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[24503] 修羅(和風異世界ファンタジー)
Name: 峠道行◆51efd283 ID:15d41486
Date: 2010/11/23 11:14

前書き

本作品はR指定とさせて頂きます。
はじめからいきなりある程度凄惨な内容ですので、そういった描写が苦手な方はすぐにバックして下さい。
それ以外の方は、拙作を楽しんで頂ければ、と思います。
内容としては戦国時代の日本に似た異世界の話となります。
執筆経験が少ないため、至らない所も多いとは思いますが、暖かく応援して下さると嬉しいです。
感想もお待ちしております。
それではよろしくお願い致します。
















夏の強い日差しもすっかりと陰り、辺りには闇の帳が降りている。
人々は眠りにつき、夜行性の虫の鳴き声以外の音は聞こえない。
そんな静寂に似付かわしくない喧騒が、そこでは繰り広げられていた。

数人の男女――姿格好から見れば、旅芸人の一座であろう――が立ち尽くし。
その周りには帯剣した男達が取り囲んでいた。
見るからに人相の悪い彼らは、おそらく夜盗の類であった。

「その積み荷を渡してもらおうか」
「これは、私達の商売道具です。これがなければ私達は生きていけません!金銭と食糧はお分けしますから、どうかそれで見逃して頂けないでしょうか…」
「駄目だ。全て置いて行け。それ以外に貴様達が助かる道はない」

取りつく島もない夜盗に必死に交渉を持ちかけながら、座長は激しい後悔に胸を焼いていた。
いくら路銀が心許ないとはいえ、やはり護衛は雇っておくべきだったと。
夜盗は数で言えば五人であり、こちらの人数と同じ。
しかし皆が帯剣しており、ほぼ丸腰である自分達で打ち破ることも、逃げ切ることも難しいだろう。
各国が争うこの戦乱の世において、浪人や武士崩れが夜盗と化すのは珍しくない。
そのような者から身を守るには、腕の立つ用心棒が必要だった。

「これ以上拒むなら全員叩き斬る。…ん?いい女もいるじゃねえか。まだガキみてぇだしそいつは助けてやろう」

そう言って好色そうに笑う。
下品な視線のその先には、一座の中で最も若い蘭花という少女がいた。
蘭花は視線に含まれた意味を察知して、体を震わせる。
夜盗に囚われた女の末路など二つとない。

「それだけは…!わかりました…積み荷を全てお渡しします。」

芸で使う楽器や道具、絡繰を渡してしまえば明日の生活すら不安と化すが、彼女を渡すわけにもいかない。
苦渋の判断をした座長であったが、夜盗はそれを一笑に伏した。

「…気が変わった。荷物と、その女も置いていけ」
「な!?先程は積み荷を渡せば見逃すと…」
「さっきまではな。貴様達がさっさと承知しないから気が変わったんだよ。ここで死ぬか、積み荷と女を渡して生き延びるか選べ」

ここで少女を、仲間を売れというのか。
幼いとはいえ、一緒に芸を、旅を続けてきた彼女を。
そんな畜生にも劣る判断を自分に求めるというのか。
ある意味それは、死よりも屈辱的なことである。
そんな道を選ぶのであれば、この身を盾に少女だけでも逃がす。

振り返って仲間を見れば、皆が同じ心中と知れた。
達観した表情で、頷いている。
ならばもう迷うまい。

「生憎だが、彼女は渡せない」
「そうか。なら全員あの世行きにして…」
「待って!」

刀を抜こうとした夜盗と、身を構えた座長の間に躍り出てくる影があった。
蘭花である。

「私はあなた達について行きます!だからみんなを殺さないで!」
「蘭花!」
「私が行ったら助かるなら、絶対そのほうがいい!」
「蘭花、駄目だ。そいつらについて行ったら、何をされるかわかっているのか!?」
「…うん。それでも、みんなが死ぬのは絶対に嫌。生きてさえいれば、大丈夫。」

恐怖を押し隠せず、震えながら言う。
そして今度は、夜盗へと声をかける。


「私はついていきます。だから皆を助けてください」「くく…物分かりのいい嬢ちゃんだ」
「駄目だ、蘭花!」

夜盗は蘭花の手を引く。
止めようとする座長から遠ざけ、背後の部下へと彼女を預ける。

「さて…あとは積み荷だが…」
「くっ…蘭花を離せ!」
「どうやらお嬢ちゃんの気持ちをこいつらは分かっていないらしい。納得していない奴を帰すと面倒になるからな。おい、お前等。殺れ!」

蘭花を捕まえている一人と、先程から話している夜盗の頭と思われる者以外の三人が刀を抜く。
その様子に、蘭花は青ざめながら声を挙げる。

「そんな!話が違う!」
「俺達も捕まりたくはないからな。まぁ、これは頭の悪いお仲間のせいだ」
「やめてえぇぇ!!」




















むせ返るような血の匂いが辺りに立ち込める。
塗料を一面にぶちまけたかのような赤色に、臓器が混じって落ちている。
抵抗も虚しく、一座は数分と経たぬうちに惨殺された。
その凄惨な光景に少女は立っていることができず、崩れ落ちて慟哭と嘔吐を繰り返していた。

「さて、すぐに戻るぞ」
「頭ぁ、ここで一発やらせて下さいよ。人斬りの興奮でおっ勃っちまって、おさまらねぇ」
「俺もだ、頭、いいだろう?」
「…まぁここは大きな街道からも、宿場からも離れているからな。わかった。さっさと済ませろよ」
「やった!さすが頭、話が分かる」
「舌を噛まないように布を口に詰めておけ。せっかく手に入れた物を死なせては勿体ない」
「へいへい」

大切な仲間が惨殺されるという、先程の地獄。
今度はそれとは別の形の地獄がやってくることを少女は理解した。
逃げようにも、抗おうにも膝に力が入らず、立ち上がることすらできない。
ばたつかせようとした手足も押さえ込まれ、口に布が突っ込まれる。
息苦しさと恐怖で涙が止まらない。

「くく…早く済ませろって言われてるしな。いきなりいれさせてもらうぜ。痛いだろうが我慢しな」
「うー!うー!」
「はは、なんて言ってるかわからねぇよ。まぁそのうち慣れる。快感を教え込むのは帰ってからにするぜ」

男達の笑い声と少女の叫びを聞きながら、夜盗の頭は周囲を眺めていた。
今の時刻にこの場所に通りがかる人間がいるとも思えないが、警戒をしておくに越したことはない。
万全を期すなら女を部下に抱かせている時間などないが、それくらい認めてやらねば不満が生じる。
ある程度は部下の行動を容認してやらねば、荒らくれ者の頭などできないのだ。



部下達がたちかわり少女を犯し終え、その頃には少女の叫びも止み、ただ啜り泣く声だけが聞こえていた。
やっと終わったか、と頭が部下達に声をかけようとしたその時。
一人の男がゆらりと姿を現した。

「何者だ!?」

慌てて刀を構える頭。
警戒していたにも関わらず、ここまで接近してくるまで男の存在に気付かなかった。
目を瞑れば次の瞬間には消えてしまいそうなその存在感は、幽鬼のようでもあった。
明らかに只者ではない。
だが、この場を見られた以上生きて返すわけにもいかない。
部下達も男の存在にようやく気付き、刀を手に取る。
幽鬼のような男は、表情を変えずに問うた。

「島原北斎、という男を知っているか?」
「はっ…?」
「島原北斎という男について聞いている。貴様等のような、夜盗の一味を率いている人間だ」

淡々と男が発するその言葉に、夜盗たちは眉をひそめた。
このような状況でそんなことを聞かれる意味がわからなかった。
狂人かもしれぬ、そう頭は考えた。
しかし狂人とはいえ侮れない雰囲気を持っている上、帯剣している。
多くの修羅場を潜ってきた彼の経験が、危険な匂いを嗅ぎ分けていた。

「おい、お前ら。一斉にかかるぞ」
「…へい、かしら」

じりじりと男との間合いを詰める。
それを見ても尚、男は無表情のまま。

「それで、知っているのか知らないのか」
「知らねえよ、あの世で閻魔にでも聞いてきな!」

そう言い放ち五人が男を取り囲む。
そこではじめて幽鬼がその表情を崩す。
口角を吊り上げ、目元を緩める。
――微笑。

「それならば、生かしておく必要もあるまい」
「なんだと!?…お前等、いくぞ!」

一斉に飛び掛かる夜盗たち。
男は刀に手をかける。
だがそれは無駄となる、と夜盗たちは嘲笑う。
なぜなら自分達は既に刀を抜き放ち、かつ多人数で斬りかかっている。
それに対してこれから刀を抜いて、構え、振るうという動作が間に合う筈もない。
危険を感じたのは、気のせいだったのかもしれぬ、と頭の脳裏によぎった。
だから彼らは信じることができなかった。

あれから数瞬の後の今、五人全てが血の池に倒れ伏していることを。
胴から首が離れ、既にこと切れている四人に対し、夜盗の頭は袈裟切りにされたものの、まだ息があった。
しかし死すのも時間の問題だ。
薄れいく思考を必死に留めながら、先程の光景を思い浮かべる。

「ば…抜刀術…か…?」

男が行ったのは抜刀術。
鞘から刀を抜く動作と斬る動作を同時に行う技術だ。
それくらいは夜盗とはいえ彼も知っているし、使うこともできる。
だが、今男が見せたそれは、異次元のそれだ。
刀を構える動作を省いたとはいえ、一瞬で五人を斬るとはどのような速さが必要か。
それは最早神速といっても足りぬほどの域。

「バケモノ…め…」

そうして彼の意識は暗転した。
二度と覚めぬ眠りへと。




蘭花は、震えていた。
下半身から流れる血と精液もそのままに。
あれほどの地獄を見たのに、まだ恐怖の感情は自分を縛るのか。

男が近づいてくる。
憎き夜盗たちを一瞬で斬り殺した剣鬼が。

男は蘭花の前で立ち止まった。
…自分も殺されるのか。
それとも、夜盗たちが自分にしたように、凌辱するのだろうか。

しかし男はそのどちらも行わなかった。
ただ無表情のまま、一着の外套を彼女の肩にかけた。

その瞬間、蘭花は泣き崩れた。

「どうして…」

自分を殺さないのか。

「どうして…」

仲間は夜盗に殺されてしまったのか。

「どうして…」

自分は犯されたのか。

「どうして…」

…もっと早く、来てくれなかったのか。

「どうして…」

漂う死臭と静寂の中、剣鬼の前で少女はただひたすらに涙を流し続けていた。



[24503]
Name: 峠道行◆51efd283 ID:8af9171a
Date: 2010/11/24 08:53
時代は戦国。
これまで山斗を治めてきた帝の権威が失墜し、各領地の将軍達が力を持った動乱の時代。
この地、千香浜の国もそれは例外ではない。
島国である山斗のほぼ中心に位置し、東の国々と西の国々を結ぶ交通の要として栄えるこの国は、代々清水という武家が治めていた。
清水は帝の遠い血縁を引いており、そのため強い権威を持っていた。
しかし、先代の帝が若くして倒れ、今代の帝が齢五つに満たぬ幼さのため政治能力を持たず、周囲の貴族が政を意のままに操るようになりその権威が形骸化すると、清水家もその波に抗うことができなかった。

切っ掛けは清水家に仕える中でも最も力を持った豪族、寺田家の反乱であった。
清水家をその武力で支えていた寺田家の反乱はすぐさま致命となり、一月も経たぬうちに清水家の党首、兼正は討たれてしまった。
以後、寺田家が千香浜の国を治めるようになったが、それを快く思わない者達は清水兼正の甥にあたる正信を担ぎ、千香浜の東北部である蕗音に陣取り、抵抗を続けていた。
蕗音には堅牢と名高い蕗音城があり、また寺田家は西南から帝側の貴族が攻めてくる可能性にも備えねばならず、戦況は膠着していた。

そんな千香浜の国の西北部。
山林が茂るその地は蕗音を通らずに東へと抜ける唯一の道である。
だが、東へと抜けるためには二つの山を越えねばならず、その険しさのために多くの者は通行を諦める。
旅慣れた者すら時には命を落とすその山中に、二人の人影が見えた。



「…なぜついてくる」

男が振り返り、無表情にこちらを見ている。
この問いは、彼女が男と出会って五日となる今日までも散々なされてきた問いだ。

「…わからない」
「……」

これまでと同じように言葉を返す。
そして男はこれまでと同じように、しばらく彼女を見つめ続けていた後、何も言わぬまま再び歩きだした。
――不思議な男だ。
男は何も語らない。
かと言って、自分を無視しているわけでもないのだ。
夜盗から自分を助けた後も、無言のままに手当てをしてくれた。
その後、勝手についていく自分が見失わないような速度で歩み、彼女だけでは乗り越えられないような段差があれば手を貸し、休息時には食料も分けてくれる。
理由もわからないままについてくる自分を見捨てないのは、印象と違ってお人好しなのか…
言葉にするのが苦手なだけで、不器用ながら優しい人間なのかもしれない。
そう思うこともあるが、その度に夜盗達を微笑しながら斬り殺した際の、血濡れの姿が浮かぶ。
優しいようで、悪鬼のようでもある。
あるいはその二面性に、彼女は興味をひかれているのかもしれない。

とはいえ、このままずっとついていくわけにもいかないだろう。
何も考えずについてきて、いつのまにか険しい山道に入ってしまったため、さすがにここで置いていかれるとまずいが、人里に辿り着いたらそこで別れようと思う。
親兄弟がおらず、捨て子だった自分を拾い育ててくれた旅一座を失った今。
自分を護ってくれるものは誰もいないが、それをこの男に求めるのも筋違いだろう。
自分も既に14になる。
自力で生きていけない歳ではないのだ。

「あの…」

決意を胸に男に尋ねる。

「どこへ向かっているんですか?」
「この山を抜ければ、嘉一の国だ」
「嘉一の国、ですか…」

千香浜の隣国、嘉一。
旅芸人一座も、目指していた場所だ。
最も、こんな山道を通るつもりはなく、蕗音を通って抜けるつもりだったのだが…

「私を、そこまでつれて行ってください。そこからはついて行きません。ですからそこまでは、どうか…」
「わかった」

これまでと同じように無表情のまま、男は承諾した。
そして再び無言のままに歩き出す。
蘭花もまた、再び黙々とその背中を追っていく。

暫く歩くと、森が開け、谷に辿り着いた。
眼下には大きな川が流れ、その先へと結ぶ長い橋がかかっている。
その橋は長く使われていないようで、縄は貧相で、板もところどころ欠けている。
これを渡るのか、と蘭花は躊躇したが、男が迷いなく渡り始めるのを見て、意を決して足を踏みだした。
渡り始めてみれば、思ったよりも橋は頑丈であり、時折風で揺れる事を除けば大した危険はないように思えた。
後から思えば、それが油断に繋がったのかもしれなかった。

一陣の突風が吹き、橋が大きく揺れた。
体勢を崩した蘭花は宙へと投げ出された。

「きゃああああ!」

辛うじて縄を掴んだものの、それもすぐに切れそうである。
自分の悲鳴を聞いて男が振り返る。
そして途端、走りだす。
常に冷静な男が自分を助けようと動いたことに、少しだけ嬉しく思いながらも、蘭花は諦めていた。
もう縄は今次の瞬間にも切れそうなのだ。
すでに橋を渡り切っている男が間に合うはずもないだろう。
…この高さなら、落ちれば無事ではいられないだろう。
下の川は流れも速く、泳ぎが得意ではない自分が落ちればまず溺れ死ぬ。
…死を覚悟すると、急に恐怖心が消えていった。
結局自分は、ここで死ぬ運命なのだ。
いや、そもそも皆と一緒に、あの時に死ぬはずだったのだ。
何の因果か自分はあの剣士に救われ…いや、もしかしたら、これも自分が作り出した虚構なのかもしれない。
死の前の刹那の夢を、見ているのかもしれない。
だから、間に合うはずがない。
これは当然の帰結なのだ。
ぶちり、と音がして縄が切れる。
これまで味わったことのない浮遊感を感じる。
そして水面に叩きつけられ気を失うその寸前。
剣士の姿が、目の前に見えた、気がした。












「―――――」

意識が、覚醒する。
ぼんやりと霞がかかった思考で起き上がろうとして、激痛が走った。

「く……」

あれ、自分は確か、橋から落ちて…

「おぉ、目が覚めたかの。無理しないで寝ていなさい。全身ひどい打ち身で起き上がるのもつらいじゃろう。」

聞き慣れぬ老人の声がした。
顔だけその声の方向に向ける。
囲炉裏の火をくべる老人が一人。

「ここは…」
「ここはわしの家じゃ。とりあえずゆっくりしていなさい。詳しい事は、気力が回復してからで良い」

そう優しく言われ、安心したのか。
蘭花に強い睡魔が襲ってくる。
しかし眠る前にこれだけは聞いておかねばなるまい。

「…剣士、様は…?」
「うむ、今は外におる。お嬢ちゃんが目を覚ましたことを伝えておこう」

あの剣士も、いる。
夢ではなかったのか。
…そう思うまでが限界だった。
蘭花の意識は、再び眠りへと落ちていった。








「お嬢ちゃんが目を覚ましたぞい。すぐにまた眠ったがの」
「そうか」

老人は薪を割っている男に声をかけた。
淡々と薪を割るその男は、夜盗から蘭花を助けた剣士であった。

「助かるのう。老人の一人暮らしで薪割りは重労働での」
「問題ない。一宿の礼としては容易なものだ」
「そう言ってもらえれば有り難いのう」

そう言って老人は笑う。

「ご老人」
「む、なんじゃ?」
「島原北斎、という名の男を知っておられるか?」
「島原北斎…うーむ…」

しばらく記憶を探るように考えていた老人であったが、静かに頭を横に振った。

「心当たりがないのう。」
「…あるいは、名は変わっているかもしれぬ。昔は夜盗をしていたが、類い稀な魔道の腕を持っていた。どこか将家に召し抱えられている可能性もある」
「ふむ…じゃがやはり心当りはないの。そもそも、儂のような世捨ての爺には将家など縁のない話じゃ」

そこで剣士ははじめて表情を崩す。
僅かに目を細め、老人を見つめる。

「何をおっしゃる。貴方は魔道士なのでしょう、ご老人。」
「……なぜ、それを。お主も魔道士なのか?」
「――否。詳細は明かせぬが、拙者には魔を見極めることができるのです」

剣士は何もかもを見透かすかのような目で老人を射抜く。
――虚言は許さぬ。
口にせずとも、その意思が伝わるかのようだった。

「…確かに、儂は魔道士じゃった。じゃが、今は隠居の身。多くのことを知らぬのは、誠のことじゃ。」
「……」
「島原北斎という男のことは知らぬが…魔道士が夜盗に身を落とすことなどそうはない。もしそれを召し抱えるとしたら、大きな危険を伴うじゃろう。それを御せるほどの器量の持ち主が、秘密裏に召し抱えているとしたら…」
「……」
「…お主達がこれから向かう嘉一の国は、先日隣国の四条を落とした。その際には強力な魔道が用いられたそうじゃ。しかし、あの国を治める中山家も、その周囲にも強力な魔道士の血筋はない。…となれば、新たに魔道士が召し抱えられたということじゃろう」
「嘉一の国…」
「うむ。…じゃがその魔道士の名は全く聞こえてこないんじゃ。世捨ての生を営む儂の情報量などたかがしれているが、それでも戦の一番の功労者の名があがらないのはおかしい。つまりは、その魔道士が表に出たがらない性質なのか…」
「表に出せない事情があるか、か…」
「そういうことじゃ」
「…情報、感謝する」

沈黙が落ちる。
剣士が如何なる思考をしているのか、老人には窺い知る事はできぬ。
だが、島原北斎なる人物を探している理由は、そう明るいものではなかろう事は読み取れた。
故にそれを問おうとして…やめた。
聞いたところでその答えが返ってくるとは、到底思わなかったがゆえに。
そのかわり、老人は別の質問を剣士に投げ掛けることにした。

「そうじゃ、あの娘さんとお主はどういう関係なんじゃ?親子には見えんし…兄妹かの?」

剣士の表情が曇る。
しかし一瞬で無表情へと戻る。

「夜盗に襲われていたため、拾っただけだ。成り行きで行動しているだけで、人里に辿り着けば別れる」

妹ではないのだ、妹では…

その微かな呟きは老人の耳にも届いたが、それに対する言葉を、老人は持たなかったのである。



[24503]
Name: 峠道行◆51efd283 ID:9d17426b
Date: 2010/11/26 09:08
「あ…村が見えてきた!」

山中の老人の家で一泊した後、二人はすぐに出発した。
運良く蘭花に目立った外傷はなく、整えられた寝床で休んだせいか橋から落下する以前よりも元気にさえ見えた。
そのため山越えも問題なく進み、二人は遂に嘉一の国の西端の村へと辿り着いたのだった。

蘭花は剣士の表情を見る。
山越えを達成した安堵も伺えぬ、普段通りの無表情。
しかし蘭花は、剣士がその無表情の奥に厚い情があることを知っていた。
だからこそ、別れ際に老人がそっと蘭花に耳打ちした言葉が気になっていた。

「あの御仁は、危ういものを持っておる。もし叶うならば、お嬢ちゃんが支えてやると良い。彼もお嬢ちゃんを支えてくれる。良い縁となるはずじゃ」

無論、これは儂の勝手な物言いじゃがの。
そう言って笑顔で送り出してくれた老人。

――しかし、私にそれができるのか。
あの剣士は、一度ならず二度までも彼女の命を救ってくれた。
しかし、彼女から剣士に与えられるものはあるのだろうか?
もし認めてくれるのならば、剣士に同行したい。
だが、一方的に頼るだけで彼の負担になってしまうのなら…やはり彼女はついて行くべきではないのだ。

「剣士様はこれからどうされるの?」
「…暫くこの村に滞在した後、嘉一の都、孫名の城下町へと向かうつもりだ」
「…それなら、剣士様がこの村を出るまで、一緒にいても良い?」
「…構わぬが…」


そこで言い淀む剣士。
怪訝な顔で問おうとした蘭花ははたと気付く。

「剣士様、腰の荷物は…。まさか、橋から落ちた私を助けた時に…」
「……」

無言は肯定を表しているに違いなかった。
今頃になって気付いたが、剣士の腰に備えられていた物入れがなくなっている。
あの急流だ、それも流されて当然。
武士の命と言われる刀だけは流されずに所持していたようだが、それだけで精一杯だったのだろう。
つまり、剣士は路銀を失っているのだ。
他ならぬ自分のせいで。

「ごめんなさい、私のせいで…」

まさかそこまで足を引っ張ってしまっていたとは。

「気にするな。自分で選択した行動の結果に過ぎない。」

そうは言うが蘭花の気が晴れるはずもない。
何か、自分にできることはないか…
そう考える中、剣士は言葉を続ける。

「この戦国の世にあって、このような村には男手は常に不足している。路銀を稼ぐ手段などどうとでもなる」
「稼ぐ手段…あ!」

そこで蘭花は思いついた。
自分が彼に恩を返せる手段を。
これなら、自分は彼の役に立つことができる!
思い立った後の行動は早かった。

「剣士様、ついてきて下さい!」











蘭花が剣士を伴って辿り着いたのは、村の広場であった。
祭事でもあるのだろうか、辺境の村には不相応な活気に満ちている。
だがその活気は蘭花がこれから行おうとしている事にとっては都合のいいものであった。

「剣士様はそこにいて下さい」
「…わかった」

無表情の中に、怪訝が含まれているような気がした。
何も説明せずにいるのだから当然だろう。
だが、これから分かってもらえるはず。
これは、蘭花が剣士のためにできることであり――またこれまでの彼女の生の証でもあるのだ。

「故郷の山に――」

そうして辺りに美しい声が響く。
彼女が始めたのは、歌、だった。
旅芸人の一座で磨いた彼女の一芸。
それが活気に満ちた広場へと広がっていく。
幼さの残る、透き通った声色。
それでいて雑踏の騒めきに負けぬ声量。
それが整えられて美しい音階に乗って奏でられる。

突然の旋律に、人々は手を止めた。
剣士も驚く。
芸を嗜むような教養のない彼にも、この歌の美しさは伝わった。
そしてそれに含まれる技量も。

気付けば、少女の周囲に徐々に人が集ってきている。
いつのまにか辺りの騒めきは収まり、ただ彼女の声のみが響く。
人を惹き付ける力が、その歌には確かに含まれていた。

「――独り眺めるあけの明星」

そして歌が終わった。
静まり返っていた広場に、歓声が満ちる。
いつのまにか広場のすべての人間が彼女の周りに集まっていた。
そして彼らが次々に銅銭をや食物を渡す。
すぐに少女がそれを受け取れきれなくなると、聴衆の誰かが持ってきたのか、竹籠に積みあがっていく。
少女は礼を述べながら、姿勢を正した。
そして再び歌いだす。

「――雲の流れに添う燕」









四半刻ほどで、その独演は終わった。
最早竹籠にも入りきらぬ程の報酬を抱え、蘭花は剣士の下へ歩み寄った。

「これで、当面の路銀の足しにして下さい」
「…それは、君が歌で得た報酬だ。私が受け取るわけにはいかない。」
「これは、私を助けてくれたお礼です。まだまだこれでは足りないくらいです」
「しかし…」

剣士はなかなか受け取ろうとしない。
基本的に頑固さとは無縁そうな男が頑なに拒む。
しかし、蘭花も引くわけにはいかない。
初めて自分が彼の役に立てる機がきたのだ。
これを受け取ってもらわねば自分ができることはなくなってしまう。

押し問答を続ける彼らに近づいてくる影があった。
気付いた剣士が視線を向ける。
遅れて気付いた蘭花も顔を向けた。
そこには一人の剣士――いや、武士がいた。
清廉な顔立ちや身に付けた品々の高貴さが、彼が士族であることを証明していた。

「いや、突然済まない。さきほどは素晴らしい歌だった」
「あ、ありがとうございます…」
「……」

突然明らかに身分の違う人間に賛辞を送られ、恐縮するしかない蘭花。
見れば彼は供もつけていて、尚更それが彼の地位を表していた。
ふと剣士を見やると、彼は警戒しているようだった。
左手で刀の鞘を支えている。
その様子に士族風の男も気付いたようだ。
苦笑しながら言葉を続ける。

「すまない、警戒させてしまったようだ。私はただ、彼女の歌に賛辞を送りたかっただけだ」
「……」

警戒を解いたわけではなかろうが、剣士は鞘から手を離す。

「そして、願わくば我が家臣にもその腕を披露してもらえないかとお誘いしたかったのだ」
「え…?」

蘭花が驚きを表す。
そして不安そうに剣士を見る。

「あぁ、剣士殿も共に参られよ。ふむ、そうだな、申し遅れた。私の名は中山忠信という。どうか我が招待を受けてはくれぬか?」

――中山忠信。
それは、この嘉一の国を治める中山家の、若き当主の名だった。


















「素晴らしい!」
「このような美しい歌は聞いたことがない」

あの後剣士が了承し、二人は忠信の招待を受けた。
どうやら忠信達はこの国境の村に視察に来ていたらしく、それが村の活気の原因であった。
二人が彼らの宿場に着くと歓待を受け、宴の席で披露した蘭花の歌は、ここでも好評であった。
その際、なぜか剣士は忠信と話す機会に恵まれた。
通常、身分の違いすぎる者と言葉を多く躱すことなど有り得ないが、それがこの若殿の性質なのだろう。
苦笑しながらそれを見守る家臣達の態度からもそれは窺い知れた。
名君、有能と名高い中山家現当主。
それが能力だけではなく、人柄さえも優れているということが剣士にも分かった。
故に剣士はその話を切り出した。
蘭花が歌うことに集中してこちらに注意が向かぬ間に。

「蘭花を、貴方に任せたい」
「…どういうことだ?」

そして剣士は事情を話す。
蘭花が夜盗に襲われた旅一座の生き残りであること。
自分がそれを保護したこと。
彼女に親類はなく、頼る宛がないこと。
もし頼めるのなら、彼女をこの家で保護し、それが無理なら後ろ楯になってくれぬかということ。

「ふむ…」

忠信は押し黙った。
深く考え込んでいるようだった。
普通ならこんな頼みをしても即座に断られるだろう。
たが、この情に厚く理解のある彼なら、無下には答えないと剣士は考えていた。
しかし忠信の返答は了承でも拒絶でもなかった。

「お主が伴にいてやることはできぬのか?彼女に聞こえぬよう話しているということは、彼女もそれを望んでいるのではないか?」
「…そうかもしれません、ですが…」

剣士は言葉を続ける。

「剣に生きる自分が彼女を常に伴うわけにもいきません。ですからどうか…」
「……」

それは本心ではなかった。
だが、理由は別にして、彼女を巻き込むわけにはいかなかったのだ。
修羅の道を歩むのは、自分一人で良い。

「…よし、わかった」
「ご好意に感謝します。」
安堵する剣士。
しかしそれから続けられた忠信の言葉は、思いもよらぬものだった。

「勘違いをするな。それを呑むには二つの条件がある。」
「条件?」
「そうだ。一つは、剣の仕合でそなたが私に勝つこと。これでも腕に覚えがあってな。剣に生きるというそなたの技、味わいたくなった」
「…それは」
「まだあるぞ。そして私に勝利した上で、あの少女だけでなく、そなたも私に仕えるのだ」
「!」

まさに、思慮の外の言葉だった。
すぐに断ろうとして…剣士は思い止まった。
中山家が隠す魔道士の存在。
それを探るためには、外からよりも内からの方が都合が良いのでは…?

「仕えると言っても、いつまでも臣従しろとは言わない。だが、戦が立て続けに起こる今、優秀な剣士は喉から手が出る程に欲しい。そうだな…二年で良い。二年仕えれば、出奔しても構わない。もちろんその後もあの少女の面倒を見よう。本人が望むなら、養子にしても側室にしても良い」

破格、と言って良い条件だった。
もし中山家の魔道士が北斎本人でなくても、二年で出ることができる。
そしてその二年の間に、情報を集めることもできるだろう。
何より、蘭花にとってこれ以上ない話だった。
何者とも知れぬ少女を養女にするなど、この忠信以外にありえないだろう。
中山の姓を得れば、一人で歩む生よりも余程幸福なそれを歩むことができるだろう。

「わかりました。忠信様、あなたに仕えさせて頂きます。」

その言に忠信は笑う。

「おや、もう私に勝ったかの物言いだな。もう一度言うが、私に勝つことが第一の条件だ」

立ち上がる忠信。
先程までの好青年、という雰囲気が一変し、中山家の当主たる威厳と覇気に満ちる。

「私はただ求めるだけの者に与えはせぬ。求めるものがあるなら、その力で勝ち取るが良い」





[24503]
Name: 峠道行◆51efd283 ID:d82155c9
Date: 2010/11/26 16:53
――今夜はもう遅い。
仕合は明日行うとして、今日はゆるりと身を休めると良い。
山越えを果たして来たのだろう?
疲れもあるはずだ、私は万全のそなたと仕合いたい。
寝床はすでに用意してある。
蘭花殿と同じ部屋だ。
今侍女に案内させよう。

そのように忠信に言われ、剣士と蘭花は客室に案内された。



二人きりになると、剣士は話を切り出した。
明日、忠信と試合をして勝てば、剣士と蘭花は召し抱えてもらうことになると。
そして蘭花が望めば忠信の養女になることもできると。
側室にもなることはできるが、望まぬ形で純潔を失った蘭花に今は酷であろうと伏せた。

「本当に?…でも剣士様、もし私のために仕合をするというなら…私のために危険なことをする必要はありません」

私は歌があるから、一人でもきっと生きていける。
剣士に気を遣ってそのように言う蘭花に対し、剣士は微かな微笑みを浮かべ、答える。

「気にする必要はない。これは拙者のためでもあるか故に」
「うん…それなら…。私は、剣士様と一緒にいられるのなら、それが一番嬉しい。私はまだまだ剣士様に恩を返してはいないから」
「恩、など…」
「ううん、剣士様は二度も私を救ってくれたもの」

そう言う蘭花に対し、剣士は内心に複雑な感情を覚えていた。
橋の時は自分がもっと注意してやれば、そもそも落下自体を防げただろう。
そして一度目は…彼は間に合わなかったのだ。
偶然に通りかかるのが、あと半刻でも早ければ、少女は仲間も純潔も失わずに済んだはずだった。
そのため恩など感じる必要がないことを伝えたかったが、少女は納得しないであろう。
剣士にできたのは、話題を変えることだけであった。

「それにしても、蘭花の歌は素晴らしいな」
「えへへ…ありがとうございます」
「それがきっかけでこうして中山家との縁ができた。感謝している。」
「私にできることは歌だけだから…それが剣士様の役に立って嬉しい」
「そうか」
「歌は、一座の中でも一番巧かったんです。だから皆にもっと喜んでもらえるようにいっぱい練習したんです。」
「そうか」
「皆と一緒にいる時も私は歌っているだけで幸せで…」
「…そうか」
「私はそれだけで…皆と…みんなといっしょで…」

言葉が続いたのはそこまでだった。
とめどなく涙が溢れ、嗚咽が続く。
少女は、あの夜以来、一度も涙を見せていなかった。
強い少女だと思っていた。
だがそれは、哀しむ間もなかっただけなのだろう。
山越えが続き、橋からの落下で命を落としかけた。
そしてようやく落ち着ける場所を得たことで、また本来の生活の一部である歌を歌うことで、ようやく余裕が生まれたのだろう。
哀しみを感じる、余裕が。
無理もない。
幼い少女が家族ともいえる仲間を永遠に失い、さらには非道な凌辱を受けたのだ。
その心に負った傷の深さはいかほどか。

剣士は黙って少女の頭を抱きかかえた。
すると嗚咽は一段とその激しさを増し、少女はすがりつくように剣士の腰にしがみついた。





どれくらいの刻が経ったか。
ようやく落ち着きを取り戻した少女が口を開く。

「剣士様…剣士様のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「…新衛門。姓は捨てた。拙者は、新衛門という。」
「新衛門さま…」

涙混じりの声で呟くように言う。
濡れた頬をそのままに、蘭花は剣士――新衛門の顔を見上げる。

「明日の御武運をお祈りします。…負けないでください」

――そして死なないで。

「…必ず。」

鬼と遇わば鬼を斬る。
仏と遇わば仏を斬る。
忠信がいかに優れた将であったとしても、修羅が人間に遅れをとる道理はなかった。
そして、少女を再び哀しみの坩堝に陥らせるつもりも。



















「さて、それでは始めようか。剣士殿の刀の形状に近い木刀を用意するつもりであったが…それほど長いものはなかった。」
「構いません」
「そうか、すまぬ。あとはこの仕合に際して、お互いにこれを身につけるとする」

そうして渡されたのは簡易に作られた兜であった。

「私は必要ないと言ったのだが…家臣がうるさくてな。まぁ確かに頭部をさらしていては万が一もある。お互いに今命を落とすわけにもいかぬだろう?」

新衛門は頷く。

「同じ理由で、この仕合では突きも禁ずる。…それ以外に制約はない。骨折程度の負傷でどうこう言うつもりもない。全力でかかってこられよ」
「御意」

そしてお互いに距離をとる。
ふと脇を見れば、蘭花が不安そうな目で見つめている。
それに微笑んでやれるほど器用な男ではなかったため、新衛門は軽く頷くことでその意を伝えた。



「それでは始めるとしよう。――中山家が当主忠信、参る。」
「…新衛門。参ります」

お互いに礼をし、仕合が始まる。





始まりは静かなものであった。
構えは双方ともに上段。
突きを禁じられたこの仕合では、技を繰り出す速度には上段が最も優れる。
お互いにじりじりと摺り足で距離を詰めていく。

間合いに関しては、新衛門に分がある。
刃長が三尺にも及ぶ彼の本来の刀に比べれば、今手にしている木刀は短いが、しかし忠信のそれよりは長い。
また、身長でも彼は忠信よりも勝っており、故に忠信よりも遥かに大きな間合いを有している。
忠信からすれば素手で巨熊に立ち向かうかのような心中であろう。

逆に、忠信のほうが速さには勝れるだろう。
均整のとれた体躯は敏捷性に優れ、また短い木刀は彼の両腕に負担をかけず、雷光の如き初速と燕のような切り返しをもたらす。

故にこの勝負は、新衛門がいかにその間合いを保てるか。
忠信はいかに新衛門の懐に入れるか。
それに収束される一番であろうと周囲は見ていた。



忠信は細く長く息を吐く。
ともすれば緊張しそうになる己の腹をゆるめ、その下部…丹田へと気を静める。
それを為すだけで重心が下がり、即応の体勢を作ることができる。

新衛門は常からの無表情で、忠信に内心を悟らせない。
にじり寄る足元以外、身体は揺らぎもせず、呼吸を見破ることすらさせない。




剣の仕合において、呼吸を読むことは基本にして重要な技である。
人間は息を吐いている時に比べ、息を吸っている時は反応に劣りまた力が入りづらい。
相手の呼吸を読んで吸気の機にきりかかればそれだけで技が決まる可能性が上がり、また排気の機を測ることによって相手の攻撃を察知することができる。



新衛門は忠信に全く呼吸を読ませない。
忠信は呼吸を隠すことはできないが、長く息をはき続ける呼吸法を習得していた。
お互いに呼吸を読んでの立ち合いは不可能。

ならば次は表情を含む筋肉の動きを観察することになるが…
これも両者ともに、相手に悟らせるだけの材料を与えなかった。
新衛門はまるで巨木のように揺るがず、忠信は生来の集中力で自身を制御していた。

これだけを見ても、両者の優れた技量が知れた。
腕に覚えのある忠信の家臣たちは一挙手一投足を見逃すまいと注視している。
剣に無知な蘭花でさえ、両者の気が作る場を感じ取っていた。
――おそらく勝負は、刹那の間に決まる。




両者は新衛門の間合いの僅かに外で合わせたかのように静止した。
お互いに相手の隙を突こうと探り合う。
緊張が高まっていく。





ふいに、一陣の風が吹いた。
そのような些事に気をとられる両者ではない。
だが…
髷を結っている忠信に対し、伸びた髪をそのままにしている新衛門。
その新衛門の目に、前髪が僅かにかかった。

「――!」

それを隙と見たか、忠信が一気に新衛門の懐に飛び込んだ。
虎のようなその加速に対し、新衛門は上段から斬り付ける。

(…遅い!)

だがその初動は忠信の飛び込みに対し僅かに遅れている。
それは致命的な遅れだ。

間合いというのは、大きければその分だけ、内側に隙を作る。
刀は棒状の獲物であり、その威力は遠心力によって加速する先端部分に集約する。
故に、支点に近いその懐へと近づけば近づく分、威力は減ずる。
長い獲物であればなおさらだ。

懐に飛び込みながら忠信も斬り付ける。
おそらく新衛門の刀も忠信の頭部か肩を打ち据えるだろう。
しかしそれは根元部分であり、例えお互いの獲物が真剣であったとしても致命とはならない。
対して、忠信は完全に彼の間合いであり、充分な斬撃を新衛門に浴びせるであろう。

この仕合、高い技量の応酬の一撃で、僅かに上回った忠信に軍配があがる。

…筈であった。




しかし結果は――忠信の斬撃は僅かに擦るのみに終わり――新衛門の斬撃は、強烈な威力で忠信の兜を打ち据えたのだった。






「そこまで!…しょ…勝者新衛門!」

裁定役を任された忠信の家臣が手を挙げる。
勝負は、新衛門の勝利で終わった。

誰もが唖然として声を上げられぬ中、その静寂を破る笑い声が響いた。
その主は、新衛門と対峙して、たった今敗れた忠信であった。

「――はっはっは。見事。見事也新衛門殿。そなたの類い稀な剣の業、確かに味あわせてもらった。以後はその腕を私の許で奮ってくれ。」
「御意」

そこで蘭花が飛び出してきて、新衛門に抱きつく。
その光景を尻目に、忠信は裁定役の家臣の元へ歩み寄る。

「忠兵衛。そなたは今の勝負、どう見た」
「私には、殿が新衛門殿の懐に入った瞬間、斬られたとしか…確かに新衛門殿の間合いを殺して殿の間合いに入ったように見えたのですが…間合いの不利を覆すほどの神速の斬撃だったということでしょうか。殿の斬撃が躱された理由は、見当すらつきません」
「ふふふ…忠兵衛、お主でさえも見えなかったか。」

楽しそうに忠信は笑う。

「躱された理由も強烈な斬撃を浴びた理由も同じだ。新衛門殿は、あの瞬間、重心を大きく後ろに移したのだ」
「重心を…?」
「そうだ。爪先に保っていた重心を踵に移すことによって間合いを維持した。そして間合いを計り違えた私の斬撃は当たらず、彼の斬撃は当たった。」
「…紙一重の勝負だったのですな…」
「紙一重?…くく、忠兵衛。言うは簡単だがな。私がそれに気付いたのは斬撃を浴びた後だ。対峙している相手に悟らせずに重心を移すなど、並大抵の技量ではできん」
「あ…」
「それにな。おそらく私は、手加減をされていた」
「まさか!」
「いや、間違いあるまい。あの斬撃の速さを思い返してみよ。あれほどの速さを持つのなら、わざわざ私の動きを待たずとも、先制していればおそらく私は何もできずに破れ去っていただろう」
「…嘉一でも随一と言われた殿に、手加減して勝利を収めた、と…?」
「そうだ。信じられぬ技量の持ち主だ」

そして忠信は蘭花と話している新衛門に目を向ける。

「まさかここまでとは。思った以上の拾い物だ」

敗れたにも関わらず、忠信の目は少年のように輝いていた。
彼に師事すれば、おそらく自分はもう一つ上へと上ることができる。
忠信はたぎる血潮の熱さを感じながら、期待と憧れの混じった視線を新衛門へと注ぎ続けていた。









序章 了














あとがき

これにて序章は終了です。
本作は今のところ全七章構成の予定です。
中盤までは書きためてあるので、それまでは素早く更新できそうです。

それにしても、感想がほしい!(笑)
地名や人名がわかりにくいとか厳しい意見でもいいので何か書いてくださるとやる気が出ます。
まぁ、感想を書くほどのレベルにないと言われたらそれまでですが…
頑張って書くので、何卒よろしくお願いします。
それでは『第一章 嘉一中山家』までしばしお待ち下さい。


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