく非戦闘員と言いうことも可能なのかもしれない。
 が、実際のところ、彼は機械生命体グレズである。身一つでもある程度の戦闘力を保有している可能性はある。また、シアルの言によれば、グレズコアさえ無事であるならそれなりの損傷は許容できるようでもある。事実として、頭部全損という事態に陥ったというのに、彼は問題なく稼動しているのだ。
 ポーラが教授の手になるアンドロイドであり、彼の助手であるならというなら、戦闘力はともかく、彼を助手として手助けするための機能を持っている可能性は決して低くはないし、損傷に対するフェイルセーフも教授本人――と思われていたあのボディ――と同じように施されているのではないだろうか。
「まあ、そのあたりは教授に直接聞いてみないと分からない事ですけど」
 自分の思うところをそんな風に締めくくった風太郎に向けて、雪見はちゃぶ台に頬杖をついたまま、やや難しい顔をした。
「まあ、そうよねえ……。さっきはあんまり突っ込んで聞けなかったしなあ」
 ほう、と大きく一つ息を吐く彼女とともに、数時間前のことを思い返す。


◆◆◆


 ポーラが目を覚ましてから、教授は彼女を含めた全員に己の来歴を語って聞かせた。
 バシレイア動乱の終結によって統合意識から解放されたグレズであること。
 以前はロンデニオンに拠点を持っており、彼の地はフィーンドと呼ばれるタイプのグレズの脅威に晒されているために行動の円滑化の目的で獣相を持った人間型のボディを運用していたこと。
 かつての根城としていたロンデニオンはどちらかと言えば排他的な特徴を持つ土地で、獣相――体の一部に獣の特徴をもつこと――の無い者は見下される傾向があった。そうした街での知恵として、教授は己の素性を偽っていたこと。
 美酒町の住人はロンデニオンとは比べ物にならないくらいに大らかで、細かい事――機械生命や獣人が町を闊歩する事を細かい事と言って良いものかどうかは分からないが、と教授は述べたが――に拘らない人々であったが、今までの習い性で、美酒町に入ってからもグレズであることを殊更に明かさずにいたこと。
 また、チック1号を指して、見慣れないと口にしたポーラの様子から何となく察してはいたが、これらの事情を彼女が全く関知していなかった事も雪見たちを驚かせた。
 教授によれば、彼女が今の自意識を得てからの時間が短く、それ以前の教授を知らないことと、隠し事が下手である事が理由であるとのことだった。
 そして、それらの事情を謝罪の言葉と共に語られたポーラはといえば、


「なるほど。わかりましたですよぅ」
 ごくごく軽い口調でそう言って頷きを一つ。
「教授の中の人がチックちゃんの1号だって知ってたからって今まで何が変わってたこともないと思いますしぃ、逆もそうだと思いま――」
 そこではたと気付いたように手を打ち、
「あ、でも。教授が岩に押し潰されちゃったときはもうだめだと思いましたよぅ。あれは前もって知ってればもっと気が楽でしたよぅ?」
 拗ねたような目付きで教授を睨んでみせた。
「そうだね。それはすまなかった、ポーラ。この通りだ」
 教授は丸いボディを転がる寸前まで前傾させて謝罪の姿勢をとる。ポーラはそれに対して満足げに頷くと、それ以上は教授に対して何も追求をしなかった。


◆◆◆


「結局、あのあと情報収集の段取りについての流れになっちゃったものね」
 まだちゃぶ台の上で大の字のままのシャンパーゼをちろりと流し見て雪見がつぶやく。眉尻を下げたその表情にはいささかならぬ憂いが見える。
「心配ではあるんだけど、かといってポーラちゃんの目の前で『どうしてポーラちゃんを戦闘の場に連れて行くの?』とは聞きにくいしね。気にしちゃいそうだもの」
「そうかもしれないですね……」
 静かに相槌を打つ風太郎は、その実、雪見とは全くベクトルの違う考えを持っていた。
 そもそも、雪見のような質問を教授に投げかけようとは思っていなかった。
 教授との付き合いはまだ短い物ではあるが、風太郎は教授について、行動に無駄を挟まない人物であろうと考えている。その分だけ言葉には彼の言うところの紳士の諧謔とやらを乗せたがるところがあるが。
 ともあれ、そういった教授の行動傾向からして、彼がポーラを連れて歩いていることには何らかの意味はあって当然いうのが風太郎の解釈だった。だから、教授にわざわざ疑義を述べるつもりもなかったのである。
 行動を共にする以上、内実は詳らかにすべきかもしれないが、自身の手札の全てを場に晒していないことに関しては風太郎とて決して人のことを言えた義理ではない


 対して『聞きにくい』と言った雪見のスタンスは、風太郎のそれよりももっと柔らかいものだ。
 判断の基準として置かれているのは、『ポーラがどう思うか』という情緒的なもので、風太郎とは一線を画している。
 甘い、と思うのと同時に、その事に対してプラスのベクトルを持った心の動きを風太郎は自覚する。
 このひとが優しくある事が嬉しい。
 言葉にすればそんな思いだ。
 ――分かっちゃいたけど、相当だなあ、俺。
 今更と言えばあまりに今更な事実を認識すると共に、唇の端にうっすらと笑みが浮かぶ。流石に笑みを浮かべるような場面ではない事も分かっていたので、さりげなく口許に手をやってそれを隠した。幸い、雪見には見咎められなかった。何ごとか考え込んでいる、とでも思ったのだろう。彼女も頬杖をついたままで小さく唸りながら思考に没頭していく様子だった。
 ちょうど言葉も途切れたことだし、軽く周囲の気配でも探ろうかと風太郎が感覚を研ぎ澄ましたその瞬間の事だった。


「メルキオール様っ!!」
 その小さな体躯でよくぞここまで、というくらいの大音声と共に、ちゃぶ台の上でシャンパーゼが跳ね起きる。
 少し離れたところに立っていた風太郎は少し驚いた、程度で済んだが、彼に小指を握られたまますぐ近くにいた雪見は仰け反ってその驚きの大きさを表現している。
「びっ……くりした。もう。脅かさないでよね」
 大きく息を吐いた雪見がシャンパーゼの眉間に人差し指を突きつけてぐりぐりと押す。シャンパーゼが抗議の声を上げつつ騒いでいるが、雪見は意にも介さない。きっかり10秒、そうやって意趣返しをしてから彼女は白いマスコットを解放した。
「エラい目にあったモン! やっぱりメルキオール様に人事についての相談をしてくるべきだったモン!」
「うるさいわよ。それよりその口ぶりだと神様とのコンタクトは上手くいったんでしょ。首尾を報告しなさいよ首尾を」
 雪見に促されたシャンパーゼは彼女をじろりとねめつけつつも、居住まいを正して雪見と風太郎にそれぞれ視線を送る。話を聞くのに離れて立っているのもどうかと思った風太郎がちゃぶ台の傍で座布団に腰を下ろすのを待ってから、彼は厳かに口を開いて報告を始めた。


 今回、シャンパーゼは自身がメルキオールの端末である事を利用して創造主とコンタクトを取る事を目的としていた。己を鍵として経路に取っ掛かりを作り、同じくメルキオールの加護を受けた“魔法淑女ラディカル☆スノウ”のフレアをブースターとして強引にでもメルキオールに意識を届けると言う手段をとったのである。
 この試みは成功し、彼はある種の概念と化して美酒町を見守っているメルキオールとの接触に成功した。
「メルキオール様も、今回の事態について把握はされているモン。ただ、“韓毒龍”の情報の通り、対存在となる守護龍の力が相手方に回っていることもあって、世界の平衡を保つ方に注力するのが精一杯であられるモン」
 そして、事態は更に悪くなっているのだとシャンパーゼは小さくつぶらな瞳をやや翳らせて続ける。
「守護龍の存在は既に8割がたダスクフレアに喰われているモン。そして、あの黒龍は次の段階として、美酒町そのものを喰らって実体を得ようとしているモン」
「美酒町そのもの……。話が大きくていまいちピンとはこないんだけど、具体的にどうなるのかしら?」
「……例えば、美酒町のどこにいてもあの黒い龍の胃袋の中同然になって、あとはフレアを食われるだけ、とか?」
 小首を傾げる雪見の横で、風太郎が思いつく中でも最悪の展開を言葉にしてみる。シャンパーゼは小さくため息をついてから、その言葉に首を横に振ってみせた。
「少なくとも現段階でそこまでの事態にはならないモン。メルキオール様も健在なわけだし、一足飛びに美酒町の全てが黒龍の支配下となる事はないモン」
「つまり、一部ならそうなる事がありえる、と?」
 打てば響くように情報を整理していく風太郎へシャンパーゼは満足げに頷き、
「おそらくは何らかの自然物。そうしたものへと干渉を行って乗っ取り、実体を得るはず、というのがメルキオール様の仰せだモン」
 そこでシャンパーゼは言葉を切ると、大きく肩を落として息を吐く。
「現状でお伺いできたのはここまでだモン。黒龍への対処に力を割かれているせいで経路が不安定になっていて、長時間の謁見は出来なかったんだモン」


 一通りの話を終えると、メルキオールへの謁見で疲れでもしたのか、シャンパーゼはぺたりとその場に座り込む。手馴れたもので、雪見がそんな彼の傍に饅頭とお茶をすっと出してやっていた。この辺りは日頃言い合いばかりしていてもやはり相棒といったところか。
 風太郎はそんな一人と一匹から少し離れ、懐から小さな機械を取り出す。これは周辺の警戒が風太郎の役目として定まった際に教授から渡された物で、教授が旅館の周囲に敷設した警戒網からの情報を受け取ることができる他に、彼との通信にも使用できる物である。『シアル・ビクトリア』のコックピットへ乗り込んでお互いのデータ照合を行っているらしい教授にシャンパーゼからの話を大まかに伝え、後で全員揃っての情報交換の段取りを進めておく。
 そうこうしていると、ふと右の肩口に重みがかかるのを風太郎は感じ取る。視線だけをそちらへ向けると、そこにいたのは小さな白い小猿、シャンパーゼだった。彼は口の端についていた饅頭の残りカスをぺろりと舐め取ってから風太郎の襟を掴んで耳元へ体を寄せ、声を小さくして囁く。
「ちょっと話があるモン。廊下まで顔を貸すモン」
 まず思い浮かんだのは一体何の用か、ということだ。が、これはまあ、話を聞けばすぐに解決する事であるので今は気にせずにおく。次に思い浮かんだのは部屋の中に雪見を一人残す事についてだが、先ほども述べたように旅館の周囲には教授の警戒網が存在する。何かあればまずそちらが反応するはずだし、雪見自身にも戦闘能力はある。
 そこまで思考して、問題ないと判断した風太郎は小さく頷く。
「ちょっと辺りを見てきます」
「それに付き合ってくるモン」
 雪見に向けて軽く手を挙げて風太郎が告げると、シャンパーゼがそれに従う。雪見は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべ、さっと一人と一匹を目線で撫でてから微笑んで手を振った。
「はい、いってらっしゃい。気をつけてね。蜂須賀クンの邪魔しないのよ、シャンパーゼ」
 いってらっしゃい、に内心感動しつつそれを必死に押し殺す風太郎と、僕を何だと思ってるモン、と捨て台詞を残したシャンパーゼは、部屋を出て少し歩いた廊下の隅で立ち止まる。
 どの客室からも少し離れた、真っ直ぐな場所だ。ここなら誰かが近付いてきても風太郎にはすぐにそれと知れる。敵に対する周辺警戒というより、シャンパーゼの雰囲気からおそらく内緒話がしたいのだろうと判断したが故の場所だった。


「……で、どういう話がしたいんだ?」
 尋ねつつも、風太郎の内心では大体の見当がついていた。
 風太郎と雪見、否、ビーゲイルとラディカル☆スノウは、今回協力関係を結んだカオスフレアたちの中で、現在のところ対立関係にある唯一の組み合わせである。
 もちろん、神炎同盟の保護下にあるというフォーリナー・雪村あさひや、この美酒町をねぐらと定めているイェトライロム教授とも対立関係が発生する可能性は存在しているが、少なくとも今のところそういうことはない。が、ラディカル☆スノウとビーゲイルに関しては、直接対決したことは無いものの、彼女が今まで美酒町をパトロールする際にテオスの構成員が撃退された事は数多い。対ダスクフレア要員として遊撃的な扱われ方をするために、美酒町の守護者との戦闘に出ることは今までなかったビーゲイルであるが、美酒町を侵略しようとするテオスの一員である事には変わりなく、それゆえの警戒があり、そうした問題について話をするか、釘を刺すためのものだろう。
「確認したい事と、提案したい事があるモン」


 風太郎の肩の上から、すぐ脇にあった生け花を置く台の上に飛び移ったシャンパーゼが眉根を寄せてそう切り出した。
 現状での敵意の有無の再確認と、この状況が終わってからのお互いの身の処し方についてだろうか、と風太郎は予想する。
 こちらが向こうに敵意を抱いていないのは間違いのないことで、これはそう言う他ない。信じてもらえるかどうかは別……というより、彼の性格、いや、おそらくは役割として信じてはもらえないだろうと思う。雪見が風太郎に対して隔意を持っていないことは明らかで――明らか、だよな? 実は嫌われてたりしないよな? と一抹の不安はあるものの――、だからこそ疑うことをシャンパーゼが放棄する訳にはいかないのだ。
 今後のことについては、風太郎の権限で出来る事と出来ない事がある。これについてもやはり正直に言うよりあるまい。
 そんなことを考えながら、風太郎は先を促すようにシャンパーゼに対して頷いてみせた。

 シャンパーゼは、無闇にエラそうに胸をはると、ちんまりとした手を風太郎に向けてかざし、人差し指を立ててこう言った。


「まずは確認からだモン。……お前、雪見に惚れてるモン?」



[26553] 第三話『災厄、彼方より』⑨ 彼方より此方へ
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2013/04/04 11:42
Scene18 種子の芽吹き


「たっだいまーっ」
 明るい調子で言い放ちながらあさひがその部屋のドアを開ける。部屋の中には二人と一匹。ちゃぶ台を囲むようにしている雪見と風太郎、そしてシャンパーゼだ。
「おかえり。そっちの首尾はどうだったのかしら?」
「ええっと、難しい話はシアルか教授がしてくれるから!」
 満面の笑顔で丸投げを宣言するあさひの背後から呆れたような声がかかる。
「あさひ。私と教授の相談はあなたも横で聞いていたはずですが。何故自分は関知していないとでも言うような口振りなのですか」
 あさひに続いて部屋の中に足を踏み入れながら、僅かに眉根を寄せたシアルが苦言を呈する。が、あさひは心外だとばかりに口を尖らせ、
「だって教授もシアルもなんか変な専門用語バリバリで話すんだもん。結論がよくわかんないんだよ。ねー、ポーラ?」
「はいですよぅ。ちんぷんかんぷんですよぅ」
 シアルの背後から声を返したのは、チック1号――イェトライロム教授を腕に抱えたポーラである。一点の曇りもない笑顔を交し合うあさひとポーラ。それを見て、シアルはこめかみの辺りを押さえて小さくため息をつき、ポーラの腕の中の教授は朗らかに笑い声をあげた。
「ははは。まあこれからお互いの調査結果の交換とともにもう少し噛み砕いて話す予定になっているのだから、許してくれたまえ、二人とも」


 あれこれと言葉を交わしながら、カオスフレアたちはちゃぶ台を囲むように座布団を敷いて腰を下ろす。
「さて、じゃあ俺から少し報告しておきたい」
 口火を切ったのは、周辺の警戒を請け負っていたはずの風太郎だ。
「裏切りが確定したラーレイの身辺に関する調査の中で、今回の件に関わり有りそうなものが出てきたんで、こっちに資料が回ってきた。これを見て欲しい」
 律儀に人数分用意されていた、数枚の紙からなるそれが配られる。
「前にもチラッと話したと思うけど、ラーレイは美酒町に来る前は深宇宙で宇宙海賊相手の船乗りをやってたんだ。で、そのころから業務としての航海日誌とは別に記録をつけるのが習慣だったらしい。ここにあるのはその抜粋だよ」
 風太郎の言に釣られるようにして皆が目を落としたその紙には、彼の言うとおりに日誌の形式で次のようなことが記されていた。


◆◆◆


○月×日

 1215方面軍、クーヤ・レラーヤ提督旗艦よりアンシブルネットワークによる救援要請の信号を受信。直ちに当該座標へ急行するも、レラーヤ提督の乗艦と随伴艦8隻の残骸を確認するのみ。レラーヤ艦隊の生存者は皆無であった。
 通信の内容及び、現場での調査により検出されたエネルギー反応から、レラーヤ艦隊は二種類の敵性体と交戦していた可能性が濃厚であった。うち一種類は、二つに斬断された護衛艦の切り口から、彗星剣豪リゲンと推測される。
 もう一種類については正体不明。艦隊の破壊痕も、リゲンのものと思しき切断痕の他は、レラーヤ艦隊の装備しているブラスターによる同士討ちのものしか発見されず。
 ただ、レラーヤ提督の乗艦、そのメインブリッジ艦長席において、手のひら大の黒い鉱石を発見。リゲンのそれとは別種のエネルギー反応が確認されたことから、手がかりの一端と判断して採取。それ以外に成果はなし。


○月△日

 1215方面軍レラーヤ艦隊壊滅の折に採取した鉱石について、分析班より報告を受ける。
 一言で表すならば、正体不明。
 いかなるスキャンを用いても組成は明らかにならず、高出力のレーザーカッターを用いても傷一つ付けられない。当然、サンプルの採取もままならない。採取時に観測されたエネルギー反応はこの鉱石ではなくその周辺の空間に残っていた残滓であったらしく、この鉱石そのものからはいかなる反応もみられない。
 どう考えてもただの石ではありえないが、この艦の設備ではこれ以上の調査は不可能だとの判断が添えられている。
 分析班の判断を汲み、現時点でのこれ以上の調査を断念。テオス本星に帰投後、しかるべき筋に分析を依頼することに決定。それまでは当艦にて保管することとする。


×月○日

 先日、レラーヤ艦隊旗艦より採取した鉱石だが、現在、私の執務机の上に保護ケースを置き、管理を行っている。
 本来ならば、艦内に配備されている重要物品保管用の区画にて本星帰投時まで保管すべきところではあるが、私の一存によってこの鉱石はここに置かれている。
 私自身にも不可思議な事ではあるが、何故かこの石を手元に置いておきたいという強い欲求が私の中に存在している。今までに鉱石を収集する趣味を持っていたというならともかく、過去の私にそういった趣味はない。全くもって不可思議な事態である。が、この石を見ていると何故か精神が落ち着くことも事実だ。分析によって明らかになっていないだけで、そもそもそういった効能を持つ物なのかもしれない。いや、そうして考え込む事も無粋に思える。今はただ、この石を眺めていたい気分だ。


△月×日

 私は今日、声を聞いた。
 かの鉱石を通して語りかけてくる、偉大なる意思の声。
 星王陛下よりプロミネンスの洗礼を賜り、陛下の創世のために力を尽くす第二世代ダスクフレアと化したこの身をして、なお畏怖せざるを得ない強壮なるその声。これこそ即ち、大いなる造物主の声に他なるまい。
 そう、つまりは選ばれたのだ。
 名だたる帝位継承者よりも、災龍皇ヤム・ナハルよりも、造物主の化身を号する星王ディオスよりも、この私、ノット・ラーレイが!
 この佳き日より、偉大なる意思に従い、私は行動を開始する。
 偉大なる意思の求めに沿う孤界へとまずは赴くのだ。


◇月△日

 偉大なる意思の導きによって、任地を星の海から新たな孤界、美酒町へと移してよりようやく、諸所の準備が整いつつある。
 もう少し、もう少しで、この地はかの意思に満たされる。この甘美な幸福を三千世界の全てにもたらすためにも、今は何者にも悟られる事なく動かなければならない。


□月○日

 ようやく私は理解した。
 この鉱石は、種子であると。
 新しく、瑞々しく、そして不安定なこの美酒町という孤界に根を張り、力を蓄え、そして創世の花を咲かせるのだ。
 そのとき、全ては一つとなるだろう。この孤界も、否、美酒町と密接に繋がるオリジンのみならず、数多の孤界を含んだ三千世界も、この私すらも、偉大なる意志に飲み込まれるのだ。
 
 なんという歓喜!
 なんという法悦!!
 
 準備は既に整いつつある。あとは、息を潜めて時を待つのみ。

 ああ、ああ! 偉大なる意思に還る、全てのものに喜びあれ!
 ああ、ああ! 偉大なる意思のもと、訪れる創世に祝福あれ!!


◆◆◆


「……なんていうか、これは……」
「まるっきりホラー映画のノリよね……」
 日誌を読み終えたあさひと雪見がげんなりとした表情で零す。
「映画じゃなく、実際の出来事な辺りが笑えないモン」
 何故か定位置である雪見の肩ではなく、風太郎の肩の上に乗っているシャンパーゼが付け加えたその一言に、二人は顔に浮かぶ憂鬱の色を一層濃くした。
 ぱしん、と手を打ち合わせる小気味良い音が響いたのは丁度そのときだ。それを発生させたのは、ちゃぶ台の上に置かれた座布団に鎮座しているイェトライロム教授である。
「ともあれ、かのラーレイはここに出てくる鉱石――件の洞窟奥にて泉の中にあったものと同一と考えて間違いあるまいが、これに魅入られていたことは確定であろうね」
 洞窟でラーレイと交戦した際にそうであろうと推測が立っていた事柄ではあったが、それを教授が敢えて言葉にしたのは情報の整理と共有を行う事を印象付けるためだろう。
「で、実際にアレはこの日誌に書いてあるとおり、造物主の意思とやらが宿ってる物なのかしら」
 頬杖をついた雪見が、ため息とともにそんな疑問を呈示する。
「……最終的にはその通り、ってことになるとは思いますが、とりあえずは違う、って答えになると思います」
 それに答えたのは風太郎だが、いまいち要領を得ないその内容に、雪見が首を傾げる。
「ええとですね、件の黒い鉱石……ひいてはそこから出てきた黒い龍ですが、あれは間違いなくダスクフレアでした。で、ダスクフレアってのは、つまるところ造物主の受け皿なわけです。そういう意味では、アレには造物主の意思ってのが関わってると言っても間違いではありません」
 先ほどの自身の言葉を補足する風太郎が、ただし、と付け加えてさらに続ける。
「受け皿となっているアレは、おそらくは宇宙怪獣だと思われます。それも、周囲にいたり、そいつが見初めた生命体の精神に干渉する――研究者筋に言わせれば、大戦時に造られた原種により近いタイプですね」
「つまり、その宇宙怪獣としての能力で、あのラーレイってのは操られてたって事かしら」
 雪見の確認に、風太郎がおそらく、と答えながらこっくりと頷いた。


「付け加えるなら、この手の精神干渉を使うタイプの宇宙怪獣は、姿を見たり声を聞いただけでも精神汚染を受ける可能性があります。洞窟で出くわしたときにはそういう類の能力は使ってなかったので、杞憂かもしれませんが……」
「万が一、人の多い街中なんかで実体化されて、しかもそんな力を使われたらエラいことになるモン」

 自分の肩の上で苦りきった声を出すシャンパーゼをちらりと見てから風太郎が言う。
「ともあれ、こっちの方で出せる情報は今のところこれくらいだよ。本来ならラーレイの得意とする戦術とかその辺りの情報もあったんだけど……。今となっちゃあなあ」
 やや愚痴っぽく後半の言葉を紡いで、話を締めくくった。
「まあ、多少なりとも相手のことが分かっただけでもよしとしようではないかね」
 教授が三白眼の片目をぱちりと閉じて、おそらくは意図的に軽い調子の声を掛ける。風太郎がそれに答えるように軽く肩をすくめたのを見てから、今度はシアルへと視線を切り替えた。
「さて、それでは我々の調査に関してだが、シアル君、まとめて話をしてもらえるだろうか?」
 教授の促しに、はい、とうなずきを返してシアルが場の一同をぐるりと見回した。


「『シアル・ビクトリア』のセンサーによって採取したデータと、教授の構築しているネットワークの情報を併せて、美酒町の調査を行いました。ところどころ穴があることは否定できませんが、それでもほぼ全域のデータを収集できたと言えるでしょう」
 言いながら、シアルが懐から一枚の折りたたまれた紙を取り出す。教授が座布団を手にちゃぶ台の端へ寄り、それぞれの前に置かれていた湯呑みも各自が避難させたのを確認してから机上に広げられたそれは、美酒町の地図だった。
「この前フリだと、どこか手がかりになりそうな場所が特定できたのかしら」
 シアルと地図を交互に見ながらの雪見の言葉に、しかしシアルは首を横に振ってみせた。
「いいえ。そういった場所の特定は出来ませんでした」
「向こうが完全に息を潜めていて、どこにいるか分からない?」
 今度は風太郎が問いを重ねるが、それにもシアルは首を振った。
「いいえ。あの黒龍のダスクフレアと同質の反応ですが、調査範囲の全て――つまり、美酒町のほぼ全域で薄く確認されています」
 ちゃぶ台の上に広げた地図を視線でひと撫でして、シアルは言葉を紡ぐ。
「おそらくダスクフレアは、美酒町に張り巡らせた根に偏在しているのではないかと思われます。おそらくはそう遠くないうちに、世界霊メルキオールからの情報にあったように美酒町の一部を触媒にして顕現、実体を得た後はそのまま美酒町を蹂躙して最終的にその全てをフレアに還元して喰らう、というところでしょう。 
 また、今回の事態において厄介な点のひとつに、ダスクフレアの影響下においては、弱ったもの、力のないものはフレアを収奪される可能性があります」
「あの洞窟の中でテオスの兵隊やガストドンがそうだったように、だよな」
 風太郎が補足した内容に、シアルは頷きを一つ送り、
「今はまだそうした実害を及ぼすほどではありませんが、そうでなくなるまでに猶予はあまりないと考えた方が良いでしょう」
 一旦言葉を切り、湯飲みを傾けてお茶を啜る。湯飲みを元に戻し、目を閉じて、ほう、と息を一つ。再び開いた目には先ほどよりも力がある。ここからが本論であると誰もが悟った。


「現状、何が一番マズいのかと言えば、こちらから向こうに手出しするための方法がないことです。相手は美酒町全土に広がる事で、少しずつこの孤界を喰らうという選択をしたようですので。先ほども言ったようにいずれ実体化はするでしょうが、そのときには美酒町からフレアを存分に吸い上げ、もう手が付けられなくなっていると考えていいでしょう」
 そこで、と言葉を置いて、シアルはちゃぶ台の下から両手のひらに収まるサイズの木の箱を取り出した。部屋に備え付けられていた将棋の駒だ。そこから歩の駒を摘み上げては地図の上に置いていく。
 十六個の歩が箱から出され、美酒町の地図の上で縦に長い楕円を描くように配置された。それは、北西から美酒町を縦断する龍神川を囲む並びだ。
 そして、それではまだ止まらない。シアルはその楕円の中に、やや北寄りの位置に銀将で四角い囲みを作り、更にその内側、やはり北寄り、龍神川と速水川の分岐点、龍神川温泉の北側の流域を四つの金将で囲んだ。
「状況のコントロールのために、美酒町のフレアラインに干渉し、我々の任意のタイミングで美酒町に溶け込んでいるダスクフレアを召喚、実体化させることを提案します」
 ぱちん、と小気味良い音を立てて、金将で形作られた四角形の中心、美酒町の地図の北西に当たる位置に裏返した飛車――龍王が置かれた。


Scene19 決戦場造成(偏差マイナス)


 美酒町の中心部は、方位的にも人口分布的にもJR美酒駅と市鉄奏手線美酒駅の交差する周辺地帯である。
 この辺りは大まかに区分けすると、東西に走るJRの線路を境にして、多くの娯楽施設が集まる現代的な街並みの北側と、昔ながらの商店街を中心とした南側に分けられる。
 美酒町は全体的に見ると基本的に農耕地の多い田舎であるため、このような繁華街には自然と人が多く集まることとなる。美酒駅北側に位置する県立美酒高校や、一つ隣の駅に近い私立白鷺学園の生徒達も放課後の憩いの場としてこの近辺を利用する事が多い。

 そして今、美酒駅北口近くの繁華街を、三人の男女が歩いている。ぱっと身の外見は高校生程度。一人だけいる男子の制服は県立美酒高校の学ランだとすぐに分かるが、残る二人の女子が着ている深緑のブレザーはこの近辺では見かけないものだ。見るものが見れば、最近、時々海外から部活の遠征試合にくるというリオフレード学院の制服だと気付いたかもしれない。
「よくよく考えたら、この面子でじっくり話をするのってこれがお初だよね?」
 制服のフレアスカートの裾をひらりと翻してあさひが横を歩く風太郎を覗き込むようにして話しかけた。
「そういやあそう……だなあ」
 やや視線をさまよわせてから風太郎が答えを返す。言葉の途中で一瞬詰まったのは学年的にはあさひが先輩に当たることを思い出したからで、しかし敬語を使わなかったのは事前に敬語でなくていい、とあさひから通達されていたからである。
 あさひ曰く「部活で上下関係があるとかならともかく、一つ二つの年齢差なんて気にしなくていいんじゃないかな。大体リオフレードなんかね、同じクラスに樹齢300年の樹木系幻獣トレントがいたりとか、1学年下に五千歳の元魔王軍四天王とかいたりするんだから」とのことだった。


「ところでさあ蜂須賀君。あたし実はよく分かってないんだけど、テオスってどんなとこ?」
 この質問が屈託なく出てくる辺り、本当によく分かっていないのだな、と風太郎は思う。オリジンを任地とはしていないものの、彼女のバックにある神炎同盟という組織がテオスと敵対している事くらいは風太郎だって知っている。
「あ、いや、オリジンに攻めて来てる国だとか、そういうのは分かってるよ、うん、そのくらいはね」
 思わずじっとりとした視線を向けた風太郎に対し、やや焦った様子で弁解を始めるあさひ。
「実際にそのテオスの人達と揉めた事って、あたし無いんだよね。リオフレードにはテオスからの留学生とかもいて、ちょっとだけ部活の絡みで話したこともあるの。あたし、放送部のリポーター見習いだしね」
 時々風太郎へと視線を送りながら、あさひは腕組みして眉根を寄せる。
「でも、実感っていうのかな。それだけだとちょっと仲の悪い近所の国、くらいの認識しか出てこないんだよね。リオフレードに来てる人たちって基本的に在学中は上手くやっていこう、みたいな感じだし」


「どんなとこ、って言ってもなあ……」
 簡単に言い表そうと思えばできないことはない。多世界国家。造物主信仰国家。軍事大国。侵略主義。
 テオスとは? という問いに対する、大まかな答えだ。
 だが、もっと細かく内実を語るとなると、途端に差し障りが生じる。機密保持であるとか、そういったややこしい事情ではなく、風太郎自身がそもそも語る言葉をほとんど持たないのだ。

 蜂須賀風太郎ことビーゲイルはバンダーラである。そしてバンダーラとは被征服孤界の住民を徴用して構成されるいわゆる奴隷戦士である。
 風太郎、否、ビーゲイルは、彼が生まれるより前にテオスに侵略、教化された故郷しか知らない。否、それすらも伝聞系である。物心ついた頃からバンダーラの素体として育成され、擬似プロミネンスの埋め込み手術を生き残り、カオスフレアとして覚醒してテオス内部のカウンターハンター、掃除屋として重宝されつつも忌避される。
 ただでさえ侵略された多くの文明の集合体であるテオスの内実について、詳しくなる機会や要素などビーゲイルにはなかったのだ。


 つらつらとそんなことを一通り語ると、あさひはバツの悪そうな顔をして、風太郎に対して頭を下げた。
「あー……。うん。ごめんね、なんか言いにくいとこに突っ込んじゃったみたいで」
「ああいや、気にしてないし」
 あさひに対して軽く手を振りながら、風太郎は下げたあさひの頭の向こうからの視線を感じる。シアルだ。その視線に含まれている色は、間違いようもなく警戒。一定の距離を取り、こちらを観察、もしくは監視しているのが分かる。
 ただ、風太郎としてはそのことに不快感はない。むしろ、これが当然であるとすら思っている。どちらかと言えばあさひの屈託のなさがそもそもおかしいのだ。この辺りは雪見とシャンパーゼのコンビにも通じるが、つまりは信頼する者がいるのに対し、警戒する役目を自らに課す者がいるということなのだろうと風太郎は思っている。
 ただ、
「……なんでなんだろうな?」
 ぽろりと口から言葉が零れ落ちた。横にいるあさひがぱちぱちと瞬きを繰り返しているのが分かる。もとより口にするつもりではなかった事だったが、つい口をついて出てしまったことを契機として、風太郎は続く言葉を形作った。
「もうちょっとこう、疑ってかかるとか、そういうのがあってもいいんじゃないか? そっちからすれば、テオスってのは侵略者なんだから」
 それは、雪見に対してはぶつけられなかった疑問だ。当然の事だとわかってはいても、彼女から疑念を向けられるのは苦痛だ。だから、そのきっかけになるかもしれない問いなど発せられるわけはなかった。だが、雪見と同じように、本来テオスと敵対する立場にいながら、そうした感情を見せないあさひにならば。
 ――それはそれで失礼っつーか最低っつーか、そんな気もするけど。


 内心で自嘲する風太郎を余所に、あさひはしばらくの間考える素振りをみせ、
「勘かな」
 短くそれだけを口にした。
「そ、それだけか?」
「むむ。フォーリナーの勘働きを舐めちゃいけないよ? すんごいんだから」
 思わず問い返した風太郎に、あさひがふふんと鼻で笑って胸を張る。
「ほら、蜂須賀君、自己紹介のときに美酒町のために力を貸してくれって頭を下げたでしょ? あのときにピンときたんだよ。あ、信用できるな、って。まあ、あたしの考えが足りなかったり判断がお粗末だったりする部分はシアルが助けてくれるし、とりあえず直観を信じとこうかなあ、ってのがあたしの根拠かな」
 そう言ってからりとした笑顔を浮かべてみせるあさひに、風太郎は何も言えずにがりがりと頭をかいた。こうまで直裁に言われてしまうと、どうにもこうにも照れくさい。だがせめて、信用に対する礼くらいは言って然るべきかとあさひに向き直った風太郎の目に、あさひの笑顔が映る。が、先ほどのそれとは質が違う。なんというか、妙に楽しげで、悪戯な光を目に宿した笑顔を伴ったフォーリナーは口許に手を当てて視線を流し目に変え、にひひ、と怪しげな笑い声を漏らし


「まあ、あたしの意見はあくまであたしの意見でしかないから、雪見さんが蜂須賀君をどう思ってるかの参考にはなんないかもしれないけどねー?」


 幸い、風太郎が衝撃で固まったのはほんの一瞬だった。これが本日二度目の衝撃であった事が幸いした形だ。旅館の廊下での一幕がなければ、意表を突かれて即座に対応する事はできなかったに違いない。
「なな何を言っているのか、いいい意味が分からないな?」
 思い切りどもっていたので対応速度云々はあまり関係がなかったが。
「あたしも経験豊富とは間違ってもいえないけど、それでも蜂須賀君、相当に分かりやすいと思うよー? 思いっきり雪見さんを目で追ってるもんね。女の子はそういうのに敏感なのですよ」
「……あさひ。今の会話の流れからすると、彼は雪見さんに懸想しているのですか? ……全く気が付きませんでした……」
「オーケー。シアルは色々勉強しようね、ほんとに」
 あさひは軽く目を見開いて驚きの表情を浮かべているシアルの肩をぽんぽんと叩き、
「まあ、テオスがどうとかややこしい事もあるのかもしれないけどさ。あたしに出来る事があれば協力するから。これも縁だもんね」
 もう一度、にかりと笑ってみせる。
 裏の全く感じられないその笑顔に対して、風太郎は曖昧に返事を濁して顔を逸らした。あさひは別段気にした様子もなく、「照れちゃって、このこのー」と楽しげにしている。
 が、あさひの言葉に風太郎は答えない。答えられない。自分の事情と彼女の事情と、そして旅館の廊下であの白い小猿から持ちかけられた、とある提案が風太郎のなかでぐるぐると渦を巻いていた。


◆◆◆


「お前、雪見に惚れてるモン?」
 この問い、否、シャンパーゼの言葉を借りるなら確認をぶつけられたとき、蜂須賀風太郎は思い切り動揺した。なんとかそれを表情に出すことだけはこらえたが、およそ数秒の間は石化でもしたかのように固まって、受け答えができずにいたのだ。
「……ふーむ。大体分かったモン。まあこれは予想通りだモン」
「オイ待て、何を――」
「雪見は気付いてないモン。付け加えると僕からこのことを伝えるつもりもないから安心するといいモン」
 断定口調で話を進めていくシャンパーゼに、しかし風太郎は反論を挟む事が出来ずにぐっと言葉に詰まる。
 小猿のマスコットはそんな彼をじっと見上げ、少しの間何かを探るような目つきをしながら、再び口を開く。
「続きに移っていいかモン?」
「つ、続き?」
 未だ動揺が冷めやらず、オウム返しに問い返す風太郎へ呆れの混じったため息がシャンパーゼからプレゼントされ、
「確認と提案。さっきも言ったモン? 確認は終わったから次は提案だモン」
「あ、ああ」
 生返事を寄越す風太郎をじろりとねめつけてから、シャンパーゼはその提案を口にした。


「お前、僕の後釜に座る気はないかモン?」


 先ほどの『確認』程には動揺はしなかった。が、それとは比べ物にならないくらいにこの『提案』の意味が風太郎には掴めなかった。問い返す事すら出来ず、ただシャンパーゼを穴が開くほど見つめていた。
「現状、メルキオール様は孤界の安定化に力を注いでおられるモン。まだ暫くの間は美酒町の中に端末を作るにも限界があるモン」
 そんな風太郎の困惑を余所に、シャンパーゼが唐突にそんなことを語りだした。
「対して、美酒町の内情は実に複雑な様相を呈してきているモン。メルキオール様の意を受ける守護者の数が、現状では心もとないほどだモン」
 そこで、と言葉を区切り、白い小猿は未だに力の抜けた視線を自身に向けてきている少年にびしりと人差し指を突きつけた。
「僕は新たな守護者の発掘に回りたいんだモン。そして、その間のサポートと、今後激化するであろう美酒町の情勢に備えて、戦闘時のパートナーとしてもラディカル☆スノウの傍にいて欲しいんだモン」
 どうだモン? と小首を傾げるシャンパーゼ。ここでようやく風太郎はまともに受け答えを返した。
「い、いや。俺は仮にもテオスのバンダーラだぞ? っていうかそもそも何で今、このタイミングそんなことを?」
 続けざまに投げかけられる風太郎の疑問に、しかしシャンパーゼは余裕の風格で腕組みをして一つ頷き、
「確かにお前はテオスのバンダーラだモン。でもカオスフレアでもあるし、観察したところ別段悪人ではなさそうだモン。さらに雪見に個人的好意を持っているという好条件の物件だモン。これはコナをかけずにいられないモン。あと、何で今、というのはまさに今だからこそ、だモン。仮にも敵対勢力同士の僕とお前がこうして普通に話しをするのは、ダスクフレアに対して協力して当たっている今しかないはずだモン」
 すらすらと答えを返すシャンパーゼに、しかし風太郎は絶句していた。このマスコットの言う事にも確かに一理ある部分も存在するが、それでも段階を飛ばしすぎである。だが、シャンパーゼは余裕を含んだ態度を崩そうともせず、風太郎の返事を待つようにしてじっとこちらを見つめていた。


「――悪いが、その話は受けられない」
 沈黙はおよそ数秒。その後に風太郎はそう告げて頭を下げた。内心の様々な思いを封じ込めて顔を上げた風太郎の目には、提案を断られた事をさして気にもしていない様子のシャンパーゼが映る。
「まあいいモン。気が変わったらすぐに言うんだモン」
「いや、変わらないと思う」
「なら、まずは変わらない理由を言う気になったら僕のトコに来るモン」
 さらりとした態度の割に諦めの悪いシャンパーゼに、風太郎は疑問の念をますます強くした。
「なんでそこまで俺にこだわるんだ? さっき言ってた条件だって、見つけようと思えば何とかなるだろう?」
 思わずといった風情で零れたその問いに、シャンパーゼは愉快そうに唇の端を上げてこう答えた。
「この話を受ける気になったら教えてやるモン?」


◆◆◆


 すっきりとしない気分で白いマスコットとの会話を思い出していた風太郎は、それを見たとき救いを得たような気分になって、前方を指差してこう言った。
「ほら、そんなことよりあそこ。いたぞ」
「露骨に誤魔化したね蜂須賀君。っとと、ほんとだ。チック君の、あれは……32号だね」
 風太郎が指し示し、あさひが見据えたそこには背中に32のナンバーをプリントされたチックが相変わらずの三白眼のままでぶんぶかと手を振っていた。
 三人がチック32号の傍まで駆け寄ると、32号があんぐりと大口を開けた。そこへシアルが金属質の指先大のキューブを放り込む。ばくりと32号の口が閉ざされ、むぐむぐと咀嚼してからごくんと飲み込む。ほぼ一頭身のチックのボディをして飲み込むという動作が実際に行われているかどうかは非常に疑問ではあるが。
 ともあれ、シアルから与えられたキューブを自身の体内に取り込んだチック32号がぐっとサムズアップする。この場での作業が完了した事の証だ。


「しかし、便利に出来てるもんだよねえ」
 大きく手を振るチック32号に別れを告げて、南口の商店街――先日の喫茶店『樹蘭』あるのもこちら側である――に向かう道すがら、先ほど32号に食べさせた物と同じキューブを親指と人差し指で摘んでいるあさひが言う。
 それは、教授が作成したチックたちへとあるデータをインストールするためのデータキューブである。
 格納されているのは、チックたちのネットワークを通じて美酒町のフレアラインに干渉するための術式だ。

 計画策定の初期段階では、この美酒町への干渉術式をもって、美酒町全体にダスクフレアの実体化を阻害する状態へともっていくことも検討されたが、そもそもそれだけのパワーを保障する機材や術式が用意できない事、用意できたとして、無理に押さえ込むことが暴発を生む可能性があり、却下された。
 次に浮かび上がってきたのが、シアルが作成した術式によって美酒町のフレア状態に偏差を起こし、そうすることで、ダスクフレアの実体化の難易度が高い地域と低い地域を作り上げる策だった。最初の案がダムを建築して川の流れをせき止めるものだとすれば、これは大きめの岩を川に放り込み、流れを多少変えてしまおうというものである。

 ダスクフレアの実体化候補地として挙げられたのは龍神川の上流域。
 山間部で周囲に人がいない地であること、『龍』の属性を持つダスクフレアと同じ名を持つこと、川というものが地球は日本を由来とする美酒町においては『龍』を象徴するものとされること、さらに、この近辺に湧いている龍神川温泉は龍に相性の良い性質のフレア波長を持つため、召喚の難易度を下げるためのフレア偏差を作り易い土地であったのだ。

 あさひたちが商店街をそぞろ歩いているのは、決して遊んでいるわけではない。データキューブをチックたちの下へ届け、計画の下準備を行っているところなのだ。無論、この近辺に施されるのは召喚、実体化を困難にするための術式である。
「そうそう、雪見さんにね、南の商店街にあるヤマナカ精肉店のコロッケが美味しいから食べてみなさいって教えてもらったんだよ」
「ああ、確かにヤマナカのコロッケはデカくて安くて美味いな」

 決して遊んでいるわけではないことを繰り返し記しておきたい。



[26553] 第三話『災厄、彼方より』⑩ 開封
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2013/08/18 01:45

Scene20 決戦場造成(偏差プラス)


 美酒町北西部。龍神川が本流と速水川に流れ込む支流に分かれる分岐点よりさらに北側の山中で、ラディカル☆スノウとイェトライロム教授は定められた作業をこなしていた。
 この近辺はダスクフレアの召喚地として予定されている地域である。つまり、ここで行われる作業は、あさひたちが商店街で行っていたように、予め指定された位置で待機して、術式の下準備をしているチックたちにデータキューブを配布するというものではあるが、その性質は真逆である。あさひたちの作業によって起こるフレア偏差がダスクフレアの実体化を阻害するものであるのに対し、こちらのそれはダスクフレアの実体化を補助するものだ。
 


「教授、ちょっと聞きたいことがあるんだけれど、いいかしら?」
 魔法淑女の衣装に身を包み、チック1号――イェトライロム教授を腕に抱えたラディカル☆スノウが森の木々の間を縫って走りながら問いかけた。
「うむ、なにかね?」
 簡潔、かつ鷹揚に答えを返した教授に向けて、それじゃあ、とスノウは言葉を続ける。
「ポーラちゃんはこれ以降、どこか安全な場所で別行動を取った方がいいんじゃないかしら」
「今まさにそうしていると思うのだが」
 まなじりを決して告げたスノウの台詞を、しかしさらりと受け流す教授。実際のところ、ポーラは二人から離れた場所にいる。山間部を駆け回って作業を行わなければならない都合上、身体能力に劣る彼女を連れて歩く事はよろしくないという判断がなされたためだ。ちなみにシャンパーゼもスノウの傍を離れて彼女と共にいた。かのマスコットに戦闘能力はないが、スノウへと瞬時に連絡を取るくらいの事は可能だ。そこを見込まれた連絡役である。
「そういうことじゃなくて。事態の収拾まで、危険の及ばない場所に遠ざけるべきじゃないかと思うの」
 そして、スノウが一歩踏み込んで更に言葉を作る。その声音は、通常の彼女よりも低く、硬い。教授からの答えはない。対するスノウは、教授に気取られないようにひっそりと深呼吸を一つ。心を固めて次なる言葉を放つ。
「戦力的に彼女は足手まといだって言ってるのよ、教授。実際、あの子を庇う事であなたは損傷を受けたわ。同じ事が次の戦いで起こらないという可能性はないでしょう。そして、それが致命的な事態を招かないという保障はないわ」


 いつの間にか足を止めて、腕に抱いている教授に向けて真剣な表情でスノウは訴えかけていた。一方の教授は、言うべき事を探すように三白眼のカメラアイをしばらくさまよわせた後、ため息と共にまずこう言った。
「すまないね。ありがとう、雪見君」
 スノウの喉もとで、息と息のぶつかったくぐもった音が鳴る。そのままもごもごと口をうごかしてから、諦めたように彼女も吐息を一つ。教授が運搬の邪魔にならないようにとボディに格納していた蛇腹関節のアームを展開し、自身を保持しているスノウの腕をぽんぽんと叩いた。
「わざわざ嫌われ役を買って出てくれた事と、ポーラのいないタイミングを見計らってくれた気遣いに感謝を贈ろう。シャンパーゼ君は君を称してコミュ障と言うが、なかなかどうして。過小評価ではないかと私は思うね」
「内弁慶なのよ。ある程度慣れた相手だと気が大きくなるのよね」
「気を許した相手とそうでない相手で対応に違いが出るのはごく自然な事だと思うがね」
「そりゃあまあ……ってそうじゃなくて!」
 自然に会話を続ける流れになっていたところで、スノウが素っ頓狂な声を上げた。
「だからポーラちゃんの話なんだってば!」
「おや、そうだったね。これは失礼」
 気炎をあげるスノウに、教授は悪びれた様子もなく目礼を送り、
「だがすまないね、雪見君。君の言葉が私とポーラを思ってくれてのことだとは承知しているが、私はポーラに対して『不要』の言葉を告げる訳にはいかないのだよ」
 落ち着いた口調でそう告げる教授に、しかしスノウは食い下がり、
「だから、いらないって言うわけじゃなくて、せめて事態が落ち着くまで――」
「雪見君」
 短い教授の一言に言葉を断ち切られた。
「繰り返して言うが、すまない。頑迷な物言いだという自覚はあるが、ここは私にとって譲れない一線でもあるのだ。ポーラ、彼女が――」
 そこで教授の言葉が途切れる。
 その原因は、突如として身を翻したスノウの挙動だ。教授が何ごとかと問うより早く、焦燥を顔に張り付けたスノウの口からその理由が零れ落ちた。
「シャンパーゼから連絡があったの。待機場所で限定的にダスクが顕現するわ。ポーラちゃんとあの小猿が危ない」


◆◆◆


 そこは、龍神川温泉から北北西に約2キロメートルの地点にある河原だった。くの字に曲がった渓流と、そのカーブの内側にたまった砂利によって形成された地形である。自動車を乗り付けられるような場所ではなく、そうそう人の入り込む場所ではないが、ポーラは今、そこにいた。
「今のところ、計器の反応は順調、そろそろ予定している偏差係数の七割に達しますよぅ」
「それは重畳だモン」
 ダスクフレアが召喚される際、触媒となるであろう龍神川周辺のフレア偏差のデータ監視をシャンパーゼとともに行っているのである。
「でも、計器を見てるだけって退屈ですよぅ」
「『シミュレート上の成功は確認されてても、生のデータをチェックしておかないと思わぬ落とし穴がある可能性は否定できない』というのはさっきポーラが僕に言った台詞だモン」
 思わずといった風情でポーラの口から零れた一言にシャンパーゼから突っ込みが入る。
「それはそうなんですけどぉ」
 分かってはいても退屈なのだ、と言い表すかのようにきゅっと唇を尖らせるポーラ。教授に置いて行かれたことを不満に思っているらしいことはシャンパーゼにも伺えた。
 だから、一声かけようとそう思った、その時だった。
「……あれぇ?」
 なんだかんだ言いつつも真面目に計器を見ていたポーラが疑問の声を挙げる。
「急に係数が上がって……? ううん、違いますぅ。これは……!?」
「どうしたモン?」
 ポーラの声に混じる切羽詰った色に、こちらも真剣な声音で問いを投げるシャンパーゼ。ポーラは計器から一瞬たりとも目を離さずにそれに答える。
「すぐに雪見さんに連絡をお願いしますですよぅ。ダスクフレアがこっちの召喚システムに便乗しようとしてますよぅ」
「……分かったモン。すぐに呼び戻すモン」
 シャンパーゼが数瞬の間瞑目し、それから雪見に連絡がついたことを告げる。ポーラは相変わらず計器とにらみ合ったままでそれに頷いた。
「仕込みの完成度が7割程度だった事に加えて、完成後にこちらからスイッチを入れるまでは発動しないようにシアルさんが調整を入れていたはずですよぅ。おそらくそこへ無理やりにねじ込んでいるので、実体化するにしても不完全なものになると思いますですよぅ」
 でも、と付け加えて、しかしそのままポーラは沈黙する。
 もっとも、彼女が飲み込んだ言葉の続きはシャンパーゼにも分かっていた。不完全だろうが一部分だろうが、ダスクフレアが顕現すれば、戦闘能力に乏しいこの一人と一匹では対抗する術などない。
 分かりきった事を口にして、恐怖を煽る事もない、というポーラの気遣いだ。だから、シャンパーゼは彼女の肩口にぴょんと飛び乗って、殊更に明るい声でこう言った。
「心配いらないモン! 雪見は割りと真剣にダメ人間ではあっても、この僕が美酒町の愛と希望を守るための魔法淑女と見込んだ存在だモン! すぐに教授も連れてここまでやってくるモン!」
 自分の肩口で飛び跳ねながら言い立てるシャンパーゼに一瞬視線を移して、ポーラはにっこりと笑ってみせた。
「はい、ありがとうですよぅ!」
 すぐに計器に目線を戻し、
「――来ますですよぅ!」
 固い声でそう告げるのと、全く同時だった。
 すぐそばの川面が一瞬にして黒く染まった。ちろちろと、蛍のように黒い水面から同じ色の火の粉が舞う。
 ざばり、と黒い水面から何かが身を起こす。否、川の流れそのものが、黒い龍となって鎌首をもたげたのだ。


 揺らめく炎のようであり、滴る水のようでもあるその姿、黒一色で構成されたその中にあってなお暗い瞳が視界に映った次の瞬間、ポーラは自分の意識が真っ黒な何かに飲まれてゆくのを感じ取っていた。
「ポーラ!? しっかりするモン!?」
 ひどく遠く、シャンパーゼの声を聞きながら、ポーラの意識は断ち切られる。テレビのスイッチが切れるようなその暗転の狭間、ポーラはどこか遠くで箱の開く音を聞いた。
 

 ――ああ、いやだ。それを見たくない。
 

 自分でも理由の分からない忌避が意識の埋没を防ぐ。が、それも束の間。彼女はすぐに自身の深淵に落ちてゆく。
 ぎしり、と鉄の擦れる音が聞こえていた。


◆◆◆


 教授の丸いボディを小脇に抱え、ラディカル☆スノウが駆ける。影のように木々の間を縫い、矢のような速度で一散に。
 シャンパーゼから送られてくる声が、逐一現場の状況を伝えてくる。
 限定的にそこに顕現したダスクフレア。それから一拍遅れて気を失ったポーラ。状況から察するに、風太郎が危惧していた精神汚染の類をダスクフレアが使用していること。
 焦りも悔いもスノウの中に強くあったが、それらを押し殺して地面を蹴る。今はただ、一秒でも早くポーラとシャンパーゼのもとへ辿り着かなくてはならない。


「前方50メートル、目標地点だ」
 今まで抱えられたまま一言も発しなかった教授の言葉。それに背を押されるようにしてスノウが加速した。変身することによって驚異的に高められている脚力が、50メートルの距離を一瞬でゼロにする。
 視界を埋めていた森の木々が途切れ、開けた河原に出た。高速で流れてゆく視界の端に、倒れこんでいるポーラとそのすぐ傍にいるシャンパーゼを確認し、それを見る。
 黒い龍。ダスクフレア。
 洞窟で見たときと同じく、炎のように全体を揺らめかせながらも、輪郭はよりはっきりとしている。頭部と首の一部のみで実体化しており、首周りの直径は川幅とほぼ同じ7メートルほど。
 そこまでを見て取って、スノウは砂利で構成された河原を足場の悪さなど微塵も感じさせることなく疾走する。その途中で抱えていた教授をふわりと空中に放り出す。ノールックで放られたパスの行き先はポーラのところだ。


「こんのおっ!」
 スノウが瞬きのうちに黒龍との間合いを詰めて、前進の勢いの全てを込めて震脚を踏む。足元の砂利が散弾のようにはじけ飛び、そしてそれを微塵も意に介することなく、全身のバネと震脚の反作用と赤いコロナの輝きの全てを存分に乗せたアッパーを黒龍のアゴにブチ込んだ。
 最高の威力が得られるとスノウが判断したインパクトのタイミングと同期して、大量の水を地面にぶちまけたような音が大きく響く。突き上げた拳の先から聞こえたその音源はスノウに打たれた場所から全体に震えを伝播させる黒流の頭部だ。
「ふっ!」
 呼気を鋭く吐き出して、次なる一撃に繋げようと体捌きを行うスノウの眼差しの向こう。
 川面から生えたような、スノウの一撃をあごに受けて仰け反っている黒龍の首が、ぶるりと震えた。否、震えたというより、スノウの拳が打ち込まれた一点から、水面に波紋が走るように、波打ってゆく。
 ――これは……?
 追撃を叩き込む予定だったスノウは、しかし一旦その手を緩めて様子見に回ることにする。
 時間にして、数秒の後。
 ばしゃり、と盛大な水音を響かせて黒龍の首は唐突に崩れ去る。その大半は触媒となった川の水へと戻り、龍神川は元の清浄な流れを取り戻していた。
 残心をとってそれから更に十数秒を川面に向かい合っていたスノウだったが、とりあえず現状で再びの実体化はなさそうだと判断し、構えを解いてくるりと振り返る。足場の悪い砂利の河原を滑るような足運びで駆け寄った先に、未だ意識を失ったままのポーラが横たわっている。
「教授、ポーラちゃんはどう?」
「少なくとも今分かる範囲では体に異常は見られないね。ただ――」
「あの黒龍が実体化してすぐにポーラが倒れたモン。おそらくは風太郎が言っていたような精神干渉だモン。僕は曲がりなりにも世界霊の端末だから影響を免れたようだモン」
 規則的な寝息をたててはいるものの、僅かに眉を寄せてうなされるような様子のポーラへと、探るような目線を向けたまま離すことなく教授とシャンパーゼが答える。
「……ごめんなさい。ポーラちゃんはアンドロイドだって言ってたから、多少はそっち方面にも強いかと思って油断があったわ」
「いや、雪見君の気にする事ではないよ。彼女に関することの全ての責任は私に帰るものなのだから」
 気遣わしげな、変身を解いていつもの姿に戻った雪見の言葉に、教授はやや固い声でそう返した。その物言いに雪見はどことはなしに違和感を覚えるものの、すぐにそれを意識の片隅に追いやった。ポーラがうっすらと目を開いたのを確認したからだ。


「ポーラちゃん!? 大丈夫だった?」
 まだどこかぼうっとした様子のポーラへ雪見が詰め寄る。
「あ、え……?」
 未だに意識がはっきりしない風のポーラは、差し込む陽光が眩しかったのか、体を横たえたまま右手を額の上にかざし、
「え、――?」
 そのままの姿勢で硬直する。
 ぱっちりと目を見開き、既に意識は覚醒している。ただ、その様子は尋常ではない。信じられない物を見るようにして、かざした自分の手をポーラは凝視している。
「ポ、ポーラちゃん、どうか――」
 したの、と続けようとした雪見の声を遮るように、
「いや、違うの。この手は違うのお父様! お願い、お願いします、切り落とさないで――!!」
 ポーラの口からあがった悲鳴混じりの金切り声が河原に響き、しかしそれもすぐに断ち切られる。それを為したのは、ポーラの首元に押し付けられた教授の人差し指。その先端から生じた、空気の抜けるような音だ。
 唐突に弛緩して再び気を失ったポーラの体を全身で教授が支え、突然の事態の移り変わりに目を白黒させている雪見に視線を飛ばし、人差し指を示してみせる。
「圧縮空気式の無針注射だよ。鎮静剤を打ち込んだので、今は眠っているだけだ」
「え、あ、そう……。あ、いえ、ええっと。そうじゃなくて、教授……?」
 未だに頭の中で自体の整理がついていない雪見が、ただぐるぐると渦巻く違和感のままに教授へと疑問の混じった目線を向ける。それを受ける丸いボディのメタプライムは、小さなため息を一つ漏らした。
「分かっているよ。おそらく潮時なのだろうね、これは」
 静かに言葉を作り、
「まずは一旦戻ろうではないかね。事態の説明も必要だし、召喚術式に多少の見直しが出てくる可能性もあるからね」
 ここまではいつも通りの平静な口調で語り、それから、
「色々と、説明せねばならないだろうしね」
 決意と、どこかに諦めの篭った口調でそう付け加えたのだった。



Scene21 とある伯爵令嬢についての挿話(前)


 結局のところ、教授と雪見の請け負っていた美酒町北西部でのフレア偏差を起こす作業はその工程を7割ほど消化したところで一度中断。中部から南部での作業を行っていたあさひ達に連絡を行い、一旦集合して話し合う事となった。


「申し訳ありません。私の失態です」
 ここ二日間のねぐらとなっている綾沢温泉郷のとある旅館、その一室に集まったカオスフレアたちの間で行われた情報交換のあと、そう言って神妙な様子でシアルが頭を下げた。
「ダスクが実体化しやすい環境を作れば、無理やりに向こうから実体化を試みる可能性も考慮はしていたのですが、話に聞くほど不完全な状態を押してそれを実行するとは考えていませんでした。重ねてお詫びいたします」
「こちらで術式を起動するまでは実体化を阻害する機能は組み込んであったんだろ?」
「無論だとも。だが、そこを強化しすぎてしまうと、本来の召喚、実体化機能に不具合が出かねない。アレは絶妙なバランスで組まれていたと私は思うがね」
 再び頭を下げるシアルに向けて、風太郎と教授が続けて声を掛ける。
「まあその辺の難しい話は教授とシアルちゃんで調整してもらう他ないんだけど――」
 テクニカルタームに入り込めない雪見がちらりと視線を脇に向けた。閉じられたふすまの向こう、そこに敷かれた布団には、眠ったままのポーラが横たえられている。否、旅館に戻ってから、看病するように傍にいた教授の前で一度目を覚ましはしたのだが、河原での場合と同じように錯乱状態にあったためにもう一度眠らせる処置が取られたのだ。
 横目にそのふすまを見ながら、雪見が重たげに口を開く。
「ねえ教授。やっぱりポーラちゃんは事態の解決まではどこかに遠ざけておくべきだと思うの」
 するりと雪見が目線を動かし、教授を照準する。彼女の言葉が弾丸として放たれる。
「彼女は自身をアンドロイドだと言ったわ。私は、それを根拠に彼女にある程度の自衛能力があるだろうと期待していたの。でも、河原での出来事を経た現在ではそれに首を傾げざるを得ないと思うの。事によっては、判断の根拠そのものに」
 

 場の誰もが口を噤む。しばしの静寂が全員の間を満たし、
「グレズを例に出すなら、機械生命に精神攻撃が通用しないかと言えば、それはノーなんだ」
 誰もが言葉を継ぎづらい沈黙が降りた部屋の中で、まず口火を切ったのは風太郎だった。
「もちろん、専用の対策を施されているなら話は別だけど、意思と自我――魂を持つに至った高度な機械は、それ故の様々なデメリットも当然のように受けることになる」
 風太郎が一旦言葉を切り、その場を見渡す。神妙な顔で聞き入っている者がほとんど。あさひだけが感慨深げにうんうんと頷いているのは、何か思い当たる事例があるのだろうと風太郎は頭の隅で判断する。
「だから、彼女がダスクの精神攻撃を受けて倒れた事は、何ら不自然な事ではないんだ」


「付け加えるなら」
 風太郎がひとつ息をついたところで、次にシアルが言葉を繋いだ。
「例えば私の場合、機体の構造は限りなくヒトに近づけてあります。これはアニマ・ムンディとして必要な仕様ですので、そのまま他の人型機械に当てはめる事が出来るかどうかはまた別の話になりますが――」
 言いながらシアルは制服のシャツの袖をまくり、ちゃぶ台の上で自身の腕を晒す。シミ一つ存在しない白磁の肌が開陳され、
「人間に使用できるような注射器の類は私に使用しても同じように効果があります。使用される薬液に関しても、仮に私のシステムを一時的に強制サスペンドさせるようなプログラムを載せたマイクロマシン溶液などを注射すれば、私を昏睡状態に陥らせる事も可能でしょう」
 シャツの袖を戻し、袖口のボタンを留めながらシアルはちらりと教授に視線を送る。彼女の横顔をすぐ傍で見ていたあさひだけが、そこに共感めいた何かを感じ取っていた。
「ですから、教授が鎮静剤の注射で彼女を眠らせたとしても、何も不自然な事ではありません」


 再びの沈黙。
 深呼吸一つ分のそれを挟んで、ちゃぶ台の上に鎮座していた教授は、その丸いボディを前に傾けてお辞儀している事を示す。
「これはどうやら、またしても気を遣わせてしまったようだね。まずはそこに感謝を示そうか」
 教授以外の面々が小さく苦笑したり肩をすくめたりするのを余所に、小さなメタプライムはボディの前傾を元に戻して話を続ける。
「おそらくは私がポーラのそばについているときに打ち合わせたのかな? 雪見君がポーラの身元に関する疑義を提示し、風太郎君とシアル君がその疑義を打ち消すような見解を持ち出す。私がポーラについて真実を語る呼び水とするには十分だし、仮に私が口を噤むとしても風太郎君とシアル君の言葉に便乗する事が可能だ。ポーラの安全を慮ってくれた彼女を遠ざける案についてもだが、雪見君に続けて損な役回りをさせてしまったことには実に申し訳ないことだね」
「――調査中にも思ったんだけど、そういうのは気付いても気付かないフリをするのが大人の対応なんじゃないかしら」
 せっかく年長者っぽいことをやってみたのに、と雪見が不機嫌そうにするのを、教授はくらくらとボディを揺らして笑う。
「いや、それは重ねて申し訳ない。ただ感謝を示したかっただけなのだよ。誓って他意はないとも」
 二人のやり取りで場の雰囲気がほんの少し柔らかくなる。その空気にやや名残惜しげな気配を漂わせながら、教授が居住まいを正した。
「では、話そうか。これは、アルビオンの都、ロンデニオンでの出来事。一人の伯爵令嬢と、一体のグレズ原初形態メタプライムついての話だ」


◆◆◆


 アルビオン連合王国――ひいてはオリジン地下世界における諸国家に関して、ある共通点が存在する。
 そこに住む人々のほぼ全てが獣相を持つという事。この獣相は、地下世界を守る女神による、悪魔に対するための加護の現れであると信じられていること。
 で、あるが故に、まれに存在する獣相を持たない人間は、女神の加護を持たない者、悪魔の使いとして時に迫害の対象となること。
 中には秋津島皇国のように獣相の現れる度合いが薄いせいもあってその辺りの意識がやや緩い国もあるが、それも程度の差というものであり、やはり根本の思想は変わらない。
 首都ロンデニオンが地下世界からオリジンの地上に転移してしまったアルビオンでも、それは当然変わらない。むしろ、貴族の間では獣相が濃く発現している者同士の婚姻が推奨されるように、獣相の濃さがそのまま高貴さの度合いとして考えられているフシも存在している。
 

 そんなアルビオンの、とある伯爵家にて、十数年前に一人の女児が誕生した。本来なら新しい命の誕生を言祝ぐべきその場に居合わせた人々は、しかし元気よく泣くその赤子を見て凍りついたという。
 彼女は獣相をまったく持たない、チェンジリングと呼ばれる存在だったからだ。


「その女の子は、伯爵家の別荘、その一室に隔離されて育つ事となった。貴族の面子というものもあったのだろうね。なかったことにする訳にもいかず、さりとて人前に出すわけにもいかず。表向きは病弱ゆえに静養しているということになっていたようだ」
 教授は、猫面のときであったなら頬ヒゲをしごくような動作をして、
「女の子がその頃何を思っていたのか、またその家族が彼女をどう思っていたのかは私の知るところではない。単に事実として彼女は幽閉されており、しかし、少なくとも衣食に不自由は全くなかったはずだ。また、調べた限りでは伯爵夫妻はそれなりの頻度で別荘を訪れていたそうだよ」
 まるで感情を感じさせない声でそう付け加え、教授の語りは続く。


 やがて時は流れ、女の子が12歳になった頃のこと。
 本来なら社交界にデビューを果たしてもおかしくない年頃の彼女だったが、別荘の一室における軟禁生活は継続されていた。
 女の子は、部屋を訪れる使用人から「お嬢様はご病気ですので、それが良くなるまではお外に出ることはご辛抱ください」と言い聞かせられていた。
 もう何年も何年もそうだった。ただただ頷いてそれを“諾”としてきた女の子は、その日、部屋を訪れた伯爵、自らの父にとある問いを投げかけた。
 それは長年の忍耐の末に零れ出てしまったものだったのか、それとも単なる気まぐれだったのか。
 どちらにせよ、それがきっかけであった事は間違いなかった。


 ――わたしの病気は、いつ治るの?


「伯爵は、大いに笑ったそうだよ。あまりに大きな声で長く続く笑い声に心配になった使用人が様子を見に来た頃、彼は部屋を出たという」
 教授は一旦言葉を切り、深々とため息をついてみせた。組んでいた手指をやや落ち着きなく組みなおし、一度天井を仰ぎ見て、
「朝食に混ぜられていた麻酔薬で意識を落とされた女の子が腕を切り落とされ、鉄の義手を付けられたのはそれから一週間後のことだった」
 何の色も感じさせない声でそう告げた。


 病弱だった伯爵令嬢の体調が快方に向かい、父親の仕事を見たいと強請った。伯爵は娘の願いを聞き入れ、経営に関わるとある工場へ連れてゆく。
 だが、そこで事故が起こる。伯爵令嬢が工作機械に誤って手を入れてしまい、彼女は両腕の肘から先を切断するという大怪我を負う事になるのだ。母親譲りの、美しい毛並みの獣相が顕れていた両腕を。
 ショックのあまりに再び寝込んでしまったという伯爵令嬢を見舞いに訪れた知り合いの貴族達に、伯爵は概ねそのように事情を語った。
 伯爵令嬢は別荘の一室で黙したまま何も語らなかった。麻酔で朦朧とした意識の中、それでも自身の腕が切り落とされる様を彼女は目にしていたはずなのに。


 さらに2年が過ぎた頃。
 地上に転移したロンデニオンとアルビオン本国を繋ぐ巨大エレベーター『塔』が完成した頃。
 バシレイア動乱が起こり、グレズの一部が自我を持った頃だ。
 一体のグレズが原初形態メタプライムとして起動した。
 そのグレズは、もとは地下世界で調和のために活動するグレズ、アルビオンにおいてはフィーンドと呼ばれるものの一つに搭載されていたグレズコアだった。ボディを破壊され、例えば動物、例えば浮浪者、例えば雨風。そういったものに運ばれ、ロンデニオンに流れ着いていた物だった。


 周囲のガラクタを寄せ集め、グレズコアの能力でそれらを自身のボディとして構築した彼は、ロンデニオンの町を彷徨った。
 何のために? 
 メタプライムの本能とでも言うべき衝動に従い、それを果たすために。
 ヒトを幸せにすること。
 グレズがそもそもの始めに抱えていた命題を果たそうとする魂の方向性プログラム。それゆえの“原初”形態なのだ。
 とは言え、経験の蓄積がまだ足りていなかった彼には、幸福の定義が難しかった。
 彼は考えた。考えて考えて、考えすぎて熱暴走を起こしかけ、あわやシステムダウンを起こすところだった。
 だがやはり明確な回答ははじき出せなかった。
 故に、まずは心身の健康が脅かされていない事を基準として定める。小難しい事はおいおい理解してゆく事にした。


 ひとまずの方針を定めたその時、彼はあまり人気のない邸宅の片隅で、庭木の茂みに身を隠していた。ロンデニオンの人々が機械生命に悪印象を抱いていることは理解している。かつての自身を含めたフィーンドたちの地下世界での攻勢は、実に苛烈であったから。
 だから、彼は中に住むヒトも少なく、訪れるヒトは更に少ない、しかし広さはそれなりにあるこの邸宅の庭に間借りして身を隠していたのだった。
 そして、そこで彼は見つけたのだ。心身の健康がまさに脅かされている一人の少女を。


 彼女には生身の両手がなく、その代わりに超科学の産物たるグレズである彼からすれば実にローテクな義手を取り付けていた。が、それは彼からすれば身体の健康が害されているうちには入らない。欠損した肉体を機械で補う事は実に合理的である。技術的には改善の余地が大いに目立ってはいるものの、思想としては全く問題はない。
 彼女をしばらく観察した上で彼が問題であると判断したのは、少女の精神状態と、そこから来る身体のゆっくりとした衰弱である。
 一般的に彼女と同年齢の少女に見られる喜怒哀楽の感情の揺れ幅が、彼女にはほとんど見られない。
 彼の解釈するところ、入力された事象に対して精神が肉体をツールとして何らかの出力を返すというのは、それぞれの製品個性として表現の幅は存在すれど、ヒトの仕様であるはずなのだ。
 だが、彼女においてはどうもそれすらも怪しい。外部から計測した脳波や心拍、発汗、眼球運動etc.のデータからもそれは裏付けられている。これは自身に置きなおしたなら、中枢制御系にpingを打ったら何割か返ってこなかったくらいの事態だと彼は判断した。
 分かりやすく言えば、ヒトとしての機能の根幹に関わる異常を彼女が抱えつつあると彼は考えたのだ。


 彼は、観察から接触へと行動パターンを切り替えた。無論、少女以外に見つかることは無いよう、細心の注意を払った上で、である。
 ロンデニオンの技術レベルにおいて、自律する機械というのは相当に珍しい。また、フィーンドの脅威に晒されている影響で、そういった機械生命に対する精神的な溝は、かなり深く広いものとなっているはずだった。
 その辺りを考慮に入れて、少女が驚いたり怖がったりする事すらも期待値に含めた彼の思惑は、しかし的を外す事となった。
 全く感情の色が見えない無表情のままで、少女は彼に向かってこう尋ねたのだ。

 ――妖精さんですか?

 もともとアルビオンにおいては、民間伝承に多くの妖精の存在が伝えられている。もっとも、オリジン地上世界では親しまれている魔法も地下世界では一部を除いて眉に唾して語られるものであり、妖精というのも人々の夢想の中の存在と考えられている。
 別荘の小さな一室から出ることを今まで許されてこなかったその少女は、いつの間にか自身の部屋に入り込んできたその丸っこい物体を、絵本や童話の世界の住人である妖精だと思ったのだった。


 まずこのことは明示しておく。
 彼は少女の弁をきっぱりと否定したのだ。
 妖精ではなく、機械生命体であると。機械生命について全く知識が無かったために、やはり無感情のままで首を傾げる少女に、根気強く、しかし怖がらせる事のないように配慮して慎重に主張した。


 二時間に及ぶ説得の結果、少女からの彼への呼び名は『機械の妖精さん』で確定した。世の中には理屈の通じない相手がいるのだと彼に学習させた二時間であった。行動の隠密性を維持するため、その日の面会はそこで切り上げて部屋を去る彼の丸い背中はどこか陰を背負ったものだった。






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