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[25905] escape 【現代伝奇】【完結】
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2012/01/01 21:25
 こちらで時々投稿させて貰っている或る物書きです。

 私生活で色々あってもういいやって気分になったので長編をこちらで投稿させてもらおうと思いました。少々の書き溜めはありますが、何分わたしが遅筆なもので完結までにかなりの時間がかかると思います。ですが、終わりまで見えているので完結は出来ると思います。

 それではお付き合いください。皆様が楽しんでくれることを願って。




[25905] prologue
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/08 23:29
……ジジ………………ザアザアザア……………ガザ……………
―――――――――――――――ガジ―――――ザザザザ―――――――――ザザッ
……………………ジジ…………………ザ……………………
――――――――ジュジ―――ジャア―――――――――――――――ガジガジ――――



 幾つものノイズが脳内に響く。縦横無尽に走る、蹂躙する、突き刺していく。
 まるで頭の中、頭蓋骨の内側、脳髄にコーラを直接注入されたみたいに気持ち悪い。

 それがあんまりにも気持ち悪いものだからラジオのチューナーをぐりぐりと回して調節する。けれども、いくら調節してもこのノイズは一向に収まらない。


―――――ボ―ポ―――――――――ジジジジ――――――ガッ―――――――――――
…………………………………ブーーーーン……ギジギジ…………………
―――ガザザザザ――――――――――――――――――――ジュジジジ――――――
…………ジアザイジア………………ギジバ……………………………ジジョジョジョ………
――――――aktus98fioaej――――――――――――――gajfuidasjfaio――――――――
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::nuzannetonusanatoka::::::::aajgfioaf::::::::::::::::::::vasijhfvoiaskjifous;:::::::::


それどころか余計にノイズが激しくなった。なんとかしようと一生懸命チューナーを回し続けていたら、ついにラジオ(頭脳)は壊れてしまった。



[25905] 1-1
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/10 00:57
         1


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

 最近流行りのクールビズなんて無関係そうにいかにも暑そうなスーツを着ているサラリーマンのおじさん。興味深そうにこっちを見てくる男数人のグループ。夏休みを利用してデートに行くカップルたち。幾つもの視線があたしに突き刺さる。

 けれどもあたしは走る足を止めない。

まったく今日はなんてツイてないんだろう。

 人通りの多い、街のメインストリートと言うべき道を走りながら、心の中で盛大な溜息をつく。



 八月中旬の午前中、まだまだ受験とは無関係でいられる高校二年生、特に部活に参加していなかったあたしにとっては特別暇な時間帯。

 人によってはそろそろ受験勉強を考えた方がいいよ、と言うかもしれないけど、流石にイマイチ勉強やる気がなく、また友達はみんな部活で忙しいため遊びにも行く気がしない。

 普段ならパソコンでネットでもやるところだけれども、ここのところずっとそればかりで飽きてしまった。
 だから今日は気分転換に、一人で街をぷらぷら目的もなく歩いてみようと思ったのだ。それにデパートに寄ればクーラーが効いてて涼しいし。

 そんなわけであたしなりのちょっとだけオシャレして街へ繰り出した。



「ねぇ、キミ一人? もしよかったら一緒にお昼でも食べない?」

 なんてナンパに使い古された言葉を急に背後からかけられたあたしはビクンッと肩が跳ね上がる。

 正直今までナンパなんてされたことなんてなかったあたしは、心持ちビクビクしながらゆっくりと振り返る。

 声をかけてきたのは派手な茶髪に、腕に髑髏やらなにやら色々な刺青(タトゥー)を刻んだどこかアブナそうな雰囲気の若い男の人。なんでか知らないけれどもどこか面倒臭そうに顔を歪めてる。

 正直言ってあたしは完全にこの男をドン引きしていた。


 どこにでもいるマジメな女子高生を自称するあたしにとって、まさかこういった不良チックな男にナンパされるだなんて完全な予想外。思わずうろたえてしまった。

 どうやら目の前のナンパ男は、いつまでたってもあうあうとうろたえるばかりでなんのアクションを起こさないあたしにイラッときたみたい。

 チッと舌打ち一つ、ナンパ男は乱暴な手つきであたしの左腕を掴む。

「だーメンドクセェ! いいからテメェはコッチに来ればいいんだよ!」

 グイッと男らしい力強く引っ張るナンパ男に、あたしの頭は一瞬で真っ白になる。

「は、離してください!」

「ウッセェ、このクソアマ!」

 最初に声をかけられた時に感じた丁寧さは微塵もない、乱暴な口調。そしてグイグイわたしの左手引っ張るナンパ男改め暴力男(サイテーヤロウ)。

「あーもう、離してって言ってるでしょ!」

 このしつこさとウザさにブチギレたあたしは、このサイテーヤロウの顔面に懇親のパンチをお見舞いしてやった。

「ぐわっ!」

 バゴンッという快音。あたしはクリーンヒットを確信すると同時に、おー……、という野次馬(ギャラリー)たちの歓声が聞こえてくる。

 どうやらいつのまにかかなりの人数のギャラリーがいたみたい。耳に届く歓声は一つ二つじゃなかった。

 確かに真昼間の大通りで(あたしにとっては物凄く不本意だけれども)痴話喧嘩が行われていたら、嫌でも人々の注目を集める。気持ちはわかる、気持ちはわかるけれども被害者(コッチ)のことも考えて欲しい……。

 顔面を殴ったお陰であたしの左手の拘束は解かれた。今は急いで目の前で顔を押さえ蹲ってるサイテーヤロウから逃げないと……。

「待ちやがれ!」

 後ろの方からドロドロのマグマのような怒りの怒声が聞こえる。

「………………ヤバ」

 走っているから顔こそ見えないが、おそらくあのサイテーヤロウの額には漫画みたいな青筋が浮かんでいるだろう。流石に捕まったらヤバそうだ。あたしは全速力で走りだした。


 高層ビルと高層ビルの隙間、感覚にして三メートルくらいの表の社会から切り離された別世界。外の明るさと無縁の、暗い路地裏の中央部分であたしはへたり込む。

 わざわざ路地裏なんかに逃げ込まなくたって、普通に人ごみに紛れてやり過ごせっていう奴がいるかもしれない。

 確かにあたしもそれは思った。けれども紛れこもうとするとまるでモーゼの十戒のように人ごみが割れたのだ。そんな中でどうやって紛れろっていうのよ!

「さ、流石にここまで来たら、大丈、夫よね?」

 大きく肩で息をしながらあたしは呟く。

 なんの確証もない、ただの希望的観測にすぎないけれども、今はその幻想にすがりついていたい。流石にちょっと、疲れた……。

 ようやく息が整いだした5分後、コツンコツンと何人かの足音が聞こえてくる。

 まさかあのサイテーヤロウ? とちょっとビクビクしながら足音の方向を見る。

 そこにはこの真夏にも関わらず、ビシッとした黒いスーツにサングラスをかけたいかにもエージェントって雰囲気の屈強そうな男の人たち。

 彼らが路地裏を進む。同時に後ろからも足音が聞こえ、思わず振り返ると同じようなエージェントがいた。

「えぇっ? ちょっ、なにこれ? どうなってんの」

 あまりの急展開にあたしの脳みそが追い付かない。い、一体どこの世界にこんな
展開を予想できる人間がいるというのだろうか、いやいない(反語の句法)。

 自分でもイイカンジにテンパッてきてるのを自覚した時にはもう遅く、エージェントたちはこの狭い路地裏からあたしを逃がさないように取り囲んでいた。

「え、えっと………、あ、あたしになにか用ですか?」

 この一種異様な雰囲気と、エージェントたちの無言のプレッシャーに押し動かされ、思わず一人だけグラサンをかけていない細身のエージェントに尋ねる。

「桐原、美鈴さまですね? 我々と同行していただけないでしょうか?」



 ……………………………神様、あたしが一体なにをしたぁ!




[25905] 1-2
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/09 15:53
         2


 ここは、一体どこなのだろうか。

 目覚めたばかりなのに、いやにはっきりとした瞳を周囲に向ける。……どうやらここは路地裏らしい。薄黒いコンクリートに囲まれた、華やかな表の世界と隔絶された誰も通らない小道。

 なぜ自分はこんなところにいるのだろうか。それに自分にはなにか重要な役目があったはずなのだが、どうしても思い出すことが出来ない。

 思い出すことが出来るのは自分の名前、自分の持つチカラ。

 なにかアクションを起こす気力がわかなくて、そのまま路地裏に座り込んでいると、センサーに一人の人間が引っかかる。

 まさか自分以外の人間がこんな薄汚れた路地裏にやってくるなんて。

 好奇心に駆られ、路地裏に入ってきた人間を覗き見る。

 それは十代半ば、おそらく十六、七くらいの髪の毛を両サイドで結った活発そうな少女。なにかに追われているのか、必死の形相で走りつつも時々後ろを振り返る。

 何故だろう、自分はこの少女のことを知っている。どこかで見たことがある。

 そう思った矢先のことだった。

「ガアァッ!」

 不意意に脳内を駆け巡る痛み。激しい頭痛がおれを襲う。

「な、なんだこれは………」

 頭を抱える。言いようのない激痛。そしておれは…………。



         *




 いきなり見知らぬエージェントに、同行してくださいなんて言われてもわけがわからない。まあそれが、どこぞの社長の娘だったり、どこかの国の貴族の女の子だったらわかるんだけれど、そこら辺にゴロゴロ転がってるくらいなんの変哲もない女子高生であるあたしをわざわざエージェントが誘拐するメリットなんてない。

 頭の中はあまりの急展開すぎてぐるぐると混乱しているけれども、なんとか声を絞り出す。

「え、えっと……、これって拒否権ありますか?」

 細身のエージェントはヤレヤレとでも言いたげな表情で溜息をつき、肩を竦める。

「ふぅ、おとなしく同行願えませんか? こちらとしてもあまり手荒なことはしたくないので」

 あくまで人の良さそうな笑みで、けれどもそこには有無を言わせない迫力があった。

 …………あたしにはわかってしまった。このエージェントはもしあたしがこいつらと一緒に行かないと言ったら、確実にその温和そうな顔を歪め、有無を言わせぬ暴力で無理矢理あたしをどこかに連れ込むだろう。

 これはただの脅しじゃない。あたしがこのエージェントの言葉を拒絶したらおこる未来。

 周囲を見る。あたしを逃がさないように前と後ろ三人ずつ、合計六人のエージェントがいる。ここは表と隔絶された暗く狭い路地裏。たとえここで大声をあげて助けを求めたとしても、表の喧噪にかき消され届くことはない。

 絶体絶命、誰が見ても絶対絶命の状況。ガクガクと膝が震える。

 こいつらエージェントの言うことを聞いて大人しくついて行ったとして命の保証はない。もしかしたら数年前日本のニュースを騒がせた拉致事件のように言葉もわからないどこ遠い国に連れて行かれるのかもしれない。

 恐怖。あたしのこれからのことに対する恐怖。けれどもこのエージェント達に自分が怯えている姿を見せるのは、そう、なんというかシャクだった。

 あたしは震える身体を誤魔化すようにキッと睨みつけてやる。

 それを受けサディスティックに笑う細身のエージェント。

 その瞬間あたしは視界の端に人影を捉えた。

「えっ…………………………」

 エージェントの後ろ、数メートル先。ゆらりと立ち上がる一人の男。エージェントのようにスーツというわけではないが、全身真っ黒な服。一九十センチはありそうな長身に、スラリとした体型はどこかのモデルみたいだ。

 この謎の男があたしの方へゆっくりと歩いてくる。

 さっきまで話していたエージェントはあたしの視線が自分に向いてない、正確にいえばその後ろに向いていることを訝しむように後ろを振り向く。

「なあぁっ、貴様は!」

 エージェントは驚きの表情を浮かべる。それと同時に懐に手を入れなにかを取り出そうとしたとたん、さっきまでゆっくりと歩いていた男が猛スピードでエージェントに迫る。

 エージェントが取り出したのはこの平和な日本でまず見かけない一丁の拳銃。

 あたしが拳銃についてなにか思うよりも速く、エージェントは謎の男に照準を合わせる。そしてトリガーに手をかけた瞬間、男の蹴りが拳銃を空高く弾き飛ばしていた。

 そして男はそのまま細身のエージェントの鳩尾に強烈な肘打ちを叩き込み昏倒させると同時に、控えていた二人のエージェントをそれぞれ顎に一撃与えてノックアウトさせる。

「チィッ!」

 背後から舌打ちが聞こえ、グイッと大きな指で襟元を掴まれ後ろに引っ張られる。

 そういえば後ろにも三人のエージェントがいたのを忘れてた!

 あたしを引っ張りながら、がっちりとした体型のエージェントたちは懐から拳銃を取り出し……。

「キャアァッ!」

 あたしはこの後の惨劇を予想し、思わず目を瞑る。

 ダダンッ! と、くぐもった三つの銃声。

 さっきエージェントと戦った男はどうなったんだろう。生きているのだろうか、それとも…………。

 目を瞑り、蹲る。あたしにはどうしても目を開け、目の前の光景を見ることが出来なかった。


「大丈夫だ」


 しばらくたってぶっきらぼうな口調とともにポンとあたしの頭に誰かの手が置かれる。

 恐る恐る瞳を開けると、そこにはさっきの男の人がいた。

「えっ、あのエージェント達は?」

 急いでキョロキョロと周囲を見渡すと、いつのまにか最初にあたしに話しかけた細身の人以外のエージェントがいなくなっていた。

 まさか殺した………ちょっと待って。

 あたしは自分の考えを即座に否定する。

 もし目の前のこの男の人がエージェント達を殺したなら、見たくないけど死体が転がっているハズ。けれどもそれがないってどういうことなのだろう。

 ふと気がつけば神社にあるような御札がヒラヒラと空を舞っていた。なんでこんなものが宙を舞っていたのか考えようとした瞬間男の人に腕を引っ張られる。

「ここは危ない。急いで表通りに出るぞ」

 確かにいつまでもこの路地裏にいたら、またさっきのようなエージェントが現れるかもしれない。けれどもあたしはこの男の人について行ってもいいのか。

 一応エージェントからあたしを助けてくれたとはいえ、これまでのことがあるんだ。ホントにこの男を信用してついていっていいのだろうか………。

「確かにキミのその反応は正しい。今はまだ信用して貰えないと思うがおれはキミの味方だ。今キミが置かれている状況を簡単に説明したい。そのためにも急いでここから抜けたいのだが」

「……………わかった」

 あたしはこの男の言葉にしばらくの間があったとはいえ、頷く。

 女の勘てやつだけど、目の前のこの男はさっきのエージェントとは違いあたしに危害を加える気なんてなさそうだ。

 それにこの男が言う通り、この路地裏から急いで抜けた方がいいっていうのも一理あるし。

「それじゃあ行くぞ」

 あたしは光溢れる表通りへ向かい、歩き始めた。




 あとがき

 しばらくは一日一回更新が出来そうです



[25905] 1-3
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/10 01:03
        3


店内に流れる一昔前のJポップ。そこそこ流行った曲で、あたし自身テレビとかで何度も聞いたこともあるし、カラオケで何回か歌ったこともある。

けど不思議なことにどうしても曲名が思い出せない。サビの部分だったら口ずさむことも出来るのになんでだろ。

………………………わかってる。

あたしは目の前の一向に変わることのない仏頂面を見て、聞こえるようにわざとらしく溜息をつくも目の前の男の表情は変わらない。

まったく、あたしの身になにが起こっているのか説明するんじゃなかったの。
心の中で悪態を吐くけど、それは言葉に出ることはなかった。なんというか、その……あんまりにも仏頂面すぎて、話しかけ辛いのだ。


エージェントたちに襲われた路地裏から出たあたしは、あたしを助けてくれた男から事情を聞くために、行きつけの喫茶店《forest》へむかった。

この『forest』という店は、あたしのとっておきの店である。店内の薄暗さは心を落ち着けてくれるし、なにより料理がとてもおいしいのだ。

本当は気心の知れた友達にしか誘わないような店なんだけど、今回は事情が事情ということで仕方なくこの男を招待することにした。

ランチタイムの終わり頃なだけあって店内に客はそれなりにいるけれども、満席というほど混んでなく窓際の席に座ることが出来た。

そこからバイトの女の人に注文して料理を待っている間の十分間、目の前の男は一切喋らないし、表情を変えなかった。いや、そもそも今まで目の前の男が表情を変えたことがあっただろうか。

あたしはもう一度溜息をつくと、目の前の男の顔を観察する。

全てに油断なく見つめる切れ長の目にシャープな顎のライン。充分に整った顔立ちとスラリとした体型はモデルでもやってけそうだけど、その仏頂面が全てを台無しにしてる。

あたしはハァともう一度溜息をつくと、さっき注文を取った女の人が二人分の料理を持ってきた。

「失礼します。こちらサンドウィッチと、ドリアでございます。ご注文の品は以上でよろしいですか?」

あたしがこくんと頷くと、女の人は失礼しましたと言って戻っていった。

「すまない。ようやく考えが纏まった」

 あたしが注文したサンドイッチを食べようとした時に、今まで話さなかった男が口を開いた。

 ……今まで喋らなかったのって、ただ単に何から話せばいいのかわかんなかったからなのね。

「まずおれの名前はタクト。君のおじいさんから依頼を受け、君の身辺警護を任された者だ」

「おじいちゃんが!」

 頬張っていたサンドウィッチを急いで飲み込んで、思わずタクトと名乗った男に聞き返してしまう。

「そうだ。一ヶ月前に正式に依頼がきた。迫りくる脅威から君を守って欲しい、と」

「迫りくる脅威って?」

 ごくりと生唾を飲み込みながら、タクトに聞く。

「すまない。今はまだ答えられない。一部記憶が失われている部分がある。それが戻れば答えられるかもしれないが……」

「ちょっと待って! つまりタクトは今記憶喪失ってことなの?」

 さらりと言われた重要事項。どうやらこの男は記憶を失っているらしい。

「ああ。だが安心しろ。君を守るという仕事にこれ以上の支障は出ない」

 タクトのその言葉にあたしは思わず背筋が冷たくなった。タクトの表情は相変わらずの仏頂面でイマイチ感情とか読めないけど、その口調から彼自身が記憶を失ったということをまったく気にしていないということがわかってしまった。

 普通記憶喪失になったら、失われた自分の記憶を取り戻すことを第一と考えるはず。それなのに、タクトはそれよりも仕事のことを優先しているように感じるのだ。

 なぜかそれが怖くてあたしはタクトに尋ねる。

「ねぇ、自分の記憶を取り戻そうとは考えないの?」

「いや、失われた記憶は一部のみ。おそらくささいなきっかけで残りの記憶も戻るだろう」

「…………………そう」

 なんとなく気まずくなってあたしは、それを誤魔化すように残ったサンドウィッチを食べる。それを見てタクトも同じようにドリアを食べる。
 
 それはあたしがサンドウィッチを全て食べ終わったときだった。おそらく空気を読んだんだろう、タクトは口を開く。

「さて、事前に君に説明しなければならないことがある」

 あたしは食後の紅茶を口に含みながら、けれども真剣にタクトの言葉に集中する。

「まずこの世界には世間一般にいう超能力者、魔法使いが実在する」

 …………思わず紅茶を噴き出さなかったあたしを褒めて欲しい。

 心を落ち着けるようにゆっくりと口の中の紅茶を飲み込む。

 さっきのエージェントにも驚いたけど、今回のタクトのトンデモ発言にも同じくらい驚いた。だって超能力者に魔法使いだよ? そんなのフィクションの中だけの存在じゃない。エージェントたちだって十分フィクションの世界の住人といえるけど、大統領とかの護衛もあんな感じだしあり得ないことはない。でも魔法と超能力はさすがにない。

「ああ。君のその反応は正常だ。むしろここで素直に認めた方がよっぽどおかしい。だがこれはれっきとした事実で、かくいうおれも超能力者だ」

 本日何度目かの衝撃的事実。どうやらあたしを助けてくれた男の人は超能力者らしい。神様、ホントあたしが一体なにしたんだろう?

「ゴメン、さすがにそれは信じられない」

 困惑しすぎて頭が痛くなってくる。こめかみを押さえながら説明出来ない色んな気持ちがごちゃまぜになった言葉を呟く。

「まあそれが当然の反応だろう。面倒だから話を進めるぞ。おれの能力の名前は空間把握。おれの身体を中心として半径四メートルまでの物事を完璧に把握することができる」

 えっと、急にそんなことを言われてもイメージ出来ないし、そもそも超能力や魔法があるって信じたわけじゃないんだけど。

「証拠を見せよう」

 そういってタクトは財布から百円玉を取り出してあたしに手渡す。

「この百円硬貨を机の下でおれに見えないように左右どちらかの手で隠せ。おれはそれを確実に当てることが出来る」

 あたしは渡された百円を言われた通り、タクトから見えないように机の下で左右どちらかの手の中に隠す。

「じゃあ今あたしのどっちの手に百円入ってる?」



 結論から言うと、三回やって三回ともタクトは百円玉がある方の手を当てた。

「これで少しは信じる気になったか?」

「まだ、まだダメよ!」

「そうか。なら納得のいくまで試すがいい」

 どうやらあたしは自分で思っている以上に頭の固い人間みたい。ここまで明確な超能力の証拠を見せられてもまだ納得できない。

「………わかった。これが最後よ」

 そう言ってあたしはまた貰った百円玉を机の下で隠す。そしてタクトはさっきまでと違い目も瞑り始めた。

 ただでさえ机で隠されているのに、更に目まで瞑ったらイカサマで覗いてたなんてこともできない。疑い深いあたしはもう一つ仕掛けを施すことにした。

 あたしは机の下で百円玉をそっとポケットの中に入れる。左右どちらかなら確率二分の一。もしかしたら偶然三回連続で当たってしまったなんてこともあるのかもしれない。けれどもこれなら!

「さあ、どっちの手にある?」

 グイッとタクトの前に突き出す握りしめた両手。けれども彼は眼すら開けずに答える。

「そこにはない。百円玉は今君の右ポケットの中にある」

 問答無用、完全無欠の正解だった。

 ふぅとあたしは大きく息を吐き出す。

 さすがにここまでされたらもう信じるしかなさそうだ。信じる代わりにガラガラと音をたてて崩れ落ちるあたしの常識。

「わかったわよ、タクト。世界には魔法使いも超能力者もいて、そのうちの一人があなたってわけね」

「ああ。納得してくれて助かる。話しの展開上わかると思うが、君を狙っている連中はこういった君の常識外の連中だということを頭に入れておいて欲しい」

「………わかった。でもなんであたしが狙われるんだろう」

 それが最大の謎。あたし自身どこにでもいるマジメな女子高生。そんな超常現象を使える人間たちに狙われる理由なんてないと思うんだけど。

「すまない。それはおれにもわからない」

 そういって頭を振るタクト。まあ記憶喪失だっていってたし、期待はしていなかったケド。

 あたしはすっかり冷めてしまったアールグレイを口に含む。独特の渋みが、ここ数時間で色々あった、色々ありすぎた疲れを洗い流す。

 ふうと大きく息を吐き出し、あたしは心の平穏のため思考を一時凍結させる。そうすると店内に流れるさっきと違い最近の流行歌、他のお客の話し声が自然と耳に入ってくる。


「マジ勉強やりたくねー。受験生とかマジ死ぬー」
「ホントうちのネコ可愛いのよー。ただいまって帰ってくるとすかさず走ってきて足に擦り寄ってくるし」
「きゃはははは。そーいや営業部の部長、そうそうアイツアイツ。あの部長絶対ヅラだよね。え、マジ? 気付いてなかったの? ウケるー」


 あたしたちが入った時から誰一人店から出た人間はいない。どうやらみんな暑い外に行くよりも、エアコンの効いた店内でテキトーにダベってる方がいいみたい。

 周囲から聞こえてくる話し声を聞きながら、そんなことを思っているとタクトが話しかけてきた。

「美鈴、一応君に言っておこう。この先警察などの権力に頼ることは出来ない」

「どうして?」

「普通の女子高生がエージェントに襲われたと言われ、誰が信じる? 仮に信じて貰ったとして、保護されたとしよう。だが敵が国家権力に圧力をかけられるとしたら、保護と偽って君の身柄を確保するだろう」

 た、確かに安全だと思って警察に行ったら、訳のわからないうちにあたしを狙っている組織に捕まっていたなんて冗談じゃない。

 ちょっと待って。そうなるとあたしはこれからこの男と逃避行(escape)をしなきゃいけないってコト?

「安心しろ。君はおれが必ず守る」

 なんて赤面ものの恥ずかしいセリフを一切表情を変えることなく言ってのけるタクトは凄いと思う。かくいうあたしも微妙に頬が熱くなってる。

「それがおれの仕事だからな」

 言う人が違えばただの照れ隠しにしか聞こえない、そんなセリフ。けどタクトの表情と口調が、それが本心だってことがよくわかった。

 あたしはハァと聞こえるような大きさで溜息をついてやる。

 さっきもそうだが仕事仕事仕事しか言っていない。この男の頭の中って仕事しかないのかしら。

 なんとなく納得がいかなくて、タクトの顔をむすっとしながら見つめている。すると、コーヒーを啜っていたタクトの眉がピクリと動き、どことなく不快感を醸し出す。

 まさかコーヒーが不味かったとか?

 今まで変わることのなかった仏頂面の唐突の変化を見て、思わずその原因を考えていると、おもむろにタクトが椅子から立ち上がる。

「美鈴」

 そうあたしの名前を呼びながらあたしの手を引っ張り強引に立ちあがらせる。

「ちょ、ちょっとなによ!」

 タクトの唐突すぎる行動に動揺を隠すことが出来ず、思わず彼にそのわけを尋ねる。

「店内の会話をよく聞いてみろ」

 まるで苦虫を噛み潰したかのような不機嫌そうな顔をしながら答えるタクト。
 あたしの質問の答えになってないじゃん、と思いながらも言われた通り耳を傾ける。


「マジ勉強やりたくねー。受験生とかマジ死ぬー」
「ホントうちのネコ可愛いのよー。ただいまって帰ってくるとすかさず走ってきて足に擦り寄ってくるし」
「きゃはははは。そーいや営業部の部長、そうそうアイツアイツ。あの部長絶対ヅラだよね。え、マジ? 気付いてなかったの? ウケるー」


「あ、あれ。この人たち、さっきも同じこと言ってたような……」

 まるでビデオの録画再生のようにさっきと同じ会話が繰り返されるのを聞いて、あたしの背筋がゾッと凍りつく。

 まるで出来の悪い自動人形のように、同じ動きをし続けるあたし達以外の人間。その現実離れしすぎた光景に頭の中が真っ白になる。

「ちいぃっ」

 タクトは忌々しげに舌打ちをしたかと思うと、いきなりあたしを地面に押し倒す。

「きゃっ!」

 思わず出た叫び声。けれどもそれはすぐさま轟音に掻き消された。

 ガシャン!

 甲高いガラスの割れる音。それと同時にパラパラとあたしの側の床にいくつもの破片が突き刺さる。どうやらあたし達がさっきまで座っていた席の窓ガラスが割れたみたい。

 ガラスが割れるより先にタクトが気が付いてこうやってあたしを押し倒してくれたお陰で、破片があたしを傷つけることはなかった。

 ドクンとあたしの心臓が早鐘を打つ。あたしを守るためとはいえ、思いっきり押し倒すもんだから、あたしの身体とタクトの身体が密着している。思わず彼の体温を感じてしまい、場違いにもあたしの頬は赤く染まる。

「急いでここから脱出するぞ」

 動揺しているあたしとは対照的に、タクトの声はいつもと変わらない落ち着いたもの。あたしに必要なことを言ったと同時に立ちあがる。

 その声にほんの少しだけ冷却される。

 そうだ。ここにいたら危ない、急いで逃げないと……。

 そう思い、急いで立ち上がった時だった。

「おっと、そいつはさせねぇぜ」

 窓の外からどこかで聞いたことのある声が聞こえる。この声の主が窓ガラスを割った人間だ、と思いながらあたしは声のする方へバッと振り向く。

「よぅ、さっきはお世話になったなァ、コノクソアマァ」

 そこにいたのはギリギリと歯ぎしりをしながら、額に青筋を浮かべるあの時のナンパ男(サイテー男)。何故かその手には轟々と燃える火球が握られていた。



[25905] 2-1
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/03/25 20:31
        1

 ……抜かった。

 ギリギリと歯ぎしりしそうな険悪な表情でおれは声に出さず、心の中だけで呟く。今現在頭にあるのは激しい自己嫌悪のみ。

 そうだ。おれは何をやっているんだ。おれの役割は目の前の少女、桐原美鈴を守り通すという仕事を完遂させることじゃないのか。それなのにこんな罠にかかるだなんて……。

 ガタリと立ち上がり、おれ達を取り囲む虚ろな瞳の人間。これで完全に出口を塞がれてる。

「ねぇタクト。あ、あのナンパ男(サイテーヤロウ)ももしかして超能力者だったりするの?」

 不安そうにおれに尋ねる美鈴。おれは割れてガラスの無くなった窓を潜り抜け、店内に入ってきた男を注意深く眺め、そしてすぐさま脳内検索を行う。

「アァン? 誰がサイテーヤロウだってェ、ンノクソアマァ!」

「お前以外に誰がいる? マッドドッグ」

 おれの言葉にようやく美鈴から視線を外すマッドドッグ。すぐさまニヤリと口元を歪める。

「へぇ、守り屋顎(アギト)のタクトかよ。なんだテメェ、ノイズにやられたんじゃなかったのか?」

 奴のその言葉と同時にガンッと鈍器で頭を殴られたような衝撃に、思わず右手で頭を押さえる。

 おれはこの痛みに覚えがあった。そう、これは先ほど路地裏で美鈴を見たときに感じた頭痛と同じ類の痛み。つまりはおれの記憶が戻るということ。

「まあどっちでもいいや。ただの非力な女一匹拉致するだけのタリィ仕事じゃ、面白味もクソもねぇと思ったが、テメェみたいなちったあヤル人間がいれば充分狩りを楽しむことが出来るぜ」

 ニタリと獰猛な笑みを浮かべるマッドドッグ。

 脳内にある情報によればこのマッドドッグは仕事のことを狩りといって敵を嬲ることを趣味にしているらしい。戦った者はよくて半殺しで再起不能。最悪葬式時に遺体の顔を見ることが出来ないほどの過剰な暴力を振るう。そこから業界でついたニックネームが狂犬(マッドドッグ)。どうやらその情報は正しかったようだ。

「ちょ、ちょっとマッドドッグ。マスターや他の客を操ってるのってアナタでしょ? 早く解放しなさいよ」

 怯えているのか小刻みに身体を震わしながらも気丈に奴に向かって叫ぶ美鈴。

「アァン? お前バッカじゃね? オレは発火能力者。マインドコントロールは専門外だ。それに今ここにいるのはテメェら以外全員式神だっつーの」

「し、式神ってあの陰陽師が使う?」

 どうやら陰陽師という言葉は知っているみたいだ。まあ一昔前に映画になったくらいに有名な存在だ。美鈴が知っていてもおかしくない。

 おれは補足のために口を開く。

「そうだ。ここにいるのは奴の言ったとおり全員式神。ただの人の形をかたどった操り人形にすぎない。ある程度ダメージを与えれば本来の護符に戻る」

「まっ、こんな風にな」

 そう言ってマッドドッグは右手の火球を一番端の、男の式神に放る。

 轟という音で一瞬で火だるまになる男の式神。それと同時に男の姿が消え、代わりに一枚の護符がゆらりと空を舞ったかと思うと空中で護符が燃え尽きた。

 これで店内にいる式神は全部で十六体。それにしても何故マッドドッグはわざわざ戦力を減らすようなことをしたのだろうか。

「納得いかねぇってツラしてんな、テメェ。簡単な理由だよ。獲物を狩るのにオレ一人いれば充分。コイツらが一人二人消えたところで問題ねぇ」

 なるほど、自分の力に絶対の自信があるからの行動か。だがその自信がただの驕りであることを教えてやろう。

「すまない美鈴。戦いの邪魔にならないよう隅の方にいてくれ。おそらくこのマッドドッグという男はおれを殺してから君を攫うだろう。逆にいえばおれを殺してからでなければ君に手を出さないということだ。隅にいて戦いの余波に巻き込まれないようにしてくれ。ただし店の外に出ようとするな。逃げようとすれば奴は必ず君にも攻撃を仕掛けてくる。おとなしく隅にいろ。わかったな」

「……わかった。絶対死んじゃダメよ」

 心配そうにこちらを見てくる美鈴に強く頷き返す。

「安心しろ。おれは死なない」

 そう言ってやると美鈴はまだ不安そうな目をしていたが、一度頷くと店の隅の方へ駆けだした。

 その後姿を視界に収めながらマッドドッグは口を開く。

「おいクソ女。テメェを捕まえるのはタクトを狩った後にしてやる。一秒でも長くコイツが生き残ってくれるのを精々祈るんだナァ!」

「もしかしたら狩られるのはお前の方になるかもしれないぞ」

 挑発するようにマッドドッグに言ってやった。すると奴は面白い具合にこちらの挑発に乗ってくる。

「アァン? テメェ今なんつった?」

「なに。ただ狩られるのはお前だということをな」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべてやると奴は額に青筋を浮かべ激昂する。

「ゼッテェぶっ殺す!」



         *


 あたしは虚ろな瞳の式神の脇を潜り抜け、タクトの邪魔にならないような場所へ移動する。その時式神があたしを襲わないかドキドキしたけれども、それは杞憂に終わった。どうやらタクトの言ったとおりマッドドッグは彼を殺してからじゃないとあたしを襲わないみたい。そのことに安心したのもつかぬま、タクトのことが心配でしょうがなった。

 エージェントたちの会話から、多分こいつらはあたしを殺すことが目的じゃない。あくまで生きて捕らえることが目的のはずだ。最悪あたしが捕まっても命まではとられない。けれども……。

「ゼッテェぶっ殺す!」

 額に青筋を浮かべ喚き散らすマッドドッグを見て確信する。この殺すという言葉は脅し文句なんかじゃない。本気でタクトを殺すつもりなんだ。

「タクト!」

 思わずあたしは彼の名前を叫ぶ。

 タクトはあたしの方を振り向くと、いつもと変わらない仏頂面でこくりと一度頷く。
「殺(や)れ、式神ども!」

 マッドドッグの号令のもと、彼の前に集まっていた式神たちが一斉にタクトに向かって殺到する。


 タンッ。タクトのステップの音が店内に響く。


 顔面に向かって振るわれた拳をタクトはヒラリ右に一歩踏み込むことでかわし、懐から取り出したナイフで首を薙ぐ。そのまま勢いに乗せ、左にいた式神の胸を貫く。そのあとすぐさま回し蹴りで右から迫ってきた式神を吹き飛ばした。

「あああぁぁあぁああぁ」

 いつのまに背後に回り込んだのか一体の女の式神が叫び声を上げながら椅子を持ち上げ、その姿から想像出来ないような怪力でタクトに持ち上げた椅子を投げる。 けれどもタクトはそれを一瞥することなく独特のステップを刻んでかわすと、投げられた椅子は丁度タクトを襲おうとした式神を吹き飛ばす。

 まるでダンスを踊っているかのように独特のステップを刻みながら式神たちと戦うタクト。一つとして無駄な動きなどなく、まるで後ろに目でもあるかのように闘っている。

 ………違う。

 あたしはさっきの言葉を否定する。後ろに目があるかのようにじゃない。本当にあるんだ!

 あたしはさっきまでのタクトとのコインゲームを思い出す。そうだ彼には空間把握という超能力がある。たとえ目を瞑っていても式神たちの動きが彼にはわかる。
 確かタクトは半径四メートルまでの物の動きを完璧に把握することが出来るって言っていた。それはつまりタクトに襲いかかる全ての敵の行動が把握できるということ。

 タクトのステップがリズムを刻む。虚ろな瞳でタックルをしかける高校生くらいの式神をかわすと同時に右手のナイフで首を刎ねる。戦い始めてから五体目の式神が護符に戻された。けれども式神たちはそんなことお構いなしにタクトに向かって襲いかかる。そんな中彼はいつもと変わらない仏頂面を崩すことなくリズムを刻み続けている。

「……あれ?」

 ある種非現実的光景に思考が追い付かなくなって、静かに混乱しながらタクトと式神との戦いを眺めていたあたしだけど、不意に気が付いてしまった。

 振るわれた式神の拳。それがタクトの刻むリズムと同調(シンクロ)した。一度気がつけばそれはすぐだった。

 段々と、けれども確実に式神たちの動きがリズムを刻む。タクトの動きに合わせ、彼の独特のリズムを無意識に刻んでいく式神たち。

 多分タクトは式神たちがなにをしようとしているのか、それと同時に敵の動きと自分の動きを最大限に活用するにはどうやって動けばいいのか常に考えているんだ。

 そしてタクトの思考が導き出した動きが自然とビートを刻み、段々敵である式神たちをも巻き込み音楽を形作る。


 それはまるで、戦場の指揮者(コンダクター)―――――




 あとがき


 本日二度目の更新。PVが増えていくのを眺めるのは楽しい。目標は十話までにPV2000超え、感想返し含め十件。がんば!!



[25905] 2-2
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/03/25 20:36
         2


 ダンッ

 一発の銃声が店内に響く。おれはさきほどのエージェントたちから奪った一丁の拳銃を左手で構え、挑発の意味を込めニヤリと笑ってやる。銃口はマッドドッグの顔を捉えていた。

 けれども銃弾は奴の頬を裂いただけで致命傷には程遠い。悲観はしない。これは撃つ前からある程度わかっていた。

式神たちの動きを意図的にずらし、おれのリズムを侵食させる。それによって一瞬だけ生じた光。その光に向かって一分の狂いもなく拳銃の引き金(トリガー)を引く。それで得た戦果は奴の頬を薄く裂いた程度。けれども重要なのは奴にどんなに小さくてもいい、ダメージを与えたこと。

 ポタリ、ポタリと頬から流れ出た血が木の床に落ちる。マッドドッグは目元を落としなにかブツブツ呟きながら滴り落ちる血を眺め続ける。今までの彼から想像も出来ないような静かな、暗い雰囲気。

 式神たちはマッドドッグのそんな雰囲気に合わせたのか、おれが奴に向かって発砲した時から動かない。それはまるで電池の切れた自動人形のように、生気というものがまるでない。

 俯きなにかを呟き続けるマッドドッグと俺との間、五メートルの距離に残った九体の式神がいる。

「……だ。もうやめだ。式神たちに任せ、弱ったところを俺が仕留めるなんてもうやめだ」

 耳を澄ませばマッドドッグの呟きがかすかに耳に入る。

 瞬間マッドドッグが顔を上げる。

「殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス」

 怒り怒り怒り。マッドドッグは額に青筋を幾つも浮かべ、そのせいか瞼が軽く痙攣している。口元を大きく歪め歯肉を剥き出しにし、足に力を込め血が出んばかりにその手を強く握りしめ、全身でその怒りを表現する。

「もういい。そこの役立たず共と一緒に燃え尽きろテメェ!」

 握りしめられた両手が開かれる。轟という音でその両手に今まで一番大きい一メートル大の火球が現れる。

「死ねよテメェらあああぁぁぁぁぁ」

  絶叫。そして火球はマッドドッグの前にいる全ての式神を巻き込みながら爆進する。

 おれは目の前にいる木偶の坊と化した式神を蹴り飛ばし、その反動で後ろに跳ぶ。これで少しだけ火球との距離が取れた。けれども迫りくる巨大な火球をかわすことが出来るほどの距離ではない。

 人間など僅か数秒で消し炭に出来るような恐るべき高温。幾体もの式神を護符に戻しながらも衰えることなき二つの火球。おれを逃がさぬよう斜めから挟み込むようにして突き進む。

 後ろに逃げる。

 否。もう一度飛び退いたとして、直径一メートルを超える二つの火球の炎から逃げられるほどの距離は稼げない。

 左右どちらかに避ける。

 否。二つの火球がクロスを描くように進む以上どちらに逃げようとも炎の餌食になる。

 その場に止まることは勿論死。前には先ほど吹き飛ばした式神がおり道は塞がれている。けれどもこれはまだ絶体絶命という状況じゃない。

 ギリリと足に力を込める。唯一の突破口へと突き進むため身体全体に意識という網を張り巡らせる。

 空間把握能力を限界まで使い、体感時間を引き延ばす。それによって生じる走馬灯のように周囲の光景が遅く見えるような現象。これからの行動はタイミングが重要になってくる。目的の一瞬のため、思考を高速化させる。

 轟―――――

今俺の前、最後の式神が、その二つの炎に包まれた。現実では恐るべきスピードで迫りくる火球、そして燃え尽きる式神。けれども認識の上では火球はゆっくりと進み、ゆらりと燃え尽きようとしている式神。

 今だ!

 一瞬のタイミングを逃さぬようおれは火球に向かって走り出す。そして人間を容易く燃やし尽くすことの出来る炎が、己が身に触れる僅か手前、その一瞬で地面に向かってスライディング。顔面の上僅か三十センチの所を通り過ぎていく火球。
 それと同時におれのセンサーが先ほど通り過ぎた火球に燃やされた最後の式神が元の護符に戻ったことを正確に伝えた。

 そのまま勢いに乗ったスライディングで、護符が舞う空間を高速で滑り抜ける。
もしここにいたのが式神ではなく本物の人間による戦闘員だったらこの《道》は生まれなかった。
 いかにこの火球が高温でも、人間一人を燃やし尽くすのには数秒はかかる。その状態でスライディングで火球を避けようものなら、火達磨になった人間と正面衝突することになり、火傷は免れない。火傷の痛みに蹲っているところをマッドドッグに狩られておれの命は終わる。

 一六〇センチ以上の人間が、十五センチの護符になるという式神の特性。そこにのみこの状況を打破する《道》が存在したのだ。


 勢いに乗ったおれの身体はマッドドッグの火球が蹂躙し、障害物のなくなった空間を滑り抜け、奴の懐に潜り込む。

 二つの火球を繰り出す時に掲げた奴の両手、その内左手の肘から先を跳ね上がりざま右手のナイフで切り落とす。

「あああああぁぁぁぁぁァァァァァァァァ」

 痛みのせいか涙をため絶叫を上げるマッドドッグ。左手から大量の血を流しつつたたらを踏む。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、狂犬というより負け犬と言った方がいいくらいの醜さ。

「眠れ。負け犬」

 いかに醜く涙を流そうとも逃がすという選択肢はなく、おれの必殺の回し蹴りを奴の鳩尾に叩きこむ。ドンという音で壁に叩きつけられその場で意識を失うマッドドッグ。

 おれの、勝ちだ。


         *


 タクトとマッドドッグの壮絶な戦い。マッドドッグがブチ切れておっきな火球をタクトに向かって投げた時は、絶対絶命かと思ったけれどもなんとかタクトが勝った。

 マッドドッグを倒し、気持ちを入れ替えるように大きく息を吐き出しているタクトを見てあたしは彼が死ななかったことに安堵の息を漏らす。

 けれども……。

 緊張のしすぎか震えてのろのろとしか動かない手でポケットからケータイを取り出す。勿論救急車と消防車を呼ぶためだ。

 消防車を呼ぶ理由は簡単だ。マッドドッグが最後に放った火球をタクトがかわしたため、そのまま店の壁にぶつかり火が燃え移ったからだ。けど救急車のは……。

 壁にもたれかかり、左手からドクドクと大量の血を流し続けるマッドドッグ。おそらくナンパを口実にあたしを捕まえようとしたサイテーヤロウ。それにタクトとの会話から何人もの人間をその超能力で燃やしてきたに違いない。けど、けれどもそれがマッドドッグが死んでいい理由にはならない。

 震える手でボタンを押そうとした瞬間、

「なにをしている」

 いつものまにか近くにいたタクトが話しかけてきた。

「なな何って消防と救急車を呼ぶのよ」

 あたしのその言葉を聞いて、タクトはハァと溜息を吐く。

 ななななな何よ、その反応は? あたしの行動のドコがおかしいっていうのよ!

 あたしが怒りの叫びを上げるより先に、タクトが口を開いた。

「すまない。君の感性が普通であることを確認してつい、な。それよりも救急車も消防もいらない」

「なんでよ? まさかあんた?」

 このままマッドドッグが死んでもいいと思っているわけ?

 あたしはタクトが彼の腕を斬り飛ばした時のことを思い出しながら睨みつける。

 タクトはお決まりになった仏頂面で首を横に振る。

「違う。マッドドッグは雇われたただの殺し屋だ。おそらくもう少しでその雇い主がさっきよりも数倍の人数の式神を連れてここにやって来るだろう。後片付けはそいつらに任せればいい」

 た、確かに言われてみればそうだ。あたしが今ここで救急車と消防を呼ばなくても、相手に全てを任せた方がいい。

「わかったなら行くぞ。ここは危ない」

 そう言ってタクトはあたしの手を掴み店の外に向かって走りだす。


 喫茶店のドアを勢いよく開ける。視界に飛び込んだのはさっきまでの非日常とは打って変わって平和な大通りと、そこを歩く色んな人たち。顔にむわりと夏の熱気が纏わりつく。そしてすぐ後ろから甲高い金属同士がぶつかり合う音と、ドスンとなにかが落ちる音が聞こえる。

 なんで? タクトに引っ張られながらこの疑問を解消するため後ろを振り向く。

「えっ………」

 そこにはあたし達がさっきまでいた喫茶店《forest》はそこにはなく、工事現場のビニールシートで囲まれてあった。

「………なんで?」

「驚いたか? これは魔術。防音と人払いの意味を込めたある種の結界だな。大通りを歩く人間はこの幻に騙されて、喫茶店がそこにあると気がつかないだろう。君がよくここを利用すると知っての大胆な罠だ」

 そ、そういえばあれだけ喫茶店でドンパチやっていたんだ。外にいる人間が警察やら色々通報してもおかしくない。けれども大通りを歩く人々はまるであたしたちが見えていないかのように無視してた。それがこういった仕掛けのせいだなんて……。

「もう一度言う。君を攫おうとする人間はこういった超常の力を使う。決して油断するな」

 あたしはタクトの言葉に頷く。さっき喫茶店言われた時にはさほど思わなかったけれども、今は怖い。

 あたしは常識外の出来事に対する恐怖心を覚えながら、タクトに連れられ夏の大通りを走る。




 あとがき

 戦闘シーン楽しい(笑) それにしても、やっぱり女の子が主人公ってココだとウケないのかな?



[25905] 2-3
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/03/25 20:38
        3


 大通りに一台の高級車が止まる。黒塗りのベンツの後部座席から出てきたのは若い女だった。

 肌は白くきめ細やか。少々肉厚の蟲惑的な唇には薄いルージュの口紅が塗られている。肩まで伸びた長い黒髪は手入れを怠ったことがないかのように光沢を持っている。ほっそりとした肢体を包むのはパリッとしたスーツで、彼女の有能さが一目でわかるような格好だった。

 幾人もの男性の視線を集めながらその美貌の女性、秘書の柿崎は、まるでそれらの視線に気づいてないかのように歩く。きびきびとした無駄のない動作で、解体作業中の工事現場のビニールシートの前に立つ。
 しばしの逡巡の後、彼女はそのビニールシートを捲った。
不意に世界が変わる。先ほどまでの大通りから見た解体現場などそこにはなく、《forest》と書かれた看板。一件の喫茶店がそこにあった。

 柿崎はそれを確認すると、その無駄のない足取りでドアを開ける。凛となった鈴の音は、店内の光景から考えると酷くシュールなものだった。
普段は規則正しく並べてあっただろう机と椅子は、バラバラに倒れていたり、所々壊れて焦げ目や火が付いている。

 そして壁に寄りかかって気絶している若い男。その左手は肘から先がなく、血が止めどなく流れていた。

 彼女はしゃがみこみ男、マッドドッグのものと思われる左手を掴み、眉を顰(しか)める。

「おそらくナイフで切断されたんでしょう。切断面が荒い。これではくっつきませんね」

 ふぅと息を吐き出し、柿崎は気絶しているマッドドッグの元に行く。そしておもむろに呟いた。

「私は汝を癒す」

 呟きは詠唱となり、魔術が発動する。

 ポウ…と青い光がマッドドッグの傷口に集まり、その出血を止める。

「柿崎さん!」

 後ろから数人のエージェントがやってくる。

「どうしたんですか? 近藤」

 近藤と呼ばれたエージェントは、興味深そうに周囲を見回しながら柿崎に話しかける。

「どうやら僕たちがやってくるより先に、ターゲットは逃げてしまったみたいですね。今行方を追っています。…それにしても随分と暴れたなぁ」

 そう言って呆れたように店内を見る近藤。その視線はマッドドッグの対角線の壁に向けられていた。

 轟々と燃え盛る炎。マッドドッグが最後に放った火球が燃え移り、店を燃やし尽くさんとする業火に変貌していた。

 柿崎は大きく一度ハァと溜息をつきながら、呆れたような口調で口を開く。

「まったく。派手にやったものです。……近藤。マッドドッグを連れてって。応急処置は施してあるから死ぬ事はないでしょう。適切な治療をお願いします。私は、ここの後片付けをします」

「わかりました。おい、わかったならさっさとマッドドッグを運べ」

 柿崎と話していた時の、人の良さそうな面構えから、一瞬で目つきの鋭くキレ者の顔に変貌した近藤が、背後のいかついエージェントに命令を下す。

 ハッと返事をしたエージェントたちがマッドドックの身体を丁寧に運んでく。そして店内にいるのは柿崎と近藤のみとなった。

「さて。それじゃあ片づけますか」

 そう言って柿崎は視線を燃え盛る業火へと向ける。

 近くにカウンターがないお陰でガスに引火こそしていないが、充分店一軒燃やし尽くすことのできる火力。

「水よ。その荒れ狂う力を持って全てを洗い流せ」

 詠唱。そして魔術が発動した。

 柿崎の目の前に、一体どこにそれだけの量があったのかと疑問に思うような巨大な質量の水が現れる。そしてその水はその巨大な質量で、業火を消し潰した。

「おー。御見事ですね。柿崎さん」

 大量の水が蒸発したことにより、煙のような水蒸気が店内を満たす中、近藤は柿崎に拍手を送る。

 けれども柿崎はそんなこと関係ないかのように近藤に話しかける。

「そんなことよりも、ここの後始末をきちんとお願いします」

「あーハイハイ。建設業者には事前に解体作業を依頼しときましたからね。大丈夫ですよ。きちんと処理されます」

 近藤のその言葉を聞いて、満足したように頷く柿崎。

「そうですか。それでは私たちもターゲットを捕まえに行きましょうか」

「そうですねー」

 そう言ってにへらと笑う近藤。

 そして柿崎と近藤の二人は喫茶店《forest》を後にする。


 タクトと美鈴がここを離れてから、僅か数分後の出来事だった。



 あとがき


 ルージュという言葉は口紅という意味もありますが、フランス語で赤という意味なので本文にある表現にしました。 おかしい、変えた方がいいという方は感想版で連絡を。

 どうでもいい呟き

 少し前に書いた自分がチラシの裏で書いた短編、自分が人質になったバスジャックの話ですが、現実に似たような事件が起きてたらしくて少しびっくり。



[25905] 2-4
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/14 22:53
 4


 あのマッドドックとの戦いの後、あたしとタクトはすぐにエージェント達に尾行され始めた。といってもあたしはその尾行に気が付いたわけじゃない。あくまでタクトが気がつき、あたしに教えてくれたのだ。

 なんでもタクトの超能力、空間把握は精度を下げてセンサーのようなことが出来るみたい。周囲の人間の動き全てを把握しようとすると、その精度をあげなきゃいけないから半径四メートルが限界だけど、ただ近くに自分に敵意を持つ人間がいるかどうかという曖昧なところまで把握精度を下げてあげると、それが百メートルを超えるらしい。

 けどあくまでそのセンサーにかかるのは意志を持つ人間だけ。式神みたいな意志のない操り人形だとセンサーに引っかからない。

「それがあの喫茶店で敵の罠にかかった原因だ。すまない」

 そう言って頭を下げるタクトにハァと溜息が洩れる。

「別にいいわ。世界に完璧な人間だなんていないんだから、そういったミスくらいするわよ。それよりも、タクトがいなかったらあたしはとっくに捕まっていたわ。守ってくれてありがとう」

 そう言ってあたしは頭を下げる。正直あたしじゃ、エージェントや式神なんて倒せない。勿論マッドドックなんてもっての外だ。あの路地裏でタクトが現れてくれなかったら、あいつらに捕まって何されたかわからない。それに《forest》での罠だって、あれを事前に気付けという方が難しい。タクトはあの場面で最大限出来ることをやって、命がけであたしを守ってくれた。それを責めることなんて、あたしには出来ない。

 顔を上げると、タクトはいつもの仏頂面じゃなくどこかきょとんとしていた。

「何故? おれはただ仕事をしているだけなのだが…」

 その言葉を聞いた瞬間、いっきに頭に血が昇る。

「いい、タクト。例え仕事だとしても自分を命がけで守ってくれたら、お礼くらい言うわ。それくらい人間として当たり前よ。それに人の感謝くらいきちんと受け取りなさい!」

「あ、ああ」

 あたしが怒鳴ると、タクトは若干怯えたように一歩後ずさる。

 ふん! この仕事バカ。仕事以外のことなんて、頭にないのかしら。

 あたしはムカムカしながら歩く。そんなあたしの様子を見て、いつもと変わらない仏頂面で首を傾げるタクト。
 

 それからあたし達は幾体もの式神に襲われながらも、なんとか無事夜を迎えることが出来た。


         *


 ふうと今日一日の疲れを吐き出すように大きく深呼吸。お風呂上がりで火照った身体が、エアコンの冷気に当たってクールダウンされていく。チラリと壁に掛けられた時計を見ると、丁度十時を回ったところだ。

「お風呂空いたわよ、タクト」

 椅子に座りながら腕を組んで、まるで眠っているように眼を瞑っているタクトに話しかける。タクトはゆっくりと目を開け、あたしの方に振り向く。

「ああ、わかった。後で入る」

 いつもと変わらない落ち着いたタクトの口調。あたしはあくびを噛みしめながら、ベッドに座る。
 
 あたしたちは今、国道沿いのビジネスホテルに泊まっている。尾行されている以上、ウチに帰ってお父さんとお母さんを危険な目にあわせたくなかった。

 ここなら立地条件がいいせいか少なくない人数の宿泊客がいるし、国道沿いというだけあって車通りは激しいから、あたしを襲おうとしている連中も手を出しにくい。流石にここにずっと引きこもることは出来ないけれども、少なくとも今夜一晩くらいなら安全だとタクトからお墨付きをもらった場所だ。


 シャワーを浴びて身体が暖まっているせいなのか、ドッと眠気が押し寄せてくる。普段は眠たくなるはずのない時間だけれども、今日一日の逃避行がよっぽど疲れたのかあくびが止まらない。それに多分知らず知らずのうちに緊張していたんだろう。精神的な疲れも関係してるに違いない。

「ホント一体いつまでこの逃避行をしなきゃならないの」

 ボソリと本音が出てしまう。

 あたしはとにかく不安なのだ。この逃避行、あたしの味方はタクトただ一人だけ。正直タクトは強い。ここに来るまでに何体もの式神があたし達を襲ったけれども、一人で全て返り討ちにしてしまった。おそらく式神レベルだったら何体襲ってきても、タクトなら大丈夫だろう。

 けれども……。

 あたしは《forest》であたしたちを襲ってきたマッドドックを思い出す。

 タクトが言っていた通り、どうやら世界には超能力者や魔法使いがいる。マッドドックはなんとか撃退できたけれども、他の超能力者だとどうなるかわからない。
 もちろんタクトがそういった人間に負けて、あたしが捕まえられるのも怖いけれど、戦いの結果タクトが死ぬのも怖い。

 あたしがこの後の展開について考えていると、タクトが口を開く。

「すまない美鈴。眠いだろうが話を聞いてくれ」

「……なに?」

「いや、マッドドックとの戦いの時に、失われた記憶の一部が戻ってきた。それで君を狙う者の正体がわかった」

 その言葉にあたしの眠気は一気に吹き飛ぶ。けれどもなんでこのタイミングで言うんだろう。マッドドックとの戦いが終わってから八時間以上経っている。もう少しはやく話してくれてもよかったんじゃないの。

「すまない。話す内容が君のような一般人が知らない〝裏〟のことだ。それらを説明するのに落ち着いた時間が必要なのだが、今の今までそれがなかったからこんなタイミングになってしまった」

「あー……。確かにそうね」

 今までずっと敵のエージェントに尾行されてて、落ち着いて会話に集中することなんて出来なかった。ようやっと落ち着いたのはここ一時間くらい前からだ。

「これが君を狙う人物だ」

 そういってタクトは一枚の写真をあたしに手渡す。

 明らかに遠くから隠し撮りされた物であるとわかるような構図。その写真にはリムジンに乗ろうとしている一人の老人が映し出されていた。

「この人が……」

 遠くからでイマイチはっきりと顔が見えないけれども、幾つもの深い皺が刻まれているのがわかる。腰が曲がっていて杖をついている姿は老人そのものだけれども、特徴的なのはその眼だった。

 飢えたハイエナが食べ物を探して、荒野を這いずりまわっているかのように、爛々と光るその両眼。

 ただの写真だっていうのにあたしは思わずゴクリと生唾を飲む。

「名前は九曜玄黄。現在日本最強の陰陽師で、統魔転覆を謀る日本オカルト界最悪の犯罪者だ」

「……統魔ってなに?」

 なんとなくこの写真の人物凄いっていうのはわかったけれども、統魔転覆と言われても統魔自体を知らないんだからイマイチ実感がわかない。

「統魔というのはこの国唯一の公式オカルト組織だ。ここを乗っ取るということは即ち、日本全ての担い手や超能力者の頂点に君臨したと思えばいい」

 担い手というのは、魔法使いたちのことを呼ぶ時にそういうのだと、ここへ来る前にタクトが教えてくれた。その担い手や、超能力者たちを束ねる組織を乗っ取ろうとするなんて、この九曜という人はトンデモナイ人間なんじゃ……。

「な、なんでそんなビックな人間があたしを狙うのよ」

「そこまではわからない。ただ一つ言えるのは君を使ってなにか大掛りなことをするはずだ。丁度十日前、九曜はN県O市の地脈から莫大な魔力を吸収したという情報を統魔から得た。おそらくその莫大な魔力と君を使ってとんでもないことをしようとしているのだろうが、今はそれが何なのか判断できない」

 タクトの説明を聞いてあたしを狙う九曜玄黄という人間のヤバさが少しだけわかってくる。それと同時にさっきまでの不安が、より強いものになってくる。

「そういえば美鈴」

 視線を足元に向け、不安でうち震えるあたしにタクトの淡々とした言葉が降りかかる。

「さっき君が漏らしたいつまでこの逃避行を続ければいいのかという疑問に答えよう。長くもあと数日で終わる」

 タクトから言われた衝撃の言葉に思わず、さっきまでの不安が吹っ飛んでしまう。

「ど、どうしてよ?」

「それを説明するためには、まず守り屋という職業から話さないといけない」

 タクトの言った守り屋という言葉を、あたしはどこかで聞いた覚えがあった。別にずっと昔ってわけじゃない。多分ここ最近だと思うけど……。

 不意に閃いた。

「そういえばマッドドックが、あなたのことを守り屋顎のタクトって言ってたわよね?」

「ああ、そうだ。顎というのはおれたちのチーム名だ。ひとまずそのことは置いておこう。まず初めに言っておかなければならないことは、ボディーガードと守り屋は違うということだ」

「どういうこと? どっちも似たようなものじゃないの?」

「似ているが違う。ボディーガードは対象を危険から守り切るだけが仕事だ。それに対して守り屋は守り切るだけじゃない。危険を排除するのも仕事のうちに含まれる」

 そこでタクトは一旦言葉を区切る。

「つまり対象を守るだけではなく、対象を狙う敵を襲い、排除することで結果的に対象の安全を得るというのが守り屋の仕事だ」

「えっと、ようは襲ってくる親玉、あたしの場合は九曜を倒せば、結果的にあたしを襲う人間がいなくなって、晴れてあたしは安全な生活を取り戻せるようになるってこと?」

「そういうことだ」

 こくりとタクトは頷く。そしてそのままこう続けた。

「今おれの仲間が九曜のアジトを探している。見つかり次第そこに侵入し、九曜を倒す。おそらくそこまでの時間はかからないだろう」

「つまりタクトの仲間が九曜を倒すまであたしはエージェントたちに捕まらなければいいわけね」

「そうだ」

 はっきりとしたこの逃避行の終わりが見えて、少しだけ気持ちが軽くなった。それと同時に余裕の生まれたあたしの心に、ある考えが浮かぶ。

「ねぇタクト。あしたの予定ってどうなってるの?」

 あたしのその言葉にその仏頂面が微妙に変化する。

「いや、特にないが。どこか行きたいところでもあるのか?」

「うん。ちょっとね」

「そこは人が多い所なのか? そうであれば問題はない」

「そのあたりは大丈夫よ」

「だったらいい」

 うん、あそこなら確かに人が多いし、襲いにくい場所だろう。ふふふ、なんだか明日がちょっとだけ楽しみになってきた。

 あたしは心の中で笑いながら、ベッドに横になる。

「タクト、もうこれで話しは終わり?」

「ああ。もう終わった。ゆっくりと休むがいい」

「違うでしょ、タクト。そう言う時はおやすみよ?」

「ああ、そうだな。おやすみ、美鈴」

「おやすみ、タクト」

 いつもと変わらないタクトの淡々とした物言い。けれどもさっきの言葉にはなんとなく苦笑いのようなものが含まれているような気がして、ちょっとだけ笑ってしまう。


 そしてあたしは、明日のことを考えながらゆっくりと眠りについた。



 あとがき


 祝!! PV2000達成!! これで目標の一つは達成できました。皆様ありがとうございます! 感想の方は……、まだ、まだ大丈夫です! あと少しだけ期限は残ってます。最後まで諦めません!

 それでは皆様また明日会いましょう! これからもよろしくおねがいします



[25905] 3-1
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/15 21:22
 1


 ガタリ、ゴトリと電車が揺れる。時刻は午前九時。通勤ラッシュからは微妙に外れているため、サラリーマンの数は少ない。他の乗客といえば部活にでも行くのか、スポーツウェアを着た中高生に、何組かの親子連れ。電車の中には怪しい人物はいない。

 だがしかし、おれのセンサーは一つの反応を捉えた。
 それは車両の一番左端、優先席に座る一人の老婆。年齢は八十歳といったところか。腰は曲がり動きも鈍い。けれどもそれは仮の姿だろう。

 一定の間隔で咳き込み、手で口を隠す。三分に一度、その皺だらけの手にはめられた腕時計を見た後、顔を上げキョロキョロと周囲を見回す。それがおれと美鈴が電車に乗っている十五分の間繰り返されてきた。

 あらかじめ決められた動きだけを繰り返すようなあまりに機械的な動き。間違いない。あの老婆は式神だ。

 正直今ここであの式神を消すことは容易い。けれどもおれはあえて泳がすことにした。

 何故か。周囲に少なくない人数の一般人がいるからだ。


 式神を消すには二つの方法しかない。式神を創り出した本人が自分の意思で還すか、もう一つが式神そのものを破壊するかの二択だ。

 おれが取れるのはただ一つ。式神を破壊することだけだ。

 そうなると裏を知っているおれとしては式神を還しただけなのだが、周囲の人間にはそうは映らない。老婆を殺す青年にしか見えない。

 いらぬ騒ぎは起こすべきではなく、そこまでして消す重要性もない。どうせこの式神の目的は分かっている。


 ふうと大きく息を吐き出し、ちらりと隣を見る。そこにはおれが依頼を受け、守ると決めた少女桐原美鈴が座っている。その顔は幼子がいたずらでも思いついたかのような楽しげな笑みを浮かべている。

 おれはもう一度大きく息を吐き出し、彼女から視線を外す。

 おれには美鈴がなにをそう楽しげにしているのかわからない。だが少なくとも不安げに周囲を見回したり、挙動不審な態度に出るよりマシだ。

 笑みを浮かべ楽しんでいるということは心に余裕があるということだ。余裕さえあれば、もしなにかあったとしてもパニックで動けないということはない。この美鈴という少女、中々強いようだ。

 それにしても……。

 揺れる電車の中、おれは溜息をつく。
 
 まったく美鈴はどこに向かおうとしているのか。


 今朝ビジネスホテルで朝食を食べている時におれは美鈴に、今日はどこへ行くのか尋ねた。けれども彼女は楽しげに秘密と答えるだけで決して教えはしなかった。確かに九曜が一級の陰陽師で式神を使う以上、どこに敵の耳があるかわからない。そんな状況で今日一日の予定をおれにも話さないということは、ある意味有効な手なのかもしれなおはい。

 少なくとも美鈴が今日どこへ行くのかわからない以上、あの喫茶店のような手の込んだ仕掛けは作れないはずだ。おれを倒し、美鈴を確実に捕らえるためにはそれなりの罠を仕掛けなければならない。そのためにはおれ達がどこへ行くのか正確に知る必要がある。

 そう、あの老婆の式神はおれ達がどこへ向かおうとしているのか監視するのが目的だ。
 
 それにしても………。

 おれは美鈴から視線を外して嘆息する。

 何故だろう。九曜とは別に、酷くイヤな予感がするんだが。


         *


「ここは……」

 いつもと変わらないタクトの口調。感情の乏しいそれだけど、ほんの少しだけ呆気に取られたような気持ちが入っているのに気が付いて、してやったりと思わずニヤけてしまう。

 そう、あたし達は今郊外の遊園地、その入口に来ていた。

「美鈴、本当にここでいいのか?」
「モチロン。………………まさか、ダメ?」

 ちょっと心配になってタクトに尋ねる。

 あたし的に色々考えてここにしたんだけれども、その手のプロであるタクトにしてみれば遊園地という場所は護衛するのに向いてない所なのかもしれない。

「いや。場所はどこだろうと構わない。どんな状況だろうと君を守ってみせる」

 なんてタクトは頼もしいセリフを言う。そしてそのままこう続けた。

「ただ少し予想外だっただけだ」

 確かに自分の身に危険が迫っているっていうのに、こうやって遊園地で遊ぶ人間なんて普通考えていない。けれどもそれはあたしを捕まえようとしている九曜側だって同じ事が言えるに違いない。それがあたしが遊園地を選んだ一つの理由。

「じゃあ今日はおもいっきりここで遊んでもいいよね?」

「ああ。君に降りかかる災厄はおれが全て払う。安心して遊ぶがいい」

 さーて、タクトからお墨付きも貰ったことだし思いっきり遊ぶとしましょうか。

 ルンと弾む足取りで入り口のゲートをくぐる。遊園地なんてホントに久しぶりで今から物凄く楽しみだ。


 超能力者や陰陽師に追われているのは確かに怖い。けれどもそのことでガクガクと部屋の隅で震えているのはシャクだったのだ。

 九曜側の人間に怯えた姿を晒すんじゃない。どうせだったら楽しんでいる姿を見せてやる。

 それが遊園地を選んだ一番じゃないけど大きな要因。



「キャアアアアァァァァァァ」

 叫ぶ。顔には痛いくらいの風が叩きつけられ、まるで重力がなくなったかのような浮遊感。凄まじい轟音と共に急降下したあたしの身体はすぐさま斜めに上昇する。そのままトルネードを描くようにあたしは回る。

 遊園地と言ったらこれしかない。ジェットコースター。絶叫マニアってほどじゃないけど、あたしはアトラクションの中でジェットコースターが一番好きだ。
風を切り裂く爽快感、大空を高速で、派手な動きで駆け抜けるこの乗り物は日常では絶対に味わえないスリルをあたしに与えてくれる。この感覚が堪らなくて、あたしが遊園地に行く時は必ずこのジェットコースターをまず初めに乗ることにしているのだ。


 グワンと遠心力で吹き飛ばされそうな大きなカーブを滑るように突き進む。
あたしの隣にはタクトがいる。彼はあたしを守るためだと言って一緒にジェットコースターに乗ってくれた。

 楽しんでくれてたら嬉しいな。

 そう思ったあたしはチラリと横を見る。そこにはいつもの仏頂面じゃなかった。けれども、笑顔なんて想像出来ないような表情でもない。ううん。ある意味笑顔よりももっと予想外。

 あのタクトが、肩の安全バーを思いっきり握りしめ、顔をヒクヒクと引き攣らせていたのだ。


 横からゼイゼイと荒い呼吸音が聞こえてくる。

 隣には膝に手をつき、いつもの仏頂面が崩れ冷汗をタラタラと垂らしているタクト。そんな彼らしくない姿を見て、あたしは笑わずにはいられなかった。
ジェットコースターが終わって、ようやく天地逆転も吹き飛ばされそうな遠心力と無縁な地面にあたし達が立ってから、そんなタクトの様子がおかしくてあたしはずっと笑い通しだった。

「あははははははははは」

 く、苦しい…。

 笑いすぎで軽く呼吸困難になっているし、腹筋が割れたかのようにお腹が痛い。こんなに笑ったのってホント何年振りだろう。

「べ、別にそこまで笑うことじゃないだろう」

 ぐったりとしながらいつものなんの感情も読めないような口調で呟くタクト。けれどもあたしは気が付いた。タクトの口調にほんのちょっとだけ拗ねてるような感情が含まれていることに。

 普段の冷静で大人なタクトらしくない口調で、ようやく下火になってきた笑いの炎を再燃させる。

 ちょっとたってタクトはようやくさっきのジェットコースターのダメージが抜けてきたみたい。いつまでも笑い続けているあたしをジト目で睨んでくる。

 そんなタクトからの視線を感じてようやく落ち着いてきた。

「だ、だってタクト、ジェットコースターに乗る前と後じゃ、全然違うんだもん」

 その言葉を聞いたタクトは、一瞬ハッとした表情になると、すぐさまプイっと顔を背ける。

 乗る前のタクトはやっぱりいつもの仏頂面でジェットコースターなんて下らないみたいにクールに構えていたのに、いざ乗ってみたらこれだもん。笑わずにはいられない。

「仕方ないだろう。ジェットコースターなんて初めて乗ったんだ。まさかあんな恐ろしいものだとは思わなかった」

「ってことはやっぱりタクトって遊園地初めて?」

「ああ。一応知識としてはどういったものがあるか知ってはいたがな」

 タクトのそのセリフを聞いてあたしは溜息を洩らす。

 どうせこの男のことだ。小さな頃から仕事仕事ばっかでロクに遊んだことないに違いない。今日は思いっきり連れ回そう。

「さて、タクト。そろそろ次のアトラクション行くわよ」

「わかった。どれに乗るんだ?」

「これよ、これ!」

 あたしは持ってるマップでもう少し先にある別の絶叫系を指さす。途端にタクトの顔が青くなった。

「……別のにしないか?」

「えー。いいじゃない別に。あたしが乗っている間タクトは別の所で待ってれば」

「そういうわけにもいかないだろ。頼むから別のにしてくれ」

「あたしはこれがいいの! タクトは乗らなきゃいい問題じゃない」

 気持ち強めの口調で強引に押し切る。そのままタクトの返事を待たずに新しい絶叫マシーンへと歩き出す。

 後ろからハァという溜息と少ししてあたしを追いかける足音が聞こえる。

「……勘弁してくれ」

 そんな呟きが聞こえましたとさ マル








[25905] 3-2
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/16 23:35
   2

 一台の車が道行く結う金途中の人々の視線を集めていた。近頃流行りの痛車という奴でも停まっていたのだろうか。いや、車自体にそこまでの視線を集めるほどの要素はない。

 強いていうのであれば持ち主の財力を表わすかのような高級感漂う黒塗りベンツ。けれどもそれだけでは弱い。

 どうしてそれほどまでに人々の視線を集めているのか。

 なんてことはない。ただそのベンツが停車している場所が問題だったのだ。

 ワンコインでそれなりに豪勢な飯が食べることが出来るお手軽な牛丼屋。時間帯が時間帯ならば部活帰りの腹ぺこ中高生に、嫁に小遣いを減らされヒイヒイ言ってるサラリーマンたちに人気の――所謂庶民的なファーストフード店。

 そこに金持ちの代名詞たる黒塗りベンツ、しかも見るからに大物が乗ってそうな雰囲気のそれが庶民の、更に言えば安価なファーストフード店に停まっていたら、そのギャップに誰もがそこに視線を向ける。ある人は興味深げに、またある人は唖然としながら。

 なんとも珍妙な組み合わせだ。


「ありがとうございましたー」

 客商売をする人の定型句とも言える中身のない感謝の台詞。それとともに自動ドアが開く。中から出てきたのは一人の男性。

 年齢は二十代後半くらいだろうか。男はボサボサとした髪で、洒落たブランド物のスーツをラフに着込んでいる。顔の造形もそれなりに整ってはいるが、どこかダルそうな表情のためイマイチ締まらない。

 男は気だるげに欠伸をしながら、今尚人々の注目を集める黒塗りベンツへと歩いてく。そしておもむろに後部座席の扉を開けた。

 中にいたのは柿崎と近藤の二人のみ。運転席に近藤が座り、男が開けたのと反対方向の後部座席に柿崎が座っている。二人ともムスッとした表情を浮かべ、不機嫌な心持ちを隠そうとはしなかった。

 そんな二人の様子に、男は全てを誤魔化すような苦笑いを浮かべながら手を合わせる。

「いやー、悪い悪い……」

「悪いじゃありません! 一体なにをやっていたんですか〝ノイズ〟?」

 ノイズと呼ばれた男の謝罪の言葉をピシャリと言い伏せる柿崎。そんな彼女の反応に、ノイズは怯えるように身体を震わせながらも口を開く。

「……………ぎゅ、牛丼食べてた」

「それは見ればわかります! 私が言いたいのは昨日なんであなたと連絡が取れなかったかということです!」

 ビクンッ! と肩が跳ね上がり、明らかに動揺していることが丸分かりなノイズ。

 そんなノイズの姿に呆れたように溜息一つ、近藤は無言でエンジンを回す。そして車は走り出す。

 しばらくの間なにも喋らないノイズ。けれども柿崎の睨みに耐えられなくなったのかボソリと呟いた。
「……………パ、パチンコ行ってたんだよ」
 小さな声で呟かれたその言葉は、けれども柿崎にしっかりと届いていた。

 ピキリと彼女のこめかみに青筋が走る。同時にノイズの肩が再度跳ね上がった。

 そんな二人の様子を見て近藤は溜息を洩らす。

「それでノイズさん。仕事をサボってまで行ったパチンコで負けてきたと」

 何度かノイズと一緒にパチンコに行き、負けた次の日の朝食を安い牛丼で済ませるという彼なりのルールを知っていた近藤は、呆れながらこう続けた。

「で、いくら負けたんです?」

「さ、さんまんえん」

 弱々しい口調で答えるノイズ。ショックで微妙に幼児退行しているようだ。

 それに追い打ちをかけるように近藤がハンッ! と侮蔑の意を隠そうとしない笑いが飛ぶ。

「ボロボロじゃないっすか。ノイズさんは僕と同じスロット派だし、何やったんすか? ……まさかジャグラー?」

「ウッセ、ジャグラーだよ、悪いか?」

「正直僕としてはジャグラーみたいなクソつまらない台で三万も摩(す)るなんて考えられないっすねー。なんの演出もないし、連チャンしにくいだけじゃなくARTもないから大勝ちも出来ない。そろそろノイズさんもディスプレイタイプの面白さに目覚めた方がよくないっすか?」

「ハンッ! これだからガキは困るぜ。いいか、近藤。ディスプレイタイプの無駄な演出に飽き飽きした玄人がジャグラーに流れるんだよ! 無駄に期待させるような演出もない。ただ光れば当たるというシンプルさ。そこに玄人は惹かれちまうんだ」

 なんてパチスロについて熱く語り合うダメな大人(ノイズと近藤)たち。そんな二人に、残された一人がブチ切れた。

「近藤、そしてノイズ」

 花咲くような笑顔で二人の名前をよぶ柿崎。その笑顔は、男ならば振り向かざるを得ないほどの魅力的なもの。その背後に般若さえ背負っていなければ……。

 二人からさっきまでの熱が一気に冷やされ、消えうせるどころか氷点下(マイナス)にまで到達した。

「うい。すみません柿崎さん」

「スンマセン。チョーシ乗りすぎました!」

 冷汗をタラタラと流しながら視線を前に向け、運転に集中する近藤。土下座でもしそうな勢いで、恥も外聞もなく頭を下げるノイズ。そんな二人を見て柿崎は般若の背後霊(スタンド)を消した。それと同時に二人から安堵のため息が漏れる。

「全く、近藤もノイズもなんでパチンコなんてやるんですか。あんなものお金を捨てるだけだっていうのに」

 柿崎のその言葉に、ノイズはグイッと頭を上げ悔しそうに漏らす。

「一介のギャンブラーとしてお前さんのその言葉を思いっきり否定してー!」

 なんてわなわなと身体を震わすノイズ。けれどもすぐに力を抜き、ダラリとシートに身体を預ける

「まあいいや。負けちまったオレが言うセリフじゃねぇし、なにより今話すことじゃねぇ。…単刀直入に聞くぜ。昨日あの兄ちゃんを倒した時点でオレの仕事は終わったはずだろ? 女の子一人捕まえるくらいならお前らでも充分だ。なんで今更オレを呼ぶ必要がある?」

「ノイズ、確かにあなたは昨日顎のタクトを倒しました。けれども倒しただけで再起不能にはならなかったのです。ターゲットを捕まえようと迫った式神を還し、そのままターゲットと逃亡。わずかに記憶が混線しているようですが、戦闘に支障はなく式神では彼の相手になりません。だからノイズ。あなたが……」

「あーハイハイ。もう一度なんとかしろっていうんだろ? わかりましたよっと。完全にこっちの落ち度だ。あの兄ちゃんはオレがなんとかするさ」

「よろしくお願いします」

 一礼する柿崎を尻目にノイズは気だるげに窓を開ける。そして懐から煙草の箱を取り出し、火をつけた。

「はぁ。ノイズさん、何度も言いますが車の中で煙草はやめてくれません? 匂いが移るんで」

「ウッセ。だからこうやって窓を開けながら吸ってるだろ。匂いなんて残らねぇよ。テメェらに迷惑はかけねぇ」

 苦々しげに言った近藤の言葉。けれどもノイズは全く意に介すことなく平然と煙草の煙を吐く。

「近藤の言う通りですノイズ。それに煙草なんて吸ってると身体に悪いですよ?」

 純粋に彼の身体のことを心配する柿崎の言葉。けれどもノイズの心には届かない。

 ゆっくりと深呼吸をするように、煙を外に吐き出すノイズ。

「別にオレの身体だ。どうだっていいだろ」

 あくまで外の流れるような景色を眺めながら、ぶっきらぼうに答えた。

 そんなノイズの様子に近藤は溜息をついた。

「まったく。昔はパチンコも煙草もやらない、もっと真面目な人だったのに。三年前になにがあったんすか?」

 近藤のその言葉にノイズは忌々しげにチッと舌打ちを一つ。けれども視線は窓から話さず一言。

「うっせーよ」


 紫煙が空を舞う。





 あとがき

 今回十話での目標、以前言いましたがPVの方は見事達成することができましたが、感想は達成することができませんでした。残念です。。。 (けれども新しく一件感想を貰うことができました。YO様ありがとうございます)

 これから投稿に時間がかかるかもしれませんが、何卒escapeをよろしくお願いします。ここまで読んでいただきありがとうございました。





[25905] 3-3
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/22 21:03
       3


 あの後あたしたちは更にもう一つの絶叫系に乗って、合計三つのアトラクションを制覇した。お昼までの二時間の間にこれだけ回れたんだ。あたしとしては充分満足。

 ……けど、無理すればもう一つくらい乗れるかな?

 そう思ったあたしはもう一度マップを広げる。

 …………あった!

 ここから歩いて数分の所に観覧車がある。顔を上げると、確かに近くに観覧車の巨体が見える。マップでこの近くにこれといったアトラクションがないし、今まで絶叫系ばかりだったから、休憩にゆったりと外の景色を見るのもいいかな。

「まだ、乗るのか?」

 どこか疲れたようなタクトの口調と表情。今まで乗り続けたおかげなのか、絶叫系のアトラクションに慣れてきたのか最初みたいに顔を真っ青にして満身創痍ってわけじゃないけどやっぱり苦手みたい。

「うん。最後に観覧車に乗りたいんだけど、もちろんいいよね?」

 そう聞くとタクトはしばらくの間黙り込む。

 なんだろうと思いつつ、喉の渇いたあたしはさっき自動販売機で買った紅茶を口に含む。

「…………観覧車って怖いのか?」

 タクトからの思わぬ不意打ちに思わず飲んでた紅茶ごと噴き出した。

 ……ま、真面目な顔してそれは、反則すぎる!


        *


「ね?怖くないでしょ?」

 なんてニコニコとおかしそうに笑みを浮かべている美鈴。そんな彼女に少しだけムッとなる。

「……仕方ないだろ。今までずっと恐ろしいものばかりに乗っていたんだから」

 確かに景色を楽しむため、ゆっくりと回る観覧車を怖いのか? と聞くのは見当違いも甚だしく、美鈴が笑うのもしかたない。がしかし、ここまで全て恐ろしいものしか乗っていなかったんだ。そう勘違いしてしまうのも無理はないだろう。

「それにしても意外」

「なにが」

「タクトがジェットコースター苦手だってこと」

 そう言うと、その時のことでも思い出しているのかクスクスと笑いだす。思わず不機嫌になりながらも言い訳じみた言葉を発する。

「危険があるにも関わらず、どうしようもない状況なんて初めてだったのだから」

 例えばそうだな。……バイクで時速一五〇キロ近く出しながら公道を走っても、空間把握を使えば運転ミスなどない。さらに近く出来る範囲が広いためおれに突発的という言葉は存在せず、不意の事故など起きるわけがない。また自分が運転しない時には必ず操縦者を自分が信頼出来る人間にするし、空間把握得た情報でアドバイスできる。つまり二つに共通して言えることはどんなに危険な状況だろうと、何とかしようと思えば出来るということだ。かりにそれで死んでも、自分が出来ること全てを行っての結果だから受け入れることが出来る。

 けれどもジェットコースターは違う。まず安全バーによって動きに大幅な制限が加えられる。バーを外すことは容易いが、危険度が飛躍的に増大しそれでは意味がない。ジェットコースターは決められたレールの上を進むだけで、仮に何かしらの事故に巻き込まれた場合空中に投げ出される可能性が高い。そうなれば空間把握など意味がない。

 自分が何も出来ずに死ぬ可能性がある。だからこそおれはジェットコースターが恐ろしいのだ。

 なんてことを美鈴に口頭で説明すると、彼女はポカンとした表情を浮かべていた。

「なんていうかタクトって空間把握に結構頼ってるのね」

「おれが持つ唯一人より優れたものだからな」

 主観を入れずあくまで客観的に分析した場合、俺の持つ異能、空間把握は強力なものではない。どちらかといえば弱いものだろう。

 だがしかし汎用性に優れ、使い手次第でいくらでも化けることができる。つまり弱点と呼べるような弱点がないのだ。強力であるがゆえに、対応策が生まれてしまう一点特化型の能力に比べ、遙かに信頼出来る。

 そこまで考えておれは気分を入れ替えるように息を吐き出す。

 いや、こういった自分の能力を一番と考えてしまう思考は、超能力を持つ人間ならば同じように思うだろう。つまりは無駄な思考だ。


 ほんの少しすると、観覧車が丁度真上に差し掛かった。それと同時に美鈴は視線を観覧車の外に向けると、すぐさまパアァッと瞳を輝かせる。

「……きれい―――」

 彼女につられてそちらを振り向くと、遠くに海が見えた。ディープブルーの海面が、真夏の日差しを受けて銀(しろがね)に輝いている。なるほど、確かに美鈴が綺麗と漏らしたわけだ。

 オレは視線を外の景色から外し、美鈴を正面から見据える。彼女はニコニコ楽しそうに笑っている。

 そんな彼女に今日一日考え続けていた疑問をぶつける。

「なんでこのタイミングで遊園地(ここ)に来ることにした?」

「んー…………」

 美鈴は首を少し捻り、しばらく考えている。

 思えばおかしな話だ。自分の命が狙われているという状況で、呑気にこんな所で遊びに興じるという選択肢など生まれるはずがない。それがどうして……。

「いろんな理由があるけど、一番はタクトをどうしてもここへ連れて来たかったからかな」

「なんでおれ何だ?」

「ねぇタクト。あなたって仕事が全てでしょ?」

「ああ。そうだ」

 おれにとって仕事、今はこの守り屋だけが全てだ。仕事が完遂出来ないおれなど価値などない。なにがあろうと仕事だけは必ず完遂しなければならない。

 そう、おれがおれであるために………………。

 おれのその心情を知っているとでもいいたげに薄く笑う美鈴。

「だと思った」

 そんな彼女の様子に、おれの頭の中には疑問符が幾つも浮かんでいる。

「うん。昨日一日一緒にいてなんとなくそのことがわかったんだ。だからどうしても遊園地へタクトを連れてきたかった。多分あたしの護衛が終わってから誘ったんじゃ断られると思って、今日しかチャンスないかなーってね」

 確かにおれをこういった所へ誘おうとするならば、チャンスはこの時しかない。おれに仕事に関係しないことをする時間的余裕はない。この仕事が無事終われば次の仕事の準備に追われるか、今回の仕事の反省点を改善するためにトレーニングに勤しまねばならない。遊園地などこういった所で遊んでいる余裕は存在しない。

 彼女がこの状況で遊園地に行ったのかわかった。だが……。

「だが、なんでおれなんだ?」

 そうそれが最大の謎。楽しむだけなら仲の良い友人と一緒に行った方が、おれと行くよりずっと楽しめるだろう。それをわざわざ危険を覚悟してまで、なんでおれと行くことにしたのだろうか。

「すっごいありきたりな言葉だけどね。人生楽しんだモン勝ちよ?確かに仕事は大事だと思うし、それを優先させちゃう気持ちもわかる。けどね、タクトの人生はそれが全てじゃない。そう絶対に。そのことをわかって欲しかった。だからどうしても遊園地に行きたかったの。タクトに楽しんで欲しかったから」

 そこで美鈴は一拍置く。

「まっ、結局あたしが楽しんじゃってるだけなんだけどね」

 そう言って彼女は自分の失敗を誤魔化すようにアハハハハと乾いた笑いをする。

 ――――――ドクン

 心臓の音が嫌に響く。

 なぜだかわからないが、そんな美鈴を見ていると胸の奥から不可思議な感情が湧き上がってくる。そんなよくわからない衝動に突き動かされ、思わず美鈴から顔を背けてしまった。

「ん、どうしたの?」

「なんでもない」

 不思議そうにおれの顔を覗きこんでくる美鈴に言葉を返す。けれどもどうしても彼女の目を見ることが出来なかった。



        *


 遊園地内にあるファーストフード店で簡単な昼食を済ませたおれたちはゆっくりと散歩するかのように歩く。そして時々目についたアトラクションに乗る。あらかじめ乗りたいアトラクションを決め、そこに向かって一直線に進んでいた午前中と違い、酷く気まぐれでゆっくりとした時間。けれどもおれの心はざわついていた。


「へー。ミラーハウスかぁ……。おもしろそうだし入ってみない?」

 ステップを踏みながらおれの前に立つ美鈴。同じように楽しげにツインテールが揺れた。

「ああ。そうだな」

 そんな楽しそうに笑う彼女を見ていると、胸のざわめきがより一層激しくなる。けれどもそんなことをおくびにもださないようにいつもと変わらない口調で答えた。


 ミラーハウス。簡単に言えば鏡の迷宮だ。建物の中に幾つもの鏡が無限の虚像を映し出す。反射によって生み出された幻の道が、本来単純であるはずの迷路を複雑に演出している。

 だがしかし、視覚を使わなくても〝視る〟ことが出来るおれには無駄なことだ。

「ねぇタクト。どっちの道へ行ったらいいと思う?」

「………左だ」

 左右に別れた二つの通路。空間把握で右の道を選択すると、しばらくすると行き止まりになっているのがあらかじめわかった。

「よし! じゃ、左に行ってみよっか」

 そう言って、おれの言ったとおり左のルートを進む。おれの空間把握に間違いなどなく、終着点まで続く合わせ鏡の通路が存在していた。

「そういえば、この世界って魔法があるんだよね? だったら都市伝説みたいな怪談実際にあったりするの?」

 美鈴からの突然の質問。意図は掴めないが、興味本位である可能性が高い。脳内のデータバンクから検索の準備を始める。

「例えば?」

「そう…ねぇ。たとえば四時四四分に学校のトイレの鏡で合わせ鏡をすると、四番目の顔がその人の死に顔が映っているとかっていうようなありきたりなものなんだけど」

「……そういった怪談の類は聞いたことないが……。可能性はゼロではない。まだ遭遇したことはないが、実際に鏡を媒体とした怪奇現象のデータが存在する。その怪奇現象の詳細は知らないが。そう、だな。君の言った都市伝説のような怪談も実際にあってもおかしくない」

「ふーん。そう考えると鏡ってその人身体だけを映しているだけじゃなくて、もっと色々なものも映しているのかもね。たとえばその人の心とか」

 微妙に真剣な顔でいた美鈴は、そこまで語り終えたと同時に打って変わって楽しげな笑顔に戻る。

「さて、あたしの疑問も解決したことだし、先を急ぎましょタクト」

 その言葉通りおれをおいて先へ進む。クルンと振り返り「早く早く!」なんて手を振りながら声をかけてくる美鈴に溜息と簡素な返事を一つ送る。

 けれどもおれはすぐさま美鈴をおいかけようとはしなかった。

 さきほどから収まる気配のない胸のざわめき。何故こうも心が落ち着かないのか。その原因をさぐろうと隣にある鏡を覗きこむ。なんてことはない。鏡
は人の心を映すといった美鈴の言葉に突き動かされたにすぎない。


 右手で鏡に触れる。ガラスの無機質な冷たさが過去へと誘う。





 あとがき

 せっかくオリジナルでここまで書いたんだし、どこかへ応募してみようかな? 確か出来ると思ったけど。



[25905] 3-4
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/24 20:31
        4



 それはある日の記憶であり記録。彼が幼かった頃の思い出。


 一組の男女があるマンションの廊下を歩く。なにかを堪えるような、けれどもそれを隠すような面持ちで進む若い女。もう一人は少年。年齢は三歳かそこらだろう。女とは対照的に、初めて来る場所に好奇の目を輝かせ、キョロキョロと周囲を見渡している。

「ねぇ。今からどこへ行くの?」

 子供らしい純粋な疑問。それを聞いた瞬間女の肩が跳ね上がった。おそらく幼子独特の純真さが、女の心の琴線に触れたのだろう。心の内から溢れ出す感情を無理矢理誤魔化すような、泣き笑いの表情。そして女はしゃがみこむと少年をぎゅっと力強く抱きしめた。

「大丈夫。大丈夫よ」

 女はまるで自分に言い聞かせるように、何度も「大丈夫」を繰り返す。少年にはこの後なにが起きるか見当すらつかなかったが、そんな女の雰囲気に少年は不安にかられ、小さく、けれども力強く女の服を掴んだ。


 しばらくたって女はようやく落ち着いたのか先を進む。時間にして一分ほどだろう。ある部屋の前で立ち止まった。そして震える手で呼び鈴を鳴らす。乾いた電子音が、同じように無機質なマンションの廊下に響き渡る。

 しばらくしてガチャリとマンションの扉が開き、中から一人の男が出てきた。

健康とはとても言えない病的な細さに、爬虫類のように青白い顔。そしてまるで骨の髄までしゃぶり尽くそうとするようにギョロつかせながら少年を見つめる瞳。

 そんな男の容姿に少年は思わず女の服を掴む。男はそんな少年の様子を知りながら、けれどもその値踏みするような表情を改めようとしない。せめて微笑むなりなんなりすればいいものを。

「へぇ、時間通りか。で、そのガキが?」

 男は顎で少年を指し示しながら女に聞く。

「ハ、ハイそうです」

「フーン。……オイガキ。今オレがナニ持ってるかわかるか?」

 唐突に男に話しかけられた少年は、何かに怯えるように身体を震わす。拒否を許さぬ男の雰囲気に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「て、てっぽうとナイフ」

 少年の言葉を聞いた男が、ニタァリと粘着質な笑いを浮かべる。それに対して少年は更に身体を震わせる。

 初めからわかっていた。少年が怯えていたのは何も男の容姿だけではない。少年の持つただ一つの異能、まだ未熟なそれが先ほど言葉にした二つの情報を少年に与えていた。

 いくら幼くてもわかる。この平和な日本において、懐に拳銃とナイフを忍ばせておくことの異常性。

 この男は一体何者なのか? なぜ女は少年をここへ連れて来たのか? そして自分はこれからどうなってしまうのか? いくつものクエスチョンマークが少年の頭の中で乱舞する。

「合格だ」

 そんな少年の内心などまるで知らないように、男は満足げに女に告げる。そしてガサゴソとヤニ臭いスーツのポケットから分厚い封筒を取り出す。

「ほら。現金で百万ある。持ってけよ」

 大金の入っているはずなのに、ポイッなんて擬音がつくような軽い扱いで男は封筒を女に放る。それを慌てながらも女は落とすことなく受け取った。

「残りの金は指定の口座にキチンと振り込ませる。この業界は信用ってやつが大事でねぇ。契約したからには絶対にそれに答えるのがオレたちの流儀だ」

「ハ、ハイ。ありがとうございます」

 深々と頭を下げる女に、男は鬱陶しそうに答えた。

「礼なんていいからさっさと行けや。全くメンドクセェ」

「スイマセン!」

 そう謝罪の言葉を述べた後、女は急いでにこの場から離れるため足を動かす。少年をこの場に残して…。

 少年には女と男の遣り取りの意味を正確には理解出来なかった。けれども自分がここで女に置いてかれ、もう二度と会うことが出来ないということだけははっきりと理解することが出来た。

「待ってよ! ――――」

 少年は涙を浮かべ、必死になって手を伸ばし女の名前を呼ぼうとする。

「おっとそいつは出来ねぇ」

 少年の肩に男の手がおかれた。ただ置かれただけというのにゾワリと少年の身体に寒気が走る。その悪寒が少年の女への思いを、全てが失われる恐怖を凍りつかせた。

 男が作り出した時間は僅か一分。けれども溢れ出る感情を誤魔化そうと、必死になって走る女がここを離れるには充分すぎる時間だった。



 少年の言葉は失われた。想いは永遠に届かない。その瞬間に高森拓斗は喪われ、少年はただのタクトになった。



         *


「最初に言ったようなぁ。この業界信用が命だって」

 ダランとデスクに足を乗せながら庵治木瑠実亜(アジキルミア)は煙草を吹かす。彼の言葉はおれに向けたものではない。今この庵治木さんの書斎にいるのはおれと庵治木さんとナカジマの三人。必然的に最後の一人、ナカジマへの言葉だった。



 あの日目の前の男、庵治木瑠実亜に引き取られてから数年が経過した。かつて名前も忘れた女とともに暮らしていた拓斗は既にいない。殺人組織『fall』の後継者、それがおれだ。そしてそこが同時に今のおれの居場所でもある。

 『fall』のトップである庵治木は幼いおれにありとあらゆることを仕込んできた。数限りない銃器の扱い方と、そのメンテナンスの仕方。いかにして効率良く人を殺傷出来るよう工夫された刃物の扱い方と体術。語学や高等数学など様々な分野における高度な知識など、子供であるおれには過ぎたモノばかりであった。

 けれども庵治木さんはおれが子供であるなどお構いなしに、出来なければ容赦なく体罰が与えられてきた。その度になんどこの男の前から消えようと思ったことか。

 それでもおれはこの庵治木さんとともにいる。仮に逃げだせたとして、何の支えも無しにおれみたいな子供が生きることなど出来ない。それがわかっているからおれはどんなに辛くてもここにいるしかないのだ。


「ああ。聞いてるさ、庵治木」

 イライラと舌打ちをしながらナカジマは答える。『fall』の実行部隊として殺しの第一線にいるナカジマには何度も聞かされてきた内容だろう。ナカジマの態度には今更何を言っている、という彼の心がありありと映し出されていた。

「だったらさぁ。なんで依頼された仕事をミスったんだ? ナカジマァ」

 まるで蛇のような獰猛で粘着的な笑みを浮かべながら庵治木さんはナカジマを弾劾する。悔しさで唇を噛みながらナカジマは叫ぶ。

「ウッセェ! 二度や三度の失敗が何だってんだ! この俺に向かって説教なんてすんじゃねぇよ庵治木ぃ!」

「その二度や三度の失敗で『fall』の信頼が落ちるんだよ。そんなこともわからねぇカスなのかテメェは」

 激昂するナカジマと対照的に、庵治木さんは冷ややかな目で彼を侮蔑する。

「仕事の出来ねぇカスに用はねぇ。テメェはクビだ。さっさと出てけ」

 淡々と冷めた口調でナカジマの解雇を告げる庵治木さん。そんな彼の態度が気に入らなかったのかナカジマは罵詈雑言をまき散らす。

「俺をクビだぁ? いくらここのトップだからって仕事もしないでただ踏ん反り返っているだけのテメェの方がカスじゃねぇか! もういい。こんなとこ、こっちから出て行ってやるよ!」

 そう言ってナカジマは八当たり気味にドスドスと地面を蹴りつけながら、庵治木の書斎のドアノブに触れる。その瞬間銃声が響く。
 血溜まりをつくりながらフローリングの床に崩れ落ちたナカジマの顔は青ざめながらも驚愕に満ちていた。

 ナカジマを撃った張本人、庵治木は人を殺したというのに、先ほどまでと変わらない冷めた目をしていた。

「…………な、なんで…?」

 最後の力を振り絞ったナカジマの言葉。庵治木は吸っていた煙草を灰皿に押し付け立ち上がる。そしてゆっくりとナカジマの元へと歩き、彼の頭を踏みつけた。

「大人しく辞めるなら文句は言わねぇ。だがてめぇの目には野心があった」

 その言葉を聞いた瞬間、ナカジマの目が見開かれる。そして彼は泣き崩れるようにして事切れた。

 そんなナカジマの遺体に庵治木は唾を吐き捨てる。それと同時に庵治木の書斎の扉が開かれ、外から事務処理担当の男が現れた。

「銃声が聞こえたんですけど、大丈夫ですか庵治木さ、うおぉ! ナ、ナカジマ?」

「オイ。このカスを硫酸風呂にでも浸けて処理しとけ」

「ハ、ハイ!」

 ドタドタとこの部屋に来たばかりだというのにすぐさま出ていく事務の男。

 初めて人が殺されるところを見たというのに俺の心は静かだった。それはまるで心の中のモノが全て凍りついてしまったかのような虚無感。

「オイ、タクト」

「はい、庵治木さん」

「お前、最近の訓練舐めてるだろ」

 おれはその言葉に咄嗟に口を噤む。最近ようやくこの地獄の訓練に慣れてきた。そのため確かに最初の頃の緊張感が薄れ、流れで訓練をこなしてきたかもしれない。だがそれが一体どうしたというのだろうか。

「今のカスが未来のお前かもしれないぜ? いいか、俺はなぁ役に立たない穀潰しを育てるような優しい優しい人間じゃねぇんだよ。確かにテメェには空間把握という異能がある。だがそれはテメェが上手く扱わなきゃただの無用のゴミにしかならねぇ。使い物にならないカスは容赦なく切り捨ててくぜ」

 そこで庵治木さんは胸ポケットから煙草を取り出し、ポケットからジッポの洒落たライターで火をつけた。

「タクト、テメェはおれの後継者だ。この『fall』についてヤバイ所までテメェにだけは教えてある。いいか。テメェはこの『fall』を抜けることは許されねぇ。抜けなかったとしても、テメェが仕事の出来ないカスだった場合オレが責任もってテメェを殺す」

 そう言っておれを見つめる庵治木さんの瞳に嘘はない。この男はおれが期待通りの実績を上げなければ容赦なく虫けらのように殺すだろう。

「まあもっとも母親に金で売られるようなイラナイ餓鬼なんぞ、たとえ殺さなくてもこの世界で生きていくことなんぞ出来やしねぇ。お前の居場所はここだけだ。生きていくためには無駄なモノなんて捨てちまえ! 与えられた仕事を完璧にこなすことだけを考えろ! わかったな?」

「はい、庵治木さん」

 庵治木さんは不機嫌な面持ちで吐き捨てるようにそのことをおれに伝えると、そのままドアノブを回し書斎から出て行った。

 そのあとガヤガヤと事務処理班がやってきてナカジマの遺体を処理していく。そんな中おれはただ無表情に彼の遺体を見つめていた。

 ふとおれの目とナカジマの光無き双眸が交差した。ほんの一瞬の出来事だが、その闇色の瞳は確かにこう語っていた。「次はお前の番だ」と。 庵治木さんの言っていた言葉に嘘はない。あの女に捨てられた時点であの暖かな世界(日常)におれの居場所はない。おれの生きる世界は薄汚れた殺人組織の中だけ。そこで生きるためには仕事以外の全てを排除しなければ。喜怒哀楽感情などという無駄なものの一切を失くし、おれのすべてを仕事の達成に傾ける。


――――――おれの居場所(命)を
               守るためには――――――




         *


 過去を切り裂く小さな雑音(ノイズ)。僅かな僅かな疼きとともに空間把握のセンサーが敵意ある二つの意志を感じ取った。
「美鈴!」

 間髪入れずに彼女の名を呼ぶ。先行していた美鈴は丁度次の角を曲がったばかりのところだった。

「ん、なに?」

 ひょっこりと角から顔だけを出す美鈴。その顔は変わらず楽しげな笑顔のままだった。

「敵がこのミラーハウスに入った。気をつけろ」

 淡々と空間把握のセンサーが読み取った情報を彼女に伝える。
あくまで広範囲に展開させた空間把握のセンサーでは相手がどういった人間なのか、どの辺りにいるのか正確な情報は得られない。だが確実にこちらに向かって近づいてきている。それだけわかれば充分だ。

 おれの言葉を受け、美鈴の顔が強張る。

 せめて遊園地にいる間だけでも美鈴が笑顔のままでいて欲しかったと
、おれらしくないことが頭に浮かびすぐさま一蹴する。敵がきているという状況で、そんな無駄なことを考えている暇はない。余分なものを全て切り捨て敵に臨まなければ、おれの居場所はなくなってしまう。

 そこまで考えておれは意識を切り替えるためフッと息を強く吐き出した。それにしても酷く脳が疼く。





あとがき

やっと、やっと投稿できた…。



[25905] 4-1
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/02/26 23:40
        1


それは突然のことだった。
 
 何か考え事でもしているのか鏡を見つめているタクト。一向に進む気配のない彼に痺れを切らし、先へ進もうと次の角を曲がった直後のことだった。

「美鈴!」

 あたしを呼ぶタクトの声。その声に足を止め、ひょっこり角から顔だけ出す。

「ん、なに?」

「敵がこのミラーハウスに侵入した。気をつけろ」

 彼のその言葉に思わずさっきまでの楽しかった気分がいっきに吹き飛んでしまった。

「ど、どうするの?」

 駆け足で近付いてくるタクトに、あたしは震える声で尋ねる。

「いいから走れ!」

「わ、わかった」

 彼の鋭い言葉に突き動かされるようにあたしは迷路の先を目指し走り出す。

 五秒とかからずタクトはあたしに追いつきぺースダウン。丁度あたしの半歩前を走るように調整する。そのまま彼はこう続けた。

「このまま一気に出口まで行くぞ。敵は二人。おそらくおれ達を挟み打ちにするつもりだろう。入口の方に一人、もう一人は出口らしきところからミラーハウスに侵入した。このまま敵二人に挟まれるのは拙い。それより先にこちらから先制攻撃を仕掛ける」

 た、確かにタクトの作戦は一見理に適っていると思う。けれども同時に重大な欠陥があることに気が付いてしまった。

「でも、迷わず出口まで行けるの?」

 そう、それが最大の問題。この鏡の迷路を迷わずゴールまで一直線まで進めるんだろうか? 一度でも道に迷ったら結構なロスにつながる。

「問題ない。おれの空間把握を使えば、分岐点の正解だけを進み続けることが出来る」

 そ、そっか。確かにタクトの空間把握を使えば間違えるわけないか。それにいつも仏頂面なタクトが焦ってミスるところだなんてイメージ出来ないし。

 そう思った矢先のことだった。ガシャン! という大きな音。そしてすぐさまもう一発。

 こ、これってまさか………。

「チッ! どうやら鏡を割ってショートカットしてるようだ。急ぐぞ、美鈴!」

 や、やっぱりー! 器物損害で訴えられても知らないわよ!

 なんてテンパッて思考が暴走していても、そんなことお構いなしというように、入口の方から断続的にガラスの割れる音が聞こえてくる。


 ガシャン ガシャン ガシャン ガシャン ガシャン!


 ガラスの割れる音が敵がどれだけ近付いてきているかがわかるたった一つの目安。

 ふとタクトの顔を見る。彼の顔はいつもの仏頂面じゃなくて、眉をしかめたどこか苦しそうな表情。

「…大丈夫?」

「ああ、少し頭痛がするだけだ」

 大丈夫ってタクトは暗に言うけれども、どうせ彼のことだ。無理してるということがあたしにはなんとなくわかってしまった。

「美鈴」

 タクトは小声であたしの名前を呼ぶ。それと同時に唇の前に人差し指を一本。「静かに」というジェスチャー。

「なに?」

 ペースを落とし立ち止まったタクトに小声で話しかける。

「敵が四メートルの範囲に入った。このまま作戦通り奇襲をかける。覚悟はいいか?」

 あたしはこくんと頷く。こうなった以上覚悟なんてとっくに出来てる。



 ―――――ガラスの割れる音はまだ遠い。



 タクトは腰のベルトからナイフを取り出しあたしに「待て」と小声で伝えた。その瞬間のことだった。

「水よ、汝の進むべき道を創り出せ」

 凛とした女の人の声。それと同時にタクトがあたしの手を掴み引っ張った。そしてそのままあたしを何かから守るように抱きしめる。


――――甲高い轟音、そして破砕音。



 タクトの胸の中でなにも見えなかったけど、その音だけでなにが起こったのかなんとなくわかってしまった。

 壁の鏡がなにか大きな力で粉々に砕け散ったんだ。その音の派手さや大きさからいって、さっきまであたし達が進んでいた通路だけじゃない。幾つものガラスを貫通させたに違いない。

 さっきの女の人の言葉から考えて、ガラスを割ったのは大量の水。その証拠にあたしの足元には大きな水たまりが出来てる。これがさっきの破壊を生み出した原因…。

「あまりスマートなやり方ではないのですが、ターゲットを見つけることが出来たのでよしとしましょう」

 ペチャリ、ペチャリと水たまりを踏む音が聞こえてくる。

「チッ、離れていろ!」

 そういってタクトは舌打ちしながらあたしを軽く突き放す。

「わかった」

 あたしはタクトの邪魔にならないように通路の奥へと小走りで移動する。そこへきて初めて今このミラーハウスがどうなっているのか知ることが出来た。

 あたし達がさっきまで走っていた道は既になく、そこには壁をぶち抜いたことによってできたちょっとした広さの空間があった。



         *



 おれはさきほど出来た道の上に立ち、この現象を作り出した担い手の女を見る。

 皺一つないパリッとしたスーツを着込んだ美しい女性。すぐさま脳内のデータバンクで検索するが、該当する人物は存在しない。……誰だ?

 距離にして丁度四メートル、おれの空間把握の有効範囲四メートルのギリギリにいるこの女はおれにむかってにこりと微笑む。その笑みはまるで来客に対応する受付嬢のように、事務的かつ穏やかなものだった。

「はじめましてですね、顎のタクト。私は九曜様の秘書を務めています柿崎京子と申します」

 これから戦おうとしているのに酷く呑気な女だ。そう思いつつおれは油断なくナイフを構えなおす。

 この柿崎という女性はマッドドックやおれのような超能力者ではない。魔術を使う担い手だ。それはさきほどの詠唱が証明している。

 担い手との戦いにおいて重要になってくるのはスピードだ。ほとんどの担い手はその神秘現象をおこすために詠唱や媒介を必要とする。そのため僅かとはいえ、溜めとなる時間がいるのだ。それにたいして近代兵器はシングルアクションで事を為せる。


 今現在おれがいるのは柿崎のつくりだした道の上。道の全長は約十五メートル、幅は目測で五メートル、足場は水とガラスの破片で良いとはいえないが、行動に支障はない。つまりは柿崎との距離四メートルを詰める時間は三秒とかからない。彼女の詠唱よりも先に間合いを詰め倒すことが出来る。

 思わぬ敵からの自己紹介に呆気に取られ、少々の時間を取られたが彼女はまだ詠唱すらしていない。まだ遅くない、ここから一気に加速してケリをつける。そう思った矢先のことだった。

「まったく。遅いですよ、ノイズ」

 柿崎の言葉に反応し、とっさに後ろを振り向く。今おれがいる地点から十メートル近く離れた道の一番端に、スカしたスーツを着込み、膝に手を置いて荒い息の二十代後半の男がいた。空間把握の精度を高めたため、ノイズと呼ばれたこの男を感知出来なかったようだ。


 おれは表情、言葉に出しはしないが内心苦々しく思っていた。この状況はなんとしても避けたかったもの。途中までは作戦通りに事が運んだが、最後の最後で敵に一本取られてしまった。

 ガラスの壁を幾枚も貫通させた大魔術。思えば柿崎にこんなことをするメリットはない。おとなしく待っていてもいずれおれ達と鉢合わせることくらい簡単に予測がつく。ならばなぜこんな大魔術を発動させたのか。おそらく今現れたノイズとおれ達を確実に合流させるため。一枚ずつガラスを割って進んでいたノイズの負担を軽減し、破壊の余波でおれ達の足止めにもなる。そう考えるとさっきの自己紹介にも納得がいく。わずかとはいえ時間稼ぎを狙った行動に違いない。


「ったく、喫煙者を走らせんじゃねーよ」

 悪態をつきながら、苦しげに顔を上げるノイズ。その顔に見覚えがあるような…。

 けれどもおれは脳内検索を行おうとしなかった。否、出来なかったのだ。

 さきほどまで荒い息で蹲っていたノイズが、いきなり態勢を立て直し、こちらにむかって走りだした。それに合わせるようにおれもチッと舌打ち一つ迎え討つために走りだす。

 互いの距離は十メートル。ノイズが有効範囲四メートルに入るのに五秒とかかるまい。拳銃はここに来るまでに撃ち尽くしたのだろう。奴の手にはナイフが握られており、おれと接近戦をするつもりのようだ。

 懸念事項はただ一つ。柿崎という女の存在。彼女の魔術はおそらく放水系。近距離戦での支援は放水系の有効範囲の広さから出来ない。下手に魔術を使おうものなら同士討ちの可能性が高くなる。柿崎とてそれくらいわかっているだろう。おれが怖れているのはそれではない。

 下手にノイズとの戦いが長引けば柿崎が美鈴を捕まえる可能性が出てくる。おれの勝利条件はノイズを倒すことではない。美鈴を安全にここから出すことだ。そのためにはこのノイズと呼ばれた男を時間をかけず一瞬で倒さなければならない。正直厳しい戦いになるだろうが、それでもやらなければならない。


 おれとノイズが互いに間合いを詰める。ノイズがおれの有効範囲まで入るのに一秒もかからない、コンマの世界。ナイフを持つ右手に力が籠もる。そして奴が、有効範囲に侵入した――――。


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                         ―――――――――ホワイトアウト




 あとがき

つ、疲れた。少し難産。今回は少し難しかった





[25905] 4-2
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/03/04 18:32
         2


 それは美鈴を守るおれを排除するため現れた式神たちを路地裏へと誘い込み、無事撃退した時のことだった。

「へぇ、やるじゃん。あんたが《顎》のタクトでいいんかぃ?」

 ボリボリと頭を掻きながら洒落たスーツを着た男がずかずかと路地裏へと入り込できた。
新手の敵におれは緩めた気をもう一度引き締める。空間把握の精度は式神たちと戦った時のまま、四メートルを維持している。

「……お前は?」

 油断なくおれは男を見つめる。おれの有効範囲四メートルへとあと数歩。そこへ踏み込めば戦いが始まる。

「オレの名前はノイズ――――」

 ニタリと笑いながら名乗り上げた男。そしてそのままおれの有効範囲へと足を踏み入れた。

「―――――――――テメェの天敵だ」

 激痛、そしておれはこの時の記憶を失った。




       *




「ガアアアアァァッァァァアアアアアア」

 タクトのケモノ染みた叫びがミラーハウスに反響する。そしてそのまま彼は頭を抱えて蹲った。

「おい、オレの仕事は終わったぜ?」

 そう言いながらノイズはスーツのポケットから煙草の箱を取り出し咥えると、コンビニで売られている百円ライターで火を付けた。

「御苦労さまですノイズ。…さきほどの文句ですが、アナタが禁煙すれば解決するのでは? どちらにしても九曜様の私兵である貴方はこれからも走る機会が多々あるはずです。この機会に禁煙してはどうでしょう?」

「ったく、そんなにオレを禁煙させたいのかい」

 紫煙を吐き出しながら、不満そうな目で柿崎を見るノイズ。

「もちろん。あんな物百害あって一利なしです」

 健康面での心配から柿崎はノイズに毎回のように禁煙を薦めている。けれどもこの通り効果はない。彼にとって煙草は既に生活の一部。禁煙などということは出来ない相談なのだ。

 そんな二人に、蹲っていたタクトは頭痛を堪えながら動き出した。左手で額を押さえながら、懐から拳銃を取り出し隙だらけのノイズに向かって構える。タクトから見ればノイズも柿崎も隙だらけに映っていた。普段の彼ならば逃すはずがない絶好の機会。けれどもこの時のタクトは原因不明の激しい頭痛に苛まれ、動きに普段の生彩がない。

「ガハッ」

 ゆえに引き金を引くことは出来ず、それより先にノイズの蹴りがタクトを襲った。

 吹き飛び濡れた床に身体を打ちつけるタクト。そんな彼にノイズは感情の籠っていない冷たい目を向ける。

「チッ、油断したぜ。つーかよく動けたなぁ。あの状態で動いたやつなんてそうはいないぜ?」

 なんて俗にいうヤンキー座りでノイズは苦笑いとともに感嘆の声を漏らす。けれどもすぐさま元の冷たい目に戻る。

「まぁそんなこたぁどうでもいいわ。どうせ死んじまうんだからよ」

 立ち上がりノイズは懐から拳銃を取り出し、銃口をタクトに向ける。

「まぁ恨むなとは言わねぇ。だが納得はしろ、テメェもプロならな」

 上半身を起こし、片手で頭を押さえながらタクトはノイズを見つめる。頭がカチ割れんばかりの頭痛にいつもの仏頂面が崩れ、苦痛に歪めながらもタクトの瞳は、これから起こるであろう最悪の結末を受け入れるかのように静かだった。

 そんなタクトの瞳を見てノイズは静かに「気に入った」と漏らす。そして引き金を引こ
うとし―――。


「待って!」


 ――一つの声がそれを遮った。

「待って! アンタ達の目的はタクトを殺すことじゃないでしょ?」

 通路の奥に隠れていたはずの美鈴が、柿崎の創り出した道の上で声を張り上げる。大方さきほどのタクトの絶叫のせいで彼が心配になり出てきてしまったのだろう。

「……な…にして、る? …速く、逃げろ」

 頭痛で上手く呂律の回らないタクト。けれどもそんな彼を無視し、ノイズは尋ねる。

「へぇ、つまり嬢ちゃんはコイツの命と自分の命を交換しようっていうのかい?」

 顎でタクトを指し示しながら、ニヤリと意気地の悪い笑みを浮かべる。

「そ、そうよ!」

 全身を恐怖で震わせながら、けれども気丈に声を張り上げる美鈴。そんな彼女を見てノイズは嬉しそうに笑う。

「いいねぇ、嬢ちゃん。中々イイ女じゃねぇか、気に入ったぜ。つーわけで柿崎、コイツの命オレが貰っていいか?」

 タクトを顎で示しながら爽やかな笑みを浮かべるノイズ。そんな彼に柿崎は大袈裟に溜息を一つ。

「はぁ…。いいでしょう。彼女も言っていた通り私たちの目的はタクトを殺すことではありません。あくまで桐原美鈴、貴女の確保にあります。おとなしく同行してくださるのなら彼の命を取ることはしません」

「…………わかった。それじゃあタクト、今まで守ってくれてありがとね」

 そう言って美鈴は柿崎、ノイズと共に歩きだす。そんな彼女らに向かってタクトは手を伸ばす。けれども美鈴は振り返らない。そして三人はミラーハウスから姿を消し、彼の右手はダラリと地に墜ちた。





 冷たい水が背中を焼く。その痛みは衣服など夏の暑さなど関係ないかのように彼の身体を、心を凍えさせる。

 彼の心に一体どんな思いがあるのだろうか? それは例え御伽噺に登場する魔法の鏡でも映しはしないだろう。否、恐怖 後悔 絶望 安堵 不安 心配 様々な感情が渦巻き言葉に出来ない混沌を生み出していた。

 初期設定のままだとすぐにわかる電子音。彼はゆっくりとした動作でポケットから携帯電話を取り出し通話ボタンを押した。

「もしもし、タクト君? 大丈夫かい?」

 声の主は宍戸雅人。彼の現在の保護者であり上司、守り屋《顎》のトップである。彼はいつもと同じ感情の籠らない声で、けれども聴く人によればそれが謝罪の色が含まれている声で答えた。

「はい。ノイズと呼ばれる男にやられましたが命に別条はありません。ただし桐原美鈴が敵の手に堕ちました。これはおれの失態です。戻り次第如何なる罰でも受けます。すみませんでした」

 電話口からでもわかるくらいの安堵の吐息。

「いや、いい。今回は君の責任じゃない。完全にこっちの采配ミスだ。まさかこんな能力があるだなんて…。まあいい。とにかくキミは家に戻りゆっくり休みなさい。ノイズにやられた傷や、疲労が残ってるだろう? あとはぼくに任せなさい」

「ですが……」

「いいかい? これは命令だ。君はもうこの依頼から降りなさい。ぼくが彼女を取り戻すから」

「……何故、ですか?」

 不服そうなタクトの声。それを聞き雅人は溜息をつく。

「わかっているだろうけど、キミでは彼と相性が悪すぎるんだよ。そう、ノイズと呼ばれる男とね」


 そして雅人は語りだす。ノイズと呼ばれた男の特異性を――。




 それは過去ノイズが九曜の命を受け、ある任務を遂行している時のことだった。ノイズは銃器のプロフェッショナルとして参加し、遠距離狙撃でターゲットを仕留める最後の切り札としての役割が与えられた。そしてターゲットの情報をより詳しく彼に伝えるためテレパシストがメンバーにいた。

 事件は唐突に起きた。ターゲットの動向を伝えようとノイズに向かってテレパシーを送信した瞬間だった。絶叫そして全身に痙攣が出て送信したテレパシストは倒れこんだのだ。慌てた周囲の人間、そして仲間たち。なんとかノイズが遠距離でターゲットを打ち抜くことが出来たからいいものを、仲間や他の異能者たちに様々な疑問を与えた。

 後日ノイズの能力が判明し、彼はこう呼ばれるようになった。


 ―――――雑音(ノイズ)と




「いいかい。ノイズと呼ばれる男の能力は精神系の能力者に対するジョーカーと呼べるものだったんだよ。キミが彼に向かって空間把握を使った時の感覚を出来る限り思い出してごらん」

 そう言われ、タクトはノイズが彼の有効範囲四メートルに侵入した時のことを思い出す。

 それは彼にしてみれば不思議な現象だった。有効範囲に入った瞬間ノイズの周囲の空間が歪み、まるで古いテレビの画面のように砂嵐のようなノイズが走り、そして……。

「おそらく彼の影響で乱れた映像が君の中に流れたんだろう。それを修正しようとして君の頭が過負荷を起こしたんだ。まったくなんて能力だ」


 精神系の能力とは須らく自分の頭で何かをイメージする必要がある。タクトのような空間把握ならば周囲の光景を、テレパシストならば送信する情報を。けれどもそのイメージにズレが生じていたら? 発動した能力は必死にそれを修正しようとする。けれどもいくら修正しようともそのズレは収まらない。修正修正修正修正修正修正修正修正修正修正修正、そして最終的に脳の過負荷でシャットダウンを起こす。


 それがタクトが彼にやられた真相。ノイズを天敵と表現した要因。


「だから君にこの後の作戦は任せられない。ノイズと戦えばキミは確実に負ける。あとはぼくに任せてキミはゆっくり休むんだ。もう一度言う。これは命令だよ」

 そう言って雅人は電話を切った。タクトは携帯を耳から離すと、ミラーハウスの無機質な白い天井を見つめる。


 そして彼は――――








 あとがき

 やっと半分終了ー♪ 今作で書きたいことの三つのうちの一つがようやく終わりました。
 タクトさんがあんなに簡単に負けたのは相性の悪さって奴です。一応今回語った内容がノイズの能力です。今回の説明がわかりにくかったり、誤字がありましたらご連絡を。頑張ってなおします。



[25905] 4-3
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/03/21 03:54
       3


 とある中流家庭の一軒家。そこのリビングにはここの家族だろう、四人の男女が思い思いの格好でいた。

 父親らしい四十手前の男は自身の黒塗りのソファに座りながら電話してる。その様子を別のソファに座り紅茶を啜りながら心配そうに見つめる男と同じくらいの年齢の女性。そして二人の子供である双子の少女も母親と同様に不安げであった。一人はいらいらと爪を噛みながら部屋をうろつき、もう一人は彼女専用のデスクトップパソコンの椅子に座りながら所在無さげに机を指で叩いている。

 折りたたみ式の携帯電話をたたみながら男、宍戸雅人は溜息を洩らす。飾り気のない銀縁眼鏡をかけ、面倒だという至極くだらない理由で伸ばしっぱなしにされた無精鬚。柔和で優柔不断そうな、俗にいうヘタレ顔の雅人は「厄介なことになった」と呟く。

「どうしたの父さん? まさかタクトになにかあったとか?」

 彼の娘である朝妃は心配そうに雅人に尋ねる。

「いや、タクト君は無事だよ。ちょっとノイズにやられたみたいだけど命に別条はないみたいだ」

 その言葉に朝妃はほっと安堵の息を漏らす。そしてそのままドスリと空いてるソファに身体を預ける。彼女のその言葉に反応したのは双子の妹である夕妃だった。

「まぁお姉ちゃんはタクトさんのことが心配だもんねぇ」

 クルンと回転式のオフィスチェアを回し、ニヤニヤと意気地の悪い笑みを朝妃にむける。 夕妃の言葉を受け朝妃の顔はカッと真っ赤に染まる。

「ウッサイバカ夕妃!」

 照れ隠しなのか立ち上がり夕妃の前まで歩くと彼女の頭をパシンとはたく。夕妃は涙目になりながら暴挙に出た姉を非難する。

「痛いよぉ、お姉ちゃん…」
「変なこと言うアンタが悪いのよ!」

 朝妃はフンッと鼻息荒くそっぽを向く。


 朝妃と夕妃は双子の姉妹だというのにあまり似ていない。容姿的な意味では二人は双子らしく似ている。けれどもその纏う雰囲気が互いに違いすぎるのだ。
 朝妃の方は今時の女の子らしくおしゃれに気を使い身だしなみもきちんとしている。それは自宅にいるというのに黒地にラインストーンの入ったブランド物のシャツを着込み、下は白のミニスカート。そしてほっそりとした白く健康的な足にはニ―ソックスを履いている。これからすぐにでも外出出来るような恰好であった。
 それに対して夕妃は一言で言ってしまうのならだらしなかった。一日中同じ黒いスエット。寝ぐせのついた髪はそのままで、今でも頭のてっぺんがピョコンと跳ねている。朝妃と違い碌に美容院行っていないせいで髪は伸ばしっぱなしにされたままだ。


「あんた達! あまりはしゃがない!」
 彼女らの母、楓が二人をたしなめる。

 守り屋『顎』とはタクトが以前いた『fall』とは違い組織ではない。宍戸家が『顎』そのものなのだ。

「で、あなた。桐原美鈴ちゃんだっけ? 彼女は今どうしてるの?」
「ああ。タクト君がノイズにやられ、どうやらノイズらに連れてかれたようだ。今は九曜の屋敷に行く途中だろう」

 雅人のその言葉に楓は溜息をつく。

「予測はしてたけど最悪の事態ね。夕妃、屋敷の場所は特定出来たんでしょうね?」
「待ってー。一応出来たには出来たんだけど確認が取れてないー」

 そう言って彼女はクルンと椅子を回転させて起動していたパソコンと向き合う。そして目を瞑り、ゆっくりと息を吐き出す。

「『潜水(ダイブ)』」

 言葉とともに彼女の意識はディープブルーの海へと吸い込まれた。


 虚ろな瞳のまま目の前のディスプレイを見つめる夕妃。キーボードには一切触れていないにも関わらず次々とディスプレイの画面が移り変わる。その速度は普通の人間には一体なにが映し出されているのかすら把握出来ないくらいのスピード。勿論夕妃がそれを目で追えるはずがなく、彼女が見ているのは全く別のモノだった。

 イメージは沖縄にある海底遺跡。けれども太古のソレをより複雑に入り組み迷宮化された巨大建造物。その巨大なダンジョンに向かって彼女は深く、より深く潜っていく。


 宍戸夕妃『ダイバー』が持つ異能は、電子世界への侵入。自らの意識の一部を電子の海に沈ませ、膨大な情報の中から欲しい情報のみを確実に所得してくる。
 彼女いわく『ダイバー』の能力は、一つのダンジョン系RPGを攻略しているようなものだと語ったことがある。複雑な迷路を頼りない地図一つで進み、数々の侵入者撃退用プログラムを倒し、トラップを解除する。その過程で得た鍵を使って強固な扉を開け、情報という宝を手にする。


 我々が見ている電子の世界と宍戸夕妃が見ている世界はあまりにも乖離しているのだ。



 時間にして僅か三十分。一度進んだ道故か比較的簡単に攻略出来たんだろう。夕妃の瞳に光が戻る。

「確認取れたよー。うん、やっぱり九曜はS県F市の樹海にある豪邸に向かってるよー。ついでに調べておいたけど、ノイズ達もそっちへ向かってるみたい」

 夕妃はにへりと笑いながら雅人に告げる。

「ありがとう。これで桐原美鈴を救出に行ける」

「……でもさぁ、ホントに父さん一人で大丈夫なの? そりゃ父さんが強いのは知ってるけどさぁ。相手はあの九曜玄黄だよ? あたしも母さんもノイズのせいで一緒には行けないし」

 朝妃はそう言って心配げに俯きながら人差し指を突っつき合わせてる。朝妃の『蜃気楼(ミラージュ)』と楓の『欠片奪い(ピースジャック)』、二人の異能はともに精神感応系。つまりノイズの格好の標的になってしまうのだ。

 通常『顎』の行動パターンは、タクトが空間把握を使い依頼人周辺の警護。その間に夕妃が依頼人を襲おうとしている敵対勢力の居場所を特定。最後に雅人、楓、朝妃の三人が敵対勢力のアジトを攻め落として任務完了となる。それが今回ノイズという精神感応系のジョーカーが存在することにより、アジトに攻め入ることが出来るのが雅人一人という状況が生まれた。

「ええ。朝妃の言う通りだわ。アナタ本気であの九曜相手に一人で立ち向かう気?」

 怪訝そうな目で楓は雅人を見つめる。

「大丈夫。元々一人でやっていたしね。それに君も知っているだろ? あの『fall』ですら僕は一人で壊滅させたんだ。今回だってなんとかなるさ」

 そう言って自信有り気に笑う雅人。けれども楓の顔は晴れない。
妻として仕事のパートナーとして一番長く雅人とともに過ごしてきた彼女だ。言われるまでもなく、雅人の実力などこの中で一番よく知っている。それでもやはり不安なのだ。けれどもそれは万が一を思っての不安ではない。この業界に長くいた彼女のことだ。九曜の噂などいくつも聞いたことがある。いや、一つ訂正しておこう。期間が問題なのではない。裏へ手を伸ばしたことがある人間ならば、この名前を知らないものはいない。それほどまでに九曜玄黄はビックネームなのだ。



 いわく戦後の日本、その暗部の象徴。彼の手にかかった政治家、企業家は数えきれないと言われ、財政界において多大な発言力を持つとされる。誰もが彼を必要とし、誰もが彼を恐れた。

 そして恐れたからこそ、日本唯一のオカルト専門機関『統魔』に九曜玄黄討伐依頼を出してきた。『統魔』にとっても呪術で人を殺す、九曜の存在は討伐するに値する人物であり、幾人もの担い手や超能力者を送り込んだ。それでも九曜を倒すことが出来ず、九曜側の反撃として『統魔』壊滅、そして自身が日本オカルト界の頂点に立とうと起こした戦いに『統魔』は辛勝するのが精一杯だった。

 近年では業界最強と言われた万屋、守屋蒼一の死に間接的にとはいえ関わっているとされ、現『統魔』当主であり稀代の天才と謳われた陰陽師、土御門秋人すらあるいは凌ぐという話だ。



 勿論宍戸雅人とてこの話は知っている。だがそれでも彼の顔に緊張、心配、怖れの感情はない。それどころか嬉しそうに微笑んでいるではないか。

 楓も朝妃も夕妃も、そんな雅人の様子に訝しげに首を傾げている。そして彼女らの瞳が根拠を話せと語っていた。





「大丈夫だって。今回は一人じゃないんだから」







あとがき

最近ブログというものをはじめてみました。一応以前書いたり、こちらには掲載しないものも載せる予定ですのでよろしければ探してみてください。



[25905] 4-4
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/03/25 20:41
         4


 K市には少々変わった喫茶店がある。いやそもそもそこを喫茶店と呼んでいいものか。勿論喫茶店ではあるのだが、バーも兼業しているのだ。十一時開店、そのまま喫茶店として十八時まで営業。そのあと十七時から翌日一時までバーとして営業している。喫茶店兼バー『オリーブ』、昼は自分でブレンド出来るオリジナル珈琲を飲みに、夜は落ち着いた時間を過ごしたい大人がここを訪れる。そしてそれ以外の人間も……。


「それでさぁ、マスター。聞いてくれよぉ…」
「はいはい。聞いてますよ」

 涙を滂沱のごとく流し続けながら、カウンターに突っ伏している大学生くらいの青年。そんな彼を困ったなぁとでも言いたげに苦笑いしているマスター。とある夏の昼下がり、今日の『オリーブ』にいるのはこの二人だけのようだった。

「おれさぁ。マスターに言われた通り美代子さんに告ってみたんだ。前話したと思うけど、高校の時にマジ惚れしてさぁ。頑張ってアドレス聞いたり、顔を合わせたらそれなりに駄弁ったりしてたんだよぉ。卒業してからも時々メール送ったりなんかりして、それなりに良好な関係は築けてたと思ってたし、マスターの言葉で踏ん切りがついて頑張ってみっか! て思ったんだ」

「そうですか。わたしの言葉であなたの決心がついたのなら嬉しい限りです」

「でさー。ドキドキしすぎて死にそうになりながら、美代子さんに電話してありきたりなセリフだけど告白したんだ」

 既にマスターには、この後の展開が読めていた。そのため、青年に何を言ったらいいかわからず黙って青年が結末を離すのを待っていた。

「「ゴメン、君をそういった対象には見れない」だってさ。人生初! 人生初の告白で見事に惨敗しちまったんだよぉ!」

 そして青年はもう一度カウンターに突っ伏した。そんな彼に向かってマスターは溜息一つ、一杯のホットコーヒーを差し出した。

「これはわたしの奢りです。どうぞ飲んでみてください」
「ありがとぅ…」

そう言って青年は顔を上げ、出されたコーヒーを口に含む。口に広がるコーヒー独特の苦み、そして僅かな酸味。そのコーヒーは確かにおいしかった。おいしかったがしかし、青年の心にはおいしさよりも別の感情が溢れて来た。

「……苦い」
「その苦さがあなたの青春の味です。確かにフラれてしまったのは辛いと思います。けれどもあなたは一歩踏み出した。悲しいことにあなたの思いは終わってしまったけれども、それは同時に新しい始まりでもあります。今はまだ苦いかもしれません。けれどもいつかその大人の苦みってヤツがおいしいと感じる時がくるはずです。わたしはあなたが失恋の痛みを乗り越え、このコーヒーをおしいと言ってくれる日を楽しみにしています」

 そういってニコリと微笑むマスター。そのマスターの笑顔と、差し出されたコーヒーを見て青年はまた泣けてきた。それは失恋の悲しさからきたものではない。

 なんだこのマスター、イケメンだ。イケメンすぎる。そして青年は溢れ出る感情のままカウンターから身を乗り出した。

「……ますたぁ! マスタアアァァ!」
「ちょ、なにするんですか? 痛い痛い! 抱きしめないでください! 他のお客が来たらどうするんですか? 早く離れて!」

 丁度その時カランコロンと入口のベルが鳴る。

 黒い服を着たスラリと長身の男は驚きのあまり目を見開き固まっている。同時にマスターと青年も新しくやってきた男の客を見ながらさっきまでの喧噪はどこへいったのか、抱きついたままの恰好で微動だにしない。

 店内には涙目になりながらマスターにひしと抱きついている大学生の青年。そしてそれを偶然見てしまった長身の男。

「……」
「……」
「……」

 ビデオの一時停止なんて生易しいものじゃない。まるで時間が絶対零度で凍りついてしまったかのような店内。そんな中青年とマスターの心はシンクロする「あ、おれ終わったな」

 凍りついた時間の中、一番最初に動きだしたのは男の方だった。あまり感情を表に出さない男だが、その時ばかりは気まずそうな雰囲気を醸し出していた。

「……すまない。邪魔だったな」
「「邪魔じゃないですから!」」

 同時に二人は離れた。それと同時に男はさっきと同じようにカウンター席に座りながら、マスターは急いで衣服の皺を伸ばしながら見事なハモリで叫んだ。



「それで注文はどうします?」

 いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべながらマスターは新しいお客、長身の男に尋ねる。さっきまでの珍事などなかったかのような自然な対応。いや、強力な自己暗示でさっきの出来事を記憶の奥底にしまいこんでしまったのだろう。

 それと対照的に失恋してしまった青年はいつのまにかカウンターの隅に移動して、「ハハッ、おれ何やっちまったんだろう。誰かおれを嘲ってくれよワロス…」などとブツブツ呟いていた。

 長身の男は空気を読んでかさっきの光景について一切触れることなく、マスターにオーダーする。

「ブラッディメアリーを一つ」

 その言葉にマスターは目を見開き、驚きの表情を浮かべる。けれどもすぐさまニコリと笑い「畏まりました」と告げる。

 ブラッディメアリー。簡単に説明するのならば、ウォッカをトマトジュースで割ったカクテル。確かに『オリーブ』は喫茶店だが同時にバーでもある。作ろうと思えば作れるが、今はまだ喫茶店。それなのにアルコールを頼むのは些か非常識だ。けれどもマスターはそんなことおくびにも出さずに、ブラッディメアリーを作り彼の前に出す。

「ありがとう」

 一言礼を言うと長身の男は、コクリコクリと飲み干した。そしてそのままマスターに会計を頼んだ。

 それは会計の途中のことだった。長身の男はマスターに向かって頭を下げる。

「無理を言ってすまない」

 どうやら喫茶店なのに酒を注文しいたことの非礼を詫びているのだろう。けれどもマスターは笑って一枚の名刺を出した。

「次には夜、来てくださいね」
「すまない。善処する」

 そう言って男は扉を開け、外に出て行った。



 店を出た後、男はどこへ向かったか。それは『オリーブ』の裏手、従業員用の出入り口だった。薄暗い店の裏、そこにあるのはアルミ製のドア。そこの近くにプラスチックのカバーがある。そのカバーを外すとパスワード入力用の0から9まで書かれたボタンがあった。

 男はさきほどマスターから貰った名刺を取り出すと、そこに書かれてあった電話番号を入力する。すぐさまピーという電子音の後、ドアのロックが解除された。男はそのアルミ製の扉を開け店の中に入るとそのまま廊下を歩きだした。

 数メートルほど進んだところ、事務所へと続く曲がり角に達した時、男は立ち止まる。そして道と反対側の壁を右手で押した。僅かな音とともに壁が動く。忍者屋敷にあるような回転扉の仕掛けがそこには存在していた。
 男はその隠し通路に入る。しばらくして階段があった。誰も知らない『オリーブ』の二階への通路を進む。しばらくして扉があった。男は躊躇いもせずノブを回し中に足を踏み入れた。

 鼻孔を擽る甘い芳香。その部屋の中は薄暗く、淡いピンクのライトとアロマキャンドルの火がその部屋の明かりだった。思わず目眩を起こしそうなほど淫媚な雰囲気。けれども天蓋付きのベッドでまどろむこの部屋のただ一人の住人の妖艶さを際立たせるには相応しいものだった。
 ベッドの上で放物線状に広がる艶やかな黒髪。その肌は陶器のように白く、そして触れれば僅かな弾力とともにもっちりと沈むであろう柔らかさ。ベッドの白いシーツと対照的な深紅のドレス。久しぶりの来客に気づき、薄く微笑みながら身体を起こす彼女はまさに魔性の女と称するに相応しかった。

「久しぶりだな、血まみれのメアリー」
「ええ。久しぶりね、タクト」

 そう言って血まみれのメアリーはガラスのテーブルに置かれたカクテル、ブラッディメアリーを口に含む。その様子をいつもと変わらない仏頂面で見つめる男――タクト。

「さて貴方が欲しいのはわたし? それとも情報?」

 チロリとその血のような唇を同じように赤い舌で舐めながら、彼女はタクトにそう尋ねる。



 情報屋血まみれのメアリー。その筋に有名な彼女に会う手段はただ一つ。『オリーブ』にてカクテルブラッディメアリーのみを注文し、マスターから特別な名刺を貰うこと。

 さきほどタクトが貰った名刺は、他の客に配るものとは違う特別なもの。そこに書いてある電話番号は架空のもので、かけてみても通じない。ただ一つ、裏手にある従業員用の出入り口の扉を開け、その先の隠し扉のロックを解除するためのものなのだ。

 普通の従業員に教えられる番号ではその先の隠し扉のロックは解除せず、日替わりでパスワードは変わるため以前開くのに使った番号は使えない。血まみれのメアリーに会うためには『オリーブ』でブラッディメアリーを飲むしかないのだ。



「勿論情報に決まっている」

 タクトはどこか不機嫌そうに告げる。そんな彼の言葉を聞き、血まみれのメアリーは不思議そうに小首を傾げる。

「不思議ねぇ。『顎』には優秀な情報収集能力を持った人間がいるじゃない。彼女に聞けば済むことじゃないの?」
「いいからお前はおれが求める情報をくれればそれでいい。単刀直入に言おう。九曜玄黄はどこにいる?」

 その言葉を聞いた瞬間血まみれのメアリーはさもおかしそうにコロコロと笑い始める。

「もう宍戸雅人からあなたがこの任務に出来る事はないと告げられているのに? あらおかしい。今更九曜の居場所なんて聞いてどうするのかしら?」

 表情に出すことなく、けれども不機嫌そうに歯ぎしりを鳴らすタクト。そんな彼に血まみれのメアリーはより一層笑いを強める。そしてベッドから立ち上がり、タクトの目の前まで歩きだす。

「初めて貴方と出会った時はツマラない男と思ったけれども、中々どうして…。ねぇ、今からわたしとイイことしない?」

 ずいとその美しい顔を近づけ、あと数センチで唇同士が触れ合うような至近距離。けれどもタクトは毅然と言い放った。

「すまないが時間がない。それより早く教えてくれないか?」
「あらつれない」

 そう言って彼女はくるりとターン。先ほどまでと同じようにベッドに座ると微笑む。

「いいわ。教えてあげる。九曜玄黄はS県F市の樹海にある豪邸に向かっているわ。これはオマケだけどね、今はその豪邸は手薄、攻めるなら今日しかないわよ」

「なぜ手薄なんだ?」

「フフフ。どうやら今回九曜がやろうとしていることって本人にとってかなり重要なことみたいなの。統魔に居場所がばれて、そこを攻め入られてもいいってくらいの覚悟でいたみたい。けれども攻めてくるであろう人間がまずかった。土御門秋人、そしてあの桐生清輝。流石の魔人、九曜玄黄も自分と同格の陰陽師と超越者相手には慎重ね。S県から遠く離れた地で自分すらも囮に使い、最大戦力を持って統魔と戦っている。だから今九曜が向かっている豪邸にはほとんど担い手がいない」

「そうか、わかった」

 そう言ってタクトは踵を返し、部屋から出ていく。

「じゃあがんばってねー。タクト」

 ヒラヒラと童女のような笑みを浮かべ手を振る血まみれのメアリー。けれどもタクトは最後まで彼女を一瞥すらすることなく立ち去った。

「まったく。最後までつれないんだから」

 ぷくうと頬を膨らませながら彼女は不満を口にする。けれどもそれは楽しげな笑顔に変わり、ベッドに身を預けた。










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あとがき


これで後半に入る前の閑話は終わりました。次からいよいよ後半に向かっていきます。

『オリーブ』の設定に関しては、大学でグループで行った企業計画を流用しています。一応同じグループだったから使ってもいいと思うけどなぁ。

正直ここで桐生清輝君の名前を出す予定がなかったので、少々前話に違和感が出てるかも…。
多分それより前はこの予定変更の煽りを受けてないと思う。
違和感がある方はご連絡を。気合いと根性と3.14で直します!


おじいちゃんこと九曜が美鈴を使ってなにをするのか? タクトは彼女を助けることが出来るのか? そして雅人さん、ノイズの活躍! 全ては後半へを待て!! ……待っててくれると嬉しいなぁ(弱気)



[25905] 5-1
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/04/07 05:28
         1


 夢すら見ないほどの深い眠り。けれどもそれを醒まそうと、誰かがあたしの身体をグラグラと揺らす。それによってあたしの意識は少しずつ覚醒していく。

「起きてください美鈴さん。起きてください」

 綺麗に澄んだ女の人の声が、半覚醒状態のあたしの耳に響く。多分この女の人があたしを起こそうとしてるんだろう。けれどもあたしの身体はこの欲求に負け、目を開けたくない。

「ったく、オレに任せな」
「なにをするんですか? ノイズ」

 ピチン、ピチンという乾いた音。

 一体なにが始まるんだろうとまるで人事のように浅い眠りのまま思っていると額にビチン! と痛みが走った。

「いったぁ!」

 あたしはあまりの痛みに思わず声が出る。そして一気に眠気が覚めてしまった。一瞬なにが起こったのかわからずに、涙目になりながらキョロキョロと周囲を見まわすと、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたノイズがいた。

「クケケケケケ。どうだい嬢ちゃん。オレのでこピンの味は?」

 おそらく赤くなったであろう額を押さえながらあたしは隣に座っているノイズに怒鳴る。

「めちゃくちゃ痛かったわよバカ!」
「すいません美鈴さんこの馬鹿が一瞬の隙をついて…」

 心の底からすまなさそうに謝る柿崎さん。あたしを誘拐してからもなんだかんだよくしてくれたし、多分この人はそんなに悪い人じゃない。けれども今だに「クケケケケ」なんておかしな笑い声を出してるノイズって男は意地悪な奴だ。ムカツク…。


ーーーー


 タクトと別れてからノイズと柿崎さんに連れられて彼らの車に乗った。いかにも自分が金持ちなのか自慢するような黒塗りベンツが発進する。
自分がこの後どうなってしまうんだろうかという不安に駆られてそわそわしていると、心配そうに柿崎さんはこう言ってきた。

「すみません、美鈴さん。これから車で九曜様のお屋敷へと向かうのですが、どうしますか?」
「どうするって何よ?」

 ジロリとあたしを挟んで後部座席の右側に座っている柿崎さんを睨みつける。彼女は溜息一つ、ポケットからピルケースを取り出した。

「私の提案といたしましては到着までお眠りになるのがよろしいかと」
「……まさか毒とか入ってないでしょうね?」

 あたしはピルケースと柿崎さんの顔を交互に見ながら胡乱な眼で彼女に尋ねる。

「まさか。この状況でわざわざ毒殺するなんて無駄でしかありませんし、なにより私たちの仕事は貴女を九曜様の元へ運ぶことです。貴女を殺す意味なんてありません」

 ふぅとあたしはわざとらしく大きく息を吐き出す。あたしのさっきの質問は一応の確認のため。ホントは毒なんて入ってないことぐらい予想ついてた。けれどももしもって時のことを考えて聞いただけだ。

「おい嬢ちゃん。おとなしくその睡眠薬飲んどいた方がいいぜ」

 そう言ってきたのはあたしの左側に座るノイズ。そんな彼に思わず声を荒げてしまった。

「なんでよ?」
「だったらお前さん、屋敷までの数時間なにするつもりだぃ? 悪いがケータイは使わせられないし、ここには携帯ゲーム機の類もない。オレ達は加害者で、お前さんは被害者。仲好くお喋りって間柄じゃねぇだろ」

 確かに言われてみれば納得だ。ここから九曜とやらの屋敷まで話を聞く限りかなりの時間がかかるみたい。ノイズが言ったみたいにこの人たちとお喋りでもして時間を潰すってのは流石に心情的に無理だ。だったら睡眠薬貰って眠っちゃった方が楽かも…。

 そんなことを考えていると運転席の方から緊張感の欠片もない声がする。

「あ、でも僕ポケモンなら持ってますよー。結構昔のソフトだけど…」
「バッカ野郎! いくらこの嬢ちゃんが自分が追われてるってな状況で遊園地なんてフザケタ所に行けるくらい肝が太いったって、流石にこの状況でゲームなんて出来ねぇだろ。つーか近藤、なんでお前ポケモンなんて持ってるんだよ?」

「いやーだって暇なんすもん。僕は柿崎さんみたいな担い手でもノイズさんみたいな能力者でもない。多少銃器を扱えるただの一般人。それすらもタクトに対抗出来るほどでもない。それになんだか昨日の時点で僕の出番なさげだなーってのがわかったから用意しといたんすよ」
「暇ってオイ…。一応仕事だぞ? ゲームなんてやってんじゃねーよ」
「昨日パチンコ行ってた人間に言われたくありませんねー」

 うぐぐぐと悔しそうに唸なりながら腕を組むノイズ。それをフロントミラー越しにニヤニヤと勝ち誇ってる近藤と呼ばれてた男。

 そんな二人を見ていて、九曜って奴はどうだか知らないけれどもここにいる人たちは悪い人たちじゃないって思った。

「わかったわ。柿崎さん、その薬ちょうだい」

 そういって手を差し出すと、柿崎さんはすまなさそうに眉を下げた。

「すみません、ありがとうございます」

 頭を下げながら睡眠薬の錠剤と、ミネラルウォーターのペットボトルを受け取り、薬を飲む。しばらくして、あたしは深い眠りに落ちて行った。


ーーーーーーー


 あたしは眠る前のことを思い出しながら考える。このタイミングであたしを起こしたってことはつまり九曜の屋敷についたってことなんじゃ…。

 そう思ったあたしは、急いで車の窓から外の景色を見る。夕焼けに染まった鬱葱とした森の中、本当にここが日本なのか疑問に思うくらいの大きさの屋敷があった。二階建の巨大な洋館が怪しげな雰囲気を醸し出しながら存在している。

「ここが九曜様のお屋敷です。どうぞ」

 そう言って柿崎さんは車から降り、ドアを開けたままにしあたしに降りるよう促す。あたしは車から降り、彼らに導かれるまま屋敷の扉を開け中に入っていった。




 だいたい教室くらいの横幅を持った無駄に広すぎる廊下。床には真っ赤な絨毯が敷き詰められていて、壁の所には幾体もの中世の鎧騎士の置物が並んでいた。そんな廊下をあたし達はかれこれ五分以上も歩き続けている。

「ちょっと…。この廊下長すぎるんじゃないの?」

 疲れたというほど疲れてないけれども、いくらなんでも長すぎるこの廊下に思わず悪態をついてしまった。

「すみません。防犯上の理由でこういった構造になっているのです」
「防犯上の理由? この長い廊下にそんな意味あるの?」
「あるぜ、嬢ちゃん」

 あたしのその言葉に反応したのはノイズだった。さっきまであたしと柿崎さんから少しだけ離れて煙草を吸っていた彼だけど、どうやら全て灰になったらしい。携帯灰皿に残った吸いがらを押し付けながら口を開く。

「九曜って妖怪ジジイはな。いつもいつも統魔っていう組織に追われているのさ。仮にこの場所が奴らに嗅ぎ付けられたとしても中々本館まで辿りつけないようになってるのさ」
「でも統魔の人間だってわざわざ正面突破なんてしないでしょ? この廊下なんて歩かずに車かなにかで直接本館まで行っちゃえば速い話じゃない」
「おう、誰だってそう思うだろうが、そいつが出来ねぇんだな。なあ嬢ちゃんこの屋敷ってのは樹海の結構深い所にある。人を迷わせる天然の魔力が樹海にはあってな。そいつを妖怪ジジイが、自分の結界で更に強化してある。もしこの世の中に妖怪ジジイよりも力量が上の担い手がいたとして、この自然の魔力と妖怪ジジイによる結界の二つの壁にゃ勝てねーよ」

 樹海…。あたしが車から出た時確かに木ばっかりだなと思ったけれども、まさかそんな所にあるだなんて…。
 いくらこういったオカルトに詳しくないあたしだって樹海ぐらい知ってる。巨大な森で自殺の名所。コンパスすら狂って使い物にならず、ケータイの電波も通じない。浅い所ならまだしも、深い所に足を踏み入れてしまったら二度と出られない。そんな自然の要塞の中にあるんじゃどうしようもない。

「つまり正面突破をするんじゃなくて、それしか出来ないってわけね」
「ま、そういうこった」

 そう言ってノイズはニヤリと笑う。

「でもただ長いだけの廊下でロクな足止めなんてでしょ?」
「バッカだな嬢ちゃん。なんのためにこの廊下が、んなだだっ広い造りになってると思うよ。ここでドンパチするためのモンだぜ? 証拠に幾つも曲がり角があったろ?」

 そう言われてあたしはこれまでの道程を思い出す。確かに言われてみればある程度の間隔で直角に曲がる曲がり角がいくつもあった。でもそれが一体…。

「曲がり角と次の曲がり角の間の廊下、そこがオレ達のテリトリーなのさ。そこで侵入者を待ち、撃退する。仮に倒せなくたって、次の能力者がいる。そうやって時間を稼いでる間に妖怪ジジイはヘリでスタコラサッサって寸法さ」

 その言葉にあたしは思わず感心してしまった。この廊下の長さは無駄なんかじゃない。巧妙に造られた罠だったのだ。

「まあでも今はこの廊下の意味なんてないんだがな」

 ノイズはニヤリと口元を歪める。

「今は九曜の子飼いの担い手や能力者の大半は別件で動いてんだよ。今ここでマトモに戦えるのはオレだけだな。まあ強いて言うんならコイツくらいか」

 そう言ってノイズはあごで柿崎さんを示す。
 そういえば柿崎さんて担い手だったっけ。ちょっと待って! 今この屋敷の警備は薄いってことは統魔って組織があたしを助けてくれるかもしれない。

「警備が薄い理由は、別の屋敷に統魔を引きつけているからなんです。つまり統魔があなたを助けてくれるなんてことはあり得ません」

 冷酷に柿崎さんが告げる。それはまるで彼女があたしの心を読んだかのよう。
 あたしは気持ちを入れ替えるように大きく息を吐き出す。あのミラーハウスでタクトを助けるため、ノイズとの間に割り込んだあの瞬間に覚悟なんて出来てたはずなのに…。

 あたしは思わず自嘲気味に嗤ってしまう。助かるかもしれないって希望がちょっとでも出た瞬間これだ。

 わかってる。本当は泣きだしたいくらい怖い。泣き喚いてここから逃げ出したい。なんとか誤魔化してるけど、あたしの足はガクガク震えている。この廊下を進む一歩が重い。今こうやって平静を装って歩けてるのは、あたしのちっぽけなプライドと意地。

「お疲れ様でした。この角を曲がれば本館に到着です」

 柿崎さんの言葉がまるで死刑宣告のように聞こえる。気分は刑場へ向かうキリスト。一歩、また一歩と進みそして最後の曲がり角を曲がった。


 まず最初に目に飛び込んできたのは巨大なマンモスの化石。その真っ白な過去の巨大生物の白骨死体に圧倒される。

 そこはさっきまでの廊下なんかよりももっと広い空間。床にはさっきまで歩いていた廊下と同じように靴で踏むのはちょっと躊躇うような深紅の絨毯。多分大理石で出来てるんだろう真っ白な彫刻。けれどもそんなこと全部圧倒するくらいインパクトがあるのは、部屋の中央、階段の前にドデンとおいてあるマンモスの化石。

「すごい…。これって本物のマンモスなのかな?」

 あたしのその独り言に反応したのはノイズだった。

「正真正銘ホンモノのマンモスだぜ? 正確に言えばナウマンゾウなんだがな。ほら、あの牙まっすぐに伸びてるだろ? マンモスの牙はカーブを描いてるんだよ」
「へぇ…。詳しいのね」
「まあこれでも男の子だったしな。それなりに恐竜とか詳しいぜ。つーかこんな置物ただの金持ちの見栄だっつーの」

 そう言ってノイズは忌々しげに眉をしかめる。

「知ってるか? 博物館にあるような恐竜の化石ってプラスチックで作られた模型が主なんだぜ?」
「そうなの?」

 てっきりあたしは本物の化石を展示してるものだと思ってた。ノイズの意外な知識にあたしは思わず感心してしまう。

「ばーか。何万年前の骨だと思ってるよ。常識的に考えて脆くなってるに決まってんだろーが。それに化石が発見出来てもその生物の一部分で、完全骨格なんて滅多に出ねーのによ。正直これだけ見事な正真正銘ナウマンゾウの完全骨格ならどこぞの研究施設に寄贈した方がよっぽど世のためになるんだがな」

 ノイズの話が本当なら確かに金持ちの見栄なんだろう。彼じゃないけどどっかの科学館とかに寄贈したほうがいいハズだ。少なくともこんな所で飾られてていいモンじゃない。でも……。

 あたしはもう一度目の前のマンモスの化石を観察する。正直何万年前も昔の骨とは思えない。まるでほんのさっき死んだみたいな、化石に相応しくないけど新鮮さが出ている。

「これは〝黄泉〟と呼ばれた地下世界、確かそこの『繋ぎ止められしもの』と言われている場所で採れたものです。さぁ美鈴さん、無駄話はここまでにして九曜様の所へ行きますよ」

 そう言って柿崎さんはあたしに先を促す。あたしはこくりと神妙な顔つきで頷いた時だった。

「柿崎ぃ。ここまできたらもうオレいらねーだろ? ちっとばかし煙草吸ってきていいか?」
「はあぁ。あなたはまず禁煙という言葉を覚えなさい。……まあいいでしょう」
「さんきゅー」

 そう言ってノイズは片手をあたし達と反対方向へと歩いていった。

「九曜様は二階の自室にいます。それでは行きましょうか」

 あたしは柿崎さんに連れられて、マンモスの化石の後ろにある二階へと続く階段を上った。


 ドクン ドクン ドクンと心臓が五月蝿いくらい鼓動を刻む。九曜って奴の所へ向かって二階の廊下を進む。

 ノイズがいない今が逃げる最大のチャンス。…わかってる。それが実現不可能な希望的観測にすぎないってことくらい。

 あたしの一歩前を進む柿崎さんの顔をチラリとのぞき見る。ミラーハウスでの戦いでわかったこと、彼女は担い手と呼ばれる魔術師。なんの力もないただの女子高生のあたしを捕まえることなんて簡単なのだろう。逃げだそうともがいたところで意味はない…。

 まるでここだけ時間が引き延ばされたような不思議な感覚。ほんの数十メートル進むだけだっていうのに、それが何倍にも感じる。
 タクトは無事なのか。お父さんお母さん、友達や先生、今までどうでもいいと思っていたクラスメイト達の顔が浮かんでは消えていく。そしてついに九曜の自室の前の扉についた。

「こちらに九曜様はいらっしゃいます」

 柿崎さんはその扉から横に一歩離れた所で立ち止まり、正面からあたしを見ながらそう告げる。

「……柿崎さんは入らないの?」
「九曜様はあなたと二人きりで会うことを望んでいます」

 そう言って柿崎さんは一礼する。
 あたしはゴクリと生唾を飲み込む。そしてゆっくりとノブを回し、扉を開けた。




ーーーーーーーーー

あとがき

遅くなってすみません。本当は二日ほど前に書き終えたんですけど、忙しくて投稿するひまがなく(汗)
 



[25905] 5-2
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/04/29 21:10
       2


 さきほどまで柿崎、美鈴と共に歩いた長すぎる廊下、そこをノイズは一人歩く。おもむろに洒落たスーツのポケットから煙草の箱を取り出し、一本咥える。そして箱の中に入れてあったライターを取り出し火をつける。
 数本の煙草を煙に変えながらノイズは自分のペースで長い廊下を進む。そして何回目かの曲がり角を曲がった時、ニヤリと笑う。

 そこはこの長い廊下の中間地点より、ほんの少し本館よりの場所。ノイズに与えられたテリトリー。
 壁に寄りかかりながらノイズは天井を見つめる。口元にはメンソールの煙草。ふううーと肺の中に入った煙を大きく吐き出す。それはテリトリーにいてから通算五本目の煙草を吸い終わろうとしていた時のことだった。ノイズは気だるげに横を向き、ニヤリと嗤う。

「学習しねーな、アンタも。今度ばかりはオレも容赦しねーぜ」

 彼のテリトリーに侵入した男――タクトに向けて最後通告をかける。けれどもタクトはその言葉に無言でナイフを取り出し、構えることで返答とする。

「おもしれぇ」

 ボソリとノイズは呟くと自身も懐からナイフを取り出し、彼に向けて走り出す。それはミラーハウスでの戦闘の焼き回しのような展開。ただ一つ違うのはタクトはノイズを待ち受けるようにその場に留まり、油断なくナイフを構えているところか。ノイズにとってみればタクトは彼の能力の影響を受けるため、タクトの無意識化で発動している空間把握の有効範囲四メートルに入れば勝手に自滅してくれる。わざわざ別の作戦を立てなくても、以前と同じもので充分なのだ。

 ノイズとタクトの距離が狭まる。僅か数秒の後、ノイズはタクトの四メートルという範囲に侵入した。だがしかしタクトに何も起こらない。驚愕、そしてそれを誤魔化すようにノイズはナイフで一閃。
 ガキンッ! 鈍い金属の音と共に二人のナイフが交差する。そしてタクトはその隙にノイズの鳩尾に向かって蹴りを放つが、ノイズは「チッ」と舌打ち一つバックステップでかわした。

「へぇ、能力のonとoffを身に付けたか」

 そう言ってノイズはその笑みを深くし、懐から愛用の拳銃を取り出した。


 タラリとタクトの額に冷汗が流れ落ちる。空間把握のoffを身に付けたとはいえタクトがノイズに勝てる可能性は限りなく低い。それは今のタクトが片翼をもがれた鳥同然だからだ。
 タクトの空間把握は身に付けたものではない。生まれた時から当然のように持っていたチカラだ。そのため今まで彼は空間把握をoffにし、五感のみで生活したことがない。常にその広大な認識範囲の中で暮らしてきた。それがここへきていきなりの空間把握のoff、さらに戦闘という非常にデリケートな状況。正確に言うならばさきほどノイズのナイフの一閃を防いだ時ですら、タクトはかなりのギリギリの綱渡りだった。彼にとって空間把握をoffに変えるというのは、健常者がいきなり隻眼になるよりも喪失感が激しい。そんな状況でノイズと戦うのは、エンジンが焼きつくギリギリでさらにチキンレースをやるようなものだ。


 唐突にタクトの背後でパチンと小気味のいい金属音。そしてジュポッとジッポのライターで煙草に火をつける宍戸雅人がいた。

「全く…。これは君の独断行動による重大な命令違反だよ、タクト君。後でこってりと絞るから覚悟しとくんだね」

 雅人の言葉を受け、タクトは思わず彼に頭を下げていた。

「すみません雅人さん。ですがどうしてもおれは……」
「うん。まあでも囚われのお姫様を助けだすのは騎士(ナイト)の役目って古来からの相場があるんだ。ここは僕に任せてキミは美鈴ちゃんの元へ急ぎなさい」

 そう言って雅人は白い煙を吐き出しながらニヤリとその柔和な顔を悪戯っぽく染める。

「いいぜ。オレの方も許可してやるよ。ほれさっさと行きな」

 ニヒルに笑いながらノイズはタクトのために道を開け、壁際に寄りかかる。ノイズに自分に対する敵意がないことを知りタクトは走り出す。美鈴を助けだすために。初めて自分の意思で動き始めた。


       *


 九曜の自室。そこはただシンプルに部屋の中央に大きな丸い木製テーブルとソファが置かれてあるだけど味気ない部屋。けれどもその調度品はどれも高価な物であるということがわかるような、そんなある種の重さが滲み出ていた。

「ヌシが桐原美鈴だな」

 ソファに座りながら一見穏やかに微笑むこの怪老人の、異様な雰囲気に呑まれつつもあたしは答えた。

「そうよ。あんたがあたしを捕まえようとしていた奴らの親玉、九曜玄黄でいいのね?」
「そうだ。儂が九曜玄黄」

 ニヤリと口を歪める老人。この数日間の色々なあたしを捕まえようと陰謀を張り巡らしてきた親玉に向かってあたしは叫んだ。

「どうして、どうしてあたしを捕まえようとしてたのよ!」

 恐怖でガクガクと足が震えそうになるのを無理矢理怒りで誤魔化しながらあたしは九曜に向かって睨みつける。九曜は「ふむ」と考え込みながらもう一度口元を歪める。

「いかに土御門の『白竜』といえどここまで来るのにあと二時間はかかる、か。それに若い女と戯れるのも悪くない。いいだろう桐原美鈴。ヌシにもわかるように一から説明してやろう。ほれそこのソファに座るがいい」

 あたしは九曜のその言葉にゴクリと生唾を飲み込むと、机を挟むようにこの怪老人と対面する形でソファに座る。それを確認すると九曜はテーブルに置いてあった急須から湯気の出ている熱そうな緑茶を口に含んだ。

「のう桐原美鈴よ。ヌシは陰陽師についてどういったこと人間を想像する?」

 突然の九曜からの質問にあたしは答えに詰まる。目の前のこの老人は日本最高峰の陰陽師。そんな存在に陰陽師のことについて聞かれるとは思わなかったし、まったくの普通の生活を送っていたあたしにそんな人物に陰陽師について説明することなんて出来るわけがない。

「よい。ヌシの世間一般のイメージで構わぬ」
「だったら…」

 あたしは昔やっていた映画や漫画を思い出しながらゆっくりと答える。

「えっと…。平安時代、占いや呪術、式神みたいな超常現象を使っていた人たちのことを陰陽師っていうんじゃ…」

「概ねその認識で正しい。さて、ヌシは式神とはどういった存在だと思う?」
「こう、御札みたいなのが人間に変わったり鳥に変わったりして主人である陰陽師の言うことを聞いて仕事をする不思議な精霊みたいなもの?」

 ここ数日間に何度も襲われた人間の形をした式神たちを思い浮かべながらおそるおそる答える。すると九曜は「くかかかか」と不気味な笑いを漏らす。そんな九曜にあたしはビクリと肩を震わした。

「精霊か、ククク精霊とはよく言ったものよ。式神とは別の漢字で式の鬼と書いて式鬼神(しきがみ)とする場合がある。つまり式神とは鬼のことなのだよ。のう桐原美鈴よ、鬼とはこの世にいると思うか?」
「いるんじゃないの?」

 あたしは特に考えることなく九曜の言葉に頷く。最近知ったことだけど世界には超能力者はもちろん、担い手っていう魔法使いもいるんだ。小さい頃絵本で読んだ恐ろしい顔をして頭に角が生えた鬼だっていたっておかしくない。そう思っての答えだったけど、九曜はさっきと同じようにさもおかしそうに笑い始める。

「くかかかかか。いないんだよ。ヌシたちが思い描くような化け物としての鬼など本来は存在しない。いるのはただ大和朝廷に従わぬ、もしくは身分が低いという理由だけで鬼という化け物の名前を与えられた人間だけだ」
「どういうことよ? それ!」
「ふむ。聞いた事はないか? 土蜘蛛という妖怪は土雲とも書き、本来出雲地方の人間のことを指す蔑称だ。鬼というのもこれと同じ理屈なのだ」

 九曜の語る話の内容はあたしが今まで聞いたことのない内容だった。けれども不思議とあたしは納得してしまっていた。同時に昔お母さんに読んで貰った絵本、日本人なら誰でも知ってる桃太郎が頭に浮かんだ。もしかしたら桃太郎の話って、大和朝廷に従わない荒くれ者たちを退治して、彼らの財宝を奪った略奪の話なんじゃ…。
 あたしはゴクリと生唾を飲む。そしてそれをみた九曜がニタァリと粘着質な笑みを浮かべる。

「理解できるだろう。いかに朝廷の反対勢力といえども大和の力というものは強力で、年を経るごとにどんどん弱体化してきた。それによって大和に取り入ろうとする鬼が現れた。確かに陰陽師は担い手として超常の力を使うことができた。だが本来陰陽師とはそういった鬼、そして狐や鳥、蛙など獣に貶しめられた人間などを使役した人間のことをいうのだ」

 大和朝廷に取り入ろうとした鬼たち、けれども平安時代の貴族たちは彼らと関わろうとしなかったに違いない。元々自分たちの敵だったし、鬼や獣と呼び蔑んできた人間に頼るわけがない。でも本当は平安貴族たちは鬼の力ってものを欲しかったんだと思う。弱くなってきたとはいえ、かつて自分たちを脅かした人間だ。反対出来るっていうのはそれだけ力があったってことだし。貴族にしてみれば強力な力を持つ鬼と呼ばれた人間を使いたいけれども直接使うことは出来ない。だからそこにクッションとして陰陽師が必要だった。鬼に直接物を頼むんじゃなくて陰陽師を使って鬼の力を使うんだったら問題ない。これが本当の陰陽師…。

「ヌシにわかるか? 先祖が敵であったというだけで化け物の名を与えられ、身分が違うというだけで獣に貶しめられる。確かにそこにいるはずなのにいないものとして扱われ、人間であるのに人ではないと理不尽に殺される。そんな彼らの気持ちがぁ!」

 九曜は興奮しているのか声を荒げ、力強くテーブルを叩く。知らず知らずのうちに聞く者を引きずり込むような不思議な喋り方だった。

「そんな人間たちの怨嗟悲哀絶望嫉妬憤怒。それら筆舌に尽くしがたい負の感情によって生まれたマイナスのエナジィを我が九曜の先祖は強力な結界により世界から隔離した」

 ぞくりと寒くもないのに鳥肌が立つ。どことなく九曜の身体から黒いもやのような妖気があふれ出ている。

「この世は善と悪、光と闇など対となるモノが絶妙なバランスで成り立っておる。よく言うだろう、光あるところに影あり。強き悪がおればそれを滅ぼす強き善が生まれる。何故そんなことが起こるのかといえば、世界には全てを均等に保つ中和作用があるからだ。だがしかし、我が先祖が創り出した結界により隔離されたマイナスエナジィだけはその中和作用とは無関係でいられた。それだけではない、時の権力者を呪い殺すことによって彼らの最後の断末魔の憎しみすらも吸収した。権力者というのは大抵の場合常人に比べ、強大な精神力を持っておる。そんな人間が最後の最後に絞り出すように発せられた負の感情、そんな桁はずれのマイナスが中和もされずに一ヶ所に集まり続けてみろ」
「……どうなるのよ」

「いずれ感情が薄れ負の感情から、ただただ世界を負の方向へと進める不浄の『泥』が生まれる。九曜のそれは既に世界の中和作用の限界値すら超え、本来薄めるべき正の気すら侵食し全てを喰らい尽くす凶つ神へと変貌した」

 そこで九曜は一旦言葉を切り、口を潤すために机の上に置いてあった緑茶を口にふくむ。

「時が経ち本来の式鬼神が失われ、だが同時に陰陽師の担い手としての力量が向上していた。それによって現在の、ヌシがイメージするような式神が生まれたのだ。土御門は真理を求め神霊を式神とし占術に長けた。我が九曜は人の闇を求め凶つ神を式神とし呪術に長けた」

 気がつけばあたしの身体はガタガタと震え、上手く歯が噛み合わない。確かにこの部屋はクーラーが利いていて涼しい。けれども絶対に寒いわけじゃない。この身体の震えは恐怖だ。逃げたい。早くここから逃げ出したい。けれどもあたしの身体は動こうとしない。それどころか九曜の話を一字一句聞き逃さないようにしていた。

「さて、そろそろ何故儂がヌシを捉えようとしたのかという本題に入ろうか。陰陽師の式神の強さとはいかに神を降ろす仮の肉体の器が大きいかで決まる。法術と同じで式神とは降霊術の一種だ。呪札という仮の肉体に各々の神を召喚する。その際強大の神の力を入れる器が重要になってくるのだ。器が強固で大きければそれだけ高位の神を呼べ、強大な力を使うことが出来る。だがしかし脆弱で小さな器であれば神は降りない。本来その器は自身の魔力、霊力で創り出すものだが、恐山のイタコなど神の入れ物となることができる人間がこの世の中には存在する。ここまで言えばわかるだろう桐原美鈴よ。つまりヌシはその器になることが出来る人間なのだ。それだけではない! ヌシのキャパシティは並のイタコや巫女では追い付かぬ強固かつ巨大なものだ! あるいは曖昧なモノ(神)すら降ろすことが出来る稀有な才能、我が九曜の凶つ神を入れるに相応しい!」

 逃げなきゃ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ! あたしは泣きそうになりながら必死に身体を動かそうと命令を下す。けれども震えるばかりでちっとも動いてくれない。
 そうこうしていると九曜がゆっくりとその皺だらけの指をあたしに向かって伸ばす。そしてたった一言だけ告げた。

「〝堕ちよ〟」

 力ある言葉が世界に満ちる。たったそれだけであたしの意識は永遠に覚めることのない闇へと堕ちていった。






 あとがき


つ、疲れたー!! 少々重めの説明パート。これを書くのに結構苦労しました。一応形にはなってると思うけど、なにか足りない部分があったりないかったり…。ああ文才が欲しい



[25905] 5-3
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/11/12 01:41
       3

 それはタクトがノイズの脇を抜け、彼のテリトリーを越え桐原美鈴救出に向かった一分後、雅人の煙草が半分ほど灰に変わった頃だった。ノイズは壁に寄りかかったまま、神妙な顔つきで雅人に尋ねた。

「宍戸雅人っていったっけ? あんたあの庵治木瑠実亜(アジキルミア)に勝ったってのは本当かぃ?」

 その問いに雅人は苦笑いをしながら紫煙を吐き出した。

「正直ぼくとしてはアジキに勝ったかと問われると素直に首を縦に振れない。だけど彼が死に、ぼくが生き残った。これだけは事実だ」

 ノイズは悦しげに顔を綻ばせながら、トンッと背筋(はいきん)の力を使い壁から離れた。そしてゆったりと歩きながら雅人の前に立ちはだかった。

「それだけわかれば充分だ。…さて、そろそろ始めようか」
「ああ、そうだな」

 ノイズの言葉に短く返答すると、雅人は左手の煙草を床に投げ捨て靴で踏む。雅人が足をのかすと、真紅の絨毯には黒い焦げ目が付いていた。

 そして雅人は懐から幾本ものナイフと幾つかの拳銃を取り出す。ナイフは大小様々で、サバイバルナイフ、ハンティングナイフ、軍用ナイフ、そしてスローイングナイフなど種類も様々であった。カランカランと音を立てて床に落ちるナイフと拳銃。その十九と四丁の凶器たちが、まるで糸に釣られたマリオネットのように宙に浮く。
 その様を見てノイズは僅かに眉をしかめる。

「……観念動力(サイコキネシス)ってわけじゃなさそうだな。ったくやっぱりテメェも異能持ちかよ」

 今現在雅人がいる場所は〝ノイズ〟の有効範囲内。強力なイメージによって現実を侵食するサイコキネシスの類であれば、ノイズの能力の影響を受け脳のオーバーヒートで使い物にならなくなる。それがないということはつまり…。

「そう。ぼくの能力は磁力の腕でね。君の能力の影響は受けないよ」
「ケッ! これだからオレの能力は嫌いなんだよ。特定の相手にゃ馬鹿みたいに強いが、大半の能力者相手にゃ無害だからよぉ」

 大半の異能持ちにとって、自身の能力とは常人にはないもう一つの感覚みたいなものだ。わかりやすく言えば生まれてきた時から、普通の人にはない腕がもう一つあると思えばいい。例えばマッドドッグの自在に火を生み出すという能力でいえば、「炎よ起きろ」と念じて起こしているわけではない。本人以外説明不可能な特殊な感覚で炎を生み出している。
 ノイズの能力は相手の強力のイメージが必要となる。だが精神系以外の大半の能力者はイメージではなく感覚を用いて超常の現象を起こしている。そのため普通の戦闘ではほとんど役に立つことがない。ノイズが自身の能力を嫌うのも無理はない。



「君の能力はぼくには効かないよ。さあ逃げ出すかい?」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべる雅人にノイズは不敵な笑みを浮かべた。

「まさか。磁力の腕っても銃弾止められるほどじゃねぇはずだ。正直こういった拳銃一丁で戦う方がオレの性に合ってるよ」
「だと思った」

 そう言って薄く微笑んだ瞬間、雅人はノイズに向かって左手を振る。同時に滞空していた三本のナイフがノイズに向かって飛来する。まず先手を取ったのは宍戸雅人だった。そしてナイフを避けるため横に跳んだノイズ目掛け、吸いつくように右手収まった拳銃で発砲。それをノイズは舌打ち一つ、着地と同時に横に駆けることで銃弾をかわす。同時にノイズの方もお返しとでも言うつもりか発砲。

 けれども雅人は充分な距離が開いていたためそれを難なく回避。同時に左手を横薙ぎに振るう。主の命令を受けた八つの銀閃がノイズの命を奪わんと疾走する。それをノイズは避けることもせず真っ正面から迎え討つ。

 ノイズの口が愉悦に染まる。瞬間ダダダダダンッ! という連続した発砲音。八あったはずの銀の猟犬はノイズの卓越した銃技により五つが撃墜。残りの三も、銃を鈍器に見立てナイフのように振るうノイズに叩き落とされた。

 その時雅人はどうしていたか? 先ほど八つのナイフをノイズ目掛け放ったと同時に大きくカーブを描いて走る。そして最初に放った三本のナイフを磁力の腕で回収。そのままノイズのから斜め後ろから強襲するつもりだ。右手の拳銃は宙に捨てられ磁力の腕が滞空させる。同時に彼の右手には一本の軍用ナイフが握られた。そして今まさに八つの銀の猟犬を撃墜させたばかりのノイズに向かって大きく振りかざされる。

「シッ!」
「甘めぇ!」

 卓越した銃技を見せたノイズ。そんな絶技を行いながらも彼は雅人の動向を追っていた。それゆえ振るわれたナイフは身体を回転するように回避。同時にその勢いを利用し後ろからの回し蹴りが雅人の横っ面目掛け放たれた。

 綺麗に決まれば脳震盪を起こしノックアウト確実なそれ。けれども雅人が咄嗟に出した左手に阻まれる。だがしかし苦し紛れのガードでは致命傷を避けるのが精一杯で、蹴りの威力までは消しきれず衝撃を逃すためゴロゴロと地面を転がる。半分は自分で飛んだのだろう、雅人は回転を利用し立ち上がった。

「ったく、あれで決めるつもりだったんだけどよぉ」

 ノイズの声は苦々しげに、けれどもその顔は新しいおもちゃを買って貰った子供のように楽しげであった。それとは対照的に雅人は苦笑いを浮かべている。

「それはこっちのセリフだよ。全く、能力に頼ったキワモノ系の戦闘スタイルかと思ったのに、中々どうして厄介だよ」
「ハンッ! この〝ノイズ〟の能力は偶然見つけたモンだ。それ以前からオレはコレだけで戦い抜いてきたんだよ」

 そう言ってノイズは右手の拳銃を軽く上げる。それを見て雅人はハァとがっくり肩を落とし、溜息をつく。

「多少は出来ることはあらかじめわかっていたけど、このレベルとは少し予想が外れたな。まさか庵治木クラスとは…。こりゃ能力が使えたとしてもタクト君には少し厳しいかな?」
「へぇ、オレの銃技は庵治木クラスまでいってたのかよ。こいつは嬉しいねぇ」
「まあ同じクラスってだけで純粋な銃技なら彼の方が上だったよ。まあ戦ったらどっちが勝つかはわからないけどね」
「ったくムカつくなぁ。テメェを倒しゃオレは庵治木にも勝てるってことだろ? 容赦なくいかせて貰うぜ!」

 言うが早いかノイズは雅人に向けてトリガーを引く。

「勝てたら、ね!」

 雅人は軽口を叩きながら銃弾を回避、そして右手を振りナイフを奔らせる。



 雅人のナイフが宙を舞い、ノイズの銃技がそれを撃墜する。二人の実力は拮抗し、互いに有効打が決まらないでいた。だがしかし、そんな状況に終わりがきた。


 ノイズ目掛け迫りくる五つのナイフ。けれどもそれはノイズの銃技によって弾き飛ばされる。

「チッ」

 彼は舌打ち一つ、二つのナイフから逃れるためノイズは右へと飛んだ。本来であれば雅人の放った五つのナイフ、その全てを撃墜出来るだけの力がノイズにはあった。だがしかし現実は二つほど墜されることなく、その刃をノイズの身体に突き刺さんと飛来した。この問いの正答は恐ろしく単純である。


 右手を襲う銃の反動。けれどもノイズは腕の筋力でその反動を押さえ、狙った的を外さない。銃声が広すぎる廊下、ノイズのテリトリーに響き渡る。一つ二つ三つ、そして運命の四つめ。カチンッと撃鉄の音だけがノイズの耳に強く残る。

 そうノイズの持っている拳銃は三つめのナイフを撃墜した瞬間に弾切れを起こしたのだ。ノイズらしくない初歩的なミス。本来であれば絶対に起こらなかった事柄。
 この時までにノイズの銃は何回かの弾切れを起こした。けれども自身の撃った弾数をきちんと数えていたため、余裕を持って弾倉(マガジン)を交換していた。

 だがしかし狙いを付けて引き金を引くという二つの動作を行わなければならないノイズに対して雅人は敵目掛け腕を振るという単純動作(シングルアクション)で攻撃が完了する。その差が常に雅人が回り続け、ノイズが防戦主体となった最大の要因。そして宍戸雅人ほどの攻撃を長時間防ぎ続け、なおかつ反撃を加えることが出来たノイズの強さは驚嘆に値する。だが綱渡りのような防戦が、ノイズの余裕というものをことごとく削り落していった。





 予期していなかった弾切れにノイズは焦る。この時点で普段の二テンポほどの遅れが出ており、最初の時のように銃を鈍器に見立てナイフを叩き落とすには時間が足りない。忌々しげに舌打ち一つ右へ飛び退きながら、カランと空になった弾倉が地面に落ちる。そして腰のベルトから新しい弾倉を取り出そうとしてやめた。間に合わないと悟ったからだ。

 数えるのが馬鹿らしくなるほどのノイズの遅れ。もう二度と来ないであろうチャンスに雅人は走る。そしてノイズとの距離が二メートルに縮まった瞬間、雅人は対空している拳銃を右手で掴んだ。


「喰われろ」


 主の号令を受け刃が走る。雅人の頭上から横に一列に並んだ六つのナイフがノイズ目掛け襲いかかる。同時に足元からも同数のナイフが彼を襲う。それはまるで竜の顎。ノイズを噛み砕かんと迫るナイフという名の牙。仮に竜の牙から逃れることが出来たとしても、銃弾という竜の炎からは逃れらない。よしんば牙が届く前に雅人に向けて銃弾を放ったとしても、磁力の腕が解除されても慣性の力で進む牙が、相手の急所を貫き相討ちとなる。

 宍戸雅人が必殺を自負する奥義「顎(ファング)」。自らのチーム名と同じこの技を破ったのは庵治木瑠実亜ただ一人のみ。弾切れを起こし新しい弾倉を装填していない今、相討ちの心配もない。雅人はこの攻撃で勝負をつける気であった。

 ゾクリ…。必殺を確信していた雅人の背筋に悪寒が走る!
 絶対絶命の場面にも関わらずノイズはその口元を狂ったように歪める。そして竜の顎に向かって一歩踏み出した!

――馬鹿な!

 無謀とも取れるその一歩に雅人は戦慄を覚える。確かに前に向かって走り込めば牙は急所から外れて刺さる。それでも少なからず危険な個所へと突き刺さるであろう牙は腕や銃を盾にして回避する。だがしかし安全とはいえこうも躊躇いもなく死地へと踏み込めるノイズに雅人は恐怖した。

 驚愕で大きく開かれた雅人の瞳。すぐさま我に返り右手の引き金を引こうとするも圧倒的に遅かった。

「ガハッ!」

 ノイズのハイキックが雅人の鳩尾へと突き刺さる。鋭い痛みが彼の思考を白に染め上げ、衝撃が雅人の身体を数メートル吹き飛ばしていた。

「どうやらこれで終わりみたいだな。どうだい、テメェに勝ったぜ」

 地面に仰向けに寝転がり、苦しげに上半身だけ起こす雅人に銃口を向ける。ノイズは雅人を吹き飛ばした瞬間に新しい弾倉を装填していた。

「やられたよ。まさかあんな手段でぼくの「顎(ファング)」を攻略するとは」

 雅人は苦笑いを受かべ、血に染まるノイズを見た。あくまでノイズが回避したのは危険個所への牙のみ。肩や腕、足には「顎(ファング)」の威力を示すかのように切り傷や刺し傷があった。

「さあ勝負はついた。やれよ」

 顔を引き攣らせながら、けれども雅人は余裕のある声でノイズに促す。それを受けノイズは引き金を引こうとし…。


 遠くで爆弾でも落ちたかのような轟音を聞いた。







あとがき


終わったー!! やっぱりバトルシーンは書くのが早くなる。このバトルが本作での戦闘最大の魅せ場。うむ、超楽しい。友人お墨付きを貰い有頂天。カッコイイ戦闘、燃え上がるような興奮する戦闘を目標に書いてます。皆様がカッコイイ、もしくは興奮していただけると嬉しいです。



[25905] 5-4
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/11/12 01:51
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 美鈴の元へと走るタクト。空間把握を使い、現在彼女がいる位置を把握。美鈴の様子を確認することは出来ないが、同じ所にもう一人の人間がいることはわかった。

 それがおそらく九曜玄黄であることを彼の直感が囁き、思わず唇をクッと噛み走る速度を上げた。



「これ以上は進ませませんよ、タクト」

 二階の廊下、美鈴がいる部屋まであと数十メートル。そこに柿崎は立ちふさがる。けれどもタクトは彼女を冷めた目で見つめていた。

「無駄だ柿崎。君ではおれを止められない」

 既にタクトの右手には拳銃が握られており、一呼吸も置かずに彼女を撃てる状態にあった。それに対して柿崎は詠唱を終えておらず、仮に彼女が銃を取り出したとしてもその手のプロフェッショナルであるタクトには敵わない。それがわかっているからこそ柿崎は悔しげに唇を噛む。

「……どうして」

 彼女から漏れた言葉。それに反応してタクトの臨戦態勢が僅かに揺らぐ。

「どうして貴方はここに来たんですか? ノイズに二度も敗北し、顎からももうこの件に関わるなと言われたにも関わらずどうして……」

 様々な感情が込められた柿崎の言葉。タクトはこの問いに自分は答える必要がある。不思議とそう思ってしまった。
 タクトはゆっくりと言葉を探るように口を開く。

「そう、だな。確かにこの行動は以前のおれからすれば考えられないものだ。命令とは絶対でそれを無視するというのは考えられないことだ」

「だったらなぜ……」

「今までのおれは仕事が全てだった。感情を排し自身を機械とし任務を遂行する。それでいい、そう思っていた。だが、彼女と共に過ごし、その笑顔を見るうちに、もう一度笑いたい。そう思えるようになった。だからおれは今ここにいる。桐原美鈴を助けだし、もう一度おれが心から笑うために」

 タクトの言葉を受け、柿崎は俯く。そしてしばらくの後答えた

「……わかりました、タクト。この先に九曜様の自室があります。そこに美鈴様もいるはずです。手遅れになる前に彼女の元へ」

「すまない。感謝する」

 彼は一言礼を述べると、柿崎の脇を駆け抜ける。

 タクトの足音が次第に遠ざかっていく。けれども柿崎は依然俯いたままだった。

「…止められるわけないじゃないですか……」

 呟かれた言葉は、普段凛として気丈な彼女らしくない酷く弱々しいもの。

 柿崎は静かに思い出す。あの悪夢を。一時たりとも忘れたことのない鮮血の記憶。


         *


 まるでどこかの寺院にでもいるかのような和室。畳張りのその部屋の片隅で一人の少女が蹲り、震えていた。

 鼻孔を貫く血液の臭い。血に酔い、意識を立ってしまった方が、少女にとっては幸せだったかもしれない。だがつんざく叫び声がそれを許さない。


 それはなんの前触れもなく起こった。紅い月が下界を照らす夜、柿崎の家の結界が、侵入者の存在を住人に伝えた。

「大丈夫だ、安心しろ」

 そう言って父と祖父は少女に笑いかけ、これを撃退すべく外へと赴いた。担い手として名家であった柿崎の家の先代、そして現当主。力量は間違いなく一流であり、下手な侵入者など簡単に倒すことが出来る。

 念のため母に連れられて奥へと避難していた柿崎はそう気楽に考えていた。二人の断末魔の叫びが聞こえるまでは…。


 母のものである甲高い叫び声。そして何かを咀嚼する音が、廊下を抜け少女の元へと届く。彼女は頭を押さえて震えていた。しばらくすると咀嚼音は止み、ゆっくりと少女の方へと向かう足音のみが彼女の耳に嫌につく。

 〝自分を守ってくれる存在はもういない〟

 少女はゆっくりと頭を上げ、震える身体で魔術式を構築していく。死にたくない、せめてなにかしなければ…、その思いに駆られたが故の行動だった。

 限界を超える恐怖、そして生存本能が、彼女を一段階上のレベルにまで引き上げた。大魔術が、驚くべき高速さと緻密さで構築されていく…。

 そして完成と同時に少女が隠れていた部屋の襖が弾け飛んだ。

「ひっ……」

 現れた異形の姿に少女は思わず声を漏らす。咀嚼音が聞こえた時から、少女はこの侵入者は人ではないのかもしれないという予測を立てていたが、彼女の想像を遙かに超えていた。

 病に侵された脂肪を寄せ集めたかのような、ブヨブヨとした体躯。三日月のように大きく裂けた口腔。そしてギョロギョロと、周囲を舐め回すように見つめる計八つの赤い瞳。

 どんな魔獣もどこかモデルとなった生物の存在がある。だがしかしこの異形はそれがわからない。まるで何か別の生物の雛型なのか、様々な要素がグロテスクに寄せ詰められているケモノ。その姿に少女は凍りつく。

 異形のケモノが、その体躯に見合わぬ速度で彼女に迫る。その迫力と恐怖に少女の身体は一層凍りつき、折角完成させた大魔術を発動するキーを言えない。

 異形の牙が少女を襲うまであと三秒。恐怖と生存本能とのせめぎ合い。勝利したのは生存本能だった。

「水よ、全てを撃ち抜け!」

 ――奔流。

 引かれたトリガー。発動する魔術。高速で迸る水流が、異形を飲み込み廊下を突き破り進軍する。…幾つもの壁を突き破り、それはようやく止まった。

 肩で息をしながら、少女は顔を綻ばす。彼女にあるのは安堵だけ。だがそれも長くは続かない。

 全ての獣を混ぜ合わせ、かつその同数で割ったかのような雄叫び。それと同時に重く叩きつけるような疾駆音。まともに受けた少女の一撃、けれども異形を仕留めるには僅かに威力がたりなかった。

 もう少女に現状を打破する手段はない。先程の一撃が彼女にとって最高のもの。同じものを放とうとしても、絶望し身を染めた今の彼女には無理な相談だ。

 眼前に迫る血濡れた歯牙。少女は恐怖と絶望を織り交ぜた顔で、強く目を閉じた。

「〝――黒狗〟」

 しゃがれた声と重機がぶつかったかのような突進音。そして少女の顔を叩きつける疾風。恐る恐る目を開けると、ブヨブヨとした異形と対峙する一匹の巨大な黒い犬が見えた。

 黒狗と呼ばれた獣は、その顔を悪鬼の如く歪め、威嚇のため喉を鳴らす。

 突然の事態に状況が飲み込めず呆ける少女。そんな彼女の耳にコツンコツンという杖が床を叩く音が届く。

「紅い月に誘われ、彷徨い歩いてみたが、このようなものに遭遇するとはな。娘、貴様は運がいい」

 現れたのは一人の老人。深く刻まれた無数の皺、爛爛と輝く濁った瞳。少女はこの怪老人の名前を知っていた。九曜玄黄、悪名高き陰陽師が何故ここに…?

 少女の疑問は異形の雄叫びに吹き飛ばされた。見れば異形のブヨブヨとした身体には幾つもの傷がついており、そこからどす黒い体液が流れ出ていた。それは間違いなく少女が与えた一撃によるもの。思わぬ一撃と、喰おうとした瞬間に妨害を受け、異形の怒りのボルテージは最高潮に達していた。

 異形と対峙する黒狗。そして一瞬の交差。互いの牙が皮膚を切り裂き、赤い血と黒い体液を撒き散らす。――相討ち、だがそのまま異形は走り去り逃走。このまま戦えば自身の身が危ないと感じたのか、はたまた何者かに呼ばれたのか……。

 目まぐるしく変化した状況。けれども自身が助かったことだけは理解し、少女の身体は弛緩する。

「ふむ。あの異形、おそらくこちら側ではあるまい。どこの誰だか知らんがけったいなモノを生み出しおって…」

 何か思案するよう顎を撫でていた九曜玄黄は、すぐさま口元を歪め少女を見る。

「まあいい。それより娘、先程の一撃見事だったぞ。名はなんという?」

 少女は九曜に話しかけられたことで、再度身体が強張る。そして震える声で答えた。

「……か、柿崎京子、です」

「そうか、柿崎京子か。担い手として中々の才能を持っておる」

 そう言いながら九曜は愉快そうに顔を歪める。

「お前、儂のモノになれ」

 老人の身体から妖気が迸る。まるで空気が個体になり縛り付けるかのような圧迫感。

 柿崎京子はわかっていた。この怪老人とともに行くということは自身を必ず不幸にする。この人間にとって自分は使えるオモチャに過ぎない。散々弄ばれ、使えなくなれば捨てられる。だがここでその手を振りほどいたら……。

「はい、わかりました。九曜様」

 少女は一つの結論を出した。


         *


「もしあの時あの手を振りほどくことが出来れば……。いえ、栓無い妄想でしかありませんね、コレは」

 そう呟いて柿崎京子は自嘲気味に笑う。

「大切な時に流されてしまった私に、自分の意志で動いた彼を止められるわけないじゃないですか」

 かつての自分と、今ある居場所を失ってまで心から笑いたいと願ったタクト。そんな彼を、九曜の腕を振りほどくことが出来なかった自分が止められるわけがない。それが柿崎京子がタクトに道を譲った理由であった。

「これからどうしたらいいのでしょうか…」

 当てもなく歩きだす。




あとがき

皆様、随分とお久しぶりです、或る物書きです。本当は結構前に完成はしていたんですがずるずると時期が延び、ようやく投稿です。最近妙に忙しかったり、夜十時に寝て朝四時に起きるといった超健康生活を送っており中々更新することができませんでした。お待ちしていた方には申し訳ありません。



[25905] 5-5
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:790b4e4d
Date: 2011/12/08 10:05
         5


 今現在おれが出し得る最高速度で、この無駄に長い廊下を走りぬける。広域に展開した空間把握により、美鈴がどこにいるのかわかっている。同時に近くに九曜玄黄がいることも…。

 美鈴と救出するということは、九曜と一戦交えなければならないということだ。相手は確実に自分よりも格が上。勝てる見込みは薄いが、せめて万全の状態で挑まなければならない。故に全力疾走など以ての外。体力を温存しつつ最速で彼女の所へ向かうのがベスト。頭ではそうわかっているにも関わらず、おれの足は速度を緩めようとしない。

 刻一刻と縮まる彼女との距離。そしてついにそれは扉一枚分にまで狭まった。
 そのまま勢いを利用して扉を蹴り破る。おれの全力の一撃は、施錠されていることなど関係なく扉を吹き飛ばす。そして室内へと足を踏み入れると同時に彼女の名前を叫んだ。

「美鈴!」

 彼女の姿はすぐに見つかった。だがしかし遅かった。

 部屋の中央に描かれた魔法陣、その上で美鈴は虚ろな瞳で眠るように宙に浮いていた。空間把握によって脳へ直接情報が流れ込む。室内に満ちる最高難易度の魔術術式。多少の魔術知識を持つとはいえ、担い手ではないおれに理解出来る代物ではない。だがまだこの魔術は完成ではないということだけはかろうじてわかる。つまり完成するより先に九曜を倒すことが出来れば、彼女を救うことが出来るということ―――。

「鼠が入って来おったか。流石にこの人数で守るのは無理があるとはいえ、二人にはきつい仕置きが必要かのう」

 しゃがれた老人の声に、美鈴から目を離し九曜の元へと視線を向ける。空間把握で存在だけは認識していたが、美鈴のことに一瞬気を取られていたため対応が遅れた。

 チッと舌打ち一つ、先手必勝ホルスターから銃を取り出しトリガーに指をかける。だが同時に九曜もその手に持った護符を投げようとしていた。

 発砲が先か、式神の発動が先か、勝負はコンマの世界。

 ―――ダンッ!
「〝――黒鬼〟」

 僅かにおれの発砲の方が速い! おれは勝利を確信して…。けれども銃弾が九曜の身体を貫くことはなかった。突如現れた鈍色の壁。発砲が間に合わなかった現実に心の中で舌打ちする。だがこれは……。

「―――――――――!!!!!」

 ――鬼哭。

 大気を震わす鬼の慟哭。その身を引き裂かんばかりの悲哀と、大地を焦がすかのような憤怒。鈍色の体躯から溢れ出す列火の気迫(オーラ)。ここに今、鬼という名の御伽草紙の悪の象徴が顕現した。

 ぶわっ! おれの全身の細胞が粟気立ち、威圧感により顔面の筋肉が強張る。恐怖による肉体の無意識の反応。気がつけば右手の銃を連射していた。

 額(ヘッド)、心臓(ハート)、腹(ボディ)二発ずつ、計六発の鉛玉。それでも鬼の身体を貫くことは出来ない。そもそも先程の攻防でこのクリーチャ―に銃弾が効かないことくらいわかっていたはず。次にくるだろう鬼の攻撃。その初動を空間把握が捉えた! 

 鬼の右手に光が集まり、一秒もせずに薄汚れた金棒が現れる。それは雄叫びと共に振るわれた。

 ――爆音。まるで空気そのものを殴りつけたかのようなふざけた一撃。

 事前にバックステップで回避行動を取っていたため、その一撃はおれに掠ることすらない。だがしかし、その荒れ狂う風圧だけはどうしようもなく、おれの身体は容赦なく壁に叩きつけられた。

「カハッ!」

 肺の中の空気が一気に放出され、頭の中には規格外という言葉が乱舞していた。
 そう規格外。アレを人がどうにかしようなど出来やしない。〝人間〟を越えた純粋なまでの怪物。アレを真正面から倒すことが出来るのは、同じ化生か人としての最高位〝英雄〟と呼ばれる人種だけだ。

「ほう、今のを避けたか。だがいつまでもつかな?」

 九曜の余裕が滲み出た言葉が耳に入る。これだけの規格外を従わすことが出来る九曜の実力は日本最強といっても決して誇張ではない。そんな彼だ、この余裕も理解出来る。だがまだおれには可能性が残っている!

 鬼がその巨体に見合わぬ速度で、おれに最後の一撃を与えようと距離を狭めてくる。だがこれは好都合。右手の銃を捨て、懐から新たに一丁の拳銃を取り出す。

 この銃は雅人さんから使うなと言われているおれの切り札。だが今使わないでいつ使う! 両手できちんと銃を押さえ、膝を落とす。狙いは腹。多少ぶれたところで身体のどこかに当たる部位。今まで感じたことのない威圧感。けれどもそれを振りきり、引き金(トリガー)を引く。


 その瞬間雷鳴が轟いた。


「ぐううぅぅ」

 腕を押さえその場に蹲る。だが鬼の暴力はおれに届かない。見れば鬼の身体、心臓の付近に三十センチほどの穴が開いていた。

 痛みを堪えながら右手の銃を見る。漆黒の銃身に、まるで闇を切り裂く稲妻のように黄色の線が走っているデザイン。今だ収まらないのかバチバチと放電を続けている。

 対クリーチャー用武装、雷鳴の筒。ある依頼の過程で手に入れたオーパーツ。おれの持つ武器の中で、唯一の対人を想定していない武装。

「なっ! ヌシ如きが黒鬼を還すとは―――――グブッ!」

 九曜の驚愕に満ちた声。それと同時に黒い塊が、彼を襲った。

 聞いたことがある。より力を籠めた式神が、相手に無理矢理還されると、その反動で術者に何かしらのダメージを負うことがあると。だがそんなことは今重要ではない。九曜がダメージを負ったことにより、一時的に彼の行っている儀式が緩む。

「―――美鈴!」

 おれは未だ宙に浮かんだままの美鈴に向かって、声の限り彼女の名前を叫んだ。


        *


 ふわりとした浮遊感に身体全身が包まれている。それはまるで雲の中で寝ているようで気持ちがよく、あたしの脳から思考という二文字を奪い去っていた。

 周りは真っ暗で、それ以外何もなかった。まるで闇にあたしが包まれているみたい。

 なんでこんな所にいるんだろう。さっきまで九曜の所にいたはずなのに。一瞬そのことについて考えようとしたけれど、すぐにどうでもよくなった。最後に九曜に何かされたかもしれないけれど、今あたしはここにいる。それだけでいいじゃない。なんだか考えるのが面倒臭くなってきた。

 ふと闇の中になにかがいるのに気がついた。背筋が冷たくなる。でも次の瞬間には背筋の寒気がなくなった。一瞬闇の中のなにかはすごく嫌なもののように感じたけど、きっと気のせいに違いない。

 闇の中のなにかが、あたしに向かって黒の世界にあっても尚わかる漆黒の触手をゆっくりと伸ばしてくる。

「ぁ……」

 触手はあたしの体に優しく絡みつき、痺れるような軽い痛みを与えてくる。触手から何か粘着質のあるドロッとしたものがあたしの身体に侵入してきた。それはあんまりにも気持ち悪くて、普段のあたしなら絶対嫌がるはずなのに今は違った。まるでこのまどろみが、全ての感情を心に届かせないようにしているのかもしれない。

「―――!」

 ふと誰かがあたしの名前を呼んだ気がした。でもきっと気のせいだろう。今ここにあるのはあたしと闇と、なにかと触手。名前なんて呼ばれるはずがない。そう思ってあたしはもう一度まどろみに身を任せる。

 不意に闇が震えた気がした。そして触手の動きが止まる。どうしたんだろう、まどろみの中のあたしはほんの少しだけ疑問に思ったけれど、やっぱりどうでもよくなった。

「―――美鈴!」

 まるで去っていく人を呼びとめるかのような切羽詰った男の人の叫び。誰だろう? ここ最近よく聞いた声。なんとなくこの男の人が、そんな必死の叫びを上げるなんて珍しいと思う。

「……たく、と?……」

 自分の呟きがゆっくりと頭の中に浸透していく。

 ここ数日間の逃避行からあたしを守ってくれた仕事バカ。戦うとおっそろしく強いのに、ジェットコースターが大の苦手。なんでタクトが必死にあたしの名前を呼んだんだろう…。

 ゆっくりとまどろみから覚めていく感覚。

 それまでは全然気にならなかったあたしの身体に纏わりつく触手。そしてその先のおぞましきなにか。今更だけど凄まじい恐怖があたしを襲った。

「イヤアアアアァァァァ」

 あたしは声の限り拒絶の叫び声を上げる。その叫びが何か意味があったのか、バチンッ!とまるで大きな静電気みたいな音がして、纏わりついてた触手が吹き飛ぶ。

「アアアアアァァァァァ」

 あたしの身体の中に残っているどす黒い塊。それを声と一緒に全部吐き出す。肺の中の空気が全部出たせいで、荒い息のまま闇の中のなにかに対してキッと睨む。

 そうだ。タクトがあたしを助けに来てくれてる。でもタクト一人に全てを任せていいの? あたしだって何か出来ることがあるんじゃ…。

 色々考えているうちに、目の前の何かに対する怒りがふつふつと湧いてくる。

「思えばこの何かが今日までの逃避行の原因なのよね」

 言葉にすると余計にムカムカしてくる。ナンパされそうになったり、いきなり黒服エージェントに襲われたり、超能力者が現れたり、色々と散々な目に合された元凶。

 頭で考えるよりも先に身体が勝手に動いた。

「コン、チックショーが!」

 怒りの罵声とともにステップを踏み、闇の中のなにかに向かって思いっきり殴りつける。さっきと同じ、でもそれより大きなバチンッ!という静電気みたいな音がして、闇は弾け飛んだ。



「ん、んんん」

 まるで長い夢からゆっくりと醒めていく感覚。薄ぼんやりしていてうまく頭が回っていない感じ。でもそれは強烈な落下感によって搔き消された。

「ちょ、えええぇぇぇぇ」

 思わず変な声が出る。どうやらあたしが意識を失くしている間、九曜によって宙に浮かされた状態になっていたみたい。それがあたしが起きた瞬間に彼の魔術が解け、地面に向かって真っ逆さまに落ち始めた。

 だけど今まさに床に叩きつけられようとしているあたしには、そんなことを考えている余裕なんてなかった。

 ――落ちる!

 そう思った矢先、あたしの身体は誰かに横抱きにされ、地面に叩きつけられるのは防がれた。

「大丈夫か? 美鈴」
「えっ、あ、うん…」

 すぐ近くにはタクトの顔がある。それに思わぬお姫様抱っこにあたしの顔が赤くなる。しかもあんまりにも優しそうに微笑んでるもんだから、普段とのギャップに困惑して思わずしどろもどろになってしまった。

「…よくも、よくも儂の邪魔をしてくれおったな鼠めェ!」

 怒気の籠ったしゃがれ声に、思わずあたしの身体はビクンと驚いてしまう。見れば九曜は右手で顔を押さえながら、皺だらけの顔に幾つも青筋を浮かべていた。

「許さん、許さんぞキサマらぁぁ!」

 怒りで身体を震わせながら、懐から呪札を取りだす。そして式神を召喚しようとした瞬間、呪札からどす黒いなにかが溢れだした。

「なっ! 莫迦な! 九曜の『泥』が逆流するだと! ガアアアアアァァァァッ」

 九曜は断末魔の叫びを上げながら、その身体にどす黒い何かが覆い始める。

 あたしが夢の中で思いっきり弾き飛ばした闇の中の何か。それが九曜に向かって逆流し、その身体を侵食しているんだ。

 さっきの九曜の『泥』という言葉。そしてさっきの九曜からの話。それら二つから考えられる結論は一つ。あれが九曜の凶つ神。あたしがその内に入れられようとしていたモノ。そのあまりのおぞましさに思わず鳥肌が立つ。

 既に九曜としての肉体はなく、その身体は膨張し巨大な肉の塊にまで変化した。かろうじてヒトだったということがわかるくらいしかもう原型を留めていなかった九曜。それが大気に向け禍々しい叫びを放つ。

「---MONSTER」

冷汗をかきながら、タクトはぼそりと呟く。そしてそのまま逃げるように部屋から飛び出した。

「逃げるぞ! アレはもう人の手に負える代物じゃない」
「わかった!」

 タクトの焦った様子の叫び。それにあたしも間髪入れずに返し、彼の腕から降りる。そしてそのまま二人して一階へと続く階段、屋敷の出口への道を走りだす。

「るるるルルルルあああアアアアアァァァァァ」

 怪物(MONSTER)の咆哮。そしてあたし達がさっきまでいた九曜の部屋の壁が、まるで爆弾で爆破したかのような爆音とともに粉砕された。思わず走りながら振り返る。どうやらそれは怪物(MONSTE)の剛腕によってもたらされたものらしい。腕を突き出しながら怪物は廊下に躍り出る。

「チイィ!」

 タクトの舌打ちの音とともに幾つもの発砲音。それら全て怪物にヒットするけど、まるでダメージを負った様子がない。

 怪物の身体から、黒い瘴気のようなものが溢れだす。それはまるで漆黒の蜃気楼のように近くの景色を黒く歪める。そして今だにブヨブヨと膨張し続ける怪物は、まるで何かに縋りつくかのように腕を突き出しながらあたし達の方へ駆けだしてくる。

「いいか、よく聞け美鈴!」

 必死に走りながらタクトはあたしに向かって話しかける。

「このまま逃げ切ることが出来ればおれたちの勝ちだ」
「どういうことよソレ!」

 ゼイゼイと荒い呼吸のまま、タクトに聞き返す。このまま逃げ切れば勝ち? あれを倒さなきゃいつまでも追ってくるんじゃ…。

「あれはこの世の負の象徴。そんなものが人の器に収まりきるわけがない。見ろ! 不浄の『泥』が、九曜という器に収まりきらず、器そのものを破壊し続ける様を。確証はないが、おれ達を追ってきている理由は一つ。より安定した大きな器へと移るためだけだ」

「より大きな器? それってつまりあの怪物はあたしを追って来ているってこと?」

「おそらくそうだ。そしてあの手のモノは器がなくなれば元の場所へ還る。九曜という器では長くは持たない。つまり…」

「九曜の身体が崩壊するまであたし達が逃げ切れば全てが終わるってこと?」

「そういうことだ」

 タクトじゃないけど、後ろを振り向かなくてもわかる。あの怪物がどの辺りまで近付いて来ているかなんて。聞いてるだけで身震いが起きそうな怨嗟の叫び。周囲の景色を歪めるほどの負のオーラ。長くは保たないと言っていたけど、今のあたしにとって一分一秒が滅茶苦茶長く感じられる。

 近づかれたら終わりという恐怖とたった一つの希望だけをエネルギーに、出口の方向、一階へと続く階段目指して廊下を走る。

 あと少し……あと少し…あと少し――見えた!

 ようやく一階へと続く階段が見えて、あたしとタクトは必死にそれを駆け降りる。それはあたし達が階段の半分ほど降り終わった時だった。

「汚お悪オ雄終お悪雄オ汚おお汚オオ尾悪雄ォォ怨」

 筆舌に尽くしがたい身震いが起こるような雄叫びと共に、ようやく怪物が階段に差し掛った。

「チッ! 掴まれ美鈴!」

 タクトは舌打ちと同時にあたしを横抱きに担ぎあげる。突然のタクトの行動に思わず抗議の言葉が出る。

「えっ? ちょ、ちょっと!」

「跳ぶぞ!」

「何? ってキャアアアァァァァ!」

 言うが早いかタクトはそのまま階段から一階へ向けて飛び降りる。まだ地面には五メートル以上の距離があるし、高さだって三メートルはある。いくらタクトでもあたしを抱えてこの距離は無理なんじゃ…。

 そう思った矢先のことだった。

「汚お悪終雄オお汚オオ雄ォォ怨ァァあ亞あ阿ア亜アア阿アアア」

 あたし達はもう一度爆弾が投下されたような音を聞いた。さっきまでと違い、落下が約束された浮遊感の中で、あたしは思わず後ろを振り向く。

 見れば怪物がその崩壊しつつある腕で、階段を殴りつけたのだ。たったその一発で部屋の壁と同じくあたし達が降りていた階段すらも破壊した。

 もしあのまま走っていたら階段の崩壊に巻き込まれて、時間を取られあの怪物に捕まっていたに違いない。それがわかって疲労とは別の汗が噴き出てくる。

 タクトは階段の瓦礫で足場が悪くなったにも関わらず、安定した着地を行い、間髪入れずに走り出す。

「見てタクト! 怪物の動きが急に遅くなった!」

 階段の崩壊と共に一階へと降りた怪物。さっきまでと違い、動きが鈍い。しかも走りだそうとして地面に転んでしまった。どうやら起きる元気もないのか、力無く這う様にして前に進もうとしている。そしてそれはマンモスの置物の所で完全に動きが止まってしまった。

 タクトは緩やかに速度を落とし、立ち止まる。そして確認するように怪物の方へと向いた。

「リミットオーバー。時間切れだ」

 タクトのその言葉と同時に、怪物を包み込むようにして黒い炎が上がる。そしてその炎はほんの数秒で燃え尽き、何も残さない。ただマンモス付近の絨毯が焦げたように黒くなっているだけだ。

 九曜玄黄の悪意、そして凶つ神である『泥』の脅威は、黒い炎に焼き尽くされこの世から完全に消えた。

 トンッとタクトはあたしをゆっくりと降ろす。同時にあたしはようやく全てが終わったことを感じ、自然と頬が緩む。

「やったね、タクト」

「ああ。よくやった美鈴」

 タクトの方も優しく微笑みながら、ゆっくりと手を伸ばしあたしの横髪を撫でるようにやさしく触る。それが凄くこそばゆく、あんまりにも気持ちいい。

 しばらくそうして撫で続けていタクト。けれども何故かいきなりビクンッ! と身体が硬直しその顔が真っ青になる。

「なに? どうしたの?」

 もう全部終わったんだから大丈夫なのに、タクトのその反応があまりにも場違いすぎて思わず笑ってしまった。

「後ろを見ろ美鈴」

「なに…」

 カクーン! 振りむいた瞬間あたしはまるで漫画みたい口を開けてしまった。



 それはまるで億の蛇。肉体が失われて悠久の時が経ち、骨という名の残骸と化した古の生物。その残骸に、黒き蛇の大群が巻きつき一つの形を成していく。黒き『泥』の蛇達は肉となり筋となりかつてのソレよりもより巨大に、より力強くしていく。

 まるで新たな肉体の調子を確かめるように、一二度足を動かす。ガリリリという不快な音と共に、大理石が削れる。そしてそれは歓喜の雄叫びをあげた。
 太古の咆哮が大気を震わす。ここに今、かつて大地を闊歩した巨象が顕現した。



 開いた口が塞がらないという慣用句を体現しているあたしとタクト。それでも一番最初に復活したのはタクトの方だった。

「……逃げるぞ」
「……うん」

 そう言ってあたしとタクトは出口の方向、あの長い廊下へ向かって走り出す。

「神様あたしたちが一体何をしたぁぁ!」


 あたしたちの逃避行(escape)はまだ終わらない。



あとがき

本日はおやすみ。あと一、二話で完結。



[25905] Last episode
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/12/26 03:14
        1


 それは傷つき今にも倒れそうだった。それは原始のその地で最大の肉体を誇っていた。同属の中でも一際大きく強靭。この世に自身の敵はいない。そう信じて疑わなかった。

 ナウマン象。その肉は一族が何日も飢えを凌ぐことが出来るほど膨大。その毛皮は寒さを凌ぐ衣服となる。そして骨は住居になり、安心を手に入れることが出来る。人間にとってそれは資源の宝庫であった。

 いかに最大の体躯と最強の力を持っていようとも、人間の武器(悪意)には敵わない。多くの悪意に晒され、その全てに抵抗し跳ね除け続ける。かろうじて逃げ切ることは出来たが、負った被害は甚大。幾つもの槍が刺さり、血は流れ続け痛みが止まらない。それは自身がそう長く生きられないことを自覚していた。

 ―――生きたい。折られたプライド、人間への復讐心。それは最後の気力で願った。更なる強さ、大きさを兼ね揃え人間なんかの悪意に脅かされぬ強靭な体が欲しい。

 ついにそれは力尽き、大地へ倒れこむ。命の失われた肉体に、多くの生物が群がり啄む。とうにその肉は失われ、骨だけと化したナウマン象。だがしかしその骨と最後の意思だけは自然へと還らず留まり続けていた。

 とうに自然に還っておかしくない骨と意志だが、そのナウマン象が最後力尽きた場所が問題だった。『繋ぎ止められしもの』、天地開闢と同時にあった謎の建造物。その場所で死んだため、その骨と意志は繋ぎ止められてしまった。

 生きたい、新たな肉体が欲しいというその残存意志に『泥』が反応した。新たな肉体が欲しいという巨象の意志、安定した器が欲しいという『泥』の意思、両者の利害は一致した。巨象は『泥』を受け入れ、『泥』は巨象の肉体となる。そして最悪の凶つ神が誕生したのだった。


        *



 あたしたちはマンモスのいた部屋を抜け、来る時通ったあのだだっぴろい廊下を走る。マンモスの化石があった部屋は、その化石の大きさの都合上一階の天井がない。そのまま二階の天井だ。そして今あたし達が走っている廊下は、広いけれども高さは一階分しかない。つまりこの廊下はトンネル状になっているってこと。

 巨大なマンモス、しかも『泥』のせいで更に巨大化したあの凶つ神じゃ通ることが出来ない。そう安心した瞬間だった。

 雄叫びと共に凶つ神が走る。そして予想通り壁につっかかり、廊下へと進むことが出来ない。ガリリリリという不快な音。そして再び雄叫びを上げると、壁をぶち抜き、廊下の天井を壊しながら凶つ神があたし達追いかけ爆進してくる。

「って嘘でしょォォォ」

 思わずあたしは絶叫してしまう。まさか壁をぶち抜き、天井を破壊しながら突き進むとは絶対誰も予想なんてしない。しないったら絶対にしない!

「タクトォ! ちょっとあの祟り神どうにかしなさいよぉ」

 あたしは若干涙目になりながら、テンパリすぎて思わず隣で走っているタクトにそんな理不尽なことを言ってしまう。

 もののけ姫の祟り神はおっきなイノシシでマンモスとは全然違うけれども、身体が黒くてウネウネしているし、大きな牙もあるからそっくりだった。

「出来ると思うか?」

 いつもと変わらない落ち着いた声。そして左手の拳銃をすっと見せるように上げる。

 それはあの凶つ神と比べると、あんまりにも小さく頼りなさげに見えて…。

「ムリね!」
「だろう」

 間髪入れないあたし達の遣り取り。
 確かに銃じゃああの凶つ神相手に効果がないかもしれないけど、タクトならきっとこの状況をどうにか出来る考えがあるに違いない。

「無理だ。どうしようもない」

 あたしの考えを読んだかのように、タクトが話しかけてくる。

「今回器としたマンモスの化石だが、どうやら九曜よりも容量が大きいらしい。だが凶つ神たる『泥』を完全に受け入れるには足りないようだ。器の崩壊は始まっているが、速度は非常に緩やか。この分では三日は現界し続けるだろう。さっきのように崩れ落ちるまで逃げ切れば勝てるというにはあまりにも長すぎる」

「じゃああれを倒すしかないってこと? 爆弾でも使わなきゃムリじゃない!」

 ガガガガというマンモスによる破壊活動の音に負けないくらい大きな声でタクトに聞き返す。あの凶つ神を倒すだなんてそれこそミサイルとか爆弾とか使わない限り無理だと思うけど…。

「爆弾では無理だ。そもそもあの手の存在に現代兵器は通じない」

「どういうことよ!」

 あと数メートル後ろにあの凶つ神があたし達を追って走っている。そんな危機的状況に、あたしは必死になって走りながらタクトに返事する。

「幽霊に銃弾が効くと思っているのか? 効くわけないだろ。霊体に物理法則はさほど意味はない。あの凶つ神も根本的には霊体と同じだ。ベースは骨という物質だが、その身体の大部分は『泥』と呼ばれる霊体に近い存在。現界している以上、多少の物理法則は受けるだろうが根本的な解決には至らない。ある程度爆弾でその身体を破壊できたとして、しばらく経てば元通り復活する。時間稼ぎにしかならない。あれを倒すことが出来るとするならば霊体に干渉出来る……」

「〝神秘を使う担い手か〟でしょう?」

 凛とした女の人の声。凶つ神に追われているというプレッシャーのせいで、ほんの目の前のことしか映っていなかったあたしは、ハッとなって前方、もう少し先を見ると、十メートルほど離れた所にスーツを着た綺麗な女性、柿崎さんが立っていた。

「水よ、悪しきものを打ち抜け!」

 同時にあたしたちの横を、二つの水柱が駆け抜ける。それは凶つ神に命中し、一瞬だけその動きを止めることに成功した。

「さあ二人とも、ここは私に任せて早く」

 あたしとタクトは柿崎さんの横を通り過ぎる。

「ありがとう柿崎さん!」
「すまない。感謝する」

 なんで敵だった柿崎さんがあたしたちを助けてくれるかなんてどうでもいい。ただ彼女の立ち姿が、あんまりにもシャンとしていて、この人ならなんとかしてくれるんじゃないかという希望があたしの中に生まれた。

 あの凶つ神が死んで、本当に全てが終わったらまっ先にお礼に行かないと。そう思いながらあたしは廊下を走り、一度も振り返ることなく次の曲がり角を曲がった。


        *


「一分ですか。まあ私にしては上出来ですね」

 スーツ姿の女性、柿崎京子は満足げに呟く。凶つ神は忌々しげに鼻を鳴らす。

 タクトたちと別れてからの一分。この凶つ神は一歩たりとも前へ進むことが出来なかった。それが柿崎京子の戦果にして限界。無傷ではあったが、魔力は底を尽きこれ以上の進軍を留めることは不可能。確かに担い手なら凶つ神を倒すことが可能だ。だがそれを為すことが出来るのは神域にいる者のみ。才はあるが彼女には圧倒的に足りなかった。

「悔いはないですね。最後に自分の意思で動くことが出来たから…」

 凶つ神は先刻まで自身を妨害し続けた邪魔者を屠るため、足を踏み鳴らし走り出す。自身の命があと数秒で終わるということが分かっていながら、彼女は薄く微笑み、そこを動こうとはしない。


「オイオイ。諦めてんじゃねーぞ柿崎ぃ!」


 連射される機関銃。物理的な攻撃に意味はないとはいえ、その攻撃に凶つ神は一瞬怯む。

「おめぇはコレでも喰っとけ!」

 男の言葉と共にピンの抜かれた手榴弾が凶つ神の口の中へと放り込まれる。爆音。同時に凶つ神の顔面が吹き飛んだ。一時的とはいえ凶つ神の動きが止まる。

「ったく人には禁煙禁煙。健康のため健康のためとうるせぇ癖によぉ。テメェが簡単に命捨てるような真似してんじゃねーよ」

「ノイズ! どうして貴方がここに。それにその武器は…」

 その言葉に男―ノイズはにやりと楽しそうに笑う。

「アァン。そんなものド派手な爆発音がしたからよう、何があったのか確かめに来たんだよ。それに武器はオレのテリトリー内の隠し部屋に置いといたもんだ」

「隠し部屋ですか。全く貴方らしいといえばらしいのですが…。それよりその傷はどうしたんです?」

 見ればノイズのスーツには幾つもの刺し傷があり、そこから多少は止まったものの今だに血が流れ続けていた。

「ああ。コイツにやられてよ」

 そう言ってノイズは顎で後ろの宍戸雅人を指す。雅人は煙草を吸いながら柿崎に苦笑いで答える。

「成程。宍戸雅人ですか。彼に負けたんですねノイズ」

「バーカ違ぇよ。トドメを刺そうとしたら、屋敷の方で爆発音がしたんでな。ヤバイことでも起こってんじゃねーかと思って戦力増強に連れて来た」

「まあそういうことだ。あれを何とかしなきゃいけないのはぼくも同じ。敵対する意志は無いよ」

 苦笑いのまま雅人は言う。それを聞き、柿崎はハァと溜息をつく。そしてどこか楽しげに笑う

「わかりました。それじゃあ傷だらけの三人ですが、あの凶つ神を倒しましょうか」

「いーや。倒すのはオレ一人だ」

 なにを…。柿崎がそう言おうとした瞬間、ノイズの拳が彼女の鳩尾にめり込む。驚きに満ちた柿崎の顔、そして崩れ落ちる彼女の身体を抱きかかえた。

「おめぇはまだ若いんだからよ。そう簡単に死ぬのはダメだろ?」

 優しげな顔で呟くノイズ。そしてすぐにいつもの彼らしいニヤリとした笑顔で、振り返る。

「おいアンタ。結果的には命助けてやっただろ? その貸しと言っちゃあアレだがコイツ安全な所まで運んでくれね?」

 ノイズの言葉を受け、あえて彼の質問に答えず、気絶した柿崎の身体をノイズから受け取り、横抱きに抱え上げるという行動で返事する雅人。そのまま雅人はどこかバツの悪そうな顔を浮かべた。

「若い…ねぇ。正直ぼくからすれば君も彼女は若いんだから、ここはぼくが残った方がいいんだろうけど…」

 確かに柿崎とノイズの二人はまだ二十代。それに対し、雅人は三十代後半。先程ノイズが言った「若いんだから、そう簡単に死ぬな」という言葉は、本来ならば雅人が言うのが相応しい。

 そして雅人は、自分一人がここに残ってあの凶つ神と戦えと言われたとしても、文句一つ言わなかっただろう。ノイズに敗れ、本来ならば殺されてもおかしくないにも関わらず、彼の一種気まぐれとも言うべき感情によって生きている。一度死を覚悟した身、もう一度死を覚悟することくらい何でもない。

 また保護者としてタクトの命と、仕事として守らねばならない桐原美鈴の命が一秒でも長くなるなら彼は喜んで命を張っただろう。だがノイズの目を見てそれは変わった。

「オイオイ。アンタにゃ家族があるだろ? それにようやくアイツと戦う事が出来るレベルにまで成長したんだ。コッチは早くやりたくてウズウズしてんだよ。つーわけでアイツの所へ行くのの邪魔はさせねぇ」

 それはどこか諦めたとでも言おうか、憑き物が落ちて、落ちすぎてしまい何も残さなかったかのような酷く澄んだすっきりとした瞳。

 ノイズは雅人の視線を避けるように、胸ポケットから煙草のボックスを取り出し、中身がないことに気がつき忌々しげに顔を歪め舌打ちをする。

「チッ、こんな時に限って煙草が切れてやがる」

 雅人はこのノイズと呼ばれてる男に、何かを与えたかった。先程まで死闘を演じた相手に情でも移ったのか。言葉でも何でもいい。この男の死に意味を……。

 雅人は気がつけば彼の名前を呼んでいた。

「ノイズ」
「アン、何だ? 手短に頼むぜ」

 鬱陶しげにノイズは返事をする。ゆっくりと丁寧に雅人は柿崎の身体を絨毯の上に寝かせる。

「君に一つ依頼したいことがある。あの凶つ神の進行を止めて欲しい」

「へぇ。依頼ってからにはそれなりの報酬貰えるんだろ? 何だ? 金か?」

 依頼という言葉が引っかかり、悪戯っぽい笑顔で雅人に尋ねる。

 その言葉に答えずに、雅人は左手で胸ポケットから煙草ケースを取り出す。そしてそれをすっとノイズに差し出すと、軽く上下に揺らす。ソフトタイプのケースから一本飛び出た煙草。意図の理解出来たノイズは少しだけ意外そうに、けれどもすぐさま彼らしいニヤリとした笑顔でその一本を受け取った。

 咥えられた煙草。雅人は煙草のケースを胸ポケットに仕舞い、右手のポケットからジッポのライターを取り出した。カキンという金属音と同時に火が灯る。それをスッとノイズの口元へ持って行った。蠢く『泥』の蛇。背後では凶つ神の吹き飛ばされた顔面が再生しつつあり、突然の攻撃に怒りのオーラを放出しているというのに、まるで世界が切り取られたかのように二人の男の間は静かだった。

 ノイズは顎を上げ、フーーっと紫煙を吐き出す。クラリと脳を焼く苦い陶酔。そして雅人に告げた。

「いいぜ。その依頼受けた! さあアンタはさっさと柿崎を連れて逃げな。あの隠し部屋から外に出られる。コイツはあの美鈴って嬢ちゃんを追ってるみたいだからよぉ。嬢ちゃんから離れりゃ助かるだろ」

「ああ。わかっているよ」

 雅人は柿崎の身体を抱きあげつつ答えた。そしてそのままノイズを一瞥することなく走り去る。

 一人残されたノイズは、凶つ神が徐々にその身体を再生していくのを紫煙と共にゆっくりと眺めていた。

「さーてあの二人はどうなるかねぇ」

 ノイズの言うあの二人とはタクトと美鈴のこと。彼と雅人は柿崎の元へ向かっている時に、二人と擦れ違わなかった。おそらく隠し部屋で武器の調達をしている間に、そこを通り過ぎて行ったのだろう。一体どこまで逃げ切ることが出来るのか…。

 そこまで考えた時に、いよいよ凶つ神の身体の再生は終わった。怒りに燃え、荒々しく地面を踏み鳴らしている。その身から発している黒いオーラは周囲の景色を蜃気楼のように歪めている。

 思考を戦闘用に切り替えながら、チラリと右手の愛用の拳銃を見る。

「最後に頼れるのは使い慣れた武器ってな」

 ニヤリと笑い大きく紫煙を吐き出す。そしてノイズは凶つ神へと向かい走り出した。


「さーて行くぜ!」


                                   ―――爆音



         *


 遠くで凶つ神の咆哮が聞こえる中、おれたちは銃痕が残る部屋を走り抜ける。確かここはノイズのテリトリー。おそらくノイズと雅人さんが戦った痕なのだろう。二人の姿が見えないが、逃げたのだろうか。それとも……。

 おれは空間把握を使おうとし、やめた。そのことに集中力を裂くくらいなら逃げることに専念した方がいい。

 ギリリと血が出る一歩手前まで唇を噛む。初めからわかっていた。柿崎ではあの凶つ神を倒すことが出来ないことを。確かに担い手ならあの凶つ神を倒すことは可能だ。だがそれを出来るのは一握りの天才のみ。柿崎では無理なことくらいわかっていて、それでも尚彼女にあの場を任せた。見殺しにしたと言ってもいい。その現実が、おれの心をざわつかせる。

「どうしたの、タクト?」

 隣で走る美鈴が心配そうに尋ねてくる。

「なんでもない」
「柿崎さんのこと、だよね?」

 努めて平静に装ったはずなのに、美鈴は核心をついてくる。そのまま彼女は自嘲するように続けた。

「柿崎さんじゃあの凶つ神を倒せないのよね?」
「ああ」
「ばっかだなぁあたし。柿崎さんがすっごい頼もしげに見えたから、あの人ならなんとかしてくれるって勘違いするなんて。よく考えれば無理ってことくらいわかるはずなのに……」

 悲しげにそう呟く美鈴。おれはギリッと奥歯を噛み、空間把握を使用する。動きの止まっている凶つ神。そしてその近くに三人の人間がいることがわかった。

「安心しろ美鈴。どうやら柿崎は無事だ。おそらく九曜の仲間か、おれの仲間が彼女を助けだすだろう」
「よかったぁ」

 その言葉に美鈴は若干涙目になりながらも笑顔になる。確かに柿崎が生きているのはよかった。だが問題はこれからだ。象の走る速さは自動車並、しかも『泥』のせいで更に速くなっているだろう。廊下の天井を破壊しながら進行していることにより、スピードが大分落ちているとはいえ、その速度は脅威。柿崎がいなくなったことにより、一直線におれ達の所まで辿りつく。そうなればおれ達は終わりだ。
必死に頭を回転させ、打開策を考える。だがどんなに考えてもこの状況を打破することができない。

「ねぇタクト…」

 何か考え事でもあるのか、視線を下を向けたままおれに呼びかけてきた。

「あの凶つ神ってマイナスのエネルギーを寄せ集めすぎて、自然の浄化作用を越えたモノがベースよね?」
「ああ。それが『泥』と呼ばれる存在だ」
「だったらその『泥』と同じように、反対の正のエネルギーを寄せ集めればあれを浄化出来ない?」
「無理だ!」

 おれは美鈴のあまりに出鱈目すぎる言葉に思わず声を荒げてしまう。

「いいか美鈴。あれは浄化しようと迫る正のエネルギーすらマイナスに変えるほどの負の塊。あれを浄化するにはそれ以上の正のエネルギーが必要となる。それだけのエネルギーを霧散させることなく一ヶ所に集めるなど不可能だ!」

 そこまで言ってはたと気がついた。流石にここまでくれば美鈴の能力などわかる。何故九曜が彼女を求めたのか。それは九曜の『泥』を美鈴ならば全て受け入れることが出来るからだ。そして美鈴を完全体となった凶つ神として使役するため。逆に言えばそれだけの存在を受け入れるだけのキャパシティを彼女は持っているということ。

「九曜の奴が言ってたんだけど、あたしって『器』としての才能があるみたい。あたしの中に正のエネルギーを溜めれば……」
「どの道このまま逃げ続けることにも限界がある。君のその作戦に全てを賭けるしかないようだ」
「ありがと!」

 そう言って美鈴は走るのをやめ、立ち止まる。遠くから爆音と凶つ神の咆哮が響いてくる。まだ距離はあるとはいえ、油断出来ない。

「そういえば美鈴、肝心の正のエネルギーだがどうやって集める?」
「ほらさっきあたし『泥』を入れられそうになってたじゃない? あの時の感覚を利用すれば何とかなる気がするの」
「なるほど…」

 納得は出来た。だがおそらくあれを浄化するほどの正のエネルギーだ。十秒かそこらでは集まらないだろう。だがしかし、ここにはおれがいる。

「美鈴。君はゆっくり落ち着きながら正のエネルギーを集めるがいい。それまでの間、おれが君を守る」
「わかった、ありがと」

 心底おれの事を信頼してくれているのか、頼もしげな笑顔を漏らす美鈴。だがすぐさま大きく深呼吸し、まるで祈るように胸の前で手を組んだ。

 爆音が止み、そしてすぐさま凶つ神が天井を壊す音が聞こえてきた。おれは美鈴から数歩前へと進み、右手を見る。雷鳴の筒を使った反動で微かに痙攣している。だがそれがどうしたというのだ。

 おれは左手で握っていた通常の銃を仕舞い、代わりに雷鳴の筒を取り出し右手で持つ。例え右手が動かなくなったとしても、美鈴を守らなくてはならない。それは守り屋『顎』のメンバーとして、そしてなによりタクトという一人の人間としても彼女を必ず守り切る。

 轟音とともに天井が弾け飛んだ。おれ達と凶つ神との距離は十メートル。咆哮とともに走り出すそれに、バチバチと放電し始めた雷鳴の筒を構える。

「オオオォォォ!」

 雄叫びと共に引き金を引く。それは凶つ神の右顔面に掠り、その一部を持っていく。が、それでもアレは止まらない。痛みを雄叫びで誤魔化しながらもう一発撃つ。正確に照準が定まらないそれ。だが確実に凶つ神へと当たりその身体を抉る。僅かに速度は落ちても止まることはない。まるでその手の攻撃に多少なりとも耐性が出来たかのよう。

 三発目を放とうとし、おれの身体に後ろから透明な何かが通ったのを感じた。同時に透明ななにかは凶つ神の身体も通過し、それは先程までと違い、酷く弱々しい声を漏らす。まるで何かに怖れるかのように、凶つ神はゆっくりと後ろへ下がる。

 おれは思わず後ろを振り返り、思わず彼女の名前を呼んだ。

「…美、鈴?」

 それは本当におれが知っている美鈴なのだろうか。その瞳はどこまでも澄み、口元には柔和な笑みが形作られている。彼女から発せられるオーラはまるで、誰も足を踏み入れたことのない処女雪のように清らか。

 しゃらん。彼女が一歩踏み出すと同時に、幻想的な鈴の音がその場に満ちる。鈴などないのに何故と疑問に思うが、彼女の圧倒的な存在感に脳が麻痺し、それ以上考えられない。

 気圧され固まっているおれの隣を、ゆっくりとした歩調で彼女は歩く。それは普通に歩いているが、明らかに普通ではなかった。空の上を進んでいるかのように、軽やかで体重を感じさせない。

 しゃらんしゃらん。鈴の音が響き渡る中、凶つ神は弱々しく鼻を鳴らす。すぐさまそこから逃げ出したいのにも関わらず、身体が反応しないようだった。

 凶つ神の前に立った彼女はゆっくりとその両腕を上げる。優雅に微笑む彼女に誘われてか、今までと違いゆっくりとした動作で顔を近づける凶つ神。二つが触れ合い、世界が揺れる。大気は荒れ狂い、正と負は互いに弾け飛ぶ。同時に『泥』が消えたことにより、カタカタとマンモスの骨が肉を失い地面に落ちる。おれたちを襲う脅威の全ては消えた。


        *


 柿崎京子はゆっくりと目を覚ます。

「ここは……?」

 周囲へ視線を動かすと、自分は今夜の森にいることがわかった。同時に彼女は自分が男に抱えられていることを自覚した。

「ああ、ようやっと起きたか」

 目の前で優しげに微笑む宍戸雅人を見て、彼女の脳は一気に覚醒する。

「ノイズは?」

 思わず彼に大きな声でノイズの安否を確認する柿崎。だが雅人は何も言わず、ただ小さく首を横に振ることで返答した。

「そう、ですか…」

 キッと唇を噛み、俯く柿崎。目覚めたのならわざわざ雅人に横抱き抱えられるよりも、自分の足で立った方が良いに違いないのだが、しばらくの間はこうしていたかった。

 先程までの喧噪とはうって変わって、今は静かだった。空を見れば夜空にポツンと一つの月。風に揺られる木々のざわめき、虫たちの声。彼女は小さく溢す。

「これから一体どうしたらいいのでしょうか」

 それは先程呟いた言葉とまるで同じもの。あの時凶つ神と戦い、死ぬことを選んだ。最後の最後に自分の意思で動き、その結果死ぬ。それで満足だった。それをノイズに奪われてしまった。九曜玄黄の所へ戻るにしても、既に彼はいない。彼女は八方塞がりな状態だった。

「えっと君の名前は……」

 困ったように笑いながら、宍戸雅人は尋ねる。

「そういえば名乗ってませんでしたね。私は柿崎京子と申します」
「そっか、うん。京子ちゃん、君『顎』に入らないかい?」

 突然の誘いに、柿崎の目は大きく見開かれる。雅人の眼鏡の奥から、悪戯を考えている子供のような瞳が楽しげに笑う。

「どうやら京子ちゃんは行く所もないようだし、『顎』としてはこの機に優秀な担い手が欲しい。まあどうしても嫌っていうなら断ってもいいけど…」

 雅人のその提案に、柿崎は考える。おそらくこの宍戸雅人という人間は信用出来るだろう。それに『顎』にはタクトもいる。この提案は彼女にとって悪くないものだった。

 しばらく考えた後、柿崎京子は自分の意思で結論を出す。



「よろしくお願いします」




[25905] epilogue
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/12/26 03:18
       1


 夏の午後、ある日の昼下がり。あたしは喫茶店で紅茶を飲みながら人を待っていた。ふぅと息を吐き、店内を見渡す。以前と違い、お昼も過ぎたっていうのに店内に人は多く、心地よいうるささが広がっていた。

 前までは街の大通りから少しだけ外れていて、知る人ぞ知る名店って感じだった『forest』だけれども、店舗移転して中心部に出来たお陰で知名度が上がった。今では人気店としてたくさんお客が入るようになった。

 腕時計で時間を確認する。三時ちょっと前。待ち合わせの時間を破る人間じゃないからもうすぐ来るだろう。そう思った矢先、カランとドアのベルが鳴る。噂をすれば何とやらだ。

 あたしは敢えて何もせず紅茶を飲む。手を上げたり呼んだりしなくたってあたしがどこにいるのかわかる。何故なら待ち合わせの人間は超能力者だからだ。

 超能力者という単語に、なんとなしに笑えてきてしまい思わず微笑む。するとあたしの向かい側の席に一人の男性が座った。


「久しぶりだな、美鈴」
「久しぶり! タクト」


 あの凶つ神を倒した後、背の高い二十代くらいの男の人と、ツンツン髪の高校生がやってきた。土御門秋人と名乗った二十代の男の人は、統魔っていうオカルト専門組織のトップらしい。あたしが凶つ神を倒すためやったことを話すと、とても驚いてたのが印象的だった。そのまま一応念のため二人に連れられ統魔の病院に連れてかれた。何でも『泥』を降ろされそうになったから、身体にその影響がないか検査するためなんだって。

 検査自体すぐに終わり、一応一晩入院してからようやっと家へと帰ることが出来た。三日も家に帰らずにいたのに、お父さんとお母さんは特に何も言ってこなかった。なんでも秋人さんが上手く誤魔化したらしい。そのことでちょっとだけ苦笑いしていた。

 その日を普通に過ごし、自分のベッドの中に入った時不意に泣けてきた。お父さんやお母さんの顔が瞼に浮かび、ようやっと自分の生活に戻れたことを実感しホントに嬉しかったのだ。



「でもまあたった三日の出来事なのよね」
「突然どうした?」

 不思議そうに訊き返すタクトに、なんでもないと一言告げ、誤魔化すように紅茶を飲む。超能力者、魔法使いが現実に存在することを知って、タクトと一緒に遊園地に遊びに行ったり、怪物に追っかけ回されたのも過ごした時間は物凄く長く感じるけれど、実際はたったの三日。時間て不思議と心の底から思う。

 ウェイトレスがやって来て、タクトが注文したコーヒーをテーブルの上に置く。タクトが一口飲んだのを見計らってあたしは口を開く。

「で、タクト。今日はなんのためにあってあたしを呼んだの?」

 あの日、統魔の病院から退院し、別れた時からタクトに会ってない。そんなタクトから昨日、話したいことがあるから会わないかとメールが来たのだ。

「なに、おれの今後のことについて、美鈴に話しておこうかと思ってな」
「今後のことって?」
「ああ。雅人さんとも話し合った結果、高校に通おうと思っている」
「高校? 大学じゃなくて?」

 あたしは思わずタクトに聞き返す。そりゃ二十歳だって通おうと思えば高校に通えると思う。でもそれなら高卒試験を受けて、大学に入った方が年齢的にピッタリだと思うんだけど……。

「はぁ。美鈴、君はおれをいくつだと思っている?」
「えっ? 二十歳くらいだけど……」

 どこか不満そうにタクトは溜息をつく。そりゃ背が高いし、身体付きだってしっかりしている。それに凄く頭もいいし、冷静。絶対二十歳くらいにしか見えない。

「全く。どうしてこう皆おれの年齢を間違えるのか。おれは今年で十六だ。ああ、そうなると、君の方がおれより一つ年上か。よろしく頼むぞ先輩」




「ってええええええええぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇ」


                         ――――これにて終幕



[25905] あとがき
Name: 或る物書き◆60293ed9 ID:6db42fff
Date: 2011/12/26 03:25
ここまでお付き合い頂いた皆様、どうもありがとうございます。無事完結することが出来ました。思えば完結に至るまで途轍もなく時間を消費してしまいました。

去年の夏に書き始め、女の子を主人公にしたせいでとても身もだえしたことを今だに覚えています。

これから皆様から頂いたアドバイスに従い、作品の誤字などを直す作業に入って行こうと思います。

この作品を読んで、楽しんで頂けたのなら本当に幸い。それではみなさんまたいつかの機会に会いましょう。


眠い眼をこすりながら。或る物書き


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