口の中に広がる血の味と生肉の感触。
この姿になってから何度も経験しているがどうにも慣れなくて困る。
首を噛みちぎられた大人の人間より一回り大きく毛むくじゃらの体、
振われるだけで木が倒れる威力をもつ太い腕、ケモノらしからぬ2足歩行の太い足。
久しぶりのエモノを前に待ち切れないのか口からだらしなく涎が流れ黄ばんだ歯が覗く。
そしてなにより強い獣臭さ。
ヒトにとって侮ることのできないモンスター【トロール】
それが俺と御主人の前にまだ2体もいる。
一番初めに襲いかかってきた1体はたった今俺が喉笛を噛みちぎってやったことで、モノ言わぬ死体となっているが・・・
小雪の舞う森林の中。
足元が白く地面の色が見えぬほど雪は積もり、御主人の動きはいつもより鈍い。
チラリとその御主人を見れば
彼女は護身ナイフの【ファミエルの加護】を抜きかまえてはいるものの
御主人の細腕で自分より大きなトロールを相手にするには頼りない。
しかも彼女は【精霊使い】だ。
接近戦をした経験なんて数少ない。更にいえば腰が引けてしまっている。
少々深めになっているローブのせいで表情まではわからないが口元から漏れる白い吐息が多いあたり緊張しているのであろう。
おそらく多少パニックにもなっているんじゃなかろうか?
冬場にトロールと出会うというのは2つの黄身が入った卵を引き当てることぐらい運が悪かったことなのだから御主人のパニックも仕方ない。
しかし、御主人の肝心の武器である精霊魔法の祝詞も口ずさんでいない現状のまま固まっていられるのもマズイ。
無駄にプライドの高い御主人のことだ、ここで「御主人」とか「祝詞を」なんて声をかければ
状況を考慮せず俺に全ての意識を向けてしまうだろう。
敵を前にして俺に意識を向けるという愚行を我が御主人はしてしまうであろう事を
簡単に予想できてしまうあたり俺もだいぶ御主人との戦闘に慣れてきたものだ。。
そこで俺は四肢に力を込めて口を開き1体を噛み殺した牙をわざとみせる。
ヒトだったらここで躊躇するだろうが、トロール程度の知能ではなんとも思わないらしい。
怯えて逃げてくれればよいと思っていたが考えが甘かった。
まぁ、本来の目的ではないからいいのだが・・・ちょっと癪だ。
そんな些細な感情を片隅に追いやり、口を空に向けて出来うる大きさの声で吼えた。
この俺の声で御主人も固まっていた意識を取り戻すだろう。
吼えてる最中にトロールどもが動くかとも思ったがそれもなかった。
奴らは鼻息荒くこちらを警戒したまま動かない。
吼えたことにより2体とも俺に意識が移ったことを視線から理解する。
御主人のほうは固まっていた意識が戻ったらしく小さな声で祝詞を唱えているのが聞こえる。
これでいい。そう思った時
ボスッ
と、どこかの木の雪が地面に落ちたらしい音がした。
力を込めていた四肢が雪の地面を踏みしめ意識するより早く、トロールに向かって走り出した。
トロールのほうも音で動いたようだが、スピードで俺に鈍重なトロールが勝てるはずがない。
俺に近い方のトロールに素早く走りよると鈍重ながらも太く重い腕を上から叩きつけてくる。
が、その腕が下ろされるより先に俺は腕の届かない横へ避けてその無防備な首へと口を広げ噛みついた。
最後の1体の痙攣が止まることを確認した俺はトロールの汚い血を吐き出しながら、口を首から離した。
厄介な敵は全部倒したが先ほど吠えていることもあり一度周りを警戒する。
とりあえず大丈夫らしい。それからようやく御主人のほうを見れば・・・
足元に精霊陣が光で描かれ御主人の周囲を光の球がいくつか浮かんでいる。
どうやら精霊魔法の準備が全部整っていたらしい。
「こらっ!犬!!私が一撃で消し炭に変えてやろうとしたのに終わらせるなんてどういうことよ!」
御主人はどうやら俺が先に片づけてしまったことが気に食わないらしい。
御主人がかぶっていたフードを取り歩き出すと、精霊陣を出たところで先ほどまでの光も消えた。
そして肩にかかる長さのブラウンの髪が現われ、大人っぽく整った目鼻立ちながら少女らしい幼さを併せ持つ成長期らしい顔立ちと
ぱっちりとした青い瞳が俺をまっすぐにとらえてきた。
ちかい将来、大人の女になれば異性の誰もが振りかえりそうな綺麗なヒトになるであろう彼女が
眉間にしわよせて怒ってますとしている姿はなんとも・・・
「・・・かわいらしいだけで恐くないな。」
「なんですって!?バカ犬!!」
思わず声に出てしまったらしい。思わず漏れた言葉で御主人を更に怒らせてしまったようだ。
とりあえずの危険はないし、御主人の機嫌を元に戻すことに専念しようと思い
死んだトロールの傍から離れてお怒りモードの御主人のもとへ歩み寄る。
「申し訳ない。御主人の負担になる前に倒した方がよいかと思ったのでな」
そう言い訳を言い終える前に御主人は膝をついて俺の首に抱きしめてきた。
御主人は俺の白い体毛に顔をうずめてきた。
最近とみに主張し始めた女性らしい部位が当たっているんだが・・・
「・・・心配させないでよ。バカ犬」
ちょっと涙声でそう呟かれては俺としても何も言えない。
ただ御主人の気がすむまでもうしばらくこのままの状態を保てばいいだけだ。
ただ、先ほどの戦闘で御主人に心配をかけたことをフォローしようと一言だけかけてみる。
「問題ない。御主人を残して俺が先に逝く筈なかろう。」
「少しは気のきいたこと言いなさいよ。バカ犬。」
厳密には犬ではなく狼なのだが、そこにツッコむのも今更なので聞き流しておく。
御主人である彼女と狼の守護獣である俺の付き合いはそれなりに長い。
それこそ御主人の女性らしい部分が自己主張し始める前のまったいらなと・・・
「バカ犬、なんか変なこと考えてない?」
抱きしめていた状態から顔だけ離し、ジト目でこちらをみる。
いつの間に御主人は読心術なんて覚えたのだろうか?
おまけに俺のフォローは気がきいてないとバッサリ切られてしまった。
しばらくの間ジト目でいた彼女はふとその目をやめると先ほどとうって変わり優しい目をして頭を撫でてきた。
その優しい目と慣れ親しんだ触り方が心地よく思わず目を細めてしまう。
「ありがとう。アル。」
「・・・どういたしまして。御主人」
「ここは名前で呼ぶとこでしょうが、バカ犬。」
ほんの一瞬前までの柔らかな表情がまた不機嫌そうなジト目に戻ってしまう。
どうやらまた彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。
しかし、また微笑んで頭をひと撫でだけしてから立ち上がった御主人はどこかまた機嫌が良さそうだった。
「さぁ、アル!いくよ!もうすぐ次の街よ!」
オンナゴコロというのはいつになってもわからないものだ。
そう心中で何度目になるともしれない結論を締めくくってから俺も身体についた雪を震わせることで落とす。
前を歩き始めた御主人の横に寄り添い歩調を合わせる。
降り続いていた小雪も今はもう降っていない。
サクサクと御主人の歩く音だけが響く。
次の街では火の通った肉が食いたい。と願望をいだきながら御主人と俺はただ前に進む。