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[25273] 【習作】~29.530589(仮)~(オリジナル・現代ファンタジー)
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/15 14:19
 初めまして、Dauと申します。どこぞの平均株価のような名前ですがあれはDowです。
 数年前まで二次創作の物書きをやっていたのですが特に何かあったわけでもなく二次創作が書けなくなり、一次創作専門の物書きへと転職してしまいました。昔からネタこそ温め続けてきてはいたのですがコロコロ変わったりで一貫性もなく、書き続けていたというわけでもなく。
 文章そのものは勿論、シナリオの構成も下手糞なままですし、見ての通り『勿論』も漢字にしたくなってしまうような漢字の開き具合もあまり考えない人間です。あるいは、漢字の方が格好良いなと思ってしまう厨二病患者、でしょうか。改行オオイゾコイツー。
 どの程度の頻度で交信……もとい更新できるかはわかりませんが、完結はさせたいと思っております。
 また、遅筆ゆえに細かく切ることで更新頻度を少しでも上げていこうと思います。

 内容(というか方向性)について軽く。
 オリジナル物です。作者がアホで設定魔で厨二病なので商業・同人・ネット公開などといった既存の作品の劣化感があるかもしれませんが特別どれを元にしているということはありません。
 ローファンタジーで、最近流行の『学園異能力バトル物』です。そういった作品でもよくあるようにあまり学園が関わってきませんが。
 色々とネタを織り交ぜて行きたいと思っています。底の浅いオタなので奇怪なものになるやもしれません。
 ご意見なぞ頂けると実にテンションを上げます。自重しないほどに。
 随分と前置きが長くなってしまいましたが、どうか生温かい目で見守って頂けると幸いです。

 厨二文章の肝と言いますか、俺の癖と言いますか、ルビをともかく振りまくってしまうのですがタグを使うと横幅制限ができないので括弧内にルビを入れることにしておきます。
 ゆくゆくは、html形式で作って自サイトにルビ付き完全版でも作ろうかと思いますハイ。

・2011
 1/5投稿開始
 1/14ルビタグの使用によってページ幅が際限ない広がるのでルビタグを廃止



[25273] ~序~祓魔の魔剣~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/05 22:41

 彼女は作られた。
 育てられた、と表現することも出来なくはないが、やはり作られたという表現の方が相応しいだろう。
 ごく普通の家庭で、ごく普通の教育を受けて育っていれば、彼女は自らの存在を肯定できていたかもしれない。自分がヒトとは違うということなど知らず、あるいは知ったとしても気にすることなく生きることができたかもしれない。
 祓魔の魔剣。
 誰が言い始めたか、彼女の、その血統に与えられた役はそう呼ばれるものだった。そして、彼女はそれを受け入れた。
 誰かのためになるのだと、人の幸福を紡ぐためだと。
 何の疑問もなく殺して、殺して、ひたすらに殺して、それが日常の一幕にしか過ぎなくなって。
 その役目から解き放たれてようやく、彼女は知ったのだ。
 自分が、自らが屠ってきたモノと何も変わらないモノなのだったということを。
 魔を討つために魔を内包した存在。それは矛盾を孕んだ存在だ。
 彼女がただ教えに忠実なる人形であれば、その矛盾を気に留めはしなかっただろう。
 彼女がただ愚かなる人間であれば、その矛盾に気付くことはなかっただろう。
 だが彼女は、不幸なことにも確たる意思を持ち、聡明な理性を持った人物であった。
 だからこそ、その矛盾に思い悩み、彼女は己の過去に自問を繰り返した。
 同胞殺し。
 その行為は生物種としてその本能に明らかに反した行動である。より優秀な遺伝子を残し、自らの子孫を繁栄させる。それが生物の本能だからだ。
 自身の遺伝子を残すために同胞と競争することも、その末にどちらかが、あるいは両者が命を落とすということは不思議なことではない。そういったことは自然界において、人などが生まれる遥か遠い昔から行われてきた生命の営みである。
 だが、自身とは異なる存在のために同胞を討つその行動は紛うことなき異端。
 だからこそ、彼女は苦悩する。
 自分の存在は、一体何なのか、と。
 神に捧ぐ聖木の姓と、月齢を意味する名を持つ少女は声もなく、誰にとでもなく問い掛ける。
 その咎から解き放たれて尚、問い掛け続ける。



[25273] ~壱~遭遇~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/14 16:20
~壱~


 加古原飛鳥(かこはらあすか)という人間は、やや変わったその苗字を無視するのであればごく平凡な人間であるといえる。
 ごく普通の中流階級の家に産まれ、両親と、五つほど年上の姉と、二つ年下の妹という五人家族の長男として育てられた。
 その成長の過程に何の事件も存在しなかったというわけではないが、むしろ一つの事件もなく生きることはむしろ珍しいほどだろう。
 そういった意味で、加古原飛鳥は平凡だった。
 中学時代、ひょんなことから踏み入れてしまったJapanese Otaku culterの泥沼に頭頂部までどっぷりと浸かりはしたものの、それは別段、特別なことであるとは言えないだろう。
 成績も平平凡凡。友人にも恵まれた環境であった。ちなみに大切なのは量より質だ。
 ごく普通の家庭に産まれ、ごく普通の教育を受け、それなりに恵まれた友人を持ち、至極健康に育った少年。加古原飛鳥は、疑問符を脳内に浮かべる。
 頭の中を埋め尽くすのはとりとめもない、そして非常にどうでもいいことばかりだ。
 昨晩の深夜アニメは録れているだろうか? 微妙な忙しさのせいで確認していないが、そういえばHDレコーダーの容量が相当ギリギリな状態になっていた。もしかすると途中で切れてしまっているかもしれない。それはよろしくない。
 来月に発売のゲームの店頭特典はどこの店のものが一番いいだろうか? 携帯電話が普及した今、テレホンカードに実用性は欠片ほども感じないものの、一種のトレーディングカードとしての価値は認めている。とはいえ多々買いは再び金銭的困窮へと向かわせる。

「ふぅ」

 それでは、と、まるで前置きをしていたかのように飛鳥の思考は一つの疑問へと収束する。
 現状において最も重要な疑問。
 ごく平凡な小市民たる加古原飛鳥に、思考放棄を促す疑問。
 アレは、何なのか。
 空には煌々と。そんな表現の似合う満月がその存在感を充分過ぎるほどに主張している。
 それと対になるように、その存在はそこにいた。
 一体何なのか、という疑問を抱いておきながらも、飛鳥はすぐにその答えを思い描いていた。その上でそれを否定する。ありえないからだ。
 繰り返すが、加古原飛鳥はごく普通の学生だ。決して常人離れした身体能力を持っているわけではないし、超常の力を操ることもできない。
 だからこそ、飛鳥は自らの思考を否定する。
 月明かりが照らす少女の首筋に穿たれた二つの孔と、男の口端から流れる真紅の液体――血液。その二つから導かれた『吸血鬼』という単語を。
 男は、よく見る吸血鬼のイメージにあるようなマントを羽織ってはいない。厚めのジャンパーを着た、充分に美男子と形容していい青年。その容姿にどこか既視感を感じるも、生憎、飛鳥には吸血鬼の知り合いなどいない。
 目の前の存在が本物の吸血鬼なのか、それともそういったプレイなのか。
 前者なら逃げるしかないし、後者だとしたら寛容な心で見なかったことにしてやるべきだ。
 それから何秒経っただろうか。あるいは、数瞬しか開いていなかったかもしれない。すぐさま立ち去れば良いものを、飛鳥の足はコンクリートで固められたかのように動かない、動けない。

「っ、く……!」

 飛鳥と男の視線が、繋がる。その瞳は、まるで紅玉(ルビー)の如く鮮やかに輝いていて。
 不意に、男が笑みを浮かべた。
 マズい、と。
 直感的に飛鳥は思い、動きを止めた身体を無理矢理に動かす。幸いなことに、身体は言うことを聞いてくれた。
 ただ危機を告げる本能に従って身体を反転させようとした飛鳥が視線の端に捉えたのは男の跳躍――否、吸血鬼の飛翔だった。

「な」

 叫びを上げるほどの余裕もなく、吸血鬼は飛鳥の目の前に立っていた。
 あり得ない。そう、あり得ない。ただ距離を詰めただけなら決しておかしいものじゃない。彼我距離はそう開いていたものでもない。だが、問題はその過程だ。飛鳥には見えなかった。男が飛ぼうとした、そう理解したそのときには目の前に男がいた。まるで、瞬間移動したかのような動き。そんなことは人間には出来ない。

「屠妖師(とようし)、不定士(ふじょうし)……いや、どちらでもないただの素人か」

 飛鳥を上から下へとじっくりと眺めてから、男は耳に覚えのない単語を呟く。それが何を意味していることなのかなんてわかりはしない。わかりたいとも思えない。
 目の前に、こんな近くにファンタジーがある。好きで、焦がれた、その世界が。
 でも飛鳥は、そこに喜々として踏み込むことなんてできない。
 恐い。ただひたすらに恐い。
 一瞬でも油断をすれば、あるいは吸血鬼が気を変えたら、加古原飛鳥という人間は死ぬ。
 そこに漫画やアニメにあるような夢のある展開なんてなくて。ただ、一人の人間が死んだという事実だけが残る。
 そうだ。この世に幻想(ファンタジー)なんてものはない。あるのはただ、現実だけ。
 以前、葉河や瀞と語り合ったことがあった。ファンタジーの世界に行けるなら、行ってみたいかという、あり得ない仮定の話を。そのとき瀞は一も二もなく頷いた。面白そうだから、と。そして葉河は言ったのだ。ファンタジーに思えても、現実にあればそれは幻想(ファンタジー)じゃなく現実(リアル)だ、と。

「本当は伝承通り処女の血、というのが風情があるのだがね。健康な少年というのもたまには悪くない」
「っ……」

 口内に溜まった唾液を飲み込む。

「運動というのはいかがかな、少年?」

 そう言って手を伸ばした吸血鬼の手からは光が伸びていた。
 蛍を思わせるような、淡い、それでいて血のように紅い光。
 伸びていったそれは一メートル半ほどの長さでその伸長を止めると、吸血鬼は一振り。
 光の軌跡があるはずのそこに、何もないはずのその手に、一振の長剣が握られていた。
 何もないところからの物質の発生。あり得ない。理科が好きでもない飛鳥でも質量保存の法則程度は知っている。手品? トリック? そこまで考えて、否定。そんな馬鹿なことはない。以前少し齧ったことがあるから飛鳥はわかるが、手品とはタネを仕込んで、一定の状況でのみできる見世物だ。いくら今の飛鳥が動転しているとはいっても、あれだけ大きなものをどこかに隠していたのならば気付いてしかるべきだ。
 相変わらず淡い燐光を放つ長剣からは、吐き気を催すほどに強い血臭。あるいはその血臭は、男自身から放たれていたものかもしれない。

「何、だよ、それ……」

 誰も問いに対して回答を返さず、飛鳥の頭の中にも適切な答えなどない。
 そもそも、そんなことがわかっていればこんなに驚いてはいない。

「そう、その貌(かお)だ。それを見せてくれ。俺を満足させることができたら……!」

 跳んだ!
 そう感じた瞬間に、飛鳥は全力で走り出していた。
 日常生活で聞くことなどない爆裂音が背後から聞こえてくる。

「そのときは、見逃してやろう。さぁ、逃げろ、逃げろ!」

 何だ、何だ、一体何なんだ。
 同じだ、と思う。車にはねられかけて、危うく死にそうになったあの時と。アレが、そして今、自分が感じているものこそが死の感覚なのだということを。
 とりとめのない思考のままに、飛鳥はがむしゃらに走る。
 倒れていた少女をヒーローよろしく助けようなどとは思いもしない。自分のことだけで精一杯だ。
 どうすればいい。どうすれば生きられるのか。無い知恵を絞って現状からの打破を試みる。
 案その一。見逃してもらう。
 無理だ。あの眼に交渉の余地があるようには見えない。
 案その二。死んだ振りをする。
 よく言うクマにすら効かないと定評のある死んだ振りが吸血鬼に通用するかはいささか以上に疑問である。
 案その。とりあえず一目散に逃げる。
 ターゲッティングされる前ならばともかく、完全に目が合ったこの状況から逃げ切れるわけが無い。
 案その四。狩る。
 どこのハンティングアクションかスタイリッシュアクションだろうか。狩られること間違いなし。もちろん人生は一死でクエスト失敗だ。
 案その五。自分の中に眠る超スゲーパワーが解放されてバケモノをブッチする。
 ただの電波である。厨二病にもほどがある。足りないからといっても勇気やガッツでも補えないものは間違いなく存在する。
 案その六……諦める。
 現状において他に選択肢のない最も適切な判断だと飛鳥の思考は無情にも訴える。

「もう少し急いだ方が良いと思うがね」

 すぐ後ろから聞こえてくる、小さな囁き。

「ってぬぉぉぉぉぉぉぉ!」

 諦めたらそこで試合、もといこの状況だと人生終了である。
 案その三を適用、意識は吸血鬼に向けつつも、体の向きを一八〇度左回転で反転させてダッシュ。
 特別身体能力が高いというわけでもない飛鳥ではあるが、この時ばかりは軽く全日本記録でも抜けるのではないかと思うほどの速さ。
 火事場の馬鹿力というのは凄いものだと余裕の無いはずの思考がかすかな余白で思考する。それに付随するように「+2でなければ使い物にならないけどな」とツッコミを入れる自分の思考がどうしようもないことを自覚。
 後ろからバケモノの気配は消えない。本気で追われれば一跳びで縮まりそうな距離を、まるでいたぶるかのように縮めてはこない。
 最近走ってばかりだなぁ、と思いつつ、そもそも、と。飛鳥の思考は最初の疑問へと立ち返る。
 あの男は何なのか。
 吸血鬼? そうかもしれない。だとしても十五年ほどの人生の全てをこの宮並で過ごしてきた飛鳥も、当然のことながらあのようなもの目にしたことは無い。
 だが、飛鳥の思考の片隅に、一つの言葉が浮かび上がる。
 都市伝説。
 この街には都市伝説が、その全てを把握している者がいないのではないかと思えるほどに多く存在する。その中には吸血鬼だ狼人間だ、果てはフランケンシュタインの怪物だと、どこのB級ファンタジーかと問いたくなるようなものもある。
 しかし実際、今飛鳥が目撃した存在はまさにB級ファンタジーかRPG辺りに出てきそうな吸血鬼そのものだ。

「どぅぎょぉるぉぉぉぉ!」

 腹の底から声を出しつつ、ただひたすらに駆ける。
 疲れなどは感じない。ただ、飲み込んだ唾液に血の匂いを感じた。
 不意に浮遊感。足は地面を蹴らず、空を切り、飛鳥の身体は疾走の勢いそのままに地面に墜落する。

「ごハッ」

 肺の中の空気が衝撃で吐き出される。これ以上走れるとも思えなかった。
 吸血鬼がいることはわかっている。だがそれでも、確認せずにはいられなかった。
 逃げることができない以上、諦めたかもしれないという微かな可能性に希望を託す他ないのだ。
 死が近い、そんなことを他人事のように考えながら、希望を抱いて恐る恐る、振り返る。
 そこには、

「まぁ、頑張った方だとは思うがね」

 血色の長剣を振り上げる、青年が立っていた。

「……ぁ」

 死んだ。
 純粋に飛鳥はそう思う。
 意外なことに何の感慨も湧きはしない。ただ、死ぬのだということに対する理解があるだけ。
 恐怖は無い。不安も無い。
 ただ何故か、実は大丈夫なのではないか、と。そんな思考も存在していた。
 青年は怯えた飛鳥を見るのに飽きたのか、掲げた刃を振り下ろし……た瞬間。

「ひゃーい!」

 瞬間。
 右側から奇声とも、笑声ともとれる声。
 続いて爆音が響き。
 青年の体が、質量を感じさせないような勢いで真横に吹き飛ぶ。勢いのまま、自生する木々をダース単位で薙ぎ倒してようやく巨体は止まった。

「は? なんで、お前……」

 先程にも増して疑問符で思考を埋め尽くす飛鳥の視界には、見覚えのある美しい銀色があった。
 飛鳥の思考は、過去へと向かって加速していく。



[25273] ~弐~キッカケ~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/14 16:21
~弐~


「駄目だ、もう、これ以上は……」

 絶望に支配されながら、加古原飛鳥の口から言葉が漏れる。
 無理だと、不可能であると理性が語りかけてくる。

「だけど……」

 退けない。
 ここで退いたらチャンスは二度とやってはこないから。
 逡巡は一瞬。
 最後のチャンスを逃さないように、飛鳥は決断する。

「やってやる!」

 自棄気味に叫びながら、飛鳥はマウスの左キーをクリックした。
 心地よい勝利の感覚と、とんでもないことをしてしまったという後ろめたさが同時にやってくる。
『カッとなってやった。後悔はしてない』
 机の上で充電を続けている携帯電話を開き、幼馴染の御木川葉河にメールを送信。

「……ハァ」

 大きく息を吐き出しながら、飛鳥は机へと突っ伏した。
 そのままの体勢でしばらくいると、机の上から伝わる振動に飛鳥は上半身を起こす。
 液晶には見慣れた『御木川葉河』という名前が表示されている。
 内容は『今度は何を買った貴様』と一言。
 そう。
 当然の如く、加古原飛鳥が行った選択は人生の岐路になるものでも、まして生死に関わるものなどではない。
 単純に趣味の物品を買うか否かという、ただそれだけのもの。ただそれだけ、とは言っても飛鳥にとってはこの上なく重要な選択だ。何せ限定品、この機を逃せばもう二度と手に入らないのだ。
 今年になって同様の悩みは既に三件目。それだけでは少ないと感じる者もいるかもしれないが、今が一月中旬であるという情報を追加すれば驚くか、あるいは呆れることだろう。
 両親をはじめとした親族から受け取ったお年玉はその幾分かを貯金され、しかしそれでも相当量あったはずだが、その残額は見るも無残なものとなっていた。

「ってか……あれ?」

 改めて考えて、飛鳥は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
 立ち上がり、財布の中を、そして貯金箱の中を確認する。
 ない。
 ないのだ。
 残っているはずの金が、ない。
 いや、それは正確な表現ではないだろう。
 実際には、残っていると思っていたのにその実、残ってなどいなかったというだけの話。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ……ど、どうしよう?」

 よもや残金がないなどとは思わず、購入を決定してしまった。
 現在、飛鳥は半ば一人暮らしのような生活をしている。
 一人暮らしのような、と曖昧な表現なのは、今ここを住所としている人間が二人だからだ。姉である加古原雛は帰ってこない日が週に平均して二、三日もある。その上それが毎週決まっているわけではなく、週によっては毎日いたり、逆に一週間以上家を開けていることもありアテにならないのだ。
 そうは言っても水道光熱費、食費をはじめとした生活費は両親や雛に依存しているわけだが。
 なんにしても、たとえ金が尽きたところで生活には支障をきたさないということではある。
 とはいえ、飛鳥が自由に使える金というものはそれこそ小遣いのみだ。それが底を尽きたということはつまり。

「ど、どうしよう」

 いざとなれば姉の雛やお年玉を溜め込んでいるであろう妹の千鳥からの借金という手段に訴えることも選択肢に入れなくてはならなくなる。
 だがそれは、本当の最終手段だ。養っているということをいいことに完全にパシリとして使ってくる雛や、二つ年下の妹などに金を借りることになるのは可能なことならば避けたいところである。
 であらば、飛鳥がとるべき選択肢は限られてくる。

「葉河葉河……」

 なにかと頼りになる幼馴染の名前を呟きつつ、携帯電話を開く。
 ボタンを長押ししてメールの作成画面をオープン。慣れた手つきで本文を打ち込んでいく。
 件名はない。ただ一言「バイトない?」とだけ打ち終えると、飛鳥は送信ボタンを押した。
 さっきもメールは打ったばかりだ。葉河の返信は迅速だった。
 件名は『Re:テメェ馬鹿か』という簡潔なもの。本文はない。
 否定できないのが悔しいところだが、今の飛鳥は葉河に頼る他ないのも現実である。本文に「どういうことだ」と詳細を問う内容があり、それ以上は何もない。いつものことだと諦念を交えつつ、飛鳥は文字盤をタッチする。
 電話をすれば早いのかもしれないが、そうすると葉河の機嫌が悪くなるのでやめておく。曰く「電話は嫌いだ」とのこと。常日頃からそう言われているため飛鳥も誰に対しても連絡はもっぱらメールで、よほど必要に迫られない限りは電話機能を使わなくなっていた。
 残高がないにもかかわらず購入を敢行してしまったという旨の本文を打ち終えて、件名を消して送信する。

「はぁ……」

 葉河がバイトをしていないということは知っているが、それでも葉河に頼んだのは葉河を通じて生物部のネットワークに繋がると期待してのものだ。
 蒲原学園生物部。奇人変人の巣窟、人外魔境エトセトラ。様々な呼称を持つその部活に葉河は入学当初から所属している。
 飛鳥も葉河や、同じく幼馴染である蒼海瀞との関係もあってその面々とは顔見知りである。一見したところ普通の部活にも思えるが、よくよく考えれば流石は奇人変人と納得できるような人物だらけだということも理解している。彼らならば、誰かしら何らかのバイトを紹介してくれるのではないかと飛鳥は思う。校内で会えば挨拶や会話くらいはするものの、メールアドレスまでは知らないので葉河に頼らざるを得ないわけだが。
 返信が来る。それを開こうと操作していると、再びメールの着信を知らせるバイブレーション。
 件名の変更はなく、本文に『そういうのは自分で聞け、と言いたいところだがまぁいい。ウチの連中に聞いてやるから少し待ってろ。転送する』とあった。
 数分して届いた二通目を開くと件名は『Fw: Re:バイト』となっていた。つまりは誰かからの転送ということだ。

「流石は葉河、仕事が早い……って、え?」

 転送された本文を見て飛鳥は驚愕する。
 メール画面を埋める文字。それも一画面には収まりきらず、全文を見るのに二度のスクロールを必要とした。
 最下には『以上、梓から転送』という葉河の一言が付け加えられていた。どうやら飛鳥からして一つ上の先輩である橘梓からの転送らしい。
 それにしても、と飛鳥は思う。

「いくらなんでも早すぎるだろ!」

 そうツッコミを入れ、生物部の底の知れなさに驚く。葉河に感謝のメールを送ると、改めて二通目のメールを見る。
 仕事内容や勤務時間帯、短期の仕事ですぐに給与が入るなどといった事項が記載されていた。
 時給制ではないようだが、時給換算すれば一二〇〇円ほどになる。時間も授業が終わったあとか、あるいは休日。それもこちらの都合で一週間ずつ仕事が済むまで最短週一時間から、一週間丸々という選択肢までとることができるときた。
 ここまで条件に恵まれていると怪しさを感じずにはいられないが、梓の友人の手伝いであるがゆえの破格の条件なのだと付け足されていて飛鳥は安堵する。
 これだけの好条件に乗らないわけにはいかない。
 思い立ったが吉日と、飛鳥は葉河に仕事を受けたいと伝えるようにメールを送る。

「って、あれ?」

 何か重要なことを忘れていたような気がして、飛鳥は首をかしげる。
 数秒の思案の後、答えはすぐに出た。

「……えっと、何の仕事?」

 そう、仕事内容を確認していなかった。急いで受信メールを見直してみるも、梓の友人の手伝いである、ということ以外に何の説明もない。
 嫌な予感を感じつつ、飛鳥は再びメールを打つ。
 どういった内容の仕事なのか、という問いかけのメールに対する反応は一分ほど経っても返ってこない。
 それまでのメールのやり取りが高速だったために不安になるが、それでも数分してから葉河からの返信があって一安心する。
 メールを開き、その内容に驚愕する。

「測量関係……?」

 何が何だか理解できず、飛鳥はどういうことかと葉河に返信。しかし返ってきたのは『知るか』の一言。
 にべもない一蹴であった。





 結局、昨晩は葉河からそれ以上の情報が送られてくることはなかった。
 その代わりに、今朝目覚めた飛鳥が携帯電話を開くと、葉河からの一通の新着メールが届いていた。
『確認した。お前向きの仕事だろうから安心しろ』
 メールの文面はそれだけでそれ以上の情報はない。見れば、受信日付は午前四時となっている。
 何でそんな時間に送ってきたのかと飛鳥は疑問に抱きつつも、感謝の意を打ち込んで返信する。まるで待ち構えてでもいたのかのように、すぐに着信音がメールの着信を告げた。
 要項、という件名のメールを開くと、本日十四時に面接を実施するとの旨と、面接場所が記載されていた。

「必要なものは……身一つって」

 履歴書でも必要なのかと一瞬でも焦ったのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 くぅ、という腹の音で自分の空腹に気付いた飛鳥は一階の台所へと降りて冷蔵庫を物色する。炊事洗濯エトセトラ、家事の全般を受け持つ飛鳥はもちろん、その中身を把握している。休日の昼にいつも食べているような冷凍食品のたぐいは雛が食い散らかしてしまって残ってはいない。

「どうしたもんかな」

 悩みつつ、テレビの電源を点ける。蛸足というレベルを超えて接続された大量の配線の先には大量のゲームハードが繋がっている。それらは飛鳥が生まれる前のものから最新機種まで、少なくとも飛鳥の知る限りの全てのハードを網羅していた。機種によっては同じものが数機揃えられているものすらある。
 これら全ては姉である加古原雛の所有物だ。昔は飛鳥も大量のゲームハードが家にあることを随分と喜んでいたものだが、最近ではコンシューマゲームなどめっきり起動していない。そもそも内蔵ハードディスク容量の違いや本体色の違い、そして内蔵基盤の差異にまでこだわられても流石に理解できないレベルだ。
 そしてこれだけ大量のゲームハードの繋がるテレビは未だに古き良きブラウン管テレビ。むしろそっちを取り換えるのに金を使ってくれと思う飛鳥だったが、雛曰くブラウン管の方がいいとのことで買い替えの気配はない。
 チャンネルを変え、ニュースを見ようとして、気付く。テレビの右上端に表示される、中央にコロンを挟んだ四つの数字の羅列に。
 数字はそれぞれ、一、三。そしてコロンを挟んで三、四と表示されている。

「……ぇ」

 13:34
 思考がそれを時間の表示であると思いだすのにたっぷり十秒を要し、最後の一桁の値が五へと変わる。
 午後一時三十五分。

「うわ! やっべぇ、遅刻する!」

 二階へと駆け上がり、箪笥の中から適当な、それなりにマトモな服を選びだして着替える。その工程にかかったのは僅か一分。
 顔を洗い、歯を磨きと準備を済ませ、リビングの時計を見やれば、一時四十二分を指していた。残る時間はあと十八分。
 指定されている場所はそう遠くない。自転車で急げば五分もかからず到着するだろうと飛鳥は安堵の息を吐き出した。
 早めに出るか、と思い戸締りを確認しはじめた飛鳥はある事実を思い出す。

「チャリパンクしてんだったぁ!」

 時刻は一時四十五分。走ったところで間に合うかどうかは危うい時間になってきていた。
 だが、何にしても既に悩んでいる時間も何もない。すべきことは一つ、と戸締りを無視して家を飛び出す。
 全速力ではないものの、起き抜けには厳しいダッシュを行いながら、飛鳥は手元の携帯電話を操作する。今回は緊急時なのでメールではなく電話だ。疾走しながら耳に当てていると、数回のコールの後に反応。

「葉河!」
『起きんの遅ぇぞ』

 その発言から葉河は事情は把握していることと飛鳥は理解する。当たり前といえば当たり前だ。指定の時間が十四時だと送ったのは葉河なのだから。
 話は早い、そう思い飛鳥は問う。

「今暇?」
『忙しくはない』

 ホッと一息つく余裕などあるはずもなく、飛鳥の口から吐き出されるのは小刻みな呼吸音。

「ウチの戸締りしてくんね?」
『……馬鹿かテメェ』

 葉河から返ってくるのは予想通りの反応。
 相変わらずメールの文面でも律儀に三点リーダを二つ一組で使ってくる。

「頼む」
『この時期なら……鍋だな』

 金欠ゆえにバイトをやらねばならないというのにそれにたかるとかどういうことか。そんな感想を抱きはするが、葉河の要求は別に珍しいことではない。幼馴染という間柄であるし、両親が家にいない者同士ということで葉河と瀞(せい)はよく加古原家へと食事をしにくる。逆に飛鳥の方も蒼海家で食事をご馳走になることもあるので文句があるわけでもない。バイト斡旋の恩も含めてその程度安いものだ。

「金が入ったらで」

 要するに次は鍋が食べたいのだと、葉河の要求を理解して飛鳥は返す。確かに時期柄、鍋が食べたくなる季節でもある。しかし鍋が食べたい季節という意見は一致しつつも薄着を崩さない葉河はいったい何者なのだろうか。そんな例年通りの疑問を抱きつつ葉河の返答を待つ。

『戸締りくらいそれほど時間も掛からんだろうに……まぁいい。とりあえず急いどけ』
「サンキュ」

 言って、携帯を閉じる。
 自宅警備で培った脆弱な肉体は悲鳴に近いものを上げてはいるものの、ここで間に合わずバイトが決まらなければ待ち受けるのは悲惨な結末だ。
 雛に借りればそれをネタに永久にパシられることは自明。千鳥に借りれば既に存在しない兄の威厳は絶対値として見ると上昇することになる。どちらも選びたい選択肢ではない。それが嫌だから葉河にバイトの斡旋をしてもらったというのに、寝坊で時間に間に合わなかったなどとなってはどうしようもない。
 嫌な未来を想像すると、アスファルトを蹴る足に力が籠る。
 と。

「ぇ……」

 宮並の交通量は多いとはいえない。もちろん大通りであればその限りではないのだが、今飛鳥が横断せんとする小さな車道などはいくら休日とはいえあまり車と出会うことはない。何故か警察署も交番もなく、警官を見かけることがない宮並とはいえ大幅に法定速度を破る者は滅多に見ない。
 だからこそ飛鳥はソレを問題と思わず、見落とした。
 信号の色は赤。
 右から物凄い、あからさまに法定速度を破っているとしか思えない速度で車が突っ込んでくるのを視界の端に捉える。
 一コマ、また一コマと、まるでパラパラ漫画をゆっくりめくってでもいるかのようにゆっくりと車が近付いてくる。しかしだから避けられるというものでもない。自分の身体の動きはそれよりも遥かに遅いのだから。
 走馬燈(ファンタズマゴリア)。一つの単語を思い出す。死の直前に人が見るものがそれならば、自分は死ぬのか、という疑問が浮かび、衝撃がそんな思考すらも吹き飛ばした。
 だが、その衝撃は全身に浮遊感を与えることはなかった。急激に加わった衝撃に肩が絶叫するが、心を占めるのは痛みや驚愕よりも安堵。
 黒の長髪が、暴走車の生んだ風に煽られて大きく流れる。

「ったく……」

 そう言って溜息を吐いたのはクラスメイトの川潟果観(かわかたはてみ)だった。無論、飛鳥の腕を引っ張り、命の危機から救ったのもまた彼女だ。一体いつの間に近付いていたのか、その気配すら悟らせないのだから流石というべきだろう。世が世であれば男を押しのけ、さも勇猛な武将になっていたのではなかろうかと飛鳥は思う。平和なこの時代のこの国でそれがどう役立つのかは甚だ疑問だが。

「周り見て動きなよ。まぁ、あの車もあの車だけど。葉河か瀞ならともかく、アンタならはねられたら死ぬよ多分」

 呆れたように言って果観は笑った。
 葉河、瀞という共通の友人を持つものの、果観は飛鳥の幼馴染というわけではない。魔窟、生物部が誇る最強の生物兵器。ゴア表現メーカー、悪鬼羅刹などと多くの渾名、あるいは異名ともとれるものを持つのが彼女だ。
 排他的な性格の彼女のことだ、身内ではなく見知らぬ誰かであれば吹き飛ばされるのをそのまま見送っていてもおかしくはない。そう考えて、彼女が友人だったことに安堵を覚えた。

「あ、えっと……助かった」
「気を付けなよ。あと急いでるんじゃないの? 梓のバイトの時間もうすぐでしょ?」
「サンキュ」

 気遣いに感謝しつつ、飛鳥は再び駈け出した。

「まぁ間に合わないよね」

 果観が何かを告げる声が聞こえてはきたものの、飛鳥はそれが何なのかわからないということにしておいた。

「認めたくないものだな……」

 若さ故の過ちというものを、そう思い抱き、飛鳥は疾駆する。




ΦあとがきΦ
 壱から少し時間軸が巻き戻っています。
 時間軸がブラブラするとよくわからなくなるとよく言われているので多分コレきりです。ヒロイン(?)は実在します。いつか出ます。



[25273] ~参~銀色~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/14 16:04
~参~


 ここ数年で、これほど長く走ったことがあっただろうか。
 いや、ない。と反語を思考の中で浮かべながらぜぇはぁと肩で息をする。
 そんなこんなでなんとか指定の場所に辿り着いた飛鳥だったが、何故か待ち惚けを食らっていた。
 指定されていたのは宮並には数少ないマンションの一室。だったのだが。
 開いていない。そもそもエントランスの時点でオートロックで入ることが出来ない。ちゃんと呼び鈴も鳴らしたはずなのだが反応がないのだ。

「まさか、中で殺人事件が……?」

 と、そんなくだらないことを考えるよりも先にまずは指定の場所を間違えたのではないかと考えるべきだろう。そう思って一応確認もしてみるが、やはり間違いはない。そもそもマンションの絶対数自体が少ないのだからそうそう間違えはしない。

「何でー?」

 そのまま、三十分ほど待たされただろうか。唐突に携帯から着信音が聞こえてきた。メール着信はバイブレーション設定しているので音がしたということは音声着信なわけだが、となると葉河ではない。携帯を開いて液晶を見ても表示されているのは知らない番号だ。誰だろうかと受話ボタンを押して耳に当てる。

「もしもし?」
『あー、もしもし。そちら加古原飛鳥君のケイデンでよろしいでしょうか?』

 聞こえてきたのはアルトとテノールの中間ほどの澄んだ、恐らくは女性のものと思える声だった。橘先輩かとも思ったが声質が違う。

「ケイデン?」

 聞き覚えのない言葉に思わず問い返すと、

『携帯電話のことです。して、加古原飛鳥君でしょうか?』
「あ、えーと、はい。そうですけど」
『あぁ良かった。えっとですね、こちら梓を経由して君にアルバイトを頼んだ者なんですけど、えっと、今どこにいますか?』
「指定されたマンションの前にいますけど。あの、さっきインターホン鳴らしたと思うんですけど……」
『それは僥倖。とりあえずロック開けるんで入ってきてもらえますか? 詳しくはそれからお話します』

 電話口で長々と話していたいとも思わない。疑問は残りつつも電話の声に従ってマンションへと入った。





「さて、と」

 部屋番号は指示された通り。
 遅刻にどう言い訳したものかと悩みながらドアノブに手をかける。

「えぇい、ままよ!」

 力を入れ、ドアを引く。
 と。
 内側から聞こえてきたのは奇妙な声。
 そう、
 一般に喘ぎ声と呼ばれるようなたぐいの。

「……ぇ?」

 視線の先には二人の、いわゆる「ファイナルヒュージョンなう」といった様子の男女。
 思考に三秒。

「すいません間違えましたッ!」

 なかなか閉じようとしない扉を無理矢理に力で閉じて大きく息を吐き出す。

「な、え? ちょ、部屋番号間違ってない、よな……?」
「えぇ、間違ってませんよ」

 混乱する飛鳥の背後から、そんな気楽な声が聞こえて思わず振り返った。

「加古原飛鳥君ですね。ボクの部屋はコチラです。さぁどうぞどうぞ、入っちゃってください」
「ちょ、え、っと……」

 振り返った先にいたその存在を一言で言い表すのであれば、銀だ。
 染色したようにも、増して白髪のようにも見えない。美しい白銀の長髪。
 ボーイッシュな女性にも、女性的な男性にも見えた。中性的な、それでいて驚くほどに整った容貌はアニメや漫画の中から出てきたと言われた方がむしろ納得できる。
 視線を整った顔立ちから少しずつ下げていき、相手に聞こえないような小さな声で「男か」と呟いた。
 その胸部には余計な脂肪分がついているようには見えなかったためだ。

「……ふむ」

 数秒の思案。その容姿に呆けた後、飛鳥は一つの事柄に気付く。

「ってまさか、わかってて違う部屋を教えたのか!」

 相手が雇い主だとわかっても、どうしても敬語を使う気にはなれなかった。というか、こんな罠にハメられてそれでも敬語で話せるのは相当な人格だろうと飛鳥は思う。

「まぁお隣さんにも良い薬になるでしょう。ほら、朝っぱらから合体とかし始めるのは迷惑だと思いません?」
「そうかもしれんがそんなところに俺を突っ込ませることの方がよほど迷惑だよ!」
「見解の相違という奴ですかね。まぁこんなところで立ち話もなんです。部屋に入っちゃってくださいな」
「む……」

 釈然としないものを感じながらも、飛鳥は少年に勧められるままに部屋の扉を開けた。
 警戒はしたものの、流石に連続で同じ罠にハメるつもりはないのか特に何があるということはない。

「安心してください。間伐入れずに二度ネタを使うほどボクは没個性的ではありませんから」
「……さいですか」

 ふぅ、と溜息を吐きながら飛鳥は靴を脱いで上がる、と。
 そこで違和感を感じた。
 瀞や葉河の部屋にはない、カレンダーにタペストリー。それも風景や犬猫などといった柄ではない。
 アニメ柄にゲーム柄、ところによってはR指定が掛かるものもある。その様相に呆れながらも、そのほとんどが何なのかがわかってしまう自分にも飛鳥は呆れる。

「はいはい奥の方に進んじゃってくださいねー」

 言われてリビングに進むと、再び絶句する羽目になった。
 どこぞのレンタルショーケースを思わせるそこは、ある意味で異世界とも言える。それなりに濃い飛鳥の部屋でさえこの部屋と比べてしまえばごくごくマトモだ。戸棚には大量のフィギュアやプラモデル、玩具が。本棚には漫画、ライトノベル、ファンブック、そして飛鳥の部屋にもある薄い本が。
 まさしく、誰もが思い描く『キモオタの部屋』そのものだった。

「うげ……」

 それでいて部屋の主はこの美貌。何か間違っている気がする。

「おっと、片付いていなくてすみませんね。ついさっき起きたばかりでして」
「いや、別に片付いてるとかそういう問題じゃなく……ってまさか、連絡つかなかったのって?」
「寝坊しました」

 コイツ、殺っちまおうか。
 葉河辺りが横にいたら冗談交じりにどちらともなくそんなことを言い始めるだろう頃合だ。
 ただ、不思議な感覚もあった。
 まだ会ったばかりだというのに、まるで友達のように踏み込んでくる。普通ならばそこに苛立ちを感じるというのに、それもない。それは別に同類だからというだけではないだろう。フレンドリーと表現すればいいのかもしれないが、それだけで片付けるのも釈然とはしなかった。

「いやぁ、すみませんね……驚きました?」
「えっと、まぁそりゃ驚きはしたけど。俺も似たような趣味だからなんつうか」
「おぉ、同好の志ですか! それは僥倖、実に僥倖です! お仕事の方もはかどりそうですねぇ。あ、座ってください」

 勧められたソファには見覚えのある十八禁ゲームのサブヒロインキャラクターのクッションが置かれていた。それにしてもあのヒロインはだいぶ人気薄いマイナーキャラなのだがよくクッションなど売っていたな、などと無駄な関心をしつつ飛鳥は腰を下ろす。

「……えっと、それで仕事っていうのは?」
「早速そういう話をしたいんですか? 最近の中学生はサボタージュすることに命を懸けるという話を聞いていたのですがねぇ」
「どこでそんな話を聞いたんだアンタ」
「ソースは2ちゃん」
「もういい聞いた俺が馬鹿だった……」

 出会ってまだ数分だが、彼がどんな性格なのか、飛鳥はおぼろげに把握しつつあった。
 疑う余地もなくオタクだ。そして愉快犯。子供っぽいと言ってもいい。

「まぁ、話が進まないのもなんですからね。簡潔に言うと測量のお手伝い、といったところでしょうか」
「そういや葉河のメールにもそんなこと書いてあったな。測量って……伊能忠敬的な?」
「えぇ、認識としてはそれで構わないと思いますよ。この辺りでちょっとデータ測定をする必要がありまして、そのお手伝いをお願いしたいんです」

 そんなことを言われても、飛鳥にはそんな技術はない。葉河に『お前向きの仕事』と言われていたので安心していたものの、実際に内容を聞いてみるとちっとも向いているとは思えない。

「おっと、勘違いしないでくださいね。別に君に特別な技術を求めているわけではありません。ただ機器を設置する手伝いと、その機器が出した数値を記録する手伝い、それと作業中のボクの話し相手になってくれさえすれば良いので」
「話し相手って……それで俺向きってことか葉河」
「梓ちゃんにはなるべくボクと話の合う人にして欲しいとお願いしておいたんですが、どうやら同好の志である君ならば資格充分ですね。うんうん、良いパートナーにめぐりあい宇宙(そら)でボクは実に感激です」
「めぐりあい宇宙(そら)とかどこの三部作完結編だよ」
「嗚呼! この一言一言を理解してツッコミを入れてくれる人材! ボクはそれを望んでいた!」

 何故か気に入られてしまったらしい。

「あ」

 銀色は何かを思い出したかのように手を叩き、

「ボクは榊朔(さかきさく)と申します。年齢不詳。性別は男の娘を目指しています。人には言えないお仕事をしております。趣味はジャパニーズオタクカルチャー全般ですが特にエロゲーが得意分野です。ジャンルは陵辱ゲーとかその辺りが」

 そこまでまくし立てられて、その容姿でエロゲーとか陵辱ゲーとか何の臆面もなく言い放つコイツは色んな意味でどうにかした方がいいのではなかろうか、と飛鳥は本気で思ってしまう。
 そもそも自分で名乗っておいて年齢不詳とか、性別で目指しているというのはどういうことか。

「さて、名前くらいは聞いていますがボクは君の事をちっとも知りません。自己紹介してもらえると嬉しいんですがね」
「えっーと。加古原飛鳥です。中三で趣味はゲームとかアニメとか……まぁそんな感じで」

 真面目に相手にする気も失った飛鳥はなおざりに名乗る。

「よろしくお願いしますね、飛鳥君」

 満面の笑顔で右手を差し出され、

「あー。よろしく」

 飛鳥は苦笑交じりに、その手を握り返した。




ΦあとがきΦ
 やはりタグの使用が横幅を広げる原因の模様。
 横幅固定タグを見つけ出さねば……
 ちなみに作者、日常パートが苦手であります!



[25273] ~肆~魔法使い~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/14 16:02
~肆~


「で。これは何?」

 飛鳥は両手に持ったソレを顎で指す。重さは二十キロほどだろうか、そろそろ腕も限界に近い。
 意外だったのはこの榊が運転免許を持っていたということだ。見たところ歳も同じか一、二個上くらいかと飛鳥は思っていたのだがそういうわけではなかったらしい。

「榊じゃなくて朔って呼んでくださいな。ボクと君の仲じゃないですか」

 車でやってきたのは東宮並公園という、この宮並では有名な桜の名所だった。
 宮並の桜はミヤナミザクラという固有種である。天然記念物にも指定されている神代桜という桜と同じ、エドヒガンを原種としていると言われている。
 通常、彼岸桜の仲間は一般的なソメイヨシノと比べて開花時期も早い分、散るのも早い。しかし、ミヤナミザクラは満開が三月中旬から四月いっぱいまで続き、最終的には八月初頭までは少し花が残るという不思議な生態を持っている。少し気になって葉河に聞いてみたところそんな回答を受けたのが飛鳥の頭には残っていた。

「会ったばっかなんだが。つうか心を読むな。で、これ何なんだよ重いんだが」

 改めて聞くと、榊もとい朔は笑みを浮かべ、

「ツァール・メーターという奴ですよ。オーラ力とか無限力とか、そういった目に見えない力を測定するんです。あ、ここらで置いて良いですよ」

 そんなフザケた回答を返す。

「何でネーミングがクトゥルー神話で測定対象が黒富野なんだよ。そもそも無限力(イデ)とか測定されたらマズいだろ」
「じゃあ超力(ザ・パワー)」
「じゃあって何だ。つうかそんなもん測定したいなら木星にでも行ってろ」

 よく言えば話していて飽きない。オブラートに包まずに言うと真面目に相手にするのが面倒臭い。そう飛鳥は判断。
 よもや会って数時間と経たずしてこんな感情を他人に抱くことになろうとは飛鳥も思ってもいなかった。

「……で? 実際は何を測定するんだ?」
「龍脈を流れる干渉力、一般的に魔力や霊力と呼ばれるものの流れを計測するんですよ」
「今度はファンタジー設定かい。もういいや。とりあえず設置して出た数字記録すればいいんだろ?」

 真面目に相手にしていたら話が一向に進まないということはもうわかったので適当に流しておく。

「はいそうですそうです。思考停止でどうぞ。さながら暴君崖上散弾の如く」
「はいはいテオSPテオSP。つうかネタに節操ないなアンタ……」
「わかる飛鳥君もたいがいでしょうに」

 フレに呼ばれたんで移動しますね、とでも言ってやろうか。そんなことを考えながら飛鳥は呆れていた。口を開けば何らかのネタばかりだし、マトモに話なんか進みはしない。
 でも、不思議なことにそれが嫌ではない。
 仕事だから、バイトだから仕方がない。そんな風に考えているわけではない。非生産的で内容のないことばかりを言っているが、それらをくだらないと思いつつも、笑って返してしまう自分がいる。
 ネタにちゃんと反応すると、朔は思わずドキッとしてしまうような笑顔を見せてくる。そんな美貌や所作と二次元まっしぐらな頭の中のギャップがその一因なのは間違いない。
 一目惚れ? それこそまさかだ。男の娘趣味はないはずだ、と頭を振る。

「どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもない。で、これどう設置するんだ?」
「まぁさっさと設置だけは済ませておいた方がいいですね。とりあえずその箱、開けちゃってください」

 言われるままに、重たい箱を開けると、中に入っていたのは、

「……」

 また箱だった。

「マトリョーシカかよ!」
「いえいえ。よく見てください。箱型なだけです。変形(トランスフォーム)させればちゃんと機器になりますって。あ、変形(システムチェンジ)の方が好みです?」
「どっちでもいいよ」

 よく見ると、確かに箱に見えた金属製のそれには無数の分割線(パーティングライン)が入っていた。そりゃあこんな金属製の箱が入っていればあの重さも頷ける。

「何だコレ? 鉄?」
「ルナチタニウムです」
「そんなこと言うだろうと思った」

 わかっていてわざわざ聞く必要はなかったのだが、つい聞いてしまう。
 妙なペースに呑まれてるな、と思いつつもそれを楽しんでいる自分がいる。

「冗談ですよ。本当はヒヒイロカネです」
「せめてそれは赤いものに対して言えよ」
「じゃ、じゃあ……」
「なんだ次はユニオン鉱石か?」
「鬼憑鉄でお願いします」
「だからコアだってお前……」
「飛鳥君に通じてるんだからいいじゃないですか」

 そんな雑談をしつつ箱を、箱状だったものを開いていく。
 驚くほどに緻密な分割をされたその箱は、一度の引っかかりもない滑らかな展開で少しずつその本来の形状へと姿を変えていった。

「……百葉箱?」

 展開したソレは、よく学校の裏に設置されている気象情報観測用の百葉箱によく似ていた。
 百葉箱が白く木製であるのに対して、これは黒玉(ジェット)のような光沢のある黒だし、明らかに金属製だ。

「えぇ、デザインは百葉箱のそれを踏襲したものですよ。定点測定さえできればいいので頑丈さ優先で金属製ですが」
「百葉箱が白いのって太陽光線の影響を受けないようにするためじゃなかったっけ」
「そうですね。でもこれは別に気温やら風速を観測するためのものではありませんから。ただボクが考えたデザインで頼んだら先方にそれだと色々とまずいからやめた方がいいと言われたもので」
「あ、そう」

 一体元がどんなデザインだったのかということは聞かないでおく。どうせどれもくだらない内容でしかないので拾ってやるのは数回に一度で良い。

「あとはこれを中に設置して、と」

 取り出されたのはどこかで見たことのあるような、それでいて今や見かけなくなった一品だった。
 今時分、そんなものを使ってる人間がいるとは思わなかったがいるところにはいるものかと飛鳥は思う。

「ポケベル?」
「いえ、これがさっき言ったロイガー・メーターですよ」
「……さっきお前ツァール・メーターって言ってただろ」

 ツァールとロイガーといえばクトゥルー神話において忌わしき双子とセットにして呼ばれる旧支配者(グレートオールドワン)だ。それで間違えたのだろう。
 節操なくネタを使っているからそんなことになるのだ、と飛鳥は苦笑。

「えっと、そうでしたっけ?」
「まぁどっちでもいいよ、どうせ正式名称どっちでもないだろ……」
「そろそろこれでネタを引っ張り続けるのもアレですから引っ張りませんね」

 勝手に引っ張って勝手に切るとはまたつくづく自分勝手な奴だなぁと、もう何度目になるかもわからないくらいの大きな溜息。

「とりあえず、この中に入れておけばこれは大丈夫です」
「え? いいのか?」
「これは定点観測用なので受信用のポケベルでデータを受けとるだけでいいんですよ」
「受信はポケベルなのか」

 本当にいるところにはいるものである。
 あるいは、それすらもただのネタなのかもしれないがツッコミを入れても面白くはならなそうなので飛鳥は放置することを決めた。

「じゃあ戻りましょうか」
「ん? 戻るってどこに?」
「車にですよ。今のと同じ装置を公園内にあといくつか設置しなくちゃいけませんからね」
「……ちょっと待て、今の重さのをそんだけ運ぶってことか?」
「そうですよ。ちなみにここが一番近いです」

 よもやこんな機材運びをすることになるとは思っていなかった飛鳥はしかし、文
句一つ言うことなく運動不足気味の体に鞭打って駐車場へと向かう朔に続いた。
 飛鳥は忘れていたが、これはアルバイトである。





 一月の日の入りは早い。
 既に日は傾き、あと三十分もすれば暗くなってしまうことだろう。

「つ、疲れたぁ」

 アルバイト経験ゼロにして運動不足ここに極まるといったところの飛鳥にとって、これほどの重労働はなかった。
 いくつか、と言った朔の表現は嘘ではなかったが、説明不足でもあった。車に残されたロイガーアンドツァールメーターとその固定具がなくなったので解放されるかと思いきや、朔は更に車で三往復。結局のところ五十個も運ぶことになったのだから。
 自称、目標男の娘の朔は「おにゃのこに重たいものを持たせるなんてこの鬼畜~、眼鏡~」と叫んで一つとして自分で持つことはなかった。もちろん飛鳥は鬼畜であるかどうかはともかくとして眼鏡はかけていない。

「はい。お疲れ様でした」

 と、朔は男であることを忘れてしまいそうなその笑顔に動揺しつつも肉体の疲弊に抗うことはできずに褐色腐朽菌に腐朽されつつある椅子に座り込んだ。

「他にもやることがないでもありませんが、いつもより仕事がはかどったので今日はこのくらいで終わりとしておきましょうか」
「そ、そうしてもらえると助かる……」
「まぁいつもよりはかどったと言っても、いつも一人だと気が向かなくてちっともやらなかっただけですがね!」

 堂々たる口調で言い切る朔。
 ツッコミ入れる気力もなく、飛鳥は大きく息を吸う。

「てかこれって何なんだ? 大学の卒業研究とか?」

 結局のところ、何を計測しているのか本当のところを飛鳥は教えられずにいた。
 測定の値を記録すればいいだけと言われていたし、この日に限っていえば測定どころか設置しかしていないので不都合があるかといえばないのだが。

「あー、違いますよ。ボク、大学なんて上等なもの行ってませんし。言ったでしょう? 人には言えない職業ですって」
「せめて自分が何を計測しているのかくらいは知りたいんだけど」
「そんなにボクの職業が知りたいんですかぁ? 仕方がないですねぇ」

 朔が人の話をあまり聞いていないということも飛鳥はわかってきた。ともかく怒涛の話し方だ。

「魔法使いですよ魔法使い! どうです? 憧れます? シビれて憧れるゥ?」
「……流石は朔! 俺たちには恥ずかしくて口には出せないことを平然と言ってのける。そこにシビれる憧れ……は、ないな、うん。これでいいか?」
「飛鳥君の反応がなおざりですね……三十まで童貞を大事にとっておくと魔法使いになれるとネットでは評判ですが」
「お前、どんだけ高く見積もっても三十路はいかねぇだろ」
「飛鳥君は魔法使いになってみません? てか資質あります?」
「ウッセェ! ほっとけ!」
「あらま。フラれてしまいましたね」

 至極残念そうに、もしくは残念そうな演技で、しくしくと泣き出す朔。実に面倒だと思いながら飛鳥は無視しておく。

「あ、そういえば飛鳥君」

 一瞬前の泣き顔が嘘かのような笑みで両手を叩く。まるで百面相をやっているかのようだと飛鳥は思う。

「何だよ」
「♂×♂(ウホッ)の場合脱DTになるんですかね?」
「知らねぇよ!」
 半ばキレ気味に返しつつも、飛鳥は知らず知らずに笑みを作っていた。




ΦあとがきΦ
 続・日常パートです。どうにも会話を連続させると地の文書けないんですよね……まぁ内容がスカスカな会話だからですが。
 ちなみにこんな内容のない会話は俺自身が友人とよくしている会話の雰囲気を踏襲しております。本当に内容ないですねぇ。
 キャラを立てるのに必要な一話だったと思ってください。
 ネタにロボット系が多いのは作者の趣味です。もう一話ほどクッションを置いてちゃんとストーリーは進みます。

 ……どうやらルビを振ると文章幅が制限できずにひたすら伸びる模様。
 文章幅制限のタグは機能しないようですし……考えねば。



[25273] ~伍~三週間~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/14 16:09
~伍~


「意外に続くもんだな」

 登校してきた飛鳥は開口一番にそう告げられて驚いた。

「続くって、何が?」
「バイト。お前の飽きっぽさだと一週間くらいで飽きると思ったんだが」
「バイト、ってあぁ、あれか」

 飛鳥が朔のバイトを引き受けてから三週間が経っていた。
 バイト、とはいっても飛鳥からすれば既にバイトという印象はない。初日こそ肉体労働を強いられたものの、その後は本当にただ数字を読みながら朔とくだらない話くらいしかしていない。結局のところ、何を計測しているのかは伝えられないままだ。なんでも「ミヤナミザクラがこんなに長く咲き続ける理由に関係があることですよー」だそうだが、それも本当なのかは怪しいところだと飛鳥は思う。
 本当にそんな仕事内容であれだけの金をもらっていいのか、と一週間ほど経った頃に朔に聞いたところ「お金には困っていないんです」と満面の笑みで返されていた。
 そんなことを葉河に伝えると「なんだそりゃ」と葉河は呆れた様子で苦笑。

「測量の仕事というかもはや風俗業の一種だな」
「風俗業言うな! 変な勘違いされるだろうが」
「飛鳥」

 呆れた様子で肩を叩いてきたのは果観。まずい、と冷や汗が全身の汗腺から吹き出すのは錯覚。
 何故か。それは果観がそういった性的な話題を嫌っているためだ。葉河曰く「そういう話をしているとえらく機嫌が悪くなる」とのこと。風俗云々と言っている程度で突然キレるということはないだろうが、避けておくにこしたことはない。
 彼女の機嫌を悪くした時に起こるのは暴力行為、そしてそこから発生する葉河、瀞、ときどき飛鳥の怪我から昏倒。本当にその細腕にどうしてそれだけの筋力が備わっているのかもわからないのだが、深くは問うまいと飛鳥は決めていた。
 しかし、意外なことに果観は溜息を吐き出して、

「風俗業ってのは性風俗のことばかりを言うわけじゃないの。広義で言うとゲームセンターも風俗業だから。そういうものばかりを考えてるアンタの脳内がよろしくない」
「そういえば……」

 瀞はどうした? と聞こうとして、飛鳥は問いかけを飲み込んだ。
 よく見れば机の上に突っ伏して眠っている。学校でよくぞそこまで、と純粋に関心してしまうほどの見事な熟睡っぷりである。

「相変わらずよく寝てるなコイツは」
「そういう生物だからな」
「まぁ瀞だから仕方ないでしょ」

 扱いの不憫さには飛鳥も同情するが、かといって瀞がいじられ役から抜けてしまうといじられ役は飛鳥が一手に引き受けることになってくるため、瀞に対して心の中で両手を合わせるだけにしておく。というのも本気でいじめられているのであればともかく、果観や葉河のそれは身内同士でのじゃれあいに過ぎない。
 ただのじゃれあいで人間が飛ぶ光景を見るのも実に不思議なものだと当初は思ったものだが、果観と知り合ってもう一年以上、その程度で驚いていては生きていけないことは飛鳥も悟っている。

「で、調子はどうなの? その風俗業」
「いや、風俗業ちゃうと言ってるだろ」
「アンタと朔なら気は合うと思ったけど。お互いあんまり人の話聞かないしマイペースだし」
「俺はお前にそんなイメージを抱かれていたのか……ってちょっと待て」

 果観の何気ない言葉の中に、不自然なものが含まれていたことに飛鳥は気付く。

「お前、朔と知り合い?」
「まぁ一応ね」
「誰のことだ?」

 葉河の質問に、果観は少し悩むような仕草を見せ、

「変態という言葉を体現する存在。あと銀色」

 と、遠慮なく言い切った。間違ってはいない、いないのだが、流石は果観、言葉に容赦がないと思わざるにはいられなかった。
 とはいえ、飛鳥も朔について問われれば、似たような回答をするのだろうが。





 薄暗くなっていく公園で、飛鳥は手元のメーターが示す数値を書き込みながら朔へと視線を向ける。
 定点観測の某メーターは勝手にデータを集めてくれるが、その他にも街を歩いて回って色々なところで測定をするというのはここ数週間で習慣となった作業だ。

「なんだかなぁ……」
「どうしました飛鳥君?」
「いや、さ。今朝友達に言われたんだ。意外に長続きしてるな、ってさ。俺って飽きっぽいから」

 自分の飽きっぽさについては、飛鳥にも自覚はあった。

「葉河に言われて、はじめて気付いたよ。三週間なんて、普通に考えればたった三週間なのかもしれない。でも、何かすごく長い気がしてさ」

 何だか感慨深くなってきた飛鳥は、思いついたままに口を動かす。

「バイト……って言ったって全然真面目に仕事なんてしてない。もし初日みたいなことを毎日やらされてたら絶対にもたなかった」
「そこ、随分と確信を持って言いますね」
「俺は自分の忍耐力のなさには自信があるんだよ」
「なんですかそれ」

 朔が苦笑する。いつもくだらないことを言うのは朔で、それに苦笑するのは自分なので珍しいな、などと飛鳥は思う。

「そういえば、お前、果観と知り合いだったのか?」

 昼間に話していたことを思い出して、果観からの評価も合わせて伝えると「あはは」と朔は笑う。

「梓ちゃんの紹介だからもしかして、とは思っていたんですが果観のクラスメイトでしたか」
「果観ってお前みたいな下ネタを連発する奴のこと苦手だと思うんだけど、どういう経緯で知り合ったんだ?」
「んー。説明は難しいんですけどね」

 朔の言葉のトーンが落ちる。

「彼女はボクの幼馴染の仲間というか、同類というか……ともかく同じような感じでしてね。彼女を探してこの街に来たんですよ、一応」
「果観を、探して? ってかちょっと待って、よくわからないんだが幼馴染の仲間、って、どういうこと?」

 朔との付き合いももう三週間だが、その言葉がネタなのか事実なのか、それともネタ風に脚色した現実なのか、それについてはどうしても判断がつかないでいた。

「知りたいですか? そんなに知りたいですかボクの過去が!」
「いや、別にお前の過去には興味ないけど」
「嗚呼、ようやく飛鳥君が素直になってくれましたか。これは僥倖、実に僥倖です」

 朔は飛鳥の話など聞いてはいなかった。トリップといってもいい。

「ボクは小さな頃、おっきなお家に預けられてましてね? 他にも同じように預けられた子供が二人いましてね?」
「はいはいそれで?」
「……ボクは、彼女達を救わなきゃいけないんですよ」
「え……?」

 いくつかの段階をすっ飛ばした発言に思わず笑い飛ばそうとして、飛鳥はやめた。やめざるをえなかった。告げた朔の横顔が、冗談を言っているようには見えなかったからだ。
 今まで見たどんな朔の表情よりも真剣で、どこか覚悟を感じさせるほどの強い意志が感じ取れた。

「って、なんか妙なこと言っちゃいましたね。すいません、忘れてください」
「珍しく殊勝なこと言い始めるな……キモチワルッ!」
「アハハッ、たまにはそういうこともありますよ。さて、んじゃ次の計測ポイントは……アッチですね。行きましょ行きましょ」

 飛鳥も朔の言葉が、その表情が、気にならなかったというわけではない。
 ただ、それを聞いてもいいのかと、そんな逡巡の内に朔の表情は笑顔に戻っていた。いつもと変わらぬ満面の笑みを浮かべる朔からは、先程までの強い意志の片鱗すらも感じ取れなかった。

「なぁ、朔。こういうことを言うのは変だと思うけど、思ったときに言っておかないと言う機会もないだろうから言っとくよ」
「何ですか? ハッ、愛の告白ですか? いやいやそういうのはまずお友達から……」

 無視する。その上で目の前の、銀色の少年へと向き直り、

「朔。お前と話してると内容はオタクチックでくだらなくて、本当に生産性のない話ばっかりだけど、でもなんつうか、な。楽しいからさ。俺はお前に会えてよかったと思う」

 一瞬の沈黙の後、

「ヒモ生活でもしてみますか?」

 朔に言われ、笑みがこぼれる。やはりシリアスな空気には戻れないな、と飛鳥は察する。

「お前がどんな仕事してるのかわかったら考えてもいいよ」

 本当ならシリアスな空気に戻して「友達だろ? 何か悩みがあるんだったら相談に乗るくらいはするぜ?」などと、気の利いた台詞の一つでも言ってやりたかった。
 朔が、飛鳥に始めて見せた『弱さ』を。一瞬とはいえ、見てしまったからにはどうにかしたい、と。
 だが、機会を逃した飛鳥にはいつも通りに軽口をきくことしかできなかった。どこか気恥ずかしくて、きっとまた機会はあると後回しにして。

「あぁそうだ、飛鳥君」
「ん? な、何だよ」
「今日、明日、明後日辺り、夜に出歩くのは自重してもらえませんか?」
「何を唐突に……」
「いや、丁度明日が満月ですからね。吸血鬼や狼男辺りが出てきてもおかしくありません」
「おかしいわボケ」

 この時の忠告が冗談ではなく本気の警告だったと気付いたのは数時間後、その日の夜のこと。
 まさしく「そのときはまさか、そんなことになるとは思っていなかったのです」だった。
 思考が、逃避したかった現実へと回帰していく。




ΦあとがきΦ
 今回はともかく短いですが、ブツ切りですのでご容赦を。これ以上いらんものを伸ばしても仕方がありませんからね。
 ……いや、肆と一つにしてしまえばいいというのはごもっともですが三週間という時間を飛ばすからには切った方がいいかなぁ、と。
 ここまでやってようやく冒頭へお返ししま~す。
 次回、吸血鬼の目の前に戻ります。



[25273] ~陸~銀の幻想~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/14 16:07
~陸~


「は? なんで、お前……」

 わからない。ひたすらにわからない。
 目の前にいるのが本当に吸血鬼なのかどうかも。勿論、あの存在がマトモではないことはわかっている。瞬間移動のような動きをしたり、何もないところから剣を出現させたり、それは少なくとも飛鳥が今まで思い描いていた幻想(ファンタジー)の世界の住人に他ならない。
 だがそれと、本当に吸血鬼かどうかは必ずしもイコールではない。とはいえ、目の前の脅威という意味では飛鳥にとって何の違いもないのだが。
 そして、もう一つの謎が、目の前にいた。
 銀。
 そう、銀だ。
 まるで白金を紡いだ糸のように美しく月光に照らされたその少年――否、少女は、

「だから夜に出歩かないでください、って言ったでしょうに」

 そう言って、溜息を吐き出した。ふくよかな胸の膨らみがそれに合わせて動く。

「お、おま、おま、おん、な……?」
「もう少し滑舌悪いと放送コードに引っかかりそうなどもり具合ですね、と。お話はまた後にしましょう」

 朔の、恐らくは朔なのであろう銀色の少女の視線を追うと、そこに吸血鬼の青年は立っていた。
 ありえない、という言葉を呑み込む。あの吸血鬼は瞬間移動すらするのだ、ほんの一瞬前に飛ばされたからといって今ここにいることが不思議ではない。
 いや、そもそも。こんな非現実的な場において「ありえない」なんて単語に意味があるのだろうか。
 吹き飛ばされたことでのダメージなどないと言わんばかりに吸血鬼は自身の髪についたほこりを掃い、
 緊、と。
 空気が凍りついたかのような甲高い金属音。
 音の発生源は剣だった。紅黒い燐光を放つ吸血鬼の長剣。

「また君か。食後の運動中に乱入とは、淑やかさが足りないのではないか? 淑女(レディ)」

 鍔迫り合いの音が聞こえる。剣の動きは止められている。ならばそこにはあるはずだ、剣の動きを阻んだモノが。
 そう思った飛鳥が目を凝らすと、そこにはただ光があった。
 電球やLEDなどというような人工光とは違う。それはやはり、吸血鬼の生み出した血色の燐光と同じで、蛍のように幻想的な光。銀色の光。
 バチン、と。まるでショートでも起きたかのような音が聞こえ、次の瞬間には吸血鬼と朔の間には数メートルの距離が開いていた。何が起きたのか、それは『あの現象』を把握していない飛鳥の知るところではない。ただ、何らかの斥力が働いたのではないかという推測だけがある。

「レディ、ですって? 何を言ってるんですかね。ボクは誇り高きOTAKUですよ?」

 死の匂いを纏う吸血鬼に対して、朔は臆してはいなかった。まるで飛鳥と軽口を交わしているときのような気軽な口調で告げる。
 素手では無茶だ、そう思った時には徒手だったはずの朔の手には光。銀光は一瞬にしてその身を伸ばし、
 朔は踏み込む。
 紅と銀、二色の光がぶつかり、銀の光が破れる。
 だがそれは、敗れではない。無意識のうちに、根拠なく飛鳥は思っていた。
 銀の光杖は剣が鞘から放たれるように、蝶が蛹を脱ぐように、その本質を表していた。
 綺麗だ、と、場の雰囲気にそぐわぬことを飛鳥の思考は紡ぐ。
 光杖の中から姿を現したのは槍だった。
 仕切り直すように朔が後方へと跳ぶ。先程の吸血鬼のそれを彷彿とする恐ろしいほどに速い動き。

「ハッ!」

 どこか木の枝を思わせる美しい銀槍を、朔は振り抜いた。
 ぶつかり合った刃と刃が耳障りな高音を放ち、銀色の長髪がなびく。
 再び離れる二者の距離。

「君は実に旨そうだ」
「ボクはリア充っぽい男性は嫌いですので」

 吸血鬼が動くよりも速く、朔は動いていた。
 遠心力を十全に利用するような動きで銀槍を振るう。が、その刃は止められ朔はまた距離をとる。
 一見すれば、朔が攻め続けていて優勢に見えるが、それは違う。朔は攻め続けなければならないのだ。先手を取ることで勢いをつけた突進を行っている。そのためのヒットアンドアウェイ。
 再び飛び退く朔。飛鳥ですら思い至ったのだ。それに吸血鬼が気付いていないわけがない。ならば距離を詰め、純粋な力の勝負に持ち込めば良いだろうに、しかし吸血鬼はそうしない。何故か、それは余裕だからだろう。
 吸血鬼の周囲に光が生じる。まるで鬼火を背負うかのように。それは吸血鬼自身や、朔が銀槍を出したときと似た非人工的な燐光。だが、今度のそれは剣ではなかった。表現するならば光球だろうか。それが物質なのかどうかすら、飛鳥にはわからない。
 魔法。
 飛鳥が思い浮かべた単語はそれだ。今まで意図して考えなかった、これまでの人生では存在するとも思わなかった超常の技術。
 だが男が生み出した光球は、まさしく飛鳥の思い浮かべる魔法のエフェクトそのものだった。ここまで非日常的なモノを見たのだ。飛鳥も今更魔法なんてありえないとは思う気にはならない。
 光球が一際強く光ったかと思うと、その瞬間には集束された光の弾丸となって朔を襲う。

「ッ!」 

 放たれた光弾を朔は右手で、いや、右手に展開した銀光の盾で受け止めた。それでも全ての衝撃を吸収はできないらしく、数メートル弾き飛ばされる。
 飛ばされた先は飛鳥の目の前。何と声をかけるべきか悩み、

「そんなに不安そうな顔しないでください。君は、ボクが守りますから」

 飛鳥が何かを言う間もなく、朔にそう笑顔で告げられた。

「く、そ、っ!」

 吸血鬼と朔の優劣は飛鳥の目から見ても明らかになってきた。
 危ない、と。助けなくては、と。
 走馬灯のように加速した思考の中で、そんな思考が生まれては消える。
 だが、そんな瞬間にも朔は吸血鬼と斬り結んでいる。
 葉河ならきっと悩まないだろう。自分や、あるいは瀞が危機だと知れば、敵うか敵わないか、そんな判断はあとにして走り出すだろう。
 自分はどうか、

「俺、は……」

 崩れた膝を上げる、だが、そこまでだ。
 踏み出せない。
 友達を、友達だと認めた人間すらも我が身大事さに助けられない自分に、飛鳥は己の歯が折れんばかりに噛み締める。
 一合、二合、三合と、剣と槍がぶつかり合う度に響く金属音。
 それを飛鳥はただ見ていることしか出来ない。
 飛び出したところでクソの役にも立たない。それどころか朔の足手まといになるだけだ。だが、それは真実なのか? ただ恐いから、踏み出すことができないから、そう自分に言い聞かせているだけなんじゃないか? と、飛鳥の思考は紡がれていく。
 幾条もの光弾がぶつかり合い爆音を、剣と槍がぶつかり合い金属音を、飛鳥はただ聞いている。
 認めよう、と、飛鳥は思う。自分は非力だ。たとえ踏み出したところで朔の迷惑なるだけだと。
 そして飛鳥は認める。自分は、たとえ朔を救える力があったところで踏み出すことのできない臆病者なのだということも。
 その上で飛鳥は決める。決して目を逸らさないと。
 もう何度目かもわからないほどの剣槍のぶつかり合いを、飛鳥は見る。受け止め切れなかった銀槍が弾かれ、朔の白い肌を血色の刃が切り裂く。致命というほどには深くはない、だが決して浅くもない傷。すぐに薄水色のシャツにどす黒い血の染みが生まれ、広がっていく。しかし朔はそんなことを気にすることなく、銀槍を振るう。
 剣戟が交叉する。

「君も甘い」

 朔が現れた瞬間、考えなかったわけではない。実は朔が物凄く強く、一瞬で、まるでギャグのように吸血鬼を倒してくれるのではないか、そんな希望を。
 だが、そんなことはなかった。それどころか、ファーストアタック以外、朔は吸血鬼に対してマトモな一撃を入れられてすらもいない。

「俺の推理を話そう。君は俺を探していた、そして見付けた」

 鍔迫り合い。せめぎ合う刃が軋みをあげる。

「本当なら君は思っていたはずだ、高威力の術式砲撃で俺の倒す、あるいは大きなダメージを与えようと」

 吸血鬼の言うとおりならば、朔には初撃で大きな一撃を吸血鬼に入れることもできたのだろう。だが、朔はそうしなかった。

「だが予想外のことがあった。それは少年の存在だ。高威力術式を紡いでいる時間はない、そう判断して」

 轟。
 光と光のぶつかり合いが再びの爆発を生み出す。

「君は飛び込んだ。違うか?」

 吸血鬼の言葉に朔は答えない。代わりと言わんばかりに、担った銀槍を構えなおす。
 その全身の傷が、その原因の一つが飛鳥であることは疑いようもなかった。
 どれだけ自分に向けて罵声を浴びせたところで何の意味もない。
 どれだけ考えたところで、状況を打開する策などない。
 出来るのはただ、目を逸らさないことだ。朔を信じ、目の前の現実から目を逸らすことなく。
 殺陣のように、朔と吸血鬼は凄まじい速さで斬り結ぶ。その隙を縫うように、光の弾丸が放たれ、相殺され、あるいは盾によって防がれる攻防。
 そうする間にも、朔の身体には擦過傷のような浅いものから血染みのできるようなものまで、大小様々な傷が付けられていた。そのままでは出血多量になってしまってもおかしくないと思えるほどに。

「ふぅ……やはり、満月が近いとお元気ですねぇあなた方は」

 全身に血染みを作って、シャツはまるで元からそんな色だったのかと思ってしまうほどに血に塗れて。
 しかし朔は怯んではいなかった。臆してはいなかった。
 いつもと変わらない笑みを浮かべて、

「大丈夫、大丈夫ですよ、飛鳥君」

 飛鳥を安心させるように、告げる。

「安心してくださいな。足りない分は勇気で補えば良いんです」
「随分と余裕だな。少年を気遣うとは」

 血塗れの朔を見て、吸血鬼は長剣を構えたままに嗤う。

「いえいえ、余裕なんかじゃありませんよ」

 朔は銀槍を振り上げると、そこに何かが集まっていく。ソレが何なのか、飛鳥にはわからない。ただそれが『力』なのだと、何なのかはわからずとも、肌が感じていた。

「この一撃で、終わりにします」
「ほぅ? まだ俺に初撃以外傷一つ付けられていないというのに、大きく出たな」
「友達が見てる前です。あまり無様な姿は見せたくないものです、よ……!」

 振り下ろされる銀槍。その先端から放たれる力の奔流を迎撃せんと、吸血鬼も紅剣を振るう。
 二つの力がぶつかり合い、衝撃波が発生する、そう飛鳥は思った。だが、発生した結果は飛鳥の想像とは違った。

「伏せて!」

 頭を思い切り抑えられ、感じ取るのは圧力が頭上を越えていく感覚。
 次の瞬間、発生したのは銀の太陽。あまりの光量に飛鳥も目を閉じる、と。
 衝撃。予想外の衝撃を受けて、飛鳥は意識を手放した。



[25273] ~漆~術式~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/14 16:06
~漆~


 明るい。目を開けずともわかるこの明るさは、太陽の光だ。
 身体を起こそうとすると、全身が軋むように痛む。昨夜はなにか妙な寝方でもしただろうか、と前日の記憶を探って、飛鳥は跳ね起きた。

「……っ!」

 見回せば、そこは魔窟、もとい通い慣れた朔の部屋だった。
 もしかして昨日の不可思議な現象は夢だったのかもしれない、という飛鳥の思考も否定される。

「おっと、目が覚めましたか。おはようございます飛鳥君」
「あぁ、おはよう……じゃなくて!」

 あまりにも自然体な朔の挨拶に飛鳥も思わず返してしまうも、すぐさま疑問を取り戻す。

「アレはなんなんだ! いや、んなことよりまず、お前は大丈夫なのか? 何があったんだ?」

 次々と浮かび上がる疑問をまくし立てると、朔は肩をすくめていつものように笑う。

「その様子だと別に問題はなさそうですね。外傷がないのは確認しましたが……勿論全裸にひん剥いて全身くまなく。キャッ」
「キャッ、じゃねぇよ。それより質問に答えろ。えっと……怪我は大丈夫か?」
「え?」

 飛鳥は一瞬、呆気に取られたように動きを止め、

「あ、えぇ。あの程度の怪我くらいかすり傷みたいなものですよ。強がりとかではなく。あの場では色々と不利な状況が多かったので退きましたけどね」

 すぐに笑顔を取り戻して言葉を続けた。

「その不利な状況って言うのは、やっぱり俺か?」
「何を言ってるんですか飛鳥君。人は守るべきものがいると強くなるって言うじゃないですか。まぁぶっちゃけると、君が足手まといだったのが原因ですがね」

 朔の言葉に躊躇はなかった。だが、その顔にあるのは笑みだ。
 自分が足手まといだったと面と向かって告げられて、ショックを受けるのが普通なのかもしれない、と飛鳥は客観的に思う。

「……そっか。ごめん」

 だが実際に飛鳥が感じたのは情けなさだ。
 自分のせいで朔が傷ついた。そして自分は何もできなかった、と。

「いえいえ。君が無事だったことが何よりも僥倖です。気にしないでください」

 そう言って、朔は笑う。

「わかった。んで、アレは何だ? 嘘でもネタでもなんでもなく、本当のことを教えろ」
「うわ、この人本当に一言で気にしないよウッワァ……と、一応言っておきましょうか」
「そういうのは今はいい。教えられないとかそういうんであればそう言えよ」
「すぐにいつもの調子に戻ってくれる飛鳥君は大好きですよ? ……と、これ以上先延ばしにすると質問が肉体言語になりそうなのでお話しましょう」

 一息の間を開け、

「アレ、というのはつまり、昨晩のボクと彼との交戦……もとい、その際に用いていたモノのことですね?」

 飛鳥は頷く。

「逆に聞きましょうか。飛鳥君にはアレが何に見えましたか?」
「何に、って……えっと、魔法?」

 成程、と朔は頷いて、

「魔法。現実には不可能な手法や結果を実現する力。この語彙を用いるのは主に欧州系のそれに対してで英語ではマジック、これは魔術、魔法、呪術、手品を。ソーサリー、これは妖術、魔法、魔道を。ウィザードリィ、これは魔法、妙技、ついでにダンジョン系RPGを。ウィッチクラフト、これは魔女術とでも呼ぶべきものを。といったように様々な言葉と微妙な違いのある概念を持つので該当する言葉のない日本語ですと訳語が翻訳者によって違うので混乱が起こる……以上、ウィキペディアより」
「転用かよ! つうかなんか途中にRPG入れただろお前」
「いやぁ、流石のボクもあれほど古い作品にはなかなか手を出しておりませんねぇ。TRPGくらいならちょくちょく手を出しましたが」
「とりあえずダイスロールして正気(SAN)値のチェックをしておけよお前は。つうか話戻せ」

 相変わらず言葉の端々にネタを詰めてくる朔に、飛鳥も思わず返してしまう。

「……って話が逸れるのは君のせいでしょうに。まぁ続けますと、一般的に認知されている魔法という言葉は要するに普通はできないことを成す事、と言ってしまえるでしょう。それは漫画、アニメ、ゲームといった様々な媒体でも似通っていますね。あ、魔術と魔法の違いについてどこぞの子実体菌類の作品の概念とは異なるのでアレは置いておいてくださいね」
「しじっ……菌類? ってあぁ、うん」
「ボクらはそれを《術式(じゅっしき)》と呼んでいます。魔術の術に、方程式の式。術式です」
「術、式」

 その簡素な言葉は飛鳥の思う魔法という言葉の位置(ニッチ)に、驚くほどすんなりと入り込んだ。
 朔は反復する飛鳥を気にすることなく言葉を続ける。

「術式は汎用性の高い技術です」
「技術? 能力じゃなく?」
「えぇ。術式はあくまで技術です。そのレベルには錬度や才能が関わってくるという点で科学ほどに普遍的な技術ではありませんが、門戸そのものは決して狭いものではありません」
「でも、俺は……いや、ほとんどの人間はそんなものがあることも知らないはずだ。本当に魔法……じゃなくて、術式が技術で、誰でも簡単に使えるのであればもっと広まってなければおかしいだろ」
「ごもっとも。とはいえその疑問にはちゃんと反証があります。何故広まっていないのか。簡単な理由です。術式は個人に、驚くべきほどの力を与えます。飛鳥君も見たでしょう?」

 昨晩の光景を思い出す。まるで映画のワンシーンのようなアレは、確かに人間業とは思えなかった。

「そして術式とはその能力に個々人の才能というものが非常に大きく関わってきますからね。才能というのは実に面倒なものです。何故なら才能は人と人との違いを明確にしてしまうためです。その差を個性と言える人ばかりならば良いわけですけど、そういうわけじゃありませんからね。人は自分と違う者に対して容赦がない。肌の色が違うってだけで筆舌に尽くしがたいような差別が行われていたということは飛鳥君もご存知でしょう?」
「あぁ……」

 人種の違い、宗教の違い、それだけで何度も戦争は起きている。その程度は社会科で学ぶ。特別に興味のあるというわけではない飛鳥とてそのくらいはわかる。

「それと同じ。術式を知らない人は、術式を使える人間を恐れ、妬み、嫌うんですよ」
「でも! 俺はお前のことを嫌うとか、恐いとか、そういうのは……」
「別に君もそうだと言っているわけじゃありません。そう考える人もいる、そしてそれは決して少なくない、ということです」
「……それでも」

 いやいや、と、朔は首を横に振って飛鳥の言葉を遮った。

「今は人の差別意識について御託を並べる時じゃありません。それにボクの言葉はあくまで予想にしか過ぎませんよ。あるいは単純に自分たちの優位性を失いたくないために秘匿しているだけかもしれませんし、他の理由かもしれません。この世界において術式の存在をあまりおおやけにしない、というのは昔からの慣習のようなものですからね。ひな祭りにあられを食べて、七夕に笹に短冊を吊るすのと同じ。最初は何らかの意味があったのかもしれませんけど、今じゃ残ってるのは形骸的な残滓のみですので。つっかかられると話が進められませんよ?」
「あ、うん」
「さて、それでは先程の質問に戻りましょうか。術式という技術はこの世界に充溢する世界の構成素《霊子》という存在に対して、精神が潜在的に持つ干渉力を行使することで干渉、その情報を書き換えることによって物理法則、術士はそれを一般則と言いますが、それを超越した現象を励起させるものです」
「えっと……その霊子っていうのは、原子みたいな?」

 解説を続ける朔の言葉に疑問を持った飛鳥は遠慮することなく問う。

「ニュアンスは遠くはないのですが、正確ではありませんね。霊子は情報体です。たとえるならばコンピュータが丁度いいでしょうか」
「コンピュータ?」
「ボクらがこうして五感で感じ取る世界がコンピュータで言うところのディスプレイだとすると、霊子はパソコンの本体と言うべきでしょうか」
「んー、と。つまり術式っていうのはパソコンで言うプログラムとかそういうものってことか?」
「まさしく。流石ファンタジー方面にも強いオタの方に説明するのは楽ですねぇ。他に何か聞きたいことは?」
「さっき精神って言ってたけど、それって心のことか?」
「んー、心というのとはまた違いますね。通常、様々なこと記憶するのも脳です。まぁこれを表層記憶と言うわけですが」
「表層ってことは深層もあるのか?」
「えぇ。深層記憶を蓄積するのは精神です。深層記憶というのは自分の意思でもそうそうアクセスできないものですからね。飛鳥君は生まれ変わりって信じます?」
「えっと、エジプトのファラオの生まれ変わりとか、そういう?」
「えぇ、それです。要するにそれが深層記憶ですよ。その精神が宿っていた、以前の人生の記憶。あるいはデジャビュやジェメビュという形で現れることもありますが」

 朔の言葉を聞いていて、飛鳥は自分の中に生まれつつある気持ちに気付く。
 それは興味だ。
 ほんの前夜、ほんの数時間前にはただ怖いと、踏み出すことなどできないと思っていたというのに、飛鳥はもう面白いと思ってしまっている。
 飛鳥はそんな、自分の興味の心が怖い。だが怖くとも、飛鳥は朔の言葉を止めない。聞こうとする自分を止められない。それどころか、自分から質問さえしてしまう。

「精神は深層記憶を保つものであり、生物が生物として《個》を保つのに必要不可欠なものです。精神が失われると、個としての括りは失われます」
「えっと……身体が崩れるのか?」
「いえ、個というのはそういう意味ではありません。複数の……といっても霊子は情報を書き込むまっさらな記録媒体のようなものですので数を数えるものではないんですがまぁ、一定範囲の霊子が一つの括りとしてまとまったもの、それを個というわけですが、それを失った場合、生物はただ生物ではない物質となるだけです」

 真剣な表情のままに、飛鳥は朔の言葉を聞き続ける。

「精神を持ち《個》を確立すると、そこには精神の持つ自己を保とうとする力が働きます。これは無意識的なものであり、一部の例外はありますが、基本的には誰もが用いている力です。まぁ力というと大仰に感じるかもしれませんが……そうですねぇ」

 と、朔はたとえを考えているのか、顎に手を当て悩んだ様子を見せるが、それも一瞬。
 何かを思いついたように手を叩く。

「たとえば術式戦をしています。血液という物質を水という物質に変換すること自体は術式を用いれば難しいことではありません。それを応用して、相手を倒すために相手の血液を水に変えます。血液を水になんて変えられたら酸素運搬ができません。相手は死にます。ですがそんな風にはならないんですよ。何故か? それは個が持つ自己を保とうとする力が働くためです。とはいっても、高位の術士であれば、術士相手でなければ、あるいは大きく実力差がある場合などはそのフィルターを破壊して相手の個の内部にそのまま干渉することもできるんですがね」

 また、と言って朔は大きく息を吸い、

「精神は非常に優秀な情報処理能力も持っています。どこまでいっても物理メモリに過ぎず、様々な制約に縛られる脳や、コンピュータなんかよりもよほど高い。術式は精神の無意識領域を使うことで、脳だけに頼っていては不可能な情報処理を行い、世界に干渉するわけです」
「難しいな……」
「まぁ、細かい理論云々はある程度知ってる程度です。どうやって手を動かしてるのか、と言われても、別に意識し生体電流を流して動かしているというわけではないでしょう? まぁ人体工学を学んでいると効率的な動き方ができる、といった感じに知っていて損はないんですがね。要するに何でも慣れですよ」
「慣れ、ねぇ……」
「ボクの友人が術式を知らない人に術式を教える時によく言うらしいのが、術式は自転車に似ている、とのことです」
「自転車?」
「そう、自転車です。最初は何でできるのかがわからなくて、だけど一度できるようになると何でそんなにできなかったのかわからなくなる、と」
 ふと、飛鳥の思考に一つの疑問が浮かんだ。
「なぁ朔」
「何ですか飛鳥君」
「さっきからのお前の話を聞くに、なんか俺が術式を使うことを前提にしてる感じがするんだが?」

 飛鳥が聞いたのはあくまで昨晩に起きたことが一体なんだったのか、ということだ。つまり飛鳥が求めていた回答はこの場合《術式》という一言であった。
 勿論、術式という言葉を聞いたところでその意味を理解することはできなかった。そういう意味では朔の説明は不自然ではないように思える。
 だが、朔の説明は詳細過ぎた。その言葉はまさに、これからそれを学ぼうとする者への心構えのようで、

「え?」

 と、朔が返したのは、意外という言葉が相応しい声色だった。

「術式に興味を持って術士になってみたいって思ったんじゃないんですか? ウッソォ? 今時の中学生はそんなにモノに興味を示さないんでしょうか?」
「いや、興味はあるよ。だから聞いたんだ。でも……」

 その先を告げるか否かと言い澱み、

「怖いですか?」
「え……?」

 先回りするように、朔は飛鳥の言葉を拾う。
 銀色の少女が浮かべるのは、いつものふざけた彼女のそれとは違う真剣な、しかし優しげな笑み。
 飛鳥の心中を読んでいるかのように朔はゆっくりと、飛鳥に飲み込む時間を与えるように言葉を続ける。

「追われて、死に掛けて、そりゃあ怖いでしょうね。その気持ちがわからないとは言いません。だから無理にとは言いません。嫌ならば嫌だと言ってもらえれば」
「俺は」
「ただ、ボク個人としては君にはボクの相棒(パートナー)になって欲しいと思っていますけどね」

 無邪気な、悪戯っ子のような笑顔。
 それはつい前の日に死闘を繰り広げていた人間のものとは思えなくて、思わず自分の頬が緩むのを飛鳥は自覚した。

「何言ってんだ馬鹿野郎」
「野郎じゃなくて女(アマ)ですよ」

 あはは、と、朔は笑う。
 いつも通りのその笑顔に、飛鳥は自分の中の何かが軽くなったように感じて、口から言葉が流れ出す。

「……怖かったよ。すげぇ怖かった。お前が助けに来てくれて、だけど押されてて、助けなきゃって思って、でも動けなかった。俺は怖かった。お前が負けて、殺されるとか、そういうのじゃなくて、もしお前が負けたら自分がどうなるのかって思って怖かったんだ。俺はそんな、友達のために動くこともできないような臆病者だ」

 飛鳥の言葉を聞いて、自分は相応しくないと、そんな吐露を受けて、それでも朔は笑みを崩さない。

「臆病者、ですか。結構じゃないですか。勇気を振り絞って戦って死ぬよりも、臆病風に吹かれて逃げ延びた方がよほど良いですよ。少なくともボクは、友達に新で欲しくはないですよ。実際昨晩も、ボクは逃げましたしねぇ」
「俺なんかを相棒にしたって、何の役にも立たない。術式なんて使ったこともないし、運動だってちっともしてない」
「役に立たないなんてことはありませんよ。ボクのモチベーションが上がります」

 一瞬の反証に、飛鳥は気圧されるように言葉に詰まるも、続ける。

「足手まといになる」
「守るべき者がいる人間というものは強いものです」
「……なんでだよ、なんで、俺なんだよ!」

 飛鳥とて男だ。漫画やアニメの英雄(ヒーロー)に憧れなかったわけがない。
 自分には秘めたる力が眠っていると夢想したのも一度や二度ではない。
 ただ、飛鳥にはわかった。わかってしまった。
 幻想はどこまでいっても幻想に過ぎないものであると。自分が、何の役にも立たない臆病者に過ぎないのだと。
 だからこそ、わからない。
 何故飛鳥が自分を誘うのか。ただ足手まといになるだけのはずなのに。

「それは君が、ボクの友達だからです」
「理由になってねぇよ、馬鹿、野郎……」
「だから、野郎じゃなくて、女(アマ)ですって」

 そう言って、朔は口端を上げた。




 The 1st Chapter【銀の新月】 Fin.




ΦあとがきΦ
 ……なんという説明回か! 今までの中で文章量は多いように見えて地の文少ねっ! 朔が物凄い勢いでひたすらに説明を続けています。
『読者はあなたの設定を見にきているのではありません。物語を見にきているのです』なんてニュアンスのことがどこかに書いてありましたな……むぅ。以後気をつけることにしましょうか。
《術式》というものは俺の創作ですが、根本にあるのは『何でもできる』で使い方次第であらゆる創作物における超常的現象を再現することのできるように設定してあります。まぁ本当に何でもアリ。宝石剣ゼルレッチだろうとミッドチルダ式だろうと次元連結システムだろうと咒式だろうと幻想殺しだろうとマギア・エレベアだろうとトランスジェニック能力だろうと再現は可能という。実に二次創作の異世界流離系向きの設定でつ。
 説明が終わったところで第一章終了。次回、ようやく話は進みます。
 ちなみにチャプター名は今決めた!



[25273] ~捌~遠さ~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/13 23:08
~捌~


「なぁ、魔法を信じるか?」

 術式の世界。そこには死が間近にあって、一瞬の油断がそれに繋がる。そんな近くて遠い世界へと踏み出す決意をした飛鳥はしかし、いつもと変わらず登校していた。例の如く、その相手は葉河である。

「……この人またなんかよくわからないことを言い始めたんですけど。果観に手術してもらうか?」

 と、剣呑なことを葉河は言い出す。果観の手術というが、どれだけ人間離れしているように思えても彼女はあくまで中学生。そんな彼女がする手術というのは付き合いの長い飛鳥にとっては自明。映らなくなったテレビに対して行うような、斜め四十五度からの一撃。
 そんなものを受けたら脳汁が飛び出すわ、という言葉を、飛鳥は視界に果観を見つけて飲み込んだ。

「Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic」

 と、近付いてきた果観が自分の席につきながら呟く。

「は?」
「クラークの第三法則だっけ?」
「そそ」

 果観と葉河の間で通じている様子のやり取りを、飛鳥は記憶の底から搾り出す。

「えっと……作用と反作用だっけ?」
「それは運動の第三法則」

 即座に果観からのツッコミが入り、

「『充分に発達した科学は魔法と見分けが付かない』だ。アーサー・C・クラークっつう有名なSF作家の言葉」

 葉河が言葉を継ぐ。

「逆に言えば、だ。科学が充分に発達していなければ、魔法と見分けがつかないような科学技術も魔法としか見えないんじゃないか?」

 その言葉に飛鳥が歓心していると、なら、と葉河は言葉を続ける。

「現代科学で説明のつかない現象を魔法と定義するなら、魔法っつうのはまだ解明されていない現象のことだ。人が知らないことなんてまだいっぱいあるんだから、そりゃあるだろう。お前が言いたかったのはそういうことじゃないかもしれないけど」
「……あー、ぶっちゃけそういうこと言いたかったんじゃないけど、うん」
「魔法が存在するか否か、ね。まぁ葉河の言う通りでしょ」

 笑い、

「不思議なことの一つや二つがない世界なんて面白くもなんともないでしょ」

 そう果観は告げる。飛鳥や瀞が言えば子供の戯言にしか聞こえない言葉でも、果観が言って、それを彼女のことをよく知っている者が聞けば全く違う印象を受ける。
 同じ中学生で、同じ学年で、同じクラスで。一緒に授業を受け、一緒に下校し、休日には皆で一緒に遊ぶような関係であっても。あるいはだからこそ、飛鳥は果観を遠く感じることがあった。
 瀞に聞いたところ「そんなものは感じないけど」と返されたことがあった。とはいえ瀞は良く言えば細かいことを気にしない、悪く言ってしまえば勘の鈍いところがあるのだが。

「それにしても飛鳥がまたこういうことを言い出すってことは何かゲームにでもハマッたのか?」

 などと言っている葉河は勘は良く、飛鳥も何かと頼りにしているがそのことについては聞いていなかった。
 葉河は果観に似ている。
 それを初めて言ったのは他ならぬ葉河自身だった。中学二年で転入してきた彼女を見ていきなり自分と似ている、だ。そのときは興味がないだの、付き合いづらいだのと言って異性との積極的な接触を避けていた葉河が、珍しくそんなことを言うものだから、飛鳥も瀞と一緒になってからかったものである。勿論、報復は肉体言語だったが。
 それなりに容姿も整っていた果観は、クラス内の様々なグループからの誘いを受けていたのだが、何故か迷うことなく男臭い飛鳥と葉河、そして瀞のグループへと参入してきた。排他的な性格の葉河がそれを受け入れたのが不思議といえば不思議だったが、飛鳥も瀞も、そこに反論することはなかった。
 強いて不便を感じるとすれば、下ネタに対する回答が葉河の冷ややかなツッコミから鉄拳制裁に代わった程度。当初はその見た目から大和撫子のように淑やかな性格かと思いきや、驚くほどに順応し、今やグループヒエラルキーの頂点に存在する暴君である。

「飛鳥のことだし、単純にトリップしちゃってるだけでしょ? いつものこと。飛鳥だから仕方ない」
「まぁ飛鳥だもんな」

 遠い。その一言だけの気持ちは、一度そう感じてしまうとそれは彼女と『よく似た』幼馴染である葉河に対しても伝播した。自分や瀞、そして他のクラスメイトたちとは違う、言葉にしがたい何か。それが二人にはあった。時折妙に達観したことを言うと、その遠さを再認識してしまう。
 とはいえ、そんなことを今更意識したところで、葉河や果観が飛鳥にとって大切な友人であることは変わらないわけだが。
 変わらない。変わらないのだが、そのどこか異なる匂いを、飛鳥はつい昨晩、この上なく濃密に感じていた。
 死の匂い、ではない。死の匂いと混じり合った、術式という異常識が跋扈する世界。日常からのあまりにも遠い一歩先にある世界。

「……遠い、なぁ」

 朔は言った。術式は特別な能力でもなんでもない、ただの技術なのだと。
 一般的には秘匿されているということは、もしかしたらこの二人もその世界に踏み込んでいるのかもしれない、とも。
 だから葉河にそんなことを聞いた。だが返答から知っているかどうかを判断できるほどには飛鳥は鋭くはない。
 彼らのことである。術士なのかと聞けば隠さずに答えてはくれるだろうし、もし違って術式の存在を知られてしまっても問題があるかといえばない。葉河も、瀞も、そして果観も、興味のままに術式の世界に踏み込むことだろう。
 それを面白そうだと思う一方で、飛鳥は怖くも思っていた。瀞はなんだかんだで命を懸けるという場面になれば尻込みをすることだろう。だが葉河と果観はどうか? 彼らなら身内のために躊躇なく命を投げ出してしまいそうで、そんな状況になってしまうのが怖くて、問うこともできない。
 大切な友達を危険な目には遭わせたくない、などと格好の良いことを言いたいわけではない。ただ、きっとそんなことになれば自分は耐えられない。そう思っただけだ。

「榊、朔……」

 自分のために窮地に陥った、それなのに自分のことを相棒として指名した、愚かで奇妙な友人の名を思わず呟く。
 自分にはできない。彼は、もとい彼女は、何故自分を術式の世界へと求めたのか、と、飛鳥は自問するが、答えなど出るわけもない。

「ん、何か言ったか飛鳥?」

 頭と一緒に思考を振る。
 暗い方向へと進んでいた思考を払拭するために、大きく新鮮な空気を吸い込む。

「榊朔。お前に仲介してもらったバイトの相手のこと」
「あー、そういや前に言ってたな。榊っつうのか。知らんけど、ウチのクラスの久木と何か関係あんの?」

 葉河の口から出てきたのは、想像もしなかった名前だった。
 久木望(ひさぎのぞみ)。飛鳥のクラスメイトの一人だが、飛鳥も、そして飛鳥が知る限りでは葉河とも、交友関係はない。
 流れるような黒髪に澄んだ瞳。整った顔の造形と、飛鳥の貧困なボキャブラリーの中では表現する言葉が果観を表すものと被ってしまうような彼女だが、性格は果観のそれとは正反対と言っても良い。男子どころかクラスの女子ともどこか距離を置いており、その淑やかさや容姿、ミステリアス具合などから誰が言い始めたのかかぐや姫などというあだ名までできている。ちなみに果観のあだ名は羅刹という剣呑なものである。

「え? なんで久木が出てくんの?」
「苗字と名前。そうでしょ? 葉河」

 楽しそうに笑顔を浮かべる果観の言葉に葉河が頷く。

「苗字と、名前? サカキとヒサギ……サクとノゾミ……SSとNH……んー、どういうこと?」
「飛鳥はサカキって植物を知ってるか?」
「えっと……神棚に供えるんだっけ?」
「そう。でもまぁサカキの代用品として近縁種のヒサカキって種類が使われることもある。ヒサカキにはササキとかシャシャキと仏さん柴とか、色んな地方名があるんだが、その一つがヒサギっつうんだよ」
「んじゃ名前の方は私から」

 すぐさま言葉のバトンを受け取る、というよりも葉河から強奪する果観。葉河はその言葉に肩をすくませつつ頷いた。
 相変わらず呼吸はピッタリである。似たもの同士を自称するだけはある。

「ていっても簡単なんだけどね。朔っていうのは新月の夜のこと。久木の名前の望に月をつけると望月。満月を意味する言葉になる。苗字も名前も似たようなもの。何か関係があるかな、って思ってもまぁ、不自然ではないでしょ」

 榊と久木、朔と望月。確かに似ていると言われればよく似ている。
 まるで漫画か何かにあるような符号。とはいっても、

「まぁ」

 否定の言葉を飛鳥が出す前に、葉河が気付いてないわけではない、と言いたげに言葉を続ける。

「苗字が違うんだから血縁があるとは思っちゃいねぇよ。ただ何かあるのかな、程度に思ったくらいだ」

 苗字というのは出自がよくわからないものだ。地名であったり、出身地方の特徴が出たりすることもあるという。
 榊も久木も、どちらも苗字としてそれほど奇抜なものではないと飛鳥は思う。むしろ加古原に御木川、川潟、蒼海などとこのグループの苗字の方が余程に奇抜である。少なくとも飛鳥はそれぞれの血縁者以外でそんな苗字を見たことはない。榊や久木も見たことがあるかといえばないのだが。

「……まぁ、関係はないだろうな」

 壁際の席で、物憂げに前を見つめるかぐや姫を見ながら、飛鳥は小さく吐き出した。
 放課後、朔に会ったら聞いておこうと思いながら。
 瀞は相も変わらず、机に突っ伏して惰眠を貪っていた。




ΦあとがきΦ
 第二章開始。しかし特別何かあるわけでもなく普通に日常パートッ!
 飛鳥の内面とかを書く余裕が出てきたので地の文も復活致してきておりますはい。



[25273] ~玖~欠片~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/18 21:53
~玖~


 強い、銀色の燐光が朔の全身を包み込み、消える。その燐光は無駄を意味する光だと、飛鳥は朔に説明を受けていた。
 術式の発動の際に発生する燐光の一般呼称は余剰干渉力光。精神が内包する干渉力という力を用いて世界へと干渉を加える時、その全ての力を正確に求めた方向への干渉へと注ぐことは非常に困難だとされている。その際の無駄な干渉力が光となって現れているのだと。注ぐ干渉力の総量が同じ、つまりは同等の術式であれば発生する光は弱ければ弱いほどに優秀な術士であるということになる。
 ゲームや漫画であれば発生する光が強ければ強いほどに施術者の実力が高いものだが、実際ではそうではないと朔は言う。

「ってことは出てる光が弱い方が強い、のか?」
「一概にそうとへ言えませんね。同量の干渉力を用いる術式であれば、余剰干渉力光が強ければ強いほどに術士の干渉力の変換効率が悪いということですが、用いる術式そのものに必要な干渉力が高ければ効率が良くても余剰干渉力光はどうしても強くなります」

 たとえば、と言った朔の体から発生するのは、先程のそれよりも明らかに弱い光。

「二百の干渉力を術式に注ぎ込み、五十パーセントの変換効率で変換した場合、そのうちの百は目的の干渉を行うのに使われ、残った百の干渉力が余剰干渉力光その他、望んだものとは異なる諸影響を世界に与えます。このように」

 光は途切れ、数秒の間をおいて再び発生。

「四百の干渉力を術式に注ぎ、七十五パーセントの効率で変換すると三百の干渉力が干渉に用いられますが、こちらも百の干渉力が余剰分となり、発生する余剰干渉力光も同じくらいの強さとなります」

 つまりは、

「余剰干渉力光の強さだけで術士の技量は判別できないってことです。必要干渉力が少ない術式を粗悪な干渉効率で干渉しているのかもしれませんし、逆かもしれませんからね」

 朔の言葉が一瞬、躊躇するように止まり、

「ボクの幼馴染に実に干渉効率の良い子がいましてね。彼女が使う術式はほとんど余剰干渉光が発生しませんでしたよ」

 続けられるのは過去を、戻ることのできない昔を振り返るような言葉。その瞳はいつかと同じ真摯さを含んでいて、

「彼女達を救わなくちゃいけない」

 飛鳥は思わず、言葉を紡いでいた。

「え?」

 朔は驚いたように両目をぱりくりと開閉させる。

「前に言ってたよな、お前。そいつのことなのか?」
「それは……」

 飛鳥は朔にそれ以上何かを言わせるつもりはなかった。
 もし発言を許せば、あの時と同じように、きっとまた機を逃すだろうとわかっているから。

「話す気はないっていうのか? 何で? 俺を術式なんてもののある世界に引き摺りこんでおいて、自分のことは話さないのかよ? そんなに俺は信用されてないのか?」

 冗談で流すことができないところまで、一気呵成と攻め込む。

「……そういうわけじゃ、ありませんよ」

 ただ、と朔は自嘲するように笑い、

「話していいのか、ボクには踏ん切りがつかないだけです」

 そう言って、沈黙する。
 彼女にも彼女の葛藤があるのだろう、と飛鳥も思うものの、見逃しがたい事実を思い出す。

「俺を巻き込んだときはえらく気楽だった気がするんだが……」

 飛鳥は何の躊躇も無く、あるいはあったのかもしれないが見せることなく術式の世界へと引き込まれた。
 正直なところ、記憶を消していつも通りの生活に戻るかそれとも術式の世界に足を踏み入れられるかと二択を迫られるのか、という程度には飛鳥も思っていたのだ。

「一応前夜、丸々と悩んだ結果ではあったんですけどね。それに……まぁ本当ならしばらくしてから言うつもりではありましたが、別に君を命の危険に遭わせるつもりもありません。術式という技術を、その存在とそれが存在する世界を知ってもらって、君に意見が聞いてみたかった、というのが本音です」
「意見……?」
「忘れてくださいな。とりあえず言えることは、君を危険な目に遭わせるつもりはない、ということくらいです」
「それで納得しろって?」

 ここで退けば、その機会は遠くなる。
 朔が言葉の端々に過去を匂わせるのは、聞いてほしいからだと、それでいて躊躇いがあるというのもまた事実なのだろうと飛鳥は思っていた。

「もう少し、悩ませてくれませんか?」

 今問えば、最後まで教えろとそう問えば、恐らく朔は話すだろう。
 しかし、

「ちゃんと話してくれるか?」
「確約はしかねます。でも、きっといずれお話します」

 飛鳥は問いを、自らの中に封じた。
 シリアスモードの彼女が嘘をついたり、ましてやネタを吐き出すとは思えないというのが一つ。
 そして何よりも、朔に自分は全てを打ち明けても大丈夫な相手なのだと、精神面でも、そして戦闘力という意味でも、強くなったときに聞こう、という誰に言うでもない決意がもう一つ。

「……んじゃ、その言葉を信じて待つとするかね」

 朔はふふ、と笑い、

「そんな聞き分けの良い飛鳥君は、ボクは大好きですよ」

 その言葉もまた、ネタなのか本気なのか、どうにも判断しがたい飛鳥だった。





「ほらほら、遅い遅い。シュモクバエが止まりますよ?」

 はははははは、という悪役っぽさを多分に含んだ朔の笑い声に追われて、飛鳥は走っていた。
 シュモクバエといえば名前の通りシュモクザメのように両目の離れたハエの仲間。葉河らが生物部所属ということで合宿時の写真を見せられたことがあったので飛鳥は知っていたものの、普通なら即座に浮かぶものではないだろう。恐らくは瀞ならば名前を聞いても思い出さないだろうと確信する。瀞も生物部員なのだが。
 ――と、現実逃避気味に考えたものの思考がつっかえ、現実を直視する羽目になる。

「さぁ、現実を直翅するのです! あ、直翅目はバッタの仲間のことですよ?」
「知っとるわ! つうか心読むな!」
「術式じゃ個の持つ力で弾かれるんで心は読めません。君は表情に出やすいんですよ」
「表情から考えてること事細かに把握すんじゃねぇ!」

 最後の方は息が続かず小さく消える。相変わらず朔の能力は底知れない。
 というよりも、そもそも飛鳥は術式というものの限界を知らない。何も知らないというのに。ギジリ、という不快な音が、背後から迫り、命を奪いに掛かってくる。

「飛鳥君飛鳥君」

 背後から走り寄るのは朔。飛鳥の方は全力疾走だが、朔はあはははは、と笑い続ける。いつ息を吸い込んでいるのかすらもわからない。

「何だよ!」
「気分転換に面白いことを言ってあげます」
「いらん!」

 どうせくだらないことだろうと切り捨て、

「それでは一言。ホッハ!」
「ピャアウ! って何言わすんだテメェ!」

 反射的に返してしまう、とその瞬間。気が緩み、前へ前へと進もうとする足がもつれ、速度が落ちる。速度が落ちれば、後ろからやってくる不快な音に追いつかれるのは必定。
 ギジリ、と。
 噛み合わせの悪い金属音を立て、巨大なトラバサミが、飛鳥の腰から上下を切り離した。

「いっ……」
「痛かろう、あぁ痛かろう!」
「ふむ、二分ってところですか。まぁ最初の三十秒と比べればだいぶよろしいんじゃないでしょうか。ウハハハハハ」

 朔の声を合図としたように、幻痛が去っていく。当然上半身の感覚も下半身の感覚も消えてはいない。

「……なんで悪役っぽい台詞なんだお前さっきから」
「まぁ、ノリですね」

 テンションの推移が砂漠の一日の気温差くらいに激しい少女である。

「つうかもう少しヌルいのないのか?」

 腰を摩りながら聞いてみる。直接的な痛みは消えたものの、血管を圧迫された後のようなチリチリとする違和感は残ったままだ。トラバサミに挟まれた部分ももちろんそうであるし、それ以前の様々な痛みが思い出すと戻ってくるような感覚すらある。
 朔曰く、一般的に幻術と呼ばれるようなもの、とのこと。飛鳥は一時間ほどで十数種類の死に方を経験していた。実際に身体にダメージがあるというわけではないので命の危険があるかどうかといえばないのだが、気持ちのいいものではない。
 この幻覚トレーニングは全力疾走させることで肉体的に強くすることと、火事場の馬鹿力ともいうべきものを意識的にコントロールできるようにすること、そして幻覚によるダメージの流し込みによって干渉力の流れを感じ取るという三つの目的があるのだと飛鳥は聞いていた。最後の一つは要するにダメージを受けることが前提なのが飛鳥にとっては腹立たしいところだったが。

「飛鳥君、こんな言葉があります『森田よ。一時的なものとはいえ、暴力ほど効率の良い指導はこの世に存在しないぞ』うーん、実に正鵠を射た言葉ですねぇ」

 そう言えばヒマワリの花言葉は憧れ、崇拝、熱愛、愛慕、偽りの富とかだっけぁ、と朔の言葉を右から左へと聞き流しつつ思い浮かべる。

「お前まさかそれが言いたかったからこんな特訓なんじゃ……つうか引用するなら最初んとこいらねぇだろ。それ以前に矛盾あるだろ」
「矛盾ですか?」

 意外そうな口調で問い返す朔に、飛鳥は意識してのドヤ顔で頷いた。

「術式って精神の力を用いて外界へと干渉を加えて扱う異能なんだろ?」
「そうですけど、それのどこが矛盾してるので?」
「『精神が、身体という枠を超えることなど決してないという事実を理解させてやる』」

 朔が引用した台詞の前にはそうくっついているのだ。思い切り精神が身体という枠を超えてしまう技術の使い手だというのにそんなことを言うとは何事か、と要するに飛鳥はそう言いたいのである。

「……ちょ、それは術士にその名言を引用させまいと、そう言いたいんですか君は! くっ、そこはボクも目がいってませんでしたね」

 そのまま朔は頭を抱えて「むぅ、ここはやっぱり身体という枠を超えられないのということを反証から実証してみましょうか?」などとぼそぼそと呟き始めた。
 トリップに入ってしまった朔を無視して、飛鳥は右手を前に掲げる。
 イメージは剣。先程からの幻覚トレーニングで干渉力という力の流れそのものは確実というほどではないまでも、おぼろげに掴んできている。文句を言いはしたものの、それ自体の有用性は認めざるをえない。
 干渉力を集束し、頭に思い描いたイメージを具現化させていく。

「……って、できるかヴォケ!」

 その程度で誰もができていれば、術式の秘匿など夢のまた夢だろう。

「《ジェネレイト》ですか」

 いつの間にかトリップから戻ってきていた朔が、飛鳥の動きを見て呟いた。

「ジェネレイト?」
「物質生成の術式のことです。基本術式ではありますけど、そこから入るものじゃありませんよ?」
「お前がトリップ入ってたからなんかしようと思ったんだよ」
「勤勉な飛鳥君がボクは大好きです。ボクに勤勉になれと言われたら断りますが。獣になれと言われればいつだって!」

 そのまま「愛だろうか、これが愛だろうか!」と熱唱を始める始末。

「そう言えば聞きたいことがあったんだよ。色々あって忘れてたけど」
「はい、どうぞ」
「俺が襲われたあの時なんだが、女の子が血を吸われてたと思うんだが、あれってどうなったんだ?」
「ん? あぁ、しかるべき処置の後、家に帰しましたよ。記憶に細工する術式は苦手なので施術者はボクじゃありませんが」
「……その気遣いの欠片くらいでも俺に気遣ってくれれば良いんだがなぁ」

 そんなつもりはなさそうだということは出会ってからの三週間、加えて術式を知ってからの一日ほどで嫌というほどに実感している。

「欠片と言えば飛鳥君。キリッ!」
「キリッ、は口で言うもんじゃねぇよ」

 口語にネット言語を詰めてくる人間の鬱陶しさと言ったらない。以前アスキーアートを早口で再現していた朔だったが、記号の名称やらスペースやらと連呼されたところでどんなAAができるのかわかるほど飛鳥の情報処理能力は優秀ではない。そもそも理解できる人間がいるかどうかも怪しいが。

「この世界には欠片という存在がいるんですよ」
「欠片が、いる? ある、じゃなくて?」

 どこか芝居じみた朔の言葉に違和感を感じ取る。

「えぇ。とはいっても欠片という言葉自体が便宜的なものですからね。無双の欠片、あるいは眷属と呼ばれる奴です。男の子たるもの、最強に憧れるものでしょう? あははそうでしょうそうでしょう」
「何も言ってないんだが」
「……さて、どこから話したものですかね? 多重樹形世界説はもう?」
「相対性理論と同じくらいの理解度で」

 要するにほとんどわからないということである。

「よろしい」

 世界は一つではない、と唐突に言われた時には飛鳥も驚いたものだ。
 曰く、世界は樹形図の如く無数に連なり、広がっているものである。その世界の在り方を提唱した説の名前が多重樹形世界説という。その時にどさくさ紛れで「実はボクは異世界人だったんですよ!」と言われ「な、なんだってー?」と思わずネタ的な返しをしてしまったのだが、この様子から見るとネタではなかったのかもしれないと思い始める。
 飛鳥が聞いたのはその程度だが「世界の成り立ちなんてこまけぇことはいいんだよ!」とのことである。相変わらず大雑把だが、詰め込まれても理解しきれるとは思わないので飛鳥も深く問い詰めるのはやめていた。

「えー、と。多重樹形世界説において、この世界は第三位階世界という早口で言いづらい呼称がされています。これは基点となる樹形図の出発点を第一位として、そこから二度分化した世界という意味です。結構、もといだいぶ高位の世界なんですよ? 実感湧かないでしょうけど」
「具体的には?」
「そうですね、三つほど下の世界にいけば軍隊相手に素手で無双できるくらいに差はあるでしょう。術式を使えるようになればもっとですが。ちなみにどのくらい下まで世界があるかなんて無粋な問いはやめてくださいね? ぶっちゃけ、ボクも知りません。ボクが読んだ本では観測当時、四かける十の二十六の六十乗乗個があることは確認されていてそれからも止め処なく増え続けているとかなんとか」

 四かける十の二十六の六十乗乗などと数字を出されてもどのくらいの数なのか具体的にイメージすらもできない。とりあえずわかるのは、ものすごい数であるということだけだ。

「以前ボクが異世界人という話をしましたが、イメージとしてはそんな感じなんですが厳密に言うと並行世界人ですね。物理的な距離とは違う隔離をされた、しかし同じ世界に存在する場所。それがボクの故郷、即ち英語でカントリー」
「……間を空けてそういうこと言われても驚きづらいから、そういう驚きのリアクションをとるべきところはすぐにいってくれ、頼むから」

 別に律儀にリアクションをとる必要などないと言ってしまえばそれまでなのだが、朔との会話を少しでもストレスなくこなすためにはリアクションは必須技能と言っても良い。

「以後善処します。さて話を戻しましょうか。無双の欠片は第一位階世界生まれなのに色んな世界に現れてちょくちょくちょっかいを出すという面倒くさい存在です。ちなみに能力はものっそいです。どのくらいかっていうとモノによっては鼻息混じりに太陽系を滅ぼしたりできそうなくらいですかね。いや、知りませんけど。多分やってのけるでしょう」
「どこのチート系オリ主モノだよそれ。つうかそれにしたって酷過ぎる厨二設定だなオイ」
「そんなことを言われましても。まぁモノホンに会ったときにでも言ってあげてくださいな。まぁそうそう出会えるものであれば世界がヤバイ! ですが」

 まさしく無双という存在のポテンシャルは『ぼくのかんがえたさいきょうのうりょくしゃ』といっても良いレベルだろう。厨二病はドンと来いという考えである飛鳥ですら、目の前で本気でそんなことを言われると呆れざるを得ない。

「欠片ですらそんな能力ですからねぇ。本体とかもう強いとかそういうレベルじゃないかと。ゲームでいうなら我々はキャラクター、無双はプレイヤーとかそんな感じで。そもそも戦おうとか勝とうとかそういう概念が成り立つ存在すらありません」

 呆れざるを得ないのだが、目の前で魔法――もとい術式などというものを目にしてしまったからにはそれがただの妄言であると吐き捨てることができないのもまた事実である。

「キャラクターと現実世界の人間っていうと。そういえば実は『この世界は二次元世界でラスボスが三次元人だったんだ!』なんてオチがあったな」

 銀のつばさにのぞみを乗せたら、というサビは飛鳥の頭の中に強く焼き付いている。飛鳥は鉄オタではないのでわからないが、つばさやのぞみは今も現行車両があるのだろうか、と時代を感じもする。

「なんだかんだで勇者王が勇気で乗り切っちゃいますがねアレは。まぁ現実はそうはいきません。そもそも欠片も個体差があって、低位のものであれば高位の術士がやり合える程度の能力です。まぁそれでも生物としてのポテンシャル差が尋常じゃありませんが」
「とりあえず出会ったら逃げろって?」
「タゲられる前に逃げるか、出会わないようにするか、出会ったら見逃してもらえるように祈るか交渉した方がまだ建設的でしょうけどね」

 あぁ、もう一つ、と。朔は笑い、

「目には目を欠片には欠片を。襲われたら他の欠片に助けを求めればいいんじゃないでしょうか」

 そんなことができたら苦労せんだろうに、と溜息混じりに返す飛鳥だった。




ΦあとがきΦ
 なんだかものすごい厨二設定を吐き出している朔ですが、ぶっちゃけ無双やらなんやらはそれほどお話に関わってはきません。
 かといってただ設定披露したかっただけかというとそういうわけでもないんですが……
 てか話が進むと言っておいて一行に進まない……これが運命石の扉の選択か! いえ嘘です冗談です。
 とりあえず吐き出しておくべき設定はだいたい出した! 今度こそストーリーが進む、ハズ!
 あ、いや、本当です。本当にそろそろ吐き出すネタもないのでストーリー進めますよ?
 ……まぁここまでに吐き出した設定が全部が全部ストーリーに必要かどうかというと怪しい気も……むぅ。
 それ以前に、一話一話が短過ぎるでしょうか? うーむ。

 叱咤激励、ご指摘、ご感想なぞなぞ、頂ければ幸い至極。
 まずは話を進めろということになるのでしょうが……



[25273] ~拾~黒の現実~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/21 00:04
~拾~


 日も暮れ始め、朔の住むマンションからの帰宅の途につく飛鳥は小さく溜息を吐き出した。
 術式のトレーニングと称したじゃれ合いはあのあとも続いたが、一向に成果も見えずにお開きの時間となった。

「はぁ……」

 術式などというトンデモ技術が一日や二日でそうそう使えるようになるものではないということは飛鳥も覚悟していた。そのため、その点についての不満はない。聞きたかったことが聞けなかった、というのが加古原飛鳥にとっての痛恨事だった。
 朔は聞きたいことを問えば答える。答えられないことならば答えられないと答える。だから聞けばよかったのだが、話し始めた当初には忘れ、話しているうちに聞こうとしていたことすらも忘れてしまっては答える云々以前の問題だ。

「……アイツ、結局女、なんだよな?」

 それが少年、加古原飛鳥にとっての最大の疑問だった。しかし術式のことやそれに関わる話を聞いているうちに、性別などという些事について質問するのが恥ずかしくなった、というのもある。

「まぁ、明日会ったらでいいかぁ」

 そう言って後回しにした挙句、結局様々なことを忘れている飛鳥なのだが、成長がない。
 そんなことを思いながら公園の中を歩いていく。朔の話ではいつぞやに言っていた計測内容、この公園やその周辺での霊脈云々の測定というのはネタではなく事実だったらしい。その頃はネタだと流していたのだが、術式などというものを知らなければネタとして処理するのは当然の反応と言っていいだろう。

「思えば遠くにきたもんだ」

 どこか哀愁漂う風を装って飛鳥は溜息を吐く。
 と。
 ヒュン、という風切音。
 何だったのかについては、飛鳥も判別できたわけではない。ただ、それが偶然によるものでも、悪戯によるものでないということは一瞬でわかった。
 ぞくり、という表現の相応しい悪寒。ドロドロとした汚泥に沈められたかのような不快感。

「ッ……」

 飛鳥は走り出していた。
 知っている。飛鳥はその感覚を、死の匂いを感じさせるソレを知っている。
 後ろから追いかけてくるのがわかる。朔を相手にトレーニングをしていたときのような安心感などあるはずもなく、近付いてくるのは恐怖。足を竦ませず、躊躇なく走り出すことができただけでも少しは成長といえるだろう。逃げているのには変わりないが。

「うぉっ!」

 全身の毛が逆立つような錯覚を覚えて、飛鳥はまっすぐではなく、右へと向かって大きく跳ぶ。ほぼ同時、そのまま進んでいれば飛鳥がいたであろう場所に光が着弾。発生する小規模な爆発。
 直撃こそ避けたものの爆風に呑まれ、宙を舞う飛鳥の身体。通路上に敷かれたウッドチップが爆風に飛ばされて飛鳥の頬や手の甲に擦過傷を作る。
 鈍い痛みを感じさせる音を立て、世辞にも綺麗とは言えない着地を果たした飛鳥は全身を覆う痛みを無視して体勢を立て直す。
 振り返りはしない、そんなことは必要ではない。振り返ったところで何が得られるか、答えは襲撃者の情報だ。ではそれが得られてどうなるか、相手が術士であればどうにもならない。相手が術士でなければ、そのまま逃げ切ればいい。
 もっとも、襲撃者の正体に予想はついている。先日の吸血鬼だ。ただ公園を歩いていただけで殺しに掛かってくるような存在が二人も三人もいたら安心して暮らすことなどできやしない。とはいえ、一人だろうと安心できるはずもないのだが。
 朔に何も言われないので、夜遅くでなければ大丈夫だろうと高を括っていたのだ。吸血鬼といえばやはり夜に生きる者というイメージがある。また襲撃される危険やら夕方でも出現する可能性やらがあるのであれば注意喚起くらいはして欲しい、とここにはいない朔に対して毒づく。
 遊ばれている。飛鳥は疾走を続けながらそう感じていた。あの男は人間離れしている。術式を使った朔もそれは同様だが、どちらにしてもまだ術式を使うことのできない飛鳥にあの男が追いつけないはずがない。
 襲撃者と自身の、圧倒的で絶対的な格の違いを理解しながらも、飛鳥は絶望を抱いてはいなかった。
 恐怖には二種類あると飛鳥は思う。一つは予想できる未来へ対する忌避。それは今も飛鳥の心の中に確実に存在する。このままでは自分はあの男に追いつかれ、殺される。そう予想できるがゆえの恐怖が。
 前回はそれに加えてもう一つの恐怖があった。それは未知に対する恐怖。どうなるかわからないからこそ、恐ろしいと感じる感覚。
 今はそれがない。相手は吸血鬼、何なのかわからない現象は術式という名の技術。わかったところで対応策があるわけではない。だが、知っているという事実が飛鳥に安心感を与えていたのもまた事実。
 とはいえ、だ。
 逃げ切れるとは思えず、対抗策があるわけでもなく、体力が限界を迎えるか相手が飽きるかすれば飛鳥の命は蝋燭の灯火のように難なく摘み取られてしまう。ただでさえ朔のスパルタトレーニングで体力は消耗しているのだ。そう考えると小さな安心感などあったところであまり意味がないようにも思えてくる。

「……」

 ネガティブ方面に傾いた思考をどうにか立て直す。大切なのはLuck値。制限時間が来る前に助けの手が伸びれば飛鳥の勝ち。とはいえ、救援があの男よりも強いというのを前提にして、だが。
 不意に脳裏に浮かぶ銀色のオタク術士の顔。彼女に連絡すれば、間違いなく助けにきてもらえることだろう。朔の家からもそう遠いわけではない。術式を使って急行すれば何とか間に合ってくれるかもしれない、と思えるほどには。
 急いでポケットの中に入れた携帯電話に手を伸ばす。スライドさせ、画面も見ずにボタンを押していく。メールでは間に合わない、普段は使わない通話機能だが今はそんなことを気にしている余裕もない。朔の番号は電話帳のどこに登録してあったか、と画面に視線を向けた瞬間に再びの悪寒。
 光撃。
 術式によって形成された干渉力の弾丸が飛鳥の右肩へと命中、衝撃に飛鳥の身体が容易に吹き飛ばされ、落下。致死ではない、しかし激痛を伴った衝撃に肩が外れたことを飛鳥は感じ取る。携帯電話が手から離れていた、落下したのは飛鳥から数メートル先。

「あ、がぁぁぁぁ!」

 携帯を取り落としたことすらも意識から抜け、思考を支配するのは痛み。朔のトレーニングで経験した幻痛など子供騙しでしかないと、そう言い聞かせるような真実の痛みを軋む肩が訴える。
 襲撃者の男――吸血鬼と視線が交錯する。吸血鬼の顔には口端を吊り上げた笑み。

「よもやこうも早く君に再会できるとは思わなかった。俺の日頃の行いが良いとでも言うことだろうか」

 人の血を吸うわ、命は狙うわといった吸血鬼の日頃の行いのどこが良いというのか、と皮肉の一つでも言おうとした飛鳥だが、落下の衝撃で圧迫された肺はマトモな会話を行えるまで回復するまでまだしばらくを必要としていた。

「取り逃がした魚は大きい、とはよく言う」

 そう言って、吸血鬼は飛鳥を睥睨する。彼の言う『取り逃がした魚』というのが自分のことであると飛鳥は察知していた。

「その様子、記憶制御は受けていないか。榊本家の嫡子が世話を焼くだけの価値があるとも思えないが……まぁ彼女は特例か」

 不敵な笑みを浮かべて、吸血鬼は呟く。

「さて、それでは取りこぼしは片付けよう」

 干渉力が集束し紅色の長剣を形成する――ジェネレイトの術式。結ばれた術式の、干渉力の流れが、組成が、まるで脳裏に刻まれたかのように情報として叩き込まれる。

「ぉ……」

 振り下ろされる刃に慈悲はない。ただ無感動のままに近付いてくる刃が――

「ぉおおおおおお!」

 ――刃によって受け止められた。
 それを為したのは飛鳥が生み出した剣、初めて使った、術式。
 初めて使った、というのは間違っていないが、正確でもない。何故ならば、飛鳥の筋力では術式によって強化され、元々の生物としてのポテンシャルでも上回る吸血鬼の、上段からの切り下ろしを受け止めきれるわけがないからだ。無意識の内に自己防衛のために紡いだもう一つの術式、身体強化(エクステンド)。

「ほぅ」

 男の笑みが深くなる。面白い、とでも言いたいのだろう。
 力を加えられ続けることで、少しずつ飛鳥は押されていく。火事場の馬鹿力気味に術式を使えたからといって、吸血鬼を相手に優位に立ったわけではない。力任せに振り切られた紅剣に、飛鳥はそのまま飛ばされる。安定化が甘かったためか、剣も砕け、干渉力は光となって霧散した。

「くっ……」

 吸血鬼には油断があった。飛鳥は術式を使うことができないという圧倒的な優位ゆえの油断が。だがその優位が完全なものではないとわかった以上、そのままに油断し続けてくれるはずもない。油断があったところでその差は歴然、飛鳥の術式は自らを救ったと同時に更なる危地に追いやってもいた。
 今度は何かを告げることもなく、紅剣が振り上げられていた。その動作を、飛鳥は知覚することすらできない。恐らくは振り下ろされたことにすら気付かないだろうと、そう思った刹那、聞こえたのは金属音。
 吸血鬼の紅剣が宙を舞っていた。何が起きたのかと周囲を見回せば、吸血鬼へと向かう数条の光弾が見えた。吸血鬼はそれらを防ぎ、あるいは避け、乱入者へと視線を向ける。最早、飛鳥のことなど見ていない。
 吸血鬼と飛鳥が視線を向けた先には一人の少女が立っていた。光の加減でその顔までは見えないが、その体つきや長い髪から女性、あとは感覚から少女であると飛鳥は判断。少女は飛鳥を庇うようにして、吸血鬼と飛鳥の間に立つ。
 どこかで見たことのある光景だ、と飛鳥は他人事のような感想を抱く。当然といえば当然のこと、ただでさえありえない状況に置かれているというのに、デジャヴすら感じるほどの似たような状況に数日間隔で出遭っていては命が幾つあっても足りないのだから。ある意味でその客観的な視点は飛鳥の自己防衛だったのかもしれない。
 朔に救われた時と似てはいる。似てはいるが、違う。朔は吸血鬼を蹴り飛ばして飛鳥を救ったが、今回は術式による光弾だ。それに何より、今回の救い手は銀色ではなく漆黒と呼ぶに相応。白朱二色の着衣とのコントラストが映える艶やかなまでの黒の長髪が冬の寒風に靡く。

「望、か」

 少女のことを吸血鬼は知っている様子だった。その言葉に、黒髪の少女は無言。返答は殺気だった。それも、直接向けられているわけではない飛鳥ですらも尻込みするような。
 飛鳥は知っている。吸血鬼が告げたその名前を。だがそれを目の前の光景と結びつける間もなく、事態は変移する。
 少女の両手に干渉力が集束し、二つの鋼輪を形作る。ゲームやアニメなどで培った不要な知識からチャクラムという名称が飛鳥の思考に浮かんだ。ブーメランに近い投擲用の武器だが、ブーメランをはじめとした投擲武器の多くが打撃を目的としているのに対し、チャクラムは切断を目的としている。
 目にも留まらぬ速さで少女の手が振るわれ、チャクラムを投擲。
 吸血鬼が真上に飛翔するが、チャクラムは明らかに物理法則を無視した急激な制動をかけられ、追撃。まるで従順な猟犬のような動きは間違いなく術式。少女の両手とチャクラムとの間に、薄い燐光でできた糸のようなものがあるのを飛鳥は見た。ファンネルとインコムの違いとでも表現すべきだろうか。こんな状況でもそんな表現が出てくる自分の思考に飛鳥は嘆息。
 剣戟を交叉させる二人の間で術式が編まれていく。それもまたデジャヴ。
 集束していく力。そして爆発と、衝撃。
 そんな光景にやはりどこかデジャヴを感じながら、飛鳥は意識を闇の中へ落としていった。





 目を覚ます。いつもとは違う起床。
 もやのかかったような記憶を振り絞るも、夢と現実が混同されて何が現実なのかを断定することができない。
 起きてしばらくすれば色々と思い出すだろうと思い、起き上がろうとして飛鳥が見たのは黒の長髪の後姿。それが見慣れた果観のものだと思い、

「ぇ? ぁ……加古原君?」

 だがその予想は振り向いたその姿に否定された。
 果観は飛鳥のことを苗字では呼ばない。彼女が誰かに対して敬称をつけて呼んでいるのを飛鳥は見たこともない。果観の声による「加古原君」という呼びかけが脳内で再生され、どこか気色悪いものを感じて背筋を冷やす。
 そこまで軽いトリップをきめてから、飛鳥は「ふぅ」と小さく息を吐いて改めて眼前の少女を見た。

「久木、望……?」
「ぁ、うん。こんばんは?」

 いつも通りの調子で何故疑問系なのか、と返そうとして、踏み止まる。飛鳥が望と話したことは数えるほどしかない。それも特に意味があっての会話ではなく、必要最低限の会話程度だろう。そもそも、彼女は果観とは違う意味で遠いクラスメイトだった。
 誰かに話しかけられて無視をするような冷たい性格というわけではなく、話しかけられれば対応はするようだが、逆に彼女が誰かと仲良さそうに話しているのを見たことがあるかといえば、ない。他人との間に距離を置いているかのような、あるいは、彼女と他人との間に見えない壁があるかのようにも思える。
 というのも全て、彼女のファンからの受け売りだが。

「よく、私の下の名前まで覚えてたね」
「あー……」

 言われて、飛鳥はどう返すべきかに悩む。そのまま「それはもう有名だからな」と返してしまっても良いのだが、そうすると純朴そうな彼女に追求されたときに面倒といえば面倒である。ほとんど男友達と同じ感覚で付き合っている果観以外の女子との絡みが極端に少ない飛鳥からすると「お前は男子に人気あるから」と説明するだけでも痛苦だ。更にそこから「じゃあ、加古原君も?」などと問われた日には脳細胞が死滅してもおかしくはない。
 要するに初心なわけだが、セクハラ発言を繰り返す朔が女性であることなど既に飛鳥の思考の中にはなかった。

「ちょっと前に話にあがってさ。知り合いに名前が似てるって話で」

 自分で言って、朔にそのことについて聞こうと思っていたということを思い出すがそれ以前の異常に気付く。何故それまで気づかなかったのかという疑問。その回答は単純にして明快で、あまりにも至近だったため、というだけだが。
 巫女服である。

「は?」

 思わず飛鳥は気の抜けた声を漏らしてしまう。それを気恥ずかしいと思う以上に、目の前の異常に注意が向かう。
 異常、そう、異常である。この現代日本において、巫女服は正月の参拝を含めて寺社で目にするならば不思議ではない。だが三箇日など既に一月ほど前に置いてきている。イメクラでもビックサイトでもなく巫女服を着た少女。それを異常と言わずになんと言うべきか。
 望は飛鳥の視線を追い、そこでようやく自分の服装を注視していることに気付いたらしい、白い肌が赤味がかる。それを見て萌、という一文字を脳裏に浮かべてしまったことに飛鳥は自省。

「えっと……似合って、ませんか?」

 昨年の正月か何かに、どういった経緯かで果観の巫女姿を見る機会のあった朔だったが、偽らざる本心としては完全に欲情中であった。男友達としての感覚の付き合いである果観に対しても、である。とは言ってもその時のトリップからは、葉河の汚物を見るような視線と果観のパキパキ、という骨を鳴らす音によってすぐに現実回帰したのだが、つまりは飛鳥は極度の巫女服好きということである。

「何故俺にそれを聞くか」

 思わずいつもの調子で返してしまう。疑問は少なくない。何故自分にそんなことを聞くのか、そもそも何故そんなものを着ているのか。勿論似合っているか似合っていないかと二択を迫られれば何の躊躇もなく「よくお似合いでございます」と回答したいところだが、そこはそれ、飛鳥の対女性能力の無さでは素直にそう答えることもできない。そもそも素直に答えればテンションが上がってしまい、望からも変態判定が下るところだろう。既に飛鳥のOTAKUとしての悪名はクラス中に轟いているが、当人に直接印象を抱かれるのと風評ではまた別物だ。

「いや、んっと、似合ってる、んじゃないかな?」

 つっかえながらも、辛うじてそう返しておく。

「いや、そうではなく」

 ようやく思考が復旧を始め、巫女属性という目の前の異常に対して異常であるという認識が飛鳥の中に復活する。

「何で唐突に似合ってるかなんて聞いてくるんだ」
「ぇっと……普通は、男の人に着衣を凝視されたらそう聞くものだって、聞いたから」

 本人に凝視していたと言われ、飛鳥は再びの自省。
 今までクラス内でもそれほど話したことがなかったのであまり気に留めたことはなかったが、服のことを着衣と呼ぶなど、話し方も少し変であることに気付く。
 それ以前にそんな妙な知識を植え付けた相手が誰なのかというのも気になるところだったが、わざわざそれを聞くほどに飛鳥は望と親しくもない。

「それ以前になんでそんな服着てんのよお前」
「……ぁ」

 ぁ? と、飛鳥が問い返す前に望の口が小さく開かれ、

「……間違えて」

 間違えて巫女服を着るというのは流石にドジッ娘というレベルを逸しているといえるだろう。よくよくアニメなどで料理を作って毒物が形成されることがあるが、それと比べても遜色ないほどにアニメじみた間違い方だ。そこまで考えて、現実でもそんな毒物形成スキルを持った幼馴染が調理実習でその魔手を遺憾なく発揮し、同じ班だった飛鳥に三途の川を渡るか渡らないかというところまでもっていったということがあったことを思い出す。葉河曰く「だから瀞に料理をさせるなと言ったろうに」とのことだがそれ以降葉河の助言はあまり蔑ろにはしないようにしている。
 さて、と飛鳥は思考を元のレールへと置きなおす。瀞の料理技術に並ぶとも思える超常的なドジッ娘である可能性が出てきたクラスメイト、かぐや姫に対してどう言った反応をするのが最適か、と。勿論問い掛けても答えは返ってこない。

「そ、そうか、間違えて……? てか何で久木はそんな服持ってるんだ?」

 朔辺りを相手にしてであれば「コスプレか? コスプレなのか?」とでも問い詰めたところだろうが、流石に望に対してそれをするつもりは飛鳥にもない。聞いておいて「そういうプレイに使うんです」などと答えられたらどうしたものかと危惧も生まれたが、聞いてからそんなことを考えたところでもう遅い。

「仕事で着るもの、なので」

 ほぅ、と純粋に飛鳥は驚く。飛鳥が生まれてから今まで、毎年初詣に行っていたのは宮並の外にある神社だ。望の家が神社だということならば来年からそこに行ってみようか、という気持ちも湧く。何よりも望の巫女コス――もとい巫女服姿が見ることができるのだ。下手な初日の出よりもよほど良い目を見ることができるだろう。

「久木ん家って神社なのか? 相応しいっていえば相応しいのかな」
「相応、って?」
「神事のときに使うヒサカキ、だっけ? ヒサギってそんな感じの意味があるんだって聞いたから」

 そう考えると神事にヒサカキというのはまさしく相応しい姓ということができるだろう。同じく神事に用いるというサカキの姓を冠する朔は、苗字の観点から言えばともかくとして巫女らしいかといえば断じて否と言い切れるが。

「そんなこと知ってるんだ。加古原君、詳しいね」
「……あれ?」

 ゆっくりと、思考が落ち着きを取り戻していく。熱した思考が冷えていく感覚。
 何かを忘れていた。それを夢として処理しようとした。それはある意味で当然。ありえない光景を目にしたのだから。
 物理法則を超越した異能の技術《術式》、そんなものを知った今でも、信じられないこと、ありえないと思うことはいくらでも存在する。
 たとえば、そう。飛鳥にとってはクラスメイトの少女Aというモブキャラのような存在であった久木望が、何故か自分の命を狙ってくる吸血鬼と戦い始めた、とか。
 生リアル巫女服への感動がその驚愕を凌駕したということもないわけではないが、無意識の内になかったことにしようとしていたのは事実だろう。そんなくだらない自分の内心を客観的に分析し、それらを事実と認められる程度には飛鳥の思考は落ち着いてきていた。

「……落ち着いた?」
「えっと……」

 これまでの会話が、自分が落ち着くために行われたものだということに飛鳥は気付き、頷く。

「あぁ、落ち着いた」

 その回答に望は微かに笑みを見せる。だがその笑みは、いつも彼女が見せているそれと同じ、どこか乾いた笑み。感情を殺して無理矢理作り出したかのような仮面の笑みに飛鳥には見えた。そんな感想を彼女のファンに言った時には「それもまた良し」と返されたという記憶が飛鳥にはある。

「取り乱すのは仕方がないことだと思う」

 声は望のもの、彼女の唇が描いた形そのままの言葉。だが飛鳥は、それが望が発したものだと気付くのに数秒を要した。
 違う。いつもの、というほど飛鳥は望みのことを知らないが、彼女の淑やかな印象から離れた、鋭さを含んだ言葉。
 飛鳥はそれを、そんな印象をどこかで感じていた。それが何かと考えて、すぐに答えに思い至る。それは朔の声。術式という超常の技術を操る者としての、榊朔の言葉。

「あんなモノに襲われて、訳がわからないことばかりだと思う」

 術士の声で告げられる望の言葉を、飛鳥は無言のままに聞く。聞きたいことは少なくないが、それは彼女の言葉を聞き終えてからでもいい。

「知らない方がいいこともある。変に踏み込めば、さっきよりもずっと、危険な目に遭う」

 だから、と望は続ける。

「さっき見たことは全部忘れて。それが無理なら、私が責任を持って加古原君の記憶を消す」

 その言葉に、飛鳥は驚く。
 だが、そんな選択肢を与えられても飛鳥は頷きはしない。半ば強引に、しかし決断は自分の意思で踏み込んだ世界だから。朔にもそんなことが言える良心があったらどれだけ良かっただろうかと思うのもまた事実ではあるが。

「大丈夫、後遺症だとか、そういうものは絶対にない」

 肯定の意思を見せない飛鳥が不安を抱いていると見てか、自信を持った様子で断言し、望は再び乾いた微笑。

「えっと、気遣ってくれるのはありがたいと思うんだが……実は俺、もう術式だ何だってところに足首辺りまで踏み込んじゃってるんだよな」

 相手も術式の存在を知っているということならばクラスメイトである望に対して別に隠すような必要はない。そう思っての飛鳥のカミングアウト。
 望の仮面の笑みが凍りつき、一瞬の後に「ぇ?」という小さな、クラスメイトの少女、久木望の声が漏れた。そんな様子を見て、彼女がかぐや姫と呼ばれてファンがつく理由がどことなくわかった飛鳥だった。




ΦあとがきΦ
 ……書いてて思いましたよえぇ。望は『CV:能登』だわコレ、うん。そんな感じでご理解ください。
 てか何で巫女服が出てきたんでしょうか? 飛鳥が巫女服スキーという設定があったわけじゃないんですが……多分、初詣に行ったときとかのイメェェェジの強さゆえ、でしょうか。そういえばアニメ作品で描かれるものよりもリアル巫女服ってちょっと赤よりもオレンジ寄りな色してません? いや、なんとなくそんな気がしただけです。特に意味はありません。
 飛鳥が記憶飛ばして日常会話にはしれるのはひとえに彼の人柄……良い意味での頭の悪さ故ですな。いや、良い意味での頭の悪さってどんなのか知りませんが。
 てか飛鳥、いつも逃げるか喋ってるかしてませんなコイツ。

 パラグラフを意識して改行をしてみたつもりですが……いかがでしょう?

 The 2nd Chapter【黒の満月】
 ようやくマトモに始動です。



[25273] ~壱壱~差異~
Name: Dau◆452d063a ID:38be5abf
Date: 2011/01/26 20:34
~壱壱~


「加古原君は、どこで?」

 硬直から脱した望の言葉が、術式を知ったのか、というものに繋がるというのは聞かずともわかった。

「……一昨日、ってそうか、まだ一昨日なのか」

 自分が術式を知った切欠。あの男の襲撃を思い出し、それからの時間の経過の遅さに驚く。クロノス時間とカイロス時間、客観時間と主観時間というものがあると、延々と三日間をループするゲームの記憶を浮かべ、まさしくその通りだと飛鳥は苦笑。

「夜中にさっきの……えっと、吸血鬼? あの男が女の子から血を吸ってるようなのを見ちまって、いきなり襲われて……」
「初めてじゃ、なかったの?」

 成程、と望の怪訝を飛鳥は納得する。確かにあの状況を見ていれば飛鳥が一度としてあの吸血鬼から逃げ切れるわけがないことは一目瞭然だろう。

「その時は知り合いだった奴に助けてもらって。それでそいつに色々と聞いてさ」

 上手く纏められたとは思わない、しかし確かに必要なことは伝えて飛鳥は一息。

「久木満」
「あん?」

 唐突な望の言葉に、飛鳥も思わず素っ頓狂な声を上げる。

「それが加古原君のことを襲った男の名前」
「久木、ってそれ……」

 久木という姓、そして聞き覚えのない名前。同じ姓に望と同じ満月の暗喩する名を持つ人間が、苗字が同じだけの他人、という結論を導くほどに飛鳥も勘が悪くはない。

「私の兄」

 どこか侮蔑の感情を思わせる声で望は告げる。身内の不祥事であるとか、そういった感情には思えない。純粋な、他人に対する負の感情。
 そんな彼女の言葉に、悪いことでも聞いてしまったのかと思い、飛鳥は対応に戸惑う。

「隠されてることじゃないから、調べればすぐにわかること」

 溜息と共に望は言った。飛鳥の戸惑いが顔に出ていたからだろう。

「……えっと」

 暗い空気のままの沈黙は耐えがたい。何か話題を出そうとするが、思い浮かぶもの一つ一つがOTAKU臭か地雷臭さが漂うものばかり。気の利いた文言の一つとして思い浮かばない自分の思考に飛鳥は呆れる。

「私は加古原君に謝らなくちゃいけない」

 は? と、飛鳥が呆けている間に望の頭が深々と下げられる。Oh,Japanese DOGEZA! などと思考が混乱。

「御免なさい」
「ちょ、えっと、アレがお前の兄貴だからって、お前には助けてもらったわけだし、兄弟姉妹がやったことの責任なんて本人には関係ないだろ!」

 何故か言い訳じみた飛鳥の言葉は望に対する気遣いのみではなく、偽らざる本心。姉のとばっちりでオタクオタクとあだ名をつけられ、いつの間にかそれが現実になってしまった飛鳥だからこそ、血の繋がっているだけの人間と一括りにされることには抵抗がある。
 飛鳥の言葉に、顔を上げた望が返したのは酷薄な笑みと小さな「有難う」という呟き。

「でも、そういうことだけじゃない」

 続く言葉を言うべきかどうか悩むように、望は目を伏せ数秒。意を決したように顔を上げ、

「加古原君には、死んでもらう」

 凛と、言い放った。
 一瞬、何を言われたのか飛鳥は理解できなかった。あまりにも唐突な言葉、あまりにも意外な死刑宣告。
 飛鳥の思考が、無意識領域が加速する。走馬灯と同様の原理による知覚加速――ブーステッドによって世界の動きが減速する。
 しかし、望は動かなかった。飛鳥の動きを止めるでも、迎え撃つ構えを取るでもなく、正座のままに飛鳥を見ていた。
 それは油断や余裕とは違う。彼女の顔にあるのは困惑の表情。数秒の後に「ぁ」と小さな声。

「……間違えた。御免なさい、言葉が足りなかった、かな?」
「は?」

 加速した思考も、危険が去ったことを理解して減速していく。停滞していた世界が、少しずつ速さを取り戻していく。

「加古原君には手伝ってほしい」

 混乱した思考は更に混乱する。そも、どう言葉が足りないとその要請が「死んでもらう」の一言に凝縮されるのだろうかとも思うが、それは望のドジッ娘補正によるものだろうと無理矢理に自分を納得させた。
 だが同時に疑問も生まれる。飛鳥は所詮、術式の存在を知って一週間も経っていないような真正の素人だ。先程の襲撃を切欠に知覚加速、物質生成、身体強化といった基本的なものは使えるようになったようだがそれも自由自在に使えるというものではない。要するに役に立つとは思えない。

「満を、討つ」

 静かに言い放った望の声に、表情に、一切の躊躇はない。
 その言葉がただ倒す、拘束する、逮捕する、などといった生易しい意味でないことくらいは飛鳥にもわかる。彼女は、兄を殺すと言っているのだ。

「加古原君にはそのための、彼を誘き出すための餌になってもらいたい」

 彼女の言葉から読み取れるのは覚悟。読心術に長けているわけでもない飛鳥にはそれ以上を読み取れというのは酷な話だ。
 逆、反対、対極。飛鳥はそんな単語を思考に浮かべた。
 彼女、久木望は榊朔とは見事なまでの反転存在であると、そう判ずる。
 銀と漆黒、サカキにヒサカキ、新月に満月、そんな外見や名前についてもそうだが、それ以上に飛鳥への対応について、だ。
 朔は躊躇なく飛鳥を術式の世界へと引き入れた。危険な目には遭わせないと、必ず守ると言って。それに対して望は飛鳥を術式から遠ざけようとした。だが、術式の存在を知っていると告げたら今度は、囮になれと言った、危険があると知りつつも。

「御願い」

 死んでもらう。その望の言葉は、あるいはただの間違いではなかったのだろうと飛鳥は思う。囮となれば死の可能性は決して小さいものではないと、望はそれを理解している。理解した上で、飛鳥へと頼んでいる。

「少し、聞きたいことがある」

 望の頼みには疑問も浮かぶ。囮として使うだけならば、飛鳥を救う必要などなかったのだ。先日、吸血鬼――久木満が朔に対して言ったように、飛鳥を巻き込んでも強力な遠距離砲撃術式で吹き飛ばしてしまえば良かった。しかし望はその選択肢をとらなかった。とれなかったというわけではないだろう。それは矛盾を孕んでいる。

「うん」

 望が頷いたのを確認し、飛鳥は疑問をぶつけていく。

「久木は何で、兄貴をこ……倒そうとするんだ?」

 殺す、とは本人の前で流石に言いづらく、言い回しを改め問う。
 返ってきたのは悔恨の表情。だがそれも一瞬。整った顔立ちからは表情が消え、次の瞬間には仮面の笑み。

「私はそういうモノだから」

 どこか自嘲するように、小さく呟く。

「そういう、モノ?」
「《祓魔の魔剣》」

 突如として望の口から放たれた、剣呑な印象を受ける単語に飛鳥は眉を潜めるしかない。
 その単語が意味するのが魔を祓う魔剣といったところだという直訳程度の考えしか飛鳥は及び付かない。朔であればその単語の意味を知っていようが、ほんの少し術式の入り口に踏み込んだ程度の飛鳥に術式に関する単語を理解しろといっても無茶な話だ。

「私は、久木家の人間はそうやって作られる」

 育てられるでも、教えられる、でもなく、作られる。無機質さを強調したような望の発言に飛鳥は疑問を抱くも、言葉は発しない。問わずとも、彼女が語ってくれるだろうと思ったからだ。

「人外、って言葉に覚えは?」
「……あ、あぁ、一応は」

 人外。最も広い意味としてはヒト――ホモ・サピエンスではないあらゆる存在。一段下がった広義としてはヒトを除いた生物。そこから更に術式を使えない生物のことを除く定義や、あるいは人の姿をしつつヒトではない存在のみのことを指したり、それを除いたりと定義は多種多様である。
 飛鳥が朔にそれを聞いた時にも盛り上がった話だが、グロ生物に魔導書、鎧と人外萌えを次々と発掘し始める某社のゲームは飛鳥、朔ともに好物の一種である。

「私は人外を殺す。そのために作られた。だから殺す。それ以外に理由なんてない」

 どこか狂気じみた望の断言に、飛鳥は思わず術式を発動させる。
 飛鳥はまだ術式を自在に操ることはできない。ある程度の制御はできるのはわかったが、自分の意思で始動させるにはしばらくの鍛錬が必要だろう。それが発動したというのは、つまり飛鳥が心の底から恐れを感じたということ。望の言葉に込められた殺意はそれほどのものだった。

「それは、お前の兄貴が吸血鬼になったから、だから殺すっていうのか?」

 血を吸われた人間が吸血鬼になる。漫画でもアニメでもよくある吸血鬼の感染方法だ。退魔行の途中で吸血鬼に噛まれたのだろうか、そう思って飛鳥は問うも、望の首は縦ではなく、横に振られる。
 そこで飛鳥はあることに気付く。

「久木は……」

 言葉を続けるべきか、飛鳥は悩む。それを問うべきか、問うて良いのか、と。
 祓魔の魔剣。その言葉に含まれた意味を、飛鳥は聞いた。だが、今の彼女の言葉だけならば祓魔の剣と言えば良い。術式を使う魔女ゆえに魔剣、そんな考え方もできなくはない。だが、祓魔の意味が人外を屠るという意味ならば、魔剣と称される意味もそれに準ずるはず。
 最早確信にも近い疑問に、飛鳥は言いかけた問いを呑みこみ、改める。

「久木も、吸血鬼、なのか」

 カラカラに乾いた口の中、放たれた言葉も途切れ途切れとなって、しかし消えることはなく望へと届く。
 今度は、望の首が縦に動いた。
 伝聞と直接印象を抱くのとは違うと飛鳥は思っていたが、まさしくその通りだった。予想していただけと、本人に肯定されるのとでは大きく違う。
 抱くのは恐怖。数年をクラスメイトとして過ごしていた者が、ヒトに在らざるものだったという事実に対する。
 無知は恐怖を呼ぶ。飛鳥は望のことをよくは知らない。吸血鬼のこともまた同じだ。自分を襲ってきた存在と同質の存在に恐怖を抱かないはずもない。

「……そうだよね。恐い、よね。嫌、だよね」

 その言葉は、彼女が術士として、否、彼女の発した今までのどの言葉よりも小さくて、弱々しいもの。
 あるいは、朔のときと同じなのかもしれない、とも思う。自分とは違う世界の出身で、自分の知らない技術を扱う存在だった朔と。だが、それを一括りにして、だから大丈夫だと肯定できるほどに飛鳥の懐は広くもない。
 自分が彼女を恐れているのか、厭うているのかわからないまま、飛鳥は彼女の言葉を否定することができない。

「加古原君は嫌だとは思う。けど、身の回りにいさせてもらう。いつでも対応できるように」

 申し出に、ほんの数分前であれば喜んでいたところだろう。何せ粒揃いのクラスでも随一の美少女が警護につくというのだ。それを喜ばずにいられるだろうか。
 だが、状況はもう変わっている。彼女は人外――吸血鬼。彼女自身に飛鳥を害する心積もりはないことはわかっているが、かといって今までと同様に好意的に見ることができるかといえば無理というものだ。

「わかったよ」

 しかし、飛鳥に拒否という選択肢があるかといえば、無い。
 彼女の接近自体は害があることではないし、飛鳥を囮に使おうとするということは満はまだ無力化されているわけではないということになる。一度ならず二度までも襲撃から逃れた飛鳥を、そのまま見逃すとも思えない。誰かしらの護衛は必要となる。朔に頼むのが現実的な判断なのだろうが、そうするにしても望の存在は邪魔になるということもない。

「……御免なさい」

 他にも聞きたいことはあったが、この空気の中で質問する気にもなれなかった飛鳥は、望の小さな呟きに背を向けて、久木家を後にした。









 昨晩、望の家から帰った飛鳥は珍しく帰宅していた雛にどこに行っていたのかやら帰りが遅いやらと尋問じみた説教を受けたのだ。それから風呂に入り、布団に横になったのが午前三時。更にそこから悩み続けて数時間。
 悩みの種は当然、久木望だ。もしくは彼女が吸血鬼であったこと、と言い換えてもいい。
 人種の違いであるとか、信教の違いであるとか、そんなものは小さな違いだと、そんな些事のために戦争をしている人々が何を考えているのかわからないと、いつも飛鳥は思っていた。だが目の前にそんな状況を置かれてみればどうか。恐いか、嫌かと問う望の言葉を否定することはできなかった。

「なんだかなぁ……」

 自分は恐れているのだろうか。飛鳥の自問に答えは出ない。
 扉を開けて、教室へと入る。いつも通りの喧騒が、どこか遠いもののようにすら思えてくる。
 僅かに遅れて教室の扉がまた開く。入ってくるのは望。彼女はどこかしらから飛鳥を監視していたのだろう。いつ満が現れてもいいように。
 勿論、彼女はそういったことに慣れているのだろうが、わかっていて尚気配や視線の一つすらも感じなかったのは、驚きを通り越して不気味ですらもある。

「……あー、クソッ」

 物静かな吸血鬼の少女は壁際にある自分の席へと着席。その様子からは術士としての彼女が持っていた、どこか狂気にも近い殺意を孕んだ鋭さを欠片として見つけられない。

「どしたのアンタ?」
「ひさ……」

 突如掛けられた言葉と、視界に入った黒の長髪に思わず久木、と言い掛けるも、どうにか呑み込む。そもそも彼女は壁際の自分の席に座っている。

「……ヒサ? 斜塔?」
「おす、果観。ちなみに斜塔はピザだ」

 果観がそんな間違いをするなんて珍しい、と言い返してドヤ顔。

「いや、ピサだから。イタリアだからピザだろうなんて固定観念で見るのやめといた方がいいよ」

 すぐさま溜息と共に果観からのツッコミ。わかっていてのボケだったのか、と気付く。ドヤ顔した手前、激しい羞恥心がやってくる。
 渋いヴォイスの『固定概念だな、森田』という言葉が脳内再生される飛鳥だが、そんなことを果観に言ったところで冷ややかな反応が返ってくるだけだ。朔ならば喜々として反応するのだろうが。

「……固定概念、か」
「固定観念、ね。固定概念は誤用」

 そういえばどこぞのシナリオライターもそんな釈明文を書いていた気がする、と飛鳥は思いながら、横の席を見やる。

「葉河と瀞は……なんだこりゃ?」

 そこにあったのは屍。あるいはそこまでいかずとも準屍という程度には言っていいような、疲労困憊し切った様子の幼馴染の姿があった。
 いつも寝ている瀞については珍しい光景ではないのだが「休み時間に寝るとか勿体無い」と言っている葉河にしては珍しい。

「生物部の活動で山の中にね。瀞と他一人が……そこのアンタだ! 爆笑してんじゃないの!」

 果観の指し示した方向で爆笑していたのは中條百合という女子生徒だった。学生証の写真などを見ると美白を通り越して病的に見えるほどに白い肌もあって深層の令嬢のようなイメージがあり、風が吹けば倒れてしまいそうにも見える。だがその実態は果観に負けず劣らずの破天荒さ。教室の中では女子グループの一員となっているようだが、生物部員ということもあってか果観たちと話していることも多い。生物部員らしく、事実なのだか出鱈目なのだかわからないような逸話にも事欠かないが。

「え? 私?」
「いや、用があるわけじゃないから。てか来るな鬱陶しい」

 果観は拒絶の言葉を吐いているものの、本気の拒絶ではない。同じ生物部である彼女のことを、果観は自分の身内として認めている。

「いつになったら果観は素直になってくれるのかな? 要するにいつになったらデレ期に入るのかって質問なんだけど」

 デレ期であるとかそんな用語も恥ずかしげなく大声で言い始めるところは流石は生物部の一員だなぁ、と飛鳥は苦笑。百合であれば自分のOTAKU趣味を理解してくれるのではないかと話しかけてみたのが失敗の元。彼女の「コイツOTAKUです」という流言によって飛鳥の趣味は暴露されたのだ。
 どうでもいいことだが、彼女には恐ろしいほどに良く似た双子の兄だか弟だかがいる。本人曰く一卵性異性双生児とのことだが、世界に一桁台しかいないような珍しい症例がそうそういるものかと思った記憶が飛鳥にはある。

「……今、なんかだいぶ失礼なこと考えなかった?」
「いや、流石は生物部、変わってるなぁ、って。つうかだからお前ら心を読むなって」
「アンタは大体いつも失礼なこと考えてるから当てずっぽうでも当たる」
「ひでぇ……で、山の中で何が?」

 話を本筋へと戻す。

「瀞と百合が遭難したの。んで捜索して、見付かったはいいけど疲れ切って歩けないとか百合が駄々をこね始める。仕方が無いから葉河に背負わせて獣道やらなんやらとかなりの道を歩いてね」

 葉河は男子だし果観よりも適任、と知らない者なら誰もが思うのだろうが、果観の人間離れした身体能力は飛鳥は勿論、生物部の面々も知るところだ。自分で背負えば良かっただろうに、と飛鳥が思っていると果観は笑み。

「山の中では先頭を歩くのは危険。何か起きたときに対処しやすくしておくのは当然でしょ?」
「……そ、そっか」

 と、納得しかけて、

「いや、だからお前ら人の心読むなっつうに」

 言いつつもそれ以上に、果観であれば百合を背負ったままでもクマくらい素手で倒してみせるのではあるまいか、そんな風に思ってしまう。
 思い出してみれば実際、果観には様々な噂がある。曰く、海の上を走っていた。曰く、貫き手で巨木が折れた。曰く、垂直飛びで雲を突き抜けた。どれも突拍子も無いものでどう考えても真実とは思えない――数日前の飛鳥であれば。

「飛鳥?」

 有り得るのかもしれない。そう飛鳥は思う。彼女の逸話は実は本当で、彼女は術式の世界を知る術士である、というその可能性を。
 彼女は術式を知っているならば、果観にそれを相談することを躊躇う必要もない。だが同時に、飛鳥は理解している。それが自分の弱さの発露なのだということを。
 自分はただ、果観はもう知っているだろうから、という免罪符が欲しいだけだ。それが原因で術式の世界に引き込んでしまっても、それは自分のせいではないのだと。そう考えてしまう自分がいることがわかっているから、飛鳥は言葉を呑む。

「……今度は何トリップしてんの? 他二名が寝てんだからアンタは飛ばない」
「わ、悪ぃ。ちょっと考え事を、な」
「飛鳥が考え事とか気味が悪いんだけど」

 冗談めかした果観の言葉に、飛鳥は肩を竦めて返す。

「ま、いいや。一応相談くらいは乗ったげるけど?」

 全てを見透かしたような、もしくは悪戯を楽しむ童女のような、明らかに違うような、しかしそのどちらの印象も受ける果観の笑み。

「果観は、さ、人と違うっていうのを、どう思う?」

 術式のことを打ち明ける決心のつかない飛鳥は、吸血鬼やら人外といった直接的な言葉は使えない。使えば勘の鋭い果観は、たとえ知らなかったとしてもここ数日の飛鳥の言動から術式に辿り着いてしまう可能性があるかもしれないから。そうでなくとも、そんな妙な喩えをすればゲームか何かだろうと勘違いされるからだ。

「人と違う? 個性ってこと?」
「んっと、どっちかって言うと人種差別の方かな」
「人種差別ねぇ……アンタが私に何を期待してるのかはある程度わかるけど」

 果観は理不尽だが、基本的に他人に対しては平等だ。誰だろうとほとんど気にしない、という意味だが。果観が対応を変えるのは他人ではない者――飛鳥や、生物部の面々などといった、ごく小さなコミュニティ――彼女の言うところの『身内』だけだ。
 だがそんな、誰に対してでも変わらない視点で見ることのできる果観だからこそ、飛鳥は聞いてみたかった。

「主義主張はまぁ、良いんじゃないの? 人にはそれぞれ色んな考え方がある。そういえば前に葉河と話したことがあったっけな。ほら、私らって少数派(マイノリティ)でしょ? 趣味的に」

 果観の趣味と言われても思い浮かぶのは打撃、凶器の投擲エトセトラ、暴力沙汰しか出てこない。そう言おうとして、寸前で踏みとどまる。流石に命を張って誰にウケるわけでもないギャグをするほど飛鳥はエンターテイナーではない。果観と葉河に共通する趣味といえば『虫』だ。生物部らしいといえばらしいのだが、果観の容姿で躊躇なくクモなどを手に乗せているのを見ると、飛鳥のような彼女の性格を知る者はともかく、他人から見るとたいがいな衝撃映像であるという評価が多い。

「その時には無理に理解を求めようとは思わない。だけど人の趣味にケチをつけるな、ってそんなスタンスを保つってことで話が終わったんだっけ」
「要するに他人の主義主張には口を出さない。ってことか」
「そゆこと」

 出来の良い生徒を褒めるように、果観は頷く。瀞が大きく伸びて、起きたかと思えば再び机に突っ伏す。

「果観自身は、そういう……なんつうか、自分とは違う、黒人とか白人とか、そういう人に友達になろうって言われたらどうする?」

 なにそれ? と果観は苦笑し、悩む様子も見せずに口を開く。

「多分断るんじゃないかな、やっぱり」

 飛鳥の想像していたものとは逆の果観の回答に、思わず「え?」と疑問の声が漏れる。

「あぁ、わかってると思うけど、私は人種だとかなんだとか、そういうのには拘らないよ?」
「ただ単純に新しく友達作る気がないと」
「正解。人は自分でカバーできる範囲ってのが限られてるから、下手にその輪を広げて端に手が届かなくなるよりも、手入れのできる箱庭サイズの人間関係の方がやりやすい」

 手を広げず、本当に大切に思えるものだけを大切にする。果観が言っているのは要するにそういうことだ。明言こそしないものの、果観は飛鳥や葉河、その他限られた『身内』のことを本当に大切に思っているということは飛鳥もよくわかっている。
 相変わらず考え方が達観しているなぁ、と口には出さずに飛鳥は思う。そんな考え方も彼女を遠いと感じてしまうことの一因だ。

「じゃあ果観。たとえば俺が、実は人間じゃないんだ、とか言ったらどうする?」

 一歩踏み込んだ飛鳥の問いに、今度は果観が唖然とした表情で硬直。

「……ごめん、私脳外科医にも精神科医にも知り合いいないから紹介してあげられないや」

 そう言って果観は、大きく溜息を吐き出す。芝居がかった所作だが、実際果観も本気でそんなことを言っているわけではない。

「馬鹿なこと言うねアンタは。アンタはアンタ。人間であるかどうかなんて些事は個人の本質に直接的には関係ない」
「そっか。そうだよな、果観だったらそう言うと思ってた」

 人か、人ではないか。生物の種としての違いを果観は些事と言った。ある意味で予想通りの答えではあるが、それでも彼女の躊躇ない答えが飛鳥の迷いを払う一助となったのは確かだ。
 吸血鬼だからって関係ない。
 昨晩、望に対して告げることのできなかったその言葉を、飛鳥は今ならば言えるような気がしていた。何故そんなことに気を回したのか、と問われても明確な答えを出すことはできない。とりあえず、助ける必要はなかったはずの自分を助けてくれたクラスメイトを、ただ出自を理由に疎むという状況がやりづらかった、ということで自分の中で結論づける。

「ねぇ、飛鳥」

 呼び掛ける果観の声。いつも浮かべている悪戯っ子じみた笑みはなりを潜めていた。

「逆に一つ聞かせて。アンタは、私が人間じゃないってわかったら、どうする?」
「んー」

 一瞬悩むも、答えはすぐに出た。数年来の友人に、今更遠慮をする必要も無い。

「魔法の存在を証明されるのと同じくらい驚いて、納得すると思う」

 飛鳥の回答に果観は「はぁ」と息を吐き、滑らかな黒髪を乱雑に掻く。そういった様子を見ると、下手な男子以上に服装やら髪型やらに無頓着な果観が、どう
やって髪の滑らかさやらを保っているのか疑問に思えてくる。

「……アンタは一体私を何だと思ってんの?」

 ポキリ、ポキリと指の骨を鳴らす果観の言葉に、飛鳥はいつも通りの他愛ない生命の危機を感じる。ただ、今すぐにでも拳を振るわんとする果観の表情は、何故か満足げだった。






ΦあとがきΦ
 飛鳥、少し成長? いや、ただ優柔不断で友達の後押しが欲しかっただけですね。えぇ、その程度の小市民ですよ彼。
 夕方に公園を歩いてるだけで襲撃とかありえねぇ、結界とか貼れよ、てか警察は何をやってやがる、と思った方。
 基本的に犯罪者は人目につきづらい夜間に行動を起こしますがあくまで基本的。これは術式云々とは無関係な普通の犯罪者の思考と考えてください、見付からなければいいのだよ。見付かっても相手次第ではどうとでもなるわけで。
 結界。一応認識阻害の術式はありますが、そういうものは術式に対して抵抗力を持たない人に対してであれば接近を阻めるもんですが、術士からすると逆に不自然であることが勘付かれるので術士に気付かれたくない身としてはむしろ使うという選択肢はありえないという感じです。まぁ結界内部での術士同士の戦いは私闘扱いですが。
 警察。こいつは宮並には存在しません。術式のことが広がってしまうのを避けるために色々と手が回って、ということで。その代わりに朔のようなお雇い術士が術式関連のことに手を出したり、警察の真似事をする術士がいたりしますが。
 あと軽く描写されていますが無駄設定を追加しておくと、宮並にはマンションやアパートといった下宿がほとんどありません。あっても普通には入居手続きをどこからすればいいのかすらわからんようなものとなっています。
 ……大分無法地帯ですね要するに。


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