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[24378] 【完結】英雄、肉屋勤務【オリジナル モンスター狩り 微ハーレム要素 主人公最強】
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/12/05 15:58
第一話 剛剣の男ガリュウ



 草原を疾駆する巨大な影があった。
 地面を踏みしめ、掻き出さんばかりに踏み抜く強靭な脚!鋭い爪は人間などずたずたに引き裂くことを見るものすべてに知らしめる。
 眼前を、怨嗟と憤怒を燃料のように滾らせて睨みつけるその眼!ぎょろりとした目玉は、肝の小さいものなら気絶させられるかもしれない。
 そしてその顎!大きく開いた、その大口から覗く、凶悪な牙が生えそろった強力な武器。大岩すら一噛みで破砕する彼の最大の武器。

 そう彼こそは竜!生態系の頂点!生存競争の絶対の覇者!食らう者。蹂躙する者。根こそぎにするもの。
 その悪食と暴食からついた名は嵐喰竜ルーディオロス。
 彼が通った後は食い散らかされた肉片が残るだけ。

 「そっち、気をつけて!尻尾、避けて!」
 
 そんな竜を、なんと追いかけて追い詰めて、あまつさえ狩り取ろうとするもの達がいた。
 騎乗用に調教されたイャリと呼ばれる巨大な狼の背に乗って、彼らは竜を追い立てる。

 「馬鹿!前に出る奴がいるか!脚に射掛けなさい!」
 
 その数およそ20。たったそれだけの人で、あんなにも巨大な竜が仕留められるのか?いやそもそもあんな竜を人が獲物とできるものなのか。
 竜の大きさは、30ラハト(1ラハトは1.3メートル)余りもあるというのに。

 「ぐぅぅぅおおおおおああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 竜が吼える!
 草原から顔を出していた哀れなウサギがただその咆哮だけで気絶して倒れ、さっさと竜の口に飲み込まれた。
 ぐちゃりぐちゃりとそれを咀嚼する嵐喰竜。
 竜を追う彼らのうちの誰かが、ああならないとも限らない。
 それでも人は追う。
 彼らに檄を飛ばす、一人の女性の指揮のもと。

 「ディン!前に出すぎよ。下がりなさい」
 「イャルが逸って」
 「言い訳はいい!死にたくなければ下がれ!」

 腹の底からよく通る声を出す女。
 ディンと呼ばれた男が叱咤を受けてあわてて後ろに下がる。
 片手でイャルを操り、女の細腕で指揮を執る彼女の名前はウー・ユフィーリア。親しいものはユフィと呼ぶ。
 下着の他には腰布と見るからに目の粗い麻布のシャツを被っただけの粗野なその格好。しかし美しい顔立ちとどこか庇護欲を掻き立てる表情が、彼女を見る男に劣情を掻き立てる。
 見事な金髪は肩口でばっさりと切られて入るが、イャルの走る振動で揺れる豊かな身体が、いやが応にも彼女が魅力的な女性であることを思い知らせる。
 だが。
 勇猛さにおいて彼女の右に出る者はいない。

 「サルース!今!アカント!待たせたわね!」

 彼女の指揮によって二人の男が槍を持って竜に接近する。
 二人の男の槍が、猛スピードで走る竜の腹を両方向から突き刺す!

 「ぐぅぅうぅぅおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!」

 堪らず、悲鳴を上げながらのけぞる嵐喰竜。
 彼が苦し紛れに振った尾の一撃で、数人が吹き飛ばれて地面に投げ出される。それでもユフィは眉一つ動かさずに竜を睨みつける。

 「ラース!」
 「応!」

 彼女がよばうと、男の一人が騎乗で両手を使って特大の弓を引き絞る。
 豪、と音がしたかと思うと、凶悪な鋼鉄が吸い寄せられるように竜の首元に突き刺さった。

 「ぐぅああああああああああああああああ!」

 「よし!」

 竜は逃れようと身を捩る。出鱈目に走ろうとする。腹から血を流し、首に矢を突きたてたままで兎に角走る。そして、その彼が逃れる先に―――。

 「何でよッ!」

 ユフィは思わず舌打ちした。
 竜が逃れる先。その先に、旅人と見られる二人連れが歩いていたからだ。

 「ギルドには人払いを要請してたのに!」

 大体好き好んでこの【悪魔の平原】に来る奴がいることが信じられない。ルーディオロスを初めとする多くの凶悪な怪物どもが跋扈するA級危険地域だというのに。

 「サルース!追いつける?」
 「駄目だ!そもそもこのまま走らせて弱らせる段取りだ」
 「分かってるわよ!ラース、届く?」
 「・・・無理だ」
 「っく」

 ユフィはイャルを走らせる。

 「お嬢!」
 「間に合わん!」
 「うるさい!」
 
 制止を振り切って駆けるユフィ。慌てて男達が彼女の後を駆ける。
 ユフィは腰から長剣を抜く。
 美しい白刃だが、それであの竜を仕留めることができるとは到底思えない。

 そこで旅人がようやく竜に気付いたように振り返る。大柄な男と、小柄な、子供だろうか。

 「逃げて!逃げなさい!全力で!」
 
 無理とは思いながらもユフィは叫ぶ。ルーディオロスは脚が早い。とても人に逃げ切れるものではない。それでも、少しでも時間が稼げればと思い、ユフィは叫ぶ。
 だが、旅人の男は何を思ったか、後ろ手に子どもを下がらせると、真っ直ぐに竜に立ち塞がるようにして構えた。

 「馬鹿な真似をッ!いいから逃げろよッ!」

 ユフィの悲痛な声は少しも男に届かない。
 男はすうっと背に負っていた大きな荷物に手をかける。剣だろうか。だとしたら甘い。ルーディオロスは多少腕に覚えがあるくらいで勝てる獲物ではない。

 「避けて!」

 その突進はすでに自然災害の域。大重量のルーディオロスにしかし、男は背中から彼の武器を取り出した。

 「だ、大剣・・・?」
 
 だとしても大きすぎる。その剣は男自身よりも大きい。男の身長も1と7、いや8ラハトはありそうな巨漢だというのにその剣は男よりも大きい。
 2ラハト(2.6メートル)はあるかもしれない。
 その重量たるや。
 仮にあれが鉄で出来ていれば、普通の人間ならとっくにつぶれて死んでいるだろう。

 「ふん!」

 男は竜をかわした。
 すんでで横に飛びのいたのだ。
 それだけでも人をはるかに超えた反射神経。
 だと言うのに、男にはその先があった。
 大剣が加えられたその体重を右足一本で受けて踏みとどまり、逆に全加重を乗せた一撃を肩に担ぐ。猛スピードで駆ける竜が彼を通り過ぎるその刹那。
 竜の伸びきった首に剛剣が振り下ろされる。

 「はぁあッ!!!!」
 空間を引き裂くような悲鳴に似た剣風の轟音が過ぎ去り。
 己の死にすら気付かぬままに。

 首を断たれて、竜は大地に倒れた。

 「出鱈目すぎる・・・・・・・・・・」

 有り得ない。
 嵐喰竜を剣で仕留めるなど。
 有り得ない。
 あんな剛剣を人が振り回すなど。 
 有り得ない。
 にも関わらず、彼が汗一つかいていないなんて。

 規格外。
 そういう人間はいる。どうしても敵わない、人として生まれたことが間違いであるかのような悪夢の様な人間。
 だが、それにしても、どうしてもこんなところでこんな化け物と出くわさなくてはいけないのか。

 「・・・あんた、何者?」

 膝を折り、下がらせた子どもの視線で彼女(どうやら少女だ)に声を掛ける男に、ユフィは低い声でそう言った。
 男が振り返り立ち上がると、騎乗にも関わらずユフィと視線が並ぶ。

 「すまない。君たちの獲物だったな」
 
 男はそう言って侘びを言ってから、抑えてはいるが明らかに覇気の篭った視線でユフィに言葉を続けた。

 「ルーディオロス狩りの分け前は要らないし、礼はする。近くの街まで送ってくれないか?」

 これをルーディオロスと知って立ち向かったのかと、ユフィは改めて呆れたのだった。

 「・・・いいよ。こっちこそ助かった。あともう少し狩りを続ける予定だったからね。私はユフィ。あんた、名前は?」

 ユフィの問に、男はほんの少し逡巡してからぼそりと呟くように言った。

 「ティガリウス。ガリュウと呼んでくれて構わない」

 それが剛剣の男ガリュウと”肉屋”ユフィの、最初の出会いとなるのであった。


続く

 



[24378] 第二話 ”肉屋”ユフィ
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/11/24 12:14
第二話 ”肉屋”ユフィ


  「さぁ、脂の乗った特大のルーディオロスだ!なんとあの、”肉屋”ユフィの一味が仕留めた上質な嵐喰竜だぜ。牙は鉄よりも硬く。鱗は並みの鎧より頑丈だ。それでいて肉は―――」
 「口上はいい!競りだ競り!」
 「オーケーオーケー!では3万スランから、皆々様。どうぞ!」
 「3万1千!」
 「2千だ!」
 「5千!」

 「活気がある。これが商人の町スラーナか」
 
 巨大な竜が競り落とされる様を、大きな男が腕を組んでみている。傍らには不安そうに男の服の裾を掴む少女。
 
 「そうだろう?うちの獲物が並ぶ日は、いつも盛況なんだ」

 そう言って、誇らしげに豊かな胸を張るのは”肉屋”の一団を率いる女傑、ユフィであった。

 ”肉屋”は危険と隣りあわせで、しかしそれに見合うリターンも大きく、そして多くの人々から尊敬を集める職業である。
 モンスターの素材は、鉄鋼業がそれほど盛んではないこの世界において主要な工業の材料となっている。
 上質なそれらは鉄よりも遥かに強靭でそれでいて加工しやすく、狩りが命がけであることを考慮しても、人類に不可欠な必需品となっていた。
 その需要に供給側はいつも追いつかず、だから強靭なモンスターの素材ほど高値がつく。

 しかしその殉職率は兵士や傭兵のそれよりも遥かに高く、まず布団の上で死ねる者はいない。それでもこの誇り高い職業を選ぶ若者は多く、そして彼らの多くが若者のまま死んでいく。
 
 「上がりの一部をギルドに払い込んだら手が空くから、そしたら街を案内してやるよ」
 「いや、そこまで厄介になる気は・・・」
 「いいだろ?こっちは獲物を仕留められたんだ。そのくらいさせてくれても?」

 ユフィが長身のガリュウを見上げるようにそう言うと、大男は苦笑しながら「わかった。頼む」と言った。

 「あれ?あんた、笑えるんだね」
 「ん?そりゃ、人間だからな」
 「人間、ね・・・。まぁ、笑えるのはいいことだよ。どんな時でもね。・・・母国が滅亡した時だって」
 「お前・・・!?」

 ガリュウがユフィを睨みつける。だがその時にはユフィの視線は競りに向けられていた。
 
 「競りが終わったら。そう言っただろ?」

 ユフィは決別するようにそう言って、もうガリュウに話しかけることはなかった。




 「あの子、寝ちゃったの?」
 「長旅は初めてだったからな。ずいぶん歩かせた」
 「おぶってやればよかったのに。あんたにとっちゃそんなに変わんないでしょ」

 ガリュウが宿を取って、その一室に少女を寝かしつけた後、彼はユフィと遅めの昼食を囲んでいた。

 「俺もそう言ったんだがな。自分で歩くと聞かなくて」
 「小さくても女よねぇ」
 「ん?」
 「んーん。何でもない」
 「ユフィ・・・」
 「ん?」

 豆とたまねぎのスープの皿が空になった頃、ガリュウはスプーンを置いて話を切り出した。

 「君は何者だ?」
 「それは私が最初に発した問いかけだけど?」

 ユフィの切り返しにガリュウは黙る。そして値踏みするようにユフィを見て、そしてふぅとため息をついた。

 「やめよう。俺に腹の探りあいは向かない」
 「そんなことしなくたって、誰もあんたに勝てやしないでしょ?ロードキアの雷神さん?」
 「・・・驚いたな。”肉屋”は耳も早いのか?」
 「私は特別なんだよ」

 そう言ってユフィは舌をペロッと出した。

 ロードキア王国が滅亡したのはつい一月前のこと。仇敵イストワル帝国に敗れたロードキアはその首都まで攻め込まれ、王家はその殆どが殺害された。

 「王は滅亡に瀕して数人の縁者を呼んで彼の子ども達を託したって言うじゃない?傭兵として名高いティガリウスとかって言う名前の人も、誰か王の子を託されたとか?」
 「本当に耳が早いな」
 「どーでもいいけど、あんたが戦争に参加してれば、イストワルなんかに負けなかったんじゃないの?」
 「馬鹿を言え、万と万がぶつかる戦場では個人の武勇などなんのこともない。戦局は変わらなかっただろうさ」
 「そーかしらね」
 「何か言いたそうだな?」
 「べっつにー」

 「がりゅー」
 「おっと、すまない」

 ガリュウはユフィに短く詫びて声の方に向かう。そこにはパジャマ姿の少女が階段を下りてきていた。
 ユフィは短く口笛を吹く。
 美しい少女だった。貴族の令嬢ともなれば流石血が違うらしい。まだ10にも満たない年だと思われるが、その豊かな金髪や白い肌、そしてどことなく漂う気品は並の人間ではありえない。
 少女はガリュウに抱きつくと、なんとそのまますやすやと寝てしまう。竜すら断つ男ガリュウは苦笑して、少女を抱きかかえたままユフィの向かいの席に座った。

 「悪いな。このままでいいか?」
 「ずいぶん信用されてるな。涙の痕」
 「ん?」
 「あんたを探して泣いたんだよ。たぶん」

 ガリュウは言われて始めて少女の頬に伝う涙の痕に気付き、そして小さく苦笑した。

 「どうも子どもに弱くてな。甘やかしてしまう」
 「へぇ。雷神がねぇ」
 「まぁそう言うな。俺も人の子だ」
 「ふぅん・・・。どうでもいいけど、サラフィーナという名前は使わない方がいい」
 「・・・分かってる。サラと呼んでいる。君もそう呼んでくれ」
 「らじゃー」
 
 ユフィはそう言って骨付き肉をほおばる。
 
 「行くあてはあんの?」
 「ないな。サラにも希望はない。王には悪いが、御家再興の旗頭にするのも忍びない。普通の子として育てられればと思っている」
 「雷神に?」
 「・・・俺だって薄々無理だとは思っているが・・・。そんな風に言う事はないだろう?」
 「だってあんたその子に初潮が来たら対処できる?」
 「・・・人に聞く」
 「誰に?」
 「・・・」

 押し黙ってしまった雷神と呼ばれる男に、ユフィはこらえていたがやがて爆笑してしまう。

 「笑いすぎだ」
 「ご、ごめん、でも、だってあんた、雷神なのに・・・・っぷ。あははははは」
 「いい加減にしろ。この子が起きる」
 
 悔しげに顔を歪ませるガリュウに悪い悪いと言って涙を拭くユフィ。

 「で、私から提案がある。あんたにとっても悪い話じゃない。その子にとってもね」

 「・・・何だ?」
 「あんた、うちに雇われない?」

 ユフィの提案に、ガリュウは目を丸くする。

 「はぁ?」
 「いやぁ、あんたの腕っ節に惚れ込んじゃってさぁ。あんたがいれば狩りの成功率が飛躍的に上がる。もちろん給料も払うよ。命の額に見合う額を」
 「いや、しかしだな」
 「あんた、サラちゃん置いて傭兵家業が出来るとでも思ってんの?無理でしょ、そんなの?」
 「それは、そうだが」

 戦場に身を置く傭兵は、半年や一年平気で家を空ける。貴族の用心棒と言う職もあるが、サラのことがどこからか漏れないとも限らない。
 帝国とのつながりは極力絶たなくてはいけないのだ。

 「私ならあんたの力量に見合う給料が払えるし、うちの女衆にサラちゃんの面倒だって見させられる。それに、あんたとサラちゃんの事は私の胸の中に止めてあげる。どう?なんか文句ある」
 「迷惑がかかる」
 「はぁ?」
 「イストワルの連中に見つかってみろ。君たちに迷惑がかかる」
 「帝国が怖くて”肉屋”が出来るわけないでしょ。うちを潰すならギルド潰すくらいの覚悟いるけど?」
 「む、むぅ」
 「いいからうちに来なさいよ。何だったら私のこと、一晩自由にしてもいいよ?」
 
 そう言ってシャツを引っ張って胸元を見せ付けるユフィ。ガリュウは真っ赤な顔をしてその豊満な胸の谷間から目を逸らす。

 「うわぁ、純情・・・」
 「やかましい。・・・わかった。一年だ。一年間だけ厄介になる」
 「わお!本当に!言ってみるもんだわ。私の体につられた?」
 「いらんからな!君の体は報酬に含まなくていい。大事にしろ大事に!」
 「ちぇ・・・、まぁ、いいか」

 ユフィは不満そうに唇を尖らした後、思い直したように立ち上がってガリュウに掌を差し出した。

 「改めてよろしくガリュウ。”肉屋”砂楼団はあんたを歓迎する」
 「こちらこそ、世話になる。一年間だが、よろしくな」

 二人はがしりと握手を交わした。
 
 「本当に私の体いらない?」
 「く、くどい!」

 これより砂楼団は一層の活躍を見せ、その名を大陸中に広めることになるが、その事はまだ誰も知らない。



[24378] 第三話 ”肉屋”という仕事
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/11/24 12:15

 ”肉屋”という職業の始まりは、騎士や王、あるいは国の成立よりも早いとされる。人は今の時代に至るまで世界のほとんどの地域を未開の地として残しており、つまりは今国や都市が存在する場所は、長い時の中でやっとの思いで切り開いた開拓地であるのだ。
 人にとって自然は巨大な驚異として今尚厳然と存在する。だが人は生きる為にその自然から今日の糧を切り出さなくてはならない。

 その担い手こそが”肉屋”達。
 未開の地では巨大生物が跋扈するが、彼らはまた富の源泉でもある。巨体は多くの食肉を保障するし、その巨躯を構成する革や骨、牙や爪、あるいは角や鱗と言ったものは、人にとって宝石にも勝る貴重な資源である。

 だから人は未開地へと飛び出す。そこには名も金も欲しい侭に転がっている。ただ、それらが獰猛な牙を剥いて、弱者の手に渡ることを拒絶しているだけだ。

 そしてここにも”肉屋”達の一団が、今日の糧を得る為に未開地を狩場と決めていた。
 彼らは砂楼団と名乗る一団で、若く美しい女が率いることで人々の耳目を集める。だが、その真価は物珍しさなどでは断じてない。
 彼らが市場に提供するモンスターの上質さこそが、砂楼団が他の”肉屋”と一線を画する存在感の故である。

 「サルース!陽を背にしてそのまま真っ直ぐ追い込んで!よし!そう!ラースは狙い通りねっ」
 「お嬢、俺が弓を外したところなんざ見たことないだろ?」
 「酔っ払ったとき以外にはね」
 
 軽口を叩きながら、彼らは猛獣を追い立てる。【悪魔の草原】には多くの巨大生物が生息するが、砂楼団に追われる彼もまた、そうした絶対の捕食者の一体であった。少なくとも、今日のついさっきまでは。

 その姿を形容するものは、獅子に似た獣であると言うに違いない。真紅の鬣を持つ小山の様に巨大な、という枕詞がつくだろうが。
 獅牙王ベルフト。
 そう呼ばれる草原の王者の一角は、腹から震えるような唸り声を上げながら己を囲む砂楼団の団員たちを威嚇する。
 長槍を持つ二人の男が、調教された狼イャルを操りながらちくちくと両側からベルフトに嫌がらせをする。
 何故一思いに突き殺さないのか。これには理由がある。それこそが全身を覆う異様に長い真紅の鬣の為なのだ。

 獅牙王の鬣と言えば、その鋼の様な強靭さで知られる。人の毛とそう変わらぬ太さでしかないのに、鬣として合わされば並みの剣では傷一つつけられぬ鉄壁の防御膜となるのである。
 その鬣を織り込んだ帷子などは暗殺阻止のための備えとして王族や上級貴族の間で大変な需要がある。
 だがそもそもその鬣で守りを固めるベルフトを狩ることが容易ならざることから、常に高値で取引される大変に貴重な素材であるのだ。
 
 ”肉屋”の中には、生え変わりの時期を狙って巣を狙うものもあるが、その時期は丁度出産の時期でもあり、気が立った母獅子の目を掻い潜って鬣を手に入れることも並大抵のことではない。
 かといって疾走する獅牙王は弓も槍も弾いてしまう。だから狩猟法としては落とし穴に追い込み、火攻めや毒肉を使っての毒殺に頼るしかないのであるが、これが俊敏で賢い為なかなか罠にもかかってもらえない。
 砂楼団でさえその方法を取らざるを得ず、何度も苦渋を飲まされてきたのである。

 だが、今回は違った。
 わざと槍や弓で嫌がらせをして積極的に獅牙王の怒気を誘っている。すべては彼に一瞬の隙を作る為。そして砂楼団が新たに手に入れた巨大な戦力の全力をその一瞬に叩き込むためである。

 「もう少し!アカント!まだいける?」
 「誰に言ってる!」

 左右から槍を突き出す巨漢の男たち、サルースとアカントは揺れる騎上で槍を構え続けるという難事にも不満の一つも言わない。
 彼らは指揮主であるユフィを信頼していた。自分たちの力をもっとも良く知り使えるものは主以外にいないと知っているのだ。

 「ぐるるっるるうるるるっるるるるるるうっるおおおおおおおおお!!!」

 ベルフトが堪らずほえ始めた。そのストレスはほとんど限界に達しているだろう。決して自分を傷つけられぬ癖に執拗に追いすがるハエの様な人間たち。
 ついに堪え切れなくなったのだろう。
 ベルフトはその疾駆を止めてハエを追い散らそうと四肢に力を込めた。その時、ユフィの後ろからのそりと影が現れる。
 一際大きい異端のイャル。ユフィがあやつるその背に、気配を殺してしがみ付いていた異様に巨大な男だった。

 「頼んだわよ」
 
 ユフィの言葉に答えることさえせず、気配を殺したままの男は巨体に似合わぬ敏捷さで駆ける。機会は一瞬。これを逃せばおそらく次はない。

 ベルフトはアカントとサルースに噛みかかろうとするが、二人は巧みなイャル捌きでこの猛攻を凌ぐ。
 苛立ちが頂点に達したベルフトの背に、一本の矢が射掛けられた。
 矢は鬣に弾かれる。
 だがベルフトを苛立たせるにはそれで十分。
 見るものを睨み殺すかのような視線を、首だけ振り返り弓を射るラースに向けるベルフト。その時巨体の男が彼の前にたどり着いたことに、怒りに震えるベルフトは気付かなかった。

 「ふん!」

 気合とともに、男が背に負う大剣を担ぐ。出鱈目にでかい大剣だった。巨人染みた男よりも更にでかい。
 その重量たるや押して知るべし。
 しかし男は悠然とその巨重を丸太の様な両足や、樫の木の様な首や、節くれ立った豪腕によって支えている。
 必殺の気配が男に立ちこめる。
 例えば嵐の日の堤防が押し寄せる水量に決壊寸前となっているような。
 そう言った暴力の危うさを、男は押さえ込み、ただただ静かに待っていた。

 そして、獅牙王が振り返る。
 振り返って初めて、草原の王は立ち上るエネルギーの塊に気付いた。

 「ぐるるるるるるぐおおお―――」

 威嚇の咆哮はしかし最後まで発されることはなかった。
 鬣に覆われていない獅子の眉間。その巨体全身から見れば正に針の穴を通すようなごくごく小さい隙間に、男の大剣が吸い込まれるように―――
 叩き込まれた!

 「ぐぅぅぅああああああああああん!!!」

 顔面から血を噴出し、奇声を上げながら頭を垂れる牙獅王。一撃は確かにベルフトを捉えた。捉えたがしかし。

 「浅いっ」

 男の後方からユフィの声が届く。男の渾身は咄嗟に身を引いたベルフトの眉間を浅く捉えただけだった。
 牙獅王はすぐに反転して男から逃れようとして、そして、その背に異様な重さを感じてそれが叶わぬことを知った。

 「でもそれでいい。ベルフトの頭を下げさせれば、それでよかった」

 ユフィが満足げにそう頷くと、牙獅王に跨った男は、再び大剣を担ぎ上げた。

 「ふんっ!」

 如何なベルフトの鉄壁の防御壁とは言えど、この至近距離で大重量を大力を持って叩きつけられればただではすまない。
 剣は鬣を掻き分けるように進み、そして遂に王の血肉へと届いた。

 「ぎぃぃぃぃああああああああああああああん!」

 豪剣が牙獅王の背に潜り込む。ベルフトの腹を貫通して剣先が見えた。最後の力を振り絞り暴れ捲くる牙獅王。
 だが勝負は決した。
 巨漢の男、ガリュウは剣を巨体に残したままその背から飛び降り、ごろごろと地面を転がって衝撃を逃がした。

 「ぐぅぅぅうおおおおおおおおおおおおおん!」

 断末魔の叫びを上げてついにベルフトが地に伏した。
 周囲から大音量の歓声が沸き起こる。

 「やったな、ガリュウ」
 「まったく、大した奴だぜ」
 
 砂楼団の男たちが次々にイャルを降りてガリュウの肩を叩きながら苦労を労う。

 「いや、俺は鈍足だからな。君たちの牽制がなければとても追いつけなかったさ」
 「まぁ、そういうことね」

 その細腕で、ガリュウを運搬するために用意した巨大なイャルを駆っていた女傑は、騎乗から降りて男たちの前に立った。

 「ご苦労様。さぁ、さっさとこいつを街に運ぶよっ。今日の市は盛り上がるわっ」

 もう一度雄たけびの様な歓声が上がり、草原がわぁっと盛り上がる。興奮冷めやらぬままに男たちは各自の仕事に戻って行き、事実その日の市は空前の活況を呈した。

 ガリュウが砂楼団に迎えられて、一ヶ月の時が経っていた。



[24378] 第四話 薄幸の少女サラ
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/11/24 12:15
 
 ”肉屋”は規模が大きくなれば最早一つの村と言ってもいいくらいの共同体となる。狩りを担当する男達に鍛冶が武器を鍛え、調達役が必要物資を調達し、女達が飯を食わせて子を守る。
 砂楼団は簡単なつくりの長屋を作って集団で住んでいて、そのうちの一つの部屋をガリュウは宛がわれていた。

 「ガリュウっ!」
 
 牙獅王を狩り、上半身をさらして手桶につけた布で汗を拭っていたガリュウの部屋に、小さな少女が押しかけてきたのは、ベルフトの競りもとうに終わった夕刻間近のことだった。

 「サラか」

 サラはその小さな身体をガリュウの裸の背に押し付ける。背と言っても大剣を操る彼の広背筋は岩の方がまだ可愛げがあるほどの無骨さである。
 それでもガリュウの命の温度を確かめるように、懸命にその顔を押し付けるサラ。

 「どうした?何を泣いている?」
 「泣いてない…」

 ガリュウの肌には湿り気と暖かい温度が感じられた。サラが上目遣いにガリュウを見上げると、その目にはたっぷりと涙が浮かんでいた。

 「そうか。心配をかけたな」

 ガリュウがそう言って不器用に微笑むと、サラはぶんぶんと首を横に振った。
 牙獅王ベルフトは、ガリュウが砂楼団に入って始めての大物である。その個体が草原で確認された時、砂楼団は浮き足立った。これまで何度も苦渋を味あわされた刃の利かぬ怪物。だが、ガリュウがいればそれを狩れるかもしれない。
 その時にはガリュウは既に2、3回狩りに参加しており、皆は彼の実力を完全に認めていた。皆がユフィに上申する中、ユフィは綿密に計画を練った。

 彼らは狩りをすることが商売ではない。市場に素材を供給することが”肉屋”の仕事である。つまりそれは狩りに支払うコスト(時に人命も含まれる)に比べて、素材の対価が上回るものでなくてはならない。

 功名心で狩りを行うことをユフィは嫌う。彼女は優秀な指揮官であると同時に商売人であり、砂楼団という一つの運命共同体の責任を執る頭領でもある。ガリュウのお陰で比較的低コストでモンスターを仕留めることが出来るようになったことで、実はユフィはベルフト討伐をそれほど積極的に考えてはいなかった。 

 「狩らせてくれ」

 だからそう進言したのはガリュウ自身であったのである。ガリュウは富や名声を求めるタイプの男ではない。雷神と呼ばれる最強の傭兵である彼には、名声などは掃いて捨てるほどあるし、おそらく金にも困ってはいない。
 ガリュウが大物を狩りたいと思っていた動機。それは偏にサラの為であった。
 
 サラの庇護者であるガリュウの立場が砂楼団内で高くなればなるほど、サラが言われない迫害の対象となる可能性も少なくなるだろう。
 もしもガリュウが役立たずの烙印を押されれば、サラの立場は壊滅的に悪くなるに違いない。

 言葉ではそんなことは一言も発しなかったが、ガリュウの目が雄弁にそう語っていた。
 そんなことをしなくてもサラに不自由はさせないし、ガリュウの実力を鑑みれば彼が砂楼団にとって有益であることは誰よりもユフィが知っている。

 だがそれは言葉で説得できる類のものではなかった。ガリュウの目に込められた熱い温度のようなものは。
 
 それは決して引かぬ男の目であり、ユフィが首を縦に振らなければ、一人で草原に行きかねない目であった。

 ガリュウがいれば勝算は十分すぎるほどにある。それに、新参の彼が自分の(というよりサラの、だが)居場所を作る為に必死であることも理解は出来る。
 ユフィは結局それを了承し、彼を核とした作戦を練り上げる。
 勝負は決し、ガリュウは己の確固たる実力を示した。
 
 「知っていたのか?俺がどこに行っていたのか?」

 サラは首を横に振る。

 「…帰ってこなかったから。一週間も…」
 「そうか…」

 ベルフトを追い込み狩ることは口で言うほど容易ではなかった。ガリュウは狩りというものが突出した一人の力だけで出来るものはないことを痛切に学んでいた。

 「皆心配してた。ガリュウだって、殺されるかもっていう人もいた」
 「俺は殺されないぞ?」
 「でも、父さまと母さまは殺されたでしょう?」

 その言葉に、ガリュウは沈黙せざるを得なかった。彼女を両親から引き離し、慣れない旅路に連れ出し、そして見たこともない人々の中での生活を強いたのは全て大人の都合である。
 勿論、王族に連なる彼女が普通の幸せを手に入れられたかは分からない。だが、両親の愛情を受けて育ち、幸福な結婚をして多産に恵まれる。その可能性を得る権利くらいはあったはずだ。

 「すまない」

 ガリュウは壊さないように慎重に、大きな手でサラを抱きしめた。サラは涙でガリュウの胸を濡らす。そこは少しも抱かれ心地が良くはないだろう。鼻がつぶれないか心配なくらいだ。それでもサラはひしっとしがみ付いて離れようとしない。

 「すまない」

 ガリュウには謝ることしか出来なかった。彼自身の力不足を謝るだけではない。サラの幸福を奪った、世界の代わりに彼は謝っていた。

 「ガリュウ!ご苦労様。ベルフトだけど…」

 その時、ばんと勢い良く扉を開けて、ユフィは室内に入ってきた。顔は満面の笑み。ベルフトが余程の高値で売れたと見える。
 その表情が、笑みのまま凍っている。
 扉を開けたユフィが見たのは、上半身裸で10歳の少女を抱きしめる、無骨な男と言う構図であったのだから。
 
 「…ユフィ、言っておくが…」
 「いいんだ、ガリュウ。皆まで言うな。あんたが私の身体を欲しくないって言った理由がよくわかった」

 さっと掌をかざしてガリュウの言葉を遮るユフィ。ガリュウはげんなりして溜息をついた。

 「心配するなっ。私もロリコンは守備範囲外だ!」
 「違うからなッ!あとノックくらいしろ!」

 いい笑顔で断言するユフィに対してガリュウは常識を説こうとし―――

 「大丈夫。私は口が堅いからね。なに、4、5年待てば合法さ」

 そして絶望的な気分で諦めた。

 「何の話?」
 「サラ…何でもない。そろそろ自分の部屋に帰ろうか?」

 これ以上話をややこしくさせないように何とかサラを部屋に戻そうとするガリュウだが、サラはひっしと抱きついて離れようとしない。

 「サラはガリュウのお嫁さんになりたい?」
 「ぶーっ」

 ユフィがにこにこしながらサラにそう訊ね、ガリュウが思わず噴出す。
 
 「ば、馬鹿なことを言うな。な、サラ。部屋に戻ろうな」

 ガリュウが引きつった顔でサラを促すが、彼女は顔を真っ赤にして俯いた後、こくりと頷いて再びガリュウの胸に顔を埋めた。

 「よかったな、ガリュウ。両思いだぞ」
 「やかましいっ」

 肩を叩くユフィに、ガリュウは乱暴に叫んだのだった。 




 「よぉ」

 その夜。酒場で一人酒を飲むガリュウにユフィが話し掛けた。夜も遅い。狩りを終えたばかりの男達は酔いつぶれたり妻や子、あるいはなじみの女と過ごす者が多く、酒場には他に人影はない。

 「付き合おうか?英雄殿が一人飲みもかわいそうだ」

 そう言ってグラスを持ってきたユフィは、勝手に酒を注いで飲み始める。
 
 「ん?あぁ、悪いね。何か邪魔した?」

 ユフィはガリュウの手元を見てそう問いかけた。「いや」と筆を墨壷に戻したガリュウが首を横に振る。

 「もう終わった所だ。封だけさせてくれ」

 そのまま手紙らしきものを便箋にしまったガリュウは蝋で封をしてしまうとそれを懐にしまった。ユフィは怪訝そうに眉をしかめる。

 「そう言えば、ガリュウって字が書けるんだね」
 「ん?まぁな」

 この世界の識字率はそれほど高くない。文字を習得できるものは学校に通うことが出来るものか貴族の子息くらいのもので、如何にガリュウが英雄的な傭兵であっても、彼が字を読み書きできることは意外だった。

 「あんた、傭兵っぽくないよね。話し方も妙に丁寧だし」
 「何だ。俺のことくらい知ってるんじゃないのか?君は情報通だろ?」
 「私だって何でも知ってるわけじゃないよ。あんたは雷神と呼ばれるティガリウスと言う名の傭兵。何故か国王と知己の、ね。・・・っていうかあんた王国で傭兵したことなんてあったっけ?なんで王様と知り合いだったの?」
 
 ユフィが畳み掛けるようにそう言うと、ガリュウはくすりと笑った。

 「何?」

 ユフィが不快げに眉を寄せる。

 「そう露骨に不機嫌そうな顔をするな。君にも知らないことがあると思うと、嬉しくなっただけだ。そうか。そうだな」
 「何よ」

 ガリュウはくいっとグラスの中身を干してしまうと、とん、とテーブルに置く。
 
 「少し、昔話をしてやろう。面白い話じゃないが、誰も知らない、だが最早何の意味もない話だ。酒の肴に聞かせてやろう」

 ガリュウはそう言って、グラスになみなみと琥珀色の液体を注ぐ。

 「これは、一人のつまらん男の話だ」

 グラスは、ランプの光を受けてゆらゆらと輝いて見えた。





[24378] 第五話 大きすぎる牙
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/11/27 20:42
第五話 大きすぎる牙



 ―――34年前。

「おぎゃあ!おぎゃあ!」
 
 響き渡る赤子の泣き声を聞いて、ロードキア国王シャールはがばっとその身を起こした。
 まるで水晶の様だとも称えられる白亜の城。燭台が煌々灯る深夜の城内に、赤子の声が響く様はどこか不気味でもある。

 「生まれたか!」

 王妃を溺愛することで知られるシャーヒルは、妻の出産が行われていた医室の扉に詰め寄る。
 王妃は生まれつき身体が弱く、難産が予想されていた。
 王は不安を抑えきれぬように荒々しく扉を叩く。
 しばらくして、ばたん、と扉が開いた。
 侍女の一人が顔を真っ青にしてそこに立っていた。

 「おお、どうだ?妃は?無事か?子どもは?」

 侍女の表情に不吉なものを感じたのか。シャーヒルは殊更に明るくそう言った。だが、侍女は言いづらそうに、しかしはっきりと聞こえる声でこう言った。

 「お妃様はお隠れになられました」

 シャーヒルはその言葉を聞いた瞬簡に我を失い、気が付けば侍女を殴り倒していた。静まり返った城の中で、いつまでも赤子の泣く声だけが木霊していた。



 生まれたのは男児であった。
 常の赤子より一回りほども大きい健康な男児。王の跡継ぎとして申し分ない。誰もがそう思ったが、シャーヒルだけはこの子どもを疎んだ。
 彼にとって、赤子は愛しい妻を殺した憎き怪物であったのである。
 ティガリウス、それが赤子に与えられた名前であった。その名には「大きすぎる牙」という意味の皮肉染みた古代語が使われていた。

 王は次第に一人の側室にかまけ、政治を疎かにするようになった。すでに貴族の利権争いで腐敗しきっていた国政ではあるが、王の放蕩がこれを決定付ける。
 これより王国は坂道を転がるように衰退していく。
 
 「あの忌まわしい子どもを放逐されればよろしいのだわ」

 閨で側室にそう囁かれ、シャーヒルは暗黒に心を決めた。



 それから数日後、亡き王妃の生んだ第一子が、先天的な異常で王位を継承できないと言う報せが国中に触れだされた。 
 実際には、赤子は健康そのものであったが、その事は国の重臣以外には伏せられる。
 ところでその頃、王国周辺の小さな国々が王国との国境で小競り合いを繰り返していた。人々は不吉な報せと戦乱の予感に、ただただ嵐が過ぎるのを待つ雲雀のように震えていた。

 こうしてティガリウスは王位継承権を奪われいつの間にか表舞台から姿を消し、王は側室を王妃として迎え子を為したので、国民はいよいよ不審がるのだった。



 さて、ティガリウスと名づけられた子はどうなったのか。王は王妃の面影を残す赤子を殺すのは流石に忍びなかったのか、我が子を当時ロードキア王国の辺境であったウーティン領に半ば押し付ける様に託した。 
 ウーティン公は温和で公平な性格で知られ、赤子を不憫に思ってこの命令を受け入れた。

 「その子がそうなの?」

 国王の密使から受け取った赤子を自ら抱き上げる公に夫人がにこやかに話し掛ける。すでに三人の子どもを持つウーティン公は慣れた手つきで赤子をあやしていた。
 城ではあんなに泣いていた赤子は、すやすやと寝息を立てている。

 「そう、今日から我々の子だ。願わくばこの子が大きくなる頃には政情が落ち着いていればいいのだが」

 ウーティン公の願いはしかし冷徹な世界の理には届かず、各国の情勢は悪化の一途を辿る。
 
 運命と言うべきか偶然と言うべきか。この年、小国の一つであったイストワルが決起し、隣国を併合する。
 イストワル帝国の、これが始まりであった。

 さて、義理の父母と三人の義兄姉とともに育てられたティガリウスは、勉学にも乗馬にもそして剣においても並ならぬ才能を発揮したが、どこか遠慮がちで内気な青年に成長する。
 自分の出生について父母から聞いていたティガリウスは、心のどこかで彼らに引け目を持っていたのかもしれない。
 だが、そんな性格とは裏腹に、その肉体は巨体に育ち武勇の才に恵まれ、16の時にはすでに領内でティガリウスに敵うものはいなくなっていた。
 
 「父上」
 「ん?どうした、ティガリウス?」

 そんなある日、青年に成長したティガリウスはウーティン公に話し掛ける。公は庭に設えられた庭園の薔薇を物憂げに剪定していた。公がここ数日、難問に頭を悩ませていたことを、ティガリウスは見切っていた。
 勘が鋭い子どもだった。
 父の性格を受け継ぎどこか暢気な他の兄姉とちがって、ティガリウスは懐に鋭いナイフを隠し持つような鋭利な輝きを持っていた。
 それでも公は義息を愛していた。
 だからこそ、彼は悩んでいたのである。

 「今まで大変にお世話になりました。数日の後、この領を出ようと思います」
 「ティガリウス……お前!?」
 「私がいなくなれば、父上は心置きなく帝国と結ぶことができましょう。もともとここは私などがいるべきところではなかった。これまでのご恩は一生涯忘れることはありません」
 「ガリュウ…」
 「母上」

 いつの間にか、彼の義母が後ろからティガリウスを抱きしめていた。

 「何を言います!お前は私たちの子どもです!帝国が何と言おうと、あなたを手放すなど…」
 「母上。領民のことを第一にお考えください。このままでは辺境のこの国は王国に切り捨てられます。戦略的要地ではないからです。ですが帝国に寝がえれば、帝国にとっては前線の重要な補給基地となります。無体な扱いを受けることはないでしょう」
 「お前、そこまで考えて…」
 「機を読むことは父上から教わったことです」

 ウーティン公は温和だが暗愚な領主ではなかった。急速に力をつける帝国から領民を守る方法がティガリウスが言う方法しかないことに気付いていた。
 しかし、それにはロードキアと袂を別つ必要がある。継承権を抹殺されたとは言え王国の第一子を息子に持つことが帝国に知れれば、帝国はウーティンの言葉を疑わざるを得ないだろう。

 「ここまで育てていただき、そして十分に学ばさせていただきました。落ち着いたら手紙を書きます。父上、これをご恩返しとする不徳をお許し下さい。母上、どうか涙を拭いてください」
 「ガリュウ…」
 「ありがとう。さようなら」

 3日後、目を真っ赤に泣きはらした義母を振り切り、ティガリウスはウーティン領を出奔した。そして苦難の末、傭兵として大成することとなる。




 ―――そして、二ヶ月前。

 

 「傭兵、ティガリウス殿、参られました」
 「そうか。通してくれ」
 「はっ」
 「あと、人払いを」
 「はぁ?」
 「彼と私を、二人きりにしてくれ」

 ティガリウスは城からの再三の召集を受け、実に34年ぶりに己が生まれた王城へと参内していた。
 王はすでに代替わりし、先代の王は病死している。今の王は彼の息子であり、ティガリウスにとっては三つほど年が離れた義理の弟であった。

 「よく来てくれた。正直、来てはくれないものと思っていたよ」

 若い王はティガリウスにきさくに話し掛ける。傭兵は肩を竦めて問いを返す。

 「いいんですか?俺みたいな傭兵と二人きりになって。あなたの首をイストワルに差し出すかもしれない」
 「それもいいかもな。だが、貴公はそんなことはしない。そんな気がするんだ。それに、折角の再会なのだ。兄弟水入らずでもいいだろう?」
 「…ご存知であられたか」

 吐き出すようなティガリウスの言葉に、王はにこりと笑って見せた。
 
 「父王は貴公の母を失くしてから、ずっと気が触れたようになっていたのだ。政策は出鱈目で思いつきに過ぎず、諫める家臣があれば容赦なく処断した。結果回りに残ったのは政治などかけらも知らぬ母と、おべっかを使うしか能がない無能な貴族のみ。
 だが、父は病で亡くなる前のほんの数日だけ、正気に戻られたようだった。寝台に寄り添う私に、貴公のことを話してくれた」

 ミュートスという名のこの王は、父王が死した後自らの母親を孤塔に幽閉したことで悪名高い。
 他の兄弟とも争いが絶えず、王政が安定しない一員と言われている。だが、実際には公平にものを見る稀有なる王であった。
 滅び行く王国にいるのでなければ、名君として名を成したのかもしれなかった。

 「父王は後悔しておられた」
 「…最早、意味を持たぬことです」
 「そうだな…」

 父を同じくする兄弟の邂逅は、暖かな温度を持つものではなかった。一人は傭兵であり、一人は国王。
 立場も違えば考え方も違うし、共通する話題などないに等しい。
 やがて訪れた沈黙に苦笑し、ミュートスは「傭兵ティガリウス」と改めてその大男を呼称した。

 「はい」
 「貴公を”雷神”と呼ばれる第一級の傭兵と見込んで依頼したい。受けてくれるだろうか」
 「…内容と、そして報酬によります」
 「報酬は、私の私財が許す限り望むだけのものを与えよう。内容と言うのは他でもない。我が子のうちの一人、サラフィーナのことだ。娘を、帝国の手が及ばぬ所まで連れて行って欲しい。我が王家が受ける報いに、幼い娘を巻き込むことは忍びない」
 「娘」
 「エリーサ」

 王がそう呼ばうと、奥の扉がガチャリと開き、小さな少女の手を引いた若く美しい女性が現れた。
 
 「妻と、娘だ。エリーサ。ここにいるのがかの傭兵ティガリウスだ。サラフィーナを託そうと思う」
 「左様でございますか。ティガリウス様」

 エリーサはサラフィーナの手を引いたままティガリウスの前まで来て、そしてあろうことかその場に跪いた。

 「陛下!」
 
 ティガリウスが驚いて制止しようとしたが、王までもがそれにならって深々と頭を下げる。

 「どうか。どうかこの子をお守り下さい。親の勝手とは重々承知しております。ですが、どうか…」

 少女は母の常ならぬ仕草に不安そうにおろおろしている。青い綺麗な瞳は今にも泣きそうだ。
 ティガリウスはそっとその小さな頭に手を置いて、不器用に髪を撫でる。少女は、きょとんとして大きな男を見上げた。

 「時間が無い。10日後にはこの子を連れて国を出る。それまで別れを惜しむといい」 
 「ティガリウス!では…」
 「10日後だ。また来る」

 ティガリウスはそう言って三人に背を向ける。父と母でもある王と王妃は、礼を口にしながら我が子をひしと抱きしめた。




[24378] 第六話 牙の絆
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/11/27 20:54
※今回の話には人体に関わる残酷な描写があります。ご注意ください。


 だが運命はいつも悲劇的だ。誰かの命に関わることには特に。必要な物資や逃走ルートの確保を行う為にティガリウスが一旦ロードキアを離れたその日、帝国は彼を見送るようにしてロードキアに侵攻した。
 
 「本当か!その話は」
 「う、嘘じゃねぇ。帝国の奴らヤンバラの森を秘密裏に抜けてきたんだ。砦を素通りして大軍が攻めて来たらしい…」
 「猛獣の森をかっ。くそっ」

 ティガリウスがそれを知った時、ロードキア侵攻から二日が過ぎていた。彼はロードキア王国が少なくともあと一月はもつだろうと踏んでいたのだ。だからこそ与えた10日であったのに、完全に裏目に出た。帝国は完全なる奇襲に成功していた。王国はおそらく数日と持たないだろう。

 「あの時、一緒に連れて出るのだった!くそ!間に合えよ!」

 そう言って哀れな情報屋の男に金を握らせると、ティガリウスはイャルを走らせて王都に急いだ。

 しかし彼が王城に辿りついた時には、月を背景に火矢が掛けられていた。

 「ミュートス!」
 
 ティガリウスは無我夢中で、まったくの無策のまま城を囲む帝国軍の中に突っ込んでいく。その数およそ一万五千。
 だがティガリウスはこれと戦をするわけではない。
 ただ、城に侵入できればいいのである。
 
 だとしても一万五千。
 しかし夜であることが幸いした。どさくさに紛れることも不可能では無いだろう。

 「貴様、止まれ!」
 「傭兵か!」
 「おい、通すな!」

 猛スピードでイャルを駆り兵士の只中に走るティガリウス。彼を止めるために無数の槍先が向けられた瞬間、ティガリウスはイャルの背を蹴って宙に躍り出た。

 「なっ」

 そのまま背の大剣に手を掛け、問答無用で振るう雷神。
 
 「づああっ!!」

 彼の着地点にいた哀れな兵士達が鎧ごと切断されて夜の闇に消えていく。

 「し、侵入したぞ!」
 「は、早く殺せ!」
 「し、しかし闇に紛れて…」

 ただただ王城を目指せばいいティガリウスは、大剣であらゆる障害を切り飛ばしながらひたすらに走る。
 闇で視界が悪い帝国軍は、その獣の様な男に気付いた瞬簡には切り伏せられ、あろうことかたった一人の行進を許していた。

 それもそのはず。
 並みの刺客であれば、鎧を着た兵士一人を突破するのにもかなりの時間を要する。だがそこは雷神。
 まるでイカヅチのようなスピードで、雑兵をすり抜け、あるいは叩き切りながら只進む。
 そしてティガリウスは、城壁に掛けられ、今にも帝国兵が昇ろうとする長梯子に目を付けた。

 「借りるぞ」

 とてつもないスピードで駆けるティガリウス。止め様とした大柄な男が鉄槌を叩きつけようとしたが、すれ違いざまに丸太のように切り飛ばされる。
 
 「悪いが、急いでいる」

 ティガリウスは駆ける。梯子を上る帝国への背や頭を踏みつけながら走る。味方の兵がいる梯子に向けて帝国兵は矢を射掛けることも出来ず。ついにティガリウスは城壁を登りきった。

 「少しでも時間を稼げればな」

 そう言って、大力を持って鎧を着た数人が昇る梯子を押し返してしまうティガリウス。

 「ひっ」

 城壁の上の王国兵が槍を突き出してきたのを、片手で掴んでとめながらティガリウスは言った。

 「傭兵ティガリウスが約束を果たしに来たと王に伝えろ!ミュートス王はどこにいる!」
 「お、王」
 「そ、それは・・・」

 どうにも兵士達の様子がおかしい。これは、必死に城を防衛しようと言う者の顔ではない。これではまるで。

 「貴様ら、戦を捨てたなっ。命汚く生きる道を選んだな。だとしたら、おい!ミュートスはどこだ!」
 
 ティガリウスが槍を素手でへし折りながら兵士達に詰め寄る。
 敵か味方かも判然としない男に対し、おろおろする兵士達。

 「答えろ!切り飛ばされたいか!」
 「ひっ。か、鏡の間です。謁見に使う。しかし――」
 「それ以上はいい」

 聞きたくない。聞く必要も無い。
 そう言い捨てる時間すら惜しく、ティガリウスはただただ走りに走った。

 

 混乱する城内を走ることはそれほど難儀な作業ではなかった。というより兵士達の多くに戦意を感じない。これは間違いない。戦場に身を置くティガリウスには良く分かる。これは降伏する者たちの態度である。
 だが、帝国がただの講和を求めるはずが無い。
 帝国は良くも悪くも周辺各国の王国への不満を纏め上げる形で決起したのである。
 この戦を終わらせるには、明確な印が必要であるはずだった。

  「ミュートス!」

 鏡の間の扉を開ける。
 そしてその先に広がる光景は、彼が予想した光景であり、それにも増して醜悪な光景だった。

 「ひっ、貴様。何者だ!」

 鏡の間。かつてティガリウスが王と謁見したその部屋では数人の男女がこちらを見ていた。
 突然の来訪者に驚く彼ら。
 しかし、室内にいながらティガリウスに視線を寄越さない者もいる。

 一人は床に倒れる女性だった。
 その胸深々と剣が突き立っている。
 ミュートスの妻の遺体であった。

 もう一人は、地面にうずくまり、必死に何かを守っている男。
 その背は剣に切られてぐずぐずとなり、脊柱すら見えている。
 それでも男はそこを動かず、周囲にいる獣染みた目のばか者どもがいらだたしげに蹴った後もある。

 「なんだ、貴様は…」
 「ミュートス…」

 床にうずくまる男は、この国の王たる者だった。

 「なんだと聞いて―――」

 詰問のつもりで叫ぶ男の口から上が吹っ飛ぶ。ティガリウスが音も無く剛剣を振るってきり飛ばしたのだ。

 「ひっ、ひぃっ」
 「き、貴様、これなるは王家に連なる――」
 「うるさい」

 ティガリウスはただただ無言で、男も女も切り裂いた。彼らが降伏の為に王の首を求めるミュートスの弟妹であり、引いては自分の異母弟妹であることも分かっていたが、切り裂いた。
 そんなことはここでは問題ではない。
 彼はただ、約束を果たしにきたのである。

 「ミュートス…」

 動くものが誰もいなくなると、ティガリウスはうずくまるミュートスの前に跪いた。

 「てぃ、ティガリウス…」
 「しゃべらなくていい」
 「この子を…頼む・・・すまん・・・もう自分では動けもしないのだ・・・」
 「わかった」

 ティガリウスはそう言うと、極力優しくミュートスを抱き起こしてやる。だが、背中を八つ裂きにされた彼をどう扱っても激痛が苛むことだろう。
 あるいはもう何も感じていないか。

 「サラフィーナ」

 そこには震えながら、泣き声を精一杯にこらえている幼い少女の姿があった。敵から発見されることを恐れ、誰かが泣いてはならないと言い含めたのだろう。

 「サラは・・・無事かな・・・?」
 「お前、目が・・・」
 「父さま・・・」

 サラフィーナがすでに骸の様になっている父に縋りつく。そして、堪えていたものが噴出すように泣き出した。

 「約束を、果たしてくれるか・・・。もう、私が支払えるものはなにもないが・・・」
 「そんなものはいい。任せておけ」
 「そうか・・・。すまんな・・・。頼むよ、兄上・・・。サラぁ、すまないな。俺は一緒にいってやれない」
 「とうさまぁぁぁぁ」
 「どうか、しあわせに・・・」

 そしてロードキアの最後の王は目を閉じた。そしてもう、二度とその目を開くことは無いのだ。

 泣き縋るサラフィーナ。
 子どもにここが戦場だと話しても意味が無い。
 自分の命の為に泣き止めと言っても意味が無い。

 ティガリウスは泣きつかれたサラフィーナが眠るまで、ただただ扉の前に群がる敵兵を葬り続けたのだった。
 
 
   

 ゆらゆらと蝋燭の灯が揺れる。その長さは残り少ない。ガリュウは己が語った物語がいささか長すぎたようだと苦笑した。

 「つまらん話につき合わせたな」
 「ううん」

 ユフィもまた彼の目を見て微笑んだ。

 「サラはあんたにとって姪っ子ってわけね。でも、よく帝国の包囲を破って脱出できたわね」
 「なに、来た道を帰っただけだ。鎧を少し緩めて、胸にサラを縛り付けてな。眠ってくれていて助かったよ」
 「剣戟の中であんたの胸に縛り付けられてたわけ!うげ。ぞっとしないわね」
 「お陰で丸一日ふらふらしてたなぁ」

 言いながら、ガリュウはグラスを傾ける。

 「感謝している。こうしてあの子に束の間の平穏を与えられた」
 「今の話を聞いたからじゃないけど、何でも言ってよ?あんたはそれだけの働きをしている」
 「がりゅう・・・」

 突然の呼びかけに振り返ると、そこにはサラの姿があった。

 「サラ、ひとりでここまで歩いてきたのか?」
 「部屋にガリュウがいないから」

 目を擦りながら、サラがとてとてと歩いてきた。

 「ん?」とユフィが眉をしかめる。

 「『部屋にガリュウがいないから?』あんたら、べつべつの部屋を与えてたよな」
 「・・・聞くな」

 サラはそのままひしっとガリュウに膝にしがみつき、そのまますやすやと寝てしまう。
 
 「まさか。毎晩、添い寝してんの?」
 「聞くなと言った!・・・毎晩じゃない。一日おきくらいだ」
 「いやいや。それほとんど変わらないから」
 「うるさいな」

 ガリュウはサラを抱き上げながらさっと立ち上がった。

 「今日はお開きだ」
 「楽しかったよ、珍しい話を聞いた。・・・可愛いからって姪っ子に手を出すなよ?」
 「誰が出すか!」

 そう言ってガリュウは酒場の扉を出て行く。

 「ガリュウが、王子さまねぇ・・・」

 ティガリウスにまつわる話を思い出し、ユフィは一人くすりと笑った。




[24378] 第七話 悪魔にまつわる物語
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/11/30 21:51
※今回の話には人体に関する残酷な描写がありますのでご注意下さい。


 その男は父だった。それも偉大な父だ。全ての母親は偉大だが、全ての父親が偉大であるわけではない。

 「一番いい”肉屋”ってのが、どういうのかわかるか?」

 彼は愛娘に、かつてそう尋ねた事がある。流行り病で死んでしまった母親の代わりになど到底なれぬと知っていた彼は、いつも自分らしく娘に接した。
 それは彼にとって即ち、”肉屋”らしく振舞うと言うことだった。なぜなら彼は”肉屋”としての生き方以外は知らなかったからである。
 
 「諦めない奴。嫌いじゃねぇ。ひたすらに強い奴。まぁ嫌いじゃねぇ。てめぇの仕事をきっちりやる奴。これも嫌いじゃねぇ。だがな、一番いい”肉屋”かと言われれば、それだけじゃそうとは言えねぇ」

 娘が知る限り、父は一番いい”肉屋”だった。だから「父こそがそうだ」と答えた。それを聞いた彼は嬉しそうにはにかみながら、俺もいつもそうだというわけじゃねぇと言って笑った。

 「いいか。お前がもしも”肉屋”として生きていくなら、一番いい”肉屋”ってのを常に考えろ。いつかそれがお前に身についていく。だがお前は女だ。だから悪いって言ってんじゃねぇ。いつかこれぞという男が現れたら。こいつこそが最高の”肉屋”だと思える男が現れたら、そいつを絶対に離すんじゃねぇ。わかったな」

 そう言って父はわしわしと娘の頭を乱暴に撫でる。髪型はぐしゃぐしゃに崩れるけれど、娘は父に頭を撫でられるのが好きだった。
 父こそが最高の”肉屋”だと娘は疑っていなかった。同じくらいに、父とこれからずっと一緒に暮らしていくのだと言うことも疑ってはいなかった。
 しかし、どうして世界はいつも酷薄なのか。
 娘はやがて父親を失う。それは、彼女にとって世界を失ったも同然だった。
 


 その日は、朝から空気が違った。
 どこかぴりぴりするものが混じる、殺気だった空気。長屋の自室を出た瞬間から、ガリュウはその空気を感じ取っていた。

 「何かあったか?」

 次の狩りの打ち合わせの為に、会議の場となる長屋の一室に向かう途中で、騎上槍使いのサルースに会ったガリュウはだからそう尋ねた。
 サルースは壮年の落ち着いた雰囲気をいささかも崩すことなく、だが困ったように首を振った。騎上で突撃槍を支える頑強な肉体は今日もいささかも衰えも見せはしないが、しかしどことなく翳って見えるような気がした。

 「厄介な相手なのか?」

 その問いにサルースは首肯しながら苦々しげに言った。

 「俺たちにとって、一番厄介な相手だ。先代の首領ウー・ラーハルト。、つまり、お嬢の親父さんの仇だ」

 砂楼団の古株らしい男の言葉に、ガリュウは目を瞠ったのだった。


 
 
 6年も前の話である。
 ユフィは12歳だった。本来ならとてもまだ狩りに出れる年ではなかったが、本人の強い意向と、彼女を跡継ぎにしたい砂楼団のボス、ラーハルトの思いがあり、少しづつ狩りに同行するようになっていた。

 砂楼団は基本的には【悪魔の草原】を主な狩場としている。ロードキアの国境から遥か彼方に望むガリンガ連山まで続くこの無法地帯は、どの国の領地でもなく、そしてどの国も見離した土地であった。
 モンスターと呼ばれる巨大で攻撃的な生物が跋扈する場所であるが為に。
 この世界では実際の所、こうした誰のものでもない土地の方が圧倒的に多い。人類はたまたま制圧できた土地にしがみつくように生きているに過ぎないのである。

 その日も砂楼団はいつものように順調に狩りを終え、獲物である嵐喰竜ルーディオロスを、荷車に載せてイャルに引かせていた。
 その数は8人。
 三日間に及ぶ長い狩猟を終えた彼らは、気の緩みから談笑しながらイャルを操っていた。
 ユフィと轡を並べるラーハルトの相好も緩んでいる。彼らはこのまま長屋に帰り、モンスターを競りに出し、そして久しぶりに暖かい夕食で腹を満たすのだ。

 「サルース」

 ラーハルトに震える声でそう呼ばれたときのことを、彼は生涯忘れないだろう。この時以来、彼らは狩りをする時必ず、ある地点まで獲物を弱らせながら誘導するようにしている。だが、この時はまだ知らなかったのだ。
 いや知識としては知っていた。
 しかし、人は天災のような免れざる災厄については、実際にその災害に見舞われるまで、本当の所を想像することは出来ない。
 その竜が、正に天災そのものである竜が、この【悪魔の草原】に現れることを。

 「構えろ!」

 突如、天空から巨大な塊が飛来した。暗黒の塊のようなその造形。気がついたときには、彼らのうちの二人までがイャルの上からその姿を消していた。

 「ウルガロンだ!」

 それは悪魔の名を冠する飛竜。【悪魔の草原】に君臨する怪物たちの、その頂に立つ怪物中の怪物。
 漆黒の肉体はルーディオロスに迫るほどに巨大で。
 岸壁の様な肉質は全てを弾くように思われ。
 腕が進化した一対の翼は、空を掴むほどに長大だった。
 されど彼は王者などとは呼ばれない。あれを見るものは誰しもこう叫ぶのだ。
 悪魔!と。
 即ちかの竜を名付けて、悪魔竜ウルガロン!

 漆黒の翼を広げるウルガロンは、今は大地に立ち、その凶悪な顎で何かをぐちゃぐちゃと咀嚼していた。
 鳥を観察すればわかることだが、彼らは翼の力だけで飛び立つわけではない。必ず脚の力で飛び上がり、翼に風の力を得ることで飛ぶのである。
 それは竜も同じであり、一度接地すれば飛び上がる動作を見せねば飛び立つことが出来ず、その瞬間が隙となる。だから飛竜と対峙する時は、その瞬間こそが狙い目なのだ。
 
 だが。だがである。
 ウルガロンはそれを理解して飛び上がらないわけではない。

 火山の岩肌の様な漆黒の外殻を持つウルガロンは、やがてその口から何かを吐き出した。

 「!?」

 砂楼団に衝撃が走る。およそ人なら走らぬはずが無い。それは、屑鉄と化した血まみれの、かつて鎧だったものが出鱈目に圧縮されたオブジェだった。

 「この、悪魔め!」

 ラーハルトが恐怖すら忘れて罵倒する。
 恐怖を凌ぐのは怒りだけだ。
 人は草原で狩りをする。生きるためだ。人は糧の為に命を掛けて狩をする。だが、怪物が自ら人を狩ることはめったに無い。もっと狩りやすく、肉質のよい獲物が草原にはたくさんいるからである。

 あぁ、だがこの竜は。この悪魔は。どのような道理か。人の肉を愛するのだ。鎧ごと咀嚼し、血肉を啜り、そして見せ付けるように残骸を吐き出すのだ。

 その小山のような巨体が人の肉程度で満足させられるわけが無い。竜はこの後嵐喰竜の死肉を啜るだろう。
 だから彼が人を襲うのは、彼自身の愉悦の為なのだ。

 「あ、あぁ、あぁぁ・・・」

 ユフィがイャルを操ることも忘れて呆然としている。その目には涙が浮かび、厚手のズボンには染みが広がっている。
 
 「ユフィ!手綱を持て!」

 ラーハルトがそう叫んでユフィに近付こうとイャルを駆る。だがそれより一瞬早く、悪魔竜がその翼を動かした。

 「ユフィ!」

 がつん!

 草原に響き渡る顎が合わさる音。
 しかし幸運なことに手綱を離したユフィはイャルから転げ落ち、哀れなイャルが身代わりにウルガロンの口の中に納まる。
 飛竜はさして面白くも無さそうに、それを咀嚼して嚥下した。

 「お嬢!」

 サルースはすかさずイャルを走らせると、危険を顧みずに素早くユフィを拾い上げる。

 「くっ」

 急いでその場を離れるサルース。抱きかかえるユフィをみやると、落下の衝撃で気絶してはいるが、幸い大きな怪我などは無さそうだった。

 「くそぉぉぉっ!」

 その時、三人の若者たちが槍を構えてウルガロンに突進した。彼らにはイャルを食している今こそが悪魔竜の隙に思えたのだ。

 「勝手に突っ込むんじゃねぇ!」

 ラーハルトの悲鳴にも似た恫喝の声が響く。
 三人の槍がウルガロンの外殻に接するか接しないかのその瞬間。
 
 ウルガロンの鞭のように長い尾が三人をなぎ払った。

 「ダイ!シャー!ウング!」

 ラーハルトが叫ぶ。イャルから投げ出された三人の部下に向けて全速力でイャルを走らせる。しかし、悪魔はそんなラーハルトを見て大顎を歪ませ。

 「やめねぇかぁ!」

 無念に顔を歪める砂楼団の首領を嘲る様に三人を一口で噛み砕いた。

 くちゃくちゃくちゃ。

 鎧ごと咀嚼される三人の上半身。流石に口に収まらなかった下半分が血を噴出しながら草原の上をのた打ち回る。

 「てめぇッ!」
 
 ラーハルトは騎乗槍を悪魔の外殻に一閃する。しかし黒い悪魔は信じられない敏捷性でそれをひらりとかわした。

 「逃がすかよ!」

 だがそれで終わるラーハルトではない。すぐさま空いた手で腰の長剣を抜き放ち、伸びきった悪魔竜の脚に斬りつける。

 「ギギッ!」

 僅かに声を上げる悪魔竜。ラーハルトの一撃は、目に見える損傷を与えられてはいなかったが、その剣を警戒して悪魔竜が一度後方に飛びのいた。

 「サルース」
 「あぁ」

 ユフィを拾い上げ、騎乗に乗せたサルースがラーハルトに呼ばれて轡を並べる。
 ユフィは意識を失ってぐったりとイャルにもたれていた。
 もはや生き残ったのはこの三人だけだ。
 撤退の相談だろうとサルースはそう思っていた。
 
 「ユフィを連れて逃げろ。あいつの相手は俺がする」
 「馬鹿な!」

 自らを率いる首領に、サルースは思わずそう叫んでいた。ラーハルトの腕は認める。サルースに槍を教えたのはそもそもラーハルトだ。
 しかし。
 彼がどれほどの実力者であろうと、あの悪魔と戦って生きて帰れるはずが無い。

 「他に方法がない。あの悪魔が獲物を前にしてみすみす見逃すか?この遮蔽物のない草原で?ありえねぇ。誰かがしんがりをやらねぇと全滅だ」
 「じゃあ俺がやる。あんたはまだ砂楼団に必要だ」
 「自惚れんじゃねぇよ、サルース。てめぇであの悪魔をどれだけ留めておける?10分か?20分か?俺なら一時間は何とかしてやる」

 それは自分の寿命の宣言だった。男が気負いもてらいも無く口にした、自分の実力の物差しだった。
 ここでサルースが首を縦に振れば、一時間後には確実にラーハルトは死ぬのだ。

 「だが…」
 「娘を頼む」

 ラーハルトは真っ直ぐにサルースの目を見る。そこにはある種爽やかささえ感じる生命の輝きが感じられた。
 先ほどの言葉が無ければ、ラーハルトが命を諦めているなど到底信じられぬほどの。
 
 サルースはその目を見て分かった。分かってしまったのだ。ラーハルトが自分の娘に全てを託すつもりであると。彼の生き様と、死に様の全てを。
 人はいずれは死ぬ生き物である。いや違う。目の前で轟然とする黒竜ですら時が来ればいずれ死ぬのだ。
 人だけが技術を、思いを、魂を次の世代に継いで行ける。
 その先も、ずっと連綿と続いていけたら、ラーハルトは悪魔に打ち勝ったことになるのだろうか?

 「頼むぜ。サルース」

 そう言って、悪魔に向かって駆けて行く男に、サルースはもう何も言うことはできなかった。ただただ、意識を失った少女を抱きしめ、そして男とは反対の方向へとイャルを走らせる。
 死ぬな、とか、また会おうとか、分かりやすい気休めはとてもではないが言えなかった。

 眦に涙を溜め、振り返りそうになると唇を千切れんばかりに噛み締めて堪えた。

 一時間だけ。一時間しかないのだ。それがラーハルトが命を燃やして稼ぎ出す時間なのだ。
 サルースはただひたすらにイャルを走らせた。
 彼が街にたどり着くまで、悪魔竜は遂に彼を追っては来なかった。

 一週間後、彼らはその場所で、半ばから折れた騎乗槍と、その傍らに転がる、ひしゃげた鎧の塊とを見つけることになる。
 砂楼団の誰しもが慟哭し、そして誓った。
 ユフィが彼の後を継ぐのなら、決して彼女を死なせはしないと。
 たとえ、再び悪魔竜が現れようとも。

 そして、それから6年後。
 再び【悪魔の草原】で、とある”肉屋”の一団が黒い竜に滅ぼされた。




終わらないorz
あと一話でなんてとてもではないが終わらない。
ということであと二話でお願いします(誰にだ)。

ユフィルートのお話です。ガリュウさんには是非ともこの回でフラグを立ててほしいものです。

冗談はさておき、あんまり無双過ぎるガリュウに今回は強敵を用意しました。ルーディオロスやベルフトすら捕食対象とする悪魔にガリュウは打ち勝つことが出来るのか。
完結にご期待ください!

ここまで拙作を読んでいただきましてありがとうございます。ご意見、ご感想をいただけますと幸いです。




[24378] 第八話 ”肉屋”連合
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/12/01 22:07
 「”肉屋”ギルドから布告があった」

 会議は殺伐とした雰囲気の中始まった。サルースから過去の話を聞いたガリュウにも、この空気の所以はわかる。
 中央に座り、いつもなら一同を見渡して軽快にしゃべるユフィは、今は俯いたまま、いやテーブルの一点を凝視したまま淡々と言葉を話していた。
 ともすれば漏れ出でてくる感情を、胃の腑の中で持て余している様な、そんな表情だった。

 「【悪魔の草原】に、ウルガロンが現れたそうよ。ギルドに加盟するそこそこ名の知れた”肉屋”だった青牙団24名が壊滅。生き残りはたったの二人」

 空気は重いまま、じっとりと会議室の床に沈みこむ。重力が何倍にもなったような重苦しさの中、ただ淡々とユフィは語る。
 
 「皆も知っての通り、ウルガロンは本来北方の人類未踏地に棲息していると考えられてる。【悪魔の草原】に飛来するのは稀で、数年周期。すべて同一個体だとされてるわ。人間の血肉の味をしめた、文字通りの悪魔。だけど、幸運なこともある」

 ガリュウはいぶかしげにユフィに視線を向ける。黙ってここまでを見てきた彼だが、何かがおかしい。彼が仮初とは言え雇い主と認めた少女の、何かがおかしい。
 初めは、父親の仇討ちに気が立っているのかと思ったが。

 「悪魔竜はいつまでも【悪魔の草原】にいつくわけじゃない。前回も・・・。一週間ほどでもとの生息地に帰って行った。ここに来るのはあくまで気まぐれ。そう、一週間もすればあの竜は去り、数年間は安心して狩りが出来る」

 そこまで言ってユフィは顔を上げた。あ、とガリュウは思った。その目を見て、ユフィが何を考えているのかを悟ったのだ。
 それは戦場では頻繁に見ることが出来る将の、兵を束ねるものの顔だった。

 「砂楼団は、悪魔竜ウルガロンを討伐しない」

 がたがた、と椅子を鳴らして一同がざわめく。ただガリュウだけが、首領の決断に静かに小さな溜息をついた。

 「お嬢…」
 「これから一週間、狩りは休みよ。女たちにもそう伝えて。会議は、これでお終い」

 有無を言わさぬ閉会の声が、冷たく会議室に響いた。



 「よかったのか?」

 その日の夜、酒場で一人酒盃を重ねるユフィに、ガリュウが声を掛けた。もう夜も遅い。いつかの夜の様に、ゆらゆらと頼りない灯が室内を心細げに照らしている。

 「何が?」

 過分に棘を含んだユフィの返事に、ガリュウは苦笑しながら「座っても?」と雇い主に問うた。

 「どーぞ」

 ぞんざいな言い方にもう一度薄く笑ってから、ガリュウはユフィの向かいの席についた。

 「・・・よかったのよ。よかったに決まってるでしょう?」
 「そうか・・・」

 ガリュウは己も杯に酒を注ぎながら、そう短く言った。ガリュウが見たユフィの目。あれは、苦渋の決断をする将の目だった。
 特に、戦を諦めねばならない時の、内臓をかき回されでもしているかのような、臍を噛む思いを隠した目である。

 「”肉屋”は獲物を狩るのが仕事じゃない。素材を市場に流し、食糧を街に供給するのが役目なのよ。私はその為に一番コストがかからず、リスクが少なく、リターンが大きい狩りを選んで実行していかなくちゃいけない。アカントやラースにも帰る家がある。ラースなんて子どもが生まれたばかりなのよ。皆、今守るものの為に戦ってくれてる。私だけ、過去を引き摺っても仕方ない」
 「いや、君が割り切れるならいいんだ。俺が口を挟む問題じゃない。君がそう決めているのなら、俺に出来ることは酒に付き合うことくらいだろう」
 「嫌な男ね。おしゃべりな誰かに聞いたんでしょう?親父を殺されたのよ、私は。誰より大好きな親父だった。一番尊敬する”肉屋”だった。割り切れるわけ、ないじゃない」
 「そうか・・・」
 「だから酒を飲んで飲み下すの。どうにもならない時、これまでもずっとそうして来た。たった一週間よ。その間だけ、私は臆病な”肉屋”になる」
 「あぁ。臆病なのは悪いことじゃない。特に戦場ではな」
 「うん・・・」

 翌朝、空が白むまで、二人は言葉少なに杯を重ねていた。ユフィの決断をガリュウは尊重していたし、一団を預かる彼女にとっての最良の決断だと思った。
 翌日、凶報が街を震撼させるまでは。
 一対の悪魔竜が、スラーナの街の間近に巣を作り始めているというその報せを。




 「番(つがい)だと!」
 「えぇ・・・」

 翌朝、砂楼団の会議が緊急に開かれた。昨日の会議とは打って変わった烈しさを持つ会議の雰囲気。事態は最悪だが、これこそが”肉屋”の空気ともいえる。

 「スラーナの街からイャルで一時間ほど行くと、【悪魔の草原】を見張る物見櫓があるんだけど、そこが昨日悪魔竜に襲われた。こんなことは初めてよ。櫓ではいつも火が焚かれてるし、人が二人ばかりいるだけだから、モンスターがわざわざ襲ったりしない」
 「人を好んで食す、悪魔竜ならではということか」
 「それでも、こんなことは今まで無かったじゃないか!」

 ガリュウが呟くと、血気盛んな若い槍使い、アカントが叫ぶようにそう言ってテーブルを叩いた。その膝が僅か震えているのをガリュウは目ざとく見つける。武者震いか、それとも。

 「・・・どうする?お嬢?」

 悪魔竜との戦いを避けることは昨日決めたばかりである。だが状況が変わった。高い柵で囲まれ、武器を持つ多くの狩人がいるスラーナの街は、【悪魔の草原】に近いと言えどこれまで一度もモンスターに襲われたことなど無かった。
 普通のモンスターにとって、人間など襲う価値も無いちっぽけな存在に過ぎないのだ。手に入るわずかばかりの肉に対して、人間の持つ武具は凶悪に過ぎる。
 だが、悪魔竜にとっては事情が違った。

 「番というのが気になる。伴侶を見つけ、お気に入りの狩場に連れて来て、美味い飯でも食わせるくらいのつもりなのかもな」
 「・・・冗談じゃないわ」

 軽率ともいえるガリュウの物言いに、ユフィが口を開いた。その目には昨日の面影は少しも無い。その目はガリュウがここに来るまで知らなかった目だ。
 巨大生物を獲物と定める”肉屋”の目であった。
 臆病な”肉屋”はかけらも見当たらなかった。

 「やるわよ。悪いけど事情が変わった。悪魔竜の目的は間違いなくこのスラーナの街。私たちはこの街なくして砂楼団を続けていくことは出来ない」

 ユフィの力強い言葉が一同に響き渡る。

 「この街から、私たちは多くをもらってきた。親父も、その親父も、ここで狩りを続けてきた。見捨てるなんて選択肢はないわ。ギルドが何と言おうと、悪魔竜は私たちが狩る」
 「決まったな」

 ユフィの決断を受けて、サルースが立ち上がった。

 「砂楼団は悪魔竜を仕留める。それで、いいんだな?」
 
 サルースはユフィの目を見つめる。強い目だった。外見の美しさは、儚げだった母に良く似ていたが、その強さは紛れも無く父であるラーハルトから受け継いだものだ。

 「次の獲物は悪魔竜、二体!砂楼団の総力を挙げてこれを狩り取る!皆!忙しくなるわよ!」

 ユフィの声が会議室に響き渡る。
 男たちが雄雄しく吼えながら立ち上がる。
 アカントの膝の震えも、その時にはもう止まっていた。
 ガリュウはにやりと口の端を曲げて笑うのだった。


 

 「私たちの他に三組の”肉屋”が今回の討伐に参加するわ」
 
 その日の午後、ギルドに討伐の申請をしたユフィはガリュウとサルースとともに作戦を立てるべく昼食を摂りながら話し込んでいた。

 「実力は?使えるのか?」

 ガリュウがそう言うと、ユフィは「う~ん」と唸った。

 「断王団は先代のベルフト退治で有名だけど、今の首領になってからはいまいち。でも規模はうちくらいはあるわ。鬼刃団は規模は小さいけど、首領の剣舞使い、ナタールが有名。剣士としての実力だけ言えばスラーナで最強ね」
 「ほう」
 「言っとくけど、あんたは別格だからね。ナタールだって一人でルーディオロスの首は落せないわ」
 「むぅ」
 「あと一つ、黒鷹団が一番安定的ね。規模はうちの倍近いし、堅実な狩りで知られてる。でも、突出した所はないから悪魔竜とどこまで戦えるかは未知数だけど」
 「何にしてもだ。悪魔竜は二体いるんだから、2団づつで一体に当たるのが順当だろう。ギルドはなんと?」
 「ギルドは初めから今回の狩りに乗り気じゃないわ。まぁ奴らの大半は中央からの出向だからね。さっさと逃げ出したいのが正直な所でしょうよ」
 「今日中にでも、4者会談が必要だな。悪魔竜の巣作りはいつ終わるんだ?」
 「わかんないわよ。誰も倒したことがない竜なのよ?生態だって全然わかってない。一月後かもしれないし、今日いますぐかもしれない」
 「そりゃそうか」
 「とりあえず私はもう一回ギルドに行って、さっさと召集をかけるように言うわ」

 「その必要はありません」
 
 三人が突然の声に振り返ると、昼食取っている酒場の入り口に、一人の女性が立っていた。長い金糸のような髪を下ろした線の細い美しい女性。一見すると深窓の令嬢のようにも見える。しかし、ガリュウはその立ち居振る舞いから、彼女が一級の武芸者であると見切って目を見張った。
 
 「我が主ナタールが他の二つの団にお声かけしておりまして、一時間後に黒鷹団様のアジトで会談を行う予定です。私は砂楼団の皆様に伝令をお伝えに上がりました。鬼刃団のアリシアと申します」
 「了解したわ。ナタールって意外と手回しが早いのね」
 「恐縮でございます」
 「なぁ、君」
 「はい」

 ガリュウが楽しそうに女に声を掛ける。

 「君も戦場に出るのか?」
 
 ガリュウがそう言うと女は瞬間目を瞠り、そしてこちらも楽しそうに笑った。

 「我が刃が、かの竜に届きますれば」



 
 「よく来てくれた」

 皺だらけの相貌はしかし尚射抜くような眼光を備える。その構成員数約100名!スラーナ最大の”肉屋”黒鷹団を治める男ローハンは、集まった一堂を見渡してそう言った。
 錚々たる面子であった。
 まずはこの場所の主、”鉄塊”ローハン。半世紀もの間現役の”肉屋”であり続けるこの老人は、今尚武器を取って戦場に出るという。傍らでは後継である彼の孫スレイドが直立不動で立っている。上背だけならガリュウにも迫る黒髪を長髪にした若い男だったが、油断無く一同を見る目は、確かに老人の血を継ぐことを見るものに否応なく理解させた。
 
 「まぁ、来ないわけにも行きませんからね」

 溜息とともにそう言ったのは、断王団の首領セイだった。両側を屈強な岩の様な男たちに守らせながら、落ち着き無く身を捩っている。

 「本当ならすぐにでも逃げ出したい所ですよ」

 その采配も、個人的な武勇もぱっとしない風采の上がらない壮年の男に、ローハンは鋭い視線を向けたが、あまりに小物である為か、彼はそれにすら気付かないようだった。

 「本当に”雷神”を手に入れたんだー。うっらやましいねぇ」

 そう言ってユフィの隣に立つガリュウを値踏みするように見るのは、鬼刃団のナタールであった。その側に控えるアリシアがすらっとした美しい女性だとすると、ナタールは肉感的な美女であった。水着の様な衣装からは豊満な胸の谷間や瑞々しい太ももが完全に露出しているが本人は気にした風も無い。健康的に日焼けした、しかしどこか黒豹を思わせる女だった。

 「夜の方もさぞかし激しいんじゃないのー?」
 「悪いけど、そっちの方は圏外なのよ」
 「余計な事は言わんでいい」

 ともかく普段ならば絶対に顔を合わせることが無いと断言できる実力者たちがこうして顔をつき合わせ、そして時を惜しむように議論は始まった。

 「とりあえず団の編成を決めたい。二つの団が一体の悪魔とやり合う。とりあえずこれに異論は無いか?」

 サルースがそう話を切り出すと、黒鷹団の若きスレイドが「否」といきなり提案を否定してきた。

 「我が団はもっとも構成員の数が多い。一団で一体と当たる力が十分にあると考える。他の団と事に当たれば、本来の力を発揮できないこともあるだろう」
 
 身も蓋も無い協力の否定。そもそも一団で二体の悪魔であっても狩れるつもりだ、と、その若者の目は暗に語っていた。

 「悪いが、スレイド?だっけ?あんた悪魔竜舐めすぎ」
 「ん?ユフィーリア、だったか?やはり親の仇は恐ろしいか?」

 ざわ・・・とユフィが殺気を身にまとう。それに呼応するようにガリュウがその身から覇気を滲み出した。

 「なるほど。流石よな、”雷神”」

 その覇気を好ましく受け入れて、ローハン老が口を挟んだ。

 「孫の非礼は詫びよう。なにぶんにも気が盛んでな」
 「ボス。しかし――」
 「黙れ、スレイド。貴様の父親もその気の逸りで死んだことを忘れるな」
 
 ぐ、とスレイドが歯をかみ合わせて押し黙る。

 「で、おじーさんはどう考えるわけ?」

 怒りのおさまらないユフィはぞんざいな口調でローハンにそう尋ねる。歴戦の勇士でもある老人はふむ、と顎を摩った。

 「二団で一体と当たる。これは良策に見えるが乱暴すぎるわい。この戦、互いの長所を活かす事が重要だ。黒竜を引き摺り下ろすには相当の数の弓兵が必要だろう。強力な石弓もだ。それはワシと、断王の子倅のところで引き受けよう」
 「えぇ、俺のとこですかい?」
 「貴様も偉大な親父の血を引いているのだ。少しはしゃんとした所を見せろ」
 
 ローハン老は、どうやら断王団の手綱を取るつもりであるようだ。ユフィとナタールは、老人の意見に同意を返した。

 「地上に降りた黒竜を仕留める近接戦闘。これは”雷神”と”舞姫”を中心に行えばいい。音に聞こえた砂楼団の騎乗槍も見せてみろ。どうだ、異論があれば聞くが?」
 「いいんじゃね?オレも、是非とも見てみたいねぇ、”雷神”の剣技」
 「ふむ。じゃあ、決まりでいいな」

 ナタールのからかうような視線を受けながら、ガリュウが主とするユフィに同意を求める。
 最大規模の黒鷹団が後方に回り、規模で劣る砂楼団や鬼刃団に前衛を譲るというのだ。これを受けねば”肉屋”ではない。

 「いいわよ。ここは老い先短いじーさんの意見を尊重してあげるわ」
 「決まったな」

 ローハン老は、腹の底から響く声で、一同に向けて声を張り上げた。

 「では各々支度を抜かるな。決行は明後日とする」

 ここにスラーナの街の”肉屋”ギルド始まって以来の”肉屋”連合の結成がなったのであった。





すみません。絶対次では終わらないorz
どうしてこうなった・・・


  



[24378] 第九話 汝ら、剣持て狩らん者たち
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/12/05 15:57


※ほんの少しだけR15要素を含みます。期待されるほどのものでもありませんが、ご注意ください。


 月がとうに沈んだ夜の自室で、ガリュウは己の獲物である大剣を手入れしていた。これまで、何年もの間ガリュウとともに戦ってきた巨大な闘志の塊。ただ重く、分厚く、そしてでかい。それしか取り得がないガリュウの為にあるような武器。
 武器に銘はない。とあるモンスターの外殻で作られたというこの剣は、だから材質ですら定かではない。だが、それでもガリュウがもっとも信を置く武器だ。
 明日に迫った悪魔との戦においても、その威力を存分に発揮することだろう。

 とんとんとん

 扉が叩かれ、ガリュウは大剣から視線を外す。

 「だれだ?」

 サラ、だとは思わなかった。不安そうにしがみつく彼女は先ほどやっとのことで寝かしつけて自室の寝台に横たえさせた所だ。
 子どもながらに、いや子どもだからか、敏感に危険な狩りの気配を感じていたらしい。
 ガチャリ、と扉を開けて入ってきた人物に、ガリュウは「君か」と声を掛けた。
 
 「悪いね」

 ユフィはそう言って微笑み、手に持った酒瓶を振ってみせる。

 「ちょっと、酒、付き合ってくれる?」
 「今夜か?明日は出発だぞ」
 「わかってるよ」

 どうにもしおらしいユフィに面食らいながらも、ガリュウは狭い部屋の丸いテーブルを片付ける。杯を二つ置くと、ユフィがなみなみと酒を注いだ。
 二人は杯を合わせ、ぐっと酒をあおる。

 「しかし、無用心だな。妙齢の女が一人、男の所にくるなんて」
 「そりゃあ、そうだろう。あんたに抱いてもらいにきたんだから」
 「ぶーーッ」
 「おい、汚いな」

 ユフィの発言に、ガリュウが思わず酒を噴出す。

 「き、君は・・・。自分の身体は大事にしろと言っただろう?」
 「大事にしてるよ。失礼だな」

 ユフィはそう言うと自分の身体を抱きしめるようにしてみせる。すると、狙ってかどうか、豊満な乳房が持ち上げられ、谷間がガリュウに見せ付けられた。

 「前も言ったが、俺には君を抱けない」
 「私もそう思ったんだけど、よく考えたら私18なんだよ。あんたこの前の話だと34だろ?」
 「それがどうした?」
 「私が相手でも、立派なロリコンだ」
 「俺はそんなんじゃない!」

 息を荒げてそう言うガリュウにユフィは不満そうに唇を尖らす。

 「じゃあ何が不満なのよ?顔にも身体にもそこそこ自信はあるけど?まぁ商売女に比べたらテクは劣るかもしれないけど」
 「はぁ。大体、急にどうしたんだ」
 「うーんと、急にあんたの魅力にめろめろになったとか?」
 「嘘付け」 
 「まぁ、色々あるのよ。理由があるんだったら教えてよ。私を抱けない理由」
 「う~ん。言ったら本当に諦めるか?」
 「理由によるけど」
 「はぁ。仕方ないな」

 ガリュウはそう言って杯に酒を注ぎなおし、一気に煽ってから言った。

 「実は娘がいる」
 「はぁ?あんた結婚してたの?」
 「してない。子どもが出来たら振られた」
 「はぁ?」
 「傭兵の子どもだと、不憫だと言ってな。自分ひとりで育てるから、あんたは不要だと言われて」
 「すごい女ね。普通逆じゃない?子どもが出来てからの方が男手が必要でしょうに」
 「商家の娘でな。両親は事故で早世したが、才能があって商売は自分できりもりしてた。実際俺はそれほど必要ではなかったのだろう」
 「へ~」
 「その娘が・・・・。一度も会ったことは無いが、健在なら確か君と同じ年なんだ。分かるか?自分の娘なんか抱けないだろう?」
 「いや。私あんたの娘じゃないし。親父はもっと豪快な男だったわよ」
 「そういう意味じゃない。俺にとっては娘も同然ということだ」
 「う~ん」
 「納得したか?」
 「う~ん」
 「納得してくれ。な?」
 「う~ん。じゃあ、さ」
 「ん?なんだ?」

 ガリュウがそう言葉を返すと、ユフィはまるで糸が切れた人形みたいに、巨漢の剛剣つかいの分厚い肩にもたれかかった。

 「な、なんだ、急に?だから抱かんぞ?」
 「いいんだ。抱いて欲しかったわけじゃない。それならそれでもよかったんだけど」
 「君は…震えてるのか?」

 ユフィの身体は小刻みに震えていた。肌を接して初めて、ガリュウにそれが伝わる。

 「怖いんだ。あの時は大口叩いたけど、黒鷹団のスレイドが言ったとおりなのよ。あいつは親父を殺した竜だ。私が知る限り、親父は最高の”肉屋”だった。その親父が殺されたのよ」
 「ユフィ…」
 「怖い…仲間を失うのが…。誰かを失うのが…」

 おそらく誰にも発せなかったであろうユフィの内面の吐露。それは、幼い彼女を知らないガリュウにだからこそ話せた真情であったのかもしれない。
 ガリュウは数瞬躊躇ったが、ユフィに向き直り、その力強い腕で抱きしめてやった。

 「ガリュウ…」

 わずか、頬を染めるユフィ。抱きしめる男の方は顔を真っ赤にしている。それでもどうにか格好をつけて、ガリュウは言い聞かせるようにユフィに囁いた。いつでも見栄を張っていなければならないのが、男の辛い所である。

 「皆、君について来たのだ。俺を含め。どんな結果になろうと後悔するはずも無い」
 「でも、でも今までの狩りとは違うのよ。必死に自分に言い聞かせてる。これは街を救うための狩りなんだって。でも、気が付けば仇の悪魔竜を殺したい、怨念みたいな感情で心が一杯になる。怖いのよ!私の私情で仲間が死ぬかもしれないことが」
 「ユフィ…」
 「ずっと一番の”肉屋”になりたいと思ってきた。それを目指してきた。でも、ここに来て私の心は私情でいっぱいなの。恨みで一杯なの。怒りに引き摺られてるのよ」
 
 ユフィを抱きしめるガリュウには彼女の表情は読めない。だが、胸を熱い液体が濡らしていることに、ガリュウは気付いていた。

 「…俺が止めてやる」
 「え?」

 ユフィはガリュウの言葉に、思わずそう聞き返す。

 「君が、私情に駆られ、怒りに我を忘れ、恨みで目を曇らせたなら、俺が君を止めてやる。聞き分けなければぶん殴ってでも止めてやる」
 「ガリュウ…」
 
 顔を上げたユフィに、ガリュウはにやりと野太い笑みを浮かべて見せた。
 
 「”肉屋”の仕事は獲物を狩ることだけじゃないんだろう?じゃあ俺の仕事も悪魔竜を殺すことだけじゃない。君が暴走するようだったら、立派に止めてやる」
 「がりゅう…」
 「私情に引き摺られても気にするな。俺が引き摺り上げてやる。俺はここに来て学んだのだ。俺たちは一人じゃない。一人で狩りは出来ない。狩人たちが力を併せて、初めて狩りはできる。そうだろう?」
 「うん…」

 ユフィはかき抱くようにガリュウを抱きしめる。柔らかな乳房がガリュウの胸でひしゃげたが、ガリュウはそれに気付かない振りをした。

 「ちゅう…」
 「は?」
 「キスくらいなら、娘にでもするでしょう?キスして」
 「…そしたら、眠れるか?」
 「あと、抱きしめててくれたら」
 「おい」
 「いいでしょ?サラにするのと変わんないわ。娘なら」
 「ぐぅ」
 「ねぇ」

 ユフィがそう言って一層身体を密着しようとする。ユフィの脚がガリュウの太ももを割って入り、まるで恋人同士のように二人は寄り添う。
 ガリュウは鼓動を感じていた。それはサラに添い寝するときとはまるで違う鼓動だった。久しく忘れていた女の鼓動だった。
 ガリュウは溜息をつきながら、そのふっくらした唇に一度指で触れる。
 みずみずしい弾力が、その指を押し返した。

 「こんないい女にキスするのに溜息つくなんて、失礼な男ね」
 「いい女、だからさ」
 「え?」
 「溜息が出るほどいい女だ」
 「!?んんっ」
 
 そう言ってガリュウは不意に女の唇を奪った。その激しさに、ユフィはガリュウの背を狂おしそうにかきむしる。
 やがて部屋からは灯が消え。
 男と女は宵闇に沈んだ。




* * * *




 さて、悪魔との戦いは黒鷹団の提案により、野戦築城を用いての篭城戦を基本とすることになった。
 番の悪魔竜が根城とする物見櫓から目と鼻の先の地点に、何重にも罠を張り巡らせた野営地を設営し、人間の命を餌に悪魔竜を誘い込むのである。
 テントの設営は各団が各々で行ったが配置などは黒鷹団が決め、そして先を尖らせた丸太を地面に打ち付けて垣とした防壁も、そこここに設えられた仕掛けも、果ては攻城に用いる巨大な石弓も、すべて黒鷹団が用意した。
 垣は役にたたなそうではあるが、上から見れば聳え立つ杭の様に見えるはずで、悪魔竜の着地点をある程度絞る効果があると、黒鷹団は説明した。
  流石は最大の”肉屋”。その底力と言ったところだろうか。

 総勢200名近くの人員が集まり、初日は設営で過ぎていった。
 悪魔竜は不気味に動かず、ただ、策をめぐらす人間たちを観察していた。

 「こちらを素通りして街に行くって事は無いのか?」
 
 夜。
 幹部陣を集めての会議の席で、ガリュウはそう質問した。当然といえば当然のその問いに、黒鷹団の長はふん、と鼻を鳴らした。
 
 「奴がそういう獣なら、そもそも街を襲いはせんわい。あれは血に狂った魔獣よ。すぐ側に人間がいて、それを襲わずにおれる筈が無い」
 「なるほど」
 「だが、奴の生態が何一つ分からんのも事実。巣作り中は様子を見るのかも知れぬ」
 「かったりーっな。こっちから攻めるわけには行かないのかい、ご老人?」

 口さがない言い方をする鬼刃団の長ナタールに、スレイドが殺気を叩きつけるも、”肉屋”最強とも言われる女は飄々とそれを受け流した。

 「やめておけ。自ら勝率を下げることもない。守るほうが、攻めるよりも為しやすい」
 「そんなもんかねぇ」
   
 本心を掴みかねる中身のない笑みを浮かべながら、とりあえずはナタールは引き下がった。

 「何にせよ、見張りは交代で立てよう。長丁場になるかもしれないから、休むことも重要よ」

 そう発言したのはガリュウの主であるユフィであった。その意見には概ね皆が賛同した。

 「段取りは大体決まったかのう。奴を引き摺り下ろしたとき、その時は、”雷神”と”舞姫”に切り込みを任せていいな?」

 ローハンが念を押すようにガリュウとナタールに低い声でそう言った。数十年を狩場で過ごした覇気が叩きつけられるも、二人はよく似た野太い笑みでそれに答えた。

 「任せてもらおう」
 「俺はその為だけに生きてるんだよ」

 この日の会議はそれで終り、そしてその夜、悪魔竜が襲ってくることはなかった。

 

 「なぁ、雷神」
 「ん?あぁ、君か」

 翌日、昼を過ぎても姿を見せなかった悪魔竜は、さらに三日の間沈黙を続けた。見張りからは、せっせと資材を集めて巣作りにいそしむ姿が報告されている。
 そんな中、一人静かに武器を手入れするガリュウに、褐色の美女が話し掛けた。
 
 女が身に着ける軽鎧は、動きやすさを重視しているのだろう、最小の面積で作られ、太ももや二の腕はみずみずしい肌を完全に露出している。
 下半身の防具だなどはまるで踊り子の衣装のようにも見える。

 そしてその背に背負うは十字に縛った二本の長剣。剣舞使いとは二本の剣を自在に使うもののことを言う。

 「暇だから、ちょっと付き合ってくれよ」
 「ん?」
 
 ナタールはそう言って、背中の長剣を二本とも抜き放つ。
 美しい白刃が昼の光を反射して輝いた。

 「いいだろ?ちょっとだけ?」
 「ふん」

 ガリュウもまた、手入れしたばかりの大剣を握って立ち上がる。無双の気配を発しながら、腰を落とし、正面に構える。

 「当てるなよ?寸止めでいいな」
 「いやぁ、気にするなよ」

 そう言って、ナタールはこきこきと首を鳴らす。

 「当たらないように、よけりゃぁいいんだからよっ」
 「!?」

 瞬間、恐ろしい速度を持って剣舞使いがガリュウに迫る。
 速度だけで見れば、ガリュウよりも遥かに上を行くスピード。その踏み込みから繰り出される左の一撃を、ガリュウは大剣の腹で受け止める。

 ガキキキキキキキキィン!

 裂ぱくの一撃が空気に悲鳴を響かせる。
 だが、ここからが剣舞使いの真骨頂。
 すぐさま右の剣を翻し、ガリュウの首を目掛けて高速で走らせた。

 大体からして剣舞使いと大剣使いでは大剣使いに分が悪い。一撃の破壊力で戦を決する大剣使いにとって、スピードと手数で勝負を挑む剣舞使いは天敵なのだ。
 並みの大剣使いならだから、この一撃で首を持っていかれていたに違いない。
 だがガリュウという男は並どころではなかった。

 「ふぅおおッ」
 
 気合とともに、左の一撃を受けきった大剣の腹を蹴り上げるガリュウ。
 その突如振り上げられたその剣先が、一歩を踏み込むナタールの鼻先を掠める。

 「おもしろっ」

 ナタールはそのまま重心を後ろに倒したかと思うとバク転し、ガリュウから距離を置こうとする。だが、大剣を蹴り上げたガリュウはその重さを担いで受け止め、すぐさま逃れるナタールに向けて突き出す。

 「はっ」

 その一撃を交差させた二本の剣で捌くナタール。これも並みの剣舞使いなら防御を貫かれて即死しているだろう。
 剣聖。
 そう呼ばれるにふさわしい動き。だが、彼らがそう呼ばれることはないだろう。
 その顔に、よく似た野獣の笑みを張りつけている間は。

 二人がもう一度武器を持ち直し仕切り直そうとしたとき、悲鳴に似た叫び声が二人の動きを瞬間にして止めたのだった。

 「悪魔竜だぁぁぁ!ウルガロンが来たぞぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 がん、がん、がんと半鐘が鳴らされる。
 二人が空を仰ぐと、周回する一対の黒い塊が見えた。

 「続き、また後でな。あんた面白いな、”雷神”」
 「君もなかなかのものだ。ティングレーの戦いでも君ほどの剣舞使いはいなかったぞ」
 「そりゃ、光栄」
 「ガリュウ!なにやってんの!」

 そこに割り込むようにユフィがやってきた。沐浴でもしていたのか。湿り気を帯びた髪がしっとりとして艶かしい。

 「サルースとアカントには騎乗隊の準備をさせてる」
 「わかった。俺も合流しよう」

 「ナタール」

 丁度その時、剣舞使いの女の後ろからも声が掛けられる。

 「鬼刃団、剣舞隊準備出来ています。お戻りを」
 「りょーかい!アリシア。お前の言う様に、”雷神”はなかなかいい男だぜ」

 ナタールと同じ軽装に身を包むアリシアの背には、やはり十字に二本の剣が括られていた。

 「お手並み拝見だな」
 「あなたの剣を楽しみにさせていただきます」
 「また俺とし合えよ、”雷神”!」

 にやりと笑う男に涼しい笑顔を返す女と宣戦を布告する女。
 ほどなく、二人は各々の配置に戻っていった。

 「なんか、急にずいぶんとおモテになってるのねぇ、”雷神”さん」
 「ん?そういうものでもあるまい。強者は強者に引かれるものだ」
 「あっそー!」
 「何を怒ってるんだ?」

 ともかく戦が始まる。一つの街と一対の竜と、そして二百の”肉屋”の命を賭けた、過去【悪魔の草原】で行われた中でも最大の戦が始まるのだ。
 待ったも否やもない。
 ただ最後に草原に立っていた者だけが、勝どきを上げる権利を有する。

 「全員!構えろぉぉぉぉぉ!」
 
 ローハン老の覇気を合図に、こうして戦は始まったのだった。




[24378] 第十話 英雄、肉屋勤務
Name: ダイス◆af8d3fcb ID:a8042ed8
Date: 2010/12/05 15:58


 空を滑空する一対の黒い塊。邪悪、暴虐の主。【悪魔の草原】に、悪魔そのものとして恐怖を撒き散らす災厄の化身。
  嫌らしい金属質の高い音が、人の心をどうしようもなく掻き乱す。
 その声を聞けば誰もが、その事実を思い出してしまうのだ。
 自らが対峙するのが、悪魔と呼ばれる竜であることを。

 「弓兵!矢を番えろ!彼奴を引き摺り下ろせ!」

 混乱する戦場にすら響き渡る覇気溢れる声でローハンが叫ぶ。魂を金槌でぶん殴られるようなその声に鼓舞され、弓兵達が弓を引き絞る。
 その数凡そ150という、黒鷹と断王の混成団。
 ローハンの隣では断王の血を継ぐセイが、ここにいれば安心とばかりにちゃっかり立っていた。

 「放て!」

 負けじと叫ぶ若きスレイドの声を合図に、上空へ向けて40もの矢が放物線を描いて放たれる。だが、上空を飛ぶ悪魔竜達は、自在に身体を翻し、それを難なくかわしてしまう。
 勝ち誇る様に空を劈く悪魔の声。
 悪魔のうちの一頭はそのまま滑空し、地面すれすれを兵士たち目掛けて突っ込んできた!
 何という大胆さ!
 そこここに建てられた丸太の杭など意に介さずに引き倒しながら、丁度弓を放ったばかりの弓兵数人を目掛けて大口を開ける。

 「ひっ――――」

 悲鳴を上げる暇さえなく。
 数人の弓兵がその口の中に飲み込まれた。

 くちゃくちゃくちゃくちゃ――――。

 その鳴き声よりも更に不快な咀嚼の音を立てながら、悪魔竜は羽ばたき、再び上空へと上がっていく。
 
 「速い!」

 一連の事件がほんの数秒の時間で起こったことだった。ガリュウはそのあまりのスピードに驚愕の声を漏らした。

 「おいおい。どうする爺さん?あいつ弓とか避けちまうぜ?」

 ナタールは己の配下である剣舞使いたちとともに出番を待機しながら、ローハンに向けてからかいを含んだ声を上げる。
 スレイドが視線で殺そうとでも言う様にキツイ圧力をぶつけてくるが、ナタールは一向意に介さない。
 
 「ふん。小娘が。心配するな。今のはわざと避けさせた」
 「ほう?」
 「スレイド、弓兵を立て直せ!第二射を撃つぞ」
 「了解」

 スレイドは混乱する弓兵達を叱咤し、次の弓を射掛けるように準備させる。

 「放て!」
 
 矢は再び天上を目指して伸び上がるが、二匹の悪魔竜はまたもや難なくそれを掻い潜る。
 だが―――。

 「そう逃げると、思ったわい。イカリを放て!」

 弓兵達を嘲る様に矢をかわした悪魔竜に対して、数人がかりで弓を引く、機械仕掛けの石弓から4筋の光が放たれる。
 それは、鉄の鎖の先に、船を停泊させる為のイカリを結んだ、悪魔竜を狩る為の切り札であった。

 しゃららららら、と音を立てながら悪魔竜のさらに上空へと射出されたイカリ。悪魔竜はそれをかわそうと再び身を翻すが、鎖のついたイカリはぶんぶんと遠心力で弧を描きながら、悪魔竜の身体に巻きつく。
  じゃらららららら、と、気がついたときには、悪魔竜の右の翼、首、左足、そして尾が、鎖によって巻き取られていたのである。 

 これこそが黒鷹団の今回の計画。
 鎖に縛られた天の悪魔を地上に引き摺り下ろすのである。
 
 鎖は巨大な巻取り機に繋がっており、いくつもの大きな鋼鉄の滑車を組み合わせたその巻取り機には、丁度船の操舵を横向きにしたようないくつもの取っ手がついたやはり鋼鉄の車輪が設えられている。
 それを屈強な数人の男がまわすことで、滑車の力で上空に上がった鎖を引き、悪魔竜を引き摺るおろす仕掛けであった。

 「鎖を巻き取れ!」

 怒声染みたローハンの声が響き、男たちが巻取り機を回し始める。鎖の遊び部分を巻き取り終わると、ついに男たちと悪魔竜との力比べが始まった。
 男たちがむき出しの肌から汗を噴出させながら、数ミリづつ、それでも確実に車輪を回していく。
 再び悪魔そのものと言った鳴き声を上げながら、鎖の力に対抗する悪魔竜。だが、滑車の力で巻き取られるその鎖の力は、悪魔竜と言えど容易に抗いうるものではない。

 番の危機を察してか、仕掛けは分からぬまでも鎖の元を断たんともう一体の悪魔竜が上空から急降下してくる。
 鎖を巻き取ることに精の髄までを酷使する男たちにそれを防ぐ術は無い。

 「この為に俺たちがいるんだ。そうだろう?」

 急降下する悪魔竜。
 その着地点で大剣を担いで身構える巨躯の男がそこにいた。

 「おおおおお!」

 如何に速いといえど、狙いが絞られれば対応できる。そしてガリュウは並の兵ではない。英雄とさえ言われる、戦場を駆けるイカヅチであるのだ。

 「ふん!」

 急降下する黒い塊に、地面から掬い上げるように、突き上げの一撃を放つガリュウ。それは常の人なら無謀そのもの。
 小山ほどもある体重が急速で迫ってきているのである。
 スピードに乗った4頭建ての馬車に人が挑むよりも尚あり得ない愚考。

 だが、それでもガリュウは迎え撃った。

 その音は最早剣戟の音ではあり得ない。
 まるで大瀑布が立てるような轟音が繰り出され、巨人は後方へと大きく弾き飛ばされた。

 「ガリュウ!」

 それを見たユフィが短い悲鳴を上げる。

 「負けたか?」
  
 槍の出番を待つサルースもまた、最悪の結果を想像して身構える。
 だが戦場にいて、そして極限の世界を知るものの幾人かは、正しい勝敗に感付いていた。

 「引き分けといった所かのう?」
 「まぁ、そんなとこだな」

 ローハン老とナタールが視線を併せてにたりと笑う。
 次の瞬間。
 悪魔竜は糸が切れた人形の様に地面に激突した!

 「何!?」

 スレイドが我が目を疑って目を瞠る。
 そこでは悪魔竜が苦しげに呻きながら何とか立ち上がろうともがいている。

 「あの極限で正確に頭を叩いて脳震盪を引き起こす。流石は”雷神”ですか?ナタール」
 「分かってるじゃないか、アリシア。なら、俺達がやることもわかるな?」
 「承知。剣舞隊、前へ!地に落ちた悪魔竜を討ち取ります」

 ナタールとアリシアが率いる女性ばかりの異色の部隊十数人が一斉に背に負う二本の剣を引き抜く。
 「いくぜぇ!」
 
 ナタールは、己も双剣を持って地にももがく悪魔竜に挑んだ。

 「サルース!一番隊を率いてお転婆たちの真逆をついて。アカントは尾の方から翼を狙って、出来ればこれを破れ!」
 「応!」

 砂楼団が誇る騎馬隊も負けじとこれに続く。砂楼団は馬を使わない。臆病な馬は竜との戦いに向かない為だ。
 遠い祖先が野生の狼を狩りの友としたイャルだけが、竜の前でも臆せず戦う騎乗の信となれるのである。

 ガイン、ガインとあちこちで、金属を叩く鎚の様な音が響く。槍や剣がひっきりなしに鱗を叩くも、その黒い鋼鉄の様な鎧に文字通りなかなか歯が立たないのである。
 しかし。
 何事にも例外は存在する。

 「きしゃあああああああああああああ!」

 悪魔竜が耳を劈く悲鳴を上げる。
 一筋の光が、悪魔竜の鱗を突破してその肉を切り裂いたのである。

 「鱗の隙間を狙え!剣舞は速度の剣技。神速を持って切れぬものなし、なんてな」
 
 ナタール。
 ”舞姫”と謡われる、ガリュウを除けばスラーナ最強とも言われる女剣士。彼女の文字通り舞うような動作から繰り出される一撃が、悪魔竜の鉄壁を誇る外殻を突破して傷を与えていた。
 ぶしゅああああああ、とその隣でも血飛沫が上がる。
 アリシアが無言のままナタール同様竜の鱗を切り裂いたのであった。

 「ほらな。やればできるだろう?」

 ナタールはそう言って笑ったが、同様の真似が出来る剣舞使いは流石の彼女たちの配下の中にもいない様であった。
 
 傷は些細であっても確実に竜を追い詰めていく。
 戦の勝敗は大方決した。戦場の誰もがそう思い始めていたとき。
 天で鎖に繋がれていた悪魔竜が反逆ののろしを上げたのであった。

 それは誰の理解も超えていた。
 天に縛られる竜に目掛けて、第三射の、今度こそ必中の弓が引き絞られているとき、彼を縛る車輪の一つが、轟音を立てて爆砕したのである。

 「なんだと!」

 ローハンが驚愕に叫ぶ次の瞬間には、もう一つの車輪もまた爆砕された。

 人間たちはおそるおそるその爆心地を観察して、そして悪魔竜の悪魔の様な所業を知ることとなるのだ。

 「よ、よろいの塊・・・」

 名もなき兵がそう呟いた。
 車輪を破壊したもの。
 それは高速で吐き出されたかつて同胞だった者の成れの果てであったのである。

 「う、うわぁぁぁぁぁあぁっぁぁ!」

 それに気付いた兵たちの間で動揺が始まる。
 残る二本の鎖では到底竜を縛っておけず、鎖を完全に振り切った悪魔竜が地面へと視線を移し、そして―――。

 「くそっ!立ち上がったぞ!」

 地に伏していた悪魔竜も、ようやく眩暈が治まったのか立ち上がってしまった。
 悪魔の声が、三度戦場を揺るがした。

 「呆けるな!くそ!」

 スレイドは思わず舌打ちした。
 部下の動揺が激しい。
 やはり、目の前で人体がこうも無残な塊と化すのを見るのは人間にとってとんでもないストレスとなるのだ。
 スレイドも立場がなければへたり込みたいほどである。
 だがそんなことはとてもできない。
 自分は、ローハンの孫なのだから。

 その時、空を舞う悪魔竜が地面目掛けて滑空を開始した。地に立つ悪魔竜もまた、狙いを定めていびつに口を歪めて笑う。
 悪魔たちは、この戦場の中心となる人物たちに早々に目を付けていたのだった。

 「ボス!」
 「お嬢!」

 ローハンとユフィ。
 荒くれどもを統率するこの二つのカリスマに、竜達は本能で気付いていた。
 ローハンには空から。
 ユフィには地を走って刺客が迫る。

 「馬鹿野郎ども!ボスを守れ!くそ!」

 スレイドはローハンの前に立ち塞がり腰の剣を抜く。だが、スレイドの剣くらいではとてもローハンを守りきれるとは思えない。





 「お嬢!」
 「あれ・・・」

 サルースはユフィを後方に引かせようとするが、ユフィは何故か呆けたまま動かない。

 「お嬢!何をしている」
 「あれ・・・」
 「何を見て・・・・・・・・・・!?」

 そしてサルースもそれを見た。
 それは迫り来る悪魔竜の額。まるで悪魔の角の様に不自然に盛り上がった一つの瘤。そしてその瘤の中心に突き立った、半ばから折れた槍の、おそらくは穂先。

 「親父・・・」

 あぁ、それは正しく父の槍。雄雄しく戦い、ユフィとサルースの命を救ったラーハルトの槍に違いなかった。
 父は確かに悪魔竜と戦ったのだ。そして屈しなかったのだ。最後の最後まであれと戦い、そして硬い甲殻を破って槍を突き立て、そして―――。
 そこまでだったのだ。
 彼は敗れ、そして喰われた。
 目の前を走る悪魔竜に。

 スララララと音を立てて剣が引き抜かれるのをサルースは感じて青ざめる。

 「止めろ!お嬢!今は退け!退くんだ!」
 
 されど激情。忠臣の言葉さえ耳に介さず、ユフィは正面から迫る悪魔竜を睨みつける。

 「おやじぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 イャルにもまたその意気が通じたのか。
 悪魔にも怯まず真っ直ぐに駆ける。
 
 「止めろ!お嬢!」

 しかしもう遅い。
 ユフィは抜剣したまま悪魔竜に突撃し、そして―――。

 悪魔と娘の間に立ち塞がる巨人がそこにいた。

 「約束したな。歯を、食いしばれ!」

 巨人は大きく振りかぶると、悪魔竜を背にして、なんとイャルにまたがるユフィの頬に全力と思われる拳の一撃を放った。

 「ぷぎゃ」

 ユフィが間抜けとも思える悲鳴を上げて大きく後ろに吹っ飛ぶ。

 「お嬢!」

 サルースはイャルを操ると、上空で放物線を描く主人を何とかその胸の中にキャッチした。

 「サルース。そのお転婆をしっかり抱えとけ。ユフィ、君は少し頭を冷やせ。その間は―――」

 そうして巨人は再び、悪魔と向かい合った。

 「こいつの相手は俺がする」

 ガリュウは剣を握り直すとその肩に担ぎ、突進する悪魔竜に身構えたのであった。



 スレイドは自分の腕の未熟を恥じた。何がローハンの孫だ。自分に”雷神”ほどの武勇があったならば。
 そう思いながらも彼の身体は宙に飛ばされる。
 立ち塞がっては見たものの悪魔の力は強大すぎた。
 むしろ彼の五体が無事であったことを褒めるべきであろう。

 ただ悪魔竜はまっすぐにローハンを目指した。
 彼を失えば戦が続かないことを悪魔はしっかり理解していたのである。

 「ボス!」

 スレイドが出来るのは叫ぶことだけ。
 今正に悪魔の牙がローハンに届かんとする時、しかしその頭蓋に衝撃が叩き込まれた。
 まるで鉄製の楽器を奏でるときの様な音を立て、悪魔が苦しげに悲鳴を上げて仰け反った。

 「・・・あーあ。あんまり目立ちたくないんだけどなぁ」

 そう言って手に持つ武器を振るったのは、断王団の主、セイであった。

 「ふん。かつてワシと覇を争った貴様の親父が聞いたら泣くぞ。ほら、とっとと親父譲りの戦斧の腕を見せてみろ」
 「はいはい」

 そう言ってやる気が無さそうに、セイは長い柄の先に斧が備えられた武具、ハルバードを持って悪魔の前に立ち塞がる。

 「セイ・・・だと?」

 スレイドが驚愕に打ちのめされていると、ローハンが人の悪い笑みを浮かべた。

 「スラーナ最強があの小娘?ふん。ワシから言わせればそんなのは物を知らぬ女子どもの噂に過ぎぬ。この男こそは、おそらくスラーナ最強よ。”雷神”とも十分に渡り合えよう」
 「いやいや、無理だから。あんな化け物と一緒にしないでくれよ」
 「ふぅ。親父が名声を得すぎて、人の戦で千の軍勢に囲まれて死んだのをまだ恐れていると見える」
 「いや、普通恐れるでしょ?俺はあんまり有名になりたくないの。へたれた御曹司のまま幸せに死にたいんだよ」
 「いいからさっさと行け。お前も、そろそろ表舞台に出ていい頃合だ」
 「へーい。あーあ、嫌だなぁ」

 そう言って男は上着を脱ぎ捨てる。白日に晒されたその背中がスレイドの目に映る。それは、まるで鋼鉄で出来た巌の様な頑健さであった。

 「仕方ねぇから、来いよ、悪魔?」

 セイが低く重心を落として構える。悪魔竜は怒りのまま口を開き、そして不遜者を喰らわんと突進した。
 その脇腹に。
 横合いから思い切り槍の壁がぶち当たる。

 「お?」

 セイは怒りに鳴き叫ぶ悪魔竜の鼻っ柱をハルバードで一撃すると、そのまま一歩後ろに飛んだ。

 「痴話喧嘩か、小娘?」
 「うるさいわよ、じいさん」
 
 そこには砂楼団の槍隊の半数を率いたユフィの姿があった。

 「いったー。しかし普通本当にグーでなぐる?私、女の子よね?」
 「お嬢が約束したというのだから仕方あるまい?」
 「むぅ。早まったわ。まぁいい。サルース。ここは任せていいわね?私はあっちに戻るわ。アリシア。こっちはいいんでしょ?」

 ユフィが声を掛けた先。そこには剣舞使いのアリシアが、やはり剣舞隊の半分を率いていた。

 「はい。順番と手順は狂いましたが、もとから後詰めは剣舞隊と騎乗隊の役目なれば。あと、こちらにも面白い御仁がいましたから」

 そう言ってアリシアがセイに対して妖艶に微笑む。セイの背に、ぞくりとした悪寒が走った。

 「いや、美人に見られるのはおじさんも嬉しいんだけどね?」

 セイは早々に実力を晒したことを後悔し始めていた。

 「お嬢。無茶はもうするなよ」
 「わかってるわよ」

 ユフィはそう言ってイャルをもう一体の悪魔の方へと向ける。

 「また殴られたらかなわないわ」



 「うおおおおおおおおお!」
 「あああああああああああ!」

 ”雷神”が叩く!血まみれの悪魔を容赦なく大剣で切りつける。その外殻に弾かれようが構わず叩く。いつか剣がその鱗を叩き切るまで。
 そして悪魔の外殻のそこここは、巨人の剣によって血みどろだった。

 ”舞姫”が舞う!二本の剣で悪魔の攻撃を弾き、そして鱗の隙間を神速で縫い付ける。傷は軽微なれど手数が違う。
 悪魔をやはり血の海へと誘う。

 悪魔竜と人の戦はこの時点で決していたと言える。地に降りた時点で悪魔は敗北を決していたのである。
 だが戦の大勢がどちらの勝利か。
 この時にはまだ、それは決していなかった。


 悪魔はそれでも悪魔だった。
 追い詰められながらも人を喰らい、その塊を弾丸として射出する。
 その高速で飛来する鎧だったものの塊が、やはり数人の道連れを作って人垣を突っ切る。
 それでも人の刃が悪魔に突き立つその数の方が多かった。

 「うりゃあ!」
 
 やる気があるのか今ひとつ疑問符が残るセイの攻撃が悪魔を血みどろに追い込む。ハルバードをまるで手足の様に操る彼の動きは、どちらかといえば剣舞使いの剣技に似ていた。

 「美しい技を使われますね」
 「あんたもな、お嬢さん」

 アリシアもまた双剣を駆使して悪魔竜を追い込む。二人の規格外の力が確かに悪魔を追い詰める。

 「石弓!放てぇ!」

 スレイドの号令で石弓から強力な鋼鉄の鏃が解き放たれる。
 鏃は流石の威力で悪魔竜に突き立つ。

 「次、装填しろ!」

 負けてはいられない。
 スレイドはそう思い歯を食いしばった。
 自分はローハンの孫であるのだから。


 
 あぁ、楽しい。
 ナタールは、時が凍ったような戦場の世界で、音をなくした高速の世界でそう思った。
 戦場の空気は好きだ。
 自分より大きな獲物と戦い、この身体を全力で酷使するとき現れる、この世界が好きだ。
 おそらく一流の剣士のみが到達できるこの境地。
 戦闘以外の一切の無駄を排除した純粋な世界。
 ナタールがスラーナに来るまで、この世界を共有できるのは幼馴染のアリシアだけだった。

 ”雷神”。それにセイのぼっちゃん。あんたたちにも見えてるんだろう?

 ナタールはそう思って哂いながら、二本の剣で悪魔を八つ裂きに切り刻むのだった。



 そして、長い悪夢の様な時間が終りを告げる。
 
 悪魔のうちの一体は石弓の集中砲火と実力を発揮したセイ、アリシアの前に撃沈して地面に横たわり、そして、残る一体にも最後の時が訪れようとしていた。

 「うおおおおおおおおおおおおお!」

 規格外。
 それ以外にこの男を形容する言葉はありはしない。大きな身体。恐ろしい筋力。特異な生い立ちなど、この男の腕力と比べれば比肩するほどのこともない。
 ただ、ただ、ただ!
 巨大な重量の塊を、筋力を持って維持し、支配し、振り回し!
 破壊の限りを尽くす。
 それこそ剛剣。それこそ”雷神”。
 一切が、彼の前では灰燼と帰す。

 「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
 「ギィィィアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
 
 悲鳴を上げる悪魔竜に。
 血みどろの爬虫類に。
 その額に、確かな人の営みの痕跡を埋めるウルガロンに。
 ついに。
 ついに人外の力のその一撃が叩き込まれる。

 「ガリュウ!いっけーーーーーーーーーーーーーー!」

 少女の思いをその剣に込め。
 剛剣はまっすぐ、悪魔の額に打ち込まれた。

 まるで火山が爆裂したような音を立て。
 大剣が、竜の額を切り裂いて、その頭蓋を叩き割る。

 「ググググギィィイィィィィィィィィィィィィ!!!」

 額から大剣を生やしたまま、断末魔の叫び声を上げる悪魔竜。
 二体の悪魔竜討伐が、ここになった瞬間であった。



 「ふぅ・・・」

 悪魔竜の頭蓋深くに埋まった大剣を何とか引き抜いて、ガリュウは一息をついていた。その後頭部、どんと後ろから衝撃がぶち当たる。

 「いったー・・・。あんたどんだけ頭が固いのよ。殴った私の方が痛いって理不尽すぎるわ」
 「ユフィ・・・」

 そこには、頬を真っ赤に腫らした彼らの頭目の姿があった。

 「さっきは悪かったな」
 「本当よ。女の子の顔殴るなんてあんた頭おかしいじゃない?傷が残ったらどうするの?責任とってくれるの?」
 「え?いや、それは・・・」
 「あ~あ、そっか。責任。とってくれるのよね?こんな責任も、あんな責任も?」
 「えっと、え?いや、そのだな」

 「なんてことだ!」

 その時、平穏ささえ訪れようとしていた戦場に、切羽詰った男の声が響き渡った。それは念の為に周辺を警戒しようと物見櫓に登ったスレイドの声だった。

 「どうした!」

 ローハンが孫のただならぬ声に叫びを上げる。スレイドは、悪夢を見たような蒼白な顔で、それでも口早に状況を話した。

 「卵だ!奴らの巣から、あぁなんてことだ。数百の卵が孵っている。これまで悪魔竜で見えなかったんだ」
 「卵だと!」
 「奴ら、巣作りが終わるのを待ってたんじゃない。卵が孵るのを待っていたんだ!」
 「待て!子竜はそこにはいないのか?」
 「いない・・・」

 ガリュウの声にスレイドが絶望を煮固めたような声で答える。

 「恐らく、街に向かったのだ」

 絶望が、理解するより先にガリュウの疲れきった身体を動かしていた。

 「ユフィ!イャルを寄越せ!」
 「わかってるわ!急ぐわよ」
 「落ち着け!到底間に合わない!」
 
 彼らと竜との戦いは実に2時間以上に及んだ。イャルも疲弊している。子竜がどれほどの速度で走れるかは分からないが到底間に合うとは思えない。
 スレイドの言葉に、だがガリュウは初めて見せるほどの怒りの声で叫んだ。

 「間に合うかどうかではない!間に合わせるかどうかだ!」
 
 言ってガリュウは用意されたイャルを走らせる。相手は子竜とは言え数百。ユフィもまた横に並んでイャルを駆けさせる。

 「砂楼団、動けるものはお嬢に続け!」

 サルースが残りの砂楼団を率いてイァルを走らせる。
 家族がいるのだ。
 かけがえの無い家族が。
 街を守るためにこそ、彼らは戦ったのだから。

 「俺も行く。アリシア」
 「はい。馬を用意します」

 背に二本の剣を負うナタールもまた、馬を用意させ街へと向かう。

 「小さい固体がわんさかいるなら剣舞の方が有利だろうさ。おっさんはどうする?」
 「いくさ。これでも嫁と子どもがいるんでね」

 そう言ってセイは既に馬に跨っている。

 「あら、残念。奥様がいらっしゃるのですね」
 「そう言ってもらえると、俺も残念だよ」

 アリシアの言葉に、セイは短く答えると馬に鞭を入れた。

 「総員!動けるものは皆街を目指せ!」

 ローハンの声が戦場だった場所に響き渡る。
 スレイドは一人、唇を噛み締めて物見櫓を降りるのだった。



 サラは、一人遠い空を眺めながらずっと待っていた。周りの人間が心配するほどに、食事の時間以外はじっと空を見て待っていた。
 ガリュウが帰還するのを、ずっと。
 だからサラはその異常にいち早く気付けたのかもしれない。
 街の木作りの立派な門を破って現れた、無数の侵入者に。

 「あれは・・・何?」

 人とほぼ同じ大高を持つ二足で走る黒いトカゲ。それを形容するならそう表現することで容易い。これから翼になるのであろう器官はまだ短く、凶悪な顎を前に突き出すように走っていた。
 
 比較的高台にある砂楼団の長屋、その中でも特別に設えられたサラの部屋からは、残酷なほどに見えていた。
 道行く哀れな人々をその牙で引き倒し、そしてその腹に顔を埋める、凶悪な悪魔の子たちの姿が。

 「ひっ」

 サラは悲鳴を飲み込んだ。その声を聞きつけ、すぐにも悪魔たちがやってくるような気がしたからだ。
 そしてその考えは間違いではない。
 よく耳を澄ませば、サラがすむ長屋の扉が、どんどんと何者かに殴られているような音が響いている。
 間違いなく、悪魔の子達の仕業であった。
 
 サラにはこのまま待つしか方法がなかった。
 すぐに自分の部屋の扉に向かい硬く鍵をする。分厚く重い樫のテーブルを、少しづつ何とか引き摺って内開きの扉の前に置く。本当は本棚を置きたかったがサラの力ではどうしようもなかった。
 
 どんどんどん、という音が更に大きく響く。

 サラは布団を被ってしまいたくなる衝動に必死に耐えていた。
 生き延びるんだ。どんなことをしても。
 それが自分を生かしてくれた父母に対する恩。
 そして、自分を守ってくれたガリュウに対する。

 しかし現実は非情だ。
 それから30分足らずの後、ついに、サラの部屋の扉が叩かれ始めた。

 どん、どん!

 その頃になると、長屋のあちこちで悲鳴が上がり始める。
 あぁ。
 悪魔竜退治に男手の大半を奪われたこの長屋には、あんな小さな竜にすら対抗する人間がいないのだ。
 そうは思ってもサラは命を諦められない。
 ここで死ぬのなら、誰が父母を弔い、国を弔うのか。
 サラは幼いながらもそれを自覚していた。
 それが、自分の役目であることを。

 どん!

 「ぎぎぎぎぎぎぎぎ!」
 「!?」
 
 ついに扉に穴が開く。
 僅かな隙間から、凶悪な歯が並んだ悪魔の子の口が突き入れられる。
 
 「こっち来ないで!」

 血走ったしかし感情の無い目がサラをぎょろりと睨みつける。
 叫びながらサラは手近なものを兎に角投げつける。
 食器。枕。分厚い本。
 だが、そのどれもが悪魔には何の痛痒も与えた様子は無い。
 サラが恐怖の涙で頬を濡らしながらそれでも掴んだのは、ガリュウが忘れていった酒の瓶であった。

 「気をつけろよ。この酒は火が着く度数だ」

 サラはかつてのガリュウの言葉を思い出すと、酒瓶を扉に向かって叩きつける。ばりんと音を立てて瓶が割れ、アルコール臭が周囲に漂う。

 「マッチ!」

 ランプに火を灯す為のマッチ。それを擦ると、火が着いたマッチ棒を悪魔竜に向けて放り投げる。
 ぼっと音がして、青い炎に悪魔が怯んだ。
 そしてその数瞬の後。
 今度は悪魔の悲鳴が轟いたのである。

 「サラ!無事か!」
 「がりゅう・・・」

 サラは思わずその場にへたり込む。
 いとおしい家族も同然の男の声を聞き、気が抜けたのだろう。

 「待ってろ。今開ける。くそっ」

 ガリュウはがちゃがちゃと扉を開けようとするが、扉の前にはテーブルがある為、それをなんとかしなくては入って来れない。
 サラはそう告げようとして、そして窓が割れる音とともに後ろから引き倒された。

 「え?」
 「ぎぎぎぎぎっぎぎぎぎ」
  
 なんと窓を破砕して、一匹の悪魔の子が室内に侵入してきたのだ。

 鋭い爪がサラの背中に食い込む。

 「あ・・・痛・・・」
 「サラ!」

 ガリュウが叫ぶ。出鱈目に扉を叩くがどうにも間に合いそうに無い。
 サラの子どもの力では、とてもではないが対抗できそうになかった。

 私、死ぬんだ。ごめんなさい。父さま。母さま。・・・ガリュウ。

 サラの頬を涙が一筋流れ。
 そして悪魔の牙がその首筋に突き立てんと大きく開かれた。

 「サラぁぁぁあぁぁ!」

 その時、隣室との間の壁が打ち破られる!
 素早く隣の部屋に入ったガリュウが大剣で壁を叩き壊したのである。

 「ガリュウ!」

 大剣はそのままの勢いでサラに跨る悪魔竜の胴を串刺しにしてそのままの勢いで、さらに隣の壁をも破壊した。

 「サラ!大丈夫か!」
 「ガリュウ・・・」

 ガリュウはサラを抱きとめて、そして怪我がないか確認する。
 サラは背中の傷から血を流しながら、今度こそ安堵で気を失った。



 
 「サラは、大丈夫だった?」
 「・・・間一髪だった。心臓に悪すぎる」

 あの後、戦場医にサラを任せると、ガリュウは砂楼団やナタール達とともに精力的に悪魔の子らを排除した。
 先ほど寝息を立てるサラも確認している。
 背中の傷も、跡は残るだろうがそれほど出血は多くなかった。
 スラーナの街始まって以来の襲撃は少なくない犠牲を出しはしたものの、悪魔の子らが飛行能力を持たなかったため、馬やイャルの足でなんとか追いつくことが出来たのである。
 
 「スレイドに感謝しなければな」
 
 彼が警戒を怠らずすぐに物見櫓に登らなければ、間に合ってはいなかっただろう。

 「しっかし、派手にやられたわねぇ」

 ユフィはスラーナの街を見遣る。悪魔竜は一掃されたが、そこここに文字通り爪あとが残る。重傷者も多く、死者はこれからも増えるかもしれない。

 「久しぶりに疲れた。戦場でもこれほど疲れるのは稀だ」 
 「”肉屋”、嫌になった?」

 そう言ってユフィが意地悪く笑った。
 すでに日は沈みかけ、西日に返り血を浴びたその美しい顔を凄絶に映える。
 頬は彼自身が殴ったのでぼっこり腫れている。
 それでも彼は彼女を美しいと思った。

 「いいや。やりがいがある、いい仕事さ」

 ガリュウはそう言って笑う。
 ユフィはそんなガリュウにつられて笑う。
 
 傾いた日の光を受けた街は、まるで血に染まったようにも見える。
 だが、血の色はまた、命の色でもあるのだ。



『英雄、肉屋勤務』  

【完】


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