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[24750] 【ネタ・習作】東方×ネギま【TS・転生】
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/12/06 00:21
 注意書き。

 ネギま主体の東方projectクロスです。基本はネギまです。
 死んで生まれ変わって神様から能力もらって、TSします。原作のキャラのカップリングがあって、ハーレムです。男女カップルでハーレムです。原作基本設定の改変もあります。ハーレムですけどメインは長谷川千雨さんになります。


――――――――――――――――





 冬特有の鋭い風が薄い窓ガラスを揺らしている。
 森の外れにたたずむ小さな店の中、カタカタとなる窓ガラスに目を向ける。
 カーテンはかかっていなかった。
 外は一面の雪景色。室内ではストーブがじんわりとした暖かさを提供してくれているが、わたしは鳥肌のたった腕を知らず知らずのうちにさすっていた。
 古い形の石油ストーブの前で、わたしはぽつんと椅子に座っている。

 ここは道具屋を自称する店の中。
 奥ではこの店の店主が、わたしのためにお茶を入れてくれている。
 鼻歌が聞こえそうなほどとは言わないが、それなりに上機嫌に店主は奥の炊事場からわたしにお茶か紅茶かコーヒーかと声をかける。
 わたしはお茶がほしいと、自分でも感じるほど覇気のない声を返してから、再度周りを見渡した。

 何の変哲もないように見える石ころから、発光ダイオードや半導体といったパソコンの部品と思わしき器具が並び、そうかと思えば本皮のケースに紙製の箱が積みあがり、その横にはわたしの知るものより三世代は遅れたパソコンが山となっている。
 ランプから始まって行灯や提灯のような骨董品もあるし、どうみても日本刀のような刃物が並んでいる。そしてその横においてあるコーラはどう考えてもすでに室温に戻っているだろう。
 今となっては懐かしいビン入りのコーラには飲まれていないことを証明するかのようにまだ王冠がついていた。わたしの世代ではほとんど見なくなった懐かしい形である。
 かと思えば、目をずらした先においてあるのはなかなかにあたらし目の携帯用音楽プレイヤーである。
 古臭いものが基本で、よくわらかないものが一割弱。最新機器は一分どころか片手で足りる。
 ついでに本があちらこちらで山となっている。新品といった感じではないが、どう見ても古具と骨董品しか並んでいない店内では、これらの本が店主の読み止しであると考えるよりも、古本である可能性を疑ってしまうのは仕方があるまい。
 再度視線を一周させて、ストーブに戻す。

 腕をさすれば、感触が戻り、頬をつねれば痛みが返る。
 夢ではない。幻覚でもない。幻想ではない。
 外は森が広がって、雪が積もり、白銀で染まった幻想のような様を見せてはいるが、ここは現実である。
 わたしは本当にここにいて、わたしは本当にこの店の中に存在していた。

 何をすべきかわからない。どうするべきかわからない。何をしてよいのかすらわからない。
 よくわからない状況で、よくわからない店の中、名だけを告げられた店主のお茶を待っている。
 わたしはどうすればいいのだろうかと考えながら、再度思考の海に沈もうとしたところで、店主がお茶を入れ終わったらしく戻ってきた。

 丸っきりの不審者で、わたしに名だけを告げて、人攫いよろしく、この店までつれてきたその人物。
 丸っきりの不審者で、わたしがまともな状態だったら決して誘いになんて乗らなかっただろうその人物。
 丸っきりの不審者で、ここがもしわたしの住む麻帆良であったなら、そんな誘いは歯牙にもかけなかったほどに係わり合いになるべきではないだろう変わり者。

 そう。よくわからないこのお店。名を香霖堂という古道具屋で――――


「やあ、千雨くん。お茶を入れたよ。上物だが遠慮せずに飲んでくれたまえ」


 ――――わたし、長谷川千雨にこうしてお茶を出す、商売人らしくないこの男性。
 この店の店主である彼の名は、森近霖之助というらしい。


   ◆


 わたしが香霖堂でお茶を振舞われる少し前。
 そのとき、わたしは一人でぽつねんと河原に立っていた。
 いや座っていたかもしれない。さすがに寝転がってはいなかったと思う。倒れていたということはあるまい。
 何しろあまりの混乱でそのときの記憶はほとんどないのだ。
 そんなわたしに声をかけたのが森近さんだった。

「へえ。君は生きているのか。外の人間が無縁塚でよく無事だったねえ」

 彼はわたしを見るなりそういった。
 わたしといえば、どうして自分がこんなところにいるのかもわからずに、混乱の極地にあったため、まともな返答も出来なかった。
 あー、とかうーとかつぶやいて返事を探すわたしに対して、彼は言葉を続けた。

「妖怪にさらわれてないことで何よりだ。博麗神社じゃなく無縁塚にいるってことは自殺かなにかする気だったのかい? 首吊り用のロープは持ってないが、いま外では死ぬまで死ぬかどうかわからない自殺がはやっているそうだね。炭をたいて煙を吸うらしいが、そのたぐいかな? 肉体が死ぬ前に精神が死んだと勘違いしたんだろう。精神が死ねば肉体も死ぬのは道理だが、肉体が死ぬことによっておこる精神の死は錯覚だよ。縁がなくなったなんて勘違いをしてここにくるなんて、君はよく早とちりだなんていわれていただろう?」
 一人でぺらぺらとしゃべると、したり顔かでうなずいた。
 それになんなんだ、その理論は? わたしは練炭自殺なんてしたことはないしする気もない。
 だが、わたしの疑問は口から出なかったため、彼はそのまま話を続けていた。

「結界は壁ではなく“区切り”のことだ。壁は越えるものだが、区切りは区別するものだからね。ゆえに結界がある限りそれを超えることはできない。君はきっと死んで冥界からこちらに流れ、こちらへ来て、また生まれなおしたんだろう」
 どうやら、わたしはいったん死んでいたらしいと心の中でうなずいてみる。
 驚きも飽和容量を過ぎれば沈静化するものだ。
「生き返ったということですか?」
 わたしが口を聞くと彼は少しだけ押し黙った。そのままわたしの顔を見ながら、やれやれといった表情で答える。
 まるで出来の悪い子に教えるように、彼はわたしに対して言葉を続ける。
「そんなはずがないじゃないか。生き返るにはきちんとした手順が必要なんだよ。閻魔の許しを得て魂が戻らなきゃならないだろう。君が生き返ったのならそれを自分で気づいていないはずがないじゃないか。君は一回無縁仏になったんだよ。仏として生まれなおして、人間に戻ったんだ」
 首を傾げるわたしに彼は続ける。

「生まれ変わるなんてのは、当たり前すぎるほど当たり前の現象だろう。知らないのかい? 生まれ変わるための本が、外の世界じゃ売られているって聞いているけど」
 そりゃ比喩だろ、とわたしは心うちでつぶやく。
 残念ながら宗教家でも哲学者でもないわたしは、生まれ変わるのが、生き返るより簡単だとは知らなかった。
 どうやらわたしが生き返ったと自覚していないのが、生き返っていない証拠らしい。こんがらがってきた。
 自信満々で語るくせに、しゃべってる内容は眉唾だ。
 信用していいのかこの男?

 足元には砂利が敷き詰められている。空き缶や紙くずのような生活観の漂うごみは皆無だが、家電製品のような大きなごみがぽつぽつと落ちている。さらに人の手がまったく入っておらず雑草がところどころに生えている。それでいて荒れているように見えないのはなぜなのか。それにコンクリートなどの整備は一切ない。おやおや、麻帆良の川はもっと整備されているはずじゃなかったか。
 そんな現実逃避を試みてから、その行為の間抜けさに苦笑する。地平線も見えないほどに続く川に、彼岸花が咲き乱れるこの川原。賽の河原、地獄の手前の一里塚。

「あの……ここは?」
「ここは無縁塚。もっと広義で言えば幻想郷さ。君は外の世界から結界を越えてやってきたんだろうね」
「幻想郷」
 当たり前のように未知の単語を出す男を見るわたしの目つきに不審が宿る。いや、これは状況を認識しているのに、それを理性が拒む抵抗だろう。
 わたしはすでにこのとき半分以上理解していたのだ。

「ああ。君たちの外の世界とは別の世界だよ。無縁塚は危ないから、ここに来た人間はたいていさらわれてしまうんだが、生きているとはなによりだ。僕はあまり遠出をしないから外の人間とは会う機会が無くてね。僕は森近霖之助。外の品物なんかを扱っている道具屋なんだが、ぜひ僕の店によっていかないかい?」

 わたしが、そんなとんでもないことに巻き込まれたんだということに。


   ◆


「じゃあコンピュータというのはその電気を源に動くのか。ケーブルをつなげるというのは知っていたんだけど……」
「ああコンセントケーブル……。ええ……はい、そうですね。でも、その、森近さんの言う式神……とは違って、情報を集めるのは扱う人ですよ?」
「式神だって扱うのは使用者だよ。なるほど、じゃあ電気は知り合いの魔法使いに聞くよ。彼女はこういうことが好きそうだ、興味を向ければ電気を探してきてくれるだろう。この前から山の河童とも知り合いになったらしいし。次はこれの使い方を知りたいんだが……」
「携帯プレイヤーですか? これは中に音楽の情報を入れる必要があって……」
 乞われるままに、彼の言うところの「外の道具」の使い方を説明していく。

「……ああ、じゃあコンピュータが働かないと使えないのか。きちんとした手順と形式で儀式をする必要があるとは、魔理沙が手こずる理由もわかるというものだ。じゃあ次はこのストーブなんだが、使い方のわからないボタンがあってね。一応使えてはいるんだけど」
「このストーブですか? ああ、このボタンは電気ストーブとの切り替えです。今は石油ストーブ、えーっと灯油を原料にして動いているんですが、コンセントをつなげれば電気でも動くんです。こっちのレバーは電気ストーブに切り替えたときの温かさの調整ですね。灯油ストーブと違って、電気は調整がきくので」
「うーん、またそれか。電池といい、電気で動くものが多いな。魔力や霊力で応用できればいいのだけどね。妖力でもいいが……きっと同じ冠を持っている霊力のほうが通りはいいだろうな。今度霊夢にでも頼んでみるか」
「……いや。えっと……代用ですか?」
「ああ。雨冠をしょっているということは両方とも天の力なんだろう? 天人に知り合いはいないが、天気を操るのは魔法か奇跡で応用がきくはずだからね」
 意味がわからない。

「んっ? どうしたんだい。ってああ、またよってきたのか」
 わたしの無言を勘違いしたのか、森近さんは、何かに気づいたように自分の足元に手をやると、蚊を追い払うようなしぐさをした。
 いまは冬だ。さすがにここが幻想郷とやらでも蚊はいまい。
「あの、なにをされているんですか?」
「しっしっ」と声を出す森近さんに声をかける。
「ああ、幽霊を追い払っているんだ。夏の幽霊は涼しいが冬の幽霊は冷たいからね」
 蚊やハエどころではない。ストーブ周りで手を振っていた森近さんは当たり前のようにそう答えた。

「え……」
「ほら、そっちにいった。まったくもう……」
 そういって彼が向けた視線を辿る。
 わたしの足元にうっすらとして煙があった。いや、と目を見張った。
 気づかなかった。
 固定観念とでも言うのだろうか。
 漂っている白いもや。
 外が冬景色だったし、吐く息も白く霧となっていた。
 だから、それに気づかなかった。気づいていたのに意識から外れてた。
 それとも今指摘されて見えるようになったのか。
 だまし絵のように、一度気づけばそれはあまりに明白だった。
 森近さんの周りから逃げ、わたしの周りに漂うそれは丸い形に尻尾のついた、おとぎ話そのまま幽霊の形を保っていた。
 うわあ、と椅子から立ち上がり、そのさまを見て不思議がる森近さんに、わたしは幽霊がいたことに驚いたことをつげ、例によって当たり前じゃないか、という切り口から始まる彼の講釈が始まるのだった。

「……ああ、外来人が妖怪より幽霊を怖がるというのは本当だったんだね。……んっ? ああ、外来人の話はこの本からだよ。一冊あげよう。この子が霊夢で、こちらが魔理沙。こっちに載っているのは吸血鬼に仕えているメイドだ。次に載っているのが僕だね。あとは薬師に姫に自警団か。いまのところ幻想郷縁起に取り扱われるほどに有名な人間はこれくらいだね。最も人間とは言いがたいものが多いけど、それは著者に問題がある。――――いや、内容が間違っていることは問題ないよ。正しいことだけを言うなんて芸当が出来るのは閻魔だけだ。本とは知識を得るためのものだが、知識を授けるものではない。その本質は想起と取捨の能力を磨くことだからね」

   ◆

 結局幽霊話のような雑談も含めて二時間ほど話していただろうか。
 店内には時計がないし、わたしは腕時計をはめていない。圏外の表示をむなしく光らせている携帯電話をみる必要があるが、それを人としゃべりながら行うのはいかにも不躾である。
 だから時間を常に意識していたわけではないし、気が急っていたわけでもない。
 だけど、森近さんとの話はなかなかに面白かった。こうして自分の状況を忘れて楽しむなんて事は無理だったが、それでも恐怖を紛らわせることくらいは可能だった。
 だが、わたしは否の返事を聞くことを恐れて、帰れるのかを聞くことをためらっていたし、森近さんはこの機会にとわたしに“外の道具”の説明を求め続けた。
 だから、きっかけを作ったのは、当たり前のように告げられた森近さんの言葉だった。

「うーん。なるほど。面白いな。助かったよ」
「いえ……たいしたことではありません」
「ふむ。その慎み深さを魔理沙や霊夢に分けたいやりたいくらいだ」
「はあ」
 首をかしげた。魔理沙と霊夢というのは先ほどからたまに告げられる名前だ。どうやら森近さんと親しい人物らしく、彼の言葉を信じれば魔女と巫女さんらしい。
「だが、僕もこれで対価を渡さないわけにはいかないだろうな。やられているからやり返すのはあの子達だけでいい。何かこの中から商品を上げるよ」
 そういいながら森近さんはごそごそと商品の山をあさり始めた。
 自分で選べるほど見る目があるとは思わないが、彼のほうにもわたしに選ばせる気はないらしい。
 彼は一分ほど探したあと、小さな提灯を取り出した。いや形状から言えば行灯か。

「懐中電灯があればいいのだけど、あれは電池が手に入らなくてね。行灯のようだが、これは持ち運べるようだし……ふむ、なるほど。少し余計だが、まあ使えるだろう。これを使うといい。対価は先ほどの情報で十分だ。正当な取引として君に上げよう」
「?」
 首をかしげた。なぜここで照明具なのかがわからなかったからだ。
「これから霊夢のところへいくんだろう?」
「えっと……」
 まだ理解できていないわたしに森近さんが言葉を続ける。
「外へ帰るんじゃないのかい?」
 その言葉に驚愕する。
「帰れるんですか!?」
 何を当たり前なことを、といった顔で頷かれる。
 おいおい、マジかよ。それを早く言ってくれ、とわたしはへたり込みながら呟いた。それなら八割り増しで愛想よくできただろう。

   ◆

「いい人だが、絶対おかしいよなあ。いや、それを言ったらこの状況がありえねえ。神隠しに幽霊、で挙句の果てに幻想郷かよ」
 わたしは呟きながら道を歩いていた。だが出るのはもっぱら愚痴である。
 周りを見渡せば森が広がり、道を視線でなぞれば先は森の奥へと消えていく。
「これ絶対に人の住むほうから離れてるな」
 道の舗装はだんだんと荒れてきている。
 何度も人が歩いているようにはとても見えない。
 まあそれでいいのだろう。博麗神社とやらは、この幻想郷とやらのはずれにあるらしいし。

「霊夢のいる神社はこの先の道を山に向かってずっと進めばでるよ。夜になると妖怪が出るからいそいだほうがいい。暗くなったらこれを使うといい。冬に入る前に無縁塚で拾ったんだ。僕は寒くなってからは、あまりあそこには行かないからね」
 だとしたら今日わたしが会えたのは偶然よりも僥倖だったのだろう。縁があったといっていたが、森近さんにとってもわたしは無駄ではなかったようだし、幸いだ。
 わたしは礼を言うと、彼から手のひらサイズの行灯を受け取った。ずいぶんと小さい。
「これをあげよう。もう冬に入っているし、僕はわざわざ幽霊を呼ぶ気もないから君が使うといい。普通の提灯としても使えるだろう」
 はあ、といいながら受けとった。

 十数分前に森近さんは、いまはわたしのディバッグのなかにしまわれている行灯を渡しながらいった。

「霊夢というのは幻想郷の結界を維持している巫女の名前だよ。彼女なら君を外の世界に返せる。ああこの行灯は暗くなってから使うといい。人里はなれたところは物騒だからね」
「……物騒ですか?」
「妖怪が出るんだよ。最近あまり人を食べたという話は聞かないけどね。外の人間は幽霊を怖がるくせに妖怪を恐れないから、そのままつかまってたいてい妖怪に食われてしまうと……ああ、これはさっきの本にも載ってるんだけどね」
 そこまで物騒だとは聞いていなかった。顔が引きつるのも仕方があるまい。
 だが、森近さんはそんなことを言いつつも、ここでわたしを神社まで送ってくれるという発想は無いようだった。
 わたしとしても、こんなおかしな世界で自分の常識を主張して見るのはためらわれた。わたしは当たって砕けるという発想が嫌いなのだ。
 元来の事なかれ主義の所為もあるが、あまりに森近さんの言葉に緊迫感がないから恐怖を感じ取れないのだ。

「大丈夫だよ。ちょっかいを出さなければ妖怪も人は襲わない。スペルカードルールにも負けた人間を殺してはいけないという文言が明文化されている。神社についたらお賽銭を入れれば霊夢が出てくるから、彼女に外へ返してほしいというといい。それじゃ、妖怪には気をつけて」
 交通事故を注意する学校の教師のごとく、そう平然と口にする森近さんのこの言葉をあとに、わたしは出来うる限りの速度を持って、博麗神社へ向かっていた。


   ◆◆◆


 急いだ甲斐があったのだろうか。
 森近さん曰く、妖怪に関わらなければ日が落ちる前に、妖精にからかわれなければ日が変わる前に着く、とのことだったから、わたしはどうやら厄介ごとからは逃れられたらしい。
 ちなみに、妖怪のほうが関わる時間は短いのかと問いかければ、その答えは関われば食べられてしまうし、関わらなければ逃げるだけだから時間はかからないとのことだ。
 なんともやる気にさせられる言葉じゃないか。

 幸いにして、博麗神社とやらにたどり着いたとき、まだ日は沈んですらいなかった。
 赤くなった夕日を浴びて、鳥居がその紅さを際立たせる。
 わたしは境内に入り、さてどうするかと周りを見渡した。
 すでに雪が積もり、境内を白く覆っているが、ある程度の掃除はされているのか、石段から本殿というのか神社の顔である賽銭箱までの道はその雪が取り除かれている。
 人気は無かった。雪はかたづけられており、巫女も神主も参拝客も見当たらない。
 しかし、道から外れた場所は雪が積もっており、そこに示される無数の足跡がこの神社が決して人の出入りが無いわけではないことを物語っていた。
 神社の裏手に続く足跡を見て、そちらにいるのかと考えながら足を進める。いや、足跡のほうへ進んだわけではない。まずは賽銭箱の前までだ。
 わたしは少し逡巡してから財布を取り出した。金をケチったわけではない。いつもの部屋に帰って、いつものように日常に愚痴を言いながらベッドに横たわれるのだったら、福沢諭吉のブロマイドだろうと躊躇はしない。
 純粋にあまりに人工的な音が排されたこの神社で、小銭を投下する音を立てることに少しだけ躊躇しただけだ。

 自分の小心に苦笑しながらも、これも何かの縁だろうとわたしは財布から小銭を根こそぎと、ついでに千円札を一枚取り出した。
 小学生にとっては大金である。
 賽銭箱に放り込むと千円札がひらひら舞い、小銭が大きな音を立てた。金が吸い込まれるの確認してから、控えめに手を叩く。二礼二拍に……たしか一礼だっただろうか。二度礼をして、二度叩いて手を合わせながらお辞儀を一度? さすがにそこまで神社の作法に詳しいわけではない。
 作法の不備は大目に見てもらおうと、手を合わせてお辞儀をしながら目を瞑る。
 どうか元の世界に帰してくださいと三度願って頭を上げて、

「…………」

 目を開けた瞬間に、わたしの目の前でわたしの顔を覗き込む女性の顔に息を呑む。心臓が止まるかと思った。

「…………」

 じっとわたしを見つめるその彼女。
 息が止まるほどのその美貌。声をなくすほどの存在感。
 だがわたしの言葉が止まったのは、それらすら霞むほどに、彼女の体があまりにありえない状態だったからである。

「外のようで外でない。外れた世界から来た少女。我々が外来人と呼ぶ存在とは異なるあなたは、ここではなく彼岸へ行ったほうがよいでしょう」

 言葉を失ったわたしに彼女は言う。
 わたしは返事ができなかった。
 そう、わたしにそう告げる彼女は、賽銭箱の上で、上半身だけを“スキマ”から覗かせていた。

「縁なき少女。あのものが開いた道を通り、本来ならば隔絶された幻想郷に立ち寄ったあなたは、迷い人ではなく客人として扱われることになるでしょう」

 彼女が手を伸ばし、その手がわたしの頬をなぜる。
 声が出せない。
 とんでもなすぎる。
 神か魔か、はたまたこれこそわたしの幻想か。

「生き返りたいのなら、三途の川を渡りなさい。ヤマザナドゥの元に行き審判を受けなさい。“地に足をつける程度”の能力を持つあなたは、あのお方にこの幻想郷にとどまるか否かを迫られる」

 歌うように告げられる。
 唄うように語られる。
 その言葉はどういう意味か。彼女の言葉はわたしが帰れるといった森近さんの言葉を否定する。
 帰れるかどうかがわからない、と彼女は言う。
 彼女は続ける。

「選択は慎重に。その決断はあなたの未来を決定する。あの方が“白黒をはっきりと”つけたなら、それは誰にも覆せない。もちろん、あなたがこの地に残ることを選択するのなら――――」

 彼女は、まったく意味の分からない言葉をいう。
 だがこの女性が愚かなのだとは、いくらなんでも思えない。ハッタリをいっているなど考えられない。
 わたしの直感が告げている。この女性の言葉を聞き逃すな。この女性はわたしが帰るためのすべての鍵を握っている。

 賢者は愚者には理解できないというけれど、愚者に理解できる言葉を話せなければ賢者ではないだろう。
 つまり、彼女は理解させる気がない。
 つまり、わたしは理解する必要がない。

 何も知らないさ迷い子の長谷川千雨。
 わたしはただひとつだけを理解すればそれでよい。
 そうつまり。


「――――幻想郷は、あなたを歓迎することでしょう」


 それだけを理解せよ、ということだ。
 そういいながら彼女は消える。
 隙間に消える彼女の姿を見ながら、
 奥からこちらに向かって歩いてくる足音を聞きながら、
 わたしはただ彼女のいった言葉を考える。その意味を考える。

 そう。
 この出来事。まさにこの日、この瞬間から、長谷川千雨と幻想郷のやたらと複雑な関わりがはじまったのだと、無知なわたしは考えて――――



   ◆◆◆



 ――――朝になった。

 長谷川千雨はいつものように、麻帆良学園にあるマンションの一室で目を覚ます。
 のびをして眠気を晴らし、ベッドから体を起こした。

 何か夢を見ていた気がするが、それは何一つ頭に残っていない。

 まあ、たいした内容でもないだろう。
 さて今日も学校だ。





[24750] 第1話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/12/19 01:08
「あら、お参り? ……って、あなた里の人間じゃないわね。外から来たの?」
 空中に浮かぶ隙間に消えた女性と入れ違いに現れた巫女さんにそう聞かれた。

「森近霖之助さんという人にここを紹介されました。森近さんはわたしのことを外来人って呼んでましたけど」
「ああ、霖之助さんのところからきたの。外来人か、外にかえりたいの? それとも村に行きたいの?」
「え、えっと……」
 なれているのか、巫女さんはそう聞いてきた。

「まあいいわ。まずはこっちについてきて。ああ、あなたは一人? ほかにもいるなら呼んでらっしゃい」
 そのまま歩き出す霊夢さんの背中に声をかける。
「あの、霊夢さん」
 名乗ってくれないので、森近さんに聞いた名前で呼んでみると、あっていたのか彼女は「なに」と振り返った。

「さっき、その、空から体を覗かせているというか……あの、よくわからない人がですね。わたしは外来人じゃないとか、ここじゃなくてヤマ……なんとかさんのところへいくべきだとかいっていて……」
「……隙間から体を覗かせていたの?」
「隙間、ですか? えっ、とそうですね。体の半分だけを、こう……空の割れ目からだしているような人でした……」
「紫か。あいつが外来人くらいで声をかけるはずないんだけど……ほかには何かいってなかった?」
「えっと、その……」
「なに、なんか変なこといわれたの? あいつの言うことは話半分で聞いたほうがいいわよ。わけわかんないことばっかりたくらむんだから」
「……いえ、あの。外のようで外でない世界から来たとか……後は、もし幻想郷に残るなら歓迎するといわれました」
 なぜか、霊夢さんはそれを聞いて目を丸くした。

「へえ、ふーん。もしかして、あいつとおなじとこから来たのかしら」
「えっ? あの……」
 じっと目を見つめられる。
 人見知りの気があるわたしはそれに萎縮する。
 だが目はそらせなかった。恥ずかしさに縮こまりながら、霊夢さんの言葉を待つ。
 彼女はとくにおかしな侵入者としてわたしを見ているわけではないと直感的に分かったからだ。
 彼女は人に対して悪意をもたれないタイプの方なのだろう。
 宙に浮いた価値観で相手をはかるその人柄。
 わたしとは正反対であり、だからこそいい人そうだ、とわたしはすこし安心し――――


「じゃあ、あんたは村にいく必要はないでしょう。閻魔のところに行きなさい。三途の川まで送ってあげる」


 ――――それはさすがにあんまりでしょう、霊夢さん。

『長谷川千雨 幻想郷一日目夕刻の出来事』




   ◆◆◆




 目覚ましの音で思考を戻す。
 ぴぴぴ、と枕元で電子音を鳴らす目覚まし時計。
 もぞもぞとベッドから顔を出しながら手を伸ばし、目覚まし時計を黙らせた。
 そのまま布団から顔を出し、大きく伸びをする。

 くああ、と自然と声が出て、たった今まで見ていた夢を思い出そうと首を傾げるが、それはすでに霧の中。
 思い出そうにも、何一つ思い出せず、なにか夢を見ていたという記憶だけがおぼろげな形として残っている。

「…………まあ、いいか」

 コショコショと目をこすりながら、いつものように、麻帆良の学園都市の外れにあるマンションの一室で目を覚ました。
 麻帆良学園都市の中にある中等部からは、数駅離れたところにたつマンションの一室。
 表札には長谷川千雨の文字がある。
 学校までは距離がある。寮に入ってもよかったのだが、別段不満はない。趣味の関係もあり、相部屋など不可能だし、それ以外にもいろいろな面で一人暮らしというのは利点がある。
 自主性を育てるためと、さまざまな点で配慮がなされる麻帆良の地だ。一人暮らしをする中学生など珍しくもない。
 まあ、か弱い女子学生はやはり一人暮らしを心配されるのだろうけども、その心配は自分にはない。
 それにくわえて放任主義というより、子供の自主性を重んじてくれる養父たちの配慮で、長谷川千雨は一人暮らしを許されている。

 顔を洗って朝食を作る。
 食事を作ってくれる知り合いに心当たりはあるものの、相手も学生の身の上だ。
 まさか毎朝、麻帆良中等部の女子寮から朝食を作りに足を運んでくれというわけにも行くまい。
 向こうだって学校があるし、交通設備は発達しているものの、距離もある。

 さて、朝食もとりおわり、出かける段になり、再度部屋の中を見渡した。
 他人の視線を気にしなくていいためか、この部屋はかなり家主の趣味で彩られている。
 一応隠してはいるが、クローゼットの中はネットアイドルとして活躍するための衣装がずらり、パソコンは見る人が見れば並みのスペックではないことがわかるだろう。
 パソコンはまだしも、ネットアイドルのほうはばれたらそのまま変態と烙印を押されて学校を辞める羽目になるだろう。

 そして、そんなものとは別に、隠しようも無いほどに一般中学生の部屋にふさわしくないものが置いてある。
 木で出来た小さな社。
 いつからあったのか分からない。
 ただその社は長谷川千雨がこの部屋に住み始めたときから当たり前のようにそこにあり、そしてなぜか自分もどれほど部屋を狭く感じようとも、それをどかそうとは思わなかった。
 いや、それどころではない。自宅の神棚どころではなく、自分で分社を自作しているほどなのだ。神の名さえ知らないままに、自分でも呆れ果てるほどだが、それでもこの神に不敬を働こうとは思えない。
 そんな長谷川千雨の小さいながらも絶対的なこだわりである。

 そして、いつものとおり、部屋を出る前にその社に頭を下げる。
 何の神を祭っているかすら分からない。自分が神を信じているかも不確定。
 でもその習慣だけは、この6年間変わらずに長谷川千雨の日常に組み込まれている。
 手を合わせて、一日の始まりとしていつものように、その分社に礼をする。

 そうして礼をした顔を上げ、カバンを持って学校へ行こうかと立ち上がる。
 玄関まで行き、ちらりと後ろを振り向いた。
 一人部屋だ。今日は誰も知り合いがとまっていたりはしないし、その中に誰かがいるはずは無い。

 小さな神棚がある雑多な部屋。
 だけどそれでも、部屋を出るその瞬間、誰かに声をかけられたような気がして、部屋の中を振り向くと、


 ――――長谷川千雨の目は、その社の前に立つカエルの姿を模した帽子をかぶる小さな少女の姿を幻視して、


 いつものようにそれを幻覚だと決め付けて、学校に向かうことにした。



   ◆◆◆



 あれはいったいどれほど昔の夢だったか。
 朝の夢。おぼろげなそれは手に振り落ちる雪のように消えていて、今はもう透明になった記憶だけが残っている。
 それでも、そこには懐かしい知人の影が見え、何か大きな出来事があったことだけを記憶の奥底から告げている。
 自分が、この麻帆良の土地に来てから、すでに六年の年がたっている。
 だからあれはきっとそれよりも昔の出来事ということになるだろう。
 笑う魔女帽子の少女に、巫女服姿のぶっきらぼうながらに性根は優しい女の子。胡散臭げな二微笑む道服姿の大佳人、着物姿でおっとりとした女主人とそれを守護する銀髪の刀振り。
 そうして、まるで裁判長のように振舞う大きな覇気をまとう小さな女性。
 おぼろげなその記憶にククク、と笑う。あまりに幅が広すぎる。まるで欲求不満の妄想だ。
 とてもじゃないが、真剣に考察はできないだろう。

 頭を振って、妄言を払い空を見る。
 天気がいい。春になろうとする日差しが雲ひとつない空に走っている。
 実際自分は雨好きなのだが、日の光だって嫌いじゃない。
 雨自体は好きでも、登校時にはやはり迷惑だ。
 濡れるのはよくとも、そのまま教室に行けばやはり迷惑がられてしまうだろう。
 それにただでさえ朝が遅いというのに雨は手間が五割ましである。
 雨の日は電車登校の生徒も増えるし、異性ならまだしも、同性にあふれかえった電車に寿司詰めになりたいとは思わない。
 ちなみに雨の日そのものが好きな理由は、カエルの鳴き声が聞こえるからなのだが、その辺は蛇足である。
 そう考えながら歩けば、手に持ったカバンについたカエルのキーホルダーがチャリンとゆれる。
 自分らしくもない、かわいらしいデザインである。
 カエル好きという自分の趣味も、まあ中々意外に思われることが多いのだが、まあその辺も今語ることではあるまい。
 カエルの鳴き声を聞けば心が癒されるのだが、飼おうとは思わない。この辺がなかなか複雑だと自分でも思う。

「……」
 そんなことを考えながら空を見て、風を聞く。
 まあこのままで行けば、あと四日は雨が降らないだろう。四日後の未明に小雨、その後は曇りが続くが、やはり雨は夜まで無い。
 そんなことを青空と涼しげな風がら読み取った。
 空を見て、風を受けるだけで天候を読み取れる程度のそんな技。自分が誇れる数少ない特技である。

 ツバメが低く飛べば雨が降り、朝露は晴れの印で、星が瞬けば雨が降る。ネコが顔を洗って、カエルが鳴いて、アリの行列が作られる。
 そういう迷信などを超越し、理論とか理屈とか、そういうのを抜きにしてほぼ百発百中で天気を当てられるのだ。
 風神の加護でも持っているのかと、思ってしまうほどに、天気を思えば、翌日だろうが三日後だろうが、その日の天気を当てられる。
 いや、それどころではない。風よ吹けと思えば、なぜかそのとおりに風が吹く。偶然だろうと思うにはそれはあまりに明確で、実は長谷川千雨は幽霊や魔法は信じてないものの、神と超能力は信じている。

 そう、まあ簡単にまとめれば長谷川千雨は天気と風に縁がある少し普通ではない中学生ということだ。
 風を本気で操れば、きっと空だって飛べるだろう。もちろん、そんな与太話を吹聴することもないのだが。
 風の加護、風神の加護、神の加護。そんなところか。
 最も、そんな時に頭に浮かぶ風神の姿は、妙齢の女性なのだから自分の性癖を疑ってしまうことこの上ない。
 神とは偶像。
 そして信者が自分一人なら、それは空想と取られるべきものだろう。

 風を操る風神に、土を創造する崇りの化身。
 べつにその姿に拘る必要はないのだが、なにも御柱をかざす神の姿に、わざわざあのような美人や美少女を持ってこなくてもいいだろう。
 そもそも美人だの妙齢だのと、神奈■様や諏■子様の御姿を自分ごときが評するなど不敬が過ぎるというもので――――

「?」

 ――――って、だれだ、それ?
 あのようなってなんだいったい?
 不敬がすぎるっていったい誰に?

 自分の頭に浮かぶその女性。覚えはないけど、見覚えがあるその容姿。
 その姿を思い出しながら道を歩く。

 一瞬の意識のハザマ。記憶の“境界”。
 それに首を傾げるが、それで思い出せることはない。
 そのままそれは思い出されることもなく、そんないつものことを特に気にすることもないままに学校までの道を歩いていく。

   ◆

 さて、電車を降りて学校へ向かう。
 電車から走り出る人ごみがうっとうしいほどだ。
 スケートにスケボーに自転車のポケバイにとさまざまな登校生徒がごった返していた。

「よー、長谷川。おはよー」
「ん、よお。おはよ」

 後ろからかけられた声に返事をした。
 クラスメイトのはずだ。
 名前はなんだっただろうかと首を捻る。秋倉だか冬倉だかなんだか、そんな名前だったはずだ。
 所属は確か報道部。
 名前が思い出せないまま、調子を合わせる。
 そいつに笑いながら、肩を叩かれた。
 長谷川千雨のトレードマーク。背中に流していた髪の毛がポンとはねた。
 特に手を加えるまでもなくゴムでくくったままの長髪である。まあ三つ編みにするほど本気ではないし、このくらいの長さが趣味ともあってちょうどいいのだ。
 茶色がかった長髪である。ちなみに髪の毛はクラスの中で1,2を争うほどに長い。

「そういや宿題やった?」
「一応な」
「マジか-。見してくんねー? 実はバイトが忙しくてさあ」
「またかよ。この前も言ったろ。連帯責任をお前と負う気はねえよ。巻き込まれたら見捨てるからな」
「おいおいー。そんなこというなよー」

 校風なのか、世界樹の恩寵なのかは知らないが、基本的に麻帆良学園は虐めなの陰鬱な基質とは無縁なのだが、騒動に関してはおおらかで、体罰と思われてしまうような行為もいまだに残っている。
 いまはそこそこ問題になりがちな、正座やペナルティ形式の罰なども普通に行われているわけだ。
 広域生活指導員が闊歩している麻帆良の治安。適当に不良の話を聞けば、一度はデスメガネをはじめとする指導員の世話になっているはずだ。
 こいつは先日も学校側の許可を取らずにこっそりとやっていたバイトがばれたとかで、何がしかの罰を受けていたはずである。

 内容はよく知らないが、麻帆良の頭脳がやっている肉まん屋のようにバイトに関しては融通が利くところは柔軟だし、これも自主性ということなのだろう。
 生徒の自主性。なんとまあ便利な言葉だ。
 そんなことを考えながら、長谷川千雨はいつものように学校に向かって歩いていく。
 変わらない、平凡な日常だ。


   ◆


 そうしてたどりついた麻帆良学園の一教室で、長谷川千雨は机にべたりと突っ伏しながら、授業の開始を待っていた。
 たいして友人が多いわけでもない。
 ざわざわと周りが騒ぐが、無言のままだ。
 どちらかといえばボッチの自分は誰かと雑談することもなく、イヤホンから流れる音楽を聴きながらノートパソコンをいじっていた。

 拳闘クラブに入ったと騒ぐ喧嘩好きに、報道部のうわさ好き。
 超包子に入り浸って、店員の少女と仲良くなろうと画策しているらしいやつらがいて、その横には部員の一人と仲良くなるために乗馬クラブに入ったと公言するそんなバカ。
 聞く気はなくとも耳に入り、忘れたくとも聞いたばかりの情報を削除は出来ない。

 流石にちうのページを更新するわけにも行かない。というよりもそんなページを見ていることがばれただけで、偏見を免れまい。
 日記用に適当なニュースサイトをたどっていく。

 幽霊の話題、夜空に走ったという二条の閃光。大学ロボ部のマシンの暴走に、それに関わる麻帆良の頭脳の風聞時。
 適当に流し読みしつつ、この麻帆良の地の特異性にため息を吐く。

 だが、集中しているつもりでも、やはりクラスメイトのざわめきは耳に入る。
 イヤホンの隙間から、もれ聞こえる言葉に、少しだけ聞き覚えのある単語が混じっていた。
 麻帆良学園女子中等部2-Aに新しく入った子供先生。そんな単語とその話題。


   ◆


「おい、長谷川」
「あっ、なんだよ」

 呼びかけにノートパソコンから顔を上げる。
 名前はまだ思い出せない。元倉か網倉か秋倉か。たしか倉という漢字が使われていたような気はするのだが、度忘れしている。
 その同級生に向かって言葉を返した。

「新しい教育実習生の話知ってるか?」
「ああ、知ってるよ。“あいつ”からリークしてもらった」

 子供先生のネギ・スプリングフィールド。
 たしかそんな名だったはずだ。
 数えで十歳。オックスフォード出身で、確か“委員長”がご熱心。
 そんな話だっただろうか。

 適当に聞いた話を思い返しながら頷くと、そのクラスメイトが息巻いた。

「へえ、今度うちの報道部でも記事にするかって話題になってんだよ。聞いてくれないか?」
「なんでだよ」
「詳しい話をだよ。その先生って“女子中等部”の先生だろ。なんか住んでるところもその辺らしくて手が出せないんだよ」
 ああ、と頷く。
 そういえば、学園長の娘だという女子生徒と同居しているらしい。
 そりゃそうだろう。女子中等部に突撃取材をかけるわけにも行かないからな。

「てか、お前が聞けよ。一応同じ報道部だろ」
「同じ報道部でも男子と女子じゃあ壁があんだよ。俺が聞けたらお前に頼むわけねえだろ。お前朝倉と仲いいんだろ。話聞いてきてくれよ。付き合ってんだっけか?」
「まあ、べつに聞くくらいならいいけどさ。あと、和美は一応フリーだからな」
「あんっ、そうなのか? ああ、早乙女ちゃんって子だったか? いいよな、そういう噂の耐えないやつは。くっそー、面がいいやつはムカつくぜ。朝倉は“こっちの”報道部のやつが結構狙ってたんだぜ。テメエがもってっちまうから、結構話題になったしさあ」
「だからハルナとも和美とも付き合ってないって」
 うっとうしいので話半分に相づちだけ打つ。
 早乙女ハルナに、朝倉和美。仲がいいのは自覚するが、べつに付き合っているわけじゃない。
 しかし、一緒に遊んで、やつらがたまに遊びにきているという話だけで、どうにもそういうことに興味津々らしいこいつをはじめとする同級生は邪推する。
 明確な否定にひとつ唸ると、そいつはしょうがないと首を振った。

「まあ今はその話はいいや。それよりその子供先生のこと頼んだぜ」
「わかったわかった。きいとくよ」

 適当に返事をすると、しぶしぶとそいつが頷いた。
 面倒だがしょうがない。一度言った以上、約束を破る気はない。
 まあ、ちょうどその子供先生とやらは“あいつらのクラス”に入っているのだ。
 たいして興味もなかったので、詳しく知らないが、別段聞きたくないというほど天邪鬼ではない。
 今度ハルナか和美に聞いておこう。
 めんどくさいなあと思いながらも“俺”はその友人の言葉に頷いて、

「頼むぜ。長谷川。いいよな、そういうやつが多くてよー。こんど誰か可愛い子を紹介してくれよ。やっぱ“男子中等部”なんてのにいるとさあ――――」

 適当に返事をしながら、残りの言葉を聞き流す。
 男に顔を寄せられたって嬉しくともなんともない。
 ああ、そういえば、と擦り寄るアホ面を押し返しながら、思い出した。
 こいつの名前は夏倉だ。



―――――――――――――――――――――


 つまり「神様で転生TSします」で「百合は無しです」で「ハーレムですけどメインは長谷川千雨さんになります」な話です。能力は風繰りと天気予報。
 どうしても書いてみたくなったので書きました。
 SSは完結が重要だとは思いますが、これは半分以上ねた話ですし、もう満足したので、たぶん完結はしません。ネタ出しレベルに少し更新するかもうしないかって感じなので息抜き程度にみてください。
 ちなみにホントは性別ミスリードでもうちょっと続けてみるつもりでしたが挫折しました。いろいろな先人方の作品を改めて尊敬します。書きにくすぎ。






[24750] 第2話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2011/01/30 23:57
「貴女を貴女が生まれた世界に帰すのは難しい」
 少女がしゃべる。
「いいですか、貴女は幻想郷の住人として、死後はわたしに裁かれる」
 彼女がしゃべる。
「貴女の願いを帰還とするのは道義に反する。それは移住にほかならない」
 傍らに死神を携えて閻魔がしゃべる。
「今の貴女に起こっていることを理解すること」
 四季映姫・ヤマザナドゥがわたしに向かってしゃべっている。


「――――これが今の貴女が積める善行よ」


『長谷川千雨幻想郷滞在一日目夕刻の出来事』


   第2話



 二月も終わろうかというとある週末。
 肌寒さもあるが、そろそろ暖房器具が必要なくなっている麻帆良学園都市の敷地内。
 表札に長谷川千雨と書かれたマンションの一室で、長谷川千雨はごろごろとテレビゲームに興じていた。
 窓の外は晴天である。
 そのくせ外にも出ず、部屋の中で怠惰な休日を過ごしている姿はあまり健康的とはいえなかった。
 だが、それを咎めるものはない。長谷川千雨は一人暮らしで、今日遊びに来ていた友人も、そんなことを気にするような人物ではなかったからだ。

「なあ、そういやちょっと聞きたいんだけどさ」
 部屋の中でゲーム機を動かしている千雨が、ベッドの上で漫画本を読んでいた早乙女ハルナに声をかける。
 なあに、というハルナの言葉に千雨は、子供先生についてなんだけど、と言葉を続けた。
 その話題に、ハルナが首をかしげる。

「子供先生?」
「そうだ。ハルナのクラスに入ってんだろ。どんな感じなんだ?」
「どんな感じって?」
「人柄でもなんかの面白エピソードでもなんでもいいよ。報道部のやつが次の記事に使いたいんだと。問題にならないようなのを適当に教えてくれ」

 頼むような口調だが、千雨の視線はゲームの画面に固定されていた。
 横スクロールのアクションゲームである。
 意外に上手く主人公が立ち回り、敵の弾丸を回避していた。
 千雨はRPGよりもアクションゲームやシューティングゲームを好んでいる。
 そんな千雨の視線は固定されたままで、子供先生に別段興味があるようには見えなかった。
 千雨自身が興味があるわけではない。以前に情報を得ておいてくれと報道部の同級生に頼まれたことを思い出し、今こうして丁度良く遊びに来ていたハルナに頼んだだけである。

 麻帆良女子中等部2-Aの担任、そして2年生全体の臨時教員に採用された子供の教師。
 もちろん話題にならないはずもない。なにせ2-Aといえば、ただでさえ麻帆良に知られる四天王や麻帆良の頭脳、それに学園長の孫娘までがいる特別性のクラスである。
 そんなとんでもクラスの一員であるはずのハルナが、思い返すように視線を宙に這わしてたあと、小さな子供先生を思い返しながら口を開いた。

「あーっとね、ネギくんは、まあ可愛い男の子だよ。イタリアだかイギリスだかから来たんだったかな。オックスフォードがどうとか……んー、ネギくん自身はいろいろと面白いんだけど、あんまりそこらへんは興味ないからなあ」
「大卒かよ、どんだけすげえんだ」
「そりゃわたし達が教えられてるんだもん。頭はいいよー。めちゃめちゃね。でもって木乃香と明日菜の部屋に泊まってるらしいね」
「明日菜ってのは知らないが、木乃香って子は学園長のお孫さんだよな」
「うんそうだね」

 ハルナが頷いた。
 千雨としてはそこにすでに突っ込みを入れたいのだが、ハルナが流しているようなので、自分もスルー。
 それにこれはクラスメイトの報道部員も知っているレベルの情報だろう。

「あとはなんだろうなー。ああ、そうだ。大浴場に明日菜と一緒に入ってたよ」
「…………は? えっと……なんだ、ショタコンかなにかか、その明日菜ってのは」
「あはは、それはいいんちょのほうかなー」
「……いいんんちょ?」
「いやさー、ネギくんが来て三日目くらいかな。えーっと、あっ、そうそう! みんなでお風呂入ってたら、いいんちょが胸がおっきい子がネギくんのお世話係にふさわしいとかいいだしてねー」
「……」
「で全員で胸の大きさ比べしてたら、突然お風呂場の影からネギくんと明日菜が登場したんだよ」
「……」
「で、いいんちょたちが暴走しちゃってさー、明日菜と一騎打ちみたいになって、そしたらなんか仕込んでたみたいで明日菜の胸が膨らんでね。そうそう、そんで破裂しちゃったのよ、だからその場はお開きになっちゃったんだけど――――」
「……いや、もういいや」

 自分の話に疑問を持て。
 頭痛をこらえるかのように千雨が言葉を搾り出す。
 こいつのクラスはときどき男子中等部内で話題になることもあるのだが、その実体がそんなアホの集まりだとは知らなかった。
 というかこいつのいう委員長ってのはやっぱり雪広あやかのことだよな?
 眉目秀麗文武両道、遠く離れたうちのクラスまで名の通った雪広財閥のお嬢さま。
 あのスタイルも人当たりもいい美人さんはそんな残念な子だったのか。上っ面の話だけ聞いて油断していたようだ。
 というかその子供先生とやらもどうなんだ?
 流石に10歳でもそれはまずいだろうに。

「てかお前も混ざってたのか? ヘタレの癖に」
「わ、わたしはヘタレじゃないっての! もーバリバリお姉さんポジだって!」
 ハルナが慌てたように怒鳴った。
 その頬には汗がたれていた。

 まあこいつがルームメイトやクラスメイトからそこそこ頼りにされているというのは本当なのだろう。
 漏れ聞くだけでも、こいつはいつもルームメイトを初めとする友人のことを考えているし、口は悪いが裏ではそいつらのために結構気を使っている。
 たまに漏らす言葉から、その子を心から心配している様がうかがえるのだ。
 それにまあ包容力はあるか。と千雨が思い直す。

「で、そのアホな催しにお前も参加したわけか?」
「参加って言うかねー。まあ、のどかがすごい気にしてたから手助けのつもりでさー。ほら、わたし胸はおっきいし」

 ニュム、と見せ付けるようにハルナが自分の胸を下から持ち上げる。
 ちなみにこいつの胸は湯船に浮く。
 揉んでやろうかとも思ったが、ゲームがいいところなので保留した。
 確かに自慢するだけあって、こいつは胸がでかい。
 話題の雪広のお嬢さまやこいつの同級生にはもっとでかいのがいることを自分は知っているが、それでもこいつが小さいわけではないだろう。

 ちなみにこいつの言うのどかというのは、ハルナのルームメイトである。
 ハルナいわく、清純で料理上手で気立てが良くて恥ずかしがり家のかわいらしい女の子だという話だ。
 ぜひハルナと取り替えて欲しい。

「のどかってお前の同室の子だよな。でも前にその子って男嫌いだっていってなかったか?」
「そうだよ。だから千雨のことも秘密にしてるんじゃん」
「いやいやそういう意味じゃねえよ。子供先生はオッケーなのか。ズリいなあ」
「なにがずるいのよ。あんたにはこのかわいらしいハルナさんがいるじゃない」
「お前は俺を脅迫したようなもんだろうが」
「へえ、初耳」

 まったく動じずにハルナがぱらぱらと持参した本をめくっている。
 反省は欠片も見えない。
 呆れた千雨が、チラリと視線を送り、ハルナの持つ本の薄さと表紙の絵に顔を引きつらせた。
 30ページもない本で、表紙の絵はハダカの少女だった。
 ニヤニヤ笑いながら読み進めるハルナに、心底いやそうに千雨が声をかける。

「おい、清純で料理上手で気立てが良くて恥ずかしがり家ののどかって子のルームメイトが、俺のベッドの上でエロ本を読んでる理由を説明しろ」
「一応純愛だよ、これ。ちょっとお子様向けじゃないだけで。この前のイベントで貰ったんだけどさ、千雨にあげようと思って持ってきてたんだ」
「はっ? なんだそれ」
「いや、一応恋愛物だし、あんたは女の機微がわかってないしさ。読んどきなって。描いたのも女の子だよ」
「どういうリアクションすればいいんだ、それ」

 ホイ、とハルナが本を差し出した。
 そのまま手を伸ばして、千雨がハルナから差し出された本を奪う。
 目を向けるが思ったとおりに同人誌だ。ハルナの台詞のとおり思いっきり成年指定である。
 こいつの頭は腐っている。
 千雨がぱらぱらと本をめくると、とあるアニメキャラの主人公が原作では死んでしまった敵幹部と、いろいろな意味でとても親密にしている描写があった。
 悪の幹部で完全な悪人のツンデレ系女幹部。
 ダークヒーロー系で主人公の正義を断罪して死んだキャラだ。
 人気投票ではいまいち振るわない正統派主人公よりも毎度毎度上位につくし、二次創作でも人気が高い。

 自分も気に入っているし、このキャラのコスプレをちうの部屋に乗せたこともある。
 だがこれを読んで女心の勉強は流石に出来まい。
 というか純愛どころかガチエロだった。
 眉根を寄せる千雨の姿にこらえきれなくなったのか、ハルナの口から笑い声が漏れ出した。

「ククク、ジョークだよ、ジョーク。それほんとはこの間のイベントでちうに渡してくれって頼まれたんだ。わたしが知り合いだったって知ってたらしくてね。ファンらしいよ? 千雨イベントではコスプレしないしさ。会いに行けばいいのに」
「テメエがそれを言うか? 無理に決まってんだろ」
「くっくっく、まあ、そんなわけで、締め切り前はわたしの本を手伝ってくれるくらいだし、のどかも潔癖ってわけじゃないけど、なんと言っても千雨はねえ。紹介するには爆弾すぎるよ」
 たいして動じずにハルナが笑う。
 自覚のある千雨は文句を言わずその言葉を受け止める。

「ま、英国紳士と女装好きの変態が張り合うのは無理があるって」
「女装好きなわけじゃねえよ。つーか、紳士は女子寮の風呂場に突然登場したりしねえだろ」
「はは、たしかに。でも、千雨は普通に変態じゃん。とてもじゃないけどのどかが普通に喋れるとは思えないんだよね。ばれたらわたしもあんまり来れなくなりそうだし」
 平然と変態と断じられた千雨が、本をハルナに放り投げた。
 それをベッドに横になったまま受け止めてハルナが笑う。

「チッ、まあ俺もべつに紹介して欲しいわけじゃないけどさ。それでその子供先生の、あー名前はスプリングフィールド……だったよな?」
「ああ、そうだね。ネギくんだよ。ネギ・スプリングフィールド先生。あんまり知られてないの?」
「子供先生って名称が回っちまってるからな。そうなんだよなあ、ネギ・スプリングフィールド……スプリングフィールド……」
 千雨があごに手を当てて考え込んだ。
 興味がなさそうにしていたくせに、随分と真剣に考え込む千雨の姿にハルナがちょっと驚く。

「どしたの、千雨?」
「いや、なんか、聞いたことがあるような気がするんだよな。初めて聞いたときから。スプリングフィールドって苗字」
「ふーん、知り合いとか?」
「いや、わからん」
 いつもの夢と同じように、それは記憶の奥に封じられているらしい。
 思い出せないことは思い出せない。千雨は話を打ち切った。

   ◆

 夕食も終わり千雨とハルナはゲームに興じていた。
 ストーリーモードつきのサバイバルアクションアドベンチャーゲーム。自由度がいやに高いそれをプレイしながら、わーわーと盛り上がっている。

「いやー、やっとクリアかあ。次なにやろっか? 対戦でもする?」
「俺格闘ゲームはあんまりやらないんだけどな」
「そっかー。あっ、じゃあエロゲーやろうよ。わたし部屋じゃ出来ないしさー」
「……俺はエロゲーはもってないけど」
「だいじょぶだいじょぶ。この間買ったのを確かここにおいておいたから」

 ごそごそと棚をあさり始めたハルナに千雨が頬を引きつらせた。
 変なものを取り出される前に、適当につんであったゲームの一つをハルナに向かって放り投げる。

「イタッ! もーなにすんのよ」
「ひとんちにエロゲー置いてく女よりましだろ。それで妥協しとけ」
「ん、おー、これって新しく出たシューティングゲームだよね。萌えシューだって有名だよ。相変わらず避けゲー好きだなあ。オッケーオッケー、じゃあこれやろうよ。協力プレイね」
「べつにいいけど、お前電車大丈夫か? こっから寮まで結構あるだろ」
「あー、大丈夫よ。明日休みだし、のどかには今日は友達んとこ泊まるって電話してあるから」
「……いや、まあべつにいいけど」

 平然とそんなことを言うハルナの姿に、千雨は改めて、そりゃあ同室の娘には説明できまいと息を吐く。
 いくら千雨とハルナが“そういう関係”ではないといったところで、信じられまい。失神の一つでもしてしまうだろう。
 上手くいいわけはしているそうだが、こいつもアホではなかろうか。

 だが、そんな千雨のため息などまったく気にせずに、ハルナはあっけらかんとしたままだ。
 千雨もいろいろとあきらめているので、特に気にせずゲームを進める。

 もっとも、この部屋にはハルナの服や、タオルや食器や、といろいろなものがそろっており、これまでの流れからも、今日ハルナが泊まろうと考えることはある程度予想していた。
 麻帆良の学生寮は外泊許可など要らないし、自分達のように健全なやつらばかりとは限るまい。
 自主性を重んじる麻帆良の教育方針の悪い面だろう。
 まあ最も麻帆良はその“校風”から跳びぬけた悪行には知るものはほとんどいない。世界樹の恩恵とも言われているが、半分くらいは本当だろうと千雨は見ていた。

 そんなこんなでゲームを進める。
 いい時間になったころにハルナが伸びをしながら口を開いた。

「お風呂貸してー」
「ああいいよ」

 ため息を吐きながら千雨がこたえた。
 色っぽい展開になりそうにはない。
 当たり前のようなそんなことを言うハルナに、それに頷く長谷川千雨。
 タオルは千雨の部屋においてある。さすがに寝巻きはないが、今日は持参してきていたらしい。
 ごそごそと小さなハンドバックをあさるハルナが何かを思いついたのか千雨に目を向けた。

「どうよ、千雨。一緒に入る?」

 先ほどのネギの話を思い出したのだろう。
 からかうような口調はネギやのどかを相手にするときのそれである。
 だがそれは失敗だ。
 いま目の前にいるのはネギではなく千雨である。
 のどか然りゆえ然り木乃香然りと、クラスメイト相手ならまず確実にイニシアチブを取れる女だが、千雨相手にはヘタレと思われていることをハルナはいまいち理解してない。

「ああ、いいよ。後からいくから先はいっててくれ」
 というわけで、当たり前のように千雨が反撃すると、ハルナはぴたりと動きを止めた。
 相手がネギならにやりと笑ってからかいもしただろうが、さすがに千雨相手ではそれは無理だ。
 いや、だって、それはちょっと恥ずかしい。
 予想通りに、むうと声をあげて動きを止めるハルナに千雨が嘲笑を送った。

「どうした、ハルナ。すぐ行くから先に入ってていいぞ」
「え、えっと……えへへ、いやー、千雨、やっぱネギくんと張り合う必要ないんじゃない? あっちは子供だよ。なに、嫉妬?」
「嫉妬も何もそういう関係じゃないだろ? でも、お前が誘ってくれるしさ。ことわっちゃ悪いじゃん」
「で、でも、あの、その。さ、流石にね、ほら……ほんとに入ったりしないよね?」
「バスタオル巻けば?」
「で、でも大浴場ってわけでもないし、ほら、やっぱりちょっと狭いし……」
「大丈夫だよ。前いっしょに入ったわけだし」
「うえっ!? そ、そうだけど、あん時とはやっぱり状況が違うというか……て言うかあれは千雨がさ、そのさ……」
「ああ、そういえばあのときも自信満々に吠えといて、結局お前照れまくって……」
「ごめん! 一人ではいる! 言わなくていいって!」

 うぐうぐ唸りながら形だけ笑みを見せてなんとか反論をしていたハルナが言葉をさえぎる。
 そのときのことを思い出したためだろう。
 顔がリンゴのように真っ赤だった。
 のどかや夕映が見れば、その珍しい表情に驚くことは確実だ。いつものハルナからは考えられない醜態だった。
 だがそんなものはまるで見慣れているとでも言うかのように、たいして驚きもしていない千雨が、真っ赤になったハルナを笑う。

「とまあ、おまえ、ほんとに口だけだよなあ」
「うぐっ、ち、違うって。くっそー、わたしだって本気を出せばねー」
「はいはい。わかったわかった」

 背中を押して風呂場に叩き込む。
 まったく、アレでルームメイトの姉貴分を自称するのだから困りものだ。
 千雨には間違ってもあいつが偉そうに振舞い続ける姿を想像できない。
 包容力はあるが、きっといじられキャラか何かなのだろう。
 そう考えながら千雨はなにごともなかったかのようにゲームを続ける。
 奥からシャワーの音が聞こえてくるが、当然風呂に突貫などするはずもない。

 千雨は何事もなかったかのようにゲームに戻る。
 のどかや夕映が見たらいったいなんと言うだろう。
 問い詰めること請け合いだ。

 長谷川千雨と早乙女ハルナ。
 あまりに自然で、あまりに不自然で、あまりによくわからない関係だった。

   ◆

「上がったよー」

 その声に千雨がゲーム画面から視線をはずす。
 風呂上りのハルナが、勝手に冷蔵庫から牛乳を取り出して飲んでいた。
 すでにいつもの調子を取り戻したのか、下はパンツに上はシャツ一枚だけ。
 残念ながらこいつの親はこのアホに慎み深さを教えることを忘れたようだ。ギャップの激しすぎる女である。

「お前寝巻き持ってきたとか言ってなかったか?」
「上は貸りようと思ってたんだけどさ……」

 あはは、とハルナが頭をかいた。
 テンパっていて忘れていたらしい。
 だからといって、そのまま出て来るなと千雨は思う。
 千雨はため息を吐きながら、立ち上がるとタンスをあさった。
 大き目のスポーツトレーナーを放り投げる。
 それを受け取ったハルナが「サンキュ」と口にしてそれを羽織った。

 一応千雨のものである。
 千雨の背はたいして高いわけでもないが、ハルナよりはそこそこ高い。
 だぼだぼの服に袖を通すハルナはいつもとのギャップもあってかなり可愛らしかったのだが、千雨は特にリアクションを起こさず風呂場に向かう。
 千雨自身もシャワーを浴びるためだ。

 それを見送りながら、牛乳パックを片手にハルナはベッドに腰掛ける
 明日は休みで外泊準備はばっちりだ。
 そして、ここは長谷川千雨の住む一人暮らしのマンションの一室である。
 準備は万端。
 ハルナは一人で頷きながら余った袖を腕まくり。

 フム、それじゃ千雨と一緒に――――


 ――――夜更かしして新作ゲームでもすることにしようかな。



―――――――――――――――――――


 やまも落ちも意味も東方要素もないです。この話の雰囲気を知ってもらうための話。
 ハルナの過去編を書くかどうかは不明。
 ちなみに東方が全然絡んでませんが、キャラも出ないし、基本的に弾幕もないです。今後もこんな感じです。
 あと東方で重視される能力ですが、この話戦闘とかないんで、千雨の能力はアクセント程度だと思っておいてください。弾幕には絡みません。なんというか、東方で能力名を素直に受け取ったら魔理沙が最強になるはずですよね。魔法を使う程度の能力ってそのまま解釈しちゃうと時止めも時空間切断もFFとかロマサガでカバーできちゃいますし。でも彼女はお化けきのこの打ち上げ花火なわけで、つまりこの千雨もそんな感じです。




[24750] 第3話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2011/01/30 23:55


 幻想郷に流れ着き、千雨が閻魔様にその進退を問われた末の千雨の答え。
 長谷川千雨は幻想郷より麻帆良を選び、麻帆良に帰ることにした。

 もちろんすぐに帰るというわけには行かなかった。
 長谷川千雨一人では麻帆良まで行けっこない。向こうの世界とこちらの世界を行き来するのは紫さんですら簡単には無理らしい。
 あの八雲紫を説得するのはわたしじゃ無理だし、そのための方針と、そのために必要な措置を閻魔さまに白黒はっきりつけられた。
 そしてわたしは元の世界に帰るため、なぜか巫女の修行を積むことになったのだ。

 さて、それが決まって守矢神社で修行を積み始めた、その数日後。
 魔理沙さんに宴会に誘われて、少しだけ交流も増えて、それでもときどきもとの世界のことを思い出して夜は布団で涙する。
 千雨はそんな生活を続けていた。
 この世界は明るさに満ちているようで、その実は暗く、そして恐ろしい一面を持っている。
 千雨とは違う“本来の外来人”のことを鑑みても十分に想像がつく話だ。外に依存して作られた幻想郷、隔離された新世界。

 もう幾度目になったのか、あの時森近さんからもらった本を行灯のほのかな明かりの元で読み返しながら考える。
 火元のいらないその行灯。香霖堂で貰ったものだ。
 修行はおそらく一年ほどといわれていたが、それでもやはり寂しさは消えなかった。
 この時期にずっと優しくしてくれた早苗さんにはいくら感謝してもし足りない。

 すでにそのとき、千雨の身は小学生だったのだ。
 親元を簡単に離れられるほどに幼くないし、そして逆にこの世界にずっといようと思えるほどに成熟してもいなかった。
 魔法に神に妖精に、憧れもあったし魅力的だとは思うが、自分のことながら千雨はそういうことに全てを捧げられるほどの魅力は見出せない。
 すたれた身の上、このわたし、長谷川千雨はいまさら魔法使いを目指そうとは思わなかった。
 ネットやプログラムという趣味を最近はじめたのだが、そちらにはまり始めていたし、元の世界に未練もある。
 つまり千雨は“帰還”を望んだ。魔法よりも親や知り合いのほうが大切だったためだ。

 ちなみに長谷川千雨は、単純に幻想郷でいうところの“外の世界”の人間ではないらしい。
 千雨にはまったく区別がつかないが、別の世界の人類として、閻魔の四季さまに説教をされて、神さまだという少女に名を頂き、そしてこちらの世界に隙間の大賢者に送り戻されることになっている。
 よくわからないからほうっているが、森近さんがいっていた外の世界からの迷い人とはべつの扱いだということだ。
 いや、あっているといえばあっているのだったか。いまだよくわからないままである。
 だから千雨は早苗さんと同じ世界から来たわけではないし“神隠しの主犯である彼女”にさらわれたわけでもない。
 そんなことを考えながら本をぱらぱらとめくっていると、背後から突然声をかけられた。

「いやですわ。わたしはたまたま原因になるだけであって主犯などではありません」

 一発で誰かがわかった。独り言を盗まれたのだろう。
 後ろを振り返れば、予想通りに空に浮かんだ裂け目から体を半分除かせる八雲紫と、予想に無かった二人の女性が立っていた。
 少し驚き、一応の礼儀として軽く会釈をした。
 いつの間にか部屋に入り込んでいた人物への対応としてはずいぶんと紳士的だと自賛する。

「紫さん。宴会でもなければ、わたしとは修行が終わるまで会わないんじゃなかったんですか?」
「そのつもりだったのですが、そうもいかなくなったのです。あなたは少し業が深い。それに会わないといったわけではありません。会うようなめぐり合わせは“普通は”もう起こらない、といったのです。あのお方にいわれたでしょう? あなたは自分の価値をしらなすぎる。関わりのない世界から幻想郷に生きたままたどり着けた貴女をもはや普通とは言いません」
「珍しいってことですよね。生きたままというか、わたしは一回死んでて生まれ変わったって話ですけど」
「死ぬことと生きることは背反しません。意識の問題です。人は死ぬときに自我をなくすわけではないのです。人から自我の境界が失われるのは死んだ後。でなくば、閻魔の職はこの世から消えることでしょう」

 ため息を吐いた。一般庶民に向かって、閻魔の職もなにもないだろう。
 いや、四季さまの偉大さはわざわざとかれずとも骨身にしみて知っている身としてはなんとも言いがたいものがあるのだが。
 基本的にこの人との話はよくわからない。

「よくわかりません。それで、あの、そちらは?」
 正直に心情を吐露して、ニコニコと微笑む八雲紫に問いかけた。
「ええ、こちらはわたしの友人の西行寺幽々子とその従者の魂魄妖夢。あなたにお会いしたいというのでつれてきたのですわ」

 この女性の案内を八雲紫が勤めたということか。人の手助けなど絶対にしないような人格だと思っていたから少しだけ驚いた。
 しかも守矢神社の鳥居をくぐらず現れるとは常軌を逸している。許可は取っているのだろうか?
 友人であると紹介されていたことからも、人間離れの代表格であると考えていた八雲紫にも人並みの交流があるらしい。
 そんなわたしの思考をよんだのか、八雲紫は少しだけ怒ったような顔をした。

「失礼ですわね。わたしも大事な大事な友人の頼みなら、いくらでも手を貸しますわ」

 その言葉に、ついと西行寺と呼ばれた女性が頭を下げる。
 あまりに堂の入った仕草に一瞬見とれた。
 類は友を呼ぶというべきか。八雲紫さんに負けず劣らずの風格だった。プレッシャーとしては閻魔さまの前に引き立てられたときを思い出すほどだ。

「お初にお目にかかります。長谷川さま。わたしは冥界に屋敷を構える西行寺家の当代、西行寺幽々子と申します」
 袖で笑みを隠しながら、彼女が言った。
「本日は、ひとつあなたにお願いがあってやってきたのですわ」
 ああ、なにやら厄介事か、と息を吐く。
 それを読み取ったのか、西行寺さんは笑った。

「いえいえ、あなたに迷惑はかけません。今回はわたしの従者の失態ですもの」
「……魂魄妖夢と申します。このたびはご迷惑を……」
 見ていてこちらの胸が痛むほどに、意気消沈した少女が頭を下げた。
 そんな彼女の横で、ぱちりと手に持った扇を閉じる。
 そうして西行寺さんは改めて、わたしに向かい、

「用件は、貴女が先日購入した“人魂灯”についてです」

 そんな台詞を口にした。


『長谷川千雨 幻想郷滞在一ヶ月目、ある夜の出来事』



   第3話


 自己紹介をしようと思う。
 俺の名前は長谷川千雨。
 麻帆良男子中等部に所属している。
 現在2年だが、あと数ヶ月で3年に進級することになるだろう。
 麻帆良は生徒の自主性を重んじており、自由奔放というよりも生徒の自立化を重んじるテストケースとして動いている面もあるので、寮などの福利施設の充実さはかなりのものがあるのだが、俺は寮には入っていない。
 といっても実家暮らしをしているわけでもなく、マンションの一室を借りている。

 そして、まあそのほか交友関係だが、クラスのほうに友人は少ない。というよりほとんどいない。
 喋る仲はいるけれど……というやつだ。
 そのほか、別の意味で親密になりたがる同級生もいるにはいるが、そういうやからは低調にお断りしている。
 また、そのほかにも麻帆良女子中等部に所属するの早乙女ハルナをはじめ交友関係はそれなりにあり、自分自身もまあちょっとばかり特殊な趣味も持っている男子中学生である。

 ちなみに当の早乙女ハルナも中二だが、実際に同世代かは分からない。
 なぜなら、俺は六年前以前の記憶がないからである。
 気がついたときには、俺を挟んで、現在の養父である長谷川家の両親と、俺を現在の両親に引き合わせた女性がいた。
 彼女は両親と何がしか交渉をし、そして、俺は長谷川家の養子に入ることになった。
 そのとき、いまの養父母が泣きながら俺を抱きしめてくれたことを覚えている。

 両親はとてもよくしてくれた。
 養子の自分を、まるで実子のように扱ってくれた。
 こうして麻帆良に来ることを許してくれた。一人暮らしを許可してくれた。
 いつか恩を返さなくてはいけないだろう。

 いまだにあいまいな、過去の記憶。
 大きな湖と夜の月に照らされる小さな村。そこでとどろく大きな音。
 走る大人に、叫ぶ子供。魔法に悪魔に妖精に、おまけに神様に閻魔様。空を悪魔が飛んでいて、地を這う魔物を討ち取って、そんなありきたりなファンタジー。
 自分の自我はあいまいで、自分の思考はちりぢりで、まるでおとぎ話の夢の中。
 そんな自分が今こうしてなんとかまともな人間として生きていけるのは今の両親や数少ない恩人達のおかげである。


   ◆◆◆


 ガチャリと千雨が扉を開けて、マンションから外にでる。
 外にでて空を見て風をあびれば、予想通りに空は晴れ。
 先日までの雨が上がり、日本晴れといっていい快晴だった。

 道路に残った水たまりが明るい太陽光を反射している。
 休日ということもあり、昼もすぎてますます人が活発になっていた。
 沈むということを知らない麻帆良の基質。子供が騒ぎ、大人が微笑み、皆が楽しそうに笑っていた。

 小学生くらいのカップルがばしゃばしゃと水溜りを蹴って遊んでいる横を、千雨はほほえましく見ながら通り過ぎる。
 子供が千雨に久しぶりと声をかけ、遊ぼうよと誘ってくれるその言葉に申し訳なさそうに断りの文句を口にしながら千雨が歩く。
 意外なことに、無愛想な千雨は近所の子供には人気がある。いつも金平糖を携帯しているからという理由だけではないだろう。
 子供は自分たちの価値をきちんと見てくれる年上を慕うものだ。

 さて、そんな千雨は電車を使い、歩き続け、ある場所を目指していた。
 麻帆良の裏山と呼ばれる森林帯に入り、奥を目指す。
 風が強いが、千雨の周りを強風は避けて吹く。髪も乱さず、砂埃に悩むこともない。

 数十分ほどかかり、ようやく川にたどり着く。
 川には魚、空気には緑の匂い。
 麻帆良に残る過去の空気、人工物から離れる自然の世界。人の手から離れた神の風景。
 千雨はゆっくりと、まるで幻想のようなそこに立つ小さな社に目をやった。

 ぽつん、と川べりに建つ小さな分社。
 本殿の場所も、主神の名も分からないまま建っている、そんな神社の分神宿。
 千雨自身も酔狂なものだと自覚しているが、これは千雨が建てたものだ。

 人にはとても軽々しくは言えるものではないが、千雨は宗教にはまっている。
 はまっているといっても、べつにどこぞの宗教家の傘下に入っているわけではない。
 自分だけが信じる神を自分だけで奉っているのだ。
 名も知らぬ、姿も分からぬ、そんな神を信仰している。

 自室に神棚があるだけでも分かるように、この信仰は根強く、そのわりに神の名すらわからないほどに不明瞭。
 社があるのにご神体は奉斎されておらず、その中身は空っぽだ。
 鏡も剣も勾玉も、もちろんノートなんてのも置かれておらず、注連縄すら張られていない空の社。
 だがそこは、長谷川千雨にとっての信仰すべき場所なのだ。
 神の礎として千雨の意思が使われたそれは、自然と最も密接に関わる麻帆良の山、その川のそばに立っている。
 雨のさなかは、この社の周りにカエルが群がることを千雨はもちろん知っている。
 そんなことを考えながら、千雨はもくもくと雨露を取り払い、社の周りを掃除した。

 掃除が終わり、千雨は最後にもう一度礼をして踵を返す。
 そして、誰かの声を聞いた気がして、千雨が振り向き、社の前に二人の女性を幻視する。
 長い黒髪に赤い服。胸に鏡で頭にもみじの髪飾り。草鞋を履いた足を放り出して酒杯を傾けるそんな女性。
 カエルの帽子に貴色のスカート。靴下に洋靴を履いた小さな少女。
 そんな幻覚にさらにもう一度礼をして、千雨はその場を後にする。

 まったく、知ってはいるけど、と千雨は改めて苦笑い。
 いくら男子中学生の頭の中だけの神といっても、流石にこれは大概すぎる。


   ◆


 アパートに着いたころにはすでに日が暮れていた。
 マンションの入り口を抜けて部屋の前へ。

 扉を開けると女物の靴がおいてあった。
 すこし驚きながら、千雨が部屋の中に入ると、予想通りにベッドの上でグウグウとハルナが寝ていた。
 横には漫画本が散らばっている。
 合鍵を渡しているとはいえ、一人住まいの男の部屋でいきなり寝ているとはこいつはバカなのではなかろうか。

 荷物を降ろしながらその尻を蹴っ飛ばした。
 ムニャムニャとつぶやきながらハルナが起き上がる。
 くつろぎすぎだ、この女。

「おー、お帰り千雨。どこ行ってたのよ、せっかく遊びに来たのに」
 きょろきょろとあたりを見渡したのち、ハルナが寝ぼけ眼で千雨の姿に手を上げた。
「山の社。雨が降ったからな」
「携帯くらい持ってよー。こういうとき厄介だよねー。部屋電も携帯も持ってないなんてさー」
「その代わりに、合いかぎ渡してんだろうが。ベッドを勝手に使っといて文句を言うな」
 ふくれるハルナに千雨が答える。

 千雨は電話を持たない。理由など納得してもらえるものでもないので、千雨は話していないし、別段自分から誰かに連絡を取ることもないので不便ではない。
 たまにこうして知り合いの人間が困るだけだ。
 文句は言われなれている。

「今何時? あー、もうこんな時間か。ご飯食べたいなー」
 あたりを見渡した末、ハルナがぬけぬけと口にした。
「図々しいやつだな。同室ののどかって子はどうするんだ」
「のどかに今日は泊まるっていっちゃったもん」
 予定通りということらしい。
 あきれながら、千雨が帰り道で買ってきた食材を袋ごと渡す。

「ったく。じゃあ材料費はおごってやるからお前が作れ」
「えー、もーしょうがないなあ。わたしはいまおなかすいてんのに。じゃあ軽くなんか作るね」
 ぶつくさと言いながらもハルナがのろのろと立ち上がった。
 千雨の要望どおり、料理を作る気なのだろう。手には千雨から手渡された袋が握られる。
 不満を口にしながらもその口には楽しげな笑みがあった。

「二人分でいいよね。それとも作り置きとかいる?」
「んー、面倒じゃないなら明日の分も頼む」
「りょーかい。わたしも朝からご飯作るのは面倒だしね」
 それに頷きハルナがキッチンに入っていく。

 千雨はそれを見送ってパソコンの電源を入れた。
 包丁の音と、かすかに漂う料理の香り。
 千雨は料理がそれほど得意ではない。
 包丁をはじめとした料理器具はこうしてわざわざ料理を作ってくれる彼女達のためにあるようなものなのだ。
 そうしてハルナの鼻歌と、千雨が無言でたたくキーボードの音だけが部屋に流れる。

 少しばかり時間が流れ、HPの更新などを済ませ、千雨がフウと一息ついたころ、どうやら料理が出来上がったらしく、ハルナが台所から現れる。
 早乙女ハルナが顔を出し、エプロンを付けたまま部屋に入ってきた。

「料理できたよー。一緒に食べよ」
 しゅるしゅるとエプロンをはずしながら、私服姿になったハルナが千雨の後ろから声をかける。
「ああ、わかった」
 千雨が頷き、パソコンの前から離れた。ハルナがそれを覗けば、そこは千雨が運営するホームページの日記である。

 この男、真顔でちうだニャーン、などと書き込んではいないだろうなとハルナはこっそり思ったが、それは口には出さなかった。
 さて、そんなことを考えられているとも知らず、千雨がダイニングに入ってくると、そこには皿に盛られた料理がある。
 彩り豊かな料理に感心しながら千雨が席に着いた。
 二人そろって手をあわせ、頂きます、と。
 千雨は神に祈りを捧げたりもせず、普通に料理に箸を伸ばす。

 千雨が一口食べて、ふむ、と感心したように頷いた。
 ハルナがその表情を見てにこりと笑う。
 続いてハルナも箸をつけ、やはり満足のいく出来だったのか、ニマニマとしながら食事を続ける。
 マナーはいいのだ。二人とも口に料理をほおばったまま喋ったりせず、無言のまま
 それでいてその二人の間にまったく気まずい雰囲気は流れない。
 まったく当たり前のように二人の日常に溶け込んだ、そんな夕食の風景だった。

   ◆

 さて、この場でもう一度言っておくが、千雨とハルナはべつに付き合っているわけではない。
 ただ、ひょんなことから仲良くなり、それから交流が繋がっているというだけである。

 その出会いの経緯であるが、千雨はネットでホームページを運営している。
 ネットアイドルちうの部屋。もうそろそろわかっていると思うが、ネットアイドルだ。
 そしてアイドルというのは基本的に女でないとうけはよくない。
 つまり女装して運営されている。というよりランキングトップという、軽い趣味やちょっとしたお遊びというには行き過ぎた位置である。

 女顔だし、アップ前にキチンとチェックもかけているので当然ばれているようなこともない。喉と腰周り、ついでに肩に気をつけて、あとは修正をかければそれで十分。
 地声も女と間違われるほどだし、ちょいと本気を出せばホームページに声だって上げられるだろう。ちなみに長谷川千雨が電話を嫌う理由の第一である。
 ネットアイドルとして活動するため、日常からメンテに気を使っているだけあって、千雨は道を歩いていて素で女性に間違われるレベルであることも相まって、初対面で男性だと気づいてもらえる確立は2分もない。
 常識的に考えて、特に意識もせず道を歩いていて女性に間違われるというのは尋常なものではないが、長谷川千雨にはそれがある。
 伊達に本気で同級生に告白を受けた経験を持っていないのだ。
 とまあ、どうでもいい話はこれくらいにするが、早い話、ハルナはこのことを十二分に知っている。

 お互いに気も合うし、その“ひょんなこと”というのが千雨の秘中の秘であるちうに関してなので、千雨としても強く出れないままにハルナのわがままというか自由奔放さに付き合っている。
 まあ実際に居心地は悪くないのだ。
 べつに千雨はリアルでちうのことを話せる人間がほしいとは思っていなかったが、それでもまあ相手がこいつなことに文句はない。

 しかし、当然だが千雨は男でハルナは女。ここは学校区画からは離れているが、それでも知り合いの目がないというわけではない。
 当然千雨はこの日常がいろいろといやな噂や、おかしな邪推を招くだろうことも知っている。
 自分は男だからどうでもいいが、ハルナに迷惑がかかるのはやはりよくない。
 玄関先で待たせるのもなんだし、適当に二人で外出して噂を立てられるのも困るだろうと、いろいろと対応はしているが、それでもやはり話は漏れる。
 食事も終わり、皿を洗っているハルナを見ながら無言のまま千雨が考える。
 同級生の報道部員が自分とハルナを邪推していたように、一部の人間にはハルナの名前は知られている。
 もっとも件の同級生は、たまたま自分を張っていたために知ったようなところもあり、そこまで広まっているわけでもない。
 まだ千雨やハルナのクラスメイトレベルには知られていないのが救いである。

 とある事情から仲良くなった同級生。
 仲のよい、同年代の異性である。
 そりゃ知られれば邪推の一つもされるだろうというものだ。

「なあ、お前ってクラスのほうで何か問題起こったりしてないか?」
 言うかどうか少し迷ったが、一応聞いてみることにした。
 ハルナが突然の問いに首をかしげる。ハルナからすればネギがきてから騒がしくはなったが、それでも問題というようなものは起こっていない。
「なんで? べつにそんなことないけど……どうかしたの?」
「いや、お前とあってるところを知り合いに見られてな。なんかいろいろと言われたからさ。付き合ってるのかって。おまえのことも知ってたみたいだし、ここって女子中等部からは離れてるからな。なんか問題あったら相談のるよ」
「相談もなにも千雨が原因なんだから無理なんじゃない?」
 ハルナがあっさりと答えた。
 千雨の頬が引きつる。

「テメエ、人の好意を……」
「じょーだんよ。それに、気を使ってくれるのは嬉しいけどさ、そもそも、原因は千雨のほうじゃん。あんまりそんな甘いことばっかり言われてもね」
 ハルナが呆れたように言った。
「付き合わないほうがお前のためだって言っただけだよ」
「その台詞もどうなのよ。結局それって保留みたいなもんじゃん。嫌いだっていわれたほうがわかりやすいっての」
 まったく、そういうところで引くのは優しさではないってのに、このバカめ。
 ハルナが肩をすくめてため息を一つ。
 知ってはいたが、こういう状況で男が女相手に行っていい台詞ではないだろう。。

 そんなハルナに対して、千雨が考え込んだように少し黙る。
 普通だったら言わないだろう。誰が相手でも千雨がそんな“誤解を招きそう”な言葉を口にすることはないだろう。
 だがいまの相手はハルナだった。だから千雨はちょっと逡巡した末、彼女に対する罪悪感をこめて口を開く。
 だから、少しの沈黙を経て、唇を尖らせて俯くハルナに千雨が顔を向けた。

「俺、お前のことはホントに好きだよ」

 いままでの問答はなんだったのかとばかりに、あまりに平然と千雨が言った。
 一度決めるまでの逡巡は長くとも、一度決めれば千雨は絶対に迷いはない。
 自分の価値観を状況で浮動させたりはしない“地に固定された”その思考。
 それゆえ、彼にとって言うまでの躊躇いと、言い始めてからの迷いは別種のものだ。
 千雨にとって好意を明らかにすることと、男女の付き合いをすることは完全に別の事柄である。

 だが、そんな特異な思考回路を持つのは千雨だけ。当然それはハルナにとってはかなり予想外なことらしい。
 ゴトリ、とハルナの手からコップが落ちて、じゅうたんの上を転がった。
 ヒクヒクと頬を引きつらせながらハルナがそれを拾い上げる。飲み終わっていたのが救いだ。
 ハルナが頭の中で、この男がどれほど厄介なのかを再認識した。
 のどかをからかってばかりはいられない。
 はっ、わたしもずいぶん青春をしてるじゃないか。
 ネギに惚れたというのどかをからかってはみたが、自分だってこの様だ。
 これでほんのわずかにも幻滅できないというのだから、草津の湯でもとはよく言ったものである。
 素直にネギに惚れておけばよかった。
 なにより、これで先ほどの言葉を許してもいいかな、などと思ってしまうのだから、大概だ。

 くっそう、赤くなるな早乙女ハルナ、赤くなったら私の負けだ、と自己暗示。
 ごほんと咳をして冷静さを装うハルナに千雨が首をかしげる。
 さすがに同様の理由は想像がつくが、なぜそこまででかい反応をするのかがわかっていない。
 千雨への天罰は、いつか彼の奉る神が下してくれるだろう。

「なんでそんなに驚いてるんだ?」
「…………なんつーか、千雨はあれだよね。ヒモになるタイプだよね、絶対」
 唇を尖らせてハルナが言う。
「なんでそうなんだよ……。つーか、いいだろこっちのほうが。変にこじれるよりはさ」
「甲斐性なしだって言ってんのよ。口ばっかり上手いんだから」
「あのなあ……」
「あっ、そうだ。食器洗っちゃうね」
 この問答を続けているとやばそうだと感じ取って、食器を持ち上げながらハルナが言った。
 大丈夫大丈夫、まだ赤くなってはいない。逃げ切れたようだ。

 話を途中で中断された千雨がやれやれとハルナの背中を見送った。
 ため息を吐いて呆れ果てていようとも、その二人の間に困惑や悲しみのようなものはない。
 だってこの問答は二人の間で何度か行われてきたものだ。
 自分の自我に不安定さを感じている千雨は、一度それで失敗してから、人と明確な先生をして付き合うことを避けている。
 白黒をはっきりつけることを心がけるわりに、白黒はっきりつけること自体を嫌っている。
 そしてそれを当然ながら早乙女ハルナは知っている。

 そんなハルナの後姿を見ながら千雨は思った。
 自分にこいつと付き合う気はない。
 そして、これはこいつの所為ではなく自分の所為だ。
 好きだと思っているからこそ、迷惑はかけたくない。
 自分の奥底にある神を信じる心と同じ種類のその感情。そして自分の過去の記憶が、それが素直にハルナと愛をささやく行為を押しとめる。

 千雨の奥底にくすぶり続ける小さな違和感。
 たとえば、千雨はネットアイドルで女装を世界中に披露してしまっているわけだが、これはなんというか千雨自身でも説明しにくいが必然である。
 べつに強要などではなく、自分の中でなぜか“自分が女であること”をどこかで認識し続けなければいけない、というなんともよくわからない強迫観念にとらわれているためだ。
 ハルナ相手の件についてもそれと同様。
 千雨は記憶にすら残っていないが、理由が明確でないからこそ、千雨はその衝動に逆らいにくい。
 過剰反応がすぎると自分でも思うのだが、それでもそれを改められない千雨の欠点。

 そもそも、自分はこの麻帆良の中では常識があるほうだ。
 そんな自分がネットアイドルなどをやっているのは、絶対に理由があったはずなのだ。
 過去にそんな決心をしたのか、誰かに忠告として言われたのか。
 でなければ、自分がこの様なことを始め、さらにはこうしてやり続けているはずがない。
 なにかがあった。
 なにかがあったはずなのだ。
 そう、たしかとても尊いあるお方に、それを言われたはずだ。


【良い■■か、長谷■■雨。お前はこれから――――】


 荒い記憶。
 ノイズの走るその風景。
 頭に浮かぶその残滓を破れた網で掬い取る。
 わずかなそれをこぼさぬように慎重に。一言が砂金のように重要で、一文が万の意味を持つほどに尊い賢者の言葉を記憶の底からすくい出す。

 誰かの神託。
 名前もわからぬ神の声。
 顔もわからぬ賢者の言葉。
 そんなお方の声が千雨の頭に響いている。

 だが、それはいつものように、カタチになる前に消えてしまった。
 千雨が舌打ち。
 声があった、言葉があった。だが、思い出せはしなかった。
 まあいい。どのみちこの様な与太話をしても、変態性癖の言い訳ととられるだけである。
 いったい誰が信じるというのだろうか。
 久しぶりにハルナとの関係に踏み込むなんてまねをした所為でどうやら随分と“揺れて”しまったようだ。
 自分もまだまだ腹をくくれているとは言いがたい。

 長谷川千雨はべつに同性愛者というわけじゃない。普通に女性がすきだし、ハルナはかわいいやつだと思う。
 付き合うのも本来はまったく問題ない。キスも出来るし抱き合える。
 だが実際に付き合ってしまえば、そこには必ず違和感と、そしていつか必ず分かれることになる確信が生まれることを、すでに自分は知っている。
 絶対にハルナを傷つけることになることを、すでに自分は知っている。
 だからこそ、あいつから好きだといわれてなお、自分はアイツを突き放すことも受け入れることも出来ずに“白黒をはっきりさせない”ままに流されている。

 とまあ、いろいろといったが、まとめてしまえば、そのようなよくわからない考えが人格の根底に巣くっている千雨は、どうしても女性と付き合うことに白黒をはっきりつけにくい。
 お互いがお互いを気遣って、踏みこめないままに出来たこの関係。
 どうに打破する機会が見えないこの状況。
 そしてそれを千雨もハルナも、そしてもちろん、彼らを見守る神さまも知っている。


   ◆


 ダイニングから聞こえていた水道の音が止まる。
 ボーとしている千雨の元へ、洗いものが終わったのかハルナがチョコチョコと寄ってきた。
 そのまま千雨が背を預けていたベッドにぼふんと音を立てて腰をおろす。
 そのままベッドに背を向ける千雨にのしかかった。

「なに読んでるの?」
 本を読んでいる千雨の肩越しからハルナが顔を覗かせる。
 小さな笑み混じりの吐息が耳元を通り、長い黒髪が千雨の首筋をくすぐった。
「ただの小説だよ。というかハルナ、胸が思いっきり当たってるぞ」
「わざとだしね。どう? 興奮する?」
 首に手を回された。
 そのまま胸が押し付けられる。
 耳元の吐息がこそばゆい。

「そんなノリで言われて興奮するはずねえだろ」
「あはは、じゃあ今度はムードたっぷりに迫ってあげるよ」
 ニヤニヤと笑いながらハルナが言う。

 余裕があるのか?
 いやむしろ逆だと千雨は断じる。
 どちらかといえば、いまのハルナは緊張気味だ。
 この過剰なまでのアプローチは誤魔化しが入っているのだろう。
 だからたとえば、その証拠に――――

「うひゃあっ!?」

 千雨が回した腕に手を添えて、そのままそのむき出しの二の腕を撫でてみると、慌てたハルナがビクリと震えて手を離した。
 こちらが申し訳なるくらいにヘタレだった。
 千雨が呆れる。いつになったらこりるのだ、こいつは。

「お前な。もうちょっと自重しろよ。お前はジョークのつもりでも、そういうこと続けてるといつか襲われてるぞ」
 ため息混じりにベッドの上で照れたように笑うハルナに向き直った。
 早乙女ハルナは、べたべたする関係を好むわりに、べたべたすることを受け入れるのをいやにためらう。

「大丈夫だって、アンタへたれじゃん」
 動揺から持ち直したハルナが言った。
「うるさいな。俺以外だったらってことだよ」
「あはは、平気平気。こんなこと千雨以外にする気ないって!」
 なぜか笑顔で断言された。
 なんだこれは。愛の告白か?

「……まあ、どっちにしろ自重はしろよな」
 すぐに赤くなるくせに、ハルナはこういう時は素のままだ。
 こいつは人に対する機微に異常に敏感なわりに、自分の心情を隠すのが下手すぎる。
 自分で気づいていないとしたら、今後こいつはクラスメイトに天然などという呼称を使う資格はなくなるだろう。

 ハルナは本気と冗談の区別がつきにくい。
 随分と先ほどの言葉で思考をかき回されているようだし、千雨から手を離したハルナは今度は千雨にちょっかいをかけようとはしなかった。
 そうして千雨の背中から離れて、誤魔化し交じりに漫画かゲームか雑談か、さてどうするかと視線をめぐらせているハルナの姿。

「なあハルナ」
 その姿に、今度は千雨から声をかけた。
「ん、なに?」
「うん、あのさ」
 なんとなく考えを纏めるために直球で千雨が言った。

「お前ってまだ本気で俺に惚れてるのか?」

 千雨がハルナに好意を持っているのは本当だ。おそらくハルナも。
 付き合えば破綻することがわかっているから、こうしてなあなあな関係を続けているが、それであまり負担はかけたくない。
 なるべくならこいつもそこらへんを消化していて欲しかった。

 しかし、千雨の言葉にハルナはいきなり真っ赤になった。
 直前の雰囲気から軽く流してくれるかと思っていた千雨のほうが、その反応にむしろ驚く。
 なぜこいつは要らないところでは、こんなにも純なのだ。うぶすぎるだろ。

「っ!?? ……っと、えっ!? な、なん、な、なに!? なによ、いきなり!」

 予想外に難儀なやつだ。
 ちょっとメンタル弱すぎないか?
 軽口の応酬にでもなるかと思っていたのに、なんなんだろうこの展開。

「いや、お前もベタなリアクションするなあ」
「そ、そういうの普通、面と向かって聞く?」
 それはいつものハルナ自身に言うべき言葉である。
「なに照れてんだよ。いつもお前がやってることだろ。もちろん愛してるぜ、とか言われるくらいの返しを想像してたんだけど」
「うっさい! んなことリアルで言えるわけないっしょ!」
 ベッドの上からバシバシと枕で頭をたたかれた。

「わかったわかった。悪かったって! 聞かないほうがよかったか?」
 うなっているハルナをなだめるように千雨が手を上げる。
「そういう問題じゃなくてさあ。もうちょっとこうなんていうのかな。……あのね、なんかそういうのはっきりと……ったく、男ってのはそういうのすぐ口にするんだから……」
 ぶつぶつとつぶやく声は小さすぎてほとんどが千雨の耳には届かなかった。
 しかしハルナが不機嫌になっているようなまずい気配を感じ取って千雨が手を上げた。

「いや、俺もお前のこと好きだし、付き合えないのも俺の性根が原因だしな。変にごちゃごちゃするより、こうして仲良くしときたいって言っときたかったんだよ。お前なんか変に溜め込みそうだし」
 それを聞いたハルナが千雨をぶっ叩くために持ち上げていた枕を下ろす。
 許したからではない。呆れ果てたためだ。

「仲良くしておきたい、かあ。またそれ?」
「沈むなよ。さっきからなんでそんなにへこんでんだ、お前は」
「ふつー沈むでしょ。どーすりゃいいのよ、わたしは」
 平然と無神経なことを言う千雨を睨みつける。
 まったく千雨は本当に女心の機微というやつがわかっていない。
 先日のようにまた今度恋愛本でも読ませてやろう。千雨はジョークだと思っているようだが、ハルナ的には結構マジだったのだ。
 こいつには一度自分の駄目さを自覚させておく必要がある。

「あのねー、千雨。あんたホントにもうちょっとどうにかしないといつか刺されるよ、絶対」
「……いや、真顔で怖いこというなよ」
 本気で言っているのがわかるだけに普通に怖かった。
「まー。べつにわたしを袖にし続ける千雨が悪いってだけの話だしさ。ったくわたしみたいな気がきく子のなにが不満なんだか……」
「いや、なんでそうなるんだ? お前に不満なんてなにもないよ」
「……あのねえ」
 そういうところだけ即答するから、こいつはいつか刺されるなどと評されるのだ。

「お前が悪いわけじゃない。お前はまあ普通じゃないし、駄目なやつだけど、たとえば……そうだな、相手がお前のところの那波って子だろうと俺の“これ”は変わらないものだし」
 適当に思いついた2-Aで一番顔とスタイルが有名な千鶴の名前を出して千雨が肩をすくめた。
 ハルナが一発ぶん殴ってでもやろうかと思って手を上げて、何とか抑える。
 どうせこのバカは懲りないだろうし、いまそんな問答をしても泥沼になるだけだと考えながら、その手を力なく下げてため息をもらすだけ。
 どうした、と首を傾げる千雨に「じゃあやっぱり千雨が悪いんじゃん」とハルナが愚痴る。
 道理すぎるので千雨は頬をかいて誤魔化すだけだ。

「しかもここで那波さんの名前を出すところとかが改めて最低だよね。……那波さんってやっぱりそっちでも人気あんの?」
「ある。めちゃめちゃ有名だな。難攻不落を通り越していまじゃ声をかけるやつもいないぞ。雪広財閥のお嬢さまとどっこいどっこいじゃないか? つーかお前のクラスって、どいつもこいつもレベル高けえし有名人は多いしで、そこそこ気の効いたやつは大体知ってるよ。ハルナの噂はそれほどきかないけどな」
「うぐ……で、でも、わたしだって胸の大きさではあの二人にも負けてないし!」

 千雨の即答に悔しそうな顔をしたハルナがなぜか胸を張っていた。
 形のよい胸が突き出される。ゆったりとしたブラウスを押し上げている胸は自慢するだけあってかなりのボリュームだ。
「いや、べつに胸の大きさの話をしてるわけじゃないだろ……。それにお前だって十二分に可愛いと思うぞ。性格も俺に合ってるし、俺は那波やら雪広のお嬢さまよりお前のほうが好きだよ」
 平然と千雨が答える。
 当然のことながら、そんな言葉を平然と口にする千雨の前で、ハルナが胸を突き出したまま固まった。

 千雨はそんなハルナを見ながら、困った顔をするだけだ。
 目の前にはベッドの上で胸を突き出す女がいて、自分はベッドの横から寄りかかったままそれを見上げている。
 ブラジャーに整えられた形のよい胸は、同年代でかなうものはそうそういまい。
 さっさと引っ込めるのかと思ったが、なぜかハルナはその動きを止めたままだ。
 千雨はなにしているのかと呆れているが、元凶は自分自身である。
 千雨は少し考えると、雰囲気を払拭するために、なんとなくその胸に手を伸ばした。
 そのまままったく躊躇することなく千雨はそれを掴み、わしづかみしたまま手を動かす。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 フム、と千雨は頷いた。
 やはりでかい。
 非常識なまでにスタイルのいい雪広のお嬢さまや那波千鶴が例外なだけでこいつの胸は十分に大きかった。
 たしかは87cmだったはずだが、千雨が手を動かしながら口を開いた。

「…………ちょっと大きくなったな、お前」

 すぐさまリアクションが返ってくるかとも思ったが、なぜかハルナは止まっただ。
 しかたなしに揉み続けていると、理性を取り戻したのかハルナがようやく動く。
 正気を取り戻したのか、バッ、とその豊かな胸を掻き抱いた。
 頬が火がついたように赤くなっている。

「ふわっ!!? ほえっ!? えっ! ちょ、ちょっとマジ!? へっ!? え、えっ!!? なに!? い、いきなり過ぎない!?」

 カア、と恥ずかしがって、ハルナが身をよじる。
 いやまあ自分も悪かったが、いつものお前もう少しお姉さんぶったキャラだっただろうに。
 いつも鬱陶しいくらい押し付けてくるくせに、なぜやられると照れるのだこいつは。
 どうして欲しいのかを明確にしろ。

「いや、軽いジョークのつもりだったんだけど、お前突っ込んでくれないし」
「なんでわたしの所為みたいになってんの!?」

 ハルナが赤くなったまま叫ぶ。
 意外にヘタレだ。知ってたけど。
 ポリポリと千雨が頬をかく。
 なにやらマジで失敗したらしい。いや、むしろ当然か。こいつはあいつとは別なのだ。つい以前の癖が出た。
 ここまで大きく反応されると逆にいろいろと困ってしまう。

 とまあその普段の偉ぶった姿からは想像もできない可愛らしい姿だったが、それより先には進まない。
 千雨は余りそっち方面の興味を持たないようにしている。
 もちろんないわけではないのだが、本当にそうなったときに感じる違和感を千雨はすでにしっている。
 まるで自分の本当の性別が女でもあるかのような、あの違和感。

「いやいや、悪かったよ、機嫌治せって。ちょっと目の前に突き出されるから、なんとなくな」
「な、なんとなくってねえ……」
「いや、ホントに、いまさっきのにやましい気持ちはなかったよ」
 千雨が平然と言った。
 だが、それにむしろハルナは顔をしかめた。だってそれじゃあ自分に”本気”で興味がないといわれているようなものだ。

「や、やましい気持ちはなかったって。……ち、千雨ねえ、それをマジで言っちゃうからあんたってやつはいつもいつも……」
「おい、悪かったって。………………いや、泣くなよ」
 困ったように千雨が言った。
「な、泣いてなんかいないし!」
「……いや、泣いてるだろ」
「うっさい! スルーしなさいよ、ここは!」
 ぐしぐしと目元をこすりながらハルナが怒鳴る。

 これはまずった。まさか本当に胸をもまれたのが原因というわけではないだろう。
 知らぬ間に変なトラウマを抱え込んでいたらしい。
 なにやらおかしな回路にスイッチが入ったようだ。
 ハルナが感情の高ぶりを涙というかたちで発散していた。

「悪かったって。そんなにいやだったか?」
「そんなのじゃないよ。でもさ、わたしは“前”のときからずっと本気だったのにさ……それなのに、そんな興味がないみたいに言われたらさ……」
 自覚もないのだろう。ほとんど聞こえないような声でハルナがぶつぶつとつぶやく。
 その目元には涙が浮かんでいた。
「……ホント、いくらわたしでもちょっとは泣きたくもなるっての……」
 なんとも困った顔をして千雨が黙っていると、突然ハルナがぶんぶんと頭を振る。


「あーもー、ゴメン! わたしも割り切ったつもりだったのに! 忘れて、千雨、ホント! ほら、わたしも変にこじれるより仲良くしてたほうがいいしさ! …………それと泊まるって言ったけど、やっぱわたし今日は帰る!」


 バレバレの虚勢を張られた。
 意外に深くハルナの傷をえぐってしまったようだ。
 千雨はどうしたものかと考える。

 もともと以前より、この学園に違和感は覚えていた。
 不自然な出来事に、不自然な施設に、不自然な人間。そんなものに不審を感じ、だがそれを表に出さずに生きてきた。
 だから自分のおかしさも、それの一旦なのだろうかと千雨は自分を無理やり納得させてきた。
 性欲が薄いのとは少し違う。そこは健全だったのだ。だがそれと同時に、まるで自分の性別が間違っているかのような、小さな違和感が消えなかった。
 自分の趣味が原因かと疑っても、やはりそのしこりは消えなくて、違和感だけはそのままだった。

 だから、千雨はハルナに対する感情も、その一種として考えてきた。
 だがやっぱり秋の空にたとえられる思春期少女の乙女心相手に、そんな風に捉えていれば、いつかはこうなる。
 つまりこれは千雨の責任。
 だから当然、自分みたいなのを慕ってくれている女の子を泣かせてよい理由にはならないだろう。

「なあハルナ」
「なによ! わたしはもう帰るからね!」
 グスグスと涙をぬぐっていたハルナがベッドの上で半身を起こした。
「いや、帰ることはないだろう?」
「…………このアホは。だからほらね、わたしもテンパっちゃったし、このパルさんが恥ずかしいところ見せちゃったわけだからさ――――」

 帰ろうと体を上げるハルナに、千雨がゆっくりと手を伸ばす。
 あまりに自然なその動きに、ハルナは反応できなかった。
 ひょいと、ベッドについていたハルナの手が払われて、バランスを崩したその体が千雨によって引き寄せられる。
 胸元ではなく首に回し、その手は後頭部を抱え上げ、ぎゅうとハルナが千雨の胸元に抱えられた。

「悪かったよ。ほら、仲直りしようぜ」

 ぎゅう、と抱きしめて、ぽんぽんと頭をたたく。
 ポン! 面白いように腕の中の早乙女ハルナが茹で上がる。
 それと同時に千雨の耳はハルナがヒュウ、と音をたてて呼吸を止めたことを聞き取った。
 恥ずかしがったらしいハルナがジタバタともがくが、千雨は手を緩めない。
 ハア、こいつはホントに、どこまで純情なんだ、とため息一つ。

 距離をとるか近づくか。ハルナは随分と両極端な女のようだ。
 そしていま、自分が選択する道はこれ以上ないほどに決まりきっている。
 ここは皮肉抜きで、きちんとハルナをなだめよう。

「泣くな泣くな。意固地になってもお互い得しないだろ。落ち着けよ。そうやって泣かれると結構きついんだ。ほらっ、俺ってホントはお前のこと大好きだしさ」
「~~~~!!? だ、だからアンタはそういうところが最低だって言ってんのっ!」
「わかったわかった。悪かったよ。ほらほら、落ち着けって。お前って意外によく泣くなあ。経験豊富っぽく振舞って、そこまで見事に自爆するとこなんざ、一周回って愛おしいよ」
「~~! ~~!?」
「よしよし、だから暴れるなって」

 腕の中でその体温を感じながら、千雨はあやすように指先で髪を梳く。
 長い黒髪を乱さないよう、梳くようにそして優しく撫でている。
 観念したのか、声にならない声を漏らしたハルナが暴れるのを止めた。
 顔を隠すように顔を千雨に押し付ける。
 とんでもなく面倒くさくて、同時にそれがとても可愛い女の子。まったく、いつもそうしていればいいものを。
 本当に、この耳年増の同人少女は、本番となると純情すぎる。

 無言のまま時間が流れ、どうやら落ち着いたらしいハルナからも口を開く気配はなく、千雨は小さく苦笑する。
 その声を聞いたハルナが抱きしめられたまま、恥ずかしがってもぞもぞ動く。
 だけど二人は当然のごとく離れたりはしなかった。
 抱き合ったままお互いの体温を感じてる。

 そんな情景。神棚に座る神さまだけが見るその光景。

 興味がないわけじゃない。無関心なはずがない。千雨の躊躇は心の問題。魂の問題だ。
 そう、結局のところ、千雨が言い訳を述べているだけで、ハルナを泣かしている原因は、根底の部分でビビッて口で誤魔化し、あいまいに逃げ続けているこのバカモノが原因なのだ。
 その神様は知っている。千雨のもつ違和感は不和であって禁忌でなく、その戸惑いは逃げであって信念ではない。
 白黒をはっきりさせるという千雨の基盤と、どうにも真剣さを交えられないハルナの基質。
 好意を示すことと、その関係について完全に白黒つけて考える千雨によって生まれたこの現状。

 まったく千雨も不甲斐ない。百年遡るまでもなく側室だろうと同性愛だろう今でもある。日本でだって500年遡れば同性愛どころか小姓をつけないほうが性的におかしいと考えられるそんな時代だ。千年遡った過去にいた神々にいまの常識を当てはめようとすれば目を回すことになるだろう。
 たとえ記憶がなかろうが、千雨の魂はそれを知っているはずなのに、まったくこの“娘”の頭は固すぎる。
 神棚で杯を傾ける神様が苦笑した。

 彼女はこの状況をたいして悪いものと思っていない。
 だって関わっているのが千雨である。
 いまこうして少女を泣かせ、過去にもこんな風に少女を泣かせ、それでもまだまだ未熟なようだが、それでも千雨がそのまま責任も取らずに逃げるということはありえない。
 この男はわれわれ守矢の神の肝いりだ。
 だから、あの抱き合う娘にだって、こうして悲しませて終わるということはあるまいさ。

 そうして杯を傾けて神棚に立つ洩矢の分神はもう一度朗らかに笑みを浮かべた。
 まったくすまないな。早乙女ハルナ。
 長谷川千雨が迷惑をかけているようだ。だが、その子は最後の決断は間違わん。
 千雨の不徳の詫びはいつかわたしのほうからもしてやろう。だから、いまはその子と仲良くしてやっとくれ。

 ああ、そうだ。
 それでは誤解を招かないよう、最後にもう一度だけ言っておこう。
 というわけで、千雨はべつにハルナと付き合っているわけじゃない。

 ほら、女同士だって仲がよければ抱き合うくらいするだろう?
 仲直り代わりに抱き合ったまま一緒に寝たりもするだろう?
 千雨とハルナは仲良しなのだ。

 まだまだ恋人同士とは行かないけれど、日の沈んだ部屋の中、ベッドの上で抱きしめ合ったままで夜を迎えるくらいには。



――――――――――――――――――



 ラブコメハーレムはMが作るが、ガチハーレムはSが作る。
 自分のことになると意外に純情なハルナの話。
 女関係に適当で、そのうえ自重せず、さらに女装趣味があって、しかも宗教家という最低すぎる主人公であるTS千雨さんは結構普通に駄目な子なのでこんなことしておいて次回は新しい女の子が出ます。でもさすがにハルナもでます。




[24750] 第4話
Name: SK◆eceee5e8 ID:9aa6d564
Date: 2015/05/16 23:00
 早乙女ハルナの通う女子中等部や、千雨の通う男子中等部の学区から少し離れた住宅街前の駅にとまった学内電車から、一人の少女が降りたった。
 おしゃれを欠かさない年頃らしく、すこし着古した感のあるジャケットを動きやすそうなズボンといくつかのアクセサリーに合わせている少女は、少し大きめのバックを持ったまま、その重さを特に苦にしたふうもなく、そのすらりとした足で歩みを進めている。
 天気も良く、外出日和であるようなその日であるためか、小学生くらいの子供たちが遊ぶとあるマンション前の広場を横切る。
 その際、子供に声を掛けられ、そんな子供たちに久しぶりと笑いながら手を振るさまを見るに、顔なじみの常連らしい。
 マンションにエントランスをわたり、だれを呼び出すわけでもなく入り口の電子錠を手持ちの鍵で開けて中に入る。
 エレベータを降り、そうしてそのまま一つの部屋に前に行き、玄関先でインターホンを鳴らした。
 鍵は持っているようだが、このマンションの一室に部屋を構えているわけではないようだ。
 少し待ったが、家主が不在なのか返事がない。

 しかし、その少女は特に困った様子も見せずに返事がないことに一つうなずくと、そのまま合鍵を使って部屋に入る。
 お邪魔しますと口にしながら、勝手知ったる他人の家に入るその少女。
 少しばかり大きな胸と、後ろにまとめた髪型が特徴的な、カメラの入ったバッグを携帯する麻帆良女子中等部の報道部員。
 そしてこの後、彼女は部屋に入ってその一分後には、ベッドの上で抱き合ったままに眠る千雨と早乙女ハルナの姿に溜息を吐くことになるその人物。

「うーん、これはまた予想外というか予想通りというか……」

 ポリポリと頭を掻きながら、二人を見下ろして一言つぶやく。
 千雨の服をギュウと握ったままに頬に涙の跡を残して、むにゃむにゃと子供のように千雨に寄り添って眠るハルナの姿に嘆息し、

「――でもさ、これって私の立場がないんじゃないの?」

 呆れたようにつぶやく少女の姿。
 もちろんのことながら、この部屋の表札には長谷川千雨の文字があり、
 いうまでもなく、この少女はかつてこの部屋で早乙女ハルナと酒を片手に語り合ったこともある早乙女ハルナの親友で、
 確認するまでもないことではあるが、彼女は麻帆良報道部のエースにして、早乙女ハルナの同級生。

 その名前を朝倉和美という、早乙女ハルナと長谷川千雨共通の“友人”である。



   第4話


 ぱちりと千雨の目が覚ます。寝起きはいいのだ。
 休日の朝。ぼけっとした怠惰な時間を過ごしたいところだが、そうはいかなかった。
 眠っていたベッドの中に早乙女ハルナが寝ていたからだ。
 というか自分の腕を枕に、体を抱きつけていた。
 たいして広くもないベッドだ。二人で寝ていれば体も触れる。
 昨晩のことを思い返せば、そういえばそのまま眠っちまったんだろうなあ、というのはわかるんだが、これは絵面がやばすぎる。

 すやすやと寝ている早乙女ハルナ。穏やかな寝顔で、子供のように腕の中に収まっているが、頬に残っているのは涙の跡だ。
 どうにもやりきれない思いにがりがりと頭をかく。
 そのまますこしそれを見つめてから、息を吐いて体を起こした。
 肌寒かったのかハルナはムズムズと動いて毛布をかき抱くと、再度穏やかな寝息を立て始める。

 安らかな寝顔に、健康的な太ももが布団のすき間から丸出しだ。
 このどうにも自覚のない少女に、世の中の怖さを思い知らせてやりたいところだが、襲いかかるには理性からも本能からも待ったがかかる。

 頭を振って思考を切り替えた。
 幸いハルナは昨晩の寝つきでも悪かったのか、起きる様子もなくすやすやと寝ていたので、枕がわりになっていた腕を抜いてこっそりと起き上がり、ギュッと握りしめられていた寝間着をほどき、まくれた布団をかけ直してやると、音をたてないようにベッドから降りる。
 面倒なことが起きる前にと、ハルナを起こさないように千雨はさっさと着替えて部屋を出て、

「あ、起きたの? おはよ、千雨」

 もう手遅れらしいと腹をくくる。
 部屋を出て朝食でも食べようかとダイニングに出向いた千雨の目に飛び込んだ光景は、そんなことを言いながら、朝食を食べている朝倉和美の姿だった。

「……和美か。おはよ」
 一瞬顔をひきつらせた千雨がそのままのろのろと返事をして顔を洗いに洗面台へ向かう。
 そんな千雨の姿を見ながら和美が考えているのは、当然この部屋を尋ねた時に目にした光景だ。
 ハルナを抱きかかえたまま眠る千雨の姿。
 もちろんここを訪ねていながら、先ほどまでのその光景を目にしていないわけがない。
 黙ったままの和美は、千雨にまず何を問いかけるべきかを考えている。

 洗面台から戻ってきた千雨は、そんな和美の姿にどうしたのかと首をかしげ、そんなどうにも自覚のないらしい千雨に向かって和美が先ほどの光景を思い出しながら口を開く。
 眠る二人。
 抱き合う二人。
 残念ながら嫉妬して問い詰めるような可愛らしさは早乙女ハルナの担当だ。

「ねえ千雨」
 和美が聞くべきは、違うこと。
 そう、きっと

「なんでハルナが泣いてたの?」

 こういう方面のことに違いない。
 困ったような顔をする千雨を前ににっこりと笑ってプレッシャーを与える朝倉和美。
 早乙女ハルナよりも、ずっと以前に千雨と出会い、こうしてハルナと千雨の橋渡しをする彼女は、ハルナが千雨に対して涙を流させられるようなことを理解して、そのうえで千雨の不甲斐なさを怒っている。

 なぜかと、それを問われるならば、きっとその光景を見る神様なら、朝倉和美にはその“権利”があるからだと答えるだろう。
 いびつな精神からハルナを泣かせる長谷川千雨を責めるその理由。

 ずっと以前、ハルナと和美が千雨の部屋で出会う前、彼女が千雨に早乙女ハルナと同様に泣かされていた以上、きっと彼女は今のハルナの境遇に対しての義務と権利を持っている。
 早乙女ハルナと長谷川千雨に干渉せず、二人を見守るそういう義務と、早乙女ハルナと長谷川千雨に干渉し、どうしようものないこの二人をしかる責任。
 きっとハルナが同じ義務と権利を和美に対して有しているのと同様に、この三人の間では、そういう関係が存在する。

 そうして、私服に着替えた千雨が、朝食代わりのトーストと、コップに入った牛乳を飲みおわるころには、昨日の夜のことを和美に話し終わっていた。
 聞き終えた和美は、まあ自分の想像とそう変わらない状況に一つうなずく。
 なんというか自爆と暴走を組み合わせた結果だろう。千雨も反省しているようだし、きっとハルナはそれ以上に反省しているだろうから文句も言いにくい話だ。
 というわけで、細かく文句をいうのは避けて、簡単に情報を伝えてみる。

「つまりあんたがハルナの気持ちを弄んだ挙句に、あの子の胸を揉みしだいて、泣かせちゃったってことね」
「いや………………、うん…………、まあ、よく考えるとそういう面もあるかな」

 だって、まさか泣かれるとは思わなかったのだ。
 言い訳しようとして、ギロリと鋭い眼光を浴びせられた千雨が自分の悪行を認めて頭を下げる。
 潔白だと否定できないのが悲しい。
 だが、それ以上追求する気はないらしく、和美もそこで言葉を止める。
 ありがたく便乗して、千雨も朝食を片付けることにした。

 ハルナを放って外に出かけるわけにもいかないし、無理やり起こすには理由がない。
 ハルナが起きるのを待つかたわらにと、和美と千雨が会話を交わしながら先日ハルナとプレイしたゲームで時間をつぶす。
 協力プレイのシューティング。報道部だろうと漫画書きだろうとネットアイドルだろうと、現代っ子がゲームに触れたことがないということはそうそうない。
 意外にゲーマーな千雨につきあって、和美も慣れた手つきで自機を操作していた。

「別にシャレでいうわけじゃないけどさ、ハルナってば意外に乙女だよねえ、本当に。パルの方でいろいろと慣れてもいいでしょうに」

 画面内で特殊アイテムを回収しながら和美が言った。
 次のボス戦にむけての追加兵装型アイテムである。このようなアイテムはたいてい協力プレイでも奪い合いになったりするのだが、千雨は特に気にしない。
 千雨はシューティングでは火力よりも弾を避けることを重視するタイプなのだ。

「別に意外じゃないだろ」
「あいつをそう思ってるやつも、これまた意外と少ないのよ、驚いたことにね」
「なんだそれ」
「あの子は教室じゃあ結構あけっぴろげなタイプだからね」
「ああ、趣味を隠してないみたいだしな」
 まともな本だけを描いているならまだしも、“パル”の描く本はエロからBLから網羅している。どんだけ図太いのだろうか。

「ちうと違ってね。本も内容もオープンだし、そもそもあだ名がパルだしね」
「お前も昔はちう呼びだっただろうが」
「外で言いふらしてたわけじゃないんだからいいじゃない。というか別に外で呼んだって、そんなのあだ名の一つでしょ。宣伝もなしで関連付ける子のほうが少ないよ」
「んなわけあるか」
 ちう関係を言いふらされていたら自分は転校でもしていただろう。

 地味ながらも重要そうな会話をしているが、その手元でやっていることはゲームである。ミサイルポッドの代わりにレーザー強化パーツを選択して自機の強化を充てていた千雨が和美の言葉に返事をした。
 あきれたような千雨の言葉には、理解しないままになぜか納得するような響きがある。
 適当に相槌を打ちながら、千雨はきっと和美の言葉が正しいのだろうなと感じていた。
 長谷川千雨は朝倉和美の言葉を疑わない。
 早乙女ハルナはこの場所でだけは引っ込み思案の少女だが、朝倉和美はこの部屋でだけは早乙女ハルナをからかうよりも世話を焼く。

 ずっと以前にこの部屋を訪ねた早乙女ハルナが部屋の中にいた和美の姿を見つけ、千雨の部屋でゴロゴロと転がっていた朝倉和美が、千雨の部屋を訪ねたハルナに驚いたことがある。
 二人で驚き、二人で戸惑う。
 そんな対面から始まった話があった。
 昔の話だ。

 二人の少女が向き合って、動きを止めて見つめあった過去の話。
 そんなありきたりな文句から始まったかつての出来事。
 まだハルナと和美は普通の友人同士であって、そりゃあお互いに気の合うやつだとは思っていたが、まだまだ秘密を共有するほどの中でもない、そんな頃のお話だ。

 そういえば、初めてこの部屋の中で早乙女ハルナと会った日にも、あの娘は泣いていたっけなあ、と和美は思う。
 ハルナと和美が千雨の部屋で初めて出会ったその日から、だれが見てもわかるほどにこの子は千雨にべたぼれだった。
 和美はハルナにはこっそりとちょっとだけ恩を感じるようになったその話。
 ハルナが和美に大きな恩を感じるようになったその話。
 ハルナが和美の在り方に感謝して、和美がハルナの存在に感謝して、和美とハルナが普通の友人からもっと深い関係になったそんな過去の話があった。
 今となっては笑い話の出会い談。

 あの日、部屋の中にいた朝倉和美は胸に枕を抱いたままにハルナを見つめ、その部屋の扉を開けた早乙女ハルナはその手に持ったバッグを下すことも忘れて和美を見つめる羽目となった。
 その時の記憶をうっすらと思い出しながら、朝倉和美は苦笑した。

 千雨の言葉通り、彼女にはここ最近この部屋に入り浸っているらしいハルナの行動の“理由”がわかっているからだ。

「しっかし、千雨もあほだけど、パルもパルで随分と暴走の仕方が可愛いねえ」
「あそこまでテンパってたハルナは久しぶりだな」
「でもさ、しょうがないといえばしょうがないんだよ、それってさ」
「やっぱりなんかあったのか?」
 あきれたように息を吐く和美に千雨が問いかけた。

「やっぱりって?」
「ん、ハルナの様子が変だったしな。お前もなんかありそうだし」
「さすが千雨。変態のくせに意外に見てるね。んー、あのさ。ネギくんの……うちに入ってきた子供先生のことは知ってるよね?」
「ああ、話題になってるよ。ハルナにも聞いたし、ほんとはお前にも話を聞こうと思ってたしな」
 最近和美が訪ねて来なかったので聞けなかったのだ。

「ハルナにも聞いたの? ……そっか、じゃあハルナからも聞いてるのかな。わたしはそのネギくんが来る前とかもネギくんの噂とかを集めてて少し忙しかったんだけどさ、ネギくんがこっちに来てすぐに、ちょっと騒がれたことがあるんだよ。騒動が起こったっていうのかな」
「ああ、聞いてるよ。風呂場で家主の子と一緒に雪広のお嬢様と一悶着したとかそういう話だろ」
 一つ二つの出来事について、ハルナに聞いたことを思い出しながら千雨がうなずいた。
 だが和美はその言葉に首を振った。
「ふふ、残念ながらそれより前だね。騒動がひとつっきりで収まるほど、あの子はおとなしくないみたいでさ、いろいろあるけどその中でも最初の騒動、あの子が来ていきなり明日菜とじゃれあって、そんでそのすぐ次の日くらいだったかな」
 首をかしげる千雨に和美が笑う。


 さて、ネギ・スプリングフィールドが起こした騒動は片手で数えられないほどにあるけれど、彼が麻帆良で最初に起こした騒動とはなんだろう?


 自己紹介の時がすでにそれじゃないかというものもいるだろう。きっと歓迎会の時に違いない、と断言するものだっているはずだ。
 そもそもあいつは到着直後の駅ですでに騒動を起こしていたのだと嘆く少女もいるだろう、反対にまだまだあの程度じゃ騒動未満の笑い話の範疇で、きっとこの先、本当にものすごい騒動を起こしてくれるに違いないと、そう予想しているものだっているかもしれない。
 だけど、自分やハルナにとって、きっとあの少年がらみで一番の騒動は、彼の赴任翌日の出来事以外にありえない。

「うん、あのね。ネギくんが来てすぐのことなんだけど――――」

 最近早乙女ハルナがとみにこの部屋によっていたその原因。
 入り浸り、なぜかいやにべたべたと千雨に張り付いていたその理由。
 千雨自身がハルナに尋ねていたように、ルームメイトに配慮しているハルナが泊まり込みで遊びに来るのはそれほど多くはなかったのだ。
 それがなぜかここのところは頻繁で、そしてそのハルナときたら遊びに来てすることは千雨とだらだらと遊ぶだけだった。
 ハルナは来た理由をたまたまだと言い続け、ハルナ本人も来ることだけで目的を達していたため、千雨も別段大げさにとらえずに流していたその理由を、朝倉和美は知っている。

 麻帆良女子中等部の2-Aは騒ぎが多い。
 つい先日から新しく赴任した臨時教師のネギ・スプリングフィールドが起こしたものも、それ以外も、騒動の種は様々だ。
 千雨もハルナも和美も知らないけれど、それは普通の騒動でない“魔法”絡みの騒動が混じっている。
 そういう場合、普段と違って騒動の原因は秘密のままに終わることが多い。そしてそれはネギが現れてからももちろん同じだ。
 明日菜などの例外はあれど、今のところ、騒動に巻き込まれていても、その原因を和美もハルナもまったく知らないままでいる。

 だって、彼女たちはネギ・スプリングフィールドが魔法使いだと知らないから。
 騒動が起こっても、その原因がネギ・スプリングフィールドだったと認識できないから。
 彼女たちは、自分の身に起こった出来事の原因が、魔法のせいだと気づくことができないから。
 奇跡の御業に理解を示してはいるものの、魔法の秘術を知らないから。

 魔法使いにとっては理由も明白に解決したと判を押される騒動も、魔法という前提を持たないものには始まりも終わりも不明瞭のままになることがある。
 騒動の結果を発生の段階で予想できる魔法使いには半日で終わる些事だとしても、騒動の走りを理解できない者にとってはその終わりは悠久だ。
 だって彼女たちが認識できたのは、原因すら不明なままの結果だけ。
 だから彼女たちは、騒動が終わっても明確に終わりという区切りを得られない。
 たいていのそれは、世界樹の力に守られるこの麻帆良において悪意の種としては残らないが、それでも完全になかったコトにできるのかといえば、もちろん違う。

 そう、つまり。ネギ・スプリンギフィールドが赴任の翌日にさっそく起こしたその騒動。
 明日菜がタカミチに恋をしていると知ったネギが、善意と親切を間違った方向に発揮して対応したことから始まったその騒ぎ。
 ネギという魔法使いが、明日菜という同居人のために魔法の薬を作り出し、その結果、その効果が暴走した事件があった。
 その出来事の裏側を、和美もハルナもまったく知らないままではあるが、


「――――その時に、ハルナもわたしもネギくんに一目惚れっぽいことをしたんだよ」


 それでも、それが起こったのはやっぱり彼女たち二人にとって、流せないできごとなのだ。


   ◆


 ふと、明日菜と口論していたネギのことが可愛らしくなり、愛おしくなり、それを思わず口にした。
 ふと、同じようにネギに愛を囁くクラスメイトを出し抜いて、ネギのことが欲しくなった。

 なんとなくそんなことがあり、なんとなくその騒ぎが広まって、そしてそれは2-Aの基質としてか大きな騒ぎとなったままぼんやりと消火した。
 可愛いながらもその見た目は凛々しくもあり、幼いながらも実績を持った賢さをもっていて、きっと将来性は抜群だ。
 それを唐突に実感し、一目惚れの真似事をすることだってあるだろう。
 別にそのまま一線を越えたわけじゃない。本来は笑って済ませるべきなのだ。

 だが、彼女もハルナもそんな出来事のせいで自分の心に混乱し、ハルナはそれを確かめたくてこの部屋に入り浸り、和美はそれを整理するためにここ最近はこの部屋に来なかった。
 そんなことを語りながら、和美の瞳にぼうとした孤月の光がともる。異変に対抗することはできなくても、異変にまんまとやり込められても、そのあとにやられっぱなしでいられないその基質。
 笑いながらもその瞳は真剣だ。

「いやはや、なんかネギくんが可愛くってさあ。あれはあの時ネギくんに迫られたらそのまま付き合ってたかもってくらいにね。まー、気の迷いかどうなのか。いやはや、やっぱどうしてもね」
 肩をすくめた。
「トラブル起こすわりに、先生としては十分しっかりとしてるって聞いてたけどな。そんなにすごいやつなのか? 10歳なんだろ?」
 以前にハルナにも聞いた質問である。
「逆じゃない? 同世代だったらむしろ今みたいには接するってことはなかっただろうし。……シチュエーションにギャップ効果。恋愛は積み重ねでも一目ぼれは弾みでしょ。揺れ幅がないと起こらないよ」

 ただの弾みだ。
 そう。本当は、そのまま終わりとするべきなのだろう。
 だからこうして笑い話のように話している。本気で考え始めれば、もっともっと厄介なことになるだろうとわかっているから。

 だって、2-Aの中で、その騒動は特に大きな問題にはならなかった。
 明確な恋人がいても、10歳のイケメン少年は別口だと割り切ったから。
 気になる人がいても、年下の男の子を可愛いと思うのとはまた別なのだと考えたから。

 憧れの先輩がいる同級生も、彼氏がいる友人も、そのほか魔法の薬に囚われたクラスメイトには、その騒動を深刻にとらえたものがいなかった。
 世界樹に抱かれる麻帆良の気風の中で、恋心や憧れをそんな風にごちゃごちゃとためているようなものが、2-Aにはいなかった。
 友人だったり、元恋人だったり、好きだと告白してそのままよくわからない関係として続いていたり、そういう不健全で不健康な“淀み”をためていたものがいなかった。

 自分とハルナ以外にはいなかった。

 ただそれだけのことのはずだったのだ。
 認識できる現象ならば分析できる。原因がわかっていれば消化もできる。
 だが、千雨の“奇蹟”は知ってはいても、和美もハルナもネギが魔法使いだとは想像できず、和美もハルナもその一目ぼれがどうして起こったのかを説明できない。
 だからそれが彼女たちを縛っていた。
 自分で原因を理解できないままに自己を縛るそれは、意識的に起こる自制よりも強いのだ。
 原因がわからないから、せめてそれがわかるまでと自分を縛る、誰かと同じようなそういう楔。

 問題はなかった。問題にならなかった。ハルナも和美もクラスメイトや友人相手にはチラリともその思考を漏らさなかったから。
 麻帆良に住んで何をいわんや、いつものことだ。そう笑い飛ばせればよかったが、残念ながら、それが悪いほうに、面倒なほうにとドミノ倒しのように転がった。

 問題は起こらず、結局何もなかったわけだ。
 そして、何も起こらなかったからこそ、区切るべき瞬間を決められず、うだうだとハルナは千雨のところにきてはこっそりと悩み続け、和美はその原因をきちんと定めてしまおうとこの場所から離れていた。

「まー、発散する前になんだかんだでおさまっちゃったし、みんなで珍しい子供先生で興奮したのに載せられちゃったってところだって思ってるけど。でもさ、その時の心は消えてても、その時にネギくんに言った言葉は消えないし、そんなのがほいほい起こるともあんまり考えたくないわけよ」
 困ったように和美が笑った。
「なんか照れるけど、わたしもハルナもあんたのこと好きだしさ。それに、わたしはまだこうして言えるけど、ハルナは絶対言えないでしょう? まあここだけの話ってことで、頭の片隅にでも入れといて。あの子ってクラスと違って、ここだとほんとに律義で素直でわかりやすい子になっちゃうからさ」
 片隅どころか、そうそう忘れられるようなものでもない。
 だが千雨は特に言葉を発さず、なるほどと、ここ最近のハルナのことを思い出しながら一つだけ頷いた。

「しかし、コメントしにくすぎるんだが」
 ゲームをつづけながら、どう返答したものかと悩んでいた千雨が改めて口にする。
「ん、まあ千雨は気にしなくていいよ。ちょっと浮気しそうでも、勿論私もハルナもあんたのことを愛してるからね」
 和美がそんな言葉を口にしながら、ばしばしと背を叩く。
 なんというか平常状態を保ちすぎだ。
 問題に対する対応の差なのだろう。直感行動派のハルナと違って、完全に原因と結果を消化してきてからここに出向いたらしい。

「まあネギくんはできる子だしかっこいいし、それにやっぱ年齢のギャップでガードが緩むのかねー。本屋も全然平気っぽかったしなあ。多分同世代だったら同じネギくんでも、もうちょっとウチラも自重してたと思うよ」
「雪広のお嬢様がショタコンでどうとかいう話もあったって聞いてるな。それにまあ年齢抜きでもすごいやつなんだろ」
「まあ、雰囲気と全体のバランスが良くて、爽やかにしてればそこそこいい評価になると思うけど、一目惚れと普通の恋愛って全然別よ? ほら、よく言うでしょ、女の判断はマイナス採点、男の視点は加点式。シチュエーションだのお金だのでって感じじゃなかったしね。一目ぼれってのはよっぽど特定の好みに合ってないと。あー、ハルナから聞いてるみたいだけどウチのクラス委員長とか、ね」

 適当な感想を口にしながら、和美が雪広あやかのことを話題に出した。
 現状、もっともネギに傾倒しているのは彼女だろう。
 だがそれは一目惚れではない。好きになるべくして好きになる、もっと業の深い、あやかの在り方に関するものだ。

「ああ、聞いた。雪広は有名人だけど意外な趣味だよな、マジで驚いたよ」
「うん、でもさ、あれって一応いいんちょの家庭の事情もあるから、あんまり広めないであげてね」
「あんっ? そうなのか?」
 だれていた格好から千雨が少しだけ姿勢を正す。
 和美はこういう話し方で嘘は言わない。

「ハルナは知らないみたいだけど、一応あんたには言っとくわ」
「ん、わかったよ」
 もともと話す気はなかったし、冷たいことを言えば事情を問い詰めるほどの興味もない。
 和美としても一応義理を通しただけだろう。
 千雨はさらりとうなずいた。

「そういえばさ、一目ぼれだと外見での判断が大きいよね」
 特に話を続けるわけでもなく雰囲気を払しょくするために、からかうような口調で和美が話題を戻した。
「あん? さっきの採点だの何だののはなしか?」
「そうだよ。やっぱり初対面は顔だの服だの髪型だので加点してくしかないじゃない。あとは言葉と前評判かな。でもまあ、それを踏まえても、見た目は相当でっかいんじゃない? もちろん顔だけじゃなくわたしやハルナの胸とかね」
「……ああ、まあそうかもな」
 なるほど、と千雨が頷いた。その話に戻したかったらしい。

 ゲームをしながら横を見ると、胡坐をかいている和美がいる。横から見るとわかりやすく胸が大きい。
 ハルナも自分で口にするほどに胸が大きい娘だが、こいつのプロポーションは正直そういうレベルを超越している。

 男が加点方式だというのなら、こいつの体型は相当なアドバンテージだろう。
 ついでにほかの人物へのプレッシャーへも相当だ。
 まさにこいつこそが、以前にハルナの胸を見た時に思い出していたハルナより胸の大きなあいつの同級生なわけであるが、自己申告を信じればこれでもクラスで3番目らしい。
 単純に和美の胸の大きさに驚くよりも、こいつがぎりぎり銅メダルってところが恐ろしすぎる。
 ハルナが自分の胸の大きさを気にするのもわかるというべきだろうか、と千雨は内心で首をかしげた。

「どうしたの? わたしはパルと違ってやさしいからいきなり揉んでも怒らないよ」
 内心で首などかしげながらボケッと見つめていると、当たり前だがその視線はさらりとばれた。
 お言葉に甘えて揉んでみる。
 だって普通、ここで遠慮するという選択は選べないはずだ。
 胸が手からこぼれるあたり、当人が言うようにやはりでかい。
 揉みながらうーむとうなった。ハルナも相当なものだが、彼女が少し大きくなったくらいではまだ届かないだろう。

 奥でハルナが寝ていることを考えると、これは閻魔様でなくとも一発天罰を落としてやるべき所業であるが、それにはふれずに、平然と会話が進んでいた。実に退廃的だ。
 言葉通り、本当に平然と対応されてしまった。
 こういう面で、千雨やハルナは永遠に和美に対して勝てそうにない。
 千雨はそのまますこし胸を揉み続けてから手を離した。

「で、どうよ、エッチなこととかしたくなっちゃった?」
「そうだな。まあ変なことも考えたくなるけど、やめようと思えばやめられるレベルだと思う」
「そっかあ、やっぱり前と変わらない?」
「いや、前より安定してる気がするけど……」
「枯れた方向で安定してどうすんのよ。もっとないの? 女子中学生のおっぱい揉んでおいて」
 和美が怒った。

「んっ? そうだな、うん、やっぱりハルナより大きかったかな」
「…………それハルナに言わないようにね」
 こいつこれをマジで言ってるんだよなあ、と和美があきれる。
 そんなだからハルナに泣かれるのだ。

「ああ、わかってるよ。それと、ありがとな」
「そこでお礼を言うのもどうなのよ。襲いかかるくらいの気概を見せろとは言わないけどさあ、前戯どころか完全にカウンセリングのノリじゃない」
「……女子中学生が前戯とか言わないほうがいいと思うが、俺もお前のその反応で安心を得たかったというか、いや、ほんとなんなんだろうな。自分で自分に戸惑ってるところだ。いや、もちろん揉むのは揉むので非常にいいものではあるんだけどさ」
 昔はもうすこしがっつく部分もあった気がするが、時間を重ねるごとにダメさが増している気がする。
 もしかして自分のせいだろうかと若干和美が反省した。

「まっ、だいたいねえ、あの子はなんだかんだ言ってあんたに幻想を持ってるんだから、そういうところを汲んであげないとダメなんだよ」
「幻想?」
「なんというか、ロマンチックな展開というか、ムードというかね。ちょっと、説明させないでよ、こんな恥ずかしいこと!」
 先ほどは動揺の一つも見せなかったくせに、若干照れながら和美が言う。
 同時にフルスイングで背中をぶっ叩かれた。

「まあそれ以外でも、わたしたちは割りきってあげただけで、好き嫌いが消えたわけじゃないんだよ。だからハルナも破裂しちゃったわけじゃん。わかってんの?」
 改めて話をもどして睨まれた。
「わかってるよ。お前らのことは好きだし、このまま適当に現状維持だけってのが問題だってのもな。あの日の約束通りケジメくらいはつけるないと、さすがに俺がクズすぎる。迷惑かけ続けるのはあれだし……それにたぶんだけど、そろそろこんなアホやることもなくなる気がするし」

 自分自身に呆れたように千雨が言った。
 彼はハルナや和美の感情を理解していないわけではないのだ。
 この関係性が続いてからそこそこ長いが、これが永遠に続かないことはさすがに3人共が認識している。
 だからこそ、和美やハルナはネギのおこした騒動で、自分の変化を過剰なまでに重視していたのだ。
 理解している上で縛られているから困っているわけで、解決したくないわけでも、解決を放棄したわけでもない。
 そんな千雨の言葉裏を嗅ぎとったのか、和美が少し表情を改めた。

「へえ、何か“進展”があったの?」
「そうだな。何かが進むのか……きっかけになにか起こるような、そんな感じの予感がする」
「予感、ね」
 言葉だけ聞けば甲斐性なしな誤魔化しだが、嘆きも悲しみもせず、当たり前のように和美は千雨に問い返す。
 そりゃそうだ。
 こいつが“思いつき”を口にしたなら、それがただ外れるってことはない。

「ああ、なんとなくだけど、…………俺の勘は当たるしな」

 予感、直感、第六感とあるけれど、それは自分の制御を外れた感覚器からの伝達である。
 つまり長谷川千雨にとってのそれは、彼の奇跡の延長だ。
 長谷川千雨も朝倉和美も知っている。
 天気予報をはずさないなんてことは、ありきたりでいて有り得ない。
 密室に風を吹かせる技は、すでに日常を外れている。

 だから長谷川千雨の予感とは、彼の祀る神の託宣と等しいもののはずなのだ。


   ◆


 さて、そんな会話を和美と千雨が交わしてからさらに十分ほどして、ようやくハルナが外の喧騒を聞き取って起きてきた。
 和美はようやっと目を覚ましたハルナに平然と挨拶を交わしながら、ゲーム画面に向かっている。
 千雨も挨拶を交わしながらコントローラー片手にぼけっとお茶をすすっていた。

「や、おはよう。パル、遅かったね」
「んー、おはよ。和美も来てたんだ」
 寝ぼけ眼をこすりながらハルナが答える。
「まあねー、わたしもひさしぶりにこいつに会いたくなったからさ。聞いたよ、いきなり襲われかけたんだって?」
「そうそう。セクハラされちゃってね」
 笑いながら言う和美に、ハルナが合わせる。
 千雨としては火の粉が飛んでこないように黙っているしかない。

「千雨もおはよ」
「おはよう。というにはちょっと遅いけどな」
「なにいってんのよ、千雨の所為じゃん」
「悪かったって。反省してるよ」
 軽い返事だが反省しているという言葉は本当だ。
 もういつもの平静を取り戻したのか、ハルナの方も普段通りに千雨と会話を交わしている。

「あーもー、なんかすごいだるいよ。起きたばっかりなのに……」
 軽く身支度を整え、むしゃむしゃと朝ごはんを食べながらハルナが言った。
「寝不足じゃないの?」
「時間は十分寝たはずなんだけどね。そういえば和美。朝ごはんはこっちで食べたの?」
「うん、あれってパルが作ったんでしょ? 美味しかったよ。ごちそうさま」
 ちなみにいうまでもなく本来は千雨の分の朝食である。
「ふーん、じゃあ千雨は?」
「取られちまったからな。トースト」
 ゲーム画面に視線を向けたまま千雨が答えた。

「それだけ? 頭がまわるの?」
「いつもそんなだし、休みなんだから別にいいだろ。授業やテストがあるわけじゃない」
「あんたは平日のほうが食事は適当じゃん。それに千雨はそんなに成績良くないでしょーに」

 朝食を奪った張本人である和美が突っ込む。
 和美に食べられたので、今日の千雨の朝食はトーストに牛乳となったわけだが、別段千雨から不満が出ない。
 作ってもらっている立場を自覚しているためと、二人がいない平日はいつもこんなものだからだ。

 ちなみに頭が回る回らない以前の前提として、この中で成績を比べた場合、朝倉和美がダントツのトップだ。
 この場三人での比較だけでもなく、彼女は学年でみてもかなり成績がいい。女子中等部限定で見れば七百人中上位一桁に食い込むレベル。
 たいして千雨やハルナは半分の少し下をうろうろしているため、勉強方面に話を持っていかれると逃げるしかない。

「まあ授業は聞いてるよ」
 頑張っていないとは言わないが、頑張っているとは言いがたい。そんな圧倒的多数の中学生と同程度の努力しかしていないということだ。
 負けが確定している問答を掘り下げる気はないので、千雨は曖昧に返事をした。
「そういえばそろそろ期末だねえ」
 そんな千雨の横で、お気楽な口調のままハルナが口を開いた。彼女も成績がよいというわけではないが、確固たる長所を持つものの特権として、一般的な好成績を目指そうとは考えていない

「勉強会でもする? 教えてあげよーか」
「勉強会ねえ」
「パルも合わせて勉強しようよ。教えてあげるからさ」
「んー、わたしも特別成績いいほうじゃないけど、テスト前はいつものどかと一緒に夕映を手伝ってあげないといけないんだよねえ」
「夕映? えーっと」
 以前聞いたような聞いてないような曖昧な名前だ。記憶を掘り下げようとした千雨の横から和美が口を挟んだ。

「図書館島探索部の子だよ。同じ部だしパルと仲がいいね。ものしりだけど成績は悪いというか、興味が無いと動けない、やればできるの典型みたいな子かな」
 褒めているのか辛辣なのかがわかりにくい評価をした。
 否定もできないのか苦笑いをしつつ、うーん、とハルナが唸っている。
 ちなみに綾瀬夕映のクラス内の呼称は、他の下位4人と合わせてバカレンジャーであるので、実際のところ外部の千雨相手ということで、和美の評価にはかなりの温情が混じっている。

「でも春休みに補習じゃ笑えないでしょ。遠出ができなくなっちゃうじゃん」
「さすがに俺も補習にいくほど成績悪くないけどな」
「でもまあ良くて困るもんでもないでしょ。なんだかんだと成績は重要だし。ちょっと勉強頑張っておけば、春休みに入っても後々心配なく遊べるしさ! でしょ。ねっ、パルも!」
 まさに勉強ができる人間特有の思考を回して和美が笑った。
「えっ、……あ、あー。まあそうかな」
 ポリポリとハルナが頬を掻きながら頷く。

「いま照れる要素なかっただろ……」
「てっ、照れてなんかいないし!」
 赤くなった顔のままハルナが叫ぶ。
 未だに昨晩のことを若干引津っているのか、いつもの調子が出ないらしい。
 さっきまでそこそこ平静を装っていたくせに、もう化けの皮が剥がれ始めた。
 そんな姿を見ながら和美が笑う。
 微笑ましく友人を眺める悪意のない笑みである。

「うん、それでさ、期末が終わって春休みに入ったら――――」

 朝倉和美は長谷川千雨に惚れながら、同時に早乙女ハルナに感謝している。
 こうして少しばかり不健全なコミュニティを形成していながらも、ハルナや千雨たちと笑い合って軽口をたたきあえる関係が維持されていることを喜んでいたりする。

 何かと苦労することは分かっているが、それでも何とかなると思ってしまうのは、きっと自分自身の心情に信頼を寄せていることと、私もハルナもそしてきっと長谷川千雨の“普通じゃない部分”を一緒になって実感しているからに違いないと、朝倉和美はこっそりと考える。
 普通じゃない、常識にとらわれていない異端の証拠。
 神棚のある千雨の部屋に通っておいて、それを知らないはずがない。
 そう、彼女たち二人は知っているのだ。


「――――いつものように、みんなで千雨の“神様”を探しに出かけよう!」


 自分たちが付き合うと決めた、千雨のそんな目標を。



―――――――――


たかだか4話目で5年ぶりとかもはやあいさつはお久しぶりですよりも初めましてのほうが正しいレベルだと思います。
自己満足なのでこっそりと下げ更新します。





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