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[25179] 【習作】プレーヤー召喚(現実→ファンタジー、R-15)
Name: 三叉路◆53a32b9e ID:3503d6aa
Date: 2011/03/03 06:48
※たくさんの感想ありがとうございます。
※職場移動と繁忙期のため、手帳にネタ出しぐらいしかできていない状態です。
※更新は必ずします。お待たせして申し訳ありません。



【説明】

よくある現実→ファンタジー物ですが、本人には力がなく、四人のキャラクターを操って切り抜けることになります。
注意点として、暴力や、軽微な性描写を含みます。

長文を書くことに慣れていないため、不格好なりにも更新して、文章量を増やすのを優先していきたいと思います。
筆力はそのうち追いついてくれればと。

また、「こっちの方が面白い」と思ったら、設定の改変など予告なく行われる場合があります。
チラ裏にある間はご容赦ください。


2010/12/30 初投稿



[25179] 第1話
Name: 三叉路◆53a32b9e ID:3503d6aa
Date: 2010/12/30 23:23



     ◇



「何……冷たい……?」

 寝起きのぼんやりした思考のまま、秋人はつぶやいた。体の下にある冷たい石床の感触から逃れるように、緩慢な動きで手をついて、身を起こす。
 まだはっきりとしない視界で、あたりを見回した。
 そこは薄暗く、地下室のような場所だった。遠くに燭台のような炎の揺らめきがあり、それがかすかな光源となっている。
 その明かりに照らされて、自分の他にも倒れている人影がいくつか見えた。
 突然、近くで男の声がした。

「おお! こっちは意識があるぞ!」

 その声に、周囲が騒がしくなった。
 近づいてくる人の気配。
 秋人は状況も掴めないまま、ぼんやりと周囲の暗闇を眺めていた。



     ◇



 それから三日。



     ◇



「はあ……召喚……」
「はい。我が教団に伝わる救世の儀式によって、勇者様を召喚させていただきました。なにとぞ、この国をお救いください」

 ということだった。
 ベッドから半身を起こした秋人の前で、少女がひざまずいている。確か巫女と名乗っていた。名前は長ったらしくて覚えていない。
 巫女。
 みこ。
 秋人は脳内でその言葉を反芻する。

(どうも……夢じゃないな、これは)

 三日をかけて、秋人の精神はようやく現実に戻ってきた。
 あの地下室に連れてこられてから、さまざまな人間が、さまざまなことを、秋人に向かって話しかけてきた。
 それらの大半を秋人は覚えていない。まるで夢のような、ふわふわした記憶があるだけだ。ほとんど茫然自失の状態だった。
 明らかに現代の日本とは違う、中世然とした館の中で、瞳の色も髪の色も違う人間たちに取り囲まれ、なぜか通じる日本語で、怒濤のように情報を詰め込まれ、あっけなく精神がオーバーフローした。
 かすかに頷いたり、うめき声をあげるだけの秋人を見て、彼を召喚した人間たちは、何か問題が発生したと思ったらしい。
 ベッドに押し込められ、使用人と医者にかしずかれながら、秋人はベッドの中で、ただひたすら呆然としていた。
 そうして三日。
 目が覚めたあと、窓の外に写る空を見て、ぼやけた視界の焦点が合うように、精神のピントがすっと合った。
 理性の戻った彼の瞳を見て、使用人の一人が、目の前の巫女を連れてきたのだ。
 話が通じるのは、召喚の儀式に、自動翻訳のような効果があったためらしい。そんなことを言われた記憶が、この三日の中に、かすかにある。
 秋人は、視線を巫女の方に戻した。

(普通の状況なら、一目惚れしてるだろうな)

 そんな、目の覚めるような美少女だった。
 しかし、現実感の薄いこの状況では、他人事のような感想しか抱けない。
 秋人はぼんやりと言った。

「帰りたい……帰れませんか?」

 巫女は顔も上げず、無言で応える。
 勇者、という言葉に、得体の知れない気持ち悪さを感じる。
 それはファンタジーの言葉であって、現実に、この身に降りかかってくる言葉ではない。
 巫女が口を開いた。

「我々の力では、元の世界にお返しすることはできません。天から星を落とす術でありますれば……星は天には返せませぬ」

 もともと答えは期待していなかった。他人を否応もなく拉致したのだ。返すわけがない。

「そうですか……」

 嘆息した秋人に、巫女は言葉を続けた。

「ただ……北の魔王であるリッチは、様々な魔法の品を所有しているとか。それらを手に入れれば、あるいは、天に渡ることも……」

(そうきたか)

 帰りたければ、戦えと。
 わかりやすい手ではある。
 しかし、話が早すぎる。ほとんど脅迫だ。あまり説得の必要性を感じていないのかもしれない。どうあがいても、従うしかないと。

「魔王というのは、そんなにたやすい存在なのですか」
「……なんと?」
「俺は戦えませんよ。ただの学生です。人と争ったこともない。そんな人間に倒せる存在なのですか?」

 巫女は顔を伏せ、

「……申し上げておりませんでしたが、この儀式で、何の力も持たない者が召喚されることはありません。少なくとも、魔王を倒せる可能性を持った存在を、その力の重さによって、天から呼び落とす術にございます」

 暗に、嘘をつくな、力を隠すな、と言っているらしい。
 しかし、秋人は正真正銘の、ただの大学生だ。秘めた力などない。断言できる。

(可能性……なんだ? 可能性なんて、誰にでもあるだろう。大きいか小さいかの違いで……いや、今の時点で考えても無駄か)

 戦うつもりはない。そんな力もない。
 だが、それを目の前の巫女に言うつもりはなかった。
 勇者、という枠に当てはめようとする、嫌なプレッシャーを、周囲から感じるのだ。
 自分を守ってくれる存在はいない。機嫌を損ねれば、どうなるかわからない。今は媚びるしかないのだ。少なくとも反抗すべきではない。

「そういえば……」

 ふと思い出す。

「召喚されたのは俺だけですか? 他には?」

 あの地下室には、倒れている人影が複数あった。そして、『こっちには意識があるぞ』という、あの言葉。
 巫女は無言のまま、じっとひざまずいていた。顔を伏せているため、その表情はうかがえない。
 沈黙は長かった。
 教えるべきかどうか、迷っていたのかもしれない。あるいは、この沈黙の間に、誰かと連絡を取っていたのか。
 そういった魔法的な物の可能性を、秋人はすでに考えに入れはじめていた。
 巫女がようやく口を開いた。

「今回の儀式では、五人の勇者様が、召喚に応えられました」

 ということは、自分の他に四人。
 予想外に多い。日本人だろうか?
 会いたい。
 急激な欲求がわきあがってきた。空気の肌触りさえ違う場所に連れてこられて、気づかないうちに孤独感を深めていたらしい。
 わけのわからないことばかりで、地に足がついていないのだ。人と、同じ世界の人間と、会話がしたい。そうすれば、状況を受け入れられるかもしれない。

「会わせてください」
「……それは」
「今すぐに」

 秋人の目を見て、引かないことを悟ったのか。
 巫女は無言で、部屋を出て行った。



     ◇



 期待は、失望で迎えられた。
 目の前のベッドには、光のない目で虚空を見上げる少女が横たわっている。
 巫女は言った。

「召喚の儀式から、ずっとこの様子で……。召喚に応えきれず、精神と肉体の繋がりが切れてしまったのではないかと……」

 眠っているわけでもなく、ただ心の動きがないのだと。
 四人とも、そうらしい。
 全員が、日本人ではなかった。
 二十代の男が二人、十代後半の少女が二人。
 髪の色も様々だ。全員が整った顔だちで、男は凛々しく、少女は美しかった。
 そんな彼らを見て、秋人はなにか引っかかるものを感じた。
 その容貌は日本人のものではないが、西洋人とも違う。
 なのに、どこか馴染みのある……

「あ」

 秋人の声に、巫女はいぶかしげに、

「何か?」
「い、いや……なんでも、ない」

 適当に誤魔化しながら、秋人は考えこむ。

(そういうことなのか? それなら、こいつらに意識がないのもわかる。召喚、召喚か……。そんなのまでアリなのか? わけのわからん魔法だ……)

 考えこむ秋人に向かって、

「勇者様だけが、最後の望みなのです。なにとぞ、我が国をお救いください」

 巫女の言葉に、秋人は沈黙で応えた。



     ◇



 その夜。
 ベッドに寝ころびながら、秋人は、空中に浮かぶ四つのウインドウに目を走らせていた。

名前:グエン 性別:♂
レベル:87
クラス:パラディン
AI:休眠
≫詳細を見る

名前:ガッシュ 性別:♂
レベル:92
クラス:ウォーロード
AI:休眠
≫詳細を見る

名前:マヤ 性別:♀
レベル:95
クラス:ハイウィッチ
AI:休眠
≫詳細を見る

名前:ユエル 性別:♀
レベル:87
クラス:ハイプリースト
AI:休眠
≫詳細を見る

『詳細を見る』に意識を走らせると、さらに他のステータスが表示される。

名前:ユエル
HP:150/150
MP:327/327

筋力:20
知力:42
信仰:90
体力:40
敏捷:45
≫スキル ≫アイテム

「なんでこいつらが来てるんだ」

 ウインドウを見ながら、秋人はつぶやいた。



[25179] 第2話
Name: 三叉路◆53a32b9e ID:3503d6aa
Date: 2011/01/15 19:04



     ◇



 その四人に見覚えがあったのは、彼らがゲームのキャラクターだからだ。
 シングルプレイの3DのRPGで、自分でキャラクターを作って、広大な世界を自由に冒険していく。その自由度の高さと、世界の広さで、評価が高かった。
 珍しいのは、自分の作ったキャラだけで、パーティーを組むことができる点だ。自分が操作しているキャラ以外は、AIが担当する。そのAIも革新的で、プレーヤーの挙動をくみ取り、学習進化していく。シングルプレイなのに、MMOのようなパーティープレイが楽しめる。そこに秋人はハマっていた。
 目の前に浮かぶウインドウは、そのゲームのものだ。
 彼らがゲームのキャラだと気づいたときに、いつのまにか、ゲームの『メニュー』を扱えるようになっていた。
 ただ意識するだけで、『メニュー』が視界上に浮かぶ。
 他の人間には見えないらしい。

(召喚の儀式とかで頭の中をいじられたのか? もう何でもありだな)

 メニューは全て、意識で操作できる。
 AIは休眠状態だ。このモードでは、敵からの攻撃にも反応しなくなる。
 おそらく、このAIモードを変えれば、動き出すのだろうが……
 秋人は躊躇していた。
 本当に動くのか? という疑念。
 四人はそれぞれ別の個室で、ベッドの上に横たわっていた。近くから見ても、人間にしか見えなかった。
 それが一人だけなら、ゲームのキャラクターだと気付かなかっただろう。
 しかし、四人が四人とも、自分が何日も悩んで決めた容姿、そのままだった。
 そして、この『メニュー』の存在。
 四人それぞれが、暗い室内のベッドに横たわっている。その様子を見下ろす映像が、四つのウインドウに映っている。十中八九、ゲームのキャラクターで間違いないだろう。
 しかし……
 AIはこちらの指示に従うのだろうか?
 いきなり暴れ出したりしないだろうか?
 そんな不安があった。
 わけのわからない状況で、わかのわからないものを、わけのわからないままに動かそうとしている。

(ええい、悩んでいても仕方がない)

 この世界で唯一、自分の味方……駒になりそうな存在なのだ。試してみるしかない。

『ユエルを待機モードに』

 栗色の髪を後ろで三つ編みにした、プリーストの少女キャラ、ユエルを目覚めさせる。このキャラを選んだのは、制御不能になった場合を考えてのことだ。外見が少女なら、手荒な真似もされないだろう。
 ユエルの目に光が宿った。
 ゆっくりと、ベッドから身を起こす。
 窓から入る月光だけが、そんなユエルを照らしている。
 休眠モードのときの、虚ろな瞳は消えている。視線はちらちらと部屋の中を動き、周りの情報を集めているようだ。
 やがて、ユエルはベッドから下りて、部屋の中を音も立てずに歩きはじめた。
 待機モードでも、じっと動かないというわけではない。単にその場所から離れないというだけで、その他はAIの自由だ。襲われれば反撃するし、本を読んだり、食事をしたりもする。
 ゲームでは、自宅に待機させておいたキャラの挙動を見るのも楽しかった。プレーヤーにお帰りを言ってくれることもあるのだ。
 ユエルはひととおり部屋の中を把握すると、窓際に立って、外の様子をながめはじめた。視界は高い。三階か四階の部屋らしい。塀と、木立の向こうに、背の低い街並みが広がっている。
 窓の外を眺めるユエルの所作は、人間にしか見えなかった。

(本当にAIなのか?)

 そう思ってしまうほどに。
 試しに、

『ユエルを休眠モードに』

 とたん、ユエルの体から力が抜け、床に崩れ落ちた。
 慌てて、

『待機モード!』

 すると、何事もなかったように、ユエルはゆっくりと体を起こした。
 幸い、頭はぶつけていなかった。
 こちらで操作できるのは、確かなようだ。
 人間の形をしたものが、人形のように操作できる。不思議な感覚だった。



     ◇



 それから一週間。
 周りの目を盗んで、秋人は四人の操作を確かめていた。

 金髪の騎士、グエン。パラディン。
 パーティーの中では主人公格で、秋人がよく操作していた。
 前衛をこなす耐久力と、補助的な信仰呪文を使うマルチクラスだ。

 赤髪の傭兵、ガッシュ。ウォーロード。
 呪文は扱えないが、剣、槍、斧、弓、暗器と、あらゆる武器を使いこなすアタッカーだ。グエンが敵を受け止め、ガッシュが敵を間引くという役割分担をしていた。

 黒髪の魔女、マヤ。
 白皙の美貌を持つ少女で、殲滅に特化した破壊呪文を操る。偵察や罠感知、魔力付与といった、補助的な役目もこなす。

 最後に、女僧侶、ユエル。
 パーティーの回復役で、アンデッド相手には一番の戦力となる。
 よく敵に狙われるので、身を守る程度の力はある。

 この四人だ。
 前衛組の力はまだわからないが、呪文は扱うことができた。マヤの偵察呪文《遠目》によって、街中の探索も行った。
 そこで見たのは、おおむね、予想通りの光景だった。背の低い、入り組んだ街並み。中世然とした衣服の人々。
 街は狭く、館からも遠目に、街を取り囲む城壁が見える。
 街の中央には丘があり、周囲を睥睨するように、領主の城が立っている。領主の別邸たるこの館は、その丘のふもとにあった。

「ファンタジーだなあ」

 秋人はつぶやく。
 この一週間、なんの行動も起こさず引きこもっていたのは、どう動けばいいか、指針が掴めなかったからだ。情報が足りなさすぎる。それを少しでも補うための、街中の偵察だったのだが。
 街の外れ、正門に近い場所には、冒険者ギルドのようなものもあった。兵士とは明らかに違う、雑多な武装をした男たちが出入りして、剣呑な雰囲気だった。とても気軽に入れるような場所ではない。マフィアの事務所のようなものだ。
 それに比べて、兵士の方はまだ規律が取れていて、話の通じそうな雰囲気だ。城壁の外に兵営があり、調練場もある。門の警備や、街中の巡回など、兵士の姿を目にすることは多い。それなりに治安は保たれているようだ。

(でも、外では生きていけないだろうな。生活の仕方がわからない)

 それに、この場所から離れたら、本格的に帰還の目処が立たなくなる。自分を呼び出したのだから、異世界を渡る方法について、それなりの技術を持っているはずだ。
 何もわからない異世界で、帰還の方法を探してさまようよりは、可能性が高いだろう。
 それほど元の世界に執着があるわけではないが、やはりここは落ち着かない。
 元の世界では、法に守られていて、滅多に危機を感じることはなかった。しかし、こちらでこの身を守れるのは、自分だけだ。
 身の危険を感じる裏通りに迷い込んでしまい、早く明るい大通りに出たくて、足早に歩く。元の世界に帰りたいというのは、そんな感覚だった。
 そのとき、思考に沈む秋人の耳に、ノックの音が届いた。顔を上げると、使用人が扉を開けて入ってくるところだった。



     ◇



 使用人に連れられていった先は、中庭のような場所だった。

(どうしてこうなってる?)

 困惑する秋人をよそに、目の前には一人の兵士が対峙していた。両手で剣を持ち、明らかに戦闘態勢にある。
 中庭の周りの回廊には、複数の人影があった。その中から巫女が現れ、秋人に近づいて言った。

「勇者さまの、お力を拝見したく……」

 その言葉とともに、近くにいた従者の一人が、秋人に剣を差し出した。思わず受け取るが、その重さに腕が沈み、慌てて支え直した。

「お望みであれば、槍でも弓でも、あるいは杖でも用意させますが」

 従者の言葉に、秋人は答えられない。いまだに頭が状況に追いついていないのだ。
 無言の秋人に、必要ないと判断したのか、従者は離れていった。巫女もそれに続く。
 気づけば、兵士と、秋人、二人が武器を持ち、決闘のように立ち会う形になっていた。

「え……」

 秋人の困惑の声は、周りのざわめきにかき消され、誰にも届かなかった。
 突然、よく通る声が響いた。

「そろそろ良いな。十日も待ったのだ。これ以上は待てん。召還酔いとやらも落ち着いただろう。力を見せろ」

 そう言ったのは、華美な格好をした、金髪の青年だった。周りを従者に囲まれている。一目で貴族だとわかった。

「子爵様……」

 近くにいた神官服の男の、すがるような言葉を一顧だにせず、青年は言った。

「やれ」

 その言葉とともに、場に殺気が満ちる。
 兵士が剣を構え、突っ込んでくる。

「ひっ」

 思わず悲鳴をもらし、秋人はあとずさった。
 次の瞬間、今まで感じたこともないような激痛が、体を襲った。体を守るように縮こめられた右腕と、脇腹に、車が衝突したような衝撃が襲い、秋人は弾き飛ばされた。
 気づけば顔を地面に押しつけ、激痛にうずくまっていた。

「……ぉ……ぐ……」

 もれる苦痛の声も、息絶え絶えのものだ。
 たった一撃だったが、秋人を戦闘不能にするには十分だった。鉄の塊で殴りつけられたのだ。刃を殺していなければ、胴まで切断されていただろう。当然のように右腕は折れている。
 中庭を静寂が支配した。

「これがお前たちの呼んだ勇者か?」

 秋人を見下ろしながら、子爵が言った。

「腰抜けのガキと、白痴が四人。それが貴様らの言う勇者か?」

 だんだん、その言葉に怒りがこもる。
 子爵は、近くにいた神官服の男たちに向かって、腕を振り回しながら激昂して言った。

「貴様らの儀式とやらに、私がどれだけの財宝を手放したと思っているのだ! 異端者の口車に乗った、私が愚かだったというわけか? この山師どもめ! 城壁に素っ首並べてくれる!」
「お、お許しください。これは何かの間違いで……」
「聞く耳持たぬ!」

 子爵は神官を突き飛ばすと、近くの護衛から槍を奪い、うずくまる秋人に近づいた。

「おい小僧。力とやらがあるなら、今すぐ見せろ。この槍が貴様を貫く前にな」

 そう言って槍を向けられても、秋人は反応できない。右腕を抱えてうずくまるだけだ。体を襲う激痛に、まともな思考をできないでいる。
 子爵は冷たい視線でそれを眺めると、槍を突き出そうとした。

「お待ちくださいっ」

 そう叫んだのはあの巫女だった。

「なんだ? この者の代わりに切られたいか?」

 子爵は不機嫌そうに振り返る。
 巫女は、平伏して言った。

「その者と、残りの四人を贄にすれば、大量の秘薬がなくとも、再び儀式を執り行えます。殺めるのは今しばらく……もう一度だけ、我らに機会をお与え下さい」

 平伏する巫女と神官たちに、子爵は鼻を鳴らし、槍を引いた。

「二度目はないぞ。次はまともな者を呼べ。豚の餌になりたくなければな」

 青ざめる神官たちをあとに、子爵は立ち去った。



     ◇



(馬鹿だ。俺は大馬鹿だ。何が情報収集だ。死んだら終わりなのに、まだ安全だと思い込んでいたのか。せっかく力を手に入れても、使わなきゃ意味がないのに)

 折れた右腕は熱を持ち、脈動のたびに、ズキズキと痛みを伝えてくる。
 あのあと、秋人は治療も受けず、引きずられるようにして地下牢に放り込まれた。両手は鎖で繋がれている。
 鉄で補強された木製の扉と、石造りの壁から、すきま風が入り込んでくる。ほとんど使われていなかったのか、腐臭や糞尿の臭いはあまりしないが、不潔な環境であることにかわりはない。
 その片隅の藁の上で、秋人はじっとうずくまっていた。
 夜になるのを待っていたのだ。
 キャラクター四人の状況は、ウインドウでずっと確認していた。特に動きはない。ずっとベッドで寝かされている。
 こちらも疲労と痛みと熱で、今すぐにでも眠りこけたかった。現実逃避して、呆けていたかった。しかし、命の危険がある以上、行動を先延ばしにはできない。
 館が寝静まったあと、秋人は動き出した。

『マヤを待機モードに』

 呪文使いの少女、マヤの瞳に光が戻る。
 そのままベッドから動かないようAIに指示し、《遠目》の呪文を発動させる。もう一つのウインドウが開き、館の光景を映し出した。作り出された不可視の目を動かして、館の内部を偵察していく。
 寝ていた一週間の間に、館の構造は把握していた。今は、どこにどれだけの人間がいるのかを調べる必要がある。
 マヤを含めたキャラクターの四人は、三階の個室に、ばらばらに入れられている。それぞれの部屋から、地下牢までの経路を確認したが、巡回や見張りはいなかった。もうあの四人は起きることはないと思っているのだろう。

(痛ぇ……眠い……頭がぼうっとしてるな……まともに考えれてるか? 見落としがないか注意しないと……)

 朦朧となる意識に喝を入れ、館の兵力を確認していく。
 ある広間で、複数の人影が作業をしているのを見つけた。神官服の男たちだ。床に魔方陣のようなものを描き、柱に妙な紋様を塗り付け、何人かは祈りを捧げていた。

(儀式か。生贄とかいってたが……やっぱり殺されるんだろうな)

 準備の様子をみる限り、それほど時間はないようだ。急がなければならない。
 そこに巫女の姿は見当たらなかったが、別の場所で見つけることになった。
 領主の寝室で。

「おゆ……るしを……」
「お前は殺すに惜しいがな。異端をかくまっていると知れたら、免罪にどれだけの金品が必要になるか……。野心を出した結果がこれだ。つくづく……貴様が白痴どもでなく、勇者とやらを呼び出していれば!」

 子爵が巫女をベッドに組みしいて、蹂躙していた。男に貫かれ、巫女は苦しげにあえいでいる。

(嫌なものを見た)

 秋人はとっさにそう思った。性的なものより、動物の醜悪さを強く感じた。

「次、こそは、必ず……」
「せいぜい祈れ。お前たちの異貌の神にな。できなければ、手足を切り取って、兵士の慰み物にしてくれる」

 秋人はそこで監視を打ち切った。
 この男はまずい。
 四人のキャラクターを操る力を見せて、保護してもらおうという考えもわずかにあったのだが、秋人はそれを完全に放棄した。
 安全を他人任せにするには、ここは危険すぎる。まだ荒野で生活する方がマシだ。ここから離れれば帰還の目処も立たなくなるが、まずは命を長らえるのが先だ。
 幸い、館に兵士はそれほど多くない。正門に歩哨が二人と、一階の詰め所に数人がたむろしているだけだ。
 そこまで確認すると、秋人は待機していたマヤに指示を出した。

『《透明化》で姿を消してから、扉を開けろ。館の人間に気づかれないように、他の三人の部屋の鍵を開けてまわれ』

 指示された通りに、マヤは呪文を使う。詠唱は小声で、気づかれることはないだろう。
《透明化》を使っても、秋人のモニターには映るようだ。ウインドウには半透明のマヤが映っている。ゲームと同じ仕様らしい。かつてゲームのクエストにもあった、スニーキング・ミッションを思い出した。
 マヤはベッドから起き上がり、扉を《解錠》で開けた。カチリとかすかな音がして、扉が開く。外に誰もいないのは確認済みだ。
《静寂》の呪文で音も消したかったが、そうすると呪文が使えなくなる。なるべく静かに移動してもらうしかない。
 マヤはそのまま、廊下を滑るようにするすると移動し、他の三人の扉を開けていく。待機モードに変えて扉の前に立たせていた他の三人も、すぐに合流した。マヤに《透明化》をかけられ、四人とも不可視の一団となる。
 前衛二人は武器がないし、どの程度の戦力になってくれるかもわからないので、兵士とはぶつけたくない。彼らがやられたら、自分が助かる手段はなくなるのだ。ここは、二人のスペルキャスター頼みだ。

(装備とアイテムも、こっちに来てれば良かったんだけどな)

 貴重なレア装備やアイテムは、いくらメニューをいじっても見つからなかった。四人とも、普段着のままだ。
《遠目》を飛ばして秋人が偵察を行い、安全の確保された通路を、四人が進んでいく。一階の詰め所の前を通りすぎるときは緊張したが、誰にも気づかれずに済んだ。
 地下への階段を降りると、見覚えのある場所が現れた。地下牢の前まで来たのだ。ウインドウから目を離し、自分の目で扉を見つめる。
《解錠》が発動し、扉が音もなく開いた。
 しかし、扉の先には誰もいない。ウインドウにはマヤの姿が映っているのだが、直接には見えないらしい。

『《看破の瞳》をかけてくれ』

 マヤが呪文を唱え、秋人の目が一瞬だけ輝く。
 半透明の、長い黒髪をした少女、マヤの姿が、今度ははっきりと見えた。
 秋人は息をついた。ゲームのキャラクターではない自分に、ちゃんと呪文がかかるのか、心配だったのだ。
 立ち上がろうとして、右腕の苦痛にうめく。

(腕の治療を……いや、脱出が先か? 早く逃げないと……くそ、焦るな。治療が先だ。この腕じゃ、逃げる途中でヘマをしそうだ)

 大きく深呼吸をして、秋人は心を落ち着かせる。

『ユエル、《治癒》を頼む』

 マヤと入れ代わりに、栗色の髪をした少女、ユエルが牢に入ってくる。ユエルが両手を合わせ、祈りの言葉をつぶやくと、右腕が淡い光に包まれた。とたんに痛みが引いて、力がわいてくる。

(なんか……すごいな)

 あっさりと完治した右腕に、秋人は呆れた。あらかじめ呪文の効果を確認していたとはいえ、この身で体験すると驚くばかりだ。
 とはいえ、こうしてもいられない。マヤの《解錠》で両手の鎖も外すと、秋人は四人について牢を出た。《透明化》はすでにかけられている。
 グエン、ガッシュの前衛二人が先頭を歩き、マヤとユエルがその後ろに続く。秋人は最後尾だ。《遠目》はさらに前方に飛ばしてある。そのウインドウに人影が映った。

(まずい!)

 詰め所にいた兵士の一人が、何かの気まぐれか、地下に降りてきていた。通路は狭く、すれ違うにもあまり余裕はない。それに、牢が空っぽになっていることにすぐに気づかれるだろう。
 秋人を含めた五人は、足音を立てないよう、立ち止まった。

『あいつを上に気づかれないように無力化する。ガッシュの前まで来たら、《睡眠》で眠らせろ』

 マヤは軽くうなずき、小声で事前詠唱を始める。ガッシュはすでに、壁際に立って、兵士を待ち構えている。

(ちゃんと呪文が効くのか。こいつらはうまく動いてくれるのか)

 仲間たちが人間なら、まだ安心できただろう。しかし、彼らはAIだ。臨機応変に動いてくれるのか、という不安があった。
 五メートルほどまで近づいたところで、マヤの《睡眠》の呪文が発動する。兵士は立ちくらみを起こしたようにふらついた。そのまま倒れていたら、鎧が致命的な金属音を鳴り響かせていただろう。
 そこをうまくガッシュが抑え、首を絞めて完全に落とした。音を立てないように、床にそっと横たえる。流れるような手際だ。
 ついでとばかりに、腰の剣も奪っている。
 AIも自分で考えて行動しているのだ。

(こいつらは、ちゃんとこの世界の人間にも通用する)

 秋人は安堵と共に、そう思った。元がゲームのキャラクターなのだ。人間相手に立ちまわれるとわかったことは嬉しい。
 帰らない兵士のことを不審に思われる前に、急いで脱出しなければならない。しかしその前に、秋人はマヤに《静寂》をかけてもらった。秋人の足音が一番響いていたからだ。他の四人は、まるで猫のように静かに歩いている。
 おそらくこの中で、秋人が一番『レベル』が低いのだろう。そんな自分の思考に、秋人は状況も忘れて苦笑した。



     ◇



 透明化がかかっている今、正門から出ることもできるだろうが、安全をとって、裏の塀を越えることにした。
 水堀もあり、普通の人間ではかなり苦労するところだが、《浮遊》の呪文をかけられた五人は、それを易々と乗り越えた。

(呪文は万能だな)

 ゲームでは、主に敵の殲滅に使っていた。しかし、こうやってみると、補助呪文の偉大さがわかる。マヤがいなかったら、脱出はかなり難しくなっていただろう。
 減ったMPを回復させるため、マヤは目を閉じ、《瞑想》を行っている。

(さて、これからどうするか)

 あたりに人影はなく、暗い街並みが広がっていた。
 透明化も、そう長くは続かない。領主に追われる以上、この街にいるのは危険だろう。五人とも容貌は割れているのだ。できれば朝になる前に離れたい。

(でも、どこへ向かって? 何を目指して動けばいい)

 街の外の情報は一切ない。魔王とやらがいる世界なのだ。どんな生き物が生息しているかもわからない。
 秋人はため息をつき、暗い夜空を見上げた。



[25179] 第3話
Name: 三叉路◆53a32b9e ID:3503d6aa
Date: 2011/01/15 19:05



     ◇



 MPが回復しきっていないのが不安だったが、情報収集のために、マヤを街に送り出した。パラディンのグエンも護衛につけている。
 秋人と他の二人は、川べりの荷駄置き場の木箱の間に隠れていた。他に安全な場所を探す余裕もなく、なるべく誰も来ないのを願うしかない。
 湿気が多く、夜が白みはじめる前の冷気で、骨まで凍えそうになる。日本より気温が低いのか、冬の季節にあたるのか。
 ガッシュとユエルを脇につけて座りこみ、秋人は両腕を抱えながら震えていた。その目は、ウインドウ内の、マヤとグエンの様子に向けられている。

(このあたりの地理が知りたい。できれば商人だが……朝にならないと無理だろうな。そもそも人がいない)

 マヤとグエンは《幻覚》で、男の二人組に姿を変えている。
 秋人たちと二手に分かれるのも不安だったが、五人でぞろぞろ歩くと目立ちすぎる。人通りもまったくないのだ。
 グエンには、ガッシュが兵士から奪った剣を持たせている。マヤを守りつつ逃げるぐらいならできるはずだ。それに、秋人自身、街にくり出すのは不安だった。いきなり逃走劇になったら、ついていける自信がない。自分が一番弱いのだ。
 朝になれば移動しなければならないだろうが、この街外れの荷駄場なら、比較的安全なはずだ。
 マヤとグエンはだんだんと、城壁の近くまで近づいてきていた。このあたりは旅宿が多く、酒場のいくつかには明かりが灯っている。

(嫌な雰囲気だが……仕方ない。このへんで情報を貰おう)

 先ほどから、何か大騒ぎしている声が聞こえていた。おそらく酔っぱらいだろう。あたりをつけて向かうと、路地裏の方に、騒ぎの声の一団がいた。



     ◇



 マヤとグエンの前に、へらへら笑う男が座っている。

『もう一度《魅了》を』

 秋人の指示を受けて、マヤが再び呪文を使う。髪もヒゲもぼさぼさの男は、《魅了》をかけられて、だらしなく顔を緩めた。
 酒瓶を片手に、路地裏で仲間と騒いでいた男だ。全員が武装していたが、その装備がバラバラなことから、兵士ではなさそうだった。
 様子をうかがっていると、深酔いして手に負えなくなったこの男を残して、仲間たちは去って行った。これ幸いと、《魅了》で情報源にしたのだ。すでに男は、マヤとグエンを大親友と思いこんで、聞かれたことをべらべら喋っている。
 ただ、この呪文は強力だが、抵抗されやすく、継続時間も長くて三十分ほど。《魅了》されている間の記憶もあるので、下手なタイミングで切れると、よけいに酷いことになる。酒で脳みその茹だった相手だが、すでに《魅了》を二度かけ直している。
 男の話では、近くの街まで歩いて三日、一週間ほど歩けば、子爵領を抜けられるらしい。
 馬か馬車が欲しいと一瞬思ったが、そもそも秋人は馬に乗れないし、御者ができる者いない。脳みそまでファンタジーになってどうする、と秋人は自分に毒づく。歩いて行くしかない。
 そして問題なのは、やはり凶悪な野生動物や、盗賊が出るらしいことだ。武装商人もキャラバンを組んで護衛を雇うし、そもそも商人以外では、街から街へと移動すること自体が少ないとか。
 単独で旅することと、キャラバンとを、秋人は天秤にかける。

(一人の方が安心だが……どこで道から外れるかもわからない。キャラバンの方が旅の仕方を学べるか? 他の護衛の様子を観察すれば、冒険者に混ざるのも容易になるだろうし……姿を《幻覚》で変えておけば、追手も問題ない。危険だが、先のことを考えると、ここの常識を学ぶいい機会か)

 そう決めると、秋人は意識をグエンに移す。

『さっき、キャラバンの護衛の仕事があるって言ってたな? 俺も紹介してもらえないか?』

「さっき、キャラバンの、護衛の、仕事が、あるって、言ってたな? 俺も、紹介、してもらえないか?」

 秋人の意識の通りに、グエンが話す。ぎこちない、外国語を喋っているような口調だったが、酔った男は気にもしていない。
 チャットのような形でキャラクターを喋らせられることを、秋人は以前に発見していた。
 グエンの言葉を聞いて、男は気まずそうな顔で、

「お、おお、護衛か? それはいいんだけどよ、その装備じゃなあ。ちゃんと鎧もつけてねえと、雇ってもらえねえんじゃねえか」

 グエンとマヤは、ごく普通の布の服だ。グエンは腰に剣を挿しているとはいえ、街の外に出るには心もとない。

(護衛でなくても商人として混ざれば……いや、無理か。ややこしい符丁や勘合があったらまずいし、そもそも荷がない。装備を調達するしかないか)



     ◇



 肩に寄りかかるユエルの体温を感じながら、秋人は白みはじめた空を見上げた。ユエルはうつらうつらと、頭を揺らしている。
 替わりに起きたガッシュが、今は周囲の見張りをしている。
 ゲームでも睡眠は必要だったし、空腹度や、喉の渇きという項目もあった。無視しているとステータスがどんどん低下し、眠ったり食事を取ると、回復するというシステムだ。
 ゲームのときのAIたちは、自己判断で、持っている食料を食べたり、飲んだりしていたが……

(食料が必要だ)

 それも五人分。
 一人だけなら、《魅了》で分けてもらえるだろうが、さすがに五人は量が多すぎる。《魅了》は相手に親しみを覚えてもらう呪文であって、何でも命令を聞かせられる呪文ではない。そういった呪文もあるにはあるが、

(いちいち食料を手に入れるのに、《支配》とか《誓約》なんて使ってられるか)

 どちらも高位の呪文で、大量のMPと、高価な秘薬を必要とする。
 そこで、秋人は重大な事実に気づいた。

(……秘薬。そうか、この世界に、ゲームで使ってた秘薬はあるのか? ないとしたら、高位の呪文はほとんど使えなくなる。ユエルの《蘇生》や《完全治癒》もだ。秘薬の代用品はあるのか? そこから調べないといけないのか。それに……)

 秋人は眉を曇らせる。
 この街から離れ、安全が確保できたら、マヤの《次元の門》を試してみようと思っていたのだ。
 かなりの日数の儀式を必要とするが、ゲーム内では、異界である星幽界や、影の世界へと渡ることのできる呪文だった。
 だが、それには、複数の貴重な秘薬が必要となる。それをすっかり忘れていた。
 あまり期待していたわけではないが、それでもあったかすかな望みが断たれ、秋人の心は暗くなる。

『ここだぜ! 親父は臭ぇが、鉄はいいもんが揃ってる』

 ウインドウから聞こえてきた声に、秋人は顔を上げた。
 映っている光景は、職人通りの鍛冶場の一つらしい。あの男に、武器と鎧が手に入る場所を案内してもらったのだ。幸い、そこは朝早くから開いていた。
 岩のようなゴツゴツした初老の鍛冶屋が、屋内の作業場の前で、黙々と何かの金属を削っている。男の軽口を気にした様子もない。
 勝手に入っていく男に続いて、マヤとグエンも中に入った。
 適当に選べという鍛冶屋の言葉に、秋人が指示を出す。
 グエンは、刃渡り一メートルほどの長剣と、体格に合いそうな鎖かたびらを手にとった。心臓の部分には鉄板が縫いつけられている。
 もっと重装備の鎧もあったが、移動のことを考えると、これぐらいがちょうどいい。
 グエンに装備させてから、試しにステータスを表示してみた。

グエン 《装備》
右手:ロングソード
左手:なし
頭:なし
胴:チェインメイル
腰:なし
手:なし
足:なし
アクセサリ:なし

(なるほどなあ……)

 普通の服や靴は表示されないらしい。腰に挿していた剣も表示されていないのは、予備武器扱いになっているのだろうか。
 恐らくゲーム的表現のために、いろいろ省略されているのだろう。魔法の武器でも装備したら、+1とか表示されるのかもしれない。

(鑑定代わりにはなるか。なまくらを掴まされることもなさそうだ)

 そう納得する。

『盾も選んでおけ。使いやすそうなのをな』

 その指示にグエンは、ふちを鉄で補強した、円形の盾を手に取った。ゲーム的に言えばラウンドシールドか。AIにも好みがあるようだ。
 マヤの方は、六十センチほどのショートソードを。これは護身具として秋人が持つつもりだ。敵を切れるとも思えないが、不安は紛らわせる。弓も欲しかったが、ここには置いていないようだ。
 小物も含めて、一通り装備を選び終わると。
 グエンは男に近づき、そっと言った。

「銅貨の、袋と、銀貨を、一枚、貸してくれ」

 その言葉に、男は不安そうに差し出す。

「やらねえぞ? 俺も厳しいんだ」
「借りる、だけだ」

 グエンはそれらを、後ろ手にマヤに渡す。
 グエンの陰で、マヤはじっと銀貨を観察し、細部を把握し終わると、小声で呪文を唱えた。すると、手の中の銅貨がすべて銀貨に変わった。
 秋人の指示で、《幻覚》の呪文による偽銀貨を造ったのだ。
 金貨ならともかく、銀貨なら詳しく調べられないだろう。男からだいたいの値段は聞いているから、それで足りるはずだ。
 期待通り、支払いは何事もなく終わった。
 男に銀貨を多めに返して、ともに鍛冶屋から出る。
 躊躇なく贋金造りを行った罪悪感は、秋人にはあまりない。別世界の通貨にたいして、あまりリアリティを持てないのだ。
 それに《幻覚》でも、永続化するとそれなりにMPを消費するし、疑り深い人間なら、手触りで気づかれる可能性もある。金貨などで作っていたら、すぐにバレただろう。あまり多用すべきではない。

(《幻覚》なんて、ゲームじゃほとんど使いもしなかったのにな。犯罪者になったときに、ガードに殺されないように変装したときぐらいか。しかし、いい加減マヤのMPが心配だ。ガッシュの装備も整えたいが、その前に食料を調達して……)

 ふっと空気が変わった。
 ウインドウを前に考えこんでいた秋人の隣で、ガッシュが腰を浮かせていた。ユエルも目を覚まし、秋人の肩から身を起こす。
 秋人たちの隠れている荷駄場に、複数の足音が近づいてきた。



     ◇



 一瞬だけ顔を出して見ると、遠くに兵士の一団が近づいてきていた。隊列の上に伸びるいくつもの槍と、腰の剣が、朝日を受けて輝いている。
 秋人は慌てて引っこんだ。

(早すぎる! なんでこの場所がわかった!? しらみ潰しでたまたまぶつかったのか? いや違う。マヤの方は兵士なんて見かけてない。こっちの位置がわかってるんだ。斥候が居たのか!?)

 焦る間にも、足音はどんどん近づいてくる。悪いことに、その足音は、秋人たちのいる荷駄場を囲むように接近していた。逃げ場がない。

(まずいまずいまずいまずい)

 マヤはいない。《透明化》で切り抜けることはできない。
 グエンに剣を渡したために無手のガッシュと、プリーストのユエルがいるだけだ。こちらに追手が来ると思っていなかったのが、完全に裏目に出た。あの数を相手にかなうとは思えない。
 兵士たちの足音が変わった。速度が遅くなり、バラバラになり、明らかにこちらの存在を警戒している。どこまで来ているのか気が気でないが、《遠目》がない今、偵察もできない。

「出てこい! いるのはわかっている!」

 すぐ近くで怒鳴り声がした。
 複数の人間の息づかいと、長靴が石畳を叩く足音が、荷駄場に散らばっている。この木箱の陰にもすぐ来るだろう。そう思うまに、ぞっとするほど近くで足音が響き、木箱の角から、兜と胸当てをつけた兵士の姿がのぞいた。

『撃退しろ!』

 頭が真っ白になった秋人は、それだけを叫んだ。
 次の瞬間、爆音とともに、兵士の体が吹き飛んだ。
 石畳をバウンドし、荷駄場の壁にぶつかって、地面に落ちる。口から血を吐き、すでに意識はなさそうだ。その胸当てはベコリとへこんでいた。
 爆心地には、放った蹴り足を戻す、ガッシュの姿があった。
 蹴りだけで兵士を弾き飛ばしたのだ。
 秋人が呆然としている間に、他の兵士がその物音を聞きつけて集まってきた。

「いたぞ!」

 背後から怒鳴り声が響く。すぐ背中から呪文詠唱が聞こえ、慌てて振り向くと、ユエルが《衝撃》を放つところだった。
 巨大な空気の塊が動き、反対側から木箱の間に入ろうとしていた兵士たちが、木の葉のように吹っ飛ぶ。手足をありえない方向に向けて、兵士たちはばらばらと地面に落ちた。
 その光景に、他の兵士たちも呆気に取られる。
 そこで秋人の脳は、ようやく再起動を果たした。

(……そ、そうだ。焦るな。プリーストにも攻撃呪文はあるんだ。搦手は無理でも、正面突破はできる)

『川上に逃げる! ガッシュは武器を拾って先行しろ! ユエルは追撃を防げ!』

 ガッシュの動きは俊敏だった。足ですくい上げるようにして槍を拾い上げると、旋風のような槍さばきで、またたくまに兵士二人を戦闘不能にした。
 包囲が解けたと見て、秋人もそちらの方向に走り出そうとするが、立ち上がったところでつんのめってしまう。足が震えて立てないのだ。地面が揺れているようで、足に力が入らない。血液が過剰に頭にのぼり、ガンガン頭痛が襲ってくる。

(くそくそくそくそ! 落ち着け! これじゃ訳のわからないうちにやられちまう! 走って逃げるだけだ!)

 柔らかい腕の感触が腰に回り、ようやく秋人は立ち上がることができた。ユエルが支えてくれたのだ。ガッシュは前方で長い槍を振り回して、敵兵を近づけさせないでいる。秋人は必死にそちらの方向へ走り出した。



     ◇



 逃げる途中で、秋人はようやくマヤとグエンのことを思い出した。《遠目》を上空に飛ばしてお互いの位置を確認し、なんとか合流に成功した。
 しかし、兵士に追われて街を走り回り、かなり目立ってしまった。
 酔っぱらいの男の、キャラバン護衛という話も、中途半端に打ち切ってしまっている。今から男を探して、街をさまようわけにもいかない。
 こうなったら、運に望みを託して、街から脱出するしかない。
 前触れもなく隠れていた場所を襲われたことも、引っかかっている。街に留まるべきではない。嫌な予感がするのだ。そもそも、もう街中はうんざりだった。
 今は路地裏の行き止まり、ゴミ溜めの陰に、《透明化》をかけて隠れている。酷い臭いだが、贅沢を言っている場合ではない。

(正門も封鎖状態か。《透明化》でも危険だな)

 偵察を行っていたが、街の各門は、兵士たちに完全に固められていた。認可証のない者は通行禁止になっているらしい。
 先ほどかいま見たガッシュの実力からして、グエン、ガッシュに、スペルキャスターの二人の力があれば、正面突破も不可能ではないだろうが……

(そこから先をどうするんだ? 追撃を受けたら? ゲームじゃ面倒で、パワープレイばかりしてたけど……殺されるかもしれない場面で、先の見えない特攻とかできるか。転んだだけでアウトだ。俺が臆病なだけか? 回避できるもんなら回避したい……)

 先ほどの逃走劇を思い出すと、今でも震えが来る。いくらキャラクターたちが強くても、秋人は斬られれば死ぬのだ。そして、その死がひどく身近にあることは、館から逃げ出したときに思い知っている。

(城壁を越えよう)

《浮遊》は、高度十メートルまで浮力を得られる。壁をよじ登るようにして行けば、なんとかなるはずだ。五人は足音を殺して、城壁の方向に移動を始めた。

(問題はMPだ。脱出したら、早くマヤを休ませないと……)

《遠目》を出している間は、少ないとはいえ、じりじりとMPを消費する。それでなくても、朝から《魅了》やら《幻覚》やら《透明化》やらを使いっぱなしだ。ここでさらに、五人分の《浮遊》を使うのだ。比較的低レベルの呪文とはいえ、ここまで重なると厳しい。すでにマヤのMPは四分の一を切っていた。
 マヤの呪文は強力だが、その分、使えなくなったときの反動は大きい。
 MPには常に注意しなければならないし、呪文の使い所を間違えてはいけない。

(こいつらの力は凄いが、俺の頭が追いついてないんだ。全然使いこなせてない。生き残るためには、頭を動かさないと……)

 生死は自分の判断にかかっている。ベッドの上でのほほんとしていたころが懐かしい。
 人のいない路地裏を選んで、ようやく城壁までたどりついた。
 マヤの《浮遊》を受け、城壁を這い上がるように登っていく。大きな風船が、体を押し上げていくような感覚だ。機敏な動きはできないため、戦闘向きの呪文ではない。
 最上部まで到達したが、城壁の見張り台にも兵士がいたので、注意深く、音を立てないように、城壁を乗り越える。
 これで見納めという気分で、都市の方を振り返った秋人は、眼下に広がるその光景に、少しだけ状況を忘れた。

(すげえ……)

 壮観な景色だった。
 高所から見下ろす中世都市。
 洗濯物のひるがえる入り組んだ路地や、屋台の集まっている広場。それらを蟻のように移動する住民たち。職人通りの方向からは、いくつも煙が立ち上がっている。
 そして、それらを睥睨する、丘の上の城。

(ファンタジーだよな……)

 ゲームにどっぷりはまっていた秋人だ。ファンタジー世界への憧れはある。
 いつか、命の危険がなくなったときに、ゆっくりと旅をしてみたい。
 そんなことを考えながら、秋人は城壁を下りはじめた。



     ◇



 城壁の外にも貧民街のようなものはあったが、それらはすぐに途切れ、あとは田園風景が広がっていた。
 街から十分離れ、あたりに人影がないことを確認すると、秋人は《透明化》を解除した。
 酔った男からの情報を頼りに、道を進んでいく。馬車二台がすれ違える程度の、踏み固められた土の道だ。
 安全のために、道から離れて歩きたかったが、あたりは見晴らしがよく、隠れる場所もない、なだらかな草原が広がっている。
 自分たちが脱出したことは子爵側にはわからないだろうし、しばらく追撃はないだろう。

(それにしても……)

 食料のことを考えると、気が重くなる。
 四人とも表情には出していないが、ステータスには『空腹』と『渇き』が点灯している。
 眠る余裕のなかったマヤとグエンは、『睡眠不足』もだ。放っておけば、どんどん能力が低下していくはずだ。
 秋人も一睡もしていない。興奮のせいか眠気は感じないが、脳の回転が鈍くなっているのはわかる。

(鹿か何かを獲れば……弓がないか。木の枝で弓を作れれば……いや、大工スキルなんて誰も取ってない。そもそも動物すら見当たらない)

 野営についても悩みどころだ。このままだと原っぱに雑魚寝することになるが、それでまともに眠れるとも思えない。夜になったら相当冷えるはずだ。
 マヤの呪文で火は起こせるだろうが、それは目立つことと同義でもある。盗賊という言葉がちらつく。

(社会から外れるだけで、こんなに苦労するなんて)

 現代社会では感じなかったことだが、街の外は、人間の領域ではないのだ。道の上を歩いている今は、次の街という希望があるが、万が一にも道を見失ったら、あてどない草原をさまようことになる。サバイバル能力のない現状、十中八九、野垂れ死にだ。
 道から離れるという不安は、そこにもあった。

(どこか隠れる場所でもあれば……)

 せめて、人目を避けて、休むことができる。
 眠気と空腹と疲労とで、朦朧となりながら、秋人は足を引きずるようにして歩いた。



     ◇



 日が天頂にかかり、傾いていった。
 秋人は何度か気を失いながら、そのたびに仲間に抱き起こされ、歩みを進めていた。
 そして、街からも遠く離れ、空がだんだんと赤づきはじめたころ。
 曲がりくねった道の先に、小高い丘が見えてきた。その先に、目にも鮮やかな緑が広がっている。

(森だ!)

 森なら動物もいるだろう。狩猟スキルはないが、ガッシュなら、どうにか捕まえられるかもしれない。もしかしたら、水場もあるかも。それでなくても、休むことはできる。
 疲労も限界に達している。秋人の心は歓喜にあふれた。
 偵察もせずに、秋人はその森に急いだ。
 次の瞬間、秋人の鼻先に、矢尻があった。
 横から伸びた手が、その矢を掴んでいた。ビィーン……と、矢羽根が目の前で震えている。
 ガッシュが、秋人の眉間に向けられた矢を、寸でのところで受け止めたのだ。
 森の中から、歓声があがる。

「すげえ。手で止めたぞ」
「ふざけんなおい、いきなり頭を狙うなよ。捕まえろって言われてただろ」
「俺は殺っていいって聞いたぜ。この五人組だろ?」
「どっちだよ。まあいいか。バラせバラせ」

 その言葉とともに、森の中から男たちが姿を現した。思い思いの武装をし、剣呑な雰囲気を放っている。

(盗賊……じゃない? 先回りされた? なんで?)

 秋人は呆然となりながら、それらを見つめた。
 森の中に鋼がきらめいたのを見て、我に返る。

『《矢避けの加護》をかけろっ!』

 次の瞬間飛んできた矢は詠唱が間に合わず、ガッシュが剣で切り払い、グエンが盾で受け止めて防いだ。さらに森から追撃が来るが、それらは風に逸らされたように弾かれた。飛来物を弾く、ミイサル・プロテクションの一種だ。
 その光景に、男たちが動揺する。

「呪文使いだ! ぶっ殺すぞっ!」

 剣や槍を手に、突っこんでくる。

『近づけさせるな! マヤは《遠目》を上空に!』

 偵察ウインドウが開く。高空から見下ろす形で、敵とこちらの位置を把握する。
 最悪なことに、後方から近づいてくる一団があった。子爵の兵士たちだ。目の前の男たちは、足止め役の冒険者だろうか。
 なぜか、都市を脱出したことがばれているのだ。

(そうか……! なんて間抜け!)

 秋人はある可能性に気づいた。
 そうしているうちにも戦いは始まる。
 剣と盾、鎧を装備したグエンが、最前線に立ちはだかった。
 剣を振りかざして向かってきた男を、剣を合わせることもなく、すれ違いざまに切り捨てた。そのまま盾で隣の男を強打し、蹴倒したところを、喉に剣を突きたてた。
 死体から剣を抜き、盾を構え、グエンは再び、不動の体勢になる。
 一瞬で、二人の敵を始末していた。その早業に、

「んだ……こいつ……」

 力量の差を感じたのか、残りの三人は躊躇している。
 それを見ながら、秋人は必死で頭を回転させる。

(このまま戦っていてもダメだ。後ろの兵士たちと乱戦になるのは避けたい。それにこれじゃキリがない。ここで切り離さないと)

『左から回りこもうとしてる奴らを牽制しろ! マヤはMP温存! ガッシュは後ろを守れ! 全員で森に突っこむ!』

 ユエルの《衝撃》が、こちらの側面を突こうとしていた男たちに叩きつけられ、数人を吹き飛ばした。
 グエンが盾を前に、正面の敵に突撃する。
 まさに閃光のような剣技で、男たちに反応する暇も与えず、数度の足運びだけで切り捨てていった。その隙をついて、秋人たちは森に逃げこんだ。



     ◇



 夜も暮れ、兵士たちのたいまつだけが、木々の間をちろちろと動いている。
 街道の上には、兵士が数人と、隊長格の男、それに、あの巫女の姿があった。その右目は包帯で塞がれている。
 やがて、森から出てきた兵士の一人が、隊長格の男に向かって言った。

「奴らの死体を見つけました。冒険者のものも。残りは逃げ去ったようです」
「ふーむ……意外と抵抗されたのだな。よし、案内しろ」

 森の中に踏みこみ、進んでいくと、血と糞便の臭いが強く漂ってきた。激戦とおぼしき場所で、周囲の木がいくつも焼け焦げている。
 その中央に、五体の、損傷の激しい死体があった。

「このあたりに散らばっていたのを集めておきました」

 兵士の言葉にうなずくと、兵士長は隣の巫女に尋ねた。

「こいつらで間違いないか?」

 その言葉に、巫女はふらふらと近づく。
 その五人は、確かに、召還された勇者たちのものだった。秋人の顔もある。何より、ここで異貌の神イ=ハの《印》が途切れているのだ。死んだのは間違いない。
 教団の未来が塞がれようとしているのを感じて、巫女は必死で言い募った。

「今すぐ戻って死体を贄にすれば、まだ儀式は……!」

 兵士長は肩をすくめ、巫女の腹を膝蹴りにした。
 巫女は苦悶の声をもらし、苦しげに咳きこみながらうずくまる。

「儀式なんぞ知らんよ。信心深い子爵様は、異端の技によって生まれた悪魔どもが許せなかったのだ」

 巫女は絶望的な表情で、兵士長の顔を見上げた。それを見下ろし、兵士長は鼻を鳴らす。

「もちろん、お前らもな」

 巫女はとっさに逃げ道を探すが、周囲は兵士に固められていた。その肩に、兵士長の手がかかる。

「殺しはせんから安心しろ。悔い改めれば……」

 巫女の顔に、幼い泣き顔が浮かんだ。



     ◇



《遠目》で兵士たちが引き上げるのを見て、秋人は息をついた。
 死体を調べられるかと思ったが、うまく《幻覚》に引っかかってくれた。
 あれは、返り討ちにした男たちの死体だ。
 森に逃げこんだあと、《呪的感知》で五人の体を調べると、禍々しい紫色に輝いた。魔法的な力で、何者かの標的にされていたのだ。
 それに気づかなかった自分の迂闊さに、秋人は毒づく。

(まぬけめ。こっちが呪文を使えるんだ。神官に巫女だぞ。なんで相手が使えないと思うんだ。これは教訓だな。心に刻んでおこう)

 印に気づいたあとも、すぐには消さなかった。
 男たちをおびき寄せ、死体に変えたあと、激戦を演出してから、ユエルの《解呪》で魔法の効果を消し去ったのだ。うまくいけば、これで死んだと思わせることができる。そうすれば、もう追手に怯えなくてすむ。
 森の奥、倒れた大木の陰で、枯れ葉にうずもれるようにして、秋人は横たわっていた。マヤはすでに隣で休ませてある。MPはほぼ枯渇状態だった。
 それでも、どうにか切り抜けた。
 今までにない安心感が満ちる。

『睡眠を取る。グエン、ガッシュ、ユエルの順に交代で見張れ。何かあったら起こせ。身の危険がありそうなら排除しろ』

(これでどうにかなる……あいつらの死体から、使えるものを剥ぎ取れば……多少は楽に……)

 完全に盗賊の思考だが、この場ではそれが正しいような気もする。
 直接ではないとはいえ、今日一日で、何人もの人間を殺しているのだ。
 それについて秋人は、

(意外とあっさりしてるな……人殺しを童貞に例えた言葉があったか。あれこれ考えるが、実際にやってしまえば大したことはない……)

 無抵抗の人間に手をかけることは、とてもできないだろう。
 しかし、生き延びるために敵を始末することは、躊躇なく行えそうだ。
 死体に気持ち悪さは感じたが、それは、犬や猫の轢死体を見て感じる生理的嫌悪感と、似たようなものでしかない。

(それとも俺が狂いはじめてるのか……? もういい、考えるな……眠ろう……)

 秋人の意識は闇に沈んだ。



[25179] 第4話
Name: 三叉路◆53a32b9e ID:3503d6aa
Date: 2011/01/15 19:16



     ◇



 泥のような眠りだった。
 深く積もった枯れ葉が毛布のような役目を果たし、体に溜まった疲労はすっかり抜けていた。
 顔に当たる木漏れ日に、ゆっくりと意識が浮上していく。
 腕の中の柔らかい感触の正体を考えることもなく、ぼんやりと目蓋を開けると、鼻先で、黒髪の少女が無表情にこちらを見つめていた。

「お……」

 しばしの硬直。
 横向きのまま十秒ほど見つめ合ったあと、秋人はゆっくりと、少女を抱きしめていた腕を離した。
 腕から開放されると、マヤは服の枯れ葉を払って、何事もなかったように立ち上がる。
 その姿を見ながら、ようやく秋人の認識が追いつく。
 温もりを求めて無意識にか、隣で寝ていたマヤに抱きついていたらしい。マヤの方は目覚めたあとも、されるがままになっていたのだろう。

(…………)

 なんとなく微妙な気分になりながら身を起こし、周りを見回すと、三人ともすでに起きていた。
 ガッシュは横倒しの大木に腰掛けて、森の様子を眺めている。グエンは近くの木に寄りかかって、あたりを見張っていた。ユエルはマヤの向こうで膝をつき、両手を組んで、祈りを捧げている。
 寝ている間は何事もなかったようで、『睡眠不足』は全員解消されていた。
 秋人の頭も、霧が晴れたようにすっきりとしている。
 眠る前のどろどろした感情は消えて、体に活力がみなぎっていた。

(今は何時ぐらいだ? 太陽が見えればな)

 木々の天蓋に遮られ、森の中は薄暗い。昼は過ぎていないだろう。
 お腹が鳴った。

(あー……)

 自覚してみれば、強烈な空腹感がある。

『マヤ、《遠目》で警戒してろ。残りの三人は、昨日の奴らの死体から使えそうなのを剥がせ』

 森の中を駆けまわって戦ったため、冒険者たちの死体も散らばっている。グエンとユエルが回収に向かい、昨日囮にした五人の死体の方は、ガッシュが向かった。
 死体はすでに《幻覚》が解けて、元の無残な姿を晒している。ガッシュがその装備を剥ぎ取り、隣に積み上げていった。

(やっぱり気持ち悪いな……)

 やはり死体には嫌悪感を感じる。犬猫の死体だって、秋人は触りたくない。
 しかし、生きるためだ。
 秋人自身、自分の中に、これほどの生存欲求があるとは思わなかった。
 日本では飢えることも、命の危険もなく、生きたいと強く願うこともなかった。
 しかし、今は必死で生き延びようとしている。
 そこに余計な葛藤はない。

(やっぱり生き物なんだよな……)

 余裕ができれば、また人間らしい生活もできるだろう。それまでの我慢だ。
 途中、グエンが弓矢を拾って帰って来たので、ガッシュに狩りに行かせた。グエンも弓は使えるが、ガッシュの方がスキルが高い。
 ガッシュと交代して、グエンが死体の剥ぎ取りを続ける。ユエルも、散らばった道具を持ってくる。
 火をつけるための火口箱に、五メートルほどのロープ。
 マントと、小物入れ付きのベルト。バックパック。
 六十センチほどの、使いやすそうな山刀。投げナイフ四つ。
 半分ほど入っている革袋の水筒が三つ。干し肉が蔓で縛られて束になったもの。青色の小さな宝石がいくつか。

(なんというか……人間って、宝の山だな)

 特に、社会から弾き出された者にとっては。
 かき集めてきた金は、銀貨二五枚、銅貨六十枚になった。
 おそらくこれだけあれば、五人分の食費でも半月は持つだろう。
 盗賊、山賊の気持ちが、なんとなくわかってしまった。
 血と傷でいくつか駄目なものはあったが、三つほど使えそうなマントが残ったので、自分と、マヤ、ユエルに着させる。
 ゲームでは、ステータス異常に病気もあった。体力のことを考えても、寒さを防ぐマントは後衛に回したい。自分が貧弱なことは言うまでもない。
 しばらくして、ガッシュが戻ってきた。その手には、小さな茶色の兎がぶらさがっていた。どうにか捕まえてこれたらしい。
 調理スキルは、当然のように誰も持っていない。火口箱も、火打ち石と鉄片で何度か試してみて諦め、マヤの《発火》で枯れ枝に火を起こした。地面を掘って簡易かまどを作り、ガッシュが剣に突き刺してあぶる。さすがに人を斬った剣では抵抗があったので、予備に買っておいた小剣だ。
 しばらくして、

(……これ、食えるのか?)

 目の前には、兎の丸焼きがある。
 脂がしたたり、表面は黒こげになっていた。

(……先に毛皮を剥ぐんだったっけ)

 何かおかしいとは思っていたのだが。
 ガッシュが短剣で表面を削ると、湯気の立つ肉が現れた。内臓を避けて五つに切り分け、それぞれが口に運ぶ。

(まずい……)

 味付けも何もない。動物臭い肉だ。
 それでも空腹が飲みこませる。
 食べられる場所はかなり少なかった。骨をしゃぶるようにそぎ取り、水筒の水で流しこんでいく。
 兎と干し肉を五人で分けて食べながら、秋人は思った。

(森で暮らすのは無理だな)

 グエンもガッシュも猟師ではないし、食べられる野草や木の実の見分け方も知らない。何が毒かもわからない。
 ゲームでは、筋力や耐久など、前衛系のステータスが高いほど、腹の減りも早かった。それに準拠すると……いや、普通に考えても、優秀な戦士である二人は、大量のカロリーを必要とするはずだ。
 お腹が空いたら、食事をする。
 日本ではただそれだけのことだった。
 しかし、ここでは違う。
 体力は無限ではない。体が動くうちに、食料を獲らなければならない。飢えて体が動かなくなったら、それが最後だ。誰も助けてはくれない。
 森の中の食物連鎖に組みこまれれば、生き延びるのに必死で、他に何もする余裕はなくなるだろう。
 もし秋人一人なら、それでも森の中に留まったかもしれない。
 しかし、今はこの四人がいるのだ。秋人がうまくやりさえすれば、街に出ても、彼らが状況を打破してくれるはずだ。

(体が動くうちに、どうにかして人間社会に入りこまないと)

 モラルを抜きにすれば、街道を通るキャラバンを襲うこともできるだろうが、それでは人間社会を敵にまわしてしまう。討伐隊が来たら、また逃亡生活だ。秋人の死のリスクがある以上、狙われることは避けたい。
 体制が敵に回ったときの厳しさは、あの都市でよくわかっている。

(街中では呪文を使うのもなるべく控えよう。やむを得ないときか、絶対にばれないときだけだ。魔女狩りなんてされたら終わりだ。なるべく正当な手段で、どうにか生活基盤を作らないと)

 ある程度余裕ができたら、キャラクターたちにサバイバル用のスキルを習得させて、隠遁生活をしてもいい。
 ゲームのAIに準拠するなら、最初は下手でも、ずっと狩猟をすることで、だんだん上手くなっていくはずだ。

(畑をしてもいいか。四人を鍛えて、大工やら栽培やら覚えさせれば、森の中に家を作って暮らせるかもしれない)

 安全と生活の糧を確保できたら、また帰還の道を探る余裕も出てくるだろう。
 誰も来ない森の奥を切り開き、家と畑を作って、のんびり暮らすのだ。馬でも飼って、近くの街で行商をしてもいい。材料さえ手に入れば、マヤの調合や魔道具スキルで、アイテムも作れる。
 流浪の今とは比べものにならない、平穏な生活だろう。
 秋人はぼんやりと、そんな光景を夢想した。



     ◇



 次の街までは二日かかった。
 少しずつ齧った干し肉はあっという間になくなり、非常食としてバックパックに詰めておいたキノコや木の実、青臭い匂いのする若芽を食べるハメになった。
 火を通してからガッシュが毒味をし、ステータスで毒にかかっていないか確認してから、他の四人も口に含む。渋みのある酷い味だったし、しばらくは腹の調子もおかしかった。
 救いは、途中で小さな川にぶつかったことだ。水を我慢しないで飲めるということが、これほど有り難いと思ったことはなかった。
 夜は、道からギリギリまで離れて野営した。マントを繋いで一枚の毛布のようにし、固まって眠った。
 寒さは凍えるようだった。体は眠りを欲しているのに、冷えきった手足のために眠れないのだ。
 たき火を起こそうにも、草原にはたまに灌木が生えているだけで、枯れ木も何もない。生の草木では煙が出るだけだ。
 森で食料を採るということは頭にあったが、薪を集めて持ち歩く、という考えはなかった。野外生活に慣れていない秋人のミスだが、言っても仕方がない。獣の遠吠えも聞こえる中、くっついて風を防ぎ、手足をこすりながら、気絶するようにして眠りに落ちた。
 そうして三日目、陽が傾きはじめたころ。
 秋人はようやくその街にたどり着いた。
 一面の畑の中に、家がぽつぽつと現れはじめ、やがて通りになっていく。その奥に、門と、横に広がる城壁があった。
 脱出してきた都市に比べると小さいが、どことなく秩序だった印象を受ける。門に通じる道以外は、水堀が走っていた。
 門を通ろうとしたとき、秋人たちは番兵に呼び止められた。一瞬ひやりとしたが、腰の剣や、背中の弓を見とがめてのことらしい。秋人たちは大人しく従い、横の詰め所に連れて行かれた。
 羊皮紙の広がる机の奥に、兵士が座り、こちらに質問を投げかける。

「家族かね?」

 秋人はうなずく。
 秋人たち五人は、森から出るときに《幻覚》で姿を変えていた。
 秋人は中年の男に、ユエルは中年の女に、残りの三人はそれぞれ、顔や髪を地味なものに。
 夫婦に、息子二人、娘一人という構成だ。
 万が一子爵の目に止まらないように、念には念を入れての変装という意味でもあるし、家族なら怪しまれることも少ないだろう、という判断でもある。四人とも容姿が容姿なため、歩いているだけで目立つ。性別を変えるならともかく、容貌を多少変えるだけなら、《幻覚》も見破られにくい。
 それが当たったようで、秋人たちはいくつか質問を受けただけで解放された。
 出身地について聞かれたときはひやりとしたが、とっさに、森の奥を切り開いて暮らしていたこと、畑がダメになったので街に出てきたと、適当に言うと、かえって同情される始末だった。
 仕事のあてはあるのかと聞かれ、首を振ると、救貧院のことまで紹介してくれた。
 しかし、武装については、ナイフや短剣は許されたが、長剣や弓は持ち込めず、封印処理をされ、後で返されることになった。封印後も、許可のない者が持ち歩くと処罰されるらしい。
 兵士の手際は慣れていて、次々と手続きが進んでいった。武器がまとめられ、目印の札がつけられる。

(なんか制度が整ってるというか……街も綺麗だな)

 詰め所から出たあと、奥に広がる街並みを見て、秋人はそう思った。
 あまりゴミが落ちていない。家々も古くはあるが、よく手入れがされていて、道端に物乞いを見かけることもない。
 逃げまわっていたあの都市は、確かに活気もあったが、どこかから聞こえる怒鳴り声や、うらぶれたスラム、盗品とおぼしきものを売る露天商など、殺伐としたところもあった。
 それに比べてここは、秋人でも暮らしやすそうな、明るい雰囲気がある。通りがかる人たちも清潔に着飾っていて、土埃と垢で汚れた秋人たちの方が、じろじろ見られている。
 途中で通りがかった広場で、食欲を誘う匂いのする屋台を見つけて、秋人の腹が鳴った。五人分の銅貨を財布から取り出し、秋人はそちらに向かう。
 街ではお金があれば、すぐ食料が手に入る。荒野で飢えに苦しんだあとでは、それは素晴らしいことに思えた。

(まず腹ごしらえだ。腰を落ち着けて、それから仕事探し)

 手元には、日付の刻まれた滞在証がある。三日以上留まる場合は、役場で手続きをしなければならないらしい。そこで武器も返して貰えるという。
 心理的にはもう少し子爵の都市から離れたいが、とりあえず当座の金が稼げるまでは、ここで過ごそう。秋人はそう決めた。



     ◇



 救貧院は神殿付属の施設らしく、L字型の、二階建ての大きな建物だった。灰色のローブに、胸元に鎖をつけた神官たちが管理していた。
 宿泊と朝食が無料で、朝にはパンと野菜スープが配られる。
 利用は二週間までで、それ以上は有料。
 宿泊所は大きな広間で、プライバシーはなきに等しいが、屋根があるだけでもありがたい。
 中央には囲炉裏があり、木造の床でマントにくるまって眠るだけでも、野営と比べれば天地の差がある。
 秋人たちの他には、若い母親と女の子の母子と、中年の男が泊まっているだけだった。特に関心もなく、荷物に見張り番をつけて関わらないようにしていたが、男の方から秋人に声をかけてきた。
 髪のやや後退した、四十台ぐらいの男で、にこやかな笑みを浮かべて言った。

「こう寒いとたまらんねえ。こっちに来て火に当たっちゃどうだい?」

 当然ながらAIたちは反応せず、黙々と就寝準備を進めている。
 見た目的にも、自分が家長である。仕方なく秋人は応答した。

「……いや、遠慮しとくよ。眠いんだ」
「まあそう言わずに。お近づきの印だ」

 そう言って、懐から何かを取り出す。酒のつまみになりそうな、ドライソーセージだった。よく見れば、右手にはエール入りらしい革袋が握られている。
 食料を出されると弱い。秋人はしぶしぶ腰を上げ、囲炉裏のそばに座った。差し出されたソーセージを齧りながら、話を聞いた。

「外から来たのかい?」
「ああ」
「仕事を探しに?」
「まあ、そうだ」

 男は声をひそめ、小声で言った。

「儲け話があるんだが、どうだい?」
「儲け話?」
「ああ。あんたは信用できそうだから、こうやって打ち明けてるんだがな。内密の仕事なんで、人手が足りなくてね。お上に叱られるような仕事じゃないから安心しな。ただし、家族にも秘密だ」

 その言葉に、秋人はじっと考えこむ。
 金は欲しいが、どう考えても不審だ。
 この男が救貧院にいるのも、金に困っていそうな人間を見つけるためだろう。ろくな手合いではない。
 必死の思いで街に到着して、すぐに犯罪者になるつもりはない。

「すまないが……」
「心配するこたないぜ? 俺が保証するからよ!」

 お前の保証が何のあてになる。
 そんな言葉を飲み込み、秋人は黙って首を振る。
 それを見ると、男は急に冷淡になった。

「そうかい。ならいいや。せいぜい気張って働きな」

 それきり会話は途切れた。
 無言の気まずさはあったが、壁際に戻り、他の四人と一緒に横になると、すぐに睡魔が訪れた。三日ぶりの熟睡だった。
 翌朝。すでに男の姿はなかった。
 朝食のあと、救貧院の人間に、仕事を探していると伝えると、ちょうど人足の仕事があった。新村開拓のための物資の切り出しだとか。
 秋人、グエン、ガッシュの三人はそちらに向かい、マヤとユエルは荷物番をしながら、神殿と救貧院の手伝いをすることになった。
 AIに仕事をさせるのはかなり不安だったが、遊ばせる余裕もない。
 常にモニターしておくことにして、秋人たちは仕事場に向かった。



     ◇



 終わってみれば、相当な重労働だった。
 肉体労働をしながらモニターもしていたので、精神的な疲労も激しい。
 グエンとガッシュは秋人の近くで働いていたので、フォローは簡単だった。砂を詰めた袋を運んだり、切り出した石を馬車に乗せたりといった作業だ。飛び入りで勝手がわからないので、言われるままに運搬だけをしていた。
 問題は神殿組の方だ。
 最初は井戸のそばで、たらいと洗い板で洗濯をしていたが、手の動きがぎこちない。その次は掃除だが、やはり手際が悪く、かなり時間がかかった。
 ゲームでも家事スキルというものはあったが、家の清潔度に影響するだけで、ほとんどフレーバー的要素でしかなかった。当然二人ともゼロだ。
 二人が元の令嬢のような見た目なら、まだ違和感はなかっただろう。
 しかし、今は農家の母娘という格好である。それが家事ができないとなれば、当然、奇異の視線で見られてしまう。
 最後には、中庭で豆を日干しする仕事を与えられていた。黙々と豆の殻を剥き、地面の上に広げた布の上に転がしていく作業だ。
 荷物をそばに置いて、母娘で手を動かすその光景は牧歌的ではあるが、日常生活で役立つスキルがAIにほとんどないというのは、はっきりしてしまった。

(何かスキルを活用して金を稼げればな。ユエルの治療院とか……まず建物が必要か。その元手がない。なら辻治療は……確実に神殿に目をつけられる。今日見た感じ、こっちの神官もそういう商売をしているようだし。常識知らずが横から割りこむと、ろくなことにならないだろうな……。商売するのに、領主の営業許可が必要とかありそうだし)

 マヤの調合も材料が必要だし、ポーションを売るためには、地道な営業活動もいる。信頼度ゼロの人間が作った謎の薬を、いきなり買おうとする者はいない。
 結局、キャラクターの力で手っとり早く稼ごうと思うと、荒事になってしまうのだ。

(襲ってきた奴らを返り討ちにしただけで、あれだけ稼げるんだもんな)

 今日の労働の報酬は、合わせて六銀貨といったところだ。神殿組は食料をわけてもらう約束だから、現金は入らない。
 パンがだいたい二銅貨なので、五人で三食食べれば、一日で三十銅貨だ。銀貨換算で三枚、賃金の半分が飛んでしまう。パンだけで生きていけるわけもないので、もっとかかるだろう。
 それに引き換え、男たちから奪った金や、武器、宝石、道具類を売り払えば、一ヶ月は楽に食べられそうだ。山賊が割がいいのもわかる。
 商売の環境さえ整えば、マヤとユエルも無限の可能性を秘めている。
 しかし、その環境を整えるのが難しい。
 秋人が金策について思いを馳せている中、ようやく注文した食事が届いた。
 テーブルの上に、湯気の立つ料理が大皿で並べられていく。
 平べったい黒パン。豚肉と野菜がごろごろ入ったスープ。刻みキャベツの漬物に、ベーコンと茹でた豆の付け合わせ。
 周りの席の喧騒をよそに、五人とも、味を噛みしめるように、黙々と食べていく。
 昼の仕事仲間に教えられた食堂で、肉体労働者御用達の、味より量といった雰囲気の場所だが、きつい労働の後では、今まで食べたどんなものよりも美味しく感じた。
 なにしろ仕事の休憩では、硬いパンを一個食べただけだ。
 もともと料理の味に頓着する方ではなかったが、食事が一番の楽しみ、という人間の言葉も、今ならわかる気がする。

(料理はやっぱり必須スキルだ)

 マヤとユエルに、料理を覚えさせることを決意する。
 ガッシュとグエンは……まあいいだろう。いくらAIとは言え、どうせ食べるなら見た目美少女の手料理の方がいい。
 料理を食べ終わり、満足して顔を上げると、とっくに食べ終わっていたガッシュが、隣の席を見つめていた。その視線を追うと、シチューのような煮込み料理がある。パンをつけて、すくって食べるようだ。

(……食べたいのかな?)

 あらためて観察すれば、どことなく物欲しそうな表情にも見える。
 秋人は苦笑して、グエンの分も一緒に注文をした。
 前衛組は腹が減るだろう。
 追加の料理を猛烈な勢いで食べはじめた二人の様子を、秋人はほのぼのとながめる。

(父親の気持ちってこんな感じか? 妙に生ぬるい感覚だ……。二人とも、今日は頑張ったもんな)

 彼らには何度も助けられている。秋人一人だったら、とっくにあの世だろう。
 AI相手に借りを感じるわけではないし、秋人自身は彼らを道具と割り切ってもいるが、欲求を満たすぐらいのことはしてやりたい。
 愛用の道具を、感謝を込めて丹念に手入れする、そんな感覚に近いだろうか。

(なにか割のいい仕事でも見つかれば)

 安定した食事ができるだけ野外よりマシだが、今のままではろくに貯金もできない。
 食事が終わったあと、再び金策に頭を悩ませながら店を出ると、ふと目に止まるものがあった。
 通りの向こうを、救貧院で見かけた男が歩いていた。隣に、うつむいて歩く女の姿もある。

(あれは……救貧院で見かけた母親の方か)

 昨晩の、男の儲け話とやらを思い出す。
 秋人に断られたあと、母子の方にも声をかけたのだろう。よほど切羽詰まっていたのか、女はそれに乗ったのだと見える。

(やめておけばいいのに……まあ関係ないか)

 秋人は視線を逸らし、歩きだした。



     ◇



 救貧院に帰り、宿泊広間に入ったところで、秋人は面食らった。
 昨日の五歳ぐらいの女の子が、部屋の隅に一人で座っていたのだ。
 確かに母親が出かけているのだから、一人なのは当たり前だが。

(不用心な)

 そう思ってしまう。
 女の子は無言で、じっと膝を抱えて座っている。表情はなく、床に視線を落としたままだ。
 一人で母の帰りを待つその姿に、秋人はなんとも言えないものを感じる。

(なんだかなあ……)

 飴玉でもあればいいのだが、そんな気の利いたものはない。

(非常食に買ったビスケットぐらいか。美味くもなかったけど……まあ、ないよりは……)

『ユエル、これ、あの子にあげてこい』

 中年のおばさんである今のユエルなら、小さい子を怖がらせることもないだろう。
 ユエルはうなずき、とてとてと近づく。
 女の子は足音に顔を上げたが、無表情に近づくユエルに、びくっと怯えてしまった。

『ユエル、怖がらせるな。笑顔だ。笑顔』

 その指示に、ユエルはぎこちない笑みを浮かべる。女の子は戸惑ったようにそれを見上げ、差し出されたビスケットに気づく。
 本当に貰えるのかと、ユエルの顔とビスケットを見比べる。
 ユエルがこくこくと頷くと、女の子は恐る恐る、ビスケットを手に取った。
 少しずつかじりはじめるが、お腹が空いていたらしく、あとは一気に食べてしまった。

『もういいぞ。戻ってこい』

 こちらに戻ってくるユエルを追って、女の子の視線がこちらに注がれた。
 物足りなそうである。

(ビスケットは非常食だし、こっちにも余裕はないんだ。そう何枚も……)

 女の子はしょんぼりしながら、指についた細かなかけらを舐めとりはじめた。

(…………)

 葛藤が襲う。

(……まあ……もう二、三枚ぐらいなら……)

 ユエルに指示を出そうとしたとき、広間に入ってくる者がいた。
 荒っぽい雰囲気の、二人組の男だ。
 二人は広間を見渡すと、女の子に目を止め、近づいた。

「こいつか?」
「歳はあってる。行くぞ」

 そう言うと、怯える女の子の腕を掴み、引きずり上げた。

「おい、何してる」

 思わず、秋人は立ち上がって言った。
 男たちは無言で秋人たちを眺め、そのまま女の子を引きずって行こうとする。

『あいつらを止めろ!』

 グエン、ガッシュが立ち上がり、男たちに飛びかかった。

「んだこらあっ!」

 男たちの怒声があがるが、二人ともすぐに床に転がった。屈強な戦士に関節を極められ、床に押さえつけられて、苦痛にうめく。
 怯える女の子は、ユエルが後ろに守っている。

「……なんでこの子を連れて行こうとしたんだ」
「てめえらには関係ねえだろが!」

 実はこの男たちは母親の使いで、女の子を迎えにきた、という可能性も考えていたのだが、それもなさそうだ。
 あの男の儲け話とやらに、こいつらも関係があるのだろう。
 母親もどうなっているか。
 震えて怯えている女の子を見て、秋人は深く息をつき、外出するためにマントを羽織りなおした。



[25179] 第5話
Name: 三叉路◆53a32b9e ID:3503d6aa
Date: 2011/01/15 19:17



     ◇



「これが前金だ。ちゃんとこなしたら、残りも払ってやる」

 男に手渡された銀貨の輝きに、リヴィエは目を奪われた。
 その輝きを、おずおずと手に包む。

「これもお前のものだ。しっかりやれよ」

 続いて渡されたのは、小さな宝石のついた金細工の指輪だった。

「あ、あの……」
「いいから取っとけ。相手はギルドの親方だ。心付けも豪勢なもんだな、ええ?」
「あ、ありがとうございますっ!」

 手のひらのものを、リヴィエはぎゅっと握りしめる。
 寒村育ちのリヴィエは、二十二の今になるまで、装飾品を身につけたことがなかった。伸ばし放題の茜色の髪は後ろで一つにくくられているだけで、化粧っけの一つもない。手にしたこれも、高価な物という認識でしかなかった。
 売れば、しばらくは余裕ができる。娘にも美味しいものを食べさせられる。

「よし、行け。この通りを六軒先だ。間違えるなよ」
「は、はい」

 狭い裏通りだった。両側から三階建ての民家が張り出していて、見える夜空は狭い。
 空の樽や荷車を避けながら、リヴィエはとぼとぼ歩いた。
 その足取りは重く、今にも止まりそうだ。
 これから起こることへの、恐怖と抵抗がある。しかし、他に道がない。どうしようもなかった。
 目指す家はすぐ見つかった。裏口に目印があり、鍵も開いている。

「し、失礼、しま、す……」

 恐る恐る声をかけながら、ゆっくり扉を開く。
 中は真っ暗だった。
 勝手口のようだが、人の気配もない。

「す、すみません。参りました」

 小声で暗闇に呼びかけるが、反応は返ってこない。
 リヴィエは手さぐりで、そろそろと中に入った。

「きゃっ!」

 暗闇の中でつまずいて、何か柔らかい物の上に転んでしまった。
 その物音に気づいたのか、灯とともに、二階から足音が降りてくる。
 リヴィエは慌てて立ち上がり、埃を払った。依頼主の親方に粗相があってはならないと、言い含められている。
 しかし、階段から降りてきたのは、ふっくらした中年の女だった。寝間着を羽織り、蝋燭を掲げて、いぶかしげにこちらを見下ろしている。
 戸惑うリヴィエの前で、女の顔が引きつった。

「きっ……きゃああああああああ!」
「えっ!?」

 リヴィエはうろたえて、周りを見回した。ランタンに照らされて、あたりの様子が明らかになる。
 リヴィエの足元に、太った男の体が横たわっていた。腹にナイフが突き刺さり、赤黒いものが地面に血溜まりを作っている。その目は虚ろにリヴィエを見上げていた。

「ひっ!?」
「人殺しっ! 誰かっ! 人殺しよっ!」
「ちっ、ちが……」

 振り回した手は、血に汚れていた。よく見れば、リヴィエの体にもべったりと赤いものが張りついている。
 パニックになったリヴィエは、扉から飛び出した。

「人殺しっ! 誰か捕まえてぇっ!」

 響きわたる声に、通りが騒がしくなる。少しだけ開いた鎧戸の窓から、人の目がのぞく。
 リヴィエは転げながら、その場を逃げ出した。



     ◇



 その光景を見届け、きびすを返そうとする男の姿を、秋人はじっと観察していた。

(妙なことになった)

 救貧院から出たあと、《遠目》で探索中に、例の男の姿を見つけた。
 近くで様子をうかがっていると、男の視線の先から、女が飛び出してきた。遠くに聞こえるのは、人殺しという声。夜警を呼ぶ声も聞こえる。
 考える間に、男は別の裏通りに入ろうとしている。

(……一応確保しておこう。後ろ暗い相手なら遠慮はいらんだろ)

『押さえろ』

 次の瞬間、男は地面に叩きつけられた。

「なんっ……!?」

 男は首を上げて正体を確かめようとするが、顔も石畳に押しつけられ、身動きもできない。
 押さえているのは、男を尾行していたグエンだ。
 秋人とマヤは、隠れていた物陰から出て、男の近くに歩み寄った。
《遠目》では声は聞こえないので、近づく必要がある。他に仲間はいないことは確認している。
 男はもがきながら、

「なっ、なっ、なっ……誰だ! 何しやがる!」

『脅して静かにさせろ』

 グエンがナイフを抜き、男の首筋に当てる。男は息をのんで黙りこんだ。
 一方、反射的に出た自分の言葉に、秋人も考えこむ。

(バイオレンスというか暴力というか……こういうことを平気でやれる人間になったんだな……)

 元の世界では、こんな風に他人を傷つけたことはない。喧嘩も幼いころにしただけで、口喧嘩とも縁遠い人間だった。
 それが、まがりなりにも会話を交わした相手に対して、マフィアやヤクザのような真似を平気でして、抵抗を覚えていない。
 森で殺し合いをして、そういう一線を越えてしまったのだろうか。
 それとも、力を持っていること、その力を直接振るうのは自分でないことが、抵抗感を薄くしているのだろうか。

(なんというか……優越感というか、他人を屈伏させることに、妙な爽快感があるのがおぞましいな。気をつけないと、暴力的な人間になりそうだ。自制しよう)

 秋人が考えこんでいる間、ずっと無言で押さえつけていたグエンに、男は不安に駆られたのか、哀願するように小声で喋りはじめた。

「くっ、口封じか? 喋らねえよ、朝になったら出て行く! この街には近づかない! ほんとだ! 見逃してくれ!」

(うーん……)

 どうにも話が見えない。
 マヤには《遠目》を移動させて、女の出てきた家の中を偵察させている。
 小太りの男の死体があり、すがりついて泣いている中年の女の姿があり、近所から、わらわらと人が集まっている。
 あの女が殺したのかとも思うが、どうも腑に落ちない。
 殺人現場にも、何か違和感を感じる。
 この男が関係者であることは、間違いないだろうが。
《魅了》で喋らせることも考えたが、こういう状況では微妙だ。世間話ならいくらでもするだろうが、犯罪となると、単なる仲の良い相手に喋るとも思えない。

(《混乱》……《恐怖》……《精神破壊》……駄目だ、ろくなのが思いつかない。あとは高レベルの呪文だし……)

 男はこちらを誰かと勘違いしているようだし、その勘違いに乗じて喋らせたい。
 しかし、なかなか妙案が浮かばない。
 単に脅して喋らせるだけでは、こちらが事情を知らないとばれて、偽情報を掴まされそうだ。

(《恐怖》で心底怯えさせれば、嘘もつかれないか? 受け答えできないぐらい怯えられたら困るけど……対人相手に便利な呪文って、ゲームじゃ少ないんだよな)

 今は、《稲妻の雲》や《氷雪の嵐》といった凶悪な攻撃呪文より、真実を喋らせるような呪文の方が欲しい。
 秋人が仕方なく《恐怖》を使おうと決めたところで、男がいぶかしげに口を開いた。

「……あの女の使いだよな? 違うのか? 何言われたか知らねえが、金なら腰にある。大金だ! それで見逃してくれ!」

(女?)

 秋人はふと気づいた。

『マヤ、《遠目》で見てる、死体にすがりついてる女。《幻覚》でそいつに変われ』

 言われるまま、中年の女に姿を変えたマヤが、男の前に立つ。
 グエンが男の顔を引きずりあげて、マヤの姿を無理やり見せた。

「おっ……」

 男が口をパクパクとさせる。
 そのまま顔を真っ赤にして怒鳴ろうとしたが、状況を思い出したのか、媚びへつらうような顔になった。

「約束と違うんじゃねえですかねえ、マダム。旦那もちゃんと始末して、こっちは仕事は果たしましたぜ?」

 マヤが扮する中年の女は、無言で男を見下ろしている。
 それを見て、男の顔が凶悪に歪んでいく。

「おい……舐めんじゃねえ! 淫売がふざけやがって、てめえの尻軽のせいで、こっちは余計な手間が増えたんだぞ! 変な考え起こすと……!」

『口塞げ。うるさい』

 もごもごと布を噛まされる男を見ながら、秋人は頭の中で状況を整理する。

(ここまでだな)

 マヤが元の姿に戻る。
《麻痺》で動きを止めた男をグエンが背負い、三人は裏路地を離れた。



     ◇



 一夜明けて、陽が上がり、中天を通りすぎたころ。
 領主の館に面した広場で、公開裁判が開かれた。
 被疑者であるリヴィエは中央に引きずり出され、ひざまずいている。手には枷をはめられ、ほつれた髪が肩にかかっていた。顔は青ざめ、うつむいている。
 対面には日除けの布が張られ、椅子に座る領主と、近習の人間たちが控えていた。
 広場の周りには、大勢の見物客が詰めかけている。凶悪事件が起きたときに開かれる公開裁判は、都市では娯楽の一つだった。
 裁判が始まり、広場にいる人間たちを相手に、リヴィエの罪状が読み上げられる。
 被害者は、金細工職人のギルドに所属する親方で、強盗殺人の疑いだった。

「わ、私じゃない、です」
「嘘つき! 人でなし! この鬼畜生め!」

 震える声で言うリヴィエを、親方の妻が泣き叫びながらなじる。興奮気味の観客も、好き勝手なやじを飛ばしはじめた。
 浴びせられる罵声に、リヴィエは震えながらうつむく。
 続いて、リヴィエについての情報が、役人から領主に報告する形で語られる。

「南西のリベラ出身。娘と二人でこの街に来たのは二週間前、救貧院住まいで、神殿の手伝いで食料をわけてもらって生活していたようです。仕事を方々探しまわっていたようで、金に困っていたのは確かですな」

 そこまで言って、役人が合図をする。
 運ばれてきたのは、小さな宝石のついた、金細工の指輪だった。

「その女の服から見つかった指輪です。殺された親方の店にあったもので、奥方が、間違いないと証言を」

 領主は鷹揚にうなずく。口元に髭をたくわえた、中年の騎士だった。

「お前が殺したのか?」

 領主は直接、リヴィエに聞いた。
 一瞬呆けたあと、リヴィエはぶんぶんと首を横に振った。

「私じゃありませんっ! あそこに入ったら、もう……!」

 その言葉を聞き、ローブにフードで顔を隠した人間が、領主にぼそぼそと耳打ちした。領主は軽くうなずく。

「では、なぜあそこにいたのだ?」
「それっ……は……」

 リヴィエは言葉に詰まる。

「救貧院で……男の人に頼まれて……仕事だと……」
「指輪はどこで手に入れた?」
「男の人から……前金だって……」
「どのような仕事だったのかね?」

 リヴィエは言葉にできず、うつむいた。
 目からじわりとこぼれた涙が、ぽたぽたと地面に落ちる。自分の惨めさに、嗚咽が漏れた。
 ふむ、と領主は頬杖をつく。
 親方の妻が、叫び声をあげた。

「でたらめをお言いでないよ、この淫売! あたしの主人の名誉まで傷つけるつもりかい! あんなに素敵な、大事な人だったのに、あんたは金欲しさに殺したんだ! 娘に顔向けできるのかい! この人でなしめ! 地獄に落ちろ!」

 リヴィエは耐えきれず、うつむきながら、子供のようにしゃくりあげはじめた。
 嗚咽混じりに、

「フィス……ごめん……ごめんなさい……フィスぅ……」

 周囲の野次も、リヴィエを犯人と決めつけ、領主の判決が下りるのを、今か今かと待ち構えている。
 領主が億劫そうに、立ち上がった。
 そのとき、兵士が小走りに駆け寄ってきた。
 領主に小声で耳打ちし、それに領主がうなずくと、再び兵士は走り去った。
 少しして、周囲の人だかりの一角が崩れた。
 二人の兵士の手で、男が引きずり出されてくる。
 その男を見て、リヴィエは目を見開き、声を詰まらせた。口を開こうとするが、嗚咽は止まらず、言葉にならなかった。
 男は状況がわかっていないようで、うろたえ気味にあたりを見回している。

「なっ、なんだよ。俺は何も……」

 人だかりから声が上がった。

「その男だ!」

 声を発して進み出てきたのは、平凡な中年の男だった。

「昨日の夜、その女と歩いているのを見たぞ! それに救貧院に泊まっていたら、その男に儲け話があると声をかけられた! 間違いない、そいつだ!」
「なん……」

 男は何事か言おうとするが、そこで親方の妻である女を見つけ、目を剥いた。

「てっ……てめえっ! 俺一人におっかぶせる気か! あいつだ! あいつが旦那を殺せって俺に持ってきたんだ! 俺だけじゃねえ! あいつも同罪だ!」

 人だかりがざわつく。
 親方の妻はおろおろと、周囲に助けを求めるように視線を飛ばしている。
 思わぬ展開に、群衆も興奮を抑えきれず、隣同士でぺちゃくちゃとお喋りをはじめた。
 騒がしくなった空気の中、ローブ姿の人間が、再び領主に耳打ちした。領主はうなずき、周囲に向かって厳かに宣言した。

「捜査のやり直しが必要のようだ。今日はここまでとする。解散しろ! 解散!」



     ◇



(なんとかなった)

 秋人は一人、安堵のため息をつく。
 男を放りこんだあと、どう展開するか予想がつかなかったが、うまいぐあいに運んでくれた。雇い主の女に裏切られたと思いこんでいたのだろう。《幻覚》も使いようだな、と改めて思う。

(でも、拘束されるのは計算外だ)

 現在、秋人たちは参考人として、領主の館に留められている。
 男とも面通しをして、何度も証言を繰り返させられていた。
 あの場で口を出すつもりはなかったのだが、あの女はせっかくの男を見ても、ぶるぶる震えるだけで、ろくに喋れそうになかった。

(さっさと『そいつだ! その男が自分に依頼したんだ!』って言え!)

 と、輪の外でやきもきしていたのだ。
 とうとう我慢できずに口出ししてしまい、こうして関係者として留められてしまっている。
 部屋には、保護していた女の子もいる。不安そうにユエルの手を握って、扉を見つめている。
 証言をするだけだったので、他の三人は外にいる。ユエルは、女の子を保護していること、自分の家内ということで、同伴を許されたのだ。
 それも秋人の不安の一つだ。

(まあ、さすがにここで、戦闘沙汰にはならないだろうけど)

 それにユエル一人でも、十分戦闘力はある。《衝撃》だけで、ほとんどの兵士は蹴散らせるだろう。
 自分の警戒心の強さに苦笑し、秋人は気持ちを落ちつかせる。
 なでるように腰の袋の感触を確かめ、顔をほころばせた。

(ふ、ふ、ふ……金貨が二十枚。しばらくは困らないな)

 男を連行する途中で奪った金だ。
 わざわざ大金があると教えてくれたのだ。おそらく依頼の報酬なのだろう。秋人は容赦なく強奪した。
 金貨一枚で、銀貨十枚分になる。金貨二十枚と言えば、秋人たちの労働賃金の一ヶ月分以上だ。美味すぎる。
 もっと金を持っている悪人はいないだろうか。組織に喧嘩を売ると危険だから、一匹狼のチンピラを、当局に突き出すついでに巻き上げて……

(……思考がアレだな。変な風になってる。もともと今回は人助けだったんだ。ついでに役得があっただけで。調子に乗ると足元をすくわれる)

 これが、明らかに怪しい話に乗る、ただの無分別な女のことだったら、秋人も無視していただろう。
 しかし、母親が捕まってしまえば、子供を保護するものは何もなくなる。孤児になった幼い子供の行く末など、考えるまでもない。大人ですら生きることに必死なのだ。

(それに……怪しい話に乗る気持ちもわかるか。母親だもんな)

 秋人には、他の四人の力がある。なりふり構わなければ、どうにでも生きていけるだろう。それが余裕になっている。
 しかし、あの女は、それがないどころか、守るべき子供もいるのだ。
 もし秋人が一人でこの都市に放り出されて、隣にいるのが、幼い自分の子供だけだったとしたら……

(地べたを舐めてでも、どんな汚い真似でもするだろう。しないといけない)

 自分だけなら、プライドやモラルが邪魔するかもしれない。
 しかし、子供を飢えさせるのは、そんなものの比でない、塗炭の苦しみだろう。

(……ちょっと分けてやるか)

 腰の金貨を触りながら、秋人は考える。

(二割……まあ、三割ぐらい……)

 隣の女の子を盗み見る。
 その頬はこけて、ろくなものを食べていないように見える。
 秋人はため息をついた。

(半分やるか。こっちはまた働けばいいしな。今回はこいつらのおかげで稼げたようなもんだし……)

 そこまで考えて、秋人は逆に不安になる。

(……別に半分ぐらい貰ってもいいよな? こっちだっていろいろ動いたんだし……いや……モラル的にも問題ないはず……さすがに全部あげるのは……むむむ……)

 そんな葛藤をしていると、部屋の扉が開いた。
 現れたのは、領主の騎士と、女の子の母親だった。泣き腫らした赤い目をしている。
 女の子がユエルの手を離し、母親の元に駆け寄った。
 母親はひざまずいて娘を抱きしめ、深く顔をうずめる。

「ごめん、フィス……ごめんね……」

 女の子は無言のまま、小さな手で、母親の体を握りしめ続けた。
 母子の対面に、穏やかな空気が流れる。
 ほのぼのとその光景を眺めていると、回りこんできた領主が、秋人に言った。

「お前たちもご苦労だった。奴らが洗いざらい吐いた。ご婦人は無罪放免だ」

 明らかになった事実として、やはり黒幕は、被害者である親方の妻だったらしい。住みこみで働いていた職人とできていて、親方の存在が邪魔になったのだとか。ギルドに所属できる親方の総数は決まってるから、親方が死ねば、職人の昇格も期待できる。
 しかし、職人と親方の妻との関係は、前から怪しいと噂されていた。親方がただ殺されただけでは、自分も捜査対象に入るかもしれない。ただでさえ、この街の司法は正確無比と言われているのだ。
 そこで男に依頼し、親方を殺害させ、別の犯人をでっちあげようとした。
 そういう経緯らしい。
 前日の夜に誘拐の罪で捕まった二人の男についても、再捜査がなされている。街のチンピラで、浮浪児の人さらいをしていたとか。
 秋人に声をかけてきたあの男が、行きがけの駄賃とばかりに、子供のことも売ったのだろう。

(物騒な世界だな……。でも、なんでここまで話すんだ?)

 一通り話を聞きながら、秋人は困惑する。
 あくまで秋人は、証人の一人にすぎない。領主が直々に話をするような相手ではない。
 その困惑を見て取ったのか、領主は髭を触りながら、

「ふむ。そういえば、一つ不可解な点があったな。犯人の男の言う、依頼に受け取った金というのが、どこをどう探しても見つからなかった。何やら要領の得ないことをわめいていたが……」

 秋人は冷や汗をかく。腰の袋が重い。
 領主はにやりと笑った。

「まあ、悪党の言うことだ。聞き流しておくことにしよう」

 そうですね。それがいいと思います。
 そんな感じの意味をこめて、秋人はうなずいた。

「それはそうと」

(ん?)

 ふと、空気が変わった。
 それも剣呑なものに。
 視線を走らせれば、扉は兵士に封鎖されていた。壁際にも何人か立っていて、戦いの前のような、張りつめた雰囲気がある。

(なんだ?)

 領主の後ろから、ローブ姿の、フードで顔を隠した男が現れた。
 裁判の間も、ずっと領主の隣にいた奴だ。
 その手に持つものを見て、秋人はぞっとした。

『ユエルっ! 《呪文抵抗》を準備!』

 右手に杖を持つ、ローブ姿の男が、フードを下ろした。
 豊かに蓄えられた白髭が、男の……老人の顎を覆っていた。

「ふむ。わかっているようだの」

 老人が言葉を発した。
 知性を感じさせる、落ちついた声だ。
 同時に、兵士が秋人たちを取り囲む。その手はいつでも抜けるよう、腰の剣にかかっていた。
 老人は杖を床に一突きし、言った。

「お前たちのことも調べはついておる。なにゆえ姿を偽って、この街に入りこんだ? そのまやかしを解くがよい」

(やっぱりばれてる……。魔術師か。どこかにいるんじゃないかとは思ってたが……)

 どうするべきか。
 どうしようもない。
 正面突破できたとしても、また逃亡生活だ。
 秋人の迷いに反応してか、ユエルが立ち位置を変えた。呪文の発動のための魔力が、活性化していく。
 それに何かを感じ取ったのか、老人が眉を上げ、杖を突きつけた。

「妙な真似はするでない」

 その言葉に、兵士たちの手にも力が入る。一触即発の空気が流れた。
 嫌な空気だ。
 手に汗がにじむ。

(逃げるべきか? 正体を晒せば、また子爵に追われる可能性もある。しかし……)

 ここで戦えば、母子を巻きこむ。
 今も、状況の変化についていけず、部屋の隅で怯えている。

(……ここで捕まっても、外の三人がいる。なんとかなる。可能性に賭けるしかない!)

 その言葉で、なんとか自分を勇気づける。
 頭の中で、語るべき言葉を組み立て、秋人は口を開いた。

「……変装をしていたのは謝ります。しかし、害意があってのことではありません」

 老人は目を細め、

「まず正体を見せたまえ」

 その言葉に、秋人とユエルは《幻覚》を解いた。二人の姿が、霞が溶けるように入れ替わった。
 中年の男だった秋人の姿は、二十歳ぐらいに。ユエルも、十七歳ぐらいの少女の姿に。
 兵士たちも、その変わりように動揺する。特にユエルが意外だったのかもしれない。農家のおばさんから、タペストリーにでも出てきそうな美少女への変身だ。
 母子もぽかんと、その変化を見つめている。

「ふむ……」

 老人は二人の姿を眺めたあと、聞いた。

「なぜ姿を偽っていた?」

 秋人は注意深く、言葉をつむいだ。

「南の子爵に追われて、こちらに逃れてきました。変装は、子爵の追手を避けるためです」

 ほう、と領主が声を漏らした。
 彼らが子爵の関心を買おうと思うなら、自分たちを捕らえて、突き出そうとするだろう。
 秋人はじっと反応を見守った。
 老人は無表情に続けた。

「追われる理由はなんだね?」

 秋人はちらりとユエルに視線をやり、

「彼女を、あの子爵が無理やり召し上げようとしたのです。私たちは抵抗し、辛うじて逃げ出しました」

 同時にユエルが、嫌な過去を思い出したようにうつむく。
 秋人が指示しただけなのだが。
 ユエルが、十人いれば十人が振り返る、はかなげな美少女だということが、この言葉を説得力あるものにした。
 子爵の人となりもあるのだろうが、兵士たちの視線もすでに変わりはじめている。
 召喚されて逃げ出したなどという言葉よりは、受け入れやすいだろう。
 老人はその言葉を吟味するように、しばらく考えこんだあと、領主にぼそぼそと囁きかけた。
 領主はその言葉にうなずき、渋みのある笑みを浮かべた。

「下がれ」

 その言葉に兵士たちが引き、一触即発の空気が霧散する。

「災難だったな、お前たち。悪い人間ではないだろうとは思っていたが、こちらにも警戒する理由はあるのだよ。だが、そういうことなら安心するがよい。奴に手は出させん」

 どっと湧いてきた安心感に、秋人は膝が砕けそうになった。
 しかし、領主は言葉を続け、

「宿にも困っているのだろう? 我が館に留まるといい。もてなしてやろう」

 温かい声音ではあったが、それには秋人は躊躇を感じざるをえなかった。まだ完全に信用したわけではない。
 しかし、ここで断るわけにもいかない。兵士たちの前で、領主の顔に泥を塗ることになる。
 その逡巡を察したのか、

「そう不安がるな。奴とは昔、娘のことで一悶着あってな。我が名にかけて、奴の思い通りにはさせんよ」
「……お嬢様と?」
「昔から下衆でな」

 騎士は、髭をいじりながら、にやりと笑った。


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