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[25741] 人妖都市・海鳴 (リリなの×あやかしびと×東出祐一郎) 弾丸執事編、開始
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/08/03 18:44
ども、散々雨と申します。
これはpropeller作品【あやかしびと×Bullet Butlers×クロノベルト×エヴォリミット】と【魔法少女リリカルなのは】のクロスです。
主人公は特にいません。
世界設定は色々と変です。
【リリカルの世界】と【あやかしびとのキャラ】のクロス、ではなく、


【あやかしびとの世界】に【リリカルキャラ】がいる、という感じです。


ですので、

キャラの性格と性能がおかしい
キャラの周囲が色々とおかしい
キャラの平均年齢が高い

という感じです。
最悪、リリなのでも、あやかしびとでもない、という危険性もあります。



人妖編・完結しました
人造編・完結しました






[25741] 序章『人妖都市・海鳴』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/16 23:29
「――――ふむ、今……なんと言いました?」
ヨレヨレのスーツにヨレヨレのワイシャツ。ぼさぼさの髪はある程度失礼に値しない位に整えているが、ある程度という値は彼の中だけであり、初対面の人物が見れば確実にこう言うであろう―――お前、やる気あんの?と。
そんな服装をしていながらも、男はこの神沢学園の立派な教師の一人なのだ。
例え、ギャンブル狂だとしても。
例え、万年平教師だとしても。
例え、最強なんて恥ずかしい肩書をもっていたとしても。
この男は一応、教師なのだ。
しかし、そんな教師である男は実に面倒そうに頭を掻き、それから今度は耳を穿りながら、
「俺……いや、私の耳が間違ってなければ、ですが」
もの凄く嫌そうな顔をする。
「転勤、という事ですかな?」
「そういう事だよ、加藤先生」
「嘘でしょ?」
「いやいや、本当だよ」
そう言ってぶよぶよな触り心地が良さそうな腹をした神沢学園の校長は言った。
「私は一応は人妖なんですがね」
「私だってそうだよ」
「人妖が外出ちゃ駄目でしょ?」
「最近は申請さえきちんとしておれば問題は無いんだよ」
そう言われれば確かにそうだと想った。

人妖―――正式呼称は【後天的全身性特殊遺伝多種変性症―ASSHS〈アシュス〉―】

通称【人妖病】と呼ばれる遺伝性とされる原因不明の奇病に罹患した人々を総称する言葉である。そして、人妖病になった者が送られる楽園にして監獄、普通というカテゴリから外された人々が迎えられる砦である都市が、この神沢と呼ばれた土地である。
この街に入った人妖達に自由はある。しかし、それはこの街の中の自由という意味。自由の反対は拘束であり隔離。それがどういうわけか同じ意味を持っている。
反対でもなく同意でもない。
一度入ったら余程の事がない限り、人妖達はこの街を出る事が出来ない。絶対に不可能ではないが、可能という領域か。
可能とは、決して安易という意味ではない事は誰にでもわかる。故に人妖は殆どこの街を出る事は無い。しかし、出ないからこそ安全であり、出ないからこその安住の地なのだろう。
そんな神沢という街は、この下手をすればこの世界で唯一、人妖が人妖になる前と【似た】生活を送れる場所として確立され、隔離される場所だった―――そう、かつては。
「君は【海鳴】という街を知っているかね?」
「……まぁ、人並みには」
かつては一つだった人妖都市は気づけばもう一つ増えていた。
此処、神沢が地方都市として存在するように、もう一つの人妖都市もまた地方都市(もっとも、この街よりは近代化は進んでいるらしい)として存在する。
「行った事は?」
「ありませんね」
「それじゃ行ってくれ」
「なんで私が?」
「君、暇だろ」
「暇は暇ですが……私じゃなくてもいいでしょう?」
正直、面倒でしょうがないというのが本音なのだが、
「君でないと駄目だね」
「どうして?」
「君が教師だからさ」
「理由になってませんね」
しかし、こうは言ってもこの時点で彼は覚悟を決めていた。
覚悟と言っても諦め、そして受け入れて、事情に流されると言う選択肢を選んだだけに過ぎない。
内心、これにはあの鴉少年が関わっているのだろう。なら、自分がどうこう言ってもどうにもならないと半分諦め、半分覚悟を決める。
「というわけで、君がこれから向かって貰う学校だが……」
「人の話、聞いてませんね」
校長が差し出した辞令に記されていた場所。それを見た瞬間に彼の顔は酷く疲れた顔をしたらしい。
「…………校長。これは何の冗談ですか?」
「冗談に見えるかい?」
「私は高校教師です」
「教員免許を持っている事にはかわらんさ」
「いや、変わるでしょ。だって、此処―――」
流石にこれは無いだろうといった顔で、加藤虎太郎は書類に記された文字を指差す。



「小学校じゃないですか……」



「―――――と、いうわけで海鳴に行く事になった」
「急ですね……」
「だから今晩にも発たんと行けないんだがな」
「だったら今すぐ発ってくださいよ」
「ふむ、それもそうだな」
加藤虎太郎は校長からの急な異動辞令を受けて数時間後、出発の準備もまったくせずに、かつての教え子である如月双七の家にいた。
「まぁ、あれだ。しばらくお前等とも顔を会わせられないからな。こうして久々に顔を見に来たんだが……」
「虎太郎先生が家に来るのなんて毎日じゃないですか」
「そうだったか?」
「主に給料日が近付くと、ね」
「そうだったか?」
「おかげで何故か家の家計簿には家族ではない、他人の分が存在しますね」
「そうだったか?」
双七、そして虎太郎は向かい会う。間に卓袱台、上にはお茶。そしてそんな男二人を見つめる仲睦まじい母子。
「ねぇ、かかさま」
如月双七の息子、如月愁厳は母親に尋ねる。
「こたろうとおじさまと、ととさまは喧嘩してるの?」
子供の眼にはそう見えたらしい。しかし、それも強ち間違ってはいない。母親である如月刀子は優しい微笑みで我が子に語りかける。
「喧嘩はしていませんよ」
「ほんとうに?」
「えぇ、本当です」
少なくとも、今はまだ―――と、刀子は愁厳に聞こえない小さな声で呟いた。
「さ、お風呂に入りましょう」
「はいッ!!」
騒ぎが起こる前に母は息子と共に逃亡。残された居間には一家の大黒柱とその教師だった男。
「…………」
いや、もう一人いた。正確に言えば一人ではなく一匹。子狐というには些か大きい気もするし、大人の狐というにはまだ未熟、そんな雰囲気を醸し出した狐が今の座布団の上に寝ていた。
呑気にすやすやと眠りこけている狐。名前は狐ではなく、すずというのだが―――ここで語る必要はまったくない。
例え、この狐が毎日の様に愁厳に会いにくるお姑みたいな存在になっている万年ロリ狐だとか、そろそろ働けよと双七に言われてるとか、級友であるロシア娘と毎日夜遅くまで飲んで唄ってゲロ吐いて双七の家の前で倒れているとか、そういう事はまったく関係ない。
この場で関係あるとすれば、虎太郎が双七を真剣な表情で見据え、双七がソレに対して確固たる意志を持って迎え撃つ構えがあると言う事だけ。
「――――如月」
「――――虎太郎先生」
男達は視線をぶつけ合う。
虎太郎が懐に手を入れ、双七がカッと目を見開く。
そして、虎太郎の懐から飛び出したソレ。ソレを虎太郎は双七に見せつけ、双七は顔を反らせる。
見たらいけない。
アレを見ては、何時もの同じパターンの繰り返しだ。
しかし、悲しいかな―――この場の力関係は学生時代と何も変わらない。双七が目を反らした瞬間、それを狙っていたかのような速度で虎太郎は回り込み、
「これが……今の俺の現状だ」
無駄にダンディな声で呟いた。
見てしまった。
そう、双七は見てしまったのだ。
自分の倍は生きて社会経験豊富な人間の、手合わせすれば未だに勝てない人間の、この街では最強という称号を得ている人間の、これから転勤だという教師という人間の、加藤虎太郎という人間の―――財布の中身。
「また……スったんですか」
空っぽだった。
「あぁ、また……スッたんだ」
見事に空っぽだった。
「なんで、こんな時に……」
「この街ともしばらくお別れと思ったら……最後くらいは勝たせて貰えると思って……今月分の給料を……一点買いした」
「あ、あれほど……あれほどギャンブルはしないって……しないって約束したじゃないですか!!」
「如月。男には、戦わなくてはいけない時があるんだ。それが例え、一点買いした瞬間に我に返ったとしても、だ」
「それ、完全に手遅れじゃないの……」
何時の間に起きたのか、欠伸をしながら突っ込む狐。
さて、加藤虎太郎がこうして如月家の晩餐に訪れたのは他でもない。これから転勤だというのに給料を競馬で全て失い、引っ越し代はもちろん、海鳴まで移動する為の交通費すら失っていた。
「あの、俺が言うのもなんなんですが……虎太郎先生は、そんな生き方で良いんですか?」
「まさかお前にそんな事を言われるとは思ってもなかった」
「俺も恩師にこんな事を言葉を贈るとは思ってもなかったですよ」
「成長したな、如月」
「落ちぶれましたね、虎太郎先生」
加藤虎太郎、神沢市最後の夜は教え子だった男と大乱闘という出来事で幕を閉じた。



ちなみに、金は借りれなかったらしい。






「――――そ、それで……歩いて来たんですか?」
「応、意外となんとかなるもんだ」
煙草を加えながら歩く虎太郎の隣を歩くのは、これから同じ職場で働く女教師だった。
「神沢から此処までどれくらいか知ってます?」
「知ってたら心が折れそうだったからな。とりあえず地図だけ見て、距離は見ない事にしたんだ」
スーツを肩にかけ、汗一つ掻かない虎太郎を女教師は驚きを通り越し呆れ顔だった。
「並の教師ではないと聞きましたが、まさか此処までとは」
「並の教師がこんな場所に来ますか?」
「…………来ない、でしょうね」
虎太郎、女教師は同時に上を見据える。
高い高い壁。世界を二つに分けるような巨大な壁がそこにはあった。
「アンタ、神沢の壁を見た事は?」
「ありません。逆に尋ねますが……」
「俺もこの街の壁は初めて見るな」
神沢の壁よりも良い材質だ、虎太郎は皮肉な笑みを浮かべる。
「お偉い人が考える事は大抵は似たり寄ったりだが、まさか神沢と同じ事を考える輩がいるとはね……正直、驚きよりも感心するよ」
「人妖を集める、という事がですか?」
「そういう事でもあるし、そういう事でもないな……まぁ、どうでもいい事だが」
海鳴の街をぐるっと囲むように建てられている巨大な壁は、神沢にあったソレと酷似している。当然、似ているのは光景。物や風景だけでなく、人もだった。
プラカードを掲げた犠牲者、悲痛な顔を浮かべる犠牲者、憎悪の言葉を吐き出す犠牲者。様々な人々が怒り、憎しみ、そして蔑んでいる。
「此処も変わらんな」
人妖は病気だ。感染した者もその周囲にいた者すらも不幸にする病気。同時にそれは人と人との関係すら腐らせる死の病となった。
第二次世界大戦後に初めて発病を確認されて数十年、人妖は人にとって何よりも脅威となる存在となっていた。人でありながら人ではあり得ない力を持ち、人でありながら人を殺す怪物、それが人妖と呼ばれる所以なのだろう。
「人とて、変わりはなかろうに……」
感情を表に出さす、虎太郎は煙草を加える。
「やはり、そうなんですね」
女教師は力ない笑みを作る。
「人妖は何処でも同じ様な扱い……同じ人なのに、どうしてなんですかね」
「同じ人だからこそ、だろうな」
煙草の煙が空に昇る。しかし、それはこの高い壁すら超えられず、霧散する。
「全ての人妖が悪いわけじゃない。しかし、ごく一部の人妖が悪いわけでもない。人も人妖も変わらんさ。人を傷つけ陥れ、そして殺して嬲ってゴミの様に扱う様な輩はごまんといるだろうよ」
人は人であるが故に悪がある。
だが、人妖は人妖であるが故に悪と罵られる。
「まぁ、慣れろとは言わんが……あまり重く考えるな」
そんな虎太郎の言葉は女教師にはどう届いたのだろう。
少なくとも、先程から虎太郎の眼に映る、疲れた、苦しい、辛いという気持ちを一つにまとめ、それに縋りつかれているという表情だけは消えなかった。
「海鳴だけが特別というわけじゃないんですね」
「特別なんぞないさ。特別を求めたら、教師なんてやってられんよ」
何かを諦める様な言葉。
女教師は何となく想っていた。
新しい教師が来る―――その言葉を聞いた瞬間、職場の同僚は全員が同じ事を想っただろう。

あぁ、今度はどれくらいで出ていくのだろうか……

第二の人妖都市である海鳴にだって学校があり、生徒がおり教師がいる。だが、教師は必ずしもこの街の者というわけではない。中には外の街から来る教師もいる。その教師が人妖なのか人間なのかは問題ではない。
どちらも似た様な存在なのだ、この街にとって。
仮に人であるならば、人妖という外の世界での化物を前にして普通な態度は出来ない。出来たとしても最初だけ、すぐに潰れる。潰れてすぐにこの街を出ていくのだろう。そして、人間ではなく人妖だとしても問題は変わらない。
人の世界から追い出された者が、何を教えられるというのだろうか。
人の命は尊いのだ―――なら、自分達の命は人として見られないのだろうか?
人の意思は大切だ―――なら、自分達の意思は人の意思ではなく、化物の意思なのだろうか?
人と人は手を取り合うべきだ―――なら、どうして自分達の手は振り払われるのだろうか?
外で迫害を受けた者が教える言葉は、どれもこれもが絶望に満ちている。だから外から来る教師は駄目だった。故にこの街の教師の殆どは海鳴で生まれ、海鳴で育ち、海鳴で教師になった者だけ。
女教師も、心の中で諦めている。
どうせ、アナタも数日でこの街から消えるのでしょう―――と。
ゲートが開く。
巨大な壁の向こうに見える街を見て、

「――――――綺麗な海だ」

虎太郎はそう呟いた。
キラキラと光る海を見据え、虎太郎は歩きだす。
迷いすらなく、止まる事すら考えない様に。
だから女教師は驚いた。
今まで見て来た教師達には感じられない、瞳に宿る強さというもの。
この状況を望むところとしているかのような、そんな眼だった。
「…………」
「ん、どうした?」
「あ、いえ……なんだか、楽しんでいる様に見えましたから」
楽しむ、という言葉に虎太郎は首を傾げる。
自分は何かを楽しみに此処に来ているのだろうかと考え、首を横に振る。
別に悲観した笑みを作ったわけじゃない。別に侮蔑する様な笑みを作ったわけじゃない。当然、逆境が楽しみだというわけでもない。
「初めてだからな」
「初めて?」
壁に囲まれた街の風景が綺麗だと思ったのも事実。そして、視界に宿った光景を見た人々が憎悪の言葉を吐き出すのも事実。
そんな人々を虎太郎は振り向きもせず、背中越しに指差す。
「ああいう輩はどんな場所にもいる。当然、それが同じ人であろうと人妖であるともだ。そんな輩が居る世界に生まれたガキ共をどうにかするのが俺の仕事だ」
憎悪の言葉を受け、倒れる者もいる。
憎悪の想いを受け、反発する者もいる。
憎悪に答え、憎悪で返す者もいるだろう。
世界は誰かにでも優しい作りではない。少なくとも、人と人妖を並べて人を優先する程度には優しいかもしれない。しかし、当然ながら人妖には優しい世界ではない。
この壁の向こう、ゲートの向こうがそんな人妖達が暮らせる唯一優しい世界。
故に想う。
故に想わされる。
「この世界だけ、この街だけが自分達の唯一の場所だってな……」
それは事実だろう。
「だが、それだけが可能性だなんて想わせるのは面白くない」
希望を持てとは言わない。だが、希望に縋るべきではない。
「生徒には真っ直ぐ世界を見据える力を持たせるべきだ。そして、それがでかくなった時にどう転ぶかを選ばせたい。ただ転んで大怪我するか、しっかりと受身をとって起き上がって行動するか……それを選ばせる何を俺達は教えるべきだろうな」
歩く。
教師は歩く。
「そんな事が、可能なんでしょうか……」
女教師は言う。しかし、教師は脚を止めない。
「なぁに、出来るさ」
脚と止めず、肩にかけたスーツに袖を通す。
ヨレヨレのスーツにしか見えないのに、ヨレヨレのワイシャツにしか見えないのに、キチンとした髪型なわけでもない、威厳もない、何も無さそうな、そんな男の後ろ姿。
それがどういうわけか、



「狙うは何時だって大穴だ……俺は、こっちの賭けに負けた事は無いんでね」



女教師が見て来た教師の中で――――誰よりも教師に見えた。





加藤虎太郎、次なる勤務地は私立聖祥大附属小学校――――彼が言う様に、初めての小学校勤務だった。










次回「人妖先生と月村という少女」



[25741] 【人妖編・第一話】『人妖先生と月村という少女(前編)』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/08 11:53
人妖隔離都市―――海鳴。

そこには一部の人間と多くの人妖が住んでいる。
国が新たに作りだした―――この場合は指定した第二の人妖都市だが、その都市を管理するのは当然国だろう。だが、国が全てを管理しているわけではない。むしろ、国はあくまで管理であり監視だ。
そこには支配という言葉は似合わないだろう。
支配―――民主主義を語る国においてはもっともあってはいけない言葉だ。しかし、多かれ少なかれ存在する事には代わりはない。
故にこの街、海鳴にも支配という言葉は存在し、生き続けている。
海鳴の街に存在する【支配者】は大きくわけて二つ。

一つは【人】

一つは【妖】

この二つが支配者となり、【人妖】を支配する。
人妖を支配する一つが人というのは些か疑問は残る。当然、それで良いのかという疑問は国からも上げられる。しかし、その疑問を握りつぶし、実際の結果を出しているのが人の領域であった。
人が支配する領域は街。
主には都市の発展や街の外との外交。鎖国状態の日本と変わらない海鳴において、人が動かす富は在らなければいけないライフラインとなる。
結果、人は街を支配する。

その人の支配者の名を―――バニングスという。

そしてもう一つ。
人が支配するのが街であるのならば、妖は何を支配するのか。
妖が支配するのは―――力。
人の力、妖の力、人妖の力。【三つ】の種族が存在この街で力を均等に、何か一つが突出しない様に支配するのが妖の役目。
現在、日本にはドミニオンという組織がある。この組織は主に【第三種】と言われる人妖を捕獲、駆逐、殲滅する事を仕事とする。故に人妖にとってはもっとも忌むべき存在であり、唯一の外敵といっても過言ではないだろう。
しかし、そんな組織ですらこの街には手出しは出来ない。そういう取決めが行われているからだ。この街の力を支配する一族との協定であり、ドミニオンの上にいる【妖怪】との協定。
人と人ではない。
妖と妖怪との協定。
それを知る者は少ない。
結果として、この海鳴は平和だ。
神沢という街が出来て数年は中々の賑わいだったが、神沢という前例であり悪例がある故に海鳴が人妖隔離都市となった時には大した騒ぎは起こらなかった。
正確に言えば、騒ぎなど起こさせなかった、が正しいのだろう。
起こさせない程の力を持った存在が、この街にはいた。

それを知らず、一人の男が海鳴へ訪れる。

人の妖と人妖が重なる不可思議な街、そんな街にある私立聖祥大附属小学校。見た目は何気ない小学校であり、その中身は何気ないわけがない場所に、一人の人妖が現れた。
生別は男、年齢はもうすぐ初老を迎えるであろうオジサンといった感じだった。少なくとも、教室に入ってきた教師を見た生徒の感想はそれだった。
ある者は興味を抱き、ある者は無関心で、ある者は敵意を、ある者は諦めを、ある者は素直な歓迎を―――様々な視線と想いを背中に受けながら、白のチョークで自身の名を黒板に記す。
「さて、今日からお前等……じゃなくって、君達の先生になった加藤虎太郎だ」
教室をぐるりと見回し、出来るだけ笑顔でそう言った。だが、どうも反応が芳しくない。というよりは、歓迎されていないという方が正しいのかもしれない。
「この街に来て一週間も経ってないから、海鳴の事は良くわからないから色々と教えてくれ。代わりに俺は君達に色々な事を教えよう」
歓迎されていない理由。それは今言った言葉一つでしっかりと確認できた。
このクラスの内の半分以上――いや、九割が同じような反応をした。
自分は【外】から来た。
虎太郎は内心で溜息を吐く。
外からの来訪者は歓迎されない。それはなんとなくは理由としてわかる。しかし、虎太郎は解せないと感じだ。否、解せないというよりは不信感に近いかもしれない。
ゲートを虎太郎と共にくぐった女教師がフォローするように子供達に虎太郎の事を紹介するが、やはり芳しくない。
それも当然だろう。
念の為、スーツは新調してきた。当然シャツも新しい。昨日の内に紳士服のコーナーに行って一番安い新社会人用コーナーに行って買ってきた新品だ―――当然、新社会人に見えない初老っぽい男への従業員の視線は厳しかった。そして何より、虎太郎が一日三箱は吸う煙草を今日は一度も口にしていない。
完璧なはずだ。
少なくとも、子供受けはしなくとも嫌われる様な要素はまるでないはずだ。
しかし歓迎はされない。歓迎されないという当然を知り、虎太郎は素直に溜息を吐く事にした。
やれやれ、まさか【子供から】こんな視線を受けるとはね。
人通りの自己紹介を終え、最初の出席を取る事になった。
「それじゃ、自己紹介がてら元気良く挨拶するように」
と言ってはみたが反応は微妙だ。名前を読んでも小さな声で「はい」というなんとも消極的な反応をされては肩すかしだ。
中には、
「アリサ・バニングス」
静寂。
「アリサ・バニングス、居ないのか?」
静寂。
女教師、生徒達がある一点を見つめる。そこにはこの日本人らしくない、金色の髪をした少女がつまらなそうに窓の外を見ていた。
予め生徒の名前、顔は頭に入っている。それでも朝の出席は取らなければならない。例え、居る筈の生徒が居ない様に振るまっていてもだ。
虎太郎は教壇から歩み寄り、アリサ・バニングスの席に近づき―――ポンッと出席簿で頭を軽く叩く。
「――――――ッ!!」
これはアリサの反応ではない。
これは周囲の反応だ。まるで自分がしてはいけない事をしてしまった、それが何なのか誰も教えてくれない、そんな居心地の悪さを感じた。
「一応、返事はしてくれると助かるんだが……」
アリサはゆっくりと視線を外から虎太郎へ向ける。
「外、何かあるのか?」
「…………」
呆、と虎太郎は自分を見つめるアリサの視線を受け、とりあえず笑ってみた。
「―――――さい」
ポツリ、とアリサは言った。
「煙草臭い」
「…………臭い、か?」
アリサは頷く。
自分では自覚は無い。念の為に女教師にも匂わないか確かめて貰ったが問題は無し。
「そうか、煙草臭いか……バニングスは鼻が良いんだな」
「…………」
誉めたつもりだが、どうも不評らしい。アリサは興味を失くした様に虎太郎から視線を外し、外を見つめる。どうやらこれ以上は会話をする気は無いらしいと感じた虎太郎は諦め、教壇に戻る。
そこからは多少は素直に出席確認は進んだ。特に虎太郎に好印象を与えたのは、高町なのはという少女だった。他の生徒がどうも元気が足りない感じがしたが、高町なのはだけは元気いっぱいに、言ってもいないのに手を上げる始末だ。
どうやら、生徒全員に歓迎されていないわけではないらしい。それに少しだけ安堵し、最後まで出席を確認し終えた―――と、思った。
「――――ん?」
このクラスの出席番号は名前の順になっている。だから、最後に確認した渡辺という少年が最後のはずだった。しかし、どういうわけか出席簿には『わ』の次に『つ』があった。
本来なら高町なのはの次にくるはずの名前。
はて、この出席簿に間違いがあるのか、そう思いながら虎太郎は口にする。
「ふむ、どうやら先生が飛ばしてしまったらしいな……」
何気なく口にする。
その名前が意味する事を知らず、あっさりと口にする。
「月村すずか」
教室の空気が微かに引き締まる。
生徒も、教師も、そして不審に思いながら虎太郎は視線を出席簿から教室へ。
唯一の空席。
出席簿に張られた写真。
あるべきはずの場所に居ない少女。居ないはずなのに存在を許された少女。
海鳴の街において、街を支配する人のバニングスと並び、力を支配する一族がいる。
その一族は古くから海鳴の街に住み。そして人妖病が世間に広まる前、【人妖病が発病する前】から海鳴にその一族の名前があった。
夜の一族と言われ、人でも人妖でもない。
正真正銘の【妖‐アヤカシ‐】

その一族の名を――――月村という







【人妖編・第一話】『人妖先生と月村という少女(前編)』







ゆっくりとした時間が流れる。
静かな時間、空虚な時間、その二つは同じ事だと思っている。何故なら、そこには一人だけしかいない。一人だけなら静かな上に空っぽだからだ。
だが寂しいとは思わない。
現は虚。
虚しいだけ、虚しいだけ、何かを望む事すら虚しいだけ。
だとすれば、自分は本当は寂しいのだろうかという疑問にたどり着き、そして思考を停止する。
現から虚へ。
視界に写すは世界ではなく文字の羅列。
本という媒体に意識を戻す。世界という現実は意識を戻すべき場所ではない。本が現実、世界が虚実、少なくとも本の世界には必ずハッピーエンドが待っている。
悲しい終わりは無い。
虚しい終わりも無い。
終わりは終わり、始まりは始まり、全てが最初から決まり切っている予定調和。だからこそ安心する事が出来るのだろう。現実は筋書きが無い駄作に近い。一分先の未来すら想像できず、想像しても裏切られる。
そして、どれだけ頑張っても楽しい、幸福な結末なんて存在しない。仮に幸福が待っていても、その後に来るのは不幸かもしれない。ハッピーエンドではない。ハッピーエンドレスでもない。エンドすら、無いではないか。
それが、堪らなく苦痛だった。
世界はこんなにもつまらない。
つまらないから孤独になる。
孤独だから逃げられる。
逃げた先は一つだけ。
現実逃避。
現実は存在しない現。
虚実の世界こそが本当。

月村すずかにとって、世界は敵なのだろう。もしくは、世界にとって、なのかもしれない。

授業と称して子供達を教室に監禁しているであろう時間に、すずかは一人で図書室にいた。時間が時間なだけに誰も居ない。居る筈の司書すらいない。彼女が図書室を訪れたのは最初の授業ベルが鳴って数十分が過ぎた辺り。普通なら遅刻とされる時間だろう。だが、すずかにはそんな遅刻魔というレッテルは貼られていない。
そもそも、遅刻すらしていない。
そもそも、授業に参加すらしていない。
そもそも、クラスにすら行っていない。
そもそも、月村の名を持つ自分が――人妖と慣れ合う事なんて出来はしない。
ページを捲る。
読んでいる物語は童話。
何度も何度も読み返した大好きな童話。
この中には一人の少女がいる。その少女には人間ではない仲間がいる。だから少女は一人じゃない。孤独じゃない。自分の様に、孤独である事はなかった。
クスリと小さな苦笑を作る。
あぁ、なんて幸せな物語なのだろう。すずかはこの物語を読み返すたびにそう想う。この中の少女を自分と投影させ、物語の中に入り込む。物語の中こそが現実、現実こそが虚実。だから自分は在るべき場所にいない。そうだ、この世界は自分がいるべき場所じゃないんだ―――なんて戯言を何度も何度も考え、その度に自分が嫌になる。
苦笑、苦笑、苦笑すら悲しい。
わかっている。
これが現実だという事は、嫌という程わかっているつもりだ。
自分は人じゃない。
自分は人妖じゃない。

自分は、正真正銘の化物。

月村、夜の一族は人妖病が初めて発病される前から存在している。つまり、人妖の前から存在する妖という事になる。
その事を聞かされた時、すずかは良く理解できなかった。
自分は人妖だ。
みんなと同じ人妖なんだ。
幼いすずかはそう思っていた。
それが、彼女にとっての救いだったからだ。
幼いながらに自分が他人とは違う事は理解していた。それを教えたのも月村という家。それを受け入れるのも月村という家に生まれた者の宿命。それが幼いながらに辛いと想った事はあった。だが、海鳴が人妖都市となった時、すずかは内心喜んでいた。
あぁ、これで自分は【普通】に生きていけるんだ、と。
この身体に流れている血は人には無い血。だが、世間ではそんな人間達が次々と生まれ、疎まれている。そんな人間達を隔離という言葉で守る為に、海鳴は生まれ変わった。なら、この街に来る人々はきっと自分と同じ様な人々なのだろう。
それが嬉しかった。
嬉しくて、嬉しくて―――――それが絶望という毒になるとは思ってもみなかった。
「月村の者は人じゃない。同時に人妖でもない」
それがすずかの聞いた、理解したくない言葉。
「生まれながらの妖。太古から存在する人でない人間、人を超えた人間、それが私達……だからね、すずか」
理解なんか出来ない。
「私達は……違うのよ」
理解を拒否する。
「この街に住む人間とは違う。この街に来る人妖とも違う」
拒否する事で最後の抵抗を示す。
「私達は――――正真正銘の化物なのよ」
姉はそう語った。
姉は他人を信用しない。
他人に心を開かない。
他人には人妖を含めた全ての人。
それ故に姉には親しい者は居ない。家族だけが姉の大切な者、家族だけが姉を見捨てない者、一族全ての中で、家族だけが唯一の心支え。
それを知っているからこそ、すずかは頷いた。
否定したいという想いにふたをして、月村の名を噛みしめる。だが、それでも憧れは捨てきれない。自分は姉の言うような化物かもしれない。だが、この街に住む人々だって普通じゃない。なら、自分を受け入れてくれるかもしれない。
そうすれば、姉だって少しは他人を信じる事が出来るかもしれない。
絶望という毒は、こうやって彼女の身体と心を蝕んでいく。

月村、その名が持つ重みを彼女は知らない。

月村、その名を聞いた者がどういう反応を示すのか、誰も知らない。

月村、その名こそが人々にとって禁忌の証。

彼女は拒絶され拒絶する。
人を拒絶し、人妖を拒絶し、一族だけが心を許せる唯一の存在。
そう割り切る事にした。
十にも満たない少女が、そう割り切ってしまったのだ。
月村すずかは孤独に時間を過ごす。
始業のチャイムを聞きながら、クラスにすら戻らず読書にふける。終業のチャイムを聞きながら、クラスに戻る事すらなくページを捲る。
昼休みを告げるチャイム。図書室には人が来るので人気の無い場所に移ってお弁当を一人で食べる。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったら再び図書室へ戻り、読書を再開。
そして全ての授業の終了を知らせるベルを聞き、彼女は帰宅する。
孤独に寂しく、それを理解しない―――理解しない様に振るまいながら、帰宅する。
それが月村すずかの毎日だった。

少なくとも、この日までは。





虎太郎は渋い顔で廊下を歩いていた。
理由の内の一つは朝から一本も煙草を吸っていないから。
超弩級のヘヴィスモーカーである虎太郎にとって煙草を吸わないという行動は、日常的生活を著しく壊す行動である。いわば、生理現象が崩れる事になる。
だが、悲しいかなここは小学校。
昨今の禁煙騒動の影響か、親達がそういう人種を差別するような働きをしたのだろう。この学校には教師専用の喫煙スペースは愚か、吸う事すら出来ないという始末だ。
虎太郎は想う、この学校は自分を殺す気なのだろうか、と。
しかし、それでも我慢は出来る。これでも初老に近い年齢、辛い事は色々と体験してきた。ソレに比べれば半日程度煙草を吸わない事など大した事ではな―――
「あぁ、無理だ……」
大した事ではないが、それが我慢できる事とは違うらしい。
虎太郎は昨日案内された校舎の中で、人気の無い場所を選ぶ。幸いな事に今日の授業は全て終了している。仮に今から吸っても問題はないはずだ―――実際はもの凄く問題があるのだが、この時の虎太郎にはそう思えてならなかった。
「とりあえずは、体育倉庫なんかが一番だな」
学生時代を思い出しながら、とりあえず一番人気のない場所を選択する。当然、その現場を誰にも見られてはいけない上に、吸っていたと知られるわけにもいかない。
その為に消臭スプレーやら何やら、吸った事がバレない事に努力するグッズを大量に持ち込んだこの男は、本当に教師なのかと疑いたくなるが、
「なぁに、バレなきゃ問題ない」
と、独り言を漏らす始末。
善は急げと体育倉庫へと訪れた虎太郎は早速至福の一服へと移る。煙草の煙を全身全霊でお迎えする紫煙に染まった肺。それだけで心がすっと軽くなる気分だった。
「…………さて、と」
ある程度心の安泰を得た状態で、虎太郎は紙の束を取り出す。
これが虎太郎が渋い顔をする原因の二つ目である。
「これはまぁ……なんとも夢の内容だ事で」
虎太郎が持ってるのは原稿用紙。作文などで使用する一マス一マスが囲まれているタイプの原稿用紙だ。それの最初の一行にはこう書かれている。
【将来の夢】
安直な課題だと自分でも想うが、まさかここまでヒットするとは思いもしなかった。と言っても、良い方向にヒットするわけはなかった。加藤虎太郎という男に良い方向にヒットするなんて事は自覚して出来る事ではない。むしろ、無自覚だからこそのヒットなのだろう。故に、これは悪い方向へのヒットだった。
「最近の子供は夢が無いとか言うけど……まさか、本当だったとはなぁ」
それが特に悪いとは言わない。夢なんて別にすぐに抱かなければいけないというわけじゃない。将来の夢はあってもなくても別に問題にはならない。しかし、これはまた何かが違う感じがした。
一人一人の作文を見ていく内に虎太郎の渋い表情は徐々に薄まり、とうとう無表情になる。
口に咥えた煙草の煙が空気中に消える様に、虎太郎の表情は完全に消えた。
「夢が無い、なんてレベルじゃないな」
現実的なのだろう。
あの程度の年齢なら将来の夢に夢想してもおかしくは無いはずだ。少なくとも虎太郎が子供の頃などはそうだった。将来の夢なんて題材が出たら、野球選手やらサッカー選手、菓子屋さんにお花屋さん。警察官に消防士。なれるかどうかもわからない、なろうと想うかどうかもわからない夢を沢山書き綴った記憶がある。
だが、先程書かせた作文にはそれがない。
酷く現実的な夢。
夢というには色合いの足りない将来。
希望も何もない、淡々と書かれた文章。
「…………」
全員分の作文を見終わり、煙草の吸殻を携帯灰皿に放り込み、身体に消臭スプレーをかける。
「やれやれ、これは違った意味で問題だな」
体育倉庫から校舎へ戻る際に周囲を見渡す。
確かに良い学校、校舎だ。神沢学園よりも新しい建築技術を取り入れた校舎なのだろう。何処となく近代的な雰囲気を感じる。しかし、それは今となっては別に意味に捉えてしまいそうだった。
冷たい雰囲気。
無色な雰囲気。
「生きてない学校、なのかねぇ」
思えば長い間、自分は神沢学園の教師をしてきた。むしろ、それ以外の場所で教鞭を振るった記憶が曖昧になる程、自分はあの高校にいた。それ故に慣れてしまっていたのだろう。あれが普通の学校であると。近くに馬鹿な事をしでかす馬鹿な高校は存在したが、アレはアレで良いものだと思っている。
だが、此処はそうじゃない。
神沢にも金嶺にもない、どこか寂しい雰囲気だった。
「流行りの学園ドラマじゃあるまいし」
一人呟きながら校舎に戻り、廊下を歩く。すると、前から金髪の少女が歩いて来た。虎太郎のクラスの生徒、アリサだった。
「よう、バニングス。今から帰りか?」
「…………」
相変わらず無機質な、冷めた視線を向ける少女に苦笑しながら、虎太郎は先程読んだ作文をアリサに渡す。
「なら丁度良いな。お前に特別課題だ」
アリサに手渡した原稿用紙には何も書かれていない。別に新しい紙を渡したわけではない。これは作文を書かせた時間にアリサに渡り、そのまま返された原稿用紙だった。
「流石に白紙は駄目だぞ。適当でもいいから、なんか書け。というかせめて題名と名前くらいは書いてくれ」
「どうして?」
「いや、どうしてって……」
手に持った白紙の原稿用紙を見ながら、アリサは言う。

「こんなの書いても意味ないじゃない」

「…………」
それは何処か嘲笑している様にも見えた。
「将来の夢……馬鹿みたい」
書く事すら拒否する、そういう態度を示す様に白紙のままアリサは虎太郎に提出した。これが自分の書いた文章であり答えだと、そう明確に示す様に。
「とうせ、私達は此処から出られないんでしょ?だったら、夢やら希望やら持ってもつまらないわ」
此処から出られない、アリサはそう言った。
それは確かにそうだろう。この街は人妖隔離都市。人妖病の人間を隔離する為に存在する街。ならば、そんな人間を外に出す事など到底不可能なのだ。無論、絶対的に出られないというわけではない。それなりの地位の人間や、仕事の人間だけは外に出る事が出来る。虎太郎とてその一人であり、神沢の地から一度も出た事が無いなどという事はない。
だが、大抵の人間――人妖達はそうだ。
出られたとしても一瞬だけ。
一日、良くて数日。それが過ぎれば元の場所に戻るだけ。
自由なんてありはしない。
夢なんてありはしない。
希望なんてありはしない。
この白紙こそが自分の未来であり、自分達の現状。
それを、この子達はあまりにも知り過ぎている。
虎太郎が全員分の作文を読んだ感想がそれだった。全員がそういうわけではないが、大半の生徒が書いた作文には【将来の夢】というテーマを嘲笑う様な内容だった。別に否定的な文章を書いているわけじゃない。子供らしい文字で、子供らしい文章だった。
ただ、そこに夢なんて甘い言葉は一つも存在しないだけ。
「なるほど、それは確かにそうだな」
「でしょ?なら―――」
「だが宿題は宿題だ」
提出された白紙をそのまま返す。
「確かに夢も希望もないだろうな。だが、それとこれとは話は別だ。いいか、作文っていう授業があり、お前はそれをサボった。なら宿題は当然だと想わないか?」
「…………」
何か納得していない顔だが、アリサは素直に受け取った。
「また、白紙で出すかもよ」
「そしたら再提出だな。お前が何か書くまで何度も何度もやるから覚悟する様に」
「―――夢も希望も無いのに」
「夢も希望も無いなら……夢と希望を想像して書いてみろ」
それだけ言って、虎太郎はアリサの肩を軽く叩いて歩きだす。
「提出は明日じゃなくても良いからな」
「…………」
その無言は肯定として受け取る事にした。
それでも最後の抵抗、もしくは仕返しとばかりに、
「――――煙草臭いですよ、さっきより」
と言うと、虎太郎は引き攣った笑みを浮かべる。
「お前、本当に鼻が効くんだな……」
その時だけは、アリサは不敵な笑みをうかべ、
「そういう体質ですから……」





アリサと別れ、虎太郎は職員室へ戻る。
どの学校でも職員室というのは騒がしくもあり、重い落ち着きを持っている。だからこそ、こういう場所ではキチンとしなければいけない、という想いが強くなるのだろう。
「お疲れ様です」
虎太郎が自分の席に座ると、珈琲の入ったカップが差しだされる。
「どうでしたか、今日一日は?」
虎太郎のクラスの副担任である女教師、名を帝霙と書いてミカド・ミゾレというらしい。堅い名前だと思ったが、霙はまだ二十代前半、虎太郎よりもずっと年下だった。
「いや、随分と疲れましたよ……」
苦笑する虎太郎に、そうでしょうと頷く霙。虎太郎は高校教師としては長年勤務してきたが、小学校となれば話は別だ。まず、高校では一つの教科を専門的に教えていれば良かったが小学校はそうはいかない。
「とりあえず、俺には音楽はまるで駄目だという事はわかりましたよ」
「それでも努力はしてくださいね」
「えぇ、努力はしますよ」
国語や算数は特に問題はなかった。だが、音楽や図工といった教科は思いのほか駄目だと気づかされた。特に音楽。ピアノなんて弾けない。歌もロクに唄えない。下手をすれば歴代の音楽家の名前すら知らない可能性すらあった。
霙のおかげで何とかその授業を乗り越える事は出来たが、ずっと彼女に手伝ってもらうなんてわけにはいかないだろう。もっとも、この学校に何時までいるかは分からないが。
「とりあえず、私が使っていた教材を貸しますので、それで勉強してください」
「了解です。いや、高校の悪ガキ共を相手にするよりも辛いですな、小学校という場所は……」
「虎太郎先生はずっと神沢で教鞭を振るってらしたんですよね」
「というより、そこ以外では教師なんてした事はなかったですがね」
更に言えば、表では言えないような事もその街以外では出来ない。
「どうですか、この学校は?」
「…………」
どうなのか、と聞かれれば当然周囲へ一瞬だけ視線を向ける事になる。自分の中でこの学校の評価はある程度固まっている。その評価をこんな場所で堂々と口にする様な事はしない。
ならば、少し遠まわしに言う事にしよう。
「―――――帝先生、少し気になった事があるんですが……」
珈琲を口に含み、出席簿を開く。
「この、月村すずかという生徒なんですが」
月村すずか、その名前を口にした瞬間―――職員室の空気が凍りつく。
ソレを感じとった虎太郎は小さく舌を打つ。
やはり、そういう扱いになるのか。
「あ、あの……月村さんの事ですが」
「確か……特別扱い、でしたよね?」
朝の出席を取る際、最後に月村すずかの名前を読んだ瞬間、教室はこの職員室と同じ空気になった。まるで、その名前を口にしてはいけない、それが何を意味するのかさえ知ってはいけないという様な、そんな重い空気。
当然、虎太郎は自分が何か不思議な事を口にしたわけではない、という事はわかっている。だが、この空気はどうも腑に落ちないのも事実。
「あの時、帝先生は言いましたよね―――『月村さんは良いんです』ってね」
「それは……」
「俺もあの時は生徒の手前、素直に従いましたがね。納得は出来ないんですよ。何故、月村の名前を出すだけであんな空気になるのか、どうして月村が出席していない事に問題が無いのか―――」
黙り込む教師一同を睨みつける様に見据え、全員に尋ねる様に言葉を吐き出す。
「どうして、月村の名前に【恐怖】しているのか……俺はそれがどうしてもわからない。わからないから納得できないんですよ」
虎太郎の問いには誰も答えない。
答える事を恐れる様に誰も口を開かない。
その姿に呆れて何も言えなかった。
だが、そんな無言の空間に言葉を漏らす者はいる。この学校の教頭である皆橋という女教師だった。
「加藤先生。差し出がましい事を言う様で申し訳ありませんが」
まるでテレビドラマに出てくる嫌味な教師だ、と虎太郎は思った。そして、その印象は実に的確だった。
「月村さんのご親族より、月村さんにはあまり干渉しないように言われています。ですので、月村さんが我が校の生徒である限り、彼女の行動を私達がどうこう言う事はできません」
「干渉するな、ですか。そいつは随分とおかしな事をいうご両親ですね。私ならむしろ干渉するべき、干渉する事が仕事だと思いますが?」
それでは月村すずかをこの学校に通わせる事事態が間違いだと言っている様なものだ。それは明らかにおかしい。干渉するなと言っているのなら、どうして月村すずかをこの学校に通わせているのか、まるでわからない。
「一つ言わせてもらいますがね、私は今日一日、月村の姿を見ていません。それどころか、誰も月村の事を話題にすらしない。教室の月村の席だってそうです。一番後ろの一番端。その席が存在する事にすら目を反らす始末だ」
プリントを配る時、最初から居ない事が前提とされた枚数しかなかった。
掃除の時間、一番後ろの一番端だけは動かされる事すらなかった。
その席には誰も触れない。触れる事を恐れ、完全に無視をしている。
「わかりますか?私達教師がそうしているなら呆れる事は出来る―――だが、生徒がそんな事をするのは、呆れなんて言葉で片付ける事は出来ないはずです」
「アナタがどう思おうと構いません。ですがこれは決定です」
「生徒に関わるな、という命令が決定ですか?」
「いいえ、生徒に関わるな、ではありません―――【月村すずかに関わるな】が決定なのです。この学校の決定であり、この街の決定です」
盛大に、そしてわざとらしく溜息を吐き、虎太郎は席を立つ。
「あ、あの……虎太郎先生」
彼女がどちらの味方なのか、この反応であっさりと理解できる。だから、せめて自分と同じ様に月村すずかが在籍しているクラスを預かる一人として、
「帝先生。俺は自分の職業にプライドやら誇りやら、そんな大層なものを持っているつもりはありません」
これだけは言っておきたかった。

「ですがね、好きではあるんですよ」

霙だけではない、この職員室にいる教師全員に言う様に、
「自分の好きな仕事だからこそ、中途半端には出来ない」
そう言って、虎太郎は職員室を後にする。




気づけば夕方になっていた。
時計の針を見て、下校時間をとっくに過ぎている事にすずかは気づいた。読んでいた本があまりにも面白かったせいか時間が過ぎる事すら忘れていた。
慌てて携帯を見ると、着信数が凄い事になっていた。もちろん、全てが家からの着信だった。
本を鞄に仕舞い、図書室を後にしようとする―――が、ドアの前で誰かとぶつかった。
「きゃっ!?」
「おっと!」
倒れそうな所を寸前で支えられた。
すずかの手を掴んだ手は石の様に堅かった。それでもどこか温かい、そんな手だった。
「大丈夫か?」
声をかけたのは眼鏡をかけた男。少なくともこの学校で見た事がない人物ではあった。だが、よくよく考えてみれば自分はどれだけこの学校にいる大人を知っているのかという話になり、結果はまったく知らないという結論になる。
つまり、誰であろうとすずかにとっては初対面であり、安易に話せるような人物ではないという事になるのだろう。
すずかはバッと手を離す。男はその行動に特に不快に思う様な事はなく、ただ苦笑する。
おずおずとすずかは男を見る。
おかしい、と思ったからだ。
この学校に在籍する生徒、教師を含めた全ての人間は自分に対して皆が同じような表情を浮かべるはずだ。少なくとも、月村の名を知っているのなら当然だろう。しかし、目の前の男は恐れるどころか、まるで自分を普通の女の子を見る様な眼で見ている事に気づいた。
「…………」
だから、反射的にすずかも相手を見る。見るというよりは睨みつけるという眼つきになってしまうが、それだけで自分がどう思っているか相手には伝わるだろう―――少なくとも今まではそうだった。
しかし、今度の相手は違った。
「ん?俺の顔になんかついてるか?」
睨まれているという自覚すらないのか、男は自分の顔を触る。
なんだ、この男は。
この男は自分を誰かと知っていてこんな反応を示すのか、それとも知らないからこんな反応を示すのか。
初めての反応に、
「あ、あの……」
すずかは男に声をかけていた。
「私、月村です」
これでわかる。
月村という名前に驚くのなら、相手は自分の事を何も知らない者。逆に知っていてるのなら何かを企んでいる者。前者も後者も自分にとっては味方にはなってくれない相手だと知っている。それどころか、姉の言葉を借りれば―――後者は敵でしかない。
「月村……すずかです」
「俺は加藤虎太郎だ」
「…………」
「…………」
「…………あの、私は月村ですけど?」
「あぁ、そうらしいな」
知っているらしい。
なら、後者。知っているからこそ普通の態度を示すという、何かを企んでいる者。つまり、月村にとって敵となる者に違いない。
「―――で?」
だが、虚を突かれた様にすずかは固まる。
この男、加藤虎太郎という男は今、なんと言ったのだろうか。
すずかは自分が月村だと答えた。
男はそれに対して知っていると答え「―――で?」と尋ねたのだ。
「だ、だから!私は月村なんです!!」
「うん、知ってるけど―――で?」
何を言ってるんだという想いでいっぱいになった。
おかしい、この男は何かおかしい。
「……何が目的ですか?」
「目的?」
キョトンとする男に短答直入に尋ねるが、
「生徒に話しかけるのはおかしい事か?」
質問に質問で返された。
「お、おかしくは―――いや、おかしいです」
この学校はすずかに対して不介入、不干渉である事は知っている。だからすずかはこうして授業を受けずに図書室に居る事が出来るし、好きな時間に登下校が可能だった。それは全て月村に干渉しないという協定によって得られた結果のはずだった。
しかし、この男は、
「おかしいか?普通だろ、別に」
「普通じゃありません」
「俺は教師でお前は生徒だ。なら話しかもするし、こうして普通に接する事もする」
「それが普通じゃない……」
不干渉こそが月村に対する全て。この街に関わる者の全てが月村対して、そういう扱いになるはずだ。
「私に構わないでください……そういう決まりなはずです」
「いや、そう言われてもな」
困った様に男は頭を掻く。そして、すぐにこう答えた。
「この街に来て数日しか経って無いし、この街のマイナールールなんて知りもしない。だから慣れるまでは俺は俺のルールでやるつもりだ」
「なら、すぐに慣れてください」
そして自分には不干渉を貫いて貰う。
「―――と、思っていたのはさっきまでだ」
「――――え?」
「慣れる気はなくした、そう言ってるんだよ」
男、加藤虎太郎は笑っていた。
「この街のルールなんて知るかって事だ。俺は俺のしたい様にする。だから俺はお前に会いに来たんだよ、月村」
ルールのはずだった。
決まりのはずだった。
それが誰の為にもなるはずだった。
「ちゃんと自己紹介しておこう……俺は加藤虎太郎。前まで神沢という場所で高校教師をしていたんだが、どういうわけか今はこの学校でお前のクラスの担任になった」
そのルールすら無視すると言った。
自分のルールに従うと、この男は言ったのだ。
「そういうわけでよろしくな、月村」
そう言って、握手を持てる様に手を差し出す。
その手は大きき、堅いと知っている。そして、それに似合わない温かさを持っていると知っている。
これは希望だ。
すずかはゆっくりと手を上げる。
希望という存在だ。
「先生は……人妖なんですか?」
「一応、そうだな」
希望という存在は、

「―――――――それじゃ、私と違いますね」

何時だって、自分にとっては毒なのだ。






「―――――――虎太郎先生!?」
気づくと、虎太郎は大の字に転がっていた。
身体中は痛い上に、額に手を当てると真っ赤な血が垂れている。
「虎太郎先生!」
そんな自分を心配そうな顔で見つめる少女が一人。確か、高町なのはという少女だった気がする。
「…………大丈夫だ、心配ない」
そう言って虎太郎は身体を起こす。起こした瞬間、頭にズキンという痛みが奔ったが問題は無い。
「本当に大丈夫なんですか……なんか、凄い勢いで飛んできましたけど」
凄い勢いで【飛んできた】と言ったのか、この少女は。虎太郎は頭を振って意識をはっきりさせる。
そして改めて見た。
改めて見て、苦笑した。
本当に今日は良くこんな笑みを浮かべる日だと思った。
それでもそのはず、虎太郎の視界にあったのは大きな穴だった。

図書室を合わせた教室六つをぶち破って開けられた、巨大な穴だった。

「あ~、高町。もしかして俺は、向こうから飛んできたのか?」
「は、はい……多分ですけど」
なのはは言った。
帰ろうと廊下を歩いていると、急に爆音が響き渡り廊下が揺れたらしい。その後に廊下に接する教室にドガッという破壊音が次々と響き渡り、何事かと教室に入ったらなんと教室の前と後ろに巨大な穴が開いてるではないか。
「つまり、教室をぶち破って吹き飛ばされたってわけか……」
ズボンについた埃を払い、立ち上がる。
「やれやれ、まさかあんな子供に投げ飛ばされるとは―――俺もやきが回ったか?」
「あの……投げ飛ばされたって」
虎太郎の言う様に、彼は投げ飛ばされたのだ。
自分よりも何倍も幼い、小柄な少女によってだ。
挨拶という事ですずかに手を差し出した虎太郎。すずかもその手を掴んでくれて、少しだけ安心した―――それが隙となったのだろう。
虎太郎の手を掴んだ瞬間、すずかの眼の色が変わった。
まるで小説の中に登場する怪物―――吸血鬼の様な黄金色の瞳。
「これ以上、私に干渉しないでください」
それが虎太郎が投げ飛ばされる前に聞いた、すずかの最後の言葉だった。
そう、見事に投げ飛ばされた。
子供だからという油断はあった。如何に相手が人妖であろうとも対応できない事は無いだろうとタカをくくっていた。それが立派な油断となった。
月村すずかの速度は虎太郎の想像よりも早い。
月村すずかの腕力は虎太郎の想像よりも強い。
月村すずかのスペックは虎太郎の想像よりもずっと上だった。
想像以上のスペック持っていたすずかの腕力で強引に投げ飛ばされた虎太郎は、漫画の様に壁に大穴をあけて教室六つ分を突き破って停止した。
「―――――こりゃ、思ったよりは甘く無い様だな」
まだ身体はズキズキするが問題は無い、と思ったが頭からギャグみたいに血が吹き出た。
「あ、グラッときた」
「せ、先生達を呼んでこなくっちゃ!それとも救急車?もしくは消防車!?」
軽くパニックになっているなのはに対して虎太郎は、
「あ、そういえば」
思い出した様になのはに向かって言う。
「高町の作文、なかなか良かったぞ」
「そんな事よりも病院に行かないと!!」
「大丈夫大丈夫、先生はこれでも頑丈だからな」
それよりもこの大穴はどうするべきなのかと考え、とりあえず逃げる事にした。あれだけ月村に関わるなと言われて置きながら、勝手に関わってこんな大穴を開けたとバレたら、給料が黒から赤に変わる事は間違いないだろう。
「よし、そうと決まれば逃げるか」
「それよりも病院に―――」
行きましょう、と言おうとしたなのはを抱えて虎太郎は逃走を開始する。
「虎太郎先生!?」
「――――高町。この街は面白いな」
自分に、そしてなのはに語る。
「俺がいた街と同じくらいに面白い街だ」
これが恐らく燃えているという状態なのかもしれない。
気に入らない事がある。
己が許せない事を強要する事が気に入らない。
そしてそれを平然とする事が許せない。
だからこそ燃えるのだろう。
まるで教育ドラマの先生になった気分だ。自分には絶対に似合わないであろう役柄だろうが、今だけはそんな気分になった。
「変わらんのさ、何処に行ったって」
自分が教師である様に、人が人である様に、生徒が生徒である様に、何処の街も何も変わりはしない。大切なのはソレに気づくかどうか、それだけだ。
教師は奔る。
風を斬る虎の様に奔る。


やるべき事が見えた虎に、立ち止まるという事はないのだろう。





それから数時間後。
海鳴のとある建築会社の電話がなる。
電話の内容はある小学校の壁が壊れたので修理に来てほしいという内容だった。
時間も時間な故に明日でも良いかと建築会社の所長は尋ねたが、早急に直してほしいという依頼だった。当然、それなりに賃金は弾むらしい。
所長は面倒だが仕事だからしょうがいないと諦める。
しかし、問題はある。
作業員の殆どが返ってしまったのだ。残っている者に声をかけても当然嫌な顔をするだろう。殆どが若者所帯な会社では良くある事だが、残業代を出すと言っても良い顔などしてくれない。
そんな時だった。
「――――所長、倉庫の整理が終ったぞ」
所長の眼に飛び込んできたのは、一年ほど前からこの会社で働いている長身の男だった。年齢は三十を超えているが、その体つきはそんじょそこらの若者よりも鍛え抜かれている。当然、力仕事をさせたらこの会社で一番だろう。それに、かなりの働き者でもある。
所長は尋ねる。
今から急な仕事が入った、最悪の場合は明日の朝までかかる可能性もある、悪いが引き受けてはくれないか、と。
すると男は嫌な顔一つせずに、
「俺は構わんさ」
了承してくれた。
「それじゃさっそく準備をするが―――その前に、ちょっと家に連絡させてもらうぞ」
そう言って男は備え付けの電話のボタンを押し、電話をかける。
所長はそんな男を見て、来月の給料は少し弾んでやろうと決め、準備に取り掛かる。
「――――あぁ、俺だ。悪いが、急に仕事が入って今日は帰れなくなった……ん、そうか、なら今日はあの子の所に泊ればいいさ。その方があの子も喜ぶ」
男は小さく笑った。
その姿を見て、所長は想う。
見てくれは怖い印象を抱かせるが、中身は優しい人間だ。だからもう少し見てくれに気を使えばモテるのだろうと考える。
人に威圧感を与える長身に白い髪。そして眼帯。とても堅気の人間に見えない鬼の様な男は電話を切って小さな溜息を吐く。
「奥さんにかい?」
「そんな関係じゃないさ……単に昔の同僚、上司といったところかな」
「それにして親しげだった気がするけど」
「俺とアンタがこうして親しげに話せるんだ。元上司とだって話せる」
なるほど、それはそうだ。
「だが、お前さんみたいな奴と付き合う人だ。一度会ってみたいな」
「別に付き合っているわけじゃないと言ってるだろ?ちなみに、普通の女性だよ。少々強情で見た目と中身にギャップがある人だがね」
「ふぅん……仕事は何を?」
「聞いてどうするんだ?」
男は呆れ顔で所長を見る。所長はいいからいいからと言って先を促す。
「家庭教師だよ……わけあって学校に行けない子供のな」
「へぇ、それでお前さんは頭脳労働ではなく肉体労働というわけか。うん、実に理にかなっている割り当てだな」
「所長……頼むから仕事の話をしよう。じゃないと、俺は今すぐに帰宅するぞ」
「はいはい、お前さんの意外と初だねぇ」
「そんな年齢じゃないさ」
所長はそれで私語と終わらせ、仕事の説明にはいる。
白髪隻眼の男は所長の説明を黙って聞き入る。





次回『人妖先生と月村という少女(後編)』





あとがき
このお話はリリカルなのは×あやかしびと、のクロスとなっております。
ですが、ぶっちゃけリリカルなのは×(あやかしびと×弾丸執事×クロノベルト)が正しいのですがね。
というわけで、ここで質問です。
この物語の今後は
1.『あやかしびと』の世界で『リリカルなのは』をする
2.『あやかしびと』の世界に住む『リリなのキャラ』で話を進める。
この二つのどちらかになるのですが、どっちがいいですかね?

具体的にな例を上げると、
1を選択すると『管理局』になり、2を選択すると『ドミニオン』になる。
1を選択すると『レイジングハート』になり、2を選択すると『ベイル・ハウター』になる。

ちなみに、二つの内一つは嘘です……多分。



[25741] 【人妖編・第二話】『人妖先生と月村という少女(後編)』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/08 01:21
人でもない、人妖でもない、月村という一族は妖だ。
故に慣れ合わない。
故に触れ合わない。
故に共存も共生もしなければ、歩み寄る事すらしない。しようともしない、しようとも思わない、しようとする発想すらない―――むしろ、してはいけない。
それが月村すずかの中にある己である。
それが誰かからの入れ知恵なのか、彼女自身が得た答えなのかは彼女とその一族だけしかわからない。その結果としてすずかを取り巻く周囲の空気は常に澄んでいる。
すずかしかいない。すずかの家族しかいない。誰とも触れ合わず、誰とも理解し合わない。無論、それを悲しいやら寂しいとも思わないはずはない。
何故なら、月村すずかは最初からそれを望んでいたはずがないからだ。
初めての小学校。歳の近い子供達を前に彼女の心は当然ながら期待があった。姉から自分達がどんな存在なのか刷り込まれていようとも、人間の心はそう簡単に理解などしない。むしろ、子供だからこそ反発するのだろう。
初めての入学式。
親に手を引かれて校門をくぐる子供達の顔は実に楽しそうだった。当然、すずかとてその一人だった事は過言ではない。唯一違うとすれば、彼女の手を引いたのは親でも姉でもない、月村に使えるメイドだったというだけ。それでも良かった。このメイドだって家族の一員である事に違いは無い。例え姉が人間、人妖達の集まる場所に行く事を拒否していたとしても関係はない。
月村すずかは笑っていた。
そう、笑っていたのだ―――この時だけは。

現実を知るのは意外と早かった。

周囲の眼がすずかを写す。色眼鏡で見た視線は幸喜の視線ではなく畏怖を込めた視線。畏怖の視線というものを理解する程、この時のすずかは賢くはなかった。だが、次第に気づく。どこか息苦しい、居心地が悪い、見えない重圧の様なモノを背中に感じていた。
その発端となったのは入学式が終えた後、他の生徒は教室に向かうはずなのに、彼女だけは何故か校長室へと通された。メイドにどうして自分は教室に行かないのかと尋ねるが、メイドは何も答えない。
校長室に通されたすずか。
こんな子供の自分に謙る大人。
それが気持が悪く、嫌悪感を持たせる。

違う、何かが違うと感じた。

校長の話はつまらなく、理解は出来なかった。自分に向けているはずの視線が、自分の背後にある別の存在に向けられている様な気分だった。
おかしい、こんなのはおかしい。
自分は皆と同じはずなのに、どうしてこの人は自分だけを【特別扱い】にするのだろう。すずかはそれが理解できなかった。というよりは、理解したくなかった。
結局、その日はそのまま帰宅した。
当然、すずかは教室に行きたいと言ったがメイドは首を横に振る。入学式が終わり、校長に挨拶したらすぐに帰宅するように主である姉に言われたらしい。
姉の命令、それをこのメイドは忠実に守るだろう。例え、すずかが嫌だと言っても聞き入れては貰えない。
その時だけは諦めた。
今日は駄目でも明日がある。明日になれば普通に登校して、今日出来なかったクラスメイトに挨拶する事が出来るはずだ。そうすれば自分にも沢山の友達が出来るかもしれない。歌でもある様に友達百人だって夢じゃないはずだ。

しかし、夢は夢でしかない。

人が見る夢と妖の見る夢は同等ではないと、誰かが言った様な気がした。
次の日、すずかは登校しなかった―――出来なかった。
朝、眼が覚めて学校の制服に着替え、新しい鞄を背負って鏡の前で笑った。この制服は入学式前の一週間、何度も何度も着て鏡の前に立った。鞄も同様に何度も何度も背負って、想像する幸福な時間を夢に見て、笑った。
しかし、制服を着て鞄を背負ったすずかに向けられた姉の一言は冷たく、理解できない言葉だった。

学校に行ってはならない

どうして、と尋ねた。
不必要だから、と答えた。
どうして、と尋ねた。
意味がないから、と答えた。
わからない、と答えた。
どうしてわからない、と尋ねられた。
おかしい、おかしすぎる。こんなのは変だ、間違っている。その日、すずかは姉と喧嘩した。何時間も何時間も言い争いを続け、最後に大嫌いという言葉を残して部屋に閉じこもった。
何時間も泣いて、気づけば次の日になっていた。
それから数日、すずかはずっと部屋に閉じこもり、誰とも会わなかった。
それを見かねたのか、それとも自身の考えを間違いだと思ったのか、それとも―――単に現実を知れという意味だったのか、姉からすずかに学校に行って良いという言葉を貰った。
笑った。
嬉しそうに笑った。
姉に飛びつき、この間はごめんなさいと謝った。
そして、すずかは学校に行った。
思えば、これが姉にとって、そしてメイドにとって月村すずかの最後に見た笑顔だったのだろう。
同時に、月村すずかにとって笑うという行為の最後の記憶。
その日、すずかは知った。
初めて見たクラスメイトは、明らからに自分を避けている。
登校時も、休み時間も、昼休みも、下校時も、全てが彼女の思い浮かべていた学校生活とまるで違った。
腫れものを扱うような自分への対応。教師達の謙った対応。話しかければ怖がり、話かける事すらされなかった。
全員が全員、誰も自分を見ようとしなかった。
孤独だった。
友達がいなかった昨日までの孤独とは違う。それ以上に最低な孤独感だった。
それが数日続いた。
もちろん、彼女だって頑張った。
今日は駄目でも、明日があるじゃないか。明日が駄目でも、また次の日がある。諦めなければ何とかなる。そうだ、きっとそうに違いない。諦めなければ友達だって出来るはずだ。
出来る筈なんだ―――出来る、筈だったんだ。
すずかが小学校に通って数日後。
時間は休み時間だっただろうか。
場所は裏庭だっただろうか。
その場に居たのは、すずかを含めて三人だっただろうか。
思い出せない。思い出す事を拒否してる。
それでも覚えているのは一つだけ。
自分の身体から血が流れ、相手の身体からも血が流れている。
それを見ていた少女の瞳には恐怖があり、その眼に映った自分の瞳は黄金の色をしていた。
まるで化物の様な金色の瞳。

血、

獣の唸り、

咆哮、



暴力、

反撃、

血、

鋭い牙、

血、

血、

切り裂く爪、

血、

月村すずかが最後に笑った日の記憶は、おぼろげで曖昧で、寒くて冷たい、暴力と破壊。
それ以来、彼女は笑わない。
誰とも触れ合わず、誰とも会話をしない。
誰もがそれを望み、彼女のそれを望む。
人でもない。
人妖でもない。
己は吸血鬼という妖。
この世界では居場所がない存在だと、何とも共存できない存在だと、わずか九歳の少女が知った世界のルールは、未だに誰にも壊せない。
そう、未だに誰も壊せない。

【未だに】という過去が終わり、【今】が始まるその日まで。







【人妖編・第二話】『人妖先生と月村という少女(後編)』









虎太郎は校長室に呼び出されていた。
目の前には神沢学園の校長とは反対にガリガリに痩せた骸骨の様な校長と、眼鏡をかけた教頭の二人。
「困りますね、加藤先生」
「何がですか?」
火のついていない煙草を咥え、反省の色を見せない虎太郎に教頭の額には自然と青筋が出来ていた。
当然、虎太郎だってそれがわからない程に馬鹿じゃない。
ただ、こっちのルールを無視する気が満々なだけだった。
「社会の授業で行っているのは、どういった内容ですか?」
「普通の内容ですよ。教科書に載っている内容をそのままやるだけの普通の授業です」
「それだけなら良いのですよ。えぇ、それだけならね」
校長は口を出さず、黙っている。だから一方的に話しているのは教頭だった。どうもこの女性を虎太郎は好きにはなれない。当然、向こうだって同じだろう。
しかし、虎太郎はあくまで好きじゃないだけ。教頭とて好きじゃないだけ。
嫌い合っているわけではない。
「帝先生の話によれば、アナタの授業は良く脱線するようですね」
「まぁ、退屈な授業のスパイス、みたいなもんですかね」
「スパイスですか……えぇ、それは良い事です。授業とは楽しくするのは困難でしょうから、多少のスパイスは必要です」
「同感ですな」
ですが、と教頭の視線が鋭くなる。
「そのスパイスの内容が問題です」
「なにか、生徒の教育に悪い内容でも話ましたかね、私は?」

「えぇ、話しています。特に―――この街の外の話をするのはね」

なるほど、そういう事かと、虎太郎は溜息を吐く。
「社会の授業は社会を教える授業ですよ?まさか、この街の事だけを教えろとおっしゃるのなら、それは間違ってると私は指摘しますよ」
「もちろんそうです。社会の授業は社会、すなわちこの国の事を教える授業でもあります」
「なら問題なんて―――」
「しかし、です」
何となく何が言いたいのか理解した。
「私が言っているのは、授業とは関係のない外の話をする事が問題だと言っているのですよ」
やっぱりそれか、と虎太郎はまた溜息を吐く。溜息の数だけ幸せが減ると言うのなら、自分の幸せは大恐慌時代になっているだろう。しばらく、ギャンブルは止めた方がいいかもしれないなと虎太郎は思った。
「例えば今日、アナタは何を話ましたか?」
「札幌の美味いラーメンの話」
「昨日の授業では?」
「東京タワーとスカイツリーを全力で上って、タイムアタックをした話」
「その前の前の授業では?」
「鞍馬山でクマと一戦交えた話……あぁ、この話は確かに子供に聞かせるのは不味いですよね」
「全部ですよ、全部」
虎太郎は肩をすくめる。
「全部と申しますけどね、教頭。これはスパイスですよ、スパイス」
「刺激があり過ぎるのが問題です」
「ラーメンの話もですか?それじゃ、北海道のカニが美味かったとか、青森のリンゴが美味かったとか、沖縄のチャンプルーは美味かったとか、そういう話も刺激がありすぎだと?」
無性に煙草に火をつけたくなってきたが、我慢する。とりあえず、このくだらない話を終えたらまた体育倉庫に行って一服しようと決めた、絶対に。
「北海道の名産、青森の果実の生産量、沖縄の気候、そういった社会の授業に関係のある話なら大いに結構です。しかし、アナタの話している内容はどこからどう見てもあなたが【行って、見て、実感した事】ではないですか」
「それの何処に問題が?」
あぁわかっているとも。アンタが何を言いたいのかなんて百も承知だ。それがわかっているから自分はそんな事を口にしたんだと虎太郎は口に出したくなった。
「―――――加藤先生。私はアナタが神沢から来た教師という事で、実はかなり好感を持っていたんですよ」
過去形であった。
教頭は虎太郎から視線を反らし、外を見る。
「アナタならわかるはずです。この学校を卒業し、中学に上がり、高校に通い、そこから大学に行く者もいれば就職する者もいます……ですが、その殆どはこの街から出る事はできません」
人妖だから。
此処が人妖【隔離】都市だから。
この街で生まれた人妖は、普通は外に出る事は出来ない。出る事が出来るのはごく一部の人間だけであり、大半はこの街で生まれたら一生この街の中で暮らすしかない。
外から来た者は外を知っていたとしても、中で生まれた者はそうじゃない。
一生外を知らず、中で生きて死ぬのだ。
「教頭、つまりあれですか?アナタは生徒達に外はどれだけ色々なモノがあり、どういう世界なのかという事の全てを【語るな】と言ってると解釈しても?」
「そう解釈してもらわねば困りますね」
小さく舌打ちする。
「それはどうかと思いますがね……」
「なら加藤先生はこう言うのですか?この街から出られる可能性は限りなく低いというのに、外にはどれだけの素晴らしい世界が広がっているという夢と希望を持たせるのが教育だとおっしゃると」
「問題はないはずですと、私は言いますよ」
「私は問題があると言います」
虎太郎と教頭の視線がぶつかり合う。
互いに互いを好きになれない。
互いに互いの方針を譲る気はない。
そして、教頭が小さな声で言う。

「この街で夢と希望を持たせるなんて、虐待と変わりません」

その言葉は言葉でしかないにもかかわらず、何処か重みを持っていた。
「希望を持たせるのなら、それとは限られた希望で良いのです。外に出る、外に向ける、そんな希望なんて持たせない方がマシです―――それで傷つくのは私達ではなく、生徒なのですからね」
それだけ言って、教頭は校長室から出て行った。
残されたのは虎太郎と校長だけ。
すっと校長が虎太郎に向けて灰皿を差し出した。
「教頭先生の事を、あまり悪く思わんでくれんか」
そう言って校長は自分も煙草を咥えて火を灯す。そして、その火を虎太郎に向け、虎太郎も顔を近づけて咥えた煙草に火を灯す。
「悪い人じゃないんじゃよ、あの人も」
「……えぇ、わかってますよ」
そう言うと、骸骨の様に痩せた顔が笑う。
「教頭は教頭なりに生徒の事を考えてるんでしょうね」
「私もこの学校に赴任してきたのは二年前じゃが、その時からあの人は教頭じゃった。だから、この学校の事もあの人の方が何倍も詳しい。なんでももう十年以上この学校にいるらしいからのう」
十年以上、その言葉を意味するのは、
「海鳴が人妖隔離都市に指定された年よりも前から、ですか」
校長は頷く。
「私は教頭先生からすれば新参者じゃよ。だからあの人の言う事がおかしい、間違っていると口にする事はできる……じゃが、それでも教頭先生からすれば、軽くて軽率な言葉にしか聞こえんだろう」
海鳴が人妖隔離都市になって十年以上が経った。この街の人口は増えた。もっとも増えたのはここ数年で、最初の年は元の人工の半分以下だったらしい。
当然だろう。
元々この街に暮らしていた普通の人々からすれば、人妖という奇怪な存在が次々と入ってきて、心良く歓迎するとは思わない。例え国からの援助金で街が潤ったとしても変わりは無い。
「今、海鳴の殆どが私のような人妖じゃ。そんな人妖を心良く思わない人々は去り、教頭先生の様な心に芯のある人間だけが残った」
「あの人は、最初からこの街に」
「らしいのう……だからこそ、わかっておるのじゃよ。この街に来た子供達。この街で生まれた子供達。人でありながら人と思われない子供達を何人も見てきた」
それ故に希望という言葉の重さを知っている、そう校長は言った。
「なぁ、虎太郎先生」
校長は寂しそうな眼で虎太郎を見る。
「あの人、嫌いにならんでくれ」
煙草の煙が下手の匂いを変える。たったの二本、吸った時間は五分にも満たない。だが、それでも部屋の匂いを変えるには十分だった。
「教頭先生は、教師なんじゃ」
「わかっています」
虎太郎は教頭の事を好きにはなれない。だが、嫌いじゃないわけじゃない。教頭の言い分は良くわかる。それもしっかりとした柱がある言葉。そして重みを知っている言葉だから。
教頭は教師なのだろう。
恐らく、自分よりもずっと教師を続けてきた。
「わかっていますよ……わかっているからこそ、私は―――俺はあのやり方はマネできない」
優しい笑みを浮かべる。
「あれがあの人が決めたやり方なら、俺には俺の決めたやり方がある……どちらが正しいかなんて誰にもわからない。わからないからこそ、行動するしかない」
灰皿に煙草を押し付け、消す。

「校長、放課後になったら俺は月村の家に家庭訪問に行くつもりです」

そう言うと校長は眼を見開き、すぐに納得した様な穏やかな顔になる。
「やはり、そうするんじゃな、アナタは」
どこか嬉しそうな顔。骸骨の様に痩せこけているのに、愛敬がある様に思えてしまう。
「アナタの好きな様にしなさい。私はその責任をとるだけじゃからのう」
「そこまでして頂くつもりはありませんよ」
「そう上手く事は収まらんよ。なにせ、相手はあの月村じゃからな」
月村、この街の支配者の一人。
「唯の教師一人が相手にするには大きな存在じゃよ……じゃから、今回は二人で挑むべきじゃな」
「私と、校長がですか……」
「アナタが行動する。私がその責任を持つ……こんな老いぼれに出来る事なんて、その程度じゃよ」
校長は立ち上がり、外を見る。
外では子供達が楽しそうに遊んでいる。
「私が来る前の校長はどういう人間かは知らん。じゃが、何もしなかったのは事実。そして、そういう私も何もしなかった……出来なかった」
「全て者が挑む者になるはずがありません」
「君は挑む者、挑める者じゃろ?」
「…………」
少しだけ迷いはある。
自分の行動によって一人の教師が責任を取らされる可能性がある。無論、その後は自分がその対象になるだろう。自分一人なら構わない。だが、自分の行動に犠牲になる者が出来る事を容認は出来ない。
「――――余計な事は考えんでいい」
穏やかであり、強くもある声。
「私がしている事は他人任せじゃ。他人任せにしている私じゃから、責任くらいは取るべきじゃろう?取らねばならない責任があるのなら、こんな老いぼれの首一つなんて安いもんじゃ」
「校長……」
「加藤虎太郎君。私は君を信用し、信頼する。教師が生徒を見捨てる事はあってはならない。どうにか頑張って、どうにもできない事があったとしたらある程度の免罪符は用意する。じゃが、何もしない癖に見捨てる事は許されんのじゃよ」
校長は虎太郎の手を取る。
痩せたガリガリの骨だけの手。だが、温かく、大きな手。
「―――――やりなさい。君のやりたいように。そして与えてあげなさい。夢と希望を……」
その言葉に、素直に頭が下がった。
「若輩ながら全力で挑ませてもらいます」
そう言って、虎太郎は校長室を後にした。
残された骸骨顔の校長は微笑む。
「いやはや、何とも良い教師を送ってくれたもんじゃな、神沢の若造も」
彼の脳裏に浮かぶのは、今は神沢学園の校長をしている後輩教師の事。
「今度、良い酒を送ってやるとするか……」
そう言って校長は皮張りの椅子に腰かけ、眼を閉じる。

そして、校長は深い眠りについた




「―――――あの、校長。ちょっといいですか?」
そこに若い教師が入ってきた。彼の眼に入ったのは穏やかな顔で眠りにつく校長の顔。
死んでいた。
「…………」
死んでいるにも関わらず、教師は対して驚きもせず。
「あぁ、もう……また死んでるよ。お~い、起きてくださいよ校長。毎日毎日、そんな風に死なれるとこっちも迷惑なんですよ~」
「――――――――っぬお!?」
「あ、蘇った」
「…………どのくらい死んでた?」
「知りませんよ。あ、とりあえずこっちの書類に目を通して判をください。理科の授業で使う機材の購入費の見積もりです」
「ん、わかった」
校長は書類に目を通し、判を押す。
「ありがとうございました―――愛野校長。それじゃ、もう死んでていいですよ」
「そうかい。なら、帰り際にもう一度見に来てくれんか?この間なんて死んでるのを忘れられて、三日も死に続けたわい」
「大変でしたね、あの時は―――それじゃ、帰りにもう一度寄りますんで。あ、死んでたら奥さんに連絡して搬送させてもらいますから」
「うむ、それで頼む」
愛野追人、海鳴の校長にして神沢に同じ体質の親戚を持つ人妖。
本日、二度目の死に入った。






放課後はとうに過ぎ、夕陽が沈みかけた頃だった。
すずかは家の前に見覚えるある姿を見つけ、眼を見開いた。
そこには数日前、自分に話しかけ、拒絶した男の姿があった。名前は確か加藤虎太郎。すずかが在籍しているクラスの担任だという男だった。
虎太郎は家、もはや屋敷というレベルの門の前で立ちつくしていた。
虎太郎は腕時計を確認し、チャイムを押す。
【――――はい、どちらさまでしょうか?】
「ども、加藤虎太郎です」
【またアナタですか?】
「はい、五分前と同じ加藤虎太郎です」
スピーカーから聞こえるのは月村家に使えるメイドの声だ。何時もの様に作り物染みた冷徹さを帯びているのは、相手が月村以外の者だからだろう。
【ならば、五分前と同じ回答です。忍様はアナタとお会いにはなりません】
「いやぁ、そこをなんとか……ほら、私はこう見えてすずかさんの担任ですし」
【これも五分前、正確に言うならば一時間前から言い続けてますが、とても教師には見えませんね】
「眼鏡かけてますよ?」
【眼鏡は誰でもかけます】
「スーツも着てます。安物ですが」
【安物のスーツは誰でも着ます】
「教員免許は……手元にはないので見せられませんが」
【例え教員免許があろうとなかろうと、お会いする事はございません】
そう言ってメイドは切った。
普通ならこれで諦めるものだろう。しかし、虎太郎は煙草を吸いながら五分ほど待ち、またチャイムを押す。
【―――――しつこいですね。警察を呼びますよ?】
「話をさせてもらうだけでいんですよ。そしたら警察でもなんでも呼んでください」
【なら、学校側に厳しい処分を頼むかもしれませんね】
「それも問題ありません。なにせ、あの学校の一番偉い人から許可を得てるのでね」
学校の一番偉い人。その言葉にすずかが一番に思い浮かぶのは、骸骨顔の校長の事だ。なんでも良く死ぬというわけのわからない逸話の持ち主だ。すずか自身は一度も話した事はないが、生徒の間では骸骨先生と言われて慕われているとか恐れられているとか。
「とまぁ、そういうわけでして――――」
虎太郎はスピーカーの向こうにいるであろうメイドに向かって言い放つ。
「警察でも何でも呼んでも構いません。ですがね、私はすずかさんのお姉さんとお話をするまでテコでも動きませんよ」
【国家権力に喧嘩を売ってもですか?】
「国家権力が怖くて教師なんて職業は続けられませんよ」
その言葉にすずかは素直に驚いた。
国家権力に挑むなんてよりも先に、この街に居る以上月村という名前に挑む方が馬鹿げているからだ。それほどまでに自分の家は力を持ち、恐れられているという事を理解している。だが、虎太郎という教師はそれすら相手にすると言っているのだ。
不敵に、負ける事なんて欠片も思わない瞳で、そう言い放っていた。
「ちなみに、もう私の勤務時間は終えてます。だからこれから明日の朝まで永遠に粘るつもりですよ……」
一歩も退かず、むしろ好戦的に踏み込む言葉。
そんな虎太郎を見ていたすずかは、心の底から馬鹿らしいと思っていた。
無意味なのに、と。
姉は絶対に人、人妖の話なんて聞きはしないのに、と。
だが困った。自分は家に入るのは表門を通るしかない。裏門から入ってもいいのだが、子の家の住人である自分が裏から逃げる様に帰るなんて、これも馬鹿らしい。
そして、すずかは漸く気づいた。
別にこの男だって、自分が家に入る時に強引に入ってくるような愚かな事はしないだろう。そんな事をするような男なら、最初から勝手に入って、勝手に防犯システムの餌食になっているはずだ。
そう思って、普通に門の前に歩き出す―――その時だった。
門が開いたのだ。
おかしい、と首を傾げる。
仮に自分に気づいて門を開けるとしても、それは自分が門の前にいなければならない。でなければあっさりと侵入を許すからだ。
だとすれば、
【―――――お入りください。忍様がお会いになるそうです】
「そいつはどうも……」
驚いた。
まさか、姉が会う気になるとは思ってもみなかった。
門が開き、虎太郎が屋敷に中に入っていく。
恐らく、初めてだろう。
歓迎もされていない、何度も拒絶された、帰れと言われた、しかしその全てに拒否して中に入る事を許された男。
加藤虎太郎、彼はそれを行った。
「…………」
どうしてか、心がざわめいた。
嫌な予感ではない。不可解であるか不快ではないざわめき。それを感じた瞬間、これがどういう感情なのか理解は出来ない。
しかし、同時にある想いが湧きあがった。
それをすずかは否定する。
そんな想いはとうの昔に捨てた、蘇る事なんてありはしない。
だから、これは気のせいなのだろう。
しかし、彼女が気づかなくともそれは事実だった。
心のざわめき―――それが意味するのはたった一つ。
遠い過去に置き忘れた気持ち。
入学式の前日、寝る前に思った気持ち。

人はそれを――――【期待】という。





虎太郎が通されたのは、薄暗い部屋だった。
部屋の中に数本の蝋燭が立ち並び、淡い炎を燃やして部屋を照らす。
まるで物語に出てくる何かが起きそうな部屋だ、と心の底から思った。
そして、その中にはソファーが二つ。その間にガラス張りのテーブルが一つ。その上には淹れたての紅茶が置かれていた―――ただし、その部屋の主の分だけ。
歓迎はされていない、という事だろう。
「初めまして。すずかさんの担任の加藤虎太郎と申します」
そう言って虎太郎は三人は座れるであろうソファーの中央に腰を下ろした女性へ視線を向ける。
「…………どうぞ」
細い綺麗な手で座る事を許される。勧められる、ではなく許される。部屋の主がこの場の強者にして絶対君主なのだろう。そして、虎太郎はそこに迷い込んだ愚かな男という事だ。
無論、虎太郎はそれに苦笑で返す。
ソファーに腰掛け、相手を見据える。

「月村家当主、月村忍です」

冷たい声だった。
どこか作り物めいた女性は恐らくは二十代前半、もしくは十代後半といったところだろう。だが、その年齢に似つかわしくない程のオーラを纏っている。人でない者が纏う強者のオーラ。同時に相手を威嚇する為のオーラ。
「それで、学校の先生がどんな御用でしょうか?」
短刀直入に聞いてきたので、虎太郎も同じ様に返す。
「すずかさんの事です」
「すずかが、どうかしました?」
忍の為にだけ用意された紅茶を口に含み、冷たい視線で虎太郎を見る。
「実はですね―――」
と、虎太郎が口を開いた瞬間。
「すずかの事は何も問題にしない、という約束です」
忍が遮る。
「あの子が学校で何をしても問題にはしない。それ以前にあの子に関わらない。そういう約束をした上に私はアナタ方の学校に通う事を許可しました」
「…………」
「無論、それはすずかだってわかっているはずです……アナタはこの街に来て日が浅い様なので知らないでしょうが、三年前―――すずかが入学した時にすでにそういう約束になっているのです」
「約束、ですか」
虎太郎は視線をそらさず、
「強制、の間違いでは?」
正面から受けてたった。
その態度に忍の表情に変化はない。ただ、溜息を漏らす様に呟くだけ。
「ホント、何もわかっていないのですね」
冷たい瞳は燃える。冷たい炎となって燃えている。
「アナタが神沢の土地でどのような方だったのかなんて興味はありません。私達には関係のない方ですからね。だからこそ、アナタにもそうしてほしいのです。関係ない、興味がない、これは立派な自己防衛の手段だとは思いませんか?」
「アナタ方の、ですか?」
「いいえ、アナタのですよ」
つまり、関係ないと思えと命令し、興味を持つなと命令する。それを守る限りは危害は加えない。それを守っている限りはこちらにも興味など示さない。そんな上からの言葉を忍は虎太郎に向けていた。
「―――――私はね、忍さん」
しかし、関係なくは無い。
しかし、興味を持たないわけにはいかない。
「家庭訪問に来たんですよ。家庭訪問、この言葉の意味、知ってますか?」
挑戦的な言葉に、忍の眉が微かに動く。
それを見逃さない。
喰いついた、と虎太郎は想った。
「私がどのような者で、神沢の土地で何をしてきたかなんて関係ない。私がこの地でするべき事は教育です。教師である限り、生徒と関係を持ち、興味を持つ事が不必要であるなんて事は出来ないんですよ」
「…………それが必要なのは、普通の人々だけ」
「えぇ、そうですよ―――【アナタ方の様な普通の人々】と同じ様にね」
瞬間、部屋の空気が淀んだ。
喰いついたと思ったが、想像以上に喰いつかせたらしい。
「普通の人、とおっしゃいましたね」
「えぇ、違いますか?」
「違いますね」
ピシャリと言い放つ言葉には冷たい刃が含まれていた。
「私達は普通の人々とは違います。私達は人ではない、人妖でもない。月村という一族なのです」
「それがわかりませんね。どんな一族かは知りませんが私から見れば、アナタ方も人や人妖と変わりはありませんよ」
「それは……侮辱と受け取って良いのですか?」
「そう聞こえたのなら、謝りましょう」
素直に虎太郎は頭を下げる。
「ですがね、これは本心です」
「教師、だからですか?」
「人間としての、ですよ」
そう言った虎太郎を見て、忍は虚を突かれた様な顔をして―――嗤った。
「人間、人間とおっしゃいましたか?アナタが?人妖であるアナタが人間?」
「可笑しいですか」
「えぇ、素敵なジョークです」
嗤いは止まらなかった。
なるほど、と虎太郎は想った。
想い、考えた。
考えた末に、言葉に出す事を止めた。
それを知らない忍は暗い笑みを張り付けたまま、言った。
「アナタは愚かですね」
「…………」
「愚か、愚か、愚かです……人と人妖が同じ存在だと、同じ人間だと想っているアナタは何処までも愚か―――いえ、馬鹿ですね」
「この歳になってそういう言葉を頂けるとは、想ってもみませんでしたよ」
「なら教育してあげますよ、先生」
忍は立ち上がり、歩き出す。
蝋燭の炎を前に立ち、指先で炎を一つ消す。
「人と人妖は違う。そして、私達はその二つとも違い。何故なら、私達は人妖が生まれる前から化物だった」
静かに語る声は憐れみに満ちている。
「この国では妖怪と呼ばれる存在だったのでしょうね。そして、その血縁は途絶える事なく今まで続いている。わかりますか?その時点で人ではない。遥か昔からの妖怪であり化物なんですよ、月村は―――夜の一族は」
「…………」
「当然、そんな存在を人間達が許すわけがない。だから私達の祖先はこうした人の形を取り、人の中に溶け込んで生活してきた。これを共存と呼ぶ愚かな者もいますが、私はそうは呼びません。これは立派な敗北です。祖先の皆は人に敗北し、人に見つからない方法で己の弱さを隠してきた」
また一つ、蝋燭が消える。
「でもね、先生。如何に人の眼から自身の姿を消そうとも私達は人ではない。化物なんですよ。化物である限り化物の習性は消えない。化物である事実からは逃げられない。だったらどうすればいいのか―――簡単です」
穏やかな声で、

「闘争すればいい……」

呟きは冷たく、熱い。
「闘争して自身の力を証明すればいい、そう考えた……もっとも、それを選んだのは限られた者達であり、大半の者は臆病風に吹かれてそれを拒んだ。勇敢なる者は戦いを選び、散っていった。残された愚か者達はそれを蔑んで人間に頭を垂れ、共存という敗北宣言を行った」
それが自分達の祖先だと忍は言った。
「月村はそういう愚か者の末裔なんですよ。戦いもせず、共存という逃げ道に飛び込んだ愚かな逃亡者。そんな者達の末裔である私は祖先から見ればどう見えるのでしょうね?恐らく、蔑みの眼で見られる。蔑まれ、疎まれ、そして蔑にされるであろう愚かな者」
また一つ、炎が消える。
「でも、私はそれでも良いと思ったんですよ。如何に愚か者の末裔だったとしても、今の世界を見ればそれも納得できる。世界には数えきれない人間がいる。その中に私達は一部、下手をすればそれ以下しか生存していない。なら、どう考えても人間と戦って勝てるわけがない……嘆かわしい事にね」
気づけば、部屋の蝋燭の半分が消えている。
薄暗い部屋の中に鈍く光るのは、黄金の瞳。
「生きているのは愚か者のおかげです。だから私達も愚か者らしく日蔭の下で生きるしかない、そう思っていました」
黄金の瞳が、微かに揺らいだ。
「でもある日、私は出会ったんです」
揺らいだのは、
「私達の存在を認めてくれる人……いいえ、私達が自分の存在を【どうでもいい】と想わせてくれる人に、人間に私は出会った」
恐らくは、
「名前も知らない人だった。でも、綺麗な魂を持っている人だと思ったわ。もちろん、相手の魂を見るなんて力は私にはないのだけれど―――それでも、綺麗だと想った」
その魂を感じた者に、
「綺麗だからこそ、魅かれた」
何かしらの感情を持ったのだろう。
「愚か者の末裔なんてどうもいいと想った。人じゃない存在だなんて関係ないんじゃないかって想った。そう思える程に惹かれた人だった……でもね、その頃の私はそんな自分が好きじゃなかった。人間じゃない自分に、それを認めてしまっている自分が大嫌いだった……大嫌いだったから、その人に名前も訪ねたかったし、名乗りもしなかった」
また一つ、炎が消える。
「…………そしてある日、私はその人に思い切って言葉にした。自分は人間じゃなくて、人間の形をした化物なんだって―――」
しかし、消えた炎はまた燃える。
ジリジリと皮膚を焼く様な音を鳴らし、もう一度炎を灯す。
「私は、それだけ言って逃げた。怖かったから。あの人の私を恐怖する眼を想像するだけで怖かった。拒否される事が怖かったから逃げた。逃げて逃げて逃げて―――でも、知りたかった」
その炎に照らされた忍の姿は、素直に綺麗だと思えた。
「あの人は優しい人だった。優しくて強い人だった。だから答えが知りたかった。その時の私の心はずっと希望だけを持っていた。あの人は絶対に私を裏切らない。私の希望を打ち砕いたりしない人だって……信じていた」
だが、炎は消えた。
燃える蝋燭の中心をへし折り、地に堕ちた。

「―――――あの人は消えたわ。私があの人に自分の正体を告げた、その日の内にね」

地に堕ちた蝋燭の炎は消えた。
残された炎はあとわずか。だが、それが全ての希望を現すのだとすれば、この部屋の暗闇という絶望を照らす光には程遠い。
足りないのだ。
圧倒的な闇、絶望の前に、足りな過ぎる。
「その時に漸く理解したわ……人と化物は理解し合えない。共存も何も出来やしない。そんな希望を持っても砕かれて終わるだけ」
この闇が月村忍の全てだとするならば、
「先生。私はね……そんな真実を知っているの。知っているからこそ、他人にあるアナタにどうこう言われたくないのよ」
あまりにも大きな闇。
周り全てを飲みこむ程の闇。
それはたった一つの小さな恋だったのだろう。だが、その小さな恋一つで人はあっさりと絶望できる。
それほどまでに人の心は弱く、脆い。
信じていた者に拒絶され、逃げ出され、残された彼女の心は―――闇しかなかった。
「如何にアナタがあの子に、すずかに希望を与えようとしても無駄。だって希望は幻であり猛毒だもの。希望が大きければ大きい程、毒の威力は増していく。増した結果の先には死にも及ぶ絶望。絶望は死に勝る病なのだからね」
一つだけ理解する事は出来た。

月村忍は、月村すずかの事を本当に大切にしているのだろう。

「人と共にある夢なんて見ないでほしい。人の共に暮らせるなんて希望は持ってほしくない。でも、あの子はそんな夢と希望に憧れてしまい、飛ぼうとしたわ」
クスクスと微笑む顔には、悲痛な色しかなかった。
「本当は小学校なんて行かせるつもりはなかった。行かせたらきっとあの子は絶望する。でもあの子は行きたいと言った。友達を作りたいと言った。私の言う事なんて全部間違いに決まってると言った……だから、私は勘違いしてしまったのよ」
闇の中で、忍は虎太郎にゆっくりと近づく。
「もしかしたら、本当に微かな可能性があるかもしれないってね……私の出会いは不幸な結果になっても、すずかがそうなるとは限らないじゃないかってね」
馬鹿だった、虎太郎の瞳に映った忍はそう言った。
「なるわけなかったのよ。微かな可能性なんてなかった。結果は同じ絶望だけだった。あの子は学校で力を使い、同じクラスの子を傷つけた―――これは知っているかしら?」
虎太郎は素直に首を振る。
それは知らない事だ、と。
「なら教えてあげるわ。理由はわからないわ。でも、あの子はある日学校に行って、血だらけになって帰ってきたわ。何があったのか尋ねても答えない。あるのは虚ろな瞳だけ。学校の方に尋ねてみれば答えはすんなり帰ってきた」
忍はゆっくりと手を上げ、虎太郎の首筋に手を伸ばす。
そして、シュッという音と共に指の先に人とは思えない鋭利な爪を生み出した。
「この力で、私達一族に伝わり続ける呪われた力で、あの子は人を傷つけた。相手は人妖だったから、反撃も喰らってあの子も怪我をしたけどね」
それでおしまい、と忍は言った。
「漸くあの子も知ったのよ。どれだけ頑張ろうとも、どれだけ夢を見ようとも、希望なんて存在しないんだってね。学校の生徒はあの子を恐れ、教師達は月村の力を知って子供達と同じ様に震えたわ……」
そして、孤独になった。
「もう学校になんて行かなくて良いって言ったのに、あの子は学校に通い続けた。それがどういう意思でそうしてるかなんて知らないわ。教えてもくれなかった。でも、あの子が人を拒否しているのだけはわかったから、それはそれで良いと思った」
忍の手が虎太郎から離れ、パチッという音と共に光がついた。
「もうわかったでしょう、先生?あの子は誰とも触れ合わない方が幸せなのよ。あの子の味方になれるのは私達家族だけ。家族だけが唯一の味方……人も人妖も、そしてアナタもすずかの味方になんかなれはしないのよ」
だからこそ、なのだろう。
明りがついた部屋の中で、忍の瞳には最初にはなかった想いがあった。
大切な家族だから。
大切な妹だから。

これ以上、傷つく姿を見たくない。

それは最初の冷たい瞳ではなく、一人の家族を想った姉の瞳があった。
「もう、すずかには関わらないで……おねがいします」
頭を下げた。
心の底からの願いを、言葉に乗せて。

「おねがい、します……」






すずかは知っている。
姉の想いを知っている。
だからこそ、何も語らない。
何も語らず、姉の傍にいた。
「――――すずか、今日は学校に行かないの?」
すずかは首を横に振る。
昨日の虎太郎と忍の会話を聞いていたすずか。改めて姉の想いを知り、だからこそ答えを出すべきなのだと思った。
月村邸から出る虎太郎の背中を自分の部屋から見送り、自分はあの男に何を想っていたのかも忘れた。
だから、答えを出すべきだ。
「もう、行かない」
その言葉に忍は微かに驚いた。
「学校には行かない……もう、行かない」
それが決意。
小さな少女が決めた、家族の為の決意。
「いいの?」
「うん、もう決めたから……」
すずかは笑った。
学校での事件の後、一度も笑わなかった妹の笑顔を見た忍は、心が引裂かれる様な想いだった。
昨日、あれだけ虎太郎に言いながらも、自分はこんなにも妹の笑顔に悲しい思いを抱いている。
この笑顔は、作り物だ。
何かを想い、何かを決め、何かを捨てた笑顔。
そんな想いをさせたのは誰だ―――考えるまでもない、忍自身だった。
それでも忍は静かに言葉を漏らすだけ。
「そう、わかったわ……学校には私から退学届を出して置きます」
「…………うん、お願い」
朝食の時間。
少女は決め、姉はその願いを受け入れた。
抗うべきなのか、それとも―――いや、もう遅い。
もう遅過ぎるのだ。
忍は席を立ち、電話を手にする。
連絡する先は学校だ。
学校に連絡し、それで終わる。終わった後は続く。自分達の世界が続く。誰とも関わらず、誰とも理解し合わない、し合えない世界が続くのだ。
そして、最後のキーを叩く――――瞬間だった。

爆音が響いた。

「――――――――!?」
突然の音にすずかも、忍も驚いた。
そこへメイドが焦った表情で走り込んでいた。
「大変です、忍様!!」
「どうしたの!?今の音は何!?」
音がしたのは恐らく玄関の方、もしくは門の方だろう。
「侵入者です」
「侵入者?」
月村には、夜の一族には敵が多い。外部は勿論、内部にも敵だらけだ。そのどちらかが襲撃を仕掛けたという事なのだろう。
「防犯システムは!?」
「既に起動し、侵入者を激撃に向かっています」
月村家の防犯システムは優秀だ。いや、優秀過ぎるのだ。既にそれは防犯などという言葉では生ぬるく、防衛システムと言っても過言ではないだろう。
それを知ってか知らずか、敵は中に入ってきた。
こんな朝っぱらからだ。
忍の中に熱いマグマが生まれる。
最低な朝だ。
こんな朝に仕掛けてくる馬鹿は何処の誰だ。いや、誰であろうと関係ない。相手が来るならこっちは全力で迎え撃ち、誰に喧嘩を売ったのかを思い知らせるべきだろう。
そう思い、その外の映像を目にして―――頭が真っ白になった。
当然、メイドも。
そして、すずかもだ。
案の定、破壊されたのは門だった。
まるでロケット弾でも放たれたかの様に破壊された門。
そこには、見知った者の顔があった。
見知ったなんてレベルではない。
その者は昨日会ったばかりだった。
その者の名は、

【――――ども、加藤虎太郎です】

加藤虎太郎はのんびりとした、まるで朝の挨拶をする様な声で言った。
【いやぁ、チャイム押しても誰も出ないんでね。面倒だったんで壊しちゃいましたよ】
悪びれた様子もなく、そんな嘘と吐いた。壊れるわけがない。昨日は普通に動いていたし、この屋敷のシステムは毎日の様にチャックしている。
だから、壊れるはずがない。
【まぁ、それは置いておくとして、だ】
虎太郎は煙草を咥えながら、
【お宅の妹さん、すずかさんを迎えに来ました】
そんな事を言い放った。
当然、誰も言葉を発せない。
今、この男は何と言ったのだろうか。
【とっくに始業ベルは鳴ってるのに、すずかさんが現れないんでね。てっきり寝坊かなんかで来れないのかなぁと思いまして……】
理解できない。
【電話で確認した方が早いんですが、私も結構慌てん坊なんで直接迎えに来ました】
理解できない―――否、理解なんてしない。
忍の中に生まれたマグマは、
「どういう、つもりですか……」
怒りで真っ赤に燃えている。
「昨日、私は言いましたよね?これ以上、あの子に関わらないでくださいと……言ったはずですよね!?」
しかし、相手はそんな忍の言葉をあっさりと受け止め、
【えぇ、聞きました。ですから、こうして迎えに来ました】
直球で返してきた。
「―――――帰ってください」
【そういうわけにもいかないんですよ。とりあえず、すずかさん居ますか?】
「帰ってください!!」
【ですから、すずかさんを出してくださいよ】
「…………そうですか、そういう事ですか」
理解できないが、理解はした。
この男は敵だ。
敵以外の何者でもない。
「口で言っても理解できない様ですね、アナタという人は」
【どうやらそうみたいです。いやはや、歳を取ると考え方が堅くなってしょうがないですなぁ】
「わかりました」
忍はメイドに伝える。
「防犯システムのレベルを最高まで上げなさい」
「で、ですが……」
「上げなさい。これは命令よ!!」
月村家の防犯システム―――防衛システムは通常は相手を追い返す程度のレベルに設定されている。相手が泥棒だろうと刺客だろうとむやみに殺す気はなかった。だからの防衛システムなのだ。
しかし、そのレベルを最高まで上げるという事は―――殺してでも防衛するという意味になる。
「先生……これが最後の警告です。帰ってください。防犯システムのレベルを最高まで上げました。このレベルであるなら並の人妖なら一分未満で迎撃、下手をすれば殺害も可能です」
【おや、それは怖い怖い】
「ですので、今すぐ帰るなら命までは取りません……帰ってください」
仮に殺してしまっても、隠蔽など簡単に出来る。それに、この街で自分達に逆らえる者などバニングスくらいしか存在しない。そして、そのバニングスと自分達は常に一定の距離で権勢し合っている。
だから、この男一人を消す事など造作も無い。
【――――――はぁ、わかりました】
観念したように息を吐き出し―――煙草に火をつけた。

【今からそちらに向かいます】

聞き間違いだろうか。この男は今、こっちに向かうと口にしたのだろうか―――そんな聞き間違いは初めてだった。
だが、聞き間違いなどではなかった。
【おい、月村。制服は着たか?鞄は持ったか?弁当は持ったか?忘れ物は何もないか?】
虎太郎はすずかに語りかける。
すずかは放心している。
どうして虎太郎が此処にいるのかもわからなければ、どうして自分を迎えに来るなんて暴挙を犯しているのかも理解不能。
だが、一つだけわかるのは、虎太郎は今から此処に【来る】と言っている。防衛システムを突破して、此処まで来ると言っているのだ。
【まだパジャマなら今すぐ着がえて来い。先生は――――】
しかし、すずかは勘違いをしていた。
虎太郎、加藤虎太郎は防衛システムを【突破】などする気はさらさらない。
【―――――五分でそっちに行くからな……!!】



防衛システムを――――【撃破】する気だった。








加藤虎太郎の前には何も無い庭があった。
一分前までは何も無い。だが、今あるのはただの庭ではなく―――要塞と化した庭だった。
「―――――さて、行きますかッ!!」
その要塞に――――突撃する。
電光石火の速度で駆けだす虎太郎を迎撃する為に作動したシステム。その最初の刺客は巨大なバズーカ、一昔前の大砲の様な形をした砲台だった。
その数はおよそ十五。
その十五から一斉にボーリングの球と同じ大きさの鉄球が射出される。
剛腕ピッチャーの剛速球など生ぬるい。それは最早銃弾と言っても過言ではない。銃弾の速度でボーリングの球並の鉄球が一斉に虎太郎に襲い掛かる。
その弾丸を――――迎え撃つ。
「破ッ!!」
武器は無い。
この身こそが武器。
この拳こそが唯一無二の武器。
ただの人間の拳に見えるその拳は、一瞬で人には認識出来ない速度を生み出す。並の者には拳が消えた様に見えるだろう。そして、その拳が消えた瞬間、弾丸が木っ端微塵に砕け散った。
【――――――なッ!?】
スピーカーの向こうから息を飲む声が聞こえた。
あの弾丸を砕くなんて事は不可能なはずだった。しかし、虎太郎は砕いた。それも、
「疾ッ、破ッ、砕ッ!!」
十五の弾丸を一瞬で粉々にする。
防衛システムは人間の様に驚きはしない。即座に次の弾丸を射出する―――しかし、それでは遅過ぎた。
次の弾丸が打ち出される瞬間、砲台の一つの目の前に虎太郎の姿はあった。
拳を振り上げ、砲台の筒に手を突っ込む。

爆発。

虎太郎の拳の威力に負けた弾丸が巻き戻しの様に中に戻り、砲台を破壊した。
防衛システムは一瞬で考え、一瞬で決断。
相手が如何に早かろうと、一斉撃破は無理。
ならば、一つ破壊されるであろう砲台を察知し、その方向へ向かって一斉に発射すると決めた。
それが何よりも有効な手段だと考えた。

そして、それが有効だと証明される前に、砲台は一気に七つ破壊された。

音は後から襲ってくる。
砲台に一瞬で七つの拳を痕が刻まれ、爆発する。

エラー、エラー、エラー

「機械任せも良いが、遅すぎるな」
言葉の後に四つ、破壊された。やはり音は後から、破壊は拳の痕一つ。一撃で砲台は次々と破壊され、残る砲台の一つが何とか虎太郎に照準を合わせ―――見失った。
索敵をするまでもない。
虎太郎は空から舞い降りた。
「羅ぁッ!!」
踵落しが砲台に炸裂。
一台はそれで沈黙した。

エラー、エラー、エラー

残りは言うまでも無い。
電光石火の一撃にて沈黙。

エラー、エラー、エラー

防衛システムが感知できるスピードはかなりの高速な動きまで感知できる。だが、それが誤算だった。
開発者である者は想定していない。高速は高速でもそれが自身が体験してきた敵の最高であっても、

加藤虎太郎の速度であるわけがないからだ。

故にこれから出る全てが虎太郎に対抗できるかどうかと言われれば、言うまでも無い。
エラーを起こしながらも果敢に挑む防衛システム。
巨大なボウガンが起動。
矢を全て拳で撃ち落とされ、砲台と同じ末路。
チャクラムの射出装置が起動。
拳にて粉砕。
機関銃の連続起動。
弾丸程度では被弾不能。
破壊、破壊、破壊、破壊、破壊――――破壊。
【――――う、そ……】
忍の信じられないという声が響く。
「朝の良い運動……にすらならんな、これじゃ」
煙草を携帯灰皿に入れ、即座にもう一本を吸う。それが相手に与えた準備期間。その間に月村邸の庭の芝から巨大な人型が現れる。
ロボット、というべきだろう。
「ロボットとはまた……SFチックだな」
素直に感心した。なにせ、こんなはっきりとしたロボットなど見た事がないからだ。仮に見た事があっても歩く事がやっとという程度の出来だ。しかし、このロボットは動くどころか武器を搭載し、良く見れば背中にブースターの様な物を搭載している。
「まさか、飛ぶのか?」
正解―――飛んだ。
ブースターが火を噴き、ロボットは飛翔する。
虎太郎が子供の頃に見たアニメに登場する様なロボットの登場に、彼の心は童心に帰った様に踊った―――が、しかし、
「まぁ、そんな歳でもないか」
即座に我に帰り、空から襲いかかるロボット。手に巨大な斧を構えたソレを見据える。
轟ッという爆音。
地面を揺るがす程の一撃を虎太郎は難なく避け、拳を一閃。それだけでロボットの頭部は吹き飛び、そこへ追撃の蹴り。ロボットの持つ斧よりも鋭く胴体を切断する蹴りを受けて、立っている物は存在しない。
わずか数秒。

「超合金には程遠いな」

ロボットへの感心はその言葉だけ終わりを告げた。
一体がやられ、二体目、三体目と襲いかかる―――ロボットではなく、虎太郎がだ。
二体を六撃にて粉砕。その六撃でロボットの急所を確かめ、残り全てを急所に一撃で沈めていく。

エラー、エラー、エラー、エラー

理解不能、解析不能、不能不能不能―――防衛システムを圧倒的な速度と力で粉砕する人妖に対して、システムが恐れを抱く。
後は実に簡単な作業だった。
全ての防衛装置が起動され、一斉に虎太郎に襲い掛かる。
それを全て受けて立ち、粉砕、撃砕、破砕。
【アナタ、何者なんですか……】
忍は尋ねる。
「何者って、昨日名乗ったはずですが?ただの、教師ですよ」
ただの教師に全てが破壊される。
何もかも。
守る為の要が、全て。
【――――どうし、て……】
忍は震える声で、なんとか虎太郎に尋ねる。
【理解し、て……くださったはずじゃ】
「理解?何がですか?」
虎太郎は静かに告げる。
その声には―――微かな怒りが籠っていた。
【理解してくださったからこそ、帰ってくれたんじゃないんですか!?】
それが爆発した。
【私達の事、すずかの事を理解してくれたからこそ、身を引いてくれたんじゃないんですか!?】
爆発した想いを、虎太郎は冷静に受け止める。
「昨日帰ったのは、単純です―――夜遅くまで居たら、迷惑でしょう?」
【ふ、ふざけてるんですか!?】
「別にふざけてなんかありませんよ……ただ、一つだけ言っておきましょう」
ロボットの一体を踏みつけ、屋敷の方を見据える。
「私はね、アナタの想いを知った―――それだけだ」
切り捨てる様な言葉に、忍は言葉を失った。
「……忍さん。いや、月村忍。アンタがどれだけ辛い道を歩んできたかは理解しない。したくもないからな」
迫りくる鉄球を蹴り返し、爆発。
「だから月村の一族の歴史だとかお前さんの昔なんぞこれっぽっちも興味がない」
ロボットの腕を取り、捩じり切る。
「だってそうだろ?昨日、此処に来たのはアンタ等一族の話を聞きに来たわけじゃない。俺が話したいのは月村の事だけだ」
【だ、だからあの子の事は……】
「諦めろと?夢も希望もない抱かない方が今よりも何倍も幸せだと?笑わせるな。そんなもんをお前だけの勝手な都合だろうが」
紫煙を吐き出し、睨む。目の前に居ない筈の誰かを睨み、吐き捨てる。
「お前の可愛そうな悲恋なんぞどうでもいい……俺にとって大切なのはお前じゃなくて俺の生徒の事だけだ」
【…………】
「なぁ、月村忍。アンタは月村が理解してくれたと言っていた、そう想っているらしいな。本当にそうか?本当にお前の言う様な人と違う事に絶望していたのか?」
【え、えぇ……そうよ。だってあの子は笑わない、あれから一度も笑わなくなったのよ!!】
「それだけか?」
【え、】

「お前が見てきたのはそれだけか?自分の妹が笑わなくなった。笑顔を見せなくなった。それだけか?――――【それだけしか見なかったのか】!?」

同情する価値はあるだろう。
月村忍の過去は普通はそういう感情を含めて聞けるだろう。しかし、虎太郎が聞きたかったのかそんな過去ではない。単なる悲恋話なんて興味がない。そんな話なんてその辺にゴロゴロしている。
虎太郎が聞きたかったのか、すずかの事だ。
すずかに何があり、どうしてああなったのか、それだけ。
「昨日一晩考えた。考えて末に漸くわかったよ……お前は結局、何にも見ちゃいないんだってな」
【私が、見ていない?】
「あぁ、そうだ。お前が見てきてなんかいない。月村が笑わなくなったその日、お前はずっと眼を反らしてきたんじゃないのか?」
【――――――ッ!?】
「お前の言葉も、お前の想いも、全部がお前だけ―――月村忍だけのモノだった。そして、過去のしがらみやら、人と自分達に関係やら、そんなもんに一つだって月村の事がないだろ?ずっとお前の事だ。ずっとお前だけの事だけを話ていただけだ!!」
防衛システムは既に壊滅寸前だった。それでも最後の抵抗を見せる。主の守護の為に生み出された機械の守人。それが防衛システムの全て。
しかし、身の危険だけにしか作動しないシステムに、今の忍を守る事など出来はしない。
【違う……私、は、すずかの為に――――】

「なら聞くぞ。どうして月村は―――まだ学校に通っている?」

絶望したのなら、通ってなどいない。無論、それが絶対に正しいというわけじゃない。正しい事などありはしない。正解なんて人生には存在しない。
例えばそう、あの教頭の言葉が全て間違いだと言えない様に。
「諦めなかったんだろうよ」
【諦めて、いない?】
これも正解とは言えない。
完全に人の心を知る者などいない。
人の心を読める人妖がいたとしても、それは表面でしかない。
心の表面ではなく、表面の下にある事が真実なのだから。
「心理分析なんて出来ないがな、これでも一応は教師だ。生徒の気持ちの一部でも分かったつもりならんと勤まらんさ……だから、ここからは月村、お前に質問だ!!」




すずかの肩が震えた。
忍とメイドの視線がすずかに集中する。
そこへ虎太郎の声が届く。
【なぜ、学校に来ていた?】
「…………」
何故、何故と尋ねられた。
答えは―――無い。
そうだ、意味なんてない。
意味なんてないんだ。学校に行く意味も、誰かと触れ合う意味もありはしない。それが月村の家に生まれ、月村として生きる意味。
だから答えられない。
答えなどありはしない。
それがすずかの答えだった。
少なくとも、本人も気づかない表面の答え。
【お前は本当に諦めたのか?】
「…………」
そうだ、と言えば良い。それだけで相手が諦めるはずだ。だというのに声が出ない。まるで言葉にしようとするそれが嘘で偽りだと自分自身が思っている様にだ。
おかしい。
これは変だ。
この世界は虚実だ。
全てが嘘と偽りで出来ているのなら、簡単に嘘など口に出来るはずだ―――――嘘、とすずかは思った。
今、自分ははっきりと嘘など口に出来ると思った。
つまり、本当ではなく―――嘘。
【まだ諦めてなんかいなかったんだろ、お前は……】
「…………」
【お前の心の表面は確かに人を拒絶していた。だが、それは表面でしかない。人を拒絶するのならお前は学校になんか来ないはずだ。世間から身を潜め、一人静かに絶望している様な人間が人の居る場所に来るはずがない】
それはアナタの勝手な妄想に過ぎない。
希望なんて無い。希望なんてあるはずがない。

――――――でも、本当はわかっていた。

【まだ、信じていたんじゃないのか?だから学校に来た。友達を作りたくて、誰かと触れ合いたくて、それが夢でも幻でも無いと信じていた、そうじゃないのか?】
「すずか、奥に行っていなさい」
忍がすずかの背中を押す。
「先生。これ以上すずかを惑わせる様な事を言わないで」
【お前は黙っていろ。俺は今、月村と話しているんだ】
「私はすずかの家族です。アナタは教師かもしれないけど、所詮は他人じゃない。他人が私達の事に口を出さないで!!」
メイドがすずかを部屋に戻そうとする―――だが、動けない。
「夢や希望を語るのは勝手よ。でも、それは夢も希望も手に入れられる人達だけ。私達の様な者達には関係ない!!」
【関係ない、だと?】
「えぇ、そうよ。それとも何?アナタは学校でもそんな事を言ってるわけ?一生この街を出れない子供達に、無限の可能性があるから夢を持て、何時か外にだって出るっていう希望を持てなんて言っているのなら、それは虐待しているのと変わらないのよ!!」
夢は人を殺す。
希望は人を殺す。
かつて、希望を見いだした姉は裏切られ、絶望した。
「だったら夢なんて見なければいい!!希望なんて持たせなければいい!!手に入れられないモノなんて悲しいだけじゃない!!」
悲しいだけ。
苦しいだけ。
一人、図書室で本を読んでいた時に感じたのはそれ。だから本の世界に逃げ込んだ。だからそれを与えてくれるかもしれない可能性なんてものを、与えようとしている誰かを否定して拒絶する。
【それが……そんな想いが月村をそうさせたんじゃないのか?】
「なんですって?」

【そんな想いで、お前自身がそんな事を想っているから、笑わない月村【だけ】しか見なかったんじゃないのか!?】

ドゴンッという衝撃で屋敷が揺れた。
【絶望だけじゃないはずだ。お前が月村の家族を名乗るのなら、それだけを見たわけじゃないはずだ】
ドガンッ、また衝撃が走った。
【月村は、悲しいとは言わなかったのか?苦しいと言わなかったのか?助けてくれとは言わなかったのか?言わないなら、そうじゃないかと思わないのか?悲しいと想っているんじゃないか、苦しいと想っているんじゃないのか、助けて欲しいと想っていたんじゃないのか……そんな事を想っていると、一度だってお前は思わなかったのか?】
最大級の衝撃が屋敷を揺らした。
外の映像を目にする。
そこには壊滅した防衛システムの残骸があった。そして、加藤虎太郎の姿は無い。
コツ、コツと聞こえるのは革靴の歩く音。
「月村忍……お前が勝手に絶望するのは勝手だ。お前がどれだけ絶望し、夢も希望も失ったのかは理解できない。俺は他人だ。お前自身じゃない――――だが、だからこそお前ならわかったはずじゃないのか?」
聞こえる声には静かな声だった。
「お前が絶望した時、思わなかったのか?助けてくれ、苦しい、悲しい、その想いを聞き届け、誰かに助けて欲しいと一度だって願わなかったのか?」
すずかの眼に映る忍は、口に手を当てて震えていた。
「なら月村だってそう思ったんじゃないのか?お前に助けを求めたんじゃないのか?虚ろな目をして何も語らなくっても、心の何処かで思っていたんじゃないのか?」
そして、忍の眼がすずかへと移る。
「すずか……」
その視線を反らせなかった。
「本当、なの?」
反らす事は出来ない。
一度反らしたのなら、二度目は―――反らしたくない。
「勝手に絶望するならしていろ。だが、お前が絶望したからといって、お前の妹がお前と同じだとは思うな。勝手に同じだと想って、眼を反らすな」
声は徐々に近づく。

「――――――助けて欲しかった」

すずかは言った。
「苦しかった……悲しかった……お姉ちゃんに、助けて……ほしかった」
絞り出す声には後悔があった。
あの時、言えば良かった。言葉に出来ない、出来る勇気がなかったから。そして、あっさりと希望を捨て去った姉がいたから助けを求められなかった。
自分だけ助けて欲しいなんて、言えなかった。
「お姉ちゃんは大好きだよ……ノエルもファリンも、大好きだよ――――でも……が、欲しかった……」
忍を見たすずかの眼には、大粒の涙があった。
「友達、が……ほ、ほし、かった……友達が欲しかった!!だから、助けて欲しかった!!どうすればいいかわからないから、助けてほしかったよ!!」
「すずか……」
嘘じゃない本当の言葉と想い。
どうして未だに学校に通っていたのか―――それがこれだった。
心の表面では嘘は簡単に吐ける。だが、表面の下にある本当の想いまで嘘は吐けない。

友達が欲しい。

入学式前日、沢山の友達ができれば良いなと願った想い。
それが夢であり、希望。
それを否定する事は出来ても、消す事は出来ない。
「――――俺は教師だ。教師が絶望したら子供にモノを教えるなんざ出来る筈がない」
扉の向こうから虎太郎の声が聞こえる。
「月村忍。俺は希望を語るぞ……夢だって語る。この街で夢や希望を抱け、夢に見ろという事が虐待だと言うのならは、そんなモンは既に教育でもなんでもない……そっちの方が、よっぽど虐待だ」
夜の一族、月村家当主、月村忍――――その三つの中で自分が何者か選べと言うのなら、過去の忍は一番最後の自分を削るだろう。現に自分はそれを削り、一番守らなければいけない家族の想いに、耳を塞いでいた。
自分の絶望が正しいと思いこみ、妹の絶望に手をさしのばさなかった。
それが許されない罪だとするなら―――まだ、間に合うだろうか。
まだ、自分はこの子の姉で居て良いのだろうか。
「――――ねぇ、先生。もしも私が自分の意見が絶対に間違いないと想って、すずかにそれを強制するとしたら、どうする?」
その答えは既にあっても、どうしても聞きたくなった。
もしも自分がその間違いに気づけず、我を通したとしていたら。
扉の向こうで、虎太郎は紡ぐ。
「俺は教師、お前さんは家族……当然、お前さんの方が月村にとっては親しい大切な者だろうよ――――だがな、そのお前さんがそんな自分勝手な考えを月村に植え付けるっていうのなら、教師として容認は出来ない」
そして、最後の扉が粉砕された。
食堂の扉が木っ端微塵に吹き飛び、木片が辺りに飛び散り、その向こうで左手で拳を構える教師は言った。
「なにせ、そいつは――――」
忍とすずか。
二人が初めて見た虎太郎の、



「―――――生徒の教育に悪いんでな……」



優しい笑顔だった。













「――――――おい、お嬢ちゃん」
廊下を歩いてると、一人の少女に誰かが声をかけた。
少女が振り向くと、そこには壊れた壁を直している男がいた。男は大きく、髪も白く、なんと眼には眼帯があった。
怖い人だろうかと思ったが、
「こんな時間に登校……遅刻か?」
声を聞いて、そんな事は無いかもしれないと思った。
「私、あんまり教室に行ってないんです」
だからすんなり言葉が出た。すると男は作業を止め、しゃがんだまま少女を見る。こうすると少女と男の視線は同じになるからだろう。
「もしかして保健室登校って奴か?」
「ちょっと違うんですけど……似た様なものかも」
「そうか……だとすれば悪かったな。人それぞれ、色々と事情があるみたいだしな」
そう言って笑う男に釣られ、少女は自然と笑みをこぼす。
「――――でも、ないか」
「え?」
「お嬢ちゃんの笑顔。そんな顔で笑えるんなら、今すぐ教室へ行けるだろうよ」
「そう、ですか?」
「そうだろうよ。俺が保証する―――って言っても、俺みたいな壁を直すオッサンに言われてもしょうがないよな?」
鼻の頭を掻いて苦笑する男。その動作が面白くて、少女はもう一度笑った。
「おいおい、笑うなよ」
「あ、ごめんなさい……でも、何となく勇気が出ました」
「そうか?なら良かった……」
「ありがとうございました―――――あと、」
少女が男が直している壁を見て、申し訳なさそうに男を見る。
「この壁……壊したの、私なんです」
「へぇ、そうなのかい」
「…………怒らないんですか?」
「その場合は驚かないのか、が正しいかもな」
男は大きな手をグッと伸ばし、軽く少女の頭を小突いた。痛くはなかったが、少しだけびっくりした。
「ちゃんと先生には謝ったか?」
「えっと……まだ、です」
そう言うともう一度、コツンッと少女の頭を小突く男。
「ちゃんと言わんと駄目だろうが……だが、これで勘弁してやる。なぁに、学校の先生には秘密にしておいてやるよ」
男は悪ガキの様な笑み浮かべ、指先を口に当てる。
「だけど、今後はこういう事をするなよ。オッサンのお財布は潤っても学校に迷惑をかけちゃ駄目だ。お嬢ちゃんみたいな可愛い子は特にな」
「はい……本当にごめんなさい」
頭を下げて謝ると、今度は小突くのではなく頭を撫でてくれた。
それが少しだけ嬉しくて、少しだけ恥ずかしかった。
「それで、これから教室に行くのか?」
「…………」
少女は答えない。心なしか、手が震えている様だった。
「怖いか?」
「怖いです」
少女は正直に口にした。黙っていても意味がない。言っても無意味だと想う事と同じくらい、意味がない事だと知ったからだ。
「私、みんなに怖がられてますから」
「へぇ、なんで?」
壊した壁を見る。
「あぁ、なるほどね」
男は納得したように頷く。だが、それからまた笑った。
「安心しな、こんなもんは全然怖い内に入らねぇよ」
「怖く、ないんですか?」
「あぁ、全然怖くない。この程度なんて可愛いもんさ。俺が知っている奴なんてもっと凄いぞ。一人はバカスカ銃をぶっ放す。一人は沢山の刀を操って襲いかかる。一人は何でも凍らせるし、もう一人は……コイツはいいや。あ、それとな。そいつらの親玉なんて特に怖いぞ?」
「そんな人達よりも怖いんですか!?」
素直に驚いた。
「怖い、もの凄く怖い。見た目は綺麗な女なんだが怒ると鬼みたいに怖いんだ。この間なんて給料日にちょっとパチンコして帰ったら『ギャンブルなんて馬鹿がする事だ!!』って凄い形相で怒られた」
「大人も怒られるんだ……あれ、でも家に帰って怒られたって事は、オジサンのお嫁さん?」
そう言うと、男はしばし考え、首を横に振る。
「そんな関係じゃないんだな、これが……向こうがどう思ってるか知らんが、多分そういう関係だとは思わんだろうさ」
「聞いたんですか?」
「聞くまでもないだろう」
すると、今度は少女が男の顔にポンッとチョップした。
「駄目ですよ!!そんなの駄目です!!」
「お、お嬢ちゃん?」
「言葉にしないと駄目です。言葉にしないと伝わらない事があるんですよ、絶対に」
力強く言う少女に、男は呆気に取られ―――それから苦笑した。
「そうか、そういう事もあるわな」
「そうですよ」
「でもな、お嬢ちゃん。大人には大人の都合があるんだ。お嬢ちゃんの言う事が正しくても、それが中々出来ない事もあるんだよ」
「…………オジサンは、その人の事が好きなんじゃないんですか?」
「好きだとか嫌いだとか、そういう関係でもないんだよな、これが……でも、他の女よりは好きかもな」
「む、難しいんですね」
「そうだな、大人は難しいんだよ……そして、強いわけじゃない」
男は言う。
「大人だって強いわけじゃない。それは人妖だってそうだ」
火をつけない煙草を咥える。
「大人の力は子供よりは強い。人妖の異能は人よりも強い。だが、強いって事は無敵であるという意味にはならない」
最強でも無敵でもない。
ただの人間である。
それは知っている。
だから、少女は知った。
知ったからこそ、素直に男の言葉に耳を傾ける。
「でもな、無敵じゃなくても強い奴はいるんだ。最初は弱くても、少しずつ強くなる奴だっているんだ」
「人妖より……妖怪よりも?」
「妖怪?……そうだな、妖怪よりも強い奴はいるぞ」
だが、そいつは最初から強いわけじゃないと男は言う。
「人妖の強大な力を前にしても震えを殺して踏み出す馬鹿もいる。圧倒的戦力を前にしても戦いを挑む馬鹿もいる。そんな奴は最初から強いわけじゃない。少しずつ、本当に少しずつ強くなっていくんだ。そしたら、そんな奴に恐れを抱く人妖や妖怪だっている」
「すごいですね……」
「お嬢ちゃんもそのくらいまで、強くなれるかもな」
そう言うと、少女は少しだけ弱気になる。
「私、弱虫だから……」
「弱虫でも泣き虫でも変わらんさ。大切なのは一歩踏み出す勇気と根性だ」
「こ、根性?」
「あぁ、根性だ。その二つあればどんな困難にも立ち向かえる」
男は大きな手で拳を握り、少女に見せる。
「お嬢ちゃんにも出来る簡単な自己啓発ってやつだな。勇気と根性のある奴は絶対に強くなれる……そしてお嬢ちゃんにもそれがある」
「私にも?」
拳の先を、少女の胸元に添える。
「ココに勇気と根性、それがあるからお嬢ちゃんは学校に来てるんだろ?怖がりな奴は学校にも来れない。でも、お嬢ちゃんは違う。勇気と根性がある勇敢なお嬢様だ」
だから、大丈夫だと男は言った。
後ろに開いた大穴を指さし、
「こんな大穴を開けれる力があれば怖いと想う馬鹿だっている。でも大丈夫だ。お嬢ちゃんがちゃんと向き合って、ちゃんと話せればどんな奴とだって友達になれる―――もっとも、相手が本物の馬鹿野郎の場合は話が別だけどな」
「自信は無いけど……やってみたい。ううん、やります」
「よぅし、その粋だ。大丈夫さ、なにせ俺が知る限り、人妖という人間と妖怪という妖弧が家族になれたっていう前例があるんだからな」
「ようこ?」
人の名前だろうかと少女は思った。
そんな少女の疑問など知らず、男は立ち上がる。
「いいかい、お嬢ちゃん―――堅く考えるな、暗く考えるな、後ろ向きに考えるな。出来ない事は出来る為にあるんだ。その為にどうすればいいのかを考えるのが俺達だろ?人だろうと人妖だろうと妖だろうと関係ない。全ての存在が考えるんだ。考えて考えて考えて、考え抜く。一人で考えても駄目なら皆で考える。三人寄れば文殊の知恵って言うからな」
男はやっぱり大きかった。
鬼の様に大きかった。
でも、怖くはなかった。
その顔に似合わない程の笑顔を備え、
「それでも怖いと思うのなら、お嬢ちゃんに魔法の言葉をくれてやるよ」
魔法の言葉。
意味は人それぞれ。
言葉とはそういうモノだから。
その言葉の意味は戦いの為の言葉であるかもしれない。だが、それ以外の意味にだって使えるはずだ。
想いを込めた言葉である限り、それはその者だけの意味を持っている様に。

「手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に」

その本当に意味を知る日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。だが、この時の少女にはその言葉が、少女だけの意味に聞こえた。
「そういうわけだ。それじゃ、頑張って保健室登校してこいや」
「――――違いますよ」
少女は男に向けて言った。
「遅刻しても……私は教室に行きます」
「…………そうか。なら、行ってこい」
「はい、ありがとうございました!!」
そして少女は走り去る。廊下は走るなよ、と言おうとしたが男は空気を呼んで口を閉ざす。
開いた窓から零れ出る太陽の光。
そして優しい風。
その二つを感じながら男は壁を直す。
残り教室四つ分。
「先が長いな……」
そう言った男は、少しだけ楽しそうだった。






その日、少しだけ奇妙な事があった。
教室に入って来た虎太郎はすぐに授業を始めたのだ。授業中だから授業をするのは当然なのだが、今日は毎日の恒例であるアレがない。
まだ、生徒の出席を取っていないのだ。
霙がそれを指摘したが、虎太郎は聞く耳をもたずに授業を始める。誰もがその事に疑問を持ちながらも口にはしない。
そして、最初の授業の中盤になって―――教室のドアが開いた。
教室の中にいる誰もが息を飲んだ。
驚かなかったのは虎太郎だけ。
「――――――遅れました」
「遅刻だぞ」
「すみません」
「ほら、さっさと席につけ」
教室に入ってきた少女に全員が凝視する。しかし、少女が机の隣を通り過ぎる時に必ず眼を反らす。
それが当然の行為だろうし、少女だって覚悟していた。
でも負けなかった。
真っ直ぐに前を向き、自分の席に向かって歩いて行く。
そこには昨日までの少女にはない、確かな何かがあった。
夢も希望もありはしない―――なんて事は無い。
向かい合う勇気があれば大丈夫。
諦めない根性があれば大丈夫。
虎太郎は教壇で少女を見守る。
少女は席につき、その席から見える壊れた教室を直す男の姿が見て、少女は小さく頷き、呟いた。
「手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に」
この言葉は少女が呟けば少女だけの意味になる。
それは誰も知らない、知る必要がない。
でも、誰かの意味になる魔法の言葉。
そんな少女を見て、虎太郎は出席簿を取りだす。
「それじゃ、少し遅いが出席を取るぞ」
名前を読み上げる。
生徒は何時もの様に答える。
アリサは何時もの様に答えないが、その代わりと言う様に面倒そうに手を上げる。
なのはは何時もの様に元気良く手を上げて返事をする。



同時刻、月村邸には忍はメイドに尋ねる。
「ねぇ、紅茶と珈琲、どっち派だと想う?」
「そうですね……煙草をお吸いになりますので、珈琲かと」
「そうね。あと、灰皿も用意しなくっちゃ……」
その日、月村邸の台所に珈琲豆が置かれた。
それを見て、忍は微笑んだ。
心の中で決めた事。
その中の一つ。
今度の家庭訪問には―――あのトンデモ教師に最高の珈琲を御馳走するという事。
子供の様な楽しそうな顔をする主を見て、メイドは自然と笑みを零す。
その笑顔は、昔に失った主の優しい―――可愛らしい笑みだからだ。



そして、出席簿の最後に書かれた名前を呼ぶ。
「――――月村すずか」
名前を呼ばれた少女は、元気いっぱいとまでは言わないが、それでも確かに自分は此処にいるのだと証明するように、
「―――――――はい……」
返事をした。

加藤虎太郎がこのクラスの担任になって五日後―――初めて全員の出席を確認した。






次回『人妖先生と狼な少女』





あとがき
なんか随分と長くなったな……まぁ、いいか。
とりあず題名を変えました。

人妖都市・海鳴

になりました。
まぁ、色々と今後の展開上で必要な措置なんですよね、これが。
アンケートについてですが、とりあえず【人妖編】が終わるまでは続けるつもりです、アンケート。
ちなみに、作者は適当なのでもしかしたら結局こっちにしました、な場合もあります。
さて、アンケートの為の追加情報です。
1と2の違いよっての補正がかかるリリカル勢について。

リィンフォースについて
1を選ぶとリィンフォースは多分普通のユニゾンデバイス。2を選ぶとリィンフォースは○○になります。

フェイトについて
1を選ぶと多分バルデュッシュが武器。2を選ぶと○○が武器になります。

上記の○○には両方とも漢字二文字が入ります。
正解者にはなんと、一票が二倍になるという特典が!!正解して好きなルートを選択しよう!!……まぁ、嘘ですけどね。

今後について
若干ネタばれなのですが、人妖編は多分六話~八話くらいで終わり。その後は『あやかしびと×リリカルなのは』から『あやかしびと×リリカルなのは×弾丸執事×クロノベルト』に変化します。
弾丸執事とクロノベルトはパラレルです。何故なら、あるキャラをかなり魔改造をしてぶち込むのでパラレルじゃないと出せないから。
ぶっちゃけ、刀子ルートの世界に放り込む事が不可能なのです。

と、此処まで書いて思ったのは……あれ?なんか最終的に1じゃなくて2になるんじゃね?という話になります。
でも、アンケートはしますよ。


PS、ネタばれ大好き!!



[25741] 【人妖編・第三話】『月村すずかと高町なのは』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/16 23:22
汝、孤独で在れ

汝、孤高で在れ

それは少女が聞かされた父からの言葉だった。
どうして孤独である必要があるのか、と尋ねると父は言う。
孤高で在る為、と。
どうして孤高である必要があるのか、と尋ねると父は言う。
孤独で在る為、と。
幼い少女はわからない。わからないが、わかったと頷くだけ。そうする事しか出来ないと知っているから。
父もそんな娘を理解し、大きく優しい手で娘の頭を撫でる。
孤独で在れ、孤高で在れ、その真の意味を父は口にはしない。
孤独で在れ、孤高で在れ、その真の意味を少女は理解していない。
ただ、わかる事はある。
この家に生まれた者はそういう者である必要がある。
孤独で孤高で――孤立する必要がある。
それがこの家のルールであり起源であり、そして生き様なのだろう。
少女は思い出す。
父の言葉を思い出す。
思い出して、少しだけ寂しいと感じる。








【人妖編・第三話】『月村すずかと高町なのは』







月村すずかを取り巻く環境に変化があった―――なんて事はない。
孤独とまではいかないが、すずかの周囲には相も変わらず人が居ない。教室で一人席に座り、一人で本を読み、一人で空を眺め、一人でお弁当を食べ、一人で勉強して、一人で帰る――――なんて事のない変わらない毎日だと思えるだろう。
だが、彼女が教室にいるという時点で今までの三年間で一番の進歩だともいえよう。だから、すずかにとってやっと小学校という世界が始まり、三年だというのに気分は未だに一年生なのだ。
しかし、それでも変わらないのが現実だった。
現在、一時間目の休み時間。その時間ですずかに話しかけようとするモノ好きはいない―――まぁ、正確に言えば、居なかったと言えるだろう。
唯一のモノ好きは虎太郎の手伝いで次の授業の資料を取りに職員室に行っている。その間は当然の如く孤独だ。周囲は楽しそうに話をしているが、ところどころですずかを見る視線を感じる。
畏怖の視線だとすぐにわかった。
あぁ、またか、とも思った。
普通に授業を受ける様になって一週間。一週間も経っているにも関わらず、現状は巧く進んではいないとすずかは思った。もっとも、しょうがないとも思える。なにせ、自分は三年以上をこういう機会を自分から溝に捨てて来たのだ。そのしわ寄せが此処にきて一気に来ただけだと考えれば良い。
「でも、寂しいのは寂しいんだけどなぁ」
小さく呟いても、誰にも聞こえないだろう。
しかし、すずかがそう呟いた瞬間、別の視線を感じた。
畏怖でもない、何とも言えない奇妙な視線。その視線は誰にも聞こえない程の音量で呟いたはずの声に反応したかの様に、同時に感じた。
「…………」
感じる、もの凄い視線を感じる。
「…………」
すずかは合えて気づかないフリをして外の風景に目を移すが、ガンガン視線を感じてはキツイと素直に感じる以外の感想は存在しない。
そして、少しだけ横目で視線の主をチラッと見る――――ガン見されていた。
思わずブルッと震えてしまうほどの凶眼とまでは行かなくとも、猛獣の如き眼光ですずかをじっと見る――いや、睨みつけている少女は確かにいた。
見られてる、すっごい見られてる―――と、すずかは表情に出さず困惑していた。
すずかを見る少女は誰か知っている。そして、どうしてそんな睨みつける様な眼で自分を見ているのかも知ってる。
そもそもの原因は自分にあるのだろう。それが如何に三年前の出来事だとしても、そしてそれが原因で自分が心を閉ざした経緯に関係あろうとも、結局は自分が悪い事には変わりはない。
少女は悪くない。
悪いのは自分であり、少女に非は無いはずだ。
そう、非はない。
小学一年の身で既に力を常人の数倍、速さは本気を出せば車並、動体視力は弾丸程度なら見て避けれる程度の身体能力を持っていた―――はずだった。
そもそもの原因はなんだったのだろうか。
思い出そうとしても思い出せない。
三年前だから、というわけではない。むしろ、忘れようとしているのか、それとも【忘れさせるように】なっているのか、すずかにはわからない。
しかし、唯一言える事は、あの事件は大事にならず終わりを迎え、学校側もあれ以上は突っ込んだ事を聞いては来なかった。
だから真相は誰も知らない。
あの場に居た三人の内、誰かが覚えているかもしれない。だが、今はどうでもいい。
視線はもう感じない。
見ると少女は何時もの様に頬杖をついて空を眺めている。
見た限りでは普通の少女。
しかし、その中身にどれだけのスペックがあるのかを知っている者は少ない。
このクラスで少女のスペックを知っているのは恐らくは、すずか一人だけだろう。
なにせ、あの事件。
勝者は存在しなくとも、圧倒的な大差はあったのだ。
空を呆と眺める少女。
やる気の無い顔で覇気の無い瞳で、何もかもが面倒そうな顔をしている金髪の少女。
アリサ・バニングス。
あの事件ですずかと喧嘩という言葉では生ぬるい行為をして、【すずかを圧倒した相手】でもある。
その少女は今日もやる気のない顔をしている。
何時もの様に、普段の通りに。
時々感じる、すずかを見る視線以外は、何時も通りだった。



四時間目、国語の時間。
虎太郎が何時もの様に授業のスパイスと称して脱線するのは何時もの事だった。しかし、生徒達にとってこの脱線こそが楽しみでもあるのだ。
「そういえばこの間、昔の教え子に合ってな……なんでも教育実習でこっちに来るらしい」
教育実習という言葉を知らない子供達は首を傾げ、その言葉の意味を知っているすずかはおずおずと手を上げる。
それだけで教室がザワッとなる。
内心、そんな驚かなくても、と泣きそうになるすずか。
「どうした、月村」
「その教育実習で来る人って、先生の昔の生徒さんなんですよね?」
「あぁ、そうだ」
「どんな人なんですか?」
どんな人なのか、と聞かれて虎太郎は腕を組んで考える。
「そうだなぁ……ぬいぐるみを抱えていたな」
メルヘンな人なのだろうか、と生徒は思った。
「それから小さいな」
小さい人なのか、と生徒は思った。
「それから――――三角関係だったな」
「加藤先生!!」
霙がストップをかける。
「授業中になんて話をしているんですか!?」
「ん、だから今度来る教育実習生の話を……」
「三角関係なんて子供に聞かせる話じゃないでしょう!!」
「そうは言うが、帝先生。恋愛云々は教育に関係あるかと聞かれれば当然あるでしょう。保健体育然り、保健体育然り、保健体育然り……ところで、高学年になったら私が保健体育の授業を受け持つんでしょうかね?」
「んなわけないでしょう……」
「そうか、残念です」
「加藤先生?今、聞きづてならない事を呟きませんでしたか?」
「いえ、気のせいでしょう」
こんな感じで授業の脱線と共に霙との漫才みたいなやり取りも生徒の楽しみの一つである。もっとも、こんな事をしていてちゃんと授業は進んでいるかと心配になって電話をかけてくる保護者もいるが、やる時とキチンとやる男な虎太郎。無駄話をしながらも授業スピードと内容は意外と他のクラスよりも濃かったりする。
ちなみに、この教育実習生は違う学校に配属されると知って、虎太郎が少しだけ残念そうな顔をしたらしい。
そして、そんなこんなで授業が終わりを告げるベル。
「よし、そんじゃ次の授業は体育だから、昼飯食べたらグラウンドに全員集合……あ、日直はボール出しとく様に」
そう言って「あ~体育なんて面倒だなぁ」と呟き、「面倒とか言わない様に」と言われながら虎太郎は教室を後にする。
そして始まった昼休憩。
生徒たちは家から持参してきたお弁当を持ち、思い思いの場所に足を進める。人気があるのは中庭と屋上。ポピュラーなのは教室。つまり、この三つはどう足掻いても人が沢山いる場所になり、一人でいる事が自然と目立つ場所になってしまうのだ。
すずかは鞄からお弁当を取り出し、しばし考える。
当然、すずかとしては誰かと一緒に食べたいというのが本音。しかし、すずかも一緒に食べようと声をかける勇気はない。ならば誰かから誘われるのを待つという方法もあるが、それはあまりにも確立は低い。
結果、ここ一週間はずっと一人なのだ。
可愛らしいお弁当をギュッと握り、
「大丈夫、大丈夫……」
と自分に言い聞かせる。
そして、意を決して顔を上げた―――だけで終わる。
結局、すずかは教室の隅で一人でお弁当の蓋を開ける事になった。
変わろう変わろうと考えてもそうは変われない。勇気を持って行動しようとしてもそうそう変わる事は出来ない。
あの日、虎太郎が色々な何かをぶち破った日から少しだけ勇気を持てた。だが、それは一歩踏みだす勇気であり、空白となった三年間をどうにか出来る程の勇気はなかった。
結局、自分は臆病者なのだ。
月村という妖であろうとも、小さな子供である事には変わりはない。だからすずかはこうして一人で食事をする事になる。
「―――――ここ、空いてる?」
「え?」
しかし、このクラスにはモノ好きが居る事を忘れていた。
すずかの了承を得ずに、そのモノ好きは勝手にすずかの前の席に座り、お弁当をすずかの机に乗せる。
「あ、あの……」
「わぁ、すずかちゃんのお弁当、すっごく美味しそうだね!」
「え、あ、あの……そう、かな?」
「うん、すっごく美味しそうだよ」
このモノ好きの名前は、確か高町なのはとかいう名前だった気がする。
「あの、高町さん」
「ん、なに?」
既に食事を開始したなのはに対して、若干引き攣った笑みを浮かべるすずか。しかし、こうして一緒に食事をしてくれるのは嬉しい、大変に嬉しいのだが、その理由が気にはなる。
「え、えっとね……」
しかし、聞こうにも聞けない。というより、なんで一緒に食べてるの、なんて聞いたら相手は不快な気分にならないだろうか、それとも何か勘違いしているのだろうか、それとも何か他の、とにかく何かあるのではないか―――と、色々考え過ぎてわけのわからない事になっているすずか。
そこへ、
「あ、その唐揚げ美味しそう。私のこれと交換しない?」
不意打ちだった。
オカズ交換―――な、なんてお友達イベント!!と心の中でファンファーレが鳴りだしたすずか。
「ダメ、かな?」
「ううん!!しよう、すぐにしよう!!なんなら高町さんのソレと私のお弁当全部交換しても――――――あ、」
気づけば、周りがすずかを見ている。ただでさえ、すずかと誰かが一緒にいるという光景が珍しいのもそうだし、急にテンションが急上昇したすずかの皆が呆然とした顔で見ている。
当然、すずかは自分の今の現状に気づき、ボンッと顔を赤く染めた。
「あ、あぅ……い、いいい、今のは……その……」
眼がナルトみたいなグルグル眼になるという奇妙な現象を起こしながら、なんとか言い訳を考えるすずかだが、なのははクスクス笑う。もちろん、それは馬鹿にした笑みではなく、純粋に楽しんでいるという笑みだと気づく。
「すずかちゃんって、面白いね」
「そ、そうかな……」
まだ顔が熱い。
「それじゃ、はい。なんでも好きなの取っても良いよ」
弁当箱を差し出すなのは。おずおずとそこから好きな物を取る。とりあえず、卵焼きとかを取ってみた。すずかもなのはに弁当箱を差し出し、なのははそこから唐揚げを取り、一口で食べる。
「―――――うん、美味しい!」
嬉しそうに言うなのはの姿に、すずかは少しだけ落ち着きを取り戻す。なんていうか、不思議な子だな、という感想を抱くのは勿論、見ているだけで楽しくなってくる。
なのはから貰った卵焼きを食べ、
「高町さんの卵焼きも美味しいよ」
そう言ってすずかは笑った。
この時、すずかとなのはは気づかなかったが、笑ったすずかの顔を見え男子女子関係なく全員が同じ事を思った。
皆が知っている月村すずかという少女は単純に【怖い】存在だった。しかし、それはあくまで知識であり経験ではない。誰もが気付くのに時間はかからない。
自分達は誰も月村すずかを知らない。
知っているのは月村だけ。
だから、すずか本人を知っているわけではない。
「あ、そういえば私。日直だからボール出しとかなくちゃ」
「……あの、良ければ……手伝うよ?」
「いいの?」
「うん……」
少しだけ変わっていく。
一歩踏みだす勇気は、その本人にとっては踏み出すだけの勇気だったのだろう。しかし、それは本人が知らない内に周りに変化をもたらす一歩とは思わないだろう。
少しずつ変わる。
本当に、少しずつ。
ただし、それの最後にはこういう言葉は付け加える事になる。

【良くも、悪くも】である。

すずかとなのは、二人の少女が楽しそうに話している姿をじっと見ている少女がいた。その瞳には他人には理解できない、理解を求めない不思議な何かがあった。
その瞳が抱くは、【良くも】なのかそれとも【悪くも】なのかは本人しかわからない。
ただ、見るだけ。
ただ、見ているだけ。
そして、少女は孤独にパンをかじる。
味気ない、匂いもない、ただのコッペパンを―――孤独に食べる。



体育時間である。
問答無用で体育の時間だった。
「あうぅ……」
情けない声を上げるのは、自他共に認める運動音痴、高町なのは。
運動前の柔軟体操で身体を折り曲げる運動で、
「高町さん……冗談、だよね?」
すずかは「お前、マジで?」な顔でなのはを見る。
それも当然、身体を折り曲げる以前に直角三角形の形を見事なまでに崩さないなのは。すずかが背中をグッと押せども押せども曲がりはしない。むしろ、これ以上押したら割れるのではないかと怖くなる程だった。
「うぅ、これがなのはの全力なのです……」
「でも、これは流石に無いと思うけど……」
「に、人間はそう簡単に身体は曲がらない様に出来てるんです!!だったら、すずかちゃんがやって見てよ」
「はい」
「あっさり出来た!?」
「こうやって、こうだね」
「それ、どうなってんの!?」
「だから、こうやってこうやって……あれ、いきすぎた」
「人型の限界を超えてますけど!!」
何やらコントみたいなやり取りをしている二人を見ながら、
「ふむ、仲良き事は素晴らしきかな、だな」
虎太郎は満足そうに呟く。反対に霙は驚いた様に、
「月村さんは……ああいう子だったんですね」
「知らなかったか?」
「はい……恥ずかしながら、知りませんでした。三年もあの子達と一緒に居るのに」
恐らく、霙も月村に関わるなという命令を忠実に守っていた者の一人なのだろう。虎太郎自身、それが悪いとは思わない。自分が行動できたのは校長の後押しはもちろん、自分の中のルールが他のルールよりも大きかった、それだけだ。
それが普通だとは思わない。
社会のルール、個人のルール。アンケートを取ればどちらが大切かなど一目瞭然だ。社会のルールは社会の一員である故に必要な物。しかし、個人のルールはあくまで個人という自我を守るだけのルールにすぎない。いわば、勝手な理屈でしかない。
「虎太郎先生は、凄いですね」
「凄かないですよ……ただ、気づいたらこうなってただけです」
「それはそれで凄いですけどね」
「一度、神沢に来て見れば良い。此処と同じくらい良い所ですよ。喧しい上に騒がしい。毎日がドタバタ騒ぎの面白い所ですよ」
恐らく、自分が己のルールに従って行動できるのは、あの街での生活があったのも一つの要因だと想う。
元々あった個人に、あの街の何かで上塗りする。上塗りされたソレは個人を壊す事なく、消す事なく、更に堅く、そして強くする。
「疲れそうですね」
「でも、それなりの価値はありますよ」
その結果が、今のすずかにはあった。
「えっと、ね。確かゆっくり呼吸しながらやると曲がるって本に書いてあったよ」
「ホント?」
「うん、本だけにホント」
「一気に胡散臭く感じた!!」
とりあえず、あんな寒いダジャレを口にする程度には成長した様だ。もちろん、ダジャレを言った本人は顔を真っ赤にして誤魔化す様になのはの背中をぐいぐい押す。
「―――――――ッ!!」
なのはの悲痛な叫ぶが木霊する。
「―――――元気だな、高町は」
「そうですね――――って言ってる場合じゃないですよ!?なんか口から泡吹いてますけど!!」
「おや、本当だな……やれやれ、だ」
どこか楽しそうに、虎太郎は頭を掻きながら言った。




一日の予定はすべて終了。
残るは教室の清掃だけ。今まで掃除なんて殆どしてこなかったすずかは当然の如くどうすればいいかわからない。箒と塵取りを持ちながら途方にくれていた。
「すずかちゃん、私達はこっちの担当だよ」
「あ、うん……」
なのはに手を引かれながらすずかは思う。
まるで友達みたいだ、と。
もちろん、高町なのはという少女がどういう子なのかは知っている。といっても、知っているという程でもないかもしれない。
まず、すずかがどうしてなのはを知っているのかと言えば、それは三年前の事件に繋がる。
どうやらあの時からなのははすずかと同じクラスだったらしい。しかし、すずかは最初の頃はまったく授業に出ていなかった上になのはの事を知らない。そして、すずかが漸く授業を受ける様になった時に、なのははしばらく学校に姿を見せなかったらしい。
そしてあの日。
すずかはなのはを知った。あの日の、あの事件に巻き込んだという事で、その名前を知っている―――そして、それだけだ。
床を掃くなのはを見ながらすずかは思う。
自分は高町さんの事を何も知らない。話す様になったのは最近だし、向こうが話かけてこない限りはロクに話もしない。
でも、話しかけてくれるのは嬉しい。嬉しいのだが―――怖くはないのだろうかと思ってしまう。
月村という名前はもちろん、彼女は三年前の事件の当事者でもある。なら、自分の力の事なんてクラスの誰よりも知っているはず。はずなのに、まるでそんな事件の事なんてこれっぽっちも覚えていないかのように振舞う姿に疑問は残る。
「すずかちゃん、塵取り塵取り」
「………うん」
どうして、どうしてこの子は自分に関わってくれるのだろう。感謝はしている。しているが困惑もする。
わからないのだ。
本当にわからない。
この高町なのはという少女はわからない。
虎太郎という人間がどういう人間かわからない時と同じ様に、今は彼女の事が分からない。
でも、そのわからない事に不審な事を思う事はなかった。
だからこそ、わからない。
本当に、わからない。
気づけば掃除が終わり、帰りのホームルームが終わる。
皆が友達と帰り、一人、また一人と教室から生徒達が消えていく。その中で最後まで残ったのは当然、すずかだけだった。
「…………」
夕焼けは少しだけ暗い。でも、綺麗だった。綺麗だから夕陽に照らされて見える自身の影を不気味とは思わない。
この身に宿る血はこの場所にいる誰とも違う。しかし、誰とも違う事はそれほど関係が無いと想う様になった。
教室の窓から見えるのは夕陽とグラウンド―――そして、すずかが壊した教室の壁を直す男。
名前も知らない壁を直すオジサン。
「手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に」
知らず知らずの内に呟く。
「何それ?」
「ヒャッ!?」
突然声をかけられ、驚くすずか。
「あ、ごめんね……」
そこにいたのは、鞄を背負ったなのは。何時の間にいたのか、まったく気がつかなかった。
「驚かせるつもりはなかったんだけど……すずかちゃんは、帰らないの?」
「帰るには帰るんだけど」
迎えが来るのだ。
基本的に登校時、下校時にすずかは自宅の車を使う。誰とも登校も下校もしないと言う事は、常に一人という事だ。月村という一族には敵が多い。それなのに常に一人というのは危険すぎるだろうという事で自宅から迎えの車が来る。
無論、毎日がそういうわけではない。
気分が乗らない日は当然あるし、一人で考え事をしたい時だってある。そういう時は早く帰ってくる事を条件に一人で帰る事がある。虎太郎が月村邸を訪れた日も、そういう日だった。
しかし、今日は違う。
今日は一人で帰るではなく、迎えが来る。
「高町さんは、帰らないの?」
「日直だから、虎太郎先生に日誌を出してたの」
「そっか……」
虎太郎、加藤虎太郎。
彼のおかげで自分は此処にいる。
不思議な人だと思った。外から来たと言っても、あそこまでトンデモな行動をする者がいるとは思わない。あれでは外の人が全員あんな感じだと誤解しそうになる。
だが、そのトンデモなおかげで変わった。
すずかも、姉の忍もだ。
「…………ねぇ、高町さん」
だから、少しだけの勇気が生まれた。
小さな心に小さな身体。そこから生まれる小さな勇気。怖くても我慢するのではない。怖くても頑張るのが勇気だと想う。
すずかは立ち上がり、なのはを見る。
「わ、私ね……その、あ、あの……」
自分でもわかる。今の自分の顔は夕陽みたいに真っ赤になっているだろう。それでも言いたい事がある。誤魔化さず、恐れず、何度も何度もどもりながらも進める。
「…………」
そして、そんなすずかをなのはは何も言わず、待つ。
相手が何かを伝えようとしている。その相手は自分だ。なら、待つ。顔を真っ赤にしながら、何度も何度もどもりながら、一言一言を絞りだす様に。
「全然、が、学校にこ、来なかった……けど、ね……」
「…………」
「あ、学校には来てた。う、うん、来てたんだよ?……で、でもみん、なとは全然……ぜ、全然、一緒じゃな、なかった」
「…………」
「私が、私が……月村でも、ううん、月村だから……えっと、だから、その……」
駄目だ。
言葉がうまく出てこない。
頑張ろう、頑張って言葉にしようとするたびに身体が硬くなり、嫌な汗が流れてしまう。このままじゃ相手が呆れて帰ってしまうかもしれない―――そう思ったら涙が出そうになった。
「…………えっと、ね……一人、じゃなくって……あ、う……その……」
情けない。
こんなにも自分は情けないのか。
もう、言葉を続けられない。
絞り出す事も出来ない。
立ち上がった足は震え、眼はなのはから背けて、身体の力を失くして椅子に座りこんでしまいそうになる―――その動作を止めたのは、なのはだった。
小さな手が、小さな手を掴む。
「―――――あ、」
ただ、笑って。
自分は呆れない。
自分は蔑にしない。
自分は馬鹿にしない。
自分は、すずかが言いたい事を言うまで、ずっと此処にいると―――その笑顔は言っている。
震えが止まり、背けた涙を溜めた瞳を戻し、手に伝わる他人の温もりを握る。
「―――――――って、ください」
言える。
きっと言えるはずだ。
だって知っている。
この一週間、このモノ好きな少女は一人だけ自分に普通に接してくれたから。月村である自分、クラスに顔を出さない自分、周りを拒否していた自分、そんな情けない自分だったにも関わらず、まるでずっと一緒にクラスメイトだったかの様に接してくれた。
だからだろう。
「私と……」

友達が欲しい、ではない。

友達ができたらいい、でもない。

月村すずかは高町なのはに、自分の意思を、伝える。



「友達に、なってください……!!」



言いたかったのはそんな簡単な言葉。そして自分の足で踏みだす勇気の言葉。唯の他人が大切だと想えて、大切な人だと思えたからこそ、望むだけの言葉ではない。
これは月村すずかが望み、踏み出した言葉。
言いたかった言葉。
三年間、一度だって言えなかった言葉。
三年前、入学式の前日から考えていた言葉。
三年後、やっと言えた言葉。
少女の勇気の一言を受けた少女は、握った手に微かな力を増して、
「――――なのは」
と言った。
「なのはって呼んで」
と言った。
「お友達だもん……名前で呼んでほしいな」
と言った。
その瞬間、すずかの中で高町なのはを【高町さん】と呼ぶなんていう選択肢は消え去った。
「なのは、ちゃん……」
名前を呼ばれたなのはは、嬉しそうに微笑む。それに釣られて、すずかも微笑む。
夕陽に照らされた教室で、小さな出会いが始まった。

小さく、そして最後まで続くハッピーエンド無い、エンドがない関係。

それから数分後。
月村邸の電話が鳴り、メイドが出る。
そこへ外行きの服を来た忍が現れる。すずかを迎えに行くついでに、今日は外で食事でも、と考えていた。
電話を受けたメイドは驚く様な表情を浮かべ、それから一瞬だが嬉しそうな顔を浮かべて、すぐに元の表情に戻る。
「えぇ、はい……わかりました。それでは、なるべく早く―――――いえ、少しだけ道草をしてから、帰ってきてください」
なんだそれは、と忍は首を傾げる。
これから食事に行くというのに、どうして道草をして帰って来いと言っているのだろう。
受話器を置き、メイドは忍に言う。
「あの……すずか様からなのですが」
困惑している、というわけではない。
普段は冷静な表情の下に火山があり、その火山が今にも噴火しそうなのを無理矢理に抑え込んでいる、という奇妙な表情をしていた。
「すずかが、どうかした?」
「今日は迎えは要らない、と」
「……へ?」
どうしてまた、そんな事を―――と聞く前に、メイドの口からこんな言葉が出た。

「友達と一緒に帰りたいから……だそうです」

その言葉で十分だった。
忍は幸福からくる溜息を吐き、それからメイドに抱きついた。
この主には珍しい、最近ではめったに見ない姿にメイドは困惑しながらも、気づけば自分も微笑んでいる事に気づく。
今夜は御馳走にしよう―――そうメイドは思った。










許さない。
許せない。
許せるはずがない。
許すなんて選択肢は存在しない。
許す事はどんな罪悪よりも最低で最悪な悪の根源であると口にしよう。
許さないと口にする。
許さない以外は口にしない。
アレに幸福なんて認めない。
アレが幸福に誰かと過ごすなんてあり得ない。
アレは化物だ。
アレは人間にも人妖にも化物だ。
だから―――――殺す。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す。
殺意は常に一つの意思を持ち、そして意思は一つの刃となり、そして全てはあの化物に叩きつける存在として在り。
少女はそんな妄念を抱きながら、歩き出す。
目の前には高町なのは。そしてなのはの名前を恥ずかしそうに口にする月村すずか。二人は少女の存在に気づかず家路を歩く。
海鳴の街は、名の通り海が傍にある。二人が歩いているのは防波堤に面した道路。昼間なら釣り人が釣り糸を垂らしている時間だが、夕方にもなれば家路を歩く時間になるだろう。
車は当然の様に通るが、この状況を不審に思うドライバーなどいるはずがない。
前を歩く少女が二人、その後ろを歩く少女が一人―――この状況は普通で平凡。何一つとしておかしな所など在りはしない。
これは復讐である。
月村という家に対する復讐以外の何ものでもない。
少女の口元がニヤリと歪む。
歪んだ笑みを持ったまま、腕に力を込める。
この異能を擁した身体は人を超えている。しかし、相手は月村。化物の中の化物だ。故に油断はできない。油断など出来るはずがない。一切の油断かく的確に確実に滅するべし。
相手は気づかない。
ゆっくり、ゆっくりと歩む少女。
歩幅は変わらない。
速度も変わらない。
この二つは変える必要がない。
一瞬で、この十メートル以上の距離を零にする足が自分にはある。
また、少女の口元が歪む。
金色の髪が夕陽に照らされ、キラキラと綺麗な反射をする。が、そんな綺麗とは程遠い笑みを浮かべる少女は誰が見ても、人とは呼べないだろう。
歪んだ笑みは怪物の証。
月村すずかを化物と少女が呼ぶのなら、それ対して狂気を振るう己は同じ存在だと想うべきだと、誰も教えなかったのだろう。
教えられた事など、在りはしない。
孤独である、孤高である、それ故に己だった。
誰も自分と話をしてくれない。誰も自分の事など見てくれない。なら、自分から自分を必要とする事に全てを抱き、そして他を利用するだけ―――それが少女の中の唯一の自己防衛だった。
気づけば、少女は利用される側にいた。
利用され、そして必要とされていた。
それが己。
孤立して孤高する者。
「―――――殺す」
唯一の二文字。
己を現す二文字。
燃える様な殺意を持って、全てを惨殺する。
あの化物も、そしてその化け物に笑顔を振りまく人間も。
何故、少女が恨むのか―――そう植え付けられたから。
何故、少女は許せないのか―――そう植え付けられたから。
何故、少女は月村を殺すのは―――そう植え付けられたから。
そして―――少女は駆ける。
前を歩く少女に向けて走り、狙うはその首一つ。
一瞬で斬殺するべきだろう。
飛び上がり、腕を振り上げる。
二人は気づかない。
笑顔を互いに向け合っている。
その顔に、斬殺の一刀を振り下ろす。





「――――――――ん?」
すずかは後ろを振り向いた。
誰も無い。
「どうしたの、すずかちゃん?」
「誰か、居た様な気がしたんだけど……」
「気のせい?」
「うん、気のせいだよ……あ、それでね、なのはちゃん」
二人は歩き出す。
何事も無かったかのように、歩き出す。それから二人は他愛もない話をして、次の休みになのはがすずかの家に遊びに行くという約束をした。
ただ、それだけ。
少女達にとっては、それだけ。






少女の武器は己の腕だ。
腕を刃の様に変質させ、その刃で相手を斬殺するという手法。
少女という見た目は勿論、一瞬で得物を消す事が出来るという利点あり、街中での暗殺という分野にはそれなりに需要はあったのだろう。
だが、所詮は需要が在った程度でしかない。
金髪の少女の斬撃がすずかに向かった瞬間――――それは現れた。
少女の眼に映ったのは赤い瞳。
少女の眼に映ったのは金色の髪。
少女の眼に映ったのは自分と同じ制服。
少女の眼に映ったのは、

「―――――邪魔しちゃ駄目でしょう」

斬ッという空気を切り裂く音は、襲撃者の爪からの斬撃。
すずかの脳天に叩きつけられるはずの刃を―――切り裂いた。
「―――――なッ!?」
刃を刃で切り裂かれる、という光景を目にした少女は当然混乱するだろう。こんな事は今まで一度もなかった。なかったのだ、あり得ないのだ―――ただ、そうだっただけだというのに、少女は信じられないという表情を浮かべた。
すずかが何かに気づいて後ろを振り向く。
その寸前に襲撃者の少女の首を乱暴にしめ上げ、その場から跳び上がる。
当然、すずかは何もない場所を見る。
それがすずかの今日の出来事の終わり。

後は、その裏であった場面だけあれば十二分。

襲撃者は少女の身体を森の中に投げ込む。
少女は受け身を取ってすぐに立ち上がる。
目の前に立っているのは、自分と同じくらいの少女だった。
同じ様に金髪で、同じ様に学校の制服を着て―――いや、違う。
眼の色が違う。
血の様に濁った赤い瞳。
知っている。
自分があの色を持つ一族を知っている。
「ど、どうして……」
「どうして?何が、どうしてなのかしら……」
少女はうろたえ、少女は鼻で笑う。
二人の少女。
暗殺者の少女と襲撃者の少女。
「アレは、アレは月村だ」
暗殺者の少女は言う。
「月村は敵だ!私達の……そしてアナタの敵なはずだ!!」
その叫ぶに襲撃者の少女はまたも鼻で笑う。
「勘違いしているわね。月村はバニングスにとっての敵、かもしれない。まぁ、あっちはどうかわからないけど、こっちもそこら辺は曖昧なのよね……というより、敵だと味方だの、そういう方向に周りが勝手に話を進めてるだけなのよね、これが」
そして、一呼吸置いて襲撃者の少女は答える。
「――――私は別に月村に恨みは無いし、敵だとも思ってもない。当然、アンタ等が月村をどうしようとも勝手にしなさい」
「なら、どうして邪魔をする!?」
赤い瞳は天を見据える。
「どうしてって言われてもね……知らないわ」
赤い瞳が映し出すは―――満月の光。
「今日はそういう気分だったのかもしれないし、月の光に惑わされただけかもしれない」
月光に照らされ、赤い瞳がギラリと光る。
「ところで、なんでアンタは月村を狙うわけ?」
「それが私の仕事だからです」
「なら、そんな仕事をさっさと止めなさい。はっきり言って、時間の無駄だし、アンタの為にもならないわ」
暗殺者の少女は固まる。
「何故、何故アナタが否定する?」
「それこそ何故、よ。どうして私が否定しないと思ったの?」
「おかしいです……アナタはおかしいです」
吠える声には非難の色が混ざっている。
「今日だってそうだ。アナタはずっと月村を見ていた。そして私が何かしようとする度にアレの気を引く……そうだ、今日だけじゃない。ずっとだ、私がこの仕事に入ってからずっと!!」
「私の縄張りで勝手な事をしないでほしいだけ……というより、人死になんてもっての他よ」
「人死に?はは、人死にと言いましたか?おかしいですね、人なんていない。人妖は居ても人はいない。そして、アレはそのどちらでもない!!」
暗殺者の少女の考えはこの時点ですでに固まっている。
「――――私の依頼主は誰か、知っていますか?」
「さぁ?」
「アナタの、お父上ですよ」
「へぇ、そうなんだ」



「お父上の判断に異議を申すつもりですか―――アリサ様」



襲撃者の少女、アリサは憮然とした表情を崩さない。
「それで?だから何?アナタがパパが差し向けた刺客で、その刺客の邪魔をしたのが娘の私――――それが問題なのかしらね」
「問題ですよ。アナタは敵を庇った。いや、守っている」
「敵だと思った事は別にないけど?」
「なら味方だと?」
敵か味方か、そう言われてアリサは考える。
海鳴は月村とバニングスの二つが支配している。同時に覇権争いもこの二つが争い、それに賛同するように別の派閥が入ってきているのも事実。
戦争状態なのだろう。
小さな戦争であり、静かな戦争であり、冷たい戦争であり、無言の戦争。
その最大勢力にして敵対している勢力の娘が同じクラスに在籍しているのには、当然理由があるのだろう。
その理由は知っている。
だが、関係はない。
「一つだけ教えてあげるわ」
戦争になんて興味はない。
派閥も興味がない。
どちらの家が滅ぼうと興味がない。
「どうして私があの子を助けたのか、その理由はシンプルよ」
ニヤッと嗤うアリサ。

「―――――私の【クラス‐群れ‐】に手を出されて、何もしないわけないじゃない」

それで十分。
暗殺者の少女が動くには十分だった。
「アナタは裏切り者ですね、お嬢様」
動いた。
先程よりも数段早く、アリサの背後に回り込む。無防備に晒されたアリサの首めがけて腕に生やした刃を振り下ろす。
「そしてもう一つ」
刃は空を斬る。
アリサの姿はそこにはなく、声は頭上より来襲。
「あの子を殺せってパパからの命令らしいけど……あれ、嘘でしょ?」
木の上に腰掛けているアリサを視界に捉え、跳び上がる。身体能力は並の人妖よりも格段に上だ。なにせ、そういう風に調整されたのだ。
身体から生える刃は木の一本など軽く切断する。しかし、またも目標には当たらない。
「あぁ、別にパパを信頼してるってわけじゃないから。ただね、アンタがパパか言われて来たのなら、当然知ってるはずなのよ」
今度は真下。
アリサは少女を見上げる。
「私が邪魔するのを知っているはず。知っている上でこういうはず―――【あのじゃじゃ馬が邪魔したら力ずくで排除しろ】ってね。つまり、アンタが私にパパからの命令だ云々の下りは必要ないのよ、普通ならね」
「ならば、どうする!!」
アリサめがけての振り下ろす斬手。
「バニングスの力で私達を止めるか?」

「私の力で、止めるわ」

貫手の要領で繰り出された一撃は、あっさりと避けられる。この時点で少女は気づく。目の前にいる少女は自分と同じレベルの人妖であると。
しかし、それは勘違いだ。
レベルが違うのだ。
「ただの小娘風情が……!!」
「酷い言われようね、傷つく―――わっとね!!」
グルリとアリサの身体が回転し、少女の側頭部に衝撃。
次元が違うのだ。
「私だって女の子―――よっと!!」
続いて脳天。
「これで――――フィニッシュ!!」
最後の衝撃は目の前が真っ暗になった。
最初の一撃は回し蹴りで少女の側頭部を撃ち抜き、続いて踵落しで脳天直撃。最後のフィニッシュは両足を顔面に目がけて打ち出したドロップキック。
とても少女が繰り出す技ではない様な技を繰り出し、全てを暗殺者の少女に叩きつけたアリサはスカートを抑えながら、ふわりと着地。
少女はその場に倒れる。
レベルも次元も違う。
これがアリサと少女の違い。
「…………あら、やり過ぎたかしら?」
少女の頬を叩いてみるが反応無し。死んでは無いが、このままじゃ死ぬかもしれない。
「自業自得―――って割り切っても良いんだけど……」
とりあえず救急車くらいは呼んでやろうと携帯を取り出し、ボタンをプッシュする。
その背後で、
「あ、もしもし」
少女がゆっくりと起き上がり、
「実は重傷の女の子がいるの。悪いけど、さっさと来てくれる?」
両の手を刃と化し、歪んだ笑みでアリサを見据える。
殺す。
邪魔者は殺す。
「えっとね、住所は―――――」
「キャッシャァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
少女が背後から斬手でアリサに襲い掛かり――――

「ちょっと五月蠅いわよ」

ゴギッと少女の顔面にトドメの裏拳が突き刺さった。


数分後、知らせを受けた救急隊員が到着した時、そこには気絶した少女が一人。
身体に外傷は見られないが、頭部全体に酷い傷の跡があった。特に酷いのが顔面。顔に手形がつく程の威力で打ち込まれた裏拳の型がはっきりと残されていた。
誰が犯人なのか、そして誰かが救急車を呼んだのかもわからない。
何もかも、わからないままだった。






「――――煙草臭い」
開口一番、アリサは虎太郎に向けて言った。
「もう慣れたよ」
「私は慣れたくないわね」
アリサにとって虎太郎の身体に染みついた匂いは害悪以外の何者でもない。なにせ、彼女の嗅覚は言葉通りの【犬並以上】なのだ。
他の人間からすれば気にならなくとも、アリサにとってはそうじゃない。
ぶっちゃけ、学校に来ないでほしいと想っている。
「それで、何の用?」
「用がなくちゃ話かけちゃ駄目か?」
当たり前だ、と視線だけで答えてやる。
今は昼休み。
アリサは屋上のベンチに腰掛け、一人コッペパンを食べていた。
その視線の先にはアリサのクラスの教室がある。そして、その中には仲良く机を並べてお弁当を食べている少女が二人。
「何時も一人で食べてるのか?」
「…………」
とりあえず無視すると決めた。
「おいおい、無視は止めろよな」
「煙草臭い人は嫌い」
「そうかい……なら、煙草臭い大人は退散しますかっと」
そう言ってアリサから離れていく虎太郎。
だが、ふと思い出した様に足を止め、
「そうそう。一つ言い忘れてた」
アリサは無視して教室をじっと見る。



「―――――あんまり危ない事はするなよ、女の子なんだから」



その言葉にバッと虎太郎の方を見る。だが、虎太郎はすでに屋上にはいなかった。
「まさか、見られてた?」
昨日の事を思い出す。
あの場に自分とあの暗殺者以外の気配はなかった。
なのにどうしてあの男は昨日の事を知っているのだろうか。
まて、そう言えばあの暗殺者は言っていた。
【今日だけじゃない】と。
アリサが暗殺者の少女に気づいたのは昨日だった。そして、気づいた昨日の内に邪魔をした。だが、あの少女の話からすればずっと邪魔をした事になっている。自分が、だ。昨日気づいた自分が、邪魔した事になっている。
つまり、アリサよりも早く気付いた誰かがいる、という事なのだろう。
「…………まさか、ね」
あるはずがない、とアリサは呟く。
苦笑して、座っているベンチに寝っ転がる。
今日は満月じゃない。
昨日は満月だった。
だから気づけた。
だから何となく動いた。
気づかなかったら、行動する気はさらさらなかった。
あれは偶然だ。
偶然、満月の日で、偶然気づいた、そして偶然出会った、それだけ。
「孤独であれ、孤高であれ……か」
身体を起こし、もう一度だけ教室を見る。
楽しそうに話している二人。
昨日よりもずっと仲の良い二人。
その二人を見て、アリサは小さく呟いた。

「……………………良いなぁ」







次回『人妖先生と狼な少女』




あとがき


ダイ・ガードおもしれぇぇぇぇええええええええええええええええええ!!


というわけで、アリサ無双な話になっちまいました。
この世界での現在のパワーバランスは

虎太郎=土木のおっちゃん>超えられない壁>>アリサ>>人妖少女>すずか

となっています。


アリサお嬢様の設定。
先祖妖怪【人狼】
能力・1【月の満ち欠けによって身体能力が上下する】
新月なら普通の少女。満月なら今回な感じ。

すずかお嬢様の設定。
先祖妖怪【吸血鬼】
現在は驚異的な身体能力のみで、能力は無し。


なのはさんの設定
全部不明


これが現在の設定です。
ちなみに、あくまで現在です。今後に変化がありますね、きっと。
そんなお話の次回はアリサお嬢様のお話の続きですね、多分。



[25741] 【閑話休題】『名も無き従者‐ネームレス‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/20 19:45
――――退屈なとき、もしくは少し疲れたときには、異なる世界の話をしよう。

我々とは森羅万象の法則が異なる世界、違う者達が生きる世界の話を。

しかし、どこかで繋がっている遠くもあり、近くもある世界の話を。







【閑話休題】『名も無き従者‐ネームレス‐』








「――――――君、留年ね」
小さな老人はあっさりと言った。
小さな老人は確かに小さい。人間というには頭身が短く、まるで未来から来たロボット様な頭身をしている。もっとも、未来から来たロボットというよりは、ゴブリンという種族に近いだろう。
しかし、そんな人間がいるはずがない。これは現実の話だ。お伽噺ではない。子供が夢見る様な、寝る前に母親から聞かされる様な世界の話ではない。
この世界はそんな世界ではなく、それに似てはいるがもっと凄惨であり、現実的な世界。
ファンタジーでありながりリアルな世界。

伽話の住人が住まう、リアルな世界だった。

そんな世界でゴブリンの老人の口から出たのは【留年】という実にリアルな言葉だった。そして、それを贈られた者の口はあんぐりと開かれ、
「あの、すみませんが……もう一回、言ってもらえますか?」
「君、留年。もしくは退学だね」
「なんでッ!?」
ゴブリンの座っている席はその体格に似合わない大きく高級感あふれる机だった。そして、その周囲にある者はソレに相応しい見事な装飾品の数々。まるでこの部屋の主が偉い者だと言わしめるような部屋だった―――現実問題、偉いのである。
「私頑張ってましたよね?世の為、人の為、時にはリザードマンとか巨人とか、この世界に住まう全ての者たちの為に誠心誠意頑張ってましたよね!?」
「それはそれ、これはこれ。知ってるかね?良い人だって留年するし、悪い人だって卒業する。学歴に良いも悪いもあるというのは、成績だけ……つまり、良い人である必要は綺麗さっぱりないのだよ」
「それが聖職者の言う事ですか!?」
「それも勘違いだね。此処に聖職者はいない。居るのは一流の執事を育てるという念願をもった者達だけだ。此処は普通の学校では無いのだよ」
そう、ここは普通の学校ではない。
【白手の学院‐フォレン・ソール‐】と呼ばれる養成所である。学校というには些か重々しく、それでいて神聖な雰囲気がある領域だった。この場所ではゴブリンの言う様に一流の執事を育てるという目的があり、この場所を卒業した者達は皆、それぞれの主の元へと進むのだ。
しかし、それを阻む魔法の言葉がある。
【留年】である。
「確かに君の成績は良いよ――ただし、戦闘だけ、ね」
「執事たる者、主を守る為に戦いはつきものです」
「そのせいでマナーとか一般教養とかを無き者にしていいのかい?君が実習で行った屋敷からの請求書を目にした事はあるかね?」
うッと言葉に詰まる。
「いやはや、随分と暴れてくれたものだね……なになに、とある芸術家が残した作品を掃除その際に破損。それを隠す為に燃やそうとしたら屋敷の一部を炎上。消火しようとして近くにあった樽に入った液体をぶちまけたら大爆発――――君、実は聖堂評議会の手先かね?」
「そ、それはですね……まぁ、アレですよ、アレ」
「何がアレ、なのかは聞きたくない。正直、あの時点で君を退学処分にしてもよかったんだが、君のご両親、そしてご両親が仕える【英雄の末裔‐ミスティック・ワン】の頼みゆえに君を此処に残した……私としては、さっさと退学にしたいんだがね」
泣く子も黙らせる勢いで睨むゴブリン。
それを受けた者は額から冷や汗を滝の様に流して眼を反らす。
「だが、そんな君にも我々はチャンスを与えた。失敗は誰にだってある。何もかもを最初から完璧にこなせる者なんて一人もいない」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに食いついた。
「そ、そうです!!だから私は粉骨砕身の想いで頑張りました!!」
「ほぅ、粉骨砕身の想いで訓練教官を何人病院送りにしたんだね、君は?」
「それはあっちが弱いだけで……」
「君の戦闘訓練は既に終わっているにも拘らず、暇で身体が鈍ったという理由で新入生の訓練に乱入、戦闘、そして教官含めて総勢三十人を病院送り――――ちなみに、その内の半分は此処を去ったんだけど?」
最早言い訳は出来ない。
「す、すみませんでした……」
素直に頭を下げても、ゴブリンの顔に許すという二文字は浮かばなかった。
「問題児なんていうのはね、普通は何人もいるよ?そういう者達を我々は誠心誠意つきそい、そして卒業させてきた。でもね、君はもう問題児っていう枠組みか逸脱してるんだよね、これが」
「私は頑張ってるんですけど」
「頑張ってるのはわかるよ。でも、頑張って良い成績を出せるのも別の話だ。いいかい、我々はネームレスを育てる者だ。それ故、ソレに相応しくない者を卒業させるなんて事は絶対に出来ない。そして、そうならない為のチャンスを君に何度も何度も何度も何度も与えた――――それも限界だがね」
留年、もしくは退学。
その者に着きつけられたのは、そのどちらかだった。
「マジですか?」
「マジもマジ、大マジさ。こればっかりはどうしようもないね。というか、君みたいな執事以下の子を外を此処から卒業させる事は不可能だよ」
「そこを何とか!」
「何とか出来るってレベルじゃないよ、これ」
その場に崩れ落ちた。
「りゅ、留年……もしくは退学……」
この世の終わりだと乾いた笑みを浮かべたのは、女だった。少女というには年齢は上、しかし女性というには些か年齢が低いだろう。実際、今年でようやく十八になった彼女は世代的には立派な大人に含まれる。しかし、彼女を大人だと認めないのは、ひとえに彼女自身にある問題のせいだろう。
「あのね、ガープリング君」
ガープリングと呼ばれた彼女は、力なく項垂れたままだった。
「どうしよう……義母さんに怒られる。あ、義父さんにもだ。あ、あははは、どうしよう。来月のお小遣いも絶対に半分にされる。いや、それだけじゃない。もしかしたら全額カットかも!!」
「君、その歳になってまだお小遣いもらっとるのかね」
「義父が厳しいので……アルバイトも駄目だって」
「まぁ、それは正解だね。公僕の娘がアルバイトで破壊活動してますなんて、冗談にしてはキツイよ、これがね」
身も蓋もない話だった。
元々、彼女が此処に入る事だって両親は反対していた。曰く、お前みたいなガサツな奴が執事なんて出来る筈がない、らしい。その際、義母だってメイドじゃないか、それなら自分にだって出来る、と断言した時、義母は小さな身体で娘にドロップキックを炸裂させた。
義父の場合は特に何も言わなかったが、自分の口からやりたいと言ったのなら責任は自分で持て、と鋭い目で言われたのは今でもトラウマだ。あの人は普段は結構ぶっきらぼうのせいで色々と誤解されがちだが、強ち誤解というわけではないらしい。
そして、その二人を説得して入った此処で―――留年である。
「が、学園長~」
「泣きついても駄目。君が悪いんだよ?」
「頑張る生徒に向かってそれは無いでしょう!?」
「頑張るだけなら誰にも出来るの。問題なのは頑張って結果を出す事だよ。頑張れば報われる、評価されるなんて甘い事は社会じゃ無力以外のなにものでもない」
苛烈な一言に完全に撃沈した彼女は、蹲るどころか倒れ込んだ。
「うぅ、ごめんなさい。天国のママ。アナタの娘は世知辛い世の中を代表するクソッタレな学園長に打ちのめされています」
「ちゃっかり私の悪口言ってるね、君」
「死ね、チビゴブリン!!」
「あ、カチンときた。このクソ娘、よりにもよって学園長の私に向かって死ねってか?やるよ?本気でやっちゃうよ?ボッコボコにしてR18みたいな目に合わせるよ、マジで」
「ふんっだ。そういう作品じゃそういう役割しかないような種族の癖に、調子に乗って学園長なんかやってんじゃないわよ!!」
「カチーンときた。私のみならず、私の種族にまで喧嘩売ったね?いいよ、買おうじゃないか。買って色々と掲載出来ない様な内容にしてやるわ!!」
「上等!!」
「小娘が!!」




数十分後、学園長室は見るも無残な廃墟と化していた。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…………」
荒い息を吐きながら、学園長のゴブリンはボロ雑巾の様に転がっている彼女の上に腰かけていた。
「この娘っ子。頭は空っぽの癖に戦闘能力だけは高いからタチが悪い」
「む、無念……」
しかし、どうしたものかと学園長は考える。
確かにこのまま彼女を退学にしてやってもいい。しかし、それでも頑張ってはいるのだ。不真面目なわけではなく、真面目に頑張って失敗しているのだ。幾ら頑張るだけでは足りない、意味が無いと言っても、それを評価しないわけじゃない。
悪い子じゃない―――それが厄介だった。
「…………ガープリング君、そんなに留年は嫌かね?」
「退学も嫌です」
でも、もう駄目だと彼女は諦めていた。しかも、あろうことか学園長にまで手を上げたてしまったのだ。留年どころか退学は確実だろう。
「―――――君の様な子は嫌いではない。だが、誰しもがそうであるわけではない。君を認める者もいれば拒む者とている……そんな中に君を放り出すのは早いと思ったからの留年だ。まして退学なんて以ての外だろうね」
「そう言ったのは学園長でしょうに」
「だからこそ、だよ。私は君の卒業してほしい。君だけじゃない。ネームレスを目指す者達を一人も例外なく卒業させ、羽ばたかせてやりたいというのが本音だ。だが、現実問題としてそれは難しい」
「―――――ごめんなさい」
力なく、彼女は謝罪の言葉を口にする。
「謝らんでいい。我々の力の無さの原因だ」
「でも……駄目なんですよね」
「難しい、というだけさ」
ゴブリンは指先を動かすと、まるで魔法を使っているかのように一枚の紙が飛んでくる。その紙を手に取り、自分が椅子代わりにしている彼女に見せる。
「これは?」

「留年も退学も嫌な君への救済処置だよ」

「救済!?」
ガバッと立ち上がる彼女。
「おっと……まったく、落着きの無い子だね、君は」
「救済って、どういう意味ですか!?」
「だから、救済処置だよ。元々は君宛の何だが、ちょっと難しいから君には見せなかったんだよ」
自分宛という言葉に彼女は首を傾げる。
「それを送って来たのは君の師匠からだ。あの方も君がすんなり卒業出来ない事を予知していたんだろうね。もしもの場合は、それを卒業試験としてくれというお達しだよ」
「トカゲ師匠から?」
「あの方をそう呼ぶのは、世界中で君だけだろうね……ともかく、それが君への救済処置だ。それを成功させれば君を卒業させる事が出来る」
紙に書かれていたのは、とある遺跡の調査依頼だった。
遺跡を調査する為に護衛を何人か雇いたいという内容で、戦闘能力高い者が多くいれる此処への依頼だった。
「元々はあの方が行く筈だったんだが、今は海の上でもう少しのんびりしたいという事でね。だったら弟子である君を行かせるのが面白そうだ、という事らしい」
「面白そうって……まぁ、あの遊び人な師匠ならやりかねそうですね」
「それだけ君を信頼してるんだろうね」
だが、気になる事があった。
「この何人か欲しいっていう個所ですけど……私以外に誰か行くんですか?」
「いや、君だけだ。なにせ、その調査を依頼してきたのは【スクライア】だからね」
スクライア―――それだけで理由は何となく察する事が出来た。
「あぁ、なるほど……【部外者】に協力はしたくないってわけですね」
小さいな、と彼女は思った。
「仕方あるまいさ。なにせ、数年前にいきなり現れた者達の一人だ。管理局とかいう連中は、次元世界とかいうのを管理する為の組織らしいが、管理される側の事なんて関係ないらしいな」
「あの時は戦争一歩手前でしたからね……セルマ様も結構忙しそうでした」
「忙しそう、で片付ける君が凄いよ。まぁ、おかげで我々の世界は管理世界なんていう下らない肩書を得られずに済んだがね」
代わりに得た肩書は【管理放棄世界】だったが、それはあっち側の呼び方で在り、こっち側の呼び方ではない。
「我々の名前は我々が決めるべきだ。勝手な一文を入れられてたまるものかって話だよ」
「まぁ、そこら辺はどうでもいいですけどね」
あっけらかんな発言に、学園長は頭を抱える。彼女のこの楽天的というか、深く物事を考えようとしない発言はどうにかした方が良いのかもしれない。しかし、それを何とか出来た事は一度もない。
「君は別に彼等をどうこう思って無い様だし、それが君が一番適任という理由だろうね」
「むしろ、どうこう思う事が馬鹿らしいと想ってますよ、私は」
そう言って明るい笑顔を向ける彼女に、学園長は自然と笑みが零れた。
彼女は確かに問題児だ。しかし、ただの問題児ではない。種族に線を引かず、弱き者を差別せず、無意味な暴力を嫌い、それを行う者には強さも立場も関係なく挑む―――まるで正義の味方の様な女性だった。
それ故に彼女は他人に嫌われる事は無いのだろう。面倒やら厄介だとは思われるが、嫌悪される事は殆どない。
「それでどうする?受けるか、受けないか」
「受けますよ。誰がどう言おうとも受けます」
はっきりと言った。
「そう言ってくれると思っていたよ……やれやれ、君が原因で戦争勃発なんて事にはならんように気をつけてくれよ」
「流石にそれは無いかと……」
「無いと言えないのが我々の見解だよ。だが、その時はその時だ。私は君を信頼も信用もしないが……認めてはいるよ」
その言葉で十分だった。
彼女は紙を手に取り、任せろと親指を立てる。立場の上の者に対してこの対応は執事の卵として間違いまくっているが、それが彼女らしいと学園長は思った。
きっと彼女は執事には向いていないだろう。しかし、もしかしたらそれ以上の何かになれるかもしれない。
学園長室を意気揚々と出ていく彼女を見送り、冗談の様な一言を口にする。

「案外、彼女みたいな者が【失われた一席】を埋めるのかもしれないな……」

英雄の存在する世界。
その中で一つだけ相手いる空席。
人間が座るべき空席を埋める者は未だに存在しない。しかし、もしかしたら彼女の様な者がそれを埋めるのかもしれない。冗談の様な話だが、冗談だから笑える。
笑って、そんな話が出来る。
その時、部屋の中に電話のベルが響く。
「はい、私だが……おや、これはシャドウフィールド様。丁度良かった。あの件はアナタの言う様に彼女に任せる事にしました。いやはや、あの鉄砲玉な娘がすんなり卒業できないというアナタの想像はばっちりですよ……えぇ、はい。そうですね。そうでしょう。他の者よりもどんな者に対しても分けへだてなく接する事ができて、そして守ろうとする彼女だからこそ、アナタの弟子であるのでしょうね」
学園長は思う。
アレは誰か個人の為に仕える執事にはならない。されど、必ず誰かの為に動く事ができ、そして守護する者となるだろう。
個人の為の執事ではなく、誰もが為の執事。
銃の様に優れているわけじゃない。むしろ、遥か昔の火縄銃の様な物だろうと考える。時代が進めば使えない武器だろう。しかし武器ではある。武器である事に変わりは無く、銃である事に変わりはない。
「彼女なら、必ずやり遂げますよ……もっとも、その前に色々な厄介事は起こりそうですがね」
冗談の様に笑うが、それが現実になる日は近い事を彼は知らない。
白手の学院、始まって以来の問題児はこれから数週間後の新聞に名を乗せる事になる。それを見た学園長は心底驚き、後悔して、それでも何とかなるだろうと思ってしまった。
新聞の内容はこうだ。

遺跡調査中に不思議な光に飲まれ、二人が消息不明。
一人は調査団のリーダーである少年、ユーノ・スクライア。
そしてもう一人は白手の学院から派遣された執事の卵。



その名を―――イチナ・L・ガープリング



彼女が巻き起こす騒動が起こるには、まだ時間がかかるだろう。
故に退屈な時に話す物語は一度終わる。
プロローグの後はお伽噺が始まる。


火の玉執事が巻き起こす、馬鹿騒ぎのお話はもう少し先故に、しばしの御辛抱を。





あとがき
この娘を出したかったんですよ、この娘をね。
世界設定としては、あやかしびとの刀子さんルート×弾丸執事の全ルートのクロスなのです。
お嬢様ルートよりイチナ。
雪さんルートより○○
ロリエルフルートより○○○
弾丸執事の世界はパラレルですので、それぞれのルートより一つ何かを持ってきます。
というか、こうしないと今後の話が出来ないんですよ。

火の玉執事VS壁直しのオッサンという話がね……



[25741] 【人妖編・第四話】『人妖先生と狼な少女(前篇)』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/16 23:27
少女には記憶がない。
自身の名前も知らない。
何処で生まれ、どう育ち、どうして海鳴にいるのかもわからない。わかっているのは頭の中に響く不協和音。
一つの音。
一つの声。
一つの呪。
不協和音に含まれた音は一つだけ。月村という言葉が頭に響く。頭が割れそうな程に響き、頭の中が月村という言葉によって汚され犯され嬲られ壊されていく。
痛いとは違う。苦しいというわけでもない。ただ考えたくない言葉であり否定しなければいけない言葉。
それだけが少女にある全てだった。全てというには少なすぎる自己構成はシンプルで陳腐だった。
しかし、そうなってしまったのならしょうがない。
誰にそう仕込まれ、誰が命じたのかもわからない。だが、月村という言葉を憎悪しなければいけないという使命感にも似たものがあったのは事実。
恨みはない。あるのは拒否感。
恨みは感じない。感じるのは憎悪だけ。
何もない。月村という不協和音だけしかない。
「―――――――」
自分は誰なのだろうか―――少女は考えた。
誰も教えてくれない。聞けば答えてくれる者もいない。少女の周りにいたのは白衣をきた能面の様な顔をした者達だけ。全員が同じ顔に見える程、その者達の顔は歪んでいた。
来る日も来る日も、少女の脳に刻みつける呪。
来る日も来る日も、少女の身体に刻みつける呪。
来る日も来る日も―――それがしばらく続き、少女は一つの道具として完成された。いや、完成ではない。その者達が求める物の改良版であり試作品――それが少女だった。
記憶もなく、一つの存在を殺す為だけに生み出された。生きていたはずなのに、生れていたはずなのに、生み出された。
それを疑問には思わない。
疑問に思う事を禁じられていた。無自覚に無意識に。それが当たり前でおかしな事なんて一つもないと思いこみ、少女は構築された。
「―――――――」
だが、少女は考えたのだ。
頭の中に響く不協和音を聞きながらも、月村という存在に憎悪を抱きながらも、自身という存在について考える。
自分は誰だろう。
自分は何処から来たのだろう。
自分はどうしてこんな事をしているのだろう。
疑問が疑問を呼び、ようやく一欠けらの自我が生まれた。
自分が誰か知りたい。
少女は思った。だから叫んだ。声にならない叫び。叫んでも誰にも聞こえない。それでも少女は叫ぶ。自身という音楽を奏でる様に叫び、唄い、そして望む。
「―――――――」
誰なのか、誰なのか、誰なのか、誰なのか、誰なのか、誰なのか――――私は、誰なのか。

しかし、それは誰にも聞こえないのなら、当然彼等にも聞こえはしない。

薄暗い部屋の中には誰もいない。
白い部屋、白いベッド、そして【真っ赤に染まったカーテン】。
窓辺で揺れるカーテンは誰かが掴んで引裂いたであろう跡があり、かつては白いカーテンだったソレは無残な布切れと変わらないものになっていた。そして、その下にはそのカーテンを引き裂き、赤く染めたであろう白衣の女性が倒れていた。
白衣を血に染め、胴体を鋭利な刃物で切り裂かれた女性。
その女性は看護師だった。
この病院で看護師を務めている女性は、数日前に運ばれた少女の担当になっていた。搬送された少女は顔に酷い怪我を負っていた。それ以外は外傷はなかったが、こんな可愛らしい少女の顔にこんな怪我を負わすなんて酷い人間もいたものだと憤慨していた。
少女は目覚めない。
搬送された日から数日、少女は眠り続けていた。
検査結果として少女は人妖病に感染しているとわかった。そのせいか、少女の傷の治りは早かった。無論、人妖だから傷の治りが特別早いというわけではない。人妖とて人間だ。如何に異能を身に宿しているといってもそれ以外は普通の人間と変わりはしない。しかし、少女の傷は既に治り、可愛らしい寝顔でベッドに眠っていた。
恐らく、これが少女の人妖としての能力なのだろうと、女性は【誤解した】。
そして今日、そして現在。
女性は死んだ。
惨殺された。
少女の病室を訪れ、背後から斬りつけられ、助けと求めようと声を出そうとして喉を斬られ、逃げようと窓辺に近づき、トドメの一撃。
死んでいた。
完全に死に、殺された。
そして、それを行ったであろう下手人は自身が殺した相手には興味も示さず、ベッドに健やかな寝息を奏でる少女を見据える。
「…………無様だな」
下手人は侮蔑の表情を闇の中に浮かべる。
「まぁまぁ、そう言うなや」
その下手人に声をかけるのは、この病院に勤める医者だった。正確に言えば、今日だけ病院に勤めている医者、だ。
医者は少女の顔をじっと見つめ、歪んだ笑みを浮かべる。
「無様なんてとんでもない。いくら被験体、実験体とはいえ、こんな美少女を無様なんて言っちゃ駄目さ」
「無様である事は代わりはない。ふん、一介の人妖如きに後れを取るとは……所詮、失敗作という事か」
下手人の顔は変わらない。当然、医者の顔も変わらない。
「まぁ、しょうがないんじゃない?【あっち】で現在の実験体の中では古株なんだよ、この子は。だから君が知る実験体や完成体と一緒にしちゃ駄目だよ」
「だからこんな田舎の矮小な雑魚の仕事を受けさせたのだろう?むしろ、今回がこの実験体にとってラストチャンスだった事には変わりは無い」
「それはそうだけど……にしても、意外と人妖ってのも凄いんだね。この子、普通の人妖相手じゃ負ける事なんてなかったでしょ?」
「あくまで、実験ではな。実戦は実験とは違う」
下手人の意見には医者も賛成だった。だからこそ、これが少女にとってのラストチャンスだった。実戦で使い物になったら【殺さない】。使い物になっていたのなら【更に調整】する事が出来る。
結果、少女はチャンスをふいにした。
「――――で、どうするんだ?依頼者は満足していないのだろう?ツキムラとかいう連中を殺さないと金が入らないぞ」
「金なんて沢山あるでしょうに」
「そうだな。国に帰るくらいの旅費にはなる。だが、必要な金じゃない。金なら十分にあるさ」
そう言って下手人は懐に手を伸ばす。
「殺すのかい?」
医者はもったいないという顔をする。しかし、下手人はニヤリと嗤い、首を横に振る。
「いや、殺さんよ。殺してはそれこそ本当に無意味だ―――だから、殺さず最後まで利用させてもらうさ」
下手人の手には注射器があった。
「君、それは……」
「本国からの実験の追加さ……なに、心配するな。これは無断使用じゃない。立派な実験さ」
注射器の中には真っ赤な血―――血の様に見える液体が入っていた。
「この国の極小機関が作り上げた薬を改良したモノだ。これの実験結果が知りたいというのが本国の意向だ」
「うわぁ、随分と酷い意向だね」
しかし、医者は下手人と同じ顔をしていた。
楽しみだ、という顔。
結果が知りたい、という顔。
その顔は少女の記憶にある能面の者達と同じ顔だった。
「人妖の能力を格段に上げる魔法の薬、か……いやぁ、この国の研究者も面白いものを作ったものだ。私達の国よりも人妖研究は格段に進んでいるね」
「だからこそ、だ。だからこそ許されない。我らが国がこんな無人島と変わらん島国に後れを取るなど」
そして、下手人の手が伸びた。
少女の首に注射器の針を刺す。
ゆっくりと少女の身体に赤い液体が流れ込む。
「噂じゃ、この薬のオリジナルは化物の血らしいよ?」
「ほう、それは面白い噂だ。だが、所詮は噂だ」
注射器の中が空になり、少女の首から針が抜かれる。
「――――さて、そろそろお暇するとしよう。この実験体の暴走に巻き込まれては国に帰れなくなる」
「そうだね。そろそろ本物のピロシキが食べたいよ」
そう言って下手人と医者は出ていく。
残されたのは少女だけ。

真っ赤な呪いの薬を注入された少女は静かに眠り―――そして、眼を覚ました。

「が、がぃぎゃぁぁぁ……」
唸り声を上げ、身体のくの字に折れ曲げる。
苦悶の表情に眼を見開き、口を開け――眼球から刃が飛び出し、口から刃が飛び出した。
少女の身体から無数の刃が飛び出す。少女の身体の中に植えられた種が刃という花を咲かせた。毛布を刃が切り裂き、ベッドを刃が切断する。
身体中が刃になる。
刃が身体になる。
刃が刃になる。
少女はいない。
いるのは刃。
刃が倒れ、刃が立ち上がり、刃が眼を見開き、刃が嗤う。
【つ、きむら……】
喉の奥から声が漏れる。刃と刃が擦れる様な耳障りな声だった。
【つき、むら……つきむら、つきむらつきむらつきむらつきむらつきらむつきむら】
刃が嗤う。
ギシギシと刃軋りする音が病室に響く。
【つきむらつきむらつきむらつきむらつきむら――――あ、りさ】
刃は嗤う。
【ありさありさありさありさありさありさありさありさ】
刃が名を呼ぶ。名を呼び殺す。殺す為に名を呼び、名を持つ者を殺す為に刃が嗤う。
殺すべきは月村。
殺すべきはアリサ。
【ギィギィギガキ】
それだけが唯一の存在意味。刃が刃である意味。刀匠によって打たれた刃ではなく、悪しき存在によって作り替えられた刃は歩き出す。

窓―――ではなく、廊下へ。



「―――そういえばさ、依頼主ってなんていったっけ?」
駐車場に停めてあった車のドアを開けながら、医者は尋ねる。
「ツキムラっていう連中に恨みがあって、それをバニングスっていう連中のせいにしたいってのは覚えてたんだけど……」
「名前なんぞ覚えてないな。だが、注文だけは多い奴だったな。まったく、こっちの迷惑も考えて欲しいものだ」
助手席に乗り込み、下手人は鼻を鳴らす。
「洗脳とて面倒な事には変わりがない。あんな細かい設定をあの実験体に刷り込むのに三日も使ったんだぞ?三日、三日もこんな島国の不味い飯を食った俺に慰謝料を払うべきだな、奴は」
「よっぽどツキムラって連中が嫌いみたいだね。その癖、自分に危害が加えられない様にわざわざ他人の娘の情報まで刷り込ませるなんて―――ほんと、無様だ」
「あぁ、無様だ。この国の住人に十分な無様さだったよ」
医者が車のエンジンをかけた―――その瞬間。

絶叫が轟く。

「――――ふん、始まったか」
「みたいだね……これは失敗かな?」
「構わんさ。この失敗が成功への道となる。もっとも、その為にこの島国の猿が何匹死ぬか知らんがな」
「多分だけど。今の実験体の頭の中にはツキムラって連中を殺す事でいっぱいだろうね。もちろん、それが誰かなんて判別できないけど」
「そして、バニングスという家の娘も対象だろう―――無論、誰か識別は出来ないだろうがな」
医者と下手人は嗤う。
おかしい、と嗤う。
「ねぇ、どのくらい殺すと想う?」
「さぁな。だが、せめてこの街一つくらい潰してもらわねば困る」
「それが無理じゃない?潰す前にきっと死ぬよ、アレ」
車が動き出す。
背後に聞こえる人の悲鳴。命を奪われるという悲鳴を聞きながらも、嗤いを消さない医者と下手人。
「どっちだっていいさ。どっちでも、変わらんよ」
「そうだね」
そして、二人は姿を消した。



翌朝―――病院に生きている者は一人としていなかった。







【人妖編・第四話】『人妖先生と狼な少女(前篇)』







アリサ・バニングスを周りはどう評価するのか。
例えば同じクラスの生徒。
男子女子、互いに同じ意見を口にする。
「近寄りがたい」
例えば教師。
新しい者、古い者を含め同じ事を口にする。
「良い生徒だと想う。だが、何を考えているのかわからない」
彼女を良く知る者―――残念ながらそんな者はいない。
彼女は常に一人でいる事が多かった。すずかの様に【月村】だから恐れられているのとは違う。なにせ、アリサは【バニングス】なのだ。月村と同じ様にこの街を支配する一族の一人である事には変わりは無い。
しかし、それでもある程度の慣れはあるのだろう。これもすずかと違い、アリサは学校にはキチンと来るし、授業にもキチンと出席する。学校の行事にも出れば、特に問題のある行動をする様な生徒ではなかった。結果、アリサ・バニングスという少女は基本的には無害な扱いなのだろう。
人畜無害。
それだけ、だ。
無害というのは誰にも迷惑をかけない、障害ではないという意味。しかし、彼女は誰にも迷惑をかけないのではなく、そもそも交わらないのである。当然、そうすれば障害にもならない。誰とも対立せず、表情に出して喧嘩、争いをする生徒でもなかった。
誰とも交わらず、振れ合わないからの無害。それはすずかとは違った意味での孤立に等しいのだろう。
孤立し、孤高であった。
だがアリサはそんな現状に不満を抱く様な表情もせず、常に存在する。教室では窓の外をじっと見るだけの存在であり、授業では当てられれば答えるだけの存在であり、グループ学習では自分の意見を出さず頷くだけの存在。当然、休み時間に遊ぶ事もしなければ弁当を共に食す相手もいない。
孤独であり孤高だった。
そんな彼女は、今の現状をどう思っているのかと誰かが訪ねたら、きっと彼女はこう答えるだろう。
「――――別に」
興味を抱く事なく、窓の外を眺めながら、あっさりと言い放つだろう。
アリサ・バニングス。
バニングスという存在。
誰にとっても有害であり無害。

故に【見える空気】だった。

しかし、だ。
だからといって彼女がどう思っているかは別の話だ。
生きていれば悩みもあるし、わからない事だってある。ただ、その悩みや問題を誰かに話
すという事をしない―――否、知らないだけだった。

汝、孤独で在れ
汝、孤高で在れ。

その言葉が彼女の存在意義であり、存在理由。しかし、そうはいってもアリサがまだ九歳である事が現実だ。
九歳の少女の悩みは意外なまでにシンプルであり、子供じみている。それを誰にも話さず、何時もの様に窓の外を眺め、そこから見える空を見て、誰にも知られず溜息を吐く。
アリサ・バニングスの悩みは一つ。



友達の作り方を、知らないという事だけ。



昼休み。何時もの指定席である屋上のベンチに腰掛け、匂いの少ないコッペパンを一人で食べ、匂いの無い水で流しこむ。
味気ないコッペパンと味気ない水。とても子供が好む物ではない。当然、アリサだって好きなわけじゃない。
ただ、匂いが少ないという理由だけ。
アリサは人妖だ。
バニングスが人の枠組みに含まれているとはいえ、彼女自身は人妖。それも【一族の中で唯一の人妖】だった。無論、それがおかしいとは思わない。誰も思わない、誰も思えない。そしてアリサもそれがおかしいとは思わない。
人妖は家族の一人が人妖だからといって家族全員がそうなるわけではない。神沢はもちろん、海鳴も家族の中で唯一人妖病にかかり異能を手に入れてしまった者が一人で街にいる割合は少なくない。当然、この小学校にも親元を離れて一人で来た者もいる。
人妖病は一つの差別だ。
人であるはずなのに人と同じ扱いを受けれない。好んで得た力でもないのに他人に気味悪がられ、他の人妖が事件を起こせば、まるで自分が行ったかのように見られる。
その為の人妖隔離都市。
隔離であり守護。
この街だけが人妖にとって唯一存在を許されたと思える場所だ。
そんな街を支配する【人】、バニングス。
その一族の中で唯一人妖病に発病したアリサ。
気づいたのは彼女が五歳の時だった。
ある日、彼女は社交界の場にいた。そして、急に気分が悪くなった。
異様な悪臭に気分を悪くしたのだ。
両親に気分が悪いと言って外に出たが、まだ気分は悪かった。匂いだ。匂いが鼻を刺し、悪臭としか思えなかった。その原因は一つ、自分の手を引いている母親から漂う匂いだった。
アリサの嗅覚は通常の人間では認識できないレベルの匂いすら嗅ぎとる事が出来た。故に母親が付けていた香水の匂いは悪臭以外の何物でもない。そんな悪臭を身体に吹きかけた女性が何人もいる場所にいれば、当然気分だって悪くなる。
人間にとっては良い匂いで落ち着いても、犬並以上の嗅覚を持つ彼女にしてみれば匂いがきつ過ぎた。
だが、これだけなら問題はなかった。
なにせ匂いがキツイ、というだけなら我慢ができた。人妖という人種に対しての知識はなかったが、自分の口から「ママが臭い」なんて事は言えない。子供ながらにしても言えなかった。
そしてこれは次の日になったら解消された。解消といっても昨日よりは匂わないというだけで問題は解決していない。ただ昨日よりはマシだという話。そしてその次の日は更に匂いが薄れた。その次の日もまた薄れた。徐々に薄まる匂いにアリサは一人安堵の息を漏らした。
しかし、それはある周期でまた襲ってきた。
嗅覚が普通に戻る日があれば、次の日には徐々に匂いが増していく。
一番匂いに敏感な日があれば、次の日は薄れていく。
その繰り返しだ。
繰り返し、繰り返し、繰り返し―――そして、我慢した。
我慢するしかなかった。
我慢する日々が始まった。
世界には匂いのないモノなんて存在しない。
食べ物は勿論、無機物ですら匂いを発する。
だから一番匂いを感じ取る日は食べ物を美味しく頂くという感情が壊れそうになった。口に含めば美味しい、しかし鼻に入る匂いがキツイ。だが我慢した。我慢して食べて―――誰もいない所で吐き出した。
誰にも知られてはいかない。こんな普通じゃない事は秘密にしなければいけない。幼いながらにそう思い、思いこみ、アリサは一人で我慢を続けた。だが、どれだけ隠そうとしてもバレるものはバレる。あっさりと、急にバレるものだった。
アリサが匂いに敏感になる日は、決まって身体の調子が良かった。いや、良かったなんてものではなかった。

体調が良ければ、十メートル以上ジャンプできるか――否だ。

体調が良ければ子供の手でボーリングの球を何十メートルと大遠投できるか――否だ。

匂いに敏感な日には決まってアリサの身体能力は異常を極めていた。

異常だった。
そしてバレた。
理由という出来事は彼女が六歳の誕生日の時。
出来事は言ってしまえば人助け、親孝行。
母親がアリサを連れて外を歩いていて、道端にボールが転がって来た。子供が公園で遊んいて、謝ってボールを遠くに投げてしまったらしい。それを母親が拾い、顔をあげた―――先に車が迫っていた。
飛び出した。
飛び出した勢いで地面のコンクリートが割れた。
母親の前に庇うように立った。
母親は何か言っていた。
聞こえなかったが、行動はした。
迫ってくる車。
悲鳴。
無我夢中で振り回した手。
堅い感触が手に当たり、何かが凹み、砕ける音。
ドンッという音が背後に響き、そして音は消える。
あり得ない事だった。
母親の眼に映った光景は現実ではなかった。

六歳になる娘が―――――車を殴り飛ばした。

それがきっかけ。
それだけで、終わる事もある。
人妖だとバレた時、彼女の周囲は変わった。
気づけば、彼女は孤独になっていた。
父が言った様に孤独だった。
親族の誰もが自分の事を化物の様に見ていた。優しかった叔母も叔父も、屋敷で働く使用人達も。
そして、母親も。
母親を助けた日。母親はアリサに会おうとしなかった。会おうとせずに部屋に籠って泣き崩れていた。

母の泣声を聞きながら見上げた空は―――真っ赤な満月だった。

コッペパンは味がしない。
味のしないモノを食べても美味しいとは思わない。同時に不味いとも思えない。
水は無味無臭だ。味気がなく、臭くもない。
何も無いからこそ良かった。
だから食べる物はこれと決めていた。
味があるものは駄目だ、匂いのあるものは駄目だ。
そんなものを食べてしまえば―――思い出してしまう。そして食べたいと思ってしまう。ずっと長い間食べていない母の料理の味を。




昼休み。
職員室で虎太郎は渋い顔で新聞を見ていた。
「あ、その記事ですか……」
後ろで霙が言う。
「酷い事件ですよね」
「そうですね。犯人の人妖が一夜で医者と患者、その病院にいた人間全員が死亡とは……これまた、世論が色々と捻じ曲がりそうですな」
今朝のニュースを見た段階では、その予想は大いに的中していた。ニュースを読み上げるキャスターと専門家の先生とかいう者がコメントする。
「人妖だから仕方がない、とか言いだす始末ですよ」
「えぇ、酷い話です」
ただでさせ人妖というだけで差別される世界。そんな世界で起きる猟奇殺人は異常な人間と人妖のせいだとされる。大方、今頃ゲートの外ではプラカードやら大弾幕を持った者達が鼻息を荒立たせているだろう。
「犯人はまだ捕まっていないんですよね?」
「昼のニュースを見る限り、ではね」
三日前に起きた事件。
病院という命を守るべき場所で起きた惨殺事件。
「……こりゃ、色々と面倒な事になりそうだな」
「職員会議でも取り上げられると思いますよ」
「でしょうな。犯人が捕まらないのなら、生徒の登下校の際にも私達が同行、なんて事もありえそうですよ」
「もしくは学校自体が一時閉鎖、なんて事にはなりませんよね?」
そんな事はありえないだろうと言いながらも、霙の顔には冗談という雰囲気は一つもない。
だが、それ以上に虎太郎は解せない事があった。
「帝先生。この街で起きた事件というのは、こんなに早く外でも報じられるものなんですか?」
「え?」
「……早すぎると思うんですよ。神沢は勿論の事、海鳴だって人妖都市だ。だからこそ、この中で起きた事件を外に漏らすなんて事は簡単には出来ないはずだ」
「ネットとかもありますから、そこから漏れたのでは?」
人妖隔離都市と言われても、別に外の世界との関係を完全に分けているわけではない。ネットを使えば普通に外の世界を知る事は出来るし、通販だって出来る。外の新聞はこうして読む事も出来れば、ニュースだって同じだ。
ただ、それは外から中という話。
中から外に出る情報は相当厳しくチェックされているはずだ。
「ネットを使えば簡単に外に情報を漏らす事は出来る。しかし、それ以外にも奇妙な事があるんですよ」
「奇妙な事、ですか?」
「この記事は勿論ですが、ニュースの内容を良く観てみてください―――細かすぎると思いませんか?」
細かい。
細かすぎる。
事件発生時間、現場、被害者の数は当然。それだけではない。中から外にでる情報は厳しくチェックされ、基本的には細かい情報などは調べる事が出来ない。しかし、先日から報じられている外からくる情報の全ては【細かすぎる】のだ。
「ですから、ネットで誰かがリークしたとか……」
「…………」
解せない。
解せないという感情は間違いではないはずだと虎太郎は確信している。
「そうですね、私の考え過ぎですね」
と、この場は言っておく。
「それじゃ、次の授業の準備をしてきます」
「手伝いましょうか?」
「いえ、一人で大丈夫ですよ」
そう言って虎太郎は職員室を出る。
廊下を歩き、考える。
何かがおかしい。
その何かが何かなのかはわからない。
しかし、解せないのだ。
「まるでミステリー小説を読んでいる気分だ」
小説の中で事件が起こり、被害者の身内に話を聞く。犯人は身内の中にいる。そして身内の中の誰かの言葉が自身を犯人だと言っている様なもの、という場面がある。
これはそれだ。
細かすぎるという点。
細かく報道されすぎているという点。
細かい情報をどうやって外に流したのか、は問題ではない。
問題なのは。
「誰が、流したのか」
行き着いた。
解せない理由とわからない何か。
その解決の答えは一つ。
誰かが情報を外に意図的に流した。だから世の中はこの事件について詳しく報道できる。
そして、その中には事件に関係のある者の影がある。
新聞を読み、ニュースを見る。
それだけで気づいた。
先程、自分が言った言葉。

【そうですね。犯人の人妖が一夜で医者と患者、その病院にいた人間全員が死亡とは……これまた、世論が色々と捻じ曲がりそうですな】

この言葉の中にある全てが新聞やニュースで報道されている事実だ。
しかし、よくよく考えてみればおかしいのだ。
此処は確かに人妖隔離都市。
多くの人妖が暮らす街だ。
だが、
「人間だっているだろう」
多くは人妖だが、なんの能力も持たない人間だっている。だというのに情報には【人妖が犯人】だという事が確定な事実として書かれていた。これが記事やニュースを作った者の間違い、もしくは決めつけだとすれば勘違いで済む。
しかし、人妖だと言っているのだ。
犯人は人妖。
それが真実だと知っている―――それが奇妙だった。



『―――――えぇ、そうです。確かに海鳴で起きる事件の多くは人妖が関わっています。ですが、当然人妖の住む街なので割合的には高いですね』
放課後。虎太郎は月村忍に電話をかけていた。
『ですが、必ずしも人妖だけというわけじゃありません。中には人間が起こした事件だってあります』
「そういう事件の幾つかは外には?」
『当然出ています。幾ら情報操作しようとも、ネットなんていう便利な物が在る限り、完全に防ぐ事はできませんよ』
だろうな、と虎太郎は呟いた。
いつもの体育倉庫で煙草を吸いながら、虎太郎は受話器の向こうにいる忍に尋ねる。
「今回の事件。人妖が犯人だという証拠は?」
『―――――ありません』
はっきりと言った。
『人妖が起こす事件は確かに普通の人から見れば猟奇的に見えるかもしれません。ですが、それが真実じゃない。外の事件でだって人が起こす事件は猟奇的なものが存在します』
「あぁ、それは俺だってわかっている……普通なんてものは社会一般の事実であり、真理じゃない」
『同感です。今回の事件ですが、凶器に使われたのは刃物だといのは知っていますよね?』
情報を信じる限りはそうだろう。
『刃物で人は殺せます。人であれ人妖であれ』
「なのに今回の犯人は人妖だと世間は思っている」
『えぇ、そうです。警察からの報告を聞く限りでは、刃物だけという事しかわかっていません。刃物を扱う人妖という線もありますが、必ずしも人妖である可能性は全てでは無い』
「…………なら、犯人は人間か?」
『人妖でしょうね。絶対ではありませんが、一番疑わしいのは人妖です』
絶対の真実は一つではない。だからこそ、幾つもの可能性が存在する。その中にある可能性の一つを真実として見つけるのは簡単ではないだろう。
簡単なら、警察も探偵も必要無い。
『数日前、病院に搬送された人妖がいました。本人は意識を失って目覚めていなかったので名前はわかりません。病院の方でも身元を調べた様ですが、結局分からずじまい――――そして、その人妖は被害者のリストに載っていない』
「だから犯人、か……」
『可能性としては一番高いでしょうね』
「その人妖の能力は刃物を使うのか?」
『いいえ。病院関係者の話では傷の治りが早かったので、自然治癒に優れた能力ではないかという見解です』
『リストに載っていない。だからこそ、最有力候補、というわけか』
形としては問題ない。
仮にその人妖が犯人ではない場合、なんらかの情報を持っていると想っても問題は無いだろう。しかし、現在では一番の容疑者でもある。
『――――先生はどう思います?』
「それはその人妖が犯人なのか、という意味なら可能性は十分にあると答える」
『そっちではなく、情報の流出の件です』
「そっちは間違いなく黒だろうな」
流出させたのは犯人に関係のある者で在る事は十分以上に十全だと想っている。
「理由はわからんが、愉快犯である事を願うね」
『愉快犯なら問題はありません。こっちの力で潰しますから』
偉く暴力的な発言だった。
『しかし、そうでない場合は……一種のテロと考えても問題はないかと』
「テロ、ねぇ……色々と胡散臭い話だ」
『考え過ぎで終わって欲しいですよ、私は』
「俺もだよ。騒がしいのは好きだが、これは騒がしいなんてレベルの話じゃない。むしろ、悪意がある暴力だよ」
情報という力を使った暴力。
『まぁ、その辺は私達の方でも洗ってみますよ。先生は一応は一般人なんですから、あまり深く首を突っ込まないでくださいね?』
虎太郎は苦笑する。
「そうは言うが、俺も一般人らしく危機感は持ってるんでね――――だから、」
虎太郎は煙草を握り締め、静かに言った。
「何かあったら呼べ。力になる」
『…………』
「お前は月村の家族だ。生徒の家族を守るのは教師の仕事じゃないかもしれない……だが、知人であり女であるお前を守るのは男の仕事だ」
受話器の向こうで唸る様な声がした。それから何度か咳こみ、
『先生。先生は女たらしって言われた事、ありませんか?』
「どうしてそう思うかは知らんが―――不思議と心当たりがあるのは何故だろうな?」
『はぁ、やっぱり……先生は女性には毎回そんな事を言ってるんでしょうね』
何故か呆れる様な、それでいて拗ねている様な声だった。
「毎回じゃないさ」
『信じられませんね』

「本当さ――――俺がこう言うのは、お前が【良い女】だからだ」

今度は電話の向こうで何かが爆発した様な音がした。それからゴロゴロと何かが転がる音。それから叫び声。そして破壊音。最後のトドメとばかりに「ヤッフ~!!」という奇声。
そんな音がしばらく続くと、聞き覚えのあるメイドの声が聞こえた。
『あの、加藤先生』
確か、ファリンとかいう名前だった気がする。
『あまりそういう事を私の主に言うのは止めて欲しいのですが……』
「ん?何か悪い事を言ったか?」
『その確信犯な言い方がまた……はぁ、もういいです。ともかく、しばらく再起不能な様なので、これで失礼します』
「わかった。忍が正気に戻ったら助かったと伝えてくれ」
『―――――――――この女たらし』
という言葉で電話は切られた。
「…………」
ツーツーという音が虚しく耳に刺さり、
「なんというか……アレだな」
何がアレなのかは言葉にしなかったが、どこか釈然としない虎太郎だった。




屋上は真っ赤な夕陽に照らされていた。
血の様に赤い太陽。
それは怒りか、それとも羞恥か。
太陽は何を思って赤く染まっているのか。
何に怒っているのか。
何に羞恥しているのか。
それは誰にもわからない。
わからないから、想像する。
「――――――わからない事ばっかりね」
アリサは一人呟いた。
学校指定の鞄を枕に、ベンチに寝転がっていた。
空は夕陽に染まって赤い海の様になっていた。赤い海は元々は青い海だった。穏やかな海は太陽という侵略者によって赤く染まる。しかし、空が青いというのは、同じ様に太陽による恩恵によって見られる青空でもある。
赤い、赤い、黄昏の赤。
人妖能力を使った時の自分と同じ赤い色。夕陽の様ではなく、血の様に赤いルビーの瞳はその時だけ現れる呪いの瞳だった。
自身の力を恨む事はない。
それが自然の流れ、人生の流れの中にある当然だと考えればそれも素直に納得できる。それがアリサにとっての大人な部分。子供故の大人。大人ですらないのに大人な部分を持っている。
子供という自分にもあるのだ。
そういう大人な部分が。
しかし、大部分は子供として機能している。
そんな子供な自分はきっと――――この力を恨んでいるのだろう。
もしも、この力がなかったらと考えた。
もしも、この力が生まれず、普通の子供として過ごす事が出来たのなら。
もしも―――もしかしたら、
「友達が出来たかも、しれない」
馬鹿らしい事だと苦笑する。
関係ない。
こんな力がなくたって自分が自分である事には変わりは無い。
友達の作り方を知らない少女は、最初からそうだっただけに過ぎない。
「…………でも、」
未練があった。
もしも、なんていう過ぎ去った問題に未だに未練があった。
未練、なんて嫌な言葉だ。
起き上がり、立ち上がる。
屋上のフェンスに手を添え、じっと街を見下ろす。
この街の中には沢山の人々がいる。人々は一人ではなく何人もいる。その何人はきっと自分の様に孤独ではなく、群れを持っている。
群れる事を好まない人種はいる。だが、自分はそうじゃない。群れる事は素晴らしい事だと想っている。思ってる、はずだと言い聞かせる。
時々、自分に自身が持てなくなる。
友達の作り方を知らないという事は―――そもそも、他人を必要としていないという事なのではないだろうか、と。
孤高であり、孤独である。
孤高は孤独、孤独は孤高。しかし、本当はそうじゃない。そうであっていいわけがない。
フェンスをギュッと握る。
今日は満月ではない。
普通の少女より少しだけ強い力で掴んだフェンスは微かに軋むだけ。錆びたフェンスの匂いは普通の鼻でも感じられた。その錆びた匂いが手に残り、うっすらと錆びた赤色が手に付着する。
寂しいのだと思った。
アリサ・バニングスという自分は、寂しがり屋なのだと思った。
呪いの様に自身を縛る【孤独と孤高】。その呪縛から解放されたいと思うのが半分。もう半分は諦め。
自己は生れた時からあるのかもしれない、と思う時がある。
自分自身を作るのは他人と時間、人生という長い様で短いモノだという。しかし、それは間違いで、本当は最初から作られているのではないかとアリサは思った。
最初から自分は――――他人が嫌いなのかもしれない。嫌いだから友達を作れず、嫌いだから友達という輪を作った他人を傍観し、冷めた目で見ているだけに過ぎないのかもしれない。
自分自身が信じられない。だから、他人も信用できない。そういう風なプログラムを最初から構築されているのだと思う様になった。
「本当の私は……」
どういう人間なのだろう。
劣悪な者なのか、それとも最低な者なのか。
アリサは考え、考え、何時もそこで終わる。
終わるだけで、また続ける癖にと自分で自分を馬頭する。
諦めが悪いというのだろう、一般的に。しかし、諦めも良いのが自分。
矛盾している。
全てが矛盾しているのだ、アリサ・バニングスという自分は。
夕陽がゆっくりと沈み始め、もうすぐ夜が来るであろう時間―――その時間に、背後で屋上のドアが開く音が聞こえた。
振りかえると、そこには見慣れた―――いや、嗅ぎ慣れた男がいた。
「――――なんだ、まだ残ってたのか」
煙草臭い男、虎太郎はそう言ってアリサを見た。アリサはうんざり、という表情で虎太郎を見る。
アリサは虎太郎が嫌いだ。
人間的に嫌いなのではなく、煙草という有害な匂いを発する物を好む虎太郎が嫌いなのだ。
鼻が良い日じゃなくても、何時も匂い煙草の匂い。
大嫌いな煙草の匂い。
好きになれない匂い。
「もう遅いぞ。さっさと帰れよ」
そう言って虎太郎は煙草を咥えた。
「…………校舎内は禁煙」
と軽蔑の表情をおまけで加えて言った。
「吸わないさ。ただ咥えているだけ」
「…………」
「おい、その信用してないって顔は何だよ?先生の事を信じろよ」
先生。
そう、こんな男でも教師なのだ。
「…………」
はぁ、と盛大に溜息を漏らす。虎太郎は苦笑しながら、アリサの隣に座った。
「臭い」
「酷いな」
「加齢臭が臭い」
「まだそんな年齢じゃないさ」
「嘘でしょ」
「嘘だよ」
仮に加齢臭があったとしても、煙草の匂いで消されている。とりあえず、この場で虎太郎が煙草を吸いだしたら二度とこの場所には来ないと心に決めた。だが、虎太郎は煙草を口に咥えたまま、海鳴の街をじっと見ていた。
そして、不意に呟いた。
「――――良い街だな」
本音なのか、それとも単なる社交辞令なのかは知らない。少なくとも、表情からは読み取れない。
「神沢も良い街だが、この街も良い街だ。海は綺麗だし食い物も美味い」
「食べ物なんて何処も同じでしょ」
「いやいや、その場所特有の味ってのがある。名産だとかそういう話じゃなくて、何処で作り、何処で食べるっていう意味だ」
食べ物の話は好きじゃない。
匂いのある物は嫌いだからだ。
「なぁ、この街は何が美味いんだ?」
「今、食べ物がおいしいって言ったばっかりじゃない」
「言ってみただけだよ。実際、この街に来てから殆ど仕事づくしだったからな」
「そう。良い事じゃない」
どうして自分はこんな話に付き合っているのだろう、とアリサは首を傾げたくなった。さっさと帰った方が良いのは確かだが、そうはいかない理由もある事はある。
「―――――そんなにこの街が好き?」
アリサが訪ねると虎太郎は少しだけ考え、
「好きになり始めてる、かな」
そう言った。
「良い街だとは思う。だけど好きって言える程、この街の事を俺は知らない……お前はどうなんだ?」
「嫌いよ」
即答する。
「好きになれる理由すら探したくないくらい、嫌い。なんでこの街に生まれたのか、どうしてこんな場所で暮らさなくちゃいけないか……疑問に思う事ばかりよ」
「探そうとしていないだけじゃないのか」
「探そうとする気力もわかないのよ」
ふと思えば、この街に良い思い出なんて一つも無い。
生れた時から海鳴に住んでいたが、アリサの記憶に在るのは何時だって家族と過ごす記憶だけ。この街の記憶なんて無い。家族の記憶はそういうものだと考えている。何処で何をしようと、何処で何を食べようと、何処でどういう事をしようと最終的に残るのは家族との記憶だけ。
あの時、母親はこういう顔をしていた
あの時、母親はこう言っていた。
あの時、母親はこんな風に―――自分を抱いてくれた。
場所なんて関係ない。大切なのは家族の記憶だけ。
六歳までの、家族の記憶だけ。
「周りから蔑にされている街なんて、好きになれるわけないじゃない」
これは嘘だ。
周りの評価なんてどうでもいい。
「化物の住む街。人じゃない連中の巣窟。何時か自分達に牙をむくかもしれない連中を閉じ込める為の刑務所。この街はそういう評価なんでしょ、周りからすれば」
「そうだな、否定はしないさ」
周りなど、他人など、その程度だ。
あぁ、だからか。
不意にアリサは悟った。
どうして自分が友達を作れないのか―――その理由が、コレだった。今、虎太郎相手に本心を誤魔化した事と同じ様に、コレが全部の真実だったのだろうと悟った。

家族という鎖に自分は未だに縛られている。

自分のせいで泣いた母親と自分を化物と見るような周り。アリサに大切なのは前者であって後者ではない。それが問題だった。問題という壁によって阻まれ、出る事も上る事も出来ないでいるのだろう。
「最低な街よ、此処は」
家族は一番身近な存在。その存在に傷を付けた自分が他人を受け入れる、受け入れられるはずがない。
始まりは家族。
そこから進めない自分。
家族すら満足に守れないのに、他人に構ってもらえるわけがない。
孤独と孤高。
それはまさに呪いだったのだろう。
父親が自分に巻きつけた鎖として発せられた言葉は、コレだった。
なんだ、こんな簡単な事だったのか。
なら――――簡単に諦められるはずだ。
アリサは鞄を持って立ち上がる。
「帰るわ」
「そうか、気をつけて帰れよ」
気をつけて帰るさ――――孤独に、そして孤高に。
その時だった。
不意に虎太郎が尋ねた。
「なぁ、バニングス」
アリサは足を止める。だが、振りかえらなかった。
「俺はこの街を好きになろうと思う」
どうしてか、力強い言葉に思えた。
「この街は確かに周りからは疎まれている。有るよりは無い方がマシだって言われてるだろうさ……でも、それは周りがそう言っているだけだ。周りは周りにいるだけで、内側の事を何も知らないだろ?」
「…………」
「だから、周りの連中の知らない事を知っているのは、この街に住んでいる住人であるお前だ。駄目な所なんて周りが十分に知っている。でも、良い所を知っているのはお前達だ。そんなお前達が外の事ばかりを気にするのはもったいないと想わないか?」
「…………」
「俺は神沢という場所にいた。だから海鳴の事を良く知らない。そんな俺はお前達からすれば周りとなんら変わらないだろうさ。だから――――教えてくれよ」
自然に、アリサは振りかえっていた。
「俺に教えてくれ」
虎太郎は夕陽を背に、笑っていた。
「この街の良い所をさ。周りからの評価じゃなくて、お前の評価を俺は知りたい。周りがどう言っているとかは関係ない。お前が今まで見て、聞いて、感じた事の方がよっぽど為になるからな」
「…………馬鹿?」
心の底からそう思えた。
自分の評価は先程言った様に、最低の一言だ。それだけは変わらない。この街は最低な街だ。人妖という疎まれた存在が住む、呪われた地だ。
そんな街を、
「好きなわけないじゃない」
これがアリサの下した評価だ。
だから、

「なら、これから好きになればいい」

その言葉に、言葉を忘れた。
「なんなら、これから俺と一緒に好きにならないか?俺はこの街の未経験者だが、お前は熟練者だ。けど、そんな熟練者ですら知らない好きな所が沢山あるかもしれない。見ている様で見てないかもしれない。知っている様で知らないかもしれない」
迷いの無い眼で、言葉で、想いを繋ぐ、
「そして、見ているつもりになっている事。知っているつもりになっている事を探さないか?」
見ている、つもり。
知っている、つもり。
それはまるで、アリサがたった今、悟った事が【悟ったつもり】になっていると指摘する様な言葉に思えてならない。
「馬鹿じゃないの、アンタ……」
「馬鹿かもな。でも、馬鹿でもいいだろ?馬鹿ってのは頭が悪いっていう意味もあるが、そうじゃない意味もある」
「は?」
「馬鹿である事を誇れるっていう意味だよ。馬鹿らしいと想うことを一生懸命にやる。周りから馬鹿にされても自分の芯だけは譲らない。他者の言う馬鹿と自分の中の馬鹿が同じである必要なんてない」
「意味分かんないわ」
「つまり、人それぞれっていう意味だ」
ますますわけがわからない――――だというのに、どうしてかわき上がってくるものがあった。
「言葉には人それぞれの意味があるんだ。言葉は誰かの言葉通りの意味があるかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。誰かの言葉を聞いて、その言葉を受け取るのは自分自身。だから解釈は変わってしまうかもしれない。伝えない意味を履き違える事もある。うまく伝わらない時だってある。言葉は、そういう誘惑を持ってるんだ」
誰かの言葉は、誰かに伝わるとは限らない。
どれだけ伝えたい想いがあっても、巧く伝わらず誤解を招く時だってある。
言葉の意味は一つじゃない。
受け取る者の心によって変わる。
「俺達の使う言葉には、そういう国語辞典には載ってない意味だって含まれているんだよ」
外から見た街。
中から見た街。
感じ方は変わる。
変わるから弊害も生まれる。
そこから、知るという意味が生まれる。
誰かを知り、己を知る。
外を知り、中を知る。
知る為に知り、知っているからこそ知る。
知ったら―――何かが変わるかもしれない。
「―――――ねぇ、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
夕陽はゆっくりと沈む。
沈めば夜がくる。
「孤独と孤高」
夜は闇しかない。
「この意味は、何?」
しかし、闇しかないと知れば、闇しか知っていないと勘違いすれば、見えないモノがある。
「お前はどう思うんだ?」
「…………わからない」
だからこそ、知った時に見えるモノがあった。
「わからないから……探してるの」
夜は闇の世界だろうと。
夜に太陽はなかろうと。
「多分、俺にはわからないだろう。その言葉の意味を知る事が出来るのは、お前だけだ」
ふと気付き、空を見上げれば、
「もしくは――――既に知っているのかもしれないしな」



星と月が、輝いているのだから















血、血、血、血――――そこは血の海。
人の形をしたソレはプラモデルのパーツの様にバラバラになっていた。手足、胴体、首と分かれたパーツを見る限りは男。着ていた青い制服を見る限りは警察官だろう。警察官というプラモデルは真っ赤な塗料をぶちまけて、死んでいた。
それを見た者、まだ辛うじて人の形を保っていた者は三名だけ。その三名の内一人は現在進行形でバラバラなパーツになろうとしていた。
「―――――ぎぃあ」
奇妙な声を上げ、喉に刃が食い込む。
ゆっくりと、肉に刃が食い込む。肌を裂き、肉を裂き、その下にある骨を裂く。そして最後は切断。首から鮮血を噴き上げ、三人は二人になる。
バタリッと首のない死体が倒れる。それを見た残りの二人は声を上げる事が出来ない。この二人は人妖だった。そして死んだ二人も人妖だった。
人妖が殺された。
目の前に立つ刃によって殺された。
【――――――――――】
それは刃だった。
人型の刃としか言えなかった。
輪郭を見る限りは子供だろう。長い金色の髪を見る限りは少女だろう。しかし、刃だった。
刃が一歩踏み出す。
地面に、コンクリートに刃が食い込み、地面を斬り裂く。コンクリートは刃が歩くと豆腐に刺さる包丁の様にスッと入り込み、地面に切り傷をつける。見ると、奥の方――刃が歩いて来た場所には刃が刺さった跡が残されていた。
【――――――――――ギィ】
刃と刃が擦れる様な声を上げて、刃は嗤う。
【ギィギィギィギィギィ】
その身体は刃で出来ていた。
足には無数の刃が生えていた。足の裏にも刃が生え、足の甲にも刃が生え、踵にも刃が生え、脹脛にも刃が生え、腿にも刃が生えていた。
身体も同様。
爪は刃の様に鋭く、指は刃の様に細く、手は刃の様に煌めき、腕が刃の集合体として出来ていた。
胴体からはハリネズミの様に刃が突き出し、背中には天使の羽の様に長い刃が生えていた。
首は刃が何本も重なり合い、肌を刃と化す。
二ィッと嗤った時に見えた歯は一本一本が刃。前歯も犬歯も全てが刃。
そして、生きている二人を何よりも恐れさせたのは、刃の眼だった。
眼から刃が生えていた。
眼球を突き刺し、生えていた刃が曲刀の様に曲がっており、まるでイノシシの牙の様に眼から生えていた。
人間ではない。
あんなふうになって生きている人間なんている筈がない。
身体が刃で覆われた人間なんて―――生きているわけがない。
【ギィギィギィ―――――ギギギギギギギギ!!】
刃が跳躍した。
一人が拳銃を抜き、発砲する。
夜の闇に響く拳銃の音はキンッという鉄に当たった様な音と共に消え、発砲した一人の眼に映ったのは、発射した弾丸を斬り裂き、自身の脳天に刃を突き立てた化物の姿。
一人の脳に突き立てられた刃は頭蓋骨をあっさりと貫通し、脳を突き刺し、そして人の顔を縦に一刀した。
ピーナッツの様に人の頭が真っ二つになり、数瞬遅れて噴き出す赤い噴水。
真っ赤な噴水を浴びた刃は嗤う。
嗤いながら最後の一人を見つめる。
眼なき眼にて見据えられ、最後の一人は無線で応援を呼んだ。思えば、見つけた時からこうすれば良かったのだ。本部からは見つけたらすぐに連絡し、監視しろという命令があった。だが、四人――今は一人しかないが、四人はそれを無視して逮捕しようとした。
結果はこの様だった。

最後の一人は無線機を手に取り―――その手を斬り落とされた。

絶叫―――した口を両頬ごと真横に切り裂かれた。

恐怖と痛みによる涙―――を流した眼球を刃で構築された舌で突き刺された。

逃げ出そうと―――した足をおろし金の様な刃の肌でザリッと削られた。

背中向けに転倒―――した瞬間に背中にボディプレスの様に圧し掛かられ、胴体に生えた刃で体内の臓器を根こそぎ刺された。

打つ手なし―――という状況になって、漸く最後の一人は死ぬ事が出来た。

そして、全員が死んだ。
残った人はいない。
残ったのは刃だけ。
刃の化物は嗤う。
全てが刃と化したソレは空を見上げて嗤う。
嗤いながら、刃の生えた眼球から、



鉄が溶けた様に、銀色の雫を流した








海鳴のゲートの前に一台の車が止まっていた。
「……ふぅん、あれがウミナリね」
車内から外をじっと見つめる女性。
「らしいな」
女性の問いに答える男。
「情報は確かなの?あの街にアイツ等が居るって話は」
「多分な」
「まぁ、嘘だったら情報屋のハゲをツンドラの一部にしてやるわ」
「そうだな」
「さて、それじゃどうやって潜入するかを考えますか」
「そうだな」
「…………」
「そうだな」
「…………」
「そうだな―――――ん、どうした?」
「とりあえずそのゲーム機を仕舞え!!」
女は男の手にある携帯ゲーム機をビシッと指さす。
「ちょっと待ってくれ。今、銀色の翼龍を狩っている最中だ。仲間は見捨てられん!!」
画面の中では様々な武器を持った男が一人と女が三人。激しい激闘を繰り広げていた。
巨大な翼龍と戦士達の激闘はまさにクライマックスまじかだった。恐らく、一度目でも死ねば全てが終わるだろう。
しかし、終幕はすぐに訪れた。

「電源ポチっとな」

画面が真っ黒に染まる。男の顔は真っ青に染まる。
「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!ボクの盟友達が!!ボクの親友達が!!ボクの妻達が!!」
電源を改めて入れ直す―――しかし、始まるのはオープニング画面だけ。最初から、途中から、という勇ましい音楽が流れるのがまた悲しい。
「最後の妻ってなによ?」
「見ろ。名前が全員女性の名前だ」
狩人仲間、というリストには全て女性(らしき)名前が記されていた。
「……兄さん、ネカマって言葉を知ってるかしら?」
女は頭を抱える。
この男、正確に言えばこの兄はどうしてこうなのだろうと本気で頭を抱えていた。
「HAHAHAHA、馬鹿だな妹よ。ネカマなんていない。この画面に表示されている名前は全て女性。故に全員が女性。そして妻、嫁、そして恋人!!一人たりとも男なんぞいない!!」
全身全霊で答る男を前に、最早言うべき言葉は無い―――つまり、ある意味でのゲームオーバーというわけだ。
「…………いや、まぁいいけどね」
投げやりな言葉を残し、女はハンドルを握る。
「とりあえず、一度ホテルに戻るわよ」
「おいおい、流石に兄妹でホテルというのは……」
「エロゲーのやり過ぎで脳が壊れましたか?だったら頭の中にウォッカ流し込んでやりやがりますよ、兄さん」
「さ、流石にウォッカで脳は洗浄できないよ」
割と本気な目で怖いのでゲーム機を懐に仕舞う。
動き出す車。
女は先をじっと海鳴の街を見る。男も同じ様に見据え、そして静かに呟く。
「悪巧みするなら自国でやれって話よね」
「まったくだ。僕の母国と冷戦してた頃が懐かしいね」
「アンタと私の母国でしょうが」
「何言ってるんだ?僕は生粋のアメリカ人さ」
「へぇ、それじゃ好きなお酒は?」
「ウーロンハイ」
「好きな食べ物は?」
「うま○棒」
「好きな歌手は?」
「水木し○る」
「全体的にアメリカ人じゃねぇ!?それと最後のは歌手じゃなくて漫画家よ!!せめて水○一郎くらいに言いなさいよ」
「お前も大概僕に毒されてきたな……僕が言えた事じゃないけど」
などと漫才を繰り広げながらも、
「それじゃ、そんな自称アメリカ人の兄さんは、目の前で悪巧みをする馬鹿野郎がいたら、どうする?」
「君と同じ意見を口にするだろうね」
男女は背筋がゾッとする様な笑みを作り、後部座席を見る。
後部座席には鉄の怪物がずらりと並んでいた。
全てが人を一撃で殺傷出来る程の威力を秘めた兵器。
そんな兵器の数々を見ながら、女はさらっと言ってのけた。

「―――――悪巧みは、盛大にぶっ壊すのが礼儀よね?」
「―――――あぁ、同感だよ……我が妹よ」






次回『人妖先生と狼な少女(後編)』


あとがき
きっと自然と2に突入しそうな勢いですね。まぁ、まだ続けますよ。今のところは2が優勢です。
さて、書いてて思った事なのですが……私、あんまり妖怪とか詳しくないな、という点。ぶっちゃけ、この暗殺者な娘の先祖をどうしようかと思ってます。しかも、あの人はアレにしようと思って能力考えて先祖を調べてみたら微妙に違うような気がするという繰り返しなんで、、少しくらい違ってもいいかな、と思い始めたっすよ。
もうあれです、筋肉マンみたいに超人大募集でもしますか。アナタの考えた人妖を感想に書くと、チョイキャラとか主要キャラで登場するかも?……なんていう妄想を抱く今日この頃です。



[25741] 【人妖編・第五話】『人妖先生と狼な少女(中編)』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/20 19:38
海鳴にあるそのビルは天上を突く為に立てられた、そう言う者もいる。それほどの高さを誇る高層ビルは、この街の一番の規模を誇るホテル。
街の中に一際大きなソレは、どのビルよりも高く、どのビルよりも存在感を持っている。異常であり異様なそれの最上階にあるのは、海鳴の街を一望できる展望レストラン。高級な品格を持ちながらも、一般市民も利用する機会のあるレストランなのだが、今はまったく人の気配がない。
いや、それは的確でありながら、的確ではない。
無人のテーブルが幾つも並べられるなか、ある一か所だけが無人ではなかった。その一か所にあるテーブルは全部で七つ。白いテーブルクロスをかけられた上に、このレストランの中で特別クラスと呼ばれるメニューばかりが並べられている。いや、それだけではない。一般市民でも食べる事ができるリーズナブルなメニューもあれば、誰が頼むかわからない珍妙な料理もある。つまり、そこに並べられたのはこのレストランのメニューに記された全てが並べられていた。
もっとも、そのほとんどは既に空となり、サラが山の様に詰まれていた。
そして、それを食べていたのは―――たった一人の男だった。
「…………相変わらずの食欲ね。いえ、暴食というべきかしら?」
ガツガツと一心不乱に料理を胃袋に押し込める男を、月村忍は呆れ顔で見ていた。
「こっちの胃が重くなりそうよ」
「なら、お前さんも喰うかい?」
「人の話を聞いてる?私はいらないわ。でも、珈琲くらいは貰えるんでしょうね」
忍は男と同じテーブルに着くと、背後から気配なく初老の男がすっと現れた。
「どうぞ」
男は忍に珈琲を差し出す。忍は礼も言わず、珈琲の匂いを嗅ぐ。
「毒は、無いみたいね」
「当然だ。俺は食には最低限の礼儀を持つ男だ。食に毒なんて不躾な物は入れんよ。仮に、入れるような男が俺の執事だったら、そいつはクビにする」
男はラストスパートの様にテーブルに置かれた皿を空にする。
「下げろ」
初老の男は無言で皿を片づけると共に、透明な液体が入った瓶を差し出す。男は瓶のふたを開け、一気に喉に流し込む。まるでジュースを飲む様にグビグビと飲む様子に忍はまたも呆れ顔をする。
「世界で最高のアルコール度数を持つ酒を、そんな風に飲む奴はアナタだけよ」
「これで最高だというのなら、この世界はまだ小さいんだよ」
「相変わらずの強欲だことで―――で、漸く私の呼び出しの応じてくれたのは、事を理解しているという考えでいいのかしら?」
瓶をテーブルに置き、男は頷く。
「あぁ、わかってはいるさ。俺としてはお前さんみたな美女とこうして食事する機会は多い方が好ましい。しかし、だ。こう見えて俺は世界中を飛び回る忙しさだ」
ニヤッと、笑う。
その笑みはいやらしさはない。しかし、好印象を抱かない。
「この街の中で引きこもっている月村とは違うんでな」
「この街すら満足に管理できないバニングスとは違うのよ、月村は」
「カカッ、言ってくれるよ」
またも笑う。
今度は単純におかしい気持ちからくる笑いだった。
相変わらず良くわからない男だ。忍は心の中で思った。
普通の人はめったに着ない赤い色のスーツを纏い、金色の髪を逆立て、右目に赤、左目に金という二つの色をもった男。身長はおそらく190以上はあるであろう長身。体つきはあれだけの料理を平らげながらもスマートな体格。女性としては羨ましいが、その体を隠す赤いスーツの下に隠された鍛え上げられた肉体を羨ましいとは思えない。
そして何より、男は若い。忍が二十代前半としてはかなり羨ましい美貌を持っている。それに対し、この男は【その十倍以上の年齢】だというのに、未だに二十代後半の様な姿をしている。
「まぁ、あれだ。この街は俺とお前さん達の管理によって成り立っているが、実際はお前さん達、月村が殆ど管理している始末だ。その点において俺は大人しく頭を下げよう」
「結構です。おかげ様で、この街の実権の半数以上は私達に流れていますから」
「そうらしいな。カカッ、俺もうかうかしてられんな」
忍の言葉にまったく動揺は見せない。彼女は今、この街にいる権力者の半分以上を手元に置いているといっていると言った。だというのに、この男はその事にまったく危機感を抱いていない。
「私が言うのは何だけど……アナタ、それでいいの?」
「それでいいのとは、どういう意味だ?」

「私がこの街の支配権を全て独占して、アナタを追い出す事も可能だと言っているのよ―――デビット・バニングス」

デビット・バニングス。
この街の半分、この街の【富】を支配するバニングスの一族。
この国だけでなく、世界にまで手を伸ばす財団の長。
「構わんさ。なんなら、俺はこの街を月村に譲ってやっても良いと思ってるくらいだ」
「譲ってやる、か……随分と舐められたものね、私達も」
「怒ったか?怒っていいが、あんまり怒るとストレスになるぜ?そして、お前さんが怒っても可愛いだけで、ちっとも怖くない」
舐められているのは事実だろう。だが、それはきっと違うと忍は確信している。この男は、デビットは自分を舐めているのではなく―――眼中にないのだ。
内心、怒りが膨れ上がる。
この街の支配権の半分を持っているバニングス。その歴史は深くは無い。そもそも、この街は当初、月村だけが支配するだけだった。それが十年前―――そう、たった十年で立場を半々にされた。しかも、十年前に海鳴の街に現れたバニングスは一年の足らずで三分の一を手に入れ次の年に半分まで奪い去った。
バニングス財団、十年前までそんな財団はなく、小さな会社の名前がそうだった。しかし、今では世界を股にかける程の大企業と成長したのは十年間という短い。昔の様に高度経済成長やバブルの波に乗ったというわけでもないのに、不景気の時代にたった十年で世界的な企業まで上った。
それもたった一人の男の手によって。
このデビット・バニングスという男一人の手によってだ。
「正直、この街にはあんまり興味はないんだよね、俺」
「なら今すぐ、出ていって欲しいわね」
「いやいや。それは駄目だ。なにせ、俺の夢は世界征服だからな」
本気で言っているのかと思う者が多い。もちろん、冗談と思う者が殆どだ。そして、それが冗談ではなく【それすら過程】だという事を知っているのは、少数だけだろう。
「子供みたいね、アナタは」
「大人さ。子供じゃ世界征服は出来ないから、大人になったんだよ」
「いいえ、大人になってなんかいないわ。アナタは私の数倍は長く生きている。なのに、未だに子供みたいな事を言ってるじゃない」
「夢を捨てない男なんだよ、俺はな。夢は素晴らしいぞ?夢さえあれば何でもできる。何でも実行できる。実行する為の力と金が手に入る。世界にはそういう夢と希望が詰まっているのさ、お嬢様」
「アナタが言うと反吐が出るわ」
少なくとも、あの教師の言う夢と希望とは程遠い事だろう。だからこそ、この男の夢など壊れてしまえと忍は心の底から願っている。
「酷いもんだ――――それはさておき、今日は何の話だっけ?」
男は煙草に火をつけ、忍を見る。
「今、この街で起こっている事件について」
「この街はいつだって事件だらけだ。小さいモノに構ってなんかいられんよ」
「そうね、でも小さなモノの中に奇妙なものが含まれているのが問題よ。その小さなモノはいずれ大きな火種になるわ。外と私達の争いの火種にね」
数日前から続いている連続殺人事件。
病院での事件が最初で、それから犯人は通り魔に変貌した。犯人が同一とは言い切れないが、やり方が同じという点で調査は開始されている。
「――――お、そういえばそうだったな。飛行機の中で見た新聞じゃ、珍しくこの街の事件が載ってたな。普段はこの街の危険性をばかりを載せて雑誌も、これ幸いとばかりにグチグチ書いてたよ」
「それが今の、アナタの言う小さなモノよ」
「小さいだろ、この程度。俺の取引先では今、大規模なテロが毎日起こっているぜ?多分、そろそろ戦争になるだろうな」
「それは外の話よ」
「世界に眼を向けようぜ、お嬢様。あんまりこの街に固執すると、小さい人間になっちまうからな」
男はそう言って立ち上がる。
「勘違いしてほしくないのは、別にこの街を蔑にしろってわけじゃない。むしろ、この街を大事に出来ない奴に頂点に立つ資格はない」
「なら、アナタはまさにその典型ね」
「残念。俺は違う。この街を蔑になんてしないさ――――この街も一緒に制服するつもりなんだよ、俺は」
巨大なガラス張りの窓から、外を見る。
「世界を相手にするのに、この街を蔑にするのは駄目だ。逆に、この街を相手にするから世界を後回しにするなんてのも駄目だ。何事も同時進行が好ましい。それこそ王者として相応しい行いだと想わないか?」
「どうだか。アナタのそれは単なる我儘よ、子供のね」
席に座り、今更ながら後悔した。
デビットを相手に少しながらの情報くらいは得られると思った。
少なくとも、デビットは味方ではない。だからこの事件の裏にはこの男がいる可能性だってあった。そうすれば、その事実を持ってこの街の全権を手に入れる突破口にはなるだろうと思った。
しかし、そうはうまくいかない。
「それで、アナタはこの事件をどう思っているの?」
デビットは答えない。
「カカッ、良い空だ」
関係ない答えを口にする。
「良い空だ。空は青い、雲は無い、太陽は素晴らしい輝きを持っている……やはり、この世界に生まれたからには光ある世界に生きるべきだと想わないか?」
「…………」
「この太陽の光を愛している。この身を焼き、俺を否定する太陽が大好きだ。昔から、【俺の時代の連中】はこの光を嫌っていたが、俺はそうじゃない。この光こそが俺の渇きを癒す最高の酒だ」
「…………アナタ、狂ってるわ」
「何故だ?」
忍はスッと眼を細め、冷たい声を吐き出す。
「私達、今の私達なら太陽の光は天敵じゃない。でも、昔はそうだった。そして、その昔から居たアナタは太陽を憎む側だったはず……それなのに、その光を手に入れる為にアナタは【私達】を裏切った」
「気にするな。ほんの数百年前の話だ」
「長老は、今でもアナタを許していないわ」
「あのガキはまだ生きてるのに驚きだな。いやいや、随分と長い気なガキだな。俺が若造の時なんて俺の後ろをちょこまかと走ってたガキが今や長老だ……世の中はわからんね」
忍にはデビットに対する敵意はある。だが、憎悪はない。憎悪を抱くのは彼女よりもずっと長い時を生きた者達。夜の一族が生まれた頃から存在していた者達だ。
そして、このデビット・バニングスも同じ様に【最初の者】だった。
「アナタは夜の一族全てを敵にしているわ」
「そうか、俺は眼中にないけどな。この世界の半分、夜の世界にしか興味のない若造共が俺に牙を向けるのは一向に構わんさ。その時は、丁重にお引き取り願うとするよ」
無論、とデビットは言う。

「この街に色々とちょっかい出す連中もまた、お引き取り願うさ」

「―――――やっぱりね」
忍は溜息を出す。
「どうしてアナタはそうやって大事な事を口にしないのかしら」
そう言った忍は、このレストランに来て初めて笑みをこぼす。それを見たデビットは微笑を浮かべ、
「お嬢様。あんまり敵の前で笑いをこぼさない方がいいと、アンタがガキの頃に言ったはずだぞ」
「そうだったわね、デビット叔父様」
月村忍は確かに彼に敵意を抱いている。だが、それと同時に別の感情を持っている。バニングスという敵。月村に害なす敵。その全てがデビットという男の存在だ。
だが、困った事にこの男はその全てを流すどころか受け止める。
来る者は拒まない。一切拒まない。否定するのは稀な事で、大抵は全てを受け止め、受け入れ、そして豪快に笑うのだ、この男は。
「私もね、【立場上】は叔父様と敵対しなくちゃいけないのよ」
「大変だな、若き当主様は……」
「そうでもないわ。私が叔父様の立場だったのなら、素直に降参するか、自害しているでしょうね」
一族全てを敵に回す事は出来ない。それは死を意味する事と同義。自分一人だけではなく、自分の家族すら犠牲になる可能性もある。
そんなギャンブルに手を出すなんて、とてもじゃないが出来なかった。
「私は叔父様みたいに強くないですからね」
「カカッ、そうだな。だが、気にするな。女は強くもあるが弱くもある。男は強くなければならんし、弱くてはいけない。だから男は女を守る。その逆も然り―――なんてのは、俺のプライドが許さんよ」
幼い頃。
バニングスがこの街の一部に噛みついた頃。
月村とバニングス、月村とデビットの間に激しい抗争が起こった事があった。表だった高層ではないが、アメリカとロシアの冷戦の様に全てを巻き込む大戦争が起こってもおかしくない状況が起こっていた。
その最中、忍はデビットと出会った。
抗争中だというのにデビットは忍を敵とは認識せず、実に紳士的に接していた。
色々な話をした。
色々な物を見せてくれた。
幼い忍の眼に映るデビットという男は、そういう男だった。
だが、今はそうじゃない。
デビットは変わらなくとも、忍は変わった。
姿も、性格も、そして立場も。
「私は叔父様の敵だけど、叔父様は私を敵とは見ないのね」
「見ないさ。全ての女は俺の敵じゃない。女で在る限り、お嬢様は俺の敵にはならない」
「なら、私が男だったら?」
「その時はその時だ。いいかい、お嬢様。男は臨機応変に態度をコロコロ変える権利がある。だが、その権利を持つ男は―――態度を変えても全てを守ろうとする意思がある男だけだ」
そう言って、デビットは忍の頭を大きな手で撫でた。幼い頃、こうやって撫でられた記憶がある。
「もう子供じゃありません」
「なら、キスしようか?」
「奥さんがいるでしょうに……」
「アレはアレ。お嬢様はお嬢様、さ」
でも、きっとデビットはしないだろう。そういう男だからだ、と忍は確信している。
「それはそうと、お嬢様――――なんか良い事あったか?」
突然、デビットは尋ねる。
「なんか前に会った時よりも随分と丸くなったというか、棘が無くなったというか……あぁ、さてはあれだな」
デビットは悪戯を思いついた子供の様な顔をした。
「お前さん、好きな野郎が出来たな?」
「――――なッ!?」
忍の顔が真っ赤になる。
「図星か……そうかそうか、やっとお嬢様に春が来たのか。このままじゃ、何時までたってもお嬢様がメンヘル処女で墓の下にいくんじゃないかと心配だった」
「な、なななな、何を言ってるんですか!?」
「そうか、やっとお嬢様に春が来たか……で、相手はどんな野郎だ?俺よりもカッコいい奴か?」
「叔父様には関係ありません!」
「という事はやっぱりいるんだな、好きな野郎が」
「はぅッ!?」
ニヤニヤと笑うデビット。
真っ赤になって焦る忍。
そして、



向かいのビルから飛んでくるロケット弾



爆音が響いた。
爆風が薙いだ。
レストランの美しい装飾品が一瞬にして炎に飲まれ、黒コゲになる前に粉砕される。
静かでもあり、騒がしくもなった店内は爆炎に飲まれ、黒い煙を充満させる。
ホテルの真下にいた人々は何があったのかと叫んでいる。
ホテルの中にいた人々は爆発によって一瞬呆然とし、すぐに何があったのかもわからず逃げ惑う。
そして、向かいビル。
ホテルよりも随分と低い場所にあるビルの屋上から、ホテルを見上げる者が数人。
「当たったか?」
「あぁ、命中だ」
その中の一人、サラリーマンの様な恰好をしている男は閉じた瞳をゆっくりと開ける。
「確かに見えた」
男は人妖だった。彼の能力は自身の視界を別の物に移動させるという能力を持っていた。それ故に別の一人が打った操作可能なロケット弾に視線を移し、ロケット弾を捜査していた。
「あの男に命中した」
先程までサラリーマンの男の視界に写った映像では、打ち出したロケット弾はデビットの身体に確実に命中、そして爆発。その後は視界を自身に戻したので確認できないが、あの爆発を見る限りでは確実に死んでいるだろう。
「だが、良かったのか?あの場所には月村忍がいたのだぞ」
「構わんさ。前からあのお嬢様にはデビット・バニングスと繋がっている線があった。つまり、我々を裏切る可能性とてあった」
しかし、それは建前だった。
夜の一族とて一筋縄ではない。様々な派閥はあるし、敵対する派閥もある。そして、この男達は月村と敵対する派閥が送り込んだ殺し屋。
「問題は無い。何も無い。それよりもさっさと逃げるぞ。それから当主に連絡。バニングスは死亡。そして【偶然、不幸にもその場にいた】月村忍は死亡……とな」
そう言って男達は撤収の準備をする。

「――――――それは少々困りますなぁ」

男達の視線が一か所に集中する。
「アナタ方には色々と聞きたい事があります故……あ、それはもちろん強制でも任意でもありません。私は警察でもなければ軍でもなりませんので」
初老の男が立っていた。
「これはあくまで、アナタ方の誠意によって成り立つ取引です。ですので、お手数をかけますが―――――」
老人の言葉を聞き終える前に、一人の手に拳銃が握られ、引き金を引かれた。
弾丸は真っ直ぐに初老の男に向かい、

発砲した男の首が吹き飛んだ。

「―――――あ?」
「―――――な!?」
聞こえたのはゴスッという拳が何を叩く音。その音の後に男の首が吹き飛ぶ――スイカを銃で撃った映像に似た感じで、吹き飛んだ。
それを成したのは初老の男。
男は真っ赤に染まった白手袋を脱ぎ捨てる。
「敵対行為には敵対行為で対処しますので、悪しからず。まぁ、あれですな。私とアナタ方では戦力的に差があります故、あまり無駄な抵抗をしない様にするのがお勧めです」
「お、お前……何者だ!?」
「執事ですよ。唯の執事。旦那様に仕える、時代遅れの老人のようなものです」
執事が人の頭を拳一つで粉砕するなんて話は聞いた事がない。これは漫画ではないのだ、これは現実なのだ。
現実にこんな者がいるなんて信じられない。
「人妖、か……」
「違います」
初老の男、執事はキッパリと否定した。
「私は唯の執事です。人妖でもなければ、アナタ方の様な特異な力はございません――――ですが、」
執事の眼光が変わる。
和やかな顔から、鬼の顔。
善人から悪人に変わる様な、そんな変化を前に全員の背筋が凍る。

「俺の主に手を出す愚か者を前に、牙を向かぬ執事など存在しねぇんだよ、若造共が……」

全員の手には武器がある。その身体にも異能が宿っている。だというのに手にある武器が、身に宿る異能を総動員しても、目の前の執事を相手に出来るとは到底思えなかった。
震える、恐怖からくる震え全員が思考を乱される。
だから、幻想を見た。
幻想が見えたのだろうと、全員が思った。
執事の後ろ、ビルに備え付けられている給水塔の上。

赤い色のスーツを来た金髪の男が、女性をお姫様抱っこしながら佇んでいた。

女性は気を失っているのかピクリともしない。だが、胸の上下を確認する限り、生きてはいるらしい。反対に男の方はというと、頭から血を流し、スーツをあちこちに傷があり、その傷から真っ赤な血が流れ出ている。
「―――――おい、テメェ等」
声で殺された。
戦意を殺された。
如何なる武器も、如何なる異能も、その声一つで全てが無と化した。
デビット・バニングスを前に、殺されるという想いでいっぱいになった。
「俺を殺しに来たんだろ?俺だけを殺しに来たんだろ?あの場所には月村忍がいたんだ。貴様等と同じ一族の忍がいたんだ――――なのに、どうして撃った?」
無表情な顔だったが、その額にははっきりとした青筋が浮かんでいた。それを見た男達は恐れ、執事は諭す様にデビットに向けて言う。
「旦那様。あまり気を荒立てない方がよろしいかと……」
「そう言うな、鮫島。俺はこう見えてガキらしいからな。ここは忍の言う通り、ガキに戻ってガキみたいにするべきだと思うんだよ」
「ですが、それではこの者達の上にいる者がわかりません。旦那様が相手をするという事は、殺すと同じ意味なってしまいます」
「あぁ、そうだな。でも、殺す。とりあえず殺す。女に手を出す男は死んでいい。事故なら情状酌量の処置もあるが、コイツ等は絶対に違う。忍がいたのに撃ったんだぞ?」
デビットは執事の隣に降り立ち、忍の身体を預ける。
「傷はないが、丁重に扱え」
「はぁ、了解いたしました……では、私は忍様をファリン様に」
「早く行って安心させてやれ。女が悲しむ姿は見てられん」
デビットは歩き出す。
一歩歩くごとに足下に血が堕ちるが、そんなモノはまったく興味がない様に思えた。
「―――――テメェ等に教えてやる。男ってのはどうして男に生まれてくると思う?」
誰も答えない。
答えるより前に、逃げる事を優先的に考える。
「わからない?こんな簡単な問題もわからないってか?ふん、つくづく馬鹿な連中に生まれたらしいな、テメェ等は……親の顔が見てみたい」
拳を鳴らし、赤い瞳に炎を宿す。
首を鳴らし、金の瞳に光を宿す。
金色の髪の逆立ちが、一本一本が針の様に鋭く尖り、周囲にパチパチと静電気が生まれる。
それを見た男達の中で冷静――周りの中では冷静に近い感覚を持っていた男は、それを見てバニングスの能力を電気に関係があるものか、と思った。
しかし、それは違う。
「教えてやるよ」
静電気が生まれた理由は何か、と問われれば一つだけ。
怒りという感情によって激しく発動した異能の一部が、デビットの身体に収まり切らず、周囲に漏れ出しているに過ぎない。
静電気に意味はない。
知るべきなのは、それが何を現すだけ。

「男が男として生れてくる理由はたった一つだ。それは、女を幸せにするためだ」

拳を握る。あまりにも強く握り過ぎたのか、掌の皮が剥け、血が流れる。
「男だったら女を大事にしろ。それを拒み、男が女を傷けるのなら世界を滅ぼすだけの度胸を持て。それも持てないのなら、テメェ等に女を傷ける権利は一つもありはしない!!」
恐怖が最高潮に達した。
「それ以前に―――――女に手を上げる馬鹿野郎は、殺しても文句は言えないよなぁ?」
男達は理解する。
デビット・バニングスという存在を理解する。
そして思い出す。
噂だと笑い、馬鹿らしいと一蹴した作り話という【真実】

数百年前、彼等の一族をたった一人の女の為に敵に回し、そして勝利した【夜の一族の裏切り者】

デビット・バニングス。
世間では人間と思われている人外。
金の狼。
太陽を抱く吸血鬼。
世界征服を企む大馬鹿者。



「さぁ…………鉄拳制裁の時間だ」



屋上から聞こえる破壊音を背に、鮫島という執事は忍を抱えて歩き出す。
「やれやれ、旦那様にも困ったものだ」
執事は歩く。
そして考える。
自分はとんでもない主を選んでしまった。
かつて、彼が幼い頃に出会った天狗、彼に戦い方を叩き込んだ師匠が仕える子供の姿をした妖怪の方が数倍はマシだった。
そう言えば、と執事は思い出す。
今、この街にはその師匠のもう一人の弟子がいるはずだ。自分と同じ流派を持ち、今では師すら凌ぐと言われた豪傑。
機会があれば、会ってみるのも悪くない。
「おっと、そんな事を考えている場合ではありませんな」
今すべきことは、炎上するホテルの前に呆然と座り込み、忍に仕える従者の肩を叩く事だろう。
もう一度、破壊音が聞こえた。
「――――――まぁ、ほどほどに、ですな」
答える様に、ビルの屋上が吹き飛んだ。








【人妖編・第五話】『人妖先生と狼な少女(中編)』








ある公園の前に、ビニール袋を抱えた少女が立ち止まった。
少女の名前は高町なのは。今は夕御飯の食材の買い出しの帰りだった。ビニール袋の中身を見る限り、今日の夕飯はカレーのようだった。
「…………あれ、なんだろ?」
なのはの眼に留まったのは山だった。
山といっても海鳴にある緑の山ではなく、白やら黒の山。その山を形成するパーツは色々な種類の犬であり、首輪をしているところから飼い犬らしい。そして、その首輪についたリードを一生懸命引っ張っている数人が犬達の飼い主というわけだろう。
つまり、犬が何かに群がっているのだ。
飼い主達が賢明に何かから犬を放させようと頑張っているが、犬達は尻尾を振りながら何かにじゃれる様に群がっている。
一体何に群がっているのだろうと興味がわいたのか、なのはは公園に足を踏み入れる。
「離れなさい!」とか「迷惑でしょう!」とか飼い主達が騒いでいる。なのはが近付くと、本当に沢山に犬達が何かに群がっている様に見えた。そして、犬によって出来た山の中から―――にゅっと小さな手が伸びた。
「人!?」
人の手。それも子供の手だった。なのはは急いで手を掴み、犬によって埋もれた誰かの救出を試みる。だが、大型犬から小型犬まで、様々な犬達が群がる山から人一人を引っ張りだす程、なのはには体力的なものが欠けていた。
周りの飼い主達も次第に焦りから乱暴に犬達を剥がそうとするが、まったく言う事を聞いてはくれない。
閑静な住宅街で、テレビで見る様な救出劇が繰り広げられるとは思ってもみなかった。そして飼い主達となのはとの連携プレイによって数分後、やっと埋もれた誰かが抜け出てきた。全身を犬の毛やら唾液でベトベトにされた人、少女は心底やってられないという顔で犬の群れから解放された。
「…………」
「…………」
そして、少女となのはは見つめ合う。
「え、えっと……」
「…………」
なんだ、文句であるのかという顔で少女はなのはを睨む。心なしか、自身の失態に恥じる様に頬を微かに赤くしているのが可愛らしく、胸がキュンっとなったのは本人には言わないでおこうとなのは思った。
「だ、大丈夫、かな?」
「…………えぇ、大丈夫よ」
別に何も無かったと貞操を整える様に立ち上がり、少女―――アリサはなのはと犬達に背を向けた。
「アリサちゃん!」
なのはの声にアリサは面倒そうに振り向き、
「な――――」
何よ、と言おうとしたのだろう。だが、たった一言は口にする前に止まる。というより、強制的に止められた。
再度、アリサを犬達が襲った。
襲ったという表現は些か間違いはあるのだが、この場合は襲ったという表現であっている気がした。
どうやら、この少女は随分と犬に気に入られるらしい。


「―――――犬に好かれるんだね」
「不覚だったわ」
二人でベンチに腰掛け、なのははアリサにハンカチを差し出す。アリサは一瞬躊躇したが、自分の格好に流石にコレは必要だと感じたのだろう、素直に受け取った。
先程まで犬に飲まれていたアリサの髪は何時もの様にセットされた綺麗な髪ではなく、寝起きのボサボサ頭になっていた。顔も犬の唾液でベッタリという特殊な性癖の者が見れば興奮モノだろう―――無論、そんな者は此処にはいないのが救いだった。
顔をハンカチで拭き、髪を手櫛で梳かして応急処置は完了。犬の唾液が付いたハンカチを見て、
「洗って返す」
とアリサは言うが、なのは気にしなくていいよ、と言う。それでも絶対に洗って返すとアリサは言って、なのはも素直に頷いた。
「…………」
そして、アリサは黙り込む。
まさかこんな場面を見られるとは思ってもいなかった。
犬という動物にどういうわけか異常に好かれる体質持つアリサ。その為、街を歩いて散歩する犬とすれ違えば、その犬は飼い主の命令を無視して襲いかかってくる。この襲い掛かるという表現はアリサ目線であり、犬からすればじゃれてくる、なのだ。しかし、アリサからすれば迷惑以外のなにものでもない。
そして今日、これも実に最悪だった。
学校からの帰り道、近道をしようと公園を突っ切ろうとした際、公園で遊ぶ犬達に遭遇―――後は、言うまでもないだろう。
「犬、好きなの?」
どこをどう見ればそう見えるのだろうか。
「嫌いよ」
本当の事を言えば好きだ。だが、毎回毎回あんな目に会うので、出来るだけ犬には近づきたくない。以前、ふらりと入ったペットショップでゲージに入った犬達がゲージに体当たりしてアリサにじゃれつこうとして以来、ペットショップにも迂闊に近づけない。ちなみに、アリサは知らない事だが、その時に犬達は新しい飼い主の所にいってもまったく懐く事をせず、何匹かはペットショップに返却され、今でもアリサの来店を心待ちにしているらしい。
「でも、好きそうに見えるけどなぁ」
「見かけで判断しないでほしいわ」
「ご、ごめん」
的確に言われているだけに腹が立つ。それ以前に、どうして自分はこの子と話をしているんだろうと疑問に思う。ハンカチを貸してもらったから、仕方なく話す必要なんてない。さっさと帰ってもいいはずだ。
なのに、
「…………」
「ん?どうかした?」
どうも調子が出ない。元々、人付き合いが得意な方ではないが、こうも積極的に来られると色々と狂ってしまう。
だから、なんとかさっさと会話を終わらせ、家に帰る事にしよう。そう思っていたのだが、
「――――夕飯の買い物?」
聞いてしまった。
「あ、コレ。うん、そうだよ。今日はカレーなの」
カレーと来たか、アリサは心の中で苦笑する。カレーというスパイスが効いたものは自分にとって天敵とも云える。特にカレーに入っているある食材は天敵中の天敵だ。
「ニンジンにジャガイモ、タマネギにお肉、あと福神漬」
「タマネギ……」
これだ。
これだけはどうしても駄目だ。
人妖になり、味の無い物ばかりを食すようになる前から、アリサはタマネギが天敵だった。
「そんなものは食材じゃないわ」
思わず言ってしまった。それから、しまったと想い、なのはを見る。なのははポカンとした顔で、袋に入っているタマネギを手に取る。
手に取り、
「タマネギ、嫌いなの?」
「別に……好きじゃないわけ」
「苦手なんだ」
「苦手じゃない」
「大嫌いなんだね」
「大嫌いでもないわ……嫌いでもないし、好きでもないだけ」
「それってつまり、苦手な野菜って事だよね?」
楽しそうに言うなのは。コイツは自分に喧嘩を売っているのだろうかと思ってしまう。
「意外だなぁ。アリサちゃんって何でも食べそうなイメージがあるよ」
「人をそんな勝手なイメージを植え付けないで―――あと、タマネギは苦手じゃないから」
あくまで認めない。
「――――――ほいっ」
当然、なのはがタマネギを放り投げる。それを普通にキャッチするなのは。
「あ、普通に触れるんだ」
「アンタ、人を何だと思ってるの?」
「てっきり触れない程に嫌いなのかと……」
絶対に喧嘩を売っているに違いない、アリサは確信した。
「そういうアンタは、嫌いなものは何なのよ?言っておくけど、私は別にタマネギが苦手ってわけじゃないからね」
「あくまで認めないんだね……そうだな~」
顎に指を当てて考えるなのは。数秒ほど考え、
「嫌いな物はないかな。何でも食べれる様にならないと駄目だってお母さんが言ってた」
「でも、苦手な物に一つくらいはあるでしょ?何でも食べなくちゃ駄目っていうには、絶対にあるはずよ、そういうものが……ま、私には無いけどね」
「タマネギは?」
「しつこい」
それからしばらく、アリサは逃げ出すチャンスを失い話し続けた。というより、なのはがアリサがタマネギが嫌いだと言う事を認めさせようとして、アリサがそれを拒んだので自然と話していただけに過ぎない。
しかし、それでもしっかりと二人は話をしている。
アリサにしてみれば、これはクラスメイトと初めて交わす、授業中ではない会話だった。
「…………」
胸がワクワクしているのはきっと事実だ。こればかりは経験は無くとも、事実だろう。嘘ではなくホントの感情。
「そっか、こういうものなんだ」
「アリサちゃん?」
アリサの呟きに、なのはは不思議そうな顔を見せる。
「ううん、何でも無い」
きっと、こんなに楽しいのだろう。月村すずか、なのはの友達の彼女は。そして周りにいる人達の友達付き合いというのは、こんな風なものなのだと知った。
少しだけ嫉妬しそうになる。でも、嫉妬はしない。嫉妬は出来ない者が出来る者に向ける感情だ。でも、自分はそうじゃない。
自分は出来なかったわけじゃない。しなかったのだ。努力し、自分から前に進めば出来た事をしなかった。サボっていたわけじゃない。わからなかったと言ったら言い訳になるから言わない。
だから嫉妬はしてはいけない、のだろう。
孤独と孤高。
父から受け取った言葉は言い訳には出来ない。言葉の意味はわからないが、言い訳に使って良い言葉じゃないはずだ。だが、もしもその意味がアリサの考える様な事だとすれば、自分は一生孤独に生きなければいけないのではなかろうか。
「ねぇ、高町」
「なのはでいいよ」
「それはお断り」
友達じゃないから。
「高町は……月村と一緒で楽しい?」
「え?」
言葉は詰まらせる。
困った様な、言い難い様な顔をしている。その顔を見て思い出す。あぁ、なるほど、と。この子は自分とすずかのアレを知っている。いや、知っているどころか見ているのだ。
三年前。
殺し合いと言ってもいいであろう、潰し合い。
原因はわからない。
その前後の記憶も曖昧だ。
だからきっと、何かがあったのだろう。
初めて他人に対して振るった自身の力。満月というもっとも力が膨れ上がる日だった。だから自分は恐らく勝ったのだろう―――勝って、何になるのだ。
「ごめん。言いにくいわね、私の前じゃ」
「そんな事……ないよ」
優しい子だ。
前後の記憶は曖昧でも、潰し合いの最中の事だけは覚えている。
飛び散る壁、花壇に咲いた花は散る、抉られた地面―――そして、何かを必死に訴えるなのは。
聞こえていなかったと言えば嘘になる。でも止められなかった。まるで内なる自分が戦え、潰せ、殺せと言っている様に思えたからだ。
その夜。
ベッドに入って思い出すのは、あの時の、暴力を振るった時の感触。
酷い感触だった。
味わいたくない感触だった。
そして、言いの様ない後悔が押し寄せて来た。
「いいの……答えなくて、いいわ」
「アリサちゃん……」
「―――――ホント、どうかしてたわ……」
クシャッと、紙を潰した様な笑顔だった。作りたくもない笑顔で、見せたくもない笑顔で、それでも誤魔化すような笑みは作ってしまったアリサも、見てしまったなのはも、二人とも痛いと思ってしまった。
心が痛い。
何かが痛い。
痛いのに、泣かない。
そして、泣けない。
「――――――すずかちゃんは、良い子だよ」
絞り出す様に、なのはは言った。
「凄く良い子。みんなは怖がってるけど、全然そんな事ない。優しいし、恥ずかしがり屋だし、可愛いし……笑った顔がね、とっても可愛いの」
「そう……」
どんな気持ちで聞けばいいかわからない。なのはもどんな気持ちで言えばいいのかわからないのだろう。言葉を探り探りするように、ゆっくりと紡ぎ出す。
すずかと初めて話した時。
授業でわからない所をすずかに教えてあげた時。
一緒にご飯を食べた時。
体育時間でペアになった時。
掃除の時間に一緒に机を運んだ時。
そして、すずかの口から友達になって欲しいと言われた時。
「すずかちゃんはきっと……一人は嫌だったんだと思うの」
「誰だってそうじゃないの」
自分だってそうだ、とアリサは思った。心の中だが、すんなり認められた事に驚いた。
「でもね、頑張ろうって思ったんだって。頑張って皆と同じ場所で勉強して、頑張って皆と話して、頑張って皆と友達になりたくて……それで、」
「最初の一人が、アンタだったって事でしょう」
羨ましい。
きっとすずかは、なのはの言う様に本当に頑張ったのだろう。月村である事で差別を受け、周りからは怖がられ、それでも教室に現れた。
すずかが教室に現れた時、アリサは表情こそ変わらなかったが、かなり驚いていた。きっと来ないものと思っていた。教室の一番後ろは常に空席で、その席に座るはずの少女は何時だって図書室にいた。
それが普通で、結末だと想っていた。
だが、それを打ち破った。
「凄いわよね、あの子」
「うん、凄いと思う」
だから笑えるんだろう。
三年間、笑う事が出来なかった少女は、今ではそれを取り戻す様に毎日の様に笑みを浮かべている。それは当然の権利で、当然の報酬だ。自らの殻を破り、自ら得た報酬を前に捨て去る馬鹿はいない。
「でも、皆はまだ怖がってる」
それだけが不安だ、となのは言う。

「大丈夫よ」

しかし、アリサはあっさりと言い放つ。
「クラスの連中も、なんだかんだ言って月村の事を気になってるわ」
「本当に?」
「えぇ、本当よ」
だって、見ているから。
「月村の前の席の松村。この間の数学の時間に月村が居眠りしてた時、教師にも月村にもばれない様に起こしてた。学級委員の斉藤は少しずつだけで月村と話す様になってる。この間なんか、好きな本の話で盛り上がってたわよ。水富士はちょっと月村に気があるのかもね。別のクラスで月村の悪口言ってた男子達と決闘してた―――まぁ、惨敗だったけど、後悔はしてないみたいね。柏木は月村と少し話しただけでガッツポーズしてたし、佐藤は月村の代わりに黒板消しを叩いてた」
すらすらと出てくる言葉に、なのはは呆然としてる。
「少しずつだけど、皆が月村の事を受け入れてるのよ。まぁ、あの煙草臭い教師の影響もあるんでしょうけどね―――って、どうしたのよ、間抜けな顔して」
ハッと我に帰り、なのははポツリと、
「アリサちゃん、凄いね」
と言った。
「何が凄いのよ」
「だ、だって!私もすずかちゃんも知らない皆の事を凄く知ってるから」
「普通でしょ、こんなの」
別におかしい事じゃない。
クラスメイトと話はしないが、それでも見てはいる。人間観察の一種なのだろう、男子でコイツは馬鹿だけど優しい。この女子は暗いけど心が優しい子だ。普段は仲の悪い二人だけど、片方が教師に怒られて気分を落していると、慰めていた―――こんなものは、見ていればわかる事だとアリサは思っている。
「ううん、全然凄いと思うよ!!」
何故か力強く言うはのはに、アリサは本当に不思議なものを見る目を向ける。
「凄くないわ。大体、この程度なんて全員が知ってる事でしょう?」
「私は知らなかったよ」
「…………あぁ、アンタはそうかもね。この間の国語の授業に楽しそうに落書きしてたら、授業が終わって全然ノートを取って無いって月村に泣きついてたくらいだから」
「それ、すずかちゃん以外には秘密なのに……」
「え、そうなの?」
それは驚きだった。
「そっか……アリサちゃんってやっぱり凄いんだ」
「いや、だから凄いとかじゃいでしょう、こういうのは」
「皆の事をちゃんと見てるんだもん、凄いと思うよ」
「見てるだけでしょ?誰にでも出来るわよ」
凄い事なんかじゃない。
見ているだけなら、誰だって出来るのだから。
「でも、ようやくわかったよ。アリサちゃんがどうして皆に慕われてるのか」
「はい?」
初耳だ。
自分がクラスメイトに慕われている、なんて話は聞いた事がない。そして見た事もない。
「嘘でしょ、それ」
「ううん、嘘じゃないよ……」
「信じられないわ。私って他の人には空気みたいなもんだから、誰も私の事なんて気にしてないわよ」
だが、なのはは首を横に振る。
「ちょっと近寄り難いけど、優しい子だって皆は思ってるよ」
以外過ぎる評価にアリサは驚いた。
「無口であんまり他の子と接してないけど、気づけば色々と助けてくれたりしてたよ、アリサちゃんは」
「私、が?」
なのはは言う。
アリサにしてみれば覚えのない事だ。覚えるまでもない事だった。しかし、なのははそれが皆の気持ちだと代弁するよう言葉にする。
それは小さな事から、大きな事まで。
教科書を忘れた生徒に無言で教科書を見せたという事。
教材を一人で運んでいる生徒が、教材を落してばら撒いた時に、何も言わずに手伝ってくれたという事。
体育の時間で怪我をしたが隠していた生徒を無理矢理保健室まで連行した事。
隣にクラスと喧嘩した生徒がいて、モップで相手を殴ろうとした生徒を無言で蹴りつけ、おまけに相手のクラスを睨みつけて喧嘩を仲裁した事。
どれもこれも覚えはある様な気はするが、しっかりとは覚えていない。
「アリサちゃんは皆の事を良く見てるけど、皆もアリサちゃんの事を見てるんだよ」
勿論、私もだとなのは言った。
「普段は全然喋らないし、誰かと遊んでる所も見た事ない。だからアリサちゃんがどういう子なのかきっと皆は知らない。でも、知っている事はあるんだよ――――無口で無愛想だけど、悪い子じゃない。絶対にそうだって、皆は思ってるよ」
今度はアリサが呆然とする番だった。
知らなかった。
全然、これっぽっちも、まったく知らなかった。
それ以前に周りから自分がどう思われているかなんて考えた事はなかった。精々、バニングスという名前だから避けられているんだろう、程度には考えていた。
それだけの奴なんだと想っていた。
最初、アリサがクラスメイトの事を色々と話した時、なのはは知らないと言っていた。だから周りを全然見てない馬鹿な子なのかと思っていた。だが、今はその立場が逆転していた。
周りを見ていると言う事は、周りも見ているのだ。
クラスメイトのアリサ・バニングスという少女の事を。
「―――――だから、すずかちゃんだって……」
そして、すずかの名前を口にされた。
「すずかちゃんだって、本当はアリサちゃんと仲良くしたいんだと思うよ……」
「そんな事は」
「あるよ。絶対にある。すずかちゃん、私と話している時も良くアリサちゃんの事を見てたよ。どうしたのって聞いても教えてくれなかったけど、悲しそうな顔してた」
「…………」
「アリサちゃんはすずかちゃんの事、嫌い?」
嫌いかどうか―――それはわからない。
「わからないわ」
正直に答える。
嫌いかもしれない、好きじゃないかもしれない。その反対に、嫌いじゃないかもしれない。好きかもしれない。どっちが本当なのかはアリサ自身もわからないのだろう。だから考える。どう思っているかを考える。
すぐには出ない問題。
でも、実は既に決まっている事かもしれない。
虎太郎が言う様に、わからないと想っているだけかもしれない。
わからない、という言葉の意味は、別にあるかもしれない。
好きかもしれない、嫌いかもしれない―――もしくは、誤魔化すのかもしれない。
「月村が私の事をどう思っているかなんて、関係ない」

「嘘だよ」

間も置かず、なのは言い放った。
「それ、嘘だよ」
「なんでそう思うのよ」
少しだけムッとした。だが、なのはの自分を真っ直ぐ見つめる瞳を見て、何も言えなくなった。
「だってアリサちゃん――――すずかちゃんの話をした時、凄く辛そうだった」
心の中を見透かされた気分になった。
「そしたら、今度はクラスの皆がすずかちゃんの事を考えてるって言ってた時は、凄く嬉しそうだった……すずかちゃんの事が嫌いなら、あんな顔はしないよ」
「そ、それは……」
「私は、ね」
なのはは、アリサの手を握る。
「アリサちゃんと、すずかちゃんに、仲直りをしてほしい」
仲直りという言葉に、何故か背筋が凍りついた。
「本当は嫌なんだよね?すずかちゃんと仲直りしたいんだよね?」
「違うわ。私はそんなんじゃない」
冷静に答えられたのは、きっと凍る様に身体が寒いからだろう。この感覚は知っている―――これは、恐怖だ。
「別にあの子と仲良くする義理もないし……あ、あの時の事だって、一年生の時じゃない。もうどうだっていいと思ってるのよ、私も月村も」
「嘘だよ」
またもや、はっきりと言われた。
「なんで嘘だって決めつけるのよ!」
なのはの手を振り払い、立ち上がる。
「当の本人がそう言ってるのよ!!私だけじゃない。月村だってそうよ!!あの子が私を見てるのだって、きっと私が怖いからに決まってるわ!!」
「違うよ」
「なんでそう言い切れるのよ!?」
激高するアリサとは対照的に、なのはは落ち着いた声で、

「私の当事者だもん。他人事なんかじゃない」

言葉を失う。
「あの時も当事者だった。そして、今はすずかちゃんの友達だっていう当事者……ほら、全然関係ないわけじゃないでしょ?」
ニッコリと笑うなのはに、アリサは自然と後退する。
「それに……これは私の我儘でもあるんだよ」
立ち上がり、アリサの眼を見る。

「すずかちゃんとアリサちゃん、二人が仲良くできたら……私も嬉しいから」

怖いと思ったのは、それだった。
無関心を装っていても、アリサはすずかを気にしていた。
座る者のいない空席を虚しいと感じながらも、同時にあれがずっと空席である事を望んでいたのかもしれない。
きっと自分は、すずかが学校を止めれば―――ほっとしていたに違いない。
見ているからわかった。
周りばかり見ているから、わかってしまっていたのだろう。
友達の作り方を知らない―――それは他人を必要としない。だが、それと同時に存在するもう一つの意味。
友達の作り方を知らないという意味には、もう一つの意味があった。そして、それがこうして心の底から生まれる恐怖の原因になる。
「…………無理よ」
両肩を抱き、自分で自分を抱きしめる。
「私なんかじゃ……無理、絶対に無理」
「アリサ、ちゃん?」
身体が震える。
震えてしまうのだ、自然と。
六歳の頃から封じこんでいた本当が蘇った。
誤魔化しであるにも関わらず、本当になってしまった想い。悟ったつもりになった想いが、本当に悟りになったのだと思った。
嘘は嘘でしかない。だが、嘘を突き通せば真実になる。
嘘が真実を、塗りつぶす。
「―――――嫌われるのよ、私は……」
恐怖、恐怖、恐怖―――恐怖が込み上げてくる。
「謝ったって、許してくれない。友達になりたいって思っても、なってなんてくれない……あんな事をしたのに、一緒にいてくれるはずがない!!」
助けたのに、嫌われた。
笑顔を向けて欲しいのに、泣かれた。
「そんな事は……」
母は泣いていた。
自分が泣かせた。
自分が人妖だから泣かせた。
「そんな事は無いよ」
「勝手な事を言わないでよ!!」
無い、なんて事は無い。
「だったらなんで……なんで泣くのよ?」
「泣く?」
本当でも嘘でも、嘘でも本当でも、思えは嘘にもなり本当にもなる。そして真実は消え、何もかもが嘘によって塗り潰される。
そして、それが真実になる。
「なんでママは泣いたの!?守ったのに、助けたのに、なんで私の事でママは泣いたのよ!!」
怒りを、理不尽な現実に抱いた怒りをぶつける。
「怖いからでしょ?私が、子供の私が自分よりも全然強い力があって、それが何時自分の身に危害を及ぼすのかが怖くて……それが、そんな力が自分の子供に宿ったのが悲しいから、泣いてたんでしょう!?」
家族に縛られた鎖。
人妖に目覚め、その力で母を助け―――泣かせた。
「守ったの?守ったら誉めて貰えると思ったのよ?ありがとうって、良い子だって頭を撫でてくれて抱きしめてくると思ったのよ!?でも、違った。ママは怖がるだけ。私の力が怖くて、泣いたの――――だから今度だってそうよ」
仲直りなんて出来るはずがない。
三年前、アリサはわけもわからず、すずかを傷つけた。
そんな相手にどうやって仲良くしようなんて言えるだろうか―――そんな言葉は腐って捨てればいい。
「どんなに頑張ってもどうにもならない事あるの!私みたいな奴じゃどうにもできない現実っていうのがあるのよ!!」
結局はそれがアリサの中の本当だった。
アリサの眼に映る光景が自身の全て。
この瞳が映し出す世界は、自分を求めてなどいない。
「だから、だから!!」
だから、これ以上自分を惑わす様な事を言わないでほしい。自分に構わず、一人でいる事を容認してほしい。どう足掻いても何も出来ないのだ。何も得られず、結局は堕ち込む事になるしかない。
なら嫌いなままでいい。
相手にも嫌われ、自分自身にも嫌われたままでいい。
こんな自分を好きになれるはずがない。
目の前が真っ暗になる。真っ暗な光が差し込み、アリサの世界を照らしだすようだった。光の世界なんて必要じゃない。光の世界だってアリサを必要とはしていない。
こんな奴を必要とする者なんて、存在しない。
だから堕ちるだけ。

堕ちて、堕ちて、堕ちて、光の届かない世界に向かうだけ――――

しかし、アリサは勘違いしていた。
光の世界がアリサを必要としていない。だが、それは光の【世界】がアリサを必要としていないに過ぎない。
世界とは全てという意味にではない。
世界の意味はそれだけじゃない。
世界、全て―――この二つの言葉は【個】がなければ構築されない、という意味だってあるはずだ。

「―――――全然わかってないよ」

世界という全てが見捨てても、その世界に住む個が必要としているのならば、
「やっぱりアリサちゃんは、全然わかってない」
それはまだ、不必要という意味にならない。
「さっきもそうだけど、アリサちゃんって自分の事は全然わかってないよね?」
なのはは苦笑を浮かべる。
「わかって、ない?」
「うん、全然わかってない―――アリサちゃんの言いたい事はわかったよ。でも、言いたい事がわかっただけで、そうなんだって理解はしない」
苦笑を浮かべながらも、瞳は笑ってはいない。
「アリサちゃんは自分で考えて自分だけで終わらせてるだけ……それじゃ、他の人の事なんて要らないって言ってる事と同じだよ」
「――――ッ!?」
「そんな風に思ってたら、きっとすずかちゃんの事だって全然わかってないんだよね?」
なのはは言う。
「ずっと見てたって言ってた時は凄いと思った。皆の事、良く見てるんだなって思って本当に凄いと思った―――――でも、見てるだけだったんだよね、それじゃ」
見ている、見ているだけ、それでは知っているとは言わない。
「アリサちゃんは皆の事をずっと見てた。でも、見てるだけだった。だから知らない。自分がどう思われているかも知らない。何にも知らない……アリサちゃんは、結局何にも知らないだけなんだよ」
どうして、どうしてここまで言われなければいけないのだろう。
どうして、こんな自分と同じ様な子に、こんな事を言われなければいけないのだろう。
「アンタに、私の何が分かるって言うのよ!!」
「全然わからないよ」
あっさりと否定した。
「だって、アリサちゃんとお話した事はなかったからね。私も、私達もアリサちゃんの事を見ているだけだった。色々と助けて貰ったけど、それだけで良い人だって決めつけるのもおかしかったんだ……決めつけちゃ、いけなかった」
見ているだけでは足りない。
行動している姿を見ているだけで、他人を評価する事はできない。
勿論、話すだけで分かると言うわけでもない。
人は嘘を吐く。それを本当か嘘かを判別するのは難しいだろう。だから本当に意味で他人を理解するのは難しい。
それでも、
「だから知りたいんだ。アリサちゃんの事を」
諦めて良い、今知っている事だけで良い、というわけにはならない。
「私の事だって知って欲しいし、すずかちゃんの事も知って欲しい」
なのはは自分の胸に手を当て、それからアリサの胸に手を当てる。
自分の心の音を聞き、アリサの心の音を聞く様に。
「少しだけアリサちゃんの事を知る事ができたけど、きっと足りないかな……」
アリサの胸に当てた手を放し、アリサに差し出す様に止める。
「私は、アリサちゃんと友達になりたい」
衝撃が走った。
身体中に電気が奔った様な気分だった。
それは、その言葉は、
「私、と?」
欲しかった言葉だった。
心の底から欲しかった言葉だった。
「私、なんかと?」
「アリサちゃんとだよ。アリサちゃんと仲良くしたいから、良く知りたいから、友達になりたいんだ」
でも、いいのだろうか。
これでは自分は何もしていない。
何もせず、受け入れるだけしかできない。
拒否する事でも出来るだろう。だが、それでは何も変わらない。
なら、どうする。
「…………どうして、良く知らない相手にそんな事を言えるの?」
「知りたいから、かな……アリサちゃんの事をもっと知りたいから。犬が大好きで、犬にも好かれるアリサちゃん。タマネギが嫌いなのにそれを隠しているアリサちゃん。誰かが困っていたら助けてくれるアリサちゃん……そして、本当はすごく臆病なアリサちゃん。私が知っているはこれだけだから。アリサちゃんを見て、話を聞いて、わかったつもりになったのは、これだけ」
人は欲深き生き物だと言うのなら、
「もっと知りたい」
今はそれでも良い。
それで止まる者など、進む権利は無い。

「だから、私と友達になって欲しいの……私と、すずかちゃんと」

汝、孤高で在れ。
汝、孤独で在れ。
父の言葉が蘇る。
この言葉を意味は本当に意味はわからない。だが、今の段階で知っている事は、自分がこの手を振り払う事が必要だという事だけ。
だが、いいのだろうか。
本当にこの手を振り払ってもいいのだろうか。
孤高であり、孤独である必要があるのなら、これは邪魔でしかない。
邪魔でしか、ないはずなのに。

「か、考えさせて……」

こう答えるのがやっとだった。






忍が事故にあったという知らせを受けた時、すずかは図書館にいた。
毎日たくさんの本を読む彼女は、良く学校の帰りに図書館に寄っていた。最近はなのはと一緒に帰る時が多かったので、最近はあまり着ていなかったが、今日はなのはが用事があるらしいので家に帰る前に図書館に寄る事にした。
そして、知らせを受けた。
すずかは急いで図書館を出て、タクシーに乗って忍が運ばれた病院へ向かう。メイドの話を聞く限り、目立った外傷もなく、気を失っているだけらしいが、それでも心配にはなる。家族なのだ、当然の事だ。
タクシーの後部座席ですずかは両手を握って祈る様に額に手を当てる。確かに外傷ないので心配はないが、精密検査で何か問題があるかもしれない。姉には健康で元気なまま自分の元へと帰ってきてほしいという願いでいっぱいだった。
一般道であるがゆえにタクシーの速度は平均並だ。だが、遅いと感じる。普段なら気にならないのに、今だけは歩いた方は早いのではないかと思うほどだ。
そして、タクシーの窓からふと外を見る。
夕方という事で帰路を歩く学生やサラリーマン。買い物帰りの主婦に道草をくっているすずかと同じ年の子供達。
誰もタクシーなど見ていない。道路を走る車なんて見てる者はいるはずがない。だというのに、何故か視線を感じた。
タクシーが横断歩道の前で止まった。
その時、一瞬だったが確かに感じた。
すずかの眼と、誰かの眼が交差する。
誰かは歩道から見ていた。
すずかの乗ったタクシーをじっと見ていた。
ボロボロとコートを纏った誰かの背は低く、子供の様だった。そんな子供の姿を周りは奇異の眼で見ている。そして、通り過ぎてればすぐに興味を失う。
そして笑っていた。
銀色の――まるで一本一本が刃の様に尖った歯を見せ、笑っていた。
「――――――ッ!?」
本能的に眼を反らした。見てはいけないものを見た、見てしまったような恐怖。歯の全てが刃という奇妙奇天烈な人間なんているはずがない。例え、それが人妖だとしてもいるはずがない。いたとしたら、異常な姿だ。
すずかは眼を反らしたが、視界に入れていないという事が逆に恐ろしく感じた。ゆっくり、恐る恐る視線を戻す。

そこには誰もいなかった。

安堵の息が漏れると共にタクシーが発進する。
今のは何だったのだろうか、幻の類なのだろうか、頭の中で整理するのに時間がかかりそうになる。そして、こんな幻が見えるのはきっと姉の事が心配しすぎた結果なのだろうと考えを完結させる。
早く病院に行って姉の元気な姿を見よう―――そうすずかは心に決めた。
タクシーの窓から忍の運ばれた病院が見える。
病院の前に小さな公園があった。
公園のベンチに二人の子供がいた。
「あれ?」
二人とも知っている。一人は友達のなのは。もう一人はクラスメイトのアリサ。どうしてあの二人が一緒にいるのだろうと首を傾げる。
「もうすぐ着きますよ」
運転手の声にすずかは窓から視線を外して、わかりましたと声に出す――否、出そうとした。

【―――――グィガガィィ】

ドンッという衝撃。
運転手の驚愕の声。
ボンネットの上に立つ、先程見えた幻。
刃の様な歯が見える程、歪んだ笑みを作る。
腕を振り上げると、その手には無数の刃が生えている。
その腕を―――叩きこんだ。
「ぎぃあッ……」
運転手の声と共に、その身体に腕が突き刺さる。突き刺さり、貫通し、シートすら突き抜ける。
「―――――――ッ」
声にならない悲鳴。
運転手は一撃で命を奪われ、運転する者を奪われたタクシーは蛇行運転を繰り返し、電柱に激突した。
動物的反応か、人間的反応か、どちらにせよ命の危機に出会ったすずかは本能的に身体の中のリミッターを解除した。後部座席のドアを蹴り破り、車が激突する瞬間に外へとダイブする。
アクション映画ばりのスタントを行ったすずかは地面を転がり、後に続くのはタクシーが壊れた音。

そして、地面に刺さる刃の音。

【ギィィィィギギギィィィ】
刃と刃が擦れる音が響き、視線を上げる。
そこには少女がいた。
少女だと思える何かがいた。
全身から無数の刃を生やし、眼からも口からも耳からも、全てから刃を生やしたソレは人間でも人妖でもない。
完全な、化物だった。
【ギギギィィィィギィギィ】
何を言っているかは分からないが、この化物は確実にすずかを見ていた。そして、嗤っている。刃で出来た歯の隙間から、金おろしの様な舌を伸ばし、自身の頬を撫でる。それだけで人間の肌だった部分は削り取られ、肌の下に隠されたピンク色の肉が見えた。
「―――ぅううッ!!」
悲鳴よりも吐き気が襲いかかる。
化物の肌の下には確かに肉があった。だが、その肉の下から刃がじゅぶじゅぶと音を立てて捲り上がり、肉を斬り裂き血管を断裂し皮膚を作り替える。
肌の一部が刃となった。
人の肉が刃となり、人の肌が刃となる。
それが変貌の開始だった。
最早、すずかは言葉を発せる事が出来ない。

刃が人を食っている。

人の形を刃が崩し、人の細胞を刃が奪い、人の進化の果てを刃と化す。
いや、それは進化などではない。むしろ、刃が元の姿に戻るろうとしている様に見えた。
人から刃に帰る。
人は元は刃だった。
時間が経つと共に、刃は人に化けた。
そして今、人は刃へと帰還する。



「――――メタモルフォーゼ」
医者は双眼鏡を目に当てながら、そう答えた。
「ドミニオンが作りだしたのは、人妖の力を一時的に上げる力だ。でも、それでは不完全だったんだ。僕達の国の研究では、人妖という存在は病気によって誕生した種族ではなく、【進化した形】だと想われている」
「進化?あれが、進化だというのか?」
下手人はスナイパーライフルを構えながら、信じられないと口を挟む。
「あれが人間の進化の果てだと言うのか?」
「う~ん、多分違うね。僕の考えを口にするなら、あれは進化の果てではなく【退化】なのかもしれないね」
「それも奇妙な話だな」
医者は言う。
人妖とは進化した人間ではない。人間が昔に戻ろうとして失敗したのが、人妖なのではないかと。
例えば人間は猿から進化した。猿も同じ様に元があり、その元も当然存在する。そして人妖とは元に戻ろうとする身体の行動。いわば、人間が猿に戻ろうとしている行動と同じだと言う。
「――――まさか、あの実験体の元はアレだと言いたいのか?」
「僕はそう考えるよ。ちょっとファンタジーな話になるけど、人妖の祖先はああいう人ではない存在だったかもしれない。だが、時が経つにつれて彼等は世界に適応していった。人が多ければ人の形に進化する。ほら、元は水中生物だったものが進化して陸上生物に変わった様なものさ」
「化物が俺達の祖先、というわけか」
嫌な話だ、と下手人は苦笑する。
「まぁ、あれだね。人魚姫が人間のままハッピーエンドで終わった場合。その子孫は人魚の遺伝子を持っていた、という事になるだろうしね―――そして、あの薬はそれを加速的に退化させる薬なんだよ」
進化する薬ではなく、退化させる薬。
人であった名残を根こそぎ奪いさり、怪物が怪物としての本来の姿を取り戻させる。
「この国の言葉を借りるなら、先祖返りってやつさ」
「所詮、化物は化物という事か……だが、あれは予想よりもかなり早い退化だな」
「そうだね。こればっかりは予想外だね。これじゃとてもじゃないが運用は出来そうになる。なにせ、あんな風に自我を失ってしまうほどの代物だ」
「失敗作というわけか」
「エジソンを習うなら、失敗は成功の母という話だよ」
レンズの向こうに写る姿は、最早、完全な化物だった。
少女の形をしていた刃は、その形を崩している。
現在の姿は刃で構築された獣。
衣服は破り捨てられ、刃となった肌が見える。一枚一枚が鋭い刃。振れただけで全てを切り裂き、一切の干渉を否定する盾と化している。
そして何より、骨格自体が変貌していた。
人の骨格は崩れ、二足歩行である身体を四足歩行に変化させている。それに加え、背中には刃で出来た背ビレが生え、その先に連結刀の様な尻尾が存在している。
怪物、その一言だった。
「流石にこれは効き過ぎというか、思った以上に力が強すぎたみたいだね」
「あれでは実戦では役にたたんぞ。自我どころか命令すら忘れた、ただ殺すだけに特化した生物兵器なんて使えない」
「同感だ……まったく、だからこの国から盗んだ薬で作りより、最初から僕達で作った方がよっぽどマシな物になるのに……」
まるで他人事だった。
レンズの向こうで刃の怪物によって殺されそうになっている少女がいても、二人の男はそれにはまったく感心を示さない。
「まぁ、いいさ」
「そうだね。いざとなったら廃棄処分にするだけだしね」
彼等の手によって怪物にされた少女は死んだ。あの場にいるのは少女の殻を斬り裂いて生れた刃の怪物。
その中にある意思は一つだけ。
斬り殺す。
目の前のアレを斬り殺す。
それだけしか存在していない。
医者と下手人は一つだけ勘違いしていた。
確かに今の怪物に自我は無い。だが、予め植え付けれていた記憶と命令だけはしっかりと残っている。本能と命令の二つアレを動かす衝動。そしてそれを完結させる獲物が目の前にいる。
恐らく、怪物が獲物を殺した瞬間―――怪物は本当の怪物に変わるだろう。
眼に映る全てを切り裂く、斬り殺す。
それだけが唯一の本能であり、存在理由。
哀れな少女は、完全に死んでいた。
名も消され、記憶も消され、残った自我すら消され、存在を自身の祖先によって消された。
既に少女という存在は消えた。
そこにあるべき怪物の名は一つ。
刃という怪物。
怪物という獣。


そして、この国に遥か太古に存在していた怪物の名を―――【胴切】と申す。




あとがき
うん、前後篇で終わりませんでした。そして、人妖先生が出ていない。
そんなわけで暗殺者の少女の先祖は【胴切】になりました。アイディアをくださった【ふぬぬ様】ありがとうございました。
そして、アリサパパの登場。ものすっごい人外キャラになりました。個人的なイメージではポルフェニカに出てくるレオンというキャラですね。
大体な設定は人物設定にて。
次回こそ、アリサお嬢様編の終了です。
そして、ちょっと間話を挟みますよ。



[25741] 【人妖編・第六話】『人妖先生と狼な少女(後編)』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/02/24 00:24
胴切という怪物が動くのか、すずかという少女が斬り殺されるのか、どちらが早いかと言われれば、言うまでも無い。


どちらよりも早く、風を切って奔る金がいる。


「頭下げなさい!!」
突然聞こえた声に、すずかは反射的に頭を下げる。それと同時に彼女の頭上を飛び越し、目の前にいた胴切に向かって襲いかかる獰猛な攻撃。
ガンッという音が響き、胴切の身体が吹き飛ぶ。壊れて廃車となったタクシーにぶち当たり、胴切の口から奇天烈な声が漏れる。
すずかが頭を上げると、目の前には自分と同じ制服を来た少女―――アリサが立っていた。
「バニングス、さん?」
「立てる?立てるならさっさと逃げなさい」
アリサは胴切から眼を反らさず、構える。しかし、その顔には冷たい汗が流れていた。阻原因はすぐにわかった。
すずかの眼に赤い液体が写る。それはアリサの足から流れ、彼女の履いている靴を真っ赤に染めていた。
「その足……」
「大丈夫。ちょっと思った以上に鋭かっただけよ、アレの身体がね」
タクシーが電柱に激突した音は、アリサの耳にも入っていた。
何が起こったのかはわからなかったが、本能的に何かを察知したのだろう。
アリサは即座に駆けだし、すずかと、すずかに襲いかかろうとしていた怪物を目にした瞬間―――すずかの頭上を飛び越えて胴切に蹴りを叩きこんでいた。しかし、それが仇となった。
胴切の胴体は刃で構築された鋼にも似た性質。そして、それに触れた者を問答無用で突き刺す鎧と化していた。
結果、アリサの足には胴切の身体の一部、胴体に生えていた刃が突き刺さっていた。
「それよりも早く逃げなさい……邪魔よ」
「で、でも―――」
「良いから逃げなさい!!」
アリサが叫ぶと同時―――胴切は跳び上がり、アリサに襲い掛かる。
小さく舌打ちをし、アリサはすずかを抱えてその場から跳ぶ。だが、今日は前回の時とは違い、空には半分以下の月、三日月が上っていた。
ソレが原因で彼女の脚力は胴切の身体能力の半分以下―――恐らくは、胴切になる前に少女よりも下だったのだろう。
胴切は上昇した身体能力をフルに使い、地面に斬手を叩きこむ。コンクリートで舗装された道路は豆腐の様にスッと切られた。そしてすぐに斬手を抜き取り、後方に飛んだアリサを追撃する。
アリサの腕にはすずかがおり、未だ跳んだまま。跳んだままで方向転換など出来ない事は物理的法則が教えてくれる。
故に、彼女に出来る事は跳んだまま―――すずかの身体を道路に向かって放り投げる事だけ。
放り投げた事で空になった腕で、突き出された斬手を受け止める。白刃取りの用量で斬手を両の掌で挟み込む。
「――――ぅくあ……ッ!」
挟み込んだ手の甲から刃が伸びた。胴切の斬手は掌、甲、両方に鋭く尖った刃が生えている。その手を挟みこめば、結果的にこうなる事は眼に見えていたが、あのままでは確実に胴体を突き刺されていた。
両の手に刺さった刃を抜く暇はなく、胴切は空いた片手で貫手を繰り出す。五本の指は針の様に尖り、そして長い。
斬ッと突き出される斬手。
真っ直ぐにアリサの頭部を狙ったソレを、アリサは蹴り上げる事で回避する。だが、それもまた悪手となるのだった。
アリサが蹴り上げたのは、胴切の肘。グンッと進行方向が代わり、貫手はアリサの頭部を擦るだけで済んだ。だが、蹴り上げたには更に深いダメージを負う事になった。
だが、それでも攻撃の手を緩める事は出来ない。
手に刺さった刃を抜き、蹴り上げた足を戻して頭部に踵を叩きこむ。
血が飛び散る―――アリサの足から。
これで三回。
三回の攻撃で片足は深刻なダメージを負う事になった。
だが、それは無意味には終わらない。頭部に叩きこんだ一撃で、胴切の頭部にある刃の一部を破壊。そこへ身体を回転させてのバックブロー。
拳の痛みは忘れる。
今はこの胴切をどうにかする事の方が先決だ。
だが、それでも今のアリサには荷が重いのも事実。満月のときの彼女の力ならこの程度の相手にここまでダメージを負う事はない。そもそも、満月の時のアリサの身体能力の向上は再生能力にも比例する。
胴切と距離を取り、片足に感じる激痛。満月時なら即座に回復を開始していたであろう傷は、一向に治る気配はない。
足下に真っ赤な水溜りを作る。
「これは……ちょっとヤバいわね」
苦笑できるだけ、まだ余裕はある。その余裕もハリボテであるのは明確。アリサの視界には未だにすずかがいる。そして、その後方に新しい邪魔が入る。
「すずかちゃん!!」
「なのはちゃん!?」
なのはが追って来たのだ。
今度は大きく舌打ちする。
胴切は刃で出来た銀の瞳でアリサ、すずか、そしてなのはを見る。
「な、なに……アレ?」
震える声でなのはは胴切を見つめる。それはすずかも同様だった。如何に夜の一族、月村の名を持つ少女だとしても、戦闘経験など殆ど皆無に等しい。つまり、足手まといには変わりは無い。更に、アリサが見てきた限り、人並み以下の運動能力をもってしまっているなのはもいるのだ。
「手札は最悪―――でも、やるしかないか……」
足の痛みは忘れる。
「アリサちゃん!!」
「うっさい!!さっさと逃げなさい!!」
血が漏れる足で――地面を蹴りつける。
今は二人が逃げる時間を稼ぐしかない。
胴切の身体が横に回転し、鋭い鞭の様な尻尾が飛んでくる。その一撃を頭を下げて避け、懐に入り込む。
構えるのは右手。
恐らく、撃てば刺される。
「だから――――」
しかし、迷いなどない。
「どうだってのよぉおおおおおおおッ!!」
轟ッと響く爆音と衝撃。
今の渾身の一撃を胴切に叩きこむ。胴切の口から耳障りな悲鳴が轟き、身体が宙に浮き上がる。浮き上がった身体に同じく右手でアッパーを叩きこみ。それから肘で再度追撃。空中で動きを止めた胴切を追い越す様に跳び上がり、
「潰れ――――ろッ!!」
両足で背中を蹴り抜く。
地面に叩きつけられた胴切は大きくバウンドし、そのがら空きの胴体に再度右手を打ち込む。
地面に亀裂が走り、胴切の身体にめり込む。結果、右手は完全に使い物にならなくなった。
胴切から距離を取り、動かない二人を睨みつける様に見て、
「逃げるわよ」
そう言って走り出す。
二人はその後を追う様に走りだすが、なのはは脚がもつれて転びそうになる。それをすずかが支え、二人は手を繋いで走りだす。背後で倒れた胴切を見ると、ゆっくりとたが動きだす姿を見て、二人は顔を真っ青にしながら懸命に走る。
先頭を走るアリサは周囲を見る。
こういう時は人気の多い場所に行くのは不味い。あんな化物を人の多い場所に向かわせたらそれこそ大惨事になる。だからと言って此処から警察がいる場所まで逃げるのも得策とは言わない。
走りながらも足には激痛が続く。そして、右手はそれ以上に出血している。自分の眼で見ても眼を背けたくなる程の怪我だった。恐らく、肉がズタズタになり、骨も何本か折れている。折れているだけならいいが、下手をすれば切断すらされているだろう。
「なんだってのよ、あの化物は」
とりあえずわかる事は、あの化物はすずかを狙っている事。そしてその能力は並の人妖では歯が立たないという事。そして、恐らくは最近この街を騒がせている殺人鬼はアレに違いない。
「あ、アリサちゃん。その手……足も!」
なのはの悲痛な声が耳障りだった。手の怪我を抑え、無言を突き通す。
「治療しないと」
「そんな暇はないわよ。グダグダ言っている暇があったら走りなさい!!」
背後には耳障りな刃物の音が響いている。追ってきている。自分とすずかを追ってきているに違いない。
その原因の一つは自分の足の怪我だろう。思った以上に傷が深いのか、走る度に地面に血が零れ堕ちている。コレを辿れば馬鹿でも後を追ってこれるという話だ。
だとすれば、
「高町、月村。次の曲がり角でアンタ等は左に逃げなさい。私は右に行くから」
二手に別れるしかない。そして、相手は確実に自分の方に来る。
「で、でも、それじゃバニングスさんがアレに―――」
「それが狙いだって言ってんのよ。それとも何?アンタがアレの相手をする?言っておくけど、アンタじゃ無理よ」
もっとも、今の自分でも無理だ。
「このままじゃ絶対に追いつかれる。だから二手に分かれる。アンタ等の生存確率は私よりは高いし、アンタ等が居ない方が私の生存確率は少しは上がるわ」
我ながら冷静にだとアリサは思った。
死の恐怖がないわけじゃない。ただ、こういう場面にはそれなりに慣れているのも事実。その理由はこの二人には言えないが、経験からわかる。
このままじゃ、三人とも死ぬ。
「そんなのダメ!!」
なのはが叫ぶ。
「アリサちゃんを置いて逃げるなんて……」
「そ、そうだよ!そんなのは駄目に決まってるよ!」
あぁ、五月蠅い連中だ。
アリサは二人を睨みつけ、叫ぶ。
「邪魔なのよ、アンタ等二人は!!」
そう言って曲がり角に差し掛かると二人を無理矢理右方向に押し出す。
「私の足手まといになりたくなかったら、さっさと逃げなさい!!」
二人は中々その場から動こうとしない。
まったく、なんて鈍い連中だ―――だから、
「―――――大丈夫よ」
だから、こうして笑ってやれるのだろう。
「あんな化物に殺されるほど、私は弱くないわよ」
そう言って走りだす。背後から二人の声が響くが無視する。そして、躊躇するようだが走りだす足音が聞こえた。
これで安心できる。
五月蠅い連中だ。自分の心配をする暇があったら、自分達の生存確率を上げれば良いモノをと考える。
本当にお人好しな馬鹿だ。

「だから……守らなくちゃいけないじゃない」

足を止める。
周囲には誰も居ない。
あるのは建築途中の鉄筋がむき出しのビルだけ。
そこでアリサは相手を迎え撃つ。
他人なのだ、あの二人は。
友達でも家族でもない、唯のクラスメイトに過ぎない。
そんな者の為に命を張るなんて馬鹿らしい限りだ。
孤独であり孤高。
他者と共にいるのではなく、一人で迎え撃つ。
何の為に―――守る為だ。
あぁ、わかっているとも。

わかっているから、見捨てられなかった。

自分でも認めたくない本当の自分の一部がコレだった。コレがあるから、数日前にすずかを助けてしまったのだ。
唯、満月だから助けた――言い訳だ。
唯、顔見知りだから助けた――これも言い訳。
何を言っても言い訳にしかならない。
だから正直な気持ちで言葉にするしかない。
「高町の言う通りね。私、全然自分の事がわかってないわ」
笑ってしまう。
こんな時になってようやく認める気になれた。
地面を刺す音が聞こえる。
「結局、こういう事しか出来なかったのよね……私、結構臆病なんだ」
音は自分の元に近づいている。
「何が友達の作り方を知らない、よ。ただ作る勇気がなかっただけじゃない」
音が、目の前で止まった。
「ねぇ、アンタもそう思わない?」
胴切へ話しかける。当然、相手はこっちの言葉などわからず、首を傾げている。言葉が伝わっていないのではなく、この状況で清々しい笑みを浮かべているアリサが奇妙に思えたのだろう。
「――――本当は誰かの傍に居たかった。でも、その勇気がなかった。話しかける勇気も、行動する勇気も私に無い。だから月村が羨ましくて、周りが羨ましかった」
暗い空には月がある。
手を伸ばしても届かない月。
だが、本当は届くのだ。どんなに遠い月だろうと、星だろうと、届くかもしれない。届かないものだと決めつけ、手を伸ばす事すらしない愚か者には、届く可能性すら在りはしない。
「だからなのかな……綺麗だと思った。尊いと思った。友達がいる人達みんなが綺麗で大切な者に思えてならなかった……そう思えたから―――守らなくっちゃと思った」
奪われるのも壊されるのも嫌だった。
高町なのはという友達を得た少女の笑みを、壊してはならないと思った。
だから助けた。
勝手助けて、勝手に見ていた。
「アンタはどう思う?こんな馬鹿みたいな私の事を……」
胴切は答えない。
代わりに刃で出来た舌を伸ばし、唸る。
言葉は通じない。こちらに伝わるのは背筋が凍るような殺気だけ。恨まれる筋合いはないと思うが、薄々は感じている。
アレは、目の前にいる化物は、数日前に自分が病院送りにした人妖の少女だったのだろう。
確信は無いが、そんな気はする。
「――――壊させないわよ」
意思は込める。
ガラクタな手に力を入れ、ズタズタな足に踏ん張りを利かせる。
この先は通行止め。
この先の向こうは自分やお前の様な者の歩む道ではない。
「絶対に、壊させない」
どうしてか、この時に脳裏に浮かんだのは虎太郎の言葉だった。
この街を好きになりたい。この街が嫌いなら一緒に好きにならないか。そして、言葉にある別に意味―――これは走馬灯になるのかは知らないが、今だけははっきりとわかる。
自分はきっとこの街が嫌いなのではない。この街に居る人々は外の世界と変わらず誰かと共にある。そんな当たり前の事が出来ない自分が嫌いで、それが出来ている周りが羨ましくて、だから嫌いになって―――それでも、そんな嘘には誤魔化されなくなっていた。
一緒に好きになる事なんて出来ない。
何故なら、最初から好きだからだ。
外にも出れない、外から憎悪を受ける、しかし中では生きている人々がいる。
「来なさいよ、化物……相手してあげるわ」
少女の決意に、薄らと瞳に赤い色を宿す。
本来の力には程遠い赤だが、後は意思で補うだけ。
負けは考えない。勝ちも考えない。

考え、そして守るべきは―――他者の絆。

アリサという人妖の意味。アリサという人間の意味。アリサという存在の意味。ソレを今、この場で叩きつける事にしよう。
胴切とアリサ。
怪物と人妖。



互いは互いを障害とみなし―――激突する。









【人妖編・第六話】『人妖先生と狼な少女(後編)』









虎太郎は一人家路に着く。
元々は日が暮れる前に帰るはずだったのだが、とある場所に寄っていたせいで帰りが遅くなった。しかし、その成果は上々だった。
その成果は彼のビニール袋の中に入っている代物―――言いかえれば、景品である。
軽く捻って銀の玉を飛ばして、穴に入れて抽選して、数字が三つそろって万々歳。
むふふ、と間抜けな笑みを浮かがら煙草を咥え、その笑みを隠して無表情で歩く。
周囲には誰もいない。実に静かなものだと小さく笑みを零す。だが、この静けさの裏には闇が在り、今もこの街を騒がせている。その原因となるのは謎の殺人鬼。刃物で人々を次々と惨殺する怪物。
「―――――」
家に向かう足を止め、周囲を見回す。
「―――――」
人の気配はない。
「―――――」
しかし、何かがいるという事だけはわかる。
「―――――」
これは、何だと考える。

「――――――――――――――――――俺に何の用だ?」

ヌッと背後で影が動いた。
影は虎太郎の背にある影から生まれた様に蠢き、形を成す。
ソレは影でありながら人の様に動き、人の様に嗤っていた。
『―――――加藤虎太郎さん、でよかったですか?』
聞こえたのは機器で加工したような声だった。その声は虎太郎の背後にある奇妙な影の口から洩れていた。
「そうだが……お前は誰だ?」
『誰でもいいではないですか。私はただ、忠告に来ただけです』
「忠告?」
影が頷き、虎太郎の耳元に這い寄る様に囁く。

『月村に手を出してはいけません』

なるほど、確かに忠告だと思った。
「それはどうしてだ?」
『理由は一つです。月村という存在自体がこの街に平和を崩し、全てを破壊するのです』
「全てを破壊とは、また大きく出たな」
『嗤い事ではありませんよ。私が言っているのは事実です』
「アイツ等がそんな奴等には見えんがね」
『それは見せかけです。如何にアレが人間の姿を取っていようとも、人ではない。人妖でもない。紛れもない怪物だ。月村忍という女も、月村すずかという少女も―――互いに怪物でしかない』
虎太郎は煙草を地面に吐き捨てる。
「お前、何様のつもりだ?」
そして、その声には静かな暗さが籠っている。
『私は唯の忠告者です。アナタの為、街の為にね』
「だったら大きなお世話だな。俺は俺の意思で相手を選ぶ。お前の言葉を素直に受け取って、はいそうですかって頷くわけにはいかないな」
『それはそうでしょう。ですが、それは間違った考えです……月村は化物の一族だ。アレは根絶やしにしなければ海鳴の街に未来はない』
妙に力強く力説する影。だが、それは何処か焦っている様にも見える。
『出来れば、アナタは私達側について欲しい。ですが、アナタは一般市民。唯の一介の市民に過ぎないアナタを危険な目には会わせられない―――それ故の忠告です』
「そうかい。それはありがとう―――そして、大きなお世話だ」
コレ以上は話す気はない、と虎太郎は歩き出す。
『お待ちください。私の話をちゃんと聞いていましたか?』
「あぁ、聞いていた。聞いていたからこそ、こう答える」
周囲の空気が重くなる。
それを一番に感じたの―――影だった。
影が焔の様に揺らめき、形を崩そうとしている。
「――――人の生徒を悪く言う貴様の言う事を、わざわざ聞いてやる程、俺は暇じゃない」
眼鏡の奥の瞳は、猛獣の様に鋭く光る。
『アナタは、わかっていない』
「わかってなくて結構。俺は俺の眼で見た事しか信じない。少なくとも、お前の言う事を信じよりはよっぽど自信があるぞ、俺の眼は」
『化物を庇うのですか?』
「生憎、いい女の味方なんでな」
『…………なるほど、良くわかりました。アナタはあちら側の人妖というわけですか』
「あちら側とかこちら側とか、一々線引きしないと何も出来ない阿呆とは仲良くする気はないね」
馬鹿にした発言に、影の声が微かに震える。
『私は善意で教えてあげたのに、阿呆呼ばわりですか』
正常な精神を保とうとしている様だが、虎太郎の耳に届く声からは確かな怒りが感じる。
だからそれを助長させてやる事にした。
「あぁ、阿呆だな。お前は人類最高の阿呆だ」
『………………口を慎め』
ほら、あっさりと地を出したと虎太郎はほくそ笑む。
『人が下手に出ていれば良い気になって……いいか、人妖。私はお前と違って【高貴なる者】だ。貴様の様な一人妖風情が私に楯突く様な発言をしていいと想っているのか?』
「阿呆に阿呆と言って何が悪い?文句があるなら姿を現せ。人の影に忍しか能のない阿呆の相手をしている程、俺は暇じゃない」
影が震えている。怒りによる震えは影の形を崩す。どうやら相手の力は精神の高ぶりによってあっさりと崩れ去る程の力らしい。もしくは、それを扱う事すらままならない雑魚なのどっかだろう。
『後悔するぞ』
「させて見ろ」
すぅっと影が消えた。残るのは虎太郎の影だけ。背後を見ても誰も居ない。周囲を見回しても同じだった。
「さて、まさか本当に俺に接触してくるとはな……」
こればかりは驚いた。予想外というわけではないが、こんな【迂闊な事を平然としてくる】とは思ってもみなかった。
「やれやれ、だな」
無駄な時間を過ごした、と虎太郎は頭を掻き、

「―――――ご苦労様です、先生」

その背後で静かな声が響く。
虎太郎は肩をすくめて背後を見る。
そこには先程まではいなかった白銀色の髪をした女が立っていた。
「向こうは随分とおバカさんだったようで、先生の手を借りるまでもなかったですね」
虎太郎をそう呼ぶ女は二十代前半と若い。背はあまり高くないが、スラッとした身体はモデルの様にも見えるだろう。もっとも、モデルというには少々身長は足りないし、胸の脹らみ足りない。
「そうかい、それは良かったな……」
そう言って虎太郎は手に持っていた袋の中からホットコーヒーの缶を取り出し、女に向けて放り投げる。女はそれを片手で受け取り、
「本来なら私がお礼する側なんですが」
「生憎、俺は自分の受け持った卒業生から施しを受ける気はないがね」
卒業生と虎太郎は言った。
女は微笑み、
「ですが、双七くんからは随分と巻きあげている様ですが?」
「あれはあれだ。言っておくが、別に俺がだらしない人間というわけじゃない。如月に世間の荒波に呑まれない様に鍛えてるんだ」
どの口が言うのか、女はやれやれと首を竦める。

「まぁ、それはさておきだ――――これで良いんだな、トーニャ」

「問題ありません。相手は確実にこちらの網にかかりました」
女は悪巧みが成功した子供―――どころではない。悪巧みが成功した悪徳金融の社員の様な笑みを浮かべる。それを見た虎太郎は、彼女に行った自分の教育方針は本当に間違っていないか心底不安になった。
女の名はアントニーナ・アントーノヴナ・ニキーチナ―――通称トーニャ。国籍はロシア。虎太郎が神沢学園でかつて受け持っていたクラスの卒業生である。
「―――にしてアレだな。久しぶり顔を出したと思ったらいきなり囮になれとはな……お前、教師を何だと思ってるんだ?」
「生憎、使える物は何でも使うタチでして。永久子狐からバカップル夫婦まで」
「殆ど如月家だな」
「幸せなんてぶっ壊すべきだと思いません?」
「そういう事を平然と口に出すような教育をした覚えはないんだがな」
彼女の口の悪さは昔から変わらない。というより、かつての恩師との感動の再会でいきなり、
『先生。ちょっと囮になってください。大丈夫です。危険じゃありません、全然危険じゃありません。何かあっても先生が頑張れば乗り越えられますので頑張って囮になりましょうレッツらゴー!!』
というこっちの話をまったく聞かない強引な言葉だけで虎太郎を囮にしたのだ。もっとも、それを平然と受け入れる虎太郎も虎太郎だった。
「理由はさっぱり教えてくれんようだが……なにか変な事に首を突っ込んでないだろうな?」
「変な事には首を突っ込んでいません。むしろ突っ込まれる側?いやん、先生のセクハラ~!!」
「突っ込まんぞ」
「……ッチ、これかだから中年は」
本当に自分の事を教師だと想っているのだろうか、この女は。
「まぁ、いいです。先生のギャグセンスとツッコミセンスは皆無だという事は学生時代から知っていました……先生、少しは如月くんを見習ったらどうですか?」
「それはお前の被害者になれという事だな。あぁ、それはお断りだ。お前の担当は昔から如月と如月妹の係だ」
「トーニャ係ですか……ふむ、随分とダンディな香りがします」
どの辺にダンディな香りがあるかは知らないが、こういう所は昔と変わっていないので安心する。そして、少しだけ進化している様で不安になる。
「話が全く先に進まないから、勝手に進めるが―――」
「いえ、もう少しやりましょう。学園生活が懐かしくて悶々してきました」
「女が下ネタを口にするなよ」
「え?こういう女は嫌いですか?」
「人をからかって面白がる女は好きじゃないな……嫌いでもないが」
一向に話が前に進まない。
「それで、今度はどんな厄介事に首を突っ込んでるんだ」
「いやん、突っ込むなんて先生の―――」
ゴンッと脳天に拳骨を炸裂。
もんどりをうって転がるロシア女。
「……………せ、先生。幾らなんでも元・生徒に手を出すのは如何なものかと……あと、しっかりと拳を石化しないでください」
「いい加減に話せ。今度は手加減なしでいくぞ」
割と本気な口調で言う虎太郎に、流石にふざけるのを止めたトーニャはやれやれと首を振りながら立ち上がり―――真剣な表情を浮かべる。

「――――先生はバニングスという者を知っていますか?」

バニングス―――知っていないはずがない。
「知っているか、知らないかなんて、既に調べが付いてるんだろ?」
「えぇ、不躾ながら調べさせてもらいました。お叱りは後で受けます―――逃げますけど」
「あぁ、後にするよ―――逃がさんからな」
真面目にやる気がある様にない元・生徒だが、その眼にはふざけるという態度は無い。
「数日前、この街にある機関の工作員が潜入しました。目的はある実験体のテスト、という題目らしいです」
「実験体?」
何やらキナ臭い匂いがしてきた。
「えぇ、実験体です。といっても、実際は実験体のテストではなく、その機関が極秘で作り上げた薬のテストというのが正しいのでしょうね。実験体はその薬を打ち込む為のモルモットというわけです」
トーニャの顔が歪む。
怒りという表情だ。
「実験体は機関が数年前に誘拐した少女。その少女は幼くして人妖病が発病し、国の病院に閉じ込められていました。ですが、それはあくまで治療という目的の為です。その国では人妖病を治す為の研究を進めている為、少女は酷い扱いを受けてはいません――――少なくとも、その病院に居た時は……」
「誘拐された後は違うってわけか」
胸糞悪い話だった。続きを聞く気も失せる程に吐き気がする。そういう連中は大半はマモトじゃない。自分達をマモトだと思うのではなく、人とは違う相手をマトモだと思えない異常を持っている。
「私達の調べによれば、工作員と少女はこの街に来る前にある人物と接近していました」
「それがバニングス、か?」
「正確に言えば少し違いますね。バニングスに関係のある者としかわかっていません。その者の狙いは、この街の支配者の一つである月村の令嬢、月村すずかの殺害」
殺害という言葉に、無意識に拳を握る。
「もっとも、それはどうやら失敗した様ですがね。詳しくはわかりませんが、邪魔が入って断念した様です―――ですが、それはあくまで接触した相手に理由です」
「工作員の任務は薬の実験。月村の暗殺はついでというわけか……」
「ついでというよりは、最後のチャンスだったんでしょうね。そんなチャンスを与える気もなかった癖に……」
最後のチャンスとは、想像だが工作員にではなく実験体の少女のチャンスだったのだろう。仮にすずかの暗殺に成功しても失敗しても、結果は変わりはしない。
「――――通り魔の正体は、その少女なのか?」
「恐らくは……最初の事件のあった病院を調べて見ましたが、国籍不明、名前もわからない少女が運び込まれたという履歴がありました。それを見る限り、工作員が連れて来た実験体の少女である事は確定でしょうね」
とある機関の工作員。
とある機関が開発した薬。
とある機関が誘拐した少女。
その三つが海鳴の街を騒がせている通り魔殺人事件に繋がっている。
「先程、俺に接触してきたのは、その工作員か?」
「いえ、恐らくは工作員に接触した者でしょう。詳しい能力はわかりませんが、頭の緩いおバカさんである事は明確です。今、兄さんが後をつけています」
パーツが少しずつ揃っていく。
この街で起きた事件。
詳しく、そして早すぎる報道。
バニングスに関係があり、月村を狙う者。
「……なるほど、そういう事か」
「接触した者の狙いは月村の暗殺ですが、どうもそれだけじゃない気がします。これは私の想像なのですが、月村の暗殺を皮切りに何かをしようとしているのではないかと思われます――――恐らくは、両者の激突を」
それは想像などでは済まないだろう。
必ず起きる事だ。
すずかを殺されて、その原因がバニングスにあると【勘違い】すれば確実に抗争が起きる。話だけで聞いた、十年前の冷戦などという生易しいものではなく、血で血を洗う抗争が勃発するだろう。
「十中八九そうだろうな。まったく、嫌な予感ばかり当たるのが恨めしいよ」
だとすれば時間は少ないのかもしれない。
月村は忍がどうにか抑えているが、バニングスはどうかはわからない。虎太郎の知っているバニングスは、自分が担当するクラスの生徒、アリサだけ。
下手をすれば、すずかとアリサの関係が最悪な事になる可能性だってある。
「――――トーニャ。その少女は今何処にいるかわかるか?」
止めなければならない。
その火種になる少女を。
だが、トーニャは申し訳なさそうに顔に影を落とす。
「すみません。私達は昨日ようやく海鳴に入ったばかりなので、この街での情報収集は始まったばかりなんです。ぶっちゃけ、先生に協力してもらわなかったら黒幕を探す事に難しかったのかもしれません」
「俺が月村と関係があるというのは、知っていたのか?」
「えぇ、それはまぁ………でも、実際は知っていたわけじゃありませんよ」
顔には影がある。だが、顔を上げれば写るのは虎太郎の顔。その顔を見れば微かだが希望が感じられた。
「勘、でしょうか」
だからトーニャは言う。
「先生のクラス名簿は元から入手していました。その中にバニングス、月村の名前があったら――――絶対に先生はその二人に関わっていると思っていました」
自信満々に、それを誇るべきだと胸を張る様に、

「だって、先生は私達の先生だったんですから……」

正直、そう言われた瞬間に笑みを零す事が我慢できなかった。数年前とはいえ、トーニャは自分の元から巣立った。巣立てばそこからは自分の力が無くとも世界で生きる術を見つけ、生きていくだろう。故に教師であり、生徒達に関係する事が出来るのは高校三年間だけだった。
だが、それでもトーニャは未だに自分の事を先生だと言う。トーニャだけじゃない。如月双七も、如月刀子も、如月すずも、そして、トーニャも。それだけじゃない。沢山の卒業生が自分の事を忘れていない。自分が教鞭を振るい、関わってきた過去を捨て去る事なく未来に生きている。
それを喜ばない教師はいない。少なくとも虎太郎はそう思う。
「――――まったく、嬉しい事を言ってくれる」
「ふふ、泣いてもいいんですよ、先生」
「馬鹿たれ、お前みたいなジャジャ馬生徒の言葉一つで誰が泣くか」
自分は教師だ。
すずかとアリサは自分の生徒だ。
それだけで、動く理由にはなる。
街を支配する二つの勢力の激突は、この街にとっては死活問題になっているのだろう。だが、そんな事は二の次でいい。今自分がすべき事は大切な生徒を守り、最悪なんていうクソッタレな未来を殴り飛ばす事だ。
「トーニャ、悪いが付き合ってくれるか?」
「それはこちらの台詞です。私達の問題に、首を突っ込んでくれますか?」
互いに互いの答えを知っている。
トーニャの目的はこの街に入り込んだ機関。
虎太郎の目的は月村とバニングスに抗争をさせようとする黒幕。
間に合うかどうかはわからない。しかし、絶対に間に合わせるという覚悟を持って挑む。
来て一か月も満たない街だが、これから好きになれる街だとは思う。だから動き、そして止める。
「それじゃ、とりあえずはその少女を探す所から始めましょう。黒幕の狙いは兄さんに任せます」
「あぁ、そうしよう。だったら、とりあえず忍の所に―――」
タッタッタ、と小さな足音が聞こえた。
荒い息を吐きながら、薄暗い道の先から小さな影が走ってくる。
その影は自分の前方にいる虎太郎を見て、
「虎太郎先生!!」
と叫んだ。
その声は知っている。
忘れるわけがない、知らないわけがない、アレは自分の生徒の一人だ。
「高町!?」
向こうからフラフラになりながら、なのはが走って来た。
なのは一人、走って来た。
その前にも、後ろにも誰も無い。
彼女一人だけだった。
なのはは虎太郎に抱きつき、
「助けて……」
顔を上げて懇願する。

「アリサちゃんと……すずかちゃんを助けて!!」

その言葉で十分だった。
何が起こったのかを想像するには十二分だった。
詳しい話は途中で聞けばいい。虎太郎はなのは抱き上げ、トーニャに視線で会話する。
トーニャは頷き、虎太郎と同時に走りだす。

夜の海鳴の街を、三日月が光る街を―――二人は駆ける。






アリサの身体の事がバレたのは六歳の時。
それが原因で母が泣いたのは六歳の時。
周囲の眼が変わったのは六歳の時。
周囲を見る眼が変わったのは六歳の時。

母が死んだのは、六歳の時。

覚えている。
忘れられるわけがない。
あの日の事は忘れる事なんて出来はしない。
確か、満月だった気がした。満月の光を見ながら、寝室に籠った母の大事を願った。子供の自分にはそれだけしかできない。だからアリサは神に祈る様に願った。
使用人達は忙しなく動き周り、アリサの事など眼にも入っていなかっただろう。もちろん、そんな事は良い。何の問題もなかった。だから願うしか出来なかった。何に祈る事が一番得策なのかもわからず、神という曖昧な者に頼り―――そして、裏切られた。
アリサが母を見た最後の姿は、眠る様に、もしかしたら明日の朝には眼を覚ますかもしれない、そんな清々しい寝顔だった。だからアリサは誰しもが無言の中でベッドに眠り母に歩み寄り、その身体を揺する。
何度も何度も揺すり、そして語りかける。
何と言ったのかは忘れてしまった。恐らく、他愛もない事だったのだろう。もしくは子供らしい母への願いだったのかもしれない。
絵本を読んでほしいと言ったのかもしれない―――返事はない。
怖いテレビを見たので一人でトイレにいけないと言ったのかもしれない―――返事はない。
怖い夢を見たから今日は一緒に寝て欲しいと言ったのかもしれない―――返事はない。
明日は一緒に何処かに遊びに行きたいと言ったのかもしれない―――返事は、ない。
嫌いな食べ物も残さず食べる様にすると言ったのかもしれない―――返事は、ない。
良い子にするから、我儘を言わないからと言ったのかもしれない―――返事は返ってこない。
ママを泣かせてごめんなさい、と言ったのだけは覚えている―――だが、返事は返ってくるはずはない。
母にねだった。
何でも言う事を聞く、良い子になる、勉強もいっぱいがんばる―――だから、返事を返してほしい、そう言ったのは覚えている。
母は答えない。
視界が歪み、霧がかかった様に母の姿を隠す。
揺すっても言葉をかけても何をしても母は起きない。
使用人も、医者も、母も、何も言ってはくれない。
「――――――アリサ……」
大きな父の姿あった。
走って来たのか、それとも何かの事故に巻き込まれたのか、赤いスーツはボロボロで頬には切り傷があり、頭からは血を流している。その姿を見た使用人は何かを言っているが、父はそんな言葉には眼もくれず、眠っている母と、それに縋るアリサを見た。
父はアリサを抱きしめはしなかった。母の死に涙を流す事もしなかった。
ただ、アリサに向けて一つの言葉を紡ぐ。

「汝、孤独で在れ……汝、孤高で在れ……」

そう言ってアリサを撫で、部屋から出て言った。
それっきり、あまり父は家に帰ってはこなかった。時々連絡をしてくるし、手紙だって送ってくる。
だが、本当に必要な時にはいなかった。
小学校の入学式―――アリサは使用人も連れず、一人で門をくぐった。
授業が始まり、始めてのテストで満点を取った―――それを誰にも言わず、ゴミ箱に放り捨てた。
授業参観の知らせを貰った―――海に向かって放り投げた。
運動会の日―――周りの家族の姿を見ながら一人でお弁当を食べた。
家に帰っても数人に使用人がいるだけ。それは家族でありながら家族ではない。一番欲しかったそれは既にこの手にはなく、あるのは空を切る虚しい手だけ。

そして、学校で喧嘩をした。

喧嘩なんて言葉では済まない事をした。理由はわからないし、始まりも終わりも覚えていない。怪我をさせたし、怪我もした。教師も使用人も心配をした。だからアリサは何となく電話をかけた。
父に、電話をかけた。
心配するだろうか、怒るだろうか、理由を聞いてくれるだろうか、何か言ってくれるだろうか――――電話すら、繋がらなかった。
母を助けた日から全てが変わった気がした。それは決して気のせいではない。絶対に違うとは言えない。誰かが否定しても、結局はそれだけの事で心には届かない。
だからアリサは一人になった。
父の言葉の通り、孤独になり孤高になった。
友達もいない。
学校では常に一人だ。
周りを観察するだけで、自分から行動する事なんて一度も無く、まるで川に流されている木の葉の様な気分になった。
だからわからなかった。
一人でいる事が多過ぎて、一人ではいけない理由がわからなかった。
教師や生徒が友達の大切さなどを語ってもわからない。所詮は言葉でしかなく、実際に体験もした事がないものでしかない。
現実味のない光景だった。
世界が自分を取り残した様でもあり、自分が世界から逸脱した様な気分でもあった。
その原因は誰のせいでもない。何時だって自分一人に問題があったのだ。
母を守ろうとして、嫌われた。
嫌われたから、きっと誰にも嫌われる。
嫌われる事がわかっているから、誰にも心を開けない。
自分を好きにはなれないし、誰も好きになれない。
それがアリサ・バニングスという自分自身の意味。
絶対に変わらない、最低な意味だった。

「――――――全然わかってないよ」

素直に頷こう。
自分は何もわかっていない。
わかる筈がない。
なにせ、自分は常に自分の殻にこもってばかりだったからだ。
勝手に悟って勝手に諦め勝手に荒んで勝手に堕ちて―――全てが勝手に悟り切った代償だったのかもしれない。
わかっている。
最初から間違った悟りを開いたせいで気づかなかった。
自分という個人はこんなにも馬鹿で弱くて、寂しがり屋のウサギだと思っていた。
ウサギは寂しいと死んでしまう。死ななかった原因は、寂しいウサギの皮を被って逃げていたからだ、隠れていたからだ。

ウサギの皮を被った狼は、寂しがり屋の狼だった。

同じ者達はすぐ傍にいるだけなのに、ウサギの皮を被って自分は別物だと誤魔化していた。群れる事を望んでいるにも拘らず、他とは違うと誤魔化して逃げていた。クラスという群れの中にいるのに孤独だと思い込んでいた。
だが、違った。
そう思っていたのは自分だけだった。
その代償は三年間という時間。
そのツケを払う時は今なのだろう。
誤魔化し、隠れ、そして逃げた自分の最後は―――こんなにも馬鹿らしい最後なのだと嗤ってしまいそうになる。
「……………」
空には星と月。
無限とも思える星が煌めき、その中で三日月は大きく輝いている。
見上げている自分は地面に転がり、身体からは大量の血液が失われていく。
顔を横に向ければ横倒しになった重機。砂袋の多くは破れて煙の様に周囲に砂埃をまき散らす。鉄骨の数本は綺麗に切断され、切断された一本が自分のすぐ横に転がっている。
冷たい鉄に手を触れ、身体を起こす。
動くだけで身体に激痛が走り、視界が横やら縦に、周り出す。
【ギギギギィギィギィ】
耳鳴りに似た声に視線を向ける。
刃の怪物、胴切はひび割れた身体を砂利の山に半分ほど埋もれ、出ようともがいている。あれではすぐに出てきて、アリサに襲い掛かるだろう。そして、ソレに対抗する手段も体力も、今のアリサにはない。
それでも立ち上がる。
靴は真っ赤に染まっている、両足共だ。制服のスカート部分はスリット入ったドレスの様に縦に切り裂かれ、そこから見える幼い足には何か所も刺された痕がある。立ち上がった瞬間に血が垂れ、地面にまき散らされる。
それでも立っていられるのは、どうしてだろうと考え―――わかりきった事を考えるのは馬鹿らしいと考える。
【ぃぎいぎぎぃぎぃぃぃぃッ!】
胴切は山の中から抜け出した。
両腕を上げて構えようとしたが忘れていた。自分の腕はもう使い物にならない。両の甲には風穴が開き、右手は肘から先が上がらず、左手だけが何とか動く程度。こんなにやられたのは初めてだ。
そもそも、満月の日以外で戦闘などして事がない。それ以外の日はどんな事があっても逃げるという選択肢を選んでいたはずだ。だから今まで生きてこれた。
その終わりが今日だというのなら、全部はあの二人のせいだ。
「ほんと……馬鹿よねぇ……私も」
見捨てれば良いのだ、他人だから。
たかだかクラスメイトというだけで守る必要なんてありはしない。今までもそうだったではないか、守るのは常に己一人。誰かの為に自身が傷つくなんて行為は愚か以外のなにものでもないではないか。
「でも、見捨てられなかったなぁ……」
眩しい笑顔を守りたいと思った。
楽しそうにしている姿を守りたいと思った。
自分でも気付かない内に、守ろうとなんて馬鹿な考えを起こしていた。
あの時に償いというわけではない。他人を守れば自分も幸せになれる、変われるかもしれない、なんていう自己犠牲でもない。
踏み出すのは身体が拒否する。しかし、意思を持って身体の怠慢に鞭を打つ。
「ねぇ、アンタはどう思う?」
胴切は答えない。人間の言葉を理解していないのか、ただ佇むだけ。
「私はね、思うのよ……あの子に言われるまで気づかないなんて間抜けだなって、さ」
しかし、理解しなくても困惑はするらしい。
これだけ自分に追い込まれているアリサが、笑っているからだ。
「私は……見てたのよ」
地面に血を滴らせながらも、
「皆が楽しそうにしている姿を見て、心の底から羨ましいと思っていた。あの子達が楽しそうにしている姿を見て、本当に羨ましいと思ってた」
傷だらけになりながらも、
「そう思ってたら……私も楽しくなってた……自分には関係のない他人の姿がよ?私の事なんて関係ないって感じで楽しんでいる皆を見て、なんで私が楽しんでるんだろうって、自分でも不思議でしょうがないわ」
前に進む。
後ろにさがらない。
向かうべき己は常に前。
前に進む意味は、己の意思。
「不思議なのよねぇ……壊れちゃえ、とか。喧嘩しちゃえ、とか。全然、これっぽっちも思わないのよ。思ってもすぐにどっかいっちゃうの。自分の中の暗い考えなんか、皆の楽しそうな姿を見ているだけで消えちゃって、忘れちゃうのよねぇ……なんか、馬鹿みたいだけで、悪くないと思った」
胴切が体勢を低く構え―――跳んだ。
「だから、さ……」
両の斬手でアリサに襲い掛かり―――それを、受け止める。
壊れた両手で、切れ味が鋭すぎる斬手を掴んだ。

「――――守らなくちゃ、いけないんでしょうがッ!!」

力を込めた瞬間、斬手にヒビが入った。
「見捨てられるわけがない!!見捨てていいわけがない!!誰もが見捨てて当然だなんて口にしたら、そんな連中は私が全員ぶん殴る!!」
亀裂は指先から手首まで、
「アンタがあの子達の関係を壊すような事をするなら、私が許さない!!私の眼に見えるのは私の【クラス‐群れ‐】よ、私に大切なクラスメイトなのよ!!」
胴切の口から耳障りな音が漏れるが、それは明らかな驚愕と苦痛。
「孤独が何よ、孤高が何よ、そんな言葉の意味なんて関係ない……」
亀裂が走る。
「孤独だからって守っていけないわけじゃない!!」
刃の亀裂が大きく広がる
「孤高だからって見殺しになんてしない!!」
そして――――粉砕する。
胴切の腕が割れた。指先から肩まで、皮膚の様に覆っていた刃が割れた。ガラスが割れる様な音を響かせ、破片が宙に舞う。
アリサの手の中に残った刃が悔し紛れの様に掌を裂くが、関係ない。痛みも、傷も、流れ出る血も―――全てを握りつぶす勢いで拳を握る。
「アンタに、」
拳を、弓を引く様に引き絞り、
「アンタなんかに、」
全力を込めて、壊れた拳で、未だ無傷の胴切の胴体目がけて、

「壊させて、たまるもんですかぁぁぁああああああああああああああああああ!!」

打ち出す、撃ち出す、射ち出す――――
一撃で胴体に拳を打ち、二撃で胴体に拳を撃ち込み、三撃で全力を込めた拳と云う矢を射る。
全てを討つ為に。
今まで見てきた世界に害を成す敵を、一匹残らず討ち滅ぼす為の力。
それが己の力。
己の為なら諦められるが、他者の為には諦めない己の力。
それは孤独でも孤高でもないだろう。
なら、そんな言葉の意味なんていらない。
意味に縛られ守れない方がよっぽど最悪だ。
「―――――消えなさいよ」
どちらが優勢かなど、他者の眼から見れば一目瞭然だろう。身体を砕かれようとも、身体を覆う刃が再生を始めている胴切。再生などしない普通の人間の様に傷だらけのアリサ。
見比べるまでもない。
考えるまでもない。
「この街から消えなさい……」
人の瞳には輝きがある。
赤い輝きは炎の如く。
烈火の怒りではなく、決意の炎。
満月でもないアリサの瞳は、身体の法則すら無視して輝く。
「何処にでも行けばいい。他の街で好き勝手に暴れたければ暴れれば良い……でも、この街では許さない……私が、許さない」
胴切が初めて後退する。
優勢なはずの怪物が足を前ではなく後方へ。
言い様のない重圧に逃げる様に、後ろへ後ろへと下がっていく。それでも怪物、化物という意味のない誇りの為か、胴切は咆哮する。
咆哮した胴切は再生途中の斬手をアリサに突き出す。
しかし、それはアリサの身体に届く事なく空を切る。
何故なら、



真横から弾丸の如く飛んできた―――すずかによって邪魔されたからだ。



すずかはアリサを抱え、跳んだ。だが、あまりにも勢いをつけ過ぎたのか、それとも怪我をしているアリサを庇ってなのか、背中から地面を擦る様に堕ちた。
「痛たたた……」
突然現れたすずかに、アリサは一瞬呆け、現実に帰った瞬間に、
「な、なななな、」
「なのはちゃんじゃないよ?」
「知ってるわよ!じゃなくて、なんで居んのよ!?」
「何でって言われても――――ッ!?」
話の途中ですずかはアリサの身体を抱えてその場から跳び上がる。今度はキチンと着地する。
「何でって言われても、バニングスさんが心配だったからとしか言えないよ」
当たり前の事をなんで聞くのか、と不思議そうな顔をするすずか。反対に、アリサは不思議そうな顔をすること事態に怒りを感じる。
「馬鹿!大馬鹿!!アンタってそんな馬鹿だったの!?信じられないんだけど!!」
酷い言われ様に、流石にすずかも苦笑する。
「その辺は、まぁ……うん、自覚してる」
アリサを降ろし、胴切を見ながら言葉を進める。
「でも、謝らないよ」
はっきりとした意思を込めた口調だった。
「バニングスさんがこんな無理してるのに、私だけ逃げるなんて嫌だから」
「理由になってない……」
「そうかな?」
まったく理由にはなっていない。あの場で二人を逃がした一番の理由は足手まといを増やさない事だった。アリサ一人なら戦うなり逃げるなり、色々と方法が浮かぶのだが、そこにすずかとなのはがいれば話は別問題になる。
なのはは運動神経が終わっている。これは体育の時間を見ているので確認済み。すずかは身体能力は今のアリサよりは上だろう。しかし、あの状況を見る限りでは戦闘経験は愚か、危険な目に会う事自体に慣れていない様だった。
「足手まといは要らないのよ」
「今のバニングスさんには言われたくないなぁ」
少なくともアリサは重傷だが、すずかは無傷。先程の行動を見る限りでは、確実にすずかの方が動けるだろう。
だが、それ故に逃げるべきなのだ。
胴切が動く。
瞬間、すずかの身体が硬直する。
「止まるな、馬鹿!!」
今度はアリサがすずかを抱える様にして跳ぶ。無論、自身の体重よりも重くなっている状態で跳んだため、足からの出血は更に増える。激痛を噛みしめながらも、アリサはすずかを抱えて建築途中のビルの中に逃げ込む。
「バニングスさん!?」
「騒がないで……」
限界は近い。
出血のためか頭がクラクラする。これは想像以上に身体にダメージを負っていると判断する。それでもアリサは止まる事なく鉄骨を足場に二階、三階と昇っていく。
作業用の足場に降りた瞬間、とうとう足から力がなくなり、その場に倒れ込む。
「…………ヤバ、いわね」
「酷い傷だよ……すぐに病院に行かなくちゃ」
行けるものならさっさと行きたいものだ。だが、追跡者は既にビルの中に侵入している。薄暗いせいかアリサ達の姿を見えていないのだろう。周囲を見回し、一番下をウロウロしている。
「…………」
「…………」
二人は息を殺して視線を下に向ける。胴切は二階に上がる為の足場を探しているのか、同じ場所を行ったり来たりしている。戦闘でわかった事だが、胴切は殺傷能力と防御能力は高いが、運動能力は今のアリサよりも格段に低い。だからアリサの様に鉄骨を足場にして上に登ってくるという芸当ができないのだ。
「…………此処じゃまだ低いわ。もう少し上にいく」
「わかった……」
立ち上がろうとするが、足に力が入らない。手すりを掴んで立ち上がろうとするが、すぐに身体がガクンッと落ちそうになってしまう。そんなアリサをすずかが支え、
「上に登ればいいんだよね?」
と、言ってくる。
あまり頼りたくないが、この状態ではしょうがない。アリサは静かに、という指示を与えるとすずかも頷いて跳ぶ。
跳ぶというよりは飛ぶという表現が合っている気がする。流石は月村、夜の一族の末裔なのだろう。常人よりも上なんていうレベルでは無い跳躍を見せ、一気に六階の部分にまで飛び上った。
「これで少しは時間が稼げるかな?」
「そうね……」
満月時の自分には負けるかもしれないが、今の自分の状態なら負けるかもしれない。もっとも、戦闘経験の差から自分が勝つだろうがな、と意味のない対抗意識が湧きあがってきた。
「――――さっきの続き。なんで来たの?」
「だから、バニングスさんが心配だったからだよ」
またこれだ。
「アンタに心配されるほど、私は弱くないわよ」
ピンチにはなっていたが、逆転だって不可能ではない―――どういうわけか、先程から対抗意識が妙にわき上がってくる。いや、これは対抗意識というわけではない。むしろ、認めたくない何を認めてしまいそうな気分に似ているかもしれない。
「それでも心配だったから……」
「心配だったらこんな危険な所に飛びこむの、アンタは?」
すずかは苦笑して否定する。
「正直、身体の震えが止まらないよ」
そう言ってすずかは自分の手を見せる。綺麗な手は小刻みに震えている。
「怖いなら来なくていいのに……」
「――――バニングスさんは、怖くないの?」
「怖いわよ」
あっさりと言葉が出た。
「怖くないわけないじゃない。あんな化け物を相手にするなんて初めてだし、相手が例え普通の人間でも自分よりも大きければ怖いわ……怖くないのに戦えるわけないじゃない」
「怖いと、戦えるの?」
矛盾している、とすずかは言う。
確かに矛盾しているかもしれない。だが、これは決して全てが間違っているというわけではない。
「怖いから警戒するし、緊張する。初めて出会った相手に警戒も無しに突っこむ馬鹿はいないわ。相手がどう来るのか、こっちの想像の外から来るのか、そんな事を考えていると自然と緊張してくる。この緊張がないとすぐに死ぬでしょうね」
すずかはポカンとした表情でアリサを見る。
「何よ?」
「あ、あの……バニングスさんは何時もこんな危険な、怖い事をしているの?」
確かに普通は疑問に思うだろう。
人妖であってもアリサは小学三年生、九歳の少女なのだ。そんな少女が戦い慣れしています、なんて言葉を普通に言うのはおかしいだろう。
「こっちにも色々とあるのよ。自分の身は自分で守れるくらいじゃないと、逆に危険な事もあるわ」
「それって、どんな事なの?」
「アンタに言う必要はない」
冷たく突き放す態度で言うと、すずかはすぐにシュンッとしてしまった。自分は特に悪い事をしたつもりはないのだが、そんな顔をされると無性に反省してしまいそうになる。
「…………第一、アンタが心配するのは私じゃなくて高町の方じゃないの?あの子、ちゃんと逃げてるんでしょうね」
置いて来た、とか言ったらぶん殴ってやろうと思った。
「えっとね……途中まで一緒だったんだけど、バニングスさんが心配だったからすぐに戻って来たの。多分、安全な所まで行ってたと思うし、私の家の近くだったからそっちに向かって逃げれば心配無いって言っておいたの」
「それで、あの子はアンタが私の所に来る事を心配しなかったの?」
「危ないから駄目だって」
「それじゃ素直に言う事を聞きなさいよ」
「危険なのは、バニングスさんも同じだから」
「だ、か、ら!!なんでアンタが私の心配すんのよ」
話が一向に前に進まない。
すずかは恐る恐るアリサの顔を見る。
「怒ってる?」
「今すぐアンタを殴りたいくらいにはね」
「あうぅ……」
幾ら可愛い仕草で唸っても駄目なものは駄目だ。事と次第によってはタダじゃおかないとアリサは心に決めた。
「――――――謝りたかったからじゃ、駄目かな?」
「謝りたかったから?」
「うん……あの時の事、謝りたかったの」
あの時というのは三年前の事だろう。
「記憶が曖昧だけど、バニングスさんに酷い事したのは覚えてる」
「むしろ、アンタの方が私に酷い事をされたんじゃないの?」
「それでもだよ……ううん、違うね。きっと関係ない。覚えてない事が駄目だし、覚えてないから謝らなくていいってわけでもない。悪い事を悪い事だってわかってるから、ちゃんと謝らなくちゃ駄目だと思ったの」
チラリとアリサを見て、申し訳なさそうに顔を反らす。
「本当はずっと謝りたいと思ってた。でも、前までも私はそれ以前に教室で、みんなと一緒にいる勇気が持てなかった。教室に行ける様になってからも同じ、なのはちゃんが友達になってくれるまで怖くてしょうがなかった……多分、バニングスさんとこうして話す事も駄目だったんだと思うよ」
でも、今は違うとすずかは言った。
「前にね、なのはちゃんに思い切って聞いていたの。あの時の事を謝ったら、バニングスさんは許してくれるかなって」
「そしたら、あの子はなんて言ったの?」
「――――わからないって」
なんだそれは。いや、当然といえば当然の事なのだが、それでは何の解決にもなっていないではないか。
「私もわからない。なのはちゃんもわからない。許すか許さないかはバニングスさんにかわからないって……そしたら急に怖くなったの」
「普通はそうでしょうね。誰だって謝れば必ず許しても貰えるなんて保証がないんだから」
しかし、すずかは頭を振る。
「違うよ。そうじゃないの……謝る事は怖いよ……でもそれ以上に怖いのは―――そのままにしていたら、何も変わらないんじゃないって事」
変わらない事が怖いと口にした。
「変わったつもりだけど、それは【つもり】だけなんじゃないかって。頑張って教室に来れる様になって、友達も出来たのに、変わったつもりなだけじゃ、それが嘘になっちゃうような気がしたの……全部、嘘だと思う事が怖かった」
つもり、になる。
それは自分も同じだった。
悟った【つもり】とわかった【つもり】になっていた自分。それは諦める事と変わらない。自分の場合はそうであり、すずかの場合もソレに近かったのかもしれない。
「すごく自分勝手な事を言ってるのはわかってるよ……でも、それじゃ嫌だったの。言葉にしないて諦めても何にもならない、何にもならない事よりも駄目だって事を知っていたから、尚更嫌だった」
すずかがどうして教室に来れたのか、その理由はわからない。それを知っているのは本人と、多分虎太郎だけだろう。その辺の事を何も知らないアリサだが、何かがあって教室にこれたすずかの―――勇気に似た何かだけはわかっているつもりだ。
つもり、という言葉をまた使ったが、これは前までのつもりではない。
多分、この子は強くなったんだと思う。
強くなれたから、同じ教室にいて、クラスメイトになった。そんなすずかだから友達が出来て、その笑顔を見て、守りたい、助けたいと思った。
「…………」
少しだけ自分に似ていると思った。違うのは、自分よりもソレに早く気付き、気付いて行動に移し、結果を出していると言う事。
「…………羨ましいなぁ」
「え?」
「私、アンタの事が羨ましいわ。私と違って勇気があるし、頭は良いし、可愛いし……ホント、自分が情けなくなってくる」
「そんな事はないよ」
「あるのよ、そんな事もね――――でも、そんなアンタだから言えるのかもしれないわね」
そう言ってアリサはすずかの眼を見る。
綺麗な瞳だった。
汚れていない、輝き始めた宝石の様な瞳。
「―――――私も、そう思うべきだったのよね」
苦笑して、血で染まった手ですずかの手を取る。
「ねぇ、月村……まだ、間に合うかな?」
「……間に合うよ。だから私も聞きたい……まだ、間に合うかな?」
「えぇ、間に合うわ……」
そして、死が迫った状況だというのに、二人は静かに瞳を見つめ合い、小さく呟いた。
三年かかった。
遠回りもした。
勇気が足りなかった。
言葉も交わし足りなかった。
でも、遅くはないだろう。
二人は同時に、同じ言葉を口にする。



―――――ごめんなさい



そこから始めよう。
だから、始める為に生き残ろう。
「あの……バニングスさん」
「なに?」
「その、出来れば……で良いんだけど……」
モジモジしながら、すずかは小さく呟いた。
「わ、私と……その、と、とと……友達に―――」
意を決して何かを伝えようとする姿に、少しの悪戯心が浮かんだ。
「アリサ」
だから言葉を遮り、
「アリサでいいわ。そんな他人行儀に呼ばれても嬉しくわよ」
「――――――うん……それじゃ……私のことも」
「えぇ、すずかって呼ばせてもらうわ」
今はそれだけでいい。
大切な言葉は―――後に回す事にしよう。大丈夫、後悔はしない。後悔する様な結末なんて死んでも迎えはしない。
今は過去と戦うべきではない。そして未来と戦うべきでもない。今は今と戦い、過去には既に勝利を手にし、未来には想像だけで笑みが零れるような未来を想像しよう。
カン、カンと金属が上ってくる音が聞こえる。
その音は地獄から響く様に恐怖を生ませるのだろう―――だが、今は生まれない。
すずかはアリサの手を取り、アリサもその手に身を任せる。
足場も向こうから、暗闇に光る刃の塊が見えた。
【ギィィギギギギギギッギ……】
胴切が二人を捉えた。
だが、それは正しくはない―――二人が胴切を捉えたのだ。
しかし、それに気づかない胴切は手を横に広げ、手すりに斬手を擦りつける。鋭い刃は鉄の手すりを擦るだけ火花を散らし、ゆっくりとこちらに近づいてくる。恐らく、怪物の中では自分達は追い込まれているのだろう。
「アリサちゃん……良い考えがあるの」
「一応聞いておくわ……でも、何となくわかるわ」
今のアリサでは胴切は倒せない。すずかは倒せるかもしれない、という能力を持ってはいるが、戦闘慣れしていないすずかでは無理だ。
なら、戦うのではく考えるべきなのだ。
倒す方法ではなく、勝つ方法を考える。
負けない方法ではなく、生き残る方法。
殆ど言葉を交わした事のなかった二人は、一度視線を合わせる。そしてアリサが視線を反らし、その方向をすずかが見る。そこに見えたのは剥きだしの鉄骨。それがこのビルの全重量を支える一つでもある。幾つもの鉄骨は壁にもなれば足場にもなる。だが、それ以上にこれは【組み合わされている】のだ。
胴切が駆ける。
アリサはすずかに抱きつき、すずかはアリサを抱えて飛ぶ。とりあえずは二人が見た方向に飛び移る。当然、胴切もそこへ飛んでいる。空中で連結刀の様な尻尾を振りまわし、叩きつける。
それを間一髪で避ける―――鉄骨があっけなく両断され、地面に向かって落下する。
「イケると思う?」
「わからないよ……でも、アリサちゃんは出来ると思うんだよね。なら、信じる」
アリサも考えた。
すずかも考えた。
自分達よりも強い相手に勝つにはどうすればいいのか。
それを自身の力量に合わせてプランを練る。
不意に、すずかは呟いた。
「そっか……こういう意味もあったんだ」
次々と鉄骨の上を飛び回りながら、すずかは微笑む。
「手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に」
「なによ、それ」
「今の私達の事だよ」
「ふ~ん……良い言葉ね」
「魔法の言葉なんだってさ」
楽しげに会話する二人に襲い掛かる胴切の攻撃を避けながら飛び回る。ただ飛び回るだけじゃない。飛んで鉄骨の上に着地した瞬間、アリサが次の移動先を指示する。すずかも一切の迷いなくその場に移動し、胴切もその後に続く。
月夜の中、作りかけのビルの中を二人の少女と刃の化物が飛び回る。
それには二つの見方がある。
方や、怪物に追われ、逃げ惑う哀れな少女。
方や、月の光に照らされて踊る妖精。
そこには三体の人妖がいた。
吸血鬼、人狼、そして胴切。
創作された物語の中では吸血鬼と人狼は敵同士だが、ある物語によっては吸血鬼は死んだ後に人狼になる。

吸血鬼と人狼が手と手を取り合って踊る。

今宵は月夜。
空には無数の星があり、月の光と共に世界を照らす。
その光に包まれ、踊る二人の小さな人妖。
「――――アリサちゃん!!」
「もうすぐよ―――後三回!!」
腕の中にいるアリサの指示ですずかは自身の能力の最大まで行使する。六階にいた二人は徐々に下に降りて行き、残るは後二階分。
鉄骨は次々と切り裂かれ、それでも二人に当たらない胴切は苛立っていたのだろう。
胴切の身体に変化が起こった。身体の表面、肌を構築している刃物が浮き上がり、まるで華が開く様に刃がめくれ上がる。
その結果、胴切は跳んだだけで次々と鉄骨が切り裂かれる―――それが、自分の失態だと気づく思考能力は消失している。
仮にこれが薬を打たれる前、人間の少女の形をしていた時の胴切であったのなら気付いただろう。自分が次々と鉄骨を切断する度にビルが軋む様な音を響かせ、その内部だけで地震起こったかの様に鉄骨が震えている事に。
すずかは地面に着地する。
上空から胴切が襲い掛かる。
避けるか、防ぐが、
「当然――――」
アリサは残った全体力、そして現在での最高最強の一撃を叩き込む為、覚悟を決める。
「迎え撃つ!!」
すずかはアリサを降ろし、アリサは地面にしゃがみ込み、地面を足で掴み取る。
溜めて溜めて溜めて――――解放する。
この一撃に覚悟を込める。
この一撃に耐える意思を注ぎ込む。
この一撃を外しなどという可能性を殺す。
この一撃で最後とし、終幕とする。
赤い瞳が力を示す。
地面を蹴り上げ、弾丸の如く天空へと突撃する。
「これで……」
空から襲いかかる胴切は刃。
地上より突撃するアリサは拳。
「決めるッ!!」
全てを切り裂く刃はアリサの拳に突き刺さる。
全て砕く勢いで撃ち出された拳は刃に突き刺さる。

矛盾という言葉の意味を考える。

最強の盾と最強の矛。
どちらも最強が故の矛盾という言葉。
しかし、この時だけは別の意味を持つ。
矛盾とは力を比べるという意味。
矛盾とは同等の力では終わらせないという意味。



矛盾とは【盾が矛を超え、矛が盾を超える】という意味



故に、勝負は決する。
拳と刃。
砕く拳と斬る刃。
勝者は超える可能性を秘める者だけ。既に超えてしまった者にそれ以上の可能性はありはしない。それどころか片方は進化ではなく退化している。退化しているが故に協力になったが、それは後ろに戻るという意味、後退するという意味―――今の自分を諦め、過去を振り返るだけの行為に過ぎない。

刃は拳に刺さり―――刃が砕ける。

アリサの一撃が胴切の斬手を砕き、胴に突き刺さり、刃の鎧を砕き、鎧の中に隠された刃の肉に突き刺さり――――刃を天へと打ち上げる。
上空へと殴り飛ばされた胴切の眼に、中指を立てたアリサの姿が写る。アリサは下にいたすずかにキャッチされ、すずかはアリサを受け止めた瞬間に駆けだす。
逃げた、と胴切は確認する。ならば追うだけだ。今受けたダメージは今まで最高のダメージだが再生は既に始まっている。上空に飛ばされても重力が在る限り地面に落下するだけ。そしたら地面に激突するなり着地するなりして降り、それから追跡し殺害するだけだ。
そんな考えを抱き、落下する胴切。
その耳に、胴切の声以上に大きな耳障りな音を聞き取った。
戦慄する。
恐怖する。
背後―――上を見る。
上から無数の槍が振ってくる。
いや、槍ではない。
あれは鉄骨だ。
先程から胴切が切断し続けた、何も考えずに【切断させられた鉄骨】が槍の雨の様に降り注ぐ。
気づいた時には既に遅く、振って来た鉄骨の一部が胴切に激突する。それから逃げる様に鉄骨を切り裂くが、その瞬間に次の、また次の鉄骨が降り注ぐ。
鉄骨という骨組で作られたビルは倒壊していた。
骨組のもっとも加重がかかる部分を集中的に切断させられたビルは、力のバランスを完全に崩されていた。それに気づいた時にはもう遅い。幾つもの鉄骨によって胴切は地面と挟まれ、その上にさらなる鉄骨が降り注ぐ。

そして、ビルは胴切を生き埋めにしたまま―――倒壊した





胴切は呻く。
身体に感じる違和感に苦しみ、鉄骨に挟まれ、埋もれて唸る。
身体を構築していた刃は再生を開始するが、今まで違って速度が格段に下がっている。いや、それどころではない。再生した個所が錆びた様に垢色に染まり、崩れ落ちる。
異常な再生速度が死んでいく。限界まで行使した身体は怪物になったが元は人間の身体。少しの異能と微かな訓練によって作られた身体はあっさりと限界を迎えていた。
痛い、という感覚を知る。本来なら知っているはずの感覚を忘れていた。もしくは、失っていたのかもしれない。それ故に思い出した瞬間に身体を駆け巡る電気に唸り、悲鳴を上げる。
胴切は違和感を感じた。
自分の叫び声に【ようやく】違和感を感じた。
なんだ、この金属と金属を擦り合わせる様な耳障りな音は―――自分の声はこんなにも耳障りで気味の悪い声だったのだろうか。
なら、元はどんな声だったのかと云われれば、思い出す事はない。今の胴切を動かすのは単なり本能だけ。ただ相手を切り刻むというだけに特化しすぎた本能は、人のそれとは違う領域にあったのだろう。それを不思議とは思わず、最初に与えられ、植え付けられた記憶と情報も忘れた。
思い出せない。
どうして自分は他者を切り裂きたいのだろうか。
今の胴切には思い出せない。
薬を打たれた記憶もなく、最後の記憶は薄暗い部屋の中の記憶だけ。
怪物になった記憶もない。沢山の人を殺した記憶もない。無関係の人を殺して楽しんでいた記憶もない。誰を殺さなくてはいけなくて、誰を殺してはいけないか、そんな区別があったはずだが、記憶と一緒に何処かに消えた。
何もなかった。
空白で伽藍で無個性な自分。
悲しい、という感覚を思い出した。
ギィと声を漏らしたのは痛みだけではなく、心が泣いているからだろう。この身体に涙はない。流れたとしてもそれは他人の血液が頬に飛び、それが流れて涙の様に見えるだけにすぎなかった。
泣かない、悲しまない、それが怪物。
再生しない、刃が身体から次々と剥がれていく。刃で形成された肌が崩れ、その中に今までとは比べ物にならない程に柔な肌が姿を現す。
肌の色だった。
肌の色をもって小さな腕だった。
指先には刃はなく、あるのは細い指と割れた爪。指先を地面にさし、身体にかかる重圧から逃げる様に張って進む。冷たい鉄骨に押しつぶされそうになりながら、少しずつ、少しずつ前に進み―――光が見えた。
月の光だった。
星の光だった。
人の光だった。
ギィと唸る声。言葉を忘れた自分は助けを求める様に手を伸ばし、それでも届かないから自分の身体で前に進む。
ゆっくりと進み、ようやく外の世界が見えた。
満天の星空と小さく光る三日月。
その下で自分を見つめる小さな少女が二人。
驚愕していた。
だが、どこかおかしいと思った。
本能の赴くままに動いてはいたが、壊れかけた意識という部分で思い出す。それは自分が生きていて驚いているという表情ではなく、自分の姿を見て驚いている様に思えた。
別におかしい事はない。
あんな状態なのに生きていたのなら、驚くのも当然だろう―――だが、違和感があった。
「――――女、の子?」
少女の一人が言った。
「アンタ、やっぱりあの時の……」
血だらけの少女が言った。
女の子、二人は女の子と言った。自分を見て、怪物になった自分の姿の何処にそんな容姿があるというのだろうか、あり得ない、馬鹿らしい、化物の自分は人ではなく―――人ではなく、誰なのだろう。
胴切は立ち上がり、すぐに倒れ込んだ。
足が痛かった。
自分の足を見ると、そこには手と同様に人間の様な足が二本あるだけ。張って進んだせいか、膝に擦り傷があるし、足首は紫色に変色している。もう一度立とうとしたが痛みによって倒れた。
痛い、これは痛いという感覚だ。
思い出せないから知った。
知ったから、痛いと思えた。
ギィ、ギィ、ギィ――――自分の言葉は、これだけ。
何と言えばいいのかわからず、ギィギィと鳴く事しか出来ない。
自分はどうすればいいのだろうか。
殺せばいいのだろうか、切り刻めばいいのだろうか、それとも二人に殺されればいいのだろうか、誰も教えてくれないからわからない。
わからない故に唸るだけ。
唸り、唸り、唸って鳴いた。
教えて、と鳴いた。
耳障りな音で鳴いた。
口からポロポロと刃が抜け落ちる。
身体から刃が消え、身体から力がどんどん薄れていく。
まるで自分が煙の様に消えてしまうのでないかと思えるほど、身体が軽くなっていく。
あぁ、どうすればいいのだろう。
どうすればいいのだろう、どうすればいいのだろう、どうすればいいのだろう。
誰か教えて欲しい、教えて欲しい、示して欲しい、導いて欲しい。
自分は、胴切は、どすれば、何をすればいいのだろうか――――やはり、殺すしかないのだろうか。
手を上げ、腕を変化させようとする―――しかし、変化は起きない。腕も手も指も爪も、身体のどの部分も、一つして刃に変化しない。
壊れたのだ。
完全に、壊れたのだろう。
壊れたら、どうやってあの二人を殺せばいいのだろうか――――ふと気付いた。
二人の少女の背後に、誰かが立っている。
女だ。
白に似た銀色、白銀に近い髪の色をした女が立っている。
無表情で立っていて、何やら悲しそうな顔で自分を見ている。そして、意を決した様に歩き出す。女に気づいた少女は驚いたが、女は二人を見ずにまっすぐに胴切を目指す。
そして、倒れた胴切と女の眼が合った。
この女なら教えてくれるかもしれない。
どうすればいいのか、答を聞かせてくれるかもしれない。
喉の奥に異物が突っ込まれた気分だったが、小さな声でやっと一言だけ言葉を漏らす事が出来た。

―――――どうすれば、いいの?

女は首を横に振る。
「何も、しなくていいわ」
それはおかしい。自分は何かをしなくてはいけない。多分、殺すとか切り刻むとかそういう類の事をしなくてはいけないのだ。
だが、女は再度言う。
「もう、何もしなくていいのよ」

―――――何も、しなくていいの?

「えぇ、そうよ」
女は胴切を優しく抱き上げる。
良い匂いがした。
少しだけ血が混じった匂いだが、女性的な良い匂いがしたので気にならない。
何故か、目頭が熱くなるのを感じた。

――――本当に、いいの?

「本当はもっと前に助けに来れれば良かった……でも、お姉ちゃん、少し遅かったね」
胴切の頬に雨が堕ちた。
温かい、雨だった。
「ごめんね……ごめんね」

――――もう、殺さなくていいの?

「殺さなくていい」

――――もう、戦わなくていいの?

「そんなの、女の子の仕事じゃないわ」

――――怒られない?

「怒らないわ」

――――痛い事、されない?

「されないわ。そんな事は絶対にさせない」

――――痛いのも、苦しいのも、熱いのも、寒いのも……本当にされないの?

「…………うん、させない」

――――嘘じゃない?

「嘘じゃない」
安心した。
よくわからないけど、安心はできた。
覚えてはいないが、きっと自分は痛い事が嫌いだった。苦しいのも嫌だった。同じ顔、能面の様な大人達は自分が痛いと言っても、苦しいと言っても、何もしてくれない。同じ様にビリビリと何かを流し、何かを身体に流し込み、身体に何かを刺し、何かを折り、何かを壊し、何かを苛め、何かを楽しみ、何か観察し、何かを見捨て、何かを廃棄して、何かを、何かを何かを何かを何かを――――そんなものは、もう無いのだとわかった。
苦しかったのは覚えてない。でも、忘れても身体には残っていた。
「此処にはアナタを苛める人は誰もいないわ。誰もアナタを傷つけない。だから、安心していいのよ」

――――そっか、じゃぁ……いいや

眠くなってきた。

――――私、もう眠いや

「そう……それじゃ、もう眠りましょうか……」

――――起きたら、また苛められない?

「起きたら、お母さんに会いに行きましょう。きっと喜ぶわ」
お母さんとは誰だろう。
自分にはお母さんという誰かがいたのだろうか。
わからない。
思い出せない。
でも、わからない事が、思い出せない事が無性に悲しいという事だけはわかった。
どうして思い出せないのだろうか。
お母さんとは誰なのだろうか。
自分は誰なのだろうか。
どういう存在であり、どういう為に生まれ、どういう為に生きてきたのだろうか。
何もわからず、眠気だけは襲ってくる。
眠い、本当に眠い。
意識が切れる前に尋ねた。

――――お母さんって、誰?

「アナタの大事な人。アナタを一番思っている人よ」
そんな人なんて、いるのだろうか。
「ずっと待ってるわ、アナタの事を。だって、世界で一番大切な家族なんだから……」
家族、なんだろうか。
「アナタが眠ってる間に連れて行ってあげるわ。眼が覚めたら、お母さんに会えるのよ」
それはきっと―――多分、凄く幸せな事なのだろう。
「だから、ゆっくりと休みなさい」

――――うん、わかった

胴切は瞳を閉じる。
頬に当たる温かい雨が気持が良かった。多分、誰かを斬り殺すのよりも気持が良いし、安心できた。
「おやすみなさい―――――アンネ」
女がそう言った瞬間、



少女は、アンネは思い出した



自分の名前を思い出した。
自分の生れた場所を思い出した。
自分の家族を思い出した。
自分の大切な何かを思い出した。
胴切などいう名前ではなく、アンネという大好きな母親から貰った名前があった。そして、母親に会えなくて泣いていた事を思い出した。
泣いても泣いても母親には会えず、能面の大人達は痛い事ばかりをしてくる。だから助けてと母親を呼んだ。
来てはくれなかったから忘れようとした。忘れようとしたアンネの記憶を弄くり、能面の大人達はアンネという個人を消し去った。消された後は記憶が嘘という言葉にすり替わる。毎回毎回別の記憶が存在し、アンネという名前を完全に闇の奥に捨て去られた。
でも、思い出した。
意識が消える寸前、アンネは女に笑みを浮かべた。
おやすみと言ってくれた人に、おやすみなさいと言葉を返した。
そして眠りについた。
眼が覚めれば、きっと母親に会えるだろう。
それまでは眠っていよう。もしも寝過したら、この人がきっと起こしてくれる。嘘はつかないって言ってくれたから、信じて眠ろう。




静かな世界だった。
暗くはない、明るい世界だった。
何も斬らなくていい、何も傷つけなくていい、痛い事も苦しい事もない世界が其処にあった。
草原だった。
農場があった。
小さな木造の家があった。
そこで白いエプロンをつけた母親がいた。
その周りに弟と妹が遊んでいた。
父はそれを見て笑っていた。
そして、母親がアンネに気づき、こう言った。
「おかえりなさい」
アンネも言った。
「ただいま」
草原の中、牧場に農場の横に立てられた家に向かって走り、母親に抱きついた。母親の匂いを嗅ぎ、安堵の息を漏らす。
そして二人は手を繋ぎ、家族と一緒に家の中に入る。
残されたのは何も無い。
あるのは幸福だけ。
少女はようやく己を思い出し、手に入れ、家族に会えた。
現実の世界には存在しない家族。いたはずの家族はアンネをずっと待っていた。そして出会えたから一緒に向かう事が出来た。
こうして一人の少女の物語は終わる。
誰かの物語のついでだったのかもしれない。だが、少女にしては絶対無二の大切な物語だった。

世界には静寂を、家族には平穏を―――そして、少女には幸福を






そして、悪には雷の鉄槌を








さて、酷くのつまらない話をしよう。
少女がこの世を去った時と同じくして、一台の車が海鳴の街を疾走していた。運転席に一人、助手席に一人。運転しているのはガタイの良い表情の薄い男。助手席には眼鏡をかけ、白衣を着たひょろ長の男。
彼等の国籍はロシア。
所属は軍でなくフリーの何でも屋。言い方を変えれば金さえ払えばどんなに汚い事も平気で請け負うという糞ったれのド腐れ野郎である。
そんな彼等でも現在はとある機関の専属となっている。主な仕事は物資の移送と実験の手伝いである。今回、彼等が海鳴に来たのは二つ目の実験の手伝いが目的だった。廃棄処分が決定された実験体に、この島国で開発された薬のデータを貰って作り上げた試作品を打ち込み、その結果を観察、報告するというものだった。
しかし、その実験の途中に実験体は死亡した。
故に彼等は車を走らせている。
逃げているのではない―――ただ、国に帰るだけだった。
「思った以上に良いデータが取れたね」
眼鏡をかけた男の名は―――語る必要が無いだろう。当然、もう一人の男も同様だ。語るだけ無駄であり、語るだけ文字数の無駄になる。
「あれでか?アレでは本国の連中が納得しないぞ。薬は効いてはいたが、実験体は暴走状態。こっちの命令は効かず、ターゲットの事すら忘れてひたすらに暴走と殺害を繰り返す失敗……まぁ、それが依頼主にとっては好都合だったんだろうがね」
「そだね。実験と小遣い稼ぎとしては十分だったよ。あの薬は実験段階だから失敗しても当然。こっちの予想外だったのは、実験体の肉体が思っていた以上に変化に耐えられなかったという事だね。まさか、最後になって元の姿に戻るとは思ってもなかったよ」
「本来なら【戻らず融解】するはずだったんだがな……まぁいいさ。アレだけの力を出せたんだ、最後の個人を判別させない融解なんて現象は諦めた方がいいだろうな」
「そのせいで何匹も実験体を殺したからねぇ……ぶっちゃけさ、僕達が実験体を攫うのだって苦労してるって事、あっちは理解してるのかな?」
「理解はしないだろうな。だが、金を貰っている分の働きはするさ」
「はぁ、出来れば楽に儲かる仕事が欲しいね、僕は」
「俺もだよ」
そう言って二人は嗤う。暗い笑みを浮かべる。死んだ少女の事などこれっぽっちも考えず、この街の罪なき者達を殺したという点においても同様だった。
「それよりも気になったんだけど、最後に実験体と戦っていたのがバニングスの令嬢だったんだよね?」
「らしいな。依頼人も随分と驚いていたよ」
「やっぱりアレだね。相手を月村って設定しておいきながら【身内】に手を出すのは流石に不味いと持ったんじゃない?」
「正確には身内じゃないらしい。だが、限りなくデビット・バニングスに近い奴らしいぜ。なんでもバニングス家の当主、デビット・バニングスの血を引く奴らしいぞ、あの依頼人」
「へ?でも、あのお譲ちゃんが娘なんじゃないの?」
「アレは今の娘だ。デビットいう男は、世界中に女がいて、世界中に子供がいるんだよ。十年以上前からそうやって世界中に自分の子種を巻いて、認知もせずに放っておいてる羨ましい奴なんだよ」
「へぇ、酷い奴もいるもんだね」
「だが、そんなデビットも人の子らしいな。あの娘、バニングス家の令嬢だけはしっかりと認知しているらしい。なんでもよ、死んだ娘の母親、つまりは【最後の妻】だけは特別らしいな」
「そりゃあれだ、世界に散らばっている他の人達に放ってはおかれないね」
「それ故に、相続争いも激しいのさ」
だが、それも今の彼等には関係のない話だ。依頼人とは既に手は切れている上に、こちらの事を詳しく探られない内に出て来たからだ。
依頼人がどのような理由があるかなど彼等には関係はない。
「あ、次の道を横に。そこを通ると港への近道で、しかも目立たないんだ」
「了解」
ハンドルを切り、車は狭い裏路地へと進む。

そして、ライトに照らされた男を見た。

眼鏡をかけた細い男だった。
地味なスーツを着て、眼鏡をかけていた。
足下には何本も煙草の吸殻が堕ちており、口にも一本咥えている。
運転手の男はクラクションを鳴らして邪魔だと伝えるが、男は一向に動かない。それどころか、
「ねぇ、もしかして……」
ライトに照らされ、光を反射する眼鏡のレンズの奥にある瞳。
それを見た瞬間に気づく。
「あぁ、敵だな」
「うわぁ、マジで……」
敵だと認識する。
両者の距離は少なくとも五十メートル以上は離れている。そして狭い裏路地は車一台が通れば人も通れない程に狭い。つまり、目の前の男には逃げ場がない。無論、こちらには逃げる方法なんて幾らでもない。
後ろに下がって普通の一般道に出てもいい。後部座席にある銃を持って撃ち殺しても良い。
だが、二人はそのどちらも選択しない。
二人の顔に腐りきった笑みが浮かぶ。
運転席の男はアクセルを―――踏み込んだ。
車は唸る獣の様な音を響かせながら、タイヤを数秒地面にこすりつけ、イノシシの様に突進してきた。
目指すは前だけ。
障害があれば跳ね飛ばし、跳ね殺すだけ。
轢いて殺したら犯罪だが、それは警察などに捕まる阿呆だけ。
自分達は捕まらない。
自分達は強者であって弱者ではない。
奪う側であり奪われる側ではない。


もっとも、それは勘違い以外の何者でもない。


ライトに照らされた男はうろたえる事も、恐れる事もなければ、動く事すらしない。
煙草を咥えたまま、微かに腰を落とし左手を腰に据える。
迫りくる鉄の怪物。
迎え撃つは初老の男。
「別に正義の味方を気どる気はない……俺には一生縁の無い話だからな」
鉄の鎧を纏う怪物。
ただの布で出来たスーツを纏う男。
「だが、俺は教師だ。生徒を傷つけられたら腹も立つし、生徒でもない子供をあんな目に合わせて腹が立たないなんて事はない」
高速で襲いかかる怪物。
動かない男。
「そして何より――――俺の生徒に殺しの片棒を担がせる様な事をさせたお前等を許す気はもっと無い」
車に乗った二人は嗤う。
「お前らみたいな腐りきった連中はな――――――」
車と男の間の距離は、わずか数メートル。
次の瞬間、男の身体は空を舞うだろう―――しかし、それは男達の中だけで想像であり妄想だ。目の前の男を知らない男達は妄想する。轢き殺せると、殺せると、そして自分達は国に帰る事が出来ると、本気で妄想していた。
故に知る事になる。
例え、この国で彼等の行いに気づかずに法的機関が逃がしたとしても、空の上から余所身をしていた神様が逃がしたとしても、それを当然と考える愚かな連中がいたとしても―――



「生徒の教育に――――悪いんだよ!!」



加藤虎太郎という【教師】が見逃す筋合いも可能性も皆無。
虎太郎の拳と車が―――激突した。




それと同じ時間。
とあるマンションの一室にて。
子供がベランダで天体観察をしていた。天体望遠鏡から見える星空は見事の一言だった。心を奪われる程に素晴らしい光景だった。そして、母親からそろそろ寝なさいと言われ、子供は眼を離す―――その時だった。
子供の眼に奇妙な光景が写った。
「ねぇ、ママ……」
思わず母親に声をかけた。
テレビに夢中な母親は気づかないが、子供は呆然とその光景を見ていた。
「ママったら」
その光景から眼が離せないでいた。
たったの二回で子供は呼ぶのを諦めた。なにしろ、その時には既に眼に映った信じられない光景は終わっていたからだ。
夢だろうかと考えたが、きっと現実に違いない。だから明日になったらクラスメイトにこの話をする事にしようと心に決めた。
だが、恐らくは誰も信じないだろう。
子供の眼に映った光景は、まるで映画の様な現実だった。
「すごいなぁ……」
夜の街。
小さなビルとビルの屋上。

そして、それよりも高く空に舞い上がった―――車。

「車って空も飛べるんだ」
間違った認識を植え付けたまま、子供はベッドに入った。


これがつまらない話の終わり。
実につまらない。
当然の結果の話をして、面白いと思う者はいない。
それほど、当然の結果だった。
「――――相変わらず凄いねぇ」
間近で見ていたガタイの良い、背の高い男は呆けた様子で言った。
「これりゃあれだね、日本の漫画雑誌、少年が跳ぶ的な雑誌に出てくる主人公みたいだよ、虎太郎は」
虎太郎は新しい煙草を咥えながら、空を見上げる。
「俺は主人公などに向いてないさ……それで、その二人はどうするんだ、ウラジミール」
ウラジミールと呼ばれた男は笑いながら、
「ちょっと世間話をしてから解放するさ」
と、言ってはいるが眼は少しも笑っていない。
「まぁ、世間話に耐えられれば―――の話だけどね」
空か堕ちて廃車となった車の中には奇跡的に死んでいない男が二人。
「…………まぁ、勝手にすればいいさ。でもな、ウラジミール。あんまり妹のトーニャを危険な目に合わせるなよ」
「わかってるよ、虎太郎。だからかな……僕の妹を泣かせた原因の二人を、優しく囁くように世間話をする気は起きないね」
「言っている事が変わってるぞ」
「そうだね。うん、実はさっきのは嘘。こっちが本音だよ」
勝手にすればいいさ、と虎太郎は歩き出す。
とりあえず、今日は帰る事にしよう。
その前に二人を拾って、アリサを病院へ送り届けて―――
「今日は徹夜だな……」
苦笑して、虎太郎は歩く。

騒がしい夜がようやく終わりを告げる。






夜が終われば、朝が来るのも当然。そして朝の次は昼が来るのも必然。
だが、こんな時間にかかってくる電話だけは素直に驚くのは当然だろう。
「―――――もしもし、パパ?」
『おう、愛しの娘。こんな時間に何の用だ?というより、まだ昼休みには早いと思うぞ』
「そうね……さぼっちゃった」
電話の向こうから笑い声が聞こえる。
『カカッ、おい鮫島。俺の娘がとうとうグレたぞ?どうすればいいと思う?とりあえず、バイクを盗む前に最高級のモンスターエンジンを乗せたバイクを送るべきか?』
「要らないわよ、そんなの」
でも、免許を取ったら買ってもらおう。是が非でも買ってもらうとしよう。もっとも、それを成すにはまず、自分が【バニングス家の者と認めさせる】という試練があるのだろう。
「それよりも聞きたい事があるんだけど……」
『――――何だ?』
真面目な声で尋ねた娘に、父は静かに答える。
「今回のアレは、何時ものアレと同じと考えていいのかしら?」
『何時ものアレ、が良くわからんな』
「今更とぼけなくてもいいわよ―――パパが若い頃に作った私の兄妹達の事よ」
『知らないな。俺はママ一筋の愛妻家だぞ?』
「ママは死んでるわよ」
『死んだからといって愛していないわけじゃないさ。俺は死んでもママの事を愛しているし、ママが残したお前の事だってずっと愛してる』
相変わらず嘘臭い台詞だと娘は思った。だが、前よりかは信じられる様にはなった。どうやら、心の錘というものは何時の間にか随分と軽くなったらしい。
「それじゃ、他の子供達の事はどうなの?愛してないのかしらね」
『愛してるさ』
これで愛していない、なんて事を言ったら家族の縁を切ってやるつもりだった―――いや、それは少しやり過ぎだ。とりあえず、一か月くらいは口も聞いてやらない事にする―――それも少しやり過ぎだと持ったのか、とりあえず一週間、一週間だけ無視してやろうと思った。
『愛しているからこそ、俺の遺産を相続する権利は誰にでもある』
「おかげで私はそういった連中から目をつけられる始末なのよね」
『すまんな。反省はしてる―――でも、後悔はしていない』
「そうね。私も嫌だけど、後悔はしていないわ。パパの娘だって事も後悔していないし、バニングスの名を持った事も後悔していない」
だが、と娘は一旦区切り、
「それで私の周りが迷惑するのだけは、許せないわ」
自分のせいで誰かが不幸な目にあうのは許せない。自分という存在にそんな権利はない。そんな自分を狙う相手にもそれは同様だ。
「ねぇ、パパ……このつまらないゲームは何時になったら終わるのかしらね」
『お前が一言、降りると言えば終わるさ。少なくとも、お前とその周囲だけは救われる』
それが言えたらこんな話はしていない。
「それは嫌。パパの人生を、相手を潰せば手に入れられるなんてふざけた事を言い出す輩に、パパの遺産は渡せない」
『親孝行なのはいいが、パパとしてはちょっと心配だな……あと、遺産とか言うな。パパはまだ死んでない』
「大丈夫よ。私はパパの娘よ?そう簡単には死なないし、死ねないのよ。だから、パパも殺しても死なないわ」
『そうか……あぁ、そうだったな』
そして、父と娘は少しだけ今回の事件について話をした。
この馬鹿騒ぎというには悲惨すぎる事件の首謀者、父が母以外の女の間に作った子供が起こした事件だった。
自分の身体には偉大なる父の血が流れている。その父の為に敵である月村を根絶やしにしたかった。だが、それには理由が必要だった。その為に暗殺者を雇い、月村の令嬢を殺して戦争の火種にしようとした。そして、戦争が起こった時には意の一番に自分が赴き、月村を倒してバニングスに勝利を与える―――そんな妄言が理由だった。
「…………言いたくないけど、少しは教育に手を出した方が良くない?そんな偏った考えを持つ奴が誰かの上に立っていいわけないじゃないの」
『出来るもんならそうしてるけど、やっぱり女性に優しいパパは他の女性にも優しくし過ぎて、子供に会えない事が多いんだね、これが』
「全部パパの自業自得じゃないのよ」
娘の痛烈な一言に、電話の向こうで父は苦い顔をしているだろう。
「それで、ソイツはどうなったの?」
『何時もと同じさ。ぶつかり合い、闘争に負けた者に俺の遺産を継がせる気はない。だから早々に記憶を操作して、今は普通の会社員として別の国で働いているよ』
記憶の操作。
バニングス――いや、父の血を継いでいるという記憶を失えば、それは今までの全て失い、新しい誰かになるという事と同じ意味を持つ。
「もしも、もしもよ?」
だから娘は少しだけ不安だった。
「もしも私が後継者争いに負けたら―――パパが私のパパだっていう記憶も消すの?」
『…………』
父は答えない。
それが真実だとすれば、
『俺は……』
「いいよ。何も言わなくても……」
それが敗者の末路だとするのなら、

「その時は、思い出すから」

知った事ではない。
『―――――――は?』
父の呆けた声を聞きながら、娘は笑って答えた。
「勝手に思い出すわよ、その時はね。だって、パパは私のパパだもん。他の誰かのパパかもしれないけど、私のパパでもある。だったらきっと忘れないわ。忘れても思い出す。絶対に、どんな手を使っても思い出してみせる」
『…………アリサ』
「だから、だから――――安心して良いよ。私は大丈夫だからさ」

父は―――デビットは自然と微笑んだ。
「そっか……そうだな。お前は俺の娘だ。だから絶対に大丈夫だな」
『そうよ。だから今の内に私の椅子、空けておきなさいよ』
「それは駄目だな。何事も平等だ。男たるもの、平等であるべきだ。男が贔屓していいのは愛すべき女だけと相場が決まってる」
『なるほどね。それじゃ、私はその席を無理矢理にでも奪わなくちゃいけなって寸法なのよね――――上等ね』
力強い娘の、アリサの言葉を聞いて、デビットは笑みを止める事が出来なかった。
強くなった、そう思った。
少なくとも、前に電話で話した時よりもずっと強くなっている。
「――――なにか、良い事でもあったか?」
そう尋ねると、アリサはしばし無言になり、
『―――――が、できた』
小さな声で、



『友達が、できた』



そう言った。
「そうか……それは良かった」
『…………怒らないの?』
「どうして怒る必要があるんだ?」
むしろ、怒るがおかしいのだろう。
『だ、だって……パパは言ってたじゃない、孤独でいろ、孤高でいろって』
あぁ、あれかとデビットは思い出す。
「あれはそういう意味じゃない」
『へ?』
「お前はそのままの意味で聞いていたみたいだが、それはそのままの意味じゃない」
『それじゃ、どういう意味なのよ』
「それを考え、答えを見つけるのも俺の後継者の義務だな」
だが、恐らくは時間はかかるまい。
電話の向こうで混乱しているであろう娘の姿を想い、デビットは答えが近い事を知る。アリサは言ったのだ―――友達ができた、と。
それが最初の一歩だ。
それがわかれば、後は自然と答えにたどり着くだろう。
友ができたという事は、仲間ができたという意味だ。
デビットは思い出す。
それは妻が死ぬ前の晩。
デビットの妻は電話でデビットにこう言っていた。
自分は辛い。アリサがデビット同じ様な力に目覚め、そのせいで遺産の継続争いに巻き込まれるかもしれない。だから辛い、苦しいと泣いていた。
だが、泣く時間はすぐに終わる。

それでも信じていたい、と妻は言った。

アリサは自分とデビットの娘なのだから、どんな困難にも負けはしないだろう。そして、例えその身に異能が宿っていたとしても孤独にはならない。孤独になど負けず、周囲に手を伸ばす事を諦めはしないだろう―――そう信じていると妻は言った。
その時、デビットは遥か昔を思い出す。
夜の一族と争うきっかけとなった女性の事を。
その女性は自分にむかってこう言い放ったのだ。
「孤独で在れ、孤高で在れ―――そうすれば、自然と仲間が寄ってくるのよ。自身を求め、自身に縋り、自身という存在をリーダーと認める素質があると周りが理解する、理解させる事が出来る……だから私はアンタに勝てたのよ」
女性はデビットの敵だった。
女性一人では大した事の無い敵だった。だが、その数が多い。女性をリーダーとした集団、軍団がデビットを打つ為に集まり、吸血鬼という超越種を打倒した。
「群れとは、意思の集まり。種族も何も関係ない……故に群れを率いる者は常に孤独であり孤高なのよ。そんな者でなければ仲間を守れはしない。そして、仲間もリーダーを求めはしない」
自分一人の力など大した事はない。だからこそ仲間が出来た。自分から望んで作ったわけではないが、いつの間にか自然と集団ができ、軍団ができ、そして群れができていた。
そう言い放った女は、まるで狼のボスの様だった。
だから惚れた。
だから愛した。
だから夜の一族というつまらない一族を裏切り、彼女の群れの一人になった。その為に一族全員を打倒する必要があったが、苦とは思わなかった。
欲しいと心の底から思ったからだ。
孤独と孤高、この二つを持つ女性が魅力的過ぎて、他の何もいらないと想う。だから何処までも、何時までも戦えた。
その結果、彼は今の地位にいる事になる。
この事を知っているのは、生涯で二度目の愛を教えてくれた女―――アリサの母だった。
「まぁあれだな。この宿題は俺の椅子を手に入れるまでに出せばいいさ」
『実は答えなんて無い、なんてオチじゃないでしょうね』
「どうかな?」
唸る娘の声。
微笑む父の顔。
何時かたどり着く答えが存在する。しかし、その答えはきっと一つではない。あの事件を起こした子供の一人が別の答えにたどり着いた様に、アリサも別の答えに辿りつくかもしれない。
何故なら、意思とは関係なく人は動く。
デビットが知らない内に、彼の予想以上の価値を叩きだす事だって普通にある。
それが生きている者の特権であり、誰にでもある異能だ。
人である限り、歩みよる。
人で在る限り、言葉を交わす。
人で在る限り、自身の意思で誰かと共にある。
アリサ・バニングスはそういう少女になる―――もしかしたら、既にそういう少女になったのかもしれない。
群れを率いるのではなく、自ら群れを作り、群れを導き、群れを守り、群れと共に生きる。
それは今ではなく未来の話かもしれない。
しかし、それは絶対に訪れない未来なはずはない。
何故なら、言葉の意味、言葉に宿る意思は―――人の数だけ存在するのだから。
それから少しだけ電話で話し、通話は終わる。
「――――鮫島、今日は自宅に帰る」
「帰れますかね……本日のご予定では少々困難かと」
「馬鹿野郎。男である俺が、父親である俺が娘を祝ってやらんでどうする!?」
「そう言って毎回誕生日とか学校行事に行かない旦那様が言っても、説得力がないですな」
「そ、それはアレだ。そういう日に限ってとんでもないトラブルが湯水の様にわき上がって――――っていうか、鮫島」
デビットは運転している鮫島を見る。
「なんか、後ろから黒いワゴン車の群れが近付いてないか?」
「それだけではなく、前からは装甲車。上空にはアパッチが飛んでますな」
「此処、日本だよな?」
「日本は日本でも、人気の無い山道ですらなぁ……はぁ、だから普通に高速道路を選ぶべきだったんですよ」
横目に鮫島は後部座席を見る。
そこには山の様に詰まれたお土産。
「まったく、旦那様は少しばかりアリサ様に甘過ぎでございますね」
「娘が怪我した時にも帰らない父親の唯一の償いだ」
「物で釣るとは……いやはや、何とも嘆かわしい」
「お前さ、主人の事をどう思ってる?」
「尊敬しておりますよ?――――この不運の大きさに」
背後の車のドアが開き、銃を持った男達が見える。前方の装甲車では屋根の上に備え付けられた大型銃器の照準がデビットと鮫島の乗った車を狙う。
そして、上空に待機していたアパッチからは既にミサイルが発射されていた。
「―――――撃ちやがったな」
「―――――えぇ、撃ちやがりましたね」
主人と執事に一切の焦りの色はない。
むしろ、上等だと言わんばかりにニヤッと壮絶な笑みを創り上げる。
「正当防衛だよね、コレ」
「えぇ、正当防衛ですな」
それが開始の合図となった。
結果的にこの日もデビットは家には帰れなかった。
車に積んだ大量のお土産はミサイルによって灰になり、その怒りでアパッチを撃墜。そのせいで翌日の新聞に『謎の爆発事故!!他国の攻撃か!?』などという一面が飾り、日本と他国の間に戦争一歩手前の膠着状態が生まれそうになり、それを回避する為に一児の父と執事は世界中を飛び回って事件を収拾するという映画が一本取れるくらいの出来事になる。
そして、父がそんな大変な事に遭ってとは夢にも思わず、例え思っていても父ならなんとかするだろうという信頼で放置して、アリサは屋上で昼ご飯を取り出す。
この日は何時もの様にコッペパンと水ではない。
今日は久しぶりに菓子パンとジュース。
ソレを持ってチャイムが鳴るのを待つ。
数分後、チャイムが鳴って屋上のドアが開く。
そこにはお弁当を持った少女が二人。アリサを見つけて文句を言いながら、アリサの座っているベンチに腰掛ける。



菓子パンの甘い味は、まるで今のアリサの心を現す様な―――幸せな味だった。



















そしてこれはどうでもいい余談なのだが、デビットと鮫島がなんとかトラブルを収め、ちょっとアリサへお土産でも買っていこうかな~とか思って、とある街で【クラブ】なる組織が行っていたエンターテイメントに巻き込まれ、そこで異常な戦闘能力、殺傷能力持った少年と出会い共闘、そしてそのククリナイフが羨ましいからお土産にどっかで買っていこうかな~とか考えていたら、結果的に巻き込まれて戦うはめになって一国を救うってみたりしたが――――基本的に本編とはまったく関係のない話である。
ちなみにこれも関係のない話なのだが、その騒ぎが終わった後も、ククリナイフが欲しいな~とか思っていたら、某漫画家と某編集者の格好をした二人の少女と出会い、
『アナタにこのマジカルステッキをあげるよ~』
と言われて受けった瞬間に変身魔法少女(筋肉モリモリ)に変身して、警察に追われたりしたらしい。
そしてこれは少し未来の話なのだが、この時のマジカルステッキが原因で海鳴の街に死と絶叫とちょっぴり塩辛い感動もクソも無い様な事件が起こる事になるのだが―――それはまた別の話という事になる。




次回『人妖都市と休日』




あとがき
うん、長いね。
アリサ編を全部合わせるとページでは110くらいで、メモ帳だと172KBだった。今回の話だと50Pになりました(過去最高でした)。
というわけでアリサ編の終了です。虎太郎先生はあんまり題名に関係はなかったすっね。まぁ、虎太郎先生が主人公というわけじゃないから、アレですけどね。
さて、それはさておき、アンケートを適当に集計したら2が優勢という事で、もう2でいこうかなって思います。
というわけで、【リリなのキャラであやかしびと】な話になりました。というより、既にそっち寄りですね。
とりあえず、現段階で設定が決まっている方々。

クロノ
テスタロッサ家
リィンフォース

です。
次回はシリアスがほとんどない話にしようとおもっております。もしくは、ちょっと寄り道して別の話もいいかもです。それが終われば人妖編の最後、なのは編を開始します。






[25741] 【閑話休題】『朽ち果てし神の戦器‐エメス・トラブラム‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/07/03 15:08
――――退屈なとき、もしくは一つの区切りがついた時は、異なる世界の話をしよう。

我々とは森羅万象の法則が異なる世界、違う者達が生きる世界の話を。

しかし、どこかで繋がっている遠くもあり、近くもある世界の話を。

そして、以前の物語が竜人の世界の物語というのならば、今回は別の世界の物語を語るべきだろう。

遠くもあり、近くもある世界。

その世界では以前の世界と何処までも似ているのだが、少しだけ違う事もある。死ぬはずの者が死なず、生きるはずの者が死に、幸せに不幸に普通に生きている世界の物語。

これはそんな――――あるエルフの世界の物語だ。






【閑話休題】『朽ち果てし神の戦器‐エメス・トラブラム‐』







三百年が経った、今日。
魔銃にとってそれはなんとも言い難い、別れの日になった。
以前の持ち主が死んで三百年、新しい持ち主になって三百年。そして、三百年という長い月日を生き、逝くべく者となったエルフが魔銃の主。
このエルフの事は知っている。
彼女の名をヴァレリア・フォースターという。
魔銃は彼女が幼い頃から知っている。
以前の主、その主は執事であり、執事が仕えて主がおり、その主の友人が彼女、ヴァレリアというエルフだった。幼い頃から老人になるまで三百年を見てきた魔銃は何とも言えない干渉に浸っていた。
二度と目が覚めない主。
人間の数倍は長く生きるというのに、死は必ずやってくる。有機物も無機物も関係なく、終わりという死は必ず訪れるのだ。
恐らくは自分にもそういう日が訪れるのかもしれない。だとすれば、その時の自分はどんな顔―――いや、顔などない。どんな姿になっているのだろうと考える。
壊されるのか、それとも錆びて朽ちるのか、予想はつかないがきっとロクでもない様な死に様、壊れ様を晒して消えるのだろう。それが怖いとは思わない、嫌だとも思わない。ならばその最後の瞬間が訪れる時まで自分は自分の思う様に動き、銃弾を吐き出し、命を奪い、冒涜するだけだ。
なら、このかつては少女だったヴァレリアはどうなのだろうか。
死ぬ事が怖くないのだろうか。
終わる事が怖くないのだろうか。
少なくとも、怯えるような仕草はしていない。
この終わりを受け入れて、そして――――その先にある何かを楽しみにしている様だった。
死を、終わりを楽しみにしている。
そんな風に見えたから、昨日に聞いてみた。
『―――――やっぱりあれか?長い生きすると死にたくなるのかよ、嬢ちゃん』
魔銃は尋ねると、ヴァレリアは小さく首を横に振る。
「いいえ、そんな事はないわ……」
『なら、なんでそんな顔をしてるんだよ』
「そんな風に見えるかしら?」
『あぁ、見えるぜ』
黒き魔銃に顔があったのなら、きっと嗤っているのだろう。死を運び、死を与え、生を奪い、生を冒涜する魔銃にとってそういう顔が一番似合っている。だが、彼女はそんな魔銃の事などお見通しなのだろう。紅茶を啜りながら、顔に出来たシワにそっと手を当てる。
「楽しくなんてないわ。でも、特別に苦しいわけでもない。自分の終わりがこんな近くに迫っているのに、どうしてか怖いとは思えないの……どうしてだと思う?」
ヴァレリアの問いに魔銃は少しだけ考え、意地悪な声を作って言葉にする。
『それこそ、生に飽きたんだろうよ。なにせ、【アイツ等】が死んでもうかなりの年月が経ってるんだ。それこそ、生きている事が辛いだろうよ』
「外れね」
あっさりと言われ、魔銃は言葉を詰まらせる―――演技をした。
ヴァレリアもそれがわかっているのだろう。
それでも言葉にしたのはきっと、自分の今を、今までを確かめる様な事をしたかったのだろう。
「――――生きる、最後まで生きる……それが私があの人達に託された事。自分達の死を嘆いてはならない。自分達の後を追ってはいけない―――微笑んで、幸せになって欲しい」
『随分と自分勝手な連中だな』
無論、魔銃とて知っている。
あの連中がそんな事を言ったのも、死ぬ時になってそう言うだろうという事も、全てを知っている。
まったく、なんてお人好しな連中だ―――魔銃は小さく溜息を吐いた。
「でもね、正直に言えば……苦しかったわ」
『………』
「生きる事が苦しい、生き続ける事が苦しい、周りが死んでいって残される事が何よりも苦しい……胸に穴が開いているのに生きているのは、辛い事だったわ」
『だが、生きてる』
「生き汚いとアナタなら嗤うかしら?」
嗤ってやるだろう。主が嗤えというのなら、最低なジョークを交えて嗤い飛ばし、貶して陥れ―――
『嗤わねぇよ』
思うだけで、口にはこう出す事にする。
やれやれ、自分も随分と奇妙な事を思う様になったと魔銃は顔の無い顔で苦笑する。
以前の主が死んでから三百年。その間、彼女が一度だって、一発だって自分を使う事はなかった。それは以前の主からの願いを聞き届けたのもそうだろうし、彼女自身の意思でもあったのだろう。
魔銃は武器であり兇器だ。撃たない銃は銃ではない。斬らない剣も剣ではない。
だというのに、以前の主はこんな戯言を吐いたのだ。

魔銃に安息を―――

最低な言葉だと思った。
命を奪わせろと思った事もあったし、契約を破棄して別の、もっと血の気の多い奴と契約するのも悪くないと想っていた―――だが、案外こういう生活も悪くないものだと思ってしまったのだ。自分と対になって生み出されたもう一つの魔銃も同じ感想だったらしい。
『嗤わねぇよ、嬢ちゃん。第一、銃には笑うなんて機能は搭載されてねぇんだからな。俺に出来るのは敵に唾を吐き出し、唾で身体を貫いて殺す事だけだ』
「そうかしら?アナタには私とお話できるという素晴らしい機能――いいえ、素晴らしい力があるじゃない」
『こんなモンはただのオマケだろうが』
ヴァレリアはそっと魔銃を持ちあげ、優しく撫でる。
「アナタの言うオマケは、私達にとっては何よりも代えがたい力だったわ。アナタがただの無機物であったのなら、もしかしたら何かが変わっていたのかもしれない」
それは思いすごしだろう。
この身は銃という兇器。
兇器で人は変わらない。兇器を持つ者は皆が狂気を持っている。
銃は人を殺さない、殺すのは人―――そんな戯言と同じ様に、だ。
だが、きっとヴァレリアは優しく否定するのだろう。
そうしてくれるからこそ、魔銃としては珍しく、その言葉を受け取っておく事にした。
『まったく、なんて主を引いちまったのか……リックといい嬢ちゃんといい、最近はロクな主に恵まれねぇな、俺もよ』
「なら、次の主に期待するべきではなくて」
『どうだかな』
これは言葉にはしない。
これは心の中だけに、絶対に撃たない弾丸として残しておこう。
恐らく、これから先にどんな契約者がいたとしても、自分はヴァレリアと、彼女を残して死んだリック・アロースミスよりも色々と楽しめそうな契約者には出会えないだろう。
だから期待はしない。
期待はせずに、黙っている事にしよう。
口笛すら吹かず、唾すら吐き捨てず、黙ってタダの銃としている事にしよう。無論、契約者が現れれば即座に契約し、新しい殺伐とした毎日に戻るだけだ。
三百年間、長い休暇だったが、その休暇ももうすぐ終わる。
『なぁ、嬢ちゃん。一つだけ聞いて良いか?』
「なにかしら?」
もしかしたら、これが最後の会話になるかもしれない。だから今の内に聞いておく事にしよう。
こんな呪われた魔銃と、
こんな最悪な性格の魔銃と、
こんなクソッタレな事しか出来ない魔銃と、
「俺達とした三百年は、楽しかったか?」
ヴァレリアは小さく微笑む。
それだけで十分な回答だった。
それだけ聞ければ、もういい。
これが最後の会話にはならなかったが、恐らくは最後の思い出の一つにはなったのだろう。
翌日、静かな夜の中でヴァレリアは自分の家族に向けた手紙を書き、魔銃と数言だけ言葉を交わし、

眠る様に――――旅立っていった。





それから時間は経った。
三百年の休暇が終われば、すぐに何かが変わると思っていたがそうでもなかった。ヴァレリアの家族達はヴァレリアと同じ様に魔銃を使う事なく生き、そして死んでいった。三百年の休暇の後には更に百年の休暇が待っていた。そしてそこからさらに時間が経つと自分の様な銃と呼ばれる存在は、兵器では骨董品という扱いに変わる事を知った。
フォースター家から別の家へ。その家から博物館へ。博物館からとある資産家へ。とある資産家から泥棒へ。泥棒から商人へ。商人から骨董品集めが趣味な老人へ。老人から強盗へ。強盗から警察へ。警察から物置きへ。物置きからゴミ捨て場へ。ゴミ捨て場から野等猫へ。野等猫から鴉へ。鴉から森へ。森から原住民へ。原住民から祭壇へ。
そうして時間が経ち、気づけば一千年にも及ぶ休暇だった事に気づいた。最後に言葉を発したのは何時だったかは覚えていない。少なくとも、契約は愚か、使われる事すらなくなったのは確かだろう。
もう一つの魔銃は何時の間にか消えた。それに気づくのは早かったが、特に問題にあげる事はしなかった。
あっちはあっちでのんびりしているのだろう、そう決めつけた。
魔銃という存在は伊達ではなかったらしく、一千年経っても錆びる事すらしていない。もっとも、見た目はそうであっても中身は相当のガタがきているのは確かだろう。
銃としても、魔銃としても、どうかしている。
そんな事を考えていると、気づけば更に数百年の月日が流れていた。
恐らく、世界は姿を変えているのだろうが、今の魔銃の居る場所からはそれは見えない。魔銃が今居る場所は暗い闇の中。
何かの建物の中だったのだろうが、その建物は時間という寿命によって削られた命を全うし、倒壊していた。つまり、自分はその倒壊した何かの建物の中にうもっている状態なのうだ。
笑えてくる。
一千年と数百年前、魔銃はヴァレリアにこう言葉にした。
長く生きすると死にたくなる―――こんな事を言っていたのだ。
今はわかる。
あれは決して間違いではないのだろう。
『―――――壊れもしない、死にもしない』
なんて最悪な状況だ。
眠る事すら出来ず、無駄に時間をかけるだけの毎日と生涯に意味なんてない。終わらせる事が出来るのならばさっさと終わって欲しい。こんな自分でも時に弱気になるのだと気づき、苦笑する。
『なげぇなーおい』
独り言だ。
『おわらねぇなーおい』
誰も言葉を返さない。
『――――クソッタレだ』
悪態を吐くのも飽きた。

そして、更に百年が経った。
世界かは変わった。
お伽噺の世界はSFに変わる。そこから時間が経って新しい生命が生まれ、滅んだ。それでも生き残った何かは新しい種を作り、新しい種同士で争い、絶滅した。
そして、また新しい世界が生まれた。
その頃の魔銃は何処にいるかというと―――まだ、闇の中にいた。ただし、今度は建物ではない。あの建物はいつの間にか消えていたし、建物があった地形―――下手をすれば大陸ごと姿を消していた。
ならば、此処は何処なのだろうか。
魔銃は久しぶりに考えた。
自分は何処に行くのかと考え、何処に行けるのかと考え、何処にも行けない、逝ける事すら出来ないと考えつき、
『――――――――』
生れて初めて、絶望というモノに出会った――――その瞬間だった。



世界が滅びた。



世界という星が滅びた。



全てが滅びた。


滅びて、消えた。



こうして魔銃は消滅した―――――――――――――――――否、するはずだった。




魔銃には普通ではない力が宿っていた。
数千年前、不死の魔王と呼ばれた存在がいた。その存在は七人の英雄によって倒された。だが、魔王は完全に死んだわけではなく、その身体をバラバラにされながらも【力だけ】は生き延びていた。
その内の一つが魔銃に宿っていた。
魔王の力一つで世界は変わり、魔銃の力一つで命が終わる。
それほどの力を秘めた魔銃が消滅する瞬間、銃という形によって封じられた魔王の力が一瞬だが膨れ上がり―――――門を開いた。
どんな門かは知らないが、少なくとも門は門。外と内を繋げるゲートである事には変わりは無い。その門が開かれ、魔銃は放りこまれた。
門の中は嵐だった。
火の嵐。
雪の嵐。
雷の嵐。
魔の嵐
光の嵐。
闇の嵐。
不死の魔王の力すら及ばない嵐の渦に放り込まれた魔銃はあっさりと破壊された。だが、破壊されただけで消滅はしていない。幾つ物のパーツによってバラバラに分解されながらも、パーツは常に周囲にとどまりながら嵐に蹂躙された。
嵐の先も嵐、決して終わりの無い嵐。
しかし、嵐は不意に終わる。
終わった瞬間、世界が開く。
門の先ある門が開き、そこから星の輝きが写る。
魔銃だったパーツは落下する。
重力に引かれて落下し、見た事もない形の島国に落下していた。
そこで魔銃のパーツの一部が自我を持つ。魔銃だった頃の力は失っていたが、記憶だけを持ったパーツが口を開く。
『堕ちてるぅぅぅううううううううううううううううううううううう!!』
大絶叫だった。
『何か知らんが堕ちてるよ俺ぇぇぇえええええええええええええええええええ!?』
パーツは初めて高度数千メートルという高さからの落下にビビっていた。
ビビりながら――――始まりを予感していた。


魔銃だったパーツは地上に落下する。
堕ちた場所は日本という国に、何かに図られた様に全てが同じ【海鳴】という街に落下する。
撃鉄、被筒、銃把、引き金、銃剣が散らばって海鳴の街に落下する。
その光景を見ていた魔銃の記憶を持った回転式弾倉。
海鳴の街に堕ちた魔銃のパーツは全部で六つ。
その全てに異能が宿り、一つだけでも人外の力を持っている。
そして、その全てを合わせ、完成させた魔銃を、畏怖を込めて【朽ち果てし神の戦器‐エメス・トラブラム‐】と呼ぶ。
だが、それはあくまで名前ではない。
魔銃の本当の名前は一つ。
ヴァレリア・フォースターやリック・アロースミス、魔銃を知る者達は魔銃の事を、彼の事を、



【黒禍の口笛‐ベイル・ハウター‐】と呼んでいた。



こうしてベイル・ハウターは壊れ、人妖隔離都市へと落下する事になり、それが原因で巻き起こるトンデモない馬鹿騒ぎが待っているのだが―――それは別の話となる。
しかし、それがベイル・ハウターの新しい世界、そして戦いの始まりとなる。
魔銃に宿りし異能を受け入れ、魔銃に刻まれた呪いを跳ねのけ、魔銃を持ちながらも己が信念を貫き、魔銃を家族として接する事の出来る者と出会う。
この時、ベイル・ハウターはまったく想像していない。

契約する新しい主というのが、十にも満たない心優しい少女だったとは―――夢にも思わないだろう。







あとがき
というわけで、ベイルです。
このベイルさんはヴァレリアルートのベイルという事なんですが、とりあえず、いきなりぶっ壊れてもらいました。現在は弾倉だけという状態です。
ここまで書いておきながら、ベイルの契約者に色々と迷っているのですよ。
一番は主人公なんですが、それ以外にも二人ほどいます。まぁ、とりあえずは主人公です。

というわけで、レイハさんはクビ

とりあえず、現状では単なる喋る弾倉でしかないですね~
さて、弾丸執事で残るは雪ルートなんですが……ぶっちゃけ、このルートについては書く必要がないのが問題なのです。だって、役名すら無いモノですからね。
そんな感じで、弾丸執事介入編はこれで終わりです。
次回は本編、なのはさん編の開始です。
予定では三話、最悪は五話くらいで終わるかもです。
そういえば、ベイルって契約者以外でも普通の銃としては使えるんですかね?

PS(というより質問)
薫さんの持ってた銃って刀子さんルートでどうなってましたっけ?あやかしびとが手元にないので確認できないので困ってます。
壊れてたのか、壊れてないのか、というのが問題なのです。

PS2(という名の質問2)
ネットで色々と調べても妖怪、怪物に関するデータが集まらないので困ってます。
なんか、良いサイトとかあったら教えてくれませんか?
あと、『身体の中に色々と物を収納できる妖怪or怪物』っていますかね?もしくは、『物を視覚的に隠せる妖怪or怪物』でもいいのですが……

PS3
主要キャラ以外で人妖大募集!!



[25741] 【人妖編・第七話】『人妖都市・海鳴の休日』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/03/29 22:08
人生とはなにか、加藤虎太郎は考える
勝つ事こそが人生なのか、幸せになる事が人生なのか、それともそれ以外の何かが必要だという事が人生にとってもっとも必要なものなのだろうか―――否、断じて否である。
狭い室内で虎太郎は答えに行きつく。
畳の部屋、デジタル放送が始まっているにも関わらずブラウン管のテレビ。
スーツは箪笥なんて上等な物が無い為、壁にかけてある。
ベッドなんて上等な物もないので布団である。
冷蔵庫は冷凍室なんて上等な物がない扉が一つなタイプである。
そして、丸いちゃぶ台がぽつんと置かれ、その上には今日の朝食。
「―――いただきます」
しっかりと食に対する礼を行い、口を付ける。

本日の朝のメニューはゆで卵―――――以上。

「――――――いけると思ったんだがなぁ」
たった一つのゆで卵を大事に大事に大事に一口ずつ食べる姿は、なんとも哀愁が漂う光景なのだろうか。しかし、別に好きでこうなっているわけではない。
「やっぱりアレだよな……あそこで突っ込まなかったらなぁ……いやでも、きっともう少しやってたら……あ、やれる金も無いな」
単純に自業自得なだけ。
昨晩、給料日から十日くらい過ぎた頃だろうか。クラスも授業も順調だという事で、もしかして俺の運も急上昇なんじゃね?的な事を思ってしまったのが原因だろう。
帰り道。
夜の闇に輝く桃源郷。
「設定が良い台があるって書いてあったのになぁ……やっぱり、あれって店のデマなんだろうなぁ―――いや待て、店の方を信用していないわけじゃない、そうじゃないんだ」
ふらっと入ってしまったのだ。
中に入ればジャラジャラと銀色の球やメダルが多量に吐き出される音。勝つ者の雄叫び。負けた者の慟哭。まさに此処は勝つ者にとって、戦う者にとっての桃源郷なのだ。
それから数時間後。
虎太郎の財布の中に在住していた諭吉さんが全員台の中に引っ越してしまった。
「今月の給料が……」
カレンダーを見つめる瞳は完全に負け犬の眼。残り十五日という長い様で短い月日をじっと見つめ、それから最後の一欠けらを口の中に放り込む。
そして、今日の朝食は終わるのだった。
加藤虎太郎にとって人生とはなにか―――という問いの答えはたった一つ。
「白飯が食べたい……」
真っ白なゆで卵ではなく、ホカホカの白い米が食べれる事こそが至福だと思えた。
白飯と味噌汁と焼き魚、それが貧しい飯だとは思わない。世の中にはこんな風にゆで卵で休日一日をすごさなければいけない教師だっているのだ。それだというのに世間ではコンビニ弁当を食っているだけで貧乏人扱いするとは傲慢すぎる―――という様な勝手な社会批判をある程度にしておき、虎太郎は着がえる。
残りの財産は後わずか。
冷蔵庫の中にはビールが数本と卵が一パック。
「―――――負けたままでは、師に申し訳が立たない」
虎太郎の師匠である妖怪がいたら、そんな申し訳なんぞいらんと温厚な顔を般若に変化させる様な事を言いながら、虎太郎は戦地へと赴くのだった。
ギャンブルという戦い。
コレに負ければ後はないという、正に背水の陣だった。だが、そこで素直に節約して生活するという考えよりも、負けた分を勝って取り返すという発想に行く時点でアウトだと気づかない初老教師、加藤虎太郎。
人妖隔離都市である海鳴の休日での本日の予定はギャンブル一つだけだった―――無論、これが勝てるとか勝てないかは神のみぞ知る、という事だろう。





アリサは顰めた顔で腕を組んで仁王立ちをしていた。
場所は彼女の自室。
大きなベッドの上に並べられた色とりどりで様々な衣服。
アリサはそれをじっと見つめていた。いや、見つめていただけではない。それどころか、次第に額から脂汗が滝の様に流れ出し、最終的に膝をついて崩れ落ちた。
「き、決まらない……」
かつて、これほどまで悩み、苦悩した事はなかった。目の前に並べられた衣服は彼女のお気に入りばかりで、恐らく着れば似合うであろう代物ばかりだった。だが、自分に似合うなんて事は関係ない。
問題なのは一つだけ。

「――――友達が来る時って、何を着ればいいのよ!?」

本日のアリサの予定。
午前十時くらいに、なのはとすずかが遊びに来る。その後は外に遊びに出るという休日の子供ならなんて事のない普通な予定だろう。だが、問題なのはその普通な事をアリサはまったく【経験が無い】のだ。
勿論、知識としては知ってはいる。こんな事もあろうかと、少女マンガは大量に呼んでいるし、少年漫画も大量に呼んでいるし、アニメも沢山見ているし、ゲームも沢山しているし、ネットサーフィンだって沢山している―――しかし、それを見ても結局は知識になる程度でしかない。いわば、説明書を読んでいるだけで実際は一度も使った事が無い精密機械を扱う様なものなのだ。少なくとも、アリサにとってはそんな感じだろう。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……あぁ、もう時間が無いわ」
時計の針は午前九時を指している。二人が来るまで残り一時間。とりあえず、着がえる服はこの一時間でなんとかするしかないだろう。だが、気づけば問題はそれだけではないのだ。
アリサは改めて自分の部屋を見る。
「…………これ、普通の女の子の部屋かしら?」
疑問というよりこれは恐怖だろう。
歳の近い子と接した事がないアリサにとって、周りがどんな風に生活してどんな趣味をしているかなど知るはずがない。彼女がクラスメイトを観察しているのはあくまで学校の中だけであり、中味までは完全に把握しているわけではない。
むしろ、まったく知らないに等しい。
それ故、彼女はこの部屋にある物が【女の子として正しい】のかがわからない。
大きな部屋である事には確かだろう。
だが、アリサが心配なのはその中身だ。
恐る恐る近寄るのは、天井からぶら下がっている蓑虫、ではなくサンドバック。中に砂やら砂鉄やら、ともかく重量にして百キロを軽く超えるサンドバックには、何度も破れて修復した後がある。
「サンドバックって……普通かしら?」
普通の女の子の部屋にはサンドバックくらいあって当たり前―――なんて話は聞いた事がない。漫画でもアニメでも、バトル漫画以外では見た事が無い。そして現実はバトル漫画ではないのだ。
「そうよね、これは駄目よね……あれ、でも私の私生活ってバトル漫画っぽいし、あってるのかしら」
首を捻って考えるが、答えなどで無い。
模範解答をするのなら、別にこれがあっても二人は「へぇ」程度の反応を示すだろう。ただし、夜な夜なこれを叩き、百キロを超えるサンドバックを真横にする程のパンチを繰り出せるという点では多少は引かれる可能性もある―――あくまで、可能性だが。
そんなサンドバックの後ろを見れば、さらなる疑問が生まれる。
ゆっくりとソレに近づき、
「これも、普通よね?」
山の様に詰まれているゲームソフトと機種。
東西南北、和洋西中、新旧のゲームには乱雑に積み重なっていた。懐かしい物はゲームウォッチ、新しいのはゲーム機を超えている最新機種。
「なのはもゲームとかやるって言ってたから、これは普通よ、普通」
だが、果たしてコレだけ持っているのは普通なのだろうか。
大量のゲームウォッチ専用箱の隣には百科事典の様なゲームソフト。信じられないかもしれないが、これも一応ゲームソフトなのだ。軽く人を殴り殺せそうな厚さを持っているがソフトなのだ。ハードではなくソフトなのだ。
「メガド○イブくらい、普通よね……今でも普通にやるし」
最早、普通という言葉が精神安定剤となり始めている事にアリサはまったく気付かない。それどころか、果たしてこのワンダー○ワンとかゲーム○アとか、PC○ンジンとかネオジオポケ○トとかは普通に今でも復旧してるわよね?とか考えだして止まらない。
「あ、こんなところにドリー○キャスト……そういえば、シー○ンに友達が出来たって言って無かったわね、起動起動っと――――って違うわよ!!」
かつての親友?に会おうとしている時点でこれは立派な現実逃避だと気づいたアリサ。このままでは駄目だ。最早何が間違っているのかまるでわからない。
「どうしよう、どうしよう……」
周りに聞けばいいのに、と思う人も多いだろう。しかし、基本的に彼女が今住んでいる屋敷にはメイドや執事なんて者は一人も居ない。
炊事家事洗濯など、一通りの事は出来るアリサにとって、そんな人間はあまり必要ではない。現に、この広い屋敷を休日に掃除するのが彼女の楽しみでもある―――そんな悲しい事は彼女の中では当然普通なのだが、関係はないだろう。
「って、こんな事している間にもう三十分しかないじゃない!!」
時間は刻一刻と迫っている。
部屋を見回し、愕然とする。
一般常識はあっても一般的な経験の無いアリサにとって、日々過ごしている自室はまさにカオス空間だった。
サンドバックに大量のゲームの他にも、大量に詰まれたプラモデル(何故か城が多い)とか漫画本とかDVDとか通販で買った健康グッズとかアサルトライフルとか脱ぎ捨てた下着とかAIB○とかフ○ービィーとか道端で拾ったエロ本とかスナック菓子の袋とかナイフとか冷蔵庫とか教科書とか鞄とかが散乱している。
そこで彼女は初めて致命的な事に気が付いた。
普通とは何か、とか。
子供らしいとは何か、とか。
そんな事を考えるよりも、友人を招く以前に誰かを部屋に入れる際に行う最低限の礼儀を怠っていた。

「部屋、片付けてない……」

時間は残り二十分。
アリサは持ち前の決断力を無駄に発揮して部屋を出て、掃除機を抱えて戻ってきた。こんな事なら誰か使用人を雇っておけばよかったと心底後悔したが後の祭り状態。
幸いな事に今日は半月の日。
人妖能力を無駄に発揮して尋常ではない速度で部屋を片付ける。
最早普通とかなんて知った事ではない。とりあえずは人が入ってこれる部屋にしなければ駄目だ。
最新型の掃除機の性能をフルに活用。埃などは昔ながらの叩きを使用して、雑巾で拭ける場所は全て拭く。
そうしている間に時間は午前十時。
玄関のチャイムが鳴り響く。
「――――――ッ!!」
決戦の時は来た。
アリサは部屋を飛び出し、廊下を弾丸の如く駆け抜け、二階から一階まで階段を使わず一足飛びで着地し、ドアに手をかける。
大きく深呼吸し、意を決して扉を開けた。
扉の向こうには私服のなのはとすずか。
笑顔で、
「アリサちゃ――――」
と、言葉に詰まった。
「い、いらっしゃい」
と言ったのに、何故か二人は完全に停止していた。
はて、どうかしたのだろうかと思い――――気づいた。
致命的なドジをやらかしたのだ。
先程まで部屋で何を着ようか迷いながら、色々と着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返していたアリサの現在の格好は、とても客を迎える態度ではなかった。
「アリサちゃん、家の中でもその格好はどうかと……」
言い難そうに指を差すなのは。
「えっと……今日は暑かったからかな?」
とフォローするすずか。
そして、自分の今の格好に気づいたアリサは、落着きを取り戻した。人間、最早打つ手なしな状況になって初めて冷静になれるのだと知った、九歳の春。

アリサ・バニングスが初めての友人を家に招いた時の恰好は――――下着姿だった。





「…………」
「…………」
「…………」
嫌な沈黙が部屋の中を支配する。
なのははどうしようかという顔ですずかを見て、私に聞かないでな顔ですずかが答える。そして下着姿から適当な普段着に着がえたアリサは、居間のソファーの上で芋虫になっていた。
「…………」
肩か小刻みに震えている後ろ姿を見る限り、多分笑いを堪えているのか泣くのを我慢しているかの二択なのだが、とりあえず最初で無い事は確かだった。
「あ、あのね、アリサちゃん」
意を決して語りかけたのはすずか。
何を言えばいいのかわからないが、何かを言わないと始まらない。そう、全ては言葉にする事から始まるのだ。
すずかは大きく息を吸い込み、満面の笑顔で、
「可愛い下着だったね!!」
追い打ちをかけた。
「ちょ、すずかちゃん、それは逆効果!アリサちゃん、なんか痙攣しているよ!!」
「え?あれ?」
心のダメージは肉体に及ぼすダメージよりも痛いと知ったアリサ。なんかもう、色々と立ち直れなくなりそうだった。
「今のは無し、今のは無しだよ!」
最初の軽いジャブでまさかのダウンを取ってしまったすずか。今度は失敗しない様に、言葉を慎重に選んで、
「犬さんパンツは似合ってると思うよ?」
やっぱり追い打ちをかけた。
「すずかちゃん!?」
「え、また違った?」
「全然違うよ!ほら、アリサちゃんの周囲に暗い影が……って待ってアリサちゃん、その何処から出したかわからないロープを天井に引っかけないで」
「いいのよ、なのは……私なんて、子供の癖に露出狂の変態なのよ」
「誰もそこまで言ってないよ!!自信を持って強く生きようよ!!まずは自分を認めて、そこから新しい自分を始めるべきだよ!!」
なんとか励まし、首吊りを防ごうとするなのはだが、
「――――アンタも私の事を変態だと思ってたのね」
確かに、あの言葉を聞く限りではしっかりと認めている風に聞こえるだろう。
「あれ?」
「なのはちゃんも人の事言えないね。うふふ、私と同じだね」
「嬉しそうに笑ってないで、すずかちゃんも止めて!!」
しっちゃかめっちゃかな状況は、それから十分ほど続き、ようやくアリサが冷静さを取り戻して収集された。




とりあえず、なんかこの家にいるのは色々と不味い気がしたなのはの提案によって予定を繰り上げて外に出る事になった。
「それで、何処に行くのよ」
さっきまでの醜態なんてありません、幻です、思い出すな、忘れろ、じゃないと殺すぞ的な目をしながら、アリサは尋ねる。
なのはは若干その眼に怯えながら、
「そ、そうだね……ゲームセンターとかどうかな?昨日ね、可愛いぬいぐるみがクレーンゲームに入荷されてたの」
可愛いは正義というのは誰が言ったかは知らないが、可愛いという単語にアリサも少しだけ惹かれたのだろう、
「……そうね、ゲームセンターに行きましょうか」
さっさと歩きだしてしまった。
「私、ゲームセンターって初めてなんだ」
すずかはすずかで楽しそうだった。
「なにアンタ、ゲームセンターに行った事が無いわけ?」
「うん、あんまり外に出て遊ぶ事がなかったから……だから、凄く楽しみ」
そして、三人はゲームセンターに到着。
このゲームセンターはこの辺りでは一番大きな場所で、クレーンゲームやメダルゲームと言った万人受けするゲームが多くある。
「こんな場所があったのね」
「アリサちゃんは此処は初めて?」
「えぇ。私はあんまりクレーンゲームとかしないから。主に行くのは駅前の小さな所よ」
「へぇ、そうなんだ。あの辺りって格闘ゲームとかシューティングゲームとか多いよね、筺体のやつ。もしかして、アリサちゃんってそういうゲームとか好きなの?」
「対戦ゲームはそれほど好きじゃないわね……まぁ、暇つぶし位にはするけどね」
「それじゃ、シューティングゲームとか?」
アリサは首を横に振る。
「それ以外だと……ガンシューティングとかクイズゲームとか、音楽ゲームとかあるから……う~ん、何が得意なの?」
「苦手なゲームなんて無いわよ。でも、一番やってたのはパズルゲームね」
「あ、頭を使う奴だね」
「違うわ。一人で出来る奴よ……ほら、友達いなかったし」
その瞬間、なのはの脳内で薄暗いゲームセンターの隅に置かれたテ○リスを黙々と一人でやり続けるアリサの姿が浮かんだ。
「カウンターで表示できる最高得点、何回くらいやったかなぁ……」
哀愁漂う顔で空を見上げるアリサ。その眼に微かな小さな滴があった。
「無し!!今の無しで方向でお願いします!!」
「そう?それじゃさっさと中に入りましょう。さっきからすずかがクレーンゲームに連コインしてボタンを壊しそうな勢いで連打してるわ」
「うわっ!すずかちゃん、それやり方が違うから!!」



クレーンゲームで人通り遊べば、戦利品はそれなりの量になっていた。ゲームセンターが無料で配布している袋には大量のぬいぐるみが収まっていた。
「大量だね」
「そうだね。クレーンゲームって面白いね」
「面白いのは良いけど、アンタ等どんだけつぎ込んでるのよ、特にすずか」
少なく見ても千円札が六枚以上は両替機に消えていた気がした。
「その……つい夢中になってて」
「そういうお金の使い方してたら将来に確実に浪費家になるわよ」
初心者ではしょうがないだろうと思うのだが、お金はキチンと計画的に使うべきだ。
「その反対に、なのは……アンタのアレはどうかと思うけど?」
「ふぇ?」
なのはの両手には大量のぬいぐるみ。数は十個以上はあるだろう。その数を彼女はたった千円でゲットしていた。
「ここのクレーンの弱さで、なんであんな神業じみた事が出来るのか、私は凄く疑問に思うわ」
「そうかな?この程度のクレーンの強さなら簡単だよ」
弱いクレーンに対して強さという言葉を使う当たり、この少女がどれだけ玄人なのか良くわかる。まさか、こんあ近くにあんな神業を使う者がいるとは思ってもみなかった。
「で、次は何にする?」
「そうだね……あ、あっちの方に新しく格闘ゲームのコーナーができたみたいだから、そこに行こうよ」
「私、そういうゲームとはやった事がないなぁ」
「それじゃ、アンタはどんなのならやった事があるのよ?」
すずかは顎に指を当てて考え、
「マインスイーパーとかソリティアとか……あとはルービックキュウブにジグソーパズルとかかな?」
「ねぇ、アリサちゃん。ルービックキューブとジグソーパズルってゲームなのかな?」
「ゲームと言えばゲームね。ちなみに、私はプラモデルを何分で組み立てれるかっていうゲームを一時期ずっとやってたわ。マスターグレイトなら十分で組み立てられるわね」
友達がいなかった時代の黒歴史である。今になって思えば、自分はどれだけ一人遊びで時間を潰してきたのだろうかと頭が痛くなってきた。
「なんか、二人とも色々と間違ってる気がするの」
「そうかもしれないけど、それ以外に知らなかったからね」
これ以上話すと気分が最低になりそうなので、さっさとコーナーを移動する事にした。格闘ゲームのコーナーは休日という事で見事なまでに込んでいた。
「わぁ、凄い人だね」
「暇人が多いのね。私達が言えた事じゃないけど」
そう言ってアリサは相手いる筺体を見つけるとさっさと座り、百円を投入。
「とりあえず、乱入してボコるから、空いたらどっちか座りなさい」
「アリサちゃん、なんか男前だね」
すずかが目をキラキラさせながら言うのは良いのだが、向こう側でプレイしている赤の他人がやってやるぜ、な反応を示していた。
「一分でケリをつけるわ」
予告までするアリサは、よっぽどこのゲームに自信があるのだろう。
「凄い自信だね……対人戦なのにその余裕」
「対人戦は初めてね。基本的には乱入されたら止めるし」
「へ?止めちゃうの?」
アリサは頷き、
「別に人と戦いたくてやってるわけじゃないし、巧くなりたいわけでもないわ。ただの暇つぶし。相手はコンピューターで十分よ―――その方が遊ぶだけなら効率的だからね」
ゲームの世界でまで他人と争う気はない、それがアリサの想い。故に平静を保っているが初めての対人戦に内心ではドキドキしていた。
後ろで見守るなのはとすずか。
そして試合が開始された―――――そして終了。
「――――す、すごい……」
「ねぇ、なのはちゃん。私はよくわからなかったんだけど、どっちが勝ったの?というより、一方的な虐殺にしか見えなかったんだけど」
「虐殺してたのがアリサちゃんだよ。それも凄いハメ技で相手に何もさせずに勝っちゃった」
予告通りの一分KOだった。
筺体の向こうで相手が信じられないという顔で台を立って行った。その際、対戦相手がアリサの様な子供という事に眼を見開き、崩れ落ちていた。
「まぁ、こんなもんね」
「こんなもんっていうか……勝てる気しないよ、これじゃ」
「当然ね……私にこの格闘ゲームで勝とうなんて百年早いのよ……伊達に最高難易度でノーコンテニューしてないわ――――まぁ、一人でだけど。オンラインすらやった事ないけどさ」
そう言った瞬間、アリサの顔に影が堕ちる。
「ふふふ、所詮は現実でもネットでも何処でも孤独な私よ……あ、ちょっと死にたくなった」
「っていうか、なんでアリサちゃんはさっきから自分でトラウマスイッチを勝手に発動させるの?」
とか言っている間に、画面には新たなる乱入者の文字が。どうやら、今のプレイを見てゲーマー達の魂に火を付けてしまったらしい。
「もう、アンタが変な事を言ってるから乱入されたじゃない」
「私のせいじゃないと思うけど……向こう側、凄い人が並んでるよ」
少なく見ても十人はいる。という事は、あの十人を撃破しなければ向かいの台に座る事が出来ないという事になる。
「一人当たり一分ってところかしら……なのは、すずか。悪いけど十分くらいその辺をブラブラしててくれない」
「あ、勝つ気なんだね、全員に」
「当然。じゃないと、アンタ等と遊べないじゃない」
何故か眼には炎の様な真っ赤な瞳。こんな下らない事で人妖能力を爆発させる必要は限りなく皆無なのだが、ソレに対して突っ込む者は誰もいなかった。
「……すずかちゃん、あっちでメダルゲームで遊ぼっか」
「え、アリサちゃんの応援しなくていいの?」
必要はないと首を振る。
恐らく、アリサはわかっていなかったのだろう。あの十人は少なく見ても十人であり、一人が負ければ九人になるかもしれないが、その後にまた追加されるという可能性もあるのだ。とりあえず、アリサの背後には人の群れが出来ている。
「多分、お昼頃になったら迎えに来ればいいと思うよ」
「まだ一時間以上あるね」
「一時間経って迎えに来て、アリサちゃんが勝ってたら……私、アリサちゃんに勝てる気しないよ」
そう言って、なのははすずかを連れてメダルゲームのコーナーに向かって行った。



所変わって月村家。
月村家当主である月村忍は虎太郎に完膚なきまでに敗れ去った防衛システムの改良に励んでいた。
「やっぱり先生には鉄球よりは銃弾の方がいいわね。大きさよりも質と量よ、量。米軍から安値で買い上げたライフルを改良して、ついでに対戦車砲とかも良いかもね」
ウキウキしながらキーボードを神速で打ち込んでいる姿を見ながら、メイドは虎太郎が次回来た時の事を本気で心配した。
勝っても負けても、またあの庭を直す必要があるだろう、と。
そんなメイドの心配なんぞ知ってか知らずか、恐らくは知っていて放置している忍の視線が注がれた画面に新しいウィンドウが表示される。
「あれ、メールだ」
メールの着信を知らせるウィンドウを開くと、そこには最近知り合ったアメリカの大学生からだった。
「忍様、その方は確か……」
「ハンドルネームは【チャペック】。向こうのお偉い大学に在学している天才君よ。システムのヴァージョンアップの為に意見を聞いてたんだけど――――おぉ、そういう方法がありますか。流石は自称マッドサイエンティストの卵、やる事がエグイわねぇ」
誉めているのか貶しているのか、恐らくは両方なのであろう事を言いながら、忍はメールに送付されていたデータを開き、それをシステム構築の材料に放り込む。
「チャペック様も、忍様の作ったマシーンに興味があるようですね」
「そうね。あの人型ロボットのデータの代わりに、システム改良の意見を貰ってる感じだしね」
「…………あの、忍様。お言葉を返すようでも申し訳ないのですが」
メイドが次の言葉を繋ぐ前に忍が口を開く。
「アナタが何を言いたいのかくらいわかってるわよ、ファリン」
あの人型はどこからどう見ても兵器。なら、それに興味があるとするのならば、兵器に興味があるという事であり、何らかに応用したいという事だろう。
「なら、どうしてそんなデータを提供するのですか?いくら防衛システムを改良する為とはいえ、この様な方法を取らなくとも」
「まぁ、そうなんだけどね……」
「それに、防衛システムはあくまで仮初です。この月村家の本当の防衛システムは私とお姉さまですよ」
だからなんだけどね、と忍は言う。
「え?」
「だからなのよ、ファリン。私はファリンとノエルの事をそういう目では見てないのよ。確かにアンタ達は強いけど、強いからこの家にいるわけじゃない。強いから私やすずかの家族であるわけじゃない……わかる?」
忍はファリンに眼は向けず、画面だけをずっと凝視し続ける。
「色々あって、私やアナタ達は変わったわ。特に、アナタはね」
「それは……それが、必要だからと感じたからです」
冷たい声でファリンは言うが、表情は辛い事を我慢している様な仮面に見えた。
「多分、すずかは今のアナタしか知らないわ。アナタがそういう喋り方、そういう仕草をし始めたのは、バニングスとの冷戦の頃だからすずかは知らない。だからこそ、私は――――」
「忍様」
今度は、ファリンが忍の言葉を遮る。
「これは私が決めた事です……私が姉さんと話し合って決めた事です。だから、忍様にもすずか様にも」
「どうこう言われる筋合いは無いって事かしら?」
椅子を回し、忍はファリンを見る。
何を言っても変わらない、変わる気はないという確固たる意志がそこにある。
なら、無駄なのかもしれない――――なんて思うわけがない。
忍は小さく微笑み、
「――――世界には夢も希望もない」
キーボードを叩き、メールフォルダを開く。
「それが前までの私の信条って感じだったけど……あの人のせいでそれが壊されちゃったわ。そんな時にこのチャペックに出会った。もちろん、顔も性別もわからないけどね」
クリックして開かれたファイルには、忍が初めてチャペックとメールのやり取りをした時の物だった。
「多分、昔の私ならこんな話を聞かされても、鼻で嗤ってたでしょうね」
そこには夢が書かれていた。
ロボットに託した己の夢。
夢というには些か現実的な文章だが、それでも夢と希望だけは確かに感じられる。
その文章を見ていたファリンが、ある一文を読み上げる。
「ロボットと、人が友人になれる……世界」
「良い大人、偉い大学に行ってるのに、こんな事を平気で書くのよ、このチャペックって奴はね――――でも、その夢には私も同意する事が出来る。ううん、同意したいと思った」
忍はこの文章を読んだからこそ、自宅にあるロボットのデータを送った。もちろん、これがフェイクである可能性は高い。信じる方が馬鹿を見るなんて事はざらにあるだろう。しかし、そんな可能性の話は関係無しに思ってしまったのだ。
「だってさ、こんなロマンチックな事を書かれたら―――信じたいと思っちゃうじゃない?」
「…………」
ファリンは黙り込むが、先程までの堅い表情はない。
「ねぇ、ファリン。アナタはチャペックの夢をどう思う?」
「―――――絵空事ですね」
冷たく切り裂き、
「ですが――――――とっても素敵だと思います」
そして抱きしめる。
「私や姉さんみたいな【物】に預ける夢なんて、絵空事以外の何物でもないはずです……でも、忍様の言う様に、鼻で嗤うなんて事をするよりは信じてみたいと思ってしまいました」
「でしょう?」
夢は夢でしかない。希望は希望でしかない。だが、夢と希望なんて甘い言葉を信じ、馬鹿みたいに信じるモノが出来たのなら、それは素晴らしい事だと思う。
人じゃない己もそう思えるし、いつかロボットだってそう思える気がする。
人とロボットの違い。
生きる者と機械の違い。
「私も一枚噛ませてもらう事にしたのよ、馬鹿な夢って奴にさ」
違いなど、あるのだろうか。
大きく見れば同じ。
小さく見れば違う。
真ん中で見るのは―――人それぞれ。
「ファリン……」
忍はファリンに手を差しだす。
「私は何時か、このくだらない闘争を終わらせる。私だけじゃ無理だし、デビット叔父様だけでも無理だと思う……でも、いつかきっと終わらせられる日は来ると思うも。だからね、そんな日が来たら―――」
ファリンの手が、冷たい手がそっと忍の手を掴む。
「そんな日が来たら……私もきっと昔に戻っちゃいますね」
そう言ったファリンの顔は、久しく見ていない―――あの頃の笑顔があった。







「おやおや、こんな休日にも仕事とはずいぶんと仕事熱心じゃのう」
休日の学校で、校長は見慣れた男に声をかけた。
男は壊れた壁を直す為に派遣された建設会社の社員であり、平日休日問わず、遅くまで作業している仕事熱心な印象を校長は持っていた。
「そういう校長だって、休日に出勤ですか?」
「それ以外にやる事がなくてのう……どうじゃ、これから校長室で茶でも飲まんか?」
「そうしたいのは山々なんですがね、予定よりも作業が進まなくてな。このままじゃ、期限まで終わらない可能性もあるんだ」
教室をぶち抜いて出来た穴の殆どは既に修復されている。残りは二つという所だろう。だが、予定された作業日数から換算すれば作業スピードは若干遅い。
「そりゃあれじゃろ、お前さんが一人で作業しているのが原因じゃないのか?」
「こういう仕事はついでですからね。殆どの従業員はこの間倒壊した建設途中のビルの修復に当たってますよ」
「倒壊したビルというと……あぁ、あれか」
「えぇ、あれです」
建設中のビルが一夜にして倒壊したという事件は、一時期世間を騒がせた。原因は不明だが、建設を頼んだ商社に対する嫌がらせ行為にしては派手すぎるし、作業の手抜きという点から見れば、男の務める会社は断固としてあり得ないと主張している。
「どこの馬鹿がやったのか知りませんがね。調べて見ると、鋭い刃物で鉄骨を切断して倒壊させたらしいんですよ」
「ほぅ、というと人妖の仕業というわけですかな……」
同じ人妖である校長は心が痛む。
こういう行為をする結果、世間から人妖に対する弾圧は強くなる。その弾圧がいずれ自分の生徒達に及ぶ可能性とて否定はできない。
「なんとも言えない事件ですなぁ……アナタの会社も大変でしょうに」
「それがどうでもないですよ、これがね。ビルの再建築工事をする際に、この街のバニングスっていう所から費用の立て替えをするっていう申し出があってね。そのおかげで我が社の被害は評判を下げただけに住みましたよ。ビルの建築工事も、そのまま我が社で行うって事になりましたから……どうにか食いつなぐ事が出来そうです」
「そうかい、それは良かった」
「まったくです」
壁に塗料を塗り終えた所で男は休憩に入るのだろう。鞄の中から弁当箱を取り出す。弁当箱の中には色とりどりの食材が敷き詰められ、それと一緒に白いおにぎりが三つ。
「これは美味そうですね……もしや、奥さんの手作りですかな?」
男はおにぎりに食べながら首を横に振る。
「そうやって誤解する連中が多くて困りますよ、実際」
「じゃが、アンタが作ったと言うには……些か女っぽいじゃろ」
どうやら相手が誰か聞き出すまで逃がさないらしい。男は半分諦め、半分は―――小さな事を誇らしげに言う様に、
「昔の上司ですよ。色々あって同じ屋根の下に暮らしてますが……校長の思う様な事はまったくありませんよ」
「そりゃあれじゃな。アンタが奥手なだけじゃろ?向こうはそれだけじゃ満足してないかもしれんぞ」
「俺が奥手に見えますか?」
そう言われると、校長は否定するしかない。肉食やら草食やら、そんな話では済まない様な屈強な体つきをしている男が、女一人に手も出せない軟弱者だとはとても思えない。
「あっちは元部下。俺は元上司。男と女の関係になる事なんてないだろうさ……」
だが、本当にそうなのだろうかと校長は思う。他人の生活にどうこう口を出す気はあまりないが、
「――――長生きするとな、たまにわかってしまう事もあるんじゃよ」
校長は男の片方だけの眼を、両の眼で見据える。
「相手が嘘をついている事もわかってしまうし―――相手がそれを出来ない何かを抱いている事もな」
「…………」
「アンタのそれは嘘とは思えない。じゃから、その人に手を出せない何かがある様な気がしてならんのじゃよ。それがどういう理由かはわからん。もしかしたらこんな老いぼれが口を出していい事ではないかもしれんしな」
「…………」
「しかしな、若造」
校長はしわだらけの顔でニカッと笑う。
「後悔だけはするなよ。出来ない事を出来るのは素晴らしいが、誰にでも出来る事じゃない。だが、その反対に出来る事をしないのは……悲しくもあり、苦しくもあり、そして間抜け過ぎると思うんじゃ」
「――――若造と呼ばれる歳でもないんだがな」
「ワシよりも年下なら、誰でも若造じゃい。アンタがその見かけでワシよりも年上だと言うのなら頭を下げよう。ワシが間違った事を言ったのなら―――年寄りの頑固で通させてもらうさ」
男はしばし考え、息を吐く。
「校長。校長って奴はそんなにお節介が好きなのかい?」
「お節介が嫌いなら教師なんぞしとらんよ。他人に興味が無い者に教師は勤まらん。それと同時に他人を労われん者も同様。じゃから聖職者なんて肩書が付けられるんじゃが、ワシはそんな肩書が欲しくは無いのう」
「教師は聖職者じゃないのか?」
「聖職者など、所詮は周りが勝手に付けた肩書じゃ。教師とて人間。人間であるが故に間違いも犯すし、お節介にもなる。それとも何かい?聖職者でなければ教師じゃないと、アンタは思うのかい?」
男は違うと断言する。
「先生と呼ばれる奴等が聖職者なら、俺は絶対に違うだろうな……一時とはいえ、そう呼ばれていたが、聖職者なんてモンからは一番遠い事をしていた」
「じゃろう?なら聖職者なんてモンは要らんさ。人間が人に物を教える。聖職者は人に物を押し付ける―――ワシの勝手の思いこみじゃがな」
とんでもない事を言い出す爺だと男は思った。だが、それも悪くないと思う。そういう人間が物を教える立場になってるのなら、間違いが起こっても間違いでは終わらせないだろう。
そんな風に思えたからこそ、不意に家に帰った時の事を思う。
元上司は、彼女は今頃家庭教師としてあの子の家に行っているだろう。だから先に家に帰るのは自分だ。なら、今日は自分が飯を作ってみるもの良いかもしれない。
そして、こう言うのだ。
何時も美味い弁当を食わせてくれて、ありがとう――――と。
彼女はどんな顔をするのかはわからないが、多分悪い顔はしないだろう。
そして、そんな顔をする彼女の事を自分は――――そういう関係も悪くないと想っている。




気づけば夕暮れ。
終われば楽しい時間というものは、光陰の矢の如く過ぎ去っていくものなのだと知る。それほど楽しく、嬉しく、かけがえの無い時間だと知る事が出来た事は幸運以外の何物でもないだろう。
結局、格闘ゲームはなのはの想像した通りになり、ゲームセンター開店以来の勝ちぬき数を残し、対戦をしないまま終わりを迎えた。その後は適当に色々な店に入り、何かを買ったり食べたりして過ごすというなんて事のない時間が過ぎた。
だが、楽しかったと心の底から思えた。
なのはもすずかも、そしてアリサも、帰路を歩く足取りは軽やかで、まだ遊び足りないと言う様だった。それでも今日はもう終わり。明日は学校があるし、これ以上遊んでいたら親に迷惑をかけてしまう。
アリサは基本的に一人だが、なのはにもすずかにも待っている家族がいる。なら、今日はこの辺でお開きにするのが正解だろう。
ぬいぐるみの詰まった袋を両手に抱えながら、なのはは手を振って別れる。
「それじゃ、またね、アリサちゃん。すずかちゃん」
「気を付けて帰りなさいよ」
「また明日、学校でね」
なのはと別れ、途中まで帰り道が一緒なアリサとすずかは同じ歩幅で、速度で歩く。ゆっくりと歩き、他愛も無い事を話して笑う。
当たり前な事なのだろう。
誰にでもある、当たり前すぎる事なのに二人はそれを知らなかった。一人は諦め、一人は知らないままで過ごそうと決め、結果的に出来る筈の事をしなかった。
しかし、今は違う。
「少し持つ?」
すずかの両手には戦利品のぬいぐるみと、書店で買いこんだ大量の本がある。両方を持つには些か足取りがおぼつかない様子だった。
「大丈夫だよ。でも、少し買い過ぎちゃったかな」
「買い過ぎよ、十分に……まぁ、アンタが本が好きなのは知ってるけど」
「アリサちゃんは本とか読まないの?」
「読むわよ」
基本的に漫画なのだが、すずかの買った本の殆どは童話や小説という類だ。しかも、自分の趣味ではないメルヘンなものばかり。
「それじゃ、面白い本があったら貸してあげるよ」
楽しそうに言ってくれるのは嬉しいのだが、正直な話、微妙だ。嬉しそうに進めてくるすずかを想像し、趣味が合わないから結構だとも言えない。
趣味が同じではなく、人それぞれが違うというのに友人でいられるものなのだろうかと、少しだけ不安になるが―――多分、それは大した事では無いのだろう。
何となくわかった。
朝、何を着て出迎えるとか、部屋の中の物がどうだとか、そんな事ばかりを考えていた自分が馬鹿らしいと、今なら笑える。
「そうね……楽しみにしておくわ」
例え、相手がどういう相手だろうが、どういう趣味を持とうが、今日という時間の中で苦痛だと想った事は一度だって無い。それだけ楽しかったという事であり、それだけすずかやなのはと共に過ごす時間を大事に出来たという事になるのだろう。
大切な時間。誰かと過ごす大切な時間。失ったと勝手に思いこんでいただけの、手を伸ばせばすぐにどうにかなったモノが此処にある。それを手に入れるまで三年もかかってしまった。三年、三年だ。短いとは思えない。長いとしか思えない。空白としか言えない三年は、この関係が最初の時から手に入るとは思っていなかったから失った。
「まったく、無駄な時間を過ごしたわ」
「え?」
きょとんとするすずかに、アリサは苦笑した顔で答える。
「三年、三年よ?私もアンタも、あの子と友達になるまで三年もかかったなんて、間抜けだと思わない?」
「う~ん…………うん、そうかもね」
すずかも頷く。
「もっと早く出会えたら、もっと楽しかったのかもしれない」
「今日みたいな事を、三年前から出来てたかもしれない」
三年前から三年後――それは今。
「アリサちゃん、今日は楽しかった?」
「楽しかったわよ。多分、三年間で一番楽しかったわね」
繰り返される一年を三回、その重みを今になって噛みしめる。
「あ~あ、昔に戻れるなら戻りたいわね」
「そうだね。でも、そうしたら私達はもう一回喧嘩しないと駄目だね」
「それは勘弁してほしいわ。私、こう見て非暴力主義なのよ」
「それ、嘘だよ」
「うわぁ、速攻で否定したわね」
あの時の事は互いの中で何らかの決着が付いている。
胴切という怪物―――怪物になったアンネという少女の事件の際に、あの時の事は謝った。そして、謝った上でもう一度始められれば良いと願った。
理由もわからず、記憶も曖昧なまま殺し合いに似た喧嘩をした一年の頃。それは曖昧なままにしてはいけない事なのかもしれない。本当の真実というものを探す事が必要なのかもしれないが、今はどうでもいいとさえ思えた。
ただ、こうして隣を歩いていられる。
ただ、こうして冗談を言いながら話していられる。
ただ、友達というなんて事のない、大切な関係で在り続けようと想えれば、それで十分だった。
過去は過去、今は今。
あの日に出会った三人は、漸く好ましい形になったというだけ。ただ、それに少しだけ時間がかかり、少しだけ人とは違う大げさな事があり―――少しだけ、人妖だったという事なのだろう。
不意に思い出す。
アリサが虎太郎と話した会話。
この街が好きかどうか。わからないから好きになる。嫌いだから好きになる。虎太郎は今、この街を好きになっているかはわからない。あれだけ大口を叩いたのだ、アリサがどう思おうと勝手に好きになっているだろう。
「ねぇ、すずか……アンタは、この街の事……好き?」
「好きだよ」
即答だった。
「大好き。すごく大好き」
夕焼けに染まる街が、ゆっくりと薄暗くなっていく。太陽が沈む、星と月の時間が訪れる。それからまた太陽が上がり、もう一度沈み、また上がる。
「この街には私の家族がいて、クラスメイトがいて、先生がいて、なのはちゃんがいて、アリサちゃんがいる……こんなに素敵な人達がいるのに嫌いになるわけないじゃない」
すずかの言う素敵な人達に自分の名前が挙がっている事に、なんとなく恥ずかしさが込み上げ、自然と顔が朱色に染まる。
「ば、馬鹿。そんな恥ずかしい事を平然と言わないの」
「恥ずかしくはないよ。なんなら、これから大通りに出て今の台詞を叫んでも良いよ?」
「へぇ、そうなんだ。それじゃ、行きましょうか」
すずかの手を引いて大通りに戻ろうとすると、流石にすずかも抵抗する。軽い冗談のつもりだったのだが、アリサの眼が本気でかなり焦っている。冗談が言える様になったとは言え、中味は恥ずかしがり屋の少女である事には変わりは無い。
「ちょ、ちょっと待って!?」
「待たないわ。ほら、さっさと行くわよ。アンタが街の中心で恥ずかしい台詞を言う場面を録画して、なのはに見せてあげるわ」
「勘弁してよぅ……」
変わっている様に変わっていない。変わる事は素晴らしい事かもしれない。だが、変わっていないからこそ、素晴らしいモノだってあるはずだ。
優しい心は一度は変わった。だが、変わったつもりで本当は何も変わっていない。ただ、優しい心を隠しただけ。その本質は何も変わっていない。
強い心は別の想いに変わった。だが、それは結局は最初から最後まで変わらなかった。ただ、それを受け入れる事ができなくて、変わったつもりになっていただけ。
多分、今の自分ならはっきりと言えるだろう。

アリサ・バニングスは、この街が好きだ。

虎太郎と初めてあった時、作文を白紙で出した。あの時は本気でこの街に夢も希望も無く、この街以上に最低な場所なんてあるはずがないと想っていた。想っていたはずだった。想っていようとしただけだった。
自分はすずかと同じで、この街には父がいて、クラスメイトがいて、なのはとすずかがいて―――ついでに、煙草臭い先生がいる。
大声で好きじゃないとは死んでも言えない。でも、照れくさいから嫌いじゃないとは言うだろう。その位はきっと許してくれるはずだ。
「しょうがないわね。まぁ、いいわ。その辺の事は明日学校で追及させてもらうからね」
「え、逃がしてくれないの?」
「当たり前じゃない」
「うぅ、アリサちゃんが苛める……虎太郎先生に言いつけちゃうよ?」
「虎太郎が怖くて意地悪ができるかっての」
動き出した歯車は止まらない。
止まろうとする事があっても、止まらせはしない。
一つの歯車が止まろうとしても、別の歯車が回っている。その歯車が動き続ける限り、他の歯車も休む事なく動き続ける。
歯車は自分であり、誰か。
誰かの歯車が止まろうとするのなら、自分という歯車が動かす。
自分の歯車が止まりそうな時は、誰かが動いて歯車を動かす。
そうして全て噛み合って動き続ける、一つの大きなカラクリが―――自分達の住む世界。
「それじゃ、私はこっちだから」
「うん、また明日ね」
「気を付けて帰りなさいよ」
今日は別れて、明日が始まる。
今日のさよならは、また明日という約束。
今日いう日より、明日が更に素晴らしい日で在る事を願いながら、別れの挨拶を。
「バイバイ、アリサちゃん」
「じゃあね、すずか」
そうやって、少女達の休日、海鳴という街の休日は終わりを告げる。








【人妖編第七話】『人妖都市・海鳴の休日』













そして、【魔女】が歯車を狂わせる。



幸福な日々は終わりを告げる。幸福な日々は終わりを告げろ。幸福な日々など必要がない。幸福な日々があるから終わりが来ない。幸福な日々が邪魔して不幸にならない、幸福な日々が続くから―――我らが【不死の王‐ノーライフキング‐】が目覚めない。
太陽が沈み、星と月の世界が訪れる。しかし、それと同時に闇の世界が目を覚ます。星の光は闇に飲まれ、月の光は闇に消され、静寂という深淵が口を開ける。
深淵の闇の中に沈むのは、生きる者の当然の義務。
生れた者は皆が死んでいく。
死ぬべき者も死なない者も、久しく全てが死に向かう。
【魔女】は嗤う。
ケタケタと嗤う。
馬鹿げたガキのママゴトに大笑いし、唾を吐いて、幸福をかみ砕く。
今宵は半月。
月は歪んだ笑みの様に歪み壊れ、その光を持って狂わせる。
しかし、光だけでは足りない。月の光は人を狂わせる事が可能だが、それでは駄目だ。そんなモノではきっとどうにもならない。
狂わせるのだ――――壊す為に。
狂わせるのだ――――歪める為に。
狂わせるのだ――――目覚めさせる為に。
狂わせるのだ――――幻想を砕き、真実という絶望を抱かせ、再開する。
さぁ始めよう。
再開を始めよう。

【三年前に失敗した事を再開しよう】

あの日、あの時、あの瞬間。本来ならアレで目覚めるはずの力は不発に終わった。それは確実にあの人狼のせいだろう。アレが下手な手加減をしなければ、アレが下手に強力でなければ完全に目覚めたはずだった。
だが、アレは【魔女】の失態だと素直に認めよう。
アレは単に運が悪かっただけに過ぎない。目覚めるにはアレでは足りない事はこの三年で学んだ。だからこそ、今度は的確に正確に最高に全てを進め、【魔女】は力を手に入れる。
その為に、狂わせるのだ。
【魔女】の計画を狂わせた、邪魔者を消す事から始めよう。邪魔者を消して再開を始めよう。
狂う。
狂う。
狂う。
狂う。
狂う。



「―――――さぁ、続きを再開しましょうか……月村さん、バニングスさん」



狂い、殺し合え。



「――――――――ん?」
アリサは脚を止めた。
何か奇妙な感覚を感じたのだ。それは嗅覚を刺激する様な感じでもあり、背筋を走る悪寒かもしれない。確かに感じ、明確に感じた。
振りかえり、視界に誰も写っていない事を確認して―――舌打ちする。
「今日はいい気分だってのに、何処のどいつよ」
殺意を感じだ。
黒い殺意でも冷たい殺意でもない、冷たい殺意。何もなく、人形が出す殺意という奇妙な感覚。違和感にまみれ、嫌悪感を抱かせる。人が抱く殺意よりもなお悪い、最低で最悪な殺意だった。
しかも、それと同時に奇妙な匂いを嗅ぎとる事ができた。
何の匂いかはわからない。だが、自分はこの匂いを一度嗅いだ事がある。どこで嗅いだのかは思い出せないが―――瞬間的に口と鼻を塞ぐ。
「……この匂い」
知っている。
どうしてかわからないが知っている。
この匂いは記憶として残らなくても、身体が覚えている。
嗅いではならない匂い。嗅いだら自分の中の何かを壊す毒薬。
普段なら嗅いでから判断する所だったが、今日は完全な満月ではない為、嗅ぎとるという行為よりも感情的がそれを拒否した。恐らく、これが完全状態であったのならあまりにも敏感になっていた鼻は、一息吸うだけで思考が【魅入られていた】だろう。
「何なのよ、この悪趣味なのは……!!」
常人よりも多い戦闘経験。それはこの三年間で爆発的に上がった。だからこそ、その経験が言っている。この匂いは自分を惑わし、全てを奪う匂いなのだと。
それが功を奏したのだろう。
三年という月日は決して無駄ではなかった。
もしかしたら、この時の為に三年間があったのかもしれない。
ズンッと頭が重くなる。
微かだが匂いを嗅いでしまった事が原因だろう。
気づけば周囲には奇妙な色の霧が発生していた。
血の様に紅い。
紅桜が舞い散る夜の世界。
その中に佇むのは人ではなく妖。

――――――少女が立っていた。

少女の形をした人外が立っていた。
少女の形をした化物が立っていた。
少女の形をした怪物が立っていた。
見慣れた姿で、見慣れた顔で、見慣れた髪で、見慣れた背丈で、見慣れた身体で―――先程別れた時と同じ恰好で、金色の瞳を輝かせた怪物が立っていた。
ゾッとした。
その存在に恐怖する。
その存在自体に恐怖するのではなく、その存在が自分に対して牙を向くのだと本能が悟ったが故の、恐怖した。
身体は無意識に力を宿す。
この霧に本能が引っ張られ、思考が獰猛な狼の様に変貌しそうになる。それを理性で押し留め、自我を保つ。
これも三年間で得た事だ。
やはり、この三年間は意味があったらしい。
しかし、こんな形でその成果を確認する事になるなんて、最低の一言だ。
事態は飲みこめない。だが、この状況がどんな状況なのかという事だけは理解できた。
アリサは乱暴に頭を掻き、
「あぁもうっ……!!だから気を付けて帰れって言ったのよ、私は」
相手に言うのではなく、自分に対して苛立つ様に毒吐き、
「―――――――で、冗談ならさっさと冗談だって言いなさいよ」
【魔女】は嗤う――――金色の瞳は虚ろの瞳。
「言いなさいよ、冗談だって……」
【魔女】は囁く――――金色の瞳は人でも人妖でもなく、妖の瞳。
「お願いだから……冗談だって言って……」
【魔女】は甘く命じる―――冷たい黄金。無機質な金。眩しい金色。
「……お願いだから……お願い」
怪物は、
化物は、
妖は、



――――――月村すずかは、吠えた



「■■■■■■■――――――ッ!!!!」
地面が爆発する。
距離は三十メートルは離れていただろう。だが、その距離は一瞬で零。
瞬き一つする間に、アリサの視界に狂った金色の瞳が目の前に映し出される。
「――――――チッ!」
繰り出される暴虐の一撃。我武者羅に、適当に振り回した様に動物的な一撃は人間の、少女の腕の振りでは収まらない程の速度と威力を持っていた。
ドガンッと背後にあった何かが吹き飛んだ。それが何かを確認する前に、アリサは変貌したすずかを飛び越し、背後に降り立つ。そして改めてすずかが何を吹き飛ばしたのかを見た。
「おいおい……」
呆れてしまった。
彼女が吹き飛ばしたのは―――地面だ。
地面に五つの巨大な爪痕を刻みつけ、コンクリートの地面を吹き飛ばしたのだ。その要因となったすずかの手には、先程までなかった鋭利な爪が五本、全てがすずかの手から生えていた。
しかも、それが両手に。
「■■■■■……」
すずかは口を三日月の様に歪める。そうやって歪めた事で異常に尖った犬歯が二本―――吸血鬼の様に生えていた。
「イメチェンするならもっと可愛くしなさいよ―――ねッ!!」
言い終わる前に飛び上る。地面に突き刺さる爪は胴切の刃と同じ様にスッと地面に刺さり、
「――――――ッ!?」
即座に上空にいるアリサへと伸びる。
すずかが飛び上ったわけではない。爪が伸びたのだ。十センチ程度だった爪が数メートル上空にいるアリサまで突き出す様に伸び、足を突き刺した。
爪はアリサの足を貫通し、そこから急に蛇の様に脚に絡みつき、アリサを地面に引き寄せる。
地面ではすずかが片手を、弓を引く様に引き絞り、貫手の構えを作る。
避ける事は不可能。
故に、
「■■■■■―――――!!」
「こ、のぉぉおおおおおおおおおおおお!!」
受け止める。
貫手を両手で抑え込む―――瞬間、貫手の指先が杭打ち機の様に突き出し、アリサの顔面目がけて襲い掛かる。それを寸前で顔を背ける事で避け、
「いい加減にしなさい!!」
脚に刺さったままの爪、腕を巻き込んで身体を回転させる。アリサとすずかの身体が同時に独楽の様に回転し、すずかを背中から地面に落とし、押さえつける。だが、押さえつけられると思ったのは一秒にも満たないわずかな時間。
脚を絡め取っていた爪はシュルッと元の長さに戻り、金色の瞳が深い闇の如く輝く。
「―――――ッ!?」
反射的にその場から跳ぶ。
ガキンッと歯と歯が噛み合わさる音。
一瞬でも跳ぶのが遅れていれば、確実に噛みつかれ―――最悪、首の肉を持っていかれていた。
確実に殺す一撃だった。
自分を、友達だと言ってくれた自分を殺す一撃。
「…………」

【魔女】の囁きは音の無い呪。

頭の中が自然とクリアになっていく。
恐怖や不安、焦りも憤りもありはしない。身体が自然と動き、目の前の【障害】を打倒する為に全てを作り替えていく。

【魔女】の魔法は無意識に入りこむ呪。

闘争本能が膨れ上がり、相手を敵だと身体と意識が認識する。
「…………」
相手は本気で自分を殺そうとしている。
「…………」
なら、殺そうとする事に対する報復行動に出ても文句は言えないはずだ。
「…………」
血が躍る。
頭が赤く染まる。
相手を倒し潰し殺してミンチにしてグチャグチャにしても関係ないという、殺戮衝動に似た何かが内から湧き上がる。
それは相手も同じ、むしろ自分よりも前にそれを完了させ、こうして襲いかかってきている。
すずかは獣にも似た唸り声を上げ、四足歩行の動物が如く構える。
アリサは静かに呼吸を整え、半身を前に出し腕を突き出して構える。
互いが互いを敵ではなく、倒すべき対象でもなく―――殺すべき標的として認識する。
嗤っている。
吸血鬼の歪んだ笑み。
人狼の飢えた笑み。
そして【魔女】の楽しげな笑み。
そこには何もない。
三年間という月日を我慢し、漸く得た絆という存在すら消え去った。
殺すだけ。
殺して殺して潰すだけ。
それは三年前の再現。
消えた記憶が蘇り、あの日の続きを再開する。
再開しようとする自分を受けいれる。
そして、




そんなふざけた事を肯定する己を――――全力で殴る。




ガンッという鈍い音が闇夜に響く。
その音の発生源は、紛れもなくアリサ自身から発せられていた。拳を額に撃ちたて、力を入れ過ぎたせいか、軽くのけ反る。
「――――――ふざけんじゃないわよ……」
額がジンジンする上に、力を入れ過ぎてかなりのダメージを自分に負わせてしまった。だが、こうしなければこの匂いに負け、自分自身に負けてしまう。
額は紅く染まり、微かに割れた皮膚から血が垂れる。
だが、おかげで少しだけマシになった。
澄んだ思考などいらない。本能に身を任せた身体など必要ない。相手を殺し、潰し、標的などという他人行儀な事を考える全てを葬りさる。
どういう事かわけがわからない。
だが、一つだけわかる事がある。
この感覚は知っている。
三年前、すずかと殺し合いに近い喧嘩をした時のアレにそっくりだ。いや、むしろそのものだろう。
つまり、あの出来事が三年越しに目の前に現れたという事になる。
戦闘能力的にはアリサは昔よりも今の方が劣っている。あの時は満月だったが故に圧倒的な勝利を収める事が出来たが、今日はその半分以下の力しか出せない。しかし、それを補う程の経験がある。
そして、それ以上にあの時の自分とは、違う。
目の前にいる者は誰か――――友達だ。
「あの時とは違う……」
やっと得た友達だ。
すずかだけではない、なのはだってやっと得た友達。
友達だ、友達なのだ。
三年前と三年後。
その違いは此処にある。
再度構え、友を見据える。

姿形に偽り無し。
其処に立つのはかけがえの無い絆。
それを前に握る拳は必要無し。

握った拳を開き、掌を突き出す様に構える。
「すずか……」
友に語りかける言葉は静かで強く。
「アンタも変わったんでしょう?成長したんでしょう?」
優しく、そして誘う様に、
「なら、アンタも頑張りなさいよ。じゃないと、なのはが泣くわよ」
そして、絶対に争ってたまるかという激情を抱き、言葉にする。
しかし、すずかには届かない。



されど、【まだ】届かないだけ


地面を蹴ると同時に巻き起こる嵐。ソニックブームに似た衝撃がアリサの頬を掠め、微かに血が飛ぶ。
背後に出現したすずかの攻撃は見るまでもない。
背中に迫る死の気配へ腕を差しだし、突き出された貫手を掌で受け止め、弾き、流す。
流水の如く、死の一撃はあっさりと受け流された。
その事実に驚く事もなく、即座に攻撃に移る。
「■■■―――ッ!!」
風を切り裂く爪。
地を鋭く抉る爪。
しかし、アリサの身体には届かない。
全てを掌で受け流し、体勢を崩しに崩す。何度もそれを行い、何度も隙は生れた。だが、そのはっきりと撃ちこめる隙があったにも関わらず、アリサは自身から撃ちだす事はせず、同じ様に掌を前に突き出したままの構えを崩さない。
「どうしたの?さっさと来なさいよ」
手招きした瞬間に嵐の様な攻撃は始まる。
突き出された貫手は反らされる。
噛みつきに移れば優しく顎に手を当てられ、方向を変えられる。
爪を伸ばして突き刺そうとすれば、掌を上下に合わせて―――叩き折られた。
「――――全力で受けてあげる。アンタが止まるまで、アンタが目を覚ますまで、全部防いで避けて流してね」
そして、心の中で吠える。
自分達にこんな事をさせた者が近くにいる。姿も気配も無いが、確実にその者はこの光景を見ているに違いない。
許せない。
許せるはずがない。
故に絶対に殺さない。
故に絶対に殺されてやらない。
自分は言ったのだ。
さようなら、と言った。
また明日、と言った。
それが約束の言葉だとするのなら、それを守らねば嘘になる。自分のすずかの関係も、それを作ってくれたなのはとの関係も。
そして、アリサ・バニングス自身の、これからが嘘になる。
金色の瞳を見据える紅の瞳。
三年越しのリターンマッチ。
勝っても負けてもアリサの負けになる。
すずかに負けるわけじゃない。これを仕組んだ誰かに負けた事になる。
そんな結末なんてクソ喰らえだ。
アリサはすずかを手招きし、余裕の笑みを浮かべて言い放つ。
「でも、あんまり長くは付き合わないわ」
絶望に負ける事はあっても、挑む事は出来る。
挑み、必ず勝てるとは言わないし、言えないだろう。
だが、挑むべきだ。
挑み、破れ――――それでも立ち上がり、そして希望を掴む。
綺麗事を口にして、綺麗事を手にして、綺麗事を皆が口にして、絶望を口にする事が下らないと思えるくらいに―――普通に過ごす毎日が此処にあると信じ抜く。
まだ、終わっていない。
まだ、絶望するには程遠い。
如何なる逆境も、如何なる辛さも悲しさも――――そこで終わらない限り、明日は来る。
希望を胸に、希望を明日に、孤独から手に入れた絆を携え、

「ほら、遅くなる前に帰るわよ、すずか……じゃないと、明日―――寝坊して学校に遅刻するわ」

少女は希望を口にする。
【魔女】の絶望に、希望‐絆‐を持って立ち向かう。






次回『少女‐高町なのは‐』









あとがき
七話投稿です。
アリサ編が終わって、今度はなのは編です。
前回も言いましたが、多分四話で終わります。
あくまで、予定ですがね。
それでは、人妖編の最終章、がんばって書きますぜ。



先日の地震で自分は東京の部屋にいたのですが、それでも色々な物が堕ちて若干ビビりました。
ただ、本家が秋田なので大丈夫かな~と想って電話しても中々繋がらないので心配しましたが、夜には繋がって安堵です。向こうは停電しているだけと言っていましたが、毎日のごとく雪が降る地方なので心配と言えば心配でしたが、なんとか復旧した模様でひと安心。

あとは、被災地の方々が安心できる時が来る事を願う次第です。






[25741] 【人妖編・第八話】『少女‐高町なのは‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/03/27 15:23
高町なのはという少女について語る事はあるとすれば、特にはない。
彼女は普通の人間だ。
人妖が大部分を占める海鳴の中で少数の人間、何の力もない普通の人間だ。血液検査、DNA検査をしても彼女を人妖だという証拠はなく、ソレを探す必要性もありはしない。
高町なのはは人間だった。
特に何かに才能がある人間でもなければ、特別な出生の秘密があるわけでもない。
そこにいる様な普通の子供、何処にでもいる普通の小学三年生、普通という言葉が似合うであろう少女だった。だが、そんな普通の少女には友達がいた。二人の人妖の友達がいる。その二人は少し前までは友達も作れず、孤立した存在だったが今は違う。
なのはという友達がいて、アリサという友達がいて、すずかという友達がいる。
二人に対してなのはが何かをして、結果的に友達になったというわけではない。それぞれの理由は個々で解決、もしくは誰かの手によって解決さて、あるべき形になって落ち着いた。
しかし、それでもなのはが何もしなかったという事ではない。
そもそも、誰かが誰かを救うという法則はなく、誰かではなく彼等、もしくは彼女達といった複数の人々によって人は救われる事もある。
アリサとすずかは、その複数の人達によって今がある。
そして、その複数の中には、なのはがいる。
彼女が欠けても問題はなかったかもしれない。だが、彼女がいなければ問題は問題のままであったかもしれない。
居ても居なくても変わらないかもしれなければ、居なければいけなかったかもしれない。
どちらが正解かなどはわからないが、それでもきっと―――きっと今の形が何よりも落ち着いた形だったのかもしれない。
高町なのは。
人間。
小学生。
そんな彼女について語る事は何もない。
何故なら、

高町なのはという少女の事を【理解】している者など―――――誰一人としていないのだから








【人妖編・第八話】『少女‐高町なのは‐』









「…………」
その日、虎太郎を見た霙は言葉を失くした。
「か、加藤先生?」
「…………」
霙の眼に映った虎太郎は、この世の終わりの様な顔をしていた。少なくとも、週末の時にはこんな顔はしていなかった。それがどういう事か、今は見事なまでに地獄を見た、という顔をしていた。
「大丈夫ですか?もしかして、どこか体調が悪いとか……」
虎太郎は酷くやつれた顔で霙を見て、
「――――ないんです」
地獄の底から響くような声を出す。
「金が、ないんです」
金がない、見事にない。
昨日、自身の全財産を賭けた大博打の結果――――彼の財布の中にいたお札は全員が全員、遊技台の中にお引っ越ししてしまった。
「お金がないって……お給料日からまだ一週間も経っていませんが。もしかして、何かあったんですか?」
「えぇ、ちょっと身内に不幸がありまして……」
「まぁ、それは大変ですね」
ちなみに、身内という言葉はよくよく考えれば自分も当てはまるのでなかろうか、という大変自分勝手な解釈であり、実際は身内の不幸などではなく、自業自得以外のなにものでない。
「おかげで昨日の夜から何も食べてなくてですね……」
「まぁ、まぁ、まぁ……」
虎太郎の身内の不幸という勝手な解釈に、見事に騙され、もしくは誤解した霙は心の底から同情する様な顔で虎太郎を見る。
「わ、私に何か出来る事はありますか?あ、少しでしたらお金を工面する事も出来ますが」
お金という言葉に即座に食いつく虎太郎。
この際、自分よりもかなり年下の教師に集るなんて行為に恥じを抱く必要はない。というより、抱く余裕もない。
「本当ですか!?」
この世の救いを見たような顔で近付く虎太郎に、若干引きながら霙は頷く。
「困った時はお互い様ですし……」
そう言って財布の中から今の虎太郎にすれば大金といえる一万円札を三枚。三枚だ、大切な事なのでもう一度言うが三枚も取りだした。
「どうぞ。少ないですが、これで次のお給料日まで持ちますよね?」
女神だ。
虎太郎の眼には、帝霙という女教師が女神に見えた。
今ならこの場で膝をついて、この人の服従を誓ってもいい。
「帝先生……」
眼鏡の奥の瞳にキラリと光る涙。
「アナタは、アナタは最高の教師です……アナタがいれば、この学校も……否、この国の教育も絶対に大丈夫に違いない!」
「そんな大げさな……でも、加藤先生みたいな方にそう言ってもらえれば、私としても嬉しいです」
担任と副担任は助け合う者。それが一般的な解釈であり、一方的な誤解であったとしても、この際は大した問題ではない。
今、問題となるのは目の前に差しだされた三万円を手にするという事。
虎太郎は振るえる手で三万円を受け取ろうとし、
「おや、虎太郎先生」
同僚の教師が通りかかり、
「昨日、パチンコ屋に居た様ですが、結果どうでした?勝ったのなら、今日の帰りに一杯奢ってくださいね」
二人の間に亀裂を作った。
「…………」
「…………」
虎太郎の手は空を切り、三万円は霙の財布にリリース。同時に霙の額に青筋がピシリと浮き出し、
「加藤先生?」
「…………」
虎太郎はこの空気を誤魔化す様に嗤い、
「――――――いや、勝てると思ったんですよ、えぇ、勝てるはずだったんですよ」
「加藤先生!!」
年下の教師に雷を落とされた。




「―――――何というか、アナタは駄目です。この学校の一員としていうか、教師としてというか、人間として駄目駄目です」
「いや、それはですね」
「言い訳禁止です!」
「…………すみません」
廊下を歩きながら説教する若い教師と、授業で使う教材を両手で抱えた初老の教師。そんな二人を見つめる生徒達の視線が痛かった。
「大体、どうしてギャンブルなんて愚かな行為をするのですか!?私達は自分の仕事に見合ったお給料をもらい、それで生活する義務があるんですよ。働いたら、それに見合った賃金を受け取る。それ以上の物が欲しければ頑張って頑張って、それに見合った賃金を受け取る様に努力するのが普通です!」
正論が故に返す言葉のなかった。
だが、生れついての賭博師である虎太郎に言っても無駄というものだろう。それでもしっかりと言う時点で、それなりに教育について考えている証拠とも受け取れる。
「アナタ、それでも教師ですか?」
教師なんです、と言えればいいのだが、今は何を言ってもロクな結果にならない様な気がしてならないので、黙っておく。
「大体アナタはですね―――――」
そこから教室に着くまで教師としての自覚とか生徒に悪影響だとか、説教を肩身が狭い想いで聞き続ける事になるのだろうか。
もうすぐ始業のベルが鳴ると言うのに、このままのテンションで授業に臨むのはキツイ。とりあえず、煙草の一本くらいは吸いたいと心の底から願う。
そんな時だった。
後ろの方からトタトタと小さな足音が聞こえ、振り返ってみると女子生徒が廊下を走っていた。
「はぁはぁはぁ」
荒い息を吐きながら一生懸命に走っているのだろが、如何せん遅い。仕舞いには脚がもつれて、
「みぎゃっ!?」
廊下に突っ伏した。
「高町さん!?」
霙が転んだなのはを助け起こす。
「大丈夫?」
「あぅ……鼻打った」
あれだけ盛大に転んで顔面強打とは、随分とギャク漫画みたいな事をするなと虎太郎は思った。
「ほら、顔みせて――――うん、怪我はしてないみたいね。もぅ、廊下は走っちゃ駄目じゃない」
「ごめんなさい」
しゅんっとなるなのは。
「その、ちょっと朝寝坊しちゃって……」
「だからと行って廊下を走って良い理由にはなりませんよ」
「遅刻して良い理由にもなりませんがね」
ちょっと口を出しただけで霙がギロリと睨む。失敬と一言言って明後日の方向を見る。しかし、随分と霙の中での加藤虎太郎の株を落したものだと苦笑する。元々尊敬される様な教師じゃない事は理解しているが、これは流石にキツイ。
「高町。とりあえず、さっさと教室に行け。俺達が行く前に席について無いと遅刻だぞ」
「あ、はい!」
そう言ってなのはは急いで教室に向かう。
「コラ、廊下は走らないの……もう、転んだらどうするのよ」
「帝先生。少し過保護じゃないですか?廊下を走って怪我する様な奴なんて――――あ、いるか」
少なくとも、目の前を走って行ったなのははその部類に入るだろう。
「はぁ、まったく。でも、あの子が遅刻するなんて珍しいですね」
「そうですね、っていう言うほど高町の事を知っているわけじゃないんですがね」
「生徒の事をもう少し知るべきじゃないですか、加藤先生」
肩をすくめて笑ってみるが、霙は眼を細めて虎太郎を見据える。どうやら、完全に加藤虎太郎という人間に信用が置けない、という感じになっているらしい。
「これでも努力はしてますよ。生徒の顔は全員頭に入ってますし、どういう子なのかも何となくは理解してるつもりです」
「それなら良いんですけどね。でも、加藤先生の場合は人間として駄目ですから」
「それ、まだ引っ張りますか?」
「もちろん引っ張りますよ。とりあえず、次のお給料日までは引っ張ります」
霙に三万円の借金をしている手前、言いかえす事が出来ない。これは来月から本気で賭博行為をやめようかと考え、一秒も経たない内に無理だと気づく。
「まぁ、あれですな。せめて生徒の前でなら教師らしくしますよ」
「してもらわないと困るのは生徒達ですよ」
「わかってますって…………そういえば、帝先生は一年の頃から高町の担任でしたね」
「えぇ、そうですよ。それが何か?」
「いえ、入学してた頃からの付き合いだと、ああも人を見る目が変わるものかと思いまして……」
今の担任は虎太郎だが、霙は自分以上にこの学校に長くいる。そして、なのはとは一年の頃からの付き合いだとすれば、やはり多少の差は感じられる。
それを明確に感じたのは先程、霙がなのはを助け起こした時。
なのはは嬉しそうに霙を見ていた。
「あんな顔、俺には見せてくれた事ないな」
「そうですか?あの子は誰にでも優しい良い子ですよ」
「それは、そうなんですけどね」
それでも差は感じる。
やはり、年季の違いというものなのか。それとも高校教師と小学校教師の違いなのか。教師になってからずっと高校に勤めていた虎太郎は、小学校教師としては新米だ。
担任として認められてはいるのだろうが、生徒達に好かれているかどうかと言われれば、あまり自信はない。
「―――――ま、これから取り戻せばいいか……」
そう自分に言い聞かせると同時にチャイムが鳴る。
なのはは多分、間にあっているだろうから、教室へと進める脚の速度を少しだけ上げる。
「その為にも、今日も一日頑張りますかね」




授業は特に問題なく進んでいく。
最初に比べれば教室全体の空気は緩やかで優しい感じがしている。
教科書を読みながら全体を見渡せば、張り詰めた空気も何もありはしない。
すずかが教室に通う様になってからはしばし重苦しい空気があったが、今はそんなものは綺麗さっぱり消えている。現に今は机をくっつけて行うグループ学習の真っ最中。
なのはとすずかは友人という事で仲良くしているが、今では他の生徒もすずかと普通に話す様になっている。いや、普通という言葉では些か味気ない。ここは仲良く話していると言っても過言ではないだろう。
すずかと同じグループになった生徒は昔の様にすずかに怯える事なく、仲の良いクラスメイトと会話する様な雰囲気だ。
もっとも、今は授業中なのであまり勝手に話されても困るのだが、それはそれとして置いておく事にしよう。
このクラスも本当に温かい空気を持つようになったものだと、虎太郎は自然と微笑む。
その主たる原因である二人もこうして普通に授業に出席している―――いや、少しだけ違う。
虎太郎は横目で窓際の席を見る。
そこには普段なら授業中であろうと関係なしに外を見ている生徒、アリサの姿があるはずだった。しかし、彼女はいない。
欠席したのだ。
今朝になってアリサから直接学校に連絡が入り、風邪をひいたから休むらしい。故に今は空席となっている。
毎日の様に人の授業聞いていないアリサに注意するのが日課となっている虎太郎としては、些か物足りないと思える事態だった。
「……ズル休みじゃないだろうな」
「加藤先生?」
「いえ、何でもありません――――さて、それじゃ此処からはそれぞれの班に発表してもらうぞ」
そう言って虎太郎は最初のグループを指名する。




すずかにとって、今日という一日は普段と変わりがない何気ない一日だった。
唯一違う事があるとすれば、アリサが学校を欠席したという事。昨日、別れた時にはそんな様子はなかったのに、風邪を引いたという事に驚いた。
「無理してたのかな……」
だとすれば、体調が悪いのに一日中連れまわしてしまった事に罪悪感が湧く。
「うん、そうかも。アリサちゃん、結構意地っ張りな所があると思うから」
誰もいなくなった放課後にすずかとなのはの二人が教室に残っていた。普段ならここにアリサが加わるのだが、欠席していない。
一人いないというだけでこんなにも寂しいのだろうかと、すずかは初めて知った。
ずっと一人だった時には知らなかった寂しさ。一人だったら知らないままだった寂しさ。だが、今はそんな寂しさを知ってしまった。そして、友達を心配する心を知った。
「お見舞いに行った方が良いのかな」
一応、メールを送ったし、返信だって返ってきている。
返信の内容はタダの風邪だから二日三日程度しっかりと休んでいれば問題ないという。だが、アリサはあの屋敷に一人で暮らしている。
「アリサちゃん、寂しくないのかな?」
「きっと寂しいって言わないと思うよ、アリサちゃんは」
一か月にも満たない付き合いだが、それでもアリサという少女の事を二人はそれなりに理解している。
こういう時には絶対に弱音は吐かないだろうし、自分達に心配をかける事を何よりも嫌うはずだ。だから仮にお見舞いに行っても会う事すらせず、追い返される可能性が高いだろう。
「…………」
「…………」
微かに重い沈黙が二人を包み込む。
心配だが、行っても迷惑になるだろうし、アリサはきっと喜ばないかもしれない。いや、喜ぶかもしれないが、結局はアリサが自分達を心配するという結果になってしまうだろう。
正直に言えば、今すぐにでもアリサの自宅に行ってしまいたい。
「心配だよ」
「うん、心配……」
すずかとなのは悩むが、どうすればいいのか答えは出ない。
「―――――――うん、決めた」
すずかは立ち上がり、
「なのはちゃん、アリサちゃんのお見舞いに行こう」
悩む事を止めた。
「迷惑になるかもしれないけど、心配だもん」
悩んで行動しないのと、行動できないのはきっと違う事だろう。そして、心配なら素直に心の赴くままに行動すればいいのだ。迷惑に思われようと、追い返されようとも、自分の中にあるアリサを想う気持ちはそれを良しとはしない。
「そうだね……うん、行こう」
なのはも頷き、立ち上がる。
「でも、急に行っても迷惑じゃないかな?」
「いきなりじゃないと駄目だと思うよ」
恐らく、アリサの事だから予めお見舞いに行くと言っても駄目だろう。最悪、会う事すら出来ずに追い返される。
「でも、すずかちゃん。いきなり行ってもお家に入れてもらえなかったら駄目じゃないの?」
「その時は門を飛び越える」
「……すずかちゃん、結構アクティブなんだね」
なのはは苦笑するが、それでもそれが一番だろうと思ったのだろう。
「それじゃ、お見舞いに何か買っていかなくちゃね」
「何を買えばいいのかな?」
財布の中にはあまりお金は入っていない。すずかとなのは、二人合わせても千円と少しくらいしかなかった。
「果物は買えるね」
「お花は無理だと思うけど……果物とかアイス、プリンも買えるね」
お見舞いの花も良いかもしれないが、とりあえずは早く良くなってもらう為に栄養のある食べ物が一番だろう。
「それじゃ、暗くなる前に行こうよ」
「うん、そうだね」
二人は鞄を持って教室を出る。




すずかとなのはがアリサの家に突撃お見舞いを計画していた頃。
忍は自室で紅茶を飲みながら無表情でパソコンの画面を凝視していた。
画面に映し出されていたのは植物の画像と、その植物に含まれた成分表。そして、それ以外のウィンドには同じ様に様々な植物の情報が映し出されていた。
「これも違うし、これも当てはまらない……」
該当しないデータを消し、最終的に残された植物を一通り見据えて溜息を吐く。
「駄目ね。どれも人を操るなんて事が出来る植物なんてない。仮にあっても【完全に】なんてのは不可能。植物じゃなくて薬品を使ったという可能性もあるけど、時間が掛るからあんな短時間では無理ね」
そう言って椅子をクルリと回転し、背後にいた人物を見る。
「残念だけど、一晩かけてもそれらしいのは見当たらなかったわよ」
「――――そう」
無表情で壁に背を預け、虚空を見つめる。
「それじゃ、あれは何の匂いだったのかしら?」
「それがわかれば苦労しないよ――――アリサちゃん」
それもそうか、とアリサは忍と同じ様に溜息は吐く。
風邪で休んでいるはずのアリサは、何故か月村邸にいた。
しかも、その姿はどう見ても風邪の症状ではなく―――むしろ、それ以上に重病、重傷という痛々しい姿だった。
右手にはギブスがはめられていた。頭には包帯が巻かれ、左目にも同じ様に包帯。右足にも手と同じ様にギブスが巻かれ、杖が無いと歩けない。着ている服の下も同様。服を脱げば胴体の六割は包帯で巻かれているが故に、気分はミイラだ。
この傷が治るまで時間はそれほど掛らないだろう。少なくとも、数日後の満月の日になれば完治する傷である事は確かだ。もっとも、既に回復は開始している為、明日には包帯は取れるだろう。流石に骨折している部分は無理だが、日常生活に影響は無い程度にはなると確信している。
「それよりも出歩いていいの?その傷、結構痛いはずだよ」
「痛いだけなら我慢できるわ。それに、身体が必要以上に傷つくのだって慣れてるわ」
もっとも、先日の怪物との対峙に加え、昨日のアレだ。
「はぁ、なんか私の運勢って、最近かなり急低下している気がするわ」
「アナタの能力も完璧じゃないからね。満月の日とそうじゃない日の力の割合がちょっと問題よねぇ」
「そうね。でも、それは言い訳。私は私の出来る範囲の事しかしないのよ」
そう言って顔を背けるアリサ。そんなアリサに忍は優しく微笑みかけ、
「なら、あの時はどうして逃げなかったの?すずかやなのはちゃんを助ける為に、半端な状態であんな怪物に挑むなんて――――言ってる事とやってる事に食い違いがあり過ぎよ」
わかっている。
そんな事は重々承知している。
「それに、昨日だってそうよ……」
忍は思い出す。
昨晩、すずかは夜の十時を過ぎても帰ってこなかった。
何かあったのか、もしかしたら事件や事故に巻き込まれたのかもしれない、そんな不安にかられながら家に住む者達だけで探した。警察や虎太郎に頼るのもありかと思ったが、先日の事件の事もあり、どこでどういった情報が流れるかわからない。
歯痒いと思った。
これが普通の家庭なら、普通の人間なら素直に他の人々を頼れるというに、自分には出来ない。したくても出来ない。
月村という家に生まれたが故に、バニングスという家と争っているが故に、出来る事すらできず、やりたい事すら出来ない。
生れた家の血筋、地位、そして力に振り回されているのだと、自覚する。
そんな想いに潰されそうになっている時だった。
家のチャイムが鳴った。
誰かを思って門の映像を見て――――即座に外に飛び出した。
門が開き、そこに立っていたのは一つの影。
正確に言えば、大事な家族を背負って立っていたアリサ。
何があったのか、想像も出来なかった。
服を真っ赤に染める程の出血をしながら、アリサはすずかを背負っていた。それだけじゃない、恐らく今日一日で買った物が詰まった袋を口に加え、今にも倒れそうになりながらも、二本の足でしっかりと歩み寄る。
「すずか……すずか!!」
アリサに背負われていたすずかに外傷はない。まるで疲れて眠っているかのように、静かな寝息を立てていた。
すずかの身体を忍に任せた瞬間、アリサは漸く身体から力を抜く事が出来たのだろう、その場に崩れおちた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
「これが大丈夫に見えるなら……眼科に行きなさい」
重傷としか言えない傷だった。
「まったく、アンタの妹、どんだけタフなのよ……」
「喋らないで!今すぐ病院に――――」
「駄目よ」
救急車を呼ぼうとした忍の手を掴み、止める。
「病院は不味いわ」
「どうして!?」
アリサは眠っているすずかを見て、呟いた。
「記録に残るのは駄目よ……少なくとも、この子に今日の事がバレるのは駄目」
「バレる?」
「―――――ともかく、病院は駄目。一応、こういう時の為の専用の医者は知ってから、そっちに行くわ」
そう言うと、アリサは身体を起こして立ち上がる。フラフラになりながら歩き出し、
「念の為に言っておくけど……すずかが目を覚まして、何も覚えていないのなら―――そのままにしておいて」
すずかを見るアリサの眼。
優しい瞳は彼女を労わり、慈しむ。

「あんなの、覚えてない方がいいわ」

そう言って、アリサは姿を消した。
そして翌日、アリサはこうして月村邸を訪れた。
「―――――すずかは、覚えてた?」
「いいえ、何も覚えてなかったわ。どうやって家に帰ったかも覚えてないし、アナタと分かれた時から記憶が無いみたい。一応、疲れてすぐ寝ちゃったせいで、記憶が曖昧なんじゃないのかって誤魔化しておいたけど」
疑えばすぐにばれる様な嘘だが、すずかはそれを信じた。
「そう、なら良いわ……」
「すずかを、巻き込みたくないの?」
「アンタは巻き込みたいわけ?」
「冗談じゃないわ。この子は、すずかには……」
それだけで十分だった。
忍がどれだけすずかを大切に思っているのか、それを知るには十分な想いを知る事が出来た。だから、アリサは正直に言葉を吐き出す事を選択する。
「それが良いわ。すずかは私とは違う。その気になれば、何時だって普通の生活が出来る。それを周りが許し、周りが邪魔しなければね」
「でも、周りはそれを許さない、そして邪魔をする」
だからこそ、
「そうしない為に、私がいるのよ」
アリサは言う。
「私は選んだ。アリサ・バニングスとして生きる事を選び、デビット・バニングスの娘である事を選び、バニングスである事を選んだ―――だから、私は私の出来る事をするだけ」
「その為に、そんな風に傷ついてもいいの?」
「治る傷なら幾らでも傷つくわよ」
部屋の中にある小さな写真。
最近取られたのだろう、すずかと忍、そしてメイドが二人が写っている写真があった。家族の写真、何処にでもある家族の写真がそこにある。
ソレを見て、優しい笑みは自然と生まれる。
「治る傷の為に、治らない傷を放っておくほうが何倍も嫌よ」
「…………そう、優しいのね」
「優しくはないわね。ただ、自意識過剰で傲慢で、そして寂しがり屋なだけ」
でも、優しいのだと忍は感じた。
現に昨晩、すずかは傷一つなく帰って来た。
代わりにアリサは全身傷だらけになってきた。
話を聞けば、四時間ぶっ通しですずかの攻撃を受け続けたらしい。
相手には一切手を出さず、相手の攻撃を流し、受け止める。
それを四時間の続けていた。
その話を聞いて、この子は正気を持っているのか心配になったが、アリサはさも当然という様に、
「友達を殴るくらいなら、殴られる方がマシよ」
と、何とも男前な顔で笑って言った。
後悔は微塵もなく、その行動を間違いだとは一欠けらも思わない顔。
「やっぱりアナタは、優しいと思うよ」
相手は月村の敵、バニングスの娘。
表向きはそうであろうとも、その表向きに翻弄されている自分がいる。だが、目の前の少女はそんな表向きとすら戦っている。
「もしくは――――カッコいいかな」
「それ、女の子に言う台詞?」
「いいじゃない、カッコいい女の子……うん、女の子にモテそうね」
同性にモテても嬉しくないと、アリサは顰めた顔をする。
理解はできた。
この子がデビットの娘である事を、これほどまでに理解できる事はない。
狼の群れのリーダーの様に、誇り高く、孤高であり孤独。しかし、それ故に周りを惹き付け、周りを守り、周りに守られる。
個であり群れ。
群れであり個。
「ほんと、アナタみたいな子がすずかの友達で良かったわ」
「そうかしら?案外、私みたいな奴のせいで危険に巻き込むかもよ?」
「その時はその時。大丈夫よ、アナタがどんなに危険な事をして、危険な存在だと思われても、家のすずかはアナタを嫌いになんてならないわ」
自信を持っている言える事はこれだ。
だから期待する事が出来る。
この街で行われている権力抗争。
手を取り合いたいのに周りがそれを許さない二つの家。
その手を取り合えるようにするのは、自分でもデビットでもない―――ただの友達な二人なのかもしれない。
だらこそ、
「――――――だからこそ、今回のコレは放っておく事はできないわね」
忍は自分の中にマグマの様な怒りが宿っている事を認識する。
すずかとアリサを争わせた何者かがいる。
それが何を意味して、何を目的としているかはわからないが、一番の問題はたった一つのシンプルな答えだ。
「すずかに、アナタを襲わせた奴は絶対にあぶり出すわ」
「同感ね。多分、相手は三年前のアレと同じ同一犯だと思うわ。あの時は気づかなかったし、記憶も曖昧だったけど――――これは人災である事だけはわかるわ。私の勘がそう言ってる」
三年前の事件。
すずかとアリサが校内で起こした殺し合いに近い喧嘩。
その時の記憶は互いになく、気づいた時には既に終わっていた始まりの事件。
「でも、どうやってそれをやったかがわからないのよ」
忍はキーボードを叩きながら、首を捻る。
「元々そっちの分野は専門外だけど、そんな相手を操る力を持った人妖なんているのかしら?」
「そっちの同類という線が一番だと思うけど?確か、夜の一族の力の中に相手を操る力もあったわよね」
「あるにはあるわね。そりゃ、月村といっても夜の一族の長であるわけじゃない。敵だって外にも中にもいるから、可能性がないわけじゃない―――でも、それだったらアナタにもわかるのよね?」
アリサは首を縦に振る。
「これでも一応はアンタ達の血を引いてるからね。だから相手がそういう力で操ろうとすれば何となくわかる。でも、今回は違う。あれは夜の一族の力じゃなくて、もっと別の何か」
「なら、人妖としての力?」
「可能性はあるわね。けど、なんかそれも違う気がする」
これは勘でしかない。
あの匂いとあの空気。それを作り出したのは人妖の力では無い気がする。もちろん、確証があって言っているわけではない。本当に何となく、なのだ。しかし、その何となくこそが信用に値する能力である事も知っている。
「言葉で表すのは難しいけど…………そうね、一番近い言葉で言うのなら【波長】かしら」
「波長?」
「そう、波長。人妖としての力だとか、夜の一族の力だとか、そういうのとは違う波長みたいな感じだと思う。これも勘でしかないから、確証は持てないけど」
それでも当たっている様な気はする。
アリサにとってこういう時に何よりも重視するのは経験でも能力でもない――勘、第六感、そして本能。
動物が本能的に何かを拒絶するように、恐れる様に、そして畏怖するように、本能がアリサが【知っている力ではない】と言う事を告げている。
「そんな力、あり得るの?」
「科学の分野とか医学の分野は私の担当外だけど、多分そっちじゃない」
「アナタの勘がそう言ってるの?」
「信用するかしないかはそっち次第よ。でも、私はそう思っている」
わからない事が多い。
何もかもがわからない。
まるでミステリー小説を呼んでいる気分だ。
どういうトリックを使い、何を動機として犯行が行われているのか、この二つを探すなんて物語の探偵がやるべき仕事だ。
しかし、現実に起きた事件では探偵も優秀な刑事もいやしない。
「――――――また、相手は行動を起こすと思う?」
「起こすんじゃないかしらね。前回は三年前。三年も前に行動を起こし、今になって再開した。なら、三年前よりも更に最悪な何かをしてくる可能性も捨てきれないわ」
自分で言っておきながら、アリサは頭が痛くなってきた。
どうしてこんな風に事件が立て続けに起こるのだろうか。
「なんか、あの教師が来てから変な事ばっかりが起こるわね」
「あら、私はそうは思わないわよ」
忍はおかしそうに言う。
「あの人が来てからおかしな事が起こるというよりは―――あの人が来てから時間が動き出したって気がするわね」
「時間が、動く?」
「私の時間、すずかの時間、そしてアナタの時間」
止まっていた歯車は動きだし、時計の針は進む。
歯車を動かす螺子を誰もが失くし、動かし事を諦めた歯車を回したのは、加藤虎太郎という教師なのかもしれない。少なくとも忍はそう思っている。
忍とすずか、月村の時間を動かす。それが動いた事によってすずかに友達が出来て、それがアリサとの今を紡ぐ。
連鎖的に動き出す原因を作ったのは、一人の教師。
「確かに変な事件は起こる様になったわ。だけど、動き出した事を否定する気にはならない……ううん、否定しちゃいけない」
「――――あの煙草臭い男が、ね」
「案外なんとかなっちゃうかもね、あの人がいたら」
「そんなに信頼できるの、アイツ」
「えぇ、信頼できるわ」
まるで自分の事の様に、忍は胸を張って言う。
「あの人、加藤虎太郎先生がいれば、きっとなんとかなると思うのよ、私はね」





「―――――なん、だと……」
虎太郎の顔には驚愕と絶望の二文字が刻まれていた。
彼は今、何時もの喫煙所である体育倉庫(無断使用)に来ていた。授業も終わり、生徒達は足早に家路を歩く。そうすれば教師達がやる事といったら明日の授業の準備やら会議やら、色々とあるのだが、そんな事よりも虎太郎がやるべき事は煙草を吸うという事だ。
学校唯一の憩いの場である体育倉庫。
しかし、その憩いの場は見るも無残な姿になっていた。
別に壊れているわけじゃない。別に面白おかしい姿に変わっていたわけではない。
そこにあったのは一枚の張り紙。
【喫煙禁止】
そんな二文字と、それを張り付けている教頭の姿。
「あら、加藤先生」
「あ、あの教頭……それは?」
恐る恐る指さす先にあるのは、当然喫煙禁止という張り紙。
「あぁ、これですか。ここで喫煙している者がいたようでしてね、誰かは知りませんが、一応こういう張り紙を張っておこうと思いまして」
教頭の視線が虎太郎に突き刺さる。
「まさかとは思いますが――――加藤先生ではないですよね?」
そのまさか、である。だが、虎太郎はあえて我存じ得ぬという顔を作り、
「さぁ?」
と肩をすくめてみせたが、内心では心臓の鼓動がかなりにビートを刻んでいた。
どうしてバレたのか、此処で吸う為に細心の注意を払っていたはずなのに、どうしてこんな事になったのだと頭は絶賛混乱中。
「ところで、教頭。どうして此処で誰かが吸っているとわかったんですか」
少なくとも虎太郎はそうそうバレるような事はしない。煙草を吸う際は周り、半径数十メートルに誰も居ない事を気配で調べ、吸った後は吸殻は捨てずに携帯灰皿に放り込み、念のために匂い消しを身体に振りまいていた。
バレる要素なんて一つもなかったはずだ。
「それはですね――――」
教頭が何かを言おうとした瞬間、

「―――――おや?」

背後に人の気配。
振り向くと、そこには見慣れない男が立っていた。
ツナギを着た体格の良い男―――いや、体格が良いなんてレベルではなく、鍛えに鍛え抜いたという身体をした白髪隻眼の男が立っていた。
虎太郎は見覚えはないが、教頭はどうやらあるようだった。
「あぁ、アナタですか」
教頭は張り紙を張り、男に歩み寄る。
「失礼ですが、アナタですか?最近、この場所で煙草を吸っていた方は」
尋ねると、男は素直に、
「あぁ、そうだが……ん、もしかして不味かったか?」
その言葉を聞いた瞬間、教頭は大きく溜息を吐き、虎太郎は絶句した。
「校内は禁煙です」
「あ、あぁ、そうでしたな……」
教頭の鋭い眼光を受けて、男は苦笑いを作る。
「すみません。忘れてました」
「忘れていた、では困るんです。アナタは部外者ですが、部外者とて校内に入ったらルールはちゃんと守ってください」
「いや失敬。迷惑がかからない場所なら問題なと思ったんだが……」
「迷惑がかかるとか、かからないとかの問題ではありません。壁の修復を頼んだのは我が校ですが、修繕費を払っているのも我が校です」
「仰る通り……」
一応、反省はしているのか男は素直に頭を下げた。
「まったく……確かにアナタの仕事ぶりは校長から聞いています。真面目にお一人で作業をしている姿も見ますし、クレームと付けるつもりはありません。ですが、今後も校内で喫煙行為をするようならそちらの会社にしっかりと抗議させてもらいますよ」
「…………えぇ、重々承知しました」
男は頭を掻きながら何度も頭を下げる。
「…………」
「ん、加藤先生、どうしました?」
「いえ、なんでもありません」
冷静な態度を作りながらも、心の中では大ボリュームで目の前の男を糾弾していた。
虎太郎にとって唯一の憩いの場である体育倉庫をよりにもよって部外者のせいで失う事になるなんて、そんな事があって良いのだろうか。
人間、四十を超えて多少の落着きを持ったとしても我慢できない事はある。だが、それを我慢するのが大人であり教育者であり、喫煙者。
マナーは守るべきだ。喫煙する者は与えられた場所で吸うべきだ。そんな社会の作ったルールを前に、一教師が声を大にしても聞き届けられるはずがない。
虎太郎はうらみがましい目で男を見る。
男はそんな虎太郎の視線を受けながらも、特に気にした様子もなく立ち去る。
「さて、加藤先生。とりあえず、この紙を校内に張るので手伝ってください」
「私が、ですか?」
「お暇のようですから」
そう言って教頭は喫煙者にとっての死刑宣告を記した張り紙と、これを張る場所を記した地図を渡すと、さっさと何処かに行ってしまった。
残されたのは虎太郎だけ。
体育倉庫に張られた喫煙禁止の張り紙をじっと見つめ、そして去っていく業者の大男を見つめ、
「―――――鬱だ」
その場に崩れ落ちた。




「まさか、バレてるとは思ってもなかったな」
数日前に見つけた喫煙スポットで、今日も休憩がてらの一服でもしようかと思ったが、どうやら学校側にバレてしまったらしい。元々、あの場所を見つけた時、誰かが煙草を吸っていた後があったので、此処でなら吸っていいかと思ってしまったのが間違いだった。
その結果、この学校の教師の安息の場を奪ってしまった事など知るはずもなく、男は仕方がないと諦める事にした。
男はやれやれと首を振りながら作業場に戻った。
「さて、それじゃさっさと終わらせるかな」
壁の修復作業も大詰め。残る壁は一枚のみで、恐らくは三日以内の片はつくだろう。男は作業着を腕まくりして作業を開始する。
骨組は既に終わっているので、今は壁を塞ぐ為の材料を塗り込む工程だった。白いコンクリートの様な材料を専用の工具に乗せ、それを壁に塗り込む。壁の大きさが故に時間は掛るし、人手も足りない。だが、日曜大工はそれほど嫌いではない。むしろ好きな部類に入る男にとって、この作業は苦痛とは想わない。
鼻歌交じり作業をしていると、
「あ、」
という声が聞こえた。
振り返ってみると、そこには以前見かけた少女がいた。
「あぁ、あの時のお嬢ちゃんか」
「こんにちわ」
礼儀正しくお辞儀をしたのは、すずかだった。
壁の大穴を開けた張本人であり、クラスに顔を出す様になった日に出会った程度の関係。そして今はその隣に見慣れない少女がいた。
「すずかちゃん、知り合い?」
「うん、そうだよ」
友達だろうか、と男は考え、すずかを見る。
「お嬢ちゃんの友達か?」
「はい、なのはちゃんって言うんです」
すずかに紹介されたなのはは、すずかと同じく礼儀正しくお辞儀をしながら自己紹介する。
「高町なのはです」
「高町なのは、か……」
変わった名前だなと思いながら、自分の名前も案外変わっていると思いながら、
「ん、高町?」
ふと奇妙な顔をした。
「高町……高町か」
「あの、どうかしました?」
「あ、いや……何でも無い」
ちょっと聞き覚えのある名前だった。高町なんて有り触れた名前なのだが、男の知っている【高町】はそうではない。
「気にしないでくれ」
そんな偶然はないだろうなと思う事にする。
「今から帰るのか?」
鞄を背負っているから恐らくはそうなのだろう。時間も時間だし、他の生徒が帰る姿は既に何度も見てる。そう考えれば、この二人が帰るのは少し遅いくらいだ。
「他の生徒よりも帰るのが遅いみたいだが、掃除当番とか何かか」
「そういうわけじゃないんですけど……」
「それともアレか?課題が出来なくて居残りってところか」
自分の子供の頃はどうだったか思い出すが、少なくともこんな時間まで残って勉強をする様な真面目な生徒ではない事は確かだった。無論、居残りしろと言われても絶対に途中で逃げ出していた。そんな事をするよりなら、勉強なんて速攻で放り投げ、誰かと遊ぶ方に熱心になるべきだと本気で思っていたのだ。
「流石は私立というところか。やっぱり、勉強は公立よりもレベルが高いんだろうな」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……でも、なのはは苦手科目が多くて困ってるのも確かですね」
恥ずかしそうに頬を掻くなのはだが、それをフォローするようにすずかが口を開く。
「そんな事ないよ。だってなのはちゃんは数学とか凄いじゃない」
「そうかな?」
「そうだよ」
それ以前に最近の小学校では算数ではなく数学を習うのかという事に驚きだった。どうやら、自分の頃とは何もかもが違うらしい。
「でも、数学だけだし……」
「そんな卑屈になる事はないと思うぞ。俺なんて数学なんて大っ嫌いだったからな」
正確に言えば数学ではなく算数であり、全教科に置いて嫌いだった。
「好きな科目は体育と図工だな」
「図工が好きだから壁を直してるんですか?」
「すずかちゃん、それは無いと思うけど」
案外、このすずかという少女は天然なのかもしれないな、と男は思った。
「好きか嫌いとか関係ないな。単純にこれが仕事だからやってるだけだ」
言っておいてなんだが、何とも夢の無い話だ。
確かに日曜大工は好きな部類に入るが、それを仕事にしようとは思った事はない。この仕事を選んだ理由も日曜大工で少しは出来るという事と、ギャラが良いというだけだ。
「それじゃ、オジサンが好きな事って?」
すずかが尋ねると、男は苦笑して答える。
「好きな事は――――なんだろうな。正直、あまり覚えていない」
「好きな事なのに?」
なのはは首を傾げる。
その疑問も当然だろう。
好きな事がわからない、という事は普通に考えればおかしい事だろう。特に、この歳の子供にすれば好きな事や嫌いな事ははっきりと分かれているはずだ。
そして男はそんな好きな事を覚えていないと言ったのだ。
「そういう風になる時もあるんだよ、大人には」
詳しくは語る気はない。
語ったところで意味はないし、子供に聞かせる様な話ではない。
「そういうお嬢ちゃんは何が好きなんだ?」
男は尋ねる。
なのはは少し考えてから、
「私は……すずかちゃんやアリサちゃんと一緒にいる時が好きかな」
実に子供らしい返答に、思わず笑みが零れる。
「友達と一緒にいる時間が楽しいか……なるほど、それは十分に好きな事だな」
「私も二人と一緒にいる時が好きだよ」
好きな事をしている時間。好きな人と一緒にいる時間。それは何よりも代えがたい大切な一瞬だろう。長い長い人生は時に辛く、悲しく、そしてやるせない事が多い。しかし、それだけが人生というわけじゃない。
長いからこそ、辛い事と楽しい事が両立していると思える。
「そういう時間こそが人生の醍醐味という事か……」
そう思うと、少しだけ悲しい。
男にとって人生とは何か。
長い人生。
四十年以上生きて、数年経てば五十になる。それだけの時間を生きながら、自分が幸福だと思えた時間はどれだけあっただろうか。
幸福は続かない。
幸福の次にあるのは幸福を失った不幸の時間。
そこで全てを奪われ、幸福でも不幸でもない暗い時間が生まれ、闇に飲まれた。そこから抜け出した自分はまた幸福な時間に戻ってこれたのだろうかと考えれば、答えは出ない。
幸福か、不幸か、それとも別の何かか。
「でも、アリサちゃんがいないから、寂しいです」
言葉通りの寂しそうな呟き。
確かに今、この場にいるのはすずかとなのはだけ。アリサという少女は知らないが、本来は仲良し三人組なのかもしれない。
「なんだ、先に帰ったのか?」
「いえ、風邪で休んでるんです」
「あぁ、なるほど……」
男自身、最後に風邪を引いたのは何時だったかなど考えるが、風邪を引いた事すら関係なく身体を動かし続けた記憶しかない。むしろ、自分の身体の事など二の次でしかなった。
「―――――むしろ、看病する方だったからな」
昔を思い出す。
こうなる前の自分を思い出す。
こうなる前の自分の傍にいた、大切な家族を思い出す。
だからだろう、
「オジサン……」
トーンを落としたなのはの声にハッと我に帰る。
恐らく、自分は何とも言えない顔をしていたのかもしれない。
心配そうに見つめる二人に、先程までの笑顔を曇らせてしまったという事に後悔する自分がいる。
どんな笑顔を見繕ってもどうしようもない油断。
だからこそ、言葉を紡ぐ。
「―――――なぁ、お嬢ちゃん。今が幸せか?」
男の質問に、すずかは首を傾げる。
「幸せかって言われても……」
なのはの方を見るが、同じ様に首を傾げ、わからないと言った。
楽しいことは楽しいかもしれない。だが、楽しい事が幸せかと言われてもよくはわからないのかもしれない。むしろ、そこまでわかれというのも無理な話なのかもしれない。
なにせ、男とてわからないのだ。
だから確認するように、今の自分と昔の自分、そして目の前の少女達を見て、苦笑する。
「すまん、変な事を聞いたな」
だが、それでも何となくはわかった。
自分はどうかわからないが、この少女達は幸せなのかもしれない。
「だが、お嬢ちゃん達はきっと今が幸せなんだろうよ」
「そう、なんですか?」
すずかが尋ねると、男は頷く。
「さっき、友達と一緒にいる時間が楽しいって言っていた。そして友達が一人いないだけで寂しいと感じたなら、それが多分、お嬢ちゃん達にとっての幸せだっていう事なんだろうさ」
難しく考える必要はないのかもしれない。
「寂しいと思えるのは、それだけ今が充実して楽しい、幸せだと思ってるって事だろうさ」
自分の様に無駄に歳を食って考える幸福と、この年頃に感じる幸福は同じではない。考え方が違う、知識が違い、そして経験が違う。それだけで幸福か不幸かを示す天秤の傾きはあっさりと変わるだろう。
「それじゃ、オジサンはどうなんですか?」
すずかが尋ねると、男は素直に答える。
「わからない」
本当にわからない。
今が楽しいと思う事はない。
今が寂しいと思う事もない。
「大人になると色々と複雑になってな、自分が本当に幸せなのかわからなくなるんだ」
一つの終わりを迎え、新しい始まりを手にした。
一つの命を終わらせ、一つの命を紡ぐ事を新しい始まりとした。
「オジサンは楽しくないの?」
「わからない」
だが、それは本当に始まっていたのだろうかと今頃になって思い始めた。
本当は、自分は未だに何も始まっていなかったのかもしれない。
終わっただけ。
一つが終わっただけで、終わらせなければいけないものが他にあったのかもしれない。なのに、自分はその他のものに目もくれず、一つだけを見続けて来た。



【復讐】という一つだけを、己が人生の全てとして



それは確かに終わった。それだけは確かに終わったのかもしれない。終わっていたと思う。終わったと信じている。終わって―――いるのだろうかと考えてしまった。
終わりを迎え、始まりに向かえない自分。
あぁ、だからなのだろう。
わからないから、
「わからないから、こうやって生きてるんだろうな……」
誰もが口を揃えて、復讐は何も生み出さないと言っていた。それが道徳であり、美徳だと誰もが思っているのだろう。だが、男はそうじゃない。そうは思えなかった。
そう思う事しか出来なかったのだ。
復讐に正当性などなく、復讐に道徳などなく、そして生きがいでもない。
ただ、復讐の鬼という自分に縋っていただけなのかもしれない。
そして、今は復讐の鬼ですらない。
復讐が終わって残ったのは、何もない自分。
だから始めようとした。
始める為に戦い、救い、そして生きている―――――だというのに、心にはぽっかりと空虚な穴が空いている事に気づいた。
「生きて生きて、楽しい事や幸せな事を見つけている最中だ―――こんなオッサンになった今でもな」
それを言い訳にしてる気がしてならない。
誰に言い訳しているのだろうかすら、わからない。
こうして壁を直す仕事が楽しいとは思えるが、好きというわけじゃないかもしれない。
【以前の仕事】に比べて平凡で安全かもしれないが、やりがいがあるかどうかと言われればわからない。それは今の仕事も昔の仕事も変わらない。
「お嬢ちゃん達は、こんな大人になるんじゃないぞ」
無論、きっとならないだろう。なる事があれば、この二人が人の道を踏み外してしまったという事になる。それは幾らなんでも困るし、悲しい事だ。
そして、こんな事を子供に言ってしまった事に気づいた。
案の定、二人は非常に戸惑った顔をしていた。
「―――――すまん。こんなオッサンの話を聞いても面白くもなんともないだろうな。無駄な時間を使わせてしまったようだ」
「あ、いえ……そんな事はないです」
首を振って否定するすずか。
「……私も、前にオジサンに相談に乗ってもらいましたから」
「あれが相談に乗ったという気はしないんだが……」
「でも、そのおかげで今の私がいます」
そう言ってすずかは微笑んだ。
男の眼に映る笑みは、あの時に見たすずかより、少しだけ強くなった様に思えた。
「そんな大層な事をした覚えはないんだがな」
柄にもなく照れくさくなってきた。
「いいえ、そんな事はないです……あの時、本当は教室に行くのが怖かったんです。勇気を持って行こうと思っていても、あの時間になるまで中々教室に行けなかったんですけど、オジサンと話してたら勇気が出てきて、教室に行ける様になりました」
だから、
「オジサンも、私の恩人です」
ありがとう、と頭を下げる。
「おいおい……」
本当に柄でもない。
子供にお礼を言われる様な綺麗な人間でもない。そして礼を受け取れる様な人間でもない。
「本当にありがとうございました」
顔を上げ、先程よりも尚、太陽が輝く様な笑みを浮かべ、
「オジサンのおかげで今の私がいます。勇気を持てたから、なのはちゃんやアリサちゃんと友達なれて……本当に良かったと思っています」
たった一度だけの邂逅だった。そのたった一回で変わる何かがあったという事だろう。
故に、男は素直にそれを受け取る事にする。
受け取る事で何が変わるわけでもないのに、少しだけ何かが軽くなった気がした。
「―――――どういたしまして」
こんな言葉は自然と口から零れた。
零れ―――――気づいた。
言葉にも表情にも出さず、そして【すずかに気づかれない様に】、それに気づいた。
男の視線に写ったのは―――――なのはだった。
すずかは気づかない。
なのはも見られている事に気づかない。
だから男も言葉に出さない。
「ところで、時間は良いのか?もう一人の友達のお見舞いに行くんだろ。なら、早く逝った方が良いんじゃないのか」
時計を指さす。
「あ、本当だ」
時計の針はもうすぐ四時を差そうとしている。
「なのはちゃん、行こう」
すずかがなのはに視線を移した時、既になのはは【普通】に戻っていた。
「うん、そうだね。早くしないと遅くなっちゃう」
二人は男に別れの挨拶をして、生徒玄関へと歩いていった。
その後ろ姿を見送り、男は静かに作業に戻った。
「―――――――」
だが、引っかかりを感じた。
気のせいかもしれない。見間違いかもしれない。アレは単にそう見えただけで、実際はまったく見当違いなものかもしれない。
そう思う事にする――――無論、無理だったのは言うまでも無い。
男は手を止め、もう一度二人が去った方を見る。
そこにはもう誰も居ない。子供も教師も、人の気配すらない無人の廊下が続いているだけ。静かでありながら不気味な静けさをもった回廊がある様に思えた。
「――――――ふむ」
己の眼が未だに鈍っておらず、そして感性が未だに過去のままだというのなら、アレはきっと見間違いでも気のせいでもないだろう。
微笑むすずかの隣で、高町なのはという少女は黙って立っていた。しかし、ただ立っていたわけではない。口を閉ざし、すずかと男の会話に耳をから向けていたわけでもないだろう。最初はそうであったとしても、途中からは違う。
「…………さて、あれはどういう意味なんだろうな」
男の表情は能面の様に無表情に変わる。
初めてあった相手だというのに、どうも気になる。
あの時の表情。
言葉では言い表せない奇妙な違和感を感じた。
違和感から察する少女の心。
アレは怒りか―――否。
アレは悲しみか―――否。
アレは憎しみか―――否。
なら、アレはなんだ。
アレはどんな表情だったというのだろう。
怒りでも悲しみでも憎しみでもない。ましてや善の感情ではない事は確かだ。あんな顔で喜びも何もあったものではない。
そして、男は考えた末に答えにたどり着くのはそれほど時間は掛らなかった。

「―――――――【飢え】……か」

飢えだ。
飢餓だ。
あれは何かを欲している表情だった。
己の感性が鈍っていなければ、アレはそういう表情だった。
しかし、あの少女は一体何に飢えているというのだろう。あの年頃の子供が飢えなどという感情を抱く事などあるのだろうか。しかも、飢えと言っても腹を空かせているという生理的衝動ではなく、心の衝動、何かを酷く求めている表情だった。
だとすれば、そこから生み出される感情は飢えでありながら、怒り、悲しみ、憎しみが宿っていてもおかしくは無い。
手に入らないモノがある。
あの高町なのはという少女は何かを求めている。
「…………」
考えてもわからない。
そもそも、自分が考えるようなものではない。ああいうものは自分の様な一般人、ましてや土木作業員がどうにかしなければいけないものではない。
それこそ、教師の様な聖職者と呼ばれる者達がどうにかしなければいけない問題だ―――問題なのだが、
「…………嫌なモノを見た気分だ」
どうしてあの場面でなのだろう。どうして【友達】がいる場面であの少女はあんな顔をしたのだろう。
忘れようにも引っかかる。
もやもやした気分が次第に強くなり、作業が進まない。
嫌な予感がする。
自分に関係ない事でありながら、放っておけば何かが【終わる】様な気がしてならない。その結果として傷つくのは月村すずかというなのはの友達。
男は誰も居ない廊下で静かに呟く。
その場にいない、高町なのはという少女に向けて呟く。

「お前は……何を求めている?」

疑問は疑問で終わる。
この時点で男はただの他人。
顔見知り程度の関係で在り、壁の修復作業が終われば完全に赤の他人になってしまう。だが、今の状態でも何かが出来るというわけでもない。
他人は他人。
業者は業者。
生徒をどうにかするのは教師の役目。男は教師でもなんでもないタダの作業員でしかない。
故に男は何も出来ないし、何もしないだろう。
それでも心に引っかかるのは、終わらせたはずの過去にあるのだろう。
かつて、一時だけ男は【先生】と呼ばれていた。
教師でもなんでもないにも拘らず、一人の少年の先生だった。
今ではなく、昔。
昔は今ではなく、昔。
そして、少なくとも一つだけ確かな事がある。
男は違うのだ。
男は、高町なのはの先生ではないのだ。
それだけが、唯一無二の真実だった。





【魔女】は嗤う。
ニヤニヤと嗤う。
ケタケタと嗤う。
ゲラゲラと嗤う。
声は上げないにも関わらず、耳障りな羽音を響かせて嗤い続ける。聞く者もいないのに、誰も彼もを不快にさせる声を静かに響かせ、嗤い続ける。
「あれ?」
その声はゆっくりと世界に、現実に浸透していく。汚水が真っ白なシーツを汚す様に、ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと色を汚して汚し続ける。
「いないのかな……」
「部屋の方じゃないのかな。でも、流石に家の中まで入るのは無理だよね?」
「メールしてみるね」
少女達は気づかない。
誰も気づかない。
【魔女】の声に気づかず、何気ない日常を過ごしている。しかし、その日常は既に日常ではなく、壊されていく日常でしかない。それに気づかぬ者しか此処にはおらず、それに気づいた者は此処にはいない。
「――――返ってこない。電話の方は」
音は静寂。
音が奪われ静寂。
音は響かず無音にて世界を構成する。
「駄目。出ないや」
「もしかして、寝てるのかも……」
「あ、そっか……どうしよう、なのはちゃん」
「う~ん、帰るしかないかも。時間も時間だし、これ以上遅くなったらすずかちゃんのお家の人も心配するだろうし」
主の居ない屋敷の静寂は、不思議と不安を際立させる。この屋敷に住む少女が目の前に居ない事に不安を感じると同時に、言い様ない奇妙な感覚が背筋を襲う。
誰かがいるのに、誰かがいない。
目に見えない何かが自分達を見て、嗤って、そして狙っている。
「どうしたの、すずかちゃん?」
「…………ううん、何でも無い」
すずかはそう言って、屋敷に入った時と同じ様になのはを抱えて門を飛び越える。
この行為を誰かに見られたら立派な不法侵入と言う事で起こられそうだが、幸いな事に誰も無い。
だが、視線は感じる。
背筋が凍る程の視線ではない。背中に虫が入り、背中をゆっくりと舐めているような感覚。考えただけで嫌悪感が湧きあがる。
「本当に大丈夫?なんか、具合が悪そうだけど……もしかして、すずかちゃんも風邪?」
なのはは気づいていないのか、それとも自分だけが感じる違和感、もしくは気のせいなのか。
「本当に大丈夫だよ。うん、大丈夫」
自分に言い聞かせる行為にしかならない。
周囲を見回しても誰も居ない。
あるのは夕日が沈みかけた事によって生み出された巨大な自分の影。
すずか本人の身長の数倍はあろう影は顔も何も無く、あるのはのっぺらぼうの様な人であって人でない存在に思えた。
【魔女】には気づかない。
【魔女】は誰にも気づかれない。
「お見舞いは明日の方がいいかも」
「そうだね。でも、コレ悪くならないかな?」
すずかはビニール袋に詰まったお見舞いの品を見ながら、考える。
「冷蔵庫に入れておけば大丈夫だよ」
そうだね、となのはに返しながらも別の事を考える。
アリサは風邪をひいて休んでいる。
それほど酷い風邪ではないが、二日三日は学校を休みらしい。
そういう風に虎太郎は言っていた。
「――――――本当かな」
なのはに聞こえない程に小さな呟き。
それは本当なのだろうか。
虎太郎を疑うわけでもなければ、風邪を引いたというアリサを疑うわけではない。だというのに、自分の中の何かがそれは疑わしい事だと囀っている。
見落としている様に、
「それじゃ、これは家の冷蔵庫に入れておくね」
「そうしよっか。お願いね、なのはちゃん」
忘れている様に、
「学校には持っていけないから、明日学校が終わったら家に取りに帰ってもう一度来るって事でいいよね?」
「あ、それなら私の家からお菓子とかも沢山持ってこれるし、お花も用意できるよ」
まるで自分一人だけが【眼を反らしている】気分だった。
そんなつもりはないのだが、心はそうだとは言っていない。
お前は当事者であるにも拘らず、事の重大性から眼を反らしている。
周りがソレを望み、この状態こそは望ましいという願いに守られている事が現実だが、昨日の【三年前の再現】を知らない―――忘れているすずかには辿りつけるはずはなかった。
「でも、アリサちゃんが明日学校に来るのが一番なんだけどなぁ」
そうすれば気のせいで終れるのに、とすずかは願う。
「無理言っちゃ駄目だよ、すずかちゃん」
「でも……」
「風邪を甘くみちゃ駄目だよ?私だって三年前に風邪をこじらせて入院した事あるんだから」
「え、本当に?」
「うん、本当だよ」
そういえば、とすずかは昔を思い出す。なのはは学校に入学してすぐにしばらく学校を休んでいた頃があった。その時はすずかが姉を説得してようやく学校に来れた時と同時期で、一つだけ空席になっていな場所が何となく気になっていた。
「最初は大した事ないと思ってたんだけど、夜になって熱が一気に上がったんだよ。お父さんに病院に運んでもらってお医者さんに診察してもらったら、肺炎になって」
「肺炎!?」
肺炎がどれだけの病気かはわからないが、風邪から肺炎になったと言う事はそれだけで重大な病気という認識になってしまう。
「大丈夫だったの!?」
なのはは手を広げ、この通りですと言う。
「凄く苦しかったけど、お母さんがずっと一緒にいてくれたし、お父さんやお兄ちゃん、お姉ちゃんも毎日お見舞いに来てくれたから――――――」
不意に、すずかは感じ取った。
なのはの顔に奇妙な色が浮かんでいた。
なんと言ったらいいのかはわからないが、胸が微かに苦しくなる。
「大変だったけど、今は良い思い出だよ」
違う。
「そう、なんだ……」
それは違う。
「大変だったんだね」
違う。自分が言いたい言葉はそんな言葉じゃない。
なのはは笑っている。
昔の事を語りながら笑っている。
だというのに、どうしてこんなにも不安な気持ちがざわめくのだろうか。
笑っているのに。
目の前の友達が笑っているのに。
どうしてだろう。
どうしてその顔が、



こんなにも、空っぽに見えるのだろうか――――



気づいてしまった。これはもう気のせいではない。自信はないが、自分には確かにそういう風に見えてしまった。
だから、口にしようとした。
「な、なのはちゃ――――」
しかし、それは止められる。
「――――――アナタ達、こんな時間に何をしているのですか?」
聞こえた声は静かだが、微かな怒気を感じる。
「あ、」
なのはのしまった、という様な声に振り向くと、そこには教頭が立っていた。
あまり関わり合いが合った事はないが、教頭と言う事で全校生徒が知っている女性。何時も怒っている様な顔をして、生徒達からはあまり人気がない【怖い先生】という認識が占めている。故にすずかも教頭の事はそういう認識を持っている。
「今何時だと思っているの?もうすぐ日も沈むと言うのに、こんな時間まで遊んでないで、すぐに帰りなさい」
厳しい口調と眼鏡の奥にある鋭い視線に二人は自然と縮こまる。
「まったく。最近は通り魔も出るというのに……アナタ達みたいな子供なんて、そういう者の一番の標的になるのよ、わかってるのかしら?」
教頭の言う通り魔というのは、恐らくはあの怪物の事だろう。
世間的にはあの事件は現状で継続中の事件だ。しかし、その事件は既に終わっている事をすずかは知っている。
そして、その事件の結末の末に見た一人の少女の死を知っている。
だが、教頭は恐らく知らないのだろう。だからこそ、こんなに厳しい言葉を二人に向けている。
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい、教頭先生……」
二人は素直に謝る事を選択した。
「―――――それで、こんな時間まで何をしていたの?」
「あ、それは――――」
「まぁ、大体察しは出来ます。バニングスさんのお見舞いですね」
そう言って教頭は光のない屋敷を見る。
「友人のお見舞いをするのは大変良い事です」
その言葉に二人はパッと顔を明るくするが、
「しかし、こんな時間まで家に帰っていない事の言い訳にはなりませんよ」
ピシャリと言われてシュンっとなる。
「で、でも……アリサちゃんが心配で」
頑張って反論しようとするすずかだが、自身が悪い事も知っているし、教頭のイメージのせいで声が上ずってしまう。
「それはそれ、これはこれです。いいですか、バニングスさんは風邪を引いて休んでいるんです。そんな状態でこんな遅い時間になって会いに来たアナタ達を見てどう思いますか?」
「それは……」
「バニングスさんは優しい子です。だから、必ずアナタ達を心配するでしょう。病人に心配されていいのですか?心配される為にお見舞いに行くのですか?」
そう言われしまっては最早、何も言えない。
最初から最後まで、教頭の言葉が正しいと思ってしまう。
「風邪をアナタ達に移したりしたら、バニングスさんが困るでしょうから、お見舞いは控えなさい。それでも行きたいのなら、学校が休みの日にする事です」
二人は素直に頷く。
「わかればいいのです――――時間も遅いですし、家まで送ります」
「そ、そこまでしてもらわなくても……」
「送ります」
文句あるのか、という視線にすずかもなのはも素直に頷く事しか出来ない。
正直、帰り道はそこそこ長い。その間、ずっとこの怖い先生と一緒に居る事を考えると胃が痛くなりそうだった。
諦めて頑張ろうと互いを慰め合いながら、二人は歩き出す。そして、その後ろを教頭が歩く――――だが、視線は二人にではなく、屋敷に向かっていた。
「…………」
じっと見つめるその視線の色は、誰にも気づいていない。なのはも、すずかも、誰もがそれに気づかない。
誰にも気づかれぬ事なく―――――教頭は、わらった。




【魔女】はホッと息を吐く。
危ない危ない、危うく気付かれる所だった。
この少女、高町なのはという少女は【鍵】なのだ。そして、月村すずかはアリサ・バニングスと同じ邪魔者でしかない――――否、少しだけ違う。
今はそうであっても、昔は違った。
【鍵】を作る為に【生贄】と【儀式】を用意した。だが、それでは足りなかった。高町なのはを【鍵】として完成させるには至らなかった。結果、学校の一部を破壊させただけに過ぎなかった。
役に立たないガキ共だと罵った。そしてもっと別の方法を考えた。だが、あの程度の【衝撃】では【鍵】は目覚めない。
ならどうするかと【魔女】は考えた。
そして気づいた。
高町なのはは人間だ。人間には色々な種類があり、小学校という場所に通う子供である。
だからこそ利用する事にした。

高町なのはの【望み】を利用する事にした。

その為に三年も待った。
三年も待ち、ゆっくりと実を育て続けた。
飢えとも思える想いを抱かせながら、穏やかな時間を過ごさせ、友という【邪魔者】すら与えさせ、それを狩り取る時がきた。
【魔女】がそれを望み、なのはもそれを望んでいるだろう。
さぁ、終わりは来た。
念願叶う、終わりという時はきた。
【魔女】は嗤う。
嗤って嗤って祈願を達成する。
その為に邪魔な二人を消そうとした。自分の手でそれを行う事も出来たが、どうせなら三年前と同じ様に互いを殺し合わせてみた。
元々、二人は最初から邪魔だと思っていた。
友達という他人がいる事が、この計画の邪魔になる。【鍵】にはそんなものは必要ない。だというのに不意に現れたこの二人をさっさと消す方が良策だと決め、殺し合わせようとしたのだが―――――【魔女】の想いとは裏腹に成功はしなかった。
まさか、アリサ・バニングスが月村すずかに一切攻撃を加えず、月村すずかが倒れるまで戦うなどという愚策を取るとは思いもしなかった。
だが、それもいい。
邪魔は邪魔だが、居て困るわけじゃない。居たら居たらで邪魔だが、絶対に自分の邪魔をする者だとは思わない。なにせ、アレは所詮は子供なのだ。子供の一人や二人が居た所で何も出来はしない。
だが、それでも邪魔な事には変わりは無い。
だから消すべきだ。
特にアリサ・バニングスはもっとも消さなければいけない者だ。
彼女が学校に来ていたのなら、帰り道に直接殺してやろうと思っていたが、彼女は姿を見せなかった。それどころか、この街の至る所を探ってもその姿を見つける事が出来ない。
ガキの癖に生意気に姿を消した事に苛立ったが、それも良いだろうと思い直す。
子供だ。
ガキだ。
何も出来やしない。
何も出来るはずが無い。
そうして【魔女】はほくそ笑み、事を進める事にした。
誰かに邪魔をされる前に、終らせよう。
時は今日から三日後、その日が【儀式】を執り行うには最も適した日だ。
【魔女】はなのはを見ながら嗤う。

下種な笑みを浮かべながら、心の中で歓喜を叫ぶ。










しかし、だ。

【魔女】は知らない。
【魔女】の想いとは裏腹に、この街にはそれを害する邪魔者がいる――――いや、むしろこう言うべきだろう。

「―――――夕飯は今日もゆで卵か……」
金欠気味な教師が一人。

「―――――はぁ、今日はコンビニ弁当か……うげぇ、タマネギ入ってるじゃないの!!」
満身創痍な人狼少女が一人。

「―――――ん、味噌汁の味を変えたのか?……いや、美味いから問題はない。むしろ、俺好みだ」
白髪隻眼の作業員が一人。




この街には――――――【邪魔者しかいない】










次回『人妖‐友達‐』













あとがき
最近、涙腺が馬鹿になってる僕です。
ボランティアで炊き出しをしている外人さんを見て涙ぐむ→首相の会見で素に戻る→震災地で頑張っている人を見て涙ぐむ→首相の会見で素に戻る→支援にきた各国の方々に涙ぐむ→首相の会見で素に戻る→震災地での人々の触れ合いに涙ぐむ→首相の会見で素に戻る、というエンドレス。
家にいようと職場にいようと、そういう光景をテレビで見ると目頭が熱くなります。
あと、ニコニコ動画でAC6の動画を見て号泣しました。ゴーゴーファイブの歌が流れる動画を見て号泣しました。そして、何故かはっぱ隊の曲を聞いて号泣した時点で……完全に僕の涙腺が馬鹿になった事に気づきました。
でも、はっぱ隊の歌は名曲です!!
にしてもあれですね。僕の中では日本って世界中から蔑にされてるか嫌われてるかのどっちかだと思ってたんですが……まさか、こんなに支援されるとは。
捨てたもんじゃなないですね、僕が生まれた国も。
どうも昔から【誰かが助けに来る】という展開に弱いんですよ、マジで。
そんな感じの僕ですが、早く日本が元に戻って助けた各国の方々に恩返しできる日がくればいいと思います。

日本、ガンバッ!!



そんなわけで、第八話です。
なのは編の開始したおかげで、謎のオッサンが漸く活動開始です。
今回は大人達が活躍する(予定)です。
にしてもアレですね。感想でも上がってましたが、アリサお嬢様の主人公化がグングン上っております。どうしよう、マジでこの子が主人公になっちゃいそうで、少し怖いっす。
そしてもう一つ。

なんか、リリカル勢の補正値が高すぎる事に気づいた。

今のところはマシなんですが、これが進む事で色々とヤバイ感じになっちゃいますね。
とりあえず、現在の力関係は
虎太郎=壁直しのオッサン=アリサパパ>>>>>>鮫島>トーニャ>超えられないアリサ壁>すずか>>>>なのは
な、感じです。
これが後半だとどういう事になるかマジで心配。
一応、人妖編が終わった後に【執事編】が始まるのですが、その前に【高校生編】が挟む事になりました。
内容は会話の中だけに登場した教育実習生のお話です。
登場人物は、
教育実習生(背は変わっていない)
最強最悪の生徒会長(白ラン着てます)
孝行娘(?)
わんこ(まったく補正を受けていない)
ブラコン(色モノ凡人)
です。
この辺で、パワーバランスは崩れますね、きっと。
そんな事態ですが、まぁどうでもいいやと割り切っていきますので、よろしくお願いします。



[25741] 【人妖編・第九話】『人妖‐友達‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/03/29 22:06
―――――――再度、高町なのはという少女の事を語ろう。
とはいっても、前回と同様に何か特異な点があるというわけではない。いたって普通に生れた少女は、生れも育ちも海鳴という人妖隔離都市だった。それは彼女の両親が海鳴に住んでおり、隔離都市になっても住み続けたという点に他ならない。
この街の事が好きだ、と両親は彼女に言っていた。些か奇抜な能力を持った人間は沢山いるが、それが人間である事には変わりは無いという言葉は、幼い彼女にはよくわからなかった。だが、両親がそう言うのであればそうなのだろう。そういう事にしておく事にしておこう。
ともあれ、海鳴で生まれ、海鳴で育ち、海鳴で生きる彼女の出生には特におかしな点は見当たらない。
彼女の母はこの街で喫茶店を経営する普通の女性。
父はかつては少々人には言えない危険な仕事をしていたが、彼女が生まれた辺りでそれとは手を切っている。
兄は父から剣術の手ほどきを受けて常人、下手をすれば人妖よりも強いだろう。
姉の方も兄には及ばなくとも、才能は限りなく高い位置にある―――ただ、姉の料理の味は酷いを通り越しているのは有名だった。
そんな【普通】の家庭に生まれた高町なのはは【普通】に育った。
何の変哲もない家族だ。
何の障害もない家族だ。
何の不幸もない、幸福を絵に描いた様な家族だ。
家庭の問題なんて言葉は余所の事情、この家にはまったく不釣り合いな言葉だろう。当たり前の幸福によって、当たり前に育った彼女は結果的にそこいらの子供と変わらない、【普通】の人生を歩んでいた。
月村の少女の様に、家にとらわれる事はない。
バニングスの少女の様に、闘争に足を踏み入れる事も無い。
ただただ、【普通】の少女として育っていった。
そんな少女―――なのはの人生は誰の眼から見てもおかしな所はない。
現に彼女の通っている学校の中でも特に目立つ生徒ではない。無論、他の生徒に比べれば多少優しく、多少我が強いという点では目立っているかもしれない。だが、それは精々【良い子】だと想われる程度に過ぎない。
誰からも好かれる子。
誰にも迷惑をかけない子。
誰にも嫌われず、誰も傷つけない子。
それが高町なのは。
【普通】を絵に描いた様な【良い子】の姿。
しかし、だ。
仮に、本当に仮に、なのはの過去を知る者が存在するとするのなら、きっとその者はこう言うのかもしれない。

彼女は、変わった

無論、それはきっと誰にも理解されない言葉だ。なのはの何処が昔とは違うというのか、それを証明、説明できるはずはない。子供は常に成長し、ゆっくりと人間という人格を創り上げていく存在だ。変わるのは当然だ。変わらない事が異常だ。そして、この言葉を吐く者は誰も居ない時点で、誰もそれを知りはしない。
高町なのはは変わったのだ。
彼女を知る者は【いない】。
彼女の過去を知る者は【いない】。
【普通】な高町なのはと【良い子】な高町なのはの両方を知っている者は誰も無い。
つまり、こういう事だ。
誰もが知っているのは【現在の良い子】な高町なのは。
誰も知らないのが【過去の普通】な高町なのは。
誰も昔を知らず、今を知っている――――だが、それは本当だろうか。
過去を知らないのは当然だとしても、今を知る事が当然だとは言えないのではないか。
人を知るというのは簡単な事ではない。何故なら、人を知るというのはあくまで主観であり、自身の思いこみがもっとも多い部分なのだ。それだというに、他人を知るなんて行為は出来るものなのかと考えればどうだろう。
これは屁理屈で言葉遊びに過ぎない。
だが、考えてみて欲しい。
人を知るという行為は――――それほど、簡単な事なのだろうか、と。
そして、本当の意味で人を知り、結果がプラスではなくマイナスだった時、彼女に関わる人々はどういう変化をするのだろうか。



人を知ると言う事は―――――知りたくない何かを知るという事なのかもしれない。








【人妖編・第九話】『人妖‐友達‐』














「高町さん、ちょっといいかしら?」
霙は廊下を歩いているなのはに尋ねた。
「はい、何ですか?」
「実はね、さっき教頭先生から聞いたんですけど……アナタ、昨日夜遅くまで外を出歩いてたんですって?」
なのははしまった、という顔をした。ソレを見るだけでそれが事実だという事が一目でわかった。霙は小さく溜息を吐き、手を腰に当ててなのはを見る。
「駄目ですよ、高町さん。学校が終わったら早く家に帰らないと……」
「ごめんなさい……」
「友達と遊ぶのは良いんですけど、日が暮れる前には家に帰れる様にしないと駄目です。最近、色々と物騒なんですから」
霙自身、こんな事はあまり言いたくない。だが、教師としては生徒の為を想ってこういう事はしっかりと言っておかねばならない。
本人が自覚していても、それが善意だとしてもだ。
しゅんっとなってしまったなのはを見て、霙は真面目な顔を崩し、微笑む。
「バニングスさんのお見舞いに行ったそうですね……偉いですよ」
そう言ってなのはの頭を優しく撫でた。
「友達を大切にするのは良い事です。そういう気持ちは大切ですから忘れてはいけませんよ」
自分のした事を肯定してくれた事に安心したのか、なのはは頬を紅めて恥ずかしそうにうつむく。
「今日もバニングスさんはお休みですけど、きっとすぐに元気に登校してきますから大丈夫ですよ。その為に、アナタが危険な目にあったら駄目ですからね。バニングスさんや月村さんと一緒に楽しく遊ぶ為に必要な事ですよ」
「はい、わかりました」
嬉しそうに笑うなのは。
それを見て微笑む霙。
霙はなのはが入学してから、今までずっと彼女の担任だった。それ故に霙はなのはにとって一番親しい教師という認識が強い。
「あ、そうだ。霙先生。この間、先生に教えてもらったお菓子のレシピの通りに作ったら、凄く美味しくできました」
「あら、そうなの?」
「はい!アリサちゃんもすずかちゃんも、美味しいって言ってくれました」
「それは良かったわ。それじゃ、今度はステップアップして別のお菓子を作れるようになりましょうね」
二人は楽しそうに話す。
その姿を見た他の生徒や教師は微笑ましい光景だと心の底から思った。
無論、その中には虎太郎も含まれる。
「…………お菓子か」
ただし、この男の場合は少し違う。
お菓子という単語に反応したのは空腹感のせいだった。金欠のせいで今日もゆで卵だった虎太郎にとって砂糖が沢山入っているお菓子など高級品以外の何物でもない。
腹を押さえながら、カレンダーを見る。
給料日まで残り三週間。
霙に借金して借りた三万が在るとはいえ、そう簡単に手を付けるわけにはいかない。少なくとも、豪勢な食事などもってのほかだ。
「週末……いや、日曜日になれば」
虎太郎の頭の中には一発逆転の秘策があった。
今週の日曜日、彼が大敗を喫したパチンコ店のイベントデー。
軍資金は財布の中に三万(借金)がある。
そう、この男はよりにもよって生活費という名目で借りたお金を、失った家族(お札)を取り戻す為に使おうと計画しているのだ。
「大丈夫だ。俺ならやれる、俺ならやれる……あぁ、やれるとも」
一人ブツブツ呟き続ける虎太郎。
「――――虎太郎先生、どうしたのかな?」
そんな虎太郎を見て、首を傾げるなのは。
「わかりませんが…………何やら、不審な気配がします」
まさか、自分が貸した金を早々にパチンコ台に突っ込もうとしているとは思いもしない霙だったが、それでも嫌な予感はあったらしい。
「ふふふふ、目に物みせてやる……まってろよ。今度は魚群で大フィーバーしてやる」
当然、この呟きは霙となのはにはまる聞こえだった。
魚群というのが何かはわからないが、フィーバーという言葉にピンときたのか、
「加藤先生……」
ニッコリ――――感じに直すと煮ッ虎裏な笑顔を浮かべながら霙は虎太郎の肩を叩く。空腹のせいで相手に接近に気づかなかった虎太郎は錆びた機械の様にゆっくり、ギギギという擬音を響かせながら振り向いた。
修羅がいた。
悪鬼羅刹がいた。
こめかみにバッテンマークを浮かび上がらせ、目を三角眼にした霙。
虎太郎という名前の癖に猫みたいに縮み上がる虎太郎。
それを見て苦笑するなのは。
「あ、アナタという人は……」
「いや、待て、待つんだ帝先生!」
「何を待てというのですか?先程、なにやらフィーバーという言葉が聞こえた気がするのですが――――まさか、私の貸した、私が善意で貸したお金を」
「思ってない!!絶対に思っていない!!決して日曜のイベントで魚群でマ○ンちゃんとサ○に会おうなんて、絶対に思っていない!!」
「…………」
なのはの様な子供でもわかる。
「墓穴を掘るって、こういう事なんだ」
勉強になりました。
「こ、こここここここ――――――虎太郎先生!!」
学校は今日も平和だった。






すずかの気分はとてもじゃないが良いとは言えない。
体調がすぐれないというわけではく、むしろ好調だ。最近はそう思える程に楽しい毎日だったから尚更だ。故にこういう感覚には敏感に反応してしまう。
「――――――腹減ったな」
腹を押さえながら黒板に数式を書き込む虎太郎。虎太郎をジト目で見据える霙。誰も座っていないアリサの席。そして、黒板をじっと見つめ、ノートを取っているなのは。
「…………」
高町なのは。
友達。
自分に出来た初めての友達。
月村である自分に一番に話しかけ、友達なってくれた大切な友達。
そう、友達だ。
一緒に通学バスに乗る。一緒に校門をくぐる。一緒に教室に行く。一緒に同じクラスで勉強する。一緒に休み時間におしゃべりする。一緒にお弁当食べる。一緒に掃除をする。一緒に下校する。また明日と一緒に行って、また一緒になる。
学校だけじゃない。家にいてもメールや電話でおしゃべりはする。休日は一緒に遊んだりする。すずかの家に遊びに来たりもする。
ずっと一緒だ。
ずっと一緒にいる大切な友達の一人だ。
「…………」
だというのに―――いや、だからこそなのかもしれない。
不安になっているのだ、自分は。
昨日、教頭と話している時に見せた【空っぽの笑顔】が気になってしょうがない。愛想笑いの様な作り物ではない。人間が普通に見せる普通の笑い、笑みが、空っぽなのだ。
無論、すずか自身がそれを見極める程に人生経験が豊富なわけではない。むしろ、人との関係という点においては三年もサボっていた程だ。だからこそ、あれが自分の見間違いなのか、それとも見間違いで済ませてはいけないものかの違うがわからない。
「それはこの問題を……高町、やってみろ」
虎太郎がなのはを指名し、なのはが黒板の前まで来て数式を解いていく。
なのはは理数系、特に数式を解く事を得意としている事は知っている。他の教科はすずかやアリサの方が成績はいいが、この教科では未だになのはに勝った事がない。アリサが悔しそうにしている姿は今でも思いだせる程にだ。
スラスラと問題を解いてくなのは。
「出来ました」
「ん、正解だな……にしても、アレだな。お前はこういう授業だけはしっかりしているな」
「あぅ、すいません」
「いや、別に駄目だというわけじゃない――――でも、流石にこの間の国語のテストの点数はちょっとな……得意な教科を伸ばすのもいいが、他の教科もそれなりにな、というだけの事だ」
前回の国語のテスト。
三人で点数の見せっこをした時、なのはだけが逃げ出そうとして、アリサに関節を決められて捕獲された。
あの時の点数は見事だった。
それはもう、バッテンで絵を描いているかのような見事なバッテンの嵐。
アリサは即座になのはを解放し、何事も無かったかのようにテスト用紙を仕舞いこみ、別の話題に切り替えた。
あの時のなのはの不満そうな顔とアリサのなんかゴメンな顔はしばらく忘れられそうにない。
「だかまぁ、学校で習う事なんて社会に出ると案外役に立たないんだな、これが」
「あの、加藤先生。あまりそういう事を生徒前で言わない方が……」
「……まぁ、それもそうだな。うん、今のは無し。全員、忘れる様に。忘れずに教頭にチクッたりしたら連帯責任で宿題倍にするからな」
全員からブーイングの嵐を受けながらも、平然と流す虎太郎に頭を抱える霙。
「虎太郎先生、横暴だぞ~!!」
「人でなし!!」
「女たらし!!」
「女たらしって何?」
「わかんない。昨日のテレビで言ってた」
「そうなんだ……虎太郎先生の女たらし!!」
「女たらし~」
「女たらし~」
何故か巻き起こる女たらし旋風に虎太郎も若干顔を引き攣る。
「お前等、頼むからそれをクラスの外で言うなよ。じゃないと、また俺が教頭にクドクド言われるからな――――あと、女たらしって行った奴は全員は宿題倍だ」
「やっぱり横暴だ~!!」
これは何時もの光景。
虎太郎が来る前にはなかった楽しげな、そして騒がしい光景。
すずかが自分の殻に閉じこもっていた時には知らなかった微笑ましい光景。
何時の間にか、自分もその中の一人になっていた。
皆が笑い、すずかも笑う。
誰もが笑っているのに、
「――――あ、」
やはり、一つだけの空白がそこにあった。
楽しげな笑顔だというに、何も感じていない、周りに合わせている様な空白で空っぽな笑顔。笑顔をいう仮面を嵌めているのは、自分の大切な友達だった。
「どうして……」
胸が苦しくなる。
笑っているのに、悲しい。
笑っているのに、苦しい。
笑っている事が、笑える光景があるこの場所が、その空っぽな笑顔一つに否定されている様な気分が心を占める。
そして気づいた。
どうして今まで気づかなかったのか、そう思える程に当たり前な事に気づいた。

高町なのはの笑顔は、【ずっと空っぽだった】のではないか

嘘だ。
嘘だ、そんなのは。
不意の襲い掛かる考えたくもない事実に、一人すずかは怯える。
今までの思い出や時間、その全てが嘘になってしまった気がした。
それに気づかないはずはないのに、今になってそれに気づいたのは、恐らくは人として成長してしまった事が原因だろう。
人と人との関係から目を反らしていた頃の自分なら、そんな事には気づかなかった。だが。今は他人との交流という当たり前を手に入れた事で成長してしまった心が原因だった。
人を知らないなら知らないまま。
人を知れば、知ってしまう。
すずかは成長した―――成長してしまった。
あの笑顔が、優しいと思える笑顔の全てが、仮面の様に冷たい素材で出来た嘘であり偽りであり、心の無い笑顔だったと言う事を。
確信ではないが疑問にはなっている。疑問が疑惑を生みだし、疑心を育てる。
果たして、自分は高町なのはという友達の、少女の、人間にとってどう思われているのだろうか。
わからない。わからない事が怖い。
言い様の無い不安が、友達――――友達だと信じたい【他人】を見る目にフィルターを作りだす。
月村すずかという自分は、高町なのはにとって、何なのだろう。
疑心と不安は連結し、連鎖する。
生み出されたのは、根本的な何か。
自分は自分の事を知っている。しかし、自分は他人の事を知っていない。なら、自分は友達の事を一体どれだけ知っているのだろう。
なのはは友達だ。
クラスメイトで友人―――――だが、知らない。
「私……知らない」
月村すずかは知らない。
友達である高町なのはを知らない。
得意な事を知っている。不得意な事を知っている。好きな食べ物を知っている。嫌いな食べ物を知っている。好きな動物を知っている。好きな歌手を知っている。好きな、好きな、好きな、好きな、好きな―――――なのはの好きな【情報】だけを知っている。
その中に、なのは自身の何かはまったく含まれていない。
高町なのはがどういう人間なのか知らない。
高町なのはがどういう人間が好きで、どういう人間が嫌いか知らない。
高町なのはがそういう趣向を持ち、どういう趣向を好むのかもしれない。
知らない、知らない、知らない。
知らない事ばかりで、知らない事が不安になってくる。
だからこそ、すずかの視界に写る少女の姿が、



恐ろしい化物に見えてきた。





放課後になり、生徒達は自宅に帰るが、生徒以外の者にとってはまだ仕事の時間である事には変わりは無い。
白髪隻眼の男もそれは同様なのだが、彼の片方だけの眼に映る壁はもう完成まじかという状態だった。
ようやくここまできた。長い長い戦いだった。しかし、それも漸く終わりが見えてきた。この速度なら明日の夕方にはかたはつくだろう。
工具を起き、少しだけ休憩に入る。煙草が吸いたかったが、唯一の喫煙所は自分のせいでなくなってしまった。自業自得だからしょうがないだろうと思い、煙草は諦める事にする。
その代わりに取り出したのは飴玉。しかも男の様な喫煙者にとって毒薬と同じ禁煙する為の飴だ。
正直、こんなものは舐めたくもないのだが、一緒に住んでいる女性から弁当の一緒にこれを渡された時の事を思い出す。
「…………自分だって喫煙者のくせに」
これを渡した女性も男と同じ喫煙者なのだが、最近はあまり吸わなくなった。なんでも家庭教師として通っている家の子供の為にしばらく禁煙する事にしたらしい。だが、自分だけ禁煙して男が禁煙しないというのは不公平だという。
「不公平というか……いや、不公平だな」
少なくとも自分は止める気などこれっぽっちもない。四十代も後半に差しかかろうとしているが、健康趣向なんてなよなよした思考はどうも受け入れられない。だが、それでもあの女性の提案をこうして受け入れているのは、
「まったく、他人の善意というのは……」
善意という敵。
受け入れれば心は安らぐが、反対に退ければ心が痛む。
なんて厄介な敵なのだろうか。
禁煙飴を口に放り込み、何とも言えない奇妙な味に顔を顰める。
「――――――だが、まぁ……悪くは無い」
そういう事にしておこう。そうした方が色々と気が楽になる。
強くなくていい、弱くていい。
昔と今は違う。
これからも、ここからも、この前も。
飴を舐めながら、男は新聞を読む事にした。仕事前にコンビニで買ってきたはいいが、結局一度も目を通していない。
新聞を読みながら、ふとこんな状態の自分は爺臭いのかもしれないという不安が襲いかかる。もう若くないのは自覚しているし、心なしか昔ほど身体が動かなくなった気がした。しかし、その事を女性に話すと呆れ顔で、
『アナタがそれを言うと、嫌味にしか聞こえませんよ』
という指摘を受けた。
なるほど、どうやらその部分は思いすごしらしい、と言ったら今度は、
『その歳になっても未だに【成長】している時点で、本当に同じ人間か怪しいですよ……いや、むしろ人妖の私よりも異常だよ、アナタは』
とうとう化物扱いだ。
「成長している、か」
昔ほど鍛錬を毎日の様にしているわけではないが、男の中ではそれが身体が鈍っている理由な気がする。無論、歳のせいという線は捨てる気はない。
「むしろ退化しているのだろうな、俺の場合は」
強くはならない。
弱くなった。
強いが成長していない。
弱いが成長している。
戦いから退き、平穏な日々にいる自分は確実に弱くなっている。
恐らく、これが数年も続けば自分は二度と戦えない程に弱くなるだろう。
ならば、どうすれば強さを取り戻せるのか――簡単だ。
平穏を捨てればいい。
平穏を捨て去り、闘争という日々に溺れてしまえばいい。
そうすれば強さを取り戻し、弱さへの成長を捨てられるだろう。
だが、それはあくまで考えただけで終わる。
少なくとも、
「彼女は、それを求めないだろうな」
一人なら、男が未だに孤独だというのなら、自分は真っ先に闘争への日々を選択したのだろう。だが、男はそれを選ばず、共に暮らす女性の傍を選んだ。いや、選んだと言えるほど、大したものではない。
何となくそうなり、何となく今の位置になり、何となく今の関係になっているだけにすぎない。
男の女の関係ではない。
上司と部下の関係でもない。
「ふっ、ならどんな関係なんだよ」
苦笑して、馬鹿な事を考えていると自重する。
男には過去がある様に、女性にも過去がある。その過去に繋がるのは一人の少年であり、今は一人の男、恐らくは父親になっているのだろう。
決着を付けたのは、自分だけ――――表面上は。
決着を付けれないのは、女性だけ――――表面上は。
だとすれば、こういう関係はきっと傷を舐め合っているだけに過ぎないのかもしれない。
「――――――はぁ、何を考えてるんだか」
自分で自分の事をどうこう考えるのが馬鹿らしくなってきた。
新聞を広げ、静かに読みふける事にした――――のだが、視界の隅に見覚えのある少女が見えた。
確か、高町なのはというこの学校の生徒だった。
向こうのこちらが見ている事に気づいたのか、
「こんにちわ」
そう言って近づいてきた。
こんなオッサンにわざわざ話かけるなんて、随分と変わった子供だ。
「帰りか?」
「はい。オジサンは……まだお仕事ですか?」
背中越しに壁を指さし、
「もうすぐ終わりだな。今日の分が終われば、明日でようやく解放されるだろうな」
「そうなんですか……それじゃ、オジサンとも会えなくなっちゃうんですね」
少し寂しそうな顔をするなのは。
「おいおい、こんなオッサンと会えない事に寂しがるなよ」
たった二回。その程度しか会った事がない相手に、わざわざ寂しがるなんて、随分と心の優しい子供だ―――そう思えたら楽だったのだろう。
「そんな事ないですよ。人との出会いは大切にしろって、お父さんが言ってました」
「そうか。なら、俺もそういうお嬢ちゃんとの出会いを大切にするように思うさ」
思い出すのは、昨日感じた【飢え】という子供らしくない感情。そして今は、まるで文章を読み上げているかのような空白な言葉の羅列。
本人は気づいているのかどうか知らないが、男は昨日の違和感がまったく気のせいであるというわけじゃないという事を確信した。
「それで、昨日のお嬢ちゃんとは一緒じゃないのか?」
台詞を口にする気分だった。そして、自分はこれからこんな子供の【内側】を盗み見ようとしている事に反吐が出る。
だが、このまま捨て置くなんて事は出来ない―――善意ではなく、使命でもなく、言い様のない何かによって。
「すずかちゃんは掃除当番なんで、まだ教室です。だから、私はその間ちょっとブラブラしてなくちゃいけないので」
「掃除、ね。前々から思っていたんだが、幾ら学校が拾いからといってどうして掃除を生徒にやらせるんだろうな」
何時か、世にいる馬鹿親達が学校に言いがかりつけるのではいかとずっと思っている。
「楽しいですよ、お掃除」
「好きな奴は好きだろうな……ちなみに、俺はあまり好きじゃない」
「楽しいのに、お掃除……」
「そういう奴もいるって事さ。俺は好きじゃない。でもお嬢ちゃんは好き。誰もかれもが同じなわけじゃないさ」
掃除なんて言葉は、綺麗な意味だけを含んでいるわけじゃない。男が過去の行ってきた掃除という作業は、相手の命を、掃除してはいけない命という物を世界から消し去るという行為。
手が赤く染まり、赤い色に汚れる掃除。
そんな自分がこうして子供と話している事が、許されない行為なのかもしれない。
「掃除といえば、今の掃除ってのは昔と同じ様にバケツに水を貯めて、床を雑巾で拭くタイプなのか?」
「それはしますけど……毎日やっているのは箒でゴミを掃いたり、モップをかける程度ですね。雑巾がけは夏休みとか冬休みの前に一度やるくらいですし」
「へぇ、随分と楽になったもんだな。俺がガキの頃なんて毎日の様に雑巾がけだ。教室はもちろん、廊下や体育館もな」
「体育館もですか!?」
どうやら、今のご時世に毎日の様に体育館を雑巾がけする習慣はないらしい。
「すごいですね……」
「すごくというよりは、面倒だな。特に冬なんてキツイぞ。体育館は寒いし、水も冷たい。冷たい水でしぼった雑巾で冷たい床を雑巾がけ――――まったく、思い出しただけで嫌になる作業だな」
だが、こうして思い出話に出来るというのは、本当に嫌だったというだけではないのだろう。
辛い過去を笑い話に出来るのは、きっと辛い中にある幸福を持っていたという意味になる。子供の頃の辛い事は幸福の一部。しかし、数年前までの過去、大人になってからの自分に笑い話で語れる幸福なんて一つだってありはしない。
「大変だったんですね、昔って」
「あぁ、大変だったさ。お嬢ちゃんも、そういう時代に生まれなくて良かったな」
「う~ん……でも、楽しそうですよ」
本気で言っているのなら、素直に拍手をしよう。
だが、
「本当にそう思うか?」
本気ではなく、お世辞でもなく、
「はい、思いますよ」

それが【義務】の様に話すのなら、それは間違っている。

「…………」
男は考える。
見えてはいけないもの、自分の様な人間が見えてはいけない【空っぽ】を見つけてしまった事に悩み、考える。






掃除を終え、職員室に戻ろうとした虎太郎をすずかは呼びとめた。
「あの、少し良いですか?」
「どうした、月村。授業でわからない所でもあったか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
言おうかどうか迷っているのか、すずかが両手を握りながら虎太郎を見ては目を背け、また見るという行為を続ける。
「―――――話し難い事なら、屋上に行くか」
すずかは頷き、二人は屋上に行く。
屋上には誰もいない。
太陽が夕陽に変貌し、街に黄昏色の光を放つ。
黄昏時は人と妖怪が交わる時間。
人の時間から妖怪への時間に変わる一時、それが黄昏時。
何時も三人で使っているベンチに腰掛け、すずかは静かに呟いた。
「虎太郎先生は……なのはちゃんの事を、どう思います?」
「どう思うか……か。それは随分と難しい質問だな」
相手をどう思うかという質問に、虎太郎は微かに戸惑う。友達であるなのはの事を、どう思うかという質問をするのは、どうにも腑に落ちない物を感じる。
「虎太郎先生がどう思ってるのか、知りたくて……」
それは違うだろう、とは言わない。
誰がどう思ってるのかは関係ない。恐らく、すずかは本当に虎太郎がなのはの事をどう思っているかを知りたいのではない。
ただ、確認したいだけなのだ。
無論、それを直接指摘する気はさらさらない。
「そうだな…………まずは、真面目な生徒だな。宿題は毎日キチンとやってくるし、授業態度も良い。教師の俺から見ても高町は良い生徒って感想が第一に出てくる。もっとも、宿題をキチンとやってきても間違いは多いし、態度が良くても勉強が出来るわけでもない」
だからと言って良い悪いを決める気はない。
頭が良いなんてものは関係ない。悪いのだって関係ない。授業中の態度も同様だ。相手を、生徒をどういう基準で評価するかなど教師によって分かれる。それこそ、十人十色というものだ。
「後はそうだな。明るくて優しいっていうのを絵に描いた様な子供という感じかな」
「…………」
「――――――だが、お前が聞きたいのは、そういう事じゃないんだろう?」
すずかはゆっくりと頷く。
視線を膝に置いた手に合わせ、その手は微かに震えている。
「高町と何かあったのか?」
頭を振って否定する。それこそ、一生懸命に否定する。悲しい程に、痛々しい程に。
「なのはちゃんが、悪いんじゃ……ないんです」
一語一句を絞り出す様に、すずかは語る。
「私が……私が、わからなくなっちゃったんです」
「わからない?」
「なのはちゃんの事が、わからないんです。今まで、全然そんな風に思わなかったのに、昨日になって急に……急に、わからなくなったんです」
すずかは語る。
昨日、アリサの家にお見舞いに行った事。そこで教頭と会った事。そして教頭との会話の中で笑ったなのはの表情が、空っぽに見えた事。それが見間違いだと思っていたが、今日一日なのはの様子を見ているとそれが見間違いでも気のせいでもない様に思えたならなくなった。
わからなくなった。
なのはが何を考えているのか、何を想い、どうしてあんな空っぽな笑顔を向けているのか。そして、それ以上にどうして自分の中でなのはを見る目が変わってしまったのか。
何もかもがわからなくなった。
わからない事が怖くなった。
「今までそんな事なかったんです。なのはちゃんが笑ってるのを、あんなふうに……あんな嫌な考えで見る事なんて一度も無かったんです。なのに、急に怖くなって。ただ笑っているのに心がない人形が笑っている様に想えて――――」
友達が怖いと想えてしまった。
自身を恥じた。
自身を蔑んだ。
だが、消えない疑惑。
「私……どうしちゃったんだろう?大切な友達なのに、そんな風に思っちゃうなんて」
すずかの手に、水滴が堕ちる。
「嫌なんです……こんなの、嫌、です……嫌だよぅ、こんなの」
疑心する己が許せない。
疑惑を持つ己が醜悪に思える。
なのはの全てが偽りで、何かを騙している様に思えている事が、友達としては思ってはいけない感情である事は理解しているつもりだった。
だからこそ、情けなくて、悲しくて、苦しくて、涙が出てきた。
「……な、なのは、ちゃんの……こと、真っ直ぐ……み、みれ、なくて、お話して、るのに表情ばっ、かり見て……観察し、てるみたいで……」
手の甲で涙を払うが、止まる事はない。
止められず、流れ続ける涙。
それを止める術を持つのは虎太郎―――ではないのだろう。止めるのは己自身。己の中で大切な何かを想う心を疑い、それによって失う事が辛い。だからこそ、その感情をどうにかするのは己しかいない。
だから、虎太郎に出来るのはすずかにハンカチを差し出すだけ。
「月村。お前のその想いは間違っちゃいない」
「でも……私、なのは、ちゃんのことを」
「わからなくて当然だ、そんなものは」
無意識の内に煙草を口に咥えていた。屋上は禁煙だから吸ってはいけないのだが、そんな事は知った事ではないとばかりに、火を灯す。
「誰だってそうだ。人の心の中を覗ける奴だって人の心なんてわかりはしない。お前がそうして自分の事がわからないのなら、他人だってわからない。月村が高町の事を疑いたくない気持ち、信じたい気持が在る様に、高町の事を信じられない気持があるのも当然だ」
わかり合えないから、わかり合おうとする。
知らないから、知ろうとする。
「相手の気持ち、心なんてモノを真に理解する事は不可能だ……悲しいが、これが現実だ」
頭を殴られた様な衝撃がすずかを襲う。
当然という現実を前に、手を伸ばす事すら馬鹿らしいと言われた様な気分になった。
「―――――だがな、月村」
煙草の煙が空に昇る。
ゆっくりと昇り、自然と消えていく。

「わからないから、諦めるなんて事は出来ないよな?」

煙草は身体の害になるから止めろと言われても、止める事なんて出来ない、それと一緒だと虎太郎は思う。無論、ニコチン中毒の自分とこの話を一緒にするなんて、見当はずれな気がしないでもない。
「好きだろ、高町の事」
「…………はい」
「好きだから、怖いんだろ?高町がお前の事をどう思っているのかわからない。アイツの空っぽは自分にとっても空っぽなのかわからない。その全ては相手の事を理解出来ない事が辛いから、お前は悲しい―――そうだろう?」
「どうすれば……いいんですか?」
「わからない」
教師は万能の神ではない。
一人の人間である事には変わりは無い。
だから人として、教師という役を得た虎太郎の言葉で紡ぐしかない。
「生徒と向き合っても心の中を見えるわけじゃない。生徒と話して、相手が自分に心の一部を見せてくれて、そうしてやっと心が見れると思う様になる。当然、心の中だって見れるわけじゃない。カウンセラーだって心理学者だって、心の中を見る事が出来ないから言葉や仕草で相手がどういう状態かを想像するしかない」
教師は心理学者ではない。当然、カウンセラーでもなければ森羅万象を司る神でもない。ただし、神が人の心を見れるとは思わない。
「人も動物も神様も、誰も相手の事を真に理解できるわけじゃない。むしろ、理解できないからこそ、言葉や想いがあるんだ」
「理解できないからこそ……」
「例えば、お前が相手の気持ちや心を想像できるとしよう。そして、それが全人類がそうであったとしたら――――それは素晴らしい事だと思うか?」
すずかは考え、首を横に振る。
「それは……怖いです」
「どうして怖い?」
「自分の心の中が、相手に全部わかっちゃうのは怖い……」
「そうだな。怖いな。俺の頭の中を覗いたら、きっと皆が白い目で見るだろうな。ギャンブル好きの博打打ち。頭の中にあるのはギャンブルと煙草の事だけでパンパンだ」
心を理解する事と覗き見る事は同一ではないだろう。
人の心の中には善悪があり、欲求だってある。その欲求を相手に知られるなんてのは、知られたくない全てを相手に晒す最悪な行為だ。
「人の心の全てがわかる奴に、相手を思いやる事なんて出来はしない」
心は見るべきものじゃない、想像するものだ。
想像して、相手を理解したつもりになって、そうして相手が喜ぶと思う事を行動する。
思いやりというものは、相手を想う事。
相手を想うという事は、相手を知ろうと努力する事。
相手を知ろうと努力する者は何時だって相手の事を想い、理解しようと頑張る。
「何を考えているのかわからないなんて皆一緒だ。俺だってそうだ。お前等生徒がどんな想いで俺と接するのかわからない。実は嫌っているかもしれない。目にも止めたく無い程に嫌悪しているかもしれない―――でも、だからと言って全てを放り出す事はしたくない」
虎太郎は煙草を消し、携帯灰皿の中に放り込む。
「月村。お前はどうだ?お前は高町の事を理解できないから―――逃げるか?」
「―――――――――いや、です」
何時の間にか、涙は止まる。
「逃げるのは、いやです」
視線は下でも上でもなく、前に。
「逃げても変わらない事なんて、わかってますから……前までずっとそうやって逃げて、目を背けて、耳を閉じて、何も口にしなくて…………けど、それじゃ変わらないって、知りましたから」
目を背けては、相手を見れない。耳を閉じたら、言葉が届かない。口にしなければ想いは届かない。
「私は、知りたいです」
昔はそうでも、今は違う。
「大切で、大事な、友達だから……」
それが迷惑になったとしても、知りたくもない何かになったとしても、逃げて前に進めるわけじゃない。
「なら、そうすればいいさ」
虎太郎は立ち上がる。
「どうなるかなんて誰にもわからない。神様だってわかりはしない。仮に神が全てを知っている全知全能だっていうのなら――――そんな思い違いして、何もしない奴とお前は違う」
虎太郎の頭の中に知り合いの神様の顔が浮かんだが、あれは神であって神じゃない。というより、威厳もへったくれもないから神扱いはしない。何より、全知全能でないからこそ、自分達の上に立っているのだろう。
「少し怖いけど……頑張ってみます」
そう言ってすずかも立ち上がる。
「迷惑かもしれないけど、このままじゃ嫌ですから」
あぁ、こうやって少女は大人に一歩踏み出すのかもしれないな、と虎太郎は思った。今まで高校生を相手にしてきたが、こんな子供の頃にどんな事をして、どんな影響があって高校生になったかなど知る事は出来ない。
だが、今の自分は小学校の教師。
これから成長し、中学、高校、大学、そして社会になっていく大人の最初が此処。
自然と笑みが零れる。
最初はどうして自分が小学校の教師なんて思ったが、それこそ思い違いだ。自分なんてまだまだの半人前だ。高校生を長年相手にしてきたが、それは教師として時間を重ねて来ただけに過ぎない。もちろん、それが無駄な時間だとは思わない。
自分の生徒は成長する。
そして、その生徒達のおかげで自分も成長する。
教師と生徒の関係は、そういうものなのかもしれない。
人と人が共に支え合い、歩む様に。
教師と生徒が互いに成長し、歩む。
「やれやれ、俺もまだまだというわけか……」
頭を掻き、溜息を吐く。
「ありがとうございました、虎太郎先生」
頭を下げ、急いで走っていくすずか。
後ろ姿は、先程までの小さな背中ではなく、少しだけ背が伸びただけの、大きな背中に見えた。
「あ、そうだ」
不意に脚を止め、すずかが虎太郎を見て、



「私は虎太郎先生の事は―――――大好きですから!!」



先程、虎太郎は自分で生徒に好かれているかどうかわからいと言っていた。だから、これはその生徒からの返答。
「だから、自信を持ってください!!」
そう言って、すずかは走って行ってしまった。
虎太郎はしばし呆然としていたが、すぐに噴き出す様に笑った。
教師が生徒を励ますのならいざ知らず、まさか生徒に教師が励まされるとは思ってもみなかった。
孤独の殻に閉じ籠っていた生徒がいた。
だが、その生徒は成長した。
心を成長させ、こうして走りだした。
「まったく……これだから教師は辞められないな」
ギャンブルを止められない、煙草を止められないのとは違う意味で、こういった嬉しさがあるから教師を続けているのかもしれない。
「―――ネコマタ、これもお前もおかげだな」
かつての大事な存在の名を口にして、虎太郎はまた煙草を口に咥える。

「何をしているのですか、加藤先生?」

そして、時間が止まった。
いつの間にか、屋上のドアの前に眼鏡を夕陽でキラリとさせた教頭が立っていた。
「まさか、こんな場所で煙草をお吸いになる気ではないでしょうね?」
「あ、いや、その……」
言い逃れは可能か―――否、不可能だ。
「駄目、ですかね?」
「駄目に決まってるでしょうが!!」
生徒は成長し、教師も成長する。
だが、それでも全てが成長するわけではない。
「もしや、体育倉庫で煙草を吸っていたのは、あの業者の方だけじゃなくてアナタもじゃないんですか!?」
それを指摘するように教頭の声が響き、空の上から鴉が一鳴き。
アホ~、と鳴いた









どの様な流れでこうなったのかは知らないが、男はなのはに尋ねる様にこう言った。
「お嬢ちゃんは想いについてどう思う?」
突然の質問になのはは首を傾げる。
「想いですか?」
「あぁ想いだ」
「それは……えっと、よくわからないです」
突然そんな事を言われても即答できる者などそうはいない。そもそも、男が何を尋ねたいのかすらわからないのだ。
「それもそうか―――なら、こう言い変えようか」
男は新聞のある記事を指さす。
そこには最近起こった事件が記されていた。
内容は海鳴のあるホテルの最上階が急に爆発炎上したという事件。死者こそでなかったが、怪我人は多数でたという事件。真相は何もわからず、ホテル側はガス漏れ事故と発表している。
「この記事を読んでお嬢ちゃんはどう思う?」
「…………大変だな、とは思いますけど」
「そうか、ならこれはどうだ」
次に見せたのは海鳴ではなく、日本の外で起きた事件。
北欧にあるバレルガニアと呼ばれる小国で起きた革命という事件。そこでは終身永世大統領、コリキア・リンドマンと呼ばれる男は国を独裁していたが、革命によって男は死んだという事件。
これは新聞やニュースが大々的に報道している事件の一つだ。
「このリンドマンという男は独裁者という奴でな。自分に従わない連中を全員殺すような残虐非道な奴だったらしいな」
自分の中にある冷静な部分で、こんな話を九歳の子供にしている自分も立派な残虐非道な奴なのではないかと疑い、そして同意する。
「だが、そんな奴も市民によって殺され、この国は平和に向けての一歩を踏み出したらしい……どう思う?」
なのはは混乱しているのか、「え」とか「う」とか一つの単語しか吐けない。
「別に世界情勢を理解しろと言っているわけじゃないさ。ただ、お嬢ちゃんはどう思っているか聞いているだけさ」
聞きたいだけだ。
この少女が【心の底でどう思っているか】を聞きたいだけ。
だが、それは無理な話だ。
そんな事は男も百も承知だろう。
だからこそ、そんな【餌巻き】を終え、糸を垂らす。
「悪いな。お嬢ちゃんには難し過ぎたか」
「えっと……ごめんなさい」
「いや、いいさ。むしろ、こんなモノは誰だって興味が無い話題だ」
「そうなんですか?」
「あぁ、そうさ」
きっと、自分の顔は酷く嫌らしい顔をしているのだろう。
「だってそうだろう?」
わざとらしく、肩をすくめて、
「誰が死のうが苦しもうが、遠い国の事なんて誰も気にしないだろさ」
反応を待ち―――すぐに手ごたえを感じた。
「そんな事、ないと思います」
なのはは口にした。

【空っぽ】な顔で【空っぽ】な言葉を口にした。

「死んじゃった人は可哀想だし、そんな事件があったら悲しいです……」
【空っぽ】な言葉。
「自分に関係無くても、人が死んだら悲しいです」
【空っぽ】な悲しみの顔。
やはり、と男は嬉しくも無い確信を得た。
「どうだろうな……自分に関係の無い事故や事件。そんなものにまで重苦しい想いを浮かべるのはどうかと思うがね」
これは間違った意見だと男は重々承知している。
「所詮は他人事さ、他人事」
この事件を見た時、正直な事を言えば悲しいとは思わなかった。ただ、嬉しい事ではないとは感じた。
遠い国の事だとしても、朝のニュースで流す程度に見たとしても、微かでもそういう想いを抱く事はある。
しかし、目の前の少女は違う。
「誰かの悲しみは自分の悲しみ……そういう風に教えられました」
「へぇ、誰にだ」
「先生です」
「そうか、それは確かに正しい意見だ」
だが、そうじゃない。
その【空っぽ】にはそんな想いなんて一欠けらもありはしない。
違和感は決して違和感ではない。
この少女の表面は確かに喜怒哀楽はあるだろう。だが、男の嬉しくもない長年の経験からそれはあっさりと仮面である事を理解させた。
少女に感じた【空っぽ】と【飢え】。その内の一つはこうして暴きだす事が出来た。嬉しくも無いが。
だが、なのはは気づかない。
「オジサンは、悲しくないんですか?」
「いいや、ちっとも」
半分本音、半分嘘。
「テレビの向こう側だからな、こういうのは」
「それ、間違ってると思います」
正しさではないだろうと主張する。
しかし、見れば見る程滑稽に思えてならない。
【空っぽ】の言葉を吐き出す、【空っぽ】な仮面。
「なら、この事件もお前の悲しみか?」
「悪いんですか?見ず知らずの誰かも、知っている誰かも、嫌な事や悲しい事があれば同じくらいに悲しい気持ちになるのは……悪い事なんですか?」
「―――――意味はないな」
これは殆どが本音。
「意味はないんだよ、お嬢ちゃん。テレビで見ただけで悲しくなる気持ちも、新聞で読んだだけで悲しくなる気持ちも―――意味はないんだ。なにせ、それで悲しいと思えるのはお嬢ちゃんじゃない。その事件事故に関係のある者達だけだ。ただ見て、聞いて、感じただけじゃ、その人たちの何倍にも劣る」
この革命は確かにその者達にとっては幸福だろう。同時に悲しみも生み出す。死んだ者も沢山いる。戦う力もなく死んでいった者もいれば、戦って死んだ者もいる。
英雄なんて存在がいない現実だからこそ、そういう現実を目にする事が多い。
強いから死なないわけじゃない。強くても死ぬ者は死ぬ。反対だってある。弱いから死ぬわけじゃない。弱い者は戦う事を選ばず、逃げる事、自身を守る事を選択する。
そして、今回は両方死んだ。
強い独裁者も死に、弱い市民も死んだ。
人は死ぬ。
あっけなく、あっさり、ありきたりに―――死ぬのだ。
「そんな事、無い筈です!」
なのはは力強く否定する―――いや、そういう【演技】をしている。
「そんな考えは間違ってます!そんなの、変ですよ!!」
変だろう、おかしいだろう、間違ってるだろう。
だが気づけと男は言葉にしない言葉を想う。
「間違っているのは、おかしい事か?」
「当然じゃないですか。誰だって悲しい事は悲しいと思うべきです。間違った事は間違いだって思うべきです」
「俺はそうは思わない。少なくとも、自分に関係のない事で悲しいとはこれっぽっちも思わない」
「どうして、そんな事……言うんですか?」
男は手を伸ばす。
男となのはの距離は遠くは無い、むしろ近い。だが、男が手を伸ばしただけでは届かない。
近いのに遠い距離。
「届かないからさ」
この状態で手を伸ばしても、届かない。
「どう足掻いても、手は届かない。そして、この目に写らない者は悲しめない。ましてや、俺の人生の中になんの接点も無い国に生きる者達の為に悲しめる事も不可能だ」
最低な人間だな、自分は。
男は心の中で自分自身を殴りつける。しかし、自分の吐きだした言葉の全てが間違いだとは思う事が出来ない。
届かない手は、どう足掻いても届かない。
目に写らない事件は解決できない。
手が届かない人は救えない。
努力しても、不可能なのだ。
「俺達はヒーローじゃない。テレビみたいに悪の怪人が悪い事をして、偶然ヒーローがそれを見つけて悪の怪人を退治する。だが、普通はそういう【偶然という力】すらない。そんな力は奇跡と呼べる代物だ。全ての者達がそれを手に入れる事は出来ない」
知っている事には悲しめる。
知らない事には悲しめない。
だからと言って、悲しい事を本当に悲しめる者などいるのだろうか。
自分に関係のない世界で起こった事件を悲しめる者などいるのだろうか。
いるかもしれないが、多分この少女は出来ない。
少なくとも、今の少女には出来る気はしない。
「―――――仮に、ある男がいるとしよう」
気づくべきなのだ。
その行為がどれだけ自身を苦しめているという事を。
「その男には家族がいた。妻はいないが最愛の息子がいた。男は息子さえいれば幸せだ感じていた――――だが、それが何者かの手によって壊された」
思い出す過去。
遠い過去だというのに、心は切り裂かれる様に痛い。
「…………その男の悲しみをお前が知ったら、お前も悲しいか?」
「当然です」
なのはは即答した。
虚しい程に早い即答だった。
「大切な家族がいなくなったら、悲しいと思うのが【普通】じゃないですか」
痛々しい。
「その人が悲しい気持ちなら、それを理解して悲しいと思う事が【普通】ですよね?なら、私は悲しいと思います。悲しいとしか、思えません」
痛々しいからこそ、気づけた。
少女の姿は、まるで断崖絶壁に縋りつき、今にも堕ちそうな哀れな者に見えていた。
「…………」
訂正しよう。
この少女は【空っぽ】であると同時に【縋りつく者】だ。
縋りつく為に【空っぽ】だった。
「確かにそれは普通だろうな……だが、普通だと思うのはその男以外の話だ」
「え?」
「男にとっては―――そんなものは必要が無い」
男は静かに言葉を紡ぐ。
「むしろ、悲しい思う事自体が許せないんだろうな」 昔を思い出す様に。
手を組み、握りつぶす様に息を吐く。
「お前が悲しむのは勝手だが、別にお前が失ったわけじゃないんだろう?お前が当事者なわけでもないんだろう?」
地面を睨みつけ、

「だから…………他人のクセに悲しむなってな」

普通な感情。
普通な対応。
普通、普通、普通―――だが、それは時に人を傷つける事がある。
悲しみを分かち合う事は良い。だが、悲しみを分かち合うには【想いの重さ】が違う。誰かの悲しみは自分の悲しみというかもしれないが、本当にそうなのだろうか―――否、そんなはずはない。
何故なら、人は人の心を真に理解する事はできない。
誰かの悲しみの重さと、それを理解しようとする者、分かち合おうとする者の想いの重さは決して同質ではない。
「悲しいと思うなら、自分と同じ事をしろ。悲しいと同情するならお前も血涙が出るまで涙しろ。悲しみを分かち合うというのなら――――お前も大切な何かを失ってみろ」
それが救いとなる時だってある。
苦しい時、悲しい時、誰かが傍に居る事は確かに救いになる。しかし、それを救いと見れない者だって確実に存在する。
「仮にお嬢ちゃんがその男の悲しみを理解しようとしたら、きっと男はお嬢ちゃんを殺すだろうな」
「どうして、ですか……」
少女は理解できないという顔をする。
それだけは【空っぽ】ではなかった。
恐らく、男が初めて目にする【空っぽ】ではない少女の顔。
「簡単な事さ。人は他人と同じじゃない。同じじゃないから分かち合えない。苦しみも悲しみも絶望も渇望も何もかも、それを感じた本人じゃないとわからない」
「おかしいですよ、そんなの」
「おかしくはないさ……おかしい事なんて何もない――――それが【普通】だ」
わかって欲しかった。
なのはの言葉は全てが【空っぽ】だという事を。
なのはの言葉の全ては聞こえは良い言葉―――台詞を口にしているに過ぎない。それを言葉にする為の想いが抜けている。だからこそ【重み】を感じられない。
想いは重いのだ。
演技するような言葉に重みはない。
清々しい程の綺麗な言葉は人を癒すだろう。だが、それを理解できない者だっている。人の優しさを理解しない者は重みもない言葉に心など動かさない。人として何かが欠けている者に上辺だけの善意など届かない。
故に【空っぽ】な少女の言葉は、わかる者にとっては本当に【空っぽ】なのだ。
それを理解して欲しかった。
下手をすれば、それが大切な何かを失う事をなるかもしれないから。
しかし、
「―――――」
男は過ちを犯した。
「―――――」
そう、これは立派な過ちだ。
「―――――」
男は気づくべきだった。
自身が重みのない言葉は相手を傷つける。だからこそ、【空っぽ】な言葉を紡ぐのは止めるべきだという想いを口にした――――しかし、それは別の見方をすれば違う意味を持つ。
「―――――がう」
男は気づいていない。
「――――ちがう」
男自身の想いは、確かに男の目線からすれば真実だっただろう。
だが、気づかない。
当然だ。
他人が他人を理解出来ない様に、【自分も自分を理解していない事】だってあるのだ。
それはつまり、



男自身が―――――【空っぽ】の言葉を口にしていたという事だ。



「ちがう、ちがう、ちがうちがう、ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう
ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう―――――ちがう!!」
仮面が崩れた。
崩してしまった。
断崖絶壁に縋りつく者の、掴んでいる部分を壊してしまった。
「ちがうよ、そんなのちがうよ?」
崩れた仮面の中にある【本物】が姿を見せた。
「だめだよ?そんなのダメだよ?駄目にきまってるよ?だめ、だめ、だめだめだめだめだめだめだめ――――そんなの、駄目!!」
そこに高町なのはという少女はいない。
いるのは目を見開き、言葉の全てを否定の言葉に変えた別の何か。
もしくは、先程のまでいた偽物の高町なのはではなく、【本物の高町なのは】が現れた、とういう意味にもなるのかもしれない。
「ちがうよ、オジサン。そんなのちがう……だって、そんなのまちがってる。へんだもん、おかしいもん」
「―――お前」
「かなしいときはね、かなしいっておもわなくちゃだめなんだよ?」
嗤っている。
壊れそうな程、嗤っている。
「だれかがかなしいとおもったときはね、かなしいとおもうの。かなしいひとにはね、かわいそうだとおもわなくちゃだめだの。そうおもわないのはね、わるいこのすることなんだよ?」
善意とは綺麗なモノだと理解するべきなのだろうが、この時だけはそうじゃない。
この少女の紡ぐ呪いにも似た善意は、善意の怪物。
「だから、おじさんはわるいこなんだね……でも、だいじょうぶ。わるいこにも、しんせつにしなくちゃだめなんだよ?わるいからひとりぼっちにしちゃだめ、わるいからしかるだけじゃだめ、わるいことはわるいことだってしっかりおしえて、そしてなかよくなるんだよ?みんながなかくよくしなくちゃだめ、なかがわるいのはだめ、わるいのはだめ、わるいのはよくしなくちゃだめ……だめなの、だめ、だめだめだめだめ」
紡ぐ言葉は聞こえが良いなんてモノではない。むしろ、気味が悪い言葉だった。善意の濁流とも思える羅列は人が聞いてはいけない、理解してはいけない恐ろしい呪い。
男は漸く気づいた。
自分の行った行為が、仮面を外させてしまった行為が、どれだけ恐ろしい事なのかと言う事を。
仮面を外した少女は、化物だった。
仮面を外せば本当の少女が出てくるとばかり考えていた。しかし、仮面を外した瞬間に現れたのは仮面を付けていた時以上に【空っぽ】な存在。
「おとうさんがいってたよ?みんなとなかよくするこは、良い子なんだって。おかあさんがいってたよ?ひとのためになるこは良い子なんだって。おにいちゃんはいってたよ?やしいこにはきっといいことがある、良い子にはいいことがあるんだって。おねえちゃんもそういったよ?だからね、なのはは良い子になるんだよ?良い子になってれば、みんながしあわせになって、わるいこがみんないなくなって、良い子だけがいるせかいになるんだよね?ねぇ、そうだよね?そうだよね?そうだよね?そうだよね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?」
人間は天使と悪魔が同居している生き物だと誰かが言った。
だが、あれはきっと嘘だと男は苦笑する。
これの何処に悪魔がいるというのだ。
悪魔がいるならまだ可愛げがある。
しかし、悪魔なんていない。
天使だった。
善意を押し付ける天使という怪物がいる。
「だから、なのははおじさんのことをゆるすよ?おじさんはわるいこだけど、なのははおこらないよ?わるいことをしたら、あやまればいいんだよ?そうすればみんなゆるしてくれるし、なのはもゆるすよ?」
「…………お嬢ちゃん、もう喋るな」
壊れる。
このままでは、この少女が壊れてしまう。
「俺が悪かった。あぁ、全部俺が悪い。だからもう―――喋るな」
誠意のない言葉の羅列だが、少女にとっては十分な言葉だった。
「ほら、おじさんもちゃんとわるいことしたって、わかってたよね?うん、ゆるすよ。ゆるしてあくしゅするんだよね?そうしたらみんななかくよくできるんだよね?そうなったら、みんな良い子になるんだよね?おじさんも良い子だし、なのはも良い子だよね?」
藪を突いて蛇を出す―――昔の人の言った言葉は強ち間違いというわけじゃないらしい。
まさか、こんな怪物が潜んでいるとは思ってもみなかった。
「あぁ、お嬢ちゃんは良い子だよ」
気味が悪い程に、という言葉は心の中だけで言う事にした。
少女はえへへ、と嬉しそうに嗤う。
「うん、なのはは良い子なんだよ?だから、ともだちもできたんだよ?すずかちゃんも、ありさちゃんも、なのはのたいせつなおともだちなんだよ?あ、そうだ!おじさんもきょうから、なのはのともだちになろうよ?ね?ね?そうしよう?そうしようよ?ともだちがたくさんいるこは、良い子なんだよ?」
喋り続ける少女。
こんな少女の姿を見たら、あのすずかという少女はどう思うのだろうか。
驚くのか、悲しむのか――――もしくは、嫌悪するのか。
「まったく、自分が嫌になる」
「ねぇ、しってる?ともだちがほしいっていうこがね、ともだちがほしいっておもってね、ともだちになってくださいっていったらね、ともだちになってあげるのが良い子なんだよ?」
どうすれば元に戻るのだろうか。
まさかこんな子供に手刀を打ち込んで気絶させるわけにはいかない。
だが、一向に戻る気配のない少女を前にどうするべきかと考えている――――その最中、男は見た。
「だから、ともだちになってあげたんだよ?」
少女の背後に、見慣れた少女の姿があった。
すずかだった。
何も知らない様に、なのはを見つけて嬉しそうに走ってくるすずか。
少女は紡ぐ―――呪いの言葉。
「わたしは良い子だから、すずかちゃんにやさしくしてあげたんだよ?」
少女は紡ぐ―――心を突き刺す刃の言葉。
「すずかちゃん、ひとりでさみしそうだから、やさしくしてあげたんだよ?」
少女は紡ぐ―――全てを否定する悲しみの言葉を。
「だからね、すずかちゃんとともだちになってあげたんだよ?」
少女は紡ぐ―――絆を破壊する絶望の言葉を。
「良い子のなのははね、ともだちになってほしいっていうすずかちゃんをね、ともだちにしてあげたんだよ?」
呪いの言葉は、すずかの足を止める。
心を突き刺す刃の言葉は、すずかの耳に突き刺さる。
全てを否定する言葉は、すずかの心を切り裂く。



「すずかちゃんのことは、べつにすきでもなんでもないけど――――ともだちになってほしいっていったから、ともだちにしてあげたんだよ?」



絆を破壊する絶望の言葉は、すずかを打ち砕く。
「なのは、ちゃん?」
呆然としたすずかの声に、少女は振り向いた。
仮面を外した【空っぽ】の【群れ‐レギオン‐】がそこにいた。
「あ、すずかちゃん」
嬉しそうにすずかを見る少女。反対に、少女を見たすずかは言葉を失くす。
アレは、誰だろう。
目の前にいる友達の姿をしたアレは、一体誰なんだろう。
「おそかったね、ずっとまってたんだよ?」
嬉しそうに嗤う誰かは、すずかに歩み寄る。
その言い様のない不気味な存在に恐怖をすら抱く。だが、身体が動くよりも先に口が動いた。
「今の……本当なの?」
「なにが?」
「わ、私の……ことが、好きでも、何でも、ないって」
言葉にした瞬間、心が悲鳴を上げる。
この悲鳴を止めるには、否定の言葉が必要だ。
魔法の様な、奇跡の様な、素敵な否定な言葉。
今のは全部嘘。何となく口にしただけの出鱈目。そうであったのなら、ちょっと泣きそうになっただけで何とかなる。何とか自分を保つ事が出来るかもしれない。
だから、願う。
嘘だと願う。

「うん、すきじゃないよ?」

嘘だと願う。

「すずかちゃんがかわいそうだったから、ともだちなったんだよ?」

嘘だと願う。

「でも、すずかちゃんがともだちになってほしいっていったから、ともだちになったんだよ?」

嘘だと、願う。

「えへへ、なのはは良い子だから、すずかちゃんとともだちになってあげたんだよ?ねぇ、なのははえらいでしょう?良い子でしょう?」

嘘だと願う―――事すら、馬鹿らしくなった。
「あれ?どうしたの?すずかちゃん、どうしてないてるの?」
自分は泣いているらしい。
これは悲しいから泣いているのだろうか。それとも苦しいから泣いているのだろうか。わからないが、涙は流れ出る。
「かなしいの?くるしいの?なら、なのはもかなしいし、くるしくないとだめだよね?まってて、わたしもなくからまっててね?」
そう言って少女は自分の頬を力いっぱい抓った。
抓った事によって痛みを覚え、涙が流れた。
身体の痛みからの涙。そこには心の痛みを理解するそぶりすらない。
「うん、なみだがでたよね?だから、なのはもかなしいんだよ?すずかちゃんといっしょでなのはもかなしいんだよ?」
「―――――もう、良いだろう」
男は漸く気づいた。
己がどれだけ愚かな事をしてしまったかと言う事を。
「もう喋るな。それ以上、苦しませるな……」
少女はわからない、と首を傾げる。
「え?どうして?すずかちゃんがかなしいから、なのはもかなしいんだよ?ほら、ないてるよ?かなしいから、なのはもないてるんだよ?」
「お前は、人の心が理解できていない」
「そんなことないよ?なのはは良い子だから、すずかちゃんがかなしいのがわかるんだよ?かなしみをわかちあってるんだよ?」
「それは冒涜だ……お前のそれは、善でも偽善でもない―――醜悪だ」
「…………ちがうよ?どうして、おじさんはそんなひどいことをいうの?だめだよ?わるいことしちゃだめだよ?良い子でいないと、だめなんだよ?」
その口を今すぐ閉じたい。
物理的に、暴力的に、少女の皮を被った怪物の口を消し去りたい衝動にかられる。
だが、それよりも早く、
「――――なのはちゃん」
すずかが少女の前に歩み寄り、

パチンッと頬を打った。

「―――――え?」
少女の視界に写るのは、すずかの姿だけ。
溢れんばかりの涙が頬を伝い、睨みつける様に少女を見据えていた。
頬を感じる痛みに、混乱しているのか、そこに居たのは怪物でも少女でもない。
「なのはちゃんなんか……」
【ソレ】に向けて、

「なのはちゃんなんか――――――大っ嫌い!!」

拒絶の言葉を口にして、逃げる様に走り去って行った。
そして、残ったのは静寂。
其処に先程までの空間は存在せず、あるのは言い様の無い不快感。後味の悪い料理が並んでいるかのような気分。
「…………」
呆然としているのは男ではない。
むしろ、男は微かに驚きの表情を浮かべていた。
「…………」
頬を抑え、すずかが走り去って行った方向を見つめる【ソレ】は、
「…………ッ」
同じく逃げる様に走っていく。
すずかを追うのではなく、すずかから逃げる様に走って行く。
その時、男の隻眼に写った【ソレ】は、今までこの場に一度として姿を見せなかった存在。
【ソレ】は何か―――言うまでも無い。
【空っぽ】ではない。
【普通】ではない。
【善意】でもない。
【醜悪】でもない。
【ソレ】は紛れもなく、



友達を傷つけた事に後悔し、泣いている【高町なのは】だった。










【魔女】は嗤う。
その光景にひたすら楽しそうに嗤っている。
あぁ、最高だ。
こんな最高な喜劇を見たのは久しぶりだ。
これでいい、これがいい、こうでなければ面白くない。
【鍵】は自分の予想以上に【鍵】として育っている。
【鍵】に友達なんて必要ない。他人との繋がりなんて必要ない。必要なのは【鍵】が望む願いと、それを渇望するが故に願う愚かな想いだけ。
「渇望せよ」
【魔女】は謳う様に、
「渇望し、捨て去れ」
呪いの唄を紡ぎ続ける。
「渇望する為に善意で在れ。渇望する為に孤独で在れ。汝が望みは必ず叶う。その為に善意で在れ、孤独で在れ、誰からも好かれる善意で在り、そして誰も必要としない孤独で在れ」
【魔女】は踊り、謳い、そして狂喜する。
日は近い。
我が望みを叶える日は近い。
【鍵】が望みを叶えし時、【魔女】の願いも叶うだろう。
あと二日。
運命の日まで、あと二日。
嗤う。
嗤って狂う。
狂って嗤い転げる。
「あぁ、愚かな【鍵】よ。お前の望みはもうすぐ叶う」
不死の王に捧げる【鍵】。
そして【魔女】が異界を超える為の【鍵】。
その為にどれだけの人間が傷つこうと構わない。あんなガキ一人が悲しんでも構わない。むしろ、もっと他の者も苦しむべきだ。
苦しみのた打ち回り、もっと自分を楽しませろ。
前夜祭としては最高の出し物だ。
あと二日。
あと二日。
あと二日。
あと二日で――――







「あと二日で、満月か……」
アリサはそう呟き、完治した傷の部分の包帯を取る。
夕陽が沈み、夜が来る。
夜は人間の時間ではなく、妖怪の時間。
それが終われば人の時間が来る。
「さっさと満月になりなさいよね……」
そうすればこの傷も治るし、全力で身体を行使する事が出来る。
「はぁ、我ながらなんて身体なのかしら」
毒吐きながら――――笑う。
笑っているが、その笑いに隠された心は噴火寸前だった。
「何処の誰かは知らないけど、この落し前はしっかりと付けさせてもらうわよ」
今は牙を砥ぐ。
この牙を突き立てる相手を探し、一切の手加減なしに突き立てる。
あと二日。
あと二日で相手を探し出し、

「―――――首を洗って待ってなさいよ……ぶっ潰してやるんだからッ!!」

狼が月夜に吠える。
子供に似つかわしくない笑顔を浮かべながら、吠える。
その遠吠えは【魔女】には届かない。



だがそれは―――――【今はまだ届かない】だけに過ぎない、些細な事だ。








次回『人間‐魔女‐』





あとがき
あれ、なのはさんが壊れた……ま、いっか。
そんな感じな九話です。
なんか書いている何時になのはさんが壊れました。展開的に問題ないんですが、ここまで壊れなかったはずなんだけど……うん、何時もの事だ。
プロット通りに書けた事なんて一度もないしね~
そんな今回は
オッサン、やっちまったぜ
なのはさん、ヤンでる化
の二本立てでした。
いやぁ、ああいうシーンを書いてるとすっげぇ楽しい!!
そんな腐れ外道な事を考えながら、次回は【魔女】の正体が!な感じになるはずです。まぁ、別に隠してすらいないんですけどね、これが。
それでは、次回までさようなら~




PS、この作品の【鬱展開のままじゃ終らねぇぜ!!】です。



[25741] 【人妖編・第十話】『人間‐魔女‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/04/06 00:13
――――三度目になるが、高町なのはの事を語ろう。
「――――語る唇を縫い合わせ、語るべき事実を切り裂くべき」
しかし、【魔女】によって語れない。


――――語れないのなら、高町なのはという少女を見てみる事にしよう。
「――――見る眼は潰す。見ようとする意思を潰す。汝、見るべからず」
しかし、【魔女】によって眼は潰された。

――――語れない、見る事も出来ない。ならば、彼女を表向きにも知る人々の会話を聞いてみる事にする。
「耳は邪魔。言葉は邪魔。意思を伝える意思すら邪魔」
しかし、【魔女】によって耳は削ぎ落とされた。



高町なのはを語れない。
高町なのはを見れない。
高町なのはを聞けない。
結果、高町なのはという少女を知る術はこうして消えていく。
誰も彼女を知らない。誰も彼女を理解しない。同時に誰もを彼女は知ろうとしない。誰もを彼女は理解しようとはしない。
【魔女】によって己と他人を憚られ、あるのは孤独と孤立と孤高。
誰も知らない。
誰にも知られない。
高町なのはは誰にも何にも、わからない。



――――ならば、彼女自身に語らせる必要があるのかもしれない。



思い出は何時だって綺麗な物なんだと、私は思う。
綺麗な思い出、楽しい思い出、嬉しい思い出、どれだけ、どれほど、どこまでも、考えて思い出してもそうとしか言えない。
そう言わないと【嘘】になってしまう。だから綺麗だと【思いこむ】ようにしている。
だから、思い出は綺麗なんだ。
私の思い出は綺麗で、消える事が無い程に美しく尊い、最愛の記憶達。それを汚す事は罪で、そんな事をしたら失い、消え失せてしまうに違いない。
だから私は何時だって思い出を大切にする必要がある。これは願いではなく【義務】なのだろう。私自身がそう望み、みんながそう望んでいるに違いないのだから。
思い出は何時だって素敵な物が故に守り、壊してはいけない。
それが既に無くなっていたとしても、無くなったなどと思ってはいけない。大切な物を傷つけるなんて悪い子のする事だ。良い子はそんな事はしない。
綺麗な物は綺麗と思え。
醜い物は醜いと思うな。
優しい人には優しい気持ちで接しろ。
酷い人には酷い事を言わず、優しさを伝える。
プラスとマイナスであろうと関係はない。プラスにはプラスで答え、マイナスにはマイナスをぶつけるのではなく、マイナスすら受け入れプラスにすればいい。
わかり合えない、なんてことはない。誰だって話せば思いは伝わる。伝わらないのなら伝わるまで話せばいいだけ。理解されなくても話せばいい。理解されるまで話せばいい。
理解できないと思う事は罪。
理解しようとするのが当然の行為。
なぜなら、私は良い子なのだ。
良い子でなくては、いけないのだ。

良い子じゃなくては、【取り戻せない】のだ。




朝、学校。
教室、みんながいる。
「おはよう」
と言う。
朝の挨拶は一日の始まり。
一日の始まりは大切だ。
大切だから口にする。
みんなが「おはよう」と口にする。
私は笑ってそれに答える。
挨拶が終われば、次は席につく。
席についたら、今度は鞄を置き、教科書を机に仕舞う。
昨日の宿題はちゃんとやってきた。難しいけど、頑張ってやってきた。
机に入れたら、今度は誰かと話す。
誰でも良いから話す。
一人ではなく、誰かと共にいる必要がある。
どうしてか?
簡単だ。
そうしなければいけないからだ。
話した。
話した。
話した。
沢山、話した。
ふと、視線を反らしてすずかちゃんの席を見る。
誰も居ない。
誰も座っていない席は、すずかちゃんの席。
思い出す。
昨日の事を思い出す。
すずかちゃんに、嫌いだと言われた。
あれは駄目だ。
誰かに嫌われるなんて駄目だ。
すずかちゃんは、まだ来ていない。
普段ならとっくに来ているのに今日は来ていない。
通学バスにも乗ってこない。
もしかしたら、今日は休みなのかもしれない。
なら、どうしようか。
謝るにはどうすればいいのか。
そうだ、あとでメールをしよう。
ごめんなさいと、メールをしよう。
メールを送っても返事がなければ電話をしよう。
電話でごめんなさいと言おう。
電話に出なかったら家に行こう。
家に行って直接会って謝ろう。
ごめんなさいと謝ろう。
あやまったら許してくれるかな?
許してくれないかもしれない。でも謝ろう。
謝ってもう一度友達になろう。
だけど、

私は、何に謝ればいいんだろう?

昨日の事を思い出しても、わからない。
どうしてすずかちゃんが怒ったのか、大嫌いだと言ったのか、全然わからない。
でも、きっと私が悪いんだ。
私が悪い事をしたから私が謝るんだ。
うん、すずかちゃんは悪くない。
悪いのは全部私だ。
何が悪いのかはわからないけど、謝ろう。
私の何が悪いのかは知らないけど、謝ったらきっと許してくれるに決まっている。
だってすずかちゃんは良い子だもん。
なのはのお友達だから、良い子なんだ。
別にすずかちゃんの事は好きでもないけど、友達なんだから、仲直りしなくちゃいけないんだ。
ごめんなさい。
悪いのは私です。
だから仲直りしよう?
仲直りして、一緒に遊ぼう?
大丈夫、きっと仲良しに戻れる。
アリサちゃんが来たら、これで完璧だ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫。
でも、どうしてすずかちゃんは怒ったんだろう?
私、何か悪い事を言ったのかな?
昨日一晩考えてもわからない。
わからないから、謝る事にした。
そうだよ、謝ったら何が悪かったのかきっと教えてくれるよ。
そうだよね、そうにちがいないよね?
そうだよ、そうなんだよね?
なのはは、良い子だからきっとゆるしてくれるよね?
すずかちゃんとなかがわるいままは、きっとだめだよね?
うん、あぶない、あぶない。あやうく、なのはがわるいこになっちゃうところだったよね?
チャイムが鳴った。
皆が席に座る。
私も席に座る。
「あ~、おはようさん」
先生がきた。
昨日もそうだったけど、今日も体調が悪そうだ。
「……出席とるぞ…………ふぅ、腹減った」
お腹を押さえながら、気だるそうに出席を取る。
「高町なのは」
私の名前を呼ばれた。
元気良く、ハイッと言った。
「お前は何時も元気だな、感心感心……はぁ、腹減った」
誉められた。
うん、誉められるのは良い事だ。
誉められたから、なのはは良い子なんだ。
嬉しいな、楽しいな。
「次は月村―――は、休みだ。月村も風邪だそうだ。最近、風邪が流行ってるからお前等も気を付ける様にな」
そっか、すずかちゃんは風邪を引いたんだ。
なら、お見舞いに行かなくちゃ。
アリサちゃんの家にはまだ行ってないけど、お見舞いに行かなくちゃ。
あ、でも最近は物騒だから家にすぐ帰らなくちゃ駄目だった。
先生がそう言ってた――――うん、止めよう。
先生が駄目って言ったのなら、駄目なんだ。
先生の言う事をちゃんと聞かないと駄目なんだ。
駄目、ダメ、だめ、だめ、だめだめだめ、だめなんだよね?
「欠席はバニングスと月村だけ。それじゃ、授業始めるぞ」
授業が始まる。
加藤先生が黒板に書いた内容をしっかりとノートに取る。国語は苦手だけど、ちゃんとやらなくちゃ駄目なんだ。
「それじゃ次の文章を……高町、読んでみろ」
当てられたから読んだ。
しっかりと読んだ。
文章を眼でなぞり、しっかりと読んだ。
でも、わからない。
この文章から誰が何を思っているのか、まるで理解できない。
「よし、そこまでで良いぞ。この文章から作者は――――」
作者が何を考えたのか、加藤先生が説明する。
でも、わからない。
どうして悲しいのか、わからない。
どうして苦しいのか、わからない。
どうして泣くのか、わからない。
悲しいより嬉しいほうが良いのに。
苦しいより楽しいほうが良いのに。
泣くよりも笑うほうが良いのに。
ノートを取りながらも考える。
どうして昨日、すずかちゃんは泣いていたんだろう?
なのはは、何かすずかちゃんを泣かせる様な事をしたのだろうか?
わからない。
わからない。
わからない事ばかりだ。
わからない事ばかりだから、勉強している。勉強してわからない事を理解していく。その点から考えれば数字が羅列する算数、数学は簡単だ。
予めある答えにたどり着けばいいだけ。答えは必ず用意されている。用意された数字に数式をあてはめ、答えにたどり着けばいいだけ。
その点、この国語という教科は大の苦手だ。
だって答えがないのだから。模範解答はあっても、それが本当の答えと言うわけじゃない。答えがあるが、それが間違いではないとは言えない。
国語は人の心を知る為の授業だと、誰かが言っていた。
なら、どうして私は苦手なんだろう?
疑問に思った事はないけど、不思議と今になってそう思ってしまう。
どうして私は国語が苦手なんだろう?
逆にどうして数学は得意なんだろう?
わからない。
わからない。
わからない。
わからない――――わからないままにしちゃ、だめだよね?
うん、そうだよね?わからないのはだめなんだよね?わからないままにしちゃ、だめなんだよね?わからないままほうっておいたら、わからないままになっちゃうからだめだよね?わからないことをわからないままにしてたら、わるいこになっちゃうんだよね?
とりあえず、授業が終わったらわからない部分を先生に聞いてみる事にしよう。
うん、それが良い。
それが良いに決まっている。
聞いてみた。



結局、理解できなかった。








真っ白な壁を見つめながら、止まる。
もうすぐこの作業も終るというのに、男はどうして作業を進める気にはならなかった。
「――――やれやれだな」
道具を放り捨て、胡坐をかいて座る。どうせなら煙草でも吸いたいと思ったが、校内は禁煙だと言われたばかりだ。仕方がないので昨日と同じ様に飴を舐めようとするが―――止めた。
昨日と同じ様に、という部分がどうして気に入らない。
「後悔しているのか、俺は?」
自分自身に問いかけ、
「当たり前だな、阿呆」
自分自身に向けて罵倒を放つ。
昨日、この場所で起きた事の原因は誰にあるのかと言われれば、それは自分にあるのだろうと男は考えた。
どうして自分はあの少女の仮面を暴こうとしたのだろう。そんな余計な事をしなければ、一人の少女が傷つく事はなかった。仮に自分が暴こうとしなくても、何時かあの少女の異常性に誰かが気づくに決まっている。もしかしたら、すずかだって気づくかもしれない。もしくは、既に気づいたのかもしれない。
だが、それを知らずに自分は暴いてしまった。いや、暴くなんて事ですらない。あれは暴くどころか暴れさせたに過ぎない。
あんな子供の中に隠された異常ともいえる善意。善意という善意の中でも最高級な善意の塊。それがあれだけ異常性を秘めた善意だとは思ってもみなかった。
男の普通ではない経験の中で、偽善者という者は何人もいた。そういう連中は言葉だけは立派でも中味はそれに伴っていない、腐った連中ばかりだった。しかし、高町なのはのアレは偽善などではない。
白すぎる善意。
人間味のない、汚れの一つもない善意。
まるで作られた様な善意が、アレだけの存在だとは思ってもみなかった。久しぶりに戦慄という感情を覚えた。力が強い相手、異能が強力な相手は幾らでも見てきた。当然、その中には心が異常な者だっていただろう。だが、その中でもあんな異常を秘めた者はいなかった。
表も裏もない――――何も無い性格というのだろうか。
「善意、か……」
時に善意は人を傷つける事がある。本人にとっては良かれと思った事でも、他人にとってはお節介にもなり、同時に傷つけるナイフになる事だってある。
なら、自分の行ったアレは善意なのかと言われれば、わからない。
ただ、暴きたいだけだったというわけでもない。
高町なのはの仮面の下に隠された、言葉の裏に隠された本音を聞きたいと思ったのは確かにある。その結果がどうなるかなど考えなかったわけではないが――――駄目だ、と男は首を振る。
どう言おうが、どう考えようが、言い訳にしかならない。
あれは間違いだった、と決めつけるしかない。
「…………」
男は窓の外を見る。
窓の外にはグラウンドが見え、生徒達が体育の授業をしている。その中になのはがいた。すずかは居ないが、なのははいた。
笑っている。
昨日のアレが、まるでなんて事のない様に笑っている。
だが、腹は立たない。
何故なら、その笑っている顔ですら【空っぽ】なのだから、怒りすら湧いてこない。
【空っぽ】の仮面の下には、異常すぎる善意。
異常すぎる善意を隠す為の仮面ではなく、他人に合わせる為に作りだされた仮面。
それをなのは被っている。
友達を傷つけたはずなのに、笑っている。そして、それを何とも思っていない善意の怪物があの中には潜んでいる。
「…………」
だというのに、何故だろう。
確かになのはは笑っている。仮面でそういう風に見せているのだろうが、どうもしっくりとこない。
その原因は恐らく、アレだろう。
昨日、一瞬だけ見せた【空っぽ】でも【善意の怪物】でもない高町なのはのもう一つの顔。
アレは確かに――――【人間】の顔だった。
友を傷つけたという後悔の顔。友に嫌われたという悲しみの顔。それをしたのは偽る事すら出来ない程、自分だという顔。
あの顔は何なのだろうか。
偽りではない、嘘ではない、本当の顔だとでも言うのだろうか。
「…………やれやれ、情けないな」
頭を掻きながら、その場に寝転がる。
天井を見れば小さな染みが幾つもある。最初は綺麗な天井だったのかもしれない。それは時が経つにつれて汚れていき、こんな染みを創り上げていく。
人は生れた時はきっと真っ白だったのかもしれない。それが成長していくにつれて自我を持ち、性格を持ち、己を積み重ねていく。だが、それによって心という己自身でもどうにも出来ない危険物を生み出し、育てる事になってしまう。
昔は良い子だった。だが、数年後には悪人になった。
今まで自分が殺してきた者達とてそうだ。
最初から悪人だった者などいない。しかし、それでも悪人になった。悪人になる為の道を歩み、悪人になり、この手によって殺してきた。
スタート地点は皆が同じ―――その言葉が酷く嘘っぽく思えてきた。
子供の頃は皆が同じ様な純粋な存在ではない。心を持った時点で純粋な者などいない。心があるから人は汚れる。汚れて平気で人を傷つける悪魔になる。
なのはをそのどちらかに当てはめるとするのなら、
「人でもなく悪魔でもなく、か」
天使とでも例えるべきだろうか。
ただし、天使は天使でもお伽噺に出てくるような存在ではない。
善意という塊を具現化した天使など、人にとっては気味の悪い存在にしかならない。
人は悪魔か、それとも天使か。
「人は人だ」
人にしかなれない。
男は頭の中で高町なのはを分析し、三つに分ける事にする。
一つ目は、今グラウンドで笑っている高町なのは。
【空っぽ】の仮面を被った唯の少女。
二つ目は、仮面を脱ぎ去った高町なのは。
善意という善意を宿した天使の様な怪物。
そして三つ目は、
「そうか、あれが三つ目というわけか……」
三つ目は、【飢え】を持った高町なのは。
一瞬だけ見せた【人間】の顔は、恐らく最初に会った時に感じた【飢え】を抱いた顔なのだろう。その顔だけが唯一彼女を人間らしいと感じた時だった。それ以外の顔は全てが偽物だとも言えるだろう―――最悪、それすら偽物という可能性もあるのだが。
身体を起こし、もう一度なのはを見る。
【空っぽ】で善意で【飢えている】少女。
高町なのはという少女。
【空っぽ】、善意、【飢え】。
その三つを持った少女を見て、
「辛くはないのか、お前は?」
届かない声を、小さく漏らした。




夕方、生徒の居なくなった校舎で虎太郎は黄昏色の空を見上げる。
喫煙禁止という貼紙あるにも関わらず、そんなものは知らんという様に煙草を咥えて空を睨む。
「――――腹減った」
情けない声を漏らしながらも、その言葉がある種の現実逃避に聞こえなくもない。むしろ、空腹感などで誤魔化せるくらいなら、幾らでも感じてやる次第だった。だが、空腹感でも誤魔化させないものが現実にある。
今日、すずかは学校に来なかった。
理由は風邪と皆に説明はしたが、真っ赤な嘘である事は明確である。一応、家に電話をかけてみたが、電話に出たのはファリンというメイド。すずかの容体はどうだという質問に対し、彼女はすんなりと口にした。
『わかってらっしゃるんでしょう?』
と、真実を口にする。
それで十分だった。
すずかは風邪で休んでいるわけではない。風邪で休んでいてくれた方がよっぽど救いがある言葉な気がする。
しかし、これは現実だ。
すずかがどういう状態なのか尋ねると、ファリンは言葉を一瞬詰まらせ、
『昨日から、部屋に閉じこもったまま出てきません』
頭が痛くなる様な現状だった。
果たして、その原因は何なのか。どういう原因ですずかが引きこもっているのか―――それを考えるなんて逃避はしない。
虎太郎はファリンに何かあったら言えと一言伝え、電話を切った。
「わかってはいたんだけどな……」
言い訳はしない。だが、こうなるとはわかっていた。いや、正確に言うのなら、こうなるとわかっていた【程度】で済んで欲しかった。
彼の手の中には出席簿があり、そこに書かれているなのはの名前を見る。
高町なのは。
わかっていた。
初めからわかっていた。

高町なのはが普通ではない事など、とっくにわかっていた。

長年教師を続けたいたおかげか、言い様のない奇妙な感覚を感じる時はある。刑事の勘ならぬ教師の勘というものだ。科学的に証明する事は出来ないし、する気もない。ただ、この感覚は決して嘘になる事は無いと言う事は承知している。
だというに、止められなかった。
自身の間抜けさに自分自身を殴り飛ばしたいという衝動にかられる。しかし、自分を幾ら痛めつけても結果は良くはならない。
「言い訳すら出来ないな」
昨日、屋上ですずかと話した時を思い出す。あの時の自分の言葉は決して嘘ではない。心の底から思った事をすずかに伝え、すずかとなのはの問題という事で助言をしたつもりだった。だが、たった二人だけの問題などという認識すら甘かった。
今日一日、虎太郎はなのはを、聞こえは悪いが観察していた。そして常に思っていた疑問が決して間違いではない事を確信した。高町なのはという少女は【空っぽ】だと言う事に。【空っぽ】でありながら、その中には言い様のない巨大な何かが潜んでいると言う事を。
それを放っておいてはいけないと心が、己自身が叫ぶ。
放っておけば取り返しのつかない結果が待っている。
だが、それは既に遅い。
取り返しのつかない事は既に起こっている。
二人の間にどういうやり取りがあったかはわからないが、すずかが引きこもり、なのはが平然とクラスにいる状態が既に異常だ。
虎太郎の眼から見てもなのはは優等生だ。勉強の面から見てではなく、性格の面から見ての話だが。
誰にも優しい。
誰にも優しすぎる。
誰とも争わない。
誰とも争えない。
そんな子供なんて普通にいるだろう。だが、普通じゃない部分が大きい。
何時も笑顔―――ただし、何処か作り物めいている。
何時も優しい―――ただし、何処か達観している。
良い子というカテゴリに当てはめるには些か納得がいかない性質を持っている。それがどれだけ巨大かはわからないが、虎太郎の読みは全てにおいて的中していた。
虎太郎とて全知全能の完璧超人ではない。だが、長年の教師としての経験と、普通ではない経験の積み重ねによって答えにたどり着く事は出来た。
想像という答えは最悪。
そして、その最悪の答えは全てが的中している。
それ故に、あまりにも遅すぎる行動を開始した。
まず一つ。
他の教師になのはの事を尋ねる。
結果、誰もが同じ回答。
なのはという少女は誰の眼から見ても、教師の眼から見ても成績以外は良い生徒という印象だった。
二つ目。
なのはの両親について調べた。
調べると言っても学校にある生徒の情報から調べただけなのだが、ある程度の情報はわかった。
なのはは九年前に海鳴にて誕生。それ以降、街の外に出る事はなく、ずっと海鳴で育ってきた。彼女の両親には高町士郎という父親と母親である高町桃子がおり、歳の離れた兄弟が二人いる。名前は兄の恭也と姉の美由希。兄が大学生で姉は高校生。
両親は喫茶店を経営しており、名前は翠屋というらしい。
その情報は全ての教師は知っていた。校長も教頭も同じ、そして三年間なのはの担任をしてきた霙も同様だった。
だが、虎太郎はある事に気づいた。
これは生徒も教師も同様の答え。
質問は一つ。
「高町の両親はどういう人なんですか?」
という質問に皆がこう答える。
「良い人らしいですよ」
なんの変哲もない返答だった。
しかし、だ。
生徒にも同じ様な質問をする。
「高町の両親はどういう人なんだ?」
生徒達も平然と答える。
「良い人なんだって」
これも何の変哲もない返答。
「…………良い人、か」
誰もが良い人だと答える。
誰もが知る良い人という情報。
それが最初の引っかかりだった。
普通は疑問にも思わないだろう。虎太郎とて最初はそう思っていた。しかし、この質問をしていくうちに、彼は間違って違う学年の生徒に質問したのだ。
同じ様に、
「高町の両親ってどういう人なんだ?」
言ってしまってすぐに気付いた。
虎太郎が質問した生徒は数日前にこの学校に転校してきた少女だった。名前は覚えていないが、確かにダンチェッカーという性を持っていたはずだ。そのダンチェッカーという生徒は平然と答えた。
「良い人らしいです」
気づいた。
言い様のない違和感が、漸く明確な答えとして姿を見せた。
誰もが皆、同じ事を言うのだ。
生徒も教師も、誰もが高町なのはの両親を良い人だと言っている。
しかし、



誰もが【知っている】が、誰もが【見た事はない】のだ。



それも転校してきて数日の学年すら違う生徒ですら、同じ答えを示す。その後、虎太郎は高町なのはという生徒を知っているかと尋ねると、生徒は知らないと首を振る。
違和感はこうしてどうしようもない程の何かを生み出す。
誰もが高町なのはを知っている。しかし両親は知っている。しかし、両親を【見た事はない】という。
あまりにもおかしい。
もう一度資料を見直すが、おかしい個所は見当たらない―――と、思っていた時、見つけた。
文面には残ってはいないが、なのはが入学した時に撮った写真があった。その日に入学した生徒全員が写っている写真には生徒の両親も一緒に写っている。その中になのはの両親らしい人物が写っていた。
なのはに似ている母親と父親。
その写真を持って今度はなのはの両親を知っていると答えた教師に尋ねる。
この写真に写っている二人を知っているか、と。
すると、
「この人は……えっと……誰だっけかな。すみません、わかりません」
知らない、わからないと答えた。
矛盾しているのだ。
高町なのはの両親が【良い人だと言う事は知っている】が【その姿を知っている者は誰もいない】という矛盾。
「どうして、誰もこれに気づかない?」
こんな事は気づいて当たり前だ。
学校で在る限り、家庭訪問という行事があるし、授業参観や親を学校に呼ぶ行事なんて山ほどある。当然、誰もがそれに来るというわけではないが、資料としてこうして残っているにも拘らず、誰も【知ってるが見た事がない】という状態は明らかにおかしい。
「おかしいおかしいとは思っていたが、これはおかしすぎる」
高町なのは。
ただの生徒ではなく、何かを抱えた生徒。
しかし、その認識すら甘かった。
高町なのはという生徒は内だけではなく、外にすら何かを持っている。
そもそも、おかしいのだ。

「あんな生徒がいて、誰もそのおかしさに気づかないわけがない」

誰もが虎太郎と同じと言うわけではない。教師でありながら教師としての行為を放棄する者だっているだろう。だが、例えそんな人間がいたとしても、なのはという人間の異常性に気づかないわけがないのだ。
気づけば、虎太郎は二本目の煙草を吸っていた。
吸わなければ頭が回らないというわけではないが、吸わなければ苛々するのも事実。しかし、今はその煙草の味すら不味く感じている。
誰も気づかない。
誰も知らない。
誰も疑問にすら思わない。
「―――――いや、違う」
気づかないのではない―――気づかせない。
知らないのではない―――知らせない。
疑問に思わないではない―――思わせない。
そう、まるで何者かが高町なのはという少女を周りに【認識できないように】にしている様な状態なのだ。
何者かが誰かはわからないが、的外れという事はないだろう。
だが、理由はなんだ。
こんな事をする理由があるのだろうか。
そもそも、こんな事をして誰が得をするというのだろうか。
「…………俺が調べられるのは、この辺までだな」
虎太郎は携帯で月村忍に電話をする。
『―――――はい、私です』
「あぁ、俺だ。虎太郎だ」
『先生……』
忍の声には覇気がない。恐らく、すずかの事で気に病んでいるのだろう。最初に会った時からそうだが、家族の事に対して色々と気を使う性格らしい。
「こんな時に悪いが……お前に頼みたい事がある」
『…………それは、今じゃないと駄目ですか?』
「今じゃないと駄目だ。というより、今を逃せばとんでもない事になるかもしれない」
何かが起きるという確証はない。だが、何かが起きる前に、既に何かが起こっていた。その原因がなのなにあり、
「それにこれは、月村の為になるかもしれん」
『すずかの、ですか?』
「確証はない。だが、それが何かわかれば月村の事に関しても何らかの解決になるかもしれない」
『――――――何を、調べれば良いんですか?』
心の中で一言詫びを入れ、
「高町なのはの両親について調べて欲しい」
『高町なのは、ですか……えっと、それって確かすずかの友達の』
疑問に思うのは当然だろう。だから虎太郎は先程自身が調べた事、それについて感じた明らか過ぎる不審な点を伝える。すると、忍の方もそれがどれだけおかしな事だという事に気づいたのだろう。
『それは確かに……えぇ、わかりました。こちらの方でも調べてみます。調べてはみますが……本当に、すずかの為になるんでしょうか?』
「わからん。結局は俺の取り越し苦労で、何にもならないかもしれない」
『なら―――――』
「だが、そうだと言って何もしない事にはならない。気づいたのに行動しなかった俺に非があるし、月村がそんな状態になったのも俺が一枚噛んでいるのも事実だ……罪滅ぼしの為に動くわけじゃないが、動かなければ俺は俺を許せないと同時に、申し訳が立たない」
すずかにも。
ネコマタにも。
そしてこの学校にいる生徒や教師たちにもだ。
「俺は教師だ。教師が生徒の為に何もしないなんて事は出来ない。そんな教師は既に教師じゃない……」
嘘偽りの無い言葉。
「俺はまだ、教師と名乗り続けたいからな……その為に、お前の力が必要だ」
『…………』
勝手な願いだとはわかっている。
それでも力が必要だった。
人間、人妖一人の力ではどうにも出来ない事かもしれない。現状で既に詰まっている様な状態なのだ。これ以上先に進むにはどうしても誰かの力が必要になる。
『…………私も、です』
電話の向こうから、忍は言う。
『私も、先生には……先生には先生といて欲しいです。すずかの担任として、私とすずかを救ってくれた加藤虎太郎先生として居て欲しいんです』
「…………」
『アナタだからすずかを託せます。あの子の最初の担任がアナタだから託せるんです。それがすずかの為でもあり、私の為でもあります……アナタが居なかったら、あの子はこうして悲しまなかったけど、アナタがいたからこうして悲しめます』
「すまないな」
『ふふ、違いますよ、先生』
忍は言う。
『そういう時は、すまないなんて言わないんですよ』
「―――――あぁ、そうだったな」
虎太郎は微笑みながら、

「頼んだぞ」

と言った。




電話を切り、忍はすずかの部屋のドアを見つめる。
昨日の晩から、学校から帰ってきてからすずかは一度も外に出てこない。
帰宅したすずかの忍は何時もの同じ様に「おかえり」と口にした。普段ならすぐに「ただいま」という言葉が返ってくるはずだった。だが、言葉は返ってこない。どうしたのかと見てみれば、すずかの瞳には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
尋ねても、すずかは答えない。答えず自分の部屋に逃げるように走っていき、それから一度も出てこない。
何度もドアを叩いても入れてくれない。何があったのか尋ねても同じ様に返答は無し。それでも何とか話を聞こうとしても帰ってくるのは無言―――そして、嗚咽。
何があったのかわからない。ただ、大事な妹が泣いているという現実を前に、頭の隅に追いやっていた過去が怒涛の勢いで息を吹き返す。
まるで、あの時と同じだと思った。
三年前、すずかが血だらけになって帰って来た日。
それよりも昔、自分が裏切られた日。
その記憶が勝手に蘇り、身体を震わせる。
原因は何なのだ、誰のせいでああなった、などという怒りが込み上げてくるが、同時にあの時の自分とは違う事を忍は認識している。
あの時は逃げた。
言葉を交わす事から逃げ、相手の意思を知る事から逃げた。
だが、今は違う。
忍は粘った。
すずかの部屋の前で、何度も何度もドアを叩き、すずかに声をかけ続けた。
ずっと、ずっと。
取り返しのつかない事になるなんて事が嫌だから、こうして声をかけ続ける。そんな時の虎太郎からの電話。
虎太郎は高町なのはの事、その両親の事を調べて欲しいと忍に頼んできた。それがすずかの為になる可能性もあるとも言っていた。
なら、これがその原因なのかもしれない。
すずかが何時も楽しそうに語ってくれた初めての友達の事。三年間の悲しみを振り切り、今を見ながら生きている様に語ってくる内容を聞いて忍も心の底から嬉しいと思っていた。だが、それがこうして否定された。
いや、まだ否定されたわけじゃない。
否定されてすらいない。
まだ何とかなる。
なるに決まってる。
「―――――すずか、聞こえる?」
だから、こうして妹に声をかける。
「出てきたくなかったら、出てこなくてもいいわ」
ドアの向こうからは何の返答もない。
「でもね、これだけはわかって……私は、すずかの味方だから。どんな事があってもアナタを見捨てたりしない。昔の様に、アナタの全てから目をそらしたりしない、絶対に」
自分に言い聞かせる様に、言葉を紡ぐ。
「出てきたくなったら何時でも出てきていいわ。出てきても、無理に話してくれなくてもいい――――でも、これだけは忘れないで」
電話を握り締め、

「アナタは一人じゃない」

最愛の家族に向けて、
「どんな事があってもアナタを一人にはしないわ。私だけじゃない。ノエルも、ファリンも……虎太郎先生だってそう」
そして、すずかの大切なもう一人の友達だってそうだ。
「アナタを一人にさせない為に私達がいるの。だから、絶対にあの頃みたいに何もかもを諦める様な事をしないで。そして、諦めたフリをする事もしないで……」
絶対に味方で在り続けると心に決める。
「言いたい事があったら何でも言ってくれていい。愚痴でも不満でも何でもいい。私達はアナタと話がしたいの。アナタの事を知りたいの。アナタが何に苦しみ、悲しんでいるのか知りたいから……知らなくちゃ、いけないから」
知りたい。大切な家族の一人なのだから。
「じゃないとさ……お姉ちゃんとして情けないじゃない?自分の妹一人も守れない癖に、この街だけは守れるなんて、情けないからさ」
街を守る事は月村の使命だが、大事な妹を守るのは忍の願い。
返答はない―――だが、構わない。
「言いたい事はそれだけ……それだけ、だから」
ドアから離れ、自室に向かって歩き出す。
しかし、その足はすぐに止まる。
背後でドアが開く音。
振り返ると、そこには泣き腫らした眼をしたすずかが立っていた。
「すずか……」
「…………」
昨日の服のまま、学校指定の制服はシワだらけになっていた。スカートを何度も握り締めたのだろう。何度も涙に濡らしたのだろう。それでもそれが汚いとは思わない。
すずかはゆっくりと忍に歩み寄り、何も言わずに抱きついた。
まだ、泣いている。
涙が枯れないから、泣いてる。
忍はすずかを優しく抱きしめ、
「――――大丈夫。大丈夫だから……」
泣いている妹には優しい言葉を。
そしてコレを行った【謎】には最大級の敵意を。
海鳴の街に住まう者はこうして動き出す。
教師が動き、友が動き、姉が動く。
たった一つの小さな絆の為に、誰しもが動く事に疑問すら抱かず、動き出す。
そして、すずかは小さな声で語りだす。
自分と友達の間に何があったのかを語りだし、それによって忍は虎太郎からの依頼がどういう意味を成すのかを理解する。同時に、その依頼がすずかとアリサの間に起こった現象にも関係あるのではないかと思うのだった。



こうして人は、【魔女】の存在に気づきだす。




「あの、加藤先生。今から行くんですか?」
霙は不安そうな顔で前を歩く虎太郎に尋ねる。
「すみませんね、どうしても気になる事があって……」
虎太郎と霙は人気のない夜道を歩いていた。周りは夜の時間を楽しむ住宅の光が灯り、カーテンには楽しそうな家族の姿が影絵の様に浮き上がる。
そんな光景を見ながら二人は向かっている場所は、翠屋と呼ばれる喫茶店。
「ですが、帝先生。なにもアナタが来なくても俺一人で良かったんですよ?」
「そういうわけにはいきません。聞きましたよ、前に月村さんのご自宅に行った時、不法侵入が可愛く思える程の事をしたって!!」
「あれは家庭訪問です」
「どこの世界に家庭訪問で家の中を半壊させる教師がいますか!?」
此処にいるだろう、とは言わない。これでも一応は空気を読むほうだと自負している。だが、正直な事を言えば霙がいてくれた方が助かるというのが本音だ。
なにせ、彼女はなのはの両親に【会った事がある】のだ。
伊達に三年も担任を務めていたわけではないのだろう、虎太郎がなのはの自宅と翠屋の場所を尋ねるとすぐに教えてくれた。もっとも、彼女が着いてくると言ったのには少しだけ困惑した。
何も無ければ問題はない。だが、何かあった時に霙に危害が及ばないとも言えない。
「それにしても加藤先生。気になる事って何なんですか?」
「……まぁ、ちょっとした事ですよ」
「そのちょっとした事が気になるんですけど」
果たして言っていいものかどうか迷う。霙がなのはの異常性に気づいているかどうかはわからない。だが、気づいていないのなら、それを気づかせない様にした何者かがいるはずだ。
その何者かに気づかれる可能性の捨てきれない―――もしくは、既に気づかれている可能性すらあるだろう。
「気になるだけですよ、単にね」
「むぅ、加藤先生ってそういう所は誤魔化しますよね?というか、副担任である私に何の相談も無しに色々と事を進めるのは如何な物かと思いますよ」
不貞腐れる様に言う霙に、虎太郎は笑うしかない。当然、苦笑の方だ。
月村邸への家庭訪問の時もそうだが、虎太郎は基本的に誰にも相談せずに色々と事を成していた。有名なのが月村邸突撃家庭訪問だが、それ以外にも色々とやらかしているというのが実態である。その辺の事を虎太郎は全く相談なしに行う為、後になって知った霙としては溜まったものではないのだろう。
それ故、今回の行動には自分もついて行くと言って聞かないのだ。
「いい加減、話してくれませんか?」
「……後で話しますよ」
すると、霙は虎太郎の手を掴み、強引に引きとめる。
「私だって!!」
目と鼻の先、という言葉を体現するように、虎太郎の顔にグッと自分の顔を近づける霙に、流石の虎太郎も一瞬焦る。
「私だって……高町さんの、なのはさんの担任なんですよ?」
しかし、その眼にあるモノが本物の意思である事を知った今、平常心よりも先に安心感が生まれる。
「大事な生徒の為に動く事は私だって賛成です。でも、加藤先生一人の生徒じゃないんです。私の生徒でもあるんです」
「それも……そうですね」
「そうなんです!!大体、加藤先生は勝手なんですよ!!生徒の事も、授業の事も、私の一言の相談も無しに勝手に決めて、勝手に進んじゃうし―――言っておきますけど、教師歴は加藤先生の方が長くても、この学校では私が先輩なんですからね!?」
子供みたいな主張をする霙に、吹き出しそうになるが堪える。結果、なんとも言えない奇妙な顔になってしまったが故に霙は不信感を前のめりにした顔をする。
「なんですか、その顔は?」
「いえ、なんでもないです」
「嘘ですね……うぅ、もうっ!!こうなったら言わせてもらいますけどね、加藤先生が何か起こす度に教頭にグチグチ文句を言われるのは私なんですよ?そのせいで私がどれだけ苦しい目にあっているか、加藤先生は知るべきなんです!!」
その後、目的地に着くまで霙の虎太郎への文句というか愚痴が次々と雨霰の様に降り注ぐ事になるだが、長いのでかつあいするとしよう。
そして、目的地が近くなると、霙は思い出す様に周囲を見回す。
「えっと……この辺だと思うんですけど」
念の為、周囲の変な気配が無いかを探る。
周囲に誰も無い。
「誰もいない?」
それは変だ。
住宅街であるにも拘らず、誰の気配もしない。誰かが住んでいるであろう家は沢山あるにも拘らず、人の気配がまるでない。気づけば、人の声も気配もなければ、家には明かりも灯っていない。
「奇妙というか……おかしすぎる」
「え、どうかしました?」
霙はその異常さに気づいていないのか、首を傾げている。
「帝先生。この辺りは前からこんな感じなんですか?」
「こんな感じと言われましても……別に変ってませんよ」
霙の眼にはそう写るのだろう。
「聞き方を変えます――――この辺りは、前からこんなゴーストタウンになってるんですか?」
虎太郎の言葉に、流石の霙も気づいたのだろう。
明りの無い家。
人の気配の無い家。
周囲には街灯の光はあっても人の光は一つもありはしない。
明りが灯っているにも拘らず、薄暗い世界が其処にある。
「どうして、こんな……」
「俺から離れないでください」
霙を守る様に前に立ち、周囲の気配を探る。
何もいない。
敵もいなければ、味方もいない。
物音すらしない。
「――――――」
嫌な感じがする。
無音状態が鼓膜を刺激し、脳内に奇妙な刺激を生み出す。

心なしか、空気の匂いすら変わっている気がする。

「――――――ッ!?」
いや、違う。
気のせいではない。
匂うのだ。
言い様の無い、不快な匂いが鼻を刺激している。
甘ったるく、どす黒い感覚が脳内になだれ込み、思考を狂わせようと必死に何かを囁きかける。
暗示の一種か、幻術かはわからないが、こういった呪術が存在する事は知っている。伊達に鴉天狗や神に近い存在の近くにいたわけじゃない。こういうモノへの対処法すら心得ている。
心を沈め、大きく息を吸い込む。
匂いを身体に取り込むのは傍から見れば間違っている様に見えるが、取り込む事によってこれが如何に害悪のある存在なのかを身体に知らしめる。その後に呪文の様な言霊を紡ぐ。無論、虎太郎に妖怪の使う妖術など使えはしない。
これは暗示の一種だと教わっている。
人間でありながら妖怪の幻術に抗う為の方法。
「あの、加藤先生?」
虎太郎の奇妙な行動に霙は困惑するが、今は構ってはいられない。霙はこの空気、匂いに気づいていない様子を見るからに、この幻術の対象は虎太郎一人に向けられている。
「………………よし、行きましょう」
完全ではないが、ある程度の耐性を作り、虎太郎は霙の手を引いて歩き出す。目的地はすぐ近く、視界にもしっかりと捉えた。
翠屋と書かれた建物があった。
否、それは最早建物とは言えない状態だった。



翠屋は――――廃屋となっていた。






結局、今日一日まったく作業は進まなかった。
本来なら今日で作業は終わり、この時間で作業終了の連絡をいれ、撤退する予定だった。そんな予定を狂わせたのは自分であり誰かを責める事は出来ない。
「工期が遅れて、どやされるも俺の責任か」
もっとも所長はきっと自分を責めはしないだろうが、工期をきっちり守れないのは自分が原因だ。会社に戻ったら素直に頭を下げるつもりだった
男は道具を仕舞い、学校から出ようとした。
その途中、
「あら、こんな時間までお仕事ですか?」
眼鏡をかけた女教師。確か、先日男が隠れて煙草を吸っていた場所に貼紙を張っていた女性だ。
「確か……教頭先生でしたか?」
教頭は頷き、
「こんな時間までお仕事とは御苦労さまです」
男を労う言葉をかける。
「いえ、予定では今日で終わるはずだったんですがね……どうも作業が進まなくて、この様ですよ」
「あぁ、そういえば予定では今日で終わりでしたね。ですが、一応遅れの事も考えてあと三日はあったはずですから、あまりお気になさらず」
「そう言っても貰えると助かりますよ。それにしても、教頭も大変そうな仕事ですな。こんな時間まで学校に残っているなんて」
時計の針はもう八時を回っている。校内には人の気配は殆どなく、いるのは男と教頭の二人だけだった。
「校内の見回りをしておりました」
「見回り?そういうのは警備員の仕事では?」
「警備員の仕事は九時からですので、それまでは私が見回りをしているんですよ。まぁ、こんな時間まで校内に残っている生徒なんていないのですがね」
苦笑する教頭だが、男は素直に驚いていた。
「ほぅ、随分と仕事熱心だ。私も教頭みたいに仕事熱心になりたいものですよ」
社交辞令で言ったわけではないが、どこか嘘臭く感じるのは気のせいではないだろう。男自身、そう思っているからだ。
「別に仕事熱心というわけではありませんよ」
教頭はポツリと言った。
「幾ら熱心に教師という仕事をしたからといって、それが功を成す事なんてないのですから」
「そうでしょうかね?私から見れば、教師という仕事は生徒の為に働き、生徒の功を成す仕事だと思ってましたが……」
だが、返って来たのは否定的な言葉だった。
「生徒の為というのは嘘ですよ。誰だって、自分の為にしているんですよ。アナタは、誰かに感謝されたくてその仕事をなさってるんですか?」
「…………いえ、違いますね。確かに仕事を終えた後に感謝されるのは嫌ではないですが、これは自分が飯を食う為にしている事にすぎない。とてもじゃないが、誰かの為とは言えませんな」
「それと同じです。教師だから生徒の為に何もかもをするなんて事はあり得ませんよ……少なくとも、私はそう思っています」
なら、どうしてこんな時間まで校内の見回りなどしているのか、そういう疑問が浮かんできたが口にはしなかった。それよりも先に教頭が口を開いたからだ。

「私達教師は……生徒の為に何もかもを成してはいけないのですから」

「…………」
教頭は真っ暗になった学校を見据える。
「アナタは、この学校をどう思います?」
「どうと仰られても……そうですね、良い学校だとは思いますよ。この学校の生徒は私みたいな者にも普通に話しかけてくれますし、そんな生徒達を見てると良い子ばかりだとも思います」
中には、異常性を秘めた者もいるが、それはほんの一握りだろう―――そう考え、不意に自己嫌悪に陥る。
これではまるで、なのは一人を別存在とみている様ではないか。
この学校の教師の前で、自分は何を考えているのだろうか。
「そうですね。良い子ばかりです。ですが、誰だって子供のままではいられません。此処では良い子だって生徒だって時が経てば変わります。純粋な子が数年後には犯罪者になり、勉強が得意だって子は勉強のせいで自殺する。運動が得意な子はこの街では一番に慣れても外では一番になれない。それどころか、出る事すら出来ないと絶望する」
今はそうでも未来はわからない。
「私は思うんですよ。教師なんて仕事は、決して誉められる仕事ではない……いいえ、むしろ【誉められてはいけない仕事】なのかもしれないと」
「…………」
「―――――最近、この学校に新しい先生が来ました。その先生はこの街の外から来た先生なのですが、毎度毎度問題を起こす困った先生でしてね」
ふと、男は教頭の表情に気づいた。
「本当に困った教師なんですよ。暴れん坊な生徒よりも暴れん坊で、生徒よりも困った教師なんですよ、その人は」
口ではこれだけ言いながらも、
「まったく、あの人が来てから私の苦労は日に日に増すばかり……」
「教頭は、その先生の事が羨ましいんですか?」
「え?」
「いやね、その口では面倒だどうとか言いながらも、その先生の事を口にしている教頭の顔は……笑ってらしたもので」
男の指摘に、教頭は自分の顔を触る。
「笑って、ましたか?」
「えぇ、それはもう楽しそうに」
「そう、なんですか……」
どこか釈然としていない、だが不快ではないという顔をする教頭。
「そうかも、しれませんね。えぇ、きっと私はあの先生の事が羨ましいのでしょうね。自分の意思を曲げない。自分の信じた教育を貫き通す姿は、私から見れば理想と思える教師の姿でしょう」
ですが、と教頭は言葉を区切る。
「――――だからこそ、私はあの先生とは決して相容れない教師なのかもしれません」
その顔に辛いという表情はない。
あるのは教頭自身が口にした、己の意思を曲げない、己の信じた教育を貫き通すという、誰かも知らない教師と同じに見えたからだ。
「あぁ、なるほど」
男はわざとらしく口にした。
「何がなるほど、なんですか?」
「いえね、きっと教頭は気づいてないんでしょうけど……多分、それはあれですよ、きっと」
それはきっと、自分に似ているからこそ受け入れられない。

悪い意味ではなく、良い意味での同族嫌悪という想い。

「いつか、わかり合えるかもしれませんね」
「……どうでしょうね」
自然と二人は笑い合う。
笑い合えるからこそ、希望は持てる。
あぁ、きっと大丈夫だと。
こういう教師がまだいるなら、きっと希望は持てると。
「それでは、私はこれで……」
「えぇ、それでは明日もよろしくお願いしますね」
「はい、わかりました。明日には作業を終わらせ、報告書を出させてもらいますよ」
こうして男の一日は終わる。
恐らく、明日はきっと仕事は進むだろう。
心の錘が、少しだけ軽くなった感じがしたからだ。





かつて、翠屋と呼ばれていた場所は――――消えていた。
建物自体はあっても、中はもう何年も使われてないと思える程に汚れていた。
扉は錆びた金具のせいでギギギという音を立て、中に入れば床板が何枚か割れ、地面が見えていた。
ケーキやお菓子が並べられていたである場所はヒビ割れたガラスが散乱し、酷い有様となっていた。
沢山のテーブルの上には埃が溜まり、カウンターの前に並べられた椅子の幾つかは脚が折れて使い物にならない状態になっていた。
廃屋と言っても支障がないほどの朽ち果てた姿に、虎太郎も言葉を発しない。
「これ、は……」
ようやく言葉を紡いだのは霙。
手を口に当て、店の荒れ様に驚愕していた。
「どうして?どうして、こんな……」
店内を見渡した虎太郎は中の荒れ様から三年近くは放置されていた状態だと推測する。
「…………」
人の入った形跡はない。完全に誰からも忘れられた跡という様子に言い様のない嫌悪感を覚える。
忘れられたのか、忘れさせられたかはわからない。しかし、それを行った誰かは確実に居る事だけは確かだ。
それを知っているからこそ――――反応できた。
「―――――ッ!!」
反射的に虎太郎は霙を抱きかかえ、跳んだ。
それと同時に真下から、床下から巨大な腕が轟音を響かせながら出て来た。
「な、何ですかッ!?」
霙の悲鳴にも似た叫びに答えている暇はない。跳んだ瞬間、着地点からさらに別の腕が飛び出る。虎太郎は舌打ちしながら飛び出してきた腕を蹴りつけ、その勢いでカウンターの上に着地する。
「…………どうやら、当たりを引いたらしいな」

床下から現れたのは人間―――人間の形をした岩の化物だった。

まるで西洋の物語に出てくるようなそれは、ゴーレムと呼ぶに相応しい姿をしていた。
大きさは軽く二メートルに届き、身体の大きさは虎太郎の三倍はあるだろう。
そして、その数は全部で四体。
顔は岩で出来ているせいか形はなく、それぞれは様々な形をしていた。素材が同じ場所の物を使ったのだろう、色は全て同色。それに加え、身体の一か所、腰の辺りにだけ、どの土地でも、この世界に存在しないかのような丸い球体を埋め込んでいる。色は赤く、宝石の様にも見えるが、あんな毒々しい程に赤い宝石など見た事がない。
赤い宝石が鈍い光を放つと同時に、ゴーレムが動く。
その巨体に不釣り合いな程に正確で素早い動きに驚きながらも、見えない程に早いわけではない。霙を抱えたまま、窓から外に向かって飛び出す。
狭い室内で戦うのは構わないが、霙が居る状態ではそれは叶わない。
外に飛び出し、霙を腕から解放する。
「帝先生。すみませんが、ここから走って逃げれますか?」
「え、あ、はい……って、じゃなくて、加藤先生はどうするんですか!?」
「アレをどうにかしますよ」
「どうにかするって―――無理ですよ、無理!!あんな化物と戦ったら加藤先生が死んじゃいますよ!?」
心配してくれるのは有難いが、虎太郎とて負けるつもりも殺されるつもりもない。
「大丈夫ですよ。それよりも、帝先生が此処に居る方が俺にとっては問題なんです。とにかく、ここから走って人の多い場所に出てください。そうすれば、アイツ等だって追ってこないはずです」
もっとも、翠屋の壁を突き破って現れる四体の内、一体とて霙に追いつかせるつもりはない。
「――――行けッ!!」
虎太郎の声に、霙は一瞬躊躇しながらも、すぐに走り出す。その後を追う様にゴーレムの一体が脚を上げ、前に進む―――が、その脚が地面を踏むより先に、ゴーレムの身体は虎太郎の拳によって地面を踏む事なく天に向かって飛ばされた。
「行かせんよ、一体とて……」
戦闘を開始の合図は、天から地に落ちたゴーレムの落下音によってゴングとなる。
地を蹴り、一瞬で虎太郎はゴーレムの巨体に肉薄する。
零距離、拳を身体に備え、打ち出す。
ゴーレムの身体が吹き飛び、地面に転がる。
一体目を吹き飛ばし、二体目へと襲いかかる。
ゴーレムの巨椀が襲いかかる―――だが、見えている。反対にゴーレムには見えていない。それほどの速度で虎太郎はゴーレムの背後に移動し、拳をゴーレムの頭に叩きこむ。
「―――――ムッ!?」
その一撃は本来ならゴーレムの頭を砕くだろう。だが、砕くどころか虎太郎の拳はゴーレムの頑丈な肉体に弾かれる様に大きく後ろに反れる。無論、ゴーレムとて無傷ではない。頭に亀裂を作りながら体勢を崩し、その場に倒れ込む。
「堅い……というわけじゃないな」
相手の強度はわかった。その強度よりも自分の拳の方が堅いというのもわかった。だが、普段ならあの程度堅さなど一撃で粉砕できるというのに、今は出来ない。
むしろ、普段よりも力が出ない。
「まさか、あの匂いのせいか?」
あれがどういう性質をもっているかはわからないが、そんな性質をもっている可能性とて零ではない。虎太郎の知る限り、昔に請け負った生徒の一人に相手の心を和やかにする匂いを出す能力を持った人妖がいる。
「同列にするには失礼な話だよ、まったくな!!」
倒せないわけじゃない。
砕けないわけじゃない。
決して相手の力量と強度が虎太郎を上回っているわけじゃない。
ならば、退くも無し。
ならば、前に進むが当然の理。
「破ァ!!」
烈破の一撃にて撃ち込む。
やはり一撃では壊せないが、ダメージはある。
一で駄目なら二を加えるべし。
「フンッ!!」

二で駄目なら三にて決着―――それでも足りなければ、倒れるまで撃ち込むのみ。

「オラッッ!!」
拳の連撃を受け、先に根を上げたのは虎太郎の拳ではなくゴーレムの肉体。頭は割れ、胴体は崩れ、脚は粉砕される。残った赤い宝石に向けて渾身の一撃を加える共にフィニッシュとする。
ゴーレムはそれであっさりと消滅する。
塵は塵に、灰は灰に―――ゴーレムはただの土くれへと帰る。
「――――次!!」
一体撃破と共に即座に二体目へと移る。
確かにゴーレムの強度は高い。しかし、自分の敵ではない。砕けぬなら砕くまで撃ち込むのみ。壊れないのなら壊れるまで破壊するのみ。
虎の拳を前に、木偶の坊の一体や二体―――数に入らず。
もっとも、相手もただでやられているわけではなかった。最初の一体がやられた瞬間、地面が盛り上がり、そこに新たなゴーレムが出現する。
「ッチ、面倒な」
一体を倒せば、また新しい一体が生まれるというシステム。
「だったら――――速度を上げれば良いさ」
撃破、出現、撃破、出現、撃破、撃破、出現、撃破撃破撃破撃破撃破――――虎太郎の速度とゴーレムの生成速度は同じではない。いつしか、完全に虎太郎の撃破する速度がゴーレムの生成速度を上回った。
仕舞いには、ゴーレムが土の中から出現する前に虎太郎がゴーレムの頭に拳を撃ち込み―――地面ごと粉砕する。
「やれやれ、アクションゲームの次はモグラたたきか…………ふん、大得意だ!!」
打つ、地面。
撃つ、地面。
討つ、地面。
最早完全にモグラたたき状態となった戦場。撃破速度にゴーレムの生成が追いつかなくなったのか、次第に生成速度が遅くなり、
「ラスト!!」
渾身の一撃を地面に叩きこむ。
瞬間、虎太郎を中心とした半径十メートルの地面、コンクリートが宙に舞う。
地面に存在する外敵ごと、地面を粉砕する。
「――――――む、やり過ぎたか……」
虎太郎の言葉通り、その場は完全に荒れ地状態になっていた。コンクリートは砕け、地面はあちらこちらに穴が開き、良く見れば地中を通っていた水道管が破裂して水が吹き出ている現状において、
「まぁ、俺のせいじゃない。あぁ、俺のせいじゃないとも」
これは言い訳にしかならないのである。
「――――――加藤先生!!」
そんな虎太郎を呼ぶ声。
見ると霙が息を切らしながらこちらに向かって走ってきていた。
「はぁ、何で戻ってくるかねぇ」
周囲に敵はいないから問題はないが、まだ新手が来てもおかしくは無い。
「大丈夫ですか!?―――っうわ、なんか凄い事になってますよ!?」
「まぁ、アイツ等が派手に暴れましてね」
ちゃっかりゴーレムのせいにしながら、霙の腕を掴む。
「それよりもさっさと此処から退散しましょう。連中がまた来ないとも限らないんでね」
そう言って霙の手を引いて走り出そうとした瞬間、
「加藤先生!!」
背後に敵意を感じる。
霙を守る様に振り向く。
そこには先程と同じ様にゴーレムがいた。
いや、良く見れば違う。
先程のゴーレムは土から生み出されたという感じだったが、今度のゴーレムは違った。
まず、その身体が土色ではなく透明。街灯の光を吸い込み、反射する様な身体を持っている。さながら水晶で出来たゴーレム、もしくはダイヤモンドゴーレムといったところだろうか。
その大きさも先程よりも小さく、虎太郎とほぼ同じ程度の大きさもっている。
唯一土で出来たゴーレムと同じ所と言えば、胸に赤い宝石があるくらいだろう。
「こいつは、さっきよりも堅そうだな」
そう言いながらも、負ける気は一切ないのだろう。虎太郎の顔には笑みがあり、背後にいる霙に向かって、
「帝先生。とりあえず此処を動かないでください。アナタには指一本触れさせませんから」
構えを取る。
ダイヤモンドゴーレムは動かない。
ならば、こちらから仕掛ける。
地面を掴み、ゴーレムに向かって飛び出す―――――寸前、



サクッという音が、虎太郎の身体から聞こえた。



「――――――――――――紳士ですわね、加藤先生は……」
激痛。
「ですが、紳士であるのなら淑女である私の傍を離れるのは如何なものかと……でも、良いのですよ。離れるのは好都合です。だって、アナタみたいに煙草臭い方は―――反吐が出ますから」
激痛。
「あぁ、臭い臭い。本当に臭いですわ。この世界は本当に臭い。人妖だろうと人間だろうと関係なく、みんな臭い。こんな世界、さっさとゴミ箱に捨て去りたいですわ、ホントに」
激痛は、背中。
「そんなゴミ箱に住む害虫みたいなアナタ達人間が、私の可愛い傀儡に酷い事をするのは、許せませんわね。だから、これはちょっとしたお仕置きです」
激痛は、背中に刺さった、ナイフ。
「痛いですか?あぁ、痛いでしょう。でも、私の方がもっと痛いのですよ。可愛い傀儡達が害虫のアナタに壊されていく姿は、今日の夢に出てきそうな程の悪夢です。ですので、これはお仕置きと同時に二度と私の目の前に姿を現さないで欲しいというお願いです」
ナイフが背中に刺さり、グリッと押し込まれる。
「―――――ッグゥア!!」
あまりの激痛に思わず声が漏れる。
何が起こったのかを理解する前に、虎太郎は背後に居るであろう【何者】かを殴りつける―――だが、手応えはない。まるで霧を殴った様な感触。
「怖い怖い。これだから害虫は困りますわ――――害虫風情が、私に手を上げるなんてやってはいけない行為だと知りなさい」
声は後ろ。
つまりは前から。
振り向けば、
「ねぇ、加藤先生――――いえ、害虫さん。申し訳ありませんが、今すぐに私の目の前、もしくはこの世から消えてくれませんか?」
其処に立っていたのは、
「帝、先生……?」
「いいえ、違いますよ」
其処に立っていたのは帝霙という教師ではなく、






【人妖編・第十話】『人間‐魔女‐』






【魔女】は嗤う。
その手に赤く染まったナイフを持ちながら、嗤う。
滑稽だと嗤う。
愚かだと嗤う。
目の前に立つ、害虫の驚く顔を見てケタケタと嗤う。
「自己紹介は必要ですか?えぇ、必要でしょうね。如何にアナタが害虫であろうとも、私は【エルフ】なのですから」
帝霙は、帝霙を名乗っていた【魔女】の姿が変わる。
レディーススーツは霧の様に霧散し、その下から現れたのは露出度の高い黒いボンテージ。その上に魔法使いが着る様な黒い外装。そして頭にはこれも魔法使いが被る様な大きな黒い帽子。
だが、それ以上に虎太郎の眼を引いたのは彼女の耳だった。
それはまるで、童話に出てくる架空の種族―――エルフの様な長い耳。



「改めまして害虫さん。私、【聖導評議会】の一席を汚させて貰っている者――――名を、スノゥ・エルクレイドルと申します」



スノゥ・エルクレイドルと名乗った【魔女】はそう言って貴族のお嬢様の様な綺麗なおじぎをした。
「聖導評議会だと?」
「知ってます?あははは、知ってるわけないですよね?こんな臭い世界に住まう害虫が知っているわけがありませんわ――――ムカつきますわね」
スノゥは右手をかざすと、手にプラズマの様なモノが集まり、
「無知は罪と知りなさい」
それを射出した。
目の前の覆う様な巨大な閃光に虎太郎は反射的にその場から跳ぶ。
轟音と爆風。
まるで雷が地面に直撃した様な爆音が鼓膜を刺激する。
見ると、虎太郎が立っていた場所には、巨大なクレーターが生まれていた。
「あん、もう……避けないでくださいまし!!」
「お前は――――ッグゥ!」
背中から激痛。
動いた事によって背中から大量の血が溢れ出る。
「避けると傷が開きましてよ?死にたいのなら構いませんが、それは困ります。アナタは私が殺すんです。だから勝手に死なないでくださいな」
「…………お前が、元凶か」
「元凶とは酷い言い方ですわね。でも、正解と言えば正解ですわ」
スノゥは楽しそうに嗤う。その姿は虎太郎が見て来た帝霙という女性とはあまりにもかけ離れていた。
心の中で虎太郎は苦笑する。
どうやら、自分のヤキが回ってきたらしい。まさか、あんな性悪女がすぐ近くに居たのに気づかないとは。
「悪いのは害虫さんですのよ?だって、私がせっかく三年間も隠し続けてきた事に、野次馬根性を丸出しで首を突っ込むから……」
嗤い声が酷く耳障りだ。
「まぁ、私の認識の甘さも原因の一つなのですから、あまり害虫さんを酷く言えないのも事実ですわ。約束の日が近いが故に、そっちの準備に手間取って隠蔽の方を蔑にした私にも問題はあります……ですから、こうして私が直接害虫さんに手を下して差し上げた次第ですのよ」
「害虫害虫と、人間扱いはしてくれないのか?」
「人間は皆が害虫です。どの世界でも人間なんて消えて無くなるべきだと思いませんか?【英雄の末裔】も同様に、人間も消えるべきなのです」
「ふん、とんだ聖職者もいたもんだ……」
「聖職者とは侮辱ですわ。私、エル・アギアスの様な神を信じる愚か者も嫌いですし、この世界の神を信じる者も嫌いです。そうですね、害虫さんが我らが王を崇めるというのなら特別に害虫から虫くらいにしてランクアップさせてもよろしくてよ?」
「お断りだ」
視界がクラクラする。
おかしい、背中を刺されるのは確かに重傷だが、視界がこんな状態になるのが早すぎる。
「お辛そうですね」
「いや、ちっとも辛くないね――――それよりも、何故こんな事をした」
「そう言われて、素直に答えるとお思いですか?」
「いや、思ってはいないさ……だから、答えてもらうさ!!」
痛みを忘れろ。
一撃で全てを終わらせる覚悟を決めろ。
スノゥの先程の魔法の様な力は確かに協力だが、己の脚でなら一瞬で間合いに入れる。
拳を固め、石化する。
そして一気に加速し―――――目の前に、ダイヤモンドゴーレムの姿を認識する。
「――――――ッ!?」
ダイヤモンドゴーレムは虎太郎の一撃を身体で受け止める。だが、先程までのゴーレムと違ってその身体にはヒビの一つも入らない。むしろ、虎太郎の拳の方が砕ける様な激痛を感じた。
「確かに害虫さんの手は石の様に堅いようですが……まさか、ダイヤモンドすら砕く、なんて事はないですわよね?」
クスクスと嗤うスノゥ。
ダイヤモンドゴーレムの腕が虎太郎の腕を掴み上げ―――バキッと鈍い音を響かせた。
「――――ガァッ!?」
石化した腕を砕いた。
「知ってます?ダイヤモンドはこの世界では一番堅いらしいんですよ。だから、たかが石ころになる腕なんて、その通りです」
ゴーレムの腕が唸り、虎太郎の身体に拳を撃ち込む。ダイヤモンドの強度を持った拳が突き刺さり、その痛みを感じる暇もなく頭部を撃ち抜くダイヤモンドの脚。
視界が歪み、意識が堕ちそうになる。しかし、堕ちそうになる意識は背中の刺し傷が無理矢理に繋ぎ止める。
「あらあら、ボロボロですわね」
背中の傷は未だに止まらない。
片腕は折られて使い物にならない。
腹は空腹。
そして先程の一撃で身体に力が入らない。
状況的に確実にこちらが不利だった。
「それでは、私はこれから明日の夜の準備がありますので――――死んでくださいまし」
ダイヤモンドゴーレムが虎太郎の身体を翠屋に向けて放り投げる。
周囲の空気が淀む。
スノゥの上げた右手にプラズマが生み出され、それに呼応するように空に怪しい渦を持った雲が生み出される。
星が出るほど晴れ渡っているというのに、翠屋上空にだけ雲が出現した。
「特別に私のとっておきにて御退場を願いましょう……」
スノゥ・エルクレイドルは紡ぐ。

「――――雷王ガレドゥム……我が望むは天の意志による天の鉄槌、天の煮えたぎる怒り、天の荘厳たる奇跡なり……」

雲は光を放ち、雷雲へと姿を変える。

「我が敵を殲滅する為、貴公が武器――――雷槍グラルを与えたまえ……」

天の咆哮。
激しい光と共に雷が地上に向かって堕ちてくる。
しかし、落雷は翠屋に堕ちる事なく、スノゥの手元に――――巨大な雷の槍を創造する。
それはとある世界において封印指定を受ける程の大魔法。
無論、海鳴はその世界とは異なる世界が故にその威力は半減する。
だが、それは些細な問題だ。
問題なのは【威力が半減しても殲滅魔法】であるという事なのだ。
巨大な雷の槍を持ち、スノゥは嗤う。



「さようなら、害虫さん。私、初めて見た時から害虫さんが大っ嫌いでした」



槍を振りかぶり、虎太郎の居る翠屋へ向けて射出する。
弾丸の速度など相手ではない。
光の速度と同列の速度と共に討つ出された巨大な雷槍は翠屋に突き刺さり――――海鳴の街を光に染め上げる。



海鳴を巨大な地響きが襲うと同時に、翠屋と呼ばれた場所は完全に消滅した。









「――――――ん、地震か?」
仕事が終わり、食事前に風呂を楽しんでいた男はその揺れに眉を顰める。
今の揺れは一瞬地震かと思ったが、地震ではなく震動という可能性もある。それも長年親しんだ【爆発】による震動。
「ふむ……まぁ、そういう日もあるわな」
普通はないのだが、部屋のいるはずの女性が騒いでないという事は、そういう震動ではないのだろうという感想に落ち着く。
自分の気のせいと終らせ、風呂からあがる。とりあえず、今日は風呂上がりの一杯でも飲んで気分をどうにかしようと考えていた。もっとも、その前のこの部屋に共に住んでいる女性が全て飲みほしていない、という条件があるが。
頭を拭きながら居間に顔を出す。

「うひゃ~、はやてちゃんはかわゆいでしゅねぇ~」
「ちょ、ちょっと薫さん!?お願いやから正気に戻ってって何処触ってるんですか!?」

「…………」
居間に入った男の視界に写ったのは、三十○歳を迎えた女性が九歳の女の子に絡みついているという奇妙な光景だった。
「ふむ……まぁ、こういう日もあるわな」
「あるかぁ!!傍観してへんで、私を助けて!!」
「あ、そうか。そうだな」
若干の現実逃避をかましながら、面倒そうに我に帰った男は少女に絡みついている女性、もしくは物体Kを引きはがす。
「おい、いい加減に――――って酒臭いなおい」
女性の周りには缶ビールが数本―――いや、十数本ほど転がっていた。
「やれやれ、あまり飲みすぎるなというか、俺の分まで飲むなというか、俺が風呂に入っている間にどんだけ飲んでるんだ?」
「酒を飲んでも飲まれましぇ~ん!!」
「立派に飲まれてるな……」
「気のしぇい気のしぇい。ほれ、アンタも一杯どうでしゅか~?」
「生憎、絡み酒は飲まない事にしてるんで、お断りだ」
男のおかげで物体Kの凌辱から難を逃れた少女は、自分の身体を抱きしめながら涙を流している。
「うぅ、薫さんに汚された……」
「うひゃひゃ、はやてちゃんの肌はしゅべしゅべですねぇ~」
オヤジ臭い発言をかます物体Kを冷たい視線で見ながら、とりあえず少女が危険なので簀巻きにして女性の部屋に放り捨てておいた。
「い~や~、おかしゃれりゅ~!!」
「近所迷惑だ。黙ってろ」
呆れながら扉を閉める。中から未だ騒いでる様な声がするが、あの様子ならしばらくすれば勝手に寝るだろう。
寝てくれると朝まで起きないか、途中で素に戻って自分を呼ぶのかのどっちかだろう。どちらにせよ、これでしばらく酒は控えてくれる事を願うだけだ。
「大丈夫か、はやて」
「あ、ありがとうございます……薫さん、どうしてお酒が入るとあんな駄目人間になるんかなぁ?」
「適量なら良いんだがな……昔の様な状況じゃないんだ。ああいう感じにはなるだろうな」
酒と煙草に逃げる事が習慣だった昔とは違う。今の彼女には酒にも煙草にも逃げる必要はない。命が掛っている様な仕事でもないし、誰かの命を奪う仕事をしているわけでもない。
なにせ、今の彼女の仕事はこの少女、八神はやての家庭教師なのだから。
「それで、どうして今日はあんな状態になったんだ?普通の彼女はあんな状態になるまで飲まないんだがな」
「あ、それがですね」
はやては押入れの方を指差す。
「なんか押入れの整理していたら、あんなの見つけたそうで」
「あんなの?」
押入れを見ると、そこには見知った―――いや、こんなに時間が経っても未だに見慣れたコートが掛っていた。
「あれは……」
「なんかな、アレを見つけてから懐かしそうにしてたから、薫さんにそれって何ですかって聞いたら……」
そこではやては口を噤む。
「ん、どうした?」
そして男を申し訳なさそうに見ながら、
「もしかして、聞いちゃあかん事だと思ったんやけど、薫さんに聞いちゃって」
「…………そういう事か」
酒に逃げる習慣は確かにないかもしれない。だが、習慣にならないだけで、実際に逃げたいと思える程の過去が存在する。そして、彼女の場合はそれが未だに尾を引いているのだろう。
逃げる過去は絶対に逃げられない過去となっている。そして、彼女は昔ほど強くはなくなった。
身体能力の話ではなく、心の問題だ。
「ごめんなさい……」
シュンとなるはやてを見て、男は笑いながら大きな手で頭を撫でてやる。
「気にするな。どの道、アレは何時か処分しなくちゃいけないモノだ」
ただのコートかもしれない。だが、ただのコートではない。
防弾防刃の戦闘用に作られたコート。それを男はかつて纏い、そして戦っていた。
改めて己の過去を見据える。
ボロボロだと思っていたコートは、思いのほか綺麗な形で残っていた。最後に使った時に刃によってボロボロになったはずの個所は、何故かしっかりと直っている。恐らく、彼女がこっそりと直したのだろう。
「まだ、残っていたんだな、お前は……」
コートはまだ残っている。
まだ、使う時がある為にある様に。
そんな時は来ないと思っていた。だから、きっとこの先もありはしないだろう。
しかし、コートはこうして出てきた。
まるで、何かを暗示するかのように。
「運命を信じるほど、若くはないんだがな」
苦笑して、男はコートから手を話す。
「ところで、帰らなくていいのか?」
「あ、はい……でも、薫さんがあんな状態ですし」
はやての家はここから車でないと帰れないほどの距離がある。男が送っても良いのだが、はやての顔を見る限り、どうやら今日は此処に泊りたいような感じがした。
「そうか。今日は泊るか?」
「良いんですか!?」
「構わんさ。なら寝る時は…………流石に、あの状態の彼女がいる部屋では寝たくないか」
はやては音が鳴る程に頸を上下させる。
「わかったよ。それじゃ、俺の部屋で寝ろ。俺はソファーで寝るさ」
「…………一緒じゃ、駄目ですか?」
「駄目じゃないさ……ただ、」
男は心底意地の悪そうな顔を浮かべ、
「お前と寝ると、お前の寝相と鼾が酷くてかなわん」
「わ、私、そんなに寝相は酷くないし、鼾もかかんわ!!」
こうして幸福な時間は過ぎていく。
男が幸福を感じているかはわからないが、目の前の少女は笑っている。
裏も表もない。
ただの子供の様な笑顔。
無意識の内に、この少女の笑顔と別の少女を比べている自分がいた。
そんな男を見つめる様に、コートは静かに時を待つ。



男がコートを纏う――――その時を










次回『海鳴‐みんな‐』




あとがき
めだかボックスが来週でおわりそうな気がするのは俺だけですか?
どうしよう、あれがなくなったら続きを書く気が起きない。
というわけで、来週の月曜日までに残り二話を書かないと途中で打ち切りな可能性のある人妖都市・海鳴ですが、人妖編も残す所二話(予定)。
さて、今回のお話は別題として【フラグがあるよ?】です。
沢山のフラグをまき散らしながら、魔女の正体が判明!!ですが、ぶっちゃけそれほど衝撃的でもないですよね~
ちなみに、今回魔女さんが使った魔法はバレットバトラーズでお師匠様がシャア叔父様に放ったかなりの上級魔法です。威力はアレの半分以下ですけどね。
そんな感じで、最近ページ数がどんどんウナギ登りなお話も終盤、がんばりますかね
次回は、オッサンの名前登場。そして副題は【俺達のターン!!】です。

PS
僕の中でこの作品のOPはカサブタ



[25741] 【人妖編・第十一話】『人間‐教師‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/04/08 00:12
良い子でなくてはいけない。
悪い子になってはいけない。
どうしてそうしなくてはいけないのか、その理由は最初はわからなかった。でも、周りは良い子には優しくしてくれし、悪い子は叱られる。
そんな当たり前の事を私は普通な事だと思っていた。
なんて事はない。
私にとって良い子であろうと悪い子であろうと、どっちでもいいのだ。私という存在がどちらであろうとも、家族のみんなは私の事を家族として扱ってくれる。
問題なんて何もない。
私がどんな子でも、みんなは私を愛してくれる。
子供ながらにそんな事を想っていた。
それが間違いだと思った事はない。だから私もみんなに好かれる様になろうと思った。極端な良い子でもなければ、行き過ぎた悪い子にもならない。
つまりは、普通という一言。
それが私、高町なのはという子供だった――――気がする。
全ては過去の話でしかない。
綺麗な過去、楽しい過去、忘れる事すら出来ない過去は思い出すのではなく【想像】する事しか出来ない今、私はそんな過去に縋りついている。
過去の私は、どんな子だったのだろう?
思い出せない。
きっと普通な子だったんだ……でも、どんな風に普通だったんだろう?
わからない。
思い出せない。
頭に霞みが掛ったように何も見えなくなり、形があったはずの思い出はパズルのピースの様に細かく分かれ、崩れていく。
わからない事が怖い。
思い出せない事が嫌だ。
過去なんて嫌いだ。
今が良い。
今よりも未来が良い。
過去なんて嫌いだ。
過去は過去でしかない。今、目の前にあるモノではなく、記憶から消えていく過去なんて嫌いだ。
だからだろう。
私は今を生き、今は未来へと進み、進んだ後に残るのは過去。
過去と今と未来は常に一定のペースで進む。
私の嫌いな過去は私と共にあり、私の好きな今と未来は過去と共にある。そんなジレンマに陥りながらも生きているのは、

私が【過去から未来を奪い返す為】だ。

返して欲しい。
私の大切な存在を返して欲しい。
その為になら自分なんて要らない。
自分という存在も、周りという環境も、他人という陽炎も差し出す。
だからお願いです、神様。
「私の、大切な過去を返してください……」
祈る夜空に星はあっても綺麗に思えない。
祈る先にいるであろう神様は沢山の人を見ていても、見ているだけで何もしない。だから私は誰よりも神様に祈り、少しでも神様の心を動かす為の言葉を吐き出す。
「一人は嫌なんです……だから、返してください」
神様は何も答えない。
どうして神様は私のお願いを聞いてくれないのだろう?
どうして神様は私から大切なモノを奪っていったんだろう?
どうして、



どうして――――私の前から家族は消えてしまったのだろう?



誰も居ない。
私の周りには誰も居ない。
お父さんもいない。
お母さんもいない。
お兄ちゃんもいない。
お姉ちゃんもいない。
誰もいない。
誰一人としていない。
こんなの変だよ、おかしいよ。
だって約束したんだ。
お母さんはちゃんと言ってくれた。お父さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも、明日になったら沢山のお菓子を持ってきてくれるって。病気で入院した私の為に沢山持ってくるって、毎日お見舞いに来るって、そう約束してくれたんだ。
だから苦しいけど頑張れた。
薬は苦いし、夜は怖くて寂しい。でも、明日になればきっと家族が来てくれる。
我慢した。
我慢した。
うん、我慢したんだよ?
頑張ったんだよ?
苦いお薬は我慢して飲んだ。病院食はお母さんの料理と違って美味しくないけど、残さず食べた。お医者さんの言う事もちゃんと聞いたし、同じ病室の人に迷惑をかけない様にずっと静かにしていた。
ほら、なのはは良い子なんだよ?
なのに、どうして来てくれないの?
どうして、明日になったら来てくれるって言ったのに、どうして来てくれないの?
時計の針は朝、昼、そして夜に進む。病院全体が暗くなり、みんなは眠りだす。結局、誰もお見舞いに来てくれなかった。どうして来てくれないのかわからず、布団の中で一人で泣いた。
でも、もしかしたら理由があったのかもしれない。
きっとお店が忙しいのかもしれない。
きっとお兄ちゃんもお姉ちゃんもお手伝いしなければいけないくらい、もの凄くお店が繁盛しているのかもしれない。だったらしょうがない。だったら来れなくてもしょうがない。でも、明日はきっと来てくれる。来てくれるに違いない。きてくるよね?きてくれるんだよね?こないわけないよね?こないの?きて、くれないの?だいじょうぶ、きてくれるよね?うん、そうだよね?そうだよね?ね?ね?ね?

―――――次の日、誰も来なかった。

苦いお薬は頑張って飲んだ。病院食は残さず食べた。お医者さんの言う事はちゃんと聞いたし、病室の人に迷惑かけなかった。

――――でも、今日も誰も来なかった。

苦いお薬に慣れてきた。病院食の味は感じられなくなった。お医者さんの言う事は聞いて流した。病室の人なんて目に入らなくなった。

――――そして、今日も誰も来なかった。

薬は飲んだ。食事はとった。誰かの言う事は聞いた気がする。周りの人は知らない。

――――結局、今日も来なかった。

飲んだ。食べた。聞いた。考えなかった。

―――――当然、誰も来なかった。

わからない、知らない、聞かない、考えない。

―――――来ない。

誰も来ない。
誰も来てくれない。
私の病室には誰もこない。
お母さんもこない。
お父さんもこない。
お兄ちゃんもこない。
お姉ちゃんもこない。
誰もこない。
周りの人には誰かが来るのに、私には誰もこない。誰一人として来てはくれない。どうして誰も来てくれないのだろう。どうして誰も私のお見舞いに来てくれないのだろう。寂しい、悲しい、虚しい、苦しい、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして…………どうして、来てくれないの?
そんな事を一日中考えていた。そんな時だった。お医者さんと看護婦さんが何かを話しているのを聞いた。
看護婦さんが尋ねた。
どうして私の両親はこないのか?
お医者さんが言った。
私の両親は居なくなった。
看護婦さんが驚いた。
どうして?
お医者さんは仮面みたいな顔で答えた。
わからない。でも、もしかしたら――――
聞きたくない言葉を聞いた。
嘘だと叫びたい衝動にかられた。
お医者さんは言った。
私が聞いる事に気づかないのか、これが当たり前だと言わんばかりに口にした。

「この街では良くあるんだよ。病院に入院させた子を――――そのまま【捨てる】親がね」

捨てる?
捨てるってなに?
捨てるって、なのはを捨てるって事?
誰が捨てるの?
私の家族が私を捨てたの?
なんで?どうして?どういう意味があって私を捨てるの?わたし、何か悪い事した?わたしがわるいの?わたしがわるいこだから、捨てるの?わたしがじゃまだから捨てるの?捨てる?すてる?すてられた?わたしが?わたしが?わたしがすてられたの?どうしてわたしがすてられたの?おかあさんは?おとうさんは?おにいちゃんは?おねえちゃんは?どうしてきてくれないの?どうしておみまいにきてくれないの?すてられた?こどもなのに?おかあさんのこどもなのに?おとうさんのこどもなのに?おにいちゃんとおねえちゃんのいもうとなのに?かぞくなのに?
あぁ、そっか……嘘なんだ。
お医者さんも看護婦さんも嘘をついてるんだ。
駄目だなぁ、大人が嘘吐いちゃだめなんだよ?
だめなんだよ?
だめ、だめ、だめだめだめだめだめだめだだめ――――だめなんだよ?
私は私の家族を信じる。
誰かの言う事なんて信じない。
良い子にしていれば、きっと来てくれる。
もうすぐ退院できるんだ。それまで良い子にしてれば、きっとその日に家族が迎えに来てくるに違いない。
私は良い子になった。
何時も笑顔の子になった―――悲しい。
何時も優しい子になった―――苦しい。
誰にも迷惑をかけない子になった―――寂しい。
そうして良い子になり、退院の日を迎えた。
着がえて、荷物をまとめて、病室を出て、お医者さんと看護婦さん、同じ病室の人に挨拶した。みんなが変な顔をしていたのは意味がわからなかったけど、気にしなかった。
そして、私は病院のロビーで待った。
ずっと待った。
ずっとずっと待った。
そして、暗くなった。
誰もこなかった。
誰一人として来てくれなかった。
そこにきて、漸く気づいた。
「そっか……私、捨てられたんだ」
自分でも驚く程に冷静な思考と声。それが嘘でも偽りでもない、本当だという事を私はあっさりと認識し、受け入れていた。
なんだ、そうだったんだ。
私は捨てられたんだ。
捨てられたから、誰も迎えに来てくれなかったんだ。
笑えてきた。
嗤ってしまう。
哂って壊れてしまいそうになった。
目の前が真っ暗になり、何もかもが壊れて死んでしまえという妄想が湧きあがり、それに呼応するかのように身体の奥から奇妙な何かが浮かんでくる。それを解放すればきっと全てが壊れて、全てが死ぬ―――壊して殺せる。
なら、そうしよう。
とうせ捨てられたんだ。
壊しちゃえ、殺しちゃえ。
良い子にして何の意味もないのなら、此処で全部を壊して殺して滅して潰しても誰も文句は言わないよね?
「みんな、みんな……大っ嫌い」
そして、私は引き金を引いた。

「――――――ねぇ、どうしたの?」

だが、引き金を完全に引き絞る前に声をかけられた。
誰だろう?
知らない人だ。
でも、優しそうな人だ。
「一人?」
一人。一人というのは孤独という意味。孤独なのは誰も無いという意味。なら私は一人で孤独で誰も無いという高町なのは。私がその問いに頷くのは当然の行為だったのだろう。
だから、私は言った。
「一人なの……一人ぼっちなの」
「お父さんとお母さんは?」
「いない。私、捨てられたの」
「そうなの……」
同情するように目を細め、それからすぐに優しい笑みを作る。
「それじゃ、お父さんとお母さんに会いたいよね?」
「…………うん、会いたい」
「なら、私が会わせてあげるわ」
「本当に?」
「えぇ、本当よ。でも、それには条件があるの。それはアナタが私の言う事をちゃんと聞く、誰の言う事もキチンと聞いて、誰にも優しくしてあげられるような優しい【良い子】にならなくちゃ駄目なのよ」
できる?とその人は言った。
私は出来る、と言った。
そんな【簡単な事】でいいのなら、幾らでも出来る。
だって私は何時もそうやっていたから。この病院で家族を待つ間、誰にも迷惑をかけない良い子を【演じてきた】のだ。そんな事は今更何の問題もない。
「私、良い子になる」
「そう、よかった……それじゃ、行きましょう」
そう言って私はその人の手を取った。
「そういえば、名乗ってなかったわね。私は霙、帝霙」
「なのは……高町なのは」
「なのはさんね。うん、良い名前だわ」
こうして私は私になった。
過去を取り戻す為、家族にもう一度会う為、今の私を創り上げた。
私は良い子だ。
良い子でいなくちゃ駄目なんだ。
例えそれが、



【本当の私】を捨て去る事になったとしても











この世に奇跡なんてありはしない。
奇跡なんて言葉は綺麗に聞こえるかもしれないが、その反面として奇跡が起きない時にどれだけ人を傷つける言葉になるのか、理解しているのだろうか。
奇跡を願う人は、奇跡が起きない事に絶望する。
奇跡を信じた人は、奇跡に裏切られ絶望する。
奇跡なんて嘘っぱちで、誰もを傷つけるナイフでしかない。
そう、自分自身がそれを身を持って体験した。
「…………奇跡なんて、ない」
すずかはそう言って薄暗い部屋に座り込む。
そう、奇跡なんて存在しない。
元々、無理な話だったのだ。
自分の様な存在が誰かと共に歩み、誰かと友達になろうとする事自体がおこがましいのだろう。なにせ、自分は化物なのだ。人間でも人妖でもない、妖という名の化物。この海鳴の街の【力】を支配する月村の家に生まれた化物。
それでも夢を見ていた。
小学校に上がったら沢山友達が出来ると。
友達に囲まれて、楽しい毎日を過ごすんだと。
歌の様に友達を百人作れるんだと。
そんな甘い幻想、妄想を本気で信じていた。
しかし、それは自分の中にしか存在しない世界であり、現実というすずかを包み込む世界においては妄言でしかないと知った。
裏切られたのか―――違う。
裏切られたんじゃない。最初から、裏切る必要もないくらいに、絆というモノが存在しなかっただけに過ぎない。当然の事だ。化物と人間の間にそんな関係を結ぶ事なんて奇跡でも起きない限り―――否、奇跡が起こっても不可能な事柄だ。
奇跡は起きなかった。少女の小さな、そして大切な望みは友達だと思い込んでいた少女の言葉によってバッサリと切り捨てられ、その心を元の冷たい心に戻そうとしていた。
あの頃、ほんの一か月前と同じ冷たく、孤独で悲しい心に戻りかけていた。
誰も信じない。
自分も含め、誰も信じる事なんて出来ない。
でも、家族だけは信じよう。
家族だけを信じて生きて行こう。
姉の忍も、メイドのファリンもノエルも、自分を含めた四人さえいれば十分だ。化物は化物の中でしか生きていけない。
「そうだよ……そうするしか、ないんだよね?」
誰に問いかけるまでもない。
すずかは目の前の現実を受け入れる。
受けれて前に進めばいいだけだ。
前に進み、この小さなフィールドの中の一人として存在し続ければいい。
必要なのは自分と同じ家族だけ。家族以外の者なんていらない、必要性を感じない。
この手は化物故に孤独に、心は化物の様に孤独に、頭は化物らしく孤独の思考を

手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に

不意にあの男の言葉は蘇る。
魔法の呪文だと男は言っていた。
手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に――――どうしてか、今はこの言葉の意味がさっぱりわからなくなった。好きな言葉だと思っていた。今でも嫌いではない。だが、その言葉が今はどうしょうもないくらいに冷たく、意味のない言葉に想えてならない。
自分の手を見て、思う。
人の手に見えてるが、この手の握力は常人の握力を平然と上回る。傷つける事も、壊す事も、殺す事も簡単だろう。それが化物だ。化物としてあまりにも常識的なスペックを持っている。
ただ、あの時。
「なのはちゃん……」
あの時、すずかは感情的になっていた。
感情的になったすずかはなのはの頬を叩いた。
普通なら自分の力ならなのはの頭部を壊すくらいの事は平然と出来ただろう。だが、それをしなかった。
殺す事だって出来た。
自分の傷つけた相手を、他人を消し去る事だって簡単に出来たはずだ。
でも、しなかった。
どうしてしなかったのか、と考えた事はない。でも、無意識の内に自身にリミッターをかけていたのだろう。相手を殺してはいけない、化物である自分が誰かを傷つけてはいけない――――もしくは、

相手を、傷つけたくないという想いがあったのかもしれない

「手は綺麗に、」
この手は血に染まっていない。
「心は熱く、」
だが、あの時の自分は完全に怒っていた。
「頭は……冷静に」
それでも、その力は誰かを傷つけてはいけないと身体を止めていた。
わからない。
どうしてそんな事をしたのだろう。
いや、そもそもの話。
どうして自分は、まだその事を引き摺っているのだろうか。
忘れればいい。
化物として生きると決めればいい、というより決めたはずだ。なのに、未だにすずかの脳内ではあの時の事が鮮明に蘇る。
忘れたいのに、忘れられない。
忘れたくないと想わないのに、忘れてくれない。
自分で自分の心が軋みそうになっているのに、考えを止めようとしない。
「私、どうしちゃったんだろう?」
こんな時、自分はどうしたらいいのか――――そう考え、すずかは立ち上がる。
薄暗い自分の部屋を出て、忍の作業部屋に向かう。
こういう時は姉に相談してみよう。今のすずかにとって唯一味方である家族こそ、頼るべき存在。この先もずっと、すずかの味方は家族だけ。なら、今の内からしっかりと家族を頼り、家族に頼られる存在になろう。
そんな事を考えながら、地下に続く階段を下りる。
忍は自室の他に様々な作業をする特別な部屋がある。中には多くのコンピューターや機械類は所狭しと並んでいる為、あまり入りたいとは思わない。というより、少しは片付けろと言いたい。
そんな忍の作業部屋のドアを静かに開き、
「お姉ちゃん、い――――」
止まった。
言葉も動きも止まった。

異常な光景がそこにあった。

部屋の中には沢山のディスプレイとキーボードが置かれ、とてもじゃないが一人では扱いきれないだろう。だが、その全てが動いている。
そう、全てが【同時に動いている】のだ。
それを成しているのは姉である忍。
真剣な表情ではなく、普段は見せない必死な形相で作業をしている。
全てが同時進行。
ディスプレイには様々なデータが高速で映し出され、キーボードを叩く音がさながら打楽器だけのオーケストラの様に思えてならない。その演奏を可能としてるのは忍は滅多に見せる事がない【月村としての能力】を行使しているからだろう。
無数のコンピューターを操作するのは忍一人。だが、それを同時進行するのは不可能に近い。それも本当の意味での同時進行は不可能だ。
だが、忍はそれを行う。
見れば忍の手が―――消えている。
消える程の速度で動いているのではなく、完全に消失しているのだ。その代わりに、キーボードを叩く音は確かに忍の手。それも【宙に浮いている手】が作業を行っている。人間の様な手ではなく、まるで影が手の形を作っているかのように、それを人間の手の様に器用に動いている。
その数は十本。
影の手の全てが全力でキーボードを叩き続けている。
「お姉ちゃん……」
姉の異能を見るのは初めてではない。だが、滅多に見るものでもない。忍がそれを行使するのは己の身を守る時だけであり、こんな作業に使う事なんて一度もなかった。それ以前に一体なんの作業をしているのかもすずかにはわからない。
呆然としているずずかの存在に気づいたのか、
「あら、すずか。どうしたの?」
忍は背中越しにすずかに声をかける。その間も忍の無数の手は止まることなく、視線も沢山のディスプレイを凝視している。
「え、えっと……忙しい?」
「忙しい事には忙しいけど……まぁ、すずかと話す事くらいは出来るわ」
「本当に?邪魔じゃなかな?」
「邪魔じゃない邪魔じゃない。すずかの事を邪魔に思う時なんて一度もないわよ」
視線はすずかに合わせないが、言葉は何時もの忍と同じ優しい声だった。その姿に安心したのか、すずかも少しだけ肩の力を抜き、空いている椅子に腰かける。
「それで、どうしたの?」
「うん……あのね」
すずかは語った。
これから自分がどうするか。
どういう生き方をするのか。
それを決めたのに、どうしてかなのはの事が頭から離れない。
自分はどうしたらいいのか、どうしたらなのはの事を頭から離れるのか。
「すぐには無理だけど、ちゃんと忘れなくちゃ駄目だと思うの……でも、どうすれば忘れられるか、わからないの」
カタカタと動く指先が、一瞬だけ止まる。しかし、すぐに再開する。
「――――すずかは、なのはちゃんの事を忘れたいの?」
「…………」
忘れたい、という本音もある。だが、それが本当に良い事なのかわからない。
「忘れた方が良いに決まってるよ……だって、私みたいな子が友達なんて無理だし、なのはちゃんだってそう思ってる」
自分の事を好きでもない。でも友達になって欲しいと言ったから友達になった。そんな冷たい、どうしようもない現実を突き付けられた今、諦めて忘れるか、踏ん切りをつけるしかない。
「どうしようもないもん……しょうがないよ」



「それ、ただ甘えてるだけよ」



鋭いナイフの様な言葉だった。
「お、お姉ちゃん?」
「それは甘えよ、すずか。別に甘えるのは悪い事じゃないけど、それは誰かの力を頼ってるだけ。誰かの力だけを頼っているだけ――――そうね、今のアナタの場合は【月村という存在】に甘えているのかしら」
予想外もしない言葉にすずかは言葉を失い。
家族だからわかってくれる。
家族だから理解して力になってくれる。
少なくとも先程までそう思っていた。だが、ソレは今、掌を返すかのように裏切られた。
「確かに記憶操作の力は存在するから、アナタが本気でなのはちゃんの事を忘れたいと思うのなら、それをしてあげてもいい。なのはちゃんという子の全てを忘れ、今まで通りのアナタになる事は出来るわ。けど、それは本当にすずかが望んでいる事なの?」
「…………望んじゃ、駄目なの?」
「すずかが本当に望んでいるのなら、ね」
でも、違うだろうと忍は言う。
キーボードが叩く音が完全に止り、影の手が消えて忍の手が現れる。椅子を回転させ、視線をすずかに向ける。
「もう一度聞くけど、すずかは本当になのはちゃんの事を忘れたいの?」
家族なのに、どうしてそんな事をいうのだろう―――どうしようもなく怒りに似た感情が湧きあがってきた。
「どうして、どうしてそんな事を言うの?お姉ちゃん、昨日言ったじゃない!?私の力になってくれるって、私の言葉を聞いてくれるって!!」
叫ぶ様な声を受けながらも、忍は冷静な顔―――すずかにとって冷徹な顔を崩さない。
「確かに言ったわ。けど、別にアナタを甘やかすとは一言も言ってない。それとも何?家族なら家族を甘やかしていいっていう理屈になると思ってた?」
「違う!!そんな事を言ってるんじゃ―――」
「私にはそう聞こえるわね……そうとしか、聞こえない」
忍は小さく息を吐く。
「いい、すずか。私達は確かに人とは違う。人間でも人妖でもないかもしれない。けど、それはあくまで【存在】だけの話よ。そもそも、存在なんて言葉はすごく大雑把な言葉なのよ。良識的な存在、悪しき存在、憎むべき存在、生きるべき存在―――存在という言葉は分類出来ているようで出来ていない。どんな存在という言葉を作り出そうと、存在という一括りである事に変わりは無いの」
忍は自分を指さし、
「私は月村という存在であり、アナタの姉という存在」
それから今度はすずかを指さす。
「アナタは月村という存在あり、私の妹という存在」
そして最後に、背後にディスプレイに写っている―――なのはの写真を指さす。
「すずかに質問よ―――この子は、どういう存在なのかしら?」
すずかは言葉に詰まる。それ以上に、どうしてここでなのはの写真が出てくるのか、それ以前に一体自分の姉は何を調べているのか。様々な疑問がグルグルと頭を廻り、言葉を紡ぐ事が出来ない。
「答えられない?それとも、答えたくない?」
「…………」
「なら、代わりに私が答えてあげるわ。この高町なのはっていう子はね―――異常な存在よ」
その言葉が、心を抉る。
「い、異常……」
「そう、異常な存在。化物の私達よりも尚化物って感じかしら。この子自身に力があるわけじゃないけど、この子の周りが明らかにおかしい。それによって人の記憶やデータが次々と書き換えられ、正常なデータが存在しないくらいにおかしい存在よ」
キーボードを叩き、ある映像を出す。
「例えば、これはこの子の家族のデータ。人間っていうのは生きてるだけで足跡を残す生き物よ。近代的な時代になってからその性質は高くなる。街に住むにも住民票は必要だし、仕事をするにも個人の情報が必要になる。さらに言えば指先一つにも指紋という個人の情報があり、皮膚や髪の毛、血液にもDNAという情報が存在する―――なら、その情報が一切存在しない、もしくは書き換えられているとしたらどうする?」
簡単だ。
それは目の前にいる人物が本物であるかどうかもわからない。
もしくは、嘘で塗り固められた存在だとも言えるだろう。
「高町なのはは、正にそれなのよ。生れた時から現在まで、この子の正確なデータなんて【一つとして存在しない】のよ」
存在しない人間。
目の前に居るに存在していないゴーストの様な存在。
「これを誰が行ったかは知らないけど、随分と大雑把な事をしてくれたものだわ。なにせ、一つの情報に対して偽りが二つも三つも存在する。まるで高町なのはという存在を知った者にそれぞれ間違った情報を与えているかのような感じかしら」
忍の提示したデータは誰が見てもおかしかった。
例えば彼女の親が経営していた翠屋という店がある。
この店は数年前から経営している。いや、経営している様に見せかけている。
市への申請や光熱費の料金、食材費などは何度も何度も様々な講座に振り込まれている。だが、それが時々おかしい事になっている。
振り込まれているはずの料金が引き落とされていない。もしくは振り込まれた相手が存在しない。振り込まれる側も振り込む側も存在しない。
「おかしいでしょう?いいえ、おかしいなんてもんじゃないわ。こんな異常な状態であるのなら誰だってすぐに調べるわ。けど、調べた結果として何もなかった。【何も無かった事が無かった事にされている】のよ」
「えっと……言いたい事が良くわからないよ」
「そうね……ある店があり、その店がある事を誰もが知っている。けど、誰もその店を見た事がない。見た事がないから探す。けど探しても見つからない。だけど見つからないのに探した者は見つかったと口にする。結果、誰もその店を知らない――――正直、私も言っていてわからなくなるけど、言いたい事は一つだけ」
「おかしいって事、かな」
「そういう事。そして、そのおかしい事の中に彼女の両親も含まれている。市への登録情報として確かに彼女の両親や家族、彼女自身のデータは存在している。けど、それだけ。データはあるが本人は存在しないというおかしな状態なのよ」
連続して使われる【おかしな状態】という言葉。
よくはわからないが、とにかくおかしいという事だけは理解した。
理解したという事にした。
「まったく、こんなデータで良く今まで隠し通してこれたわね。もしくは、それを隠す為の協力者がいたのかしら?いるとしたら、私達の身内か、配下という線が一番打倒だけど……生憎、敵が多すぎて誰かまでは絞りきれないわね」
忍は言う。
高町なのはは、存在しているが存在していない存在。
彼女のデータが多すぎて、逆に全てが嘘に思えてしまう為に存在しているか怪しい。
だが、現に彼女は確かに存在している。
しかし、データ上では奇妙過ぎる。
「だからね、私としてはこの子は完全に異常なのよ。私が直接見たわけじゃないけど、データバンクに登録されたあまりにも多すぎる偽情報から、とてもじゃないけどまっとうな存在だとは言えないわね」
「…………」
嘘に嘘を塗り固め、何時しかそれが嘘であるかどうかもわからなくなった。高町なのはという少女の周囲はそういう情報によって塗り固められ、データ上では完全にわからない状態になっている。
だからこそ、最初の質問に戻る。
「こういう点から踏まえて、よ。すずか、アナタは高町なのはをどういう存在だと思ってるの?」
存在という言葉。
存在という単語を別の言葉につなげれば一つの個となる。だが、それは結局は大きな存在というモノの一つにしかならない。
「化物に見える?」
思い出す。
「私は化物に見えるわ」
思い出す、日常を。
「あんな化物じみた子を、アナタの隣に立たせていた自分が情けないわ」
思い出す、日々という今を。
「まぁ、アナタが忘れた言っていうのなら、別にいいけどね。だって、こんな化物を――――」

「なのはちゃんは化物なんかじゃない!!」

嘘だったかもしれない。
裏切られたかもしれない。
信じた自分がバカみたいで、それを裏切ったなのはを許せないかもしれない。
けど、信じたいたのは事実。
だから、大好きだったのも事実。
その事実が高町なのはの存在という意味に繋がるのなら、
「化物なんかじゃない……化物なんて、言わないで」
「ふぅん、アナタはそう思うんだ」
「なのはちゃんは……なのはちゃんは、」
思い出そうとする行為すら馬鹿らしい。思い出す前に勝手に思い出が止めどなく溢れ出てくる。
それは嘘で塗り固めた真実かもしれない――――だが、虚実で悪いのだろうか。
それは下劣な笑みを隠した仮面かもしれない――――だが、その仮面に救われたのは誰だ。
「私の……大切な友達だった――――ううん、違う。友達なんだよ」
「でも、アナタを裏切ったわ」
「それでも友達なの。友達だったなんて、そんな過去の話にしたくない」
「向こうはそう思ってないんでしょう?アナタの事なんて好きでも何でもないって言ってたんでしょう?」
「私は大好きだから」
「それはすずかだけの話よ」
それに何の問題があるというのだろう。
相手は好きじゃない。でも、自分は好き。
それに何の問題があると、すずかは姉に向かって言い放つ。
「嫌われても、好きになって貰えなくても、なのはちゃんをどう思うかなんて私の勝手だよ。迷惑だと想われても構わない。相手にされなくても構わない……顔も見たくないって言われても、構わない」
本当はそんな事を言われたくない、思われたくない。
だが、それでも構わないと自分は言っていた。
簡単に、あっさりと言ってしまっていた。
なのはの事が好きだという言葉を、あっさりと今言った様に。あの時、自分は大嫌いという言葉をあっさりと言ってしまっていた。
「確かにあの時、私は心の底からなのはちゃんの事が嫌いになったよ?でも、時間が経って、嫌いだっていう気持ちから悲しいって気持になった。悲しい気持ちが苦しくて、涙が止まらなくて……それでも、まだなのはちゃんの事が好きで……それで」
わかってしまった。
そうなればもう止まらない。止まる事なんて出来はしない。

「それで……もう一度、なのはちゃんに会いたいと思った」

「それはどうして?」
「会って話をしたいから」
「話してどうなるの?」
「どうなるかなんてわからないよ。わからないけど、逃げたくないから。今の自分から、逃げたくない。昔の自分になんて戻りたくない。昔の自分のあの気持ちを抱くよりも、今のこの苦しい気持ちを持っていた方が――――生きてるって気がするから」
月村すずかは過去も今も生きてた。
だが、今は生きている。過去は生きていた。生きていただけに過ぎない。
生きる努力は生存するという意味ではない。生きる努力をするというのは前に進むという意味だ。それを放棄していた過去の自分は死んでいるのとなんら変わりは無い。
そして今の自分は――――生きている。
「死んだ風には生きたくない。諦める事しか出来ない生き方なんてしたくない!!化物なら化物らしい領分で生きれば良いなんて諦めは、私自身が大嫌いになりたい!!」
「…………」
好きの反対は嫌いではない。
好きの反対は無関心。
すずかは小さな手をグッと握る。
無関心なんて嫌だ。目の前の人達を前に無関心でいる事を良しとする事は、自分自身を否定する事になる。
「それに……私はまだ、なのはちゃんの為に何もしてない」
確かに自分からなのはに友達になって欲しいと言った。それだけで十分だと思っていた。それだけで全てが変われたと本気で思っていた。しかし、それは違う。
言っただけ。
友達になって欲しいと言っただけではないか。
そして、それから自分は一体どういう努力をしたというのか。
何もしていない。
ただ、友達というポジションに胡坐を掻いているに過ぎなかった。
「何が出来るかなんてわからない。でも、何もしないなんて嫌。なのはちゃんの事を何も知らないままでいるのは、絶対に嫌だよ!!」
「その結果、また傷つくとしたらどうするの?」
その言葉の通りになるのは考えるだけで怖い。
「その時は……」
怖い。
怖い。
怖い――――怖いのは、大好きだから嫌われるのが怖い。怖いのは相手が自分に無関心でいられる事が怖い。
「その時は、きっとまた泣くと思う……泣いて、泣いて、泣いて――――泣き止んだら、またなのはちゃんに会いに行くよ」
その言葉に、忍は安堵する。
「そう……なら、それで良いんじゃないの?」
前のすずかではなく、今のすずかが目の前にいる。
傷つく事は怖い。拒絶される事は怖い。怖いがそこで終らない。終る事がどういう意味か理解しているから絶望にも立ち向かう。
「アナタが泣いている時は、私が抱きしめる。だから、遠慮なくなくぶつかって粉砕されてきなさい」
「粉砕するのはちょっと……」
「馬鹿言ってんじゃないの。粉骨砕身って言葉があって、これは肉を切らせて骨を断つという意味あるのよ」
「違うと思うよ!?」
二人は笑い合う。
家族として、姉妹として、笑い合う。
それは今になって手に入れた大切な宝物だ。だが、これからも宝物は増えて行く。失いもするが、得もするだろう。笑い合う相手は増えるだろう。そうに決まっている。そうであると決めつける。
一度壊れた仲は直せない。
奇跡でも起きない限り無理だ。
そんな決めつけがあるのなら、奇跡なんて随分と安っぽいモノだ。

奇跡など、この世界には日常的にあるのだから

忍は時計を見て、すずかに言う。
「今ならまだ、間に合うんじゃない?」
時計の針は四時を差している。もうすぐ下校が始まる時間で、恐らく教室では掃除の時間となっているだろう。
なら、まだ彼女は教室にいる。
「行きなさい、すずか」
「うん、行ってきます」
遅い登校時間になるが、構いはしない。
先生に怒られる事なんて怖くは無い―――いや、本当は少しだけ怖いけど、怖いという感情を前にしても、その先にある目的の方が何倍も大切だ。
だから、走る。
勢いよくドアを開け、階段を駆け上がり、家の扉を開いて外に出る。
夕暮れは近い。
今は黄昏時。
人と妖が混じり合う、特別な時間。
人に会う為、妖は走る。
友達という人の為に。
海鳴の街を、ひた走る









【人妖編・十一話】『人間‐教師‐』









学校に向けて脚を進めるすずか。
不思議と身体は軽い。
昨日からろくに食べ物を口にしてないし、あまり寝ていないとはいえ、少しも疲労感を感じない。人ごみを縫って走る事にもなんら苦痛は感じなる。
まるで周りが止まっているかの様にさえ、思えてくる。
自宅から学校までは走ってもそれなりに時間は掛るだろう。それ故に止まっている時間はあまりない。むしろ、こうして走っている時間でさえもったいない。
「早く、早く行かなくちゃ」
今日でなくてもいい、なんて考えは捨てる。
今すぐに会いたい。
今すぐに会わなければいけない。
会って自分の想いを、本当の想いをぶつけたい。
その為に走る。
繁華街を抜け、住宅街を抜け、ようやく学校が見えてきた。
だが、そこで妙な事に気づいた。今は下校時間だというのに、どういうわけか周りに帰る生徒の姿がない。それどころか、人の気配すらない。
その事に気づいたせいで、流石に脚を止めた。
進む事は重要だが、これを逃してはいけないという想いが脚を止めた。
「…………」
ざわつく。
心が不安と言い様のない感覚によって震える。
一歩一歩、慎重に歩くすずか。まるで地雷原を歩いている様な気分になる。足下には爆弾が埋まっており、どこか一つでも踏み間違えれば一瞬で身体をバラバラにさせる。
そんな言い様のない恐怖が身体を支配する。
自然と心臓の鼓動が激しくなり、冷たい汗が背中を伝う。
肌に感じる風すら生ぬるい。春だというのに冷たくも熱くも無い、丁度良くも無い。不快だと率直に口に出せるような嫌悪感を抱かせる空気に抱かれながら、すずかは目の前の学校に向けて歩く。
走れば近い、歩いても近い。
しかし、この感覚のせいで手が届きそうな距離の学校が酷く遠く思えてならない。
近づくな、と本能が言っている。
そんなはずはない。近づかなければ、学校に行かなければ、そうしなければなのはに会う事が出来ない。
自分の身体にだけ重力が数倍になる様な感覚を押し殺し、すずかは進む。
そして普通に歩けば十分もかからない距離を、気づけば二十分もかけて歩いていた。

結果、それを後悔しそうになった。

「―――――ッ!!」
校門を潜った瞬間――――昼と夜が逆転した。
外は夕焼け、黄昏時だというのに、校門を潜った瞬間に電気を消した様に真っ暗闇が襲いかかってきた。
「なに、これ?」
恐怖、その一言が心と体を支配する。
世界の時間が一瞬にして進み、その光景を自分一人が確認した。誰も気づかない。誰も気づかない以前に誰もいない。
この暗闇の校舎の中には、自分一人しかいない。
校舎には電気の光はある。だが、その光すら影という化物を作り出す為の材料であり、あの中に入った瞬間に自分の影が襲いかかる―――なんてお伽噺の様な光景を想像する。それどころか、この暗闇の学校に入った時点で、自分は化物の身体の中に飲みこまれたのかもしれない。
「…………」
それでもすずかは―――脚を踏み出す事を選択した。
もしかしたら、自分が居ない間に学校で何かが起こったのかもしれない。そして、その何かになのはが巻き込まれた可能性だってある。念の為、時間を確認する為に校舎の壁に備え付けられた大きな時計を目にして、
「――――え、八時?」
その時間を見て、言葉を失った。
すずかが家を出たのは午後四時。これは確かだ。街中を走る際にも何度か時間を確認した。確認したはずなのに、どうして四時間も時間が進んでいるのだろう。まさか、自分一人がタイムスリップをして未来に来たわけではあるまいし。
しかし、その考えがあっさりと覆される。
「―――――月村さん?」
校舎から誰かが出て来た。
「教頭先生!!」
「どうしたんですか、こんな時間に?」
そう言いながら近づく教頭は、心なしか怒っている様だった。恐らく、こんな時間に学校に来たすずかに対して怒っているのか、もしくは呆れているのだろう。無論、それは遅刻という面ではなく、野外外出という面での話でだ。
「あ、あの……これは」
「前にも言いましたよね?こんな時間に出歩くなんて危険だと。しかも、今日は前よりもずっと遅い時間に出歩いて……親御さんが心配してますよ」
叱る口調で言うが、すずかにはその言葉が巧く入ってこない。
これではまるで、本当に自分だけがタイムスリップをした様ではないか。
「教頭先生。今、四時……ううん、五時ですよね?」
「何を言ってるんですか。今は午後八時、アナタの様な子供が外を出歩いて良い時間ではありませんよ」
教頭はやれやれと首を振り、
「とりあえず、中に入りなさい。一人で帰すわけにはいきませんから、私がお自宅まで送ります。いいですね?」
わけがわからない。
すずかは混乱して周囲を見回す。
空は当然の如く星空、満月が光輝いている。
背後を見れば街には人工の光が灯り、それが完全に夜である事を示している。
「なんで……どうして?」
呆然とするすずかの手をとり、教頭は校舎の中に入っていく。
「荷物をとってきますから、ちょっと待てなさい」
そう言って教頭は職員室へ向かって行く。
残されたすずかはどうしようもない不安感を抱きながら、一人佇む。
本当にわけがわからない。
気づけば時間が進んでいる。外も暗くなっている。
「…………」
不安が大きくなる。それ故に一人で廊下にいる事が怖くなってしまった。
「あ、そうだ」
もしかしたら、という想いですずかは歩き出す。
目指す先は壊れた壁がある教室。
そこなら誰か、あの壁を直すオジサンがいるかもしれないという想いから、すずかはその教室に向かったのだが、
「……いない」
そこにあるのは、綺麗に補修された白い壁があるだけだった。まわりには何時もの様に工具などが置いてあったのだが、今日はそれはがない。完全に修復作業を終わらせたのだろう、そこにはあの男の気配は一つもなかった。
大きな溜息を吐き、仕方なく元の場所に戻る事にした。何が起こったのかはまるでわからないが、とにかく此処になのはがいないという事だけはわかった。
今日は会えない。
なら、明日なら会えるかもしれない。
「うん、そうだよね。明日、明日があるから大丈夫」
今日の勇気を明日まで継続できるかはわからないが、それでも諦める気はまったくない。自分自身に気合を入れる意味を込めて、頬をパンッと叩き、
「い、痛い……」
力を入れ過ぎたらしく、涙目になっていた。
「何をしてるんですか?」
そんなすずかを奇妙な者を見る様な眼で教頭が見ていた。
「ちょっと気合を……」
「気合を入れる意味がわかりませんが……まぁ、いいでしょう。それでは、帰りますよ」
そう言って教頭がすずかの手を掴んだ―――瞬間、



背筋が凍る程、悲鳴を上げそうな程、強烈な殺意を感じた。



「キャァッ!!」
悲鳴を上げながら、反射的にすずかは教頭の手を振り払った。
「月村さん?」
「あ、あ、あの……」
しまった。
こんな失礼な事をしてはいけない。謝らなくては、そう思って謝罪の言葉を口にしようとするが、何故か脚が勝手に後ろに下がる。
怖い。
どうしようもなく、怖い。
「どうしました、月村さん?」
怖い。
目の前の見慣れた人間が【別人の様で怖い】。
「どうしました、月村さん?」
教頭の顔は変わらない。
「どうしました、月村さん?」
能面の様に、一切の表情を浮かべず、
「どうしました、月村さん?」
同じ言葉を羅列し、すずかに歩み寄る。
目の前の存在が本当に教頭なのか。それ以前に人間なのかわからない。唯一わかる事は、手を掴まれた時に感じた圧倒的な殺意という恐怖。それだけは気のせいであるはずがない。
だから、すずかは背を向けて走り出す。
「どうしました、月村さん?」
だが、捕まった。
手を掴まれ、皮膚に感じる温度は完全に零。
氷の様に冷たく、人間味の欠片も感じられない程に冷めきった体温。
人間の温度ではない。
まるで、人形の様な体温。
「は、は……放して!!」
反射的に力を行使する。
すずかの手を掴んだ教頭の身体は浮き上がり、天井に叩きつけられ、床に頭から落下する。
瞬間、すずかはしまったという顔をした。
仮にこれが人間だとするのなら、今のは完全な致命傷。
しかし、その心配はまるで必要がなかった。
「どどど、どうしま、どうしままま、まししたたた、つきむ、むら、むらむむむらさんんんんんんんん?」
置き上がったソレは人間ではない。
首が九十度に折れ曲がり、手足があり得ない方向に曲がりながら立ち上がる。天井から糸を垂らし、それによって操られている人形の様な動きをしながら、壊れたレコーダーの様に声を吐き出し続ける。
「―――――――ッ!!」
言葉にならない悲鳴をあげた。
逃げる。
逃げるしかない。
生存本能がそう叫び、走りだす――――が、脚はすぐに止まった。
「―――――――」
目の前には人がいた。
一人ではなく、何十人も。
廊下の幅を埋め尽くし、軍隊の様に規則正しく並んだ人々。しかも、それは全員がこの学校の生徒と教師。
ただし、その全員が教頭と同じ様に人としての意識など存在せず、人形の様に―――人形その物の様に一斉に無機質な瞳ですずかを見据え、
一斉に
「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」
と、呪詛をまき散らした。
今度こそ、今度こそ、本当の悲鳴を上げた。
その恐怖に、異常性に、立つ事も出来ずに尻もちをつく。
「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」「どうしました、月村さん?」
逃げる。
立ち上がる事は出来ないが、這ってでも逃げる。だが、逃げようとした先には壊れた人形となった教頭の姿がある。
逃げ場はない。
恐怖から逃れる場所すらない。
「あ、ああああ、ああああ……」
絶望、その言葉がすずかを支配する。
どうして、こんな事になった。
自分はこんな事を望んだわけじゃない。
自分はただ、なのはと話がしたかっただけ。
話して、話して、もう一度友達になりたかった。
それだけなのに、
「た、たす……けて……」
誰でもいい。
誰でも良いから、このホラー映画の様な世界から自分を助けて欲しい。
誰か、誰か、誰か、
「誰か―――――助けて!!」
壊れた教頭の手がすずかに伸びる。
終りだ。
そう思った。
そう思った瞬間だった。
ガンッという鈍い音が響いた。
その音は教頭の背後から、鉄パイプの様な物で何かを殴打した音だった。それを証明するように、教頭の身体がグラリと倒れ、
「月村さん、大丈夫ですか!?」
倒れた教頭の背後から、もう一人の教頭が姿を現した。
「教頭、先生?」
新たに現れた教頭は壊れた人形の様に壊れては無かったが、頭から血を流し、身につけている服にまで血が付着している。それでも目の輝きは人形ではなく、人の意思を宿した光がしっかりと写っていた。
教頭が手を伸ばし、すずかの手を取る。
手の体温を、人の温もりは確かに感じられた。
「立てますか?」
そう言われ、立とうとしたが立ち上がれない。
無理だと首を振って伝えると、教頭は人形を殴った鉄パイプを放り捨て、すずかを抱えて走り出した。
「怪我はありませんか?」
「は、はい――――それより、教頭先生、頭から血が!!」
「大丈夫です。ちょっと殴られただけですから……」
問題は無いと言ってはいるが、その顔には明らかな苦痛の色が浮かんでいる。抱きあげられた事でわかったが、服に付着した血は頭から流れた血ではなく、服の下から出血している傷だった。
「わ、私、自分で走ります!!」
「腰が抜けて走れないのでそしょう?なら、私がこのまま――――」
そう言って教頭は走る。背後からはゾンビの様に人形達が追ってくる。
「何なんですか、あれは?」
「わかりません。ですが、先程まであんなモノは校舎の中にはいなかったはずです。私も職員室に戻った時、自分と同じ姿をしたアレに襲われましたが――――多分、人間ではありません」
走る度に床に血が堕ちる。それだけ重傷だということだろう。走りながら、しかもすずかを抱きながら走るという行為はそれだけで傷を悪化させる。だが、完全に走る事が出来なくなった今、すずか自身で走る事は不可能。
情けない。
心の底からそう思った。
結局、自分はまた誰かに甘えている。
こんな傷だらけの人にまで甘えて、自分でも何も出来ない。
あまりにも情けない自分に、涙が込み上げてきた。
「ごめんなさい……」
「何を謝るんですか?」
「だって、私……教頭先生のお荷物で」
すると、教頭は普段は見せない様な顔で、
「馬鹿を言わないでください……私は教師です。教師は、教師である私が、生徒をお荷物だと想うわけないじゃないですか」
「教頭先生……」
笑っていた。
こんな状況だというのに、教頭はすずかを安心させる様に微笑み、
「大丈夫ですよ。どんな事があろうと、私は【生徒の為に命をかける】なんて事はしません」
その言葉は冷たいとは思わない。
言わなくてもわかる。
これは、誰かの為に自分が犠牲になるなんて行為は絶対にしないという決意だった。
子供の自分でも、その意思はしっかりと理解できた。
だが、

「――――――随分と冷たい事を仰るのですね、教頭先生」

子供にすら理解出来る事を理解しようとしない愚かな者もいる。
聞きなれた声に、教頭は油断した。
それが決定的な油断を作る。
轟ッと廊下を駆け巡る嵐。
人の身体などあっさりと吹き飛ばす轟風によって二人の身体は宙に浮かび―――校舎の外、グラウンドに放り捨てられた。
その事を理解する間もなく、教頭は限られた理性を総動員して腕に抱いているすずかを庇う様に自分が下になり、地面に背中を打ちつけた。
「うぅ―――――ぁ」
「教頭先生!?」
「だ、大丈夫で、す……この、くらいは……」
背中を強く打ちつけた事で身体が動かないのか、教頭は転がる事も、立ち上がる事も出来ない。
そんな教頭をあざ笑うかのように――――魔女が舞い降りた。
「あはははははは、教頭先生。随分と情けない恰好ですわね」
知っている声だった。
だが、知らない声でもあった。
グラウンドの一人立つのは闇の色をした魔女。
普段の姿とはかけ離れている恰好をした女教師。
「帝先生……」
すずかに呼ばれ、
「はい、そうですよ。月村さん」

帝霙は―――スノゥ・エルクレイドルは嗤った。

スノゥの姿を見た教頭は目を見開き、すずかも同じ様な顔をする。その顔が面白いのか、スノゥはケタケタと耳障りな音を響かせ嗤う。
「痛そうですわね、教頭……痛いですよねぇ。えぇ、痛いですとも……でも、駄目ですよ?あの場で抵抗なんてしなければ、明日の朝には何時も通りの日常が待っていたのに、生徒の為に立ち上がる熱血教師ぶるなんて――――無様ですわぁ、無様無様無様……無様の一言ですわ」
「帝先生、どうして……どうしてそんな酷い事を言うんですか……」
普段の霙なら決して言わない言葉だった。だが、今の彼女こそが本当の帝霙であり、スノゥ・エルクレイドルなのである。
「酷い?あら、そんなに酷い事を言いましたか、私……う~ん、あんまり酷い事を言ったつもりはないんですのよ、私は?」
雰囲気が違った。
姿は勿論、何もかもが普段の、すずかの知っている教師の姿ではなかった。
教頭はなんとか身体を起こし、すずかを守る様に背に隠す。
「帝先生、これはアナタが行った事なのですか……だとすれば」
「だとすれば、何ですか?許しませんか?いいですよ、許さなくても。でも、許してくれると嬉しいですわね。だって、アナタ達みたいな害虫に許されないなんて、エルフの誇りが汚された気分ですわ」
エルフという言葉に二人は眉を顰める。
それはお伽噺、童話に出てくる架空の種族の名前だ。
だが、目の前にいるスノゥの耳はそれを現すかのように長く、尖っている。
「何故、こんな事をしたんですか……」
「理由は簡単です。その子のせいです」
スノゥはすずかを指さす。ここで自分に矛先が向くとは思ってもなかったすずかは、呆然と自分自身を指さす。
「私、の、せい?」
「そうです。アナタのせいですよ、月村さん。アナタが調子にのって学校なんかに来なければ、なのはさんに近づこうとしなければ、何の問題もなかったのですよ……」
なのは、という名前が出た瞬間、すずかは鈍器で殴られた様な衝撃を受ける。
「困るんですよ。今日は大切な儀式があるんです。その為にアナタみたいに希望をその手に~みたいな顔であの子に会ってもらっては困りますわ」
「どういう、意味ですか、それは……」
「そういう意味ですわ。正直に言えば、アナタの役割なんて三年前から既に無いんですけど、もしかしたら面白い事になるかもしれないから、特別になのはさんの【友達】として残してあげたんです。でも、駄目ですね。面白いから残すと、先日の様になのはさんに無駄な衝撃を与える事になってしまいます」
反省してます、とスノゥは溜息を吐く。
だが、すぐに元の不気味な笑みを作る。
「ですから、これ以上なのはさんに余計な衝撃を与えない様に、アナタの中の時間をちょっとだけ進ませてもらいましたの。気分はどうですか?疑似タイムスリップをした感想はどうですか?」
「あれは、アナタの仕業だったんですか!?」
「えぇ、その通りですわ。と言っても別に本当にタイムスリップしたわけではなく、単にアナタの意識を一時的に時間という感覚を失わせ、同時に同じ所を何度も何度も回る様にしただけなんですけどね」
カラクリは三つの暗示で十分だった。
一つは時間の感覚を麻痺させるという行為。
すずかの中で時計を見た記憶は確かにある。だが、それは何度も見たというわけではない。たった一度だけ見た時間を暗示によって【時間が進んでいない様に想わせた】だけにすぎない。
そしてもう一つは、目的地に近づけないという暗示。
これも時間の感覚を狂わせると同様に、無意識に遠回りさせる、もしくは同じ道を何度も通らせるという二つを植え付けるだけ。
「そして最後は、視覚の暗示ですかね。アナタが学校の前についた時、最初の二つの暗示は解除して、新しい暗示をかけました。それは【明るさを逆転させる】という暗示ですわ。簡単に言えば、明るい昼を夜だと思いこませ、暗い夜を昼だと思いこませるのです」
自慢げに説明するスノゥだが、二人には理解できない。
確かに人妖能力はそういった魔法の様な事を可能とする。だが、それは決して魔法の様な力ではない。
そして、スノゥの言ったソレはまさに魔法。
教頭は信じられないという様に、
「まさか、魔法だとでも言うのですか……」
「えぇ、魔法ですわ。アナタ達の様に人妖能力でしか異能を知らない方々には、少々びっくりしますでしょうけど……」
魔法は存在する。
この世界には無くとも【何処かの世界】には存在する。
そして、この魔女はその世界から来た存在。
「ちなみに、ですが……」
パチンッと指を鳴らすと同時に、校舎の中にいた人形達が一斉にグラウンドに現れた。
「これも魔法の一種。ゴーレム生成の応用というか、単純な操作魔法なので、それほど驚くべき事でもありませんわ」
「アナタは、何者なんですか!?」
「何者と言われても、通りすがりの魔法使いですわ」
当然の事を聞くなと言わんばかりに、スノゥはほくそ笑む。
「そして、そんな魔法使いの邪魔をするクソガキを恐怖に陥れて、絶望させて殺してあげようとわざわざこんなセッティングまでしたのですが――――まさか、教頭先生が邪魔をするとは思ってもみませんでしたわ」
スノゥ自身、すずかの事はどうでも良い存在だった。しかし、彼女のせいで【鍵】であるなのはに無駄な衝撃を与え、尚且つまた何かをしようとしている彼女を目触りだと思っていた。
「邪魔しないでくださいね、教頭先生。その子を殺せば、もう私の鬱憤晴らしも終わります」
「…………子供を、何だと思ってるんですか!?この子は、月村さんはアナタの生徒ではないのですか!?」
「生徒ですよ。だから【教師である私は生徒をどう扱おうと自由】なんですよね?」
絶句した。
この魔女は本気でそんな事を言っている。
本気で子供を、生徒をそういう存在としか思っていない。
「教師にあるまじき発言ですね」
「教師になったのだって、単に手に職を付ける為。というより、色々な人妖を観察する為の手段ですわ。私としては、教師というか先生というか師匠というか、そういう偉ぶっている連中が大嫌いですの」
漸く理解した。
すずかも、教頭も。
この魔女は自分達の知っている帝霙ではない。そして、自分達は帝霙という存在を一つも理解していない。
仮面の下の素顔はこんな存在。
残忍であり狡猾であり、教師という職業についてはいけない人間だということだ。
「私も、人を見る眼が無いようですね。アナタの様な人間を教師の一人だと本気で思いこんでいました」
「買被りすぎですわ、教頭先生。私、最初から教師が大嫌いで生徒も大嫌いな、ただの魔法使いですから」
「私の生徒の前で、そんな事を言うのはやめなさい」
「――――命令しないでほしいですわね」
スノゥの手がサッと上がると同時に、二人の周囲に小さな爆発が起こる。
「わかりますか?現状の優勢は私です。最初からこの先も、アナタ達が死ぬまで永遠に私が上、そっちは下ですのよ?」
ケタケタと嗤う。それに釣られた人形達も同じ様にケタケタと嗤う。
真夜中の響く人形と魔法使いの嗤い声。
背筋を凍らせるには十分すぎるほどの、怪異。
そんな魔女から生徒を守る教頭を見て、スノゥはこんな事を尋ねた。
「前々から思っていたんですが……どうして教頭先生は教師なんて下らない職業を続けてるのですか?」
「…………」
「私は三年ほど教師をしておりましたが、どうも楽しいと思えないですよ。むしろ、無駄な事を積み重ねている様な気がしてなりません。幾ら教師が生徒に勉強や人としての何かを教えたところで、生徒が本当にその通りなるなんてあり得ませんよね?」
「…………」
「無駄ですよ、無駄。教師なんて存在は無駄の一言。第一、この学校を巣立った者達が何時まで教師という存在を覚えているんでしょうね?きっと、半分以上は教師の事なんて覚えてもいないでしょうね。覚えているのはくだらない学校生活を謳歌したという勘違いと、それを邪魔する教師という厄介者。名前も覚えず、厄介者に邪魔されたという記憶しかないでしょう――――そんな存在に、価値などあるのでしょうか?」
教頭は答えない。
「教頭先生……」
不安そうに教頭の背中を見るすずか。
そんな事はないと言ってやりたい。だが、この問いに答えられるのは教頭だけ。自分は生徒であり、卒業すらしていない三年生だ。
だから、わからない。
もしかしたらスノゥの言う事が正しいのかもしれない。
でも、否定してほしかった。
そんな事は無いと、力強く否定してほしかった。
「―――――確かに、それは正論ですね」
その願いは、あっけなく崩れ去る。
教頭は苦笑しながら答えた。
「アナタの言う通りでしょうね、魔法使いさん。生徒は教師の思う様には育ってくれない。今は良い子であっても時間が立てば犯罪者になるかもしれない。そして私達の様な教師の事なんて名前すら忘れ、あんな邪魔者がいたなという程度の存在に成り下がるでしょうね」
「えぇ、そうですわ」
「教師なんてその程度なんです。勉強を教えるだけ、人としての当たり前だけを教える程度のつまらない存在。家族でも友人でもない全くの他人……そんな者を覚えている生徒なんてきっといなでしょう。特に、私の様な堅物の事なんて尚更覚えていないでしょう」
「まったくですわ。私の師匠は教頭先生の様な堅物でしたから、名前も思い出せないくらいに忘却させていただきました」
教師は聖職者ではない。
唯の人間だ。
何時から教師は聖職者などと呼ばれる様になったかはわからないが、今となってはそれは迷惑以外の何物でもない。
唯の人間が唯だの人間に何かを教える、そんな事は誰にでも出来る事はだと教頭は思っている。
「うふふ、そういう点から見れば、教頭先生は私の師匠よりも少しはマシですわね。本当に、殺すには惜しい方ですわ」
楽しそうに嗤うスノゥ。
ソレを見て悲しくなるすずか。
そして――――笑みを消した教頭。

「ですが―――――それの何処に問題があるのですか?」

「は?」
立ち上がる。
ボロボロの身体で、立ち上がる。
唯の人間、唯の教師。人妖でも魔法使いでもない。武術の心得があるわけでもなければ、何の変哲もない唯の一般人が、立ち上がる。
「良いではないですか、それで……」
嗤いには、笑いを返す。
教師は嗤わない。
教師は子供の為に笑うのだ。決してあんな下種な笑みは浮かべない。
「教師など記憶に残らなくて構わない。生徒が思い出すのは学校で培った経験と、友人との楽しい思い出、もしくは辛くとも誰かと分かち合った何か……それだけあれば十分だと思いませんか?」
教師という意味とは何か。
教頭は心の中で再度確認する。
「教師は記憶に残らなくて良い。教師は生徒が先に進む為の土台であり踏み台であり、階段であれば良い……」
どうして自分が教師になったのか、それを思い出す。
「伝えるべきは想いと言葉。それが伝えれば私達は思い出にすらならなくても構わない。アナタの言う様に、楽しい思い出を邪魔した愚か者として記憶してくれば万々歳。私はそれ以上の【幸福】を望みはしません」
一人の教師がいた。
普通の教師だったが、人妖だった教師。
皆から白い目で見られながらも、皆に何かを残そうとした教師がいた。
結局、その今日は人妖だという事で学校を辞めさせられた。
誰もがその教師を人妖としか見ようとせず、教師として見てはいなかった。
だが、数年が経ち、その時の生徒達が同窓会という事で集まった。
そして、誰かがぽつりとこんな事を言った。
『先生……来ないな』
その一言に誰もが驚き、誰もが同じ事を想っていた。
人妖だった。だが、教師だった。
教師が教えてくれた事が今の自分を作っていたのは否定できない事実。だから、今になって、それがはっきりと理解できた。
なんて様だ。
教師を追い出したのは自分達だというに、どうして今になって教師の存在を、教師を教師だと認める事が出来たのだろうか。
悲しかった。
悔しかった。
謝りたかった。
でも、全ては遅い。
心に残ったのはそんな重すぎる後悔だけ。
だから、
「忘れられて良いのよ、私は……」
自分が教師になったら、誰にも思い出されない様な教師になろう。だが、それでも教える事だけは忘れないようにしよう。
自分という教師は忘れても、伝えた事だけは忘れないでいて欲しかった。
「――――だから、私は生徒の為に命はかけない」
重みを背負わせない。
「自分の為に死んだなんて事は想わせない。だからアナタには殺されない。そして月村さんも殺させない!!」
重みを生徒に仮せる、記憶に残る教師になんてなりたくない。
これはきっと強がりだ。
あの教師、加藤虎太郎という教師はきっと自分とは違う。
この学校を育った生徒はきっと彼の事を覚えているだろう。生徒の為に動き、生徒の為を想って行動できる強い教師。あんな教師なれたら幸福だろう。だが、全ての教師、全ての人間が彼の様に強いわけじゃない。
唯の人間には、ソレに相応しい領域がある。
自分はその領域で、精一杯足掻くだけ。
大きく手を広げ、後ろにいる未来ある子供を守る。
「あの……教頭先生?私の勘違いでなければ良いのですが……アナタは私と戦う―――そう言ってます?」
心底呆れた顔でスノゥは教頭を冷めた目で見つめる。
ソレに対しての返答は決まっている。
「聞き間違いではありません。戦ってやる……そう言ってるのですよ」
「矛盾してません?」
「矛盾してるでしょう。おかしいでしょう」
自分でわかっていると、教頭は小さく微笑み、



「それでも私は――――教師ですから……」



何故、立つのかと問われれば。
何故、立ち塞がるのかと問われば。
何故、そんな思いを持って矛盾した思いを貫くと問われれば。
彼女は何度もでも同じ問いを返すだろう。
己が教師だから。
悔しい事が一つあるとすれば、きっと殺される。
あの力はもちろん、自分達を囲んでいる人形を前に力もない人間がどう足掻いても勝てるわけがない。
それでも、教師である限り―――いや、一人の大人である限り、子供だけは絶対に守る。
「教頭、先生……」
「馬鹿げてますね。心底馬鹿げてます」
スノゥの顔に笑みはない。むしろ、蔑む様な下劣な視線を教頭に向けている。
「アナタも結局は私の師匠と同じですわね。そんな押し付けがましい願いを生徒に向ける時点で、聖職者とは呼べません」
「……そういえば、私も一つだけアナタに尋ねたい事があります」
教頭はスノゥを見据え、
「先程から師匠師匠と言っていますが……結局、アナタもアナタの師匠を、先生を忘れられないのではなくて?」
「――――――ッ!?」
初めて、スノゥの顔に驚愕の色が浮かぶ。
しかし、それはすぐに憤怒の表情に変わる。
「あ、あな、な、アナタは……私を侮辱するのですか!?」
「今のアナタを肯定する所なんて一つもありません。アナタは教師失格です。そして、アナタの先生である方に詫びるべきです」
「…………えぇ、そうですか。良いですよ、良いでしょう……」
人形達が震える。
ガタガタ、カタカタと震えると同時に手が鋭い刃へと変化する。そして、その背後の地面から巨大なゴーレムが出現する。
「殺しますね?殺しますけど、良いですよね?大丈夫です、すぐには殺しませんわ。まずは手足を何度も何度も突き刺し、その後に切断してあげます。そしたら身体の内臓という内臓全てに刃を刺し込み、抉り取り、それから脳髄をぶちまけて殺して差し上げます」
最早、スノゥの顔に遊びに表情はない。
本気で殺しにかかる。
本気で惨殺の限りを尽くす。
「―――――月村さん。私が時間を稼ぎますから」
「嫌です!!」
「月村さん……」
「絶対に嫌です!!絶対に、絶対に……先生を、置いていくなんて、逃げるなんて死んでも嫌です!!」
「別に死ぬつもりはありませんよ」
嘘だ。
すずかでもわかる。
教頭の目には生きる意思はなくとも、すずかを守るという意思はある。
そして、そんな教頭に守られる自分は一体何なんだろう。
力もない。
弱虫で意気地なしな子供でしかない。
守る事もできない。
何もできやしない。
「…………助けて」
誰でも良い。
神でも悪魔でも良い。
「誰か、助けて」
奇跡の様な偶然でも良い。
漫画の中に出てくるヒーローが突然現れても文句は言わない。
この場で、自分を、教頭を助けてくれる誰かが欲しい。
それが叶うなら、もう泣かない。それを叶えてくれるのなら、努力だってする。これから先、同じ事があったら誰かを守れるくらいに強くなる。強くなって誰かを救ってやれる存在になる。
月村としてでも良い。
月村すずかとしてでも良い
この血を受け入れ、この力を否定しない。
だから、
「誰か……助けてよ!!」
叫ぶ。
「ふん、こんな時に都合の良い奇跡でも起きるとでも?残念ですが、この辺りに【人妖は近づけません】。そういう仕組みを作りましたので――――諦めて死になさい」
人形の刃が一斉に牙を向く。
その後に続いてゴーレムが動き出す。
教頭はすずかだけでも守ろうと彼女を抱きしめる。
奇跡は起きない。
奇跡は起きない様に出来ている。
如何にこの世界に奇跡が日常茶飯事にあろうとも、誰の手にもそれが預けられるわけではない。
魔女は嗤い。
教師は死ぬ。
そしてすずかも死ぬ。
それがこの世の摂理であり、運命。

現実に神も悪魔もいるかもしれないが、此処にはいない。
現実にヒーローはいるかもしれないが、此処にはいない。
此処にいるのは、魔女と教師と少女。














そして、鬼が一匹

















爆音は響く。
猛獣の様な唸り声が響き、巨大な機械の化物が姿を見せる。
それは夜の闇を切り裂くハイライトを煌かせ、校門の柵を速度と重量によって生み出された威力をもって粉砕する。
宙に舞う鉄の柵。
その真下を潜る様に疾走する怪物。
「――――――ッ!?」
魔女の驚愕。
そんな雑音など知った事かと、怪物はまっすぐに一点を目指す。
グラウンドで公演されている無慈悲な人形劇は、大型バイクの突進によってあっさりと崩壊する。人形の部品が宙に舞い、教師と少女に振りおろされた刃は無残にも砕ける。
バイクは突っ込んだ衝撃によって横倒しになるが、勢いは殺せない。地面を激しく擦りながら真っ直ぐにゴーレムの元へ向かう。
その時、バイクに乗っていた者はどうなったかと言えば。
「――――――ッハ」

【横倒しになったバイクの側面に乗り、嗤った】

男は長い白髪。
男は隻眼。
男は作業服。
それは男という人間でありながら――鬼。
鬼の笑みに命無きゴーレムは迎撃態勢を作る。
相手に武器はない。
武器といえば横倒しになったバイクだけ。あれが爆発すればそれなりのダメージになるだろうが、完全破壊は不可能。よって、その上に乗っている者を迎撃し、撃破する。
生ぬるい考え、その一言に尽きる。
横倒しになったバイクは真っ直ぐにゴーレムの元へ突き進み、その上に乗った男は一切動かない。恐らく、激突と同時に飛び降りるつもりだろうとゴーレムは推測する。
よって腕は大きく振り上げるが、バイクが激突し、爆発炎上する時に振り降ろしても遅い。この一撃を振り下ろすのは、バイクから相手が跳んだ瞬間に叩きこむ。
その瞬間は近い。
男は降りない。
男は飛ばない。
それどころか、バイクの上で構えを取る。
脚はしっかりと【バイクの上に固定】して、迫りくる巨体を隻眼にて捉える。
拳は握らない。
拳は開き、掌を突きだしている。
右手を前に突きだし、左手は弓を引く様に引き絞る。
そしてその瞬間は訪れる。
ゴーレムは腕を振り下ろさない。
男が跳ぶ瞬間は待つ。
待つ。
待つ
待つ。
待つ
待――――――跳ばない。
「阿呆が」
小さな呟きは確かにゴーレムに届く。
よって、これにて決着。



男はバイクから跳び下りず、バイクの速度と掌の速度を合わせて、引き絞った掌をゴーレムの身体に叩きこんだ。



男の掌はゴーレムの身体に植え付けられた赤い宝石に直撃する。その宝石自体がかなりの強度を持っているにも関わらず、宝石は男の一撃を受けた瞬間に―――【内部】から破壊された。
そして爆発。
男とゴーレムを巻き込みながら、巨大な炎が上がる。
「なに?自殺志望者ですの?」
当然の疑問だろう。
だが外れだ。
巨大な炎が上がると同時に――――巨大な人の影が飛び出した。
炎を浴びながら、着ている作業服を微かに燃やしながら、それでも一切のダメージを感じさせない疾風の如き疾走。
人間とは思えない速度で男は次の獲物へと襲い掛かる。
ゴーレムの次は人形。先程何体かバイクで轢き壊したとはいえ、全てではない。現に今にも教頭とすずかに襲いかかろうしている。
「させるか―――ッ!!」
演武が始まる。
まず最初に餌食になったのは教師の人形。
男の蹴りの一撃で人形の首は吹き飛ぶ。自分の首が無くなった事に気づきもせず、男に襲いかかる人形に、首を吹き飛ばしたハイキックをそのまま円を描く軌道にて、脚に叩きつける。
この人形の強度は並の人間よりはかなり高い――はずなのだが、男の蹴りは人形の脚を折るどころか【切断】した。
脚を失った人形が地面に倒れる前に次の獲物へ。
今度は学校の生徒を真似た人形。
先程の教師の人形よりは小さい。よって、脚を天に掲げ、断頭の如き踵落しを喰らわせる。
頭、胴体、股の全てを一撃で切断。踵が地面に落ちたと同時にそれを軸足として身体を回転させて体勢を低くしたままの低空掌打を別の生徒の人形に叩きこむ。
人形は吹き飛ぶ事はなかった。代わりに、震動を十割丸ごと浸透させた身体はその場で崩れ落ちた。
「な、何なんですか……アナタは!?」
蹂躙されている。
自分が作りだした人形があんなにもあっさりと蹂躙される。いや、それはまだ良い。そんな事は昨日の虎太郎の時点で大分驚かせられたので構わない。
問題は、どうしてこの男が校内に入って来れたか、という事だ。
「何故、何故!!」
「まったく、五月蠅い奴だ……」
人形の頭を掴み、握力にて握りつぶす。
「何をそんなに驚いている」
「どうやって入って来たのですか……この結界の中には入れないはずなのに」
「入れない?そうか、普通は入れないものなのか……いや、気づかなかったな」
「そんなはずは……そんなはずはないですわ!!この結界は人妖には絶対の効力持っているはずなのに―――――」
そう言って、スノゥは気づく。
まさか、あり得ないと思いながら、
「アナタまさか……人間、なのですか?」
「だとしたら?」
男は意地の悪い笑みを浮かべながら、ワザとらしく言った。
「まさか、人間程度なら入ってきても殺せる。人間程度ならあんな木偶人形の一体でもいれば余裕で殺せる――――なんて、間抜けな事を考えていたわけじゃあるまい」
正にその通りだった。
想定していなかった。
人間に、唯の人間にどうにか出来るゴーレムでも人形達でもない。
だが、現にそれはあっさりと覆された。
魔女は知らない。
魔女が知っているのは人妖という存在だけ。

【鬼】という存在など、知るはずがない

教頭、そしてすずかは漸く我に返った。
圧倒的な数を前に、圧倒的な力を持って撃破した男。
「オジサン……」
「アナタは、どうして……」
二人の質問に男はあっさりと答える。
「いやな、ちょっと忘れ物を取りに来ただけなんだが……まさか、こんな展開になっているとはな……ククッ、流石にこの展開は子供の姿をした神でも妖弧でも思わんだろうな」
忘れ物を取りに来て、校門をぶっ壊すとも思わないだろう。
「にしても、バイクはこれでオジャンか……請求書は誰に出せばいい?」
親指でスノゥを指さし、
「アレに出せばいいのか?」
「アナタ……何者ですか!?」
「何者と聞かれても……通りすがりの土木作業員だが?」
「ふざけているのですか!?名を名乗りなさい……名を、名乗りなさい!!」
男は面倒そうに頭を掻きながら、ふとある事を思い出す。
「そういえば、お嬢ちゃんには名乗ってなかったな」
ワザとらしく―――というより完全に、そして見せつける様に、名乗れと言ったスノゥに背を向け、
「自己紹介が遅れてすまない」
男は言う。
すずかに向け、己が名を口にする。



「九鬼耀鋼だ――――まぁ、今までと同じ様にオジサンでいいぞ」








次回『海鳴‐みんな‐』






あとがき
あと一話で終わるわけがない。
というわけで後二話です。
今回の主役はすずか――――ではなく、教頭先生というオチ。
そして真打ち登場。
九鬼先生、戦線復帰です。
書いてて楽しいね、こういう人って。

にしてもあれですね、この海鳴の街においてなのはさんの戸籍はかなりめちゃくちゃンになっている様です。
作中で忍が言っていた事を要約すると、
真実を隠す為に嘘を作り上げ、嘘を見破ろうとした人に嘘を見せて嘘を本当に変えたけど、見破ろうとした人だけは騙されても他の人はそうじゃなくて、そうじゃない人がそれを知ったらまだ嘘を隠して……結果、何が嘘で何が本当かわからない状態になった、高町なのはという少女

俺、何言ってんだろう?
まぁ、いいか。

というわけで、次回は前回の次回題名の『海鳴-みんな-』です。
副題は『深夜の海鳴大決戦、殲滅戦だよ全員集合!!』です。
次回は完全にバトル回です。
圧倒的なバトル回です。
討って打って撃ちまくるバトル回です。
そんな感じで、さようなら~

















海鳴のとある中華飯店。
「ほい、チンジャオロースに天津飯、ついでにチャーハン大盛りいっちょあがり!!」
スキンヘッドの店主の粋の良い声でカウンターに器を乗せる。
「にしてもアンタ、そんなに食って腹は大丈夫なのかい?」
「問題ない、なにせ一週間以上まともに食事してなかったもんで……ん、美味い」
幾ら一週間もマトモに食事をとっていないからといっても、と思いながら店主は先に出した巨大チャーハンとマーボー丼をトンデモない速さで食す男が食べたどんぶりタワーを見る。
山の様に、という言葉が似合いすぎる程の山を作りながらも、男の食事スピードはまったく変わらない。
「おっちゃん、あと餃子とラーメン追加」
「お、おう……食材持つかな?」
頭を掻きながら厨房に戻る。
厨房ではバイトの蒼髪の少女が一心腐乱にネギを斬り、その隣でオレンジ色の髪をしたツインテールの少女が中華鍋を振るっている。
「二人とも、悪いんだけど追加オーダーだ」
「はァッ!?今でも十分に大変なんですけど!!」
「そうですよ店長。これはバイト二日目の私達にやらせる量じゃないですよ……」
「それはそうなんだけどね、あのサラリーマンっぽいお客さんが偉い勢いで食べるもんでね」
蒼髪の少女は目を細めて客を見る。
「あの人、堅気の人なんですか?なんか、来ているシャツに血がついてますけど」
中華鍋を振るう少女は特に興味も無さそうに、
「止めときなさい。あんまり見てると――――取られるわよ」
「何を!?」
「あぁ、二人とも。そういうわけで餃子とラーメン追加ね」
「店長。私、今日でバイト辞めます」
「右に同じく」
「そんな事を言わないでよ、二人とも。確かに二人のバイト時間は終わってるけど、これも店の為だと思って……ね?」
必死に頼む店長だが、二人はまったくそんな気はないのか、
「これでも高校生なんですよ、私達」
「そうですよ店長。これ以上遅くなったらお父さんに外に放り出されちゃうし……」
「私は早く家に帰って兄さんの寝ているところを襲わないといけないんです」
「中島さんはごめんね。ランスターさんは……なんか、どうでもいいや」
「…………はぁ、しょうがないか。店長、残業代追加ですからね」
「これも兄さんの為。兄さんの為――――あ、思い出したら鼻血が」
蒼髪の少女は相方にティッシュを渡してさっさと餃子を焼き始め、相方はティッシュを鼻に詰めてはラーメンを作り始める。
「それにしても、変わった客だな」
見た目はどう考えても普通じゃない。
ボロボロのスーツにシャツは血だらけ。頭には応急処置な感じに適当に巻かれた包帯。とりあえず病院に行く事を進めたいのだが、
「血が足りないからな。食って取り戻すだけだ」
そう言って男は食事を進める。しかも、初めにボロボロの一万円札を三枚突きだし、
「これで食えるだけ喰わせてくれ」
と言ってきた。
「……俺としては問題ないんだが」
金は入る。
新しく入ったバイトには店の全メニューの作り方を教えられる。
幸いな事に客は男一人だけ。
「客は客だし、まぁいっか……」
結論をあっさりと出し、店主は腕まくりして厨房で調理を開始する。





[25741] 【人妖編・第十二話】『海鳴‐みんな‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/04/14 20:50
さぁ、戦争を始めよう




鬼の一撃が人形を粉砕する。
粉砕された人形を足蹴にして新たな人形が襲いかかる。
人形は鬼に手を伸ばす。
鬼は人形の手を払い、掌打にて応える。
一対多の攻防は、一方的な殲滅戦へと変わっていた。
スノゥ・エルクレイドルの描いた脚本は未来はこんな事にはなかった。そもそも、月村すずかを殺すという脚本自体が適当に、そして片手間で作り上げた穴だらけの脚本だったのだ。それに完全性を求めてはいない。完全でなくとも事足りるだろうと本気で思っていた。
しかし、それがあまりにも小さな怠慢だと知る事になった。

鬼がいた。

一対多というあまりにもスノゥに有利な展開、戦場、舞台、盤面だというに、一匹の鬼の力は一対多という盤面をあっさりと覆した。
足手まといは数には入らない。
守りながら戦うのは辛くはない。
何故ならば、こんな相手を数に入れるのも、辛いと思うのも、ましてや負けるなどと思う事自体が馬鹿らしい。
「―――シャッ!!」
鬼の掌打が人形の頭を砕き、その隙に背後から襲いかかろうとした別の人形に肘を撃ち込み、胴体を砕く。
「っふん、足りんな」
人形では駄目だ、ならゴーレムなら。
しかし、ゴーレムを出した所で結果は変わらない。
砕けないだろう。
壊せないだろう。
だが、砕く必要も壊す必要もない。
鬼の、九鬼の掌打とは、
「固ければ、偉いというわけではあるまいッ!!」
身体を回転。
掌打ではなくて蹴り。
回し蹴りでゴーレムの胸元にある宝石へ。
掌打の方が【波】は相手に伝わりやすいだろう。この手、この技は岩の様に堅い身体をした人妖を相手にでき、この技の元となった武術は人外の存在と戦う為に生み出された武術。
ならば、この程度の敵。
「―――ハッ!!」
掌打ではなく、蹴りだとしても、

衝撃の波を伝える事など、苦にもならない。

「まぁ、威力は落ちるがな……だが、脆いんだよ」
九鬼の蹴りは宝石を砕き、ゴーレムの身体はあっさりと壊れる。
「まったく、そこが弱点ですと自分から言っている様な使用だな……なんだ、ここはそういうボーナスステージか?」
肩をすくめながら、隻眼にてスノゥを見据える。
「悪いが、こんなに生ぬるいステージなら最高得点なんぞ余裕で出せるだろうな……それとも何か?まさか、この程度でハードステージだと言う気じゃないだろうな?」
意地の悪い笑みに、スノゥは歯を食いしばる。
その通りだ、その通りだとも。
人間相手にはこの程度で十分だと思っていた。いや、それ以前にこれが自身の【最高戦力】なのだ。
それを、こんなにあっさりと撃破されるとは思ってみなかった。
これが人間か。
いや、これは人間なのか。
「アナタは……人間、なのですか」
「人間さ。どこからどう見ても人間だ。人間以外の何に見える?」
「とてもじゃありませんが、人間には見えませんわ。アナタが人間の基準だというのなら、人間の軍だけで神はあっさりとアナタ方に殺されますよ」
「誉めてるのか貶しているのかは知らんから、礼は言わないでおこう――――それよりも、誰か俺に説明してくれる奴はいるか?とりあえず戦ってみたはいいが、実はどっちが悪者なのかわからないんだ」
そう言いながらも、九鬼の行動は決まりきっている。
善か悪などとは知らない。
今わかるのは、この人形達と魔女のコスプレをした女が、自分の顔見知りを襲っているという理由だけ。
それだけの理由――――十分過ぎてお釣りがくる。
「さぁ、誰が話す?話す間にこの出来そこない共は壊しておいてやる。その時点でお嬢ちゃんと教頭が悪かったら仕方がないから謝ろう。お前さんが悪かったら、もうちょっとマモトなのを作れと言ってやる」
話すまでもない。
聞くまでもない。
スノゥは理解する。この男は話を聞いても関係なく【敵】になる。
九鬼は理解するつもりもない。この魔女が仮に正しくとも、関係なく【敵】にする。
言葉は要らない。
「…………どうやら、私に人を見る目も随分と甘いモノの様ですわね。まさか、アナタのような化物を見逃していたなんて」
「酷い言われ様だな。こんな唯の人間を化物呼ばわりとは―――本物の化物に失礼だぞ」
「どの口が……アナタを化物と称するのならば、それ以外の化物など化物ではありませんわ――というより、アナタは本当に人間?」
「お前さんの人間を見る眼が弱いだけだ。言っておくが、俺が知っている限り、こんな事を壁でやる人間なんてゾロゾロいるぞ。そうだな、例えば【高町士郎】という男がその一人だ」
高町という名にスノゥが反応する。
「高町士郎……ですか。その名を知っていると言う事は、アナタが此処に現れたのは偶然ではないのですね。まったく、何が忘れ物を取りに来たですか、私の邪魔をする気以外の何物でもありませんわね」
「いや、忘れ物は本当だ。あと、偶然だぞ、偶然」
「今更誤魔化しても無駄ですわ。アナタも私の邪魔をする敵だという事は明確ですのよ!!」
さて、どうしたものかと九鬼は考える。
どういうわけか話の流れ上、自分がまるで全てを知っているから此処にいる、という認識になっているのだが、
「悪いが、何の事を言ってるんだ?」
「ですから、誤魔化す必要なんてありませんわ。というより、そんな白々しい演技は辞めてくれます?不快です」
全く知らないというのが真実。
自分は本当に忘れ物を取りに来ただけで、こんな戦闘に巻き込まれている。だが、どうしてか誤解されていう現状。
「――――とりあえず、誰か事情を話してくれんかねぇ」
小声で呟き、苦笑する。それをスノゥは「ふん、お前の事なんて百も承知だ!!」という感じの笑みに見えたのだろう、忌々しい奴だと九鬼を睨みつける。
若干の認識の相違が起こっているが、現実にはあらすじをしっかり説明してくれるオプション機能などあるはずもなく、
「いいでしょう。アナタは私の敵という事にしてあげますわ。月村さんや教頭先生は敵と言うよりも獲物……つまり、その二人を殺せば私の勝ちという事ですわね」
「いや、全然違うと思うぞ。あと、俺の話を聞け」
「問答無用ですわ――――ですが、私も忙しいので、こういう手法を取らせてもらいます」
そう言ってスノゥは指をパチンと鳴らす。
音は周囲に溶け込み、空気を変える。
空気は風に溶け込み腐臭を放つ。
腐臭は周囲の地面を腐らせ、正常な地質を異質なモノに変貌させる。
這い出るはゴーレム。
創造するは人形。
先程までいたゴーレムや人形とは形が違う。今までのモノはあくまで人に似た形をしており、それを前面に出している傾向があった。だが、今度は違う。
人形の身体は完全な異形。人の形をした者は一切おらず、そのほとんどは童話やお伽噺に出てくる怪物の身体をしていた。
ゴブリン、人狼、ドラゴン、リザードマン。
そしてゴーレムも同様に土くれとは違い、強度を増したのだろう。鉄色のゴーレムとして姿を現し、胸元にあった赤い宝石は鉄色の身体に完全に隠れ、見る事が出来ない。
「これが私のとっておきですわ。悪いですが、全力で狩らせていただきましてよ」
「まるで人形劇だな……にしても、随分と沢山作ったもんだ」
その数は――――数えきれない。
無数の異形の人形は虚空の渦から姿を【現し続ける】。
鉄色のゴーレムは地面から【這い出し続ける】。
「製作費、幾らだ?」
「ハリウッドには負けませんわ」
「そうかい。なら大作だ、きっと大コケするぞ」
「製作費だけしか能のない映画監督とは違いますわ。私の場合、中味にも拘りますので。拘るからこその製作費であり、拘るからこその性能です」
スノゥは何処から取り出したのか、魔法使いが使う様な箒を取り出す。
「それでは皆様、ごきげんよう。恐らく、二度と会う事はないと思いますが、生きていたら二度とその顔を見せないと嬉しいですわ」
箒が宙に浮かぶ。
「それ、飛ぶのか?」
「羨ましいですか?」

「いや、飛ぶのなら―――撃ち落とすのが面倒だなってな」

九鬼の口元が吊り上がる。
言い様の無い不安感、もしくは恐怖が背筋を襲う。
それを否定するようにスノゥは叫ぶ。
「ふ、ふんッ!!負け犬の遠吠えなら、言うのが速いですわよ。そういう台詞は、これから死んで負けて殺されてから言いなさい!!」
箒が天高く飛び上る。
「…………本当に飛んでるな」
まさか本当に空を飛ぶとは思ってもみなかった。なるほど、どうやらアレは魔女のコスプレをしているのではなく、本当に魔女という存在らしい。
もっとも、特に驚くべき事でもない。
「妖怪も神様もいるんだ。魔女くらいはいるさ」
あっさりと受け入れ―――現実と直面する事にした。
「にしても、この数は少々面倒だな」
確かに先程まで一対多でも問題なかった。だが、どう見てもアレは一対多でも問題ないとは言えない。無論、負ける気なんてさらさら無いのだが、面倒ではある。この戦いはアレを全て倒し、すずかと教頭を守りきれば勝ち、という理屈になる。
だが、その考えではいけないと言う様に、すずかが口を開く。
「まさか……なのはちゃんの所に」
夜空を駆ける魔女を見て、すずかはそう言った。
「なのは?どうして此処であのお嬢ちゃんの名前が―――」
そこで気づく。
先程、九鬼は自分の口から【高町士郎】という言葉を出した。そして、あの少女の名前は高町なのは。
「なるほど……どうやら、人違いじゃないらしいな」
どういう事態なのかはさっぱりだ。
だが、あの魔女はなのはを狙っているらしい。
そして、それを邪魔したからこの二人と自分を殺そうとしているらしい。
「っち、面倒な事になった」
これも己が行った事に対してのツケなのか、それとも罰なのか―――知った事ではない。
己が何をしたかなど、それは自分自身の問題でしかない。自分自身の問題と目の前の問題。それが一緒くたになって襲いかかってきたというのなら、一緒に片を付けるだけでいい。
細かい疑問は置いておく。
事の状況を把握するのは後でいい。
今、するべき事は、
「おい、お嬢ちゃん」
九鬼はすずかを見て、
「助けたいか?」
そう尋ねた。
裏切った相手を助けたいか、と。
あんな事を吐き捨てた相手を助けたいか、と。
自分を傷つけて、友達の振りをした高町なのはを助けたいか、と。
【友達を助けたいか】、と。
答えは既にある。
九鬼耀鋼が尋ねる前から、魔女を目の前にする前から、最初から答えは決まっている。
「助けて……くれるん、ですか……」
「俺が助けたいかなんて関係ないだろう?俺が知りたいのは、【月村すずか】が助けたいか、と言う事だ」
どうして、とすずかは思った。
どうしてそんな【当たり前の事】を聞くのだろうと思った。
九鬼を見て、それから教頭を見た。教頭は静かに頷き、すずかに微笑みかける。
やりたいようにしない―――そう言う様に。

「――――助けたい、です……私は、なのはちゃんを助けたいです」

それを望んでいないかもしれない。もしかしたら、それはお節介以上に迷惑で自分勝手な善意の押しつけかもしれない。
でも、構わない。
あの魔女がなのはと関係がある。そして、自分達をあっさりと殺そうとする相手がなのはと一緒に居る事に危機感だって感じる。
だから、どうにかしたい。
どうにかするには、十分な理由だから。
「だから……手伝ってください」
「あぁ、いいとも」
答えは即答。
背後から襲いかかるゴブリンを一撃で蹴り沈める事で意思を証明する。
「コイツ等の相手をするのは時間の無駄だ。アレを追うぞ。」
魔女の姿はもう見えない。だが、向かっている先は想像ができる。
「お嬢ちゃんの家に向かっているのは明白だ。なら、アレよりも先に―――」
家につけばこちらの勝ちになるだろう。
だが、そんな単純でいて難しい勝利条件に、更に重荷を乗せる様に、
「あ、でも私……なのはちゃんの家、知りません」
すずかの一言。
「なら、私が案内します」
それをあっさりと跳ね返す教頭の言葉。
「知ってるのか?悪いが、職員室に戻る暇はないぞ」
「生徒の住所と電話番号なら全部頭に入っていますよ」
頭を叩きながら、教頭は言う。
「これはたまげた」
「教師なら普通ですよ、普通」
「普通、なんですか……」
「普通なんだな、きっと」
絶対に普通じゃない気がする、とはこの場の空気を読んで言わないすずかと九鬼だった。
だが、これで前に進める。
九鬼は襲い掛かる敵を沈め、二人を守りながら教頭に聞く。
「車はあるか!?脚がなければアレには追いつかんぞ」
「私の車があります」
「なら、走るぞ」
三人は走りだす。
目の前に回り込んだ小型のドラゴンに掌打を叩きこみ、同時に襲い掛かってきたゴーレムの頭部を蹴り飛ばす。しかし、先程のゴーレムとは違い、堅さが違う。
「一々相手をする気はない――去ねッ!!」
身体を低くし、足払いでゴーレムの脚を払う。体勢の崩れたゴーレムの下敷きになる様にドラゴンを入れてやり、二体は仲良く地面に倒れ込んだ。
「行くぞ、走れ」
駐車場には少しだけ遠い。
後ろには無限とも思える敵。それは時に空から、真下からと襲い掛かり、邪魔をする。それでも止まる事なく走り抜けたのは奇跡とも言える。
駐車場に一台だけ留まっていた白のワゴンカーに教頭が飛び乗り、すずかが後部座席へ。九鬼は車が動く間に敵を止める役目を負う。
エンジンが掛ると同時に車が急加速して九鬼の元に向かう。敵に囲まれている九鬼を乗せるには一度車を止めるしかないだろう。だが、車は止まらない。止まらず走り抜け―――次々と異形達を跳ね飛ばす。
「九鬼さん!!」
後部座席からすずかが身を乗り出し、叫ぶ。
「頭を下げろ!!」
そう言うやいなや、九鬼は目の前の敵の頭上を飛び、群がる敵を足場にして【走る】。
どういうバランス能力を持っているのか、そして本当に人間かと疑いたくなる光景を目にしながらも、すずかは車の屋根に飛び乗る九鬼を確認し、ドアを開く。
「邪魔するぞ」
後部座席のドアから車の中に滑り込む。
ソレを確認すると車は一気に加速して九鬼が壊した校門を抜け、夜の街へと躍り出る。
「とりあえず、これで一安心ですね」
ハンドルを握りながら教頭は安堵の息を漏らす。だが、それはすずかの一言で無と帰る。
「お、追ってきます!!」
教頭はバックミラーではなく、直接自分の眼で背後を見る。



百鬼夜行――――そんな言葉が良く似合う。



日本妖怪の姿はない。存在するのは全てが外国の化物ばかり。だが、それは全てが架空の生き物でありながら、存在してはいけない化物ばかり。その化物がこうして人々の前に姿を現し、夜の街を奔り飛び、そして謳歌している。
案の定、街はパニックに陥る。
異形達の狙いはすずかと教頭だというのが、唯一の救いとなったのだろう。異形達は自分達の姿にパニックになる人々など目にもくれず、真っ直ぐに白いワゴンカーを狙う。
「もっと飛ばせ、追いつかれるぞッ!!」
「やってます、やってますけど……」
悪い事は続くものだった。時間は既に九時を回ろうとしているというのに、どういうわけか人通りは多く、車の数も多い。飛ばそうにもアクション映画の主人公ではない教頭はアクセルをベタ踏みして運転出来る程の運転技術はない。
「こうも車は多くては」
「なら代われ。俺がやる」
九鬼はその大きな身体を奇妙に滑りこませ、助手席からハンドルを握る。
「ちょ、ちょっとアナタ!?」
「早く退け。じゃないと事故るぞ」
横からハンドルを操作する九鬼。もちろん、アクセルやブレーキは教頭が操作しているが、それでも九鬼のハンドルさばきは並ではない。そして、このハンドル捌きの前に自分は邪魔だと判断したのだろう、教頭は運転席の背を倒し、後部座席へ。九鬼は空いた運転席へ。
「――――よし、シートベルトは締めたか?」
バックミラー越しに九鬼の邪悪な笑み。
本能的にヤバイと感じたのだろう、二人は即座にシートベルトをする。
それが彼女達の命を救う事になるのは、言うまでもない。
何処にでもある白いワゴン車は、一瞬にして暴れ馬へと変貌する。
アクセルはベタ踏みの全開。ブレーキは撫でる程度に踏むだけ。車と車の間を無理矢理に進むという暴挙は、ギギギという金切り音と響かせ、車に傷を付ける。それでも速度は一向に落ちない。当然、カーブを前にしても速度は堕ちる事なく更に加速。信号が赤なら歩く通行人を避ける様に突っ込む運転。
「前、前に人が!?」
「九鬼さん!?ぶつかる、ぶつかるからスピード緩めて!!」
「私の車ですよ!?あ、今警察車両が――――お願いですからスピード緩めて」
「死にます、マジで死にます!!追いつかれて殺される前に死んじゃいますって!!」
背後で響く悲鳴は無視する。
「おい、道はこっちであってるんだろうな?」
「あってます、あってますからスピード落してください!!」
「そいつは無理な相談だな」
フロントガラスに写るのは、目の前から一直線に突っ込んでくるドラゴン。ハンドルを切ってそれを避けると、背後にいた車両に激突、炎上した。
「これだけ出しても、まだ足りんから――なッ!!」
後輪を滑らし、ドリフトを決めたカーブを曲がる。
「道路を使っているだけこっちが不利か……」
こちらは車。
道路、もしくは走れるだけ舗装された道ではないと走れない。しかし、相手は違う。ドラゴンは先程と同じ様に空から襲いかかれるし、それ以外の者達は人間には出来ない高い身体能力を駆使して車の上を移動してきたり、ビルの側面を走った取りと、反則染みた事を平気でしてくる。
「―――――ッち、今度は前からか……」
ヘッドライトが映し出すのはゴーレム。
ゴーレムの腕が天高く上がり、道路に向かって一直線に振り下ろされる。
地面が砕かれ、道が壊れる。
「道が……」
背後から聞こえるすずかの声。
道路に巨大なクレータとゴーレム。
これでは前に進めない。
「進めないものかよ」
アクセルは―――踏み込む。
急加速した。
「ちょ、ちょっと――――ッ!?」
「無理ですって!!」
「信じろ。お前の車をな……」
「私の車は国産車のもやしっ子ですから無理ですってば!!こういうのはアメリカ産の車に任せるべきはなくて!?」
「出来るさ。ハリウッドに出来て、俺達に出来ない事はない」
「一緒にしないでください!!」
「止めてぇぇぇええええええええ――――!!」
二人の脳裏にある思いが宿る。
もしかしたら、この男に任せない方がよっぽど楽に死ねたのではないか―――というか、もう死んだ方が全然マシだった。

しかし、飛ぶ物は飛ぶのだ

車はクレーターの上を飛び、回る車輪が絶妙な高度差を作り出し、ゴーレムの頭部を叩く。
結果、クレーターはクリアーした。
「ほら見ろ。国産車とて、やる時はやるさ」
誇らしげに言う九鬼を放っておき、
「きょ、教頭先生?私、生きてますよね……実はもう、天国にいるとか、ないですよね!?」
「月村さん、ちょっと私の頬を抓ってください。えぇ、夢です。これはもう夢です……だからお願い、夢なら覚めて!!」
半狂乱になっている二人を見ながら、
「やれやれ、この程度の根を上げたら、アレと戦う事は出来んぞ」
情けない、と言う九鬼に対して、二人は声を揃えて「お前が言うな」と叫ぶ。
だが、幾ら叫ぼうとも車は海鳴の街を走り続ける。
いや、走るしかなくなった。
「――――――新手か?」
バックミラーに、異形達の他に黒い車が見えた。全てが同じ色をして、全てが同じナンバーのない車。異形達はそんな黒い車を一瞥しても攻撃しない。むしろ、それが味方だとでもいう様に車の屋根にと飛び乗る。
「ここで映画なら、きっと窓が相手銃を持った連中が出てくるだろうな」
「お願いです。お願いですから、変な事を言わないでください……」
「九鬼さんが言うと、本当に起こりそうで怖いんですよ」
「というより、お嬢ちゃん。九鬼さん九鬼さんと言うが、別にオジサンで構わないと言ったはずだが?」
なんて事を言っている間に、九鬼が言った様に、黒い車から銃を持った男達が身を乗り出した。
一斉射撃。
男達の手にある銃が火を噴き、白いワゴン車に銃弾が次々と撃ち込まれる。
初めて耳にした銃の爆音にすずかは耳を押さえ、教頭はすずかの身体を覆い隠す様に抱きしめる。九鬼は九鬼で頭をさげて銃弾を避ける。
「敵は化物だけじゃないか……」
面倒な事だと言いながら、銃声が鳴り止んだ瞬間に九鬼は車のブレーキを一気に踏み込む。それによって車は激しい音を響かせながら減速し、背後にいる車の一番先頭を走っている車の横につく。
銃を持った男と目が合う。
男は九鬼を見て、一瞬怯んだがすぐに銃を構える。
「判断が遅いな、素人め」
ドアを開け放ち、銃が火を吹く前に銃口を掴みあげ、
「そら、堕ちろ」
一気にこちら側に引っ張る。銃を打つ為に身を乗り出していた男はあっさりと九鬼の方に引っ張られ、道路に落下した。
悲鳴と鈍い音と肉切り音。
運転手は驚愕し、九鬼の手に握られた銃の――マシンガンの引き金を引き絞る。
フルオートでの乱射によって運転手の身体を撃ち抜き、黒い車は操縦不能の死に馬となり、よろよろ蛇行運転をしながら黒い車の何台かを巻き込み、激突。
爆発と炎上。
「…………化物の次は人間か。どうやら、アレは随分とお友達が多いらしいな」
「大丈夫ですか、月村さん」
「は、はい……何とか」
割れたガラスを払いながら、二人は身を起こす。後ろの追手はまだ多い。だが、先程の爆発で幾らか距離は離す事は出来た。
「おい、今の内に話して貰おうか。あの魔女のコスプレをした女が誰で、あのお嬢ちゃんがどうして危ないのか」
すずかと教頭は語りだす。
九鬼は何も言わずにそれを黙って聞き入る。
結果、わかった事はアレが本物の魔法使いであり、高町なのはを使って何かをしようとしているというだけ。
「何をする気だ?あのお嬢ちゃんにそういう力でもあるとでも言うのか?」
「それは私にもわかりませんけど、なのはちゃんを狙っているのは本当だと思います。だって、あの人は私の事を邪魔だって言ったんです。なのはちゃんの傍にいるのが、邪魔だって……」
「邪魔、か」
あの少女に何があるというのか。
力があるのだろう。
あの魔女が欲する程の何かがあり、それを利用しようとしている。だが、何があるか。何に利用しようとしているのか。
「これだけの騒ぎを起こしてやる事、か」
「あの……騒ぎを起こしているのは九鬼さんだと思います」
「細かい事を気にするなよ、お嬢ちゃん。悪いのは全部あっちだ。ほら、昔から言うだろう?―――――言ったもん勝ちってな」
つまり、悪くないと言ってしまえばいいだけ。
「俺達は悪くない。悪いのはその帝とかいう教師―――じゃなくて、女だ。だからソイツに全部を押し付ければ良いんだよ」
「一応、教師の私の前でそんな悪い顔で生徒に変な事を教えないでほしいのですが……」
悪どい顔をする九鬼に、頭を抱える教頭。
「にしても、だ。人形モドキやゴーレムはわかるが、あの連中は何だ?まさか、この街の警察はあんな使用、だとは言わないだろうな」
「そんな事はないでしょうが……むしろ、どうして警察は出てこないんでしょうか?こんなカーチェイスをして被害はウナギ登りだというのに――――アナタのせいでね」
「おいおい、どうして俺のせいなんだ?だから、これは全部あっちが悪いんだよ、あっちがね」
だが、一向にこちらが不利である事には変わりは無い。
異形の襲撃に何故の男達の襲撃。敵は多く味方は少ない。ここで教頭の言う様に警察でも来てくれれば多少は楽になるのだが。
「確かに解せんな」
警察はこない。それどころか段々人通りも少なくってきている。車を運転するには非常に好ましい状態なのだが逆にそれが怪しい―――と、思ってると、
「クソッ、やっぱりそう来たか……ッ!!」
急ブレーキをかけながらハンドルを切る。
「頭を下げろッ!!」
真横にスライドする車。
その先にあるのは車で作られたバリケードと、その上に乗った銃を構えた男達。
ハンドルを舵を切る様に回し、助手席の窓に向けて銃を乱射する。
窓は砕け、銃弾がバリケードをなった車に当たり、男達も反撃とばかりに撃ち返してくるだろう。だが、銃を撃つまで間が一秒でもあれば十分。横滑りになった車は交差点を曲がり、すぐに直進を始める。その後に銃声が聞こえ、舌打ち。
「先回りされた上にコースを外されたか……おい、こっちの道からでもつくのか?」
「多分、大丈夫かと思われますが」
だが、ちっとも大丈夫とは事は動かない。
バリケードを作っていた男達は背後から車で迫り、異形もそれに続く。そして、車の向かう先、およそ二百メートル先の道にまたしてもバリケードを発見した。
挟まれた―――いや、道はある。
このまま真っ直ぐにいけばバリケードに当たるだろうが、曲がれば高速に入る。高速に入れば一時の危機は避けられるが後の危機には対処しづらく、尚且つなのはの家にたどり着くには大きく遠回りになる。
自分一人なら問題は無い。だが、後部座席にいる二人の為の危険は冒せない。
戦う為ではなく護る為。
守るが故に歯痒い想いをしなければならない。
矛盾しているが、決して違う道ではない。同じ道でありながら、歩く過程が違う道。
近道を選んで死なせるか、遠回りをして護るか。
考えるまでもない。
九鬼はハンドルを切り、高速へと車を進入させた。
当然、追撃は来るだろう。
「―――――教頭、この先の出口で降りた場合、どのくらいで着くと思う?」
「恐らく……三十分かと。高速に入ったのは不味かったと思います」
「あぁ、同感だ」
追手はもうすぐ追いつく。
打つ手はあるが危険。
カードは少ない。
少ないが、
「――――――――俺に、命を預けられるか?」
九鬼は二人に尋ねる。
カードが無いわけではない。如何に手札が敵を相手に出来ないカードしかないとしても、それで戦うしかない。そして、手札のカードが弱ければ、この弱いカードだけでなく、カードを使う為の頭脳で戦えば良い。
「……九鬼さんを、信じます」
「この状況で、信じられるのはアナタだけですよ、まったく」
了承は得た。
「捕まってろ」
車は―――――Uターンした。
高速道路でのUターンという行為に相手を驚いているだろう。ならば尚更丁度良い。相手は驚いているが、反撃はしてこないだろう。なにせ、アクセルは全開、逃げ場は向こうにあってもこちらは無い。
「さぁ、チキンレースと行こうかッ!!」
高速道路を逆走する車。
逆走をした車を負っていた車の運転手は狼狽する。
真っ直ぐに向かってくる。
アクセル全開で向かってくる。
追いかける者が自ら向かってくるのなら好都合だ―――が、これはただ向かってきているのではなく、【特攻】だ。
フロントガラスに写る運転手の顔は見えない。反対に九鬼の顔が相手には、はっきりと見える。

その顔は――――嗤っていた。

勝つか負けるかのチキンレースではなく、生きるか死ぬかのチキンレースの会場と化した高速道路。そのレース場に上がってしまったが最後。
人は鬼と戦わなければならない。
ハンドルを握る鬼は―――ハンドルを手放した。
腕を組み、アクセルを全開にして、目前の車を見据える。
運転手は焦る。
焦って―――ハンドルを切ってしまった。
結果、横を走る車に当たり、それが始まりとばかりに玉突き事故の様に次々とぶつかる車。たった一台の車に、ボロボロの車を前に、優勢であるはずの自分が逃げてしまった。
ギリギリ逃げたわけでもなければ、寸前まで待ったわけでもない。
九鬼の顔を見た瞬間に、逃げた。
目の前の状況を見据えた九鬼は、ハンドルを握りアクセル全開のまま巧みにハンドル捌きを行い、車を回避していく。
飛び交ってくる異形を何体か跳ね飛ばし、天井に縋りついたゴブリンを車体を左右に振って振り落とす。
数秒後、背後で爆音が響く。
「…………滅茶苦茶しますね、アナタは」
「良く言われる。だが、良く言われる程、大した事でもないさ」
なんて事ない風に言いながら、九鬼は高速を逆走しながら先程の入口に車を滑り込ませる。一般車両の運転手が目を見開いて運転操作を誤っていたが、それは知らない。
「よし、戻った」
「あの、九鬼さん。関係ない車がクラッシュしてますけど……気にしちゃ、駄目なのかな?」
「月村さん。ここまで来たら現実という言葉は捨てなさい。私はもう捨てました。じゃないと、この運転手に殺されそうです――――ストレスで」
「わかりました……」
何やら後ろで酷い事を言っている気がしたが、この際は置いておく事にした。それよりも、未だに追手は減らない。
むしろ、多くなっている。
異形の数は勿論の事、黒い車の数も多くなっている。異形はただ追ってくるだけだが、車に乗った人間達は頭を使う。この先の道で待ち伏せをするなり、先程の様にバリケードを作るなり、色々としてくるだろう。
「やれやれ、面倒な事だ」
九鬼がそう呟く。
すると狙い澄ましたかのように携帯が鳴り響く。
「あ、私のです」
携帯を取り出し、電話に出るすずか。
「………あれで警察に連絡した方が早かったんじゃないのか?」
「まぁ、そうですね……というか、通じたんですね、電話」
「いや、普通は通じないだろう……通じない、はずだよな」
九鬼と教頭は揃って自分の携帯を見る。
電波はしっかりと三本。
「…………」
「…………」
こういう場合、普通は携帯とか通じないんじゃね?という疑問が二人の脳裏に過ったが、どうやら色々と間違った認識をしていたらしい。
「意外とずぼらだな、あの魔女」
そんな事はさておき、すずかが電話に出ると聞こえて来たのは、
『すずか様。ファリンです』
「ファリン!?丁度良かった、お姉ちゃんはいるかな?」
『いえ、忍様は私の【近く】にはいません。ですが、そちらの大方の情報はこちらにあります―――とりあえず、運転している方と変わって貰えますか』
こちらの現状がわかっているという言葉を信じて、すずかは携帯を九鬼に差し出す。
「――――もしもし」
『初めまして。九鬼耀鋼、様で宜しいでしょうか?』
自分の名前を言っている事に若干の警戒心を抱いたが、
『まずは、すずか様を助けて頂いた事に、感謝させていただきます―――ありがとうございます、九鬼様』
「偶然だ。そこまで言われる義理もないさ……それで、どうして俺に電話を変わった?」
『情報は必要なはずですが?それとも、何も知らずに追いかけっこをしますか?』
「……聞こう」
携帯を耳に当てながらハンドルを握る。
『アナタ方が追っている者については後で言うとして、まずはアナタ方が向かうコースについてです。この先三百メートルの方向には既に新手が潜んでおりますので、次の角で右に曲がり、そこから百メートル進んだ先で大通りに抜けてください』
「遠回りにならないのか?」
そう言いながらも九鬼はファリンに言われた通り右に曲がる。
『多少遠回りになりますが、これ以上の遅れはないでしょう。その先に出たら、大通りを真っ直ぐに抜けてください』
「おい、待て。そしたらそこでアイツ等とばったり対面する事になるぞ」
『その点も問題ありません。いいですが、その大通りを進む時、絶対に右側を走ってください。いいですね、【道路の右側を絶対に外れないでください】』
妙に念を押されながらも、九鬼は素直に頷く事にする。そして、ファリンの指示した百メートルが過ぎた所で大通りに出た。
瞬間、車の屋根に何かが堕ちて来た。
「――――ッ!?」
堕ちて来たのが何かはわからない。だが、何かを確かめる前に天井を突き破って鋭い爪が現れた。
「新手か!?」
九鬼は車を左右に揺らすが、何者かは天井に手を突き刺した事で振り落とされる事はない。それどころか、もう一本の手も突き入れ、天井の穴を広げる。
穴から見えたのは人間でもなく、人妖でもない。
金色の瞳を輝かせ、異常に発達した犬歯から唾液をたらし、車の屋根の天井から後部座席にいる二人―――すずかを見てニヤリとほくそ笑んだ。
「―――――月村の妹……天誅ッ!!」
それは妖。
夜の一族と呼ばれる、妖の者。
人間離れした身体能力で車の屋根を壊そうと腕を振り上げる。片手がしっかりと天井を掴んでいるせいで振り落とす事もできない。
『そのまま真っ直ぐでお願いします』
「この状況でかッ!?」
『問題ありません』
電話の向こうにいるファリンという女性がどんな人間かは知らないが、この状況でそんな見た事もない相手の言う事を信じる程、

『【姉】が――――迎撃します……』

信じる程―――他人を信用するのも悪くないと思った。










【人妖編・第十二話】『海鳴‐みんな‐』










魔女には協力者がいた。
その協力者はこの街の深い場所に根を張る者であり、同時にこの街の住まう者の中でもっとも高位な場所にいると自負する者達ばかりだった。
彼等の事を、彼等を知るものはこう呼ぶ―――夜の一族、と。
夜の一族は世界中にその根を張っているが、その世界の中の小さな島国である日本。日本という島国の中に存在する小さな街に住まう夜の一族の末裔。
姓を月村、という。
月村という夜の一族は周囲からはあまり良い目では見られていない。何故なら、この家の現当主である月村忍は、同じ街に住まうバニングスという存在と親しい仲だからだ。もちろん、それだけではないだろうが、それも理由としては立派な理由だ。
月村を陥れ、滅ぼすという目的を前にしたら、立派すぎる理由だ。
バニングス家の長であるデビット・バニングスという男は昔、一人の人間の為に夜の一族を裏切った許すべき存在である。そんな者と親しい仲という忍は裏切り者と見られてもおかしくはない。
ただ、そう思う者は大部分でありながら、全てではない。
一族の長は、そんな争いに口は出さない。
しかし、行き過ぎた争いには口を出す。
ならば、この海鳴で行われている争いは既に行き過ぎているのではないか、そう思う者も多いだろう。それは長とて同じだった。行き過ぎた争いが故に口を出し、手を出し、一族同士が争い、朽ち果てない様にするのも長の務め。
だが、この街だけは例外だった。
世界のあらゆる所に存在する夜の一族。そのもっとも上位にいる長と呼ばれる存在ですら海鳴には手を出さない。
何故か、何故なのか。
その事について、ある者が尋ねた事のある。
何故、この争いに何も手出しをしないのか。何時ものアナタならとっくに手を出しているだろう。
長はしばし口を閉ざし、こう言った。
理由は二つ。
一つ目は、海鳴の【力】を支配する月村の当主の願い。自らの力で全てを勝ち取り、この闘争に勝利し、海鳴を一つにするという言葉を信じた事。
二つ目は、海鳴の【富】を支配するバニングスの当主の言葉。その内容を思い出して長は苦笑し、それ以上は語らなかった。
一つはわかったが、二つ目は謎。
謎は謎にしたままで良い、という事なのだろう。
そうして長は海鳴という街には手を出さない。
海鳴に住まう若き当主と、裏切り者と呼ばれた【自身の兄貴分】を信じて。

だが、それが悪い方向に繋がる事もある。

「月村、滅するべし」
「月村、滅べし」
「月村、断つべし」
「月村、討ち取るべし」
悪しき心は人の心。本人達はそれは当然だと思っていても、結局は単なり傲慢な想いでしかない。傲慢は自身よりも高い位置に居る者を恨み、妬み、陥れようとする。
その為に力を欲した。
その為に魔女に手を貸した。
数年前、突然現れた謎の力を使う魔女と呼ばれる存在。
その魔女は自分の望みを叶える為に協力すれば、何でも望みを叶えてやると口にした。
当然、そんな事は誰も信じない。だが、魔女は言った。私の言う事は信じなくてもいい。だが、代わりに我らが王の事は信じるべきだ。そうすれば無限の命と無限の力を手に入れる事が出来ない。
当然、そんな妄言を信じる者はいない。
だが、数年後の今はどうだろう。
彼等は信じた。
魔女の言葉を信じ、神ではなく魔王を信じた。
魔女の信仰する邪神の中の邪神。異世界の一つを滅ぼしかけた不死の魔王の存在を、彼等は信じてしまった。最初は馬鹿らしいと思っていた。そんな者はいる筈もなく、信じる事すら時間の無駄だと本気で思っていた。
今は本気で信じている。
「月村を断つ。そして、その命を我等が王に、ノーライフキングに捧げる」
魔王を信じる。
魔王を信じて敵を討つ。
己が正しく、他は間違っている。
そんな妄念にかられた結果、彼等は一人の少女の障害を完膚なきまで暴虐する事に協力し、一人の少女の全てをねじ曲げた。
そして、時は来た。
魔女が言っていた【儀式の日】が来たのだ。
その儀式が終われば、自分達の望みを叶えられ、その命は消える事なく不死の肉体を得るだろう。
その為に討つ。
邪魔者を討つ。
邪魔者の中には月村の一人がいる。
ならば、討つ。
討ち殺し、射ち殺し、撃ち殺して地獄に落としてやる。
そんな中の一人、夜の一族の若き男の一人が白いワゴン車の上に飛び移った。ボロボロになった車に手を突き入れ、車の屋根を破る。隙間から見えたのは殺すべき月村の一人。月村すずかという裏切り者。この少女を殺せば良いと魔女には言われている。そんな事はこちらも望んでいるから、言われるまでもない。
「―――――月村の妹……天誅ッ!!」
殺す。
この手で突き殺し、絞め殺し、刻み殺す。
そして、男は腕を振り上げ―――――何かに気づいた。
何かが来る。
嫌な予感がする。
何が来るかはわからない。
だが、何かが来るのは確かだ。
前方、何もいない。
右方向、仲間がいる。
左方向、何もいない。
後方、仲間がいる。
なんだ、誰もいない。なら、気のせいに違いない。そう思った。そう思ってしまい、周囲への警戒を完全に怠ってしまった。
そんな時だった。
男の常人よりも優れた聴覚が、運転している男の耳に当てられた携帯電話の音を拾った。
『【姉】が――――迎撃します……』
男の顔に影が差し込む。
比喩表現ではなく、本当に影が差しこむ。
今は夜だというのに、その影ははっきりと見えた。
月光に照らされ、男の真上にある満月を隠しながら、影は徐々に大きくなり、男はやっと自身の失態に気づいた。
前も横も後ろも見た―――だが、【上】は見なかった。
男は上を見る。

視界に映るのは月光を背に、腕に煌めく刃を男目がけて突き刺すメイドの姿。

男の顔面に銀色の刃が突き刺さり、男の頭部を切断する。
野望に燃える一族の一人は、こうして生涯の幕を閉じた。
死後の彼の魂は―――不死の魔王の下へは向かわなかった。





天井に衝撃。
横の窓に見えるのは顔の半分を切り取られ落下する男の死体。
そして、それから数秒遅れて後部座席の窓に映る知らないメイドのむっつり顔。
「ノエル!?なんで、此処に!?」
車内から外にいるノエルというメイドに声をかけても届かないのだろう、彼女は何も言わずに頭を上げる。
反対に九鬼は、
「アレがお前さんのいう姉って奴か?」
『えぇ、そうです。姉の名前はノエル・K・エーアリヒカイト。私は妹のファリン・K・エーアリヒカイトと申します。以後、お見知りおきを』
「了解した」
九鬼は携帯を耳から話し、運転席の窓を開け、顔を出す。
上を見ると、車の屋根の上で片手にブレードを装着したメイドが立っていた。この強風の中で、良くあんな恰好で立っていられるなと感心した。
「――――任せるぞ」
「――――えぇ、任されました」
ノエルは背後にいる敵を見据え、ブレードを構える。九鬼は運転席に戻り、後部座席にいるすずかに言う。
「お嬢ちゃん、良いメイドを持ってるな」
「メイドじゃありません……家族です」
「そうか、家族か……なら、良い家族だ」
その会話は外のノエルにも、携帯越しのファリンにも伝わっているのだろう。ノエルは静かに微笑み、受話器の向こうから微笑みの音が聞こえる。
『それでは、此処からは私がナビを務めさせていただきます。姉の事は特に気にせず、アクセル全開でぶっ飛ばしちゃってください』
「本当に大丈夫なんだろうな?」
『大丈夫ですよ。心配なら、多少の援護はしてもよろしいかと』
「この状況でどうやって援護しろと?」
『九鬼様の今の武器はそのハンドルです。そのハンドルがあれば、姉の【足場】になれると思いますが?』
なるほど、と九鬼は頷き。
「なら、それで行こう。お前等、しっかり捕まってろよ……こっからは、全力で行くぞ」
嗤う九鬼。
そして後部座席にいる二人は心の中で、まだ本気じゃなかったんだ―――と天を仰いだ。
『――――それでは、いっちょうド派手に行きましょうか』

それを合図に、カーチェイスは第二ラウンドに突入した。

背後から迫る車、そして無数の異形。その中の一台の上には人狼とゴブリンが立っており、車が近付いた瞬間に飛び上った。だが、二匹は車に飛び移る事すら出来ずに落下する。
銀光一閃。
ノエルの右のブレードによって二体は腰から上と下が永久の別れを迎える。地面に落ちた異形はただの人形となり、車に潰され無残に砕ける。
それを見届ける暇もなく、今度は上空からドラゴンが襲いかかる。
急降下してくるドラゴンを迎え撃つべく、ブレードを真上に突きだし、跳ぶ。落下してくるドラゴンの頭部をブレードで突き刺し、同時に首根っこを掴んで地面に叩きつける。道路の上で跳ねるドラゴンの上にノエルは着地し、左腕を飛ばした。
そう、飛ばしたのだ。
ノエルが左腕を突き出した瞬間、まるで腕にロケットでも着いているかのような勢いで左腕が射出され、まっすぐに白い車のトランク部分を掴む。腕と身体は中に仕込まれたワイヤーによって繋がっており、車の勢いに引っ張られる様にノエルは高速道路を滑る。
さながらサーフボードを操る様に、板にされたドラゴンは車の速度に耐えられないのか徐々に体を削られていた。
「――――――次」
冷徹な呟きと共に、サーフボード代わりとなっているドラゴンを体重移動で動かし、並走する車の一台を標的とする。
車のドアが開き銃を撃ってくるが、当たる前に両足を車の方向に向けて突きだす。それと同時にサーフボード代わりのドラゴンが、今度は盾代わりになる。
銃弾を全て受け止めたドラゴンを再度地面に叩きつけながら、体勢と低くしてブレード一閃。車のタイヤを両断する。
タイヤを斬られた事によって車は操作不能となり、道路わきの電柱に激突した。
「―――――次……ん?」
白い車を追っている車が突然横に移動し、車を掴んでいるノエルの腕のワイヤーに引っかかる。ノエルの腕の備え付けられた腕は確かに強度は高いが、決して切れないというわけでもない。
ノエルは即座に腕を放し、腕を戻す。その結果、車に引っ張られていたノエルの身体は車から離れる事になるのだが―――その前に跳ぶ。
サーフボードとなっていたドラゴンはノエルの跳躍と同時に砕け、ノエルが着地したのは敵の車の一台。当然、それを見ていた車内にいた者達は一斉に天井に向けて銃を乱射する。
当然、駄弾など当たりはしない。
天井を一足にて跳躍し、隣の車に跳び移る。天井の上にはゴブリンが三匹ほどいたが、一瞬で塵に反し、灰となって消し去る。
車内にいた男達は先程の車と同じ様に天井に向けて銃を構えようとしたが、時すでに遅く、ノエルは行動を開始していた。
ボンネットに跳び下り、エンジン部分目がけてブレードを突き刺す。
火花が散り、ボンッと小さな爆発。
それを確認して再度跳躍し、跳躍しながら左腕に右腕と同じ様なブレードを出現させる。ただし、その長さは右腕の数倍の長さをほこり、まるで光の粒子が集結して作り上げられた光の剣の如き閃光を放っている。

その刃を持って、跳び移った車を【真横から両断】する。

「…………気のせいなら良いんだが。今、あのメイドの腕からビームサーベルみたいなモノが出てた気がするんだが」
流石にビームサーベルは見た事がなかったというか、科学的にあんな事を平然と出来るのがおかしいと思った九鬼であった。
『そういう世界もあるのですよ、九鬼様』
「でも、駄目だろう。アレは色々と駄目だろう。というか、さっきはロケットパンチとかしてただろう、アイツ」
『姉も抵抗したんですが、ロケットパンチが嫌ならおっぱいミサイル。ビームサーベルが嫌ならドリルという二択を突きつけられまして……』
「……大変だな、お前等も」
『慣れました……えぇ、慣れましたとも!!』
なんだか悲しくなってきたから話を中断する。
九鬼は車を横に移動させる。ノエルの足場となる為だ。別の車をビームサーベルで両断したノエルは九鬼が寄せた車に跳び移る。
バックミラーで背後を確認し、敵の数が減った事を確認する。もちろん、減ってなどいない。むしろ、増えていると言ってもいいだろう。特に増えているのは異形。ゴブリンや人狼、リザードマンといった陸上専門を異形は減ったが、代わりに空を得意とするドラゴン、そしてガーゴイルらしきものすら出現している。
「追いつくどころか、徐々に離されてるな」
離されているという表現すら希望的観測でしかない。
もしかしたら、魔女は既になのはの家に着いている可能性が高い。
『その点は心配ないかと思われます』
「どういう事だ?」
『相手は確かに空を飛べる様ですが、所詮はそれだけ。あんな自分の証拠をあちこちに残す様な輩を捕まえるなど、容易い事ですよ』
自信満々に言うファリンだが、
「だが、どうやって捕まえると言うんだ」
『捕まえるとは言っていません。捕まえるのではなく、足止めをする、もしくは撃破するのか、このどちらかです――――現状と致しまして、我が主ともう一方の頭の中には捕まえるなんて甘い考えはございません』
何やらキナ臭く、そして妙に殺伐とした答えだった。
やれやれと首を振り、九鬼は天井をガンガンと叩く。すると、運転席の窓に逆さになったノエルがぬっと姿を見せる。
窓を開け、
「怪我は無いか?」
「………いえ、特に問題はありません」
「そうか、ならいいが……あまり無理はするなよ」
「そうだよ、あんまり無視しちゃ駄目なんだからね」
二人に言われ、ノエルは小さく微笑む。
「はい、わかりました。怪我もなく、大事もなく、すずか様と一緒に屋敷に帰りますよ」
そして、ノエルは同じ様に九鬼を見て、
「九鬼様も、無理はなさらぬ様に心がけてくださいね」
「無理はしないさ。無理をするほど若くないというのが本音だがね」
「教頭先生。九鬼さんってアレで無理してないっていうのなら、無理したらどうなるのなか?」
「わかりませんが、私達は死にますね」
「そう、ですよね……九鬼さんが無理したら死ぬよね」
「えぇ、そうです」
背後で聞こえる不気味な呟きは無視する。
「あの、九鬼様……」
不安そうな顔をするノエルに、大きな咳を一つで黙らせる。
「後ろの二人の戯言は信じるな」
「はぁ、そうで―――――ッ、九鬼様、前を!!」
そう言って顔を引っ込めるノエル。
それに釣られて九鬼も前方を見て―――今度こそ、完全に車を止めた。
ドアを開き、車から出る。
「挟み込まれたな」
「えぇ、そのようです」
前方には無数の人だかり。その全てが武器を持参した完全武装の人々。そして後方にはドラゴンという異形の種と夜の一族。
「おい、ファリンとやら。これはどういう事だ?」
『どういう事と言われましても……まぁ、予定通りという事ですかね』
まさか、という疑念が頭を過る。
しかし、その疑念を振り払うのはノエルだった。
「それは勘違いですよ、九鬼様」
車の屋根から飛び降り、両手のブレードを仕舞う。
「私の妹は裏切ってなどおりません。此処に着くのは予定通りです」
「だが、現にアイツ等はこうして待ち伏せしているぞ。その点はどう言い訳する気だ」
「ですから、それも勘違いです。我々は此処におびき寄せられたわけでも、彼等が待ち伏せしていたわけでもありません」
ノエルは静かに空を見上げ、
「全ては反対なのですよ、九鬼様」
同じ様に空を見た九鬼は―――気づいた。
「あぁ、なるほど……」
鬼とメイドは笑う。
その意味をわからない車内にいるすずかと教頭は不安な表情を浮かべ、車を取り囲んでいる男達は高笑いを上げる。
「ガハハハハハハハ、漸く観念したようだな!!」
「手こずらせやがって……」
「けど、これでお終いだな」
「男は殺せ。女もメイドも殺せ。月村は特に念入りに殺せ……」
「殺せ」
「殺す」
「死ね」
狂喜と呪詛をまき散らしながら、男達は武器を構える。
だが、九鬼もノエルもそんな男達を前にして表情を崩さない。九鬼は懐から煙草を取り出し、火をつけようとした所で横から火を差し出すノエルに気づく。
「どうぞ」
「あぁ、すまんな」
ノエルの火に煙草を当て、火を付ける。
「―――――ふぅ、ちょっと休憩したいな。やはり、老体に鞭打って動くのは疲れる」
「私には、まだお若い様に見えますが……」
「社交辞令として受け取っておくよ。だが、どうも駄目だ。同居人には成長していると言われているが、そんな気はまったくしない。ところで、こんな歳で成長するなんてありえるのか?」
「そうですね、あり得ない、とは言えませんね。そういう人間もいうと聞いた事はありますし、九鬼様がそういう人間であるという可能性も捨てきれません」
周りを無視して世間話に花を咲かせる二人。
「て、テメェ等!!今の状況わかってのか!?」
一人の叫びに九鬼は煙草の煙は吐き出しながら、
「当然だ、阿呆」
意地の悪い笑みを浮かべる。
「まったく、こいつは良く出来た仕掛けだ。確かに、俺達は此処におびき出され、お前達の待ち伏せにあった―――そう見るのが正しいだろうな、普通は」
「正しいも何も、そうに決まってるだろうが」
「だが、コイツは違う」
煙草の煙は空に昇る。
ゆっくりと、ゆっくりと空に昇り、消えていく。だが、それは消えるのではなく、隠している。白い煙が空に隠れ、白い煙を夜の闇が隠す。

「これは【俺達が連中を誘き出し、お前達を待ち伏せしていた】―――こういう理屈だな、ノエル」
「えぇ、正解でございます」

それが正解。
ジャキッという音が周囲から響く。
男達は何事かと顔をあげ―――驚愕に身を染める。
周囲には何時からいたのか、それとも最初からいたのか、完全武装の男達を上回る武装をした者達が潜んでいた。
ビルの屋上から赤外線の付いた銃が男達を狙い、地上でも同じ様に赤い線が男達を狙っていた。その数は五十を遥かに超え、夜の闇に走る赤外線が無数に存在している。
男達は動けない。だが、異形達は動ける。それが如何に殺傷能力が高い武器であろうと、死を恐れる事のない異形達には何の関係もない。
ドラゴンとガーゴイルの群れが一斉に襲い掛かる。
「――――で、さっきからこの馬鹿デカイ殺気を放ってるのは、お前さんの主様のものか?」
「それでも正解でございます」
異形に声は聞こえても、声を理解しない。彼等の脳内にある意思をプログラムとするのなら、そのプログラムは実に簡単な命令しか聞く事ができない。今の彼等の頭の中にあるプログラムはこうだ。
九鬼耀鋼、月村すずか、教頭、そしてソレに協力する者を殺害せよという命令。だからこそ、今はそこにノエルというメイドが一人加わっている。
周囲を取り囲み、一斉に襲い掛かり、



闇に喰われた



一瞬だ。
一瞬で消えた。
一瞬で喰われ、一瞬で消え失せた。
それを成したのは何者か、人間か人妖か、はたまた魔女か。
いいや、違う。
地の底より響きし唸り声は、巨大な狼の顎。黒き狼が地より顔を出し、偽りの命の事如くを地の底へと引き摺りこむ。
巨大な狼は首だけ、首だけでビルの四階ほどの高さをもっていた。その巨大な顎で異形達を食いちぎり、飲みこんだ。
「…………」
「…………」
「…………」
誰もが言葉を失くす。
その殆どは夜の一族の者だった。
夜の一族だからこそ、わかっている。あの狼の正体を、あの狼がこんなにも巨大な存在となっているのかという意味を知っている。だが、それを認めた瞬間に己の中にある柱が折れ、この行動自体が無駄に終わってしまう。
それを許せるか―――否、断じて否。
勇敢にして愚かな者は銃を手に取り、黒の狼の討伐に挑む。彼の手にあったのは人を殺すには十分な殺傷能力を持っているアサルトライフル。だが、黒の狼に挑むにはあまりにも陳腐な玩具に想えてならない。
狼の黄金の瞳が勇者を睨む。
戦う意思を持っていかれる。挑むという意思を喰い殺される。あの巨大な存在を前にして、己の小ささを実感し、それを受け入れれば死なないとさえ思えた―――しかし、悲しき事に、この者は勇者という勇気ある者、戦士という言葉が良く似合う【愚か者】だった。
「うぅ、うわぁぁぁあああああああああああああああああああああッ!!」
銃を乱射しながら狼に突っこむ。
それを止める者はいない。
男達を囲む者達も彼を止めず、九鬼もノエルも止めない。
勇者は挑む。
勇敢なる者は巨大な怪物に挑む。
愚かだが、賞賛に値する。

【――――――しかし、愚直だわ】

牙が肉を抉った。
黒い狼の牙は白く、彼の肉体を抉った瞬間に赤く染まり、彼の脊髄をかみ砕いた瞬間に血の味を感じ取り、一人の命という存在を喰い殺す。
誰もが言葉を発しない。
黒い狼の残虐なる食事風景を見ながら、誰も言葉を口にしない。
九鬼は煙草を吸いながら、人を死ぬ光景を懐かしいと感じ、溜息を吐く。
ノエルは表情を崩さずに、人が飲まれる光景を見ながら、横目ですずかを見る。
すずかは見ていない。
何かを感じ取ったのだろう。それとも【最初から知っていたのかも知れない】。教頭がすずかの眼を塞いでいた。
それに少しだけ安堵し、狼を見る。
アレは覚悟を決めた。
この力を行使して、己が敵に叩きつける覚悟を決めたのだ。
黒き狼はゆっくりと、身体が霧状の物体になって消えていく。霧は黒い霧で闇よりも尚深い暗黒の闇。闇の底より組み上げられた闇色の水が蒸発し、黒い霧となって周囲を覆う。
黒の霧は地面に降り注ぎ、真っ黒な血の池を作り出す。
その上を、一人の令嬢が歩く。
ピチャリ、ピチャリと足音を立てながら歩く。
黒いドレスに白い肌。
靴は履いていない。
裸足で黒い血溜まりの上を歩く。
口元にはべっとりと染みついた、血。
手にはべっとりと染まった、血。
その手で殺し、その口で食したという意味。
「月村……忍」
一族の男は恐怖を感じた。
アレはなんだ、と。
あんなモノが居て良いのか、と。
あんな、あんな【化物】と本気で殺せると自分達は思っていたのか、と。
全てが黒に染まる。
血は紅いかもしれない。だが、紅が染まれば次第に黒くなり、それが血で在る事すら忘れてしまうだろう。血は赤くはない。血は黒い。どす黒いソレは化物の足下に広がり続け、周囲を飲みこんでいく。
血だまりの上を歩く忍は、脚を止めて九鬼を見る。
冷たい瞳だった。
人形の様に冷たい、無機質な瞳ではなく――――決意を秘めた絶対零度の瞳。
冷たくもあり、熱くもある。
【ここは、引き受けます】
声は口から洩れるはずなのに、忍の声は不思議と脳内に直接響いた。
【私の妹を……よろしくお願いします】
「あぁ、わかったよ」
車に乗り込む九鬼を見て、それから後部座席にいる妹を見た。妹は姉である忍を見て、驚いている。いや、もしかしたら恐れているのかもしれない。
だが、構わない。
【すずか……】
忍は妹、すずかに背を向け、
【頑張ってきなさい】
そう言って、歩きだす。
「―――――お姉ちゃん……」
歩きだした脚を止め、
「お姉ちゃんも……頑張って」
振り返った時に見せた顔は、

「お姉ちゃんに任せなさいってッ!!」

化物ではなく、一人の姉の素顔。
そして、男達に見せる顔に優しさは要らない。
車が動き出すが、誰もそれを止める者はいない。
否、止める事すら忘れている。
目の前の存在を前に、目を反らさないという選択肢を取る方が何倍も生き残る確率を高める方法だった。
【…………】
視線の先には完全武装の男達。一人一人が吸血鬼としての力を十分すぎる程に有しているにも拘らず、その手には近代的な武器が握られている。
情けない、これが感想。
堕ちたものだ、これが本音。
可愛そうに、これが同情。
【貴様等は、それで我が一族の戦士か?】
情けない、情けない、情けない。
月村という存在を裏切り者と称し、己こそが上位にあると偉ぶり叫ぶというのなら、何故その手には人間の武器があり、それでいて己を恐れるというのか。
【あぁ、そうか。これは冗談なのだな?いいぞ、待っていてやる。さぁ、変身しろ。狼に変化して我が身体を噛み千切れ。霧に変化して我の攻撃を全て凌げ。蝙蝠に変化して我の血という血を飲み干し殺せ……それが出来ないのなら、使い魔を呼んで挑んでも良い。暗示で我を自殺させても良い。何でもいい。何でも構わない。どれか一つでも出来るというのなら合格だ】
だが、誰も出来ない。
堕ちたのだ、彼等は。
化物を失望させるほどに、堕ちた吸血鬼なのだ。
【出来ないのか?】
踏み出す。
踏み出して身体を蝙蝠に変化させる。
無数の蝙蝠が男達に襲い掛かる―――いや、群がっているだけだった。
それでも男達は可愛らしい悲鳴をあげた。
【まさか、この程度も出来ないのか?】
蝙蝠は突然と黒い霧に姿を変え、周囲の者の身体を取り囲む。
【初歩の初歩も出来ないのか?】
黒い霧は足下に堕ち、血の池を作り出す。その池の中から黒い狼が出現し男達をパニックに陥れる。
【―――――情けない】
目は無数に、口は無数に、耳も無数に、全てが無数に。
血の池に耳を無数に、狼の身体に無数の眼を、蝙蝠の翼に無数の口を。
【空も飛べず、身体も変化させる事も出来ず、己が身体一つで戦うどころか、近代兵器に頼るという愚劣な選択――――そんな貴様等に夜の一族を名乗る権利は無い】
言葉の一つにナイフがある。
男達の心を刺し殺すナイフがある。
ナイフは心を突き刺し、自尊心を傷つける。その傷の痛みが勇気ではなく怒りを湧かせる事に成功し、男達は銃を取る。
「言わせておけば、この小娘が……」
「裏切り者のバニングスと共にいる、誇りを捨てた貴様にどうこう言われる筋合いはない!!」
「殺してやる……ぁ、あ、こ、ここ殺して、やる!!」
【威勢だけは一人前だな……よし、わかった】
忍は大きく手を広げ、
【特別サービスだ。私はこれから十分間だけ動かない。身体も変化させないし、攻撃も防御もしない。貴様等のしたい様にすればいい。その鉛弾で私の身体を貫くも良し。ナイフで切り刻むも良し。その出来そこないの人形共に襲わせても良いし、ゴーレムらしきもので潰すのも良い―――――だが、】
ニタリ、そんな表現が似合う恐ろしい笑顔を浮かべ、忍は最終通告を選択する。



【十分以内に私を殺せなかった時は―――――貴様等、全員犬の餌だ】



忍は手を叩く。
パンッと小さく、そして絶望の鐘を鳴らす音が響き。
【さぁ、スタートだ】
悲鳴と銃声が木霊する。





「カカッ、無理しちゃってまぁ」
屋上の上、闇夜に照らされるは深紅のスーツを着込んだ金髪の大男。
男の名前はデビット・バニングス。
そして、その隣に佇むのは執事である鮫島。
「いやぁ、久しぶりに返ってきて見れば、随分と面白い事になってと思わねぇか、鮫島」
「左様でございますね。ですが、これを楽しいと言ってしまう辺り、デビット様もアレな部分も地に堕ちてしまいそうな勢いですな」
「いやいや、やっぱり元・夜の一族の俺としては、お嬢様のあんな成長した姿を見てびっくり仰天なわけなんだがね」
手を叩きながら笑うデビットに、鮫島は静かに尋ねる。
「それでは――――デビット・バニングス様個人としては、どうですかな?」
「無理し過ぎなんだよ、お嬢様はよ」
急に声のトーンを落とし、舌打ちをする。
「本当はしたくもない癖にあんな事をする辺り、心はそのままと見たね。しかも、あんな敵役悪役憎まれ役を三拍子を演じるなんて子供であり未熟だな。男として、可哀想で見てられんよ」
「ならば、手をお出しになれば宜しいのでは?」
デビットは首を横に振り、
「生憎な事なんだが。男ってのは女の覚悟を不意にして良いなんて権利はなんだよ。女は逆に男の覚悟を不意にする、止める権利はあるがな」
「深いのですね、男の道というのは」
「深すぎて、時々自分が嫌になるね」
銃声は鳴り止まない。
男達の叫びも鳴り止まない。
「死ね、死ね、死ねよ……なぁ、死んでくれよ!?じゃない、と、じゃないと俺達……う、うぅぁぁぁぁ、死ね!!死ね!!死ね!!」
「嫌だぁ、死にたくない。死にたくなんて、ないのに!!」
「殺せ!!あの化物を殺さない、殺されるのは俺達だ――――殺せぇぇぇええええええええええええええええええええええ!!」
惨いな、とデビットは呟く。
「生きる者ってのは、生にしがみ付くとああなるんだな」
「生きる者ではありませんよ。ああなるのは【挑む覚悟の無い者】だけです。挑む覚悟がない者は己が負ける事など考えない。死ぬ事も、殺される事も、何も考えてはいない……だから、いざという時にあの様な醜態を知らしめる事になるのですよ」
時計の針は進む。
残り三分。
カップ麺が出来る時間が過ぎれば――――この辺り一面は血に染まる。
「俺にこんな役目を与えるなんざ、あのお嬢様も随分と優しい事だな―――なぁ、ファリンちゃんよぅ?」
デビットと鮫島の背後に、携帯電話を持ったメイド、ファリンが立っていた。
「申し訳ございません、デビット様。この様な役をアナタ様に押し付けてしまって……」
「構わんよ。確かにあんな重装備の連中を集めて―――止められる自信はないだろうだ」
真下では、重装甲の者達がいる。彼等は月村忍によって集められ、ある目的の為にのみ動く部隊。部隊員の殆どは警察や自衛隊、または元軍人や傭兵といった者達ばかりだ。
彼等が此処にいるのは、ある目的の為。
九鬼は確かに言った。
これは夜の一族の連中を誘い込む為の罠であると―――だが、残念な事にそれは間違っている。
彼等は夜の一族を相手にする為に呼び出されたのではない。

月村忍を止める為に、呼び出されたのだ。

「力を支配する者が、力に溺れる……いや、己が力を支配しきれないとはな」
「皮肉な事でございますな」
「本来なら俺が務める役目だからな、そういうのは。だが、あのお嬢様は頑として首を振らなかった……それがアレだ」
残り時間は、あと一分。
「死なぬ化物、殺せぬ化物。他人にとっても化物であり、己にとっても化物。お嬢様よぅ、アンタは力を求め過ぎるには―――早すぎたんだよ」
煙草を咥え、火を灯す。
赤い瞳の先に見えるのは、黒いドレスの女が一人。
銃弾に身を貫かれ、刃に身体を切り刻まれ、爆弾によって身体を吹き飛ばされ―――それでも生きている。死ぬ事なく、殺される事なく、ただ破壊と再生を繰り返す。
痛みを感じないわけがない。
苦しくないわけがない。
幾ら不死身に近い肉体をもっていたとしても、痛覚が死んでいるわけではない。激しい痛みを身体を襲われながらも、黒きドレスの女は、成すがままにされている。
「どんな、気分なのでしょうか……」
ファリンがポツリと呟く。
「私は長年忍様の元に居ました。ですが、だからといってあの方の全てを知っている、わかっているというわけではありません……むしろ、知っているからこそわからなくなるのです」
わからない事が悔しく、悲しいのだろう。
「私達が……弱いからでしょうか?頼りにならないからでしょうか?忍様が、ああして出向いて―――力を使うのは」
「そいつは違うだろうな」
デビットは言う。
「別にそんな事は関係ないのさ、あのお嬢様にとってはな。アンタ等が強かろうと弱かろうと、頼りになろうとなかろうと、お嬢様にとってあの力を使う事は使命なのさ。使命というか義務でもあり、権利でもあり、そして運命なのかもな」
銃声が止む。
時間は来た。
時は満ちた。
月村忍の力は解放する。
「だから、アンタ等はお嬢様から、家族から目を反らすな。それが今のお嬢様にとって絶対に必要不可欠な事だ」
黒のドレスは闇に熔け、夜の闇に金の瞳が輝く。
殺戮が始まる。
殺戮を開始して、終わりを始める。
血の海が生まれた。ただでさえ足下は血の池となっているにも関わらず、その上に新たな血液が吹き出し、血の池の量を増やしていく。
その原因となったのは、一人の男の首が【消し飛んだ】という事に関係があるのだろう。男の隣にいた者は、何時の間にか消えた男の顔を探し、遠く離れた忍の手の中にある事を確認し、悲鳴を上げた。
忍は首を天高くあげ―――握りつぶした。
トマトを潰す様に、首は忍の細くい指先によってミンチとなり、血肉を辺り一面にまき散らす。手から滴り堕ちる血を、忍は舌を出して舐める。
何度も何度も舐め、それから男達を見る。
敵を見るのではなく、獲物を見る様な眼だった。
【―――――時間切れだ】
絶望の言葉を囀り、忍は跳ぶ。
一瞬で男達の目の前に現れ、一番近くにいた男の身体に手刀を叩きこむ。ズブッという艶かしい音がすると同時に、胸から背中に突き抜けた忍の手には今もなお動き続ける心臓があった。
それを握りつぶす。
悲鳴、絶叫、阿鼻叫喚の嵐。
男達は逃げる。
先程までの威勢が完全に消え、今はただの狩られるウサギへと変わってしまった事に気づく。もう遅いが命乞いをする。もう遅いが逃げようとする。もう何もかもが遅いが助けを呼ぼうとする。
だからこそ、もう遅い。

黒い狼が妖の上半身を喰い殺す。

黒い霧が妖の内部に入り込み、中で姿を成して内から殺す。

黒い無数の蝙蝠が妖の血を根こそぎ吸い取り、殺す。

化物は嗤って殺す。
命に価値はないとばかりに暴虐し虐殺する。
月村忍という女性は、そこには存在しない。そこにいるのは人の形をした【吸血鬼】という化物が一匹。
笑い、
嗤い、
哂い、
「――――まるで、泣いているようですなぁ」
「他人事だな、鮫島」
「えぇ、他人事です。生憎、私は己の事などどうでもよい人間ですので―――だから、こうして他人事でなければ、動けぬ人間なのですよ」
「ふんっ、まったくいい加減な男だな」
「主様も」
「あぁ、同感だ」
その姿を見て、男と執事は立ち上がる。
「助力、してくださるのですか?」
「そうじゃなきゃ、此処にはいないさ。それと、他の連中は退かせろ。あの程度の装備じゃ、お嬢様を止める事は出来ないし、居ても邪魔だ」
「その通りでございますな。いやはや、月村のお嬢様も己の力を過小評価し過ぎてございます。あれでは無駄な被害を出すだけだというのに」
そう言って、二人は屋上から飛び降りていった。
「…………」
屋上に残ったファリンは、祈る様に携帯を握りしめる。
忍の力は確かに強大だ。だが、それがあまりにも強大過ぎた。その力は忍自身も制御できない程であり、一度解放してしまえばもう止まらない上に止めれない。
そもそもの話、吸血鬼がという化物が最初からあんな力を持っているわけではない。本来ならゆっくり、人間が成長していくように、ゆっくりと年月を重ねる事によって生み出される吸血鬼としての力。
それ故に三十年生きても、身体能力が高い程度の能力しか持っていない者も少なくない。五十年生きている者でさえ、身体を蝙蝠に変化させる事が出来れば十全だろう。
だが、忍は二十代にして【全ての力】を発現させた。
身体を霧にする事も、身体の一部を狼とする事も、蝙蝠に成って空を飛ぶ事も、それ以外にも吸血鬼、夜の一族として百年以上生きないと発現しない能力の全てを持っている。
天才だと誰もが思った。

だが、彼女は天才にはならず、天災となった。

屋上から見える光景を見て、それが幻想的だとはとても言えない。戦争の映像を見ている方がまだマシだと思える程に、凄惨は光景が其処に広がっている。
人間らしい死に方が出来た者は一人もいない。
四肢を砕かれ、四肢を切り刻まれ、四肢を干乾びさせ、四肢を噛み殺されていた。
「忍様……」
忍は、そんな中で佇んでいる。
黒いドレスを身に纏い、素足で血だまりを歩き、真っ赤に染まった手を舐める。
目は黄金に輝き、口元は三日月の様に歪んだ笑みを作る。
血に酔い、力に飲まれた化物。
こうなる事がわかっているというのに、彼女はその力を使った。何故か、問うまでもないだろう。
遠くから聞こえる車の音。
大事な妹を守る為に、化物になっても構わないと思ったのだろう。
その為になら、二度と元に戻れなくなって、あっけなく殺されたとしても後悔はしないだろう。
だが、そんな事など許されない。
彼女が誰かを守ろうと思っているのと同じ様に、彼女を守ろうとする誰かがいる。
「デビット様。どうか、どうか忍様を……」
助けてください、と口にした。
聞こえないだろう。
聞こえるわけがないだろう。

「――――――男たる者、女に助けを求められたら、有無を言わさず手を取るべきだよな?」
「左様でございますとも」

化物に挑むは怪物。
「それにしても懐かしいですなぁ……こうして忍様のこの状態と死合うのは、冷戦以来でしょうなぁ」
「確かにそうだな。もっとも、あの時より面倒だぞ今回は。なにせ、あれから成長しているからな、お嬢様も」
しかし、二人の男は余裕の色を消しはしない。
「とりあえず作戦でも立てるか?」
「そうしましょう。なにせ、こういう戦いに置いて作戦は重要ですので」
そう言って鮫島は拳を握り、
「私が殴りますので」
デビットが嗤い、
「俺が蹴り飛ばそう」
作戦会議終了。
化物が二人を認識する。
親しい者ではなく、獲物だと認識し―――すぐにそれは違うと修正する。
アレは、アレは獲物ではなく敵だ。
己が力と同様か、もしくはそれ以上の怪物だと本能が叫ぶ。
「それはそうとデビット様。こんな時になんですが、昨日のお話の続きなのですが」
「あの話か。なんつったっけ?確かお前の使っている流派の新しい流れを生み出したいから、ちょっと金だせやって言ってたアレだろ」
「えぇ、そうです。私もいい歳なので、そろそろ新しい事にチャレンジしてみたいのです」
「色々と間違ってる気がするが……まぁ、最近は古武術ブームだし、いいんじゃねぇか。俺の会社もそういう方向に手を出すのも悪くないしな―――で、なんていう流派だっけ?」
鮫島は何時もの構えとは違う、構えを作る。
「名前はまだ考えておりませんが……そうですな【鴉心流】というのはどうでしょうか」
「あしんりゅう、ねぇ……いんじゃねぇの?アリサとか喜んで習いそうだしな」
「そうなれば嬉しいのですが、生憎な事にアリサ様には昔、ちょっとした遊び心で【我が流派】を教えたのですが……」
渋い顔をする鮫島。
「ん、どうしたよ?」
「流石はデビット様の娘といいますか、主人公体質といいますか――――あまりにもあっさりと私の技を盗みまくるので、ちょっと本気でボコってしまいました」
「…………あぁ、だからお前の事が嫌いなのな、アイツ」
「私もまだまだ若いですからなぁ」
「さっき、いい歳って言ったばっかりじゃねぇかよ…………というか、人の娘に何してくれてんだよテメェは!?」





数多の異形は白い車を追い詰める。
住宅街を抜け、人気の無い深夜の臨海公園へと追い詰め、車は止まった。
ゴーレム、ゴブリン、ドラゴン、ガーゴイル、異形の群れは車を囲み、中にいるであろう人間を滅多刺しにしてやろうと牙と爪を研ぐ。
ドアが開く。
中から白髪隻眼の男が姿を見せる。
「木偶人形がこれだけ揃うと、これはこれで十分すぎる程に滑稽だな」
ニヤッと嗤いながら、口には煙草を咥えている。
「だが、所詮は人形というわけか―――揃いも揃って能無しの木偶と言う事には変わりはないな」
ゴブリンが動く。
動く前に、
「鈍い」
鬼の一撃をまともに喰らい、破壊される。
呆気なく破壊された同胞を見ても、彼等は何も思わない。それよりも逃げようとせず、戦おうとしている鬼を見て、敵意を抱く。
とうとう観念し、戦う事を選択したのだろうと、彼等に意思があればそう思うだろう。だが、彼等は気づかない。彼等の作り物の眼には男の姿しか映っておらず、車の中にいる者の姿を見ようともしない。
本来、彼等が与えられた命令は少女と教師を殺すという命令であり、この男はそれを邪魔する障害でしかない。それでも限られた命令しか出来ない彼等は無い頭を使ってこう考えた。
この男を殺せば、残る二人はあっさりと殺せるだろう、と。
しかし、それ故に気づかない。
彼等も知らぬ内にターゲットを男に絞り込んでしまったせいで、車の中に【一人しかいない】という事実に気づかない。
「教頭。そこから動かないでもらいたい。その代わり、車には一匹足りとも近づけはしない」
「…………わかりました。アナタを、信じます」
「ご期待に添う様に、がんばりますとも」
鬼は腕を突き出し、掌を相手に向ける。
守るべき者は二人はなく一人。
二人いたはずの一人は、先程【走行してる途中で降りた】ので、此処にはいない。
「防衛線は得意じゃないが、やれん事もないだろう」
敵は無数。
味方は己一人。
負けはあるかと聞かれれば、否と応えようではないか。
ましてや、この程度の連中を相手にする事に不安など感じない。不安があるとすれば、降りた一人が目的を達する事が出来るかどうか、という一点だけ。
「後はお嬢ちゃんの頑張り次第と言う事か……」
恐らく、今頃少女は走っているだろう。
大事な絆の為に、嘘を嘘で終わらせない為に、小さな身体で頑張っているだろう。
「―――――さぁ、来い」
鬼は挑む。
鬼は戦う。
主人公ではない鬼は、主人公の為に戦う一人の登場人物に過ぎない。
故に、後は物語の主人公に任せる事にしよう。
人の為に走る、友の為に動く、妖の物語を信じて。

さぁ、戦争を続けよう







時間は少しだけ遡る。
九鬼達がカーチェイスを続けているぐらいにまで時間は戻る。
海鳴のオフィス街を空を滑る様に飛ぶ魔女、スノゥはこれから叶うであろう自身の願いを想い、嗤っていた。
あの人間達の邪魔はない。自分を追ってくるのはわかっていたが、この街には自分が作りだした異形やゴーレムの他にも、夜の一族とかいう愚か者達がいる。彼等を騙し、こちらに引き込んだのは都合が良いからであり、別に彼等の願いを叶えるつもりはまったくない。それでも彼等は己の妄念を達成できると本気で信じ、魔女に力を貸してくれた。
高町なのはのデータを改ざんする事にも手を貸してくれたし、高町なのはの両親のデータも、家族のデータ。個人を個人とする為に必要な全てを改ざんしてくれたおかげで、ここまでこれた。
その点から見れば感謝の言葉の一つも送っても良かったが、所詮は二度と遭う事のない者達の事など知った事ではない。
もうすぐだ。
もうすぐ、願いが叶う。
【鍵】はある。
【鍵】の力を解放し、門を開くのだ。
そうすれば、そうすれば、
「漸く、私はこの小さき箱庭から出る事が出来るのですね、我らが王よ」
光悦に浸る顔を張りつかせ、魔女は空を飛ぶ。
だが、そんな魔女の瞳に奇妙な物体が写った。
「―――――?」
小さな点、だった。
「あれ、は……」
小さな点が徐々に大きくなり、
「アレはッ!?」
それが巨大な物体だという事に気づいた。
「――――クッ!!」
巨大な物体はスノゥ目がけて真っ直ぐに飛来してきた。最初は小さな点であっても、近づけばそれが何か一目でわかる。それは―――タンクだ。貯水タンクが虚空の彼方からスノゥ目がけて飛んできたのだ。
それを避ける。
背後にあったビルに貯水タンクが激突し、割れた窓ガラスや崩れた壁が地面に落下する。幸い、ビルの中にも下にも誰も居なかったのだろう。騒がしいサイレンの音がビルの中から響いているが、人の悲鳴は聞こえない。
「な、何なんですの!?」
疑問が浮かぶが、答える者はいない。それどころか、鼓膜を刺激するヒュンヒュンという風切音に気づいた。その音は先程貯水タンクが飛んできた方向から聞こえ、その方向に視線を向けると――――今度は、巨大な看板が縦回転で向かってきていた。
それだけではない。
次々と巨大な物がスノゥ目がけて飛んでくるではないか。
避ける、避ける、避ける。
避ける事によって飛来物は次々とビルに突き刺さり、ビルは見るも無残な姿に変わりはてる。
何者か知らないが、確実に相手は自分を狙っている。
スノゥは魔法で反撃する。
相手は見えないが、とりあえず飛んでくる物を壊す事は可能だろう。手から雷や炎、風を巻き起こし、次々と飛来物を破壊していく。
そして、何も飛んで来なくなった瞬間――――今度は、小さな何かが飛んできた。
それは今までの様な巨大な物ではない。
小さい。
小さな点は近づいても小さいままだ。
だが、その速度は今までの飛来物の数倍は速い。
気づいた時には、

既にそれは目の前に現れた。

「―――――ッ!!」
衝撃はスノゥの身体に叩きつけられる。防御する事も出来ず、魔法による障壁を張る暇もなく、何か小さな物で大きな力を叩きつけられた事に気づいた瞬間、スノゥの身体は近くに聳え立つビルの中に激突した。
ビルの中にある机や椅子、オフィスの一端となっていた部分を根こそぎ破壊して、壁に叩きつけられる。
何が起こったのか理解するのに、時間は掛らない。
わかった事は自分が開けた壁に、満月を背に立っている小さな影。
腕を組み、仁王立ちしているソレは、スノゥが帝霙を名乗っていた時に見慣れた誰かの姿。
「こんばんわ、先生」
だが、その姿が知らない。
闇夜に光る赤い瞳。
肉食獣に似た獰猛な笑み。
「夜空の散歩は楽しかった?でも、駄目ね。飛行許可もない飛行機とか箒は問答無用で落しても良いって法律で決まってるのよ」
「ど、どうして……アナタが」
「どうして?それは先生が聞くの?」
おかしいのだろう。ソレは笑っている。
目が一切笑っていないのに、笑っている。
「答えなんて知ってるでしょうに……アナタが、アンタが、お前が、貴様が――――テメェがやった事を知った上で、テメェを野放しにしておく馬鹿が何処にいるってのよッ!?」
その言葉で十分だった。
先程から自分目がけて飛んできた物を投げつけたのは―――この少女だ。
あの小さな身体で、自分の何倍も巨大な物を兇器に変えて、投げつけて来たのは、この少女だ。
「―――――そう、ですか……アナタも、私の邪魔をするのですね……」
「邪魔なのはそっちよ。アンタのせいでこっちはいい迷惑してんのよ。アンタが何をしたのか大体わかったけど、何を目的としたのかは知らない―――けど、知る必要もないってことだけは知ってるつもりよ」
お前は怒らせた。
獣に怒りを抱かせた。
「アンタのせいで私の友達が泣いたのよ。アンタのせいで私の大切な人達が傷ついた。それだけあれば、アンタをぶん殴る理由は十二分にあるわ」
「あらあら、女の子がそんな酷い言葉を使っては―――いけませんよッ!!」
腕を振るうと同時に、少女の立っていた場所が爆破する。
が、
「アンタに一つだけ教えてあげるわ」
その声はスノゥのすぐ近くから聞こえる。
爆発した場所よりもずっと前、スノゥの目の前に瞬間移動した様に現れた少女。
「魔法使いが私みたいな奴と戦うのってさ、結構大変なのよ」
当然の事を口走り、拳を振り上げる。
ズドンッと、スノゥの背後に巨大なクレーターを作り出す。それを寸前で交わし、スノゥは箒を取って夜空に飛ぶ。
「飛べば逃げれると思ってんの?」
声は飛んだ自分の上から響く。
見上げれば、少女が脚を大きく振り上げ―――叩きつけてきた。
振り下ろされた蹴りが身体に叩きこまれた。今度はちゃんとガードする事が出来たが、その威力を完全に殺す事は不可能であり、スノゥの身体は真っ逆様に地面に落下する。
地面に叩きつけられる寸前に体勢と整え、何とか地上に激突する事は回避するが、
「おらぁぁあああああああああああああああああああああああああ――――ッ!!」
衝撃は地面を穿つ。
コンクリートは捲り上がり、地面が吹き飛ぶ。
それを成すのは少女の小さな拳。
小さくとも、絶大な威力を秘めた拳。
そんな光景を前に、魔女は言葉を失くす。
砂埃を切り裂き、少女はゆっくりと立ち上がる。
「最初に言っておくわ」
金色の髪を靡かせ、
「手加減はしない。アンタは私の全力全開でぶっ壊す」
深紅の瞳が輝き睨む。



「私の【群れ‐友達‐】に手を出した事を、地獄の底で後悔させてやるわ」


魔女の前に人狼が立つ。
アリサ・バニングスという、一匹の獣。



さぁ、戦争を終わらせよう






次回『人妖編・最終話』



[25741] 【人妖編・最終話】『虚空のシズク』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/07/03 00:16
高町なのはの自宅。
周囲から忘れられたというより、周囲から見限られた様な家と言えなくもない。
隣にある家は時間が進んでいるが、高町家の外装は完全に時が止まったままだ。
表札はヒビ割れ、柵は錆びて開き難く、動かすと耳障りな音を響かせる。庭を覗けば伸びたまま放置された荒れた庭があり、元の姿を想像する事すら出来ない。
玄関を開ければ、流石に開きはするが軋む音は隠すことは不可能だった。
インテリアは壊れている。
玄関脇に置かれた鏡は割れている。
靴箱は壊れ、中を見てもカビ臭い匂いを漂わせる異臭を放ち、口を覆いたくなる。
居間に入れば人が住んでいた記憶は読み取れるが、今でも住んでかどうかと問われれば否と答えるしかない。
掃除した後がない。
絨毯は煤汚れた様に灰色に染まり、テーブルは脚が壊れて斜めに傾いている。ソファーは中の物が飛びだし、軽く叩いただけで埃が舞う。
テレビは壊れたと言うよりも壊したという表現が似合う。ブラウン管の画面に何かを突き刺したのだろう、完全に画面が割れてテレビとして使用するには不可能なレベルになっていた。
何処もかしくも、この家は完全に時間を止まっていた。
人が居ないからか、それとも人が住まなくなったからか、人が住まうべき時間を失くした家は家という言葉すら当てはまらない廃屋の一言に尽きる。台所に行けば赤黴によって浸食された水洗い場。冷蔵庫は空いたまま放置され、中にあった野菜は黒く染まり、肉は乾燥しきった様に堅く、振れただけで崩れ落ちる。
洗面台を見れば鏡が割れており、周囲には水垢がこびり付いていた。
見ても聞いても、嗅いでも感じても、そこはとても人の住めるような場所ではない。
そんな場所が未だにこうして此処に存在している。此処にある事がおかしいと思うべきだというのに、誰もソレを疑問に思わない。
忘れているのかもしれない。此処に高町という家があった事を誰もが忘れ、認識の外に放り投げた。それは忘れたという言葉よりも見限られたという言葉が良く似合う。
忘れた記憶は思い出す事が出来る。
だが、見限った物は思い出す事すらしようとしない。
見限られた家は寂しく、寒い。
誰もいない。
寝室を開けても誰も居ない。
個人の部屋を開けても誰も居ない。
少女の、高町なのはの部屋を開けても―――当然、誰も居ない。
だが、この部屋だけは他の部屋と違って誰かが居た形跡がある。周りはまったく掃除していない、壊れたままだというのに、此処だけはそうじゃない。
ベッドには誰かが寝ていたあとがある。
壁に掛っていた制服は今日も着たのだろう、振れれば微かに体温と人の匂いを感じる事が出来る。机の上には教科書と鞄が置かれ、先程まで宿題をしていた様なあとがある。
唯一壊れているとすれば、それは鏡が壊れているという事だけだ。
この場所だけが、この部屋だけが唯一の人が生活していた形跡があった。
だが、それがどういう意味なのかを考えた時、悲しくも恐ろしい事を想ってしまう。
誰も居ない家の中で、この部屋の主はたった一人で生活していたのだ。
誰も居ない家の中で、誰とも会話もせずに部屋だけに籠って生活していたのだ。
誰も居ない家の中で、そんな生活を誰にも知られずにずっと続けて生活していたのだ。
驚くよりも悲しくなる。
どうして誰も気づかないのか。どうして誰もこんな事になっているのに気付けなかったのか。そして、こんな状態にあるにも拘らず、どうして彼女はあんな風に振舞う事が出来たのか。
想像する。
自分が同じ立場になったらどうなるか、想像して―――恐怖に身体を震わせる。
耐えられるはずがない。
こんな状態の家に、たった一人で生活している時点で心が折れるだろうし、それでも意地を張って生活をしていたらきっと心が壊れる。
だが、壊れなかった。
高町なのはは壊れなかった。
壊れず―――狂ったのかもしれない。
「…………」
彼女は、すずかはこれから会おうとしている少女の事を考えて、怖くなった。知っているはずの全てが偽りで、目の前にある全てが現実であるというのなら、あの少女の中にある闇は予想以上に大きく深い闇なのかもしれない。
もしくは、それを闇とすら思わないのかもしれない。
「…………」
だから逃げる事は出来ない。
何が起こったのか、何があったのか、それを知らなければならない。義務感なんて他人凝議な事は思わない。知らなければならないと思ったのは、知りたいと思ったからだ。
部屋を後にした。
扉を閉める前に、もう一度だけ部屋を見る。
少女は、なのはは、毎日の様にこの部屋に帰って来たのだろう。この家に帰るのではなく、この部屋にだけ帰ってきて、この部屋から学校に向かい、またこの部屋に帰ってくる。
それは家に帰るのではなく、部屋に帰ってくるという意味。
家に帰るという選択ではなく、部屋にしか帰って来れないという意味。
「…………」
また、なのははこの部屋に帰ってくるのだろうか。この部屋にしか帰って来れない毎日を過ごす事になるのだろうか。
扉を閉め、歩きだす。
何処にいるかは―――自然と理解した。
初めて着た家だが、人の気配がするのはもっと奥だ。
奥の方に誰かがいる。
家を出て、裏にあるのは剣道場の様な建物。
その中に誰かが居る。
足を止め、大きく深呼吸をする。
そして、足を踏み入れた。

高町なのはは、そこにいた。

外からの見た目通り、そこは剣道場であり、広かった。そこだけは家の様に荒れ果ててはおらず、床も壁も綺麗に掃除されている。
そんな道場の真ん中に、なのははポツンと座っていた。
窓から零れた月の光を浴びながら、何も考えない人形の様な悲しい姿をしながら、静かに、何も語らず何も見ず何も感ずに、そこにいる。
「…………」
すずかが足を踏み入れると、床が鳴る。
その音に気づいたのか、ゆっくりとなのはがすずかを見る。
「―――――あ、すずかちゃんだ」
その声は、最後に聞いたあの声と同じだった。
空っぽでありながら、善意の塊の様な冷たい声。正しさと優しさだけを詰め込んだ肉袋の様な物から発せられた声に、背筋がゾッとした。
変わらなかった。
あの時と同じ、高町なのはという【良い子】の姿があるだけだった。
「どうしたの?こんな時間に……」
不思議には思わないらしい。どうしてすずかが此処にいるという事すら、不思議に思わないのは、何処か壊れているのかもしれない。それとも、元がこうなのかもしれない。【かもしれない】という想いが続く。わからないから【かもしれない】なのだ。
「なのはちゃん……」
名前を呼ばれ、
「なに?」
なのはは笑顔で答える。
空っぽの笑顔で答える。
何を言えば良いのだろうか。
スノゥの事を聞けばいいのだろうか。
彼女がなのはに何をさせようとしているのかを、聞けばいいのだろうか。
いや、それだけじゃない。
聞きたい事や言いたい事は山ほどあったというのに、一つたりとも言葉に出来ない。
まるで、目の前のなのはという存在を前に、全ての言葉も想いも無駄にされるかもしれないという恐怖があったのかもしれない。
何も言えないすずかに、なのはは笑って、空っぽな笑みで迎える。
「遊びにきたの?」
すずかは違うと首を振る。
「そっか……でも、よかった。すずかちゃん、今日は学校に来なかったんだもん。帝先生がすずかちゃんも風邪で休んだって言ってたから心配してたんだよ?」
「…………」
「本当はお見舞いに行こうとしたんだけど、帝先生が迷惑かけるから駄目だって言ってた。だから、なのはは帝先生の言う事をちゃんと聞いて行かなかったんだよ?でも、本当は行きたかったの。いってだいじょうってききたかったんだよ?しんぱいだったからだよ?ともだちのしんぱいをしたからだよ?」
善意の言葉は、これほどまでに空っぽに聞こえるものなのだろうか。
「だいじょうぶだった?かぜはなおった?」
すずかは首を横に振る。
「なおってないの?それじゃだめだよ。すぐにかえってねないと、だめなんだよ?」
「風邪は、引いてないよ」
「え、そうなの?それじゃ、どうしてやすんだの?」
「ずる休みしたんだ」
「…………ずるやすみは、だめだよ」
にへらと笑うなのは。
「だめ、だめ、だめだめだめ、だめ、だよ……そんなことをするのは、わるいこなんだよ?がっこうをずるやすみをするのは、わるいこのすることなんだよ?」
「そうだね。私は、悪い子かもしれない」
「なら、ちゃんといわなくっちゃ……ごめんなさいって……ずるしてごめんなさいって……いわなくちゃだめなんだよ?じゃないと、良い子になれないんだよ?」
押し潰されそうになる。
目の前の同い年の少女に、何もかもを壊され、潰されそうになる。それでも何とか足を踏ん張り、なのはを見据える。
「――――私は良い子じゃないけど、なのはちゃんだってそうだよ。なのはちゃんだって、良い子じゃないよ」
言いたい事はこんな事じゃない。だが、この少女を前にして話す言葉は肯定ではなく、否定でなければならない。
そうじゃないと、
「どうして、そんな事を言うの?」
そうじゃないと、本音が聞けないと思ったからだ。
良い子じゃないと言われた瞬間、なのはの表情が変わる。
笑っていた顔が能面の様に表情を失い、口調が甘ったるい声ではなく冷徹な声に変わる。
「良い子じゃないからだよ……誰だってそう思うよ」
「違うよ。なのはは良い子なんだよ?」
肯定はしない。
「私は良い子っていうのが、どういう子の事を言うのかはわからない。でも、みんなに何も言わない子を良い子だとは思わない」
「どういうこと?」
すずかは道場の入り口、なのはの家を指さす。
「だってなのはちゃんは、誰にも言ってなかったよね?なのはちゃんの家がああなっている事を誰にも言わないで、秘密にしてたよね。それは、良い子のする事かな?」
「…………」
なのはは黙る。
何かを言おうとして黙り込み、口を噤む。だが、すぐに元の空っぽの笑顔を作り出し、にへらと笑う。
「ひみつになんてしてないよ?だれもきかなかったから、いわなかっただけだよ?」
「それを秘密にするって言う事だと、私は思うよ……それは、良い事じゃない」
「良いことだよ……良いことなんだって、せんせいがいってたよ?」
先生、あんな魔女の事を、まだ先生と言うのかと激しい怒りが湧き上がってくる。
「あの人の言う事なんて、聞かなくて良いのに……ッ!!」
「あ、だめだよ、すずかちゃん。せんせいのいうことをきかないこは、わるいこなんだよ?」
「…………言う事しか聞けない子が、良い子だとは思わない」
「…………」
「自分の想う事を何もしないで、誰かの言う事だけを聞いているのが良い子なんだとしたら、私はそんな子にはなりたくない。確かに自分の事が前部正しいとは思わないし、間違っている時だってあると思う……けど、もしかしたら相手が間違っている事だってあるはずだよ?そうじゃないの?そういうものなんじゃないの!?」
確かに誰の言う事を聞く人間は良い人間かもしれない。だが、それは良い人間なのではなく【都合の良い人間】という事にはならないだろうか。
自分の意思を隠し、自分の意思を全て放り捨てて誰かに合わせる事は確かに必要な事だろう。だが、それだけをしているだけでは意味がない。
自分を隠すのは必要でも、自分を捨てる事が必要だとは思わない。
「どうして、そんなひどいことをいうの?」
「なのはちゃんが、心配だからだよ」
「なのはは良い子だから、誰にもしんぱいなんてかけてないよ?」
「それも違う。誰にも心配かけない事は絶対に良い子はじゃない。少なくとも、なのはちゃんのそれは違う。それは……誰にも心配されないって事なんじゃないの?」
「…………」
「それじゃ……寂しいよ。私も寂しいし、なのはちゃんだって寂しいはずだよ。誰かに心配されるのはちょっと心苦しいけど、少しだけ心が温かくなる。自分は一人じゃない、誰かが自分の事を想ってくれる事が嬉しいと思える。それは、間違った事じゃないし、悪い事なんかでもない」
誰にも心配されない事は悲しいと思う。
それを知らず、自分の殻に閉じ籠っていた自分だから、それを知る事が出来た。
家族に心配されて、他人から心配されて、そんな自分が情けないと思いながらも、嬉しいと感じる事ができたのは、間違った事じゃない。
だからこそ、こうしてすずかは心配できる。
目の前の少女の事を、心配する事ができる。
「大きなお世話かもしれない。邪魔だと思うかもしれない。でも、私はなのはちゃんの事を心配したい。私の我儘かもしれないけど、これだけは本当だから」
「――――それじゃ、なのはは良い子になれないんじゃないかな?」
空っぽの笑顔は崩れない。
「それじゃめいわくをかけるだけ。それじゃなのはは良い子にはなれないから、やっちゃいけないことだよね?なのはは良い子なんだよ?わるいこにはなれないんだよ?」
「それは、変だよ」
「どうして?」
「だって……だってそれじゃ、何時まで経ってもなのはちゃんは―――ずっと一人のままだよ」
「良い子はがまんできるんだよ?」
「それは我慢して良い事じゃないッ!!」
すずかは叫ぶ。
「我慢する事が良い事なんかじゃない……痛いのも、苦しいのも、悲しいのも、我慢する為にあるんじゃないよね?痛ければ痛いって言えば良い。苦しければ苦しいって言えば良い。悲しければ、悲しいって言えば良い。そんな想いを我慢しても何も始まらない。周りに壁を作って、誰とも触れ合えない自分を作るだけだよッ!!」
「………すずかちゃんが、何を言いたいのか、わからないよ?」
「どうして、わかってくれないの?」
同じ言葉を話しているはずなのに、言葉に込められた想いはまるで伝わらない。
目の前にいるのに、言葉が届く距離にいるのに、なのはにはちっとも届いていない。
その虚しさに涙が流れそうになる。
「どうして、どうして……」
「…………わからないよ、全然わからないよ」
月光は冷たく、二人の少女を映し出す。
一人は想いを伝えようと必死になっているにも拘らず、届かない。
一人は想いを伝えようとする者の想いを拒み、受け入れられない。
やはり、駄目なのだろうか。
自分みたいな者の言葉が、化物の言葉で人の心を動かす事など出来る筈が無いのだろうか。
静寂が道場を包み込み、呼吸の音すら聞こえない。
「――――――そういえば、さ」
そんな中でなのはが口を開く。
「わたし、すずかちゃんにあやまろうとおもってたんだよ?」
「謝る?」
「うん、そうだよ。わたし、すずかちゃんにだいきらっていわれたから、あやまろうとおもってたんだよ?」
あの時の事が脳裏に蘇る。
だからこそ、あの時と同じ顔をしたなのはの言葉は、
「ごめんね、すずかちゃん。なにがわるいのかぜんぜんわからないけど、わたしがわるいんだよね?だから、ごめんなさい」
空っぽの言葉を紡ぎ、頭を下げる。
それがどれだけ残酷で心を傷つける事をしているのか、まるで理解していない。
天使の様な残酷な笑みを浮かべながら、
「ごめんなさい。ゆるしてください。だから、もういっかいともだちになろうよ?」
「あ、あぁ……」
「わるいのはなのはだけど、あやまったらゆるしてくれるよね?わるいことをわるいってみとめるなのはは、良い子だからあやまるんだよ?だから、ゆるしてくれるよね?ね?ね?ね?」
床が軋む音がする。
すずかが、膝を尽く音がする。
「どうしたの、すずかちゃん?」
届かない。
届くはずがない。
言葉だけでは届かない。
想いも届かない。
何もかもが、届かない。
今度こそ、涙が流れた。
情けなくて悲しくて、虚しくて寂しくて、
「うぅ、うああ……」
顔を覆って涙を隠す。
どうして泣いているのか理解していない様に、なのはは首を傾げる。
「どうしてないてるの?おなかいたいの?どこかいたいの?なら、わたしもかなしいよ?すずかちゃんがないてたら、私もかなしいんだよ?」
高町なのはは、機械である。
プログラムされた事を繰り返すだけの、残酷な機械である。
誰かが泣けば、自分も泣く様にプログラムされている。だが、簡単に泣く事は出来ないので、自身の身体を傷つけて涙を流す。
あの時と同じ様に頬を捻り、冷たい涙を流す。
「ほら、わたしも悲しいんだよ?」
「もう、やめて……」
耐えられない。
「わたしも悲しいからなみだをながすんだよ?かなしみは、かなしいとおもう気持をともだちと分かち合うのが良い子なんだよ?」
「やめてよぉ……お願い、だから」
機械はプログラム通りの行動しか出来ない。だからすずかが止めろと言えば、機械は素直に頷くしかない。冷たい涙は拭えば消える。最初から空っぽの冷たい涙など、その程度でしかない。
「うん、それじゃなかないよ?」
「……う、あぁぁぁああああ……」
絶望する。
どれだけの勇気を振り絞っても、あれだけの危険な目に会いながらも此処に来ても、駄目だった。こんな駄目な自分に行けと言ってくれた九鬼と教頭に申し訳ないという想いがあり、姉にがんばってこいと言われたのに、それが出来ない自分が情けない。
こうして泣く事しか出来ないのは、自分が弱いから。
こうして跪き、何も出来ないのは、自分が化物だから。
「化物じゃ……駄目なのかな?」
悲しみに怒りが湧いてくる。
「友達が欲しいと思うのは、駄目な事なの?化物は、人間じゃない私みたいな奴は、友達を作っちゃ駄目なの?」
「すずかちゃん?」
「ねぇ、なのはちゃん……私の事、好き?」
「べつに」
即答されて、心に亀裂が走る。
「すきじゃないよ?でも、好きじゃないから―――すきじゃないけど、ともだちになってあげたんだよ?」
「そっか……そうだよ、ね」
「うん、そうなんだよ?」
冷たい風が道場に入りこむ。
身体と心を冷たく、凍えさせる為に吹き荒み、残るのは虚しき傷跡。
もう誰も語らない。
もう語る時間すら与えられない。
あるのは希望ではなく絶望。
奇跡は一瞬だけで、全てを円満にする様な奇跡は起きない。
奇跡など、ない。
甘ったるい想像は砕け散り、目の前に立つのは砕かれる事のない不屈の空白。
砕くに足りない。
故に砕ける者などいない。
そうして、時間は進み。



約束の時はきた



冷たい風ではない。
風も何も無いというのに、背筋が凍るような冷たさを感じた。
顔を上げると、なのははすずかを見ていない。彼女が見ているのは自身の背後。先程までなのはが座っていた場所。
そこにきてすずかは漸く気づいた。
なのはが座っていた場所は、ただの床ではない。地面に奇妙な文字が無数に刻みこまれており、それが円を成す様に永遠と書き綴られ、魔法陣の様な形をしていた。
その魔法陣が、光っていた。
鈍く光るは紫色の邪光。
周囲の空気を変貌させるには十分すぎる程に奇怪な光は、道場の中を淡い空間に様変わりさせ、言葉を失う光景を作り出す。
魔法陣から何かが生まれる。出てくるのではなく【生れる】のだ。
「わぁ……」
それをなのはは嬉しそうに―――涙すら浮かべて見つめる。
反対にすずかは本能的に理解した。あの中から生まれるモノはマトモなモノではなく、何よりも奇怪であり、否定しなければいけない暗黒だと。
魔法陣から、黒い靄が吹き出す。
吹き出した靄は形を成し、まるで人の影の様に集まり、立ち上がる。
靄によって作りだされた影は大人の男性の形をしている。影はゆらりゆらりと動きながら【分裂】した。男性の影から分かれ生まれたのは女性の影。髪の長い、成人した大人の女性の影。その影もまた同じ様に分裂する。
一度に二つ。
男性の影よりも少しだけ小さい、子供の様な影が二つ。子供の影は別れた瞬間に身長を伸ばす様に周囲の靄を吸い込み、大きくなる。
そして生まれたのは、男と女の影。
影が四つ。
異形の影が四つ。
人の形をしながらも、人を否定した冷たさと暗さを兼ね備えた影が魔法陣の上に立っていた。
「―――――――」
すずかは目を背けたかった。
この現象から、生れ出た影から、それを歓喜の表情で見つめるなのはから、この場で起こった全てから目を背けたかった。だが、身体が動かない。動く事を空間が許さず、同時に影の頭がまるで自分を見つけているかのように思え、金縛りにあった様に動けない。
影が揺らめく。
揺ら揺らと蠢き、揺ら揺らと囀り、揺ら揺らと―――存在してしまう。
駄目だ。
あれは駄目だ。
あれは、あの影は存在してはいけない影だ。
あんなものは存在してはいけない。
「――――――ほら、せんせいのいったとおりだ」
なのはが呟く。
「なのはが良い子にしていれば、ちゃんとあえるって」
涙を流しながら、【空っぽ】な笑顔を浮かべながら、
「おとうさんにも、おかあさんにも、おにいちゃんにも、おねえちゃんにも……みんなに、あえるっていってた」
絶句。
あろうことか、あんな存在を【家族】だと言った。
そんなはずがない。
あんな人間でも化物でもない、【何でも無いモノ】を前にして家族だと言えるはずがない。
「はははは……あはははははははははッ!!」
歓喜の笑い。
感謝の笑い。
この世の全てに感謝し歓喜し、そして手に入れた瞬間が此処にある。
「あいたかったっ!!ずっとあいたかったんだよっ!!みんなに、なのはのかぞくに、あいたかった!!だからあえた!!あえた、あえた、あえた、あえた、あえたよ、やっと!!」
影の手が揺らめき、なのはに手を伸ばす。
なのはも応える様に手を伸ばし、
「なのはちゃんッ!!」
すずかがなのはを突き飛ばす。
アレに、あの影に触ってはいけない。そんな想いが身体の呪縛を破り、すずかを動かした。だが、それだけ。なのはを突き飛ばした瞬間、影の手が鞭の様に唸り、
「―――――ッ!?」
すずかの身体を叩いた。
「ぃ、あ……ッ」
腹部に衝撃が走り、壁に叩きつけられた。
身体を強打した事によって呼吸が困難になり、同時に腹部に熱い何かが走る。
「すずかちゃん!?」
なのははすずかに駆け寄る。
「大丈夫!?ねぇ、大丈夫なの!?」
大丈夫なわけがない。
たった一撃だが身体中に激痛が走り、言葉にならない。
すずかに攻撃した影が動き、すずかに近づく。
「――――駄目!!」
それを妨げたのは、なのはだった。
「すずかちゃんを傷つけちゃ、駄目だよ!!」
なのはの叫びに、影が動きを止める。
「すずかちゃん、大丈夫?」
心配そうな声に、すずかは疑問を感じた。

自分を心配するなのはの顔、そして声が【空っぽ】――――ではないような気がした。

それを見逃さない。
それを見逃した瞬間、終わる。
それを見逃さず、言葉を構築する。
否、言葉ではない。
想いは構築する。
構築した想いは言葉となる。
言葉で引き金に当てに想いを【叩きこむ】のだ。
意思を紡げ、想いを紡げ、言葉を紡いで己の全てを成して事を起こす。
一瞬の真実は勘違いかもしれない。だが、それを勘違いとするのならば、勘違いすら真実にしてしまえばいい。
何故、それを信じるのか―――簡単だ。
言葉と想いしかないからだ。
自分に力はない。
化物と自分を称しようとも、その化物としての力はあまりにも小さい。
それ故に力ではなく己自身を武器とする。
さぁ、戯言を喚き散らそう。
さぁ、綺麗事で世界を埋め尽くそう。
さぁ、想いの丈の全てを持って、言葉での闘争を始めよう。



奇跡の起こらぬ世界に、己が【軌跡】を魅せつけるとしよう






漸く会えた。
ほら、やっぱり会えたじゃないか。
目の前にいる影は私の大切な家族だ。
先生の言う様に良い子にしていれば、必ずみんなと会えると言っていた。その言葉は嘘ではなく、真実だった。
長かった。
三年という時間は私にとってはとても長い月日だった。でも、その長い時間を果てに私はこうして手に入れる事が出来た。
やっと手に入れた、家族の絆。
【でも、本当に良かったの?】
良かったに決まっている。
これ以上の幸福なんてあるはずがない。
先生は言っていた。
良い子にして、自分の言う事をちゃんと聞けば必ず家族に会えると何度も言っていた。時々、その言葉が嘘なんじゃないかと疑った時もあったけど、それが杞憂でしかなかった。
先生は言っていた。
今日、深夜零時に此処にいれば必ず家族と会える。
アナタを捨てた家族に会う事ができて、これからはずっと家族と共に居る事ができると言っていた。その為に捨てるべきモノはあるが、そんなモノは些細なモノだ。
捨てても良い。
三年という地獄の様な時間を耐え抜いた今、私は何って捨てる事が出来るに決まっている。それが例え、【私自身の命】だとしても関係はない。
孤独は嫌だ。
孤独は寂しい。
病室のずっと待ち続けて、来ない家族を待ち続けた日々と同じ様に、三年は長かった。
朝起きて、全てが嘘だと思った―――もちろん、そんな事はない。
部屋の中は変わらなくても、居間に降りれば変わっているかもしれない―――でも、変わらない。
おはよう、と口にしても返してくれる人は誰も居ない。
居間に置かれたテーブルは綺麗だったけど、次第に壊れて行った。テーブルの上に埃が溜まり、使っていないのに亀裂が入っていた。初めの内はテーブルを掃除するのが日課になっていた。毎日掃除して、みんなが何時でも帰ってきても良い様に綺麗にしてあげた。
それを苦とは思わない。
だから毎日毎日掃除した。
テーブルだけじゃない。
家中をくまなく掃除して、綺麗な家にみんなを迎え入れようと思っていた。
それは、一年で止まった。
「先生。みんなとはまだ会えないの?」
「えぇ、まだ会えません。もう少し、もう少しだけ時間がかかります」
そっか、すぐには会えないんだ。なら、すぐに掃除しても関係ない。すぐに会えないのなら、今掃除しても意味がない。私は一年で掃除を辞めた。でも、自分の部屋だけはちゃんと掃除する事にした。自分の部屋くらいは綺麗にしておきたかった。だって、毎日暮らすのはこの部屋だけなんだ。
家に帰り、私は何時も居間を通らずに自分の部屋に行く。自分の部屋だけが私の空間だから……私の空間は此処だけ。居間は家族のみんなと過ごす為に使わないでおこうと決めた。
そうして、私には【家】という存在が意識の中から消えた。
使わない場所ばかり。
一人では広い場所ばかりで、使う必要が無い。
そうしている間に三年が経ち、何時の間にか家はボロボロになっていった。
少しだけ寂しかった。でも、みんなが戻ってきたらみんなで直そう。そう決めて、私は家という存在を放置した。
結局、家なんてものは意味がないと知る。

一年目が終わると、次は二年目がきた。
誰も居ない場所に一人暮らす事に慣れて来た。食事はコンビニ弁当や先生の料理で日々を過ごした。時々は自分で作ったけど、すぐに止めた。自分で作るのは良い事かもしれないけど、料理はお母さん習いたかった。だから料理は覚えなかった。でも、お菓子を作る事だけは始めた。みんなが帰って来た時に私の作ったお菓子でみんなをびっくりさせるんだ、そう決めてお菓子の勉強をした。
その頃からだろうか。
私は周りを観察するようになっていた。
他の子達はみんな楽しそうにしているけど、時々やんちゃな子もいたから悪さをしていた。悪い事はいけない、良い子でないといけない、だから私はその子達に言った。
悪い事をしてはいけない。
良い子でいなくちゃいけない。
でも、伝わらなくなっていた。
どうしてだろう?
あぁ、そうか……
私もそんな良い子じゃないからだ――――駄目、そんなの駄目に決まってる!!
私は観察する。
みんなを観察する。
みんなの【良い所】だけを観察する。
そうして私はみんなの【マネ】をする事を覚えた。
悪い事を覚えず、良い事だけを覚えた。そうする為に自分の中で変な感情が浮かんできたけど、それが邪魔をするのなら消して忘れた。
良い子であろうとした。
良い子でいなければいけないとした。

次第に心が空っぽになっていった気がした。

私の言葉は、自分で言っていて酷く空っぽで軽い言葉の様に思えてきた。悪い事はいけない、良い事をしよう、そんな事を言っている私の口から出る言葉と、私の中にある変な感情がぶつかり合い、次第に心が変化する。
それが何かわからないから、先生に聞いてみた。
「先生。私、なんか変なんです」
「何が変なの?」
「なんだか、ここが……気持ちが、変なんです」
拙い言葉でもなんとか伝えた。すると、先生は笑ってそれはおかしい事じゃないと言ってくれた。それが正しい想いであり、正しい心の形なのだと。
そっか、そうなんだ……なら、いいや。
私は深く考えない事にした。
考えるよりも、私が思った事をそのまま口にする様にした。
【けど、それはあまりにも空っぽ過ぎる】
関係ない。
良い子であるのなら、善意だけを信じれば良い。
これで良い。
これが良い。
これがいい。
これでいい。
何時しか、空っぽな自分に違和感を感じなくなった。

空っぽなまま二年が過ぎ、三年目が訪れた。
気づけば家の中は酷い有様になっていた。子供の私の手には負えない程に酷い現状になり、どこから手を付け、何処を直せばいいのかもわからない。なら、このままで良いか、という考えによって放置を決め込み、家は私の部屋を除いて誰も住めない環境になった。
新学期がきた。
新しい先生がきた。
加藤虎太郎という先生だ。
少し変な先生だった。だって、最初の授業がいきなり作文で、内容が【将来の夢】だった。私は知っている。みんな、こんな内容の作文が嫌いだっていう事を。でも、私はちゃんと書いた。
【内容は忘れた。それだけ、つまらない内容だった】
良く出来たと思う。
先生にも誉められた。
【けど、私自身はそれを覚えていない】
それからしばらくして、月村すずかちゃんがクラスに顔を出す様になった。聞けば私とはずっと同じクラスだったのだが、まったく授業は受けなかったらしい。
そこで私は思い出した。
そういえば、私が退院して初めて学校に着た時、すずかちゃんはアリサ・バニングスちゃんと喧嘩していた。理由はわからないけど、その場にいた私はその喧嘩に巻き込まれた。
凄く怖かった。
死ぬんじゃないかと思うほどに、怖かった。
すずかちゃんもアリサちゃんも、まるで殺し合いをするみたいに怖い顔で喧嘩していた。私はそれが怖くてずっと震えていた。胸の中で病院で感じた黒いモヤモヤみたいなものが吹き出しそうになったけど、我慢した。
結局、喧嘩は何時の間にか終っていた。
そっか、そういえばそれからだった。すずかちゃんが来なくなった時期とアリサちゃんが周りと仲良くしなくなったのは……
でも、それは今はどうでもいい。
だって、すずかちゃんとアリサちゃんも私のお友達なのだから。
【でも、好きじゃなかった】
すずかちゃんと仲良くなったのは、すずかちゃんがずっと一人でいたからだ。一人で寂しそうにしていたから、私はすずかちゃんに声をかけた。声をかけて、沢山話して、一緒にお弁当を食べて、体育の時間に一緒にペアを組んで、掃除も一緒にした。
そしてある日、すずかちゃんが友達になって欲しいと言ってきた。
当然、私はそれを受け入れた。
【好きでもないくせに】
だって、断るのは可愛そうだったし、良い子でいなくちゃいけない私は、誰とでも仲良くしなくちゃ駄目なんだ。
すずかちゃんは喜んだ。
私は全然楽しくないけど、喜んだフリをした。
【それが、すずかちゃんを悲しませる原因だった】
それからしばらくして、私はアリサちゃんとも友達になった。
アリサちゃんはすずかちゃんみたいに友達になって欲しいとは言わなかったけど、なんか自然とそんな風になっていた。
友達が増える事は良い事だ。沢山友達が居る子は、良い子なんだ。
それからしばらく三人で遊んだ。
学校でも、休みの日でも、ずっと三人で遊んだ。
【楽しかった?】
楽しいとか、面白くないとか、そういうのは良くわからないけど……うん、きっと【二人】は楽しめたんだから良いよね?
でも、ある日私はすずかちゃんに大嫌いだと言われた。
【――――――】
頬を叩かれたけど、許してあげた。
【――――――】
どうして叩かれたのか、どうして大嫌いと言われたのかはわからないけど、謝ればきっと許してくれるに違いない。
【――――――】
許して、くれるよね?
【――――――】
許してくれるに、決まってるよね?
【――――――】
ねぇ、どうなの?
【――――――】
………………………心を空っぽにしたら楽になった。
【ほら、そうやって逃げてる】
何時もみたいにこうやって空っぽにすれば、何も感じなくて良い。悲しい事も苦しい事も全部忘れて、私は高町なのはとしての形を維持できる。
【逃げてるだけじゃない】
そうして、私はずっと生きてきた。
【そうして、私はずっと逃げてきた】
良い子でいれば家族に会える。
【良い子を演じて逃げてきた】
良い子でいれば全てが元に戻る。
【良い子を演じる事で周囲から逃げてきた】
私はおかしくなんてない。
これが私だ。
こうなるっている私は普通なんだ。
【―――――でも、本当にそれは私なの?】
そうして、私はとうとう手に入れた。
家族を、取り戻した。
もう何もいらない。
こんな幸せな気分でいられるのなら、何もかもを捨て去っても構わない。
【嘘つき……】
嘘じゃない。
【嘘だよ】
嘘じゃない!!
【本当にそう思っているの?本当の本当に?】
当たり前じゃないか。
私は良い子なんだ。良い子にしてたから、こうしてみんなが、家族が戻ってきてくれた。それが真実で、それが私が間違っていなかったっていう証ではないか。
【…………それじゃ、どうして見ようしないの?】
見ようと、しない?
【そう。どうして、見ようとしないのかな?】
何を見ようとしないって言うの?



【世界を、だよ】







言葉は嘘と偽る事ができる。だが、全てを嘘だと見ぬ事はできない。その為に人は言葉だけではなく、表情を読み取り、相手の気持ちをわかったつもりになるしかない。
それは間違った事なのか。
それは自分よがりではないのだろうか。
関係ない。
そう見えて、そう思えてしまったのなら、それは己が真実である事に変わりは無い。全てが間違いだというのならそれでも良い。それこそ救いようの無い現実だという事に他ならない。
だが、それでも挑むべきだ。
目の前の現実から。
空っぽの中に隠された本当から。
「―――――嘘、だよね?」
すずかは言った。
「全部、嘘なんだよね?」
「―――――え?」
なのはは放心した顔をする。
嘘だと言うすずかの顔には、現実に縋りつく様な悲惨は表情は感じられない。それどころか、まるで全てが見えたと言わんばかりに、澄み切った表情をしていた。
「すずかちゃん?」
すずかはなのはの手を取る。
「なのはちゃんは、家族に会いたかったの?」
「…………うん、そうだよ」
そう言ってなのはは笑う。
影を指さし、あれが自分が会いたかった家族だと言った。
しかし、

「嘘だよ、それ」

すずかはあっさりと否定する。
「どうして……そんなこと、いうの?」
「だって、なのはちゃん……全然嬉しそうじゃないもん」
「そんなこと、ないよ」
そんな事は無い。自分は嬉しいのだ。やっと家族に出会えた。やっと家族を取り戻す事が出来た。家族のいない寂しさに【飢え】すら感じていた。その【飢え】はこうして解消され、今こそが彼女にとって至福の瞬間なのだ―――そう、言った。
しかし、すずかは首を横に振る。
「私は……なのはちゃんの本当を知らない。何時だってなのはちゃんは嘘ばっかりだった。私と居る時も、アリサちゃんと居る時も……私達が出会う前からそうだったんじゃないの?」
否定する。
そんなわけがあるはずない。
力強く否定する。
すずかがそっと手を差し出し、なのはの頬に手を当てる。
「誰かの心なんて私はわからないよ。でも、なんとなくだけど想像はできるかもしれない。なのはちゃんの顔は……作り物みたい」
「つくり、もの……」
「うん、作り物。仮面みたいに冷たくて、笑った時も冷たい。そして、それ以外の顔が一つもない。私が最初になのはちゃんと話した時からずっとそうだった。なのはちゃんは何時だって笑っていた―――笑っているだけだった」
喜怒哀楽が人の表情を作り出す。だが、なのはの表情には喜怒哀楽の喜しか存在しない。まるでそれ以外の感情を忘れた様に―――もしくは、それ以外の感情を隠す様に。
「なのはちゃんは言ったよね?私の事なんて全然好きなんかじゃない。それじゃ、きっと私と一緒に居る時も楽しくなんてなかったんでしょう?」
頷く―――事が、何故か出来なかった。
「なら、それは仮面と変わらないよ。つまらない時はつまらない顔をしていい。悲しい時は悲しい顔をしていい。怒った時は怒った顔をしていいの……じゃないと、本当の顔を忘れちゃうんだよ」
「そ、そんなの……そんなの、あるわけない」
「今の顔も、嘘だよ」
「うそじゃない!!」
「ううん、嘘……そっか、こんなに簡単だったんだ。こんな風に何時も同じ顔なのに、どうして気づかなかったんだろうな、私」
「うそじゃない、うそじゃない……ぜんぜん、うそなんかじゃないよ!?」
どれだけ否定しても、言葉は届かない。何故なら、その言葉の全てが嘘であり偽りだから。
どれだけ他人に良い顔を見せたとしても、良い顔しか出来ない者の顔が本物であるわけがない。
笑う事しか出来ない者なんていない。
その裏に本当が潜んでいるからこそ、それを知る事が出来る。
なのはの頬から手を放し、すずかは言う。
「ねぇ、なのはちゃんの【本当】って何?そんな顔で隠した本当のアナタは何処にいるの?それは私達に見せられない顔なの?そんなに……見せたく、ないの?」
仮面が崩れる。
仮面で在る事すら忘れた顔が、仮面である事を思い出す。
それが恐ろしくなり、なのははすずかから離れようとするが、
「逃げないで」
その手をすずかが握る。
「お願いだから……逃げないで」
「は、なし、て……」
「知りたいの。アナタの本当を……それがどんなモノかはわからないけど、私は―――知って受け入れたいから」
「はなしてよッ!!」
なのはの叫びが影を動かす。
影の一つが母親の様になのはを抱きしめ、すずかを突き飛ばす。
「おかあさん」
それが母親だとなのはは言った。
「…………ほら、それも嘘だ」
突き飛ばされたダメージはあるだろう。だが、すずかは立ち上がる。
「それがなのはちゃんのお母さんなら、なんでそんな顔でお母さんを見るの?自分を助けてくれたお母さんを、そんな風に見るなんて変だよ」
何を言っているのかわからない。
母親の影に抱きしめられながら、なのはは自分の顔を触る。
仮面だと言った。
この顔が仮面だとすずかは言っている。だが、自分がどんな表情をしているか自分自身ではわからない。
そして、気づいた。

鏡を見た事がない。

自分は鏡で自分を見た事がない。
身嗜みを整える時も、洗面台で顔を洗う時も、玄関で靴を履く時も、学校で手を洗う時も、何処に居ても自分は―――鏡を見ない。
そして、この場所にも同じ様に鏡はない。
「嬉しいって感じがしないよ、なのはちゃん……全然、そんな顔をしていない」
「うそだ……そんなの、うそだよ」
それではまるで、
「うそみたいじゃない……」
自分の全てが、
「うそなんかじゃない……」
自分でもわからぬ程に、
「うそなはずがない!!」
わからないという話ではないか。
敵がいる。
自分の全てを否定する敵が其処に居る。
そう思ってしまった瞬間、影が動いた。
父親の影が動き、すずかに手を伸ばす。
「―――――駄目ッ!!」
それが止まる。
なのはの声で、止まった。
すずかは動きを止めた影―――ではなく、なのはを見る。何故か、嬉しそうに微笑みながら、
「今のは、嘘じゃない」
そう指摘されるが、なのはにはわかる筈がない。
「さっきもそうだった。私が傷つけられた時、なのはちゃんはそうやって止めてくれた。その時のなのはちゃんは、嘘じゃない」
「…………」
「ねぇ、もう止めようよ。そんな顔じゃなくて、本当のなのはちゃんを見せてよ」
こんな状況でも微笑みは壊さない。
目の前の現実を前にしても、崩れ去る事のない笑顔は嘘ではないと思えた。反対に、こんな状況なのに自分の顔はすずかの言う様に嘘で出来ているというのだろうか。
軋む。
歪む。
壊れる。
何かが音を立てて崩れようとしている。
「―――――――――」
なのはは自分の顔に手を当て、
「ぅううう、ぅあああああああ……」
唸る。
騙されるな、と声がする。
すずかの言う事に耳を貸すな、と声がする。
声がするのは自分の頭の中から。
頭が割れる様な痛みと共に声は響く。
しかし、

【眼を、反らさないで】

【心】は違う事を口にする。
「なのはちゃん……」
頭と心は違う事を口にする。
「なのはちゃんッ!!」
【理性】と【意思】は違う事を口にする。
「お願い、なのはちゃんッ!!」
そして、
高町なのはの、
仮面は、



崩れた



「―――――――言わないでよ」
暗い声が響く。
「勝手な事、言わないで……」
地の底から響く様な、【人間味】のある言葉は漏れ出した。
「何にも知らない癖に、勝手な事を言わないでッ!!」
喜怒哀楽の怒の感情が其処にある。
「私の事なんて何にも知らない癖に、何でそんな勝手な事が言えるの!?私はアナタの事なんて嫌いなの、大嫌いなのッ!!」
痛烈な言葉に意思を宿す。
「最初からそうだった。一人だけ自分は不幸ですみたいな顔して、周りが自分から避けてる事が当然で、それを我慢しなくちゃいけないって思いこんだ様な顔をして……それで自分が可愛そうだと思ってたの!?そんな風にしてれば、何時か誰かが自分に話しかけて、友達が出来るとでも思ってたの!?」
仮面ではなく、空っぽでもない。
「苛々してた。アンタみたいな根暗な奴、見てるだけで苛々してたッ!!目触りだし、邪魔だし、はっきり言ってどっか行っちゃえって思ってたッ!!……でも、可愛そうだから話しかけてあげた。あんまり寂しそうにしてたから、つい話しかけちゃったけど、本当は全然話したくなかったのよ、私はッ!!」
酷い言葉ばかりだ。
心が引裂かれる様な言葉ばかりだ。
だというに、
「わかった?私はアンタの事なんて大嫌いなのよ……大嫌いだって、言ってるの……大嫌いだって言ってるのに――――なんで、笑ってるのよ!?」
そう言われて、すずかは自分が笑っている事に気づいた。
わざわざ自分の顔を触って、顔は笑みの表情を作っている事を確認した。
「笑ってる……私、笑ってる?」
「見りゃわかるわよ、この根暗馬鹿……こんなだけ言われて、なんでそんな顔で笑ってられるのか信じられない……もしかして、見た目は根暗だけど頭の中は温泉が湧いているような天然?はんっ、そんなお嬢様ぶっても見た目が根暗なのは変わらないのよ、アンタは!!」
これだけ言われても、どうしてか笑みが消えない。
「わ、笑ってんじゃないわよ、馬鹿!!馬鹿、馬鹿、ば~かッ!!」
罵詈雑言を受けながらも、少しも嫌な気分になれない。それどころか、こうして喚き散らすなのはを見て、どんどんおかしくなってくる。
「――――――ッ!!」
笑われてる事に怒ったのだろう。なのはは顔を真っ赤にしながら尚を痛烈な言葉を繰り出す。
仮面の様な空っぽではない。
良い子の様な綺麗な言葉ではない。
其処に居るのは、

「笑うなって言ってんのよ、この根暗馬鹿ッ!!」

口の悪い、一人の少女の姿だった。





恨んだ。
私を置いていなくなった家族を、私は恨んだ。
大嫌いだと心の中で言った。頭では良い子にしていれば、何時か戻ってくると思っていながらも、本心では何時も家族のみんなに酷い事を言っていた。
私がこんなに悲しいのに、寂しいのに、どうして私一人を置いて何処かにいってしまったんだと、喚き散らしたかった。
でも、そんな事を言うべき家族が私の前にはいない。だから心の中で何度も何度も叫んで、何時しか声が枯れ果てた。
それが諦め、なのかもしれない。
私がどう足掻いても家族は帰って来ない。なら、先生の言う様に良い子でいれば先生が私の願いを叶えてくれるかもしれない。
そうすればこの文句を家族の前で口にする事が出来る。
その為には良い子になろう。
見せかけだけの良い子になろう
そう思っていると――――何時しか、私の中で裏と表が逆転してしまった。
学校で良い子にしても、本当は違う事がしたかった。悪い事をしている子に駄目だと言いながらも、心の中でそれが羨ましいと思っていた。だって、悪い子が悪い事をすれば怒られる。あまりにも酷いと親を呼ばれる事だってある。それが羨ましかった。
私には誰もいない。
誰も私を迎えに来てはくれない。
「良い子にしていれば、必ず家族に会えますよ」
「はい、わかりました」
嫌だ。
何時かなんて待てない。今すぐにでも会いたい。お父さんに、お母さんに、お兄ちゃんに、お姉ちゃんに、みんなの会いたい。
「良い子にしていれば、必ず会えます」
良い子になんてなりたくない。
私もみんなと同じ様に生きてみた。
自分の好きな事を、子供みたいに好き勝手やって、誰かに怒られて、泣きべそ掻いて、家に帰ってお母さんやお父さんに慰めてもらいたい。その後、自分が悪い事をしたんだって叱られて、ごめんなさいと言いたい。
嘘じゃない、ごめんなさいという言葉。
嘘じゃない、自分自身の言葉。
悪い子になりたい。
悪い事をして、それを怒られる普通の子になりたい。
誰からも好かれるなんて嫌だ。誰も本当の私を見てはくれないじゃないか。誰もが高町なのはという自分を見ずに、見せかけだけの【良い子の自分】しか見てはくれない。
誰も気づいてくれない。
誰も知ってはくれない。
高町なのはは良い子などではなく、何処にでもいる普通の子供として扱ってくれる誰かが欲しいと願った。でも、誰もそれに気づいてはくれなかった。当然だ、私がそれを隠していた。わからない様に、気づかれない様に、先生に言われるがままに良い子を演じ続けた。
でも、そのせいで何時しか本当の私が何かのわからなくなった。
本当の私は何処?
良い子なのが私なの?
こんな自分じゃないと家族には会えないの?
なら、こんな自分を消してしまえば良い。
仮面で隠して、本当の私を忘れて、良い子の高町なのはとして生きていけばいい。
そうすれば会えるのだ。
大好きな家族に。
文句を沢山言いたい家族に。

「嘘だよ、それ」

薄暗い闇の中。
仮面の中に隠した私のそんな声が聞こえる。この声は誰の声なのだろう。綺麗な声で、可愛らしい姿をした誰かだった気がする。
そんな声が私を嘘だと言った。
何もかもが嘘で、私の全てが嘘だと言いきった。
仮面が歪む。
私が―――手を伸ばしたから。
仮面が崩れる。
この声の少女に、手を伸ばしたから。
仮面が―――ゆっくりと剥がれ堕ちた。




一通りの罵詈雑言を吐き出した後、なのはは不意に黙り込んだ。
母親の影に抱かれたまま、俯いたまま黙り込み―――静かに口を開いた。
「何で、アンタが来るのよ……」
疑問を口にする。
「あれだけ酷い事を言ったのに、どうして来るのよ」
「どうしてって言われても……来たかったから、じゃ駄目かな?」
困り顔ですずかは言う。
「意味わかんない」
「私もわからないな。でもね、今は後悔してない。ちょっと後悔しそうになったけど、後悔しなくて良かったって思ってる」
なのはは顔を上げる。
「だってさ、本当のなのはちゃんにこうして会えたから」
嬉しそうな顔をするすずか。反対になのはは顔に影を落とし、
「…………がっかりしたんじゃないの?私、本当はこんな子なんだよ?こんな我儘で、アンタに酷い事を平気で言える様な……嫌な子なんだよ?」
「だったら私は根暗な子なんだよね?」
意地の悪い、まるで九鬼の様な顔をしてすずかは笑う。そんな顔を見て、なのはは何とも言えない顔をする。
「うん、自分でもわかってる。さっきなのはちゃんが言った様に、私はあの時、誰かが話しかけてくれる事ばかりを願って、自分では動こうとしなかった。自分が怖がられてるのはしょうがない、これが当たり前なんだって……それは紛れもない事実だから、否定しないよ」
「…………」
「けど、そんな私に話しかけてくれたのは、なのはちゃんだけだった。なのはちゃんが話しかけてくれたから、優しくしてくれたから、私はなのはちゃんが好きになった。これ、今思えば勝手だよね?自分に優しくしてくれる人を好きになるのって、優しくしてくれない人は嫌いになるって事だからさ」
「…………」
「だから――――ありがとう」
透き通る声が響く。
「私なんかと、友達になってくれて本当にありがとう……私と居ても全然楽しくないのに、ずっと付き合ってくれてありがとう……こんな私と一緒にいてくれてありがとう」
何度も何度も、ありがとうを口にする。
その想いは嘘ではない。
すずかの、心の底からの感謝の言葉。
「なんで、そんな事……言えるの?」
「楽しかったからだよ。なのはちゃんと一緒にいた時間は凄く楽しかった。今まで生きてた中で、家族以外であんなに楽しかった時間はなかったと思う。なのはちゃんとアリサちゃん、三人で居る時は時間が早く進み過ぎて、一日じゃ足りなくて、毎日でも続けたいと思えるくらいに、素敵だったから」
次第に声が小さくなり、
「だから、本当はも、もっと……もっと、一緒にいたか、った……この、時間がずっと、ずっと続いて欲しい、と、思って、たんだ……」
嗚咽を漏らしながらも、伝えるのは本当の気持ち。
「だ、だめ、なのかなぁ……」
顔を涙でグシャグシャにして、溢れる涙を拭う事もせず、
「私じゃ、だめなの、かなぁ……」
ずっと友達でいた。
ずっと仲良しでいたい。
だが、その友達という関係は嘘で塗り固められた偽り。どれだけ綺麗な思い出だとしても、片方から告げられた真実はどうしようもない程に悲しい別れの言葉と同じ意味を持つ。
「嫌だよぉ……なのはちゃんに、嫌われたまま、は……嫌なの……」
「―――――ふざけないで」
勝手に口は動いた。
「何なのそれ?私が、私が勝手にアンタの事を嫌いで、友達なんかになりたくないって言ったのに、なんでそんな私と一緒にいたいと思ってんのよ!?」
「大好きだからだよッ!!」
純粋な想いは胸に突き刺さる。
「なのはちゃんの事が大好きだから。本当のなのはちゃんを知っても、その想いは全然変わらないから……だから、一緒にいたいの。一緒に、ずっと一緒にいられる……友達になりたいの」
どうして。
どうして、彼女はそんな事を言えるのだろうか。
こんな自分なのに、嫌われて当たり前の自分なのに。
「あ、う……あ」
何かを言いたい。けど、言葉は出ない。伝えるべき言葉は無い。伝えるべき言葉は見つからない。こういう時にどうすればいいのか、どんな言葉を伝えるべきなのかわからない。
仮面をかぶっていた頃の自分なら、きっとすんなり言葉は出て来ただろう。
だが、今の自分はそうじゃない。
語るべき言葉も、相手を想うべき言葉も、何もありはしない。
空っぽでなくなった今でも、自分はこんなにも空っぽだった。
「私、は……」
伝えたい想いはあるのか―――ある。
あるが、伝えて良いのだろうか。
自分は選んだ。
三年前に選んだ。
他者の絆ではなく、家族を取った。
自分を抱きかかえてる影を見て、言葉を詰まらせる。
そんな自分に、



「―――――伝えればいいさ。お前の本音をな」



不意に、道場に第三者の声が響いた。
何時の間にいたのか、道場の入口に背を預け、煙草を吸っている教師がいた。
一体何があったのか、全身をボロボロにして、頭に包帯まで巻き付けて、それでも何時もの様に振舞う姿は、紛れもなく、
「加藤先生……」
すずかとなのは、二人の生徒の視線を受けながら虎太郎は微笑む。
「言いたい事を言えば良い。月村がやったように、お前の中にある本当を……そのまま伝えれば良いさ。支離滅裂でも良いし、うまく伝わらなくても良い……そんな言葉でも届くんだよ、想いって奴はな」
虎太郎はそう言って、歩きだす。虎太郎が歩き出した瞬間、影達は虎太郎に何かを感じたのか、戦闘態勢と整える様に手に何かを出現させる。
影により生み出された小太刀。
両の手に構え、虎太郎を威嚇する。だが、そんな相手が居るにも関わらず、虎太郎はなのはを促す様に顎で指す。
「言わないで後悔するのも良いが、俺は言って後悔する事を進める……それに、だ」
すずかを見て言った。
「お前はわかってるんじゃないのか?お前の言葉を正面から受け止めてくれる奴が居るって事に。そいつがいるって事への安心感にな」
すずかも頷く。
嘘じゃない言葉なら、聞くと言っている。
嘘ではなく、本当の自分の言葉を聞くと、言っている。
だから、言葉を紡ぐ。

「―――――そんな資格なんて私にはない」

視線は合わせない。
恥ずかしいからだ。こんな自分の言葉を聞いてくれる、好きだと言ってくれた少女の顔が見る事が出来ない。
「アンタに―――すずかちゃんに、そんな風に言ってもらえる資格なんて私には無い」
口調はこれでいい。
今までの自分の言葉は本当だが、これも本当の自分で在る事には変わりはない。
「ずっと一人だった……私の家族は私を捨てて、何処かに行っちゃった。そんな家族の事が許せなかった。でも、許せない自分がいても、それを諦めきれない自分もいた……会いたかった。会って沢山文句を言いたかった。どうして私を一人にしたのかって、どうして私を捨てたのかって――――言いたかったッ!!」
そんな時、なのはは魔女と出会った。
魔女の言葉は優しく、人をおかしくさせる蜜の様に甘い言葉だった。
「だから、私は良い子になった。良い子になっていれば、良い子を演じていれば、何時か家族に会えるんだって思ってた。今でもそれは変わらない。先生の言う事を聞いていれば、絶対に会えるんだって信じてる……でもね、そう信じているのに、信じて、いるはずなのに」
過去は敵だ。
「思い……だせないの」
記憶という過去が今と未来を食いつくそうする。
「忘れそうなの……お母さんの顔も、お父さんの顔も、お兄ちゃんもお姉ちゃんも……みんなの顔が、ね……わからなくなってきたの……」
恐怖した。
記憶にあるはずの顔が、何時も自分を見てくれた顔が思い出せない。頭の中にあるはずの顔は、顔を失くしたのっぺらぼうの様にぼやけた顔になり、笑っているのか泣いているのか、怒っているのかもわからない。
のっぺらぼうが自分に手を伸ばし、自分はその手を掴んで笑っている。
それがおかしくて、怖くて、寂しくて。
「………夢も、見なくなった。何時も見ていた夢でも、顔がわからなくなった。そしたら、今度は……声が、声が、聞こえなくなったの」
過去が消えていく。
顔も思い出せず、声すらわからなくなった。どんな声で自分の名を呼んでいたのか、どんな風にその声に応えればいいのかもわからなくなっていた。
それを知ったのは、家族が消えて二年が過ぎた頃だった。
「忘れたくなんてないのに、忘れちゃいけないのに……わからないッ!!わからないのッ!!みんなの顔も声も思い出せなくなってきて……そしたら今度は思い出も、思い出せなくなって……ほ、本当に、いたのかも、わからなくなってきて」
もしかしたら、家族なんて自分には最初からいなくかったのかもしれない。高町なのはという少女は病院から始まり、その前は存在しない架空の存在だったのかもしれない――そんな思いが脳裏を過った。
そんなはずはないと知りながらも、それを否定する事が出来なくなっていた。
だから縋りついた。
魔女の言葉を信じ、良い子になろうと頑張った。
だが、どれだけ頑張ろうと家族の顔は思い出せず、のっぺらぼうである事には変わりはなかった。
忘却という敵は自分自身。
過去を忘れた己が何よりも憎い敵だった。
そんな自分が周りとどうこう出来るはずはなかった。周りには家族がいる。親しい友人だっている。自分の様に誰かを忘れる様な心の冷たい人達じゃない。
そんな人達を前に、自分がどれだけ小さい人間かを知る事が出来た―――その事に絶望した。
だからなのかもしれない。
自分を抱えている母親の影。自分を守ろうとしている家族の影。彼等を見た瞬間に確信した。
自分は、もう家族の顔を思い出す事は出来ない。
記憶は無くても、心は覚えているなんて嘘だ。それが嘘でないとするのなら、どうして自分は家族の顔を思い出す事が出来ないのだ。
だが、これは半分予想していた。
予想していながらも、縋りついた。
家族に会えるという願いに縋りつき、なりたくもない良い子になった。
「それは、悪い事なの!?」
叫ぶ。
心の底から叫ぶ。
「良いじゃない!!怖かったんだから!!忘れるのが怖くて、それが嫌だから良い子を演じて、誰からも好かれる子になろうとしたって良いじゃない!!みんなには誰かが居るけど、私には誰も居ない!!私だけが誰もない……誰も、傍にいてくれない」
見せかけの希望かもしれない。手の伸ばせが消えてしまう儚い幻かもしれない。だが、それに縋るしか方法はなかった。
家族の顔を完全に思い出せなくなるくらいなら、自分なんて捨てても良いと本気で思った。
「ねぇ、悪いの!?こんな私は、悪い子なのッ!?」
良い子にしていれば必ず会えると言ってくれた。
だから良い子にしていようと思った。
良い子になるにはどうすればいいのか、考えた。
まず、悲しい事に悲しいと思える事が大切だと思った。
まず、嬉しい事を素直に嬉しいと思える事が大切だと思った。
まず、誰かとは仲良くしなければいけないと思った。
誰かの迷惑になってはいけない。だが、誰かの迷惑を見捨てずに受け止める事が大切だと思った。
そうすれば良い子になれるんだと気づいた。
だが、それは全てがまやかしだった。
「………頑張ったんだよ?私、頑張ったんだよ……嫌な事でも進んでやった。間違っている事は間違っていると言った。誰かが泣いていれば慰めようとした。誰かが嬉しいと想っているのなら嬉しいと思える様になった」
それが、これっぽっちも共感できないとしても。
彼女にわかるのは相手の顔を見て、考えている事、苦しんでいる事、悲しんでいる事を想像しているに過ぎない。そこから生まれるのは行動ではなく対処。同情ではなく対処。
対処という機械じみた行動だった。
本当は知った事ではない。
「でも……駄目だった」
そんな対処の方法を知っても、心は平気になんかならない。
あの日、すずかに酷い事を言ってしまった時、気づいた。
「どれだけ形を見繕っても、私の中身は空っぽだった……オジサンの言う様に、人の心を汚す様な酷い事をずっとしてきだけなんだって。そんな事をしている自分に言い訳して、ずっと誰かの心を傷つけてきた」
気づけば、空っぽの心にあるのは悲しみだけ。
心は切り裂かれ、心は腐っていき、心は何も理解できない寂しい塊になった。
そんな自分に、
「そんな私なんかが、誰かの友達になんて……なれるはず、ない」
すずかを見る。
「友達なんかじゃない……私は、友達になんかなっていなかった。それどころか、すずかちゃんに好きだって言われる資格すらない……」
こんな汚い自分、人の感情を弄ぶ事しか出来ない自分に、誰かの友人なんて立ち位置にいられるはずがない。
だから、本当は苦しかった。
だから、本当は悲しかった。
だから、本当は嫌だった。
友達なんていらない。
友達なんてほしくない。
友達なんて―――――私には、相応しくない。
「私は……ずっと、孤独なんだ……孤独で、良いんだ」
目の前には家族がいる。
手を伸ばせば手に入れられる家族がいる。
誰かの想いを踏みにじり、手に入れた家族がいる。
なのに、ちっとも素直に喜べない。
わかっている。
これは本当の家族なんかじゃない。
自分の家族は既に存在しない。
消えた。
自分一人を残して、消え去った。



「だからね、すずかちゃん……私は、アナタの友達じゃないの……ずっと前から、今も、そしてこれからも……」



これでお終い。
伝えたい事は全部言った。
これだけ言えば、自分がどんな人間か良くわかったはずだ。
後悔はない―――だが、少しだけ悲しい。
想いの全ては吐きだした。
ずっと誰かに聞いて欲しい事は、これで全部だ。
「もう、いいや……」
だから終っても構わない。
心の何処かで気づいていた事。
魔女が隠していた何かを、何となくだか知っていた。
「私……死ぬんだよね?」
天井を見上げると、そう尋ねると

「えぇ、そうですわ。なのはさんは物分りの良い素敵な子ですわね」

天井から巨大な爆音と共に何かが堕ちて来た。
「―――――ッ!?」
虎太郎はすずかを抱えて後ろに飛ぶ。飛んだ瞬間、すずかが居た場所に炎が噴き上がる。
「あら、外しちゃった」
呑気な声を上げながら、現れたのは魔女。
「もう、駄目ですよ害虫さん。月村さんをせっかく蒸し焼きにしてあげようとしたのに……」
「…………空気も読まずに現れるんだな、お前は」
すずかを抱えながら、虎太郎は魔女を睨みつける。
「そんな事を言わないでくださいな。これでも基本的に空気は読みますわよ?もっとも、今回はあまり私の大事な生徒に変な懺悔をさせるアナタ方にちょっとお仕置きしようとしただけですわ」
「どうだか……」
「それにしても害虫さん。アナタよく生きてましたわね。生命力はゴキブリ並とはまさに害虫ですわねぇ」
「あの程度で死ぬほど、柔な鍛え方はしていないんでな―――そういうお前も、随分とボロボロじゃないか」
虎太郎の指摘した様に、スノゥは服の所々をボロボロにしており、身体の至る所にダメージを負っていた。その事に触れると、スノゥは気分を害した様に顔を顰める。
「あぁ、これですか。先程、ちょっと野蛮な獣に会いましてね。殺しても良かったのですが、今はこちらの方が先決なので、巻いてきました」
「つまり、逃げて来た、というわけか」
「違いますわッ!!」
憤慨の表情を浮かべ、スノゥは叫ぶ。
「あんな小娘なんて何時でも殺せます。ですが、世界には優先順位というものがあります。それ故、仕方が無く……本当に仕方が無く、巻いて来ただけですわ」
言い終わると、自分が叫んでいた事に気づいたのか、誤魔化す様に咳払いをしてスノゥはなのはへと視線を送る。
子供を見る様な顔ではなく、残酷な笑みを浮かべたまま。
「先生……」
「お待たせしました、なのはさん。どうですか、家族と会えた感想は?」
「…………」
なのはは何も言わない。
「そうですか、感動のあまり声も出ませんか」
勝手な解釈をして、ケタケタと嗤う。
「ですが、やはりアナタは素晴らしい子ですわね、なのはさん」
なのはの頭を撫でながら、囁く。
「それで良いの。それが良いのですよ……アナタが自分の愚かさを受け入れ、真に孤独を知り、そして絶望する心―――それが足りなかった。でも、今のアナタにはそれがあった。あったから、アナタは完全な意味で私の王に捧げる生贄に相応しいのですわ」
確かに今、なのはの心には絶望があるだろう。
「最初は、アナタに友達なんか作らせるのは間違いだと思っていましたが、それは私の間違いでしたのね……だって」
スノゥの冷たい瞳がすずかを狙う。
「ああいう道具があったからこそ、今のアナタがいる。道具の為に悲しみ、そして別れを受け入れられるアナタだからこそ、私は欲しいのですわ」
「…………」
「ですから、もうアナタは悲しまなくて良いのですよ?これからアナタは終わるのです。後悔はありませんね?あるわけがないですわよね?だって、アナタは念願の家族に会う事が出来たのですから」
こんな影を、こんな出来そこないを家族だと囀る。
「これはアナタの心から願った家族そのもの。アナタの記憶から構築した家族という存在。ですから、当然の如くアナタが家族の顔を忘れたのなら顔が無いのは当然ですわ」
なのはの身体がビクッと震える。
「私はアナタの願いは叶えました。なら、今度はアナタが私の願いを叶える番ですわ」
スノゥはそう言ってなのはに向けて指先を向ける。指の先に怪しい光が宿り、なのはの胸に押し付けようと動かす。
「――――やめて」
指が止まる。
「もう、やめてください……それ以上、なのはちゃんを苦しめないでください」
「ふ~ん、どうしてそんな事を言うのですか、月村さん」
振り向けば、すずかがスノゥを睨んでいた。小さな少女が精一杯睨みつける姿を見ても、怖さなど感じない。だが、すずかの言葉には確かに敵意がある。
「どうして……そんな風に人の心を簡単に傷つける事ができるんですか?アナタだって、人間じゃないんですか?」
「私が人間?馬鹿な事を言わないでください。私は人間ではなくエルフです。アナタ方の数十倍の年月を生き、何百倍の知識を持つ賢者の一族……一緒されるのは不快ですわ」
「なら、お前のその年月は実に無駄だと言う事だな」
虎太郎は煙草を吐き捨て、鋭い眼光を見せつける。
流石にその眼光には怯んだのか、スノゥは言葉を返す事に躊躇する。
その隙に、虎太郎はスノゥではなく、なのはに問いかける。
「おい、高町。お前はそれでいいのか?」
虎太郎の眼は、真っ直ぐになのはへと向けられている。
「このままでいいのかと、聞いてるんだ」
「私は……どっちでも良いです。もう、どうでも良いですし、どうなっても良いんです」
もう家族には会えない。三年間の頑張りはここで終わる。無意味に終わり、無価値に消され、何も残りはしない。
「本当にそうなのか?本当に無価値だと決めつけるのか?」
なのはから、すずかへ。
「月村、お前はどう思う?高町の今までの【頑張り】は、本当に無価値なのか?」
「違います」
考えるまでもなく、自然と否定を口にする。
「無価値なんかじゃない。無意味なんかじゃない。なのはちゃんが頑張ってきた三年間は、そんな人の為に無い事にしちゃいけない事です」
何を言っているのだろう、となのは思う。
頑張ってきた三年間―――自分は苦しんだ。苦しみ悲しみ、そして何も成し遂げられなかった三年を、二人は【頑張ってきた三年間】だと口にする。
「そんなの、違う……私は頑張ったけど、何にも出来なくて」
「何にも出来てないわけ無いッ!!」
少なくとも、すずかにとってはそうだ。
「なのはちゃんが三年間、ずっと頑張ってきたから、私は此処にいるの。なのはちゃんがどんなに辛い目にあってきても、投げ出さずに頑張ってきたから、私はなのはちゃんと出会えたんだよッ!!私だけじゃない。アリサちゃんだってそうだよ。ううん、私達だけじゃない。もしかしたら、私達の知らない誰かもなのはちゃんに会って変わったかもしれない」
「そんなわけないよ」
「あるかもしれないよッ!!」
憶測でしかないだろう。だが、そうでなければ報われない。
たった一人の少女が、たった一人で耐え抜いてきた三年という長い月日。
本来なら別の生き方があったかもしれない。
魔女ではなく、他の誰かが彼女の為に動けば、こんな想いはしなくて済んだかもしれない。
あくまで可能性であり、あり得たかもしれない可能性。それを否定する事は出来ない。魔女であろうと、神であろうと、誰であろうと。
「私はあると信じる。なのはちゃんがしてきた事には意味がある。そんな人の言う様な事の為にあった三年じゃなくて、誰かの為にあった三年であると私は信じる。だって、そうじゃなかったら、クラスのみんなはきっとなのはちゃんの事を好きになんてならない」
「え?」
みんな、クラスのみんな、とすずかは言った。
「なのはちゃんは知らないよね?みんながどれだけなのはちゃんの事が好きなのか……なのはちゃんは演技でみんなと一緒にいたかもしれないけど、そんななのはちゃんと一緒にいられたみんなは、なのはちゃんの事が大好きなんだよ?」
そんなはずはない。
だって自分は、
「高町。お前は周りの事をわかっていないが、同じく位に自分の事をわかっていないんだよ」
虎太郎は言う。
「お前はお前が思っている以上にクラスの中心にいるんだよ。俺みたいな新参者でもわかるくらいにな」
「そうだよ。加藤先生よりもずっとみんなに好かれてるだよッ!!」
「…………」
ちょっと苦い顔をする虎太郎。
「意味が無いなんて言わせない。なのはちゃんが居た事に意味が無いなんて悲しい事は、なのはちゃんにも言わせないッ!!だから、お願いだから言わないで……お願いだから、どうでも良いなんて、言わないで」
「アナタ方、勝手に盛り上がるのは勝手ですが、あまりなのはさんを刺激する様な事を言わないで欲しいですわね」
なのはとすずかを遮る様にスノゥが立ち塞がる。
「大体ですね、アナタがどれだけ綺麗事を口にしようとも、所詮は言葉でしょうに……それともアレですか?月村さん、アナタはなのはさんの苦しみを理解して、共にわかり合うとでも言うつもりですか?」
その孤独を、その絶望を、悲しみと苦しみの全てを分かち合う事が可能なのかとスノゥは言っている。
あり得ないだろう。
そんな事は絶対に出来ない。
誰かの不幸を分かち合う事は出来ない。仮にそれを分かち合うとするのなら、それは自分自身も不幸になるという意味だ。
自ら望んで不幸に堕ち、傷を舐め合う愚かな行為をするはずがない。
それが出来る様な者は人間ですらない。ましてや、心ある者ですらないだろう。
「それは……できません」
「ほら見なさい。どれだけ綺麗な言葉を並べたてようとも、所詮はその程度なのです。言葉は言葉でしかなく、他人は他人でしかない」
勝ち誇り嗤うスノゥ。
だが、それを覆すのは、魔女よりもずっと若い、ただの子供。
「私はなのはちゃんの苦しみを分かち合う事は出来ない……だってさ、私はなのはちゃんに……笑ってほしいから」
すずかは言う。
「苦しみなんて、分かち合いたくない。分かち合っても、何にもならないから」
誰かの痛みは誰かしか抱えられない。だが、人が分かり合うには、本当に分かち合う事が必要なのかと問われれば――――答えは否。
「私は……苦しみ合いたいんじゃない、悲しみ合いたいんでもない」
願うは辛い未来でも、茨の道でもない。



「私は……笑い合いたいの」


願うなら希望ある未来。
勝ち取るのなら、誰かと共に歩んでも楽しい道。
「私はなのはちゃんと一緒にいたい。なのはちゃん一緒に遊びたい、学びたい、共に歩きたい……だってさ、どれだけ裏があろうと、偽りであろうと、なんであろうと――――なのはちゃんが私に見せてくれた想いは、私にとっては本物なんだから」
誰かにとっての嘘は、時に人を傷けるだけ。だが、時にはその嘘が人を救う時だってある。高町なのはの空っぽの想いは確かにすずかを傷つけ、涙を流させ、絆を壊して否定した――-だが、それでも確かにあったはずだ。
嘘の笑みに救われた。
嘘の言葉に救われた。
全てが偽物だとしても、彼女の感じた想いは、すずか自身にとっては本物以外のナニモノでもない。
なら、嘘から始めれば良い。
偽物から始まる絆があっても良いはずだ。
この世に奇跡なんて物はなくても、奇跡を起こそうとする者がいなくても、勝手に起きる奇跡なんてものもある。
望まない奇跡に感謝しよう。
傷だらけの奇跡に感謝しよう。
傷だらけの【奇跡の軌跡】には、少女達にかけがえの無い日々があった。
奇跡が起きないのなら、軌跡を辿ろう。
過去から始まり、今を伝い、そして未来への軌跡となる道を。
そうすれば、それは何時しか奇跡になる。
奇跡なんてものは、何時だって――後付けの言葉なのだから。
「わ、私、は……私は―――」
「なのはさん、惑わされてはいけません。アレの言葉は全てが妄想だらけの綺麗事。そんな言葉に惑わされてはいけませんッ!!」
「黙るのはお前だ」
道場の床を踏み抜く程の勢いで、虎太郎が動く。
雷鳴の如く。
閃光の如く。
虎太郎の姿は何時の間にかスノゥの背後を取り、なのはを抱えていた母親の影に拳を振るう。
衝撃で影は吹き飛び、なのはを抱えて虎太郎は元の場所に戻る。
その間、一秒にも満たない刹那。
「な、……」
スノゥの驚愕には目もくれず、虎太郎はなのはをすずかの前に降ろす。
「高町……お前が決めるんだ。俺でもなく、月村でもない。お前が決めろ……俺はお前の家族じゃない。教師と言っても、所詮は他人だ……だからお前が決めるんだ。消える事に足掻く友人を選ぶのか、それともただ消える事を選ぶのか」
突き付けられた二択。
困惑しながらも、虎太郎を見る。
その眼には、スノゥにはない本当の想いが込められている。
「どちらを選ぶかを決めるのが、お前のこれからを決める事になる……だが、良く覚えておけ。後悔する事だけはするな。お前が後悔しなければ俺はどちらを取ってもお前を責めはしない―――だから、後悔しないように決めろ」
今度はすずかを見る。
「――――私も、それでいい。なのはちゃんが決めればいいと思う。でも、後悔する事はしないで……後悔するのは凄く苦しいよ。苦しいから考えて考えて、それで決めてほしいな」
もう、何もわからなくなる。
「いい加減にしなさいッ!!その口に、二度と喋れない様にしてあげますわ」
パチンッと指を鳴らす。
スノゥの足下に魔法陣が出現し、そこからゴーレムが召喚される。ダイヤモンドで出来たゴーレムが三体、土色のゴーレムが五体。
「なのはさんは、私の大切な【鍵】なのです。どれだけの戯言を口にしようとしても、そんな絆というものは偽物に過ぎない。故に、それをアナタ方のくだらない戯言など―――」

「勝手な事を言ってんじゃないわよ、糞ババアッ!!」

道場の壁が轟音を響かせて破壊される。
弾丸の如く、そして獣の如く速度で出現したのは金色の狼。その狼の拳が土色のゴーレムに叩きつけられ、一撃で破壊する。
「アリサちゃん!?」
現れたのは、アリサはスノゥ同様にあちこちに傷を負い、ボロボロだった。だが、それでも疲れの色など一切見せることなく、そこに立っていた。
「しつこいですわね、獣の癖に」
「獣だからしつこいのよ、糞ババア。それにね、私は自分の友達の為なら何処にでも現れるし、何時だって三百六十五日、二十四時間体制。悪いけど、二十四時間しか働かないアメリカドラマの主人公とは違うのよ」
「アリサちゃん……」
突然現れたアリサを呆然と見るなのはに、アリサはキッと睨みつける様に見据え、
「何をウジウジしてんのよ、このバカチンがッ!!」
「あ痛たたたたたぁぁッ!?」
なのはの頬を思いっきり引っ張った。
「いひゃい、いひゃいよ、ありひゃはん!?」
「さっきから黙って聞いてれば、何をウジウジしてるのよ。そんなウジウジしてるのはこの口?それともその頭?洗浄液で洗ってあげようかしら……」
涙目になるなのはの頬を放すと、今度は思いっきり頭を殴りつけた。
「ミギャッ!?」
ゴーンと鐘が鳴る様な音を響かせ、大きなタンコブを創り上げる。
「まったく、なんて様なのよ、このバカチンは」
「アリサちゃん、やり過ぎだよ……あと、さっきから聞いていればって言ってたけど―――もしかして、スタンバってたの?」
すずかのツッコミは無視。
ほんのり頬が赤いのは、きっと図星だからだろう。
そんな若干空気が緩みそうな時、スノゥが忌々しげに呟く。
「まったく、獣といい、害虫といい……どうして私の【鍵】の周りにはこうも邪魔する連中が多いのかしら」
その言葉を聞き逃す程、人狼の耳は悪くない。
「――――友達よ」
「はい?」
「友達だって言ってんのよ、糞ババアッ!!」
親指を真下に突き出し、スノゥへと吐き捨てる。
「この子は【鍵】なんてモノでもなければ、アンタの生徒もでもないッ!!この子は、高町なのはは、私達の学校の生徒で、そこにいる加藤虎太郎の生徒で、私とすずかの大切な友達なのよ!!だから、アンタなんかが足を踏み入れるスペースなんて何処にも無いって言ってんのよ!!」
「……そんなお友達が、アナタの事なんて友達だなんて思ってないのにですか?だって、あの子の中の友達なんて要素は、他人に良い子だと想われるだけの要素でしかないですよ」
その言葉は鼻で笑うには十分すぎた。
スノゥが、ではなく。
アリサが、だ。
「……偽物だっていいわよ」
不敵な笑みは決意の証。
そして、先程殴ったなのはへの【宣戦布告】。
「その偽物の友達に私は救われた。孤独がいい、孤立がいいって恰好つけるよりも、誰かと一緒に恰好悪くしてるほうが、百倍マシよ……だから、私はアンタの言う偽物の友達の為に戦うのよ」
「それをなのはさんが望まなくても?」
「私が望んでるのよ。あの子がどうかなんて関係ない。あっちが勝手に私を見限るのなら、私は諦めない。偽物の友達だっていい。偽物だってずっと続いていれば本物になるかもしれない。そもそも、偽物は偽物が故に――――本物なのよ」
諦めなどしない。
放してなどやらない。
なのはには悪いが、こっちは既に覚悟を決めている。
共に歩む道を、苦楽を共にするのではなく、楽だけを共にする覚悟を持って【友達】という言葉を宣言する。
「それにね、どこかの誰かが言っていたわ。偽物が本物に勝てない、なんて道理はないってね……だからね、返してもらうわよ。私の偽物の友達を。偽物が唯一無二に偽物になるまで、あの子を振りまわすって決めてんよ、私はねッ!!」
また、わからなくなる。
どうしてこの人達は、こんな自分の為に優しい言葉をかけてくれるのだろうか。自分にそんな価値はないというのに。今まで騙しただけで、アリサの言う様な何かを与えたつもりはまったくないと言うのに。
迷うなのはに【最後の一人】が声をかける。


「悩む必要などあるのか、お嬢ちゃん?」


靴音を響かせ、九鬼耀鋼という男が姿を見せる。
此処にスノゥ・エルクレイドルの邪魔をする者達が集合する。
たった一人の少女の為に、己の損得も関係なしに集まった。
「オジサン……」
「まず、一言謝るとしよう。俺がお嬢ちゃん達の間を色々と厄介にしたみたいだ……すまないな」
頭を下げ、
「そんな俺から言うべき事は特にないが……お嬢ちゃん、これだけは覚えておけ」
鬼の顔に不釣り合いな顔で、静かに言う。
「強い人間は何でもかんでも手に入れられるし、失敗もしない……だけど全ての人間がそうじゃない。お嬢ちゃんがどちらかは俺にはわからない」
その顔は、きっと笑っているのだろう。
「だから―――自分が強い人間じゃないと思うのなら……誰かを頼っても良いんだよ。お嬢ちゃんは弱くはないが、強くもないんだからな」





良いのかな?
こんな私でも、みんなと一緒にいたいと想っても許されるのかな?
今まで沢山の人を騙して、心を踏み躙ってきた。
それはきっと許されない事だろう。でも、それをしてでも手に入れたい絆があった。手に入れる事が叶わない願いだとしても、それが私の全てだった。
【――――――たい】
そんな私が、また欲しいモノができてしまった。それは手を伸ばせばすぐに届くモノかもしれない。だけど、それは今まで願ったモノよりも尊く、眩しい光だ。それに手を伸ばす資格なんて私には、きっと無い。
【―――――いたい】
それでも、
そんな私でも、
手を伸ばして良いのなら、
【――――に、いたい】
思い出せない家族の顔。
思い出せない家族の声。
思い出せない家族の記憶。
諦める事は出来ないと知りながらも、それに縋りつく事は出来ないと知りながらも、私の目の前にはそれと同じくらいに眩しいモノがある。
【私は―――に、いたい】
良い子じゃなくても良いのなら、
悪い子な私でも良いのなら、
空っぽじゃなくなり、ただの私で良いのなら、
【私は―――――】





「みんなと、一緒にいたい……」




その言葉で十分だった。
「アリサちゃんと、すずかちゃんと、みんなが一緒にいる……今が、いい」
勇気を振り絞り、本当の自分の言葉で紡いだそれを、拒む者は此処には居ない。
「なのはちゃんッ!!」
すずかがなのはを抱きしめる。
人の温もりを感じ、それを三年も放棄してきたなのはの瞳には、自然と涙があふれ出す。
それが勝ち取るべき勝利。
少女の小さな勇気と、絆を信じた少女の軌跡の先にある奇跡。
綺麗事だと笑えば良い。
誰が笑おうとも、此処にそれを信じる者がいるのなら、世界中の誰もが笑っても構いはしない。
「はぁ、世話の焼ける友達持って、私も大変ね」
そう言いながらも、なのはを抱きしめるすずかを見ながら羨ましそうにしているアリサに、虎太郎は、
「お前も抱きしめてやればいいじゃないか」
「それは……その、恥ずかしいじゃない」
「今更恥ずかしがる事があるのか?あんな大見え切っておきながら、恥かしいも糞もないだろう」
「…………なら、お願いがあるんだけど」
アリサはすっと腕を上げ、
「アイツ――――ぶっ飛ばしてよね」
敵を指定する。
「あぁ、任せろ」
言われなくてもやってやる。
拳を鳴らし、歩きだす。それを見たアリサは自分の出番が無い事を悟り、素直に虎太郎の言う事を聞いて、なのはの元に歩み寄る。
「なのは……」
「アリサちゃん、私……私」
「良いのよ。何も言わなくて良いわ――今は泣いても良いの」
すずかとアリサの二人がなのはを抱きしめる。
「好きなだけ泣きなさい。でもね、何時までも泣いてはいられない。だって、ここにはアンタの涙を止めようとする連中がいるんだから――――だから、涙はすぐに止まるわ」
この時、虎は初めて本当の意味で怒りを宿らせたのだろう。
海鳴の街に来た時から何度か抱いた怒りなど、この想いに比べればなんて事のない、小さな感情だった。
知るべきだったのだ、魔女は。
知っておくべきだったのだ、愚かな魔女は。
そして、その隣に並ぶは虎に匹敵する鬼が一匹。
その背中を見ながら、アリサは言う。
「だから、心配しないで……アンタが泣いている間に―――全部終わると思うから」
怒れる虎の前に立つという事は、死に最も近いという事。
怒れる鬼の前に立つという事は、死にも勝る恐怖だという事。
本気を出す。
この街に来て、初めての本気。
相手が如何に弱かろうと関係ない。
目の前の魔女が如何に本気を出すに値しない存在であろうと関係ない。
この瞬間、相手が強者でも弱者でもない者だとしても―――ただの怒りだけで本気を出す。
「たった二人で、私に勝つ気ですの?」
それを理解しようとしない愚かな魔女。
「勝つ?お前は何か勘違いしている様だな」
虎は牙を隠さない。
「あぁ、同感だ。この阿呆は大きな勘違いをしている」
鬼は角を隠さない。
隣に立つ鬼を虎は知らない。
隣に立つ虎を鬼は知らない。
だが、本能的に察知する。
それ故に、異口同音にて吐き捨てる。



【勝つ以前に、生き残る事を考えるんだな……】












【人妖編・最終話】『虚空のシズク』













敵の数は関係はない。
目の前にいる全てを【破壊】する事だけ目的とする。
まずは一番近くにいる土色のゴーレム。
「死になさいッ!!」
スノゥの命令によってゴーレムが動き出す。
だが、遅い。

「八咫雷天流――――散華」

それは見えない拳。
虎太郎の前に立ちはだかったゴーレムの視界にもスノゥの視界にもそれは見えない。所詮は捉えられない視界を持っているだけに過ぎない視界には映らない高速の拳がゴーレムに叩きこまれる。
十にも百にも関係なく。
無数の連打が怒涛の勢いでゴーレムの身体を撃ち抜き、撃ち砕く。
一撃の拳にも耐えられない脆い身体はあっさりと崩れ落ち、無に帰す。
「―――――ッ!?」
驚愕するスノゥ―――されど、まだ足りない。この程度で驚愕するなど愚の骨頂。
八咫雷天流の真骨頂は、まだ終わらない。
「ふん、これを出すのはサービスをし過ぎたかな?」
苦笑しながら、虎太郎は次の獲物へと襲い掛かる。
踏み込みの速度は鈍足の愚物では捉えきれない速度となり、雷鳴の如き速度と一撃でゴーレムの身体を通過と同時に破壊する。
「ッチ、ならばこれでどうですか!?」
指を鳴らし、出現させるのは異形の人形達。
それを、

「八咫雷天流――――飛礫」

出現と同時に、破壊する。
異形の数はおよそ十数体。それを一秒に満たない時間の間に全てを破壊する。
「なん、ですか……それは?」
まさか、虎太郎も自分と同じ様に魔法を使うというのかと、スノゥは驚愕する。
「何を驚く事がある?こんなもの、ただ【速く動いて殴ってるだけ】だろうが」
「それを平然とするのが、奴さんには驚きなんだろうよ」
九鬼は馬鹿にした笑みを浮かべながら、間抜けな顔で固まるスノゥを指さす。
「そういうアンタは見えたのか?」
「俺なら全部捌くさ」
「あぁ、そうかい。なら、今度試してみてくれ」
「機会があればな」
笑い合いながら、次なる敵を索敵。
残るはダイヤモンドゴーレムと影。
「あっちの透明なのは、俺がやる……アンタはあっちの黒いのを頼む」
「了解した」
そう言って散開。
虎太郎はダイヤモンドゴーレムへ。
九鬼は影の元へと走りだす。
「さぁ、リターンマッチと行こうか」
拳を握り、虎太郎は両腕を構えて力を練り込む。
前回、虎太郎の拳はダイヤモンドゴーレムには通用しなかった。
「一度やって無理な事は二度目も無理―――などと言う道理は在りはしないッ!!」
ダイヤモンドゴーレムの拳が虎太郎に迫る。虎太郎は動かず、迎え撃つ。
拳には拳を。
己が信じる、長年連れ添った信じるべき拳を全力で叩きこむ。



「八咫雷天流――――砕鬼ッ!!」



拳と拳が激突する。
石の拳とダイヤモンドの拳。
以前と同じ構図でありながら、以前とは違う事は一つだけ。
「腹が減っては戦は出来んとは、昔の人は良い事を言った……勉強になったよ」

亀裂が走るのは石ではなくダイヤモンド。

小さな亀裂は大きな亀裂へと変化し、次第にダイヤモンドの身体をあっけなく崩壊させる。
「そういえば前回、お前は面白い事を言っていたな」
砕け散るダイヤモンドの化物を背にし、虎太郎はほくそ笑む。
「俺の拳は石の様に堅いがダイヤモンドすら砕く、なんて事はない―――とか言っていたな?」
スノゥは絶句する。
「まさか、本当にそんな事を信じていたのか?世界一硬いというのは単なる噂だ。仮にそれが本当で、世界一硬いなんて程度で何を誇る?」
煙草を口に咥え、火を灯す。
「世界で一番堅い?それだけか?世界で一番力が強いわけじゃない。世界で一番速いわけでもない。世界で一番軽いわけでも重たいわけでもない。ただ、堅いだけ―――その程度で一体全体、何を誇るっていうんだ?」
鉄すら砕く石の腕。
ダイヤモンドすら砕く石の腕。
砕けぬモノなどありはしない。
「お前は最後だ……逃げるなよ」
そう言って、次なる敵へと襲撃する。


影は素早く動く。
闇に包まれた道場の中を信じられない速度で動きまわり、手にした小太刀で襲い掛かる。
「――――フンッ」
背中から襲いかかる小太刀を捌く。
前、後ろ、横、上、そして真下。あらゆる所から攻めてくる刃を二手にて捌く技術は人とは思えぬ神技―――否、鬼の技。
「やはり、見た目の通りの【あの流派】という事か……」
相手は速い。
剣筋も確かに鋭い。
しかし、九鬼の脳裏にある【本物】に比べれば、
「蚊の方がもっと早いだろうなぁッ!!」
背後から襲いかかる刃を捌き、カウンターで回し蹴りを叩きこむ。影は女の形をしたが、所詮は影。そして相手が男だろうと女だろうと関係なしに全力で蹴り込むのが九鬼耀鋼。
女の影は九鬼の蹴りを腹に受け、くの字に曲がる。そこに追い打ちの貫手を突き出す。
影であろうと人の形をしている。そして、その強度も人に似ている。ならば、人の身体程度の強度しかない身体など、貫ける筈も無し。
九鬼の手が女の影を貫く。
悲鳴を上げる様に痙攣し、影はゆっくりと霧散する。
それを見送る筋合いもなく、九鬼は横に跳ぶ。跳んだ瞬間に頭上から若い男の影が小太刀を叩きこんできた。いや、それだけじゃない。影は腕を振るうと、その手からワイヤーの様な影を射出し、九鬼の腕に絡まる。
「こんなモノまで猿マネか……だが、荒いッ!!」
本来なら腕が斬りおとされてもおかしくない強度を誇るワイヤー。そこだけは本物とそっくりだったが、生憎と使う者が本物を下回ってる。
ワイヤーを掴み、逆に相手をこちらに引き寄せる。九鬼の腕力の影は耐える事など出来る筈もなく、あっさりと釣りあげられた魚の様に跳んできた。だが、ただ跳んできたわけではない。その手に鋭い針を仕込み、投げつける。
「――――邪魔するぞ」
その針が九鬼に届く前に虎太郎の蹴りが全て撃ち落とす。
「援護御苦労」
九鬼は影のワイヤーをまるで自分も物の様に操り、跳んできた影の首にワイヤーを巻きつけ、
「終りだ」
背負い投げの要領で投げ飛ばす。影は投げ飛ばされると同時に首に絡まったワイヤーで自身の首を切断され、先程の影と同じ様に消え失せた。
「さて、残りはアレか……」
「どう見てもアレだけ別口といった所だな」
最後に残った影は、恐らくは父親の影だろう。両の手に小太刀を備え、構えている。今までの二体と違って構えも違えば雰囲気も違う。
「一緒にやるか?」
虎太郎の提案に九鬼は首を横に振る。
「アレのオリジナルにはちょっとした借りがあってな……悪いが、俺に任せてもらおう。お前はあの阿呆を叩けばいいさ」
そう言ってスノゥを顎で指す。
「良いのか、俺が貰っても?」
「構わんさ。お前さんはお嬢ちゃん達の先生なんだろ?だったらケリはお前さんが付けるべきだ。それと、前に喫煙所を駄目にした借りもあるしな」
「あぁ、あれか……わかった。そっちはアンタに任せよう」
そう言って二人は互いの敵に向きあう。
「――――まさか、こんな所であの高町と死合う事になるとはな……だが、偽物というのは何とも拍子抜けだ」
掌を突き出し、構える。
「悪いが、貴様は目触りだ。アレの猿マネをする偽物は此処で消えろ」
影は微かに重心を低く構え、九鬼を見る。
九鬼は相手が動く瞬間まで動きはない。
「見せてみろ。お前が高町士郎の偽物だというのなら、神速の剣技で俺の首を落す事など簡単だろう?」
挑発には乗らないのだろう、影は動かない。
勝負は一瞬で決める。
影の脚が床を踏みしめる。
九鬼の視界が全てを見据える。
影が―――消える。
その脚捌き、その速度、まさに神速。
床、天井、壁とあらゆる場所を駆抜け、九鬼の背後から襲いかかる―――様に見せかけ、本命は九鬼の眼帯で隠された視界から。
「――――――見えてるぞ」
が、その言葉で全てが決着している。
確かに眼帯で隠された眼は誰の眼から見ても死角だろう。されど、九鬼耀鋼という男に死角は死角に在らず。
見えなかろうと関係無しに、それすら九鬼の領域。
右の小太刀を捌き、左の小太刀を脇で挟んで折る。そして、直線に振り上げた爪先が影の顎の部分を砕き、踏鞴を踏ませる。
「剣士の真似事は金輪際しない事だな……そして、」
左腕を突き出し、右腕を引き絞る。ただし、その手は何時もの掌ではなく貫手に様に構え、



―――九鬼流絶招 肆式名山 内の弐――――

        焔錐


影の身体を突き刺した。

「あの世で詫びろ。お前が汚した剣士達にな」



あり得ない光景だ。
こんな事はあり得ない。
己の兵士がこんな簡単に撃破されるなど、あってはならない。
「残りはお前だけだ……」
「何故、何故アナタ方の様な者達に」
「簡単さ。お前は俺の生徒を傷つけた。心も身体も傷つけ。傷ついた心に入り込み、三年という生徒の大切な時間を奪い去った……そのツケを俺達が払わせる。それだけだ」
逃がす気はない、そんな鋭い瞳で射抜かれたスノゥは後退する事しか出来ない。魔法で戦うという選択肢は存在しない。例え無詠唱の魔法でも、虎太郎の圧倒的な速度を前には無意味だ。
恐らく、放つ前にやられる。
「…………私を、どうする気ですの?」
「どうする、か……そうだな。とりあえず殴ってから考えるさ。貴様を警察に突き出すのもいいし、忍に任せるのも良い。それで駄目なら俺の知り合い、【お頭】にでも頼んで永久に出られない空間にでも放り捨てるというのも良いな」
どちらにせよ、逃げ場はない。
ならば、
「三年です」
スノゥは腕を突き出し、交戦構えを取る。
「私は三年も待ちました……この日を、この時を三年も待ち続けたのです。それを、それをこんな所でふいにしてたまるものですかッ!!」
「それがどうした。貴様の三年よりも俺にとっては生徒の三年の方がよっぽど尊いものだ」
「黙りなさいッ!!」
炎が噴き出し、暴風が襲う。
魔女の使う魔法はそれだけ威力は秘めているだろう。しかし、そのどれもが虎を殺す事は叶わない。
「アナタにわかりますか?私がこの三年間、どれだけの屈辱を味わってきたのか……本来いるべき王の住まう世界ではなく、こんな辺境の世界に飛ばされた私の気持ちが……」
「飛ばされた?」
スノゥの言葉をそのまま理解するとするのなら、それはまるでスノゥは【別の世界】から来た、と考える事も出来る。
「屈辱です。えぇ、屈辱ですとも。私が何をしたというのです?私はノーライフキングの為にどれだけの事をしてきたか誰も知らない。この世界では、誰もそれを理解しようとしない。そんな屈辱にまみれた生活を三年も耐え、やっと見つけた【鍵】を―――私があの世界に、【ゴルドロック】に帰る為の【鍵】をやっと手に入れたというのに」
「お前の事情は知らない。だが、聞く限りだと貴様は……帰りたいだけ、と言う事か」
「そうですとも。私は、帰りたいのですよ。私の世界に、私を必要とする世界にッ!!」
「…………だが、その為に俺の生徒を犠牲にするのは許す事はできないな」
如何なる理由があろうとも、スノゥの行った事を許す事は出来ない。
仮に、本当に仮にだが、彼女がこんな事をせずに助力を求めて来たのなら、恐らく力をかしていたかもしれない。だが、そうはならなかった。彼女は己が目的に為になのはを利用した。
そして何より、
「それこそ関係ありませんわ。私はノーライフキング、我が魔王の元に馳せ参じる為なら、どんなものでも利用する。あの【鍵】を生贄にして、私と【同類の末裔】である彼女を、利用してでも異界の扉は開き、私は帰るのですッ!!」
こんな腐りきった考えしか持てなかった魔女は放ってはおけない。
「違う世界から来たとか、魔王への生贄だとか、そんなものはどうでもいい……好きなだけ思え、好きなだけ企め、好きなだけ行動して好きなだけ暴れればいい―――だがな、俺の生徒の前ではするな……貴様も仮にもアイツ等の先生だったんだ。その位はわかれ」
これは最後通告だ。
聞き入れれば、【少しは加減しても良い】だろう。
「知りませんわ、そんな事は」
しかし、聞き入れては貰えない。
当然だな、と虎太郎は大きな溜息を吐く。
「なら、好きにしろ……だがな、貴様は二度と教師を名乗るな」
「名乗る気など―――――」
拳を石に。
意思を込めた石に。
その拳を引き絞り、狙いは魔女が一人。
如何なる想いも暴虐も、それが自身の守るべき生徒に仇成す牙となるのなら、
「貴様のような奴が教師を名乗って、間違った教鞭を振るうなんざ――――」



虎の牙は、如何なる時でも猛威を振るう覚悟が在ると知れ




「―――――生徒の教育に悪いんだよ」




石の拳が突き刺さる。
魔女の顔面に叩きつけられ、宙を舞う。




[25741] 【人妖編・後日談】
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/04/14 21:19
気づけば、春の匂いも感じられない時期になっていた。
月日は五月になり、もうすぐ梅雨の季節。桜は散り、空には雨雲が何時もよりも多くなってきた。ジメジメとした季節はもうすぐで、こんな季節に結婚式を挙げようとする物好きがマリッジブルーだと口ずさむ。
そんな何処にでもある風景、何処にでもある光景が広がる街は、この日本で二つしかない人妖隔離都市、名は海鳴という。
この街には沢山の人妖が住んでいる。もちろん、人間もいるが、割合的に人妖が圧倒的に多い。それだけ人妖という人種は人々から忌み嫌われ、隔離されている。巨大な壁で、壁の外には銃を持った厳つい者達が立ち、その周囲には人妖という存在に憎悪と侮蔑の念を浮かべる人間達が今日も元気に呪詛をまき散らす。
しかし、それは外であり内ではそんな光景など関係ないと言わんばかりの日常がある。
高町なのはとスノゥ・エルクレイドルの事件から数週間が経った海鳴という街の様子は、特別代わった様子はない。
何時もの様に騒がしく、何時もの様に静かで、何時もの様に人妖達が日々を謳歌する。
「――――あ~、バニングス、ちょっといいか?」
「何よ、虎太郎」
「先生を付けろ」
「何よ、虎太郎」
「先生を付けろ」
「なによ、虎太―――ッミギャッ!?」
この様に、生徒に平気で拳骨を落す風景も、何時もの光景だ。
「あ、アンタ、殴ったわね!?生徒に体罰振るう教師なんて、PTAに訴えてクビにしてやるんだからね!!」
「言いたきゃ言えばいいさ。だが、その前にもう一発いくぞ」
握り拳に息を吹きかける姿に、アリサは頭を押さえて後ずさる。
「まったく……少しは教師を敬うという心を知らんのか、お前は」
「虎太郎が煙草を止めたら敬ってあげるわ。というか、一体一日に何本吸えばそんなに煙草臭い体臭になるのよ。むしろ、アンタ人間じゃなくて煙草じゃない。身体の殆どが煙草で出来てんじゃないの?」
「そんな人妖はいない―――いや、いないのか?いたらいいな。いたらというか、俺がなりたい」
「そんな変なのになったら、二度と私に近づけない位にボッコボコにしてやるわよ――――で、何の用?私、これでも忙しいんだけど」
「掃除をサボって逃げようとする様なお前に忙しいという単語は不釣り合いだ」
「ワタ~シ、ニホンゴワッカリマセ~ン―――ッヘブシ!?」
さっきよりも威力三割増しの一撃。簡単に説明したら手を石化した拳骨。
「おーけー、おーけー、ちょっと悪ノリし過ぎたわ……謝るからもう殴らないで」
「反省しろ、馬鹿者。それで、話というのはこれだ」
虎太郎は取り出すはレポート用紙。
「これ、なんだかわかるか?」
「あれでしょう、社会科見学のレポート。今日中に出せって五月蠅いからちゃんと出してあげたんじゃない」
「あぁ、出したのは良い。他の生徒よりも良く出来ている……出来ているが、却下だ」
「何でよッ!?」
「どこの世界に余所の家の防犯装置に挑む事を社会科見学にする馬鹿がいるんだ?というか、これはどう見ても月村の家の防犯装置だろうが」
「あれを防犯装置というのはちょっと抵抗があるわね。幾ら全開じゃないとはいえ、私が屋敷の入口前で退却する事になるとは想ってもなかったわ」
「あぁ、そうだな。俺も翌日になって全身包帯だらけのお前を見るなんて想ってもなかった……お前、実は馬鹿だろ?」
「馬鹿じゃないわよ。いい?これは私の社会科見学と一緒にすずかの家の防犯装置―――防衛システムがどれほどの物か試しに行ったのよ。大事な友達の家の防衛システムがザルみたいな感じなら、安心してすずかをあの家になんて住ませられないわ」
「それで、感想は?」
「久しぶりに死ぬかと思ったわ」
一体どれだけの強化をしたのかはわからないが、アリサにこう言わせるほどの防犯装置。内心、ちょっと試してみたいと思ったのは秘密だ。
「ともかく、こんなのは駄目だ。もっとちゃんとした場所に行ってこい」
「なによ、差別する気?人妖差別?それとも友達差別?」
「差別じゃない。こんな内容を廊下に張り出してみろ。月村が卒倒するぞ」
「大丈夫。家に入った時点で一度卒倒させてるかッブヘラァ!?」

それから数日後。
授業中の事。
「――――さて、この問題は……月村、解いてみろ」
「わかりません」
「即答か。少しは考えてモノを言え」
「はい……………わかりません」
「そうか、廊下に立ってろ」
「え!?」
「というのは冗談だが、これは昨日もやったところだから、ちゃんと復習しておけよ――それじゃ、バニングス、解いてみろ」
「ZZZZZZZ……」
「…………」
「ZZZZZZZ……」
「…………」
「ZZZZZZZ……」
爆睡しているアリサに近づき、轟音を響かせる。
ドガンッという擬音と共に、机ごとアリサの頭を粉砕する。
「――――これでも起きんか、見上げた根性だ」
「あの、虎太郎先生……アリサちゃん、気絶してるんじゃないですか?」
「ん、そうか?……む、いかん。息をしてない」
「アリサちゃんッ!?」
アリサ・バニングスと加藤虎太郎の関係は概ねこんな感じだ。
基本的に優等生なアリサだが、どうも虎太郎の事を教師として見てない節が多々あるせいか、この様に虎太郎から愛の鉄拳を喰らう事が日常となっている。
かと言って、アリサが虎太郎の事を嫌っているというわけでもない。
虎太郎の事を先生を付けずに呼び捨てにするのは、彼女なりの接し方の一つなのかもしれない。それも他の教師よりもずっと親しい存在という様にも見えない事もない。現にこれだけ拳骨を喰らいながらも、アリサは虎太郎に手を上げる事もしなければ、わかりやすい嫌悪の表情も見せない。
「どっちかと言うと、漫才コンビって感じだよね?」
と、すずかは語る。
「どつき漫才にしてはちょっと見てる方としては心臓に悪いけどね」
と、苦笑交じりにすずかは語る。
少なくともこんな光景が毎日の様に続けば、皆も慣れるのだろう。これが無ければなんだか一日が始まっていない様な気はするし、これがないと物足りないと感じる生徒も多数だ。
もっとも、やられている本人からすれば溜まったものじゃない。
「だったら拳骨される様な事を言わなければ良いんじゃないの?」
すずかが尋ねると、
「嫌よ。なんか、アイツの言う事を聞いてるようじゃ、負けた気分がするじゃない」
「どこら辺が負けてるのかはわからないけど……でも、アリサちゃんって虎太郎先生の事が好きだって事はわかるよ」
「…………なんでそうなるのよ?」
「見てればわかるよ」
「眼科行きなさい。良い眼科の先生を紹介してあげるから、その眼球交換してきなさい」
これも日常。
人狼な少女と人妖先生の日常。


次はこんな日常。
「あの、虎太郎先生」
「ん、どうした月村?」
ある日の放課後。
「お姉ちゃんが虎太郎先生を夕食に招待したいって言ってるんですけど……今日、予定はありますか?」
「特にないが。だが、どうしたんだ急に」
「えっと、ですね……私にもよくわからないんですけど、姉ちゃんがどうしてもって言ってるんで」
「ふむ……なんか裏がありそうな気がするな」
と、冗談交じりに言うと、
「ありますね、確実に」
まさかの妹が肯定した。
「うん、あると思います。絶対にありますね。最近、お姉ちゃんずっと部屋に籠って何か作ってるんですけど……多分、お姉ちゃんの事だから虎太郎先生の身体を実験台にして何かを作ろうとしているのかも」
「いや、流石にそれはないと思うが……」
「いいえ、あります!!私のお姉ちゃんですからッ!!」
力強く力説するのはいいが、それは同時に自分の地位を陥れていると気づいているのか疑問だ。
「そうですよ、そうですよね!?虎太郎先生、やっぱり家に来ちゃ駄目ですよ。来たら先生、改造されちゃいますッ!!」
妹にここまで言われる姉は、果たして自業自得なのか、それとも不憫に思うべきなのか、判別に苦しむ所だ。
「そんなショッ○ーじゃあるまいし」
「お姉ちゃんの卒業文集に、将来は仮面ラ○ダーを作る事だって書いてました」
「それ、何時のだよ」
「高校の時です」
「…………そうか、高校の時か」
途端にすずかの言う事に真実味が帯びて来た。
もちろん、そんなわけはない。
単に好きな男性の気を惹く為に食事に招待しただけなのだが、まさか敵が身内にいるとは想ってもみなかっただろう。ちなみに、その敵はまったくの無自覚である。無自覚故の善意である。
ある意味、救いようがない。
「そういうわけで先生、しばらく家には近づかないでくださいね」
「あ、あぁ……いや、そうか?なんか違うくないか?」
「いいから、返事はッ!!」
「はい、わかりました……」
そんな二人を見ながら、傍観を決め込んでいたアリサはポツリと、
「―――――あの子、天然?」
呆れ顔で呟いた。
本当に、救いようがない。

それから数日後。
梅雨の季節に入りに、外は毎日の様に雨が降る。
「おはよう……」
何故かずぶ濡れになって登校してきたアリサ。
「どうしたの、アリサちゃんッ!?」
「ちょっとね……」
心底疲れたという表情でタオルで頭を拭く。綺麗なサラサラな髪は濡れた事によってサラサラではなくバサバサになってしまっていた。
「あれ、なんか顔が粘々してるね」
「―――――ねぇ、すずか。こんな雨の日に犬を散歩させる馬鹿は死ぬべきだと思わない?」
その一言でなんとなく想像ができた。
「もしかして、また?」
「えぇ、またよ」
普段、アリサはすずかと同じ通学バスを利用している。だが、毎日ではない。通学バスは決められた時間に決められたコースを走る。それ故に乗り遅れれば当然置いて行かれる。
「アリサちゃんって朝弱いよね」
「朝が弱いんじゃないの。夜に寝るのが遅いだけ」
「なら早く寝ようよ」
遅刻の常習犯とまではいかないが、通学バスにちゃんと乗ってくるという事は少ない。夜遅くまで起きているせいで、必然的に朝起きる時間は遅い。そうなってしまえば、時間は当然ギリギリ。始業ベルが鳴る五分前に登校など普通だ。
「そうね、毎日こんな感じじゃ私の身が持たないわ」
無論、走れば間に合う。
だが、走って間に合うからといって必ず穏便に、平穏に学校に到着できるわけではない。
「どうしてどいつもこいつも、私を見れば群がってくるのかしら……」
彼女の人妖能力が関係あるかは不明だが、アリサは犬に好かれる―――いや、好かれすぎる。
そのせいで今日も雨の日に散歩していた犬がアリサにじゃれついてくるわ、犬小屋にヒモも着けずに飼っている家の犬が塀を飛び越えてじゃれついてくるわで、結局アリサは子の様な状態になっている。
「ちょっと羨ましいな」
「だったら代わる?言っておくけど、下手すれば死ぬわよ」
「死ぬの!?」
「大型犬にじゃれつかれたら死ぬわね。アイツ等は甘噛みのつもりでも、こっちはかなり痛いのよ」
「そうなんだ……あ、でも家の猫達も時々そんな風にじゃれついてくるよ」
「猫ならいいわよ。小さいし、可愛いし」
「犬も可愛いと思うよ」
「犬なんてデカイし荒いだけだっつの……」
そう言いながらも誰がどう見ても犬が好きなアリサ。すずかも犬が好きだが基本的には猫派。彼女の家には沢山の猫がおり、周りからは猫屋敷とも言われている。
「やっぱり猫の方が―――」
「猫は良いぞ……あぁ、猫は良い」
「うわっ!?」
何時の前にか現れた虎太郎。
「アンタ、何処から湧いて出て来たのよ」
「人をボウフラみたいに言うな。いやな、猫という単語が聞こえたものな」
「虎太郎先生は猫が好きなんですか?」
「好きだな。断然猫だ。犬なんかよりも猫だ」
そう断言する虎太郎に、
「――――い、犬だって猫に負けてないわよ」
わんこ代表、アリサ・バニングスが食いつく。
「どうだか。犬なんぞデカイだけで無駄に飯食って散歩しなければならないという手間がある。だが、猫は違う。猫は小さいし食べる量も少ないし、勝手に散歩する」
「それだけでしょう?犬はね、ご主人様の言う事をちゃんと聞くのよ。猫なんて飼い主を飼い主と思わない冷徹外道じゃない」
「自由奔放と言って欲しいな。鎖に繋がれたまま大人しくしている犬よりも、常に自由を求める猫の方が良いに決まってる」
「はんっ、どうだか。大体ね、猫なんか好きな奴は自分はカッコいいと思ってるナルシストばっかりなのよ。アンタもその口でしょう?」
「それこそ勘違いだな。それ以前に、猫にはハードボイルドな一面がある。その一面から時に反対の可愛らしい素顔を見せるあの瞬間、あのギャップ―――だが、犬にはそれが無いッ!!」
「あるわよ、そのくらい。というか、そんなオッサンのアンタが猫について語ったところでキモイのよ。うわぁ、キモッ!!キモいのが移るからあっちに来なさいよキモ太郎」
「貴様……人の名をそんな漫画○郎先生が生み出したキャラみたいに言うなッ!!」
「うっさいッ!!アンタなんか犬の尻尾にモフモフされて死ねッ!!」
「そういうお前は猫の肉球にプニプニされて萌え死ねッ!!」
「あの、二人とも……その辺で」
わんこ派とにゃんこ派の闘争は何とも虚しいものだった。
「私はどっちも可愛いから好きだけど」
だから、そんなどっち付かずな発現は虚しい矛先を変換され事になる。
「すずか、アンタ猫派の癖に犬派の私の肩を持つっての?」
「月村。お前のそういうどっち付かずな所は感心しないな」
「うわぁ、二人とも面倒臭いなぁ……」
月村すずかと加藤虎太郎の関係は概ねこんな感じだ。
アリサと虎太郎の喧嘩というかじゃれ合いを収める時もあれば、二人の間に挟まれて困惑したり呆れたり、それでも最後まで付き合い続ける関係。
何時の間にかすずかは虎太郎の事を加藤先生ではなく虎太郎先生と呼んでいる。それが何時からそうなったのかは本人もわからない。だが、そう呼ぶにふさわしい誰かだと言う事だけは確かだ。
虎太郎が来て、彼女は変わった。
彼女が変わったから、周りは変わった。
小さな変化は周りを巻き込む大きな変化となり、その結果が今という日常を作り出す。この物語に主人公という存在を作るのなら、恐らくは月村すずかという少女が主人公だったのかもしれない。
ただ、誰もそんな事は望まない。
すずかも、その周りの皆もだ。
特別な存在は要らない。欲しいのは親しい存在だけでいい。そんな存在を作り続ければ、何時しか大きな輪になって誰もが笑って過ごせる毎日が生まれる。
「ねぇ、すずか」
「なに、お姉ちゃん?」
しかし、
「なんか、最近先生が私を見る目がちょっと変な気がするんだけど……気のせいかな?女性を見る目になってくれたら嬉しいんだけど、なんか近寄りがたいというか、近寄っちゃいけないというか……ともかく、何か私を避けてる気がするんだけど、何か知らない?」
「う~ん……わかんない」
「そっか、そうだよね……おかしいなぁ、変な事はしてないんだけど」
家族の恋路を無意識に邪魔しているのは、救いようがないとも言える。
もっとも、それはまったく関係のない些細なことだ。
これも日常。
月村という少女と人妖先生の日常。



そして、最後の一人の日常を語るとしよう。






誰もいない。
嵐が過ぎ去った道場には何もない。
時間が経っても残っていた道場も、ようやく家に追いついた様に朽ち果てて行くだろう。この先、この場所を訪れる事があるかはわからない。だけど、それは明日の事だから誰にもわからない。
私にも、みんなにも、神様だってわからないかもしれない。
それでもいい。
わからないけど、今は歩いてみようと思える。
ゆっくりと、一歩一歩、自分の足で歩いて、誰かの隣を歩こう。
私は一人じゃない。
一人ではいられない。
「だから、さようなら」
別れを告げる。
この場所に戻って来れないとわかっているから。家族のいない家は、ただの廃屋でしかない。そんな場所にいつまでも引きこもっても意味はない。ないないずくしで、一つもありにはならないだろう。
記憶の中にある光景は綺麗な我が家。だけで、私の家の記憶はあっても家族の記憶はない。いつかは思い出すかもしれないけど、心の何処かできっと思い出しはしないと決めつけている。
それが悲しい……でも、それでいい。
「それで、いいんだよね?」

「―――――それはどうだろうな」

朝日が昇り、道場の窓から光が差し込む。その光を浴びて、白髪隻眼のオジサン、九鬼耀鋼というオジサンが立っていた。
煙草を咥え、どこから買ってきたのか缶コーヒーを飲みながら。
「…………どういう事ですか?」
「お嬢ちゃんは、もう此処には持って来れないと思ってるのか?」
私は、頷いた。
「此処には、何もないですから。思い出も何も無い。私の家族の記憶も……もうすぐ消えちゃうかもしれない。だったら此処にいる意味なんて、ないですよ」
オジサンは違うと言った。
「あるさ。意味はある。お前さんがどれだけ何かを忘れても、忘れようとしても、多分それはずっと後ろを付いて歩いてくる」
「思い出せないのに、ですか?」
「思い出せないからといって、消えたわけじゃないだろう」
煙草を缶コーヒーの中に捨て、私に歩み寄る。
「人間の記憶っていうのは曖昧だ。コンピューターの様に知識や記録をいつまでも頭の中に鮮明に残す事はできない。忘れる生き物だし、忘れようとする生き物だ」
しゃがみ込み、視線を私に合わせる。
「だが、同時に俺達は―――忘れたくないと思う生き物だ」
大きな手で、私の頭を撫でてくれた。
「忘れたくないと思う限り、消えはしない。消去しようとゴミ箱に捨てよと、俺達は何時の間にかゴミ箱を漁り、大切な記憶を掘り起こそうとする。そうやって足掻いて足掻いて、結局見つからなくて堕ち込んで……また、掘り起こす」
「諦めないんですか?」
「諦めたいさ。誰だって辛い。在る筈の物がなく、消えない筈の物が消えていく。そんなのは誰だって辛い。それがどれだけ大切なのか、わかっているからな」
私は思い出す。
オジサンは言っていた。
例え話だろうと思っていたけど、その時のオジサンの顔は―――辛そうだった。
心がわからなくても、今の私はそれが何となくだが想像できた。
「オジサンもそうなの?」
「…………わからない」
少しだけ辛そうな顔をして、すぐに元に戻す。
強がっている様に見えるけど、本当に強いのかもしれない。
「わからないが、多分お嬢ちゃんと同じだ……忘れようとしたけど、忘れられない。忘れた方が楽になるが俺自身がそれを許せない。忘れずに引き摺って、何時しか逆にそれに引き摺られている事にすら気づかずに、こうして生きてしまった」
だが、それでも良いと、オジサンは言った。
「どうやら、俺も自分で思っていた以上に人間だったらしいな」
苦笑した顔は少しだけ愛嬌を感じる顔だった……少し、怖いけど。
「お嬢ちゃんは人間だ。人間だから―――諦めたつもりになって生きるな。そうやって生きてもつまらない。どうせなら最後の最後まで、何も思い出せなくなるまで頑張って、そして思い出す必要が無くなった時になったら……ちゃんと、忘れてやれ」
記憶は積み重なる。
積み重なると同時に、下層にある記憶は押しつぶされる。
それはとても悲しい事かもしれない。だけど、押しつぶされた記憶は本当に必要な物なのかは私には理解できない。
だから、私は下層を、記憶のゴミ箱を漁っている。
「私は忘れたくない……大切な、家族の記憶なんです」
「なら、忘れようとしなければいい。忘れてはいけないという強迫概念に囚われるのではなく、少しだけ肩の力を抜いて、忘れないようにしよう……出来るだけ、忘れないようにしよう……そんな風に思うだけで良い」
「それでいいのかな?」
「あぁ、いいだろうさ。じゃないと、お嬢ちゃんは後ろばかり見て、前を見ようとしない。ゴミ箱を漁るあまり、横から何かを差し出される事に気づけない」
そう言って、おじさんは後ろを指さす。
そこには、アリサちゃんとすずかちゃんが背中を合わせて眠っていた。その隣で虎太郎先生が煙草を吸っている。よく見れば肩を同じ感覚で上下させている所を見るからに、煙草を吸いながら寝ているのかもしれない。
「お嬢ちゃんの過去は見えなくとも、これから思い出になってくれる大切なモノはすぐそこにあるだろう?なら、時々は手を止めて、手を綺麗に洗って、頭を切り替えて、心の赴くままにあのお嬢ちゃん達と一緒にいる記憶を作れば良い」
捨てるのではなく、忘れない様にすればいいだけ。
諦めるのではなく、覚えていようとすればいいだけ。
覚悟も何も必要が無い。
肩の力を抜いて、時々記憶のゴミ箱を見つけて漁れば良い。でも、誰かに呼ばれたら手を洗ってその人の元に行って、新しい記憶の上層を作り出す。
その結果、もしかしたら記憶の下層にあるモノは消えてしまうかもしれない。だけど、そんな時がきたということは、その記憶はきっと忘れても構わない記憶になったのかもしれない。
「―――――だったら、私は忘れない様にします。出来る限りで、周りを心配させないくらいに、のんびりと」
「それが良い。俺みたいなオッサンになったら嫌でも物忘れをして記憶の発掘をするんだ。それを子供の頃からするべきじゃないな」
そう言ってオジサンは突然私を抱え上げ、肩に乗せる。
大きなオジサンだから、肩の上から見た景色は凄く高かった。
「――――お嬢ちゃん、俺に依頼しないか?」
「依頼、ですか?」
「あぁ、依頼だ」
オジサンと私は壊れた道場、そして私の家を見る。
「俺はこれでも一応は建築会社の社員でな。時々は家のリフォームとかもしてる。だから、もしもお嬢ちゃんが家族の事を忘れず、思い出す事ができて、またこの家に戻って来たいと思うのなら―――それまでに、俺がこの家を直しておいてやる」
「……いいの?」
「と言っても、お嬢ちゃんに料金を請求するわけにはいかないし、会社としての仕事と言う事も無理だ。だから、これはあくまで俺の日曜大工、趣味の範囲での作業だ。完全に元通りとはいかないかもしれないが―――誰かと一緒に暮らせるくらいには、戻して見せるさ」
時間は掛るだろう。
すぐには元には戻せないだろう。
だけど、
「お願い、します……」
「あぁ、任された」
何時かは戻る。
戻らない時は戻るわけがない。時間の針は後ろには進めない。前に進む針と一緒に歩き出して、未来へと向かう。
「あ、でも……私も手伝います。此処は、私の大切な家ですから」
「それは助かるな。俺一人なら何時まで経っても直せないかもしれないから、お嬢ちゃんの手が在ったらすぐに元に戻せるかもしれないな」
そうして私は歩き出す。
オジサンと一緒に歩き出す。
みんなを起こして、学校に行こう。
遅刻しないように、急がずゆっくりと、学校に行こう。
加藤先生―――虎太郎先生とすずかちゃんとアリサちゃんと、一緒に学校に行こう。
「ところで、その間は何処に住み気だ?」
「あ、考えてなかったです」
前まで通りに一人で生活するのは、きっと無理だ。
「………行く所がなかったら、俺の部屋くるか?」
「そこまでしてもらうのは……」
「構わんさ。子供がいらない事を考えるな。こういう時は大人を頼れ」
「―――――それじゃ、お願いします」
こうして私はオジサンの家に厄介になる事になった。




なったん、だけど……




「―――――どうしてこうなった?」
「俺が聞きたいよ」
オジサン――九鬼さんは顰めた顔してお茶をすすり、向かい側に座った虎太郎先生も同じ様に顰めた顔をしながら煙草を吸い、私は苦笑しながらお菓子を食べる。
私達は今、虎太郎先生の部屋にいる……というより、虎太郎先生の部屋に厄介になっている。
「高町が此処にいるのはいい。だが、九鬼とやら。なんでお前さんが此処にいる?」
「気にするな。同じ死地を潜り抜けた仲じゃないか」
「そんな関係は知らん。どうしてこの狭い部屋にお前みたいな無駄にデカイ男と一緒に寝床を共にせにゃならんのだと聞いている」
「だから気にするな……ところで、今日の朝飯の味噌汁だが、少々味が薄いな。もっと味を濃くしろ」
「人の話を聞け」
どうして私達、九鬼さんと私が此処にいるかと言えば、理由は簡単なんだけど複雑なのです。
あの後、学校に行った後で私は荷物を持って九鬼さんの家に行きました。
「帰ったぞ」
「おじゃまします……」
ドアを開けると、綺麗なおばさ―――訂正、お姉さんが私を出迎えた。
「おかえり、九鬼さん。昨日はどうしたんだ?忘れモノをしたからって言って急に出て行ったけど―――――」
お姉さん、飯塚薫さんという人は九鬼さんと私を見て、固まった。
「あぁ、あの後色々とあってな。今日は直接会社に行ってきたんだ……」
「九鬼さん、その子は……」
気のせいだろうか、薫さんの顔が能面みたいな感じだ。きっと、前の私もあんな顔をしていたのかもしれない。
「今日から一緒に住む事になった」
と、簡単に説明し、靴を脱ぎ始める九鬼さん。
そして、肩をプルプルと振るわせる薫さん。
「―――――九鬼さん」
「ん、どうした?」
あれ?
なんか室内なのに風が吹いてる―――というか、なんか嵐な感じ?
その時、私は見た。
鬼を見た。
綺麗な鬼を見たんです。
「一体何処で……何処でそんな子を作ったんですか……」
「何を言っている?」
「私の知らない間に……私に内緒でこんな子が……こんな可愛い女の子がいたなんて……」
「いや、だから何の話を――――」
普段は運動が苦手な私だが、この時だけはそれこそ猫みたいな身軽な動作で外に飛び出した。

「出てけ、この浮気者ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお――――ッ!!」

九鬼さんの身体が宙を舞いました。



「どういうわけか、同居人にお嬢ちゃん、なのはが俺の子供だと勘違いされてな」
「それで追い出された、と……その同居人、お前さんのコレか?」
小指を立てて虎太郎先生は尋ねる……どうして小指を立てるんだろう?
「違う。俺とあの人はそんな関係じゃない」
「なら、どうしてこんな事になってるだ?」
「勘違いされたと言っているだろ」
「今すぐ事情を説明して帰れ」
「帰りたくても帰れなくてな。部屋の鍵はいつの間にか替えられてるし、電話は着信拒否。外から入ろうとしたらトラップの嵐だ……流石に諦めたよ」
フッと、カッコよく笑ってるのはいいのですが、なんかそれが逆にカッコ悪いです。
「だから、それまでは厄介になるさ」
「何で上から目線なんだよ、お前は」
「俺は客だぞ?客の俺を追い出すのか、アンタは?」
「客なら客らしくしろ……」
二人の間にバチバチと火花が散っているのが見えます。とてもじゃないけど、私にどうこう出来るレベルじゃないので、とりあえず傍観する。というか、傍観以外は出来そうにない。
「まぁ、あれだ。食費くらいは出す。だから泊めろ」
「断る。高町を置いて出ていけ」
「おいおい、なのはは良くて俺は駄目なのか?」
「当たり前だ。第一、この部屋を見てもわかるが俺には金がない。金がないからお前が幾ら食費を出そうとも水道光熱費その他諸々、色々と足りんのだよ」
「ふむ、そうきたか……」
九鬼さんはそう言って懐から茶封筒を取り出す。
「とりあえず、当面の食費だ」
ドンッと置かれた茶封筒の中には―――ぎっしりと詰まった札束。
「よし、居ていいぞ」
「早ッ!?」
「むしろ、ずっと居ていい。何時までも居ればいい。毎月この位払ってくれるのなら、何時までも居ていい」
「虎太郎先生……」
あの夜のカッコ良かった虎太郎先生が幻に思えてきました。
「助かる……さて、そういうわけでなのは。これからしばらく厄介になる身だ。色々と必要になる物があるから買い物に行くぞ――――その前に、掃除でもするか」
「その必要はない。いや、しなくていい。炊事洗濯は全て俺がやるから、お前は……いや、アナタはさっさと買い物に行ってくれ」
なんか、急に下手に出だした虎太郎先生……この人、本当に先生なのかな?
「いいのか?俺は客だぞ?」
「ははははは、客に掃除などさせたら俺の名が廃る」
既に廃っているとは、とても言えませんよね。





人と人妖と妖



三人の少女達を、こう呼んでもいいだろう。
「なのは、すずか、この後ゲーセンに寄ってかない?」
人と人妖。
「いいけど、その前に本屋さんによって良いかな?新しいお菓子のレシピが欲しいの」
人妖と人。
「あ、私も欲しい本があるんだった」
人と妖。
「それじゃ、本屋の後にゲーセンね。ふふふ、私の壁際ハメコンボが今日も火を吹くわよ」
時に笑い、時に涙し、時に支え合い、時に手を取り、時に共に歩む。
「お前等、俺の前で寄り道の話し合いするのは勝手だが、掃除はちゃんとしろよ」

ここは海鳴――――人妖隔離都市

「虎太郎、そういうアンタもサボってないで掃除しなさいよね」
「サボってない。俺はこれから職員会議で教頭とバトルするから、その為に精神集中してるんだ―――今度こそ、喫煙所の設置を了承させてやる
「虎太郎先生、まだ諦めてなかったんだ」
「諦めればいいの……」
「まぁ、虎太郎先生だし」
「そうね、虎太郎だし」
「虎太郎先生だからね、しょうがないよ」
「お前等、何気に俺の事を馬鹿にしてるだろ?」

此処に住まう人。
此処に住まう妖
此処に住まう人妖。
何時までも始まりで、何時までも終わらない。
そんな物語を紡ぐ人々を、こう呼ぶ。





【人妖編・後日談】『あやかしびと』













あとがき
人妖編・完結!!
やっと終わりましたよ、人妖編。というより、なのは編がやっと終わりました。平均が40ページくらいだったんで、気づけば200ページくらいいったかもね。
しかも、最後の三話が無駄に長くなった。長くし過ぎたので、色々とカットしたシーンも多くありました。
カット1:デビット&鮫島VS暴走忍
カット2:アリサ(本気モード)VSスノゥ
カット3:すずかVS影の剣士
余計なシーンが沢山あったのに、これだけ削りました。
特にバニングス家が完全にカットの対象になったので、何処かで活躍させましょうかね。
そんな感じで今後の予定。
予定では【閑話】もしくは【教育実習生編】。
閑話では
【人狼少女と必殺技】【神沢市と天狐】【サムライ少女と地球】の三つ。

教育実習生編は
【教育実習生とバトル高校(仮題)】【教育実習生と生徒会長(仮題)】【教育実習生と孝行娘(仮題)】【氷の死神と金色屍】
の四つです。

でも、教育実習生編は多分最後の一話だけ書けば次回につなげられる感じっすね。
それが終われば【弾丸執事編】です。
それまでに全部書くと、辿りつける気がしないね、うん。

そんな弱音を吐きながら、次回は閑話Or教育実習生編でお会いしましょう。

それでは~




[25741] 【閑話休題】『人狼少女と必殺技』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/04/29 00:29
炎の体育教師、ボソンジャンプよりも早く現地に到着するお兄さんみたいな声をした加藤虎太郎という教師が来て数ヶ月。
家庭訪問という名の襲撃事件、マイナス思考のなんちゃって吸血鬼少女のクラス復帰。
それが引き金となったかのように巻き起こる事件の数々。
孤独な狼少女に友達が出来たり、月村家のメイドの名前が実は反対になってる事に気づかなかったり、二面性がある少女がヤンデレになったり、ネームレスの題名が実はネイムレスだった事に気づいたり、眼鏡教頭が熱血したり、狼少女の戦闘シーンがカットさりたり、白髪隻眼の人外オヤジが大活躍したり、フラグ満載魔女っ子(二百○歳)の悪巧みを予定調和の様に終わらせたりと、なんだかんだで丸く収まった気がするような事件が終わり、数か月。
色々な事があった時間にも一つの区切りがある。
騒がしくもあり、悲しくもあり、それでも微かな希望に繋ぎとめられて紡がれる物語は少しだけ前に進み、季節は梅雨のジメジメとした空気を乗り切り、蝉達のオーケストラの限定講演が始まる。
夏だ。
文句なく、夏だ。
一つの物語に区切りがついて始まる夏は少女達にとって初めて友達と一緒に過ごす夏となる。
思い出が生まれるだろう。
忘れられない夏の記憶が生まれる。
そんな夏。
そして、今日は少女達の夏の本番を告げる終業式。
教頭の長ったらしい話に生活指導の先生の厳しいお言葉。元気よく挨拶しようとしてキバって死んだ校長。校長を回収して何事もなく進行する式。
それが終われば今度は通信簿。
ある者は喜び、ある者は嘆き、ある者は不満だと声を上げて拳骨を喰らい、ある者はお返しとばかりに総合評価最悪の通信簿を昨日の内に製作して虎太郎に渡して、二発目の拳骨を喰らう。
「夏休みだね」
「うん、すっごく楽しみ」
なのはとすずかは通信簿を見せ合いっこしながら明日からの夏休みを想像して笑い合う。その横で二発の拳骨を喰らって撃沈しているアリサ。止せばいいのに決行した勇敢なる馬鹿者の事を普通にスルー(無視ともいう)して勉強を一緒にやろう、海に行こう、夏祭りにいこうと、ワクワクしていた。
「はしゃぐのはいいが、勉強もちゃんとするんだぞ」
一応釘は刺すが、とうせ聞いてはいないだろうなと虎太郎は苦笑するかない。もっとも、虎太郎の家に居候しているなのはは必然的に勉強をちゃんとやる事を強制されているため、問題はないだろう。
問題は、そこでノビている金髪少女だ。
「今の内に言っておくが、バニングスを遊びに誘う際にはちゃんと勉強が進んでいるか確認しろよ?コイツのことだから、絶対にサボる」
「そんな心配はないと思うけど……」
一応は優等生なアリサ。だが、どうもこの少女は虎太郎に対しては優等生のゆの字も見せない問題児。
「大丈夫だよ、なのはちゃん、虎太郎先生。アリサちゃんだってそこら辺はちゃんとわかってと思うよ」
「そうだといいがな……まぁ、いいさ。その時はその時。起きたら伝えておけ――――夏休み明けに課題を一つでも忘れたら拳骨じゃすまさんとな」
割と本気だから笑えない。
「…………大丈夫だよね?」
「…………まぁ、私達が怒られるわけじゃないから」
「それもそうだね――――あ、そうだ。この後で私の家に遊びにこない?お茶会しようよ、お茶会」
「あ、いいね、それ!!」
あっさりと会話を再開したなのはとすずかを見て、クラスメイトは「コイツ等、本当に友達なのかな?」と本気で疑問に思っていた。







【閑話休題】『人狼少女と必殺技』








「必殺技が必要だと思うのッ!!」



「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
月村家にて、皆が楽しくお茶を飲んでいる最中、アリサは叫んだ。
無論、周りはぽか~んとした顔をして、
「――――すずかちゃん、この子猫の名前は?」
「その子はね、メロっていうの」
「メロはやんちゃで困るのよね。この間なんて、私のラボに勝手に入って部屋を滅茶苦茶にするし、いたるところでおしっこはするし」
「ですが、メロも少しは言う事を聞いてくれるようになりましたよ。私やファリンの言う事もちゃんと理解できるようですし、頭の良い子です」
「そうですね。とても良い子ですよ」
そして、何事も無かった様にお茶会を再開する。
「…………必殺技が必要だと思うのッ!!」
「昨日のドラマなんだけど、見逃しちゃって」
「それだったら録画しているから、見る?」
「やったぁ!!」
「ちょっと、人の話を聞きなさいよ。私はね、必殺技が必要だと言ってるのよ」
「姉さん。今日の夕食の準備ですが……」
「それはなら下準備は出来てるわ」
「だからさ、私の話を――――」
「すずか、頼むから私の変な噂を先生に流すの止めてくれない?最近、先生の眼が痛いのよ」
「でも、本当だし……」
「あの、だからさ――――」
「それを言うなら忍様。お願いですから庭にある警備ロボットを何とかしてくれませんか?庭を滅茶苦茶にするわ、郵便の方に攻撃するわで」
「えぇ~。いいじゃん、いいじゃん」
「そんな事ばかりしてるから、虎太郎様に変な眼で見られるのでは?」
「必殺技……」
完全に無視され、
「アリサちゃん、なんか言った?」
「…………ううん、何でも無い」
凹んだ。
だが、諦めないのがアリサ・バニングス。
今度はすずかの部屋で録画したドラマを見ている最中に、
「私、必殺技が欲しいと思うのよ」
「アリサちゃん、今良い所だから黙って」
「すみません」
ドラマが終わり、今度こそと口を開く。
「必殺技――――」
「なのはちゃん、今日のお菓子余ってるから持って帰る?」
「いいの?なら、私と九鬼さんと虎太郎先生の分もいいかな?」
「もちろんだよ」

「いい加減に人の話を聞きなさいよッ!!」

涙目で叫ぶと、ようやく二人はアリサを見て、
「あ、まだ言ってたんだ。アリサちゃん、すずかちゃんの家で五月蠅くしちゃ迷惑だよ」
「アリサちゃん、また頭の病気?良いお医者さん紹介するから、行って来れば?」
「アンタ等、本当に私の友達?」
「だって、ねぇ」
呆れ顔ですずかはなのはを見て、なのはも頷く。
「時々、アリサちゃんって…………馬鹿になるから」
「馬鹿になるって何よ!?」
「気づいてなかったんだ……あのね、この間もなのはちゃんと話してたんだけど、アリサちゃんって普段は大人びてるけど、時々子供になるっていうか、子供みたいな大人になるというか、大人として駄目な大人というか――――ともかく、駄目なアリサちゃんになるんだよ」
「駄目なアリサって何!?」
まさかの評価に叫ぶアリサ。だが、友達の二人の口撃は止まらない。
まずは、なのは。
「この際だから言うけどさ、アリサちゃん。とりあえず、授業中にノートにカッコいい台詞とか書くの止めた方が良いよ?」
アリサの顔が真っ赤になる。
続いて、すずか。
「それは私も同感かなぁ……前にアリサちゃんにノート借りた時に見たんだけどね。えっと、なんだかわからないけど魔法の呪文が沢山書いてたよね。エターナルフォースブリザードっている魔法の呪文」
「へぇ、どんな呪文なの?」
「難しい漢字が多くてわかんなかったけど、最後の方にその魔法の効果で、相手は凍って必ず死ぬって書いてあった」
真っ赤な顔が蒼く染まる。
「そういえば、前に右手に包帯巻いてきた時があったけど、別に怪我とかしてなかったよ、満月だったし。どうしたのかなって思ってたんだけど、小声で「封じられた右手が疼くわ」って言ってたの聞いた」
「あ、私も聞いたよ、それ」
撃沈。
「――――そんな私達の意見を聞いて、感想をどうぞ」
「馬鹿なアリサでごめんなさい――――っていうか、そんなの知らないわよ馬鹿!!」
「うわぁ、逆ギレだよ、すずかちゃん」
「逆ギレだね、なのはちゃん」
目の前の二人が悪魔に見えてきた。
「ともかく、そんな事いいの!!今、私が問題としてあげてるのは、私の問題についてよ」
アリサは言う。
「――――私ね、最近自分に足りないのは何かと考えてたの」
「頭じゃない?」
「違うよ、なのはちゃん。常識だよ」
「どっちもあるわよ!!むしろ、友達にそんな酷い言葉を吐けるアンタ達こそ頭も常識も無いでしょうに!!」
コイツには言われたくない、という顔をする二人。
本当に彼女達は友達関係なのか、疑問である。
「ともかく、それをずっと考えたのよ。そしたら、ある事に気づいたの」
「なのはちゃん、自由研究は何にするの?」
「人の話を聞け」
「時間の無駄だと思うんだけどなぁ」
「なのはも黙れ」
どうしてだろう。
四月の頃にはあんなに純粋な子だったはずの二人が、何時からこんな悪魔みたいな子になってしまったのか。
「時間が経てば人は変わるんだよ、アリサちゃん」
「変わり過ぎよ。前回の話から見た人が誤解するくらいに変わり過ぎじゃない」
「ギャグルートだし」
「メタな発言禁止」
頭が痛くなってきた。
「アンタ等、私の話を真面目に聞く気あるの?」
「あるわけ無いじゃん、面倒くせぇし」
「ぶっちゃけウザイ」
「言動まで変わってる!?」
「――――もぅ、しょうがないなぁ。すずかちゃん、それじゃ今から四月の頃のキャラでいこっか」
「そうだね。じゃないと話が進まないし」



「ひとのはなしをちゃんときないこはね、わるいこなんだよ?なのはは良い子だから、ちゃんとはなしをきいて、えらいよね?ね?ね?」
「私、化物だから……友達なんて」
「駄目な方向に戻ってる!?」

閑話休題

「ふぅ、そろそろキツイから止めっか」
「ボケって辛いね。アリサちゃんの苦労が良くわかるよ」
「私は自分をボケだと思った事は一度もないわよ。まったく、ここまで六ページも使っちゃったじゃないのよ」
「へぇ、それは意外というか、お気の毒さまと言うか」
「もう黙れ、話が進まない」
ようやく二人は諦めてアリサの話を聞く気になったのだろう。
すずかはヘッドフォンを装着。
なのははベッドに寝っ転がって漫画を読みながら、
「「さ、どうぞ」」
「………私ね、最近自分に足りないのは何かと考えてたの」
「あ、スルーされた」
「あぅ、残念」
アリサは語りだす。
「なんていうか、私って基本は地味じゃない?地味なのはどうして、地味なのを脱出するにはどうすればいいか。それを見つければ、自分に足りない物が何か見つかる気がするの」
「アリサちゃんで地味だって言われたら、他の人はどうすればいいのかな?」
「わからないけど……とりあえず、アリサちゃんは地味じゃないと思うよ」
「いいえ、地味だわ」
何処が地味なのかわからず、首を傾げる二人。
「その証拠に、ちょっとこれを見なさい」
そう言ってアリサはどこからともなくノートPCを取りだした。
「…………なんで持ってるの?どっから出したの?」
「その時点でどの口が地味だというのか、私は心底疑問だよ」
二人のツッコミを無視して、アリサはPCを起動する。
「この画面を見なさい」





拳には拳を。
己が信じる、長年連れ添った信じるべき拳を全力で叩きこむ。



「八咫雷天流――――砕鬼ッ!!」



拳と拳が激突する。



「虎太郎先生だね」
「そう、虎太郎よ。その次はこれよ」




「剣士の真似事は金輪際しない事だな……そして、」
左腕を突き出し、右腕を引き絞る。ただし、その手は何時もの掌ではなく貫手に様に構え、



―――九鬼流絶招 肆式名山 内の弐――――

        焔錐


影の身体を突き刺した。




「今度は九鬼さんだね」
「カッコいいなぁ」
アリサは黙ってPCを閉じる。
「わかったかしら?」
「全然わからないけど」
「とりあえず、最終回の話をまんまコピペしたのだけはわかったよ」
「だからメタ発言禁止―――――いい?このオッサン二人と私の違いはコレなのよ」
アリサは拳を振るわせ、クワッと目を見開く。

「必殺技があるのよッ!!」

力強く言うのは良いが、二人はポカ~ンとするしかない。確かにあの二人には必殺技がある。だが、それが一体どうしたというのかわからない。
「必殺技よ?必殺技。誰もが一度は憧れる、少年少女が一度はやってみたい漫画の中の世界……それをあのオッサン共はこうして具現化している。その現実を前に、なのは。アンタはどう思う?」
「別に」
「つまらない子ね。それじゃ、すずか、アンタはどう?」
「特に感じる所はないけど……」
「まったく、それでもアンタ等は私の友達なの?」
呆れ顔のアリサに、二人はちょっと友達辞めようかなと思ったが、口には出さないでおいた。
「ともかく、オッサン共には必殺技があるの。行間を三つも開けて技名を言うとか、口には出してないけどしっかり技の名前が表記されるとか、そういう特典があるのが必殺技なの」
「えっと、つまり……どういう事?」
「これが私に足りない物、という事よ」
「必殺技が?」
「必殺技が」
言葉に詰まる二人。
目の前で自信満々に言うのはいいのだが、こちらはさっぱり理解できない。
「別に必殺技が無くてもいいんじゃないかな?」
というすずかの発言に、
「馬鹿言ってんじゃないわよッ!!」
アリサは叫ぶ。
「何処の世界に必殺技がないバトル漫画、バトルアニメ、バトル小説があるっていうのよ!?」
はい、とすずかが手を上げる。
「確か、バトル小説だと餓○伝には必殺技はないです」
「意外と渋いの読んでるのね、アンタ……ともかく、余所の話はいいの。今は私の話をするの」
アリサは窓の外、遠い空を見つめる。
「やっぱりさ、必殺技が必要だと思うのよ。私なんてずっとパンチとキックだけよ。時々投擲とかしてるけど、基本的にパンチとキック……パンチとキック……地味じゃない」
「地味だとは思うけど」
「特に気にする所じゃないんじゃないの?」
「それが人を駄目にする原因になってるのよ、この現代っ子!!」
「アリサちゃんも現代っ子だと思うんだけど……」
なのはの意見は無視して先に進める。
「欲しいじゃない、必殺技。ゲーム化した時に技はパンチとキック。コマンド入れてもパンチとキック。ファイナル○ァイトだって市長だけは技っぽいのがあったけど、恋人は私と同じパンチとキック……地味じゃない」
「ゲームと現実を混同されてもなぁ」
「人間だもの。生れたからには一度くらいは手から何かが出してみたいじゃない。レイジングススーム、烈風拳、ダブル烈風拳―――出してみたいじゃない!?」
「とりあえず、アリサちゃんがS○Kが好きだって事はわかったよ。ハワードさんが好きだって事はわかったよ。でも、別に出なくてもいいと私は思うけど……ねぇ、すずかちゃん」
「うん、私もそう思うよ。どんなに地味でもアリサちゃんはアリサちゃんだし」
例え、必殺技が出せなくとも。
例え、頭が若干悪くても。
例え、友達ですって紹介し辛くても。
彼女は友達だ。
アリサ・バニングスは、自分達の大切な友達なのだ。
それだけは嘘じゃない。
世界がそれを否定しようとも、自分達は否定しない。



アリサ・バニングスは――――かけがえの無い友達だ









次回『教育実習生とバトル高校』









「終わらせないわよ」
「え、次回予告まで入ったのに止めるの?」
「もういいよ。飽きたよ。面倒だよ」
「必殺技がほ~し~い~の~!!私もハンマーコックとかやって44マグナムとかしたいの~!!」
とうとう駄々までこねだす始末に、流石に頭が痛くなってきた。
「どうしよっか、なのはちゃん」
「そう言われても……別に私達的にはどうでもいいし、面倒だし……」
「必殺技がほ~し~い~!!」
「うぅ、こういう時に虎太郎先生がいてくれたらアリサちゃんを止めてくれるのに」
「困ったね」
駄々をこねるアリサを見て、すずかは本気で悩む。本音で言えば帰ってくれるとかなり有難いのだが、この調子では帰る事はなさそうだ。
「…………うん、わかったよ」
なのははアリサの肩を叩き、微笑んだ。
「アリサちゃんがそこまで言うのなら、私【達】も協力するよ」
「なのは……」
「え?私も?」
「友達だもん。友達が困った時は助け合うのが友達だから」
「あ、ありがとう……アンタ【等】、やっぱり私の最高の友達よッ!!」
「あれ、ちゃっかりアリサちゃんも私を数に入れてる?」
「なのは!!」
「アリサちゃん!!」
感動の抱擁シーンだった。
「…………」
そんな感動のシーンを見ながら、すずかは思う。

友達、ちゃんと選ばなくちゃ駄目だ――――と



翌日。
虎太郎の部屋の部屋には、
「第一回、アリサ・バニングスの必殺技を考えよう会議ぃぃいいいいいいいいいいいッ!!」
テンションの高いアリサと。
「わ~、パチパチ」
拍手するなのは。
「…………夏休みの初日から何をやってるんだか」
新聞を読みながらやれやれと首を振る九鬼。
「あれ、すずかは?」
「なんか急用が出来たから来れないって……残念がってたよ」
「そう、残念ね」
九鬼は二人に聞こえない様に小さく、
「どう考えても逃げたんだろうな」
と呟いたが、当然二人には届かない。
「それじゃ、さっそく始めましょうか」
「三人もいればきっと良い必殺技が出来るよ」
「―――――ん、俺も数に入ってるのか?」
「九鬼さん、今日は休みだから暇だって言ってたじゃないですか。だったら私達に協力してくださいよ」
「そうよ。こんな平日の昼間から仕事もしてない無職なんだから、少しは私の役に立ちなさい」
別に無職なわけではなく、有給を消化しろという会社からの命令だから、仕方なく休みを取っただけなのだが、どうしてこんな理不尽な事を、しかも子供に言われなければいけないのか疑問だ。
「そういえば虎太郎は?」
「学校でプールの監視だって」
「ふ~ん。まぁ、いいわ。邪魔者はいなくて結構よ」
「…………」
仕事してれば良かったと、九鬼は後悔した。
そんな九鬼を無視して会議は始まった。
「それじゃ、まず――――どういう必殺技にするかを決めるわ」
「やっぱり飛び道具系かな?王道だし」
「確かに王道だけど、あんなの出せないわよ。そもそも、私の人妖能力ってそういう技が出来そうな能力じゃないしね」
ここで説明しよう。
この馬鹿―――ではなく、アリサ・バニングスの能力は、月の満ち欠けによって身体能力が変化するという能力なのだ。満月の時は百メートルを二秒で走り、車を殴り飛ばし、ダンプに轢かれても死なない。反対に新月の日だとそこら辺にいる子供とまったくかわらないという何とも面倒な能力なのだ。
「となる、よ。やっぱり打撃技とか投げ技、関節技といったところかしら」
「突撃系も捨てがたいよね」
「突撃系もいいけど、あれって私みたいな身体強化の能力じゃちょっと地味よね。炎を出しながら突撃とか、氷に乗って突撃とか出来ないし……しかも突撃系って防御されたらすぐに投げられるちゃうからなぁ」
「ベ○のサイコクラッシャーみたいにガードしてもダメージを与えて、そのまま相手の後ろに行く感じなのは少ないよね」
「そうなると関節技も駄目ね。地味だし」
「西○四朗みたいに座って、脱出不可能な投げ技ってのもあるけど?」
「修羅の技で脱出されるから駄目よ」
「そっか――――あ、そうだ。修羅の技といえば、アレがあったよ!!打撃技だけど防護不能のトンデモ技」
「打撃技で防御不能…………あぁ、アレね!!」
干した布団に拳を当てて、撃ち抜く練習をすると撃った瞬間に振動波を出せる技である。
「それだけじゃないよ、アリサちゃん。あの漫画だと脚を交差させて真空波を出す技もあるよ。それをパクっちゃえば」
「それは駄目」
突然の拒絶。
「え、なんで?」
「パクっちゃ駄目でしょ、パクっちゃ。いい、必殺技は似た様なのはあるけど、私が欲しいのは私だけの必殺技よ。一子相伝とかならいいけど、他人からパクるのは私のプライドが許さないわ」
「そっか……残念だなぁ」
はぁ、と同時に溜息を吐くなのはとアリサ。
それを見ていた九鬼は何とも言えない顔をする。
どうして自分はこんな馬鹿な会議の一員にされてるのか、疑問でしょうがない。
「ねぇ、九鬼さん。何か良い案ある?」
しかも振られる。
「知らん」
「知らんとか禁止よ。この会議のルールは必ず一人は一つの意見を出すっていう決まりよ」
「そもそも、参加するとも言ってないだろうが」
「そんな事を言わないでさ、九鬼さんも何か案を出してよ」
「…………はぁ。まったく……いいか、なのは。そもそもの話。必殺技とはそういう風にして編み出す物ではなく、辛い修行やアイディアで生まれる物だ。話し合いで生まれるわけないだろう?」
「それは確かにそうだけど……」
「それ以外の何物でもないさ。わかったら、話し合いをする前にまずは自身を鍛える努力をするべきだ」
もっともな意見だ。
だが、残念な事に必要とされているのはもっともな意見ではなく、アリサを満足させる意見だ。
「なのは。そんな必殺技を持ってる奴の意見なんて期待しても無駄よ」
「だったら数に入れるな」
「シャラップ!!役に立たないオッサンはもういいわ。そんなオッサン無視して話を進めるわよ」
九鬼は心の中で虎太郎を誉めた。
こんな生意気なガキを前にしても手を出さないなんて教師という職業に就く者の忍耐力は凄まじいのだな、と。
無論、それは勘違いの何物でもない。
「でもアリサちゃん。私達だけでアイディアを出すよりも、九鬼さんみたいに必殺技を持ってる人の意見も必要だろ思うよ?」
「…………」
必殺技という単語に燃える歳でも無い九鬼にしてみれば、自分の九鬼流の技が必殺技と呼ばれる事に不満があるが、口には出さない。
「いいのよ。使えない奴は……」
そして、この言い草だ。
「―――――ちょっと出てくる」
逃げる様に九鬼は外出する。
「まったく、付き合ってられん」
とりあえず、アリサが帰るまで、もしくは飽きるまで何処かで暇を潰す事にしようと決めた九鬼は、蝉の声を聞きながら繁華街に向かって歩き出す。



一時間後。
「行き詰ったわね」
「行き詰ったね」
一向に良いアイディアが出ない。
古今東西のゲームや漫画からアイディアを出そうとしたが、どれも現実的ではない――というより、基本的にパクリになってしまうのが駄目だ。
「でも、アリサちゃん。よくよく考えてみればなんだけど、必殺技ってどれも似たり寄ったりなのばっかりじゃないかな?」
「それは、そうだけど……」
オリジナリティ溢れる必殺技を考える事は、予想以上に難関だった。改めて考えてみれば、どの作品の必殺技も基本的には似た様なのが多い。違うのは精々名前だけ―――と、ここでアリサは気づいた。
「名前……そうよ、名前よ!!」
「名前?」
天命を得た、みたいな顔でアリサは立ち上がる。
「確かに似た様な必殺技は多いわ。でも、それぞれが個性を出しているのは必殺技の系統ではなく、必殺技の名前!!パワーウェイブと烈風拳、パワーゲイザーとレイジングストーム……それぞれが似た技だけど名前だけで違うモノになってるじゃない!!」
「ほ、本当だ!!凄いよ、アリサちゃん!!その通りだよ!!」
仮にこの場に誰かがいたのなら、そんなの最初から気づけよとツッコンでいただろう。だが、残念な事にそれを指摘する、ツッコミを担う者はいない。
ツッコミがいないというのは実は酷な話だ。
「私のパンチだって、パンチって言葉を使えば唯のパンチ。でも、それに技名をつければ一気に必殺技に様変わり――――つまり、必要なのは名前。カッコいい技名なのよ!!」
「光が見えたね、アリサちゃん」
「えぇ、この時間は無駄ではなかったという事よ」
無駄だろ、どう考えても―――と、言う者が居ない事が嘆かわしい。
「そうとわかれば、名前を考えるわよ」
「うん、そうだね」
「名前はやっぱり派手な方がいいわね。特に表記は漢字よ漢字。漢字の技の方がカッコいい気がする」
「そうかな?私としてはカタカタ表記がいいと思うけど……」
甘いな、とアリサは笑う。
「カタカナ表記も確かに良いわ。でもね、カタカナ表記にはとんでもない問題があるのよ」
「とんでもない問題?」
唾を飲むなのは。
アリサはワザとらしく間を貯めて、



「カタカナ表記は―――――誤字になる可能性が高いッ!!



「な、なんだってぇぇぇぇええええええええええええええ――――!!」
行間の無駄使いだった。
「文字で変換する際に、カタカナ表記は普通は変換キーで変換できないわ。例えばここでソニックブームをカタカナに変換するとして、実際やってみると、」

そにっくぶーむ

変換

ソニックブーム

「あ、普通に変換された」
「駄目じゃん!?」
まさかの普通に変換されてしまった。
「ま、待ちなさい。今度は、今度はカイザーウェイブよ!!」

かいざーうぇいぶ

変換

カイザーウェイブ

「………また、普通に変換されたね」
「どうして―――――ハッ!?」
アリサは気づいた。
「そうか、さっきまで私はずっと未だした技を普通に文章に使ってたから、ソフトがそれを学習してしまったのよ!!」
「そうか、その可能性が大だね!!まさかの作者もびっくりだよ」
「えぇ、びっくりしてるでしょうね。ここで普通に技名のカタカタ変換に失敗する例を出そうとして、普通に変換されてしまった――――この展開は誰にも予想できないわ」
「ネタじゃなくてマジなのが笑えないね」
まったくだ。
「あれ?でもソニックブームは初めて入れたのに、普通に変換されたよね……なんで?」
「大方、どっかの魔法少女物を書いてて、魔法名にソニックブームなんてのがあって、それで変換し慣れてるんでしょう」
「な、なるほど……でも、何故かその魔法名にデジャブを覚えるのはどうしてかな?」
「そんなの知らないわよ。どっかでそんな作品でも見たんじゃないの」
「う~ん、そうなのかな……」
気のせいである。
「ともかく、例題には失敗したけど、これは確かにある事よ。カタカナ表記は間違えやすいのよ」
「大発見だね、アリサちゃん」
「えぇ、大発見よ。論文で発表したいわ。そういうわけで、漢字よ、漢字。日本人たるもの、やっぱり漢字でなくちゃ燃えないわ」
見た目は外人、中味はオタク、それがアリサ・バニングス。
「というわけで、カッコいい漢字を選ぶわよ」
「そうだね……なら、アリサちゃんって犬っていうか狼っぽいから―――」

餓狼拳

「とか、どうかな?」
「おぉ、いいわね。最初の方の伏字がまるで無意味になっちゃった気がするけど、良い感じ――――いや、良い漢字よ。流石ね、なのは」
こうして、ツッコミ不在の会議は続く。
「パンチだけじゃなくて、キックも必要だから――――」

狼蹴撃

「とかもいいわね。なんか聞いた事があるような気がするけど」
「ただのキックとは思わないよね―――あ、そうだ。こんなのはどうかな?」

雷狼

「雷みたいに凄い速さで蹴るとか、もしくは雷みたいな威力の蹴りとか。実際に雷は出ないのが残念だけど」
「構わないわ。こういうのは言ったもん勝ちだからね」
テンションが上がり続ける二人は止まらない。
「そうだ!!いっそのこと、技名をもっと長くしたらどうかな?」
「技名を長く……そうね、それもいいかも。それなら技の応用、もしくは技の進化系として作れるわ」

餓狼滅牙弾

「狼と牙、二つを合わせてみたわ。しかも弾という事で弾丸みたいな速度、という意味も含まれてる」
「カッコいいよ、アリサちゃん!!」
「うんうん、そう思うわ。ほら、なのはもどんどん案を上げて」
「わかった。それじゃ―――」

神狼撃牙

「神キタァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「神っていう漢字を付けるだけで、なんかすごそうだよね?ね?」
「なのは……アンタ天才だわ、最高よ」
「ふふふ、まだまだ止まらないよ、アリサちゃん!!今度はもっと長いのでいくよ!!」

天狼疾風烈牙
滅牙狼王蹴撃殺

「天きた天!!滅までもきた!!」
「やっぱり天と滅は外せないよね!!」
「必殺技っぽいわ……これよ、これこそ私が探していた、私が求めていた必殺技というものなのよッ!!
だが、如何に技名が派手だろうと、結局はただのパンチとキックである。
「――――あ、そうだッ!!アリサちゃん、漢字の羅列もいいけど、ひらがなも入れても良いんじゃないかな?」
「ひらがな?」
「そう、こんな感じッ!!」

断罪の牙

「そ、そうか……~の、とか付けると更に無限の可能性がッ!!」
もう一度言うが、パンチとキックである。
「だ、だったさ、こんなのどう?」

秘儀・悪滅の牙

「…………いい、いいよアリサちゃん。・とか付ければ奥義とか必殺とかも出来るし、悪滅っていうとヒーローっぽさが出てるねッ!!」
「出てきた出てきた、私の頭の中に色々な必殺技の名前がでてきたわ」
「私もだよ……あぁ、自分の才能が怖いの」
文字の羅列に酔いしれる九歳は、傍から見ればジャンキーにしか見えない。
「――――――――あ、」
「――――――――あ、」
そして、等々二人はある結論に至ってしまった。
ある意味、それはもっとも美しく、もっともカッコいい技名だった――-ただし、本人達からすれば、である。
「アリサちゃん。私……気づいちゃった」
「私もよ、なのは……」
歴史的発見をした偉人の様な顔をして、二人は顔を見合わせる。
「私達、間違ってた……確かに漢字はカッコいいし、カタカタみたいに誤字もない」
「だけど、カタカタにはカタカナの良さが在る……」
「漢字はカッコいいけど!!」
「カタカナもカッコいいわ!!」
そして、二人は結論に至った。
「【電磁抜刀】と書いて【レールガン】と読む」
「【約束された勝利の剣】と書いて【エクスカリバー】と読む」
「【一喰い】と書いて【イーティングワン】と読む」
「【十字天雷】と書いて【ヴァニッシュクロス】と読む」



漢字の読み方にカタカナを使用するという結論に。



まぁ、だからどうしたという話なのだが。





一方その頃。
学校のプールは夏休みという事で生徒達に解放され、沢山の生徒達がプールの中で遊んでいた。
「なんだ、月村。お前、泳げないのか?」
「はい……出来れば、みんなで海に行くまでに泳げるようになりたいなって」
プールの監視担当になった虎太郎。
学校指定の水着を着たすずか。
「わかった。なら、俺が教えてやる」
「ありがとうございます」
虎太郎はすずかの手を取り、すずかはバタ足の練習を開始する。
「は、放しちゃ駄目ですからね……」
「わかってるって。ほら、人間の身体はこんな風に浮くから、怖くないだろ?」
元々運動神経が桁外れなすずか。これを十分続けただけですぐにバタ足をマスターした。
「ところで月村。お前、今日はなのは―――高町とバニングスと一緒に遊ぶんじゃなかったのか?」
「その予定だったんですけど……なんか、嫌な予感がしたんで」
「嫌な予感?」
すずかは空を見上げながら、
「遠くに、行っちゃいそうな気がして……」
「遠くに?」



大好きな友達二人が遠くに行ってしまう―――そんな予感がしたからだ。








時間はそこから二時間ほど進み、場所は昨日と同じ月村家。
「あの、忍様」
「ん?どうしたの、ノエル?」
優雅に午後のティータイムを堪能していた忍に、ノエルは非常に言い難そうに、
「実は、アリサ様が……」
「アリサちゃんがどうかした?」
「はい。なんでも前回のリベンジをするから、防犯システムと戦わせろと言ってきてますが」
「…………ふ~ん、良いんじゃないの?」
「良いのでしょうか?以前、アリサ様はそれで結構な傷を負ってますが」
「自業自得でしょう?叔父様にもその事を言ったら、別に問題ないから使いたい時に使かわせてくれってお願いされてるしね」
そう言って忍は紅茶を口に含む。
「ま、お手並み拝見ってところかしら」
防犯システムという名の防衛システムが始動する音を聞いた。

月村家の玄関を飛び越え、アリサは不敵な笑みを浮かべる。
「ふふふ、今日の私は前回の私とは違うわ」
「頑張ってね、アリサちゃん!!」
なのはは柵の向こうから応援している。
「任せなさい!!アンタと私で生み出した最高の必殺技で、華麗にカッコよく勝って見せるわ」
コンディションは前回と同じ状態。
満月に比べれば身体能力は格段に堕ちているが、不安要素にはならない。
「行くわよッ!!」
アリサは疾走する。
目指すは月村家の玄関。
そこまで行けばアリサの勝ちなのだが、その前に発動する無数の防衛システム。その全てを打倒してこそ、真の勝利となるのだ。
アリサの前に無数の銃口を持ったガトリングガン(ゴム弾)四つの脚を持った鉄の巨人(機体名:サイクロプス)が立ちはだかる。
ガトリングガンから射出される弾丸を避け、巨人の前に立つ。前回はこの巨人に敗北したが、今回は違う。
何故なら、アリサには必殺技があるのだ。
アリサは拳を握り、



「奥義……【究極・天狼牙神滅殺撃‐アルティメット・ウルフファングブレイカー‐】!!」



必殺技を炸裂させた。
「―――――――」
「―――――――」
巨人の身体に微かな凹みを作らせ、アリサはゆっくりと顔を上げる。
効いてない。
まったく効いて無かった。
「――――――――あれ?」
ガガガガガガガとゴム弾を全て身体に喰らう。
バキバキゴキと巨人にしこたま殴られる。
チュドーンと何か爆発した。
ヒューと飛んで行くアリサ。
それを見つめるなのは。
「……………まぁ、ただのパンチだしなぁ」
正直、最初からわかっていた。
どれだけ漢字の羅列を多くしたり、読み方をカタカナにしようとも、結局はただのパンチである。それには気づいてはいたが、テンションがマックスになっていたアリサに言いだせず、月村家の防犯システムに挑むという無謀を止められなかった。
天高く飛ばされたアリサがグシャリと音を立てて地面に堕ちた。
「…………」
「…………」
なのははアリサに近寄り、問いかける。
「ねぇ、アリサちゃん」
「…………なによ?」
「必殺技…………まだ欲しい?」
「…………もう、いい……必殺技……いらない……」
「だよね~」



こうして、夏休みの初日は終わるのだった。





次回『川赤子な教師』






あとがき
ども、得意なコマンド入力はレイジングストーム。苦手なコマンドはデッドリーウェーブです。
というわけでノリだけで書いたらこうなった、後悔はしてる。
ギャグだけの話とか書いてみたかったんですけど、駄目ですね。
ちなみに、この三人娘の役割分担として、
アリサ:ボケ八割、ツッコミ二割
すずか:ボケ二割、ツッコミ八割
なのは:ボケ五割、ツッコミ五割
こんな感じです。
アリサは基本的にボケです。すずかはツッコミです。なのはは腹黒です。
なんかキャラが崩壊してますけど、気にしちゃだめですよ?
僕の中の最高の格闘ゲームはDOA2です。
やりこみましたけど、周りに誰もやる人がいなかったので、一人で永遠とサバイバル。
そして、DOA2のせいで2D格闘ゲームでガードが出来なくなった病気を八年間も患ってます。
今はブレイブルーが好きです。
そんな感じで、教育実習生編で会いましょう!!



[25741] 【人造編・第一話】『川赤子な教師』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/05/27 17:16
人妖隔離都市・海鳴。
人と人妖と妖が住まう隔離された街。
そこでは常に様々な事件が起きている。小さければ、大きくもあるある事件の数々。その多くが人妖と呼ばれた隔離された人々が起こした事件である。しかし、その事件は決して負の連鎖を生む様な悲しい事件ばかりではない。中にはテレビで観る様な少しだけ心が温まる事件も起こるのも必然だろう―――しかし、それでも無意味な事件は何時だって起こるのだ。
時に騒がしく、時におかしく、時に幸福な事件。

季節は夏。

とある少女達が夏休みに突入していた頃、とある場所でも夏休みになった―――なったのだが、その場所には学生服を着た少年少女達が並べられた席についている。
夏休みだというのに、だ。
その場所を私立海淵学園と言う。
海鳴市にある高等学校の内の一つであり、特別学力が高い、就職と進学率が高い、全国で活躍するする部活動がある―――なんて事は一つもない。
むしろその逆で学力は低い。就職率も進学率も低い。風紀は乱れに乱れ、学校という場所に相応しい程に壊れきっている学校だった。
だが、それはあくまで二年前までの話。
現在は学力は普通。進学率は相変わらず低いが就職率は普通になり、風紀の乱れもそこそこに安定している。つまり、海淵学園は普通の高校になろうとしている。
「で、ですから、この式にこれとこれを代入して」
生徒達は揃いの学生服、セーラー服に袖を通し、同じ様な机で同じ様な教科書を開いている―――いや、開いているだけだった。
誰もがやってられるかという顔をしており、唸るような暑さに完全にノックアウトされている。それでも誰も言葉を発せず、この拷問の様な時間がさっさと終わる事を望んでいる。
そんな生徒達の気持を理解しながらも、教壇の子供は―――いや、違う。子供みたいに背が低い少女は頑張って教鞭を振るっている。
少女、というには既に二十を過ぎている彼女の名前は新井美羽という。
一ヶ月前。とある魔女が引き起こした馬鹿騒ぎから一ヶ月後、梅雨の季節に彼女は海淵学園に教育実習生として派遣された大学生である。
神沢市の大学から特例でやってきた教師の卵は夏休み真っ最中の生徒達を相手に夏期講習という名目の補習の講師をやっていた。
教室の隅で黒板の上の方に数式を書こうとして「ん~」と背を伸ばしている姿が微笑ましい。
美羽はその姿のせいか、教育実習初日から人気がある。やはり、全校生徒の前での挨拶で転ぶ、マイクに頭をぶつける、噛む、アタフタする、それでも顔を真っ赤にしながら頑張って自己紹介を済ませた彼女を、全校生徒はまるで子供が頑張っている姿を見ているような感動を味わった―――無論、美羽はそんな生徒達よりも年上なのは事実。
舐められていると言えば言葉は悪いが、実際は似た様な物なのは変わらない。しかし、生徒達は生徒達でそれなりに彼女を教師と認めているのだろう。
認めているからこそ、
「やってられるかぁぁああああああああああああああッ!!」
ちゃぶ台返しの要領で机が宙を舞う。
「ふぇっ!?」
生徒の絶叫に美羽は肩をビクッと振るわせる。それは完全に子供であり小動物そのものだった。
「熱い、だるい、面倒くさいッ!!なんでこんな時にこんな場所で勉強せんとならんのだ!?」
叫んだ生徒。
「か、葛城くん……その、今は一応授業中なので……」
「いや、違う。違うぞ新井教諭!!今は夏休みなのだ。夏休みは遊んだり恋したりバイトしたり恋したり恋したり間違いを犯す大切な時期なのだ……それを、どうして俺達はこんな場所で授業なんぞ受けなければならんのだ!?」
「私に言われても……そ、そもそもですね」
美羽は彼女的には大きな声で、周りからすれば消え入りそうな小さな声で反論する。
「皆さんが期末テストで全員赤点とるから、こうして夏期講習をしてるんですよ?」
「夏期講習と言えば聞こえはいいが、実質は補習ではないか。確かに俺達は馬鹿だ。大馬鹿だ。全教科を赤点という不抜けた結果になったのは素直に詫びよう―――だが、しかし!!何故に俺達がこんなクソ熱い日に勉強なんぞせんといかんのだッ!?」
「だから、赤点とるから、だと思いますけど……」
「赤点がそんなに悪いのか!!」
もちろん、悪いのだが、無駄に叫ぶ暑苦しい生徒に思わず声を詰まらせる美羽。そんな彼女に助け舟を出す様に一人の少女が口を挟む。
「ふん、負け犬が吠えるのは勝手だが、俺達という言葉を使わないでほしいね」
声は前方。
教壇に一番近い席に座っている美羽と変わらぬ――美羽よりも背の低い少女が腕を組んで笑っていた。
「全教科赤点は貴様だけで、私はそうじゃないよ?」
やらたと偉そうで傲慢な喋り方をしているが、その声は実に可愛らしい声。言動と声が一致していない何とも奇妙な少女だった。
「―――そういうお前はどうだったんだよ、リィナ?」
少女の名はリィナ・フォン・エアハルトという。
ドイツからの留学生として一年前に海淵学園にやってきた。ちっこいなりをしているが、これでも早生まれということで歳は十七歳―――ただし、見た目は小学生。
「私は――――二教科以外は赤点を回避している」
「つまり、それ以外は赤点という事だな」
「それがどうした?このクラスの最低ランクの貴様に比べれば十分であろうに……悔しかったら私よりも良い点を取ってみろ!!」
わざわざ机の上に登って偉そうに言うが、
「あの……エアハルトさんの場合、赤点を回避しているといっても、実質は赤点に近いんですけど……」
クラスで二番目の馬鹿という意味である。
「――――待て、待て待て待て、待つのだ美羽ちん」
「美羽ちん言わないで、先生を付けてください」
「わかった美羽ちん先生」
「…………はぁ、もういいです。美羽ちんでいいです」
「そうか、ならば美羽ちん。私は確かに赤点に近いかもしれが、結局は赤点ではない。つまり私は馬鹿ではない」
「とりあえず机の上から降りませんか?」
「人の話を聞け、美羽ちん」
「エアハルトさんに言われたくないです」
このクラスの成績は実を言えば芳しくない。ぶっちゃけマジやべぇだった。学年最下位は当たり前で、問題児が多い学園の中でも更に問題児が多いのがこのクラス、二年C組。
「とりあえず、机から降りてください。そして授業を受けてください」
「ふむ、良いでしょう。私とて無駄な争いは好まんさ」
リィナはこの学園の風紀委員。その証拠に、制服の腕には風紀委員と書かれた椀所がぶら下がっている。
「なにせ、私は風紀委員だからな」
ちなみに、何故彼女が風紀委員をしていのかと言えば、
「このかっちょええ文字の様に、かっちょええ私は真面目な生徒なのさ」
外人特有の「漢字ってカッコよくね?」的な考えからである。もちろん、これは偏見だろう。しかし、この偏見に見事に当てはまるのが彼女。風紀委員を務めて置きながら未だにどういう事をするのかわかっていないリィナであった。
席につくリィナと、納得いかない顔で座る生徒。
「そ、それでは、授業を再開……」
これで安心して授業を再開できる―――と思ったのが間違いだった。
視線を感じ、美羽は足下に視線を向ける。
目があった。
目があったから目が合った。
ギョロリと鋭い眼光の目玉が床にあり、まっすぐに美羽を、美羽の履いているスカートの中を凝視していた。
「……………」
脚を上げ、
「てい……」
目玉を踏みつけた。
「あんぎょらぁぁああぁぁあああああああああッ!?」
その瞬間、教室に絶叫が響き渡る。
「目が、目が、目がぁぁぁああああああああああああッ!!」
顔を抑えながら門絶するのは眼鏡をかけた優等生っぽい風貌をした少年―――覗き魔。
「酷い、酷いですよ美羽ちゃん!?なにもいきなり僕の眼を踏みつけるような事をしなくてもいいじゃないですか!?」
美羽はスカートを押さえながら、覗き魔を睨む。
「佐々木くん、エッチなのは駄目だって何回言えばいいのかな?」
「何回言っても僕は辞めませんぜ?なにせ、僕はこの世の全てを見通す目を持つ者ですから」
「言ってる事はカッコいいと思いますけど、やってる事はただの覗きですから」
「全知全能の眼を持ちながら、全世界の半分を敵に回し、全世界の半分からは称賛される男―――それが僕だ!!」
彼の人妖能力は自分の視界はいたるところに移す事が出来る。そんな能力があれば使う事はたった一つしかないと言わんばかりに、覗きを繰り返す問題児。というよりも犯罪者である。
「犯罪者じゃないよ、僕は。いいか、美羽ちゃん。僕が見るのは可愛い女の子じゃない。綺麗な女性でもない。エロスを感じる人でもない。僕が見るのは――――見た目と年齢が合致していない、アンバランスな人のパンツだけだ!!」
「完全にアウトですよね、それ……」
こんな特殊な性癖のせいか、彼の魔の手、もしくは魔眼に狙われるのは美羽ともう一人。
「おい、この下朗」
何時の間にか再び机の上に立つリィナはまっすぐに覗き魔を見据える。
「貴様、何度私にボコられれば気が済むんだ?なんなら、その眼球を抉り取って焼却炉に捨ててきてやろうか?」
「リィナちゃんにボコられるのは楽しみだけど、目を奪われるのがちょっと困るかな……ならば、勝負だ」
「どういう流れでそうなったの?」
「いいだろう」
「そして、なんで受けるの?」
良くわからないやり取りで何故かバトルモードに入った二人。
「僕の眼にはどんなものですら映り込む……君の動きは完全に見切ったし、君の履いているパンツの色も見切った」
「パンツ如きで欲情するとは、所詮は童貞――――甘の甘甘ッ!!」
「エアハルトさん、一応女の子なので、そういう発言は……」
無論、そんな台詞は彼にスルーされる。
「行くぞ、下朗」
「来い、しましまパンツ」
激突する両者。
慣れているが故に簡単に批難する生徒一同。
そして慣れてないが故に巻き込まれた美羽。

これが教育実習生、新井美羽の日常の一コマである










【人造編・第一話】『川赤子な教師』












某大型ハンバーガーチェーン―――のパチもんな店の店内にて、美羽はグダ~とだれていた。
「あら、随分と疲れてるみたいね」
「はぅ、凄く疲れました」
向かいって座っているのは彼女の高校時代の先輩であるアントニーナ・アントーノヴナ・ニキーチナ、皆はトーニャと呼んでいる。
「お疲れ様」
そう言ってトーニャはオレンジジュースを差し出す。美羽は手ではなく顔を持っていき、ストローで音を立てながらジュースを飲む。
「ず、随分と疲れてるのね、美羽」
「疲れてます……」
あの後、結局まともな授業など続けられるはずもなく、気づけば誰も教室から居なくなっていた。
「明日こそ……明日こそは」
と、意気込んでみたはいいが、明日も同じ事になる気がしてならない。というより、明日は何人が出席するかわからないのが現実だ。
「大変そうね」
「わかってくれます?」
「まぁ、ね……でも、アナタが選んだ道でしょう?なら、死んで頑張りなさい」
「死んだら駄目だと、思いますけど……ところで、トーニャ先輩」
ポテトを豪快に一気食いしているトーニャに美羽は尋ねる。
「何時までこちらに居られるんですか?」
「むぐむぐ……ん、そうね。特に決めては無いけど……長ければ一か月。短ければ一週間と言った所かしら」
此処から遠く離れた場所に、彼女達の住まう神沢市がある。そこからこの海鳴に、外に出るのはかなり厳しい審査があり、それを突破しても枷の様に様々な規則が存在する。例えば、旅行として外に出る事に成功した者がいるとして、その者は旅行のプランを街に提出し、その通りに行動しなければならない。
他には滞在地についた際には旅館、ホテルに向かう前にその場所の警察署に寄り、滞在日数を告げ、許可を得るという事も必要となる。それに加え、時には警察が旅行の際に同行するという事すらある。
そんな様々な決まり事があるというのに、トーニャにはそんな素振りはない。彼女は自由気ままにこの街を、神沢市の外を出歩いている。どのような裏技を使っているのか、それともあの【子供みたいな偉い妖怪】の手を借りているのかはわからない。
わかる事は一つ。
彼女は数年前から神沢市を何も言わずに出て行く事が多くなった。
何をしているのかは聞いても答えてはくれなかった。だが、何があっても必ず神沢市に帰ってくるトーニャを信用しているのも事実。
「刀子先輩なら、何か知ってるのかな?」
「ん、何か言った?」
「いいえ、何でもないです……一週間か一か月、ですか……なんだかあっという間ですね」
「そうかもしれないわね。こうしてアナタと会う機会もあまりないかもしれない」
学生の頃なら、今も学生と言えば学生なのだが、今の美羽は一応は教師なのだ。夏休みなどあって無い様なもので、今日だって補習という事で学校に出向いていた。
「でもまぁ、会える機会があるなら会っていた方がいいでしょうね―――ところで、美羽は先生とは会ってるの?」
先生、といえば一人しかいない。
「はい、加藤先生とはこの街に来た日に一度だけ。その後はあまり会う機会がないので……」
「私も一度会っただけね……ふふ、でもあの人がまさか小学校の先生をしてるなんて想いもしなかったわ」
それは同感だった。
高校の教師としての彼が自分達よりも幼い子供達の先生になっている姿は想像しようとしても想像できない。
「似合わないけど、違和感は無い感じがします」
「教師、先生という点から見ればそうね……私達にとっては、先生と言えるのはあの人だけだから」
「そう、ですね……」
子供の頃から神沢市にいたわけではないが、それでも記憶に残っている教師と言われれば、加藤虎太郎という教師以外にはいない。
それほどの教師かと言われれば、ちょっと首を傾げたくなるが、思い出に嫌でも残る人であった事は確かだろう。
「どう?会いに行ってみる?」
トーニャがそう言うと、美羽は首を横に振る。
「今は……まだ」
「…………そう、アナタがそう言うのなら、それでいいのかもね」
会ったら泣き事を言ってしまいそうだった。こうしてトーニャに泣き事を言うのと、彼に泣き事を言うのは違う気がする。別に他人と割り切っているわけではない。彼には、虎太郎にはこの道を選ぼうとした時に沢山泣き事を言ってしまった。
だから、今だけは自分の力で、自分自身の力だけで、どうにかしなければならない。
無理の無い範囲で、それでも力は抜かずに一生懸命になって、だ。
「それよりも、この後は暇?」
「はい、暇ですけど……」
「だったら、積もる話もあるだろうし……一杯ひっかけにいく?」
オヤジ臭い、とは言わない。
以下に手でコップをグイッとする動作がそれらしいとは言え、オヤジ臭いとは言えない。
「――――美羽、オヤジ臭いとは想ってないでしょうね?」
「ま、まさか……」
相変わらず鋭い。
「お、お付き合いさせていただきます……」
たまには良いだろう。
良く知った仲で語り合う、今と昔。
「なら、行きましょう。奢っちゃうわよ?」
「……ゴチになります」



私立海淵学園には当然の如く校則というモノが存在している。
他の高校と同様な部分も多く、それは当然だろう。その中の一つにこういう記述がある。難しい言葉ではなく、簡単な言葉で一つ。
バイト禁止、という一文。
別に働く事は悪い事ではないし、社会勉強にもなる。そして、これがあくまで建前であり、この校則を知っている者など殆ど居ないのも事実。
バイト禁止であろうとなかろうと、高校生にもなれば色々と金は必要であり、親からの小遣いだけで凌ぐにはキツイお年頃だろう。
故に夏休みといえば、遊ぶ以外にも小遣いの稼ぎ時という半面も見えるわけだ。
だが、しかし、
「……………」
それでも一応は学生である。
学生らしいバイトというものはどういうものかはわからないが、それでも世間一般的な学生らしいものと、そうでないものがあるのは事実だ。
「……………」
とりあえず、美羽の目の前にある光景はとてもじゃないが学生らしいバイトではないだろう。
「あら、どうしたの美羽?」
トーニャと美羽が入った店は居酒屋ではなく路地裏にひっそりとある古びたバーだった。外からの外見からかなり渋い感じがした。美羽はこの店の事は知らなかったが、トーニャが何故かこの店にしようと言ったので賛同した、のだが、
重苦しい扉を開け、絶句した。
「おかえりなさいませ、ご主人様ッ!!」
出迎えたのはメイドだった。
メイド服を着たメイドだった。
何故か頭に犬耳をつけたメイド、犬メイド(ちょっと卑猥な表現)だった。
そして何より、
「――――――ゲッ!?」
という声をあげた犬メイド。
「あの……何してるんですか、エアハルトさん?」
美羽の目の前にいたのは、犬耳をつけてメイド服を着た海淵学園風紀委員、リィナ・フォン・エアハルト、その人であった。
ギギギ、と錆びた扉みたいな音を立てながら、リィナは美羽から視線を反らし、トーニャを見る。
「な、なん、で……」
呆然と尋ねるリィナにトーニャはニヤリという擬音が付きそうな嫌な笑顔を作る。
「どうしたのかしら?私はただ、知り合いの後輩と一緒に店に見たお客よ」
「いや、そうじゃなくて……」
「ほらほら、さっさと席に案内しなさい」
「そうでも、なくて……」
何となく想像できた。
恐らく、リィナとトーニャは顔見知りだ。そして、リィナはこの仕事の事を誰にも知らせずにいた。そして客であるトーニャにどういう経緯かはわからないが自分の事を話したのだろう。
そして、その結果がこれだ。
「なんで、美羽ちんとトーニャさんが?」
「あら、知り合いだったの?へぇ、知らなかったなぁ~」
わざとらしさ大爆発。
「えっと、エアハルトさん……これは、その……」
どう言ったらいいかわからない。
此処はとりあえず学生らしいバイトじゃないからメッです、とか言った方がいいのか。それともその格好似合ってるのね、と言うべきなのか。
いや、違う。
今、この時、この場所で言うべき言葉は唯一つ。
「ご、ご愁傷様です」
だろう。
このトーニャという色モノに目を付けられ、その後輩である自分、そしてその生徒である彼女が運良く―――いや、運悪く交わった結果として、この言葉が相応しいだろう。


「―――――この事、誰にも言わないでくださいね……」
魂が抜けきった顔で哀願するという何とも巧妙なテクを駆使して、リィナは言う。
「え、えっとですね……」
「お願いします。バレたら、バレたら……死ぬ、死んじゃいますから!!」
土下座しそうな勢いで言われて、嫌だとは言えない美羽。とりあえず、わかったと無言で頷き、席に着く。
隣に黒い尻尾を生やした悪魔を座らせながら。
「偶然って怖いわねぇ。こういう偶然が普通にあるなんて―――トーニャびっくり」
「どう考えても確信犯ですよねッ!?」
「おほほほ、何を言ってるのやら。それよりも早く注文取りなさい。とりあずウォッカで。美羽はどうする?」
メニューを見る。
生ビールはわかるが、それ以外はどういう酒かわからない名称が多い。多分カクテルだと思うが、あまり度数の強い酒は飲めない。
「お勧めはウォッカね」
「それはトーニャ先輩だけです」
「それじゃ、ウォッカのウォッカ割とかもお勧めね」
「だから、私飲めませんよ」
悩む美羽にリィナが助け舟を出す。
「とりあえず、度数の強くない、甘いカクテルが良いのならコレと、コレ」
お通しのナッツを差し出しながら、メニューのカクテルを指さす。
「それじゃ、コレで」
「はい、了解です」
そう言って立ち去ろうとするリィナ―――の、肩をガシリと掴むトーニャ。顔には先程から変わらぬ悪魔の顔。
「な、なんでそしょうか?」
「ねぇ、リィナ。どうもさっきから変だなぁって想ってたんだけど……どうして何時もの様にしないのかしら?」
リィナの顔が真っ赤になる。
「な、なななな、何の事で、しょうか」
トーニャは後ろを指さす。そこにはリィナと同じ恰好した犬メイドが、
「かしこまりましたご主人様。それでは、少々お待ちくださいだワンッ」
と、言っていた。
「…………」
リィナは言葉にならない声で言っている。
アレを、アレをやれというのか。
知らない客ならいざ知らず、目の前には自分の学校での姿を知っている教育実習生がいるのだ。その目の前であんな事を口走れと言っているのか、この悪魔は。
「ほら、何時もみたいに―――ワンワンって言いながら、ね?」
心の中で、あぁ、この人は全然変わらないなぁと感想を漏らし、この人から逃げる事はきっとリィナには出来ないだろうと確信して可愛そうになる美羽。
「ほら、ワンワン、ワンワン……さぁ、勇気を振り絞って……」
「う、うぅ……」
顔を真っ赤にして、震えながら口を開くリィナ。だが、口は想っていた以上に固く、中々言葉を出す事が出来ない。
「ううううう……」
さて、ここまでだろう。
美羽は小さく溜息を吐き、
「トーニャ先輩。あまり私の生徒を苛めないでください」
「そう、ならもういいわ」
あっさりと引き下がるトーニャ。
「え、あ、あの……」
「エアハルトさん、ごめんなさい。この人、悪い人じゃないんです……ただ、ちょっと性格がねじ曲がってるだけなんで」
「美羽、全然フォローになってないわ」
「フォローする気もないですから」
「っく、しばらく見ない間に後輩が強くなった嬉しいやら悲しいやら……というよりもムカつく?」
「トーニャ先輩は全然成長していないですね―――――胸とか」
「お~し、外でろ外。ちょっと先輩後輩関係をそのちっこい身体に叩きこんでやるわッ!!」
そんなトーニャを無視して、美羽とリィナは会話を進める。
「……言わない?」
「うん、言わないよ。エアハルトさんが嫌なら言わない。約束するよ」
「…………」
「それにさ、その格好。凄く可愛いよ。何時ものエアハルトさんはカッコいいけど、今のエアハルトさんは可愛いよ」
「…………うぅ」
リィナの瞳にブワッと涙が溢れる。
「うぅぅぅ………うわぁぁぁあああああああああああああああんッ」
突然泣きだすリィナに美羽は慌てる。
「え、エアハルトさん?」
リィナは床に手をつき、
「ごめんなさいッ!!今まで、不真面目でごめんなさいッ!!これから、この瞬間から心を入れ替えます。入れ替えて真面目に勉強します。もう赤点とりません喧嘩もしません美羽ちんの事を新井先生って呼びますッ!!」
日本伝統芸能、土下座を繰り出すドイツ人。
「そこまでしなくても……」
「いえ、もう決めました!!私、今日から真面目になります。心の中で新井先生の事を「っは、この胸無しに教師なんて務まるのかよ?」とか想いません!!」
「胸は関係ないと思うよ!?」
まさかの評価にちょっぴり心をズタズタにされた。
それはさておき、
「先生……私、先生と出会えて幸福です」
リィナは美羽に抱きつきながら泣いている。
そんな感動的な光景を目にして、周りからは何故か拍手が巻き起こる。
「―――――ふふ、美羽も立派な教師ね。もう、私が教える事は何も無いわ」
カウンターに肘をついて、ハードボイルドにグラスを傾けるトーニャ。
「いや、トーニャ先輩にそれを言われたら色々と台無しな気がします」
「そんな謙遜しなくても」
「いえ、ですから」
「マスター、この子の―――いえ、この新たな教師の誕生に相応しい酒を」
「人の話を聞きやがれ」
なんかわからんが、感動的になった気がするのは――――絶対に間違いだろう。

閑話休題

時間も進み、アルコールも程良く頭に周り、盛り上がりを見せる。美羽は静かにカクテルを飲み、トーニャは店に置いてある狸の置き物に何やら青年の主張みたいな事を言っていた。
「先生、おかわりは?」
カウンターの向こうでリィナがグラスを拭きながら尋ねる。普段から美羽ちんと呼ばれている為に急に先生と呼ばれるのはなんだかむず痒い感じがしたが、嫌ではない。
「私はもういいよ」
「本当に?なんなら一杯くらいならサービスするよ」
「本当に大丈夫だよ。私、あんまりお酒強くないから」
「そっか……本当なら私も飲みたいんだけど―――駄目ですよね」
「もちろん。先生の前でお酒は駄目」
だよね、と笑う。
「それにしても、どうして此処でアルバイトしての?」
「あ……もしかして、やっぱり拙いかな」
拙いと言えば拙い分類に入るだろう。バイト先を選ぶのは個人の自由だが、学生である限りはそれなりの領分というものがある。この店は雰囲気も良いし、怖い方々が沢山来るという感じでもない。だが、それを知らなければバーで働く学生というものに眉を顰める者だっているはずだろう。
「…………学校にバレなければ良いと思うよ」
美羽は言う。
「エアハルトさんが此処で働きたいのなら、私はそれで良いと思うな。あんまりお勧めは出来ないし、教師―――の卵としても本当ならいけないって言わなくちゃいけないと思うけどね」
「いいの?」
「うん、いいよ。ここで見た事は私の中だけの事にしておくよ。トーニャ先輩だってそう簡単に周りに言いふらす事はしないだろうし、言いふらすとしてもきっと人を選んでるはずだから……あはは、こう言うと私が良い人みたいだって自慢しているみたいだね」
「そんな事ないよ。先生は良い人、良い先生だと思う。学校のみんなだって先生の事を美羽ちゃんとか言ってるけど、ちゃんと先生として見てると思うよ。そうじゃなければ、今日の補習だってあんなに人は集まらなかったはずだしね」
生徒の言葉に思わず目頭が熱くなる。
本当に自分は教師としてやっていけるのか不安だった。生徒達はそれぞれが灰汁が強すぎて個性的な生徒ばかりだった。授業中に騒ぐし、休み時間に色々な騒ぎを起こすし、時々学校の外からの苦情だってくる。
「私達は確かに周りから見れば……駄目な生徒だよ」
「そんな事は……」
「ううん、そんな事はあるよ。私は留学生だから良くわからなかったけど、他のみんなはそうだった。先生は私達の学校の噂、知ってるよね?」
知っている。
【低俗な学校】と呼ばれる海淵学園。
数年前、正確に言えば二年前まではこの辺りではろくでなしが集まる巣窟だった。そんな学校に来る者達は皆が優秀とはかけ離れたろくでなしばかりだった。
それを変えたのは一人の生徒。
別に人の心を動かしたとか、学校を改革したとか、そんな綺麗な事は起きなかった。
「あの人が、あの生徒会長がいたから海淵学園は少しだけ変わった。多分、根っこの部分はちっとも変わってないかもしれないけど、昔よりはずっとましになった」
「…………」
「それでも周りから見れば奇異の目で見られる。だってそうでしょう?私達の学校では【全生徒が人妖能力を自由に使える】。けど、それは他から見れば規則も校則も関係なしのやりたい放題っていう風に見えるよね」
確かにそうだ。
人妖能力。
人妖病になった者が手に入れた異能は小さい大きいを関係なしに異端だ。そんな能力を自由に使ってしまえば問題なんて湯水のように溢れだし、大きな問題となる。
神沢学園だってそうだ。
生徒の身を守る為でもあり、生徒を外から守る為の規則。
それを海淵学園は行使していない。
もちろん、昔はそうだった。
二年前はそういう校則が形だけはあったが、誰も守りはしない。守ろうと心に決める者が誰もいなかったからだ。
「私は一年の時にこっちに来たから知らないけど、昔は本当に酷かったみたい。何度も何度も廃校の危機っていうのに見舞われて、それでも何とか残っていたのはろくでなしな人達を一か所に集める為……まぁ、監獄みたいな感じだったのかな」
生徒の口から語られるものは、全てが真実。
現に美羽とて海淵学園に行く事が決まった時に大学の講師にそう言われたのを覚えている。
だから最初は怖かった。
神沢学園だけしか知らない美羽にとって、最初からそんなうわさが流れている様な場所に行く事は、恐怖の対象以外の何物でもない。
「ねぇ、先生はどうしてこんな所に来ようと思ったの?まさか、熱血教師みたいに学校を変えてやりたい、なんて想ってたとか」
それこそ、まさかだ。
美羽は静かに首を横に振る。
「どうしてかって言われたら、正直今でもわからない。何処でも良かったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない……でもね、わかる事は一つだけ。どんな場所、どんな学校にも色々な人がいる。良い人も、悪い人もいて、そのどちらも持っている人もいる」
能力は関係がない。
人妖であるとか、人間であるとかも関係がない。
「学校ってさ、凄く素敵な場所だから……どんな人でも入った時と出た時では人間性が変わっている。良い方向にも悪い方向にもね」
「先生もそうだったの?」
「うん、そうだよ。私ね、昔はすっごく恥ずかしがり屋でね、人前で巧く話す事が出来なかったの」
ぬいぐるみが自分の口の代わりになっていた。
ぬいぐるみが言葉の代弁をして、ぬいぐるみを盾にして人と接してきた。
「そんな自分が嫌だった。でも、変われるとは思ってもなかった。一生このままかもしれないって思うと怖かったけど、それもしょうがないって諦めてた―――だけど、そんな私でもいつの間にか変わってた」
あのぬいぐるみは、今は実家に置いて来た。
何故か。
簡単だ。
「伝えたい想いは口で伝えたい。伝えたい人には目を見て、真っ直ぐに言葉を向けてあげたい。そうじゃないと伝わらない想いがあるってわかったし、伝わった時には凄くうれしかった……」
「…………そっか、先生も頑張ったんだね」
「まだ頑張ってる最中だよ。今でも授業している時は緊張するし、誰かと話す時は緊張する。でも、全部は自分の中にある言葉を相手に伝える為に、自分の口から直接相手に向けようと思った。そうじゃないと、みんなにも失礼だからね」
美羽はリィナを見る。
「ねぇ、エアハルトさん。これは私の本当の気持ち。嘘偽りない、新井美羽のホントの想いだから……聞いてくれる?」
リィナは頷く。
「私は――――海淵学園に来れてよかったと思ってるよ」
教師として来れて、人間として来れて、後悔なんてない。
「みんなはちょっとやんちゃだけど、心は優しい良い子ばっかりだし、私みたいな教師の卵をちゃんと先生として接してくれる。最初は馬鹿にされてるかもって思ったけど、そうじゃないってわかった」
だから、と美羽はリィナの手を掴む。
「自分でろくでなし、とか言わないでほしいな。たった二ヶ月だけど、私にとっては初めての生徒のみんなが自分をそんな風に思ってるなんて、悲しいから」
教師として生徒に何かを教える事はなかったが、教師として生徒に教えられた事は沢山あった。
無駄な時間は一つもなく、後悔するべき事も一つもない。
そう言った美羽を見て、狸の置き物に説教したフリをしていたトーニャは安堵を息を漏らす。
美羽に教師なんて不安以外の何物でもなかったが、どうやらそれは自分の考え過ぎ、心配し過ぎだったのかもしれない。
変われるから。
どんな状況でどんな境遇であろうと人は変われる。
恥ずかしがり屋の女の子は立派な大人になろうとしている。
「成長した……か」
素直に感心して、少しだけ寂しい。
後輩は何時の間にか大きく成長しているのが誇らしく感じる半面、もう世話を焼く必要がないと知る。
リィナと語り合う美羽を見て、トーニャは手元に置いてあるグラスを一気に飲み干す。
喉がカッとなる熱さを感じながら、
「―――――大きくなったわね」
祝福を紡ぐ。







白い部屋の中だった。
大切な人が泣いている。
どうして泣いているのかわからなかった。今日は大切な日になるはずなのに、きっと誰もが笑って祝福する日だというのに、その場所に笑顔の一つもありはしない。あるのは悲しみだけ。
大切な人が泣いている。
大切な―――母が泣いている。
どうして泣いているのかわからないが、どうしていいのかわからない事のほうが辛い。
元気をだしてと言えばいいのか。
何も言わずに笑いかければいいのか。
それとも自分も一緒に泣いてあげればいいのか。
自分は考えて、何も出来なくて、悲しくて―――気づけば、泣いていた。
母は泣いている。
連れ添った父は何も言わずに母を抱きしめる。
自分は、母に歩み寄り手を握る。
母は涙を流しながら私を抱きしめた。
温かいのに、頬に伝う涙は温かいのに、何もかもが冷たく虚しい。
「………ごめんね」
どうして謝るのだろう。
「ごめんね……ごめんね」
誰も悪くないはずなのに、母は謝る。それが堪らなく悲しくかった。だから自分は精一杯の笑顔を作り、大丈夫だと言った。
誰もが泣いていた。
自分も、母も、父も―――誰もが泣いて、誰もが絶望して、何時しか過去となる一日だった。
幸福な日は訪れず、心に傷を付けるだけの日になった。
「ごめん、ね……」



この日、新しい家族が――――生れなかった



「――――――――うわぁ、最悪」
最悪の目覚めだ。
こんな最悪の目覚めは本当に久しぶりだ。
寝汗がびっしょりな上に頭がガンガンと痛い。これは昨日の晩に友人と飲酒したのが原因だろう。やはり、こんな歳で飲酒は駄目だ。元々あまり美味しいと感じないし、ノリと勢いで飲むものではないと確信した。
「お酒は二十歳になってから、だね」
ベッドからのろのろと起き上がり、シャワーを浴びて朝食を作る。あの夢のせいかとてもじゃないがガッツリな朝食なんて食べてやれない。胃にも自分にも優しく、夏らしく今日は素麵にする。
サッとゆでた素麺を麺つゆにつけて一気に啜りあげる。
食事をしていると足下に飼い猫が寄ってきて、自分にも飯を寄こせとせがんでいる。
「ちょっと待っててね」
朝食を一度止め、台所にあるキャットフードの袋開けて飼い猫用のお椀に盛る。飼い猫は食事を差し出されると一気にかぶりつく。
「こらこら、ちゃんと味わって食べないとお腹壊すよ」
飼い猫の背中を撫でながら言うが、飼い猫はちっともこっちの言う事を聞きはしない。普段は物分りの良い子なのだが、どうして食事をする時はこんなにも唯我独尊なのだろうと疑問に思う。
「まぁ、猫だからね」
と、自分に言い聞かせる。
飼い猫と自分の食事を終わらせ、学校の制服に着替える。
今日は夏期講習――ではなく補習だ。昨日の補習はちょっと用事があって出る事ができなかったが、今日はきちんと出る事にした。友人達も今日は面倒だが出ると言っていたので、それで自分が出ないのはまずいだろう。
鏡に映った自分の姿を確認し、何処にも問題はない。
大きなスポーツ用のドラムバックを持ち部屋を出る。自分の部屋の隣にある母親の部屋を軽くノックして、
「母さん、学校に行ってくるね」
そう言うと、中から
「車に気を付けるのよ」
と、高校生の娘にいう台詞か疑問に思う言葉が帰って来た。少女は苦笑しながらもう一度、行ってきます、と言って階段を下りる。
飼い猫が玄関で少女を出迎える。
「リニス、行ってくるね」
飼い猫、リニスは小さく鳴いて少女の肩にピョンッと飛び乗る。
どうやら飼い主の事情など知った事ではない、それよりも自分と遊べと言っているらしい。
「遊ぶのは帰った後でね?」
リニスを肩から下ろし、少女は玄関を出る。
玄関を出ると庭先に犬小屋があり、そこには珍しい赤毛の犬が眠っていた。
少女は犬を起こさない様に小さな声で、
「行ってくるね、アルフ」
飼い犬、アルフは少女の声には反応を示さず、眠り続ける。
自分にあまり懐いていない飼い犬に少しだけ不満を覚えながら、少女は家を後にする。
今日は暑い。
夏も始まったばかりだというのに、太陽は先月よりも数倍強く輝いている。蝉達もミンミンとオーケストラを奏で、それに混じって子供達が暑いというのに元気に走り回っている。
「はぁ、子供に戻りたい」
羨ましい、あの中に混じりたい、そんな考えを抱きながら少女は走る。
時間はギリギリでもないが、昨日出れなかったので遅刻はしない様にしたい。
走って数分後、何時も学校に行く前に寄っているコンビニの前で見知った顔を見つけた。
少女よりも少しだけ背の低い蒼髪の少女。少女と同じ制服を着ているところを見ると、同じ学校の生徒だという事がわかる。
そんな蒼髪の少女は学校指定の鞄の他にコンビニで買ったであろう大量のアイス(ガリガリする奴)が入った袋を持っていた。
「昴、おはようッ!!」
ソーダ味のアイスを咥えている蒼髪の少女、中島昴は少女を見て手を振る。
「おはよう、アリシア。今日も暑いね」
「そうだね。あ、一本貰える?」
「いいよ。当たったら棒は回収するから悪しからず」
昴からアイスを受け取り、口にする。口の中に氷菓の冷たさと甘みが広がる。暑い日にはこういうアイスが何よりも救いになる。
「ねぇ、昴。前から聞こうと思ってたんだけど、朝からこんなに食べて太らないの?これはカロリーが低そうだけど、普段はソフトクリームとかじゃない」
「食べた分動いてるからね。むしろこんなんじゃ全然足りない感じかな……甘い物が別腹にもならないのが辛いね」
「昴の胃袋はどこまで大きいの?」
「運動すれば良いんだよ、運動すれば」
運動するだけで体重が減ればどれだけいいか、と少女は心の中で嘆く。あまり太らない体質であるが、それでも太った場合は中々体重が元に戻ってくれない。前に昴の言う様に運動してみたはいいが、体重が落ちずに筋肉が付いてしまったという経歴がある。
「私からすればそっちの方が羨ましいよ。筋肉の突きやすい体質ってのはかなり魅力的かな」
「ボディービルの選手になるのは嫌だよ、私は」
「同感だね~」
アイスを食べながら学校に向かっている最中、背後から大きなエンジン音が響いた。聞き覚えのある音に振り向くと、そこには真っ赤なスポーツバイクに乗った制服を着た少女がいた。
「あ、ティア。おはよう」
バイクはゆっくりと二人の隣に止まり、少女はヘルメットを縫いでバイクから降りる。
「おはよう……アンタ等、朝からアイスって……太るわよ」
彼女の名前はティアナ・ランスター。
フルフェイスのヘルメットの中に隠された長いオレンジ色の髪を手櫛で梳かしながら、朝からアイスを食べている二人を呆れた目で見る。
「まぁまぁ、そう言わずにティアも一本」
昴は袋からアイスを取り出して差し出すが、ティアナはいらないと首を振る。
「いらないの?もったいない」
「そんなもんよりも、今はスポーツ飲料が欲しいわ。こんな季節にバイクとかマジで死ねるわ」
「だったらフルフェイスをやめればいいと思うよ、ティアナ」
少女の指摘はもっともだが、少女は渋い顔をするだけ。
「そうしたいのは山々だけど、顔隠さないと面倒なのよね、私の場合」
「まぁ、うちの学校ってバイク通学禁止だからね―――なら、乗って来なければいいのに」
「遠いのよ、私の家は。バスとか人が多いから嫌だし、歩くのも遠い。なら、必然的にバイク通学になるよ。一応、【会長】には話を通してるから問題ない」
「生徒会長が通学にOK出すのっていいのかな?そこら辺、どう思うのか聞いていいかな、昴?」
「ノーコメントで」
ティアナはバイクを近くの駐車場に留め、三人出歩きだす。
「にしても、何で補習なんて受けなくちゃ駄目なのかしら?」
ティアナは面倒な顔をして腕を組む。
「いいじゃん、とうせ暇だし。私は部活あるから暇じゃないけど、ティアとアリシアは暇でしょう?」
「というよりも、私達も赤点取ったから補習は受けなくちゃ駄目だよね」
そう言って少女、アリシア・テスタロッサは苦笑する。
アリシア・テスタロッサ、中島昴、ティアナ・ランスターは私立海淵学園の二年生、三人とも同じC組である。
彼女達がこうして夏休みの朝早くから学校に向かっているのは補習の為だ。
「赤点取ったのはアリシアと昴だけ。私は違うわよ」
「え?ティアも赤点じゃなかったっけ?」
「そうだよ、ティアナも赤点だったよ。確か、一教科だけ白紙で出して先生にこっぴどく怒られてたよね?」
「えぇ、怒られたわね」
まるで反省の色はない―――というより、何故かは頬を赤らめてる。
「あぁ、兄さんに怒られた……最高の時間だったわ」
これが夏の暑さのせいだと思いたい二人だが、残念ながら違うと知っている。
「また始まった。ティアのブラコン病」
「正に不治の病だね」
「あの時の兄さん、カッコよかったなぁ……うふふ、私だけ、私だけをしっかりと怒ってくれる兄さん……」
「まさか、ティーダ先生に怒られる為だけにテスト白紙で出すとか――もう、ティアナは色々な意味で駄目だよね、昴」
「前から知ってた分、慣れはしたけど……」
友人二人の呆れ顔など知った事じゃないという顔で悶えるティアナ。
そう、彼女はブラコンだ。それも重度のブラコンだ。
「ティーダ先生も可哀想だよね。妹がまさかそんな不純な動機で自分の教科を白紙で出だすなんてさ」
「本人に悪気はないんだよね……うん、悪気はないけど不純なんだよ」
見た目はマトモ、中味は変態。
それがこの少女、ティアナ・ランスターである。
「普通にしてれば優等生なんだけど、どうしてお兄さんが絡むとこう……馬鹿になるのかな?」
「ティアは頭が良いだけで馬鹿だからね。性根が腐ってる馬鹿だから」
「ちょっとアンタ等、さっきから人の頃を馬鹿馬鹿言い過ぎよ」
「馬鹿じゃん。ティアは兄馬鹿じゃん」
「いやん、兄馬鹿だなんて……誉めても何もでないわよ?」
重傷だな、と二人は心の中で確信した。
「うふふふ、家でも一緒。そして学校でも一緒。しかも季節は夏。夏といえば間違いが起こる季節……夏の蒸し暑い教室で兄さんと私が手と手を取りあう個人授業」
「あれ?なんか何時の間にか二人だけの補習になってない?」
「駄目だよ、アリシア。ティアの頭の中じゃ私達の存在が完全に消えてるから」
「兄さんと二人だけ……間違いが起きちゃうかもしれない……いや、起こるのよ。間違いが起きて、めぐりめく一夏の思い出という名の季節事実が生まれて――――やっふぅぅうううううううううううううううううッ!!」
鼻血を出しながら悶える彼女は、誰の眼から見ても変態だった。
「アリシア。どうして私達ってティアの友達やってるのかな?」
「多分、放っておいたら捕まるからじゃない?」
「一度捕まった方が世間の為というか、ティアの為というか……むしろ、突き出そっか?交番、すぐそこだし」
「ちょっと良い考えに思えて来たなぁ――――あ、でもさ」
アリシアが思い出した様に言う。
「私達の補習って全部美羽ちゃんがやるんじゃなかったけ?」
ティアナが停止する。
「そうだよ。ティーダ先生は他のクラスの担任だから、私達のクラスは必然的に美羽ちゃんがやるって事になってるから。ティーダ先生の科目はプリントだけだよ」
「…………」
踵を返して来た道を戻るティアナ。その腕をがっしりと掴む昴。
「何処行くの、ティア?」
「帰る」
「駄目だよ。補習はちゃんと受けないと」
「兄さんのいない補習なんて受ける価値もないわ」
「価値はないかもしれないけど、受けなくちゃ駄目だから、ね?」
「いぁぁぁぁやぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁぁッ!!帰るぅぅぅううううううううッ!!帰るのぉぉぉおおおおおおおおおッ!!」
泣き喚くティアナをがっしりと捕まえたまま、昴は学校に歩き出す。
その間、無駄に喧しいティアナに手刀を食らわし、黙らせる。
「やっぱり、夏は頭に色々と湧く人が多いね」
「ティアナは別存在だと思うよ。年中お兄さんに盛ってるから」



教室には沢山の生徒がいた。
補習で沢山いるというのは、恐らく駄目なのだが夏休み中に皆と会えるのは少しだけ楽しいものだと感じる。
席に付き、補修が始まるのを待つ。
外は暑い。
教室も暑い。
当然だ、夏なのだ。
楽しい夏で、嬉しい夏で、思い出が沢山できると希望を持つ夏。
教室のドアが開き、美羽が姿を現す。
良い事でもあったのか、普段よりも少しウキウキしている様にも見える。
「それじゃ、補習を始めま―――あれ?」
その顔は不意に止まる。
美羽の視線の先あるのは空席が一つ。
教壇の一番近くにある席、いつもならリィナ・フォン・エアハルトが座っているであろう席。だが、その席は今は空席となっていた。
「あの、エアハルトさんは……」
誰も答えない。
知らないからだ。
「遅刻、でしょうか?」
誰も答えない。
知らないからだ。
美羽はしばらく考え、補習を始めると宣言する。
アリシアも特に疑問には思わない。とうせ、サボっているか遅れてくるかのどちらかだろう。
昴も特に疑問に思わない。とりあえず、アイスを食べ過ぎたせいで腹痛に耐える事に頑張ろうと心に決めた。
ティアナも特に疑問の思わない。とりあえず、兄のいない補習に興味がないのかそうそうと不貞寝に入ろうとしている。
誰も応えず、誰も疑問に思わない。
「それじゃ、まずは昨日のおさらいからですが――――」




同時刻。
海鳴の繁華街の路地裏。
普段は人気の無い場所には、沢山の人でごった返していた。そのほとんどが同じ制服を身に付けた者達。学生ではなく、そういう仕事を生業としている者達―――警官とも言う。
野次馬を下がらせ、彼等は何とも言えない顔で一か所を凝視する。
「…………」
言葉を発せず、ただ黙りこむ。
一人の警官の瞳に映り込むのは虚ろな瞳。
意思の無い瞳。
意思を失った瞳。
動かない瞳。
「…………酷いもんだ」
薄暗い路地裏には夏の暑さを感じる事は出来ても、その暑さを奪い去る程の冷たさが充満している。
その中心にいるのは一人の少女の姿。

赤い地面。

真っ赤に染まった血の海の中心に細い人形の様な手足が地面に【打ちつけられている】。
手足の無い胴体を鋭利な刃物で切り刻まれ、【中身】が漏れ出していた。
首は無い。
顔は無い。
それは地面ではなく壁に。
髪の毛を太い釘の様な物に巻き付け、その釘を壁に突き刺さしている。
その先にぶら下がったのは、少女の顔。
手足をバラバラにされ、身体をズタズタにされ、首を切り落とし見世物にされた少女の姿。
その近くに学生所が堕ちている。
私立海淵学園の生徒手帳。
そこには少女の名前が記されていた。

リィナ・フォン・エアハルト

季節は夏。
楽しい夏で、嬉しい夏で、思い出が沢山できると希望を持つ夏。
その夏の最中、一人の少女が【死んだ】。
海鳴の街で、人が死んだ。
そして始まる。




【フランケンシュタインの怪物】と呼ばれた、何かの物語が―――





次回『負け犬な魔女』





あとがき
教育実習生編、改め【高校編】の開始です。
最初の予定と大きくかけ離れた内容になってしまった高校編ですが、まぁ、何時もの事なので気にしない方向で。
予定では四話くらいで終わる話が長引いてしまいそうです。
主要人物は美羽、アリシア、リィナ、そして歩く負けフラグの四人です。
いつも通りの予定調和な高校編ですが、なんとか頑張って弾丸執事編までいければいいと想います。



PS
あやかしびと、クロノベルト、エヴォリミットのドラマCDを買おうか迷ってます。というか、こんな所に売ってたんですね……





[25741] 【人造編・第二話】『負け犬な魔女』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/05/27 17:17
時計の針は時に戻る。
物語を語る上でそれは必要な行いでありながら、現実ではあり得ない事だ。時計は前に進む事が普通、戻るのは壊れた証拠。
だが、時間と時計は同じものではない。
時計は時間を刻むモノだが、時間と時計は関係ない。時間は時間であり、時間を示す為に時計を作り上げた人間達の都合など知った事はないのだ。
戻るのも時間の勝手。進むのも時間の勝手。止めるのも時間の勝手。
そして、時間は戻る事を選択する。
戻る時間は夏の夜の一時。
夜が明けて朝が来て、リィナ・フォン・エアハルトの死体が発見されるよりも前に戻る。
時刻は夜十時。
肌にねっとりと張り付く様な熱帯夜の中、戻った時間は過去を映し出す。

――――しかし、その時間を映し出す前にとある世界、とある異界の世界を映し出す事にしよう。

我々とは森羅万象の法則が異なる世界、違う者達が生きる世界。
しかし、どこかで繋がっている遠くもあり、近くもある世界。
そんな世界のある街の、ある店の、ある二人の師と弟子の会話風景。
狙い澄ました様に、海鳴の深夜十時と同じ様に店の時計の針は夜の十時を指していた。

「―――――お師匠様、お手紙が届いてますよ」
「手紙?誰から?」
「えっとですね……エルクレイドルっていう人から―――あれ?この人って前からずっとお師匠様にお手紙を出してる人ですよね」
「はぁ……またアイツ等か。いいよ、捨てといて」
「またですか?お師匠様、一度くらいは目を通しましょうよ。この人だって何度も何度もお師匠様にお手紙を書いてるんですから、読むくらいはしても―――」
「いいの、いいの。とうせ面白くもない夜会への出席とか、茶会とか、良い弟子が出来たら会わせたいだとか、そんなどうでもいい内容なのよ、どうせね」
「割りとどうでも良くない気がしますけど」
「どうでもいいの。大体さ、こっちが全然返信してないんだから、いい加減に諦めればいいのに」
「うわぁ、手紙も読まない人の言う台詞じゃないと思うなぁ~」
「なんか言った?」
「いいえ。何でもないですよ。お師匠様、もしかして幻聴ですか?病院行きます?」
「…………まぁ、いいわ。後でちょっと模擬戦をしましょう。手加減はしてあげるけど、生かしも殺しもしない模擬戦をね」
「それ、最早模擬戦とかじゃないですよね、お師匠様」
「だったら、余計な事を言わないの……まったく、誰に似たのやら」
「お師匠だったら嫌だなぁ。あと、セルマでも嫌だなぁ」
「今度、セルマ嬢ちゃんに伝えてあげるわ」
「お師匠様大好きです!!」
「私も大好きよ――――でも、許さん」
「あうぅ~」
「まぁ、それはさておき」
「おいておいて欲しくないです」
「うっさい。とにかく、差出人がエルクレイドルって名なら、私に見せなくて良いから捨てなさい」
「勿体ないですよ」
「勿体なくないのよ、全然勿体なくないわ。そんな手紙を読むよりなら、振り込め詐欺の手紙を読む方がよっぽど有意義な時間を過ごせるわよ」
「はぁ、そうですか……でも、どういう方、どういう方達なんですか、このエルクレイドルって?」
「あぁ、そう言えばアンタは知らなかったわね。この際だから説明してあげるけど、この位は自分でも調べときなさい。どの場所でどんな事をしている魔法使いが居るかを知る事も、それなりに修行になるからね」
「わかりました、お師匠様」
「よろしい。それじゃ、説明してあげる―――エルクレイドルっていうのはね、古くから存在する名門中の名門―――と、言われていた魔法使いの一族よ」
「過去形、ですか……」
「過去形よ。確かに昔はそれなりに大きな権力を持っていたし、弟子の数だって相当数がいたわ。でも、時間が経つにつれ、時が進むにつれ、エルクレイドルは力を失っていった。どうしてかわかる?」
「わかりません」
「即答禁止。少しは考えなさいな。まぁ、いいわ。理由は簡単よ、名門が故に名門という名に潰された、という所かしらね」
「名門が故に?」
「古くから名門だったが故に、怠慢になったり傲慢になったりする連中が居る中で、エルクレイドルもそういう連中の一員になったというだけ。昔は義理や人情、誇りを持った連中がいたけど、今のエルクレイドルは義理も人情も失った誇りだけ……プライドだけを持った一族になってしまった」
「典型的といえば、典型的ですね」
「まったくもってその通り。でもね、数十年前まで……そうね、少なくとも百年前まではそうじゃなかった。私の中では最後のエルクレイドル、第六十八代目のエルクレイドルは能力だけは高い奴だったわね」
「お師匠様がそういうなんて、凄い人だったんですね」
「アンタがどういう風に私を見てるか聞きたい所だわ」
「ノーコメントです」
「後で追及するからね―――ともかく、第六十代目のエルクレイドル、先々代の奴は相当の腕を持った魔法使いだった。私も何度か会った事があったけど、類稀に見る魔法使いだったのは確かよ」
「へぇ、そんなに凄い人だったんですか……どんな人だったんですか?」
「―――――最悪ね」
「え?」
「最悪の一言よ、奴は……」
「最悪、ですか」
「最悪以外に言う言葉はないわ。あんなに記憶に残る最低はそうそう見ないわね」
「そ、そんなに、なんですか?」
「えぇ、そうよ…………別に稀代の悪党とか、魔王に匹敵する残虐非道な人物っていうわけじゃないけど、ある意味では最低な部類に入る奴だと私は思ってる。奴はね、言葉と中身がとんでもなくかけ離れている様な奴なのよ」
「言葉と中身?」
「奴は何時だって善意を語るわ。誰が見ても綺麗事で、誰が聞いても善なる言葉。でも、その中身は決してそんなものではなく、全てが嘘偽りだけ、それだらけな気味の悪い存在……大体の人はそういうものだと思うけど、あれだけはっきりとした奴も珍しかったわね。珍しいが故に誰もその言葉が本物だと思い込み、誰も奴の正体には気づかなかった」
「なんか矛盾してます」
「気づけば矛盾してるけど、気付かなければ矛盾はしていない。現にそれに気づかない連中は奴を英雄の様に見ていたわ。誰よりも勇敢であり英雄に近かった魔法使い。だけど、その本質に気づけば誰もが嫌悪するであろう最低な魔法使い」
「想像が難しいです」
「そうね……例えばアンタが悪い事をして怒られたとする。怒ったのは私よ。そんな時、アンタはどうする?」
「反省します」
「それが普通ね。でも、心の何処かに自分は悪くないって考えがあるはずよ」
「そんな事は……無い、とは言えないですね」
「自分が悪いと思っているのと同時に、誰だって自分は悪くないっていう想いを持ってるわ。自身の行動には自身の義務があり意思がある。それを否定されるがあったら、それを否定されなくないって思うのも当然の理よ。そして、奴はそんな理に付け込むのよ」
「理に付け込む……えっと、どういう事ですか?」
「簡単よ、アナタは悪くない。アナタは決して間違った事はしていない。今回は単に運が悪かっただけで、アナタ自身に責任はない。だから次回からはもっと巧くやれ、怒られない様に巧くやって、【自身が悪くない事を証明しろ】……こういう囁いた時、アンタはどうする?」
「えっと……なんか、単に開き直っただけだと思いますけど」
「普通はそうだろうね。今回は私が言ってるだけで奴が言ったわけじゃない。でもね、これを奴が言うとまったく違うのよ。どんな犯罪者だろうと極悪人だろうと絶対に【堕ちる】のよ」
「…………」
「わかる?アンタが今、それは開き直ってるだけで意味がないと思うのは、私が言ったから。でも、奴が言うと下手をすればアンタは自分は悪くないって思いこむのよ」
「そんな事は無いです!!」
「熱くならないの。これはあくまで例えよ。私だって本当にアンタがそう思い込むなんて想ってないわ……まぁ、想ってたら尻をひっぱたいてでも矯正するけど」
「ぼ、暴力反対」
「愛の鞭だと思いなさい。ともかく、奴はそうやって相手に思い込ませる事が出来る。言葉という魔法でね。奴は魔法使いとして上等ありながら、詐欺師としても上等だった。むしろ、魔法よりも言葉を操り人を操る事に長けていた」
「言葉で人を操る……なんか、怖いです」
「怖いと想えれば、アンタは大丈夫よ。言葉なんて大した事がないって思い込んでいる様な連中はあっさりと堕ちるけど、そんな想いがあればなんとかなるかもね」
「あの、お師匠様。言葉を操るというのは人心操作の魔法、誘惑の魔法に特化しているという事なんですか?」
「違うわ」
「違う?」
「奴の言葉は魔法じゃないのよ。言ったでしょう、奴は詐欺師としても上等だって……奴はね―――魔法を帯びていない言葉で相手を操る」
「魔法を、帯びていない言葉で……そ、そんな事が可能なんですか?」
「まぁ、当然と言えば当然ね。詐欺師だって一番の武器は言葉。言葉一つさえあれば相手を騙す事が出来る。舌先三寸あれば国すら滅ぼせると豪語した愚か者もいるくらいだし、それだけ言葉とは重みがあるのよ……愛してるという言葉だって想いが籠ってなくても口調を変えるだけで籠っている様に思わせられる。優しい言葉をかける時だってそういう口調を込めればあっさりと優しい言葉になるわ。実質は意思の無い石みたいな言葉だけどね」
「……確かにそうですね。言葉って、魔力が無いのに、魔力がある」
「魔力がない言葉でもコツさえ知っていれば魔法になるなんて最低じゃない?こんな事を平然と息を吸う様に出来る最低な詐欺師で魔法使い――言霊使いなのが私が知っている先々代のエルクレイドルよ」
「お師匠様がその人を嫌うのは良くわかります」
「でしょ?奴ったら、初対面の私にいきなりそんな方法を使って話しかけて来たから、思わずぶっ飛ばしちゃったわ」
「過激ですね。というか、過激すぎです、お師匠様」
「過激にする価値のある相手だって事。そんな奴だから、奴に弟子入りした子が可哀想で本気で引き取ろうと思ったくらいよ」
「そんな人でも弟子を取ろうとしてたんですか?」
「一応は魔法使いだからね……エルクレイドルは一子相伝だけど、別に血筋は関係はない。才能さえあればどんな種族からでも一族に取り入れた。その中で特に才能がある者を時代にエルクレイドルになる。この辺はどこも同じ様なもんだけどね」
「それで、その子はどうなったんですか?」
「才能はあったわね……ううん、才能があり過ぎた。アンタの前で言うのはちょっと心苦しいけど、あの子が私の弟子なら今頃私は魔法使いの看板を下ろしてるわ」
「うぅ、未熟な弟子ですみません」
「そう想ってるなら精進する事ね……でもね、そうはならなかった。あの子は私の弟子ではなくエルクレイドルの弟子になり、先代のエルクレイドル、第六十二代エルクレイドルになった」
「――――あれ?でも、そんな凄い才能があった人なら、今頃有名になってるはずですよね。私、今までエルクレイドルなんて名前は知りませんでしたよ」
「当たり前よ。その子は才能はあったけど大成はしなかったんだから」
「どうしてですか?」
「言ったでしょう?才能があり過ぎたって……いい、時に師匠は弟子の才能に嫉妬する事があるのよ――――まぁ、私はしなかったけどね」
「そんな偉そうに言われると私としても傷つくんですけど……」
「事実だからね。ともかく、奴もそういう嫉妬する部類の器の小さい奴だって事よ。そんな器だから奴は自分の弟子に嫉妬した。魔法の才能は自分よりも上であり、このまま育てればエルクレイドルの一族は安泰だろうと言われる程の実力があった……けど、そうはならなかった。奴がそうはさせなかった」
「あの、もしかして……」
「アンタの想像する通りよ―――奴はね、師としてはやってはならない事をやったのよ。自分の弟子に奴の十八番である言葉による魔法をかけた。自分の弟子が絶対に大成しない様に魔法を、呪いをかけた」
「そんな……」
「結果、どうなったと思う?結果は単純明快。次代のエルクレイドルを名乗りながらも、その子は大成はしなかった。ううん、それどころじゃないわ。その子はね―――【成功すら出来ない存在】になったのよ」
「…………」
「どんな事をしても成功しない。魔法を使うだけなら簡単に出来る。だけど、魔法を使った何かを成し遂げようとすると必ず失敗する。例えば、病気になった子供を助けようとした。その子の実力なら簡単だったはずの魔法は、何故か失敗して子供は死んだ。例えば、犯罪者を捕まえようとした。その子の実力なら簡単だったけど、何故か失敗した犯罪者を取り逃がし、罪を重ねさせてしまった。例えば、ある国の重要なポジションに立つ事に成功して、重要な案件を成功させようとして失敗させ、国の一つを滅ぼした」
「…………辛い、ですね」
「だから私は奴が嫌いなのよ。奴が、師匠を名乗っていた事が過去だとしても、その過去すら私は許せない。才能が有る無しに関わらず、一人の子供の未来を奴は奪った……奴はもうこの世にはいない。だけど、この世にいないにも関わらず、奴は今でも弟子を苦しめ、陥れ、絶対に大成も成功も出来ない存在に変えた―――奴は、許されない魔法使いなのよ」
「あの……その子は、今はどうしてるんですか?」
「――――わからないわ。最後にあの子を見たのは十年も昔。今は何処で何をしているのかわからないし、一度本気で探そうと思ったけど出来なかった」
「もしかして……亡くなった、とか」
「生きているか、死んでいるかもわからない。エルクレイドルの連中もそんな大成しない子の事なんてそうそうに過去に捨て去って、新たなる当主を立てた。けど、その結果は散々よ。大した才能の無い未熟な師匠が育てた弟子はどれもこれも未熟な存在にしかならなかった。才能を失くした一族に残ったのは安いプライドだけで、技術を残る術すらないのよ」
「少しだけ、可哀想ですね」
「それに気づかない限り、アイツ等に未来はないわね……あの子が、先代のエルクレイドルが奴に弟子入りなんてしなかったら、こんなに廃れる事は無かったでしょうに」
「お師匠様、その子……先代のエルクレイドルは、なんていう名なんですか?」
「…………スノゥよ」

「その子の名前は――――スノゥ・エルクレイドルっていうの」

そして、場面は元の場面に戻る。
時間は夜の十時。
となる異界で師と弟子か語り合っていた同時刻。
場面は、海鳴にある小さなラーメン屋の屋台から始まる。









【人造編・第二話】『負け犬な魔女』










「へっくちッ!!」
蒸し暑い夜、ラーメンの屋台で一人の女性がくしゃみをした。
「お客さん、風邪ですかい?」
「いいえ、多分何処ぞの方が私の噂をしていたのでしょう……モテる自分が怖いですわ」
「それ、自分で言う事じゃないと思いやすが……」
「あら?何か不満がありまして?」
「いんや、ちっとも―――ヘイ、味噌ラーメンお待ち」
「ありがとうございます」
熱い季節に食べるラーメンは格別だ、とは言わない。そもそも、こういう庶民的なモノはあまり好きじゃない。食べるならフランス料理の様な気品溢れる食事の方が性に合うのだが、今はそんな贅沢は言えない。
「頂きます」
礼儀正しくラーメンに頭を下げ、女性はラーメンを進む。
まずはスープを一口。それから麺をすすり、飲みこむ。美味しいとは言えないが不味くは無い。口に合わないはずが口に合う。合ってしまうのが情けない。
ラーメンを胃の中に収めながら彼女は、スノゥ・エルクレイドルは惨めな自分を認めない。
これは惨めではない。
これは惨めなはずがない。
惨めなのは惨めだと思う事だ。惨めだと思う事は自分自身が惨めだと認めている事になる。そんな自分を認める事は出来ない。
何故なら、自分はスノゥ・エルクレイドルだからだ。
ゴルトロックに存在する誇りあるエルクレイドルの魔法使いが、自分を惨めだと思う事は許されない。
例え、三年もかけてゆっくりと、着々と進めて来た計画が一晩で覆されたとしてもだ。
思い出すだけで腹ただしい―――とは思わない。
過去を顧みるのは馬鹿らしい事だ。見るべきは常に未来であり、過去ではない。過ぎ去った過去に縛られ、今を台無しにするような生き方は自分に相応しくない。
だが、それでも忘れたわけではない。
「――――無様ですわね」
と、無意識に言葉は漏れる。はっとなってすぐに頭を振り、そんな言葉を吐いた自分を戒める。
だが、忘れられない。
苛立ち、腹が立つ。これはどれだけ忘れようとしても忘れる事が出来ない。
三か月前、スノゥを殴り飛ばした加藤虎太郎という男。そして自分の計画を邪魔した者達全員を思い出せば、今でも苛立ち、腹を立てる。
そして、そんな自分が惨めになり、
「無様ですわ……」
また同じ言葉を吐き出す。
いい加減、認めなければならないのかもしれない。
そうだとも、自分は敗北した。
あんな下等な連中に敗北し、顔に泥を塗られ、地に這いつくばった。
なんて無様だ。
これがエルクレイドルの一族である自分の姿だと思うと情けなくてしょうがない。
あの事件の後、スノゥは自分が如何にちっぽけで矮小な存在なのかを沈痛する事になった―――いや、正確にいえば自分がどれだけ穴だらけな存在だと言う事を【再認識】する事になったとも言える。
スノゥはあの後、この街の力を支配する月村の手によって何処かに閉じ込められていた。恐らく、彼女がどういう存在で、どういう力を持ち、何処から来たのかなどを尋問しようとしたのだろう。
薄暗い部屋の中で、拘束具を付けられ、三日ほどその部屋に閉じ込められていた。もっとも、出るだけなら簡単に出れる。閉じ込められたのではなく、閉じ込められてやっただけだ。自分に必要なのは薄暗い部屋の中から脱出する方法ではなく、どうして自分が失敗をしたのかを反省する事だけ。
しかし、結局のところ、それは無駄な時間に終わる。
わからないのだ。
どうして自分が失敗したのかをわからず、失敗から何かを学ぶという事が出来ない。
昔からそうだった。
何かを成し遂げようと失敗し、自分の何処が悪いのかを考えようとすれば、頭の中で囁く様に、囀る様に声が聞こえる。

【君に悪い所なんて何もない。単に運が悪かっただけだ】

そんな言葉が聞こえ、スノゥはあっさりと思考を放棄する。
自分は悪くない。
悪いのは自分の運だけ。
高町なのはを利用としようとして、運悪くそれを誰かに知られ、運悪くそれを邪魔する者が現れ、運悪く自分は敗北し、運悪く計画は失敗した。
全ては運のせいで、自分自身に落ち度などない。
そういう結論に至る。

毎回、自然とそういう落とし穴に堕ちる―――彼女自身、それに気づかずに。

「運が悪いというのも考えモノですわ」
本気でそう想い、本気でそう口ずさむ。
「ねぇ、大将。どうしたら運気が向上すると思います?」
ラーメン屋台の大将はあっさりと、
「寺にでも参拝したらどうだ?」
「私、仏教ではないので無理ですわ」
「なら教会にお祈りするとかはどうだい?仏教じゃないならキリスト教だろうな」
「あぁ、そうですね……ですが、どうもああいう神は好きにはなれませんわ」
自分の敵であり、魔王の敵である神に似た存在を頼るなど言語道断だ。
「そうかい。なら、俺にはわからんね。生憎、運気に頼る気はさらさらないんでな」
そう言って大将は豪快に笑う。
「そうですか……まぁ、そうでしょうね」
確かにその通りだ。運に頼るのは運に負けた事になる。運なんてあるかどうかもわからないモノに負けるなんて言い訳以外の何物でもない。そんな考えに何度も何度も陥りながら、それでもスノゥはまた同じ場所に戻る。
運なんてモノはなくても、自分は運のせいで失敗する。
堂々巡りから抜け出せず、抜け出せない事にすら気づかず、彼女はこうして失敗をし続ける。
結局、彼女は自分が失敗したのは運のせいにして結論に行きつく。そうして答に行きついた彼女は閉じ込められた部屋からあっさりと抜け出し、海鳴の街を出る事に成功した。
だが、それでも彼女はこうして海鳴の街に戻って来た。
理由は単純。
外に出た彼女を待っていたのは、何者かの蹴撃だった。
海鳴から送られた追跡者ではなく、海鳴の外から来た追跡者。
しかも、化物な追跡者だった。
不死身の化物といえば馬鹿らしいが、アレはまさに不死身の化物だった。
殺しても殺しても殺せない。
嗤いながら、スノゥを狩る事だけに楽しみを持っている様な不死身の化物。
不死身でありながら、身体の中に無数の武器を宿した化物はスノゥを毎日毎晩毎時間も追い回し、結局スノゥはこの街に戻って来た。
どうしてこの街に入ったらアレが追ってこないのかは知らないが、今となってはどうでもいい。
今考えるべきは、これからどうするかだ。
この街には敵がいる。
自分を見たら確実に狩りにかかるであろうと、虎と鬼がいる。
「無様ですわ」
三度の目、もう気づかない。
麺と具を全て平らげ、残ったのはスープだけ。
スープに映った己の顔は三カ月前の顔ではなく、新たに作り出した顔。
教師の顔は終り、今度は異人の顔を選んだ。
髪は金色にした。
顔は少々童顔にした。
背は変えられないが服は変えた。以前着ていたスーツではなく、そこら辺にいる普通の女性な恰好――――ゴシックロリータというらしい。
「にしてもお客さん、変な恰好をしてるね」
「変ですか?」
「変といえば変だが……けど、外じゃそういう恰好が流行ってるとも聞くし、変じゃないか。いや、こんな街にいると流行って奴がわからなくてなってな」
「なら外に出れば良いではないですか。アナタは、人妖なのですか?」
大将は違うと首を横に振る。
「俺は普通の人間さ。もちろん外にだって出る事は出来る。出ようと出まいと、俺みたいなオッサンには流行なんてわからんって事だな」
開き直って笑う大将は、見た目は五十代といったところだろう。もっとも、それでもスノゥよりもずっと年下という事には変わりは無い。
スノゥ・エルクレイドルはエルフだ。
エルフは十年経っても二十年経っても姿にあまり変化はない。普通の種族の倍は余裕で生きる事が可能で、知識をその分溜めこむ事だって可能だ。
だが、それは何の意味もない自慢。
エルフであっての己じゃない。
己であってエルフじゃない。
スノゥ・エルクレイドルという魔女、それが自分。
エルフである事を誇りに思っていても、スノゥである事の方がよっぽど誇れるとさえ思っている。
誇れる自分――――なら、どうしてこんなにも、
「無様ですわ」
こんなにも、無様なのだろうか。





夜道を歩けば時間が時間が故に酔っ払いを目にする事もある。
「うぃ~、もう一件いくじょ~!!」
「トーニャ先輩。飲み過ぎです……あと、オヤジ臭いです」
異人の女性を小さい、中学生らしき少女が抱えて歩いている。あんな子供と一緒に酒を飲むなんてこの国の教育はどうっているのだろう。
「……まぁ、私には関係の無い事ですが」
教師なんてくだらない職業を三年の続けていたせいか、思考がそんな風になってしまうのもしょうがない。この思考もしばらくすれば綺麗さっぱりと消えるだろう。
教師なんて、師なんてモノはロクでもない存在なのだ。
憎悪すらしない、見下して嘲笑うべき存在だ。
加藤虎太郎然り、教頭然り―――スノゥの師然り。
夜の街はまだ賑やかた。
平日という事もあり、サラリーマン達が歩いている中で学生らしい姿もちらほらと見る事が出来る。中には制服をきた少年少女もいる。制服から判断する限り、あれは海淵学園の生徒だろうか。
私立海淵学園。
昔からこの辺りの下等な人間、社会に興味も示さず、己のルールだけに生きようと粋がる哀れな者達が集う場所。スノゥが教師をしていた頃にも彼等、彼女等の評判はよく耳にする。
人妖が住まう街で唯一人妖能力を校内で許されたあり得ない場所。それが問題になるはずなのに、どうしてか許されるおかしな場所。しかも、それが校則としてあるのだから問題だ。小学校であろうと中学校であろうと、どんな場所でも人妖能力の使用は必ず制限があるにも拘らず、それを使っても良いと学校側で了承しているのが変なのは、誰の目から見て明らかだ。
なんでも、それを最初に校則に用いようと提案したのは当時一年だった現生徒会長だという話から、救いようのなさが良くわかる。
師も師なら弟子も弟子。それと似た様に教師も教師なら生徒も生徒、という事になるのだろう。
どちらにせよ、海淵学園という場所はそれだけふざけた連中が多い場所という事だろう――それがスノゥの認識だった。
当てもなく歩く街。
騒がしい街は時間が経てば次第に静けさを呼びだす。静かな時間には静かな時間の住人がおり、その住人は普通の人間には合い知れない存在なのかもしれない。
自分の様に、光の下では生きられない者達ばかり。
それを愚か者と呼ぶ事は、自分すら否定する事になるからしないが、それでもスノゥは他人を見下す。
自分ではない他の全ては、自分より下等な存在ばかり。
足は自然と表から裏へ。
人通りの少ない裏道には地面に座り込む浮浪者にドロップアウトを決めこんだ若者。それを狙うハイエナの様な眼をした鋭い眼光をする大人達。
夏は少年少女を変える季節とも言うが、こんな者達を見て憧れ、そして堕ちて行くのだろうと考えれば、馬鹿らしいと蔑む事すら簡単だ。
裏路地を更に奥へ進む。
理由は特にない。
行くべき場所も無ければ自分がいなくてはいけない場所だってない。
そもそも、自分とは何だろう。
顔を変え、姿を変えても生き方は変える事は出来ない―――だが、自分がどんな生き方をしていたのかもわからない。
ふと足を止め、ドアにある割れたガラスを見つめる。
そこには過去の自分はいない。
過去すらわからない自分がいる。
何度も何度も顔を変え、姿を変え、気づけば何十年も経っていた。そうしている内に自分がどんな顔をしているかさえ忘れている。
「…………フェイスレスであり、ハートレス。でも、私はネームレスではない」
名前だけが有り続ける。
名前なんて記号だ。自分自身を現す記号でしかない。だが、それだけが自分が自分であるという証。
スノゥ・エルクレイドルという―――誰か。
「感傷に浸る歳でもないですわね」
苦笑して馬鹿らしくなる。
誰でも良いではないか。
過去の自分の顔すらわからなくなり、長年月を費やしたとしても、自分が変わるわけじゃない。忘れている、思い出せないというのなら、それで十分に問題がない。
全ては十全。
己が己である事に偽りなどない。

【君はそのままで良い。そのままの君でいれば、何時か大きな君になれる】

大嫌いな師の言葉を思い出す。
自らの手で殺した師の言葉は、呪いの様にスノゥの脳裏に刻み込まれた。
この世で一番嫌いなのは教師、師という存在なら、その頂点にいるのはスノゥの師。アレの存在だけは何よりも嫌う。
アレは一度だって自分を誉めたりしなかった。魔法を成功しても誉めもせず、ただもっと頑張れと口にする。最初はそれが師なりの励ましなのだと思っていたが、次第にそれが違うと気づく。
アレは何時だって自分を呪っている。
自分の才能を呪い、成功する度に心の無い言葉を吐き出し身を汚す。言葉によって蝕まれ、言葉によって犯される。思い出すだけで脳内に激痛が走り、何かをしようとすると思い出すのは師の言葉。
「ウンザリですわ」
教頭はそんな師の事を認める様な言葉を吐いていた。だが、それは間違いだ。あの教師は師の事を何も知らない。アレを目の前にしたら誰だって顔を顰める。
スノゥにとって誰かの師になる存在など、皆が愚かな敵でしかない。
「けど、そういう意味では……私は、未だに師に捕まったまま……というわけですわね」
わかっているのだ。だが、認められないのだ。
「私は私ですわ……だから、もう私の邪魔をしないで……」
この手で殺した者は消えない。
死んでも尚、スノゥを苦しめる存在として刻み込まれている。
頭が痛くなってきた。
視界が歪み、気分が悪くなる。
思わずその場にしゃがみ込む。
立ち上がろうとするが身体が重くなる。
思考が巧く働かない。
脳裏に過るのは師の姿と言葉。
ニッコリとした腐りきった仮面を付けた師。
言葉は刃であり針であり呪いであり、そしてその手は自分を犯す手。
思い出す。
思い出して吐きそうになる。
吐いた。
先程食べたラーメンを吐き出した。
気持ちが悪い。
気持ちが悪い。
何もかもが気持ちが悪い。
自分も周りも、全てが気持ちが悪い。

「―――――おい、大丈夫か?」

気持ち悪い言葉が聞こえる。
「なんか具合が悪そうだけど……救急車でも呼ぶか?」
歪んだ視界に映るのは小さな少女の姿。
メイドの様な恰好をして、頭に犬耳を付けている少女。
スノゥは首を横に振る。
「そうか……なら、ちょっと待ってろ」
少女が駆けだし、近くの建物に入ってすぐに戻って来た。手にはミネラルウォーターのペットボトル。それをスノゥに差し出す。拒もうとしたが、今の彼女にはそれがポーションに似た物にさえ思える。
受け取り、飲む。
少しだけ気分が良くなった。だが、まだ悪い。
「やっぱり救急車が必要じゃないか?」
「…………結構ですわ」
ペットボトルを少女に返し、歩きだす―――そして、倒れる。
「お、おい!!」
地面に倒れ込む寸前、少女の小さな身体がスノゥを支える。支えた手がスノゥの手に触れ、人間の物ではない様な冷たさを感じた。
それが今だけ、今だけは―――心地良いと感じる事が出来た。
それを知り、スノゥは少しだけ安心した。
自分はまだ、人間だったと。
それを知り、スノゥは少しだけ苛立った。
自分はまだ、人間だったと。
「全然大丈夫そうじゃないな……ちょっと店で休んでけ。いいな?」
有無を言わさず、少女はスノゥを抱えて建物の中に入る。
抵抗する事も出来ず、スノゥは無言で息を吸うだけの物になる。
「――――無様ですわ」





薄暗い店内には、スノゥとリィナ・フォン・エアハルトと名乗る少女の二人だけ。
スノゥは店にあるソファーに寝かされ、リィナはカウンターにある椅子に腰かけている。
メイド服から海淵学園の制服に着替えたリィナを見て、こんな小さくても高校生なのかと少しだけ驚いていた。
「まったくよ、あんまり飲み過ぎんなよな」
年上を敬うという言葉は欠片もない様子に、ムッとなって思わず反論する。
「言っておきますが、私は酒など一口も飲んでいませんわ。酒を飲むなど馬鹿のする事です」
「世界中の酒飲みを敵に回すような事をいうなよ」
小さい成りをしている癖に態度だけはデカイ、それがスノゥがリィナに持った最初の印象だった。
「それよりも、どうしてアナタみたいな子がこんな店で働いているのですか?とても、アナタの様な年齢というか背の子が働いて良い店じゃはずでは?」
「背は関係ないだろう、背は……それに、初対面のアンタにどうこう言われる筋合いはこっちには無い」
教師みたいな事を言うな、とリィナはそっぽを向く。
その言葉は、スノゥにとっては侮辱になる。
「私は教師などではありません。私はあんな属種と一緒にしないでほしいですわ」
「なんだよ、教師が嫌いなのか?」
「えぇ、大嫌いです。この世の中で一番低俗で醜悪な存在だと思っていますわ」
「なるほど、そういう人もいるんだな」
そう言ってリィナはカウンターを飛び越え、棚に並んでいる瓶を何本か手に取る。
「さっきまでの私なら、その意見に頷く事もできたけど……今は無理かな」
瓶の中の液体を小さな器に流し込み、慣れた手つきでシェイクする。その姿はいっちょまえにバーテンダーの様に見えない事もない。
「…………アナタの歳は幾つですの?」
「十七歳。高校二年生」
「なら、お酒を飲める年齢ではありませんね」
「国が決めた事であった私が決めた事じゃない。だから私の勝手だ」
なんて言い草さ―――と、考えたところで、まるで自分が教師みたいな事を言っている事に気づく。
軽く自己嫌悪する。
「はぁ、毒されてますわね」
「独り言か?」
「えぇ、独り言です。ですので、お酒を飲むのなら一人で勝手に飲んでください。ただし、静かにお願いしますね」
スノゥは目を閉じる。
気分はまだ悪い。
頭がガンガンする。身体が冷たい、寒い。毛布が欲しいと思ったがそこまで言う気はない。これではこんな少女に甘えているようであり、自分に負けているような気がしたからだ。
シャカシャカとシェイクする音が聞こえる。リズム良く、小さい音でありながら存在感のある音に、何故か心地が良いとさえ思える。
「――――手慣れてますのね」
「一応、ここの店員だからな。実際に客に出す事はないけど、たまにマスターに頼んで作らせてもらってるんだ」
「不良さんですわ」
「不良が怖くて不良やれるかっての……不良じゃないけどな」
リィナのニシシという笑い声。
「こう見てもな、私は学校じゃ風紀委員なんだ。どういう事をするかは良くわかんないけど、風紀委員って名前がかっちょえぇだろ?」
「典型的な外人の考え。浅はかですわ」
「アンタも外人だろうが」
「…………そういえば、そうでしたわね」
帝霙という偽の名を使っていたせいか、たまに忘れそうになる。そして、自分がこの世界にとっての外人、異邦人である事を思い出す。
いや、違う。
異邦人ではなく―――迷子。
帰る家もない迷子。
帰る家もなければ方法もわからない迷子。
迷いに迷って、こうして倒れている馬鹿な迷子。
「お国はどちら?」
「外人にそれを聞くと嫌われるってテレビで言ってたぞ」
「私も外人ですわ」
「なら許す……国はドイツだ。こっちには去年留学生として来た」
「そうですか……此処に、海鳴に来たという事は……人妖ですの?」
シェイクする音が少しだけ乱れた。
「そういうアンタは人妖か?」
「いいえ、私は――――」
エルフ。
魔女。
人間でも人妖でもない。
「私は……何なんのでしょうか」
「おいおい、随分と哲学な事を言うな。自分の人種を応えるだけだろ?」
「人種、ですか……ふふ、実は私、人間じゃないんですのよ」
「へぇ、ソイツは驚いた。びっくり仰天だな」
まったく信用していない口調。当然だろう。人間じゃないと言って信じる馬鹿はいないし、人間だと信じられるのも嫌だ。
「でもさ、その考えもわからないわけじゃないかな……人妖なんてやってるとな、たまに自分が本当に人間かどうかもわからない時があるんだ」
「人間でしょうに」
これはあっさりと肯定できる。
「人妖は人間です。ただ単に人にはないおかしな力があるというだけの、なんて事のない人間ですわ。それを周囲は勝手に人間じゃないとか、化物だとか言いますが……それが実にくだらない事だと気づかないのがおかしいのですよ」
「…………」
「人間など百年生きれば長生きに値する短き生涯しか送れない存在。なら、そんな短い生涯が故に……そんな生涯だからこそ、その程度の力を備わってもおかしくない……私はそう思いますわ」
スノゥからすれば、人間など下等だ。
短い命で、愚かで単純で、それでいて他人を認めず己の意思しか尊重できない劣等種。そんな存在のくせに人間は差別する。自分達が差別されている事に気づかず、同族で差別を繰り返す。
力の無い者が力のある者を妬み、それを恐れ、そして阻害させる。
「実にくだらない。くだらないのですよ、人妖であるとか無いとか」
「…………」
「力のある者を恐れるあまり、相手が人である事を認められないのは愚かな事です。愚かも愚か……愚か過ぎて笑いたくなりますわ」
なら、そんな愚かな種に負けた自分は何なのだろう。
運が悪いだけなのに、どうしてか悔しい。
同じ種族に負ける事もあって、それが運が悪かっただけだと決めつける事は何度もあった。それが正しい事だと思っている。自分は運が悪いだけ。自分は愚かでも弱くもない。
だが、今回は違う。
負けた事に、悔しいと感じている。
あぁ、そうだ。
悔しいのだ。
悔しい、悔しい―――何故か、悔しい。
今になって肯定する事が出来た。
自分は悔しいのだ。
負けた事が悔しくもあり、自分の何かを否定された事が悔しくてしょうがない。

【もっと頑張りなさい。そうすれば、何時か君は誰よりも強く、誇り高い者になれるのだから】

呪いの言葉が脳裏を過る。
また気分が悪くなる。
「―――――あのさ」
リィナの声がすぐ近くに聞こえる。
目を開けるとリィナはスノゥの寝ているソファーのすぐ近くに立っていた。
「もしかして、アンタって良い人?」
「――――は?」
何を言っているのだろうか。
「だってさ、さっきの言葉……なんか、慰めているみたいに聞こえたからさ」
照れくさそうに頬を掻き、小さく微笑む。
「何故アナタを慰める必要があるのですか?」
「だよな、私もそう想う」
「ならば、変な事を言わないでください……胸糞悪いですわ」
微笑まれるのが、嘲笑われている様に見えた。
「そいつは失敬」
「……アナタ、外人の癖に妙に日本人っぽいですわね」
「そうか?私はそうは思わないけど……けど別にいいか。それより、これ飲みなよ」
差し出されたのはグラスに注がれた薄い黄色をしたカクテル。
「病院にお酒とは、見上げた根性ですわね」
「悪酔いには酒って相場が決まってるんだよ。それに、コイツはカクテルだけでアルコールはゼロだ」
「本当ですの?」
「本当ですのよ」
身体を起こし、グラスを受け取る。
甘い匂いが鼻を擽る。
「…………一応言っておきますが、私は下戸ですわ」
「下戸でも飲めるカクテルだ。大丈夫、私を信頼しろって」
初対面の相手を信頼する馬鹿はいない。
なら、これを飲んでアルコールが含まれていたのなら、慰謝料でも払ってもらおう。本気でそう想いながら、一口飲む。
口の中に甘みが広がる。
「――――これは……」
「どうだい?酒っぽくないだろ。本当なら酒っぽくなるんだけど、私の腕じゃどう足掻いても唯のミックスジュースだからな」
確かに味はジュース、完全にミックスジュースだ。
酒と言われれば酒っぽいかもしれないが、味はジュース。
「これ、ただのジュースですわね」
「でもカクテルさ。名前はシンデレラ。レシピはオレンジジュースとパインジュース、そしてレモンジュースをミックスしただけの簡単なもんさ。これをいかに酒っぽくするのが腕によるんだが……私じゃそれが限界だ」
「シンデレラ……」
この世界にある童話の中に登場する女性。
悪い継母とその娘達に虐げられ、ある日舞踏会で出会った王子と婚約して大逆転するという予定調和な物語。
その物語、その女性の名前を付けられたカクテルは酒でありながら酒ではない。
「美味いか?」
「……唯のジュースですけど」
「唯のジュースなら美味いだろ?」
「……まぁ、不味くはありませんわね」
美味い、とは言いたくない。
実際は美味いのだが、口には出せない。
「まだまだ、ですわね」
「精進するさ、これからもな」
嬉しそうに笑うリィナを見て、妙に腹立たしいと感じてしまう自分がいる。
どうしてそう想うかはわからないが、腹立たしい。
それは嫉妬なのか、それとも憎悪なのか、それとも―――――




それからしばらく、どうでも良い会話をする時間が流れた。
スノゥは殆ど聞く側で、一方的に喋るのがリィナ。
学校での事が殆どだった。
自分の学校は変な場所だ。
自分の学校にいる生徒は変な奴ばかりだ。
スキンヘッドの暑苦しい奴。覗き魔な変態。忍者みたいに消える生徒。ブラコンな優等生。人間の癖に妙に強い空手少女。時に大きく、時に小さい親孝行な生徒。一年の時に生徒会長になり、騒がしい学園を作った生徒会長。生徒会長に振り回される副会長。ブラコンの妹持つ可哀想な教師。
そして、教育実習生としてやってきた小さな先生。
まったく興味のない事ばかりな上に、で会ったばかりの自分に言うべき事か疑問に思うような話題ばかりが飛んでくる。
とりあえずわかったのは、学校にいる事が楽しいという事。
周りから白い目で見られるような場所にいるというのに、そんな事など些細な事だと笑い飛ばせると思える程に、今の場所が好きだという事。
そんな事ばかりだ。
興味がないから、適当に頷くだけ。それでもリィナは次々とマシンガンの様に色々な話をしてくる。
うんざりしてきた。
学校なんて場所に楽しみを抱く少女が馬鹿みたいだと思えた。
だが、気づけば頭の痛みは消えた。
気持ち悪さはない。
あるのは長い様で短い時間だけ。
楽しくも嬉しくもない時間だというのに、気づけば時間は深夜零時。次の日が訪れていた。
「―――――あれ、もうこんな時間か」
「話過ぎですわ。幾らアナタの学校が夏休みでも、大人の私はそうじゃないのですよ?」
「あれ、アンタって働いてたのか?そんな姿をしているから、てっきりフリーターとかだと思ってたよ」
「人を見た目で判断しないでください」
強ち外れではないが、否定はしておく。
「ふ~ん、ならアンタの職業って何さ?」
「…………」
無職、これは違う。
魔女、これも違う。
教師、とんでもない。
逃亡者、職業ですらない。
「私は……何でしょうかね」
「またそれか。何?アンタって記憶喪失とかなの?」
「そんなわけありませんわ。ただ、ただ……わからないだけです」
スノゥ・エルクレイドルというエルフであり魔法使いであり魔女。
だが、今の自分はそのどれかに含まれていながら、そのどれもを口に出来ない。
「一つだけ、わかる事があるとするのならば……」
わかっている事は一つだけ。
どうして自分が此処にいるのかという事だけ。
その事を明確に現すのはたった一つのシンプルな言葉。
「私は――――」
それを認める様に、スノゥは囀る。
言葉を囀り、現実を直視する。



「私は――――負け犬ですわ」



ゆっくりとドアを開ける。
冷房の効いた店内から一歩外に出れば、むわっとする暑さに顔を顰める。
肌に張り付くような暑さに嫌悪感を抱きながら、スノゥは小さく溜息を吐く。またこの蒸し暑い外を歩かなければならないのかと思うと憂鬱になってしまう。今着ている服がそもそも生地が厚いせいもあるだろう。とりあえず、明日になったら別の服に替える事にしようと決めた。今度はゴシックロリータではなくワンピースにしようと決めた。
白いワンピース。
雪の様に、白いワンピースにしよう
「一応、お礼は申し上げますわ。助けていただき、ありがとうございました」
「いいよ、別に。店に近くでぶっ倒れてる相手を捨て置く程、私も人間辞めてないからな」
人妖だしな、とリィナは微笑む。
「またぶっ倒れたくなったら、この位の時間に此処に来いよ。私は大抵毎日此処でバイトしてるからさ」
「バイトもいいですが、学生の本分は勉強ですのよ?」
「先生みたな事を言うなよ……けど、少しだけ考えとくよ」
どうだか、と思いながらスノゥは歩き出す。
その背中に、
「あのさ!!」
リィナの声が振れる。
「私は馬鹿だから良くわからないけどさ……あんまり、自分の事を負け犬とか言わない方が良いんじゃないか?」
スノゥは振り向かない。
お前に何がわかるんだ、と叫びそうになった。
だから振り向かない。
だが、
「…………」
歩く足は止まる。
「あんまり人の事をどうこう言えないけど、私だって周りから見れば負け犬みたいなもんだよ。誰からも必要とされる様な人間じゃないし、【取り換えの効く存在】だと思ってるし、その通りだと思ってるよ――――けどさ、そんな私にもちゃんと心配してくれる人がいた」
「…………」
「自分がどう思っていようとも、自分が思ってるだけが本当じゃないじゃないか?自分が要らない人間だと思っても、誰かが必要としてくれる人間だって思ってくるかもしれないんじゃないか?」
「…………」
「少なくとも、私にはいた。だから、アンタだって誰かいるはずだ。そういう人がいたんじゃないか?」
自分を必要としている相手がいる。
そんな人間はいるのかと聞かれれば、いるのかもしれない。
「―――――ックク」
だが、それは【いたかもしれない】であり、【いたがどうした?】という言葉に繋がる。
「クハハハハハ……」
馬鹿らしい。
実に馬鹿らしい。
「いませんよ、そんな人は」
いない。
誰もいない。
振り向いてもそんな人間はいない。今、スノゥの眼に映るのは今日初めて会った他人だけ。
「私にはそんな人間はいませんわ。そもそも、私は必要としていない―――必要だと思った事もありませんわ」
「そんな事はないはずだ」
「いいえ、そんな事もあるんですのよ、お嬢ちゃん」
スノゥは誰かを必要だと思った事はない。
だが、一時だけ誰かがスノゥを必要としてくれた時はあった。
「誰かが誰かを必要とするのは、誰かが必要なのではなく……誰かを利用する為だけに存在するのですよ……私は誰も必要としませんが、私を必要とする人間は確かにいました―――そして、私はその人間を利用した」
懺悔はしない。
間違った事などしていない。
己自身に恥じる行為など一つも無い。
「だけど、その利用しようとした人間は―――利用しようとした子は、私を必要としなくなった。わかりますか?利用する側と利用される側、この二つが人間関係というものです。ですから、私は誰にも頼らない。誰も私を頼らない―――頼る事すらおこがましい」
良いだろう、開き直ってやる。
自分は自分を必要とする少女を利用した。
利用して元の世界に戻ろうとした。
だが、それは失敗した。
少女は自分を必要としたはずなのに、最終的に自分以外を必要とした。
それを後悔しているのか―――とんでもない。
「アナタはそれでいいでしょうね……でも、私はそうじゃない。そうじゃないんですのよ、お嬢ちゃん」
後悔などしていない。
自分は誰だ―――魔女だ。
スノゥ・エルクレイドルという魔女だ。
神を信じず魔王を信じる、全てを敵に回す存在だ。
「遅いのですよ、何もかも」
「アンタは……それで良いのかよ?」
「良いのですよ、それで。それ以外は要らない。親愛も友愛も愛も好意も何もいらない。私が利用する相手が必要で、私を利用する相手が必要じゃない。そういう関係こそが私の意味あり、全て」
魔女は魔女らしく。
童話にでてくる魔女らしく、最終的に負けるだけの存在として堕ちればいい。だが、ただで堕ちてはやらない。挑むからには勝利だけを狙う。負けなど必要がない。必要なのは自身の幸福だけで、それ以外は邪魔だ。
「だからお嬢ちゃん……今日の私はアナタを利用しただけの他人ですのよ。故に絶対に二度と会おうなどと考えない事ですわ……でないと、次の私は必ずアナタを都合の良い人間として利用し続ける魔女として、現れるでしょうね」
そう言って、歩きだす。
夜は魔女の時間。
魔女の時間に人間はいらない。
いるのは己と利用する阿呆のみ。
会心などしない、心変わりもしない。
初めから終りまで―――魔女として生きて、魔女として死ぬ。

【君は君を誇りに思えば良い。そうすれば、何度だって君はやり直せる。だから、君は何度も何度も失敗していい。何度も何度、十回でも百回でも千回でも万回でも失敗すればいい……そうすれば【死ぬ前までには成功するかもしれない】だろう?】

呪いの言葉は再発する。
病魔の様に蘇り、心と体を蝕み続ける。
それを病魔とも知らず、スノゥは歩き続ける。
何度も何度も失敗し、次こそは成功すると決めて、失敗する。それでも立ち上がり挑み敗北し、失敗する。それでも負けるかと立ち上がり、再度挑戦して這いつくばり、失敗する。
大成も成功もしない。
存在自体が負け続ける、敗北の死者。
それは童話に出てくる魔女そのものだ。
ハッピーエンドの為の噛ませ犬として生み出され、描かれ、書き出され、そして決められた不幸を振りまき、決められた逆転によって滅ぼされ、ハッピーエンドの文字の下に沈められる敗北者。
魔女は踊る。
月夜の熱帯夜に踊る。
終わらない敗北のワルツを踊り、これからも負け続ける。
笑いながら、楽しそうに微笑み、踊り続ける。





翌日の夕方。
スノゥは繁華街の備え付けられた大型ディスプレイを見上げていた。
映し出された夕方のニュースには、この辺りで惨殺事件が起こったという知らせだった。
「…………」
街を歩く者達はそんなニュースになど見向きもせず、今日という一日を普通に過ごしている。誰も足も止めず、互いしか見てない。
此処でそのニュースを見ているのはスノゥただ一人。
白いワンピースを着て、見上げたディスプレイに映し出された映像と人名。
こう記されていた。

私立海淵学園、二年生―――リィナ・フォン・エアハルト

何を想ったのか、何を感じたのか、それを知る者は誰も居ない。
ただじっとそのニュースを見つめ、それが終わればニュースは次のニュースを映し出す。外の世界のニュースは政治家の汚職問題、夏休みのレジャースポットなど。先程まで報道されていた事件などあっさりと忘れる様子に笑いすら込み上げてくる。
笑っている様に―――無表情。
「…………無様」
ディスプレイから眼を反らし、スノゥは歩き出す。
無数の人の波を流す様にゆっくりとたゆたい歩き、静かに呟く。
「本当に無様ですわ」
蒸し暑い日だ、今日も。
「ですが――――」
誰かが死んでも、何も変わらない蒸し暑い日だ。

「アナタは、無様ではないはずだったのでは?」

こうしてスノゥ・エルクレイドルは退場する。
関係のある者に無関係を言い渡し、静かに舞台から降りる。



―――――はず、だった。



「あ、あのッ!!」
声をかけられた。
振り向けば、見た事があるような顔をした少女が一人。
そして、見た事のない海淵学園の制服を着た金髪の少女。
日本人の少女と異人の少女。
「何か御用ですか?」
少女はおずおずとしながらも、意を決した様にスノゥを見据える。
「間違いだったらすみません……アナタにお尋ねしたい事があります」
少女の隣に佇む少女は何も言わず、ただ黙ってスノゥを見る。どうやら用があるのは制服を着た少女ではなく、もう一人少女らしい。
「…………」
自分に尋ねたい事とは何だろうか。
「アナタは昨日……リィナ・フォン・エアハルトさんっていう子と、会ってましたよね?」
その名前に無表情だったスノゥの顔に驚きの表情が張り付く。
「アナタ達は、誰ですの?」
スノゥが尋ねると、二人の少女―――正確に言えば一人の教師と一人の教師は名を名乗った。
「私、新井美羽と言います」
「アリシア・テスタロッサです」
こうして、退場したはずの舞台は続いていた。
長く広い、一つの街を舞台とした事件に、魔女であるエルフは巻き込まれる事のなった。いや、既に巻き込まれていたのだろう。
昨夜、彼女がリィナと出会った事によって。



【フランケンシュタインの怪物】の犯した事件の役者は、こうして出揃った。







次回『複雑な彼女達』





あとがき
歩く負けフラグ製造機こと、魔女さんの再登場です。
やる事成す事、全てが負けフラグに繋がる呪われた魔女さん、今回のお話からびんびん負けフラグが充填されていきます。
さて、殺人事件から始まる物語ですが、当然これはミステリーでも何でもありません。トリックもなければ意外な真実もない。
ましてや、

美羽が名探偵になる事もなければ、迷刑事も出てこない。
そんなわけで次回は美羽、アリシア、スノゥが事件の真相に挑む。
存在する謎の集団の影ッ!!
奴等は何者かッ!?
美羽は事件の真実に辿りつく事が出来るのかッ!?

人形探偵・新井美羽の事件簿

「あの~、犯人、わかっちゃんですけど……」



なんて事にはならないよ?
それでは、また次回にお会いしましょう~


PS
日常の「命を燃やせ」に大爆笑して煙草を足に落して超あっちぃです。



[25741] 【人造編・第三話】『複雑な彼女達』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/05/27 17:17
まだ、夏だった。
始まりが夏だったのなら、これからも夏だろう。夏はまだ続いて、夏に終りが来るにはまだ一ヶ月の時間を有するに違いない。
大型ハンバーガーチェーンのパチものな店の中には学生達が屯している。制服を着ている者もいれば私服の者だっている。そして二人は、中島昴とティアナ・ランスターは前者の制服を着ている側に属する。
補習が予定外の事態によって速く終ったのは今から五時間ほど前。今は夕方の五時になろうかとしている。これでは補習が如何に早く終わろうと対して関係はなかった。早く帰る予定も無ければ何かをするという予定もない。ぐうだらに時間を過ごすだけの意味の無い時間は、高校生活の醍醐味である夏休みを無駄にしていると言ってもいいだろう。
もっとも、これもまた一つの醍醐味とも言えるかもしれない。
「…………」
昴は漫画雑誌をつまらなそうに捲る。店に入る前に買った雑誌は既に四周ぐらいはしている。衝撃的な展開だってそれだけ読めば驚きも無い。当然、二週目で飽きはきている。
向かい合って座っているティアナは分厚い文庫本を読みながら冷めきったホットコーヒーを啜る。
「……ねぇ、ティア」
「なに、今良いところなのよ」
「……私達、こんな事をしててもいいのかな?」
「良いも悪いも……高校生は高校生らしい事をしてればいいのよ……それとも何?アンタは同級生の死に対して面白半分、正義の味方気どりの事件解決でもして、新聞の一面を飾りたい?」
「その言い方はずるいと思うよ」
「…………でも、事実じゃない」
二人は互いに視線を合わせず、現実を直視する。
相手ではなく、現実を。
五時間前に聞いた、クラスメイトの死という現実を。
「ティアは……悲しくないの?」
「悲しいわよ。見た目と同じくらいには」
昴は雑誌から目を上げ、ティアナを見る。
「それってつまり……全然悲しくないって事だよね」
無表情で、つまらなそうに文庫本を見ていた。
「まぁ、ね。幾らクラスメイトだって言ってもさ、結局は他人じゃない。家族じゃないし、別に友達ってわけじゃない。単に同じクラスってだけ。偶然同じクラスになって、一日に数言だけ言葉を交わす程度の間柄よ」
あっさりと言い放つ言葉に嘘はない。
心の底からそう思っている―――そんな言葉だった。
「ティアは冷たいね」
「冷たいんじゃないの……これが普通よ」
「でも、人が死んだよ?」
「人は何時でも死んでるわ。新聞読みなさい。ニュースを見なさい。ネットを調べなさい――――人が死なない日なんて、一日だってないわ」
「冷徹だね」
「だから、普通だって」
どうしてこんな会話をしなければいけないのだろうか。
夏だ、夏休みだ。
周りは嬉しそうに、楽しそうに、愉快に毎日を謳歌しているというのに、どうして自分達はこんな暗い話題をずっと続けなければいかないのだろうか。
誰か説明してほしい。
どうしてこうなったのか。
どうしてこんな事になったのか。
どうして―――彼女が死んだのか。
「美羽ちゃん、犯人探しする気なのかな?」
「さぁね。そこまでお子様じゃないでしょ、あの人だってさ。第一、生徒が死んで教師が原因究明に乗り出し、犯人が見つかる―――何処の三流ドラマよ」
「だよね……だと、いいなぁ」
「まぁ、私には関係ない事だからどうでもいいわよ。あのお子様先生が勝手に真相究明に挑んで、勝手に犯人見つけて、勝手に殺されても、私の生活には何の変化もない」
「ティアはティーダ先生―――お兄さんだけいれば十分なんだよね」
「えぇ、そうよ」
「――――――私や、アリシアが死んでも、悲しまないんだよね?」
「――――――えぇ、そうよ」
冷たいなぁ、と昴は苦笑する。
これで友達と言える存在なのだから、世界はどうもねじ曲がっているらしい。普通ならこんな奴を友達だなんて想いはしない。だが、それでも何故か友達―――しかも、友達関係を小学校の頃から続けているのだから不思議だ。
昴とティアナは幼馴染、という関係。
小学校の頃に出会い、それから中学、高校と一緒になっている長い長い幼馴染。最早腐れ縁と言えなくもない。
だからこそ、わかるのだ。
昴の眼に映る幼馴染が何を考え、何を想っているのかを。
「でも、私はそんなティアでも好きだよ」
「…………」
ニッコリなんて擬音が付きそうな笑顔の昴に、ティアナは何時もの様に呆れ顔を作る。この幼馴染は何時もこれだ。
これが本当に【アレ】の妹なのか疑問になる。
似ているのは外見だけで、その中身は全く違う。
「はぁ……そんなんだから、アンタは彼氏の一人もいないのよ」
「それは関係ないと思うなぁ……私だってその気になれば彼氏の一人や二人、喜んで作るよ。でも、今はアリシアとティアと一緒にいるのが好きなんだもん」
「そうしてアンタは何時までも独身彼氏無しの干物女になるのよ……少しは友達離れしなさい」
「ティアが離れるならそうするよ」
「アンタが離れなさいよ、この寄生虫」
「それは勘弁。ティアのブラコンな身体に寄生したら私はシスコンになっちゃう」
たまに思う。
ティアナは想い、昴も想う。
こうして向かい合っている自分達は、どうしてこんな関係を続けているのだろう、と。
ティアナは昴の事を必要ないと言っている。
昴はそれでも関係ないと言っている。
なら、この関係は友達なのかと聞かれれば――――二人は友達だと答える。
片方が片方を必要とするのなら、それが友達と言えるのか。片方が必要としても、片方はそれを要らないと言っているのなら、それは友達ではないのではないか。そんな疑問に何度も何度もぶつかりながらも、二人は互いを友達だと思っている。
友達など必要が無い―――だが、友達と認めている。
矛盾した思考。
矛盾だらけの関係。
「―――――ねぇ、美羽ちゃんが心配だと思わない?」
「思わない」
「思おうよ、少しは思おうよ。あんなちっちゃい子が頑張ってるのに、私達がこうしてるのって間違ってない?」
「間違ってるのはアンタの、あの先生の認識。ちっちゃい子ってアンタ……あの先生はあれでも二十歳を超えてる大人よ?それを子って……」
「心配だなぁ」
「なら助けにいけば?」
「ティアは行かないの?」
「行かない。行く必要も感じられないわ」
バッサリと断言するティアナ。
「アリシアは助けに行ったよ」
「アリシアはお人好しでお節介で馬鹿で無鉄砲だから良いのよ」
「うわぁ、酷い言われようだ」
この場にアリシアが居たら、きったティアナに怒っていただろうと昴は想像し、その光景を想い浮かべて楽しそうに笑う。
その反面、ティアナはちっとも楽しくないという顔で、店の外を見る。
春よりも日が長い夏という季節では、夕焼けになるにはまだ早い。それでもゆっくりと、着々と日は沈む。
日が沈めば闇が来る。
表ではなく、裏が現れる。
「アリシアも馬鹿よね。あんなの放っておけばいいのに」
「それが出来ないのがアリシアの良い所だよ。ティアだって知ってるくせに……」
「それを良い所とはっきりと言えるアンタが凄いわ――――だとすれば、」
ティアナはこの場にいない【誰か】を想像して嗤う。
「【あの子】も大変ね。きっと今頃、心臓に悪いそうな事を何度も何度も何度も何度も何度も体験してるでしょうに……ご愁傷様」
「…………」
ジィっと昴がティアナを見つめる。
「何よ?」
「いやね、ティアってさ……【あの子】には何か優しいよね」
「……優しいっていうか、同情に似たものかもしれないわ。アンタみたいな鉄砲玉と一緒にいるとね、何をしでかすかわからないからね。アリシアもある意味ではアンタと同じ。だから【あの子】に同情ができるのよ。アンタも大変ねってさ」
そう言ってティアナは文庫本を鞄に仕舞い、残った珈琲を一気に口の中に流し込む。
「もう帰るわ。帰って兄さんに晩御飯作ってあげなくちゃ」
「やっぱり手伝う気は無いんだね」
「だったらアンタが手伝えばいいじゃない」
「う~ん……ティアが行かないなら行かないよ」
またそれか、とティアナは呆れる。
「アンタさ、毎回毎回だけど……なんで私が動かないと動かないわけ?少しは自分の主張って奴に責任を持ちなさいよ」
だが、こう言っても昴がどう返すかなど知っている。伊達に幼馴染をやっているわけじゃない。
悲しい程に、ティアナは昴を理解している。
「だってさ、私がアリシアと美羽ちゃんの手伝いしたら、ティアが一人になっちゃうじゃない?だから、私も動かないよ」
ほら、やっぱり―――とティアナは呆れる。
「…………勝手にしなさいよ」
そして、こう言われれば何も言えず、何時もティアナは顔を背ける。
顔が熱くなるのも毎回の事、もう気にしはしない。
「でもさ、ティア」
「何よ?」
「本当に、本当に手伝う気は―――助ける気は無いんだね?」
「…………あのね、昴。私は――――」



「助けてくれって言わない奴を助けるほど、暇じゃないのよ」











【人造編・第三話】『複雑な彼女達』










美羽と向かい合うスノゥ。
方や真剣、方や不機嫌。
真剣な美羽と、不機嫌なスノゥ。
その間に座るのはメニューを見ながら財布と話し合いをしているアリシア。
三人は駅前のファミリーレストランの喫煙席にいる。
別に煙草を吸う、というわけではない。こういう場所の喫煙席は店の奥に位置する。秘密の話、誰にも聞かれたくない話などをする際には、人の通りの多い場所よりは喫煙席の方が多少はマシだろうというアイディアからなのだが、
「……美羽ちゃん、何食べる?」
「テスタロッサさん……私達、食事に来たわけじゃないんですけど」
「まぁまぁ、スノゥさんもメニューをどうぞ」
「いりませんわ」
「二人ともダイエット中?駄目だよ、夕飯はちゃんと食べなくちゃ。今日はきっと長丁場になるから今の内にきちんと食事を取るべきだってね」
呼び出しボタンを押すアリシア。
「二人の分は適当に頼んどきますから」
「いや、そうじゃなくて……」
「店員さ~ん、こっちこっち!!」
「あぁ、そんな大声出したら意味がない」
「―――――私、帰ってもよろしいでしょうか?」
本気で帰りたくなった。
駅前で声をかけられ、引きずり込まれる様に連れてこられたファミリーレストラン。肝心の話は始まる様子もなく、一人はまるでただご飯を食べに来たかのように振舞っている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。テスタロッサさん、お願いだからもう帰ってくれないかな?この人を見つけるのに手伝ってくれたのは嬉しいんだけど、これ以上は……」
「えぇ!?ここまで手伝わせておいてタダ働きですか―――嫌ですよ、労働にはお金か食べ物で支払ってもらいますよ。第一、私がいなかったら美羽ちゃんは何時まで経ってもこの人に会えなかったんですよ?」
「それはそうだけど……」
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
二人の会話に割り込むスノゥ。
「アナタ……えっと、テスタロッサさん、とか言いました?」
「はい、アリシア・テスタロッサです。名字で呼ばれるのはあんまり好きじゃないんで、アリシアで良いですよ」
「なら、アリシアさんと呼ばせて頂きますわ―――アナタ、私の事を探していた、と言ってましたね?」
「正確に言えば私じゃなくて、美羽ちゃんがだけどね」
視線はアリシアから美羽へ映る。
「何故、私を探してたのですか?」
「――――アナタが昨日、エアハルトさんと会っていたからです」
少しだけ感心する。
最初に見た時はおどおどした態度をしていたが、今ははっきりと喋り、真っ直ぐにスノゥを見ている。
裏と表があるのだろうか。
それともスイッチでもあるのだろうか。
日常と非日常で使い分ける、己のスイッチ―――それを【擬態】という。
「先程もそう言っていましたが……証拠でもあるのですか?」
「目撃者がいます。昨日の十時頃、アナタが店の前で倒れて、エアハルトさんが店内に運び入れた……そんな話を聞きました」
「へぇ、そうですか……」
あの場に目撃者がいたのか―――まぁ、いるだろう。幾ら路地裏にある小さな店だとしても、人はいる。あの場所も街の一部であり、人が住まう一部だ。
「人違いでは?私と同じ背丈、恰好、容姿をしている方ならこの街に沢山いるはずです」
あの場に防犯カメラでもあった―――という話なら別だが、そんな事はないだろう。この街にこうして潜伏している以上、あまり防犯カメラがある場所には気を付けている。現に、この店とてそうだ。
カメラの死角に入る事が出来ないが故に、【カメラに死角を作り出す】ことによってそれを逃れる。スノゥが行使する魔法はこの科学全盛期である現代において、そう簡単に解明できる技術ではない。
「それはわかってます。ですから――――」
その瞬間、美羽の目が微かに―――鋭くなった気がした。

「全員に会いました」

「全員?」
「はい、全員です。ですからアナタを見つけるのがこんな時間になってしまいました」
まさか、と思った。
スノゥのまさか、にアリシアが呆れ顔で答える。
「根性あるよね、美羽ちゃんも。まさか、この周辺にいる同じ背丈、恰好、容姿の人―――【全て】に声をかけるなんてね……正直、効率的じゃないよ」
「でも、ああしないとわかりませんでしたから……」
「中々の根性だよ、うん」
「―――――もしも、もしも私が違ったらどうする気だったんですの?」
「また同じ様に探します。目に入った人、似た人全員に声をかけます―――でも、そのおかげで見つかりました」
なるほど、大した根性だ。同時に効率の悪い事、この上がない。はっきり言ってもう少し頭の良い方法があってもいいはずだ。
「それで、その……エルクレイドルさんは、昨日の晩にエアハルトさんに」
「…………えぇ、会いましたわ」
此処で知らないと言ってもいいのだが、
「ですが、会っただけで彼女がどうして死んだのかなんて知りませんわ」
その理由も特にない。
「第一、彼女と会ったのは昨日の一晩だけ。見ず知らずの誰かを殺す理由なんて私にはありませんし、得にもなりませんわ」
むしろ、これ以上面倒に関わるのは御免だ。こちらはそんな事件でなくとも、この街と外から目を付けられているのだ。
だからさっさと話を済ませて、さよならしたい―――だが、そんなスノゥの想いとは裏腹にアリシアは、
「まぁ、言い分は確かに正しいんですけど――――それで容疑者から外せませんよね」
「……容疑者?」
「はい、容疑者です。ぶっちゃけ言いまして、スノゥさん……この事件の容疑者ナンバーワンですから」
「…………」
「おめでとうございます」
「おめでたくないですわね……その話、本当ですの?嘘だったら許しませんよ?」
「嘘じゃありませんよ。私達はどうやってスノゥさんの容姿の情報をゲットしたと思います?この情報、今のところオフレコですから、世間の皆様は知りませんよ」
確かにそうだ。
目撃者の情報は先程のニュースには一つもなかった。だというに、美羽とアリシアはそれを頼りに自分を見つけ出した。
それはつまり、この二人がそういう機関に関係があるという事だろう。
「アナタ達、何者ですの?」
「ただの学生ですよ、学生。ちょっと昔からやんちゃしてるから、警察の人に目を付けられる程度にやんちゃな、普通の学生です」
「私は教師です。教師といってもまだ教育実習中の、若輩者ですが……」
「教師と生徒、ですか……」
傍から見れば逆だろう。
アリシアが教師で美羽が生徒、と言われた方がまだしっくりくる。
「やれやれ、ですわね。警察よりも先に探偵気どりのおバカさん達に見つかるとは……」
「その台詞、犯人っぽいですね。もしかして、スノゥさんが犯人?」
「馬鹿な事を言わないでくださいな。私はやっておりません。何度も言いますが、理由もありません――――むしろ、理由ならアナタ達だってあるのでは?教師や生徒、学校関係者であるのなら容疑者としては私よりも上なはずですわ」
「私は自分の生徒を殺してなんかいません!!」
声を荒げる美羽。
「―――――どうだか。教師が生徒を殺さない、なんてのは、加害者が被害者を殺していない、という言葉と同じくらい矛盾していますわ」
「それも大概暴論だとよねぇ」
空気を読まない声はアリシア。
「スノゥさん、もしかして教師とか先生って人達が嫌いなタイプ?そんな典型的なヤンキーさん?」
「アナタが何を言っているのかは知りませんが、確かに嫌いですわね。特に教師なんて輩は大嫌いです。三カ月前もその方々のせいで酷い目に会いましたからね」
さらに言えば、それ以上前からずっと。
教師という師。
師匠という師。
どちらにせよ、ろくでも無い連中で在る事は変わりは無い。
「私の事はどうでも良いのですよ。それよりも、そんな容疑者である私と会ってどうするつもりだったのですか?まさか、私が犯人だと、私が殺したのだと証言したら、アナタ達だけで私を捕まえるつもりだったのですか?」
だとすれば無謀だ。
こんな十年と少し、二十年と少ししか生きていない若造に負ける程、自分は愚かではない―――だが、それは傲慢だと自分でも思う。現に自分はそんな若造、自分よりの半分も生きていない者達に負けたではないか。運が悪かったにせよ、だ。
「それで、どうなのですか?」
美羽は水で喉を潤し、
「……それは、わかりません」
「それはまた……アレですわね」
「別に犯人探しがしたくて此処にいるわけじゃないんです……ただ、どうしてエアハルトさんが死んだのか、殺されたのか、その事を考えたら居ても立ってもいられなくなって……」
「後先を考えないのは愚か者のする事ですわね。相手は人を一人殺す人間です。能力があろうとなかろうと、人を殺したという点でみればアナタの様な普通な人にとっては脅威のはずでは?」
死は身近な存在かもしれない。誰だって何時死ぬかわからない。永遠の命なんてモノが存在しない以上、どのような存在にだって死は、終わりは訪れる。
だが、死は身近でも殺されるという行為は身近ではない。
スノゥにとっては身近でも、何十億という命が生きるこの世界では身近ではない。
近いのに、遠い。
「怖いと思いませんか、私が……」
「……怖い、です……怖いですけど……」
美羽は一度視線を下に。
机の下で小さな手をぎゅっと握り、もう一度顔を上げる。
「怖くても怖くても、自分ではどうにもできない事があったとしても―――それは自分が何もしない理由にはなりません」
「十分に理由になると思いますが?人が死んだら葬儀屋へ、人が殺されたら警察へ。子供だって知っている事をアナタの様な方が平然と無視するとは、愚かですわ。特に、そういう当たり前を平気で破る様な者が、まさか教師とは……お笑いですわ」
スノゥはほくそ笑み、侮辱する。
だが、美羽は静かに言う。
「―――――教師も人間です。私は人間です。自分で何が正しいのかがわからなくても、どうしようもない事があったとしても、頭が理解するよりも先に心と身体で動きます……少なくとも、私の周りにいた人は、そういう人達でした」
「随分と変わった方々なのですね」
「そうですね。きっと変わった人達だと思います――――でも、私はその人達の事を心の底から尊敬できます。そんな人達の仲間、友達であった事は、私の学生時代の中で最高の宝物だと……言えます」
嘘偽りもなく、己が心に問いかければ―――何度だってそう答える。
「だから私は此処にいるんですよ。黙って待っているよりも、何も出来なくても動いた方が良い。動きたくてしょうがない。正義感でも好奇心でもありません」
これが高校時代の彼女を知っている者が見れば驚くだろう。そして微笑むだろう。
人前で話す事が苦手で、何時も能力を使ってぬいぐるみ越しでしか他人と会話していた少女は、自分の言葉で、自分の口で、目の前の他人に向かってはっきりと意思を伝えている。
時が経てば人は変わる。
それは退化か成長かの二択。
姿形が変わるのと同じ様に、心が成長する。
「―――――人が死にました。短い間ですが、私の生徒だった子が殺されました。その子がどんな殺され方をしたのかは知りませんが、殺されたという事だけは事実です……その事実一つあれば、十分です」
長い前髪に隠れている瞳は、真っ直ぐにスノゥに向けられている。
「だから教えてください。どんな事でも構いません。私の生徒の、エアハルトさんの事を教えてください」
おねがいします、と言って頭を下げる。
「…………」
馬鹿げていると嗤う事はできる。
だが、それ以上に疑問が湧きあがってくる。
どうして、たかが一人の生徒の為に、しかも既に死んでいる生徒の為に此処まで出来るのだろうか。見ず知らずの自分に頭を下げ、死の真相を知ろうとしている。先程、スノゥは美羽に向けて言った。好奇心、探偵気どり、そんな言葉でこの事件に首を突っ込むなど愚かで馬鹿らしいと――――しかし、それは間違いなのかもしれない。
認めたくはないが、思いたくもないが、目の前の小さな教師は―――本気で想っている。本気で知りたい、自分の関係のある人の事だから知らなければならない。理屈でも理想でもなく、自分の中にある一本の柱に準じて、動いてる。

【誰かに優しくしなさい。そうすればアナタは誰からも好かれる素晴らし人になれる】

脳内の流れる、脳髄を舐めるように聞こえる声はスノゥに向けられる言葉だった。だが、今はその言葉が酷く安っぽく聞こえる。
誰かから好かれたいから優しくするから他者の為に動く。
誰かの意思など関係なく、優しくしたいから動くでも、好かれたいから動くのでもなく、
「…………」
ただ、そう決めたから動く。
「おねがいします。何でも良いんです。どんな小さな事でも良いんです。エアハルトさんの事を教えてください……」
スノゥは先程から口を閉じているアリシアを見る。
この少女も美羽と同類なのだろうか。
アリシアはスノゥも美羽も視界に映さず、水の入ったグラスに指を突っ込んで氷を回している。
何処か楽しそうでありながら、まるで心地の良い音楽を聞いている様だった。




アリシアは自分を良い人だとは思っていない。
アリシアは自分が頭の良い人だとは思ってはいない。
アリシアは自分が他の人とは違うとは思ってはいない。
其処らにいる普通の人となんら変わりのない平凡な人間だと思っている。周りには個性の強い者達が沢山いる中で、自分はあまり個性のない無個性な存在とずっと思っていた。
しかし、周りの評価はそうではなく、周りから言わせればアリシアは【お節介】という属種に入るらしい。
自分はそんなにお節介だろうか、と考えてもわからない。自分に出来ない事はしないし、トラブルに自ら足を踏み入れる程にトラブル好きというわけでもない。
それなのに周りはそう評価する。
「アナタも随分とお節介な方なのですね」
こうしてスノゥもそう言う。
「なんでか皆はそう言うんだよね。私、そんなにお節介かな?」
「えぇ、お節介ですわ。少なくともアナタは興味本位でこんな事に首を突っ込んでいる様には見えませんし……特別正義感に燃えている、というわけでもなさそうですわ」
「だからお節介?」
「その通りですわ。お節介な方というのは自分に何の利益もないのにトラブルに首を突っ込む。何か意味があるわけでもないのに他者の為に何かをしようとする。これが偽善の様に良い事をしようとか、そうして誉められたいとか、そんな考えを持った方ならお節介とは言わない」
「つまり、お節介っていうのは――――何?」
「お節介というのは、良くわからない理屈で動くという意味ですわ」
そこまで難しいのがお節介という属種だとは知らなかった。
アリシアの中のお節介とはスノゥが言った偽善に近い感じだと思っていた。だが、どうやらそうではないらしい。良くわからない理屈で動き、利益も何も求めない。それではまるで自分の様ではないか。
「あぁ、確かにお節介かも」
「自覚が芽生えて良かったですわね」
アリシアとスノゥはそんな事を喋りながら、裏路地に立っていた。
此処は事件現場。
警察が現場検証を終わらせ、今は黄色いテープで立ち入り禁止にしている場所に、アリシアとスノゥ、そして美羽は来ていた。
周りには警察官らしい者は誰もおず、人の通りもない。
あるのはコンクリートに染み込んだ黒く、そして赤い染み。
此処で人が死んだ。
リィナ・フォン・エアハルトが死んだ。
美羽は染みの前にしゃがみこみ、両手を合わせて拝んでいる。
「―――――国も世界も違えば、死者に対する祈り方も違うのですね」
「スノゥさんって何処の国の人?」
「秘密ですわ」
国が違う以前に世界も違う。そして祈るのは神ではなく魔王。そんな事を今日会ったばかりのアリシアに教える気はない。
教えても理解されないだろう。
「そういうアナタはどうなのですか?見た所、日本の方ではないようですが……留学生ですの?」
「私?私は違うよ。生れは忘れたけど育ちはずっと海鳴。だからこんな外国人っぽい容姿をしてても、英語とか全然喋れない」
「英語くらいは喋れるようになりなさい。でないと、何時か痛い目に会いますわよ」
スノゥもこの世界に来て、言葉を覚えるのが大変だった。特に日本語というのは同じ言葉で違う意味が含まれ、更には丁寧語やら尊敬語など色々と面倒なプロセスを持っている。
「でもなぁ……なんか苦手なんだよね。母さんが元々この街の外から来た人で、外国の人だからペラペラ……あんまり羨ましくないけどね。とうせ、外国に行く機会なんてないだろうしね」
外国の言葉など知らなくてもいい。どうせ、この街から出る事は出来ない。アリシアも、他の生徒も―――この街に入れられた誰もが心の中ではそう想っているのかもしれない。
「出たい、とは思いませんの?」
「思わないよ、全然。この街はこれはこれで好きだし、外に出ても人妖ってだけで差別されるなら、此処にいた方が安全だよ」
安全。
自分で言っておきながら、これは海鳴が好きだとか嫌いとかではない気がする。
安全だから。
安心できるから。
人としてみられず、化物としか見られない外は敵なのかもしれない。
頭では否定しても心の何処かではそう思っている。
誰もがそう思っている。
「でも……安全って言うほど、安全でもないか」
こうして人が死んでいるのだ。これの何処が安全だというのだろう。外も内も変わらず、安全な場所なんて何処にもない。
「安全な場所なんてさ、何処もないんだよね」
「人の隣にいるのが人である限り、それは必然ですわ」
「夢の無い話だよ」
「夢も希望もありはしない―――これが世界のルールですわ。何処にいっても」
頭では理解できても、心では理解する事は無理だった。
昔、テレビで映った世界の美しい光景を見て、此処に行ってみたいと両親にねだった事はあった気がする。だが、その度に母は悲しい顔をしてアリシアを抱きしめる。
何も言わないが、それは謝っている様に見えた。
アリシアに対して、娘に対して、母として娘の願いを叶える事が出来ない事に悲しみ、悔しい想いを抱き、そして我慢して、謝る。
だからこそ、理解できた。
この街から出たいとは思わない方が良い。
この街から出たいと思う事は―――いけない事なのだろうと。
「スノゥさんはこの街の事、どう思う?」
「どう思うとは……好きか嫌いか、という意味ではなら大嫌いですわ」
「私も嫌いだよ」
この街は嫌いだ。
人妖隔離都市。人妖を隔離する都市。人を狭い檻の中に閉じ込める、刑務所の様な場所。此処から出る事は出来ない。出れるのは限られたごく一部の人間だけ。それもかなり限定的だ。美羽の様に他の街から此処に来たというのだって驚きなのだ。
とすれば、美羽もそういう限られた人間の一部なのだろう。
少しだけ嫉妬する。
出たいとは思わないが、特別である事に嫉妬する。
この人は良くて、どうして――――母は、出る事が出来なかったのだろうと嫉妬する。
「…………」
「…………」
語るべき言葉がなければ会話は終わる。
本来なら語る事すらなかった二人の会話は、こうして止まる。



二百年以上生きていれば、過去の事など忘れてしまっても無理はない。
自分が何処で生まれ、どういう生活をしてきたのかは覚えてない。覚えているのは自分が、スノゥがエルクレイドルの一族に招き入れられた時からだった。
どういう気持ちだったのだろう。
その一族に加わるという事が、その一族の長である魔法使いの弟子になるというのはどういう事か、その時にスノゥにわかるはずもない。
厳しい修行だった。
毎日毎日、本に刻まれた文章を脳内に叩きこみ、知識を取り入れる。それだけじゃない。魔法使いは魔法を使えるようにならなければ意味がない。知識の次は技術。攻撃、防御、移動、様々な術式を行い、失敗すれば命がないなんてモノすらあった。
それでも何とかスノゥは生き延びた。
乗り越えたわけでもない、挫けなかったわけでもない―――ただ、生き残っただけ。
師である魔法使いは尊敬できる人だった。
偉大で在り、寛大であり、何よりも人の心の正しさを信じる素敵な人だった。辛い修行も師のおかげで生き残る事ができた。巧く出来た時は誉めてくれた。失敗した時は慰めてくれた。
スノゥは師が大好きだった。
大好きだった―――はずだった。
知ってしまえばなんて事はない。
誉めてくれた言葉の裏には正しさも間違いもない、黒く濁った恐ろしいモノがあった。慰めてくれた言葉には慈しむ心も慈愛の心もない、冷たく気味の悪い感情だった。
気づくのが遅すぎた。
この身には呪いがある。
気づくのが遅すぎた。
長年にわたって刻み込まれた呪いは解除不可能。
気づくのが遅すぎた。
師の本質に気づくのが遅すぎた―――それ故に呪いの存在に気づけなかった。過去から現在まで、その身を蝕む呪いに彼女は気づかない。
言葉という呪い。
言葉という魔法。
解ける事のないソレは前にも後ろにも、上にも下にも左右にも、逃げ道などない。呪いがあるのは彼女の中、身体の中、心の中、存在という中。
逃げ場などない。
呪いの効力は絶大だった。
スノゥ・エルクレイドルは大成も成功もしない。
彼女が望む、真に望む成果物を得る事は絶対にない。
敗者であり負け犬であり、失敗の根源。
だから彼女はこうして海鳴にいる。
失敗から海鳴に来た。
その失敗を無かった事にする為に策を練り、失敗した。
失敗から海鳴を出た。
その失敗は更なる失敗を呼び、彼女は失敗して海鳴に戻った。
そして今、彼女はまたも失敗した。
たった一晩、見知らぬ少女に拾われ、少女と会話をして、そして別れ。次の日になったら少女は死んで、自分はその容疑者として疑われている。
失敗だ。
何もかも、失敗だ。
だが、この呪いのもっとも厄介であり下種な点を上げるとすれば、彼女が呪いに気づかない事と同じ様に【失敗から真に学べない】という点だろう。
どうして失敗したのかもわからず、運が悪いと【逃げる】。
今度は大丈夫だと失敗した事すら気にせず、失敗から【学ばない】。
認める事はしても、本当の意味でそれを認める事はない。
認める事が、できない。
「…………無様、ですわね」
この言葉は誰に言っているのかもわからない。自分に向けているかどうかもわからない。仮に自分に向けていたとしても――――彼女はそれを気づけない。
呪いはこうし完成し、成就し続ける。
師は弟子の将来を殺した。

弟子が師を殺したように

長い長い死者への祈りを終え、美羽は立ち上がる。
「もういいの?」
美羽は頷き、黄色いテープを潜る。
「それで、これからどうするの?スノゥさんは有力な情報とかは持ってなかったし、素人私達に出来る事は……あまりないよ」
「そうですね……」
所詮は素人なのだ。スノゥにたどり着いた時点で奇跡的であり、これが限界。これ以上先に進むには権力を持った存在が必要なのだろう。
「地道に聞きこみ、とかしても無駄だろうなぁ。事件の瞬間の目撃者はなかったし、目撃されたのはスノゥさんがリィナと会ってた、という事だけ」
スノゥの容疑は晴れたとは言えないが、何となくやってはいないだろうなという思いはある。何処か人を見下すあまり気分の良い性格をしている女性ではないが、嘘だけは言っていないだろう。
「―――――時間も時間ですから、もう諦めた方が良いのでは?」
時刻は夜の八時を回っている。
事件があったせいでこの辺りは人の通りが少なくなっているが、それを気にせず歩く者だっている。そんな者にスノゥの姿を見られれば、犯人は必ず現場に戻ってくるというテンプレートな発想の餌食になってしまうだろう。
スノゥとしてもこれ以上、この件に関わる事は良い方向には持っていけないだろう。少なくともこの夜の闇に乗じて外に逃げ出そうと考えていた。
「テスタロッサさん、アナタはもう帰った方がいいですよ。明日も補習がありますし、こんな時間に女の子が出歩いていたらお家の人も心配します」
「この時間で危ないとか、小学生じゃないんだから……家の方には連絡して帰りは遅くなるって伝えてあるから大丈夫」
「でも……」
「まぁ、あれだよ。乗りかかった船っていう奴。最後まで付き合うよ」
頼もしい言葉ではあるが、
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
美羽はずっと思っていた疑問をアリシアにぶつける。
「どうして手伝ってくれるんですか?」
「どうしてって言われてもなぁ……」
アリシアは頭を掻きながら顔を顰める。
「別に理由なんて無いって言えば、それだけになっちゃうし……リィナは同じクラスメイトだからって言えば聞こえは良いけど、そうでもない……う~ん、どうなんだろうなぁ」
正直に言えば、自分でも良くわからない。
わからないが手伝おうと思った。
自分でもわからない理屈で動く―――なるほど、確かにお節介だ。
「美羽ちゃん一人だと、心許ないから―――とか?」
「あぅ、的を得ているから否定できない……」
「自覚はしてるんだね」
「一応は……」
こんな場当たり的な二人を見ながらスノゥはやれやれと首を振る。そもそも此処にこうして自分が居ること事態に意味がない。自分でもわからぬ内にスノゥは二人と一緒にこの場を訪れた。
死の匂いはまだ濃い。
嗅ぎ慣れた匂いが鼻を刺し、懐かしさに苦笑が込み上げてくる。
自分は一度も誰も殺した事はない―――そんなはずなど、あるはずがない。
一体自分はどれだけの人間を殺してきたのだろう。この手で、この身に宿した魔法の術を持って多くの人を殺してきた―――だというのに、どうしてこんな場所にいるのだろう。
何人も殺しておきながら、たった一人の死に自分はこんなにも関わっている。本来の自分なら興味すら示さない。あの時、美羽に声をかけられた時だって表情など出さずに知らないの一言で通せばよかった。
しかし、顔に出ていた。
「……無様ですわ」
「ん、何か言いました?」
「いいえ、何でもありませんわ」
どうも狂っている気がする。自分の中の意思のサイクルが何処かで歪んだ様な気分だ。
昨日の晩も、そして今だって。
狂う時などあるはずがない。
スノゥは最初から最後まで、永遠とスノゥ・エルクレイドルだったはずだ。
「でも、なんか……」
アリシアはスノゥの顔を覗きこみ、
「なんか、悩んでるみたいに見えたもんで」
「――――――悩む?」
何を悩むというのだ。
「気のせいですわ」
「なら良いんですけどね……はぁ、美羽ちゃん。これからどうする?」
「だからテスタロッサさんは家に―――」
「あ、そうだ。何かご飯食べに行かない?こういう時は何かを食べて、お腹を一杯にする方が良いアイディアもでるもんですって」
「さ、さっきアレだけ食べておきながら、まだ食べるのですか?」
先程のファミリーレストランで大食い番組の挑戦者並に食べておきながら、まだ食べると言うアリシアに、スノゥも美羽も呆れるしかない。
「だってさ、さっきは私だけしか食べてないでしょう?二人は全然食べてないから、今度は三人で食べましょうよ」
「確かに私と美羽さんは食べてませんが……アナタが食べる必要はあるのですか?」
「ありますよ。私は基本的に【二人分】食べますからね」
「二人分?」
どう考えてもあの量は二人分を軽く超えている。
「そ、二人分。というわけで、お店にレッツだゴ~ッ!!」
元気良く歩きだすアリシア。
「……で、どうしますの?」
「えっと……行くしか、なさそうですね」
「そうですわね」
そう言って二人は諦めた様に歩き出す。だが、歩きだしてスノゥは気づく。別に自分が付きあう必要性は皆無なのだ。
「……無様ですわ」
それでも足は止まらず、蒸し暑い夜の街を歩く。





深夜の海淵学園に明りが一つ。
校舎の中央に位置する三階の特別教室に浮かぶ光によって、教室の中に浮かぶ一人の人物の姿を映し出す。
場所は生徒会室。
その部屋の中にいるのは夏だというのに長袖の学生服。しかも丈が普通の倍はある、いわゆる長ランと言われるものだ。昭和の番長と呼ばれる絶滅生物達が好んで来ていた丈の長い学ラン、しかも色は白。白の学ランを着ているのはこの場所の主で在り、生徒達の長、生徒会長と呼ばれる少女。
夏休みだというのに生徒会長という役職についた少女は当然の様に学校に顔を出していた。溜まっていた案件はもちろん、学園に通う生徒の死という事件。だが、それ以上に彼女をこの場所にとどめるのは、夏休みだとうかなど関係なしに挑んでくる生徒の相手をしていたからだ
挑んでくる、という表現は間違ってはいない。この学園では毎日、誰かしらが生徒会長である彼女に挑んでくるのだ。
その理由は一つ。
私立海淵学園の校則の中に取り入れられたとんでもない校則のせいだった。
その校則が取り入れられたのは三年前。現生徒会長が生徒会長だった頃の話―――つまり、彼女が一年にして生徒会長になった時から生まれた校則。
学園内での人妖能力の使用を認める。そんな校則を作った事は有名な話だが、世間ではあまり知られていない、もう一つのとんでもない校則が存在する。

生徒会長に勝つ事ができたら、どんな自由も許される

そんなシステムを創り上げたのが彼女。一年にして生徒会長になり、それから三年間一度もその座を譲る事なく君臨し続けた彼女だからこその校則。
当然、こんな校則は本来なら受け入れるはずはない。だが、どういうわけかそれが通ってしまったのだ。周りは当然の如く慌てるだろう。なにしろ、海淵学園はこの辺りでもっとも荒んだ者達の巣窟なのだ。普段でさえ校則なんてあってないようなモノだというのに、それを冗長させるような行為など自殺行為でしかない。
悪策だろう、悪法だろう、なんて馬鹿な事をしたのだろう―――誰もが、特に教師陣は誰もがそう思った。
しかし、その思いはある意味では間違いであり、ある意味では正解だった。
間違いであり正解でもある校則を創り上げ、生徒会室を自らの根城にしている彼女は、今日は疲れたとばかりに息を吐く。
重い腰をあげ、添えつけのポッドからお湯を出してお茶を入れる。
「……今日も一日、平和でした」
そんなはずはないのだが、これが彼女の口癖である。どんな事があっても彼女自身は平和だと宣言し、明日も頑張ろうと思える為の一種の暗示だろう。
熱いお茶を流し込み、一息つく。
夜の学園は静寂に包まれている。
今、この学園にいるのは恐らく彼女一人。その事実と想いがこの場を安住の地だと思わせる事に繋がる。此処が彼女の聖域であり、果ての地。
だが、この時間ももうすぐ終わるだろう。
彼女は今年で三年だ。夏休みが終われば生徒会長としての任期も終り、新しい者が生徒会長としてこの学園の上に立つ。その時、彼女が創り上げた校則はどのような効果を及ぼすのか―――考えるまでも無い。
恐らく、混沌が待っているだろう。
それも良いかもしれない。
自分はただ、自分の好きなようにしたかっただけ。自分の腕を磨くためにこんな校則を創り上げたに過ぎない。言い方を悪くすれば、学園一つを自分の稽古場にしたに過ぎない。その為、来年の海淵学園がどのように悪化するかなど知った事ではない。
良い生徒会長になる気などさらさらない。
悪い生徒会長になった気も同じ様にない。
あるのは己が想いだけを成し遂げる、それだけで十分で十全。
「まぁ、その時までは精々頑張るとしましょうか……」
「おいおい、独り言を言うなんぞババア臭いぞ」
安住の地には何時だって掠奪者と襲撃者が現れる。
生徒会室の扉を開け、入って来たのはスーツを着た―――なんというか、
「こんばんわ、ランスター先生……相変わらずチャラいですね」
そう、チャラい恰好なのだ。
スーツを着ているには着ているのだが、下にシャツも着ずに地肌の上に直接スーツを着ている。頭は頭髪の自由化を体現するように目が悪くなる様なオレンジと頂上だけが薄い緑色という、果物のオレンジを現す様なスタイル。
「それが教師に向かって言う言葉かよ」
「あまり、先生の事を教師だと思っている方はいませんよ。授業は何時だって適当。女子生徒には手を出すのは日常茶飯。競馬に競艇、競輪にチンチロ。麻雀からパチンコ、最後は宝くじまで手を出すギャンブラーのアナタが、どうして先生なんかやってるのか疑問です」
バッサリと言葉の刃で斬られた教師、ティーダ・ランスターは特に気にした様子もなくケラケラと笑うだけ。
「俺から言わせれば、お前みたいな奴が生徒会長なんてやってる事も疑問だ。というよりは問題だな、問題」
パイプ椅子にドカッと腰掛け、勝手に茶を入れだす。それを止める事もせず、ティーダに言われた事を気にするそぶりを見せず、彼女は黙ってお茶を啜る。
「まぁ、そんな事はどうでもいいさ。それよりも問題なのは、今日の事件だな」
「事件ですか……はて、事件が沢山あり過ぎてどれが問題なのかわかりませんね……今日起った事件は、プールの爆発、野球場での大乱闘、バスケット部とバレー部の廃部、補習をサボって教室を丸ごと貸し切った大麻雀大会、お兄ちゃん好き好き大好きな妹の弁当を食べて食中毒になった教師とか……まぁ、その程度です」
「大半はお前さんのせいだな」
「大半の大半はアナタのせいです」
「つまり、今日の事件は俺とお前のせいって事か……」
「失礼な事を言わないでください。私は周りで起きた騒動を武力的に解決しただけですよ」
「おかげで水泳部は活動停止、野球部は全員病院送り、バスケ部とバレー部は帰宅部になって麻雀大会をした生徒は二度と牌を持てない様に両手の指をバッキバキ――――どう考えてもやり過ぎだろうよ」
だが、二人はそれを特に問題とは思っていない。何故なら、こんな事はこの学園では普段通りなのだから。
「お前さんが来る前よりも怪我人が出るなんて、どういう事だろうな?」
「でも、平和にはなりましたよ」
「平和っていう言葉の意味が、何時から誰も居なくなるって意味になったんだろうな。もう少し穏やかに出来んのか、お前は?」
「おかしな事を言いますね……忘れたんですか?生徒会選挙の時に私は確かに卒業した先輩方の前で堂々と言ったはずです――――我を通したければ力を示せ、とね」
またそれか、とティーダは溜息を吐く。だが、すぐに思い出し笑いをした様に頬を緩ませる。
「いや、アレは忘れようとしても忘れられんよ。なにせ、アレのせいでお前の支持率はまさかの十割を記録したんだからな。昔からこんな場所の生徒会選挙なんて支持率零割で生徒会長が生まれるなんて普通だ……だが、お前は違う。お前はこの海淵学園の記録に残る支持率十割、全校生徒の支持を得て生徒会長になった――――もっとも、それが間違いだと知った時のアイツ等の顔は、今でも印象深いね」
ティーダは思い出す。
三年前、彼女が一年の頃の生徒会選挙で、彼女は言った。
自分が生徒会長になったのなら、全てを自由にする。
頭髪は各自の自由にしてもいい、制服など着なくていい、喫煙飲酒も好きにしていい、授業にも出なくていい、学生として恥ずかしい事をしても構いはしない。
だが、その全ての自由は己の力を示して掴み取れ。
新たな校則は二つ。
一つ、人妖能力の自由行使。
二つ、生徒会長に【力】で勝ったのならどんな自由も許される
最初は誰も信じなかったが、そんな条件を飲んだ教師達の姿の信憑性が高い事を確信した。
そして近年まれに見る投票率によって彼女は生徒会長になった。
それが間違い。
生徒達にとっての間違いだ。
「新しい生徒会長になった次の日だったな。普段から人妖能力を好き勝手に使ってた連中が、何時もよりも更に自由に―――横暴に振舞いだした」
「えぇ、あれは見事なお祭り状態でした。なんと言いましょうか……そうですね、あれは自由を手にした人民が騒ぐ様子でした」
「だが、それは間違いだった。人民は自由なんか手にしていない。自由の為に立ち上がった英雄は、独裁者よりも独裁者だったってオチ……笑えるな」
「笑えましたよ。あれは私の人生の中で一、二を争う程に滑稽でした」
彼女はその時の事を思い出しているのだろう。
悪魔の様な顔をして、嗤っている。
「だってそうでしょう?普段は校則を守りもしない連中が、自由にしていいという校則を手に入れて狂喜乱舞なお祭り騒ぎ。そんな姿を見せられたら――――潰した時の表情が想像できないくらい、楽しいじゃないですか」
「ふん、悪党だな」
「子供の頃のごっこ遊びは常に悪の戦闘員でしたから」
生徒達は自由を得たと思っていた。
今までは決まりを破って自由を手にしていたが、今回は違う。今回は自由にしていいという決まりがあるのだ。それを手に入れた生徒達にとって海淵学園はパラダイスになったのだろう。
そして、そのパラダイスがあっさりと壊れるのもすぐだった。
具体的に言うと、彼女が生徒会長になって二日後。
「なんだったっけ、一番最初にお前に挑んできた馬鹿野郎は?」
「名前は忘れましたけど……確か内容はこんな感じでした――――公約として私に勝ったら何でも好きにして良いのなら、俺がお前に勝ったら俺の女になれ、とかだった気がします」
「うわぁ、頭が悪そうというか……典型的だな」
「えぇ、そうですね」
その典型的な生徒が最初の犠牲者だった。
生徒は学園ではそれなりの実力者だった。もっとも、実力者というのは身体的に優れているというわけではなく、単純に派閥が大きいというだけに過ぎない。
相手は女だから余裕だろうと、そう思った。
どれだけ口を叩こうと所詮は女だと、そう思った。
そう思っていたからこそ――――その生徒は敗北した。
顔の原型を留め無い程に顔を腫らし、歯を砕かれ、骨を砕かれ――――睾丸を潰された。
「鬼だったな、お前」
「あら、そうですか?だってあの生徒が言ったんですよ、勝ったら俺の女になれ。あの類の輩は、女になる=性の捌け口という事しか頭にないんですから」
「それは偏見だ……多分だけどな。にしても、男としては同情するね。女になれと言った奴が女にされるとは」
「片方は残しましたよ。武士の情けで」
「勝海舟の球を喰った犬だな、お前」
「鬼か犬か、どっちかにしてください」
そんなわけで、生徒達は知る事になった。
あの公約、新しい校則、それがどういう意味を持つかという事を。
頭髪の自由化―――それを求めた生徒は一生坊主で過ごす事になった。
喫煙の自由化―――それを求めた生徒は肺機能に障害を持った。
何かしらの自由化―――それを求めた生徒は、二度とそれを想わなくなった。
「学園側からすれば良かったんだろうな。厄介な生徒を物理的に追い出す事が出来た。しかも自分達の手は一切汚さずにな」
「おかげ様で私の評価もウナギ登り……まぁ、生徒達の眼は蔑みと恐怖でしたけどね」
「でも、それが良いんだろう?」
「えぇ、それで良いんですよ。私、将来の夢は悪の秘密結社の総帥か、魔王ですから」
それからしばらく、学園は静寂という平和を取り戻した。
それが彼女が生徒会長になって、教師達が得た正解だ――――が、間違いが次の年から起きる事になる。
「でもなぁ……まさか、来年から【本物の連中】が来るとは思わなかったよなぁ」
「私は想像してましたよ。半端な連中は大半学園から姿を消しましたが、次の年に入って来たのはくだらない妄想や思想を抱かず、単純に【己が力を示したい】という願いを持った【本物達】ですから」
半端な者達は去った。
残ったのは【本物】だけ。
「それが狙いだったとは、恐れ入ったよ……呆れる程にな」
海淵学園は変わった。
生徒の思考が変わった。
半端な者は生き残れない場所となった。
そして、その頂点に位置するのが生徒会長という存在。
「けど、俺としては随分と助かったよ――――なにせ、お前のおかげで俺はこんな風に好きな恰好が出来るんだからな」
ありがとよ、とティーダは嗤う。
それを受けた彼女は同じ笑みを返し、
「私が卒業するまでに先生のそのふざけた恰好を辞めさせてあげますよ……首を洗って待っててくださいね」
「俺は御免だね。お前みたいな化物の相手をするよりは、妹の相手をしてるほうがよっぽど利口だ」
「あら、そうでしょうか?私から見ればティアナの方がよっぽど問題ですよ。お兄ちゃんの事が好きで好きでたまらない妹、ぶっちゃけて何時か先生が社会的に死にそうです」
「妹に欲情する兄が何処に居るんだよ。そんな奴は兄を語る資格はねぇよ。兄たる者、常に妹から受ける愛には否定的さ」
どの口が言うのか、彼女は心の中で思う。このチャラけた恰好の教師は基本的に女好きの遊び人。学園の生徒にも手を出しているし、この街に何人が彼の毒牙に掛ったのかわかったものじゃない。
だが、そんなティーダだが、
「なら、今度はティアナを人質にしてアナタに挑もうかしら?」
「やってみろよ。また、負かしてやるからよ」
校内ランキングというものが密かに存在するのは知っている。その中のトップにいるのが彼女なのだが、本当は違う。
海淵学園で彼よりも強い者はいない。
それが堪らなく嬉しい。
卒業するまでにするべき事は一つだけ。
目の前の教師を、この男を打倒する事とだけが望み。
「―――――あ、そういえば」
その男が思い出したかのように言う。
「アイツを見たんだよ」
「アイツ?」
「アイツだよ、アイツ――――リィナ・フォン・エアハルト」
その名に思い出す。
そういえば、今日は海淵学園の生徒の一人が死んだ―――殺されたのだった。忘れていたと言えば冷徹なのだが、それほど重要な案件ではない。
「いやぁ、驚いたよ。まさかあんな所でアイツを見るとは思ってもなかった」
わざとらしい、と思った。
「今日の明け方……確か四時くらいだったかな。郊外に住んでる女の部屋から出たところで、変な恰好をした奴と話しているアイツを見たんだ。ちょっちビビったよ。アイツはティアナと同じクラスだから、女の部屋から出た所をティアナに報告されたら、今日の弁当よりも酷い事になる。今度は確実に毒とか盛られる」
「ちなみに、今日のお弁当には?」
「洗剤が入ってた。味から察するにマ○レモンだな」
「どうして洗剤の味に詳しいかは聞きませんが……それで?」
「ん?それだけだけど?」
これも、わざとらしい。
「…………で、そんな事を言って私にどうしろと言うんですか?」
わかっている。
この教師がこうして何かをわざとらしく話す時は、決まって彼女に何かの頼み事をする時なのだ、と。
「これな、警察も知らない俺だけの秘密」
「だったら警察にでも証言すればいいじゃないですか」
「いやいや、お前が特別だから、特別に教えてやったんだよ」
「私は先生の彼女ですか?冗談はよしてください」
気味が悪いだろうに。
「―――――――お前、フランケンシュタインって知っているか?」
不意に、ティーダは真面目な口調で問いかけてきた。
「……小説の話、ですか?」
「小説は小説。俺が言ってるのは【本当に存在するフランケンシュタイン】の事だよ」
彼女は脳内から検索―――思い出した。
昔、読んだ事がある。
「フランケンシュタイン。世間一般ではフランケンシュタインという怪物という認識が強いですが、実際はフランケンシュタインは怪物ではなく科学者だった。そして彼が生み出したのがフランケンシュタインの怪物と称されるもの……でしたっけ?」
「そんな所だ……昔の知り合いにな、防衛省に勤めていた奴がいてな。今は神沢市にある【防神機関】って場所にいるんだが、ソイツから一週間前に連絡があってな」
「ちょっと待ってください」
彼女は立ち上がり、窓を開けて周囲を確認、カーテンを閉める。念の為に廊下に誰も無い、誰の気配もない事を確認してドアを閉め、鍵を閉める。
「まったく……周りに目や耳があるとは思わないんですか?」
「聞かせたければ聞かせれば良いさ」
「そういう問題じゃありませんよ」
彼女は椅子に腰かけ、目を細める。それを見て、ティーダは話の続きを口にする。
「ある組織が日本に入り、海鳴に向かっているって話だ」
「この国の防衛レベルは異常に低いですね」
「隙間なんぞ幾らでもあるんだよ。現に三カ月くらい前だったかな、多分ロシア連邦の奴等だと思うが、奴等はこの街である実験をしていた。実験の内容は省くが、そういう奴等が挙ってこの国に入り、わざわざこの街に来ている―――何故だと思う?」
考えるまでもない。
答えは一つ。
「海鳴が人妖隔離都市だから、ですね」
「人妖隔離都市なら此処だけじゃない。神沢だってある」
「だけど、此処は神沢ではない。そうですね、海鳴と神沢の違いを考えれば意外と答えは簡単だと思いますよ」
「言ってみろ」
「この街には【支配者】がいる。そして、その【支配者】はどういうわけか国とは仲がよろしくない……そうでしょう?」
「まぁ、概ね正解。神沢は国と仲良くはしているが、こっちはそうじゃない。知ってるか?街を覆う壁の警備をしている連中は自衛隊じゃなくて、実際はバニングスや月村の私兵だ」
その話は初耳だ。
授業でも、そして世間的でも、壁とゲートを警備しているのは自衛隊、日本という国の関係者だと思っていた。
「バニングスも月村も、あまり国と仲良くする気はないらしくてな。もっとも、それは過去の話で、今は少しずつ関係を修復している最中だが、」
「間に合ってはいない。完全ではない。ですか……」
「そういう事だ。だから、外からヘンテコな連中が来たっていう話が中々こっちに回ってきていない。多分嫌がらせの一つなんだろうな」
「そういう場合でもないでしょうに……」
呆れたの一言に尽きる。
もっとも、そんな政治家を選んだのは自分達国民だ―――彼女に選挙権はまだ無いが。
「で、入ってきた連中というのは?」
「詳細はわからないが、ドイツから来たみたいだな」
「ロシアの次はドイツですか。素直に留学でも旅行でもしに来ればいいものを、どうして皆が邪な目的くるんですかねぇ」
「そういう人気スポットなんだよ、海鳴は」
嬉しくもない町興しだ。
年々増える海鳴を訪れる不定の輩に手を焼いているのは街の上の連中だけ。そして、その手をすり抜けて入って来た連中の犠牲になるのは市民。
恐らく、そんな攻防が何年も続いているのだろう。
「それで今回の事件だ。アイツの出身地はドイツだ」
「だから今回の事件と関係があると?それはちょっと無理矢理すぎませんか?」
「無理矢理かもしれないし、そうじゃないかもしれない……だがな、わかっているのはアイツ、リィナ・フォン・エアハルトが死んだという事。それと同じ時にドイツから来た怪しい連中が来た、この二点。それに俺が最後に見た連中は如何にも怪しいしキナ臭い。俺の鼻がそう言ってる」
いまいち信用に足りない言葉だった。そして、それ以前にこんな話をティーダが彼女に聞かせるという事の意味は、恐らくは一つだけ。
「先生。念の為に言っておきますが、私はあくまで生徒会長です。この学校の問題なんて知った事じゃないと同じ様に、この街の問題にも知った事じゃありません」
「その発言は生徒会長としてどうよ?」
「生徒会長とて人の子ですよ。第一、私は学生です。漫画みたいに情報機関に属しているわけでもなければ、アクション映画みたいに機密の情報を知ってしまったわけでもない……わかりますか?正直、迷惑なんですよ」
「まぁまぁ、そう言うなよ。これはあくまで世間話の一環だと思って聞いてくれて良かったんだよ。誰もお前にどうこうしろとは言わんさ。これは国と街の問題であって、俺達の問題じゃない……世間話さ、世間話」
そう言ってティーダは席を立つ。
「けどま、一応頭には入れておけ。もしかしたら、何かの役に立つかもしれんぞ」
「大きなお世話ですし、使いようもない知識ですね――――ところで、」
ドアの鍵を開けたティーダに彼女は問いかける。
「このお話とフランケンシュタインはどう関係があるんですか?まさか、ドイツというだけだから、なんてオチじゃないでしょうね」
「あぁ、そうだったな」
ティーダは彼女を見て言う。
「フランケンシュタインっていうか、この場合は【フランケンシュタインの怪物】。その怪物ってのは実は創作じゃないんじゃないかっていう説があるんだよ」
「初耳ですね」
「普通は知らんさ。もちろん、創作じゃないっていう話は単なる作り話だってオチがある……が、それがどうも信憑性がある可能性も出てくるんだよ」
ティーダは語る。
ドイツにはとある家系がある。
その家系は古くから森の奥に住み、滅多に人の前には姿を現さない。森の近くに住む住民はその家系を気味悪がって関係を持とうとは思わない。だが、ある日の事。森の中に遊んでいた子供が奇妙な音を聞いた。
音の方に進んでみると、そこには古い屋敷があった。音はその中から聞こえてくる。子供は興味本位で屋敷の中に入り込み――――見てしまった。

怪物を、見た

「子供はその姿に恐れを抱き、逃げ出した。その事を両親に話しても当然信用はされない。それよりも勝手に森の中に入った事を怒られ、この話はここでお終い―――だが、これが昔話ならここで終って良いんだが、これは現代の話だ」
ティーダと彼女は、生徒会室に備え付けられているパソコンの画面を見つめる。
「ネットが復旧している現代。子供のホラ話でも簡単に世界中に送信する事ができる。そして、これがドイツのオカルト掲示板」
「ドイツ語は読めません」
「俺も読めない。だから、これを翻訳したサイトがあってだな……お、これこれ。俺が今話した内容を丁寧に翻訳してくれた誰かさんに感謝だ。そんでもって、ここでも書いてるが、この内容を馬鹿正直に信じた奴がいたらしくてな、実際に現地に行ってみたんだよ」
画面をスクロールしていき、彼女は気になる文章を目にした。
「フランケンシュタインは、実在する……」
「コイツも見たんだとさ。森の中にある古い屋敷。その中から響く声。そして声の発生源は―――怪物」
「でも、これはあくまで噂話でしょう?それにネット上で真実を確かめるなんて不可能に近い行為ですよ」
「そうだな。確かにこれが本当に噂話なら、そうだろうよ―――だがな」
ティーダは一枚の紙を見せた。
「このサイトにはその場所の事がしっかりと書かれている。そして、この場所の住所とこの紙に書かれている住所……近いと思わないか?」
紙に書かれているのは確かに住所だった。聞き覚えも見覚えもない外国の住所だ。だが、この住所には意味がある。
「―――――まさか」
彼女は教室に備え付けれられている金庫のダイヤルを回し、その中から黒いファイルを取り出す。黒いファイルには全校生徒の個人情報が記されている。本来なら学校側がきちんと管理しなければいけないのだが、特別な方法を駆使して彼女はそれを手に入れた。もちろん、人には言えない特別な方法でだ。
そして、黒いファイルの中に記された一人の生徒の個人情報。
「…………先生は偶然を信じますか」
「偶然も必然も信じないって言いたいが、コイツはどう考えても偶然じゃないだろうな」
サイトに投稿された内容に記された場所と、一人の生徒の出身地。

不思議な事に一致していた。

「ちなみに、これは補足なんだが……この話が投稿された時期に関連性はないが、これを翻訳したサイトの記事が投稿された時期と、アイツがこっちに来た時期は不思議と一致する」
しかも、このサイトに載せられた記事は、この【フランケンシュタインを見た】という記事一件だけ。それ以降は一度も更新されていない。
「先生、これは疑問なんですが――――先生は、本当にリィナさんを見たんですか?」
「俺、そこまで信用ないのかよ……見たのは本当さ。悲しい事に本当だ。そして、俺があの時にこの件と線で結ぶ事が出来たのなら、」
彼女は死ななくて良かったのかもしれない。殺されなかったのかもしれない。
「……アナタが後悔するような性格をしているとは思ってもみませんでしたよ」
「別に後悔なんてしてないさ。俺はあくまでサラリーマン教師だからな―――けど、本物の教師になりたいと思っている可愛らしい先生が首を突っ込んでるのは、どうにかしたいと思ってな」
今、この教室に善意のある者などいない。
二人とも自分勝手な自分で在る事は、互いが一番知っている。
これを内容をするべきはこんな二人ではなく、この事件に本当に関係ある者達だけが知るべきなのだろう。
だが、知ってしまった。
「どうだ、生徒会長。ここいらでちょっと可愛い先生のお手伝いでもしたらどうだい?」
「どうして私なんですか?」
「お前さんが生徒会長だからさ……」
「知った事ではありませんよ」
動く気はない、と彼女は言う。
「こういうのは警察の仕事です。私が首を突っ込むのはあくまで学園内での事だけ。学園の外、街の事など私の管轄外です……そういう先生だってそうでしょう?アナタが過去にどんな所で働いていようと、それで今がどうこうなる話ではないはずです」
「冷たいな、お前は」
「そういう性格だから、ですよ」



彼女の中で一つだけわかっている事がある。
自分の心はきっと冷たいのだと。機械の様に冷たく、心を燃やす様な事は一度だってなかっただろう。どんな者を相手にしても、勝っても負けても、心は燃えない。
楽しい事があっても、友人と一緒に居ても家族と一緒に居ても心はちっとも燃えない、温かくならない。
何時までも冷たく、己が為に何かをしても変わらない。
だから誰かが死んでもなんとも思わないのは、人として何処かが壊れているのかもしれない。本来なら悲しむべきだろう。だがちっとも悲しみが湧いてこない。家族であるとか知人であるとか、まったく関係無しに、問答無用で―――心は揺れない。
生徒会室を電気を消し、ドアを閉める。
時計を見ればいつの間にか夜の九時を回っていた。こんな時間まで残っているのは自分だけかもしれない。それは正解で、顔見知りの夜間警備員の男と会釈交わして校内を後にする。
空を見上げれば丸い月。
「すっかり遅くなっちゃったな……」
夜道を歩く事に恐怖はない。帰り道は人の通りが少ない場所だが別に治安が悪いというわけでもない。仮に治安が悪くても、あの辺りで彼女を襲おうとする者は殆どいないだろう。
彼女が纏う白の長ラン。
それが彼女が彼女である証だと言わんばかりに目立っている。現にそれを見た街に屯している若者達はギョッと目を見開き、恐れる様に逃げ出す。
有名になったものだと嗤いたくなる。
こんな風に有名になる気などなかったのに、こんな風に冷たくなる気なんて一つも無かったというのに。過去の自分と今の自分には大きな差があり過ぎるのかもしれない。
昔の自分はどうだっただろう。
少しだけ思い出そうとする―――だが、蘇るのは昔の自分ではない、別の光景。何時までも付きまとう過去の映像。

炎が上がる。
燃えている。
何もかもが燃えている。
燃えている炎の中に誰が立っている。
炎の中に、炎を操る様に、そして炎で何かを焼く事が心の底から楽しいと、嗤っている。
耳障りな嗤い。
耳障りな声。
耳障りな【炎を纏った女】の声は消えない。

「―――――――」
それが原因なのだろう。
灼熱の世界で見た光景は彼女の心に熱さを宿す事を良しとはしない。
何時までも何時までも、炎に魅入られた様に炎を呪い、そして今の自分を作りだす。
こんな自分が生徒会長をやっているのは間違っているのだと、彼女は思っている。同時に、それがどうしたという思いもある。
誰かの為ではなく、自分の為。
誰だって自分の為にしか動けないのに、どうして自分がそれをしてはいけないというのだ。
強くあるべきなのだ。
自分は誰よりも強くあり、そして誰にも負けない者でありたいのだ。
誰かを守る為ではなく、自分の為。
決して誰かの為などではなく、己が欲望の為。
何時か、
何時の日か、



母を奪った、殺した者を―――【炎を纏う女】を殺す為に



それだけが、彼女が彼女として生きる理由。
だが、
「――――――ん?」
携帯が鳴る。
学ランの下から携帯を取り出し、画面を見る。
家族からだった。こんな時間まで帰らない自分を心配したのかもしれない。家族の心配に少しだけ笑みが込み上げ、電話にでる。
「はい、もしもし」
電話の向こうから元気の良い声が響く。
【あ、ギン姉?こんな時間まで何処をほっつき歩いてるの?お父さんカンカンだよ】
「ごめんね、ちょっと生徒会の仕事が長引いちゃって」
【……あのね、ギン姉。何時も言ってるけど、生徒会の仕事をする時はちゃんと生徒会の役員の私達を頼る様にって言ってるでしょう?】
「アナタ達に頼ったら何時まで経っても片付かないからよ。いっつも生徒会室にお茶を飲みにくるか遊びに来るかしかしないくせに、生徒会役員とか言わないの」
心は燃えない、温かくならない。
例え家族との会話をこうして行っていても、彼女の中では何処か作業的で、仕事をしている様な気分になる。
楽しげな会話をする仕事。良い姉である仕事。親に心配をかけ、時に心配をかけない仕事。
それはまるで、
「それよりも……大丈夫だった?」
【何が?】
こうして心配する声を作る事だって、
「今日、アナタのクラスメイトのリィナさん……亡くなったんでしょう」
【あ、うん……私は大丈夫だよ……ちょっと悲しいけど、大丈夫。みんなもさ、結構神経が図太い人ばっかりだから……きっと大丈夫だよ】
「そう……なら良いんだけどね。無理はしちゃ駄目よ?」
【ギン姉には言われたくないよ】
こうして妹と会話する事が、

中島銀河の罪滅ぼしの一つ、そんな気がするのだ。

そう、罪滅ぼした。
妹は、家族は大切な存在だ。
そんな存在から自分は大切な一人を奪い去った。
だからこその罪滅ぼし。
だからこその作業的な会話。
だからこその苦しさ。
生徒会室で、ティーダと会話していた時の自分は決して見せられない。彼女は、妹の昴は自分がこんな想いを持っている事には気づいてない。だからこそ、それを隠し続ける。本当の自分はこんなんじゃなくても、こんなんじゃない事を通すしかない。
嘘を嘘で塗り固め、家族にすら隠す本当の自分。
中島銀河という少女の心の中には、そういったモノしかない。
【――――あのね、ギン姉……ちょっと一つ、お願いがあるんだけど、良いかな?】
「何?私に出来る事なら、どんなお願いでも聞くわよ」
【ありがとう……あ、でも、無理なら良いんだよ?やりたく無いならしなくて良いし、迷惑ならもう言わないから】
こんな風に言う時の昴は、心の底から銀河を必要としている時だ。
自分に出来る事は自分でする。しかし無理な事があった場合、昴が一番最初に頼むのはまず姉である銀河だ。友人のティアナやアリシアとは違い、【本気で頼めば絶対に断らない姉】である事を知っているからだろう。
それが計算としてなのか、それとも無意識なのか。
だがそれは、銀河も同様に【絶対に断る権利はない】のだと言う事を、銀河自身に知らしめる事になる。
「良いから言いなさい」
【……ありがとう。それじゃ、言うけどさ――――】
こうして彼女は関わる事を決める
ティーダの前では関係ないと切り捨てながら、妹の頼みには【従う】
しかし、遅かった。
昴が友人と教師の心配をして、姉に協力を頼むのは遅すぎた。
誰も傷つかず、全てが無事で終る事はない。
遅すぎた。
あまりにも、遅すぎたのだ








時間は遡る。
遡り役者を変える。
今度の役者は人で在らず。
人に似た存在でありながら人で在らず。
身体は冷たい。
氷の様に冷たく、動く度に身体の中で金属の様な物が擦れる音を響かせる。
夏だというのは長いトレンチコートを着込み、顔は帽子で隠している。
背は常人よりも高く、身体付きはがっしりとしている。
だが、どこか人形じみた動きをする、奇妙な存在だった。
それがソレの姿。
「――――――」
ソレはずっと後を付けていた。
夕方からずっと。
ファミリーレストランで会話をしていた時からずっと。
路地裏に居た時からずっと。
そして、三人の内、ワンピースを着た女が二人と分かれた所まで、ずっと見ていた。
ソレに意思はないが機械の様にモニターし、プログラムを動かす事は可能だ。
三人の内、誰が危険で誰が危険ではないかを識別するくらいは簡単に出来る。その識別の中で一番の危険視されたのはワンピースを着た女。その女だけは危険だと判断した。何度も何度もシュミレートして、その女がいる事が目的の障害になると判断したからだ。
少なくとも【旧型】のソレには対処できない。ソレよりもずっと性能の良い【新型】なら難なく相手に出来るだろうが、ソレには不可能だった。
死は恐れない、恐れが無い。だが、命令がある。遂行すべし命令が。命令を達成できなければ意味がない。
故にそれは待っていた。
女が去り、残るは小さな女と大きな少女。
二人は何かを話しているが聞こえない。
二人は何かを話しながら歩いている。
歩いて、歩いて、歩いて――――やっとその時が来た。
「―――――――」
繁華街を抜け、民家が集合した場所の道を歩く二人。ソレは見つからない様に隠れていたが、そんな必要は皆無となった。
ガリィと歯車が回る。
冷え切った身体の中に熱が籠る。
二人は気づいていない。
気づかず歩く。
腕に、脚に、身体中の【パーツ】に力を込める。
そんな時だった。
二人は急に立ち止まり、大きな少女は何処かを指さしている。
「――――――」
その方向には深夜の闇を照らす人工の光。コンビニエンスストアと呼ばれる建物があった。少女は女に向かって手を振り、女は少女に手を振って何かを言う。
二人は別れた。
少女は建物の中に入り、女は歩き出す。
少女と女、どちらを狙うかソレは考えた。
少女を狙う場合、あの建物の中にいる者達にもソレの姿を確認される可能性が高い。よって少女を狙う事を断念する。だが構わない。優先順位としては少女ではなく女の方が高い。
情報によれば、事件を嗅ぎまわっているのはあの小さな女。少女と先程別れた女はソレに巻き込まれた、もしくは協力している可能性が高い。それ故に一番の問題である嗅ぎまわっている者の中心人物を潰す事を選択する。
命令を実行する。
ソレは歩き出す。
女の後を追って歩き出す。
女はソレに気づかず、どんどん先に進む。どんどん人気の無い場所に向かって歩き続ける。この先にあるのは木々の多い公園だった。処理するにはそんな場所の方が好ましいという命令を受けている。
ソレは速度を上げる。
歩きから走りに変更。
女が公園に入った。
そして、ソレは己が姿を解放する。
その身体はどの人種の肌にも属さない灰色。死人の様に色の無い素肌には無数の手術痕があり、身体のあちこちに奇妙な形をした機器が植えられている。その異形の身体付きは常人にはない異常に発達した筋肉があるが、肉というよりは鉱物に見えない事もない。
鉄の身体が其処にある。
人の身体を【借りた身体】が其処にある。
生きている身体ではない。
死んでいる身体。

それはまるで――――物語に出てくる【フランケンシュタインの怪物】の様な姿だった。

怪物は腕に力を込める。
握力は人間の倍。二百キロ以上ある握力と一トンもの物量を持ちあげる筋力を持って女の背後にゆっくりと立つ。
処理する事に抵抗はない。
命令を実行する事だけを目的とした怪物に意思などない。
ただ、唯一意思らしい意思があるとするのならば、それはどうやって女を処理するかという事だけ。声も出させず、抵抗も許さず、一撃で心臓を止める事だけを意思として現す。
怪物は選択する。
女の、小さな女の細い首を捻り切ると決めた。
そして、怪物の手がゆっくりと―――――女の首に伸びる。




コンビニの店員はどこか腑に落ちないという顔でレジに立っていた。
「ん?どうした?」
同僚の店員が尋ねると、レジの店員は口を開く。
「なぁ、今さ……金髪の綺麗な女子高生が入って来たよな?」
「あぁ、来たな。綺麗な子だった」
「その子さ、トイレに入ったよな?」
「入ったな。俺、声をかけられた興奮した」
「確かに入ったよな?」
「だから入ったって……」
同僚は気づいていないが、レジの店員は気づいた。
「だよな……だけどさ、」
まるで幻でも見た様に呆然とした表情でトイレを指さす。
「その綺麗な子――――【出てきて無いんだよ】」
「そりゃお前、まだ入ってるんだろう?女のお手洗いは長いんだよ、そのくらいは知っとけよ」
何を馬鹿な事を言ってるんだと同僚は言って、店の奥に引っ込んで行った。だが、残った店員は首を捻る。
「おかしいよ、それ……」
気になった店員は店の防犯カメラを見る。
数分前から現在までの映像を確認する。
そこには確かに映っていた。
長い金髪で大きなドラムバックを持った女子高生がトイレに入る映像。
そして、数分後の映像を見て、
「―――――何だそりゃ?」
店員は呆然と呟いた。
確かにトイレから人は出てきたのだ。
現に映像がしっかりと其処に映っており、店員の見た光景が幻でない事を証明する。
防犯カメラにははっきりと映っていた。



トイレから出てくる、長い金髪で大きなドラムバックを持った―――――【子供】の姿を







切断。
出血。
驚愕。
「―――――――ッ!?」
その光景は予想外だった。
伸ばした腕は、灰色の腕は確かに女に伸ばされたのだ。あと一秒、長くても五秒あれば女の首を捻り切る事が可能だった。
だが、その結果は女の死ではない。
女の首は回った。ただし、怪物が回したのではなく女の意思で、驚きの表情を浮かべながら振り返り、小さな悲鳴を上げる。
死んでない。
女は死んでいないのに、血が吹き出る。
何処から―――怪物の腕から。
怪物の腕が地面に落ちる。
痛覚の無い怪物は驚愕から自然と後退するように脚を後ろへ。
腕が無い。
怪物の腕が消えた。いや、切られた。
誰に、何によって、どうして。
混乱する意思なき思考。だが、混乱はすぐに収まる。確かに腕は切られたが、もう片方の腕があるではないか。女は未だに怪物の射程範囲内にいる。ならばもう一度腕を伸ばし、その首を捻り切れば――――視界が斜めに崩れた。
身体の半分が失ったかのように怪物の身体が崩れる。
残った腕で地面に手を着き、怪物は何が起こったのかを確認する。
脚がない。
片脚があった場所から消え去り、鮮血が吹き出す。
一瞬遅れて地面にボトリと何かが堕ちる音がする。
「――――――」
怪物の脚があった。
何故、と怪物は首を傾げ、

鈍器で殴られた衝撃を頭部に受けた。

怪物の視界が動く。
まるで吹き飛ばされた様に動く。
動き、飛び、理解する。
自分は殴られ、宙を舞っている。
総体重二百キロの怪物が、舞っている。
地面に叩きつけられ、自分が何者かに襲われたと理解する。
襲う側の自分が、襲われる側に立っていると気づく。
そして、その襲撃者は、

「―――――――――大丈夫?」

怪物ではなく、女に―――美羽に語りかけていた。
美羽は放心しながらも、何とか首を上下に振る。
「そう……なら、問題ない」
幼い声が夜闇に響き、満月の月光に照らされるは金色の髪。
怪物の視界に映るのは少女。
先程の大きな少女が着ていた服を小さくした――――否、違う。先程、女と別れた少女の全てを小さくした様な少女がそこにいた。
姿形は似ているが、大きさが違う。
それ故に似ている部分が多く、似ていない個所は一か所しかない。

巨大な死神の鎌を携えているという点。

大きかった。
あの小さな身体で扱う事が可能なのか疑問に思えるほどに大きく、その鋭い刃に付着した怪物の血液があまりにも少女の姿と不釣り合いだった。
大鎌も血液も、金色の少女には似合わない。
だが、それでも確かに目の前の現実はそれを告げる。
怪物に、
目の前にいる少女が、
汝にとっての、



死神なのだと



「それじゃ―――――」
少女の瞳が怪物を見据え、
「さようなら」
その呟きと共に少女は駆けだす。
速かった。
反応が出来なかった。
少女の大鎌が怪物の前で横一閃したと思えば、次の瞬間には縦に刃の光が煌めく。
十文字に切られた世界は怪物の視界と同化する様に出来ていた。
奇妙な光景だった。
二つの眼球によって一つの世界を映していたはずが、気づけば上下に分かれ、左右に分かれている。
怪物は思考する。
これはどういう現象なのかをゆっくりと思考する。
時間は無限にある。
時間は有限だが、それは生きる者にとって有限であり―――死んだ者には無限となる。
こうして怪物は無限へと旅立つ。
頭部を横に切断され、頭から股までを真っ二つにされ、死んだ怪物は二度目の死を受ける。
思考して、思考して、思考して。
最後の光景を何度も何度も思考する。
思考した結果、最後の回答はシンプルに一つだけ。
怪物が見た最後の光景は、



天に煌めく星よりも美しい――――死神の少女だった。









次回『金色な屍』








あとがき
詰め込め過ぎな第三話でした。
とりあえず銀河さん&ティーダさん登場の巻。
性格は当然違いますし、パワーバランスもすっごい事になってます。
そしてオマケの如く登場したちっこい金髪嬢ちゃん、使用武器は幽焔です……いや、マジで。
弾丸執事、雪ルートからの登場は人物ではなく武器です。
レイスでも出そうかと思ったけど諦めましたよ、へへへ……あ、ちなみにちっこい嬢ちゃんは牛鬼ではないとだけ言っておきます。
というわけで次回はちっこい嬢ちゃんの紹介&バトルです。
それでは~



PS
さよなら、バルディッシュさん……アナタの登場は皆無です



[25741] 【人造編・第四話】『金色な屍』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/05/27 17:17
産女、姑獲鳥と呼ばれる妖がいた。

ある晩、夜道を歩いていた武士が一人。
月の見えない程にどんよりとした雲が掛った夜だったという。
武士は提灯に灯した光だけを頼りに夜道を歩いていると、提灯の光にうっすらと照らされる女の影を見た。女の影は細い両腕に赤子を抱いており、静かに武士に歩み寄ってきた。
武士は奇妙に思った。何故ならば、女の来ている衣服の下、下半身の部分が真っ赤に染められていた。そういう色彩なのかと思ったが、鮮やかというよりは黒染みに近い。
女は武士にこう言った。
自分が念仏を百回唱えている間、自分の子を抱いていて欲しい―――と。
そんな奇妙な頼みを武士はしぶしぶながら受け、赤子を抱いた。
女は念仏を唱えだす。

一回、二回、三回――――

気のせいだろうか。
抱いた赤子がどんどん重くなっている様な気がしたのだ。そんなはずはないだろうと思いながらも、武士は赤子を抱き続けた。

五十回、五十一回、五十二回―――

気のせいではない。
両の手に掛る重さは赤子一人の重さではなく、まるで巨大な岩を抱えている様な重さだった。武士は不審に―――いや、恐れすら抱きながらも赤子を手放す事はしなかった。重さに耐えながら、腕がつりそうな程の重さを一心不乱に耐え続ける。

六十一怪、七十怪、八十怪、九十怪―――百。

女が念仏を唱え終えると同時にどうしたことか、腕に重さがなくなった。それどころか抱いていた赤子の姿すらない。これはどういう事かと武士は女を見た―――が、そこには誰も、何もいない。
聞こえてくるのは女の声。
これで成仏できるという清々しい声。
武士は気づいた。

アレは人間ではなく妖の類の存在なのだと。

姑獲鳥とは妊娠したまま死んだ女性、もしくは出産と同時に死んだ女の妖だという。その為、姑獲鳥は通行人に話しかけ、自分の子供を抱いてくれと懇願する。この願いを聞き届け、最後まで赤子を抱き続けた者には様々な物が与えられたという。
ある者は強力。
ある者は富。
ある者は死。
伝説、仮説によってパターンは様々だが、最後まで赤子を抱き続けた者は何かを与えられるらしい。
それが幸福か不幸か、本当の所はわからない。この真実を知っている者は現代にはいない。少なくともそれが過去、遥か昔から存在し続けている神や妖の類でない限り、知る筈はないだろう。
姑獲鳥とはそういう妖。
子を産み落とす事が出来ずに死んでいった女の妖、怨霊、存在。
そして、これは仮の話だが。
もしも一匹の姑獲鳥がいたとして、その姑獲鳥が過去から今まで、誰にも願いを聞き届けられず、成仏する事すら出来ず、何時しか人間に【近い】存在になったとしたらそうだろう。
その近い存在になった者の次の代、また次の代と続いていき、何時しか近い存在が唯の人間になったとしよう。
それは唯の人間だ。
だが、血は確かに残っている。
そして、その血が時として先祖返りを果たし、現代に蘇ったとしたらどうだろう。
なんて事はない。それは現代では特におかしな事ではない。様々な異能を持った人妖と言われる存在がいる昨今、姑獲鳥の血を引く者がいたとしてもなんら問題はないだろう。
姑獲鳥、子を抱かせる妖。
それは子を産めずに死んだ母の妖でありながら、

親子の妖という意味もあるのだろう。

そしてもう一つ。
これもあくまで仮説。
姑獲鳥が他人に我が子を抱かせる、という点からみれば、他人とは【母親以外】という様にも思える。つまり、他人という己以外に子を抱かせるという行為は【血が繋がった家族】とて他人に入るのではないか。
他人という言葉の意味は広く浅い。
己か、他人か。
己の家族か、それ以外か。
血の繋がりがあろうと、なかろうと―――他人というカテゴリに入るのは

一体、どんなカテゴリを作りのだろうか











【人造編・第四話】『金色な屍』







美羽は戸惑っていた。
アリシアと別れ、家路に着く途中だった。
背後に妙な気配を感じながらも気のせいだと思い込み、近道である公園を通った時。
背後に誰かが居る。
振り返った。
誰かが居た。

死人の様な顔をした灰色の男が――――片腕を切り落とされながら立っていた。

そんなホラーな展開な後は突然姿を現した少女によってアクション映画の様な怒涛のバトルシーンへと変換し、気づけば男はバラバラの死体へと変貌していた。
驚きが強すぎるせいで、この現状に正常な神経が追いついてこない。叫びを上げる事も、腰を抜かす事もせず、バラバラになった男の姿をじっと見つけていた。
その時、死体に変化が起こった。
燃えたのだ。
淡い炎、青い炎を上げながら死体が燃え上がり、ものの一分も経たずに死体は灰となり、夏の夜に吹く生温かい風によって宙を舞う。
死体が消えた事によって恐怖が消えた。
残ったのは驚き―――そして死神の大鎌を持った少女だけ。
「あ、あの……」
美羽は少女に声をかけた。だが、少女は灰となって消えた死体、死体のあった場所をじっと見つめて動かない。美羽の声が聞こえてすらいないようだった。もう一度声をかけようと思ったが、その直前に気づく。
この少女、誰かに似ている。
誰なのかと考える間もなく、すぐに脳裏に浮かび出たのは先程別れたアリシア・テスタロッサの事だった。そう、この少女はアリシアにそっくりだった。いや、似ているなんて話ではなく、まるでアリシアが子供になったかの様な姿だった。
しかし、それでもこの少女はアリシアではないだろう。何故ならば、目の前にいるアリシアに似た少女の眼は冷たく、まるで【死んでいる】ように見えたからだ。
生きている人間の眼ではなく、ましてや人形ですらない。それは人間が生きる機能を失った時に見せる虚空の瞳。実際に見た事は無いが、直感的にそう思ってしまった。
そんな事を考えていると少女はようやく美羽に向き直り、
「――――着いてきて」
そう言ってさっさと歩きだしてしまった。
自分に着いて来いと言った少女を見つめながら呆然としたが、すぐに我に帰り美羽は言われた通り少女の後に着いていく。
「…………」
「…………」
無言が続く。
少女は何も語らず、美羽も何も語らない―――というより、何を聞けばいいかわからないからだ。
少女が誰なのか、あの男は誰なのか、どうして男を殺したのか、どうして殺された男は灰になって消えたのか。聞きたい事は山ほどあるせいで何を聞けばいいのかまるでわからない。
そんな事を悩んでいると、此処になってある事に気づいた。
少女の着ている服、正確には制服なのだが、これはどう見ても海淵学園の女子生徒の制服だった。だとすれば、この少女は海淵学園の生徒なのかもしれない。同時に少女が持っているドラムバックはアリシアがいつも持っている物と同じだ。流石にあの肩に担いだ大鎌までは知らないが、バックと制服だけは知っている。
「……あの、アナタは……海淵学園の生徒なの?」
恐る恐る尋ねる。
「…………」
無視された。
無視されたのが頭にきたのか、それともやっと喋れた事によって遠慮する気が消えたのか、美羽はマシンガンの様に言葉の弾丸を浴びせかける。
名前は、学年は、クラスは、担任は、クラブは、こんな時間に一人で歩いていて危なくないか、家は何処か、家まで送るか―――次々と言葉を浴びせた事によって少女は漸く美羽を見る。肩越しに変わらない死んだ眼で見据え、
「近所迷惑だよ、先生」
ごもっともな一言だった。
「すみません……」
ごもっともな意見に素直に謝り―――なんか違うだろうと思いかえす。
「って、そうじゃなくて、アナタは誰なんですか!?」
「―――――知らないの?」
少女は不思議そうな顔をする。
「知らない?何が?」
「私の事、知らないの?」
「うん、知らないけど……」
少女は脚を止め、顎に手を当てて考える。
「……本当に、知らない?」
「だから本当に知らないよ―――私のクラスの生徒にそっくりだってのはわかるけど、アナタ程、小さくないから」
本当に記憶にない。
少女の口から察するに、どうやら自分は少女の事を知っていてもおかしくない、むしろ知っているのが前提だと言わんばかりだった。
「ねぇ、アナタは誰なの?」
「…………フェイト」
少女は小さな声で紡ぐ。
「フェイト・テスタロッサ……フェイトでいい」
フェイトという少女が名乗ると、
「テスタロッサって事は……アナタ、アリシア・テスタロッサさんの」
「そう、妹……」
彼女の妹がいたとは知らなかった。彼女の口からも、彼女の友人であるティアナや昴からも聞いてなかった。
「アナタの事は知ってる。新井美羽……私も、美羽ちゃんって呼べばいいの?」
少し困った顔をしながらフェイトは尋ねる。相変わらず眼に生気はないが、少しだけ親しみは持てそうな気がした。
「出来れば、美羽ちゃんは勘弁してほしいかも……」
「私も同感……それじゃ、先生で良い?一応、【私の先生】でもあるしね」
謎めいた事を口にして、フェイトは歩き出す。
【私の先生】とフェイトは言った。それがどういう意味かはわからない。姉であるアリシアの担任という事は自分にとっても担任、先生だという意味なのだろうか。
「ところで、アナタは何年生なのかな?テスタロッサさんは二年生だから、アナタは一年生だと思うんだけど……」
「二年生だよ、一応」
「二年生ッ!?」
「本当に知らないんだ」
美羽は驚き、フェイトは呆れる。
「クラス、クラスは何処!?私、一応全クラスには顔を出してるから、知らない筈は無いんだけど」
「アリシアと同じクラスだよ。先生の授業は何度も聞いてる」
最大級の驚き。
「……私の授業、聞いてた?」
「うん、聞いてた。最初の授業で黒板の一番上に手が届かなく踏み台を使ってた事も知ってる」
それは真実だ。
つまり、本当だという事なのだろう。このフェイトという少女が自分の担任である事、そして自分の授業に出席していた事―――そして、この少女の存在を今までまったく気付かなかった事。
美羽は崩れ落ちる様に地面に手を着く。
「どうしたの?」
「うぅ……私、教師失格だ……」
まさかこんな時期になるまで彼女の存在に気づかなかったなんて、最低だ。つまり、自分は今までずっと彼女が教室にいた事に気づきもせず、そして出席を取る時も彼女をすっ飛ばして「はい、全員出席ですね」なんて笑顔で言っていた。
なんて事だろう、これではまるで苛めではないか。
こんな小さな少女を除者にしていたなんて、教師を名乗る資格すらない。
「やっぱり、私には教師なんて無理だったのかな……」
「あの、どうかした?もしかして、何処か怪我でもしたとか?」
美羽を心配するフェイトに、美羽は突然抱きついた。もしくは抱きしめた。
「ごめんなさい!!こんな駄目な先生でごめんなさい!!」
「え?え?えぇぇ!?」
両眼に涙を溜めながらフェイトを抱きしめる美羽。
「気づかなかったとか、知らなかったなんて言い訳だよね……だから、ごめんなさい。アナタに気づかずに、本当にごめんなさい!!」
「あの、話が見えないんだけど……あと、苦しい」
「これからは心を入れ替える。もっと良い先生になれる様に頑張るから、お願いだから私のせいでグレたりしないで!!世の中には私なんかより良い先生なんて沢山いるの!!アナタが出会ったのはその中で一番最低な、生徒が居た事すら気づかない駄目駄目な先生だから、社会に絶望なんてしないで!!」
「ちょ、本当に苦しい……絞まってる、首、締ってるから……」
「お願いだからグレないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇえッ!!」

「新井先生、こんな夜中に生徒を絞殺ですか?」

「へ?」
突然声をかけられ、美羽はフェイトを抱きしめる手から力を緩める。その隙に脱出したフェイトも声の主を見て、
「あ、銀河だ」
「お久しぶりですね、フェイト」
そこには白い学ランを着た女子生徒、中島銀河が立っていた。
「生徒会長さん?」
「はい、海淵学園第五十七代生徒会長、中島銀河です。新井先生、こんな時間に女性の一人歩きは危険ですよ?」
銀河は美羽の手を引き、立ち上がらせる。
「それと、どういう経緯があったかは知りませんが、生徒を手にかけるのはあまり感心しませんね、生徒会長として、人間として」
「あ、違うんです!!私はただ、自分の不甲斐なさに絶望して、フェイトちゃんがグレて盗んだバイクで走りだす様な行為をしないよう、より一層教師として一人前になれる様に――――」
「何を言ってるんですか、新井先生?」
意味不明な事を口走る美羽に、銀河の球に?マークが浮かぶ。そんな銀河の学ランの袖を引くのはフェイト。
「違うの銀河。私が変な事を言ったから、先生が混乱しちゃったの」
「変な事?」
「うん。私が【ずっと先生の授業を聞いた】って言ったから、先生が混乱したみたいなの」
銀河は納得がいった。
なるほど、と口走り、おかしそうに笑いだす。
「笑いごとじゃないですよッ!?今、一人の生徒が不良の道に、」
「海淵学園に居る時点で立派にそういう道を突っ走っている気がしますが――――良いですか、新井先生。アナタはフェイトの言う事を真正面から受け取っただけで、それが真実という事ではないんですよ」
「真実じゃ、ない?」
首を傾げる美羽。
「そうです。そもそも、出席名簿の中にフェイト・テスタロッサという生徒の名前はありましたか?アナタが出席を取る時、普通は出席名簿を元にやると思うのですが」
確かにそうだ。
思い返してみれば、美羽は何時も出席名簿を見ながら出席を取っていた。その中にアリシアの名前はあってもフェイトの名前はなかった。それを確かめる為に鞄の中から出席名簿を取り出し、もう一度読み返す。
「どうです、ありましたか?」
「無い……です」
「当然でしょうね。フェイトは確かに我が校の生徒ではありますが、【正式な生徒】というわけではありません。フェイトは普通に受験したわけでも、転校してきたわけでもなく、アリシアが我が校にいる時から常にいるんですから……」
わけがわからくなってきた。
フェイトは確かに海淵学園の生徒であるが、正式な生徒ではない。そしてアリシアが居る時からずっとフェイトは常に其処に居続けるなんて説明を受ければ、疑問は疑問を産む事しかできない。
だが、美羽はすぐに気づいた。
「――――もしかして……」
美羽の指先がフェイトを、フェイトの着ている制服、ドラムバックを差し、それからフェイト自身を差す。
「お気づきになりました?」
「はい……そういう事だったんですね」
「えぇ、そういう事です。別に秘密にしているわけではありませんが、あまりにも当たり前過ぎて誰も言わなかったんでしょうね」
この事は海淵学園なら誰もが知っている。
アリシアが入学してから、しばらくの間は誰も知らなかった事だが、今では全校生徒が知っている。
フェイト・テスタロッサが、アリシア・テスタロッサの妹だという事実。そして、フェイトが海淵学園に居るにも関わらず、正式な生徒として扱われていない理由。
その事実を知るには、美羽自身の思い出を見れば一目瞭然。
美羽は知っている。
ある兄妹を知っている。
男と女の兄妹、一乃谷愁厳と一乃谷刀子という兄妹を知っている。
「フェイトちゃんとテスタロッサさん、アリシアさんは――――」



二人で一人という、奇異な存在を知っている






フェイトの美羽が去った公園に、奇妙な風貌をした人物が訪れていた。
性別は男、背は高め、髪は銀色、肌は陶器の様に白い。それだけなら唯の異国人という種類に入るのだが、男を奇妙と称する一番の理由はその格好だろう。
玉虫色のタクシードに玉虫色のシルクハット。靴は如何にも高そうだが、これも同じく玉虫色。全てが玉虫色によってコーディネートされた服装をした男はステッキをくるくると回転させながら公園に佇む。
「―――――ふむ、此処か」
玉虫色の男が見つめるのは、灰色の男が蒼い炎の燃やされ、灰となった現場だった。地面には燃えた後も灰も、何一つとして残ってはいない。
「やれやれ、幾ら旧型といってもこうも簡単に破壊される程、弱く作ったつもりはなかったんですがねぇ……っま、所詮は旧型という事ですか」
男は踵を返して歩き出す―――その背後に複数の影を引き攣れながら。
「さて、報告をお願いしますよ。旧型を破壊したのは何処の組織のものですか?この街に潜り込んでいるのは私だけじゃない事は知っていますが……まさか【ドミニオン】の連中じゃないでしょうね」
玉虫色の男の背後、小さな影が蠢く。
「――――【ドミニオン】ではない……ですか。ふむ、てっきり私を追ってる【死神】の仕業と思ったのですが、違う様ですね。ちなみに【死神】ではなく【残飯処理】の仕業という線は―――無いですか。わかりました。それで、これを行った者の行方は?」
今度は別の影、大きな影が揺らめく。
「現在追跡中―――ふむ、よろしい。そのまま追跡、観察を続けなさい。居何処を発見したら即座に私に報告するように」
男はステッキを回転させながら小さな溜息を吐く。
「それにしても、随分と面倒な事になってしまいましたね……日頃の行いが悪いのはわかっていますが、まさかここまで厄介な事になるなんて」
再度、溜息。
「私はただ、【彼女】に会いに来ただけなんですがねぇ」
再度、溜息。
「まぁ、良いでしょう。これも我が一族の宿命。元よりのその覚悟はありますし、素直に受け入れ道化の様に笑って進みましょうか」
しかし、溜息を止まらない。いや、これは溜息ではなく、興奮しているのか、息を荒くしている。
「その為にも、さっさと見つけるべきですね。【彼女】と、そして私の作品を壊した者をね」
顔には笑顔。
笑顔という狂喜。
「旧型で敵わないのなら、新型で挑むだけ……【機能特化型】の力、とくとご覧に頂いて貰いましょうか」
玉虫色の男はステッキを回しながら、奇妙なステップを踏みながら歩き出す。
その背後に―――影は無い。




プレシア・テスタロッサは夜型の人間だ。
夜に仕事をし、朝に寝床に着くという、あまり健康によろしくない生活スタイルをしている。歳は今年で三十路にサヨナラして気づけば四十に突入。世間的には初老というポジションにいる。それでも見た目はまだ四十どこか三十の前半に見える事にはそれなりの自慢になるし、時折年齢を偽装する時があるのはご愛敬。
だが、年齢は嘘をつかないらしく、鏡を見た自分の顔にはシワという女性の敵が浮かんでいた。
「……そろそろ限界かしら」
メイクで誤魔化せなくなっていたのは年齢のせいだと言い聞かせながら、まだ自分はイケるだろうと自己暗示に必死になる。
「大丈夫、私は大丈夫……リニス、アナタもそう思うでしょう?」
足下でゴロゴロと寝そべるリニスに問いかけるが、猫はこっちの事情など知った事かと大きな欠伸を一つ。
猫とは薄情な生き物なのかもしれない。
「はぁ、猫の手も借りたい気分だけど、猫の手でシワがどうにかなるわけでもないか……こういう時はアリシアの若さが羨ましいわ」
その娘、アリシアはまだ帰っていない。夕方に今日は遅くなるという連絡はあったが、幾らなんでも遅すぎる。一度携帯に連絡してみたが繋がらない。アリシアの友達に連絡しても、今日は一緒ではないという。
「まったく、幾ら夏休みだからって、こんな時間まで遅くなって良いわけじゃないのよ」
ここは一度ガツンと言ってやる必要があるかもしれない。高校生という複雑な時期だが、言い訳には出来ない。
何故なら、自分は母親なのだから。
居間に飾ってある写真立て。
そこにはプレシアと夫、そしてアリシアが映った写真がある。
「遠い所にいるアナタ……私に力を貸して」
ちなみに、夫は海外出張中でしっかり生きている事をここに記す。
外の方で犬が鳴く声が響く。
テスタロッサ家の飼い犬、アルフの鳴き声だった。
それが意味するのは娘が帰って来たという意味だ。プレシアは深呼吸をして、帰って来た娘に説教する覚悟を持って、
「よし」
と一言、気合を入れる。
ドアが開き、
「ただいま」
という声が聞こえたが合図。
玄関に向かって歩き、
「アリシア、こんな時間まで何処を――――」
言葉が途中で止まる。
「ただいま、母さん」
そこに居たのはアリシアではなく、アリシアを幼くしたフェイトの姿―――そして、見知った白い学ランの女子生徒と見た事のない子供が一人。
「お邪魔します」
「お、お邪魔します……」
頭の中から説教をするという目的が綺麗さっぱりと消え去り、残ったのは戸惑いだけ。
「―――――――ど、どうも」
唯一言えたのは、こんな事だけだった。



居間のソファーに腰掛けた美羽と銀河。
「お久しぶりですね、プレシアさん」
「えぇ、久しぶり。元気だった?」
プレシアは台所で珈琲を注いでいる。
「はい、この通りです。今日はこんな時間に突然伺ってしまい、申し訳ありません」
「良いのよ、銀河ちゃんなら大歓迎。むしろ、どうして来てくれないのかが不満だわ。昴ちゃんなんて週一で来るのにね」
「あはは、妹が迷惑かけてすみません」
「良いのよ。あの子が来ると家の中も明るくなるわ――――ところで、」
珈琲をお盆に載せ、プレシアが尋ねる。
目線は美羽。
「その子は……どちら様かしら?フェイトのお友達?」
完全に子供だと思い込んでいた。その証拠にお盆に載っている珈琲は二つ。残る二つはココア。
「駄目よ。こんな時間にアナタみたいな子供が出歩いてちゃ。ご両親が心配するでしょう?お家は何処?なんなら車出すから送っていくわ」
余所の子だろうと怒りはするし、優しくはする。それがプレシアの母親としての形である。もっとも、目の前の美羽は子供ではなく二十歳を超えている大人だとはまったく思っていない。
「私、子供じゃないんですけど……」
「子供はみんなそう言うのよ。自分を子供だと思っていない子ほど、子供なの」
「で、ですから、私は子供じゃなくて先生で―――」
まったく信用する気がないプレシアにタジタジな美羽。この二人を見て一人笑い耐える銀河。
そこに救いの主が訪れる。
「母さん、その人はアリシアの先生だよ」
二階の自室から降りて来たフェイトは海淵学園の制服から私服に着替え、プレシアの入れたココアに口をつける。
「先生?……もしかして、アリシアが言ってた子供みたいにちっちゃい先生?」
「そう、そのちっちゃい先生。小さいけど、大人だよ」
信じられない、という眼で美羽を見る。
美羽は苦笑しながら、
「一応、今年で二十二です……ちっちゃくて、すみません」
プレシアの顔が一気に真っ赤になる。
「そ、そそそそ、そうでしたか……先生、でしたか……」
「はい、教育実習生ですけど……一応、先生です」
二人の大人の間に気まずい沈黙が降りる。
プレシアは大きく咳払いをして、なんとかこの場を取り繕う事にした。
「――――アリシアとフェイトの母、プレシア・テスタロッサです」
「新井美羽です……その、娘さん達の担任をさせてもらってます」
「まぁ、新井先生の場合、フェイトの事を知ったのはさっきですから、お二人の担任って言えない気がしますけどね」
「中島さん、お願いだから黙って……!!」
「本当の事ですから―――わぁ、相変わらずこの珈琲、美味しいですね」
「良かったら少し持っていく?豆が余ってるのよ」
「それよりも何処で売ってるのか教えてくれますか?これ、生徒会室で飲んだら疲れも吹っ飛んじゃいますよ」
「ごめんなさい。これ、海外の知り合いから送られてくる物だから、私も何処で売ってるのか知らないのよ」
確かに美味しい珈琲だった。普段はインスタントか缶でしか飲まない珈琲が、ここまで美味しいとは驚きだった。
「ほんとだ、甘い」
「新井先生、それココア」
「うッ!?」
美羽、赤面。
プレシア、すぐさま珈琲を入れに台所へ。
銀河、大爆笑。
フェイト、リニスの手を掴んでバンザイさせて遊んでいる。
「酷いよ、中島さん」
「先生がそこまで天然だと思ってませんでしたから。そりゃ、生徒から人気も出るでしょうね」
「先生というよりはマスコット扱いされてる気がするんですけど」
「マスコットであるのも才能ですよ。私なんて暴君扱いですから」
「それは中島さんの自業自得だと……」
珈琲を入れ直して戻って来たプレシアは、向かいのソファーに腰掛ける。
「それで先生は……どういった御用件で家に?」
「それが……」
美羽はフェイトを見ながら、
「私も良くわからないんですが、フェイトさんに着いてくるように言われて……そのまま来ちゃったんです」
「フェイトが?」
リニスで遊んでいたフェイトを見つめる三人。その視線に気づいたのか、フェイトは三人を見ながら、

「先生、狙われてるから」

と、爆弾発言。
「狙われてる?」
美羽は自身を指さし、尋ねる。
「うん、狙われてる。だからアリシアに頼まれて私が【出てきた】の」
銀河は真剣な表情で尋ねる。
「どうして新井先生が狙われていると?」
「アリシアがそう言ってたから」
「理由は言ってましたか?」
「わからないよ。アリシアに聞かなくちゃ」
「それじゃ、アリシアに聞いてみれば」
「無理。アリシア、今は寝てる。多分、明日にならないと起きないよ」
恐らく、狙っているというのは、公園で見た灰色の男の事だろう。だが、どうして自分が狙われているのか美羽にはわからない。
「美羽先生、何か恨みを買う様な事をしませんでしたか?」
「身の覚えはないですけど……」
恨み辛みは自分が意をしない所で受けるというが、本当にその理由に覚えはない。そして、あんな消え方をする者に覚えだって当然ない。
「あの、宜しいでしょうか……」
三人の会話に何も知らないプレシアが入る。
「一体、何があったんですか?新井先生が誰かに狙われてるって事はなんとなくわかりましたけど、それにどうして家の娘達が関わってるのか……」
「それは私にも。でも、アリシアさんは――――」
そこで、美羽は言葉を止める。
「もしかして……事件のせい?」
「事件?」
美羽の事件という言葉にプレシアは喰いつき、銀河はやっぱりかという顔をする。
「あの、事件とはどういう事でしょうか?」
「そ、それは……」
まさか、生徒が死んだので真相をアリシアと一緒に追っているなんて、親であるプレシアの前ではとても言えない。
「それは危険な事件なんですか?正直、フェイトが【出てくる】という事は、アリシアが何か危険な事に首をつっこんでいるという事です。今までだってそうでしたし、今回も……」
正にそうだろう。
先程の男は確実に美羽を狙っていた。美羽に狙われる理由はないが、事件を追っているという点から見れば狙われる理由はあるだろう。
そして、同時にそれは追っては困る様な理由がある者がいるという事だ。
「まさか、あの人が犯人?」
「犯人!?」
うっかりと口走ってしまった言葉だった。それが完全に【犯人が居る事件】に関わっているという証拠になってしまう。
どんどんドツボにハマっていく美羽を見かねたのか、銀河は美羽を肩に手を置き、
「新井先生、もう誤魔化しても無理だと思いますよ」
素直に全部話してしまえとアドバイスする。
美羽は一瞬迷ったが、既に自分は巻き込まれ、同時にアリシアまで巻き込んでいる事を想えば、最早隠し事はできないだろう。
美羽はプレシアの眼を見て、
「実は―――」
一人の生徒が死に、その真相を知りたいが為に動いている事を嘘偽りなく、本音も交えて話した。
プレシアも何も言わずに美羽の話を聞き、公園での一幕まで言い終わった後で沈黙が訪れる。
銀河は静かに珈琲を飲み、美羽とプレシアは黙り込む。
最初に言葉を放ったのは、フェイトだった。
「先生は、諦めないの?」
三人はフェイトを見る。
「多分、諦めた方が良いと思う。多分だけど、先生を狙った奴も先生が諦めれば何もしてこない―――と、思う。そうすればあんな目に合わないし、狙われる事もなくなる」
「それは……」
「――――はっきり言うけど、私は先生がどうなろうと知ったこっちゃないんだ」
痛切な言葉を吐く。
「私はアリシアに頼まれただけ。アリシアが守りたい、助けたいと思ったから私は先生を助けた。それは同時にアリシアを守る事にも繋がるの……私が一番大切なのはアリシアと母さんと父さんの三人と、リニスとアルフの二匹―――私の家族だけ。それ以外の人なんてどうでも良い」
その言葉は嘘などなかった。
死んだ眼で語る言葉は全てが真実。
何故なら【死者】は真実しか語れないからだ。

「迷惑なんだよ、先生は」

言葉の刃は、美羽の心に突き刺さる。
「あのスノゥって人も同じ事を言うと思うよ。先生のやってる事は色々な人の迷惑になる。アリシアは優しいから言わないけど、代わりに私が言うよ。先生のやってる事はアリシアも、そして他の人も迷惑の掛る行為なんだってさ」
誰かの迷惑にならないなら、それが正しい事には変わりは無い。だが、どれだけそうしようとしても、誰かの迷惑になってしまう。これが危険という言葉になってしまえば、もう救いようがない。
今回は美羽だった。
次はアリシアかもしれない。
「手を引くなら此処だと思う……」
フェイトは美羽を見つめ、
「だから、お願い。こんな事件の事を追うのはもう止めて。お願いだから……アリシアの迷惑になる事はしないで」
小さな声だったが、確かな怒りに似た感情が籠っていた。
「――――フェイト」
プレシアは言う。
「確かにアナタの言う事はもっともだわ。でもね、新井先生には新井先生の理由、意思があるの。それはアナタが口を挟んで良い事じゃないわ」
「でも、それじゃアリシアが危険な目に遭うよ?母さんはそれで良いの?」
「良いわけがないしょう。私はアナタとアリシアの母親よ。何処の世界に自分の娘が危険な目に遭う事を良しとする母親が居ると言うの?」
「だったら―――」
「だから、よ……新井先生」
プレシアは美羽を見つめる。
怒ってるわけでもなく、責める様な眼でない。
静かな眼で美羽を視界に収めながら、言葉を紡ぐ。
「多分ですけど、アナタはこの子にどう言われようとしても、諦める気はないんですよね?少なくとも事件が解決するまで、犯人が捕まるまで、アナタはアナタの意思を貫こうとする―――違いますか?」
「違いません」
即答だった。
一切の迷いなく、美羽は言いきった。
「諦める気は、無いです。私が狙われたのは私のせいです。だけど、それは私が真実に迫るのを良しとしない誰かが居るって事です。その人がそう思う程、私が其処に近づこうとしているのなら―――止める事なんてできません」
見つめ合う教師と母親。
片方は子を預ける者。
片方は子を預かる者。
双方はさっき初めて会った間柄だが、無言の制約の様にそういう仕組みがある。
だからこそ、母親であるプレシアはこう言う。
「私は先生を止める気はありませんが、私の娘達が危険な目に会う事を良しとはできません。申し訳ありませんが、やるなら一人でお願いします」
母親だからこそ、子を育てる一人であるからこそ、自分の娘達が危険な目に遭う事は良しとはしない。
「……そのつもりです」
美羽はそう言って立ち上がり、
「こんな時間にお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
頭を下げる。
「此処から先は私一人でやります。娘さん達には、アリシアさんには此処で手を引いてもらいます……元々、一人でやるつもりでしたから」
「……フェイトも言いましたが、私も少しだけ不思議ですよ……どうしても、止めようとは思わないんですか?」
「……止めれれば、きっと楽なんだと思います。だけど、今の私はそんな当たり前の事も出来ないくらい……駄目な教師なんです」
自傷する様に笑う美羽。
「――――いいえ、そんな事はありません」
首を横に振るプレシア。
「アナタの様に生徒の為を想って動ける方を駄目な教師だとは、私には言えません。むしろ、アナタの様な方だからこそ、私は自分の娘をアナタに預ける事ができます」
「プレシアさん……」
「だから、無事でいてください。そうじゃないと、私も安心して娘を学校に通わせる事ができませんから」
今日、初めて出会った。
出会って一時間程度しか経っていない。
それなのに目の前の母親はこんな自分を信じていると言う。
こんな自分を教師だと言ってくれる。
「……あ、ありがとう、ございます」
「お礼を言うのはこちらです。アリシアはアナタの事を良く話してくれます。その時のあの子の笑った顔は親として嬉しいと感じられるものでした。私は良い母親ではないかもしれませんが、母親である事だけは唯一の誇りだと思っています」
プレシアは美羽の手を取り、握る。
「ありがとうございます、新井先生。これからも、娘をお願いします」
教師と母親の姿。
その光景を見ていた銀河は小さな声でフェイトに囁く。
「なんだか不機嫌そうね」
「そんな事……ない」
そうは言っても銀河の言う様に、フェイトの顔は心なしか不機嫌そうだった。
「ふふ、そうね。これじゃ、アナタ一人が悪者みたいだものね」
「だから、違う。銀河のそういう所、嫌い」
「嫌われて結構。私、こう見えて悪者ですから―――それに、私も似た様な感じですしね」
少しだけ不機嫌だと思ったのはフェイトだけではない。銀河だってそうだ。それは単なる嫉妬なのかもしれない。
銀河には母親はいない。
家族は父と妹の二人だけ。
血縁関係はあっても心の何処かで自分は二人の家族にはなれない、そんな気持ちがあるのは嘘ではない。
母親は死んだ。
銀河と昴が幼い頃、死んだ。
その現場に居たのは銀河だけで、最後を看取ったのも銀河だけ。
それが彼女の中にある悪夢にも似た光景。
【炎を纏う女】と共に、彼女が許せないと思う罪人は、彼女自身だった。
だから嫉妬もするし、そんな権利が無い事も知っている。
守るべき家族が居ても、守られる権利が無い自分に家族を名乗る権利はいらない。
「アナタもアリシアも、良い母がいて羨ましいわ」
「…………ごめん」
「どうして謝るんですか?別にアナタが謝る事なんて一つもないのよ……これは私の問題だから」
「でも……ごめん」
優しい子だと知っている。
美羽にアレだけ言いながらも、この小さな少女はアリシアに似て、優しい子なのだ。守るべき者をしっかりと決めながらも、それ以外の者に決して興味がないわけじゃない。
優しいから決める。
優しさに押し潰されない様に、守るべき者を制限する。
自分に出来ない事はせず、出来る事もしない。
ただ、己の心の赴くままに。

Pipipipipipi……

不意に音が鳴った。
テスタロッサ家の備え付けの電話ではなく、携帯の音。
音は美羽のポケットから鳴っていた。
「あ、私です。すみません……」
携帯を見ると着信ではなくメールで着ていた。
携帯に登録されていない見知らぬアドレスからだった。悪戯メールだろうかと思い、こんな時になんてタイミングだと少しだけ腹立たしく感じながらも、新着メールが一件という文字をクリックし、送られてきたメールを見る。
単純な文字の羅列。
シンプルな文字。
画面に映し出された文字はたったの六文字。

【Flucht】

美羽は首を傾げた。
これは英語―――ではなさそうだ。少なくともこんな文字は見た事がない。
「どうしました?」
携帯を見つめて黙り込む美羽にプレシアが話しかける。美羽は携帯に表示された文字を見せながら苦笑する。
「悪戯メールみたいです。なんか、変な文字があるだけですから……でも、これなんだろう?英語……だよね」
削除しようとボタンを操作しようとして、
「―――逃げろ」
「え?」
「これ、逃げろっていう意味よ。英語じゃなくてドイツ語」
「逃げろ、ですか……」
逃げろ、ドイツ語、それがどうして自分の携帯に送られてきたのか。削除しようとした指が止まり、言い様のない不安感が美羽を襲う。
逃げろ。
逃げろ。
逃げろ。
逃げろ。
その言葉が差す意味は一つだけ。
「……此処から、逃げろ?」
行き着いた答えはそんな意味。
「新井先生、どうしたんですか?」
銀河が美羽の携帯を覗きこみ、
「逃げて、ですか……誰からですか?」
「わからない。見た事も無いアドレスだから……これ悪戯、ですよね」
悪戯だと良い、が正しい言葉だった。
逃げろというメールはシンプルだが、シンプル過ぎるが故に――――――気づけなかった。
プレシアと銀河は美羽の携帯を見てる。それを見せている美羽だけが気づいた。
視線の先、二人の肩の間に見えた光景はフェイトの姿。
フェイトが不思議そうか顔をして、こちらを見ている。

その背後に【何かが居る】。

逃げろ―――送られてきたメールは、そのまま美羽の言葉となる。
声を発する為に息を吸う時間は短くとも、短い事が速い事にはならない。
美羽は眼を見開き、声を出そうとした瞬間、



既に、フェイトの額には風穴が開いていた。



ヒュンッと小さな風切り音。
フェイトの後頭部に突き付けられた黒鉄の物体から放たれた弾丸は無常にもフェイトの白い肌に紅い穴を作り出す。
音と共に白いカーペットが白く染まる。
少女の身体が床に倒れ、そして誰もが気づく。
「――――フェイト?」
プレシアの呆然とした声はフェイトには届かない。美羽にはわかってる。誰が見てもわかってしまう。
どんな人間だろうと、額に穴が開いている者が生きているはずもなく、返事など出来るはずがない。
殺される者がいるとすれば、殺す者とている。これがこの世の理の一つ。殺される者がフェイト・テスタロッサであるのならば、殺す者は誰なのか。
硝煙を上げながら、次弾を装填する兇器。
相手は人間だった。
黒のレインコートで身体全てを隠し、フードの部分からは紅く光るライトが見える。眼ではない。あんな怪しく、そして無機質に光る瞳などあるはずがない。
レインコートを着た人間は兇器、銃をフェイトの頭があった部分から上げ、今度は美羽へと照準を移した。
アレは銃だ。
当たれば死ぬだろう。
とても痛いだろう。
そんな当然の事を知りながらも、目の前で起こった惨劇を前に動ける者は誰一人いなかった。いるとするのなら、それは事を起こした下手人だけ。
引き金が引かれ、短い筒の間から鉛弾が射出される。
またも小さな風切り音。
誰も動けない。
プレシアの眼はレインコートではなく床に倒れたフェイトへ向かっている。
美羽は銃を前に動けない。
銀河は、

「伏せなさいッ!!」

美羽とプレシアを突き飛ばす。
そのおかげで弾丸は居間の隣にある台所のコーヒーメーカーに中り、中に溜まっていた珈琲が血の様に流れ出る。
レインコートは外れた事を確認すると即座に第三射の準備を始めるが、
「―――――ッ!!」
二人を突き飛ばしたと同時に銀河は動いていた。
相手が引き金を引くよりも、撃鉄を起こすよりも、弾丸がコーヒーメーカーを壊すよりも、弾丸が銃から発射するのと同時に、床を蹴る。
レインコートの持っている銃を天井へと蹴り飛ばし、その脚で相手を蹴り飛ばす。だが、銀河の脚の音はまるで鉄の扉を蹴った時と同じ様な音がした。激しい衝撃で響いた音ではなく、そんな力では壊れないと主張する鉱物と同じ音。
まるで効いていない。
銀河の脚をレインコートが掴み、そのまま窓へと放り捨てる。銀河の身体が窓のガラスをぶち破り、庭へと転がる。
残されたのは美羽とプレシアとレインコート。

「随分と簡単に死にましたね……驚きです」

そして、玉虫色の男。
何時の間にいたのか、玉虫色という趣味の悪いタクシードを着た男が居間にいた。それどころか、ソファーに座り、勝手に珈琲を啜っていた。
「うん、美味い。良い豆と良い手際です。これなら今すぐお店が出せますが……残念ですね」
ギョロリと男の瞳が二人をロックする。
「この国では死んだら生まれ変わり、来世があるという言い伝えでしたね。ですから、お店を出すのは来世にという事でお願い致します」
「ア、ナタは……誰、ですか」
何とか声を絞りだした美羽に、玉虫色の男はニィッと嗤って答える。
「おっと、コレは失礼。私は遠い異国から参りました、なんて事のない粗末な技術屋ですよ。ちなみに、これは名刺です」
そう言って玉虫色の男は懐から本当に名刺を差し出した。
美羽は震える手で名刺を受取り、
「……ヴィクター・フランケンシュタイン?」
「えぇ、そうです。ヴィクター・フランケンシュタイン―――なんと私、あの有名なフランケンシュタイン博士と同姓同名なのですよ、凄いでしょう?」
フランケンシュタインという名を聞いて、それが怪物の名であるという程度の知識しかない美羽にとって、そんな事はどうでも良かった。
問題なのは、この趣味の悪い玉虫色の男、ヴィクターが此処に居て、何をしたかだ。
「どうして……」
床に倒れた少女の死体。
ソレを成したレインコート。
「どうして、こんな酷い事を……」
「別に深い理由なんてありませんけど?単純に私共にとって都合の悪い者を消しているだけですよ。警察関係者は無理でも、アナタの様な一般市民ならある程度なら殺しても問題ありませんからね」
そう言うと、ヴィクターはふと、何かを想ったのか暗い顔をする。
「あぁ、しまった。こんな風に話す様な奴は基本的に悪人ではないか。私は単なる技術屋で悪人ではないのに……というわけでお嬢さん、私は悪人ではないという事を知ってもらいます。此処でこんな風に悪人みたいに話す様な輩は、基本的にすぐに死んでしまう、やられキャラとしか描写されませんので」
「こんな事をしておいて、何を言ってるんですかッ!!」
激昂する美羽に対して、ヴィクターは特に表情を崩さず―――元からの趣味の悪い笑顔を浮かべながら答える。
「そう言われましても……何分、私は単なる技術屋。あの幼い可憐な少女を殺したのだって、私ではなく、私の作品、【機能特化型】の作品ですからね」
「作品?」
「はい、そうです――――ん、ここでペラペラ喋ったら悪人っぽくなりますよね?うん、止めた。本来なら此処で説明してあげるのが筋なんでしょうが、私はちんけな悪役&やられキャラにはなりたくないので、説明禁止とさせて頂きます」
ヴィクターは珈琲を飲み終わり、立ち上がる。
「にしてもアレですね、そちらのご婦人は随分と落ち付いていらっしゃいますね」
ヴィクターに視線が美羽からプレシアへ変わる。
「先程からお話は聞かせてもらっておりましたが、察するにこの幼い可憐な少女はアナタの娘さんでしたね……普通、こういう時は我を失って喚き散らすか、激昂して私に襲い掛かってくるものでしょう?なのに、だ」
ステッキの先をプレシアに向ける。
「――――随分と冷静なのですねぇ……まるで人形が壊れた程度にしか考えてないみたいですよ」
「…………」
何も答えないプレシアを美羽は見た。
確かにプレシアは冷静だった――――いや、冷静過ぎる。
目の前で娘が死んだというのに、どうしてこんなに冷静にヴィクターへと視線を向けられるのか。
「あ、もしかしてアレですかね?自分のお腹を痛めて産んだ子だけど、別に可愛くもなければ愛おしくも無いってタイプですか?だとしたら失礼。私とした事が随分と空気の読まない質問をしてしまいましたね……」
「…………」
「ですが、そんなアナタに残念なお知らせですよ、ご婦人。これからアナタはその愛おしくも無い娘さんと一緒の場所にご案内しなければいけません―――――つまり、生きても死んでも、アナタは娘さんと一緒という事です。ご愁傷様」
「…………」
何も言わず、黙り込んでるプレシア。
「プレシアさん……」
「…………ねぇ、ヴィクターとか言いましたか、アナタ」
静かにプレシアは言葉を放つ。
ヴィクターは少しだけ驚き、答える。
「はい、そうです。私がヴィクター・フランケンシュタインですよ。サインは要りますか?」
「要らないわ……その代わり、一つ質問に答えてもらって良いかしら?」
「冥土の見上げなら差し上げませんよ。そういう事を言う奴は絶対に失敗するんですから」
「そう、なら良いわ。私が勝手に喋らせてもらうわ」
プレシアはレインコートを睨むように見据え、
「アナタは機能特化型とか言ってたわね」
「そんな事を言いましたっけ?」
ふざけるヴィクターを無視してプレシアは話を続ける。
「【機能特化型】……その言葉はね、実は結構前に聞いた事があるのよ。そうね、十年くらい前だったかしら。私の元同僚の、アナタの言う技術屋の同僚が言ってたの。ドイツに遥か昔から存在する一族では、人間を材料にして人間に似た怪物を作り出す実験を続けているってね」
不意に、ヴィクターから表情が消えた。
「私の元同僚はね、そういう話が大好きなのよ。特に人体実験っていうクソふざけたモノが大好きなマッド野郎でね……ソイツが言うには、その一族は何と小説の中に登場するフランケンシュタイン博士の子孫だっていうから驚きよ。最初は信じられなかったけど、ソイツがあんな熱心に話すからつい信じてしまったわ」
「……その方は、どちらに?」
声の質が変わる。
ふざけた色は消え、冷たい機械の様な声に変わる。
「さぁ?寒い所が好きだって言ったから、今頃ロシアにでもいるんじゃないの――――で、ソイツが更に面白い話をしてくれたわ。なんとその実験は百年以上前に成功していて、今は改良型に着手しているらしいってね……」
プレシアの鋭い視線がレインコートを貫く。
「ソイツの話の通りだとするのなら、アレがその改良型。普通の改造人間、フランケンシュタインのヴァージョンアップ版ではなく、限られた一部分のみを強化、特化させた【機能特化型】という事でしょう?」
「……ほぅ、随分と優れた観察眼をお持ちで。まるで最初からこんな存在いる事を知っていた様ですよ」
「だから知ってるのよ」
声の質が変わったのはヴィクターだけではない。
「こんなクソみたいな研究をしていたソイツの事も知ってるし、それに似たクソみたいな研究をしているアンタ等みたいな一族が大嫌いだから知ってるのよ」
ヴィクターが冷たい声質に変わったというのなら、プレシアの声質は真逆。
熱い、烈火の怒り。
「変にキャラ作ってる所がアイツにそっくりで胸糞悪いし、さも自分は他の連中とは違うって気どっている所もそっくり……反吐が出るわ」
「それは結構。私、大和美人の様な清楚で気品ある女性が好きなので、アナタは好きにはなれませんよ」
「それは良かったわ。アンタみたいな奴に口説かれたら、背筋が痒くなる。一応言っておくけど、私を口説いて良いのはこの世界で唯一人、私の夫だけよ」
「この状況でそれを堂々と言いますか、普通……」
「悪いけど、私は今でも新婚気分よッ!!」
「更に自信満々に言う事ですか、それ?」
ヴィクターは頭痛を起こし様に頭を押さえる。
「もういいです。アナタには色々と聞きたい事もありますから、特別に生かして差し上げましょう――――ですが、」
シルクハットの下から、舐める様な視線で美羽を見据え、
「アナタは駄目ですよ、小さなお嬢さん」
背筋がゾッとする。
「正直な話、これ以上アナタに色々と嗅ぎまわれると迷惑なんですよ。別にアナタが推理力に優れた者でも、能力の高い戦闘者というわけでもなさそうですが、念には念を入れます……私、こう見えて小心者なんでね」
パチンと指を鳴らすと、レインコートの、【機能特化型】の怪物の背後から別の怪物が出現した。
今度の怪物はレインコートの怪物とは違い、はっきりと顔を見せている。
が、それは見せない方が良かったと言うしかない。
まず顔だ。
顔には髪も鼻も耳もない。あるのは白しかない瞳と縫い合わされた口。そして顔の半分以上を溶接された様に鉄色となっている。
それだけでも異常だというのに、身体は更に酷い事になっていた。
美羽が一度見た怪物よりもスリムな体型をしているが、身体の八割が機械と化していた。その証拠に心臓部分は空洞となっており、空洞の中には心臓の代わりを務める様に野球ボールの様な金属が様々な配線によって繋げられている。
そして最後は腕。
人の腕ではなく、鰐の口の様にも、カニのハサミの様にも見える腕が二つ。
「化物……」
「えぇ、化物です。それもこんなにね」
ヴィクターの言う様に、一体ではなかった。
群れを成す様に壊れた窓から次々と怪物が姿を現す。
その数は五体。
「【機能特化型】はレインコートのコレだけですが、旧型もこれだけいれば十分でしょう。まぁ、最初の旧型を壊した者が誰かは知りませんが、流石にお嬢さんでない事だけははっきりとわかってますよ」
気味の悪いニコニコ顔でヴィクターは杖を回す。
「それでは諸君。君達の今日のご相手は小さなお嬢さんだ。殺すも良し、喰うも良し、犯すも良し……犯す場合は私も仲間に入れる様に、此処は重要だから復唱!!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「良し!!お前等全員、帰ったらバラすから覚悟しとけよ~。本気だぞ~。ヴィクター先生、怒ると怖いからな~」
「ふふ、随分と部下からの信頼が低いのね」
嘲笑うプレシアにヴィクターは若干引き攣り顔をしながらも、周りの怪物達に指示を出す。
「命令変更。そのご婦人も犯して良し」
「ご婦人も犯して良し」
「ご婦人も犯して良し」
「ご婦人も犯して良し」
「ご婦人も犯して良し」
「ご婦人も犯して良し」
「お前等……全員熟女好きか?……選別、完全に間違えたかな?」
怪物達の趣味はともかく、それぞれの異形の腕を持っている怪物達が脅威でないわけもなく、
「プレシアさん……ごめんなさい、私のせいで」
「謝らないの。いい?こういう時は諦めない事が基本よ」
「諦めない事?」
「そう、諦めない事。そうすれば、意外とすんなりピンチから脱出できるものよ。私の長年の経験だから、意外と馬鹿にできないわよ」
何時の間にかプレシアの言葉使いが変わっている。まるで友人と話す様な気さくな喋り方だった。
当然、それに似合った表情も同じ。
「まったく、そんな歳にもなって夢物語ですか?現実に絶望できる歳で、それは恥ずかしくありませんか?」
「そういうアナタは、私が幾つに見えるのかしら?」
「そうですね……凡そ三十前半と言ったところでしょうか」
自信満々に口にするヴィクターに、プレシアは鼻で嗤うという侮辱を与える―――そして、何故か怪物達も鼻で嗤っていた。
「女の年齢もマトモに当てられない男には悪巧みもろくには出来ない……それと、さっきからアナタ……安っぽい悪役でやられキャラな台詞を吐いてるわよ」
「むぅ、自覚してる分、他人から言われるとグサッときますね」
「ほんと、アンタが最初に言った様に無駄口叩かずにさっさと殺していれば―――――アンタは私達を殺せたかもね」
それはまるで、
「まるで、私が負ける―――みたいな口ぶりですね」
「えぇ、そう言ってるのよ」
プレシアは顎で指すのは、
「無駄口が長すぎるのよ。これだけ長かったら――――」
最早、誰も見ていない血の海。
誰も見ていないからこそ、気づかない。


「私の愛しい愛しい、目に入れても惜しくない程に、最高に可愛い自慢の娘が――――ほら、【蘇る】わよ」







あれは何時の頃だっただろう。
幼い頃だった事は覚えている。
今の自分よりもずっと幼い、まだ世界には悲しい事も苦しい事もないと本気で信じていた、幼く愚かな時代だったのは確かだ。
その日、誰もが祝福する日だった。
その日、誰もが彼女の誕生を祝う日だった。
母も、父も、そしてアリシア自身も。
「もうすぐ、いもうとができるんだ!!」
幼稚園の友達にアリシアはそう言った。
「もうすぐね、わたし、おねえちゃんになるの!!」
隣に住んでいた老人にアリシアは言った。
「わたしね、おねえちゃんになったら、いもうとのえをかいてあげるの!!」
遠い場所で仕事をしている父にアリシアは言った。
「ねぇ、いつになったらうまれるの?」
大きくなった母のお腹を摩りながら、アリシアは尋ねた。プレシアはアリシアの手を自分のお腹に当てる。すると、中から何かが蹴った音がした。
アリシアは驚き、プレシアは笑う。その笑顔にアリシアも笑い、皆が笑う。
その日、誰もが祝福する日だった。
その日、誰もが彼女の誕生を祝う日だった。

だが、彼女は生れなかった。

病室で泣いているプレシアと、彼女を支える父。看護婦も、医者も、沈痛な顔持ちで難しい事を言っている為、アリシアにはわからない。どうして泣いているのかも、どうして―――どうして、誰も笑っていないのも、わからない。
「ママ……どうして、ないてるの?」
アリシアの手にはプレシアに内緒で貯めたお小遣いの全てを使って買った一輪の花。この花を母に、そして生れてくる妹に送るつもりだった。
「ごめんね……」
プレシアはそれだけ言ってアリシアを抱きしめる。
「ママ?」
「ごめんね、本当に……ごめんね」
頬に当たる涙は温かいのに、冷たかった。
理由はわからない。もしかしたら何かの陰謀があったのかもしれないし、単に運が悪かっただけかもしれない。
わかる事は、一人の母親が流産し、一人の子供に妹が出来ず、一人の生れてくる子供は生まれなかった―――それだけだ。
だが、代わりに生れたものはある。
悲しみでも涙でもない。そんなちんけなモノではなく、神に唾を吐く様な滑稽な【奇跡】だった。
それにこの家族が気づくにはこれから数年後、アリシアが高校に上がった時まで時間を戻す必要があるのだが、残念ながら時間がない。
この世は常に時間が進み続ける。時に時間は戻る事はあるが、それは時間が戻るだけで人が過去に戻るわけではない。
そう、過去に戻るのは時間だけ。過去に戻れば人は同じ事を繰り返すだけに過ぎない。神を戻し、過去を変えられるのは神でも魔王でもない―――誰でもない。
誰にもそんな事は出来ない。
故に彼女は今も守る。
この命に代えても、なんてキザな台詞は吐かない。
何故なら、と彼女は何時もの様にこう言うだろう。



「だって、死んでるからね」と








死とは何か―――そんな事を今更になって語る事に意味はない。
この瞬間に語るべき事があるとすれば、美羽の視界に映っている光景だろう。
見慣れた光景でありながら、見慣れた光景ではない。神沢学園に通っていた頃に嫌という程に見た死の瞬間。もっとも、その死は死であって死ではない。死んだ後もすぐに蘇り、また死ぬという奇行を人妖能力として持った一人の少年がいた。それ故に死は慣れていると思っていた―――しかし、それは死ではない。死とは失い、戻らないという意味だ。その少年以外の死など見た事がない。そして少年の死は何時だって再生があり、元に戻るという工程を永遠に繰り返すシステムの一つだ。
故に気づく。
彼女の見てきた死は死ではない。
死んでもすぐに生き返るなどという工程は、死者の工程ではないのだ。
死んでも生き返る少年一人を知っている程度で死を知っているとは言えない。彼女は本当の意味で死を知っているはずがない。
でなければ、こんなにも驚きはしないだろう。
あり得ないからだ。
美羽の知る少年以外で【死んでも生き返る】などという工程をあっさりと体現できる者など、知る筈がない。
「……なん、だと」
ヴィクターの眼を見開かれる。それと同じ様に美羽の眼も見開かれ、怪物達はまるで自身の【同胞】を見るかの様に無機質な瞳を向ける。
確かに死んだはずだ。
一人の少女は目の前の怪物によって殺されたはずだ。
頭を銃で撃ち抜かれ、白いカーペットを真っ赤に汚して死んだはずだった。
だというのに、

その少女が立っているのは、何故だろうか

寝起きの様にのんびりとした動作で、目を擦る行為と同じ様に首を鳴らし、【額に開いた穴】を指でなぞりながら、少女は立ち上がっていた。
「…………痛い」
その程度の感想を漏らし、死人は蘇る。
「痛い……凄く、痛い……」
額を開いた穴を撫でながら、少女の額に穴を開けたレインコートの怪物を少女の双眼が睨みつけ、
「いきなり撃つなんて非常識……許さないよ」
レインコートの怪物は再び銃声を轟かせた。
室内に響く銃の咆哮と、少女の顔面に突き刺さる弾丸。今度は額ではなく、眼球を潰す様に死んだ瞳を弾丸が貫き、先程とは逆に後頭部から弾が抜ける。
金色の髪が微かに揺れ、赤い噴水が吹き出る―――が、
「…………」
動いている。
手を動かし、穴が開いた眼を撫でながら、後頭部に開いた穴を撫でながら、
「だからさ、」
小さな唇を動かし、
「痛いって――――――――――――言ってるでしょうッ!!」
少女は走りだす。
レインコートの怪物と少女の距離はわずかに三メートル。怪物の銃は未だに少女に狙いを定めている為、少女が怪物に触れるまでのタイムラグを考えるに、確実に怪物が引き金を引く方が早い。現にその通りになり、怪物の第二射、少女に向けては第三射となる弾丸を撃ち込んだ。
無論、



フェイト・テスタロッサは死にもしなければ、止まりもしない



第三射を心臓に受けながらも、微かに銃撃の衝撃に身体をよろめかせながらも、倒れる事なく怪物の目の前に立ち、その小さな身体の体重以上の力を込めた一撃を叩きこむ。
ガキッとフェイトの拳がレインコートの腹部に叩きこまれた。
先程、銀河が怪物の身体に蹴りを叩きこんだ時と同様に鉄が抵抗する音を響かせる―――が、それと同時にフェイトの手から骨と肉が潰れる音を響かせると同時に、怪物の身体がくの字に折れ曲がる。
居間の壁を破壊して、怪物の身体は居間の外へと飛んで行く。
あり得ない光景に美羽も、ヴィクターも言葉を失う。
「あ、折れちゃった」
当の本人は手首から九十度以上に折れ曲がった手をブラブラさせていた。
そこから更にあり得ない光景が始まる。
映像を逆再生するようにフェイトの潰れた腕が元の形に戻っていく。砕けた骨がパズルを組み立てる様に構築され、筋肉の繊維が糸を結ぶ様に繋がり、皮膚がぬり絵に色を塗りつける様に元の白い肌を作り出す。
再生、その一言。
異常、その脅威。
「うん、元通り」
再生具合に満足したのか、フェイトはプレシアを見つめ、
「母さん、ちょっと家の中を色々と壊すけどいいかな?」
「えぇ、構わないわ。こんな時間に招きもしていないお客様は、さっさとお引き取り願いなさい」
即答するプレシア。それが合図となる。
開戦の合図。
対してヴィクターは開戦の合図すら出せていない。
怪物達は主の命令を待つ為にじっとしているが――――その中でも【機能特化型】と言われたレインコートの怪物だけが主の命令よりも先に動いた。
レインコートの中からキラリと光る銀色のナイフを手に持ち、フェイトに襲い掛かる。
フェイトは――――避けない。
ナイフがフェイトの首を切り裂き、鮮血がレインコートの怪物の視界を真っ赤に染める。真っ赤に染まった視界が故に視界にフェイトは映らないが、相手がすぐ傍にいる事だけは確認している。
レインコートの怪物、旧型の怪物達と一番に違うのは、その能力。主の命令よりも先に動く事でもなければ、銃というシンプルな武器を扱う事もでない。
最初、誰もこの怪物が姿を確認できなかった。姿も、気配も、誰一人として気づかなかった。
理由は単純。
この【機能特化型】の能力は隠密。
どのようなセンサーもあっさりと掻い潜り、自身の姿をステルス迷彩で隠す事すら可能な潜入と暗殺に特化した怪物。

だからこそ、怪物は失策を犯した。

視界を隠した事―――違う。
皆に姿を見られた事―――違う。
単純な答え。
それは潜入と暗殺に特化した怪物が、【馬鹿正直に正面から突っ込んだ】という点だ。
目の前にいるのは唯の少女ではない。
額を撃ち抜かれ、眼球を撃ち抜かれ、心臓を撃ち抜かれ―――普通の人間なら一撃で死んでいるはずの死を受け入れながらも、【受け入れながらも動いている】という事を平然と行う。
現に今、喉を切り裂かれながらも、フェイトの身体は【普通に動く】。
自らの喉を切り裂いたナイフを素手で掴み上げ、
「―――――ッ!!」
動けなくなった怪物の顔面に頭突きを叩きこむ。怪物の身体が後方に仰け反ると同時に飛び上り、拳で頭部に一撃。

怪物の身体が地面に沈んだ。

武術を習ったわけでもない、適当な握りで適当な体勢で適当に撃ち下ろしただけの一撃だというのに、怪物の身体は何百キロもの物体に潰される様に床にめり込んだ。
戦闘に特化しているわけでもない、暗殺専門の怪物はそれで動けなくなった。
ピクリとも、死んでいる身体が死んでいる様に動かなくなった。
一体の怪物は二度目の死を受け入れ、動かない。
「……お、面白い能力ですね」
幾分かの余裕を取り戻したのだろう、ヴィクターは若干顔を引き攣らせながらも歪んだ笑みを零す。
「見た所、かなり死に難い身体を持っている様ですが……まさか、アナタも彼等と同様の存在なのですかね?」
「さぁ、どうだろうね」
動かなくなった怪物を足蹴に、フェイトはまたも壊れた腕を瞬時に再生させる。
「少なくとも、この子達とは違うよ」
「どう違うのか、おじさんに説明してくれるかな?」
「嫌……なんか、おじさんは気持ち悪い」
「……おじさん、ちょっと傷ついたよ」
ヴィクターの視線が怪物達に向けられる。それを合図とする様に異形の腕を持った怪物達が一斉にフェイトに襲い掛かる。

血湧き肉踊る、言葉の意味は違うが正にそんな光景だった。

カニの様な腕を持った怪物がフェイトの腕を挟み、引裂く。
宙を舞う自分の腕を掴み、バットの様に使って怪物を殴り飛ばし、切断面を腕に付けた瞬間に回復。その隙に背後からハンマーの腕を持った怪物がフェイトの頭蓋を叩き割り、フェイトはお返しとばかりに蹴り倒す。
頭部の再生は始まっているが、ソレを怪物達は待ってはくれない。
一撃ではフェイトは殺せないと見たのだろう、今度は二体同時に刃を振り回し、人間の急所となる全てを刺し貫く。
血が噴き出し、臓器が飛び出る。
腸が漏れ出し―――その腸をフェイトは自分の身体の中から引き摺りだして怪物の首の巻き付け、
「こっ―――――のぉぉおおおおおおおおおッ!!」
投げ飛ばした。
「あ、切れちゃった」
怪物の身体を投げ飛ばしたと同時に腸が千切れた。
「母さん、腸が切れちゃった」
「その辺に捨てておきなさい。どうせ自然に治ってるでしょうから」
「うん、そうする」
切れた腸を放り捨て、次の敵に向かう。
悪夢を見ている様だった。
フェイトの身体は確かに何度も何度も致命傷となる怪我を負っている。それどころか、一撃で死ぬのが普通なモノを受けながらも平然と動いている。
まるでゾンビの様だった。
ゲームや映画に出てくる死者の怪物。
身体は既に死んでいるのに動き続ける生と死を冒涜する怪物。
そんな光景を見ながら、美羽は自分の勘違いに気づく。
アリシア・テスタロッサの人妖能力は、一乃谷兄妹と同じ様に一つの身体に二つの魂を宿し、それぞれが身体を持っている。その身体を自由に交換する事ができる―――そんな能力を持っているのだと思っていた。
だが、違う。
そもそも、一乃谷兄弟の場合は互いが同じ年齢であるという共通点を持っていたが、アリシアとフェイトは違う。アリシアは高校生の身体を持ち、フェイトは子供の身体を持っている。年齢に差がある事がまず違う。
そしてもう一つ。
美羽は一度、アリシアが怪我をした所を見ている。授業で使う教材を持っている最中に足がもつれて転び、膝を擦り剥いた。その時、アリシアは怪我をして普通に絆創膏を貼っていた。
フェイトの様に即座に怪我、致死な怪我をしても治る様な異常な光景は見なかった。
故にそこから察するにフェイト・テスタロッサの人妖能力は再生。
それもかなり高度な再生能力。身体が壊れようと即座に再生し、心臓や頭蓋を破壊されても死なない。
そこそが本来の能力。だが、それは正確ではない。
「何故、何故死なない!?」
ヴィクターの叫びにフェイトは、
「当たり前だよ―――もう、死んでるからね」
怪物達を圧倒しながら答えた。
「死んでる人は殺せない。殺せるのは生きている人だけ。私はもう死んでるんだよ、おじさん」
死んでいるから死なない。
生きていないから死なない。
そんな言葉遊びを体現する人妖能力を持つ少女、それがフェイト・テスタロッサ。
気づけば怪物は残り一体となっていた。
身体を鋼鉄の鎧で守る怪物の腕には巨大な剣が握られ、横に一閃する。
フェイトの首と身体が別れる。
如何に不死身であろうとも首を捥がれて生きている者などいない―――のだが、そもそも生きていない。
死んでいる者に死など与えられるはずがない。
床に転がる少女の首が口を開く。
「それともう一つ……」
首の無い少女の死体が動く。
鎧を纏った怪物の身体を掴み―――持ち上げた。
「人間ってさ、普段は三割程度しか力を出していないんだって……どれだけ鍛えても、脳が自分の身体を守る為に三割以上の力を出す事をしない―――知ってる?」
「――――あぁ、なるほど…………マジ?」
納得と驚愕。
怪物の巨体をあっさりと持ち上げる首のない少女の身体。



「私は自分を守る必要はないんだよ――――だって、もう死んでるからね」



轟ッと響く音。
巨大な怪物の身体が小さな身体によってバックドロップを喰らったレスラーの様に床に叩きつけられる。
最後の一体はそうして二度目の死を受け入れた。
残されたのは死者を操り冒涜する玉虫色の男、ヴィクターのみ。
「…………すごい」
美羽は呆然と呟き、
「これで最後っと。後は首をくっつけて――――あ、違う、そっちじゃない。こっち、私の頭はこっちだよ!!」
首のない身体が自分の身体を探してフラフラと歩き、首だけになった少女が自分の身体に向かって叫んでいる光景を見た。
「すごいけど……グロい」
少なくとも、しばらく肉系の食事は取れないだろうと美羽は確信した。
「あ、そっちは外――――」
フェイトの身体が脚を踏み外して庭に堕ちた。
「ぅぅ……母さん、私の身体持ってきてよぅ」
情けない声を上げて母に助けを求める姿は、普通の子供の様だった―――首だけだが。
「は、はははは……私の、私の作品が……こんな非常識な怪物相手に……相手なんぞにぃッ!!」
ステッキを床に叩きつけてヴィクターは叫ぶ。
「こうなった総力戦です!!如何に死ななかろうと、死んでいようと、まとめて掛ればそんな事は関係がないはずです!!」
叫びながら庭の方を指さす。
「私の作品はこれだけではありません……旧型と特化型を含めて、まだまだ数はいるんですから!!―――――着なさい、私の作品達!!」
が、
「…………ん?」
誰も来なければ、誰も答えない。
「お、おい……聞いてるのか?さっさと着なさい!!」
しかし、庭の方から何かがやってくる気配はない。あっさりと痺れを切らしたヴィクターは庭へと飛び降り辺りを見回し、
「――――んなぁ!?」
間抜けな声を上げた。

キィィィィン、と金属が鳴る音がする。

音の発生源は庭の隅。
ゴミの山の様に詰まれた何かの上に腰掛ける学ランの少女の腕から聞こえる。その音は金属同士をぶつけた音に似ているが、一つの楽器の様に轟く。
「あら、終わりました?こっちはとっくに片付いてるのですが……」
庭に出来た山はゴミの一つ一つが人の形をしていた。
先程まで家の中で暴れていた怪物達に似た者がモノ言わぬ物体へと変わり果て、山詰みにされていた。数はおよそ二十体。ヴィクターが美羽達が外に逃げた時に為に備えていた怪物達だった。
その上で大きな口で欠伸をしながら銀河は座っていた。
「それにしても、随分と骨の無い連中でしたね。厳つい武器を持っている癖に、この弱さ……これなら我が校の生徒の方がよっぽど骨がありますよ、変態紳士さん」
「馬鹿な……何時の間に!?」
「何時の間にと言われても、私がうっかり外に飛び出してしまった時からですけど?」
これだけの数の怪物を戦っていた事に気づかないはずはない。第一、戦っていたのなら音が鳴っていたはずだ。外に待機させていた怪物の中には鈍器の他に銃器、音を隠す事が出来ない武器を持った怪物とていた。
現に庭はまるで爆撃でもされたかの様にあちこちにクレーターが出来ていた。
だが、それを行った武器を使った音すらしない。
聞こえるのは今も尚、響き続ける金属の音。
「もしかして音が聞こえなかった事に驚いてる?それなら、単純に【音を消しただけ】の事……こんな夜中に近所迷惑な音を出したらプレシアさんに迷惑がかかりますからね」
鼓膜を刺激する音。
金属と金属が叩きあう音。
ヴィクターの視線が、その音の発生源を見つけた。
銀河の腕だ。
銀河の腕には何かが装着されている。
見た目はメリケンサックに似ている。その物体を銀河は癖の様に何度も何度もぶつけ、音を奏でている。
「……これは、音叉の音?」
銀河は両の手に付けた音叉をヴィクターに見せ、笑う。
「わかります?これ、特注の音叉なんですよ。音叉で使われる金属を加工してこんな形にしたんです」
奏でる音が月夜に響く。
「さて、残るはアナタ一人みたいですし……素直にお縄になる気はありますか?」
音叉の音だというのに、聞いているだけで嫌な予感がする。
「――――きょ、今日は……日が悪いみたいですね」
「まぁ、そういう見方もあるでしょうけど、単純な話をするとすれば、」
音に身を縛られ、音に心臓を握られる、
「虎の威を借りた鼠風情が、良い気になるなって話ですよ」
メリケンサックの形をした音叉をぶつけ、鼓膜を刺激する高い音が鳴る。
当然、音は見る事が出来ない。
仮に音を見る事ができる装置がこの場にあるとすれば、こんな風に映っている。
銀河が音叉を鳴らした瞬間、音は周囲に跳びに散る事はせず、彼女の目の前に集合する。集合した音が波となり、円を描く様に波紋を創り上げる。
今、銀河の目の前には宙に浮かぶ波紋がある。
それを見る事ができるのは、この場で彼女一人だけ。
銀河は音叉を付けた腕を引き絞り、自分を見上げるヴィクターに照準を合わせ、



「震動拳――――【響蜂‐ヒビキバチ‐】」



撃ち抜く。
銀河の手に装着された音叉が波紋を撃ち抜いた瞬間、音が数十倍に膨れ上がり―――【飛んだ】。
当然、音は見えない。だが、一瞬だがヴィクターは感じた。目の前から空気の塊、真空波の様なモノが自分に向かって飛んでくる事を。
彼の実力か、それとも単に運が良かっただけか、その場から跳ぶ様に逃げたヴィクターはその衝撃から逃げ遂せる事ができた。代わりに、ヴィクターが立っていた場所を抉り取る様に空気の波が通過する。
庭に出来たクレーターはヴィクターが造った怪物の兇器よって出来たものではなかった。クレーターの全ては彼女が、【音を操る人妖】が作り出した破壊の痕だった。
「ひぃ、ひぃぃいいいいいいい……」
情けなく地面を這う様に動き、何とか立ち上がって走り出す。
その姿を見て銀河が気が失せたのか、さっさと手から音叉を外す。
「逃がすかッ!!」
そして庭に飛び出したプレシア。
手には、
「ちょ、ちょっと母さんッ!?」

手にはしっかりと【我が子の頭】を持っていた。

「我が家をこんなにぶっ壊しておきながら、逃げられると思うなんて、天が許しても、一家の家計を預かるお母さんが許さないわよ!!」
一家の家計を預かる母親は、娘の髪の毛をがっしりと掴み、高速で回転させる。
「眼が廻るぅぅぅぅうううううううううううううううううううううううッ!?」
「喰らいなさい!!役所の人には絶対に見せられない、母と娘の必殺技―――愛のキャノンボールアタァァァァァァァァックッ!!」
プレシアの剛腕から放たれる剛速球―――もとい娘の頭。
大リーガーもびっくり、どう見てもドメスティックバイオレンスな必殺魔球は真っ直ぐにヴィクターの後頭部に直撃。
「ふぎゃッ!?」
地面に顔から倒れ込むヴィクター。
「うぅぅ……母さん、酷いよ……」
その横に転がる娘の頭。
「見たか!!これが親子の力、親子の勝利よッ!!」
そして、勝ち誇るプレシア。
何とも奇妙な構図を見ながら、これは一種の家庭内暴力なのではないかと本気で考え込む美羽と、
「この家は何時も中が良いわねぇ」
と、微笑む銀河。


姑獲鳥とは妊娠したまま死んだ女性、もしくは出産と同時に死んだ女の妖だという。
つまり、姑獲鳥は【母と子】の親子の妖。
姑獲鳥の母と死んだ子―――姑獲鳥と屍の二つで一つの妖。
子を産めなかった母と、生れなかった子。
神沢の地に牛鬼が居る様に、海鳴の地には姑獲鳥が存在する。



一つの幸福の形として、この地には姑獲鳥が居るのだ





次回『弾無な銃使い』






あとがき
さ~て、やっちまいましたな、感じです。
とりあえず、この作品でのテスタロッサ家でプレシアとフェイトは人妖です。
プレシア:姑獲鳥
フェイト:屍(姑獲鳥の子)
アリシアは人妖であって人妖でない、と感じです。プレシアの人妖能力によって力(フェイト)を得た普通の人間という微妙な立ち位置なのです。
プレシアとフェイトの能力は人物設定に詳しく(適当)に書いてあるので、そちらを参照ください。
そして銀河さんは虚空太鼓です。
虚空太鼓は海でどこからともなく音が鳴る……程度の妖怪らしいです(Wiki&モノノ怪参照)。
そんな感じの今回でしたが、次回は負け犬魔女さんのターン。
次回もきっとバトルかな?



[25741] 【人造編・第五話】『弾無な銃撃手』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/03/14 03:54
とある世界のとある者の過去の話。
本来の自分の姿すら忘れた負け犬な魔女の話。

夜の闇を照らすのは一軒の廃屋が燃えゆく姿。
オレンジ色の炎が廃屋を燃やし、周囲の木々にすら燃え移り、次第に大きな炎へと姿を変えていく。
燃えゆく周囲、炎に囲まれながら二人の魔法使いは語り合う。
片方は地面に倒れ、片方は地面を踏みしめながら倒れた者を見つめる。その眼には自分が殺めようとしている者が映っているにも関わらず、感情の色は見えない。
ただ機械の様に殺し、操られる人形の様に殺したかのように。
少女は杖を倒れ伏した者へと構える。
倒れ伏した者は嗤っている。
吐血を吐き、身体中を血で染めながらも、自らに迫る死を楽しむ様に嗤い、淀んだ瞳に映る少女へと言葉を紡ぐ。
【あぁ、可愛そうに】
口から零れる言葉だというに、その者の声は直接少女の頭の中に叩きこまれる様に、脳に何かを流し込む様に、意思が無数の蟲によって犯される様に聞こえた。
【どうしてこんな事になってしまうのか……どうしてアナタがこんな事をしてしまったのか……ソレを考えるだけで私はとても悲しいのです】
まるで演劇の台詞を吐く役者の如く、その者は言葉を吐く。
人の意思が宿った言葉ではなく、台本を呼んでいるかのような心のない言葉だった。だが、その言葉は少女にとっては聞きなれた心なき言葉である事には変わりは無い。
「お師匠様……」
師匠と呼ばれた者は弟子である少女に手を伸ばす。
助けを求める様に手を伸ばし、

【―――――ですが、アナタは悪くない】

少女の首を掴む様に、
【そう、アナタは何も悪くない。悪い者なんて一人もいない。神も悪魔も悪くは無い。これはただ運が悪かっただけに過ぎないのです―――ですので、私はアナタを恨まない。えぇ、恨むものですか……】
少女の心を、鷲掴みにして、壊す様だった。
師匠の顔が歪む。
口が三日月の様にグニャリと曲がり、呪詛を吐き出す。
【悪くない、アナタは悪くない、悪いわけがない、誰かがアナタを罰しても私は罰しない。アナタは良い子だから悪くない。良い子だから悪くない。神が許さなくても私が許す。魔王が許さなくても私が許す。アナタを許す。悪くないアナタを許すのは私だけ。私だけがアナタを許し、誰もアナタを許してはいけない】
少女の手が震えた。
今から殺されようとしている師匠の言葉に、生物として本能的に恐怖を感じる。この言葉を聞き続けてはいけない。この言葉を聞き続ければ自分の大切な何かが汚され、壊れる。それが怖かったから少女はこんな行為を行った。こんな事になったから少女は手を汚してでも、目の前の【コレ】の存在を消したかった。
【さぁ、殺しなさい。私を殺してもアナタに罪はないのだから。アナタは誰よりも大成する素晴らし才能のある子なの。アナタ程に素晴らしい才能のある子を私は知らない。だから世に出て素晴らしい魔法使いになりなさい―――師を超え、死を超え、史を超え、誰よりも素晴らしい魔法使いになるべき者なのですから】
言葉は真実を紡がず、嘘ばかりを紡ぐ。
師の言葉の全てが嘘だった。
初めて出会った時ではわからなかった、師の本質。
この人は、少女を弟子などと思っていない。
最初から最後まで、この瞬間まで。
気づかなければどれほど幸福だったのだろうか―――だが、既に遅い。
【私は幸福です。アナタの様な子の師であれた事に、神に、エル・アギアスに感謝しましょう。ノーライフキングに感謝しましょう。この大地に存在する全てに感謝しましょうッ!!】
紡ぐは呪い。
紡ぐは不幸。
紡ぐは敗北。
紡ぐは死すら幸福と思える最低最悪の善意。
全ての善意に唾を吐き、己こそが善だと全世界に誇らしげに吐き捨て、師を名乗る者は嗤い続ける。
少女の叫びが木霊する。
振り下ろされた杖から放たれた雷撃が師の身体を破壊する。
師は死に、弟子は生き―――そして呪いは完成する。
これが今から百年以上前に起きた出来事。
エルクレイドルの歴史に刻まれて、師匠殺しの魔法使いの話。

負け犬な魔女、スノゥ・エルクレイドルの始まりの物語。








【人造編・第五話】『弾無な銃撃手』








深夜になれば人の数は自然と減っていく。
都会の夜とは違い、この地方都市である海鳴は眠らない街にはならない。ポツポツと人の数が減っていき、ポツポツと人の数が少しずつ増えていく。それでも減っていく数には遠く及ばず、路面に転がる者達と夜だけ仕事する者達、そして夜の世界に足を踏み入れる事が誇らしいと豪語する若者達の姿があるだけ。
そんな風景の中にスノゥはいる。
繁華街の消え逝く光を見つめながら、ベンチに腰掛ける彼女の声をかける者は少なくない。声をかけては失敗。別の者が声をかけては失敗。次第に声をかける者が少なくなり、最後は誰も彼女の声をかけなくなった。
街の中に消え逝く光と同じ様に、人の波に消える人の個人という部分。誰かは誰かに関係ある存在でありながら、別の誰かは関係の無い存在。誰しもに関係のある者などいる筈も無く、何時しか人は誰からも必要とされない。
生きようとも、死のうとも、関係という接続する言葉は酷く冷たい言葉なのだとスノゥは思う。
親しい者が死のうとも、親しい者だけが人の全てではない。唯一無二の親友であろうとも、所詮は一人が消えただけ。消えただけで終るのは消えた本人、それに関係のある者の人生が消えるわけではない。
リサイクルはしなくとも、サイクルはする。
一人が消えれば別の誰かが現れる。
そうやって関係という陳腐な言葉は続いてく。
スノゥに声をかけた者とてそうだ。
最初はスノゥに惹かれて声をかけ、断れればすぐ次に行くだけ。女は彼女の一人ではないし、簡単に引っかかる者とているのを知っているからだ。
絶対に必要な一人などいない。
そう、個人など幾らでも替えが効くのだ。
そんな事を考えながら、スノゥはふと我に帰る。
時計の針は気づけば深夜零時を回っている。
昨日から明日へ、今日は昨日へ変わっていた。
「やれやれ、ですわね」
今日は最低な一日だった。
朝起きれば頭が痛く、日中は太陽の光に襲われ、夕方になれば人の死を知り、最後は死を追いかける奇妙な二人組に捕まった。
あの二人はもう家に帰ったのだろうか。一人は教師で大人でも、もう一人はまだ学生だ。こんな時間まで夜道を歩いていれば警察に何かしら言われるだろうし、親も心配するだろう。そもそも、学生が、子供がこんな事件に首を突っ込もうとしている事が間違いなのだ。学生は学生らしく、子供は子供らしく、学校生活を楽しんで夏休みを謳歌していればいいのだ。そうする事で社会の邪魔にならない事に勤めれば―――
「って、何を考えてるのですか、私は?」
これでは教師の思考ではないか。
馬鹿げていると頭を振り、過去に捨て去った別の名前に思考を凌辱されている事に気づいた。
自分は帝霙ではなく、スノゥ・エルクレイドル。
小学校の教師ではなく、魔女。
「はぁ……無様ですわ」
口癖になってしまいそうな言葉を吐き出しながら、スノゥは立ち上がる。こんな時間だが今日の宿を探さなければならない。出来る事なら布団の上で眠りたいというのが彼女の欲求。野宿も出来ない事もないが、出来る限りしたくは無い。
懐から財布を出せば―――中身は空っぽ。最初から何も入っていない財布なのだ、当然だろう。
何時もの様に適当なホテルを探し、従業員に暗示をかけ一晩の宿にする。
腹が空けば道を歩く者に適当に声をかけ、暗示を行って食事を奢らせるか、金品を奪う。
欲しい物があれば奪う。
「いつから私は強盗の真似事をする様になったのでしょうか……」
落ちぶれたものだと自傷する。
少なくとも三か月前は違った。
偽りとはいえ、教職という立派な仕事に付き、毎日毎日子供達に授業をしてお給金を受け取り、自分で得た金で物を買って食事をして寝泊まりしていた場所に帰る。
だが、それは過去となった。
帝霙という偽りの戸籍は消え、帝霙が造った口座は見事に消え去り、今の自分は内でも外でも追われる立場。
馬鹿らしい。
こんなに馬鹿らしい事はあるだろうか。
自業自得だとは思わない。そういう風に思えないからこそ、思わない。それ以前に自分が堕ちたと考える事すらしない。
全ては運が悪いだけ。
自分がちんけな小者ではなく、時々こういった失敗をしてしまう癖があるというだけに過ぎない。
しかし、
「本当にそうなのでしょうか?」
財布をじっと見つめる。
この財布は何時買ったのかを思い出す。
遠い昔の事は思い出せなくても、三年前の事は知っている。
【帰る手段】である少女を見つけ、彼女の通う小学校に入りこみ、一か月程経った時だろう。初めて得た給料を見て、こんなに少ないのかと毒を吐き、必要な金はこんな仕事ではなく別の所から手に入れようと心に決めた。現に頃からスノゥはこの街に住まう支配者の一人、月村とバニングスに眼を付け、この一族の敵対者となる者達に接触した。
簡単だった。
自分の人妖能力ではなく、他世界の魔法という力を見せつければ、彼等は見事なまでに自分を必要としてくれた。
力も情報も、そして改竄工作すらやってくれた。
故にこんなちんけなはした金など必要がなかったのだ。
だが、ある日。
スノゥは街で歩く一人の女性を見た。特に特徴があるわけでもなく、これから必要になる者でもない。そこら辺にいる普通の女性だった。
その女性が持っている財布を見て、なんとなく自分の使っている財布を見る。
あっちは皮張りの高級な財布。こっちは安物で財布。
少しだけ、本当に少しだけだが、悔しくなった。
スノゥは銀行口座から教職で得た賃金の全て下ろし、財布を買った。
後にして思えば、なんて馬鹿な事をしたのだろうかと後悔する。とりあえず、零が四ケタもある装飾品を買うなんて馬鹿げている。これが儀式に必要のあるマジックアイテムであるのなら話は別だが、金を入れるだけの道具にこんな金をつぎ込むなんてアホらしくてしょうがない。無論、だからと言って捨てる様な事はしない。
結果的に、今の彼女の持ち物はこの財布だけ。
今着ている服は盗んだ物だから無料だが、これだけは違う。
「…………」
教師だった時のまま。
三か月前の頃と同じまま。
存在しない銀行カードと戸籍の無い免許書と使いようのないポイントカード。
これだけだ。
こんな役に立たない物が自分の全財産。
「…………」
心の中に小さな波紋が起こる。
今の自分と三か月前までの自分。
本来の自分、スノゥ・エルクレイドルがこんなにも情けないというのに、偽りの帝霙はあんなにも、
「――――――ッ!!」
財布を地面に投げ捨てた。
投げ捨てて、踏みつけた。
「こんなもの……こんなもの!!」
何度も何度も踏みつけた。
何度も何度も踏みつけた。
何度も何度も踏みつけた。
そして、次第に脚が止まり、
「こんな……もの、こん、なもの……」
わかっているのだ、本当は。
本物は偽りに負ける。
偽りの自分は誰かを利用できるのに、本物の自分は誰かに縋っている。
本物の自分は魔法で誰かを操り飯を食わせてもらい、偽りの自分は魔法で誰かを操り策を練る。
本物の自分は魔法で衣服や物を盗み、偽りの自分は魔法など使わず衣服や物を手に入れる。
負けているのだ。
本当という言葉が、偽りという言葉に負けている。
泥だらけになった財布を拾い上げ、握り締める。
「…………無様、ですわ」
悔しいと思った。
こんなに悔しい事はなかった。
今まで思ってもいなかった事が、何故か今頃になって濁流の如く、気づき始めた。
どれだけプライドがあると口にしても、結果はこんなにもみすぼらしい。どれだけ自分に実力があると口にしても、結果はこんなにも無残。
そして、どれだけ運が悪いと口にしても、



無様な負け犬である事には変わりがない。



『私は馬鹿だから良くわからないけどさ……あんまり自分の事を負け犬とか言わない方が良いんじゃないか?』
いいや、自分は負け犬だ。
『あんまり人の事をどうこう言えないけど、私だって周りから見れば負け犬みたいなもんだよ。誰からも必要とされる様な人間じゃないし、【取り換えの効く存在】だと思ってるし、その通りだと思ってるよ――――けどさ、そんな私にもちゃんと心配してくれる人がいた』
それはお前だけで、自分はそうじゃない。
誰からも必要とされなかった。
そうだとも、誰も必要としなかった。
少なくとも【本物の自分】など、誰も必要とはしなかった。
『自分がどう思っていようとも、自分が思ってるだけが本当じゃないんじゃないか?自分が要らない人間だと思っても、誰かが必要としてくれる人間だって思ってくるかもしれないんじゃないか?』
なら、そんな人間を今すぐ前に出して見せろ。
ほら、誰も無い。
そうだとも、誰もいないんだ。誰一人としても、自分を必要とはしない。誰かに必要とされる人になりたくて魔法使いになっても、自分が望む未来など来てはくれない。
『少なくとも、私にはいた。だから、アンタだって誰かいるはずだ。そういう人がいたんじゃないか?』
だから、いなかったんだ。
誰も、一人も、今も昔も、いなかった。
身に付けた術は人を救うのではなく傷つけるだけの本来の意味しか成さず、人を傷つける事すらまともに出来なかった。
何時だってそうだ。
何かを成し遂げようとする度に自分は失敗する。それを周りは蔑んだ眼で見るが、自分は単に運が悪かっただけだと吐き捨て―――また失敗する。
思い返せばずっとそうだ。
自分は一度だって反省した事がない。
反省しようと少しでも思おうものなら、

【大丈夫。アナタはアナタのするべき事だけをしなさい。向き不向きは当然あります。今回はそう……単にアナタに【合わなかった】だけに過ぎませんよ】

こうやって声が聞こえる。
遠い昔に、自らの手で殺してやった師の声が響く。まるで呪いの言葉の様に、師を殺した自分の背中を押す様にして、奈落に叩き落とす声が聞こえる。
このせいで自分はずっと自分は悪くないのだと思い続けた。
思い続けたと同時に、呪い続けた。
聞こえてくる声を呪い、呪いに負けている自分を呪う。
本当は気づいていたのに、嘘をつき続ける。
そうしている内に誰も自分に関わろうとはしなくなった。当然、同じ様に自分も誰かに関わろうとはしなかった。
それが原因かはわからないが、多分それも一つのきっかけ。
自分は、スノゥは不死の魔王を信仰するようになった。
いや、本当は信仰などしていない。
信じる事を信仰というのならば、縋る事は信仰ではないはずだ。
これは打開案だ。
単に【正道】を歩く者に必要とされないのなら、【邪道】を歩く者に必要とされる様になろうと思ったに過ぎないという打開案。
この力を誰も認めてくれないのなら、誰も認めない者の為に使えばいいのかもしれない、そんな想いが頭を過った。
そうしてスノゥは神に反逆する魔王を信仰する集団に身を投じる事になった。彼女の存在を誰もが注目した。それも当然だろう。エルクレイドルという名門の出であり、尚且つエルクレイドルの名を継いだ者が自分達の仲間になったのだ。それが注目されないわけがない。
皆から自分に注がれる注目という視線に彼女は喜んだ。初めて自分が誰かから必要とされる存在になったのだと心が躍った。
しかし、それは最初だけだった。
邪教の集団に入って数ヵ月後、彼女は結局同じ場所にいた。
周りの注目という歓喜は薄れるどころか消え去り、視線は蔑みに変わっていた。
【何も出来ない役立たず】
【コイツが居ると全て失敗する】
【邪魔者】
【疫病神】
【死神】
スノゥに降りかかる言葉の全ては邪道も正道も関係がなかった。彼女が何らかの作戦に加われば、その作戦は失敗。参加した者達は全員が死亡し、スノゥだけが生き残る。作戦は失敗してもスノゥは死なず、必ず戻ってくる。魔法に長けていようとなかろうと、結果は失敗と敗退。
彼女は生き残り続けた。
自爆テロまがいの作戦ですら彼女は生き残った。
英雄と戦おうとも彼女は生き残った。
味方に殺されそうになっても彼女は生き残った。
死なず、失敗して生き残った。
ある殺し屋にこう言われた時があった。
「お前さん、ある意味で凄ぇよ……神様にも魔王様にも嫌われてるのに生きてるなんざ、マジで凄いわ」
誉め言葉の様に聞こえるが、決して誉められてはいない。
そうして彼女は此処でも必要とされなかった。
死なず、失敗だけを味方に送り続ける不幸の使者。忌み嫌われる魔王よりも嫌われる魔女。
負け犬な魔女はそうして生きてきた。
今も尚、生きていた。
【―――――――――――――――――――】
呪いの言葉が囁いている。
【―――――――――――――――――――】
何時もの様に囁いているが、頭に入ってこない。
【―――――――――――――――――――】
唯の雑音と化した声を聞きながら、スノゥは一人歩く。
胸に汚れら財布を抱きしめ、周囲の視線に映らない様に歩く。
この街は周囲から恐れられる力を持った者達が集まる場所だというに。
必要とされない者達が集まる場所だというのに。
どうしてそんな者達すら、自分を必要としないのだろうか。
それは当然だろう。
彼女は誰も必要としなかったから。
困った者に唾を吐き、救いを求める者を操り恥ずかしめ、家族に会いたいと望んだ少女を騙して利用して、そしてこうして負け犬となった者。
そんな者を誰が必要とするのだろう。
仮に必要としても、何時もの様に失望させるだけ。
「無様……なんて無様」
苦笑すら出てこない。
自分自身を嘲笑う事すら出来ない。
偽りに負けた本物に何が出来るというのだろうか。
夜の闇の中に消える事が出来るのなら、どれだけ幸福なのだろう。自らの意思も捨て、死んだ様に眠って、そのまま地獄でも何処でも行ってしまいたい
【――――――――――――――――――】
囀る呪い。
【――――――――――――――――――】
囀るだけしか能のない呪いなど、知った事ではない。
交差点で立ち止まり、微かに視線を上げれば赤信号が眼に入る。
夜になろうとも車は何台も通り過ぎる場所で、眼に入るのは信号の隅に立向けられた花束。此処で誰かが死んだのなら―――此処で自分が死ぬ事すら可能なのだろう。
「私でも……出来るのでしょか?」
今まで死ねずに生き残ってきたが、こんな自分でも怪我するし、痛覚だってある。だから死ぬ事は可能なはずだ。今までは単に死のうと思わなかっただけ。
思えば、死ねたかもしれない。
スノゥの顔に小さな笑みが生まれる。
信号は赤。
近くに車の音。
身体を前に倒せば、それだけで死は訪れる―――かもしれない。
「馬鹿らしい……」
すぅっと息を吸い込み、吐き出す。
「死は唯の逃げだというに、どうして私がそれを選択しなければいけないのでしょう?実に馬鹿らしい……本当に、馬鹿らしい」
だが惹かれるモノがあるのも事実。
事実に気づき、また自分が惨めに思えてくる。
気づかなければ良かった。
自分がこんなにもちんけでみすぼらしい存在などと、気づかなければ良かった。それに気づいたのはきっと、昨日の晩に死んだ少女と会ったせいだろう。
少女には必要とする者がいた。自分は必要とされない人間だと言いながら、彼女の眼にははっきりとした輝きがあった。そんな者が自分に「お前を必要とする誰かはいる」なんて言葉を吐けば、こんな事になるのは当然だ。
持っている者に持っていない者の心など知るはずがない。
善意の言葉であっても絶望は感じる。絶望を無視して生きていても、不意に気づいてしまう事もある。
運など悪くない。
単に自分が、負ける事しか出来ない役立たずなのだから。
供えられた花束を見つめ、ふと思い出すのは一人の少女。
それは死んだ少女、リィナ・フォン・エアハルトの事。
昨晩、彼女は希望を口にしていた。希望を口にしていながらも死んだ時、彼女はどんな想いを持っていたのだろうか。悔しかったのか、悲しかったのか、死んだ者に何を尋ねても答えはしない。それでも生きた者には疑問として残る。
死の瞬間、彼女はそんな想いだったのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、花束から視界を反らしたスノゥの瞳に、

奇妙なモノが映り込んだ。







「ありがとうござました」
コンビニ店員の元気な声を背中に受けながら、昴は外のむわっとした空気に身を投じる。冷房の利いたコンビニの店内から一歩外に出れば嫌おうにもこの空気とご対面するしかない。当然だろう、季節は夏なのだから。
「暑いなぁ……」
時計の針は零時を差し、日付が変わって数分が経った。普段なら寝ている時間なのだが、なんとなく外に買い出しに来た事を後悔した。コンビニの袋の中には粉から作るスポーツ飲料のパックと氷菓子がぎっしりと詰まっている。スポーツ飲料は明日の部活の為、氷菓子は風呂上がりの一杯ならぬ一本用。既に一度風呂に入ってはいるが、蒸し暑い熱帯夜にこうして出歩けば汗は滝の様に流れ出てしまう。
「うぅ、暑い。暑いのはいいけどジメッとするのが嫌なんだよなぁ……」
だらしなく舌を出しながら脚を引きずり歩く姿は嫁入り前の少女とは思えないのだが、女子高生に要らない幻想さえ抱いていなければこんなものだろう。
家までの道のりで挫折しない様に、さっそく買ってきた氷菓子の一本を取り出して口に加える。舌に甘みと冷たさが同時に襲い掛かり、光悦な表情を浮かべる。
「やっぱり夏はこれだよ、これ!!」
もっとも、夏だろうと冬だろうと関係なく氷菓子を頂くので特に季節は関係がないのだが、夏には夏の良さ、冬には冬の良さあり、当然春の良さも秋の良さもあるらしいのだが、友人二人にはあまり伝わらないらしい。
シャリシャリと齧りながら夜道を歩く昴。
治安が最高に良いというわけでない海鳴において、少女が一人夜道を歩くというのはあまり推賞が出来ないのは言うまでも無い。しかし、そんな不安などこれっぽっちも感じていないのか、昴は鼻歌交じりに夜道を歩く。
こういう所が神経が図太いと周りから言われる所以なのだろう。本人はそれをしっかりと、きっぱりと否定しているが、周りはこれっぽっちも信用しない。
それが彼女の悩みの一つでもある。
昔から能天気や危機感が無いとか色々と言われているが、年頃の彼女からすれば溜まったものじゃない。特に一番言われて嫌なのは【姉が姉なら、妹も妹】という言葉だ。
別に姉である中島銀河の事が嫌いというわけではないが、一緒にされるのはちょっと嫌だ。少なくともあっちは学校の生徒会長でこっちは普通の生徒。一応生徒会に入ってはいるが居ても邪魔になる事が多い為、放課後は部活動に専念している。
似ているのは外見だけ、中味は姉とは大違い―――これは自分でもわかっている。昴は銀河を尊敬しているとまではいかないが、自分にとって超えられない壁の一つなのだと思っている。
勉強も出来れば腕っぷしも強い姉と、勉強も苦手なら腕っぷしがそれほど強いわけじゃない妹。周りから比べられるのは当たり前なのだが、だからといって一緒にはされたくない。
何故なら、自分はまだ姉の足下にも及ばないから―――昴は常にそう感じている。
昔からそうだった。
姉は自分よりもずっと優れている。
学校の勉強だって、姉と同じ学校で同じ教師から教わっているのに点数は差がある。姉がその歳の頃と同じ成績ではない事が昴にとってあまり我慢できる事ではない。だから一生懸命勉強もした―――だが、姉はどんどん先に行ってしまう。
追いつけないと諦めたのは中学三年の頃。
夕食の席で何となく銀河が口にした一言。
「私、生徒会長になったから」
こんな一言で父は凄いと喜び、昴もおめでとうと口にした。
内心では、酷い絶望感を抱いていた。
顔には出さず、言葉にも出さず、食事の味もわからなくなる程にショックを受けていた。
何一つ姉には届かず、どれだけ足掻こうとしても姉には追いつけない。その事をティアナに相談した事があるが、彼女が言う言葉はアドバイスではなく、当たり前な現実の言葉。
「アンタのあの人じゃ出来が違うでしょうに……勿論、私達ともね。一応言っておくけど、あんまりお姉さんの背中を追いかけない方が良いわよ―――じゃないと、潰れるわよ」
言いかえす事が出来なかった。
誰の眼から見てもそうなのだと知り、これ以上姉を追いかける事は止めようと思った。それでも進学先は姉のいる海淵学園に行こうとしたのは自分の意思なのか、それともティアナが兄であるティーダが教師として務めている海淵学園に行こうとしていると知ってなのかは、今でも疑問だ。
追いつけないと諦めたくせに、こうして姉と同じ場所にいるのは果たして正しい事なのか。
何時か答えを出さなければいけない事なのだが、今でも遠まわしにしている。
逃げているとも言えるだろう。
こうして何時しか、昴の中で銀河は姉であり、超えるべき壁であり、それ以上にコンプレックスの一つになっていた。
それに拍車をかけているのは、銀河が昴に対する態度だろう。
銀河は大抵のお願いは聞いてくれる。
普通なら断ってもおかしくない事を頼んでも、銀河はそれを受け入れ―――あっさりと解決してしまう。
何でも、だ。
何でも解決してしまう姉が羨ましく―――妬ましい。
好きだか妬ましい。
大切な姉だが妬ましい。
嫌いではないが妬ましい。
大切な家族だが妬ましい。
コンプレックスはそうしてどんどん積み重なっていく。
これは誰にも相談した事がない。
だから積み重なる。
やはり、自分と姉は違うのかもしれない。

姉は【人妖】であり、自分は【普通の人間】であるという事実が、差と溝を作っているのかもしれない。

もっとも、
「あ、当たったッ!!」
どれだけの悩みやコンプレックスがあろうとも【それを上回るモノ】がある限り、彼女はこうして明るい少女として居続けられるのだろう。
「ラッキーッ!!明日コンビニ持っていけばもう一本ゲットだね!!」
当たり棒を天高く上げながら喜ぶ姿には、悩みがあると言っても信じはしない。
「あれ、でもコンビニって交換してくれるのかな?」
そして現在、彼女の悩みは当たり棒をコンビニに持って行って交換が出来るか出来ないか、しかない。
しかし、そんな悩みなど軽く吹っ飛ばす程のトラブルがこの先に待っていた。
そのトラブルを持ってくるのは、
「お、こんな時間に何してんだよ、昴?」
「ふぇ?」
素肌の上にスーツを着込んでいるホストみたいな恰好をした男―――これでも一応教師なティーダ・ランスターだった。
「あ、お兄ちゃん先生」
「その呼び方は止めろ。何時の前に全校生徒に浸透してて軽く鬱になったぞ」
お兄ちゃん先生ことティーダは額を押さえながら溜息を吐く。
「それよりも、こんな時間になにやってんだよ。もう日も変わってるぞ」
「そういう先生だってそうじゃん。こんな時間まで何してたの?」
「女の家に行ってた」
躊躇なしの一言。
「うわぁ、ティアが聞いたら激怒しそうだね」
「アイツには仕事で遅くなるとだけ言ってある……チクるなよ?チクったら単位はやらん」
「それ、先生の言う台詞?」
「教師としての俺の時間は学校に居る間だけだ。外に一歩出れば、俺は夜の狩人だ。大体な、どこの世界に学校から出ても教師でいろ、なんて教師がいるんだ?そんな堅物教師がいるなら俺の目の前に連れて来いよ」
「世界中の教師をしている人達に土下座して謝るべきだよ、先生は」
相変わらず教師に見えない教師だと昴は心の中で想う。
その格好は勿論の事、行動からして教師じゃない。授業中はマトモに教鞭を振るうのだが、いざ休み時間、昼休みになれば女子生徒を口説くという始末。
噂だが、この色モノ教師と関係にある生徒は一人や二人ではない、という。
「ふん、誰がなんと言おうと、俺は学校の外で教師なんぞやる気はない!!外で教師やらせたかったら時間外手当を出せって話だな」
そう言ってティーダは【肩に担いだ包み】を担ぎ直す。
ティーダは学校内でも外でも常に素肌にスーツというホストみたいな恰好(こんなホストがいるかは不明だが)をしているが、それ以上に眼を引くのはオレンジ色と頂点だけ緑色に染めた通称果実ヘアと、肩に担いだ細長い包みだろう。
長さは二メートルに匹敵する長さでティーダの身長よりも大きい。その包みを皮のベルトで縛り、肩に引っかけて担いでいる姿が彼のデフォルトである。
「それ、相変わらず重そうですね」
「慣れればそうでもないさ。なんなら持ってみるか?」
肩から外し、ポイッと軽く昴に放り投げる。
「あ、ちょっ――――――ォオッ!?」
受け取った瞬間、昴は強制的に膝を折る結果になった。
持てない事はないが、腕にはとんでもない重さが掛る。鍛えていない普通の女性に持てる重さでなければ、男性とて怪しい重さだった。
「きゅ、きゅうに……投げ、ないでください……あと、重い、です」
「そうか」
片手で包みを掴むと、ティーダはまたヒョイッと持ち上げた。その様子に重さは感じられない。まるでティーダの手に渡った瞬間、包みが重さを失った様に見えた。
「まだまだ、だな。この程度持てないと嫁の貰い手がないぞ」
「百キロ近い物を片手で持てる様な女性と結婚したいんですかね、最近の男性は」
「まぁ、居ないわな。少なくとも俺は勘弁だ。やっぱり、女はひ弱で美人でスタイル良くて性格もお淑やかで料理が美味くて夜の生活もばっちりな方がいいよなぁ」
「そんな女居ぇよ」
「居ると信じるのが男で、居ないと信じるのが女だ―――メモっとけ。今度のテストに出すからな」
「これで本気で出すから始末に負えないよね、先生は」
ちなみに彼の担当は地理歴史なのだが、前回のテストで本当にこんな問題を出した事がある。学年秀才を誇る生徒がその問題に不正解となった事で学年トップを落したのは有名な話であり、その後、ティーダの給料がカットされたのも有名な話であり、ティアナがその問題だけを回答して職員室に呼び出されたのも有名な話だ。
「誉めても点数も単位もやらんぞ」
「点数と単位くれないと今日の事、ティアに言うよ」
「ほぅ、教師を脅すか……良い覚悟だ」
「教師を脅す先生に言われたくないですよ……で、今日は何処の部屋に行ってきたんですか?またキャバクラからお持ち帰りですか?前にそれで頬に傷のある人達とトラブルになったってティアが言ってましたけど?」
「勝ったから問題ない」
「おおありだよ、自重しようよ、少しは懲りようよ」
馬耳東風、馬の耳に念仏、この教師にどれだけ言っても意味ない事は誰もが知っている。こんな教師、もとい男を止められるのは彼の妹であるティアナだけだろう。
「だがな、昴よ。お前も高校二年だ。高校二年の夏休みなのに毎日の様に部活に補習とはつまらないだろう?どうだ、これから先生と夜の課外授業でも……」
昴の肩にすっと手を伸ばすティーダに、本気で嫌な顔をする昴。
「妹の友達に手を出す、普通?」
「俺がお前を大人にしてやるよ」
「ティアに言いつけるよ」
「―――――なぁ、その脅迫止めないか?マジで怖いんだよ。俺が他の女と話してるだけで酷い目に会うんだぞ、俺。この前なんかお婆ちゃんの荷物を持ってただけで料理に洗剤を入れられたぞ」
「それは何と言うか……先生の日頃の行いの結果じゃないかな?」
「おかげで市販の洗剤の味なら何でもわかる様になった」
通称、洗剤ソムリエことティーダはげんなりとなりながら、昴から手を離す。
「でもよ、実際の所はどうなんよ?お前も彼氏の一人や二人、さっさと作った方がよくないか?アリシアもお前も、あと特にティアもそうだが、作ろうと思えばすぐに出来そうな美人揃いだ……そういうの興味がないのか?」
「興味はあるけど、今は友達と一緒の方が楽しいし……それに……まだ、そういう人に出会ってないから……」
「ナンパでも合コンでも何でもいいじゃんか。お前等、そういうの全然してないだろう?なんなら、今度俺がセッティングしてやるぞ」
「い、いいよ、そんなの……」
何故か昴は顔を朱に染めながら、恥ずかしそうに顔を背ける。
「ん、何だよ?もしかして、もう意中の奴がいるのか?」
「いないけどさ……いないけど、何時か出会うかもしれないじゃん……その、道の角でぶつかったりとか、同じ商品を取ろうとして手が触れ合ったりとか、道端でオレンジを零して偶然拾ってくれたりとか――――そういう感じ」
「…………………………乙女かッ!!」
「乙女だよッ!!」
深夜だというに叫ぶ生徒と教師、実に近所迷惑だった。
「そんな偶然あるかッ!!そんな漫画とかドラマみたいな展開が現実にあるわけねぇだろうが。というか、古い。一々出会いの仕方が古いんだよ、お前は!!」
「いいじゃん!!私、そういうベタが好きなんだから!!」
「って事は何か?そういう運命的な出会いじゃないと嫌ってか?だから合コンとかも駄目ってか!?その考えも古いんだよ、お前は何処の大正浪漫娘だよ!?そんな夢ばっかり見てると気づけばオバンになるぞ!!」
「いいもん!!オバンになってもいいもん!!オバンになって運命的な出会いを待つもん!!白馬に乗った王子様を待つんだもん!!」
「オバンになって出会うのは白馬に乗った王子様じゃなくて、吐く場で倒れるオッサンだけだっての!!」
ギャーギャー喚く二人はそれから十分程、乙女と現実について熱く語った。
「はぁ、はぉ、はぁ……この頑固者が」
「そ、そういう……先生だって……夢が、ない……よ」
「ったく、お前な、少しは俺の妹を見習―――いや、やっぱ見習わなくていい。あんなのが二人に増えたら最悪だ」
「こっちもそんな気はさらさらないよ。この歳になって将来の夢は大統領って言うのは恥ずかしい」
「だな、日本に居るのになんで大統領なんだよ」
「え?日本に大統領はいないの?」
「…………え、マジ?」
「……………………冗談だよ?うん、冗談」
生徒のマジ発言に軽く思考停止になったが、冗談という言葉を信じる事にした。
「まぁ、その辺は置いておくとして、だ。とりあえず、夜も遅いから家まで送るぞ。言っておくが、拒否権はない」
「ティアに見られたら私も殺されそうだよ」

「誰が誰を殺すですって?」

心臓は止まりかけた。
いや、もしかしたら一瞬止まったかもしれない。
二人はゆっくりと背後から聞こえた、聞こえたのは幻聴だと信じながら、振り向いた。
「何を深夜に物騒な話をしてるのよ、アンタ等は」
両腕を組んで二人をジッと見るティアナがいた。
「お、おおおお、お前、なんで、此処に?」
「ティア!?あ、言っておくけど私は別にお兄さんと何か変な事をしようなて思ってもないよ?本当だよ?こんなチャラ男に手を出すくらいなら自殺する覚悟だから、大丈夫だよ!!」
「テメェ、そこまで俺の事が嫌いか、コラぁ?姉妹揃って同じ様な反応しやがって――――じゃなくて、ティア。こんな時間に外を出歩いてちゃ駄目じゃないか、お兄ちゃん心臓ドッキドキで今にも死んじゃいそうだぞ」
慌てふためく二人を尻目に、ティアナは溜息交じり言う。
「兄さんが遅いから迎えに来たんじゃない。そしたら昴と一緒なんだからこっちもびっくりよ、本当に」
そう言ってティアナはティーダの手を握り、
「ほら、さっさと帰るわよ。明日も学校なんだから早く帰って寝る。昴、アンタもよ」
「……うん、わかった」
「ちょい待ち、ティア。こんな時間だから昴を家まで送らなくちゃいけないんだ。ほら、俺も一応教師だし」
ティーダはティアの手を離し、何故か昴の後ろに隠れる。
「何で隠れるんですか?」
「素肌にキスマークを付けたまま家に帰れってか?殺されるって」
「だったら付けないでくださいよ。あと、教え子にそんなくだらない事で頼らないでください……マジで」
呆れながら教師を見る眼は、とても教師を見る様な眼ではなかった。
「なに?昴を送ってく?」
「あ、あぁ、そうなんだよ。ほら、最近この街も騒がしいからさ、女の子の一人歩きは危ないだろう」
「私、兄さんを探しに一人で出歩いてたんだけど……」
「あ、うん、そうだな……良し、昴を送って行ったら二人で帰ろうな」
「逃げ道無しですね」
「五月蠅い。これも全部お前のせいだろうが」
「私のせいにしないでくださいよ……」
完全に呆れ顔の昴をティーダはさっさと手を引いて歩き出す。
「…………はぁ、仕方がないですね。さっさと昴を送って帰りますよ」
そう言ってティアナも歩きだす。
昴の背後を歩く。
「――――――ところでさ、ティア」
背後を歩くティアナに昴は問いかける。
「何よ?」
「うん、大した事じゃないんだけどさ」
すぅと呼吸を整え、
「先生――――女の人の家に居たんだってさ」
大暴露した。
「ちょ、お前!?」
焦るティーダは振り向き、
「ふ~ん……」
ティアナは苦笑を浮かべながら、
「おさかんなのは良いですけど、こんな時間まで長居するのは頂けませんね……その人にも迷惑でしょう?」
そう言った。
瞬間、



昴は背後を歩いていたティアナに、回し蹴りを叩きこんだ。



ガンッという音が響き、とっさに両腕でガードしたティアナは蹈鞴を踏んで後退する。
「な、何すんのよッ!?」
防いだ腕には昴の靴の跡がクッキリと刻み込まれていた。狙ったのは女性の顔、その顔に一切の手加減無しに叩きこまれた一撃は、尋常ではない威力を秘めていた。
そんな回し蹴りを放った本人は、先程まで一度も見せなかった冷たい表情で友人を、
「―――――アナタ、誰?」



【友人を偽っていた者】を見据えた。



「――――は?な、何を言ってんのよ、アンタは」
「だからさ、アナタは誰だって言ってるの……」
「誰って……私よ、アンタの友達のティアナよ」
「ふ~ん、友達……ねぇ」
うろたえるティアナから距離を取る昴。
それを見ていたティーダは、
「――――お前さ、余計な事をするなよなぁ」
酷くガッカリした顔で額を押さえていた。
「このまま最後までいってたらさ、もしかしたら最後までいけたかもしれないのに……」
「先生。この状況でその冗談は無いと思いますよ」
「馬鹿言え。俺がこんな事で冗談を言うかっての。いいか、あちらさんはこっちが【ティアナだと思い込んでいると思い込んでるんだ】ぜ?だったら、そのまま最後までいって、そこからベットにもつれ込むパターンだろうが」
「どういうパターンですか、それ?」
ティアナを置いて勝手な話を進める昴とティーダ。
「それよりもさ、先生。とりあえず、あの【偽者】をどうするか考えた方が良くない?」
「そうだな。縛るか吊るすか……昴、鞭とか持ってる?」
「持ってるわけないでしょうが!!」
「そうか、残念だ……で、アンタはどうする?」
ティーダはティアナ―――の顔を偽っている者に話しかける。
「…………」
偽る者は黙り込み、ジッと昴とティーダを見据える。心なしか顔には感情の色はない。まるで人形の様に、機械の様に、一切の感情を削除した表情で二人を見る。
「…………」
無言で兇器を抜く。
【身体の中】から兇器を抜く。
抜いたという表現は些か間違っているかもしれない。何故なら、偽る者の身体は予め兇器を内蔵できる機関があるかのように、腕が外れ、二つの銃口を持ったショットガンが姿を見せたからだ。
「おぉ、サイボーグみたいだ」
「ロマンを感じますね……いや、感じちゃ駄目でしょう」
「お前だって眼をキラキラさせんなよ。好きなんだろう?ああいう身体の中に内蔵されてる武器とか超好きなんだろう?ちなみに、俺は大好きだ」
「……好きですけど、銃ってのはちょっと……やっぱりドリルとか良いですよね」
「それはロマンを感じるぜ」
馬鹿な話を繰り広げる二人に偽る者は腕に装着されたショットガンの銃口を二人に狙いを定め――――躊躇無く引き金を引いた。
闇夜を劈く爆裂音。
二つの銃口から吐き出された弾丸は無数の飛礫となって昴とティーダに襲い掛かる。
「ちょっと失礼」
もっとも、それよりも早くティーダは昴を脇に抱えて飛び上った。
偽る者が引き金を引くよりも早く、彼女の頭上を飛び越えた。
背後にティーダが着地すると同時に偽る者は即座に振り向き、次弾を装填させた―――が、銃口を向けた瞬間、金属音と共に腕が弾かれる。
「―――――ッ!?」
「遅せぇよ、ノロマ」
ティーダの手には二メートル近くある細長の包み。皮のベルトで拘束されているが故に中身はわからないが、音からして金属に近い何かが入っているのだろうと推測する。
「俺は女に手は上げない主義だが……時と場合による。今回みたいに俺の命を狙うとか、生徒の命を狙うとかは別に良い」
「良くねぇです」
「良いんだよ、これがな」
ティーダはベルトの金具に手を付け、ガキンッと音を立てて拘束を解除する。
「俺が今回、アンタに手を上げる理由はたった一つ……【女の顔しているくせに女じゃない】という理不尽に怒ってるからだ!!」
「その理由も立派に理不尽だよ、先生」
ベルトの拘束から解放された物体は姿を現す。
包み布が宙を舞い、解放された物体の姿は偽る者の持っている兇器に良く似ている。
それは銃だ。
二メートルにも及ぶ鉄の銃。
近代的なシルエットではなく、江戸時代に使われたような火縄銃に酷使しており、同時に西洋のアンティーク銃にも似ている。

その銃器は、マスケット銃と呼ばれるまさしくアンティークな銃だった。

「…………」
細長いマスケット銃は木製ではなく鉄製。
腕に掛る重さは先程、昴が持った時と同様に百キロを近い兇器。
そんな銃をティーダは片手で持ち上げ、肩に乗せる。
「さて、と……で、どうするよ?俺は怒っているが寛容でもあるんだ。お前さんがさっさと尻尾を巻いて逃げてくれれば逃げがしてやる――――が、やるんだったら無傷で返すと思うなよ?俺は女には甘いつもりだが、サイボーグには厳しいんだよ」
余裕の笑みを見せるティーダに偽る者は囁く様に口を開く。
「疑問が一つ……何故、わかった?」
「あ?」
「疑問が一つ、何故自分の偽装を見破った……回答を求む」
「あぁ、そんな事ね―――昴、答えてやれ」
「私?」
「当たり前だ。一番最初に手を出したのはお前なんだから、答えるのはお前だってのが普通だろう?それとも何か、まさか何となく、とか言うんじゃないだろうな?」
まさか、と昴は苦笑する。
「簡単だよ、簡単」
昴はティーダを指さす。
「理由は色々とあるけど、あの子を知ってる人なら誰でも疑問に思う事だけど―――まず一つ、ティアがとんでもないブラコンだって事」
ブラコンという単語に偽る者は首を傾げる。
「ブラコンとは何か……回答を求む」
「ブラコンも知らないの?ブラコンっていうのはね、お兄ちゃんが好き好き大好きな変態さんの事だよ」
若干間違った解釈であり、昴が普段彼女をどういう眼で見ているかわかる回答だった。
「姿形は確かにティアに似てたよ。でもね、中味はそうじゃない。言っておくけど、ティアのブラコンぶりは周りが軽く引くくらいのブラコンなんだからね。小学校から同じ私でも引くし、初対面の人が見たら即通報ものだよ」
「……なんか、兄として悲しくなってきたな」
「先生にそれを言う資格は無いと思うよ、実際」
昴の知るティアナ・ランスターとはどういうものか。
一言で言い表すなら――――兄馬鹿だ。
兄離れのできない妹とも言えるかもしれない。故に彼女の中でしっくりくる言葉は一つだけ。
超兄馬鹿だ。
もしくは変態。
女子にセクハラするとか、色々と淫らとか、そういう部分での変態なら救いはあった。だが、彼女の変態な部分は兄に対する変態なのだ。
ここで具体的な所業を上げても良いのだが、開示した瞬間に彼女の評価が著しく下降する事は間違いないだろう。故に、此処で彼女がどれほどの変態なのかを口にするのかは止めておこう。
いずれ、否応にもその姿は見れるのだから。
「そんなティアが、先生が他の女の人と一緒に居て【相手の迷惑なんて考えるわけない】んだよ、普通はね。むしろ、先生を半殺しにしてから相手の人を全殺しにするくらいなんだから」
「――――つまり、私の擬態は不十分だという事か?」
「不十分というか、成り済ます相手を間違えたって感じかな?変装する相手も、変装して騙す相手も悪かったってだけ……それにね、」
言葉を吐き出すと同時に昴は動いた。
前方にいる偽る者ではなく、何も居ない背後に向けて、先程と同じ様に回し蹴りを放っていた。
空振りはしなかった。
ガンッと鈍い音を響かせ、何かが倒れる音がする。
見れば背後に灰色の肌をした上半身裸の男が倒れていた。
「ティアならこんな攻撃、簡単に避けるよ?――――っていうか、この人誰?変態さん?」
「昴。何時も言ってるだろう。誰かれ構わず攻撃するなって」
「それ、初めて聞いた」
「そうだっけ?」
気づけば―――否、気づいても口にはしなかったが、二人は完全に囲まれていた。
偽る者を中心に、腕や脚、身体の至る個所が普通ではない灰色の人型が二人を囲んでいた。
「―――――で、これもやっぱり先生のせいかな?また変な事して頬に傷のある人に追われてるんでしょう?もう、私を巻き込まないでよね、この変態教師」
「酷い言われようだが、今回は俺も知らん―――と、言いたい所だが、思い当たる所はあるんだなぁ、これが。ちなみに、これは俺のせいじゃなくて、そんな情報を寄こした俺の知人が悪い。俺は悪くない。断じて悪くない」
「言い訳は聞かないよ。ティアに言いつけてやるんだから」
「そしたらこんな時間にお前と二人っきりだったってバラす事になるけど、良いのか?アイツ怒るぞ~?すっごく怒るぞ~?」
「うわぁ、生徒を脅す不良教師がいるよ、最低」
囲まれている事など知った事ではないと、二人は互いを罵り合う。それを余裕と見たのか、無表情の偽る者は静かに手を上げ、
「マスターからの命令は一つ――――回答、抹消」
それが合図となった。
二人を囲む集団は一斉に襲い掛かってくる。
「やれるな?」
「当然ッ!!」
一言には一言を、確認には了承を。
テスタロッサ家から遅れる事、一時間。
新たな騒ぎが開始する。




銃声と反射。
轟音と反射。
撃ちと弾き。
弾丸と鉄鋼。
室内戦の為にテスタロッサ家に送り込まれた怪物達の殆どが物理的な武器、それも鈍器や刃物と云った室内戦闘を基本とした装備だった。対して、此処は屋外。室内の様に【狭い】という認識は皆無であり、遮蔽物の様な邪魔も少ない一般道。唯一の難点を上げるとするならば辺りに民家がちらほらとあり、騒音を響かせれば寝ている住民を起こしてしまうという危険性だけ。
だが、戦場は自然と民家がある場所から繁華街へと向かっていた。
怪物達がそうさせたのか、それとも怪物達と相対する二人がそうさせたのかはわからないが、結果的に遮蔽物の無い場所、車の殆ど走っていない一般道でなら銃器の方が一歩上手といったところだろうか。
銃声と反射。
轟音と反射。
射ちと弾き。
弾丸と鉄鋼。
この場での怪物達の兇器は偽る者と同じ様に銃器。
鉄の牙にて相手の身体を射ち貫き、内臓を破壊して死に至らしめる子供でも安易に扱える兇器。
故に戦いは一方的になるはずだ。
一人はマスケット銃というアンティーク銃を使用しているが、所詮はアンティーク。現代の銃器と古臭い銃器の差は歴然とするのが当然。弾丸の装填数から連射速度、そして使い易さまで次元が違う。
そしてもう一人は無手。
無手、武器すら持っていない。
ただの少女の無手など相手にはならない。
戦力的に圧倒的に怪物達、自分達に分がある事は目に見えている。
偽る者―――擬態に特化した怪物は考えるまでもなく、脳内にあるデータとして弾きだした答えに一切の不安などない。
如何に擬態が見破られ様とも、目標を消す事に変わりは無い。最初は騙し打ちで消すつもりが他の旧型の力を借りる事になったのは予想外だが、それはそれ、これはこれだ。
故に虐殺。
故に瞬殺。
弾丸の餌食になった人間の肉片が地面を真っ赤に染め上げるのに時間はそう掛らないだろう――――掛らないはずだろう――――掛らないと、本気で想っていた。
「――――チョイサァッ!!」
何とも気の抜けそうな掛け声と共に、ティーダの持つマスケット銃が火を噴いた。ただし、火を噴いたというのは表現の一つ。彼の持つマスケット銃からは一発の銃弾も発射されていない。
つまり、彼がどういう風にアンティーク銃を使用しているのかと言えば、

殴っているだけ、だ。

百キロ近い重量を軽々と振り回し、銃としての扱いが限りなく間違っている方法でティーダは怪物の一体を叩きのめした。
怪物の側頭部に叩き込まれた金属の兇器は、如何に死人であろうと人間の強度しかない頭蓋をあっけなく砕く。
一体はそうして死んだ。
倒れた一体の背後から怪物が銃を構えていた。
銃を構えた怪物は他の怪物と違って細く力もない。代わりに銃を手にすると同時に脚にポンプの様なモノを装着する事によって脚に力を蓄え、移動速度を増しているらしい。どのような仕組みになっているかはわからないが、ポンプが上下すると同時に怪物の速度は倍になる。
これも一つの機能特化の形。
移動特化であり乱戦特化の怪物。
そんな怪物の放つ弾丸は真っ直ぐにティーダの心臓目がけて放たれ、



弾き返された。



自身が撃った弾丸がそのまま怪物の額に吸い込まれた。後頭部から噴水の様に血を噴き出し、特化型の怪物はあっさりと死んだ。
その様子を見ていた怪物達。自我もなければ、感情もない怪物達は、その光景に動きを止めた。
「銃で俺に挑むたぁ……百年早いっての!!」
銃声再び。
今度はマシンガンの銃声。
連発して放たれる弾丸をティーダは跳んで避けると同時にマスケット銃を横に構え、
「お―――――らぁッ!!」
フルスイング。
無数の弾丸の一群をたった一丁の銃で叩き返した。
そう、叩き返しているのだ。
ティーダ・ランスターの戦闘スタイルはマスケット銃を鈍器として扱うと同時に、【弾丸を撃ち返す】という馬鹿げた戦闘スタイル。しかも、それが一発一発を銃口から吐き出すタイプの銃ではなく、マシンガンの様な連発式の銃であろうと関係ない。
マスケット銃によって叩き返された弾丸、およそ十発は撃った怪物の身体をハチの巣にする事となる。
「ヘイヘイ、ピッチャービビってる?」
銃弾が吐き出されると同時に反射して帰ってくる弾丸。
銃弾という殺戮兵器が跳弾として自身に戻ってくるというコメディー映画の様な光景ならいざ知らず、相手に真っ直ぐ飛んでいった弾丸が【撃ち返されて戻ってくる】などと誰が考えようか。
銃が通じない相手がいるとしても【銃を鈍器としてしか使用しない銃撃手】が何処の世界にいるというのだろうか。

「ほら、続けて来いよ……どんな野郎だろうと、撃って打って射って、討ち尽くしてやるよ」

こうして銃撃手の戦いは続く。
そしてもう一人。
この戦場において唯一無手で挑む人間がいる。
人妖能力もなければ特別な拳法を用いて戦う拳士でもない。
ただの女子高生である中島昴がいる。
彼女はどうしているかというと、
「ほら、先生。後ろいったよ~」

一人安全な場所に隠れて応援していた。

「お前も戦えよ!?」
「え~、無理だよ、無理。私、普通の女子高生だもん。こういうのは先生や銀姉とかフェイトの仕事だから、私の仕事じゃないよ~」
「さっき当然ッて自信満々に言ってたじゃねぇかよ!!」
「やれるか、と聞かれて、当然、と答えたからと言って、決して戦えるなんて思わない方が良いよ、マジで」
しかし、一人隠れようとも敵は大勢。
昴の背後にこっそりと近寄って来た怪物が一匹。
隠れている昴に気づかれない様に背後に近寄り、腕に装着した斧を彼女の頭上目がけて襲い掛かる。
「あ、ヤベ」
咄嗟に避ける昴。追撃する怪物。
斧の一閃を紙一重で避けながら、
「もう先生の馬鹿!!討ち漏らしてるじゃんかよぅ!!」
意外と余裕な様子だった。
「この……調子に、乗るなッ!!」
振り下ろされた斧を捌いて反らし、地面に突き刺さった斧を踏み台にして怪物の身体を蹴る様に駆け上がる。
斧、膝、腹、そして頭を踏みつけ、怪物の頭上に躍り出た昴は重力に引かれる様に落ちながら、怪物の頭部に肘を叩きこむ。
怪物の頭部がガクンと落ちると同時にもう一度頭を踏みつけ、怪物の背後に跳ぶ。
「こんなか弱い女の子にそんな兇器を振るうなんて、女の子にモテないよ!!」
背中に強烈な蹴りを加え、転倒させる。
しかし、転倒させただけで倒せたわけではない。怪物はダメージを一切感じていない様に立ち上がり、昴に向き合う。
その様子に昴は顔を引き攣らせる。
「うわぁ、だからこういう人外担当は私じゃないんだってば……」
ちょっぴり瞳に涙を貯めていた。
「先生!!何とかしてよ!!」
「自分で何とかしろ。お前、一応は銀河の妹だろうが」
「銀姉と一緒にしないでってば!!私、普通の人間だよ?人妖じゃないんだよ?」
「人妖を差別する生徒は落第だぞ~」
昴の頭上を斧が掠める。
「うひゃあっ!?」
情けない声を上げながら尻餅を着き、起きる暇も無く襲い掛かる斧を転がって避ける。
「うぉぉぉおおおおおおおおおおおッ!!死ぬ、これマジで死ぬって先生!?」
「人に頼るな~、自分で何とかしろ~」
完全に生徒を見離す教師に絶望しながら、これは本気でどうにかしなくては確実に死ぬだろうと確信する。とはいっても、無理なものは無理なのだ。見た目はグロいし力も及ばない。海淵学園の生徒としては至って普通のポジションにいる彼女からすれば、こんな人外は手に負えない。
「ったく、しょうがねぇなぁ―――おい、昴。良く聞け」
「何さ!?」
「こういうピンチになったら主人公っぽい奴はきっと隠された力が覚醒して凄くなる―――とりあえずピカ~って光ってみろ、ピカ~ッて」
「出来るか!!」
「大丈夫だって。お前なら出来るって。先生はお前の事をよ~く知ってるからわかる。お前はやれば出来る子だって。自分を信じろ!!お前の中に隠された力を解放するなら今だ!!」
「完全に諦めてない!?私の事、見殺しにしようとしてない!?」
「――――――まぁ、主人公といっても途中で主人公降板とかって普通にあるよな。特に続編ものとかまさにそうだ」
「諦めた!?完全に諦めてるよね、それ!!」
とか言っている間に追い詰められる昴。
背後には壁、目の前には化物。
刃物の鈍い光が月の光に照らされて、余計に恐怖を増す。
「ちょ、ちょっとタイム……タイム、わかる?」
「…………」
怪物はじぃっと昴を見つめる。
「あ、通じた」
んなわけなかった。
昴の腕の数倍はある巨腕が昴に伸び、
「ったく、しゃなぁねぇなぁ―――――ちょいと頭下げろや!!」
怪物の背後に飛来するは銃を構えた打撃手。着地と同時にマスケット銃を振りかぶり、
「バックスクリーンまで跳んでけやぁぁあああああああああああああああああッ!!」
背後からの一撃。
胴体にめり込む鉄の兇器が怪物の内部を破壊し、身体の形を変形させ、その巨体を宙に舞わせる。
「……ふぁ……助かった」
「あんまり世話焼かせるなよなぁ、おい」
「あんな怪物無理って!!人間ならまだしも、どう見ても人間じゃないじゃん!!」
「そうは言うがよ、昴……」
残る怪物達を見据える。
数は残り三体。
ティアナに擬態した怪物を含めて、三体。
「あれも一応は人間だぞ」
「人間?」
「まぁ、な……正確に言えば元人間って所だな――――ホント、まさか俺が巻き込まれるとは思っても無かったよ、これがな」
楽しそうに笑いながらマスケット銃をクルリと回転させ、地面に突き立てる。
「どうだ?この辺でお開きにする気はないか?アンタ等が何を望んでいるかは大体察しは着くが、俺もコイツもその件には関係がない……こうして無駄に戦力を減らす価値はないと思うぜ?」
「それを選択する権利は我等にはない」
「融通のきかない奴だ」
なら、とマスケット銃の銃口を怪物達に向ける。

その男、海淵学園の教師ヶ一人。
その男、海淵学園の人間ヶ一人。
その男、海鳴の街の上位ヶ一人。



銃を持ち、銃を撃たず、銃で打つ【銃撃手‐ガンスリンガー】―――ティーダ・ランスター



「―――――最後まで付き合ってやるよ。言っておくが、俺はベッドの上以外でも……そこそこ強ぇぞ?」







それは奇妙な恰好をした女だった。
夏だというのに生地の厚いコートを着込み、その下にタートルネックのセーターを着込み、尚且つ首にはマフラーまで巻いている。
見ているだけで暑苦しい恰好をしていた。
女が静かに音も立てずにスノゥに歩み寄る。近づいてわかった事は、マフラーによって口元は隠されているが、鼻の部分まで追おう様に包帯が巻かれ、薄らと血が滲んでいるという事と、彼女が凍えている様に震えているという事だ。
「――――今日は寒いですね」
女の声は微かに震えていた。言葉の通り、本当に寒がっている様だった。
「…………」
明らかに不審者だった。
「あぁ、寒い。本当に寒いわ……アナタ、そんな薄着で平気なんですか?」
「…………」
世間話するには話題が間違ってる。
「私は寒いです。ずっと寒いのよ。年がら年中、外でも中でも関係なく寒いの……」
包帯の下に隠された口が動いているのだろうが、女が喋る度に血の滲みが濃くなっていく。
「この国は私の国よりは温かいかもしれないけど、私にとっては寒い。凄く寒い。どうやっても温かくならないわ――――ねぇ、この辺りに温かい飲み物を売っている場所はあるかしら?コンビニという建物に入っても温かい飲み物が一つもないのよ」
目元が微かに歪む。
どうやら笑ってるらしい。
そのせいで尚も包帯の赤は濃くなる。
「…………申し訳ありませんが、私は存じませんわ」
「そう、残念だわ……」
肩を落として女は言葉通り、残念そうな様子を作る。それが酷くワザとらしく、奇妙と思う心が警戒心を呼び起こす。
「しょうがない、今日はもう少しだけ我慢する事にするわ」
ありがとう、と言って女はスノゥに背を向ける。
「―――――待ちなさい」
「何か?」
女は振り向き、スノゥを見る。
改めて見れば、女の眼は濁っている。
白と黒でもなく、白と蒼でもなく、白と灰色でもなく―――白と赤で濁っている。白眼の部分に亀裂が入っている様に血走った目になっており、中心にある赤が漏れ出している様にも見えるだろう。
赤い瞳。
赤すぎて気味の悪い瞳だった。
その眼を見て、まず思い出すのはアリサ・バニングスという少女の瞳。彼女の瞳は人妖能力を発動させると紅く染まる。だが、アレは宝石、ルビーの様な赤い瞳だ。この女の瞳はそうじゃない。
人工的に作られた赤色。
子供が絵具と絵具を混ぜ合わせ、創り上げた出来の悪い赤い色。
赤というよりは赤錆の色だろう。
女の瞳を見ながら、スノゥは言う。
「この辺りは物騒ですわ。女性の一人歩きは良した方が宜しくてよ」
「あぁ、そうですか。これはご丁寧にどうも……この国の方は親切なのですね。実は、昼間も私、道に迷っていた所を親切な男性に話しかけられたのです。私が道に迷っていると言うと、その方は自分がその場所まで案内してやると申しました……本当に親切な方でした」
頬に手を当て、女は微笑み―――赤を濃くする。
「ですが、残念ながらその方は勘違いしていらした様で、私が行きたかった場所ではなく、人気の無い建物に私を連れていきした。おかしいですよね?最初は私の日本語がおかしいのかと思いましたが、日本語はこの国に来る前に頭に叩き込まれていたので、問題はなかったはずなのです……ですから、私はもう一度言いました。此処は私の着たかった場所じゃない、と」
赤は濃くなっていく。
女は微笑んでいるのではなく、笑っているのだろう。
口元を引き攣る程に、三日月の様に歪める程に、笑っているのだろう。
「男性は此処で良いと言いました。此処であっていると言いました。私は違うと言っても聞いてくれませんでした」
「もう良いですわ」
「いえいえ、此処からが【傑作】なんですよ」
話は止まらず、尚も【傑作な話】は続く。
「どうやら、の男性は私の身体が目当ての様でした。おかしいでしょう?こんな私の身体なんて何の価値もないのに、何故か男性は欲情していました。私を押し倒すと、建物の奥から沢山の男性が出てきて、笑っていました」
スノゥは思い出す。
あぁ、そういえばこんな事もあったな、と。
蒸し暑い日中帯に外を歩いていた際、廃ビルの周りに警察が集まっていた。一体何事かと少しだけ野次馬根性を出してしまい、その様子を見ていた。
「―――――ですが、おかしいのはこれからです。男性の方々が私をナイフで脅したので、私は素直に服を脱ぎました。コートを脱いで、マフラーを外して、スカートを脱いで、シャツのボタンを外して、一糸纏わぬ姿になったのですが―――男性の方々は何故か恐ろしい物を見た様な顔をするのですよ?おかしいでしょう?」
おかしいだろう、とスノゥは呟いた。
「そう、おかしいのです。とても、おかしいのです」
廃ビルで事件があった。
惨殺事件だ。
夕方のニュースでリィナの事件の前に報じられた事件だった。
現場には重軽傷者など一人もおらず、あったのは人間の死体だけ。
パズルを崩した様にバラバラになった人間の身体。それだけの惨劇がありながら、現場には一滴の血液も無く、第一発見者は壊れたマネキンが放置されていると思った程だ。
被害者が身体をバラバラにされただけでなく、身体から血液を吸い取られていた。
一滴も残さず、全て。
「アレは、アナタがやった事でしたか……」
「アレとは何ですか?それに、私の話はまで終わっていませんよ」
「いいえ、もう聞くまでもありませんわ――――アナタからは、血の匂いがプンプンいたしますわ……反吐が出る程にね」
瞬間、女の口元を隠して包帯が―――千切れた。
「―――――ッ!!」
スノゥは反射的に後方へ跳ぶ。が、間に合わなかった。
右腕に燃える様な痛みが走り、血が噴き出す。
「あら、残念」
女は嗤っている。
【耳まで裂けた口】で嗤っている。
「美味しいですね、アナタ。とても美味しい。昼間に食べた男性よりもずっと美味しいですわ―――この血、最高です」
女は人間ではなかった。
少なくとも、首が一メートルも延びている人間などいないし、耳まで裂けた口の中に鋭い注射針の様なモノが一つの機関としてある人間などいない。
女の裂けた口の中にある針がスノゥの腕を貫いたのだ。
「まさか、此処まで人間ではない者を見るなんて、久しぶりですわ」
「そうなのですか?私の周りはこんな方々ばかりでしたので、これが普通だと思っていました。そうですね、確かに昼間の親切な男性の方々はこんな当たり前はなかったですし、道を歩いても誰も私と似た様な方はいませんでした」
蛇の様に首をうねらせ、女はスノゥの傷ついた腕を見る。
「ですが、血は万国共通で美味しいという事には変わりはしませんね」
女はコートを脱ぎ捨てる。
タートルネックのセーターの中にある女の身体が波うち、何かが突き出された。
鋼の牙、とも言える。もしくは爪だろうか。女のわき腹から左右三本ずつ、胸からそれを小さくした物が同じく左右三本。そしてスカートの下からは長い尾がゆらりと持ちあがった。
「確かに、そんなモノを見せられれば、どんな人間も恐怖しますね……普通の人間は、ですが」
「そんな酷い事を言わないでくださいよ……悲しくて、」
女の持ちあがった尾が振り下ろされ、地面を激しく叩く。
「アナタの血を――――飲みたくてしょうがなくなってしまいます!!」
尾が地面を叩き、その衝撃で女の身体は天高く舞い上がる。
「キシャァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
手を大きく広げ、胴体に生えた爪も広がり、そのままスノゥに向かって落下する。
「さぁ、アナタの血を、私に―――――――」
女の言葉は終わるよりも先に、
「無様ですわ」
スノゥは囁く。
囁くと同時に、そんなモノは今まで何処にも無かったというのに、一瞬でスノゥの手に細長い杖が現れた。
杖を落下してくる女に向けると、スノゥは眼を細めて何かを呟く。
そして、次の瞬間に起きた事を女が意識する事が出来なかった。


この女はフランケンシュタインの怪物の【機能特化型】の一つ。隠密特化型や擬態特化型と違い、完全に戦闘目的、もしくは虐殺目的に作られた特化型だった。
その機能は相手の血液を吸い尽くす、吸血鬼に似た、蚊に似た能力を持った特化型である。元々は血液採取を目的として作られたが、その異形さ故に接種などという生易しい作業に向く筈もなく、血液を摂取した相手を殺すまで血を吸い尽くす結果にしかならない。
吸血特化型、と女を作った者は名付けた。
この特化型の戦闘方法は至って単純。
身体能力はそれほど高くはないが、それを補うのが尾である。この尾一つで車の一台は軽く持ち上げる強力を持ち、今行った様に尾を地面に叩きつけて跳躍が可能となる。その尾を利用した移動によって相手に近づき、胴体に生えた爪で相手を突き刺し拘束、それから口の中に装着された針を突き刺し、血を吸うという―――まさしく、吸血行為こそが戦闘方法となっている。
が、それだけにして、言える事は二つ
戦闘特化したタイプの中でも女の能力はそれほど強力ではないという事。
そしてもう一つは、



今宵、手にかけようとした相手が魔女だという事。



魔女の呟きは術式の構成。
世界に存在する魔法を使う為に必要な力を瞬時に集め、言葉によって力の使い方を選択し、トリガーとなるキーワード一つで力を発現させる。

我が躯は鳥の如く‐dir d litwing‐

魔女は飛ぶ。
跳ぶのではなく、飛ぶ。
魔女の持つ杖に掛った魔法によって杖は羽の様に宙に浮き、地面を蹴る事によって空へと舞い上がる。
特化型の視界から魔女が消えた。
「――――消えた?」
そう見えるだけ。
魔女は既に特化型の真上へとポジションを取り、次なる術式を構成する。
タイミングは既に決まっている。
特化型が地面に降り立ち、真上にいる自分を目視した瞬間、

風針‐wieed‐

不可視の刃が特化型の尾を切り裂いた。
「あ、」
間抜けな声は特化型が再度地面に尾を叩きつけ、跳ぼうとして何も音が鳴らなかったから。そして自分の尾が無い事を確認する為に臀部を見てしまった時の二度。
「無様ですわ、アナタは」

氷槍‐cicran‐

上空から襲いかかる無数の槍は全てが氷槍。雨の様に降り注ぐ氷槍が特化型の身体に次々と突き刺さり、悲痛な叫びを上げさせる。
肩に、脚に、腹部に、そして裂けた口の傷をさらに広げる様に特化型の側頭部付近を氷の槍が抉り取る。
「――――――――――――――――ッ!!」
声にならない悲鳴を上げ、特化型は地面を転がる。
「おや、痛みは感じる様ですね……」
旧型の怪物には痛みはない。
だが、特化型には痛みはある。
何故ならば、痛みを感じる必要があるからだ。
命令を聞くだけの旧型には基本的に痛みを感じない様に細工はしてある。しかし、特化型はそうではない。それぞれの機能に特化しているが故に残しておかねばならぬ個所が必ず存在する。
例えば此処に居ない隠密型と擬態型とて、全ての感覚が失われているわけではない。隠密型は様々な場所に潜入するが故に気配を感じる必要がある。様々な音を聞き分ける強靭な耳、周囲で何かが動けばすぐに震動が伝わる程の敏感な肌。
擬態型とてそれは同じ。
他人の姿を借りるだけで擬態とは言わない。借りたい相手の顔の作り、動作などを真似るには【人と違ってはいけない】のだ。だからこそ、擬態型には通常の人間と同じ様に六感全てが備えられてる。
そして、この吸血特化型も同様。
人間に似せる事の必要があり、尚且つ人間に近いからこそ欠かせないのが神経。
感情は必要なくとも、動く為の神経は人と同じでなければならない。
それ故にこうして特化型はもがき苦しむ。
恐怖はなくとも痛みだけを感じ、苦しみ叫ぶ。
「見苦しい上に聞き苦しい……これを無様と呼ばず、なんと呼びましょうか」
宙に浮いた杖に腰掛け、魔女は特化型へと人差し指を向ける。
「見た所、人では無い様ですし――――壊しても誰も文句は言いませんよ?」
人間であろうと、
「アナタは寒がりの様ですし、どうせなら最後は温かくして差し上げますわ。この夜の熱さよりも尚に熱い―――業火の中で眠りなさい」
人に似た怪物であろうと、



猛き焔よ、爆ぜ、砕け、極大‐lame bur clan max‐



魔女に挑みし愚かな者は焼かれて死ぬ。
特化型が空を見れば、自身に迫る巨大な炎弾。視界を焼き、身体を焼き、周囲の空気すらも焼き捨てる業火の炎にて温かい激痛が贈られる。
轟音が響き、爆音が支配し、夜の街に火柱が立ち上がる。
残された炎は闇夜を照らし、炎の中に燃え散るは、一度は死んだ死人の身体。
死して尚、動き続け、埋葬すらされなかった死体は、異国の地にて火葬され、天へと参る。
浄化の炎ではなく破壊の炎で、神ではなく魔女の炎にて、幾人かの死人の血液を身体に溜めこみ、灰となって消え失せる。
炎が消え、残されたのは燃えた道路と微かな灰。
そして宙に漂う一人の魔女。
「―――――やれやれですわ……」
今日はもう寝ようと決めた。
ホテルで寝る気も無い。一々ホテルの従業員に暗示をかける気すら起こらない。今日はその辺の公園で適当に寝る事にしよう。
もう何も起こらないでほしい。
起こるならば、魔女が目を覚まし、朝食を食べて、シャワーを浴びてからにしてほしい。
魔女はそんな事を想いながら杖に乗って宙を舞う。


海鳴の夜に魔女が飛ぶ。




音がする。
「―――――ん?」
風を切る音がする。
聞き覚えがある様な気がする。
思い出したくなくも無い事でありながら、思い出さなければいけないと本能が叫ぶ。
音は次第に近づき、音がする方向を見て―――思い出した。
点だ。
点が飛んでくる。
覚えている。
これは点ではない。点は次第に大きくなり、線となる。線となるモノは遠くて小さく見えるが、それは決して小さきモノではない。スノゥの身体の数倍はある物体だ。
思い出す。
この音を知っている。
この現象を知っている。
嫌な予感を感じるよりも早く、スノゥは回避姿勢を取る。
物体がスノゥのすぐそばを通り過ぎ、近くにあったビルの側面に突き刺さる。轟音を響かせ、ガラスはおろか、壁ごと破壊して物体は止まった。
突き刺さったのは―――看板だ。
この夏の新商品として某ビール会社が話題の女優を使って撮った渾身の一枚。その渾身の一枚を渾身の力で投げ飛ばし、こうしてビルに突き刺さる。これはこれで宣伝の効果がある様な気がするが、今はたいして問題ではないだろう。
額に流れる汗は暑さからではなく、冷や汗。
「……なんだか、酷いデジャブを感じますわ」
見たくも無いが、スノゥは飛んできた方向を見る。
何かが動いている。
小さな影がビルからビルへと飛び移り、こちらに向かってくる。
まさか、と思いながらも既に否定はできない。
この街でこんな馬鹿げた事を平気で行う者を、少なくとも一人だけ知っている。その人物は三か月前の事件で同じ様にこうして看板をスノゥに向かって投擲し、これが挨拶だと言わんばかりに襲い掛かって来た。
スノゥは額を抑え、今日はなんて日だと心の底から想った。
昨日の晩に出会った少女の死を知り、少女の知り合いに巻き込まれ、そして良くわからない人間ではない怪物に襲われた―――だが、そんな事はこれから起こるであろう事にくらべれば前哨戦にもならない。
日が変わったというのに、まだ自分の運は最低らしい。これは運だ。これだけはそう言わせてもらう。昨日から自分はとことん運が悪い。
近づいてくる影は小さくとも、速い。
数十メートル離れた場所からスノゥの視界に完全に収まるまでわずか数秒。
それは、ビルの屋上に滑る様に着地した。
「……匂うわねぇ」
小さな影はそう言ってスノゥを見上げた。
あの時の同様に、【真っ赤な瞳】を輝かせ、スノゥを睨むように見据えている。
「匂うのよ……本当に」
スノゥは本格的に頭が痛くなってきた。
忘れていた。
完全に忘れて、そして油断していた。
「見た目は全然違うけど――――私の鼻は誤魔化せないわよ」
海鳴の街に戻って来た時、スノゥは顔を変えてる。帝霙の顔から、誰も知らない異国の女性に姿を変え、声も変えていた。それだけで簡単に周りは騙せると本気で思っていた。
それが失敗だった。
また失敗した。
この擬態を、この偽装を見破れる者が居ないと本気で思っていたのが―――失敗だ。
「まさか、まだこの街に居るとは思ってもなかったわ。逃げたって話は聞いてるけど、あれだけ盛大にやられたんだから、二度とこの街には戻って来ないと思ってたけど……あぁ、驚いた、驚いた。本気でマジで驚いたわ、私は」
今宵は満月。
真っ赤な瞳を宿した金色の狼にとって、もっとも力を行使できる危険日。
金色の狼にとっての危険日ではなく、金色の狼に【敵対した者】にとっての危険日。
それをスノゥは実感している。
「何処かでお逢いになりましたか?」
「すっとぼけてんじゃないわよ」
完全に捕えられた。
月光に照らされた金色の髪をなびかせ、少女は尖った歯をギラリと光らせた。
「アンタの匂いは覚えてんのよ……気のせいかと思ったけど、案外私の記憶力も捨てたもんじゃないわ」
小さな狼だ。されどその身体に宿した力は常人を凌駕し、この街の中でも上位に食い込む存在となる。
「そうですか……なら、今更誤魔化しても無駄の様ですし――――」
スノゥは諦めた。
どれだけ姿を変えようと、声を変えようとも、身体に残り、染みついた匂いは消せない。身体を洗おうとも関係ない。
何故なら、自分を見ている金色の狼の嗅覚は人間の数倍もあるのだ。



「――――お久しぶりですね、アリサ・バニングスさん」



屋上に腕を組んで仁王立ちする少女、アリサ・バニングス。
「余裕綽々で月夜の空中散歩?アンタ、私を舐めてんのかしら」
「別に舐めてはいませんよ……ただ、アナタの存在を完全に忘れていただけですわ」
「それもムカつくわね。けど、いいわ。おかげで私はこうしてアンタを見つけられた。それで十分よ」
こっちはちっとも十分ではなかった。
「それで、今度はどんな悪巧みをしてるのかしら?」
「別に悪巧みなんてしていませんわ。今日は最低な日だったので野宿でもしようかと思っていた所です―――それよりもアリサさん。小学生がこんな時間に外を出歩いてはいけませんよ。さっさとお家に帰って寝なさい。幾ら夏休みだからといって、夜更かしは感心しませんわ」
「教師みたいな事をほざいてんじゃないわよ」
吐き捨てる様にアリサは言う。
「アンタなんぞに言われると身体中の毛が逆立って寒気がするわ。何?今更になって教師ズラするなんてどういう風の吹きまわしかしら……」
周囲の空気が軋む。
目の前の小さな少女一人に、全ての空気が軋みを上げる。
「―――――まぁ、いいわ」
拳の骨を鳴らしながらアリサは歩き出す。
空に浮かぶ魔女に向かって、歩みを進める。
「アンタがどんな理由で此処にいるのかなんて知らないし、あんまり興味ないわ―――けどね」
戦闘態勢は十二分。
先程までの戦いは戦いで在らず。
戦いはこれから。
「またアンタが、あの子に手を出さないとも限らないから……」
魔女と人狼とのリターンマッチこそが、戦い。



「二度とこの街に来たくないと思うくらい、徹底的にぶっ潰させてもらうわよッ!!」



「―――――既に思ってますわ、本当に……」
スノゥの呟きはアリサには届かず、

リターンマッチのゴングは鳴り響いた。







次回『夜明けな人狼』







あとがき
…………これ、面白いか?
人造編の五話を書き終わった段階でふとそう思ってしまいました。
元々高校編、四話程度で終る短編だったものを無理矢理に長編にしたのがそもそもの間違いだったのかもしれませんね。そのせいで色々と問題が出てきました。
まず一つ目、メインの美羽がまったく活躍しない。まぁ、バトルメインなお話の中で、戦闘要員じゃない彼女をバトル要因にもってく必要は皆無なので良いのですが、問題はメインが美羽からスノゥに変わりつつある、と言う事ですね。
いつからお前の話になったんだよ、おい
そして二つ目、キャラが崩壊し過ぎてる。僕の中で今回の人造編でキャラを(欠片でも)保っているのはフェイトさんだけという問題。
感想の方でもおっしゃっている方がいますが、

これ、リリカルでもあやかしびとでも無いじゃん……

なんか、もう人造編を削除して弾丸執事編に行こうかと少しだけ想っております。キャラ設定はそのままで、こういう事件があったんだよ程度な感じで行こうかな~とか……ちょっと悩み中。



それでは、次回お逢いしましょう…………これ、本当に面白いか?




[25741] 【人造編・第六話】『Snow of Summer』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2011/06/08 15:56
お伽噺での魔女の役目とは何か。
お伽噺でも魔女と魔法使いの違いは何か。
様々なお伽噺の中で語られる魔女の姿は何時だって同じ形を持っている。主人公やヒロインの邪魔をする役目、不幸を送り届ける為だけの役目、そして最後は倒れされ、負け、そして【幸福によって押し潰される】だけの役目。
それは妥当な結末なのかもしれない。
何時だって、どんな時だって、魔女は誰かの為に力を使うのではなく、己の欲望の為だけに力を振るい、結果的に敗北する。
負ける事が魔女の存在価値。
主人公達の邪魔をして、邪魔をした報いを受ける存在価値。
物語において敵役や憎まれ役がいるのは当然の道筋だ。そんな存在が居る事によって子供達に伝えられる何かがある故に、そういう役割、存在とて必要となるのは必然。
魔女は何時だってそういう役割を持っている。
お伽噺において、魔法使いは主人公を助け、魔女は邪魔をする。
昔から決められた一つのパターンが其処にある。



敗北しなければ、魔女ではないのだから





雷光が煌めき、大地を揺らす。
拳撃が貫き、大地を揺らす。
夜明けの近い街、海鳴の中で踊るは二つの影。
空を舞う魔女の影と、地を駆ける小さな狼の影。
ぶつかり合い、罵り合い、殺し合う。
「―――――本当にアナタは私の邪魔をする事が大好きの様ですわね」
「別に好きじゃないわよ。ただ、アンタが居るだけで面倒な事が起こりそうな気がする―――それだけよ」
魔女はスノゥ・エルクレイドル。
狼はアリサ・バニングス。
「その認識がそもそもの間違いですわ。少なくとも、今回の私は何もしておりませんわ」
「だったら何でこの街にいるのよ?」
「偶然ですわ。単なる偶然―――こんな街、すぐにでも出て行きたいと思ってるのですよ、私は」
「ならさっさと出て行きなさいよ」
「アナタが邪魔をしなければ――――ねッ!!」
雷光の次は焔が舞う。
焔が闇を照らし、地を駆ける狼を取り巻く。
「アンタが言うか、それをッ!!」
「言いますわね、何時だってッ!!」
ぶつかり合い、叩き潰し合う。
春の頃、同じ様に潰し合った二人は再度激突する。
あの時のスノゥには目的があり、最後までアリサの相手をする気はなかった。それが結果的にスノゥが逃げるという汚点を作り出す結果となった事のは、言い訳もできないだろう。
だが、今回は違う。
「私の事を目障りだと言いますが……私とてそれは同感ですわ。アナタが目障りです――――それ以上に、耳障りですわッ!!」
今、この瞬間だけは、敵対する理由がある。
「昨日といい、今日といい、最低な気分ですわ!!どいうもコイツも、誰も彼もが―――心の底から苛立つ事ばかり口にする……実に最低な気分です」
「八つ当たりっていうのよ、そういうのは!!」
「結構です!!八つ当たりで、結構ですわッ!!」
潰したい。
消し去りたい。
この存在が、この小さな邪魔者が、かつての生徒だった少女が、心の底から潰して消して、殺してやりたいと思った。
あの時だってそうだ。
邪魔をする事しかしない。
最初から最後まで、このアリサという人妖の少女は邪魔だった。
「――――アナタは八つ当たりのまま、八つ当たりによって死になさい」
「やってみなさいよ、負け犬」
「―――――――――お前がソレを言うかぁぁぁああああああああああああッ!!」
魔女の怒りが力を倍増させる。
しかし、狼も負けてはいない。
空から降り注ぐ炎、氷、風、雷。自然の猛威を人の力で解放したこの世界にはない魔法という術式を振るう魔女に対し、狼の力は実に単純だ。
己が拳、己が脚、己が身体一つで迎え撃つ。
月の満ち欠けによって左右される面倒な力ではあるが、今宵は満月。その力を全開まで解放して使う事ができる。
相手が魔女であろうとなかろうと、狼に退く理由は皆無。
相手が空に居るのならば跳んで近づく。跳んで近づけなければビルを駆けあがる。人間を超えた力を持った人妖と魔女の戦いはある意味で幻想的あり、本当の意味では物理的だ。
力と力。
幻想と物理。
自然と人間。
相対する力によって互いは激突する。
戦う理由があるのか、そう誰かが聞けば魔女はこう答える。
目の前のコレが、気に入らない。
戦う理由があるのか、そう誰かが聞けば狼はこう答える。
目の前のコレが、誰かの邪魔になるから。
「消えなさい――――消えろ消えろ消えろ消えろ―――消えろ、このクソガキが!!」
「ガキ扱いすんな、クソババア!!」
戦う理由など、もしかしたら無いのかもしれない。少なくとも、魔女にはそれがない。相手が襲い掛かってくるのならば戦う。相手が退くのならば追いはしない。だが、相手は自分を敵だと認識して襲い掛かってくる。
それだけで十分だ。
それ以上の理由など必要がない。
八つ当たりの理由など、それで十分だ。



思い出の無い記憶を呼び起こそう。
思い出の持ち主すら忘れた記憶が此処にある。
それは今から百年以上前のお話。
魔女が、少女だった頃の話を



昔々、此処とは違う世界のとある場所にて可愛らしい少女が生まれました。
空から綺麗な雪が舞い落ちる日に少女は生れ、少女はスノゥと名付けられました。
スノゥは優しい両親の下ですくすくと育ち、誰からも好かれる優しい少女に育ちました。
彼女の住まう場所は深い森の中、エルフと呼ばれる頭の良い、長生きな種族の住まう小さな集落。その集落には百年以上生きているエルフもいれば、スノゥと同じ様に生れて数年しか経っていないエルフも住んでいました。
そんな中でスノゥは他のエルフと違い、少々変わった才能がありました。
最初、それに気づいたのは母親でした。
スノゥは本を読むのが大好きなのか、食事中も本を読んでいました。母親は行儀が悪いと言ってスノゥを𠮟りますが、スノゥはやめませんでした。母親は呆れ、父親は本が好きなら将来は偉い学者さんになるかもな、と笑っていました。
しかし、何時しか母親は気づいてしまいました。
スノゥは何時もの様に本を読んでいました。
本を読みながら何かを書いていました。
本の内容を写し取っているのだろうと思いましたが、どうも違うらしい。母親がスノゥの書いているモノをこっそりと見ると、スノゥの読んでいる童話とは関係のない数式。童話と数式という奇妙な組み合わせに母親は首を傾げ、スノゥに聞いてみました。
この数式と童話にどんな関係があるのか―――すると、スノゥは笑って答えました。
関係ないよ、と。
これは学校で出された宿題。だけどこの本も読みたいから【同時にやっているだけ】だと言いました。
母親は驚きました。
幼い我が子に特殊な才能があるという事に驚き、心の中で恐れにも似た感情が湧きでた事に驚いたのです。
可愛い我が子、お腹を痛めて産んだ我が子―――だというのに、自分にも夫にも無い才能がある事に、どうしようもない不安感を覚えてしまったのです。
それから母親はスノゥの行動を観察するように見ていました。
食事をしながら本を読むのは当たり前。本を読みながら宿題をするのも当たり前。学校の教師に聞けば、スノゥは違う教科の勉強を同時に行う事も平然とこなす。
頭の回転が速いという話ではなく、まるで【複数の動作を同時にこなせる才能】があるようでした。
もちろん、そんな者は普通にいる。一つの作業の合間にもう一つの作業を行うなど、それほど驚くべき事ではないでしょう―――しかし、一つの作業の合間に一つの作業を行うのではなく、一気に二つ、ましてや三つも四つも同時に行う事は普通なのだろうかと、母親は疑問に思う様になりました。
勉強だけではなく、スノゥは誰かと会話をしている時も同じだった。スノゥ曰く、最高で五人までなら同時に会話が出来るという。
しかも、順番にではなく【同時に会話できる】というのだ。
スノゥが十歳になる頃には、不安感などは消え、代わりに表に出てくるのは恐れでした。
これが本当に自分の子供なのか、こんな異常な才能を持った子がこのまま普通に生きていく事ができるのか。
母親はスノゥに対して愛情は持っていました。母親の感じた恐怖というのは我が子が【他人と違い過ぎる】という事に対する恐怖であり、他人がそれを受け入れられるのか、という恐怖でした。
母親は悩みました。
才能がある、何かの才能がある我が子に悩み―――それを見計らったかのように神は悪戯を起こしたのです。もしくは悪魔だったのかもしれません。神か悪魔かはわからないが、確かに何者かが行動を起こし、スノゥの前に現れた。
エルクレイドルという名前の魔法使い。
とても人の良さそうな魔法使いがスノゥの村を訪れ、スノゥを自分達の家族に入れたいと言ってきました。
普通ではない才能があるのならば、それを伸ばすのも親の務めだと【人の良い笑顔】で魔法使いは言いました。
両親は悩みました。
スノゥは嫌がりました。
スノゥはこの場所が大好きでした。
優しい両親と大好きな友達。そしてこの村の空気が大好きなスノゥは嫌だと何度も何度も言いました―――ですが、母親は言いました。
行きなさい、と。
アナタは特別な才能がある。その才能は誰かの役に立つかもしれない。その為にあの魔法使いの下で学び、誰かの役に立つ人になりなさい―――母親は優しくスノゥに言い聞かせました。
スノゥは最初は嫌がりましたが、母親の真剣な表情と、優しい言葉に頷く事にしました。
誰かの役に立つ事。
誰かに必要とされる事。
それは偉大な英雄の様になるという事に近いのかもしれない。英雄になれなくとも、誰かの為に何かをできる者になれるかもしれない。そうすれば誰からも喜ばれるだろう、誰からも好かれるだろう、そんな風に子供ながらにスノゥは思いました。
そして、スノゥは親元を離れ、魔法使いの一族の住まう場所に足を踏み入れました。
心の希望を抱き、何時か家族の下に戻る事を心の底から願いながら。

だが、優しい童話の様な世界は、此処には無かった。

世界の様々な場所から集められた子供達。スノゥのその中の一人。特別扱いなどされる筈も無く、むしろ魔法という術を扱う中では一番の下に属すレベルだった。周りは魔法の才に溢れた子供達であり、見た目がそう見えるだけで年齢はスノゥよりもずっと上の子供――いや、者達ばかりである。
そんな中に放り込まれたスノゥは、どうすればいいかわからなかった。
一般的な知識しか持たないスノゥと魔術的な知識に優れた周りとは天と地ほどの距離があり、尚且つ周りは互いをライバル視する者達ばかり。
エルクレイドルの一族に入れるのは、この中の一握りの者だけ。それ故に激しい争いが起こるのは当然とも言えよう。
優しい世界に生れた、育ってきたスノゥにはその世界はあまりにも厳しすぎた。周りに助けてくれる者はいない。スノゥが助けようとしても周りはそれを否定し、助けようとした者ですら敵意を向ける始末。
誰かの役に立てる魔法使いになる―――それは周りからすればあまりにも陳腐な目的だった。
厳しい修行の中で次々と堕ちて逝く者達の中で、スノゥが残っていたのは奇跡的とも言えた。周りとスタートラインが違う故に努力し、なんとか追いつこうとした結果なのだが、周りはそれを憎み、嫉妬するだけ。
嫌がらせなど何度も受けた。
杖を折られた事もあれば、師に見えない所で脱落しろと脅された事もある。それでもスノゥは挫けなかった。母親の言葉は、今は自分の一つの夢となっている。だからその夢を途中で投げ出す事なんてしたくはなかった。
自分の為であり、母親の為にもなる。
この冷たい場所から温かい家族の下に帰れる事を願いながら、

スノゥは子供である事を【辞めた】

子供は周りを見て育つというが、スノゥはまさにそれだった。周りが汚い事、酷い事をするのならば、同じ様に汚い事も酷い事もする。目には目を歯には歯を、応酬には応酬を、力には力を―――正面から受けて立つのではなく、正面から背後に回り込み、蹴落す。
何時しかスノゥはそれが普通なのだと思う様になった。
邪魔者には容赦はせず、逆らう者には力を持って制裁する。
優しい少女の姿はそこには無く、ある意味で誰よりもエルクレイドルに近い者になっていた。その結果、彼女は最後まで残り、エルクレイドルの名を継ぐ魔法使いの弟子となるまでに至った。
しかし、それでも彼女は完全に周りに染まり切っていたわけではなかった。生き残る為にそうなってはいたが、あくまで見た目だけ。中身は最初の頃と何も変わらない優しさを何とか保っていた。
あくまで、保っていた程度だが、それが何とかスノゥがスノゥでいられる為に必要なモノだった。それを無くせば最後、スノゥは完全に自分を見失う事になっていただろう。

それが、最後の望みというちっぽけな望みだとしても、だ。

優しい事と、優しい言葉を吐ける事は違う。
その事をスノゥは知らなかった。
彼女の師であるエルクレイドルは優しい人だった―――少なくとも、スノゥの眼にはそう見えていた。修行は厳しかったが、師の優しい言葉によって何とか耐える事ができた。地反吐を吐く程に努力をし、師から天才だと言われる度に嬉しくなり、頑張った。その結果、彼女は次代のエルクレイドルの名を継ぐに相応しい者となっていく。
そう、この時に気づけば良かったのだろう。
師と出会った時から。
師に指導された時から。
優しいと優しい言葉は同一でないという事を、知るべきだった。

それは呪いだった。

誰よりも優しい言葉を吐く師は、誰よりもスノゥの才能を憎んでいた。それ故に師は彼女に厳しい修行を付け、諦めさせようとした。だが、結果的にそれが彼女を次代のエルクレイドルにさせてしまう事になったのは予想外だったのだろう。
だから師は方針を変える事にした。
スノゥがエルクレイドルを継ぐのは良い。だが、自分よりも大成する事は許さない。だから呪いをかける事にした。
優しい言葉は呪いの呪文。
良く出来た、という言葉の裏には呪詛。
笑顔の裏には嫉妬の炎。

それを何の疑いもなく受け続け、何時しかスノゥは一人前の魔法使いとなり――――呪いは完成する。

師から今日からアナタは一人前だと言われた瞬間、スノゥは今までの努力が無駄にならなかったと喜んだ。エルクレイドルの名を継ぎ、唯のスノゥがスノゥ・エルクレイドルになると決まった瞬間、涙を流して喜んだ。
彼女はすぐさま数年ぶりに自分の村に飛んで戻った。
自分はやったのだと、母に言われた言葉を胸に抱き頑張り、一人前の魔法使いになったと伝えたかった。
だが、喜びはすぐさま悲しみに変わる。
村に帰ってみれば、村などなかった。
あるのは廃屋だけ。
エルフの民は誰もいない。
誰もいない、生き物すらいない。
そして、森すらなかった。
エルクレイドルの一族で修行を受けていた頃、彼女は外の世界と完全に剥離されていた。そのせいで何も知らなかったのだ。
村は滅んでいた。
理由はわからなかったが、滅んでいた。
焼け野原のなった森に残った廃屋は奇跡的に残った一つの証明。何かが起こり、森は焼かれ、人すらも焼かれた。友達も知り合いも、家族すらいない。生きているのか死んでいるのかもわからない。
その場に崩れ落ち、泣いた。
何時間も泣いて、なんとか立ち上がり彼女は悲しみを抱きながら師の下へと戻って至った。
師は彼女を慰めた。
優しく慰め、優しい言葉を吐き散らし、可哀想だと一緒に泣いてくれた。
両親は消息不明、生きているのか死んでいるのかもわからない。だが、もしかしたら生きているかもしれない―――死んでいるかもしれないが、そう思う事は止めた。心に希望を抱きながら、彼女は外の世界に飛び出す事を心に決めた。
エルクレイドルの名を完全に継ぐには時間がかかる。その間、世界に出て魔法の腕を磨き、誰も文句が言えない程に偉大な者になる必要がある。
だが、そんな事はどうでもいい。
別に偉大になどならなくていい。
自分にあるのは母親との思い出と約束だけ。
母親の言う様に、誰かの役に立つ。
母親の願いは、完全に自分の夢になり、それだけが彼女に残った唯一の思い出であり、夢となる。
夢を胸に抱き、一人の魔法使いは外の世界に旅立った。
それから幾年かの時が過ぎ、スノゥは偉大な魔法使いとして名を残す事になる―――なんて事はなかった。
失敗。
失敗。
失敗。
敗北。
敗北。
敗北。
スノゥに刻まれたものはそれだけ。
行動する為に失敗し、守ろうとする度に失敗し、敗北。その身にある才能など何一つとして評価される事もなければ、誰かに感謝される事もない。
彼女に向けられたのは蔑みと侮辱。
何一つ救えず、何一つ成し遂げられないという結果だけ。
失敗の連続。
敗北の連続。
どうして、とスノゥは悩む。
どうして何も成し遂げる事が出来ないのだと悩み、苦悩し、絶望しそうになる。だが、それでも彼女は諦めなかった。何度も何度も挫け、絶望しても彼女は立ち上がった。その胸にある夢を唯一の頼りとして様々な不幸に挑み―――敗北した。
狂いそうになった。
何をしても巧くいかない。それどころかどんどん深みにはまり、周りから次第に不幸を呼ぶ者とすらいわれる始末。
辛かった修行すら無意味に思えるほどの年月を耐えながらも、何とか立ち止まらず、世界に負けない様に出来たのは夢と師の言葉があったからだ。
だが、彼女もまた生きる者の一人。
限界は訪れた。
戦争があった。
魔銃戦争と呼ばれる戦争よりもずっと小さく、歴史の教科書に残されない程のちっぽけな戦争だった。沢山の人が死んだ。沢山の人が殺しあった。種族も関係なく、敵と味方に別れた戦争は小さくとも戦争。
その戦争にスノゥは身を投じる。
殺す為ではなく、助ける為。
誰も殺さず助ける為。
それが義務ではなく、最後の賭けだったのは彼女が一番良く知っている。
結果はどうかと言えば、言うまでも無い。それでもあえて言うのであれば、戦争が終わった時の彼女の姿だけだろう。
難民が押し掛けたキャンプの中で、燃える世界の中で、敵も味方も全て命を落す中で、経った一人の少女を抱きしめながら天を仰ぐ魔法使いが一人。
抱きしめた少女に命の鼓動はない。
死んでいた。
死んでいる。
キャンプの中で自分に懐いてくれた少女は、誰が何といおうと死んでいた。
慟哭の叫びが天を突く。
枯れる程に泣き喚き、血涙が流れる程に涙を流し、枯れない涙が永遠と流れ続け、戦争は終結した。
失意の中、師の下に戻った彼女に師は優しい言葉を吐く。
君は悪くない。
運が悪かっただけ。
不幸が強すぎて、誰にも回避できなかった。
君は悪くない。
悪くない。
悪くない。
誰も、悪くない。
「――――――ならば、どうしてあの子が死ななければならなかったのですか?」
スノゥは問いかけた。
【それは運命だったからかもしれないね】
「そんな運命をどうにかしたくて、私は力を求めたのです」
【運命は強大だ。力一つでどうにか出来ない程に強大で、願いすらそれには及ばない―――だから、アナタは悪くない】
悪くない。
自分は悪くない。
悪く――――ふざけるな。
スノゥは叫ぶ。
ふざけるな、と叫ぶ。
あの子が死んだ事が運命だとしても、守れなかった事には代わりは無い。それは自分が悪かっただけ。守れなかった自分が悪いに決まってる。それを運が悪いの一言で片づける事なんて出来るはずがない。
涙を流しスノゥは叫ぶ。
叫んで、気づいた。
【君が悲しいと私も悲しいよ……だから、私も一緒に泣いてあげよう】
そう言った師の顔は、
【さぁ、君の涙を―――私に分けてくれ。共に悲しもう。そして、明日にはまた歩き出そう】
誰がどう見ても、



幸福を感じる様に、嗤っている様だった



殺した。
師を殺した。
名を奪い、エルクレイドルと名乗りながら殺した。
気づいてしまったから、殺した。
優しい言葉の裏には、何時だって自分を呪う姿がある事に気づき、殺した。
優しい事と優しい言葉を吐く事の違いを知り、殺した。
この瞬間、呪いは成就する。
完全な意味で、呪詛は確定した。
同時に彼女の中で一つの想いが消えたのも事実。
母親との約束も夢も、全てが消えた。
残ったのは師から学んだ魔法と力だけ。
この力で誰かの役に立つという想いは、この時に別の意味へと変換される。
役に立つのではなく、認められる事に。
誰かの為になるのではなく、誰かが自分を必要とする事。
同じ意味でありながらまったく方向の違う意味を抱き、彼女は再度外の世界へと足を踏み入れた。
当然、結果は同じ。
失敗と敗北。
表の世界と裏の世界。
共に彼女を評価する事はなく、邪魔者だと蔑みを送りつける。
敗北の魔女、負け犬の魔女、不幸を呼ぶ魔女、死を招く魔女。
魔法使いはこうして魔女になった。
死ぬ事もなく、他者の死を招く魔女として名を残し、一つの世界から姿を消した。別の世界に来てもそれは同じだった。元の世界に戻るという願いに敗れ、常に敗北を重ね、己の本当の想いすら消し去り、残ったのは負け犬な無様な自分。
スノゥは呪う。
誰かに必要とされる誰かを呪う。
自分を必要としない誰かを呪う。
それ以上に、

――――――な、【  】を呪う






アリサは叫ぶ。
「人の友達にあんな事をしておいて、許されると思ってんの!?許されるわけ、ないでしょうがぁ!!」
拳を地面に突き立て、その勢いで宙を舞う。
「アンタのした事は絶対に許さない!!」
スノゥに拳を突きたて、睨みつける。
「アンタみたいな奴に、大切な友達を利用されたのは勘弁ならない―――だから、アンタをぶん殴る!!」
杖を防ぎながらスノゥはスゥッと後ろに退る。
「…………」
再び地面に降り立ったアリサ。
「…………」
何処か冷めた眼つきでスノゥはアリサを見下ろす。
「何よ、その顔は」
「…………」
「何とか云いなさいよ。言い訳なら聞く気はないけどね」
「…………くだらない」
冷めきってる眼。だが、冷たいが故に痛みを抱いている。痛みを抱く程に冷たく、同時に熱い。
「どうして、そんなくだらない事に夢中になれるのですか?」
「くだらない、ですって?」
「えぇ、くだらない。実にくだらないですわ。友達、友達、友達……それ以外に言葉を知らないわけではありませんよね?だとしたら、アナタはとても低能は猿と代わりませんわね。もしくは、頭が悪く、躾の行届いていない野良犬ですわ」
アリサはスノゥを睨む。
鋭い眼光はとても子供できるモノではなく、完全に野生の狼が獲物狙う眼付と変わらない。その眼を正面から見据えるスノゥは尚も吐き捨てる。
「大体、友達がそれほど大切な存在なのですか?友達など所詮は他人。大切なのではなく、単に趣味が合う、馬が合う程度でしょう?それを大切だと仰る意味が私にはわかりませんわ」
偶然の出会い。
その言葉は実に運命的だが、冷たく言うなら確立論でしかない。それを運命だと言いながら大切な絆だと言う少女を前に、蔑みの念しか抱かない。
「友達など、つまりは自分にとって都合良いだけの存在でしょう?一人では暇だから誰かと話したい。一人でいるのは寂しいから誰かと一緒に居たい。その為に用意するのは人形か人間かの二択。つまりはその程度ですわ」
「言ってくれるじゃないの」
「えぇ、言いますとも。そして何度でも言い捨てますわ――――友達の為など、くだらないとね」
「―――――アンタって、心底私を怒らせる天才よね」
何かが切れた。
アリサの中で空を泳ぐ女が、敵以上に憎い存在に想えてならない。
「アンタがくだらないって吐き捨てるのはね、私にとっては家族と同じくらいに大切なモノなのよ。それを良くも知らないくせにグダグダ言って……ふざけんじゃないわよ!!」
「五月蠅い小娘ですわね」
スノゥの手から炎が噴き上がり、アリサに向かって叩きつける。
地面を削り取る程の威力を秘めた炎を避け、アリサは再度宙を舞う。脚が地面についていない状態ではあまり力が籠らないが、それでも常人の倍はある筋力と握力、そして速度を持って牙となり、スノゥに襲い掛かる。
微かに上昇するだけで避け、スノゥは更に炎を生み出し攻撃する。
「私はそういう類が大嫌いなのですよ。他人との絆やら触れ合い。それは慣れ合いではないですか。そんなモノに執着する事が実にくだらないと学校では教えない―――これが教育の駄目な部分ですわね」
更に上昇し、ビルの屋上に降り立つ。
「もっとも、教育など友達と同じ様に自分に都合の良い誰かを作り出す……その程度のモノなのですけどね」
「だから、それがムカつくって言ってんのよ!!」
ビルを駆けあがり、拳を振り上げるアリサ。
「アナタの言う事の方がよっぽど、ムカつきますけわ」
周囲に風の渦を作り出し、アリサに叩きつける。
「―――ッ!?」
風に押し戻され、落下するアリサ。それに追い打ちをかける様に氷の槍を放つ。
「少しは頭を冷やしなさい」
高速で降り注ぐ槍を身体に受けながら、アリサの身体は地面に叩きつけられた。
四階建のビルから落下し、普通なら即死なのだが吐血一つで済ませる程の強靭な肉体。同時にその傷を直す回復力。
ダメージを受けながらも立ち上がるアリサに送るは称賛ではなく、呆れ。
「頑丈ですわね。普通は死にますわよ?」
「それだけが取り柄なのよ、私は……」
微かにふらつきながらも、眼は死んではいない。
ビルの屋上に佇む敵を睨みつけ、
「こんな取り柄しかない私だけどね……守りたいモノはあるのよ」
「……それが友達ですか?」
「そうよ。アンタみたいな友達が一人もいない様な奴にはわからないだろうけどさ」
その言葉が、
「――――――えぇ、わかりませんわね」
氷を氷解させる一言となる。
「わかりませんとも、アナタには……アナタの様な、人には」
パチパチとスノゥの周囲に放電現象が起こる。
静電気と桁が違う、眼に見える程の電撃の渦がスノゥの持つ杖の先に集まる。
「グダグダ、グダグダと……友達友達友達と……耳障りなのですよ、それはッ!!」
杖の先から放たれる電撃がアリサに向かう。
咄嗟に避けると同時に地面を揺るがす轟音が響く。
地面に刻まれた巨大なクレーターに戦慄を覚えながらも、
「へぇ、中々やるじゃない」
余裕に吐き捨てる。
「あの時は全力じゃなかったってわけね……いいわ、燃えてきた」
苛々する。
「だったらこっちも全力で行くわよ。手加減してやるつもりだったけど、アンタが全力ならこっちも全力で――――」
苛々する。
「黙りなさい」
吐き捨てる。
苛立ちと共に吐き捨てるは、怒り。
「アナタの囀る言葉の全ては苛々しますわ……えぇ、そうでしょうとも。私には決してわかりはしませんわ。アナタのお気持ちも、友達なんていうくだらない者も」
心の奥に隠された何かが開く。
目の前の障害がそれを呼び起こした。
目の前の障害の囀る呪詛がそれを目覚めさせる。
「―――――わかるわけがない……」
わかってたまるものか。
誰かの為に戦える者になど、わかるはずがない。
怒りが力を増し、先程よりも更に大きな放電現象を起こす。
「友達という者がいる人に、誰かから必要とされる人に……」
人の力では遠く及ばない力。
自然の力の一部を捻じ曲げ、己の力とする者。
周囲の存在するマナと呼ばれる原子を操る者。
それが魔法使い。
杖を天に掲げ、マナを収束する。
「アナタの様な、誰かが居る者が、自分を必要としてくれる誰かが居る者が――――私にどうこう言う資格など、ないッ!!
杖と空が繋がる。
雲一つない夜空に突然暗雲が立ち込める。
空の全てではなく、スノゥの立つビルの周りにだけ立ち込める暗雲は閃光を放つ。
殺してやりたい。
こんな奴は殺してやりたい。
心の底から殺意が芽生え、自分の全能力を駆使して殺害する。
そうとも、魔法とはそういうモノだ。
天変地異を招く自然の力を模範し、自然に似た力を操り殺す為だけに特化した凶術。
誰かの為に振るう力ではなく、己の為だけに振るう力。
それが魔法。
魔女の操る呪いの術式。
熱を宿した頭がぼんやりとする。
殺意の飲まれた頭が思考を停止させる。
身体に刻まれた経験が自然と呪文を紡ぎ、膨大な量の魔力を身体から奪い去ってゆく。
「アナタにはわからない……私の事などわかるはずがない」
意識の全てが相手を殺す事に専念する―――その為、心が制御できない。
スノゥも気づかぬ内に口から零れ出る独白。
「わかりますか?誰かに必要とされない悲しさが。わかりますか?誰かに必要とされない無力が。わかりますか?誰かに必要されない絶望が」
そして、それを知った時の慟哭の叫びを上げた想いを。
「知らないでしょう。えぇ、知っているはずがない……アナタには何もわからない。必要とされる嬉しさを知らない者の事など、知る筈もないのでしょうね……」
暗雲は雷雲へと姿を変え、スノゥの持つ杖に破壊の力を宿す。
「…………何故、私は誰にも必要とされないのですか?」
ずっと疑問に思っていた。
思わない様にしても、思ってしまう。
疑問を封じても何度も蘇る疑問。
「私には力がある。誰に負けない力がある。その力を持っているのに誰も私を必要としない。それは何故?私の力に魅力が無いから?魅力なんて感じず、恐れるだけ?どうして恐れるの?この力は何時だって――――【誰かの為にあったはずなのに】」
まるで救いを求める様だった。
記憶が呼び起こされる。
誰かとした約束があった。
その約束が夢になった。
夢を叶える為に努力して、力を得た。
百年以上前に、誰かと約束した夢を思い出す。
だが、それは完全に思い出せたわけではない。むしろ、思い出す事を拒否している。だというのに口から次々と零れる【本音】は止まらない。
「誰かに必要とされたかった。私の力を誰かの為に使い、誰かに必要とされたかった……でも、誰も私の力を必要とはしなかった」
雷雲の叫ぶ轟音は、何処か悲しげに聞こえる。
「力など、誰も見てはくれなかった。力では無く結果を見ていた。結果は何時も散々で、誰も私の力も、頑張った事すら見てくれない―――結果だけ。結果だけなのですよ、全ては!!」
叫ぶに応じて轟く雷。
「そして、最終的には誰も結果すらなかった事にする。必要とされず、必要とされるのは力のある私ではなく、力の無い誰かだけ。助けようとする私ではなく、助けようとすらしない誰か……必要とするのはそんな者ばかり」
スノゥは気づいているのだろうか。
彼女の見上げるアリサの眼に敵意はなく、あるのは同情にも似た悲しみ。
そう思わせるほどに、
「負け犬……そう、私は負け犬。誰にも必要とされない使えない負け犬」
泣いている様に見えた。
【大丈夫。君は負け犬なんかじゃないよ】
呪詛が聞こえる。
スノゥは悪くないと吐き捨てる優しい呪詛がまた聞こえた。
【君は誰よりも優れている。周りがそれを認めようとしないのは、単にそれを悔しいと思っている蔑みなんだよ。だから、君は大丈夫。君は誰よりも―――素晴らしいのだから】
呪詛すら自分を辱めている様だった。
こんなに惨めな心に突き刺さる呪詛は、何時もよりも数段痛みを増す。
頭が痛い。
脳がかき回される様だった。
この手にある力を、雷雲が呼び起こす魔法の力をこのまま自分に向ければどれだけ楽になるのだろうか――――だが、きっと失敗する。
自分は死ねない。
どれだけの死地に立ったとしても死ななかった。
英雄を前にしても生き残り、無残な姿を晒して生き残った。
死ねれば楽だったのだろう。
師を自分が殺した様に、自分も死ねれば良かった。だが、死のうと思うよりも自分を誰かに認めされる方が大事だったのが間違いだ。
誰にも認められない癖に、誰かに認めて欲しいという心が強く残る。
「だったら、もう誰にも必要とされなくていい……私は、一生負け犬のままでもいい」
この魔法を放った所で、きっと自分は勝てないだろうとスノゥは確信していた。以前も殺すつもりで虎太郎に同じ魔法を放ったが、結果的には彼は死ななかった。
誰も殺せず、救おうとすれば殺される。
殺せないくせに、殺される。
自分ではなく、誰かが殺される。
あぁ、そうだったとも。
自分は常にそうだった。
誰かを殺せるのは他人だけ。
自分の手で誰かを殺した事は一度だってなかった。
命令すれば誰かが誰かを殺す。しかし、自分の手では誰も殺せなかった。
殺す事すら出来ない、哀れな魔女。
お伽噺と同じだ。
魔女は絶対に成功しない。
相手を殺そうとしても死なない。成功したと思っても死んでいない。失敗するのだ、何もかもが失敗し、ハッピーエンドに押し潰される。
哀れだった。
自分もあんな魔女と同じ様に、お伽噺の悪役と同じ様な末路を辿るのだろうか。いや、それもきっと無理だろう。
自分は白雪姫のお妃の様に真っ赤な鉄の靴で踊れもしない。灰かぶりの継母の様に眼球を刳り抜かれもしない。
与えられるのは失敗だけ。
失敗だけなのだ。
さぁ、ならばさっさと解き放とう。
この力を解き放ち、射ち放し、あの人狼に叩きつけ―――失敗して負けてしまおう。殺してはくれないだろうから、また無様に逃げのびて、また策を練って失敗して、死なずに逃げて策を練り、そして失敗して―――失意のまま、死んでいこう。
「死になさい」
無駄だ。
「アナタの様な者は、さっさと死んでしまいなさい」
とうせ当たらない。
死なないだろう。
「――――雷王ガレドゥム……我が望むは天の意志による天の鉄槌、天の煮えたぎる怒り、天の荘厳たる奇跡なり……」
なんて無駄な事しているのだろうと、自分自身で疑問を抱く。
「我が敵を殲滅する為、貴公が武器――――雷槍グラルを与えたまえ……」
天から授かった雷の槍は神々しく輝いていたとしても、これは紛い物だ。
スノゥの手元に巨大な雷の槍が備えられ、標的を見据える。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね――――死ねッ!!」
死ぬはずがない。
虚しく囀る言葉に誰も答えはしない。
答えが無いから解き放つ。
神雷の槍を振りかざし、射ち放つ。

轟音が響く―――無意味な
閃光が煌めく―――見た目だけな
爆風が吹き荒れる―――形だけな
静寂が訪れる―――敗北な

そして響くは呪詛だろう。
何時もの様に頭の中に響き、慰め陥れ、堕落させる師の呪い。
【スノゥ、君は素晴らしい】
聞きなれた声に虚無な心を抱きつつ、続けられる呪詛を受け入れる。
【だから心配しなくていい。今回も君は悪くない。今回も前回も、ずっとそうだったけど……君は単に運が悪いだけだ。だからきっといつかは成功するさ。私はそう信じている。君が必ず大成すると信じている。そうだとも何時か、君は成功す――――】



「―――――――アンタ、本当に馬鹿ね」



呪詛すら消し飛ばす声。
粉塵立ち込める街にて、響くは狼の呟き。
あぁ、やっぱり死んでいない―――と、スノゥは溜息を吐く。
「やはり、負け犬は負け犬、という事でしょうか……」
自傷を始め、敗北の準備をしよう。いや、既に敗北は決まっている。どう足掻こうと失敗は失敗。敗北は敗北だ。
素直に受け入れ、そして負け続けよう。
自傷な笑みを浮かべ、天を仰ぐ。
その間に狼は天へ飛翔し、スノゥの背後に立つ。
攻撃もせず、黙って立ち続ける。
どうして何もしないのかと、背後を振り向けば、何故か顔を顰めながらスノゥを見据えるアリサの姿があった。
その表情に首を傾げるスノゥに、アリサは言い放つ。

「―――――あの子は、そうじゃないでしょう?」

時が一瞬だけ止まる。
「あの子、そうじゃなかったはずでしょうって言ったのよ……」
何を言っているのだろうか、この少女は。
何の事を言っているのだろうか、この少女は。
「アンタは言ったわよね。自分は誰にも必要とされない負け犬だって。周りはアンタを必要とせず、アンタとは違う誰かばかり必要としていた――――そう言ってたわね」
静かに言い、そして呆れと【納得できない怒り】を足した表情でアリサは続ける。
「本当にそうだった?」
「何が……言いたいのですか」
「だからさ、アンタは本当に今までそうだったのかって言ってるのよ。今まで、【一度だって誰かに必要とされなかった】って言えるのかって、私は聞いてるのよ」
逆に聞きたい。
こんな自分を何時、誰が必要としてのかと。
その疑問にアリサはあっさりと回答を示す。
「―――――高町なのは」
「え?」
「アンタの言葉を全部引っくり返す名前よ。アンタが利用して、三年間騙し続けた、私の大切な友達の名前……まさか、忘れたなんと言わないわよね?」
忘れるわけがない。
自分がこんな場所にいるのは、全てあの少女のせいだ――いや、あの少女のせいではなく、あの少女を利用しようとしたのが原因だったのだろう。
だが、どうして此処であの少女の名前が出てくるというのだろうか。
「多分、世界中の誰もがアンタの事を認めはしないけど―――あの子だけは、なのはだけは違う」
「…………」
「アンタは確かにあの子を騙した。それは絶対に許されない事よ。私だって許さないし、誰も許してなんかない……だけどね、ムカつく事に、その騙された張本人は―――」
一度、言葉を区切る。
言いたくない言葉を口にしようとして、顔を歪める。
そして決心してアリサは紡ぐ。
一人の少女の事を。



「高町なのはは、アンタを恨んでないのよ」



「恨んで、ない?」
馬鹿な。
そんな馬鹿な話があるわけがない。
三年間という長きに渡って騙し、利用してきた自分を恨んでいないわけがない。仮にそんな者がいるとしたら、その者はとんでもないお人好しか馬鹿のどちらかだろう。
「ホント馬鹿な話よね。自分を利用して、三年間も騙し続けてきたアンタを、なのはは全然恨んでない」
「う、嘘です……そ、そんな馬鹿な話があるものですか!!」
「あるのよ、これがね」
言っているアリサ自身が信じられないという顔をしている。
だが、これは事実だとも言っている。
「ふざけた話よ、ホントにさ……こっちがどれだけアンタの事に怒っても、あの子は何時だってアンタを庇うのよ。わかる?騙されたくせに庇うっていうのがどういう事か。少なくとも私にはわらないし、わかりたくない。私なら怒るし恨むし、許すなんて発想すらうかばないのよ――――だけどね、あの子はそうなのよ」
あの少女は言っていた。
魔女を恨んでいない、と。
魔女の事を許して欲しい、と。
信じられない事を本人がそう言っているのだ。
「どうして……」
「どうして?アンタがそれは言うのはお門違いってもんよ」
スノゥがあの少女を利用してきたのは誰が見ても間違いはない。
この世界に来て、元の世界に戻る為の手段を探している時に見つけた【膨大な魔力】を秘めた少女がいた。スノゥの居た世界とは違う力だが、これを利用すれば元の世界に帰れるかもしれないという望み。それを成す為には力を解放させるしかない。
その為に利用した。
自分の言う事を聞く様に躾け、利用させてもらった。
少女の家族に会いたいという望みを利用して最低な手段だった。とても許される事ではなかったはずだ。無論、スノゥとて許される気はない。それを承知で彼女は少女を利用した。
だが、結果は失敗。
当然の様に失敗した。
「あの子はね……ずっと良い子を演じてきた。誰にも迷惑をかけず、自分の本音すら隠してずっと演じ続けてきた。それがどれだけ大変で苦しい事なのかは、あの子しかわからないでしょうね――――けどさ」
金色の瞳がスノゥに問いかける。
「それは本当に演じてきただけ?」
「どういう意味ですか」
「そのままの意味よ。本当にあの子の全ては嘘と偽りで塗り固めた仮面だったの?私と接する時も、すずかと接する時も、常にその仮面だけだった?」
アリサは言う。
「ぶっちゃければさ、それは私にもすずかにもわからない。虎太郎だって九鬼だってそうよ――――悔しいけど、それを知っていて、わかっているのは……アンタなのよ」
「私?」
嘘しかなかった。
「アンタにはわかってたはずよ。少なくとも、あの頃のあの子が【唯一心を開けた相手】が居たのは事実。それが誰かは、言うまでも無い筈よ」
少女に向けた笑顔の裏にはいつだって嘘と偽り、そして利用する者の思考しかなかった。
利用する者とされる者の関係はそれだけしか生まなかったはずだった。
「本当にムカつくわ。心の底からムカつく」
憤りを感じたのは、アリサはスノゥを睨む―――が、すぐにそれが【嫉妬】である事を重々承知しているのだろう、すぐに溜息を共に吐きだす。
「その様子じゃ、アンタも気づいてなかったみたいね……」
「嘘ですわ……嘘に決まっています!!」
「嘘じゃない。アンタが認められない様に私だって認めたくないわよ。でも、嘘じゃないのよ。あの子は、嘘は言って無い」
信じられるわけがなかった。
頭を振ってスノゥは否定する。
あり得ない、と。
信じられない、と。
騙そうとしても無駄だ、と。
「グダグダと……大人のくせに見苦しいのよ」
「嘘を言うアナタの方が――――」
「やっかましいッ!!」
アリサの足がコンクリートをズンッと踏み抜き、スノゥの言葉を遮る。
「見苦しいにも程があるわよ……誰も自分の力を認めない?誰も自分を必要としない?ふざけた戯言をほざいてんじゃないわよッ!!」
天を劈く程の咆哮・

「誰よりも力を必要とされたくないのは―――アンタでしょうが!!」

「―――――なッ!?」
「アンタは何?魔法なの?魔法なんていう【力だけの存在】なの?違うでしょうが……アンタはアンタ。そんな事もわからないくせに、魔法なんて力に何よりも踊らされたのは、アンタなのよ」
「ア、アナタに、私の何がわかると―――」
「わからないわよ、アンタの事なんて……けど、これだけは知っている。アンタが今も誰かに必要とされたいと足掻いていたのは無駄だって事だけ」
「無駄、ですって」
「無駄も無駄、大無駄よ」
言いたくも無い言葉を言う様に、アリサはスノゥから眼を反らし言った。



「だって、アンタは三年間も―――なのはを支えてきたんだから」



ピシリ、と何かに亀裂が走る。
「思い出しないさいよ……アンタが三年間騙し続けた子の事を。アンタと一緒に居た時のあの子の事を!!」
思い出す―――拒否する。
「黙りなさい!!」
杖の先から炎が飛ぶ。
アリサは避ける事すらせず、腕で払う。
肉を焼く音がする。が、アリサは顔色一つ変えず、踏み出す。
「あの子がアンタの嘘に騙されたと同時に―――アンタの嘘と、アンタ自身に支えられて生きてきた」
「だから、黙れと言っているのです!!」
氷の槍、風の刃、杖の先から出る魔法の全てを薙ぎ払う。
身体に傷を負いながらもアリサの歩みは止まらない。
「私はあの子じゃないから理解はできないけどさ、親のいない子供が誰の手も借りずに生きる事なんて出来ないんじゃないの?少なくとも、あんな子に出来なかったと思う」
火傷を負い、凍傷を負い、切り傷すら負いながらも、止まらない。
否定されてはならない事があるから。
目の前の魔女にだけは否定されてはならないから。
どれだけの痛みを負いながらも、絶対に退いてはならない想いがあるから。



「――――そんなあの子が一人になった三年間……その間のあの子を支えたのは――――アンタなんじゃないの!?」



杖を掴み取る。
この距離で魔法を放てば確実にアリサは殺す事は可能だろう―――だが、スノゥの口から出る言葉はない。魔法の詠唱すらできず、小さな少女の威圧感に敗北していた。
「騙していたとしても、嘘を吐いていたとしても、アンタがあの子の傍にいたから私達はあの子と出会えた。それが作られた偽物の絆だとしても構わない……アンタが居たからあの子は三年間、生きてこられた……違う?」
思い出してはいけない。
思い出を認識してはいけない。
騙し偽る事を前提に接してきた、一人の少女との過去を思い出してはいけない。
だが、その想いは別の想いによって一蹴される。
「眼を背けるな!!アンタが救ったモノは、今もこの街でアンタの事を想っているって事から、眼を背けるな!!アンタが利用して、不必要だとほざいたモノは、誰よりもアンタを必要としている誰かに伝わっているって事から眼を背けるなッ!!」
言葉の拳は打ち砕く。
認識を壊し、過去の真なる姿を露わにする。




これは魔女の思い出でありながら、一人の少女の思い出。
家族が消えた一年目。
最初の頃、少女は誰もいない家の中で暮らしていた。
夜、誰もいない家の中で少女は寂しくなった。誰かの温もりが欲しくて、悲しくなって涙を流す毎日だった。
そんなある日、学校からの帰り道。
家路を歩く少女の隣に影が差した。
スーパーのビニール袋の沢山の食材を詰め込んだ――――教師の姿。
その日、家族の居ない少女の家に笑い声が響いた。
温かい食事と微かな温もり。
利用し利用される者の団欒は作り物めいているのかもしれない。だが、それが偽りだったとしても少女の感じたソレは嘘なのだろうか―――否、嘘ではない。
誰かの作ってくれた食事。
一緒に入ったお風呂。
ベッドに入って共に眠った夜に寂しさは無い。

ある日、少女は風邪をひいた。
苦しさと不安に押しつぶされそうになったが、夕方になって一人の教師が家に入ってきた。水で濡らしたタオルを額に乗せてくれた。汗を拭いてくれた。おかゆを作ってくれた。眠れるまで手を取ってくれた。
次の日、少女の風邪は治り、教師は風邪をひいた。

ある日、授業参観があった。
子供達の親が学校を訪れ、張り切って手をあげる子供達の中で少女は一度も手をあげなかった。そして下校の際に親に手を引かれて帰る子供達を見ながら一人で帰ろうとする少女に、教師が声をかけた。
生徒と教師は、一緒に手を繋いで帰った。

家族が居なくなって二年目。
少女は教師の誕生日を知った。だが、微かなお小遣いしかない少女の教師を喜ばせる物など買えるはずもなかった。だから少女はお菓子を作る事にした。学校の図書室からお菓子の本を借りて、一生懸命作ったクッキーは黒コゲだった。美味く作れなくて悲しくなったがすぐに気を取り直し、再度挑戦。
失敗は何度もした。
材料が底をつきそうになり不安になった。
それでも何とか出来たクッキーは見た目が最悪だった。こんなクッキーでは教師は喜んでくれないと思ったのだろう。少女は台所に失敗作のクッキーを放置したまま、失意の中で眠りにつく。
翌日、少女が眼を覚ますと台所にクッキーはなく、あったのは一枚の書き置き。
そこには、今度から塩の代わりに砂糖を使う様に、と書かれていた。

ある日、少女は今日が自分の誕生日だという事に気づいた。
当然、祝ってくれる人などいないだろう。そもそも、自分で祝って欲しいと口にするのは良い子のする事ではないと思っていた少女は黙っていた。
だが、家に帰れば玄関に小さな箱とラッピングされた袋が一つ。
開けてみれば、箱の中には小さなケーキ。袋の中にはぬいぐるみが一つ。
そして、バースデーカードが一つ。
誕生部、おめでとう―――その一言。

全てには裏がある。
裏しかない。
策しかない。
優しさなど一欠けらもなかった。
それが魔女の認識だった―――しかし、それは魔女だけの認識でしかなかった。
三年間の空白は、本当に空白だったのか。
寂しいだけの空白だったのか、孤独だけの空白だったのか―――否である。
例え偽りであろうとも、騙されていたとしても、利用されたとしても、少女が感じたモノは冷たいだけではなく、温かいモノが確かにあったと断言できる。
それが少女の答え。
それが少女が教師を必要としていたという事実。
誰もが必要としていたとして、決して否定されない本物の想い。
偽りは偽り故に本物。
嘘は騙す為だけではなく、救うモノにもなる。
魔女が否定しても、別の意味で捉えた少女にとって―――誰よりも自分を救ってくれた恩人である事には代わりはない。
否定してはいけない。
否定されてはいけない。
悪人が誰かを支え続けたという事実。
負け犬が誰かを支え、救ってきたという事実。
魔女は幸福の為の犠牲ではないという事実。



スノゥ・エルクレイドルは、高町なのはを支えていたという事実は――――否定してはいけない


「私はアンタに同情なんてしない。アンタがどれだけ苦しい想いをして生きて来たとしても、それは私とは何の関係も無い事だからね」
許す気などない。
大事な友達を利用するだけ利用し、裏切った魔女を許す気はまったくと言っていい程に皆無だ。
「だけどね、そんなアンタにもあったのよ。アンタが否定した、否定したかったものが此処にはあった……この海鳴にはね」
春の事件は終わっていなかった。
スノゥにとっても、アリサにとっても、そして今頃は布団の中で眠っている少女にとっても。それを終わらせる事が出来る者は誰なのかと問われれば、
「……無様ですわね」
誰よりも他人に認められたいと想いながらも、
「あんな子供に同情されるなんて、無様としか言えませんわ」
誰よりも他人に認められなかった魔女が、
「本当に無様ですわ……こんな無様な私だから失敗し、負けるのは当然という事ですか。はは、無様無様――――嗤いなさい。こんな私を嘲笑いなさい」
自らを認められた時だけ。
「笑ってやるわよ、幾らでも」
そう言いながらも笑顔はない。
「アンタの馬鹿さ加減になら幾らでも笑ってあげるわ。でも、アンタの【してきた事】は笑わない……普通さ、笑えないでしょう?」
同情するからではない。
「一生懸命頑張ってきた奴を笑うなんてさ、最低じゃない」
「……それは同情ですか?」
「違うわよ、ば~か」
腰に手を当て、心底呆れたとアリサは溜息を吐き、
「いい事、この馬鹿女……確かにアンタの魔法は何も成さない愚術だとしても――――【アンタ自身】は誇って良い程の存在なのよ」
アリサは握った杖を見る。
「いい加減、目を背ける事を止めなさいよね……アンタが認められたいのはこんな杖から出てくる力じゃなくて、アンタ自身なんでしょう?だったら、前を見なさいよ。アンタが見ているのはこの杖だけ。アンタが必要とされたい誰かは杖に映って無い。アンタの眼が前を見て、アンタの瞳に映るのよ」
何の為に力を欲したのか。
何の為の力なのか。
その起源は力に関係する事ではなかったはずだ。
力は手段でしかない。ならば、力など無くても良かったのではないか。この力は手段ならば、本当に必要なのは力ではなく、想いのはずだ。
忘れていた何かを、忘れてはいけない自身の起源を知り、そして受けいれなければならない。
大嫌いな綺麗事は、本当に嫌いだったのか。
違うはずだ。
眼を背けず、前を見れば誰かが映る。
杖ではなく人を見る。
見れば誰かが居る。
「見方を変えなさいよ。アンタが嘘と偽りで騙していたあの子が、アンタを見る眼は騙されるだけだった?アンタが培ってきた嘘で創り上げた、必要とされる―――【先生】だったんじゃないの?」
「…………」
「それを認めなさい。じゃないと、アンタを好きだった子供が救われないじゃない」
「…………」

『私は馬鹿だから良くわからないけどさ……あんまり自分の事を負け犬とか言わない方が良いんじゃないか?』

そう言う事で納得したかったのかもしれない。

『あんまり人の事をどうこう言えないけど、私だって周りから見れば負け犬みたいなもんだよ。誰からも必要とされる様な人間じゃないし、【取り換えの効く存在】だと思ってるし、その通りだと思ってるよ――――けどさ、そんな私にもちゃんと心配してくれる人がいた』

それはお前だけで、自分はそうじゃないと思っていたのは、何も見えてなかったから、なのかもしれない。
誰からも必要とされないと想いこむ事が普通すぎて、それを認める事ができなかった。
誰も必要としなかった―――なんて事はなかったはずだ。
少なくとも【本物の自分】など、誰も必要とはしなかったのは事実かもしれないが、本当である必要などあるのだろうか。
例え、偽りであろうとも。
例え、嘘であろうとも。

『自分がどう思っていようとも、自分が思ってるだけが本当じゃないんじゃないか?自分が要らない人間だと思っても、誰かが必要としてくれる人間だって思ってくるかもしれないんじゃないか?』

そんな人間ならいた。ただ、その人間からの想いから自分は眼を背け続けていた。
前を見るのではなく、何時だって見ていたのは自分の力だけ。
認められたいのは力なんかじゃない。
力が認められたとすれば、それは自分を認められるのではなく、力だけが認められたに過ぎない。それは本当の意味で誰かに必要とされるという意味ではないはずだ。



『少なくとも、私にはいた。だから、アンタだって誰かいるはずだ。そういう人がいたんじゃないか?』
「―――――えぇ、どうやらアナタの言った通りの様ですわね」



「ん?何か言った?」
「―――――別に。ただ…………アナタは子供のくせに生意気だと言っただけですわ」
そう言って、
「だから、邪魔ですわ」
杖を横薙ぎに払う。
「っと、ととと……」
アリサは背後に跳んでそれを避け―――ニヤリと笑った。
「人が善意で言ってあげてるってのに……アンタ、性格最悪でしょう」
「自覚はしてますわ。そういうアナタも性格最悪だと思いますわ―――ふふ、やはり類は友を呼ぶと言いましょうか……」
魔女は、魔法使いは、スノゥ・エルクレイドルは―――クスリと微笑んだ。
「こんな性格の悪い子がお友達なら、あの子もそうとう性格が悪いという事ですわね。まったく、どうしてこんな子ばかりが私のクラスに集まっていたのかと思う……彼も大変ですわね」
「失礼ね。私はあの子みたいに性格悪くないですよ~だ!!」
いつの間にか、日が昇っていた。
ゆっくりと海鳴の街を照らす様に水平線から朝日が昇る。
星達が照らす光はない。
月が照らす光もない。
此処からは太陽の時間。
太陽が世界を照らし、今日もクソみたいに暑い一日が始まる。
だが、まだ微かながらに夜の時間だ。
スノゥは杖を回し、突き立てる。
「さて、随分と無駄話をしてしまいましたが――――」
アリサを見て笑みを顰め、尋ねる。
「まさか、私がアナタの説教程度でどうにかなると?」
「思ってるわけないわよ。それとね、説教とか言うな。私は説教とかする奴が大嫌いなのよ」
「そうですか。ならば自覚するべきですね……アリサさん、アナタは将来絶対に説教臭くなりますわ、確定事項ですわ」
「カッチーン……今のは、かなり聞き捨てならないわね。訂正しなさい」
「お断りですわ。なにせ、性格が最悪ですので」
そして、魔法使いと狼は距離を取る。
互いが互いを気に入らない。
言葉と言葉の応酬はこれにて閉幕。
これからは―――魔法と拳の時間を再開する。
偽物は偽物故に本物。
アリサが言う様に、偽物と言う本物に、自分は既になっていた。
ただ、認められなかっただけ。
自分が認めたくなかっただけ。
魔法という唯一の取り柄と才能ではなく、何よりも憎い教師という役目が得た本物。
【―――――――――――】
「もう、アナタの言葉はウンザリですわ」
声は聞こえない。
【―――――――――――】
聞こえるのは雑音だ。
眼を瞑れば聞こえなくなるだけの雑音。
耳を塞ぐ価値もなく、【無い】と思えばそれで十分だろう。
もう否定はしない。
大嫌いな教師という役職は―――誰よりも自分に合っていたのだろう。
最低な教師を知っているからこそ、その通りにならないと心に決められただけで演じられた教師という仮面。その仮面が何時しか自分の顔となり、誰かに必要とされる何かになっていた。
「さぁ、お仕置きの時間ですよ、アリサさん。こんな時間まで起きている様な子はお仕置きです」
「何よ、先生みたいに五月蠅いわね」
嘘の自分はもういらない。
偽る仮面ももういらない。
過去の想いは此処にある。
過去の夢は胸にある。
過去に置き去りにしてきた願いは―――この手にある。



「えぇ、私は教師でしたから……いえ、教師ですから」



言い切った。
清々しい笑顔で、魔法使いは言い切ったのだ。
それを見たアリサは一瞬呆けたが、すぐに【悪ガキ】な顔を返す。
「へぇ……いいわよ、この反面教師。こっちは伊達に虎太郎が手を焼く問題児をやってるわけじゃないのよ――――お仕置きしてみなさいよ」
夜と朝の境目。
人と人妖と魔法使いが住まう場所にて、教師と生徒の【喧嘩】が開始される。










【人造編・第六話】『Snow of Summer』











戦場は四階建のビル。
最初のステージは屋上。
朝日に照らされ、二人の影が姿を現す。
「―――――ッ!!」
初手は的確に、そして確実に。
スノゥの持つ杖は特別な樹木から削り取り、魔法を使う為にもっとも適したエンチャントをした特注品。それ故にその杖は―――強靭である事を此処に記す。
ズンッと突き立てた杖は屋上のコンクリートを砕く。
突き刺さるのではなく、【砕く】。
その細腕にどれだけの力があるのか、もしくは何かの魔法による破壊か、屋上のコンクリートで舗装された床は砕かれ――――落下する。
「なッ!?」
足下が崩れ、アリサは宙に飛ぶ。そしてスノゥも杖にまたがって飛ぶ―――と推測したが外れ。スノゥは崩れ落ちる床と共に下に落ちていた。
無論、笑みを張り付けたまま。
飛んだアリサは自然に落ちて行く。
地面にではなく、落下した床。

ステージチェンジ。

ビルの四階部分。
そこはとある悪徳金融の事務所。
複数の電話と複数のパソコン。趣味の悪い虎側の絨毯に高級感が憎たらしい皮のソファー。その全てに瓦礫が落下し、儲け一部を根こそぎ破壊する。
結果、一つの悪事が潰れた事になるのだが、当然そんな事は関係はない。
四階に降りたったアリサに襲い掛かるは焔の渦。
螺旋を描く様に炎の渦がアリサに襲い掛かる。
「―――ッち!!」
舌打ちをかましながら炎を避ける。右に左に、上下に避けるも炎は迫る。避けながらこの炎を操るスノゥを探すがいない。
気づくのが遅い。
部屋の中には誰もいない。
だが、【廊下】には誰かが居る。
炎が姿を消した。
それと同時に壁が弾け、現れるのは氷の刃。先程見せた氷に槍ではなく刃は壁を切り裂き、砕き、アリサに向かって襲い掛かる。
しゃがんで避け、飛びだす。
相手は廊下に居る。
砕けた壁の横、本来の出入りをするドアを蹴り破り、廊下に飛び出す。
視界に捕えるは杖を構えたスノゥ。
「疾ッ!!」
床を踏み砕く勢いで蹴り、突進する。
相手は魔法使い。
得意分野は接近戦ではなく、間合いを離した近距離戦だ―――少なくとも、アリサはそう確信している。
されど、接近戦が苦手な魔法使いは此処にはいない。
スノゥは杖に魔力を通し、強度を増して―――迎え撃つ。
拳撃を杖で受け、蹴撃を杖で捌き、がら空きの頭部へと突きを繰り出す。空を切る杖、カウンターを返す拳。
「が、あぁ……!!」
拳が腹部に突き刺さり、くの字に身体が折れる。
貰ったと笑うアリサに、
「捕まえましたわ……」
哂いで返す。
スノゥの杖は先端がカーブを描いている典型的な魔法使いの杖。カーブを描いている部分でアリサの首を引っかけ、自分の下に引き寄せる。
突然の行動にアリサの身体はスノゥの方に寄り、
「お返しですわッ!!」
回転回し蹴り。
額を撃ち抜く一撃に蹈鞴を踏むアリサに追撃の杖での脳天打ち。
無理矢理にお辞儀をさせられる様に項垂れるアリサに、更なる追撃。
高速で紡ぐ呪文にアリサの背筋が凍る。
避けるか捌くか、どちらかにしなければ―――という思考が既に遅い。
杖の先がアリサに身体に密着。
零距離からの風圧。
身体がバラバラになりそうな程の風力がアリサの身体を持ち上げ、壁に叩きつける。
「っがはぁッ!?」
吐血。
「オマケですわ!!」
輝く杖。
追撃がくる。
咄嗟の判断、動物的な勘、戦闘者の本能。
その中の最後の一つを使い、アリサはありったけの力を込めて地面を撃つ。
拳ではなく脚で。
強靭な足腰によって放たれた雷震は床を揺らし、砕く。

ステージチェンジ。

ビルの三階部分。
資材が放置された倉庫のフロア。
無数の段ボールが置かれた空間に飛び降りたスノゥは即座にアリサを索敵―――既に背後にいた。
「―――――ッ!?」
反射的に頭を下げると同時に、殺人的な速度で蹴りが飛んできた。避けると同時に地面を転がり、近くにあった部屋に飛び込む。そこも廊下と同様に段ボールが乱雑に置かれた場所。
中身はコピー用紙。
紙ならば、燃やす。
一瞬にしてコピー用紙に炎が燃え移り、その瞬間に飛び込んできたアリサは脚を止める。その隙を逃さない。
サウナよりも暑い灼熱地獄の中に氷の槍が出現する。ただし、今度は下から。
下から上に突き上げる氷の槍がアリサの脚を微かに傷つけ、血が宙を飛ぶ。
痛みに顔を顰めるよりも早く、スノゥの第二撃。
植物の様に生えた氷の槍を真空の刃にて砕き、高速詠唱にて風の壁を撃ちだす。砕けた氷の結晶が弾丸の如くアリサに襲い掛かる。
氷の弾丸を前にアリサは―――正面から突っ走る。
両腕をクロスさせ顔面を守りながら、身体中に氷の弾丸を受けながら突っ込む。その神風戦法にスノゥは驚愕し、次なる魔法を繰り出そうとするが遅い。
室内での戦闘は魔法使いではなく、狼にこそ軍配が上がる。
スノゥの腰にタックルを喰らわせ、壁に叩きつける。
「ッぐはぁッ!!」
背中の衝撃が肺から空気を根こそぎ奪い去り、視界を白く染める。
「つ、かまえ、た!!」
そのままアリサはスノゥを抱えたまま背中を大きく反らしバックドロップ。
見事なブリッジを決めてスノゥの脳天を床に叩きつける――――が、感触がない。
「それはこっちに台詞ですのよ」
スノゥの身体は【浮いていた】。
一瞬で空気の塊を自分が叩きつけられるはずだった頭部に集中させ、衝撃を殺す。派手な技を使うのならばそれ相当のリスクは付物となる。頭部に集中させた空気の塊を掴む様に手を伸ばし、上に、天井に向けて射ち放つ。
天井にクレーターが生まれ、一気に崩れる。瓦礫から逃れようとスノゥの身体を解放した瞬間、今度はアリサが捕まる。
後転しながらアリサの首を掴み―――床に叩きつける。
顔面、胴体、腕と脚、全てをノーガードで床に叩きつけられた。
身体中を襲う衝撃―――それでもアリサは動く。
「舐めんなッ!!」
倒れた状態から身体を回転させ床に火花を散らせる程の速度をもって、スノゥに蹴りを喰らわせる。スノゥが床を滑り、段ボールの箱を吹き飛ばす。
「ってて……なんで魔法使いが肉弾戦なんかするのよ」
「伊達に敗北を繰り返していませんのよ。悪いですが、こちらはアナタよりもよっぽど凶悪なトカゲの化物と戦った事のあるのですから」
「それ、どんな化物よ?」
「影を扱う化物ですわ……それ故に、私もそこそこ格闘術は学んでおります故に―――こんな事も出来ますのよ!!」
詠唱と構えを同時に、右手に炎を纏いて突き出す。
跳んで避けたアリサの服を炎が焦がす。
「続けて行きますッ!」
跳んだアリサに追いつき、脚に纏うは風。
脚を振り上げ縦に回転―――風を纏ったサマーソルトがアリサに直撃。
蹴りの威力と風の風力。
二つの力が合わさった一撃が、肋骨の数本を根こそぎ持っていく。
「――――――ッ!!」
「オマケに――――持って行きなさい!!」
空中でアリサの身体を掴み、膝を胴体に入れて回転。そのまま地面に落下する。落下の衝撃によって膝が腹部に突き刺さり、更に数本の骨を奪い去る。
「いぃ、がぁぁああああああああああああ―――――ッ!?」
絶叫。
激痛にのたうち回るアリサにスノゥは微笑みを投げ捨てる。
「アナタがどれだけ強いかは知っていますが。生憎、戦いの年数も敗北の回数も、私の方が上なのですよ……勉強になりましたか、ビギナーさん?」
「―――――――調子に乗んないでよね、ヴェテラン!!」
スノゥの脚を掴み、腕の力だけで振り回す。
突然の凶行に反応できなかったスノゥは勢い良く回され、
「床とキスしろ、クソババア!!」
防御などさせない。
顔面から床に強制キスをする音は酷い音だった。
とりあえず、鼻の骨は折れたのだろう。
鼻の中に血が流れ込み、呼吸が出来ない。
「あははははッ!!鼻血ブーしてやんの!!カッコわる―――ブへっ!?」
お返しとばかりに顔面に蹴りを入れられ、同じく鼻から血。
「あ、アンタねぇ!!こんな美少女の顔面に蹴りとか入れる、普通!!」
「あら?アナタが美少女なんて何処の何方が言いましたの?紹介してくださるかしら、その趣味の悪いひ―――ぎゃひィッ!?」
反撃のグーパンチ。
「じょ、女性の顔にグーパン!?それが女の子にする事ですか!?」
「子供の顔に蹴りを入れる奴に言われたくないわよ!!」
接近戦の次はマウント合戦。ただし、やっている事は子供の喧嘩と代わりがない。
「ふ、ふぐぐぐぐ……」
「このにゃろう……」
アリサの指がスノゥの鼻に、スノゥの指がアリサの頬を引っ張る。
ただし、勝敗は肉体の強靭差によってアリサに軍配が上がる。鼻に指を突っこんだまま、スノゥは持ち上げようとしたが、背丈の問題で無理だったので―――走った。
女性限定必殺技、鼻フックランニングデストロイヤー炸裂。
「痛たたたたたたッ!!鼻、鼻が捥げる!!」
「捥げる前にクタバレこの野郎!!」
室内を高速で走り続け、フィニッシュとばかりに全力で投げ捨てる。
「ミギャッ!!」
ベチーンと音を立てて壁に叩きつけられた。
「―――ふん、子供舐めんな!!」
「痛たたたた……鼻、私の鼻、取れてない?」
「残念ながら取れてないわよ」
「そう、良かった――――じゃないわよ、このクソガキ!!」
杖を手に取り、床に突き刺す。

三度目のステージチェンジ。

舞台はビルの二階部分。
今度は――――なんかヤクザっぽい人達が勢揃いしていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
強面な方々が手に銃やらドスやらを持ちながら、一斉に天井から落ちて来た二人を見る。
どうやら上での騒ぎを何処かの組の蹴撃だと勘違いしたのか、全員が臨戦態勢を完了。
アリサとスノゥはヤクザ屋さん達を見つめ、それから互いに目配せして立ち上がり、スタスタと入口に向かって歩き、

「「――――間違えました」」

そう言って外に出ようとしたが―――まぁ、当然無理なわけで。
「テメェ、何処の組の者じゃコラァ!!」
「タマ取ったるぞ、ゴラァ!!」
「女子供でも容赦はせん……殺せ」
殺る気満々な本職の方々が一斉に襲い掛かって来た。
「ち、違いますのよ?この子はともかく、私は善良なる市民ですので、見逃してください!!」
「あ、自分だけ逃げようとしてる!?オッサン達、悪いのは全部このババアです!!」
「まぁ!!人の事を棚に上げて、自分だけ助かるつもりですの!?私、そんな風に教育したつもりはありません事よ!!」
「アンタに教わった事なんて一つも無いわよ!!」
互いに罵り合いながらも、襲い掛かるヤクザ屋さんを次々と撃退する二人。
「こ、コイツ等……強ェ……」
「退くな、一歩も退くんじゃねぇぞ!!」
ドスを腰に構えて突っ込んでくる一人を杖で殴り飛ばし、銃を構えた者は引き金を引く瞬間に顎を蹴られた即倒する。
見る見る内にやられていく構成員を見て、組長らしき男は後ずさる。
「て、テメェ等……何者だ!?どの組の者だ!?」
「通りすがりの小学生です」
「通りすがりの魔法使いです」
「んなもん信じられるかぁ!!」
組長らしき男が日本刀を鞘から抜き、二人に襲い掛かる。
「だから、」
アリサは弓を引く様に腕を引き絞り、
「私は、」
スノゥは杖を振り上げ、
「部屋を、」
「間違えただけだって言ってるでしょうがッ!!」
拳が組長の腹に、杖が組長の側頭部を撃ち、窓を突き破って外に跳んで行った。
そして、誰もいなくなった。
「…………」
「…………」
二人は惨劇の跡をしばし呆然としながら見据え、今度こそスタスタと外に出て行き、ドアを閉める―――――瞬間に戦闘再開。
アリサの蹴りを避け、後ろに跳んだスノゥは即座に詠唱を紡いで炎を射出。
廊下の壁を蹴りながらアリサはスノゥに接近。
激突。
激突。
激突。
拳と杖が鬩ぎ合い、互いの視線がぶつかり合う。
終りなき激突は周囲のモノを破壊し、継続。
魔法の力と物理の力。
幻想を薙ぎ払う物理。
物理を抑え込む幻想。
魔法使いと狼の激突は次なるステージで終了する。
二人の戦いに耐えられなくなった建物は地面から崩壊を始め、二人は最後の落下をする。

ステージチェンジ・ラスト。

ビルの一階はエントランス。
広い空間で二人は対峙する。
ゆっくりと距離を取り、互いの一手を見極める。
スノゥはアリサを、アリサはスノゥを、互いは互いの今までの戦法を思い返して即座に万全の策を練る―――が、策よりも優先すべきは意思。
グダグダと長引かせる戦いなどもう沢山だ。
目の前の敵を一撃で必殺する術が必要となる。
「―――――次で決めますわ」
「―――――上等」
互いに宣言。
これで逃げ場無し。
基より退く気など一切無し。
負ける気など一切無し。
敗北は相手、勝者は自分。
全力全開の力を持って相手を打倒する以外に選択は存在せず。
「―――――――」
アリサが繰り出すは一つ。
この自慢の拳で、
「正面から、打ち砕く……」
拳を腰に、地面を踏みしめる。
スノゥが紡ぐが必殺の呪文。
杖を前方に構え、
「正面から、射ち貫く……」
すぅ、とスノゥは息を吸い込み、呼吸を整える。アリサは直感的に何かとんでもないモノが来ると予感する。だが、それを撃たせる前に撃てばいい―――などという思考は愚考だ。
相手が全力で来ると言うのならば、その全力を正面から叩く。
それこそが勝利。
それこそが自分。
狼の咆哮を上げる時は、完全勝利のその時以外にありはしない。
その事がスノゥにも伝わったのだろう、口元に微かな笑みが浮かぶ。
笑みは一瞬―――詠唱を開始する。
炎の渦か、氷の刃か、風の塊か―――今までに見せた中でどれを選択するかはわからない。だが、アリサはどれでも構わないと思考する。
それ故に、驚愕する。
詠唱を開始する。
ただし、それは今までとは違う。

高速で紡ぐ呪文ではなく、ゆっくりとそして長く――――連結する。

「風針‐wieed‐」
風の刃を招く呪文。
「氷槍‐cicran‐」
氷の槍を生み出す呪文。
「猛き焔よ、爆ぜ、砕け‐lame bur clan」
炎を巻き起こす呪文。
「雷矢‐arrtni‐」
雷を射出する呪文。

四つの呪文を続け様に唱えながらも、その全てが生み出される事はない。それどころか、連続して紡ぐ事で別の意味を持つ様にさせ思える。
嫌な予感がした。
あの詠唱を止めなければならないと本能が叫ぶ。だが、その本能を押さえつける。

本来、魔法とは連続して放つ事は出来るが【同時】に放つ事は出来ない。強化の為に使われる魔法もそれと同義。重ね掛けは出来ても同時に全ての強化を施す事は出来ない。そういう仕組みが存在する。
だが、それを出来る者が此処にいる。
一つの魔法に更なる魔法をエンチャント。エンチャントされた魔法に更なるエンチャント。エンチャントにエンチャント重ね、本来は存在しない新たなる魔法を創り上げる。
一人の少女だったエルフ。
魔法の才能があったのは事実だが、それ以上に少女にはある才能があった。その才能があるが故に彼女はこれまで生き残り、此処に立っていられた。
風の魔法を生み出し、氷の魔法をエンチャント。
風氷の魔法に相反する炎をエンチャント。
その魔法に雷の魔法をエンチャント。
四つの元素、エレメントを練り合わせ、構築し、再現するは過去にも現代にも存在しない新たなる可能性。
風、氷、炎、雷―――四つを【弾丸‐カートリッジ‐】として【杖‐デバイス‐】に送り込み、魔法を練成する。
高速詠唱はもちろん、詠唱の長い呪文よりも更に長い時間を使い、彼女の、スノゥ・エルクレイドルの真の力を顕現させる。
同時に複数の行動を可能とする彼女の才能から生み出される【連結術式‐マルチタスク‐】こそが、彼女の真骨頂。
構成、構築、装填―――全行程完全終結。
「さぁ、行きますわよ」
杖を握り締め、地面を踏みしめる。
宣言こそが本当の意味での開戦。
最後に一手にてして最強の一手を此処に解き放つ。
スノゥの準備は完了。
アリサの準備も完了。
魔法と拳。
勝者は二人も要らぬ、必要なのはたった一人の勝者のみ。

無音

無音

無音



――――――――鳴り響くは互いの咆哮



地面を全力で蹴り、アリサが突貫する。
武器は拳、繰り出すも拳、打ち出すも拳。
己の全力を込めた一撃にて相手を打倒するべし。
距離は微かに離れているが一秒もあれば十分に届く距離。
「もらったぁぁああああああああああああああああああああッ!!」
杖の先から、スノゥの身体を通して送られた練成された術式が解放される。
「撃ち砕け、罪なる者は此処に得る、汝が罪は我が裁きて、我が許す」
高速で紡がれる詠唱はアリサが地面を蹴った瞬間に開始され、間合いが半分になる前に完了する。
「天の裁きを否定し、天に代わり汝に鉄槌を――――これ即ち、」
トリガーワードを紡ぐ。
撃鉄を――――撃ち込む。



「汝を射抜く、神々、諸共‐Divine Buster‐」



巨大な光の柱が出現する。
天から降り注ぐ裁きの光ではなく、小さき者の兇器から降り注ぐ破滅の光にして破壊の暴虐。
神が許しはしない聖なる戯言より生み出された光は、フロアの全てを飲みこむ程の膨大な極光となって敵を打ち砕く為に撃ち放たれた。
目の前に迫る光の奔流を前に、狼は脚を――――止めない。
相手が如何に強大であろうと退くなど愚の骨頂。
宣言した。
正面から打ち砕く、と。
されど逃げ場無し―――――だが、それも良し。
物理が勝つか、魔法が勝つか。
この世界が勝つか、異界が勝つか。
強大な光に挑む。
真っ向勝負の想いに偽り無し。
互いが互いの勝利を信じ、
「私の」/「私の」
最高の一手で挑んだ勝負は、



「勝ちよッ!!」/「勝ちですわッ!!」



一つのビルを倒壊させる結果と共に決着する。









「―――――重いですわ」
「うっさい。アンタは黙って飛んでればいいのよ」
「落としますわよ」
「そん時はアンタも一緒だからね、この犯罪者」
「また私のせいにするのですか?」
「だってそうじゃない。見てみなさいよ、周りはパトカーだらけ。周囲一帯には避難勧告まで出てる始末よ……これ、完全にテロよ、テロ」
「まったく、ああ言えばこう言う……そんな事ばかり言っていると殿方に嫌われますわよ」
「アンタこそ、その性格直さないと嫁の貰い手がいないんだからね」
アリサとスノゥは空の上にいた。
杖に跨るスノゥと、杖にしがみ付くアリサ。
互いにボロボロになりながら太陽の昇った海鳴の街を優雅に空中散歩していた。もっとも、別に好きでこうしているわけではなく、倒壊したビルから何とか抜け出した所にパトカーのサイレンが聞こえ、逃げようとしたが逃げ道がない事に気づき、こうして空に逃げているというわけだ。
更に正確に言えば、一人で空に逃げようとしたスノゥの杖に無理矢理に掴まってアリサも空に逃げ出した、というのが正しい。
「まったく、ただでさえ街が騒がしいのに、更に騒がしくしてどうすんのよ」
「だから、それはアナタが言うべき台詞ではありませんわ……はぁ、アナタの将来が心配ですわ、本格的に」
毒吐き合いながらも、二人はしばらく空の上にいた。朝日が昇り切っていても、まだ温度はそれほど上がっていないのだろう。頬を撫でる風は涼しく、気持ちが良かった。
「―――――私は、無様なのでしょうか」
不意にスノゥが呟いた。
「何よ、藪から棒に」
「……無様、なのでしょうね」
結局、自分の中で何かが変わったというわけではない。仮に変わったとしても過去は変わらない。別に後悔しているわけではない。ただ、何となくそう思ったのだ。自分は昔も今も変わらず、ずっと無様なままだという事に。
「何も掴めず、何も成し遂げられず……永遠に失敗と敗北を続ける私は、誰の目から見ても無様なのですよ、きっと」
「…………アンタさ、実は結構ネガティブ体質?」
「どうでしょうね。前まではどんな失敗も単に自分の運が悪いの一言で済ませていましたが……自覚すれば逆に重くなるものですよ、この無様な自分が」
知ってしまえば簡単な事だった。
運の善し悪しなど関係がない。
自分は弱くて惨めな魔法使いでしかなかった。
「まったく、なんて無様」
「―――――さっきも言ったけどさ、無様なんかじゃないわよ」
その言葉に振り返れば、杖に掴まったアリサがスノゥを見ていた。
真っ直ぐに、
「私はアンタの事が大嫌いだけどさ……この街にはアンタの事が好きな奴がいるって言ったわよね。アンタはそんな奴の前で言えるの、その台詞」
「…………」
「一つだけ認めてあげるわ――――アンタは無様なんかじゃない。少なくとも、前のアンタよりはずっと無様じゃない。そうね、精々カッコ悪いってレベルかしら」
悪戯っぽい笑みを浮かべるアリサ。
「良いじゃない、少しはレベルアップしたって事でさ」
「レベルアップ、ですか」
「そう、人としてレベルアップ。魔法使いとしては雑魚だし、私よりもすっごい弱いアンタだけど、前よりはマシよ」
「待ちなさい。誰がアナタよりも弱いですって?アレはどう見ても私の勝ちですわ」
「む、聞き捨てならないわね。私の方が強いに決まってるじゃない」
「いいえ、私ですわ」
「私よ、私」
睨み合い―――折れたのはスノゥだった。
「もういいですわ。えぇ、アナタの方が強いです。はいはい、強い強い、おめでとうございます」
「ムカつくわね、その言い方」
静かな空の上でスノゥは街を見下ろす。
「…………不思議な街ですわね」
心の底からそう思えた。
「人妖である故に周りから認められない、必要とされない者達ばかりだというに……どうしてか、皆が強く生きている」
「…………」
「傷の舐め合いをしているのでもなく、一人一人がしっかりと地面に脚をつけている。本来なら自分一人で精一杯だというに、それを良しとしないお人好しばかり。不思議な街ですわね、此処は」
羨ましい。
この街はこんなにも、
「まるで、こんな街だからこそ持っている様ですわね――――誰の心にも【夢と希望】という幻想を」
「――――アンタもそうなんじゃないの?」
「私も?」
「夢と希望って奴をよ。最初から持っていなくても、何時の間にか誰かからそれを貰ってる。私もそうだったからね……」
「……そうかも、しれませんわね」
夢があった。
希望があった。
かつての自分はそうだったが、今の自分にはない。
それが少しだけ悲しい。
「まぁ……アンタにも見つかるんじゃないの?夢と希望っていうのがさ――――でも、アンタみたいな性格悪い奴の夢なんて小汚いボロ雑巾でしょうけどね」
「…………」
呪いとして存在する善意の言葉よりも、少女の汚い声の方が不思議と心地良い。
「だからさ、何時までも空の上でプカプカ浮いてるのは止めない?アンタのその足で歩く地面には、アンタが既に得ているモノが沢山あるのよ。そして、アンタが得ていない、見つけたいと思う何かが沢山ある」
この街には夢も希望もある。
「――――空から見下すのも良いけど、たまには地面に降りてきなさいよ」
この性格が悪くて口の悪い少女の様な人々が沢山いる街。
海鳴という人妖隔離都市。



「降らない雪なんて、子供は楽しめないじゃない……雪は降って積もるものよ―――空じゃなくて、地面にね」



この日、海鳴の街に雪が降る。
降り方を思い出した雪が降ってくる。
季節外れの雪は自身を無様だと言うが、地面に降り注ぐ雪を見つめた少女は違うと口にする。


夏に降る雪は―――決して無様では無いのだから










次回『閑話・魔法○○事件~マジカルステッキの悲劇~』









あとがき
ども、なんとか続けられてる散々雨っす。
最近、DOADの為にNDS3Dを買うか、シュタインズゲートとBBCS2の為にPSPを書くか迷っております……まぁそんな事はどうでもいいですね。
というわけで、アリサに必殺技が出来ました。

鼻フックランニングデストロイヤー

相手の鼻に指を突っ込んで全力で走るという必殺技。
コマンドはレバー三回転+ABCDです。
そんでもってスノゥさんの新しいフラグです。本当にフラグを立てるのが大好きな女性ですね、ぷぷぷ……

次回は長い長い夜が明け、物語はクライマックスに突入します。
その前に閑話でマジカルステッキ。シリアス書く前にマジカルステッキ。マジカルベイルじゃないけどマジカルステッキな回です。
基本的に大人達が酷い目にあいます。
あの二人も犠牲者です。
誰が得するのか謎の回です。
スベり倒します。

それでは、さようなら~



PS さと、スパイラルカオスの為にPSPを買おうか迷ってます





[25741] 【閑話休題】『マジカルステッキは男性用~第一次魔法中年事件~』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/03/14 21:29
時系列に沿っていくのなら、事の発端はとある一人の男性、筋肉モリモリの素敵なナイスガイ、デビット・バニングスの一言から始まった。
「なぁ、鮫島」
「なんでしょうか?」
「ククリナイフってさ……浪漫があると思わね?」
リムジンを運転しながら鮫島は、また馬鹿な事を言いだしたと内心で溜息、表向きにしかめっ面で主へ返答を返す。
「そうですなぁ……浪漫があるかどうかは知りませんが、殺傷能力がある事は確かでしょうな。世間一般的にはバタフライナイフが有名ですが、漫画的に言えばククリナイフが印象深いですな」
「だよな。とある美少女ガーディアンだって持ってるし」
「何処の美少女ガーディアンかは存じ上げませんが……しかし、急にどうしたのですか?」
後部座席で腕を組みながらデビットは光悦した表情を浮かべている。明らかにヤバメな顔った。
「あの小僧の持ってたククリナイフを見てな、俺もたまには拳一つの戦闘からああいう感じにクラスチェンジしたいと思うんだよ。格闘家から戦士に転職する感じな」
「左様ですか。でしたら、今度発注しておきましょうか?二日三日もあれば届くと思いますが」
「今欲しいな」
「……それは困りましたな」
「俺は今、欲しい。鮫島、執事として主の所望するモノを五秒で用意するのが一流だと思わないか?俺はそう思う。だから今すぐ買って来い。ドンキとかに売ってるだろ」
「流石に殺しの道具は売って無いかと思われます」
「そうか?あそこは大抵のモンは揃うはずだ。ナイフから核ミサイルまで、よりどりみどり」
「はっはっは、そんな危険地域にあの愉快なBGMは似合わないと思いますよ、私」
こんな感じで二人は何時もの様に馬鹿な話をしていた。
とある海外の某国で起きた事件。
殺人思考者が好んで所属する秘密クラブの野外活動に運悪く巻き込まれ、そこで出会った人間離れした少年の持っていたククリナイフに厨二心を燻られた百歳超えの吸血鬼。
「どっかに売って無いかな……ファミマとか」
「ファミマにもローソンにもデイリーにも売ってませんよ」
「そっか、残念だ」
無いモノはしょうがない。どうせ、明日になればこの気持ちはあっさりと消えるだろう。欲しいモノは今すぐにでも欲しいが、時間が経てばその気持ちも薄れる。それよりも優先する事があるとすれば、愛娘の為に素敵なお土産を用意する事だ。某国では血みどろのドロドロな惨劇しか起こらず、お土産の一つも用意できなかった。いっそのこと、あの少年が連れていたモビルスーツのバ○ゥみたいな犬でも攫ってくれば良かった―――と、そんな事を考えていた矢先、
「――――鮫島、ちょっと止めろ」
吸血鬼の第六感がそうさせた。
ベンツは止まり、デビットは足早に車を降りた。何事かと鮫島が目を向けると、デビットの向かす先に奇妙な存在があった。
きぐるみ、なのだろうか。
一人(もしくは一匹)は細長いタヌキのきぐるみを着た―――いや、きぐるみというよりは、完全にUMA的なタヌキに近い生命体がいた。
その隣にはこちらはどうやら人間らしいが、白い猫のきぐるみから可愛らしい顔を出している少女。
つまり、タヌキと猫(のきぐるみを着た)がそこにいるのだ。
一匹と一人は道端に茣蓙を広げ、その上に様々な代物を並べている。どうやら路上販売か何からしい。この海鳴の街にもああいった露店商がいるのかと鮫島は微かに驚きを覚えた。
「おい、嬢ちゃん達」
そして主の発言に驚いた。
嬢ちゃん達、という事はどっちも少女なのだろうか。一人はどう見ても猫のきぐるみを着ている少女だが、もう一人―――否、一人というよりは一匹はどう考えてもタヌキだ。誰がどう見てもタヌキだ―――ぶっちゃけ、タヌキかどうかも疑問だ。タヌキにも見えるしキツネにも見える。どっちにしても本家に失礼な気がするが、とりあえず此処はタヌキだ。
「これ、売り物か?」
「およ?もしかしてお客さんかにゃ」
タヌキが喋った瞬間、そこに居たのはタヌキではなく、中学生くらいの少女だった。鮫島は目頭を押さえ、頭を振ってもう一度見たがタヌキではなく際どい服装の少女がいる。はて、自分は今まで幻想を見ていたのだろうか。しかも、隣にいた猫のきぐるみを着た少女は何時の間には大陸の導士の様な服に変わっているではないか。
「こんな場所で露店か?客足も悪かろうに」
「此処に来れるって事は、それを望んだ人が居るって事さ。もしくは、それを必要とする誰かが居るって事。わかりやすく言えば、週刊スト○リーランドの常連のおばあさんみたいな感じだね」
「なるほど、わかりやすい」
ちっともわかりやすくない。
「で、あの婆さんみたく素敵でバッドエンドしかない様な物でも売ってるのか?」
「まさかぁ。僕はあくまで良心的な物しか売らないよ。決して使い方を間違えてバットエンドになるような面白商品をお客さんに売ったりしないよ」
「…………どうだか」
導士服の少女が呆れた様に呟く。
「あのですね、お客様。念の為に言っておきますけど、此処に置いてある商品は全てが試験段階でボツに成る事が確定されてボツの中のボツ、キングオブボツな商品ばかりです……ですから、踵を返してさっさと帰った方が宜しいと私は宣言します」
「もう、鏡ちゃん。そんなお客さんを不安にさせるような事を言っちゃ駄目だよ?これ売らないと、今日の僕達の晩御飯は素麺確定だよ?全部ピンク色の素麺なんか嫌でしょう?」
「えぇ、そうですね。視覚的にもとても気持ちの悪い食材ですよ、あれ」
「当たりって言われるけど、ぶっちゃけ外れだよね、あれ」
「お前さん達の夕食には興味はないが……ほぅ、中々に面白いモノがあるじゃないか」
そう言ってデビットは幾つかの商品を見て行く。
「娘のお土産になりそうな物はあるか?」
「娘さんの年齢は?」
「九歳だ。多少大人びていて糞可愛くて、目に入れて二度と出て来れない様に消化したいくらいに愛らしい娘だ」
「親バカだねぇ、お客さん」
「むしろ、ちょっと怖いです……」
執事的にも怖いと思った。
「けど、そんな可愛いお子さんにお勧めなのは、この商品――――」
際どい服装の少女が手にしたのは、キラキラの装飾がされたステッキ。日曜八時半からやっている小さな女の子と大きな男の子が好きそうなキャラがブンブン振り回していそうなステッキだった。

「その名も【特定年齢&異性専用マジカルステッキ】だよ!!」

ジャジャーンと後ろに隠してるラジカセからBGMを流し、少女はステッキを天に掲げる。
「これさえあれば誰でも一瞬で魔法少女に変身可能!!別に白いナマモノと違法契約する必要もなければ、R指定な作品でありがちな副作用も展開もぬふふな展開もない、正真正銘の魔法少女になれる優れものさ!!」
「……まぁ、玩具にありがちなキャッチコピーだな」
デビットはステッキを受け取りマジマジと見て―――何故か、悪寒は走った。
言い様のない寒気。恐怖に近い何か。でも自分以外に振り掛る不幸であればちょっと楽しめそうな素敵な展開が待っていそうな高揚感。
「玩具、だよな?」
「もちろん玩具だよ…………普通の女の子が持てばね(モスキート音並の小声)」
「―――今、聞き逃してはいけない何かを聞いた気がするぞ」
吸血鬼の聴覚ではっきりと不安を煽る様な言葉を吐いた少女。
「あれ?聞こえちゃった?でも大丈夫。娘さんが持つ限りは何の問題もない。害もなければ不幸もない。誰も傷つかずにトラウマも残さない、正真正銘のプラスチック製のちんけな玩具だよ」
「…………」
物凄く不安になる事を言われた気がする。
「…………本当に大丈夫なんだろうな?」
「もう、心配性だねぇ、お客さんは。よし、だったらオマケでもう一本付けて上げるよ。更にでレギオン飼育セットも付けてお値段なんてたったの五百万円!!」
「安いな」
「安いんですか!?」
導士服の少女のツッコミをスルーして、デビットは財布から札束を出していた。
「現金でだ。ちなみに、クーリングオフは効くのか?」
「僕達を見つけられれば効くけど、多分、二度目は無いと思うよ。ボーナスキャラみたいな感じだから攻略掲示板でも見ないとほぼ見つからないね」
二本のマジカルステッキを一瞬でラッピングし、オマケでレギオン飼育セットと共にデビットに手渡す。
「良かったね、これでパパの株もウナギ登りだ」
「あの、お客様……悪い事は言いませんから、買わない方が良いかと。今なら返品可能ですので……」
「ちょっと鏡ちゃん、何を言うのさ?」
「アナタは黙っててください、マグダラ」
「五百万だよ?五百万。これだけあれば雨風凌げる場所でゆったりライフして、鏡ちゃんの次のバイト先を見つける事だって可能だよ?その気になれば就職だって出来るよ?」
「しゅ、就職……」
その言葉に特別な魅力があるのか、少女は額に手を当てて考え込む。
「何はともあれお金は大事。これだけあれば面接用のスーツも買える。その服で面接行って試験官にグチグチ言われなくて済むんだよ?」
「う、うぅ……」
「ほらほら、誘惑に負けちゃいなよ。基本的に誘惑に弱い駄目駄目っ娘なんだから、さっさと堕ちちゃいなよ―――そして僕の為にお金を稼いで来てよ」
この二人がどういう関係かは知らないが、あまり深く聞いてはいけない様な気がしたのでデビットは早々に立ち去る事にした。
その間、二人はお金と生活という実に現代的で、ファンタジー要素ゼロな会話を繰り広げていたが、今は関係ない。
ともあれ、こうして事件の発端となったモノは登場した。
時間はこれからしばらく進む。
四月の事件が終り、五月はそこそこに平和に終り、梅雨も明ける六月の後半へと時は進む。




【閑話休題】『マジカルステッキは男性用~第一次魔法中年事件~』




ジメジメとした空気も終り、カラッとした乾いた空気が戻り始めた頃。なのはとアリサは放課後の教室で馬鹿な話をしていた。
何時もの様に馬鹿な話、つまりは中身が何もないという事だ。
こういう場合、最初に馬鹿な事を言うのは決まってアリサ・バニングスである。
「魔法少女ってさ……どう思う?」
「あ、アリサちゃんがまた馬鹿な事を言ってる」
「黙りなさい。前回もそうだけど、私の事を馬鹿馬鹿言い過ぎよ、言っておくけど、成績的には私の方が上なんだからね」
「成績は、ね」
なのはの発言は何時も通りなので、アリサも何時も通りにスルーする事にする。
「とりあえずさ、魔法少女ってどう思う?」
なのは曰く、
「所詮、大人の為の偶像」
「アンタ、少しは子供らしくしなさいよ」
とても子供っぽくない発言だった。
「でもね、アリサちゃん。九歳になったのに今更魔法少女って……いや、少女だけど」
「夢がない子供ね。少しは子供らしくしなさいよ」
「え~」
「え~、じゃないの。大体さ、前々から思ってたんだけどアンタには子供らしさってのが無いと思うのよ。私を見なさいよ。私こそ子供、どこからどう見ても子供、古今東西の全ての何かに愛された子供の中の子供よ!!」
「まぁ、いいけどさ……で、魔法少女がどうしたの?なりたいの?なりたかったらアリサちゃんに【ゼロのアリサ】って二つ名をあげるから」
「あれは魔法少女じゃないわよ」
「え?そうなの?」
「そうよ。詳しい事を語れば二時間三時間は余裕で語れるけど、今は置いておくわ。とりあえずは今の私達が語るべきは魔法少女よ」
職員室に行ったすずかが速く帰ってくる事を望みながら、適当に相手をする事にした。
「その前にアリサちゃん。その手に持っている奇妙な物体は何?」
「見てわからない?マジカルステッキよ。魔法少女の基本アイテム。後はマスコットがあれば私もアンタも今すぐ魔法少女よ」
「うわぁ、なりたくないな~」
こんなキラキラでピカピカで安物臭いステッキを持った自分を想像して、
「鬱になりそう」
「なんで鬱になるのよ?いいじゃない、魔法少女。リリカルでもマジカルでも好きなキーワードを使って魔法少女になりなさい」
「嫌だよ。大体さ、魔法少女って需要あるの?」
「あるに決まってるじゃない。過去はサ○ーちゃん、現在はマ○カ。日本という国は昔から魔法少女という偶像を追い求める習性がある。それ故に需要も無くならない。ネット的にいうなら俺得よ」
自信満々に言うのは良いのだが、こんな玩具を学校に持ってくるのはどうかと思う。教師に見つかったら確実に没収されるだろう。
「その点は大丈夫。実は昨日の内に没収されて、さっき返してもらった所」
「アリサちゃん、学校をなんだと思ってるの?」
「社会の縮図」
「変なとこだけ大人ぶらないでよ」
「良いのよ、そんな些細な事は。とりあえず、これはアンタの分よ」
そう言って手渡されるが、
「何で私の分?」
「似合いそうだしね、アンタ」
「止めてよ。九歳になって魔法少女って……人として恥ずかしい」
「…………なんでかな、アンタが否定したら色々と問題がある気がするわ」
「良いんじゃない?」
「……まぁ、良いけどさ。それはさておき、これをどうしてアンタに渡すかと言えば……なんだけど」
アリサは鞄の中から一冊の本を取り出した。
「何それ?」
「取り扱い説明書」
「何の?」
「マジカルステッキの」
「…………これ、玩具だよね?玩具なのになんでこんなに分厚い説明書があるのかな?」
タウンページ並みの分厚さだった。
「最近の玩具は優秀なのよ―――と、言いたい所だけど実はそうじゃないかもしれないの」
何故か神妙な顔でアリサはページを捲る。
「この取り扱い説明書。妙に生々しいというか、無駄に凝っているというか、読んでいる内にこれが本物なんじゃないかと想いこんでしまうくらいに」
「病院に行こうか」
「もうちょっと人の話を聞きなさいよ!!」
「だってアリサちゃんの話っていっつも似たり寄ったりっていうか、話の内容が固定されてるというか、同じというか、つまらないというか、面倒というか―――ぶっちゃけ、面白くない」
「……アンタ、本当に私の友達?」
「うん、友達だよ!!」
友人の笑顔に若干の偽りを感じる。
「ま、まぁいいわ。ともかく、このマジカルステッキなんだけど、どうも本物臭いのよ」
「言ってる意味が良くわからないけど……根拠はあるの?」
見た目は玩具売り場で普通に売っていそうな何の変哲もない玩具のステッキだ。だが、触ってみれば、
「あれ?」
なのははステッキを手にした瞬間、奇妙な感覚を覚えた。身体の中に何かが沁み渡り、玩具のステッキであるにも関わらず【力を備えている】という事が感じ取れた。だが、この感覚はなんだろうか。まるで【昔から知っている事】を思い出す様な、失くしていたモノを手に入れるような、そんな感覚だった。
「別に根拠はないけど、私の勘がそう言ってるのよ。これは本物だって事。そして説明書を読んでこれは物凄く面白い事になるだろうって事がね」
悪党な顔をするアリサだが、彼女は気づいていないのかもしれない。なのはが感じたのは勘という曖昧なモノではなく、確かにこのステッキに通っている【知らないけど知っている力】があるという事だ。
「というわけで、これをアンタに持って帰って欲しいのよ」
「どうして?」
「これを見て」
説明書の最初の一ページ。そこにはこう書かれていた。

【このステッキは成人男性用です】

「…………」
「どう?」
「いや、どうって……どういう事?」
「そのままの意味よ」
「いやいや、この子供用で尚且つ女の子用のステッキがなんで男性用なのか説明してほしいよ」
何処の世界に男性専用のマジカルステッキがあるというのだ。ファンタジー映画に出てくる白ひげの魔法使いが浸かっているステッキ、杖なら問題は無いかもしれないが、これはアニメで良く見るステッキだ。その風貌、異質さからしてとても男性用とは思えない。
「だから説明書に書いてあるのよ。このステッキは成人男性。二十歳以上の男の人しか使えない特別仕様だって」
「お酒も煙草も二十歳からだけど、マジカルステッキが二十歳からって話は初耳だよ」
「斬新でしょう?」
「作った人、もしくは考えた人の頭を疑うよ」
そしてこれを信じて自分に託そうとしている友人の頭もだ。
「これが本物なら……ククク、虎太郎がこのステッキを使ってマジカル中年に大変身……最高じゃない」
「アリサちゃん……」
「あ、デジカメも渡すから。その様子をしっかりと撮ってくるのよ。いい?これは最優先事項よ」
「…………」
どこからツッコンで良いかわからなくなってきたが、とりあえず現時点でアリサの頭の中はこれが本物だと認定している。ゲームのやり過ぎで現実と幻想の区別がつかなくなってしまったという話を良く聞くが、まさか友人がその被害者になるとは思ってみなかった。
目頭が熱くなり、顔を反らす。
「ん?どったの?」
「アリサちゃん……私、どんな事があってもアリサちゃんの友達だよ」
アリサの手を掴み、なのはは心に決めた。
どんな事があっても、頭が馬鹿という常識的な範囲をホップステップジャンプで飛び越えてしまい、可愛そうな所まで逝ってしまった友人が目の前にいる。だが、それでも自分は彼女の友達だ。自分だけは、自分だけは彼女の為に親身になってあげよう。それが友達というものだ。
齢九歳の、重すぎる決断だった。


そして時間は更に進み、事件は起きた。




一日の労働を終え、九鬼耀鋼はアパートにようやくたどり着き、一息ついていた。
今日は客先でトラブルがあり、予想以上に仕事が長引いてしまった。時計をみれば既に時刻は夜の十時に近い。
途中、コンビニで缶ビールとツマミ、煙草を購入して明日は今日の後片付けかと若干気が滅入りそうなるが仕方がないと自身に言い聞かせ、虎太郎となのはが待つアパートのドアに手をかけ、ドアを開く。
「帰ったぞ」
そう言ってドアの向こうを見て、
「―――――失礼、間違えた」
ドアを閉めた。
「…………」
奇妙なモノを見た気がした。
いや、奇妙というよりは奇抜、もしくは奇怪なモノを見た。
あれは夢か幻か、仕事のしすぎで疲れが溜まったのかもしれない。そういえば、有休が溜まっているので消化しろと言われている。そろそろ有休を使って休むのもいいかもしれない。そうだ、そうしよう。一日仕事もせず、のんびりとするのも悪くない。
だからあれはきっと幻に違いない。
自分にそう言い聞かせ、自分が立っている場所が虎太郎が借りている部屋である事を確認し、言い知れぬ不安感を拭い去れないまま、再度ドアを開けた。



加藤虎太郎が魔法少女の恰好をしていた。



ドアは再度閉じられる。
「―――――――なんだ、あれは?」
今まで数多くの死地を駆抜け、数多くの強敵と闘ってきた彼は、此処に来て久方ぶりの戦慄という感覚を抱いていた。
少なくとも、先程見えたのは虎太郎であって虎太郎ではない。仮に虎太郎だとしても変態という名の虎太郎に違いない。むしろ変態だ。ド変態だ。別に女装趣味にとやかく言うつもりはないが、あまりの出来事に流石に思考が追いつかない。
ツッコミでもボケでもない自分にはとても対処できない気がした―――そういう意味では九鬼という男はある意味で一般人的な部分を持っているのかもしれない。
頭を抱えているとドアが開き、もう一人の同居人であるなのはが顔を出していた。
「あ、あの……九鬼さん」
「なのは。どうやら俺は疲れているらしい。あり得ない幻想を見てしまった」
「えっと……多分、幻想じゃないかと想います―――ぶっちゃけ、現実です。最悪な事に」
「……現実、か」
「はい。現実です」
現実ならば受け入れるしかない。
そして挑む必要がある。
九鬼はドアを開け、部屋の中に入る。
部屋の中央には魔法少女の恰好をした虎太郎が咥え煙草をして腕を組み、哀愁漂う表情を浮かべながら窓の外を見ていた。
「……加藤、お前」
「言うな。何も言うな……」
「いや、しかし―――」
「お前の言いたい事はわかっている。俺だってこれが現実だと信じたくない。何度か自分に石化した拳を叩きこんで二、三回失神してみたが……」
煙草のフィルターの部分を噛みしめる。
「これが、現実だった」
「そうか……」
なんと言えばいいのだろうか。
どういう対応をすればいいのだろうか。
「九鬼さん……」
なのはが不安げな顔で九鬼を見つめ、隻眼となった瞳を閉じ――――現実を受け入れる覚悟を決めた。




時計の針は十一時を告げる中、加藤家は未だに全員起きていた。
ちゃぶ台の上には口の空いた缶ビールが二本並び、加藤と九鬼がそれぞれ無言で口にする。なのははオレンジジュースをちびちびと飲みながら二人の様子を窺っている。
誰が最初に言葉を発するのか、何と言うのかを考えている。
そんな中で最初に口を開いたのは九鬼だった。
「念のために聞いておくが……お前にその手の趣味はあるのか?」
「無い」
虎太郎は即座に否定し、煙草に火をつける。短時間の間に煙草は既に十本を超えている。
「本当か?」
「本当だ」
「俺は別にそういう趣味に否定的ではないぞ……無論、俺はやる気もないが」
「俺にだってない……」
「そうか……」
重苦しい雰囲気が部屋の中を支配する。
なのはは困惑していた。
虎太郎が魔法少女―――魔法中年に変身してしまった事はもちろんの事だが、それ以上にこの状況になっても加藤と九鬼、互いに実に大人な対応をしているという事にだ。
これがアリサやすずかが居る時を想定した場合、ボケとツッコミは怒涛の勢いで繰り広げてギャグ的な雰囲気が強くなるのだが、
(お、重い……この二人が一緒だと、とてもギャグにならない!!)
見た目はどう見てもギャグなのだが、二人の間には完全なシリアスな雰囲気が漂ってしまっている。このままではどう考えても緩い空気にも軽い空気にもなりはしない。
ダンディな大人が真剣に事の現状を把握しようとしている空気は、とてもじゃないがふざけた事を口にする事は出来ない。それどころか、普通に自分が口を挟んで良いかもわからない。
「さて……とりあえず、どうしてこんな事になったのか教えろ」
「原因はこれだ」
虎太郎がなのはがアリサから貰ったマジカルステッキを九鬼に見せる。
「何だそれは?」
「マジカルステッキ、らしい」
「マジカルステッキか」
「あぁ、マジカルステッキだ」
(マジカルステッキっていう単語がこれほど似合わない二人がマジカルステッキっていうと何かシュールな気がするけどやっぱりシリアスモードになって全然面白味がない!!)
虎太郎は事の経緯を話しだす。
発端はなのはが学校から持ち帰ってきたマジカルステッキだった。先日、アリサが学校にこの玩具を持ちこんで居たので拳骨を喰らわせるついでに没収し、今日の放課後に返したのだが、そのステッキが何故かなのはの手にあった。九歳といってもまだ子供、こういう物が好きなのかと想ったが様子が何かおかしかった。マジカルステッキを持ちながら虎太郎をジッと見つめ、何かを言いだそうとして止め、それでも勇気を出して口を開き、やっぱり止めるという行動を繰り返す。
そして、等々覚悟を決めたのか、なのはは虎太郎にマジカルステッキを渡した。そして持ち手の部分にあるスイッチを押してくれと言われたので、虎太郎は特に疑問に思わずスイッチを押下し――――悲劇は起こってしまった。
「奇妙な事もあるものだな」
「まったくだ」
(それだけ!?それだけなの!?)
現在の虎太郎の恰好はまさに魔法少女の恰好をした変態だった。
フリフリなスカートに胸元にリボン。白のハイソックスに頭には猫耳。全体的にカラーリングは虎柄。大阪のおばちゃんが着ていそうな派手な柄をした派手は魔法少女の姿が此処にある。
「その服は脱げないのか?」
「試したがまったく脱げない。この服自体が俺の身体の一部の様にまったく離れない。どんな力があってこうなっているかは知らないが、手の込んだ事をしてくれる」
十本目の煙草を消し、即座に十一本の目の煙草を口に加える。
「服以外に変化はあったか?」
「特にはないな。強いていえば無性に甘いモノが喰いたくなった―――が、喰ったら取り返しのつかない事に成る気がして気合で我慢している」
「懸命だ。一種の薬物依存状態に近いのかもしれいが、そこで接種してしまえば何が起こるかわからん。最悪、今よりも酷い状態に成る可能性もある」
「元々、甘いモノは好きじゃないんでな」
黙々と現状把握を続ける大人達に、なのははおずおず手を挙げ、
「あ、あの……こういう物があるんですけど」
アリサからデジカメと一緒に受け取った説明書を取り出す。とてもじゃないが、この状況でデジカメなんて出せる雰囲気じゃない―――最悪、死ぬかもしれない。
「取り扱い説明書か……なるほど、確かにこういう物がなければこんなモノは運用できまいよ。細菌兵器とて、使い方がわからなければ被害を被るのは使用者自身だ」
九鬼は説明書を開き、最初の一文。つまりは【成人男性専用】という一文を読んで眉を顰める。
「男性専用……男性専用にする意味があるのか?」
「精神的苦痛を伴うとすれば男の方が大きいだろうが、もしかしたらそれ以外の何かがあるのかもしれんな」
「男のみに作用する理由がある、という事か」
「恐らくは」
(単なる嫌がらせだと思うんだけど……)
ページを捲り、マジカルステッキの性能をじっくりと見つめる二人。
「なるほど、どうやらその服には耐衝撃など、戦闘用に優れた部分があるらしい。耐衝撃性の他に耐熱に耐寒、オマケに耐刃に耐弾とは……何処かの機関の兵器の一つ、という事か」
冷静に的外れな事を口にする九鬼。
「その可能性は高いな。しかし、この無駄に派手な格好に意味があるのか?」
「敵の目を引きつける、という点では優秀な部類に入るだろうな。そんな恰好をした奴が戦場に立てば大抵は度肝を抜かれる」
「お前さんにも効果があったという事はそれなりに的確だという事か……面白い考えだ」
(本気で言ってるの!?実はツッコミ待ちとかじゃないですよね!?)
更にページを捲ると今度は服ではなくステッキ自体の詳しい性能が記載されていた。
「ほぅ、これは中々面白い代物だ」
九鬼が微笑を浮かべ、虎太郎に説明書を渡す。
「……専用の動作とキーワードを組み合わせる事で複数の攻撃が可能?」
「火、水、風、雷……まるで魔法だな」
「伊達にマジカルステッキというわけじゃないらしいな。面白い」
(今の二人の状態の方がよっぽど面白いですよ)
「仮にこれが全て実現可能だとすれば、何処がこれを開発した?」
「さぁな。俺が知る限り、こんな奇天烈なモノを作る機関は無い」
「だが、仮にこれを作った連中がこれを本格的に軍事利用しようとすれば―――」
「トンデモない事になるな」
(無いと思うけどなぁ)
話の方向が段々血みどろな方向進んでいる気がする。某国の陰謀だとか、某組織の発明品だとか、数年前に潰した暴力団の話とか、某政治家の裏とか、某大統領の性癖だとか、とにかく一般人が聞いてはいけない事はもちろん、小学三年生が聞いてはいけないような話題にシフトチェンジしようとしていた段階で、なのはが口を挟む事は出来ない。
何とかしてこの状況を打破しなければならないという想いはあるのだが、なにぶん事態が事態だ。如何にアホらしくても、そろそろ眠りたいなと思っても、なんか最後まで付き合わないといけない雰囲気がプンプンする。
だとすれば、とりあえずどうすれば虎太郎が元の姿に戻れるのか確認す方法として、アリサにでも聞けばいいという事になる。
説明書に書いているかもしれないが、二人は真剣な表情で一枚一枚じっくりと読んでいた。多分、携帯電話の説明書を熟読するタイプに違いない。ちなみに、なのはは熟読するタイプだ―――関係ないが。
二人に気づかないようにその場から忍び足で抜け出し、外に出たら即座にアリサに電話する。
『―――――はいはい、アナタのお耳の恋人、アリサちゃんですよ~』
「アリサちゃんの耳を病気にしたいくらい小言が言いたい気分だけど、とりあえず今は止めとくね……アリサちゃん、あのステッキなんだけど」
なのははアリサに事の次第を伝える。案の定、電話の向こうでアリサは大爆笑。
「もう、笑い事じゃないよ……ねぇ、アリサちゃん。どうしたら虎太郎先生を元に戻せるの?」
『え?知らないよ』
「知らないって……あれ持ってきたのはアリサちゃんでしょう!?使い方くらいはわかるはずだよ!!」
『そんな事言われてもなぁ。ほら、私って説明書は読まないタイプだし』
「読もうよ!!あんな如何にも怪しいモノを取り扱う時くらいは読もうよ!!」
『大丈夫、大丈夫。説明書は困った時に読めばいいのよ』
大抵そういう場合は手遅れになる事が多い気がする。
『それよりも、写真よ写真!!私の渡したデジカメで虎太郎の恥ずかしい写真を激写よッ!!』
「私に死ねって言ってるのなら、もう友達辞めようか?」
『…………』
「迷ってる!?」
『あ、いや。迷ってないわよ。あははは、迷うわけないじゃない。私を誰だと思ってるの?』
アリサだから若干本気な気がするとは、あえて言わないでおいた。
本気で頭が痛くなってきた。
「ねぇ、アリサちゃん。このままじゃ虎太郎先生が変態さんになっちゃうよ?変態さんに間違われて捕まっちゃうよ?」
『アイツを捕まえられる人なんているの?』
「いないね」
少なくとも、並の人間、もとい人妖である虎太郎を捕まえるには警察とかじゃ駄目な気がする。最悪、軍隊でも呼ぶべきだろうか。
『でしょう?だから、このままアイツには女装趣味の変態中年魔法少女として世の中を平和にしてもらうべきなのよ』
半分本気で言ってるからこの友人はタチが悪い。
『とりあえずさ、ああいうのって時間が経てば何とかなるもんじゃないの?』
「時間の経過と共に虎太郎先生が危ない道に走りそうな気がしないでもない」
『大丈夫だって』
ちっとも大丈夫じゃないのだが、アリサに相談してもどうにもならない事だけはわかった。むしろ、時間の無駄であり、電話代の無駄だ。
「……アリサちゃんには、いつか天罰が下るね、絶対」
『天罰が怖くてバニングス名乗ってないわよ』
「アリサちゃん家はロクでもないって事だけはわかったよ」
電話を切り、大きな溜息を吐く。
空を見上げれば満天の星空があるというのに、心の中は曇り空。その理由が自分の担任教師が魔法少女のコスプレをしているという奇天烈な理由。まさか、こんな下らない事で悩む日が来るとは思っていなかった。
生きていれば色々な事があるとは誰かが口にはするが、これは何か違うだろとツッコミをいれたい。
「……はぁ、時間が経てば元に戻るってアリサちゃんの言葉を信じるしかないよね」
そうだ、それしかないと思いこむ事にしてなのはは部屋の中に戻った。

白髪の魔法少女のコスプレをした男がいた。

「――――――――増えてる!?」
ゴキブリを一匹見れば、五匹はいると思えとは言うけれど、魔法少女のコスプレをした中年を一人見れば実は二人いる。
「…………」
「…………」
先程までの無駄に真面目な会話をする気もないのだろうか、二人目の魔法中年マジカルオーガは火のついていない煙草を加えながら無表情で座っていた。その向かい側で魔法中年リリカルタイガーは何とも言えない顔でビールを口に運ぶ。
何がどうなってこうなったのかを聞いて良いのか迷った。
下手に聞いてロクでもない事になりそうな気がプンプンするのはもちろん、何も聞くなオーラが九鬼から立ち込めているのは決して気のせいではない。
とりあえず、ちゃぶ台の上に置かれた説明書に眼を向ければ、【変身方法】という欄だった事から、うっかりスイッチを押してしまい、こんな悲劇が起こったのだと想像するしかない。
ちなみに、九鬼の姿は虎太郎の色違い。虎太郎は虎柄だが、九鬼は白と黒とシンプルな色。
何も言わずに黙り込む二人に、なのはは意を決して話しかける。
「あ、あの……」
大丈夫ですか、と口にする前に九鬼の口から、
「―――寝ろ」
と、ドスの利いた言葉が飛び出し、
「…………おやすみなさい」
なのはは自分も無力を呪いながら、布団の中に潜る事になった。
どうか、眼が覚めれば全てが夢であり、朝の目覚めと共に二人は元に恰好に戻っている事を願う――――まぁ、そんなわけもないのだが。



翌日。
救いがあるとするならば、今日は土曜日で世間的には一応は休みの日。土曜日に仕事がある方々はそうでもないが、大抵の人は休日。
しかし、こんなに殺伐とした休日の朝はそれもう……色々とキツかった。
目覚めのなのはの眼に映ったのは居間に散乱した缶ビールやら一升瓶やら煙草の吸殻やらと酷い有様だった。その中央に位置するのは昨日の晩と同様に眼の毒にしかならない中年二人組。どうやら、一晩中飲み明かしていたらしい。しかし、どれだけ飲んでも現実から逃げる事が出来なかったのか、二人は昨日と変わらず無表情で煙草を吸っている―――いや、違う。
なのはは理解した。
確かに見た目は殆ど変わらないが、実は二人には微妙に変化があった。
虎太郎と九鬼、二人には明らかなら違いがある。もちろん、恰好はそのままなので変わらないが、雰囲気が違う。
言ってしまえば余裕の違い。もしくは受け入れるか受けれないかの違い。
「……虎太郎先生、なんか余裕が見える様な気がするんですけど」
「まぁ、一晩あれば慣れるさ」
「慣れるんですか?というか、慣れて良いんですか?」
「大人になればわかる―――と言いたいが……まぁ、結局はあれだ。今までどれだけギャグ空間に身を置いていたか、と言う事だ」
灰皿に煙草を押し付け、九鬼を見る。
「そういう点からすれば、俺は慣れてるが、あっちは慣れてないな」
その言葉に九鬼の額がピクリと動く。
「……どういう意味だ?」
「わからないか?ならば教えてやる」
何故か勝ち誇ったかのような顔をする虎太郎。傍から見てもどっちも負けなのだが。
「九鬼耀鋼。確かにお前さんは様々な死線を抜けて来たのだろうな。借金取りと戦ったり、雀荘でヤクザと戦ったり、カジノでマフィアと戦ったり」
「それはお前だけだ」
「そうか?だが、とりあえずお前さんはそういう意味でなくともシリアス的な部分で死線を潜り抜けているのはわかる―――しかし、だ。お前はそんなシリアスに慣れ過ぎている」
「お前は何を言ってるんだ?」
「わからないようだな。いいか、俺は教師だ。教師といえば学校だ。学校と言えば学園モノだ。学園モノと言えば――――ラブコメだ」
虎太郎先生は何を言ってるんだろうか、なのはは首を傾げる。当然、九鬼もだ。
「ラブコメとはラブとコメディーが重なった青春の甘ったるい砂糖の様で麻薬的な非現実的な空間だ。その空間の中で俺は教師だった。つまり、俺のいた場所は常に馬鹿げた事が起き続けるというヘンテコ空間故に、俺はそこに身を置いていた事によって、耐性が付いている」
「お前の言ってる事が良くわからんのだが……」
「私も良くわかりません―――っていうか、ラブコメとは程遠い場所に位置する世界な気がしますよ、此処」
こんな恰好になって頭がおかしくなったのかもしれない。
「ツッコミとボケのオンパレード。常人程、背景と化してしまう戦国時代の中で俺は今まで生きて来た……ある時はボケ、ある時はツッコミ。俺はどちらかと言えばボケだったが、時にはツッコミに徹した事もある様な気もするし、無かった様な気もする。そもそもだ。お前さんは俺と違ってカウントダウンボイスという本編と関係ないようで関係ある場所でしかそういう役割になっていないのが問題だ」
九鬼が何言ってんだ、コイツ?と言う顔をする。
なのはも同様。
「いいか、九鬼。お前さんに足りないのはそういう部分だ。自分のキャラを守るのは良いが、守りに徹し過ぎては前には進めない」
「……いや、何か違うだろう」
「いいや、違わない。もっと自分を解放しろ。解放してこの状況を楽しめ」
「先生が楽しんでたら、私はドン引きしますよ」
「とりあえず、この恰好で雀荘に行くぞ。話はそれからだ」
「それから以前に終りだろう。色々な意味で終わりだぞ、それは」
どうやらステッキの副作用で頭が変になるのかもしれない。だとすれば、意外とこれはヤバイ事態なのかもしれない。虎太郎がこんな状態なのだから、時間が経てば九鬼もこんな変な状態になってしまったら―――もう眼も当てられない。
「どうしよう……本気でどうにかしないと」
「あぁ、同感だ。俺は今日も仕事なんだ。この恰好で言ったらクビにされても言い訳がきかんぞ」
「というわけで、俺はちょっと外に出てくる」
本気で外に出ようとする虎太郎を全力で止める。
「なのは。どうにかしろ」
「私にそれを言いますか?無理ですよ」
「お前は、アリサで慣れてるだろ?」
「あっちはあっちで問題ですけど、こっちはもっと問題ですよ!!」
というか、この状態をどうにか出来そうな人間などいるはずがない。
「うぅ、なんか収集がつかなくなりそうな気がします……」
「まったくだ」



カオスというか気持ち悪いというか、とりあえず頭と胃がすこぶる痛くなる様な現実から逃れたい一心でなのははアパート近くのコンビニへと足を運んでいた。勿論、逃げようにも逃げられない状況に置かれている今、コンビニは素敵な聖地と化していた。
「はぁ、憂鬱……」
雑誌コーナーで月刊マガ○ンを立ち読みしながら、背中に暗い影を落とす小学生に周りの者達は若干引き気味だった。
「家に帰っても胃が痛いし、あの状況な虎太郎先生達を置いてきても頭が痛い……私、どうしたら良いんだろう?」
こうしてコンビニに来たのは、別にただあの空間から逃げたわけではない。単純に三人分の朝ごはんを購入しに来たに過ぎない。だが、すぐに帰るのも面倒というか億劫というか、色々な諸事情による立ち読みしているのだが、
「帰ったら元に戻ってたら良いなぁ……まぁ、無理だよね、うん」
小学三年生とてある程度の現実は知っている。
都合の良い現実は何時だって裏切られるのだ。
「うぅ、これも全部アリサちゃんのせいだよ……」
考えれば考えるほど、暗くなりそうなのでもう考えるのを止めたくなってきた。そんなわけで、現実逃避を止めてさっさと弁当を買って帰る事にした。
棚に残っているのは唐揚げ弁当、海苔弁当、ジャンボでゴージャスな特製弁当。
「えっと、虎太郎先生は海苔弁で、九鬼さんは唐揚げ……私は当然ゴージャス!!」
後ろ後ろと考えても物事は進展しない。ならば、とりあえず前向きに考えていこう。その為に朝ごはんはやっぱりゴージャスに行くべきだろう。
弁当の次にお菓子コーナーで棚に陳列されたよ○ちゃんイカを全てカゴに入れ、ついでに隣にあった酢昆布もまとめて購入。飲み物は明らかにハズレ臭がプンプンして一カ月後には確実に棚から無くなるであろう飲み物を購入し、レジへ。
レジへ行ってカゴを置いた瞬間、視線が急にグンッと上がった。
「あり?」
背が急に伸びたわけでもない。
なんだか誰かに抱きしめられたような気もする。
背後を見た。
帽子にサングラスにマスクを付けた男がいた。
「…………」
レジを見れば店員が青白い顔をしている。
「…………」
もう一度背後を見る。
如何にも怪しい風貌の男が荒い息を吐いている。
「えっと……」
これは、つまり、その、あれだろうか。
「金を出せ!!すぐに出さないとガキを殺すぞ!!」
コンビニ強盗とエンカウントしてしまったらしい。



虎太郎と九鬼が気持ち悪い格好をして閉じ籠っているアパートの一室―――の隣の部屋。
「ねぇねぇ、鏡ちゃん。これって角のコンビニだよね?」
部屋の住民であるマグダラは雑魚寝をしながらテレビを見ていた。
「何の話ですか、マグダラ?」
その後ろで鏡はバイトに向かう為に着替え(いつもの導士服)をしている。
「コンビニ強盗だってさ。しかも、立て籠もり。馬鹿だねぇ、このご時世でこの街で立て篭もりなんてどう考えても無理難題って話だよねぇ」
煎餅を齧りながら尻を掻いている姿はとても余所様に見せられない格好であり、見た目通りの年齢の少女のする事ではない。もっとも、彼女が見た目通りの年齢であるわけはないのだが、それを知るのは鏡以外に【この世界】にはいない。
「はぁ……そうですか」
別段、興味を引くような内容ではなかった。それよりも、鏡にとってまた今日もバイトなのかと鬱になる想いをなんとか立て直し、労働意欲を持つ事のほうが重要だった。
このボロいアパートに身を置き、早一ヶ月。目標は高く設定して、すぐにもこの一室から脱出して、木造から耐震構造に優れた部屋に移り住むという願望はあるが、貯金は一向にたまる気配がない。その理由はマグダラにあり、彼女の浪費癖が半端ない為に何時まで経っても貯金通帳の桁が五桁になる事がない。
「一か月前まではあんなにお金があったのに……」
マジカルステッキなどという如何わしい商品のおかげで大金が入ったのは既に過去の事。あのお金で今後の生活に若干の余裕が出た事に感謝すると同時に、油断していた。
貧乏生活が板について来たおかげで、あまり不用意な買い物をしない様に節制してきたのだが、あくまでそれは鏡一人の話。同居人であるマグダラがその大金を毎日毎日、飲み屋だのホストクラブだのギャンブルだのに費やし、あっという間に大金は消え去った。
結局、マグダラがいる限り貧乏生活を抜け出す術など無いのではないかとさえ思えてくる。
「ねぇ、ちょっと野次馬に混ざりにいかない?」
当の本人はまったく反省の色がない上に、完全なニート生活を楽しんでいるのがムカつく。一度、本気で説教してやろうかと思ったが、結局は無駄になる事も知っているため、実行しようとは思わない。
「私はこれからバイトです」
「バイトよりも野次馬だよ、野次馬!!ほら、見てよ。人質は幼い幼女だよ、幼女」
「楽しむポイントがずれてますよ。あと、趣味が悪いです」
「ダメだなぁ、鏡ちゃん。これから面白い事が起こるって僕の悪趣味センサーが―――」
「そんなセンサーは即座に捨てなさい……あ、電話が」
「あれ?鏡ちゃん、何時の間に携帯なんて」
「携帯ないと日雇いの仕事も貰えないんですよ―――はい、鏡です。ランスターさん?はい、はい……あぁ、なるほど。わかりました、私は構いませんよ、はい、はい、それでは」
「ん、どったの?」
「ランスターさんが急な都合で今日のシフトに入れないから、代わりに棚卸をお願いします、だそうです」
「へぇ、ランスターってあれだよね?お兄ちゃん大好きっ子ちゃん」
「仕事は出来るんですけどね……ともかく、そういうわけで私は出掛けます。あ、お昼は作っておきましたから、後でチンして食べてくださいね」
「OK!!」
「それでは行ってきます」
そう言って扉を開けた瞬間、目の前を一陣の風が通り過ぎた。
「―――――」
風と言うにはアレすぎる風だった。
多分、風と一緒にペストとかそういう悪いモノを運ぶ風に違いなのだが、若干現実離れした光景に茫然としてしまった。
「……あれ?どったの鏡ちゃん?そんな鳩が弾丸喰らって跳ね返したような顔して」
「どんな顔ですか――――いえ、なんか今……ものすごいモノを見てしまったもので」
「すごいモノ?」
「えぇ……何と言いますか、」
気のせいだと良いな、と本気で思った。
多分、あれはお隣さんだろうし、その内の一人は滅茶苦茶知っている顔だったし、あんな格好をしているだけで世界観をぶち壊しにするような光景だったので、一度頭の中で整理してみる。
無論、どれだけ考えても結果は変わらない。
「二人はプ○キュア【ガチムチ中年編】、みたいな感じの人達が猛スピードで走って行きました……」
「ふ~ん、色んな趣味の人がいるんだね」
朝から頭が痛くなってきた。
「そ、それでは、今度こそ行ってきます……」
「いってらっしゃ~い!!」
扉を閉め、脳裏に焼きついたあの気持ち悪い光景を思い出す。
「……何をやってるんですか、九鬼耀鋼」
彼女の記憶の中にある、凛々しい男と現在の彼の姿を重ね合わせたら、どっちが本当かわからなくなってしまいそうになる。




そして、二日後。
月曜日になって学校に登校してきたアリサは新聞を広げて笑っていた。
その理由はなんとなくわかる。何故なら、彼女が見ている新聞は昨日の新聞であり、我が家でも取っている海鳴新聞だから内容だって知っている。
「おはよう、アリサちゃん……楽しそうだね」
「ぷ、ぷぷ……お、おは、よう……ククク……」
息をするのも苦しいと言わんばかりに笑っているアリサを冷めた視線で見つめるなのは。アリサが見ている記事はやはり、昨日の我が家で問題に上がった三面記事。

【謎のコスプレ中年二人組、コンビニ強盗を撃退!!】

何度も見ても苦笑いしか出てこない。
記事の内容はこうだ。
土曜の早朝、コンビニに押し入った強盗が店員に金を要求したが、偶然通りかかった警官に発見され、少女を人質に取って立て籠もった。
犯人の要求は逃走用の車とコンビニの売上金という何とも割に合わないものだったが、人質がいるせいで警察も中々手を出す事が出来ない。事件は次第に海鳴のテレビ局にも知られ、朝から生中継を行われるほどの事件になってしまった。
犯人の理性と人質の体力も限界に差しかかり、いよいよ突入かと思われた瞬間、それは現れた。
魔法少女だった。
魔法少女のコスプレをした男だった。
顔は覆面をしていたせいでわからなかったが、とりあえず男だった。そして気持ちが悪かった。
颯爽と現れたコスプレ男は警官隊の包囲をあっさりと抜け出し、コンビニに突入。犯人に重傷を負わせて、人質の少女を救出して風のように姿を消した。
「最高ね、これ。何度読んでも笑えるわ」
「笑いごとじゃないよ。大変だったんだよ!!」
「あぁ、そうね。なのは、ナイス!!」
「アリサちゃん、その私も共犯者的な言い方は止めてくれないかな?」
「でも、アンタのおかげでアイツの面白い姿が見れて最高だったわ!!」
この友人はまったくこちらの苦労など汲み取ってはくれないらしい。
あの日は最悪だった。
コンビニ強盗の人質に取られたのも最悪だったが、問題はその後だ。
なのはを救出した二人は、即効でアパートに戻ろうとしたのだが、何故か背後からパトカーの群れ。どうやら、なのはが変態に誘拐されたと勘違いしているらしい。当然の反応なのはわかっていたし、なのはだけを置いて二人は身を隠せば良かったのだ―――しかし、二人はなのはを離さず、そのまま逃走した。
結局、警官隊とガチンコをする羽目になりながら、何とか家に辿り着いたのは深夜。その頃には二人の格好は魔法中年からいつもの格好に戻っていたのだけが、唯一の幸福だったのだろう。
そして、この記事だ。
この記事を読んだアリサは爆笑。
この記事を読んだなのはは苦笑い。
この記事を読んだ魔法中年の教師と土木作業員はステッキをへし折る。
「何時か罰が当たるよ」
「大丈夫よ、私の今日の運勢は最高だって朝の占いでやってたわ」
「へぇ、そうなんだ……」
もうどうにでもなれと思い、なのはは自分の席に着き、携帯を取り出す。
「―――――あ、私です。当人に反省の色はないです。はい……えぇ、お願いします」
「ん?誰に電話してんの?」
「ねぇ、アリサちゃん……やっぱりさ、天罰ってあると思うんだよ」
その一言に、背筋がゾッとした。
言いようのない不安に襲われ、アリサは周囲を見回し―――絶句した。
先程まで教室の中には沢山の生徒がいたのだが、今は一人もいない。教師の中にいるのはアリサとなのはの二人だけ。
「な、なのは?」
なのはは天使の様な悪魔の笑顔をアリサに向け、
「今回は流石に私も助力が出来ないから」
それだけ言い残し、なのはも教室を後にする。
残されたのはアリサだけ。
獣の本能が叫ぶ。
今すぐこの場から逃げ出さなければ酷い目に会う。いや、酷い目に会うどころではない。最悪、命に関わる重大な危機に直面するかもしれない。
アリサは本能に従い、即座に教室から出ようとするが、

一匹の虎が立っていた。

「どこに行く気だ、バニングス?」
手には真っ二つに折れたマジカルステッキ。
表情は無表情だが、額には青筋が浮かんでる。
「ちょ、ちょっと……トイレ?」
「そうか、トイレか」
「だ、だだだ、だからさ、そこ、通してくれる?」
「通すと思うか?」
無理だ、と直感する。
ならばと踵を返し、向かうべきは教室のもう一つの出口――つまり、窓からダイブを決行した。
着地と同時にすぐさま駆け出せば逃げられない事はない。今日は満月ではないが、今の自分の身体能力なら何とか逃げ出す事も可能―――と、思っていた。
着地はした。
ただし、誰かの腕の中に着地した。

鬼の腕に、着地した。

「――――――」
鬼は笑っていた。
悪鬼の様に笑っていた。
「お嬢ちゃん、選べ」
背後に漂うオーラがどう見ても人間のモノではない。人間と呼ぶには異質で凶悪。近くに居るだけで身も心も凍りつき、砕かれそうになる悪質なオーラを前にアリサの獣の本能は抵抗は無意味だと理解する。
「―――刺殺、絞殺、撲殺、斬殺、圧殺、完殺、全殺、惨殺、狂殺…どれでも選べ。どれかを選べ……」  
「お、大人として、それを子供に、え、選ばせるのは……どうかと、思うわよ?」
震える声で一応は言ってみたが、
「子供の悪戯を叱るのも務めだ」
逃げは無い。
虎はアリサの後を追って飛び降り、着地。
「バニングス。流石にこれはやり過ぎだ……あぁ、やり過ぎだ。このままお前の悪戯を無い事にして許すのは―――教育に悪いんだ」
「待ちなさい!!話せば、話せばわかるわ!!」
「問答――――」
「――――無用!!」
こうしてマジカルステッキが引き起こした事件は、首謀者の粛清という結果に終わった。
しかし、この悲劇はこれで終わったわけではない。
何故なら、マジカルステッキはもう一本ある。
そのマジカルステッキが引き起こす事件はこれから数カ月後に起こる。
これよりも悲惨で悲劇的な事件が。
「うぎゃぁぁあああああああああああああああああああああああああああっ!?」
そんな事など露知らず、校庭から馬鹿の悲鳴を響き渡り、その光景を見守っていたなのはは、遠い目をして呟いた。
「悪は滅んだ―――わけないよなぁ……」
アリサがこれに懲りてくれればいいのだが、それは無いだろうと確信している。
とりあえず、今回の事件でなのはが学んだ事は一つ。
「やっぱり、魔法少女なんてロクでもないよねぇ……」


頑張れ、なのは。
負けるな、なのは。
数カ月後の事件の犠牲者にはしっかりと君の名があるのだから!!




第二次魔法中年事件―――別名、魔女事件に続く。



[25741] 【人造編・第七話】『無意味な不安』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/03/14 21:33
夏の雨は不思議と寒い。
気温は高いはずなのに、雨が降るだけで身体ではなく心が冷え切る様な感覚を覚える。
朝はあれだけ晴れていたのに、空は真っ黒な雨雲のせいで朝日が昇った事さえ嘘だった様な気さえしてくる。
スノゥは傘も差さず、雨に濡れたまま路地裏に立っていた。
金色の髪を雨に濡らし、白い肌の上の雨粒が伝う。
こうして此処に立ってどのくらいたったのだろう。身体の冷え具合から一時間はこうしていたかもしれない。このままでは風邪を引いてもおかしくない状態だが、どうしてもこの場から動く事が出来ないでいた。
「ちょっと、いい加減にしないと風邪引くわよ」
彼女と同様にずっと路地裏で佇んでいたアリサは、ビニール傘で雨を防ぎながら無駄だと思いながらも口にする。しかし、スノゥは一向にその場を動く事なく、路地裏で雨に濡れ続けている。
スノゥの見つめる先に花束がある。
アリサの記憶では、確か先日、この場所で女子高生が殺されたという事件があったはず。その事件がどの様な事件だったか詳しくは知らないが、それほど自分に関係のあるモノとは考えていなかった。
だとすれば、関係あるのはスノゥという事になる。
尋ねようか迷ったが、結局アリサは口にする。
「此処で殺された人、アンタの知り合い?」
「…………知り合い、と呼べる間柄ではありませんわ」
漸く口を開いたスノゥはその場にしゃがみ込み、両の手を合わせて合掌する。彼女の記憶の中で、死者の冥福を祈る行為はこれだけ。自分の世界の方法は取りたくないし、美羽がこうしていたのならば、これが正しい方法なのだろうと思っている。
「ただ、ちょっとお話をしただけ……それだけの間柄ですわ」
「ふ~ん、それにしては随分と思い詰めた様な顔してるけど」
「思い詰める、ですか……ふふ、おかしな話ですわね」
「別におかしくなんて無いと思うけどさ」
アリサはスノゥの隣に歩み寄り、スノゥと同じ様に掌を合わせて死者の冥福を祈る。
「どんな人だった?」
「さぁ、どんな方だったのかも良くわからない間柄でしたから。ですが、倒れた私を介抱してくれるくらいお人好しという事は確かですわ」
「アンタの為に、ね……」
空から降る雨が止まった。
周りはまだ降っているが、スノゥの頭上だけ雨が止まる。
アリサは傘をスノゥに差しだす。
「使いなさい」
「……どういうつもりですの?」
「うっさい。いいから使えばいいのよ」
そう言って傘をスノゥに押し付け、アリサは歩き出す。
「アンタが何に関わってるかは知らないけどさ、これ以上あの子を悲しませる様な事をしないなら、今回は見逃してあげるわ」
この件はなのはには関係のない。
無論、アリサにも関係は無い。
「あとさ、何を迷ってるのかは知らないけど―――悩んでも意味あるの?」
だが、スノゥの表情は何かを迷い、何かを決めかねている事だけは理解できる。アリサとしては自分から首を突っ込む気は皆無。自分に関係もなければ、自分の周囲にも関係のない事だというのなら、尚更だ。
「アナタなら、どうします?」
「知らないわよ。でも、迷うならとりあえずやってみるのが私よ。どうしたらいいかもわからないけど、黙ってつっ立ってる事が無意味だって事くらいはわかるから」
雨に濡れる少女は不服だという顔をしながら言う。
「――――行動してみなさいよ。大人の癖に小さいわよ、おばさん」
口の悪い割に優しい子だ―――口にはしないが、そう思えた。勿論、そんな事は絶対にアリサに向かって言う気はない。そして、そんな事を思えた事に自分で驚きを覚える。
「生意気ですわね、アナタは。子供はさっさと帰って夏休みの宿題でもやりなさい」
「残念。私はラストスパートで終らせるタイプなのよ」
「そうですか。なら、最後になってあの子に泣きつかない様に気を付ける事ですね」
「ふん、わかってるわよ」
それだけ言って、アリサは姿を消した。
残されたスノゥはアリサから渡された傘を手に、雨に濡れた現場を見つめる。
此処で人が死んだ。
リィナという少女が死んだ。
殺された。
何故、殺されたかは知らない。単に運が悪かっただけかもしれないし、誰かから恨みを買っていたのかもしれない。想像は幾らでも出来るが、真実を知る事は出来ない。自分はその真実を知りたいのだろうかと自問自答をするが、それすらも答えが出ない。
ならば、
「行動する、ですか」
スノゥは苦笑しながら地面に手を置き、呪文を唱える。
「子供の癖に生意気ですわね、本当に」
知りたいかどうかもわからない。
だが、忘れる事が出来ない。
「良いですわ。今回だけは、アナタに騙されてあげましょう」
行動を開始する。
事件の関係者の中で一番遅いが、何よりも解決に早い方法で魔女は行動する。








【人造編・第七話】『無意味な不安』







月村忍は不機嫌だった。
不機嫌の理由は色々あるが、一番の理由が目の前にいるという事だけははっきりと判明している。
「――――で、いきなり何の用かしら?」
応接間にて、我がもの顔で珈琲を啜るチャラい男、ティーダにはっきりと不機嫌だと表情を見せつけるが、相手は特に気にした様子はない。
「そんな冷たくするなよ。綺麗な顔が台無しだぜ?」
「アナタに誉められても嬉しくないわ……ファリン、こんな奴にお茶なんて出さなくてもいいわ」
「ですが……」
「いいから、さっさと下げなさい―――で、そっちの人は何?アナタの女?」
ティーダの横でお菓子を凄い勢いで食べている昴の動きが止まる。
出された物は遠慮せずに食べる派の彼女は今まで食べた事のない高級感漂うお菓子の虜になっていたが、流石にこの状況でこれ以上、手を付ける気は湧かない。むしろ、それ以上に問題なのは、忍が自分の事をティーダの女と言った事だ。
「あ、あの、私は別にティーダ先生の彼女ってわけじゃないです」
「へぇ、それで?」
「それでって、あの……」
昴としては、ティーダに昨日の晩から色々と付き合わされただけで、別にこんな場所に来る事は思いもしなかった。そして現在、ティーダと一緒にいるというだけで白い目で見られるという災難にあっている。
「忍、俺の生徒に怖い目を向けないでくれよ」
「アナタの生徒ってだけで問題よ」
「おい、昴。お前、酷い言われようだぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか!!どう考えてもティーダ先生のせいで私まで変な目で見られてるんですよ!!」
そもそも、此処が何処なのかも未だに説明されていた。
海鳴の中でも随分と大きい屋敷というのは前々から知ってはいたが、普段はこの辺に来る事の無い彼女は、此処が海鳴の支配者の一つ、月村の屋敷である事など知る筈もなかった。
故に昴はとりあえず自分はティーダの生徒ではあるが、至って真面目な女子高生だという事を説明するのだが、
「海淵学園……そう、あの知性と礼節の欠片も無い不良高校の生徒ですか。ティーダにお似合いの場所ね」
逆に自爆している気分だった。
「おい、忍。昴と学校の事はどれだけ悪く言っても良いが、俺の事を悪く言うな」
そしてこっちも援護する気は皆無だった。
「うぅ、もう帰りたいよ」
「そう言うなって、お前みたいな低俗高校のもんが此処に来れるなんて一生に一度あるか無いかなんだぞ?どうだ、これで明日死んでも悔いはないだろ」
「あるよ!!私の人生設計では八十まで生きる予定なんだから!!」
「…………漫才を見せる気なら帰ってくれる?今日は忙しくないけど、アナタ達に付き合う気は全く無いのよ」
直ぐにでも二人を追い出したい忍だったが、ティーダの一言でそれを思い留まる事になる。
「なぁ、忍。最近、この街に変な連中が入ったって情報を聞いたんだが?」
無表情を通すつもりだったが、表情が微かに反応した。それをティーダが見逃さない。
「その件でちょっと相談があってな」
「……アナタからの相談なんてろくでもない事に決まってるわ」
「相談のついでに情報もくれてやるって言ったらどうする?」
確信する。
この男は自分がその件で頭を悩ませている事を知った上で交渉をしている。しかも、確実にこちらに入っていない情報を土産としているに違いない。
「―――――何を知っているのかしら?」
ソファーに腰を下ろし、ティーダと向かい合う。
部屋の空気が変わった事に、流石の昴も気づく。しかも、先程よりも何倍も重い空気に変わった。
「わ、私、席を外した方が良いですよね?」
「お前も此処にいろ」
「関係者なんでしょう?だったら、居なさい」
共に命令、逃げ場はなかった。
縮こまる昴を無視して二人は会話を開始する。
「まず、お前はこの街で起こっている事をどれだけ知ってる?」
「こっちから情報を出す気はないわ。今はね」
「だろうな……先日、俺の高校の生徒が死んだ。名前はリィナ・フォン・エアハルト。ドイツからの留学生だ」
「知っているわ。ニュースでも放送されていたしね。でも、その事件がこの件とどういう関係があるのかしら?」
忍の表情から、既に関係を知っていると読み取れるが、ティーダは気にせず続ける。
先日、ティーダが銀河に話した様に、まずフランケンシュタインの化物について。次にそれが空想の物語ではなく、真実に物語の可能性が高いという話。理由はネットに上げられた情報。ドイツの田舎町から発信された情報を調べた誰かの情報。そして、彼の知り合いである神沢の機関である【防神機関】からもたらされた情報。
そこまでの話を聞き終えた忍はティーダの情報を頭の中で整理する。彼女が持つ情報の中では、何日か前にこの街に異国の集団が入ったという情報。それが何処から来たのかは調査中だったが、ティーダの話から大体予想した通りだった。知らなかったのは、フランケンシュタインの怪物にまつわる話。その話から更に集団が何者かを知る手掛かりとして十分だった。
「つまり、アナタはその高校生の事件にはフランケンシュタインの怪物が関わってると思ってるわけね」
「まぁ、そんな所だな」
「フランケンシュタインの怪物……そこから連想できる組織は幾つかあるけど、特定するには情報が少なすぎる」
「そう言うと思ったから、コイツを持ってきた」
ティーダの視線の先には奇妙な袋があった。まるで人間一人が収められているような大きな袋。ティーダはこれを昴に担がせて月村家を訪れたのだが、これが何なのかはずっと気になっていた。
「それは?」
「証拠品さ」
ティーダが袋を開けた瞬間、鼻を刺す様な腐臭が部屋の中に充満した。昴は勿論、忍もその匂いに思わず鼻を押さえる。昴は中の物を知っているが、一晩おかれただけでここまで腐った匂いがするとは思っていなかったのか、若干涙目だった。
「中、見るだろ?」
「……此処じゃ駄目ね。場所を変えるわ。悪いけど……えっと、アナタ名前は?」
「昴です。中島昴」
「それじゃ、昴。その袋を持って私についてきて」
また自分が持つのかと嫌そうな顔をするが、なんだかこの女性に逆らうのは不味い気がして素直に従う。
「ファリン、すずかが返ってくる前に消臭をお願い……死臭なんて、あの子に嗅がせるわけにはいかないわ」
ファリンは忍の命に従い、部屋を出る。
忍とティーダの後を、袋を抱えて昴が付いて行く。
その間、昴の中で二人がどういう関係なのかを考える。そうじゃないと、自分が持っている袋の中身に恐怖して逃げ出しそうになる。
二人は知り合いの様だが、仲は最悪に近い様に思えるのは間違いない。そして、両方とも自分とは別の世界に生きているような暗い部分がある。特にティーダが神沢の何とか機関と関わっていたという事実が衝撃だった。
なんだか自分には酷く不釣り合いで、自分の首を絞めている様な状況に置かれている気がしてならなかった。
正直、今すぐ逃げてしまいたい。
それでも逃げないのは、自分も少なからず興味があるからだ。
クラスメイトの死と関係のある事実が自分の直ぐ近くにある。それを知る事が出来れば、事件の真相を追っている美羽とアリシアに教える事が出来るかもしれない――ただし、自分が素直に家に帰れたらの話だ。
映画みたいに秘密を知ったから消される、なんてパターンは心の底から勘弁してほしい。その点はあまり信用できないがティーダに任せるしかない。
ティーダ・ランスター、彼は一体何者なのか。
ティアナはこの事を知っているのか。
仮に知っていたとしたら、ティアナは危ない場所にいるのではないかと心配になる。
疑問と不安が次々と生まれるが、言葉にする事が出来ないまま、昴は屋敷の地下にある手術室の様な場所に通された。
部屋の中央に置かれた台の上に袋を置き、ティーダが袋の中を開ける。
中には死体があった。
死体は誰の目から見ても酷い有様だった。
皮膚は肌色とは呼べない色に変色し、幾つかの個所は腐り堕ちている。特に酷いのは顔であり、明らかに鈍器の様なモノで殴られ様に陥没し、元の顔がどうなっていたのかも判別出来ない。身体も同様に骨が折れているのか、関節が逆に折れており、まるで糸の切れた人形の様にさえ思える。
顔は判別不可能だが、身体は女性。
昴の記憶ではこの死体がティアナに化けた怪物である事は確かだったが、友人に似ている分、見るのが辛くなる。
「随分と酷く痛めつけたみたいね」
「自業自得さ。襲われたから襲いかえしただけだ」
忍は外科医が使用するような手袋をはめ、手にメスを持って死体の身体に刺し込む。
皮膚をメスで切除し、ピンセットで剥がす。
その光景には昴は若干の吐き気を覚えるが、何とか持ちこたえる。部屋から出るという選択肢もあるが、脚が地面と接着した様に固まり、動く事が出来ない。
「皮膚は人間そのもの……というより、人間の皮膚をそのまま使ってるのかしら?」
「もしかしたら死んだ人間を利用してるんじゃね?」
「なるほど。だとしたら、この腐臭も納得がいくわ―――これ、死後どのくらい?」
「昨日の晩……いや、今日に入ってからだから、死後十二時間以内って所だな」
「だとしたら腐敗が酷過ぎる。どう見ても死後二週間以上って感じだから……悪いけど、そこの機械を持ってきた」
ティーダが部屋の隅にある何に使うかわからない機械を台の傍に置く。忍は慣れた手つきで機械のスイッチを押すと、機械から奇妙な色の光が照射され、死体の皮膚に当たる。
機械に付いた画面に昴には理解できない文字の羅列と波形が表示され、忍とティーダはそれを興味深そうに見つめる。
「へぇ、死んだ後に何らかの処置をしてるみたいだな。冷凍保存とかか?」
「違うわね。身体の組織がどう見ても冷凍保存のパターンじゃない」
「なら、どうやってんだ?」
「知らないわよ。けど、見た目は死後数週間だけど……死後一カ月以上は経ってるわよ、この死体」
「死後一か月の死体ねぇ……にしては、随分と綺麗な死体だったな、コイツは」
「そうする事が出来る技術があるって事でしょうね。こんな事が出来るのは……駄目ね、絞り込むのは難しい」
画面から死体へと視線を移し、忍のメスが死体に差しこまれ、胸から臍にかけて一気に切り裂く。
「中身は随分と弄られる様ね。骨は残されてるけど、臓器は殆どない……」
とても身体の中を見る勇気は昴にはなく、死体に背を向ける事にした。その間も、聞くだけで身体が震えあがりそうな音が部屋の中に響き渡り、卒倒したくなった。
「すげぇな、完全にサイボーグだな」
「それも高性能な奴ね。趣味は最悪だけど、技術者としては作った奴に色々と聞きたくなるわ」
「それで、この系統から何かわかりそうか?」
「待ちなさい。アンタが酷く壊したせいで判別が難しいのよ―――これは、何の機関かしら」
胸骨の奥、背中に近い部分に青い球体があるのが目に入った。何の機関かはわからないが、忍はメスを置いて工具を手に持ち、慎重に青い球体を取り外す。取り外された球体を別の第の上に置き、観察する。
「…………これ、発火性の高い液体が詰まってる」
「発火性のある液体?なんでそんな物が――――いや、待てよ。そう言えば、コイツ以外の奴等はしばらくしてから急に燃えだしたな」
「燃えだした?どんな風に?」
「灰も残さずって感じだよ」
「だとしたら……なるほど、ちょっとこれを見て」
視線を再び死体に戻し、二人は身体の中にある背骨の部分を見る。背骨には青いコードらしき物があり、それが背骨を伝って首の向こうまで続いている。
「もしかして、これは脳まで繋がってるのか?」
「元々死んでるけど、脳までは死んでいなかった。もしくは脳に近い何かを持っていたかのどっちか。心臓は無いから、生存―――稼働の有無を判別するのは脳。脳の機能が停止すると同時にあの液体が発火して身体を焼く。証拠を残さない為の装置よ、これは」
「それじゃ、なんでコイツは燃えなかったんだよ」
「もうちょっと調べないと詳しい事はわからないけど、多分アナタがこの装置を起動させる部分を運良く壊したせいかもしれない」
「つまり、俺のおかげって事だな」
それから暫く、二人は死体の解剖と解体に集中する。その間、昴は吐き気に耐えながら立ちつくす事になった。
そして、死体解析を終えた三人は応接間に戻ってきた。
漸く解放された昴はソファーに勢いよく倒れ込む。
「あんな経験、二度としたくないよ……」
「ああいう経験も大人になるには必要なんだよ」
「いらないよ、そんな経験……しばらくお肉が食べられないかも」
「ダイエットになっていいじゃないか」
疲れ果てた昴に流石に同情したのか、忍はファリンに飲み物を持ってくるように言って、ソファーに座る。
「それで、アレで何かわかったのか?」
「えぇ、大体わね」
忍はノートパソコンの中に詰まっているデータの中から、先程の死体から得た情報に一致するデータを検索し、すぐに目的のデータが見つかった。
「アナタの知り合いの言う様に、アレがドイツから来て連中が持ち込んだモノって事は判明したわ。そして、それを誰が造ったって事もね」
画面を二人に見せる。
ティーダは画面を食い入る様に見つめ、昴は疲れてはいたが頑張って身体を起こして画面に目を向ける。
「製作者はコイツ、名前はヴィクター・フランケンシュタイン。フランケンシュタインってのは本名ではなく偽名。いえ、偽名というよりは通り名に近いわ」
「それじゃ、本名は?」
「本名は――――」




テスタロッサ家にて、昨晩の襲撃の後片付けが終ったのは真昼を過ぎた頃だった。
夜中の馬鹿騒ぎのせいで家の中も外も酷い有様だった。
庭は銀河と化物達が暴れたせいで一週間前に整備した芝生が無くなり、土がむき出しの状態だった。現在は雨が降っている為に庭を整備する事は出来なかったが、雨のせいで土が泥に変わってしまい、後日整備する事を考えて頭が痛くなった。
それ以上に酷い状態なのは家の中だった。
リビングの家具は修復不可能な状態になるわ、フローリングは化物が燃えて消えたせいであちこちが焦げるわ、壁に大穴が開いて外が見える始末。
そんな状態で出来る事は壊れた家具を廊下に運び出し、フローリングを磨き、壁の穴をシートで塞ぐ程度だった。もはや素人がどうにか出来る状態で無いため、業者を呼ぶ事を検討している。
一連の作業を何とか終らせた現在、プレシアは遅めの昼食を作る為にキッチンに入り、残された美羽は朝からずっと働き続けた身体を休ませていた。
「新井先生、お疲れ様です」
美羽とは対照的に汗一つ掻いていない銀河は涼しげな顔で労いの言葉を贈る。
「生徒会長さん、凄いですね……」
「あのくらいは普通ですよ。昴だってあのくらいなら私と同じ感じで終らせられますから」
「私には無理ですよ」
「私と新井先生とは鍛え方が違いますから。フェイトもお疲れ様、疲れて無い?」
「大丈夫」
フェイトも銀河と同様にまったく疲れの色を見せていない。美羽の倍は働いていたというのに、今はリニスを頭の上に乗せ、銀河のせいで犬小屋を破壊され家の中に入れられたアルフという変わった品種の犬を抱きしめている。
こうして見れば普通の女の子。とてもじゃないが、昨晩の活躍が本来の姿だとは思えない。
「フェイトちゃんも凄いですね……はぁ、私は全然です」
「生きてれば疲れるのは当たり前。私は死んでるから疲れない」
死んでいる―――その言葉が胸に突き刺さる。
フェイトは死んでいる。
どう見ても生きている少女なのだが、彼女は自らを死人だと言う。その原因はあり得ない再生能力故の言葉なのか、それとも別の理由があるかは知らない。しかし、死んでいるという言葉は、自らを卑下する様な言葉に聞こえてならない。
そんな美羽の想いを察したのか、銀河はフェイトの頭からリニスを抱き上げて彼女の隣に腰掛ける。
「フェイト、前々から言っていますけど、あんまりそういう事を言っちゃ駄目よ」
フェイトは何故と首を傾げる。
「死んでいるってのは良い言葉じゃないの。だから、フェイトが何時も言っている言葉は、他の人にはあまり気持ちの良い言葉には思えないの」
「でも、本当の事だよ」
「それでもよ。少なくとも、アリシアやプレシアさん、私達だってそうだけど、フェイトがこの場にいるって事が、フェイトが生きているって想える絶対的な証拠なの」
「…………」
「だから、軽々しく言っちゃ駄目。わかった?」
納得いかないのか、フェイトは少しムッとした顔をして銀河から顔を背ける。
「フェイト……」
「銀河のそういうとこ、好きじゃない」
「……はぁ、アナタも強情ね」
慣れているのか、銀河がそれ以上は何も言わず、美羽に向けて微笑みかける。
彼女はこういう子だが、わかってあげて欲しい―――無言でそう言っている様に思え、美羽もわかったと頷く。
そうしている内にプレシアが料理を作り終え、戻ってきた。
遅めの昼食を四人で取り、食後の一時に入れたのはそれから一時間後だった。
三人分の珈琲と一人分のココアを用意し、四人は漸く昨晩の出来事の話をする事が出来た。
「―――それじゃ、これからの事を話し合いましょうか」
口火を切ったのはプレシアなのだが、これからの事を話すといっても現在の彼女達の顔にあるのは困惑だった。
特に困惑しているのは美羽だった。
昨晩、この事件に関しては自分一人で追うと宣言したにも関わらず、プレシアはさも自分達の問題だと言っている様に聞こえた。その困惑が伝わったのだろう、プレシアは美羽に向かって優しげな笑みを向ける。
「家もこの状態だし、完全に他人事ってわけにはいかないでしょう?それに、あちらさんもきっと私達を敵と見ている可能性が高いだろうから」
「プレシアさんの言う通りですよ、新井先生。もうアナタ一人でどうにかするって言っても、どうもならない状況ですから」
銀河もプレシアに賛同する。もっとも、彼女の場合は元々事件に首を突っ込むつもりだったので、プレシアの意思に便乗したに過ぎない。
「フェイト、アナタもよ」
「……わかった」
興味が湧かないのか、それとも諦めているのか、フェイトはアルフの毛をブラッシングしながら頷いた。
「すみません、私のせいで……」
「ほんと、迷惑」
「フェイト!!……はぁ、ごめんなさいね、先生。この子も悪気があるわけじゃないの」
それはわかっている。
フェイトの意思は夜の内に聞いている。アリシアが首を突っ込んできたとは言え、フェイトからすれば自分の家族に危険が及ぶ事態は喜ばしくない。それでも既に家の中まで敵が踏み込んで来た現状、どう言っても巻き込まれる事を理解しているのだろう。
美羽は申し訳ない想いで一杯だったが、同時に心強いとも感じている。
敵、恐らくは事件に関係のある化物達は人を殺す事に何の躊躇もしない者達。そんな連中を相手に非力な自分が一人で真実を追い求めようとしても、あっさりと殺されるに決まっている。
「それじゃ、先生。悪いけど、もう一度エアハルトって子の事件の事を教えてくれるかしら」
「はい、わかりました」
美羽は自分の知ってる範囲で全てを答えた。その中でリィナが殺される前夜にエルクレイドルという女性と会っており、昨日の内に彼女から話を聞いたがまったく情報を得られなかった事を伝えた。
「私が知っているのは以上です」
「それでは、次は私の知っている事を」
話し終えた美羽に続いて銀河は手を上げる。
「え?生徒会長さん、何か知ってるんですか?」
「えぇ、一応は……これはティーダ先生からの情報なのですが―――」
リィナが殺された晩、恐らくは彼女が殺される直前に奇妙な者と会っていたという美羽の知らない情報だった。しかも、その相手がスノゥではなかったという時点で、その人物がリィナ殺害の容疑者としては最有力候補となる。
「その事は警察は知っているの?」
「それはわかりません。ティーダ先生の事だから、きっと面倒だとか言って教えて無い可能性が高いと思います」
「はぁ、あの人は相変わらずなのね」
呆れるプレシアは以前、三者面談でティーダに会った時の事を思い出す。あの時、ティーダはアリシアの成績やら進路やらを完全に放り投げ、人妻であるプレシアを全力で口説きに行っていた。
「ティーダ先生ですから。新井先生も気を付けてくださいね。あの人、女性なら誰でも口説きに行きますから」
「―――私、口説かれた事は無いんですけど……」
その言葉に銀河とプレシアが固まる。
彼が美羽に声をかけない理由が教育実習生だとか自分が担当するからだとか、そういう類で無い事は確実だった。
二人の頭の中に過った言葉を代弁するように、
「チビ、ペチャパイ……先生は子供扱い」
美羽のハートにフェイトの言葉が突き刺さる。
「フェイト!?ご、ごめんなさいね、先生。フェイト、お願いだから言葉を選んで発言してね?」
「どうして?本当の事だよ」
「良いから!!じゃないと、お小遣いカットするわよ」
「……ごめんなさい。気をつける」
若干、話が逸れてしまったが、プレシアは咳払いをして軌道修正をする。
「とりあえず、一番怪しいのは、殺された晩に会っていたっていう人ね。銀河ちゃん、その人の特徴は聞いてる?」
「いえ、変な恰好をした人という事しか聞いていません。すみません、もう少し深く聞いておくべきでした」
「誰だってこんな事になるなんてわからないわよ……となると、探すべきはその人という事になるのだけど……」
探すにしても情報が少なすぎる。ティーダに連絡を取ってしまえば楽なのだが、既に銀河は何度かティーダに連絡を試みているのでが、一向に彼が捕まる事はなかった。
幾ら限定された範囲しかない街とはいえ、人一人を探す事は困難だ。仮にその人物の情報が得られたとしても、警察と違って人数が少ない彼女達には厳しすぎる条件である事に変わりはない。
「あの、とりあえず、ティーダ先生が見た人の事を警察の人に伝えるべきですよね?」
「そうね。本来なら一般市民が関わる様な事件じゃないのだから、伝えた方が賢明ね」
「それじゃ、私の方から連絡しておきます。警察の方には何度かお世話になっていますから」
そう言って銀河は携帯を持って廊下に出た。
「八方塞ね。これがドラマなら向こうから勝手に色々と情報がこっちに流れてくるんだけど……」
「ドラマはドラマですから」
現実はフィクションの様に簡単ではない。
事件解決という終りは早ければその日の内に訪れるが、実際は長い。最悪、迷宮入りになって時効という結果すらある。
「困ったわね……」
「そうですね……」
二人は揃って唸る。
その様子を見ていたフェイトは不思議そうに首を傾げる。
「ねぇ、母さん」
「何かしら?」
「あのおじさんに聞けば良いんじゃないの?」
あのおじさん―――玉虫色の男。
「せっかく閉じ込めてるなら、直接聞いた方が早いよ」
フェイトの言い分はもっともだ。
玉虫色の男、ヴィクター・フランケンシュタインはこの家の中にいる。プレシアとフェイトの活躍(?)のおかげで彼は現在、テスタロッサ家の地下室に閉じ込められている。勿論、下手な事を出来ない様に拘束した状態で。
化物達の親玉らしきヴィクターなら何かを知っている可能性は高い。最悪、この事件の犯人が彼である可能性だってある。
「駄目ね。あの男、口を割る気がまったくないのよ」
「もう試したんですか?」
「えぇ、アナタ達が寝ている間にね。幾ら聞いても答えないし、拷問してやろうと思ったけど、そしたらアナタ達を起こしちゃうかもしれないからしなかったけど」
拷問という怖いワードに美羽は冗談だろうと苦笑する。
「冗談じゃない。母さんなら出来る」
母さんならやる、と言わないのは彼女なりの心遣いなのかもしれない。プレシアを見れば本当か冗談かもわからない笑顔を浮かべる。
「お恥ずかしながら、私も若い頃に色々とやってましたから」
一体、どんな過去があるのか聞くのが本気で怖くなった。
「と、とりあえず……あの人からは何も聞けなかったんですよね?」
「してみる?拷問」
「進めないでください!!」
「あら、残念。せっかく色々と準備したのに」
「怖い事を言わないでくださいよ……」
出来れば話し合いでヴィクターに口を割って欲しいのだが、あの男は確実にこちらに協力する様な事はしないだろう。話し合いに応じる様な者なら、自分達を殺そうとするはずがない。
結局、完全に手詰まりである事に変わりはなかった。
「これ以上、こんな状態で考えても事態の進行は望めないわね」
「確かにそうですね」
お手上げにならないだけマシだが、こうも状態が悪いと一度休憩を入れなければいけない気がしてきた。
「そういえば先生。昨日からずっとスーツのままですけど」
「あ、そうですね」
結局、アパートに帰る事が出来ずにテスタロッサ家に一泊してしまった。良く見ればスーツはシワだらけで、下着も昨日のままだ。
「一度着替えに帰られたらどうですか?」
「ですね……」
「念の為、着替えたらもう一度家に来て貰っても宜しいでしょうか?また連中が襲ってこないとも限らないので……フェイト、先生をご自宅まで送って差し上げなさい」
「うん、わかった」
そう言うとフェイトはちょっと準備してくると言って二階に上がった。それとすれ違う様に電話を終えた銀河がリビングに現れた。
警察にティーダから聞いた情報を報告し、警察もその人物に捜索を検討すると言ってきたらしい。そして、美羽が一度アパートに戻ると聞いて、銀河も一度家に帰る事になった。
「プレシアさんはお一人で大丈夫なんですか?何なら、一緒に行動した方が」
「大丈夫ですよ。昨日はお披露目する事が出来ませんでしたが、この家にはそれなりの装備がありますから」
どのような装備かは怖くて聞かなかったが、とりあえず何かあっても大抵の事は大丈夫だというプレシアの言葉を信じる事にした。




美羽達が出て行って数分後、プレシアは先程までの温和な表情を消し去り、凍りの様に冷たい表情に変わっていた。
娘と銀河、そして美羽には見せられない冷たく、冷徹な顔をした彼女は現在の自分達の置かれた状況を一人で考察する。そして、しばらく考えた後に地下室へと足を運んだ。
この地下室には、娘達ですら近づける事を禁止している。その理由は色々あるのだが、一番の理由は危険だという事だ。
階段を降り、鉄製の扉の横に設置された小さなキーボードに番号を打ち込む事で扉が開く。
扉がゆっくりと開き、まず最初に目付いたのはガラスケースに収められた銃器の数々。一般家庭は勿論の事、この街の警察ですら滅多にお目にかかれない高性能な殺傷能力を持った銃器の数々。これがあるから彼女は夫以外をこの部屋に入れる事を良しとしていない。もっとも、娘達は地下にこれがある事は知っているし、これがあるからと言って特に気にする様子はない。
ガラスケースは防弾性であり、これも特定の番号を打ち込めないと開かない仕掛けになっている。プレシアは慣れた手つきで番号を打ち込み、部屋の奥に置かれたケースが開く。
中に置かれていた銃器を何丁か選び、銃弾を装填。動作が問題なく行われる事を確認し、机の上に並べていく。
「出来れば、使わずに済みたいものね」
それは無理な事だと知りながらも、願わずにはいられない。
戦場は既に引退しているし、出来る事なら出たくはない。そういう仕事に関わる気はもう無い上に、関われば娘達にも被害が及ぶ。
自分は今の生活を気に入っている。
人妖隔離都市ではあるが、この街は以前に居た場所に比べれば何倍もマシだ。少なくとも、以前の場所よりは人死には少ない。
それでも覚悟は決まっている。
もう後戻りは出来ないだろう―――そう思いながら、プレシアは武器庫である部屋のさらに奥にある扉へと近づき、扉を開ける。
この扉にも当然番号による解除が必要なのだが、今はその必要性はない。
何故なら、この中にはヴィクターしかいないから。
いや、少し違う。
扉を開いた瞬間、むわっと漂う死の臭い。
部屋の中央に正座するように座っていたヴィクターは動かない。
身体、床、天井、全てを鮮血で濡らした状態で彼は其処にいた。

首の無い、死体となって

先程、プレシアは拷問でもするかと言った。それを美羽は冗談だと受け取ったが、あながち冗談というわけではない。それが必要な措置であるならば、幾らでもその行為を実行する気だった。
だが、今はその必要が無い。
「――――まさか、情報を聞きだす前にこうなるとは思ってもみなかったわ」
昨晩、プレシアは皆が寝静まったのを見計らって地下室に降り立った。だが、その時点でヴィクターの身体はこの状態になっていた。
首を鋭利な刃物で切断された様に、身体から首が切り離されていた。無論、それを行ったのはプレシアではない。大事な情報源をみすみす殺すはずがない。しかし、彼はどう見ても死んでいた。
いや、見た目は死んでいた―――と、言うべきだろうか。
改めてプレシアは首の無い彼の死体を観察する。
趣味の悪い玉虫色のスーツは、今や真っ赤な趣味の悪いスーツに変わってしまっているが、問題はその奥にある。血に染まったスーツを脱がし、シャツをナイフで切り取って身体を晒す。
其処には当然の様に彼の身体がある。
ただし、肌の色が違うという一点の違和感を残して。
ヴィクターの白人であるため、当然身体は白に近い肌の色をしているはずなのだが、彼の身体はどう見ても白人の物ではなく、アジア系の肌をしている。念の為、彼の全身を確認してみたが、やはり肌は黄色人種の肌をしている。
つまり、【首から上だけが白人】という奇妙な身体をしていた。
これが単なる死体すり替えのマジックであるなら簡単なのだが、それを此処でやる意味がない。そもそも、自分達はヴィクターを白人だと知っているので、身体を別の人種にしてはすり替えの意味がない。
だとすれば、考えられるのは彼の首に仕掛けがあるのだろう。
プレシアは改めて部屋の中を見回す。
この部屋には出口は彼女が入った扉以外には存在しない。同時に隠れる場所を与えない様にこの部屋には何も物がない。そして昨晩、彼女が部屋に入った瞬間、この部屋には隠れる隙間もないため、あるのは死体だけとなっていた。
「普通は逃げれないはずだし、誰かが入って彼を殺す事も不可能だった……ふふ、推理小説でも書けそうな設定ね」
現実的に考えて不可能だ。
だが、現実的とは所詮は思いこみに過ぎない。これが当たり前、こうなるのが当然と考えれば錯覚を生みだしやすくなってしまう。故にプレシアは現実的という言葉を忘れ、首の切断面を見る。
綺麗に切断されたのだろう。
標本の様に綺麗な状態で首を斬り取られていた。
そう、首は斬り取られていた。
「でも、肝心の【首が無い】ってのはおかしいわよね?」
何もない。
この部屋にはヴィクターの死体しかないのだが、足りないモノがある。
首だ。
白人である彼の首が、此処には無い。
身体だけあって首がない。
首だけ無くて、身体だけが残されている状態が奇妙さを物語っている。
「…………」
もう一度、彼の身体を見る―――そして、気づいた。
切断された部分のより少し下に穴があった。小さな穴であり、綺麗に横一列に開けられた穴は首周りを一周するように存在している。まるで縫合した糸を抜いた後の様にも見える穴の痕だったが、
「まさか、本当に縫合された痕だとでも言うの?」
ある仮説が出来あがる。
馬鹿らしい、空想ごとに等しい仮設ではあるのだが、仮説を真実にする為の材料は部屋の中にあった。
部屋の中の出口は一つだけ。
【人間が出入り可能】な出口は扉だけなのだが、【首だけなら出られる場所】が一つだけ存在する。
天井を見上げれば、其処には小さな通風孔。
血が部屋中に飛び散っており、天井の通風孔の蓋にも当然の様に血は付着していた。だが、その付着した部分に妙な途切れた跡があった。
まさかと思いながら彼女は隣の部屋から椅子を持ち出し、脚を乗せて通風孔に手を伸ばす。通風孔の蓋は軽く押すだけで外れ、蓋のあった部分に手を当てて身体を持ち上げる。
「――――嘘でしょう……」
通風孔は人の出入りなど出来ないはずだった。しかし、彼女の目に映ったのは通風孔の奥に点々と続いている血の痕。
最早、笑うしかない。
そして確信する。
ヴィクターは死んでいない。
彼はこの部屋から脱出したのだ。

自らの身体から首だけを【取り外し】、通風孔を通って外に脱出した。

「変な奴だとは思っていたけど、此処まで変だとはね」
賞賛しても良い、拍手しても良い。
「油断したわね……昨日の内に脱出したって事は、今頃は仲間の所に合流していてもおかしくないわ」
フェイトは美羽の護衛に付けたのは正しかったのかもしれない。脱出したヴィクターが仕返しに彼女を襲っても何ら不思議はない。
プレシアは血だらけの部屋を出て、扉に鍵を閉める。死体の片付けは何時でも出来るが、今は彼がどのような手で逆襲するかを考える。それと同時に、彼が何者なのかというのも最優先で知るべきだ。
それを知る為に、プレシアは銃器と一緒に保管されている通信機を取りだした。一見、携帯に見えるが、性能は現在の携帯の性能を遥かに上回る高性能の通信機。コレ一つあれば、世界中の何処にいても各国に連絡を入れる事が出来る。しかも、逆探知される事もなければ携帯の様に通話料を取られる心配もない。
携帯の中に保存されているダイヤルの中から目的の番号、周波数を確認して通話を開始する。
敵は死体の様な化物を作り出す異常者。
敵は首だけで動く事が出来る異常者。
敵はヴィクター・フランケンシュタインと異常者。
それを知る者がいるとすれば、彼女の知る限り一人だけ。
あまり連絡を取りたい相手ではないが、背に腹は代えられない。自体は一刻を争う事態になっているかもしれないのだ。
数コール鳴らした後に、目的の人物の声が聞こえた。
『――――これはまた、懐かしい人から連絡がきたものだ』
声の主は男。
久しぶりに聞いた事だが、気分の良いモノではない。
「久しぶりね、ジェイル。生きている事が憎たらしい声を聞いて、私は心の底から嫌悪しているわ」
『随分な言われ様だね……だが、構わない。久しぶりだね、ミス―――いや、今はミセスと呼ぶべきかな』
「どっちでも良いわ」
『そうかい。それで、君は元気にしていたかい?僕は元気だ。ロシアは寒いが、ウォッカが最高だよ』
「アナタが元気そうで私は最悪の気分よ―――でも、今だけは感謝してあげるわ」
電話の向こうからジェイルと呼ばれる男の気味の悪い笑い声が響く。
『君が僕に感謝とは……もしかして、何か問題でも発生したかい?旦那さんと仲が不味い展開になったとか、娘さんとの関係が問題だとか』
「夫とは今でも恋人気分だし新婚気分よ。娘達との関係も良好。そんな事をアナタに心配される筋合いは無いわ」
『なら、一体何用だい?僕もあまり暇じゃないんだ。なにせ、半分誘拐みたいな方法でロシアに連れて来られて、何時死んでもおかしく無い状態なんだ』
「それは残念ね。なら、死ぬ前に私の質問に答えて、それから死になさい」
この男の事だ、とうせ昔の様に趣味の悪い研究をして、趣味の悪い連中に目を付けられ、趣味の悪いモノを作らされているのだろう。そんな相手の事情など知った事じゃない。死んでも悲しむ気は無いし、出来ればこの先も一生ジェイルの事を思い出さずに済んで欲しいものだ。

「私の聞きたい事は一つだけ――――アナタは、ヴィクター・フランケンシュタインという男を知っている?」
『知ってるよ』

速答された事に若干の驚きを覚えながら、教えろと口にする。ジェイルは特に何かを要求する事もなく、ヴィクターの事を語りだす。
『ヴィクター・フランケンシュタインだね?あぁ、知っているとも。彼とは一年くらい前に会った事があるし、彼の研究もそれなりに興味深かったから、色々と調べた事もあった……それで、ミセスは彼の何を知りたいんだい?』
「アナタの知っている事の全てよ」
『それはまた随分と強欲だ。僕よりも強欲なのは良い事だ。その欲望はしっかりと守りたまえ』
「いいから、さっさと教えなさい」
ジェイルは電話の向こうで何かを探しているのか、ガサゴソと紙を漁る様な音をさせていた。
『えっと、この辺に……あった、あった』
ジェイルの探していたのは、先程言った様に彼の事を調べさせた報告書らしく、何度か紙を捲る音をさせる。
『まず、彼がどのような人間かと所からだが―――うん、最悪の一言だね。世界のあちこちで誘拐と人体実験を繰り返して、CIAやMI6にも目付けられている。日本では特に何かをしたっている経歴はないけど、日本人の誘拐なんかもしている可能性も高いと書いてある……』
「つまり、悪党ってことね」
『君と同じ様にね』
一言余計だが、何も言わないでおく。
『拠点としてドイツの田舎町を主として、その町に多額の寄付をする事で町を牛耳っているようだけど、これは彼がやったというよりは彼の先祖が行った事の様だ。そうそう、思い出した。彼の家系は遥か昔から人体実験を行ってきた根っからのマッドな一族だ。特に必死に行ってきたのは人工生命の製造と人体兵器の製造』
あの化物達がまさにそれだろう。
異形の化物であり、人体兵器、生物兵器と言っても過言ではない。
『人工生命に関してはかなり前に成功しているようだ。このレポートを作成した人物によれば、何でもフランケンシュタインの物語は彼の一族がモデルになった可能性が高いらしいよ。そういえば、彼もフランケンシュタインを名乗っていたね。ヴィクター・フランケンシュタイン、まさに物語の博士と同じ名前だ』
「それは知っているわ」
本人がそう言っていのだ。
「ん、ちょっと待って。名乗っていたって言ったわね、今……」
『あぁ、そうだよ。ヴィクター・フランケンシュタインっていうのは彼の本名じゃない。彼の名は確かにヴィクターだけど、姓はフランケンシュタインなんてものじゃない』
「それじゃ、彼の本名は何?」
『ちょっと待ってくれ。それは彼に直接聞いた事だから今、思い出すよ……えっと、なんだったかな……』
「思い出せないなら後で良いわ。それよりも続きを教えて」
『わかった。彼の一族は人工生命の製造に成功した。だが、それは完全ではなかった。人工生命は極端に寿命が短かったんだ。物語ではそれなりに長生きな設定だったけど、実際はそうじゃない。生み出された人工生命は長く生きても数年。その為、彼の一族は寿命を延ばす事を必死になって研究したが、今のところ成功例はなかったらしい。そして、そんな事を繰り返していたから当然研究資金が底をつく。僕の様に国から援助を受けているわけじゃないからね、彼は』
国から援助があると言う事は、ジェイルを雇っている、もしくは拘束しているのは国という事になる。彼の様なマッドサイエンティストに援助するなんて、最低以外の何物でもない。
『研究資金が底をついた彼等は仕方が無く人工生命に関する研究を停止させ、別の研究――開発に取りかかった、それは―――』
ジェイルが言う前にプレシアが口を開く。
「死体を兵器に転用する、ね」
『正解。これも彼の一族の技術なんだけど、死んだ人間の身体を弄って、人では無い兵器に転用する事で、彼等は争い事を生業とする人々に死体兵器を流したんだ。もっとも、買い手はかなり少なかったらしいけど』
「でしょうね。死んだ人間の身体を利用するなんて、誰だって嫌悪感を抱くわ」
『理由はそれだけじゃないと思うけどね。なにせ、死んだ人間っているのは基本的に脆いんだ。死んだ時点で腐るのは当然の理。一族が造り出した人工生命と同様に長く使う事は出来なかったってわけさ』
最大でも一個の死体は一か月しかもたない。
一か月を通過する事で死体は徐々に脆くなり、搭載した兵器との結合すら危うくなるという。その為、製造されて一か月経った死体は武器を取り除いて破棄され、次の死体へと移されるらしい。
「だとすれば、戦争ではあまり使いようがないかもね。戦場の死体なんて五体満足で残っている方が少ないから」
『その通り。だから買い手があまりいない。まぁ、苦肉の策で手足の千切れた死体に別の死体の部位を装着するって方法もあったらしいけど、それは逆に稼働期間を短くするだけだったらしいよ』
プレシア達を襲撃した化物は死体だ。
死者を冒涜する行為は、聞いているだけで吐き気がする。
『結果、動く死体兵器ですらまともな資金源になる事なく、彼の一族はどんどん小さく、みすぼらしくなっていったわけさ』
「それじゃ、ヴィクターは―――」
『今や、一族は彼一人と言っても過言ではないだろうね。彼も嘆いていたよ、自分の才能、自分の技術、それを受け入れられない凡人共が世界には多すぎるってね』
「自業自得じゃない、そんなの」
『同感だよ。おかげで、今の彼は単なる誘拐屋みたいな事を行いながら研究を続けているってわけさ。いやはや、一人で一族を守ろうとするなんて泣かせる話じゃないか』
こっちはまったく泣けない。
同情する価値も無い。
「―――――ジェイル、アナタの予想を知りたいわ」
『予想?』
「ヴィクターが日本に居るとしたら、それはどんな理由だと思う?」
『彼が日本にかい?そうだね……可能性として一番に挙げるのは、やっぱり人妖がいるからって事かな。自国でも人妖は多いけど、自国で探すよりも人妖隔離都市なんて街で大々的に宣伝している時点で、絶好の的さ』
確かにこの街に来る理由として一番に挙げるとしたら、人妖だ。
「でも、ジェイル。ヴィクターは自分の研究に誇りを持った奴なんでしょう?そんな奴が人妖に興味を示すのはおかしいわ」
『なるほど、それも正論だ。人妖は確かに研究者にとっては貴重な存在だが、彼はどちらかと言えば技術屋だ』
「でしょう?なら、アナタの一番の可能性は一番可能性が低いモノよ」
『認めよう。だとすれば、残った可能性は……』
彼が何者かはわかったが、肝心の彼の目的がわからない。
誘拐目的の可能性は低い。
誘拐目的であるならば、どうして彼はこの事件に関わる者を狙い、殺そうとするのか。人妖を誘拐する理由ならわかるが、殺しては意味がない。実験、研究をするのならば、生きている方が何倍も価値がある。
ヴィクター・フランケンシュタイン。
彼はこの事件の何を知っているのか。
何を目的として、彼は事件を嗅ぎまわる美羽を狙っているのか。
不可解な彼の行動から真実は隠させている。
悶々とした状態で悩むプレシアだったが、
『――――あ、思い出した』
「え?」
『思い出したよ、彼の名前。フランケンシュタインなんていう姓は偽名だって言っただろ』
ジェイルは口にする。
『彼の本当の名前は――――――』




美羽の住まう小さなアパートは古いも木造建てだった。
階段を登れば古びた鉄がギシギシと音を立て、扉を開ければ立て付けが悪いのか一度引っかかり、無理やり開けた際に金具と金具が擦れ合う音がする始末。
「……ボロだ」
「教育実習生じゃこれが限界だよ」
中に入ればやはりボロい。だが、一人暮らしの女性としては少々さっぱりし過ぎている気がする部屋の為、外のボロさに比べれば若干まともに見える。もっとも、ボロい事には変わりはないのだが。
「その辺に座ってて、すぐに着替えるから」
「うん、わかった」
そう言ってフェイトは座らず、部屋の隅に置いてある冷蔵庫を開く。
「なんで開けるの!?」
「なんとなく……でも、ちょっと想像と違う」
冷蔵庫の中は野菜にお肉に魚、卵に乳製品と麦茶とフェイトの想像する一人暮らしの女性のイメージとは違ってしっかりと自炊しているようだった。
「どんな想像をしてたの……」
「缶ビールとか、そういうの。だらしない大人だと思ってた……残念」
この子が自分をどういう目で見ていたのか大体想像する事が出来たが、これでも自炊はもちろん、家事全般はきちんと出来る。見た目通りの子供ではないのだ。一応は立派な大人、もう社会人未満。
そう考えると自分も少しは大人になったのだと実感できる。
「ねぇ、先生」
「なに?」
「一人暮らしって楽しいの?」
「楽しいかどうかはわからないけど、自分の力で生きていくって感じはちょっと新鮮かな―――だから、冷蔵庫の中を勝手に漁らないで」
「魚肉ソーセージ、もらっていい?」
「人の話を聞こうよ……いや、食べていいけど」
なんだか疲れる子だ。
無表情で魚肉ソーセージを黙々と食べるフェイトに疲れを覚えながら、動きやすい格好に着替え、旅行バックを取り出す。
これからしばらくテスタロッサ家に厄介になるのだ、ある程度の準備はしていかなければならない。仕事用のスーツに私服に寝巻、洗面道具に化粧品。残りは何が必要か考えていると、フェイトの視線が棚に向けられている事に気づく。
また、勝手に物色する気かと思ったが、よく見れば見ているのは棚の上に置かれた写真だった。
「それ、私が高校生の時の写真だよ」
「変わってない」
「うん、そうかも」
「身長とか体形が特に変わってない……身長とか体型とか」
「なんで二回言ったのかな?」
「大事なことだから……」
実際、あまり変わっていないのは事実。
身長も体型も昔と変わりはない。写真の中の今の自分が変わった所があるとすれば、髪をロングにした事と制服からスーツに変わった事くらいだろう。
「この人達は友達?」
「うん、そうだよ」
「……この人、銀河と同じ」
フェイトが写真の中に写っていた一人を指さす。
「他の人と違う服着てる」
確かに美羽の在籍していた学校の中で、彼の格好は一人だけ違う。男子生徒は黒だが、彼だけは白い制服を着ていた。確かにその色を見れば銀河と同じと言えるだろう。
「その人は生徒会長だった人だよ。一乃谷愁厳……私の先輩」
チクリと胸に小さな痛みが生まれた。
理解しているから、実感しているから、もう会えないとわかっているから感じる痛みは嫌でもそれが現実だと思い知らされる。
「どんな人だったの?銀河みたいな厄介な人?」
一体、銀河は普段からどんな人物だと思われているのだろうか。
「凄い人。凄くて、強くて、優しくて、カッコイイ人だったよ」
「……銀河と違う」
「生徒会長さんの事、どんな目で見てるの?」
「ノーコメント」
「そ、そうなんだ……」
時間が経ったのだ。
あれから時間は進んだ。
辛くもあり、苦しくもあり―――それ以上に楽しかった高校生活はすでに過去となった。あれから皆、それぞれの道を選んだ。自分の未来を自分で選び、自分の選んだ道を自分の手と誰かの協力を持って前に進んでいる。
自分もそんな一人だと思いたい。
だが、不安になる。
自分は、変わったのだろうか。
あの頃の自分と何か、大きく変った事が一つでもあるのだろうか。
実感も自信もない。
もしかしたら、自分はあの頃から何一つ変わっていないのかもしれない。
成長もせず、前に歩むこともせず、神沢から海鳴に生活の場を移しただけに過ぎないのではないか―――時々、そんな不安を覚える事がある。
「ねぇ、フェイトちゃん……私、フェイトちゃんから見て先生に見えるかな?」
「わかんない」
写真に興味が失せたのか、フェイトは写真から目を離し、仰向けに寝転んだ。
「そっか……」
「先生は先生なんじゃないの?」
教壇に立っているかどうかで教師になったかどうかなどわかるはずがない。
自分の知る教師と自分自身を比べて、当然自分が劣っている事など考えるまでもない。あまりにも未熟で、ちっぽけな存在だ。そして今は、こんな小さな子に守ってもらわなければ生き残る事も出来ないほど、脆弱な存在になっている。
変わっていない。
守られるだけで、何の成長もない。
「しっかりしなくちゃ、いけないのに……」
そう思ってどうにかなるのだろうか。
どうにかなる事を自分が出来るのだろうか。
少なくとも、この状況の自分に出来ることは【守る事】ではなく【守られる事】でしかない。
「ダメダメだよ、私……」
自分で自分が嫌になる。
教師は生徒を守らなくてはいけないのに、守る事すらできない。現に自分の手が届かなかった事とはいえ、一人の生徒が死んだ。その真相を知りたくて行動したら、今度は生徒を危険な目にあわせ、自分は守られる側に立っている。
弱くて脆い、何もできない自分は本当に教師になどなれるのだろうか。
「やっぱり、私には教師なんて――――」
無理なのかもしれない、そう思った時だった。
聞きなれない着信音が部屋の中に響く。
美羽の携帯ではない。
「私の……アリシアの携帯」
フェイトはポケットから携帯を取り出し、電話に出る。
プレシアだろうか、だとしたら早く準備を終えてすぐに戻らなければと、暗い思考を抱いたまま鞄に物を詰め込む。
「――――うん、わかった」
何かを話していたフェイトは携帯を美羽に差し出す。
「私?」
「うん、先生に代われって」
誰だろうと思いながら電話に出る。
「あの、もしもし……」
『―――――先生?ティアナです。ティアナ・ランスター』
「ランスターさん?」
電話の向こうから聞こえる声は自分の生徒であるティアナ・ランスターだった。
「えっと……急にどうしたんですか?」
『いえね、その後の進展状況はどうなったのか気になったもので。アイツには連絡つかないし、銀河さんも電話に出ないんで、もしかして面倒事になってるのかと思いまして』
「もしかして……心配してくれたの?」
『は?馬鹿な事を言わないでください』
辛辣な返事だった。
『先生が勝手に首を突っ込んだ事をどうして私が心配しなくちゃいけないんですか?それよりも、勝手に色々とやるのは勝手ですけど、教師が補習をサボるのはどうかと思いますね』
忘れていた。
確かに今日も補習があったのだ。
昨日の事が衝撃的すぎて完全に忘れていた。
「……すみません」
『私に謝られても困ります。まぁ、なんだかんだで自習って感じで楽できていいですけど……それよりも、そっちは随分と大事になってるみたいですね。フェイトも出てきてるようですし』
ため息を漏らしながら、電話の向こうで額に手をあてて頭を振っているティアナの姿が浮かぶ。
『先生、この際だから言っておきますけど、それで恥ずかしくなんですか?』
恥ずかしくないかと言えば、恥ずかしい。
『アリシアは勝手に先生に手伝ってるからいいとして、フェイトは完全に別ですよ。わかってます?あの子はアリシアの為なら何でもしますけど、その原因を作ったのはアナタです。アナタが良い歳して探偵ごっこなんてするから――――』
生徒に説教をされる情けない教師がいるだろうか―――此処にいる。電話を片手に無意識で正座しながら説教される生徒が此処に。
「ごめんなさい……」
『私に謝っても無意味ですよ。私は無関係ですし、そっちがどうなろうが知ったこっちゃありませんから……』
クラスメイトが死んだことに何とも思わないのか、という言葉が出そうになったが何とか止める事が出来た。此処でそれを言ったところで自分のしている事が正当化されるわけでもなく、まるで八つ当たりをするような気がしたからだ。
「――――私、本当にダメダメですね」
愚かに思えた。
滑稽に思えた。
これではまるでピエロだ。
頑張ると思っても、頑張るだけではどうにもできない事がこの世には無数にある。少なくとも、今の状況は自分一人でどうにか出来る事など一つもない。
何一つ、自分一人で解決できない。
生徒に、生徒の親に、生徒の家族に迷惑をかけるだけだ。
「ねぇ、ランスターさん……私は、教師失格ですか?」
『はぁ?』
「色んな人に迷惑かけて、自分一人じゃ何も出来なくて……ランスターさんの言うとおりです。私一人が勝手にやっている事にフェイトちゃんを巻き込んで、補習までほったらかしにして……はは、ダメダメですね」
『…………』
「言い訳になっちゃいますけど、こんな事になるなんて思ってもみなかったんです。ただエアハルトさんがどうして死んだのか知りたくて、自分の生徒の身に何が起こったのかを知らないまま、教育実習を続ける事が嫌だったから、ランスターさんの言うような探偵ごっこみたいな事をして―――そして、こんな危険な事になって」
もしもこれが神沢で起こっていたらどうだろう。
多分、自分は誰かを頼るだろう。
自分の知っている人達に、元生徒会の人達に助けを求め、どうにかしようとしていたのかもしれない。だが、此処は美羽の知る神沢ではなく、海鳴。
同じ人妖隔離都市でもまったく別の街だ。
頼るべき人、美羽が頼りたいと思える人が誰もない。唯一居るとすれば、恩師である加藤虎太郎なのだが、彼は先日諸事情で神沢に戻っている事を知っている。
もう一人、先輩であるトーニャも居るが彼女がまだこの街に居るかどうかもわからない。少なくとも、昨日の段階で連絡がつかない事だけはわかっている。
つまり、誰も居ない。
一人なのだ。
一人でどうにかすべきであり、一人でどうにもならない現状にいる。
本当に馬鹿みたいだ。
「勘違いしてたんです。自分の周りには頼りになる人ばっかりで、きっと何とかなるって本気で思いこんで……勘違いだって漸くわかりました。過去の私がどうにかなったのは全部、頼りになる人がいただけで、私だけでどうにかなる事なんて何一つとしてなかった―――私は、こんなにも無力なんですね……」
成長などしていない。
あの頃となんら変わりはない。
誰かと話す事も触れ合うことも恐れ、ぬいぐるみ越しでしか他人と話せなかったあの頃とまったく変わらない。変わったのはぬいぐるみがない事だけ。自分の口でこうした現実を口に出来るというだけの―――無意味な真実。
「ごめんなさい。ランスターさんのお友達を危険な目にあわせて」
謝ってどうにかなる問題じゃない。
非を認めて解決する問題でもない。
手を退く事も出来ず、退路すらない。
このまま、誰かに迷惑をかけ続けて、現実は解決する。
真相に辿り着くかどうかは不明だが、終わらせなければならない。そして、その時の自分はきっと誰よりも無様なピエロなのだろう。
「私……教師失格ですね」



『私……教師失格ですね』
電話の向こうから聞こえる美羽の言葉を聞いたティアナが一番最初に思った事は、
(うわぁ、うっぜぇ……)
で、ある。
何故か知らないが勝手にネガティブ思考になった美羽の弱音など、こっちは別に聞く気などなかったし、求めてもいない。なのに向こうが勝手にティアナの言葉をマイナスにくみ取ってくれたおかげで、なんだか自分が美羽を苛めているような気さえしてくる。
ティアナとしては単純に美羽とアリシアがどうなっているかを知りたくて電話しただけであり、そのついでにちょっとした愚痴を漏らしたつもりなのだが、それが上手い具合に美羽の心を傷つけてしまったらしい。
今すぐにでも電話を切ってしまいたいのだが、それも出来ない。別に美羽があんな状態で電話を切るのが忍びないとか、そういうわけではない。
「おい、ティア。お前、美羽ちゃんを苛めるなよ」
「そうよ、そうよ!!ランスターさん、最低~」
「俺は美羽ちゃんの味方だから、ティア、お前を許さん」
「落ち込んでる美羽ちゃん、萌える」
「ふっ、これも青春だ……よし、殴り合おうじゃないか、ティアナ」
「ティアちゃん、ちょっとSっ気強すぎ」
このように、ティアナを取り囲むように生徒達が電話に聞き耳と立てているのだ。
補習が教師のドタキャンという結果のおかげで自習となり、参加者全員が好き勝手に遊び呆けていたのだが、こんな時だけは一団となってティアナを批難している。
これでは完全に自分が悪者ではないか―――いや、多分悪者なのだろうが、どうも納得いかない。自分は間違った事は言っていないし、別段責める気だってなかったとも言えなくもない事もないのだが、周囲の美羽への謝罪を要求するオーラの前に段々苛々してきた。
美羽の言葉は続いていない。
このままでは、最悪教師を辞めるなんて事を言い出したら、さらに自分の立場が悪くなる。そんな打算あるにはあるのだが、それ以上に美羽の勝手な言い分にムカついているのも事実。
「――――先生、一つ良いですか?」
『……はい』
言葉を選ぶつもりはない。
この状態では完全に自分は悪者だ。
なら、それ相応の言葉をぶつけてやる。
「教師失格とか言ってますけど……先生は元々教育実習生であって、本当の教師ってわけじゃないですよね?だったら、その時点で教師失格とかいうのはおこがましいと思いますよ」
美羽のショックを受けた感じと、周囲の敵意を同時に感じる。
「アナタはまだ教師ですらない。違いますか?なのに、教師失格とか……笑っていいですか?」
『…………』
「私がアナタの事を先生って呼んでいるのは、立場上そう言っているだけです。ただの教育実習生風情が何を勝手に教師を気取って、勝手に落ち込んでるんですか?馬鹿なんですか?馬鹿なんですね」
周囲の敵意がさらに強くなるが、知った事じゃない。
ここまで言ったのなら、最後まで言ってやる。
「そういう台詞は教師になってから言ってくださいよ……大体ね、先程も言いましたけど、アナタの勝手な行動でこっちは迷惑してるんです。私は特に迷惑してないけど、他は迷惑してるんです。わかってます?教師未満のアナタの探偵ごっこはそういう風に迷惑を周りにかけてるんです」
少なくともせっかくの夏休みに暇を持て余している。
学生なのだからバイトとか遊びとか、そういうものが美羽のせいで出来ていない。アリシアは美羽を手伝っているせいで予定を合わせられないし、何故か昴は連絡がつかないし、兄も昨日から帰ってきていない。
「自覚があるだけマシですけど、これで自覚がなかったら単純に年上として幻滅します。いえ、最初から期待とかしてないから幻滅まではいかないかもしれないけど、近いものはあります」
『ごめんなさい』
「…………年下のガキに此処まで言われて悔しくないんですか?」
『でも、事実だから……』
小さな苛々が段々と大きくなる。
「自分一人で解決も出来ない癖に、勝手な事をして周りを巻き込んで―――アナタは馬鹿ですね、大馬鹿です」
この苛々の原因は彼女のあるに違いない。
だから、こう言ってやるのだ。
「アナタの言うように、アナタが今までどうにか出来たのは、アナタの周りにそういう人達がいたからで、決してアナタ一人の力でどうにかしてきたわけじゃない。それがわかっているのに、どうしてそんな軽率な行動が出来るんですか?」
『…………』
「黙っていても物事は解決しませんよ」
確かに人が死んだ。
自分の知っている、クラスメイトが突然命を落とした。しかも、それが明らかな殺人という不条理な現実があるのも理解している。だからといってティアナ自身の何かが変わるわけじゃない。誰かが変わっても、自分の中の何かは一つだって変わっていない。
自分には兄がいる。
幼い頃に両親を亡くし、たった一人の家族として自分を守ってきた兄がティアナにとって一番の存在だ。
兄の事が好きだ。
兄の事を愛している。
一人の異性として愛しているし、家族として愛しているし、世界中の何よりも愛していると言っても過言ではない。
故にそれ以外の事は二の次だ。
例え勝手に友人を自称している昴やアリシアだとしても、二の次の存在である事に変わりはない。そうやって自分は生きてきたし、これからもそうやって生きていくだろう。
決してぶれる事も折れる事もない、絶対的な存在がこの胸にはある。
「先生、アナタは今まで誰かに守られて生きてきた」
自分は美羽とは違う。
自分は守られるだけの存在は嫌だ。
だから努力もした。
努力して賢くもなり、強くもなった。
「それをわかっているのなら、アナタの選択肢は二つしかない。一人で勝手に頑張って自滅するか、諦めるかです」
それでも、
「それでも、それが嫌だって言うのなら……」
理解はしているつもりだ。
自分が努力しても、自分一人でどうにか出来ない事は必ずある。
そういう時はどうするべきか―――それを、自分は知っている。

「―――――どうして、助けて欲しいって言わないんですか?」

一人の力など無力だ。
どれだけ強大な力を持ったとしても、どれだけ万能に思える知識を持っていたとしても、その両方を持っていたとしても、一人であるならば無意味に等しく、無力に等しい事など知っている。
「自分の無力を呪うのは勝手ですけど、それで物事が解決するわけでも、前に進むわけでもないのはアナタが一番理解しているんですよね?アナタ一人の力じゃ出来ない事がある事を十分に理解しているのなら、アナタがするべき事は誰かを頼る事です」
最低な言い分だ。
こんな自分が口にして良い事ではない。
兄以外の者など、知った事ではないと言いながら、自分は困った時に誰かを頼るのは、きっと卑怯な事に違いない。
卑怯で最低な行為に違いない。
それを重々承知しているから―――こんな事を平然と自分は言える。
「私はアナタの事を知らない。今までアナタが頼り、アナタを助けてきた人の事も全然知りませんし、興味だってありません。けれども、その人達はアナタを助けてきた。それがどうしてかわかりますか?」
あのお人好し自称友人達は、自分が助けて欲しいと言えばきっと助ける。
如何に無理難題であろうとも、一緒に挑んでくれるだろう。
それを利用と自分は口にする。
それを友情と彼女達は口にする。
相反する二つが合わされば、恥ずかしい事に絆になる。
「アナタを助けたいと思った。そう思わせる何かがアナタにはあった。もちろん、それが頼りないとか、放っておけないとか、そういう感情だったかもしれないでしょう。でも、そうじゃないかもしれない。それだけじゃないかもしれない――――それが、【アナタだから】助けようと思えたのかもしれない」
馬鹿らしいだろう。
馬鹿らしい事に、自分はそんな彼女達の事を心の底では友人だと思っているのだ。口にはしないし、したくもないが、そんな存在だという事実。
あれだけ他人だ何だと言いながらも、結局はこの程度なのだ、自分は。
「そうして今までどうにかなって来たのなら、これはアナタの立派な力なんじゃないんですか?」
人妖は世界から拒絶された化け物。
化け物の居場所など世界には少ない。
化け物達は自らの身を守るために互いに身を寄せ合い、小さな街を作った。
人妖隔離都市と言われながらも、この街はそういう化け物達によって生まれた街だ。
一人の化け物は、一人の化け物と出会い孤独ではなくなった。二人の化け物は更に別の化け物と出会って集落を作った。集落に化け物達が集い、いつしか街になった。街は大きくなり、世界になった。
それは化け物だけの話なのだろうか。いや、違う。その現象は化け物だけの特権ではなく、化け物を化け物だと吐き捨てる様に言った人間達となんら変わりはない。
「本当の無力っていうのは、無力である事に甘えて何も解決できない事、何もしない事です。それなら、アナタの今までは決して無力なんかじゃない。だって、何とかしてきたんですから。無力だと知っているから誰かを頼るのは立派な力です。アナタという人間が持っている、無力とは程遠い力なんです……」
何時しか苛々は消えていた。
自分を取り囲む敵意も消えていた。
「自分の力を否定しないでください……否定したら、アナタがあの子の事を本気で想っている事実すら否定してしまう……それをしてしまったら、教師以前にアナタ自身が失格になってしまいます」
言いたい事はそれだけだ。
後は待つだけ。
否、ずっと待っている。
リィナが死んだ日から、今日までずっと。
不良ばかりの最低な学園の中で、つまらない補習を受けながらずっと待ち続けている。
お人好しの癖に、変にカッコつけて動かない怠け者達が、此処に屯している。



大切な人達がいる。
大切な仲間達がいる。
無力な自分を助けてくれる者達に囲まれて生きてきた自分は、無力な存在だとずっと思っていた。それを知りながらも皆の中に居る事に心苦しいと感じる事は何度もあったのを覚えている。
しかし、そう思ってしまう事は皆を裏切る行為なのではないだろうか。
自分がそれに相応しい存在なのかと尋ねられれば、即答する事は難しいかもしれない。自分に出来る事は少なく、無力に等しい存在とも言えるだろう。なら、そんな自分にどうして皆は手を貸してくれたのだろうか。
同じ生徒会だから。
同じ学校の生徒だから。
同じ境遇を持つ者達だから。
違う。
どれも、違う。
少なくとも、自分はそうは思っていない。
守られて、頼り続けてきた自分ではあったけれども、助けてくれるのならば誰でも良いというわけではなかったはずだ。
あの人達だから、頼れた。
あの人達だから、信頼できた。
あの人達だから、何とかしてくれると思えた。
利用していたわけでも、都合が良いとも思った事もない。
生徒会という仲間だったから。
学校のクラスメイトという友達だったから。
同じ境遇でも決してそれに負けない、絆があったから。
新井美羽という大した力もない自分でも、皆と共有できる何かがあったから。
だから、この道を選んだ。
あの世界を作り出せる人達がいる場所を見たくて、あの世界の空気が好きで、あの世界という最高の場所を知っているから、

教師という道を選んだ

今はまだ駆け出して、教師の卵でしかない自分は確かに教師失格など言える立場ではない。そんな事を言えるのは本当の教師になってからだ。おこがましい、馬鹿らしい、早とちりで自意識過剰な自信家の口にする事だ。
まだ自分はこんなにも無力だ。
けど、電話の向こうにはこんな自分に説教をする温かくて優しい生徒がいる。
誰かを頼る事を卑怯だというのなら、それでいい。
自分の手に負えない状況に誰かを巻き込む事が最低なら、それもいい。
新井美羽というちっぽけな存在に力があるのなら、その力はこう口にする事だ。
「ランスターさん……」
勇気を出して、自らを知り、自らの無力を噛み締め―――無力に抗う為の力。

「力を貸してくれますか?」

その言葉を聞いて、ティアナは無意識に微笑んだ。
まるでずっと待っていた言葉を漸く聞けたと安堵するように、聞けてやっと動けると心が軽くなり、熱くなる様に、力強く微笑んだ。
後ろを見れば、自分と同じように待ってましたと言わんばかりに笑う一同。
「……なんか、ちっちゃい先生が私達の力が必要だって言ってるけど……どうする?」
聞くまでもない。
皆が歓喜の声を上げるように叫ぶ。
その声はティアナだけでなく、美羽の耳にも届いた。
「―――――だそうですよ、先生。悪いですけど、補習は自習から野外活動に変更になりましたから、その辺の責任は先生が取ってくれるって事で良いんですよね?」
「勿論です。他の先生達への言い訳は任せてください」
「なら結構。自習で身体も頭も訛ってきた所なんでちょうど良いですね、これは」
現在の状況は後でティアナにメールし、何かわかったらすぐに美羽に連絡を行い、危険な事は出来るだけしないという事を約束し、美羽は電話を切る。
「フェイトちゃん、ありがとう」
携帯を受け取ったフェイトは心なしか呆れているように見えた。
「皆、結局はお人好し」
「うん、そうだね。皆、お人好しで……良い子ばっかり」
嬉しそうに笑う美羽を見て、フェイトも諦めたのか、それとも覚悟したのか、肩をすくめてため息を吐く。
「先生は本当に私達に迷惑ばっかりかけるけど―――良いよ、わかった」
協力する、とフェイトは口にする。
「良いの?」
「良い、報酬も貰ったから」
「報酬?」
報酬など渡した記憶はない。だが、フェイトは既に報酬は貰ったと言って冷蔵庫を指さす。それで彼女の言う報酬が何か察する事が出来た。
「あんなので良いの?どうせなら、ケーキとか奢っちゃうよ?」
「先生を守るだけなら、ソーセージ一本で十分」
「私、ソーセージ一本分の価値なんだ……」
「……今はね」
人々は動き出す。
一人の少女の死の原因を突き止める為に。
その先にある真相が如何なるモノなのか、誰も知らない。
だが、回り始めた。
歯車は回りだし、真実は少しずつ見えてくるのだろう。
真夏の蜃気楼でしかなかった真実を、その手に掴もうとする者達の手で。



次回『偽りな歯車』


あとがき
ども、散々雨です。
久しぶりの投稿です。この話の前に笑えない変な話がありましたが、そっちは気にしないでください(あれが僕の精一杯です)。
というわけで、どんどん原作キャラ離れが進行していますが、基本的に主役の連中に都合の良い展開が怒涛の勢いで進むんですよ……当たり前ですけどね。
さて、次回はいよいよ真相に迫る!!的な話なんですが、この時点でキャラ多すぎて収集つくか微妙になってきてますね、ほんとさ。



[25741] 【人造編・第八話】『偽りな歯車』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/04/05 05:19
何故、生まれてしまったのだろう。
自身の生まれに憎悪する。
自身の生まれに嫌悪する。
この醜悪な身体を心の底から軽蔑し、侮蔑に瞳を持って全てを呪う。
自身がこの世界に生まれ、疎まれる存在だと知った瞬間、自己の否定を開始する。
何度も何度も、自身を研究して解剖して解析して確認して、最終結果は最低の一言。
自身は最低の怪物だ。
人妖よりも劣る怪物に違いない。
ならば、生まれてくる意味などなかった。
生まれて良い権利など無かった。
生きて良い権利など神から与えられるはずがなかった。
当然だ、自身は神に刃向う冒涜によって作られた【怪物】なのだ。そんな怪物を必要とする者は神に刃向う愚者しかいない。
そう、神に刃向っている事にすら気付かない、愚者だ。
自身を憎悪する。
自身を作った愚者を憎悪する。
世界の全てを憎悪する。

それが、かつての【私】だった。




騒がしい街だ。
午前中から降っていた雨が止み、人々は傘をさす必要が無い事に喜んでいるのか、人通りの少ない場所ですら人々でごった返している。
主に若者、主に学生だろう。もうすぐ日も落ち、夜になるというのに、夜行性の動物を自称するように次々と街に現れる始末だ。
そんな事をするくらいなら勉強でもしていろとスノゥはファミレスの中から外の風景を傍観していた。
珈琲はこれで五杯目になるだろうか―――からこれ三時間以上、彼女はこうしてファミレスの中で外を眺め続けている。
人込みを観察するように、その中にいる何かを探るように、店員の奇異の目に気づかない程、ずっと外を見続けていた。
「……また、ですか」
視界に写る人込みの中に奇妙な存在を見つけた。
見た目は普通の人間となんら変わらない。ただし、それの目には生気というモノが存在しない。
まるで死人の様に冷たい瞳で何かを探すように周囲を見回している。
おそらく、あれも昨晩出会った怪物の一人だろう。
別に怪物を探しているわけではないが、こんな作業を続けている内に何度かあの存在を見つける事がある。最初は単にやる気のない人間かと思ったが、同じ感じの人間を何度か見ている内にそれが人ではなく、死人。
怪物の一人である事に気づく。
この街の中に、あんな怪物達が多く潜り込んでいる。
何かを探すように、人込みに紛れ、人を偽りながら街を徘徊している。
怪物は何を探しているだろうか。
怪物は何を目的としているのだろうか。
情報は少ない。
しかし、真実だけはわかっている。
真実の断片はこの手にあり、残る全ては怪物達が知っているのだろう。
直接怪物に聞いてみようかと思ったが、恐らく無駄足になるだろうと思い、止めた。あんな生気の欠片も無いモノにこちらの話がきちんと通じるはずもなく、最悪、無駄な殺しをするだけだ。
死者を殺すという矛盾だ。
「グールというには、些か奇妙ですわね……この世界も、中々に深いですわ」
などと思いながら、外の観察を続けていると―――目が合った。
「あら、これは奇縁ですわね」
偶然なのだろう。
外で自分を見つけた彼女は偶然、このファミレスにいる自分を見つけたに過ぎない。しかし、自分としても彼女には話を聞きたいと思っていた所だ。
スノゥは彼女に向って手招きし、彼女も頷いた。
これは偶然だ。
偶然を装った、必然だ。


最初、それがスノゥであるかどうか疑問を覚えた。
昨日会ったばかりの他人ではあるが、それ故に昨日の印象は未だに残っている。
スノゥ・エルクレイドルという女性の印象は、どこか冷たい印象が強かった。他人を決して自分の領地に踏み込ませない凍りの壁を作り、全てに背を向けて歩く事が常だと言わんばかりの印象だった。
しかし、今はそうじゃない。
「今日は違う子を連れているのですね……そういう趣味なのですか?」
開口一番、同性なのに心臓が高鳴る様な笑みを浮かべられ、驚いた。昨日の彼女は、決して自分達の前でこんな笑みは見せなかった。仮に見せたとしたら、それは嘲笑だったのだろう。
それが、今はこうした笑みを見せている。
はたして、彼女は本物のスノゥなのか。
それとも、本来のスノゥなのか。
勿論、彼女を良く知らない美羽に答えなど出るはずがない。
「別に趣味というわけじゃないです。この子も、私の生徒ですよ」
「生徒?」
スノゥは美羽の隣に立つフェイトを見つめ、首を傾げる。
「アナタ、何時の間に小学校の教師に?」
当然の疑問だろうが、説明するには面倒な話になる。そして、美羽の口からそれを語ってよいかも疑問だ。
だが、スノゥは直ぐに納得する。
「……なるほど、同一人物に近い存在という事ですか」
瞬間、フェイトの目に警戒の色が浮かぶ。
対してスノゥは珈琲を飲みながら、警戒される事に不満は無いという態度を見せる。
「あの、エルクレイドルさん……」
「とりあえずお座りになったらどうですか?他の皆さまにも迷惑でしょうし」
スノゥの反対側に美羽とフェイトが座る。
向かい合った三人の顔色は別々。
「何か注文します?」
余裕を見せるスノゥ。
「ええっと……それじゃ、紅茶を」
戸惑う美羽。
「チーズケーキ……」
スノゥに対して強い警戒を抱くフェイト。
店員に注文をして、店員が離れた瞬間を見計らい、スノゥが口を開く。
「新井美羽さん、ですたわね……美羽さんも随分と変わった子とお知り合いなのですね。正直、その子みたいに変わった【魂の存在】は久しぶりに見ました」
魂の存在という言葉に美羽は、当然の様に意味がわからなかった。それを察したのか、スノゥは自身の言葉の意味を伝える。
「魂―――この言葉は日本語の癖に、日本人はこの言葉を胡散臭いモノと取っているはずです。何故なら、人の目に見えない、あやふやな存在だからです。故に魂は時に心と同一のモノと考えられます……人が人である証拠、個人が個人である証拠。つまりは目に見えない個人情報であり個人証明に近いのかもしれませんね」
まるで教師が生徒に説明するような口調に、美羽は引き込まれ、警戒の色が強かったフェイトも少しだけ警戒を忘れた。
「魂に同一のモノは存在しません。似ているだけで同じなんてモノは存在しないのと同じように、です。当然ですわ、決して全てが同じモノなんてこの世には存在しない。大量生産された物ですら、一ミクロンまで同じなんて物は存在しない―――これを個性と呼ぶのも良いですね。人が個性を持つように、魂も個性を持つ。永遠と変わる事のない個性。私がスノゥであるように、美羽さんが美羽さんであるように……ですから、本来ならその子の魂も唯一無二の個性を持っている―――と、言えるはずなのですが、」
スノゥは言う。
フェイトの魂は変わっている、と。
「一つの身体に二つの魂……【二心同体】、といったところでしょうか。それ故に一つの魂に見えますが、実際は限りなく一つに近い二つ、といったところでしょうか―――アナタの魂は」
決して的を外していない言葉に、フェイトの警戒の色が再び強くなった。
「アナタはインチキ霊媒師?」
「インチキかどうかは知りませんが、単にそういうモノが見えるとだけ言っておきましょう」
魂が見える。
スノゥにとっては、これは事実以外の何物でもない。
スノゥの居た世界にもゴーストは当然存在するし、視覚する事だって可能。ゴーストだけじゃない、精霊だって当然の様に見える。
故に、人の意思以外、大抵は見える事のほうが多いのだ。
ならば、魂は人の意思に含まれるのではないかという疑問は当然あるのだが、それは魔法使い故、という言葉で誤魔化すことにする。
「私、実は魔法使いなんですよ」
「……インチキ臭い」
「えぇ、インチキ臭いですわね、確かに。でも、事実ですわ。そもそも、人妖なんて者がいるのですから、魔法使いが存在しても良いのでは?」
「まぁ、そうとも言えますね」
「先生は信じるの?」
「うん、一応ね」
魔法使いを信じないのならば、自分は妖怪を信じていない事になる。
美羽は本物の妖怪を知っているし、本物の神様だって知っている。もっとも、妖怪は自分の大切な友人であり、実際に化けている姿を見ているから信じているのだが、神様の方は未だに胡散臭いと思っている。
「あの、エルクレイドルさん……」
「スノゥと呼んでください。私が美羽さんと呼んでいる以上、それが対等というものですわ」
「それじゃ、スノゥさん。話の腰を折ってしまうんですけど、ちょっとお尋ねしても良いですか?」
「はい、構いませんよ」
スノゥとて、この話を続ける意味はない。
フェイトの事は単に珍しいから思わず口に出してしまい、なんとなくあやふやな説明をしてやったに過ぎない。スノゥにとっても別段、珍しい存在というわけではない。昨日会った女子高生と小学生が同一存在に近いなど、向こうの世界に行けばそれなりにいるのだから。
そして、話は昨日と同じ様に事件の話になった。
まず、美羽の口から語られたのは昨晩の襲撃の話。
ヴィクター・フランケンシュタインと名乗る奇抜な格好をした男。
その男が作り出した怪物に襲われ、何とか撃退した事。
「スノゥさんは大丈夫だったか心配だったもので……」
自分も狙われたのならば、スノゥも狙われている可能性が高い。美羽はフェイトや銀河が共に居てくれたおかげで難を逃れたが、スノゥは見たところ一人だ。
「そうですね……先程から街をウロウロしている死人になら、襲われましたよ」
二重の驚きだった。
一つは襲われたという事。
もう一つはあの怪物が街を徘徊しているという事。
「先生、気付かなかったの?」
「え?フェイトちゃんは気づいていたの……」
「うん、気づいてた。三回くらいすれ違ったよ」
そういう事は早く言って欲しかった。
そういえば、何度かフェイトが自分の右や左に移動する事があった。それは、その方向に怪物が居たという事だったのだろう。
「でも、向こうは手を出さなかった。気づいても無いみたい」
「そうなんだ……」
驚きの後は疑問が生まれた。
「奇妙ですわね、それは」
スノゥも同じ疑問を持ったらしい。
「美羽さんが死人に襲われたのならば、何故今回は襲わないのでしょうか?」
「昼間だから……いえ、これは関係ないですね」
他人の家に平気で侵入し、暴れまわる者にそんな些細な事を気にするはずはない。そもそも、怪物達に命令しているヴィクターがそれを気にするはずがない。
「それに、昨晩私を襲った死人は、私を襲う前に大量に人を殺しています。ですから、その気になれば街中で人に手を出す事も気にしないでしょうね。もっとも、気にする事が出来るほど、自我があるとは思いませんが」
そう言ってスノゥは外を見る。
「何かを探している、のかもしれませんね」
「探している?」
「えぇ、何を探しているかは知りませんが……多分、美羽さんと私を襲ったのは、何かを探す事への障害。もしくは、死人が探している【者】を見つけてしまう可能性があったから襲ったのかもしれません」
「私達が彼らの【探し物】を見つけてしまう、ですか」
「えぇ、【探し者】をね」
怪物は何かを探している。
だとすれば、ヴィクターも何かを探している。
その探しモノの中には確実にリィナの死の真実があるに違いないと推測できるが、
「むしろ、彼女の死の真実ではないのかもしれませんがね」
意味深な事を言うスノゥは外から視線を外し、二人に向かって言う。
「どうやら、アナタ達は私の知らない事を知っていそうですね。どうでしょう、アナタ達の知っている情報を私に教える気はありませんか?」
「ダメ」
フェイトが即座に却下する。
「フェイトちゃん?」
「この人、信用出来ない」
「……理由を聞いてもよろしいですか?」
「信用出来ない、胡散臭い、インチキ臭い……アナタは何か、企んでる」
「随分と酷い言われようですわね……根拠はあるのですか?」
「私の勘」
「勘、ですか。ふふ、どうも私はそういう勘で動く子供と縁があるようですわね」
何が楽しいのかわからないが、スノゥはフェイトの言葉に気分を害した様子は無く、むしろそれが楽しいという様に微笑んでいる。
「まぁ、アナタがそう言うのなら、私は手を引きましょう。勿論、アナタ達と手を組むという事から手を引くだけですが」
昨日、スノゥは事件には興味が無いと言っていたが、今はそうではないらしい。昨日と今日でどんな心境の変化があったかは知らないが、スノゥはスノゥなりに美羽と同じ様に真実を求めているらしい。
ならば、信じてみたいと美羽は思った。
「フェイトちゃん、私はスノゥさんには話しても良いと思うの」
「…………」
「心配してくれるのは嬉しいよ。でもね、スノゥさんだって私達と同じなんだよ。だったら、一緒に本当を知る方が良いに決まってる」
「先生、お人好しすぎ」
「それじゃ、フェイトちゃんは心配性だよ」
溜息を吐き、勝手にすれば良いとフェイトは不貞腐れる様に視線を外した。



私の生まれは、フラスコの中だった。
それが当たり前で、別におかしな事ではないと最初は思っていた。しかし、時間が経つにつれ、知識を得るにつれ、それがおかしい事だと知った。
人はフラスコの中では生まれない。
生物は親からしか生まれない。

怪物は、それ以外から生まれる。

怪物の意味すら知らなかった私は、怪物らしく生きた。
生まれた当初は知識を得る。
生まれてしばらくしたら、自身の力を知った。
生まれて一年後、人を殺した。
生まれて二年後、まだ人を殺していた
生まれて三年後、【金色の魔人】に出会い、何かが変だという考えが生まれた。
生まれて四年後、漸く自我を得た。
生まれて五年後、自身の愚かさを知った。
五年だ。
五年もの歳月を無駄にして、漸く私は人と怪物の差を知り、怪物である己を呪った。
あの【クラブ】と名乗る者達と【創造主】に言われるがままに人を殺し続けた私は、犬畜生にも劣る怪物だった。
怪物、私は怪物。
創造主によって首輪をつけられた、怪物。
外に出れば人を殺し、それ以外は地下室で過ごす。
ならば、私にとって外など存在しない。
外は地下室の延長でしかなったのならば、私は本当の外など知るはずもなかったのだ。
だから、私は知った。
この街を、海鳴という人妖隔離都市を。
元々、興味があったわけでも、行きたかったわけじゃない。とある理由で私はこの街に送り込まれた間諜であり、測定機でもあった。
高い壁に囲まれ、外との接触を許されない自分とは違う、別の怪物達の聖域。そこは聖域と呼ぶには冷たく、閉鎖的な雰囲気を醸し出していた。なのに、この街の人々はそんな事など忘れたように外と変わらぬ日常を過ごしていた。
最初は、それが堪らなく哀れに思えた。
この街から出れない、出る事を許されない人々が身を寄せ合って過ごしている日常は、怪物同士が互いの傷を舐め合い、慰め合っている様にしか見えなかったからだ。
此処には日常などない。
あるのは仮初の安息と、仮初の自由と、仮初の絆。
だから、私は何も期待はしなかった。
初めて手に入れた仮初の自由は、所詮は仮初の中でしか得られないのだと知り、向こうよりはマシ、前よりはまともだと自身に言い聞かせ、仮初の中に身を投じる。
しかし、そうしている内に変化を覚えた。
自身の変化ではなく、周りの変化。
正しく言うのならば、私と周りの温度差とでも言うのだろうか。
周りは笑っている。
仮初の中で笑みを零し、まるで自分達は仮初の楽園に住む怪物ではなく、何気ない、当たり前の日常に生きる人間の様に振舞っているようではないか-――――いや、違う。そうじゃない。振舞っているわけではない。ましてや、仮初という事を忘れているわけでもない。
周りにとって、彼ら、彼女らにとって、この街は仮初の楽園でも日常でもない。

当たり前の日常だったのだ。

最初は理解できなかった。
どうして皆はこんな仮初の自由の中であんなにも日常を謳歌する事が出来ているのか、理解する事が出来なかった。もしくは、私だけが理解できなかっただけかもしれない。
日常という当たり前すら知らず、暗い地下で過ごした怪物である私だけが理解できない、壁の向こうにいる様な感覚だったのかもしれない。
そうした想いに駆られ、気づけば私は皆との間に壁を作っていた。
高く、厚く、絶対に理解する事が不可能な壁を前にして、私は孤独を知った。孤独の意味を知った。孤独の辛さ、悲しさを知った。
怪物は怪物。
人妖は人妖。
同じ様に見えて、まったくの別物。
別の次元の存在。
あまりにも当たり前、あまりにも残酷な事実。
そうして私は、初めての自由の先に――――絶望を知った。
知った、つもりになっていた。




「―――――なるほど、随分と胡散臭い状態になっているのですね」
美羽は今の自分の現状をスノゥに伝えた。
スノゥが怪物に襲われたというのならば、彼女もヴィクターに狙われている可能性が高い。だったら情報を彼女にも与えると同時に、自分達と一緒に行動しないかと誘ってみたが、
「お生憎ですが、慣れ合うのは好みませんので、お断りしますわ」
「でも……」
「集団行動には昔からトラウマがありますので」
具体的に内容は言わなかったが、スノゥの表情を見る限り、心の底から嫌だという拒絶感を感じる取る事が出来た。
「わかりました……でも、何かあった場合は直ぐに教えてくださいね」
そう言って自分の携帯番号を教えようとしたが、それも拒否される。
「別に番号を教えたくないとか、知りたくないというわけではありませんよ、私、携帯持っていませんから」
このご時世、携帯を持っている人間がいるとは思ってもみなかった。小学生ですら普通に持っているモノを持っていない。ならば、彼女は普段、どのようにして相手と連絡を取っているのだという疑問が生まれる。
「別段、不便に思った事はありませんね。第一、携帯電話など無くても少し探せば電話ボックスもありますし」
「はぁ、そういうものですか……」
「そういうものですよ。便利だからと言ってそれに依存するのは現代人の悪い癖ですわ。便利だの不便だのの問題ではなく、単純に甘えて退化しているようなものですよ、実際は」
まるで自分は携帯など無かった世代に生きていた様な言い様だったが、見た目からしてスノゥはどう見ても美羽と変わらない年齢だ。もっとも、美羽は年齢よりも下に見える為、見た目の話ならスノゥの方が十分に年相応に見えるだろう。
「あの、スノゥさんってお幾つなんですか?」
「さぁ?」
わざとらしく誤魔化す以上、あまり深く聞いては失礼な気がした。男が女に年齢を聞くのは失礼だと言うが、同性であってもその点は変わらないのかもしれない。
「一応、アナタよりは年上だと言っておきますわ」
「それじゃ、オバサンだね」
「フェイトちゃん!?」
ぶすっとした顔でケーキを頬張るフェイトの言葉にも、スノゥは特に気にした様子もなく、ただ笑みを浮かべるだけ。フェイトの言葉で怒らない事に安心する一方で、フェイトがスノゥに向ける良くない感情のせいで、その内にどうにかなってしまわないか不安になる。
「良いんですよ、美羽さん。口の悪い生意気な子供の言う事に一々反応していては、疲れるだけですから」
訂正、どうやら既にどうにかなってしまっていた。
「子供なんてクソ生意気なだけで、別に悪意なんてありません。そもそも、悪意を持てない程、成長不足な知性しか持ち合わせていない社会的弱者相手に、私の気分が害される事なんて絶対にあり得ませんわ。えぇ、絶対に」
誰がどう見ても気分を害している様にしか見えない。
「あ、あの……スノゥさん?」
「ちなみに、私の一番嫌いなタイプのクソガキはフェイトさんみたいな、金髪のガキです。あ、大丈夫ですよ?別にフェイトさんが嫌いってわけじゃなくて、金髪のガキが嫌いなんです。特に勘とか言って相手に喧嘩を吹っ掛けてくるクソガキとか」
「……アナタも、喧嘩売ってる」
フェイトとスノゥの間に明らかなに良くない空気が生まれていた。
「あら?怒りました?ふふ、子供は怒りっぽくて嫌ですね」
「年取ると怒りっぽくなるってテレビで言ったよ、オバサン」
「はいはい、テレビ、テレビ。テレビでしか知識を得ないなんて滑稽ですわね。テレビの内容を信じるなんてお子様とお子様と同程度の知能しかないお馬鹿さんだけですよ?」
「怒るとシワが増えるよ、オバサン」
「シワは女性の勲章ですのよ?そんな事もわからないなんて、本当に嫌ですわね、お子様は」
「二人とも、その辺で……」
が、二人はまったく美羽の声を聞いていない。スノゥは綺麗な笑顔で喧嘩を売り、フェイトは無表情ながらもしっかりと瞳には怒りを抱いている。
「…………」
「…………」
無言で睨み合う二人の険悪な雰囲気が周囲に伝わったのか、他の客の視線が美羽達のテーブルに注がれる。
もはや、美羽は止める気すら起きず、いっその事、トイレにでも避難しようかと本気で思った。だが、それよりも先に馬鹿らしくなったのか、それとも自分のしている事が大人気ないと思ったのか、
「――――まぁ、今はこんな事で喧嘩している場合ではありませんね」
スノゥはあっさりと引いた。
臨戦態勢に入っていたフェイトは、納得のいかない顔をしているが、相手が引いた事で無意味な事をしてもしょうがないと悟ったのか、無言でケーキを食べるのを再開する。
とりあえず収まった事にほっとする美羽だが、この二人は絶対にウマが合わないのだろうと確信する一方で、案外自分の友人である狐とトーニャの様な関係になるかもしれない―――そんな気もしていた。無論、あくまで気がするだけだが。
「それで、美羽さん。この後はどうするつもりですの?」
「この後?」
「この件について、どうするかという事ですわ。まさか、何の策もないとは仰りませんよね?」
いきなり話を元に戻されていた。
「策ってわけじゃないですけど……私が受け持っているクラスの生徒が今、エアハルトさんが会っていた人を探している最中です」
「あぁ、夜遅くに会っていたという方ですか……」
現状として、リィナを殺した容疑者の最有力候補はその人物だろう。男か女、年齢すらわからない相手を見つけるのは困難だろう。警察も動いている中、学生が先にその人物を見つける事が可能なのか不安であるが、生徒達を信じるしかない。
「はたして、見つかるものなのでしょうか……」
「大丈夫だと思います。あの人達は、私と違って凄いですから」
色々と問題はあるが、それを含めて皆の能力の高さを美羽は知っている。
この街の中だけなら、警察よりも街を知り尽くしていると言っても過言ではないだろう。
「いえ、そうではなくてですね」
気のせいだろうか、スノゥの態度が妙に冷たくなった気がした。現に彼女の視線は昨日よりも冷たく、何かを確信した様に美羽を見ている。
「私が言いたいのは、単純に最初から間違った認識で事を進めて、犯人が見つかるモノなのか―――という事ですよ」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですわ」
そう言ってスノゥは珈琲を啜り、
「間違った認識。今回の場合で言うのならば、容疑者を探すという認識です」
何が言いたいのかわからないが。何故か嫌な予感はする。
「わかりませんか?それともわからないフリをしているのですか?」
流石にフェイトも奇妙だと思ったのだろう、食べる手を止め、スノゥを見る。
顔の前で手を組み、スノゥは射抜くような目線で美羽を見つめ、
「美羽さん、私は最初から怪しい人物を知っているのですよ」
知っている。
犯人を、知っている。
その言葉に驚愕したのは当然だろう。
「誰ですか、誰なんですか!?」
思わず大きな声を出してしまったが、そんな事を気にしている余裕はない。今、目の前に真実に繋がるモノがあるのだ。これで落ち着いていられるわけがなかった。
だが、
「―――――ふふ、ふふふ……」
嗤っていた。
スノゥが、美羽を見て、滑稽だと嗤っていた。
「スノゥ、さん?」
「美羽さん、アナタの生徒さん達は絶対に真実には辿り着けませんわ。仮に、彼女が夜に会っていたという方も見つけられても、それは単なる仮定の過程であり、真実への過程にはなりません―――どうしてかわかりますか?」
わかるはずがない。
そもそも、スノゥが何を言いたいのかもわからないからだ。
「答えは簡単――――【犯人から犯人を探せ】と言われて探した時点で、既に間違う事は確定しているからです」
思考が停止する。
言葉が出ない。
スノゥの嗤った顔が、歪んで見える。
魔女の様な顔で、美羽を指さし、スノゥはこれが真実だと口にする。

「美羽さん……アナタが、犯人です」




私の失望は続いていた。
周囲の幸福な顔が私にとっては苦痛だった。
苦痛、苦痛、苦痛――――初めて、死んでしまいたいとさえ、思えた。
何故、皆は幸せな顔が出来るのだろうか。
何故、こんな檻の中で幸福を感じる事が出来るのだろうか。
私が怪物だからわからないのだろうか。それとも、怪物は幸福を感じる事が出来ないのだろうか。最初からそんな性能は無かったのだろうか。幸福を知る性能も、幸福を得る性能も、私は最初から持ち合わせていなかったのだろうか。
積み重なる自分と周囲の絶望的な壁を感じ、私は苦痛に苛まれ続けた。
このまま私は苦痛と絶望で頭がおかしくなってしまうのではないか、そんな恐怖すら覚えた。でも、私は狂う事すらなく、狂う事すら許されず、地獄の様な日常を繰り返し送る事になった。

そうした毎日を送る最中、私は彼女と出会った。

出会ったという表現は些かおかしい。何故なら、彼女は最初から私の近くに居た。
同じ学校で、同じクラスで、私の席の隣に彼女は居た。
彼女は私と違って怪物ではなかった。無論、人妖ではあったが、私の様な醜悪な能力を持っているわけはなく、二心同体という奇妙な力を持った普通の少女だった。
そんな彼女が私に何かをしたというわけではない―――普通に会話をしただけだ。
思えば、こんな風に誰かと話す事はあまりなかった。クラスの中でも私は一人だけ異国から来たという事で、この国の言葉を喋れないという印象が強かったのだろう。勿論、私はこの国の言葉を話す事は出来る。ただ、自分から喋らなかっただけだ。
授業の時も片言の様にこの国の言葉を話していたのも、そう思われる原因に一つとして強いのだろう。別に好きでそんな話し方をしていたわけでもない。最初から流暢にこの国を言葉を話す事は、無意味に目立ってしまう可能性があると思ったからだ。
私は間諜であり、測定機。
無駄に目立っては意味が無い。
だが、この時の私は迂闊にも普通に喋ってしまった。
私が普通に喋っている事に彼女は驚き、どうして教えてくれなかったのかと怒りだした。当然、私は戸惑った。喋らない事を教えなかったつもりはない。単に話さなかっただけなのに怒られるのはなんだか理不尽な気がした。
それから私は彼女と話した。
真実は言えなかったが、色々な事を嘘と一緒に話した。そうしていると、気づけば彼女の友人が一緒になって話していた。クラスの中では珍しい人妖じゃない少女と、兄が大好きなちょっと変な少女の二人。
数は日に日に増えていき、気づけば私と話す生徒は多くなった。
向こうから話しかける事もあれば、私から話かける事もあった。
そうして私は彼女を知り、彼女達を知り、皆を知って、人間を知った。
時に笑い、時に怒り、時に泣いて、時に嬉しくなる。
時間が進めば進むほど、私は忘れていった。
自分が怪物であるという事を。
自分が人とは違うという事を。
自分の負の想いが何時の間にか忘れてしまうほど、綺麗さっぱりと消えていた。
なんだ、こんな事で良かったのか―――私はその時、少しだけ可能性を知った気になっていた。
醜悪な怪物が、人間になれるかもしれないという、お伽話の様な―――ちっぽけな可能性。
なら、そんな可能性など抱かなければ、私は幸福という苦痛を知らずに済んだのかもしれない。




スノゥの視線の先に犯人らしき者はいない。
彼女の視線の先にいるのは自分だけ。
それでも左右を見て、後ろを見て、もう一度スノゥを見ても、彼女の瞳に映るのは自分以外は居ない事に美羽は気づく。
「……スノゥさん?」
「アナタが犯人ですよね、新井美羽さん」
聞き間違いではない。
彼女は自分の名を言っている。
そして、自分が犯人だと言っている。
「冗談……ですよね?」
「生憎、此処は冗談をいう場面ではありませんので」
否定はしてくれない。
美羽が否定したい事を否定しはしない。
タチの悪い冗談にしか聞こえない。
どう聞いても、どう考えても彼女の言う事は冗談以外の何物ではない。
美羽は知っている。
自分が彼女を殺していない事を、何よりも自分自身が知っている。そして、例え自分が何時の間にか二重人格になっていたとしても、自分の生徒を殺す事は絶対にあり得ない。
「私は……殺してません」
「犯人は皆、口を揃えてそういうモノですわ」
「殺してなんかいません!!」
他人の目など関係ない。
これは絶対に否定しなければいけない事実だ。
「どうして私がエアハルトさんを殺さないといけないんですか!?」
「知りませんわ、そんな事。人が人を殺す理由なんて十人十色、小さな嫉妬から大きな恨み。時には意味もなく人は人を殺しますし、大きな目的の小さな犠牲として人は殺されます。だから、アナタの動機なんて私の知った事ではありませんよ。ですが、適当に想像するなら、不良高校の生徒に嫌気が差して殺した―――これで十分なのでは?」
「そんな理由で生徒を殺す教師がいるはずありません!!」
「そうでしょうか?私の知る教師―――師は教え子が気に入らないというだけで一生モノの呪いをかける始末です……教師とて一人の人間。時には人を殺したいと思う事もあるでしょう」
偏見に満ちた答えに反論するだけ無駄だと思えた。
なら、自分が犯人だという証拠を見せてもらうべきだ。
あるはずがない証拠。
自分が犯人でない事を知っている以上、でっち上げで無い限り、確実な証拠が存在するはずだ。
「―――証拠はないですわ。証拠はありませんが、推測は出来ます。ただし、これは推理ではなく、推測です。Aがこうであれば、Bはこうなる。Aがこうならなければ、Bはこうなる。その程度の話です」
「…………」
「今、この辺りには死人が徘徊しています。理由はこの事件の関係者を次々と襲っている点から見て、関係者の始末か、犯人らしき者の始末といったところでしょうね。ですが、これはこうも考えられませんか?彼等は今回の事件に関係あるように見えるだけで、実際は何の関係のない者達かもしれない」
「それは無いはずです。ヴィクターって人はこの事件を嗅ぎまわる人、都合の悪い人を消すって言ってました」
「それだけですよね?」
「それだけ?」
「えぇ、それだけ。その方の言い方は普通に取れば事件の関係者として思われてもおかしくはありません。もしかしたら犯人かもしれない。重要な事を知っている参考人かもしれない―――しかし、それはあくまで【そう思っているだけ】なのではありませんか?」
スノゥは言う。
「その方は事件の前から関係ある人物ではなく、事件の後から関係に含まれたという風には考えられませんか?もしくは、アナタが関係あると思わせたのかも知れませんが」
つまり、スノゥは自分がヴィクターの存在を都合よく利用し、彼を犯人として断定させようとしている―――どう言いたいのだろう。
「アナタは彼女を殺した。しかし、彼女を殺した後に死人達が現れた。それをアナタは利用した。事件を嗅ぎ回る者を消すという言葉から、さも死人達が彼女の死に関係のある者と思わせ、終いには死人達を犯人にしようとしたのではありませんか?」
美羽の想像通りの答えだった。
確かに怪物達の目的は不明。事件に関係のある者達を消そうとしている点以外は、ほとんどわからないと言っても過言ではない。ならば、わからない事を利用する事で真実を別の方向に向ける事も可能となる。怪物達はリィナの死の前に現れたのか、後に現れたのかもわからないのならば、死の前に現れた事にすればいい。
そうすれば、怪物という明らかな悪意ある存在を一番の犯人候補にする事が出来る。
「まぁ、それ故にアナタが命を狙われる羽目になったのはミスと言えばミスになりますが、それはしょうがないでしょう。アナタは自分が疑われない為に犯人を見つけようなんて行動をしてしまったのですから」
「……私が、自分に捜査の目を向かせないようにエアハルトさんの死を探っていた、そう言いたいんですね」
「えぇ、その通りです。だからアナタの生徒さん達も無意味な行動をしている。犯人から別の犯人を探せと言われたら、必然的に犯人は助かり、犯人は捕まらない。もしかしたら、彼女が会っていたという方が見つかったら、勘違いで捕まる可能性を望んでいたのでは?」
「アナタの言っている事は、全部想像じゃないですか……」
「えぇ、想像であり推測です。しかし、現状で一番怪しいのは死人達よりもアナタです。正義感か義務感で生徒の死を探ろうなんて考えを起こす教師はいませんので」
証拠など無い。
美羽が犯人だというスノゥの推測は穴だらけだ。
ならば、最早それは推測ですらない。
言い掛かりに等しい行為だ。
「……行こう、フェイトちゃん」
これ以上、一緒にいる事は出来ない。
自分でも驚くほど、美羽はスノゥに対して怒りを抱いていた。まさか自分が此処まで他人を嫌いになれるとは思ってもみなかったが、教師を志す自分が、自分の生徒を殺したなどと言われて、腹が立たない筈がなかった。
「逃げるんですか?」
「違います。ただ、これ以上アナタと一緒に居たくない―――それだけです」
席を立ち、伝票を掴んでレジへと向かおうとする。
「―――実は、一つだけアナタ達に嘘を吐いていました」
そう言うと、スノゥはある物を取りだした。
白い携帯電話。
携帯を持たないと言っていた彼女の手には、しっかりと携帯が握られていた。それが何を意味しているかはわからないが、嫌な予感がした。
その予感は的中した。
「――――新井美羽さんですね?」
美羽を行く先を遮るように、二人の男が立っていた。
スーツを着た若い男と初老の男。
男達は懐から黒い手帳を取り出し、突きつける。
彼らが、警察官である証。
「警察の者です。申し訳ありませんが、リィナ・フォン・エアハルトさん殺害の件で、御同行を願います」
まさかと思い、スノゥを見る。
「良かったですわ。今日一日、アナタが此処を通るのをずっと待っていました」
美羽を見つけ、ファミレスに招き入れた時点で警察に通報していたのだろう。そして警察が到着するまでの間、美羽をずっと此処に留まらせた―――スノゥは最初から自分を警察に突き出すつもりだった。
「私は……殺してない……」
「それは警察の方が調べてくれますわ」
「違う……私は――――」
男は美羽の手を掴む。
「詳しい話は署で聞きます」
「御同行を……」
違うのだと信じて欲しいが、男達は美羽の言い分など聞く気は無いように無理矢理に外に連れ出そうとする。フェイトが美羽を助けようと動こうとするのを見て、
「駄目ッ!!」
美羽は咄嗟にフェイトを止めた。
此処でフェイトが警察に手を出せば、彼女が捕まる事になってしまう。子供という事で見逃してもらえる可能性はあるが、自分のせいで彼女をそんな目に会わせるわけにはいかない。
「私は大丈夫だから……」
「でも……」
「大丈夫、本当に大丈夫だから」
半分自分に言い聞かせる様な美羽の言葉に、フェイトは身を引いた。その代わり、まるで他人事だと言わんばかりに珈琲を飲むスノゥを睨みつけた。
「やっぱり、アナタは嘘つき……」
「ふふ、だとしても遅すぎですわね。あの時点でさっさと外に出ていれば、美羽さんが捕まる姿を見なくて済んだのに」
警察に連れられていく美羽を前に、何も出来ない自分に腹が立つ。だが、それ以上に腹が立つのはスノゥだ。推理でも推測でもない適当な事を言って、美羽を警察に引き渡した事を許せるほど、フェイトの心は広くない―――むしろ、心が狭い事を自負している。
せめて、一発殴ってやろうと拳を握りしめた―――その瞬間、スノゥは呟いた。

「――――ほら、釣れた」




当たり前の日常。
誰も殺さない、誰も傷つけずにすむ日常。
これが私にとって当たり前と思える日常になった。
ただ言葉を交わすだけで幸福を得られる。
ただ共に笑い合えるだけで幸福を得られる。
ただ共に居るだけで、今までの自分が如何に愚かだったのかを実感するほど、幸福を得られる。
心の底から大切だと思える日常が、此処にはあった。
こんな日常にずっと留まる事が出来れば、自分は何時の日か人間になれるかもしれない。クラスメイト達に負い目も感じない、まっとうな人間に。
でも、そう思っただけで日常に留まろうとしている自分が愚かに思えてきた。この日常は確かに綺麗で温かい、大切なモノだ。けれども、綺麗だからこそ、自分という汚れた怪物が住まう事が許されるのだろうか。許されて良いモノなのだろうか。
過去は私に付き纏い続ける。
過去にしたいと願い、これ以上の愚かな行為は止めたいと願いながらも、未だに過去が私に圧し掛かり続ける。
過去である癖に、現在を食い破らん程の脅威で私を蝕み続けている。
こんなのは嫌だ。
こんな現在は嫌だ。
私の現在はこんなにも幸福なのに、どうして過去に怯えて過ごさなければならないのだと、理不尽にさえ思えた。しかし、それがどうしようもない事である事も理解している。この身は怪物だ。人と触れ合い、人の様に振舞えたとしても、この身に宿る怪物としての機能は絶対に消える事はない。
幸福と恐怖の板挟みに苦しめられながら、私の日常は続いていく。
続いて、続いて―――何時の日か終わりを迎えるだろう。

――――嫌だ!!こんなのは嫌だ!!

こんな事で終わるのは絶対に嫌だ―――嫌なのに、それをあっさりと受け入れられる自分を知り、絶望は大きくなる。
何時かこうなる事はわかっていたはずなのに、私は幸福を求めた。不幸にも幸福を求め、不幸にも幸福を得て、不幸にも幸福に包まれてしまっていた。
友達。
クラスメイト。
そして、最近出会った小さな先生。
終わりたくない。
でも、終わらせなければならない。
別れたくない。
でも、別れなくてはならない。
そして、それ以上に私は過去には戻りたくない。
私は怪物だが、怪物のまま一生を終えるのは嫌だ。死んでも嫌だ。あんな過去に戻るのならば、最初から生まれなければ良かった。生まれてきたくなど無かった。
私は天秤に掛けた。
現在と過去。
友達と過去。
幸福と過去。
答えは、結果は―――過去を選ぶ事など無かった。
私は過去を切り捨てる。
逃げられなくても、過去なんて捨ててやると決めた。
大切な人達と共に居たいから、過去を捨てるのだ。
その為には、

過去と一緒に―――己も捨てなければならない





最初、ソレに気付いたのはファミレスの店員だった。
何やら揉めている迷惑な客を注意しようと近寄った時、ふと窓の外に視界がいった。特に意味があったわけではなく、なんとなく視線がそこにいったに過ぎない。
窓の外、揉めている客を見る様にソレは立っていた。
外は既に夜になっている。
夜の闇を街の光が照らしているとはいえ、ソレが何かはっきりと視覚する事が出来る程、明るいわけじゃない―――だというのに、店員にはソレがはっきりと見えていた。
まるで死人の色を持った、ソレを。
背の高いソレを見た瞬間、店員の顔から血の気が引き、小さな悲鳴が漏れた。
ソレが窓に手を当てる。
死人の色の手で窓を触り―――ガラスの割れる音が響き渡った。
窓ガラスが割れ、窓の近くに居た客は最初からそれを予測した様にその場から飛び上がり、飛び散る破片を回避した。もう一人は少女だった。少女はソレが起こした破壊音に気づくのが遅かったのか、飛び散る破片が少女の体に突き刺さる。
ソレは、死色の怪物は、割れた窓にも破片の突き刺さった少女にも目もくれず、二人の男に連れられた少女に向かって走った。
二人の男は怪物を茫然とした顔で見つめ――――顔を潰された。
大人の顔を蔽い隠す程の巨大な手で、男の顔を掴んだ怪物はトマトを握り潰すような動作で男の顔を握り潰した。片手で一人、当然もう一人も同じように、同じタイミングで握り潰した。
真っ赤な華を咲かせ、頭部を失った身体が床に倒れる。
一瞬の静寂。
死が人々の目に触れ、数秒の間をおいてファミレスの中にいた人々は恐怖をという感情を思い出し、悲鳴を上げた。
それが合図だったのだろうか、人々の悲鳴が木霊する店内に死色の怪物が次々と入ってくる。
窓ガラスを割り、異形と化した腕を振りかざし、人々を恐怖の渦に叩き込む。
店員はそこで気を失った。
次に目覚めた時、その場に残る者は誰も居なかった。


見ず知らずの店員が気を失った時、逃げ惑う人々の中で唯一逃げる事をしない者達がいた。
一人は先程まで自分の腕を掴んでいた男が殺された事に茫然とする美羽。
一人は怪物の襲撃を予測していた様に素早く回避したスノゥ。
一人は窓ガラスを全身に受けながらも、無表情でガラスを自分の身体から抜いてくフェイト。
そして、怪物。
フェミレスの中に複数の怪物達が立ち、全員の視線が向けられた先に美羽が居た。
「――――予想以上に沢山釣れましたわね……」
怪物達を見回しながら、スノゥは感心した様に言う。その言葉の意味を知る者はおらず、聞いている者すらいない。
スノゥは虚空から杖を取り出すと同時に素早く呪文を紡ぐ。
螺旋状の炎が出現し、男達の頭を握りつぶした怪物の身体を焼く。怪物は悲鳴すら上げず、炎によって仮初の命を焼かれ、その場に倒れ、別の青い炎によって無に還った。
灰となった怪物の残骸を足で払い、美羽の前に立つ。
「さてさて、予想外に釣れましたが……まぁ、良いでしょう」
そう言って杖の先を床に付きつける。すると、美羽の傍に倒れていた頭部を失った男達の身体が変化した。
人間の肉体から木彫りの人形の様に姿を変え、怪物と同じように灰となって消えた。その跡に残されたのは真紅の宝石。
宝石を回収してポケットに入れ、美羽を見る。
「大丈夫ですか?」
美羽の目の前で手を左右に振り、美羽は我に返る。
「え……あ、その……えぇっ!?」
怪物が現れた事よりも、怪物によって警察官が殺され、その警察官が宝石になってしまったという訳のわからない事態に思考が追いつかない。そんな美羽に対し、スノゥは悪戯が成功した子供の様に笑みを作り、
「言ったはずですよ?私は魔法使いだと」
魔法使い。
確かに魔法使いの様に彼女の手には杖が握られている。呪文を唱えて炎だって出した。最終的に人間を宝石に変えた。
まさしく魔法使い。
「信じてくださいましたか?」
「……はい」
「よろしい」
だが、それはそれとして、事態はまったく変わっていない上に、理解も出来ない。
怪物はまだ良い。
問題は、何故自分を捕まえに来た警察が宝石になってしまったのかだ。それがスノゥの行った魔法だというのはなんとなく理解する事は可能だが、どうしてスノゥがそんな事をしたのか理解できない。
彼女は自分を犯人だと思い込み、警察に突き出したのではないのか。
スノゥはそんな美羽の疑問に答えず、ある一点を見つめる。
怪物達ではない。
怪物達の背後。
彼女達以外に誰も居ない筈の店内の奥の席。
スノゥはそこに向かって言う。
「やはり、アナタは美羽さんを放ってはおけなかったようですね」
「――――え?」
美羽は見る。
スノゥの見つめる先に居る誰かを。
奇妙な者がいた。
特別奇怪な格好をしているわけでもない、ただの人間。

黒髪の女。

夏場だというのにロングコートを来た黒髪の女は、皆が避難したというのに、ずっとその場に座り続けていた。
黒髪の女は何も言わない。
怖くて動けないのではないか、そう思ったが、どうも様子がおかしかった。黒髪の女は恐怖で動けない様には見えず、むしろ別の理由で動けない様に見えた。
理由は直ぐに分かった。
黒髪の女の足に光の輪で出来た足枷があり、そのせいで動けない様だった。
「―――――随分と酷い事をするのね。おかげで逃げられなかったじゃない」
黒髪の女は苦笑する。
「えぇ、逃げられては困りますから」
スノゥは勝ち誇る様に言う。
「正直、アナタが此処にいるかどうかは半信半疑でしたわ。最悪、あの席が見える場所にいるものだとばかり思っていましたが……まさか、こんな近くにいるとは」
「私の視力はそれほど良くのよ」
「というよりも、【その身体】の視力が良くないのではなくて?」
「……へぇ、そこまでわかってるんだ」
「えぇ。ですから、この死人達をさっさと退場させて頂くと、私としても助かりますわ」
「――――わかった」
黒髪の女が怪物達に向けて何かを言った。
日本語でもなければ、英語でもない言葉。
何となく予想が出来た。
これは、ドイツ語だ。
黒髪の女の言葉に従う様に、怪物達は一斉に窓の外に飛び出し、雑踏の中に消えていった。
残されたのは、黒髪の女を含めた四人のみ。
「一つ聞いて良い?」
「どうぞ」
「さっきのアナタの言っていた的外れすぎる推理……あれはお芝居?」
黒髪の女の問いにスノゥは素直に頷く。
「でしょうね……じゃないと、あんな的外れな推理は出来ないわ」
「私だって恥ずかしかったですわ。幾らアナタをおびき寄せる為とはいえ、あんな三文芝居をしなければいけなかったなんて……穴があったら入りたいですわ」
「あ、あの!!」
完全に蚊帳の外状態の美羽は声を上げる。
「どういう事なんですか?というか、その人は一体誰なんですか!?」
訳のわからない事が怒涛の勢いで起き、何が起こっているかを知っている素振りを見せるスノゥに聞くしか方法はなかった。
「私も聞きたい。どういう事?」
未だガラスを抜き終えていないフェイトも尋ねる。というか、ガラスを抜くのを諦めたのか未だに身体には無数の破片が突き刺さっている。
二人の言い分はもっともだと思ったのか、スノゥは黒髪の女を見る。黒髪の女は一瞬、ほんの一瞬だけ辛そうな表情を浮かべたが、直ぐにその表情を消す。
その表情を見ていたのはスノゥのみ。
黒髪の女が何を考え、何故そんな表情を浮かべたのかは想像できた。そうでなければ、こんな三文芝居に引っかかるわけがなかった。
「――――彼女が……そうです」
黒髪の女を指さし、スノゥは言う。
「えっと……どういう意味ですか?」
「彼女こそが【真実】なのですよ」
黒髪の女は何かを諦めた様に溜息を吐く。
「まさか……」
理解が追いつかないが、全てが理解できたわけじゃないが、わかった。
「アナタは……」
「そう、彼女こそが――――」
探し求めていた真実。
探し求めていた死の真相。
その全て知る答え。

「リィナ・フォン・エアハルトさん―――で、よろしかったでしょうか?」
「あぁ、その通りだよ……自称負け犬のお姉さん」







【人造編・第八話】『偽りな歯車』







黒髪の女―――リィナ・フォン・エアハルトは両足を拘束する光の輪を指さす。
「ところで、これを外してくれると助かるんだけど……」
「外したら逃げるのでしょう?なら、それはお断りですわ」
「けど、それじゃアンタも困るんじゃないのか?」
窓の外を指さす。
「こんな人込みの中で怪物騒ぎに人死にだ。警察がこぞってやってくるぜ?」
「その点は問題ありませんわ」
そう言ってスノゥは杖を掲げる。すると、店内の壁に見た事のない文字が浮かび上がり、一瞬にして店内を文字が埋め尽くす。
「人払いの結界を張りました。ちなみに、人妖も人間も入って来れないタイプです。以前、片方だけ張って安心していたら人の癖に人外の怪物に襲われた経験がありますので」
店の外を見れば、奇妙な光景が目に入る。
店の周囲には、既に誰かの通報で駆け付けた警察車両が数台止まっており、警察官達が辺りを閉鎖しようとしている。しかし、閉鎖する辺りが明らかにこの店が入っていない。まるで【別の場所】で事件が起きたと錯覚しているように、的外れな封鎖をしていた。
「私からすれば、アンタも立派な怪物だけどな。魔法使いか……まさか、本当にそんな奴がいるなんて、流石の私も知らなかったよ―――いや、【兄様】だって知らないだろうな」
「世界は広いのですよ、リィナさん」
笑い合う二人だが、その目におかしさも、喜びも無い。あるのは警戒。その態度が目の前の相手が油断ならない相手だという事を物語っている。
対して、美羽とフェイトは混乱していた。
当然だろう。
見た事もない黒髪の女を、スノゥがリィナだと言い、黒髪の女もそれをあっさりと認めた。
「スノゥさん……どういう……事なんですか?」
「意味不明……」
二人から尋ねられ、
「ですから、この方がリィナさんです。アナタ達の探していた真実であり、この事件の答えです」
視線はリィナから反らさず、スノゥは答えた。しかし、だからと言って素直に信じる事も出来なければ、理解する事も出来ない。
まるで意味がわからない。
現実的じゃない。
スノゥの言う事を信じれば、死人が別の姿で生きているという事ではないか。
信じられないという想いが消えないまま、美羽は尋ねる。
「アナタが……エアハルトさん、なの?」
「違います―――って言いたいところだけど、この場合で言い逃れも出来そうにないね。うん、そうだよ。私がリィナ・フォン・エアハルトだよ、美羽ちゃん」
見知らぬ他人が笑う。
その笑みが、どことなくリィナに似ている気がした。
「本当に?」
「だから、本当だって。信じられないかもしれないけど、本当の本物だよ」
肯定された。
信じられない――――その想いが、揺らいだ。
それでも足は前に進み、視界は涙で歪む。
「エハ、ハルト……さん……」
生きていた。
死んでいない。
理由はわからないが、彼女は生きている。
その事実を受け入れる事に疑問は消え去り、生まれた喜びに任せ、美羽はリィナに駆け寄って抱きしめる―――つもりだった。
「ちょっと、お待ちを」
美羽をスノゥが止めた。
「感動の再会を邪魔するようで申し訳ありませんが、その前に聞いておかなければいけない事が色々とあります」
「おいおい、感動の再会を邪魔するなよ」
「感動の再会、ですか……」
その言葉がおかしいのか、スノゥは蔑む様にリィナを見る。
「リィナさん、アナタは自分のした事を理解しているのですか?」
「理解はしてるさ……美羽ちゃんや皆に心配かけたのは悪かったけど、これはちゃんとした理由があるんだ。とても大切な理由がね」
「――――ふん、無様ですわ」
これは自分自身に向けた言葉であり、リィナに向けた言葉。
「真実など、所詮はこんなもの。知ろうが知るまいが、結果は変わらない。ですが、知ってしまえば知らない以上に辛い事を知る羽目になってしまう―――本当に無様ですわ」
怒り、だろうか。
リィナを見るスノゥには、怒りにも似た感情が向けられている様に美羽には見えた。
「こんな事を知る羽目になった私も無様ですし、美羽さん達を騙した上に、更に騙そうとしているアナタも無様ですわ」
「―――どういう意味だい?」
「とぼけますか?」
「意味がわからないね、全然」
「そうですか――――美羽さん」
「は、はい……」
「アナタは真実が知りたいと仰りましたね?その言葉、今なら取り消す事が出来ます」
真実という言葉。
「真実が美しいとは限りません。真実は時に人を傷つけ、陥れ、努力すら無意味にしてしまう事があります―――それが、今です」
真実という残酷。
「それでもアナタは知りたいですか?」
全てを知る事が、知ってしまう事がどれだけ恐ろしい事か理解して、答えを求めるのか―――スノゥは美羽にそう言っている。
「――――知りたいです」
迷いは無かった。
迷わない事が残念であり、知ろうとする事が残念だった。
それでも美羽は知りたいと言うのならば、知ってもらうべきだろう。
「一番初めに言っておきますが、私は魔法使いです。だから名探偵の様な推理は私には出来ません、私に出来るのは科学的でも理論的でもない―――言うなれば、この世界において反則的な方法で知ったという事実のみがあるだけです」
テーブルに肘をつき、リィナはスノゥに尋ねる。
「それは、魔法使いらしい方法で?」
「えぇ、魔法使いらしい方法で」
「それじゃ、その魔法使いらしい方法を知りたいな」
推理小説の見せ場、謎解きの場面に遭遇している気分になった。
探偵役はスノゥ。
犯人は不明。
なら、自分は何の役なのだろうと、思わず美羽はどうでも良い事を考えてしまった。
「……美羽さん、アナタは先程私が言った魂の話を覚えていますね?」
だから急に話を振られた美羽は、少しだけ混乱した。
魂の話。
ファミレスに入ってスノゥが自分達に話した奇怪な話の事なら、確かに聞いたが、一体それが何だというのかだろうか。意味はわからないが、とりあえず頷きで返答する。
「リィナさん、アナタも聞いてましたか?」
「聞いてたよ。あまりにも胡散臭い話だったから、私もフェイトと同じでインチキ臭いって思ってた……さっきまではね」
「なら、今は信じて頂けるという事ですね?」
「一応は、ね……」
「それは結構。先程も言った様に人には魂があります、個別の魂、一人に一つの魂。私にはそれをある程度は見る事が出来ます―――見る事が出来るからこそ、おかしい事がわかったのです」
「おかしい事?―――あぁ、なるほど、つまりアンタは死んだ私の魂が見えないって事がおかしいって思ったわけだ」
答えは否定。
違うとスノゥは頭を振る。
「ある程度、と言ったはずですが?見ると言っても、どんな魂でも見えるというわけではありません。そして、死んだからといっても必ずしも魂が、残留思念が残るとも言えません。ですが、アナタの言う様に確かにあの場にはアナタの魂はありませんでした」
だが、それは問題ではないとスノゥは言う。
「問題なのは、もっと別の事です」
スノゥの目がすっと細まる。
睨みつける様に、細くなる。
「その問題のお教えする前、探偵を気取って回りくどい話し方をしてみましょうか――――」
そう言ってスノゥは額に指を当て、わざとらしく考え込むしぐさを作る。
「この世界では実に非現実的な事ではありますが、あの場には死んだはずのアナタの魂はなかった。最初、私はそれを大した事ではないと思っていました。死者の魂がその場に残るのは、色々な条件があります。もっともポピュラーな条件は、死に不条理を覚えて死を受け入れられないという条件です。そうすれば、人は簡単にゴーストになる事が出来る」
「そいつは実にポピュラーだな。心霊番組でも良く言ってる並みにね」
「しかし、あの場にアナタの魂は無かった。私は特に疑問には思いませんでした。今回、アナタは死んだが、アナタなりの理由で魂が天に昇ったのだろう、とね―――ですが、私は勘違いしてしまいました」
「へぇ……勘違い、ね」
「もっとも、その勘違いは現実的な捜査方法を取った警察の方も同じ勘違いをしていました……当然、美羽さんもね」
「私も?」
スノゥは頷く。
「この事件―――リィナさんが死でいるという扱いになった時点で、皆が勘違いをしていたのですよ」
それはそうだろうと美羽は思う。
リィナは死んでいなかった。
ならば、最初から誰も死んでいないという事になる。
殺人事件などなかった。
だが、死体はあった。
死体はあるが、殺人事件はなかった。
矛盾している。
「あの、スノゥさん……何が言いたいのか私にはわからないんですけど……」
「私もわかんない」
「それが当たり前でしょう。当たり前が故に、誰も疑問に思わなかった。死体はあった。被害者もわかった。犯人はわからない。此処までは当然の流れです―――なら、これこそが勘違いだったのです」
死体、被害者、犯人。
死体と被害者は同じ。
犯人だけが別。
問題は組み合わせだ。
三つの素材がある段階で、普通は最初の二つを一つのパーツ。最後の一つを別のパーツとして扱うだろう。
だが、

「私達の勘違いは、【死体が犯人であるわけがない】という勘違いですわ」

「…………」
「…………」
「――――ま、その反応は当然ですわね」
美羽とフェイトはそろって首を傾げるが、リィナだけは表情を強張らせる。
「死体が犯人であるわけがない。当たり前の事です。死体は被害者であり、犯人が殺したからこそ死体となり、被害者が生まれるのですが、今回はそうじゃない。そんな当然のセオリーなんて最初から存在しないのです」
死体と被害者、そして犯人。
組み合わせが間違っていた。
死体と被害者がセットではなく、【死体と犯人】がセットである事が正しい。馬鹿らしいが、この奇怪な法則こそがこの事件の真実の一つ。
「さて、その点を踏まえた上でリィナさん、アナタにお尋ねします」
「…………」
「【被害者は誰ですか?】」
返答はない。
返答を拒否している。
彼女の視界はスノゥを見てはいない。視界はテーブルに固定され、周囲を見る事を拒んでいる様に思える―――否、そうではない。周囲を見る事を拒んでいるのではなく、美羽を見る事を拒んでいるのだ。
それを理解していながら、スノゥは残酷にも美羽に尋ねる。
「美羽さん。確か、アナタの生徒さん達は昨晩、リィナさんが出会った方を探している最中でしたよね?その方が見つかったという連絡はありましたか?」
「え?……えっと」
携帯を見るが、何の着信も無い。
「まだ、無い様ですけど―――それより、被害者は誰って、どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですわ。この事件の犯人は最初から被害者と思われていたリィナさん。この場合、これは殺人事件とは呼べなくなってしまう……ですが、これは立派な殺人事件なのですよ」
「ですから、それがどういう意味なのか――――」
わからない、という前にある仮説が生まれた。
リィナが生きている。
死んだはずの彼女が別の姿で生きている。
死者が死者で無くなったのなら、勘違いが消え去り、次々と真実のパズルが組み合わさっていく。
「……まさか、」
信じられない、信じたくない。
だが、わかってしまった。
わかってしまったが故に、自然と言葉が吐き出される。
「リィナさんと話していた人は……【アナタ】」
【アナタ】という言葉が差す意味は一つ。
「えぇ、その通りです」
仮説であって欲しかった。
それは間違いだと言ってほしかった。
否定して欲しいという想いを否定する、リィナの苦痛な表情。
「先生、どういう事?」
美羽は迷った。
この事をフェイトに伝えて良いものか、フェイトに―――クラスメイトである彼女に残酷な真実を伝えて良いモノなのか。
「フェイトちゃん。美羽さんの生徒さんを含め、全員が目的を間違っていたのです」
答えない美羽の代わりにスノゥが答える。
「目的?探す人が違うとかじゃないの?」
「違います。目的です。リィナさんと話していた人物を探す目的は、【彼女が最後に目撃された際に会っていた人物】だからです。それは何故ですか?」
「そんなの、その人がリィナに会っていたからでしょう?その人に会ったら、何かわかるかもしれないって……」
「それは正しいですが、同時に間違っています。その方は恐らく、何も知らない」
「どうして?」
「その人こそが……【被害者】なんだよ、フェイトちゃん」
美羽の小さな手がぎゅっと握られる。
「そうなんですよね、エアハルトさん……その人が本当の被害者で、加害者はアナタ……」
否定を望む。
間違いだと言ってほしい。
微かな望みを抱きながら、美羽はリィナに問いかける。

「アナタがその人を殺した―――違いますか?」

「…………」
「答えてください……」
「…………」
「答えてッ!!」
悲鳴の様な叫びを聞いても、リィナは何も答えない。
やはりそれも、無言の肯定を意味しているのかもしれない。
「殺害現場にはリィナさんの魂は存在しなかった―――ですが、その代わりに別の魂が残留していました」
射抜く視線。
射抜かれたリィナの【身体】。

「今のアナタと瓜二つの女性の魂がありました……アナタに殺された、本来はその身体で生きていたはずの女性のね」

「―――――そっか、魔法使いって便利なんだな」
漸くリィナは口を開いた。
「なんだよ、アンタの言ってる事は全然推理じゃないよ。やってる事も言ってる事も反則だらけだ……こんなの推理小説の探偵役の推理じゃない」
「ジャンルが違っただけですわ。誰もがミステリーだと思っていたものが、実際はファンタジーだった。ただ、それだけですわ」
「それなら、アンタはもう気づいてるんだろう?私の【能力】をさ」
「何となくは……」
やれやれと肩をすくめ、リィナは着ていたコートを脱ぎ、胸元を露わにする。
胸には縦の線。
手術を施され痛々しい傷痕が刻まれていた。
「美羽ちゃん達は【兄様】に会ってるから、こんな言い方をするけどさ」
悲痛な顔。
自身の罪を告白し、自身の醜悪さを告白する様な痛み。
痛みに耐える事が当然の報い。
その罪を言葉にしなければいけない、罰を受ける。

「私は【奇襲特化型】の怪物なんだよね……」





私の力は醜悪だ。
【クラブ】が開催した娯楽の中で、私に与えられた役目は、被害者達の内部から被害者達を狩るという役目。
被害者は自分達が巻き込まれた状況に混乱し、逃げ惑い、殺される。勿論、簡単には殺さない。簡単には死なせては貰えない。絶望的な恐怖を与えられ、極限まで追いつめられた状態で歪んで表情を見て殺す事こそが至高だと吐き捨てる愚者がいるからだ。
私はそんな被害者達の、被害者の仲間、友人、知人になり済まして逃げ惑う事。そして、その中で被害者を殺す。信じていた者に裏切られた被害者は全員が同じ顔で、同じ事を言う。
「どうして?」
何度もこの言葉を聞いた。
ある時は背中から刺した。
ある時は抱きしめられている最中に撃った。
ある時は絶対に助かろうと言われてすぐに崖から突き落とした。
誰もが私を知人だと思い込む。
その知人は、既に私の手によって殺されている。
殺されて、心臓を抉り取られ、空洞になった部分に【私の心臓】を移植する。そうして私はその人になる。無論、元の人物の人格などは分からないが、大抵は誰も気づかない。極限状態の中で普段通りの行動をする方がよっぽど不自然だからだ。
そうやって殺した。
殺して、殺して、殺して、殺して―――【クラブ】の娯楽に貢献した。
【奇襲特化型】なんて言われているが、やっている事は殺した人々の想いを裏切り、思い出を汚し、殺しているに過ぎない。
殺して身体を変え、殺して身体を変え、そうしている内に自分という存在が薄くなっていく。
この身体ってそうだ。
この小さな少女の身体。
最初の身体よりも付き合いが長くなってしまった少女の身体は、この国に来る前に参加した殺人の際に得た身体だ。
身体の本来の持ち主である少女を殺して、身体を奪い、少女の両親を殺した。
最低だ。
醜悪だ。
悪そのモノだ。
怪物としては十分な生き方だが、生き物としては絶対に許されてはいけない存在だ。
皆と出会って、美羽ちゃんと出会って、人間の真似事をしていても怪物は怪物。
現にあの夜だって、私は見ず知らずの女の人の身体を奪った。
夜中にホテル街を歩いていた黒髪の女の人。
とりあえず目に付いたその人に話しかけた。
身体を売る職業の人だった。
都合が良かった。
自分は女性にしか性的興奮を覚えないだなんて適当な事を言って、お金を握らせ、あの場所に連れて行き―――殺した。
首を絞めて殺した。
女の人は苦しんだ。
手に力を込め、殺した。
女の人は助けてと呟いた。
首の骨を折って、殺した。
女の人は死んだ。
動かない肉の詰まった袋になった女の人の脈を取り、死んだ事を確認して死体を人のいない場所に運んで弄った。
折れた首を補強して、胸元を切開して心臓を抜き取り、首に残った手形の部分を切除して、新しい皮膚を移植した。そうして乗り移っても正常に動ける状態になった事を確認して、もう一度殺害現場に戻り、今度は私自身の胸にナイフを突き立てた。
痛みはあった。
私ではなく、少女が痛いと叫んでいた。
心臓を抜き取った。
心臓を死体に捩じり込んだ。
そして、元の身体は死に、私はまた別の身体で生きる事になった。
残った私の身体を見て、心臓だけが無い状態で死んでいるのは奇妙だと思われる可能性がある為、身体を徹底的に痛めつけた。
ナイフで突き刺し、ナイフで切り刻み、血を辺りに撒き散らし、異常な犯罪者の犯行に見せかけた―――まぁ、ある意味で正解だ。
異常な犯罪者、怪物の手で少女の身体は完全に死体となり、私はそこから姿を消した。

以上が、この殺人事件の真実。
結局は怪物でしかなかった私、リィナ・フォン・エアハルトが起こした、新たに何の罪もない人を殺したという罪が増えただけで、改めて自分の醜悪さを身を持って知った。
だが、それでも私は捨てたくなかった。
この街で得た温もりを。
この街で得た友達を。
この街で得た大切な人達を。
その全てを捨てる事など、出来なかった。だからこそ知られたくなかった。
美羽ちゃんにも、フェイトにも、皆にも、知られたくなかった。
でも、もう遅い。
騙して、ごめんなさい。
人殺しで、ごめんなさい。
人間じゃなくて、ごめんなさい。

こんな怪物で、ごめんなさい



次回『当たり前な結末』





あとがき
ども、散々雨です。
めだかボックスが各編が終わる度に連載終了するんじゃないか、本気で心配しています。とりあえず、今後も続く事に安心です。だが、それ以上に問題なのはアニメ版ですね……ワンクールで終わったら、ショックです。
さて、そんな心配に苛まれながらの第八話です。
最初に言っておきますが、これはミステリーではありません。だから、今回みたいな学芸会レベル以下の推理シーンなんて特に意味はないのです……いやぁ、ミステリー小説は好きですけど、真似事なんてしようとするもんじゃないですね。
無駄に長くなった人造編も残すは後……何話だろう?多分、五話以内に終わる予定です。多分(何度も同じ事を言っている気がする
それでは、次回のお話でお会いしましょう!!


PS
この美羽は美羽じゃない気がする……



[25741] 【人造編・第九話】『当たり前な決意』
Name: 散々雨◆27b9e8ec ID:862230c3
Date: 2012/06/21 20:08
白い空間。
誰もない、誰も知らない。
彼女達だけしかいない。彼女達だけが知っている。
一つの身体に二つの心を持った姉妹が互いを見つめ合える唯一の場。
「――――もう安心」
「何が?」
「これで、先生は事件を追わなくなった」
「どうしてそう思うの?」
「どうしてそう思わないの?」
真っ白なテーブルに二つのカップ。
真っ白なお揃いの椅子に座る、真っ白なワンピースを着た二人の少女。
「だって、先生の知りたかった事はもうわかった。だったら、もう先生は事件を追う必要なんてないでしょう?」
「フェイト、それは解決じゃないよ」
白い空間で、アリシアは自分に似ている妹に語りかける。
「あぁ、そうだね。変なおじさんの事もあるし……」
「ううん、そうじゃないよ……そうじゃないの」
悲しそうな顔をするアリシアに、フェイトはどうしてそんな顔をするのか尋ねた。アリシアは困った顔をして、ただ笑うだけ。
言っても無駄だから何も言わないのか、それともわかってほしいから言わないのか。
同じ身体を使っている二人でも、心までは一緒ではない。フェイトにはフェイトの考えがあり、アリシアにはアリシアの考えがある。こんな場所があっても心までは完全にはわからない、幾ら家族でも、姉妹でも、分からない事はある。分からない事がなければならない―――そうでなければ、姉妹の心など、とっくの昔に壊れている。
「ねぇ、フェイト……フェイトはどう思うの?」
「事件の事?それとも、リィナの事?」
「どっちも」
「……どうでも良いかな」
さも当然の様に言い捨てる。
「今回はそうしないといけないから、そうしただけ。アリシアが手伝ってあげてって言ったから手伝ったし、母さんが先生を守れって言ったから守っただけ」
「でも、アナタは先生の部屋で自分の意思で―――」
「違うよ」
助けようと思った。
手伝ってあげようと思った。
心配してあげようと思った。
その全ての思ったのは、決して美羽の為ではなく、自分の為でもない。
「アリシアは先生の事が好きなんでしょう?なら、先生がいなくなったらアリシアが悲しむ。アリシアが悲しいと母さんも悲しむ。二人が悲しむのは嫌だ。だから、助けたの―――凄く嫌だったけど」
この場所だけで、フェイトは本当の事を口にする。
この場所だけは、本当の事を口にしてくれる。
「アリシア、私は先生の事――――大嫌いだよ」
「…………」
「嫌い、凄く嫌い、大っ嫌い。あの人のせいで、変な怪物は襲ってくるし、お家は壊れるし、アリシアも母さんも迷惑する。全部あの人のせい。あの人が面倒な事をしなければ、私達はいつも通りに過ごせたのに、あの人が全部を台無しにした」
「…………」
「私が迷惑するのは構わない。死んでるから。でも、アリシアと母さんは生きている。死んじゃ駄目。だから私が守る―――ねぇ、アリシア。アリシアは先生の事が好きなんだよね?」
「…………」
「だったら、私はそれで良い。私はあの人が大嫌いだけど、アリシアが好きで、アリシアがあの人の事を守ろうって思うなら、私は守ってあげる……けど、本当は守りたくなんてない。あの人がどうなろうと、私には関係ない。私にはアリシアと母さんとアルフとリニス――――ついでに父さんもいれば、それで良い」
悪意などない。
純粋なのだ。
無知故に純粋であり、残酷なのだ。
フェイトの線引きは極端だ。
家族とその他。
アリシアの友人であろうと、フェイトにとっては家族以外のその他でしかない。だから、別に好きになろうとは思わない。守ろうとも思わない。アリシアがその他を大切にしたい、守りたいと思うなら、フェイトはその身を犠牲にしても守ろうとする。逆にアリシアが何も思わなければ、守ろうとはしない。勝手に死ねば良いと思うし、勝手に消えれば良い。
所詮はその他。
同時に、フェイト自身は自分をその他にも含まない。
死んでいるから。
死んでいるから、生きている者には干渉しない。
生と死はそれだけ離れている。関係はあっても、互いが互いを憎み、求め、そして決別している最中、死んでいると自負している少女は残酷に線引きをして、仕分けする。
「フェイトは、友達が欲しいとは思わない?」
「思わないよ。必要ないから」
「楽しいよ、友達がいると」
「今も楽しいから、別に良い」
「……それは、寂しいよ」
「関係無いよ、死んでるから」
口癖は【死んでいるから】。
死なないのは【死んでいるから】。
関係を求めないのは【死んでいるから】。
生まれるはずだった命は、死んでいる身体で生まれ、死んでいるまま生き続けている。もしくは死に続けている。
「アリシアに友達がいるなら、私はいらない」
「スバルもティアも、銀河さんだってアナタを友達だと思ってるよ」
「私は思ってない」
そもそも、友達が必要な理由もわからない。
孤独が嫌だから友人を求めるのならば、そんなもの空腹を感じたからコンビニで食事を買う行為となんら変わらない。
孤独が嫌だから人を求める。
お腹が空いたから食事を取る。
変わらない。
何も変わらない。
そう思うのは恐らく、死んでいるからだろう。
死んでいるから、求めない。
死んでいるから、孤独も空腹も感じない。
「だって、私は死んでるから」
「何時もそうやって【言い訳】するんだね、フェイトは」
アリシアの悲しそうな顔は、死んでいるのに心が痛い。
どうしてそんな顔をするのかわからない。
死んでいるから。
死んでいるから。
死んでいるから。
死んでいるから―――
「口癖じゃない、言い訳だよ。フェイトの言うそれは……」
「何が言いたいのか、全然わからないよ」
「本当に?本当はわかってるんじゃないの?」
「わからないよ。死んでるから」
理解する事を拒絶している様にも見えた。
その理由は何となくわかる。
フェイトには分からなくても、アリシアにはわかった。
何となくだが、フェイトという存在が自身の中に生まれた瞬間、何となく理解した。
死んでいるから、死なない。
死んでいるから、興味がない。
なら、死んでいる事が原因だ。
そう思っている事が原因だ。
不死の身体を持つ代わりに失った【何か】は、そうやって妹を蝕むと同時に守っている。
ならば、もしも妹がそれを理解して、変わろうとしたらどうなるだろうか―――答えは単純だ。
単純で、残酷だ。
姉として、家族として、それを願う事は残酷かもしれないが、願わずにはいられない。

妹の、フェイトの幸福を






【人造編・第九話】『当たり前な決意』






もう一つの現実に戻るという事は、目を覚ますという事だ。
見慣れた天井に、温かな感触。
二日ぶりのベッドの感触と、その温かさにアリシアはもう一度眠りに戻りたいとも思い、瞼を閉じたが頬を何かが叩く。
「……リニス?」
リニスがアリシアの頬を叩く。
早く起きろ、この寝坊助と言っているのかもしれない。普段は自分以上に寝ている猫に言われるのは癪だが、時計を見ればもう昼の十二時。
「……まだ十二時じゃない」
癪は癪だが、まだ夏休みなのだ。もう少し寝ても別に問題はないだろう。再度、瞼を閉じて眠りの世界へダイブする―――が、その前にリニスに爪で頬を引っ掻かれた。


頬に刻まれた爪痕を摩りながら、アリシアはリビングに降りてきた。
「おはよう……」
「随分と、お寝坊さんなのですね。もう昼時ですよ」
「寝る子は育つんですよ」
「高校生ならば、身よりも心を育てるべきですわ」
「そんな先生みたいな事を言わないでよ――――ん?」
リビングに敷いた座布団の上でお茶を飲んでいるのは、どう見てもテスタロッサ家の住人ではない。
「なんで居るんですか、スノゥさん」
「今更ですわね」
「――――あ、そっか。確か、」
思い出して、気分が落ち込む。
スノゥが此処にいる理由は一つ。
昨日、フェイトが家に連れて来たのだ。勿論、フェイトの意思ではなく、美羽の意思だったのだが、スノゥは特に渋る事もなく、あっさりと招きに応じた―――確か、その辺はフェイトから聞いていたのだと思い出す。
「というか、驚かないんですね、私がいて」
「フェイトさんに聞いていませんか?私、魔法使いなんですよ」
「そういえば、そうでしたね……もしかして、最初に会った時から気づいてました?」
「いいえ。フェイトさんに会ってから気づきました。人妖でも、アナタ達の様な能力は初めて見ましたわ」
アリシア自身、これを能力だとは思っていない。むしろ、能力と言われる事はあまり好きじゃない。能力だと言ってしまえば、まるでフェイトが人ではない様に思えてしまうからだ。
フェイトが自分の妹ではなく、単純な意思の無い力――――それは否定しなければいけない事だ。
「能力じゃありません……ただ、人とは違う姉妹の形です」
「……なるほど、これは私に非がありました。申し訳ありません」
「あ、いえ、別に謝るほどの事じゃないので……」
アリシアも美羽と同様に違和感を覚えた。
最初会った時と別人に思える。
外見は変わらないが、中身は別。
いや、別ではないのかもしれない。
詳しい事は分からないが、多分中身は以前と違って何らかの変化があっただけ、なのかもいしれない。
「――――ところで、母さんは?」
「プレシアさんなら、お買い物に出ています。冷蔵庫が空だったそうで」
「こんな時に?」
「こんな時だから、だそうです」
主婦の考えは良く分からないが、そういうものらしい。自分も何時か母の様になるのかと思うと、嬉しい様なぞっとするような、ともかくそんな気がする。
「アナタの分のお食事は冷蔵庫の中ですわ」
「わかりました。スノゥさんは……」
「もう頂きました。久しぶりに美味しいお食事でしたわ」
冷蔵庫の中からラップされた昼食を取り出し、レンジで温めてから食べた。食べた後は食器を洗って、一息つく。
台所から改めてリビングを見ると、何とも酷い有様だ。リニスやアルフからすれば、下手に物の無い方が好みかもしれないが、人間である自分達には住みにくい環境になってしまった。
普段なら、昼間は漫画やテレビでも見ながらソファーの上でのんびりするのが定番だったが、そのソファーも消えている。
リブングに騒ぎの後が刻まれている。
騒ぎの後。
もう解決してしまったかのような、そんな痕と後。
「事件は、終わったんでしょか……」
「どうでしょうね……一つの事件を二つに分ければ、一つの事件は終わりました。残った方は長期戦になるか短期戦になるかはわかりませんが、それまでは油断はなさらないほうがよろしいでしょうね」
一つの事件。
リィナ・フォン・エアハルトの事件。
終わったのだろうか。
事件は被害者だと思われていたリィナが犯人であり、事件にはもう一人の被害者がいて、そのもう一人こそが真の被害者だった。
「ショックでした?」
「まぁ、ショックだったと言えば、ショックですけど……」
あまり実感がわかないのは、どうしてだろうか。
現実を受け止められないのか、それとも別の理由があるのか、どっちに転んでも分かっている事は一つ。
クラスメイトは人殺しだった。
最低なオチだ。
「リィナは、なんであんな事をしたんでしょうか……」
「それは私にはわかりませんわ。聞こうにも本人は逃亡中ですしね」
スノゥは今日の朝刊をアリシアに見せる。
朝刊にはファミレスで起きた事件が掲載されていた。
繁華街にあるファミレス内で暴漢が暴れまわった。犯人は逃走してしまい、警察が全力を挙げて捜査中というありきたりな内容だ。
どこにもファミレスにリィナが居たという文章は無い。
「スノゥさんはどう思います?」
「何がでしょうか?」
「リィナがどうして人を殺して、なおかつ自分を死んだように見せかけたのかという事です」
「ですから、私にはわかりませんわ……けど、彼女は去り際にこう言いました」

【失いたくなかっただけなんだけどなぁ……】

失いたくない。
彼女は何を失いたくなかったのだろう。
そして、何故姿を消さなければならなかったのだろう。
わからない事だらけで、事件が解決したとはとても思えなかった。
「リィナさんは人を殺した。許されざる罪を犯した。その理由は何であれ、司法はそれを許すとは思えませんわね……もっとも、法など関係なしに人がそれを許すとも思えませんが」
自傷する様なスノゥの笑み。
「まったく、無様ですわね……私もリィナさんも、ああいう事をする輩は、大抵は無様なものです。目的があろうとなかろうと、人を殺した者の末路など、無様なモノでしかないというのに……」
「まるで、自分が人を殺した様な事を言うんですね」
「ふふ、そうですね」
また、自傷する笑み。
彼女の過去に何があったかはわからないが、
「後悔してるんですか?」
仮にそうだとするのなら、自身を無様と苦笑する彼女に後悔はあるのだろうか。
「仮に、私が人を殺した事があるとするならば……殺した事ではなく、人を殺さなければいけない環境に身を落とした自分を無様に思っているのかもしれませんわね。それは後悔ではなく、同情でもない……」
後悔は権利ではない。
想いの一つである後悔は、自然と生まれる現象に似ている。
止める事の出来ない心は、勝手に後悔して、理性的な部分でそんな自分を哀れに思える。無様すぎて、哀れにしか見れない。
「もっとも、どんな理由があったにせよ、アナタから見れば立派な人殺しでしょう?」
そうだ、と即答する事は出来ない。
勿論、人を殺す事は悪い事だ。
悪だ。
そう教えられてきた。
けれども、
「理由が、あったら―――」
いや、違う。
それは戯言だ。
「理由があれば人を殺しても良いと?リィナさんと同じように」
優しげな言葉なのに、ナイフの様に鋭かった。
それが正論なのかどうか、アリシアにはわからない。殺したい程、人を恨んだ事はない。人を殺さなければいけない状況になった事もない。いくら考えたとしても、あくまで推測でしかない。
実体験ではなく、妄想だ。
「年上からの忠告ですわ。どんな理由があったにせよ、人を殺せば罰せられる。どんな罰かはその人によりますが、必ず罰は受けます。殺される時もあれば、殺されるよりも辛い目に会う時もある。人殺しの末路など、そうでなければいけないのですから」
そうでないと許されない―――スノゥは言う。
「アリシアさんは人を殺したいと思った事はありますか?多かれ少なかれ、本気であれ冗談であれ、そんな事を思った事は?」
「ありません……って言うのは嘘ですが、本気で殺そうと思った事はありません」
「えぇ、それが普通ですわ。殺すだの、死ねだの、そういう言葉を人は平気で口にします。本気だろうとなかろうと、口にするだけなら問題ありません。ですが、嘘が真実になってしまえば、それはもう取り返しのつかない事態になってしまう」
命は一つです。命は大切です。だから人を傷つけてはいけません、殺してはいけません―――道徳の授業で誰しもがそんな事を教えられる。それは命を奪うという行為は決して許されない行為だからだろう。
どんな理由があっても、許されない。
何故、許されないのだろう。
「人が愚かであるから、許されないのでしょうね」
「愚か?」
「そう、愚か。愚かであるが故に勝手な理由で人を恨み、殺すのです。愚かであるが故に自分よりも愚かな者、愚かな行為を見つけて罰を与えねばと思い込む。全ては愚かであるが故の愚行。許す、許さないもまた、愚かであるが故の行為なのでしょう……」
「それは悪い事、なんでしょうか?」
「それを決めるのは人それぞれです。アナタはどうですか?」
そんなのは急には答えられない。
けれども、仮に自分の親しい誰かが見ず知らずの他人に傷つけられ、殺されたら怒りを覚えるだろう。そして、殺してやりたいと願う事だってあるだろう。罪を犯した誰かが、罰せられもせず、のうのうと生きているなんて間違っている―――簡単に、そう思ってしまうかもしれない。
「リィナさんの殺した誰かは、誰かにとって大切な人かもしれない。なら、その誰かは彼女を許さないでしょう――――しかし、殺された誰かは、死んだ事すら奪われた」
名前も知らない黒髪の女性。
彼女は死んでいる。
だが、リィナによって身体だけは生き続け、世間的には殺されたとは思われていない。それどころか、リィナを殺したとさえ疑われているかもしれない。リィナは彼女を殺し、身体を奪い、死を奪い、彼女の人生さえも奪った。
それは許される行為か否か―――答えは、自分には出せない。
「スノゥさんは、どうなんですか?リィナを許す事は出来るんですか?」
「私の事は関係ありませんわ。所詮、私のした事は単なる……八つ当たりなのですから」
「八つ当たり?」
「そう、八つ当たりですわ……」
しかし、本当はそうじゃないかもしれない。。
あれは八つ当たりなのではなく、明確な怒りを持ってリィナの正体を露わにした。
裏切り、だったのかもしれない。
裏切られたから、裏切り返しただけなのかもしれない。
真実、今となっては陳腐な言葉だ。
スノゥにとって、あのままリィナが死んだまま、殺されたという事が真実のままだったら良かったのかもしれない。あの場で、迂闊にも自分らしくない行為をしてしまったが為に醜悪な真実を知り―――勝手に裏切られたと思った。
あの晩、リィナがスノゥにかけた言葉は、スノゥの様に罪を重ねた者には決して口にする事の出来ない言葉だった。それ故に、何の罪もない少女から受けた言葉は、自分にとって眩しく、与えられる事すら許されない美しい言葉に思えた。
しかし、蓋を開ければ違った。
あれは同類からの言葉だったのだ。
罪を知らない少女の言葉ではなく、罪に塗れた同類の言葉。
だから、怒りを覚えたのかもしれない。
彼女が同じ場所に立っている事を。
彼女が自分と同じ無様な存在になり下がってしまった事を。
そうした想いが、あんな行動を生んだ。
結果、自分のした事は本当に単なる八つ当たりだったのかもしれない。
勝手に自分の理想を押し付け、そうじゃなかったから怒りを覚えた―――ただ、それだけの無様な行動。
現にリィナは姿を消した。
自身の罪を暴かれ、怪物である事を告白し、失いたくなかっただけだと言い残し、彼女はあの場から逃げるように姿を消した。
その後は誰も追おうとはしなかった。
美羽も、フェイトも、そしてスノゥも、誰も彼女の後を追う事はしなかった。もしくは、出来なかったのかもしれない。求めていた真実は、残酷な真実になってしまい、求めていた結末はこんなはずじゃなかった。
なら、自分達の求めていた結末とは何だったのだろうか。
リィナが死んで、犯人が捕まって、それでハッピーエンドになるという、三文芝居の様な結末を望んでいたとでもいうのか。
そもそも、自分はそんな事をする様な魔法使いだったか―――違うだろう。
何をしても失敗する、何も成し遂げられない、負け続ける魔法使いだろう。
なら、きっと今回もそうだったに違いない。
今回も失敗したのだ。
終わりも見えず、失敗して、後悔だけを残して、失敗して、残ったものは何もない。
失敗して負け続ける魔法使い、それがスノゥ・エルクレイドルだったはずだ。
「果たして、私は何を期待していたのですかね……」
行動せずに後悔するよりも、行動して後悔した方がマシ―――それは、成功した事のある者の言葉だから、綺麗に聞こえたかもしれない。何度も何度も失敗した自分だからこそ、その言葉の美しさに見惚れ、自身の愚かさから眼を背けた。別にあの子を責めるつもりはない。これは自分の失態だ。
【君は悪くない】
悪いのは自分だ。
【単に運が悪かっただけさ】
それは言い訳だ。
【大丈夫さ、次を頑張れば良い。私にはわかる。君ならやれる。絶対に―――】
まるで諦めろと言わんばかりの言葉に、怒りを覚えた。
ノイズの癖に頭の中で響く呪い言葉を消し去っても、後悔は残る。
何よりも強く残ったのは、去る彼女の顔。
彼女の顔に見えたのは――――悲しみだったのかもしれない。
「――――期待しても、良いと思いますよ」
アリシアが言った。
「スノゥさんが何に落ち込んでいるかはわかりませんけど、期待しても良いと思います。だって、期待するよりは期待した方が人生は楽しいと思いますから」
「……はぁ、若者らしい考えですわね」
「スノゥさんだって若いじゃないですか」
少なくとも、百年以上生きている様には見えない。
「人生はアナタの思っている以上に面倒で、残酷で、期待の無いモノなのですよ」
「それはまぁ、そうかもしれませんけど……けど、それを知ったからと言って、期待しないようにするなんて無理じゃないですか」
「…………」
「私は期待しちゃいますよ?この先、どんな素敵な事があるんだ、とか。何時か、素敵な人と出会って素敵な恋をするんだ、とか。楽しい事は期待するだけはタダです。なら、期待した方が何倍もお得ですよ」
「その結果、期待に裏切られても、ですか?」
「期待するもの、期待に裏切られるのも、結局は自己責任じゃないですか?相手に期待するのも自分の勝手。自分に期待するのも自分の勝手。勿論、期待に裏切られる事だってあります。私だって、何度もあります。それでも期待する事は止められません」
若いから―――などでは無い。
生きている年月など関係ない。どれだけ辛い経験をしていたのかも関係ない。
アリシアは自分の胸を手を当て、答える。

「私達は、期待しなくちゃ生きられない生き物じゃないですか」

未来はきっと幸福だなんて言えない。
この街に閉じ込められている時点で、少なくとも本当の自由なんて知る事は出来ないかもしれない。仮に外に出ても、世間からは怪物扱いされ、白い目で見られるかもしれない。人妖として生きている以上、それはずっと昔から知っている。
「これはそうですね……きっと、私達の【性能】なんですよ」
知ってはいるが、止められない。
麻薬にも似た快楽を求める性が、最初から持たされているに違いないとアリシアは思っている。そうした快楽を、幸福を感じる様に最初から出来ているに違いとも思っている。
「楽しみたいとか、幸せになりたいとか、そういうのって勝手に思うものですよね?賭け事でも負けるつもりで挑むなんて事はないですよね?勝負だってそうです。負けるとわかっていても、心の何処かでは勝てるかもしれないって思ってる。そうなる【性能】が私達の中にはあるんですよ」
「……なんだか、機械みたいですわね、それは」
だが、きっと人も機械も変わらないのかもしれない。
【生きる事】と【在る事】は同じ。
共にその場所に存在するという意味なら、どちらも変わらない。同時に、人も機械も共に勝手に生れるモノではなく、生み出されるモノ。
人も、機械も。

皆――――【人造】なのだから

「私もスノゥさんも、きっとそういう期待する【性能】があるから、気分が落ち込む事があります。それでも期待する事って止められます?止められませんよね?だって、それが私達の【性能】なんですから」
確かにそうかもしれない。
何度も何度も敗北と挫折を繰り返してきたのに、自分はまた期待していた。今度こそは成功すると期待するし、今度こそは勝てるかもしれないと期待する。どれだけ、裏切られ続けようとも、期待する事だけは決して止められない。
「まったく、嫌になる【性能】ですわね」
「でも、そっちの方が楽しくないですか?」
「楽しくはありませんが……そうですね、なんだかしっくりきますわ」
しっくりとくるから、気づいた。
「――――なら、彼女も期待しているのかもしれませんわね。こんな【性能】のせいで」
今、この場にいない彼女。
昨晩、真実に裏切られた彼女。
「もしくは、もっと別の何かで動いているのかもしれませんが……」
時計を見る。
もうすぐ昼の二時。
「アリシアさん、ご一緒にお散歩でもどうですか?」
「お散歩ですか?」
「えぇ、外は相変わらず暑いですが、クーラーの効いた部屋でいるよりも、もっと面白い事が起こるかもしれませんよ?」
「面白い事ですか……うん、良いですね、それ」
準備してくると言って、二階に上がるアリシアを見つめ、小さな溜息を吐く。
まったく、この街の住人はこんな奴ばかりなのか、と。
「いいえ、そうじゃありませんわね」
見ようとしなかったのだ。
そういう人間は世界中にいるかもしれない。だが、自分はそういう人間を無様だと罵り、軽蔑してきた。本当に軽蔑されるのは自分自身だというに、無駄な自信に騙され、運が悪いと勘違いして、見ようともしていなかった。
敗北する事には慣れている。
自分が敗北する事など、自分の【性能】の一つだ。
けれども、今回はそうじゃない。
童話の中の悪い魔女が負けるのはセオリーだが、
「惨めに頑張る主人公は、負けてはいけませんよね」
なら、もうちょっと頑張ってみよう。
結末は最低でも、結末の先にはもうちょっとまともなモノがあるかもしれない。
あの小さな教師が頑張っているのだ。
悪い魔女も、もう少しだけ、頑張ってみる事にしよう。
大丈夫、問題ない。
自分は負けても、負けるはずのない想いを持った主人公はいるのだから。




美羽が見上げるマンションは、自分の住んでいるアパートよりも高級感が漂う作りだった為、少しだけ後ろ足を踏みそうになった。
二十階建てマンションの入り口はセキュリティー管理がしっかりとしている為、中に入る事は難しい。その為、マンションの管理人に話を通す事から始めた。
自分の身分を明かしても、美羽の背格好から教師は愚か、大学生にすら見られない事が多い。それでも根気強く説明し、何なら学校に確認を取っても構わないとまで言ったところで、管理人は信じてくれた。
管理人として不味い行為という事は分かっているらしいが、美羽の熱意は信用するに値するものだと思ったのだろう。目的の部屋の鍵を渡して、中に入る事を許可してくれた。
エレベータの十階まで登り、一番奥の部屋へと向かう。
表札は無い。
外されたのではなく、最初から無い様だ。最近はこういう表札の無い部屋が普通にある為、別段珍しいものでもなかった。
鍵を差し込み、回す。
ドアを開け、中に入る。
ドアを閉め、靴を脱ぐ。
廊下は長く、リビングに着くまでの間に幾つかの部屋があった。物置、トイレ、脱衣所、寝室。自分の部屋よりも充実している作りに、何時かこんなところに住んでみたいものだと感心し、危うく目的を忘れそうになる。
リビングに入れば、高級そうな家具がズラリと並んでいる。
並んでいるが、それだけだった。
部屋に入って最初に感じたのは、生活感の無い雰囲気だろう。家具はあるし、テレビもあるし、女子高生が一人で住むには随分と充実している―――だが、それだけ。
ただ置いてあるだけに見える。
家具も置いてあるだけ。
テレビも置いてあるだけ。
まるで人形の部屋だ。
子供が遊ぶ人形の部屋。全てが作り物の可愛らしい家具は、大人になってみれば可愛らしいと思うよりも、不気味に思えてくる。人が入るには小さく、人形が生活しているわけでもない部屋は、生きているという認識が欠片も感じられない。
此処はそういう部屋だ。
部屋の中を見回し、人が入った形跡がある事に気づく。
当然だろう、此処は既に警察が入って探し物をしたに違いない。そして、それ以上に何者かが入った形跡が強いのは、ベランダにつながるガラス窓。中から鍵をかける仕組みのドアに片手くらいなら入れる事の出来る小さな穴が開けられていた。
誰かが侵入した。
警察では無い、堂々と入る事の出来ない誰かが。
冷房の入っていない部屋は少しだけ蒸し暑かったが、我慢して部屋の中を捜索する。何か探す物があるわけではないが、もしかしたら何か見つかるかもしれないという微かな望みを持って、部屋のあちらこちらを探す。
この部屋はもうすぐ空家になるらしい。
住んでいた者が死んでしまい、契約を更新する者もいないのだ。家具も売りに出されるか、処分されるかのどちらかだ。
リィナ・フォン・エアハルトは、この部屋の中でどのように生活していたのだろうか。
想像するが、全て間違いだろう。
何もかもが新しく、新品同様。
掃除はきちんとしている様だったが、綺麗すぎる為に不気味に思える。
本当に人形の部屋の様だ、この場所は。
冷蔵庫を開ければ、入っているのは飲料水だけ。冷蔵庫の横には段ボールに入った缶詰。キッチンも綺麗に掃除されてはいるが、使われた様子は無い。
確か彼女は一人暮らしだと聞いている。
一人暮らし。
肉親はいない。
孤独。
「エアハルトさん……」
リビングを出て、寝室へ。
入って少しだけ安心した。
此処だけは、少しだけまともだ。
毎日此処で寝ていたのだろう。
ベッドの上にある毛布は乱れて、そのままにされている。
衣装ケースは沢山の衣服が詰め込まれ、壁には学校の制服が吊るされている。
彼女はあの後、この場所には戻らなかったのかもしれない。
名前も知らない黒髪の女性を殺し、身体を奪い、此処には戻らずにずっと外に居た。その間、どのような生活をしていたのだろう。きちんとご飯は食べていたのだろうか、ちゃんとした場所で眠っていたのだろうか、危険な場所に足を踏み入れてはいなかっただろうか―――次々と心配事が生まれ、気づけば頬を伝う透明な雫が一滴。
「……生きていて、良かった」
あの時に言えなかった言葉を、本人の居ない場所で口にする。
「良かった……生きてて、本当に良かった」
伝えられなかった。
伝える事が出来なかった。
真実を前に、自分はリィナに何も伝える事が出来なかった。
何も言えず、何も出来ず、美羽は去りゆくリィナを見ているだけだった。後を追う事も出来ただろう、待てと口にする事も出来ただろう。出来る事、出来た事は沢山あったはずなのに、残った結果は無力の一言。
否、無力ではない。
何もしなかっただけだ。
リィナが生きていた喜びと、何もしなかった後悔が合わさり、涙となる。
嬉しさと後悔。
どちらも強く、どちらが大きいと比べる事は出来ない。
今はただ、二つの感情に身を任せ、頬を伝う涙が床に落ちる事を見守るだけ。
そうしてどれだけ泣いていただろう。
泣いているだけじゃ駄目だと、涙を拭いて捜索を再開しようとした。
「ん?もう良いの?」
突然、背後から声をかけら、飛び上がるほど驚いた。
「ちょっと、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか……」
寝室の入り口に背を預け、腕を組んで美羽を見ている者がいた。
「――――ら、ランスター、さん?」
制服姿のティアナがいた。
「気づくのが遅すぎです……」
そう言ってティアナは美羽にハンカチを差し出す。
かぁっと美羽の顔が真っ赤になる。泣いているところをずっと見られていたのだ。恥ずかしさのあまり何処かに隠れてしまいたくなったが、隠れる場所もない。仕方なくハンカチを受け取り、涙を拭く。
「鼻はかまないでくださいね」
ハンカチを鼻にあてた瞬間に言われた。
「そういうお約束はいりませんから」
「……はい」
ハンカチを返して、まず聞く事は一つ。
「あの、どうしてランスターさんが此処に?」
「何となくですよ、何となく……」
何となくは良いが、一体どうやって入って来たのだろうか。ドアが開いた音は聞こえなかった。
「あぁ、簡単ですよ。ちょっと街中でロッククライミングしてきただけです」
「ロッククライミング?」
「便利になりましたよね、鍵が無くてもドアから入れる優れ物があるんですから」
「…………もしかして、ベランダの窓にあった穴って」
「秘密ですよ?」
どうやら、リビングの窓ガラスに穴をあけた本人が目の前に居たらしい。
「私が入る前から居たんですね……」
「えぇ、十分くらい前から。いやぁ、びっくりしましたよ。急に誰か入ってくるから」
「何処に隠れていたんですか?」
「ベランダ」
彼女には一度、教育的指導をしっかりとした方が良い様な気がしたが、多分それでも更生はしないだろう。なにしろ、彼女はあのティーダの妹なのだから。
「はぁ……ランスターさん、これって住居不法侵入ですからね」
「知ってますよ」
「なら、やらないでくださいよ……」
「反省しています。次はもっと巧くやります」
やはり、反省する気は無いらしい。


「ふ~ん、そんな事があったんですか」
美羽はティアナに昨晩の事を話した。
最初は話す気は無かったが、美羽の誤魔化すような言動を不審に思ったのか、それとも美羽の誤魔化しがあまりにもだった為か、原因かは分からないが、あっさりとティアナに看破されてしまった。
「被害者が犯人ねぇ……これまた、意外な真相ですね」
真実をティアナに、生徒に聞かせて良いものか迷った。
自分のクラスメイトが人を殺していたなんて事実を、彼女に聞かせて良いモノか。もしかしたら、知らない方が幸せなのかもしれない。そうすれば、生徒達は何も知らず、リィナの死を、被害者としての死と受け入れたかもしれない。
「……ごめんなさい」
「なんで先生が謝るんですか?」
「それは……えっと」
「自分が悪くないなら、謝らないでください。そういうの、ウザイですよ」
「ごめんなさい……」
情けないと思った。
生徒達が街中を走り回っている最中、自分は真実を見つけたというのに、その真実を前にして何も出来なかった。ショックがあったのは事実だが、何も出来なかった事に変わりは無い。
「……はぁ、あのね、先生。先生は別に悪くないでしょう?今回の事だって、先生は自分なりに一生懸命した。その結果、何も出来なかった。これは別に先生が気を落とす事じゃありません」
「何か、出来たかもしれない……出来たかも、しれなかったんです」
「過ぎた事は過ぎた事でしかないんです。どうやっても過ぎた事を変える事は出来ません……っていうか、なんで私がこんな事を言わなくちゃいけないわけ?」
ティアナはベッドに腰掛け、部屋を見回す。
「随分と殺風景な部屋ね。アイツ、意外と淡泊なのかしら」
「ランスターさんは、平気なんですか?」
「リィナの事ですか?えぇ、別に平気ですよ」
特に気にしていないとティアナはあっさり口にする。
「この街に来る連中なんて、大抵はロクでもない連中ばっかりです。外で迫害を受けたとかで外に居られなくなった奴は、自然とロクでもない風になって行くんです。私の見てきた限りは、そんなもんですよ」
「でも、皆さんは良い人達ばっかりじゃないですか」
「それは見た目だけです」
天井を見上げ、ティアナは冷たい眼をする。
「ロクでもない連中が身を寄せ合って、ロクでもない事ばかりをするのは、少しでも自分達が他となんら変わりのない人間だって思いこむ為です。変な力があっても、人間らしく馬鹿な事が出来る。外と変わらないんだぞって下手な主張するだけなんですよ」
海淵学園はそういう連中ばかりが居るのだとティアナは言う。
確かに昔はそういう生徒達が多かったらしい。
元々は他の学校で問題を起こした生徒達が集まる場所だったが、今は生徒会長のおかげで何とか表向きは平穏を保っている。
「それが、何時の間にか自分達が何をしたかったのか、何を証明したかったのかもわからなくなる」
それは何時か破裂する風船の様なものだ。
「下手な主張をしている内に、最初の想いを忘れてしまうんでしょうね。自分達は外と変わらないと示す為ではなく、自分と外を恨み、馬鹿な事をする連中だってまだまだいます。そうした連中のおかげで、昔よりマシになったとはいえ、未だに海淵学園は不良の巣窟呼ばわり……だから、別に驚かないです。ショックも受けません。最初からわかっていた事なんですから」
外で化物呼ばわりされた者の心には、何時しか本当の化物が生まれる。
その化物を押し留める方法は一つ。
化物らしい悪になるのではなく、人間らしい悪になる事。
「馬鹿みたいですよね。化物になりたくないから、不良になるなんて……」
「ランスターさんは、どうなんですか……」
「私ですか?私は……どうなんでしょうね」
自分の事は自分が一番わかっているはずなのに、時として一番理解する事が出来ないのは自分。
自分は人間として悪いのか、それとも化物として悪いのか。
「先生はどう思います?」
「良い子だと思いますよ」
そう言うと、ティアナは吹き出した。
「あはははは、こんな歳にもなって良い子って……馬鹿にしてます?」
「誉めてるんですよ」
「そうは思えませんけどね――――けど、先生のそれは嘘じゃないってのは、わかります」
「嘘じゃないですよ」
「そう、嘘じゃない。嘘じゃないから、こうして此処にいるんですね」
人を殺した生徒は、良い生徒なのかと問われれば、多くの人は否だと答える。
美羽もそんな一人かもしれない。
だが、そんな一人だとしても、心のどこかでこう思っている自分もいる。
良い生徒とは、どんな生徒の事を言うのだろうか、と。
世間一般の良い生徒。
誰にも迷惑をかけない生徒。
悪い事をしない生徒。
間違いを起こさない生徒。
そんな生徒は、いない。
マニュアル通りの良い生徒など、いるはずがない。生徒は人間だ、神様じゃない。神様でない以上、間違いは起こす。時に道を誤り、誰かに迷惑をかける行為をする時だってある。なら、そういう時に良い生徒じゃないからといって見捨てるのかと問う者がいれば、美羽はこう答える。
「私も、良い生徒じゃありませんでしたから……」
ティアナの横に座り、昔を思い出す。
「特に悪い事をしていたってわけじゃありませんけど、昔の私は自己主張する事が苦手で、人と普通に話す事も出来ない子でした」
「へぇ、苦い青春の思い出ってやつですか?」
「苦くはないよ。苦くならなかったのは、そんな私の周りに凄い人達が一緒に居てくれたから」
「あぁ、そういえばそんな事も言ってましたね……どんな人達だったんですか?」
色々な人達が居た。
昔を思い出すだけで自然と笑みが零れる、そんな人達。
こんな自分でも受け入れてくれる人達、こんな自分でも助けてくれる人達だった。だから、こんな自分でも変わろうと思えた。
最初はぬいぐるみが無ければ人と話せない自分も、頑張って人と話すように努力した。意見を口にする事も恥ずかしかった自分も、頑張って意見を言える様に努力した。以前の自分、あの街に来る前の自分よりも、少しだけ前に踏み出す事が出来たのは、そんな人達が居たからだ。
「先生の青春時代か……もしかして、その人達の中に好きな人も居たりしたんですか?」
「うん、居たよ。私の初恋の人」
「へぇ、その人とは?」
「少しの間、付き合ってた」
茶化すようにティアナが口笛を吹く。だが、【少しの間】という言葉に、顔をしかめる。
「別れたんですか?」
「うん、別れちゃった」
「振られた?」
「う~ん、どうだろう……振られたというか、振ったというか。今でもちょっとわからない感じなんだけど」
初恋の人。
小さくて、力持ちで、優しい先輩。
少しの間だけど繋がっていて、少しだけど楽しい時間をくれた先輩。
「……ちなみに、別れた理由は?」
「聞きたい?」
「興味はありますね。私の周りでは、そういう話は全然だったので」
別れた理由、別れた話など、普通は人に聞かせる様なものではないが、その話をする自分は拒否する気はわかなかった。
その時、自分はどんな事を思っていたのだろうか。
自分の気持ちの整理をする為に言葉にしたのかもしれないが、不思議とその時の気持ちは、はっきりと思い出す事が出来る。
少しだけ甘くて、少しだけ苦い。
語る分には少しだけ辛く、少しだけ温かい。
そうとも、この話は辛い話ではないのだ。
少なくとも、新井美羽にとっては。
「まぁ、無理にとは言いませんけど……」
「それでも聞きたいって顔してるよ」
「……是非とも聞きたいですね」
自分に正直な子だと想い、自然と笑みが零れる。
「――――その人にはね、幼馴染がいたの。私の先輩だったんだけど、私から見ても凄いお似合いの二人だった。私のライバルはその人で、その人に負けないぞって、ずっと思ってた」
小さな勇気を振り絞り、ライバルに負けるものかと自分を奮い立たせ、手に入れたその人の隣。
涙が出そうな程嬉しくて、もう死んでもいいやと思えるくらい、最高だった。
交際した。
学生らしい交際をした。
ちょっとだけ冒険もした。
ちょっとだけドキドキもした。
そうしている内に、自分の中で何かが生まれた。
「負けない、負けたくない―――そんな風に思っていたからかな……付き合っていた時も、先輩がその人と一緒にいるのを見たと、凄く胸が苦しかった。私は先輩と付き合っているのに、恋人なのに、先輩があの人と話していると……凄く苦しくなる」
不安だったのだろう。
先輩があの人と自分、どっちの事が好きなのかと。
「そうしている内にね、気づいちゃったの。私と一緒にいる時と、あの人と一緒にいる時と、先輩の顔が全然違うって」
「うわぁ、彼女居るのに他の女も好きってことですか?最低ですね。その人」
「あ、違う違う。そうじゃないの」
気づいたのは、自分。
それに気づいた時、多分後悔したと思う。
気づかなければ、知らないままだったのなら、きっと自分は彼とずっと一緒に居られたかもしれない。
「変な話なんだけどね、私も何となく……納得しちゃったんだ。あぁ、この二人はお似合いだなぁ、この二人は一緒にいる方が良いなぁって……」
そして、それ以上に、
「先輩は、あの人と一緒にいるのが幸せなんじゃないかなぁ……ってさ」
「…………」
「――――うん、そうだ。私から振ったんだ」
美羽は笑っていた。
こんな話をしているのに、恋人を別の人に取られた悲しい思い出を話しているのに、ティアナの眼に映る美羽の顔には、まるでその事が誇らしいと思っている程―――綺麗だった。
「勿体ないですね、それは」
自分には考えられない話だとティアナは想っていた。
これを自分に当てはめれば、兄が他の女に取られたと同じ意味だ。だとすれば、自分ならとりあえず相手を殺すかもしれない。殺して兄を取り戻す事だって構わない。それほど、自分は兄を愛しているのだ。
「勿論、すごく勿体ないよ……あの後も凄い後悔した。泣いたりもした。でも、何時かそういう痛みも慣れてきて、自然と笑えるようになった。先輩とも、その人とも、前みたいに普通に接しられるようにもなってた」
大きな悲しみだと思っていたものは、何時の間にか小さな痛みにしかならないと知った。それを引きずり、心をすり減らしたところで何が変わるというわけじゃない。
そういう風に割り切った。
割り切る事を覚えた。
少しだけ大人になって、割り切れたのかもしれない。
そうしている内に時間は流れた。
色々な事があった。
先輩もその人も卒業して、自分も卒業した。
大学に進んで、昔を思い出して教師を目指すようになった。
別の先輩、如月双七と一乃谷刀子が結婚した、その先輩と一緒住んでいる友人、如月すずの自棄酒に付き合った。
トーニャが頻繁に街から姿を消すようになった。頻繁に帰っては来るが、何をしているかは不明だった。
友人、姉川さくらに彼氏が出来た。のろけ話がウザイと思う時がたまに傷だった。
自然と日々は進み、変わるモノと変わらないモノに気づけるくらいになった頃、ある知らせが飛び込んできた。
先輩とその人の間に子供が生まれた。
可愛い男の子だった。
「複雑じゃないですか、それは」
「複雑だったよ……だから、最初は会いに行くか迷った。迷って、悩んで、それでも会いに行こうって決めた」
怖かった。
命の誕生を祝福する事が出来るか不安だった。
「……そこで漸くわかったんだ」
生まれた命を抱きあげた。
小さくて、守ってやらねば生きていけない命。
両腕に収まってしまう小さな命だったが、確かに命の鼓動を感じる事が出来た。トクン、トクンと小さな鼓動。生きている、生まれてきた、此処に居る、命として存在している。
自分の事ではないのに、自分の事の様に喜んで、涙を流した。
そして、口にした。
祝福の言葉を。
大好きだった先輩、上杉刑二郎に。
刑二郎との間に子を授かった、七海伊緒に。
そして、新しい命に。

おめでとう、と言う事ができた。

「最初は後悔していたけど……その後悔も、あの子が生まれたおかげで後悔じゃなくなったのかもしれない」
瞳に映る家族の姿を前にして、後悔などするはずがなかった。
あれは初恋だった。
確かに実って、確かに終わっただけの初恋。
少しの間だったが、幸福を感じる事の出来た恋は、終わりと共に別の何かに繋がり、新しい命に出会う事が出来た。
「好きだった人は幸せになった。だからといって私が幸せじゃないって事じゃない。私は私の幸せがあるし、あの人にはあの人の幸せがある。なら、後悔していた自分が馬鹿らしく思えてきたんだ」
「先生はその頃からお人好しだったんですね……普通、そんな結論に行きますか?」
「しょうがないよ。そうなっちゃったんだから」
過去の自分。
現在の自分。
自分と他人が作り上げた、新井美羽という一人の存在。
成功は少ない、
失敗は沢山ある。
幸福は少ない。
不幸は沢山ある。
だからといって、それで自分が幸福じゃないかと言われれば、それも違う。
沢山の不幸は、多いだけの不幸に過ぎない。
そんな数だけの不幸など、一つずつが大きな幸福に負けるはずはない。
そして、幸福も不幸も自分の人生の一部だ。
後悔は、何時か終わる。
どんな辛い事があっても、引きずらなければ歩けない荷物を持ったとしても、取り戻せないかもしれない失敗をしたとしても、そこで足を止める事の方がよっぽど不幸だ。
「……今の私の後悔は、エアハルトさんに何も言えなかった事。生きていて良かったって、言えなかった事……だから、もう一度会いたい。会って伝えたい」
「リィナは会いたくないかもしれませんよ。なにせ、人殺しですから」
「それでも会いたい。これは、私の勝手だから」
「…………はぁ、リィナも厄介な人に目を付けられたわね」
人を殺した事の罪悪は自分が決める事ではない。それを決めるのは法であり、自分以外だ。
しかし、だからと言ってそれを度外視する気はさらさらない。事と次第によっては彼女に自首を勧める事だってあるだろう。
自分は、彼女をこのまま放っておく事など出来る筈がない。
何故なら、どれだけ未熟だとしても、生徒を放っておくような教師は、自分のなりたい教師ではない。
「先生、そんな見た目で熱血教師だったんですか?」
「なんか、そう言われると恥ずかしいものが……」
「不良高校にやって来た熱血教師……九十年代のドラマですね」
「もっと古いかもよ?」
こんな冗談も言える様になった。
あの頃のぬいぐるみは、もう役目を果たしたのかもしれない。
今度は、この口で、この心で、相手に伝えたい事を伝える。
「それじゃ、私はそんな熱血教師に手を貸すクールな生徒って所ですか……そういうポジションって最終回で更生するパターンですね」
「ランスターさんはそれで良いと思うよ。ティーダ先生の事を好き過ぎるのはちょっとアレだけど……」
「先生、教え子の恋を応援するべきでは?」
「そういう事をランスターさんが言うと、脅しに聞こえる」
「脅してますから」
「脅してるの!?」
後悔しない生き方なんて、実は無いのかもしれない。
どんな生き方、道を歩んだとしても、何処かに必ず小さな石ころがあり、躓いて後悔する時がきっとくる。こんな事になるなら、こんなものを選ばなければ良かったと後悔する時が来るだろう。こんなはずじゃなかったと想う時だってきっとあるだろう。
だが、それは一時の後悔でしかない。
躓いて、転んで、膝を擦り剥いて血が流れたとしても、立ち上がらなければいけない。立ち上がる理由は小さくていい。絆創膏を取りに立ちあがってもいい。服が汚れるから直ぐに立ちあがってもいい。そうやって立ち上がり、歩きだし、痛いと泣きながら歩いたって、何時か涙は止まる。
「―――――さて、と。それじゃ、こんな馬鹿話してないで、さっさと家探ししますか」
「その言い方は泥棒みたいだよ」
「やってる事は変わらないでしょう?」
「まぁ、そうですけど……」
今は、前に。
後悔しながら、前に。
「私はリビングを探しますから、先生は下着を漁ってください」
「その言い方は止めて!!私、変態じゃないよ!?」
「おっと失敬」
後悔しても、前に。
強くなくていい、弱くていい。
それでも、前に




「で、結局になにも見つからないと」
「ふぅ、疲れました……」
リィナのマンションを後にして、二人は並んで街中を歩く。ティアナは自前のバイクを押しながら、その横を美羽が歩く。ちなみに、一応海淵学園はバイク通学禁止の上に免許の取得は高校三年の後半と校則で決まっている。もっとも、それを守る生徒など皆無。その為、教師達も口煩く言う事もなく、精々事故や問題を起こさないように、と言う程度だった。
「リィナの奴、消える前に色々と処分したみたいね」
「え?そうなんですか?」
「そうなんですよ。部屋の中とか見れば、色々と……でも、そうなると完全に手詰りですよ、これは」
リィナを見つけるのは簡単ではないのはわかっていたが、こうも手掛かりが無いとお手上げに近い。警察に何らかの情報を貰えればいいのだが、残念ながら一般市民に捜査状況を提供してくる優しい警察など居るはずもない。
「下手したら、もう街から出てるって可能性もありですね」
「それじゃ……」
「―――あくまで仮説の一つです。諦めるのはまだ早いですよ、先生」
「……はい、そうですね」
生徒に元気を貰い、改めて自分に気合を入れる。
気合いを入れて―――ぐ~、と情けない音が響いた。
「そ、そういえばもう夕方ですね」
「もうそんな時間ですか……先生、何か奢ってください。私、結構頑張って手伝いましたから」
「普通、それって私から切り出すものであって、ランスターさんから切り出してしまっては、単なる集りです」
「それじゃ集ります。奢ってください」
間違った方向に正直な人だった。
「はぁ……わかりました。何がリクエストはありますか?」
「ステーキかお寿司」
「牛丼にしましょう」
「意外とケチですね」
「教育実習生の懐事情を舐めるな、です」
あまり財布の中身に余裕があるわけではないが、一応手伝ってくれたのだから、それなりのご褒美は与えよう。これも立派な教育だ―――多分。
テイクアウト可能な牛丼屋に向かう途中、美羽は周囲を見回し、呟いた。
「……居ない」
「何か言いました?」
「ううん、なんでもないです」
スノゥは言っていた。
街中を死人、怪物達が歩き回っている。
何かを探しているのかもしれないと言っていたが、今となってはそれが何か理解できる。
怪物はリィナを探していたのだろう。
美羽と同じで、理由は別で、リィナを探して街中を歩き回り―――今は、消えた。
消えた。
今日一日、美羽は怪物の姿を見ていない。
単に美羽が見つけられなかっただけかもしれないが、一度も見ていない事が逆に不安を煽る。
居ない、見つからないという事は、もう怪物達が探しまわる必要が無くなったという事になるのではいか。
必要がない。
見つかったから、必要がない。
足が、止まった。
「―――先生?」
怪物は、ヴィクターは、見つけた。
「ちょっと、どうしたんですか?」
目的の【モノ】を見つけた。
目的の【者】を見つけた。
見つけて、消えた―――確保した、という事だろう。
血の気が引いた。
嫌な予感が、予感ではなく、確信に変わった。

その時、携帯が鳴った。






相も変わらず趣味の悪い部屋だった。
無駄に豪華な装飾のされた部屋の中で、無駄に金のかかった家具、無駄に強欲を見せつける様な絵画や骨董品。全てに金はかかってはいるが、バラバラのパズルのピースを嵌め合わせた部屋は、美しさの欠片もない。
集めた本人に物の価値などわかるはずがないのだろう。単に高価で、単に持っているだけで価値があると勘違いしているだけにすぎない
「…………」
そんな部屋の中で、リィナは一人ソファーに座っていた。
こんな場所にいるだけで吐き気がする。
自分が使っていたマンションの部屋もそうだが、高級な物というのは自分の大きさを相手に見せつけるだけの必要のない物でしかない。そんな物に囲まれて生活する事が出来る人間の神経を疑ってしまう。少なくとも、品の悪い部屋は、居るだけで気分が滅入る。
今すぐにでもこんな部屋、出て行ってしまいたい。
だが、今の彼女にそれは不可能な事だった。
リィナの手足は鎖で拘束され、鎖の先は床の突起物に接合され、身動きが出来ない。
「…………」
部屋の趣味も悪ければ、これも立派な趣味の悪さだ。
昔からアレの趣味は最悪だ。
最悪の一言だ。
嫌悪する。
そして、自分もまた、アレと同じ存在である事もまた、嫌悪するに値する事実だ。
いっそ、このまま舌を噛んで死んでやろうかと思ったが、舌を噛んだくらいで死ねるものなら、もうやっている。怪物である自分はその程度では死なない。少なくとも、自分の本体である心臓を潰さない限りは、死ぬ事はない。
「…………」
死ぬ事も出来ないなら、逃げればいいのだが、それも出来ない。鎖に繋がれている事は問題ではない。今の彼女を縛る物は、眼に見えない鎖だ。
ギィっと扉が開く。
「やぁ、お待たせ」
待ってなどいない。
リィナは扉の向こうから現れたもう一人の怪物を睨みつける。
「おいおい、そんな顔をしないでくれ。私だって、別に好きでお前をそんな格好にしているわけじゃないんだぞ?」
「どうだか……」
「信用してくれないのか?この私を、【君の兄】である私を!?」
「だからだよ、【兄様】。私の中でもっとも忌み嫌う存在は、私とアナタだ。そんなアナタを信用するなんて出来ないに決まっている」
リィナが兄と呼ぶアレは―――ヴィクターはわざとらしく大きなため息を吐く。
「そうか、それは残念だ……まぁ、それでも私には関係のない事なんだがね」
そう言ってヴィクターはリィナと向かい合って座る。
「こうして会うのは一年ぶりだ……その身体は私の好みではないが、実に美しい。うん、やはりお前は美しいよ、リィナ」
「醜いさ。人の身体を奪わなければ、ただの肉片でしかない私など、この世でもっとも醜悪な存在だ」
「ははは、それは面白い答えだ。でもね、リィナ。僕が美しいと言っているのは、何もその女の身体ではない。美しいのはお前という存在だ。あのクソ爺の作ったモノの中で、私はお前が一番のお気に入りなんだ――――だから、お前だけは残した」
ヴィクターがリィナの頬に手を添える。
ゾッとするほど、冷たい手だった。
自分と同じ、死人の手が頬を舐めるように触り、唇に指をあてる。
ヴィクター・フランケンシュタインと名乗る男。
本名をヴィクター・フォン・エアハルトという怪物は、リィナが兄と呼ぶ存在であり、ある者に作られた怪物の一人―――いや、一つだ。
見た目は関係ない。
リィナの最初の身体は既にこの世には無い。時と場合によって様々な人間の体と人生を奪っていった事は個を表す姿など失っている。
「お前は他の失敗作とは違って美しい。他の失敗作とは違って、お前だけは私と同等の傑作だとクソ爺は言っていたが、クソ爺は何もわかっていない。アレにはお前の美しさがどれほどか何もわかっていない」
「私は美しくなんてない……兄様と同じ、怪物だ」
「怪物の何が悪い?人間などという未完成なモノよりも、我々の方がよっぽど完成している存在だ」
死人と死人が戯れている。
醜悪な光景だ。
「そんなお前をこんな未完成品共の住まう街に行かせるのは、私は反対だったんだ。だが、クソ爺は愚かにもお前を此処に送り込んだ。あぁ、なんて悲劇だ。こんな悲劇はシェイクスピアだって想像できない……」
ヴィクターは気味の悪い顔で、リィナの顔を見つめ続ける。
彼女が海鳴に移り住んだ、潜入したのはすべて、ある者の命令だった。
その者をリィナは【創造主】と呼んでいる
リィナとヴィクターを作り上げた科学者にして、ネクロマンサー。リィナと同じ怪物を作り出すことに生涯を捧げた愚者であり、厳格な異常者だ。
リィナが創造主の命令で海鳴を訪れた理由は、創造主の単なる気まぐれだった。
人工的に生命を作り出す実験を続けていた創造主は、研究に行き詰っていた。その最中、創造主は仕事の合間に出会った科学者との会話で、人妖の話を聞いた。最初は興味など無かった。自分は一から命を作り出す科学者だ。既に生まれている生命の事など、等の昔に先祖が調べ尽くしている―――しかし、ふと気づいた。もしくは、漸く気づいたのかもしれない。
創造主は人妖に新たな可能性を求め、今更になって人妖の調査を開始した。その手初めとして、自分の手駒を日本に送り込む事を決めた。
「お前も可哀想だよ。こんな島国のちっぽけな田舎町に送られるなんて」
彼は心の底から同情していた。あまりにも的外れな同情だったが、笑う事すら出来なかった。所詮、彼の言う事は彼の中のちっぽけな認識の範疇でしかない。
此処は、怪物達に囲まれた生活よりも、何倍も価値のあるものだった。
その価値を、リィナは自分で壊そうとした事を後悔していた。
「人妖の生態調査、もしくは確保なんて、お前のする仕事じゃない。お前にそんな雑用をさせるなんて、クソ爺も末期だったんだよ、きっと」
調査と確保。
友人を調査し、可能であれば確保―――誘拐するのがリィナに与えられた醜悪な使命だった。この口は各国の研究機関や情報機関によって絶えずそうした脅威に晒されているのは知っていたが、自分がその一人になるなんて、吐き気がする。
この国、この街に住まう人々は、人間なのだ。生きて、意思を持って、生活している生命だ。
それを、彼らは理解しようともしない。
「―――――なぁ、兄様。一つ聞いて良いか?」
「何だい?何でも聞きたまえ。優しい兄はお前の言う事を何でも聞いてやろう」
「なら、聞きます――――この事を、創造主は知っておられるのですか?」
創造主は自分の意思こそが全てであり、目の前にいるヴィクターがこんな行動をしている事を知ったら、絶対に許さないだろう。
「知っているとも……知っているが、もう関係ない」
ヴィクターは嗤う。
「クソ爺は、もうこの世にはいない」
その言葉に衝撃を受けた。しかし、衝撃を受けながらも、彼がこうして目の前にいる時点で何となく想像はしていた。兄は、ヴィクターはずっと創造主を憎んでいた。自分が創造主に作られたという事が許せず、創造主が自分に命令する事をずっと不快に思っていた。
ならば、何時かはヴィクターが創造主を手に掛ける事もあるだろうと想像していたが、
「愚かだな……兄様は愚かだ」
「違うな、リィナ。私は愚かではない。愚かなのはクソ爺だ」
「創造主を殺して、自由になったつもりか?解放されたつもりか?」
「あぁ、そうだ。お前を自由にして、お前を解放したんだ」
リィナの為と口にしながらも、その瞳に宿る狂気は自分の為である事を示している。この怪物に他人を思いやる気持ちなど無い。あるのは自分とそれ以外。自分と塵。自分こそが最上級であり、その他は全て下級。
「クソ爺の最後を聞きたいか?」
「聞きたくはない」
拒否をしても、勝手に話しだす。
創造主がどのように苦しみ、どのような最後を遂げたのかを自分に酔った喜劇役者の様に語る仕草は滑稽を通り越し、嫌悪感しか湧かない。
リィナにわかる事は、これで目の前の者を止める存在がいなくなったという失望。
「リィナ、我々は自由だ。自由になったんだ。もう我々を縛る愚か者はいない。此処から好きに生きて良いんだ。好きに生き、好きに殺し、好きに奪い、好きに――――」
「兄様!!」
不快な言葉を叫びで遮る。
「約束は覚えているか……」
「約束?」
「あぁ、約束だ。私はこうして兄様の下に戻ってきた。もう兄様の下から逃げようとは思わない。兄様の言う事なら何でも聞く――――だから、」
「だから?」
ヴィクターがこの街に現れた時点でこうするべきだったのかもしれない。彼はリィナを探す為、確保する為、それだけの為に平気で人を殺す。現に美羽達を殺そうとしたのは予想の範疇でありながら、あって欲しくない現実だった。
それでもリィナは逃げた。
逃げられると思っていた。
身体を変え、この街から逃げ出し、ヴィクターの手から逃げるつもりだった。逃げて、逃げて、そして時がくれば―――止めよう。そんな妄想を抱くだけ無駄だ。どの道、自分の行った残虐な行為は既に美羽達に知れている。自分が人殺しであり、怪物であり、人間ではないという事実を彼女達が知った今、自分に残された道は一つしかない。
「皆には手を出さない……この約束を守るという約束だ」
狙いが自分であるならば、こうするしか手はない。
この街には死んで欲しくない人達が沢山いる。傷つく事だってして欲しくない。だが、傷なら既に負わせてしまった。自惚れでないのであれば、自分は既に美羽達に失望という傷を負わせている。
だから、これ以上の傷を負わせる必要はない。負わせる事を許せるはずがない。
「守ってくれるんだろうな?
嘘も偽りも許さないという眼でリィナはヴィクターを見る。彼は無論だと頷く。
「私を誰だと思っている?私はお前の兄だ。お前の願いは全て聞き届けよう」
「本当だと信じても良いんだな」
「本当だとも。お前が私の下に戻って来たのなら、もうこの街には用は無い。二人で遠い場所に行き、好きに生きる。それが出来れば、私はもう何も望まない」
「そうか……なら、良い」
それを聞ければ、もう良い。
もう諦める事が出来る。
仕方がないのだ。
これ以外の方法は無いのだ。
自分が死んだ事にして、姿を消そうかと思っていたが、自分の死を美羽達が調べようとするなんていう予想外の展開が起こり、美羽達が怪物達に襲われるという最悪の展開が起きてしまった。
全ては自分のせいだ。自分が引き起こした事態なら、自分が責任を取るしかない。
「うんうん、私は優しい兄だ。優しい兄はお前の言う事を何でも聞いてやるとも」
そう言ってヴィクターは歩きだす。
諦めと安堵が同時に襲ってくる。
絶望と、ちっぽけな希望。
なのに、どうしてだろう。
ヴィクターは歩きだして、何かを思い出したように振り返り、言った。
「――――ところで、」
ドクンと心臓が大きく鼓動する。
「リィナ、お前の望みはお前の死を探っていた者達の命を助けて欲しい、だったな?」
額から嫌な汗が流れる。
ソレを見つめる瞳が閉じられない。
喉が異常に渇き、唾を飲み込んでも潤わない。
「あぁ、助けるとも。助けてやろうじゃないか――――しかし、だ」
ソレの眼がスッと細まり、口元が三日月の様に歪む。

「私を辱めた者達を殺してはいけないとは、言ってないよな?」

その一言で十分だった。
自分の中で何かが切れるのには、十分過ぎる。
力を込め、一瞬で鎖を引き千切る。
手足の拘束はあっさりと消え、座っているソファーを蹴る。ソファーはリィナの脚力により真ん中から真っ二つに折れ曲がりながら、ソレに向かって飛来する。ソレは自分に向かってくる砲弾と化したソファーを前にしても驚かない。
それどころか、面白いと嗤う。
ソレが手を前に差し出す。
成人男性と変わらない太さの腕だが、巨大な砲弾を受け止めるには不十分と思われた。だが、その腕に砲弾が激突した瞬間、破壊されたのはソレの腕はなく、砲弾。
くの時に折れ曲がったソファーが、逆のくの字に折れ曲がった。
ソレはその場から一歩も動いていない。
「癇癪かい、リィナ?」
ゲラゲラ、不快な嗤い声。
リィナは獣の様にソレに襲いかかる。
「――――ヴィクタぁぁああああああああああああああああああああああッ!!」
ソファーを砲弾に変えた脚力で飛び上がり、人間の身体を文字通り押し潰す事が出来る腕力でヴィクターに殴りかかる。
部屋に轟音が響き渡る。
突き刺さる拳。
血走る瞳。
怒りに満ちた意思。
その全てをヴィクターは片腕で受け止める。
「淑女として、そんな顔をするものではないよ、リィナ」
「黙れッ!!その減らず口を二度と叩けない様にしてやるッ!!」
「それは私を殺すという事かい?」
「あぁ、そうだッ!!殺すッ!!」
「そうか――――なら、」
怪物を前にして、

「教育してあげよう」

もう一人の怪物の瞳が、怪しく光った。




夜闇を切り裂き、一台のバイクが疾走する。
運転手はティアナ。後ろにティアナの腰に手を回して掴まっている美羽。二人は法定速度を無視して海鳴の街を走っていた。
先程、鳴った携帯はティアナの物だった。電話ではなくメールだったが、ティアナはメールを見た瞬間にバイクのシートの入っているヘルメットを美羽に投げて、乗れと命令口調で言った。
美羽は何がなんだかわからなかったが、素直にティアナの言う事を聞いてバイクの後ろに乗った。
十分ほど走らせ、バイクが止まった場所はテスタロッサ家。
正確に言えば、

テスタロッサ家の残骸だった。

「―――――」
美羽は言葉を失い、ティアナは胸糞悪そうな顔をする。
残骸という言葉が示すように、美羽の目の前にあるそれは、重機で徹底的に破壊された家の跡。家も、庭も、門も、全てが破壊された場所は、数時間前まで一軒家としてあった事が幻と思える程だった。
「これはまた……見事にぶっ壊れてるわね」
「そんな、どうして……」
二人はヘルメットを脱いで壊れた家に近寄ろうとしたが、これだけ破壊されているのだ、近所の住人が通報したのか、家の周りは警察官が取り囲んでいる為、近寄る事が出来ない。
その光景を見て、最初に想った事は住人の安否だ。
美羽が出る前に家の中にはプレシア、アリシア、スノゥの三人がいたはずだ。美羽は野次馬の一人に何があったのか、怪我人はいるのか尋ねたが、返答はわからないの一言。その一言で一気に不安が襲い掛かり、思わずその場に崩れ落ちた。
「先生、大丈夫?」
「ランスターさん、どうしよう……中に、居たら……」
「その点は大丈夫だと思いますよ」
そう言ってティアナは自分達の反対側の封鎖されている場所を指差した。
そこにはティアナと美羽に向かって手を振っている少女、昴の姿があった。昴は二人が自分に気づいた事を確認して、遠くを指差す。その方向には、確か小さな公園があったはず。どうやら、そこで合流しようといっているらしい。
二人は直ぐにその場から離れ、昴の指定した公園に向かう。
「中島さん!!」
「美羽ちゃん、良かったぁ……てっきり美羽ちゃんにも何かあったと思って心配したよ」
「私よりも、他の人は―――」
安否を尋ねるよりも早く、美羽の視界に公園のベンチに腰掛けるプレシアとアリシア、スノゥの三人の姿を見つけ、安堵の溜息を吐く。
「よ、良かった……」
「ほらね、あの家の住人はあの程度で死にはしないわよ」
三人とも外に出ていた為、怪我はなかったようだ。その代り、家の中に居たであろうアルフとリニスは少し埃を被っており、プレシアとアリシアが二匹の身体に付いた埃を手で払っている。
「はぁ……家のローンがまだ残っているのに」
「父さんが帰ってきたら、腰を抜かすかもね」
「それよりも、明日から何処に住もうかしら」
「別荘でいいじゃない?ほら、あそこってこんな時じゃないと使わないから」
「確かにそうね。最後に使ったのは何時だったかしら?」
親子の会話にまったく緊張感を感じられないが、逆にそれが安心できた。
「お二人とも、結構余裕があるのですね。普通は、もっと慌てるか呆然とするものなんですが……」
スノゥはそんな二人を前に呆れ返っている。
「慣れですよ、慣れ。ほら、家って結構こういうトラブルが多いんですよ」
「どういうお宅なんですの?」
「父さんと母さんは色々な怖い人から恨みを買ってるみたいで、そのせいで割と年一くらいでこういう事があるよ」
「…………」
「ちなみに、家が壊れるのはこれで三回目かな?あははははッ!!」
どうやら、家が破壊される事はテスタロッサ家では笑い事に入るらしい。
「ランスターさん、テスタロッサさんのお宅って……」
「私の知る限りでは、アリシアのお父さんって、その筋では名の知れた運び屋らしいです。プレシアさんは―――」
「いえ、もういいです。なんか、聞いたら色々とアレな気がするんで……」
無事は無事でいいのだが、今度は別の意味で不安になってきた。気にしたら負け、今は目の前の事に集中しようという現実逃避で何とか美羽は持ち直した。
「えっと……それで、一体何があったんですか?」
美羽が尋ねると、プレシアが待ってましたと言わんばかりに口を開く。
「お隣の奥さんの話じゃ、顔色の悪い大柄の男達が車で乗り込んで行ったらしいんだけど」
「もしかして、ヴィクターを取り戻しに?」
違うとプレシアは首を振る。
「アイツなら、とっくに逃げ出してるわ」
それは初耳だった。
プレシア曰く、胴と首を切り離して、首だけで通風孔から逃げ出したというウルトラCを決めたらしい。一体、彼がどんな身体をしているのか気になるが、機能特化型なんていう怪物を作り出したのだから、自分の身体を改造するのも別に不思議ではない。
「つまり、これはヴィクターの仕返しなんでしょうか?」
「恐らくはね。まったく、私達が家に居ないってわかったら、出直してくるべきだと思わない?」
「いや、そういう問題じゃない気がしますけど……」
「家だってタダじゃないのに」
「だから、そういう問題ではなくてですね」
話が別の方向に流れ始めたが、軌道修正したのはティアナだった。
「ご自宅の事はとりあえず置いておきましょう。問題は、こっちです」
そう言ってティアナは自分の携帯を開く。
「さっき、街に散らばってる連中から連絡が来ました。私達が探していた人物―――リィナなんですけどね、それらしい人物を見かけたって情報があったそうです」
「本当ですか!?」
「はい。容姿は先生の言ったリィナの姿と一致していますから、多分リィナ本人です」
街中を探しているクラスメイト達には、リィナが殺害された晩に会っていた人物としか知らされていなかった。だが、街中のあらゆる場所から得た情報、捜索によってリィナが発見されたという。
時間にして三時間前、真夏だというのにコートを着た黒髪の女性が港に向かって歩いてく姿を目撃したという。
「港?どうして港なんでしょうか?」
「そこまでは知りませんよ」
港に泊まっている船に密航して国外に逃亡する気だろうかと考えたが、それが有力な候補だとは思えなかった。人妖隔離都市である海鳴には、そういう方法で外に逃げようとする者がいなかったわけではない。現に過去に何度かあった為、港から出航する船は厳重なチェックを受ける。
「けど、リィナの能力なら、切り抜けられる可能性は高いか……」
「そうでしょうか?私はその可能性はあまりにも低いと思いますわ」
スノゥは否定的な意見を口にする。
「ティアナさん、でしたわね。確かに彼女の能力なら、それも可能でしょう。ですが、私の見た限り、彼女がこれ以上自分の姿を変える可能性は低いはずですわ」
「その理由は?」
「彼女自身が、自分の力を忌み嫌っている様に思えるから、ですわね」
リィナは言っていた。
自分の能力は殺した相手の身体を奪い、自分の物とする忌まわしき能力だと。
「ですから、リィナさんがこれ以上、無意味な殺生を行うとは思えません」
「……それだけ?」
「えぇ、それだけですわ」
理由になっているようで、なっていないとティアナは指摘する。
「リィナが形振り構わずになってたとしたら、それは関係ないんじゃないの?」
「形振り構わない人が、あんな事をするとは思えませんがね」
「あんな事?」
「―――――あ、そっか」
思い出した様にアリシアが言う。
「美羽ちゃん、メール。確か、怪物が家を襲った時にメールが来たんだよね?」
「え?あ、はい……確かに来ましたけど」
アリシアはスノゥに尋ねる。
「これがリィナから送られてきたメールの可能性が高い、ですよね」
「私はそう思いますわ」
スノゥは言う。
リィナは何らかの理由で姿を消した。姿を消す為に人を殺し、殺した人物に成り代わった。その時点で彼女は姿を消す事に成功していたと考える事に違和感はない。だが、違和感はそこから先だ。彼女は姿を消したにも関わらず、この街に留まり、怪物がテスタロッサ家を襲撃する直前に逃げろとメールを送った。
「ファミレスの件だってそうです。彼女はまるで美羽さんを見守っていたかのようにあの場にいて、美羽さんが私の作った偽の警察官に連れて行かれるのを妨害しました」
「あれって、スノゥさんのお芝居だったんですよね」
「えぇ、そうですわ。美羽さんから死人が襲ってくる前にメールが届いたというお話を聞いて、もしかしたら彼女が美羽さんを近くから見ている可能性が高いと思いました」
リィナは姿を消したが、逃げてはいなかった。むしろ、姿を消した上で美羽をずっと監視していた。
「なるほどね……」
納得したとプレシアが微笑む。
「つまり、アナタはリィナちゃんが先生を見捨てる事が出来ないお人好しだと思うわけね?」
「お人好しというよりは、甘ちゃんですわね。彼女が成り変わった女性を殺したのは、彼女にとって最後の手段であり、最悪の手段だったのでしょう。だから、その手段をもう一度行使するとは考え難いのです」
「……なんか、納得いかないわね」
「当然ですわ。私だって自分で言っておきながら、半信半疑です―――けれど、」
そう思いたい―――とスノゥは言う。
その言葉に皆も同じ想いを抱いていた。
冷酷な殺人者ではなく、唯の人間に近い殺人者。
人を殺したことに後悔し、自らの犯した行為のせいで知り合いが危険な目に会う事を放って置く事が出来なかったお人好し。
「形振り構っていられない状況でも、まだ彼女には人間らしい部分があったという事ですわ……もっとも、だからと言って彼女が殺人を犯した事が許されるなんて免罪符にはなりませんけど」




扉が閉まり、ヴィクターは手についたリィナの血を光悦とした表情で舐めとる。妹の血をねっとりとした舌で何度も何度も舐め、付着した血を全て舐めとった後にハンカチで唾液を拭く。
「ふふ、初めての兄妹喧嘩も悪くない。あぁ、悪くない」
手に残った妹を痛めつける感触を思い出すだけで興奮する。あんなにも楽しく、あんなにも興奮する事を今までしなかった事を後悔さえする。
「全部が終わったら、またやろう。そうだな、裸にして、殴って、犯して、蹴って、犯して、痛めつけて、犯して、嬲って、犯して――――これは、私にだけ許された権利だ」
お前達もそう思うだろう、とヴィクターは尋ねた。
扉の外は体育館並みの広さを持った空間が存在し、その中には死色の怪物達が並んでいる。
怪物達の視線は一斉にヴィクターに注がれる。
怪物達はヴィクターの問いに答えない。
ただ、主に命を黙って待っている。
「―――まぁ、お前達はお前達なりの楽しみを見つければいいさ。なんなら、殺す前にお前達の無意味な性行為の対象にでもしてやればいいさ」
この国に来る前に作り出した怪物は、当初よりも数は減ったが問題はない。これだけの数さえあれば、たかが数人の人間を殺す事など造作もない。
怪物達には既にターゲットの顔はインプットさせてある。後は一言、たった一言怪物達に命令するだけでターゲットへと向かい、殺して帰ってくるだろう。
ターゲットは四人。
名前も既に判明している。
新井美羽、フェイト・テスタロッサ、プレシア・テスタロッサ、中島銀河。自分を辱めた許されざる人間達だ。彼女達を殺さなければ、大手を振ってこの国を発つ事は出来そうになる。そうしなければ、自分のプライドが許さない。
「殺せ。徹底的に殺せ。嬲り殺しにしろ。肉片一つ残さず、苦しめて苦しめて、絶望を与えて殺せ」
命令する。

「ヴィクター・フランケンシュタインが命令する―――諸君、虐殺せよッ!!」

怪物達は動き出す。
主の命を受け、標的となった者達の処理に。


そんな中、ヴィクター達の知らない内に一つの現象が、この中で起こっていた。
広い空間の中に、小さな物体。
怪物達を監視するようにギョロリと動く眼球。
誰もその視線に気づかず、眼球は瞼を閉じるような仕草をして―――その場から消え去った。






携帯が鳴った。
美羽の物でも、ティアナの物でもない。
「あ、私だ」
話し合いに参加はしていたが、終始黙り込んでいた昴は電話に出て、しばらく話していると、似つかわしくない深刻な表情を浮かべる。
電話を切り、
「――――港に怪物がいるってさ」
皆の表情が固まる
リィナは港に向かい、港には怪物がいる。
「港に停泊してるコンテナ船。その中に沢山の怪物と、趣味の悪い恰好した男―――後、鎖で縛られてる黒髪の綺麗な女の人を確認できたみたい」
情報を送ったのは、佐々木という男子生徒。彼は任意の場所に自身の視覚を転移させるという能力を使い得た情報から、その場所にリィナが居る事はまず間違いないと確定された。だが、その情報からすれば現在、リィナはヴィクターと怪物達と共にいる事になる。鎖で縛られているという点を踏まえれば、捕まっている可能性が格段に高くなる。
ティアナは昴に怪物達の数を尋ねるが、沢山という以外はわからないらしい。つまり、数えきれない程の怪物がその場所に居るという事になる。
「しかもね、目的は美羽ちゃん達みたい。変な男が皆を殺せって命令してるってさ」
プレシアは溜息を吐きながら、苦笑する。
「それはまた、随分と大人数で押しかけてくる気みたいね……昴ちゃん、リィナちゃんに怪我は?」
昴は眼に微かな怒りを灯らせ、
「結構、大怪我してるみたい」
「そう……」
その怒りが、プレシアにも移る。
敵はリィナを確保し、自分達を殺す為に大勢の怪物を街に放とうとしている。大勢の怪物達が街に出れば、最悪大パニックになる可能性も考えられるだろう。現に春頃に百鬼夜行を思わせる騒ぎが起こった時の事も考えれば、結果は見えている。
昴は携帯を見せながら、
「警察に連絡しますか?」
プレシアに尋ねるが、
「無駄でしょうね。顔色の悪い人を全員逮捕してくれって頼むわけにもいかないし、アレをこの街の警察だけで相手するには、少々難しいし……仮に相手ができるとすれば、月村の私兵部隊かバニングスさんくらいなんでしょうけど……」
「でも、このままってのは――――」
警察に通報するのが普通だろう。だが、問題は二つ。プレシアが言うように怪物相手に警察が相手になるのかという問題と、警察がこの話を信じてくれるかという問題だ。最悪、通報しても悪戯として処理され、最悪の事態が起きた段階で漸く出動という後手にまわる事になるだろう。
そうした考えを巡らせる中、美羽は無言で歩き出す。
「美羽さん、何処に行くのですか?」
「…………」
スノゥの問いに美羽は答えない。
だが、足を止め、空を見る。
夏の夜空は綺麗に輝いている。地上でこんなにも凄惨な事件が起きようとしているのに、空はまるで地上に無関心を決め込むように綺麗だった。その光景が、少しだけ腹立たしい。
「…………リィナさんを、助けに行く気ですか?」
「――――はい」
危険が迫っている。
自分達に危険が迫っているのは一目瞭然だが、それ以上にリィナには命の危険が迫っているかもしれない。既に大怪我を負っているのならば、最悪死に至る事だってあるかもしれない。
「放って置けません……」
助けに行く。
何もできない、ひ弱な自分が誰かを助けようとしている。
少しだけ滑稽だと思えた。
自分に何ができるというのだと、自分の中の冷静な部分が嘲笑っている。助けられてばかりで、自分一人では自分の身一つ守る事の出来ない弱者が、一体どうやってリィナを助けるというのだ。
わかっている。
そんな事は誰よりも自分がわかっている。
それでも、
「私は、したくないんです……何も出来ない事が、何も出来ないから何もしないなんて事は、したくない」
守りたいと思う事は愚かなのだろうか。
「私はあの時、エアハルトさんに何も言ってあげられなかった。何もしてあげる事が出来なかった。今だって、自分一人の力で何かが出来るとは思っていません。けど、それで何もしなかったら、きっと私は――――また後悔する」
無力でも何かしてあげたいと思う事は愚かなのだろうか。
「やらずに後悔するより、やって後悔したい―――そう思っているのなら、それは単なる自己満足ではなくて?」
「違います」
後悔なんてしたくない。
やらない後悔も、やった後悔も、どっちも結果はリィナを失うことになるというのなら、

「やる後悔も、やらない後悔も関係ない―――後悔する様な結末になる事が嫌なんです」

小さな手に力を込める。
小さな身体の中にある心に火を灯す。
「例え無力でも、後悔する結末なんて絶対に認められません。そんな結末は、私が辛くなるだけなら耐えられるけど、エアハルトさんにとって不幸な結末なだけです。だから、私はそんな結末は認めません。後悔する結末なんて認めません」
小さな教師の瞳に宿る想いは、建前でもなく、嘘でも偽りでもない。心の底からそう願い、その未来を否定する意志が宿っていた。
美羽の瞳に宿る意志―――決意を見た瞬間、スノゥは自然と笑みが零れた。
無様だ、と。
なんて無様なのだ、と。

こんな眼をした人々を、無様だと嘲笑っていた今までの自分は、なんて無様な存在だったのだろか、と。

きっとリィナはわかっていたのだろう。もしくは、わかってしまったのだろう。無力なくせに人並み以上の事を平気で口にし、実行しようとする美羽の想いに偽りはない。
だから彼女は守ろうとしたのだろう。
人を殺して、姿を消して、全てから逃避を行ったとしても、自らを必要とし、心配してくれるお節介でお人好しな小さな教師を。
だから皆が、力を貸そうとした――――否、力を貸そうとしている。
「でしたら、アナタは自分が如何すればいいのか、理解しているはずですわ」
スノゥの視線、美羽の視線が同じ場所を見つめる。
アリシアは大きなドラムバックを持って頷く。
プレシアは娘がやるなら当然自分も、という顔をしている。
ティアナは面倒だが仕方がないと溜息を吐く。
中島は「あれ?流れ的に私も強制参加じゃね?」な顔をしながら覚悟を決めた。
美羽は何も言わなかった。
言うはずの言葉は既に必要なかったと理解した。それでも言いたかった。こんな自分でも成し遂げたい事があり、自分一人の力ではどうにも出来ない。
だから、こう言うのだ。
「――――皆さん、お願いします」
返答はない。
返答はもう必要ない。
終わらせよう。
皆で終わらせよう。
最低な結末は認めない。
幸福な結末など無くとも、最低な結末だけは許せない。
「さて、それでは強襲に強襲を行いに向かいましょうか。こんな事件、さっさとケリをつけるべきですわ」
その為に小さな教師と負け犬な魔法使いは歩き出す。
「そうですね―――早く終わらせないと、」




「明日の補習に遅れちゃいますから」








次回『決戦な血戦』






あとがき
ども、散々雨です。
ノートPCからデスクトップPCにランクアップしました……Windowsをインストールすると自動でWord等が入ってると思っていた僕は阿呆です。というわけで、Word2010を購入してようやく投稿できました。
そんな阿呆が書いた第九話でした。とりあえず、

君、もう美羽じゃないよね?

最初はぬいぐるみ越しでしか話せなかったけど、次第に普通に話していた色々あって彼女がさらに成長した結果……もう原型ねぇよ!!見た目だけ同じで中身別人だよ!?反省してます。
以上が、七話くらいから考えていた事です。
次回はクライマックスなバトル回ですね、うん。
では、また次回。

PS
デスクトップPCにあやかしびとのデータを移したら、あやかしびとのデータだけ壊れました。装甲悪鬼村正はセーブデータが消えました……泣ける



[25741] 【人造編・第十話】『決戦な血戦』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/07/02 23:55
夜の闇に隠す事が出来ない程に巨大なコンテナ船。
甲板上にコンテナは置かれてはいないが、船の近くに置かれたクレーンの真下には幾つものコンテナが並べられている。
船は棺桶であり、同時に基地でもある。中では死を与えられたにも拘らず、静寂から掘り出され、騒音犇く現世に留まる事を強制された亡者達が蠢いている。
数は百以上。
これだけの人が死んでいる。
世界では毎日の様に人が死んでいく。
この国はもちろん、海外でも人は死ぬ。自ら望んだ死もあれば、望まぬ悲劇的な死もあるだろう。中にはきっと当然の報いと思われる死だってある。死は死でしかなく、終わりでしかない。生まれたという始まりがある以上、死ぬという終わりがあるにきまっている。そんな当然を奪われた死者達は、一人の怪物の手によってただの人形と化してしまった。
悲劇だろうか。それとも喜劇だろうか。
答えはわからない。
興味だってない。
今、わかっているのはあの船の中に存在する死者達の目的が、自分達を殺すという一点のみ。死んだ者が生きている者を殺害せよという命令を受け、当然の様に意思無き意思で動き出そうとしている。
「……随分と嫌われてるようですね、会長さん」
「嫌われる事には慣れているわ」
船を見据えるのは二人。
一人はメガネをかけた地味な少年、名前を佐々木望という。美羽の担当するクラスの生徒であり、自身の視覚を至る所に移す事が出来る人妖だ。
もう一人は彼の通う海淵学園の生徒会長、中島銀河。校外だというのに彼女は常に白い学ランを身に纏っている。ちなみに、海淵学園の生徒会長は代々この改造学ランを着なければならない―――なんて校則はない。半分、彼女の趣味なのかもしれないと全校生徒は思っている。当然、佐々木も同じ意見だ。
「それで、どうします?増援を待ちますか?」
「そうね……中の様子はどう?」
佐々木は眼を閉じる。そうする事で船内に配置した仮初の眼球から映像を受け取る事が出来る。
「物々しいですね。なんか改造人間っぽい連中が今にも外に飛び出そうとしていますよ」
「そう……なら、あまり時間は無さそうね」
銀河はやれやれと頭を振り、懐から愛用の銀色のメリケンサックを取り出し、装着する。
「突入するんですか?」
「無謀とでも言いたいのかしら?」
「いいえ。アナタの事ですから、そうそう死にはしないでしょうから、心配はしませんよ」
「一応、私も女の子よ。少しは心配しなさい」
冗談じゃないと佐々木は言う。
「スカートも履かない奴を女の子とは認めませんよ」
「酷いわね、傷ついたわ」
「とてもそうには見えませんがね……まぁ、勝手に突っ込むなり死ぬなりしてくださいよ。僕の仕事はこれで終わりです。ほら、僕って前線向けじゃないでしょ?」
「前線向けじゃなくとも、前線では重宝される力ではあるわね。でも、良いわ。勝手に逃げるなり【上に報告】するなりすればいいわ」
その言葉に、佐々木は微笑を返す。作りモノの様な、見る者が見れば嘘であると一目瞭然でわかる微笑だった。
「何の事ですか?」
「何の事ですか―――それを聞いたのはこれで何度目かしら?」
「さぁ?」
別に仲の良い関係でもなければ、特別な関係というわけではない。佐々木望という生徒は銀河にとって自校の一生徒でしかない―――という他人向けの認識は、必要ない。わかっている事は一つだけ。この生徒は海淵学園という高校に入学したのではなく【侵入】しているという事だけ。
「この際だから聞くけど……アナタ、何処の間諜?」
「随分と堅苦しい言葉を使いますね。今風にスパイって言えば良いじゃないですか。もしくは情報員」
「とてもトム・クルーズには見えないわ」
「ショーン・コネリーにも見えないでしょう?」
自らがスパイである事を否定していない。無論、肯定もしていないが、回答しては十分だ。だが、この十分な答えの先は未だにわからない。この街を監視、狙っている者の数は一つや二つではない。国か組織か、それとも個人か。そういう意味で一つや二つではない。数多くの者達がこの街を狙っている。表だって行動しないのは体面上の都合だろうし、他の者達に自分達の行動を知らせない為でもあるだろう。
人妖よりも、なまじ普通の人間の方が厄介なのかもしれない。
「私の予想では【ドミニオン】が有力候補ね。もしくは外国の情報機関なんだろうけど、そこまで把握が出来る程、高校生を辞めてないけど」
故にドミニオンという組織が一番有力だろう。
「違いますよ」
佐々木は否定する。
「むしろ、僕達の組織は彼等、ドミニオンとは仲が悪いんですよ。お互い持ちつ持たれつの関係をとっている様に見せてはいますが、何時でも片方を潰す事しか考えていない物騒な関係ですからね……」
「潰し合いをするなら勝手にすればいいわ。でもね、この街を、私達を巻き込む事だけは止めて欲しいわね」
すると、佐々木は微笑を崩し―――人間らしい、嫌らしい笑みを作る。
「街?私達?可笑しな事を言いますね、会長。アナタにとって一番大切な事は他人でも肉親でもない。名前も知らない赤の他人、【炎を纏った人妖】でしょう?」
「…………」
「炎を使う人妖なんて探そうと思えば幾らでもいますから、アナタが目的の人物を見つけるのは苦労するでしょうね。何でしたっけ?確か、アナタの母親を殺した殺人者、でしたっけ?」
「…………」
「どうでしょうか、僕と、僕達と取引しませんか?」
取引という単語に銀河の心が動く。
この少年を殺してやろうと思っていた心が、少しだけ弱くなる程度には。
「取引?」
「えぇ、取引です。アナタが僕達の条件を呑んでくれれば、僕達はアナタの捜している【炎を纏った人妖】の情報を与えます」
与える。
佐々木がそう言った瞬間、銀河の手は佐々木に伸びていた。だが、それを予め予想していたのだろう、彼は素早い動きで距離を取る。
「……知っているね」
「えぇ、知っています。ですから、取引です」
この場で佐々木を痛めつけて吐かせた方が、取引をするよりもよっぽど早いだろう。だが、彼が痛めつけた程度で口を割るとは思ってはいない。そう思える程、彼を知っているわけではないが、直感的に理解はしている。
彼は、この少年はマトモじゃない―――少なくとも、自分と同じくらい。
「条件は一つ。今からアナタが特攻する船の中にいる男を、僕達に引き渡して欲しいんですよ。名前は知ってますよね?そう、ヴィクター・フランケンシュタインです。彼を確保し、指定する場所まで運んできてくれれば、アナタの捜す人物の情報を与えます」
「アナタ達が約束を守る保証はあるの?」
「そこは信じて貰うしかありませんよ。信じるだけなら無料です。アナタが今までしてきた無駄な事と同じくらいにはね……」
「わかったわ」
答えは即決だった。
正体不明な存在ではあるが、少しでも目的に者を探し出す手がかりになるのならば、喜んで得体のしれない者に手を貸そう。そうとも、自分はずっとその為だけに生きてきた。
後悔を積み重ね、贖罪に身を裂かれ、無様に生きてきた。
「それじゃ、場所は後でメールしますので。あ、一応言っておきますけど、くれぐれも殺さない様に」
そう言って佐々木は去ろうとした。
「――――あ、そうだ。念の為に前金を渡しておきます。後で僕達の事を信じられなくなって、約束を破られても困りますから」
佐々木は銀河の耳元で囁いた。
前金という情報を。
探し求めている―――絶対に殺してやると誓った相手の、名前を。



「――――氷鷹一奈、これがアナタの母親を殺した女の名前です」






【人造編・第十話】『決戦な血戦』






時刻は深夜零時。
時計の針が深夜零時を指した頃、コンテナ船の船尾にあるハッチがゆっくりと降ろされ、降りきった瞬間に命令を実行する事を今か今かと待ちわびていた怪物達。数は然る事ながら、怪物達の持っている武器も凶悪極まりない代物だった。中には武器を持っていない怪物もいるが、それは武器を持たなくとも凶悪な機能特化型の怪物。この数日で何体かは破壊されたが、ヴィクターの手によって修復、強化されたソレは依然よりも能力は向上している。これだけの数と装備と能力を持った怪物達は、数分後に降りきるハッチをじっと見つめていた。
その時だった。
船内に小さな振動を感じた。
何かが壊れたか爆発したかは不明だが、巨大なコンテナ船を微かに揺るがす程の衝撃があった事は確かだろう。唯の怪物達は基本的に命令された事以外は出来ない。その為、指揮を任されていた機能特化型の一体が命令を下し、振動を生み出した正体を探る為に何体かの怪物達が向かう。
人の居ない船内。
生きている人間は存在せず、死人によって動かされる幽霊船の中は静かだった。怪物達の足音だけが響き渡る中で、怪物達は目的の場所に到着した。
船体の左舷の部分に人間一人が入れるだけの穴が開いていた。しかも、穴の向こうにはクレーンに繋がれたワイヤーが見えているという事は、此処から何者かが侵入したという事になる。
この場に居る特化型は二体。その内の一体は外見は普通の女性となんら変わらない怪物。先日、スノゥによって破壊された吸血特化型の怪物はすぐさま別の特化型に報告を任せ、自分達は船内の捜索を開始した―――開始、しようとした。

音が消えた。

怪物達の歩く音が消え、何が起こったと声を発した特化型の声が消えた。外壁に開いた穴の外からも先程まで聞こえていた海の音も、街の音も消えた。全ての音という音が消えた中、特化型は気づく。
怪物の数が、増えている。
暗闇の中であろうと夜目は効く。それ故に怪物が増えている事に気づく事が出来た。ただし、正確に言えば怪物が増えたというわけではなく、別の怪物が紛れ込んでいたという表現も決して間違ってはいないだろう。
特化型の表現が的確だったかどうかは、今は関係ない。それに、表現が正解であろうと間違いだろうとも、結末は変わらない。
金属と金属がぶつかり、互いの存在を周囲に示す現象によって生まれた無色透明な音の一撃が特化型の頭部を消し飛ばした。
頭部を失った怪物はその場に倒れ、残された怪物達は一斉に自分達の背後を見据え―――同様の結果となった。
それから一分も経たない内に先程離れた怪物が戻り、頭部を失った怪物達の死骸を凝視する。視線は死体に注がれ、ゆっくりと上昇し、発見する。

夜闇の中で鈍い光を放つ金属のメリケンサックを装着し、獰猛な笑みを浮かべる怪物―――中島銀河を。

怪物達が行動を開始するよりも早く、銀河は一番近くにいた怪物に肉薄する。怪物の胴体に拳を打ち込むと同時に音、衝撃波を発生させ怪物の巨体を吹き飛ばす。吹き飛ばされた怪物に巻き込まれ、後ろに居た何体か巻き込まれたが、無事な者もいる。無事だった怪物は己の兇器を銀河に向けるも、向けた先に銀河はおらず、頭上を何かが通り過ぎる。
振り返る、他者の意思で。
振り返り、そのまま首が一回転する。
振り返る方向すら見失い、怪物は倒れる。
一連の行動を別の怪物が見ていた。
兇器を銀河に向けるよりも前に彼女は地を蹴り、怪物の頭上を通過していた。怪物が振り向くと同時に銀河の手から音の衝撃が繰り出され、怪物の首を音の力で折る。
仮に怪物が生前であれば、銀河の行動に驚かされていただろうが、死んでいる身に驚きも何もない。あるのは同類が倒れたのならば、次は自分が相手を殺すだけというシンプルな思考。
無論、それが成就する事などありはしない。
銀河は音叉を鳴らすと同時に生み出された音の衝撃を天井に向けて撃ち放つ。天井に巨大なクレーターが生まれ、そこから生み出された亀裂が廊下に次々と生まれる。破片が落ち始めた事を確認した上でもう一発打ち込み、敵に背を向けて走りだす。その瞬間、天井が崩れ落ち、怪物達を押し潰す。
轟音と共に船内に衝撃が浸透する。
侵入者の存在と、侵入者が暴れているという事実を与える為に。
「――――敵の数は不明。あの子達が到着する時間も不明……ふふっ、なんだか独り占めしているみたいで申し訳ないわ」
そんな気など一切ない顔で銀河は笑う。
敵は音を聞きつけ、次々と自分に向っている。向かってくる事を拒みはしないし、向かってきた後に帰すつもりもない。
発見必殺、それ以外の思考は皆無。自分一人で船を制圧する意志を持ち、戦いに臨む。
それに、これだけ派手に暴れれば少しは時間稼ぎになるだろう。怪物達が街に放たれるのを少しでも遅くさせる事で、増援の到着と共に敵を殲滅する。敵の数が不明なのは若干の不安を残すが、それでも自分達の領地に敵を侵入させたまま呑気に進撃する様な馬鹿でない限り、確実に敵は自分を消す事を先にするはず。
船内に無数の足音が木霊する。大人数が巨大なコンテナ船を走り回っている証拠だ。すっかり人気者になった気分の銀河は廊下を駆け抜ける。
扉を蹴り開け、出た場所は船のブリッジ。
コンテナ船は停泊している為、この場には誰もいない。普通の船であるならば念の為に残っていてもおかしくはないが、この船はそもそもがおかしいのだ。無人のブリッジにたどり着いても、敵もいないのであれば、此処にはもう用はない―――が、ブリッジから見える甲板には獲物がいた。
ぞろぞろと巣穴から出てくる蟻の様に怪物達が甲板を見回し、銀河を探している。自分を探しているのならば、お望み通りに見つかってやろうではないか。ブリッジのガラスを豪快に、音が響くように割ってやり、その場から駆け出す。
身体を空に、少しの浮遊感は重量によって奪われ、身体を地球が握り締め、地へと誘う。落下の衝撃は大した事はない。痺れも痛みもない。感じるのは視線。死んだ瞳が一斉に自分の身体を突き刺し、無機質な殺意を生み出す。
数など関係ない。
目の前に写る人の形をしているだけの、人だった者達への憐みも感じない。
拳を握り、想いを刃の様に鋭利に変化させ、視界に写る全ての亡者を死に帰す。
「……ロスタイムは終了です。アナタ達の命は既に終わっている」
音を支配する。
亡者の呻り声すら掌握し、一切の音を消し去る。
この世の音は全て自分のモノ。小さき音も、大きな音も、低い音も高い音も、雑音すら支配して己の力を化す。
「逝きなさい」
生まれた音は巨大。
人に害する音として銀河に集まり、亡者の蹂躙を開始する。
一撃で怪物の胴体を削り取る。
一撃で怪物を押し潰す。
甲板に響き渡る破壊のオーケストラは一人。演奏者の一方的な音の押し付けによって観客達は声なき悲鳴を上げる、上げさせられる。
有象無象の亡者を次々と死に帰す中、奮闘するのは特化型の亡者。どのような能力を持っているかは不明だが、暴れまわる銀河の背後から襲いかかろうと後ろに回り込み―――振り向き様に放たれた掌底が突き刺さる。
胸に打ち込まれた衝撃が身体の中を駆け巡り、肉を臓器を骨を細胞を、全てを凶悪な振動によって粉砕される。特化型は破壊された身体を支える事が出来ずに膝を付く頃には、既に魂はあの世へと運ばれていた。
無論、そんなモノが残っていればの話だ。
轟音を聞きつけたのか、それとも報告を受けてきたのか、甲板に怪物達が次々と集結する。集結しているにも関わらず、戦況は一歩たりとも前進しない。前進する事を一切許されず、次々と青い炎と共に消し炭になる怪物にとって、本当の怪物は死んでいる自分達ではなく、生の息吹を全開に虐殺を続ける人間となっていた。
彼等に同情すべきものがあるとすれば、彼女に挑む事。同時に救いがあるとすれば恐怖を感じる事なく、滅ぼされるという事。
救いは無い。
救われるべきは生者であり亡者ではない。
終わった時点で、救いを求める必要など皆無なのだから。




ハッチが完全に降りきっているにも拘らず、怪物達は外に出てはいない。理由は単純に指揮官である特化型が出撃を指示していない事と、指揮官に命令する者が何も言ってこない事が原因だろう。だが、数は少しずつだが減っている。一体の怪物がやられれば二体の怪物が向かい、二体がやられれば五体が向かう。そうして少しずつ怪物達の数は減っていく。それでも怪物達の数は未だに数えきれない程に存在する。
そうしてどれ程の時間が経ったのだろうか、指揮官は口を開いた。
行進、と。
怪物達は一斉に歩を進める。
侵入者の撃退ではなく、被害者の虐殺の為に歩を進め、死者の軍隊が船の中から次々と姿を現す。表情のない、生気もない、死者の軍隊は頭の中にある一つの命令の為だけに更新を行い、無慈悲に、そして無意味に死を振りまく。
周辺に人の気配はなく、非現実的な死者の更新を見る者はいない。仮に居たとしても、見た瞬間に死へと誘われる。目撃者は死を―――それが怪物に与えらえたもう一つの命令。
必然的にそのような命令を受ければ、怪物達は街に出た瞬間に殺戮を開始するだろう。だが、それも構わない。幾ら死のうが関係ない。幾ら殺そうが関係ない。殺す為の途中で死をばらまいたとしても、結果的に目的の相手を殺せれば問題は無いだろう。
この街が滅びようとも構わない。
滅びても何の意味もない。
ただ、死者の長である者が属していた国と、この国の間で争いが起きる可能性がある―――その程度の話だ。
死者は歩く。
怪物として歩く。
殺意のない死を与える為に。
行進を開始して数分、半分程の怪物が船の外に出たのを見計らい、指揮官も外に出た。
外に出て、見た。
光を見た。
月の光でも星の光でも、街の光でもない光を見た。同じように一番前で行進していた怪物の目にも光は写る。
無機質な死者の眼球に光が当てられ、光は次第に大きく、激しくなり、等々怪物の身体全てを覆い尽くす程の光となった。

鋼鉄の怪物が突進してきた。

夜の闇に染まるように真っ黒な車体。だが、一般的な乗用車などではない、車体を黒の装甲が纏い、フロントガラスは車内が見えない様に黒く染め上げられている装甲車。速度を一切殺す事なく、アクセルを全開となって猛スピードで向かってくる装甲車を、怪物はただ呆然と見つめる。
あれは殺していいのかどうか。
目撃者は殺せという命令だったが、あれは目撃者に入るのだろうか。
最初から働いていない思考を少しだけ動かし、怪物は漸くアレを殺すべきモノだと判断した―――が、既に遅い。
突撃してきた装甲車に怪物は跳ね飛ばされ、宙を舞う。跳ね飛ばされた怪物の視界に同類達が次々と弾かれ、自分と同じ末路に向かう姿が映る。一瞬でありながら無限とも思える空中での飛翔は正常な時間の中では、たったの数秒。
頭から地面に叩き付けられ、首の骨が鈍い音を立てて砕かれ、脊髄に沿って配線されたコードが骨によって切断、脳が死を警告し身体が青い炎によって燃え上がる。
そうして夜の港に不気味な青白い炎が宿った。
何体かの怪物達を吹き飛ばし、装甲車は船の入り口の所で漸く停止する。
突然現れた装甲車に目を奪われる怪物達。そうしている間に装甲車の屋根が開くと同時に現れたのは怪物達にも引けを取らない凶悪な機関銃。
兇器を持つのは女性。
「こんばんは―――そしてさようなら」
放たれる。
言葉と同時に無数の弾丸が機関銃から吐き出された。銃声が鳴り響き、閃光が断続的に空間を支配する。放たれた弾丸が怪物の身体に打ち込まれる。幾ら怪物の身体が強靭であったとしても、生きている者よりも死ににくいとしても、並みの人間の身体すら、簡単に貫通させるライフル弾の前では、大差はなかった。
怪物の手足が吹き飛び、臓物を垂れ流し、鋼鉄の悪魔の悲鳴が轟き、怪物の命を終わらせる。
フルオート射撃は全ての弾丸を吐き出すと共に終わりを迎え、終わった時には火災現場の様に青い炎が燃え盛っていた。
「あぁ……久しぶりの、快感……やっぱり癖になるわね」
「プレシアさん、ちょっと危ない眼をしてますよ」
機関銃で敵を殺しまくっておきながら、トリップしかけているプレシアに、ティアナは呆れ顔だった。
「アナタもやってみる?これがまた癖になるのよ」
「私、一応は普通の高校生ですから」
「銃を持つのに年齢は関係ないわ」
「資格は必要ですけどね」
やっぱりどこか普通じゃない友人の母の戯言は放って置いて、ティアナは外に出る。
「……はぁ、これはまた」
青い炎に焼かれる怪物達に同情的な視線を送る。話には聞いていたが、まさか本当に奇怪な色の炎に焼かれて灰になる光景を見て、改めて自分の置かれている状況を考える。
「やっぱり止めた方が良かったかも……」
少なくとも普通の女子高生が関わって良い案件ではないだろう。唯の殺人事件から映画一本撮れそうな怪物騒動にまで来ている状況は、とてもじゃないが普通じゃない。
「―――で、これからどうします?」
派手な挨拶は済んだ。派手すぎて周りからは完全に敵として見られている。この状況下でプレシアは機関銃からアサルトライフルに装備を変え、装甲車から飛び降りる。
今更だが、装甲車といい機関銃といい、テスタロッサ家には一般家庭にないモノが多すぎる。詳しくは知らないが、プレシアの夫を含め、夫婦揃って厄介な経歴がある。だが、それがティアナが想像しているよりも、大きく、複雑で、そして暗い部分を持っているかもしれないと今になって気づいたのは、多分遅いだろう。
「そうねぇ……とりあえず、コイツ等全部相手をするとして」
「それが前提なんですか……」
「当たり前でしょう。はい、これティアナちゃんの分」
そう言って渡されたのはハンドガン。ティアナの記憶では、ハリウッド映画でよく使われるタイプの銃だった気がする。
「いや、だから使えませんって」
「今時の女子高生は銃の扱い方も知らないの?」
「昔も今も、大概の女子高生は重火器の使い方なんて知りませんって」
「あら、そうなの?それじゃ、仕方ないわね―――――」
夜闇に響き渡る銃声。
鼓膜が破れてもおかしくない激しい音と共に、プレシアの持っていた銃が火を噴く。
「大体の敵は私がやるから、二人は適当に残党狩りを宜しくね」
素敵な笑顔を向けながら、プレシアは敵軍に突っ込んで行った。
「…………だそうよ、昴」
「無理だって!!」
「アンタねぇ、人の話聞いてた?プレシアさんは【二人は】って言ったのよ?当然、私とアンタの事よ」
装甲車の後部座席で身を震わせる昴に向けて、今更何を言っているんだという顔を向ける。対して昴は意地でもここから出ないぞと抵抗を見せている。
「私はティアと違って普通の女の子なの!!戦闘とか、そういうのは出来ないの!!これ常識だよ!!」
「この状況で常識もクソもないでしょうに……良いから、出てきなさい」
抵抗する昴を無理矢理に装甲車から出す。
銃声やら怒声やらで支配された場所で、唯一この状況を受け入れられない昴は涙目になってティアナに縋り付く。
「うぅ、だから嫌だって言ったのに……」
「着いてきたアンタの責任よ。大体さ、危険だから嫌なら、あの場で断っても良かったのよ?」
「だ、だって……なんていうか、あの場で私だけ行かないって言ったら、空気読んでないって言われそうだし……」
「誰によ?」
「ティアに」
「―――――わかってんじゃない」
「言ってたんだ……やっぱり」
幾ら昴がこの場で喚こうとも、もう逃げ場など存在しない。怪物達は完全に自分達を敵として認識している。轢き飛ばした怪物は立ち上がり、全員が行進を止めて自分達に向けて兇器を向けている。
目撃者には死を。
目的者には死を。
この場には、二つに当てはまる者達がいる。
とてもじゃないが逃げる事が出来ない場所まで上がってしまった為、どう足掻いても逃げ場はない。
「いい加減、覚悟決めたら?」
「うぅ、私、普通の女子高生なのに……」
「恨むならアンタを恨みなさい」
「……ティア、本当に私の友達?」
「そうね、頭に都合の良いって言葉が付く程度には友達よ」
普段は友達とは決して言わない癖に、こういう時だけはしっかりと友達扱いするティアナを見て、昴は本気で友達の縁を切ろうかと思った。
そんな茶番を繰り広げている二人を尻目に孤軍奮闘するプレシア―――もっとも、孤軍奮闘という言葉に相応しくないのは明らかだった。
敵は死者であり、怪物。身体に兇器を装着させた怪物は一体ですら脅威となるだろうだが、それにも拘らず、怪物を圧倒するプレシアこそが怪物なのではないかと錯覚させる。
彼女が引き金を引けば弾丸は怪物にめり込む。ただ連射するのではなく、的確に敵の頭部を打ち抜いていく。一発の外れもなく、薬莢が地面に落ちれば敵は青い炎に包まれ死に帰る。無論、怪物とて無駄にやられてばかりではない。一体の怪物の頭部が弾丸によって射抜かれて燃えると同時に、その背後にいた怪物がプレシアに襲い掛かる。
怪物の装備は現代の戦闘ではまずお目にかかる事のない二メートル近いランス。鋭い刺突を繰り出し、プレシアは避ける暇がない事を察知してアサルトマシンガンで受け止める。怪物の強靭な肉体から繰り出された一撃を受け止めるのは、不可能だった。アサルトマシンガンはランスの刺突に耐えられず、真ん中から真っ二つに砕ける。砕けるよりも早く、プレシアは身体を横にずらし、ランスの切っ先が彼女の頬を撫でる。
これでプレシアに武器は無い―――はずはない。
怪物の攻撃を避けた瞬間、すぐに体勢を低くし、そのまま怪物の股下に滑り込む。滑りながら腰に巻かれたガンベルトから先程ティアナに渡そうとしたハンドガンを抜く。
背後に回られた怪物はランスを横薙ぎに振るうが、空を切る。ランスはプレシアを頭上を通り過ぎるだけに終わり、その時点で銃口はしっかりと怪物の額に向けられ―――引き金が引かれると同時に怪物の頭部を打ち抜く。
頭部を潰せば怪物は死ぬ。
潰すまで行かなくとも、ある程度の衝撃を与える事で怪物を倒す事が出来る。
これは昴が持ってきた情報である。
昴が立ち会った怪物の解剖。それによってティーダと忍の出した怪物の常人でも出来る対処法は二つ。その内の一つが脳にダメージを与えるという方法。脳死という言葉があるように、人間の死の判断は脳が死んだかどうかでも判断される。怪物は死人である為に本来であれば脳も死んでいる。しかし、特殊な技術によって擬似的に脳を動かしているらしい。
当然の様に医学に詳しくない昴の説明は所々が穴だらけの為、理解するのに苦労はしたがわかれば簡単だった。
言ってしまえば、怪物とて人間と変わらないのだ。
人間よりも少しだけ死に難い事と、身体にダメージを与えても動く事が可能という二点。けれども一定以上のダメージは死に近づく。
額を打ち抜き、脳にダメージを与える―――それだけで怪物は死ぬ。
狙うは頭。
「そんなのゾンビ映画の定番よ」
言うだけなら簡単だが、怪物の身体は並みの人間よりも強靭であり、尚且つそのような弱点など既に改良されているのだろう。
頭部、脳を守る為に怪物の頭蓋は金属によって覆われ、チャチな銃程度では撃ちぬく事が出来ない様になっている。だが、その程度の補強策など、どうという事は無い。
両手に大口径の銃を持ち、二つの銃口で的確に額を打ち抜いていく。
女性の細腕にかかる衝撃は並みのモノとは比べ物にならない。それをプレシアは涼しい顔をして連射、しかも的確にヘッドショットを決めていく。
「これで不死身の軍団?笑わせるわね。そういうのは、家の自慢の娘を見てから言いなさい!!」
次々と炎を上げて灰になる光景を見ながら、ティアナと昴は同時に想う。
別にあの人だけで問題なくね?―――と。
「ティア、もう帰っていいよね?」
「アイツ等が帰してくれるなら、とっくに帰ってるわよ」
逃げは無い。
完全に囲まれている。
プレシアが次々と怪物達を倒してはいるが、数は一向に減っていない。眼に入るだけでもかなりの数が居るが、今は数が多すぎる故に敵に動きは限定されている。しかし、数が減るにつれて敵の動きは激しくなるだろう。
「囲まれてるわね」
「逃げ場……無いね」
「はぁ……しょうがない、お仕事しますか」
そう言ってティアナは太腿に手を伸ばす。
彼女の両の太腿にはナイフケースが巻かれており、そこからナックルガードの付いた刃渡り二十センチ程のファイティングナイフを抜く。
右手を順手、左手を逆手に。
「えっと、それでどこを狙えば良いんだっけ?」
「…………」
「忘れたとか言わないわよね?アイツ等よりも先にアンタを刺すわよ」
「だ、大丈夫!!今、今思い出すから………………あ、そうだ。首、首筋の裏!!もしくは背骨の部分!!」
「しっかり忘れてるじゃないのよ……まぁ、いいわ。アンタはその辺に隠れてなさい」
「隠れるところなんて無いけど」
「それじゃ、死なない様に足掻きなさい」
そう言ってティアナは歩み出る。
敵は普通じゃない。
普通ではない異形。
「ま、普通じゃないってだけなら……」
こっちは生身の人間だ。
あんなびっくり世界の住人並みの戦いなど出来るはずがない。所詮は単なる女子高校生でしかない自分がやれることなど、些細なモノだ。
視界に写るモノは人じゃない。
人と思わなければ、木偶と思え。
二つのナイフを構え、
「――――それじゃ、お仕事しますか」
駆ける。
怪物の群れに向って、刃渡り二十センチ程度のナイフを携え、突撃する。
人間にしては速く、戦人として遅い。
あくまで凡人としての速度で怪物に接近、怪物の攻撃を凡人の速度で回避し、凡人らしい動きで怪物の背後に回り込み、首筋にナイフを突き立てる。
堅い、が貫通出来ないわけではない。
首筋のナイフを突き立て、真横に引く。
肉を切り裂く感覚とは違い、コードを切断する感覚が手に残る。それで十分、十分に致命傷を与える事が出来る。
怪物の動きが止まり、青い炎が身体を焼く。
炎で燃え上がる怪物の身体を踏み台にして、飛ぶ。
敵の数は多い。
一体一体に時間をかけると、こっちが不利になるのは一目瞭然だろう。ならば、一撃一殺のつもりで敵を撃退していくしかない。
ティアナは飛びながら次の獲物に獲物を突き立てる。先程と同様に首筋。そこが怪物にとっての弁慶の泣き所。心臓付近にある発火装置から脳への繋がるコードがある場所。そこにナイフを突き刺し、コードを切断する。
切断、発火。
切断、発火。
切断して、発火させる。
次第に夜の港が明るく照れされてゆく。
青白い炎によって光を生み出される光景は、とてもじゃないがマトモなモノではない。炎は見ているだけで気分が悪くなり、眼にも悪い気がする。それでも炎の量を増やさなければならない。
片腕につけられたガトリンガンの銃口がティアナに向けられる。流石に心臓の鼓動が一気に跳ね上がり、倒れるように地面に屈する。頭上を通過する弾丸が傍にいた怪物の身体を蜂の巣にする。銃口が自分に向けられる前に四つん這いのまま、地面を滑るように移動する。銃を持った怪物は厄介だが、同時に都合が良かった。
ティアナが動けば銃口が動き、その度に別の怪物が倒れる。怪物はそんな事などお構いなしに銃の咆哮を上げ続けるが、終わりの時は当然来る。
回転する銃口から何も出なくなったのを見計らい、
「ご苦労さん」
他の怪物同様、首筋を切って炎にする。
敵はある程度は減らせたが、あくまで港に出てきた敵だけ。船を見れば、中から怪物達が次々と現れる。一体、どれだけの怪物があのコンテナ船に詰まっているか、考えるだけでの億劫になる。
こちらの体力とて無限ではない。
プレシアの使っている銃だっていつかは弾切れを起こす。
「さてさて、今の所はこっちがジリ貧って感じだけど……」
視線はコンテナ船の上空。
「あんまり時間は稼げないわよ―――魔女さん」
自分達の現状に苦笑しながら、背後から襲い掛かる怪物の一撃を避ける。



船内と船外での戦闘は続く中、舞台は空へと移る。
コンテナ船を見下ろす形で宙に浮かぶのは、スノゥの杖。杖に跨り、地上に次々と松明が灯るように明るくなっていく様子見を見つめていた。
「――――そろそろ、行きますか」
スノゥは背後にいる美羽に向って言ったが、
「…………」
美羽はそれどころではなかった。
確かにスノゥは自分の事を魔女と言っていた。魔法を使うところだって見た事がある。空を飛べると言ったのも最初は半信半疑だったが、今となっては疑う余地はない。しかしだ、実際に空を飛ぶとなった際に、自分の身に降りかかる光景が如何なるモノになるか、とまでは考えていなかった。
高い。
ものすごく高い。
落ちたら海面であろうと確実に死ぬ高さだった。
「あの、美羽さん……」
「スノゥさん、そっと、そっとですよ。そぉぉぉっと、降りてくださいね!?」
眼を閉じて杖にしがみ付く彼女の姿は実に情けなかった。この場に向うと言った時の彼女の姿は凛々しいものを感じていたが、一度空に出たらこの始末。
「まぁ、侵入するのですから、ゆっくりは降りますけど」
この状態で船に降りても、まともに立つことが出来るか怪しいものだ。アリサなどまったく恐れもせず、燥いでいたというのに―――これが子供と大人の違いなのだろか。
「まったく、無様ですわ」
「怖くない、怖くない、怖くない」
自分に言い聞かせ、ゆっくりと目を開けば――――恐怖のあまり、もう一度目を閉じる。
「もう、そのままでいいですから、取り合えず静かにしてくださいね?騒いで、敵に見つかるなんて、愚の骨頂ですわ」
「す、すみません……」
頼りになるとは思ってはいないが、彼女がいないと何も始まらない。そもそも、言い出しっぺは彼女であり、スノゥはそれに賛同したに過ぎない。
何故、賛同したのか。
理由は単純な。
色々な動機があっても、もっとも自分という負け犬を動かす理由。
「本当にアナタで大丈夫なのでしょうか?」
「え?何か、言いました?」
「いいえ、何も」
見てみたいのだ。
負け続け、失敗し続けてきたからこそ、後ろで杖に必死に掴まって怯えている小さな教師が、何かを成功する様を。
確信とは違うが、興味はある。
どんな事をしても、失敗して負け続けている自分が彼女の手助けをした場合、今まで通りなら失敗する可能性が高い。ならば、自分がこれ以上関わる事をしなければ、美羽は美羽の目的を達成する事が出来て、物語の様なハッピーエンドが待っているかもしれない。
だが、此処には自分がいる。
敗北を続ける連戦連敗の魔女。
そんな魔女と共に居る彼女が、目的を達成する事が出来るのか―――興味がある。
「それでは、降りますから静かにしてくださいね?」
ゆっくりと降下していく二人。
「落ちないですよね?」
「落ちてはいますが、これが降りているというのが正解ですわ。まぁ、此処は空ですから、【敵などいる筈がない】ですから―――」
言った瞬間、
「―――――」
「スノゥさん?」
スノゥは酷く後悔した。
確か、以前もこんな事を口にした事がある。あの時は確か、人妖が入れない結界を張ったので、邪魔は入らないという台詞を言った。その結果、確かに人妖は入ってこなかった。
代わりに入ってきたのは、人の形をした鬼だった。
つまり、
「なんでしょうか……私、いつの間にか言霊使いになった気分ですわ」
自身は負け犬の魔女。
魔女の確信は、何時だって覆される。
羽音が聞こえる。
鳥が羽ばたく羽音ではなく、蟲が高速で羽を動かして空を飛ぶ音。トンボやカブトムシ、ハチが空中を飛び回る音が聞こえてくる。
近くに蟲でも飛んでいるのかと想い、美羽はうっすらと眼をあけるが、良く考えてみればこの高度を飛ぶことが出来る蟲などいるのだろうかという疑問に至る。
だが、蟲は居た。
スノゥと美羽を取り囲むように、
「科学の進歩もすごいものですわね。何時から、人が自らの力で空を飛べるようになったんでしょうか?」
人間が、飛んでいた。
これも怪物の一種だろう。大きさは他の怪物に比べれば小さい。身体も細い。見れば女性が多い。その理由は簡単で、質量が大きければ、空を飛ぶのには苦労するからだろう。
スノゥの視界に写る怪物は、羽が生えていた。
正確に言うならば、背中に付け根があり、その先が高速で動かしている為、羽自体は見る事が出来ない。しかし、確かに羽はある。
蟲の羽を生やした怪物達が、宙に舞っている。
「嘘……飛んでる……」
「えぇ、飛んでますわね」
もう笑うしかない。そして、これから迂闊で楽観的な言葉を慎むようにしよう。でないと、この様な眼に合うのだから。
羽の生えた怪物達の手にはサブマシンガンがあり、銃口は当然スノゥに向けられている。
「しっかり掴まりなさい!!」
美羽は杖から手を離し、スノゥの胴に手を回す。
瞬間、点滅する光と共に銃弾が襲い掛かる。
弾丸を避けながら、スノゥは空を疾走する。
空中戦は初めてではないが、向こうの速度は想像以上に速かった。蟲の飛行速度はあまり速いという認識はないが、あれは蟲であると同時に人であり、怪物でもある。音速とまではいかなくとも、スノゥの飛行にしっかりと付いてくる程度の速度はあった様だ。
身体を回転させながら銃弾を避け、一気に船に向おうと算段していたが、敵の連携も中々に良く出来ている。一体が背後から追いかけ、もう一体が先回りをする。それを回避しても別の一体が真上、真下から襲い掛かってくる。
「―――ッ」
思っていた以上に速度が出ない。
自分一人の体重なら問題ないが、今は美羽の分の重さもある。人間一人分、幾ら美羽が小柄とは言え、ハンでは十分すぎた。
落とすか、などという選択肢は選ばない。
自分の安っぽいプライドが許さない。
それ以上に、
「丁度良いハンデですわ……ッ!!」
面白いと嗤う。
まさか、この世界に来て空中戦を挑まれるとは思ってもみなかった。
「良いでしょう。相手をしてあげますわ」
呪文を唱えながら、上昇する。案の定、敵は既に先回りをし、サブマシンガンを向けている。

幻影鏡よ、幻身を顕現せよ‐ror lect ake dypear‐

瞬間、スノゥの姿が三つに分かれた。
まったく同じ姿、背後にいる美羽の姿も同様。
三人のスノゥは同時に三方向に分かれ、怪物はどれを攻撃するか一瞬だけ迷うようなそぶりを見せ、とりあえず一番近くにいるスノゥに向けて発砲する―――霧散。
別の怪物が別のスノゥを攻撃するが、結果は同じ。ならば、残る一つこそが本物だろう。銃口が一斉に残ったスノゥに向けられる。

濃霧による遮断‐Thife-

しかし、今度は怪物の視界を真っ白な霧が覆う。煙幕とは違い、手で振り払っても消える事はなく、移動しても霧は怪物を追うように移動する。他の怪物も同様に完全にスノゥの姿を見失う事となり、

猛き焔よ、爆ぜ、砕け‐lame bur clan ‐

霧の中に突如として生み出された炎によって、身体を焼かれる。炎は空中に次々と生み出され、怪物達の生命線となっている羽を燃やす。これが鳥の羽であったのならば、幾らか耐える事も出来たのだろう。しかし、蟲の羽は細く、脆く、炎を前にして抵抗する事など不可能だった。
羽を焼かれ、次々と海面に向って落下する怪物達。それでも何体かは生き残り、飛来する炎を避ける。
それでも、所詮は時間稼ぎにしかならない。
空に響き渡る魔女の祝詞。

汝の躯はゴーレムの躯:重装加工‐youb Gol bod :bul ov-

一つではなく、二つ。

我が躯は鳥の如く:高速‐dir d litwing:et-

突如、空に響き渡る爆音。
音は上空から。
夜空に突如として現れた巨大な炎。それはスノゥの杖の先からアフターバーナーの様に噴出した炎であり、それによって飛行速度は一つの弾丸と化すには十分だった。超高速で突撃してくるスノゥを攻撃する暇はなく、一つ目の魔法によって強化された拳を顔面に叩き付けられる結果となる。怪物の頭部はスノゥの一撃で吹き飛び、空中で青い炎となって無に帰る。
それを見た怪物達は各々、どのように対処するべきか頭の中のマニュアルを探るが、時既に遅い。
弾丸と化したスノゥに、先程の怪物同様に拳一つで撃墜され、あっけなく墜落する。
「まだまだ、ですわね」
空に敵はいないが、またあんなのを放たれるのも厄介だ。スノゥは直ぐに船に向って急降下していく。
「美羽さん、大丈夫ですか?」
「な、なんとか……」
最初から色々と限界だったが、最後の超加速のせいで飛ぶ程度で怖いとは感じられなくなったが、とりあえず、きっと地面に立った瞬間に腰を抜かしてしまうだろうという確信がある。
その時の事を想像しながら、美羽はこの先、空を飛ぶ機会があれば絶対にゆっくりで安全な飛行をする物に乗ると事にしようと心に決めた。




地上と空で戦闘は全て、一般的に人外と呼ばれる者達の争いである事は確かだ。しかし、忘れてはならないのは、この戦場にその場の乗りで着てしまった阿呆がいるという事だ。
名前は中島昴。
「ほあちゃぁぁぁあああああッ!!」
と、ドラゴンみたいな奇声をあげてはいるが、単に逃げているだけ。
怪物の暴力を前に、自称一般人である彼女が立ち向かえる術は一切ない。空手部に属しているとはいえ、あくまで対人において多少優れている程度。決してこんな怪物を相手にする為にやっているわけではない。
しかしだ。
彼女の逃げる、避ける動作は滑稽ではあるが、見様によっては見事な逃げっぷりである。なにせ、彼女の周りには未だに無数の怪物が蠢き、様々な兇器を駆使して彼女を死体へと変貌させる為に攻撃しているが、未だに一発も昴に当たってはいない。
「ティア!!少しは私の事を心配してくれてもいいんじゃないかな!?」
対しては怪物相手に奮闘している友人は、多少の疲れはあるものの、善戦を続けている。ただし、圧倒ではなく善戦。とてもじゃないが昴をフォローする程に余裕ではない。
また一体の怪物の首筋を切り裂き、青い炎に帰しながら、逃げ回る昴を一瞥し、
「そういうのは、致命傷を受けてから言いなさい」
「受けた時点で終わると思います!!」
「やってない事を、やってない内で出来ないって言うな」
「うわぁ、そういう所はティーダ先生と似てるね」
「褒めても助けてあげないわよ」
「褒めてないって」
とは言うものの、ティアナとて余裕があるわけではない。むしろ、余裕など欠片もない。現在、この場所は不良同士の喧嘩などお遊びに感じられる戦場、決戦場。下手をすれば怪我では終わらず、死を招く可能性だってある。むしろ、死が濃厚な状態とも言えるだろう。
敵の攻撃を回避して的確に敵の首筋を切り裂き、倒す―――なんて事は戦闘のプロフェッショナルにでも任せればいい。こっちは単なる学生。少しばかり危険な目に会う事に慣れている学生という身分。現に三体に一体は斬撃が浅いせいか、倒し損ねている。今の所は致命傷は愚か、かすり傷すら負っていないが、体力の浪費は激しい。
にも関わらず、
「―――私に言わせれば、アンタが異常なのよ」
昴を見る余裕はない。
逆を言えば、見る必要すらない。
怪物の攻撃は速くもないが遅くもない。しかし、その異形と兇器を前にすれば、普通の人間なら恐怖のあまり思考回路に異常をきたし、常時の行動を行う事など不可能だ。
不可能であるにも拘らず、昴は未だに無傷。それどころか、息の一つも切らしていない。
刃を振り回す怪物がいれば、斬撃を紙一重で避ける。棍棒で襲い掛かる怪物がいれば、振り下ろされた棍棒を避け、兇器を足場にして怪物の身体を駆け上がって逃げる。終いには銃を持っている怪物相手にすら怯む事無く、避ける所か突進して、銃弾が発射される寸前に銃を蹴って弾丸を反らすという技を見せている。
決して昴を高評価しているわけではないが、その動作は荒削りだが、自分よりも遥かに高い技術を持っている様に思える。
確かに彼女は戦う術を持っていない。が、持ってないだけに過ぎない。昔からずっと昴に付き纏われ続けているティアナだからこそ知る、中島昴という人間の意外性というべきだろうか。
昴はあらゆる厄介事に縁がある。
トラブルに巻き込まれやすいとも言える。
今回の事件は比較的部外者側にいるが、今まで彼女が巻き込まれたトラブルは一つや二つではない。この街は、彼女が通う学校は常に様々なトラブルに襲われている。軽傷で済むようなトラブルから、下手をすれば死ぬ可能性すらあるトラブル。力がある者が起こしたトラブルに巻き込まれる昴は、常にその最前線に立たされ、その度に生還してきた。高校に入ってからは、アリシア―――フェイトという戦える友人が傍にいる為、安全に難を逃れる機会が多い。
しかし、仮にあの姉妹に出会わなくとも、彼女はそれを一人で乗り越えてきたに違いない。
伊達に生徒会長の妹、というべきだろうか―――否、違う。
ティアナは断じてそれは無いと言う。
長年の付き合いだからわかるとか、信じているからわかるとか、そういう類の話ではない。
今、昴に襲い掛かろうとしているのは、口から鋭い触手を伸ばしている怪物。口だけではなく、背中から八つの触手を伸ばし、一斉に昴に向けて放つ。何度も言うように、常人であれば、その異形を見ただけで動作は鈍る。しかし、彼女にそれはない。経験だけではない。能力がそれをしないだけだ。
八つの触手を全て避け、口から延びる触手が顔面に突き刺さろうとした瞬間、避けるのではなく掴み取った。
掴み取り、引き寄せる。
引き寄せた怪物に身体ごと突っ込み、怪物の背中を転がって背後にまわり、逃げ出す。
まるでアクション映画のワンシーン。
昴を知る者、銀河を知る者がいれば、必ずと言って良いほどこう言う。中島昴は中島銀河の妹だから、あれ位は出来る。
勘違いも腹立たしい。
アレはそうではない。アレはそういう勘違いをされて良いレベルではない。
昴は戦える術を持っていない。
斬撃を前にしても逃げるのみ、打撃を前にしても逃げるのみ、銃撃を前にしても逃げるのみ―――それが可能である事が普通だろうか、平凡だろうか。
否、断じて否。
単に昴は戦う術を持っていないだけ。
今はただ、戦う術を持っていないだけであり、仮に持っていたとしても、使い方を知らないだけ。そして、更なる仮を付け加えるならば、昴がそれを得た時、戦うべき時が来た時、彼女はどれだけ強くなるのだろうか。
成長するのか。
進化するのか。

【限界を超える進化】をするのか。

「いやぁぁああああああああッ!!殺されるぅぅぅううううううッ!!助けておまわりさぁぁぁぁんッ!!」
少なくとも、あんな間抜けな叫び声を上げている限り、その時は訪れないだろうとティアナは心の底から思っている。
「ったく、アンタも少しは成長しないさいよね」
昴に襲い掛かる怪物を蹴散らし、悪態を吐く。
「成長しろって言われても……私、か弱い乙女だし」
「か弱い乙女なら、乙女らしい悲鳴を上げなさい」
「やってるじゃない。乙女らしい悲鳴ってやつうぎゃぁぁぁあああああああああッ!?」
「ぜんっぜん乙女らしくないわよ」
悲鳴を一つを上げる余裕があるのならば、今の所は問題ないだろう。
「けど、ここいらでちょっとは攻勢になりたいわね」
「その点は同感ね」
何時の間にか背後にプレシアが立ち、弾倉の尽きた銃を放り投げる。
「ティアナちゃん、アナタの見込みでは、どのくらいもつと思う?」
「頑張っても十分って所ですかね―――そっちの銃器は、どのくらいありますか?」
「あんまりないわね。思ってた以上に敵が多いわ……」
そう言いながらも、プレシアは背中からショットガンを抜き、発砲する。
「車の中にはまだまだ武器はあるけど、多分足りないわね。量よりも質重視で持ってきたのが失敗ね」
「こっちも刃毀れしてきました」
銃弾は尽きかけ、ナイフは刃毀れして切れ味が落ちてきている。
「となると……此処は出来過ぎた脚本みたいに援軍の登場を期待するべきかしら」
「楽観的すぎて、却下ですね」
「ふふ、私も同感よ」
だが、心の底ではそれを期待している。
誰か来ないものか。
この現状を打開できる。
圧倒的で反則的な強者の登場を。
神に祈るような気質は持っていないが、この国に礼儀に習って都合の良い時だけ神に祈ってみたくなった。
そして、

それを叶えるように、怪物が宙を舞った。

「―――――騎士様参上ってか?」
鋼鉄の銃器を携え、弾丸ではなく銃その物で殴り飛ばす、銃使いの風上にも置けない強者が登場した。
「……流石は兄さん。良い場面は逃さないのね」
ティアナの顔に浮かぶのは、安心の表情ではなく、恋する乙女の一途な表情。向けられた本人は物凄く鬱陶しい顔をしているが、とりあえずキザな表情で返す。
「当然だ。俺を誰だと思ってるんだ?女性のピンチには必ず現れる、絶対無敵に種馬だぜ?」
頭の悪い台詞を吐きながら、マスケット銃で敵を薙ぎ払う。
怪物達は新手を見る。
オレンジと緑の奇妙な髪の色をして、素肌に直接スーツを着ているホストの様な男。
マスケット銃を肩に担ぎ、口に煙草を咥えたティーダ・ランスターは周囲を見回し、紫煙と一緒に溜息を吐く。
「しっかし、随分と数が多いな……これ、教師の仕事だと思いますか、プレシアさん」
「立派な教師の務めだと思いますわ。少なくとも、此処で活躍すれば、先生の評価もうなぎ登り間違いなしと言ったところかしら」
「なら、その評価の詳しい内容を聞くために、今度デートしませんか?」
「結構です」
「こりゃ手厳しい……」
こんな場面であっても既婚者であり、生徒の母親に手を出そうとするようなティーダを、ティアナは睨むような視線を向ける。
「兄さん……」
「何だよ、そんな眼で兄を睨むな」
「プレシアさんなんか口説かなくても、デートなら私が何時でもしてあげるって言ってるじゃない」
「お前とデートしても面白くないっての。それとな、ティア。いい加減、俺が他の女と話すと機嫌悪くするの止めろ。そして料理に洗剤を入れるな」
「私は兄さん一筋なのよ?兄さんこそ、いい加減に私を受け入れるべきよ」
「受け入れたら色々と問題あるだろうが」
「先生。アナタが妹さんとイチャイチャするのは勝手ですけど、時と場合を考えてくださらない?ほら、昴ちゃんなんて、先生の登場にまったく気づかないくらいに熱心に頑張ってるんですよ」
プレシアに言われ、奇声をあげながら逃げ続ける昴を見てティーダは、
「…………あ~、そうですね」
一応は教師としての自覚があるのか、それとも単にティアナから逃げ出す為に丁度良いと思ったのか、
「とりあえず、俺がその辺の適当な奴をぶっ飛ばしますんで、プレシアさんは残った連中を狩っていくって感じでお願いできますか?」
「えぇ、構わないわ」
「それじゃ、私は兄さんの背中を守るわ」
「お前に背中を任せるくらいなら、常に敵を背中に置いた方がマシだっての」
妹を邪険に扱いながら、ティーダはマスケット銃を持って走り出す。目の前にいる敵を一撃でぶっ飛ばし、脳天を砕く。次々と襲い掛かる怪物を暴風の如き勢いで蹴散らし、昴に襲い掛かろうとする怪物を下から上に救い上げる様な打撃で打倒する。
「おい、昴。大丈夫か?」
「ゲッ、ティーダ先生!?」
「ゲッてなんだよ、ゲッて……お前な、せっかく助けてやったんだから、礼の一つも言えないのか?」
「あ、そう、ですね……うん、ありがと、先生」
「宜しい―――ところで、なんでお前が此処にいるんだ?ティアはまだしも、お前がこの場に居てもクソの役にも立たないだろうに」
「酷い言われようだね。私だって好きでいるわけじゃないよ」
「なら、なんでいるんだよ?」
「……空気を読んだから、かな?」
「空気を読んで死に行くのか?お前、本物の馬鹿か?」
「兄妹揃って酷いね、本当に……」
既に知ってはいるが、この状況でもこれは流石に無いな、と思いながらも、ティーダの登場は戦っている彼女達にとっては幸運以外の何物でもない。
マスケット銃を回転させ、肩に担ぎ、煙草を咥える。
「にしても、これはまた随分と凄い光景だな。コイツ等の何匹か捕まえて、商売するのも悪くないわ」
「趣味悪いですよ」
紫煙を吐き出しながら、それもそうだと苦笑する。
「まぁ、いいや。コイツ等をこのままにしてるってのも癪だし、いっちょ全員まとめて焚火にしてやるよ」
「それ、正義感って奴ですか?」
「俺にあると思うか?」
「無いですよねぇ」
当然、と吐き捨て、ティーダは次の獲物へと疾走する。
全てが一撃必殺。
ティアナの様に首筋を切り裂くわけでも、プレシアの様にヘッドショットを喰らわせるわけでもない。単純な腕力と重量を持って相手を叩き潰す。兇器を向けられれば兇器ごと粉砕し、無防備に背中を晒せばくの字に叩き折り、銃を向ければ打って弾き返す。
特別な能力を持っているわけではない。単に戦い慣れて、そして強いだけ。人間でありながら人間ばなれした戦闘力を持った教師を前に、怪物達は次々と撃破されていく。
「おら、吹っ飛べゾンビ野郎ッ!!」
真下から掬い上げる様な一撃で怪物が宙を舞う。
一騎当千を謳う気は更々ないが、この程度の化け物を相手に怯む事は無い。本当の化け物なら知っている。生死を分ける戦いを強いられた事だって一度や二度ではない。それ故、恐怖など微塵も感じられない。
此処に、怪物達にとっての難攻不落の銃撃手の登場によって、この場の事態は一進一退となる。怪物は一匹たりとも街に放たれる事はなく、一人とて殺す事は出来ない。



何故、生まれてしまったのだろうか。
生まれなければ、出会わなかった。
生まれなければ、奪わなかった。
生まれなければ、傷つけなかった。
怪物として生まれ、怪物として生き、怪物として生きてしまった己は、常人にとって毒でしかない。時に即効性の毒であり、潜伏期間の長い毒でもあっただろう。そうした人生を歩んできたが故に、得てしまったと勘違いした結果が、親しい者の死という最低の結末。
まだ訪れてはいないが、きっと逃れる事は出来ない確定された未来である事は確かだ。
ヴィクターは人ではない。
怪物達を操るだけの彼はもう居ない。どのような術を取ったかは知らないが、彼は今や、どんな者でも決して勝つことが出来ない真の怪物となってしまった。怪物である自分が手も足も出ず敗北し、こうして無様に動けないのが証拠だ。
自分の知る人々は強い。だが、彼ほど強いとは思えない。そして、彼ほど恐ろしいとも思えない。如何に強かろうとも所詮は表の世界で生きてきた者達ばかりだ。裏にはもっと強く、凶悪で、最悪な者達が蠢いている。
同時に、この船の中には無数の怪物達が蠢いている。数の暴力は一個人の力を軽く上回る。故にわかる。見てきたからわかる。わかってしまっている。だから諦めてしまっている。
己の諦めに吐き気を覚える。
戦う気があれば動けるはずなのに、自分はまったく動こうとしていない。身体だけではなく、心まで打ち砕かれてしまったのだろうか。
生まれなければ良かった。
生まれて、知らなければ良かった。
そうすれば諦めという絶望を知る事は無かったはずなのに。
リィナ・フォン・エアハルトとして生み出された自分は、もはや災厄の種でしかなかったのだろうか。海鳴という街に植えられた種はゆっくりと周りの人々と交流し、感じ合い、共に居る事で周りの人々に不幸という花を植え付ける、最低最悪な品種改良の種。
情けない。
泣きたい。
だが、泣く権利なんてない。
なら、諦めるのか―――諦めたくなんてない。諦めなくなんてないが、どうしようもないのだ。どうしようもないから、無様に倒れて、動く事すら出来ないのだ。
こんな、無様な格好で。
「ほんと、無様……無様だな、私は……」
「リィナ、あまり私の前でそういう事を言うな」
諸悪の根源と化したヴィクターは、倒れる妹を尻目に自分は椅子に座ってワインを口にしていた。ワインの味などわからない癖に、これこそが至高だと囀る怪物が自分と同じ存在だと思うと涙が出てきそうだ。
「お前は無様ではない。ただ、少々頭が悪いだけだ。まぁ、その責任はこの街に者達にある。だから、優しい私がお前の代わりに仕返ししてやろうと言っているのだよ」
勝手な理屈だが、ヴィクターは本気でそう思っている様にしか見えない。現にそう思っているのだろ。彼にしてみれば、自分以外は全てが劣悪種であり、見下して踏み潰すべき相手だ。
「……なぜ、だ……なぜ、こんな無意味な、事を……」
「無意味?何が無意味だと言うのだ?」
「お前が、している、事は……しようと、している事は、ただの……」
「ただの八つ当たりかい?それとも苛めかい?どっちでもいいだろうよ、そんな事は。私はただ、この国を離れる前に私を陥れた害虫共を駆逐しているだけだ。お前は、ゴキブリやネズミを見たら放って置くか?置かないだろう?私なら、その場で潰す」
それこそ八つ当たりで、逆ギレだ。
ヴィクターが勝手に行った事を邪魔されたのは、全て彼が悪い。だというのに、彼はそれを他人にせいにしているに過ぎない。まるで子供だ。親に怒られたのは自分が悪いからではなく、親が悪いからと駄々を捏ねる子供となんら変わりはない。
ただ、その子供と違う部分があるとすれば、それは彼が力を持った子供という点だろう。
「心配するな、リィナよ。私はあんな害虫共に負けはしない」
「…………」
「そうだ。どうせならこうしよう。今から命令を変更し、殺した者達の死体を運ばせ、私が改造しよう」
殺意が生まれる。
何も出来ない癖に、殺意だけは生まれる。
「どんな風に改造してやろうか……ふふ、今から考えるだけでも楽しみだ」
殺してやりたい。
「リィナ、何か良い案はあるか?今なら、お前の好きなタイプに改造してやるぞ?」
こんな怪物、殺してやりたい。そして、こんな怪物と同じ自分を殺してやりたい。だが、殺せない。ヴィクターも自分も、簡単に死ぬ事など出来るはずがないのだから。
諦めは人を殺す。
だというに、どうして自分は死なないのだろうか。
心臓が動いているからか。
自分の本体である心臓が、鼓動を続ける限り死ぬ事はない。この状態で舌を噛み切ったとしても身体が死ぬだけで自分が死ぬ事はない。心臓自体が此処の擬似生命として存在している以上、自分は自殺など出来ない。
だから、後悔する事しか出来ない。
自身を、怪物を、生まれた事を、全てを後悔するしかない。
綺麗な思い出は血によって汚される。自分が血で汚し、ヴィクターが殺して壊す。自分の大切な者達はそうして死んでいき、下手をすれば死んだ後も侮辱を受けるだろう。
耐えられない。
死にたい。
消えてしまいたい―――――などと、自分の周りに居る者達が、自分が憧れた光の中に住まう者達を一欠けらも信用していない思考など、戯言となんら変わりはしない。
くだらないと笑う。
馬鹿らしいと吐き捨てる。
知っている癖に、否定するなど馬鹿らしい。そんなくだらない事を考えているなどアホらしいと失笑が零れそうだ。
微かな音を立てて、扉が開く。
ゆっくりと開く扉に驚く者はいない。リィナは開いている事にすら気づかず、ヴィクターは既に扉の向こうに誰かが居る事を知っているから、驚く事はない。
ヴィクターからすれば、随分と遅い到着だと呆れているのかもしれない。随分前から船の中と外で響く音は戦いの音以外に他ならない。彼の聴覚には既に察しており、襲撃を受けている事も知っている。だが、それを知っていながら動かないのは、単に余裕の表れだろう。
誰がどんな悪あがきをしようとも、強固な己を、絶対になる己を崩す事など不可能なのだと自負している、狂信している。
そうした点を踏まえれば、リィナとヴィクターは似た存在であり、兄妹であるのは納得できる。
共に舐め切っている。
共に自己を盲信し過ぎている。
ならば、それを切り崩そう。崩して、バラして、完全に叩き潰そうではないか―――否、

叩き斬ってやろうではないか

死神が立ってる。
小さな背に、金色の鬣を。
小さな背に、紅の瞳を。
小さな背に、巨大な大鎌を。
「――――なるほど、君が私の相手をするという事かい?」
ヴィクターは死神に尋ね、リィナも漸く死神の存在に気づく。
彼女は死神を知っている。
死神の形をした、同級生を知っている。それ以前に死神は、彼女はこんな時だというのに、場違いな格好をしている。此処は戦場であり、死者の集う墓場だ。足を踏み入れれば死が待っている。死人に近く、不死に近い彼女でも危険な目に会う事は必然。
だというのに、彼女が纏っている服は、制服は、海淵学園の制服だった。
彼女の為に特別に作らせた特注の制服。
小学生サイズのそれを纏い、大鎌を持って部屋に足を踏み入れる。
どうして、とリィナは呟く。
「どうして?」
彼女は問い返す。
「どうして、そんな【当たり前】の事を聞くの?」
「だって……どうして、アナタが……来るの?」
そう言いながらも、リィナは既に答えを得ている。ヴィクターは自分を辱めた者達の抹殺を目的としている。ならば、必然的に危害を加えられるのは彼女の家族だ。故に彼女は家族を守る為に此処にいる。彼女は自らの危険よりも家族の危険を嫌う。それ以外はどうでも良い。誰が死のうと生きようと、リィナが死のうと生きようと、彼女には何の関係もない。
だが、どうだろう。
どうして、聞いてしまったのだろう。
まだ自分は願っているのだろうか。
願ってはいけない望みを願い、問いとして彼女にぶつけているのだろうか。なんて醜く、愚かな質問を投げかけ、リィナは心の底で、自分でも気づかない感情を知る。
願っているのだ。
日常への回帰を。
自ら手離して、自らが破壊してしまった日常を、まだ惨めに縋ろうとしているのだ。
「私はどうでも良いの」
彼女は冷たくリィナを突き放す。
「アナタが死のうが生きようが、どうでも良い」
冷たい表情で、転がっているリィナを興味のない視線で―――見ていない。
「でもね……」
初めて見た気がした。
「私がどうでも良くても……アリシアが悲しむの」
口元を微かに動かし、まるで―――笑っている様な顔。
「アリシアだけじゃない。母さんも、ティアナも、昴も……先生も」
おかしいのだ。
こんな自分が、家族以外の誰かの想いを受け止め、動いてしまっている自分が何よりもおかしいのだろう。果たして、彼女はそれに気づいているのだろうか。いや、きっと気づいていない。リィナも、ヴィクターも、彼女―――フェイト本人すら気づいていない。
この部屋に居る誰もが気づかず、
「だから、連れて帰る」
引き摺ってでも。
「連れて帰って、さっさと終わらせる」
泣き叫んでも許してやらない。
「帰る?奇妙な事を口走るな、君は。リィナは私の妹だ。そして、リィナの帰るべき場所は私の下であり、それ以外は必要ない」
「違うよ」
ヴィクターの言葉は否定する。
「いや、違ってないけど、きっと違う」
フェイトの背丈に不釣り合いな兇器を構える。
「リィナの帰る場所は、アナタの所じゃない―――先生なら、そう言うよ」
そんな事を言わないで欲しい。
さっきまで、ちゃんと諦めていたのだ。諦めて、投げ出して、全部を元の鞘に戻すつもりで、終わろうとしていたのに、そんな事を言われたら、
「なるほど……つまり、君は私からリィナを奪うつもりか」
「奪うのは私じゃない。先生が奪うの。私のせいじゃないし、私の意思も関係ない」
「ならば、何故に君は私に刃を向ける?」
「色々な事情のせいかな……ほんと、困るよ」
困り顔で、苦笑して、それでも勘違いでなければ、一欠けらの優しさがある気がする。
「面倒事はもう十分」
巨大な鎌の刃が鈍い光を放つ。その兇器自身が濁った殺意を秘めているかの様な、生き物であるかのような、そんな錯覚と本質。
アレは兇器だ。
怪物達の持っている人の作り上げた現代的な武器ではなく、人以外の何かが手を貸した結果、救いようのない呪いを受けた兇器。
名を、幽焔という。
「もう疲れたから、私がアナタを終わらせる」
「出来るのか?君が?私を殺せるのか?死なない程度の肉体を持ったくらいで、私を殺すと言うのかい?」
「変な事を言うんだね。アナタはもう終わってるんでしょう?なら、死ぬとか殺すとか、アナタには関係ない事だよ」
「――――あぁ、違いない。なら、逆に私は君を殺すと宣言しよう」
向かい合う死神とフランケンシュタイン。
死神は鎌を、フランケンシュタインは身体を兇器として相対する。
「殺す?無理だよ」
さも当然の様にフェイトは言う。
決まり文句の言葉を。

「だって私は、もう死んでるからね」


甲板で暴れていた銀河の頭上から巨大な火の玉が落ちてきた。火の玉は銀河を以外の怪物達に激突し、燃え上がる。青い炎を喰らう赤き炎、正しい炎の色によって灰となる怪物達などには目もくれず、銀河は空を見上げる。
少しだけ、驚いた。
空から人が降りてきた。
落ちてきたのではなく、降りてきた。箒で空を飛ぶ魔女ではなく、杖で空を飛ぶ魔女であり、その後ろには見慣れた教師、美羽の姿がある。
「生徒会長さん!!」
先程までの怯えが何処に行ったのか、美羽は銀河の姿を発見するなり杖から飛び降りた。流石に二、三メートル程度の高さであれば落ちても問題はないらしく、着地の瞬間に若干体勢を崩したが、何とか持ちこたえる。
「……新井先生、どうして此処に?」
予想はしているが、正直に言って美羽が此処にいても邪魔だ。此処は戦場であるが故に、戦えない者の世話をしていて背中を刺されるなんて事があってもおかしくない。だからこそ、非戦闘員である美羽は此処にいるべきではない。
「危険です。さっさと帰った方が良いと思いま―――」
「なんでこんな危険な場所に居るんですか!?」
逆に怒られた。
「はい?」
「だから、なんで生徒会長さんがこんな場所にいるんですか!?しかも一人で……怪我とかしたらどうするんですか!?」
別に怪我はしていない。この程度の相手との戦いで死ぬような程、柔な鍛え方はしていないつもりだ。それに、美羽は一度自分の戦いを見ているはずだ。だというに、こんな的外れな事を言い出すなんて、
「怪我、怪我無いですか?どこか痛い所とか、そういうのありますか!?」
そう言って銀河の身体を触りだす。
「あの……もしかして、心配してるんですか?」
美羽は海淵学園の教師だ。ならば、自分がどういう人間で、どういう人妖である事など重々承知している筈。
「当たり前ですッ!!」
いや、きっとわかっていない。
わかってはいないが、
「そんな子供じゃあるまいし……」
思わず漏れた言葉は、苦笑混じり。
「大体、それを言うなら先生こそ大丈夫なんですか?一応言っておきますけど、先生の方がよっぽどこの場では危険です」
どうやら美羽から見れば、自分も子供の内に含まれるらしい。高校生を子供とするかどうかは、千差万別だが銀河自身は自分を子供だとは思っていない。それ以上に、この場で自分よりも危険なのは美羽だ。心配するなら戦える自分ではなく、戦えない美羽を心配する方がずっと的確だろう。
「っていうか、人の話聞いてます?」
銀河の言葉がまったく聞こえていないのか、一通り銀河の身体を触って怪我らしい怪我な無い事に安堵の息を漏らす。
「もう……心配させないで下さいよ」
「…………」
心配させるな。
無事でよかった。
理解できる言葉なのに、どうしてか銀河には理解する事が困難に思えた。彼女は自分が誰か知っている筈なのに、まるでそんな事など関係ないと言うように心配している様だった。
何故か。
自分は強い。
この程度の怪物を相手に遅れは取らない。
だが、心配されている。
「はい、すみませんでした」
「良いですか?確かに生徒会長さんのおかげでエアハルトさんの場所がわかりましたけど、一人で助けに行くなんて無謀です!!」
この人には言われたくない。
「そりゃ、生徒会長さんは強いですけど、一人でどうにか出来る事と、出来ない事があるんですよ?その区別、ついてますか?」
それも言われたくない。
なんだか場違いな説教をされてはいるが、一つとして納得などしていない―――していないのに、反論が出来ない。反論する事など簡単なのに、銀河は黙って美羽の言葉を聞く事しか出来ない。
自尊心は少しだけ傷ついた。こんな何の力もない人に説教される筋合いは無いし、誰かに頼らなければすぐに死んでしまいそうな弱い美羽の言葉なんて一つとして自分には響かない。
響かない、はずなのに、
「美羽さん、そのくらいにしておきませんか?」
美羽の説教を止めたスノゥは、半分呆れ、半分面白いという顔だった。銀河は初めて彼女とこうして会っているわけだが、この人物がスノゥ・エルクレイドルという人物であるという確信はある。だが、まさか空を飛んで登場なんて思いもしなかった。
「あ、そうですね。生徒会長さん、続きはこの後です。逃げちゃ駄目ですよ」
「はぁ、まぁ……えぇ、了解しました」
頭を掻きながら、どうも釈然としない気持ちを一度忘れ、現在の状況確認を行う。
先程から聞こえる銃声は、船の外に出た怪物をプレシア達が止めている発砲音だろう。ならば、必然的にそこには昴とティアナがおり、一応連絡しておいたティーダも居るはずだ。船内にどれだけの怪物がいるかは未だに不明だが、甲板には一体もいない。先程の攻撃で全てが灰と化した。
ならば、
「侵入するなら今、という事ですか……新井先生、外で暴れている人達は陽動という認識で問題ありませんか?」
「はい。皆さんが外で暴れれば、中の警備が薄くなるだろうってプレシアさんが言ってました」
「常套手段としては、十分ですね。それに先程から私もそれなりに暴れてましたから、中の警備も少しは薄くなってるはずです。というより、あの男はこっちを舐め腐ってますから、わかってる上でやってる可能性も捨てきれませんがね」
敵の数も減っているし、中に侵入するなら今だろう。
「ところで、一応聞いておきますけど、私が居なかった場合、中で彼女を探す役は新井先生とスノゥさんの二人だけなんですか?」
スノゥの戦闘能力は銀河にとって未知数だが、先程まで自分が戦っていた数を考えれば、些か心もとない。
「それもちょっと無謀じゃないですか?」
「まぁ、同感ですわね」
周囲を索敵しながら、スノゥが答える。
「敵の全てが外に出るとは思いませんし、ある程度の相手なら私が屠っても良かったのですが……正直、アナタが数を減らしてくれたのは幸いですわ。その分、フェイトさんも動きやすいでしょうし」
フェイトの名が出る事に驚きはない。むしろ、彼女を残して来たと言われる方がよっぽど驚きだ。
「フェイトは既に船内に?」
「私達は空から、フェイトさんは地上から。船外での戦闘にまぎれて、彼女には船内に入り、リィナさんの救助をお願いしています」
なるほど、だとすれば自分の戦闘は敵の数を減らし、フェイトがリィナの散策をする事に貢献はしている。
「―――とりあえず船内の敵に数は把握しました。この程度なら、私と彼女で十分に切り抜けられます」
どのような方法で索敵をしたのかは聞かないが、銀河はスノゥがそれ行った術に興味を抱く。索敵であるならば銀河も出来る。音の反射、振動を駆使する事である程度の数を絞りだす事は可能だが、
「ちなみに、どのくらいですか?」
「三十一体。装備は銃で武装したのが十五、近接武器が九、無手ですが特化型と思われるのが七体ですわね」
此処まで正確な数字は出せない。
「後は、船内の中央にある部屋で戦闘が始まっていますわ。部屋の中には今言った数に入らない人が三人。リィナさんとヴィクター、そしてフェイトさんです」
感心を通り越し、驚きが生まれる。
「凄いですね、そこまでわかるなんて……一体、どうやったんですか?」
「それも今話す内容ではありませんわ」
そう言ってスノゥは歩き出す。
「部屋に辿り着くまで二十三体の内、十九体と確実に出くわします。アナタが先行し、私は援護。美羽さんは私から決して離れないように。良いですわね?」
「わかりました。新井先生をお願いします」
銀河はスノゥを追い抜き、先陣を切る。
その背後で何やら呪文の様なものを唱えるスノゥの後ろで、恐れながらもしっかりと付いてくる美羽。
怖がる位に弱い癖に、泣き言一つ言わない。
弱いが、強い。
銀河とは違う強さ、銀河は知らない強さ。そして、持てない強さ。
「助けたいと思わせる力、か」
銀河には無い。
銀河は個で十分、群れなど要らない。他など必要ない。この身は一つで全てに対抗するために鍛え上げ、此処に居る権利を持っている。その反対に、美羽は個では何も出来ない弱い存在だ。だが、それに見合った力があるからこそ、他を寄せ、他に守られ―――他を守ろうとするのだろう。
弱いからこそ、誰よりも守られる意味を知り、守りたいと思う意思を持っている。
少しだけ矛盾し、少しだけ羨ましい力だ。
案外、彼女の様な者の方が生徒会長に相応しいのかもしれない。一人で全てを終わらせる自分ではなく、誰かと一緒に終わらせる者。
「ちょっとだけ嫉妬しそうだわ」
そう言いながらも、口元は綻ぶ。
決して口には出さないが、本音を言えば少しだけ、本当に少しだけ――――嬉しかった。




二体の死者は激突する。
初見の際、フェイトは無手であったが、今は大鎌を装備している。切れ味はそこいらの刃物とは比べ物にならない切れ味を持っており、巨大であるが故に壁や床に当たる事があるが、その全てを空気の様に切り裂いていく。
対してヴィクターは無手。
無手だが、その動きは常人を遥かに超える。大鎌の鋭い斬撃を避け、鋭い動きでフェイトに肉薄し、攻撃を加える。腕力だけでも力のリミッターが外れているフェイトと互角、もしくはそれ以上だろう。
あの時、小者臭が漂っていたヴィクターとはまるで違う者、生物に変わっていた。だからこそ、戦いは激しさを増していく。斬撃と打撃の応酬。片方が喰らえば、片方も返す。そうしたやられたらやり返すの繰り返しによって、台風が部屋の中で暴れまわっている様にさえ思える。
「どうやら、今の私は君と同じ位置に立つ事が出来ている、というわけだね」
もはや並みではない。小者でもない。邪な技術によって得た力を武器をヴィクターは得ている。
「関係ないよ、そんなの」
フェイトは平然と回答する。
確かに強くはなっているが、所詮はそれだけ。フェイトには超回復、超再生という不死の能力が存在する。それがある限り、負けは無い。様々な意味で決して負けはない。
「さて、それはどうかな」
不気味な笑みを零し、ヴィクターは再度フェイトと激突する。
岩すら簡単に砕ける力を持った拳をフェイトに叩き付ける。だが、その程度の攻撃を受けても死ぬ事が無いフェイトは、防御すらせずに大鎌の刃で切りつける。
大鎌の斬撃はヴィクターの手に食い込んだが、彼はそんな事などお構いなしに拳を振り切った。ヴィクターの手は切り裂かれながらもフェイトの頭蓋を叩き壊し、小さな体躯が壁に激突、貫通する。
「ふむ、中々の切れ味だ。だが、今の私には無意味だ。君と同じようにね」
そして再生が始まった。
フェイトの再生ではなく、ヴィクターの再生。
切り裂かれた手はフェイト程速くはないが、傷口が徐々に塞がっていく。
「どうだい?私も君と同じ不死を得た。これは私の研究成果であり、いずれは全ての死体達が用いる能力となる。無論、リィナ……お前にもな」
背筋を蚯蚓が這うような気分になった。
アレは異常で異形だ。あんな力を持ってしまえば、自分は完全な怪物になってしまい、自殺する事すら出来なくなってしまう。
「それは誇る事なの?」
穴の開いた壁の向こうから、既に潰れた頭蓋を再生させたフェイトが出てくる。
「こんな気持ち悪い事が素敵なの?」
リィナの気持ちを代弁する様に、フェイトはヴィクターに問いかけるが、彼は当然だと口にする。
「むしろ、気持ち悪いなんて感想を抱く君が理解できない。君はずっとそんな素晴らしい力を持っていたんだろう?私の様なその場しのぎの雑技ではなく、生まれ持った異能だ。誇る事はあっても恥じる必要などない」
「そう……なら、アナタの力は何のためにあるの?」
「無論、己の為」
「だったら、意味なんてない」
激突は再開する。
互いにガードなどしない。
斬撃は受ける、打撃は受ける。
腕が吹き飛び、骨が砕かれ、顔面は陥没し、胴体は切り裂かれる。全てが致命傷な一撃であるにも関わらず、二人は一切避けようとはしない。むしろ、避ける事すら億劫だと言うように斬撃と打撃を互いの身体に受け続ける。
再生はフェイトの分がある。しかし、損傷を作り出す技術はヴィクターに分があった。
フェイトの再生能力は確かに驚異的だ。其れに加え、再生の恩恵による肉体のリミッターの解除。並みの人間以上の腕力脚力を発揮する事が可能だ。しかし、所詮はそれだけに過ぎない。如何に強力な再生能力があろうとも、如何にリミッターが外れていようとも、フェイトの戦いには致命的な欠陥が存在する。
「ふむ、君はあれだな……猪だな」
ノーガードの潰し合いは、ヴィクターがそれに気づいた瞬間に変化した。
避けた。
誰もがそれを変化したのではなく、初めに戻っただけに過ぎないと思うだろう。だが、最初が肝心という言葉と、初心が大事という言葉がこの国にはある。
それこそが、ヴィクターが有利になる為の方法だった。
大鎌の一撃を回避するのは、決して彼女の攻撃に脅威を感じたわけでも、受けてはいけない攻撃が含まれていたというわけでもない。単純に【受けるのが無駄】という事を知っていたからだ。
確かにフェイトは速いし力も強い。しかし、それだけ。
ヴィクターの観察の結果、フェイトに問題があると確信している。ある意味、弱点とも言えるだろう。
彼女の【戦闘能力】に問題があるのではなく、【戦闘方法】に決定的な問題があるのだ。
言ってしまえば、雑なのだ。
切り込む一撃は大振り。斬撃の速度は速いが、斬撃を放つまでの速度が遅い。遅いと言うよりは無駄が多い。単に力任せに振っている様にしか思えない。その点、ヴィクターは違う。彼の攻撃は洗礼された戦闘技術というわけではないが、彼女よりは無駄がない。ある程度の実戦経験と、ある程度の戦闘知識さえあれば、誰にでもわかる事だ。
玄人ではないが、素人ではない―――それがヴィクター。フェイトは逆に素人。
「特化型の連中なら倒せるかもしれないが、私には通用しないよ」
ヴィクターの口が歪む。
「その能力には素晴らしいが、君はその能力に頼り切っている。如何に再生が速く、如何に強靭な運動能力を発揮出来ようとも―――所詮は、力に振り回されているに過ぎないッ!!」
そしてもう一つ。
ヴィクターという男は自身の能力を知ると同時に、相手の能力を知り、研究する。自分も相手も、互いに研究して弱点を見つける。
「さぁ、解剖といこうかッ!!」
フェイトの肩に手刀が突き刺さる。そして、突き刺さった瞬間、手が高熱を帯びる。するとどうだ、フェイトの肩と腕が高熱によって焼き斬られる。だからどうしたと、フェイトは構わず攻撃を振るうがあっさりと避けられた。
腕など幾らでも再生する。
落ちた腕を拾い、拾い――――くっ付けようとした腕が無い。
「探し物はこれかね?」
切断された腕をフェイトに見せつけるように放り投げ、空中で弧を描きながら飛ぶ腕に掌を翳す。すると、ヴィクターの掌から何がが発射された。
杭だ。
杭がフェイトの腕を天井に撃ち付ける。
「酷い……」
「困らせたいのさ」
そう言うな否や、次の攻撃を開始する。高熱を帯びた手刀ではなく、蹴り。ローキックがフェイトに当たった瞬間、今度はヴィクターの足から刃が飛び出した。飛び出した刃はギロチン。ギロチンで足を切断し、体勢が崩れたフェイトに回し蹴りを放つ。
「さて、どうやら君の再生は切断された部位ですら、即座に融着させる事は可能なようだが……肝心の部位を融着させなければ、どうなるんだい?」
「…………」
切断した足を先程の腕と同じように壁に撃ち付ける。
「そう、君を殺す術は今の所見つかってはいないが、君を行動不能にする術はある。実に単純だ。要は融着させなければ良い。再生させる部位を君から離せばいい。そうすれば、今の君の様になる」
大鎌を杖にして何とか立っているフェイトを見て、ヴィクターは自分の予想が的中した事に優越の念を抱く。
この事に気づいたのは、フェイトが首と胴体が離れた時だ。首と胴体が離れた時点で死ぬとかは、この際はどうでも良い。肝心なのは、彼女が首を探していたという事。そして、母に自分の首を取ってくれと言った事。
傷は点だ。
身体に穴を開けようがどうしようが、身体が一つの部分としてある以上、再生は簡単だろう。だが、その部分が離れてしまえばどうだろうか。再生を行う為の中心となる場所は不明であり、もしかしたら存在しないかもしれない。存在するのは身体という集合体。腕と手と胴体と頭部でしかない。
それを切り離せば、手の届かない場所においてしまえば、
「実験成功。君の不死はある程度証明されたが、万能ではないという事は確かに証明された」
後はこれを繰り返せば良い。
残る手足をもぎ取り、首を切り離せば、後は何も残りはしない。
「…………」
フェイトは何も言わない。
「…………」
何も言わず、残った片足で床を蹴り、残った腕で大釜を振るう。
「だから、無駄だよ」
攻撃はあっさりと避けられ、太腿部分から残った足を持っていかれる。支えを失ったフェイトは床に倒れるしかない。
「詰んだんだよ、これで」
両足を切断され、片手も失った。
「この状態でどう動く?あぁ、まだ腕はもう一本あるな。よし、それももぎ取っておこう」
そう言ってヴィクターはフェイトの腕を手に持ち、足で首を抑え込み、万力を込めて腕を引き千切る。
骨ごと、血管ごと引き抜かれた腕からの大量出血は絨毯を赤く、そして黒く染める。
「私の勝ちだな、素人」
「…………」
完全に詰んでいる。
手は無い。
足は無い。
手も足も出ない。
そう思える絶望的な状況だ。
だが、
「…………」
追い詰められているにも拘らず、フェイトの表情に変化はない。
それどころか、

「――――それだけ?」

足りない、と。
「それだけで、どうして勝ちだなんて言えるの?」
その程度か、と。
「何……?」
ヴィクターに苛立ちが生まれた。
何故、この少女はこんなにも余裕なのだろうか。まさか、不死であるが故に手足を捥ぎ取られようとも自分は死なない。死なないから恐怖も絶望も感じないという程度の感情を抱いているのだろうか。
だとすれば、少女は素人すぎる。
彼女は前提を間違えている。
自分が死なない事は現状では優位に立っているという条件には当てはまらない。肝心なのは自分を、ヴィクターを倒してリィナを助けるという点こそが重要だ。この状況では、どう足掻いてもヴィクターを倒す事もリィナを救う事も不可能だ。
だというのに、
だというのに、
だというのに、
「勘違いしてるよ、アナタは」
不安が生まれる。
「私の事も、死んでいるって事も、全部アナタは勘違いしている。何もわかっていない」
懸念が生まれる。
「私はね、死んでるの」
畏怖が生まれる。
「死んでるから、終わってるの」
止まらない。
何もかもが止まらない。次々と不安要素が生まれ、その度に消し去っても消えていく。自分が理解していないはずがない。自分はフランシュタインの怪物であり、今の肉体はその研究の中で生み出したもっとも不死に近い身体だ。自分の中では最高傑作と言っても過言ではないだろう。
それなのに、止まらない。
止まってはくれない。

「終わっているから、【終わり続けるんだよ】」

それが意味する現象が起こる。
ヴィクターよりもそれに気づいた、視覚したのはリィナだった。
彼女の視線の隅にある、壁に打ち付けられた腕が変化する。姿形が変わるというわけではなく、単純に【朽ちて逝く】。
腐り、朽ちて、最終的に灰となる。その過程が異常に速い。まるで生命力が何かに搾り取られ、存在する事が出来なくなった様だった。現にそうなのだろう。腕は確かに木乃伊の様に朽ち果て、灰となった。その現象は腕だけではない。右足も、左足も、最後はヴィクターの手の中にある引き千切られた腕すら同様の現象を発生させている。
塵は塵に、灰は灰に。
死者は終わり、先など存在しない。
終わった者は終わり、始まる事は断じてない。
死とはそういうモノだ。
輪廻転生など戯言で夢物語。
フェイト・テスタロッサは生まれて死んだわけではない。
生まれずして死んだ。
プレシアの腹の中で死に、生まれる事が出来なかった。
ならば、彼女は常に死だ。常に死んでおり、一度たりとも生きてなどいない。生きてないが故に【生きて死ぬ過程】を語る意味すら無意味。
死んでいる。
死から生まれたのではなく、死そのもの。
故に屍。
故に死神。
故に不死。
故に【不死身の死】だ。
ヴィクターは勘違いしていた。フェイトは不死身ではない。再生能力ですら、彼女の能力ではない。再生はあくまで【見せかけ】であり、誰もがそう思うように仕向けられていたに過ぎない。
死だ。
彼女は死なのだ。
だから始まっていない。最初から終わっている。
「私はこれ以上は死なない。私に死はない。だからね、私を【消したい】なら、死を消すか、死を終わらせる事が出来れば、私はアナタ達の言う死が訪れるんだと思う……本当の死が」
朽ちた部位の全てが灰となり、【終わっていた状態に戻る】。
立ち上がる、屍が。
切り離した筈の両足で立ち上がり、切り離した筈の腕で大鎌を持つ。
「は、はは……ははははははははッ!!」
狂笑が響き渡る。
「そうか、そうか!!君のそれは再生ではなく、【戻っている】だけか!?最初の状態に、死んでいる状態、終わっている状態に!!」
理解など不可能だ。解析する事も不可能だ。なんだ、これは。目の前に存在する死は、生きている者からすれば、本当の意味で怪物ではないか。
恐怖だ。
もう恐怖と認めるしかない。
「ねぇ、もう一度聞くけど……アナタは、私を【終わらせる】なんて事が出来るの?」
「出来るわけないだろうが、化け物め!!」
ヴィクターは即答した。
理解できない化け物を怪物が恐怖する。ヴィクターだけじゃない。リィナすら恐怖を覚える。今までは単なる変わった人妖能力を持った同級生程度の認識しかなかったが、これは完全に別物だ。
存在していないが、存在を許されない化け物。
殺害不能の化け物がヴィクターを見据える。
「来るな……来るな、来るなぁぁぁああああああああああああああああああッ!!」
そこから先は惨劇だ。
終わらない惨劇が始まった。
狂った様に攻撃を加え、手足が吹き飛び、臓器が飛び散り、鮮血で部屋中を真っ赤に染め上げようとも、終わりなどない。どれだけ殺しても殺せない。どれだけ致命傷を与えても殺せない。どれだけの術を使っても終わりが来ない。
心が折れるまで続く。
科学的に、現実的に否定を続けようとも答えなど出るはずがない。
フェイトは自身の身に降りかかる死を、ずっと身体に受け続ける。しかし、一向に死は訪れない。訪れるわけがないから、黙って受け続ける。
その最中、フェイトは狂乱するヴィクターに尋ねる。

「そんな無駄な事をして、疲れないの?」

それが、ある意味で勝利宣言だったのかもしれない。
屍と云う死と、フランケンシュタインの怪物との戦い。
人と怪物の戦い。
その全ての、戦いの決着。

あくまで【戦いの決着】が、此処についた。






次回『幸福な怪物』




あとがき
ども、散々雨です。
スノゥさん、出番なし(笑)な感じでした。まぁ、あの人はアリサとバトッたんで、これ以上の戦闘はいらんでしょう。
そしてフェイトさん、能力は完全にチートです。厨二です。どうやっても死にません。手足を切り離しても負けません。一瞬で身体を蒸発されても死にません。戻ります。
だって、既に死んでるんですからね……と、こんな感じでチートな彼女ですが、別に死なないってだけで強いわけでも最強なわけじゃないんですよ。
そんでもって、すずかに続いて、第二の大器晩成型フラグが立った昴ですが、彼女に出番はあるのかは不明だね。
色々とアレな状態になっていますが、次回で人造編は終了。そして、漸く弾丸執事編です……バトル描写多そうで、超面倒だ。



[25741] 【人造編・最終話】『幸福な怪物』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/07/02 23:56
始まりがあれば終わりがある。
終わりがなければ、物語は永久に続き続ける。結末がなければエンディングもスッタフロールも流れない。それは人生では当たり前であり、当たり前な程苦しくて、苦しくて狂いそうになる。
狂いそうだからこそ、当たり前を受け入れない者がいるのは、必然だろう。誰しもが他人と同じにはなれないのだから。
そうした狂っている、狂った人生を送り続ける限り、終わりを望まなければ救われない。救いが欲しいと願い、終わりこそが救いだと信じる事しか出来ない怪物にとって、終わりこそが救いだった。
終わらせたい。
終わりたくないけど、終わりが必要だ。
幸福だったから、許せない。
幸福だったから、憤怒する。
幸福だったから、呪う。
自分が許せず、憤怒し、呪う。
自らを。
怪物を。
リィナ・フォン・エアハルトというフランケンシュタインの怪物を。
「バイバイ、美羽ちゃん」
こうして物語は終わる。
幸福を知った怪物が幸福を投げ出し、幸福から背を向けて死へと向かう。
だが、怪物は―――彼女は、わかっていなかった。
彼女は自身を怪物だというように、
彼女を絶対に怪物だと言わない者達がいて、
彼女を絶対に怪物のまま終わらせないという願いがあって、

それらが合わされば、陳腐な結末を生み出すのだと、彼女は知らない。

今宵、物語は終わる。
最後に怪物の心臓に止めを刺すのは、何者か。
それを怪物は、知らない。








非日常な戦いから二日も経てば、海淵学園の面々は通常通りの日常に回帰する。
真夏の炎天下、太陽に攻撃されながらもグラウンドを走る昴の息は荒く、身体中から滝の様に汗が流れている。走り込みを初めて一時間。一定のペースでずっと走り続け、ペースは一向に落ちる気配がない。
「ほんと、体力馬鹿よね」
走る昴を見ながら、ティアナは木陰の下でかき氷を口にする。口に入れた瞬間に広がる甘みと、氷の冷たさは夏のお供として十分すぎる。こんな至福の瞬間があるのに、クソ暑い太陽の真下で走っている昴の気がしれない。
「というか、なんでアイツはあんなに元気なのかしら?」
まさに体力馬鹿だ。部活をやっているとかやっていないとかじゃない。午前中は補習で教室に缶詰になり、それが終われば生徒会の雑務。他にも色々とやってはいたが、全てが重労働以外の何物でもない。それらを全てこなした後にこの走り込みだ。素直に感心するが、マネはしたくない。
一心不乱に走り続ける昴を見つめるティアナの横に、すっと腰を下ろす誰か。
「……暑くないんですか、その恰好」
「慣れればそうでもないわね」
隣に暑苦しい格好をしている相手がいると、心なしか先程までの快適な気分が消えてしまうような気になる。その元凶である銀河は、何時もと変わらず白ラン姿で、自殺志望者なのかと疑いたくなる事に熱々のお茶を手に持っていた。
妹が妹なら、姉も姉。
「お宅の妹さん、元気すぎですよ」
「それだけが取り柄だからね、あの子は。それに、あれはあの子なりの日常に帰る為の儀式みたいなものだからね」
二日前の戦い。
怪物との戦い。
あれは学生が関わって良い事件では決してない。だが、現に自分達は関わってしまった。色々な理由と思惑があり、気づけば事件の中心人物であるリィナの救出にまで首を突っ込む始末。学生の夏休みの体験としては、大量のおつりが来ても問題ない出来事だろうとティアナは思う。
「銀河さん、一つ聞いて良いですか?」
「何かしら?」
聞いておきたい事―――というよりは、聞かなければならない事だ。
「銀河さんは、あの子の事をどこまで知っていたんですか?」
「リィナの事?勿論、何も知らなかったわよ」
「本当に?」
「えぇ、本当に」
嘘は言っていない。言っている様には見えないのはティアナにもわかる。だが、言っている様に見える事が、信じられない要因としてある。この生徒会長は普通じゃない。戦闘能力とか、そういう眼に見えるモノではなく、眼に見えないモノこそが怪しく、危険で、そして異質。
「この機会だから言っておきますけど……この学校、普通じゃないですよね」
「何を今更。此処は街の中でも屈指の不良高校。まともな人なんて数えるくらいにしかいないわ」
「まともな人、まともじゃない人がいるのは知っていますよ。でもね、銀河さん。私が何よりも怖いのは、その中に【異質】な人が紛れ込んでいるって事ですよ」
「……と、言うと?」
わかっている癖に白々しい。
「言ってほしいですか?」
「えぇ、言ってほしいわね。何事も言葉にしないと始まらないわ」
銀河の笑みは―――胡散臭い。
なら、口にしてやろう。言葉にしてやろう。
「私のクラスにいる佐々木、まずアイツはまともな奴じゃないですね。やってる事は変態ですが、変態という役を演じている様にしか見えない。あんな普通に変態な奴なんているわけないじゃないですか」
「それは個性の否定よ」
「個性じゃない個性を否定しても、何の問題もありませんよ。アイツ、時々ですけど私達を変な眼で見るんですよ。変質者の眼じゃなくて、観察者の眼って言うんですかね……ともかく、アイツは私達を実験動物みたいな眼で見る時があるんですよ」
「……気のせいじゃないの?彼、変態だから」
「彼を庇うんですか?」
まさか、と銀河は苦笑する。別に自分は彼を庇う意味など無いし、精々生徒会長として、生徒の個性を守ろうとしているだけに過ぎない―――なんて心にもない事を口にしている銀河こそが、ティアナにとって一番の異質だ。
佐々木が自分達を実験動物の様に見ていると言うのならば、銀河は自分達を【物】としか見てない。どの様な物かは未だに理解は出来ないが、一番当たり障りない物に例えるならば、銀河は自分達を【サンドバック】に見えるのかもしれない。
自身の力を高める為の道具。
殴り蹴られ、絶対に自分に反抗される事が無いと確信している事実。そして力を示してそれを皆に守るように押し付ける様な感じは、ずっと感じていた違和感だ。唯一の例外と言えば、昴だけだろう。
家族だから、なのか。
家族以外の何かだから、なのか。
ティアナにはわからないが、昴と銀河にはそういった家族としてどこか歪なモノを感じる。無論、自分が正しい家族の形を知らないだけからなのかもしれないが、決して的外れだとは思っていない。
中島銀河は、何かを秘めている。
秘めているからこそ、昴との間に溝を生じている。
その溝は昴にとって別の意味を生み出し、それぞれが生み出した溝のせいで互いは離れている。仲の良い姉妹に見える癖に、誰よりも離れている姉妹。
原因は全て銀河にある。
「ティアナは、私の事が嫌いなのね。私、アナタに嫌われる様な事、したかしら?」
「別に嫌いじゃないですよ―――怖いだけです」
正直な言葉だ。
「アナタは怖い。笑っているのに笑っていない。怒っているのに怒っていない。悲しんでいるのに悲しんでいない……全部が嘘偽りにしか見えない」
しかし、底が知れないという意味では決して無い。
「銀河さんの本当の顔が見えるからこそ、私は怖い」
「本当の顔……へぇ、それってどんな顔かしら?」
冗談交じりに、おどける様な顔をしている仮面の下には、
「鬼みたいな怖い顔、ですかね」
鬼がいる。
血に飢えた鬼がいる。
生徒会長という、女子学生という、女という顔の下にあるのは、そういった悪鬼羅刹の類だ。それに気づいたのはずっと前。その一度しか見た事は無いが、それで十分だ。それ以降、ティアナは銀河の仮面の下に存在する修羅の存在に恐怖している。
恐怖しているからこそ―――挑める。
「銀河さん、ついでに一つ聞いておきたい事があります」
「どうぞ」

「――――ヴィクターって男は、何処に行ったんですか?」

この質問は目の前にいる銀河の、仮面の下の修羅に尋ねている。
「どうして私がそれを知っていると思うの?」
「勘ですよ、勘。私の勘って結構当たるんですよ」
ヴィクター・フランケンシュタインこと、ヴィクター・フォン・エアハルトがどうなったのかは、誰も知らない。
ティアナはあくまで後になって聞いただけだが、スノゥと美羽、そして銀河が彼を見つけた時、彼はもう戦う気力を失った廃人と化していた。理由はわからないが、余程の絶望を味わったのではないかとスノゥは言っていた。自分が囲まれている事にも気づかず、自分が負けている事にすら興味を示さず、黙々と譫言の様に何かを呟いていた。
その時点で戦いは終わっていた。
怪物は一体残らず駆逐され、怪物達は海鳴の街から姿を消した。後始末はティーダが月村に頼み、この事件は秘密裏に隠蔽される流れとなったらしいが、その辺も学生であるティアナの知るべき場所ではない。
怪物の事件は闇の中に消え、自分達はリィナの救出に成功したと言えるだろう。
「ヴィクターは月村に引き渡された。私はそう聞いていますけど、実際はどうなんですかね?」
「おかしな事を言うのね。アナタは今、彼は消えたと言ったじゃない。つまり、消えたって事でしょう?逃げたのか、消されたのかは知らないけどね」
そう、知っている。
月村に引き渡された件はティーダから聞いているし、ティーダが過去、そういった仕事をしていた事も知っている。別に気になって聞いたわけじゃないが、ティーダが何気ない感じでティアナに教えたのだ。
本当に何気なかったのか、それとも何らかの理由があったのかはわからないが、あまり自分にそういった事を教えない兄が、自分に教えるという意味は、まさしくそういう意味だ。
知っておけば、意味が生まれる。
死っていれば、その意味から身を守る事が出来る。
事実、ヴィクターは姿を消した。
正確に言えば、胴体を残して、彼は消えた。
彼の本体が首から上、つまり頭部である事はプレシアの話から知る事が出来たが、
「彼は逃げたのか、それとも【逃がされたのか】は、私にはわかりません」
それが問題だ。
彼が送られた場所は月村が管理している施設の一つ。主に街に何らかの危害を加えた外から来た者達を収容する施設らしいが、そこは厳重な警備によって守られ、出る事も入る事も出来ない。現にその日も施設は月村の私兵が警備に当たっていた。数までは不明だが、一介の刑務所並の厳重な警備状態だったと聞いている。

その私兵が【死体すら残らず消えた】。

現場に残されていたのは大量の血と私兵達が装備品、そしてヴィクターの胴体。
「月村の監視下にありながら、彼は消えた。それが出来る者は誰かと考えれば、」
「私になると……それ、少し私を買いかぶりすぎじゃない?」
「別にアナタ一人でやったとは言っていませんよ」
「でも、私がやったとは思っている、と」
「もしくは、関係しているか、ですね」
確信している。
この件に銀河が関わっている。
ティアナが銀河の恐怖を覚えると同時に、ティーダは銀河を危険な存在だと思っている。故に銀河の身近にいるティアナの身をあんじて、彼は自分に情報を与えたとティアナは考えている。
あくまで勘。
あくまで兄に対する盲目的な愛情故に。
「―――――仮にそうだとすると、彼を逃がして私にどんな利益があるのかしら?」
「そんなの知りませんよ。ただ、私はアナタ以外にそんな事をするわけがないと思ってますから……」
そう言ってティアナは立ち上がる。
「銀河さん、これだけは言っておきますよ」
同じ生徒会の仲間として、友人の姉として―――何より、一人の友人として、
「その仮面の下の修羅、どうにかしないと……アナタは昴に嫌われますよ」
捨て台詞を吐き捨て、ティアナは昴のもとへと歩く。その背中を見ながら、温くなったお茶を口に含み―――修羅が、少しだけ顔を出した。
「嫌われる?私が?」
本当におかしな事を言う子だ。
「あの子が、昴が私を嫌っていないわけ、ないじゃない」
その顔は確かに修羅だった。
だが、修羅であるはずなのに、気のせいだろうか。

「私は……あの子に許される姉じゃない。許される家族でもない―――家族ですら、無いんだから……」

修羅であるはずの顔が、どこか悲しげに見えた。




「――――お前にしては、随分な不手際じゃねぇかよ」
『アナタに言われるまでもないわ。あの男の事は全力で捜索中よ……絶対に逃がしはしないわ』
「どうだかな。大方、今頃街の外に出てる可能性の方が高いだろうよ。いや、【運ばれている可能性が高い】って言った方が良いかもな」
学校の屋上。
ティーダは携帯を片手に煙草を吸っている。
電話の向こうには、悔しそうな声を漏らす月村忍の声が響く。
『そうね、その可能性が高いわ』
「まぁ、別にお前のせいってわけじゃ無いだろうよ。相手が誰かは想像はついてるが、お前の私兵程度じゃ相手にならんだろうな、きっと」
『……誰だか知っているみたいね。あの男を逃がした、運びだした者の事を』
紫煙を吐き出し、間を置いてティーダは答える。
「多分、【死神】だろうな」
『死神……』
「二週間くらい前かな、死神と【残飯処理】が街の外で目撃されてるんだわ。何を追っていたかは知らないが、外で結構ドンパチ騒ぎをしてたみたいだぜ?可哀そうに。あんなおっかない連中に追われるなんて、追われてた相手に同情するよ」
死神は殺し屋だと言う者もいれば、亡国に属する始末人と言う者もいるが、実際の正体はわからない。唯一わかる事は、様々な機関にも属さず、様々な機関にも協力するフリーランスの戦闘屋。人か人妖かはわからないが、相手が誰であれ必ず殺すと言われる都市伝説に近い存在。それ故に金さえ積めば死神はどんな組織の依頼にも答える。
『残飯処理も一緒に居たって事は、雇い主は【ドミニオン】ね』
「だな。死神の正体を唯一知っているのは残飯処理だし、死神が唯一殺せないのも残飯処理。そんな残飯処理の首輪を持っているのはドミニオン……思えば、変な話だよな。同じ組織に属しているわけでもないのに、死神と残飯処理はコンビ扱いされてるなんて」
『そうね。でも言い換えればそれは残飯処理がいるから死神がいるとも言えるわ』
「どっちも同じさ。あの二人が居るところ、必ず死人が出る。死神は標的を殺し、残飯処理が余った者を喰らう……今回は死体すら残っていないみたいだが」
『残飯処理が喰ったんでしょうよ』
『なるほどね。要はあれだな、あの二人はきっと花と蜂の関係なんだろうよ、きっと―――おっと、話がずれたな。そういうわけで、俺はあの二人、もしくは片方がヴィクターを運んだと推測してるんだが……」
だとすれば、探すだけ無駄という結論に至る。
死神も残飯処理の後を追うという事は、必然的に死に繋がってしまう。月村の私兵、精鋭が全滅し、運ばれたという時点で詰みだ。
『まったく、なんでアナタが関わると碌な事にならないのかしらね』
「俺のせいにするなよ」
『いいえ、全部アナタのせいよ。私に嫌がらせする事に全力を注いでいるに違いないわ。えぇ、そうよ。絶対にそうに違いないわ』
酷い言われ様だ。
別にティーダは忍に対して個人的な恨みは無い。むしろ、好意を抱いていると言っても良い。ただし、ティーダにとって女性を全て好意抱く存在なので、別段彼女が特別というわけでもない。
『お願いだから、この街に居続けるつもりなら、おとなしくして……ただでさえ、最近は内輪でも色々と問題が起こっているっていうのに』
「内輪?なんだよ、また同族から殺し屋でも送られてきたのか?」
『そっちの方がずっとマシよ』
忍の声から普段にも増して疲労している事が窺える。何時も気丈に振る舞ってはいるが、彼女も一応は女だ。女である以上、ティーダとして力になってやりたい。無論、邪な下心は当然ある。
「俺でよければ相談にのるぜ?」
『アナタに相談した時点で終わりよ……でも、そうね。アナタをこちらに引き込んでおくのも悪くないかも』
これは重傷だ。
普段の彼女なら決して口にしない事を言われて、少しだけ背筋が寒くなってきた。それを証明するように、忍の口から出た言葉はどんでもない厄介事であり、尚且つ海鳴の街に致命的な打撃を与えかねない事象だった。
「――――なるほど、それは厄介だ。正直、聞きたくなかった」
『でしょう?その上で聞くけど、私に協力する気、ある?』
「そうだな――――いいぜ、了解だ。その時になったら呼べ」
煙草を揉み消し、ティーダは電話を切る。
「さて、と……面倒な事が終わった後に、また別の問題か」
空を見上げれば、変わらない太陽の大きさ。自分もあんな風に何があっても変わらない程、大きな存在になりたいものだと本気で考えた。
海鳴を支配する月村とバニングス。
二つの支配者の関係が、次第に歪みを生み出して街全体を呑み込もうとする。
「俺としては、静かに堕落して過ごしたいんだが……まぁ、いいさ」
守るべきモノなど、自分には一つしかない。
ならば、その為に頑張るとしよう。
身を汚してでも守りたいモノがあるのならば、それに答えるのも自分の務めだ。
「お兄ちゃんも大変だよ、マジで」




テスタロッサ家は絶賛改築中。
その為、プレシアとアリシアとペット達は別荘での生活を余儀なくされている。使用頻度は年に一回か二回。利用する度に自宅は半壊していると事態は頭が痛くなる。あまりにも頻繁に壊れる世界か、保険会社のブラックリストに載っているらしい。
そんなわけで仮の自宅として機能する別荘は絶賛清掃中なのだが、
「母さん、お風呂場にゴキブリが……」
「叩いて捨てなさい」
「母さん、寝室の床が抜けた」
「板で塞いでおきなさい」
「母さん――――」
「次は何ッ!?」
久しく使っていないとはいえ、次々と起こる問題にプレシアは等々キレた。
「父さんから電話」
「アナタぁぁぁあああああああああああああああああッ!!」
そして直ぐに黄色い声を上げた。
「……リニス、娘としてああいう母さんが可愛いと思うのは、駄目な事かな?」
アリシアの問いにリニスは興味ないと欠伸で返す。
「何時までも新婚気分なんだよなぁ、母さんは」
正確に言えば、プレシアのみが新婚気分であり、夫は既にその域を出ている。現にアリシアの父は海外に出張中。恐らく、今日も色々と危険な場所で危険な事をしているのだろう。心配ではあるが、あの父がそう簡単に死ぬとは思っていないし、死ぬ可能性があればプレシアの第六感が発動して、飛び出していくだろう。
「案外、その内に二人目の妹が出来るかも」
リニスを撫でながら、それはそれで嬉しいと思うアリシア。
フェイトに続いて二人目の妹。もしくは初めての弟。フェイトは自分と同じ身体を共有しているから出来ない事が色々とある為、触れる存在が居たら良いなと思う事は何度もある。それはアリシアだけの想いではなく、フェイトも同じ想いだという事は知っている。
以前、あの白い空間でそんな話をした時、アリシアとフェイトは妹か弟が出来た時はどんな風に可愛がろうかという話で盛り上がった。
「……フェイトも、他の人達にもあんな風に話してくれたら良いのになぁ」
フェイトにとってこの世で愛すべきは家族のみ。それ以外はどうでも良いという想いが占めている。それではいけないと何度も口が酸っぱくなる程言ってきたが、フェイトは聞く耳を持ってはくれない。というより、聞き流している様にさえ思える。
同じ身体を共有しているから難しい事ではあるが、アリシアとしてはフェイトに同年代の友達が出来れば良いと思っている。ティアナや昴はフェイトの事を友人と思ってはいるが、フェイトからすればアリシアの友人という認識でしかない。その認識をどうにかしようとした事があるが、結局は無駄に終わってしまった。
「リニス、フェイトにはどんな友達が良いと思う?」
猫に聞かれても困ると、リニスは心なしか渋い鳴き声を上げる。
「フェイトは結構ドライな感じだから……そうだね、あの子に冷たくされても一歩も退かない強い子が良いと思うの。それでね、フェイトが私に相談する。あの子がしつこいから困ってるって。私はそれを良い事じゃないって言うと、フェイトが相談する相手を間違えたって言って母さんに相談するの。そしたら母さんも同じことを言って、フェイトが困るわけ」
想像するだけで楽しい。
「その子はフェイトと友達になろうとして頑張るんだけど、フェイトも頑固だから冷たい事しかその子に言わない。でも、その子は強いから諦めない。そうしていく内にフェイトがその子に興味を持って、私にまだ相談するの。あ、でもこの時はきっと相談じゃなくて、愚痴になるのかな……ふふ、その愚痴はきっと聞いてる私からすれば、愚痴じゃなくて惚気みたいな感じになったら良いよねぇ。あの子はしつこいとか、あの子は鬱陶しいとか、あの子は私の都合を考えてくれないとか、そんな風に言いながら、フェイトは笑うの。その子の事を想って笑うの。そしたら私がその子の事を少しだけ悪く言うと、フェイトが庇うの……」
これが想像で無くなれば良い。
フェイトに本当の意味で友達と呼べる存在が出来れば良い。
「そうなったら、今度は私と身体の取り合いになるかも。姉妹喧嘩か……私、一度はやってみたかったんだよね、そういうの」
大切な家族で、大切な妹だからこそ、そういう友達を作って欲しい。
そして、失わないで欲しい。
大切な、失った時に悲しいと想える友達を。絶対に失いたくないと想える友達を。一人でも良い、沢山じゃなくても良い、生涯で唯一言える友達が妹にも出来て欲しい。
「これは、私の我儘かな?」
心の中で、我儘だという声が聞こえる。アリシアはその声に微笑み、外を見る。この別荘からは海が見える。何時だって見える海。外に繋がっていて、絶対に外に出れない海。もしかしたら、彼女がこの海を越えようとしているのかもしれない。
人間でない彼女であるならば、それも可能かもしれない。その気になれば、船乗りの身体を奪って渡る事も出来るだろうが、彼女はそれをしないだろう。
そう信じているし、そう思いたい。

リィナは姿を消した。

あの戦いの後、病院に運ばれたリィナは、翌朝に姿を消した。病院中を探し回り、街中を探し回っても彼女の姿は無かった。だから、きっと彼女はこの街にはいないのかもしれない。そう思った瞬間、心の中に重い何かが積まれた気がした。
大切な友人が一人、自分の近くから消した。
きっと戻ってこないと想えるから悲しくて、少しだけ怒りを感じる。
「ずるいよ……リィナ」
頑張ったから報われて欲しいと思うのは、きっと我儘な想いかもしれない。けれど、そう思いたのは自分の為だけじゃない。誰かの為に報われて欲しいと思っても良いじゃないか。頑張ったのは、あんな目にあっても走り抜けたのは、こんな結末の為じゃない。
「私だって、話したいことが色々とあったのに」
アリシアだけじゃない。皆が彼女に言いたい事があったはずだ。何より、あの小さな先生が伝えたいことがあったはずだ。だというに、彼女は姿を消した。逃げ出した。
ずるい。
酷い。
悲しい。
それ以上に、心配だ。
もう海鳴に居ないかもしれないリィナを想い、こうして外を眺めるだけしか出来ない事が悔しい。
「…………」
悔しいと、思うのならば、
「――――よし、行動しよう」
小さく自分に気合を入れて、父と電話しているプレシアの横を通り過ぎる。
結局、自分はこんな人間なんだろう。心にそんな想いが少しでも残っているのならば、黙って現実を受け入れる気なんて皆無。出来る事はしよう。出来ない事はしない。今はきっと出来るけどしない事をしないようにしたいだけだ。
外は暑い。
当然、夏だから暑い。
心の中でフェイトが溜息を吐いているのがわかる。でも、今回だけは―――いや、今回も付き合ってもらう。どうせ、別荘に居てもゴロゴロするだけの無駄な時間を過ごすだけなら、少しでも意味のある事をしよう。
決着がどうあれ、自分の心に正直になりたいから。
「今日も、暑いなぁ……」
太陽を見上げ、アリシアは走り出す。
意味など無く、これから意味を作る為に。




夏だ。
そう、まだ夏だったんだ。
私はそんな簡単な事も忘れていた。
周りを見れば夏らしい格好をしている人達が沢山いるのに、私だけが長袖を着ている。寒がりでも暑がりでもない、体温というものを失っている私からみれば、そんな事はどうでも良い事だった。周りに合わせて夏らしい格好をしても良いとは思ったが、今更そんな気にはなれなかった。
寒くもない。
暑くもない。
怪物にはそんな概念はない。痛みはあっても、人間らしい四季を感じるような身体ではないのだ、私の身体は。
私、リィナ・フォン・エアハルトこそ、フランケンシュタインの怪物にとって、人様の世界など手を伸ばしても届かない世界でしかないのだから。

歩いて、歩いて、歩いて……

気づけば私は意味もなく海鳴の街を歩いていた。周囲を高い壁に囲まれ、何処に行く事も出来ない閉鎖的な街。閉鎖的にされてしまっている街は、この街の住人にとって狭いのか広いのかはわからない。ずっとこの街に住み続けたいとは思えないが、法律的にも個人的に、外に出る事など不可能だ。
外から入る事は出来ても、中から出る事は出来ない。
そう決められ、入った者はそれを選んだ自業自得の結果。だが、それは身を守る為に絶対的に不可欠な事なのだから、しょうがないと皆が諦めている。
海沿いを歩く。
潮風が髪を撫で、夏でも此処は涼しいと普通の人なら感じるだろう。周りを壁に阻まれているとしても、此処だけは唯一外と繋がっている場所だ。海に飛び込んで、泳いで外にでる事だって可能と言えば可能だ。無論、その後に待っているのか監視艇から銃撃。良くて海自体に殺されるという結末だけだが、年に何度かは無謀にもトライする馬鹿者がいるらしい。
チャレンジ精神があるのは良いが、無駄な事で命を無駄にするなんて馬鹿げているとティアナは言っていた。冷たい回答に昴はもうちょっとオブラートに包めと苦笑し、アリシアは一度やってみたいと馬鹿な事を言ったのを覚えている。そういえば、前に夏休み中に皆で海に行こうと計画した事があった。海の近くに住んでいるのに、海に行こうとは矛盾していないかと言った事があるが、海に行くというのは泳ぎに行くという意味だったらしい。
浜辺には幾つかのビーチパラソルと海水浴を楽しみ人々。実に夏らしいし、実に羨ましい。
「あの水着、結局一度も皆に……」
前の身体のサイズで買った水着は、今の身体にはフィットしない。こんな事になるなんて思ってもみなかったと言えば諦めもつくが、実際は未だに未練はある。皆で選んだ私の水着。大人っぽいとか、子供っぽいとか、水着一つ選ぶのに店を何件も梯子して、終いにはまったく関係ない買い物をしてしまった。それで別の日に買いに行く事になったらなったらで、結末は同じ。
結局、一人で買い物をしている途中に見つけた水着を買った。
皆には当日にお披露目してやろうと思って選んだ水着は、子供っぽい水着になってしまったが、それはそれで満足のいく結果だった。
きっとティアナは子供っぽいと言うに決まっている。昴とアリシアは可愛いと言うかもしれない。
その水着は、もう燃えるゴミの中に放り込まれ、燃やされているだろう。

歩いて、歩いて、歩いて……

海辺を通り過ぎれば、公園があった。海淵公園とは別に、緑豊かな公園では子供達が元気に遊びまわっている。金髪の外人みたいな子がブランコを立ちこぎして飛び降り、ウルトラCを決めている。それを見ていた綺麗な黒髪の子が拍手している。そんな二人を栗色の髪をした子供がベンチに座り、アイスを食べながら笑って見ていた。
そういえば、前に此処で買い物帰りのフェイトとばったり会った事があったなぁ……
その時はフェイトだけじゃなくて、飼い犬のアルフも一緒だった。アルフは私にはちっとも懐いてくれなくて、私が近づくだけでワンワン吠えてた。やっぱり動物は本能的に私がどういう者かわかるのかもしれない。けど、そんな私を不憫に思ったのか、それともアルフが吠えるのを煩いと思ったのか、フェイトはアルフを叱り、私が撫でても吠えてはいけないと言い聞かせて触らせてくれてた。
「気持ち良かったなぁ……」
あの感触は今でも覚えている。生きているモノに触る感触。人間とは違い、サラサラで手触りの良い毛並を撫でて、自然と笑みが零れた。あまりにも気持ちが良すぎて、軽くトリップしてしまって知らない内に私はテスタロッサ家の前まで来ていた。軽くフェイトにさっさと帰れ的な顔をされたので、速攻で帰った。帰ったというか逃亡した。
翌日、その件がフェイトからアリシアに伝わったのだろう、私はそのネタで一日弄られた。弄られた上に、ついでだから帰りはペットショップに行こうなんて話になり、私以上に動物に嫌われているのがティアナだという事がわかり、今度はそれをネタにして笑ってやった。
私とティアナ、二人で動物嫌われコンビの誕生だ。
あのペットショップは、まだあるのかな?

歩いて、歩いて、歩いて……

公園からしばらく歩き、繁華街に出た。
帰り道によく立ち寄った店。アリシアは漫画が好きだから本屋に寄る機会が多かった。好きなマンガがあれば次々と詰んでレジに持っていく。買った後になって今月のお小遣いがピンチだと嘆いていたが、翌日にはそんな事など綺麗さっぱり忘れて同じ行動を繰り返す。
少しは学習すれば良いのにと思ったが、彼女から借りた漫画に私もはまって同じ行動をしてしまったのは、失敗だった。
少し歩けば、今度はアイスクリーム屋があり、此処は昴のお気に入りの店だ。
部活をしている癖にあまり熱心ではなく、サボってはこの店に来る。毎回三段重ねのアイスを三つ頼んで、そんなに食べたら太ると釘を刺して、その分動くから問題ないと口にする。現に彼女は食べてもあまり太らない体質らしく、周りの女子達からすれば敵だ。特に食べるとすぐ体重に響くティアナにとっては彼女は友であり敵だったのだろう。
私にはわからない事だったけど、やっぱり女に生まれて以上は体重というのは永久に戦い続ける敵なのだろう。
更に歩けば、ティアナが此処を通るたびに中を覗いていく男性用服屋がある。この服は兄さんに似合うとか、これは兄さんの見栄えが損なうとか、毎回毎回ティーダ先生に似合いそうな服を探し、良いのがあれば買っていく。その為に彼女は沢山のバイトをしているし、何故か昴もそれに付き合っている。
ちなみにだが、私の知る限り、ティーダ先生がティアナの買った服を着ていた姿を見た事は一度もない。前にその事をティアナに告げると、あれはティーダ先生の私服として使用するのではなく、自分の勘賞用らしい……意味がわからない。
ティアナの想いが届く日が来るのかどうかはわからないけど、多分ありえない事だろう。

歩いて、歩いて、歩いて……もう、嫌になってくる。

足が止まり、天を仰ぐ。
この街には、思い出が多すぎる。楽しかった思い出が、幸福な思い出が、怪物である自分が普通の人間、女子高生だったと勘違いしてしまいそうな、幸福すぎて死にたくなるような歪められた現実が多すぎる。私はそんな現実に居て良い人間じゃない。人間ですらない怪物だ。馬鹿らしい、吐き気がする。怪物がいっちょまえに人間のフリをして、人間らしい幸福を噛みしめるなんて神様だって許してはくれないだろう。
だけど、そんな幸福を私に与えたのも神様だ。神様が私にそんな幸福を、不幸にも与えてくれた―――だとすれば、きっとそれは神様からの嫌がらせだったのかもしれない。お前は人間じゃない。怪物だ。怪物の癖に人間に溶け込んで高校生活を送らせてやろう。
そして、神様はこう私に尋ねる。

どうだ、惨めだろ?―――と。

惨めだった?
冗談じゃない。
最低だ。
こんな気持ちを持つとわかっていたのなら、私は最初から皆と触れ合ってなどいなかった。海淵学園に入っても、誰とも会話なんてしなかった。自分に与えられた仕事をだけをして、怪物らしく人間の心に唾を吐き捨てていれば良かったのだ。
それが出来れば、こんな気持ちにはならなかった。
こんな惨めな気持ちは抱かなかった。
こんな……こんな、悲しい気持ちにはならなかった。
幸福がこんなにも辛いモノだとは思わなかった。コレは麻薬だ。得た瞬間は絶頂していても、切れれば―――失えば最大の苦しみを味わう事になる。叩き落される気分だ。いや、現に私は叩き落された。
痛くて、苦しくて、泣いてしまいそうになる。
私は胸を押さえ、心臓を―――私自身を握り潰してしまいたい衝動に駆られた。
無駄な事だ。
私は、臆病だから。
臆病者には死すらない。死ぬ勇気もありはしない。だから、逃げる。何処に逃げるかはわからないが、逃げる。逃げれば、きっと自分は救われる――――なんて思っていたのは、昨日まで。
「―――私は、死ねるよ」
今は死ねる。
どんな死も受け入れられる。
車に轢かれる死も、屋上から落ちる死も、首を吊って死ぬも、どんな死だって受け入れられる。死は怖くない。怖いのは生きている事だ。存在している事だ。この醜い存在が生きているだけで、何もかもが狂ってしまう。
何かが狂う前に、思い出が汚される前に、終わらせたい。
そうして私は歩き出す。
もう一度、死に場所を求めて歩き出す。
結果、私は歩くだけで自分を苦しめる事になる。
この街は、思い出が多すぎるのだから……


そして、私が最後に訪れたのは、バイト先の小さなバーだった。
時刻は夜の七時。
開店時間まで少し時間があるが、きっと今日は誰もない。私が起こした事件のせいでこの辺りに人は寄り付かなくなったのもあるが、今日はこの店の休店日だ。
人気のない路地を進み、バーの前に立つ。
小さな扉に触れ、学校が終われば此処で働いていた。マスターはちょっと変わった趣味を持っていたが良い人だった。その人にも迷惑をかけたかもしれない。私が死んだ事に悲しんでくれたかもしれない。色々な傷を負わせたかもしれないと思うのは勘違いかもしれないが、そんな風に思ってしまう。
もう、此処に来る事は無い。
扉を撫で、ドアノブに手を当てると―――ドアが開いた。
鍵が開いていた。
どうして開いているのか疑問に思ったが、私は無意識に重い扉を開けた。
開けた先の空間に、灯りが灯っていた。
「――――あ」
誰も居ない筈のバーに、カウンター席に人影。
「随分と遅かったのですね。お寝坊さんですの?」
スノゥ・エルクレイドルが座っていた。
勝手にグラスにウィスキーを注ぎ、カウンター席に座って誰かを待っていた。無論、それはきっと私だろう。本来であれば、私は踵を返して逃げるべきだったのだが、足は自然と中に進み、彼女の隣に座っていた。
「何かお飲みになります?今日は私のおごりですわ」
私はアルコールではなく、ソフトドリンクを手に取ってグラスに注いだ。スノゥがグラスを掲げ、私とグラスが小さな音を奏でる。
私とスノゥの二人だけの店内にジャズがゆったりとしたテンポで流れ出す。この店ではあまり流れない曲だ。きっと彼女の趣味なのかもしれない。
「まったく、アナタには随分と迷惑かけられましたわ」
不意にスノゥが私を見て言った。迷惑だと言いながらも、どこか楽しそうに見えた。
「お相子だよ。アンタと最初に会った時、私はアンタに迷惑をかけられた。だから、お相子さ」
「そうですわね……でも、あれと今回の件を一緒にされると、どう考えても私の労働量の方が多い気がしますわ」
「気のせいさ」
スノゥの飲むペースは速い。元々酒に強かったのか、アルコール度数の高いウィスキーを水みたいに飲んでいく。一本瓶を開ければ、次に手に取ったのはウォッカ。それをあろう事か同じグラスに注ぎ、一気に飲み干す。
「酒強いんだな」
「伊達に長生きしていませんわ。お酒との付き合いは、他人との付き合いよりも熟知しているつもりですので」
「他人との付き合い、ね。アンタからそんな台詞が聞けるとは思ってもみなかったよ」
この人は自分以外の人間が嫌いなものだと思っていた。私は自分が嫌いで、スノゥは自分以外が嫌い。似ている様で似ていない。でも、同じベクトルを持つ者同士、何となく意気投合が出来た気がした。
「長生きって言ってたけど、アンタって何歳なんだ?もしかして、その見かけで実は五十過ぎとか」
「その倍は生きてますわ。無駄に長く生きて、無駄に生き足掻いている。生きた分だけ失敗して、生きた分だけ失ってきた。長生きするって事はそういう事なんですのよ?」
「長生きするのも大変なんだな」
「そういうアナタは幾つですの?」
「五歳かな」
「お子様ですわね」
「あぁ、お子様さ」
何も知らない子供だけど、正常な子供じゃない。怪物として生まれ、怪物として五年も生きた。色々と学び、色々と取り落としてきた。得ようとしても手に入らず、手に入っても消えていく……違うか。きっと私自身が知ろうとしなかっただけなんだ。
光も、温かさも。
人間らしい部分を全て、諦めてきた。
諦めるしかなかった。
「お子様なら……もう少し頑張って良いのでなくて?」
「……何を、頑張れって言うんだよ、今更」
「今更、ですか。今更という程、アナタは長生きしているわけではないでしょうに……高校生という身分を持っていたとしても、所詮はその半分も生きていない。年相応ではないでしょうけど、もう少し生きてみようと思っても罰は当たりませんわ」
「それこそ冗談だ。なぁ、アンタはわかってるんだろう?全部知った上で、そんな意地の悪い事を言うのなら、アンタって結構悪人なんだな」
魔女ですから、とスノゥは言う。
魔女。確かにアンタは魔女だ。魔法みたいなことをするし、確か空だって飛ぶとかも言ってた気がするから、きっと本当の魔女なんだろうな。
童話の魔女。
悪い魔女。
「可哀そうな魔女だな」
「そう言われたのは初めてですわね……可哀そうな魔女、ですか。ふふふ、まるでこの先に良い事が待っていると言われているようですわ」
驚いた。
「アンタ、本当にあの夜にあった奴か?」
別人に見えた。
自分の事を負け犬だと言っていた人の言葉とは思えない。自信に満ち溢れているってわけじゃないけど、自分を卑下する様な素振りはない。まるで何らかの救いを見つけたかのような雰囲気が、スノゥをそうさせているかもしれない。
「案外、別人かもしれませんわよ?」
「そうか、なら納得だ」
羨ましいな。
「アンタは、アンタ等人間はそうやって別人になれるんだもんな、ずるいよ。同じ人なのに別人になれるってさ、私には出来ない事なんだよ」
ほんと、羨ましい。
「けれど、どう足掻いても私達は私達のままなのですよ。姿形を変えようとも、本質までは変えられない。陳腐な言葉を使うのならば、魂だけは変えられない。綺麗な魂、気品ある魂、勇敢な魂。人との魂はそういった綺麗なモノでありながら、時に醜く変貌してしまう」
「私は最初から歪んだ醜い魂だよ、きっと」
「それはアナタがそう思っているからですわ――――私と、同じようにね」
同じ?
アンタみたいな人が私と同じだって?
「馬鹿言うなよ」
「自分が体験した事だからこそ、わかる事もあるのですよ。いいですか、リィナさん。私もアナタも、結局は同類ですわ。互いに気づくのが遅すぎて、取り返しのつかない事になって初めて手にあったモノの大切さに気づき、気づいたところで全てが手遅れ」
壊してしまった。
自らの手で壊し、自業自得に失った。
「そして……何よりも同じだと思ったのは、私達は自分が誰よりも自分を知っていると思っていた事、ですわね」
ウォッカの瓶も空になった。スノゥはそれ以上酒を注ぐ事はなく、空になったグラスを手に持ち、残った氷をぶつける。
「情けない事に、私はそれを子供に教えられましたわ。私の半分の更に半分も生きていないクソ生意気な子供にね」
「子供に?」
「そう、子供に……誰も私を必要とはしない。どれだけ優れていても、後に残る結果だけを見られ、誰も私を正当な評価を下してはくれなかった。どんなに頑張っても、力をつけても、頭を良くしても、結果は失敗ばかり……未来永劫、失敗を繰り返す負け犬の魔女、それがスノゥ・エルクレイドルだと……」
それを否定されたと、スノゥは苦笑する。
清々しい苦笑で、何かが取り払われたという苦笑だった。
「ですが、どうやら私の知らない所で、私をしっかりと見ていてくれた子がいたと知りました。その子は私の力も知能も関係なく、私の偽りだけを見て、私という一人の個を信用していた。私はそんなあの子を裏切っていたというのに、あの子は私を恨んでいないというのですよ?変な話ですわね」
そういったスノゥの顔は、不覚にも同性だというに心を奪われた。あの夜には決して見る事がなかった、自傷する笑みしか浮かべなかった彼女が今、心を奪われそうな微笑みを浮かべている。
「あの子は本当の私を知っているというのに……ほんと、おかしな話ですわ。おかしな話なくせに……信じてしまいました」
スノゥは私を見る。
「アナタの言うとおりでした。私自身がどれだけ自分を卑下したとしても、こんな私を必要としてくれた人がいる……騙して傷つけて、利用して捨てようとした私を、許すと言ってくれた……多分、生まれて初めて私は、救われたという想いを知ったのかもしれませんね」
真っ直ぐに見つめられた瞳を見て、私は知る。
あぁ、この人は私と同じと言うけれど、私はこの人とはまるで違うんだな、と。
「アンタは、その子の所に戻るんだろう?」
「どうでしょうね」
何を迷う事があるんだ。
「帰る場所が、居るべき場所があるなら、そうした方が良い」
アンタにはちゃんとあるんだ。
アンタをアンタとして迎え入れてくる人が居る場所が、温かい場所が。帰る資格を持っているアンタは、その場所に居なくちゃいけないんだ。私とは違って、アンタはちゃんとした人間なんだから。
「沢山の人を殺した。言われるがまま殺してきた。殺して殺して殺して、奪って奪って奪って、命も身体も人生も。奪えるモノは全部奪ってきた。それが自分の意思じゃないと言っても言い訳にしかならないのはわかっている……でも、それが現実だ。私の手は汚れて、どれだけ洗っても消えない汚れと匂いがあるんだ」
血の匂い。
命の匂い。
奪った匂いが消える事がない。
「わかっていたんだけどなぁ……そうさ、私はわかっていたんだ。こんな事になるんだって、こんな風に思っちまうんだって……どうしようもない自分の生まれが、存在が普通の人間の生活の中に入れるわけがない。入れたとしても、それは入ったんじゃなくて、潜り込んでいるだけ……人の皮を被った怪物が、無様に自分から逃げているだけなんだ」
スノゥ、アンタは自分と似ているって言ったけど、決定的に違うモノがある。アンタには帰るべき場所、居て良い場所がある。それは色々と難しい部分があるかもしれないが、頑張ればどうにかできる部分があるんだ。
それを証明するように、アンタの血の匂いは、私ほど酷くは無い。
言い訳できる匂いなんだ。
これしか方法がなかった。殺すためじゃなくて生きる為に、奪う為じゃなくて奪われない為に―――ちゃんとした理由が作れるんだ。
私にはそれがない。
私は生きる為に殺すんじゃなくて、殺す為に殺した。奪う為に奪った。
違うんだよ、私とアンタはさ。
「所詮さ、怪物は怪物のまま……人間とは違うんだ」
「それがアナタの言い分ですか?」
「違う。真実さ。真理さ。覆す事が出来ない、当たり前すぎな自業自得の結果なんだよ」
「――――それで良いのですか?」
あぁ、良いさ。
良いに決まっている。
「怪物は怪物らしい最後を迎えればいい。今回の事は、怪物にとって幸運すぎる、出来過ぎな奇跡だったってだけ。これに勘違いして、人間の中でも普通に生活できるなんて思ったら――――それこそ、無様だ」
後悔はしていない。
この結果に後悔はしていない。
後悔など出来るはずがない。
後悔する権利などあるはずがない。
だから、
「えぇ、無様ですわね」
どうして、
「本当に無様ですわ」
アンタが、
「アナタは私よりも無様ですわ」
そんな悲しそうな顔をするんだよ?
「しょうがないんだよ……もう、どうしようもなんだから」
「それが無様だと言っているんです」
気づけば、音楽は止まっていた。
聞こえるのは私とスノゥの声だけ。
「自分の事を怪物だ怪物だと言いのなら、アナタはどうして最後まで怪物でいようとしなかったのですか?」
スノゥの、悲しい怒りの声。
「人の輪に入ったせいで怪物だという事を忘れていたとでも言うのですか?怪物だから人の温かさを知って、怪物らしくない生き方を望んだとでも言うのですか?」
そうさ、そうに違いない。
「だとすれば、アナタは怪物失格ですわ。最初から最後まで、何もかも……アナタは怪物らしくない。出来そこないの怪物ではないですか」
出来そこないの怪物。
私をそう言ったスノゥは、自分がどんな顔をしているかわかっているのだろうか?
きっと、わからないんだろうな。
「怪物なら、美羽さんを見捨てる事など簡単だったはずです。ヴィクターに襲われた時も、私の下手な芝居に騙された時も、アナタは何時だって彼女を助けようとした。怪物であるならば、あそこで見捨てる事こそが本当の怪物だったはずです」
アンタの顔はさ、すごく怒っているよ。
優しい怒った顔だ。
そっか、それが本来のアンタなんだな。
「ヴィクターのもとに行ったのもそうです。アナタは彼女を、彼女達を守る為にそうした。それが怪物のする事ですか?怪物が誰かの為に、人の為にそんな事をするのですか?するわけがないでしょう……出来るはずが、ないでしょうに」
「そうだな。私は出来そこないの怪物だ。でも、怪物なんだよ」
「…………否定すればいいじゃないですか」
出来ないよ。
私は怪物なんだ。
「怪物である自分を否定するのではなく、自分が怪物なんかじゃないと否定すればいいだけの事です―――だというのに、アナタは否定する部分が間違っている。そういう否定ではなく、自分が怪物じゃないと否定する自分を否定しているのが、今のアナタです」
どうなんだろう。
わからないな。
正直さ、もう自分が何をしたいのかもわからない。死にたい、消えたいと思う以外の事があやふやで、本当の自分の考えなんてのもわからない。
わからない事だらけで、嫌になってくる。
「自分を人間だと思えば良いじゃないですか。そう思う事で、アナタの中にある怪物という思い込みをどうにかする事が出来るはずです」
スノゥ、もうそんな無理な話は止めようよ。
私はもう決めたんだ。
ヴィクターみたいな怪物と同類である事を自覚したし、否定する事なんて出来やしない。怪物が人になりたいなんて思えないし、否定する部分が間違っていると言われてもどうとも思えない。思考まで怪物になれるたら良いと思ったけど、そういう部分ではもう立派な怪物だ。
怪物の定義なんてのは知らないけど、私は自分を怪物だと思い込んでいる。それが出来れば、もう怖くは無い。諦めるのが怖くは無い。
心に決めた思いは、揺らがない。
怪物みたいに冷たくなろう。怪物みたいに残酷になろう。出来そこないの怪物は、これから本当の怪物になって終わるんだ。怪物として生まれた人生を悔やんで、後悔して消えていく。
そこそが、怪物としての終焉に相応しいはずだ。
席を立ち、なけなしのお金をカウンターに置いた。足りるかどうかと言えば、きっと足りない。怪物は無銭飲食だってするはずだ。けど、私は出来そこないだから、お金を払う。
「じゃあね、スノゥ。もう、会う事は無いよ」
「――――逃げるのですか」
「うん、逃げる。怪物だから、出来そこないの怪物だから、逃げるんだ」
逃げて、終わる。
先は必要ない。
必要なのは終わる場所だけ。どこで終わらせるかは考えてないけど、どうせなら海鳴じゃない場所が良いな。
「では、最後に一つだけ教えてくれますか?」
スノゥに背を向けながら、私は頷いた。
「アナタは自分の死を偽装しました。それは、ヴィクターから逃げる為だったのですか?それとも、他に理由があったのですか?」
「前者じゃないかな」
「……嘘ですわね」
嘘じゃないよ。
仮に嘘だったとしても、その質問に何の意味もない。
「アナタは……人として死にたかったのでしょう?人として死んだという証拠が欲しかった―――違いますか?」
「――――――」
何故だろう。
心臓が、私自身がその言葉に衝撃を受ける。
どうしてだろうか?
いや、答えはわかっている。
単に図星だったからだろう。
「怪物ではなく、人として。リィナという怪物ではなく、リィナという一人の人間として死にたかった」
「うん、そうだよ」
色々な目的とか想いとかがあったけど、最終的にはそれが正解だったのだろう。

「私は……人になりたかった」

怪物ではなく、人に。
フランケンシュタインの怪物ではなく、唯の学生として、留学生として。
沢山の命を奪ってきた怪物だけど、私が出会った人達は私を一人の人間として受け入れてくれた。真実を知らなかったからというのは大きいかもしれないが、それが堪らなく嬉しかった。
知らなかった優しさが辛かった。皆を騙しているという事実に恐怖した。だから、せめて最後くらいは自分を誤魔化したかった。自分と周りを誤魔化して、この街を出ようと思ったんだよ。
最初から最後まで、死ぬまで怪物である私は絶対に人にはなれない。人になれないなら、せめて、
「思い出だけは、人の皮を被ってきた思い出ぐらいは欲しかった」
思い出になりたかった。
リィナ・フォン・エアハルトは普通の留学生で、不幸にも事件に巻き込まれて死んでしまった憐れな被害者。卒業アルバムの隅に写された学生としての写真が、私が人なんだっていう嘘を現実に残す事が出来る。
怪物としての死はいらない。
人間としての死は欲しかった。
「私は思い出になりたかったのかもね……それが、私にとっても、周りにとっても一番最良の選択だったんだ」
けど、もう遅い。
私が怪物である事を皆は知っている。
人としての記憶など無い。怪物としての記録でしかない。
「結局は全部失敗しちゃったけどね……」
もう良いだろう。
扉を開けて、外の世界へ。
幸いにも今は夜だ。
怪物が歩いても良い時間だ。人妖の住まう街を、たった一人の怪物が歩いて消えていく。最高のクライマックスじゃないか。怪物は一人闇に消え、朝になれば人の生活が始まる。二度と怪物は現れず、世界は平和に回りだす。
思い出にもなれない私は、そうして記録として残って消えていく。
そうして私とスノゥの会話は終わるんだ。
終わる事こそが、正しい流れだと言うのに、
「あの時……私は自分を負け犬だと言って逃げましたが、アナタは怪物だと言って逃げるのですね」
スノゥの声が私の背中を打つ。
「あの時、アナタは私にこう言いました―――自分がどう思っていようとも、自分が思ってるだけが本当じゃないはずだ、と。自分が要らない人間だと思っても、誰かが必要としてくれる人間だって思ってくれるかもしれない、と」
まるであの夜の再現をするように、
「そしてアナタはこうも言った。少なくとも、自分にはいた。だから、私にだって誰かいるはずだ。そういう人がいたのではいか、と……」
これがあの夜の再現だというのならば、私はこう答えるのが正しい。

「いないよ、そんな人は」

いるかもしれないが、それは希望だ。希望を抱いて生きていける程、私は強くない。弱いから、希望すら抱けず消えていく。
誰もいないと思える事こそが、唯一の救いなのだから。
闇夜に消える私の背中に、
「アナタは、私以上に無様ですわ」
批難する事が突き刺さる。
「だから、アナタは何もわからない。私と同じように、何もわかっていない」
その言葉から逃げるように、私が走り出した。
それでも声は聞こえた。
はっきりと、

「私がなのはさんをわかっていなかったように……アナタは、彼女をわかっていない」

聞きたくない本当に耳を塞いでも、声は届いた。



結局、私は臆病なのだろう。
死ぬ死ぬと言いながらも、気づけば街中を巡り、私がこの街で過ごしてきた軌跡を見てきた。それはきっと、最後に目に焼き付けておきたいという願いではなく、惨めにも続けたい、この街での思い出をずっと続けておきたいだけだったのかもしれない。
本当に惨めで、無様だなぁ、私は……
楽しかった日々は刹那にも似た感覚。必ず訪れる終わりを知りながらも、未だに捨て去る事が出来ない日々は、私にとって刹那だった。終わるのに、諦めきれない。捨て去るべきなのに、手放させない。
思い出を手放す事が出来れば、簡単なのに。思い出は頑固な汚れと同じ様に、私の心にしっかりと刻み込まれて、どれだけ拭いても消えてはくれない。私自身がそれを拒んでいるのか、それともそういうモノなのかは、今となってはどうでも良い事だ。自覚してもどうにもならない。
終わりは目の前にあるのに、まだ継続を求めている。
怪物のくせに。
出来そこないの怪物のくせに。
「私も、ヴィクターみたいに本当の怪物だったら良かったなぁ……」
兄、ヴィクター・フォン・エアハルトの様に心まで怪物となり、人をゴミの様に見下せれば捨てる事も簡単だっただろう。そもそも、ゴミとすら思わないかもしれない。自分以外の全てが同列の下級。触れれば払い、眼にすれば無視し、縋り付かれれば踏み潰す。人など相手にするに値しない存在と出来れば――――楽だったんだよね、きっと。
「あ~あ、失敗したなぁ……ほんと、失敗だよ、こんなの」
何処を見ても思い出が付き纏う。
振り払う事すら出来ずに、だらだらと引き摺り、擦り切れるまで歩いてもまったく消える事がない思い出。私自身が消える事を拒んでいるに違いない。
「来なければ良かったよ、こんな街」
最低の街だ。
この海鳴という街は、私が見てきた中で最低最悪の街に違いない。
「海と壁しかなくて、人は変な力持って……力に似合った変な人ばっかりで、反吐が出るくらいにお人好しで、放って置いてもくれなくて、邪魔ばっかりして、こっちの想いなんて知らずに勝手で、振り払っても勝手に付き纏って、逃げれば追い掛け回されて、終いには説教までする始末だし……みんな、始末が悪いにも程があるよ」
こんな場所よりも良い場所、良い世界なんて幾らでもある。世界には六十億もの人がいて、此処はその中でもちっぽけな、世界から見れば塵みたいな街だ。世界を見れば、此処よりも素敵な人がいるし、素敵な街だってあるに決まっている。
もっとも、私はそれ以外の街は知らないし、これから行く事もない。
だって、私は此処で消えるから……消えて、終わるから。
人の作り出した光から眼を反らし、次第に暗闇が増えていく。温かい光など皆無。寒気がする暗闇が私を包み込み、時が経てば私は闇に食われて消えていく。
「大っ嫌い……みんな、大っ嫌いだ」
だから、お願い。
お願いだからさ、私……
「もう、なんなのよ……大嫌いだって、心の底から言わせてよ」
泣かないでよ。
泣いたら、嫌いになれないじゃない。
この街も、街にいる人も、私が出会った全ての人を、嫌いになれないじゃないか。
頬を伝う涙は私のモノじゃない。これはきっと、私が身体と命を奪った女の人のものに違いない。決して私が流している涙じゃない。怪物は泣かない。怪物は泣けない。怪物は人の心なんてわからず、持つ事もないんだ。
夏の夜は暑いのに、汗よりも涙が流れる方が速かった。死んでいる身体のはずなのに、私の身体でもないのに、どうして涙が出るのだろう。奪った女の人が泣いているのに、どうして私の心が苦しくなるのだろう。どうして、私は思い出を前に泣いているのだろう。
止まらない涙。
締め付ける胸。
嗚咽する私。
涙は止まらず、枯れる事すらなく流れ続け―――気づけば、私は街の中でも一際高いタワーの屋上にいた。
決して観光の名所にならない、電波塔の役割を持つ地味なタワー。東京にあるタワーの様に展望台はあるが、わざわざ此処に来て街を見回す物好きは少ない。何故なら、この街を囲んでいる壁が全て見えて、あの先に広がる世界が嫌でも自分達の現実を突きつけられる結果となるからだ。
確か、ティアナは此処に登る事が好きな人がいるとするならば、その人は自分の置かれている環境に酔い痴れる事が好きな、ドMに違いないって言ってた。
確かにそうだと思う。
何処に行く事も出来ない。
出る事も許されない。
一生籠の中の鳥として扱われ、人々から忌み嫌われる私とは違う怪物。
「綺麗……」
人の作り出した光は綺麗だった。
星の輝きにも負けない、人造の光。私と違って意味のある人造。意思無き無機物達が放つ光が人に安らぎを与え、希望をもたらすのだとすれば、この人造達は生きる意味を獲得しているに違いない。
嫉妬はしない。
嫉妬できるほど、私は馬鹿じゃない。
自分の立ち位置を理解している。
理解しているからこそ、羨ましい。
意味のある人造を羨む、意味なき人造。仮に意味がっても悪しき意味を持つ人造。人を殺し、不幸にする事しか意味を持たない人造は、此処で終わる。
地上から遠く、少しだけ空に近い場所で私は終わる。
そうだ。
私の終わりは、こういう終わりが望ましい。
天に、星に、届かないモノに手を伸ばして地に落ちる。
この高さから落ちれば、きっと全てが潰れるに違いない。
重力に引かれて落ちて、地上に弾かれて飛び、激痛を感じて苦しみぬいて死ぬ。この身体は潰れて、私の本体である心臓も潰れて、この喜劇は漸く終幕するのだ。
カーテンコールだ。
アンコールはない。
アンコールを望む声もなければ、アンコール用の出し物だってない。
足を前に。
『アナタは怪物だと言って逃げるのですね』
そうだ、逃げるんだ。
『アナタは、私以上に無様ですわ』
うん、無様だよ。
そして、アナタは無様じゃない。
「この街に、幸あれ」
馬鹿な事を言ってみる。
「この街に住まう人々に、幸あれ」
阿呆な事を言って、少しだけ自分に酔ってみる。
「私の大好きな人達に、」
漸く嫌いになれない、大好きな人達なんだって事を受け入れ、
「――――幸あれ」
私は、虚空に向って身体を――――

何かが鳴っている。

ポケットの中で何かが鳴っていた。
携帯電話。
女の人の携帯。
思わず私は動きを止めていた。
止まらない音、何時まで経っても止まらない携帯。誰がかけてきているかは知らないが、私は持ち主じゃないから、出る事が出来ない。それでもあまりにも長いから、私は携帯を手に取り、誰から掛かってきたかを確認する。
「…………はぁ、しつこいよ」
呆れか、安堵か。
画面に表示されている番号は、この携帯に登録されていない番号だが、私はこの番号を知っている。元々数字など、モノを覚える事は得意だったし、そういう機能も持っている。一度見た番号は忘れない。
だから、この番号がどんな番号かも知っている。
この番号は小さな教師の番号だ。
知っているからこそ、私は電話に出ず、終話ボタンを押す。着信は止まり―――また、鳴った。もう一度ボタンを押して、また鳴った。何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も、こっちの意図を少しは理解してほしいと、呆れながらもボタンを押す。それでも鳴り続ける携帯を捨ててしまえば楽だった。むしろ、そうする方が適切で正しい選択肢なのだろう。
繋がっている。
電話が繋がっている。
まだ、あの人は繋がろうとしている。
それが堪らなく嬉しくて、悲しくて。
「お願いだよ……もう、やめてよ」
何度も電話を切っても、掛かってくる。
「お願いだから、お願いだから……」
切り、繋がり、
切り、繋がり、
切り、繋がり、
「こんなの……辛くなるだけじゃない……なんで、わかってくれないの?」
涙交じりに懇願するも、それを相手に伝える事は出来ない。出なければ永遠にかけ続けるに違いない。あの人は、そういう人だ。些細な期間での繋がりだが、それは嫌でも身に染みている。
この街の住人じゃないが、同じような場所から来た小さな教師の卵。
小さな背で黒板に文字を書き、緊張しながら教科書を読んで、皆から可愛いとしか評価されず、マスコット的な扱いをされているのが不服で、時々怒ってはみるが、それも可愛いとしか思われない。
でも、あの人は諦めなかった。
諦めず、背伸びして教師をやって、成功したかどうかも分からず―――皆に受け入れられた。
思い出が、私を苦しめる。
苦しいから、逃げる。
携帯を、圧し折った。
もう鳴らない。
鳴る事はない。
鳴らないから、
「バイバイ、美羽ちゃん」
全てを、投げ出す。



幸福を知った怪物が幸福を投げ出し、幸福から背を向けて死へと向かう。
だが、怪物は―――彼女は、わかっていなかった。
彼女は自身を怪物だというように、
彼女を絶対に怪物だと言わない者達がいて、
彼女を絶対に怪物のまま終わらせないという願いがあって、
それらが合わされば、陳腐な結末を生み出すのだと、彼女は知らない。



『―――――私の声が、聞こえますか?』



ならば、此処に陳腐な結末を書き記そう。









【人造編・最終話】『幸福な怪物』







その声は怪物の耳に届いた。
いや、怪物だけではない。
突然聞こえた声が、怪物だけではなく、【街中】に響き渡っていた。
人の声が聞こえる。
当たり前な事だが、あまりにも馬鹿げた規模で声は街中に届いていた。
中華料理屋のラジオ。
本来であればラジオの有線から人気アイドルグループの歌が流れている筈なのだが、別の声が歌を聞こえなくしている。客も店主もラジオの調子がおかしくなったと思ったが、どうやらそうではないらしい。
電気店の前に並べられたテレビ。
画面ではゴールデンタイムのドラマが放映されているが、男の役者が喋っているのに声は女。店員は首をかしげてチャンネルをザッピングしてみるが、どの放送局でも同じ声が流れている。
スピーカーから流れ出る全ての音が、その声に占領された。歌も声も、本来流れ出るはずの音という音、全てが声にジャックされ、誰もが首をかしげた。。
声が響く。
この街、海鳴の街に響き渡る声。
『―――――私の声が、聞こえますか?』
皆が混乱した。
皆が困惑した。
新手のテロの一種かと思ったが、
「……うわぁ、すっごい事やるなぁ」
その声を聴いていて、これが何を意味するか理解している者がいた。
「ねぇ、ティア。これってもしかして……」
「でしょうね……」
昴とティアナはバイト先の中華料理屋のラジオから流れる声に作業を止め、二人で苦笑いをした。
「普通ここまでやる?あの人、頭おかしいんじゃないの?」
「否定できないね」
声の主が誰か知っている分、驚きと呆れが同時に顔に出てしまう。
『私の声が、アナタに届いていますか?』
声の主は、自分の声が特定の誰かに届いていると信じているのだろうか。それとも、届いていると確信しているのだろうか。
「否定できないけどさ―――なんか、流石って感じがするよ」
「一応、これって犯罪行為だって事を知っててやってるかしら?いや、きっとわかっててやってる臭いわね」
「凄いなぁ」
「尊敬はしないけどね」
「届いているかな?」
「届いてるでしょうよ。っていうか、此処までやって届いてなかったら、あの人は本当の馬鹿で大間抜けよ」
などと言いながらも、ティアナと昴は確信していた。
届かない声など、ない。
真に誰かを想っている声は、能天気に寝ている神様にだって届く。それが夢物語で、お伽噺の様な出来過ぎた奇跡だとしても―――届くのだ。



『届いていると信じて、話します』
台所で洗い物をしながら、プレシアも声を聴いていた。
テレビで流れているのは若手芸人の漫才だが、声は彼女が良く知っている声。食器を洗う手を止め、リモコンで音量を上げる。アルフとリニスが何事かとプレシアを見る。プレシアは二匹に静かにするように言って、耳を傾ける。
『アナタにずっと言いたかったことを、まず言います―――生きていて、良かった。無事で、良かった。それをまず言いたかった。何よりもまず。アナタが無事に生きている事を、私は喜びたい』
こんな事をやってのけるとは思ってはいなかった。見た目は子供みたいで、少し気弱な所はあっても強いモノを持っている人―――その程度の認識でしかなかったが、プレシアはこれを聞いて自分の認識が間違っている事に気づいた。
『これを聞いてくれているのなら、私は嬉しいです。身体は大丈夫ですか?怪我は痛みませんか?お腹は空いていませんか?せっかくアナタが無事で安心したのに、そんな事になってたら、私はまた心配しなくちゃいけなくなってしまいますから、身体には気を付けてくださいね……本当に、大丈夫ですよね?ちょっと心配になってきました』
こんな事をしておきながら、まるで世間話をする様な話し方に、思わずプレシアは噴出した。
『自分の身体は自分が一番わかっているとか、そういうのは無しですよ?そういう事を言う人程、自分の身体の扱いは雑なんですから。だから、痛いなら休む事。お腹が空いているなら食べる事。まずはこの二つです。守らないと怒りますよ?私、結構怒ると怖いんですからね』
「それは知らなかったわ」
怒っている所など見た事がないし、想像したら逆に可愛いとさえ思えてしまう。きっと今頃、腰に手を当てて絵に描いた様な怒ったポーズをしているのかもしれない。
想像するだけで微笑ましい。
『何をするにも、まずは健康が一番です。健康だったら楽しいし、ごはんだって美味しいはずです。美味しいごはんが食べれる事は幸せの第一歩なのですから、これだけは守る事。良いですね?』
ソファーに腰掛け、声を聴く。
「……最初は、随分と可愛らしい先生としか思わなかったけど……私の眼もあまり信用できないわね。そう思わない?」
二匹に尋ねると、二匹はまるで同感だと言うように同時に頷いた。
「あらあら、アナタ達もそう思う?」



『わかりましたか?わかったのなら、次はお説教です。アナタは迷惑な人です。私も人の事を言えませんが、アナタ程じゃないと思います―――あ、決してアナタが悪い子って話じゃないですよ?そこを間違わないでくださいね。えっと、この場合はなんて言ったらいいのかな?』
「何よ、この萌える声?」
ベッドに寝転びながら、アリサはテレビから聞こえる声に耳を傾ける。好きな番組を見ていた最中に突然流れた声に若干イラッとしたが、次第にそれも消えていった。
「というか、これって立派な放送事故よね」
だが、テレビの映像は未だに変わらない。代替え映像も、お詫びのテロップも流れない所を見ると、全国規模で行われているというわけではないらしい。
『と、とにかく、私、ちょっとだけ怒ってるんですからね!!突然いなくなって、私がどれだけ探したと思ってるんですか?今日だって一日中街を歩いて、アナタを探し回ったし、携帯を鳴らしたのに出てくれないし……何なんですか?反抗期ですか?不良さんになったつもりですか?窓ガラス割ったり、盗んだバイクで走り出してるんですか!?』
「例えが古いって……」
『学校に迷惑かけるのは駄目ですし、バイクなんて乗っちゃいけません!!少なくとも、免許も無いのに乗るのは禁止です。アナタ、免許持ってないですよね?私、そういうのは厳しいですよ。説教しちゃいますよ。反省するまで延々とネチネチ言いますよ』
驚いたのは最初だけ。
この声に悪意はない。
そのくらいは自分でもわかる。この声にある想いは一つだけ。誰かは知らないが、声の主が自分の声を、想いを伝えようとしている一人だけ。その一人を想い、電波ジャックな事をしている。
『大体、アナタは自分勝手すぎます。最初からそうですし、今までだってそうです。なのに、これからもそんな自分勝手をして、社会に通用すると思ってるんですか?世間の荒波はそんなに甘くないですよ。特にアナタみたいに自分勝手だと、周りから固執して、周りに相手されなくなって鬱病になっちゃうんです。鬱病になったら嫌ですよね?私は嫌です。アナタはそんな風に周りに溶け込めなくなったら、悲しいです』
相手の事を想い、一心に言葉を紡ぎ続ける。多分、何を話すかなんて考えてないに違いない。ただ、自分の想いを一心不乱に言葉にして相手に伝えている。一体、こんな馬鹿な事をしている者が、どんな馬鹿者なのか見てみたいとさえ思えるが、
「このアナタっていう奴も、結構な馬鹿なのかもね」
何となくわかる。
この声が向けられる相手は、馬鹿に違いない。
自分よりも馬鹿で、自分みたいに周りに迷惑をかける馬鹿。
でも、一人じゃない馬鹿。
まだ自分を一人だと思っている馬鹿で、それに今になって気づいた馬鹿だ。
「私も人の事は言えないか……」



『あんまり心配させないでください……私がどんな気持ちだったかわかりますか?私、すっごく不安だったんですから。不安で夜も眠れなくて、毎朝起きるの大変だったんですからね』
「いや、それって寝られてるって事じゃない」
突然起こった電波ジャックの対応に追われながら、忍は届かないツッコミを入れる。
「忍様、どうやらこの声は海鳴の外には届いておらず、海鳴内部のみに流れている模様です」
「そう……発信源はわかる?」
「いえ、不明です。電子機器を用いての行為というわけではない様です」
「つまり、能力の可能性が高いってわけね」
人妖能力を用いてのジャックだというのならば、探すのは簡単だ。どこで行っているかは、電波を送出している箇所の絞り込みをかけれる。一番可能性が高いのは電波塔だろう。街に建てられている電波塔の内、街全体に電波を飛ばせる場所となれば、一つだけ。
人物に関しては海鳴に住んでいる者の人妖能力をリスト化している為、すぐに検索も行える。
犯人は直ぐに絞り込めるし、数分の内の電波ジャックを止める事は可能。犯人を捕まえ、どんな処罰を与えるかも考えるには十分すぎる。
だが、忍は手を止めていた。
「忍様?」
「止めときましょう」
「は?」
「だから、止めるの終わり。これ、最後までやらせましょう……念の為、緊急無線は使えるようにしておいて。警察、消防、救急、そこいらの回線まで使えないなんて状況になったら、何かあったら拙いしね。予備だけでもキチンと使えるようにしておかないと、犯人にとってもあんまりよろしくない事態になっちゃうからね」
まさか月村の自分が街を騒がせようとしている犯人のサポートをする事になるとは、思いもしなかった。だが、そうしたいという想いは確かに生まれてしまった。悪意のない想い、誰かを真に想う言葉は、決して蔑にしていいモノではない。
「責任は私が全部取るわ。関係各所にはそう言っておいて―――私にこれだけやらせておいて、変な結末になったら許さないわよ?」



街中に響き渡る声。
人々は何事かと首を傾げるが、不思議とパニックにはなっていない。
「まったく、とんでもない事をしでかしますわね」
皆がこの声を聴いている。
皆がこの声に耳を傾けている。
「けれども……確かにこれはこれで、良いモノですわね」
空に浮かぶ魔女も街中に広がった声に耳を傾ける。
『私だけじゃありません。アナタの事を心配している人は、大勢います。皆さんが、アナタの為に皆さんが手を貸してくれました。それは私の力じゃない。皆さんがアナタを想っていたから、無事でいて欲しいという願いがあったから、私に力を貸してくれたんです』
「いいえ、それだけじゃない。アナタだからこそ、私達は手を貸した」
一人だけ、信じた。
一人だけ、彼女の為に動こうとしたからこそ、皆が手を貸した。そう想わせるだけの行動をしたからこそ、今がある。決して彼女に力が無いわけじゃない。彼女には皆にそうさせる力があった。
スノゥはそう思っている―――そう、信じている。
『迷惑だったかもしれないけど、仕方がないじゃないですか。アナタはそれだけ価値のあるある人なんです。掛け替えのない一人で、失えば悲しむ人がいる一人だった。それは決して恥じる事じゃない、誇るべき事なんです』
届くと、信じる。
この時だけは、異世界の神や魔王よりも、たった一人の小さな教師の言葉の方が、信じる事が出来る。この行動は無意味には終わらず、必ず何らかの結果を生み出す。最悪な方向に転がる事があっても、転がってしまった結末をもう一度転がす事だって可能なはずだ。
人は神じゃない。
願いは無碍にされ、現実に絶望する事だってある。むしろ、そっちの方が多いと言っても過言ではない。
それでも、人は願う。
願う事こそが力であり想いだ。最初は小さくとも、次第に大きな力になる時だってある。彼女の様に、たった一人から始めた行動が掴み取った結果を見たからこそ、
「無様かもしれないが、良いではないですか」
無様こそ、人の真骨頂。
無様の先にある栄光こそ、真に英雄と呼べる存在。
力なき英雄は誰も救えないと思うかも知れないが、スノゥは確かに見たのだ。力はないが、想いがある。決して諦めず、無意味と思っても足掻きぬいた英雄を。
小さな英雄こそ、誰もが英雄となれると証明しているのだから。
『アナタは一人じゃない。一人じゃないから、今があるんです。なのに、それを捨てるなんて勿体ないじゃないですか。一人より二人、二人より三人です。沢山いれば良いって話じゃないですけど、アナタは確かに持っているじゃないですか―――持っていた、じゃない。持っているんです。アナタが掴んだモノは、今もこの街にはあるんです』
故に、頑張れと口に出来る。



足が動かない。
身体が動かない。
声も発する事が出来ず、ただ私は聞こえる声に耳を傾ける事しか出来ないでいた。
なんて馬鹿な事をしているのかと驚き、なんて馬鹿な事をしているのだと怒り、なんて馬鹿な事をしているのだと、泣いてしまいそうだ。
「ずるいよ、美羽ちゃん」
こんな事を言われたら、決心が鈍ってしまうじゃないか。今から終わらせようとしているのに、こんな風に声を聴いてしまったら、最後まで聞きたいと思ってしまう。聞き終えてしまえば、きっとさっき程の決心はない。新しい思い出のせいで悔みながら終わるに決まっている。悔むのは終わったはずなのに、また悔みが生まれてしまう。
「ずるい、ずるいよ……」
怪物にこんなに優しい言葉かけてくれるのは、自分達も怪物として扱われているからかもしれない―――人でなしの私は、そんな事を想う。
最後の悔いを無くす為に、そんな馬鹿な事を考えている。そうしたら、美羽ちゃんの言葉を単なる綺麗事で、自分の現状を理解している憐れな人間の戯言だと思えれば、きっと私は救われる。
でも、それは本当に救いなのだろうか?
救いなど求めていないくせに、実は誰よりも救いを求めているだけじゃないのか?
『私達は、人妖は世界から嫌われています……世界中の人達が私たちを怪物だと罵る。普通の人達と私達は一緒に住む事が許されない。望んでそうなったわけじゃない。ただ、そんな風になってしまっただけなのに……そんな世界で、私達の唯一の居場所は此処です。私のいた街と、この街だけ。二つの街だけが、私達にとって安心して過ごせる街だった』
「だから皆がお互いを求め合うんですね」
人でなし、人外と罵られたが故に、人妖は微かな世界で生きていくしかない。この病は治る事が無いだろう。この先も永遠、人妖は隔離されて、害悪として過ごすしかない。だから同じ境遇の者達が身を寄せ合い、静かに暮らすしかない。
自由に世界を歩く事も、自由に誰かを出会う事も、全てこの小さな世界で行うしかない。けどさ、それはそれで幸せな事なんだと思う。
私は世界を見てきた。
残酷で、誰にも優しくない血で汚れた世界。怪物の私に相応しい、どうしようもなく、救い様のない世界。
それに比べれば、この街は幸せだ。
侮辱しているわけじゃない。侮辱するべきは私の過ごしてきた世界。
こんなにも明るく、光ある世界。

『――――でも、だから私達が出会ったわけじゃない。求め合ったわけじゃない』

まるで私の言葉が聞こえたように、美羽ちゃんは否定した。
『私達は人妖です。狭い世界で、小さな出会いしか得られない……それは不幸な事なんですか?仕方がないから出会ったんですか?その人達しかいないから、お互いを求め合ったんですか?』
美羽ちゃんの声に力が籠る。
街中に響かせた声は、全てが私だけに向けられる。
『そんなのは、たったそれだけの事なんです。たったそれだけ。人間という枠組みの中に含まれた、人妖というありふれた人種でしかない。国籍が違うとか、肌の色が違うとか、言葉が違うとかと同じ事なんです……だったら、それは人妖である必要なんてない』
怪物である必要すらない―――そう言っている様に思えた。
『アナタの出会った人達は、皆さんはそんなちっぽけな事で誰かと一緒に居たいと思うような弱い人ですか?そんなつまらない人達ですか!?』
ちっぽけ事なんかじゃない。
でも、美羽ちゃんはわかっていないよ。
私は人でも人妖でもない。
怪物なんだ。
死を冒涜し、死を操って人を殺すような怪物なんだよ?その怪物を自分達と一緒なんて言ったら、美羽ちゃんが皆を馬鹿にしている事になってしまう。
私は、違うんだ。
皆とは、違う。
『皆さんが力を合わせて真実に、アナタに辿り着いたのは、アナタだからです!!人妖だとか、怪物だとか、そういう事じゃない。アナタがアナタだからこそ、アナタに辿り着いた。アナタと出会ったから。アナタと過ごしたから。アナタと思い出を作れたから!!』
綺麗事だ。
テンプレな謳い文句と同じだ。
今更そんな言葉でどうにかなるはずがない。
それが通用するのは物語の中だけで、現実では上手くいかない。人と人は共存できても、怪物と人は共存してはいけない。どの世界の英雄譚でも怪物は人によって駆逐される。
私達は、そういう関係なんだよ、美羽ちゃん。
『現実は、私達には優しくありません。運命も何時だって意地悪ばかりします。それは人も人妖も関係ない。生きていれば、そういう事だって沢山あります―――でも、だから何だって言うんですか?だから諦めろとか、我慢しろとか言われても、出来るわけないじゃないですか。だって……簡単に幸福になれないと同じように、私達は簡単に不幸になれないんですから』
―――――あぁ、そうだった。
また思い出が蘇る。
また思い出が私の邪魔をする。
簡単に幸福になれないのは知っている。でも、それと同じくらい不幸にもなれない。
不幸になるのは、難しい。
少なくとも、今の私は不幸になるのは難しい。
周囲の幸福に失望していた時、私は不幸を知った。けれども、それに対して失望する事が出来たのは、もしかしたら幸福だったのかもしれない。人間らしくなかった、怪物である私がそういう感情を抱けたのは、辛くとも一つの幸福と言えなくもない。
そして、その幸福は止まらなかった。
私に話しかけてくれたアリシア。それに続いて昴、ティアナ。更に連鎖は続き、何時しか私の周りには変な人達ばかりで、気づけば私もそんな変な人達の仲間になっていた。
それらを捨て去れば、私は不幸になったのだろう。だが、一度知った幸福を捨てる事は難しい。幸福の温かさを知り、大切さを知り、得た絆が何よりも私の宝物になった。
この絆を続けたい。
この宝物を増やしていきたい。
汚れきった怪物であるにも拘らず、私はそうした雑念を持ってしまった。
それは全て、

『それでも生きていよう、誰かと共に居ようと思えるのは、そう思える誰かがいるからです!!』

一緒に居たい。
一緒に笑い合い、触れ合い、日々を継続させていきたい。
『だから……出会わないほうが良いとか、思わないでください。思い出になりたいなんて、思わないでください。思い出になったら、先がないじゃないですか。先がないなんて、つまらないですよ』
やっぱり最低だよ、美羽ちゃん。
そんなのは知っていたし、理解もしていた。だけど、諦めるしかなかった。何より私がそれを望んでいたけど、受け入れる事なんて出来ない。受け入れたら最後、私は本当に意味で怪物になってしまいそうだった。
人を殺したのに幸せになるなんて、おかしい。多くの人の信頼を踏み躙り、利用して殺してきた私が幸せになるなんて間違っている―――間違ってるんだよ!!
『アナタはそんなのは許せない、自分のしてきた事を無かった事に出来ないって言うのなら、それは仕方がない事かもしれません』
そうとも。
美羽ちゃんは許せるの?
人を殺してきた怪物を、許す事が出来るの?

『――――だったら、逃げないでください』

静かに、しかし大きく響く声はそう言った。
『私は聖人君子じゃありません。神様でもありません。身内だから許すとか、大切な人だから見逃すとか、そんな事を平気で言えません―――だから、私が言える事は一つです。逃げないで。自分のしてきた事から、逃げないでください』
許さないと言っているのではない・
見逃さないと言っているわけでもない。
『許す事が優しさかもしれませんけど、私はそうじゃないと思うんです。やった事にはキチンと責任を取るべきです。責任を放棄して逃げるなんて、それこそ悪い事です。だから―――』
逃げるな―――その言葉が、少しだけ意外だった。美羽ちゃんは結構、いや、かなり甘い人だからそんな事を言う感じじゃないと思っていたけど……そっか、美羽ちゃんも結構厳しい人なんだね。
逃げるな、か……
此処から飛び降りれば、全てが終わる―――そう思っていたのは、私だけだった。それは終わらせるんじゃない。逃げになるんだ。死という逃避は、自分のしてきた事を全て投げ捨てる事と同じ。私が罪の念に苛まれ、怪物である事に憤りを抱いているとしても、歩こうとしている先が死、逃げだというのならば、
「キツイなぁ……それ、死んだ方が楽じゃないか」
此処にいない美羽ちゃんに辛いと言ってみるが、当然返答は無い。それどころ、声が聞こえなくなっていた。
逃げるな、それを最後に美羽ちゃんは話すのを止めたらしい。だとしたら、最後にとんでもないヘビィな事を言ってくれたものだ。
あぁ、笑える。
爆笑ものだ。
辛いから笑える。苦しいから笑える。笑って笑って、許しを乞いたい気持ちで満たされるが、私が許しを乞うべき相手はもういない。全部私が殺してしまった。これこそ、既に遅いって事になる。もう遅い、手遅れ、実に馬鹿げている。死人にしてやれる事すらわからない死人が此処にいる。
「勘弁してほしいなぁ……」
その場に崩れ落ちた私は、一歩も動く事が出来なかった。這ってでも前に進み、タワーから落下する事は出来たかもしれないが、そんな気力も沸かない。
壊された。
完全に、木っ端みじんに砕かれた。
ベタな謳い文句で、テンプレみたいな説得を前に、私の決心はあっけなく消え去り、終わらせる気力を根こそぎ奪い取ってしまった。
ずるいなぁ、美羽ちゃんは。
酷いなぁ、美羽ちゃんは。
可愛いくせに厳しいなんて反則だよ。
風が吹く。
夏なのに冷たい風が、心地よい風が。
何処に行っても吹き続ける、遠い誰かにも届く風は何時までも吹き続ける。
その音に消された私の嗚咽は、何時か誰かに届く事はあるのだろうか?




「……これで良かったの?」
アリシアは美羽に尋ねる。美羽は頷き、歩き出す。
「後は、エアハルトさんが決める事です」
そう言って見上げる先は、リィナの居るタワーの屋上。
「もしも、リィナが飛び降りたらどうするの?」
「しないと信じます」
「それって人任せじゃないかな?」
「テスタロッサさん、教師だって人間です。教師の卵の私は、それ以下です。だから、出来るのは此処まで。後はエアハルトさんの意思がどうするか、どうなるか、です」
冷たい事を言っている様に振る舞ってはいるが、アリシアには不安で堪らないという様子にしか見えない。無理をしているのはわかる。今にもタワーを駆け上がり、リィナのもとに行きたいのだろう。それを我慢する理由は一つ、物理的に止めても意味がないとわかっているからだ。
「美羽ちゃんは頑張り屋さんだね……」
「どうでしょう……ただ、臆病なだけかもしれません」
「臆病な人は、電波ジャックして大演説なんかしないよ」
初めて見た美羽の人妖能力。
特定の物体を中継点として、声を発する能力。
過去、彼女はぬいぐるみを媒介として他者との会話をしていた。最初はその程度の能力と彼女自身も思っていたが、ある時、ふとした拍子に能力の可能性を知った。例えば携帯電話。通信機器である携帯電話は普通に遠く離れた相手と会話する事が出来るが、仮にそれが壊れればどうだろう。無論、通話など出来ない。
だが、彼女は壊れた携帯電話で通話をする事が出来た。携帯電話を中継点として、相手に繋げる事に成功した。この時は、もしかしたらこれで携帯料金を誤魔化せるのではないか、などという想いが頭を過ったが、当然やるわけがなかった。以降、この能力をそのような方法で使う事は一度もなかった。
今回の現象は、その延長。
携帯電話と携帯電話をつなげるのは電波だ。壊れた携帯電話から通話が可能だったのも、世界中に目に見えない電波があったからだとすれば、それを利用する事も可能だろう。電波塔であるタワーを触媒にして、街中に流れている電波の行先全てを掌握する。電波だけではない。有線だろうと無線だろうと【繋がっている】ならば、幾らでも能力は発動できる。
その為、テレビやラジオ、もしかしたら電話回線すら美羽は手中に収めていたかもしれないが、彼女自身、そこまで深くは考えてはいなかった。
ただ、伝えたい想いがあった。大事な生徒が勝手に全てを終わらせようと、諦めようとしているのを指を咥えて見ている事など出来なかった。
その一心で起こした電波ジャック。
それが彼女の本来の能力を超えている現象だとは、誰も知らない。
在り来たりな言葉を使わせて貰えば―――これは陳腐な奇跡だったのかもしれない。
「ふふ、明日の新聞が楽しみだよ」
茶化してみたが、美羽の表情は優れない。無理なんてしなければ良いのに、と思いながらもアリシアは美羽の選択を黙って見守る事にした。
結果はわからない。
もしかしたら、明日の新聞にはタワーから飛び降りた死体を発見という記事が出るかもしれない。天を見上げれば、今にもリィナが落下してくるかもしれない。不安なのはアリシアも同じだが、
「ねぇ、美羽ちゃん。美羽ちゃんはさ、どんな結末が良かったの?」
「何も起きなかった結末です」
何も起きず、普通の日々が続き、美羽は教育実習を終わらせて神沢に帰る―――それこそ、現段階では最高の結末になっていただろう。だが、それは夢物語だ。起きた事は起きた事、無かった事にはならない。起きた出来事を覆すなんて奇跡は起きない。
現実はどうしようもない程、残酷で過酷なのだから。
「テスタロッサさんはどうなんですか?」
「私?う~ん、そうだなぁ……うん、わかんない」
起きた事は起きた事で、無かった事にはならないと理解している。そこまで子供じゃない。駄々をこねても神様はこっちの都合など知った事じゃないと言うだけ。救いようのない結末が訪れるのを今か今かと待ちかねている可能性だってある。
「わかんないから、美羽ちゃんと同じ。リィナを信じるよ」
もうタワーを見上げたりはしない。
不安な想いを胸に抱きながらも、歩く先は前。後ろには足を向けない。前に歩いて、事態の進展を待つしかない。
やるせないが、これも現実と受け入れる
「現実は冷たいよね。漫画だったら、美羽ちゃんの説得でリィナが改心して、また普通の生活が始まるんだけど……これ、現実なんだよね」
「えぇ、そうですよ。冷たい現実、それが私達の生きている世界です。物語みたいに終わりを迎えても、その先があるんです」
幸福な終わりの後に不幸があるかもしれない。その逆も然り、どう転ぶかなど誰にもわからない。
「俺達の戦いはこれからだ!!―――みたいな打ち切りで終わるのは、漫画の特権だね」
「そうですね」
伝えたいことは全て伝えた。
自分勝手に伝えて、後は彼女に全て任せる。
一個人に出来る事は限られている。人の一生に作用する衝撃を与える事は不可能。言葉は言葉でしかなく、想いは想いでしかない。美羽が言うように現実は冷たい。都合よく回る世界は存在しない、終わりが素晴らしい結末も存在しない。
幸福を願い、不幸を払い、満足する結末だけを用意するなんて神のシステムを美羽は持ち合わせてはいない。
「美羽ちゃんさ、フランケンシュタインの物語、読んだ事ある?」
「無いですけど……」
「私もちゃんと読んだ事は無いけど、あれさ、最後は怪物を作った博士は死んで、怪物はどこかに消えちゃうらしいよ」
ハッピーエンドじゃないエンド。
怪物を作った博士は復讐を果たせず死に、怪物は孤独に消えて終幕する物語。これが物語でも救いようのない話だ。
「怪物は一人が嫌だった。だから自分と同じ存在を博士に作って欲しいってお願いしたけど、博士は拒んだ。拒まれた怪物は博士の奥さんを殺してしまった」
怪物は自身の醜さを呪い、周囲も怪物を醜い怪物だと決めつけた。そんな孤独から怪物は同族、同種の花嫁を求めた。自分と同じ他人を、怪物に相応しいもう一人の怪物を。
「救いは、あったと思うんだよ。怪物は自分の周囲しか目が行ってなかった。だったら、怪物は周囲から一歩、外に出れば良かったんだ。そうすれば、何か変わったかもしれないじゃない」
「怪物を認めてくれる人がいるかもしれない、ですか?」
「うん。勿論、あくまで推測だし、物語の話だからどうにもならないんだけど……」
もしも、怪物が周囲を、狭い周囲を世界の全てだと思わなければ、結末は違ったかもしれない。
「怪物を認める人が世界に一人くらい、居たんじゃないかなって思うんだ。怪物を怪物として認めながら、存在を拒むんじゃなくて受け入れる様な人がさ」
怪物は心を持った。
人の心を持ってしまったがばかりに人に絶望し、同種を求めてしまった。
早計だったとアリシアは思う。
この世界には、怪物を認めてくれる人がいるはずだ。それを救いとは言わないだろうが、それは可能性として十分にある事だ。何十億といる人達の中で、ほんの一握りの物好きが居ても良い筈だ。そして、怪物がその一握りと出会う可能性だって零ではないだろう。
「エアハルトさんは、その一握りに出会ったんですね」
「この街は物好きばっかりだからね」
「多分、この街だけじゃないですよ。世界には、きっとそういう素敵な人達がいるはずですから」
「……美羽ちゃんってさ、もしかしなくても綺麗事とか好きなタイプ?」
美羽は当然だと頷く。
自分も怪物の一人だから。
人よりの怪物。
人妖は世界から怪物として見られている。だが、中にはそうじゃない人だっているかもしれない。人妖を人妖として見ずに一人の人間として見れる者。もしくは、人妖として受け入れる者がいるかもしれない。
「全部の人間が怪物を作った博士や怪物を拒んだ人達と同じじゃない。そう信じている事が綺麗事だと言うのなら、私は喜んで綺麗事を選びます。それに、私は綺麗事があると知っていますから」
美羽は思う。
綺麗事というのは、決しては相手を傷つける、侮辱する言葉ではない。人がそうありたいと願う限り、人がそうであると知る限り、生きる者の中にはきっと綺麗事を好きな部分があるはずだ。


「この世界は決して楽じゃないですけど……それに見合ったモノが得られる、そんな世界なんですよ」




次回『後日談』



[25741] 【人造編・後日談】
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/07/03 00:16
「――――結局さ、新井先生はどんな教師になりわけ?」
真夏の屋上。
今日の天気は曇り空。午後から短い時間だが雨が降る予定で、出かける際には傘を持って外出するように天気予報で言っていた。
まだ雨が降るには速いが、雨雲がゆっくりと濃さを増していき、午後と言わずに今すぐにでも雨が降ってきそうな様子を美羽とティーダは眺めていた。
「生徒が卒業した後も、学校生活が楽しかったと思える思い出を作れる教師、ですかね」
「へぇ、そいつは随分と難しい教師だ。ちなみに俺は将来生徒と結婚出来る様な教師になりたいね」
「そっちの方が難しくありませんか?」
「俺ってばモテるし、そのくらいなら問題ナッシングさ。まぁ、唯一の障害と言えば妹だがな」
「ランスターさん、将来の夢は総理大臣になってお兄さんと結婚する法律を作る事だって言ってましたよ」
「怖い事を言わんでくださいよ……アイツ、マジでやりそうで怖いんですから」
煙草を缶コーヒーの空き缶に放り込み、次の煙草を咥える。
「まぁ、新井先生の教育実習も、もう少しで終わりですからね。本来なら夏休み前に終わるのが普通なんですが、予定が色々とつっかえましたからね」
「そうですね……早かったなぁ」
「色々とありましたからね。向こうの大学に戻ったら、夏休み無しで大変ですけど、頑張ってくださいよ。最終日には教師一同、盛大にお見送りさせていただきますよ」
「はい、楽しみにしてます」
もうすぐ終わる。
この海鳴の生活も、終わりまで一週間を切っている。それが終われば教育実習が終わり、神沢に戻る事になる。
「ティーダ先生。一か月間、本当にお世話になりました」
「いやいや、実習期間の殆どが補習ってのは、完全にこっちの不手際なんで、むしろすみませんって感じですわ」
「それでも……それでも、私には十分過ぎる一ヶ月でしたから」
美羽の頬に雨粒が落ちてきた。
「雨、降ってきましたね」
「ですね。そんじゃま、職員室行って明日の準備でもしますか。補習は明日が最終日ですし、しっかり授業やりましょうか」
「はい、しっかり、しっかり……しっかり、出来るんですかね?」
「アイツ等がサボらなければ、ね」


後日談として語る事があるとすれば、二つの事件の顛末だろう。
一つ目は海鳴市のみで起きた電波ジャック事件。
この事件の犯人は結局見つからず、未だも調査は続いているらしいが、進展する様子はない。そもそも、事件の調査を行っているという事自体がでまかせなのだ。犯人である教師は事件後、月村邸にティーダと共に向かい、街の権力者にこっぴどく叱られた程度の罰が与えられ、事件は解決を見せた。だが、世間的に犯人を上げなければいけない為、表向きには調査中とさせている。
この程度で済んだのは月村の力と、事件中に大した被害が出ていないからだろう。放送されていた番組が中断された等については、海鳴の街、人妖隔離都市に関わりたくないという理由で影響は殆どないと言って過言ではない。
つまるところ、この街の中だけで起きた事なら大抵は揉み消せるという事実に他ならない。
そしてもう一つの事件。
留学生、リィナ・フォン・エアハルト殺害に関しては進展があった。
犯人の自首という結末で事件は終わりに向っている。犯人の水商売を営んでいる女は、リィナ殺害について素直に白状しており、取り調べは速やかに進んでいるらしい。
報道されたのはその程度。以降、事件の報道は殆どない。
一人の人間が死んだとしても、世間は一つ事件にずっと関心を示しているわけではない。むしろ、毎日の様に人が死んでいる現代では、有名人の死でない限り、連日報道されるわけがない。
こうしてリィナ・フォン・エアハルトの事件は終わり、誰もが興味を失っていく。
余談ではあるが、女には家族と呼べる者は居ない。天涯孤独であり、彼女に面会に来る者は誰もない。
幸か不幸か、誰も女を知る者はいない。
ごく一部の人間を除いては―――もっとも、これは意味がない事だ。誰も女の事を知らないという事実に他ならない。




結局、これは悲劇だったのか、喜劇だったのか。
リィナは罪を背負った。
二つの罪。
見ず知らずの女を殺したという罪と、その女を殺人犯にしたという罪。二つの罪を背負い、償う為に彼女は別の人間に成り変わり、罰せられる事になる。果たして、これは罪を償っていると言えるのか、もしくは単に罪を隠して誤魔化しているだけなのか、答えは誰にわからない。
ただ、リィナは自身を終わらせる事はせず、罪人として罰せられる時を待つ事になった。
美羽はこの事を知っていながら、本当の事を誰にも話していない。限られた一部、事件の当事者達は真実を知っていたとしても、これに対して追及する事も、口を開く事もなかった。
海淵学園にとって、リィナは死んだという事実のみが、絶対無二の真実だ。それ以外の真実など存在せず、死者を黙祷するだけ。
「これで良かったのかな?」
行きつけのファーストフード店で、昴はシェイクを啜りながらティアナに尋ねる。ティアナはポテトを無言で食べ、回答を保留とする。
「わからないよ、誰にも」
代わりに答えたのはアリシアだった。
漫画雑誌を片手にハンバーガーを食べている。
「きっと、誰にもわからないっていう結末なんだよ、これは。真実は闇の中、複線の回収もなければ、真実の回答もされない。推理漫画として三流で、現実では当たり前な結果。昴、私達はそれを受け入れるしかないんだと思う」
「でもさ……なんか、変な感じだよ」
「しっくりこない?」
「うん、しっくりこない」
だとすれば、どんな結果なら満足するのかと問われれば、昴は口を閉ざすしかない。
正しい正解など無い。間違いな回答もない。これがテストであるならば、最初から答えがない問題という事になる。回答しても点数は貰えず、テストは絶対に百点を取れない仕様。テストとしても出来そこないに他ならない。
「私はさ、これで良いと思うよ」
アリシアは言う。
「リィナが選んだ事は正しくはないけど、間違ってもない。色々と間違ったけど、あの子がこれが正しいんだって選んだのなら、それが一番の回答なんだよ。結局さ、私達はあの子の為に何も出来なかったっていうだけの話」
「何も出来なかった、か」
「そう、だからこの話はこれでお終い。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。連載打ち切りなだけ」
そう言ってアリシアは口を閉ざした。
アリシアとて、本音を言えばこれで良いとは思ってはいない。思ってはいないが、これ以上の結果はおそらく、自分達には作れない。どんなどん底でもハッピーエンドに持っていける英雄、ヒーローでもいない限り、この状況は覆らない。
アリシアもティアナも昴も、銀河もプレシアもフェイトも、そして美羽もスノゥも、誰もヒーローの役ではなかった。ヒーローの条件を満たす事は出来なかった―――所詮、それだけの話に過ぎない。
リィナは死んだ、これが表向きの事実。
リィナは罪を背負って裁かれる、これが裏の事実。
どちらも報われる事はない。
皆の頑張りは、結局は現実に塗りつぶされる。如何に綺麗事を吐き捨てようとも、現実という厚い壁の前には無様に散るしかない。
仕方がないと諦めるか、仕方がないと受け入れるか。
どちらにせよ、この物語はこういう終わりを迎えるのだ。
「―――ヒーローがいないって事がわかっただけで、儲けもんじゃない」
ティアナは黙り込んだ二人に向けて言った。
「高校生と教師がどれだけ頑張っても、出来るのはこの程度。私達の中にはヒーロー役になれる人材はいなかった―――良いじゃない、それで」
「ティアは冷たいね」
「普通よ、普通」
普通という言葉は、時に人を無力と罵っている様に思える。少なくともアリシアは今、そう思っている。普通の自分。フェイトの様に不死の力を持っているわけでもなく、戦える力があるわけでもない。それは此処にいる皆がそうであるように、どうしようもない現実。
現実、これもまた、冷たく人を傷つける言葉だ。
どれだけ願おうと、事件は終わった。
フランケンシュタインの怪物は救われず、怪物を助けようとした者達が描く幸福な結末は存在せず、世間は事件を刹那な間に起きた出来事として忘れ去る。
「私ね……」
それでも、アリシアは胸に残った一つの希望を口にする。
これだけが、この事件の中で唯一得た真実であり、怪物と自分達を救う光だったと確信する。

「この事件にヒーローはいなかったけど……漫画みたいな熱血教師はいたと思うんだよね」

ヒーローじゃない、ヒロインでもない。
ただ、生徒の為に走り回り、最低な終わりを覆し、普通の終わりを手に入れる事が出来たのは、たった一人の教師がいたからだとアリシアは言う。
例え、幸福が無く、救いのない物語だとしても、それだけは確かだと思えた。





「私は、また失敗したのでしょうか?」
スノゥは虚空に向って尋ねた。無論、誰も彼女の問いに答える者はいない。
雨が降り頻る中、スノゥは傘を差しながら海を眺めていた。雨が降っているという事で周囲に人はいない。彼女一人が海をじっと見つめ、今回の事件を考えている。
最初から最後まで、自分は何も出来なかったのだろうか。それとも、何らかの役割を果たす事に成功していたのか―――最悪、自分が関わったからこんな結果になってしまったのか。
考えれば考える程、暗い思考が占めていく。唯でさえ雨は憂鬱になるというのに、これ以上の憂鬱を抱いてしまえば、どうにも出来なくなってしまう。
「最善ではないが、最低でもない……実に中途半端な、当たり前の結末……私が求めていたのは、こんな結末ではないはずです」
この力は何の為にこの身に宿っているのか。
万物を超越するわけでも、万人を救えるわけでもない。魔道の力は正道ではなく邪道になってしまっている。そうしたのは全て、己が道を踏み外したからだ。正しい道に救いは無いと決めつけ、邪道に進めば意味が生まれると錯覚してしまった。
結果は見ての通り。
人を救う魔法使いはいない。
人を貶める魔女がいるだけ。
それを理解しながら、自覚しながらも、足掻いた。思い出した己の願い、原初に抱いた幼稚な幻想。次第に蘇る記憶を前に、スノゥは過去を直視する事が出来ない程、打ちのめされた。
過去の自分は今の自分を見て、きっと嘆くだろう。こんな悪者の魔女になる為に力を得たわけじゃないと悲痛な叫びをあげるだろう。今の自分はそれを受け止め、詫びる事すら出来ずに呆然と立ち尽くす。
「それでも、無様でも、」
生きているから、
「前に……ただ、前に」
進まなければいけない。
誰よりも自分がそう望んでいるから、前に進もうとした。その為にこの事件に深く関わる事を選んだ―――だが、終わってしまえば、自分に出来る事など何もなかった。
戦う事、傷つける事。自分の異能は、魔法はその程度の事しか出来ない。それ以外の事をしようとすれば、待っているのは無力感のみ。
リィナの死の偽装を暴いた時も、バーでリィナを説得しようとした時も、自分は何一つ役に立つ事などしていない。
リィナの背を見送り、美羽に全てを任せた時点で、スノゥが行える事は全て終わった。
此処から先は魔女の出る幕は無く、人が人として終わらせる結果を待つしかないと思った。
その結果として、リィナは死ななかった。
その結末を手にしたのは美羽だ。自分ではない。自分の魔法ではなく、彼女の言葉が最低のどん底からリィナを掬い上げた。ただし、彼女の力ではそれが限界で、それ以上の結果を生む事は出来なかった。当然だろう。この事件はその時点で終わっているのだ。
リィナが人を殺し、逃げ出そうとした瞬間に終わっている。その後に起きたヴィクターの襲撃などおまけでしかない。そして、それ以降はボーナスタイムの様なモノだ。そのボーナスタイムで美羽は勝負に勝った。
この後、リィナはどうなるか、どのような行く末が待っているのかは、誰にもわからない。
「だとすれば、少しは理想を抱いても良いのかもしれませんね」
わからないからこそ、希望を持てる。小さな希望だが、それが長い年月を費やす事で大きな希望になるかもしれない。その先にあるのは光。今は小さき、未来には大きくなるかもしれない光。
美羽が作り出したのは、そうした希望の光だったのではないか、スノゥはそんな都合の良い想像をして、苦笑する。
「らしくありませんわね」
負け犬の魔女は何も貢献できない。負け犬の魔女は人を救えない。アリサとの対話を得ても、現実は彼女の想うようなモノにはならない。望んだモノに手を伸ばしても、掴み取るのは魔女ではなく、別の者。今回に限って言えば、それが正しい、もっとも望ましい結果になった。
雨はまだ止まない。
今日一日はずっと振り続けると天気予報は言っていたので、この傘は今日一日手放す事は出来ない。
恐らく、自分の中でも雨は降り続いているのだろう。止む気配無い。もしかしたら、雨が止む時は、自分自身が意味がある事を成し遂げた時なのかもしれない。何時かはわからない、そんなチャンスがあるとも思えない。だが、それを諦める事が出来ない。
「降らない雪に、意味は無い……ですか」
夏に雪は降らないのは当たり前。
雪が降るのは冬だ。冬にはまだ数ヶ月早い。その時期になったら自分は、果たしてどんな姿になっているのだろう。今の様に別人に姿を替えずとも好い、心の底から満足できる場所に立っている事が出来るのだろうか。
心は疑問しか生み出さない。
この疑問の連鎖が壊れ、確信を持って言える日が来ると信じて良いのか―――いや、信じてみよう。
都合が良くて、出来過ぎていて、馬鹿みたいに甘い幻想だとしても、進まなければ現実には出来ない。
時間はある。
世間は夏で、学生は夏休み。
一つの事件が終わり、魔女は進むべき道を模索する。
その為にもまずは、
「考えるまでもありませんわね」
出来る事をしよう。
今更会わせる顔なんてないけれども、
「……なのはさん、私は――――」
一人の少女の事を思い浮かべ、



背中から胸にかけて、何かが貫通した。



「―――――――あ、」
傘が地面に落ちた。手の力が無くなった。足にも力が入らない。身体の力が一気に抜け、自然と膝が崩れ、地面に倒れる。
「――――――」
身体は震える。
何が起きたのか理解するには、少しは思考が正常になる必要がある。けれども、思考は正常になるどころか、捻じれに捻じれ、自分が何を考えているのかもわからない。
「――――――」
口を開いても、口から出るのは酸素のみ。何かを言おうとしているのに声が出ず、過呼吸の様に息を吸おうとしてもうまくいかない。視界が歪み、胸から何かが漏れ出す感覚。手足を動かそうとしても上手く動けない。まるで手足が自分のモノでなくなった様だ。まさか、そんなはずがない。手も足も未だ自分の身体と繋がっているはずだ。
「――――――」
赤い雨が降っているのだろうか。
倒れた身体から漏れ出した何かが、赤い水溜りを作り出す。真っ赤で、ベトベトしていて、鉄の匂いがして、生温かいのに身体が冷たくなって、身体が震えだして、納得できなくなくて、
「ぅう、あ……ぁああああ、あああああぁぁぁぁッ!?」
漸く出た声は獣の如き叫び。叫びながらスノゥは上半身を起こした―――起こした瞬間、胸からドロリと真っ赤な液体が漏れた。
「なに、こ、れッ……え、あ―――うぃぶぎぁ」
喉の奥から逆流した汚物は真っ赤な塊。血と、血以外の何かが一気に漏れ出して、地面を真っ赤に染める。
何が起きたのだろう。
力が入らない手を上げると、手は小刻みに震え、血液が手を汚している。これが自分のモノなのか、それとも単に赤い雨が降っているだけなのか、この世界ではこんな雨が降るのだろうか―――思考が混乱し、正常が存在しない。
「血、血?え、血……だ、れの?わ、私、わた、しの?」
視界を下げ、自分の胸元を見る。
空洞。
あるはずのモノが無く、無かったはずの空洞が見える。
心臓があるはずなのに、半分しかない。
胸骨が砕かれ、中にあるはずの臓器が消し飛んでいた。
「う、そ?なに、これ?え?あ、あ?ぇぇあ、あ―――――ぁぁああああああああああああああああああああああッ!!」
激痛が全身を駆け巡る。
感じた事がない激痛。痛みが消えていくような激痛。削り取られた心臓が悲鳴を上げ、悲鳴を上げた瞬間につま先からの脳天まで、全てが痛みの本流に飲まれる。おかしい、これでは死んでしまうじゃないか。でも、死んでいない。心臓が削られているのに死んでいない。頭が無事だからだろうか。いや、それはない。心臓が機能を失ったのに生きているなんておかしいじゃないか。彼女に会いたい。死んでない。自分は死んでいない。痛いだけだ。でも死んでいる。死ぬってなんだ。生きてるってなんだ。痛いじゃないか。血が出てるじゃないか。雨が降っている。彼女に謝りたい。血が真っ赤だ。痛い。寒い。血が止まらない。死んでいるはずだ。痛い。痛い―――――もう、思考は正常にはなれない。
死と生がせめぎ合いながら、スノゥは這って前に進む。向かう先は海だが構いはしない。海に向っているという認識すらない。ただ前に。ただ進む。ただ会いたい。ただ謝りたい。ただ顔が見たい。ただ、ただ、ただ、ただ、
「ごめ、なんな、さい……ごめんな、さい……ごめん……さ……い」
謝りたかった。
酷い事をしてしまったから、謝りたかった。
それ以上に、会いたかった。
こんな自分を必要としてくれた子に、無性に会いたかった。だけどおかしい、身体が上手く動かない。立つ事も出来ず、動く事も困難だ。こんな状態ではあの子に会いに行けない。会って頭も下げる事も出来ないじゃないか。倒れたまま謝るなんて無礼じゃないか。それに服も身体も汚れている。真っ赤に汚れている。身体には空洞が開いて気持ちが悪いし、血が流れ出ている。これではあの子が怖がってしまう。ちゃんと身体を綺麗にして、シャワーを浴びて、身だしなみを整えて、そうだ、お詫びの品を持っていこう。あの子の好きなモノは知っているから、大丈夫。モノで釣ろうってわけじゃない。これは謝った後に渡すんだ。勿論、許して貰えればだけど、許して貰えるだろうか、ごめんなさいって言えば、許してくれるだろうか、一緒に居ても良いだろうか、都合が良すぎないだろうか、間違っていないだろうか、また傷つけてしまわないだろうか、不幸にしてしまわないだろうか、泣かせてしまわないだろうか、私が泣いてしまわないだろうか、きちんと言葉に出来るだろうか、邪魔されないだろうか、終わってしまわないだろうか――――謝りたい。
あの子に酷い事をしたんだ。
ちゃんと会って、ちゃんと謝りたい・
謝って、謝って、
「許……してくれな、くて……いいの、よ?ののし、って……ひど、い……したか、ら……ははは、あははは、当然、よね……いい、の……わたし、が、……悪い……です」
這って、這って、

【大丈夫。君は悪くない】

呪いの言葉が聞こえた。
「ご、めん、さい、な、な、なの、……な……は、さん、ほん……に、ごめ」
【謝る必要なんてない。君はちっとも悪くない。単に運が悪かっただけさ。君はまったく、全然、これっぽっちも悪くない】
「あやまり、たかっ、た……わ、わたし、あ、あなたに……」
【必要ないさ。君に悪意があるなんてありえない。君は誰よりも優秀で、誰よりも優れた稀代の魔法使いなのだから!!】
「なのは、さん……ごめ――――」
【だからさ、君は悪くないって言っているだろう?】
既に感覚の無い手が砕かれる。小さな足がスノゥの手を踏みつけ、骨が砕け、皮膚が破れる。足は彼女の手を、頭を、腹を、身体を何度も何度も踏みつける。
薄れゆく視界の中に写るのは、幻想だった。
居るはずのない幻想。
頭の中にだけ響いた声が、まるで現実に存在する者の口から出た言葉の様に思えたのは、きっと幻想に違いない。現に幻想は自分の身体を何度も何度も踏みつけ、狂人の様な笑みを顔面に張り付け、嘲笑っているではないか。
その狂笑は、スノゥの記憶の中にある【あの人】と同じだ。
【あのね、スノゥ。君はちっとも悪くないんだ。悪くない。私が悪くないと言っているから、悪い筈がない。君の全ては私が許す。君の罪は私が消し去る。君の存在は私が認める限り存在し続ける。だから君は悪くない。ちっとも悪くない。悪い筈がない。悪いなんて言わせない。悪いなんていう口は私が潰す。悪いなんて事を考える頭は私が潰す。悪いなんて思う心は私が潰す――――だから、君は悪くない】
悪意がいる。
殺した悪意が、此処にいる。
悪意は嗤い、スノゥの髪の毛を掴んで引き摺る。地面に筆で線を描くように真っ赤な跡が付き、向かう先は海。雨粒が落ちた波紋が無数に生まれては消える海面を悪意が見つめる。
【まったく、何年ぶりだろうね、君とこうして話すのは。あの時の君は実に素敵で美しかった。だというに、今の君はちっとも美しくない。あぁ、でも大丈夫。君は悪くない。悪いには君以外の全てだ。私はわかっているよ。君は素敵な優秀だ。失敗するのは運が悪いだけ。神様が君に嫉妬しているのさ。だから君は悪くない】
「…………な、さい、ご……めん、なさい」
【この結末も決して君のせいじゃない。これも運が悪いだけだ。神様が君に意地悪しているだけの、君にとっては当たり前の失敗さ。良かった、良かった。君がちっとも変ってなくて私は安心だ。うん、うん、君は美しいよ。美しいからこんな目に会うなんて可哀そうだ。私は泣きそうだ。いや、泣いているね。私は何時だって君の為に泣いている。泣いて、泣いて、泣いて、あぁ、明日からどうやって私は君を慰めればいいのかわからない。教えてくれよ、スノゥ。これから私は君を慰める事が出来ないなんて悲劇だ。こんな悲劇を生み出したのは誰か?神か、魔王か、それとも君自身か。否、違う。君は悪くない。誰も悪くない。神も魔王も人も誰もかれもが悪くない。悪い者など一人もいない。皆に罪は無い。罪がある者など一人もいない。居たら私が許すよ。君に代わりに私が許すよ。そうだとも、許そうじゃないか。君の罪を許そう、君は悪くない。君が犯した罪は罪じゃないから私が許そう。私は優しいから許す。私以外も私が許す。許す、許す、許す、許すこそが救いであり、希望であり、光であり―――――ん?聞いてる?】
「ごめん……なさ、い」
どうでもいい。
例え悪意が目の前に居ようとも、居るはずのない幻想として顕現していようとも、現実に存在してしまっていたとしても、スノゥには関係ない。今の彼女が見るべきは過去の遺物なのではなく、この街のどこかにいる少女だけ。
どれだけ絶望しようとも、
「あい、たいの……」
どれだけ死に瀕していても、
「も、う、いち、ど……あな、たに……あいたい」
どれだけの呪いを受けようとも、構わない。
【ねぇ、私の話を聞いてる?私は君を許すって言ってるんだよ?なんで謝るの?あぁ、そうか。謝り足りないのか。私に酷い事をしたのを悔やんでいるんだね?心配ないよ。私はちっとも怒っていないさ。あれは運が悪かったんだから。決して君のせいじゃないよ、スノゥ】
言い訳はしない。
もう一切の言い訳も、虚言も吐かない。都合が良いと言われるかもしれないが、これが本音で本心なのだ。起きた事は覆せない。起きてしまった過去は変えられない。己がしでかした罪はどうあっても消えない―――それでも、願う。許されなくても良いから、あの子に会いたい。
自分が魔法使いになって、魔女になって、唯一感謝してくれた、たった一人の女の子に。
救われたいからじゃない。
救いたいわけじゃない。
始めたい。
もう一度、始めたい。
前の様な関係になれなくとも、歪な関係になってしまった今でも、始めたい。
「なのは、さん……」
【――――――ふ~ん、そうか。そうなんだ】
悪意がスノゥの身体を放り投げる。
彼女の身体は暗い海へと落下する。
【なのは、ね……君はそのなのはって子に謝りたいんだね?】
海がスノゥを呑み込む。
【なら、大丈夫。君は悪くない。その子もきっと君を悪いとは思っていない。君が好きになった子なら、そんな酷い事をするわけないじゃないか。まったく、君は心配性だなぁ。そういう所は昔っから全然変わってないね】
海水は冷水の様に冷たく、スノゥの身体を海中に沈める。
【この場にその子が居ないなら、僕が―――じゃなかった、私が代わりに君を許してあげよう】
薄暗い海の底へ沈む。



【私は、君を許そう。だって、君は悪くないからね】



何処までも、果てのない闇の底に沈む。
その間もスノゥは想う。
悪意の事など知らない。既に死んでいる筈の悪意など考えるだけ無駄だ。だから考えるべきは自身の罪と、自身が傷つけた少女の事だけ。
謝りたい。
あの子に謝りたい。
許して貰えなくても構わない。
もう一度、あの子に会えるのなら、どんな事だって受け入れる。
その願いを聞き届ける善なる者はいない。
お伽噺の悪い魔女は、お伽噺の様に消えていく。
真っ赤な鉄の上で踊るわけでも、王子に殺されるわけでも、井戸に落ちるわけでも、暖炉に入れられるわけでもない。
過去に犯した罪によって殺され、伝えたかった想いすら汚される。
救いようのない現実こそが、魔女のいる世界。
こうしてスノゥ・エルクレイドルの物語は終わる。
実に魔女らしい、最後だった。






【人造編・後日談】『お伽噺な魔女』








【ソノ願イ、聞キ届ケヨウ……】



魔女も、悪意も、高町なのはも、誰も知らない内に海の底で、新たな闘争の火種が目を覚ました。






次回【弾丸執事編】『Encounter』




あとがき
どうも、散々雨です。
終わったぁぁあああああああああああああああああああああッ!!
意外と長すぎてグダグダで弾丸執事編の新キャラ登場なだけの話になってしまった感がありますが、何とか終わりました。
とりあえず、さようならスノゥさん、僕的にもまさかの再登場だったけど、多少の救いがあっただけマシな終わりですよ、アンタは。

そんなわけで次回からは弾丸執事編です。

漸く主人公(っぽい)な位置に立てたなのはさん。
ジュエルシードよりも質が悪い落下物なベイル。
海鳴自体が死亡フラグなイチナ。

物語の中心はこの三人(二人と一つ)です。

パワーバランス崩壊必至な弾丸執事編は、長ければ八月、速ければ一週間後くらいから投稿する予定です。
では、そんな感じでよろしくです。



[25741] 【弾丸執事編・序章】『Beginning』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2012/08/03 18:43
――――退屈なとき、異なる世界の話をしよう。

我々とは森羅万象の法則が異なる世界、違う者達が生きる世界の話を。



昔々、あるところに一人のエルフが居ました。
栗色の髪に薄黒い肌を持ったエルフはその外見の為に仲間達から除け者にされていました。
何も悪い事をしていないのに嫌われました。
少し肌の色と力が異質なだけで嫌われました。
だからエルフは良い事をしようとしました。
良い事をすれば、きっとみんなが自分を仲間だと認めてくれると信じ、良い事をしました。ただ、一つだけ問題だったのはエルフは何が良い事を知らなかったのです。良い事とは何だと仲間に聞いても答えてはくれません。何をすれば自分はみんなの仲間になれるのか聞いてもエルフの言葉に耳を貸してくれる者は一人も居ませんでした。
エルフは考えました。
考えて考えて―――想い付いたのです。
そうだ、仲間が教えてくれないのならば、外に出よう。森の外に出れば自分達とは違う種族がいる。沢山の種族、沢山の人、多くの人に良い事とは何か、良くない事とは何かを聞いて回れば、きっとみんなが喜ぶ良い事が出来るに違いない。
エルフは住んでいた森を出ました。
それを見ていた仲間のエルフ達は口々にこう言いました。
【ダークエルフ】が出て行った。
【ダークエルフ】が出て行ったのは良い事だ。
【ダークエルフ】が出て行ったおかげで森は平和になった。
【ダークエルフ】が出て行ってくれたからもう安心だ。
勿論、【ダークエルフ】という種族は存在しません。エルフはエルフ。唯一存在する別のエルフは半分エルフで半分人の【ハーフエルフ】だけ。ですが、みんなは肌の黒いエルフを【ダークエルフ】と言います。
ただ、肌が黒いだけ。
ただ、髪が栗色なだけ。
ただ、森の誰よりも力を持っているだけ。
森を出たエルフはそんな仲間達の言葉が聞こえなかったのか、歌を奏でて歩きます。
音は世界に染みわたり、夜の闇すら明るく照らすのです。聞いた者を虜にさせる人魚の歌声の様に、エルフの歩く場所、歌う場所にはたくさんの光が集まるのです。
歌、歌。
光、光。
歩いて、歩いて。
並んで、並んで。
エルフは歌って歩くのです。

その背後に【桜色】の光を従えながら――――





――――退屈なとき、そして新たなる出会いの物語の為に、異なる世界の話をしよう。

我々とは森羅万象の法則が異なる世界、違う者達が生きる世界の話を。




母が死んだのは、今から五年前。
優しい母だった。
怒ると怖かったが、それでも優しい母だった。
自分は母との血の繋がりはないが、母は自分を本当の子供の様に育て、愛してくれた。自分も母を本当の母親の様に愛し、ずっと一緒にいたいと心の底から願っていた―――けれども、それは無理だった。
母が身体を壊したのは七年前。
以前から長くは生きられない様な事を言っていたが、幼い自分はそんなのは嘘だと、一切信じる事をしなかった。ずっと母と一緒に居られる。母だけじゃない。母の周りにいる人々と永遠とは言わないが、十年、何十年も一緒に居られると願っていた。
しかし、母は死んだ。
七年前、母はずっとベッドの上で過ごす様になった。その時点で医者からは後一年生きられれば良い方だと言っていた。周りは自分にそれを聞かせない様にしていたが、自分でも何となくはわかっていた。
母は長く生きられない。
一年もしたら死んでしまうかもしれない。
そんなのは嫌だと泣いてみたが、自分の涙で何かが変わるはずがないと気づいたのは、丸一日泣いてから。そこからはどういう顔で母と会えばいいかわからなかった。母の前では元気な顔で、笑った顔でいようと心に決めたが、いざ母と顔を合わせれば顔は酷い位に歪んでしまった。
涙が止まらない。
息が苦しい。
母を抱きしめ、抱きしめ返され、死なないで欲しいと懇願した。ずっと一緒にいて欲しいと願った。自分が如何に泣き虫で弱虫なのか思い知った。母は自分にとって大切な存在だから、自分が自分として良いと教えてくれた人だから、どんな事があっても自分を助けてくれると言ってくれた人だから。
神様に願った。
大好きな母を連れて行かないで願った。
自分から奪わないで欲しいと願った。
だが、神様は何も言ってはくれない。空の上から地上を見下ろし、自分の願いを聞いて「だから?」と言っているに違い無いと怒りもした。神様なんて信じない。自分の願いを聞き届けてくれない神様なんて死んでしまえ。死なないなら自分が殺してやる―――そう思った時、自分が憐れに思えた。
なんだ、自分は何も変わってないじゃないか。
あの時と同じ、新しい人生を始める前となんら変わらない醜い子供。気に入らない事があれば泣き叫んで殺す愚かな道化。
だったら、自分はどうすればいいのだろうか。
どうすれば母は死なないのだろうか。
どうすれば、どうすれば、どうすれば――――そんな事を考えている間に一年が経った。
母は、生きていた。
母は生きようとしていた。
日に日にやつれて弱ってはいるが、懸命に生きようとしていた。そんな母を見て、自分に何が出来るか考えた。母の為に何が出来るのかを考えて、幼い頭の悪い思考を何度も何度も繰り返し、ある事を思いついた。
自分はハーフエルフの執事に尋ねた。
お屋敷の仕事をさせて欲しい、と。
ハーフエルフの執事はどうしてか、と尋ねた。
自分は、母を安心させたいからと言った。
自分は泣き虫で弱虫だ。そんな自分はきっと母に心配をかけているのだろう。自分がこんなままならきっと母は自分の事を心配し過ぎて楽になれないし、死んでも幽霊になってしまうかもしれない。
この時点で、漸く自分は受け入れた。
母は、死ぬ。
死んで欲しくないが、死ぬのだ。
神様は奇跡を起こしてはくれないし、奇跡は万人に訪れる者でもない。母だってそれを知っているし、自分もそれに気づいた。こんな自分を酷いとか非道とか思う事はあったけれど、母の行く末に抗ってどうにかなるものではない。自分は医者でも神様でもない。当然、英雄でもない。
だったら、自分が出来る事は一つだけ。
母の前で笑える様になる為に、母が安心して天国に行けるように、自分が娘で良かったと思えるように、自分が出来る事を精一杯やろう。
それから一年、自分は頑張った。
失敗は何度もした。母の様に器用に仕事をこなす事はまったく出来なかったが、自分が出来る事を精一杯しようと頑張った。お屋敷の仕事が終われば母に会いに行き、今日は失敗した。昨日も失敗した。だけど、明日はきっと上手くやれるに違いないと根拠もない自信を見せた。
母はそんな自分に決まって言う。なら、明日はきっといい知らせが聞けそうね、と。
これの繰り返し。
失敗して、明日は上手くやれると言って母にそう言われる毎日。時々、本当に上手くいった時は恥ずかしくて母に言う事が出来なくて、また同じ事を口にする。
失敗と成功を繰り返し、一年はあっという間に過ぎた。
「強くなりなさい」
母は言った。
「誰よりも強くならなくても良い。英雄になれとも言わない。だけど、誰かを助けられるくらいに強くなりなさい」
あの人と同じ言葉。
鬼と同じ言葉。
「いきなり沢山の人を助けろとは言わないけど、そうね……一人ずつでいいわ。ゆっくりでいいから、今まで助けてもらった分を他の人に与えてあげなさい」
握った母の手に力は無い。
自分はぎゅっと母の手を握り、約束すると頷いた。
それを見た母は心の底から安堵した顔をして、笑った。
「頑張りなさい、そして、幸せになりなさい―――イチナ」
優しく頭を撫でながら、

母―――コゼット・レングランスは永遠の眠りについた。




瞳を涙で濡らしながら、眼を覚ました。
「……夢、だよね」
身体を起こし、大きく背伸びをする。どのくらい眠っていたかは知らないが、妙に身体が痛い。寝過ぎたせいか、それとも慣れない仕事の手伝いをしたせいかもしれないが、普段あまり感じない痛みに顔を顰める。
関節を鳴らしながら、半分寝ぼけた頭のまま立ち上がる。
立ち上がり、首を傾げた。
「森?なんで森?」
見渡せば森の中。
確か、自分が居た場所は古い遺跡だったはず。周りは砂漠で草木が一本も生えてない辺境の地だったのだが、此処はその逆。自然に囲まれた見事な緑一面。久しぶりに嗅いだ草の匂いに若干不快感を覚えるが、すぐに良い匂いだと思えるようになった。
「寝ぼけて砂漠越えをした……わけないよね?」
寝相も寝起きも悪い事は自負しているが、そこまでびっくりな人間になった覚えはない。そもそも、遺跡から自然の木々がある場所まで歩いて三日はかかるのだ。一晩で寝ぼけて砂漠越えなど全力で走っても転がっても無理だ。
「―――――あ、」
そこで漸く意識が正常になる。
思い出した。
自分は確か、留年回避の為に遺跡の発掘作業の手伝いをさせられ、砂漠の遺跡を訪れていた。
「えっと、発掘作業は三日目くらい、だったかな。トラップ解除しながら先に進んで、墓荒し対策のゴーレムと戦闘になって……それから、どうなったんだっけ?」
ゴーレムは大した事はなかったが、数が多かった。一緒に居たスクライアとかいう人々と協力しながらゴーレムを倒し、先に進んだ先は広い空間があった気がする。大きな空間で、軽い寒気を感じる奇妙な場所だった事は覚えている。
「そうそう、そこで紅い宝石を見つけたんだ」
空間の中央、台座の様な場所に置かれた手の平程の大きさの宝石。その宝石をリーダーである少年、ユーノ・スクライアが調べている間に自分は周囲の警戒をしていた。ゴーレムは居なかったはず。トラップらしきものもなかった。
「そこから先は――――う~ん、覚えてない」
何か白い光があった気はするが、詳細には覚えていない。
ともかく、紅い宝石を調べている間に何かがあり、自分は此処にいるという事になる。此処に来るまでの間に何があったかは不明だが、とりあえず辺りを散策する事から始めるべきだろう。もしかしたら、自分以外の人もいるかもしれない。
身体の痛みは多少あるが、動けない程ではない。移動している内に痛みも消えるだろうと楽観的な考えを抱きながら、移動を開始する。
移動しながら自分の持ち物を確認。と言っても、実際に自分は殆ど手ぶらに等しい状態で遺跡に入ったので特に荷物らしい荷物はない。唯一の荷物と言えば、腰に巻いたベルトに吊るされた【顔の無い面】だけ。これさえあれば何とかなるだとうと思っていたが、今はこれを使用する機会があるとは思えない。どっちかと言えば、通信機の一つでも持っておくべきだったと軽く後悔する。
「さてさて、何が出るのかな……」
森は直ぐに開けた。

「うにゃぁぁあああああああああああああああッ!?」
『オイ、逃げんなクソガキ!!戦え、戦って勝ちやがれッ!!』
【UGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!】

視界に写った光景は単純。
まず栗色の髪の少女が走っている。
黒いスライムの様な怪物が追っている。
「…………」
何がどうなってこうなっているかは知らないが、
「今、助けるッ!!」
一瞬の迷いもなく、




弾丸の如く―――イチナ・L・ガープリングは疾走する。




――――退屈な時間が終わり、二つの世界が交わる時、物語は始まる



次回『Encounter』


あとがき
ども、散々雨です。
かなり短いですが、弾丸執事編開始です。
主役は全員、メインはイチナ、九鬼、なのは。
どんどんキャラが増えてきて動かすのが大変そうですが、何とかやっていこうと思います。
では、第一話でお会いしましょう。



[25741] 人物設定 
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3
Date: 2013/06/07 07:38
※この物語は全員が主人公です。

●聖祥大附属小学校

加藤虎太郎
種族:人妖
人妖能力:両腕を石の様に硬化できる。硬化した腕は弾丸を弾き、鉄扉を打ち砕く。
先祖妖怪:石妖
○海鳴に転勤してきた高校教師。現在は私立聖祥大附属小学校で教師をしている。なのは、アリサ、すずかのクラスの担任。
八咫雷天流という流派を使う。
現在は学校に喫煙所を作る為に教頭と交渉中。

高町なのは
種族:人間(人間だが○○○の末裔)
能力:不明
○一応、普通の少女。
一年生の頃に家族が消え、天涯孤独となった。
そのせいで色々と精神面でおかしい事になっていたが、色々あってなんとかなった感じ。
現在は九鬼に引き取られたが、虎太郎の部屋に居候中。


アリサ・バニングス
種族:人妖
人妖能力:月の満ち欠けによって身体能力が変わる。満月の時は、百メートル3秒で走れるらしい、軽自動車くらいならぶん殴って勝てるらしい、犬並以上の嗅覚を持つらしい。逆に新月だと普通のガキンチョ。
先祖妖怪:人狼(微かに吸血鬼?)

○海鳴の支配者【バニングス】の長女。
父の遺産相続に関係する巻き込まれているせいで戦闘能力は高い。そしてかなりのお人好しで自分に関係のある者達の為に戦える少女……というか、ある意味で一番主人公している少女。というか主人公?でも、日常編では馬鹿。

月村すずか
種族:妖(血が薄れたので殆ど人妖)
人妖能力:とりあえず、大人をぶん投げて壁を六枚くらい貫通できる身体能力。他は発展途上。
先祖妖怪:吸血鬼(夜の一族)
○海鳴の支配者【月村】の次女。小学校入学当初から三年の今まで図書室登校で、授業にはまったく出なかった。現在は普通に授業に出て、念願の友達を一人ゲットし、二人目もゲット。
実は人妖編の真の主人公。


スノゥ・エルクレイドル(帝霞)
種族:エルフ
能力:魔法
○私立聖祥大附属小学校の教師であり、虎太郎のクラスの副担任を務めていたが、その正体は聖導評議会という組織に属していた経歴を持つエルフ。
虎太郎と九鬼に敗北し、外をしばしフラフラして戻って来た。その際、リィナや美羽との出会い、そしてアリサとの戦いにより、少しだけ更生している。
魔法は勿論、ゴーレムの生成や相手の心を惑わす幻術を得意としているが、本当の能力は複数の魔法を同時に発動、組み合わせる事が出来る【マルチタスク】。
別名:歩く負けフラグ製造機


ダンチェッカーという少女
種族:不明
能力:不明
○最近、転校してきた上級生。
何故か帯刀しているらしい。そして刀を教頭に没収されて涙目。


愛野追人(アイノ・ツイト)
種族:人妖
人妖能力:肉体的損害を受けても即座に再生可能。寿命で死なない限り不死身。 
先祖妖怪:ぬっぺふほふ
○私立聖祥大附属小学校の校長先生。生徒からは骸骨校長、ゾンビ校長とか言われてる。神沢に同じ体質の親戚がいるらしい。


教頭
種族:人間
○私立聖祥大附属小学校の教頭。『子供に夢と希望を持たせない』が心情らしい。あと眼鏡。
車は廃車になったらしい。



●海淵学園

新井美羽
種族:人妖
人妖能力:特定の中継点を利用して声を出す事
先祖妖怪:川赤子
○神沢市の大学から教育実習生として海鳴に来た学生
昔は人前で話す時にぬいぐるみを媒体として使っていたが、現在は普通に人前で話す事ができる。
現在は海淵学園の教師の卵として奮闘中。


アリシア・テスタロッサ
種族:人間
能力:九歳時に変身(ただし、歳を重ねる毎に年齢は増す)
○海鳴市に暮らす学生
海淵学園二年生で美羽の生徒。
母と犬と猫と暮らしている。
生れなかった妹、フェイトと存在を共有している。フェイトに身体を渡す際は身体が九歳まで幼くなり、同時にフェイトの能力を行使できる。当然、意思はフェイトになっている為、普段のアリシアではフェイトの能力は使えない。
常に大きなドラムバックを持っており、中にはフェイトの着がえが入っている。


フェイト・テスタロッサ
種族:人妖(人妖能力の産物)
人妖能力:肉体再生
先祖妖怪:屍(姑獲鳥の子)
○アリシアと存在を共有している少女。
アリシアが子供の頃に生れなかった妹の為、肉体年齢は九歳。アリシアと肉体年齢まで共有しているわけではないらしい。
既に死んでいる為、どのような状態でも元の状態に戻る。
ポジションは弾丸執事でいう道化屍。村正でいう正宗。
使用武器はアルフの散歩の途中に拾った謎の大鎌・幽焔


中島銀河
種族:人妖
人妖能力:音の操作・増幅
先祖妖怪:虚空太鼓
○海淵学園の生徒会長。
一年の頃から生徒会長をしているという某ジャンプ漫画の主人公みたいなキャラだが、やってる事は基本的に自分本位で俺様キャラ。
家族と子供にはかなり甘いらしく、妹の昴のお願いが大抵聞いてあげる甘いお姉ちゃん。
過去に母親を殺した【炎を纏う女】を探しているらしい。
使用武器はメリケンサック型の音叉(父親にお小遣いの前借りで購入)。


中島昴
種族:人間
○海鳴市に済む学生
海淵学園二年で美羽の生徒。
学園の空手部に所属しており、大食漢。
姉である銀河と自分の違いに若干お悩み中。
素敵な男性との出会いに夢見る乙女チックな一面あり。


ティアナ・ランスター
種族:ブラコン
○海鳴市に住むブラコン
海淵学園二年で美羽の生徒でブラコン
兄さん大好きブラコン
バイク通学しているブラコン
使用武器はナイフなブラコン

リィナ・フォン・エアハルト
種族:フランケンシュタインの怪物
○海鳴市に来た留学生。
海淵学園では風紀委員として活動しているが、どういう事をするのかは理解していない。
バイト先では犬耳メイドとして働いている。
正体はフランケンシュタインの怪物。
本体は心臓であり、心臓を他人に移植する事で身体を奪う事が出来る。以前は『クラブ』という変態組織で『エンターティナー』をしていたが、創造主の命令で日本に学生として潜入。現在の身体は日本に来る前に殺した『クラブ』の犠牲者の身体。


ティーダ・ランスター
種族;人間
○海淵学園の教師。
素肌の上にスーツ、オレンジ色の髪にてっぺんだけ緑という果実ヘアの問題教師。妹のアレな性質のせいで洗剤ソムリエとかお兄ちゃん先生とか言われてるのが悩み。
過去に色々と黒い過去があるらしいが、詳しい事情を知っているのは妹のティアナのみ。
使用武器はマスケット銃。鋼鉄製の重さが百キロ近く、長さは二メートル程あるマスケット銃で【殴る】のが基本。
得意技は弾丸を撃ち返す事。



●海鳴在住無所属


九鬼耀鋼
種族:人間

○元・ドミニオン第17戦闘隊副長
人間なのか本当に不思議に思う様な人外なオッサン。
九鬼流という自己流の流派を使っているが、人間だろうと人妖だろうと妖だろうとお構いなしに戦える人類最強クラスのオッサンであり、未だに【成長】している化物なオッサン。
神沢にいる如月双七の師匠。
現在、なのはを引き取っている……が、そのせいで同居人の飯塚薫に吹っ飛ばされた(でも、死なない)


八神はやて
種族:不明
能力:不明
○時々壁を直すオッサンの所に姿を見せる少女。
オッサンの同居人は彼女の家庭教師をしている。
現在の目標はオッサンの布団に入りこむ事。


月村忍
種族:妖(血が薄れたので殆ど人妖)
人妖能力:吸血鬼能力全般
先祖妖怪:吸血鬼(夜の一族)
○過去に正体を明かした青年に逃げられた(?)事があり、人間不信。虎太郎に家庭訪問(という名の襲撃)によって多少は緩和されたかもしれない。防衛システムは現在復旧作業中で、虎太郎を相手にしても勝てるシステムにヴァージョンアップ中。
夜の一族としての力は全て使う事が可能だが、本来は数十年かけて身につける能力を短時間で身に付けた為、制御が出来ない。

デビット・バニングス
種族:妖
妖種:吸血鬼(夜の一族)
妖能力:不明
○アリサのお父さん。だが、中味は百年以上生きている吸血鬼であり、元・夜の一族。
愛した女の為に一族を裏切り、十年前に海鳴の街に現れた。
なにかと事件に巻き込まれ、何度か世界を救っているB級映画の主人公であり、男の美学を愛する浮気性な一児の父。

鮫島
種族:人間
○デビットに仕える執事。
とある天狗の弟子だったらしい。とある教師の兄弟子に当たるらしい。デビットに巻き込まれ、世界を何度か世界を救っているらしい。
ちなみに、鴉心流という流派を作って全国に広げようとしたが、その事業が成功したかどうかは、エヴォリミット参照。

飯塚薫
種族:不明
能力:不明
○壁を直すオッサンの同居人
なんでもオッサンの元同僚兼上司で、現在は八神はやての家庭教師をしている。
酒癖が悪くなったらしい(悪いのではなく、なった)
九鬼が連れて来たなのはを見て、九鬼の子供と勘違いして九鬼をぶっ飛ばし、部屋の鍵も変えて九鬼を入れなくした。勘違いは未だに継続中。


プレシア・テスタロッサ
種族:人妖
人妖能力:流産した際、他人に産めなかった子を宿す(産ませるのではなく、存在を宿す)
先祖妖怪:姑獲鳥
○アリシア、フェイトの母親。
フェイトを流産した際、アリシアにフェイトの【存在】を宿すという、あまり使いようがない上に使いたくない人妖能力を持っている。能力の発動が限定過ぎるが故に世間的に人妖登録はされていない。本人は自分が人妖だという事はうっすらと感づいているが、ばらす気はあまりない。
過去に色々とヤバイ事をしていたらしく、普段は良い母親なのだが時々アグレッシブ&ヴァイオレンスになる。
知り合いに娘が沢山いる科学者がいるらしい(恐らく、現在はロシア在住)。
最近の悩みは、フェイトがドMに目覚めないか心配な事と、シワ。
旦那さん超LOVE。


マグダラ
種族:メドラビット、時々狸
能力:水晶的な髑髏からヘンテコな商品を取り出す。
○とある理由で混沌都市(怒羅魔ディスク)からやって来た謎の商人だが、基本はニートな遊び人。


雲外鏡・鏡
種族:雲外鏡、時々猫
能力:ツッコミ、おまけで空間移動
○マグダラと共に来た……というより巻き込まれた可愛そうな少女。
現在、バイトを掛け持ちして生活費を何とかしている為、夢は正社員。
基本的にツッコミ担当な一応は常識人。
双子の姉がいるらしい。



●部外者


トーニャ
種族:人工的人妖
人妖能力:不明
先祖妖怪:不明
○本名はアントニーナ・アントーノヴナ・ニキーチナ。
虎太郎の元教え子で現在は神沢市から出て色々と何かをしているらしい。
背が伸びたが、肝心のアレな部分の成長が遅いらしく、何度か本気で手術に踏み切ろうとして兄に「ステータスを捨てるな!!」の発言によって阻止された……という事実はないが、神沢にいる妖弧の胸に若干の変化が起こった事に愕然し、神を呪った……という事実もないが、とりあえずアレはこれ以上育たないと願う。
色々とシリアス要員っぽい登場だが、実質は色モノキャラ。


ウラジミール
種族:人妖
人妖能力:不明
先祖妖怪:不明
○本名はウラジミール・ガヴリーロヴィッチ・シューキン。
トーニャの兄(?)で、ロシア人。だが非常にアメリカかぶれで超オタク。トーニャを少しずつ洗脳していき、やがては立派なオタクにしようと日々奮闘している。
トーニャと兄妹揃って色モノキャラ。しかし、色モノだが漢であるが故に決める時はきっちりと決めてくれるだろう(たぶん)


アンネ
種族:人妖
人妖能力:身体を刃化できる。
先祖妖怪:胴切
○月村すずか暗殺の為に雇われた人妖。人妖秒が発病し、一時期はとある国の病院にいたが、ある機関によって誘拐されて記憶の全てを消去される。




●別世界

イチナ・L・ガープリング
種族:不明
○別世界の執事養成学院の問題児。母は数年前に死亡しており、現在はガープリング夫妻の養女になっている。
執事としての能力は問題があるが、戦闘能力はかなり高め。
師匠は黒いトカゲらしい。

ベイル・ハウター
種族:銃(朽ち果てし神の戦器‐エメス・トラブラム‐)
○別世界からやってきた喋る銃ですっごい魔銃。
以前の主であるヴァレリア・フォースターの死後、数千年もの間だれとも契約しなかったせいで埋もれていたが、世界消滅のせいで海鳴に堕ちてきた。
その影響で全部で六個のパーツに分かれ、その内の一つである回転式弾倉に記憶がと意思が宿っている。それ以外のパーツには魔銃としての力が宿っている。
現在、海鳴の何処かに落下して放置されている。




●おまけ

ククリナイフの少年
種族:ケモノガリ
能力:ケモノガリ
○デビットが海外で出会ったケモノガリを名乗る少年。

徐々に増やしていきます。


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