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[24653] 【習作】君が為(うたわれるもの二次創作)
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/11/30 23:53
前書き

はじめまして、ハウスミカンと申します。
プロローグの前に前書きとして挨拶させていただきます。
今回、arcadiaにおける投稿者の方々に触発され、筆を取らせていただいた次第です。

本作品はPCゲーム『うたわれるもの』の二次創作であり、オリジナルキャラクターを主眼に置いた再構成となります。
シナリオは、アニメ沿いではありますがオリジナルなものを混ぜて進めさせていただきます。

ただ、原作が完全な解釈をされていないまま終わっていますので、時折設定に独自解釈が行われますがご了承ください。

また、筆者が浅学であるため、お見苦しい文体を晒してしまうことがあるかもしれません。
その場合は、本作をより良い作品とするためご指摘頂ければ全力で改善いたしますので、どうかご協力ください。

最後になりますが、拙作を楽しんでいただければ幸いです。



[24653]
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/11/30 23:50


『我を滅せよ、出来ぬならば封ぜよ』


どこからともなく、おどろおどろしい声が半壊した研究施設に響く。
壁は消え去り、天井が崩落しているために曇天の空がのぞいている。

そんな研究所の一角に幼い少女がいた。

まだ、両の足で立ったばかりであり、言葉を理解し始めたばかりであろうほど幼く、それこそ幼児と呼称するのが正しいような少女だった。
その少女は何をするでもなく、ただ自分の眼前に立つその存在を目を輝かせて見上げていた。


そう、眼前に立つ巨人を。


正確に言えば『それ』は巨人などではない。
いや、巨人程度の存在ではないのだ。

『それ』はまるで竜のような頭を持ち、少女の何百倍もの背を持ち、黒々とした禍々しい気を放つ人の理解をはるかに超えた存在。
人がこの世に息づくその遥か昔の太古から存在する『神』と呼称すべき存在だ。

恐らくは、『それ』がほんの僅かに指を動かすだけで、眼前の少女はその命を散らされることだろう。

その危険度は、『人間』という限界まで本能を理性に変換した存在でも覚れてしまうほど明確である。

だと言うのに、少女はそれを見上げて平然としているばかりか、うっすらと笑みを浮かべていた。
少女の年の頃は1つか2つか。
その程度の年頃ならば『恐怖』を理解できなくとも仕方がないというものがいるかもしれないが、それは否だ。
この年頃の方がよほど『本能的』に生きている。
従って、目の前の存在に『恐怖』しないはずがないのだ。

だと言うのに少女は、目を輝かせるばかりか、どこか楽しげに『それ』に対して話しかけた。
いや、彼女はまだ上手く言葉を操れないのか、舌っ足らずに音を出す、と言った方が適切だ。


「そえ、なぁに?」


何を伝えたいのか、『それ』にさしのばされたその手は何を意味するのか。
そして、少女を見た『それ』はその竜頭に酷薄な笑みを浮かべた。

いや、それは笑みと呼べるものなのか?

顔の大半を占めるその巨大な口、それを不気味に吊り上げた表情で『それ』はその口を開いた。


『…まだ、生き残りがいたか。まあ、良い。
願え。口に出さずとも、我は貴様の意思を汲み取ろう。故に願え、貴様の本能で』


「ねがえ?」


少女は言葉の意味が理解出来なかったのか、不思議そうに小首を傾げて『それ』を見上げる。
だが、いつまでたっても回答が自分の脳から弾き出されなかったのか、首をひねり過ぎてコテンと地面に転がる。
その様子を見ながら、『それ』は嘲笑していた。
何故なら、『それ』は知っていたのだ。どれほど幼くとも、人間と言う種族が、いやこの世に生を受けたあまねく命達が根源的に持っている欲求を。
すなわち、生きていたいと言う本能を。

『それ』は、仮に彼女がそれを願ったとしたら即座に『願いを叶えてやる』つもりであった。

『それ』はチラリと視線を巡らせて、自身の巨体の陰に隠れるかのように潜む存在に意識を向ける。
いつの間にか少女と巨人を取り囲むかのように表れた、無数の赤いゲル状のバケモノ。
それは『それ』の放つ存在感に怯えるように隠れつつも、少女を狙うかのように肉が潰されるような音をたてながら蠢いている。

いったい誰が気が付くであろうか、その赤いゲル状のバケモノの中に少女の父と母であったものが紛れているという事実に。
願ってしまえば、少女もバケモノに早変わりしてしまうと言う事実に。

少女の同族を全てバケモノへと変えたのは、他でもない『それ』でありバケモノの姿は『生きていたい』という願いを『それ』が叶えてやったための姿だ。
従って、少女もその幼く発達していない理性を抑えて、幼いが故に強固な本能が一瞬でも生存を望んでしまえば、『願いを叶えられてしまう』のだ。

幼い子供に望むにしては、明らかに非道であり容赦がない謀略。
張り巡らせた張本人である『それ』は、未知なものの発見に心を躍らせてただ手を伸ばしてくる少女に再び問いかける。


『願え』


それは、絶対的な拘束力を孕んだ言葉。
どのような存在でさえも逆らうことが許されない絶対遵守の命令だ。
幼くとも、本能が発達した少女は、何かを感じ取ったのか手を伸ばすのを止めて、願った。



「―か―――」



『…………なに?』


幼い少女の願い。
『それ』にとっても予測が出来なかった願い。


≪―――――を起動します≫


そして、直後一陣の光が天上から差し込んだ。



[24653] 一話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/11/30 23:52

「これ以上の抵抗は無駄だ。もはや逃げ場はない、大人しく降伏しなさい、賊」


そう言ってケナシコウルペの侍大将であり騎兵衆隊長のベナウィは、自身が追い詰めた黒ずくめの人物に愛馬シシェの上から鉤槍を突きつけた。
その黒ずくめの人物は、なおも退路を探すように視線を周囲の壁にやる。三方を囲む袋小路の壁は、まるで黒ずくめを包み込むかのように聳え立っていた。

――逃げられるわけがない、いかに身軽な賊であろうとも。

そうベナウィは思考し、鉤槍というやりの穂先が鉤状に曲がっている得物を握る手に力を込めた。

『風神(フムカミ)』と呼ばれ、夜の皇都を徘徊し、人々、この場合は民ではなく限られた富裕層の不安を煽り、ただでさえ悪い治安を一層低下させる犯罪者を今日こそ仕留めてみせる。
彼は、そう心に決めながら大泥棒に無表情に告げた。


「皇の命により、貴方を捕縛する」


その言葉は、そこらのゴロツキが聞いたならば、間違いなく裸足で逃げ出すような雰囲気がある。しかし、怪盗は鼻でそれを笑った。


「皇などどこにいる? この国でのさばっているのは、肥えに肥えた豚だけだ」


「……我が国の皇への侮辱。もはや、許しておけませんね」


「では、どうする? 他のゴロツキと同様に私を殺すか?」


「もはや、貴方の言葉など聞く耳持ちません」


ベナウィはそう告げると、風神めがけて鉤槍を打ち込んだ。

顔面、不意を突かれたのか、はたまたベナウィの一撃が速すぎて見切れなかったのか、頭と顔を覆っていた布を断たれた風神は、その顔を夜の闇の元に曝した。
同時に夜のように黒々とした髪の毛を、ベナウィは見逃さない。そして、両手によって即座に隠されてしまったが、確かに一瞬見えたその顔は――


「まさか、女だとは」


そう呆然とつぶやいた瞬間、その一瞬の隙を賊は見逃さなかった。瞬時に繰り出された風神の蹴りが、ベナウィが騎乗したシシィに括りつけられた籠提灯を蹴り飛ばす。
そして彼の視界から黒装束が消えた。


「いったいどこへ!?」


「ここだ」


ベナウィが叫んだ直後、返事はそのすぐ上から聞こえた。月明かりが遮られたことにより彼に影がおちる。彼は、つられるままに上を見上げようとする。
すると、ちょうど夜の帳のように上から髪の毛が下りる。温かいものが自分のほほに触れた時、彼はとっさに振りおろそうとした鉤槍を止めてしまう。

――今、頬に接吻を


「…………!!」


あまりの屈辱に罵声すら言葉にならない。同時に犬が持つモノに似た彼の耳が、怒りのためかピクリと立ちあがる。
だが、彼が反撃を繰り出す前に突然上から新たな人物が飛び乗った衝撃に暴れかけるシシィを踏み台に、盗賊は軽い跳躍で高い壁の上に飛び乗った。


「それでは、良い夜を」


陽気にそう告げると、彼女は皇都の外へと駆け出して行った。
それをただ見送ってしまった自分を、ベナウィイは呪い殺したくなった。

 
これが、皇都を騒がす大泥棒『風神』とベナウィの出会いであった。










ケナシコウルペ。そう呼ばれる國の西部にヤマユラという小さな村があった。
辺境と呼ばれるその場所は常に乾いた大地により苦しい生活を強いられていたが、それでも人々は細々とではあるが逞しく生きていた。
その村の一角。
ヤマユラに存在する他の家々と変わらない家から出てきた少女、エルルゥは自分の背後に付き纏う妹のアルルゥを見て、小さく嘆息する。
彼女たちの耳は、犬に似たモノであり、時折ぴょこぴょこと動いており、さらに臀部には犬の尻尾がついている。
その光景は、彼女たちより離れた所にいる村の人々にも当てはまるもので、誰一人そのことを疑問に思っていないようであった。
そして、家から出てきたエルルゥは、アルルゥを振り返る。


「もう、アルルゥ。ちょっと足りない薬草を取りに行くだけだから、ついてこなくてもいいのに」


「やー、いっしょ行く」


「もう。アルルゥってば」


自分の言うことを聞かない妹にエルルゥは知らず知らずの内に笑みを浮かべていた。
その笑顔は姉と言うよりも、むしろ母親と言った方が適切なほど慈愛に満ちている。
しかたない、と納得しながらエルルゥはアルルゥを連れていくことを決定し、少し説教するかのように言う。


「いい? 今日は蜂蜜を取りに行くのはなしだからね?」


「ん」


こくりと頷く妹を見て、エルルゥは本当は彼女がそのことを理解していない事を察知しながらも、仕方なしに苦笑しながら妹の手を取った。


「分かったわ。じゃあ、早く行っておばあちゃんに怒られないようにしよう」


「……おばちゃん怒ると怖い」


そのアルルゥの言葉に吹き出しながら、エルルゥは歩き始めた。そして、姉妹水入らずの薬草取りが行われようとした直後、村の入口からフラフラとした足取りで黒ずくめの人物がやってくるのが見え、エルルゥとアルルゥは歩みを止めて弾かれたようにその人物に手を振る。


「おーい、クンネ姉さーん! お疲れ様ー!!おかえりなさい」


「クンクンおかえりー」


クンネと呼ばれたその女性は、疲労しきった表情で二人に手を振り返すと、そのままのフラフラとした足取りで二人に近づき肩をすくめた。

黒い外套の上に流れるようにある真っ直ぐな黒髪に、黒い瞳。
彼女はまさに『夜(クンネ)』と呼ばれるような容姿であった。

しかし、彼女の耳はエルルゥやアルルゥのものと違い、毛が一切生えていない。それこそ、地肌がのぞいているようなものであった。

もっとも、その差異はエルルゥやアルルゥはおろか、クンネ自身も全く気にしておらず、村にとってはいつものことであるのだ。

近づいてくるクンネに、アルルゥは迷わず駆け寄るとその胸に飛び込み、しがみつく。

エルルゥは、アルルゥにしがみつかれて、疲労のためかふらつき、慌てるクンネに微笑みを浮かべながら、彼女の傍らに立った。
その様子からも、二人の姉妹と彼女はとても親密な様子がうかがい知ることが出来る。

それもそのはず、クンネとエルルゥ、アルルゥの三人は幼いころから共に過ごしてきたのだから。
最近は、皇都に仕事があるというクンネは度々村の外に出て行ってしまうが、残されたエルルゥアルルゥのために必ずお土産を買ってきてくれる。
今回もお土産があるらしく、その匂いを敏感に嗅ぎ取ったアルルゥに苦笑しつつ、クンネはアルルゥの口に琥珀色の飴を落としてやる。
アルルゥは現金にも大喜びし、彼女に頭をこすりつけた。

子供の感情は素直だ。
飴玉をもらったアルルゥは表情こそ変えないが、その瞳で感情を雄弁に語っていた。

おいしい、嬉しい、楽しい。

その様子に苦笑するエルルゥ。すると、クンネは彼女の頭に手を置いて、一度撫でると優しく頬笑みかけた。


「ただいま戻った。久しいな、エルルゥ。少し見ない間にまた美しくなったな。これなら土産の頸飾りも良く似合うだろう。
それはそうと、今日はトゥスクル様は御在宅かな?」


「もう、やだクンネ姉さんってば! あ、おばあちゃんなら今うちの中ですよ」


そう言いつつ、エルルゥはクンネの差し出した首飾りに目を輝かせる。
その光景にクンネは暖かな視線を向けるも、次の瞬間頸飾りから一度視線を外して再び顔を上げたエルルゥの表情が子を叱る母のようなものに変わっている事に気がつくと、その顔をひきつらせた。

何故なら、彼女にはこの後にエルルゥが何を言うのか理解していたから。
そして、エルルゥは予想していた台詞をそのまま、まるでクンネの心の中を読み取ったかのようにお説教を始める。


「……それより、クンネ姉さんすごい隈ですよ? 女の子なんだから、もう少し体に気をつけた方が……」


「勘弁してくれ。どうせ、トゥスクル様にも言われるんだからさ」


「クンクンは、悪い子」


クンネは艶やかと言っても、寝不足のためかいささか輝きが足りない黒髪を掻きあげながら、エルルゥとアルルゥの言葉に嘆息する。
そのあまりにも情けない様子にエルルゥは怒ることも忘れて思わず笑い出してしまう。
そのことに気がついたクンネは、むすっとなりバツが悪そうに口を開いた。


「むっ、何を笑っているんだエルルゥ。見たところ薬草集めに行くようだが、早く行かないとそろそろ昼時だ。
昼餉を獲りに来た『主(ムティカパ)』とはち合わせてもしらんぞ」


森の主という森を支配する生き物の名前を告げても、こけおどしだと分かっているエルルゥは笑うことをやめずにゆっくりと歩み始め、クンネから逃げるように離れていく。


「はいはい。じゃあ、私たちはもう行きますね」


「あとでね、クンクン」


「……お前たち、絶対私のことをなめているだろう? これでも私は、今皇都を騒がす大泥棒なんだぞ?」


軽く受け流すような彼女たちの言葉に、悔し紛れにそう言ったクンネであったが、エルルゥとアルルゥは少しも信じていない様子で楽しそうに笑いながら二人で駆け出して行ってしまう。
若干悔しげに唇をすぼめたクンネであったが、やがて溜息をつくとエルルゥとアルルゥが出てきた家の中へと入って行く。

その家の中は、標準的な辺境の家となんら変わりがないものであった。ただ、入口に背を向ける形で老婆が薬草を摩り下ろすのに使っている鉢を除いて。
彼女の耳はエルルゥとアルルゥのような犬の耳であったが、年のせいか少し垂れ下っている。クンネは、その小さくも大きな背中に微笑みを浮かべると、穏やかな声で言った。


「ただいま戻りました、トゥスクル様」


「おや、クンネかい? 無事に戻ってきたということは、無事悪事が成功したと見える。
もっとも『風神』なんぞと騒がれているのは、皇都だけで辺境までは伝わっていないが」


「あ、あはははは。さっきのエルルゥとアルルゥとの会話を聞いていたんですね」


自分の自尊心を微妙に傷つけるような嫌味にクンネは苦笑いしながら、履物を脱ぎ薬を摩り下ろす老婆、トゥスクルの正面に座る。
トゥスクルは、クンネが正面に座しても、一切顔を上げず、薬草を摩り下ろす手も止めずにただあきれたように口を開いた。


「少し足が速く身のこなしが軽いからと言って『風神』なんぞと呼ばれて、有頂天になっていたお前さんにはいい薬だろう?
私はこう見えても薬師なんでね。薬を作るのは得意なのさ」


「……厳しいお言葉、痛み入ります」


その身のこなしから、『風神』と呼ばれて皇都をにぎわせている大泥棒。

その正体は、何を隠そうこのクンネであった。

彼女は、このヤマユラから皇都までその身一つでタコトリの関を超えて侵入し、豪商や金持の官吏たちの邸宅に忍び込むと片っぱしから金目のもの盗んでいってしまうのだ。
その金目のものは、すべて換金した後に彼女自身がヤマユラの村に運んでくるのだ。今回のように。


「これが今回の分です」


そう言うとクンネは、懐から無数の金を取り出した。そのこの辺境では長い間に渡って食うのに困らないほどの金を目にしながら、トゥスクルは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「いらんよ。お前に罪を犯させてまで金なんぞ欲しくはない」


「そんなこと言わないでください。私は、みんなに楽をして欲しくて、せっかく集めてきたのですから」


クンネは弱りきってそうは言ったものの、トゥスクルがクンネの金を受け取らないのはいつものことであった。
村長であり、薬師である彼女は誇り高く曲がったことを一切しないのだ。
クンネは、そのことを知りつつも、年々苦しくなっていく生活を改善するべく毎回皇都に盗みに入るのだ。
彼女はなんとかして今度こそ、その溜まった金受け取ってもろうとトゥスクル相手に食い下がる。


「それに、去年も凶作でしたし、流石の森も今年はあまり実りには恵まれないでしょう」


「私らが食べる分は森が与えてくれる。そう教えたはずだよ」


ヤマユラは、耕作に向いていない反面、耕作されていない森が数多くあり、人々はその恵みによって辛うじて飢えを凌いでいる。
クンネは幼いころからそのことを他でもないトゥスクルから教わり、自分自身でも身をもって体験していたが、それでも辛い村のために犯罪に手を染めているのだ。

やがて、クンネは退く気のないトゥスクルの厳しい眼光に圧されて渋々金を懐にしまい直す。


「それじゃあ、また次の飢饉への備えとして床下に貯めておきます」


「……要らんと言っているじゃろう。だいたい、お前がこれまでに貯めてきた金程度では一年も持たんわ」


「そう言わずに。無いよりもあるにこしたことはないのですから」


「そんなはした金を得る泥棒よりも、村でワシの手伝いをしておれば良いものを」


トゥスクルはそう言うと、いつの間にか止めていた薬草を摩り下ろす作業を再開しつつクンネに小さい声で語りかけた。


「まあ、なんにせよよく無事に帰ってきたね、クンネ。おかえり」


「……ただいま、おばあちゃん」


クンネは、照れたように頬を掻きながら昔の呼び方でトゥスクルを呼ぶと、照れ隠しにか勢いよく立ち上がり腰を伸ばす。
トゥスクルもそれを知ってか、低い笑い声を出す。


「さーて、お金を隠してから水浴びでもしてきますか」


「好きにおし。ここはお前さんの家だ」


どこかそっけない、だがそれでいて深い愛情を感じさせる言葉にクンネは隈が浮かんだ瞳から何かが零れ落ちそうになるのを感じる。
それでも、彼女はまるで何事もなかったかのように小さく膝を曲げると、徐に自分が座っていた床板を一枚剥がした。

そして、覗きこむようにした彼女の視線の先には、壺に入れられた山のような硬貨が。
クンネは懐から取り出した大量の貨幣をすでに満杯になりかけている壺に落としていく。
それを横目で見ていたトゥスクルは深くため息をついた。


「愛情いっぱいに育てたつもりだったんだがねぇ。盗みなんて、どこで覚えてきたのやら」


「はは、それはキママゥ辺りじゃないでしょうか?」


「口の減らない子だね! もう二度と泥棒なんて考えないように外に放り出してやろう!」


「ちょっ、それは洒落になってませんってトゥスクル様! だいたい、それは盗みを初めてしてきた私にやったじゃないですか!」


「そうだねぇ。あの時に盗みを止めさせてやれなかったのは私の人生ただ一度の後悔だ」


「……それでも、私は」


クンネの言葉にトゥスクルが反応したその時、唐突にうなり声のような地響きと共に大地が揺れ始めた。


「な、なんだ!?」


「――クンネ!」


驚き、慌てるクンネを小さく叱咤してから、トゥスクルは身を低くして大地が鎮まるのを待つ。
しかし、荒れ狂う土神(テヌカミ)の咆哮は止まることを知らず、大地にいるすべての物を振り落とさんとばかりに激しく振動する。


「――これは、いったい……」


揺れる視界の中、クンネはトゥスクルに習って身を低くする。

それでも、大地は揺れるままであった。





あとがき

以上が一話の内容となります。
至らない身ではありますが、努力していきたいと思いますのでこれからよろしくお願いいたします。



[24653] 二話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/12/02 23:17

まるで土神の咆哮のような音が止むと同時に、先ほどまで立っていられなかったほどの地震も次第に治まっていく。


「なんだったんだ?」


クンネはゆっくりと辺りを見回しながら、取りあえず傍らで伏せていたトゥスクルを助け起こす。


「大丈夫ですか?」


「ああ、問題ない。それよりクンネ、村の皆を広場に集めなさい」


トゥスクルは先ほどまでクンネと相対していた時のような、祖母としての顔を脱ぎ棄てると、長老としての顔でそうクンネに命令した。
何を隠そうこのトゥスクルは、ヤマユラの村長でもあるのだ。


「了解」


クンネは取りあえずその言葉に承知を返すと、開けっぱなしになっていた床板を嵌め直し、急いで家の外へと飛び出した。
すると、すでに何人かがクンネと同じように家の外へと飛び出し、辺りの様子を見直している。
クンネは取りあえずその外にいる男女の二人組へと声をかけた。


「おーい! テオロさんにソポクさん!」


「おお、クンネ! おめぇ、こっちに帰ってきてたんだな!」


「良かった、クンネ! 無事だったんだね!」


クンネが呼びかけると二人組の男の方、髭を蓄えておりながらもどこか憎めないあどけない表情をしている、が豪快に笑いながら手を振り返してきた。
もう一方の女性の方は、クンネに駆けよりその豊満な体で彼女を抱きしめる。
クンネは女性の方用もおざなりに、素早く二人に近寄ると、二人の体を取りあえずは上から下まで怪我がないか確認した。


「怪我はないみたいだね、良かった。それより、トゥスクル様が皆を広場に集めろって言っているから、呼びかけるのを手伝ってほしいんだ」


「あいよ、任せな!」


髭面の男、テオロはそう声を張り上げると、一直線に村の中心部へと走り出した。
一方、女性であるソポクは自身の夫であるテオロを見送ると、改めてクンネを抱きしめる。


「良かったよ、家なんて宿六が適当な家を建てたもんだから、さっきの地震で崩れちまってね。あんたんとこも古いから大丈夫かと心配していたんだ」


「ええ、それについては問題はありませんよ。…と、言いますか家が倒壊してよく生きていましたね」


「辺境の女の勘ってやつさ」


「は、はは。それはそうと、皆を集めなきゃいけないので」


「ああ、そうだったね。あたしも手伝うよ」


クンネとソポクはそう言うと、少しずつ外に出てきた村人に声をかけていく。
どうやら、昼の休息時であったらしく村人たちは畑から帰って来たばかりだったのが幸いして、ほぼ村人全員が村内にいたようだ。
クンネは、その全員に声をかけ終わった後で、既に広場にいたトゥスクルや村の住人に声をかけた。


「トゥスクル様」


「おお、クンネ。御苦労だったな」


「いえ、それよりお聞きしたいことがあるのですが」

彼女は辺りをきょろきょろと見渡しながら、見なれた村人たちを確認していく。
そして、その中に見慣れた彼女たちの姿が見えないことに気がついていた。


「エルルゥとアルルゥは、まだ戻っていませんか?」


「そう言えば、さっき『主』様の森に入っていくのを見たダニ!」


村人の一人がそう言い返したと同時に、クンネは二人が先ほど薬草を取りに行ったまま戻っていないことを悟った。
クンネにとって二人は幼いころから共にいた家族だ。
だから、その二人の安否が分かっていないとあっては当然黙っていられるはずがない。


「くっ!」


「え、あ、どこに行くダニ!?」


「決まっている! 二人を探してくるんだ!!」


「お待ち!」


「待っていられません!!」


トゥスクルや村の住人が制止するのも聞かずに、クンネは駆け出そうとする。
彼女の脚ならば森の王の森までほんのわずかな時間で辿り着ける。
もしかしたら、怪我をしているかもしれない二人を探し出して運んでくるのには、彼女ほど適任はいない筈だ。
そう判断し、クンネは駆けだそうとするが、それは突然背後に現れたテオロに手を掴まれたことによって防がれてしまう。


「待ちな、クンネ!」


「離してくださいテオロさん!」


クンネはなんとかその手を振りほどこうとするも、村一番の力自慢のテオロの手は振りほどけなかった。
テオロはクンネに少し呆れたような視線を送り、口を開いた。


「だから、待ちなっての。村長は何もお前さんに『行くな』とは言ってないだろ?」


「そう言う事じゃな」


テオロの言葉にクンネがハッとしたとき、横合いからトゥスクルが顔を出す。
そして、おもむろに杖を振り上げるとそのままクンネの頭へと落とした。


「きゃん!?」


「まったく、お前が慌ててどうする。良いかい、すでに日は傾き始めている。日暮れはすぐそこだろう。『夜』なると、森は『奥』でなくとも『主』様の領域となる。解っているね?」


トゥスクルのその言葉にクンネは真剣な表情で頷いた。
彼女とてこのヤマユラで生まれ育ったのだ。
夜の森がどれほど危険な場所であるかは知っている。

トゥスクルはそんな神妙なクンネの様子を見て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「良いかい、日が沈みかけたら戻ってきな。それが、エルルゥたちが見つからずとも、だぇ」


「……それは」


トゥスクルは言外に日暮れまでに見つからなければ『諦めろ』と言っているのだ。
彼女は自分の孫である彼女たちを見捨てろ、と言っているのだ!

クンネは目を見開いてトゥスクルに詰め寄る。


「嫌です! 見つかるまで、探します!」


「なら、お前は行かせられん。テオロ、適当に男を集めて森に探しに行きな」


トゥスクルはあっさりとそう言うと、クンネを押さえていたテオロに目配せをする。
テオロは横にいたソポクにクンネを預けると、何事かと集まっていた村の男衆に向かう。

これに焦ったのはクンネだ。
ソポクの胸から逃れようともがきつつ、背を向けてしまったトゥスクルに声を張り上げる。


「おばあちゃん!!」


「いい加減におし!!」


それに応えたのは、いつも温厚なトゥスクルの怒鳴り声であった。
ビクリと体を震わせるクンネ。
トゥスクルは彼女に振りかえりざまにその手にした杖を突きつけた。


「悪いが、今はお前さんの我儘に付き合っている暇はない」


クンネとトゥスクルの眼が合う。
クンネは彼女の瞳に様々な感情が浮かんでいるのを見つけた。

そうだ、何もエルルゥたちが心配なのは自分だけではないのだ。
トゥスクルも可愛い孫たちの心配をしているし、出来るなら見つかるまで探したいのだ。

だが、いつ地震が再び起きるか分からないうえ、夜になると危険な森に長時間いられるはずがないのだ。
それに、トゥスクルは村長だ。皆を束ねる立場として、被害を拡大させるわけにはいかない。

クンネはそれを理解すると、悔しげに唇を噛みながらトゥスクルに懇願した。


「夕暮れまでで、かまいません。私も、連れて行ってください」


「…………」


トゥスクルは無言でクンネを見つめる。
すると、それまでただクンネを押さえていたソポクが口を開いた。


「村長、クンネも分かったみたいですし、家の宿六にまかせれば良いでしょ?」


「おう、そうだぜ!」


続いてテオロがエルルゥたちを探しに行く男たちを集めてきて、大声でそう言った。


「俺たちがついてるんだから、大丈夫だって!!」


「…逆に不安ダニ」


「ああん!? なんか言ったか!?」


男たちの一人に突っ込まれてギロリと彼らを睨んだテオロを見て、トゥスクルはため息を吐きながら杖をおろした。


「お行き。さっさとしないと日が暮れる」


その言葉にクンネは目を輝かせて、頷いた。



「はい!!!!」



その言葉と共にクンネはソポクの腕を離れて駆けだして行く。
それを見たテオロ達は置いて行かれまいと駆け出した。


「やれやれ、誰に似たのやら」


「あら、それは村長でしょう」


トゥスクルがクンネの後ろ姿を見送りながら呟いた言葉に、ソポクは笑いながら返した。
トゥスクルはバツが悪そうな顔をしながら、そっぽを向くとソポクはさらに笑い声を大きくする。


「あはは、そう言うところもそっくりです」


ソポクはそう言うと、トゥスウルの傍らを通り過ぎて村の者たちの方へ行ってしまう。
それを見送りながら、彼女はぽつりと呟いた。
誰にも聞こえないような声の大きさで。



「あの子がワシに似ているはずが、なかろうて。のう、ハクオロ様」













「いた!!」


薄暗い森の中、駆けだしたクンネは意外にもあっさりとエルルゥたちを見つけた。
何故なら、エルルゥたちはもうすでに森の奥から入り口へとその姿を現していたのだから。

クンネは彼女たちを見つけると、すでに男たちをかなりの距離引き離す速度で駆けていたにも関わらず、その速度を上げて彼女達に接近した。


「おおーい!! エルルゥ―! アルルゥー!」


その声に気がついたのか、アルルゥがこちらに手を振っていた。


「クンクンー!!」


クンネは次第に近づいて行く彼女たちの姿にホッとしたのもつかの間、すぐさまエルルゥが何かを抱えているのに気がついた。
他のものよりも優れている彼女の眼は、すぐさまそれが何なのか気がついた。


人だ。


それも、血まみれで力なくエルルゥの背中におぶさっている。
いや、血まみれなのは何もその男だけではない。
エルルゥとアルルゥも男の血に触れてしまったのか、血まみれだ。
特に、男を直接背負っているエルルゥが酷い。

クンネは二人の前でその足を緩めると、口を開いた。


「無事だったか、エルルゥ、アルルゥ! その背中の男は……」


「ねえ、さん」


もしやずっと森の中から男を背負ってきたのか、エルルゥは息も絶え絶えであった。
クンネはそんなエルルゥの背中の男へと手を伸ばす。


「とりあえず、私が背負おう。そして、テオロさんたちが後から来るから、お前は…」


そこまで言った時、クンネは差しのばした手をガシリとエルルゥに掴まれた。
それも、今まで彼女が見せたことのないような凄まじい力で。


「!?」


「……助けなきゃ」


「お、おいエルルゥ! いた――」


「絶対に、助けなきゃいけないの! 姉さん、お願い! この人を助けて!!」


エルルゥは意識していないのか、どんどんと力を込めてクンネにの手に縋りつく。
クンネは次第にうっ血してくる自身の手の痛みに耐えながら、頷いた。


「分かった。助けるから、その手を放してくれエルルゥ」


「え? あ、ごめん、姉さん!!」


エルルゥはそこでようやく自分がクンネの手を握りしめてうっ血させていることに気がついたのか、慌てて手を離して謝る。
クンネは苦笑しながら、ひと先ずエルルゥの背中で力なく伸びる男を抱き上げた。

その瞬間、彼女は驚きと共に男を見つめた。

黒い、黒曜石のような髪。
その顔を覆うのはその人相を覆い隠すかのような白い、どこか鋭角な仮面。
そして、クンネと同じ何の毛も生えていない裸のままの耳。

彼女は思う、この男と『自分』は同じなのだと。



「クンネ姉さん?」


「あ、ああ、ごめん。すぐに運ぶよ」


エルルゥに不思議そうに声をかけられ、クンネは慌てて止まりかけていた思考を再び動かす。
その時、「おーい!」と言う声と共に村の方からようやく男たちが追い付いてきたのが見えた。


「…運ぶのはテオロさんたちにも手伝ってもらおう、行くよエルルゥ、アルルゥ」


「あ、待って姉さん!」


「ん」


クンネは取りあえずエルルゥから男を預かると背負って駆け出す。
エルルゥとアルルゥもそれに置いて行かれまいと駈け出した。














「おばあちゃん!!」


「エルルゥ、アルルゥ! 無事だったのかぇ!?」


夕暮れ、ヤマユラの村に辿り着いたクンネたちはまず男をトゥスクルに見せることから始めた。
トゥスクルはエルルゥとアルルゥの姿を見つけると、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせるが、すぐにテオロ達が背負った男を見てその表情を引き締めた。
エルルゥはそんな祖母に縋りつくと、クンネの時と同じように声を張り上げる。


「そんな事よりも、あの人を助けて! あの人は絶対に助けなきゃいけないの!!」


トゥスクルは孫の懇願に力強く頷くと、声を張り上げて指示を出し始める。


「クンネ、トゥレプの茎がまだあったはずだ! 敷物を引いた後、出してきておくれ!」


「はい!」


「アルルゥは湯を沸かすんだ!! 必要になるかもしれんからのぉ!」


「ん!」


「エルルゥは薬づくりの道具を二人分出してきておくれ! 薬を作るんだ。お前さんにも手伝ってもらうよ!」


「は、はい!」


「テオロ達は村中から清潔な布を集めてくるんだ!」


「がってんだ!!」


トゥスクルの言葉の通りに動きだす全員。
敷物が引かれ、その上に傷だらけの男が横たえられる。

その様子を見ながら、見覚えのある仮面にトゥスクルはため息をはくように呟いた。


「お帰りなさいませ、我らが父よ」






[24653] 三話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/12/05 21:41

気がつくと、辺りはとっくに日が暮れていた。
それでも男は目を覚ますことなく、トゥスクルとエルルゥは薬を作り続け、男の看病をしていた。
その間、意識が戻りかけたのか男がエルルゥの手を握りしめて「熱い熱い」とうなされいたりしたが、クンネはあまり関わることはしなかった。
と言うのも、クンネは薬の知識を持たないうえ、看病も得意ではない。
彼女に出来ることと言えば、姉や祖母を心配して必死で起きていようとするアルルゥを眠らせたり、うなされて起きる彼女を抱きしめてやることだけであった。

そして、しばらくするとようやく眠りについたアルルゥと入れ替わるようにトゥスクルが男を寝かせている部屋から出てきた。


「トゥスクル様…」


「峠は越えたよ」


その一言を聞き、クンネは安堵の息を吐くとともにエルルゥが出てこないことに気がついた。


「エルルゥは…」


「まだあの男についとるよ。今は痛みどめのツェツェ草を煎じておる」


「そうですか、何にせよ良かった。あの時のエルルゥの剣幕は凄まじいものがあったから」


クンネはそう言って苦笑する。
トゥスクルはしばらくそんなクンネを見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「気になるのかい? あの男のことが…」


「…否定はしません。もしかしたら、あの男は私が生まれて初めて出会った同族なのかもしれませんから」


そう、それこそがクンネが男を見た瞬間から思っていたことだ。
自分と似た容姿。
自意識が芽生え始めてからずっと探し続けた存在。

『同族』。

幼い頃、記憶がまだないような頃に『王』の森でトゥスクルに拾われた時から、クンネはずっと思っていた。
何故自分よ同じような耳を持った存在がいないのか、と。

そのせいでよく泣いてトゥスクルを困らせた記憶がある。
大きくなり、首都に行ってもそれは変わらず、彼女はいつも弾かれた存在であった。
子は母と同じ一族の特徴を得ると言うから、父親の種族は違うかもしれない。それでも同族には違いはないのだ。


「あの男が目覚めたら、聞いてみます。どこから来たのか、そして我々は何と言う種族なのか」


「…そうかぇ」


トゥスクルはそう言うと、囲炉裏にかけていた鍋から少しだけモロロ粥を取ると、一口、口に含む。


「のう、クンネ」


「はい」


「お前には、同族はおらんかもしれんが、『家族』はいる」


その言葉に、クンネは弾かれたかのようにトゥスクルを見る。
するとトゥスクルはニコリと優しい笑顔を浮かべた。
それは、クンネの一番初めの記憶より少しだけ老けた笑顔。

トゥスクルはその笑顔のままモロロ粥をもう一口食べると、呆れたように呟いた。


「やれやれ、お前は相変わらず料理が下手だねぇ。この粥、ちゃんと煮えてないじゃないか」


「ごめんなさい、おばあちゃん」


クンネはそう言って素直に謝った。
この素晴らしい人が自分の家族であることを誇りに思いながら。















結論から言えば、三日後に目覚めたその男からは何の情報も得られなかった。
と言うのも、実は目覚めたその男は記憶を失っていたのだから。
その事実を知った時、クンネは失望しながらもどこかホッとしている自分に気がついた。

もちろん、すぐさま自分で否定したもののそのことは彼女の苛立ちと確実に連動していた。

そして、四日目の朝、立ち上がり歩きまわるまでに回復したようで、エルルゥの肩を借りつつも部屋から出歩いていた。

その時、ちょうど自分自身の趣味と、武器を扱うための修行を兼ねて綾取りを行っていたクンネは、男が部屋から出てくるのを見て、僅かに目を見張った。
すると、彼女の傍らで作り置きの薬を作っていたトゥスクルが、意外そうに眼を見張る。


「ほぅ………。もう、ええのか。担ぎ込まれた時は助からんと思うたが、結構しぶといの」


「おばあちゃんったら」


そのいきなりの痛烈な言葉にクンネが苦笑すると、同じく苦笑したエルルゥがたしなめた。
同時に何やら助かったと言う風な顔をしているため、話したくない話題でも話していたのかもしれない。
そう思いながら、クンネはトゥスクルの言葉に顔をひきつらせている仮面の男に視線をやる。

その妖しい仮面は、どうやら外れないらしく、エルルゥが昨日騒いでいたのを彼女は覚えていた。
もっとも、彼女としてはその仮面をどこかで見たことがある気がするのので、さらにモヤモヤとした気持ちになっていた。
一方、トゥスクルはジロジロと男の容体を視線で見た後に、何の気負いもなく口を開く。


「んで、何か思い出したかぇ?」


「…………」


男からの返答は、無言。
それは、男が何の記憶も思い出せていないと言う事を如実に示していた。

男を中心として、少しづつ暗い空気が漂い始める。
その空気を至極あっさりと変えたのは、他ならぬ空気を悪くしたトゥスクルであった。


「そうかぇ。では、名前を決めねばならんの」


その言葉に男はゆっくりとトゥスクルと視線を合わせた。


「名前?」


「ワシにもトゥスクルと言う名前がある。お主にも無いと色々と不便じゃからの」


トゥスクルはそう言って何やら考え込み始める。
それにつられて黙ってしまうエルルゥと男。
クンネはその空気につられるように、いつの間にか口を開いていた。


「『オイライヌ』と言うのはどうかな?」


「『オイライヌ(忘れた人間)』って、クンネ姉さんそれはいくらなんでも…」


クンネの言葉にまっさきに反応したのは、男性の傍らで彼を支えるエルルゥであった。
オイライヌとは、『忘れた人間』と言う意味。
それを記憶喪失の男性につけると言うのは、なんとも皮肉が過ぎて気が引けるものであった。


「君は――――」


「あ、そう言えば会うのは初めてですね。この人は私の姉に当たる人で、クンネって言います。
普段は都で働いていて、時々スゴイお土産を持って来てくれたりするんですよ」


その時、ようやく男は無言でクンネを見て驚愕の表情となる。
それを見てとったエルルゥが慌てたように男に言うが、クンネはただ男に目礼を返すだけにとどまった。
今の彼女は機嫌が悪い。
そして、彼女は何故だか男には当たらずにいられなかったのだ。

思えば、これがクンネと男の初の邂逅であった。

そのため、クンネは男と自分が同じ種族であると知っていたが、男はそれを知らなかったのだ。
それに、男は記憶喪失であるため、何か思うところがあったのだろう。
もっとも、クンネがそこまで思いをはせた時、今まで考え込んでいたトゥスクルが顔を上げた。


「そうさの…………ハクオロ」


「えっ?」


「記憶が戻るまでの間、お前さんはハクオロと名乗るとええ」


「ハクオロ……ですか?」


トゥスクルが口にしたその名前は、男にしてみれば単なる単語以上の意味を持たない。
だが、それはクンネやエルルゥ、そして提案したトゥスクル自身にとってとても特別な名前であった。
男はもう一度口の中でその言葉を繰り返すと、本当の自分を思い出すまでの仮の名前として覚えてしまったようだ。
エルルゥもまさか祖母がその名前を選択したことに驚きつつも、祖母の決定に従う。

しかし、


「待ってください!」


クンネは違った。
彼女は遂に綾取りを放棄すると、立ち上がり何やら木の櫃を漁り始めたトゥスクルに怒鳴り声を上げる。


「何故、その名前なんですか! それは、その名前は!!」


「おだまり、クンネ。これは決定だぇ」


「あの、自分はその名前でなくとも…」


クンネの反応に、何かあるのだと判断したハクオロはトゥスクルにそう進言するも、老婆は首を振った。
その瞳にはゆるぎない何かが宿っている。


「かまわんよ、お主の名はハクオロじゃ。それと、ホレ。この着物を着るとええ」


トゥスクルはそう言うと櫃から取り出した着物をハクオロに手渡す。
そして、その着物を見たクンネはとうとう我慢しきれなくなり、トゥスクルへと詰め寄った。


「いい加減にしろよ! さっきからなんなんだ、こいつにハクオロと名付けるわ、ハクオロさんの服を与えるは!!
だいたい、見ず知らずのこいつに――」


「クンネ!」


クンネがそこまで言おうとした時、トゥスクルはおもむろに大声を上げた。
そのあまりの気迫にクンネは思わず後ずさり、その身を小さく縮める。
これは、小さいころからトゥスクルに叱られ続けたクンネの所謂条件反射であった。
トゥスクルは彼女がひるんだその隙にハクオロとエルルゥに着替えてくるように告げる。
二人は少し戸惑いつつもそれに従い、部屋に戻り、トゥスクルとクンネだけが残された。


「クンネや」


トゥスクルが呼びかけると、クンネの体がビクリと震えた。
その瞳には彼女らしからぬ涙が溜まっている。


「逝ってしまった者はもうどこにもいない。生きている者が出来るのは、ただ生きること。
その名も、私物も、いつかは誰かに引き継がれていくのさ」


「でも、あいつじゃなくても……」


「クンネ、さっきから何を駄々こねておる。まるでアルルゥの様じゃぞ?」


「おばあちゃんは、おばあちゃんは何も思わないの!? あの服と名前を使われることを!」


クンネの言葉に、トゥスクルはどこか遠いところを見るようにして口を開いた。


「まあ、それが運(さだめ)なんだろうからねぇ」


「っ、私は! 私は認めないからな!」


クンネはそのトゥスクルの何か悟ったような表情に、悔しそうに顔を歪めると、そのまま走って外へと出ていってしまう。
そのしばらくの後、着物を着た男が部屋から出てきた。
その衣は白と紺を基調としたもので、男、ハクオロにとても似合っていた。
それこそ、初めから彼が着るべきものであったかのように。

エルルゥは彼を見ながら、遠い昔に思いを馳せる。

その着物を着ていた人物が、まだ彼女の隣にいたころの事を。

それはトゥスクルも同じなのか、彼女はしげしげとハクオロをみた後に、懐かしげに言った。


「息子の古着じゃが、背格好が似取ったから丈は合うと思うが…。
うむ、丁度ええようじゃの」


「……ありがとうございます」


ハクオロはそう言うと、律義にトゥスクルに頭を下げ、次いでまだ懐かしげに彼を見るエルルゥに声をかける。


「エルルゥ、どうかしたか?」


「…いえ」


「もしかして、似合わないのか?」


「あ、いえ。似合っています、とっても」


エルルゥはそう言って含ませるようにしてもう一度ハクオロを見ると、どこか嬉しそうに顔を綻ばせた。
そして、どこか和んだ空気が三人の間で流れたその時、


「おとー…さん?」


小さな声が聞こえた。
今までクンネが出て行ったおかげで三人に減ったと思っていたその部屋に、突如として聞こえた新たな声。
三人は思わずその声がした方に視線を向ける。
すると、そこには柱をはさんでこちらを睨みつけるかのように見ている一人の少女がいた。
それは誰あろう、アルルゥでエルルゥは首をかしげた。

「アルルゥ、どうしたの?」


「アルルゥ……?」


「あっ、ハクオロさんは、アルルゥと顔を合わせるのは初めてでしたよね。妹のアルルゥです」


ハクオロの不思議そうな声にエルルゥはそう言いながらアルルゥに向かって手招きをする。
だが、アルルゥはそんなエルルゥの行動に反して更に柱の奥へと入っていってしまった。
さっきまで顔が全部出ていたなら、今は片目だけが三人の見える位置。
そして一言だけ口にする。それは、声が小さすぎたためハクオロの耳にはかすれてしか聞こえなかった。


「ちがう……さんじゃない…」


そして、アルルゥはそのままクンネの後を追いかけるように外へと出て行ってしまう。
ハクオロはそれを見送りながら、小さく嘆息して肩を落とす。

どうやら、彼はあまりここに受け入れられている訳ではないようだ。


「…すまない。自分は、あまり人に好かれない質らしい」


エルルゥはそんなハクオロにゆっくりと言葉をかける。


「あの子……あなたがお父さんの服を着てたから、きっと驚いたんです」


「この服を? そう言えば、姿を見かけないな」


「お父さんは、亡くなりました。お母さんもアルルゥを産んですぐに…」


「……そうだったのか、すまない」


これまでずっと自身の過去が判らない事に暗い空気の中心にいたつもりでいたが、ハクオロは大なり小なり触れてはいけない他人の聖域がある事を悟る。
もしかしなくとも、クンネは先ほど自分が着物を着るときに反発したのは、クンネの聖域に触れてしまったからだろう。
おそらくは、その名前も。
どこか、申し訳なくなりハクオロは慌てて言葉を紡ぐ。


「しかし、そうするとこんな大事な着物を借りるわけには…」


「いいんです。もうずっと前、それこそ私たちが幼い頃のことですし。ただ、いきなりだったから、ちょっと驚いちゃって」


「驚いた?」


エルルゥの肩が僅かだが落ちて、あまり大丈夫そうには見えないが。
あえて気丈な態度で話を続けるの彼女に、ハクオロは彼女のしたいようにさせるために会話を続ける。
エルルゥは、どこか懐かしそうにハクオロを見ながら呟いた。


「お父さんの服を着た時に気付いたんですけど、後ろ姿がお父さんにそっくりなんです。たぶん、それでおばあちゃんも…」


「トゥスクルさんも?」


男はそう言いながらトゥスクルの方を向くと、肯定をしているつもりなのか、頷く姿がそこにあった。
そして、エルルゥの言葉は続く。どこか、暗い響きを持たせながら。


「ハクオロって、お父さんの名前なんです」


「そうだったのか……」


ハクオロはそこでようやくトゥスクルが自分を『ハクオロ』と名づけた時にクンネが怒り、エルルゥの様子がおかしくなった理由を悟った。
彼は、彼自身にその意思がなくとも、故人のものを奪うような形になってしまったのだ。
それを遺族が面白くないと感じるのは当たり前だ。
さらに、先ほどのアルルゥの『お父さん』という発言。
これに込められた意味にハクオロは黙り込む。

恐らくは、この着物も『ハクオロ』というその名前も、本来なら見ず知らずの彼が使ってよいモノではないのだ。

彼は次第にすまなさに申し訳が立たなくなってくる。
そんな彼の暗澹たる気持ち。
しかし、その気持ちは続かない。何故なら、他ならぬエルルゥがそれを遮るように口を開いたから。


「なんだか、しんみりしちゃいましたね。すみません、『ハクオロ』さん」


エルルゥが、他ならぬその名前に大事な意味があった遺族が、その名で彼を呼ぶ。
彼はハッとなり、思わずエルルゥを見やるが、彼女は遠く甘い記憶を喚起させるかのような優しい笑顔を浮かべている。

その笑みは、確かに目の前のハクオロと言う存在を認めてくれていた。

見ず知らずの他人に父の名前を使われることは、彼女も嫌であるはずなのに、あえて自分をその名前で呼んでくれる。
新しい自己を許容してくれる。

例え、本当の自分を知らない儚い自己であっても、それが認められると言う事が彼には嬉しく感じられた。

だから、ハクオロはエルルゥのその思いにこたえるべく口を開いた。


「……それでは、外に行ってみるか」



あとがき

ようやく主人公のチート皇の登場ですw



[24653] 四話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/12/07 23:27

「私だって、本当は分かっているんだ」


呟きながら、クンネは足もとの石を蹴り飛ばした。
彼女は、彼が『ハクオロ』の名を使うことや『ハクオロ』の着物を使うことは本当は仕方がないと言うことに気が付いていた。
もちろん、名前は適当に付ければ良かったし、服は村の他の男たちから借りればよかったかもしれない。

ただ、その何れもが出来ない状況ではあったのだ。

村人はついこの前にあった土神の咆哮により、怪我を負った者や家の中が散乱してしまった者、果てはテオロのように言え自体が潰れてしまった者すらいるのだ。
そんな彼らは家を治すことや、ほとんど何もとれない不毛の畑を耕すことに忙しい。
さらには、この辺境の地には金がない。
そもそも貨幣を使った交流と言うものがなく、ほとんどが物々交換によって世界が成り立っている。
その中で、服を作るための布などあるわけがなく、また村人も常に着る数着しか服を持っていない。
そのため、服を誰かに与える余裕はないのだ。

だから、『ハクオロ』の服と名前をあの男に与えたのは自然なことなのだ。

そう思っても、クンネは納得のいっていない自分に気が付いていた。


クンネはエルルゥたちとは何の血縁もない存在だ。
耳は裸で、尻尾も生えていない。
そんな、はたから見ればバケモノに見えなくもない彼女をどこかから拾って、育ててくれたのがエルルゥ達の父親であるハクオロと彼の妻、そしてトゥスクルであった。
クンネにとって彼らの全てが特別であった。
言ってしまえば、恐らくは自分を捨てたのであろう本当の親よりも身近にあってくれた大切な人だ。
彼らが絶対であり、世界の全てだった彼女としては早くに死んでしまった彼らの代わりがエルルゥとアルルゥであり、また死んだ彼らも未だに彼女の心に残り続けている。
その時に、その大切な人の名前を何も知らない見ず知らずの男に使われるのは気分が良いものではない。
ましてや、それが自分と同じ気持であると思っていたトゥスクルによるものなのだから、それは裏切られたような気分になってしまったのだ。
だから、彼女は彼が『ハクオロ』と名乗ることに余計に抵抗が増したのだろう。
また、同族と思しき彼が記憶喪失となってしまったことも大きい。
勝手な話だが、彼に期待していた気分が裏切られた形になったのだ。

眠っていただけの彼は何もしていない。
それでも、クンネにしてみれば彼はまるで自分を嘲笑うかのように、自分の大切なものを奪っていってしまう。

だからだろう。

クンネは彼を見るたびに、彼の顔を覆う仮面を見るたびに心の底から嫌悪感が湧き上がってくるのだ。


「……あいつは、一体何なんだ」


歯ぎしりとともに呟きながら、手にしていた石を投げた。
クンネの手を離れた石は吸い込まれるようにして彼女が座っていた大地から幾分も離れていない水面へと消えていく。
いつしか辺りの日も暮れ始めている。

彼女がいるのは、以前男が見つかったとされる森の中だ。
ここには主(ムティカパ)と呼ばれる森の主がいる。それは主な活動時間は夜であると思われるものの、夕方からでも十分に危険であることに変わりはない。
とりあえずクンネは大人しく帰ることにした。
それなりに深い場所まで来てしまったが、彼女からすればすぐに村へと戻れる距離だ。

彼女は生まれながらにして人間離れした脚力をその身に秘めていた。
駆ければ馬(ウォプタル)と並走するほどの速度を出せ、跳ねれば鳥に手が届くのではと思うほど空高く跳ねられる。
また、彼女自身がやろうと思えば垂直にそびえ立つ崖を駆けのぼることすら可能だ。
確実に、人間を蹴り殺そうと思えばそれも出来る筈だ。

とは言え、あまり遅くなるとエルルゥの作ってくれるだろう食事にありつけない可能性もある。
少し急ぐかなと思いながら、彼女は無言で立ち上がるともう一度水面を見つめた。

透き通っているためにまさしく鏡のような役割を果たすそれには、胸辺りまでの長い黒髪をもつ女がいた。
その顔には同色の黒い瞳があるものの、その下にも同色に近づいている隈がある。
どちらかと言うと、暗い印象を持つような女であった。

それは、ほかならぬクンネの顔である。
しかし、彼女は何が気に入らないのか顔を歪めると水面から顔を逸らしてその場から立ち去ろうとし、


「!?」


その場で硬直した。
何故なら、そこにはボケっとした表情でこちらを見ているアルルゥがいたからだ。
アルルゥは、片手に蜂の巣を持っていることから、どうやらこのそばまで蜂の巣を取りに来ていたようだ。

クンネは彼女の気配を察知できなかったことに焦りながらも、驚いた瞬間に暴れ始めた鼓動に手を当ててホッと息を吐いた。


「なんだ、アルルゥか。驚かさないでくれ」


「……クンクン」


アルルゥは手にしていた蜂蜜を少しちぎると、そっとクンネへと差し出す。
それを見て、少しだけ驚いた顔をしたクンネは、驚きを頬笑みに帰るとそれを受け取った。


「こんな時間に蜂蜜を食べて、エルルゥのご飯が食べられなくても知らないぞ?」


「平気」


アルルゥは短くそう言うと、もそもそとクンネと立ったまましばらく蜂蜜を食べる。
クンネは一口かじり、芳醇な甘さと蜂の子独特の旨味に思わず頬を緩ませつつ、こっそりとアルルゥを盗み見る。

アルルゥは物静かな少女であり、姉であるエルルゥとは対照的な子供だ。
蜂蜜が大の好物である彼女は、こうしてクンネにも時々その成果を手渡してくれる。
とは言え、それでも蜂の巣を取るには蜂をどうにかしなければいけない。
それは、大の大人でも難しいことで当然ながらアルルゥにも難しいことだ。

その証拠に、彼女は刺されたのか蜂蜜を持っていないほうの手が桃色に腫れているのが見えた。
クンネは蜂蜜を食べるのを中止すると、アルルゥにそっと手を差し出す。
差し出されたアルルゥは不思議そうに彼女を見上げて小首を傾げた。

それに対し、クンネは口を開く。


「刺されているだろう? 手を貸しなさい」


アルルゥは、少しだけばつが悪そうにそっぽを向くと、蜂蜜を食べる手は止めないながら反対の手をクンネへと大人しく渡す。
クンネは、彼女の腫れている部分にそっと指を添えると、力いっぱいにその部分を押した。
途端、アルルゥは痛そうに顔を顰めたものの、それが必要な行為であると分かっているのか大人しくしている。

蜂に刺された時は、体の中に毒針が残されている。
それは抜かなければ後々まで体を苦しめることになってしまうので、クンネのように傷口から押し出すのが通常だ。
とは言え、腫れている部分を押されるのは痛い。
クンネは出来るだけ手早く済ませようと、そのまま押し続けついに傷口と思しき部分から小さな黒い針を取り出すことに成功する。
彼女はそのままアルルゥの手を引き、水面の水をその傷口にかけた。
さらに、腫れている部分に布を巻き終えると、ひとまずの処置は終了だ。

クンネは変わらず蜂蜜を食べ続けるアルルゥの呆けた様子が気になりながらも、意地の悪い微笑みを浮かべた。


「くく、これは帰ったらトゥスクル様謹製のクサイ薬を塗らなきゃな」


「うー、おばあちゃんの薬、臭くて、やー」


アルルゥは本気で嫌そうに顔を顰めるものの、未だにどこか呆けた様子であった。
その様子から、クンネは彼女が何か悩んでいるのではと判断する。

アルルゥはあまり感情を表に出すことはしない子だ。
ただ、それが分からないかと言えば否で、彼女は非常に分かりやすいのであった。
そこで、クンネはもう一度座りなおし水面を見つめながら、アルルゥを膝の上に座らせる。

ちなみにアルルゥは人見知りであり、信用した人間でなければ自身に触らせないし、自分の好物である蜂蜜を誰かに分けることもしない。
膝に乗せられるだけで、クンネがどれだけ信用されているか良く分かる。

ともあれ、親子の熊の状態となった二人であるが、クンネは意図的に彼女から話しかけることはしなかった。
それは、アルルゥも分かっているのか、特に何を言うでもなく彼女は蜂蜜を食べる。
いつの間にか、クンネが手にしていた蜂蜜も持っているのだから、なかなかに抜け目がない。

森の木々の向こう側へと消えていく太陽。

次第に赤く染まっていく世界の中で、ポツリとアルルゥは呟く。


「……おとーさん、じゃなかった」


その言葉に、クンネは何も答えない。それは、アルルゥが自分で形にしなければならないものなのだから。
そして、幾分待った時、アルルゥは続きを口にした。


「おとーさん、死んじゃった。なのに、あの人は誰?
名前も、服もおとーさんだった。だけど、おとーさんじゃない。
あの人は、だれ?」


「さて、ね」


その答えはクンネも聞きたかった。
だが、それでも彼女には一つだけ分かることがあった。


「彼はハクオロだよ。『ハクオロ』さんじゃない、ハクオロ。
アルルゥのお父さんじゃないハクオロだ」


その言葉に、アルルゥは不思議そうに眉をひそめるだけで頷こうとしない。
恐らくは、言われた意味が分かっていないのだろう。
苦笑したクンネは捕捉するように口を開いた。


「…アルルゥは気になるんだろう、アイツのことが?」


その言葉に、アルルゥは戸惑いながらも確かに肯定する。
事実、彼女はあの不思議な男が気になっていた。
その正体はなんなのか、何故姉はあの人にそこまで触れようとするのか、あの人は自分のお父さんに――

クンネは、何かを考えているのであろう彼女に耳元で囁くようにして声を潜めて言った。


「なら、調べると良い。アイツがどんな奴なのか、自分の目で確かめると良い」


「……うん」


アルルゥの漏らした肯定の言葉。
クンネはそれに満足したのか、ほほ笑むとアルルゥの頭を一撫ですると彼女を抱えたまま立ち上がる。
自分が宙に居る感覚に一瞬だけ戸惑ったアルルゥであったが、すぐに何か思いついたのかクンネの腕の中で巧みに体を動かして彼女の背中へと移動する。


「帰ろうか、エルルゥとトゥスクル様が待っている」


「うん」


そして、クンネは予備動作なしに駆けだす。
初速こそ人間と変わらないものであったが、すぐにそれは加速していきあっという間に馬のそれと変わらない速度まで到達する。
いつしか、風がうるさくて周りの音も聞こえなくなっていく。
僅かに上下するが、馬よりも遥かに乗り心地の良いその背中でアルルゥは顔を押しつけながら考える。
あのハクオロが自分にとってどんな人間なのか、また、


「クンクンも気になってるの?」


彼女がハクオロを嫌うのは、気になっているからなのではないか、と。









その後、結局は夜になってしまいクンネとアルルゥは二人してエルルゥに怒られてしまった。


「もう! クンネ姉さんがいるからってこんな時間まで遊んできて! クンネ姉さんもなんでアルルゥを止めてくれなかったの!?」


「い、いや、私たちはずっと一緒にいたわけじゃ…」


「言い分けしない!」


クンネの反論は、一瞬にして封じられてしまう。
アルルゥはクンネに矛先が向いたのを良いことに、こそこそと逃げ出そうとするが、エルルゥはそれを見逃さない。


「アルルゥも! 暗くなった森は危ないって言ってるでしょ! それに、また蜂蜜取りに失敗して蜂に刺されて!」


「……ごめんなさい」


「もう、二人とも、あんな言い方した後に出て行ったら…心配するでしょ」


そう言うと、エルルゥはアルルゥの手に匂いのキツイ薬を塗りたくり、そっぽを向いて薬を仕舞いに行ってしまう。
その後ろ姿を見送りながら、クンネはばつが悪そうに頬を掻き、とりあえず茫然とこちらを見ているハクオロとトゥスクルに謝罪をしていおくことにした。


「…心配をおかけしてしまったみたいで、申し訳ありません」


「あ、いや。自分は……」


「まったく、この不良娘どもが!」


ハクオロが何か言おうと口を開きかけたが、その前にトゥスクルは声を張り上げて怒った。
その途端、クンネもアルルゥもビクリと体を反応させ、ガタガタと震え始める。
その尋常ではない様子に、ハクオロは顔が引きつるのを感じた。


「ご、っごごごごごごごご、ごめんなさい!」


「ごめんなさい!」


クンネとアルルゥは二人して必死な表情でトゥスクルにそう言うと、素直に頭を下げる。
その様子が余りにも滑稽で、ハクオロは思わず笑いそうになるのをこらえるのに必死であった。
トゥスクルはその二人の様子に納得したのか、席に着くように促す。


「早くお座り。今日はハクオロの快復祝いで御馳走をエルルゥが作ってくれた」


「…はい」


その言葉にクンネが表情を曇らせて、ことさら申し訳そうになるのをどこか不思議な気持でハクオロは眺めていた。
ハクオロにとって、クンネは不思議な女性であった。
彼女は、自分と同じように耳に毛が生えていない上に尻尾もない。
ハクオロ自身が良く知る『人間』であった。
そんな彼女は、何故かこの獣の耳を持った人間が跋扈する世界に平然と溶け込んでいた。

まるで、そこに居るのが当り前であるかのように。

ハクオロは、そんな彼女に聞きたいことがあった。


――この世界は何なのか?


自分が知る世界よりもはるかに文化レベルの低い世界。
獣の耳を持つ人間に、見たこともない動植物たち。
明らかに自分が知る世界ではないとは分かっていたが、その答えを彼女が持っている気がしたのだ。

しかし、クンネは初めて会った時からハクオロ自身には否定的であった。
それは、彼が『ハクオロ』の名前を得た時から決定的なものへと変わり、今も彼女の周りには彼が近寄ることの出来ない壁のような物をかんじた。
エルルゥや昼間に会った気さくな村人たちとは正反対の彼女の態度。
そのせいで気になるわけではないが、出来ることならば彼女とは仲良く過ごしたいとハクオロは感じていた。


「…何か?」


いつの間にか、彼女を注視してしまっていたのか怪訝そうな顔を彼女は向けていた。
ハクオロは慌てたように首を振る。


「いえ、失礼しました」


「…まあ、気にはしていません」


クンネはそうとだけ告げると囲炉裏に用意されていた席の一つに座った。
それは、奇しくもハクオロの隣りであった。

そのことに、ハクオロは少しだけ驚き、同時に良い機会かもしれないと思い直す。
これを機に、彼女と親交を深めてもいいかもしれない。

その時、ちょうど戻ってきたエルルゥが手にいっぱいの料理を持って現れた。


「さあ、ご飯ですよ!」


ハクオロは、自分の腹が減っているのを自覚した。


(さて、彼女と話す前に腹ごしらえかな。腹が減っては、戦が出来ないとも言うしな)


こうして、ヤマユラ村の夜は深まっていった。






[24653] 五話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/12/09 22:58

それから幾日かたった時。
ハクオロはクンネの予想を超えて遥かに早く村人と親交を深めていた。
要因としては、村長であるトゥスクルやその孫のエルルゥ、さらには男衆の顔役でもあるテオロが彼と好意的であったことがあげられる。
村を代表する者たちが友好的に接していれば、誰もかれもがそれに従うのは当然であると言えた。
ただ、ハクオロが村に馴染めたのは、一概にそれだけではない。
むしろ、それらの要因は最初の切っ掛けだけであった。

では、彼が村人から好かれるのは何故か?
それは、彼が凄まじいまでの知識を持っていたからだ。

そう、ハクオロは彼自身すら把握しきれていないほどに様々な知識を持っていたのだ。
確かに彼は、驚くほど常識に疎い。
最初、モロロの名前や薬草の名前すら知らなかったほどで、馬(ウォプタル)のことをトカゲなどと言っていたこともあった。
しかし、一度覚えたことは決して忘れないばかりか時折誰も知らないような知識をもたらした。

その最も分かりやすい例は畑である。
今までどれだけ耕しても、殆ど実りをくれなかった辺境の大地を彼は改革してしまったのだ。
まず、薬石やら貝殻やらを砕いたものを畑に撒く呪い(まじない)からはじまり、新しく水路を作ることなど多岐にわたった作業を提唱した彼を村人は初めは疑いの目で見ていた。
種を撒いても、ほとんどが目を出さずに終わるのが常だ。正直、そんな訳の分からないことをしてもどうしようもないのでは、とだれしもが考えていた。
ただ、このハクオロの行動に以外にもテオロが積極的に手伝いをしたため、皆半信半疑であったものの手伝うことにしたのだ。

その結果は、誰もが驚くものだった。

芽が出る筈がない辺境の大地から、沢山の緑が生まれたのだ。
しかも、撒いた種のほとんどが芽を出したのではと思うほど大量に。
これに驚いた村人は、ハクオロのことを見直した。
正直、仮面をつけた不審人物であった彼はその時から村の一員として認められることになったのだ。

これを見て、面白くないのはクンネだ。
彼女はとりあえずハクオロの存在を認めたものの、そのこみ上げてくる嫌悪感から彼を受け入れられていない。
そんな中、村人に受け入れられている彼を見るのは辛いものがあった。
まるで、お気に入りの玩具を他人に取られた子供のような、どうしようもない嫉妬だ。
これに対し、ハクオロに懐いたのは以外にもアルルゥであった。
彼女は、クンネの知らない間にハクオロと何かあったらしく、いつの間にかほんの少しではあるが彼と打ち解けていた。
この前など、二人でおいしそうに蜂蜜を食べていたりしたのだ。
アルルゥは基本的に人見知りで、仲良くなったものとしか蜂蜜を共有しない。
それだけでも、アルルゥのハクオロへの懐き具合が分かると言うものだ。

あの時、お父さんじゃないなどとごねていたが、今では「おとーさん」と呼んで彼を慕っている始末。
まあ、アルルゥが悪い訳ではないのだが、クンネの中には何か釈然としないものがある。
とは言え、彼女もそのような感情を表に出すほど子供ではない。
ハクオロと積極的に会話をしないものの、彼を排斥しようと言う行動はとらなかった。
彼もそれは分かっているのか、意図的に彼女のことを避けている節がある。
とは言え、時折何やら考え込んだ顔でこちらを見ているが、その意図を察してやれるほどクンネは大人でもなかった。

ともあれ、クンネは此処のところ機嫌が悪かった。

ともすれば、すぐに感情が臨界を迎えてしまうのではと言うほど。
そして、ある日その臨界を迎える事件が起きる。








「オレ様の名は『ヌワンギ』!! 何を隠そう、この國の皇(オゥルォ)!!


――――の弟で、ここを統治する藩主!!


――――の息子だっ!!」






昼間のヤマユラ村に響き渡る青年の声。
テオロ達を手伝って畑の整備をしていたクンネはその声が聞こえると共に、深いため息をついた。
それは彼女が良く知る少年だった青年の声だ。
名をヌワンギ。
ヤマユラ村が属する國の皇の甥である者だ。
彼は昔はヤマユラ村で平和に過ごしていたのだが、後継ぎの問題で父に引き取られて教育されたことから歪んだ正確に育ってしまった者だ。
そんな彼は、以前数年前にもヤマユラ村を訪れクンネを含めた村人を『クズ』と評した上でエルルゥに無理やり言いよったことがあった。

今まで幼馴染ということやヤマユラ村の一員であると思っていたクンネだが、この時ばかりは堪忍袋の緒が切れて彼を追い払ったことがあった。
その際「二度とこの村に来るな」と言い渡してあったのだが、どうやら数年経って復活したのか、また言いよるつもりであったようだ。


「……あの馬鹿、まだ諦めていなかったのか」


その声を聞きつけたのかテオロも渋い顔になり、彼にしては珍しく忌々しげに口を開いた。
明るい性格でハクオロと言う不審人物ともすぐに仲良くなった彼でも、今のヌワンギを好むことは難しいようだ。


「野郎、またエルルゥにちょっかいをかけに来たのか!?」


その言葉にクンネは怪訝そうに眉を上げた。
それは彼女が深いを示す合図で、テオロは思わず滑ってしまった口を慌てて抑える。
クンネは、そんな彼に女神もかくやという微笑みを湛えながら問いかけた。


「『また』? それは、あの時私が追い出してからあの馬鹿は何回もここに来ているってこと?」


「えー、えっと、だな。クンネ……」


「テオロさん?」


ぐいとクンネに詰め寄られたテオロは咄嗟に周りの村人に助けを求めるが、誰一人として視線を合わせることはしなかったばかりか、すごすごと離れて行っている。
ヤマユラのような辺境の土地の村の女は『強い』。
それこそ、力自慢の男を言い負かしてしま様な気の強い者ばかりなのだ。
それは、クンネとて例外ではない。

クンネやエルルゥの姉貴分であるソポクという自分の嫁で長年その恐ろしさを知っている彼としては、素直に従うしか道はなかった。


「だーっ! エルルゥに口止めされてたんだよ! 毎年毎年嫌味を言いながらあの馬鹿が来てるのをな!!
それに、お前さんがしばらく都に行っていたから……」


その言葉に、クンネは顔から表情を消した。
しかし、瞳には明確な怒りが宿っていた。
その表情を見て、思わず一歩引いてしまうテオロ。
彼としては、この妹分の次の行動がどうなるか明確に予想できたしまったが、それを止める手立てを彼は持っていなかった。
こうなった彼女を止められるのは、トゥスクルやソポクぐらいしか彼は知らない。

クンネは無言で身を翻すと、ゆっくりと声がした方向を向くと次の瞬間、その脚力を見せつけるかのように猛烈な速度で駆けだした。

その後ろ姿を見送ったテオロはしばらく呆けていたが、気を取り直すと慌てたように周りで戦々恐々としていた男衆に声をかける。


「お、おい! おれは母ちゃん呼んでくるから、お前らはトゥスクル様呼んで来い!!」


そして、彼自身返事を聞かずに駆けだした。




一方、風のように駆けだしたクンネは早速声の元へとたどり着いてた。
そこでは何やら手を押さえて痛みに耐えかねているのか、ゴロゴロとのたうちまわる灰色の頭の男とエルルゥ、ハクオロの姿があった。
何を隠そう灰色の頭の男がヌワンギであるが、彼はあまりの痛さに我を忘れているのか、クンネが現れたことに気が付きもしない。
それよりも、そののたうちまわる様子を慌てたように見ているエルルゥと、嫌に不機嫌そうなハクオロが先に彼女に気がつく。


「あ、く、クンネ姉さん!?」


「クンネ?」


エルルゥはその無表情さからクンネが怒っていることを察し、逆に付き合いがまだ短いハクオロはそんな彼女の様子を胡乱げに見ている。
ただ、クンネはそのどちらにも視線をくれずに、ヌワンギへと声をかけた。


「ヌワンギ」


腹の底から響いてくるかのような声。
しかし、そこに確かな怒りの気配を見出しハクオロは慌て、エルルゥは焦った。
これまでエルルゥは姉である彼女に一度追い払われたヌワンギに度々言い寄られてきたことを黙っていた。
それは、姉に負担をかけたくないこともそうであったし、もしばれたのなら彼女が怒り狂うことは目に見えていたからだ。
ちなみに、怒った彼女はエルルゥでは止められない。
下手をすれば馬以上のその脚力でヌワンギは蹴り殺されるかもしれないのだ。
だから、エルルゥは必死に彼女を止めようと言葉を書ける。
それが無駄だと知りながら。


「ち、違うの姉さん! ヌワンギは……」


「立て、ヌワンギ」


言葉と共にクンネはヌワンギを蹴り飛ばした。
そこで初めてクンネの存在に気がついたのか、慌てて起き上ったヌワンギはその顔を真っ青にする。


「ああああああ、ああああああ、あ、あ、あ、姉貴ぃ!?」


ガタガタと震え、まるで死人のような顔色になった彼に、クンネは容赦と言うものをしない。
彼を見下ろし、仁王立ちしながら口を開いた。


「…私は、二度とこの村に来ないよう伝えたはずだが?」


「そ、そそそそそ、それは……」


「まって、クンネ姉さん! お願い!」


エルルゥは慌ててヌワンギとクンネの間に入ろうとする。
しかし、それは手を伸ばしたクンネに自身によって遮られた。
彼女は険呑な眼差しでエルルゥを睨んだのだ。
それでけでエルルゥは身をすくませてしまう。


「エルルゥ、私にコイツのことを言わなかった言い訳を考えておくんだな」


そして、クンネはエルルゥの体をやんわりと押した。
それだけでエルルゥはフラフラと後ろに下がり、これを見ていたハクオロが滑り込むようにして支える。
ハクオロはどこか焦ったようにエルルゥに問いかけた。


「え、エルルゥ。クンネの様子が……」


「ね、姉さん、今まで見たこともないぐらいに怒ってる」


カタカタと震える彼女をそっと抱きしめてやりながら、ハクオロは冷静に彼女の様子を見る。
なるほど、確かに彼女は無表情ではあったが、その眼には尋常でないほどの感情だ宿っていることにハクオロは気がついた。


「答えろ、ヌワンギ。つまり、貴様は私を侮ったと言うことか?」


「ち、ちがっ…」


「では、何故村に来た!」


その言葉に身をすくませるヌワンギだが、何を思ったのか自分に語りかけるように虚勢をはり始める。


「う、うううううう、うるせぇ! あんたには関係ないだろう!! 俺は皇の甥なんだ…そうだ、誰も俺を邪魔出来ねぇ!」


「あんたとは何だ!! さんざん私やトゥスクル様の世話になった分際で!!」


「が、ガキの頃は関係ないだろう!! それに、俺はエルルゥに良い暮らしを…」


「黙れ!! それならば、貴様が皇になって善政をしいて辺境の暮らしを楽にしてから迎えに来い!!」


その一喝にヌワンギは身を縮こまらせる。
しかし、彼も言われっぱなしで黙っている男ではなかった。


「るせぇ! それなら、この村だけ税を上げても良いんだぜ!? そしたら、婆もあんたもこの村もお終い…」


その瞬間だった。

風のようにクンネがヌワンギへと近づくと、勢いよくその拳を振るった。


「へぎゅっ!?」


「駄目! やめて姉さん!!」


潰れたような声を上げた彼は、そのまま地面にもんどり打って倒れると、殴られた頬を押さえてクンネを見上げる。
エルルゥもそんな彼を見ていられないのか泣き叫んだ。


「な…こんなことして、ただですむと……」


「今、何と言った?」


「あ……」


「世話になった村を、貴様が子供時代を過ごしたこの場所を、お終いにさせるだと?」


そして、徐に彼に近づくクンネはついにその足を彼へと振り上げる。
同時に今まで静観していたハクオロが、流石に止めに入った。


「ふざけるな!……って、何をする!?」


「やり過ぎだ! それに、エルルゥが泣いているのが分からないのか、クンネ!!」


「あ……」


ハクオロは咄嗟に彼女を後ろから羽交い締めにしたのだ。
身長差もあって、クンネは身動きが取れなくなってしまう。
さらに、エルルゥのことを引き合いに出すとクンネは少しだけ躊躇するように、本当に涙を流している彼女の方を見た。
それを好機と見たのか、今まで怯えるだけであったヌワンギが傍らにいた彼の馬に慌てて飛び乗ると、一目散に走らせる。


「待て、ヌワンギィ!! っ、離せ!!」


クンネは彼を追おうとするが、体格差と男女の筋肉の量の違いでハクオロに抑え込まれてしまい、身動きが取れない。
その間にヌワンギは馬を走らせてあっという間に姿が見えなくなった。
それを見送ってしまった彼女は、心に燃え盛る怒りの炎をぶつける対象を意図せず探してしまう。
所謂、八つ当たり。
そして、その対象は彼女の背後にいた。


「このっ!」


クンネは問答無用とばかりに、背後で彼女を羽交い締めにしていたハクオロを脚の勢いを使って盛大に吹き飛ばす。
当然男であるため、ハクオロはクンネの腕力ではとてもではないが動かせない。
しかし、脚力を使えばそれは別だった。


「ぐわっ!?」


「いやぁ!? やめて、もうやめてよ姉さん!!」


上がるエルルゥの叫び声。
苦悶の声尾を上げながら、仰向けに倒れるハクオロへと彼女は支えに奔る。
その顔は、とめどなく流れる涙にぬれている。
クンネはそんな彼らを見下ろしながら罵声を吐いた。


「何故、邪魔をしたこの馬鹿!!」


頭ごなしの罵声。
エルルゥは、悲しそうにクンネを見上げた。
恐らくは、彼女の未だ発展途上の精神ではクンネという姉に逆らうことができないのだ。
だが、ハクオロは息を切らしながらも毅然として言い放つ。
いつの間にか放たれ始めた威厳は、クンネの言葉を封殺した。


「ゲホッ、ゲホッ、自分を見失って、行動すれば、きっと後悔する」


ただ黒曜の瞳で持ってクンネに語りかけるかのように言う。
彼女は、不思議とその言葉に反抗する気は起きなかった。
もっとも、それで収まりがつかない彼女の幼い感情は、未だに息巻いている。


「でも、あいつはまたエルルゥを……」


「…君のその気持は、本当にエルルゥのことを思ってのものか?」


その瞬間、クンネの体は凍りついたかのように固まった。
ハクオロに言った言葉に即座に反応しなければいけないことは分かっている。
だが、彼女にはそれが出来なかった。
尚も、ハクオロは諭すように口を開く。たとえ大地に転がったままの無様な姿であるとは言え、その言葉は限りなく的を得ていた。


「君は優しい姉だ。エルルゥとアルルゥのことを心底心配しているのは知っている。
だけど、同時に君は彼女たちを束縛しすぎている。まるで、失うことを恐れているかのように――」


恐れ(その感情)は、きっと自分が怖いから。
彼女たちも失ってしまうのが。


「私は……私は!!」


泣きそうな声を上げるクンネ。
しかし、彼女の口はその続きを口にすることは出来なかった。
なぜならば、彼女は見てしまったから。
眼前で男に寄り添いながら涙を流す妹が自分に怯えた表情を浮かべていることに。


「あ――――」


ため息のように漏れた声。
同時に彼女の表情に苦渋が満ち、辺りにはエルルゥのしゃくりあげる声だけが聞こえる。

クンネはそんな彼女に手を指しのばそうとして、ためらった挙句ゆっくりと下ろした。


その時、遠くからテオロやソポクが自分たちを呼ぶ声が聞こえた気がした。












とある森の入口。
馬に乗ってクンネから逃げ伸びたヌワンギは大きな声で悪態をついていた。


「くそっ、糞っ、クソが!! あの女、何さまのつもりだ!! 俺は皇の甥、俺は皇になる男だぞ!? 俺は偉いんだぞ!?
この俺を、あんな風に言いやがって! それに、あの仮面の男も俺を見下した目で見やがって! どいつもこいつも!!」


半分以上自業自得ではあるが、手が折れてしまっていたことも彼の機嫌の悪さに拍車をかけていた。
彼は、むかつくハクオロを思いっきり殴ったところ、その仮面のあまりの固さに、逆に自分の腕を折ってしまったのだ。
その痛みも、クンネに受けた屈辱も今の彼は晴らさないわけにはいかなかった。


「畜生! どいつもこいつも、俺の事を馬鹿にしやがって!!」


怒鳴る彼の眼前に、ふと祠のようなものが見えた。

それは森の神さま(ヤーナゥン・カミ)の霊宿(タムヤ)。
森の神さまを祀り、森の主が怒らないように気を静めるために作られた、辺り一帯の村を守る霊宿だ。
それをみたヌワンギは、ふとあることを思いつく。

――――もし、これが壊れたら?

当然、主は怒り狂って辺り一帯の村を攻撃するだろう。
そう、ヤマユラ村も。


「く、くくくくく。俺様のことを馬鹿にした罰だ。せいぜい苦しめ!!」


彼はそう吐き捨てると、痛む腕を押さえながら盛大に霊宿へと蹴りを入れた。
その瞬間、木と石で作られれた霊宿がバランスを崩す。
外部からの力を受けて崩れおちて行く霊宿。
大地に落ちた瞬間、粉々に崩れ去り原型すら見えなくなったのを見ながら、彼は下卑た笑い声を上げる。


「ひゃははははははは! ざまぁみろ! このヌワンギ様を馬鹿にするから、こういう目に会うんだ!
ひゃははっはははははははっははははは――」


その時だった。


「グルォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


森の中から突如として大きな咆哮が上がった。


「ひぃっ!?」


臆病なヌワンギは小さく悲鳴を上げると、即座に彼の乗った馬の腹に蹴りを入れる。
同時に危険を感じたのか、馬も全速力でその場を離脱し始めた。
その時、ヌワンギの頭には早くその場から逃げることで一杯であった。

そう、彼は気がつかなかったのだ。

自分の犯した行動が、愛する少女をどれほど傷つけることになるのかを。

獣の咆哮は、逃げ帰る彼を嘲笑するかのように、いつまでもその場に響き渡った。






あとがき
キママウ討伐はカットで行きます。
原作とほぼ同じ流れにしかならないと思ったので



[24653] 六話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/12/14 22:25

パチリ、と囲炉裏で日が小さく爆ぜる。
そんな中、トゥスクルの家ではハクオロとクンネとトゥスクルが三人で囲炉裏を囲んで向き合っていた。
ヌワンギが逃げ去った後、二人は厳しい表情のソポクにトゥスクルの前に連れて来られていた。
ちなみに、ソポクは泣きじゃくるエルルゥを優しく抱きしめてやり、彼女とアルルゥを一時的に自分の家へと避難させていた。
そのため、現在この家には彼ら三人しかいない。
クンネは先ほどから思いつめたように炎を見つめて何も話さず、トゥスクルは彼女を悲しげに見つめていた。
ハクオロはと言えば、二人をどうすることも出来ずにただ無言でいる。

そんな重苦しい沈黙が漂う中で、まず口火を切ったのはトゥスクルであった。


「怒りで我を忘れるとは…。お前はいったい何をしているんだい」


トゥスクルの低い叱責の声。
普段のクンネならば、その声を聞いただけで体を縮こまらせて必死に弁解をして許しを請うはずであった。
しかし、その日の彼女は瞳に暗い炎を宿しながら、トゥスクルに噛みつくように反論してみせる。


「妹を連れ去ろうとする馬鹿に、お灸をすえてやろうとしただけです」


「…お前はエルルゥを守ろうとしたと言うんだね?」


「はい。だいたいあいつには、もう村に来るなと警告していました。
だと言うのに、私が少し村を離れている間にアイツは何度も村に訪れては、エルルゥを連れて行こうとしたそうです。
そんな奴をただ放っておくことなんて私にはできません!」


「阿呆が。その行動こそがヌワンギをエルルゥへとさらに焚きつけていることに気がつかんのか?」


「それなら、トゥスクル様があの娘を守ってくだされば良かったではないですか!」


激情に任せて、クンネは立ち上がる。
しかし、トゥスクルはあくまで冷静に言葉を返した。


「お前がいない間にあの小僧を追っ払ったのは、わしやテオロだ。それに、わしは何とか説得しようとしたがね。
誰かさんが頭ごなしに拒絶したせいで、ヌワンギも意固地になっておったわ。あれでは、説得することも無理だ」


「ぐっ、わ、私は!」


「それに、お前はエルルゥを守ろうとしたと言っていたが、結果はどうだい?
エルルゥは泣き、ハクオロには暴力を振るい、わしらには迷惑をかけた! 言い訳をする前に反省をしないか!!」


「……」


その一喝で無言になってしまうクンネ。
確かに、彼女は軽率な行動をしてしまった。
初めに会った時に、何故性格が腐ってしまったとはいえ、幼馴染であるヌワンギをもっと説得しようとしなかったのか。
今回も怒りにかまける前に冷静に対処することが出来なかったのか。
トゥスクルの言う通り、彼女は反省するべき事が山ほどあった。
だと言うのに、彼女が出来なかったのは何故だろうか。

悔しげに唇を噛むだけのクンネには、まったく分からなかった。

トゥスクルは、少し呆れたように口を開く。


「クンネや。お前が本当にエルルゥやアルルゥを守りたいと考え、本当にこの村のことを考えてくれているのなら泥棒から足を洗いなさい」


その言葉にクンネは、体の芯に冷たい氷の柱を突っ込まれたかのように固まった。
そして、これまで黙っていたハクオロが僅かに眉を顰める。


「…トゥスクル様、それはどういうことでしょうか?」


クンネは咄嗟にハクオロを睨みつけると、嵐のような勢いで暴言を吐き捨てる。


「うるさい。あんたには関係のない話だ! 黙っていろ!!」


だが、そんな彼女にハクオロはどこか悲しげな瞳を向けるだけで、暴言に対しては何ら怒りも見せることはなかった。
そして、彼はあくまでも冷静な様子で言葉を紡いだ。


「…確かに、君からすれば自分には関係が無いのかもしれない。だけど、自分はこの家で共に暮らす身として君の事を家族のように思っている。
そんな君の事情を知りたいと思うのは間違っているのか?」


「うるさい、うるさい!」


「前から疑問に思っていた。私と同じように尻尾を持たず、耳も裸である君が何者なのか。
以前エルルゥには都で仕事をしていると紹介されたが、いつまで経っても都に戻らないのは何故なのか」


その言葉に、クンネは必死で顔を背けようとするがハクオロはあくまで彼女から視線を逸らさない。
いつの間にか、彼と正面から瞳を合わせてしまった彼女は、空のその黒い瞳から目を逸らすことが出来なかった。

吸いこまれそうな不思議な力を持った瞳に、クンネは次第に追いつめられていく。


「私が、何者なのかなんてしらない! 本当はお前に聞きたいぐらいだ!」


「それはどういう意味だ?」


「私は小さい頃に捨て子で拾われたから、何も知らないんだよ!!」


「…そうか」


「それに、都で仕事をしているのは……」


その言葉に、ますます悲痛そうな表情を濃くするハクオロ。
彼のそんな表情が何故だか気に入らなくて、クンネは誤魔化すように口を開いた。
その時、不意にクンネを不思議な感覚が襲う。
それは、以前も彼とこのように向き合ったことがあったのではないかと既視感。
あり得ないはずの感覚に、彼女は途中まで述べようとした言い訳を止めてしまう。

時間にして数秒。

トゥスクルが口を開くには十分な時間だった。


「私たちのために泥棒をしているのさ」


「なっ!?」


「おばあちゃん!?」


驚くクンネとハクオロ。
クンネは、まさか横から祖母にそんなことを言われるとは思っていなかったため、ハクオロはクンネがしていたことが正真正銘の泥棒だと知ったため。
トゥスクルはハクオロを見続けて言葉を紡ぐ。


「始まりは、3年前の凶作の時じゃった。
モロロが一切育たんでの、森の恵みも少なかった時にクンネがしばらくいなくなり、ある日金を持って帰って来た。
『これで、みんなが飢え無くてすむ』と言ったが、何をしてきたのか問い詰めたら、あっさりと白状したんじゃ」


曰く、『泥棒』。
余りと言えば余りな行動にトゥスクルは激怒し、クンネを家の外に放り出した。
泣いて謝った彼女だったが、トゥスクルはもう泥棒をしないかと問いかけると『それは分からない』と返した。
そのため、しばらく家に入れなかったのだが、もう家に入れてもらないと分かった時の彼女の行動は早かった。
テオロなどの大人たちに金を渡し、食料を買ってきてもらったのだ。
彼らは、ちょうど飢えた家族たちがいたために乗りかかった船として、金の出所を深く考えもせずに行動した。

その結果、村全体がクンネの行動を肯定するようになってしまった。
そのため、トゥスクルは本当の事を言えずに彼女が泥簿をして稼いだことを自分の胸の内にだけ留めることにしたのだ。
だが、その心知らずにクンネはもしもの時の為と称して何度も泥棒を繰り返している。

トゥスクルがそう語り終えると、クンネはばつが悪そうに顔を逸らすと唇を尖らせた。


「私は間違ったことをしていない。
盗みは確かに悪いことだけど、皆が飢えて死ぬぐらいなら私はその罪を喜んでかぶる」


「…ワシは、そんなこと望んどりゃせんよ。自然のあるがままを受け入れのが一番良いのじゃ」


「でも、あの時あの食料が無かったら、村の子供たちはみんな死んでました。
エルルゥもアルルゥも。それに、私が返ってくる前に死んでしまった子もいましたよ」


その言葉を言い終えると、クンネは目を閉じてもう語ることは何もないとでも言うように口を閉じた。
トゥスクルはまだ何か言いたげであったが、その様子を見て今日はもう何を言っても無駄だと思ったのか、目を閉じて軽く嘆息する。


「はぁ。……今日は、お開きにしようかねぇ」


「一寸、待ってください」


しかし、ハクオロはその言葉を遮った。


「金が必要なんですか? …そうであるなら、私に考えがあります。
クンネがもう盗みを働かなくて良いように、安定した収入を得られるものを作ればいいんです」


そう言うと、彼はどこか自信があるかのようにほほ笑んだ。
その笑みは、普段積極的に彼と関わろうとしなかったクンネにとって、初めて見た彼の笑顔であった。
だが、彼女は彼を信用することが出来なかった。
村人たちはほぼ無条件に彼を受け入れていたが、クンネには何故かそれが出来なかったから。

今回もその笑みに見惚れたり、彼の真意を探る前にどうしようもない苛立たしさ。
自分にしかでいなかったはずのことが、簡単にできると言われるような嫉妬の感情が胸の奥から湧き上がってきたのだ。


「そんなの、この村にあるはずが無い」


「だから、自分たちで金になりそうな物を造るんだ。
金属が良いな……特に鉄なら、銅より貴重だから都に持っていけば高く売れる」


「鉄? 確かに高いけど、そんなものどうやって作るんだ」


クンネはあまりに突飛な彼の物言いに呆れたように、目を細める。
クンネにとってみれば、鉄とは買うものだ。
その作り方は秘伝として伝えられ、一部の者たちしか知ることが出来ない。
ましてや、ヤマユラのような辺境の地にそのような秘伝など伝わった事が無いはずなのだ。
だが、ハクオロは口を開くとこともなげに言った。


「ああ、鉄の製法くらいなら自分が知っているよ」


「は?」


クンネが目を点にして驚いた。
今、彼女の目の前の男が何と言ったのか?
知っている? 鉄の精製方法を?

これには流石に驚きしか感じなかったクンネだが、ふと横を見るとトゥスクルはさもありなんと言うばかりに頷いている。


「純度の高い物を造るには高熱に絶えうる炉や、その燃料、他に薬品とかも必要だが……まぁ、何とかなるさ」


「何とかなるって…嘘だろ? おばあちゃんも、頷いてないでなんか言ってよ。
そんなすぐにばれるような嘘をつくなって…」


「いや、ハクオロが言うのなら本当の事だろうさ」


クンネはその言葉に愕然とした。
普段ならば、思慮深くなんでもすぐに判断することが無いトゥスクルが、ほぼ無条件で彼の言葉を信用したのだ。
そして、驚きは疑問へと変わる。


「トゥスクル様は何故そこまでこいつを信用するのですか?」


「……不思議かぇ?」


「ええ、正直こいつのしていることは全て私たちの想像を超えるようなことです。
だと言うのに、トゥスクル様はその全てが分かっていたようにこいつに理解を示す。
その理由があるなら、教えてもらいたい」


「……お前にも、いつか分かる時が来るさ。
人には、天命と言うものがある。覆しようのない絶対的なものさね」


その言葉にクンネは顔を顰める。
それは、そのままの意味と捉えると


「…ハクオロの今までの行動は、全て天命だと?」


と言うことになるからだ。
流石に彼女としては、そんなものでは納得が出来ない。
しかし、頷くトゥスクルを見れば彼女がこれ以上説明をする気が無いのも見て取れた。
その程度の事が造作もなく分かるぐらいには、二人の間には家族としての絆が存在していたのだ。
だから、クンネはとりあえずこの場ではそれ以上藪をつつくような真似はしなかった。


「…分かりました。もう、これ以上とやかく言うことはしません」


「それじゃあ……」


ハクオロの問いかけに、彼女は少しだけ視線を険しくすると頷いた。


「もう、盗みはしません。する必要が無いのですから」


そう言うと、無言でクンネは立ち上がった。
その瞳は何故か涙で濡れていた。

ぎょっとしたように目をむくハクオロ。
しかし、彼は何故、彼女が泣きだしたのかは分からない。
そして、クンネもそのことについて語ることをしなかった。


「頭に血が上り過ぎたことも反省しています。すみませんでした」


彼女はそう言って頭を下げると、すぐに駆けだして家の外へと出て行ってしまう。
それを呆然と見送ったハクオロであったが、数瞬の後に我に返ると慌てて彼女の後を追おうとする。
彼としては、家族になりたいと考えている彼女が泣くことは本意ではないのだ。
だが、それはトゥスクルに止められてしまう。


「お待ち」


「しかし……」


「あの子は人がいる前だと素直に泣けないからねぇ。一人にしてあげな」


そう言ったトゥスクルの顔には、どこかさびしげな表情が張り付いていた。
彼女は、ハクオロがばつが悪そうに座りなおしながら、家の外を気にしているのを見るとどこか遠いところを見て語り始める。


「…あの子は、昔から意地っぱりで頑固な子じゃった。時々、極端な行動に走ることも珍しくない」


「…それは、なんとなく分かります」


ハクオロは未だ長い時を共に過ごしたとは言えない彼女について、そんな感想を漏らす。
そもそも、ハクオロを受け入れようとしないあの頑なな態度を見れば、そんなことは分かってしまう。
トゥスクルは、小さく笑う。


「ほほっ、だからかのう。いつからか、あの子は人前で泣かなくなっての、本当の自分を隠すかのように強がる言動をしておった」


パチリ、と薪が音を鳴らす。
先ほどの話し合いの残滓は、既にどこかへと飛んでしまったかのようにあたりに昔話の温かみが宿る。


「あの子は、早く大人になり過ぎた。もう少しゆっくりしても罰は当たらぬものを、背伸びをして自分を大人に見せた。
その結果が、今のように大人になりきれぬあの子を作ってしまったのかもしれぬ」


「…いえ、彼女は十分に大人だと思いますよ?」


「どこがじゃ、認められぬことに駄々をこねて、挙句の果てに頭に血を登らせる。
ボロボロの大人の皮をかぶった子供じゃ」


「認めることだけが大人ではありません。大人とて認められぬことには憤慨するでしょう。
彼女のそれは、自分に正直に生きている証に他ならないと思います」


トゥスクルがつかれたように言った言葉に、ハクオロはほほ笑みながらそう返した。
すると、トゥスクは僅かに目を見張った。
ハクオロはいつも冷静な彼女が崩れたことに若干の可笑しさを感じながら、もう一度立ち上がる。

そして、そのまま家の外へと歩いて行くハクオロにトゥスクルは問いかけた。


「行くのかい?」


「ええ」


「そうか、なら村の入り口の木の辺りを探すとええ。あの子はいつもそこで泣く」


その言葉に、ハクオロは小さく頭を下げると、ゆっくりと夜のまっただ中へと歩き出した。
トゥスクルはその背中を見送りながら、小さく瞑目した。




[24653] 七話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2010/12/19 17:12

「笑いに、来たんですか?」


クンネは、トゥスクルの言葉通り村の入り口にある木の下にうずくまっていた。
背中を機に預けるようにして座る彼女の表情は伺えないが、声が僅かに震えていたことからハクオロは彼女が泣いていたのだと判断した。
その涙が自分が原因であることを自覚しながら。


「…違うさ。ただ、様子を見に来ただけだ」


ハクオロはそう言うと、そのまま彼女が背を預けている場所とは反対側に腰かけると夜の中で目を凝らした。
夜のヤマユラ村は普段ののどかな村とは違い、誰ひとり外を歩いていないために廃村のような不気味さを醸し出していた。
それは、普段の長閑なヤマユラ村のもう一つの姿であるのだろう。
その村を眺めながら、ハクオロはポツリと呟く。


「この村は、温かいな」


「…………」


「村人は、記憶のなく不気味な仮面をつけた私を受け入れてくれ、良くしてくれる。
エルルゥにおやっさん、ソポクさんにトゥスクル様。そして、君。皆、良い人たちばかりだ」


「…知ってます。私が、大好きな村ですから。……貴方が来る前から、私がずっと好きだった村ですから」


クンネはハクオロの呟きにどこか苛立たしげに答えた。
先ほどまで震えていたはずの声は、いつの間にか怒りによる震えへと変わっている。
その少女の感情の移り変わりの速さが、どこか微笑ましいもののように感じられた。
ハクオロには、彼女が何を考えているのか手に取るようにわかった。
それは、彼が頭がとてつもなく良いからという訳ではなく、もっとべつな理由であった。
ただ、それが何故なのかは分からない。
分かるのは、彼女が自分に嫉妬していると言うことだけだ。

彼女は、長年泥棒を続けてこの村を陰ながら支えてきた。
しかし、今ハクオロがいるため泥棒をする必要はなくなってしまった。

いわば、ハクオロが彼女の居場所を取ってしまったようなものなのだ。
だが、ハクオロはクンネに謝ることはしない。

何故なら、彼女のような少女が犯罪に手を染め続けることなどあってはならないことなのだから。
だから、それを止めさせる切っ掛けとなった自分の行動を否定はしない。


「…ヌワンギ、と言ったかな彼は?」


「自慢の、自慢だった、弟です。小さいころから泣き虫で、それでも優しくて」


ハクオロはクンネの口から洩れたヌワンギの評価を聞き、意外な気もちになった。
彼が知っているヌワンギは、高慢ちきの鼻持ちならない嫌な青年であった。とてもではないが、優しさなどは見られないような。
だから、彼は沈黙した。
その沈黙をどう解釈したのか、クンネは彼の事を語り続けた。


「エルルゥとは、幼いながら好き合っていました。二人で、私の後を笑いながら付いてきたものです」


その好き合っていたという言葉に、ハクオロは嫉妬を感じた。
自分の知らないエルルゥをあの男は知っている。それだけで、言い様のない敗北感が彼を襲った。


「それが崩れたのは、あの子が元服を迎える前に藩主に、実の父親に引き取られてからでした。
しばらく会えない日が続き、ある日再びこの村に遊びに来たあいつは変わってしまっていた。
本来の優しさがなりを潜め、父親と同じような屑っぷりで尊大に大好きだと言っていた村を貶し、心を通わせ合っていたエルルゥに無理やり迫りました」


グスリ、と彼女の鼻が鳴った。
どうやら、本格的に涙を流し始めたようだとハクオロは察したが、わざわざ反対側に座る彼女の傍らまで行こうとは思わなかった。
クンネがヌワンギを思う気持ちは、本人が自覚しているよりもはるかに根深い。
好意の反対は嫌悪ではなく、無関心。
あれほどヌワンギに対して怒れるクンネは、未だ彼に対して強い未練があったのだろう。
その証拠に、鳴きながらも彼女の声にはどこか昔を懐かしむような色が濃く出ていた。


「私は、そんなあの子を見たくなかった。邑から追い出し、二度と来ないように脅しつけた。でも――」


ヌワンギは村に来た。
恐らくは何度も何度もエルルゥを口説くという名の脅迫に。
それだけ、思いが強かったのか、はたまたトゥスクルの言うように彼女に拒絶され、意固地になっただけか。

恐らくは、前者なのだろうなとハクオロは思った。
そして、クンネはそんな彼を見たくないからこそ彼を拒絶するのだ。

その根底には、やはりヌワンギを思う心があるのだろう。

どれだけ変わってしまっても、変わらない想いは、ある。



――――――ミ……



知らないはずの女の名前が、ハクオロの頭に浮かぶ。
まるで、自分がそのようなものを体験したことがあるかのような感覚が酩酊感とともに彼を襲う。
もう少し。もう少し、この感覚に浸っていれば何かを思い出せるのではないか。
日rがそう思ったのもつかの間、彼の感覚は打ち切られることになる。


「全部、変わってしまった。貴方が来てから、全部変わってしまったんだ!」


唐突に響く彼女の怒声。
それに伴い、ドンと鈍い大地を叩く音がした。
ハクオロが思い出したように彼女の方を向くと、そこには涙を流しながら大地に手を叩きつける少女がいた。
すでに、体は大人のものとは大差がないものの、その心はまだ体と比べていく分も幼い少女が。


「エルルゥやアルルゥが良く笑うようになった! 食料の不安はなくなった!
みんなが、前を向いて歩けるようになった!!」


ハクオロは、村に革新をもたらした。
それは、まるで偉大な英雄のように、それまで迫りくる危機に目を背けながら半ば空元気で明るくふるまっていた村人たちに希望を見せた。
それまで明るく停滞していた村人たちの感情に方向性を与え、まっすぐに前に進めるようにしたのだ。
しかし、


「でも、あなたは居場所を取っていく。
私と『ハクオロ』さんの居場所を取って、みんなを連れて先に行ってしまうんだ」


クンネはその革新についていけなかった。

なぜなら、彼女は彼に嫉妬したから。
同じ種族でありながら泥棒程度しか取り柄のない彼女違い、様々な知識を持ち彼女が大好きだった『ハクオロ』の居場所を取っていく彼に嫉妬したのだ。
やがて、その嫉妬はどんどん根深くなっていく。
エルルゥをヌワンギから実質的に守ったのは彼だった。
トゥスクルが信用したのも彼だった。
もう、彼女は限界だった。

大人ぶった幼い精神しか持たない彼女は、生活圏に存在する異物たる彼を許容出来なくなったのだ。
かといって、彼を受け入れることなど到底できはしない。
嫉妬以外にも根源的に込み上げてくる生理的嫌悪感が、彼女にそれを許さないのだ。

そうなると、人間はある一定の行動に出ようとする。

それは、他者の排斥だ。


「貴方なんて、この村に来なければ良かったんだ!
私は貴方が大嫌いだ! いつもいつも正しくて、皆を導ける貴方が!!」


言葉の暴力を振りかざし、ハクオロを全力でもって拒絶した。
ハクオロは、いつの間にか閉じていた目をゆっくりと開けて、立ち上がる。
そのまま確かな足取りで、自身の膝の間に顔を埋めて泣きじゃくり始めたクンネの前まで歩み寄る。
かれは仮面に隠された表情を瞳に宿し、口を開いた。


「君は、愚かなほど怖がりだな」


「…………ぐすっ」


厳しい言葉。
おそらくヤマユラ村の誰もが、彼がそのように厳しい言葉を吐くとは予想しないだろう。
ただ、その言葉には不自然なほどにクンネを馬鹿にしたような色合いはない。


「恐らく、この村の誰よりも。
ヌワンギが好きだから、変わってしまった彼を見たくないと目を塞ぎ、何も出来な自分を誤魔化すために盗みを働く。
妹が大切だから、自分から逃げないように縛ろうとする。『ハクオロ』が大切だから、その居場所を取った異邦人を憎む。
変わること全てを拒絶し、恐怖する姿はいっそ清々しいほど愚かで利己的で――


――とても人間らしい」


驚くほどの暖かさに満ちた言葉。
クンネは、思わず泣くことも忘れて顔を上げ、ハクオロの顔を見た。
仮面のしたの彼の目は、優しげに細められている。


「そんなに怖いか? エルルゥが変わることが、この村が変わることが。そして、何より自分が変わることが」


問いかけるような言葉ではあったが、言外にお前は変わることに恐怖していると断定していた。
だから、彼女は膝に顔を埋めつつ頷いた。
今の彼女に、彼を正面から見返す勇気など存在しなかったのだ。


「確かに、私が来てから全ての事が動いたのかもしれない。
他ならぬ私が技術を広め、君の立場を失くしたのかもしれない。
でも、それは本当に私が来てからなのか?」


「……」


「聡明な君は分かっているはずだ。その感情が八つ当たりだということを」


何もクンネは反論できなかった。

全てはハクオロが村に来る前から始まっていたのだ。

ヌワンギはずいぶん前に変わってしまった。だから、彼女は見ない事にした。
皆が技術を求めたのは、ここ数年不作が続いているからだ。
エルルゥやアルルゥが変わっていくのは、成長していく上で当たり前のことだ。
『ハクオロ』が忘れられていくのは、死者だから当たり前なのだ。

その当たり前のことが、変わっていくのが怖かったのはクンネなのだ。
クンネは、自分だけ置いていかれるような感覚に恐怖し、その全てを『折り良く表れた』ハクオロに全て擦り付けたのだ。

彼はそれを人間らしいと評したが、クンネにとっては浅ましい以外何物でもなかった。
そして、その浅ましさを持っているのが自分だという事実に彼女は強く打ちのめされた。
だが、何か言い返さなくてはという思いから、口を開く。


「私は……」


「まあ、変化を起こした大部分の原因が私にあるから、偉そうなことは言えないがこれだけは言わせてくれ」


しかし、ハクオロはクンネが言葉に詰まると、どこか困ったような頬笑みを浮かべ口を開いた。


「八つ当たりをしても良い。認められないことから逃げて、拒絶しても構わない。
だが、その行動の責任の全ては君にある。君が選んでしまったモノなんだ」


ハクオロは、優しい言葉尻とともに口を閉じた。
伝えるべき事はこれだけだと言わんばかりに、無言でクンネを見つめる。
そんな中、彼女の頭の中はぐるぐると言い訳だけが渦巻いていた。

ヌワンギは、当時クンネが追い出すだけでなく性根を叩きなおせば、また違った道を歩んだかもしれない。
いや、あの時はああするしかなかったんだ。

村の役に立つには、本当に泥棒しか手がなかったのか?
時間が経てば、他の子供が飢えて死んでいた。

だが、言い訳はどれもむなしく消えていく。
それは彼に指摘された責任の全てが、自分にあると自覚していたからだ。
ハクオロの言葉は厳しい。
もちろん、責任はクンネだけにあるのではないかもしれない。
しかし、確かに彼女が起こした行動の責任は、他の誰でもないクンネ自身にしか取ることができないのだ。

普段のハクオロならば、このようにいたずらにクンネを追い詰めるようなことを言わなかっただろう。
しかし、ここで言わなければそのことを彼女に指摘する機会がなかったのも事実だ。

だから、クンネは言い訳も出来ずに、ただ涙を流しながらハクオロを見上げる。
ハクオロは、どこか困ったような笑みを浮かべながら、彼女に手を差し出した。


「…時間はまだある。これから、ゆっくりと考えてみると良い。ただ、今日はもう帰ろう」


クンネは無言で彼のその手を取った。
彼女の中では猛烈なハクオロへの反発が渦巻いている。
そもそも、最後が「考えてみると良い」と投げっぱなしであるし、悪しざまに愚かだと言われたことも気に食わない。
何より、彼女にとっては嫉妬の対象である彼に指摘されたことが悔しかった。
だが、ハクオロの言葉にも正当性があることは認められたため、彼女は反論する事はなかった。

ただ、何も言い返せないことが癪であった彼女は、気がつけばハクオロに体を起してもらいながら、憎まれ口を叩いていた。


「貴方に、私の気持ちは分からない」


「はは、確かにそうだな」


ハクオロは彼女の言葉が苦し紛れの一言だと分かっているからか、苦笑いを浮かばせながら背を向ける。
恐らくは、家に帰るのだろうとクンネは思った。
彼は、彼女の考えの一端に触れられ、彼女に歩み寄るきっかけを手にした。
その為、今回はこれ以上踏み込むことなく終わらせるつもりなのだ。

実に大人らしい理性的な判断だ。

クンネは、彼女では到底かなわない大人という立場を見せつけられたような気分だった。
そも、自分がまだまだ精神的に未熟であると痛感させられた。

絶対的とも言えるその差にクンネが愕然としていると、不意にハクオロは彼女の方を振り向いた。
てっきり、そのまま家に戻るのだと思っていたクンネは彼の行動を訝しく思う。
そんなクンネの気持ちを知ってか知らずにか、ハクオロは仮面で覆われていない口元を微笑ませながら言った。


「帰ろう。トゥスクル様たちが待っている」


「……別に、貴方に言われなくても帰るさ」


クンネは、彼から視線をそらしながらその脇を通り抜け、追い越して歩き始める。
まだ、目には大粒の涙が溜まってしる上、泣いたことを証明するかのように涙声であった。
その様子に、これまた笑いを浮かべながら、ハクオロはそのあとに続く。

ふと、クンネが空を見上げるとそこには星も見えない曇天が広がっている。

ああ、通りで今日は辺りが暗いはずだと彼女がそう思った。


瞬間、虫の声が消えた。


それまで耳にかすかに届く程度に鳴いていたはずの虫たちが合唱を止め、なにかに怯えるかのようにその存在を小さくしたのだ。

クンネは、聞いたこともないような異常事態に嫌な予感が駆け巡るのを感じ、思わず歩くのを止めて辺りを見回した。
ただ、後ろを追いかけるハクオロはそのことに気がつかなかったようで、突然歩みをとめたクンネを不思議そうに見る。


「どうか、したのか?」


クンネは彼の疑問に答えることなく、辺りを見増し続け悪寒の出所を探す。
すると、彼女たちがたった今背中を向けていた村の入り口にその発信源が有ることが分かった。
だが、村の入り口はすぐ森に続いているため、闇夜の中では何がいるのか判別することは難しい。
クンネは冷や汗をかきながら、入口から視線をそらすことなく口を開いた。


「何か――来る」


「え?」


そう言った瞬間だった。



「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」



曇天を裂かんばかりの咆哮が、辺りに響いた。
事ここに至り、ようやくハクオロも事態を察したのか慌てたように入口へと視線を向ける。
その動作が終わるか、終わらないかのうちに森の茂みが動いたかと思うと、巨大な白い塊が矢のような速度で飛び出してきた。


「下がって!」


クンネがそう叫び、ハクオロを突き飛ばした瞬間、その白い塊は数瞬前まで彼がいた場所を通過し、急制動をかけて一回転する形でクンネたちへと向き直る。

その白いものは、ハクオロの主観で言うならば『虎』というものが一番近かった。
色こそ白であるものの、ネコ科特有の顔やその体を覆う毛皮の独特な模様は、彼が知る『虎』を大きくしたものであった。
その『虎』は、低く唸り声を上げながらクンネとハクオロを睨みつけている。
その異様な迫力に、ハクオロは思わず呟いた。


「なんだ、こいつは……」


「『主(ムティカパ)』」


そのつぶやきに答えるかのように、クンネはそう漏らした。
その視線は、ただ目の前の生物を畏怖をもって見つめ、体を縮こまらせている。
ハクオロは、オウムのようにその生物の名前を繰り返し読んだ。


「『主』?」


「……森の神様の使いだ。会ったら、食われる」


そう彼女が言った瞬間、『主』は再び咆哮を上げて二人へと躍りかかった。









[24653] 八話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2011/01/09 16:21
主(ムティカパ)の狙いは、ハクオロであった。
なぜなら、彼の動きはクンネのそれと比べるとはるかに遅く、捕らえるのが簡単であったからだ。
咆哮の後、主はハクオロ目がけて一直線に駆け抜けた。
ちょうどハクオロが、一度主の攻撃を回避して無防備になった状態を狙ってのことだった。

その時のハクオロは、なんとか逃げ出そうと体を大きく投げ出したところだった。
その反応は間違っていなかった。本来ならば、体勢が崩れ無様に地面に倒れ伏す事にはなっただろうが、回避に成功するはずだった。

相手が、主でなければ。

ハクオロに突進する最中、主は急激にその速度を上げた。
それは、飛びかかるという動作ではなく、純粋に相手を吹き飛ばすために最高速度で駆け抜ける構えだった。

結果、ハクオロは正面からの主の300kgを優に超す体重から放たれる突進を回避しきれず、まるで激流に晒された木片の如き勢いで吹き飛んだ。


「がっ!?」


悲鳴未満の声しか上げることしか出来ずに、ハクオロの口元が苦悶に歪んだ。
そして、彼は悲鳴すら残すことなくその方向は主の領域である森。
彼は、勢いよく木の間を縫うように飛び、やがて茂みの中へと消えて行った。
それを茫然と眺めていたクンネは、そこになってようやく悲鳴のような声を上げた。
その声は、無意識に彼の安否を確認するためのものであった。だが、



「ハクオロ!!」



その時、彼女は間違いなく初めて彼を名前で呼んだ。
彼をハクオロとして受け入れていたのだ。
しかし、吹き飛ばされたハクオロが答える声は聞こえず、代わりに彼女に答えたのは低い獣の唸り声。
ゆっくりと振り向いた主の瞳には、強い警戒の色と威圧感が浮かんでいた。
その瞳と目があった瞬間、クンネの背中に悪寒が走る。
まるで、自分の生き物としての本能に直接働きかけるかのように、ある不文律がクンネの中に刻まれる。

すなわち、どう足掻いても『主』には勝てない。

同時に、自分を含めた近しい者たちの死が明確に想起される。
食い荒らされるヤマユラ村。
血だまりに倒れ伏すエルルゥやトゥスクル。

そして、燃える研―――


「あああああああああああああああああああああああああああああ!!」


それは、一種の恐慌状態であった。
窮鼠猫を噛むという言葉にあるように、絶対的な力関係に追い詰められたクンネは絶対にしない行動を取った。
ウォプタルを凌ぐ速度で駆けるクンネの足が大地を蹴る。
まるで砲弾のような速度で、本来なら襲いかかられるべき主へとその牙をむいたのだ。

これに面食らったのは主であった。
主は森において絶対的な実力で持って、反抗するモノがいない。
それはつまり常に狩る側であり、誰かから襲われるという経験がなかったのだ。
ましてや、人間。
主が少し爪を振るうだけで容易く死に絶える種族が反抗することは、彼女の長い生の中でも経験がなかった。
そのため、主の判断は一瞬では有ったが僅かに鈍った。

クンネにとってはその一瞬で十分であった。

沈み込むように膝を曲げ、まるで主の眼前でかがみこむような体勢になる。
次いで、そのまま伸びあがるかのように足を伸ばす。

その瞬間、重たい空気の壁をぶち破りクンネは無重力を得た。

まるで、そのまま空へと駆け上がっていきそうな勢いで宙へと飛びあがったクンネ。
主は彼女の跳躍をただ見ている事しかできなかった。
クンネは、木々を飛び越えるほどの高さまで跳躍するとそのままハクオロの後を追いかけるように森の中へと消えて行った。

ガサガサと葉なりの音が聞こえた後、重たい足音が森の奥へと消えていく。

主はその行動にただでさえ感じていた怒りが倍加するのを自覚した。
そもそも、彼女は自身を祭る祠を壊されたことに激怒していたのだ。
にもかかわらず、わざわざその森へと土足で踏み入るとは、もはや彼女を侮辱しているだけでは済まされない。


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


主は咆哮を上げると、暗い森の中へとその白銀の身を躍らせた。
その森の中は彼女の庭。
たかが、手負いの獲物。片方の元気が有り余っていようと、彼女に仕留められないわけがない。

支配者の狩りが始まった。










――――――――――――――――――――――――――――――――――――









クンネは森に飛び込んだ後、葉鳴り以外の音を立てずに着地した。
それは、彼女が長年働いていた泥棒の成果によるものであった。
彼女は、そのまま辺りを確認すると大地に何かが転がったような跡を発見した。
その跡を視線で追うと、彼女は少し離れた木の根もとにハクオロの姿を見つけた。
彼は、木の根元でぐったりとしていたが僅かに体が動いていることから、かろうじて生きていることが分かる。


「ハクオロ!」


クンネはそのまま彼を助け起こす。
同時に閉じられていた彼の瞳が、つらそうな呼吸音とともにゆっくりと開かれる。


「クン、ネ」


「喋らなくて良いさ。それより、早く逃げよう。あいつが追ってくる」


クンネはハクオロの返事を聞かずに、彼を米俵のように肩に担ぐと主との距離を稼ぐべく、森の奥へと走り出した。
ハクオロはその時の上下運動が傷に響くらしく、小さくうめき声を上げる。
その時、


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


咆哮ともに何かが森の中へと入って来る気配があった。
クンネは思いのほか近くで聞こえたその声に、焦りを隠さず走り出す。
その速度は、ハクオロを抱えているためかいつもよりは劣るものの、怪我をしていない彼が走った時よりもかなり早い速度であった。

ただ、その全力の走りは抱えているハクオロにかなりの影響があった。
振動が、素早く繰り替えし彼を襲ったのだ。
アバラでも折れているのか、激痛のあまり息が詰まる。
しかし、彼は運んでくれているクンネの邪魔にならないように必死に声を押し殺した。
そんな彼の努力をあざ笑うかのように、クンネの背後に白い影が張り付く。

主だ。

主は、森の中であってもクンネとほぼ同等かそれ以上の速度でもって駆けていた。
同等の速度であるにも関わらず、主がクンネに追いつきつつあるのは何故か。
それは、一重に走り方の差であった。
クンネは森の中であることから、木の根、倒れた木や石などを避けるように道を選びながら、曲がりくねったように走っていた。
それに対し主は、その巨体を生かし多少の障害物であるならば破壊しながら一直線に駆け抜けていたのだ。
半円において弧の長さよりも直径の方が長さとしては短い。
その長さの差こそがクンネと主との速度の差となって現れたのだ。

ハクオロはクンネに担がれて揺れながら、そのことに気がついた。
しかし、彼にはどうする事もできない。

彼は現在、クンネに背負われていなければ走ることも出来ない。
しかもクンネは彼を担いでいるがゆえに全速力で持って主を振り切ることも出来ないでいた。


「くそっ! 追いつかれる!」


荒い息と共に、クンネは苦しそうにそう吐き捨てた。
彼女の言葉の通り、いつの間にか主はその顔をハッキリと視認できるほどの距離まで迫っていた。


「もう良い! 私を置いて逃げるんだ!」


「は?」


「足手まといな私を置いて、君だけでも逃げるんだ!」


ハクオロはとっさにそう叫んでいた。
彼をその場で捨てれば、確実に主は彼にまずとどめを与える。
その隙さえあれば、クンネは錘がなくなった状態で全速力でこの場を離脱できるのだ。
しかも、ハクオロ自身はとてもではないが走れそうにない。
それならば、ほぼ確実に逃げ切れるであろうクンネを逃がそう。
短い間であるとはいえ、彼女と生活圏を共にしていた彼はそんな策を自身の中で組み立てていた。


「ふざけるな!」


だが、その考えは彼女の怒声と共に叩き潰される。
彼女は錘を乗せて走り、しかも追いつかれそうと言う絶望的な状況でありながら、合理的な考えを取ろうとはしなかった。


「私は貴方が嫌いだ! でも、貴方を犠牲にして生き延びるほど堕ちちゃいない!」


「しかし、このままでは二人とも……」


「だとしても、私は貴方の意見なんて聞いてやらない。私は貴方が言ったほど愚かな怖がりではない!」


「こ、子供か君は! 意固地になっている場合か!」


ハクオロはクンネの言葉に愕然とした。
この命の危機が差し迫った状況で辿りつく発想ではない上、なんともしょうもない理論であった。
しかも、このまま二人とも主に食われでもしたら目も当てられない。
まさに危険だけが大きくて、失敗する可能性だけしかないような泥舟の思考。

合理的かつ冷静な思考をするハクオロとは、まさに対極に立つかのようなものだ。


「う、うるさい! 私は、私は―」


「良いから私を下せ! このまま犬死はご免だ!」


「犬死とはなんだ! 人がせっかく頑張って走っているというのに!」


いつの間にか、二人は口喧嘩を始めてしまっていた。
ただし、その間にはそれまで確かに存在していた壁のようなものがない。
その証拠に、ハクオロですら普段の彼の優しげな口調ではなくやや粗ぽいそれに変わっている。


「少しは大人になって考えてみろ! もしかしたら、あの主とやらが村を襲うかも知れないんだぞ?」


「うっさい! どっちかが生き残ればいいって? 冗談じゃない、アイツは私たち二人とも殺すつもりだ!」


クンネがそう言った瞬間、主はついにクンネの背中を射程圏内に入れたのか、僅かに体を沈める。
それを察知したハクオロは瞬時に頭を切り替えて、クンネへと声をかけた。


「クンネ!」


「っ、分かってる!」


クンネはハクオロの言葉に答えるように走り続けながら、後ろを振り向き主目がけて自身の手を振った。
クンネの振るわれた手から、細い糸状の何かが屈んだ主へと伸びて行く。
そして、主が完全に飛び上がりきる前に素早く体へと巻きついた。

ハクオロは、その光景に目を見張った。


「これは…!」


「鋼糸だ」


ハクオロの言葉にクンネが答える。
彼女の服の裾の中から無数の糸が伸びており、それが主の体を拘束しているようだ。
ただ、その糸はただの糸ではなく彼女が言ったように、鋼のものでいくら主とはいえ簡単には振りほどけないだろう。
加えて、上手く操るためにその先には分銅が付いており、それが主の体をさらにきつく締めつけている。
飛び上がることに失敗した主は、大地に転がりいらだたしげに唸り声を上げた。

通常の人間の力ならば超重量のその渾身の暴れを御して、鋼糸で拘束する事は不可能であっただろうが、クンネは違った。
『人間』よりもはるかに強脚力と体感で、服の裾から出ている鋼糸を足で踏みつけて、なんなく主の動きを抑え込んでしまう。

クンネは、彼女の力でもってしてもつらいのか、歯を食いしばり踏ん張りつつハクオロを地面に振り落とす。
鈍い音ともにハクオロの悲鳴が聞こえたが、クンネは一切を無視して口を開く。


「昔、『ハクオロさん』に、教えてもらった…達人なら大木ですら両断するらしい。
まあ、私では、せいぜい、こうやって動きを、抑え込むことしかできないけどな」


「それは、また…」


ハクオロは、なんとか痛みをこらえて立ち上がると、思わず口ごもった。
主は胴体に前足が縛りつけられるような体勢で拘束されていた。
四足の生物は前足に限って言うのならば、振り下ろすような動作、要するに踏みしめる動作でこそその力を最大に発揮できる構造になっている。
現状の主はそれとは逆に拘束されていることから、最大の力を発揮できていないはずであるが、何故かクンネは徐々に引きずられている。

その様子から、ハクオロは一つの答えを導き出す。


「…持ちそうにないか?」


「無茶を言わないでくれ。こいつ、かなりの馬鹿力だ。
それより、私の腰に短刀が入っているからそれでさっさととどめを刺してくれ。
あまり長くは持たないだろうから」


「…わかった」


ハクオロはそう言うと、素早くクンネの元までたどり着くと彼女の短刀を探して彼女の腰もとを見る。
だが、そこには帯があるばかりで短刀など影も形も見えなかった。


「短刀? どこにあるんだ?」


「え? あ、しまった。服の裏側に鞘が縫い付けてあるんだった…」


そこまで言ってクンネは閉口した。
それは、主のもがきが激しくなったからではなく、ただある事実に気が付いてしまったから。
そして、ハクオロもその事実に気がつく。


「……なあ、もしかして私が、取りだすのか?」


その言葉にクンネは赤面する。
クンネの服は上衣と下衣が分かれており、どうやら上衣の背中に短刀があるらしい。
ハクオロはごくりと唾を飲み込んで喉を鳴らす。
普段全く意識していなかったとは言え、クンネは女性である。
慢性的にある目の下のクマのせいで不健康に見えるモノの、それを差し引いても美しいといえる。

そんな彼女の服の中を漁ることに、ハクオロはかすかに背徳感を得ていた。

クンネはハクオロのそんな様子を知ってか知らないでか、舌うちと共に顔をそらし彼に背中を向けると、短く吐き捨てた。


「良いから早くしてくれ」


言葉としては、完璧であった。
まるで一切気にしていないとその言葉は言っていた。
だが、彼女の真っ赤になった顔は正直に自分の恥ずかしいという感情を表現していた。

ハクオロはその恥ずかしさが何故か自分にも伝染するのを感じたが、主を仕留めるためと割り切ってクンネの服に手をかける。


「よし、では取りだすぞ」


「あ、ああ」


ハクオロは了承が得られると、彼女の服の中に手を入れた。
その瞬間、ビクリとクンネの体が電気が走ったように反応する。
しかし、ハクオロはそれでも止めることなく彼女の背中をまさぐる。


「んっ、くっ―」


どこか艶目かしい声がクンネの口から洩れ、ハクオロもそれに反応してしまいそうになる。
ただ、彼はなんとか大人の余裕をもってして堪えると、背中の鞘を探り当てた。


「あった。取りだすぞ」


「わ、わかったから早く!」


切羽詰まった声にハクオロは短刀を引き抜こうとするも、何かで止めてあるらしく上手く引き抜くことができない。


「…すまない、上手く取りだせないんだが何で止めてあるんだ?」


「さ、鞘と鍔が留め紐で結んであるんだ。って、そんなゴソゴソ背中を弄るな! 集中できないだろうが!」


「す、すまない」


ハクオロはクンネの叱責に素直に謝るも、なかなかうまく紐が解けない。
クンネは自分であれば一瞬で取れるそれに手間取るハクオロにいらだつと同時に、背中にあたる彼の手の感覚にゾクゾクとした何かが背中を駆けのぼるのを感じた。
彼女は、それを嫌悪感だと自己解釈したが時折漏れる彼女の声には、確かに甘い響きが含まれ始めていた。


「んっ、っ、まだか?」


「まて…もう少しで…取れた!」


そして、遂にハクオロはクンネの背中から短刀を取りだすことに成功する。
クンネは力が抜けそうになるのをこらえながら、投げやりにハクオロに支持を出す。


「分かったから、早くしてくれ」


「あ、ああ」


ハクオロはその抜き身の白刃を片手に、ゆっくりと主へと近づいていく。
その様子を見てか、主は益々激しく暴れ狂い気が狂ったかのように唸り声を上げた。

ハクオロはそんな主を見つめながら、ゆっくりと白刃を振り上げて振り下ろした。



その時、森に鋼と鋼がぶつかり合う音が響いた。



「な…………」


「え、うそっ…」


漏れ出たのはハクオロとクンネの驚愕。

ハクオロが振り下ろした白刃は、確かに主を捕らえていた。
しかし、それは刺さることなく真っ白い毛で持って肉に刺さる前で止められていた。


「ば、ばかな…。刃物が利かない?」


「そ、そんな…そんなはずは――」



「グルォォォォオオオオオオオオ!!!!」


その時だった。
主が最後の反抗とばかりに体をあらんぎりの力で持ってひねり上げた。
すると、プツリと言う音と共に鋼糸が切れてしまう。


「マズイ!」


ハクオロは先ほど一撃もらった予測から慌てて後ろに下がるが、鋼糸を操っていたクンネは今まで全力で引っ張っていたものがなくなった為か、尻もちをついてしまう。
主は、その隙を見逃さない。


「させるかっ!」


しかし、ハクオロも怪我の痛みを忘れたかのような速度で動いた。
まるで飛びかかるようにクンネの上に伸しかかると、その体を自身を盾にするかのように強く抱きしめる。


「あっ――――」


クンネはため息のような声を漏らした。

月下の元、黒い影と化した主の爪が自身を抱きしめたハクオロへと迫る。
身動きが咄嗟にとれない彼女は、迫る影を茫然と見つめながら何もすることは出来ず――



再び、鋼と鋼がぶつかり合う音がした。



「――――大丈夫ですか?」


不意に、クンネの耳朶に女性の声が響く。
どうやら、目を瞑ってしまっていらし彼女はゆっくりと目を開く。
すると、そこには油断なく刀を構えながら主を牽制している女性がいた。

その耳はまるで鳥の羽根のようである。

クンネはそのような種族を風の噂で聞いたことがあった。





曰く、大義を成す一族。

戦場において、死すら厭わずに義の為に無双の武を振るう彼らは、自軍に正当性をもたらす存在。





その名は『エヴェンクルガ』。





「某は、エヴェンクルガのトウカ。義を見てせざるは勇なきなり、助太刀いたしましょう!」


そう言ったエヴェンクルガの女武士は刀を正眼に構えた。






あとがき

まさかのうっかり登場



[24653] 九話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2011/01/12 22:08

低い雷鳴の音が響く夜の森の中。

睨みあうトウカと名乗ったエヴェンクルガの女トウカと主(ムティカパ)は、微動だにせずに互いの隙を窺っていた。
だが、両者に隙と言うものは存在しない。
いや、正確にトウカには明確な隙が存在した。だが、主はその隙に攻撃するという愚行を冒さないだけだ。
と言うのも、その隙というものはトウカが意図的に作り出したものであり、気軽に飛び込めば無数の斬撃が主を襲うことは想像に難くなかった。
対して、トウカは夜の森と言う悪条件が為視界が悪く、迂闊に攻める事が出来ないでいた。
まさしく、両者睨みあいの様相を呈していた時、再び低い雷鳴の音がした。


「いやぁ!!」


疾風迅雷。
雷鳴に重なるようにトウカの裂帛の気合が彼女の口から迸る。
同時に、遂に彼女の刀が閃いた。
しかし、主の鋼鉄の毛皮は先ほどのハクオロが振り下ろした短刀と同様に、トウカの一刀ですら容易くはじいた。
本来ならば、トウカの技の切れは斬鉄すら可能とするものだ。
しかし、主は自身の鋼鉄の毛皮の特性を理解しているのか、まるで受け流すかのように体を振り、そのままの動作でトウカへと爪をたてんと躍りかかる。
巨体が迫る様は威圧感があり、常人ならば畏怖のあまり足がすくんでしまうだろう。
トウカは、巨体が迫る中焦るでもなく平静のままであった。
後ろにハクオロたちを庇っていることから退くことも出来ないにもかかわらず、そのまま返す刀で鋭い刺突を繰り出したのだ。

それは、まるで突進を遮るかのように主の鼻先へと叩きこまれる。
何を隠そう、鼻先と言うものには殆ど毛がない。
最初にハクオロたちを庇ったときに主の毛に刃が効かないと察知したトウカは、毛がない部分を始めから狙っていたのだ。


「ギャオオオオオ!!」


傷ついたことがない主は、その痛みに驚き悲鳴のような声を上げて思わず後退する。
トウカもそれを無理やり追おうとはせず、改めて刀を構えなおした。

両者が睨みあいに戻る。
まるで、天がそれを嘲笑うかのように再び雷鳴が鳴った。
同時に水音と共に空から雨が降り注ぐ。
ただ、森の木に囲まれているためかその雫はクンネたちに少量程度しか濡らさない。

主は鼻先に一刀を受けたためかダラダラと血を流し、血走った目でトウカを睨みつける。

再び襲いかかってくるか。

トウカがそう思い、僅かに体に力を込める。
だが、何を思ったのか主は唐突にトウカから視線を外すと、その身を翻して森の奥へと消えて行った。


「なっ、逃げた…?」


ハクオロはその様子に衝撃を受け愕然としていたが、すぐさま気を取りなおして未だ自身の腕の中にいるクンネへと視線を向ける。
クンネは何故だか、放心して宙を見つめていた。
さしものハクオロでも、これに驚いた。
彼が知るクンネという少女は意地っ張りの子供であったが、しっかりとした芯を持つ少女であった。
その少女がここまで放心するとは、それほど先ほどまでの事が恐ろしかったのか。
彼は、内心焦りながらクンネへと穏やかに問いかけた。


「クンネ。大丈夫か、クンネ?」


「ムーミン」


「は?」


「え、あれ?」


ハクオロは盛大に混乱した。
突然谷に住むカバの名を呼ばれれば当たり前であろう。
だが、そのハクオロの茫然としたことで我に返ったのか、彼の腕の中にいるクンネはようやく自分がハクオロに抱きしめられていることに気がついたのか、盛大に暴れ始める。


「ちょっ、なんであんたが私を抱きしめているんだ! 離せ!!」


「ぐおっ!? ま、待て! すぐに離すから暴れるな!!」


ハクオロは覆いかぶさるようにしていたため、すぐにどくことは出来なかったのだがクンネはそんなことは関係ないと、彼の腕の中で暴れると容赦なく彼を蹴り離した。
主の突進で腹を痛めているハクオロには、まさに致命傷であり彼は思わず彼女から離れ、地面で腹を押さえてのたうち回る。
クンネはそんな彼を鼻を鳴らしながら見下ろすと、それを見ていたのか苦笑したトウカが彼らに話しかける。


「あ、あのー」


「ああん?」


咄嗟のことだったためか、ギロリと凄まじい眼力と威圧感と共に振り向いたクンネ。
トウカは、一瞬ビクリと体をすくませるとプルプルと震えながら小さくなった。
主ですら退けた彼女ですら怯える辺境の女の気迫であった。

ただ、クンネは彼女を怯えさせるつもりは元からなかったため、流石にこれにはやってしまった慌てて取りつくろう。


「あ、危ない所を助けて頂き、ありがとうございました」


ハクオロもその言葉に続くように地面でのたうち回るのを止め、生まれたばかりの馬(ウォプタル)並みに足を震わせながら立ち上がる。
ちなみにその顔は仮面で覆われているものの、目に見えて真っ青であった。
彼は、そんな死人のような様相でトウカへと頭を下げる。


「食われる一歩手前でしたので、感謝の言葉もございません」


「あ、や、某は当然のことをしたまで。どうか、お気になさらないでいただきたい」


トウカは二人の様子に怯えなくて良いと悟ったのか、どこか慌てたように言い募り、顔を真っ赤にする。
その様子は、先ほどまで放っていた凄まじい闘気の面影すらなく、もっとも先ほど覚えていたことが全てを台無しにしていたが、クンネもハクオロも彼女に対して親しみを感じた。
とは言え、二人が命を救ってもらったことは事実であり、感謝もしていたことから頭を下げることを止めない。

そんな彼らにトウカは苦笑した。

彼女は、とりあえず彼らに落ち着いて言葉を投げかける。


「頭を上げてください。武士とは、弱者の為に刃を振るうもの。某が貴方がたを助けたのは、当然のことです」


「いえ、そうですが…それでは何かお礼をさせてください」


その言葉にクンネは流石エヴェンクルガの武士と思いつつ、ありきたりではあるが提案をする。
すると、トウカは苦笑していた顔を一瞬開花した花のような笑顔に変える。
だが、何を思ったのか慌てて表情を引き締めて厳格な様子で口を開いた。
ただ、嬉しさをこらえきれないのか彼女の顔は微妙にだらしなく緩んでいる。


「そ、それは嬉しい。情けないことなのですが、できれば…その…」


次第に歯切れが悪くなり、視線も泳ぎ始めるトウカ。
その様子を訝しく思ったのか、ハクオロは不思議そうに彼女を見つめた。


「その、なんですか?」


「ええっと…」


「なんでも言ってください。貴女は私たちの命の恩人だ」


クンネは言い淀むトウカに対し、朗らかにそう言った。
その言葉に勢いづけられたのかトウカは少しだけ困ったように笑いながら、口を開いた。


「それでは……何か、食べ物を分けては貰えませんか?」


「「へ?」」


ハクオロとクンネがトウカの言葉に思わず聞き返すと、まるでそれに答えるかのようにトウカの腹の虫が鳴った。
彼女は慌てて腹を押さえるが、腹の虫はまるで思い出したかのように空腹を訴え続ける。
トウカは羞恥のあまりか顔を真っ赤にし、腹を押さえたまま膝をついてしまう。
ハクオロは、そんな彼女にどこか戸惑い気味に声をかけた。
クンネは、トウカの様子を肩を震わせ笑いを堪えながら見ている。


「…あの、大丈夫、でしょうか?」


「じ、実は関を越えた後に獣道に入ったためか迷ってしまい、食料が尽きて…」


「獣道、ですか? 何故、そんな所に…」


ハクオロは疑問に思い、彼女にそう問いかけた。
確かにヤマユラは辺境の地であることから森や山が多い地形である。
しかし、村からの道はしっかりと作られており普通ならば獣道に入ることなく進めるはずなのだ。
ハクオロは他の村に行ったことはないものの、エルルゥの手伝いのために薬草や薬石集めをしており、その道の存在を知っていた。
この質問に、トウカは本当に恥ずかしそうに口を開いた。


「じ、実は…………がいて」


「は? 何が、いたんですか?」


ハクオロは彼女がつぶやいた言葉が聞こえず、もう一度聞き返す。
すると、彼女はやけになったのかやけに大きな声を上げた。


「か、可愛い動物がいたため、ついていってしまったのです!」


「ぶっ!?」


その途端、クンネが盛大に噴き出した。
彼女にしてみれば、エヴェンクルガは冷静沈着で戦場で武を振るう凄まじい武士だ。
その武士が可愛いものが好きで、しかもそれについていってしまうなどと言うことは笑い話にしかならない。
たとえ、それが自分を救ってくれたものであっても。
クンネは、なんとか笑い声を出すことは堪えたものの、笑われたと悟ったトウカは顔をさらに真っ赤にさせる。
これは、流石に命の恩人に対して失礼にあたるとハクオロはクンネを嗜めた。


「クンネ」


「あ、っ、いや、ごめんなさい。エヴェンクルガでこんなに可愛らしい方がいるなんて思わなくて」


「か、かわいい!?」


トウカはクンネの言葉に素っ頓狂な声を上げた。
ただ、ハクオロはクンネの言葉のなかで分からない単語に首を傾げる。


「エヴェンクルガ?」


「そ、某が可愛いなど……粗忽者で、女らしい体つきでなければ、武を振るうことしかできぬ無精者で……」


何やら混乱し始めたトウカを放っておきつつ、クンネはハクオロの問いに答えた。


「ああ、戦場において清廉潔白性格から義を誇り、自軍に大義があることを示す武士の種族さ。
彼ら個人も優れた武をもっていることから、とてつもなく優遇されているんだ。わかったか、変態仮面」


どうやら、抱きしめられたことを未だに根に持っているのかそう言ったクンネにどこかげんなりとしながら、ハクオロはそのような種族がいる事に感心した。
彼らの特徴は鳥の羽のような耳かと観察しながら、なんともなしに彼はクンネの言葉を頭に刻みつけた。

クンネは未だに真っ赤になり何事か口元でつぶやくトウカへと声をかけた。


「あの」


「は、はぃぃぃぃ!」


「良かったら私たちの村に来てくれませんか。辺境であり、大した料理は出せませんがお礼も兼ねてごちそうさせてください」


トウカはしばらくクンネの提案をどうするべきか考えるべく、無言になる。
しかし、静かになった辺りに自分の腹の虫の音が響き始めると、彼女はクンネとハクオロへ頭を下げた。


「お、お願いしてもよろしいでしょうか?」


「もちろん」


止まない雨の中、彼らは確かに頬笑みあう。
そして、静かに闇しか孕んでいない森の中から抜け出した。





あとがき
今までで、一番短いです



[24653] 十話
Name: ハウスミカン◆5af2c98e ID:94480e51
Date: 2011/01/12 22:08


「姉さんの馬鹿! ハクオロさんの馬鹿!」


村へと帰ったクンネとハクオロを待っていたのは、主の咆哮によって叩き起こされ警戒を深めていたヤマユラ村の村人たちであった。
彼らは無事に帰ってきたクンネとハクオロに喝采を上げて喜び、彼らを守った命の恩人でもあるエヴェンクルガのトウカに深く感謝した。
そして、彼女が腹ごしらえを望むと、全員が率先して新築であり広さもそれなりにあるテオロの家へと集まることとなった。
クンネとハクオロもそちらに参加してもう一度彼女に感謝を捕まえようとしたのだが、その前に立ち塞がった者があった。

誰あろう、エルルゥだ。

彼女は禍神(ヌグイソカミ)もかくやと言う程の瘴気を放ちながら、無言で彼らに床に正座するように指示した。
その様子からは、昼間にクンネの怒りに怯えていた少女は感じ取れず、ただ辺境の女の強すぎる覇気を身に纏っている。
クンネはすぐさまハクオロを身代わりに逃げようと考えた。


「やあ、エルルゥ! 私はトウカ殿に話があるから……」


「座れ」


命令だった。
普段の彼女ならば絶対にしない言葉づかいからも彼女の怒り具合が分かる、完膚無きまでに命令だった。
クンネは彼女のその命令だけで逃げる気が失せたのか、「はい」と小さくつぶやくと素直に正座をして項垂れた。
そして、残されたハクオロはクンネを犠牲にしてエルルゥの死角をつき、家から出ようとする。
だが、禍神エルンガーと化した彼女はハクオロのそんな行動を見逃すことはなかった。


「ハクオロさんも座ってください」


「ひっ、い、いやっ、私はその、大人の付き合いというものがあってだな…」


「座ってください」


「いや、だから、エルルゥ…」


「すわってください」


「……はい」


抵抗するも敢え無く撃沈。
クンネの隣に正座する事になる。
クンネはそんなハクオロの様子に嫌悪感を抱いたのか、顔をしかめ彼から距離を取った。
その反応から未だ彼女が自分に心を開いていない事に地味に傷ついた彼だが、エルルゥの説教が始まったことからそんな感情も吹っ飛んだ。
ただ、彼としては確かに彼女に心配をかけた事から怒られる事も仕方がないと思っていた。
もっとも、大人の彼としては彼女の話を聞いてやっていると言った方が正しいのだが。

そんな彼の目論見は甘かった。

隣のクンネが真っ青な顔をして妹を見上げている時点で気が付くべきであったのだ。
エルルゥの説教が如何に強力かに。
彼女の説教はまず二人が夜に外に出た事に対してから始まった。
しかし、それだけに留まらなかった。

ハクオロは怪我が治ったばかりで無理している事をこっぴどく怒られたばかりか、何故か仮面が怪しいことについて怒られた。
クンネは、ヌワンギに対する厳しい態度から始まり、最近自分に構ってくれないことについて怒られていた。

要するに、説教と言うよりはエルルゥの不満が爆発する形になったのだ。
この不満が次から次へと出てくるので、正座を強いられているクンネとハクオロは溜まらない。
耳に痛い言葉を次から次に言われ、足の痺れは容赦なく二人に襲いかかる。
正に拷問のような時間であった。
そして、その説教と言う名のエルルゥの愚痴は最後に彼女が冒頭のように怒鳴った後に泣き始めた事により終わりを迎えた。

馬鹿。

あまり罵詈雑言を言いなれていない、彼女らしいと言えば彼女らしいその言葉にクンネとハクオロは困ってしまう。
しかも、大声を上げて泣き始めたものだから、二人はしびれる足を引きずって彼女を慰めることになる。
いや、正確にはエルルゥはクンネに抱きついて泣き始めたために、その被害を一番受けたのは彼女であるが。


「なんで、なんで姉さんはいっつもいっつも!!」


「ごめん、ごめんねエルルゥ」


「私、わたし、心配したんだから!」


「ありがとう」


クンネは彼女を抱きしめてその背中を撫でてやりながら、彼女の言葉一つ一つに頷きを返す。
ハクオロはそんな彼女たちを見つめながら、ふとある事に気が付いた。
クンネとエルルゥは、クンネが拾われた子供である事から実の姉妹ではない。
耳が全く似ていない事や、クンネに尻尾がない事からもそれは明らかでは有るが、改めて二人を見つめていると驚くほど似ていた。

まず、その髪。
クンネは適当に後頭部で束ねているだけであり、エルルゥはしっかりと結っているという差はあるものの、二人とも旋毛が左巻きである。

次に顔のパーツ。
これはエルルゥが現在泣いているために判別しにくいが、少しだけ悲しそうな顔で笑みを浮かべているクンネは隈があること以外、エルルゥがその表情を浮かべた時に驚くほど酷似していた。

他には体型など例を上げればきりはないが、彼女たちはともすれば母が違う姉妹で通ってしまいそうだ。


――――いや、彼女たちは■■■に――――


「姉さんまで、姉さんまで居なくなったら、私は、私は!!」


「大丈夫、大丈夫だから」


「やだっ、やだよぉぉおおおお!!」


ふと、エルルゥがそう叫んだことでハクオロは我に返った。
エルルゥは、まるで溜めこんできた全てを吐き出すかのように泣いていた。
クンネにしがみ付いている彼女は、未だに幼い少女でしかない。


「大丈夫。私はいなくならないから」


「嘘っ、だって、だってアルルゥも――!」


「え?」


まさか、アルルゥの身にも何かあったのか? ハクオロが内心驚き、クンネもエルルゥが何を言ったのか理解できなかったのか少しだけ驚いたように固まる。
しかし、次に続くはずの言葉をエルルゥは声には出さなかった。そればかりか、泣き疲れたと言うには突然に意識を失って倒れた。


「え、エルルゥ!?」


クンネが慌てたように彼女の肩を揺さぶるが、エルルゥは何の反応も返さず静かに寝息をこぼし始めた。
それを見たクンネは茫然としながら、ハクオロに視線をやる。


「…アルルゥが、なんだって?」


「…いや、私にも聞こえなかった」


「そうか…」


クンネはどこか暗い表情でそう頷くと、エルルゥを抱き上げた。
どうやら、寝床に彼女を寝かせに行くようだと察したハクオロ彼女の代わりにエルルゥを抱えようと立ち上がり、クンネに声をかける。


「私が…」


「いや、良い。と言うか、あんたは年頃の娘の寝床にズカズカと入るのか?」


「うっ…」


ハクオロは言外に協力を拒まれ肩を落としながら、ため息をついた。
クンネはそんな彼を一顧だにせず、エルルゥを寝室へと運んでいく。
彼女が殆ど床板をきしませることなく歩いていくのを見送り、ハクオロはふと外の喧騒に耳を傾けた。
いつの間にかトウカを湛える声は絶え、ただ静かに雨が降る音だけが聞こえてくる。

ハクオロは、エルルゥが自分たちが温まるためにと入れてくれたものの、彼女の説教を聞きながらであったため殆ど減っていない湯呑に口をつけた。
すっかり冷えて温くなってしまったモノの、味は悪くなくどこか独特な香りの薬草が彼の体の疲れを取ってくれるようだった。
今日一日は、彼には激動と言ってよい一日だった。


ヌワンギとの邂逅。

クンネの怒り。

主と呼ばれる肉食獣の襲来。

エヴェンクルガとの出会い。

そして、エルルゥの嘆き。


彼にとって一番衝撃的だったのは、彼にとって不動のものと思えたヤマユラ村の平穏の裏に沢山の感情が潜んでいた事だった。
エルルゥは、普段の明るさからは想像もつかないほど重く暗い感情を持っていた。
トゥスクルは厳しくも優しい暖かい心を持っていた。
そして、クンネはどこまでも真っ直ぐな激情を持っていた。

どれも、ハクオロには持ちえないものだ。

ハクオロは、記憶がない。
それは、まるで自分だけ周りに取り残されたようで、常に周りと自分との間に無意識の線を引いてしまう。
だからこそ、彼は常に冷静で落ちついた大人でいる事が出来るのだ。
しかし、その反面彼は常に冷静で、『大人』でいなくてはいけない。
激情を抑え込み、暗い感情に蓋をし、一歩引いた暖かさを持つ。
それは、ハクオロにはとても寂しい事のように思えた。


「うらやましい、か」


ポツリとハクオロは自分の感情を吐き出した。
そう、彼はうらやましく思ったのだ。エルルゥやトゥスクルなど長い間ヤマユラで過ごせた彼らに。
そして、何より『自分と同じ』であるはずにも拘らず、彼女たちに最も信頼されているクンネが羨ましかった。

エルルゥが最後に泣きついたのは、クンネだったのだ。

およそ、大人が考え付かないであろう思いにハクオロは苦笑しながら望む。


自分も彼女たちの家族になりたい、と。



「なんじゃ、エルルゥはどうした?」


その時、不意にトゥスクルがトウカを伴って家に入ってきた。
未だに外は雨が降っているのか外套と傘を付けている。
ハクオロは室内に入ってきた二人に僅かに目を見開きつつ、気を取り直して落ちついた声で返した。


「泣きつかれ眠りました。今、クンネが寝室に運んだ所です」


「そうかえ…」


「そちらは、もう酒盛りは終わりですか?」


「ああ、本当は飲んでいる場合ではないと言うに、テオロの奴め…」


トゥスクルはそう言いつつも後ろを振り返りトウカに言った。


「トウカ殿。ここが私の家です。後で孫の一人であるクンネに寝室に案内させるので、寛いで過ごしてくだされ」


「かたじけない」


トウカはそう言い、トゥスクルに頭を下げると靴を脱ぎハクオロが座っていた囲炉裏までやってきて、外套と荷物、それに彼女が腰に差した刀を外すと整えながら置いた。
ハクオロは取りあえず彼らにお茶を出そうと立ち上がり、水を汲むと湯を沸かそうとする。
すると、ちょうどエルルゥを寝かしつけたのか奥の部屋からクンネが戻ってきた。


「あ、おかえりなさいトゥスクル様。それと、いらっしゃいトウカ」


「ああ」


「お邪魔しております」


クンネはニコニコと笑いながら、彼女にしては珍しく笑いながらハクオロに声をかける。


「ハクオロ、私がお茶を入れるから貴方も座っていると良い」


そして、驚くほどの手際の良さでお茶の準備をし始めた。
その動きから自分が出る幕ではないと察したハクオロはおとなしく囲炉裏の側に戻ると、トウカへと話しかけた。


「すみません、歓迎に顔を出せずに」


「いえ、気にしないでください。某は、そのお気持ちだけで十分です。
それに、テオロさんとおっしゃったでしょうか、あの方にとても良くしていただいたので」


どこかハニカミながら言うその様子からは、トウカが凄まじいまでの武を振るうことを忘れてしまいそうなほど普通の少女のようであった。
そんな彼女も浮かれているのか、酒を飲んだであろう少し赤い顔をわずかにだらしなく緩ませる。
ハクオロは、そんなどこか幼さを感じさせる表情から、彼女はクンネと同い年ぐらいなのではないかと目星をつける。


「それはそうと、ハクオロや」


不意にトゥスクルがハクオロに声をかける。
そのどこか真面目な様子にハクオロはともすれば緩みそうであった表情を引き締めると、彼女に向き直った。


「はい、何でしょうか?」


「お前たちが襲われたのは、白い四足の生き物で間違いないね?」


「…間違いありません。クンネとほぼ同じ速度で駆け、岩を吹き飛ばすほどの力、そして私のような弱い者から狙う知恵もありました」


「アレは、主だったよ」


ハクオロの言葉にクンネはかぶせるように言った。
彼女は沸いた湯で人数分の茶を用意しながら口を開いた彼女の声はどこか無機質なものだった。
それは、彼女が無感動にそう述べたのか?

いや、違う。

ハクオロは全員にお茶を配り始めた彼女の手元を見てそう感じた。
クンネの手は微かではあるが、震えていた。
そう、彼女は恐怖しているのだ。
平然とハクオロを担いで走っていたものの、彼女とて少女。本当はどれほど怖かったか。

ハクオロは悔しかった。
自分の情けない姿のせいで彼女に恐怖を与えてしまった事が。

元よりハクオロはそれほど力自慢と言う訳でもなければ、何か武芸に秀でている訳ではない。
しかし、彼は大人だ。本来、庇護するべき少女に守られたままであるのは何とも歯がゆいものであった。

偉そうに何かを言っても、それで誰かが守れなければ意味がない。
どれほど深い知識を持っていても、対抗手段がなければ大きな力によって踏みにじられてしまう。

ならば、どうすれば良いのか。

そう考えた時、ハクオロの中にある決意が出来た。


「そうかえ…となると、森の神さま(ヤーナゥン・カミ)の霊宿(タムヤ)が壊された可能性があるねぇ。
ずいぶんと昔、同じように主様が森から出てきたときはそんな事があった」


クンネの言葉を聞いたトゥスクルは難しい顔をして唸った。
ハクオロにとってはその霊宿が何のことかは分からなかったものの、クンネやトウカなどは場所こそ違えど森に設置されたそれを見た事がある。
理解したらしく、驚いたように口を開いた。


「そんなっ、なんと罰当たりな…」


「ここから近い霊宿って言えば、少し先の街道にあるやつかな。
それにしても、なんでトゥスクル様はそんな事を知ってるんですか?」


「…簡単な話じゃ。その時、主様の怒りを鎮めたのは私の姉さまじゃったからのう」


自分の疑問に答えたトゥスクルに、クンネは大きく目を見開いて驚いた。


「え!?」


「姉さまは、昔から生き物と心を通わせる事が出来る森の母(ヤーナマゥナ)での。ある日、森の奥へ主様の怒りを鎮めに行ったのじゃ。
ただ、それっきり帰ってこなかったがの」


「それでは、その姉君は…」


トウカは悔しそうに唇を噛み締めて吐き出すように言った。
義に篤い彼女としては、そのような犠牲を出す手段を取らねばならないことに心を痛めていた。
これに対し、トゥスクルは呆れたように口を開く。


「昔の話さね。それよりも、今はこれからどうするかを考えねば」


その言葉に後押しされるようにハクオロは口を開く。


「…まだ事態を把握できていない今は動くべきではありませんね。
取りあえずは、明日の朝その霊宿が壊れているかどうかの確認に行く事ですね」


「そうじゃの」


「でも、また主が出てきたら危ないんじゃ…」


ハクオロの提案にクンネは渋い顔をする。
すると、トゥスクルはその言葉に首を振って見せた。


「なに、主様は夜にしか動かぬ」


「…それは、夜行性と言うことですか?」


「「夜行性?」」


聞きなれぬ言葉にトゥスクルだけは頷き、クンネとトウカは首を傾げる。


「夜に起きて活動をすることだ。つまり、主が活発に襲ってくるのは夜だけと言う事だ」


「なるほど、それじゃあさっき現れたのも夜になったから、ってことか」


クンネは納得したのか、頷いている。
それに対し、難しい顔をしたのはトウカであった。


「それでは、夜になればなるほどその動きは良くなるのでしょうね。
先ほど対峙したのは、夕暮れから幾許も時間が経っていない時分。それであれだけの動きならば、本調子となったならどれだけの動きをするのか見当もつきませぬ」


「それは、エヴェンクルガの力をもってしても仕留めるのは無理と言うことか?」


そう質問したのは、以外にもクンネであった。
彼女は、どうやら自分と年が変わらないのにも関わらず凄まじい武技を誇るトウカに興味があるらしく、村に着く道中で早々に敬語を使うのを止めてしまっている。
トウカもそれが嫌ではないらしく、彼女の言葉づかいこそ未だにかしこまったものであるものの、幾分声に親しみが混じっていた。


「そうですね。それこそ、月の光すら届かない森の最深部に入られでもしたら、一方的にやられてしまうでしょう。
それに、あの固い毛皮です。鋼ですら傷をつけられませんでした。仕留めるには目か口の中に刃を突きとおすしかないでしょうが…。
あの巨体で凄まじい速度で動く化け物に正面から攻撃するのは無理でしょう」


「うわー、それは怖い」


本気で怖そうにするクンネに顔を綻ばせるトウカ。
トゥスクルはそんな二人を穏やかな目で見つめている。


そして、そんな彼らを見つめるハクオロの頭では一つの考えが浮かびあがっていた。


(…なら、その状況を作ってしまえば良い)


ハクオロは既に覚悟を決めていた。
どんな手段を取ろうと、クンネたちをヤマユラと言う村を守って見せると言う覚悟を。





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