1
うだー、とそんな効果音が目に見えるような空気が、昼下がりのファーストフード店の一角に漂っていた。
こんな所にいれば脳内が腐ると言わんばかりに、学生でごった返す店内もその一角だけはぽっかりと,
ブラックホールのように人気がなかった。
なんか近寄ったら吸い込まれそう。
この光景を見た全ての人間の意見である。
だが、人間の意見というヤツは一つに統一されることはないわけで。
当然こんなくだらない光景を見て思う感想にも、少数派はいた。
「し、シスターちゃん。ほら、席がいっぱいです。別のお店にしましょう! ね!?」
「あ、とうまにゆりこ、それにあいさなんだよ! ほら、こもえあそこ!」
「ううー! やっぱりあそこに行かなきゃいけないんですかー!?」
月詠小萌が多数派で、インデックスが少数派。
もしくは空気が読める派と空気が読めない派。
小萌先生とインデックスはファーストフード店でそのブラックホールを発見して立ち尽くしていた。まあインデックスはそのブラックホールを形成しているのが知り合いだと気付いた瞬間駆け足で近付いていったが。
席はブラックホールの円周部分しか空いておらず、ある意味店内は満席と言えた。
二人とも買い物の途中なのか、両脇に有名ブランドのロゴが入った紙袋をを抱えていた。正直小萌先生としても少々この荷物は重いと思っていたのでいい加減休みたかったのだ。席は空いているし、近くにいるのは教え子とその知り合い。渡りに船とは思うのだが、……思うのだが、この空気は全力で遠慮したいところである。二度と立ち上がれなさそうだ。だがそれでも、重いものは重いし、暑いものは暑いのだ。
というわけで、小萌先生はそのブラックホールに飲まれるのを自ら了承してしまった。まったく、この百三十五センチのマイボディーが恨めしいといったところか。
そう、百三十五センチ。
冗談抜きで百三十五センチ、である。
身長百三十五センチ。外見年齢十二歳以下。見た感じ園児服のようなピンクのの服と、同じようなピンクの髪。でも高校教師。実年齢[自主規制]歳。
正真正銘オトナな女。
それが彼女、月詠小萌である。
もっとも、今日はいつもと違ってどこかカジュアルな服装だが(当然のごとく色はピンク)。
そんな彼女の連れ、禁書目録の少女、インデックスもいつもの修道服を脱いで同じようなカジュアル路線のワンピースだった(こちらは小萌先生と違ってピンクではないが)。あの豪奢な修道服を脱がせ、日常的に普通の服装を着せるのに小萌先生が掛かった時間は約一週間。その間、隙あらば着替えさせ続けたらしい。
と、まあいつもと違う二人に自称女性至上主義者(フェミニスト)上条当麻が反応しないはずもなく、
「お、小萌先生にインデックスちゃん。今日はいつもと印象が違うねえ。似合ってる似合ってる」
「可愛いけど似合っちゃいねェだろ。いつもみたいに子供服にしとけよ」
何故か鈴科の辛口コメントも付属されたが上条の口からは大旨予測された台詞が吐き出された。
「子供服じゃないのですよー! あれはオーダーメイドです-! 先生の持っている服に子供服なんて一つもありませんからね!」
「いやそっちの方が驚きだよ! 勿体ねえなあ!」
上条、レベル0ということもあって割と苦学生。お金には五月蝿いのである。
ちなみに、そんな上条は黒いポロシャツに白いネクタイ。鈴科はロング丈のストライプ柄トップスにフード付のジレを着ていた。
「あいさ! あいさ! お腹空いたかも!」
「うん、それは上条さんのバーガー平らげてから言う台詞じゃないよね? というかやっぱり食いしん坊キャラ……」
気付いたときには上条のトレイの上に残っていたハンバーガーは包み紙だけの変わり果てた姿になっていた。恐ろしい早食いだった。ついでに上条の嫌な予感が当たったのも恐ろしい。
嫌な予感はよく当たる。良い予感はもっと悪い事態になる。
上条当麻に幸運はないのである。
インデックスに話しかけられた巫女装束の少女――姫神秋沙は何の躊躇いもなく上条の白いズボンのポケットに手を突っ込んだかと思うと、上条の財布を抜き取ってそこからクーポン券を取り出し、インデックスに渡すと、
「これで。貰えるから」
カウンターの方を指さした。
「おい! それ俺のだから! せめて一言何か言ってからにしてね!?」
「借りる」
「返ってこないだろ!」
「これは俺のものだ」
「ジャイアニズム!?」
珍しくもボケ続ける姫神に上条も律儀にツッコミ続けるも、カウンターにダッシュしたインデックスを見ると、また始めのようにぐったりとテーブルに倒れ込んだ。
それを見届けた姫神もぱたりとテーブルに倒れ込む。
この程度の梃入れでこの場の怠い空気は吹き飛ばないのだ。
……駄目な奴らだった。
「あー、先生もなんだかだるーいのですよー。シスターちゃんには悪いですがぁー先生は堕ちますぅー」
普段よりも間延びした口調でそう告げると、小萌先生もぺたーっと突っ伏した。
鈴科はとっくに倒れているし、このテーブルにすでに起きている人間は居ない。
残ったのは飲み残されたシェイクやドリンク、齧ったそのままのハンバーガーにアップルパイ、そして堕落した人間達の屍だった。
学園都市は今日も平和である。
そう、少しばかり退屈なくらいに。
2
堕落した人間達の五月病は、インデックスが山積みに買ってきたハンバーガーを平らげた後も続いていた。
というか、インデックスも巻き込んでいた。
総勢五名。ブラックホールは広がるばかりである。
まあ心地良いし、こういう何もなくゆっくり出来る時間は好きではあるのだけど、さすがに何だかこの時間が勿体ないような気がして上条は体を起こした。
「なんつーか、これだけ人間が集まって会話の一つも生まれないとか、駄目な人間だよな」
「まァなァ。でもダリィしィ。ねみィしィ。やる気でねェしィ。あァ駄目だわ。無理だわ」
即座にいつものように鈴科が返すが、理由を並べている内にその通りになってきたのか、それっきりプッリと喋らなくなった。
他の者は反応すら示さない。
上条は結局ただ一人の生き残りになってしまった。
「…………うだー」
ぱったり、と。
テーブルに頬を押し当てるように倒れて、それで気付いた。
瞬き一つせずに上条を見つめている姫神に。
鴉の濡れ羽のように艶のある黒髪が頬に流れるように掛かっており、どこか妖艶で、
「……ちょっと恐いんだけど、姫ちゃん」
「酷い。言って良いことと悪いことがある。謝って」
「……ごめんなさい」
いや、悪いとは思うのだけど、この感想を取り下げる気はないぜ姫ちゃん。とか思っている上条ではあったが、なんせ口に出すのも怠いので姫神にそれが伝わることは無かった。
隣り合わせ、見つめ合うようにテーブルに突っ伏している上条と姫神。お年頃な二人が見つめ合っているとなれば背景にシャボン玉が漂ったり甘ったるいピンクオーラが湧き出ても良いと思うのだが、如何せん二人の黒い瞳に覇気がなかった。というか生気がなかった。まるで死んでいるようである。ピンクオーラの代わりに墓場オーラが出ていた。
それでも、と言うべきかは分からないが、一つ瞬きをした頃には姫神の瞳にしっかりとした意志が秘められていた。
なんというか、決意、のような。
そんなものが秘められていたのだ。
「…………。上条くん」
「……んー?」
「ありがとう。改めてお礼を言わせて欲しい」
「んー?」
何の、と言う前に、姫神は自分から答えを言った。
「私を。助けてくれて」
ヒロインになれなかった私を、ヒロインにしてくれて。
鈴科にはなんだか姫神がそう言ったような気がして、不愉快だった。
自分がヒロインなんだと乙女チックな事は言う気がなかったし、今ギャグパートなんだからシリアスな雰囲気にしないでくれるかなーとメタな事を言う気もなかった。どうして言う気になれなかったのか分からなかったし、どうしてそんなことを考えたのかも分からなかった。ただ、ちょっとだけ考えてみて、けれど納得できない答えしか出なかったがそれでも敢えてたった一つ納得できそうな答えを言うならば――
(――ただダルいだけだよなァ……)
そう、それだけ。
だから何でもないのだと、そう納得して、そう納得させて、鈴科は改めて目を閉じた。
まあ、そんなことを鈴科が考えているなど想像が付くはずもなく、上条と姫神のやりとりは続いていた。
「いや、別に今更お礼言われるようなことじゃねーし、お礼言われることでもねーし」
何に対するお礼なのかは、いくら馬鹿な上条とはいえ分かったが、だからといってそれがお礼を受け取ることとイコールかは全くの別問題。あんな事はお礼を言われるようなことではないと、上条は姫神の言うお礼の理由を思い出していた。