~壱壱~
「加古原君は、どこで?」
硬直から脱した望の言葉が、術式を知ったのか、というものに繋がるというのは聞かずともわかった。
「……一昨日、ってそうか、まだ一昨日なのか」
自分が術式を知った切欠。あの男の襲撃を思い出し、それからの時間の経過の遅さに驚く。クロノス時間とカイロス時間、客観時間と主観時間というものがあると、延々と三日間をループするゲームの記憶を浮かべ、まさしくその通りだと飛鳥は苦笑。
「夜中にさっきの……えっと、吸血鬼? あの男が女の子から血を吸ってるようなのを見ちまって、いきなり襲われて……」
「初めてじゃ、なかったの?」
成程、と望の怪訝を飛鳥は納得する。確かにあの状況を見ていれば飛鳥が一度としてあの吸血鬼から逃げ切れるわけがないことは一目瞭然だろう。
「その時は知り合いだった奴に助けてもらって。それでそいつに色々と聞いてさ」
上手く纏められたとは思わない、しかし確かに必要なことは伝えて飛鳥は一息。
「久木満」
「あん?」
唐突な望の言葉に、飛鳥も思わず素っ頓狂な声を上げる。
「それが加古原君のことを襲った男の名前」
「久木、ってそれ……」
久木という姓、そして聞き覚えのない名前。同じ姓に望と同じ満月の暗喩する名を持つ人間が、苗字が同じだけの他人、という結論を導くほどに飛鳥も勘が悪くはない。
「私の兄」
どこか侮蔑の感情を思わせる声で望は告げる。身内の不祥事であるとか、そういった感情には思えない。純粋な、他人に対する負の感情。
そんな彼女の言葉に、悪いことでも聞いてしまったのかと思い、飛鳥は対応に戸惑う。
「隠されてることじゃないから、調べればすぐにわかること」
溜息と共に望は言った。飛鳥の戸惑いが顔に出ていたからだろう。
「……えっと」
暗い空気のままの沈黙は耐えがたい。何か話題を出そうとするが、思い浮かぶもの一つ一つがOTAKU臭か地雷臭さが漂うものばかり。気の利いた文言の一つとして思い浮かばない自分の思考に飛鳥は呆れる。
「私は加古原君に謝らなくちゃいけない」
は? と、飛鳥が呆けている間に望の頭が深々と下げられる。Oh,Japanese DOGEZA! などと思考が混乱。
「御免なさい」
「ちょ、えっと、アレがお前の兄貴だからって、お前には助けてもらったわけだし、兄弟姉妹がやったことの責任なんて本人には関係ないだろ!」
何故か言い訳じみた飛鳥の言葉は望に対する気遣いのみではなく、偽らざる本心。姉のとばっちりでオタクオタクとあだ名をつけられ、いつの間にかそれが現実になってしまった飛鳥だからこそ、血の繋がっているだけの人間と一括りにされることには抵抗がある。
飛鳥の言葉に、顔を上げた望が返したのは酷薄な笑みと小さな「有難う」という呟き。
「でも、そういうことだけじゃない」
続く言葉を言うべきかどうか悩むように、望は目を伏せ数秒。意を決したように顔を上げ、
「加古原君には、死んでもらう」
凛と、言い放った。
一瞬、何を言われたのか飛鳥は理解できなかった。あまりにも唐突な言葉、あまりにも意外な死刑宣告。
飛鳥の思考が、無意識領域が加速する。走馬灯と同様の原理による知覚加速――ブーステッドによって世界の動きが減速する。
しかし、望は動かなかった。飛鳥の動きを止めるでも、迎え撃つ構えを取るでもなく、正座のままに飛鳥を見ていた。
それは油断や余裕とは違う。彼女の顔にあるのは困惑の表情。数秒の後に「ぁ」と小さな声。
「……間違えた。御免なさい、言葉が足りなかった、かな?」
「は?」
加速した思考も、危険が去ったことを理解して減速していく。停滞していた世界が、少しずつ速さを取り戻していく。
「加古原君には手伝ってほしい」
混乱した思考は更に混乱する。そも、どう言葉が足りないとその要請が「死んでもらう」の一言に凝縮されるのだろうかとも思うが、それは望のドジッ娘補正によるものだろうと無理矢理に自分を納得させた。
だが同時に疑問も生まれる。飛鳥は所詮、術式の存在を知って一週間も経っていないような真正の素人だ。先程の襲撃を切欠に知覚加速、物質生成、身体強化といった基本的なものは使えるようになったようだがそれも自由自在に使えるというものではない。要するに役に立つとは思えない。
「満を、討つ」
静かに言い放った望の声に、表情に、一切の躊躇はない。
その言葉がただ倒す、拘束する、逮捕する、などといった生易しい意味でないことくらいは飛鳥にもわかる。彼女は、兄を殺すと言っているのだ。
「加古原君にはそのための、彼を誘き出すための餌になってもらいたい」
彼女の言葉から読み取れるのは覚悟。読心術に長けているわけでもない飛鳥にはそれ以上を読み取れというのは酷な話だ。
逆、反対、対極。飛鳥はそんな単語を思考に浮かべた。
彼女、久木望は榊朔とは見事なまでの反転存在であると、そう判ずる。
銀と漆黒、サカキにヒサカキ、新月に満月、そんな外見や名前についてもそうだが、それ以上に飛鳥への対応について、だ。
朔は躊躇なく飛鳥を術式の世界へと引き入れた。危険な目には遭わせないと、必ず守ると言って。それに対して望は飛鳥を術式から遠ざけようとした。だが、術式の存在を知っていると告げたら今度は、囮になれと言った、危険があると知りつつも。
「御願い」
死んでもらう。その望の言葉は、あるいはただの間違いではなかったのだろうと飛鳥は思う。囮となれば死の可能性は決して小さいものではないと、望はそれを理解している。理解した上で、飛鳥へと頼んでいる。
「少し、聞きたいことがある」
望の頼みには疑問も浮かぶ。囮として使うだけならば、飛鳥を救う必要などなかったのだ。先日、吸血鬼――久木満が朔に対して言ったように、飛鳥を巻き込んでも強力な遠距離砲撃術式で吹き飛ばしてしまえば良かった。しかし望はその選択肢をとらなかった。とれなかったというわけではないだろう。それは矛盾を孕んでいる。
「うん」
望が頷いたのを確認し、飛鳥は疑問をぶつけていく。
「久木は何で、兄貴をこ……倒そうとするんだ?」
殺す、とは本人の前で流石に言いづらく、言い回しを改め問う。
返ってきたのは悔恨の表情。だがそれも一瞬。整った顔立ちからは表情が消え、次の瞬間には仮面の笑み。
「私はそういうモノだから」
どこか自嘲するように、小さく呟く。
「そういう、モノ?」
「《祓魔の魔剣》」
突如として望の口から放たれた、剣呑な印象を受ける単語に飛鳥は眉を潜めるしかない。
その単語が意味するのが魔を祓う魔剣といったところだという直訳程度の考えしか飛鳥は及び付かない。朔であればその単語の意味を知っていようが、ほんの少し術式の入り口に踏み込んだ程度の飛鳥に術式に関する単語を理解しろといっても無茶な話だ。
「私は、久木家の人間はそうやって作られる」
育てられるでも、教えられる、でもなく、作られる。無機質さを強調したような望の発言に飛鳥は疑問を抱くも、言葉は発しない。問わずとも、彼女が語ってくれるだろうと思ったからだ。
「人外、って言葉に覚えは?」
「……あ、あぁ、一応は」
人外。最も広い意味としてはヒト――ホモ・サピエンスではないあらゆる存在。一段下がった広義としてはヒトを除いた生物。そこから更に術式を使えない生物のことを除く定義や、あるいは人の姿をしつつヒトではない存在のみのことを指したり、それを除いたりと定義は多種多様である。
飛鳥が朔にそれを聞いた時にも盛り上がった話だが、グロ生物に魔導書、鎧と人外萌えを次々と発掘し始める某社のゲームは飛鳥、朔ともに好物の一種である。
「私は人外を殺す。そのために作られた。だから殺す。それ以外に理由なんてない」
どこか狂気じみた望の断言に、飛鳥は思わず術式を発動させる。
飛鳥はまだ術式を自在に操ることはできない。ある程度の制御はできるのはわかったが、自分の意思で始動させるにはしばらくの鍛錬が必要だろう。それが発動したというのは、つまり飛鳥が心の底から恐れを感じたということ。望の言葉に込められた殺意はそれほどのものだった。
「それは、お前の兄貴が吸血鬼になったから、だから殺すっていうのか?」
血を吸われた人間が吸血鬼になる。漫画でもアニメでもよくある吸血鬼の感染方法だ。退魔行の途中で吸血鬼に噛まれたのだろうか、そう思って飛鳥は問うも、望の首は縦ではなく、横に振られる。
そこで飛鳥はあることに気付く。
「久木は……」
言葉を続けるべきか、飛鳥は悩む。それを問うべきか、問うて良いのか、と。
祓魔の魔剣。その言葉に含まれた意味を、飛鳥は聞いた。だが、今の彼女の言葉だけならば祓魔の剣と言えば良い。術式を使う魔女ゆえに魔剣、そんな考え方もできなくはない。だが、祓魔の意味が人外を屠るという意味ならば、魔剣と称される意味もそれに準ずるはず。
最早確信にも近い疑問に、飛鳥は言いかけた問いを呑みこみ、改める。
「久木も、吸血鬼、なのか」
カラカラに乾いた口の中、放たれた言葉も途切れ途切れとなって、しかし消えることはなく望へと届く。
今度は、望の首が縦に動いた。
伝聞と直接印象を抱くのとは違うと飛鳥は思っていたが、まさしくその通りだった。予想していただけと、本人に肯定されるのとでは大きく違う。
抱くのは恐怖。数年をクラスメイトとして過ごしていた者が、ヒトに在らざるものだったという事実に対する。
無知は恐怖を呼ぶ。飛鳥は望のことをよくは知らない。吸血鬼のこともまた同じだ。自分を襲ってきた存在と同質の存在に恐怖を抱かないはずもない。
「……そうだよね。恐い、よね。嫌、だよね」
その言葉は、彼女が術士として、否、彼女の発した今までのどの言葉よりも小さくて、弱々しいもの。
あるいは、朔のときと同じなのかもしれない、とも思う。自分とは違う世界の出身で、自分の知らない技術を扱う存在だった朔と。だが、それを一括りにして、だから大丈夫だと肯定できるほどに飛鳥の懐は広くもない。
自分が彼女を恐れているのか、厭うているのかわからないまま、飛鳥は彼女の言葉を否定することができない。
「加古原君は嫌だとは思う。けど、身の回りにいさせてもらう。いつでも対応できるように」
申し出に、ほんの数分前であれば喜んでいたところだろう。何せ粒揃いのクラスでも随一の美少女が警護につくというのだ。それを喜ばずにいられるだろうか。
だが、状況はもう変わっている。彼女は人外――吸血鬼。彼女自身に飛鳥を害する心積もりはないことはわかっているが、かといって今までと同様に好意的に見ることができるかといえば無理というものだ。
「わかったよ」
しかし、飛鳥に拒否という選択肢があるかといえば、無い。
彼女の接近自体は害があることではないし、飛鳥を囮に使おうとするということは満はまだ無力化されているわけではないということになる。一度ならず二度までも襲撃から逃れた飛鳥を、そのまま見逃すとも思えない。誰かしらの護衛は必要となる。朔に頼むのが現実的な判断なのだろうが、そうするにしても望の存在は邪魔になるということもない。
「……御免なさい」
他にも聞きたいことはあったが、この空気の中で質問する気にもなれなかった飛鳥は、望の小さな呟きに背を向けて、久木家を後にした。
*
昨晩、望の家から帰った飛鳥は珍しく帰宅していた雛にどこに行っていたのかやら帰りが遅いやらと尋問じみた説教を受けたのだ。それから風呂に入り、布団に横になったのが午前三時。更にそこから悩み続けて数時間。
悩みの種は当然、久木望だ。もしくは彼女が吸血鬼であったこと、と言い換えてもいい。
人種の違いであるとか、信教の違いであるとか、そんなものは小さな違いだと、そんな些事のために戦争をしている人々が何を考えているのかわからないと、いつも飛鳥は思っていた。だが目の前にそんな状況を置かれてみればどうか。恐いか、嫌かと問う望の言葉を否定することはできなかった。
「なんだかなぁ……」
自分は恐れているのだろうか。飛鳥の自問に答えは出ない。
扉を開けて、教室へと入る。いつも通りの喧騒が、どこか遠いもののようにすら思えてくる。
僅かに遅れて教室の扉がまた開く。入ってくるのは望。彼女はどこかしらから飛鳥を監視していたのだろう。いつ満が現れてもいいように。
勿論、彼女はそういったことに慣れているのだろうが、わかっていて尚気配や視線の一つすらも感じなかったのは、驚きを通り越して不気味ですらもある。
「……あー、クソッ」
物静かな吸血鬼の少女は壁際にある自分の席へと着席。その様子からは術士としての彼女が持っていた、どこか狂気にも近い殺意を孕んだ鋭さを欠片として見つけられない。
「どしたのアンタ?」
「ひさ……」
突如掛けられた言葉と、視界に入った黒の長髪に思わず久木、と言い掛けるも、どうにか呑み込む。そもそも彼女は壁際の自分の席に座っている。
「……ヒサ? 斜塔?」
「おす、果観。ちなみに斜塔はピザだ」
果観がそんな間違いをするなんて珍しい、と言い返してドヤ顔。
「いや、ピサだから。イタリアだからピザだろうなんて固定観念で見るのやめといた方がいいよ」
すぐさま溜息と共に果観からのツッコミ。わかっていてのボケだったのか、と気付く。ドヤ顔した手前、激しい羞恥心がやってくる。
渋いヴォイスの『固定概念だな、森田』という言葉が脳内再生される飛鳥だが、そんなことを果観に言ったところで冷ややかな反応が返ってくるだけだ。朔ならば喜々として反応するのだろうが。
「……固定概念、か」
「固定観念、ね。固定概念は誤用」
そういえばどこぞのシナリオライターもそんな釈明文を書いていた気がする、と飛鳥は思いながら、横の席を見やる。
「葉河と瀞は……なんだこりゃ?」
そこにあったのは屍。あるいはそこまでいかずとも準屍という程度には言っていいような、疲労困憊し切った様子の幼馴染の姿があった。
いつも寝ている瀞については珍しい光景ではないのだが「休み時間に寝るとか勿体無い」と言っている葉河にしては珍しい。
「生物部の活動で山の中にね。瀞と他一人が……そこのアンタだ! 爆笑してんじゃないの!」
果観の指し示した方向で爆笑していたのは中條百合という女子生徒だった。学生証の写真などを見ると美白を通り越して病的に見えるほどに白い肌もあって深層の令嬢のようなイメージがあり、風が吹けば倒れてしまいそうにも見える。だがその実態は果観に負けず劣らずの破天荒さ。教室の中では女子グループの一員となっているようだが、生物部員ということもあってか果観たちと話していることも多い。生物部員らしく、事実なのだか出鱈目なのだかわからないような逸話にも事欠かないが。
「え? 私?」
「いや、用があるわけじゃないから。てか来るな鬱陶しい」
果観は拒絶の言葉を吐いているものの、本気の拒絶ではない。同じ生物部である彼女のことを、果観は自分の身内として認めている。
「いつになったら果観は素直になってくれるのかな? 要するにいつになったらデレ期に入るのかって質問なんだけど」
デレ期であるとかそんな用語も恥ずかしげなく大声で言い始めるところは流石は生物部の一員だなぁ、と飛鳥は苦笑。百合であれば自分のOTAKU趣味を理解してくれるのではないかと話しかけてみたのが失敗の元。彼女の「コイツOTAKUです」という流言によって飛鳥の趣味は暴露されたのだ。
どうでもいいことだが、彼女には恐ろしいほどに良く似た双子の兄だか弟だかがいる。本人曰く一卵性異性双生児とのことだが、世界に一桁台しかいないような珍しい症例がそうそういるものかと思った記憶が飛鳥にはある。
「……今、なんかだいぶ失礼なこと考えなかった?」
「いや、流石は生物部、変わってるなぁ、って。つうかだからお前ら心を読むなって」
「アンタは大体いつも失礼なこと考えてるから当てずっぽうでも当たる」
「ひでぇ……で、山の中で何が?」
話を本筋へと戻す。
「瀞と百合が遭難したの。んで捜索して、見付かったはいいけど疲れ切って歩けないとか百合が駄々をこね始める。仕方が無いから葉河に背負わせて獣道やらなんやらとかなりの道を歩いてね」
葉河は男子だし果観よりも適任、と知らない者なら誰もが思うのだろうが、果観の人間離れした身体能力は飛鳥は勿論、生物部の面々も知るところだ。自分で背負えば良かっただろうに、と飛鳥が思っていると果観は笑み。
「山の中では先頭を歩くのは危険。何か起きたときに対処しやすくしておくのは当然でしょ?」
「……そ、そっか」
と、納得しかけて、
「いや、だからお前ら人の心読むなっつうに」
言いつつもそれ以上に、果観であれば百合を背負ったままでもクマくらい素手で倒してみせるのではあるまいか、そんな風に思ってしまう。
思い出してみれば実際、果観には様々な噂がある。曰く、海の上を走っていた。曰く、貫き手で巨木が折れた。曰く、垂直飛びで雲を突き抜けた。どれも突拍子も無いものでどう考えても真実とは思えない――数日前の飛鳥であれば。
「飛鳥?」
有り得るのかもしれない。そう飛鳥は思う。彼女の逸話は実は本当で、彼女は術式の世界を知る術士である、というその可能性を。
彼女は術式を知っているならば、果観にそれを相談することを躊躇う必要もない。だが同時に、飛鳥は理解している。それが自分の弱さの発露なのだということを。
自分はただ、果観はもう知っているだろうから、という免罪符が欲しいだけだ。それが原因で術式の世界に引き込んでしまっても、それは自分のせいではないのだと。そう考えてしまう自分がいることがわかっているから、飛鳥は言葉を呑む。
「……今度は何トリップしてんの? 他二名が寝てんだからアンタは飛ばない」
「わ、悪ぃ。ちょっと考え事を、な」
「飛鳥が考え事とか気味が悪いんだけど」
冗談めかした果観の言葉に、飛鳥は肩を竦めて返す。
「ま、いいや。一応相談くらいは乗ったげるけど?」
全てを見透かしたような、もしくは悪戯を楽しむ童女のような、明らかに違うような、しかしそのどちらの印象も受ける果観の笑み。
「果観は、さ、人と違うっていうのを、どう思う?」
術式のことを打ち明ける決心のつかない飛鳥は、吸血鬼やら人外といった直接的な言葉は使えない。使えば勘の鋭い果観は、たとえ知らなかったとしてもここ数日の飛鳥の言動から術式に辿り着いてしまう可能性があるかもしれないから。そうでなくとも、そんな妙な喩えをすればゲームか何かだろうと勘違いされるからだ。
「人と違う? 個性ってこと?」
「んっと、どっちかって言うと人種差別の方かな」
「人種差別ねぇ……アンタが私に何を期待してるのかはある程度わかるけど」
果観は理不尽だが、基本的に他人に対しては平等だ。誰だろうとほとんど気にしない、という意味だが。果観が対応を変えるのは他人ではない者――飛鳥や、生物部の面々などといった、ごく小さなコミュニティ――彼女の言うところの『身内』だけだ。
だがそんな、誰に対してでも変わらない視点で見ることのできる果観だからこそ、飛鳥は聞いてみたかった。
「主義主張はまぁ、良いんじゃないの? 人にはそれぞれ色んな考え方がある。そういえば前に葉河と話したことがあったっけな。ほら、私らって少数派(マイノリティ)でしょ? 趣味的に」
果観の趣味と言われても思い浮かぶのは打撃、凶器の投擲エトセトラ、暴力沙汰しか出てこない。そう言おうとして、寸前で踏みとどまる。流石に命を張って誰にウケるわけでもないギャグをするほど飛鳥はエンターテイナーではない。果観と葉河に共通する趣味といえば『虫』だ。生物部らしいといえばらしいのだが、果観の容姿で躊躇なくクモなどを手に乗せているのを見ると、飛鳥のような彼女の性格を知る者はともかく、他人から見るとたいがいな衝撃映像であるという評価が多い。
「その時には無理に理解を求めようとは思わない。だけど人の趣味にケチをつけるな、ってそんなスタンスを保つってことで話が終わったんだっけ」
「要するに他人の主義主張には口を出さない。ってことか」
「そゆこと」
出来の良い生徒を褒めるように、果観は頷く。瀞が大きく伸びて、起きたかと思えば再び机に突っ伏す。
「果観自身は、そういう……なんつうか、自分とは違う、黒人とか白人とか、そういう人に友達になろうって言われたらどうする?」
なにそれ? と果観は苦笑し、悩む様子も見せずに口を開く。
「多分断るんじゃないかな、やっぱり」
飛鳥の想像していたものとは逆の果観の回答に、思わず「え?」と疑問の声が漏れる。
「あぁ、わかってると思うけど、私は人種だとかなんだとか、そういうのには拘らないよ?」
「ただ単純に新しく友達作る気がないと」
「正解。人は自分でカバーできる範囲ってのが限られてるから、下手にその輪を広げて端に手が届かなくなるよりも、手入れのできる箱庭サイズの人間関係の方がやりやすい」
手を広げず、本当に大切に思えるものだけを大切にする。果観が言っているのは要するにそういうことだ。明言こそしないものの、果観は飛鳥や葉河、その他限られた『身内』のことを本当に大切に思っているということは飛鳥もよくわかっている。
相変わらず考え方が達観しているなぁ、と口には出さずに飛鳥は思う。そんな考え方も彼女を遠いと感じてしまうことの一因だ。
「じゃあ果観。たとえば俺が、実は人間じゃないんだ、とか言ったらどうする?」
一歩踏み込んだ飛鳥の問いに、今度は果観が唖然とした表情で硬直。
「……ごめん、私脳外科医にも精神科医にも知り合いいないから紹介してあげられないや」
そう言って果観は、大きく溜息を吐き出す。芝居がかった所作だが、実際果観も本気でそんなことを言っているわけではない。
「馬鹿なこと言うねアンタは。アンタはアンタ。人間であるかどうかなんて些事は個人の本質に直接的には関係ない」
「そっか。そうだよな、果観だったらそう言うと思ってた」
人か、人ではないか。生物の種としての違いを果観は些事と言った。ある意味で予想通りの答えではあるが、それでも彼女の躊躇ない答えが飛鳥の迷いを払う一助となったのは確かだ。
吸血鬼だからって関係ない。
昨晩、望に対して告げることのできなかったその言葉を、飛鳥は今ならば言えるような気がしていた。何故そんなことに気を回したのか、と問われても明確な答えを出すことはできない。とりあえず、助ける必要はなかったはずの自分を助けてくれたクラスメイトを、ただ出自を理由に疎むという状況がやりづらかった、ということで自分の中で結論づける。
「ねぇ、飛鳥」
呼び掛ける果観の声。いつも浮かべている悪戯っ子じみた笑みはなりを潜めていた。
「逆に一つ聞かせて。アンタは、私が人間じゃないってわかったら、どうする?」
「んー」
一瞬悩むも、答えはすぐに出た。数年来の友人に、今更遠慮をする必要も無い。
「魔法の存在を証明されるのと同じくらい驚いて、納得すると思う」
飛鳥の回答に果観は「はぁ」と息を吐き、滑らかな黒髪を乱雑に掻く。そういった様子を見ると、下手な男子以上に服装やら髪型やらに無頓着な果観が、どう
やって髪の滑らかさやらを保っているのか疑問に思えてくる。
「……アンタは一体私を何だと思ってんの?」
ポキリ、ポキリと指の骨を鳴らす果観の言葉に、飛鳥はいつも通りの他愛ない生命の危機を感じる。ただ、今すぐにでも拳を振るわんとする果観の表情は、何故か満足げだった。
ΦあとがきΦ
飛鳥、少し成長? いや、ただ優柔不断で友達の後押しが欲しかっただけですね。えぇ、その程度の小市民ですよ彼。
夕方に公園を歩いてるだけで襲撃とかありえねぇ、結界とか貼れよ、てか警察は何をやってやがる、と思った方。
基本的に犯罪者は人目につきづらい夜間に行動を起こしますがあくまで基本的。これは術式云々とは無関係な普通の犯罪者の思考と考えてください、見付からなければいいのだよ。見付かっても相手次第ではどうとでもなるわけで。
結界。一応認識阻害の術式はありますが、そういうものは術式に対して抵抗力を持たない人に対してであれば接近を阻めるもんですが、術士からすると逆に不自然であることが勘付かれるので術士に気付かれたくない身としてはむしろ使うという選択肢はありえないという感じです。まぁ結界内部での術士同士の戦いは私闘扱いですが。
警察。こいつは宮並には存在しません。術式のことが広がってしまうのを避けるために色々と手が回って、ということで。その代わりに朔のようなお雇い術士が術式関連のことに手を出したり、警察の真似事をする術士がいたりしますが。
あと軽く描写されていますが無駄設定を追加しておくと、宮並にはマンションやアパートといった下宿がほとんどありません。あっても普通には入居手続きをどこからすればいいのかすらわからんようなものとなっています。
……大分無法地帯ですね要するに。