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[24376] ストライクウィッチーズ 極北に舞う鋼鉄の魔女
Name: asr◆2d538276 ID:96acca72
Date: 2010/11/17 20:33
 角川書店より発刊されております「ストライクウィッチーズ キミとつながる空」の第4話、「スオムスから聴こえる歌声」をもとにしたSSです。
 同作の後日談という想定で書いています。

 長さは原稿用紙換算で60枚程度、全4章で構成される短編となります予定です。
 よろしくお願いいたします。



[24376] ストライクウィッチーズ 極北に舞う鋼鉄の魔女1
Name: asr◆2d538276 ID:96acca72
Date: 2010/11/17 20:40


 ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンは知っている。
 "彼女"が何物にも縛られないということを。

 雲のように風のように、なににも束縛されず、なにをも縛ることなく。
 流れる水のように自然で、すべてをあるがままに受け入れている。
 まるで天衣無縫をかたちにしたかのごとき、超然とした在り方。
 あきれるくらいに気安くて、でも恐くなるほどに悠遠で。
 彼女の心を掴むことなど、何人にもできはしない。
 そのことをニパは、ほかの誰よりも知っている──



 ◇



 ──大気を裂いて、空を往く。

 頭上には蒼穹。眼下には雲海。
 左方には沈みゆく太陽。東へ目を向ければ、気の早い星たちが瞬きを始めている。
 高度8,000m、気温マイナス40度。気圧は地上の1/3ほどしかなく、その分だけ酸素も薄い。
 こんな過酷な環境が、彼女たちのためにしつらえられた舞台である。

 はるかな昔、魔女と呼ばれた者たちは、箒を使って空を縦横に駆けたという。
 現代、1945年の魔女たちは、ストライカーユニットと呼称される機械を駆使して空を飛ぶ。
 魔導エンジンの力を借りて、低気温や薄弱な酸素をものともせず、その意のままに大気を支配する彼女たちを、人々は尊敬を込めてこう呼んだ。

 いわく、"ウィッチ"と。



「確認するぞ。今回の敵は、オラーシャ方面から流れてきた中型のネウロイ。数は1機」
「楽勝だな」
「油断するなよイッル。オラーシャの観測所からの情報によると、結構足が速いらしい。捨て置くと面倒になるかもしれないから、できればそちらで叩いてくれとさ」
「なんだよ、あっちで討ち漏らしたくせに他人事みたいだなあ」
「そう言うなって。こういうときはお互いさまだろ」
「そうよエイラ。わがまま聞いてもらっているんだし、わたしたちもがんばらないと」

 夕暮れの色に染まった空を、3つの影が飛んでいく。

 先頭を行くのはスオムス空軍所属のウィッチ、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長。
 その左後方に、同じくスオムス空軍のエイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。
 その右側、カタヤイネン曹長から見て右後方を飛ぶのが、オラーシャ陸軍所属のサーニャ・V・リトヴャク中尉だ。

 3つの影はトライアングルのように整然とした陣形を維持しつつ、ネウロイとの会敵予想地点を目指して進軍していた。

「話を続けるぞ。敵は地点G-3からまっすぐ西を目指しているらしい。ヨロイネン観測所から少し北を通過していくかたちになる」
「その進路の先だと……目的はカウハバ基地か?」
「断定はできないけど、そういうことになるかな。507がほとんど出払ってる今を狙ってきたのか、それともただの偶然なのか……それはわからない。でも、黙って見てもいられないから、わたしたちにお鉢がまわってきたってわけだよ」
「ハンナが残ってくれてたらなあ。そしたらわたしたちも楽ができたのに」
「こぉら、イッル。一応おまえがスオムスのトップエースなんだからな。何でもかんでもハンナに押しつけるなんて、よくないぞ」
「はいはい、わかってますって。ていうか何だよ、一応って」

 くすくすと、ささやくような笑声がインカムを通して広がる。
 ニパとエイラが同時に視線を向けた先には、楽しそうに微笑むサーニャの姿があった。

「ふたりとも、仲良しなんですね」

 ニパとエイラが、これまた同時に顔をしかめた。

「べつに、仲良くなんてないぞ」
「そうだよサーニャさん。こういうのは腐れ縁っていうんだ。イッルときたら、昔からいたずらばかりで困ったものだよ。ことあるごとにわたしを引っかけようとして……」
「ばっ、ニパ! サーニャになにばらそうとしてるんだ!」
「何だよ、本当のことじゃないか」
「仲良しなのはいいですけれど、そろそろ会敵地点ですよ」

 微笑むサーニャが指差した先には、雲海の上に広がる大空がある。

「っと、無駄話はおしまいだ。イッル、見えるか?」
「い~や、何にも。サーニャはどうだ?」

 エイラの声に応えるようにして、サーニャの頭の両側に、薄緑に光る魔導針が展開される。
 この固有魔法を使うことにより、サーニャは目視では及ばぬ広範囲を索敵できるのだ。

「ここから東北東、距離20,000、速度は約700。まっすぐ西へ向かってる」
「700かー。思ったより速いなあ」
「頼んだぞ、イッル」
「って、わたしが行くのかよ!」
「仕方ないだろ。そんな速度に追いつけるのは、おまえのストライカーくらいなんだから」
「ちぇっ、しょうがないなあ……」

 ぼやきながらもエイラが先頭に立ち、後ろに並んだニパとサーニャを置いて、ぐんぐん加速していく。

「あとはさっきの打ち合わせ通りに。さあ、戦闘開始といこうか」
「「了解」」

 凛としたニパの宣言に、エイラとサーニャが応えた。



[24376] ストライクウィッチーズ 極北に舞う鋼鉄の魔女2
Name: asr◆2d538276 ID:96acca72
Date: 2010/11/18 19:18



 進路を西へ変えたニパたちに、追いすがるようにしてネウロイが迫ってくる。
 黒一色の胴体を、ハニカム構造の赤いタイルが彩った禍々しい威容。
 分厚くたれ込めた乱層雲の直上を、差し込む西日さえその漆黒に飲み込みながら、意思なき機械のように飛び続けている。

 相対距離は1,000を切り、向こうもこちらに気がついているはず。
 ニパがそう思うのとほぼ同時に、赤い閃光が大気を切り裂いた。
 赤いタイルから放たれる、幾条もの光線。それが進路をふさぐ邪魔者を取り除かんと、必殺の刃となってニパたちに襲い掛かる。
 ウィッチといえども、まともに喰らえば無事ではいられない。そんな一撃を、しかしニパたちは軽やかにさばいていく。
 ニパとサーニャは防御シールドを展開し、放たれる光線を着実に防御する。
 エイラは間断なく襲い来る光線を、すべて回避機動のみでやり過ごしている。
 そうしているうちに速度の落ちたウィッチたちの囲いを突き抜け、ネウロイはさらに進軍していく。

「どうやらわたしたちとやり合うつもりはないらしいな!」
「エイラっ!」
「わかってる! このぉっ!」

 逃げゆくネウロイを、エイラが追う。
 相対距離が段々と短くなっていき、300、200、そして100。つかず離れず、この距離を維持している。
 後ろにつかれるのを嫌がってか、ネウロイが右へ左へと舵を切り、エイラを振りほどこうとする。
 だがエイラは、そんな機動にも惑わされることなく、常に一定の距離を保ち続けている。その様子はまるで、獲物に食らいついた肉食獣のようだった。

 ネウロイが光線を放つ。10に及ぶそれが追跡者を射殺さんと迫りゆき、そしてエイラはそのことごとくを回避した。
 絶え間なく撃ち放たれる赤光を、紙一重ですべて避け続ける。
 だというのにその表情にはかけらほども焦りがない。気負いもない。いつもと変わらず、自然体のままだった。

 一歩間違えば死ぬかもしれない。そんな状況を、エイラはまったく恐れていない。
 いや、そんなことには決してならないと、彼女は"知っている"のだ。
 それこそがエイラの固有魔法、未来予知の力である。
 ごく近い未来を予知することで、あらゆる攻撃を回避する──それは空戦において、絶対的と言えるほどの力だった。
 しかし、ニパは知っていた。エイラの機動が、その能力だけによるものではないことを。

 ニパは、これまでに多くのエースを見てきた。
 ここスオムスは、1939年に起こったネウロイの侵攻に対し、名将マンネルハイム元帥の指揮のもと、果敢に立ち向かった。数十倍とも言われる絶望的な戦力差に辛酸を舐めさせられる局面は数多かったものの、最終的には趨勢を決し、国土の大半を守り抜くことに成功している。

 その戦果には、列強各国からの支援が大きく貢献している一方で、別の要因もまたあった。
 スオムスの兵が精強だったことである。
 だからニパは、これまでに多くのエースと接する機会があった。
 かくいう彼女自身も、エースと呼ばれるウィッチのひとりだ。

 しかし。

 これほど現実離れした存在は、今視線の先を飛んでいるウィッチのほかに見たことがなかった。

 空を飛ぶうえで障害となる要素は、大きく分けて3つ。
 空気抵抗、重力、慣性である。

 まっすぐ飛んで速度を出すのは、どんなウィッチでも、どんなストライカーでも、さほど難しいことではない。
 もちろん限界以上の速度を出すことはできないが、逆を言うと、規定された条件下でただまっすぐ飛びさえすれば、カタログスペック上の最高速度を出すことは、誰にでもできるのである。

 だが、空戦では敵の存在と、先に挙げた3つの要素がそれを邪魔する。
 ロールするたび、曲がるたび、回避機動を取るたび、攻撃するたび、ウィッチは減速していく。
 それは決して変えることのできない、世界の理だ。

 高速で飛ぶネウロイに、エイラがぴったり追従していく。
 放たれる光線を、巧みに躱しながら。

 ニパの見立てでは、二者の最高速度はほとんど同じ。
 だから、攻撃を避けながら飛んでいるエイラの方が、どうしたって遅くなる。普通であれば。
 にもかかわらず同じ速度で飛び続けられるのは、エイラの飛行技術がそれだけ卓絶しているからだ。

 最適のタイミングでロールし、最適の角度で曲がることを、ただ繰り返す。
 全力運転する魔導エンジンから得た運動エネルギーを、極限まで高効率で運用すれば、おそらくはああいった飛び方ができるのだろう。

 だがニパは、そんな飛び方のできるウィッチを、エイラのほかには知らなかった。

 久方ぶりに見る彼女の空戦機動は、いささかも衰えてはいない。むしろ、より鋭さを増しているようにも見える。
 一度食らいついたなら、なにがあろうと決して離さない。
 獰猛さとしなやかさを合わせ持つ、肉食獣の飛行技術。
 そんな彼女の飛ぶ様は、まさに戦場における勝景だった。

 こんな真似、きっとイッル以外の誰にもできない──

 興奮と憧れの入り混じった表情を浮かべながら、ニパはエイラを視線で追い続けた。

 ネウロイによる攻撃の手がゆるむ。次いで大きく弧を描くように曲がり始めた。小刻みな舵取りをやめて速度で優越し、エイラを振り切ろうという腹なのかもしれない。
 ネウロイとエイラの距離が少しずつ、しかし確実に離れていく。

 ネウロイは攻撃を完全に止めて、いまや加速に全力を注いでいる。──そのように、ニパの目には見える。
 だが、ネウロイにもし考える頭があったなら、この状況が異常であるとすぐに気付いたはずである。
 なぜならエイラは、"ここにいたるまで一発の銃弾も放っていない"のだから。

 ネウロイが"それに"気付いたとき、既に仕込みは終わっていた。
 進行方向の左方にサーニャ、右方にニパ。
 直進するにはふたりの間を抜けなければならず、曲がって避けようにも後ろからエイラに追い立てられている。そもそも現在の速度では、進行方向にいるふたりを曲がって避けるなど不可能だ。
 敵の目前で高度を上げるなど言語道断であるし、雲海のなかへ逃げ込んだところで広域索敵からは逃れられない。
 だからネウロイは、直進するしかなかった。
 それが罠だと気付いていても。

 先に動いたのはニパだった。
 自身の右方を抜けるべく飛翔してくるネウロイに、所持するMG42の銃口を向けてトリガーを引く。銃身で加速された7.92mmライフル弾が刹那に音速を超え、毎分1,200発というすさまじい発射速度で撃ち出される。標的の速度と進行方向、後退している自分との相対距離の推移、現在の風速及び風向きを計算に入れて放たれたそれは、あやまたずにネウロイの胴体へ吸い込まれ、外殻を破壊し削り、雪のような飛沫を散らせた。

 痛みにあえぐようにネウロイが吼える。

 赤いタイルが怪しく光り、次の瞬間光線が放たれた。一挙に10条。それがネウロイの眼前一点に収束し、まとめて撃ち出される。これまでの光線を機関砲の射撃とするなら、それはさながら艦砲射撃。絶大な威力を有するであろうその巨砲が、立ち塞がるものすべてを薙ぎ払わんとウィッチたちに迫りゆく。

 それをニパは、たったひとりで受けとめる。

 大口径の光線よりもさらに巨大に展開された防御シールドで、ネウロイの攻撃を完全に防いでいる。止めきれなかった余剰エネルギーが、シールドを中心として放射状に広がっていき、闇に沈みつつある空を薄赤く染め上げた。

 暮れゆく空に大輪の赤花が、禍々しくも美しく咲きほこる。

 ニパは、戦績を見れば誰もが認めるほどに優秀なウィッチだが、彼女の真価はそのようなところには、書類に記せるような部分にはなかった。
 彼女の真に優れた能力。それは"生来の魔法体質"にある。

「うっ、おぉぉぉぉっ!」

 ニパが吼える。
 目の前で文字通りに火花を散らす強大無比な火力を睨みながら、恐怖からでも高揚からでもなく、冷却された戦意によってニパは吼える。

 エイラのように予知ができるでも、サーニャのように広範囲の索敵ができるでもない。
 ニパの固有魔法は、任意に使うことのできない不便で不都合なもの。あるいはそのように言うこともできるかもしれない。

 しかし、それがあるゆえにニパは被弾を恐れる必要がなかった。
 理由こそエイラとは180度異なるものだが、結論としてニパは、彼女と同じく被弾を恐れず戦うことのできる稀有なウィッチだった。

 赤一色に染め上げられたニパの視界が、一転して薄闇に包まれた。ネウロイの攻撃が止んだのだ。
 自ずから攻撃をやめた──そのように都合のいいことがあるわけはない。だから攻撃が止んだのには別の理由があり、ニパはそれをすぐさま理解できた。
 ネウロイの外殻が弾け飛び、連なる電動ノコギリのような撃発音が遅れて耳にとどく。ニパのものではない。ということはつまり、ネウロイの後方から追従しているエイラの放ったものだった。

 その攻撃に重ねるように、サーニャが大仰な四角柱を肩に構えて引き金を引いた。

 空対空ロケット発射装置、通称「フリーガーハマー」。カールスラントのヴェーラ・フォン・ブラウン博士の研究をもとに、ノイエ・カールスラントの技術省に勤めるウルスラ・ハルトマン中尉が開発した、対大型ネウロイ用の切り札である。

 連続して撃ち出された5発のロケット弾は、侵攻するネウロイ前方を囲むように展開し、至近に達したところで爆発した。対ネウロイ用に特殊な魔法処理を施された炸薬が瞬時に燃焼し、暴力的なまでの破壊を生み出す。衝撃波によって直下の雲に大穴が開き、ネウロイの胴体が木の葉のように舞って直上へと押し上げられる。

「ニパっ!」

 インカム越しのやや乱れた音声で、エイラが叫ぶ。

「わかってるっ!」

 応えたニパは、ストライカーにありったけの魔法力を注ぎ込んで上方のネウロイを目指す。搭載されたDB605型魔導エンジンは与えられた魔法力を底なしに嚥下するかのごとく飲み込んで、そのすべてを加速力へと転化する。先ほどの爆発による衝撃波を目をすがめてやり過ごし、上昇の頂点に達して自由落下に移りつつあるネウロイの、外殻の隙間から見える真紅のコアを、構えた機関砲で一分の狂いもなく撃ち抜いた。

 その瞬間、百枚の窓ガラスを一度に砕いたかのような大音響と共に、ネウロイの体は幾多の白いかけらとなって飛散した。

 終わった……
 張り詰められた糸のような緊張がほどけ、ニパの全身からふっと力が抜ける。
 ネウロイが千々に砕けて消失していくのに伴い、作戦を成功裏に終わらせたという充足感が胸に満ちていく。
 いつもなら、そうなっていたはずである。

 何気なく視線を送ったエイラの方へ、いまだ質量を失わぬ破片の幾つかが向かっていることに気付いたのは、本当にただの偶然だった。
 ゆるめた気持ちが瞬時に凍結し、次の刹那には火薬のように燃え上がった。
 頭より先に、体が動いていた。
 主の請いに従って、猛り狂うかのごとき唸りを上げて回転する魔導エンジン。またたく間に近付くエイラの姿。驚きに目を見開く彼女の相貌。それらをコマ送りのようにニパは知覚している。
 ほとんど体当たりに近いかたちでニパはエイラに抱きつき、コンマ2秒ほど遅れて痛烈な衝撃が背中を襲った。シールドを展開する暇もなかった。

 まず来るのは衝撃。次に違和感。その次に熱さ。
 痛みを感じるのは、いつも最後だった。

「っ、ニパ!」

 ニパの体を抱きとめながら、エイラが切迫した声を漏らす。

 空戦時において、エイラとの関わりのなかで生じた結果は、"そうならざるを得なかった"ゆえに意図して導かれた未来と解釈することができる。
 エイラは、自分に関しての危機的状況を、未来予知によってなかば自動的に回避し、より生存の可能性が高い方へ導こうとする。
 つまりニパが今とった行動は、「こうなった」という結果がある時点で「エイラにとって最善の未来だった」と言い換えることもできるわけだ。
 ニパはその事実に安心し、満足した。

 弛緩した意識のなかで、ストライカーの魔導エンジンがうんともすんとも言わないことに気付く。
 壊れてしまったのかもしれない。
 そうだとすると、整備班長にまた怒られる羽目になる。

 でも、イッルを助けることができた。
 抱きつくようにしてすがっている体に、どうやら怪我はないようだ。
 ならばそれでいい。
 ニパはひとり納得し、薄れゆく意識に身をゆだねる。



 遠くなる五感の向こうで、誰かが、おそらくはイッルが何事か叫んでいるような気もする。
 そういえば、先ほどから妙にふわふわしている。これは飛んでいるというよりも、落ちているような──



「────おいっ、ニパっ! 目を覚ませ! わたしのストライカーまで止まっちゃったんだって!」
「………………えっ」

 ようやく一言、ぼそりとつぶやく。

「落ちてるんだよ、今! ふたりして墜落してる真っ最中!」
「そうなのかあ」
「そうなのかあ、じゃないだろ! せめておまえの魔力がないと、このままじゃ地面に激突だ!」
「わるいけど、もうむり、いしきが、もたな……」
「おいぃぃぃっ!」
「いっる……あとは……たのんだ……」
「なに映画の主人公みたいなこと言ってるんだよぉ! ちくしょうっ、もおぉっ!!」

 ここまで必死なイッルなんて、なかなか見られるものじゃないな……
 そんなことを思いながら、今度こそニパの意識は暗転した。



[24376] ストライクウィッチーズ 極北に舞う鋼鉄の魔女3
Name: asr◆2d538276 ID:96acca72
Date: 2010/11/19 20:58



 "それ"を掴むことなど、誰にもできないと思っていた。
 彼女はひとり、皆とは違う場所に立っていたから。

 集団のなかにあり、みんなと一緒に笑っているときにさえ、心は遠く離れたところにある。
 磨きぬかれたアメジストのような瞳は、様々なものへ少年のような興味を向ける一方で、その実なにも重視していない。そのように思えてならなかった。

 彼女の心が欲しかった。
 その隣に立ちたかった。
 見るものを同じくしたかった。
 そうしたいと願い続けてきた。

 けれど、それが叶わぬ願いであることも知っていた。

 肌に触れていてさえも、その心はあまりに遠く。
 手を伸ばすなど、及びもつかない。
 そういうものと諦めて、自分自身を戒めて、よき友人であろうと努めてきた。
 そのはずなのに──



 ◇



 ──なにかの音がごうごうと、ひっきりなしに耳へ入る。

 目を開けたら、眼前には岩肌があった。
 ゆらめく光源に照らされているかのように、その色を刻々と変えている。
 どうやら自分は寝ているようだ。でも、こんなところでなぜ?
 起き抜けの頭はさっぱり働かず、ぼんやりした意識のなかでゆるゆると思索をめぐらせる。
 けれど考えたところでわかりそうにはなかったから、ニパは体を起こした。
 背中に激痛がはしった。

「っ!?」

 あまりの痛みに顔が歪み、思わず目まで閉じてしまう。
 そしてその弾みで、こうなるにいたった経緯をニパは思い出した。

「起きたか」

 耳にとどいたのは聞きなれた声。
 舌足らずのようでいて、ときに意思の強さを思わせる、そんな声音。

「イッル、か。ここは? わたしたちはどうなったんだ?」
「どうもこうもないよ。大変だったんだぞ? ひとりでさっさと気絶しちまいやがって……」

 ゆっくりと頭を動かし、視線をめぐらせてみる。洞窟のなかのようだった。
 天井は意外と高く、ニパの身長の倍ほどもある。
 入り口はすぐそばにあり、外は真っ暗だったが、風の渦巻く音がしきりに入ってきていた。ごうごうと鳴っているのはこの音であったらしい。
 その手前には、白い雪が塚のように積み上げられている。外は吹雪になっているらしかった。

 ニパから見て洞窟の中心あたりには火が炊かれており、風にゆらめいて影を怪しく動かしながら、燃料たる木材の爆ぜる音を時折響かせている。
 その向こう側に、エイラの姿があった。
 洞窟の壁面に背中を預け、膝を抱えてニパの方を見ている。なぜか上着を着ていなかった。

「わたしたちは、助かったのか?」
「危ないところだったけどな。まったく、ストライカーなしで飛ぶのなんて全然慣れてなかったから、力の加減もわからなくて、たった10秒やそこらで魔力がすっからかんだよ」
「そうか……イッルが助けてくれたんだな」

 倒したネウロイの破片からエイラを守ったまではよかったものの、同時にストライカーも破壊されてしまい、そのうえエイラのストライカーまでもが壊れてしまった。
 このままいけば、ふたりまとめて上空8,000mからのスカイダイビングを、パラシュートなしで敢行することに……

 ニパの記憶は、そこで途切れている。
 今のエイラの話を聞くかぎりでは、彼女が自力で飛行魔術を発動させて、自身とニパが地面にキスすることを防いでくれたようだった。
 現代の魔女は、ストライカーの助けを借りずに飛ぶ機会がほとんどない。加減がわからず魔力を使い果たしてしまったとしても、それも無理からぬことと言えるだろう。

「そういえば、サーニャさんは?」

 あたりを見回しつつニパが問う。
 洞窟にはそれなりの長さがあるようだが、奥に誰かのいる気配はない。

「ヨロイネン観測所に戻った」

 エイラの答えは簡潔だった。
 ニパは虚を突かれたように目を見開いて、それからすぐに表情へ理解をにじませた。

「この吹雪だからな。こんななかへ下手に降りてこさせたら、サーニャまで道連れにしかねない」
「二次災害を防ぐために、一旦観測所へ戻ってもらったわけか」
「そういうこと。サーニャはわたしたちふたりも連れて帰るって、だいぶがんばったんだけどな。向こうの人とわたしとで無線越しに説得して、明日の朝一番の救助隊に同行させるって条件付きで、何とか折れてもらったよ。渋々って感じではあったけど」

 状況が目に浮かぶようだった。
 付き合いは短いが、彼女ならきっとそうだろうとニパも思う。
 あの優しく仲間思いな少女が、ひとりで帰還することをどれほど気に病んだか、想像に難くなかった。

「わたしたちのストライカーは、やっぱり駄目だったか?」
「あー、完全に壊れてたなあ。ニパをここに運んでから、一応見には行ったんだけど。すぐに日も落ちたから、直せる故障でも手の施しようがなかったかも」

 エイラの口振りからするに、ストライカーは不時着した現場へ置いてきたようだった。
 あれで結構かさばるものだから、仕方あるまいとニパは思う。

「受領したばかりの新型だったんだけどなあ。まさかこんなに早く壊す羽目になるなんて……」

 その故障の片棒を担いだニパとしては、何とも心苦しい一言だった。

「まあそんなことより。傷の具合はどうなんだ?」

 言われて初めて、ニパは自分が怪我をしていたことを思い出す。

「あ、ああ。大丈夫だと思う」
「ふうん。ちょっと見せてみろ」
「えっ? おい、わぷっ!」

 立ち上がり近寄ってきたエイラが、ニパの飛行服を無造作にまくり上げる。気温の低さゆえか、肌に触れた指先が驚くほどに冷たい。

「なにするんだよっ!」

 布地に阻まれくぐもった声音になりながら、ニパが抗議する。

「おお、だいぶ治ってきたな」

 おそらくはニパの背中を眺めながら、エイラがそう言った。

「見た感じ、骨や内臓には届いていない風だったから、とりあえず寝かせておいたんだけど。この分だとあとも残らなさそうだ」
「だから大丈夫だって言ったじゃないか」
「ニパの言う大丈夫はあてにならないんだよ。能力を当て込んで、すぐに無茶をするからな」

 そう言うと、エイラは持ち上げていた服の裾を離し、火の向こう側へと戻っていった。

 ニパは、任意に使用できる固有魔法を持っていない。
 一方で、その代わりのように特異な体質を有していた。
 戦闘で負ったあらゆる傷を、常人の数倍という早さで回復可能という、生まれながらの魔法体質。

 すなわちそれが"超回復能力"。

 使い魔が持つ治癒魔法との相乗効果もあって、多少の怪我なら短時間で完治できる。
 こうしている今も、背中の傷は秒単位で回復しているはずだった。
 彼女に被弾を恐れぬ戦い方ができるのは、その能力があるからこそのことである。

 ニパは身だしなみを直そうとして、服の背中側がぼろぼろになっていることに気付く。
 修繕するより、新調した方が早そうな有様だった。

「起きてるなら、それ、着とけよ」

 エイラが無造作に指差した先には、床に敷かれた飛行服があった。先ほどまでニパが寝ていた場所だ。
 見覚えのあるそれは確かめるまでもなくエイラのもので、だから上を脱いでいたのかとニパは得心する。

 そこでふと疑問がよぎる。この寒さのなかで、あんな薄着でいて寒くはないのかと。
 そんなわけはない。
 ウィッチといえども万能ではないのだ。いかに防御シールドを展開していたとしても、寒さを完全に遮断できるわけでは──

 脳裏を電撃のように貫くものがあった。
 とるにたらない思いつき。
 だが状況から考えて、そうとしか考えられない予想でもある。

 ニパは荒々しい所作で立ち上がり、背中の痛みも気にすることなくずかずかと歩く。
 急に近付いてくるニパに驚いてのことか、エイラが床に尻をつけたまま後ずさる。
 その手をニパが、乱暴に取った。

「……っ!」

 ニパの表情が驚愕に染まる。
 一方で、エイラの顔にはしまったという思いがありありと浮かんでいた。

 エイラの手は、氷のように冷たかった。

 よくよく見れば、この薄暗闇のなかでさえそうとわかるほど紫に変色している。
 凍傷の初期症状だった。

 ニパは自分が下敷きにしていた軍服を引っつかみ、大仰に振るって土を落とすと、有無を言わさぬ様子でエイラに差し出した。

「着ろ」

 エイラは決まり悪そうにしながらも、文句を言わずそれに従う。
 そして火のすぐ前へと強制的に移動させられ、ニパはその後ろにどっかと座り込んだ。

「お、おい」

 距離の近さに戸惑いの声を上げるエイラを、ニパは一顧だにしない。
 エイラの背中に覆いかぶさるようにして、ニパは目を閉じた。

 その頭に獣の耳が。
 その腰には獣の尻尾が生まれいずる。

 地面に光と共に魔方陣が描き出される。
 ゆっくりと回転する紋様は、スオムスの魔女に連綿と伝えられてきたものだ。

 魔方陣は大きさをさらに増して、輝きも強めていく。
 強力な魔法を発動している証だった。

 火にかざされたエイラの両手は、時間の経過にともない血色をよくしていく。
 ニパが自身の体越しに、使い魔の治癒魔法を行使しているのだ。

 それだけではない。
 先ほどまでエイラを襲っていた寒風は、ニパの展開した防御シールドによって完全に遮断されている。
 いまや、部屋のなかで暖炉の火にあたっているかのような暖かさだ。

 だが、魔導エンジンによる補助もなしに、魔法ふたつを同時に使えば、魔法力はすさまじい早さで減じていく。
 それは、命を削るのにも等しい行為だった。

「バカっ、やめろ! 魔法力がすっからかんになっちまうぞ!」
「黙ってろ」

 エイラの悲痛な叫びに応えたのは、冷たく恫喝するような一言だった。
 その響きには、明らかな怒りの色がある。

 ニパの怒りは苛烈だった。
 激怒と言っていいほどだ。

 エイラは、不時着の際にすべての魔法力を使い果たしている。
 だから彼女は、今にいたるまで"防御シールドを張っていなかった"のだ。
 それはこの寒さのなか、裸で放り出されるのと同義だった。

 そして彼女は、身を守る唯一のものである、魔法処理の施された飛行服さえも脱いでいた。ニパをその上に寝かせるために。

 それでもニパに触れていれば、そうでなくともすぐ隣にいたなら、少しは寒さをまぎらわせることもできたはずなのだ。
 そうしなかった理由も、ニパには容易に想像できた。
 低気温へ常にさらされている者が、体温を維持している者に密接すれば、どうしたって熱を奪うかたちになる。
 怪我をしているニパにそれを行なうのを、エイラは嫌ったのだ。

 まかり間違えば死んでいてもおかしくなかった。
 軽度の凍傷で済んでいるのが奇跡だった。
 それがゆえにニパは怒っていた。
 ここまで自分を軽んじられるエイラが信じられなかった。

 でも、なによりニパが許せないのは、すぐに気付けなかった自身の愚鈍さだった。

 服装を見て気付くべきだった。
 触れた指の冷たさで察するべきだった。
 なのに結局、こんなになるまで気付いてやれなかった。

 抱きしめる体の冷たさに、ニパは心底からの怒りをたぎらせる。

 許せるものか。
 断じて許してなるものか。

 絶対にイッルを守り抜いてみせる。たとえこの命を燃やし尽くそうとも。

 その決意と共に、ニパは断固として魔法を使い続けた。
 エイラはもはや、諦めたかのように口を閉ざしていた。



 ◇



 吹きすさぶ風は弱まる気配が一向になく、夜半を過ぎるにしたがい厳しさを増しているようでもある。
 雪もまた依然として止まない。この分だと、日が昇ってからも降り続けていそうな様子だった。
 揺れる火を困ったように眺めながら、エイラが小さく口を開く。

「あ~、ニパ。その、さ。……怒ってる?」

 おそるおそるといった風だった。
 ニパはしばらく沈黙を保ち、小さく息をついてから、

「ああ」

 と答えた。

「怒ってる。物凄く怒ってる。こんな無茶苦茶やるなんて、本当に信じられない」
「だってさあ──」
「だってもなにもない。自分がどれだけ無茶な真似をしたのか、おまえわかってるのか」
「いや、無茶とか言うなら今のニパだって大概──」
「だったらこれでおあいこだろ。わたしのやることに文句なんか言わせない」
「ぐ、うう……」

 平素なら人の話をさえぎるなんて不躾な真似をしないと知っているだけに、ニパの怒りのほどがエイラにはよくわかった。

「悪かったよ……」

 その一言が本当にしょんぼりした風に発せられたものだから、ニパは思わずおかしくなってしまった。
 けれどここで笑ってしまっては示しがつかないから、ぐっとこらえて仏頂面と不景気な声音を維持する。

 エイラはニパの怒りの理由を自分の無茶にあると思っているようだけれど、実際はそうではない。
 ニパの怒りは、ニパ自身の不甲斐なさに根ざすものだ。エイラの無茶はきっかけに過ぎない。

 でも、それを教えてやるつもりは今のニパにはなかった。
 エイラにも、多少は反省してもらわなければならないからである。

「なんで、こんなことしたんだ」

 静かな声で、ニパが問う。

「そこまで気にしなくったって、わたしがあれくらいで死なないことはわかってただろう。イッルがこんなになるまでがんばる必要なんかなかったんだ」

 その問い掛けに、エイラはしばしの間を置く。なにかを考えているようだった。

「……ブリタニアの501にいた頃にさ。変なやつと知り合ったんだ」

 ぽつり、ぽつりと言葉をつむぐ。

「扶桑の魔女でさ、ストライカー使っての飛行を練習もなしに一発成功させたっていうとんでもない奴だったんだけど、ほかにもいろいろ変わってて」

 ニパはエイラの言葉を、黙って聞いている。

「思い込んだら一直線でさ、普段は謙虚なくせに、一度決めたら退かないんだ。で、そいつがなにより頑固だったのが──」

 思いを馳せるように顔を上げ。

「人を助けようとするときだったんだ」

 小さく、でもよく通る声でそう言った。

「人を助けるためになら、自分のすべてを犠牲にしていいって、本気で思っていそうなやつだった。そんなのと一緒にいたせいかな、怪我をしたニパを見て、やれること全部やってみたくなって」

 ほうっと息を吐いて、小さく首を振る。
 背中に流れた銀の髪が、音も立てずに揺れる。

「ごめん嘘。嘘じゃないけど、一番はそれじゃない。ほんとは恐かったんだ」
「……恐かった?」
「ニパを抱きかかえた手が血に濡れてさ、そこから湯気がのぼるんだ。それがニパの命みたいで、抜け出て消えていっちゃうようで、恐かった、すごく。傷を見て大丈夫、命に別状はないって、理屈では思うんだけど、安心なんてとてもしていられなくて。息してるか心配になって、何度も何度も確かめたりして、このまま目を覚まさなかったらどうしようって思って」

 長い言葉を一息に言いきり、エイラは大きく息をつく。

「ニパが目を覚ましたときは、本当にほっとした」

 そう言ってエイラは顔を落とした。
 言うべきことはすべて言ったという風だった。

 ニパは驚いていた。
 どのくらいかといえば、先ほどまで抱いていた怒りがほとんど霧散してしまうほどに驚いていた。

 イッルは少し変わったと、ニパは思う。
 彼女からここまで心配されるなんてこと、まったく予想だにしていなかった。

 そして、自分がそれを嬉しく思っていることも予想外だった。
 そんな有様で、怒ったままでいることなどできそうにはなかった。

 怒りが去った胸中へ、唐突に去来するものがあった。
 始めは雨上がりの雲間から差し込む一筋の光のようだったそれは、まるで最初からそこにあったかのように、胸中での存在感を強くしていた。

 気付いてしまったら、見ないわけにはいかなかった。

 見た以上は、自覚せずにいることなどできようはずもなかった。

 "それ"の名前をニパは知らない。
 何であるのかもよくわからない。
 言うなればそれは、突然自覚させられた衝動のようなものだった。

 衝動だから、押しとどめるのにはすさまじい気力を要するはずで、今のニパにはそれだけの体力が残っていなかった。

 だから、ほとんど発作的な行動だったのだ。

 ニパはエイラを抱きしめている、その腕に力を込めた。
 寒さから守るためだけにならそこまでする必要はなく、だからその行為に他意がないと考えることは難しいはずだった。

「ニパ……?」

 戸惑うようなエイラの問いに、ニパは答える言葉を持たない。
 なぜこんなことをしているのか、彼女自身がわかっていないからだ。
 衝動にまかせての、文字通りに発作的な行動。
 戸惑っているのはニパも同じだった。

 なにかを言いたい。言わなければならない。
 そんな思いに突き動かされて、ニパは薄く口を開く。
 言うべきことは、体が知っている気がした。

「サーニャも」

 びくり、と体が震えた。

「サーニャもきっと、寝ないで待ってる。だからわたしたちも、無事に戻らないとな」
「……ああ、そうだな」

 エイラの言葉に別段の思惑はない。そのことは、長年ともにあったニパには聞くまでもなくわかる。
 だからそれは、何気ないやりとりであったはず。

 それなのに。

 ニパの胸には重く、響く。



[24376] ストライクウィッチーズ 極北に舞う鋼鉄の魔女4
Name: asr◆2d538276 ID:96acca72
Date: 2010/11/29 05:29


 目覚めは爽快とは程遠かった。
 体は鉛のように重く、意識もまた泥にでも浸かっているかのようにおぼろげだった。
 焦点の定まらぬ目で天井を見つめ続け、それにも飽いた頃に視線を動かしてみると、ベッドの横に誰かがいることに気がついた。

「……サーニャ、さん?」

 己の声が老人のようにしわがれていたことに、ニパは驚く。
 本に視線を落としていたサーニャは、はっとしたように顔を上げて、それからニパを見て、泣きそうに顔をゆがめた。

 救助隊が辿り着いた時点で、ニパは自力で歩くこともできないほどに疲弊していた。
 言うまでもなく、魔法力の使いすぎが原因だった。

 放っておけば、命まで危ない状態だった……とはサーニャの口を通して語られた、軍医の弁である。
 さもありなんと思うとともに、それすら覚悟の上でやっていたニパとしては、今更言われたところでどうということもなかった。
 イッルが助かるのなら、自分はそれでいい。本気でニパはそう思っていたのだ。

「イッルは、どうしてる?」

 思うように動かぬ舌で、それでも懸命に言葉をつむぐ。

「今はまだ休んでいると思います。わたしとエイラが、交代でニパさんを見ていたんです」
「交代で、見てた?」
「はい。ニパさん、二日間も眠りっぱなしだったんですよ」

 さすがに驚いた。
 疲れていたのは確かだろうが、丸二日寝込んでしまうほどだったとは。
 自分も思ったほど頑丈ではないな、などと人に聞かれれば怒られてしまいそうなことをニパは考える。

 深い睡眠から覚めたばかりの頭は思考をとりとめのない方へと導き、ニパの奥底にあった、原理的な問いを浮上させた。
 弱体化した自制心はそれを抑え込むことができず、気がつけば言葉にしてしまっていた。

「サーニャさんは、イッルのことをどう思ってる?」

 あまりといえばあまりに唐突な問いに、サーニャは驚いたように目を瞬かせた。
 しかし、ニパが冗談で聞いているわけではないことを察してか、すぐに表情を引き締める。

「大切な人です。とても」

 その答えは、ニパの予想した通りのものだった。

 観測所へ帰還したときのやりとりを思い出す。
 吹雪のなかを飛行し、救助隊の先導及び周囲の哨戒にあたっていたサーニャは、一足早く帰還して、ヨロイネン観測所の入り口でふたりを出迎えたのだ。

 言葉そのものはシンプルだった。

 エイラが「ただいま」と言い。
 サーニャが「おかえりなさい」と答えた。

 たったそれだけのこと。

 だが、その平凡な挨拶は、ニパの心を強く打った。
 エイラの帰る場所が"そこ"であると、否が応にも思い知らされたからだ。

 かなわないと思った。入り込む余地がないのだと知った。
 決して手に入らないと思っていたのに。掴めないと諦めていたのに。
 そうではなかったことを知って、ニパはどうしようもなく打ちのめされてしまった。
 ニパが意識を失ったのは、その直後のことである。

 頬をつたう感触で、不覚をとったことに気付いた。
 サーニャがびっくりしたようにニパの顔を見ている。
 慌てて目元を拭うものの、あとの祭りだった。

「ニパさんは、エイラのことを……」

 首を振って否定した。考えてというより、反射的な行いだった。
 しかし、それが嘘であることは、火を見るより明らかだった。

「ニパさん」

 呼び掛けに答えることはできなかった。今の顔を見せたくなかったからだ。
 だが、手を取られて、思わずそちらを見た。
 真剣な表情をうかべた、サーニャの姿があった。

「エイラは、わたしが守ります」

 それは、あまりにも決定的な、決別の宣言だった。
 サーニャという人物の人柄におよそ似つかわしくはなく、けれどそうであるだけに、彼女の決意の強さを表していた。

 おそらく彼女は、その言葉を告げることでニパが激昂する可能性のあることを理解している。
 それだけではなく、平手打ち程度は甘受するつもりですらあるかもしれない。
 いずれにせよ、ふたりの関係が致命的に壊れてしまうかもしれないことを、わかったうえで発せられた言葉だった。

 彼女にとって、選択肢がほかになかったわけではない。
 謝ることもできただろう。話題を変えて、うやむやにすることもできただろう。
 でも彼女は、表面だけの謝罪やこの場を取り繕うような言葉ではなく、あえて決定的な言葉を口にした。
 手に入れるべきもののためなら、リスクに臆さず進む覚悟が、この小さな少女にはあるのだ。

 それに気付いたとき、ニパの胸にあったのは、怒りでも悲しみでもなく、感嘆の思いだった。
 見るからに線の細い、儚げなこの少女が、胸中には誰より強い覚悟を抱えている。
 その事実は、ニパを唸らせるに十分なものだった。

 この人なら……サーニャさんなら、いい。素直にそう思えた。

 体を起こし、取られた手にもう片方の手のひらを重ねる。サーニャの手をつつむように。
 ひんやりとした手だった。指は細く、雪のように白い。

 けれどまぎれもなく、武器を携え戦うウィッチの掌である。
 だから、言葉を疑う必要はなかった。真実彼女には、その力があるのだから。

「イッルのこと、よろしく頼む」

 濡れた瞳ではあったけれど、ここで笑えなければ嘘だと思ったから、ニパは精一杯の笑顔を見せた。
 サーニャは一瞬、驚いたように目を見開いて、でも。

「はい」

 花の咲くような笑顔で、応えてくれた。



「っはよーサーニャー。そろそろ交代……ってあれ、目ぇ覚ましたのか、ニパ」

 ノックもなしにドアを開けて入ってきたのは、誰あろうこの話題の当事者である。

「ていうか、ふたりともなにやってんだ? 手なんか、握りあったりして……」

 エイラの顔つきがだんだん険しくなっていき、顔色も青ざめていく。

「ま、まさかっ……サーニャにかぎってそんなことっ……でもニパって、妙にかっこいいところがあったりするし……」

 勝手な想像で目を白黒させているエイラを見て、ニパはちょっとしたいたずらを思いつく。
 握っていたサーニャの手をそっと引くと、抗うことなく体を寄せてきたサーニャを、そのまま抱きしめた。

「っっ!! おいっ、ニパ!!」

 頬を赤くして詰め寄ってくるエイラ。
 青くなったり赤くなったり忙しいやつだとニパは思う。

「こう見えて脆いところのあるやつだから、いざというときには叱ってやってほしい」
「叱るんですか?」
「うん。甘やかすとつけあがるから」
「ふふっ、わかりました」
「ちょっ、ふたりともなに内緒話してるんだよっ! ああっ、サーニャまでそんなに楽しそうに……! とにかくっ、ふたりともはーなーれーろーっ!!!」 

 強引に割り込んできたエイラがおかしくて、ふたりして笑う。
 そんなニパたちを見て、エイラは怪訝そうに首を傾げている。

 ──無傷のエースが望んだのは、守りたいもの。帰るべき場所。
 だが"それ"は、守られているだけの宝石ではない。全身全霊を賭して、持ち主を守護する可憐な勇者だ。
 "ダイヤのエース"とは、よく言ったものである。これほど硬く、これほど強く、これほどまばゆい結び付きだ。決して誰にもほどけはしない。

 騒がしいエイラと、それを諫めるサーニャ。
 見ていると、胸の奥がうずいた。

 それを消し去ることは、おそらく容易ではないだろう。
 もしかすると、消すことなどできないかもしれない。

 それでもいい、とニパは思う。

 消すことはできなくとも、隠すことならできるから。
 装って、見えないようにはできるから。

 今はまだ。
 でも、いつかきっと。

 心からの笑顔で、ふたりを祝福できるときがくる。
 ニパはそう信じている。





 ◇





 後年。
 502への招聘は、ニパの人生にかつてなかったほどのカルチャーショックをもたらすこととなる。
 そんなヌルい言い方ではなく、もっと直接的な言葉を使うなら、それは「価値観の破壊」であった。

 これまで信じてきた常識が、一夜で崩れて砂塵に帰すなどいったい誰が予想するだろう。
 女と見るや口説かずにおれないエセ伯爵(♀)、女と見るや抱きしめずにはおれないナイトウィッチ、説教にかこつけて膝枕を強要する上官、ウィッチの精気を吸い取り姿を変える妖弧などなど。

 ほかにも挙げればきりがない。
 つまるところそれほどまでに、連合軍第502統合戦闘航空団に所属する面々は、アヴァンギャルドなメンタリティの持ち主だったのである。

 かつてのニパは考えた。「真意を隠し、身を退くことこそ最良である」と。
 それは正しい。まったくもって正しい。きわめて理性的で、道徳的な判断だ。多くの人々がそう言って同意したことだろう。

 しかしそれは過日のこと。
 今のニパは、こう考える。

 「1on1である必要は、別にないんじゃないか?」

 出向先で出会った人たちから受けた影響は、かくもニッカ・エドワーディン・カタヤイネンの内面を大きく変えてしまったのである。

 こうしてここに受難の幕が開く。
 難を受けるは言わずもがな、エイラ・イルマタル・ユーティライネンその人である。

 以上が、後のスオムスまで辿り着くことになる噂話の数々だ。

 所詮は噂である。真偽のほどは定かではない。
 荒唐無稽なこれらの話を信じるもよし、信じないもよし。

 まあ、仮に真実であったとしても──
 それはまた、別の物語である。



 <了>


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