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[25265] 【習作】天の青い象 (現代ものオリジナル)
Name: うずまき◆2646bb60 ID:f4a3c970
Date: 2012/10/11 20:37
はじめまして、普段は個人サイトでぼちぼちやっているものです。

先日ミケさんにこちらのサイトをご紹介いただき、投稿に至りました。
投稿の際、ミケさんには大変お世話になりました。ありがとうございます!

[作品について]
・日常不思議系

・ほのぼのだったらいいなあ

・作者に野球の知識はありません

・作者に美術の知識はありません

・象はテレビで見たことがある

・ソラ編 全9話完結(10/11)

10/11
物語を始めるより終わらせる方が難しいなと思いました



[25265] 01 犬
Name: うずまき◆2646bb60 ID:f4a3c970
Date: 2011/01/04 22:40
「ヨウタ、学校はどう? 楽しい?」

「んー……。別に。普通」

「普通って。お友達は? 出来たんでしょ?」

「まあ人並みに」

 高校に入学して早四ヶ月。月日は矢のように飛び、勉強勉強部活勉強の日々は僕に思い出をつくる暇さえ与えてくれない。それとも単に思い出に残るような鮮やかな日々ではないのか。
 入学した頃に期待した漫画のような熱い友情ストーリーがあるわけでも、胸トキメク出会いがあるわけでもなかった。
 まあ人生こんなものだと達観した域に早くも達してしまって、毎日つまらない日々である。

「なんか楽しい事ひとつくらいあるでしょう」

「楽しいは楽しいけど、そんな心に残ることはないよ」

 母はいったい僕の青春に何を期待しているのか、そんな事ばかり聞いてくる。
 今日も朝から僕の色あせた青春ストーリーを不服そうな顔で聞くのはやめてほしい。別に僕だって好きでこんな生活してるわけじゃない。
 友達のくだらない会話も、先生のつまらないダジャレの後にくる笑いも、そりゃあつまらないことはないけど。誰かに話すような事は何一つ無い。
 母は諦めたようで、しばらくの沈黙したあと話を変えた。

「そういえば、来週の日曜日お母さんソラちゃんのお見舞い行くけど一緒に行く?」

 朝の占いをぼやっと見ながら上の空な返事を返した。

「ソラ? また入院したの」
「ええ。大分体は丈夫になったって聞いたけど――」

 ふとテレビの時計を見ると遅刻ぎりぎりの時間を指していた。

「あっ。やば。時間だ」

 母の言葉を耳の端で捕らえながら、急いで朝飯をかきこんで席を立った。
 急いで鞄をひっつかむと玄関に駆け込んで、靴の中に足をつっこんで履ききらないままドアノブに手をかけた。

「ちょっとヨウタ、行くの、行かないの?」

「部活あるから無理! じゃあ行ってきます!」

 提出日の期限が近づいているのを思い出して朝から気が重くなった。
 思い鉄のドアを開けるとセミの大合唱が耳を襲った。朝っぱらから暑い日差しをガンガン送っている太陽に背を向けて駅に向かった。




 音楽を聴きながら電車にゆれているうちに考え事を一つ。
 
――最後にソラに会ったのはいつだったっけ。

 八つ下の従姉妹の子。あの時はまだ五歳くらいだったかな。僕がまだ中学生の時だ。やたら色白で手足も細くて、見た目通りの病弱な子だと聞いた。けどいつもニコニコ笑っていて、遊んでいるうちにそんな事も忘れてしまったけど。
 母親達がおしゃべりをしている間子守を任せられたっけ。親には絵本とか絵を描いて遊べって言われてた。絵を描くのは好きだったんだけど、野球が好きだったあの時の僕はだんだんつまらなくなってきて、ソラに柔らかいボールを使ってキャッチボールしようと誘ったんだ。必死でボールを捕まえようとするソラと遊んでると楽しかったけど、親に見つかって怒られた。ソラは体が弱いのになんて事させるんだとソラの居ない所でこっぴどく叱られた。

 あまり良い思い出じゃないな。よかれと思ってやったのに。
 お見舞い行けないのは大正解だったかも。どうもあの子と遊ぶのは苦手だ。

 ――また、入院したのか。しばらくそんな話しは聞かなかったから、体は丈夫になったんだとばかり思っていた。


 次の駅でドアがあいて、制服を着た学生が十人くらい乗り込んできた。ほとんどは自分と同じ学校の制服だがほんの二、三人違う制服を着ている。
 朝だと言うのに生徒達は元気いっぱいで、一気に車内の喧噪が酷くなった。電車のドアの側にある手すりによりかかりながらウォークマンの音量を上げる。
 向かいに立っている大きなスポーツバックを腰あたりにさげた丸坊主の生徒はこちらに背を向けて外の景色を眺めていた。バッグには大きな文字で学校の名前が刻まれている。
 自分もあの鞄をかける道を選べただろうか。いや、選べたら良かったのに。
 そのたくましい背中に羨望せずにはいられなく、僕は背中を向けて窓の外に目をやった。

 野球をはじめたばかりの頃はよかったんだ。まだ望みがあった。自分もやればできると信じていた。けれど、そうではなかった。
 人間、センスというものがあり、それが皆無だとどれだけ練習しようがどうしようもないのだと、あの三年間で思い知らされた。まあ、つまり、根性が無かったというだけの話しになるけど。

 高校では野球はあきらめて美術部に入った。インドア人間の道が自分に合っている道なのかはさだかではない。元々絵は好きだったし、美術の成績もそこそこだったけど、本格的にやるとなると気がめいった。大きなカンパスを前にどうしてもおろおろしてしまう。
 いやいや。頭を振った。今度こそ、最後まで粘るんだ。






 ――と言ってもこれはなぁ。

 未だに真っ白なスケッチブックに自分で自分に呆れた。これはセンスとかの問題じゃない。モチーフすら決まらないなんて……。
 はあとため息をついて、椅子に倒れるように座り込んだ。周りを見渡せば黙々と作業に没頭している部員達。もう既にカンパスに思い思いの色で彩っている。

 こんなんだったら、まだ野球やってたほうがましだったかな。
 窓の外に目をやれば暑い中野球部が汗水流して練習をしている。彼らは輝いている。泥だらけのユニフォームも焼けた小麦色の肌も、額から落ちる汗も、全てが輝いて見える。
 どうして僕だけこんな風にくすぶっているんだろう。みんなまっすぐに道をすすんでいるのに、僕はぐにゃぐにゃとうねりながら進んでいる。どうしてこんなふうになってしまったんだ。

「まだ何も描けないのか」

 背中から声がして身を縮めた。

「す、すみません。今週中には下書きを……」

 目も合わさずに言うと顧問は深いため息をついて何も言わず去っていった。ああー……呆れられてる。春の作品もまともに仕上がらなかったから当然か。
 なんで美術部なんか入ったんだろ。
 今更な思いが浮かんできて、自分が嫌になった。何もできないのを苦痛に感じて、僕は思いきって道具を片づけて美術室を出た。
 今日はもう帰ろう。寄り道いっぱいして気分転換でもしよう。

 玄関を出て、運動部の声につられそうになったが、無理矢理背中を向けた。僕はそっちには行かないって決めたんだ。
 こんな変な時間に、流石に帰ろうとする生徒は居なくてほっとした。なんとなく誰かに会うのは嫌だった。

 ところが、校門のあたりにきて人影をみつけた。女子生徒が校門の側にしゃがんで何かと話しをしている。肩までの長さの髪の毛が顔が隠している。
 ジベタリアンの類かと眉根をよせた。しかし仕草を注意深く見ていると、犬か猫を撫でている動作のようだ。その生徒は僕には全く気づいていないようで夢中で動物と戯れている。
 動物――動物かいてみるのもいいかもしれないなあ。なんて思ってその子が遊んでいる動物を見ようと目をやると――目を疑った。

 驚きのあまりか、我知らず、足を固めて突っ立ったまま、その様子を見ていた。

 彼女は、僕には“見えない犬”を撫でてかわいがっていた。
 声までかけて、彼女は笑いながら――

「あはは、かわいいなあ犬ー、うれしいの? 犬ー」

「あ、あの?」

 恐る恐る声をかけると、その子は僕の声に飛び上がって驚いた。その驚きように僕も驚く。僕の顔を見て彼女の顔がさっと青くなるのが見て取れた。
 しばらくお互い見つめ合ってどうやって声をかけようか模索している間に、

「だ、誰にも言わないで!」

 と、その女子生徒はそれだけ僕に言いつけて走り去っていった。

 ――なんだったんだ今のは?

 ぽかんと口をあけたまま、さっきまで彼女が撫でていた“見えない犬”がいた場所を見た。確かに何も居ない。アスファルトの上には犬どころか草すら生えていない。

 きっと、幽霊とか見える子なんだと、歩きながら自分の中で結論づけた。この学校だってけっこう大きい。こんなに人間が居るんだから、隠しているだけで、そんな人間が一人くらい居てもおかしくはないだろう。幽霊なんて見たことはないし半信半疑で今まで生きてきたが、あの子のお陰でその存在を肯定できるかもしれない。
 あの校門の所に何か居ると思うと少し背筋が寒くなったが、納得できたのはいいことだ。適当に頭の中で片づける。



 気分転換なのに変なものを見てしまった。やっぱり寄り道はやめてさっさと家に帰ろう。









 一晩考えて、結局良い案は何も浮かばなかった。
 またやってきた窓枠の向こうの朝を呆然と見て、心の中でため息をついた。あー学校に行きたくない。起きあがった体でそのまま前に倒れ込んで、ベッドにつっぷした。あー学校行きたくない。

「起きなさい! 遅刻よ!」

 しばらくすると借金の取り立てみたいに母に戸を叩かれて、それからのそのそ起きあがって服を着替えた。



 いい案が浮かばなかったのも、寝付きが悪かったのもきっと昨日へんなものを見たせいだ。
 いつもはなんとなく通り過ぎる校門の前で少し歩く速度を落とす。

 やっぱりあそこになんか居るのか? ――なんか居るよーなそんな気がしてくるのはなんでだろう。

 僕はできるだけそこから離れ、息まで止める徹底ぶりで校門を通った。
 何やってるんだろう僕。

 放課後を迎え、また白いスケッチブックと睨めっこだ。あまりにも何も浮かばなく、しまいにはイライラしてきて、無意識に鉛筆を机にカチカチぶつけていると先輩に睨まれた。
 ときたまグラウンドの方からカキンという心地のよい音を聞くとどうしてもそっちに目が行ってしまう。もう何度も見ないようにしようとしているのに、いつのまにか首がそっちを向いているのだ。
 今日だって同じだった。授業は寝こけながらなんとかやりすごして、相変わらず絵の構想は浮かばない。いつもと変わらない日だったのに。
 このときだって無意識だった。見ようなんて思わなかった。

 ――カキン

 丁度大きいフライが上がった。もしかしてホームランか。いや違う。ただの外野フライだ。野球部だっていつもどおりだ。

 走れ、取れ、取れ、よしそこ――なんだあれは?

 フライを取りに行った選手の向かう先に何か、真っ青で大きなな何かがいる。野球部はあれに気づいているのかいないのか、少しも動じずに球を追いかけ、取り損ねた。
 見間違いかと目をこすっても確かにそれはそこにある。青い、小さな山ほどの大きさがある。ただのブルーシートだろうか。いや、心なしか少しずつ動いているような気がする。
 あっ。今何か細長いものが揺れた。
 こんもりとした青い山から伸びた細いものは床をさぐっている。何か探しているの?
 僕の目はグラウンドに釘付けになっていた。泥まみれで汗を光らせる野球部員でも、可愛いマネージャーでもない。
 グラウンドに突如現れた、見たこともないくらい真っ青な――

「こら」

 頭に軽い衝撃があって、突然現実に引き戻された。見上げれば青白い顔を怒らせた顧問が僕を見下ろしていた。

「そんなに野球部が気になるなら野球部に入ればよかったろ」

「すみません。でもっ」

 僕は今見た不思議なものを誰かに教えたかった。あれは何かと説明してほしかった。
 しかし、視線を戻した先には、泥だらけの部員しか居なかった。グラウンドには青い色をしたものすら置いていない。

「――あれ?」

「いいから、お前はさっさと下書きしろ」

 もう一回頭を丸めた資料で叩かれて、僕は首をかしげながらスケッチブックに向かった。
 今度は鉛筆をまっさらなスケッチブックに置いた。



 そう、さっき僕の目に映ったのは、見たこともないくらい真っ青な――象。





[25265] 02 青い象
Name: うずまき◆2646bb60 ID:f4a3c970
Date: 2011/01/22 16:31
 スケッチブックには謎の象が一頭。
 昨日珍しく手を動かしている僕の様子を見に来た先生は、僕の絵を見ると変な顔をして何も言わずに去っていった。

 ――やっぱりおかしいよな。

 学校のグラウンドに象がいるわけがない。それも真っ青な。絵にかいたような、そんな象。
 何かの見間違い、思い過ごし、幻覚――幽霊。あ、幽霊。その言葉と同時にぱっと浮かんだのは校門。幽霊と遊ぶ女の子。
 校門の幽霊といい、グラウンドの象といい、この学校はなんなんだろう。そういうたまり場だったりするんだろうか。自分の絵を見て唸った。
 もしかしてあれも幽霊? あのグラウンドで象が死んだ――とか。いや、ありえん。どう考えてもここは日本だ。動物園だって近場にないし。そんな噂聞いたこともない。

 それでもなんとなくで、スケッチブックの象の周りにはフェンスや生徒、踏み固められたグラウンドの地面が付け足されていく。
 いつのまにかスケッチブックの余白は無くなってきたが、記憶の薄れた今はこんなんじゃないと描き直したくなってくる。もう一回あれが見られたらいいんだけど。
 そんな不吉な考えに首を振っていると、ふいに先生がやってきて僕のスケッチブックを取り上げた。そしてその絵をまじまじと見てから

「なんなんだこれ」

 と普通にツッコミを入れてきた。説明しようとしたが僕には言葉も信憑性も足らない。術無くて何も言えずおろおろしていると

「まあいいや、時間無いしこれでいけ」

「え、これ描くんですか?」

「そのつもりで描いてたんだろ」

「あ……はい」

 そうでした。僕は今提出用の作品を作っていたんでした。
 おかしなものの登場ですっかり頭が横道に逸れていた。
 もう一度自分でスケッチブックを見直す。
 生徒に紛れてグラウンドにたたずむ一頭の象。

 ――これを描くのか。

「う~ん……」




 その日から僕は青い象を描くことに没頭した。没頭するしかなかった。
 正直象は記憶だけじゃうまくかけなかったから図鑑を借りてきたし、あの時の異様な雰囲気そのままをカンパスに映し出すのは至難の業だ。
 僕はこう見えても写実主義なんだと言い張りたかったが、こんな象が真ん中にでかでかと居る時点で誰にも信じて貰えないだろう。

 木曜日に下書きが終わって金曜日に色塗りに入った。土曜日の部活は午前でみんなさっさと帰る中、僕は午後まで粘ったがみんなに追いつくのは無理だった。他の部員はもう大方できてるから来週水曜の期限には間に合うらしい。どうしてみんなそんな優秀なんだ。
 僕も下書きできてから超高速、若干手抜きを入れてなんとかここまでやってきたのだから、期限には間に合わせたい。先生に無理言って日曜日も美術室を開けて貰うことにした。先週からそのつもりだったけれど。


「じゃあ、お母さんお見舞いに行くからね」

 日曜の朝、エプロンを脱ぎながら母が言った。

「お見舞い? 誰の?」

「だから言ったじゃない。ソラちゃんの」

「あぁ」

 すっかり忘れてた。そんな事も言っていたような。

「本当に行かないの?」

「行かないって。部活、期限やばいんだ」

「ソラちゃんきっとがっかりするわ。ヨウタの事気に入ってたから」

「はは。僕のことなんか忘れてるよ」

「あら、あんなにヨウタになついてたじゃない。家の中で野球までやって――」

「覚えてるよ。母さんに叱られた」

「仕方ないじゃない。ソラちゃんは体弱いのに……」

「はいはい、すいませんね」

 また今更怒られるのはごめんと声を大きくして言うと母は口を閉じた。

 姪のお見舞いだっていうのにやたら着飾る母を見送ってから、僕も家を出た。
 いつもよりも遅い電車で学校に行くのはなんか変な感じがする。いつも次の駅で乗る野球部が乗ってこない。日曜日はオフかな。つまり今日はグラウンドには誰も居ないって事だ。集中できるかもしれない。

 学校は野球部どころか他の色んな部活も休みのようで静まりかえっていた。午前中はバスケ部が体育館に居たようで、耳をすませば体育館からなんて言っているのかよくわからないかけ声が小さく響いてくる。
 午後になればこんな広い校舎をそれこそ貸し切り状態のようなものだった。先生すら見に来ない。
 そんな静かな空間で、僕の筆のスピードはだんだんと落ちて、遂には止まってしまった。

 ――なんっか違うんだよなあ。

 カンパスを遠くから見つめる作業に三十分も費やしている。ちょっと雑な所あるけど、みんなに追いつけたんじゃないかと思う。もうほとんど完成なんだ。もっと書き込んで、色を置いて。
 でも何かが違う。象を書き込めば書き込むほど遠のいていく気がする。グラウンドにたたずむ一頭の象。象は象だ。だけどあの青い象じゃない。なんでだろう。

 ――もう一回きてくれたらなあ。

 もう幽霊だろうがお化けだろうがなんだってこい。そう思うほど僕は煮詰まっていた。
 しかし何回グラウンドを覗こうが青い象どころか普通の象すら居ない。当たり前だけど。

 野生の象が高校のグラウンドに乱入か――大ニュースだな。

 一人ではははと笑いながら、椅子にもたれかかった。そのまま無意識にグラウンドに目をやると、さっきまで居なかったものがそこに居た。
 ここからだと小さい豆粒ほどにしか見えないが、それはただの人だった。あの色合いからするとこの学校の女子の制服だ。今見たいのは人ではなく象だが、暇をもてあましている自分(本当は暇じゃないけど)にとっては充分観察の対象になった。
 なんで日曜日に生徒が制服姿であんな所に居るんだろう。地面がじりじりと焼けるほど熱いこんな日に。
 その時不思議には思ったが不審には思わなかった。野球部のマネージャーとかがせっせとグラウンド整備でもしているんだろうかと、よく事情も知らないが勝手に納得していた。

 動くものが何もない休日の学校で、僕はなんでもない女子生徒の様子をぼーっと眺める。
 女子生徒は手を挙げて不思議な動作をしている。別に友達が居て呼びかけているのだろうか。しかしグラウンドの周りを見回してみたが誰かの気配は無かった。
 首をかしげて見つめていると、女子生徒は不思議な動きを繰り返している。変な踊りのようにも見えたが、それにしてはリズムが悪い。

 ――なんかの宗教? UFOでも呼んでるのか?

 一度はばからしいと首を振ったが、あの青い象といい、あの幽霊と遊んでいる女子といい、この学校以外にも変なものが多いんじゃないか。あの子がUFOを呼んでいてもおかしくないような気がしてきた。普段みんなが見落としているだけで、僕はたまたま気づいてしまったんじゃ――
 その時僕はもしやと思った。あの女子生徒の髪の長さ。あの幽霊と遊んでいた女子と同じくらいじゃないか。もしかしてあの子がまた幽霊と遊んでるのかも。

 いや、馬鹿馬鹿しい。あのくらいの髪の長さの子なんていっぱいいるじゃないか。
 もしそうだとしてもそれがどうしたんだ。僕は立派な凡人であってあの子の世界に踏み込んだりなんか出来ないんだから。

 そう頭で考えても、僕の胸の隅で、忘れかけていた欠片が少し煌めいたのは確かだった。
 最近の出来事が僕の無彩の世界を少しでも彩ってくれればいいのにと、胸の内で期待しているのだろうか。
 でも結局、それが人生を面白くする要素を持っていたとしても、そういったドラマはいつも僕の横を通り過ぎていく。今回だってきっとそうだ。
 何かを期待するのが間違ってる。
 
 気が散ってしょうがない。今日はもう帰ることにしよう。



 家につくと母は既に帰宅していた。ただいまを言うとすぐに部屋に閉じこもった。だから、僕は母の少しの変化にすぐに気づくことが出来なかった。
 いくら消し去ろうとしても、頭に象やあの女の子の不思議な動きが頭によぎって眠ることさえできない。勉強も手に付かないし。

 あぁ――なんなんだ最近。疲れてるのかな。

 何か飲もうと部屋から出ると母は椅子に座ってテレビを見ていた。僕は冷蔵庫を開けて中から麦茶を取り出した。
 なんでもいいから頭に別の意識を入れたくて僕は母に話しかけた。

「お見舞いどうだった」

「ああ――そうね」

 母はなんだか良くわからない返事をしたが、それはテレビに夢中になっているせいだと思った。

「ソラはどうして入院したの? 風邪でも引いた?」

「いや、体は丈夫になってきたのよ。風邪じゃ入院しないわ」

「じゃあなに? 伝染病?」

 夏だから、何か悪いものでも食べたのだろうか。
 麦茶をついで、冷蔵庫に戻して母を振り返るとこちらを見ていて驚いた。深刻そうな面持ちで僕を見つめている。もしかして命に関わる問題なのだろうか。

「そんなに重いの?」

 僕があまりにも心配そうな顔をしたからだろうか、母はくすっと笑った。
 しまった、はめられた。

「もう、やめろよ、そういうの」

 僕は恥ずかしくなってコップを持ったまま部屋に戻った。

「ヨウタ――」

 背中に母の声が聞こえたが僕は聞こえないふりをした。








 そして、僕があの象と再び出くわすのはそう遠くなく、何の前触れもなく僕の視界を鮮やかに彩った。

 購買で買ったおにぎりが一つ手から滑り落ちたのも気にせず、僕は窓の外を食い入るように見つめていた。

 誰も居ないグラウンドの上に、空よりも青い――

 廊下には僕以外にグラウンドを見ているヤツは一人も居ない。やっぱり誰にも見えていないんだ。
 走り出したい衝動にかられ、一瞬の不安がそれをとどめた。目を離したら、またふっと消えてしまうんじゃないだろうか。
 それでも気づけば僕はおにぎりを置き去りにして駆けだしていた。そのまま玄関に向かって一直線に走る。象が逃げてしまう前にどうしても近くで見たい。

 象はそこにいた。何もないグラウンドをつまらなさそうに、長い鼻をゆらしてのっしのしと歩いている。

 グラウンドに続く石段を降りて、僕は今更尻込みした。象と同じ地面に立って恐怖を覚えた。
 本当に象だ。見間違いなんかじゃなかったんだ。
 しかし、驚くほど青い。僕はその目が覚めるほどの青に目を奪われてしまった。動物学者が見たら、この象と同じくらい真っ青になるんじゃないだろうか。

 幽霊? お化け? だとしたらどうする。僕は、自ら襲われに来た馬鹿になるのか。

 象はまだ僕の五十メートル程先に居る。僕にお尻を向けて歩いていたが、ふいに立ち止まるとゆっくり体の向きを変え始めた。
 僕に気づいたんだ。こっちにむかって歩いてくる。
 恐怖からか、好奇心からかはわからない緊張で心臓が早く大きく、冷や汗がどっと溢れてきた。それでも、逃げたくなる衝動は起こらなかった。恐怖の限界点? ――いや、そういうんじゃない。

 象が僕に近づくにつれて、遠くからは見えなかった象の細部が見えてきた。落ちくぼんだ優しげな目。大きな足とその爪。その全てが青い。
 世界中から絵の具を取り寄せたってこんな綺麗な青は作れないだろうと思うほど、その青は僕にとって美しかった。
 今まで見たこともない色――そんなのおかしい。見たことのない青だなんて。頭では思っても、直感がそう感じていた。僕の単調な世界にくっきりと浮かんでいるのだ。
 恐怖と好奇心、そして言葉にならない感動が僕の胸の中を縦横無尽に飛び交っている。僕は口をぽかんと開けたまま、言葉もなく象をただ見つめていた。

 象はだんだんと僕との距離を縮めていく。
 そしてもう一つのおかしいことに気づいた。
 今日も夏まっさかりで太陽はカンカン照りだっていうのに、この象には影が一つもない。全くの平面のように見えた。まるで青い折り紙を切って作った切り絵のような象が、三次元に貼り付けられているようだ。だけどちゃんと鼻は揺れて耳は波打っている。一コマ一コマが滑らかに動くアニメーションのようだ。
 ついに手が届く距離でその象が立ち止まったとき、僕は圧倒されて腰を抜かした。その場に尻餅をついて象を見上げる。象は長い鼻をゆっくり持ち上げて僕の頭の上にかざした。目の前にものがあるのに影が落ちてこないのは不思議な感じだ。
 そしてその鼻がぼくの頭に触れたその瞬間、青い象の体がすっと薄くなった。象の向こうに鉄棒が見えたと思うと、あっという間に透けて空気に溶けるように消えてしまった。

 僕は呆気にとられた。頭に残った象の鼻の感触。そよ風が僕の頭をなでただけの、かすかな感触。それなのにその感触は僕の頭にずっとと残っていて、僕は呆然と誰も居ないグラウンドを見ながら自分の頭を掻きむしった。









 放課後を今か今かと待った。授業もほとんど頭に入らない。頭の中はあのブルーで埋め尽くされていた。
 僕は終業のチャイムと同時に教室を飛び出し、美術室にかけこんだ。パレットに群青をたくさん出して原色のままカンパスに塗りつける。でもきっとこれでもまだだめだ。あんな綺麗な青にはならない――

 程なくして青い象は完成した。全部同じ色では何がなんだかわからないので必要な所は色を変えなければならなかった。やっぱり本物をそのままというのは難しい。
 今日はその作業で力尽きた。だけど僕は今までにない充実感が体中を満たしていた。
 今までやってきた色塗りが全部ぱーになったのはどうでもいいんだ。カンパスを眺めて僕は微笑んだ。今までで一番似ている。
 あとは背景を残して部活を終えた。平面の象が目立つように背景はしっかり描こう。

 先生はあんなに描き込んだ象を一気に平面にした僕をまた変な顔で見たが、やっぱり何も言わなかった。



[25265] 03 少女
Name: うずまき◆2646bb60 ID:f4a3c970
Date: 2011/03/01 19:39
 青い象の絵が完成してから、僕は今までにないほどの開放感を味わった。あの象をスケッチブックに描き出してからというもの、まるで青い象に取り憑かれていたようだ。あれからしばらくグラウンドに象を見ることもなくなり、不思議な一週間だったと僕が首をかしげるだけで、青い象の噂話すら聞かない。やっぱり僕にしか見えないものなのだろうか。悪くて僕の妄想――いや、良くて僕の妄想だ。


 僕はまた何も変わらない平凡な日常に戻った。
 たわいのない談笑の声。蒸し暑い空気。単調なセミの声。太陽に焼けた花。淡々と流れる雲を見ながら、ため息を吐いている自分に気づいて更にげんなりとした。
毎日というのは、こんなにも詰まらないものだったろうか。つい最近までは、何もないのが普通なのだと不満に思う事など無かったのに、いつの間にかこの日常に飽き飽きとしている自分が居る。

 僕のこの急激な心境の変化の原因は分かりきっている。あの象しか居ない。

 僕は非日常を体験してしまった。あの象を見たときの時の高揚感が忘れられないのだ。色あせた夏を彩る青。決してグラウンドを泥だらけになって得られるような輝きはない。それは灰色の画用紙に絵の具をひとつ落としたような大きな染み。他人は異様に思うかもしれない。けれど、くすぶった世界を生きていた僕にとってそれは甘い蜜だった。


 あの象を見て、真っ白いカンパスに夢中で書き込んでいたのが遠い昔のようだ。

 気づけばグラウンドをぼうっと見ている自分が居る。今僕が探しているのは、置き去りにしてきた野球への気持ちではない。
 もうあんなものは見たくないと思いながらも、心のどこかであの青を探している――






「白井、陽太?」



 名前を呼ばれて、弾かれたように振り返った。
 いつの間にかそこに立っていたその子の顔を、僕は知っていた。彼女もおそらく僕の事を知っている。そして僕を見て何故か驚いた顔をしている。僕も驚いていた。なんで僕の名前を知っているんだろう。

「校門の幽霊――」

 僕が言いかけると、その子は慌てて口に指を当てて僕を黙らせた。キョロキョロと尾行中の刑事のようにあたりを見回して、もう一度僕に向き直った。
 そんなに気にしなくとも、周りには誰も居ないのに。そう思いながらも僕は一応謝った。

「ごめん」

「いいの。誰にも言ってないなら」

「言ってないよ。もちろん」

 昼休みの校庭には誰も居ない。こんな炎天下の中、雑草ですら暑さでへたれている校庭に足を運ぶ物好きは、僕ら以外に誰も居なかった。
 自分でも、なんでこんな所に来てしまっているのか笑ってしまう。暑さで頭をやられているのだろうか――

「白井君は美術部?」

 藪から棒にその子は聞いてくる。眉根に皺を寄せて、深刻な話でもするように。

「え、ああ。うん、そうだけど」

 その表情と話の内容のギャップに戸惑いながら答えると、

「この前絵描いたでしょ――象の」

 少し迷った口調。彼女の丸い瞳がゆらゆら動いた。
 僕は“象”という単語に、頭をぶたれたみたいに一瞬意識がふと飛んだ。

「何か、見て描いたの?」

 定まらなかった視線が、ひたと僕を見据える。

 いや、僕が想像して描いただけだよ。あんな青い象が、しかもグラウンドに居るわけないじゃないか。
 ただの知りたがりで聞いてきたヤツだったら僕は慌てながらもそう答えていただろう。けれど彼女はただの知りたがりなんかじゃない。彼女がかつて“見えないもの”と遊んでいたのを僕は知っている。

 ――この子、わかっているんだ。

 全て見透かしているような、丸くて透き通った彼女の瞳。僕の体をゆっくりと、じわじわ上がってくる熱を感じながら、僕は頷いた。
 
「やっぱり!」

 不安そうだった彼女の顔に笑顔が花開いた。
 さっきまでのくそまじめそうな表情はどこへやら、彼女はへらへらと笑いながら嬉しそうに手を叩いて喜んでいる。

「やっぱり、そうなんだ! あの絵、絶対あの子だと思ったんだよ。絵が上手だね、白井君!」

「君――知ってるの? あの象を」

「もちろん。今だってそこに居るし」

「え?」

 絵を少し褒められて調子に乗った背中を強く蹴とばされた。
 彼女はとんでもない事をさらりと言う。彼女の視線が僕を通り越していった事に背中がぞくりと寒くなった。
 急に根っこが生えたみたいに足が動かなくなる。そんな僕を彼女は訝しげに見た。

「もしかして、見えてないの?」

「見えない……今は。前は見えたんだ。本当に側に居るの?」

 “今は”と僕は強調した。確かに前は見えたのだ。じゃなけりゃあんな絵描けない。

「うん。白井君がグラウンドに来るとずっと白井君のそばに居るよ。なつかれたみたいだね」

 さらなる衝撃事実。
 僕は今まで象から解放されたと思ったのに、本当は、本当は取り憑かれていたっていうのか。いや、こんなふうにグラウンドに足を運んでいる時点である意味取り憑かれてはいるけど……。

 平凡な世界を生きているとその幸せに気づかなくなるのだろうか。ちょっとしたスパイス、不幸が欲しくなるのだ。しかし不幸になったらなったで平穏を求めてしまう。

 さっきまで非凡を夢見ていた僕の心からその望みはあっという間に失せた。実際に非凡を目の前にすると、僕は情けなくも怖じ気づいてしまっている。
 けれど彼女の作り話かもしれない。からかっているだけかもしれない。そうであってほしい。――そうだとしても、あの青い象の存在は作り話なんかじゃない。だって、僕がこの目で見たのだから。
 僕はあの得体の知れない物に恐怖を抱いていた。目に見えないからこそ、怖かった。
 あの優しい瞳も記憶の彼方に飛んで、真っ青な巨体だけが僕の脳裏によぎる。

 今も、僕の側に居るのだ。そう思うと冷や汗が額に伝った。
 そして、その汗をぬぐうようにこめかみのあたりに心地よいそよ風が通り抜けた。
 視界を鮮やかな青が彩る。
 更に汗がどっと沸いて出た。
 まさかと思ってゆっくり仰ぎ見ると、見覚えのある真っ青な長いものが見えた。

 恐る恐る振り返ると、そこには、大きな青い象が当然のように立っていた。



「――見えた」



「今は、見えるの?」

 まただ。また、何の前触れもなく現れた。僕の都合も、気持ちも関係無しにそれは現れる。
 いや違う。ずっと居たんだ。僕がぼやっとグラウンドで野球部の姿を追っていた時も、美術室から不思議な女の子の姿を見たあのときも、この象はずっとここにいた。それを今、たまたま僕が見えるようになっただけ。
 象の青い瞳が僕を静かに見つめている。

「今見えた。ここに居る――そうだよね」

 僕はもう一度目の前に現れた青に瞳を奪われた。
 目に見えてからは怯えているのか、興奮しているのか自分でもわからない。どくりどくりと、心臓の音が体中に響いている。
 僕がこの場から逃げ出さなかったのは、以前にもこの象を見た事があったからという事と、同じものをそこに立っている女の子にも見えているという事実が、ほんの少しばかり安心感をくれたからだろう。
 それとも、この異形の中にほんの少し薫る懐かしい風の匂いのせいだろうか。

「こ、これは何? 幽霊?」

 上ずった声で聞くと、少女は面白いものでも見ているように笑って答えた。

「そんな象みたいな幽霊いるわけないじゃん」

「じゃ、じゃあなんなんだよ?」

「わかんない」

「わかんないって……なんだよ?」

「わかんないけど、私はベンジーって呼んでるの。私以外には見えないものだと思ってたけど、見える人に初めて会ったよ」

 曖昧な答え。でも彼女は嬉しそうにはしゃいでいる。僕はお顔まっさおだ。
 確かに、僕は心の片隅でこの瞬間を望んでいた。でも、他の部分は違っていたんだ。もうこんな象見ないと思ってたのに。例えまた見えたとしてももう関わらないと決めていたのに。
 アイデアに詰まったただの僕の妄想だったらよかったのに――

「どうすればいい?」
「どうすればって?」

「僕に取り憑いてるんでしょ? どうやったら払えるの?」

 懇願するように彼女の方を見ると、機嫌を損ねてしまったようで彼女の眉根が寄った。

「ベンジーを悪霊みたいに言わないでよ。その象は白井君の事気に入ったんだよ」

「僕のことを? どうして?」

 だって、僕なんか青い象の前にただ突っ立ってただけじゃないか。それなのになんで気に入られるんだ? もしかして絵に描いたのを知っているのか? そんなことで?
 彼女は少し難しい顔をして少し考えてから、口を開いた。

「さっきわかんないって言ったけど、私はベンジーは生き物の心なんだと思ってるの」

「生き物の心?」

「心とか、感情とか。白井君からももちろんベンジーが出てくる」

「僕からも? どんな?」

「白井君は――でぶっちょウサギ」

 彼女は僕の足下を見て無邪気に笑った。僕も彼女と同じように自分の足下を見てみるが何も居ない。青い象の鼻が股の間から顔を出したくらいだ。

「見えないの?」
「見えないよ!」
「じゃあそこらじゅう飛んでる小鳥は?」
「鳥もいんのかよ!」

 あたりを見渡すまでもなく、そんな小鳥もうさぎも居ないのは知っていた。こんな青い象のような異様な存在、見えていたら気づかないわけない。

「いっぱい居るよ。人間が居るところ、いや、生き物が居るところには必ずベンジーが居る。青い象は見えるのに他のは見えないんだね」

 彼女は首をかしげた。
 今なおすりよってくる青い象が背中に居なければきっと僕は彼女を変人、電波と決めつけていただろうに。

「その象も誰かのベンジー。誰のかはわからないけど」

「それでなんで僕になついたの?」

「それは、私にもよくはわからないけど――白井君の知ってる人のベンジーかもしれないよ」

 遠くから生徒のはしゃぐ声が聞こえて、僕らは話をやめた。昼休みを満喫するために屋外に出てきた物好きの仲間だ。近づいてくるその生徒達は校庭の脇を通っていく。こんなに真っ青で異様な象が居るというのに、その生徒達は目もくれずに通り過ぎていく。

「ほら、普通は見えないの」

 彼らがサクラでなければ、確かにこの象は僕ら以外には見えない事になる。
 彼女の言っている事は確かなのかもしれない。残念なことに。

「僕にはなんで見えるんだ?」

「そんなの知らないよ。でもいいじゃない。ベンジーってかわいいでしょ。その子、優しくてとっても良い子だよ」

 青い象の鼻が僕の頭を軽く叩いたりつまんだりして遊んでいる。彼女は楽しそうにケラケラ笑うが僕には笑えなかった。
 ベンジーだなんて、聞いたこともない!



 もうすぐ昼休みも終わりだと言って、彼女は最後に自分の名前を捨て台詞にして自分の教室に帰ってしまった。


 僕は“イズミ”と名乗った少女について聞いて回ったが、僕の交友網ではたどり着くことができなかった。一体何者なんだ。
 思えば彼女に出会ってから、こんな変なものが見えるようになったような気がする。青い象をみたのもイズミと校門で偶然出くわしたその次の日。あの時もイズミはベンジーと戯れていたに違いない。そしてイズミと校庭で話した時にも青い象を目にして、それからというもの今まではすぐにふっと消えたあの象が、いつまでたっても僕の視界から消えようとしない。

 校庭をいつもぶらついているという象は、あの後何故か校舎に戻ろうとする僕の後についてきてしまった。
 それからはよく校内で見かけるようになった。教室をふらふら歩いたり突然廊下に出て行ったと思ったらまた帰ってきたりと自由気ままに過ごしている。
 最初は友達を踏んづけるんじゃないかとびくびくしたが、象の体は不思議に透き通って消しカス一つ動かさなかった。鳴き声もあげないし、物音も立てない。たまにそよ風がふいたと思うとそばに象が居たりもするが、それ以外には存在を確認できる事は起こさなかった。それはとても有り難いことだと思ったが、逆に不気味でもあった。

 それは確かに象の形をしているのに、生きているわけではない。イズミは幽霊じゃないと言っていたが、何が違うだろう。形が違うだけ。僕の中で“おかしなもの”には変わりはないのだ。



[25265] 04 校庭
Name: うずまき◆2646bb60 ID:f4a3c970
Date: 2011/03/01 19:42
 まさか、電車に揺られる象や、人混みで信号待ちする象を見れる日が来るんじゃないかと期待したが、何故か象は校門のところから離れようとしなかった。校門の間をうろうろして行きたいけど行けないと訴えているようだ。地縛霊説を採用するなら、学校に思い入れでもあるという所だろうか。
 振り返らないようにしようとはしたが、象が居なくなったかどうかの確認のつもりでうっかり振り向いたときに、あの寂しそうなブルーの瞳を見てしまった。結局いつまで象は僕の背中を見ていたのだろう。なんだか少し変な気持ちになってくる。
 どうして象は僕にそんなになついているんだろうか。


 僕があのおかしな女子の言う話を鵜呑みにしたかというとそうじゃなかった。
 仮にベンジーと名付けたとしても、それが誰かの心だという根拠は何処にある? 僕は科学者じゃないが、それが無い限り信じるに足らない。
 そうやって現実から目を逸らしても目の前には大きな青い象が立っていて、じゃあ他になんだと思うと聞かれたら僕は答えられない。
 結局僕がいやいや言おうと、青い象はベンジーという“誰かの心”を可視化した存在にならざるをえなかった。
 先人が地球はお椀型だと言えば、お椀型なのだ。僕に理解の出来ない領域の話なら仕方のない事だ。そう、諦めよう。


「ただいま」

 家についたとたんどっと疲れが押し寄せて、鞄をどさりと下ろした。今日は早く休もう。
 おかえりの声が聞こえないと思ったら母は電話をしている。いつも大声でぺちゃくちゃ喋るのに今日は何故か神妙な顔で頷きを繰り返している。

「――あまり自分を責めないで。きっとわかってくれるわ。あぁ、息子が帰ってきたみたい。じゃあ、また電話するわ」

 母は僕を横目で確認して電話を切った。僕の入れる話題ではないだろう。何も詮索はしないでおこうと思ったが、部屋に戻ろうとする僕に母の方から話を切り出してきた。

「ソラちゃんの話前にしたわよね」
「ソラがどうかしたの」
「体はね、もう普通の子くらいにはなってるのよ。でもね――」
「なんだよ」

 言いづらそうに言葉を詰まらす母に眉根を寄せた。
 母は言葉にせず、自分の胸をトントン、と二回軽く叩いた。

「心?」
「そうみたい」

 そう言われても正直ピンとこない。心、精神の病だろうか。

「笑わないし、言葉をきかなくなっちゃったんですって」
「……なんでさ」
「わからないわ。でも、過保護にしすぎたんだってミチコは後悔していたわ」

 過保護か。確かにミチコおばさんはソラをお姫様みたいにかわいがっていた。いつ壊れてしまうかもわからない壊れ物のようにそっと優しく育てたんだろう。
 でもそれで、なんで言葉をきかなくなってしまうんだろう。ソラに何かあったんだろうか。

「ヨウタも今度行ってあげなさいよ」
「……う、うん」

 そんな話聞かされては首を縦に振るしかない。
 その後僕はぼんやりと思った。このまえソラの見舞に行った後、少し様子がへんだったのは、そのせいだったのか。

「今度の日曜日には自宅に戻ってるそうだから」
「わかった。行くよ」






 象はグラウンドで遊ぶのが一番好きなようだった。体育の時間にやたらはしゃいで回っていたので、昼休みにも連れて行くことにした。そういえば、最近は僕にべったりでグラウンドには来ていないみたいだったな。
 こんな炎天下の中、わざわざ暑い所に行くなんてと、いつも一緒に食べていた友達にはこの不審がられたが、適当にごまかしてきた。
 象は出しっぱなしのソフトボールに興味を示したが、象には物を動かす力はないようで、鼻や足で触れることしかできなかった。
 ちょっとボールを投げてやると犬みたいに追いかけていく。その姿がかわいく思えて、それから連日グラウンドに連れていくようになった。
 自分も大概馬鹿だと思いながらも、象と遊んでいるのはなんだか心が癒される。

 そんなある日グラウンドにもう一つの影が現れた。

「白井君お久しぶり」

 ひらひらと手を振る少女。

「イズミ! お前!」

 探したんだぞ! と言おうと思ったのにイズミは僕の事などスルーして象の方にとんでいってしまった。
 イズミは象の大きい体や鼻をなでたりしている。象はうれしそうに鼻を伸ばしたり耳をパタパタさせた。

「それ、さわれるの?」
「さわろうと思えばさわれるよ。象だって白井君にさわるじゃない」
「ああ、そっか」

 普段のごちゃごちゃした空間にどでかい象が居るのだから、当然象の体は四六時中透けて何かが入っているように見える。だからだろうか、触れられないと思いこんでいた。そういえば象だってよく僕の頭をつかんだりして遊んでいるじゃないか。
 僕も歩み寄って恐る恐る手を伸ばし、象の横っ腹を撫でた。
 何かある。それはわかるけど、感触はない。冷たくも熱くもない。固くもやわらかくもない。変なかんじだ。それでもそこに象が居ると、目をつむってもわかる。

「ほんとだ」
「ベンジーに力はないけど、ちゃんと居るんだよ」
「変なの」
「変だよ」

 イズミはくすくす笑った。

「白井君最近いいお兄ちゃんじゃない。ちゃんとグラウンド連れてきてあげて」
「この三日間だけだよ」
「この子がグラウンド好きだってわかってるなんてえらいえらい」

 そういうほめ方はなんだか恥ずかしいしイラッとくる。僕は何も答えなかった。

「グラウンドに何かあるのかな。思い入れとか」
「象に?」
「象じゃなくて、この子の本人よ」

 本人か。確かになあ。グラウンドが好きって言うのもその人の性格とかあるのかもしれないな。安直に運動部とかかな。
 ベンジーか。結局考えるのに疲れてしまって彼女の言う事を信じる事にしてしまったんだっけ。
 彼女の話が本当なら僕にも僕のベンジーがいるんだろうか。この象みたいに真っ青なんだろうか。

「なあ、ベンジーは一人に一匹なの?」
「ちがうよー。その時によって様々」
「どういうこと?」
「今白井君は“わかんないなあ”って思った。それで一匹黄色いでぶうさぎが白井君の足下に」
「なにそれ。きりないじゃん。驚いたら一匹、嬉しかったら一匹って事?」
「基本的にはね。でも、とおーーーても嬉しかったときとか、十匹も二十匹も出てくるときとかあるよ」

 想像してみるて唖然とした。一日にどれだけ人間は心動かされるだろうか。友達のくだらないダジャレも、先生のつまらない話にだって生徒達は何か思うわけで。

「そんなんやばいじゃん。ここら辺も動物だらけでしょ」

 毎日何兆、いや、それ以上の動物が日本だけでも生産されたらそこもかしこも動物だらけ。今だってそこらじゅう動物だらけのジャングルで、今だって足の下にキリンが隠れていたって不思議じゃない。
 そう考えて焦った僕の顔を見てイズミは大笑いした。

「なんだよ?」
「心配しなくても大丈夫だよ。白井君のデブうさぎは今は居ないよ。変わりに違うのが居るけど」
「どういう事? 消えるの?」
「うん。白井君のハテナが消えればうさぎも消える。腹の虫が収まれば、悲しい事も忘れたら消えるよ。ほんの小さな感動は形になるまえに消えちゃうし」

 そんな仕組みになっているのか。じゃあイズミの世界が動物で埋もれて前が見えないなんて事にはなんないのね。

「じゃあなんでこの象は消えないの。本体の子はずーっと同じ事考えてるってこと?」

 イズミはふと象に目を向けた。イズミの丸い目が優しげに、悲しげにちょっと細くなった。

「そうなのかな。それとも、とってもとっても強い想いが一人歩きしてるだけかも」

 強い想い――。
 一体、本体は誰なんだろう。こんな大きな象を一匹学校のグラウンドによこして。その人の想いってなんなんだろう。
 喜びではないと、僕は直感した。喜びがこんなに根強く残るわけがない。べつの、心苦しくなるような念なんじゃないだろうか。
 正直今まで誰だって何だってよかったのに、イズミの言葉が僕を感傷的にさせる。

「こんなに長く形になっているのって珍しいから、気になってたんだ」

 イズミは象をなでながら笑っていた。
 前にも、ずっとグラウンドに居たって言っていた。ずっとってどれくらいだろう。どれからいが長いのだろう。
 また疑問が沸いてきたが、また悲しい気持ちになりそうで聞くのをやめた。

 イズミはいつもこんな物を見て過ごしているのか。青い象をなでながら思った。
 いや、きっとイズミの見ている世界はもっと騒がしいに違いない。飛び交う動物の嵐。色の波。それは人の赤裸々な想い。
 無視したい他人の感情だって見えてしまう。それはとてつもなく心に負担がかかる事じゃないだろうか。そう思うと今こうやって穏やかな笑みを浮かべている彼女に尊敬の念を抱く。

「校門で会ったときもベンジーと遊んでいたんだね」
「あそこには子犬がいたの。今はもう居ないけど」
「ふーん。そうやって遊んであげると……成仏じゃないけど、消えたりするの?」

 イズミは驚いたように僕を振り返った。そうだったら僕もイズミみたいに毎日毎日遊んであげる。僕には青い象しか見えないけれど、この象だけでも。
 ところがイズミは力無い笑みに変えて頭をふるふると振った。

「いくらベンジーをなぐさめても本人は慰められないもの。誰のベンジーかもわからないし、どんな感情なのかもわからない。助けてあげるのはできないよ」

 じゃあ、僕は象が消えるのを待つことしかできないのか。少し落胆した。
 別に象が邪魔だと思ってるわけじゃない。事実を知ってしまった今、この象の本人を助けたいと思うのは不思議な事だろうか。
 それでも少し惑う自分のエゴを抑えつけて、僕は慈善家のふりをした。

「でもさ、遊んであげると喜ぶんだ。そんな事しかできないよ、私には」

 イズミはまた悲しそうな顔をした。
 やっぱり、彼女の話を信じよう。いつから、どうやってベンジーが見えるようになったのかは知らないけど、普通の人では味わえない、色んな思いをしてきたのだろう。
 翳った彼女の瞳の中に彼女の悲しい記憶がよどんでいるような気がした。
 ベンジーを初めて見たとき、ベンジーがどんなものかを知ったとき、一体彼女は何を思って、どんな行動をして、今に至ったのだろう。色んなベンジーが居たはずだ。喜びや幸福ばかりじゃない。悲しみや怒りのベンジーの方がきっと多かったはず。
 それは僕がこの象を助けるのにつながるような気がしたが、触れてはいけないような気がしてやはり言葉には出来なかった。

「私のことかわいそうとかちょっと思ったでしょ」

 イズミはちょっと睨みをきかせながら僕に言った。

「なんで――」

 そうだ。僕ははっとした。イズミには僕の感情がまる見えなんじゃ。

「ベンジーで思ってることわかるのか」

 イズミはふふと笑った。

「わかんないよ。色と形しかないんだよ?」

 僕ははっとした。こいつ、かまかけたんだ。嫌なヤツ。
 そんな事おかまいなしに、イズミはご機嫌で鼻歌交じりに象をかまっている。

「その人によって形も、色も様々」
「色も?」

 なんだ、あの象みたいに真っ青じゃないのか。

「綺麗なんだよ。青、緑、赤、橙、黄。空色、桃色、茜、若葉、雲みたいに真っ白な色。色んな色がはじけるときがたまにあるの」

 カラフルな鳥や獣たち。うずを巻いてキラキラ光ってはじけ飛ぶ。
 今度は彼女がちょっと羨ましく感じた。そんな色鮮やかな世界なら、僕も見てみたい。
 そう思っていた僕の方を、イズミがちらと見て、満足そうに微笑んだ。



[25265] 05 野球
Name: うずまき◆2646bb60 ID:f4a3c970
Date: 2011/03/10 15:06
 日曜日は電車に乗っておばさんの家に出かけた。母はパートが入っていたので、今日は僕一人だ。

 ソラに最後に会ったのはいつの事だろう。五年前祖父母が他界してから親戚づきあいはめっきり減ってしまった。今思えば、しつこいくらいに家族を集めたがった祖父母のお陰でバラバラになった親戚がなんとか一つになっていた。祖父母の死後、たまに遊びに来ていたソラもだんだん音沙汰が無くなり、ソラが小学校にあがった頃からは一回も会っていない。もしかしたら母さんとおばさんは連絡を取り合っていたのかもしれないけど、僕の方までその糸は繋がらなかった。

 僕だって別に積極的にソラに会おうとはしなかった。結局のところただの従姉妹だし、年も離れてるしで、会えたら嬉しいけど、会えなくても別にどうってことはなかったから。体も順調に良くなっていると聞いていたから、会わなかった数年の間に僕の頭の中の数割を占めていたソラの存在も一層小さくなっていった。

 母の話を聞いてソラの事は心配だったが、正直乗り気ではない。笑わない、しかも話もしない年下の女の子にどうやって接したらいいだろう。それだけじゃない。ソラに最後に会ったのは数年前。例えソラに病気が無くて、笑い上戸だろうが泣き上戸だろうが多弁だろうが無口だろうが、彼女への接し方を忘れている僕には足が重い。



 白い煉瓦の家で僕を出迎えてくれたおばさんは前に見たときよりも老けて見えたが、それが時間のせいなのか心労のせいなのかはわからない。ソラの家に上がるのはこれで二度目だ。久しぶりなのと少しずつ家具の配置が変わっているせいで記憶を戻すのに時間がかかった。
 ソラの部屋は二階に上がってすぐの所にある。空色の看板のかかった戸は以前に見た時とそのままだった。看板には幼い文字で“そら”と書かれている。

 僕は一息吐いてドアをノックした。

「ソラ」

 銀のドアノブを引いて部屋の中にそっと足を踏み入れた。
 電気はついていなかったが、大きな窓から差し込む日差しで中は明るかった。ソラはベッドに座ってこっちを見ていた。

「久しぶり」

 僕が笑いかけたけど、噂に聞いていたとおりソラの反応は薄いものだった。

「僕の事覚えてる?」

 ベッドの側に寄って、ソラに目線を会わせて僕は訊ねた。ソラは黒目がちな瞳を僕に向けてうなずく。その瞳に何かを見つけようとしたが、吸い込まれそうな程深い闇はただ戸惑う僕を映すだけで何も見せてくれなかった。
 実際彼女を目の前にすると思っていたよりもどうすればいいのかわからない。

「ソラの部屋に来るの久々だなあ。ちょっとおもちゃ見ても良い?」

 ソラはまた無言で頷いた。僕は立ち上がってソラの部屋を見回した。
 ソラの部屋の中は壁を埋め尽くすほど玩具やぬいぐるみがたくさん飾られている。綺麗に飾られているだけで、使われているようには見えなかった。テディベアや女の子の人形は棚に飾られて、絵本もたくさんあった。
 前に来たときにはなかったものがあった。学習机だ。ソラは今は八歳だから小学校に通う予定だったのだろう。綺麗に教科書が棚に並べられて、そのほとんどが使われていないように見えた。新品同様のランドセルも横にかかっている。

 前はこの景色にどうも思わなかった。今はどうしてか空しい。空しいだけならまだしも、この部屋の空気にほんの少し紛れた異質なものに背筋が冷えた。
 まるで人形の部屋だ。そう思った。
 小さな子が人形遊びのために作った人形の部屋。可愛く綺麗に物が並べられるが、人形はその部屋に座っているだけで、使いもしないし眺めもしない。
 おばさんがそれを意図したわけではないのはわかってる。どうしてか、そうなってしまったのだ。悲しい事に。

 新しい勉強机の上には色鉛筆と、数枚の紙が散らばっていた。

「見てもいい?」

 ソラは同じように頷くだけだった。僕は紙を手にとり、そこに描かれた絵に目を見張った。

 ――象。

 それもただの象じゃない。青色鉛筆一色で塗りつぶした真っ青な象。
 一瞬ある予感が横切ったが、僕は首を振った。いや、子供が青い象を描くなんてよくあることだ。最近あの象とよく一緒に居るから色々とつなげて考えてしまうんだ。
 ソラの描いた象の絵に釘付けになっていたからか、ソラがいつの間にか自分の側にいたことに驚いた。何も見ていない瞳が僕を見上げていた。
 立ち上がったソラと並ぶと、ソラが随分身長が伸びたのが解った。頭が僕のみぞおち辺りにある。

「ソラは絵が上手だね。この象、どこかで見たの?」

 答えは返ってこないとわかっていたが僕は話しかけた。今の僕は初めて僕に話しかけてきたイズミそのまんまだ。
 ソラはやっぱりぼんやりとした目でその絵を見るだけで口をつぐんだままだった。そして彼女は唐突に机の引き出しを開けて、中からたたまれた紙を取りだして僕に差し出してきた。それを受け取って、僕は少し古ぼけた画用紙をゆっくりと開け広げる。
 そこにいたのも、ただ真っ青な象だった。こっちはクレヨンで描かれている。
 でも多分これはソラが描いた絵じゃない。これは、僕の絵だ。象の鼻にバッドが握られて、空中にボールが浮いている。中学の、まだ野球が好きだった頃に描いた絵。
 ゆっくりと記憶をたどって、三年前のある日にたどり着いた。ソラの部屋で、二人で寝ころんでソラのクレヨンで絵を描いた。「ぞうさんをかいて」とソラに言われてこの絵を描いたんだ。あの日のソラは無邪気に笑って、僕の絵を喜んでくれた。今、夜の闇のように沈んでいるソラの瞳に、あの時はきらきら瞬く星が散らばっていたのに。

 一体どうしたの、ソラ。僕に話してみなよ。ソラの心は今どこにいるの。
 僕は何も映らない彼女の瞳を見て、ただただ悲しくなるだけだった。

 ――こんな時、イズミが居ればいいのに。
 イズミならきっとソラの気持ちが見えるだろう。ソラのベンジーは一体何色でどんな形をしているのか、きっとわかるはずだ。何を考えているかなんてわからなくたっていい。ただソラの心にも感情が花開いている事を証明さえしてくれればいい。宇宙の闇の向こうに、まだ星が瞬いていると。
 このときほど、イズミの能力が羨ましく感じることはなかった。

 自分の絵を握った僕の服の裾を、ソラは白く細い指で掴んだ。長いまつげにふちどられた漆黒の瞳が僕を見つめている。僕に何か伝えたいのだろうか。でもわからなかった。僕はソラの頭を撫でてあげる事しかできなかった。



 

「何かあった?」

 次の日の昼休み、例の如くグラウンドで二人、遊んで回る青い象を眺めていた。
 頭の中は昨日のソラの事ばかりで、隣にイズミが居るとどうしても彼女の力の事を考えてしまう。でも、おばさんにしてみたら、赤の他人に家の事情を知られるのは嫌だろう。そう考えるとやっぱりイズミには声を掛けづらかった。
 でもその気持ちはやっぱりイズミに筒抜けだったらしい。僕とイズミの間に居る“何か”をなでながら、イズミは言った。

「な、なんで?」
「今日はずっとウサギが居るから、変だなって思ったけど」

 話だけでもしてしまおうか。でも、躊躇してしまう。出会って日の浅い僕にこんな話されても迷惑だろうか。

「話したくないならいいよ。ごめんね」
「――いや、イズミのその能力が羨ましいなと思ってたんだ」
「羨ましい? そうかな」
「ベンジーが見えれば、その人の気持ちが読めるだろ。少しは」
「誰か心を読みたい人が居るんだ」

 イズミは悪戯っぽい笑顔で僕の顔をのぞきこんできた。
 こいつ、何か勘違いしてる。

「そ、そうだけど――別にそういうんじゃない」
「ふうん?」

 彼女のニヤニヤ笑いは止まらない。僕は尻を浮かして少し彼女から遠ざかった。

「違うって! 従姉妹だよ」
「従姉妹の事が好きなの?」
「だから、そうじゃないって。まだ八歳だし」
「じゃあなんで?」

 言葉に詰まった。今度はイズミを思ってじゃない。ソラの家族を思ってでもない。何故か言葉が詰まった。
 ふと顔をあげると目の前に青い象が立っていてびっくりした。音もなく歩くから気づけないのは当然といえば当然だけど、さっきまで遠くにいたからまるで瞬間移動でもしたように見えた。
 象は鼻で僕の頭や顔を触ってくる。

「なんだ、今日はやけにご機嫌だな」

 鼻をなでてやると象は僕の手に鼻を巻き付けた。まるでこっちに来いとでも言うように僕を引っ張る。もちろん力はほとんど無いが、その動作が力一杯やっているように見えたので、僕は腰を上げた。
 象に連れて行かれた所には、出しっぱなしの野球のバッドが落ちていた。象は僕から鼻を離してそれに触れた。僕に拾えと言っているのだろうか。
 だけど僕はためらってしまった。高校に入ってから一度もバッドどころかボールにさえ手を触れていない。いや、無意識に避けてきたのかもしれない。そんな事したって、なんの意味もないと分かりながら。

「白井君! 投げるよー!」

 イズミがいつの間にかボールを持っている。僕は仕方なくバッドを拾い上げた。象がまた僕の手に鼻を巻き付けて、まるで一緒に打っているよう――いや、僕じゃない。象がバッターなんだ。僕の体を借りて象がボールを打とうとしている。

「いっくよー」

 イズミが振りかぶる。白い球がゆっくり腰の高さで飛んできた。僕は――象は、バッドを大きく振りきった。

 ――カキン

 心地よい音が夏空に高く響く。空を渡る球が眩しくて僕は目を細めた。
 球はそのまま弧を描いてバックネットにぶつかり、ぽとりと地面に落ちる。

「ホームラーン!」

 イズミが朗らかに叫んだ。
 象はバットから鼻を離して嬉しそうにそこらへんを走り回りだす。空よりも青い巨体が上下する。
 イズミも飛び跳ねて喜んで、その様子に僕は思わず笑みをこぼした。
 それはホームランって言わないよ。

 バットを振った象。まるで僕が昔クレヨンで描いた――そうか、そうだ。やっぱり、そうなんだ。
 その時僕はどうしようもなく胸が騒いだ。今の僕のベンジーはきっと、目が覚めるような青に違いない。二度目に象を見た、あの凄く衝動的な感覚によく似て居るんだ。
 青い象と青い象。ただの偶然かもしれない。でも、それでも、確かめてみなければわかりっこない。

 いてもたっても居られなかった。バットをぎゅっと握って、僕はイズミを見た。

「今度の日曜日、僕に付き合ってくれないかな」
「へ?」

 数メートル先に居るイズミは両手を振り上げたままぽかんとした顔で僕を見た。



[25265] 06 色鉛筆
Name: うずまき◆2646bb60 ID:f4a3c970
Date: 2011/04/15 18:37

 次の日曜日、今度は二人で電車に揺られた。今更になってイズミを誘ったことを後悔している自分が嫌になった。
 あの時の僕は、もしかしてあの青い象がソラのものなんじゃないかって思った。イズミにソラのベンジーを見て貰うだけじゃなくて、青い象の主かどうかを見て貰おうと思ったのだ。

 イズミにソラの状態を話した時には、イズミは快く引き受けてくれた。叔母さんにも、事前にイズミが一緒に付いていくこと了解してもらった。叔母さんはやっぱり渋っていたけれど、僕は何度もお願いして許可を貰った。そこまでしたのに、青い象とソラの関係はまったくなく、ソラのベンジーさえ見えなかったらどうしよう。何もわかりませんでした、なんて結果だったらただ周りに迷惑をかけて回っただけじゃないか。



 ソラは知ってか知らずか、イズミの来訪を驚かなかった。先週の日曜日と同じく、ただぼんやりと僕らを見つめてくるだけだった。

「初めまして、ソラちゃん」

 イズミはにっこりとソラに笑いかけたがソラはイズミを見つめるだけで何も言わない。

「私、白井君のお友達なんだ。よろしくね」

 ソラがいくら無表情無反応でもイズミはくったくなく話しかけた。何も話さないソラを前に、感心するほど良く喋り続けている。イズミの社交スキルに感服してしまった。自分以外の人間と話をするイズミを初めて見たからこの姿は意外だった。
 絵本を持ち出して読み聞かせたり、人形遊びをしたり、ソラの部屋のオモチャをフル活用してイズミはソラと遊んでいた。ソラはもう八歳なのにこんな遊びで楽しいのだろうかと見ていたが、イズミの声かけにたまに反応を見せていたので、少しは楽しんでるのだろう。
 イズミを呼んだのは正解だと思った。ベンジーなんてどうでもいい。ソラが少しでも楽しくなるならそれでいいや。

「白井君もほら!」

 藪から棒にイズミに紙を押しつけられて、困惑してイズミを見た。

「え?」
「え? じゃなくて、白井君も描くんだよ。美術部でしょ?」

 いや、美術部関係ない。ていうか、さっきまで手遊びしていなかったか。
 いつの間にか二人はソラの机でお絵かきを始めている。机の真ん中にはカラフルな色鉛筆が散らばっていた。
 机の真ん中に置かれた色鉛筆の外箱が置かれている。その蓋に描かれた猫の絵に見覚えがあった。僕も同じものを持っている。
 見れば青の色鉛筆だけ短くなっていた。

「お兄ちゃんは絵が上手だから楽しみだねー」

 イズミがそう言うと、ソラもこくりと頷いた。仕方なしにソラの隣、イズミに向かい合うように座って紙を広げた。

「何描けばいいの?」
「なんでもいいよ」

 イズミはそう言ったが、ソラが僕の服を引っ張ってきた。ソラは自分の画用紙の端に短くなっている青色の色鉛筆で“ぞう”と書いて僕に見せた。

「ソラは象が好きだな」

 ソラはまた小さく頷いて、青色の色鉛筆を僕に渡して自分の画用紙に絵を描き始めた。僕も渡された色鉛筆で紙の上を走らせた。適当に象を描いて、またバッドを握らせる。あの時と同じような絵。でも、なんとなく物足りなく感じてその反対側に少女を描いた。
 何も考えずに書き殴ってしまったが、無意識にあの日の事を描いていた自分に驚いた。本当なら少年も描き足されるべき所だが、あえて描かなかった。
 あの時の感覚は今でも覚えている。あの時象と僕は一心同体というか、なんというか、そんな感じだったのだ。言葉でどう表したらいいのかわからないけど、とにかくそうだったのだ。


 大方描き終わると、まだ画用紙にへばりついている二人を眺めた。ソラの画用紙には人が描かれているのがちらりと見えたが、僕が見ているのに気づいたソラは絵を隠すようにして描きだした。イズミの周りには色んな色鉛筆が散らばっている。彼女も腕で隠して描いているのでよく見えない。
 どうしてそんなに隠すんだと不思議に思いながら、二人の絵の完成を待った。

「できたー」

 一番最後に描き上げたのはイズミだった。

「じゃあ一番遅かった人から」

 僕がイズミに言うと、え゛、と変な声を出したが素直に見せてくれた。白いバックに色とりどりの――「それは何?」
 正直僕にはわからない。色鮮やかなのは解った。ただそれらがなんなのかわからない。

「えーとね。これがウサギで、こっちが鳥ね。で、これが――」

 イズミはカラフルな動物たちを紹介していったが、どう見てもウサギには見えないし鳥にも見えない。かろうじて犬がそれっぽいが猫との区別はつかない。
 だんだん笑いがこみ上げてきて、僕は遂に吹き出した。吹き出す僕を見てイズミが顔を赤くした。

「え、何!?」
「イズミ、絵ヘタ」

 すると更にイズミが顔を真っ赤にする。ソラは相変わらず真顔でその混沌とした絵を見つめていた。

「ち、違うよ。これはまだ本気出してないっていうか」

 イズミが言い訳すると、突然ソラが拍手をしだしたから、僕は更に笑った。
 イズミは「ありがとう、ありがとう」と言いながら、慰めるようなソラの拍手を諫めていた。

「じゃあ次は白井君ね」

 顔色をそのままにイズミはこほんと咳払いをして、今度は僕に絵を見せるよう促した。

「これは、えーと……」

 改めてこうやって人に見せるとなるとなんだか少し照れくさい。適当に描いた落書きだが、人に自分の絵を見られるのは恥ずかしいものだ。そう言えばイズミは僕の絵を見るのは初めてじゃないのか。部活で描いた絵を見てイズミは僕に会いに来たんだった。

「あー! この前の!」

 イズミが表情を変えて嬉しそうに指さした。

「うん。まあ」
「あのね、私ぞうさんと野球したんだよ」

 イズミがソラに話しかける。ソラがぴくりと反応した気がしたが、ソラは僕の絵を凝視したままだった。
 そんな話、していいいのかとイズミに目配せしたが、イズミは笑って返した。彼女は他人にベンジーの話をしていないだろう。そうでなければ初めて会ったときあんな探り探りな言葉を口にするわけない。そんな話をみんなに話して回れば彼女こそ病院に連れて行かれる。ソラがまだ子供だから、そんな話も出来るのだろうか。それともソラが言葉を話せないからか。

「僕のはもういいだろ。ソラは何を描いたの」

 ソラはずっと抱きしめていた自分の絵を、少し躊躇う仕草を見せたが、ゆっくり机に広げた。

「わあ。かわいい」

 画用紙には三人が居た。やっぱり幼い絵だが、イズミよりはましだ。少なくとも何が描かれているのかは見て分かる。

「これは私かな。すごーい。私人気者だみんなの画用紙に居るよ」

 右端の人物を指してイズミが嬉しそうに言った。真ん中の一番小さいのがソラで、左端の髪の短いのは僕だろうか。その三人が楽しそうに笑っている。もちろん、ソラも。

 ――よかった。ソラが笑ってる。

 自分の絵をただじっと見ているソラの頭を撫でた。

「上手だね」

 ソラは頭に僕の手を乗せたまま僕を見あげた。闇夜のような深い黒。その奥にかすかに瞬く星を見た気がした。
 その小さな光を見ただけで、今日は来て良かったと思えた。

「そろそろ電車だね」

 イズミ携帯を見ながら言った。その言葉にソラが大きく瞬きした。今日は前に来たときよりもずっと充実して遊べた。ソラも楽しめたに違いない。残った問題は――

「じゃ、じゃあこれは回収ということで……」

 僕の言葉を気にしたのか、イズミは自分の出したゴミを片づけるみたいに画用紙を拾い上げた。そこにソラがすかさず手を伸ばした。画用紙の端を掴む。ソラは小さく頭をふった。

「こんな下手な絵、欲しいの?」

 ソラは頷く。イズミは申し訳なさそうにソラにその画用紙を差し出した。ソラはそれを大事そうにかかえた。僕の絵も拾い上げてその下に重ねた。その様子をイズミが何故か涙ぐみながら見ていた。
 僕たちが部屋を出て行くと、ソラはドアの前で手を振って僕らを見送ってくれた。



「ソラちゃん良い子だね。かわいいし」

 イズミは電車の椅子に腰掛けながら力を込めて言った。

「私の、あんな絵を大事そうに……」

 どれだけ感動して居るんだ。確かにへたくそ過ぎてむしろ芸術のように見えたけど。

「――でも」

 イズミの表情がすっと暗くなって、僕はドキリとした。ソラの前では聞き出すことは出来なかった事。どんなベンジーがソラの側に居たのだろうか。

「何も居なかった」
「何も?」
「うん。たまに、色のついた小さいのがはじけただけで、他には何も」
「――そうか」

 やっぱり、ソラの心はここに居ないんだ。どこか遠くに、遊びに行っているらしい。

「楽しくなかったら楽しくなかったで、そういうベンジーが出てくるのにな」
「あの青い象」

 あれはソラのベンジーに違いない。きっとそうだ。鳥かごの中で、空に思いをはせているうちに、大きな象になって僕らの所にやってきたんだ。

「私もそう思う」

 イズミが真面目な顔で言った。

「白井君、例えばさ、笑ったり泣いたり怒ったり、そういう事に素直な子と、大人しくていつも無表情な子。どっちがたくさんベンジーを出すと思う?」
「えーと、喜怒哀楽の激しい子?」
「ぶぶー。正解は無表情な子でした」

 僕は首をかしげた。だって、ベンジーは気持ち、心、感情なんだろ?

「ベンジーは気持ちを押し殺していた方がとどんどん増えるの。悲しいとき泣けば気持ちが消化されてベンジーはしばらくして消える。けど涙をこらえていると、いつまでもベンジーは消えることが出来ないの」

 イズミは悲しい話をするように言った。

 じゃあ、青い象は――

 ソラは何故あんなになるまで気持ちを押し殺さなくてはいけなかったのか。いつも笑顔の絶えない明るい子だったのに。――いや、笑顔を絶やさない子だったからこそ、どんな気持ちも笑顔に隠していたんじゃないのか。怒りも、悲しみも、我が儘も、全部笑顔の裏に隠していたんじゃないだろうか。

「青い象をソラの所に連れて行けないかな」

 ふと出た言葉だった。どうすればソラを、青い象を助けることが出来るのかを考えたときに、安直に側に持って行く事しか考えられなかった。

「行こう、白井君」

 イズミは突然立ち上がって言い放った。

「行こうって、何処に?」
「学校に決まってるじゃない!」

 こいつも結構突飛な事を言う。確かに呟いたのは僕だけど、今すぐなんて誰も言ってないぞ。

「もう六時だよ。校門閉まってる」
「大丈夫大丈夫」

 それは一体どこからくる自信なのか。イズミの立てた親指に不安を感じるしかなかった。



[25265] 07 ベンジー
Name: うずまき◆2646bb60 ID:8e784738
Date: 2012/08/06 20:49


 僕が思っていたよりもイズミは手慣れた様子で僕を案内してくれた。校門は閉まっているがよじ登れない高さではない。しかし彼女は校門には用はないらしい。イズミはグラウンドの見える方に僕を引っ張った。
 象はやっぱりそこに居た。フェンスの向こうに青い巨体が見える。オレンジ色に傾いた光が包むグラウンドを、青い鼻を揺らしながらぶらぶらと歩いている。僕たちには気付いていない様子で、暇そうに鼻を玩んでいるように見えた。
 イズミはグラウンドを囲うフェンスに沿って、明るい通りから右に曲がって薄暗い小道に僕を連れ込んだ。この道の存在は知っていたが始めてきた。道があるなあという認識程度で、入っていこうとは思わなかった。右手にはグラウンドが見えるが左手には木が生い茂ってほんの少し暗い雰囲気を感じる。とてもいつも人が通る道とは思えない。

「よくこんな事してるの?」

「ううん。この道は友達に教えて貰ったの」

 その友達は一体何してる人なんだ?

「ここだよ」

 小道を道なりに進むと部活棟の裏にたどり着いた。フェンスと部室連の隙間に張られた動物避けか何かの網が破けて人一人入れる大きさに広がっている。イズミが先に入っていって、僕も彼女の後に続いた。
 日は傾いてきたがまだ暗くはなかった。それが逆に誰かに見つかってしまいそうで怖かった。誰かに見つかったら忘れ物を取りに来た事にでもしよう。
 グラウンドに着くと、象はいつも駆け寄ってくるのに、今日は僕らの思惑を知っているようにグラウンドの隅にじっとしている。まるで無視でも決め込んでいるようだ。もしかしたら僕らがフェンス越しに見つけた時から気付いていて、知らんぷりしているのかもしれない。近寄っても逃げないのだけが救いだった。

「ほら、一緒においで」

 そう呼びかけても象は頑なに歩こうとしない。お尻を押しても、ある一定の力になると、ふっと透き通って僕は前のめりになってころげた。

「どうしたんだろう。私たちの考えがわかってるのかな」

 そうとしか思えない。僕は半分諦めかけて地べたに座ってイズミが象の鼻を撫でるのを見ていた。

「戻るのが嫌なのか」

 象がイズミの元を離れて僕の方にやってきた。鼻が僕の頭を撫でた。そよ風が髪の毛を遊んでいるだけの感触。象は僕に何か言いたいみたいに、そわそわと鼻を揺らしている。それが僕には、象がどれだけここに居たいのかを表しているように思えた。
 そもそもなんでソラのベンジーがこのグラウンドにやって来たのか。

「僕のせいだね」

 そう眉を曇らせる僕にイズミは首をかしげた。

「どうして?」

「僕が野球の話なんて聞かせるから、ソラはここに来たがったんだ」

 篭の鳥にしていたおばさんもおばさんだと思うけど、それはソラの体のためを思っての事だったら理解出来る。僕はおばさんの気持ちもソラの気持ちも何も考えずにペラペラと喋ってしまったのだ。
 でも誰がこんな事態まで発展すると考えるだろうか。……これは言い訳だな。

「そういう考え方なら白井君のせいになるね」

 僕のせいってはっきり言うんだな。自分で言ったくせにフォローを求める自分が居たことに少し嫌気がさした。

「でも、そうなのかな」

「どういう事?」

「ちょっと違うんじゃないかって、私は思うな。象は別に野球したくて
ここに居るわけじゃない」

イズミは少し間を置いて言い直した。

「ソラちゃんは、多分、白井君に会いたかったんだよ」

 僕は、はっと顔を上げてイズミと象を見た。イズミは優しげに微笑んで僕を見下ろしていた。
 イズミは僕を慰めようとしてそう言ってくれているのだろうか。それとも本当の事だろうか。どっちにしても嬉しいと素直に思う。
 僕は少し照れつつ笑い返した。
 



 僕は立ち上がって象の正面に立った。象の青い瞳も僕を見ている。

「ソラの所に戻るんだ」

 象は僕の言葉に後ずさった。だけど僕は一歩前に出て鼻に手を置いた。

「大丈夫だから。ソラはきっと待ってるよ」

 象は後ずさるのをやめたが鼻を下ろして低いところでゆらゆらと揺らしている。象が迷っているのを感じた。
 僕は象の鼻に額を当てた。僕の気持ちが少しでも伝わって欲しかった。

「また遊ぼう。野球でも、お絵かきでも」

 不思議な感触。冷たくも暖かくもない。固くもやわらかくもない。でも心地よくてくすぐったい。
 顔をあげると、象は鼻を大きく持ち上げた。そして僕の頭をぽんぽんと叩いた。仕方ないな、そう言っているようだ。
 象はゆっくり歩き出した。グラウンドの階段を上り、校門の方へ。僕とイズミも象の隣に立って歩いた。先生に見つかるとか、今はどうでもよくなっていた。
 象は閉じた校門の柵をものともせず突っ切った。僕はもたもたとよじ登って校門を越えた。イズミは力が足りず上るだけでも四苦八苦している。僕が手を貸してイズミが校門を出た時には、青い象はいつの間にか十メートル程先を歩いていた。
 オレンジの夕暮れの中、青い象が歩いていく。変な光景だ。でも僕は嬉しくて笑った。隣を見るとイズミも笑っていた。
 きっと象は大丈夫だ。ちゃんとソラの所にたどり着く。




「放課後、ソラちゃんの所行ってみない?」

 イズミが少し心配そうな顔をして言った。
 次の日、僕とイズミは何故か昼休みにグラウンドで顔を会わせていた。もう象は居ないのに、お互い馬鹿だと笑い合ったその後の事だった。

「ちゃんと帰ってるよ」

 やたらガランとしているグラウンドを見ながら言った。

「私もそう思うけど――象、消えちゃったかな」

 イズミは少し寂しそうな顔をする。

「なんでそんな顔するんだ。それが一番じゃないか」

 イズミは何も答えずにただ足下を見つめただけだった。だけど彼女の気持ちはよくわかった。
 昨日の夕方から何かが足りなくなった。どこを見ても色あせて見える。教室も、このグラウンドにも。あの色が足りないんだ。あの目が覚めるような青が。

「でも、行こうか」

「ホント?」

 イズミは僕を輝いた目で振り返った。

「ちゃんと消えたかどうか気になるしね」

 イズミは僕の言葉に満面の笑みを湛えて立ち上がった。


 放課後、僕は部活を休んだ。イズミは帰宅部らしい。
 二人で電車に乗ってソラの家を目指す。一番気になるのは叔母さんだ。昨日行ったばかりで、今日も突然ノーアポで行って大丈夫だろうか。
 その心配は必要無かった。何故か叔母さんは昨日よりも快く家の中に入れてくれた。

「昨日あなた達が来てくれて良かったわ。いつもより楽しそうにしてたの。描いた絵をずっと見ていて」

 叔母さんはそう言った。もしかしてソラに感情が戻ったんじゃないかと期待したが、そうではないようだ。楽しそうにしていたというのも母親だから解るソラの心の変化で、決してソラを知らない人にも解るようなものじゃない。
 まさかソラの所に象はきていないんじゃないかと不安になったが、ソラの部屋の戸を開けて驚いた。部屋の8割が青色で覆われている。やっぱり心配なかったようだ。
 ソラの部屋は普通の一人部屋としては大きい方だが、そのほとんどをあの象が占領していた。いや、良く入ったと褒めてやった方がいいのか。
 僕らは狭い足場を抜けてソラのベッドに寄った。ソラは昨日描いた僕らの絵をまだ大事そうに手にしていた。

「こんにちわー」

 イズミが言うとソラの目が少し見開いた。流石に今日の訪問は驚いたらしい。

「また来ちゃった。その絵気に入ってくれたの?」

 ソラは絵を眺めたまま頷く。その姿にイズミはまた感動を隠しきれないようで、目をうるうると輝かせていた。

「そうだ。この象ね、今この部屋に居るんだよ」

 昨日僕の描いた絵を指しながらイズミは続けていった。おいおい、そんな事言って良いのか? 仮にもソラにはこの象は見えないはずなんだし。ソラもきっと困惑するだろう。
 ソラは顔をあげて象の方をじっと見た。まさかとは思ったが、象はこの部屋のほとんどを埋め尽くしているわけだし、偶然に違いない。
 ソラは首を横に振った。やっぱり見えていないんだ。

「あはは。ソラちゃんには見えないかもね。でもお姉ちゃんには見えるんだ」

 イズミが言ったが、ソラは首を振るばかりだった。ただ、無表情でひたすら首を振っている。イズミが口を閉じても、何かに取り憑かれたように、だだをこねるように、ソラは首を振る。
 様子がおかしいと思ったイズミの顔から笑顔が消えた。

「ご、ごめんね。お姉ちゃん変な事言っちゃって」

 あわててイズミが言ったが、そらは首を振るのをやめない。そして、枕元にあった熊のぬいぐるみを突然つかんだと思うと、それを投げつけた。ぬいぐるみは象の顔の方に飛んでいって、象の顔をすり抜けたと思うと壁に当たって床に落ちた。象は驚いたのか立ち上がって落ち着きなく足踏みをしている。
 まるで象が見えているんじゃないかと思う位置だった。ソラには本当に見えているのか? いや、見えていないとしても、気配を感じているのかもしれない。自分が一度手放したものであっても、元々は自分の中にあったものだ。
 イズミが僕に助けを求めるような視線を送ってきた。僕はソラの側によって、頭を撫でた。

「びっくりさせたね。大丈夫だから。あの子はソラに意地悪しないよ」

 ソラのは首を振るのをやめて、乱れた髪をそのままに宙を見つめていたが、心の中で不安定なものが揺れているに違いない。
 僕とイズミは部屋を出ていく事にした。

 一階に下りて叔母さんに会ったとき、イズミは申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

「気にしないで。ソラはあなたを気に入っているから」

 叔母さんはイズミよりも更に申し訳なさそうな顔をしていた。
 別れの挨拶をして、僕らは家を出た。

「ごめんね、白井くん」

「なんで僕に謝るんだ」

 イズミはソラがあんなに拒絶しているのを見て怖くなったのだろう。僕も驚いた。あんな風に感情そのままに動くソラは初めて見たからだ。

「あの時、違うベンジーがソラちゃんから出てきたの」

 僕は驚いてイズミの言葉に耳をよく傾けた。

「形はなかった。色も、見たこと無いくらい混濁していて――怖かった」

 イズミは嫌な事を思い出したかのように眉根をひそめた。

「ソラは嫌がってるんだな」

 象は歩み寄ったが、ソラが拒絶している。ソラと象の心は一致していない。全く、別々の生き物のように動いている。

「なんでだろう――」

 僕にはとうてい理解不可能だった。ソラは今の状態で満足しているって事だろうか。
 だけど、言葉を無くしたソラに初めて会ったとき、その瞳は暗く沈んでいた。それはベンジーが――あの象が、自分から離れてしまったからではないのだろうか。
 一種の分裂症のように、心と体が一致しない。そんなイメージで僕はベンジーを見ていた。

「そんなの、単純だよ」

 イズミは言った。

「辛いからだよ」

 当然のような顔をして言っているが、僕には解るような解らないような気しかしない。

「そりゃ、辛いから嫌なのは解るけど、ソラは楽しいとか、嬉しいっていう感情も切り離しているじゃないか」

「楽しい事が辛くなることだってあるよ、嬉しいことが悲しいことに変
わることもある。白井くんにも、わかるでしょ?」

 楽しいことが、辛いことに――
 僕は思わず中学の頃を思い出していた。野球は楽しかった。あんなに楽しいと思うことはこれから先にあるだろうか。でも、楽しかったからこそ、辛かった。足が追いつかない。相手に球が届かない。みんなの励ましの声。嬉しかった。でも、悲しかった。

「わかる、かも?」

 ソラにも楽しいことがあったんだ。僕と遊んでいる時も楽しかったかな。ボールを追いかけるソラの姿は一番生き生きしていたように見えた。でも怒られてしまった。体を動かしてはいけないと。
 そもそも、嬉しいと思うことがなければ悲しいと思うこともない。
 だから、ソラは全てを手放したのだろうか。

「嫌な世界だ」

 僕はぽつりと言った。

「そう思う?」

「だって、そうだろ。辛いことばっかりじゃないか」

 結局、嬉しいことが辛いことに繋がるのなら、そりゃ、ソラじゃなくても、感情なんかいらないと思う。
 何も考えないで、感じないで、傷つかないで生きて行けたら、とても楽なはずだ。

「私もそう思ってたよ」

 ふいに僕を見て、イズミは微笑んだ。丸い瞳に、柔らかい光が差していた。
 その瞳は全てを悟った色をしていて、いつものイズミよりもずっと大人の女性の瞳に見えた。苦いも甘いも、全て知っているような瞳だった。

「白井君のベンジー、とっても綺麗な色」

 うっとりするような、切ないようなイズミの表情に一瞬ドキリとした。



「楽しい色も、哀しい色も、ベンジーはみんな綺麗な色だよ」




[25265] 08 千色鳥
Name: うずまき◆2646bb60 ID:8e784738
Date: 2012/08/06 21:26

 次の日からも僕はずっとソラや青い象やイズミの事を考えていた。
 思えばあの青い象を見てから、僕の心はこの三つに取り憑かれている。
 色あせた生活をしてきた僕にとって、あの青は刺激的すぎる色だった。
 腹の底から沸き上がる正体不明の高揚感。謎の存在に対する恐怖と好奇心。自分にはこんなにたくさんの感情があることを知った。

 今は解決の糸口が見つからない問題に歯がゆくて腹の中で悶えている。小さな少女の抱えているものが見えない。象はそれが何なのかを具体的に、簡潔には説明してくれない。そもそも、あの象とソラが口をきかなくなった理由は関係しているのだろうか。
 もし僕にあの象が見えなければこんなに悩まなくて済んだだろう。ソラが心を閉ざして心を切り離した事すらきっと知らなかった。例え親族経由で知ったとしてもこれほど深く関わらなかったかもしれない。
 それに、イズミだ。彼女が居なければ青い象の正体も知らないままだった。青い象と人間の関係を知らなかったならば、僕はあの象をどう解釈していただろう。

 僕の考えた事をイズミに言うと、イズミは苦笑いを浮かべた。

「責任を探しているの?」

 思いよらない返事か帰ってきて、僕は面食らった。イズミの言うようなつもりは一ミリもないつもりだった。
 更にイズミの言葉は僕を非難しているように感じた。そう考えるのはよくない事だという言葉が、イズミの疑問文の中に読み取れた。
 でも僕はイズミが僕を誤解しているとは思って弁解したりしなかった。
 “もしも”なんて考えても無意味だ。そんな事考えたって現状は変わらない。僕はその一瞬でイズミの意見を把握した。きっとイズミはそういいたいのだろう。
 今よりは上手くいっているかもしれない平行世界。僕はよくそれを探してしまうのだ。癖のようなものだった。
 イズミが何を言ったわけでもないけれど、イズミの苦笑いを見てこれは悪癖なのだと僕は思った。

「ごめん」

「なんで謝るの?」

 イズミはこんどはおかしそうに笑った。

「思ったより白井くんはナイーブなんだね」

 くすくすと僕をからかうような声で言う。
 僕は返す言葉もなかった。自分の繊細さは自分が良く知っていた。良い意味の繊細さじゃない。ちょっと風に吹かれただけで折れてしまうような、なよなよした木の小枝だ。そのくせ大きな嵐が来ないかと心の中で思っている。
 顔を曇らす僕を見てイズミはまたけたけたと笑った。
 不思議と不快感は無かった。彼女の笑い声はすっと空気に溶けて僕を通りすぎる。
 彼女は僕を嘲笑しているわけではない。すべて受け止めて、僕の弱さや悩みを笑い飛ばしてくれている。
 それでもここで僕も笑うのはおかしいと思って、少し顔をしかめておいた。

 こんな僕の気持ちをイズミはベンジーを通して知ってくれるだろうか。何度も何度も彼女に助けられた気がする。具体的には思いうかばないけれど、僕は――きっとソラも――イズミに感謝している。

 イズミはたまに何もない所に視線を送る。目に見えない何かを見て軽く微笑んだりする。
 僕は今どんな色のベンジーなのだろう。

「今、何が見えるの」

 僕たちの前には見慣れたグラウンドの風景が広がっている。青い空にかかる高いフェンス。校庭の周りに植えられた桜の葉は濃い緑色に茂っている。薄茶の地面は熱さで少しゆらめいていた。僕はそれを殺風景だと思った。

「小さい動物が歩いてる。オレンジ色の。イタチかなぁ……きっと運動部の子が部活の事考えてるんだ。それに大きなピンクの鳥が桜の木の下で涼んでる。あ。緑の熊が今入ってきた。……あと、あとは、空にはいろんな色の小鳥でいっぱい」

 イズミは殺風景なグラウンド見て、次々と景色を言葉にする。
 僕は出来る限りイズミの言葉をイメージしようとした。
 長い胴をくねらせてグラウンドを駆け回るイタチ。貫禄のある首の長い美しいフォルムの鳥。のそのそとグラウンドに入ってきて、ぼーっと空を見上げる熊。そして空にはカラフルな小鳥達が群れている。全ての質感はあの象と同じだ。ペンキでぬりつぶしたような真っ平らのように見える体。陰もハイライトもない。彼らは光や陰とは無関係に存在している。
 イズミになってみたい。僕はたまに、切に思う。

「黄色いデブうさぎは暑さにだれてるみたいだよ。しっかりなさいよ」

 最後にイズミが悪戯っぽく言った。

「イズミは」

「うん?」

「イズミのベンジーはどうしてるの」

 イズミは少し戸惑ったように瞳を揺らしたが、すぐにいつもの笑顔になって言った。

「私の隣に座ってる。いつも一緒だよ」

 すごく親しい人を紹介するような口調だと思った。
 きっとそれが普通なんだ。ベンジーはいつも自分の側にいる。たまに飛んでいって別の場所に居たりもするけど、いつかは自分の所に帰るんだ。
 青い象も少し長い家出をしただけだ。今はソラの側にいる。ソラは象を歓迎しなかったけれど、それでも象はソラの側に居続けている。

「……この小鳥、よく見るなぁ」

 イズミが空を見上げて呟いた。
 そういえば、初めてイズミと話をしたときもイズミは小鳥が見えないのかと僕に言っていた気がする。
 何故小鳥はグラウンドの空を飛んでいるのだろう。もしかしたらグラウンドを覗いている奴のベンジーだったりするんじゃないだろうか。
 僕は振り返って校舎を見た。教室の窓はほとんど開け放たれていて、いくつかの窓からは白いカーテンが揺れているのが見えた。
 窓辺でじゃれあっている男子の居る窓、数人で空を眺めながら何やら話し込んでいる女子の窓、一人窓の外を眺めている生徒の窓……。もちろん何も見えない窓もある。思ったより多くの人影が見えたので小鳥の主の特定は諦めた。

「丸友くんだ」

 ふいにイズミが言った。気付くとイズミも僕と同じように体をひねって校舎を見ていた。

「同じ中学だったの。だから見覚えがあったのか」

 喋ったこと無いけど。とイズミは付け足した。
 丸友の名は聞き覚えがあった。僕はいそいで自分の教室の窓を探した。そこには男子生徒が一人こちらを見ているのがわかった。

「丸友正樹」

 僕が言うとイズミは驚いたように僕を見た。

「知ってるの?」

「同じクラスだからね」

 正直僕はあいつにいい感情は抱いていない。
 特に話をしたこともないし、その感情の根拠といえば、口ごもってしまうのだが。
 しかし愛想の無いヤツである。誰かと遊んでいるところも、話をしているところも誰も見たことがない。成績はいいから、きっとクラスの奴らを見下しているのだとかなんとか、勝手な風評までついてまわっていた。
 たぶん、そのせいだ。周囲の人間の作り上げた丸友という男は決してイイ奴ではない。


 だからその日の放課後に話しかけられたときは、一体どんなたくらみがあるのかと思案してしまった。

「なあ」

 彼が僕に話しかけてくる前から、彼は僕を気にしている風だった。もうとっくに下校の準備はできているようなのに、自分の机のそばから動かないのだ。
 彼の第一声は短かった。誰も居なくなった教室の中、僕は廊下側、彼は窓際で相対していた。
 遠くて彼の表情はよく見えなかったが、やる気のこもった声ではなかった。でも思ったよりもよく通る声をしている。

「イズミさんと仲がいいのか」

 イズミの名前が出たのはさほど驚かなかった。彼が話しかけてくるならその話題だろうと思っていた。イズミの言っていた小鳥が彼のものなら、彼が気にかけているのはイズミ、または僕ということになる。
 しかし彼の思惑が見て取れない。きっと彼の口調がどこかけだるそうで聞いてきたくせに興味のなさそうな風だからだろう。

「別に。最近ちょっと話すだけ」

 彼はふうんと頷いて僕から目を逸らした。
 実は本当に興味が無いのだろうか。

「イズミと同じ中学だったんだろ」

「そうだけど」

「……」

 会話の続かないヤツだ。そっちから話しかけてきたくせに、もうちょっと話を広げる気にはならないのか。
 気まずい沈黙が流れるものの、僕も丸友もそれぞれその場から動こうとしなかった。
 僕は彼の思惑が知りたかった。彼もまた、僕のなにかが知りたかったのだろう。またはイズミのなにかを。
 彼の千色の小鳥は僕を取り巻いているだろうか。それとも、イズミだろうか。僕はそれを想像した。もし彼がイズミのことを頭においているなら、イズミは何か気づくだろうか。

「お前、イズミが好きなの?」

 そう言ったのは僕だった。イズミを気にするなんて、それくらいしか心当たりが無かったし、別に不自然な質問ではないような気がした。イズミの持っている不思議な目について何か知っているのかと聞くよりは。
 しかし丸友は心底驚いた顔をして僕を凝視したあとに、首を振った。

「ろくに話したことないし」

「じゃあなんで」

「イズミさんは友達あまり居なかったから」

 丸友は少し申し訳なさそうな声で言った。
 僕は驚いた。しかし意外な事実では無いと思い直した。
 イズミが見ている世界は普通の人間とは異なっている。人間は異端を排除しようとする傾向がある。――イズミが少しでもおかしな言動をとっていたなら。
 いつもくったくなく笑う彼女を見ていたから、そんな問題は感じなかったのだ。僕が明るい彼女に好意を持っているように、周りも同じだと思っていた。心を閉ざしたソラが受け入れたように、誰からも好かれる少女だと、勝手なイメージを貼り付けていた。
 本当は違ったのだろうか。一人教室の隅で机に座る少女。教室の喧騒から目をそらして自分の周りに集まるベンジーを見ただろうか。好奇の感情をしょったベンジーの色はイズミの瞳にどう映っただろうか。あんなに美しいものを、イズミはうっとうしく感じなかったのだろうか。

「本当は――」

 丸友の言葉をさえぎるように教室のドアが乱暴な音を立てて開いた。勢いのつきすぎたスライド式のドアは一度ドア枠にぶつかって跳ね返った。それを受け止めたのは女子の手だった。
 彼の視線はそちらに注意を向けてしまって、彼の次の言葉は聞こえなかった。

「白井くん、ちょっといいかな」

 噂をすれば陰ありとはこの事だ。ドアから首をだしてにっとわらったのは噂の少女イズミに間違いなかった。
 イズミは僕に話しかけてから丸友の存在に気付いたらしく、小さくおじぎをした。

「あ。……久しぶり」

 ちょっと気まずそうに笑った顔が、イズミと丸友が本当に昔の顔見知りであったのを根拠付けていた。
 一方丸友のほうはケロリとした表情で久しぶりと答えた。

「元気そうだね」

「うん。まあまあ。丸友くんは?」

「いつもどおりだよ」

 英語の教科書のどこかのページで見たような会話だ。
 二人の距離は近くないようであったが、言われてみれば確かに、イズミが学校で僕以外の誰かと話をしているところを初めて見た気がする。
 学校で彼女に会うといえば校庭で、近くには青い象が居たから、当然と言えば当然なのかもしれないが。
 校庭は解放された空間で誰でも出入り可能であるし、見ようと思えば誰だって炎天下のグラウンドでわざわざ蒸し焼きにされに出ている男女を見ることができる。だけどあの時間は僕とイズミの秘密だった。青い色をした、誰にも言えない秘密。

「用があるんじゃないの」

 丸友が言うと、イズミははっとして僕を見た。

「ちょっとお願いがあるんだけど……」

 言いづらそうなのはきっと彼女の特殊な能力に関係する事だからだろう。丸友は気を使ってか使わないでか、鞄を持つとイズミとは逆方向のドアから静かに出て行った。
 それを見届けると、イズミは教室に入ってきた。
 正直を言えば僕ももう家に帰りたかった。昼間の会話を忘れないうちに。

「丸友くん、あんま変わってないな」

「そう」

 丸友の椅子はきちんと机の中にしまわれて、荷物かけにも何もぶらさがっていない。まるで誰も使っていない机のようだ。ここからでは見えないが、引き出しの中もほとんど何も入っていないのではないのだろうか。

「思っていた感じと違ったよ」

 丸友の立っていた場所を見つめて僕はつぶやくように言った。

「思っていた感じって?」

「もっと嫌味な感じかと」

 それを聞いてイズミは何故かにやにやと笑いだして、僕は嫌なパターンにはまってしまったと後悔した。

「どう違ったの?」

 僕は答えられなかった。具体的にはわからない。でも彼の雰囲気や、表情の使い方が、僕の想像していた丸友像から微細に離れていた。もしかして僕の周囲の人間の彼に対しての評価は間違っているのではないかという疑惑が持ち上がる。

「丸友くんは何考えてるかわかんないからね」

 イズミが苦笑して言ったのに少し違和感を覚えた。さっきまであんなに他人行儀な会話をしていたのに、今度はよく知る親しい友人の話をするような口ぶりだ。このずれた反応もイズミの特殊な力の成す業なのだろうか。

「テレビの中にいるような真っ黒な悪役なんて存在しないから、困ってしまうよね」

 丸友という男を勝手に悪役に仕立て上げていたのを見透かしているのだろうか。僕は今度はイズミに視線を移した。僕の視線に気づいたイズミは僕に笑いかける。

「彼をいじめてたわけじゃない」

「別に私は責めてないよ?」

 そりゃそうだ。僕だけ責められるのはいささか不満がある。イズミは僕を責めたりしていない。
 僕が自分を責めたんだ。話したこともないくせに勝手に悪役を作り上げ、それを討伐しようと僕の中の卑屈な英雄がおもちゃの剣を振るっていた。
 僕の意識下の出来事ではなかった。癖みたいなものだ。いつのまにかそうしてしまう。
 僕はまた自分の悪癖に気づいてしまった。気づかされてしまう。何が楽しいのか、ニコニコと笑っている変な女に。

「ごめん」

「なんで謝るの?」

 イズミはまたおかしそうに笑った。



[25265] 09 空想スケッチ
Name: うずまき◆2646bb60 ID:8e784738
Date: 2012/10/11 20:29

 僕は一瞬考えて、そして頷いて承諾した。イズミは丸い瞳をさらにまんまるにして喜んだ。
 彼女には言わなかったが、本当は僕も同じ事を考えていた。すこし最後の締めくくり方が異なるだけだ。別に拒む理由もない。
 僕は彼女にしばらく時間がかかることは告げた。もうすぐ夏休みが始まる。その間にやり遂げるようにはすると約束して。

 丸友正樹と初めて言葉を交わした日、僕は家に帰ると漫然と絵を書き散らしていた。図鑑を引っ張り出していろんな動物のスケッチを始めた。チラシの裏に、ミスプリントの裏に、赤点をぎりぎり回避したテストの裏に――
 気づけば夜も更けていて、網戸の向こうから虫の音が煩いほどに聞こえてくる。その音にすら今まで気付かないほど集中していたみたいだ。
 少しペンを休めると右手が真っ黒になっていた。こんなにたくさん絵を描いたのは久しぶりだった。最近は美術部の方にもろくに顔を出していない。あの青い象を書き逃げして、僕は美術部から逃亡したようなものだった。
 また中途半端で投出しているんじゃないかと気がかりだったが、僕は今こうして絵を描いている。部活には出ていないけれど、絵を描いてはいる。これはどうなのだろうか。ジャッジはどう判断するだろうか――そもそも誰が僕を裁くんだ?
 考えてふと笑ってしまった。
 僕がやりたいんだからいいんじゃないか。他人がどう言おうが僕はこれをやりたいんだ。
 この台詞を中学時代に吐けていたなら、僕の青春はもっと違ったかもしれない。
 ああ、また悪癖だ。僕は自分を戒めてもう一度鉛筆を握った。
 でもこれは後悔じゃないと、心の隅で思った。

 結局この日は一睡もせずに学校に向かう事になった。頭は冴えているのに、体の中は睡眠不足のことに文句を垂れているようだ。もやつく内蔵をさすりながら教室に入ると、なぜかまっさきに丸友正樹の眠たげな瞳と目が合った。朝のほんの少しだけ落ち着いたけだるい雰囲気とか、窓から見えるほんの少し薄い空の色は、丸友正樹そのものだと思った。
 僕は軽く会釈をして席についた。丸友はそんな僕をじっと見ている。いや、ぼけーっと見ているのかもしれない。どちらにしろ何故か僕は気恥ずかしい思いをする事になった。
 丸友は僕と関わることを望んではいないのかもしれない。

 相変わらずの蒸し暑さを無視して僕は絵に集中していた。頭の中は色とりどりの動物でいっぱいで、授業どころではない。そもそも学期末の授業が身に入った覚えなどないが、今回は身に入らないどころか別の事に身を入れてしまっている。英語の教師に頭をはたかれてしまったので、僕は仕方なくノートをとるふりをしなくてはいけないのが困った。
 眠たい授業をするくせに居眠りは許さない英語教師。嵐のような教鞭をふるい頭にまったく何も残してくれない数学教師。胸の大きい国語教師。よぼよぼで、この暑さで干からびてしまうんじゃないかというほど皺くちゃでか細い化学教師。
 あの先生達のベンジーはどんな形で何色だろう。
 七行六列の座標で振り分けられ番号をつけられた生徒達。皆同じモノクロの服を着て、真面目に大人の言うことを聞いている。
 だけどイズミの目を通して見ればこの部屋もただの動物園だ。
 彼らにもそれぞれの色・姿のベンジーを持っていて、それは自由にこの教室中、いや、ヘタをすれば宇宙の外でさえ自由に駆けめぐっているかもしれない。
 僕のベンジーはでぶでのろまなウサギだそうだから、この教室すら飛び出していない事だろうけど。

 ――今は違うかな。

 校庭で綺麗な色のベンジーを探しているかもしれない。日本中を遅い足でちまちま歩いているかもしれない。

 ――今まで僕はきっと何にも興味が無かったんだ。
 
 くすんだ色のこの世界は、なんとつまらないものだろうと決めつけていた。
 人生面白い事もあるものだ。あの大きな青い象は僕にどれだけのものをもたらしたんだろう。
 人の気持ちを動かすのは簡単なようで難しい。

「うさぎが好きなのか」

 とつぜん人の声がして僕は思わず体を震わせてしまった。
 そこに立っていたのは丸友正樹で、朝と変わらず眠たげな瞳を僕のスケッチブックに向けていた。

「い、いや。別に。何か用?」

 いそいそとスケッチブックを畳んで僕は丸友を見返した。

「昨日、話せなかった事がある」

 丸友正樹はまっすぐに僕を見て言った。

「本当はずっと心配だったんだ」

「イズミが?」

「君も」

「僕も?」

 なぜ?

「だって、君もイズミさんも、いつもひとりだったから」

 僕はぽかんと口を開けた。
 まったく意味が分からない。僕はひとりだっただろうか。このクラスに友達は居なかったのだろうか。
 仮にそうだとしても、なんでそれを丸友が心配しなくちゃいけないんだ。
 だって、丸友も――

「お前もいつもひとりだろう?」

 丸友は、しずかに頷いた。

「二人が友達になって良かったと思って」

 外ではうるさくセミが鳴いていた。
 丸友は最後に小さく微笑んで立ち去っていった。
 その背中をカラフルな小鳥が追いかけるのを見たような気がした。






「それだけ?」

「うん」

「他には何も言わなかったの」

「うん」

「そっか」

「うん」

 イズミは僕と丸友の話を興味深げに聞いていた。
 昼下がりの日差しは一層攻撃性を増しているようで、僕の肌に突き刺さるように痛い。
 じわりと汗腺からしみ出す水分は特別僕をひやしてくれない。
 結局、丸友はおかしなヤツだと僕の中で判断が下された。
 僕とイズミが仲良くなって良かっただなんて。思っててもわざわざ言いに来るような話題ではないだろう。
 僕の中の丸友正樹像はもろくも崩れ去り、新しい像が作られ始めている。
 冷たい男ではなかった。人を見下しているというのはあながち間違ってないかもしれない。自分が孤独なのを棚に上げて僕らに同情するのだから。
 あの小鳥はまさしく丸友正樹だ。チロチロと周りを気にして飛び交っている。だけどつかみ切れない。すべての小鳥を捕らえるのは至難の業だろう。
 
「――なるほどな」

 僕は呟いた。

「イズミ、夏休みに入って一週間経ったらまた会おう」





 

 夏の暑さはさらに増し、僕はうなだれた。
 電車の中に入ると南極のように冷え切った空気が僕の汗を冷やした。こんな温度差では体を悪くしてしまいそうだ。
 しかし暑いよりはいい。僕は席が空いているのにもかかわらず扉近くの手すりにつかまって外を長めながら電車に揺られた。
 次の駅で部活帰りの野球部が乗り込んでくる。汗くさい熱気が僕の方までかすかにやってくる。
 相変わらず彼らはとても輝いて見える。
 電車の扉が開く度聞こえてくるセミの音も、さらに肌を黒くした野球部のうだる声も、僕はなんとなく心地よかった。
 僕の知らない未来がどこかにあったかもしれない。この青白い肌を小麦色に焼く事も、この電車に乗らず無為に夏休みを過ごす自分も居たかも知れない。
 僕はいつだって消えた未来を探す。それはどこにでもあってどこにもない。
 悪癖は治らないものだな。だって僕はずっとこうやって生きてきたのだから。
 これからもそうやって生きていくしかない。心残りを背負いながらありもしない未来を夢見て、見ることもできない世界を夢見て。

 今僕は背負ったリュックにスケッチブックを入れてここに居る。手を振るイズミに手を振り返す。
 そしたら電車を降りて、言葉を無くしたソラの部屋を訪ねる。

 それで、僕がこの一ヶ月で感じた事を全部教えるんだ。スケッチブックを開いて、イズミの世界、僕の世界を少し見せてあげるんだ。

 世界にはいろんな色があって、形があって、動きがあって、そしてそこに人が居ること。

 大きな青い象は空よりも青くて、優しくて、とても綺麗な瞳をしていて、そして、いつもソラの側にいる事を。





≪天の青い象 あとがき≫

 ここまで読んでくださった方、コメントくださった方に御礼申し上げます。
 一応青い象に関する話はおしまいです。
 が、結局誰も救えていないのが心残り……また続きを書ければと思ってますので、完結とは打たないでおきます。


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