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[25021] 【学園】walkers -ウォーカーズ-
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/23 22:45
ども、kyouneと申します。
ブログで書いている連載モノの転載です。お暇潰し程度に読んでいただければ幸いです。
感想・批評を下さると勉強になります。

内容は「普通の日常」みたいな感じです。
淡々としており、短話完結が基本です。ご了承下さい。



[25021] 【学園】walkers 1話「入学と出会い」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/20 23:37
 ああ、足が重い。
 まるで鉛をぶら下げているのかと思うくらい鈍重に感じる両足を、僕は新しい校門の前でさっきから一歩も踏み出せずにいた。立ち止まった時間はほんの数秒だったと思うけど、僕にはそれが十分くらいの間のように感じられる。
 石造りの校門は「私立山吹高校」と刻まれた校名を誇らしげに抱え、その後ろには満開の桜の花びらが新入生達を祝福するようにこれでもかと舞っていた。その門を通っていく人たちは大抵が数人のかたまりを作って、互いにはちきれそうな笑顔を交し合っている。近くまでついてきたのだろう着物を着た大人の人や、胸に紅白の造花を掲げた教師達も、みな一様ににこにこと微笑んでいて。
 ――三年前、中学校の入学式と殆どなにも変わっていないこの光景に、僕は思わず深く嘆息した。
 僕には一緒に校門をくぐる人なんていない。楽しそうな話をしながら通り過ぎていく人たちは、どこか遠い世界の存在のように思える。接点なんて、どう引っくり返っても生まれようはずはない。
 同じ中学校からこの山吹高校に進学する人は何人もいたし、来る途中で数人見かけたような気もするけど、その人たちが僕を見て言う言葉はどれも申し合わせたように同じだった。

「うわっ、アイツ伊藤じゃん。山吹行くんだったっけ? マジかよ、同じクラスになったりしたら最悪だな……」
「なに? あの一人で歩いてる暗そうな人」
「あぁ、同じ中学だったんだけどさ、あいつマジできめぇの。暗いっつーか、本物の根暗な。俺アイツが喋ってる所なんか三年間見た事ねーわ」
「うっそぉ!」
「ホントだって、あんま近づかない方がいーぜ。暗いの伝染すっから」
「キャハハハ! やっばい!」

 ――そんな会話を耳が勝手に拾ってくる。
 別に慣れてることだからそこまで気にはならないけど、それにしても本人が居る前でこれ見よがしに聞こえるように言うというのは、わざとなのだろうか。呆れと諦観が入り混じったような息が、口から漏れた。
 僕が周りの人から避けられるようになったのは、中学一年の秋くらいからだった。決定的に避けられるようになったのは〝あの事件〟があってからだろうけど、それ以前から人見知りで暗い性格だった僕を避ける人は結構居た。最初の頃こそ僕もそれなりに気にはなってて、何とか人に話しかける努力をしようとした事もあったけど、二年生になるころには正直もう自分の中でそれほど大きな問題にはなっていなかった。幸か不幸か、その環境に慣れてしまっていたのだろう。
 だから僕は――こうして門の前で佇んでいるときにも、新環境への期待感なんてものは欠片も持ち合わせていない。むしろこれからまた新たに始まるのであろう見切れた生活に、憂鬱を感じるだけだ。

             ※

 適当に入学式を終わらせた後、僕は自分の割り振られた教室へ移動した。さすが私立校といった所で、設備や施設の清潔さは中学とは比べ物にならないほど良く、クラスも一年だけで一組から十組まであるらしい。広さで有名な所だと聞いていたけど、これほどとは思わなかったな。
 僕の苗字は伊藤という事で、初日に座る席は名簿順で一番前の席となった。別に嫌というわけじゃないけど、教壇に一番近い席というのは無意味にプレッシャーを感じてしまう。
「はい、じゃあ今日は登校初日という事でな、それぞれ自己紹介をしてもらおーかな」
 と、担任となった三河先生が、顎鬚をじょりじょりといじりながら面倒くさそうに言った。スーツを着ているというのにどこかだらしなく感じてしまう人で、いい加減そうなイメージを持ってしまう。中肉中背といった感じで、水分の足りていなさそうな乾いた目に銀縁の眼鏡をかけた男の先生だ。
「んー……じゃあとりあえず出席番号一番の、……伊藤君からね。はいどーぞ」
「あ、は、はい」
 名前を呼ばれて、慌てて席から立つ。昔からこういう自己紹介めいた事は苦手だったけど、せめて最初の挨拶くらい好印象を持たせたいな……。
 僕はできるだけはきはきと、大きな声を出すよう心がけ、胸に少しだけ空気を入れてから喋りだした。
「えと……錦内中学から来ました、伊藤祐樹といいます。みなさんとはできるだけ仲良くしたいと思っていますので……どうかよろしくお願いします」
 ぺこり、と頭を下げると、緊張で少し上気した頬の熱を冷ますように急いで席に座った。クラスの人たちは適当に拍手をしてくれて、良くも悪くも普通の滑り出しとなった。
 ――すると。
「…………」
 教室の奥の方の席から、聞いた覚えのある声がひそひそと聞こえてきた。
 目立たないよう首を動かして振り返るとそこには、さっき来るときに会った同じ中学出身の男子が横を向いて座っていた。名前とかはあまり覚えていないけど……その人は隣の席にいる女子に耳打ちするように話し、にやにやと嘲笑するような笑みを浮かべてこちらを指差している。
 ――何を話しているのかは、容易に想像が付いた。数秒して、女の子達のくすくすという笑い声が聞こえてくる。
「……」
 まぁ、こうなるよね。
 分かってたはずの事なのに、何だか少し悔しいや。
「はい、伊藤祐樹君というそうです。んじゃ次、えーと……出席番号二番の……」
 三河先生の名簿を読み上げる声も、少し薄れて聞こえてきた。かわりに大きく聞こえてくるのは、どんどん広がっていくクラスの人たちのくすくすという笑い声。
「えーと……これ何て読むんだ? やり……? すまん、わかんねーわ、二番の人ー?」
 でも、仕方がないよね。全部僕の身から出た錆なんだから。他の人を恨むなんてお門違いってものだよね。
「おーい、二番の人ー?」
「……うつぎの」

 その時。
 ふと、教室中のささやき声が一瞬で静まり返った。

「槍埜(うつぎの)凛です」 
 その声は、僕のすぐ後ろから聞こえた。
 思わず振り返ると、そこには――

「……ふんっ」

 腰に手を当ててふんぞり返る、腰で揺らめくほどの長髪の女の子が立っていた。




 続く



[25021] 【学園】walkers 2話「槍埜凛」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/21 19:59
その女の子の目はまるで鷹のように鋭く、周囲を睨み付けるように光っていた。その瞳が持つ威圧的な雰囲気に、僕は思わず息を呑んでしまう。
 綺麗に整った精悍な顔立ちに、弦のように柔らかくしなる長髪。まるで芸術品と思わせるような細い体と、それでいてきゅっと引き締まった肢体。
 凛とした雰囲気を纏う彼女は、見た人誰もが思わず息を呑んでしまうような〝美しさ〟を放っていた。
「槍埜(うつぎの)凛(りん)、よろしく」
 はっきりと、どこまでも透き通るような明瞭さで発されたその声は、「よろしく」という言葉さえ無表情のままの彼女にはよく似合って冷たかった。

「はい、槍埜さんね。珍しい苗字だなぁ。んじゃ次の人……」
 三河先生が気だるそうにそう言うと同時に、槍埜さんが席に腰を下ろす。槍埜凛さんなんて、変わってるけど綺麗な名前だな、と僕が思っていると――。
 不意に、周りからひそひそとした囁き声が耳に届いてきた。
「うわっ、あの人マジで槍埜じゃん。山吹行くって噂は本当だったんだ……」
「あの人と同じクラスなんて、ちょー最悪なんですけど……」
 複数の女子の声が行きかう。
 何だろう、僕の錦内中学では見た事ない人たちだから、今の槍埜さんっていう人はきっと他の中学の人だったんだろうな。
「……え、何? あの人って有名なの? ちょっと教えてよ」
 すると、さっき僕の事を話していた男子がその会話に食いつく。どうやら彼は噂好きな性格のようだ。
「有名って言うか……聞くところによると槍埜さんって、家が剣術か何かの道場やってるんだって。それで噂じゃあそこの跡取りとして育てられたらしいから……」
「そ、どんな不良が束になってかかっても適わないほど腕っ節が立つ人なの。前の桜中じゃ生徒会長やっててね、とにかく厳しい人っていうかさ」
「あんまり関わらないほうがいい人だよねー。目ぇ付けられでもたらマジで困るもん……」
 と、顔を苦そうにして二、三人のかたまりが小声で話し合う。
 ……なるほど、どうやら槍埜さん、あんまり皆からはよく思われてないみたいだ。どこの世界にもそういう人はいるもんだなぁ……。
「おーいそこ、うるせーぞ」
「あ、すみませーん」
 三河先生が、少し話し声が大きくなっていた女子達を顎で指して注意した。


 クラス全員の自己紹介が終わると、入学式初日はこれで終了・解散となった。僕は肩の力が一気に抜けたような気がして、思わず椅子に座ったまま天井に向けて息を吐く。
「……ふぅ」
 周りを見てみると、それぞれが二人以上のグループをつくって帰り支度を始めている。初日だから一人で帰る人もいるけど、あの人たちだってあと数日もすれば、きっと一緒に帰る友達くらいできるはずなんだよね。
 けど、多分僕は違う。一人で家に帰るのは一週間後も一ヵ月後も一年後も、きっと同じだ。いや、高校三年間ずっとそうかもしれない。
 今更それを悔しいとは思わない。別に、僕にはどうせ縁のないことだから。

         *

 それから、一週間が過ぎた。
 案の定クラスでは既に一定員のグループが出来始めていて、男子は男子、女子は女子でそれぞれ仲がいい人たち同士のかたまりを作っている。
 そして――当然ながら僕はそのどこにも含まれていない。クラスの人たちからは一切話しかけられないし、特に僕から話しかけようとも思わない。
 だから、これは当たり前といえば当たり前の状況だ。僕が進んで人に話しかけて仲間にしてもらうよう頼んだ訳じゃないのだから。そして僕自身も、逆にこっちの方が居心地がいいと感じ始めてきている。ヘタに友達なんか作るよりも、いっそ一人でいたほうが色々と楽なのは確かだった。
 そうやって、良くも悪くも中学時代と同じような感覚で日々が流れて行く――それでいいじゃないか。

 僕がそう思っていた、直後だった。

「おい」
 後ろから、ふと声が聞こえた。透き通るような綺麗な声で、僕の耳の奥まではっきりと届くクリアな音。
 いつか、聞いた事のある声だった。
「……?」
 振り向くと、その声の主は――
「お前、他の人と話さないのか?」
 出席番号二番。珍しい名前とあの小耳に挟んだ噂話の影響で、妙に僕の印象に残っていた「女の子」。
 「きっ」と澄んだ目でこちらを見つめる、槍埜さんだった。
「……え?」
 突然の出来事に、僕は思わず目を丸くする。
 この高校に入ってから……というか、中学のときからクラスの人に話しかけられるなんて、僕には殆どない経験だった。加えてこんな――凄い綺麗な人に話しかけられるなんて、僕の今までの人生を振り返ってみても多分ないだろう。
「……何で?」
 聞き返すと、槍埜さんはどこか怪訝そうな表情を浮かべた。
「いや、入学式から喋ってるところを見た事なかったからな。少し気になったのだ」
「あ……いや、別に……」
「話し相手がいないのなら、私が友達になってやろうか?」
「い、いいよ! ……というか、僕みたいな人にあんまり関わらない方がいいと思う……」
「ん? 遠慮をするな。私はな、困っている人を見ると放っておけない性質なんだ。いつでも頼るといいぞ」
「こ、困ってる人って……」
 どうやら僕は勝手に「困ってる人」と認識されていたらしい。傍から見るとそう見えるのだろうか。
 というか槍埜さんって、見かけによらず何だか男っぽい喋り方をする人なんだなぁ。
「ふむ。ま、私にかかれば、お前のくだらん悩み事など一瞬で解決してくれる。何かあったら私にいうんだぞ」
「え……えぇ?」
「ん、そろそろ委員会の時間か。またな」
 僕が呆気にとられていると、槍埜さんは立ち上り教室から出て行った。
 最後のほうで委員会と言っていたけど、そういえば彼女はこのクラスの委員長だっけ。確か推薦ではなく立候補で勝ち取ったという奇妙な人だったのは覚えているけど……。
 それにしても、どうして僕なんかに話しかけたんだろう。こんなに同年代の人と長く話したのはずいぶん久しぶりのような気がする。――実際コウちゃん以来だ。
「……でも、なんか変な人だったな……」
 入学式の日に聞いた自己紹介ではなんだか怖い人ってイメージがあったのに、さっき話したときはずいぶん気さくな印象を受けた。
 槍埜さんという人への印象が、ガラリと変わった日だった。


 そして事件は、その次の日に起きた。

        *

 昼休み。終業を知らせるチャイムが校内中に鳴り響くと、教室の皆は一斉にぞろぞろと席を離れ始めた。
 僕がカバンから弁当を取り出し、箸を握ろうとした、その時。
「よう、伊藤」
 ふいに、前から名前を呼ばれた。頭をあげると、そこには同じ中学出身の山崎君の姿。
 登校初日から何かとクラス中の噂話を聞きまわっていた、あの人だ。
「な……何かな」
「お前どうせヒマだろ? 今日購買でパンの特売があんだけどよ、お前ちょっとひとっ走り行って来てくれや」
 山崎君は意地の悪そうな笑みを浮かべると、周りに居る男友達たちとにやりと笑みを交わした。
 ――確か購買でやってるパンの特売というのは、一週間に一度の日だった。聞いた話では当日は相当な激戦になるみたいなので、今から走って行っても多分間に合わないのは明白だ。
「あ、わかってっと思うけどよぉ。お前買って来れなかったらわかってんだろうな」
 ふざけたように険しい顔を見せる山崎君。きっと今から買いに行っても買えないということを分かっての事だろう。そういえばこの山崎君は中学のときも似たようなことをしてたっけ。
「ホラ伊藤、早くしないと売り切れちまうぜ?」
 嫌らしい笑みを浮かべる、山崎君と数人の男子たち。……まぁ、これも仕方ないといえば仕方がないのか。
「……わかった。行ってくるよ」
「おう、ダッシュで人数分な。急げよ」
 ひらひらと振られる手から遠ざかるように、僕は席を立った。人数分なんて、どう頑張ったって無理に決まってる……。
 そう頭の中で諦観した、その時だった。

「おい貴様ら! 昼食くらい自分たちで買いに行かんか!」
 大声で透き通る、凛とした声。
 振り返ると、そこには――

「……まったく、高校生にもなって、下らん」

 仁王立ちで髪を揺らす、槍埜さんの姿だった。


 ――ああ。頼むから、余計な事はしないでほしいんだけど。


 続く



[25021] 【学園】walkers 3話「衝突」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/21 21:59
「……あぁ?」
 突然現れた槍埜さんに、山崎君は睨むような目で大げさに首をもたげる。槍埜さんの視線もそれに負けないくらい鋭いもので、二人の間に険悪な雰囲気が流れたのが分かった。
 僕はというと――いきなりの登場人物に、状況が掴めないまま固まっているだけだった。
「人に昼食を買いにいかせるとは、高校生にもなってパシリを使うとは情けない……」
 槍埜さんは呆れたように吐き捨てると、「きっ」とした目で山崎君たちを睨みつける。
「恥を知れ! 山崎啓介!」
 その時彼女の周りから、一瞬燃え上がるオーラのようなものが見えた気がした。それくらい、その声と言葉はあたりを震撼させる迫力を持っていたのだ。

「お、おい山崎……アイツ槍埜だろ? やべぇじゃん……」
「と……とりあえず謝っといたほうがよくねぇか?」
 そのあまりの気迫にたじろいたのか、山崎君の周りにいた数人の男子達がおどおどと慌て始めた。と言っても、さっきの一歩間違えれば恫喝のような彼女の声はそれだけの力を持っていただろうから無理もない。
 しかし、山崎君はそんな周りの男子達の様子とは少し違った。若干額から汗をにじませてはいるものの、その目からは槍埜さんに対する敵愾心が見て取れる。彼は集団から一歩前に出ると槍埜さんと一メートルくらいの距離にまでゆっくりと近づいてきて、言った。
「へっ、おいおい槍埜さん。俺がどいつをパシリに使おうがあんたにゃ関係ねーだろ? つーか道場の後取り娘だかなんだか知らねーけどさ、あんまり正義感ばっかりで男に口出すと痛い目見るかもだぜ?」
 目の前の敵を威嚇するように拳をパキパキと鳴らす山崎君。その行動に後ろの男子達はにわかにたじろいでいるようだったが、本人は何も気にした素振りは見せない。
「大体よぉ、お前には入学した時からムカついてたんだ。女の癖にデカい顔しやがってよぉ、イライラすんだよ俺は……」
「…………」
 目と鼻の先でお互いの目を睨みあう二人だったが、槍埜さんは山崎君の拳にさして動揺したりする事はなく、凛とした表情を崩さぬまま無言で視線を送っている。その無反応が山崎君を苛付かせたのか、不意に彼はチッと舌を鳴らした。
「おい、あんだけ大口叩いてたんだから何とか言えよ。……それともまさかビビッたのか?」
「…………」

 どうしよう。二人の間だけでなく、次第に教室中の空気がどんどん重くなっていく。
 事の顛末を知る人たちから漏れた言葉が人から人に伝播して、この教室の中で起こっている事は次第に誰の耳にも入るようになっていた。
「……やだぁ、あれ槍埜さんじゃん、山崎君とケンカでもしてるのかしら?」
「えぇ、原因は何なの?」
「さっき聞いたんだけどさ、何か伊藤が山崎にパシられてる所を槍埜さんが……」
 ざわざわとした話し声が室内を渦巻く。その台風の中心である槍埜さんと山崎君は、互いに一歩もそこを動く事無くまだ睨み合っていた。
 ――この嫌な展開も雰囲気も、全部あの槍埜って人のせいじゃないか。と僕は思った。あの人が変にしゃしゃり出てこなければ、僕が行って来てそれで終わりだったのに……。
 この状況を作り出した本人である彼女には、自然と迷惑な感情を向けてしまっていた。

「……和解は不可能か」
 不意に、槍埜さんが沈黙を破って小さく口を開いた。

「願わくばお前を更正させた上で、伊藤と山崎の二人には熱き男の友情を育んで貰いたかったのだがな」

「……はぁ?」
 その唐突な言葉に、山崎君とその仲間の男子達が一斉に首をかしげる。
 ――が、
「う、槍埜さん……?」
 それは僕も同様だった。
「な、何気味悪ぃ事言ってんだお前! バカじゃねぇのか!?」
「何を言う。お前達は確か同じ中学の出身なんだろう? だったら昔のよしみもあって、仲良くするのは当然ではないか」
 そんな、僕には驚天動地としか取れない事を当然のように真顔で言う槍埜さん。更に彼女は続ける。
「いや、伊藤の奴は可哀想に、入学してからこっち誰とも話せないでいたではないか。そんな困った人間を放っておくとは、貴様は己の良心が痛まんのか山崎啓介!」

 ……。

 最早「性善説」を超越したようにしか聞こえない言論を、仁王立ちのまま胸を張って言い切る槍埜さん。
 ……あぁ、なんだろう、何故か僕のほうが恥ずかしい。
 言われた本人である山崎君も流石に滑稽だったのか、厳しい表情から一転して口元を緩ませ、彼女を嘲笑するようにわざとらしく吹き出していた。
「……ぷっ、何言ってんだこの女……。頭おかしいんじゃねぇのか? 誰が……」
 すると、山崎君は一瞬だけ視線を落とすと笑うのを止め、片腕を静かに鳴らした。そのまま足を一歩前に出すと、鋭い目で目の前の長身の女の子を睨みつけ――
「誰があんな奴と仲良くなんかするかよ! てめぇ……ムカツクんだよ!」
 腹の底から出したような大声で怒鳴りつけながら、彼女の胸倉に掴みかかろうと――!

「ふんッ!!」

 ――して、吹っ飛ばされた。








「……え?」
 誰かの発した間の抜けた声が、一転して静寂に包まれた教室に反響する。
 誰も今の一瞬で何が起こったのか把握できないまま、呆然と立ち尽くしていた。
 変化したものと言えば、さっきから変わらず凛として仁王立ちを続ける槍埜さんと。

 ガラガラと崩れた机と椅子の山の中に、気を失ったように倒れこむ山崎君の姿だけだった。




続く



[25021] 【学園】walkers 4話「友達」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/22 23:55
「…………」

 誰も、口を開こうとはしなかった。
 恐らく目の前で起きた出来事が一瞬過ぎて、その「結果」だけを見ても何がなにやら分からず混乱しているのだろう。とりあえずいま確認できる事と言えば、机と椅子の山に埋まった山崎君の悲惨な姿だけだ。
 彼と一緒にいた数人の男子達も、教室の隅で事の顛末を野次馬していた女子達も、皆一様に面食らった様子で微動だにしていない。
 かくいう僕も――まるで武術の達人が放った一撃に小学生が張り倒されたような、そんな無慈悲で異常な光景しか目には映っていなかった。

「……む?」
 すると、その山崎君を張り倒した当人が、首をかしげながら間の抜けた声をあげた。
 長い髪を揺らめかせながら一通りあたりを一瞥すると、次の彼女の一言を待ち侘びているような空気が傍観する僕にも伝わってきた。今は教室中で事態を見守る皆が、槍埜さんの一挙手一投足に目を剥いて注目している。
 この、下手をすれば停学処分にすらなりかねない事件を、どう纏めるつもりなのか。
「……あぁ」
 彼女は思い出したようにはっと息を呑むと――

「済まん山崎。お前がいきなり掴みかかるものだから、一式とは言えうっかり槍埜流体術を使ってしまった。骨は折れてはおらんか?」

 と、足が上になったままの危険な体勢で倒れこむ山崎君の骨を心配し始めた。

 当人は周りの空気を何ら気にする事無く山崎君の両足を掴むと、まるで地面の芋を抜くかのように軽々と机の山から引きずり出した。次にてきぱきと倒れた机や椅子を凄い速さで元通りの位置に直すと、可哀想に気を失ってしまっている山崎君を、女の子とは思えない力でそのままひょいっと担ぎ
「私は被害者とは言えこいつは心配だな。一応保健室で診てもらうか……」
 と言い残し、颯爽と教室のドアを開けて去っていった。
「…………」
 重要人物二人が居なくなっただけで、数分前と何も変わらない空間となった教室。そこに取り残された人たちは、僕をはじめとして多分冷や汗を流しながらこう思ったことだろう。
(う、槍埜流体術って何――!?)
 ――と。


              *

 山崎君が槍埜さんに殴り飛ばされるという驚きの事件(と言っても原因は多分山崎君だけど……)は、次の日になっても噂が波紋を呼んでいた。既に学級を越えて二年生三年生にもちらほらと伝わっているようで、教室の中では昨日の昼休みに起きた事が、虚か実かも分からないような尾ひれをつけて飛び交っていた。
 僕はといえば相変わらず教室から拒絶されたような出席番号一番の席で、頬杖をつきながら何も書かれていない黒板を見つめていた。
「……」
 昨日から何故か槍埜さんの、あの威圧的ながらも白鳥のように凛とした立ち姿が印象的で頭の中にくっきり焼きついている。彼女に吹き飛ばされた山崎君が無事かどうかというのも気にはなるけど、それ以上に僕は槍埜さんの事が気になって仕方がなかった。
 彼女、形式上は暴力を振るったという事になってる筈だから、もしかしたら学校側から処分が下ったりする場合もあるんじゃないだろうか。もしそうなったら――
「あ……」
 そこで、自分が始めて誰かの事を案じている、という事に気がついた。
(な、何を考えているんだ僕は……)
 別に槍埜さんが停学処分になったりしたって、僕には関係ないことじゃないか。
 ……というより寧ろ槍埜さんって怖い人って噂だから、下手をすれば居ない方がいいかもしれない。
 そう考えれば――
「…………」
 ……いや、でも一応あの人だってクラスメイトなんだ。もしそんな事になったら気分が悪いっていうのもあるかも知れない。
 それにあの人は――

(……初めて僕に――話しかけてくれた人だ)
 
 入学式から一週間も経たない日。当たり前のように周囲から孤立していた僕に、当たり前のように図々しく声をかけてきた槍埜さん。
 その時は迷惑だと思ったけど――もしかしたら僕は、その事が心のどこかでは嬉しかったのかもしれない。
 もしかしたら僕は、待っていたのだろうか。誰かから係わりを持ち込まれることを。
 ――そのせいかな、妙に印象に残っているのは。
(……でも、本当にコウちゃん以来だったなぁ……)

 ガラッ

 その時、教室の前の扉が勢いよく開いた。
「!」
 次の瞬間、そこに立っていた人物に、クラス中の全ての視線が集まる。
 その人は――
「うむ、よい朝だな。お早う!」
 元気に片手を上げて教室中に挨拶を飛ばす、髪を揺らしながら仁王立ちする槍埜さんだった。

 彼女は颯爽と教室内に入ると、僕のすぐ後ろにある出席番号二番の席に腰を下ろした。その長く繊細な髪の先端が、振り返った僕の鼻先を一瞬だけ掠める。槍埜さんは机の上に重そうなカバンをどすんと置くと、さも当たり前のように前の席の僕に話しかけてきた。
「お、伊藤か。昨日は大変だったな」
 いや、槍埜さんと山崎君のほうが大変だった筈だけど。
「昨日私が不注意で吹き飛ばしてしまった山崎啓介だがな? 幸い命に別状はなく、単に気絶しているだけだったぞ。いやぁ、よかったよかった」
 それを聴いても、命の心配をされる山崎君に同情してしまう。
「まったく近頃はタチの悪い輩もいるものだな。いつになっても弱者を利用しようとするふとどき者は世にはびこるものだ……」
 あ、僕普通に「弱者」扱いされてるよ。間違ってないけど。
「だが安心しろ伊藤祐樹。もしまたお前の身に何かあったら、いつでも私に言うのだぞ」
 事が大きくなりそうな予感がびんびんにするから、多分言いたくないと思う……。
 すると目の前の槍埜さんは何故か少しイライラしたような様子で、僕のことを鋭い目で見てきていた。
「ええい伊藤よ。さっきから私のほうが喋ってばかりではないか。お前も何か喋らんか」
 え、ええ……? そんな無茶な注文を……。
 とはいえこのまま黙っていると何をされるかわからないので、僕はとりあえず槍埜さんに関する昨日の事を聞いてみる事にする。
「え、ええと……。槍埜さん、昨日の事件でなにか先生から言われたりしなかった……?」
 すると彼女は僕の質問になにも思案する事無く、平然とした様子で返してきた。
「うむ、心配には及ばん。手を出したのは向こうが先だったのでな。私は〝少々過激な〟正当防衛という事でカタがついた」
「そ、それでいいんだ」
「ま、山崎のほうはなにやら教諭のほうからきついお灸を据えられていたようだったがな。かく言う私も『正当防衛はもう少し穏やかに』と注意されてしまったよ。はっはっは」
 わ、笑うところなのだろうか。
 槍埜さんはその端整な顔持ちとは裏腹な、快活な表情で笑い飛ばしていた。

「む、ところで伊藤よ」
 ふと、槍埜さんが少し真剣みを帯びた表情で顔を乗り出す。
「昨日のような事があったのも、要はお前に友達が居ない事にも一つ起因すると思うのだ。お前がもっと他の者と楽しそうにしていれば、山崎などにパシリに使われることもなかった筈だ」
「そ、そうかな……」
「うむ、そうなのだ」
 僕には若干強引な理論に聞こえるものの、自分の言っている事は的を得ている! と言わんばかりの自慢げな表情で語る槍埜さん。更に彼女は続ける。
「そこでな、私はこのようなお前の状況を打開すべく、何と素晴らしい解決策を見出してやったのだ。それを今からお前に教授してやろう。在り難く思うのだぞ」
「……はぁ」
 人の事情をまったく無視したように語り続ける槍埜さんは、同時に周りの目すら無視したように急に立ち上がり、教室中に響く一際大きな声で、言った。

「私が、お前の友達になってやるっ!」

「…………え」
 発されたその言葉に、一瞬間抜けな声を出してしまう。
 しかし数秒後にはその言葉の意味も理解できた。
「え、えぇぇ!? い、いいよそんな事しなくたって!」
「む? 何故だ伊藤よ。お前だって友達がいなくて寂しい思いをしていたのではないのか?」
「い、いやそれは……」
「だったらそれは好都合でないか。お前にとっては断る理由などない筈だ」
「け、けど」

「言っておくが、拒否は許さんぞ。もう私が決めた事だ。今から私は、お前の友達だ」

「(え、ええええぇぇぇ!?)」
 僕の心中に、生まれて初めて出したような大声で、理不尽を呪う叫び声が反響した。




 コウちゃん。
 何だかよく分からないうちに、高校で友達ができました。
 けど、僕はこれから先のことが凄く心配でならないよ。
 いつか彼女の拳で吹き飛ばされて命の心配をされるのではないかと、僕はいま嫌な汗が全身から滲み出ている所です。




 続く



[25021] 【学園】walkers 5話「傷」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/23 22:46
「はぁ……」
 僕は思わず、机に頬杖をついたまま嘆息する。
 すぐ後ろの席には昨日の騒動をものともしないご機嫌よさげな槍埜さんが座り、心なしか教室中の視線は全て僕達二人に集約されているようにも思えた。
 彼女の強引な宣言によって、勝手に「友達」にされてしまった僕、伊藤祐樹。今はそれを喜ぶとか悲しむとかそれ以前の問題として、周囲からの目がただ痛い。
 ただでさえ周りから異端として扱われていた槍埜さんに、もともと暗い性格で友人のいなかった僕。そんな二人が友達になったなんて噂が流れれば、自然とそこに向けられる目だって違ってくるだろう。
「…………」
 ふと、顔ごと振り向いて後ろの槍埜さんを眺める。
 すると彼女は遠足に行く前夜の小学生のような笑顔を爛々と浮かべており、元から綺麗なその顔に更に美しさを灯らせていた。
「む、どうした伊藤。さっそく友達の私になにか相談か?」
 そんな事をどこか嬉々とした様子で言ってくる槍埜さん。
「い、いや、違うよ」
「何だ、心配事ではないのか。……そうか、ならよい」
 すると、一瞬槍埜さんの表情が少しだけ沈んだような気がした。
「(? ……何か残念そうだなぁ)」
 いや、まぁいま心配事があるとすれば、それはひとえに槍埜さんが原因の事なんだけどね。
 それにしても、どうして朝からこんなに無駄にテンション高いんだろう、この人は。


「……それにしてもさぁ、どういうつもりなんだろうね、あの二人」
「――!」
 ふと、そんな囁き声が教室の隅から耳に入ってきた。
 見ると、女子や男子の複数のグループが一様にこちらを見ながらひそひそと囁きあっている。
「なんか、槍埜がいきなり伊藤のことを友達だとか言い始めたみたいだぜ?」
「えぇ? それっておかしくない? なんであの槍埜さんが根暗な伊藤なんかと?」
「いや知んねーけどさ、もしかしたら何か裏があるんじゃねぇの? だって友達になるっつったって、どう考えてもおかしい組み合わせだし」
「……っていうかぁ、むしろ可哀想なのは伊藤じゃない? アイツきっとこれから槍埜さんにいいように使われるに決まってるよ。席だって隣な訳だし。そうでもなきゃ槍埜さんあんな事したりしないって」
 数人のかたまりの間に飛び交う話題が、否が応でも耳に流れ込んでくる。あっちも声はひそめているらしく途切れ途切れにしか聞こえないが、それでも大体言っている事は掴めた。
 ――ああ、これだから嫌だったんだ。
 なまじ槍埜さんみたいな個性の強い人がこんな形で友達になられるんだから、こうなるに決まっていた。変な噂が立つのは寧ろ必然だったのかもしれない。
 でも、どうしよう。だからと言って、今さっきなったばかりの友達という関係を破棄してもらうよう槍埜さんに頼むのか? ……いや、流石にそんな事はできないか。
「…………」
 すると、目の前の槍埜さんがいつの間にか、視線を深く落として唇を固く結んでいた事に気づいた。いつもの凛とした表情とはまったく違う、まるで鈍痛を我慢するような顔つきだ。
「? ……槍埜さん?」
 その表情を見て、ふと思う。
 もしかしたらさっきのクラスの囁き声が彼女にも聞こえてしまっていたのだろうか、と。
 だとしたら――きっと辛いのは槍埜さんのほうかもしれない。彼女は自分から僕と友達になると言ってきたのに、それを何か裏があるのかと勘ぐられては心外もいい所だろう。こんな風に落ち込んでしまうのも無理はない。
 実際こうして槍埜さんを見ていても、裏にある計算なんてものは仄かにも感じられない。まだこの人の事は何も分からないけど、不思議とそういったものは彼女には無さそうに思える。何の根拠もない話だけど、何故かそういう人じゃないという事だけは何となく分かる。
 ……自分で迷惑がっておいて、どうしたんだろう、僕は。

「…………ええい」
 すると、槍埜さんは苛ついたように一言だけ言葉を漏らした。

 バンッ!!

「……!!」
 唐突に、机を思い切り叩いた衝撃音が教室中に反響した。
 槍埜さんが、両手の平を机に叩きつけながらいきなり立ち上がったのだ。
「……!」
 クラスにいる人全員が、一斉に息を呑んだように静まり返る。特にその中でもさっき僕達の事を色々と話していた人たちは顔を一瞬で青くし、凍りついたように直立していた。
 皆視線は、無言のまま急に立ち上がった槍埜さんの姿に当てられていた。
「一体何だお前達は! さっきからごそごそと女々しいぞ! 言いたい事があるならはっきりと言えっ!」
 槍埜さんは背を伸ばしながら、剣幕激しくよく通る大きな声で教室中に呼びかけた。
「…………」
 しかし、誰もその声には反応する事も無く、更に一層身を縮こめるばかり。まぁ、当然だろう。
 唖然とする僕を尻目に、彼女は呆れたように大きく溜息を吐いた。細く鋭い目で辺りを一通り一瞥すると、腰に両手を当てて長い髪を揺らし、いつもの仁王立ちのポーズになると――。
 そのまま大きく息を吸い込み、教室中に響く声で、言った。

「お前達……そんなに伊藤と友達になりたいのなら、自分で言えばよかろう!」



(…………え)
 僕は反射的に、心の中にありったけの疑問符が浮かんだ。
 その、思いっきり的外れな彼女の言動に。言い切ってやったと言わんばかりの凛とした表情に。
 ――恐らく、クラス中の誰もが、心中を大量の疑問符で満たした筈だろう。
「(槍埜さん! それは……あなたの勘違いだよ!)」
 僕は言葉には出さずに、全力でツッコんだ。

「……む、そういえば、今日はクラス委員は委員会室に集合だったな。すっかり忘れておった」
 辺りの完全に冷え切った雰囲気をまるで感じられていないといった様子の槍埜さんは、そう言うといきなり自分の机を離れ、颯爽と教室の入り口に歩いていった。
「じゃあ伊藤よ。私はしばし席をはずすぞ」
 最後に僕に向かって片手を上げると、それっきり風のように教室から姿を消した。


「……なにあれ、怖かったぁ。いきなり机叩くなんて、脅し?」
「ってかアイツ勘違いしすぎだろ。誰があんな無口野郎と……」

 あぁ槍埜さん。あなたのせいで、教室からの視線が更に痛くなりました。
 机に突っ伏しながら、この理不尽に心の中で涙を流す僕だった。








                *



 ああ。

 こんな形でしか自分を隠せない私は。

 ――何と弱いのだろう。




                *




 続く



[25021] 【学園】walkers 6話「仲直り(前編)」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/24 22:39
 その日、槍埜さんは休み時間になる度に、ちょくちょく僕に話しかけてきた。
 と言っても話の内容は特に特筆すべき事じゃない、取り留めの無いもので。
「伊藤よ、今日はいい天気だな」
 とか
「時にお前、今朝の昼食は何を食べてきたのだ?」
 とか
「うむ、やはりクラス委員という役職は身が引き締まるな」
 とか、そんな話さなくたって構わないようなどうでもいい話題。そんな感じの事を淡々と槍埜さんが言ってくるだけだ。
 だけど彼女は話している最中にもなぜか顔を綻ばせながら少年のような笑みを灯し、それはまるで周りの目なんて瑣末な事だと言わんばかりの、一向に気にも留めていないような気強さを持っていた。終始殆ど聞き役に徹していた僕にも、その快活な笑顔はこちらにも少しだけ伝播してきていたような気がする。

 僕は彼女と話していて、
 その端整な顔つきには不釣合いのように宿る、裏表の無い笑顔を見て。
 つられるように、ほんの、ほんの少しだけ――

 笑顔になっていたのかも、知れない。



 その日の学校は、何だかあっという間に終わった気がした。


           ※


「あれ?」
 終業を知らせるチャイムが鳴ると、教室中の人たちが一斉に帰り仕度を始めた。
 急にがやがやと鳴り出した喧騒の中で、不意に一抹の疑問が僕の頭に浮かび上がる。
(そう言えば山崎君……どうしたんだろう)
 すっかり忘れてしまっていたが、思い返せば今日一日彼の姿を見ていない。僕が特に気をつけているわけではないが、山崎君はこのクラスでも友達が多いみたいなのでなにかと目立つ人だった。
 それが昨日槍埜さんに担がれていったきり、姿を見ていない。どうしたんだろう。
「…………」
 心配になるという程でもないが、もしかしたら槍埜さんに吹き飛ばされた時に結構な傷を負ったりとかしてしまったのかも知れない。最悪それで今は病院に入院中とか? 
 ――そんな可能性も、後ろで呑気に教科書をカバンの中にしまっている槍埜さんの美しく引き締まった腕を見ていると、完全には否定しきれないような気がしてきた。
「……ねぇ槍埜さん」
「ん?」
「山崎君きょう見ないけど、どうしたんだろうね?」
 僕はそれとなく聴いてみる事にした。すると彼女はその細い指をすらっとした顎に沿わせ、空を向きながら考える素振りを見せる。
「ふむ、私も詳しい事は知らんが、欠席ではないのか? 昨日私の槍埜流体術を喰らったとは言え、外傷は特に無かったはずだ」
「そ、その槍埜流体術って仰々しいのがやばいんじゃないの……?」
「いや、確かにこれは私の家に脈々と受け継がれてきた対万物用殺傷法とは言え、所詮一式では人一人を殺める程の力は持たんよ。心配には及ばん。大方風邪か何かだろう」
「……そ、そうなんだ(式がどうとかの詳細は怖いから聴かないでおこう……)」
 何故か身体に悪寒を感じたが、深く突っ込んだら何となく危ない気がする。何となく。
 ――と、その時。

 ガラッ

 不意に教室のドアが開いた。
 そこに立っていたのは、今日は朝からずっと見えなかった山崎君の姿だった。
「……あ、山崎!」
「山崎じゃん。どうしたんだよ今日……」
 すると、彼の周りに何人もの男子生徒がわらわらと集まっていく。
 しかしその中心に立つ山崎君はどこか憮然とした表情で、教室中を一通り見渡した後、僕と槍埜さんのほうに鋭く細めたような視線を向けてきた。
「――山崎か」
 瞬間、槍埜さんの表情も急に引き締まる。……やはりこの二人、バツが悪いのだろうか。
「……おい、伊藤」
 すると、山崎君が静かに声を発した。周りにいる人だかりを軽く手で掻き分けるようにどかして道をつくると、教室の扉から一番近い僕の席のすぐ目の前まで来て止まる。
 ――あれ、どうしたんだろう山崎君。何だか凄く不機嫌そうだけど……ひょっとして、昨日の事を根に持ってるのだろうか。だとしたら僕は被害者で、関係ないと思うんだけど……。
 僕がどうしたものかと思案していると、山崎君は視線を僕から話さないまま再び口を開いた。
「……ちょっと来い」
「えっ……」
 返答を待たないまま、山崎君は机に座る僕の腕を強引に引っ張って立たせた。すると突然の事にびっくりして無抵抗な状態の僕の反対側の手を、槍埜さんが反射的といったようにがしっと強めの力で握る。
「待て。伊藤を何処へ連れてゆくつもりだ。山崎啓介」
 まるで外敵を威嚇する獣のように、静かに殺気立ったような目をする槍埜さん。僕が彼に何かされるのではないかと心配してくれているんだろうか。山崎君はその表情に若干のたじろぎをみせたものの、構わず僕の腕を握る手を更に引っ張った。
「別に……ただ話するだけだ。借りんぞ」
 そう言うと彼は強引に踵を返し、まるで旅行の荷物を引っ張るかのように僕を連れ出した。槍埜さんはその行動に何を感じたのかは分からないが、僕を引き止める手の力が若干緩んでいた。


              *

 僕は山崎君に引っ張られる形で、屋上まで連れて来られた。
 放課後だからか僕ら二人のほかに人影は無く、空には青く澄み切った空と心地よい春の風が流れている。
「…………」
 そんな中、屋上に着いてから一向に口を開こうとしない山崎君。彼はベランダの手すりに腕をかけ、もたれかかるように遠くを眺めていた。
 僕はこういう重い空気は、昔から少し苦手だ。恐らく無言の時間はほんの数十秒だったのだろうが、何故かその少しの時間が僕には無性に長く感じられた。
 ――これから、僕は何をされるんだろう。もしかして昨日の腹いせに殴られたりとかするのかなぁ。山崎君って中学の頃から喧嘩が強い事で結構有名だったみたいだから、そんな事になったら僕絶対勝ち目なんて無いよ……。
「……あのさ」
 沈黙からどれくらい経ったか。ふと山崎君は視線を空へ投げたまま、消え入りそうな小さな声でそう呟いた。屋上が静かでなかったら、恐らくは喧騒にかき消されてしまうであろうくらいの、彼には似つかないような声だった。
「! う、うん」
 僕は反射的に背筋を正して、次の言葉を待つ。

「お前って、昔からそうなの?」
 その言葉は、昨日の傲慢な表情とは違う、どこか謙虚な顔を持っていた。
「え?」
「いや、気が弱いっつーか……暗いっつーか。俺とお前って中学同じだったけど、それより昔からそんな感じだったのかって訊いてんだよ」
「…………」
 質問の意図がよくつかめない。けど、とりあえず当たり障りが無いように返しておく事にした。
「……そうだね。僕は昔から友達とか作るの苦手だったから」
「……ふーん」
「や、山崎君はそんな事無いよね。……なんか羨ましいなぁ、沢山人と話せて」
「…………」
「…………」
 ま、また沈黙になってしまった。
 どうしてだろう。僕の返しがおかしかったのかな……?

「お前さ、あの槍埜って奴と何かあったのか?」
 すると今まで視線を空に投げていた山崎君は、その質問と同時にこちらに向き直った。その目は僕を睨みつけるようなものではなく、それどころかどこか儚げな色をしていた。
「え?」
「……いや、まぁあの女が変わり者ってのもあるかもしんねーけどよ。それでも普通あんな風に知らない奴を助けたりなんかしねーって」
「あ、ああ、いや、それは……何と言うか、その時はまだ違ったんだけど、後からなったっていうか……」
「……あ?」
 にわかに苛ついたような表情を見せる山崎君。そうか、今日学校来てなかったから知らないんだ――。

「え、えーとその……。僕、槍埜さんと友達……ってことになってたみたい……、なんだ、多分」




 続く



[25021] 【学園】walkers 7話「仲直り(後編)」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/27 20:23
この回は試験的に三人称で書いてみました。




「……!」
 祐樹のその言葉を聞いた瞬間、山崎は驚嘆したように息を呑んだ。思わず一歩後ずさり、顔の筋肉を俄かに引きつらせている。
「……どういう事だよ」
「いや、何か僕もよく分からないんだけど、強引に友達にさせられたっていうか――」
 祐樹も話の流れに沿わせたまま、歯切れが悪そうにそう口にした。
 確かに槍埜凛と(不本意ながら)友達になった事は事実だが、それをわざわざこの山崎に言う必要があるのだろうか。祐樹は自分で自分に疑問を抱いていた。

「…………」
「……えっと……」
 二人の間に、しばし沈黙が流れる。
 あの、目の前の気に入らない奴はすぐに睨みつけるような気の荒い山崎が、今は視線をそこかしこにふらふらと彷徨わせていた。何故か少し動揺しているようだったが、祐樹はその理由を探ろうとは勿論しない。
 目の前の男は同じ中学出身とは言え、一年の頃にクラスが一緒だったというだけで後はまるで赤の他人だ。むしろ噂好きな山崎はそこら中に祐樹の根も葉もないような悪い噂をばらまいたりして、かえって祐樹の事を貶めていたくらいだ。
 祐樹からしてもあまり好感の持てる人物ではないし、できる事ならなるべく関わりたくない。
「…………」
 三十秒ほど沈黙が過ぎただろうか。
 春の風が千切れた桜の花びらを運んで、祐樹の黒髪にひらりと止まった時、山崎は静かに口を開いた。
「……お前、何で――」

 バンッ!

「伊藤祐樹っ! ここにいるのか!」
 すると突然、その言葉を遮るように屋上の分厚い鉄の扉が開け放たれ、凛とした声が空に響き渡った。口を開きかけていた山崎は思わずびくっと身を竦め、二人は反射的に声の主へと視線を向ける。
「……む。おお、いたではないか。探したのだぞ」
「「う、槍埜(さん)?」」
 二人の視線の先にいたのは、扉の向こうに仁王立ちで佇む槍埜凛だった。
 祐樹と山崎は突然登場した凛に面食らったまま立ち尽くし、対して凛は腰に両手を当てたまま堂々と話し始める。
「まったく、お前が教室で山崎に連れて行かれてから十五分ほど経ったのでな。もしかすると話し合いではなくリンチにでもあっているのかと懸念し、急いで校内中を探し回ったのだぞ」
「え、ええ? 僕は別に……」
「うむ、まぁそれはどうやら私の杞憂だったようだがな。ともあれ何もなくてよかった」
 そう言うと一人で納得したように「うんうん」と頷き、つかつかとこちらに歩を進めてくる凛。
 すると、山崎は途端に居心地が悪くなったように顔色を悪くした。
「……別に、俺はそんなマネしねぇよ」
「おお、山崎も一緒だったか。いや、何分お前と祐樹は昨日のこともあったのでな。すまなかった」
 〝昨日の事〟という言葉を聞いた瞬間、山崎の身体に更にぞくっと悪寒が走る。顔ではなんともなさそうに装っているが、山崎が俄かに動揺している事は祐樹の目から見ても分かる事だった。
(昨日の事って、山崎君が槍埜さんに吹き飛ばされた件か。……もしかしたら山崎君、トラウマになっちゃってるのかな)
 顔にかかる縦線が徐々に濃くなっていく山崎の姿を見て、祐樹は心の中で静かに合掌を送った。
「……それにしても槍埜さん、なんで僕が屋上にいるって分かったの?」
「む? 別に分かっていた訳ではないぞ。ここの他にも体育館や他の教室など校舎中の目ぼしい所を見て回ったのだがいなかったので、ここに来てみたというだけだ」
「え? でもそれじゃあ結構時間かかるんじゃあ……」
 すると凛は自慢げに、上履きを履いた細長く、しかし引き締められた足をこんこんと踏み鳴らした。 
「心配するな。我が槍埜流体術に受け継がれてきた伝統の走破術を用いれば、校舎を隅から隅まで見て回るなど造作も無い事だ」
(ま、また出た〝槍埜流体術〟!)
 ……というか、さっき十五分ほどって言ってたって事は、実質僕を探していた時間はほんの二分くらいじゃないか? どうやったら二分で校舎全体を廻れるんだ……。
 祐樹は心の中でその物騒な言葉を受け止めながら、あまり深く考えないほうがいいであろう疑問に慄いていた。

「……む、そうだ祐樹。お前を探していたのにはもう一つ理由があったのだ」
「え?」
 すると凛は思い出したようにそう口にし、自分よりも身長の低い祐樹の手を「がしっ」とおもむろに掴んだ。
「う、槍埜さん!? 何!?」
 唐突に腕を掴まれた祐樹は一瞬、このまま背負い投げで軽々と投げ飛ばされる自分の姿を想像してしまった。……特に原因があるわけではないというのに、それこそ昨日の山崎の姿が頭に焼き付いているのだろうか。
 しかし、小動物のように小刻みに震える祐樹の耳に入ってきた凛の言葉は、想像とはまるで違うものだった。
「もう下校だから迎えに来たのだ。一緒に帰るぞ、祐樹」
 そう言うと凛はおもむろに動揺する祐樹の腕を引っ張り、屋上から出る扉へと歩き始めた。何が何だか分からず動揺する祐樹は、まるで母親に無理やり連れて帰られる子供のように引きずられていく。
「……え、か、帰る?」
「そうだ。もうお前と私は友達なのだぞ? 一緒に下校するのは当然のことではないか」
「と、当然の事なの、それ!?」
「無論である。これから毎日、少なくとも互いの家路が分かれるまでは一緒に下校するのだ。これはもう決定だ」
 自信満々に言いながら歩いていく凛に、祐樹は呆れたように落胆し、言い返すことを諦めた。何を言ったところで、この「破天荒」という言葉をそのまま表したような人は止まったりしないだろう。
 抵抗するのも無駄だと思い、祐樹は仕方なく凛に腕を引かれたまま自分で歩き始めた。

「……おお、そうだ山崎。お前も私たちと一緒に帰ってはどうだ?」
 すると、開け放された扉をくぐる直前で、またもや凛が思い出したように振り返った。その表情は心なしか輝いているようにも見える。
「! ……あ?」
 屋上に取り残されるように立ち尽くしていた山崎は、その言葉に反応する。すぐにその言葉の意味を理解すると、呆れたように足で屋上のコンクリートを軽く蹴った。
「……何言ってんだよ。何で俺がわざわざお前らなんかと――」
「そう照れずともよいではないか。素直ではないな」
「! あ、あぁ!? 誰が照れてんだよ!」
 まるっきり的外れな、しかし何故か自信だけはたっぷりと乗っかった凛の言葉に憤慨する山崎。
 しかし凛はそんな山崎の事など気にもしない様子で、一人で勝手に言葉を進め始めた。
「まぁ、確かお前と祐樹は同じ中学の出身だったな。どうやらそれ程仲も良くないようだし、照れる気持ちも分からないではない」
「おい! 勝手に話進めんなよ!」
「しかし、だからこそ今より下校の道を同じくする事で少しでも話す時間を作り、これから仲良くなっていこうという前向きな気持ちがお前には無いのか? 山崎啓介よ」
「知るか! 大体俺はお前らとなんか――」
「まったく、これが世に言う〝つんでれ〟と言う奴なのか。面倒くさいものだ」

 すると、凛の足元の地面が、一瞬焼け焦げたように火花を散らした。

「さぁ、つべこべ言わずに一緒に帰るぞ。世話を焼かすな」
「……は……!?」
 次の瞬間、凛は山崎の後ろに回りこみ、祐樹と同じように無理やり腕を「がしっ」と掴んでいた。そのままずるずると引き摺って移動させると、扉の近くで取り残されていた祐樹の隣に山崎を持ってくる。
「よし、これで三人で帰れるな」
(!? こ……!)
 刹那の出来事に訳が分からないまま、山崎は――

(槍埜……やっぱ怖ええええぇぇぇ!!)

 自らの脳裏にふつふつと浮かんでくる昨日の悪夢と、背筋に感じる漫ろ恐ろしい恐怖を確かに感じていた。


 その後、山崎は槍埜に抵抗もできないまま、強制的に三人で下校させられたという。








「……あ、ね、ねぇ山崎君」
「あ? んだよ」
「山崎君って……帰りは?」
「……バスだけど」
「あ、同じだね。僕もバス停で乗って帰るんだ」
「はァ!? 何で俺がお前なんかと同じ道で――!」
「む、山崎。お前もバスで帰るとは奇遇だな。私も同じだ」
「……!!」

(……もう、勘弁してくれ……!)






 続く



[25021] 【学園】walkers 8話「俺とアイツとチーズバーガー(前編)」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2010/12/31 04:32
 教室で最後列の席というのは、本来授業中の居眠りが常習犯となっている生徒が憧れる絶好のポジションだ。教壇に立つ先生から見つかりづらいというメリットがあるため、少々の事では注意される事も無い。
 加えてその最後列の端――窓際の席とあっては、春の陽気な気候と温かさががじんわりと常に降り注いできて、自然と心地よい眠気が誘発されるという、まさに四十ある席の中でも一、二を争うベストポジションなのだ。
 入学から最初の一ヶ月くらいの期間は担任教師が生徒の名前を覚えやすい事も相まって、席順は基本的に出席番号順となることが多い。
 その点、クラスの出席番号が一番最後である彼はポジション的に恵まれていたと言える――のだが。
「はぁ……」
 そんな恵まれた机に座っている筈の山崎啓介は何故か、まるで床に沈んでいくかのような重い溜息を朝から絶え間なく絞り出していた。
「何で俺が……あんな奴らと……」
 目に入るのは教室の対角線上。出席番号一番と二番の席に座る、身長に明らかなギャップのある二人の生徒。片や中学の時に山崎が苛めていた根暗な少年「伊藤祐樹」、片や学年中から注目を浴びているクラス委員にして先日山崎を張り手で吹き飛ばした張本人「槍埜凛」である。
 二人の席は互いに前と後ろ。

「それでな伊藤、私は言ったのだ。『暴力を振りかざして弱い者に金をせびるとは何事か! そんなに金が欲しいのなら働けばよかろう!』と。ついでに一睨みもしてやれば、連中は脱兎の如く逃げ出していったぞ!」
「そ、そうなんだ。帰り道にカツアゲの現場に出くわしたまでは分かるけど、そこで立ち向かっちゃうなんてすごいね……」
「何を言う。誇り高き槍埜の者であれば、道を踏み外した連中に更生の道標を示す事ぐらい当然なのだぞ」
「へ、へぇ」
「ふむ……ところで伊藤よ、そういうお前は今までにカツアゲの被害などに遭ったことは無いのか?」
「え? うー……ん、多分無いと思うけど、何で?」
「いや、何分見た目としても気の弱そうなお前の事だ。もしそういったことで困っているのであれば、いっそ私が一対一で稽古をつけ、その細い腕に筋肉の一つもつけてやろうと思ったのだが」
「い、いいよ別に! 槍埜さんの〝稽古〟って何か怖そうだし」
「うむ。まぁ最低でも『重さ100kgの岩を背負って断崖絶壁を登る』くらいの事はやってもらうつもりだがな」
「そんな事が出来る人間なんているわけないよ!」
「? 100kgくらい、普通に出来るだろう。私は300kgを十往復が日課だぞ?」
「……え?」

 不思議そうな表情で首をかしげる凛と、青ざめた顔で目を逸らす祐樹。
 周囲から孤立したような二席は、その中でだけミスマッチな雰囲気を放っていた。
「……何を話してんだ……?」
 そしてその二人と強制的に「友達」という事にされ、挙句昨日は一緒に帰らされた山崎啓介。さっきから二人が何かを話している事は見えるが、最も距離が遠い席同士であることと、休み時間の教室中の喧騒が相まって話している内容までは聞こえない。
(つーか伊藤の奴、ある意味すげぇな……。なんであの槍埜と会話ができてんだ?)
 数日前に起きた「山崎、クラス委員長に吹っ飛ばされる事件」も生徒達の噂の間では次第に影を潜めてきたものの、本人は未だに消える事の無い恐怖感を心に抱えたままだった。というより山崎にとっては、あの物静かな伊藤祐樹が誰かと話してる所自体、何だか見慣れない光景だ。
(まぁ何でもいいが……伊藤もそうだが、あの槍埜って奴にだけは近寄らないほうがいいな。俺があいつらと友達だなんて勝手に決められた事だし、絶対ぇ認めねぇからな)
 そう強く、心の中で誓う山崎。
 もし先ほどの二人の会話が山崎の耳に入っていたら、その決意はより強固なものとなっていたことだろう。

 キーン……コーン……

「おっ」
 すると、黒板の上に位置するスピーカーから終業のチャイムが鳴り出した。壁に掛かった時計はまだ十二時過ぎを指しているが、今週は三社面談期間の為に学校は午前中で終わるのだ。
 教室中の生徒達はチャイムを受けて一斉に鞄に教科書を詰め込むと、周りの生徒達とそれぞれ雑談を交わしながら帰りの支度を始めた。
「よっ……と」
 教室の端の席に座る山崎も、他と同じように鞄を取って立ち上がる。
「そういや今日は家誰もいねぇんだったな……昼メシはどっか外で食ってくか」


     ■■■


 学校から歩いて三分とかからない位置に立つハンバーガーショップ。その日は時間帯が昼時だった事も相まって、常連となっている山崎が店に入る頃にはすでに昼休みのサラリーマンなどで店内はごった返していた。
 春先の涼しい時期だというのにも関わらず、レジに注文をしようと並ぶ人々は二列に分かれて何人もの人波を作っている。店の中もそうとう混んでいるようで、店に足を踏み入れた山崎は一瞬躊躇した。
(あ……そういえば有効期限が今日までのチーズバーガーセットの割引券あったっけ)
 しかし、ポケットの中で丸まったクーポン券の存在をふと思い出すと、一瞬渋った顔をしながらも注文待ちの列に身を投げる。
「……まぁ、いいか。別に急いでるわけでもねぇしな」
 レジはカウンターに二つあり、店員がそれぞれ忙しそうに次から次へと客の注文をさばいていた。

「いらっしゃいませぇ~! ご注文はお決まりでしょうか?」
 五分ほど待った後、ようやくレジに山崎の順番が来た。
 お姉さんの爽やかな営業スマイルを堪能しながら、制服のポケットに入った財布とクーポン券に手を伸ばす。既に注文は決まっている為、カウンターの上に乗せられたメニュー表には目をくれない。
 店員に聞き返されないよう、できるだけはっきりと注文を言う。
「チーズバーガーセット一つ」
 すると。
「あの、チーズバーガーセット一つ下さい」
 すぐ隣の列で、何だか聞き覚えがある声が山崎とダブった。
(! え……? この声……)
 微妙に予感を感じつつ、目線だけ隣の列へと流す。
 するとそこには。
「……あ……山崎君?」
 心なしか少し気まずそうに、財布を片手に構えたクラスメートが立っていた。

     *

「い、伊藤!?」
 思わず店内で素っ頓狂な声をあげてしまう。
「あ、やっぱり山崎君……」
 隣の列の伊藤は、何故だか気恥ずかしそうに視線を下げた。
 何だよ、なんでこんな所にいるんだコイツ? ……いやまぁ、バーガーショップに誰がいたからって別に不思議はねぇけどさ。それにしたってタイミングってもんがあるだろーが!
 すると伊藤はどこかぎこちない笑顔で、俺に話しかけてきた。
「や……山崎君もチーズバーガーセット? 僕もなんだ」
「あぁ……そうかよ」
 思わずそっけない感じで返事をする。いや、俺はいつもはフィレオフィッシュか照り焼きなんだが、何でこいつ「お揃いだなぁ」みたいな感じで言ってんだよ、腹立つなぁ。別に今日チーズバーガーセットにしたのは単にクーポン券があったから……。
「……あ」
 そこで、財布の中に挟まっていたクーポン券の事に気づく。
 危ねぇ危ねぇ、支払いの前に渡さないと駄目だったんだ。慌てて目の前のレジ係にしわのついた券を渡す。
「ク、クーポン券いいすか」
 すると。
「あ、そうだすみません、クーポン券あるんでしたっ」
 隣の伊藤も、俺と全く同じタイミングで同じ割引券をレジに出しやがった。
「…………」
「山崎君もその券持ってたんだ」
「……そうだよ」
 うわっ、なんだこれ! 何でこんな奴と同じ店で同じ注文して同じクーポン券出さなきゃいけねぇんだよ! 理由はねーけどこいつと同じって事が無性にムカつく! 何で今日こいつとこんなにシンクロすんだよ!!
「……お客様、チーズバーガーセットのお飲み物は何になさいますか?」
 すると目の前の店員が、俺の顔を覗き込むようにそう聞いてきた。そうか、最初に言っとくの忘れてた。
「じゃあ……コーラで」
 同時に隣で聞こえてきた声。
「あ、飲み物はコーラでお願いします」
「いい加減にしろ!」
「お、お客様!?」
 はっ、つい大声出しちまった――ってか、何でお前もコーラなんだよ! その俺と同じやつ注文すんのやめろ! お前はオレンジジュースでも飲んでりゃいいんだよ!!
「……すいません! 追加でチキンナゲット下さい!」
 こいつと何から何まで同じってのはとにかく嫌だ。そう考えた俺は殆ど反射的にメニューから目に入ってきた品名を頼んだ。
 ……畜生、何なんだ今日は。

「……やっぱ混んでんなぁ」
 昼時だからか、見慣れた店の中はいつもよりも人で溢れていた。テーブルもカウンターも見る限りは殆どが埋まっているようで、番号札を貰っても座る場所も無い状態だ。
「まいったな……どっか空くまで待つしかねぇか」
「そうだね、テーブルでもカウンターでもどっちでもいいけど。山崎くんはどっちがいい?」
「いや、別に座れればどこでも……って、ん?」
 あれ? 何かいつのまにか隣に人が?
 焦って振り向くと、俺のすぐ隣には当たり前のように番号札を持った伊藤が立っていた。
「……うわっ! おい伊藤、何で居んだよ!」
「え、あ、いや、せっかくだから山崎君と一緒に食べたいなって……」
「ふざけんな! 何で俺がお前なんかと!」
「あ……ご、ごめんね。迷惑だった?」
「……!」
 俺が少し大きめの声で拒絶すると、伊藤は心なしかすこしだけ悲しそうな表情を顔に浮かべた。
 ……なんだよ、別に俺となんか一緒に食べなくたっていいだろ。
「め、迷惑だよ! だから早くどっかに――」
 すると。

 ガタッ

 すぐ目の前のカウンターで、サラリーマンらしき男二人が席を立った。
 つまり、席が空いた。
 しかし、出て行ったのは二人。
「…………」
「…………」
 当然席が二つ分空いた事になる。
「……っ」
 何でこうなる! これはあれか!? 俺にこいつと隣の席に座れって天からの意思表示か? 大体二人とか一番中途半端すぎるだろ! ここは普通に一人とか、せめて三人抜けてくれればこいつと一席分間を空けて座れたというのに!!
「……あ、席空いたね」
「……~っ!」
 何なんだ。何なんだよ今日は本当に。厄日か。
「……お前も座れば」
 謎の力としか思えない偶然の数々にいい加減嘆息をつきながら、俺は半ば諦めたようにそう口にする。
「う、うん!」
 伊藤は何故か嬉しそうに、空いた席へと先に座った。



 何だ?
 何がそんなに嬉しいんだ? こいつは。


 ――っつーか……。


(あれ……?)

 何でこいつの事、こんなに嫌ってんだっけ? 俺。




 続く



[25021] 【学園】walkers 9話「俺とアイツとチーズバーガー(後編)」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2011/02/07 23:12
(はぁ……)
 目の前の理不尽に思わず溜息をつき、しぶしぶと空いた二席のうち右側の丸椅子に腰掛ける山崎。それに続いて、もう片方の空席に祐樹がどこか急いだように腰を下ろした。
(……今日は何から何まで不運だな。しし座は確か朝の占いじゃ二位だったハズなんだがなぁ……)
 山崎が憮然とした態度でテーブルに頬杖をつく。
 まったく本当に今日はツイてない。よりにもよって何でこんな奴と一緒にメシなんか食わなければならないのか。しかも何でこいつはこんなに無駄に嬉しそうなのか。全くもって理解不能だ。山崎は不機嫌そうに舌を鳴らした。
 混んだ店内は客同士の雑談で溢れ帰っていたが、そこはやはり忙しない日本のファーストフード店。二分ほど無言で待った後、店の奥から店員が慌しそうに二人の注文を運んできた。
 祐樹と山崎が頼んだものは何の因果か全く同じチーズバーガーセット。しかし山崎のプレートにはその同調を嫌うかのように、ナゲットセットがぽつんと孤立して佇んでいる。
「いただきまーす」
 祐樹は声を弾ませてチーズバーガーに手を伸ばした。小さな口をまるでリスのように動かして食べるさまはどこか小動物的で、隣から横目で見ていた山崎にはそれが何だか違和感のようにも思える。今までこういったタイプの男友達とは付き合ってこなかっただけに、何故こんなにもこいつが女々しく見えるのだろうといぶかしまずにはいられなかったのだ。
(……何だかなぁ)
 自分だけぼーっとしている訳にもいかないので、山崎もしぶしぶとチーズバーガーセットに手を伸ばす。何故貴重な午後をこいつと一緒に過ごさなければならないのかという疑問とともにかみ締めるチーズの味が、山崎の喉を言いようのない不快感に満たした。
「あ、そう言えば山崎君」
「……あ?」
 ふと、目の前の壁を見たまま祐樹が言葉を発した。正直このまま無言で食べきりたかったのだが。
「山崎君って、ここにはよく来るの?」
 何故今そんな事を話さなきゃならないんだ。
 無視してもいいんだが、あの槍埜にでも知られて俺の事を悪く言われたんじゃ何されるか分からねぇからな……。それがあるから、なかなかこいつの事をぞんざいに扱えずにいるんだが。
「……まぁ、たまに」
 山崎がぶすっとした様子で適当に返事をすると、祐樹はそれでも会話が成立した事が嬉しかったのか、目の奥を輝かせて山崎の方を向いた。
「そ、そうなんだ。僕は初めて来るんだ。あんまり外で食べる事ってないから――」
「ああそうかい」
「山崎君は……ここの他にはどこか行ったりするの?」
「別に、気分次第でどこにでも入るけどよ」
「そ、そっかぁ。じゃ、じゃあさ」
「ん?」
 すると祐樹は、山崎のうっとうしそうな表情がまるで目に入らないような様子で、探るように言った。

「……今度、また一緒にどこかでお昼食べたりしない?」

「……?」
「あ、槍埜さんも誘ってもいいけど……」
 一連の言葉の真意が掴めず、一瞬頭の中で無意識に反芻される。
 そしてその言葉の言わんとすることを理解すると、山崎は勢いよく席を立ち上がり、混んだ店内に反響するかのような大声で叫んだ。
「ば……バカかてめぇ! 何で俺がお前なんかとこれ以上関わらなきゃならねーんだ! 今回だってただ偶然居合わせただけでも嫌なのに、わざわざメシ食ったりしたい訳ねぇだろうが!!」
 それだけ叫ぶと、突然の熱気に反応したのか、山崎の額から一粒の小さな汗が滲み出た。あまりにも意外で理不尽な言葉に、我を忘れて大声を出してしまった。
 すると、いままでがやがやと騒がしかった店内は突然の大声に静まり返り、サラリーマンやカップルが「何事だ」とばかりに視線を山崎へと一斉に注目させる。
 そして眼前には、突然のことに驚いたのか小動物のように身を竦めている祐樹。
「あ……す、すんません」
 周りが一斉に静まった事に気づいた山崎が、周囲に申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。それを切っ掛けに、またさっきまでの雰囲気に徐々に戻る店内。
 ――しかし、隣の席でおびえた様子の祐樹の表情だけは、そう簡単には元には戻っていない。
「……ご、ごめん、迷惑だった……かな」
「……ッ」
 山崎はしぶしぶと席に座りなおすと、食べかけだったチーズバーガーを静かに再び手に取った。
「……っつーか、お前なぁ。何でそんなに俺とメシが食いたいんだよ。それが分かんねぇんだけど」
 呆れたように嘆息する。店の中で赤っ恥をかかされた事に腹を立てつつも、とりあえず横に座る奴に疑問を投げかけてみた。これでこいつのイカれているとしか思えない思考回路が少しは判明するだろうか。
 すると祐樹は、少し照れたように手で顔を隠しながら、小さな声で言った。
「……それは……」
「それは?」

「山崎君と……仲良くなりたいから……かな」

「…………」
 ダメだ。根本的に理解不能だ。山崎は研究に行き詰った科学者のように、深いため息を漏らした。
「……何で?」
「え? だって、せっかく山崎君とは友達になれたんだから……」
「……あのなぁ、少なくとも俺はお前のことは友達だなんて思っちゃいねぇ。あの暴力女が勝手にそう決め付けただけだ。はっきり言うが、俺はお前となんてこれっぽっちも仲良くなんかしたくねぇ。っつーか、それでなくても俺は――」
「で、でも」
「?」

「それでも僕は、君と仲良くなりたいよ」

「…………」
 一瞬。
「……え?」
 山崎には、祐樹が、別人のように見えた。

「……あ、あぁ、いや、ほら。僕たち中学校の頃はクラスも違ったし、あんまり接点も無かったでしょ? 僕は……高校に入学したばかりで仲がいい人も回りにいなかったから、すごく心細かったから……」
 祐樹はどこか緊張した目で、視線を目の前の壁に向けたまま言葉を紡ぐ。
 しかしその目は、一文字一文字と言葉を発するごとに、段々と切なそうなものへと変化していった。
「……でも、しばらくしたらあの槍埜さんが、僕の事を友達だって言ってくれて。それが……何ていうか、かなり強引だったけど、嬉しかったんだよね。友達ができるって、こういう感じなんだって」
 山崎がバーガーを食べる口は、無意識のうちに止まっていた。
 途切れ途切れの祐樹の言葉。それはどこか真に迫っているようで。
「それで、ひょんなことからだけど、中学が同じだった山崎君とも仲良くなれそうで。それは槍埜さんのお陰って言うか……あの人が友達だって言い方をしてくれてたからかもしれないけど、僕にはそれが凄く嬉しかったから、だからこそもっと山崎君とは仲良くなりたいっていうか……」

「…………」
「…………」

 二人の間に、数秒の沈黙が流れる。
 それは居心地が良いのか悪いのかよく分からない、不思議な感覚だった。
「…………」
 何故いきなりこんな話になったんだ? と山崎が心中で首をかしげると同時に、祐樹はそんな妙な空気を弛緩させるかのように小さく言葉を出した。
「……って、ごめんね。山崎君が迷惑だって言うなら……」
 歯切れの悪いような終わり方で祐樹が口を閉じる。その先の言葉は、自分からは言い出せなかったのだろうか。
「……っつーかさ」
 すると、山崎が祐樹と同じように目の前の壁を向いたまま、言葉を発した。
「う、うん」
「俺は、中学じゃお前のこと――」




 ――ユウ、何泣いてんだ?




「……!?」



 ――いいんだよ、ヤな事があったら俺に言えっつったろ。



(あれ……?)
 突然、山崎の脳裏に聞き覚えのある言葉が過ぎった。
(……あれ、誰の声だったか、これ……)
 一瞬だけ記憶を辿るも思い出せない。何故か、急に誰かの言葉が山崎の頭の中を駆け巡った。

「……山崎君?」
「え? あ、あぁ……」
 隣から祐樹に声をかけられ、ふと気がつく。
 そうだ、話してる途中だった。
「だ、だから……俺はだな、中学の時からお前のこと苛めてただろうが。そんな関係だったんなら、今さら仲良くしたいなんて思わねぇよ」
「……で、でも」
「何だよ」
 すると祐樹は、どこか意を決したような表情で壁から山崎へと目を移した。

「……それじゃあ、仲直りって事で……どうかな」

「……はあ、ぁ?」
 ――心底、目の前の人間に理解不能といった眼差しを向ける山崎。
 何でこいつ、そこまでして友達なんか欲しいんだよ。
「ぼ、僕は、そうしたい……けど」
「……っ」
 ああ、何だ。何なんだ。
 何だってこんなに顔を赤くして伝えるんだよ、そんな事を。意味が分からん。

「……うぜぇ」

 いつしか山崎は、そう小声で呟いていた。
「! え、あ……」
「お前、何でそんなにウザいんだよ。それじゃあ今まで友達いなかったのだって頷けるな」
「……ご、ごめ……」
「そうやってすぐ謝ろうとするところなんか特にウゼぇな」
「……」
 一気に黙り込んでしまった祐樹を尻目に、山崎はまだ空けていなかったナゲットの箱を空けると、中身をいっぺんに口へと放り込んだ。
 むしゃむしゃと租借してから飲み込むと、空になったトレイを持って椅子から立ち上がる。
 ああ、ウゼぇな。なんだってこいつはこんなに。
「あ、ま、待って……」
 立ち上がった山崎に喚起されてか、祐樹は急いでコーラを飲み干し、同じように席を立った。必死に振り絞った言葉も、無意味だったのだろうか。

「俺さ」
 すると、山崎が向こうを向いたまま口を開いた。
「う、うん」
「これから本屋寄るけど、そこには付いてくんなよ」
「……う、うん」
 突き放すようなその言葉は、祐樹の心に氷柱のように突き刺さった。
「……じゃあね、山崎く――」
「おい伊藤」
「え、な、何?」


「……また明日な」


 それだけぼそっと口に出すと、山崎はトレイを返して店を出て行った。


「――う」

「うん! また明日!」




   ■■■

 俺は店を出てしばらく歩くと、後ろからあいつが付いて来ていない事を確認し、軽く背伸びをした。

 分かった、思い出した。
 あの時ふっと過ぎった声。

 あれは、あいつと同じ中学出身なら忘れるはずは無かった奴の声だ。

 所々記憶がおぼろげなところはあるが、それでもいつも伊藤の隣に居た《あの男》の事だけは未だに記憶に残っている。
 俺はそいつに直接的に関わったわけじゃなかったけど。でも、それならあの伊藤とは関わりがあって当然か。

 二年前のあの時に、事をややこしく俺は俺なのだ。
 本当はどこかでその〝事実〟に気づいていたんだろう。
 ただ――認めたくなかっただけなのかもしれない。
 一つは《あの男》に対する単純な恐怖心。

 それと、もう一つが――

 自分が苛めてた奴とは仲良くしたくないっていう、ただの勝手なバツの悪さだ。


「……うーん」
 気づいてみりゃあ、非があるのは俺のほうか。
 明日学校で会ったら、まぁ――


「声くらいはかけてやるか」




 続く



[25021] 【学園】walkers 10話「久遠寺照」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2011/02/09 21:20
「む、伊藤か、お早う!」
 いつもよりも少し早めに登校した朝。僕が教室に入るなり、最早この一週間で聞き慣れたような声が僕の耳に響いた。
 出席番号二番という扉に近い席に座る、槍埜さんだ。
「うん、おはよう槍埜さん」
 軽く挨拶を返して自分の席に鞄を置く。こうしてクラスの人と「おはよう」なんて言葉が交わせるのも、本当に久しぶりだ。
 何気なく教室を見渡してみると、クラスメイトはまだ半分も登校していないような状態だった。いつもの休み時間が騒々しく感じるせいか、今はやけに閑散としているような印象を受ける。
「時に伊藤、今日は早いな」
「あ……そうだね、今朝はちょっと早く目が覚めちゃって」
 槍埜さんは僕と席が前後であることも相まって、よくこういった雑談を振ってくる。前はこの人の強引さもあって少し緊張したけど、最近は自分でも普通なくらいに話すことができるようになった。
 そのときの話の内容は、大抵なんでもない事が多い。それこそその日の天気から会話がはじまることだってある。ただしテレビとかファッションとか、普通の女子高校生が興味を持つようなことはほとんど話題に上がらない。僕もそんなに興味はないけど、確かに槍埜さんもそういう事には感心は薄いみたいだ。
 ……彼女自身がこんなに美人なのだから、逆にファッション誌のモデルになってもいいくらいなんだけど。

 ――それにしても、よく僕みたいな人と話し続けられるなぁ。こうしていると、槍埜さんは本当にあの人に似ていると感じる。
 何でもかんでも自分のままに引っ張って行ってしまう強引な所なんて、特に。



       Walkers 10話「久遠寺照」



「……うーっす」
「!」
 しばらくすると、また聞き覚えのある声が教室の扉から聞こえた。
 今まで槍埜さんのほうに首を向けて話していたので、僕は声の方へと、少しだけ躊躇いを含みながら振り返る。
「…………」
 教室に入ってきたその人と目が合った。
 昨日会った、山崎君だ。
「む、おお山崎か、お早う」
 槍埜さんがいたって軽い調子で山崎君に声をかける。――この人、本当にさっぱりしてるなぁ。
「……」
 山崎君はそれに対しては無言のまま、少し苦い顔で槍埜さんから視線を逸らした。やっぱりまだ少し、この間の事を根に持っているのだろう。そりゃあクラスの人が見てる前であれだけ派手に吹き飛ばされたんだから当然といえば当然だけど。
 ――すると。

「……よう」

 山崎君は僕の方を見て、そんな短い言葉を吐くように口にした。
 一瞬、心臓の拍動がびくんと跳ねた気がした。
「お、おはよう、山崎君……」
「…………ああ」
 少しばかりの沈黙を孕みつつもそれだけの会話を交わすと、彼はそそくさと僕達の席とは対角線上にある自分の席へと向かった。途中に会った彼の友達らしき人にも同じような軽い挨拶を交わしながら。
「……何だあいつは。私の挨拶は無視するのに伊藤には声をかけるのか。全く私も嫌われたものだな」
 槍埜さんは不満そうにそう呟いていたけど、僕は――
(声、かけてもらった……)
 気分が高揚するような、不思議な嬉しさを抱いていた。
 ただ声をかけてもらっただけなのに、思わず顔がにやけてしまうほど嬉しい。きっと他の人が聞いたら不思議に思う事かもしれないけど。
「……ふふっ」
 僕にとっては今のこの一瞬だけでも、〝自分が少しは変われたのかな〟と実感できる一瞬だった。
「む? どうしたのだ伊藤。そんなに嬉しそうな顔をしおって」
「……槍埜さん、実は昨日ね――」
 それから彼女には、昨日のことを少しだけ話した。
 ――参ったなぁ。何でこんなに嬉しいんだろう。

 〝友達〟と交わす、何気ない時間が。


   ■■■


「……あい、ほんじゃあ昨日言ってた通り、今日の理科は実験な」
 その日の三時間目。僕らのクラスの担任でもある理科教師の三河先生は、理科実験室の教壇でひげの残った頬をぼりぼりと掻きながら黒板にチョークを走らせていた。いつも着ているしわくちゃの白衣が、実験室だと妙にさまになって見える。
 ……どうしてもやる気がなさそうに見えるのは、いつもの通りだけど。
「えー……と、今日の実験は、二酸化マンガンっていう黒っぽい粉的なヤツに過酸化水素水をブチ込んで酸素が発生するのを記録しましょうって事でね、まぁみんな適当にやってくれや。以上」
 表現の仕方にやや問題ありなのではないでしょうか、三河先生。
「あ、そうそう。一応実験器具には限りがあるから、四人で一班になって実験してくれ。そんだけなんで、全員実験終わったら起こしてくれ、先生は寝るから」
 それだけ言うと、三河先生は本当に教壇に突っ伏したままいびきをかき始めてしまった。
 ……いつも思うけど、こんなに自由な先生は他に見たことが無い。一応教師としてやるべきことはきちんとやっているみたいなので悪い人ではないんだけど……。私立校の教師って、個性豊かだなぁ……。
 とりあえず実験は四人で行うみたいなので、一応周りを見渡してみる。他の人たちはみんな中のいい人たちと班になっているみたいだけど――。
(! そ、そうだ、山崎君と一緒になれないかな)
 ふと、彼のことが頭に入ってきた。せっかく仲良くなりかけているみたいだし、ここはもう少し勇気を出して一緒の班になりたいところだ。山崎君は他にも友達多いみたいだし、ぐずぐずしてたら取られてしまう。
「や、山崎……君っ」
 がやがやと人の声が飛び交う理科室内で、山崎君の姿を探そうと背伸びをする。
「……や、やま……」
 しかし、なかなか見つからない。もしかしたらもう既に他の班にいっぱいになってるかもしれないけど……。ううっ、もう少し早く行動するべきだった……。

 すると。
「う、槍埜っ! 何すんだ、引っ張るんじゃねぇ!! っつーか触んな!」
「男の癖に喧しい奴だな。私達は〝友達〟なのだから、一緒の班になろうと言っているだけではないか」
「だっ、だからテメェは違うって……!!」
 教室の向こう側で、必死に抵抗する山崎君の手を引っ張って強引に拉致する槍埜さんの姿が見えた。
 彼女はずんずんとこちらに向かってくると、まるで罪人を捕らえた刑事のように得意げな顔で山崎君を無理やり僕の隣の席へと座らせた。
「う、槍埜さん……」
 ――何だろう。ここまでくると、逆に彼女に清々しささえ覚えてしまう。
「ってぇ……てめぇ槍埜……!」
 山崎君は槍埜さんに対して睨む様な視線を送ったけど、威風堂々とした雰囲気を纏って佇む彼女と視線が会うと、途端に気まずそうに首を下に向けた。……やっぱり山崎君、槍埜さんの事は苦手みたいだ。
「まぁまぁ良いではないか。見たところお前達二人とも最近仲がよくなってきているようだし、親睦を深めるという意味でも悪くあるまい」
「……っ」
「あ、えっと山崎君。嫌じゃなかったらだけど……一緒の班になれたらなぁっているのは僕も思うし……どうかな」
「……わぁったよ……。どうせこの暴力女がいる限り逃げられねぇし」
 すると槍埜さんは満面の笑みを浮かべ、腰に手を当てて言い放った。
「よし、これで三人だな! 私に伊藤に山崎に……あと一人はどうするか」
「俺は別に誰でもいいけどな」
「僕も特に……」
 すると、ふとすぐ近くから声が聞こえた。

「あ、じゃあ私でいいですか。他の人たちはもう班で固まってしまったようなので」

「え?」
 僕達は示し合わせたようなタイミングで声の方に首を向けると、そこには――
「ここに座って良いんですかね」
 ――特にクラスで見た覚えも無い、背の低い男子が立っていた。
「どうも、久遠寺(くおんじ)といいます。よろしく」
 彼は軽く頭を下げて槍埜さんに挨拶すると、大き目のテーブルに余っていた四つ目の席にすとんと腰を下ろした。
 久遠寺君といったその子の前髪は目を覆うようにかかっており、片方の手には教科書と一緒に小さめの文庫本を何冊か抱えている。ぱっと見てあまり明るそうなタイプにも見えないけど、だからといってそこまで暗い人といった印象も受けない人だ。……というか、こんな人クラスにいたっけ?
 ふと隣を見ると、山崎君も怪訝そうな顔で彼を見ていた。どうやら山崎君にも見覚えは無いらしい。
 すると。
「あ、そちらの方は伊藤君に山崎君ですね。いやぁ、こうやって話すのも久しぶりですねぇ」
「……え?」
「……あ?」
 久遠寺君はさも僕達と知り合いであるかのように、気軽そうに声をかけてきた。どういうことだろう、僕と山崎君が忘れてるだけで、どこかで知り合ったことがあるのかな……?
「……?」
 僕達が何とも返さないことを不思議に思ったのか、彼はいったん首をかしげる。
「……いやですねぇ。私ですよ。小学生の頃同じ学校だった、久遠寺照(てる)ですよ。忘れたんですか?」
「え? 同じ小学校……?」
 そう言われて、小学校のときの記憶に糸を伸ばしてみる。確かに久遠寺なんて珍しい苗字なら印象に残りやすい筈だけど……。ダメだ、やっぱり思い当たらない。
 すると、隣で山崎君が思い出したように「あっ!」と声を上げた。
「お前……一年と二年のときに同じクラスだった、あの照か!?」
 彼がそう言うと、久遠寺君は嬉しそうに笑顔を見せる。
「はい、その照です。懐かしいですねぇ。そういえば伊藤君とは同じクラスになったことはなかったですからね」
 どうやら、久遠寺君は山崎君と同じ小学校で、同じクラスだったらしい。
 成る程、それなら山崎君と面識があるのは……って、あれ? そうなると……。
「……僕と山崎君って、小学校同じだったっけ……?」
「そうですよ、僕達三人は同じ楓小学校出身ですよ」
「……俺はお前のことは覚えてるけど、伊藤も同じ小学だったっけか……?」
 なんだかここの一帯で記憶の探りが飛び交っている。確かに同じ学校の卒業生でも、同じクラスになったりしない限り案外印象には残らないものだけど――。
「そ、そうだったんだ――じゃあ、久遠寺……君」
「はい、伊藤君も覚えていますよ。入学してからお二人が同じクラスだという事は知ってはいたんですが……話しかける機会も特になかったもので。まぁこうやって同じクラスになった事も何かの縁ですし」
「……っつーか、俺もお前と同じクラスだったなんて知らなかったけどな」
「む? なんだなんだ、私だけ会話に置き去りになっておらぬか?」
 槍埜さんが心配そうに首を振る。

「まぁ……そういう事なので、これから一年、よろしくお願いしますね、伊藤君、山崎君。それから――」
「わ、私は槍埜凛という。宜しくな、久遠寺」
「あ、槍埜さんですよね、存じ上げてますよ。何せ入学当初にあの山崎君を保健室送りにした人ですから」
「ばっ……うっ、うるせぇな!!」
「あ、あはは……」
 気づけば、この四人が同じ班として固まっていた。
 久遠寺君か……すっかり忘れてけど、帰ったら小学校のアルバム見てみようかな。



「それにしても喉が渇きましたねぇ。この水って飲んでいいんですか? 頂きます」
「おっ、おい照! それは実験で使う過酸化水素水……!」
「(ごくっ)え、そうだったんですか? でも結構美味しいですけど」
「だ、大丈夫なのかよ。あ、そういやぁお前……給食の時カレーライスの上にプリン乗っけて牛乳かけて食ってたりしたっけ……」
「う、うぇ……何そのちょっと簡単には想像できない食べ物」
「えぇ? あれ結構いけますよ? むしろ何故皆さんカレーとプリンを分けて食べるのか……」
「もういい……もう分かったから喋んな、照……」
 


 続く



[25021] 【学園】walkers 11話「オタクとツンデレ?」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2011/02/12 22:49
「照って、あんまり目立たねぇよな」
「え?」
 三時間目の理科が終わって教室に帰ってきたとき、ふと山崎君がそんな事を口にした。
「俺入学してからこっち、お前が同じクラスにいるって事自体に気づいてなかったけど」
 不思議そうな表情でそう首を傾ける山崎君。
 ……うん、確かに僕も同じ小学校出身っていうのはともかく、久遠寺君の存在自体をさっき初めて知ったくらいだから、きっと余程目立たない人なんだろう。……僕が言うのも何だけど。
 久遠寺君は照れたような笑いを浮かべると、頭をぽりぽりと掻きながら言った。
「そうですねぇ。そういえば入学してからもあんまりクラスの人と喋ったことも無いですし、休み時間になれば席で本ばっかり読んでますしねぇ」
「お前確か……小学校の頃もそんな感じの奴だったろ」
「ええ、確か。別に人と話すのが苦手という程でもないですけど、本を読んでいるのが好きなもので。そのせいか家族からはよく『影が薄い』って言われますよ」
 なるほど。外から見ると少し暗そうな印象を受ける人にも見えるけど、実際はそうでもないのかもしれない。何でも人を見かけで判断しちゃいけないって事だね。
「そ、そっかぁ……」
 ――よし、僕からも何か話しかけてみよう。同じ小学校出身っていうよしみで、できれば久遠寺君とも仲良くなりたいし。確かこういう時は相手の特徴で話を振ってみるといいんだっけ?
「え、えっと……久遠寺君はどういう本が好きなの?」

 すると、一瞬彼の前髪に隠れた瞳に、妖しい色の光が灯ったような気がした。

 久遠寺君は素早く、手に抱えた数冊の文庫本を顔の横で僕らに見せるように掲げた。
「え、僕の好きな本ですか? 例えばコレなんかそうですね。この間出た新刊なんですけど、『ハ○ヒシリーズ』の驚愕。いやぁー本当にファンとしては待った甲斐がありましたよ、いつ発売されたものかと。それからこれが『生○会シリーズ』の新刊で、こっが『はが○い』の新刊です。あと家にあるんですが、『バ○テス』とか『ラノ○の』の新刊もまだ読んでなくて……。基本的に最近は面白いのが多いので殆ど無差別的に買ってるんですけどねぇ。アニメとの同時進行もありますからいかんせん時間が足りなくて、寝不足には十分注意はしてるんですけど――」

 表紙にはカバーがしてあるから内容は分からないけど、どうやら彼は読書家らしい。
 ……カバーをしてなくても内容が分かりそうに無いものばかりだけど。少なくとも僕にとっては。
 あれ、僕の話の振り方、何か間違ってた……?
「……濃くなったな、照」
 山崎君がそう深く嘆息する。
「っつーか、そんなんだから影が薄いとか言われるんじゃねぇか?」
 すると久遠寺君はその発言が引っかかったようで、むっと眉を寄せた。
「む、それは偏見ですよ啓介君。確かに私は少し影が薄めだと自覚していますが、それは何も私が普段の生活を犠牲にしているような廃人レベルのラノベ・アニメオタクだからという訳ではありません」
 何だかさらっと強烈なカミングアウトをされたような気がするが、あまり深くは立ち入らないことにしよう。何故か直感でそう感じる。
 すると久遠寺君は、どうしてか急に切なそうな目で遠くを見つめた。
「まぁ、私は中学のとき授業中に四時間連続で死ぬほど熟睡していても、チャイムが鳴ったあと担任の先生から『あれ、君いつから居たんだ? っていうかお前どこのクラスだ?』なんて言われたり、修学旅行に出発する朝うっかり寝坊したら、学年主任が名簿で全員集合チェックしたはずのバスが出発しかけたりとかいう事もありましたけどね……」
「そりゃ影薄すぎだ照! お前中学時代どんな奴だったんだよ!!」
 山崎君がツッコむ。……何だろう、こんな彼を見たのは初めてだ。
「まぁそのお陰で私は授業中にいくらでも寝られるスキルを身に付ける事ができたので、その点は得しましたけどね。だから家では一切寝ずに深夜アニメを死ぬほど見続け、授業中に不足した睡眠時間を補うような生活してましたから」
「いや、威張ることじゃねぇよ!? お前はもう少し自分のあり方を考え直せ!」
「……そうだ、この私の過負荷(マイナス)スキルは〝不可視の影隠れ(シャドウ・ハイド)〟とでも名づけましょう。そうしましょう」
「自分でマイナスだなんて言ってりゃあ世話はねぇよ……! ……あとお前、マイナスって過負荷って漢字当ててねぇか? 勘だけど」
 呆れてしまったのか、がくっと双肩を落とす山崎君。久遠寺君はにっと笑って、前髪に隠れた黒縁の眼鏡を人差し指ですっと上げた。
「大丈夫ですよ。流石に最近は睡眠時間くらいはマトモにとるように心がけてます。まぁ高校に入ったばかりですし、〝不可視の影隠れ(シャドウ・ハイド)〟の封印を解くのはもう少し時間が経ってからでも遅くはないでしょう」
「いや、それはもう永遠に封印しとけ」
 何だかよく分からないけど、凄く個性的な人だということは感じる。それがいい意味でか悪い意味でかはさておき。
「……ったく、なんで久しぶりに会ったばっかりでお前の体調を心配しなきゃなんねぇんだよ」
「すみませんねぇ。ちなみに私の戦闘力(オタク的な意味で)は小学校時代と比較し、約六○○%近く上昇していますから、そこの所よろしくお願いしますね」
「何をよろしくされるってんだよ。……あとその数字はどういう根拠があって言ってんだ」
「この調子で行くと三年後くらいには、おた☆すかで計測できる戦闘力を遥かに凌駕してしまう可能性も――。あ、おた☆すかというのは『オタクスカウター』の略です。ちょっとら○☆すた風な……」
「どうでもいい、照!!」
 心底どうでもよさそうだった。

「おい伊藤! お前、こいつにマトモな付き合いが通じると思わねぇ方がいいぞ。何せこいつは小学校の時だって微妙に……!」
 ――と、言いかけて。
「……っ、…………あ、いや、そういやぁ照……」
 急にはっとした様子で気まずそうに言葉を詰まらせ、久遠寺君のほうに向きなおる山崎君。
 どうしたんだろう。
 ……あ、もしかしてやっぱり僕、まだ彼からは避けられてるのかなぁ。正直まだそこまで打ち解けられてはいないと感じるし、それが嫌だったんだろうか?
 ……それにしても、こんな感じで自然に話したのって、もしかしたら初めてかも。ちょっとだけ……残念だなぁ。

 すると久遠寺君は、そんな山崎君と――あと時々僕の方を見ながら、何かを呟いていた。

「……? ……今のやり取りは典型的な……。もしかしたらこの二人……いや、そういえば小学校のときもあまり仲良さそうな感じではありませんでしたし……ひょっとすると……」

 声が小さくてよく聞こえないが、何を言っていたんだろう?



            11話「オタクとツンデレ?」



「あ……そう言えば今日は短縮授業だね」
 四時間目が終わった頃、周りの皆が下校の準備をしているのを見てはっと思い出す。まだ入学からあまり経っていないから、二者面談とかで午前中授業の日もある時期だ。午前中だけで帰ることができるのは嬉しいけど、それだと午後の予定が何も入っていなかったから暇になってしまう。
「そうだな。私はこれから森で稽古の予定があるが」
「いつも思うけど、槍埜さんの稽古って何だか想像したくないんだけど」
「ちなみに今日は野外訓練の一環として、目標は野生の熊一匹くらいにしておこうかと思っているのだが」
「……お願いだから明日まで生きてて欲しいなぁ……」
「む、伊藤よ。私がたかが熊如きに遅れをとるとでも思っているのか?」
「……いや、むしろその熊のほうが心配なんだけど」
 そんな会話(傍から見ると危険極まりないけど)を交わしていると。

「おい、伊藤」

 ふと、後ろから声を名前を呼ばれた。
 振り返ると、そこにはどこかぶすっとしたような表情の山崎君と、対照的に前髪の下でにこにことした笑顔を浮かべている久遠寺君の姿があった。僕は彼に向こうから声をかけられた事に少しばかり動揺しながらも、山崎君に返事を返す。
「な……何?」
「いや、今日さ……」
「うん」
「……あー……そのよぉ」
 そこまで言ったところで、山崎君は頭をぽりぽりと掻いて黙ってしまった。顔を覗き込むように見ると、心なしか少し居心地が悪そうな雰囲気だ。
 ど、どうしたんだろう。何か僕には言いづらい事とか? と言うより、この沈黙は僕にも気まずい……。
 すると、彼の隣でそれを見かねたような久遠寺君が、ふと「意地悪そうに」笑みを灯しながら口を開いた。
「どーしたんですか啓介君? 今日の昼からは暇なので、一緒に祐樹君を遊びに誘うだけでしょう。何を黙ってるんです?」
 え? あ、遊びに? 山崎君が僕を?
「……っ!」
 けど、その言葉を受けて山崎君は急に、慌てたように言葉を飛び散らせた。
「みょ、妙な言い方すんじゃねぇよ! お前が久しぶりに旧友を深めるためにどっか遊びに行こうとか何とか言いだしたから賛成したら、伊藤の奴も一緒がいいって言い出したんだろうが! だから俺は仕方なく……!!」
「はいはい。あ、今の台詞はツンデレ乙ですよ啓介君。私はてっきりあなたが祐樹君と仲良くなりたがっているものかと思ったから、自分なりに気を利かせてみたんですけどもねぇ」
「な、何だそりゃあ!? 俺は別にコイツと一緒になんかどこへも行きたくはねぇよ!!」
 そ、そうはっきり言われると……。
「……うーん、テンプレですねぇ。仲良くしたいからこそつい正反対のことを言ってしまう小学生ですかあなたは。人はそれを『ツンデレ』と呼ぶのであって……」
「うっるせぇ!! 前にこいつとばったりバーガー屋で会った時だって、俺はどんなに嫌だったか……」
 すると槍埜さんがずいっと身を乗り出し、会話に割り込む。
「ああ、この間伊藤が私に話してくれた件だな。二人して昼食とは、なかなかお前たち仲良くなりかけてきているようではないか。うむうむ、よいことだ」
「あれ、もう二人でデートまで行ってたんですかぁ。羨ましいものですねぇ(ニヤニヤ」
「デっ……! 違ぇっつってんだろうが!! 特に照、お前はそのここ数年で気味の悪い色に染まった頭をどうにかしやがれ! とにかく、俺は別に自分から伊藤と仲良くしたいなんて思っている訳じゃ……!」
「まぁまぁ落ち着いてくださいよ啓介君。デートじゃないにしても、少しくらいは祐樹君と仲良くしたいとは思ってるんでしょう? だったら……」
「お、思ってねぇ! 大体、お前が知ったような口利くんじゃ……」
「あれぇ? おかしいですねぇ。私の目には『本当は仲良くしたい祐樹君を意識するあまり、素直になれない啓介君』というのがイメージとして焼きついてしまっている訳なんですけれども」
「捨てろ! お前のその気持ち悪ぃ空想はゴミ箱にでも捨てろ!」
「はぁ……では啓介君。本当に祐樹君とは仲良くしたくはないと……」
「あ……ああ! 少なくともこっちから尽くしてやる義理はねぇよ!」
 きっぱりとそう言い切った山崎君。
 ……そこまで嫌われていたなんて……。ちょっとショックだ。
「……けど、まぁ……」
「え?」
「……いや、アレだ。照がどうしても行きてぇっていうから俺は行くんであってだな。……伊藤も、どうしても行きてぇっていうなら、照がいいならいいんじゃねぇかって事で、わざわざ俺が誘いに来てやったんだよ。それをよぉ……」


「こ れ は な ん と い う ツ ン デ レ w 」


「うあああああああぁぁっっ!!! 照てめえぇっ!! 殴るぞ!!」

 突然叫びだしたので身の危険を察したのか、反射的に脱兎の如く教室外へと逃げ出す久遠寺君。そしてそれに掴みかかろうと走り出した山崎君。
 ――二人のけたたましい足音は、しばらく経つまで僕の耳にも届いてきた。
「……面白い奴らだな、あの二人は。聞けばお前もあいつらと同じ小学校出身らしいではないか」
「……うん。僕もすっかり忘れてたんだけどね。……で、でも……」
 く、久遠寺君『デート』って……。
 あ、あれは別にそういうのじゃないし、第一僕は山崎君のことは友達になりたいとしか思ってないし……。な、何か勘違いされちゃったのかなぁ。後で誤解を解いておこうか……。
 そんなことを頭の中で考えていると、槍埜さんが細い眉をひそめながら、いぶかしむように僕の顔を覗いてきた。
「……む? 何を顔を赤くしておるのだ伊藤? 熱でもあるのか?」
「え!? あ、あか……い、いや違うよ? 僕はただ友達になりたいだけなんであって、それ以上の関係は望んではいないっていうか……!」
「……? 何のことを言っているのだ……?」

 ……久遠寺君。
 いろんな意味で、変わった人だ。






 続く



[25021] 【学園】walkers 12話「アルバム」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2011/02/19 19:17
「な、何とか人数分コップあったけど……麦茶でよかった?」
 時折コップから中身をこぼしそうになりながらも、おぼんに人数分の麦茶を乗せて、僕は部屋のドアを静かに開けた。そこまで広くもない部屋の中にはお客がそれぞれ適当に座っており、部屋の中をまじまじと見回している。
「ありがとうございます。私お茶好きですから」
 黒縁眼鏡の奥に映る目をにこやかに和らげ、床に置いたおぼんからコップを二つ取ったのは久遠寺君。
 彼は両手に取ったコップのうち一つを、隣であぐらをかくもう一人のお客に渡す。
「おお、サンキュー」
 それを受け取った山崎君は、すぐさまコップを唇へ傾けて麦茶を一口飲んだ。
「……っつーか、結構普通なんだな、伊藤の部屋」
 コップを床に置くと、山崎君はもう一度僕の部屋の中を一通り見回した。
「そ、そうかな? まぁ、自分でも特に変わった所は見当たらないけど」
 いつも見慣れた自分の部屋を、もう一度観察するように見渡してみる。
 自分で言うのもなんだけど、僕の部屋は特に何の変哲も無い普通の部屋だ。床には丸型のカーペットが敷いてあり、勉強机や無機質なカレンダーを壁に揃えて置いてある。一応自分専用のテレビが一台と、本棚に漫画や小説が少々あるばかりで、話題にするような物珍しいものも取り立ててない。
 ――変わった所というなら、それはきっと今の僕の心情だろう。自分の部屋に誰かをあげるなんて中学二年のコウちゃん以来だったから、いつもとは全く違う雰囲気に、慣れた筈の部屋も全く違って見える。
「うむ、しかし整理正統はしっかりと行き届いているようではないか。感心感心」
 すると、カーペットに綺麗な姿勢で正座している槍埜さんが、おぼんから残ったコップを手に取った。それはまるで、弟子の成長を褒める師範のような得意げな表情だ。
「……どうでもいいが、何でお前までここにいンだよ」
 明らかに不満そうな表情を浮かべ、隣の槍埜さんを横目で睨む山崎君。
「む? 別によかろう。友達同士でお互いの家に遊びに行くというのは、よくある事ではないか」
「そういえば槍埜さん、今日は山で稽古があるって言ってなかったっけ?」
「うむ、確かに予定ではそうだったのだが、お前達が放課後集まってどこかに行くという話を聞いたのでな。お父上に許可を貰って、山での稽古はまた後日ということにして貰った」
 満足げな表情で麦茶を飲む槍埜さんは、この四人で僕の部屋にいるというこの状況を楽しんでいるように見えた。


                  12話「アルバム」



 今日は元はといえば僕と山崎君、久遠寺君の三人でどこかに遊びにいくことになっていたんだけど、途中から誰かの家で遊ぼうという事に話が纏まってきて、それならという事で偶然都合がよかった僕の家に決定したのだった。すると途中で槍埜さんが「私だけ仲間はずれは許さん!」と怒鳴り込んできて、結果的にはこの四人でいま僕の部屋にいることになっている。
 ちなみに僕が住んでいる家は一軒家ではなく、どこにでもあるマンションの一室だ。母さんはまだ仕事中だから、実質いま家に居るのは僕たちだけという事になる。
「っつーか成り行きで伊藤ん家に来ちまったけど……。俺と伊藤と照って小学校同じだったんだろ? ならアルバムとか残ってねぇのか? どうせなら見てみようぜ」
 山崎君が何気なさそうにそう言うと、残りの二人もその言葉に妙に食いついてきた。
「そうですね、私もあまり昔のアルバムなどは見ませんし……。あるなら是非見てみたいです」
「うむ、お前達三人の幼少期の時代など、なかなか興味があるな。探せないのか、伊藤?」
 僕は一瞬頭の中でアルバムの存在を思い浮かべると、確か部屋の押入れの奥に詰め込んであったのではないか、という結論に逢着した。卒業以来見た記憶が無いから、きっと探すのには一手間かかるだろう。
 それに、いま集まってるメンバーで小学校のアルバムを見返してみるというのも、中々面白そうだ。
「多分、そこの押入れの中にあるんじゃないかな。探すの手伝ってくれる?」
「よし、任せておけ」
 言うが早いか我先にと槍埜さんがふすまを開け、僕の昔の教科書などを詰め込んだダンボールを引っ張り出しては開けていく。それにつられるようにして久遠寺君も、山崎君は若干面倒くさそうに押入れ捜索を開始した。


 ――捜索開始から十分。

「おい伊藤っ! もしかしたらこれはお前が幼稚園くらいの頃のものではないのかっ!? くれよんを一生懸命に使って描いた感が伝わって……な、何とも可愛らしいではないかっ!」
「うっわ、これ中学ん時の期末じゃねぇか……。数学とか意外とできてんなぁ、他の答案はねぇのか?」
「例えばこーいう時に超アブノーマルもののエロ本が出てきたりとかした場合、どういった対応を取るのが一番なんでしょうか。やはり見なかった事にしてそっと戻してあげる……とかが妥当なんでしょうかねぇ」

 三者三様に押入れの中身を部屋にぶちまけながら、最早『小学校のアルバムを探す』という当初の目的を忘れているように見える三人が、僕の過去の何やらを掘り返してはまじまじと見つめていた。……久遠寺君に関しては何かまったく違う心配をしているみたいだけど、とりあえず心当たりが無さ過ぎる。
 ……今の僕の部屋は、大量の過去の遺物でひっくり返っている状態だった。
 これ……後片付けにどれくらいかかるんだろう……。

「うおっ! 今度は空き箱で作った工作か! なになに……『おかしのはこでろぼっとをつくったよ。じょうずにできたよ』と書いてある!! くうっ! なんと愛らしいのだ!! 伊藤にもこんな時があったのだなぁっ!!」
「修学旅行のパンフが出てきやがった……。懐かしいな、確か京都に行ったんだっけか。この寺なんてまだ少し覚えてるぜ……」
「うーん、さっきからエロ本を重点的に発見しようとしているのに、まだ一冊も出てきませんねぇ。真面目すぎるというのも困ったものです……」

 ……もう足の踏み場もないや……。あはは……。



     ■■■


 ――で。
 結局アルバムを見つけたのは槍埜さんで、幼稚園の頃の思い出と一緒になってしまってあったらしい。
 しかし槍埜さんは――多分幼稚園の頃のものだと思う僕の絵や工作を赤ちゃんのようにぎゅっと抱きしめており、何とも言えない幸せそうな表情を浮かべていた。……よく分からないが、ここでもし僕が『槍埜さんって意外と女の子らしい所あるんだね』などと言おうものなら、惨劇になるであろう事が容易に予測できるのは何故なんだろう。
 そして久遠寺君はどうしてか、押入れの天井部分まで念入りに板を剥がしてまで探していた。……普通に考えてそんな所にアルバムをしまっておく筈はないんだけどなぁ……。
「やっと見つかったけど……埃だらけだね」
 アルバムは所々色あせており、全体的に埃を被っていた。全員が注目する中で静かにページをめくると、久しぶりに日の目を浴びた紙がぺりぺりと剥がれる音を立てる。
 確か……えぇと、一年生の時はこの組で……。
「あ……あった、これだ」
 該当クラスの集合写真には、小さい頃の僕が映っていた。正直自分で見てもあまりよく分からないけど、面影は残っているような感じが微妙にする。
「おぉ……これが小さい頃の伊等か……!」
 すると槍埜さんが、恍惚そうな表情を浮かべて写真をまじまじと見つめてきた。正直……少しだけ気持ち悪い。
 槍埜さんの目から逃げるようにまたぱらぱらとページをめくると、そこには『山崎 啓介』と『久遠寺 照』という名前が見つかった。この二人は一年生のときは同じクラスだったらしい。
「へぇ……私ってこんな感じの子供だったんですね」
「俺も、自分のことなんてさっぱり覚えちゃいねぇな……」
 写真の下に書いてあるプロフィールらしきものを見てみると、山崎君は『趣味:サッカー』『将来の夢:野球せんしゅ』という、何だか矛盾したような事が書いてあった。山崎君もそれに気づいたのか、若干居心地が悪そうに視線を泳がせる。……まぁ、子供ならではの無邪気なものだなぁ。
 すると、久遠寺君のプロフィールも目に入ってきた。

『趣味:びしょうじょゲーム。とくにさいきんではA○Rをプレイ。オススメされているゲームはひととおりプレイしてみたいです』
『将来の夢:かわいい女のこがたくさん出てくるゲームをつくりたいです』

 ……と、大真面目そうに書いてあった。
「お前……この頃から……」
「ああ、そういえばこの頃はAI○の時代でしたか。いやぁ懐かしいですねぇ。今となってはPCのスペック向上もあってCGクオリティも進化してきているのですが、この頃だと本当にとき○モくらいでしか恋愛ゲームは――」
 何だか、小学一年生では特殊すぎるような趣味と将来の夢だった。
 というか久遠寺君、どうして小学一年生でパソコンのゲームをやっていたんだろう――? 謎は深まるばかりだ。


    ■■■

 その後、後片付けをしている最中、ふと押入れの奥から中学校のときのアルバムが見つかった。
 赤い重厚な表紙を持つ立派なアルバムで、すぐに中学校のそれと分かるようなものだ。
 山崎君は懐かしそうに、久遠寺君と槍埜さんは興味深そうに覗いたそれを、成り行きとして皆で開いてみる事にした。
「ふむ……流石に中学生ともなるとあの時の『無邪気な可愛さ』は抜けるのだな……残念だ」
 そうがっかりする槍埜さんをよそに、久遠寺君は全体の集合写真などをぺらぺらとめくっていく。

 ――しかし、山崎君は、常にアルバムの中身には目をやっていなかった。

「……どうしたの?」
「別に」
 話しかけてもぶっきらぼうにそうとしか返さない山崎君。
 ……まぁ、僕自身あまり中学校の時にいい思い出があるわけじゃないから、中学校のアルバムっていうのはそんなに掘り返したいとも思わない物なんだけど。他の二人が見たがっているんだから、まぁいいか。

「お、これが伊藤のクラスではないのか?」
「三年生の頃のものみたいですね」
 そう言って開けられたページには、今とあまり変わらないような顔もちの僕の写真があった。
 相も変わらず出席番号だけは常に一番だ。


 ――だけど。

 出席番号真ん中あたりだった、コウちゃんの写真はそこにはなかった。

(そう――だよね)

 せめてこのアルバムが、中学二年――いや、せめてその夏まででも写真が載ってたらよかったのにな。
 そうしたら、きっと僕とコウちゃんは、同じページに載ることもできただろう。
 それが不意に、僕の心の中に眠っていた寂しさを疼かせたような気がした。


 コウちゃんはあの事件をきっかけに、中学二年の夏で学校を転校してしまった。
 あれ以来一度も会っていないし、連絡も取ってないけど――。

 今頃、どうしてるのかな。
 できれば、また――




「……って、聞いてます? 祐樹君」
「!」
 不意に、久遠寺君に話しかけられた事に気づく。少しボーっとしてたみたいだ。いけないいけない。
「ん、何でもないよ。何?」



 それから僕達は、適当に漫画を読んだりテレビゲームをしたりしながら、一日を過ごした。
 



     ■■■




 ――皆が帰ったあと。
 夕暮れ時の日の光が差し込んだ室内で、僕は久しぶりに出てきたアルバムをまた押入れの奥へとしまい込んだ。
「残ってる写真は無かったし――。もう必要ないか」
 多分、今後このアルバムを開く事はないだろう。コウちゃんの居ない中学校のアルバムに、何かの意味があるとは僕には思えない。

 もし、もう一度開くことがあるとすれば。
 その時は多分――









「また……会いたいな……」






 続く



[25021] 【学園】walkers 13話「Lonely Girl's an Elegy(前編)」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2011/03/01 18:44
「まったく、くだらん阿呆共めがッ!」
 声をあげて、一際迫力を込めた声色で一喝する。
 すると目の前の連中はいかにも狼に睨まれた羊といった風に、みな揃って酔狂なほどの悲鳴を上げた。
「ひっ……ひいぃぃィィィ!!」
「もっ、申し訳ありませんでしたっ!!」
「許して下さい! どうか、いっ、命だけは……!」
 口を揃えたように命乞いの言葉らしきものを発したかと思うと、私の拳を喰らった内の男の一人が手に持っていた財布を投げ出し、一目散に走り出した。
 すると取り巻きの連中も、それにつられるように背中を向けて汗しぶきを飛び散らせながら遁走する。

「逃げろおおぉぉぉぉぉ!!!」
「ばっ、バケモンだああぁぁぁ!!!」


「……ふんっ」
 あっという間に路地から脱出した奴らは、もう日の沈みかけた赤い空の下を駆けていった。
 勿論追いかければ容易に捕まえられるが、財布は置いていったようだし、その必要もないだろう。
「……まったく、いつまでたってもこういった事は無くならんものだな」
 ああいった連中は逃げ足だけは速いとは、よく言ったものだ。
 弱き者に対しては凄みを利かせるだけ効かせておいて、自らの身が危ういと知れば矜持もなく尻尾を巻いて逃げるとは。日本男児の魂が、聞いて呆れる。
「…………っ」
 すると、隣から蚊の鳴くようなか細い声が私の耳に入ってきた。
「む……大丈夫だったか? 近頃はああいった野蛮な奴らが多いからな。お前も気をつけるのだぞ」
 道に落ちた財布を拾って軽く砂を落とすと、私は道路の隅っこで縮こまっている一人の女の子に手を差し出した。

 帰宅途中に偶然居合わせたさっきの場面。
 先ほどこの女の子が何人かの野蛮な連中どもに金をたかられていた所を発見し、私はこの正義の鉄拳で連中を粛清してやったところだ。ああいった連中を世間では〝ナンパ〟と呼ぶらしいが、か弱い女子にまで手を出すとは、何とも救い難いほどの下種共であった。
「…………あ」
「どうした? やはりどこか痛めているのか……?」
 彼女はひどく怯えた様子で私を見上げると、すぐに目を逸らした。――あやつらめ、ひょっとするとこの女の子に暴行まで加えておったのではあるまいな。
 目の前の彼女は見たところ私の通う山吹高の制服で、同じ一年生のようだ。三つ編みと丸型眼鏡といった、いかにも大人しい感じの女の子である。繊細な印象を受ける顔つきはおそらく恐怖で震えており、額や首筋には数滴の汗が滴っていた。
 ――可哀想に。余程あ奴らが恐ろしかったのであろう。
「……あ、あの……」
 すると、今にも途切れそうなか弱い声が発せられた。
「う、槍埜(うつぎの)さん……ですよね……。三組の……」
「む、その通りだが。私の事を知っているのか?」
 起こしてやろうとして、彼女の手を掴む。
「…………っ!」
 ――すると。

 バッ!

「――え?」
「……っ! ……あっ、ご……ごめんなさ……」
 彼女は一瞬掴んだ私の手を反射的といった風に振り払うと、さっきよりも怯えたような表情で後ずさり、私から距離をとった。
 ――そんな。起こそうとしてやっただけではないか。何故そうも怯えるのだ?
「あ、あの……ありがとうございました……。だ、だから……もう……」
 すると彼女は、その細い喉元から振り絞るような声で――私の心臓に突き刺さる氷柱ような言葉を発した。
「もう私に関わったり、しないで下さい……!」
「な、何?」
「あ、あの、これで……」
 すると彼女は手にした財布から札をあるだけ抜き取り、強引に私の手に握らせた。
 私が呆気にとられているうちに、彼女は怯えたような膝を震わせながらも立ち上がると、
「そ、それじゃあ……」
 とだけ言い、ついさっき不良共に向けて作った拳――私の右手を一瞬だけ見て、それっきり逃げるように私から去っていった。




 ……。


「……はぁ」
 大きくため息をつき、空を見上げる。
 ――怯えさせて、しまったのだろうか。
 それは彼女が、さっき私がこの拳で奴らを成敗してやった所を見ていたからだろうか。
「そんなつもりで助けたのでは……なかったのだがな」
 別にお礼を言って欲しくて助けた訳では勿論ない。ましてやただの勝手な自己満足や、礼の為に手を振るった訳でもない。
 むしろこういった事は過去にも何度かあったから、それなりに慣れているつもりではあった。
「……あんな風に露骨に恐れられたのも、始めてかもしれん」
 私の手に握られた、風に揺られる札の束。それは今の私自身の心情を表しているようでもあって、余計に虚しさを募らせる。

 ――私は、個人的にああいった連中が許せないと思うから手を下しただけだ。
 だのに被害者であるはずの人間からも恐れられ、要求したはずの無い礼まで握らされてしまった。
 こういった事も、まぁ慣れっこではある。『弱き者の味方となれ』という父上の教えを忠実に守って生きてきた結果の副産物だと思えば、いくらかは理不尽だとも思わない。
 しかし、それ故に――



 ――私はたまに、寂しくなる。







           13話「Lonely Girl's an Elegy(前編)」




「……はぁ……」
 次の日の朝。
 いつも通り誰もいない一番乗りの教室で席に座りながら、私は頬杖をついたまま溜息を漏らした。
 昨日の事は地味に私の中で堪えていたらしく、似合わないとは思うがずっと気持ちが沈んだままだ。
 そのせいか、昨日の稽古にも妙に気が入っていなかったように感じる。
(……やはり、ただの私の自己満足だったのだろうか)
 その自己満足で、助けた気になっていた人をも怯えさせてしまったのでは本末転倒だろう。昨日の彼女の怯えた表情が良い例だ。
 ならば、私が今まで良かれと思ってやってきた事は、その実誰かを無意味に怯えさせていたりしていたのだろうか。
 ――マイナスな思考が、頼んでもいないのに頭の中を埋め尽くす。
 そういえば、昨日勢いで受け取ってしまったお金は、やはり彼女に返さなくては駄目だろう。幸いここの高校の制服を着ていたから、調べれば恐らく分かるとは思うのだが……。
 ――不安だ。もしそうなっても、昨日の彼女は私を見て逃げ出したりしないだろうか――。
「…………」

 すると。
「あ、槍埜さん。おはよう」
 聞き覚えのある声が、教室の扉から聞こえてきた。
「今日も一番乗りかぁ。いつも早いね」
 ――前の席の私の友達、伊藤祐樹だ。
「伊藤……」
「……あれ、どうしたの槍埜さん。何か今日元気ないような感じがするけど」
 ――む、妙に鋭い奴だな、伊藤の分際で。
 少し落ち込んでいるなどと、こいつに知られるのは真っ平御免だ。私は陰鬱な気分を吹き飛ばし、明るく振舞うことにした。
「伊藤よ、誰に口を聞いているのだ。この私が落ち込んでいるわけなどないであろう。昨日は少し稽古が激しかったので、疲れているだけだ」
「へぇ……ならいいけど」
 そこで、少し伊藤をからかってみる。
「む? 今日は私の稽古の内容は聞かないのだな」
「だって、何か怖いからね……。この前の熊が云々とか」
「ああ、そういえば昨日の夕飯は熊鍋だったか……」
「いいって言ってるのに、何で話すの!?」
 まだ二人しかいない教室で、こんな取りとめも無い事を伊藤と話す。
 ――む、不思議なものだな。これだけでも、少しはさっきの沈んだ気分が晴れたような気がする。

「……少し、考えすぎだったのかも知れん、か……?」
「え? 何か言った? 槍埜さん」
「む、熊の肉は割とこってりした味わいで中々に美味だと……」
「熊の話はもういいって!」



        ■■■



 その日の放課後。
 学校が終わると、いつものように伊藤と山崎に一緒に帰るよう呼びかける。
 山崎も最初は抵抗していたが、私が何回も無理やり連れて行くうちにそれほど嫌味も言わなくなってきた。伊藤は「もう観念してるんだよ……」などと言っていたが、私には何のことだかさっぱり分からん。
「伊藤! 今日も一緒に帰るぞ!」
「は、はいはい……」
「……っ、声でけェよ」
 二人ともそう言って鞄を肩にかける。伊藤は男の癖に体が小さいせいか、心なしか鞄が大きく見えてしまうな。
 するとどこから来たのか、久遠寺が山崎の隣からひょっこりと顔を覗かせた。
「皆さんは一緒に帰宅ですか。仲のいい事ですねぇ」
「お、照。そういやぁお前一人だけ家の方向違ったもんな」
「はい、それでいて無駄に学校からも遠いんですよねぇ」
「へぇ~、久遠寺君の家にも今度行ってみたいなぁ。この間は僕の家だったし」
「何も無いところですよ、ただうるさいだけです……」
 む……こやつら私を差し置いて。
「そうだな。今度は久遠寺の家にいつか遊びに行く事にしよう。無論この四人でな」
「……何か槍埜さん乗り気だね」
「当然だ! 友達というのは、その証として相手の家に遊びに行くものなのだぞ!」
「どこ情報だよそれ。必ずしもそうとは限らねぇだろうが」
「うるさいぞ山崎。そのうちお前の家にもお邪魔するからな」
「おいやめろ! てめぇ俺ん家をぶっ壊す気か!!」
「な、何だと!? 貴様何を失礼な事を……!」
「まぁまぁお二人さん、仲が良いのは分かりますが、教室内で喧嘩など……」
「仲なんて良くねえよ! つーか俺は既に一回コイツの犠牲になったわ!!」

 山崎がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるも、久遠寺に宥められて落ち着かされたようだ。
 そんな様子を、伊藤は困ったように笑っている。
 私は――
「……くくっ」
 そこで、ふと笑った。

 ――まったく。
 こんな雰囲気も悪くないな、と思ってしまう。







「……ねぇ、それって本当?」

 ――む?

「うん、本当らしいよ。昨日五組の高峰さんが他の高校の男子何人かからカツアゲにあったみたいなんだけど、高峰さんの友達が色々聞きまわってたもん」
 ふと、教室の隅に固まる女子達の会話が聞こえてきた。
 内容からするに、昨日私が通りがかったあの子の事だろうか?
(そうか、彼女は五組の高峰さんといったのか……。覚えておかなければ、後でお金を返しに行くのだからな)
「……えぇ~。でもその話じゃあさぁ……」
 すると、急に彼女達の視線がこちらへと注がれた気がした。

「その他校の男子を追っ払ったのって、ウチのクラスの槍埜さんって事でしょ?」

 一斉に視線が私に刺さる。
 ……む、そんな事まで広がっていたのか。慈善の為にやった事ではないとはいえ、何だかこそばゆい様な気分だな。
 まさかそんなに噂になってるとは――。


「てか正直さぁ、ありえなくない? あっちは男子が複数なんだよ?」
「だからぁ、あの人マジでヤバいんだって。前にも山崎君を一発で張り倒してたでしょ」
「ってかさぁ……そんな人がクラス委員やってるって、やっぱ怖いよねぇ。怒らせたりとかしたら終わりってカンジで……」


 ――。

 え、

 そんな。

「だからさぁ、アタシ最初から嫌な予感してたんだって。あの人女子とかとは全然喋んないし。最近は他の男子とも話してるみたいだけどさぁ、その前なんかあの暗い伊藤くんとしか話してなかったじゃん」
「それってもしかしたらさぁ、最初から友達の当てが無かったから、気が弱そうな伊藤くんから狙ってたとかありそうじゃない? あの実さぁ、裏でコキ使ってるとかありそうじゃない?」
「言えてる! まぁカツアゲされそうになってた高峰さんを助けたりとかっていうのは素直に偉いと思うけどさぁ、それだって結局自己満足でやってるんでしょ」
「どこのクラスにも一人はいるよねぇ、正義感強すぎて煙たがられる人って」


 ――あ。

 ち、違う。

 私は決して、そんなつもりじゃあ――。



(ズキン)


「――え?」

 一瞬、酷く冷たい音がした。
 彼女達の言葉が、頭の中で渦巻く。

 ――勿論、高峰さんには誤解をされてしまったかもしれない。
 しかし、あんな言い方は――







《最初から友達の当てが無かったから、気が弱そうな伊藤くんから狙ってたとかありそうじゃない?》




 ――っ!!


 い、いや――

 わ、

 私は


 そんな、違――








「あれ? どうしたの槍埜さん。ボーっとしちゃって」
「!!」
「何か、顔色悪くない?」

 伊藤が声をかけてくる。
 まずい、何か――何か返事を――




「きょ、今日は――」
「え?」

「悪いが、今日はお前達二人だけで帰ってはくれぬか? ちょっと用事を思い出してしまってな」

 ――そうだ、私は高峰さんにお金を返しに行かなくては。


「そう? 残念だなぁ。じゃあ山崎君、一緒に……」
「っ、何でわざわざお前と……ってか、別に一緒に帰らなくったっていいだろうが!」



 っ、はぁっ、

(動悸が……)

 何故だ。
 別に、あれくらいの誤解などむしろ当然だ。
 陰口を叩かれるくらい、今までに何度も受けてきたではないか。
 あの程度の悪口など、言われても何とも気にも留めていなかったではないか。
 なのに、どうしてこんなに。




 ……胸が、苦しい――? 



《気が弱そうな伊藤くんから――》



「――ッ!」


 気がつくと。

「……あっ、槍埜さん?」




 私は、何処へ行くともなく教室を飛び出していた。








   続く



[25021] 【学園】walkers 14話「Lonely Girl's an Elegy(中編)」
Name: kyoune◆dfe56213 ID:1aa6fc6e
Date: 2011/03/26 22:50
「はあっ、はあっ……!」
 無我夢中で廊下を疾走し、同時に階段を駆け上がる。
 すれ違う者たちは皆一様に私を見て目を丸くしていたが、そんな彼らも私の視界からはすぐに消えうせてしまう。
「……っ、ぁ……!」
 私は、走っていた。
 衝動的に、特に何の目的もなく。体力を消耗せずに走る為に身に付けた技術など頭から剥がれてしまったように、息が切れんばかりの無茶苦茶な走り方で。
 階段を登っているのだって、上に用事があるからではない。そこに階段があったから気がつけば登っていたのだ。
「く……っ」
 駆ける。
 駆ける。
 駆ける。
 何十秒か、何分か、はたまた何十分かは定かではないが、私にとってはついさっき教室を飛び出してきたのが昨日の事のようにさえ感じてしまう程に、私は走っていた。腰まで伸びた自慢の長髪を振り乱して廊下を疾駆する私の姿は、傍から見ればこれ以上無いほど滑稽に映っていたに違いない。
 だが、そんな懸念すべき事すら脳から追い出されてしまう程に、私は〝ただ〟走っていた。





           14話「Lonely Girl's an Elegy(中編)」




 バンッ!

 鉄格子の砕ける鈍い音が弾ける。
 私は叩き壊さんばかりに乱暴に、思わず目の前の分厚い扉を蹴破っていた。
「……っ、ふうっ……」
 知らず知らずのうちに向かっていた場所。
 自分でも特に行き先として意識していたつもりでは毛頭ないのだが、気づいたら私は校舎の一番上の階――青空を望む屋上に来ていた。さっきの扉は、そういえば屋上への重い扉だった。
「……いつのまに……」
 呆然としたまま、私の心情とは裏腹にいつもと何ら変わらぬ空を眺める。
「…………」
 ――すると、行き止まり故に走ることが止まったからか、私の脳はさっきよりかは少しだけ冷静さを取り戻した。
 熱くゆだった薬缶が蒸気を噴き出すかのように何とか頭をクールダウンさせると、汗でびっしょりになった額を思わず袖で拭う。
 ――ただ走るだけでこんなに汗をかいたのも久しぶりだ。
 そこで。
「……あれ?」
 ふと、気がつく。
「……何をしていたのだ、私は?」
 若干熱の引いた頭で冷静になって考えて見ると、どうして私はこんな所まで来たのだ? いや、そもそもどうしてこんなに無茶苦茶に走る必要があったのだろう。
「む……」
 少し――クラスメイトに陰口を叩かれただけで取り乱して教室から逃げ出すとは、私もとんだ未熟者だったようだな。父の教えでは『どんな時でも冷静沈着であれ』とあったというのに――こんな事では槍埜流の跡継ぎとして失格だ。
 まったくとんだ醜態を晒してしまった。恥ずかしい。
「――ははっ」
 少し、自嘲気味の笑いを漏らす。
 青空を吹き抜ける春の風が、私の汗ばんだ額から熱を奪い取っていった。

「……帰るか」

 まだ動悸はうるさいものの、一時と比べれば遥かに冷静になった身体で開け放された扉へと歩きだす。
 ここに来るまでの自分が嘘のように、それこそ――何かの勘違いだったかのように静まっているのが自分でも分かった。
「……あ」
 そういえばさっき思わず扉を蹴破ってしまった。鍵が破損してしまったな……どうしよう。後で先生に誤りに行かなければ。
 それから、高峰さんに昨日のお金を返しに行かなければだったな、やる事は沢山だ。
 それと……伊藤たちには悪い事をしたな、私の都合で一緒に帰れなくなってしまって。
 
 そんな事を、つらつらと考えていると。






「槍埜さんっ!!」

 突然、奴は現れた。
「……え?」
 破壊されて歪んだ扉の隙間から、飛び出すといった表現が似合うように勢いよく。
 私の――〝クラスメイト〟の、伊藤祐樹が。

「……い、伊藤?」
「あ、いたいた! もう、心配させないでよ!」
 伊藤はなぜか珍しく眉を歪めたまま、肩で息といった風に困憊した様子で私の前まで近づいてきた。
「もう……いきなりいなくなっちゃうから心配したよ!」
「す、すまん……。しかし、お前どうして屋上に……?」
「廊下ですれ違った人に聞いていって、槍埜さんが走って行ったって方角を教えてもらったんだよ。そしたらここに着いたの」
「そ、そーか……」


 ……。


(む……)
 ふと、沈黙が流れる。二人とも続く言葉が見つからず、思わず黙り込んでしまった。
 辺りに聞こえる音は風が制服を揺らす音と、不規則に続く落ち着かない伊藤の呼吸音だけだ。
「そ……」
 私はその沈黙が少々心苦しく、自分から口を開いてみることにした。
「そういえば、お前どうして私の事など追ってきたのだ……?」
「え?」
 すると目の前の伊藤は一瞬だけ目を丸くした後、汗ばんだ顎に人差し指を当て、妙な声をあげてうなりだした。
「……な、何でだっけな……」
「何? 理由が無いのに私の事を追っていたのか?」
 どれだけ暇な奴なのだ。意味が分からん。
 私は呆れたように溜息をつく。
「で、でも……」
 すると伊藤は、自分の中でその答えが見つかったのか――は定かではないが、はっきりとした意思を込めた目で私の事を見つめ、言った。

「……槍埜さん、もしかしたら何かあったんじゃないかって思って」

「……!」
「だって、いつも落ち着いてる槍埜さんがさ、あんな風に取り乱した感じで教室から出て行くなんて普通じゃないって思ったっていうか……その、一応心配になって。あっ、僕の勘違いだったら謝るけど……」


 ――何だ。

 心配してくれていたのか。

 こんな私を。

「……っ」
 その瞬間。
 さっきまでの自分の心情が、途端に浮き彫りになっていく感覚が浮上した。
(伊藤……っ)
 何故さっき、私があんなにも慌てていたのか、動揺していたのか。
 その理由が――目を逸らしたかったその現実が、途端に私の視界に多いかぶさり、埋め尽くす。
「……くっ」
「槍埜さん?」
 ああ、どうしてお前はそんなに――優しいのだ。



「何でも……ないぞ?」
 消えてくれ。
「別に、ちょっと外の空気が吸いたくなっただけで――」
 私の前から消えてくれ。
「そんなに心配するほどの事でもなかろう」
 お前の顔を見ていると、醜い自分が浮き彫りになる。
「だから――ほら、お前は山崎とでも一緒に帰っていればいいだろ」
 だから、もう。
「第一、私は私で他に用事があるしな。そうだ、扉の鍵も修理しておかねば――」
 その優しげな顔を、私の前には――







「嘘」




「……え?」
 突然、伊藤が言葉を発した。
「……」
 その表情は、奴には珍しく――似合わないほどに、妙に険しかった。
「槍埜さん、嘘ついてない?」
「な――」
 問いただすような視線が刺さる。
「ど、どうして。別に嘘など……」
「やっぱり、さっき何かあったの? それなら僕に言ってくれない?」
「――う」
 ど……どうしたというのだ、伊藤。
 私はお前の、そんな目を知らない。

「僕は槍埜さんの、そんな目を知らない」

「……!」
 痛い。
「な、何故そんな事――!」
「分かるよ」
「……何?」
 伊藤は目を伏せたまま、淡々と言葉を発する。
「僕達、まだ出会って一ヶ月くらいしか経たないけどさ。でも、それでも色んな事があったよね。僕が山崎君と友達になった時には槍埜さんが色々と関わってくれたし、皆で僕の家に遊びにきたりとかもあった」
「……」
「そういうことを繰り返してたらさ。何となくだけど、分かるようになるんだよ。槍埜さんだったら――笑うときはこういう風に笑うんだ、とか。怒るときはこういう風に怒るんだ、とか。表情のちょっとした違いとか、僕なりに少しは分かるようになってるつもりだよ」
「……それが、どうしたというのだ」
「今の槍埜さんは、僕の知らない槍埜さんだ」
「……っ」
 私は思わず、大人げもなく声を荒げた。

「――それが何だというのだっ!!」

 瞬間、辺りの空気が震撼するのが分かる。
「貴様などに私の事など分かって貰ったからといって、それがいったい何だ! 何になる!」
 ああ、私は何を言っているのだ?
 馬鹿ではないのか? 伊藤は私を――
「そんなもの、貴様のただの思い込みではないのか! 自己満足ではないのか! 第一、私がどうなろうが貴様には何の関係もなかろう!!」
 ――心配して、くれているのに


「……るよ」
「え?」
「関係あるよっ!!」
 伊藤は――本当に、その華奢な体つきからは想像もつかないほど、いきなり声を荒げた。
「な――」
 伊藤が声を荒げる所を、私は初めて見た。

「……どうしてそんなこと言うんだよ……。もしかしたら槍埜さんに何かあったのかもって思うし、そしたら心配にだってなるだろっ! そんな心配だってしたらいけないっていうの!?」
 その口調に触発されたのか、私も意図しないうちに熱くなってしまった。
 無意識に、拳を握る。
「う……うるさい!! 貴様などに心配される筋合いがないと言っているのだ! 第一、貴様はお節介すぎるぞ!!」
「そっ、そんなこと言うなら槍埜さんのほうがよっぽどお節介焼きじゃないか! 人のこと都合も考えずに振り回したりするし――」
「それは……お前が意志薄弱だからだ! だから私が引っ張ってやらなきゃ……」
「そんなの勝手な言い訳だよ! 僕は……槍埜さんが傷ついてるんじゃないかとか、一人で色々考え込んだりしてるんじゃないかとか、そういう事が心配で――」
「……うっ」
 伊藤の言葉に、不意に胸が苦しくなる。
 どうしてだ。
 どうしてお前はそんなに優しい。
(く……っ)
 そんなに優しくされたのでは――


「苦しいでは……ないか……!」

「……え?」
 その優しさで、私の醜い罪悪感が増すばかりだ。
「……っ」
 私がその言葉を発した後、熱くなっていたさっきまでの空気は一気に冷えた。
 伊藤はぽかんとした表情を下げて私を見ている。対する私もさっきまでのテンションの高さは急激に落ち着き、途端と冷静な心持になる。
「……」
 私達の間に、沈黙が流れる。

「――なあ、伊藤よ」
 そして私は、無意識のうちにその言葉を紡ぎだしていた。
 あれほど言わないと、決めていた言葉だったのに。
「私達が初めて話したときの事を、覚えているか?」
「……うん、覚えてるよ。槍埜さんが、まだ誰とも話せてなかった僕に話しかけてくれたよね」
 そう。あれはまだ入学してから一週間も経っていなかった頃。
 私の目の前の席で、休み時間じゅう一人で座っている一人の暗そうな少年に、私は声をかけた。


《おい》

《お前、他の人と話さないのか?》


 辺りを見渡せば楽しそうな話題で盛り上がっている複数の生徒達。
 そんな明るい雰囲気から隔絶した――あるいは隔絶「させられた」ような目の前の伊藤祐樹に、私は声をかけたのだ。


《話し相手がいないのなら、私が友達になってやろうか?》





 それは。












 ――他でもない。


 『私が友達を作るため』だった。








「わ……私はな……、伊藤……」
 自分でも分かるような、震える声でそう告げる。
 これを聞いたら伊藤は、恐らく私の事を笑い、そして幻滅するだろう。
 だが……仕方ない。それが今までの私のツケなのだ。
 今までさんざん〝強そうに〟振舞ってきた、私の受けるべき罰なのだ。




「私は昔から――〝友達〟がいなかったのだ」





 そう。
 幼い頃より槍埜流の跡継ぎとなるため、私は父上より武術の訓練を日夜受けてきた。
 物心つく頃には私はどこの学校でも無敵と言えるまでの武術家になっており、体育は勿論のこと全教科の通知表は5以外取った事が無い。そんなあまりにも〝普通〟とは隔絶したような存在が、〝普通〟と気楽に友達になれたり、ましてや楽しげな会話などできるはずもなかった。
 クラスや塾の人間は、そんな私を恐怖し、畏怖し。
 常に避けられるように、あるいは崇められるように。
 どうあっても、〝対等な関係の友達〟としては見てくれていなかった。
 そして、その心中の寂しさを紛らわすかのように、私はますます自らの武術を磨き上げることに没頭した。
 内心は、ずっと〝友達〟が欲しかったにもかかわらず。
 気楽に他愛もない会話ができて、何でも相談できたりする。そういう〝友達〟が欲しかったにも関わらず。

 だが、私の願いは叶わなかった。
 ――それはそうだろう。
 小学校の頃より既に、クラスの気弱な女の子をいじめていた男子八人と喧嘩して、うっかり全員保健室送りにしたような女の子と誰が友達になりたいというのだろう。
 中学校の頃より既に、手刀で大岩を叩き割れるような女の子と誰が友達になりたいというのだろう。
 野生の猛獣を踵落としで撃退できるような女の子と、誰が友達になりたいというのだろう。
 私はどうあっても、どう転んでも、〝普通〟ではなかったのだ。


 月日は経った。いつしか私はそんな孤高な人間のまま高校生になっていた。
 そこで――高校に入学した私は、ある決心をした。

 一人でいい。一人で良いのだ。
 何でも気楽に話し合える、〝友達〟を作ると。

 ……だが、現実は残酷だった。高校になったからといって私が〝普通〟でないことが変わる訳も無い。
 あたりは一週間も経てば既にいくつかの決まったグループが出来上がり、未だ誰とも仲良くできていない者など私くらいのものだった。
 ――しかし、私は見つけたのだ。
 目の前の席に座る、見たところ私と同じような。

 どこのグループにも属していない。
 どこの誰とも話していない。
 気弱な一人の少年の、小さな背中――



 伊藤祐樹を、見つけたのだ。





「――だから私は、そんなお前に声をかけた。そして……無理矢理〝友達〟にしたのだ」

 私は自らの境遇から、伊藤に最初に声をかけたいきさつまでを、殆ど包み隠さず話した。
 話していて、自分で自分に怒りが湧いてくるような情けない話である。
「ふふ……まったく私は卑怯な奴であろう? 自分に〝友達〟が欲しいがために、だからこそ私は誰とも話していなかった、他に誰とも友達がいないと踏んだお前に声をかけたのだ」
 自嘲気味に言っている内に、情けなさに涙が出てくる。

 ああ、私はどうしてこうも弱く、醜く、情けなく。





「私は、友達のいなかったお前を――自分のために利用したのだ」





 反吐が出るほど、馬鹿らしいのだ。









  続く



[25021] 【学園】walkers 15話「Lonely Girl's an Elegy(後編)」
Name: kyoune◆46b3a7a7 ID:d3cbda85
Date: 2011/03/26 22:49
「………………」

 場に、静寂が流れる。
 冷え切った、凍て付いた、しんとして何も聞こえない。
 恐ろしい程の、狂った程の静けさに包まれた静寂が。

「………………っ」

 まるで世界がこの屋上だけになってしまったかのように。
 全ての音が拒絶され、吹き抜ける風も止まってしまったかのように。
 色が消えていくように、さながら色褪せたセピアのような景色になっていく。

「………………す」

 聞こえるのはただ、こんな時にも止まってくれない、馬鹿みたいに鳴り続ける私の心音だけ。

「………………すま」

 伊藤の顔など見えない。見たくも無い。
 私の言葉を聴いて、どれほどの怒りに震えているのかなど、恐ろしすぎて想像だにしたくない。

 ――『自分が友達を作るため』、『不安を隠すため』。
 ただ、『自分のため』。

 そんな不純な動機で。
 そんな打算的な動機で。
 そんな穢れた動機で。
 そんな醜い動機で。

 勝手に友達にされ、勝手に振り回されていた伊藤に。
 勝手に迷惑をかけられ、勝手にこんな事を明かされる伊藤に。

 私は何と――

「………………すま、ない……」


 ――ああ、何と詫びればいいのか。






                15話「Lonely Girl's an Elegy(後編)」





「…………はっ」
 ――あ。
「……い、伊藤……」
 わ、私は何を口走っていたのだ。
 『すまない』だと? そんな簡単な言葉で許されるとでも思っている訳ではあるまい。
 許してほしいがために、そんな安っぽい言葉を知らず知らず吐いてしまうとは――一体どれほど醜さを見せれば気が済むのだ、私は。

(あ……あ……)

 ふと。本当にふと。
 私の頬を、温かい一筋の涙が伝った。
 
(……っ)

 それは私の醜さに嫌になった自己嫌悪の涙だろうか。
 あるいは目の前の伊藤に許してほしい為の、自分でも意識しない打算的な涙なのだろうか。
 ああ、どちらの意味でも嫌になる。

(く……っ、あ……)

 一度流れ出してしまった涙はもう止められず、絶え間なく溢れ出してしまった涙はもう拭えず。
 私は――ただただ情けなく奥歯を噛み締めたまま、呆然と両の双眸から伝う涙の筋を、どうする事もできないまま立ち尽くす事しかできなかった。

「……ご……ごめ、ん……、伊藤……ぉ」

 ぽろぽろと溢れる涙のせいで裏返った声で、私はそう言うことしかできなかった。
 謝って許されることではないけれど、私にはせめてもの、こんな言葉を言う事しかできないのだ。
 堰を切ったように滲み出す熱い涙は、今まで私の被ってきた化けの皮を一枚一枚剥すように溶かしていく。

「……う、うあぁ……」

 ――目の前の伊藤は、何も言ってくれない。
 もとより私が伊藤を見ようとしないせいで、どんな表情をしているのかも分からないが。
 いや、例え見ようとしたところで、この滲んだ視界では表情など分かりようも無いのだが。
 それでも、それでも私は――伊藤に何か言ってほしかった。思い切り貶すのでも、罵るのでも、怒るのでもいいから。
 この、淀んだ空気を、滲んだ空気を。変えて――。



「――槍埜さん」



「……っ」
 そう私が思っていると、不意に、目の前の伊藤の声が聞こえた。心なしかあいつにしてはとても低い声に聞こえる。
(ああ……これで、伊藤との〝友達〟は終わりか)
 その未来を、今までは見つめたくなかった未来を再認識する。
 これで伊藤は私のことを軽蔑するだろう。あいつの友達である山崎も久遠寺も、こんな私の話を聞いたら揃って軽蔑するだろう。やっと作ったと思った信頼関係は一気に崩れ、私はまた一人ぼっちに逆戻りだ。クラスや学年にも噂が広まれば、私はもうこの高校三年間を一人ぼっちで過ごすという事にもなるのだろう。
 ――怖い。
 でも、仕方が無い。最初から分かっていたことだ。
 ならば私には、甘んじてその罪を受け入れる義務がある。

「何……だ……?」

 私は、伊藤の次の言葉に身構えた。
 正直どんな軽蔑の言葉が来るのか分からないが、それもやはり変わらず私は受け入れるべきで。
 突き放されても我慢する。非難されても受け入れる。
 ああ、だから。
 ここは醜い私への戒めとして、せめて思い切り罵ってくれ、伊藤。

 そう、思っていると。


 やがて、伊藤の口が――

「槍埜さん――」
「……っ」



 ――開いた。















「――ありがとう」




 え?



「――本当に強くて優しい人だよね、槍埜さん。それも自分から友達を作るために、僕みたいな暗い奴に最初に話しかけてくれたんだもん」







 ――そして、大層輝いた笑顔で、そんな事を言った。


「……は?」
「いやぁ、僕だったら多分絶対無理だったよ。そもそも自分から積極的に友達を作ろうとするなんて、僕には怖くてできなかったからさ」
 ――な、何を言っているのだ、こいつは。
「い、いや、伊藤……」
「やっぱり僕もその勇気は見習わないといけないよね。それにしても、本当にありがとう槍埜さん。あの時僕に話しかけてくれて――」
「伊藤っ!!」
「っ!!」
 思わず。
 不意に、怒鳴ってしまった。
「――あ」
 し、しまった。私は何と理不尽な怒鳴りを上げてしまったのだ。――しかし、どうしてそんな事を。
「ど、どうして――そんな見え透いた慰めを言うのだ?」
「慰め?」
「そ、そうだ! お前は優しいからそうかもしれんが、遠慮などする事はない! もっと怒りを露にしても――」
「い、怒り? 怒りってどういうこと?」
「――は、はぁ?」
 な、何を言っているのだこいつは。根本的に話が通じ合っていない気がする。
 一体何を勘違いしているのだろう。
「い、いや、私はお前を自分のために利用したのだぞ!? そこは普通怒るところであろう!!」
「な、何で僕が槍埜さんを怒るんだよ。感謝こそすれ、怒る気にはとても――」
「……???」
 いかん、本気で混乱してきてしまった。
 予想とは大分――いや、百八十度ほど違う伊藤の返答と態度に、私は思わず拍子抜けしてしまう。
 な、慰めではないのか? ならばどうしてそうもお前は『普通の顔』を――

「――あっ! そうだ、そうだよ槍埜さん!」
「っ」
 すると伊藤は急に何かに気付いたように声を上げた。
 ――や、やっと伝わったか。けど、これであいつも憤慨するだろう。




「槍埜さんが昔は友達が居なかったなんて、初めて知ったよ。いい人なのに、そんな事もあるんだねぇ」



「ちっ、ちっがああぁぁう!!!」
「ひぃっ!」
 ま、またしても私が声を荒げてしまった!
 い、いやしかし、どうしてこうもこいつは鈍い――いや、ひょっとするとまだ私の言わんとする事を理解できていないとでも言うのか? そこまで魯鈍な奴だったのか、伊藤は!?

「――で、でも槍埜さん」
「な、何だ?」
「……何を勘違いしてるのか知らないけど、僕は槍埜さんを怒ってなんていないよ? 寧ろ感謝してる」
「どうして……?」
「ど、どうしてって、そりゃあ……」
 すると伊藤はさも当然のように、こう口にした。

「だからさっきも言ったけど、僕と友達になってくれたからだよ」

「……っ」
 その屈託の無い表情と言葉に、私は一瞬胸が詰まる。
 どうして、どうしてお前はそんなに――

「わ、私がお前に話しかけた動機について、何とも思わんのか……?」
「動機? 別に……普通だと思うけど? 友達になろうと思って声をかける事の、どこがおかしいのさ?」
「わ、私はお前が言っているような理由では――」
「まぁ……さっきから槍埜さんが何を言ってるのかっていうのはよく分からないけど、それでも僕は何も起こってなんかいないよ。それは分かってくれないかな」
「……い、いやしかし、それでは私の気が――。な、ならば伊藤! このさい何も疑問に思わなくてもいいから、私を一発ビンタしろっ!!」
「えぇ!? や、やだよそんなの!」
「だっ。駄目だぁぁぁ!! そうでもしないと私の罪悪感は治まらんっ!! うわあぁぁぁぁ!!!」
「う、槍埜さんが壊れたぁ!?」




 その後、暴れる私を伊藤が何とか宥めようとしていた――らしい。
 私は何だか思考回路がショートしてような状態で暴走まがいの事をしていたらしいので、よく覚えていないが。






「……はぁ、それにしても拍子抜けだよ。伊藤」
「え?」
 私はいつのまにか治まっていた涙の跡を拭いながら、空を見上げた。
「私がこんな事を言っても怒らないし――お前という奴は、一体どこまでお人よしなのだ? どうして私のほうが暴れねばならん……」
「い、いや、それは僕は知らないけど……。槍埜さんは僕に話しかけた動機が自分で許せないの?」
「そ……そうだ、な……」
 何だろう。これでは何か私が慰められているようではないか。まるで本来とは立場があべこべだ。
「――うん、それはよく分からないけどさ。そんなの気にすることはないんじゃない? 最初に声をかけた理由なんて」
「…………し、しかし……」

 ――すると。私がそう言ったところで。
 急に、今までとは一転して――伊藤の顔つきが妙に、寂しげな表情に変わった気がした。

「……あのね、槍埜さん。僕にも昔、凄く仲のいい友達が居た事があったんだ」
 そう話し始める伊藤は、どこか昔を懐かしむようなものだった。
「コウちゃんっていう中学時代の友達なんだけどね? その人も、中学に入ったばっかりで一人ぼっちだった僕に、初めて声をかけてくれたんだよ」


 《――おい、お前ずっと一人だよな。寂しくねェのかよ?》


「あの時は――本当に嬉しかったな。クラスで孤立しかけてた僕に話しかけてくれて……」


 《何なら、俺がお前の友達になってやるよ》


「その上、友達になってくれたんだ。今思い出したって、こんなに嬉しい事は無いよ」
「…………」
 伊藤は本当に嬉しそうな表情を浮かべる。
 きっとその『コウちゃん』という伊藤の友達は、その時も私のように打算的な心などなかったのではないだろうか。
「こうして思い返しても、コウちゃんと槍埜さんって、凄く似てるんだよ? 色々人の迷惑考えずに引っ張りまわしてくれるところとか、特にね」
「うっ……」
 胸が痛い。確かに私はお前を振り回してばかりだったな。
「そのコウちゃんだって、僕との最初の出会いは何てことなかったんだから。〝友達になる〟の動機なんて、何だっていいんだって僕は思ってるよ」
「……そう、か……?」
「うん。だからさ、槍埜さんが何で落ち込んでるのかって事は僕には分からないけど。でもそれが『僕に声をかけた動機』だっていうなら気に病む必要は全然無いと思うよ? どういう理由であれ僕と友達になってくれた事に感謝してるし、現に僕は一切気にしてないし」
 そう言うと伊藤は、急にくるっと体を回して後ろを向いた。

「――そ、それから、さ……」

 すると、伊藤が発したその言葉は――どこか照れくさそうな感情を孕んでいたような印象を受けた。
「……?」
「う、槍埜さん……」
 伊藤は再びくるっとこちらに向き直ると、心なしか――恥ずかしげに頬を紅潮させていた。



「本当に、ありがとう」

「……!」




「最初に僕に話しかけてありがとう」

 ――《お前、他の人と話さないのか?》

「僕と友達になってくれてありがとう」

 ――《私が、お前の友達になってやるっ!》

「……僕の学校生活を変えてくれて――本当にありがとう」


 すると伊藤は恥ずかしげながらも、大きく息を吸い込んで、そして……吐き出すように口にした。




「槍埜さんは僕の――ずっと大切な、友達だよっ!!」




「――!」

 絶句する。
(……あ)
 『ずっと友達』。
 その言葉を。何年も前から言われたことの無いその言葉を。

「……あー、恥ずかしい……。でも、一度ちゃんと言っておきたかったからなぁ……」

 真っ赤になった頬をぽりぽりと掻きながらそう恥ずかしそうに言う、伊藤に。
(……っ)
 言われたのだ。決して、もう二度と言われる事は無いだろうと思っていた、その言葉を。



 ――ぽろっ


「あ……あ……」
 不意に、再び私の目じりに温かい涙が浮かんできた。
 それはさっきのような醜い涙じゃあなく、単純に。そう、本当に単純に――
(――嬉しい)
 嬉しいからこその、熱い涙だ。

「う、槍埜さん!? こ、今度は何で泣いて――」
 そう、うろたえるあいつに、私は。
「この……馬鹿者……が!」





 思わず、抱きついていた。


「うっ、うううっ、槍埜さんん!!?」
「バカ……バカ……ぁ!」
「え……ちょっ……」
 男女だというのに身長にかなり差がある伊藤は、私からすればとても小さく華奢な体で。それは抱きつくというより寧ろ私が抱きしめるような格好だったのだが。
 私は奴の小さい肩の後ろで、見られたくない大粒の涙をぼろぼろと零していた。
「伊藤……っ! わっ、わたしはっ、お前の友達でいてもいいのか……ぁ?」
 一度抱きしめるともう歯止めの利かない涙は、さっきよりも私の顔をぐしゃぐしゃにしながら――普段の仮面を被った私とは全く違う、裏返った情け無い声を出していた。
 ――一瞬だけ震えるように動揺していた伊藤の背中は、私の何を察してくれたのか、もう静かに、温かく静まっていた。
「……うん。山崎君だって久遠寺君だって、みんな槍埜さんがいたから友達になれた人達なんだ。槍埜さんは――紛れも無い、僕の大切な友達だよ」
「……うっ、うああっ、ありっ、ありがと……ぉ」
 ああ、もうだめだ。〝化けの皮〟はとっくに……

 こいつの背中で、剥がれきってしまった。


「うっ、うううっ……!」
 伊藤の制服の背中を握り締めるようにして、私は声を押し殺して泣いた。
 伊藤はそんな私を慰めてくれようとしたのか、私の背中に手を伸ばし、おぼつかない手つきで優しく撫でてくれる。
 ああ伊藤よ。私はお前のそんな優しさに涙しているんだぞ。分かっているのか?
 そう言いたい私はしかし、止め処なく溢れてくる涙を堪えることで必死だった。

 それから私は嗚咽が泣き止むまで、伊藤の小さく頼りない背中を借りていた。




「――い、伊藤」
「何……?」
「お、お前は男のくせに身長が小さすぎるぞっ! これでは私がお前に甘えているようではないか! もっと身長を伸ばせっ!」
「えぇ……、そんな事言われてもなぁ……」
「ぐずぐず言うなっ! 牛乳を飲むのだ伊藤め! そっ、それから背中を撫でるな恥ずかしい!」
「わ、分かったよ」
「そっ、それからなぁ……!」
「何?」
「お、女の子が男の背中を借りているのだぞ、この甲斐性なしめ……!」





「一度でいいから……。ぎゅ、『ぎゅっ』と抱きしめろ……! 〝祐樹〟……!」










   To Be Continued……


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