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[25073] 悠久のセレナード(姉らぶファンタジー……たぶん)
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2010/12/26 15:08
 まえがき……みたいなものです。

 はじめまして。Reijiと申します。
 これは自分の妄想の産物です。でも一応真面目に書いているつもりなので、よかったらどうぞ。
 ジャンルは姉らぶファンタジーを目指しています。

 あと自分は外人ですので、誤字や文法のおかしいところは、どうぞ遠慮なく訂正文を自分の顔面にたたきつけてください。

 最後に、この作品は”小説家になろう”にも投稿しております。
 



[25073] プロローグ
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2010/12/25 00:59
 むかし、むかし、そのむかし、あるふかい森の中に、うたをうたうのが大好きな少女がいました。
 少女のうたはとってもきれいで、かぞくはそれをきくのが毎日のたのしみです。
 ふしぎなことに、少女のうたをきくときずはいやし、心はおだやかになり、さらに森も元気になるのです。
 そのおかげで少女は森のだいこくばしらです。

 ある日、七つの人が森でいきだおれになりました。
 その人たちは虫のいきなので、少女は美しいうたで彼らをたすけました。
 元気になった七人の一人がなのりでて、なんと、彼は近くのくにの王子様です。
 彼らは大きなさいなんにあって、今はそのさいなんのひなん解決方法さがしのたびをしています。
 「私たち以外にはもっと大勢の人が苦しんでいます。あなたのうたは、きっと彼らを救えます。どうか私たちを助けてください」っと王子様は少女にねがいました。
 少女はかぞくの世話をしなければならないから、断りました。しかし、少女のかぞくがこのことを知ると、自分たちのしんぱいはいらないから、あなたの力でもっとたくさんな人をたすけなさいと言いました。
 少女はいろいろ考えた後、王子様たちといっしょに行くと決めました。
 そして、かぞくに見送られて、少女は王子様たちのくにへむかいました。

 少女を連れて国にもどった王子様は、彼女をある高い塔につれてきました。
 「この塔の中で歌うと国のどこでも伝えるのです。さあ、これからはここで私たちのために、歌を歌ってください」っと王子様はいいました。
 その日から、国は災難から開放されました。人々は毎日元気いっぱいで、国は何の苦痛もないらくえんとなりました。

 国から離れた大地には、もうひとつの国がありました。それは魔族の国です。
 魔族には魔王というえらい者がいて、彼は人々を苦しめるわるいものです。
 彼は人々をさらに苦しめるために、少女を奪うようにと、戦争を起こししました。そのとき王になった王子様は少女が奪われないために、軍を引いて立ち向かいました。

 しかし、魔王は強かったのです。王様の軍は次から次へと簡単に破られて、最後、魔王は少女の前に至りました。
 少女の目に映った魔王の顔は、恐ろしくて醜かったです。でも、彼女にはわかる、それは優しさを忘れた者の顔です。
 少女はそんな魔王に向かって、歌を歌いました。優しさを思い出すための暖かい歌です。
 だが、悪さをし過ぎた魔王にとって、その歌はあまりにも痛かったんです。苦しむの魔王は少女の歌を拒むばかりでした。
 それでも、少女は諦めなかった。
 そして、一条の涙が魔王の目からこぼれた――そう、少女の思いは硬くに凍った魔王の心に伝わったのです。
 でも、少女は最後に魔王の涙を拭くと、「よかった」と呟いて、動かなくなりました……魔王の心を取り戻すためには、そのぐらいの対価が必要だったのです。

 それから、魔王はどこかへ消え、戦争も魔王の失踪のおかげで、あっという間に終わりました。平和は再び大地に戻ったのです。
 そして、皆は奇跡を起こした少女を称えるようにこう呼びました――

『歌姫』



[25073] 第一話 前夜の唄は穏やかに、けど変調付 その1
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2011/01/05 03:34
 歌が、聞こえる――

 それは、外来のものを拒絶するかのよう深々さながらも、清蓮の空気を漂う。そんな森の深部から、響いていた。

 その歌はある少女の一生を奏でていた。
 少女は、人々にたたえられるほどの唄手。
 ただ最後は己の生を捧げたという話。

 ――そう、

 この歌は歌ではなく、単なる赤子に夢を与えるための読み物。
 だが読み手の人の耳を振り向かせ、心を満たせる音色に紡がれたこの物語は、間違いなく一曲の美しい歌。

 そして、この音色を持つ歌手もまた、人の目を引かずに居られない。
 
 正午の太陽を遮り、数え切れない木漏れ日を生み出す森は劇場。
 その中にある透明な湖を中心とする爽やかな風が吹く広場は舞台。
 純潔の白いワンピースを纏う歌手となる女性は、そこにいた。

 夜の洗礼を受けた長い黒髪、
 下弦の光に映し出されたような白き肌、
 やわらかく芯が強い眦、
 滑らかでしっかり通る鼻筋、
 儚く桜を帯びる暖かい唇、
 
 ――それは、夜空に浮かぶ一輪の月――

 すなわち、月夜、っと形容するにはこれ以上のない似合う容姿だ。

 しかし、この月夜には一つ、異なるものが混じっている。
 その輝きは赤星のように、息吹は鮮血の様な、

 紅い、瞳――

 それは本来の月夜にはないもの、
 あってはならないもの、
 故この赤のせいで月夜はただの月夜に留まらず、
 妖しい月夜となった。

 だが、不思議なのは、今歌っている女性の姿は人に不安を与えることはない。
 その妖しさはただ、本人の成熟でありながら清純の香りを漂う雰囲気と顔立ちに内包されて、むしろありえないものたちが組み合わせた、神秘さを醸し出す、

 一片の紅に紛られた月夜、

 ――という幻想的な容姿になったのだ。

 歌はフィナーレに入った。
 読み手も声にさらに力を入れて、物語は最後の段にふさわしい熱気に包まれる。
 そして、一番後ろの句読点にたどり、楽譜となる本が白い手に閉じられた。
 熱気がいまだ去れない今、女性はこの歌の締めを観客へ最後までご清聴の感謝の微笑に向ける。
 当然、返されたのは満席の拍手と喝采――

「あのさ」

 ……ではなく、むしろ不満と呆れのブーイングだ。

 観席に座っている、というより読み手の女性の太ももの上頭を置いて横になる、俗に言う膝枕してもらっているのは、疲れ切った顔をしており、女性とそう変わらない年の青年。
 彼はなんと同じ黒髪赤い眼を持つ。ただこっちは対照するように黒い髪は短く、二つの赤い眼は頑固そうに少しつり上げていて、端正の鼻筋に硬く閉じている感じの口、少し日焼けた肌など、陽性なところが表に現している。
 これらの特徴によって硬くで無骨な顔立ちになるはずだが、その顔の輪郭の角に当たるところは緩やかな曲線で彫ってある。
 結果は、少しとげしい感じの端正で繊細な顔立ちの美青年の出来上がりだ。
 ……補充として、そのとげしい感じは現在進行式で本人は不機嫌のせいもあるだろう。

「俺を眠らせようだからといって……」
 そんな青年はさっきの場の熱とは大きな落差をもつ常温のブーイングに続き、
「いくらなんでも絵本はないだろう……」
 脱力のため息と意見をはきだした。

 彼の言い分はまず反対するものはいないだろう。
 そもそも成年の男性を寝付かせるために、絵本というのは客観見ていかがなものか。
 ただ、女性が彼のために心をこめた演出に対して些かひどいかもしれない。

「あら」
 文句をつけられた女性は特に気にせず、歌っているの時と違い、落ち着きがあり親しみやすい声で答えた。
「子守唄のほうがよかったのかしら? ごめんね、お姉ちゃん先走りしちゃったわ」
 ……男の不満を見当違いつきで。
「あ、いや、待て……姉さん、本気?」
「本気も何も、人を寝付かせるにはね、絵本と子守唄が一番なのよ」
 一点の曇りもない笑顔で、青年に姉とよばれた女性はそう答えた。
「じゃあ、歌うね。曲は……」
「いや、いい。気持ちだけ受け取る」
 こういう悪意も何もない風に返されると、青年はさすがに何も言えなかった。

 劇場となる清蓮の森、
 中に舞台となる澄み切った湖を中心とする広場、
 その一角の木陰の下に歌うことが却下された歌手は残念そうな顔をしている。
 そうさせたゲストとなる男はそんな歌手――姉を一瞥して、目を閉じもう一ため息した。

 ――故に気づかなかった、
    舌を小さく出して、赤い眼はいたずらな光を放つ、
    小悪魔的な、姉の顔。


 ……なぜ、こうなっているのだろうか。

 男――シュウは目を閉じここまでの事を整理しようとした。

 まずは、今日、朝からシュウはいつも通り町人の仕事を手伝いに行った。
 二人きりの家族故、自力で生計を立てねばならないのだ。
 だから普段の生活はシュウが近くの町で仕事の手伝いをして稼ぐ。姉は留守番して家事をするか、内職して家計に貢献。そのおかげで貧しくなく、富みしくもないが衣食住どれも困ることなく、充実で普通な生活を過ごしている。
 そして仕事して昼になるところ、姉が弁当を片手に仕事場まで来て一緒に食べよと誘た。
 シュウには断る理由はない、自分の姉が目当てでついてくる男ども――いうまでもなく、これだけの容姿をしている彼女にお近づきなりたい男は後が絶えない――を蹴散らした後、お気に入りの森中の泉、つまり今この場所に移動して手作り弁当を平らげた。
 食事後、仕事の疲労と暖かな陽気のせいか、シュウは眠そうにあくびをした。
 それが姉の姉心を刺激して、弟の頭を捕まえてひざまくらをさせた……というのはうそである。
 真実は別にあり、ただ――
(そういうことにしといてくれ。実はあくびした後目がなんとなく姉さんの足にいって柔らかそうだなどとじっと見ていて、それで気づかれたら『(ぽんぽん)さあ、遠慮しないで』などと誘われて、結局誘惑に負けてそのまま姉さんのフトモモに頭を乗せたということは情けなさ過ぎて涙が出そうだ)

 ……ここは、青年の願いどおりにそういうことにしておこう。
 それから弟の睡眠を促進するためにと称して、姉はどこからか絵本を取り出して勝手に読み始め今にたどる――

「ねえ」
 姉――メタナーリアの声に反応して、シュウはちょうど事の整理を終わった意思をそっちに向ける。
 開けた目に入るのは、森の中で歌う少女。
「気に入らないの? この話」
 それを描かれている表紙を見せながら、メタナーリアは話しかけた。
「ああ、大いに」
「どうして? 美少女が奇跡を起して世界を救った美しい物語なのに?」
「美しいものこそもっとその中身をよく見るべきだ。俺からすれば、これは周りの人の自分勝手に振り回された挙句、最後は平和の犠牲者にされた哀れな娘の話だからな」
 ……常人から離れた答えだ。
 それを聞いたメタナーリアの赤い目は見開いた。
 何度か目をぱちくりさせて、可笑しそうに顔の下半分を本の後ろに隠した。
「……なんだ?」
「ひねた感想ね」
「べつにいいだろう、絵本の感想なんて人それぞれさ。
 それより、俺がこの話を嫌うのは予想済みだったんじゃないか?」
「あら、どうしてそう思うの?」 
「思うだろう? どれだけの時間で一緒に居ると思ったんだ」
 どのくらいだろうな……思い出せない。
 少なくともお互いのことをよく理解できるぐらい長いなのは確かだろう、と反射的に出した自分言葉に対しシュウは漠然にそう考えた。
「そう……そうよね、ふふ」
 姉のほうも弟の答えでなんだか満足そうに目を細めた。
 ……やはり確信犯のようだ。
「それで、百歩譲って絵本はよしとしょう。なんでわざわざ俺が嫌う話を持ってきたのだ?」
「ああ、それはね、どういう反応をするかな? とお姉ちゃん知りたかったからよ」
「……は?」
 シュウは一瞬思考停止した。
 間髪居れず帰ってきた答えは、ただ戯れているしか聞こえないからだ。
 最も彼と同じ立場にいる人も間違いなく同じ反応をするだろう。
 それ故改めて自分の姉となる人物の顔をまじまじと見ると。
 ――なぜか、本気の目をしている。
 つまり、信じたくはないが、冗談ではないようだ……
「………………暇人?」
「暇なんてひどいわね。これは弟の成長具合をチェックする姉としての大事な役目よ」
「成長具合?」
 そうよっとはてなマークを浮かんでいる弟を見て姉は丁寧に説明はじめた。
「絵本はね、小さな教訓から大きな哲理をおとぎばなしや寓話の形で語るものよ――小さな物語に大きな宇宙、ね。
 その分かりやすくて深みある文体に触れると、人によって違う感想が出てくるから、読んだ人の価値観や感性、考え方などが分かるの。
 さらに成長につられて考え方などは変わるから、その感想の変わりようで、その人がどういう風に成長したかも分かるわ。
 これによって、絵本はただの物語ではなく、人の心を映し出す鏡にもなるわよ」
 手にしている本のページを繊細の指でめくりながら、よどみなく絵本についてメタナーリアは上手に解説した。昔から自分の弟の教育を一手引き受けただけあって、なかなかの教師姿だ。
「ふむ、面白そうだが、なんでそれは姉としての役目なんだ? 常識的にそれは――」
「……それは?」
 青年はいいかけた口を途中で止めった、なぜなら常識的な事情に当てはまらないこの姉弟にとって――
「……姉さんの役目になるのだな。やはり」
「そうそう。なに当たり前のことを言っているのかな、この子は」
 弟の言いかけたことは分からないはずがない。しかし姉はただ温かい目で見つめ返した。
 自分が場の空気を僅か乱したことに自覚して、シュウはそれを払うよう話の続きを振る。
「まぁそれで、さっきチェックとかいうの結果は?」
「うん、以前と全く成長してないわね」

 ……………………………………二度目の思考停止は少し長かった………………

 いきなり自分は成長してないと断言されたとき、人はどう反応すべきか……
 怒るべきか、あきれるべきか、それともため息をつくべきか……
 
 シュウはあれこれ悩んだが、とりあえず疑問をぶつけることにする。
「……なにゆえ?」
「前と同じ事を言い出したからよ。言い方はさすがに少し違うけど、内容はまったく同だわ。
 これはもうぜんぜん成長してない証拠だよね~」
 そういって姉は弟の頬を細い指でうりうりというばかりにいじる。
 その仕草でなんかむっとする弟、とりあえずその指をぱくりと口で捕捉した。
「あ、こら。汚いからやめなさい」
「ひふろほほら、ほへひほろへはらい(いつのことだ、俺に覚えはない)」
「覚えてないのは無理もないわ。結構前のことだから……ん、ちょっとくすぐったい」
「れろ。ほへひゃあひんひょうへいはらいへはらいは?(それじゃあ信憑性はないではないか?)」
「あなたのことなら、お姉ちゃんは何でも知ってるし覚えてるわよ……あっ、指のあいだはやめて」
「ちゅる。ほれへほ、ほろほほはははんほうへひん。ほんらほうほうひへほ、へいひょうひらいひんへんはひらいろら(それでも、その言葉は賛同できん。どんな方向にせよ、成長しない人間は居ないのだ)」
「うーん、そんなしぶい顔でカッコいい台詞を言っても…………はぅ、今の良かったわ……お姉ちゃんの指をおいしそうにしゃぶりながらじゃあ、説得力もなにもないわよ?」
「ちゅば(む)」
 ご指摘とおり、今の黒髪青年ははきりとした顔でまじめな台詞を言いながら女の人の指をしゃぶっている……傍から見るまでもなくと間抜け以外の何もない。
 ……それ以前なぜ二人は会話できるのか、という突っ込みを入れるものは残念なことにこの場のどこにもいない……
 自分の姿を理解して、弟はその嬲った指を解放した。
 改めて、きりっとした顔で姉に向ける――
「それでも、その言葉を賛同できん。どんな方向にせよ、成長しない人間は居ないのだ。
 はむ、ちゅる、ちゅる、ぢゅっ!?」
「言い直さなくていいの、あと含み直さなくてよろしい」
 鋭いデコピンとともに二段ツッコミを入れる姉でした。

「まぁ、ともかく。それだけじゃ納得できないと言いたいのだ俺は」
 おでこをさすりながら青年は女性に詳しい説明を求めた。
 指をしゃぶったことはお互いこれ以上触らなかった。
 しかし気まずいなんてあるはずがない。このぐらいのスキンシップは二人にとって珍しいことではないので、いまさらだ。
「さっき姉さんの結論はこういうことか?
 ――俺が以前と同じ、ひねくれのままで、まったく進歩がない、と?」
「それはちがうわ」
 即否定。
「もし弟をそういう風に成長させたら、それこそ姉失格よ」
 軽く弟の鼻をつついて、微笑んでいる顔は変わらず……しかし言葉の音色には譲らない意志が篭っているそれに変わった。
 ――メタナーリアが姉として、弟の間違いを正すときの態度だ。
 こういう場合はシュウも反論できず、まず話を聞くしかない。
「……じゃあ、いったい?」
「この少女」
 素直になった弟に応じて、姉はまた本を持ち上げて表紙にある少女を見せてやった。
「普通の人は、まずその偉業に注目して彼女をたたえる。
 センチな人は、彼女の最後を悲しみ、涙を流す。
 そしてあなたはひねくれた言い方をするけど、ようするに彼女に取り巻く環境――言い換えれば彼女をそうさせた全ての理不尽に怒っているわ」
 弟のことは何でも分かるという姉は彼の感想を解釈し、それを結論として話を進める。
 この段階で言われた本人はもういくつ言いたいことが出たが、やはり黙っていた。
「これはね、大人になればなるほど難しくなって、最後は何も感じないで麻痺するものよ。
 それから何事もただ冷めた目で見るだけ。自分からは何も考えないし、何もしない。
 そうなったらただの周りの流れに任せるの生き屍――凡俗の極まりね。
 それも生き方の一つだから一概悪いとは言えないけど……」
 そこで一旦口を止めて、姉の赤い瞳は誇らしげに自分の弟を見る。その姿は期待通りに答えてくれた生徒を見る先生。
「でもね、あなたはぜんぜん変わってない。未だにその心を持っているわ――理不尽に対して納得することなく、抗おうとする意思を」
 お世辞や、持ち上げでもなく、本心からそう思っているのはそのまっすぐな語調と眼差しから分かる。
「成長してないと言うのはちょっとからかっただけど、私はあなたのそういうところが、好きよ」
 どうやら、成長してないというのはけなすどころか、弟の絵本への感想について彼女は高得点を出したということだ。
 そんなべた褒めにシュウはくすぐったそうに姉の赤い瞳からの直視をそらした。顔の表面がちょっと熱くなってるのを自覚して。
「むう……いきなりそう言っても、な……」
「ふふ、照れることはないわ。お姉ちゃんはただちゃんと貴方のいいところをほめただけよ」
「……そういう言い方をすると俺は確実に照れるのも承知の上じゃないか?」
「…………そんなことないわよ?」
 何時からか、黒髪赤い目の女性の教師姿はもう消えて、代わりに弟をからかって楽しんでいる姉そのものとなった。
「今の間は気になるが……おいとこう。で、それだけか?」
「それだけて?」
 何とか顔の温度をこれ以上上昇させずにすむと、青年は話の方向を転換。
 弟の問いに姉は頭を傾げて、いく束の黒髪はつられて肩から服の白い膨らみの上に流れた。
「俺の本の感想に対する思うところだけど、それだけか? 何か、ほかのものは?」
「ええ、さっき言ったことがほとんどよ。あとは些細なことしかないんだけど……どうしたの?」
「たいした事じゃないが……」
 シュウは最初からの疑問を切り出した――これまでの問いはただの確認だ。
「俺の感想は気に入ったのはいい。姉さんが喜んでくれるならこっちも言うことなしだ。
 ただ、そこまでうれしいものか?

 ――それも、自分の顔を隠すほど」

 そう、これこそシュウがひっかかることだ。
 弟である彼だからわかる。姉は感想を聞いた時、本で自分の表情を遮ったのは可笑しそうではなく、
 うれしくてだらしなく弛んでいた顔を隠すためだ。
 ただの本の感想に何でそこまで反応をするのか……シュウが気になるのはそこだ。

 ほんの一瞬、

「――――――」

 弟であるシュウも気づかないほど、メタナーリアの真紅な瞳が、揺らいだ。

「あら、わかっちゃうの?」
「まぁな、他の者ならまず気づくことはないだろうが、伊達に弟をやってないさ」
「うふふ、お姉ちゃんのことをよく見ているのね。うれしいわ。
 そうね……ご褒美に、今日の晩御飯、お姉ちゃんがんばるわね。
 なにがいいの?」
 そう言って、姉は両手を胸の前に合わせてうれしそうに笑みを深めた。
 ――見るだけで幸せを感じさせる暖かい笑みだ。
「ああ、なんでもいいよ。姉さんのご飯はどれも美味しいからな。

 ――で、理由は?」
 だが、弟はその笑顔による話題誘導をかわし、追求をやめない。
「わからないかしら? 姉として、そんなだらしない顔を弟に見せるわけにはいかないのよ」
「わかるさ。けど、俺が聞いているのはそこまで喜ぶ理由であって、顔を隠す理由ではない。
 何度ごまかそうとしても無駄だぞ、姉さん?」
 今度はすこし真面目な態度による微妙にずれた回答を華麗に弾く、更に詰めようとした。
 ……ここまでにしてごまかそうとすると、人は逆に興味を持つといった理由もある。しかしたまには親しい女性にいじわるしたいのは男の性というものだ。
 にやっと歪める口元を懸命に押さえながら、シュウは自分と同じ色の目を持つ女性にじっと迫る。
「んもう、いじわるぅ……こんな子に育った覚えはないのに……」
 ごまかしが無駄に終わったメタナーリアはちょっとすねった表情を作った――成熟と清純が見事にミックスしている外見な彼女がやると、美しさと可愛さがデュエットを奏でているなものだ。
 やがて、観念して「なんてことないわ」っと白状した。
「単に、私はあなたの答えで生み出した、自分でも抑えきれない喜びを噛み締めていたのよ。
 あなたが言う、自分の顔を隠すほどの、ね」
「そうなのか?」
「ええ、弟の事だもの。これを喜ばない姉はいないのよ?」
「ふむ、それにしては……その喜び方は少し大げさすぎないか?」
「そんなことないわ。
 今のあなたじゃあわからないだろうけど……私はね」
 黒髪赤い目の女性はいったん言葉をとめて、自分の桜色の唇に白い指を当てる――さっき男の口に弄られて、痕跡がいまだ残っている、水しく艶やかな白い指で、躊躇なく。
 そのままわざと桜色の中に隠された紅果実な舌を見せつけように、再び言葉を紡ぐ――

「キスを、あげたいぐらいうれしいのよ?」

 伴って熟した紅瞳を細め、綺麗で魅惑な流し目を見せた……

「姉さん、俺はそういう冗談は好きじゃない」
 だが、やはりその手に乗る弟ではない。
 普通な顔で姉の誘惑ぽい台詞を跳ね返した。
「ええ、知ってるわよ?」
 さらに驚くべきなのは返された方も何事もなくその淡白な反応を受け止めた。
 熱のこめた眼差しと言葉に淡々な反応。普通の女はもうプライドが満身創痍だろうに……
 平然としているのは黒髪赤い目の女性自身のタフさゆえか、それとも……
「じゃあ、何でやるんだ?
 大体たかが本の感想でキスをもらえるなら俺は――」

 その言葉は、シュウの頬から全身に渡りきる温かみに止められた……

 それは、唐突だった。
 気づいたとき、もう終わていった。
 残されたのはわずか濡れている頬、
 離れていく夜色の髪の残り香、
 後顔に触れた母性のシンボルの感触――姉は届くよう前屈みになった故、ちなみに姉はこっちのほうもなかなかの器量を持つ。

 ――メタナーリアがキスしたのだ。

 シュウがそれを知覚して我に帰ったとき、赤い瞳はいたずらそうに自分を覗き込んでいたのだ。
 ――その姿はまるで、自分のしたことの結果を楽しんでいる少女のようだった。

 その認識はすぐ証明された。
 紅目は青年がこっちの世界に戻ったっとわかったとき、その下にあるついさっき触れ合った、はかない桜の花びらはゆっくり真ん中から割り開いて、

 「おれは……なぁに?」と、風と戯れの風鈴な声で言った――

 それはさっき自分の途中のセリフに対する問いだと、シュウは五秒かけてようやく気づいた。
「あ……それは…………」
 言葉がとっさに出ない。
 どうやら黒髪青年の言語中枢はまだ混乱しているようだ。
 しかし、それを答えとして受け取ったように少女は満足そうに頷いて、身を引く――

 前かがみで前にこぼれた滝のような黒髪を、雪白なうなじに戻しながら、いたずら成功で得意そうな、けどやはり大胆の行為にちょっと照れているように、
 
 月夜のような女性は、はにかむ微笑をみせた……

 それは故意かどうかはわからない――おそらく無意識だろう。
 だがシュウにとってその何気ない一連の仕草がもたらす可憐さこそが、会心の一撃となったのだ。
 血液が一気に顔の毛細管まで集中して、沸騰する。
 胸の中の辺りに何かが芽生えて、唸った。

(不覚……)
 まさか自分の姉に見とれてただなんて……
 シュウにとってこの感触は別に初めてじゃないが、今この時、この場所、この体勢では、いろいろ対処に困る――何が困るかは男は女に対する感情は直接肉体に出るとオブラード的に解釈。
 このままはダメっと感じたシュウはこの状態から脱出するために、言葉を搾り出す。
 ……彼の選択肢には姉の膝枕から離れると言うものはない。
「ふ、不意打ちは、ずるい」
「キスをあげるていったじゃない。油断したあなたがわるいのよ?」
 なけなしの抵抗が軽くあしらえて弟は自分の不利を悟った。
 姉のほうも半握りの手を口に当てて、楽しそうに弟を見ている。
「それは、冗談……」
「そういう冗談は嫌いでしょう?
 だから、これは別に冗談でもなんでもない、本の感想への褒美よ……気に入らないの?」
「…………」
 気に入らないといったら嘘になる。
 けど、キスとか言うからてっきり……

「もしかして……唇にだと思ったの?」
「なっ!?」
「くす、そんなちょっと残念そうな顔をすると、すぐわかるわ。

 ――だめよ、それは将来と誓った相手にとって置きなさい」
 それについてはシュウは落胆するとともに理性の部分は同意した。
 たしかに、接吻はさすがに家族の間でもあまり聞かない行為――
「でも、どうしてもお姉ちゃんとしたいなら、態度しだいで考えてあげてもいいけど……」
 ――だが、嗜めるセリフは3秒も経ってないうちにあっさりと前言破りの発表によって革命された。
 世界的な速さで革命を完遂した本人はさらに事も無げに人差し指をあごに当てて、目を細めて「どうする?」っと聞いて来たのだ。
「それは3秒前に言ったことと矛盾してないか、姉さん?」
 弟はそんな朝改暮変に頭の痛さを耐えているように両方の眉を寄せた。
 さっきの不意打ちを教訓として、今回は不用意なことは言わないようにする。
「してないわ。私は、“どうしても”、と“態度しだい”ていったのよ?」
「はぁ、家族の間でそれはいいのか?」
 あまり抵抗を感じない自分をシュウもどうかと思うが、一応聞いてみる。
「シュウ……私たちの間なら、それこそ野暮だわ」
「というと?」
「……今更、でしょう?」
 姉は表情を可笑しさが混じっている苦笑いに変えて言った。
 シュウはそういえばっと今までの姉弟のスキンシップの内容を整理する――

(大半は姉さんからだが……
 手をつなぐのはもちろん、うれしければ相手を抱きつくし、きわどい部分を除いた肌の接触も遠慮を感じるのも少ないし、今も膝枕してもらってるし、さっき頬はキスを受けたし、実はふざけて唇を軽く合わせたことも一度や二度ではないし、あとは――……さらに――……

 …………うむ、確かに)

 ――今更、だな。

「分かったみたいね。
 それで、どうする? お姉ちゃん答えを待っているんだけど?」
 メタナーリアはさっきの指をあごに当てるポーズのまま、今度は加えて頭をかわいく傾げて聞いてきた。
 シュウにとって正直かなりおいしい提案だが……

「すまん、姉さん。とっても残念だが、それはダメだ」
 ハートに残念の涙を1リットル飲み込んで、シュウはそれを拒絶した。
「あら……どうしたのかしら?」
 気のせいだろうか、姉の声にも落胆の音色が混じっている……
「実は、姉さんは誤解をしているんだ」
「誤解? どんな?」
「うむ、姉さんが褒めてくれるのはうれしかったから、すぐには言わなかった。
 俺は、赤の他人に感傷を持つほどやさしくない。
 先ほどの感想も特に考えないで適当に言ったものだ。
 これでは姉さんの分析は正しくなるはずがない。それで、褒め損、キス損だ」
「そう?」
 こんなことを姉に告げるのはすこし心苦しいと感じるが、このまま何も言わないのはもっとダメだろう。
 シュウは自分自身は一般の人間と比べるとおそらく冷たい部類に入るだろうっと思ってる。
 事実として周りに友といえる人間もそう多くはないのだ。
「そうだ。すぐ誤解を解かなかった俺も悪いが、そういうことだ。
 俺には、そのご褒美を受け取る資格はないんだ」
「……ふーん」
 その自評を聞いて、姉は何を思ったか、赤い目はルーペのように弟に向ける。
 ただ、その焦点は表層にではなく、もっと深いところにある。いったい対象の中身のなにをどこまでを見抜くつもりか……
 やがて、薄い朱の口元がくすっと綻びた。
 弟はそれを見ている同時に姉は上半身の力を抜けたのを感じた。
 自然と、その整った顔は下げて、お互いの距離は縮まる。
 その仕草は、落ちる羽のように緩やかで軽い、もしかしたらそのまま最後まで止まらず二人の鼻がぶつかっても、青年も特に反応しないではないか? 
 それは結局謎となった、姉は最後ちょうど意地っ張りな人に話を聞かせるのは一番な距離に、止まった。
「ほんとうに?」
「ああ」
「うそついてない?」
「……ああ」
 二度の静かな問いの間に、一緒に下げたいくつの夜の糸がシュウの頬と擦れ違った。さらさら、さらさら、と。
 姉の顔つきはさらに柔らくなって、優しさと包容力が形にした音色で言葉をささやく――
「うそをつく子は、嫌いよ?」
 今度、シュウは沈黙を保つ。
「………………」
「………………」
「……………………はぁ……わかった、降参だ。勘弁してくれ、姉さん」
 結局、折れた。
 たしなめるための本気ではない言葉だとしても、嫌われてもいいなんて意地を張るのは、彼にはできないことだ。
 更に、うそをついてないというのも、実はそうでもない。
 さっきの絵本には確かに思うところはある。だからあんな感情的な言い方をしたのだ。

「じゃあ……言って。本音を聞かせて」
 姉は降伏した弟の短い黒髪を梳けるように撫でながら、見守る月のような暖かな眼差しで見つめる。
 その小さいころから変わらない扱いにちょっと不満げになるも、弟は目を細めて受け入れた。
 だからか、シュウは僅か記憶に残っているあのころのようぽつりぽつりと、一番深いところに隠されたことを語りだす。
「……うそは、言ってない」
「うん……」
「他人事だと、思ったし……でも、かわいそうとも、感じた」
「うん」
「いろいろ考えたが……結局、分からなくなった」
「うん」
「やはり……そういう場面に出会わないと、どう思うかはわからない……」
「うん、それでいいわ」
 青年自身も決まりが悪いと感じる答えは、突っぱねされず肯定の言葉で返された。
「変に強がらず、形だけの正義感に後押しされでもなく、素直に自分の感じたことと考えたことを言い出すのが、私がさせてほしいものよ。
 あまり極端なことじゃないなら、誰もあなたの言ったことに文句をつける権利はないわ。
 だって、あなたの言うとおり出会わないとわからないもの」
 シュウはその話を聞きながら、呆然と姉を見上げていた。
 本音、本心というは、どれだけ親しい人にもそうそう出せるものではない。
 理由は分かりやすい――不安なのだ。
 出した本音はどう扱わされるのか、不安でたまらないのだ。
 その上に、繊細だ。
 笑われても、怒られても、哀しまれても、流されても――どんな風に答えられても傷つく可能性はあるぐらい、本音と言うものは繊細なのだ。
 シュウは姉に誘導されてついそれを言ってしまったが、言った瞬間その不安は確かに本人を捕まった。
 ――しかし、姉はただありのまま受け入れた。
 そんなためらいもなくてはシュウもやはりすこし意外だった。
 いったいなぜ? もしや……
(成長具合をチェック、か? なるほど、それは本音を聞くほうが最も早い……
 いや、違う――)
 これじゃない、人の成長を見るには本音は必要じゃない。他にもっと簡単でいい方法はあるのだ。
 改めてメタナーリアの言動を考えると、弟の本音を聞くのもその過程にすぎない――なんとなくだが、姉と過ごした時間はシュウをそう感じさせた。
 では、姉の“本音”はいったい何なのだろう?
 ……ヒントは、彼女の言葉の中にあるはず。
 さっきは、なんて言った?

 ――素直に自分の感じたことと考えたことを言い出すのが、私がさせてほしいものよ……

 ――素直に自分の感じたことと考えたこと…………

 ――素直に自分の………………

(ああ、そっか)
 ここに来て、シュウはようやく理解した。
 絵本も、感想解釈も、キスも、窘める言葉も、優しい手も何もかも最初から全部すべてこれのためだった。
 自分は意地っ張りで強がりだ。
 さらに無駄に男のプライドを持って、カッコつけたがるのだ。
 それは年を重ねるほどシュウ自身も自覚していく。
 しかし姉はちゃんとはそれを見抜いた。
 故に無理に押さず、引っ張らず、男のつまらない意地とプライドを損なわないように、気長く根気よくあらゆる手を込んでやってきた。

 ――ただ、“弟を素直にさせる”ために。

 この二人きりの時間に、彼女に素直に向けてほしいだけだ……
 そんな姉の心(本音)は、シュウは感じ取った。

 自然に、心の堰門が開いて、それを直接流し込ませた……

 それが、とっても……とっても……暖かくて、心いっぱいになった……

(かなわない……な……)
 改めてこの人の前に無駄に強がる(意地を張る)のも、カッコつける(形だけの正義感に後押しされる)のも意味がないと弟は思い知った。

 それを知って知らずか、姉は弟の髪を撫でる手を、そのまま顔の曲線を流れるように下に辿って、さっきの唇の暖かさがまだ残っている場所をあやすように擦る――その手のひらのしなやかさで弟の片方赤い目がぴっくと閉じた。
 そうやって、姉は話の続きをする。
「それに、最初はあんなひねったことを言うなら、ああいう場面に会うとあなたは何も感じない確率は低いと思うわ。
 褒め損、キス損なんてことはない、あれは先払いだと思って」
(ほんとーうに、手の込んだことだ……)
 姉の心が分かったとはいえ、これは脱帽しかない。
 シュウは知らず顔に笑いを刻んで、とりあえず姉の言うとおりに思った事を言ってみる。
「姉さん、先のことはわかるはずがない。ちゃんとそうなれる保障はないと思うが?」
「大丈夫よ、なんだって――」
 姉は弟の最もな疑問をものともしない、太陽にも負けない光を放つ自信あふれた笑顔を見せて、
「――あなたは私の弟だもの」
 と言い切った。

 ――それがいったい何がどう大丈夫になるのだろうか?
 関連する五以上の疑問は頭に生まれたが、シュウはそのまぶしく感じる笑顔の前で、なぜか妙に何とかなるだろうという自信が生まれた。
「そうか、まぁ……本当にそういう場面に出会ったときは、なるべく期待に答えよう」
 それでも素直に答えない自分を、シュウはちょっと可笑しく思えた。

 ただ、ここまで気遣わせてもらって、さらに自信をくれた。
 このまま何も返さないのは弟が廃る。
 だから、シュウは今も自分をあやす続けているその白い手を取って、痛くならないように力いっぱい握る――期待通り、優しく握り返してくれた。
「感謝する、姉さん」
「なにを、かしら?」
 表した微妙に意地悪な微笑みは、明らかにわかっていて言っている。
 しかし、その意地悪さも今は温かみに変えるのは、きっとその中にある姉心を感じたからだろう。
「そうだな……甘えさせてくれたこと、かな」
「うふふ、いいのよ、なんだって――」
 それはさっきの言葉と同じ文型で、逆の文字を付けた、
「――私はあなたのお姉ちゃんだもの」
 親愛のささやきだった。

「そっか、じゃあ、改めて――」
 弟は今手にある自分のそれより小さくて繊細な手の甲に、謝意と愛慕を込めて、口付けた――受けてもらったこの温もりが、少しでも返せるように。
「――ありがとう、お姉ちゃん」
 姉は何も言わず、ただ、その手は優雅に弟からすり抜けて、彼女の薄い紅の口に持っていく。
 仰ぐよう、弟の思いが注いたところに、唇を重ねる。
 そして、にっこりっと、
 笑い返した。


 話が一段落終わって、二人の周りに一時の沈黙の幕が下りた。
 長い時間ともに過ごした姉弟にとって、この合間を息苦しいと感じることはない。むしろ話の余韻を楽しんでいる感じがする。

(ひねった感想、か)
 そんな中、シュウは目を閉じ、本の内容を思い出す。
(本音とかはともかく、たしかに……この話はなぜか気になる)
 シュウの考えでは、その少女はたしかに力があるの特別の存在だ。しかし、彼女は赤の他人にそこまでする義務なんてない。
 感謝はあろう、期待はあろう、それに答えるのはいい。だがそのような無差別で無償な献身行為は人をだめにするだけだ。
 現に物語の人間が魔王との戦いに負けたのは、快楽に浸り過ぎて身も心もドン底まで堕落になったせいだろう。魔王が少女の前に立つになるのも、その人たちは少女一人に押し付ける気だろう。
 人間という種は、たかが突然に現れた異分子に短時間で追い詰められるほど弱くはずがない。ようは自分たちは何もせず、ただ彼女の奇跡を期待していたのだ。
 そして少女は見事に彼らの期待とおりに魔王を退けた、だがそのせいで命を落とした。
 ……殺したのは、魔王と、一人の少女を前に押し出した人間共だ。
 それでも人は自分たちの行いに恥じることもなく、少女を“歌姫”のとしての聖女像を祭り上げた。
 この行為は彼女への感謝の同時に、少女のような存在への再来の祈りと切望だろう。
 ……もしかしたら悲しんだのは彼女の死ではなく、無償の快楽はもうもらえないことじゃないかすら思ってしまう。
 そうなったら“歌姫”という輝く名を裏返せば、実は“恥知らずどもの聖女”となる……

 これが、少女が他人に尽くした挙句、最後に得た名。
 それでは、
 あまりにも悲しくて、愚かで、報われないではないか……

 ――気に入らない。

 ……なぜか、そう思ってしまう。
 ……そして、なぜか、必要以上に、腹が立つ。

 そう考えて思わず顔をしかめたところ、ふと、シュウの耳に、ささやかな歌声が聞こえてきた。
(上から、つまり……)
 シュウが目をあけようと半開きにしたところ、よく知るやわらかな手の感触が彼の顔に触れる。
 そのままひと撫でされ、顔が自分の意思と関係なく緩めて、開けようとしたまぶたが重くなり、再び閉じた。
(メタナーリア……姉さん……)
 心の中で唯一の家族の名をつぶやいて、黒髪青年は自分をあやす手と体にしみる穏やかな音色に身を任せ、力を抜いた。
(この人は、自分が小さいころからを育てくれた人だ……彼女は自分の姉であり、母でもあるのだ)
 彼女と過ごした日々は、今でも鮮明に思い……出せない? なぜだ……まぁ、たぶんこの思考を鈍化させる歌のせいだろう。気にすまい。とシュウは頭によぎった小さな違和感を流した。

 ――それにしても。
(結局、誤魔化されたな)
 シュウはさっき本の感想がそこまで感激される理由ははぐらされことに思い至った。
 あれはおそらく自分を素直にさせる以外の、何か別の思うところだろう。
 姉の口からはうそは言ってない、しかし全部ではないとシュウはそんな感じがした。
(いったい……キスしたいほどうれしいのというは、なぜだろう……)
 気になるが、そんな細かいことにいつまでも問い詰めるのも仕方がないだろう――

 そう思考をしつつ歌声に浸りながら、シュウは全身の細胞までいやされる感じがした。

 ――それほど優しくて、暖かいのだ……

 姉であるメタナーリアが口ずさんでいる歌は、彼女の自作だ。歌詞はなく、一定な旋律もない。
 しかし、先ほど歌姫の少女に対する考察で、少し腹立っていた青年の心を確実にしずませている。
 ……まるで、全部わかっていって、そしてそのために紡がれたように。

(むかしからそうだ……
 俺が何かで機嫌を悪くなったとき、姉さんはいつもこういう風に歌ってくれた……
 ……全然……変わってない……ぬくもりも…………こえも……………すがたも………………)

 穏やかな歌声と優しい手で、シュウは自分の意識を手放すのがそう時間かからなかった……


 ――姉の歌声を聞きながら、シュウはまどろみの海に漂っている。

 ――――気のせいか、その歌声は一度だけとまったときがあるようだ。

 ――――――その間、唇に何か柔らかくて、濡れているものに触ていた気がした。


 しかし朦朧の意識のせいで、その感触は彼の記憶にのこされなかった……



「おきて、そろそろ時間よ」
 頬が軽くたたかれる感じがして、シュウは目をあける。
 焦点の合わない彼の赤い目に最初に入るのは夜の糸、その元をたどるといつもの微笑む顔が見えた。
「おはよ」
「……ああ」
「さ、午後の仕事が始まるわ」
「うん……」
 シュウはそう返事するが……動かない。
 人は、なぜ睡眠をとっていた体を起こすのを躊躇するだろうか……これ以上の睡眠を欲する以外、もしかするとこのときの人は枕に恋をしたのではないか、っと青年はなんとなくそう哲学した。
「もう少し横になる? 後五分なら大丈夫よ」
 何かを察したかくすっと半握りの手を口に当てるメタナーリア。シュウは彼女から本気とからかいそれぞれ半分の色が見えた。
「……いや、起きよう」
 誘惑とプライドの天秤は後者にわずか傾げ、間をおいてシュウは思い切り決断した。
 心の動きが顔に出したか、メタナーリアは笑みを深めた。

「はい」
「ん」
 男は身を起こして、女に手を貸す。
 女は軽く笑返して、男の手をとった。
「足は?」
「平気よ」
 女は長い時間同じ姿勢の上に、重いもの(男)に寄りかかられたのだ。
 男が気使うのは当然――たとえそれは二人にとって何度もやったこと。
 互いはいつもの問いを掛けて、いつもの答えを返した。
「じゃあ」「あっ、まって」
 そしていつもの様にそのまま行って来ると言う前に、青年は女性に呼び止められた。
 “何か?”の視線を受けてメタナーリアはしなやかに手を伸ばして、シュウのはねている髪の毛に触る。
「ほら、髪がぼさぼさよ」
「いや、別にいいよ」
「もう、だめよ。男もちゃんと身だしなみを気をつけなくちゃ」
 世話女房のような口調でダメ出し、メタナーリアはシュウに身を寄せて、くしを取り出した。
 片方の手を弟の肩に置くと、あまり手入れしてないが繊細さを失っていない黒髪整う始めた。
 メタナーリアには平均の成年女性より少し高いぐらいの身長がある。対してシュウは彼女より頭半分ぐらい高いだけだ。
 それゆえ彼女は苦労なく鼻歌をうたを歌いながらくしを動かせる。

 当然、それは姉の綺麗な顔はシュウの眼前に来ている意味でもある。つられて気持いいなにかが胸板に押しつけられている。
(このくし、姉さんが使っているものかな……)
 シュウは赤い目をそらしたまま気をまぎれるように、そんなことを考えた。
 ……それを指摘して、姉に少し離れさせようという選択肢、彼には存在しない。

「あ、そうだわ」
 何か思い出したよう丁寧にくしを使いながら、メタナーリアは桜色の唇を開いた。
「今晩、何が食べたい?」
 ……どうやら先刻誤魔化すのために言ったことも、一応本気だったらしい。
「な」「何でもいいならにんじんのフルコースにするわよ、腕をかけて、ね」
 特に考えもなくさっきと同じ答えようとする弟に、今度姉はにこやかに先制した。
 ――家の食事を掌握している者ならほとんど分かる、何でもいいという返答は一番困るのだ。
 直後、メタナーリアからの視点ならばはっきり見えるだろう。
 見る見るうちに青に変色する黒髪赤い目の青年の顔……

「くすっ、冗談よ。
 今日はたくさん体力を使うはずだから、あなたの好物を中心に栄養たっぷりのご馳走を用意するわ」
「ほっ……うん」
 そして青年の顔色に戻っていく。
 メタナーリアはそんな弟に笑いを堪えるよう口元がわずか緩めた。

「はい、これでいいわ」
 シュウの髪を整えて、ついでに軽く服を正し、メタナーリアはそこでようやくOKを出した。
「ありがと、姉さん……む」
 礼の言葉で、シュウはまだいってないことがあると思い出した。
「姉さん。あ、っと……」
「どうしたの?」
 普通に礼を言うだけなのに、何でどもるのか……理由は分かるが。
 どもる自分を心中でそう叱咤して、青年は何とか脳の中で意味のある言葉を並ぶ。
「その……やわらかくて、気持ちよかった」

 口に出してすぐ後悔して、何だこの意味不明でセクハラがまいの賛辞は! とシュウは心で自分にボディブロウを入れた。
 ……でも、姉にはちゃんと伝わったようだ。
「うふふ、また、いつでもいいわよ」
 気にすることもなく、優しい返答に弟は救われた気がした。
「そうか、では機会があればまた頼むよ」
「ええ、いっぱいお姉ちゃんに甘えていいのよ」
 ……はい? とシュウは目を丸くする。
「甘えるって、なんのこと?」
「うん、だから、膝枕よ?」
「へ? あ、いや、もちろん、それも感謝をしているが、そっちは控えめにしよう。この年になるとさすがにちょっと恥ずかしいからな」
「そう? 
 ……そっか、もうお姉ちゃんの膝枕から卒業したいのね……」
「は?」
 いきなりそんなことを言い出した姉に、シュウは呆にを取られた。
「ちょっと寂しいけど……わかったわ。これから、膝枕はなしね」
 瞳に潤いを滲ませて決定事項を宣告した姉。
 告がれたシュウは少し日焼けした肌にいやな汗がかき始める。
 なぜなら、恥ずかしいと言っても、それ(ひざまくら)はシュウ自身のひそかの楽しみの一つだ。
「いや、控えめにするだけで、そこまでは……」
「この年になると、恥ずかしいんって言ったじゃないかしら?」
「確かにそういったが……」
「なにか捨て切れない理由でもある?」
「うむ……」
 自然な口調で聞かれて、無意識的に自分のあごの下に拳を当てる。
 シュウは自分の内心を晒しはじめた。
「それ(ひざまくら)は男の夢とロマンが積んでいると言うか……もうさせて貰えないのはなんだか幸せを逃したというか……それ故いろいろやるせないというか……
 って、わざっとやってるんだろう姉さん!」
「お姉ちゃんの楽しみを取ろうとするからだよ。いつでもいいって言ったじゃない……」
 ようやく自分は遊ばれているのを気づいたシュウ。
 遊んだ者であるメタナーリアは寂しそうな相好からがらりと変わってして、眉を下げてちょっといじけた顔で不満をもらした。
「それを楽しみにしないでくれ……」
「あら、あなたも大好きじゃないのかしら? お姉ちゃんのひ・ざ・ま・く・ら・が」
 今度は意味ありげな笑みを浮かべて、弟をからかって楽しんでいる姉そのものになった。
 二度目だが、シュウにとってそれ(ひざまくら)はひそかの楽しみだ。
 だが、“ひそか”というのは秘密にしているという意味であって、どれくらいの楽しみしているかの計量辞ではない。
 ……姉にはばればれだから秘密も何もないが、今はおいとこう。
 では、このいい年して、姉の膝枕から離れない男はどれだけそれを楽しみしているかというと――

「ふふ、答えは聞かなくても、さっきあなたの自供で十分わかっちゃったけどね」
 「夢とロマンと幸せは大事だからね」っと姉は白魚な手で口を覆ってころころと笑った。
「……プライド木っ端微塵というのはこういうことか……」
 なにか言う前に全部知らされ、青年は脱力した……自分のことを良く分かる姉も考え物だな……ほとんど自爆の気もするが……

「はぁ、とにかく。礼はちゃんと言ったから、行ってくるよ」
 もう用事は済んだから立ち去るだけだ。決して、姉の生暖かい目から逃げたいなんてことはない、っと青年は心の中で付け加えた。
「ええ、気をつけてね」
 姉の視線の生暖かさが二割増えたのは、きっと気のせいだろう。
 りょうかいと返事して、シュウはメタナーリアに背を向けて、歩き出した――

 ――が、立ち止って姉のほうに向き直す。
「いや、まて。姉さん、違うから。さっき言いたいのは膝枕のことじゃない」
 姉が変な方向に読み取ったのだから、シュウ自身も思わず流された。弟のことが良く分かっているとは言え、姉もたまにはボケをするのだ。
「えっ? 違うの? だってやわらかくて気持いいて言ったからてっきり……というか今のボケ結構長かったわね」
 どうやら姉は悪くない、後ボケたのもシュウ自身だった。
「む、すまん。俺のいい方が悪かった。あとそれはほっといてくれ。
 まぁ、つまり、あれはその……」
 またもやどもってしまったシュウ。
 こんな自分は本当に恨めしい……という苦悶が彼の顔に書いた。
 メタナーリアは見かねたか、苦笑いを浮かべて助け舟を出した。
「手?」
 弟は頭を振る。
「唇?」
 弟は頭を振る。
「胸?」
 弟は頭を振る……って。
「なんでそれが出てくる? 今日はまだ触ってないぞ?」
「ちょっとは触れたんじゃないの? キスをあげたとき。あとさっき髪を梳けてあげたときとか。それと触りたいなら家に帰ってからね」
 姉は自然な仕草で胸をちょっと突き出した。
 わざとかどうかよく分からせないの微妙さだ。
 ……ところで今二人はさりげなくとんでもないことを言い出さなかったか?
「……知っててやったのか?」
「さぁ? どうかしら?」
「…………」
「くす、焦らなくていいのよ、お姉ちゃんは気が長いから」
 それは良く知っている。
 シュウは口出さずそう返事した。加えてさっきの軽口は自分の焦りをほぐすためにあるというのも分かった。
 こんなことまで付き合ってもらうのは悪い気がするが……今は素直に甘えよう。
 そう決めて、シュウはゆっくりと深呼吸し、もう一度言いたい言葉を並べる。
 ――そう、あれはいつもしてくれた、優しくて、やわらかくて、気持いい……
「歌」
「え?」
 黒髪赤い目の美青年はどこか照れくさそうな、けどまっすぐで、真摯な微笑みを表せて、
「歌が、結構よかったよ……やわらかくて、気持ちいい歌だった。
 いつもありがとう、メタナーリア姉さん」
 とはっきり伝えた。

「――――」
 今度は姉が弟に呆けを取られた……まるで予想外のプレゼントを貰って途惑う少女のように立ち尽くす。
 そのまま数瞬の間後、破顔した――

「ええ……気に入ってくれて、何よりだわ」

 シュウは一時昼夜逆転の錯覚に落ちた。
 その笑顔はあまりにも儚き、繊細で、艶やかで、夜しか綻ばないあの月下美人に見えるのだ。
 咲き誇るそれは、周りにその短夜の香気で染め上げた。

 ――姉は自分の歌が弟に褒められるのが好きなのだ――

(う……はっ……)
 シュウは胸板の内側を強く乱れうちの心の臓を、見えない手で鷲づかみして落ち着かせるイメージをする。
 冗談抜きであまりの動悸に本当一瞬くらっとしたのだ。
 ……これがなかなか切り出せなかったの理由だ。その笑顔はいつも青年の心臓に過剰の動力を与えて冷静さを奪うのだ。
 なんとか姉に頷い返すと、弟は浮かぶ気持の表情を隠すように町の方向に転換して、いまだ実感がない下肢を動かす。
 それでも、その姉の笑顔が見たくて何度も拙い賛辞を述べて、見ただけでこんなにも元気が出るなんて我ながら単純だな、と自嘲して、シュウは足を速めた。

 ……黒髪青年の姿が遠くなった後、月夜の女性の花の笑顔は僅かな切なさの露に濡れて、後付の様に、つぶやく、
 ――私は、あなたのために歌えるようになったのだから……



[25073] その1.5
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2010/12/26 15:09

 青年が立ち去り、黒髪赤い目の女性が一人残った、森の中にある透明な湖を中心とする広場。
 ここは彼女たち姉弟がお気に入りの場所だ。
 平地が広く、風通しが良く、余計な雑音も一つない。
 もう一つの特典はここの雰囲気は景物自体が小さなコンサートを開いてるようなものだ。

 指揮者の位置にある透き通る泉を筆頭に、
 満遍なく広がる翠草地は――チェロ
 彩り飾り付く無名な花々は――バイオリン
 肌を撫でる爽やかな風は――フルート
 外囲を囲む茂るな木々は――オルガン

 ――どれも命溢れる演奏で、時間や季節によって曲目も曲風もかわる、飽きさせることのない場所だ。

 この姉弟がここをお気に入りに選んだのは、誰も頷けるだろう。
 二人は何年も、何時間も、ここで遊び、休憩、じゃれ合って過ごした――言い換えれば、いろんな思いが篭っている場所でもあるのだ。

 ……だが、この平穏な場所は、なぜか先とは違う雰囲気が漂うはじめた。

 きっかけは、青年が残した気配が完全に消えた後。
 一見この場の物事が一人減ったしか何も変わってないに見えるが、景物の演奏はその時から一つの音がずれはじめ。それは直されることなく、無理やり演奏続けて出た不調音のせいで、この雰囲気を作り出したのだ。

 この場に残った月夜を彷彿させる相貌の持ち主――メタナーリア。
 なぜか、佇む彼女はこの雰囲気の違和感に動じることなく、ただどこか憂いを含んだ顔で自分の弟が消えた方向を見ていた。

 ――静かで人気のない森の中心にある、透き通りそうな泉のそばに佇ずむ、何かを思うような遠く眺める乙女――夢を見るようなワンシーンだ。

 しかしこのシーンの雰囲気を形成する背景演奏はあまりにつり合わず、ひどいものだった。
 ずれた音は段々多くなり、演奏も止まることを知らず。
 例えるなら気の違った指揮者による加減知らず限界知らずの“ストリンジェンド(だんだん強く)”といえるだろう。
 それに伴い、この壊れた演奏による異常なほど息詰まる雰囲気は、容器の口を力づくこじ開けでも押し込むような乱暴なものとなった。
 当然もともと静に属するべきこの森中の乙女というシーンには、それを受け入れるキャパシティを持ってない。
 そう長い時間経たず、このシーンが保つ限界が来てしまった――

 ……しばらくの拮抗………………何かが割れた音がして、同時に、

 限界が、

 突き破られた――


 その結果のせいか――唐突に、広場全体を問答せず震わせる一際強い風が全ての音を打ちとめ、シーンを大きく揺るがす。

 メタナーリアはさらわれそうな長い黒髪を手で押さえて、目を閉じた。

 ――その風は、容赦なく、非情で、冷たかった――

 ……風がやんだ後も、彼女はしばらく動けずにいった……
 やがて、真紅の目がゆっくり開けたとき、
 
 ――演奏が、死んだ――

 ……否、

 死んではいない。

 ただ、曲目が変わったのだ――

 黒く腐る汚濁で涸れた水溜りは無人の指揮台
 病んでいて生気のない平地は蝕むのチェロ
 おもかげもなく果てた花たちは断弦のバイオリン
 絶えなく肌を突き刺す寒風には不調のフルート
 秩序なく乱立する死木の群れは穴あきのオルガン

 ――それは、枯れ落ちて、先のない者たちの歌。

 ここ唯一人のゲストである黒髪赤い目の女性は、表情一つ変わることなく静かにその変調を聞き届けていた。

 ――最後、この変奏はその曲目の通り、たったの一曲の時間もなく力尽きて、場はただ静かに帰ったのだ…………

 何時間たったか。
 止まった空気は夜の残香に僅か動かされた。
 この世界に残された唯一つの命である月夜の女性は、おもむろその場に座り、絵本の表紙を再び開いた。

 昔読んだ本の内容を思い出すように、彼女は壊れ物を扱うごとくゆっくりとページを読み進んでいく。
 ……リズムな紙がこすれあう音は、死寂な林の中ではやけに寂しき、響いた。
 その唯一の音とともに進んでいく本の物語に、その面貌は笑み、無感情、悲しみの順に変っわていくのであった。

 ふと、紙の音が途切れた。
 今の彼女の手元を覗き込むと、歌姫のうたに苦しんでいる魔王の絵が見えるだろう。
 メタナーリアはそっと白いやさしい手を伸ばして、黒く恐ろしくな魔王を撫でた。

 ――慈しむように。

 そして、

 ――――愛しむように。



[25073] その2
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2010/12/26 15:10

 正午過ぎばかりの時間では、日光は一日のサイクルの中ではいまだ強いに入るのは当然だろう。
 森を出たシュウはまず対面したそれにたまらず目を覆った。
 目に光の急変化になじませると、下げた手の先には、青の一色とその下半部に染めた緑――雲ひとつのない晴天に、遮蔽物見当たらない地平線までの草原――風が吹けば、緑は波となり一斉踊りはじめ、見た者の心はその中に飛び入って一緒に踊りたくなる開放感を持つ、大自然の広さを感動させる風景だ。
 画家ならまず興奮が止まらずいそいそとを画材準備するところだが、今のシュウはそんな情緒と時間もない。迷わず町の方向に動き出す。
 この辺りに蛇などが出ると聞いたことも会ったこともないが、黒髪青年はやはりそれなりに用心して緑の草の上に踏み入れて歩く。

 何歩もしないうちに、石敷きの道路に入った。
 上の跡は老人の皺のように満遍なく刻んでいる。この道路の年は完成してからそれなりにの年月を経っていたのは明だ。
 高等の材料で作ったものではないが、ちゃんと規律を守って整列しているところは仕事をした人たちの汗の成果だろう。
 それに沿って進むと、町の外壁が現れた――城壁に匹敵する高さと厚さ、普通の町にはまず建てるはずのない堅牢さだ。
 続いて出入り口の大門が見えてきた――作りの堅さも規格以上だが、サイズは逆に普通の町の標準と同じだ。
 門の両側には各一名の警備兵が武装していて周りに目を光らせている。彼らの役目は出入りする人のチェックだけじゃなく、魔物への警戒も担当するのだ。

 魔物。
 あるいはモンスター、人ならざる物。
 その姿は実体あるものから存在そのものあやふやなものまで、生物のような物から無機質物まで。
 この世界ですべての知的な生物に明確な敵意を持つもの総称だ。
 狼や熊など人を襲うのは食事をするのためとは違って、多数の魔物の特徴は多少知性を持って、しかし生産力は少ない――あるいはそのものもなく、人間などの生産力高い種族から略奪するはた迷惑な存在だ。

 この町も時々魔物の襲撃を受けるため、警備隊を設立してある。
 町の中央に警備本所、北と南の出入り口に分所を置いてある。
 シュウはこの町の人間ではない、それでも仕事や買い物などをするために何度もこの門を通ったことか――お陰で門に居る警備兵たちのスケジュールは関係者以外では一番知っている者となっている。
 警備兵たちと挨拶を交わすだけで、とくに検問も検察も受けることなく南出入り口に入れてもらった。
 若干不用心だが、シュウはその警備兵たちからの信頼を好ましく思えた。

 門をくぐりぬけて、人の姿よりも何よりも、楽しい感情の熱気と声を感じた。
 目を巡らせなくても、その元は青年の四周にある――

 隣と談笑しながら家の外に飾りを付ける婦人、
 あせと掛け声とともに重い器材を運ぶ男ども、
 邪魔しているしか見えない走り回る子供たち、
 期待の笑みを表せる露店の支度をする家族、

 ――どこでも和気藹々な活気に満ちている。

 この光景は珍しいが驚くのことではない、明日はこの町にとって久しぶりの祭りだから。
 その熱い空気に当てられたのか、シュウはなんだか自分の足底が地面から1センチ離れている気がする。
 ――ほんとに久しぶりだからな……
 自分の心の高揚感に従って、青年は祭りのことに思い奔らせた。
(そういえば、祭りなんてどのくらいぶりだろう…………思い、出せない?
 むぅ……自分の記憶が悪くないほうだと思うが……
 ではまずこれはなんの祭りかからおもいだして……これもわからない?
 おかしい、確かに自分は村の行事とは積極的に接する方ではないと自覚を持っている。
 でもそこまで無関心ではないつもりだが……)
 シュウは頭を傾げながら石木造りの家の間を歩き進んで、擦れ違う知り合いと挨拶を交わし、そのまま足を仕事場に踏み入れた。
 そこは町の中心に位置する広場。千人ぐらいを余裕に受け入れるの広さを持つ。
 今はあちこちに機材がおいてある。全部真ん中にある組み立て途中の祭り用の舞台ためのものだ。

 いったん自分の記憶への探索をやめて、シュウは広場の男たちの様子を見る。
 ちょうどこれから仕事の再開をするのようだ――どうやら遅刻せずにすんだと青年は一人うなずいた。
「おう! シュウ、こっちだ!」
 そんなシュウを呼んだのは野太いの男の声だ。たいした大きい声ではないが、力強くて妙に響く。仕事再開直前の騒がしい広場の中でも一際耳立つ。何人も連れてシュウと同じ声の方向を見た。

 男一人、おそらくシュウとおなじぐらい年で180センチ以上の青年が近づいてきた。
 シュウと同じ質素な男服を着ているが、この男はその上からでも分かるのガッチリした体躯だ。
 彼が発してる気配のせいで逢った人間の第一印象は大体これだ――獣っと。
 しかし獣にしてはその呼吸は長くて穏健、足運びは無駄なくしっかりしている。
 どちらかというと知性を持っている獣と言ったほうがしっくり来るだろう。
 天を目指すようにかき上げしている前髪は印象が残る。
 陽気で、人懐こい感じな黒髪黒目の男だ。
 ……こっちだと言って、自分から近づいてくるあたりも、この男の個性が窺えるだろう。

「そんなに叫ばなくても聞こえるよ、ウェイ」
「ダチを見たら元気挨拶は男の基本だ。これでも加減はしているぜ? おれがその気になれば町の外まで聞こえるぞ」
「そのときはまた町半数以上の住民によるお説教コースだろうな。当然俺もしばらくお前とは無関係な人として通らせてもらう」
「うぐっ……いやなことを思い出させるな。あのときは悪かったよ……」
 気安くシュウに絡まる彼はシュウが友と呼べる数少ない一人、なお親友だ……悪友ともいえるが。
「ん? …………ふむ」
「……なんだ?」
 ウェイはしばらくその黒の瞳を無遠慮でシュウを探った。それから何かを気づいたように口の端をくいっと吊り上げる。なかなか野性的な作為だ
「へっ、その様子だと、昼はお楽しみだったの様だな」
「……なぜそう思う?」
「微妙にうれしそうだからな。顔に出さなくてもおれにはなんとなく分かるぜ」
 相変わらず勘が鋭いことだ、っとシュウは心中でごちった。
「そうか。まぁ楽しいひと時だったと告白しよう」
「そうだろそうだろう。それにおまえの後ろ頭にゃあ女の匂いがするぜ。つまりさせたんだろう、ひざ――うわっと!」
 その無神経な口を潰すと機材は飛び込んでいて、受け止められた。
 幾分本気で投げたシュウは手加減してもしなくても対応されるのは分かっていたが、やはり小さく舌打ちする。
 そのまま続けて機材を投げ渡す。
「そろそろ仕事をはじめるぞ」
「アブねえな、おい。おっと」
「そんなやわじゃないだろう。受け取れ」
「よっと。そりゃそうだけどさ、もう少し優しくできねえのかおまえ」
「男に優しくされても気持悪いだけだろう。最後だ」
「ちげぇねえっと」
 シュウは最初の機材に続けて三個を投げ渡した。
 ウェイも軽い調子で全部落とさず受け止めて、担ぎ上げた。

 しかし本人たちは普通のつもりだろうが、知らない人がこの光景を見たらまず自分の目を疑うだろう。
 外見は細身に入るのシュウは“成人の男性が持ち上げるのも難しい”な3メートル木材を難なく持ち上げて、挙句正確の方向に連続投げた。
 対してしっかりな体をもつとは言え、ウェイは事もなく余裕に全部受け止めて、両肩に計四個のそれを担ぎ上げたのだ――前者よりありえないのだ。
 ……まわりの人も特に反応しないのは、どうやらこれは見慣れた光景だっということらしい。

「むっ。よし、いくか」
「おうっ」
 シュウは一個の木材を担ぎ上げて、ウェイと並べて歩き出す。
 それは仕事再開への合図だった――


「ウェイ、もう少し左だ」
「こうか?」
「上出来だ」
 片方は力で、もう一方はその補助と精度調整で作業を進める。なかなか息の合ったコンビだ。
 二人はほかの仕事でもよく組んでいた相棒である。
 テキパキとお互い手は止めず汗を流し、何杯の水をお代わりして、広場中央の舞台は二人とほかの男たちのによって形が見えてきた。
 ――おそらくダンスなどを披露するのパフォーマンス用な構造だ。
 舞台構造のうろ覚えな知識を引き出してシュウはそう判別した。
 そして作業が順調に進めて、手を止めずとも一息が入れるのところ――

(そういえば、この祭りは何なのかいまだ思い出せないな……このまま自分で考えても答えが出そうにないし、こいつに聞いてみよう)
「ウェっ」「それにしてもよ」
 祭りのことを聞こうとする瞬間に邪魔され、シュウは心中でため息をついてなんだと返事をした。
 ……ただ、それを聴くと今度は体でため息をする。
「おまえのシスコンぶりは相変わらずだな」
「……いきなり何の話だ?」
「おまえのおかげでメタナーリアさんとのランチタイムを食い損ねたやつらのことさ」
 そう言いながらウェイは顎で周りの男たちに指した。
 そのセリフで彼らは恨めしそうな目で一斉に黒髪赤い目の青年に集中する。目光が黒い光線になる勢いで。
 全員、シュウに蹴散らされたものどもだ。
「そんなことか……発情真っ最中の犬ごとく腰を振ることしか考えないやつらに姉さんに寄せられてたまるか」
 その黒い光線を物ともせず、涼しい顔でシュウは一刀両断で切り捨てた。
「いや、それにしたってやりすぎるじゃねえか?」
 ウェイは男たちの生傷に一瞥してそういった。
「どこが? 中にはこうでもしないと止まらなかった奴までいたぞ」
 仕事の手は止まらず足も同じく、移動しているシュウはあるものを跨った。

 いまだにぴくぴくと体を痙攣させ、気絶したままの男だ。

「はぁ~、ほかのやり方もあったろう。だからそれはシスコンだっつうの」
「短絡的だったのは認める、言いたいこともわかる、だが家族を愛して何が悪い?」
「おまえの程度に行くと家族じゃあ逆にまずいんじゃねえか?……いや、問題ないか? なんせおまえたちは別に血の繋がりは――」
「ウェイ」
 平坦だが、空気を一時静止させるの声だ。
 
 その声を発した黒髪赤い目の青年は友に背を向けたまま。何かを拒絶する無言の意を発している。
 作業の音は途切れてないのはそれでも手を止まらなかったのだろう。けど幾分乱暴に聞こえるのは、おそらく気のせいではない。
 自分の失言に気づいたかウェイばつが悪そうに後ろ髪を掻いて、すぐニカっと擬音が出る陽気な笑顔に切り替わった。
 そのまま陽気を込めた同年代より大きな手で親友の肩を叩いて場違いのよく響く音を作り出す――それだけで、空気の流れは元に戻った。
「ワリィ。でももういい年だぜ。すこし姉離れしてほかの女も見てみたらどうだ? いろんな視野を広げるのも男の甲斐性というものだぜ」
「うーむ、そう言われてもな……」
 その流れに乗って明るい声で友へアドバイスをするウェイ。
 でも興味がないのか、気が進まないのか、シュウはどこか気のない返事だ。
 ……いろいろ枯れている者はここにいる。
「おまえなぁ、それ絶対病気だ。シスコンだろうがなんだろうがこの年の男は女のことになるともっとこう――ガッバァと行くなものだぜ」
「うむ、普通はそうだろうな。でも俺にはいまひとつぴんと来ないのだ」
 やはり反応が悪いシュウ。もはや末期。
 それを見たウェイは意を決したように片腕を天に振り上げて人差し指をまっすぐ上に指して、高く宣言する。
「いよーし! わかった、ここはこの男ウェイが一肌脱いで、ダチの病気治療に力を貸すぜ!!」
 その背は爆発的な光が輝いている効果が見えそうなのは、この男の乗る気の程がいやでも分かる。
 この晴天の下でそれをやると、余計に、
 熱い。
「いや、べつにいいぞ」
 シュウは知っている、この陽気でわが道に行く男はこうなってはたぶん一人しか止められない――全く持って遺憾ながら自分はその一人じゃない――それでも一応とめる。
「心配するな! この男の男なおれに任せば、万事上手く行く!!」
 制止の意見は聞いてないどころか、寧ろ加熱していく。シュウは少し今は寒い季節じゃないことに恨んだ。
 ……ちなみに二人の仕事の手はそれでも止まってない。シュウ自身は慣れ、ウェイは器用だということだ。

「とりあえず、おれはおれが知る限りたぶんおまえに気があるの女の名前を出すから、彼女たちのことをどう思うかを言ってみろ」
「はいはい」
「うむ! ではまず、道具屋のカリンは?
 チャームポイントのスマイルで貢鴨は持続増加中の魔性女候補だ!」
「気立てのいい子だが、もう少し姉さんのように優しかったらな」
「……じゃあ、武具屋のレベッカは?
 その脅威なバストにやられた戦士どもは後絶えないというツワモノだ」
「気さくでいい子だが、もう少し姉さんのようにお淑やかだったらな」
「…………本屋のソフィーは?
 メガネ子でドジ子でその手の男は自分に火をつけると言う……」
「気配りがいい子だが、もう少し姉さんのように笑ったらな。あと最後のそれはたぶん字違う」
「……てめえ……さっきからそればっかだな」
 陽気な男の最初の空高くな勢いは三問答でもう見る影もなくドン底まで削られた……恐るべしシスコンというべきか。
「だから最初に言っただろう、べつにいいっと。俺は特に困ると感じてないからな。
 それに知ってるか? 病気というのはもし患者はそれを治す気がないなら、他人がどれだけがんばってもどうにもならないものだぞ――もっとも、病気のつもりはないがな」
「うぐっ……むむむ……ええい! それでもは諦めるおれじゃない!! 次こそ本命! 剣術道場のシ――」
「――俺のことなんかより、お前はどうなんだ? リナとうまくいっているか?」
 そろそろ煩う感じるシュウ、彼は軽くカウンターを出した。
 ――が、

「は、はぁ!? な、何でここであいつが出てくるんだよぉ?!」

 ――帰ってきたのは、過剰反応で手の機材を危うく力込め過ぎて壊す上に、驚愕で顔いっぱいな親友の姿だ。

(ジャブのつもりだったが……どうやらモロストレートになったのようだな)
 シュウは興味深くそれを見つめた。
 なんか面白そうだからもうすこしつついて見る。
「なんでと言っても、それは俺のセリフだ。
 俺はただお前と同じそっちの身近い女性を挙げるだけだ。一緒にいるの時間が一番長いだろう? 真っ先に彼女を挙げるのはむしろ自然。
 そっちこそなんでそんなに興奮するんだ?」
「ん? お、おう、そうだな……なんでだろう……なんでだろうな……?」
「気があるんからではないか?」
「チゲーよ、バカ野郎! あいつはほら、あれだ、ただの幼馴染だぜ!」
 ……どうやら、少しやぶ蛇だったのようだ。
 今の話題の女性が聞いたらまず欝になる単語をを引き出して、シュウは内心でちょっと反省した。
 しかし――

(ただの、か……)
 照れ隠しにしろ、本気にしろ、自覚あるかないかにしろ、それは結構その子を傷ついてることは、この朴念仁はいつわかるだろうか?
 シュウは目の前の鈍感野郎に白目を向けながらそう考えた。
 蛇を出させたまま放置する性分ではない。それにリナともそれなりに気が合うから、彼女のためにさらに追求させてもらうとシュウはこのおせっかいを買って、自分のカウンセリングを改め朴念仁を目覚めさせろう計画に切り替わった。
 ……どうでもいいことだが、二人の手はさすがもうに止まっている。
 ただ両方共もうとっくにノルマを大きく超えたから、周りの人間は何も言わなかった。それでいてこの話題にも興味あるのか聞く耳を立っている。

「お前はどう思うかはまず置いとこう、しかしリナはお前の目からすれば魅力尽くさない女であるはずだろ」
「はぁ? 何をアホな? 寝言は寝てから言え」
 とりあえずこの陽気男に習って例を挙げる。
「彼女、毎朝起しに行くのに?」
「あれはあいつ昔からの習慣だけだ、あれがなかったら毎日もう少し寝る時間が延びるのになぁ」
 習慣とはいえ、なんとも思わない人を毎日欠かさず起しにいく女性は少数と思うが……
 更に彼女のおかげで仕事に遅刻にすんだのだから、感謝こそすれ、恨み言を言われる筋合いはないぞ。
 少なくとも、俺もかわいい幼馴染に起されたいよこんちくしょう! っと周りの男どもは目でいっているぞ?
「……三食作ってあげるてるのに?」
「実験台だっつーの、それ以外も全部残飯だぜ」
 あれは確かに練習の意味も入ってるかもしれないが、見た限りどれも気合の入った料理だぞ?
 しかも残飯というより作りすぎだっといったではないかリナは? それにいつも作りすぎるの人間はどこにいる? あれは明らかに照れ隠しの言い訳だとなぜ気づかない?
 実験台でも残飯でもいいから、俺も女の子の手料理を食べたいよバーロー!! と周りの(以下略)も血涙で語っているぞ?
「…………結構かわいいのに?」
「シュウ、おまえ、先生に診せてったほうがいいぜ。主に目と脳がな」
 なにやら失礼なことを言っているが、シュウの記憶ではリナは町の(公式)美女ランキング上位10名内にいつもキープしているほどの美貌だ。ついでに、メタナーリアは町の人間じゃないからこの順位に入ってない。
「それにそんな幼児体型じゃあ、興味沸かねえよ」
 年相応以上なスタイルの持ち主だと思うが……この前ねっち濃い視線が増えたという悩みで自分に相談しに来たぞ?
 てシュウは思ったところで非難の意思をこめて周囲を軽くにらむと、

 さっ!!

 と周り(以下略)が一斉に目をそらした。
 案の定、話題に出た彼女の朝日の匂いがする健康のボディを想像して、軽くにへらしていたのだ。
 ……男として理解はできるが、やはりもっと控えめにして欲しいものだ。

 ――さて、ここまでのためはもう十分だろう。
 連続の無神経発言を聞かれてシュウ自身はそろそろ我慢の限界だ。周りの男どもの怨念も臨界点に達して隠すことなくゴーサインを出している。
 ここでシュウがやらないなら鈍感(ウェイ)は彼らの手によって制裁を下されるだろう。そうなったらこそ収拾がつかないのだ。
 実際リナも何度もこの男のせいでシュウに泣きついてきたこともある。
 最悪を回避するためにも、男たちの無念を晴らすためにも、リナのためにも。ここはこのしあわせ野郎にまとめて言い返して再起不能ぎりぎり(ぎりぎりは親友としての情け)まで追い込むんで目を覚めさせるのはきっと誰にとっても益にしかならないのだ……決して、この馬鹿(ウェイ)をこのネタで弄ぶのは楽しいなんてことはない。
 そう結論を出したシュウは狩の時間に入った狩人の目になった……口元は嬉々のままだが。

「うむ、お前の言い分は十分わかった」
「おう、そうか?」
「お前は彼女の恋人ではない」
「そうそう」
「彼女に特別な思いも抱いてない」
「うむうむ」
「ただいつも一緒にいるだけ」
「分かってるじゃねえか」
「つまり、お前は愛玩動物(ペット)だ」
「ごもとも……ってざけんな!誰が愛玩動物(ペット)だぁ!!」
 ウェイの空気を切るアッパーカットをシュウは頭を逸らしてかわした。
 頬はちょっと切られて血は垂らしてきたが……気にすまい。
 この手加減を忘れた一撃は相手にダメージを与えた証拠だと、シュウは判断して満足そうににやついた。
「違うと?それこそざけんなっだ。
 まず毎朝起こしに行くのは家族でもやる人はそうそういない。恋人でも特別な人でもないなら、家族じゃない人なぞもっとありえない。ならお前とリナは家族の部類に入るのは当然のことだ。加えて三食作ってあげてるのはなおさらだ。
 しかしお前とリナはどんな家族だ? 兄妹か? 姉弟か? どれもしっくり来ないだろう。父女と母子なんて論外そして夫婦も違う。幼馴染? そんなの家族のどの役割に入っている? なら結論は愛玩動物(ペット)というのは単なる消去法だ。
 飼い主の彼女として、お前の身の回りの世話と食事を与えるのは当然のことだからな」
「なっ!? ちょっ、おまっ」
 一気にありだけの分析をたたきつける。
 相手は理解できているかは問題ない、自分がちゃんと道理を建っていることを感じさせて、安直な否定な言葉を無効化する方法だ。
 もちろん中身にはもちゃんと理論を含まれている、簡単に反論できないように。
「最後にお前はリナに女としての魅力を感じないのは一番の決め手だ。
 彼女は女としての魅力はこの町だと間違いなく上位に入る。信じないなら男たちに聞きまわしてみろ。姉さんの弁当をかけてもいい、九割以上は彼女を魅力な女性っと述べるのだ。それとも何か? お前一人の答えは圧倒的な多人数の彼らよりも説得力あるのか? ないだろう。すなわちおかしいのはお前だ。
 しかしお前の性別は間違いなく男。お前の言葉を借りるとこの年の男は女のとこになると高揚しないのはありえないのだ。ではこれはどういうことか? 理由は実に簡単、お前はリナという女の人に魅力を感じない、つまりお前は男以前に人間じゃない、動物だ! 動物はよっほどの状況じゃないなら人間に欲情しないのだからな。
 これでリナに飼っているお前を愛玩動物(ペット)と呼ばずにしてなんと呼ぶのだ!」
「お、おい、まてよ! おれはちゃんとほかの女には興味を持つぜ!」
 おそらく話の半分にもついて来てないのにちゃんとその穴をつくとは……大したものだ。
 だが甘い!
 シュウは頬に垂れている血を舐め取って、罠に掛かったエモノに追撃を与えるための鋭い目になった。
「ほう、つまりリナ限定魅力を感じないのか? ならばなおさら俺の言ったとおり彼女はご主人様で、お前は飼われている愛玩動物(ペット)ということだな。
 愛玩動物(ペット)はご主人様に欲情しないからな」
「いやっ、だから――!」
 抵抗を許さずエモノ(ウエイ)が何かを言う前にシュウは彼の眼前に迫る。
「本当に、リナに何の魅力も感じないか?」
「お、おう」
「嘘ついてないだろうな?」
「お……ぉうっ」
 二度の問い、赤い目の狩人(シュウ)はさらに前に出て、厳しい顔でエモノ(ウエイ)に低い声を発する。
「こんなことに嘘をついたら、お前は愛玩動物(ペット)決定だぞ」
「うぅ……ぐっ……べ、べつに……ぜんぜん感じねえなんてことはねえでもねえじゃねえけどよ……」
 優しさのかけらもないの所を除くと、どこの誰かに似ている迫り方だ。
 ――シュウはシスコンだけに姉似だ。
「なんだ? リナに欲情していたのか。愛玩動物(ペット)の分際でご主人さまに勃起するとは……なんと破廉恥な……」
「だぁーーーー! さっきからごちゃごちゃうるせえーー!!
 だからおれは愛玩動物(ペット)じゃあねえーー! 動物でもねえーー! れきとした人間だーーーー!!」
 掛かった……
 頭を両手で抱えて否定の叫びを上げた人間を目の前、シュウは確かな手ごたえで内心に拳を握り締めた。
 安い挑発で相手の深く考えてない言葉を引き出し、さらに自分の理論に嵌めさせるやり方だ。
「そうだ、お前は人間だ。人間の男だ。それなら俺が言った通り男なら彼女に魅力を感じるのは当然だ。
 しかしそのような魅力な存在が、お前に世話して気にかけてあれこれ尽くしたのに……
 お前はそんな彼女を“ただの幼馴染”というかごに納めて、別に特別な思いを抱いてないと言い…………貴様、恥ずかしくないのか? 男としてどうなんだ?
 この愛玩動物(ペット)……」
「ぐはっ!」
 最後の名詞を冷たく痛みを与える口調で突きつけて、ウェイ(ペット)は堪らず地面に伏せた。
「お、おれは……おれはっ」
 シュウはその動揺した精神に仕上げをする。
「認めろ……お前はリナに気があるのだ。そうでないなら50字以内に説明しろ」
 無理だ。
 こんな短文ではこの状況をひっくり返すのは不可能。でも今混乱しているペット(ウェイ)の頭では気づかないだろう。シュウは力なく項垂れているウェイを見てそう断じた。
 おそらく精神状態はメタ打ちされ、傷だらけでの敗北寸前。もはや指一本を動かす気力もない。
 ――これで詰み。
 シュウはこの時そう確信していた。
「どうした、なぜ黙る? 沈黙は黙認と見てなっ、なに!?」

 ――気迫が、
(これは!?)
 ――威厳が、
(ばかな!?)
 ――背中から、いや全身から火山の勢いで噴出している。この瀕死のはずの男が!
(こいつ、どこにこんな力が!?)
 動揺するシュウなど眼中なく、ウェイはゆらりと立ち上がる。
 完全に立ち上がった彼の気迫が一層強くなり、纏わり付く負の空気を吹き飛ばした。
 何人見てもわかる、何かがこの男の中で鼓動しているのだ。
(覆すというのか! この状況を? あり得ん!?) 
 ゆっくり上げてシュウを見る顔は、ただ平静だった。
 いつもこの男の激情とは違う。二つの黒い目はただ静かで、深く、迷いなど一片もない。底には青白の炎が秘めて、力を解放するときを待っている。

 ――その姿は絶望なんて知らず、傷ついても立ち上がる漢。

 シュウはこの追い詰められているのになぜか不調理に強くなってる男に、思わず一歩後ずさった。
 そして真理となる絶対な言葉は眼前の漢の口から放たれ――

「ああ、おまえの言うことなんて関係ねえ、おれはおれを信じる。おれは、あの洗濯板アマになんとも思ってねえ」

 ――大気を、大地を、大空を震わせた。

 そう、今の彼こそ、世界の中心だ!

 その迫力はもちろん生物にも及ぼす、四周の人間ははっとなって動きを止めている。
 皆、その言葉に感銘を受けたのだ……その中にシュウは、


 …………………………………いや…………訳わかんねえよ…………………

 一気に冷め切った……

 なんなんだ? その勢いだけに任せて、中身にはロジックのロはあるかどうか以前に、人間の言葉かも疑わしい反論は?
 あまり理解を超えている飛んだ言葉に、シュウの頭脳は冷め切って過ぎて、その冷たさは先端尖っている棒状の氷柱となり、脳の真ん中に突き刺した……痛い。
 ウェイのそれは反論とも言えないただ一方的に他人の言葉を否定し、自分が正しいっと自分と他人に聞かせ、その上聞く耳は持たない――平たく言うと、開き直たに過ぎない。
 こんな理屈も道理も飛びぬいた自己完結なら、好きなだけカッコよく立ち直れるのだ。
 さらに、そのような会話のルールを無視して、チェス盤をひっくり返すどころか、直接相手に殴りつけるの暴挙は、最初から話し合う意味もない。ただケンカに発展させる行為の一つだ。

 シュウは今でも噴出しているその漢の迫力を、体力と精神の無駄遣いに見えた。
 ――燃え続ける者と覚めた白い目で相手を見る者、対照的な男二人……実に面白い絵図らだ。
 そんな面白いものの一環になった自覚に持つこともなく、シュウはため息ついて、
 笑った――
(この男らしいな)
 それでも、シュウにとってこれはとくに気にする問題ではない。
 相手との話し合いでは良いやり方ではないが、方法の一つでもあるから。反則には反則の対処方法はある。
(反対に俺がこいつを追い詰めたやり方も、褒めたものでもないからな)
 シュウは自分にもそんな批判を入れた。
 親友としてその無神経な物言いはむしろ微笑ましいのだ……ちゃんと50字(句読点含む)のも素直に凄いと認めよう。
 むしろ一番の問題は……

(タイミングが、悪い……)
 シュウが”それ”に気づいたのは、ウェイが口を開いたのと同時だ。
 それはこの会話に終止符を打つもの、でも同時に結末を面白おかしい方向に向けるファクタァ――何度もこれを見てきたシュウは、その可能性は90%以上と判断。
 ここまで間が悪くなると、なにか作為の感じがする。
 それでもシュウはこの状況を良い方向に向けるのを諦めない。
「ううむ……ウェイ」
「なんだ?」
「煽ったのは認める、今日のところはこれで勘弁してやろう。だから、その言葉を撤回してくれないか?」
 皮肉に、これがシュウがこの話し合いの本当の最初で最後の情けとなった。
「撤回? ふっ。必要ねえな……言ったろ、おれはおれを信じる。あの洗濯板アマになんとも思ってねえ。何を企んでいるかは知らんが無駄だ」
 それを払って、自分の運命を決めたのはウェイ自身だ。
「企んでいると言うかむしろお前を助けたかったんだが……まぁ、もう俺ではどうすることもできん」
「何を言っているんだ、おまえ? なんか頭おかしいぜ」
「頭は正常だ。ようするに、だ………………後ろ」
 その指摘にウェイは油断なく振り向くと、

 鼻骨は顔に陥落し、前歯が口奥に折れ、頬骨が粉砕し、眼球が破裂するらしくそんな悪夢な連続音が彼の顔から響いた――
 150km/h以上もあるの3メートル木材が音もなく気配もなく飛来し、回転を加えて角でウェイの顔にのめり込んで、そのまま回転は止まらず木材が火を起こしてようやく回転が終わって、地面に重い音を立てて落ちたのだ。

「危ないといいたかったが、すまん、遅かったようだ」
 その木材の火を消しながら、平然と白々しいことをいうウェイの親友。
 指摘しないなら顔に直撃することもないじゃないか? と周りの人は無言で突っ込みを入れたが、全員グッジョブ! と指を立ている――幸せ野郎に死、だ。
 消火を終えたシュウは飛来する凶器の方角に向く。
 そこにいるものは彼の知識で述べると、こうなる――

「ウェーイーちゅわーん」

 ――夜叉降臨、と。

「げっ、リナ!」
 ウェイの幼馴染に対して、“げっ”はよくないだろうが、
「だーれーがナイチチ三歳赤ん坊なロリ体型をしているですとぅえー?」
 闘気と怒気となにやら黒い気を身にまとって、髪が黒い烈火のごとくメラメラと揺れている姿を見れば無理もない話しかもしれない。
「いや、そこまで言ってな……お、おい! ひと語ともしゃべらないで木材を振り上げるな! 悪かった! 悪かったよっ!!」
「……ふん」
 懸命なウェイのあやまりに、リナはようやくオーラを散らせた。
 オーラが散って現れたのは、猫だ。
 160センチでタイトシャツにミニスカの動きやすい服装、描きだすボディラインとさらし出している手足はともに猫科動物のしなやかで健康な曲線をしている。
 不機嫌の猫のようにハシバミ色の目は据わっていて、口はむーと結んでいる。それでいて活発さと可愛げのある勝気な顔立ちだ。
 少し癖がある赤いポニーテールは、しっぽの役割となっていて、今の気持を示しているそうに揺らしている。彼女を一層猫に見えた。
 そんな猫のような女性は今腰に手をあてって、かわいくほほを膨らませっている。
「なによ、見たこともないのに何でそんなこと言うのよ!」
「だからわるかたって、それにちゃんと見たことあるぜ」
「はぇ?」「ほう?」
 リナは間抜けな、シュウは感心な声を上げた。
 ――この鈍感もようやく進展があったか?
「この前おまえが着替えをしているとき」「きゃーー、何言い出すのよぅ!」
 そういうオチか、期待した自分は馬鹿だなとシュウ肩を落ちた。
「まあ、だから。お前のような女を洗濯板と言うのは間違いだぜ」
「ふ、ふん、わかってるじゃない」
「おれにはわかる、おまえのそれは――」
「ちょ、ちょっといい加減にっ」

「――筋肉が詰まった偽物だ!」

 ズビシッと謎が解けた! っといわんばかりにリナのおそらくCもあるバストに指を突きつけたウェイ。
 その傍らに、「地獄に落ちても生ぬるいな……」とシュウはぽつり。これから起きるであろう面白おかしい劇に巻き込まれないためにこっそり離れた。
「…………へー」
「そんな男前のお前は洗濯板なわけないよなあ」
「ソウダヨネエー、ウフフフフフ」
「だろう? わははははは」
「フフフフフ」「ははははは」

「――シネ」

 瞬間――
 音もなく、前触れもなく、馬鹿(ウェイ)が倒れた。
 それを見たシュウは全身に戦慄に震えた。
(なんと!? 今のは見えなかったぞ? あれは、もしや、フラッシュブロウか!?)

 《フラッシュブロウ》
 それは、かの拳聖エリオが生涯を費やしてようやく会得した伝説の技。文面どうり光の拳、故にかわすも防ぐも不可能な一手。
 リナは乙女心を致命的までに傷けられ、死に絶える寸前、生(いのち)を掴み取るために、大切なもの(おとめごころ)を守るために、死を越えて至った至高点。

 今、此処に、

 奥 義 開 眼 !

「はっ!」
 なにやら意識がふっ飛んだシュウは鉄がぶつかり合う音で我にかえ、その目に飛び込んだのはマウントポジションを取られたウェイとメリケンサックを二つの拳に装備してを振り続けるリナだ。
「ばかぁ! とんちんかん! 玉無しぃ!」
「…………」
 一瞬ほっとくかと考えたシュウだが、祭りの準備を考慮するとそうもいかない。
 いかないが……
「どんかん! ドアホゥ! 鳥頭ァ!」
「…………」
 あれを止めるのは誰にでもかなりな勇気が必要になるだろう。きっと伝説の英雄でも踏み出せるかどうかもわからない。
「偏食! 寝坊助! 整頓下手!」
「…………」
 シュウが躊躇している間も打撃音のスピードは上がっていく。
 ……つれてなんか罵倒している内容も無関係のものになっていく。
「ふう……」
(どっちにしろ、このままにしては駄目か)
 シュウは意を決してリナの背後からその両手を捕まえた。
 手首の関節部分を押さえて、あざを残らないでこれ以上力を出させないようにする。
「もうこの辺にしてくれないか、こいつが使えない物になる」
「止めないでよシュウくん! 今日こそ、今日こそは、この、このっ! 女の敵をっ!!」
 拘束を振り解き凶悪な攻撃を降り注ぐごうとする、悲痛な乙女。なかなかシュールな光景である。
 だが気の合う女友だちをこんな姿に晒し続けるのもシュウの本意ではない。
「君は正しい。
 こいつが口を出したことはどれだけ許しがたいことか、男の俺でも幾分わかるつもりだ。
 でもな、こいつはもうとっくに気絶している。続くしてもこいつへの教訓にはならない。それにこれ以上は、君の手は痛む。だからもう、やめてくれないか」
 シュウができるだけやさしい口調で言った言葉は、リナはどう受け取ったか、肩から手に込めている力は消えた。
 もう暴ることはしないと理解したシュウは捕まっている両手をゆっくり下ろして、開放してあげた……男の手のあざは、残ってない。
 リナは力入らず手を下ろしたままシュウのほうに振り向いて、上目使いで見上げる。
「でも、でもぉ……」
 涙は流してない。ただ琥珀色の瞳にいっぱい溜まって、こぼれる寸前だ。
 その光る水を見て、シュウは罪悪感を覚えた。

 面白おかしい劇――笑える、確かに笑える。くだらないと評して鼻で笑う者もいるのだろう。けど、
 出演者の涙は本物だ。
 その脚本のきっかけを作ったのは最初の意図を忘れて、悪乗りしたシュウ自身でもあるのだ。
 ――謝るべきか?
 シュウはすぐ心中でかぶり振った。
 なぜならリナはシュウのことを悪いと思ってないはず。
 おそらく一部始終を見た彼女はもしシュウも悪いと断じていたなら、最初から両本の木柱をバカ男二人にプレゼントしただろう。
 シュウが知るリナは、そういう女だ。
 そんな彼女に謝っても、ただの自己満足になる。
 それ故黒髪赤い目の青年は虚しい謝りの詞を飲み込んで、代わりに今日のことを目の前の女性への貸し一つとして記憶する。
 続いて言葉より、行動にでる――無言で手を差し出した。
 リナはしばらく差出された手と差し出した人の顔に視線をさまよったが、やがて顔をうつむいて手をとって立ち上がった。
「……ぐす」
 立ち上がったリナは、俯いたまま動かない。
 シュウは自分のハンカチを渡して、受け取ってもらったが、彼女はそれ以上の動きはなかった――見たところ、反射的に受け取ったに過ぎないようだ。
 どうしたものかとシュウは考えると。リナはその勝気な容貌から想像できないか弱い声を漏らす。
「私って、魅力ないのかな……」
 そんなことはウェイが同性愛に走る事はあっても、絶対にあり得ない。
 コンマ秒以下の速さで赤い目の青年は内心で切り返す。
 よほどさっきの筋肉何とかで傷ついただろう。
(いや、それだけではない……か)
 今まで健気に尽くしてすきな相手が、たとえ悪意がなくても、そういう発言は不安になる。
 たぶん、私は彼の目からでは美しくないだろうか、ということだろう。
 シュウは少ない女性の心理知識に参照して、今リナのつぶやきの意味を計った。
 しかし困ったことに、ウェイの冗談には否定できない要素もあるのだ。
 右足指を握って、シュウはどうにかそばで倒れている無神経男の頭を踏み潰す衝動を抑えた。

 リナのその自信なさげのつぶやきはたぶんため息みたいなもので、別に返事がほしいわけではない。沈黙を保てもあと数分でいつもの彼女に戻るだろう
 でも、シュウは今の彼女のために何かしたいのだ。
 その思いを言葉に乗って、語りだす。
「少なくとも、俺からすれば魅力的な女性だ」
「……」
 予想通り、反応はない。こんな言葉だけで乙女の心は癒されないのだ。
 むしろこれだけでは安直の物言いとなる。
 シュウは今家に居るだろう姉に謝って、赤い目を閉じリナという女性は彼にどういう風に見えたかをまぶたに映しながら、口を動かす。
「笑顔が太陽みたいで眩しくて、元気付けされるのは一度や二度のことではない。お節介なところはあるが、友が少ない俺にも気をかけるのはいつも感謝をしている」
「……」
「健康な手足の光沢はなんども自分の中の何かをくすぐって、常に視線で追っていた」
「……」
「動きやすくするために、いつも薄着で服の上からはっきり表したプロポーションは素晴らしい限りだった。特に走っている時とか揺らしているその……まぁ、目のやり場がかなり困った」
「……」
「俺にとって、リナはこんなに可愛くて綺麗な女性だ」
 なんか思春期の男子の煩悩じみなことになってるが、どうにか言い切って黒髪青年は赤色の目を開いた。
 俯いてるリナはもう顔を上げてシュウのほうを見ている――琥珀の目はまだ潤っているが、結構落ち着いたようだ。
 赤と琥珀二対の目があって、リナは気弱く言葉を流しだす。
「首まで赤くなっているのに、よく最後まで言い切ったね」
「舌を噛まなかっただけでも褒めてくれ」
 指摘されてようやく恥ずかしさに耐えられなくなって、首を横に。
「実はえっちだね、シュウくんって」
「男のサガ故にな」
 ただなるべく態度に出さなかっただけだ――ひどい言い方をするとムッツリスケベとも言う。
「シスコンなのに?」
「前文と同じ。姉さんには内緒にしてくれ」
 たぶん怒らないが、その生暖かい目はものすごく痛い。
「私とエッチするとか考えた?」
「それはない」
 即答。
 シスコンはダテではない。
 が、すぐ失言に気づいたシュウは首を横のまま眼球だけ赤いポニーテールの女性のほうをちらっと見る。
 怖い! 殺気に近い寒気を持つ白い眼は怖い――普段ならもう殴られたかもしれない。
「コホン。だがまぁ、裸は見てみたい、だな」
「……ねっち濃い視線の相談相手を間違えちゃった」
「返す言葉もございません」
 シュウもその中の一人だから。

「では、リナ」
 自分の煩悩暴露話の終了合間を見てシュウは首を戻した。
「なに?」
「これで、君は魅力な女性であるのは分かってもらえたかな?」
「うん、シュウくんに言われなくてもね」
 その強気な返しに、シュウはもう大丈夫だろうと思い頷いた。
 最後は――
「そうだ。だから、きっと届く」
 シュウの赤色の目は「え?」と見開いているリナの、その琥珀色の瞳を見つめて、
 ――どうか、この乙女がこれ以上涙を流さず自分の幸せを掴めるように。
「リナの思いが」
 と祈り含めて言った。
「…………」
「それで絶対、実になる」

 言葉がリナに伝え終わると、彼女はすぐさま顔を隠すように下に向いた。
 蛇足だったか……とシュウは心配したが、それは杞憂だった。
 シュウから見るとリナはさっき貸してあげたハンカチで溜まった涙を拭こうとするだけだ――が、なぜか、ハンカチがその顔に近づくと彼女の手はぴっくとなった。
 ハンカチに何かあるか? とシュウはまた心配をしたが、それも杞憂だった。
 リナはそのままハンカチを使い涙を拭き取って、小さな声で「ありがとう」、とかわいい顔を上げた。

 ……いつもの勝気な笑顔だ。

 それを確認してシュウはほっとした。
 同時に、無責任な台詞を吐いた自分に少し眉を顰める。
 感情のことは、誰も言い切れない。きっとと絶対だなんて、何を根拠に?
 ……なんか今日リナに対してやることは裏目に出る方が多い。
「シュウくん。はい、ありがとね」
 シュウが自省しているところ、リナはハンカチを返した。
「ねえ、このハンカチって、もしかしてメタナーリアさんが用意したの?」
「そうだが、なぜ分かった?」
「ううん、乙女のカンだよ。………………においつけかな」
「? なんか言ったか?」
「ううん、なーんにも」
 リナは何かを一人納得して、シュウはそれに頭を傾げていた。

「うぅ」
 ちょうどその時、死人が墓から這いずって来るのうめき声が二人の耳に入った。
 ウェイが気がついたようだ。
 常人では一週間生死の間ににさまようしなければならないほどの打撲を受けたはずだが、今はもうふらつきながらも立ち上がった。なかなかしぶとい。
「ぐ……いっ、てぇー」
 復活したウェイはすぐ彼を墓に半身埋め込んだ者をにらめ付けた。
「てぇんめえぇ……なぁにしやグッ!?」
 ウェイの背中の肉が指に挟まれ、捻られて――抓られたのだ。
 シュウはいつの間に彼のそばに来て、居心地が悪そうに指を絡ませてもじもじしているリナ――冷静になってやりすぎたと感じているだろう――に見えない角度でやった。
 以下は男二人のアイコンタクト:
(あんだよ?)
(あやまれ)
(なんでだよ!?)
(ア・ヤ・マ・レ)
 シュウはサッサと言うとおりにしないとイワスンゾォゴッルァのガンで射抜いて、ウェイはしぶしぶと従った。
 ――ちなみにその時間実に二秒。
「ああまぁ、その何だ。悪かったよ」
「う、ううん。私もちょっとやりすぎちゃったから……そのぅ、ごめんね、ウェイちゃん」
(その誠意のかけらもない誤り方はどうにかならないか? あとなんでそれで許す?)
 二人から一歩下がったシュウは理解不能の仲直り方に顔を覆った。
「お、おう」
「傷……痛い?」
「いや、だいじょうぶだぜ、おれ頑丈だからな!」
「……ほんと?」
「マジだって、それに普段からおまえにしごかれているからな。これぐらいなんともないぜ」
「……何よそれ、まるで私はいつも乱暴してるみたいじゃない」
「あれ、違うか?」
「もう、ウェイちゃん!」
「へへへ」
(もう、勝手にやってくれ……)
 ここに来てシュウはいろいろあきらめ、二人から離れた。
「だたいウェイちゃんはいつも――!」
「なんだと! そっちこそ――!」
「なにおう――!」
「――っ――!」
「――!」

(結局振り出しに戻るっと……ほんと、しょうがないなこのバカップルは)
 二人に空気扱いされて、気づかれることなく離れたシュウはやれやれと、背後で演出再開のラブコメによって展開したピンク色の結界――ピンクバリアを背に、自分のしたことは何だったんだろうなと思た。
 機材を拾って、一人仕事再開。
「む? ふむ、これのかみ合わせは良くないな……作りの問題か」
 すこし手詰まり。二つの機材はお互い嵌め合わせの部分のできはよくないのだ。
 シュウはその対処法を考慮し、ハンマーを持つ振り上げて――
「バカーー!!」
 振り下ろしたハンマーは二重の音を爆ぜた。
 ひとつはシュウの手中の機材から、もうひとつはバカ(ウェイ)の側頭部。
 リナのハンマーに吹っ飛ばされて、きりもみ三週回転しながら地面にスライディングするウェイを視界の隅っこに、シュウは無理やりに嵌めあげた機材の様子を確認。

 ――凸凹ながらも、二つの機材は軽快な音を立てて、離さずしっかり噛み合った。



[25073] その3
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2010/12/29 13:58

 夕暮れに近いの町は、別の熱気に富みはじめた。
 朝昼仕事時間の活力に緊張感のそれと相対して、一日抑えたものを解き放つ熱気だ。
 そんな時間に、シュウは一人町を歩いていた。
 祭りの準備はもう終わり、あとは期待を膨らませて明日を待つだけだ。

 あの後シュウはバカップル(ウェイとリナ)の仲裁に入って、何とか二人を仕事に戻らせた。
 その期間バカップルの男のほうが流した血はとっくに致死量を超えたのは、いつものことだ。
 何でリナは仕事場に姿を見せたとの話になると、どうやら彼女は仕事人間への差し入れの製作と配りの担当というらしい。
 他にも配るところはあるからと彼女はウェイとはな、いや二人と離れた際に、
「あ……ああ、そうそう、シュウくん。セルさんは顔を出しなさいて言ったよ」
 と冷や汗をかいてシュウに言った。
(リナさんよ、そのいかにも“さっきまでシュウくんへの用事を綺麗さっぱり忘ちゃったてへ☆”の表情はどうかと思うぞ? まぁ、慣れてるけどな……) 
 女友達の思い人のことになると周りが目に入らない習性にため息をつき、黒髪赤い目の青年は今セルという人物に会いにいくの途中。
 そして目的地の近くまで来たところ、シュウは頭中の会議机の上に放置している議題を見つけた。
(それにしても、祭りのことを二人に聞くのを忘れてたな……俺てもしかしてうっかりものか?
 ……いやいや、あの二人が発動したピンクバリアの外周にいるだけで精神は削られる。きっとそのせいで忘れた。そうに違いない、うむ!)
 記憶能力への疑惑をそう自分に納得させて、シュウはこれから会う人物、セルバンテス――通称セルの家、同時に町の剣術道場でもあるの前に到着した。
「さて、気にしても仕方ない。後で誰かを捕まえて聞き出せばいい――」

 ――その時、シュウは確実に油断していた。

 あるいは彼自身が考えたとおり、あのピンクバリアで精神を削られたか。
「はっ!」「んだっ!?」
 故に背後から襲い掛かるとび蹴りに対応できなかった。
 蹴りはいい音を立てて綺麗に後頭部に突き入れた。文字通りに!
「ぐっ……ほっ」
 受身も取れず地面に倒れシュウは、何とか視界を背後に。
 目に入るのは、ちょうど華麗に着陸を決まった、“ヒール”のサンダルを履く陶磁器と思わせる曲線を描く足――その根元はピンク、すぐスカートが開花の逆戻りのようにそれを隠した。
 美脚は優雅な動きで立ち上がり、水色膝丈ドレスに包まれた折れそうな細い腰に手を当てて、控えめのいい形な胸を自信げに突き出す、光を跳ね返すウェーブのかかったロングの銀髪をなびかせ、人形を彷彿させる整った顔は不機嫌そうに見下ろす――
 銀髪人形に見違える美しい少女――シルヴィアは完璧な仁王立ポーズを決まった!
 ……サファイアの瞳は歓喜の光を放っていること以外は。
「遅いですわ、シュウ! いつまで待たせるおつもりかしら? 待ちきれず出迎えてしまったではありませんの!
 え? 待っているのはお兄様であろうですて?
 当然それもあるわよ。でもそこでわかくしもお待ちしているのを考え付くのが、紳士としての気遣いですわ。それもわからずレディをまたせるなんて、ほんと、しょうもない方ですわね、シュウは。
 まったく、わたくしをここまで待たせる上に出迎えさせた男は貴方だけよ。でも、殿方にも都合というものがおるでしょうし。それに、その……貴方を待つのもそんなに悪くないわ。
 だから許してあげる。大いにわたくしに感謝するわよ!
 それはそうと、いつまでそこでお横になるのかしら? 風邪を引くわよ、シュウ。
 あら、シュウ? あの~、も~し」
(だったら、その武器(くつ)でのとび蹴りはやめろ! あと、スカートでやるのははしたないぞ……)
 シュウは意識が薄いて行くの前に心の中でそうぼやいてた……


「ははは、それは災難だったな」
「笑い事ではありません。自分がとっさに打点をずらさなければ逝くところでした」
 セルバンテス宅居間、シュウと家主セルはテーブルを挟んでソファに座っていた。セルの右側にはしゅんとうな垂れている彼の妹シルヴィアがいる。
「そうなのか。すまないな、うちの“愚妹”が迷惑をかけた」
 ピック。
「いえ、いつものことですから。その“考えなし”な行動に巻き込まれるのは」
 ピックピック。
「まぁ、そう言わないでやってくれ。こんな“低脳”でも自分の可愛い妹だからな」
 ピックピックピック。
「たしかに、“アホ”な子ほどかわいいという諺もあるんですね」
 ブチン!
「あーーもう、何なんですの、貴方たちは! 先刻から愚妹だの、考えなしだの、低脳だの、アホだの、いい加減にしなさぁーーい!」
 悪言罵倒(?)のコンボを受け続けたシルヴィアは、とうとう跳ねるように立ち上がり両手を挙げて爆発した。
 しかし、男二人はただお互いに顔を見合わせて、
「と言ってもな」
「うむ」
 大真面目で彼女に向き、

「「お前はそうなんだろう?」」

 と止めを放った。


「いいんです、いいんです。どうせわたくしは馬鹿で、おろかで、アホで、いつも考えなしでぶつぶつ…………」
 銀髪少女を部屋の隅へ追い込むと、男両人はどこか清々しい顔で話の本筋に戻った――セルは愛情表現、シュウはちょっとした仕返しだ。
「よく来たな、シュウ」
「はい、師匠もお変わりなく壮健そうで」
「よしてくれ、私は君を正式に弟子にしたわけではない。何より今の君では師匠なんて名乗れないのだ」
「いえ、あなたはいつまでも自分の師匠です」
「いや、しかしだな……」
 シュウの前に顎を撫でて若干困っている者――セルバンテスは彼の剣の恩師で、シルヴィアの兄でもある。
 長年の修行を積み重ねた武人しか持つ鍛えぬいた体つきに、広大な微笑みを保ってい口と柳のような細い目という特徴を持った人間三十過ぎの風貌。髪は長くまっすぐ、前は真ん中から分けて、横は耳を隠し、後ろは肩まで、色は妹と同じ銀。
 威圧感はなくただそこに居るだけで大きな存在感を与える――武術の心身ともある高みにいる証だ。

「それで、今日はいったい?」
 話しはすこし埒が明かないことになって、シュウは無礼のを承知の上に話を切り出した。
 師であるセルも特に気にせず苦笑いをするだけそれに乗る。
「うむ、じつは最近弟子たちはたるんでるでな。私もよく咎めているだが、なかなか。
 そこで、弟子ではない君に頼むのは面目ないが、先輩の立場に居る君にうちのふぬけどもにガッツを入れてほしいということだ」
 それを聞いたシュウは内心で頭を傾げる。
 ここで修行していた関係で彼は弟子たちとはそれなりに親しい。
 どれも熱心なものと認識しているはずだが……シュウはとりあえず疑問をよそに話を合わせた。
「なるほど、そういう事情ですか。
 このぐらいの事でしたら、どうかお気になさらず。自分はいくらでも力をお貸ししましょう。
 状況はまだ直に目に見てない故口を慎みますので、たるんでいるというのは何か具体的なことはありませんか?」
「なに、難しいことじゃない。このごろ出した修行は皆、ほとんど逃げるのだ」
「それは……」
「だまされてはいけませんわよ、シュウ」
 いつの間にか復活したシルヴィアは、男二人に家主の趣味の緑茶を入れなおしている。
 緑茶なのはセルバンテスは過去のある文化に興味持つ故だ。
 どうやったかは不明だが、彼はいつもどこからその文化に属するものを調達して来る。
 例えば今身にまとっている服は袖長くて広い、裾は脹脛まで包み、腰に帯で服自体をまとめている――シュウの赤いポニーテールの女友達が言うにはワフクという服装らしい。
 本人の身丈と雰囲気では結構着こなせて様になっている。
 でもなぜか例の女友達はそんなセルを見ていつも「左前……」と難しい顔になる。
 ともかく。
 銀髪少女はその文化の中にある一つ緑茶を上品な手つきで入れなおしながら、話に入った。
「? どいうこと、シルヴィア?」
「いや,シア。だましては「シャラップですわ、お兄様」う、うむ。承知」
 大の男は人間外見15ぐらいの人形のような可愛らしい少女にひとごとで沈黙させた。
 ――この兄はとことん妹に甘いのだ。
「よろしいですか、シュウ。あれは修行などではありません。ただのギャグじみの苦行ですわ」
「ぎゃぐじみの……く……ぎょう?」
 気がづくとシュウの口はそれをつぶやくようにくりかえした。
 その単語は彼の奥に押し込んでいる記憶を触れたのだ。
「そうですわ、この前は針山の上の瞑想でいちいせんしんだというし、大岩を高いところから落としてこれを両断しろというし、それと崖からロープなしで自力で生き延びろといって突き落とすし、あとは……」
 やはりか! 
 シュウは最後まで聞くもなく頭を抱えた。
 ――思い出した、思い出したとも! 閘門が壊れたように後から止まることなく溢れてくる忘却したい苦痛の記憶が!!
「しかしだな、シア。私とシュウは全部こなしてきたぞ?」
 ――ああ、確かに無理やりやらされて何とか生き残ったな、
 シュウはその自分専用の三日三晩休みなしの地獄フルコースで身に染み込んだ恐怖を震えた。
 終わったとき自分が空洞な目で悟ったように口にした言葉今も覚えている、

 ――生きてるのは 素晴らしいことだ――

「そのあとシュウが一週間寝込んだのをお忘れですか! おかげでわたくしとのデートをつぶしてぶつぶつ……」
「厳しい修行の後よくあることだ。私がやった時も同じぐらい布団の世話になったのだな」
「お兄様はそのまま永眠したほうがよろしかったですわっ!」
 青年はその一週間自分は熱と筋肉痛が見舞われて、姉が手厚く看病してくれたことを思い出した。
 それを加えるとあの修行はやはりお得かな? と両手を抱えて思い込む。
「ふむ、その修行を軽々しくやり遂げた君の言葉とは思えないな?」
「わ、わたくしのことは今と関係はありませんわ。お兄様は話を逸らさないで!」
 ……いやいやまてまて、確かにいろいろ気持ちよかったが、たくさん男としての尊厳を捨てた気がする、とシュウの顔は微妙なものになる。
 あのときの事を擬音にすると、あーんとか、つぶっとか、かぽっとかになるのだからだ。
「とーにーかーくっ、あの苦行もどきはだめです! 却下です! わたくしは認めませんわ! 何でしたらシュウに聞いてみなさい!」
「ふむ、そうだな。ここは経験者に裁定してもらうか」
 でもそれは自分が素直に姉に甘える数少ない機会だから、あの修行はやはりそうすてたものでもないかもしれない……と今度は真剣に悩みこんだ。
「「シュウ、君(貴方)はどう思う(いますか)?」」
「うむ、悩ましいな……」
「「はい?」」
「むっ! ああ、すみません。すこし考え込んでいました」
 シュウはなんとか話しはこっちに振ってきたことを理解した。
 兄妹は自分の顔のだらしない変わりようを見ていなかったにほっとして、咳き一つ。
 しばらくその修行ことを考慮し……

「失礼ながら、師匠。それはさすがにやりすぎると思います」
 反対の意見を申しだした。
 実は黒髪赤い目の青年にとって確かに無茶苦茶な修行だったが、成果も大きかった(後姉と関係ない)。
 でもやはり普通の人にはお勧めしないし死人が出てもおかしくない。さらに弟子たちのために師匠を止めるべきだろうという理由で決めさせたのだ。
「むぅ、君までそう言うのか……」
「ほらご覧なさい、やっぱりわたくしの言うとおりでしょう」
 セル憮然と引き下がり、もともと関係のないシルヴィアはなぜか勝ち誇るの態度をとっている。
 たぶんもとの趣旨をともかく、ただの負けず嫌いだろう。
 シュウはそんな銀髪少女を微笑ましく見えた。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「さぁ、お兄様、後ほど村長様との打ち合わせがおるでしょう。はやく支度してきなさい」
 へんてこ修行話の後、妹は兄を促す。
 シュウはそこで気づく、この居間はいつの間にか夕日の光に満ちていた。
 兄妹二人の銀髪は、この光に染められて金色となっている。
 特にシルヴィアのほうは、最高の職人に編み出されて金の織物より煌く。
「おっと、思ったより話し込んだな、少し急がないと……」
 そう言ってもセルバンテスは慌てる感じには見えない座り姿勢からゆっくり立ち上がった――その隙一つのない流れに、シュウはちょっと見入った。
「私はこれで失礼するよ、あとは若い二人でゆっくりしていきたまえ」
「はい。師匠もお勤め、がんばってください」
「お土産、期待してますわ」
 対称な返事にセルはまったくというような笑みを浮かべて、居間を出――ようしたところ、振り向いた。
「ふむ、危うく忘れるところだった」
「なんですか?」
 セルは視線をシルヴィアに、続いてシュウに、そして真剣な表情になった。
(なんだ?)
 シュウはなんだか嫌な予感を覚えた。
 なぜならこの人がこういう場合真剣の顔はいつも、
「お持ち帰り、結構だぞ」
「なにをですか!?」
 からかうためのが相場だ。
「そこまで言わないとわからないか、やれやれ。無論我が愚ま……」
「師匠!」
「まぁ、そういうことだ。励めよ、若人。」
 弟子の叫びを軽く流して、セルは今度こそ満足し目を更に細くして居間を出た。

「お、お持ち、帰り……」

 その上ずり声でシュウははっと猛然でシルヴィアのほうに向ける。
 夕日に照らされても、遮ることできない紅が彼女の白い肌にひろがった。
 それは怒るによるものか、それとも……
 しかし、シュウはそのことを検証する暇はない。
 なぜなら――
「それは、つまり、わ、わたくしをこのまま家に連れ帰って、部屋に直行ですわね、ですよね、そうに違いありませんわ! ああ、シュウたらなんていやらしいことを~え? べ、べつに、いやじゃないのよ。ただ、シュウがどうしてもというから仕方なくてよ。あ、でもねでもで、あたしをはしたない女と思わないでね、こういうのは貴方の前だけだもん。それと、あたし、初めてだから、や、やさしく……して。え? なに? こ、こえを聞かせろというの? だ、ダメなの、そんなのはずかしずぎるの~も、もう~そんな顔しないで、こ、今回だけだからね? あ、んっ、あっ、あ~~~~~~~~~~~~ん」
(師め……わざと爆弾のスイッチを入れていきやがったな!)
 お年頃のシルヴィアは色気に関して興味津々だ。
 その類のキーワードは彼女の脳内で激しい化学反応を発生して、妄想ならぬ暴想が爆発的に広がる。同時にそれが限界に達すると彼女の暴走スイッチになるのだ。
 シュウはセルが出ていった方向を睨んでぼやく今も、銀髪少女は体をくねくねしながら臨界点に向けて全力爆走中である。
 このままではシルヴィアはとんでもない結論を出してとんでもない行動を実行する。
 いつかは愛は略奪よ! と友人に唆されて危うくメタナーリアの前でシュウを押し倒して逆レイプシーンを上演することもあったのだ。
 ……余談だがその後シュウは姉の機嫌を直すのが結構大変だった。
 以前の黒髪青年なら間違いなくここで何もできず爆死されるところだが、長い付き合いのおかげで少女への扱いを多少心得ている。
(とりあえず解体するか)
 シュウは赤い目に危険物を扱うための剣呑さを備えて、眼前にいる人形爆弾の分析を走った――

 個体名:シルヴィア

 類別:お姫様

 状況:混乱による語彙年齢退化

 判断:レッドゾーン突入、解体困難

 対処:解体放棄、直接無力化

「シルヴィアっ!!」「ひゃい!?」
 「お持ち帰られの作法はやはり服を着ずに紅いリボンを体に巻いて……」などと自分のドレスに手を掛ける寸前の暴走姫を、シュウは大声で彼女の名を呼んで阻止した。
 見るだけでも分かる危険な状況だが、構造自体は簡単。ならば導火線を切ることだ、
 すなわち、
「紅茶、飲みたい」
「あ、はい! ただいま!」
 彼女の注意を逸らせるものを提出すればいいのだ――

 シルヴィアは急いでキッチンに向かうのだが、それでも歩調は優雅さを崩さないところはさすがというべきか。
「ふうー」
 シュウはソファに深く背を掛けて、戦場から生還した兵士のように長い息を吐いた。
(師匠にも困ったものだ)
 姿勢を正しながらそう考える。
 セルバンテスは今まで何度も不意打ちのように、シュウとシルヴィアがくっつける様な行動をとっていた。
 しかも冗談か本気かつかめない態度で、シュウは対応に困っていた。
(この兄妹の父親のような露骨なら楽……ことはないな)
 軽く頭を振ってその人物を脳から追い出し、思い耽る対象を銀髪碧眼の少女に移す。
 シルヴィアがまだ小さなのころから自分がよく面倒を見てあげた。彼女は自分をもう一人の兄のように慕ってくれて、そして自分も彼女を妹のように可愛いがってあげた――黒髪青年は彼女との昔を軽く懐かしみ、感懐深く赤い目の瞼を下ろした。
(大きくなったものだ、ほんっと)
 もともと人形のように愛嬌な彼女はお年頃になった今は、その美しさは更に一層はみ出した。
 今の彼女を見ると、シュウは一種なんともいえない暖かさ……いや切なさ? ……も違うような……とにかく彼自身もわからない感じで鼻の奥はうずくのだ。
 しかし反面に――
(お持ち帰りという単語だけで、そこまで妄想をふけるとは……大丈夫かあの娘)
 予想以上の耳年増な妹分の将来をシュウが心配するのは無理もないことだろう。
 そのことで熟考している間、当人はティーセットをもって夕日色の居間に戻った。
「お待たせいたしましたわ……なにを考えなっさてますの?」
「ああ、祭りのことだ」
 お前のことを考えてた、何てこと言うわけもなく、シュウはとっさにごまかした。
 ……そういえば祭りのことでなにかを忘れた気が……あの後頭部への一撃で更に不明瞭になった気がする。
「祭りといえば、シュウは連日の力仕事でしたね、結構大変じゃありませんの?」
「いや、問題ない。師匠の無茶な修行と比べればな」
 師によると、その修行も実はかの文化の産物ということらしい。
 その修行を事もなくやり遂げたものは“さむらい”の称呼を得る。
 黒髪青年はいつも“さむらい”とはどんなバケモノか、想像もつかないでいた。
「ふふ、そうですわね。お兄様も困ったものですわ」
 そう談笑しながらシルヴィアは一寸の乱れもない動きで二組みのティーカップに紅茶を注ぐ。
 シュウはその姿に感心しつつ鼻をひく芳香に意識を向けた。
(この香りは……キーマンか)
 彼女の兄と違い、シルヴィアの茶の趣味は紅茶やハーブなどティーカップを使う茶類に偏る。
 ……むしろシルヴィアは普通で、セルバンテスは変わってるというべきだが。
(む?)
 注ぐ終わった紅茶に注目していたシュウの右側に、やわらかい物体が重みを掛けてきた。
 振り向くと銀髪少女は隣に肩がくっつけるように座ったのだ。
 この距離ならよく見える、彼女のボリュームありの銀糸は耳を覆い被っていて、左右は各一つの三つ編みとなり人形の可憐さを加味している。
 そんな彼女は満面な笑顔で片方のティーカップセットを差し出す。
「はい、どうぞ。ご賞味あれ」
「あの、シルヴィ「むっ」……あ?」
 身を寄せてきたことに戸惑いながら、シュウは反射的に紅茶を受けとろうとしたが、ティーカップが遠さげられた。
 なぜ? の目を向けると、少女は不満そうに口を軽く尖らせている。
「シルヴィア?」
「ぷい」
 なぜか、もっと機嫌が悪くなった。
 もしこれの場の男性がウェイなら、シルヴィアを無視してもう一組みのティーカップを取ったのだろう。
 しかしシュウはそこまで無神経ではないし、更にこの男も実は可愛い妹分に甘いのだ。
(何がこのお姫様の気に召さなかったのだろうか…………あっ)
「……シア」
「うん、お兄ちゃん♪」
 人形のような美しい少女――もとい無邪気なかわいらしい少女は花が開いたような笑顔でティーカップを再び差し出した。

 ――あたしが甘えたいとき、そうよんで。

 あれはいつの約束だったのだろう……
 しかしそのタイミングを掴むのは青年にとってなかなか困難だ。
 間違っていたらシカトされるのはまだいいほうで、思い切り睨まれてしばらく口を聞かないこともあった。
 それでも分かってほしいのは女心というものらしい……
(女心て難しい……)
 改めて認識するシュウでした。

 男永遠の難解命題に軽く頭を捻って受け取った紅茶を口に含むと、シュウの赤い目が見開いた。
「あ、口に合わないの?」
「いや、そんなことない。腕、また上げたな」
「ほんと?ありがと」
 そういえば以前シアは家事全番壊滅的だったな……と青年は妹分の成長をまぶしく感じた。
「じゃあじゃあ、こっちはあたしが焼いたクッキーなの。食べてみて、はい、あーん」
「いや、待て、シア」
 大の男が年下の女の子にあーんされるのはどう考えても絵にならない。
「あーーん」
「だから待て」
「ア゛ーーーン゛」
 なおも引っ込まないシアは涙がにじんてきた。
(くっ、泣き落としか! しかし自分はこれで落とされるわけ……あるよな)
 あっさりと陥落するシュウだった。
「ど、どう」
 期待と不安の眼光に、そうせかすなとの苦笑いを返してシュウはゆっくりと口に入れられたクッキーを味わった。
「ふむ……
 うむ。甘さ、香り、舌触り、どれも申し分ない。それに紅茶ともよく合う。こっちも驚きの成果だな」
「そう? じゃあ……メタナーリアさんと比べたら?」
 さっきまでニコニコとしていた青い宝石の双眸は突然、真剣な眼差しに変えてでシュウを直視した。
 この少女はいつも何かを持ってメタナーリアと比較する。その理由シュウは知る由もな――くもない。
(というか分からないはずがない。あの愚鈍(ウェイ)じゃあるまいし)
 ここは穏便に収まるつもりなら、適当な賛辞を並ぶか、茶を濁せば良いだろう。
 けどシュウは妹分の真剣の眼差しの前でそんな無責任な対応をしたら自分を許せいし、彼女のためにもならないと思ってる。
 だからありのままの感想を伝う。

 でも、何のふたもない言い方で相手を傷つけて終わらせるのは、子供のすることだ。
 それ故青年は答えるべく文句を慎重に並べる。
「そうだな……腕はもうほぼ同格だろう。これは真実凄いを越して天晴れだな。
 あとは個性の違いだ。こっちでは姉さんは俺の好みを全部知ってるからな」
 シアには悪いが、評価する人選がシュウの時点で、比較対象が悪すぎるのだ。
 メタナーリアのほうがキャリア長いし、才能も町のお菓子屋の職人が半分ぐらい欲しいとぼやいたぐらいだ。
 更に一番の決め手となった好みに関して正直シュウは姉は知らないことはないか? と本気で疑ったこともあるのだ。
 ――こうして見ると腕が追いついただけでも本当に凄いのだ。
「そうなの。もっとがんばらないと……」
 答えを聞いて静かに闘志を燃えるシアをよそで、シュウは妹分が短期間でここまで追いついくことに、感動する同時に何か執念めいたなものを嗅ぎ取った。
(てことは、まさか)
 何かを思いついてシアの顔を失礼ない程度で観察する。
 ……どうやら薄い化粧してある。
 それ自体は別におかしくない、女のたしなみだから。
 だが、シュウにはわかる、
 ――あれは顔色をごまかす手が込んでいる。
 次にシアの手のひらを観察する。
 ――明らかに前と見たときと違う。
(……やはり、な)

「シア」
「練習時間を……え、なに? お兄ちゃん」
「焦るな」
「な、なんのこと?」
「わかるはずだ」
 シュウはいかにも心当たりありますと目をそらしたシアの手をとった。
 「あっ」と漏らした声に気にせず、そのすっかり荒った雪白の手をやさしくあやすってやった。
「……でも、あたし」
「がんばるのはいい。けど俺は無理するシアを見るだけで心苦しいのだ」
 シュウは左手を伸ばし柔らかい銀髪に乗せて、ゆっくり撫でた。
 ぼんやりとの記憶の中、少女がまだやんちゃの頃、怪我をする時にしてあげたのと同じ。
 それを気持よさそうに目がうっとりして受け入れるシア――でもすぐすねた表情になった。
「お兄ちゃん。それ、ずるい」
「そうか? ……いや、そうだな。すまん」
「だめ、許さない。お兄ちゃんなんてしらない」
 シアは顔を横に向いて、その拍子で頭にある兄分の手を振り払った。
 でも、
 あやすもらってたもう片方の手を離さず握った。
「む、それは困る。どうしたら、許してくれるんだ?」
「えっと……」
 目を伏せて、シアは今も離さずでいる大きな手を見つめた。
 彼女はそれをにぎって、ゆるむ、にぎって、ゆるむの繰り返し。何回後、ひとぎわ強く握る顔を上げた。
 斜陽の金に染められた青い瞳は懇願するように上目使いでシュウを見上げる。
「あのね、お兄ちゃん。あたし祭りで一緒に回る相手が居ないの。でも一人回っても面白くないし、だから、っ……」
 口ぱっくだけで、後の音は出ていない。代わりに銀の前髪の後ろにある額は小さな露が現れる――あまりの緊張さで喉が追いつけなかったらしい。
 シルヴィアは心を僅か落ち着かせるためかつばを飲んだ。
 そして更に力をこめてシュウの手を掴み願いを、
「だから――!」

 ――頭をぶん殴るけたたましい鐘の警報に阻まれた。

「!」
 青年は瞬時は意識のスイッチを替え、
 緊急時の対応、訓練した手順、相応な対処方、
 などの情報を頭の前に押し出し、戦う者の気纏え、シルヴィアの手を解いて立ち上がった。
(方角は北。鳴り方は装備もって現地集合。剣を取りに戻る時間がない。現地の警備分所に借りる)
 0.5秒で考えをまとめ、シュウは自身が放つ剣呑の気を押さえて、シルヴィアに向けてやさしいが決して反論を許さない口調で語る。
「シルヴィア、家にいろ。
 ドアと窓に鍵を掛けて、決して外に出るな。いいな?」
「はいっ! あ……」
 シルヴィアはなにを言いたげそうだが、シュウは振り返らず居間を出た。
 ……
 …………
 ………………
「あとちょっとだったのに……」
 一人になった銀髪少女は、黄昏の中に無念そうにつぶやいた。


 青年は走る。
 戦いにいくために、目的地に向けて。
 体力は十分、
 気力も充実、
 ……だけど心は悩んでいる。

 彼は悩みの正体がわかる、それは銀髪碧眼の少女。
 彼女の、まっすぐ自分に注ぐ、あの、

 恋する女の目――

 その対象は自分だということはうれしい。
 けど、自分は……

「ふう……」
 少女からは決定な単語で伝えられたことはない、しかし黒髪青年は彼女のことはその家族以外誰よりも知ってるつもりだ。
 だから、自惚れと罵られても、やはり確信を持つ。
 先ほど彼女の話の続きもわかる、でもシュウには拒絶する返答をしか用意してない。
 今回は使わずじまいになったが、前にこんなやり取りは何度もあって、彼女の悲しい顔を何度も見た。
 もうこんなことにならないよう幾度遠回りの方法で拒絶の意思を伝えたこともあった。
 でも伝わってないのか、伝え方が悪いのか、それとも諦めるつもりはないのか。
 あの通り少女のアプローチは止まらなかった。
(やはり、もっとはっきり言うべきだろうか……)
 彼女のためにも。
 だがいざと本人の前では、どうしても甘やかしてしまう。

 ――そんなへたれな自分がなさけない。

 こんな態度ではいつか彼女を泣かすだろう。
 しかしそのときになっても、シュウは涙を正面から受け止める方法しか思いつかない。

 ――そんな不器用な対応しかできない自分が恨めしい。

(ウェイのことを言えないな)
 自分のへたれぶりと親友の鈍感はどっちがマシだろうなと自嘲して、シュウは目的である町の北出入り口にある警備分所が見えた。

 今は、目の前の問題を片付けよう……そう自分に言い聞かせて。



[25073] その4
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2011/01/01 18:31


 この世界に生まれた人間は、必ず一つの常識を身につけている。
 それは、気軽く人間の領地から出歩ないこと――なぜなら人間の領地以外の場所はほとんど魔物の縄張りだっということであり、そして魔物は人間を害なすものである
 魔物(やつら)はどこから生まれたのか? なぜ人を襲うのか? その答えたいまだに知らない。
 分かるのは、明確な敵意を持って襲撃してくることしかない。

 シュウが世話になっているこの町はある程度の頻度に戦闘行為が起こる。相手は、いつもその種類不定な魔物どもだ。
 彼らの目的は至ってシンプル:略奪、殺戮、陵辱などこの類のことに尽きる。
 人間に一欠けらの慈悲はなく容赦なんて知らない、出会った人間に平等に死を与える。交渉の余地なんて論外。
 例え不利となって撤退することはあっても、必ず体制を整えってからまたやってきて来る――それが唯一の生き甲斐を示す如く。
 故にこの町での戦闘は一般人を守るためであり、敗北は許されず命をかけた戦いだ。
 そんな、魔物の襲撃に対抗するためのが警備隊である。

 黄昏時、場所は北の出入り口に設置していある警備分所前集合地。
 気を引き締め、完全に切り替わってそこに到着したシュウは予想外の光景が待っていた。
 自分の引き締めた気を抜けるように、そこは二人の警備兵しかいないのだ。
 ……おそらく、シュウは位置が近いのおかげでほかの者より先着したのだろう。
「む、シュウ殿」
「おっ、アンタか」
槍と剣、あと鉄製胴鎧――警備兵の標準装備をしている両人は、黒髪青年に気づいて一人硬く、一人軽くな調子で声を掛けてきた。
 二人ともこの状況でもシュウの知っている普段と変わらない態度で挨拶してくるとは、逆に頼もしいさを感じさせる。
 シュウは正式の警備兵ではないが、手が空いてるときいつも警備隊に手を貸している。その故ここに現れたことに戸惑われることなく受け入れている。彼らの信頼を得ているのは、幾多の危機を一緒に乗り越えた仲間でもあるからだ。
「状況は?」
「監視塔からの報告によって、敵はミノタウロス五体。
 それぞれ斧、剣、槍、ハンマー、棍棒を装備。
 今は北850メートルに居て、平速でまっすぐこちらに進行中。到着予想時間は5分。
 まだこっちを警戒している様子はない、増援の類も確認されてない」
 スラスラと淀みなく状況を報告する警備兵、普段の訓練の賜物だろう。

 ミノタウロス――身長2.5メートル以上もある牛頭人身の化け物。
 人間が一生どう鍛えても絶対勝てないほどの体躯と怪力の持ち主。
 習性は凶暴、さらに多少武器を扱う知識と戦術眼も持っている。
 平たく言えば普通に訓練をつんだ少人数兵士ではまず勝てない相手だ。
 加えてもってる武器は普通に聞こえるが、誤ってはいけない。
 ――ミノタウロスは身丈に合う大型武装が好みである。
 この知識に行くとさっき報告にある武器の頭には“大型(グレート)”がつく。
 想像力が特に豊富でない人間でもわかる、それは直撃を受けたら全身ちぎれる巨大で物騒なものだ。
 この場でそれがわからない人間は居ない。警備兵も手短く説明したに過ぎない。
 これらの情報を総合すると、結論は――

「敵は重武装の強襲分隊であります!」
「ふむ、普通にやると被害が避けられない相手か……」
 一体だけで10の人間以上の戦力をもつ魔物が、それも5体。被害どころが、大被害必至な状況だ。
 シュウは不安の色を隠さず、懸念を口にした。
「はい、ですが、心配なさらぬよう。この町の警備隊はこれで遅れに取ることはない!」
 ここの警備隊の練度はそこらにいる正規軍にも劣らない。
 何度も彼らと肩を並べてきた青年はそのことをよく知っている。
「であるから、われわれにお任せてください。シュウ殿にはすまんが出番はな――」
「あぁ、気合を入ってるところ悪いが……たぶん、無駄になるぞ?」
 この硬い姿勢をとり続けた警備兵が何かを言う前に、もう一人警備兵が待ったを掛けた。
「こらぁ! なにを言っているのだ! ここは警備兵としてふんばりするところだろうが!」
「いやお前、まだ5分の猶予もあるし、ほかの連中もすぐ駆けつけてくるだろうよ。
 その時がんばるのは他人で、俺たちはせいぜい入り口に立って観戦するだけだ。踏ん張りも何もないだろうさ」
「むっ。だがなにかの不遇の事態になったら……」
「さきこの町の警備隊はこれで遅れに取ることはない、って言ったばかりだろうに? むしろそういう不遇のために俺たちは無駄なエネルギーの消費を抑えるんだよ」
「むぐ、な、ならば私は後ろで戦歌を高く歌い上げて士気の上昇を……」
「余計に周りの温度を上がるだけだ、やめておけ。あと指揮の邪魔だ。ついでにお前は音痴だろう」
「むぐぉ!」
(やれやれ……)
 この警備兵コンビの言うとおりだが、危険なのは変わりがない。
 それでもこの状況で落ち着い漫才をやるのは、訓練のよさのおかげだろう。
(頼もしいな、ほんと)
 この嵐前でシュウも思わず少しずれた感心をする。
 ――だがそれも、思いよらぬ警報の鐘が再び鳴ったまでだ。

 それの意味がここにいる人間の頭に衝撃を与え、警備兵の一人はいち早く反応して警備分所のドアを破る勢いで押しのけて中に入った。
 通信機――魔導の動力で作動する貴重物で、要所しか置けない――をつかんで警備本所に連絡を入れる。
「こちら北分所っ! 今の警報はどういうことだ? ……なにぃっ、南にゴブリン五十匹も現れた!?」
「なんだとぉ!? きゃつら戦争でも仕掛ける気なのか?! いや、それより……」

 ゴブリン――人間に近い外見構成と成人男性半分少しの身長、残忍な性格と人を振り回せるぐらいずる賢く頭脳を持つ魔物――というよりある程度自分の文化を持つ知的生物。
 幸いミノタウロスとの戦闘力を比べたらそれこそ天と地ぐらいの差がある。
 実際この数は警備隊十人で対抗しても重傷者出せるもなく勝てる。勝てるが……
「村に侵入されたら、一大事ですぞ!」
 ゴブリンが人里を襲うのは、ほとんど略奪が目的だ――生産力が低い故に。
 だから彼らはまともに警備隊と相手するより、町に侵入するを選ぶに違いない。そして、村に侵入した後こそ彼らの本領発揮だ。
「きゃつらは小心者お陰で、気配を隠すのが上手い、あぶりだすのは一苦労の上に、抵抗できない者が人質になったらどうなることやら……」
 もしミノタウロスたちが強襲分隊なら、こっちは突入工作中隊だ。
 一番理想な対処法は大人数でもらすことなく殲滅することだ。
 でも、それは……
「おい! じゃあここへの派遣は?」
「本所はまだ揉めている。ああ、くそう、こんなときに!」
 この町の警備兵は三十人ぐらいだ。
 対ゴブリンは最低二十五人がほしい、ミノタウロスもおなじ。
 戦力が足りないのは明らかだ。
 このままでは、
「警備兵(おれたち)を犠牲にして、少人数でミノタウロスに足止めして増援を待つか」
「町の被害に目を瞑って、負けないだけの人数でゴブリンどもに対抗するか」
 この二択だ。
 警備兵たちは状況を把握して、冷や汗をかく。

 誰かが死ぬ――

 想像ではなく、時間が迫ってくると現実となるであろう。
 それは自分かもしれない、親しい人かもしれない。
 考えるだけで目の前は真っ暗になることだ。
 足が立て居られるのは訓練された体がそれを許さないにすぎないだろう。

 ……どうする?

 …………どうするこうするもない、この町の警備兵としてやるしか――

 そんな不安と覚悟を顔に変化させて、どうにか自分を奮起させよう警備兵たちの一人――通信機を握っているほう――の肩に、大きくないが、力強い手にたたかれた。
「本所に伝え、ここは俺一人で対処する。増援を送るのは後回しでいい」
「なっ」「はぁっ!?」
 場に囲む影を気にすることなく、平然と正気を疑うことを言い出したのは、二度目の警報から沈黙を保っていたシュウだった。
「シュウ殿! いくらなんでも「時間はない! 俺の名を出せば本所も許可が下りる」ぐぅ……」
 この町の住民なら誰も知っている、警備隊総隊長とシュウは年を越えた信頼しあう友人関係だ。
 そして、シュウが町の人間でもないのに警備に手伝っているのもその伝。
 故にこういう無茶は通れる。
「では、せめて五、いや十人ぐらいをここに――」
「必要ない」
 更に自分への支援を拒否、義理硬くな警備兵は信じられないものを見る目になった。
 シュウは「なんだそれは」と返した。
「誤解するな、君たちとの連携をまともにやったことはない。そんな中途半端な人数はお互いの足を引っ張るだけだ」
「しかし、やはり人数が多いほう「責任は取れないぞ、やれるな?」おい!?」
 通信機を握っているもう一人の警備兵が軽い声で、けど目は鋭く最終確認を発した。
「問題ない」
 気負いも、悲壮感もない。ただ、

 自分のできることをする。

 黒髪赤い目の青年はそう答えてやった。
「それに……」
 ふと真剣な顔になったシュウは、警備兵二人に目をやる。
 なんだろう? と二人は身を硬くして続き待つ。
「お前たちに貸しを作るのは、悪くない」
「は?」
「貸し?」
 予想斜め上のセリフに二人は口を開いたまま停止した。
 青年もなぜか一転して悪徳商人のにやついた顔となる。
「危険手当、緊急出動手当、強力目標撃破手当、エトセトラ、エトセトラ。
 “君たち”の給料から引くだろうな」
 それは言わなくても分かることだ。でもなぜ今この場でそれを持ち出す? さらになぜ“君たち”を強調する?
 やはり理解できず胴鎧姿の二人は口が塞がれないまま呆然としている。
「だから、さっさと俺を出せ」
 ……奇妙な、なんともいえない空気が場の沈んだ雰囲気を上書きしていく。
 そんな形容しづらい状況の中に秒針が三歩進んだあと、
「ははっ、ああ、そうかい。わかったよ、そう伝える」
 その真意を理解したらしい一人警備兵はそう言って通信機に向きなおした。
 シュウはまだ呆然しているもう一人に事態進めようとする。
「そういうわけだ、予備の剣一本貨してくれ」
「あっ、ああ。シュウ殿、こちら……でっ」
「……どうした?」
「む……申し訳ない、最近、補給がくるのが遅いので。だから……」
「…………職務怠慢だな」
 これでは警備兵が優秀でも意味がない。
 後でクレームつけると、青年は心硬く決めた。
「まぁ後だ、じゃあその腰にある剣を貸してくれ」
「わかった。しかし、これはシュウ殿が使い慣れたものとは違うはずだが」
 警備兵が渡すのは片手用100センチのロングソード。
 対してシュウが使い慣れたのはどっちかというと両手で扱いできる剣だ。
「そうだな。それでもやりようもあるだろう」
 このひとごとで自分の不利要素を片付けた者を、警備兵はまた信じられないものを見るような目となった。
 それを無視して。
 シュウはロングソードを剣士の目で検定し始め、長く剣を扱うものにしかできる、武具の“声”を感じ取る――

 ……長さによる攻撃有効距離確認
 ……材質と生成方法による耐久度計算
 ……手入れ状況によるステータス補正

 次は剣を立て、
 斬る、突く、払う、など剣を扱う基礎動作を一つ一つ確認。
 長く使っていたものなら必要はないが、知り合ったばかりで命を預けあう剣(パートナー)とは、こうやってお互いどこまでできるかある程度分からないと話にならない。

 ……鋭さによる対象に与えるダメージ想定
 ……対象に与える衝撃度推測
 ……使用時重心コントロールシミュレート

 ――武器性能確認完了
 
 一人うなずいて、剣を納める。
 タイミングを計ったように警備兵は傷薬などの道具入りのポーチがついたベルトを差し出した。
「シュウ殿、分かると思うが、貴殿が門に出た後われわれはそれを封鎖する。
 もし撤退のとき魔物を連れているのなら、われわれはどうあっても門を開かない」
 マニュアルの内容を警備兵は青年に告げる。
 害なすものを村に入れないのは彼らの優先事項だ。
 しかし、孤軍のシュウは魔物引きずれずに後退するのはほぼ不可能――つまり撤退は許さない。
「重々承知」
 ポーチの中に一通りの道具がそろえているのを確認して、シュウは既に承知していることを答える。
 ベルトを身につけ、振り返らず大門に向かって歩き出す。
 ――その向こうにある半沈みな日の先は、戦いの地。

「シュウ殿!」
 気遣わしい声でシュウは足を止めた。
「ご武運を」
 それに答えず、黒髪赤眼の青年は首だけ振り向き不敵な笑いを浮かべてやった。



(敵我距離――40メートル)

 大地を踏む重い音は己たちの体躯を誇示するように、ばら撒いている凶獣な殺気は己たちの強暴を宣言するように、ミノタウロスたちは血色の太陽を背にゆっくり進軍してくる。
 牛頭人身――正確には人間男性の胴体と腕を持つ直立二足歩行の雄牛姿――に褐色な体毛。
 魔物は体毛の色でその位階を示す場合が多い、ミノタウロスでは褐色は中級を示すということだ。
 警備兵の情報どおりに、それぞれ剣、槍、斧、槌、棍棒を装備している。

(距離――30メートル)

 驚くことに、このものたちは隊形を維持しながら進んでいる――戦いに慣れている証拠だ――思った以上手ごわい相手になりそうだ、とシュウは敵の戦力を頭の中で上方修正して改めて目の前の敵の戦力分析に走った。
 組んでいる隊形は前進突撃に適したアローヘッドという、一名を先頭に立つのV型陣形。
 いかにも、このものたちの性分に合うものだ。

(――20メートル)

 ここに来てもうその荒々しい息遣いまではっきり聞こえる。
 シュウは改めて敵の“装備”を検点。

 ――全身に負う鎧のような鉄の筋肉、
   エモノを串刺しするために尖っている角、
   人間の頭を握り潰せる太い腕、
   犠牲者に飛び掛るための強健な後肢、
   最後に、一撃で目標を粉砕するための巨大な凶器、所々こび付いた血の跡が鈍い光を放っている。

 これから起こる殺戮に興奮しているのだろうか。足の間のイチモツは血管がくっきり浮かんでいるほど直立して天に指している。

(――10)

 そして、
 ミノタウロスたちはこっちにその殺気に満ちた眼を………!
 
(ゼロっ……――――)

 …………くれずそのまま素通りした。


 ――――――その瞬間、 
 
「も゛うぅうぅうううぅううお゛お゛゛おぉおおぉぉぉぉぉーーーーー!!??」
 右側最後尾のミノタウロスはその外見どおり牛似のおぞましい悲鳴声を上げて、手に持っているバトルアックスが地面に落とす音も遮った!
「陣形か……考えたものだ」
 その背に乗って後頭部の急所に剣を突き立てている人間が居る。
「だが、所詮人間の真似事」
 彼は道傍らの腰まである草――巨駆の魔物にとって一瞥もあたえない雑草に身を潜めて、急襲を仕掛けたのだ。
 ――視点の差を利用した戦術の一つだ。
「陣形をただの攻めやすいものと考え、お互いの死角を監視して守ることはまったくわかっていない」
 後頭部から血が染めている剣が抜かれて、ただの巨大肉塊と成り下がった牛人はそのまま力なく倒れた。
 加害者はその背から降りてつまらぬものを見るように、
「だから、こうも易く獲られたのだ――家畜」
 と、言い放った。

「「「「猛雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄!!!!」」」」
 その挑発にふれたのか、同類が殺されて腹が立ったのか。
 おそらく前者だろう。
 ミノタウロスたちは雄叫びを上げて、己の武器を力限り握り締めシュウに突撃を仕掛けた!
 怒りに満ちた足音とともに迫ってくる四つの殺意の塊、悪夢な光景だ。
 それに対して、シュウは余裕の表情保ったまま。右手にロングソードを持て恐れもせず勇敢に立ち向かう姿はまさに歴戦の戦士。
 そして戦士は口元をほころばせて――

 後ろ向いて脇目にも振らず逃げ出した……

 一瞬それに肩透かしを食らったミノタウロスたちだが、すぐに怒りを身に纏って狩りを再開した。
 その心裡は実に分かりやすい、ここまでコケにしてくれた人間を見逃すの慈悲、そんなもの彼らは一寸も持っていないのだ。
 ミノタウロスどもは怒鳴りながら駆ける。
 もし彼らの言葉を人間語に訳したら「止まれ」という意味になるだろう。
 しかしシュウはそんなことが分かるはずもない、分かっても止まるわけがない。
 だが、
 人間の青年はかなりな俊足を持っているが、ミノタウロスは巨躯のおかげで歩幅は広く、牛の力ある後肢もある。このまま何か手を打たないと、追いつかれて八つ裂きにされるのは時間の問題だ。
 そのことを分かって追跡者を振り切るためか、青年は途中で何度か微妙に方向転換をした。
 でもそれは両者間の速度差の前では無意味だ。
 牛の暴走の響きはだんだんシュウの背後から迫ってくる――

 一歩進むたびにその足音は大きくなる、
 一秒過ぎるたびにその喘息は荒くなる、
 青年はただ自分の死から時間を延ばしているだけのようにただ足を動かす。
 ……そして、
 その時が来た――

 シュウに一番近いミノタウロスはあと少しで間合いに届きそうなところで、牛ではあるまじき捕食獣な目で目標を定めて、戦槌を振り上げ飛び掛るために足の筋肉に力を入れて、地面を今までと違う質の音を立たせた。
 ――まさにその瞬間、

 人間は彼の前から消えた。

 その現実に脳の処理が追いつかないように固まった牛人は、わきの下から伝わってくる予想外の痛みに思わず声を上げた。
「もっ!?」「おおっ!!」「おあ!?」「んもっ!?」
 ……なぜか、先頭の牛人を含めて四つの間抜けな声が連続起した。
 ミノタウロスはその痛みの正体を確かめようとわきを見る――そこには鋭い刃物に切られた傷ができている。ほかの牛人もほぼ同じところに怪我をしていた。
 そして、牛人の目の前から消えた人間――シュウはいつの間にか一直線に並んだミノタウロスの“最後尾”の離れているところにいて、剣についてる血を振り払っているのだ。
 後ろに居る人間を見てミノタウロスたちはお互いに視線を交わす――
 なにが起こったかよく分からないが、たぶんエモノのすばやさは自分たちの予想以上だ……こういうすばしこい生物は包囲して嬲り殺す限りだ!
 ――そんな意思の疎通をしたように、獣大な暴虐の目は虐殺のそれに切り替わって、経験を積んだ牛人どもは散開し――
「「「「もぉああっ!!??」」」」

 こけた。

 全員、ビターンの擬音が出そうな笑いを狙うための盛大な転倒仕方をした……巨躯のおかげで実際出た音はビターンではなくズガーンなのだが。
 牛人たちの足首の間によく観察すれば、そこに何か糸みたいな物が互いを繋がっているのが見えるだろう。
 それのせいで転んだミノタウロスども、当然、
 この機を見逃す戦うものなどは居ない!
「お゛ごあ゛ぁ゛ぁーー……!」
 牛頭を片足で踏みつけて、表れた無防備の咽喉に剣を突き立てる。叫びを上げようにも切断された気管ではそれもかなわないことだ。
 足下の痛みと憎しみの目に刺されてなお、男は冷静に手首に力を入れてその致命傷を広げる。
「二匹目……っと!」
 シュウはとっさに剣を抜いて、バックステップ。
 ほかの敵はもう糸を千切って身を起こし、凶器を振りかぶてきたのだ――ミノタウロスは立ち直りも早い。
 しかし、それ以上の追撃はなかった。
「もうぅぅ……」「むぅぅ……」「ふうぅぅ」
 ここまでして、どうやらミノタウロスたちは悟った、
 目の前の人間は油断ならぬ相手だっと。
 故に慎重になってシュウの前方と左右前方に並んで、じりじりと距離をつめる。
 もうこれ以上不意を突かれないつもりだろう。

 ――だが、
(そのまま、あきらめず散開して包囲してくるなら、厄介だったがな)
 ここまでは全部シュウの狙ったとおりだった。
(いくら剣技がうまくても、ちゃんとした装備を整っていない現状じゃ、正面から戦うには骨が折る相手だ……ならばまず戦いやすい場を作る)
 そのために、まず最初は挑発して逃げたように見せかけた。
 走る途中の微妙な方向変化も相手を一直線に並ばせるためだ。後は先頭がこっちに飛び掛ろうとするタイミングを掴み、剣術の歩法で突如の180度方向転換をし、一列に並んだミノタウロスどものわきを走り抜け、斬りつけたのだ。
 なぜわざわざ飛び掛る瞬間を狙うかというと、生物――特に目を頼ってエモノを捕捉する種類は、目標を攻撃しようとする瞬間は視界はひどく狭くなる、すなわち油断する瞬間なのだ――ミノタウロスの視点ではシュウが消えたように見えたのもその原因だ。
 しかしもちろんのこと、シュウの後ろに目がついてない。
 どうやってミノタウロスたちが一列に並んだのを確認できたのか、その上飛び掛れるタイミングがわかったのか――
(足音が)
 シュウは前に並んでいる三対の牛の蹄をチラッと見る。
(無駄に大きいからな。知らせるようなものだ――)

 相手の隙を作り出し、確実につく、
 疾走中にタイムロスなしのターン、
 移動しながらに確実に対象にダメージを与える技法、

 ――この男は間違いなく一流の剣士だ。

 しかし先手を制した男は、その顔は晴れてない。
 厳かな目で改めて魔物の防具――全身鎧(プレートアーマー)のようにかの全身に負う頑丈な筋肉に向けた。
(やはり、硬い)
 先刻ミノタウロスへの斬撃は人間なら四人とも両断して、決着をつけたのだろうとシュウは自信もって断じる。
 でも人間程度なら、目の前の魔物重武装部隊にとって軽傷しかならない。今でもその動きに何の支障も感じないのとシュウが斬った際の手ごたえも確認している。
 有効な打撃を与えるにはどうしても大かぶりな動きが必要だ。だがそれは大勢の相手の前では自殺行為と等しい。故にシュウが二匹のミノタウロス屠た時に要害を狙ったのは効率だけの問題ではない、必要だからだ。
(まぁ……もともと、その斬撃の効果に期待してなかったがな)
 男はそう思いながら隠し持っている蜘蛛の腹のモチーフをしたもの仕舞った。

《アラクネの糸》
 大型蜘蛛形魔物の糸を加工した、細いながらも強靭な線で、シュウは普段から身に着けている装備の一つ。
 これがミノタウロスたちを転ばせたものの正体だ。

 仕込んだはもちろん、ミノタウロスたちの脇を走り抜けた時だ。
 つまり、
 四体の魔物に斬りつけたのも、巻かれた糸に注意を向かないようの手段にすぎいないである。おかげでシュウはもう一匹の牛を処理する時間ができた。
 これで、最初のを加えて、五体の魔物は三体まで減らし、更にしばらく包囲されることのない場は完成した。
 けど室内に篭る研究者はこの結果を目にすると、おそらくありえないっと反対の声を上げて、ミノタウロスは気の短い魔物という論文を1ダース持ち出し、二体の同類がやられただけで、この魔物はそれでもかまわず突っ込んでくるはずだっと。
 対して実物とやりあって来た者にとってその原因は考えるまでもない。
(戦いに慣れているから……訂正、少し慣れているから……な)
 戦闘が始まる前に、アローヘッドの陣形を組むが証拠だ――この陣形の問題は最初牛人の頭をくし刺ししている時にシュウの言ったとおり。
 それで多少経験をつんだこの魔物ならここで慎重になる。
 だがその慎重さが取るべき行動を忘れて、一人の人間に対して攻めあぐねている状況になったのだ。
 ――未熟な経験による行動は、相手に利用される
 それが今の牛人どもが落ちた罠だ。

 今、シュウの左から棍棒、大剣、槍をもっているミノタウロスたちは人間の動きをひとつも見逃さぬよう牛目を張り睨みながらゆっくりと距離をつめろうとする。

 ――敵勢力……残り3

 そうさせない油断なく後ろに下がるシュウ。

 ――行動パターン分析……10組予測

 つめる、
 さがる。

 つめる、
 さがる。

 ――対処方法……状況分別組上げ

 ゆっくり下ろしていく赤い太陽の下に、人間と異形の戦いの決着は延ばされていく。
 このまま膠着が続けば、数も体力も勝るミノタウロスどもに勝利が傾くだろう。

 ―― 一段階終了……状況転移まで待機

 でもシュウはその心配はしない。そうなる前に、こっちの援軍が来るのが先だから。
(まぁ、そんな都合のいいことはならないはずだ。何故なら……)
「うううぅぅぅぅ………」
 ミノタウロスの気性は荒い、つんだ経験でもその本能を抑えるのは難しい。だから長くこんなにらみ合いでじっとしているはずはない、とシュウは睨んだ。
「むもぅおおおおーーーー!」
 そしてシュウの予測どおり右側の牛人の右手の筋肉が異様に盛り上がって、その手にある槍は敵を地面に縫い止めせんと投げてきた!
 槍の狙いはすこしシュウの右側に偏っている。自然に左によけるシュウ――そこで左側棍棒を持つ牛人は合わせるように回避行動で近ついた人間を撲殺するの全力フルスイング! ――見事な時間差攻撃だ。
 ミノタウロスはこういう即席の戦術が得意なのだ。二体のミノタウロスは一体より三倍の戦力を持っつと言われる。
 だが、ミノタウロスはやはり目の前の人間が自分たちの同類を短時間で二体も斃した理由を分かってない。
 つまり、この黒髪赤い眼の男は――

 ――パターン2一致……他破棄
 ――関連パターン……予測継続
 ――対処方法……組上げ終了
 ――対処行動……実行!

 彼らより遥かに戦術を長けているということだ!

 牛人の棍棒が空気を殴った……人間が彼の予測以上の速度で接近してきたのせいだ。
 何故ならシュウが取った行動は実は回避ではなく、突進だ。
 結局合わせたのは男じゃない、牛人のほうだ。
 シュウは減速せず攻撃空振りの巨体の懐に入って、
 腕取り、崩し、投げる!
 身長差が一メートル近くもある魔物を投げ飛ばして、時間差攻撃のコンビネーションを繋ごうと第三の魔物――剣を持つミノタウロスはその500キロ以上の質量の直撃を受けた!
 しかしコンビネーションは続く、

「おおおおおおーーーーーー!!」
 凶牛がその角を使って突撃してきのだ!

 それはさっき槍を投げてきた者だ。
 ミノタウロスは武器を使うが、牛の部分の本能も持っている。その強健な後肢で大地を蹴って暴進する姿はまさに怒りの雄牛そのもの!
 雄牛はあと三歩で目の前の目障りな下等生物のはらわた見るになるところ、
 その足が、

 転んだ……

 ほぼ同時に、

 この場の5メートル半空に牛頭は飛んだ。

 ――頭の目は疑惑と驚異で一杯だった。それが完全に濁ったまで、ただずっと、その頭が元繋がっている体の足を転ばせたものを見ていた。
 それは、
 太くて、褐色な、人間の頭を握りつぶせる、けど切断された――牛人の下腕…………

 突っ込んでくるをミノタウロスに“腕”を投げて転ばせ、その首に刃を斜め上にそなえて、彼自身の突進力を借り大して力をこめずにそれを切り落としたシュウはその成果を確認して、次にさっき投げ飛ばした牛人――今はぶつかったもう一体の魔物に靠れ倒れている――を見る。その者は片腕の下半部を失って、切断口から血は先を争うように噴出している。

 《枝落とし》という相手に投げ技を仕掛けて、その勢いを借り腕を切り落とす技術。
 突進のミノタウロスを転ばせた腕はそれで入手したのだ

 流派を持っていなく特定の流派のしたで修めたわけでもなく、シュウはそんな自分が技に名づけるのはおこがましいが、師によると技に名をつけるのは格好をつけるためだけじゃなく、その名を意識することで手足を自動的に技を再現させる、体に技をつける方法の一つである。

 腕の持ち主はどうやら下腕を落とされた痛みと投げ技の衝撃で気を失っている、これなら意識が回復する前に出血死になるだろう。
 すなわち今は――
(残り、一!)
 最後の魔物は己にもたれている片腕の同類を容赦なく撥ねって立ち上がった。
 獣の目に血が走り、歯をむき出し泡がその間から止め処なくふくしている姿もう理性のかけらも感じない。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ……!!!」
(怒りで我を失ったな……後で来るのは最も威力あるの一撃だろう)
 その闘争本能は無意識に一番力の出せる攻撃方法を選択する――おそらく振り下ろし。
 それを見取ってシュウはこの戦いで初めて、攻撃の構えを取った。
 左半身を相手に、両足を肩幅に広がって腰を落とす。剣先を相手の逆に置く。
 ミノタウロスが攻勢に出る瞬間――先を狙うつもりだ。
 シュウはそのタイミングを見極めようと牛人に凝視する……が――
「っ!?」
 なにかが左足首を捕らえ、いや砕けんと締め付けていた!
 目をやると、咽喉を押さえている魔物の太い手がそこに!!
(こいつっ!? 二匹目の!!)
 その空気の通らない咽喉では後十秒もしないうちに絶命するが、この場面ではシュウを五回以上死なせるには十分すぎる時間だ。
 焦点の合わない血走りの眼と、今でも切れそうな荒々しい吐息はまるでこの人間の男に対する呪詛。

 ――シュウは自分の判断の甘さを知った。

 最悪に、剣を持つ最後の戦力となるミノタウロスはこのときを待ってたかように武器を振り上げて突っ込んてきた!!
(まずい! 足が掴まれていてかわすのは無理! この強度の剣で防御しても砕かれて直撃を受ける! 打開策は――)
 シュウは必死にこの危機を抜ける方法を考えるが、自分を粉砕するの一撃がもう目の前――

「牟牟牟悪悪悪悪悪悪悪悪嗚嗚嗚嗚嗚嗚嗚嗚嗚嗚ーーーーーー!!!!!」

 ――振り下ろされた!

 大地が爆発したかのような音は生み出されて、

 それが消えた後、広大の平地にあるすべての音も一緒に壊されたような、静寂が生まれる――

 ……
 …………
 ………………

 泉水が、噴出した。

 そのような音が静寂を破り、周りの空気は鼻を覆うぐらい錆びた鉄の匂いに充満する。
 音の元にはやはり水が噴出していた。
 その色は赤、赤は血、血は霧となって、大気に散らばっていたのだ。

 血の源は二つ。
 ひとつは地面に埋め込んでいる大剣を持ったままの牛頭上半身。
 もうひとつは地面に立ったまま硬直しているの牛の下半身。

 ――ミノタウロスは腹辺りから斜めに両断されたのだ。

 しばらくして、音を立て沈む巨体の下半身のそばには、最後に生き残った者、
 黒髪赤い眼の人間――シュウが、
 剣を振りぬき――剣術という右斬上の姿勢のまま立っている。
 その剣は、

 汚れ一つなく、夕日の光をはじき返した――


 シュウはゆっくり剣をおろして、体が上下分離してなお武器を握っているミノタウロスを一瞥し、己の足首を捕まっていたものに目をやった。
 その凶器じみの手は力なく地面に垂れている――どうやらもう息を絶えていたのだ。
 それを確認して、シュウは周りを警戒する。
 少なくとも自分の視界には敵がいないのを見て、町の監視塔に振り向いた。
 望遠鏡でシュウの意図を分かったのだろう、旗で周りに敵がいないの合図を送った。
 こっちも了解の合図を返して、青年はようやく警戒を解け、息を長く吐き出した。

 ――そして、
 手にあるロングソードの剣身は綺麗すら感じる音が響き、折れて、壊れてしまった。
 人は武器を選び、武器も人を選ぶように、この両方を繋がる“技”もまた、お互いの相性と絆に試練を与える。
 戦いの最後にシュウの使った技は、普通の作りであるこの剣では耐えられなかったのだ 
(無理をさせた……いや、俺の未熟か)
 シュウは心内でこの剣に感謝を送り、落ちた半分の剣身を拾った。
 剣の折れている傷口を見て、ため息をつく。
 ――最後の、本当に危なかった。
 気が抜け今は、体に冷や汗は止め処なく一気に噴出す。一歩間違えたらこの液体の色は赤に変えたに違いない。
 相手の攻撃は荒削りでなかったら、微妙に一番腕が立つ故最初からその動きに注意を置かなかったら、あるいは……

「いや、あとにしよう」
 先刻の危機への戦慄をやめ、シュウはポーチから香を取り出し焚くの用意をする。
 対魔物戦闘死亡率一番高いのは、死にぞこなった魔物に油断しているところで襲われる場合――さっきシュウは自分の身で体験した――それと思いよらぬ増援に襲われた場合だ。
 血の匂いはさらに魔物を呼び寄せる可能性はある、だから香を焼いて血のにおいを遮るのだ。
 用意ができ、火を起す。
 焚くる香からシュウは少し離れた。この香は匂いだけでなく、大量な煙も生むのだから。
 黒髪青年天に昇る煙を眺めながら今日だけでなく、今まで襲ってきた魔物を回想。
(ここ最近、魔物が襲ってくる頻度、そして強さがだんだん高くなっている)
 明らかに普通じゃない。何かの兆しだろうか……町長に相談しよう……とそう考えた。
 ちなみにこの香の煙はもともと無色だが、加工して燃える際に色が出るように戦闘終了の合図にも使っている。
(そういえば今日はどことなくどたばたな一日だったな)
 青年はついでに今日一日を回想する――
 祭りの手伝いに、
 姉とのやり取りに、
 ウェイとリナの痴話喧嘩に、
 師匠とシルヴィアの話。
 ……祭りについて何か忘れた気がするが……たいしたことではないだろう。
「今日はこれで無事に終わりますように」
 シュウはつぶやくと、西に沈みかげの夕日を背に、自分の名を大声で呼びながらここに駆けてくる警備兵たちに向けて、手を上げて答えた。



[25073] その4.5
Name: Reiji◆5804ab49 ID:1cd071ea
Date: 2011/01/05 03:32
 誰かが言ったのか、
 最大の危機は、いつも自分が一番緩んでるところで襲ってくる。
 それは紛うなき真実だ。
 今、シュウは今日最大危機を目にする。
 戦闘の後始末を警備兵たちに任せて家に直帰したシュウは、風呂に入って、飯を食べて、あとはもう寝るとき、その相手がやってきた。
 その戦力は無限大といって良い。
 どんな攻撃でも効かず、
 どんな策でも無意味、
 どこにも逃げ場はない、
 どう足掻こうとも食われてしまう運命。

 ――天敵

 それは、自然界の名詞で、生殺権を握る地位。
 シュウにとってこの相手は正にそれ。
 だが、この男はあきらめない!
(うむ、そもそも天敵に遭遇したとき逃げ場はないなら、何をやっても無理だろう。
 在ったとしてもせいぜい時間稼ぎぐらいだ。けど増援など望めない現状じゃそれも無駄に終わるのは当然。
 気合を入れて決意に燃やすというのも、結果を出せる望みがない現状じゃただのエネルギーの無駄遣いだし。
 それに天敵というのは現れただけで対象の戦意を削るゆえ。気合を入れるも何も――)
 諦め以前の問題である……
 そんなシュウをあざ笑うように、天敵は新月に歪めっている口を開いて――

「一緒に寝よう」

 …………今日、
 自分のアンラッキーカラーはピンクか?
 そう考えてベッドから身を起したシュウは自分の運勢について頭を捻る。
 バカップルのピンクバリアとお姫様のピンクのパンツ。そして、今自分のベッドに座って迫ってくる、

 ピンクの、ネグリジェを着た、姉。

「まぁ、それはいいけど……」
 これは彼と姉のたまにあるスキンシップの一つ、別に珍しくもない。
 普段なら一も二もなく頷くところだ。
 しかし今晩の姉は――
(装備(マイマクラ)を持って来てない、とは……)
 暗闇の部屋中、窓から僅かの光に浮かべている腰までの黒髪と赤い目の相手は、ただ身一つでやって来た。
 これは初めての事態だ。
 その魂胆は明らか。つまり、一つしかない枕(エリア)を二人で入るつもりだ。そのためには体密着(インファイト)するしかいない。
 なら姉がまず持ち出す自前武装はきっとその体の前方に吊っている二つの質量兵器(はちじゅうはちセンチ)。
 それだけでシュウは戦闘開始数分で何もできず白旗を振ることになる。
 ――まさに抗うこともできず最強の敵だ。
 これほどの敵の前に、いったいどういう策はあるというのか?
 逃げ場といっても、ここは青年自身の部屋。どこに逃げようというのか?
 抗うも逃げるもできず、なすべもなくただ示されて運命に飲まれていく。
 天敵というのは、正しくこれのことだ――

(と、悪ふざけはここまでにして)
 シュウははじめての事態に軽く混乱していたのだった。
 今の事態を簡潔に述べると、つまり夜寝る時間に姉は弟の部屋に来て、枕を一つ使用するほどに身を寄せって一緒に寝ると迫ってきたという事だ。
 強大な魔物でも動揺しなかったシュウにとって、これは本当に想定外の事なのだ。
 気を取り直し、自分と同じ髪と目の色を持つベッドの端に占領している人間に語りかける。
「姉さん。せめて自分の枕を持ってきてくれ。
 密着はいくら姉弟でも年頃の男女ではまずい。姉さんも分かっているだろう?」
 姉のわがままならどんなことでもを叶えてやりたいのシュウも、このなにかに繋かねない行為は軽く頷けるわけにはいかない――それを期待しているとしても。
「……ううん。今日はあなたを感じるまま一緒に寝る」
 ……誘ってるというのか?
 という都合のいいフレーズが青年の中に頭を覗かせたが、すぐそれを引っ込ませた。
 安くその結論に飛びついてはいけない。色々過度な二人でも、ちゃんと節度守ってやってきたのだから。
「どうして? というより、どうしたんだ? 今まで、ここまでしなかっただろう?」
「……それは」
 言いよどんで目を閉じるメタナーリア。弟に対して遠慮が少ない彼女ではあまり見れない態度だ。
 そんな彼女の前に、シュウは大腿につめを食い込んで自罰する。
 悪ふざけや、欲望に振り回されて気づいてない自分に対してだ。
 ……姉の様子は変わっている。
 今弱々しい月の光に浮かべている彼女は、その光と同化しそうに儚げで、頼りないに見えるのに。
「姉さん?」
 弟は心配になって姉に触れようと手を伸ばす。
 でも指が肩に接触する前に、姉の紅瞳は再び暗い室内の中に現れた。
 それだけでなく、目光は硬質なものとなって弟に向き、普段微笑んでいる顔も収めている。
 そのせいでシュウは半端な姿勢で硬直。
(な、なんだ?)
 弟であるシュウにはわかる。これはかなり怒ってるのサインだ。
 今の彼は極力顔を平然と保ているが、脳内ではもう自分はなにをやったかという10件以上の激しい討論を始めている。
 それを畳み掛けるように、姉は柔らかな音色を抜けた口調で憤慨している内容を告げる。
「今日の午後、危うく死ぬだって聞いたわ」
 何ぜそれを!?
 その台詞はシュウが歯を噛み閉めたおかげで出なかった。

 警備隊の戦闘はいつも危険が伴う。
 だから家族などに無用な心配をさせないため、大きな怪我や死亡など以外のことは経過の詳細は外部に漏らさないようにしてある。
 おそらく警備隊の誰かが姉に漏らしたのだろう、と弟はいまだ見ぬ仕返し相手を心中で罵った。
 でもなぜ彼女の様子がおかしいのはシュウは理解した。そんなことを知ったらこの過保護気がある姉が平気で居られるほうがおかしい。
「そ、そんなことない。ほら、怪我一つもないではないか」
「ごまかしてもだめよ。怪我とは関係ないのは知ってるから」
「むぅ」
 メタナーリアは戦いの心得などないが、鍛え上がっている弟が身近くにいるのおかげで完全な素人でもない。
「どうして、あんな無茶をしたの?」
「戦い自体に無茶は多少必要なんだよ、姉さん」
 事実、完全なノーリスクな戦いなど、存在しない。
 でもその事実はメタナーリアの怒りを緩和させるには至らず、彼女をため息つかせ、目光の硬質感が幾分強まることに終わった。
 言い逃させず、姉は問題の核心を突く。
「だから、ごまかそうとしても無駄よ。
 私が聞いているのは――どうして一人で戦ったということよ」
「それが一番だったからだ」
 弟もためらいなく、あの時出した結論で言い返す。
 それでも、これは姉を納得されるものではなかったらしい。その怒るの感情も目光も動かないまま、シュウに向けている。
(参った、どう言えば納得できるか……)
 姉弟がこんな睨めあう続けるのはいいと思えない。青年はさらに有力な理由を言い出そうと、

「あの警備兵二人のため、よね?」

 姉のほうが先に代わって答えを投げて来た。
 それは、突然で、前触れなく、どうしてそんな結論が出るだろうと一笑で振り払うこと――そしてシュウの舌まで来る返答を打ち返す力を持っていた。
 なぜなら――
「警備隊はきっと町を守る方針を取る。あの二人が他の兵と一緒に不十分な人数のまま戦いに出れば、全滅もありうる……あなたを除いてね。
 だからあなたは自分ひとりでやると、無理やり押し通した……
 うん、この場合は警備隊のためと言ったほうが正しいわね」
 ――これこそシュウが心奥に隠している大きな理由の一つ。

 素直じゃない彼が、どうしても当人たちの前で口にすることはないものだ。
 根拠もなくそれをいい当たるのは、メタナーリア(あね)くらいしかいないだろう。
「その後に貸しを作るとか云々も、あなた一人を送り出した二人の罪悪感を少しでも減らしてあげようと考えたため、よね?」
 故にか、この通り弟の言動心理をとるのは、難しいことではない。
「違う?」
「…………」
 答えないのは、否定するのは無駄と肯定するのも余計な感じがするからだ。
 加えて、もう何もかも知ってるなら、何も言う必要はないだろうという弟の微かな抵抗だ――姉の前のシュウは子供じみな一面を出しやすい。
 それをメタナーリアは僅か柔らかさを回復して言う。
「意地にならないで、それを怒っているわけじゃないのよ。方法はともかく、他人のためという考えを持つのは立派と思うわ。
 ただね、あなたの本当の理由を確認しないと話しは進めないから」
 まだ話しは終わってないが、軟化する姉を見てシュウはほっとして一息を入れた。
 怒っている人間と話すのは気疲れる、誰もそうだ。
 一間置いて弟が姉に向きなおすと、その柔らかさまた覆う隠しされて――ちゃんと一息つかせるところは彼女の気遣いかもしれない――最も聞かれたくないことが持ち出された。
「その上に答えて――警備隊と一緒に戦う場合の勝率は?」
 もし、自分は怒られることはしてないと主張するなら、これは沈黙でやり過すには無理があることだ。なのでシュウは噛み締めていた奥歯を解いて答える。
「8割」
「……9割ね」
「大した差はない」
「あるわ。
 じゃあ、一人で戦う場合は?」
「7割だ」
「5……ううん、4割ね」
 どっちが正解か、答えるたび僅か揺れているシュウの目を見れば一目瞭然だろう。
 さらに恐ろしくメタナーリアは弟の僅かな仕草からうそを見抜くだけでなく、正解を割り出すのは特に思考も理論も必要ない――シュウは戯れで自分の姉を天敵と称したのは、あながち間違いでもないのだ。
「9割に、4割……」
 二つ数値の差に呆れるように口を動かすと、姉の一対の赤い眼は夜中でもはっきり分かる程据わっているものとなった。
 向けられた弟は逃げ場はないにも拘らず無意識に座っている身を引いた。
「他人のためとは立派だけど、実行すると自分の生存率は半分になるのは、お話にならない」
「……4割でもやれると思った」
 ついその目の圧力に耐えられなくなって、シュウは視線を逸らし直視を避けた。
「実際、死にそうだったのよ」
「結果はうまく行った、問題はない」
「ええ、今回はね。
 でもこれからは? 似た事態が起きたらまた同じことをする? そのたび死にそうになるの?」
「毎回するわけはないだろう。俺は不死身じゃない……
 今日のはできると判断したに過ぎないのだ」
「話しはループするわ。
 ――それって楽しい? 死神との舞踏に快感を覚えるのを教えたことはないわ」
 けど目と合わなくても、姉の責めの一つ一つは重石となってシュウの肩に圧し掛かっていく――やはり、逃げ場はない。
 反論も切れがなく調理がないどころか同じものばかりになってる。
 姉の言うことは正論なのは彼には分かっているからだ。
 しかし――
「……じゃあ」
 青年にも、譲りたくないことはある。
 自分の目にも硬直な光を持たせ、シュウは対峙するつもりで姉に睨み返した。
「姉さんは俺は彼らと一緒に戦いに出て、確実な方法を取るんだというのか?」
「ええ、そうよ」
 迷いの一片も見せないしっかり頷いてみた、姉の標準による答え。
 それはすなわち――
「――彼らを見殺しにしろというのか?」
 自分には一人で彼らを守れる力を持って、絶対に死なせないという夢絵空事などシュウも言わない。もとよりそんな力持ってないし、できもしない。
 まして、目の前に命を散らせたくないという使命感も持ってない。
 姉にいわれまでもなく、指摘されたことはあの時もちゃんと考え付いて理性でもそうするべきだと強く告げている。実際関わっている人間は赤の他人ならそうした。
 だが警備隊の人間たちは違う、ともに戦って来た仲間たちだ。
 全員救う手はあるなら、それも何とかできる範囲なら、少し無理してでもやりたい――いや、やってみせるのはシュウの心情だ。
「見殺しにしてなんて言っていない。
 あなた自身のためにするべき物事をちゃんと守ってほしいのよ」
「言い方を変えただけで、同じことだ」
「同じじゃないけど……あなたがそう思うならそう受け取ってもいいわ」
 ――そんな、冷徹とも取れる意見に、青年はついカッとなった。

「姉さんっ!」「あなたは町の警備隊じゃないっ」

 冷たく、動かない立場という現実は怒鳴りを遮った。
「彼らはあなたと一緒に困難を乗り越えてきた仲間というのは知っている。
 あなたも口に出したことないけど、どれだけ彼らに気をかけているか、私にはちゃんと分かってるわ。
 でも思い出して、あなたと彼らは違うのよ」
 実際、この場で警備隊の男たちに問うたら、メタナーリアと同じことを言い出すだろう。
 シュウは民間協力者であり、加えて町の人間でもない人に助けられては彼らには立つ瀬がないし心配されるのも筋違いだ。さらに警備隊全員はただ他人に守られて後ろで突っ立っていることに良しとしないもの共、ただ手助けしてもらった以上大声で言えない。それでいてシュウの今日出来事は本当に元の役割を超えていたのだ。
「警備隊への手伝いも、ちゃんと自分の身を一番に考えると、私はあなたのやることに賛同した……それを破るの?
 あなたは他人よりも幾分強いかもしれない、でも命はたった一つのは変わりはないわ。万が一つのことは取り返しがつかないの。
 ……もっと、自分を大事にして……おねがい」
 メタナーリアの一番後ろの句にはもう責めてる感じはなく、ただこころ底から出る心配な音色がする。それは言葉の文字自体よりも、シュウの中にあるの反発の意思を揺さぶる。しばらくして、霧散した。

 ……もともと、彼も姉とケンカするつもりなどなかった。感情爆発かけの引き金になった姉の冷たい言葉も、彼女の立場からは何一つ間違っていることは言ってない。
 さらに実はシュウも考えが否定されるのはそう気にしていない、ただ自分にとって平和な象徴な姉の口から非情な言葉を聞きたくなかった。
(……違う)
 言わせたのはなかなかミスを認めない自分だ、っと己の言動を思い返して強張っていた肩を落ちた。

 ――あの時、やれると感じたのは本当だ。
 六時間前ぐらいのことを思い出し、青年はもう一度確認した。
 けど驕りはなかったのか?
 それで油断したのでは?
 と問われたら悔しげに頭を縦に振るしかない。
 そんな半端者が他人のため身を張るのとは笑えない冗談だ。
 どこか過保護な姉がこの危ない仕事の手伝いに許可を出したのは、事前に自分の身を第一に考えるという防御線を張ったからだ。今日それを破ったシュウを見過ごせないのはむしろ当然の反応。

(よく考えたら、結果以外褒めるところはないな)
 結局、姉の言うとおり他人のためというのは立派だけど、死にそうになったのは話にならない。
 最初から最後まで、シュウは自信がありすぎて自分の安全を考えなさ過ぎたのだ――おまけに姉の言いつけも破った。
 ……これは自分の落ち度、弁解のしようもない。

「……ごめん」
 謝ったのは今日のこと、それと意地を張って姉に当たったことだ。
 暗部屋の中、謝られたメタナーリアはこの話を始めってからずっと動いてなかった体――彼女も体を強張っていたらしい――をようやく動き出しシュウに向けて手をあげる。
 ぶたれるか? と思い弟は目を閉ざし身を硬くなった――小さい頃からしつけられた体の反応は成人の今でもなかなか抜け出せないのだ。
 そして考えたとおり姉の手が頬に触れた――でも予測の半分しか合ってない。
 触れたけど……ただし、そっと、優しく。失くしたかと思った大事なものを扱うようにやわらかくて。
 シュウはそこで恐る恐る目を開けて、姉のもう片方の手はちょうど伸ばしてきて、両手で彼の顔を包んだ。続いて軽く彼女のほうに引きよせられって、二つの手のひらは顔からを離し、首に回り、弟は何の抵抗もなく姉の懐に収められ――抱きしめられた。
「あ……姉さん?」
 慣れ親しむ匂いと感触に関わらずシュウは少し戸惑った。先ほどまで感情のぶつかり合いをしたからだ。
 姉はすぐ返事をせず、夜中に浮かぶ彼女の白い首筋に弟の後ろ頭を手で押さえその戸惑う顔を埋まらせた。それから弟のデコを頬ずりして、その後ろ髪を押さえていた手で梳く―― 一通りそうした後、メタナーリアは彼の耳元に軽い、軽い声を送る。
「……お姉ちゃんが、私が、どれだけ心配したか……分かる?」
「……ごめんなさい」
 体の距離がなくなったからこそ分かる、姉の体はわずか震えていた。
 その口から発した小さな声は、胸の奥にナイフで深く突き入れた痛みを引き起こして、シュウは堪らず下唇を噛んだ――今さら気づいたのだ、自分は一番大事なことを頭から抜けていた。
 姉の言いつけを破った? 
 一人先走りして無茶をした?
 どれも問題だ、けどまず思いつくべきのは何かあった場合、

 一人になった彼女はどうなる?

 ――ということではないか。
 ……そうなった先は想像したくもない。
 今抱き締められている姉が震えているのは怒ってるより、ただ怖いのだろう、家族を失うのが――さっきを意地を張って突っぱねた自分を殴りたくなる。
 こみ上げて来る申し訳なさといろんな感情を抱いて、シュウはメタナーリアの引き締まっている腰に手を回ってその華奢な体を抱き返した。
 いつもしていた二人の抱擁、今夜のそれはこの不安を溶けるようにさらに長く、きつく。
 そんな感じにお互いの体温を交換し合って、メタナーリアはまた弟の耳元で囁く。
「もう、危ないことをしないって、約束して?」
「……それは――」
 できない。
 戦い自体はいつも危険が伴う、そんな約束はできるはずがない。
 そう考えて苦しい顔になるシュウを、メタナーリアは懐に居る弟の顔が見えるらしく彼の後ろ頭をあやすように撫でる。
「ふふ、ごめんね。
 ちょっと、意地悪しちゃった」
 からかっている口調なセリフで前言を上書きする姉。
 しかし、それは逆にその不安と願いを滲ませた。

 危ないことするなというのは彼女の切なる言葉だろう。
 もし最終手段――お姉ちゃん命令を使われたら、シュウも頷けるしかなく、警備隊はすぐにでも一人分の頼りになる戦力は消失するだろう。
 だが、メタナーリアはそれをしない。
 縄をもってしても止めたいのに、弟の立場からを考えると強く言わないし、言えない――なんとなくそんな姉の心情を汲み上げて、
(なら、やることは一つだ――)
 シュウはある決定を下した。
 もともと、これは手伝いであって、必ずしもやらなければならないことではない。特に得手なものがないシュウにとってがこれが一番できていて、遣り甲斐もある、それにある人への義理などの理由でに以前からやっているにすぎない。
 姉の口からは止めの字が出ないなら、自発的に警備隊の手伝いを辞める。
「わかった――」「いいのよ」
 ――しかし、先手を取られて、制止された。
「やめなくだって、いいのよ」
「……しかし」
「いいの、こうして……」
 姉は腕の中に居る弟を更に力をこめて抱きしめ、お互いの隙間をなくすように体を密着させた。
「ちゃんと私のところへ戻ってくれれば……私はそれで……」
「……うん」
「でも、無茶なことは……
 ううん、これもだめね。あなたは必要と感じたら迷わず無茶をする子だものね」
 苦笑いの気配がシュウに伝わった。
 いまの言葉を反論したくても、今日の実積の前ではもう何を言っても説得力が抜かれていた。
「姉さん、やはり……」
「だから、いいの。今のは忘れて……お姉ちゃんが口を出しすぎたわ」
「そんなことはない。絶対に、ない」
「そう……でも本当に止めなくていいのよ。お姉ちゃんのことは気にすることはないわ、あなたの本当のしたいようにして。
 ……つい先あなたを罵倒した人間が言うのは矛盾しているけど」
 これ以上何かを言うと、弟は自分のためにやめてしまうのを察し、うふふと自嘲して彼を引き止めた――メタナーリアはあくまで弟を尊重してしたいようにさせている。でも決して放任でも無責任でもなく、口を出すべき境界をちゃんと見極めているのは、先刻のやり取りで明らかだろう。
 対してシュウも本当のところはやめる気は少ないほうだが、曲げるできないことではない。
「けど姉さん。俺は、姉さんを――」
「――シュウ、私を優先して、自分の何もかも後回しのは許さないのよ?
 いつも言っているでしょう? あなた自身を一番に、私はその後の何番でもかまわないって」
 どうやら、姉のほうこそ曲げる気はないらしい。
 このまま警備隊の手伝いをやめるべきかと議論すると、またケンカに発展するかもしれない。姉はこれでなかなかの頑固者だ、っとシュウは内心若干自分のことを棚にあげてそう思った。
「分かった、やめないことにする。
 でも姉さんは俺にとって一番大事だということは、こればかりは譲らない。
 だから――」
 シュウは姉の首筋に埋めている顔を上げて、引き締まった顔を向けた。
 その前触れのない行動に、メタナーリアはちょっと赤い目を見開きながら次の言葉を待った。
 そしてそれは――

「その代わりに――勝つ」

 ――誓いの如く、熱い決意だった。
 このまま、ただ姉の言うとおりに手伝いに戻っても、何も変わらない。
 シュウが行くたび、姉は一人ぼっちで家の前に不安そうに手を握るまま佇んで、彼の帰りを待つ。
 その姿は鮮明に脳内に浮かぶ――それは非常に、胸が、痛む。
 自分の姉をそうさせたら男以前に弟が廃る。
 弟として、姉を安心させる義務があるのだ。
 故に、これはシュウの誓いだ。
「どんな強大な相手でも、どんな危機にあっても、必ず、勝ってみせる」
 そうだ……
 どんな敵でも、己の鍛えた技で切り伏せるのみ!
 どんな絶境でも、編み出した戦術を駆使して切り抜く!
 自分にはできるのだ、なぜなら自分はこんなに明確で強い意志と、技量を持っているんだから。
 そして――見事に勝利を掴む!
「だから、安心してほしい、姉さん」
「――――」
 弟の赤い炎を持つ熱いまなざしと言葉、メタナーリアは感動したように目を潤せ、小刻みに震えている唇を開いて――

「30点」


 不貞寝しようと布団の中に潜り込もうとする弟を掘り返して、メタナーリアは「ごめん、ごねん」と何とか引き止めた。
「あまりにも真剣な顔で可愛いことを言い出しちゃったから、ついからかいたくなちゃったわ」
「……悪かったな」
 すっかりふて腐った弟の眉間は下に、口は上に尖るという思いっきり不機嫌な顔を作って、頑に顔を見せまいと姉に背を向けた。
 そんな子供そのものな行為をする大の男を、メタナーリアは後ろから腕を回して包み込んだ。
 そしてまた先ほどのように、耳元でささやく――今度はどこかいたずらな音色を持って。
「もう、拗ねないの。
 でも本当、まさかあなたからそんな熱いセリフを聞くとは思わなかったわ」
「……カッコをつけるつもりもあったが、それはないだろう」
 シュウはどっちかというとリアルニストに傾げている。さっきのセリフはただ一心姉を安心させてほしいから口にしたのほうが多い。
 もちろんカッコをつくつもりも多少あったが、でもすぐ見破られ見事ににずんばらりんされて、このとおりただ今落ち込み兼ふて腐る中。
 ……女に見栄えを張って無碍にされたら男はだれでもふて腐るものだ。

「くすくす。そかそか、お姉ちゃんのために自分を無理して言い出したのね。
 カッコいいけど、私はむしろ愛らしさを感じるのよ。もう本当に、可愛いんだからぁ……」
「……可愛い可愛い連発するな、もっと拗ねるぞ」
「あらあら、それは大変ね。泣く子と拗ねる子は一番手に負えないって昔から言われているからね。はい、よしよし」
 シュウの精一杯の抵抗(本人はそのつもり)は、姉のメタナーリアにはもっと可愛く見えるらしくて、抱擁だけでなく、なでなでまで出された。
(……泣いていいか?)
 言うまでもなく、眉間と口が接触するほど不機嫌になって、さらにふて腐りこんだ黒髪青年でした。

「――大丈夫よ。
 あなたはどんな思いで私にその決意をぶつけたのか、それとあなたはどれだけカッコよいなのか、私はちゃんと分かっているわ」
「……」
 一通り弟の髪の感触を堪能して、メタナーリアはからかいの口調を潜めてそう言った。
 しかし、言葉が向けられた対象の表情はあまり変動がない。
「お姉ちゃんの言うことが信じられない?」
「そうではないが……」
 本心であることはシュウにはわかるけど、好きな女に見栄えを張ろうと失敗したダメージは男として結構大きいのだ。
「しょうがない子ね……

 ほら、こっち、向いて?」
「…………」
 この場で言われてそのまま振り向く、というシュウの人格はそこまで素直にできていない。
 ――が、
 この弟に対して信じられないほど気が長い姉にそんな抵抗は無意味だ。
 もし振り向かず、無視すると決まりこんでもメタナーリアはただ無言で弟の背中にくっつけていつまでも待っているのだろう――朝日の光がこの部屋の色を全部白に変えても、ずっと、このまま。

「はぁ……」
 またもや姉に一つ黒星をつけられたシュウ。不承不承ながらその腕中に身動ぎして、彼女のほうに向きなおし……目を見開いた。
 さっきのからかうセリフで予想していた笑うのを堪えている表情などそこにはなく、待っているのは慈愛と、うれしさが交じり合った微笑だ。
 ……ということは、どうやらさっき背伸びたセリフは、一応喜んでくれたらしい。
(少なくとも、目的は半分達成したということか)
 と、シュウはそう自分に言い聞かせた。
「わかった? これじゃあ、ダメ?」
「……おーけーだ」
 姉さんが喜んでくれればすべて……とは言わないが、ほぼすべてよしだ。っとこれはシュウの大きな行動標準の一つである。
 ついでに心のダメージもこれで回復――
「でも、30点というのは変わりはないわ」
 ――しなかった。
「なんでだよ」
「分からないかな? ねえ、考えてみて? 私はただあなたが戦いに勝って戻ってくることを喜ぶような女なら、あなたは今頃責められるどころか、パーティを開いてその功績を労っていあげたわよ?」
「まぁ……確かに」
「男が勝利の栄光を身にまとって自分のところへ戻ってくる――それを至上な喜びにするのはね、男なんかよりも男の中に居る自分を愛する女がすること。彼女たちが欲しいのは名声よ。
 そういう女は男の耳元に甘い声で『私のためにがんばって』と囁き背中を押し死地へ送り込む。
 男が生きて帰ったら、自分は英雄の女。死んだら、涙を流して悲劇のヒロインを気取り――私にはそういう趣味はないわ」
 視界をほぼすべて占めているほどの至近距離にいる黒髪赤い目の女性は、その穏やかな顔とは逆に、辛辣な発言をした。それはシュウに改めて自分の姉はただの暢気でやさしいだけの人ではないことを認識させた。
「私を安心させてほしいのは分かるけど、もうすこし考えてから言ったほうがお姉ちゃんはもっとうれしかったな?」
「むぅ……すまん」
「いいのよ、男だもの。自分の腕ぷっしで女を魅せようするのは、いつものことだから。
 ……でも、だからこそ覚えていて――べつに、勝たなくていいのよ」
 軽率なことをいった反省に入ったシュウを、理解のある言葉で慰める同時に全否定な言葉が差し出された。
 それで呆然とするシュウの顔を、メタナーリアはまた細い両手を伸ばし包み込んで、
「勝たなくても、いいの」
 もう一度静かで、しっかりと同じ言の葉を送った。それは追い討ちではなく大事なことを伝う前置きだったから。
「ねえ、シュウ。私が何を一番望んでいるのか、言ってみて?」
「……俺が、元気よく充実に生きることだ」
「ええ、そうよ。ちゃんと覚えていたのね」
 それは姉が日ごろ時々口にすることだが、それでもちゃんと答えられるのはうれしいらしく、両手を引いて先刻みたいに弟の顔を引き寄せた。しかし今度は彼女の懐にではなく顔のほうに近づかせて互いの鼻を軽く触れ合わせる。
「なら、さっき言ったこともう一度言うわね――私は、あなたがちゃんと無事に私のところへ戻ってくれればそれでいいのよ」
 ――千の勝利より、這いつくばっても自分のもとへ戻ってくる姿に心を震わせる女だから。
 そうつぶやくとメタナーリアはお互いの額をくっつけ合って、二対の赤が交わった――思いが、心の底まで入り込むように――彼女は自分と同じ色を持つ男の目を深く、覗き込んだ。

「勝たなくても、見っとも無くても、逃げても、いいの。
 ほかの誰が笑っても、私は絶対笑わない。ただ――」

 ――生き伸びて。

 どこまでも透明で、純粋のそれは、シュウの抵抗を起させず、防壁をすり抜けて、そのまま中に入り込んだ。
「ああ、わかったよ……姉さん」
「ん、じゃあ、約束の印」
 自然に答えた諾う言葉が終わるほぼ同時に、姉はくっ付けあった顔をずらし、そのままシュウの頬には柔らかくて、濡れている物に触れた。
「はい」
 そして離れた彼女は片方の黒髪をかきあげて、白い首筋をあらわしながら自分の頬を差し出した。
 これが二人の約束の儀式――互いの頬に口付けを交換。
 どこかの時代には指切りという風習があるみたいだが、二人の間ではこれが決まりだ。
 なんとなく知識の中に関係ある項目をちら見て、シュウは躊躇なくその頬に自分の唇を押し付けた。
「はい、破っちゃ……だめだよ?」
「……うん」
 儀式を終えて離れた二人はそう掛け合った。
 そんな二人の顔は面白くまるで互いの鏡になったように赤に染めている。
 違うのは今中からわきあがる同じ色の感情に対する反応――シュウは何かを耐えている表情で微妙に相手から目をそらし、メタナーリアは逆に微笑を深めて熱を伴っている眼差しで相手を見つめている。
「そう照れることはないのに」
「……姉さんこそ」
「うふふ、まぁ話は終わりよ。これ以上やっていると夜更かしになるわ。さぁ、寝ましょう」
 効果のないカウンターをいなし、姉は今宵三度目に弟の頭を抱きかかえて、最初と同じ自分の懐に収まると、そのまま一緒にベッドへ倒れこんだ――布団をちゃんとかけて。
 鮮やか、としか言いようがない一連な動作に反応する隙間もなく、シュウは成すがままされていた。
「…………」
 枕はひとつだからて、ここまで密着する必要はあるだろうか……? 
 顔が姉の鎖骨のところに抑えられているシュウは、この体の前面面積と接触してない部分を探し出すのを不可能ぐらいくっつけ合う体勢に心のコメントを入れた。
 でもそれより疑問を感じるのは――なぜか、自分の中野獣の部分は頭をもたげなかったのだ。しっかりと異性として認識していて、しかも誰よりも心の比重に占めている女とこんなに触れ合っているのに……

 ……いや、心臓の鼓動は確実に大きくなっていて、体もちゃんと興奮しているし、呼吸も高温度のそれに変えている。
 しかし、男の本能を刺激するはずの柔らかい体はただ安心と満足感を与えられ、異性のフェロモンは鼻から脳髄に浸食して自分の眠気を誘う、合間とって持続で顔にかかる吐息も子守唄に換え――相手の存在が、自分のなにもかも包み込む。興奮している体は、それ以上落ち着かせている精神に抑えられている。例えるなら、自分の中にいる獣は、やさしくなでなでされて頭をもたげたままおとなしくしている、そんな不思議な気分だ。
 さらに、その気分と同時に自分の中から湧き上がるもうひとつの感覚は――
(懐か……しい?)
 自分の体と精神の反応に戸惑うシュウに、それを肯定する声は姉から降りてきた。
「こんなに近く寝るのは、久しぶりね……」
「……そうか?」
「ええ、あなたが男としての自覚が芽生えた以来よ」
 それってもしや……っと黒髪青年は少し顔を引きつつ自分の予想を口にする。
「もしかして、自分はもう大人だから一人で寝れるとかいって一緒に寝るのを嫌がったとか?」
「そうそう。あの時お姉ちゃん、世界が終わるかと思ったわ」
 そんな大げさな……っとシュウは言い掛けた所だが、この姉の溺愛ぶりからして別におかしくはないだろう。

(それにしても――もう大人だから一人で寝れる……か)
 人の温もりを感じながら寝るのは、一つの幸せだ、子供も大人もない。そんなことを言う自体が子供の証拠なのだ。
 たぶんこれは成長過程の中に誰にもある通過点だろうけど、やはり振り返ってみるとかぶりを振りたいものだな、っとシュウは自分でも気づかないで実際に頭を振った……そのせいで今の体勢のメタナーリアはちょっとくすぐったそうに身じろぎをしたが、彼はそれを気づかなかった。
(俺の、小さいころか……)
 確かこの自分と同じ黒髪と赤い目を持つ姉は、そんな過去を全部覚えているとかいっていたな……つまり以前やらかした恥ずかしいことも全部知っているということか?
 そう、たとえば――

「おやすみ、シュウ」
 ――一日の幕引きとなる挨拶は、シュウのその思考は中断させられた。
「……おやすみ、姉さん」
 これ以上考えても仕方ないだろうっと、シュウは密着している相手の香り――自分にとって麻薬に等しいそれを――を胸いっぱい吸って己をさらに酔わせ、意識を朦朧させた。
 それを待っていたかのように姉は慣れた手つきで弟の後髪の中に手を差込、子供をあやすように撫でてあげた――シュウからは見えないが、きっと姉は今慈愛と満足な笑顔になってだろうっと彼はそう思った。
 そして、この安らぎに身も心も任せてゆっくりと意識が落ち――――


 ……………………………………………アレ?

 そういえば……なぜ結局一緒に寝ることになったんだ? しかも密着して?
 今日の出来事を理由にするのもちょっと無理がある気が……なんだか話の流れのついでにこういう風になっていた。

 ……まさか……こういう風に一緒に寝るのが本当の目的? 

 ………………まさか、な。

 ――これは今宵黒髪青年の最後の思考だった。


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