最初は乗り気だった。望みの力を一つだけ与えられると言うから、思ったがままに言ってみたのだ。
これで無双出来る。美少女助けてハーレムを作る。そんな阿呆丸出しな煩悩を引っ提げて、いざ転生。
残念な事に、転生先は与えられた力が無用な一般的な世界。魔物も悪の組織も、宇宙からの侵略者も存在しない平和な世界だった。
赤子からやり直しの転生生活は、出来ない事だらけで鬱憤は溜まるし、前世での生活と遜色無いので詰まらない。何より、目的が変わり始めている。
もしかしなくても、前よりは平穏な生活を送っているのではないだろうか。そう思い始めてからは、与えられた力を無駄な所で発揮してまで厄介事から逃げた。
見るからに柄が悪い連中が集っていれば、気付かれないように気配を消して迅速にパッシングスルー。通り抜けると同時に全力で逃走を開始。
力の使い方が、当初の目的とは全く真逆に。しかし本人は、それにすら気付いていないかったりする。
そして、小学校の中学年へとなった頃。商店街で彼は、それまでの生活を覆す出来事に巻き込まれた。
「止めてぇなっ!!放して下さい!!」
彼が転生した先は大阪に住む一般家庭だったので、そう関西弁は珍しい物でもなかった。しかし、それが悲鳴だったから彼は思わず顔を向けてしまう。
向けた視線の先、そこでは彼と同い年程の少女が柄の悪い男に腕を掴まれており。その少女に、運悪くも彼は見覚えが有った。
同い年程も何も、彼のクラスメイト、しかも席が隣同士の少女だったのである。これは、見過ごしたら外道になるのではないだろうか。
厄介事は御免被る。しかし、外道にはなりたくない。では如何したら良いものやらと、野次馬に紛れて彼は考え込んだ。
相手は小学生、柄が悪いとは言っても男は無茶をしないだろう。そう思っていたのが悪かったのかもしれない。次の瞬間、男が見せた行動に彼は反応し遅れてしまった。
少女が抵抗するのに逆上した男は側に転がっていたガラス瓶を拾い上げ、身を捩り逃げ出そうとする少女の背中へと降り下ろす。
男の降り下ろしたガラス瓶が完全な物だったら、まだ良かったのだが。しかしガラス瓶は底が割れており、鋭利な凶器へと成り変わっていた。それは少女の衣服を切り裂き、下に隠されていた白い肌をも裂いた。
彼の脈が、大きく跳ねる。
―悲鳴も上げられない程の苦痛に満ちた少女の顔―
自分は、何を見ている。
―何故、少女の顔は苦痛に満ちている―
背中を切り裂かれたから。
―少女が背中を切り裂かれたのは何故―
自分が何もしなかったから。
出来るのに、彼は男を止めなかった。それを実行出来るだけの力を持っていたのに。平穏を求めていたくせに、自ら平穏を見捨ててしまったのだ。
彼の平穏には当然、学校での生活も含まれている。今彼の視線の先で地面に力無く倒れている少女との会話も、毎日の様に交わしていた。
故に、彼の目の前で、彼の平穏の一部が壊れたも同然。少女と言う一部を欠いた平穏は、果たして平穏と言って遜色無いのだろうか。
いいや、大違いである。
その時は正常な判断なんて出来ていなかったに違いない。もう一度少女へとガラス瓶を降り下ろそうとする男と、男が為そうとする事に気付いて目を固く瞑る少女との間に身を滑り込ませていた。
次の瞬間、少女の背中が裂かれた時と同様に血が宙を舞った。
「――ッ!!」
「…………えっ?」
痛みと同時に食い縛った奥歯が軋りを上げ、熱が背中を駆け抜ける。その際に彼が漏らした僅かな悲鳴を耳にし、未だ痛みが訪れない事を不思議に思った少女は、ゆっくりと固く瞑っていた目を開いた。
何故か辺り一帯が静寂に包まれたが、逸早く我に返った青年達が男を取り押さえ、誰かが通報して漸く着いた警官に男は敢えなく逮捕された。
良くやった、と周りの大人達が彼を褒める。しかし、その肝心の彼は沈みきった表情を変えない。むしろ、より酷いものへと変わっていっている様な気もする。
結局、彼は少女へと降り下ろされた二度目のガラス瓶を防いだに過ぎない。少女の背には一度目の、彼が何もしなかった証である傷が残っているのだ。
そうだとは知らずに褒める大人達の言葉は、先に受けたガラス瓶よりも鋭い刃となって彼を襲う。
「君、ちょっと良いかな?」
男を連行した警官とは別の警官が彼に話し掛け、病院へ行こうと促した。彼の血が舞ったのを見た瞬間に気を失っていたのだろう、既に少女は病院へと搬送されているらしい。
(……平穏て何だよ。俺が安全地帯にいる事か?)
前世でだって乗った事の無いパトカーの中、普段の彼だったのならはしゃいでいたただろうが、生憎と今の彼は考え事に没頭していた。
彼の背中の傷は決して浅くはない。それなのに涙すら浮かばせない彼を見ていて、布を使って彼の傷を押さえている警官は、その状況を見て気味悪い子供だと思う。
それから数分とせずに彼は少女が搬送された近くの病院に連れていかれ、傷の縫合を受けた。診断結果は、成長すれば傷痕も薄くはなるだろうが、消える事は一生無いらしい。様無い事だ。
聞けば、少女の傷痕も同じ診断結果らしく。彼を余計に責め立てた。
廊下の長椅子に身を任せた彼が呆けていると、警官が来て彼を少女の元へと案内をする。目が覚めて事情を聞いた少女が、彼にお礼を言いたいそうだ。
部屋に着くと警官は立ち止まり、彼の背中を押して一人で中に入らせた。気を利かせたつもりなのだろう、爽やかな笑顔を浮かべている。
気まずい表情で彼が部屋に入ると、ベッドの上で横になっていた少女が此方を向き、表情を輝かせて笑った。眩しいくらいに、それはもう無邪気な笑顔を浮かべて。
「ありがとなぁ、助けてくれて」
「…………助けれてないだろ。最初、俺は動けなかった…………だから――」
「そんな事無いで!ウチ、恐かった!殺されるんやないかって、――凄い恐かったんよ?」
お前の背中には傷が有る。そう続けようとして、少女に言葉を遮られた。
「けど…」
「――けども何も聞かん!どういたしまして以外は聞こえへん!!」
そう言って少女は耳を塞ぎ、目も固く瞑ってしまった。これは、如何やら少女が折れる事は無いだろう。
溜息を吐いた彼は無理矢理に少女の手を退かし、その言葉を苦々しげな表情で口にする。
気分的には、自分で自分の傷を抉っている様な感覚だ。
「…………どういたしまして」
「――うん!ありがとなっ!」
これが彼、繰時 瀬音流〈くりじ せねる〉と。少女、和泉 亜子が、より深く付き合う事になった切欠だったと言えよう。
そして数年が経ち、二人は小学校を卒業した。
件の事件以来に瀬音流以外の男性が苦手となってしまった亜子は、親の意向も有って日本最大の学園都市〔麻帆良学園〕の女子中等部へと入学する事が決定し。何故か瀬音流も一緒に麻帆良学園に行く事が決定されていた。
可笑しい。確か、瀬音流の進路は近くの市立校に上がる事が決まっていた筈なのだが。
親の事が解らなくなってきた今日、この頃である。
「あ、あんな?向こうに着いたら、一緒に、ごごご、ごはっ、ごは――!!」
「落ち着いて喋れ。舌噛んじまうぞ」
「――ぁいたッ!!ほんまに噛んでもぅた…」
「ほれ見ろ。見せてみろよ………あぁーあ、ちょっと腫れてら。少し黙っとけ」
ちょっと仲の良い二人だったりする。