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[24323] それは幻想の物語 時を捕らえし暗殺者 東方 オリキャラ
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2011/11/29 20:04



さて、皆様どうも。

私、荒井スミスと申します。

こうして新たな話を書けるのは楽しみですね、ドキドキしますね。

少なくとも私は。



さて、それでは早速注意事項に移りたいと思いますはい。



この物語は、東方Projectの二次・・・・・・これ言わなくても分かるわな。

この物語の前にもう一つ別の話はありますが、この物語から読み始めても特に問題はございません。

私の話はそういう話になりますので。

もちろんそっちから読んでもらっても構いません。

ああ、これはちょっとした宣伝ですかね?

そして独自の解釈も多く含まれております。

今回の主人公は紅魔館のメイド長である十六夜 咲夜さんです。

ただし、表の・・・が付きますが。

表と言うからには裏も存在します。

この裏の主人公こそが真の主役でもあります。

今回の話は咲夜さんのヴァンパイア・ハンター説を元に、この私が電波を絞って考えた怪作になります。

ああ、そうそう大事な話を忘れてました。

今回は残酷な描写はそこまではありません・・・ただし。

残酷な展開は・・・・・・ありますので。

そこは十分にご理解いただきたい。

そして出来れば感想などを是非是非。



それでは皆様ッ!――――――ご堪能くださいまし、そしてッ!

――――――ゆっくりしていってね?



[24323] プロローグ 恐怖の代名詞
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/14 21:29






影は走っていた。

夜の森を音もなく走っていた。

何の迷いもなく、黒い影は走っていた。

速度を落とすことなく、しかし上げることもなく一定の速さを保ったまま。

黒い影は走っていた。

音を一切出さないその走りは、どこまでも穏やかなものだった。

気配を感じさせないそれは、動く闇と言ってもいいほどの静寂で森を駆け抜ける。

風のような速さで駆ける影は、目の前の一本の高い木にするりと駆け上った。

地上で駆けたその速さのまま、するりするりと登り、木の頂上に影は辿り着いた。

そして、影の前に霧に包まれた湖が現れた。

影はジッと霧の湖の、その先を見つめていた。

霧の向こう側にうっすらと見える紅い屋敷。

その名は紅魔館。

永遠に紅い幼き月の吸血鬼の治める悪魔の館である。

風が前触れもなく吹いた。

それまで霧によって遮られた月の光がその影を照らす。

そして月光に映し出されるは、黒い装束を身に纏った者だった。

黒装束のその者からは何も感じない。

なんの気配も発さない、ありとあらゆる無駄を無くしたそれは、一種の悟りのようなものさえ感じさせた。

その者はジッと、鷹のように、狩人のように鋭く、紅い屋敷を見ていた。




















「――――――行くか」




















今まで無言だったそれは、そう呟いて木から飛び降りた。

影はみるみるうちに地面に落ちていった。

そして影は地面に着くと同時に、一瞬も止まることなく、落ちた速度のまま走り出していった

目指すは紅魔館。

夜の王にしてこの幻想郷の恐怖の代名詞の一つ、吸血鬼の住む館。

常人なら聞いただけで恐れて震え上がるだろう。

しかし、しかしである。

恐怖の権化は何も、吸血鬼だけではない。

紅魔館を目指すこの影もまた、恐怖の象徴の一つである。

闇に住まい、影として生き、死となって現れ、そして消えていく。




















――――――人はそれを、アサシンと呼んだ。




















――――――物語は動き出す。

――――――それは幻想の物語。





































やっと始まった第二章。

プロローグは此処までです。

そしてこれだけは言っておきます。

どのような展開も――――――覚悟してください。

それでは!



[24323] 第一話 穏やかな日常
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/16 19:14






十六夜 咲夜は夢を見ていた。

意識はぼんやりとしていて、どんな夢なのかは、はっきりとは分からない。

夢の中の自分は、頭を撫でられていた。

撫でるその手はとても硬くて、ゴツゴツしていて。

でも、とても暖かかった。

誰が撫でているのかは――――――分からない。

でも今は、そんなことはどうでもいいと思った。

ただ、もうちょっとだけ・・・だが出来れば、このままずっと撫でていてほしい。

そしてその人物は、咲夜にこう言った。




















「――――――――よくやった。さすがは」




















「・・・・・・・・・夢、か」



眠りから覚めた咲夜は、ポツリとそう独り言を呟く。

寝ぼけ眼を軽く擦り、彼女の頭の思考は回り始める。

その日の最初に思い浮かんだのは、先ほどまで見ていた夢の事だった。



(頭を撫でられていた。けど誰が?・・・分からない・・・でも)



咲夜は胸に手を当て、自分の中に不思議な暖かさを感じ取る。



(何でかしら・・・懐かしい。そう感じるのはどうして?)



咲夜は頭を撫でていた人物を思い出そうとする。

だが、頭は霞がかかったようになり、その人物を思い出すことが出来ない。



(・・・・・・まあいい。どうせただの夢だし)



そう考え彼女はベットから出た後すぐに着替え、仕事の準備に掛かった。




















――――――そして、彼女の穏やかな優しいいつも通り一日が、始まりを告げたのであった。




















あの年老いた魔法使いが起こした異変に咲夜が関わってから数日程経った。

紅魔館はまた普通ののんびりとした日常に戻っていた。

変わった事といえば、その異変の後に異変を起こした張本人である魔法使いが度々来るようになったことか。

彼に三対一の勝負で負けてしまい、咲夜自身は彼に複雑な感情を持っていたが、それはそれ、これはこれ。

かの魔法使いもちゃんと客として扱う。

自分はこの紅魔館の、レミリア・スカーレットの完全瀟洒な従者なのだから。



(でもお嬢様をからかうのは勘弁してほしいわ。自分から突っ掛かって行って、それで返り討ちにあうだけなんだけどね。
 ・・・・・・ああでも、あの言い負かされて涙目になったお嬢様は・・・ふふ、ふふふふふ)



誰も見えない廊下で、いきなり不気味に笑う完全瀟洒な従者。

――――――はっきり言ってその・・・怖い。



(・・・ふふ・・・ふふふふふ・・・ふぅ・・・ああ、いけないいけない。早くお嬢様を起こしに行かなくては)



咲夜は不気味に笑うのを止めレミリアを起こしに行く。

興奮気味に、若干息をハアハアさせながら。

――――――だから、怖いって。





































咲夜はレミリアの部屋の前に来ると、軽く扉をノックする。



「失礼しますお嬢様。お目覚めの時間ですよ」



そして扉を開けて咲夜はレミリアの部屋へと入っていった。



「あら、おはよう咲夜」



するとそこには、既にもう全ての仕度を整えて起きているレミリアがいた。

そんなレミリアを見て、咲夜は驚愕する。



(お嬢様が、もう起きているだとッ!?そんなッ!?
 これではもうお嬢様の寝顔を見てハアハアしたり、着替えを手伝ってハアハアしたり、
 まだ寝ぼけていてうー☆と言ったのを聞いてハアハアしたり、
 しゃくや~と舌足らずに言ったりしたのを聞いてハアハアしたりするのが出来ないじゃないのッ!?)



顔には出さなかったが、咲夜は意気消沈していた。

――――――とりあえずそのハアハアするのは止めましょう。

――――――物凄く怖いから。



「どうしたの咲夜?何かあったの?」



物凄く悲しそうな顔で落ち込む咲夜を見て、レミリアは何事かと心配する。



「あ、いえ。今日はお早いお目覚めだと思いまして。いつもならまだお眠りになっている時間ですので」

「・・・・・・私だってたまには自分で早起きぐらいするわよ。
 それで咲夜、今来てもらってすぐで悪いんだけど、お茶を持って来てくれないかしら?」



従者の言い分に頬をぷくっと膨らませて不満な表情になるお嬢様。

それを見た従者は心の中でガッツポーズをしながら忠誠心を出す。

そして元気になった後、笑顔を浮かべて主の命に答える。



「分かりました。すぐに御用意致します」



完全瀟洒な従者はそう主の命に答え、さっそく仕事に掛かった。







































「美味しいわ咲夜。貴女が入れる御茶はいつも最高ね」

「ありがとうございます。お嬢様」



レミリアの言葉に礼を持って返す咲夜。

しかしそう褒めるレミリアは何故か複雑な表情になる。

その理由は?



「・・・でも何で玄米茶なのかしら?しかもどうしてそれを紅茶のカップで出すのかしら?」



これである。

咲夜は何を思ったか、今朝出した御茶は玄米茶。

レミリアはどうして玄米茶を、しかも紅茶のカップで出したのか自身の優秀な従者に問う。



「何故かたくさんありまして。これをこのままにしとくのも勿体無いと思いまして出しました。
 ・・・お気に召しませんでしたか?」



従者から帰ってきた答えはそんな間の抜けた返答だった。

この従者は普段は完璧なのだか、何時もどこか妙なところで抜けている時がある。

まあ、それを補うくらい普段は優秀なので、あまり気にはしないようにはしているのだが。

それでもやはり気になるものは気になるようだった。



「・・・美味しいんだけど、私としては紅茶が出て来ると思ってたのに玄米茶が出て来てその・・・なんだかなぁと思うのよ。
 なんていうか・・・コーヒーと思って飲んでみたらコーラだったって感じなのよね」

「申し訳ありませんお嬢様。コーヒーはありますが、生憎コーラはただいま品切れでして」

「いや、私コーラ飲みたいなんて言ってないからッ!?話が飛び過ぎだからッ!」

「え?そうなんですか?スッキリしていいとは思うんですが」

「うー・・・もういいわよ」

「分かりました。見かけたら買っておきますね」

「え?買うの?」

「なんだか私も飲みたくなってきて・・・・・・あの店にあるかしら?」

「・・・・・・たまに咲夜が何考えてるのか分からなくなるわ」

「主にお嬢様の事を考えてます。従者として当然です」

「私の何を考えてるのよ?」

「もう、お嬢様ったら・・・・・・そんな恥ずかしい事言えませんわ」

「なに顔赤くしていやんいやん体を動かしてるのよあんたはッ!なんか鳥肌が立つじゃないのよッ!」

「頭もスッキリしましたでしょう?」

「・・・・・・・・・ほんともういいわ」



そんなほのぼの?とした会話が続く。

少しして、レミリアは咲夜に訊ねる。



「ねえ、咲夜?今日は何かあったのかしら」

「何か、とは?」

「何だか今日の貴女、ちょっと変わってるなと感じたのよ。
 いや、さっきのあれはあれで変だけど、今日はなんか違う変な感じ・・・違和感があるのよ。」

「変わってる、ですか?」



レミリアの言葉に咲夜はキョトンと首を傾げる。



「ええ、そう。どこがと言われれば分からないのだけど・・・ただなんとなくそう感じたのよ」

「強いて言えば今日は・・・そうですね。・・・・・・夢を、見ましたね」

「夢?どんな夢かしら?」



レミリアは興味を惹かれ、彼女が見た夢がどんなものだったか訊ねる。

咲夜は自分が覚えている範囲の事をレミリアに話すことにした。



「夢の中で、誰かに頭を撫でられているんです」

「頭を撫でられる?誰に?」

「分かりません。分かるのは、その手はとても硬くてゴツゴツしていて、懐かしくて暖かい感じだったことぐらいですね」



自分の夢の内容を語る咲夜の顔は微笑んでいた。

それを見たレミリアは、珍しいもの見たなと内心少し驚いた。

たぶん今の咲夜は自分が笑っている事に気付いてないだろう。

恐らく、彼女は無意識の内に笑っているのだ。

レミリアはそれに興味を抱いて更に夢の内容がどんなものだったかを尋ねてくる。



「へえ、それから?」

「それだけです。ただ頭をずっと撫でられるだけの夢でした。でも・・・不愉快ではありませんでした。
 逆に、もっとしてほしい。・・・そう思いましたね」



不思議な夢だった。

心が温かくなる、とても優しい夢だった。

咲夜の表情はそれをありありと語っていた。

そんな咲夜を見て、レミリアは咲夜に尋ねる。



「そう・・・ねえ咲夜?」

「はい、何でしょう?」

「それは、良い夢だった?」

「・・・そうですね。良い、夢でした」



レミリアはただ一言、そうとだけ言ってカップに注がれた玄米茶を飲んだ。

その味は心を落ち着かせる、優しい味だった。





































それからはいつも通りの日常だった。

いつも通りの紅魔館の雑用雑事を済ませる。

サボりの門番にいつも通りの制裁を加える。

いつも通りのお嬢様の我侭に完璧に答える。

紫もやしの世話もした。

その使い魔の愚痴にもちょっと付き合った。

話が少し弾んだのは内緒だ。

違ったのは、妹様のご機嫌が良くて何の問題も無く御世話が済んだことくらいだろう。

何故か咲夜のことを微笑ましく見ていたが。

白黒の魔法使いがいつも通り襲撃をしてきたりもした。

気分が良かったので軽く撃退した。

そんなのんびりとした穏やかな日常が続いていった。






































そしてまた、そんないつも通りの一日に終わりが来ようとしていた。



(さて、後はまた軽く見回りでも済ませておきますか)



咲夜が最後の雑事に取り掛かっていた時のことだった。

館の空気が、ほんの僅かだが変わったのだ。



(・・・・・・・・・ッ!?侵入者ッ!?)



咲夜はその空気に侵入者の気配を感じる。

だがその気配は何かがおかしかった。



(この感じは・・・何故かしら?嫌な気配ね。いつもの悪戯妖精の感じではない。これは・・・もっと別の何か)



首筋をチリチリと刺すような空気を感じ、不安な気持ちが出て来る。

こんな気持ちは、咲夜が紅魔館に来てから初めてだった。

だが、考えていても仕方ない。

咲夜はそう判断し、気配の下へ向かって行った。




















――――――それは、彼女の穏やかな優しいいつも通り一日が、終わりを告げた瞬間であった。




































どうも、あら~いスミスです。

まず咲夜さんに注意を。

そのハアハアするのは止めましょう。

凄く恐いです。

そしてこれをご覧になった一部の読者の方々。

彼女を見てハアハアするのは止めましょう。

いろんな意味で恐いです。

でも一番恐いのは、こんな話を書いてる私でしょうか?

・・・・・・・・・きっとそうなんでしょうね。

だから何?って話でした。

さて、次回はいよいよ・・・・・・登場します。

それでは!



[24323] 第二話 そして時は動き出す
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/19 18:57






十六夜 咲夜は進入してきた気配の下へ向かう。

嫌な予感がする。

今まで味わったことの無い嫌な予感が。

彼女はその気配の下に少しずつ近付いていく。

段々と距離を詰めていく。

そうして近付く度に、彼女の嫌な予感は更に増していく。

何時の間にか額に冷や汗が流れ始めるが、咲夜はそれにも気付かない。

そして咲夜は進んでいく内に、あることに気付く。



(――――――この先はお嬢様の部屋だッ!)



自身の勘が最大限の警告を発する。

なんとしても急がねばならぬ、なにかが起こる前に早く・・・速く進めと咲夜を急かす。

彼女は急ぎ、ついにその気配の――――――影の下に辿り着く。



(・・・・・・影?いや・・・違うッ!)



彼女の前に現れたのは、黒い装束に身を包んだ人物だった。

そしてその人物は上手く巧妙に隠していたが――――――武装をしていた。

咲夜はその人物を見て、目を見開いて驚愕する。



(あの装束・・・まさかッ!?)



咲夜はその武装が何なのか、何処に何を装備しているのか分かった。

言おうと思えば、その影の人物が装備している武装――――――いや、暗器の名称を全て言うことが出来る。

何故そこまで分かるのか?

それは彼女がこの紅魔館の完全瀟洒なメイド長だから――――――という訳ではない。

何故なら――――――あれはかつて、自分がいた組織の武装だからだ。

かつての自分が、装備していた武装だからだ。

それはつまり、この目の前の影の人物が――――――



(あの組織の・・・教団の手の者かッ!?)



咲夜は戦慄した。

まだあの組織はお嬢様を諦めていなかったのかと驚愕するしかなかった。。

しかし――――――考えてみれば当たり前だ。

あいつ等がそう簡単に諦めることなどするはずもない。

蛇のようなしつこさには定評があったあの組織なら当然だ。

咲夜は目の前の人物を見定める。

あの姿と武装、そして此処まで気付かれずに来た力量から考えて、恐らくマスタークラスのアサシンだろう。

顔は――――――分からない。

布で面を隠し、目元もすっぽり被ったフードの影で見えなかった。

元々そうやって正体を隠し、なおかつ装備者の視線を隠す装備なので当然なのだが。

その一方、影――――――アサシンは、咲夜をただジッと見るだけで、なんの反応も示さなかった。

咲夜は内心焦りながらも、目の前のアサシンに話しかける。



「呆れたわね。まだお嬢様を諦めていなかったなんてね、暗殺者さん」

「・・・・・・・・・・・・」



咲夜は暗殺者に話しかけるが、目の前の影は黙ったままだった。

それを無視して、咲夜は話を続ける。



「どうして分かるのかって思ってるのかしら?それは――――――昔、私があなたのいる組織にいたことがあるからよ」

「・・・・・・・・・・・・」



ここまで言えば、咲夜が何者だったかはこの暗殺者にも分かるだろう。

だがそれでも何の反応も示さない。



(少なくとも、私の知っている者ではない・・・ということか)



咲夜はその事に少し安堵する。

どうやら知り合いを殺さなくてよさそうだ。

だがだからといって油断をする訳にはいかない。

そう思い咲夜は話を続ける。



「つまり私は組織の裏切り者ってわけよ。でもどうして今頃来たのかしら?
 私がお嬢様を・・・暗殺しようとして、もう何年も経ったのに・・・どうして今更のこのこと?」

「・・・・・・・・・・・・」



アサシンは咲夜の言葉を無視して音も無く構える。

答える必要は無いと言うかのように。



「問答無用・・・というわけね。そうでしょうね。貴方達は、そういう存在だものね」



咲夜も構え、相手を見定める。

相手は恐らく、組織のマスター・アサシン。

組織の上位の実力を持つ暗殺者だ。

だが、咲夜は慌てない。

何故なら、自分の実力は組織にいた頃から既に――――――組織の最強の存在として、鍛え上げられていたのだから。

例えマスタークラスの者であろうと、自分が負ける要素などありはしない。

此処に来たことを、じわりじわりと後悔させて殺す。

そんな彼女の嗜虐心が鎌首をもたげて、暗殺者に向けられる。




















「此処に来た事を――――――後悔するがいい、暗殺者ッ!」



そして――――――戦いが静かに、だが激しく始まる。





















咲夜とアサシンはお互い同時にナイフを投げる。

そしてナイフはお互い空中でぶつかり、甲高い悲鳴を上げて落ちる。

一発。

二発。

三発。

四、五、六、七、八発と続く。

その全てがお互いの急所を的確に狙ったものだった。

咲夜は続けて九発目のナイフを放とうとする。

だが、アサシンはいきなり何かを手に取り、それを地面に投げつける。

そして地面にぶつかった瞬間に煙が巻き起こる。



(煙玉かッ!)



煙を蔓延させ、アサシンは姿を消す。

咲夜は視覚に頼らずに、咄嗟に聴覚と触覚、そして鍛え上げた第六感で辺りの気配を探る。

そして次の瞬間、窓ガラスの割れるのを知覚する。

どうやら外に逃げたようだ。



「逃がすかッ!」



逃がす訳にはいかない。

悪魔の猟犬はその牙を剥き出してアサシンの後を追った。

必ず仕留めてみせると誓って、走り出す。






































二人は館の屋上にいた。

あれからまた数度打ち合いながら、咲夜が此処までアサシンを追い詰めたのだ。



「・・・・・・さあ、もう逃げ場はないわよ?」

「・・・・・・・・・・・・」



咲夜の言う通り、逃げ場はもう何処にも無かった。

だがそれでもアサシンは無言を貫き通す。

今まで一度も言葉を発することも無く、ただ黙って咲夜を見続けるだけだった。

咲夜も返事を期待などしていなかった。

何を言っても無駄だと分かっていたから。

そして咲夜はついに死刑宣告をアサシンに告げる。



「追いかけっこももう、此処でお終いよ。――――――これで決めさせてもらうわッ!」



咲夜は自身の能力を発動させ――――――世界の時を止めた。

彼女が自身の最強足る所以の力を発動させる。

空も、風も、影も、夜も、月も、星も、ピタリと活動を止める。

それは目の前の暗殺者も同様だった。



(急所に一撃ッ!これで――――――終わりだッ!)



止まった時の中で、咲夜はアサシンの急所目掛けて必殺の一撃を放つ。

そして――――――




















――――――キィンッ!と、金属音が響く。

――――――止まった時の中で影は動き、咲夜の必殺の一撃を防いだ。




















「そんな・・・・・・馬鹿なッ!?」



目の前の想定外の事態に、咲夜は錯乱するしかなかった。

自分の業が、能力が通用しない。

その事に咲夜は驚嘆し、思考を混乱させていく。

能力は完璧に発動したはずなのに、止まった世界の時の中で動けるなんて。

そんな事、ありえるはずがない。

この前の魔法使いの時は能力の発動を妨害されてしまったが、今回は違う。

自身の能力が発動して、それでもなお動くことが出来る存在。

そんな相手がこの世に――――――ッ!?



「グハァッ!?」

「・・・・・・・・・・・・」



アサシンは混乱する咲夜に一気に近付き、咲夜を蹴り飛ばす。

強烈な一撃で蹴り飛ばされ、二転三転と転がる咲夜。

そして止まり、彼女は急ぎ立ち上がろうとするが、上手くいかない。

肉体的なダメージより精神的なダメージの方が遥かに大きかったからだ。

アサシンは咲夜に近付く。

一歩。

二歩。

三歩と。



(不味いッ!・・・早く、立たないとッ!)



咲夜は体を動かそうとするが、上手く動かない。

それに焦り、余計に動きが悪くなり更に焦りが増していくという悪循環が生まれる。

アサシンはそれに構わずに更に咲夜に近付く。

四歩。

五歩。

六歩と。

そしてついに倒れる咲夜の前に立ち――――――初めてその硬い口を暗殺者は開いた。




















「――――――久しぶりだな、我が弟子よ」




















――――――そして時は動き出す。





































今回ついに今回の主人公達が出会いました。

表の主人公である咲夜さんと裏の主人公である彼女の師。

次の話は恐らく、皆様を驚かされるものになるでしょう。

たぶん、誰も見た事も書いた事も無いのではないかと。

その自信はあります・・・・・・たぶんですが。

それでは!



[24323] 第三話 暗殺者の掟
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/20 18:39






十六夜 咲夜はその言葉を聞いて戦慄した。

十六夜 咲夜はその声を聞いて驚愕した。

何故自分の能力が効かなかったのか、ようやく理解した。

そう、理解してしまったのだ。

自分が一体、何をしてしまったのかを。



「まさか・・・まさか我が師なの・・・です、か?」



咲夜は全身をブルブル震えさせて言った。

そこにはいつもの完全瀟洒なこの館の従者の姿は無かった。

そこには恐怖に震える一人の少女の姿しかなかった。

そんな彼女の言葉に、目の前のアサシンは頷き答える。



「その通りだ我が弟子よ。紛れも無く、私はお前の師だ。お前に武器を与え、業を与え、知恵を与えたお前の師だ」



男はどこまでも穏やかに、そして静かにそう咲夜に告げる。

それを聞いた咲夜は――――――急ぎ跪き、頭を垂れた。



「も、申し訳ありません我が師よッ!知らなかったとはいえ私は、私は貴方に刃を向けて殺めようとしてしまいましたッ!
 どうか、どうかお許しをッ!」



普段の彼女を知る者が見れば、開いた口が塞がらないだろう。

あの十六夜 咲夜が、自分の主以外にこのような態度を取るなど思いもしないだろう。

そしてそれを聞いた目の前のアサシンは、軽く首を横に振り、また彼女に話しかける。



「よい、気にするな。忘れたか?私はお前を鍛えた。その時、お前に刃を持たせ私を殺させようとした事があったのを忘れたか?
 そして、お前が私に致命傷を与えた事が一度でもあったか?」

「ですが師よ、我が師よ私はッ!」

「くどい。それ以上の発言は許さぬ」

「しかしッ!?・・・・・・く、分かりました」



そう言って彼女は黙る。

だがその表情には恐怖のそれがありありと浮かんでいた。

汗は止まらず、息をぜえぜえと苦しそうに吐き出し、ガチガチと振るえは治まらなかった。

自分の犯した罪を、自分で許せなかったのだ。

かつて忠誠を誓った相手に向かって、殺意をもって殺そうなどという愚行を行った自分自身が許せなかったのだ。

そしてなによりも――――――恐かったのだ。

眼前にいるこの師が自分に何をするのかが、それが恐くて恐くて・・・恐くて仕方なかった。

そんな心情を無視して、アサシンは彼女に話しかける。



「さて、我が弟子よ。お前に聞きたいことがある」

「な、何でしょうか我が師よ?」



彼女は震える声を必死に抑えて答えるが、恐怖しているのは誰が見ても明らかだった。

そんな彼女に、暗殺者は問う。



「お前は――――――何故、こうして生きているのだ?」

「ッ!?そ、それは」



彼女はこの質問に恐怖する。

氷の手で心臓を鷲掴みにされたような、そんな恐怖に彼女は支配される。

何故この質問に彼女が怯えるのか?

それは、この質問にはいくつかの意味が込められているからだ。

何故任務に失敗して、殺されずに生きているのか?

そして生きていたのなら何故、組織に戻ってこなかったか?

そして失敗し、その場に残るような状況で何故――――――自害をしなかったのか。

その三つの意味が、その一つの質問に込められていた。

アサシンは続けて、彼女に語りかける。



「お前に叩き込んで教えた我が教え、我等の掟を言ってみろ。今、此処でだ」

「・・・・・・・・・はい。
 一つ――――――罪無き者を無闇に殺すべからず。
 一つ――――――苦痛を与え殺すべからず。
 一つ――――――己が存在を悟らせるべからず。
 一つ――――――我等の恐怖を教えること忘れるべからず。
 一つ――――――仲間を危機に晒すべからず。
 一つ――――――仲間を裏切るべからず。
 一つ――――――自らの命ある限り任務を続ける。だが不可能なら生きて戻るのを忘れるべからず。そして――――――」

「そしてそれも不可能なら、その命を自ら絶つこと忘れるべからず。――――――自らの魂を汚されることの無きように。
 ・・・そうだったな、我が弟子よ?」

「は・・・はい」



彼女は怯え、跪いたまま答えた。

かつて咲夜が、十六夜 咲夜となる前。

名も無き一人の暗殺者、アサシンとして教え込まれた鉄の掟。

彼女のその手に、その肌に、その臓腑に、その細胞全てに叩き込まれた師の教え。

それは彼女を構成する根幹的なものだった。



「さて、我が弟子よ。お前はいくつ私の教えを破ったかな?」

「ッ!?私が・・・破った・・・?」



彼女は我が師であるアサシンからのその言葉に絶望する。

だが、それは紛れも無い事実だった。

それを無視して破り、彼女は今此処にいるのだから。

彼女は死人のように顔を白くする。

そこには生気など皆無だった。

それなのに冷や汗はダラダラとその量を増し、彼女の衣服をじんわりと濡らす。

奥歯はガタガタと鳴り、肺は必死に空気を求め、心臓はバクバクと響く。



「あ・・・ああ・・・あああ、あああ」



自分はとんでもなく恐ろしい事をしてしまった。

そんな思考が彼女の頭を支配する。



「どうした?我が弟子よ?」

「ッ!?いえッ!なんでもありませんッ!」



彼女の恐怖が若干だが晴れる。

師であるアサシンの声に反応し、条件反射でアサシンに答える。



「話を続けるぞ?よいな?」

「ハッ!」



彼女は改めて師に頭を垂れて跪き、はっきりとした声で返事をする。

迷いに支配された彼女の思考が、師の言葉によって払われたのだ。

今此処にいる彼女は、十六夜 咲夜という完全完璧で瀟洒な紅魔館のメイド長ではなかった。

そこにいたのは、名も無き一人のアサシンとしての“彼女”しかいなかった。



「ではもう一度言う。我が弟子よ。お前はいくつ私の教えを破ったかな?」

「そ、それは・・・」

「折角だ、一つずつ教えてやろう、我が弟子よ。まず一つ目は苦痛を与え殺すべからずだ。お前は私を一撃で仕留めようとしなかった。
 それは何故だ?正直に答えてみよ、我が弟子よ」

「・・・・・・侵入者に苦痛を与え、自らのしたことを思い知らせてやろうと・・・そう思い、行動しました」



声を必死に絞り出して彼女は答えた。

それを聞いたアサシンは、肩を落として落胆する。



「愚かな・・・たとえ殺す相手だとしても、余計な苦痛を与えることを禁じたのは、
 それが我等アサシンが殺す相手に出来る唯一の慈悲だからだ。
 余計な苦痛を与えずに冥土に送る為だ。それを忘れて・・・よくもそのような恥知らず行動をしたな、我が弟子よ」

「・・・申し訳、ありません」



彼女は何時の間にか涙を流していた。

自らの犯した失態に対する、後悔の涙を。

アサシンはそれに構わずに話を続ける。



「二つ目は己が存在を悟らせるべからずだ。お前は私の前にわざわざ姿を現したな。私が組織の、教団の人間だと知りながらだ。
 我等アサシンは戦いを避ける。自らの業を見せない為、自らの仲間を危機に晒さない為、そして自らの命を守る為だ。
 戦わずに、誰にも気付かれずに仕事を完遂させる。そしてその行った仕事を見せ付けて、我等アサシンの恐怖を教えること。
 恐れさせ、余計なことが出来ぬようにする為の恐怖の抑止。下手なことして何時我等に処分させられるかと恐怖させ思い知らせる為。
 それは無益な争いを少しでも抑える為にだ。さあ答えよ。何故自らの存在を晒した?」

「失念・・・しておりました・・・」



彼女は正直に答えた。

あの時、少し頭に血が上った為にその事に気を回さなかったのだ。

自身の能力でどうとでも対処出来る。

そんな傲慢な考えを自分が持っていたと考えただけでも自身に後悔し、腹が立つ。

そして彼女のそんな答えに、アサシンはまた落胆する。



「また私を失望させたな、我が弟子よ。お前は私の教えを忘れてしまったとみえる」

「そ、そのようなことは決してッ!」

「黙れ、まだ話の途中だ。許可無く発言するな。何処まで私を失望させるのだ、我が弟子よ?」

「し、失礼しましたッ!」

「続けるぞ。次はそう・・・罪無き者を無闇に殺すべからず。
 そして我等の恐怖を教えること忘れるべからず。これ以外の残り全てだ」

「ッ!?」



その言葉を聞いて咲夜は思わず今まで下げていた顔を上げる。



「分からないといった顔だな我が弟子よ。では教えてやろう。
 まずは自らの命ある限り任務を続ける。不可能なら生きて戻るのを忘れるべからずだ。
 これは前者はもちろんのことだが、後者は自らの仲間を危機に晒すべからずにつながる。
 生きて戻り、その状況を報告してどう対処するかの判断をして、余計な損害を出さない為だ。かつてそう教えたな、我が弟子よ?」

「はい・・・その通りです我が師よ」

「そしてそれが不可能なら、その命を自ら絶つこと忘れるべからず。――――――自らの魂を汚されることないように。
 これの意味も教えたな?言ってみるがいい我が弟子よ」

「・・・敵に捕まり情報を与えることが無いように。仲間を危機に晒さないようにする為に。
 辱めを受けて、自らの魂の尊厳を汚されないようにする為に。その為に命を自ら絶つ。それが――――――」

「――――――それが我等、アサシンの掟だ。そう教えたな、我が弟子よ?」

「その通りです・・・我が師よ・・・」



彼女はうな垂れて、自らの師の言葉に頷く。



「だがお前はそれをしなかった。自らの命を絶たず、こうして生きている。
 仲間に危機を晒すべからず。そして仲間を裏切るべからずという掟を、我が教えをお前はことごとく破ったな?」

「お言葉ですが我が師よッ!私は教団の詳しい情報は何一つッ!何一つとしてお嬢様に教えてはおりませんッ!」

「許可無く発言をする事は許さぬと言ったぞ我が弟子よ?お前が何と言おうとこれは変わらん。
 絶対にな。何故なら――――――お前はこうして生きている」

「それ・・・は・・・」



彼女はその言葉を聞いて言葉を失う。



「裏切りだよ、我が弟子よ。この掟は破ったのはもちろん。お前はこの掟に従った先人達をも裏切ったのだ。
 そして、その掟を教えたこの私をも裏切ったのだ」

「違いますッ!私は、我が師よッ!貴方を裏切ろうなど決してッ!」

「だがお前は先ほど言ったな?・・・お嬢様と。何故、殺すべき相手だった者をそう呼ぶのだ?」

「そ、それはッ!?」

「お前は私という師匠(マスター)の他に、あの小さき吸血鬼を主人(マスター)と呼んだな?
 これが、お前の決定的な裏切りの証拠だ。お前は、それを口にしたのだよ・・・我が弟子よ」

「それは・・・それは・・・ああ、あああ・・・」



彼女はその場に頭を抱えてうずくまる。

涙を流しに流し、嗚咽を漏らして泣く。

震える小さな声で、何度も何度も謝罪の言葉を口にする。

申し訳ありません、申し訳ありませんと何度も何度も。

それはまるで、許しを必死に請う童のようだった。

そんな彼女の姿を見て、アサシンは彼女に言葉をかける。



「だが・・・私も鬼ではない。お前が自らのその罪に苦しむのは、よく分かった。
 それにお前は今でも我が弟子であることは変わらない。そこで、私はお前に贖罪のチャンスを与えよう」

「ッ!?本当ですか我が師よッ!私は、一体何をすればッ!?」



そう言って咲夜は顔を上げて―――その顔を輝かせる。

許してもらえるのなら何でもする。

そういった顔だった。

アサシンは自らの剣を差し出す。

木目状の模様が浮かんだ、美しい片手剣。

それを目の前に出され、彼女は困惑する。

そして、アサシンは彼女に告げた。




















「――――――この剣でもってその命を絶て。それが、私がお前に与える罰だ」




















それを聞いて彼女は身を強張らせる。

当然だろう。

その言葉は、死刑宣告そのものだったのだから。



「我が師よ・・・それ、は・・・」

「命を絶て。そうすればお前の罪を私が許す。そしてお前の亡骸を持ち帰り、散って逝ったアサシンの戦士達の下に送ろう。
 そして誇りある我等アサシンの一人として祭ってやろう・・・我が弟子よ」



そんな師の言葉を聞いて、彼女は思う。

彼女は――――――許されたかった。

この誇り高きアサシンである我が師に。

かつて自らを育ててくれた恩師に、許されたかった。

だから彼女は――――――



「・・・・・・分かりました」



その剣を、受け取った。



「自らの罪、その手で裁くか?」

「・・・・・・・・・はい」



自らのこの命一つで罪を償えるのなら安いものだ。

彼女は涙を流したままの渇いた笑みを浮かべて・・・思った。

これで・・・許される。

そう思うだけでも心は軽くなり、嬉しくなり、自然と笑みが浮かんだのだ。



「・・・・・・・・・そうか」



最後にポツリと言ったその呟きは、彼女には聞こえなかった。

そして彼女は、手に取った剣で自らの命を絶とうとした。

――――――その時だった。




















「――――――止めなさい十六夜 咲夜。貴女の主、このレミリア・スカーレットが命じるわ」




















紅魔館の、そして十六夜 咲夜の主。

永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットが赤い月を背にして咲夜にそう命じた。





































さて、如何だったでしょうか?

なんかもう咲夜さん凄いことになっちゃいましたな。

咲夜さんがこういうことするとは思わなかったでしょう?

さて、次はいよいよお嬢様の出番です。

カリスマな感じで出て来たお嬢様の活躍を・・・・・・期待していいのかなぁ?

それでは!



[24323] 第四話 二人のマスター
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/21 13:43






「こんばんは、暗殺者さん。良い夜ね。今日は月がとても赤くて――――――綺麗ね。そうは思わない?」



紅魔館の主、レミリア・スカーレットはアサシンに笑いながら対峙する。

赤い月を背に翼を広げ、空に君臨する様はまさしく夜を統べる王であった。

アサシンと咲夜はそれを下から見上げるようにして眺める。

レミリアは、アサシンの前で跪く咲夜を興味深そうに見る。



「それにしても・・・なかなか面白いことをしてるわね。咲夜、それは一体何の冗談かしら?」

「お嬢様、これは・・・」



咲夜は手にした師の剣を見て、自分が自害しようとしたところをレミリアに見られたことに困惑する。

そんな咲夜に、レミリアは続けて語りかける。



「貴女は私の物。私の完璧な従者。その貴女がどうしてそのようなことをしているのかしら?
 私にはまるで、その不届き者に従っているように見えるのだけれど?」

「そ、それは」



レミリアの問いに、咲夜はどう答えればいいか分からなかった。

レミリアと師を交互に見て、困惑の表情を露にする。

そんな中、影の人物が動く。



「私が命じたからだ、小さき吸血鬼よ。この者はただ、その命に従った。それだけのこと」

「・・・面白いことを言うのね貴方。ではどうして貴方の命を私の従者が聞くのかしら?」

「この者が我が弟子だからだ」



アサシンの言葉に若干レミリアは驚く。

だが、すぐに元の笑顔に戻り話を続ける。



「そうなの・・・貴方が。だったら礼を言うべきかしら?
 貴方が育てた彼女は随分と、いえ、こちらが求める以上の働きをしてくれたわ。
 この私の従者にとてもふさわしい働きを、ね」

「当然。それぐらい造作ない。この私が叩き上げ、鍛え上げ、力を、業を、知恵を与え磨いたのだ。
 ・・・もっとも、お前が我が弟子を真に扱いきれているかは怪しいものだがな、小さき吸血鬼よ」

「・・・なかなか言うじゃない。でもそれくらいの毒を吐いてもどうとも思わないわ。
 あのクソ忌々しい老いぼれ魔法使いに比べればね。ええそうよ、ちっとも気にならないわ」



レミリアはそう言うが若干頬を引きつらせる。

咲夜には分かる。

たぶん小さいとか言われて頭にきているんだ。

三日前、自分が趣味で買ってきたぶら下がり健康器具を使って背を伸ばそうとしているのを見た。

見つかった途端、うー☆と泣いて頭を抱えて逃げた。

忠誠心を大量に出して倒れたので覚えている。

気が付いたらいつの間にか、自分のベットにいたが。



「・・・では幼き吸血鬼よ。何故私の前にこうして現れる?」



――――――あ、呼び方変えた。



「こうして客人が来ているのに、もてなさないのは無礼でしょう?たとえそれが、招かれざる客だとしてもね」



アサシンの問いにレミリアは毅然とした態度で答える。



「見た目の幼さからは考えられん余裕だな、幼き吸血鬼よ」

「・・・・・・当然よ。私はこの館の主なのよ?」



レミリアはそう言うが、また若干頬を引きつらせる。

咲夜には分かる。

たぶん幼いとか言われて腹を立てているんだ。

二日前、自分の化粧道具を使ってお嬢様自身があれやこれや化粧をしていたのを咲夜は見ている。

あの魔法使いに、まるで背伸びする子供のようだと言われたのが悔しくて、それでやったのだと思う。

そんなことをしては、まさしくその通りだというのに。

見つかった途端うー☆うー☆と泣いて頭を抱えてまた逃げた。

忠誠心を大量に出したその後、サボり魔の死神と会ったのでよく覚えている。

同僚に仕事を任せてサボっていたようだった。

気が付いたらいつの間にか、また自分のベットにいたが。

手元に増血剤も置いてあった。



「・・・・・・吸血鬼よ。ではお前はどうもてなす?」



――――――あ、また呼び方変えた。



「それくらい分かりそうなものではなくて?低俗な暗殺者」

「・・・・・・だろうな」



アサシンは咲夜の手から剣を自らの手に戻す。

そして静かに二人は構える。

レミリアは空に君臨し、アサシンは地に佇みお互いを見定める。

そんな二人を見て、咲夜はレミリアに向かい叫ぶ。



「お、お嬢様ッ!お逃げ下さいッ!お嬢様では我が師には勝てませんッ!どうか他の方達とッ!」



レミリアは自身の従者からの無粋な横槍に顔をしかめる。



「・・・この私に逃げろと言うか、十六夜 咲夜?私はこの「お願いしますッ!どうかッ!どうかお逃げにッ!」・・・咲・・夜?」



ここまで反抗的な彼女はレミリアは初めてこの目で見た。

ここまで必死になって反抗する彼女は見たことが無かった。

そんな咲夜を自分は、レミリア・スカーレットは今まで一度として見たことが無かった。

そして咲夜は――――――師であるアサシンに跪き、すがるように言った。



「お願いです我が師よッ!どうかお嬢様いえ、この紅魔館の者達は見逃して下さいッ!
 死ねと言うなら私は今すぐ死にますッ!ですからどうかッ!」

「さ、咲夜ッ!?」

「・・・・・・・・・・・・」



もうレミリアは驚くしかなかった。

あの完全無欠の瀟洒な我が従者が、このようなことをするとは夢にも思わなかったからだ。



「黙っていろ、我が弟子よ。私は「いいえ黙りませんッ!こればかりは我が師といえども決してッ!」・・・・・・」



咲夜は師の言葉を遮り必死に懇願し続ける。

そして咲夜が続きを言おうとした――――――その時だった。



















「――――――黙れ、我が弟子よ」





















それは殺気だった。

アサシンは咲夜に、今まで見せなかったおぞましい程の強烈な殺気を叩きつける。



「――――――ッ!?あ、ああ、ああああ・・・あああ・・・」



その殺気で、咲夜は完全にその心が折れた。

何故ならその殺気は――――――彼女の人生の中で一番恐ろしい恐怖そのものだったからだ。

かつて修行の時に叩きつけられた殺気。

それは彼女のトラウマであり、どうしても克服出来なかった恐怖だった。

彼女はまるで、糸を切られた操り人形のようにその場に力無く座り込む。

もう彼女が何も出来ないと確認したアサシンは、レミリアを見据えて対峙する。



「待たせたな。では・・・始めるか」

「・・・よくも・・・よくも私の可愛い従者をッ!こんな風にしてくれたわねッ!」



アサシンの所業に、レミリアの堪忍袋の緒が切れた。

紅の魔力が彼女の体から怒りとなって溢れ出てくる。

その場を支配する魔力の風を、アサシンはただ受け流して立つだけだった。

猛り狂う吸血鬼に、アサシンは静かに問う。





















「自らの弟子を戒めただけのこと。何の問題があるのだ?」

「今は私の従者よッ!昔の飼い主は引っ込んでなさいッ!」



















――――――激昂した紅い月の王と、静かな黒い影の暗殺者が、踊る。





































カリスマはブレイクするもの、私はそう考えている。

というかブレイクさせずにはいられなかったんだ・・・・・・すまない。

さて、いよいよ二人の対決となります。

どのような結果になるか・・・・・・それは次回のお楽しみ。

それでは!



[24323] 第五話 猛る紅、静かなる黒
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/26 21:27






「まずは吸血鬼よ。先に謝罪を」



アサシンはレミリアに突然そう告げる。

戦いの前に何を言うのかと、レミリアは怪訝な表情を浮かべる。



「・・・一体何を?」

「お前を苦しませることなく黄泉に送るのは・・・出来そうにない。・・・すまない」



その言葉にまた、怒りの炎がギラつく。



「この私が、お前に、お前のような薄汚れた暗殺者風情に敗れると?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・思ってるのか?」



それは小さな声で、レミリアは最後しか聞き取れなかった。



「何ですって?」



レミリアのその問いに、アサシンは再度、今度ははっきりと告げる。



「人の肌の上に住まわせてもらってるダニ風情が、この私に勝てると思ってるのか?」



挑発の言葉を。

それを聞いて、レミリアの中の何かが完全にキレた。



「・・・いいだろう。お前はこの私が、徹底的に苦しませて、磨り潰して、原形すら残さない肉塊に変えてやるッ!」



そう言うや否や、レミリアは無数の弾幕をアサシンに向けて放つ。

通常の弾幕ごっこで使うような、決まったパターンで放たれる弾幕ではない。

完全に標的を狙った、殺意の籠められた弾幕がアサシンに容赦無く降り注ぐ。

しかしアサシンはその弾幕を最小限の動きでひらりひらりとかわす。

そしてアサシンもまた、攻撃に転ずる。

投擲用の銀のナイフを、弾丸の如き速さでレミリアの急所目掛けて放つ。

だが――――――



「カァッ!!!!」



咆哮と同時に放たれた魔力によって放たれたナイフは全て掻き消され消滅した。



「・・・・・・・・・・・・」

「なかなかやるようね。さすがは咲夜の師といったところかしら?でも駄目よ。そんなんじゃ私には勝てないわ。
 無様に地下手に這い蹲る貴方ではね」

「・・・・・・・・・ならば」



アサシンはそう言うや否や――――――空を飛び、レミリアに対峙する。



「あら?貴方飛べたの?」

「飛べないと誰が言った?」

「確かに・・・ねッ!」



レミリアの弾幕が再度アサシンに迫る。

だがアサシンはレミリアの弾幕をまたひらひらとかわす。

アサシンの白銀のナイフがレミリアに襲い掛かる。

レミリアもアサシンの投擲を、その魔力をもって弾く。

一進一退の、激し過ぎる攻防が続く。








































一方咲夜は、始めは恐怖に駆られて混乱していたが、徐々に落ち着きを取り戻し、二人の攻防を見守る。

お嬢様を助けなければ。

そう咲夜は考える。

だがしかし、もう一つの声が囁く。

我が師に刃向かってはいけない。

昔の自分がそう告げる。

どうすればいい?

私は一体どうすればいい?

二つの思いが、咲夜の中で激しくぶつかり合う。

そんな中、咲夜は師の動きが変わるの見た。



(不味いッ!あの動きはッ!)



咲夜は力の限りを込めて叫んだ。



「お嬢様ッ!――――――避けてッ!」





































「ッ!?」



レミリアはその咲夜の声を聞き、今まで受けていたその攻撃を反射的にかわす。

――――――ズガンッ!

飛来して来た物体が壁に突き刺さる。

突き刺さっていたのは――――――剣だった。



「まさか剣を投擲するとはね・・・先ほどの攻撃より、随分と威力がありそうね?」



壁に突き刺さった剣は、その刀身の大半が壁の中に納まっていた。

そしてその周りには、皹割れは一つたりとも走ってなかった。

これだけでその威力、貫通力と破壊力が容易に想像が出来るというものだ。

しかも鈍く輝く忌まわしいあの光。

あれは間違い無く銀の輝きだ。

吸血鬼を相手にするのなら、当然といえば当然なのだろうが。



「祝福儀礼を施した銀製の、投擲用に造られた飛剣だ。これはお前とて、ただでは済まん」

「ふん、だが私を仕留めるにはまだまだだよ」



口では余裕を語るレミリアではあったが、内心は冷や汗ものだった。

咲夜のあの声が無ければ――――――確実にやられていた。

さっきからそうだったのだが、このアサシンの攻撃は非常に読み辛かった。

殺気が――――――全く無いのだ。

そのためレミリアは下手な回避をせず、あえて防御をするしかなかったのだ。

だが先ほどの攻撃、いくら自分が不死の吸血鬼とはいえ、あれを喰らうのは不味過ぎる。

先ほどまでと同じような、ただ魔力で弾いて防御したままでは、ただでは済まなかった。



(・・・・・・防御・・・したまま?)



そこまで考えたところで、レミリアはある事に気付く。



(こいつはまさか・・・私に防御という選択を狙ってさせたのかッ!?そして、あの一撃を私に受けさせようとしたッ!?)



レミリアは改めて、自分の目の前のこの敵の恐ろしさを思い知る。

もしあの時の咲夜の声が無ければ、あの剣は間違い無く自身の体を貫通していた。

そう思うと、背筋にゾッと冷たいものが走る。



「ならばこうしよう」



アサシンの両手に先ほどと同じ飛剣がズラリと現れる。

アサシンはすかさずその飛剣を全て投擲し放つ。

レミリアは防御はせずに、迷わず回避する。

あれを防御してはいけない。

たとえあの威力の銀製の剣が急所に入ろうとも、自分は不死の吸血鬼だ。

一発喰らった程度では死にはしない。

だが連続して喰らうのは不味い。

そして、一発も喰らう訳にはいかない。

喰らえば最後、剣に貫かれ怯んだその瞬間に、あのアサシンは容赦無く銀の弾雨をこの身に浴びせることだろう。

そうなれば自身の永遠が終わる。

レミリア・スカーレットという永遠が終わってしまう。



(それだけならいいさ。むしろ本望だ。我が永遠を終わらせる愛しき怨敵は大歓迎だ。・・・・・・しかし)



レミリアは地上で自分達の戦いを見守る自身の従者をチラと見る。



(倒される訳にはいかない。私が死ねば、次は咲夜が殺される。それだけじゃない。
 フランにパチェ、美鈴に小悪魔・・・紅魔館の者達まで・・・・・・そうはいかないッ!)



自分だけが倒され、殺されるなら構わない。

だが自分が死ねば他の者達にまで被害が及ぶ。

負ける訳にはいかない。

守るべき者を守れずして何が王だ、何が支配者だ。



(しかし・・・癪だが、このままでは不味い。一気に――――――片を付けるッ!)



レミリアはそう考え――――――右手に魔力を練り上げる。

そして――――――真紅の魔槍がその姿を顕現させる。



「お前はなかなかに、いや恐ろしく強い。認めよう、その力。久々に楽しめたけど、もうお終い。
 これは付き合って楽しませてくれたその礼よ。
 この私の全力を味わう栄誉を、お前にくれてやるッ!」

「・・・・・・・・・・・・」



アサシンはただ黙ってレミリアの宣告を聞く。

レミリアの全力。

それは即ち彼女の能力、運命を操る程度の能力を使うということ。

強大な魔力の塊と化した真紅の魔槍。

それを運命を操り、絶対不回避のものにするレミリアの必殺の業であった。



「―――神槍「スピア・ザ・グングニル」―――これで・・・終わりよッ!!!!」



レミリアはアサシンに向かい、グングニルを神速の速さで投擲する。

まともにくらえば塵も残らないだろう。

神槍は男に向かい一直線に飛来する。

そして――――――




















アサシンは――――――その必殺の魔槍を――――――ひらりとかわした。




















その場で、その現実にもっとも驚いたのは他でもない、グングニルを投擲したレミリア本人だった。



「ば・・・馬鹿なッ!?何故だッ!?運命を操作して投擲した、必中の私のグングニルを・・・かわしただとッ!?」



レミリアはその信じられない事実に驚き、思考を僅かに狂わせる。

だがそれは、アサシンにとって十分過ぎる隙だった。

アサシンはレミリアにすぐさま迫る。



「しまっ・・・・・・くうっ!?アッ!」



そして――――――レミリアは自身の体に何か鋭い異物が突き刺さるのを感じた。

あのような隙を作った自分に腹を立て、すぐさま迎撃しようとするレミリア。

だが、途端に体から力が抜け、レミリアは地面に落下して大きくバウンドしてその場に倒れ伏す。



「ガァッ!!!」



落下の衝撃が小さな体を軋ませる。

だがこの程度でどうにかなるほど吸血鬼の体はやわではない。

レミリアはすぐに立ち上がろうとするが、どういう訳だか体に力が入らない。



(ち・・・力が・・・消えていくッ!?)



レミリアはアサシンをキッと睨み付ける。



「貴様・・・何をしたッ!?」

「・・・即効性の毒を塗った針をな。今のお前は力も魔力も出ないだろう」



レミリアの問いに、アサシンはそう答えた。

アサシンはスッとレミリアに近付いていく。

そして倒れるレミリアに向かい話しかける。

とても、穏やかに。



「先ほどとは違うな」

「何が・・・だ・・・?」

「今は私がお前を見下ろし、お前が地に伏している」

「・・・・・・ッ!」



王である自分が、このように無様に地面に倒れ伏す。

しかもそんな今の自分を、敵対する者は見下している。

それもただ見下しているだけではない。



(こいつ、この私を・・・・・・哀れんでいるのかッ!?)



彼女はそんなアサシンの視線を全身で感じ取った。

地に伏して、そして哀れみの目で見られる。

プライドの塊である彼女にとって、それは耐えられない屈辱だった。

だがそれでも、レミリアにはそれ以上に気掛かりな事があった。



「何故、かわせた。この私の・・・必中のグングニルを、どうやって?」



レミリアの最大の疑問。

それはこのアサシンが、レミリアが決定した死の運命から逃れたこと。

必殺必中の神槍「スピア・ザ・グングニル」

それをどうしてこのアサシンはかわせたのか?

アサシンは静かにその答えを告げた。




















「お前の定めた運命に・・・私の能力を使っただけのことだ」




















その言葉を聞いても、レミリアには理解が出来なかった。



「能力・・・ですってッ!?一体どうやってッ!?何の能力を使ってッ!?」

「今はそんなことを気にする時では――――――ない」



アサシンはレミリアに近付き、剣を抜きその胸に突き付ける。



「安心するがいい。苦痛は一切無い。これなら苦しませることなく、お前を黄泉路へと送り届けられる」

「お・・・のれ・・・」



体を動かそうとするがピクリともしない。

まるで糸の切れた操り人形のようだった。



「最後に言い残す言葉は、あるか?」



アサシンは穏やかに、静かに話しかける。

これから目の前の吸血鬼を殺すとは思えないぐらいに、その声は落ち着いていた。

そんな声を聞いて、レミリアは完全に自身が敗北したのだと認めざるを得なかった。

アサシンの問いに、レミリアは諦めたようにして答える。



「・・・・・・・・・・・・・・・頼む・・・みんなを」



皆を見逃してほしい。

せめてこの命と引き換えに、皆を見逃してほしい。

今の彼女に出来るのはそれだけだった。

そしてレミリアのその願いを聞いたアサシンは。



「送り届けてやろう。安心しろ。黄泉路への旅、一人にはさせん」



そんな無慈悲な答えを返した。



「き・・・キサマァァァァァァァァッ!!!!」



激昂に任せ体を動かそうとするが、依然変わらず動いてくれない。

悔しかった。

みんなが危ないというのに、それを守れない今の自分が悔しかった。

何が王だ、何が夜の支配者だ、何が永遠に紅い幼き月だッ!

そんな肩書き、皆を守れなければなんの価値も無いではないかッ!

目に涙を浮かべて流し、レミリアは無力な己を呪った。

そんなレミリアを見て、咲夜は必死に師に懇願する。



「お嬢様ッ!?お願いです我が師よッ!お嬢様をッ!お嬢様を殺さないでッ!」



咲夜は自らの師にそう叫び懇願するが、アサシンは黙ってレミリアを見るだけだった。

咲夜はお嬢様を助けなければと体を動かそうとするが――――――動かない、動いてくれない。

お嬢様を助けるということ。

それは自らの師に刃を向けるということだった。

咲夜はナイフを持ち、構えようとするが、体は強烈にその行動を拒否した。



(どうしてッ!?どうしてなのッ!?)



咲夜は自問自答するが、答えはもう分かっていた。

自分があの方に逆らえるわけがない。

たとえ出来たとしても、勝てるわけがない。

自分の能力は、あの方の能力には勝てないのだから。



「眠るがいい、穏やかに。誇り高き吸血鬼の王よ」



アサシンは剣の先をレミリアの心の臓前にピタリと付ける。

死の執行が下されようとしていた。



「お願い・・・誰か・・・誰か助けてッ!」



咲夜はそう願い叫ぶ。

そして、その願いは――――――




















「ハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」






















――――――虹の閃光が、聞き届けてくれた。





































どうも荒井です。

どうしてグングニル当たんなかったって、もちろん能力ですよ能力。

咲夜さんの時もそれでどうにかしたんです。

それとアサシンが言った人の肌の上に住まわせてもらってるダニ風情という言葉。

この言葉はドラキュラ紀元のヒロインである吸血鬼ジュヌヴィエーヴの言葉・・・だったと思う。

あれもう絶版なんだよなぁ・・・・・・はぁ。

さて、次回は美鈴がMEIRINな感じに・・・・・・なるかな?

それでは!



[24323] 第六話 闇を払うは虹の拳
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/26 21:27






突如現れた七色の閃光。

その一撃により、アサシンは吹き飛ばされレミリアから離れる。

空中で体制を立て直し、着地したアサシンから苦悶の呻きがこぼれる。



「グッ!?ぬ、ぅう・・・・・・」



どうやら相当なダメージを負ったようだ。

アサシンは堪らず膝をついて片手剣を支えにふらつく。

咲夜とレミリアの口から、その一撃を放った者の名が出る。



「美鈴ッ!」

「美・・・鈴・・・なの?」

「はいッ!私ですッ!」



紅 美鈴。

この紅魔館の守りの要である門番にして、武術の達人である。

彼女は申し訳なさそうな顔でレミリアに話しかける。



「・・・申し訳ありません。戦いに手を出すなというお嬢様の命に背きました。お許しを」



私自らが赴くから手を出すな。

彼女は主であるレミリアの命を破り、二人の戦いに手を出したのだ。

主の為とはいえ、その主の命を破ったのを、美鈴は申し訳なさそうな顔でレミリアに謝罪する。

律儀な門番だ。

そんな事を思いながら門番の主は苦笑する。

文字通り、苦しそうに笑いながら。



「いい、え、構わ、ないわ。御蔭、でこうして今、生きているのだから。・・・ありがとう、美鈴」

「ありがとうございます。咲夜さん?貴女も大丈夫ですか?」

「え、ええ。私は・・・・・・特に傷は負ってないわ」

「そうですか・・・よかった」



美鈴はそう言って、ひとまず安堵の溜め息を漏らす。

そして、先の一撃でもがき苦しむアサシンを見る。



「ぐぅ・・・・・・が、はぁ・・・き、さま・・・」

「どうです?空中に浮いて衝撃をいくらか軽減したようですが、それでも随分辛いでしょう?
 ありったけの気を練り上げて放った一撃でしたからね」



膝をつく暗殺者に美鈴は冷たく言い放つ。



「それだけに驚きです。あの一撃を受けてまだ、そうして原形を保っているのが。
 本来なら体に風穴が開いてるはず。・・・一体何をしました?
 貴方に気を流し込んだ時、そのほとんどが抵抗され入りきらなかった」



美鈴のその問いに、アサシンは息を整えて答える。



「・・・くぅ、あれで、か。やはりお前は恐ろしいな、闘士よ。出来ればお前とは、相見えたくはなかった。
 お前に気取られず忍び込むのは、骨を、折ったぞ」

「今も折りましたがね。しかし・・・嬉しいですね。貴方のような暗殺者にそこまで言われるのは。
 でも今は関係ありません。――――――我が主、我が友、我が家族に牙を向けたこと・・・後悔するがいいッ!」



言うや否や、美鈴は目にも映らぬ速さで暗殺者に迫る。



「させぬッ!!!!」



アサシンもすぐさま迎撃体制を整え迎え撃つ。

美鈴の気の篭められた神速の拳をギリギリでかわす。

かわすと同時に手にした片手剣を突き出す。

だが美鈴もアサシンの放つ剣のカウンターをいなして弾く。

そして両者はお互い後退し、相手の出方を伺う。

先に動いたのは――――――暗殺者の方だった。

暗殺者は先ほどレミリアに投擲した物と同じ飛剣を、ズラリと何処からともなく出し、その全てを放つ。



「クッ!?咲夜さんといい貴方といい、何処にそんなものをそんなに隠しているんですかッ!」



突風のように、暴雨のように、嵐のように迫るその剣を美鈴はかわし、拳で弾き、受け流す。

そして美鈴も気弾やクナイをアサシン目掛けて放ち迎え撃つ。

だがアサシンも同様にかわし、剣で弾き、また避ける。

油断を一切許さない、お互いギリギリの戦い。

美鈴は内心で歓喜し、この暗殺者に感謝した。

久々にここまでの業の使い手と戦えたことに感謝した。

美鈴の顔には何時の間にか、獰猛な笑みが貼り付けられていた。

その表情まるで、楽しくて楽しくて仕方ないと語っているようだった。





































一方咲夜は、二人の戦いをただ唖然として見ていた。

美鈴がここまで強かったのかという思いもあった。

だがそれ以上に咲夜は、我が師であるあの暗殺者がここまで苦戦するのに驚いていた。

いくら美鈴の一撃を受けたとはいえ、我が師であるアサシンが苦戦するのを彼女は初めて見た。

だがそれを見ていて、咲夜は師のある言葉を思い出す。



(お前は私を最強と勘違いしているようだが、そうではない。私はお前が思っている以上に弱い。
 だから見つからずに済むように、その為の業を磨いているのだ。我等は殺す者。戦う者ではないのだから)



その言葉を聞いた時、まだ幼かった咲夜はよく理解出来なかったが、今ならそれがよく分かる。

それを理解した途端、咲夜は思う。

もしかしたらこのまま、美鈴が我が師を打ち倒してくれるのではないかという期待。

だがそれと同時に思う。

我が師が倒れる姿を、倒される姿を見たくないという思い。

どうしてそんなことを思うのか、咲夜自身初めは分からなかった。

だが時が経つにつれ、その理由が分かる。

あの人は咲夜の師であり、親であり、理想であり、崇拝すべき掛け替えのない存在だったからだ。

もしかしたら、今でもそれは変わらないのかもしれない。

何故なら、こんなにもあの人のことを心配する自分が、今此処にいるのだから。



(私は・・・・・・私は一体・・・・・・どうすればいいの?)



咲夜は、彼女は、そう考え自問自答するしなかった。






































「・・・・・・しぶといですね、貴方」

「・・・・・・・・・・・・」



美鈴の言葉にアサシンは無言で返す。

暗殺者の飛剣のキレは、先のレミリアとの戦いと比べて僅かに鈍っていた。

美鈴の渾身の一撃をその身に受けたのだから当然ではある。

だが逆に言えば、美鈴のその一撃を受けて僅かしか鈍らせていないのだ。

体は激痛を伴っているはずなのにである。

恐らく、その精神力で耐えているのだろう。

美鈴は自分が今戦っている相手が紛れも無い強者であることを再確認する。

しかしこの僅かな差が暗殺者を不利に、そして美鈴に有利に働いた。

暗殺者は既に満身創痍になっており、徐々に動きのキレが無くなってきた。

ほんの少しだが、息を切らしているのが聞こえるのがその証拠だった。

そんな暗殺者に向かい、美鈴は挑発する。



「おや、だんまりですか?それだけ余裕が無い・・・そういうことですか?まあ、あの一撃を喰らったのが痛かったのでしょうね。
 もしそれが無ければ、貴方もここまで苦戦することはなかったのでしょうが」

「・・・・・・・・・・・・」



そんな挑発の言葉を受けてもアサシンは黙ったまま。

答える必要が無いのか、それとも答えるのも億劫なのか。

ただどちらにしても美鈴には関係無いが。



「さてどうします?降伏しますか?もちろんそんなことしても許しませんが」

「・・・・・・・・・いや、そんなことはせん」



暗殺者の口が開く。

それを聞いて、再度美鈴は問う。



「ではこのまま戦いますか?貴方に勝機なんてこれっぽっちもありませんが?」



このまま戦っても負けるのは目に見えている。

そんな事はアサシン自身も十分承知しているはずだ。

アサシンが美鈴の問いに答える。



「だろうな・・・・・・だから」



アサシンは――――――空中に黒い物体を投げる。




















「尻尾を巻いて――――――逃げさせてもらう」





















その瞬間、辺りに強烈な閃光と音の爆発に包まれる。



(これは一体ッ!?)



美鈴はそれをモロに浴びて暗殺者を見失う。

そんな中、黒い物体の正体に咲夜は気付く。



(クッ!?スタングレネードッ!?)



暗殺者は咲夜に向かい、そしてすれ違いざまに彼女に言った。



「次で終わりだ――――――我が弟子よ」

「ッ!?」



彼女はその言葉に身を強張らせる。

やがて光と音は消えて、静寂が戻る。

あの黒い影の暗殺者は、まんまと逃げたのだ。





































辺りに静寂が戻ると、そこに一人に少女が近付く。

此処の大図書館を治める魔法使い、パチュリー・ノーレッジだった。

彼女は倒れているレミリアの側に歩み寄る。



「レミィ、大丈夫?」

「・・・体が動かないだけで、傷事態はそれほど酷くない。痛みも全くと言っていい程無いわ」

「それだけ口が利ければ大丈夫ね。・・・全く、心配させないでよね」



そう言ってパチュリーは溜め息を吐く。



「手出し無用なんて言ったわりには、無様な結果ね」

「う、うるさいわねパチェッ!こうして生きているんだからいいでしょうッ!」

「あの魔法使いに言われたのを気にしての独断先行じゃないの?」

「そ、それは・・・・・・!?」



言いよどむレミリアを、パチュリーがギュッと抱きしめる。



「本当に、心配したのよ?貴女がいなくなるんじゃないかって心配だったんだから。
 無茶しないで。私達は・・・・・・家族も同然でしょ?」

「パチェ・・・」

「その家族をここまで心配なんか・・・させないでよ」

「・・・・・・ごめんなさい」



レミリアはそう言って抱きしめ返した。

暖かい。

生きている。

私は今、こうして生きている。

生きていたから、この温もりを感じることが出来る。

レミリアはそんな当たり前の事に感謝する。

生きてまた皆の顔を見れた事に心から感謝した。



「お嬢様ッ!大丈夫ですかッ!?」



少し遅れて、美鈴もレミリアの側に駆け寄って来る。



「美鈴・・・貴女もありがとう」



レミリアは自身を助けてくれた門番に感謝した。

彼女の御蔭でこうして生き延びる事が出来たのだから。



「いえ、いいんですよそんな。それより申し訳ありません、あの者を逃してしまいました。あの、パチュリー様?」

「・・・大丈夫。さっき館の周囲に結界を張ったわ。もしまた来るようなことがあっても、今回みたいな奇襲はもう、出来ないわ」

「そうですか・・・よかった。とりあえずは一安心ですか」



パチュリーのその言葉を聞いて美鈴はホッと胸を撫で下ろす。

この優秀な魔法使いが言うのなら間違い無いだろう。



「それより、咲夜は?あの子は?」

「そうだったッ!咲夜さん、大丈夫ですかッ!?」



美鈴は咲夜に近づき、安否を確認する。



「私は、大丈夫。軽い打撲くらいだから・・・」



咲夜は心配して自身に問いかけてくる美鈴にそう言って答えた。



「そうですか・・・ああもうッ!本当によかった」



美鈴は安堵して咲夜を抱き締める。

そして美鈴は気付く。

咲夜の体が、異様なほどに冷たくなっていることに。



「咲夜さんッ!?本当に大丈夫なんですかッ!?体が凄く冷たいですよッ!?」

「大丈夫・・・・・・大丈夫、だから」



咲夜はそう言うが、体はまだブルブルと震えていた。



「ごめんなさい美鈴。心配、かけてしまって」

「いいんですよ、そんなこと」



咲夜の震える体を美鈴は強く抱き締める。

暖かい。

体の震えが、少しだけ治まる。

その暖かさに安堵すると、咲夜に強烈な睡魔が襲い掛かってくる。



「本当に・・・ごめんなさい・・・私は・・・お嬢・・・さ・・・ま・・・もれ・・・」

「・・・咲夜さん?」

「・・・・・・スゥー・・・・・・スゥー・・・・・・」

「寝ちゃいました・・・か」



寝息を立てて咲夜は深い眠りについた。

無理もない。

今回の出来事での一番の被害者は、このメイド長だろう。

疲労が限界に達して、気を失って寝てしまったのだ。

美鈴はそんな眠った咲夜を起こさないように、抱き抱えて持ち上げる。

そんな二人に、レミリアは声をかける。



「まるでお姫様を救ったナイトみたいね、美鈴」

「からかわないでくださいよお嬢様。私は門番で、咲夜さんはメイドですよ。・・・まあ」



眠った咲夜の寝顔を見ながら、美鈴は思ったことをそのまま言う。



「お姫様みたいに可愛いのは、同意しますがね」

「あら?言うじゃないの美鈴」

「ははは。さあ、戻りましょうお嬢様、パチュリー様」

「ええ・・・そうね」

「夜風は寒いものね。風をひいたら大変だわ」

「それでは・・・行きましょう」



こうして、激しくも静かな夜は終わりを告げた。

咲夜は美鈴に抱き抱えられながらも、誰にも聞こえないか細い声で呟く。



「・・・・・・・・・・・・師よ・・・・・・私・・・は・・・」





































さて、ようやく一段落したとスミスは報告します。

さて、まだ予定ですが、第二章は前作のように戦いは激しいものにはなりません。

大体暗殺者が戦闘しちゃ駄目ですからね。

だから戦闘は激しくなりません・・・・・・・・・・・・たぶん。

それでは!



[24323] 第七話 大好きな言葉
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/26 21:26






暖かい。

私の頭を撫でてくれるこの手は、とても暖かい。

力強く、だけど優しくその手は撫でてくれる。

私はそれが嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。

私に暖かさを教えてくれた最初の人。

私が憧れ、こうでありたいと思った御方。

その温もりが好きだったから、私はどんな辛いことも耐えられた。

この方に少しでも近付けるのなら。

この方のようになれるのなら、私はどんな困難も乗り越えられる。

私はこの方の言葉を待った。

私は、この方のこの言葉が、なによりも嬉しかった。

だから私は、返事をした。




















「――――――よくやった。さすがは我が弟子だ」

「――――――ありがとうございます。我が師よ」




















そんな我が師の言葉が――――――私は大好きだった。

またちょっと、師に近付けたように感じたから。

だから私は――――――笑顔で、その大好きな言葉を受け取った。







































「どう美鈴?咲夜の様子は?」

「よっぽど疲れたんでしょうね。ぐっすり眠ってますよ・・・っと」



レミリアの言葉に、美鈴はそう言って咲夜を近くのソファーに横にして寝かせる。

よっぽど疲れたのだろう。

今は穏やかな笑顔でスヤスヤと寝入っている。

レミリア、咲夜、美鈴、パチュリーの四人は今、紅魔館の居間で一休みしていた。

そんな中、レミリアが口を開く。



「一体・・・あいつは何者なの?咲夜の師と言っていたけど、それだけじゃあねぇ・・・」

「・・・・・・お嬢様、それについては、私に一つ心当りが」



レミリアは美鈴からそんな言葉が出て驚く。

独り言同然で呟いたこの言葉に、答える者がいたというのもあるが、まさか美鈴からその回答が出るとは思わなかったのだ。



「美鈴?あいつについて何か知ってるの?」

「実は、前から咲夜さんの動きや業を見ていて気付いてはいた事なんですが、私は、あの業の使い手を知っているんです。
 その者達が、なんと呼ばれているのかも」

「・・・・・・何者なの?」



レミリアの問いに美鈴は答える。



「アサシンですよ。ただし、その語源になった存在達の事ですが」



そんな美鈴の言葉を聞いて最初に反応したのは、パチュリーだった。



「それって・・・二ザール派の事かしら美鈴?あの伝説の、暗殺教団の」

「はい。山の翁、ハサン・サッバーフが有名でしょうね。もっとも、暗殺者で有名というのもおかしな話ですが」

「・・・・・・ちょっと待ちなさい二人とも。話に着いていけないんだけど?」



二人だけ分かって、二人だけで納得する。

そんな二人が面白くなく、レミリアはムスッとした表情で彼女達に説明を求めた。



「ああ、すみません。暗殺教団とは、恐らく最古の暗殺者集団の事でして」

「そして二ザール派というのは、イスラム教シーア派の分派のイスマーイール派の中での呼び方よ。
 敵対した組織の要人を暗殺する手段を取っていたから、暗殺教団なんて呼び方が付いたのよね」

「ハサン・サッバーフとはその教団の長の最初の名前で、別名山の翁とも呼ばれる伝説の人物です。
 アサシンの呼び方は、彼の名前から来ているとも言われています。
 伝説では最初のハサンから、教団の長は代々ハサンを名乗ったようでして」

「山の翁のモデルにはもう一人、ラシード・ウッディーン・スィナーンという人物もいるわ。
 彼の指導の下で二ザール派は一大勢力にまで成長したからとも言うし、
 フィダーイー。「自己犠牲を厭わぬ者」という意味なのだけれど、
 そう呼ばれる者達を使っての暗殺からそのモデルになったらしいのよね」

「まあ、二ザール派の者達の全てがそうだという訳ではありませんがね。
 二ザール派の中に、暗殺教団という存在があったってだけの話ですからね」



そんな二人の説明を受けて、レミリアは一つ引っかかることを見つけた。



「・・・さっきから聞いてれば、恐らくとか、ようだとか、らしいとか、曖昧なところがいくつかあるように聞こえるのだけれど?」



二人が言っているのははっきりとしない事実であり憶測である。

それを指摘されたパチュリーはムキュッと顔をしかめて弁解する。



「仕方ないじゃない。暗殺者なのよ?詳しく分かる訳ないじゃない。
 私のこの知識だって、本当に正しいのかどうか分からないもの。詳しく調べた事がある訳でもないのだし」

「私は昔、実際何度か戦った事があるんですよ。だから少し分かるんです」

「え?美鈴戦った事があるの?」



またもや美鈴から意外な事を知らされて驚くレミリア。

美鈴は少しだけ自分の過去を話した。



「紅魔館に来るずっと前の事ですがね。昔は様々な所で、色々やって生活してましたから。
 それで用心棒として雇われた時に、かつて教団のアサシンと戦った事があるんです」

「その時はどうだったの?」

「戦いに勝ちはしました。――――――ですが」



美鈴は言い淀み、一瞬顔を暗くする。



「護衛すべきだった者は・・・殺されました。その暗殺者にも、逃げられました」

「でも・・・勝ったんでしょう?」

「ええ・・・勝って、その時出来た一瞬の隙を突いて・・・殺されたんです」



美鈴は拳を硬く握り締める。

戦い事態はすぐに終わった。

アサシンの正体を見破った美鈴の一撃で、片腕をもがれてそのアサシンは倒れた。

美鈴と美鈴の雇い主はそれに安堵して、不用意にそのアサシンに近付いた。

その瞬間にアサシンは立ち上がり、篭手に仕込まれた刃を突出させ雇い主の心臓を貫いた。

あっという間だった。

あまりに速過ぎたその出来事に、美鈴は何が起こったのか分からなかった。

そしてその一瞬に出来た隙により、そのアサシンは逃げたのだ。



「私の慢心と、未熟の所為です。もしかしたら、あれもワザと負けたのかもしれません。私に隙を作らせる為にワザと」



自らの腕を犠牲にしてまでも仕事を全うする。

自己犠牲を厭わぬ者、フィダーイー。

まさにあの時のアサシンは、その言葉の通りの存在だった。



「あの時私は、アサシンが来る可能性を前もって予想出来ていたんです。だから、その仕事を請けました。
 戦ってみたかったんです。死の象徴と呼ばれ恐れられた、アサシンという存在と。
 ・・・・・・舐めていたんですよ、私は。まともな相手じゃないのは分かっていたはずなのに、
 ただ倒せばそれで終わりだと、勘違いしていたんですよ。
 アサシンの真の恐ろしさというものは、業でもなんでもなく、その執念にあったんですよ。
 任務を全うする為には自らも犠牲にする。それがアサシンの恐ろしさなんです」

「・・・・・・美鈴」



実際に戦った者の言葉からか、その言葉には確かな重みがあった。

自分が戦ったのがどれだけ恐ろしい相手か、レミリアはその言葉で再確認する。



「ですが・・・気になることもあるんです」

「気になること?」

「昔の咲夜さんもそうだったんですが、あの者からは大麻の臭いがしなかったんです」

「大麻の臭い?どういうことなのそれ?」



レミリアのその問いには、知識人であるパチュリーが答えた。



「暗殺教団は大麻を使って暗殺者を育成したり、任務の時も吸って、精神を強制的に安定させる為に使った、なんて言われてるわ」

「私が昔戦った者からは、その大麻の臭いがしました。その御蔭で、最初は気付く事が出来たんですが」



それを聞いてレミリアは嫌悪の表情を表す。



「薬ねぇ・・・下種の考えそうなことね」



きっと他にも、でもない方法で同じような事を行ったに違いない。

美鈴はそんなレミリアに自分が知る当時の教団について話す。



「しかし全盛期の彼等は、まさに恐怖の権化でしたよ。下手な妖怪よりも、人々は彼等を恐れました」

「それは・・・吸血鬼よりも?」

「はい。暗殺者は人間です。同じ人間だからこそ、当時の人々は恐れたんです。
 怪物は見た目で分かりますが、暗殺者は同じ人間だからそれと分からない。
 分からないからこそ恐ろしい。
 アサシンとはそんな、何処から来るか、何処にいるか分からないという、死の恐怖の象徴だったんです」

「そんな連中だから、アサシンの語源にもなったのかもしれないわね。
 それと他にもアサシンの語源には大麻の別の呼び方のハシーシュに、原理という意味のハサスが語源だとも言われてるわ」



人間のまま恐怖の幻想になった存在。

アサシンとはそんな幻想の存在なのだ。

そしてその幻想の存在は、まだ外の世界に存在する。

それを聞いて、レミリアは溜め息を吐く。



「はぁ・・・妖怪よりも人間に恐れられた人間・・・か」



自分は吸血鬼と呼ばれる化け物。

相手はアサシンと呼ばれる化け物。

自身は外の世界から逃れて、この世界で幻想の存在であり続けている。

だが奴は外の世界で未だに恐れられて、幻想の存在であり続けている。

同じ化け物と恐れられた存在なのに、どうしてこうも違ったのだろうか?

自分とあいつとでは一体何が違ったのだろうか?

そんな事を考えている内に、レミリアにふとある疑問が生まれる。



「あれ?でも、あいつからはその大麻の臭いがしなかったじゃないのよ?私もそんな嫌な臭いは感じなかったし、
 それに昔の咲夜からもそんな臭いはしなかったし・・・だったら関係者ではあっても、その教団の人間とは限らないんじゃないの?」

「だから私も確信が持てないんですけど・・・でもなぁ・・・あの業は確かにあの教団の業だと思うんですけどね」



美鈴もそれは気になっていたところなのだ。

あのアサシンからは、アサシン独特の臭いの一つである大麻の臭いがしなかった。

だからどうしても美鈴は、あの暗殺者がかの教団のアサシンだと自信が持てずにいるのだ。

ただその業だけを継承しただけなのだろうか?

ならば、その伝統とも言うべき手法を取り入れないのはおかしい。

何か理由でもあるのだろうかと考える美鈴に、パチュリーが質問をする。



「ちなみに昔戦ったアサシンとあのアサシンでは、どっちが強かったの?」



パチュリーからの問いに、美鈴は軽く頭を捻って考える。



「そうですね・・・・・・今回の方でしょうか?
 渾身の一撃を入れたはずなのに、それに耐えて戦闘を続行したあの精神力は尋常ではありません。・・・それに」

「それに?」

「お嬢様の能力から逃れた・・・それだけでも十分な脅威ですからね」

「・・・・・・確かに」



レミリアの能力。

運命を操る程度の能力。

神の如きその力は、レミリアの力の象徴ともいえるものの一つだ。

そんな彼女の力から、一体どうやって逃れたのか。



「あいつの能力・・・かしら?どう思うパチェ?」

「それはそうでしょうね。何かしらの能力を使ったのは間違い無いわ」

「あいつの正体、もしかしたらその山の翁・・・なんてことはないでしょうね?」



レミリアの言葉に美鈴は首を捻る。



「それは・・・どうでしょうかね。まあ、そうだと言われてもおかしくない実力はありましたが。
 でもそれだと大麻の臭いがしないのはおかしいし・・・・・・ううん。
 咲夜さんは・・・そこら辺の事を何か知っているんでしょうが・・・」



美鈴は眠る咲夜を見て、それは無理だろうと考える。

今も彼女はぐっすりと眠っている。

無理に起こすのは可哀想というものだ。



「この有様ではね。聞くのは無理でしょうね」

「・・・・・・そうですね」

「・・・美鈴、一つ聞きたい事があるのだけれど?」

「何か?」

「咲夜の過去・・・ある程度予想していたのなら、何故それを私に言わなかったのかしら?」



主の問いに、門番は一呼吸置いて答える。



「・・・・・・人の過去を詮索するのは、野暮ですからね。・・・それに」

「それに?」

「今のこの子は十六夜 咲夜です。かつての名も無き暗殺者ではありませんから」



美鈴はそう言って咲夜の頬をそっと優しく撫でる。

咲夜は眠ったままそれを受ける。

くすぐったいのか、少しだけ笑う。

レミリアもパチュリーも、それを微笑ましく見る。



「・・・・・・そうね」

「ねぇお嬢様?此処に来たばかりの咲夜さん覚えてますか?」

「覚えてるわ、当然よ。随分硬かった・・・そんな感じだったかしらね」

「仕事は出来たけど、笑うなんてことは全くしなかったわね」

「それが何時の頃からか一緒に笑えるようになって・・・思いましたね」



やっと家族になれた。

三人の中にあったのはそんな思いだった。

やっと自分達と家族として生きてくれると、皆は心から喜んだものだった。



「でもお嬢様がこの子を自分の従者にすると言った時は驚きましたよ。
 自分を殺そうとした者を従者にする。下手をすれば寝首をかかれるかもしれないのに」

「曲がりなりにも私は王者よ?自身の命を狙う者を手懐けるくらいは出来るわよ。
 むしろそれが出来てこそ真の王者とはいえないかしら?」

「相変わらずの傲慢ね、レミィ」

「それが王というものよ?・・・・・・それになにより、嬉しかったしね」

「嬉しかった・・・ですか?」

「だってそうでしょう?思いや考えはどうあれ、あの時のこの子は私の事だけを思って、考えて、そして私の前に現れた。
 私はそれが・・・とても嬉しかった」



自分を恐れずに相対する人間が現れる。

それが彼女にとってどれだけ嬉しかったか。

今でもあの時の事ははっきりと覚えている。

自分の運命を大きく変える存在に会える。

彼女の能力が彼女自身にその事を告げた時、レミリアはどれだけ嬉しかったか。

ドキドキして、いてもたってもいられなかった。

そしてその存在である彼女に会って更に喜んだ。

自分と対峙しても、決して恐れを見せなかった小さなヴァンパイア・ハンター・・・いや、アサシンか。

そんな彼女と戦った時、楽しくて仕方なかった。

自分を恐れずに戦う彼女が、愛しくて仕方なかった。

戦いに敗れた時に、自害しようとした時は慌てて止めたものだ。

自分を楽しませた存在が、自分が愛しいと思った存在が、目の前でその自らの命を断つのが許せなかったから。



「だから言ったのよね。お前は此処で死んだ。私に敗れてだ。だからお前の命は私の物だ。
 だから――――――私の従者になりなさいな。そう言ったのよね」



そうは言っても、最初は上手くいくわけはなかった。

説得に説得を重ねたものだ。

何時でも私の命が狙えるからいいではないか・・・なんて事も言った。

もう少し言い様があったろうにと・・・今では思う。

でもどうしても諦められなかったのだ。

彼女と一緒に生きてみたいと、本気でそう思ったから。

なんとか説得は出来たが、もちろん最初から心を許すはずがない。

初めの頃は虎視眈々と命を狙っていたものだ。

だが何時の頃だか、それがフッと無くなった。

何故かは分からなかったが、そんな事はどうでもよかった。

彼女が、咲夜が初めて笑ってくれたのが、嬉しかったから。

レミリアは眠る咲夜に近付いて、そして囁く。



「この子は十六夜 咲夜よ。私の大事な家族であり、なにより――――――私の大事な従者なのよ」



レミリアはそう言って、咲夜を抱き締めた。





































暖かい。

私の体を抱き締めてくれるこの腕は、とても暖かい。

小さな腕で、だけど大きくその腕は抱き締めてくれる。

私はそれが嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。

私に十六夜 咲夜という名前を与えてくれた人。

私が愛して、そして共に生きたいと思った御方。

その温もりが好きだったから、私はどんな敵とも戦えた。

この方を少しでも助けられるのなら。

この方を幸せに出来るのなら、私はどんな苦難も乗り越えられる。

この方は私に声をかける。

私は、この方のその言葉がなによりも嬉しかった。

だから私は、返事をした。




















「――――――貴女は私の大事な家族よ、咲夜」

「――――――ありがとうございます。お嬢様」




















そんなお嬢様の言葉が――――――大好きだったから。

お嬢様の家族であり従者なのだと、感じたから。

だから私は――――――笑顔で、その大好きな言葉を受け取った。




















――――――そして彼女は、十六夜 咲夜は、夢から覚めた。





































あー・・・・・・感想少ないなー・・・・・・と愚痴をこぼす荒井スミスであったとさ。

今回はレミリア達が主人公(裏)について語りました。

会話の中でアサシンについて色々と語った中で出てきたおかしな部分。

あのアサシンの正体とその能力とその他諸々の謎。

次の話でその謎の部分を咲夜さんが語って・・・・・・くれるはずです。

それでは!



[24323] 第八話 従者は語る、その過去を
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/11/30 21:25






咲夜が暖かい夢から目覚めると、そこには安堵し笑う、自らの主の笑顔があった。



「・・・・・・・・・お嬢様?」

「ようやく起きたみたいね、咲夜」

「私は・・・眠っていたようですね」



どうやら自分は疲れて眠っていたようだ。

そんな事を覚醒しきっていない頭で咲夜はぼんやりと考える。



「大丈夫ですか、咲夜さん?」



咲夜が起きた事に気付いた美鈴もそう言って咲夜を気遣う。



「美鈴・・・ええ、大丈夫よ」

「具合が悪かったら言いなさいよ?診てあげるから」

「パチュリー様・・・ありがとうございます」



パチュリーも顔には出さなかったが、咲夜を心配しているのはよく分かった。

皆に心配されるのを、咲夜は内心苦笑するしかなかった。



「・・・・・・ねえ咲夜?起きてさっそくで悪いのだけど、話を聞かせてもらってもいいかしら?」



レミリアの問いを聞いた途端に、咲夜の表情が険しくなる。



「・・・・・・何を話せというのですかお嬢様?」

「無論あのアサシンについてよ」

「・・・・・・それは、言えません」



そんな咲夜の言葉に美鈴はただ驚くしかなかった。



「ちょッ!?どうしてですか咲夜さんッ!?」

「教団の事を話す訳には・・・いきません。私は「咲夜、よく聞きなさい」・・・お嬢様?」



言葉を紡ぐのをレミリアに遮られ、咲夜は彼女の言葉に耳を傾ける。



「これはもう既に貴女一人の問題ではないのよ。この問題は既に紅魔館の者全ての問題よ。話を聞かない訳にはいかないわ」



レミリアの言う通り、もうこの問題は既に咲夜一人の問題ではなかった。

話さない訳にはいかないだろう。

だが、どうすればいいのか分からないのだ。

過去の自分は話すなと言い、今の咲夜は話すべきだと思っている。

彼女の、咲夜の心は葛藤する。

どうすればいいのかと、悩みに悩む。



「・・・・・・ですが、私は」

「咲夜・・・一つ聞くわ。今の貴女は名も無きアサシン?それとも紅魔館のメイド長?どちらなの?」

「私・・・は・・・」



十六夜 咲夜だ。

そう言おうとするが――――――言葉は止まる。

この紅魔館のメイド長であり、レミリア・スカーレットの従者である十六夜 咲夜だと、言えなかった。

今の自分の中には、忘れたはずの昔の自分が確かに存在する。

その自分が言うのだ。

私は我が師の道具であり、武器であり、腕であり、そして弟子である名も無きアサシンであると。

だから言えなかったのだ。

分からなかったのだ。

今の自分が、その果たしてどちらなのか。

そんな事を考えている時に、美鈴が咲夜の肩を軽く叩く。



「大丈夫ですよ、咲夜さん」

「・・・・・・美鈴?」

「咲夜さんは咲夜さんです。私達の、大事な家族の、この紅魔館の素敵なメイド長です。
 だから、自身を持ってください。そうですよね、お嬢様?」



美鈴の言葉にレミリアは頷き答える。



「もちろんそうよ。貴女は私の・・・掛け替えの無い従者よ。そして、掛け替えの無い家族なのよ。
 だから私は守らなければいけないのよ。みんなを、この紅魔館のみんなを全て。
 私はこの紅魔館の主・・・家長なんですもの。このスカーレットの名を受け継いだ時から決めてるのよ。
 家族を必ず守ると、お父様とお母様、そしてお爺様の墓前で誓ったのよ。
 そしてその家族の中には、もちろん貴女もいるわ咲夜。だからお願い、話してちょうだい。
 私に家族を――――――貴女を守らせてちょうだい」

「・・・・・・お嬢様」



レミリアの真摯な眼差しを見て、咲夜は思う。

みんながここまで私を心配してくれているのが、よく分かる。

そうだった。

今の自分の家族は、この人達なんだと咲夜は確信する。

そして決意する。

自身の知っている事を、彼女達に、家族に話す事を。



「・・・・・・分かりました。お話します」

「咲夜・・・ありがとう」

「ですが・・・やはり全てを詳しく話すというのは・・・」

「やっぱり・・・無理ですか?」

「ごめんなさい美鈴。私はそういう風に育てられたのよ。教団の詳しい内容を教えるのは、やはり出来ないわ」

「だったら当たり障りの無い部分と・・・あのアサシンについて話して」

「・・・・・・分かりました。少なくともそれだけ言います。では、何から答えればよろしいでしょうか?」



咲夜がそう言うと皆はまず何から話せばいいのか分からなくなる。



「あ、それじゃあ私から聞いてもいいかしら?」

「何でしょうかパチュリー様?」

「貴女の言うその教団は・・・ニザール派の暗殺教団の事かしら?」



パチュリーの問いに、咲夜は少し考えてから答える。



「ニザール派・・・というのは分かりませんが、確かに暗殺教団の名で呼ばれていました」

「だったら他には?何か自分達の間で言っていた・・・言葉みたいなのは無いの?」

「教団の者達は、フィダーイーと呼ばれてました。自己の犠牲を厭わぬ者という意味です」

「・・・・・・どうやら当たりみたいね。でも、それならどうしてニザール派と言う言葉を知らないの?」

「さぁ?私もそこはよくは分かりません」

「次は私よ咲夜。あのアサシンは、一体何者なの?」

「私の暗殺者としての、アサシンとしての師であり、そして教団の長でも在られる御方です」



レミリアの問いに答えた咲夜の言葉を聞いて美鈴は驚く。



「ちょ、ちょっと待ってください咲夜さんッ!?それってもしかしてハサン・サッバーフ、山の翁の事ですかッ!?」



しかし咲夜は美鈴のその言葉に首を振り否定する。



「いいえ、それは違うわ美鈴。確かに我が師は暗殺教団の業の正当な継承者ではあるけれど、ハサン・サッバーフではないわ。
 我が師は仰っていたわ。「自分はハサン・サッバーフを名乗れない」と、そう言われたのよ。
 ハサン・サッバーフの名を受け継ぐ機会はあったそうだけど、その時我が師はそれを辞退したのよ。
 暗殺者としての腕は確かにあったけど、長としての才は未熟だったのが理由の一つ。
 そしてもう一つは、一介のアサシンとして動いた方が性に合う。そういう理由からだそうよ」



少なくともあのアサシンは、ハサン・サッバーフを名乗れるだけの実力はあるということらしい。



「あれ?じゃあどうして教団の長になってるんですか?」

「我が師のいた教団と、ハサン・サッバーフが治めた教団とは別なのよ。
 私のいた教団は、我が師が独自に立ち上げたものだと聞いてるわ。ハサン・サッバーフのいる教団は教団本部と呼ばれていて、
 私のいた時は、その本部とはもう簡単な連絡程度しかしてなかったみたいだったわ」



それを聞いたパチュリーは、自身の予想があながち間違いではなかったことを知る。



「なるほど・・・つまりその本部がニザール派という訳なのね」

「恐らくそうでしょう」

「あ、じゃあ咲夜さんはイスラム教徒なんですか?」

「私は違うわよ。お酒とか普通に飲んでるじゃないの。私の教団でもそういうのはあまり禁止されてなかったわよ?
 料理の時は普通に豚肉も食べてたし、守ってる人も・・・・・・ほとんどいなかったわね。
 我が師は一応ムスリムだったけど、厳格な教徒という訳じゃなかったわ。
 まあ、お酒は苦手だからって、ほとんど飲まれなかったけど、豚肉は好きだったわね」

「・・・・・・あれ?なんか随分と軽い話になってませんか?」

「何処が?」



こくりと首を傾げて何がおかしいのか咲夜は尋ねるが、美鈴はどう答えていいか分からなかった。



「何処がって・・・・・・いえ、いいです。あ、それじゃあ私も一つ気になってる事があるんですが」

「何、美鈴?」

「私の知るアサシンは、大麻を使用していたんです。
 でもあのアサシンからはその大麻の臭いはしなかったし、昔の咲夜さんもその臭いがしなかった。
 これは一体どういうことなんですか?」



これは美鈴はどうしても気になっていた点だ。

咲夜とあのアサシンがかの教団の関係者であるのは分かった。

だがそれなら大麻を使ってないのはどうしてもおかしい。

そしてその事を言われた咲夜は。



「ああ、それ?だって体に悪いじゃない」



そんななんでもないことのように軽く答えた。



「ああ、そうですね確かにってえええええええええッ!?そんな理由でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!?」

「そんな理由って・・・大事な理由じゃないの。あんなの使ってたらすぐに体にガタが来て、働けないじゃない」

「それはまあ・・・そうですけど」

「もっと凄い理由があると思ってたのに」

「・・・・・・拍子抜けね」



まさかそんな理由で使ってなかったのかと、それを聞いた三人は呆れるしかなかった。



「もちろんそれだけじゃないわ。美鈴もさっき言ったでしょう?臭いがあるって」

「え、ええ言いましたが、それが何か?」

「それでアサシンだってバレるのが多くなったのよ。だからそれをを防ぐ為に大麻の使用を禁止したのよ。
 ちなみに我が師は教団を立ち上げた当初から大麻を使ってなかったわ。それに教団本部の方も、もう使うのを止めたんですって」

「え?どうしてですか?」

「さっきも言ったけど、その臭いの所為で任務の失敗が増えたのよ。でも教団本部はそれに当初は気付いてなかったの。
 それで最初は自分達の業が通用しなくなったと思って、外部の人間の仕事を見て、その業を学ぶ事にしたの。
 でもあまりにその人間が優秀過ぎて参考にならなかったみたいなのよね。
 そしてその人間の業を見るのを担当した教団員は、最後はその人間を襲って、その命と引き換えに自分達の欠点を知ったのよ。
 それからは大麻の使用を禁止したと聞くわ」

「そうだったんですか・・・・・・それじゃあその、咲夜さんの師匠はどうして大麻の臭いがしなかったんですか?
 前はその教団本部のアサシンではあったんでしょう?あの臭いは一度止めたからって、そう簡単には消えないものですよ?
 やはり臭いでバレないようにする為に何かしてたんでしょうか?」



咲夜が大麻のその臭いがしない理由は分かった。

だがそれではあのアサシンからはどうしてその臭いがしなかったのか。

その本部のアサシンであったのなら、どうしてその臭いがしなかったのか美鈴は益々気になった。

だが咲夜は、これまたなんでもないと言うようにその答えを教える。



「いえ、我が師はただ大麻が体に合わなかっただけですって。
 臭いを嗅いだだけで気分が悪くなって、吸いでもしたら一日は寝込むって仰ってたわ」

「えー・・・寝込むって・・・わ、私の中のアサシン像が、崩れていく」

「大麻を吸って寝込むアサシン・・・・・・なんか血を吸って二日酔いになる吸血鬼みたいに聞こえるのは何故かしら?」

「その人本当に暗殺教団のアサシンなの?説明を聞いてると、想像してたイメージと随分かけ離れてるんだけど?」

「我が師もそれで昔は苦労していたみたいで・・・本部の会合とかの時に一人だけ吸ってなくて、
 空気の読めない奴みたいな扱いになって白い目で見られた事がよくあったそうです。
 酷い時は背信者扱いをされたとか聞かされました」



三人の中のあのアサシンへの恐怖のイメージが、音を立てて崩れ始めてきた。

もっと厳格で殺伐とした雰囲気な感じの話になると思っていたのに、拍子抜けである。



「なんか・・・宴会で薦められた酒を断って、その場の雰囲気を台無しにしてるようなイメージが浮かんだんだけど?」

「あ、それ私も思いました」

「・・・・・・私も」

「確かに宴会の席とかではよく酒を断ってましたね」

「ってッ!?宴会とかするんですかッ!?」

「いや、宴会くらいするわよ。何をそんなの驚いてるのよ?」

「だって・・・暗殺者が宴会って・・・イメージおかしいですよ?」



美鈴の発言に咲夜は少し不機嫌そうに顔を膨らませる。



「失礼ね。勝手にアサシンのイメージとか決めないでくれる?別に宴会したって旅行に行ったっていいじゃない。
 そういう時は兄弟達みんなで楽しんだっていいじゃないの。それにおかしいっていうならお嬢様はどうなのよ?」



そう言って咲夜は自らの主を指差す。



「え?ここで私に話を振るの?」



いきなり指を差されてギョッと驚くレミリア

まさかこんな話で自分が引き合いに出されるとは、レミリアは予想だにしていなかったから、当然といえば当然だったが。



「日中に日傘さしてお散歩してる吸血鬼で、「うッ!?」しかも血を吸うのが下手でよく服を汚す。「グフゥッ!」
 うー☆と鳴いて可愛くブレイクする吸血鬼がいるんだから、「ガハァッ!」そんなアサシンがいたって別にいいじゃない。
 ・・・・・・お嬢様?どうしたんですか?何故床に倒れてるんですか?」

「うー・・・何でもないわよ・・・別に・・・」



たまにこの従者は悪意無く自身の主ををけなす事がある。

抜けてるところでこの従者は抜けているのだ。

だがそれを聞いて美鈴とパチュリーもなんだか納得した顔になる。



「・・・・・・そうですね、お嬢様みたいな吸血鬼がいるんなら」

「別にアサシンが宴会したり旅行したりしたっていいわよね」

「美鈴ッ!?パチェッ!?ちょっと酷くないッ!?」



部下と親友の追い討ちに、小さい吸血鬼はわめいて抗議する。



「でも実際そうじゃないの。レミィは普通の吸血鬼のイメージからはだいぶかけ離れてるのは間違い無いでしょ?」

「でもでも他に言い方ってものがあるでしょうッ!?」

「まあまあお嬢様、いいじゃないですか。
 まあ確かに先代の当主は吸血鬼のイメージそのままの人でしたが・・・先々代の当主様は違ったじゃないですか」

「・・・・・・ああ、確かにそうね」



レミリアはそう言って昔を思い出す。

父は確かに吸血鬼のイメージそのものと言ってもいい程に吸血鬼をしていた。

夜の支配者にして闇の王という言葉がピッタリの人物だった。

だが先々代は、祖父は違った。

駄目な人だったとかそういう訳ではない。

むしろ偉大さなら父を遥かに上回っていた。

だが・・・吸血鬼のイメージとはかけ離れていたのは間違い無い。

日光浴が大好きで、よくテラスで日向ぼっこをしていた祖父。

油で揚げたニンニクがなによりの大好物だった祖父。

好きなアクセサリーが銀の十字架のネックレスだった祖父。

真夏の海を気持ち良さそうに、まさに水を得た魚のように泳いでいた祖父。

そして自分とフランにはとことん甘かった祖父。



「・・・・・・・・・今改めて考えれば、凄い人だったわ」

「本当に凄かったですからねぇ・・・当主様は。先代はその事で随分と苦労したみたいですが」

「そりゃあねぇ。当主の座をお父様に譲ってからは、随分と好きな事をしてたみたいだから。
 それでよく胃を痛めて・・・・・・あ、そういえば、美鈴を雇ったのも」

「はい、当主様でした。いやぁ本当に楽しい御方でしたよ。・・・懐かしいですねぇ。
 お嬢様と妹様が生まれた時なんか凄く喜んで「はいはい美鈴、それはもう何度も聞いたわ」
 ・・・・・・そ、そうですか。あははは、すみませんお嬢様」



昔の話を何度もしていしまうのは年長者の悪い癖だと、美鈴はそう思い苦笑するしかなかった。



「まあ、そんな吸血鬼がいるんだから、そんなアサシンがいてもいいわよね」



そんな風に話をパチュリーは纏めるが、咲夜はその話が気になる。

一体どんな人物だったのかと。



「・・・・・・その話はまあ、凄く気にはなるんですが・・・話を進めますよ?」

「あ、すみません脱線しちゃって・・・・・・あれ?咲夜さん、ちょっといいですか?」

「何よ美鈴?」

「さっき兄弟達って言ってましたよね?それって一体?」



兄弟。

あの時、咲夜は確かにその言葉を言った。

それは一体どういう事なのか、美鈴は気になったのだ。



「ああ、それは教団の団員達の事よ。私達は普段からそう言っていたわ」

「それはどうしてかしら咲夜?」

「・・・・・・確か、昔からの習慣みたいなものとかなんとか言ってましたね」

「習慣ねぇ・・・そういえば、あいつの名前ってなんなの?
 今までずっとアサシンとか言ってたけど、肝心の名前を知らなかったわ」

「・・・・・・我が師の名前ですか?あれ?・・・ちょっと待ってください、えーっと」



咲夜は頭を捻って考え出した。

それを見たレミリアは嫌な予感が頭をよぎる。



「・・・・・・まさか知らないの?自分の師匠の名前?」

「・・・・・・恥ずかしながら、私自身初めてそれに気が付きました」



どうやらレミリアの嫌な予感は当たりだったようである。



「えー・・・どういう事よそれ?」

「いえその、ずっと我が師とお呼びしていたので、分からないんです。他の兄弟達も長とかシャイフとか呼んでまして。
 仕事に使う様々な偽名はありましたが、実際の名前はたぶん、誰も知らなかったと思います」

「暗殺者だから教えなかったとか?でも身内にまで秘密にするような事かしら?」

「さぁ?私もよく分かりません」

「・・・それで?あいつの能力って一体なんなの?」



レミリアのその言葉を聞いた時、緩んでいた咲夜の顔が引き締まる



「師の・・・能力ですか?」

「そうよ。私の能力が効かなかったのは、あいつの能力が原因でしょうしね。話してくれるかしら、咲夜?」

「・・・・・・・・・分かりました、お話しましょう。我が師の能力を」



咲夜は意を決して、自らの師の能力を皆に話した。




















「我が師の能力。それは――――――抗う程度の能力です」





































まず一つ先に言わせてもらうと、今回の話は長くなったから半分に切りました。

だから途中で切って、なんか半端になってしまいました。

さて今回でアサシンの能力が判明しました。

抗う程度の能力があのアサシンの能力です。

なんかこれって熱血主人公だったら誰でも持ってそうだなぁと今更ながら思う私。

更に詳しい内容は次回咲夜さんが語ってくれます。

あ、ちなみに件の外部の人間はGで13でデュークな東郷さんです。

それでは!



[24323] 第九話 運命に抗う者
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/12/02 23:09






「抗う程度の・・・能力ですって?」



咲夜の言葉を聞いたレミリアは、自らの従者の言葉を再度自らの口で呟く。



「はい、それが我が師の能力です。師はその抗う程度の能力で自らに関係する様々なものに抗います。
 自らに掛かる重力に抗い空を飛び、そして自身に襲い掛かる相手の能力に抗い、その能力を無効化するのです。つまり」

「私の能力も、それで逃れたという訳ね」

「はい、その通りです」

「それじゃあ私が気を流した時に感じたあの抵抗感も」

「十中八九、気に抗った結果でしょうね。師はその能力を様々な事に応用して、対魔力や暗示、薬への抵抗が高いの。
 恐ろしい程にね。相手に作用する能力は、まず効かないと考えていいわ」

「薬への抵抗?あ、だから大麻が苦手とか?」

「ええそう。自身を害するものには抗うのよ、意識せずともね」

「対魔力か・・・・・・だったら、私は今回の戦闘ではあまり向かないかしら?」



パチュリーの言葉に、咲夜は首を傾げる。



「それは・・・・・・どうでしょうか?確かに魔法等への抵抗力は強いですが、純粋な攻撃力までは無効化は難しいと思います。
 攻撃魔法に関しては回避をしていたところを見たことがあるので、全く効かないという訳ではないでしょう。
 ただ、本来の効果は出ないのしょうが」

「そうでしょうね。私の一撃・・・あれから考えるに、本来の力の十分の一しか通らないと考えていいでしょう」



あの一撃は、分厚い鋼くらいなら軽く穴が開くくらいの威力はあった。

だがそうならなかった事を考えると、威力は大幅に減ったのだろう。



「それでも体の造りは人間と変わらないわ。首の骨を折られれば死んでしまうのは同じ。
 ただし当てられればの話よ。あの時は美鈴の奇襲で上手くいったけど、次はああはならないわ」

「でしょうね。そう上手くいかないのは私も分かってますよ」

「私はバックアップに回った方がいいようね。あ、結界とかには反応するのよね?」



パチュリーの問いに咲夜はしかと頷く。



「はい、正しくは無効化ではなく抵抗ですから、そこは問題無いかと。ですが一つ注意を。
 我が師は自身の能力を対能力者用として鍛えてきました。その為、能力を持った様々な存在達との戦いも慣れています。
 そして我が師の力はもちろん、抗う程度の能力だけではありません。
 むしろ能力はおまけで、アサシンとしての業と知恵を主体として使うと考えてください。
 あの時の美鈴のように正面から戦う事が出来れば、勝機は十分あります。
 ですがそうでない場合、つまり戦闘の前に狙われ襲われた場合ですが・・・まず、生き残る事は不可能です。
 その場合、事は一瞬で終わります、誰かの死という結果を残して。下手をすれば死んだ事にも気付かないかもしれません。
 だからそうならない為に、不意打ちだけは絶対に注意してください。でなければ――――――確実に死にます」



元アサシンの言葉からか、それとも師の力を熟知しているからか。

そのどちらであれ咲夜の言葉には、あのアサシンがどれだけの脅威かを十分過ぎるほど理解させるだけの力があった。



「・・・・・・分かりました。それは十二分に気を付けておきます。ちなみにあのアサシンの戦闘方法は?」

「まず戦闘はしないわ。奇襲、不意打ち、騙まし討ちがアサシンの手段だから。
 でも戦闘する場合・・・能力以外は、私と同じナイフの投擲に剣術。
 そして暗器の類を使用するわ。暗器の方は、私にもよく分からないわ。任務に応じて、その都度装備を変えるから」

「分かりました。そこら辺は私がなんとかしましょう。
 一応アサシンとはかつて何度か戦った事はありますから、ある程度なら対応出来ます」

「お願いするわ、美鈴」

「はい」

「襲われる前にこちらが見つける・・・万が一の為に結界の強化をしておいた方が良さそうね」

「はい、その為今回はパチュリー様に負担を強いると思います」

「ま、いいわ。私は私のすべき事をするだけよ」

「大まかな説明は、これで以上ですお嬢様。・・・・・・お嬢様、どうかしましたか?」



レミリアはすぐに咲夜の言葉には反応しなかった

咲夜が師の能力を教えたいた間、レミリアはずっと何かを考えている素振りを見せていた。

その何かずっと考えていて、腕を組んで黙っていた。

だが咲夜の言葉を聞いて、レミリアは逆に咲夜に質問をする。



「咲夜、一つ聞くわ。無効化ではなく抗うのよね?」

「え、ええそうですが」

「つまり私の能力が全く効いてない訳ではないのよね?」

「はい、そうですが・・・それが?」

「ではどうしてほとんど効果が無かったか分かるかしら?」

「それは・・・・・・」



咲夜はその質問を聞いた途端に口を閉ざす。

気まずそうにするその表情は、レミリアの問いの答えを知っているように見えた。



「・・・・・・言い難い事かしら?構わないわ、言いなさい咲夜」



咲夜は若干迷いながらも、レミリアの問いに答える事にした。



「・・・・・・単純な事です。我が師の精神力が、お嬢様の精神力よりも上だった・・・それだけです」

「精神力・・・ですって?」

「かつて私は、私の能力が我が師に効かない事を、今のお嬢様と同じ質問を我が師に尋ねました。
 その時に、我が師は答えたんです。ただ精神力が、心の強さが私の方が強かったから効かないのだと、そう仰ったのです」



咲夜はレミリア達に語った。

かつて師が教えてくれた、能力についての考察を。

それは以下のようなものだった。

仮に、全てを貫く程度の能力と、全てを防ぐ程度の能力というものがあるとする。

その場合、その能力がぶつかった時どうなるか?

貫くのか、それとも防ぐのか?

師の答えは能力の使用者自身の力量次第との事だった。

師は能力は道具として考えていた。

ならば使い手次第で結果など千変万化する、というのが師の結論だった。

そして能力は精神力、すなわち心の部分が大きく関わっているとも考えていた。

もし咲夜の心の方が強かった場合、師の時は完全に止められると、咲夜は教わったのだ。

レミリアは咲夜のその説明を興味深そうに聞いていた。

カリカリと軽く自身の親指の爪を噛んで黙って聞いていたレミリアは、説明が終わるとまた咲夜に尋ねた。



「それはつまり・・・私の心よりあいつの心の方が強いと・・・そういう事?」

「・・・・・・お嬢様の方が強かった場合、通常通りの効果が出たはずです。ですから・・・」

「・・・・・・それ以上はもういいわ。ありがとう咲夜」

「・・・・・・はい」



レミリアはまた腕を組んで黙る。

憂いを帯びた表情で、軽く溜め息を吐きそして――――――



「・・・・・・ふふ」



――――――笑った。



「・・・お嬢様?」

「面白いじゃないの・・・この私の心よりもあいつの、あのアサシンの心の方が強いと?
 ふふふ・・・なるほど・・・なるほど・・・ねぇ」



そう語るレミリアの表情は、とても楽しそうなものだった。

まるで新しい玩具を与えられた子供のような、ワクワクしている笑顔。

そう、笑っていた。

とても、とても楽しそうに、レミリア・スカーレットは笑っていた。



「つまりあいつは、運命に抗ったという事ね。私の能力で定めた運命を、あいつは抗い逃れた・・・そういう事ね、咲夜?」

「は、はい」

「運命に抗う・・・物語でよく使われる言葉。でもまさかそれが文字通りに再現されたなんて・・・素敵じゃない?」



運命に抗う。

レミリアが咲夜からアサシンの能力を聞いた時から、レミリアの頭にはずっとその言葉が浮かんでいた。

運命に抗う、運命に抗う、運命に抗う。

その言葉がずっと、ずっと頭の中にあった。

噛み締めていたのだ、その言葉を頭の中でずっとずっと、ずっと。



「そう、ずっと噛み締めていたわ。その言葉を何度も何度もね。・・・・・・とても、甘美なものだったわ。
 貪っていたと言ってもいいわ。その言葉に酔い痴れていたわ。だって本当に素敵なんだもの。
 私の定めた運命に逆らえる存在がいるだなんて、なんて・・・素晴しいのかしら。
 まるでそう・・・咲夜、貴方と出会った時のようだわ。まさかまたこんな気分を味わえるだなんてね」



いけないいけないと思いつつも、レミリアはその言葉に酔い痴れていた、堪能していた。

運命に抗う、自分に抗う、レミリア・スカーレットに抗う。

運命に抗う者。

今の自分は、そんな抗う者であるあのアサシンに心を奪われていたと言ってもいい。



「だから残念ね。本当なら私自らの手でちゃんと持て成したいのだけど、そうはいかないわね。
 ねぇ咲夜?あいつの目的は何だと思う?」

「十中八九、お嬢様の御命かと。ですが・・・」

「貴女の命も狙っている。もしかしたら紅魔館の者達の命全て」

「はい、私が当時受けた任務の対象は紅魔館当主であるお嬢様の殺害。そして可能ならば主要人物達の命を多く、出来ればその全てを。
 それが私が受けたものでした。ですから」

「あいつは私の持て成しを正面から受けるような事はしない。そしてこの紅魔館の者を全て始末しようとする・・・そうね?」

「かつての私の場合は、まずお嬢様の命を獲る事を優先しました。そして今回の我が師も、最初はそうでした。
 ですが次からは、我が師は狩れる者から狩ると思います。その場合次は誰が狙われるかは、私にはもう分かりません。
 その状況に応じて対処していくと思います」



これからあのアサシンが何をするかスラスラと答える咲夜にパチュリーは待ったをかける。



「ちょっと待って。なんでそんなにあのアサシンの行動が分かるの?」

「私ならそうするからです。我が師は私にアサシンとしての技術を叩き込んでくれました・・・自らの知る業の全てを。 
 私はその全てを完全完璧に習得したという訳ではありませんが・・・ですからある程度の行動なら把握は出来るんです。
 それに我が師は私を自らの道具として、そして腕として鍛えられました。だから我が師の行動が分かるんです。
 能力を除けば、私に出来ることは我が師は全て実行する事が可能なのです」



咲夜はそう、何処か誇らしげにパチュリーの質問に答えた。

しかしレミリアはそれを聞いてあまりいい顔をしなかった。



「道具・・・か。自分の弟子をそんな風に育てるなんて、やはりあのアサシンも汚い人間の部分はあるということか。
 それを聞いて少しばかり、幻滅したな。誇りも何も無い、汚い仕事をする下種の使いか」



アサシンとは、暗殺者とは汚れ仕事をする存在だ。

だからそういう部分があるのは仕方のない事なのかもしれないが、やはり嫌悪せずにはいられなかった。

そんな事を思ったレミリアはその事を何気なしに呟いたが、咲夜は、彼女はそれに反応した。



「今――――――なんと仰いました?」



怒りの形相で、主であるレミリアを睨み付けて。



「さ、咲夜?どうしたの?」



そんな咲夜の変貌に、レミリアは驚くしかなかった。



「咲夜さんッ!?どうしたんですかッ!?」

「一体、何をッ!?」



それは美鈴とパチュリーの二人も同様だった。

彼女からは軽い殺気すら出ていた。

どうして驚かずにいられよう。

忠誠を誓った主に対して、殺気を帯びた顔で睨み付けるなど、あの十六夜 咲夜にはあってはならないことだ。

だからそのあってはならない事を目にして、三人は驚いてるのだ。

彼女は怒りの形相のままにレミリアに向かい合う。



「我が師への侮辱は許せません。それはたとえお嬢様であっても同じこと。すぐに撤回していただきたい。
 そうでない場合は「咲夜さんッ!?何してるんですかッ!?」・・・・・・美鈴?」



美鈴が咲夜の手首をすぐさま掴んで叫ぶ。

彼女は何事かと美鈴の方を見る。

美鈴が掴んだその自らの手には、自身の銀のナイフが何時の間にか握られていたのだ。



「・・・・・・え?」



何故自分はこんなものを手にしているんだ?

咲夜には訳が分からなかった。

自分が手にしたのはなんとなく理解出来たが、何故手にしたのかまるで分からなかった。



「この手にしたナイフは一体なんですかッ!?すぐに離してくださいッ!?」



その言葉に咲夜はハッと気付いて手にしたナイフを投げ捨てる。

床に落ちたナイフから甲高い音が鳴る。

自分が何をしたのか、咲夜は今更ながらようやく理解した。

自身の主に向けて、刃を向けたという事を理解した。



「も、申し訳ありませんお嬢様ッ!私は、私は「いいから咲夜、落ち着きなさい」・・・は、はい」



狼狽する咲夜を、レミリアはそう言って落ち着かせる。

ソファーに座る咲夜はうな垂れて落ち込む。

そんな咲夜にレミリアは続けて言う。



「まずは・・・ごめんなさい咲夜。貴女の師を侮辱するような事を言ってしまって」

「は、はい」

「でも咲夜、分かっているの?その師は貴女を殺そうとしているのよ?
 それなのにどうしてそんな事を言うの?さっきだってそう。
 自身で自身の事を道具だと言っておきながら、貴女はそれを誇っていた。どうしてそんな事が出来るの?」



レミリアの問いに、咲夜は答えるべきかどうか悩んだが、話すことにした。

自分と我が師との過去をそして、自分の、自分が中にある我が師への想いを。



「・・・我が師は、あの御方は、私にとっての初めての家族と呼べる人でした。
 私は、我が師と会う前は犬畜生同然の生活をしていました。
 実の父の顔も、母の顔も私は知りません。・・・・・・どうしてか、私も分かりません。
 ただ気が付けばそこにいて、生きていただけでした。
 自身の能力を使って、その日その日の食べる物を盗んで、生活をしていました。
 ですが力は、今と比べれば脆弱なもの。時を止められるのも、ほんの一瞬を止められるくらいしか出来ませんでした」



そう語る咲夜の顔には辛いものが浮かんでいた。

咲夜の過去は、此処にいる三人は初めて聞かされた。

今の彼女とは比べられないくらいに酷い生活をしていたようだ。



「そんなある日、私は我が師と出会いました。私はその時、何時も通りに能力を使用してスリを働こうとしました。
 ですが私の能力は、我が師の能力に破られて、気が付けば私は自身の腕を握られていました。
 その時私は恐がりましたね。そんな事は初めてでしたから」



何をされるかという恐怖が頭の中いっぱいに広がった。

今思えば、あれが初めて経験した恐怖だったようにも思える。



「ですが我が師は、私をしばらく見た後に言ったんです。「家族はいるのか?」と。
 私は首を振っていないと答えました。その後我が師は言ってくれたんです。
 怯えて恐がる私に、「なら着いてくるか?飯くらいは出そう」そう言ってくれたんです。
 訳が分かりませんでしたが、私はそれにただ頷いて、着いていきました」



そう、今でもはっきりと思い出せる。

我が師に着いていって、ご飯を食べさせてもらった。

暖かいシチューだった。

その美味しさに、暖かさに、涙を流しながら食べた。

人らしい食事なんてものは、それまで食べたことが無かったのだ。

風呂に入って、体を洗い清めてサッパリして、新しい新品の衣類を着た。

簡素な造りの服だったが、彼女には輝いて見えた。

案内された部屋で初めてベッドで寝た。

その日暮らしの宿無しだった彼女は、碌な所で眠った事が無かった。

だから初めは馴れなくて眠れなかったが、今までの貯まった疲れの御蔭でなんとか眠れた。

でも、不安だった。

目を覚ませば何時も通りの光景で、これはただの夢ではないのかと思うと恐かったのだ。

でも、夢ではなかった。

目が覚めて、我が師にまた会った時は夢じゃないと涙を流して喜んだ。

そんな自分に、我が師は少し慌てていたように思えた。



「今では私は思うんです。あの日あの時、我が師と出会った瞬間に、私はやっと人として生まれたように思うんです。
 誰かに優しくしてもらったのは・・・・・・初めてだったから。
 もし我が師と出会わなければ私は、それまで通りに生活をして、それでも無理になったら・・・体を売って、
 それでその日その日を暮らしていたかもしれません。ただ生きているだけの、そんな存在に」



だから彼女は感謝しているのだ。

人間らしい生活を教えてくれた、我が師に。



「出会って少しして、師は私に話してくれました。自分が一体どういう人間なのか、どんな仕事をしているかを。
 そして言ったんです。「私の弟子となるか、それとも幸せな人生を送るか」と。
 それは弟子となりアサシンとなるか、人として当たり前の人生を生きてみるかという選択でした。
 我が師は、アサシンになる場合は最悪惨めに死ぬ可能性があると言って、後者を進めました。
 お前は人としての幸福を味わうべきだ。だから後者を選んだ方がいいと仰いました。
 でも私には分かったんです。この人は私に、本当は前者を選んでほしいんだなって。
 そして私は選んだんです。――――――弟子になり、アサシンになる事を」

「それは・・・どうしてなの?」

「あの人が自分を必要としてくれるのが・・・嬉しかったんですよ。
 自分が誰かの為になれるんだって、この人の為になれるんだって思えて、嬉しかったから」



そう語る咲夜の顔は、本当に幸せそうだった。

それがとても大事な思い出なのだというのが、みんなにはよく分かった。



「教団の団員となって修行を始めてからは、きつくはありましたが、充実していました。
 教団のみんなも私の事を大事にしてくれて、家族として扱ってくれました。
 私にとって教団は、家族も同義でした。暖かく自分を向かえてくれる、自分の帰るべき場所。
 我が師が、我が兄弟達が待っていてくれる私の家。
 それが私の、その時の私の全てでした。その時の私は、本当に幸せでした」



彼女にとって自らの師はただの師匠というだけではない。

自分を人として扱ってくれた初めての人。

自分に人の心を教えてくれた人。

自分に家族というものを与えてくれた人。

そして一人の人間としての誇りを持たせてくれた、我が師。

自分にとって、本当に大事な人。

それが彼女の、十六夜 咲夜の我が師への思いだった。



「だからそれを侮辱されたのが許せなかった・・・という訳ね」



大事な思い出を悪く言われれば、大事な人を悪く言われれば怒るのは当然。

だから咲夜は、彼女は怒ったのだ。

しかしだからといって主に刃を向けていいはずがない。

咲夜はレミリアに頭を下げて謝罪する。



「・・・・・・本当に、申し訳ありませんでした」

「いいのよ咲夜。それより考え無しに言った私の方を許してちょうだい。
 私は、貴女の大事なものを侮辱してしまった・・・・・・ごめんなさい」



そう言って今度は逆にレミリアは頭を下げるが、咲夜はそれを見て慌てる。



「頭を上げてくださいお嬢様ッ!もう・・・いいですから」

「ありがとう・・・咲夜」



そこまで聞いて、今まで黙っていた美鈴が口を開く。



「・・・・・・咲夜さん。貴女は今回は戦わないでください」



咲夜はそれを聞いて驚き、美鈴に詰め寄る。



「美鈴ッ!?それはどういう事ッ!?どうして私が戦っては「では戦えるんですか?貴女は、貴女の師匠と?」・・・それは」



美鈴にそう言い返されて、咲夜は何も言えなくなる。



「咲夜さん。貴女の師匠は貴女の家族も同然。その家族に刃を向けられますか?
 はっきり言いましょう。それは無理です。貴女が幸せそうに話しているのを聞いて、私は確信しました。
 貴女は、あの人と戦う事は出来ないと」

「・・・・・・それは」



それを言われて、咲夜は反論出来なかった。

戦えるのかと問われれば、戦えないと答えるしか出来なかった。



「でもね、咲夜さん。私はね、それでいいと思うんです」

「・・・・・・どうして?」

「最悪の場合、いえ、十中八九そうなるでしょうが・・・私達は貴女の師を殺さねばなりません」

「ッ!・・・・・・そう、でしょうね」



美鈴のその言葉に、咲夜はただ息を呑むしかなかった。

その言葉を聞くのは覚悟していただが、いざ言われればやはり動揺せずにはいられない。

美鈴は話を続ける。



「私は、咲夜さんに師匠殺しの、親殺しの罪なんて着せたくないんです。もしするとしたら・・・私のこの手でしましょう。
 その時は咲夜さん、私の事を一生怨んでくれても構いません。でも、私はやると決めたらやります。
 家族を、お嬢様を、みんなを、そしてなにより貴女を守る為に」

「・・・・・・・・・そう」



それは、仕方の無いことだった。

それぐらい、咲夜はよく分かっている。

美鈴が自分の事を大事に想っているのもその言葉からはっきりと感じられる。

だがそれでも、美鈴のその言葉は咲夜にとって辛いものだった。

両者が戦えば、誰かが死ぬのは明らかだ。

どちらかが死に、そしてどちらかが生き残るしかない。

分かってはいるだが、それでも認めたくないのだ。

自分の大事な人同士が争い、死ぬということが。

しかし美鈴は続けて言う。



「でも・・・それでも聞かせてください。咲夜さん、貴女はどうしてほしいですか?」



咲夜に、そんな優しい言葉を。



「・・・どうして、ほしいかですって?」



その言葉に咲夜は戸惑うしかなかった。

どちらかしか選べないのに、それでもこの門番は自分に尋ねたのだ。

自分に、どうしてほしいのかと。

美鈴は咲夜の言葉を聞いて力強く頷く。



「そうです。どうしてほしいか言ってください。貴女が言うなら私はその願いを叶えてみせます。
 絶対とは言えませんが、私の全力をもって挑ませてもらいます。
 だから言ってください咲夜さん。貴女が望む結末を」

「あら?面白そうね美鈴。私、そういうのは嫌いじゃないわよ」

「全く面倒な事を・・・・・・でも、挑む価値はあるでしょうね」

「いいの・・・ですか?私が、私が望む、私の勝手な想いを、叶えて、くれるんですか?」



咲夜は震える声で三人に尋ねる。

涙がポロポロと零れ落ち、頬を伝う。

そんな彼女に、三人は揃って答えた。



「「「――――――もちろん」」」



その言葉を聞いて、咲夜は叫ぶ。

涙を溢れさせただ――――――自分の願いを。



「私は・・・私は、みんなに生きていてもらいたいッ!
 お嬢様にも、美鈴にも、パチュリー様にも、妹様にも、小悪魔にも、そして・・・我が師にも生きていてもらいたいッ!
 ただの我が侭だって分かってる。でも、でも私は私が望むのは、ただそれだけ・・・それだけなの
 だからお願い・・・お願い・・・します・・・我が師を・・・あの人を・・・殺さないで・・・」



自身が望む願いを力の限り、ただぶちまけた。

涙を流して叫んだ、泣いた、話した。

それが咲夜の正直な想いだった。

自分勝手な都合の良過ぎる願いだとは分かっている。

それでもそれが、彼女の、十六夜 咲夜の、心の底から望む願いだった。

そしてそんな従者の願いを聞いた三人は、お互いの顔を見る。



「・・・・・・御二方、聞きましたか?」

「ええ聞いたわ。この耳でしかと」

「大変でしょうけど、まあやってみましょうか」

「・・・いいの、ですか?私のこの願いを、聞き入れてくれると?」



従者の問いに、主は笑って答える。



「貴女の数少ない願いだもの。もちろん聞いてあげるわよ。そして叶えてみせるわ。
 それに難しい難問を制覇するのは面白いでしょう?なら、やってみせるわよ」

「そうそう、大丈夫ですよ咲夜さん。ほら、私結構強いですから。それに今回私なんだか活躍出来そうですからね。頑張りますよ」

「私もどこまで出来るか分からないけど・・・本気でやらせてもらうわ」

「みんな・・・みんな、ありがとう、ありがとうございます」



三人の力強い言葉を聞き、涙を流し咲夜は心から礼を言う。

そして考える、想う。

もしかしたら、自分の願いは叶うのではないかと。

自分の望んだ都合の良い未来が、世界が、願いが、叶うのではないかと。

そうして泣き続ける咲夜に、レミリアはしょうがないといった感じで笑いかける。



「ほらほら、そんなんじゃ私の瀟洒な従者は失格よ?
 さあ咲夜、貴女はもう休みなさいな。まだ疲れがとれていないでしょうからね。ぐっすり寝てしゃっきりしなさいな」

「分かりました。・・・・・・それでは、お先に失礼します」



そうして咲夜は皆に一礼をした後に、自身の部屋へと戻っていった。

そして咲夜が部屋から出て行った後、三人は難しい顔を浮かべる。



「・・・・・・それで?ああは言ったけど、出来ると思う美鈴、パチェ?」

「相手が相手ですから、難しいですね。まず生きて捕らえるのが困難です。
 捕らえたとしても、どうやって説得するかが問題です」

「それはまず後で考えればいいわ。今は捕らえる事を考えましょう。この紅魔館であのアサシンと戦える面子となると」

「私か美鈴かパチェか」

「そして妹様・・・ですかね。でも妹様の場合はどう考えても生け捕りは無理でしょう」

「あいつはまともな戦い方はしないでしょう。だから美鈴、貴女だけがあのアサシンとまともに戦えると私は考えるわ。
 私やパチェでは正面から戦っても何をされるか分からない」



かつてレミリアもアサシンとは一度戦った事はあるにはある。

その相手とはもちろん今の従者である十六夜 咲夜。

だが相手はあの咲夜の師。

戦った感触としては、やはりあのアサシンの方が手強いと思う。

咲夜より強く、そしてなによりえげつない戦い方をするだろう。

彼女の願いを叶えるとは言ったが、それは奇跡でも起こらなければ叶わないような願いだった。



(いいじゃない、やってやるわ。私が、私達が、その奇跡のような願いを叶えてやろうじゃないのッ!)



そう考えたレミリア・スカーレットは、紅 美鈴に命を下す。



「美鈴、今回は貴女が今回の戦闘の鍵よ。あいつの相手は貴女がしなさいな
 本当だったら私が相手をしたいところだけれど、私では生け捕りなんて事は出来ないからね。
 だから・・・頼んだわよ、紅 美鈴」

「ハッ!我が名にそして、我が命に懸けて」



華人小娘は自らの主の命を、そう答えて拝借した。























「さあ、我が従者の願いを叶えるわよ。そう――――――運命に抗ってでも、ね」




















咲夜は自室に戻ると、さっそく自身の寝巻きに着替えてベッドに倒れた。

少し休めたといっても、そう簡単に心労が無くなる訳でもない。

だが三人のあの言葉の御蔭でいくらか気が楽になった。

その為ベッドで横になった途端に、また眠気が襲い掛かる。

うつらうつらと意識が揺れて、咲夜は眠りについた。

深く、深く眠って、そして夢を見る。





















――――――それはとても深く、そして幸せな夢を見ているようだった。





































・・・・・・な、長くなった。

なんか書いてたら、此処まで長くなっていた。

咲夜さんの願いが叶うかどうかは・・・・・・分かりません。

それだけ難しい願いだという事です。

さて・・・・・・アニムスの準備でもしますかね。

それでは!



[24323] 第十話 始まりの朝
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/12/06 19:08




十六夜 咲夜は深く眠る。

深く、深く、とても深い夢を見る。

夢の中へと落ちていく。

深く、深く、深く。

彼女は落ちて、辿り着く。

夢の底へ。

そこは――――――彼女の夢の始まりだった。



「貴様――――――何をした?」

「家族はいるのか?」

「さあ、まずは食べるがいい。腹も減ったろう」

「服を持って来た。・・・・・・合うかどうかは分からんが」

「今日は此処で眠るがいい。しっかり休むがいい」

「一体どうした?何故泣く?・・・・・・おい、誰かいないか?」

「お前に言わなければいけない事がある。私は――――――」

「選ぶんだ。私の弟子となるか、それとも幸せな人生を送るか。そのどちらかを」

「そうか・・・・・・感謝する」

「さっそく紹介しよう。お前の兄弟達をな」

「筋はいい、飲み込みも悪くない。だが――――――まだまだだな」



この声は知っている。

我が師の声だ。

とても静かで、穏やかで、強くて。

まるで大樹の枝のざわめきのような、そんな落ち着きのある声だった。

そして、彼女の大好きな言葉が囁かれた。



















「――――――よくやった。さすがは我が弟子だ」




















「・・・・・・きな・・・起きな・・・起きな・・・」



・・・・・・もう少しだけ、後ちょっとだけ聞かせて。



「・・・起きないか・・・もう・・・早く・・・」



もう少し、もう少しだけ寝かせて。

具体的には五分から一時間程。



「だからッ!起きなさいって言ってるでしょッ!」



その声と共に、彼女を包み込んでいた掛け布団が剥ぎ取られた。



「ふ、ふわぁッ!?」



その瞬間に容赦無く彼女に外の外気が襲い掛かる。

別に寒くはないが、それでも彼女がそんな可愛らしい声を上げて起きるには十分だった。

天井のライトの明かりが彼女の目の中に飛び込む。

ライトの光の刺激を受けた後、彼女は寝ぼけ眼を軽く擦りながら自分を叩き起こした人物を見やる。



「ほらちっこいの、目が覚めたかい?だったらすぐ顔を洗って着替えて支度しな。
 もうすぐ朝飯の時間だよ。遅れたくないだろ?ないよな?よしだったらすぐ行動しな。
 ぐずぐずしてたら・・・・・・って、挨拶はどうした?挨拶は?」



何やら女性が目の前で何か言っている。

自分は今眠い、とても眠い。

そんな自分にどんな挨拶をしろというのだ?

今自分は眠いから、そんな感じの挨拶をしろということだろうか?

なるほど、だったら言わなければ。



「・・・・・・・・・おやすみなさい」



そう言って彼女はベッドにペタンと倒れる。

さて、またぐっすりと寝ようと目を閉じる。

ちょっと二時間ほど眠ろう。



「そうかい。ちゃんと寝て起きるんだよー・・・とでも言うと思ったかいッ!?いい加減起きなこの寝坊娘ッ!」



しかしそれは叶わぬ望みだった。

頭を手で摑まれ、思い切りシェイクされて、眠気が吹き飛んでしまった。

残念な事に、彼女の願いは達せられなかったという訳だ。

彼女は乱暴に起こした人物を涙目になりながら見やり、朝の挨拶をする。



「うう~・・・・・・おはよう、テレサ姉さん」

「起きてすぐそのセリフを言いなさいこのチビ。さあさあ準備しな準備」



テレサと呼ばれた少女はそう彼女に告げるとすぐさま着替えを投げやる。

それをキャッチした彼女はモゾモゾと服を脱ぐ。

そして与えられた服をこれまたモゾモゾとしながら着ていく。

着替え終わった彼女に向かってテレサは近付いて来る。



「ほら、櫛を通すからジッとしてな」

「はーい」



テレサは彼女の銀の髪に櫛を通して乱れた髪を整えていく。

整えられた銀の髪は光に照らされて輝き、その美しさを増す。

そしてそれを一通り終えたテレサは、彼女の髪をそっと指で撫で溜め息を吐く。



「此処に来た時はボロボロだったのに、今じゃこんなに綺麗になって。
 全く羨ましいよ、あんたのその髪。私のは地味な茶髪だからね・・・・・・はぁ」



彼女の髪に見惚れながらも軽く落胆するテレサ。

テレサは彼女の髪が好きだった。

絹のように柔らで、そして滑らかでいて、本物の銀で出来ていると言われても不思議と思わないこの輝き。

そんな髪を櫛でとかすのは、テレサが彼女に会ってからの楽しみの一つだった。

この小さい少女が教団に来てから、大体一年程が過ぎた。

いきなり長がこの子を連れて来た時は皆少し驚きはしたが、慌てることは無かった。

子供が連れて来られるのは珍しくはあったが、前例が無かった訳ではない。

かくいう自分もその一人だった。

自分は娼館に安く売られて、慰み者になろうとしていたところを助けてもらった口だ。

汚らしい男に穢され、犯されそうになったその時に、目の前でその男が口から血を吹いて亡くなった。

そして変わりに目の前にいたのは、一人の若いアサシンだった。

その人が自分を此処に連れてきてくれたのだ。

そういう事はたまにあるらしく、教団にはそういう者も少なくなかった。



「どうしたのテレサ姉さん?」

「あ、ああ・・・なんでもないよ。あんたの髪に見惚れてただけだよ」



少し物思いにふけってしまったらしい。

ボーっとする自分を気遣う彼女に、テレサはなんでもないと返事をする。

そんなテレサに向かい、彼女は思った事をそのまま言う。



「テレサ姉さんだって綺麗だよ?優しいし・・・それに」



彼女はテレサに抱き付き、顔をテレサの胸に埋めて深呼吸する。

これには少しテレサも慌てる。



「お、おい?何してるんだ?」

「・・・うん、良い匂い。私テレサ姉さんの匂い好きだよ。ホッとするから」



彼女は少し言葉は乱暴かもしれないが、優しい女性であった。

それに容姿だって自分なんかよりも比べ物にならないくらいに綺麗だ。

修行で鍛えられて引き締まっているが、女性特有の柔らかさは失われていない。

しなやかなでいて、そして力強い彼女の体は、例えるなら弓のような感じだった。

彼女に抱き締められると、自分はとても落ち着く。

彼女にとってテレサは姉でもあり、そして母でもあった。

だからだろうか。

彼女はテレサから覚えていない母親の匂いを感じたのは。

だから彼女は、そんなテレサが大好きだった。

・・・・・・師の次にではあるが。

テレサは彼女が教団に来てからはずっと彼女の世話係りをしている、教団のアサシンの一人だった。

初めは我が師と一緒がいいと駄々をこねたがそうはいかなかった。

我が師はこの教団の長を務めている。

優秀な部下が大勢いる為に多忙という訳ではなかったが、それでも長の仕事というものがある。

その為ずっと一緒にいる訳にはいかなかったのだ。

と、彼女は説明を受けて納得した。

本当は、「年頃の娘と一緒にいた方がこの者にもいいだろう」という長の意見があった為だ。

だがこれには一部の教団員達が反論し、「あのテレサと一緒ではガサツになるッ!」という意見もあった。

その教団員達の言うように、テレサは確かに少々粗暴な性格ではあった。

それで問題を起こす事も無くはないが、礼儀が無い訳ではなかった。

それにテレサは長の弟子の一人でもあった為、長からの信頼もあった。

その為にテレサが彼女の世話係りになったという訳だ。

そしてテレサの方も彼女が気に入っていた。

少々抜けているところはあったが、テレサは彼女のそんなところも好きだった。

それにテレサにとって彼女は、自分にとって出来た初めての妹のようなものだった。

その為にテレサは世話を焼きに焼いて彼女を可愛がった。

最近では少し性格が丸くなったのではとも言われ、この結果には長も満更ではない様子で感心していたそうな。

団員達は、「まさかこれも長の計画の内だったのかッ!?」と長の計略?に感心していたそうな。

そして、そんなに可愛がっている妹分に抱き付かれて、先の言葉を言われたテレサは。



「・・・・・・も、もうッ!なに言ってんだいチビッ!そんな事言われたって・・・まあ、嬉しいけどさ」



なんて事を言って思いっきり照れていた。

容姿の事を褒められるのは・・・無い訳ではなかったが、やはり可愛がっている妹分の言葉の方は嬉しいようだ。

テレサはもう少しこの至福の時間を過ごしたかったが、残念ながら朝食の時間が迫っていた。

テレサは内心舌を打って悪態を吐くが、仕方ないと思い彼女にその事を告げる。



「ほらチビ、そろそろ行くよ?」

「はい、テレサ姉さん」



テレサは彼女の腕を引いて一緒に朝食へと向かった。

その姿はまさに姉妹そのものであった。





































食堂に到着した二人は、それぞれ自分達の席に着こうとする。

そんな二人に、近付く者達がいた。



「やあ、おはようッ!今日も清々しい朝だね。これも可愛い妹に会えた御蔭かな?」

「朝から調子に乗るな、全く・・・それで、どうだ?今朝の気分は?」



二人の男が彼女に話しかけてきて、彼女は二人に頭を軽く下げて挨拶をする。



「ジョヴァンニ兄さん、アル兄さん、おはようございます。今朝もテレサ姉さんに起こしてもらいました」



彼女に挨拶をしてきた二人の名はアルとジョヴァンニ。

二人は教団でも屈指の実力を持つアサシンであった。

アルは若くしてマスターアサシンの称号を得た人物であり、彼女が我が師の次に尊敬する人物だ。

厳しくもあるが、師に似た優しさを持った人だ。

そしてジョヴァンニはマスターの称号こそまだ得ていないが、その実力は既にマスタークラスのものに等しい。

教団の中では一番の遊び相手が彼だった。

我が師を除けば、テレサ、アル、ジョヴァンニの三人は、彼女が多く触れ合った兄弟達だった。

そんな兄の一人であるアルは、彼女に苦笑の笑みを浮かべる。



「そうか、何時か自分一人で起きられるようになるといいな」

「・・・はい」


アルの言葉に彼女は恥ずかしそうに顔を下に向ける。

それを見たジョヴァンニはこれはいけないと思い、彼女の顎に触れて軽く上に持ち上げるて言う。



「そんな暗い顔をしないでくれよ。君は笑って方が素敵だからね。
 ふむ・・・なんだったら今度は僕が起こしてあげようかい?
 そして是非とも君の天使のような寝顔を見る栄誉を僕に与えてはくれないか、愛しの妹よ?」

「え?ええっと・・・」



彼女はこのジョヴァンニの言葉にどう返事をすればいいのか対応に困る。

だがそんな悩みは杞憂に終わる。

ジョヴァンニの言葉にアルとテレサが真っ先に反応したからだ。



「師に、いやシャイフに変わって討たれたいか・・・・・・ジョヴァンニ?」

「ああアル。それ私も手伝っていい?物凄くムカついたから。いや、いつもムカつくけどさ」



ジョヴァンニの首筋に、何処からともなく出したナイフを突き付けて。



「い、いやだなぁ二人とも。ちょっとした挨拶みたいなもんじゃないか?ね?だからそんな物騒な物離してくれよ」



これにはジョヴァンニも堪らずに冷や汗を流し苦笑いを浮かべて謝罪する、が。



「「・・・・・・・・・」」



二人は無言で返すだけだった。



「ちょっとッ!無言はやめてくれッ!マジで恐いからッ!ああ、そんな獲物を見るような目で見ないでッ!
 か、可愛い妹よッ!この二人になんとか言ってくれよッ!」



ジョヴァンニはこれにはまた堪らずに彼女に助けを求める。

その姿はあまりに情けないものだった。



「今日の朝食はなんでしょうか?お腹が空きました」



ジョヴァンニに言われた彼女はただ思った事を言っただけだった。

だがこれが功を奏したのか、二人は渋々と刃を納める。



「そうだな。こいつに拘るのは無駄だ。それでテレサ、今日は何だ?」

「あー・・・ごめんアル。私今日当番じゃないから知らないわ。それに今来たばかりだし」

「そうか・・・まあ、すぐに分かるか」



先ほどの事を無かった事にして話を進める二人。

馬鹿の相手をするくらいなら、朝食について話していた方がまだ有意義だと判断したのだ。

ジョヴァンニはそんな二人に呆れつつも、彼女に目線を合わせるようにしてしゃがみ話しかける。



「兄上もテレサも、君には甘いなぁ本当に。そうは思わないか妹よ?」

「優しい兄さんと姉さんは大好きですよ、ジョヴァンニ兄さん。あ、もちろん兄さんも好きですよ?」

「暖かい言葉をありがとう可愛い妹よ。君の優しさは本当に天使だよ。
 それにしても、二人揃ってあの連携の良さ・・・・・・もう夫婦にでもなればどうだい二人とも?」

「な、なに言ってんだいジョヴァンニッ!?夫婦ってなにさ夫婦ってッ!
 そんなのお、お、おかしいってッ!ほ、ほら、アルもなんかいいなよッ!」



ジョヴァンニの発言にテレサは顔を耳まで真っ赤に染まり茹で上がる。

そして慌ててジョヴァンニの発言を否定するテレサだったが、満更でもない様子だった。

しかしアルはそんな様子に全く気付かずに、テレサの発言に同意して頷いてしまう。



「そうだぞジョヴァンニ。テレサには俺よりも良い相手が出来るはず・・・どうしたテレサ?」



アルは急に機嫌を悪くして自分を睨むテレサを不思議そうに見る。

テレサの意見に同意したはずなのに、どうして不機嫌そうなのか彼には分からなかった。



「はぁ・・・・・・別に、なんでもないよ。ほらチビさっさと席に着くよ」

「は、はい」



溜め息を吐いたテレサはそう言って彼女を連れてさっさと席に着いた。

アルはそれを不思議そうに眺めるだけだった。



「・・・・・・どうしたんだ、一体?」

「兄上はもう少し女心を知りなよ。・・・・・・・・・あれだけ分かりやすいのにねぇ」

「何がだ?」



どうにもこの兄上は鈍感過ぎていけないと、ジョヴァンニは内心呆れる。

このマスターアサシンは殺気には敏感なのにどうしてこういう事には鈍いのか。

それが彼の彼たるところなのかもしれないが、もう少しテレサの気持ちを察してもいいだろうにとジョヴァンニは思う。

アルはそんなジョヴァンニの発言に首を傾げるだけだった。



「ほらほら僕等も席に着くよ」

「あ、ああ」



テレサはそれぞれの席に着く二人を、特にアルの方を強く睨みつける。



「・・・・・・・・・馬鹿、鈍感」



そう小さく呟いた悪態はもちろんアルには聞こえなかったが、やはり言わずにはいられなかった。

テレサは――――――アルが好きだった。

テレサを結果的に救った若いアサシン。

それがアルだったのだ。

その人柄に惹かれたのはもちろんだが、やはり自分の窮地を救ってくれたというのが大きい。

テレサにとって、アルはまさしく救世主のような存在だった。

一方的な想いではあるかもしれないが、この想いは本物だった。

だが、どうしてもその想いを伝えるのが出来なかった。

普段は勝気な性格ではあるが、こと恋愛に関してはテレサは奥手であった。

教団はアサシンの業は教えても、プロポーズやらの仕方は教えてはくれないのだから。

いや、女性の団員ももちろんいたし一応そういう事を教えてもくれたが、実行するのは無理だった。

実行する為の度胸が無かったのだ。

しかしそれは全て彼女の所為という訳でもない。

教えられた方法が不味かったのだ。



(出来る訳ないよ・・・く、薬とか使って・・・こっちからお、押し倒して・・・き、き、既成事実作るなんて)



恋愛に関しては彼女は素人だ。

だがそれでも分かる。

明らかに人選を間違えたと。

大体自分はまだやっと十五になったばかりなのだ。

出来る訳が無いではないか。

・・・・・・宗教的には一応問題は無いらしいが。

確かに、自分は素直になれないところはあるだろう。

しかし相手も相手だ。

先のやり取りを思い出す。

ああもすぐに、それもあっさりと言わなくてもいいではないか。

少し慌てたっていいだろうし、ちょっとくらい・・・見せてもいいはずだ、好意を。

それなのにあんなに淡々と返事をして、少し傷付いた。

アルに女として見られてないのだろうか?

そんな事を考える傷心気味のテレサに、彼女は声を掛ける。



「どうしたのテレサ姉さん?」

「・・・なんでもないよチビ」



テレサはそう言うが、落ち込んでるのは彼女にも分かる。

大好きな姉が落ち込むと自分も少し悲しくなる。

彼女は何か言うべきだと思い考え、先のジョヴァンニの言葉を思い出す。



「・・・・・・私はね」

「うん?」

「二人が一緒になったら素敵だと思うよ?」

「・・・・・・え?」



彼女の言葉にテレサは、目を見開いてキョトンとする。

彼女はジョヴァンニのあの言葉を聞いて素直に思い付いた事を言っただけだった。

二人が夫婦になったら素敵だと、そう思ったのだ。

彼女はテレサもアルも好きだったから、そうなったら素敵だなと子供心にそんな事を考えて言っただけだった。

だがテレサはそれを聞いて、目を細めて微笑んで彼女の頭を撫でる。



「・・・・・・・・・ありがと」

「うん♪」



彼女はテレサの手の暖かさを嬉しそうに感じる。

そんな彼女を見てテレサは思う。

今度はもう少し素直になってあいつに話してみようかと。

そんな事を考えていた時、辺りの空気が静かになり談笑していた皆が黙る。

どうやら長が着いたようだ。

長は自分の席に着くと皆に挨拶をした。



「おはよう」

「「「「「「「「「「おはようございます。長よ」」」」」」」」」」



食堂に集まった者達は揃って挨拶の返事を返す。

彼女もそれに習って隣に座る我が師に挨拶をする。



「おはようございます。我が師よ」

「おはよう我が弟子よ。よく眠れたか?」

「はい」

「そうか」



二人はそう簡単に挨拶を済ませる。

彼女が此処に来てからはこれがいつもの通りの挨拶だった。



「それでは、いただくとしようか」



長の言葉で、皆がそれぞれ目の前の朝食を食べ始めた。

朝食を食べ進める中、彼女は我が師に話しかける。



「我が師よ、今日は一体何をしますか?」

「食べて休んだ後は昨日と同じ訓練だ。午後は私との稽古だ」

「分かりました我が師よ」



彼女は今日のスケジュールを確認すると朝食を食べ始めた。



「あ、すみません長。ちょっといいですか?」

「どうしたテレサ?」

「そこの醤油取ってください。長の目の前の」



テレサに言われた長は、目の前にあった醤油を渡す。



「それ」

「ありがとうございます」

「姉さん、私にもください」

「あいよ。あ、ほっぺにご飯くっ付いてるよ。・・・・・・はい取れた」

「ありがとう姉さん」

「すみません長。僕にもそこの塩取ってくれませんか?」



ジョヴァンニに言われて長は塩の入った容器を渡す。



「それ」

「どうも。やっぱり目玉焼きには塩だな」

「あまり塩分を取るなよジョヴァンニ?あ、シャイフ。私にもマヨネーズ取ってください」



ジョヴァンニに軽く注意するアル。

そのついでに長にマヨネーズをちゃっかり要求する。



「それ」

「ありがとうございます。これが無いとどうにもブロッコリーは味気ないので」



そしてまた食べ進めると、彼女は師の御茶が無くなってるのに気付いて師のコップに御茶を注ぐ。



「我が師よ、御茶です」

「ああ」



軽く返事をする師。

そんな師を見て彼女は満足そう顔になる。



そして時間は過ぎて、皆が朝食を食べ終わった。

軽い食休みを取った後、長は立ち上がり皆に言う。



「それでは皆、勤めを果たせ」

「「「「「「「「「「ハッ!」」」」」」」」」」



そう返事をした教団員達は、皆それぞれの務めを果たしに食堂から出て行く。



「テレサ、ジョヴァンニ、アル、そして我が弟子よ。私達も行くぞ」

「「「「ハッ!」」」」



四人は師の後をついて行く。

教団の朝は、こうして始まった。





































・・・・・・なに?このほのぼのとした朝は?

しかも長、なんか便利に使われてたような・・・・・・あれ?どうしてこうなった?

キーボードを打つ自分の手が・・・恐いッ!

さて、次は訓練に移りましょうか。

しばらくは過去の話が続きますよ。

・・・・・・東方キャラ、出てないな。

それでは!



[24323] 第十一話 アサシンの殺気
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/12/09 21:38






五人は今、町外れの広場に集まっていた。

今日行う訓練は、此処から町を斜めに真っ直ぐ進むというだけだった。

そう、まっすぐ進むのだ。

目の前に障害があれば、それがどんなものであろうと乗り越えてただまっすぐに進む。

言うは易し、行なうは難しの修行であった。

簡単に言えばパルクール、もしくはフリーランニングみたいな修行という訳だった。

そして皆が準備体操をする中、ジョヴァンニが長に質問をしてきた。



「あの、長?前から聞きたかった事があるんですけど」

「なんだジョヴァンニ?」

「これ、町に許可とかは取って・・・・・・」

「・・・・・・?」

「ない・・・ですよね。す、すみません。変な事聞いて」



何処の世界にアサシンの修行の許可する市政があるんだ?

長の視線はそんな言葉を無言で語っているようにジョヴァンニは思った。



「どうしたんだいジョヴァンニ?今更そんな事聞いて」

「いや、噂で聞いたんだよ」

「噂?なんだいジョヴァンニ、その噂ってのは?」

「いや、噂というか都市伝説なんだけどさ・・・ええと。
 町でたまに謎の集団が、建物の屋上や壁が飛んだり登ったりしてるって噂・・・なんだけどね。
 これってさ、どう考えても・・・僕達だよね?」



ジョヴァンニの聞いた噂。

それは時折この町の壁や屋根を縦横無尽に駆け回る謎の集団がいるというものだった。

今ではそれは既に噂の域に止まらずに、都市伝説のような扱いになっているそうな。



「あー・・・それは・・・」

「確かに・・・私達だろうな」



テレサとアルはその噂を聞いて苦笑するしかなかった。

まさか自分達の修行風景が都市伝説にまでなってるとは思わなかったのだ。

ちなみに、今五人が着ているのは灰色のジャージである。

さすがにアサシンの装備のまま行う訳にはいかない。

一応見えない所に道具は隠してはあるが、あの格好は朝や昼にはあまりに目立ち過ぎである。

もう十分目立ってる感じがしないでもないが。



「本当だったら装備はそのままの方がいいのだがな」

「さすがにそれは不味いですよ長。目立ち過ぎです。
 この格好なら見つかっても、最悪フリーランニングの練習ですって言い訳出来ますし」

「もう都市伝説にまでなっちゃってるけどねー・・・はぁ」

「でも私はこの修行、好きですよテレサ姉さん。我が師もそうですよね?」

「ああ」



笑顔で尋ねる彼女に長はただそう答えるだけだった。

そんな二人を見て、三人はお互い近付いてヒソヒソと話し始める。



「・・・ねぇ?まさかこの修行方法、長の趣味とかじゃないわよね?」

「まさか・・・シャイフがそれだけで行うはずがないだろう?それにこれは先人達もやってきた修行法だぞ?
 そんな馬鹿な理由な訳がないだろう・・・・・・・・恐らく」

「いやでもさすがに・・・・・・ねぇ?」

「どうした三人とも?早く始めるぞ?」

「「「わ、分かりましたッ!」」」



長の言葉に慌てて答える三人。

それを彼女とその師は不思議そうに首を傾げて、どうしたのかと困惑する。



「三人ともどうしたんでしょうか我が師よ?」

「さてな・・・それより行くぞ、我が弟子よ」

「はい」



彼女が答えると同時に、五人は一目散に駆け出した。

まず目の前に立ちはだかったのは石垣であった。

長は僅かな窪みを見つけると、それに手を掛け足を掛けてするすると石垣を登っていく。

五人もそれに続き、長と同じように登っていく。

登り切り、そしてまた走り出すと、今度は一階建ての民家が目の前に現れる。

先頭を走る長は地面を蹴り高く飛び上がり、屋根の縁を掴むとそのまま腕を引き体を上げ、そのまま屋根に乗り走る。

皆はその後を続く。

屋根伝いに次々と民家を上を走り、飛び、五人は止まる事無く進んでいく。

建物の高さは進むにつれ高くなり、今は五階建ての建物の上を進んでいた。

だが道は目の前で無くなり、行き止まりになる。

しかし五人はそれでも止まる事無く進み、そして屋根から飛び出し空を舞う。

そして落下する中、皆は空中で後ろを振り向き、腕に隠して装備していたワイヤーを射出する。

ワイヤーは建物に見事引っ掛かり、五人はスルスルと地面へと降りていく。

ジョヴァンニは今現在使用しているワイヤーを感心して眺める。



「相変わらず便利な道具だよなこれ。教団の技術も凄いもんだ」

「全てが教団だけで造った訳ではないがなジョヴァンニ。外部の技術ももちろんある」



アルがそう答えると、今度はテレサが話し出す。



「そもそもあの装束だってそうだよ。認識障害だっけ?そういう魔術が編まれてるんだろあれ?・・・っと」



地面に到達した五人はそのまま走り出し、会話を続ける。



「そうだテレサ。あれには私の知り合いの魔術師殿に協力してもらい作成した代物だ。
 御蔭で任務の効率も大幅に上がった。他の装備もそうだ。我々はあの方には大きな借りがある」

「シャイフのお知り合いですか・・・さぞ腕利きの魔術師なのでしょうね」

「少なくとも私はあの魔術師殿以上の魔術師は知らん」



会話を続ける五人は止まる事無く走り続ける。

風のような速さ走りながらも皆の顔は涼しげなものだった。

一番の若輩である彼女も、少しばかり息を荒げるだけであり、皆に着いていく。

この程度の速さは皆にとっては普通のものであり、苦になるようなものではなかったのだ。



「しかし、この一年で君もだいぶ成長したよね。昔は壁に登るのだけでも苦労したのにね」

「あ、ありがとうございます・・・ジョヴァンニ兄さん」



呼吸を乱して返事をする彼女を見て、テレサはしみじみと昔の自分を思い出す。



「そうそう。私も教団に入ったばかりの頃はあんな感じだったのかなって、思ったもんだよ」

「それは皆そうだろう。シャイフはどう思いますか?」

「まだまだだ。息を荒げるようではな」



そう返事をする長は彼女とは対照的に涼しげに答える。

それを聞いてジョヴァンニは一笑する。



「ハハハハッ!だそうだぞ妹よ?頑張って体を造らなければね」

「うぅ・・・・・・はい」



我が師の言葉を聞いて彼女はションボリとうな垂れる。

褒めてもらえるかなという密かな想いがあったのだが、そう上手くはいかなかったようだ。



「だが・・・そうだな」



そんな彼女に師は続けて言う。



「私の若い頃よりも飲み込みがいいのは確かだ」

「ほ、本当ですか我が師よッ!?」

「ああ、私がお前くらいの時は壁を登るのも苦労したものだ。やはり、お前には才があるな」

「ありがとうございますッ!」



我が師の言葉に彼女は笑顔を輝かせる。

それを三人は微笑ましく見る。



「チビ、お前は本当に長に気に入られてるな。私の時はそんな事言われた事無かったよ」

「僕もさ。注意される方が多かったよ」

「いや、そんな事はないだろう?お前達だってシャイフにお褒めいただいたことくらいあるだろう?」

「でもこの子ほどじゃなかったさ兄上。そうだろテレサ?」

「そうそう。アルの時はどうだったんだい?」

「私の時か・・・・・・さて、どうだったかな?」

「あッ!はぐらかす気だねアルッ!いいじゃないか話してくれても」

「そういう時はほら、我等が長に聞けばいいじゃないかテレサ」

「あ、それもそうか。それでどうだったんですか長?」

「優秀過ぎてつまらん。それだけだ」



テレサの問いに長は思った事をそのまま言った。

それを聞いたアルは苦笑するしかなかった。



「ははは・・・と、いう訳だ。話してもつまらないだけだよ」



これで終わりかと思った時、長は続けて言う。



「だが傲慢ではあったな。昔はそれがこの者の悪しきところだった」

「そうだったんですかアル兄さん?」



彼女は信じられなかった。

この師同様に思慮深い兄に、傲慢だった時があるという事が。



「・・・・・・まあな」



彼女の質問にアルは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

昔はその所為で一度見習いまで地位を落としたことがある。

あの頃の自分は馬鹿だったと思わずにはいられない過去だった。



「へぇ・・・あのアルがねぇ」

「まあ、誰にだってそういうところはあるってことさ」

「そろそろ終着だぞお前達」



長の言葉により皆は前方を見据える。

目の前にそびえ立つのは巨大な鉄塔だった。

最後はあれを乗り越えたら、そして少し進めば終わりだ。

五人は再度ワイヤーを射出し鉄塔にフックを引っ掛ける。

そしてワイヤーが巻き戻されると同時に皆の体が浮き、鉄塔の上部を目指す。

上部に到着し、鉄塔の中を潜り抜け反対側に出る。

そして前と同じように飛び出しワイヤーを鉄塔に掛けようとする。

だが――――――



「あッ!?」



彼女の射出したワイヤーだけが僅かに狙いを誤り、アンカーの部分が弾かれる。

このまま落下するかと思われたその時、彼女の体を抱き締める者がいた。

我が師である。



「あ・・・・・・申し訳ありません」

「ミスはフォローすればいい。それだけだ。次に生かせ」

「・・・・・・はい」



師はそれだけを言って、彼女はそれに小さく答えるだけだった。

抱き締められたまま彼女は師と共に地面に降り立つ。



「行くぞ」

「・・・・・・・・・」



師の言葉に彼女は黙って頷くだけだった。

それを見る三人は居た堪れない気持ちになる。



「ほ、ほらチビ!元気出しなよ!な?」

「そうそう、もうすぐゴールなんだからさ」

「もし誰かがミスをした時、次はお前がフォローをすればそれでいい」

「お、兄上も良い事言うじゃないか。その通りだね。僕がピンチの時は是非とも助けてくれよ妹よ」

「いい気になるなバーカ。さ、行くよチビ」

「・・・・・・はいッ!」



自分を励ます兄と姉に彼女は元気良く答える。

くよくよしていてもしょうがない。

今出来ることを頑張ろうと心を切り替える。

そして五人はまた走り出す。

そして少しして、五人は目的地まで辿り着いた。

到着した時、長は懐から懐中時計を取り出し時間を見る。



「・・・・・・十一分、まあまあか」

「では五分の休憩の後にまた出発という事で「あ、兄上ちょっといいかな?」どうしたジョヴァンニ?」



何か言いたそうに手を上げるジョヴァンニに、一体何だとアルが尋ねる。



「いや、今日は普通に歩いて帰らないかい?噂が広まるのはどうにも不味いでしょう?」

「ああ、さっきの奴ね」

「それはそうだが、しかし・・・・・・どうしますシャイフ?」



どうするかアルは長に指示を仰ぐ。

長は少し考え、そして口を開く。



「・・・ジョヴァンニの言う事も一理ある」

「でしょでしょ!ほら兄上、そうしよ「だが」う・・・・・・え?」

「見つからなければいい。そして捕まらなければいい。それだけだ」



長のこの言葉を聞いた弟子達は。



(・・・・・・え?それでいいの?)

(確かに・・・そうかもしれないけどさぁ)

(シャイフ、噂にならないようにという話なんですが・・・もう、いいか)

(さすが我が師です。確かにその通りです)



三人がほぼ同じ考えを抱き。一人だけズレた考えで師の言葉に感心していた。



「えー・・・・・・いや、そうかもしれませんけど・・・でも「何だ?」い、いえなんでもッ!」



下手に言わない方がいいだろう。

ジョヴァンニはそう考えて黙る事にした。

そんな中、彼女はおずおずと師の前に出てくる。



「あの・・・我が師よ」

「なんだ我が弟子よ?」



彼女は自らの師に向かって頭を下げる。



「先ほどは・・・申し訳ありませんでした」

「ならば帰りは気を付けろ。出来るな?」

「――――――はいッ!」

「よろしい。それでこそ我が弟子だ」



そう言って師は彼女の頭を撫でる。

彼女は目を細めて気持ち良さそうにその褒美を受け取る。

それからまた五分程して、五人は元いた場所へと戻っていった。

今度はなんのミスも起こらずに、だ。



















「あ、そう言えば我が師よ。あの時は飛べばよかったです」

「そう言えば・・・そうだな」

(((・・・・・・今更だなそれ)))




















午後になり、彼女は師と剣の稽古をしていた。

彼女が切り込み師が受け流す。

そして今度は逆に師が切り込み彼女が受け流そうとする。

だが上手くいかずに持っていた片手剣が弾かれてしまう。



「も、申し訳ありません」

「よい、もう一度だ」

「はいッ!」



彼女はそう答えて剣を拾い、もう一度構えて師に向かい切り掛かる。

剣戟の金属音が二人の間で弾け合う。

その様子を見ていたアルはジョヴァンニとテレサに尋ねる。



「どう思う、あの子の動きは?」

「さすがに一年じゃね。飲み込みはいいけど、実戦では使えないね。ナイフの投擲の方は筋がいいんだけどね」



ジョヴァンニの言う通り、彼女のアサシンとしての腕前はメキメキと上がっていた。

だが今現在アサシンとして働けるかと言われれば、その実力では無理であると言わざるを得ないものだった。

唯一ナイフの腕前だけは既に一人前となっていたが、それ以外の技術は教団のアサシン達の平均以下だった。

もっとも、訓練を開始してからまだ一年しか経っていないのだから、それは当たり前ではあったのだが。

テレサは彼女の動きを見ていて、それを簡潔に評価する。



「なんて言うか・・・接近を恐がってるようにも思えるね」




そう、接近しての戦闘は彼女の動きには相手への恐れがあった。

彼女は今まで時を操る程度の能力を使用して生きてきた。

その所為か、自らの脅威となる存在が迫った場合の彼女は相手の動きを見誤る事が多かった。



「やはりそう思うか?まああの子には時を操る程度の能力があるからな。
 剣術よりも投擲の方がその能力を発揮するだろうから、問題は無いのかもしれないが」

「能力だけに頼る訳にはいかない・・・そうだろう兄上?」

「能力だけに頼っていては、な。いざその能力が通じない場合が不味い。動揺し、返り討ちに遭うだろう」



今の彼女は能力の使用を長から禁止されて訓練していた。

能力にばかり頼らないようにする為である。

能力持ちの者は自身の能力が破られた時の動揺が大きく、その時によく隙が出来る。

これは能力破りを得意とする長の経験から導き出された考えであり、それは概ね当たっていた。

もっとも能力を使用される前に始末出来れば問題の無い事であり、そして気付かれる前に仕留めるのはアサシンの十八番だ。

それでもこの教えは大いに役に立ち、能力持ちの多い妖怪達相手には効果的な教えでもあった。

見つからずに仕留めるか、能力の裏をかく事で隙を見つけ出し仕留める。

教団での能力持ちの存在への対処法は概ねこのようなものだった。



「そういえばあの子の能力ってどうやって鍛えるんだい?時を操るなんて事、普通は教えられないよ?」



そもそも能力持ちの存在は今現在この教団には数える程しかいない。

長と彼女を含めても、十人にも満たなかった。

ちなみにテレサ、アル、ジョヴァンニは能力を持たない人間だった。

それでも彼等は多くの能力持ちの存在達を屠ってきた本物の実力者だった。



「僕が初めて見せてもらったのは、僕が右に握っていたナイフが何時の間にか左手に握らされていた事だったな。
 そんな事されたら普通は気付くもんだけど、気配が一切しなかったから驚いたよ。
 まさに神の如き力だ。でも止めていられる時間は今は五秒にも満たないんだよね?」

「それでも十分脅威だ。我々にとっては五秒も止められたらなんでも出来るからな。
 シャイフは止まった世界を見た時に驚いたそうだよ。「自分とあの者以外の気配しかしない世界だ」と言われたよ」

「気配のしない世界か・・・ゾッとするね。長はどうするのかな?あの子その能力」

「少し前に鍛えるのに良い方法が見つかったと仰っていたからな。それを試すのだろう。
 私はその方法は聞かされてはいないが、問題は無いだろう」



テレサとジョヴァンニはそれを聞いてふぅんと聞き流しまた二人の稽古を眺める。

彼女がまた剣を弾かれているところだった。

彼女はションボリしながら剣を拾い、謝罪する。

これでもう六度目だった。



「・・・・・・申し訳ありません」

「ふむ・・・・・・どうやらお前は攻められる時に恐怖する癖があるようだな」

「そ、そんな事はありませんッ!」

「いや、それでいいのだ」



彼女は自分が否定した恐怖を我が師に肯定されて困惑する。



「え?それはどうして?」

「恐怖は誰にでもある。無論私もだ。むしろ臆病者と言ってもいい」

「我が師が・・・ですか?」



我が師の言葉に彼女は信じられないといった顔になる。

この最強のアサシンである我が師が臆病だと言うのが信じられなかったのだ。

そんな彼女を他所に長は続けて言う。



「そうだ。相手に怯え見つからぬようにするから私は生き延びてきた。
 暗殺者は臆病者の方がいい。勇敢さは時として必要かもしれんが、それでは生き残れぬのが我等の世界だ。
 どうすれば見つからずに逃げられるか。これが重要なのだ。
 お前は私を最強と勘違いしているようだが、そうではない。私はお前が思っている以上に弱い。
 だから見つからずに済むように、その為の業を磨いているのだ。我等は殺す者。戦う者ではないのだから。
 そして我等に必要なのは恐怖を忘れずにその恐怖を自らの味方とし、任務を遂行する能力なのだ。分かるか?」

「・・・いえ、よくは分かりません」

「恐怖する事はアサシンにとっては大事な事。やはりお前には才能があるな」

「そ、そうでしょうか?」

「まあよい、いずれそれを理解すればいい。だが恐怖に負け、いざ動けないではいかんからな。
 殺気に晒されて恐怖で動けなくなるのはよくあることだ」

「では、どうすれば?」

「簡単だ。その殺気以上の殺気を知っていれば、殺気に呑まれる心配はない。
 たとえば目の先に刃が迫ったとしよう。殺気恐怖を知らない者は、目先の刃という恐怖に混乱し死ぬ。
 だがそれ以上の恐怖を知っていれば、それは恐怖ではなくただの剣。
 そしてそれは避けるべき脅威という要素でしかなく、怯えるような恐怖ではなくなるのだ」



つまり一度酷い体験をした場合、それ以下のものは酷いと感じずに冷静に対処する事が出来るという事だ。

しかし彼女には分からなかった。

どうすればそんな恐怖を味わえるのかが。



「その恐怖・・・殺気は、どうすれば知る事が出来るのですか?」



彼女の言葉に師は少し考える様子にで黙り、そして口を開いた。



「・・・良い機会だ、やってみよう。これが――――――殺気だ」



その瞬間、世界が変わった。

周りで稽古をしていた他のアサシン達は、思わずその殺気の方へと目を向ける。

訓練中にいきなり馴染み深い空気になったのだから、そうなるのは当然。

中には無意識に構える者もいたが、さすがに攻撃をするということはなかった。

稽古見守っていた三人も、驚きを隠せずにその光景を見る。



「まさか長、あれをやるつもりじゃッ!?」

「間違い無く・・・そうだろうね」

「しかしあれをするにはあまりに・・・若過ぎるぞあの子は?
 ・・・・・・それほどのものを持っている、ということなのだろうか?」



三人がそう言って見守り、その場の全員が見守る中、長は彼女に一歩一歩と近付いていた。

彼女は恐怖し、混乱するしかなかった

恐くて動けない。

息をするのが辛い。

体の震えが止まらない。

冷たい汗が全身から流れ出る。

生きてるのが苦しい。

自分の全てを握り締められたような感覚。

いっその事今すぐに殺してくれと本能は叫ぶ。



(これが・・・・・・殺気?我が師の・・・殺気ッ!?)



それはあまりに、あまりに恐ろしかった。

鷹のように鋭い眼光が自身の体を貫く。

一歩師が歩く近付く毎に、死の気配が近付いてくる。

動作の一つ一つが恐くて仕方なかった。

師が剣を構え、そのままの姿勢で止まる。

その瞬間に自分の全てが止まる。

息が出来ない。

体がピクリとも動かない。

あれだけ流れていた汗も止まる。

自分の生命活動が止まる。

能力も使ってないのに自分の時が止まる。

気絶出来たらどれだけ幸せだろうかと思うがそれも出来ない。

させてもらえないのだ、我が師の殺気が。

そしてついに師がゆっくりと動き始める。

止まった構えから動きそして――――――横一文字に振り抜く。

剣先は彼女の眼前を通り過ぎ、彼女の前髪が少量斬られてハラリと落ちただけだった。

全てが終わったと理解した時、彼女は力を失いその場に足を崩して座り込む。



「これが殺気というものだ。覚えておくがいい」

「――――――え・・・あ、え?あれ?え?」

「もう終わったぞ、我が弟子よ。今日はこれで終わりにしよ「う・・・うあ・・・ああ」・・・・・・どうした?」



師が彼女にどうしたかと尋ねたその瞬間。



「う・・・ううふぁ・・・ふぁあああああああんッ!!!!」



彼女は、思いっきり泣き出した。



「ふあああああああああんッ!!!!あああ、あああああッ!!!!」

「・・・・・・落ち着け、落ち着くのだ我が弟子よ。これはただの「うわぁぁぁぁぁぁぁんッ!!!!」・・・参った」



さすがのアサシン達の長も、泣く子には勝てないようだった。

どうすればいいのか分からないといった感じで、少しオロオロとしている。

そんな中、彼女の泣き声を聞いてハッとして正気に戻ったテレサが彼女に駆け寄る。



「チビッ!ほら大丈夫、大丈夫だから、ね?これはただの訓練なんだから」

「ううう、あああッ!うわぁぁぁぁぁぁぁんッ!」



彼女はテレサが近付いて来るのを感じるとすぐさまに抱き付いた。

テレサの服が涙と鼻水で汚れるが、テレサは気にせずに彼女を抱き締める。



「恐かったね・・・恐かったね・・・大丈夫、もう大丈夫だから」

「えっく・・・えぐ・・・ぐず・・・うん」



なんとか愚図るくらいにまで落ち着いたようであり、それを見た他のアサシン達はホッと胸を撫で下ろす。



「ほら、立って。それじゃ帰ろうか。お姉ちゃんが部屋に連れていくからさ」

「ぐす・・・あの・・・テレサ姉さん」



目から涙を流したまま彼女は姉の腕を掴み、何かを言いたそうにしている。

だが出来れば言いたくないといった表情でもある。

一体どうしたんだろうと思い、テレサは彼女に尋ねてみる。



「どうしたんだいチビ?」

「あの・・・ええとね・・・・・・・・・・・・」



彼女は顔を赤くしてテレサの耳元で小さく言う。

それを聞いてテレサは納得する。

そりゃ言いたくないだろうと。



「あー・・・はいはい。まあ・・・仕方ないか」



初めてで、しかもいきなりあんな殺気を浴びたのだ。

こうなるのは当然だとテレサは苦笑するしかなかった。



「すいません長。私この子を部屋に連れて行きますね」

「あ、ああ頼む「それと」・・・なんだ?」

「後でちょっと話しがありますから・・・いいですね?」

「しかしこれは「いいですねッ!」・・・・・・分かった」



テレサのその迫力に、長は渋々頷くしかなかったようだ。

訓練とはいえいきなりあの方法を取ったのは不味かったと思っているのだろう。

そんな長をその場に残し、テレサは彼女の手を取り引っ張る。



「それじゃ行くよチビ」

「・・・・・・はい」



そうして二人は自分達の部屋へと戻っていった。

訓練所には気まずい雰囲気でその場に残るアサシン達とその長が残された。

さすがにそんな空気では訓練は出来ず、その日の訓練はそれで終わったのであった。




















そしてテレサは部屋に戻って、彼女の汚れた服と下着を着替えさせて洗ったそうな。




















それから少しして夕食の後、皆はそれぞれの部屋に戻った。

だが彼女は一人だけ自分の部屋以外の所に向かっていた。

自分の枕を持ってだ。

そんな物を持って一体何処に行くのか?

それは彼女の師の部屋だった。

彼女は師の部屋の前に着くと、その部屋の扉の前に立ち、扉をコンコンと叩きノックする。



「どうした、我が弟子よ?」



すぐさま扉越しに師の声が聞こえてくる。

自分の気配を感じて自分だと分かり答えたのだ。

恐らく、この部屋の前に来る前には、誰が来たかなどは我が師は知っていたのだろう。

彼女はそう考えて、また改めて師の凄さを知る。



「我が師よ、部屋に入ってもいいですか?」

「・・・入れ」



彼女は師の了解を得ると扉を開き中に入る。



「失礼します」



部屋に入ると師が椅子に座って本を読んでいる姿が目に入る。

題名をチラと見ると、東洋の妖怪についての本のようだった。



「あの、その本は?」

「東洋妖怪全集というものだ。今は仮面童子という妖怪についてのページを見ていたところだ」

「いえ、そこまで聞いてません」

「そうだな。それで?何の用だ我が弟子よ」



師は本を棚に仕舞うと自らの弟子に何の用で着たのかを尋ねる。



「あ、あの・・・今日はその・・・一緒に寝てもいいですか?」



今日はずっとあの時の恐さで振るえが治まらなかった。

それは今も同じで、体はまだ少し震えている。

それでは何故彼女は此処に来たのか?

どうしてその震えの原因でもある存在と前に来て、ましてや一緒に寝たいなどと言うのか?

それは、自分の師を恐い存在のままにしておきたくなかったからだ。

師はとても優しい御方だ。

自分はそれをよく知っている。

だからそんな師をこのまま恐がるだけではいけないと考え、一緒に寝ようと思い至ったのだ。

そうすればこの恐さを感じないと、彼女なりに考えての行動だった。

本当はそうやって甘える口実見つけて、甘えたかっただけなのかもしれなかったが。



「はぁ・・・好きにするがいい。では、もう寝るとするか」



そんな彼女の思いを察してか、師は溜め息を漏らしてそれを了承する



「・・・はいッ!」



それを聞いて彼女は嬉しそうに返事をする。

もし彼女に尻尾があったら、今頃ブンブンと振り回して喜んだだろう。

彼女は師に抱き付き抱っこをしてもらう。

そしてそのままベッドに運ばれ下ろされると、すぐさま布団の中に潜り込んだ。

それに続いて師も布団に入る。

彼女はにこにこ微笑んで師の腕に抱き付く。

師の体は、とても温かかった。

その温もりを感じて、体の振るえが止まる。

今彼女は、ようやく安心する事が出来たのだ。



「随分と恐がらせてしまったようだな」

「もう・・・いいんです」



抱き締めた腕を更にギュッと力を入れて、その温もりを味わう。

もういいのだ。

こうして自分を暖めてくれる温もりがあるのだから。

だからもういいのだ。

今となっては、そんな事は些細な事だった。



「テレサに言われたよ。「やり過ぎだ」とな。あれは本来もう少し成長してからするべきだったのだがな。
 お前を早く一人前にしたいと焦ってしまった。許せ」

「・・・・・・はい」



テレサはあの後、長に向かってずっと文句を言っていた。

あれは明らかにやり過ぎだ。

もっと大きくなってからでもよかった。

服を洗うのが大変だったとそんな事を言われていた。

その場にいた彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしがり、言わないでと姉に泣きついた。

それを見ていた他の者達は微笑ましくその様子を見守っていた。

自分達も似たような経験を持っていたから、彼女の気持ちは分かるのだ。

それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

羞恥心のあまりにまたその場で泣いた時は、また皆オロオロと慌てたものだった。



「・・・そうか、許してくれるか」



師は彼女の許しを申し訳なさそうな声で受け取る。

この時、彼女にある考えが思い浮かぶ。



「あの、その変わりにお願いがあるのですが?」

「なんだ?」

「歌を・・・聴かせてくれませんか?今日は師の歌を聴いて眠りたいです」



師は歌が上手かった。

自分が寝られなかった時、師はよく子守唄を歌ってくれたのだ。

それを聴くととても落ち着き、心が穏やかになるのだ。

師はそれを聞いて頷く。



「それくらいならいい。では・・・いくぞ?」



そう言うと師は歌を歌い始めた。

彼女が眠る時に聞かされる子守唄だった。

心地良い声の音が彼女の体を包む。

歌のリズムに合わせて、師が自分の体をトン、トン、トンと軽く叩く。

とても、とても心が安らぐ。

なんの不安も、恐怖も、そこには無かった。

ただ、何処までも暖かく心地良い場所があるだけだった。

そうしている内に、彼女はウトウトと頭を揺らし始めた。

彼女はもっと聴いていたいと頑張って起きていようとするが、睡魔には勝てなかった。

やがて目蓋を閉じ、意識が沈んでいく。




















「眠るがいい・・・我が弟子よ」

(・・・・・・おやすみなさい)




――――――彼女はまた、幸せそうに眠りについた。





































もう駄目、難しい、なにこれ恐い。前半書くの大変だった。

映画のK-20でやったのを思い出して書いてみたけど表現が難しい難しい。

もうちょい頑張りたかったが・・・・・・限界だ。

そして後半の殺気のやつ。これは剣客商売であったやつです。

虐めに遭ってる町人が主人公にどうにかしてほしいと頼んだ。

そしたら主人公、刀で切りかかって皮一枚ちょっち斬って、それ繰り返したら度胸が付いてめでたしって話だった。

やり過ぎだが効果はあったんだなと思いました。

まあ咲夜さんは可哀想だと思いますがねぇ・・・・・・・うん、やり過ぎた。

それでは!



[24323] 第十二話 初任務と命と懐中時計と
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/12/15 20:49


彼女が教団に来てから、四年ほどの月日が流れた。

あの殺気の事件から、彼女の腕はメキメキ上達していった。

その上達振りは凄まじく、その実力は既に教団でも上位に入るほどだった。

もちろん彼女の才能もあったのだろうが、師の教育が一番大きかった。

師の的確な指導の下、彼女はその実力を上げていったのだ。

今では師との同行ではあるが、既に任務にも就いている。

正確な年齢は分からないが、今の彼女はおよそ十二かそこらの歳だった。

それで任務に就くのは教団では異例の早さであった。

といっても、連れて行ってくれる任務で彼女がするのは偵察がほとんど。

それ以外は師や兄弟達の仕事を見て覚えるというのが、彼女の任務だった。

彼女はそれに不満は無かったが、もっと役立ちたいという気持ちもあった。

だが勝手に動き他の者に迷惑を掛ける訳にはいかない。

だから彼女は徹底的に自分に課せられた任務をこなした。

仕事を見るという任務を。

徹底的に、その任務を全うした。

初めて人が殺されるところを見た時も、彼女はただ淡々とその仕事振りを見て自分の物にしようと努力した。

そしてそれは確実に彼女自身の身に宿っていった。

だから彼女は自分の任務には満足しており、不満は無かった。

何時か自分の力が師の役に立つと考えると、いくらでも彼女は頑張れた。

大好きな我が師の為なら、彼女はどんな事も出来る覚悟があった。




















――――――そして彼女に、とうとうその役に立つ時が来たのであった。




















教団の建物の広間の一つに、教団の長はただ一人佇んでいた。

長は虚空に向かい言う。



「――――――我が弟子よ」

「――――――此処に」



長以外に誰もいなかった広間に、彼女はフッと姿を現した。

彼女は長の前に跪きながら、次の指示を待つ。

静かな広間に二人きりでいるその場面は、まるで神聖な儀式をしているかのような雰囲気に包まれていた。



「お前に任務を言い渡す」

「ハッ!なんなりと」

「今回の任務は、ある人物の暗殺だ」

「・・・・・・はい」



長のこの言葉を聞いた時、彼女はついにこの時が来たかと内心思い、そして歓喜する。

ついに自分の業を我が師の為に存分に振るう事が出来ると喜んだ。



「お前にとっては初めての暗殺任務だ。実行するのはお前ただ一人だ。いいか?」

「はい」

「能力の使用も許可する。自身の全身全霊を出せ」

「はい」

「任務の内容はこれに書かれている」



そう言って彼女は長から封筒を渡される。

彼女は中身を抜き出し、指示書を見る。

そこには任務の内容と、実行する為に必要な情報が書かれていた。

彼女はそれをすぐに見て、頭の中に瞬時に記憶する。

そして封筒に指示書を戻し師に渡す。

師はそれを受け取るとグシャリ丸めて空中に投げ捨てる。

師の手から離れた瞬間、封筒はボッと燃え上がり、その存在を消す。

まるでそれはターゲットの行く末を暗示しているかのようだった。



「任務に就く前に、我等の掟を言え、我が弟子よ。そして自分に言い聞かせよ」

「はい、我が師よ。
 一つ――――――罪無き者を無闇に殺すべからず。
 一つ――――――苦痛を与え殺すべからず。
 一つ――――――己が存在を悟らせるべからず。
 一つ――――――我等の恐怖を教えること忘れるべからず。
 一つ――――――仲間を危機に晒すべからず。
 一つ――――――仲間を裏切るべからず。
 一つ――――――自らの命ある限り任務を続ける。だが不可能なら生きて戻るのを忘れるべからず。
 そしてそれも不可能なら、その命を自ら絶つこと忘れるべからず。
 ――――――自らの魂を汚されることの無きように」



彼女は掟を自身に言い聞かせて気を引き締める。

それを確認した師は、彼女に命を下す



「では行け」

「ハッ!」



彼女はそう答えるとすぐにその場から姿を消し、任務を遂行しに出発した。





































彼女は今現在、ある屋敷の屋根の上にいた。

この屋敷に今回のターゲットである男がいた。

その男はある企業の重役であり、今回の暗殺はその企業の仕事で被害を受けた者達からの依頼であった。

この屋敷にはその重役が住んでおり、此処でそのターゲットを始末するのが彼女の任務だった。

その男が手掛ける今度の仕事が成功すれば、その企業の出す被害は更に広がるとの事だった。

そしてその仕事の成功の有無は明日の重役会議で決定されるとの事だった。

それを阻止する為に今回教団に依頼が来たのだ。



(潜入は・・・・・・問題無いか)



屋敷の警備は厳重だったが、彼女は問題無く潜入出来た。

それはそうだろう。

なにしろ、空を飛んで来たのだから。

いくら警備が厳重とはいっても、相手も空からの侵入は想定していなかった。



(・・・・・・此処までの進入は問題無い。問題は此処から。屋敷に侵入してから)



そう、問題は中に進入してからだ。

いくらなんでもターゲットのところまで飛んで行くという訳にはいかない。

彼女はとりあえず屋根から飛んで適当な窓を見つけ、礼儀正しい強引な方法で窓の鍵を開けて屋敷に侵入する。

壊さずとも進入出来たが、これは業と壊したのだ。

こういう小さな痕跡を残して、進入されたのだという証を残す。

これも今回の仕事の一つだった。

今彼女は屋敷の廊下にいた。

そしてその廊下は監視カメラの無い廊下だった。

監視カメラの位置は全て彼女の頭の中にあった。

そして彼女の頭の中にはこの屋敷の詳しい構造も入っていた。

何処に何があり、誰がどの時間にいるか。

そういう情報が完璧に入っていたのだ。



(カメラの配置が雑だわ。こんなんじゃ侵入者を見つけるなんて無理ね。まあ、楽だからいいけど)



彼女はさっそくターゲットのいるはずの部屋に向かう。

途中で屋敷の見回りの警備員がいたが、気配を断ち見つからないようにやり過ごす。

そしてやり過ごせない場合は能力を使用して時を止め、警備員の目の前を通り過ぎる。

そうして彼女はターゲットのいる部屋に難なく辿り着く事が出来た。

扉の鍵は開いている。

彼女は再度時を止めて扉を開けて部屋に入る。

そしてすぐさま部屋にあるベッドの物陰に隠れる。

時が動き出すと同時に、彼女はターゲットの男を確認する。

部屋は小さなランプの光が照らす黄色の光だけで薄暗い。

そんな薄暗い部屋の中、男は椅子に座り頭をフラフラと動かし俯いていた。



「・・・・・・うん、ぐ・・・ふぅ・・・ヒック」



男からそんな声が聞こえる。

どうやら酒を飲んでいるようだ。

それもかなりの量を飲んでいるらしい。

床のカーペットの上には酒瓶がいくつも転がっていた。

部屋はきつい酒の匂いが充満していた。

男が懐から何かを取り出し、何か言う。



「・・・・・・安心しろよ、もうすぐだからな。もうすぐ、会えるからな」



男はその手にした何かを見てぶつぶつとそんな事を言う。

実に嬉しそうにだ。

注意は散漫している。

これなら問題無く処理出来ると彼女は彼女は判断し、そして仕事を実行する。

能力の連続使用は精神的にきつい負担を強いる。

彼女の場合、使用には一呼吸のインターバルが必要だった。

彼女は軽く深呼吸をし、そして、時を止める。

そして男の前に行き、ナイフを心臓に向かい突き出す。

教団で用意された死体を相手に何度も訓練で突き刺した。

それと同じ事をするだけだ。

ナイフは体に突き立ち肉を裂き、骨の隙間を潜り、狙い違わず心の臓腑を貫く。

今回初めて生きた人間を刺したが、感触は訓練の時と何も変わらなかった。

死んで動かなくなった体と、時が止まって動かなくなった体というだけの違いだった。

時が動き出す。



「・・・・・・ご、はぁ・・・え?」



男の口から、血がコポリと流れ出る。

自分の身に何が起こったのか、酔った思考と常識外の出来事により把握出来ないようだ。

その顔には自身の体の変化に困惑する表情が浮き出ていた。



「眠れ――――――安らかに」



彼女は男に向かいただ静かにそう告げる。

そんな彼女を見て男は驚き、そして――――――微笑んだ。



「・・・・・・え?」



彼女は男の顔を見て驚くしかなかった。

その所為で判断が思考か狂う。

男の腕が、彼女を抱き締めたのだ。

彼女はしまったと思い離れようとする。

だがその前に、男は彼女向かって言った。



「迎えに、来て、くれたのか、アリシア?」



微笑みながら言う男の顔には、幸せが満ちていた。

彼女はそれで更に困惑し、動く事が出来なかった。



「あり、がとうな。パパを、迎えに来てくれて。・・・主よ、感謝し、ます」

「な・・・何を言って?」

「ママも、待ってるん、だろうな。だったら、すぐに行かなくちゃ、な」



男はそう言って、彼女の頭を撫でる。

ゴツゴツとした大きな手は、その温もりが段々と失われていった。

だがそれでも、暖かかった。

まるでそれは、我が師と同じような――――――



「アリシア、私の可愛い、アリシア。来てくれて・・・あり・・・が・・・とう」



男の腕がダラリと力を無くし、彼女の体から離れる。



「一体・・・・・・何が?」



彼女は困惑するばかりだった。

彼女は自分が仕留めた人物を見る。

その顔には一切の苦しみは無く、ただ幸福そうな笑みを浮かべて、瞳からは一筋の涙が流れるだけだった。

ふと、何かが落ちる音がした。

彼女はその音のした方を見て、落ちた物を確認する。



「これは・・・写真?」



彼女はそれを手に取り、写真を見る。

そこには、幸せそうに笑う男の姿があった。

男に寄り添い、同じく幸せそうに笑う女の顔があった。

そして二人に抱き締められるようにして、二人の間にいる自分と同い年くらいの少女の幸せそうな顔があった。

そこには、幸せに包まれた、家族の姿が写っていた。



「アリシアってまさか・・・この子の事なの?」



男の言ったアリシアという名前。

恐らく、この子の名前なのだろう。

泥酔して、自分と間違えた?

だが写真に写る少女のその姿は自分とは違っていた。

第一写真の彼女は自分とは違い金髪だ。

いくら酔っていたといっても間違えるだろうか?

そう思う彼女の目に、ふと部屋の鏡に写る自分の姿が目に止まる。

ランプの黄色い明かりで、自分の髪が金みたいに見えたのだ。

彼女は思う。

この薄暗がりで、泥酔して、今の自分を見て自分の娘と間違えたのか。

写真をもう一度見て、そして思う。

自分は、この子の父親を殺してしまったのだと。

そう思った瞬間、彼女の息が、乱れる。



「はぁ・・・はぁ、はぁ、ハァハァハァ、ハァッ!ハァッ!ハァッ!」



自分はこの子から父親を奪ってしまった。

そう思った瞬間に、彼女に罪悪感が襲い掛かる。

父親を殺した、この子の父親を殺した、殺してしまった。

男の年齢は、師と同じように見える。

もちろんこの男は我が師とは似ても似つかない。

だがあの手にあった温もりは我が師と同じで、どうしても思うのだ。

まるで自分の手で、我が師を、殺し――――――



「違うッ!違う違う違うッ!・・・・・・落ち着け、落ち着くんだ」



彼女は自分にそう言い聞かせて落ち着こうとするが、手に持つ写真を見る。

そして、少女の幸せそうな笑顔を見てしまう。

自分はこの子から父親を奪ってしまった。

この子もきっと、父親の帰りを待っていたに違いない。

自分が、我が師の帰りを待つように。



「・・・・・・ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい・・・・・・ごめん」



彼女は写真の少女に向かい謝り続ける。

きっとこの子は、自分を怨むだろう。

自分が彼女なら、そうする。

自分の大事な人を、我が師の命を奪われたら、自分ならそうする。

この男もそうだ。

もう生きて、自分の娘に、妻に、家族に会えないのだから、自分を怨むはずだ。

こんな写真、見るべきじゃなかった。

あんな言葉、聞かなければよかった。

こんな事実、知らなければよかった。

彼女は涙を流して、自分のしたことがどれだけ罪深いかを知る。

人の命を奪うというのは、こんなにも重いものなのかと知ってしまう。



「・・・・・・行こう。此処にはいられない」



涙を拭き、彼女は立ち上がる。

帰らなければと、自分の中のアサシンとしての本能が告げる。

もう仕事は、任務は終わったのだ。

速やかに帰還しなければ。

彼女は手に持つ写真を男の膝の上にそっと置く。



「私の事・・・・・・怨んでください」



彼女はそう言い残し、部屋から出て行った。

あんなのはただの自己満足の言葉でしかない。

だが、言わずにはいられなかった。

言わなければ、自分が破裂しそうだったから。





































彼女は教団へと帰ってきた。

そして事の報告をする為に師の下に彼女は向かう。

そんな時、彼女に声を掛ける者がいた。



「チビ、無事だったか。任務はどうだった?」



そう彼女に話しかけるのは、姉であるテレサだった。

心配して、帰りを待っていたのだ。

そんなテレサに、彼女は静かに答える。



「・・・・・・大丈夫、ちゃんと出来ました」

「ちゃんと出来たって・・・いや、でもあんた」



彼女を見てテレサは困惑する。

あまりに落ち着き過ぎだったのだ。

まるで、心まで死んだように見えるその姿は、とても大丈夫そうには見えなかった。



「それでは、我が師に報告してきますので」

「・・・・・・うん、それじゃね」



どうすればいいか、テレサは判断しかね、彼女をそのまま長の下へと向かわせる。

テレサはああなるのは仕方が無いと思った。

初めて人を殺したのだ、当然だ。

自分も初めて人を殺した時は、そうだった。

一週間眠る事も出来ずに、ガタガタと震えたものだった。



「長・・・いえ我が師よ、お願いです。あの子を、助けてください」



今の自分に出来るのは、そうして祈る事だけだった。





































そして彼女は、師のいる部屋へと辿り着き、部屋に入る。

部屋には何かの書類を確認する師の姿があった。



「・・・・・・ただいま戻りました、我が師よ」

「戻ったか我が弟子よ。それで成果は?」



師は彼女を確認すると、すぐさま任務の成否を問い掛ける。



「・・・・・・問題は無く、成功しました」

「そうか。では、戻るがいい」



師はそう言ってまた書類に目を通す。

だが、彼女は部屋から出て行かなかった。



「・・・どうした、我が弟子よ?何か言いたい事があるのか?」

「・・・・・・お教えください我が師よ。私が殺したあの男は、一体どういう人物なんですか」

「・・・・・・それには答える必要は無い。知る必要は無い。相手を知ったところでなんになる?
 既に殺した相手を知っても「私はッ!知ってしまったんですッ!」・・・・・・何をだ?」



大声でそう言う彼女を、師は何を知ったのかと問いただす。



「あの男にも・・・家族がいるという事をです。見てしまったんです。あの男が持っていた写真を。
 家族と一緒にいた写真を。最後の瞬間、あの男は私を自分の娘の名前で言ったんですッ!アリシアとッ!」

「・・・・・・そうか」



彼女はいつもと同じ調子で答えた師をキッと睨み付け近付き、服を掴み激昂する。



「そうか?それだけですかッ!?それだけしか仰らないのですか我が師よッ!?
 私はアリシアという子の父親を殺してしまったのですよッ!その子が帰りを待つ父親を・・・私は・・・私は・・・」



初めは激昂していた彼女はすぐに涙を流し、師の胸に顔を埋めて泣き出す。



「こんな事・・・知らなければよかった。そうすればこんなに、苦しむ事も、無かったのに」

「・・・・・・そうか」



泣き続ける彼女を、師は抱き締める。



「・・・最後に、あの男は私を抱き締めたんです。今の我が師と同じように。
 アリシアと言って、私にありがとうってそう言って、幸せそうに、死んだんです」

「・・・・・・そうか」

「あんなもの・・・見なければよかった。だって、だってだって・・・まるで私が、我が師を殺したみたいで」



涙を流し続ける彼女を、師は抱き締める。



「・・・・・・苦しいか、我が弟子よ?」

「人一人の命が、こんなにも重いなんて・・・知らなかったんです」

「だがお前はそれを知った。そうだな?」

「・・・・・・はい」



師の言葉に、彼女は泣きながら師の胸の中で頷く。



「人の命の重さを知る。それが出来てアサシンは一人前になる。私はそう考える」

「・・・・・・我が師よ、それは」

「教えてやろう、あの男について。いや、今回の任務を依頼した者をな」

「任務の・・・依頼者?」



依頼主の詳しい情報。

それは一介の、しかも新米のアサシンである自分が知っていいような情報ではない。

それなのにどうしてと彼女は疑問に思う。

そして、師は彼女に依頼主だ誰かを教えた。




















「今回の任務の依頼主。それは他でもない――――――あの男自身だ。
 そしてあの男の家族は既に――――――この世にはいないのだ。三年前からな」




















彼女はその事実を知って、目を見開き驚くしなかった。



「そんな・・・どうしてッ!?だって依頼主はあの男のいた企業の仕事で被害を受けた者達だってッ!?」

「他でもない奴がその被害者だったのだ。そしてその被害で死んだのが、奴の家族だったのだ。
 奴は言うなれば被害者達の代表のような存在だったのだ」

「・・・どういう、事なんですか?」



彼女の問いに、師は説明を始めた。

もちろん詳しい内容や名称などは伏せていたが、内容はこういうものだった。

依頼主の男の妻は、その企業の科学者だった。

ある時企業は開発中だった装置を、まだ安全が確認出来ない段階で強引に作動させたのだ。

もちろん開発者チームである者達は反対したが、上の命令に逆らえずに実行するしかなかった。

チームは適当なところで実験を中止にしてなんとかしようとしたが、予期せぬ事態が起こった。

装置が暴走し、研究所の者達は死亡。

逃げる事も出来たらしいが、被害を最小限に留める為にチームは残り、装置の解体を行った。

その御蔭で本来ならその数千倍の被害が出たのだが、チームの活躍でそれは阻止された。

だが悲劇はそれだけではなかった。

運悪く、あの男の娘、アリシアも研究所にいたのだ。

母親の仕事の見学の為に、アリシアは研究所にいたらしい。

そして彼女は母親と同じように、装置の暴走により死亡した。

男は愛する家族を失ってしまったのだ、永遠に。

だが悲劇は更に進んでいく。

後日、企業はこの事件を開発者チームの独断で行われたものだと発表。

事件の真相は、闇へと葬られたのだ。

そして被害を最小限に食い止める為に自らの命を捧げた開発者チームは、世間から悪のレッテルが貼られた。

男は憎んだ。

自分達の非を認めずに真相を隠した企業を。

命を懸けて被害を最小限に食い止めた妻達に悪とレッテルを貼り付けた企業を。

自分の最愛の妻を、娘を、家族を奪った企業を怨んだ。

男の復讐はそこから始まった。

男は企業の中でその地位を死に物狂いで上げていった。

自らの企業の最高機密であるデータを、企業の暗部の情報を手に入れる為に。

そして男は三年でその企業の重要なポストまで上り詰めた。

そして望み通りのデータを手に入れた。

そのデータの中には、妻と娘が亡くなったあの事件も含まれていた。

後はこのデータを世間に公表するだけだったが、それでは彼はまだ満足しなかった。

企業の上層部はデータを公表しようとした自分を密かに殺害し、また事件を隠蔽しようとした。

そういうストーリーを用意し、彼は自分の死をもって企業への復讐を完遂する事にしたのだ。

家族のいないこの世界に、未練など無かった。

だが、自殺するだけでは駄目だった。

誰かに殺されなければ、いけなかったのだ。

そこで、教団にこの依頼が来たのだ。



「そんな・・・事が?」



それを聞いて彼女は驚くしかなかった。

あの男は知っていたのだ、自分があの日に死ぬ事を。

あんなに酒を飲んでいたのは、自分に訪れる死の恐怖を少しでも紛らわせようとした結果なのかもしれない。

そしてあの時言ったもうすぐ会えるというあの言葉。

あれはもうすぐ死んで、会いに行くという意味だったのだと、今ではそう思う。



「もう少しすれば、世間が騒ぐであろうな。その時にその企業の事もまた知るだろうが・・・まあ、それはどうでもい。
 お前は最後にあの男が笑って死んだと言ったな?娘の名前を呼んで、死んでいったと」

「・・・・・・はい」

「奴の情報を調べた兄弟達からの報告だと、あの男は笑うという事が無かったらしい。
 ただ寡黙に、自分の目的を果たすためにな。だから、私は思うのだ。
 お前を見た最後の瞬間は、きっと救われていたのだろうとな。そう思うのだ」

「そう・・・でしょうか?」

「誇れ我が弟子よ。お前は一人の人間を殺し、そして命のなんたるかを学んだ。
 そして同時に、お前はその一人の人間を救ったのだ。あの男の魂を、な」

「・・・・・・本当に、そうしていいのでしょうか、我が、師よ?」



震える声で彼女は師に尋ね、師はしかと頷き言った。



「ああ、この私が許そう。だから・・・もう泣いていいんだ」



その言葉を聞いた瞬間に、彼女の中に溜まったものが、弾けた。



「う、ああ、うああああああああああああああああッ!!!!」

「泣くがいい。泣いて、そして自分を許すのだ」



彼女はずっと師の腕の中で大声で泣き続けた。

師は泣き止むまで、彼女を抱き締め続けた。




















――――――後日、とある企業の不正が明らかになり、その企業は破滅の道を辿り始めた。

――――――開発者チームの汚名は雪がれ、彼等の功績は正しく評価された。

――――――そして報道されたニュースにはあの男の名前もあった。

――――――自らの命を懸けて企業の不正を暴いた、英雄と紹介されて。

――――――こうして、一人の復讐者が命を懸けた復讐劇は幕を閉じた。

――――――事の真相を知るのは、舞台裏で活躍した者達だけであった。




















あの任務から数日、彼女はしばらく休みを貰い自己の鍛錬をしていた。

休んでいるだけでは、気分は良くならないと考えたからだ。

彼女はあの男に感謝していた。

彼の御蔭で、自分は本当の意味でアサシンとなる事が出来たのだと。

人の命を奪うという事が、どれほどのものかを教えてくれたから。



「此処にいたか我が弟子よ」



その声に彼女は振り向く。

そこには予想通り、自分の師が立っていた。



「あ、どうかしましたか、我が師よ」

「お前にあの任務での褒美を与えていなかった事に気付いてな。それを渡しに来た」

「そんなッ!?いいです我が師よ。そんな恐れ多い」



自分は与えられた任務を全うしただけだ。

既に報酬は手にしているのに、その上まだ褒美を与えられるなんてと、彼女は恐縮する。



「気にするな。任務が終われば渡そうと思っていたものだ。お前の初任務だからな。
 それにこれはお前の今後にも必要になるものだ。受け取れ」

「私の今後に必要な物・・・ですか?」



彼女がそう言うと、師は彼女にある物を渡した。



「これは・・・師の懐中時計、ですよね」



それは、彼女の師が愛用していた懐中時計であった。

彼女は師の愛用の品を受け取り嬉しかったが、これがどうして自分に必要になるものなのか分からなかった。



「あの、どうしてこれが私に必要なものなのですか?」

「これを使用して、お前の時を操る程度の能力を鍛えるからだ」

「これで・・・ですか?」

「そうだ。この時計の針を、お前の能力のみで止めるのだ。そして止めていられる時間を延ばす鍛錬をする。
 今まではアサシンとしての修行しかしなかったが、今のお前になら能力の鍛錬をしてもいいと判断する。
 これを機に更に励めよ、我が弟子よ」



彼女はその言葉を聞いて喜んだ。

また師に認められたと、歓喜した。



「ハイッ!我が師よ」



それを聞いた師は、感心して頷いて言った。

彼女の好きな言葉を。




















「うむ、それでこそ我が弟子だ」

「ありがとうございますッ!」



――――――そう答える彼女の顔は、とても幸せそうだった。





































という訳で、今回は咲夜さんの初めてのお使い・・・じゃなくアサシンとしてのお仕事でした。

まあ、ちょっとした雑用みたいなのはしてましたが、一人でやったのは今回が初めてという事になります。

咲夜さんのした最初の仕事はあれでよかったと思います。

早く立ち直る事が出来たんですからね。しかも大事な事も学べたようで。

企業への復讐をした男の話は書いてる途中で思い付きました。

おお、電波電波。

そして懐中時計が来ました。今の咲夜さんが使ってるのはこの時貰った、というのがこの話での設定になります。

前の話に懐中時計が出ていたのがこれの伏線だったのさだったのさのさのさ。

それでは!



[24323] 第十三話 動き出す運命の歯車
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/12/19 00:12






彼女が教団に来てから、七年ほどの年月が過ぎた。

彼女は教団のアサシンの中でも最高と呼ばれるほどの腕前と実績を積み重ねてきた。

師から教えてもらった能力の鍛錬法は、彼女に大きな恩恵をもたらしてくれた。

今では集中が続く限り時間を停止する事が出来るようになった。

その他にも、ある程度の空間を弄る事も可能になった。

この能力を加えて、更に彼女はアサシンの腕を上げていった。

そうする内に彼女は危険な任務をこなしていくようになり、更にその実力を上げていった。

彼女が主に担当するのは、妖怪退治が多かった。

妖怪は能力持ちの存在が多く、それを処理するのは手練のアサシンでも難しい。

だが彼女の時を操る程度の能力は、その困難な処理作業をものともしなかった。

恐らく、対能力者の相手なら長の次の腕前があっただろう。

マスターの位こそまだ無いが、それも彼女が若いからというだけの話だった。

彼女は成人したその時に、マスターの位を得る事が約束されていた。

そんな彼女は今、自分の部屋を持ち一人で過ごしていた。

二年ほど前に、もう一人の部屋の住人であるテレサがいなくなった為だ。

テレサは、任務に失敗し、そして死んだ・・・・・・という訳ではない。

アサシンならありそうな話ではあったが、テレサがもうこの部屋にいないのは別の理由があった。

単純な話であった。

一人前のアサシンと認められた彼女は、自分の部屋を与えられたというだけの話だった。

ではテレサは何処へ行ったかというと、テレサはマスターの位を与えられた時にまた別の所に移ったのだ。

今の部屋よりも過ごしやすい豪華な部屋で、下手なホテルのスイートルーム以上の造りであった。

ちなみにテレサ本人はその部屋には満足はしていたが、可愛い妹分がいないのは寂しいと言っていた。

だから時々だが部屋に来て、一緒に過ごす時間というものはあった。

彼女も寂しいと思う時があり、テレサと過ごすのは嬉しかった。

彼女が教団に来てからそれなりの時間が過ぎた。

小さかった彼女も大きくなり、そしてなにより美しくなった。

その美しさは例えるなら、蕾が咲き始める時の美しさのようなものだった。

そんな風に成長していた彼女だが、悩みのようなものも当然あった。

それは我が師についてであった。

昔は褒められれば素直にそれが嬉しかったが、最近ではそれ以上に恥ずかしさを感じるようになった。

嬉しいのだが、どうにも師の賛辞を素直に受け取れなかったのだ。

頭を撫でられた時は嬉しさ以上に恥ずかしさが増し、顔を朱に染めるばかりだった。

今では昔の自分が羨ましいとさえ思えるようになった。

あの頃は師の腕の中で安心して眠る事も出来たが、今では恥ずかしくてとても出来なかった。



「テレサ姉さん。私どうすればいいんでしょうか?」

「・・・・・・うん、ごめん、それ私じゃどうしようもない」



テレサは彼女にズバリそう言った。

今彼女は自分の部屋でテレサに自分の悩みを相談している最中だった。

しかしテレサからの返答はそんな投げやりなものだった。

すると彼女はテーブルを叩き、ガチャンとテーブルの上にあった食器が鳴り、少量の紅茶がこぼれる。



「そんなッ!?じゃあ誰に相談すればいいんですかッ!?
 アル兄さんもジョヴァンニ兄さんも、こんな相談しても丸っきり役に立たないじゃないですかッ!」

「さ、さりげなく酷い事言うねチビ。いやでも・・・確かにそうだけど」



そんな風に憤慨する彼女にテレサは苦笑するしかなかった。

言ってる事は酷いが、彼女の言い分はもっともだとテレサは思う。

まずアルは駄目だ、問題外。

こんな話をしてもどうすればいいかうんうんと唸るだけで役に立たないだろう。

ジョヴァンニはもっと駄目だ。

いや、アルよりかは良いアドバイスは出来そうだが、あんな脳と下半身が直結したような奴に相談すれば何を吹き込まれるか。

となるとやはりこういう相談は自分しかいないだろう。



「まあ・・・あれだよ。思春期特有の感情だと思うよ?あーでもこの場合反抗期って訳でもなさそうだしね」

「じゃあ何なんですか?」

「えーと・・・長を異性として見るようになったとか?あ、たぶんこれだわ」

「い、異性として、ですか?」



それを聞いた彼女は少し顔を赤らめる。

言われなければ意識はしなかったのだろうが、言われるとどうしても意識してしまう。

彼女とて年頃だ。

そういうのに興味が全く無い訳ではなかった。



「ほら、あんたも女の子なんだしさ。やっぱりそういう恥ずかしさっていうのかな・・・そういうのだと私は思うよ?
 あれだよ、父親を男の人としてつい意識しちゃうとかそんな感じかな、うん。そういうのは普通にあると思うよ」

「そ、そうでしょうか?テレサ姉さんにも、そんな時があったんですか?」



彼女の問いに、テレサは軽く頭を捻り唸る。



「私の時?うーん・・・どうだったかな?そもそも私には父親なんていなかったしね。
 確かに私が長を師と仰いでいた時は、父親みたいな感情はあるにはあったんだけど、チビみたいな感情は無かった・・・かな?
 そういう異性に対しての恥ずかしさってのは、アルに感じてたかな?兄貴みたいなものだったしね、アルは」

「それに好きでしたしね、アル兄さんの事」

「・・・・・・・・まあね」



テレサは少し顔を赤くして頷く。

少し恥らってるが、出会ったばかりのように慌てて返事をしていないところから、テレサも成長したのだろう。

成長しているのは、彼女だけではなかった。

ジョヴァンニもマスターの位を与えられて、教団最強のアサシンと謳われるようになった。

直接対決するなら、もう長よりも強かった。

だがアサシンとしての力はまだまだ師に及ばなかった。

どうしても師の虚を突く事が出来ず、逆に返り討ちに遭う事ばかりだった。

アサシンとしての強さは戦闘での強さではなく、戦闘をしないで相手を殺す強さを言うのだと彼女は学んだ。

その点、アルはまさにそういうアサシンとしての強さを持っていた。

その腕前は既に長と同等と言ってもよく、強さの差といえば経験くらいのものだった。

今ではアルは長の変わりに教団員に指示を出す事もよくあった。

彼女はいつか自分もアルのように、本当のアサシンとしての強さを身に宿したいと尊敬している。

テレサもテレサでマスターアサシンとして活躍し、その実力は組織でも上位に入るものだった。

自分が教団に来てから、だいぶ時間が経ったなと、彼女はしみじみと感じる。

教団のメンバーもだいぶ変わった。

新入りのアサシンも入ってきてし、任務中に殉死して亡くなった者もいた。

新入りのアサシンには今の自分よりも歳が上の者もいて、そういう人に先輩呼ばわりされるのはむず痒いものを感じた。

殉職したアサシンの中には彼女と仲の良かった者もいた。

先輩達は師からは教えられなかったものも教えられたし、同年代の者とは楽しく遊んだ。

そんな人達が死んでいった時はまた泣きに泣いた。

その度に教団の兄弟達がどれだけ大事な存在なのかを、彼女は痛いほどに感じた。

そして思うのだ。

我が師のような立派な存在になり、教団のみんなを導けるような、そして守れるような存在になりたいと。



「あ、そういえば」

「どうかしましたかテレサ姉さん?」



何かを思い付いたようにするテレサに、彼女は何かと尋ねた。



「いやね、今更なんだけど、チビの名前ってどうなってるのかなってさ」

「私の名前・・・ですか?」



自分の名前。

我が師と出会う前にも自分には名前もあったのだろうが、彼女はそれを忘れてしまった。

あの頃は生きるだけで必死だったし、自分を名前で呼んでくれるような人もいなかった。

ただ生きる。

それだけを考えて生きていたら、何時の間にか自分の名前すら忘れてしまったのだ。

もっとも思い出そうとしてももう思い出せないし、別に思い出せなくてもいいと思っている。

もう自分には名前は無いものだと彼女は思っている。

我が師に我が弟子と呼ばれる。

それだけでも、彼女は十分だったのだ。



「みんなあんたをさ、私みたいにチビとか言ったり、ジョヴァンニみたいに妹よとか言ったりさ。
 それ以外だとお前とか君とか。長も我が弟子としか言わないし、ちゃんとしたあんたの名前ってのが無かったじゃないか?」

「あれはどうなんですか?ほら、キリングドール」

「あれは二つ名みたいなものだろ?私の幻殺とか、アルの静かな風とか、ジョヴァンニの多業とかみたいな。
 それと長みたいな抗う者とかさ。そういうのじゃなく、あんた自身の名前だよ」

「さあ・・・どうなんでしょう?私は特に困ってませんし、それを言うなら、長だってそうじゃないですか?
 誰も我が師の名前を言った事、無いじゃないですか」

「そういえば・・・そうだね。私、長の名前知らないや。でもあんたみたいに無いって訳じゃないだろ?
 考えてみれば、あんたに名前を与えてもよさそうなもんなんだけどねぇ」

「・・・・・・そう、でしょうか?」

「まあ、もしかしたら長もそこ何か考えてると思うよ?例えば、マスターの位を貰う時に名前を貰うとかさ」

「名前を・・・貰う」



それを考えて、彼女は幸せそうな顔になる。

テレサはそんな彼女を見て少しいぶかしんだ。



「どうしたんだいチビ?なんだか嬉しそうじゃないか?」

「我が師に名前を貰えるかもしれないと、そう考えたら、嬉しくなったんです」

「へぇ?そりゃまたどうして?」

「なんだか、本当に我が師に認められたんだなって、そう思えるから」

「そうか・・・・・・本当に、そうだといいけどねぇ」

「はい・・・・・・あ」



彼女はおもむろに見た懐中時計を見て、そろそろ我が師に会いに行く時間が迫っている事を知る。



「テレサ姉さん、私はそろそろ我が師に会いに行かなければいけませんので」

「あ、もうそんな時間?それじゃ行ってきなよ。ここは私が片付けておくからさ」

「いえ、時を止めて私がしておきますから」

「やらしてよ、可愛い妹分の為にさ」

「・・・・・・ありがとう、姉さん。それじゃ私、行ってきますね」

「はいは~い。行ってらっさ~い」



テレサは手を軽く振りながら彼女を見送った。

そして彼女もそれに笑顔で答え、部屋を出て行った。





































そして彼女は我が師のいる部屋へと入って行った。



「失礼します我が師よ。今回の任務は・・・・・・アル兄さん?ジョヴァンニ兄さん?」



部屋には我が師だけではなく、アルとジョヴァンニもいた。

二人とも、深刻そうな顔をしていた。

何か問題でもあったのかと、彼女は少し不安になり尋ねる。



「二人共揃って・・・どうしたのですか?」

「いやその・・・今回のお前のする任務が、な」

「兄上、長、やはりこれはこの子一人でさせるのは不味いんじゃないかな?」

「・・・何かあったのですか?」



二人の様子がどうもおかしい。

今回の自分のする任務が、二人をそうさせているのだとは思うが、それほどに深刻なものなのだろうか?

彼女は不安そうに師を見つめ、師はその視線に答えて彼女に話を進める。



「・・・今回のお前の任務。それはある吸血鬼の始末だ」

「吸血鬼?吸血鬼の討伐なら、もう何度もしていますが、それがどうして問題なんですか?」



吸血鬼は確かに厄介な存在だが、彼女は今までに都合三十二体程を屠ってきた。

また相手にしても慢心も油断もしないが、それでも彼女にとっては難しい相手ではなかった。

それはこの三人も知っているはずだ。

ジョヴァンニが彼女に言う。



「それは、ただの吸血鬼じゃないからさ」

「そうだ。何しろ相手はあのスカーレットの吸血鬼だからな」

「スカーレット?アル兄さん、それは一体?」

「それについては、私が話そう」



長は皆を静めるとそう言って説明を始めた。



「スカーレットの吸血鬼のスカーレットとは、家名の事だ。古さだけならドラキュラよりも古い家系でな。
 有名なのは初代スカーレット家当主、エイブラハム・スカーレットだな。
 エイブラハム・スカーレットは吸血鬼としての弱点が一切無い、真祖と呼ばれた吸血鬼の王だ。
 紅魔卿の二つ名で呼ばれ、戦場を紅に染めて君臨したその姿はまさに最強といえた」



エイブラハム・スカーレット。

紀元前から存在した、古き恐怖の幻想の怪物。

紅魔の魔王として大陸にその名を轟かせた最強の吸血鬼。

その力は伝承の彼方へと消え去り分からなかったが、彼の伝説はいくつか残っていた。

曰く、ただその場にいるだけで、周りの者にいた者達は彼に向かい跪いた。

曰く、ただの腕の一振りで彼を討伐に来た軍隊の精鋭が、一瞬にして弾け飛び血の海と化した。

曰く、自身を殺そうとした者を友と呼び気に入って自身の従者にした。

それ以外にも真夏に吹雪を七日間吹雪かせただの、昼を瞬く間に夜にしただのというとんでもない伝説がある。

彼女はそれを師から聞いて呆れるしかなかった。

我が師ならともかく、自分では敵わないだろう。

師の説明が続く。



「そして二代目当主であるブラム・スカーレットもまた、父親であるエイブラハムに勝るとも劣らぬ存在だった。
 父親とは違い吸血鬼としての弱点はあったが、それでもなお強大な力を誇示していた。
 吸血鬼としてのイメージはどちらかといえば二代目の方がピッタリだ。
 傲慢かつ尊大で、人間を糧としか考えてない、そういう典型的な怪物の親玉といったところか」



二代目当主、ブラム・スカーレット。

夜の化身、麗しき闇の君、妖しき人、スカーレット・キング。

その他にも様々な二つ名で呼ばれた吸血鬼。

それがブラム・スカーレットという吸血鬼だった。

こちらは父親であるエイブラハムに比べれば礼儀正しく、そして冷酷非情であったらしい。

自身に歯向かう者は嬲り殺させその様を楽しんだり、欲しいものがあれば力で奪った。

暴君の名に相応しい存在であり、真性の魔物であったらしい。



「では今回のターゲットはそのスカーレットの当主達なのですか?」



いくらなんでも、そんなのを相手にして生き残る自信は彼女には無かった。

師が死んで来いと言うなら喜んで命を捧げるが、我が師はそういうものを嫌っている。

無理な任務は押し付けないのが、この教団の決まりでもあった。

そして案の定、師は首を横に振って彼女の言葉を否定した。



「いや、エイブラハム・スカーレットもブラム・スカーレットも、既にその死亡が確認されている」

「では他にもいるのですか?」

「そうだ。これが今回のターゲットだ」



彼女は師から写真を渡される。

そこには十歳かそこらの、赤い瞳が輝き、歳不相応に不遜に笑い白い牙を見せる、美しい少女の姿があった。



「それが今回のターゲット、レミリア・スカーレットだ」

「レミリア・・・スカーレット」



そう言って彼女はもう一度写真を見る。

吸血鬼なら見た目通りの年齢ではないだろう。

それでも、どうしても見た目の幼さが目に付く。

そして彼女は素直な感想を言う。



「・・・・・・可愛いですね」

「まあ、愛らしくはあるな」

「僕もそう思うよ」

「まあ、確かにそうですね」



その瞬間、満場一致で写真の少女は可愛らしい事が認められた。

――――――アサシンとして、どうかと思うが。



「だがいかに愛らしくとも恐ろしい力を持つ吸血鬼である事には変わりない。
 確認された能力は、運命を操る程度の能力らしい」

「運命を操る・・・ですか」



出鱈目な能力だと彼女は思う。

自分も同じくらい出鱈目な能力は持ってはいるが、その能力もまた相当なものだ。



「もっともどの程度運命を操れるかは分からん。この者は最近スカーレットの新しい当主になったばかりらしい。
 力も先代、先々代に比べれば、まだ甘いところがあるだろう。だがそれでも脅威ではある。
 この者を仕留めるのが、今回のお前の仕事だ」

「そうですか・・・他に注意すべきところは?」

「スカーレットには吸血鬼でもあるレミリア以外にも、恐ろしい力を持つ者がいる。この者達だ。」



そう言って師はまた写真を二枚渡してきた。

そこには寝巻き姿で本を読む不健康そうな紫色の少女と、厳しい顔付きでこちらを見る中華服を着た長身の赤毛の女がいた。



「まずその不健康そうな者はパチュリー・ノーレッジ。魔法使いの名門でもあったノーレッジ家の者だ。
 属性魔法を自在に操る、天才と呼ばれた魔法使いだ。今はスカーレットの所蔵する魔導書の類を管理しているらしい。
 ちなみに、喘息持ちだそうだ。体も見た通り、丈夫ではないだろう」

「見るからに不健康そうですね、師よ」

「引き篭もりって感じがするねぇ。可愛いのに勿体無い」

「紫もやし・・・そんな言葉が出てくるな」



写真の寝巻き少女は、これまた満場一致で不健康そうだと認められた。



「しかし油断の出来る相手ではないのは確かだ。そしてもう一人。この者は恐らく主以上に手強いと私は考える。
 この赤毛の女は紅 美鈴。エイブラハムの代からスカーレットに仕える中国武術の達人だ。
 門番として仕え紅魔館、スカーレットの住む館の守りを勤めている。
 この者との接触は避けるようにしろ。いかにお前の力があっても、危うい存在だ」

「・・・・・・ええ、この写真を見るだけでも強いと思えます。この三人の中で、一番の強者でしょう」



この写真は隠し撮りされたものの筈なのだろうが、この目線は明らかにそれに気が付いているように見える。

少なくとも、教団の者を察知する程の力は持っているのだろう。



「美人はいつの時代も、強いものさ。君やテレサもそうだしね。兄上もそう思うだろ?」

「この者が恐らく強いというのも認めるし、まあ・・・美人であるのも、認めるが」

「妹よ、君はどう思う?」

「確かに・・・・・・綺麗ですね」



ジョヴァンニの発言に同意する彼女。

写真で見た限りでもこの人物は美しいと思う。

だが自分の審美眼はあまり良いとは思えない。

だから彼女は。



「我が師はどう思いますか?」



思い切って師の意見を聞いてみた。



「「・・・・・・え?」」



二人の兄はこの妹の発言に驚き、そして言われた方の師を見る。

よく聞くことが出来るなと感心しつつ、師の感想を待つ二人。

二人も気にはなったのだ、この教団の長がどう答えるのかが。



「美しいと思う。写真を見るだけでもその強さの片鱗を窺えるのだからな。
 だから出来れば戦いたくない、いや見つかりたくない相手だ。戦えば無事では済まん」



長から出たのはそんな、答えてるのだか答えてないのだか分からない返事だった。

どうにも長はたまにだが、ズレた発言をする事があった。

本人は真面目なのだろうが、その返事では綺麗だと答えているのでなく、強いだろうと答えているようにしか聞こえなかった。

二人は、まあ長らしい意見だなと内心苦笑しつつ話が続くのを待つ。

だがそうはならなかった。

彼女が次に言ったこの発言によって。



「じゃあその・・・師の好みなんですか、この人は?」

「「へッ!?」」



この発言にはさすがの二人も空いた口が塞がらなかった。

長の好みの女性。

そんなもの、聞きたいと思っただけでも冷や汗ものだった。

だがそれを聞いて、二人も気になりだした。

この長がどう答えるのかが。

もしかしたら自分達は今、教団の歴史の中でも重大な場面に立ち会っているのではないかと、そんな事さえ思った。

二人は生唾をゴクリと飲み込み彼女と長を見る。



「ふむ・・・どうだろうな・・・」

「答えてください・・・・・・我が師よ」



彼女はブスッと不機嫌そうにしながら更に師に尋ねた。

戦々恐々とした二人のアサシンはそれを汗を流して見守るしかなかった。



「ん・・・む・・・むぅ・・・そう・・・だな。好ましくは、思うな」



少し熟考してから、師は彼女の問いにそう答える。



(なんか、無難に答えたねぇ・・・長)

(このセリフ・・・テレサの時に言ってみるか)



なんて事をそれぞれ考える二人。

とりあえずはこれでこの話は終わりとホッと胸を撫で下ろす。

そしてそれを聞いた彼女はというと。



「・・・・・・・・・」



ジト目で美鈴の写真をジッと見つめていた。

長が好ましいと言った点を探していたのだ。

そして見ること数秒、彼女は一つの結論に達する。



「・・・・・・・・・胸ですか?」

「「なぁッ!?」」



その時、二人に電流が走る。



「そうだ」

「「エエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!!」」



また、走る。

まさかこんな返事が返るとは、一体誰に予想出来ようか?いや、いないだろう。



「どうした二人とも?何をそんなに驚いている?」



大声を上げて驚く二人を、長は不思議そうにして尋ねる。

二人は困ったようにお互いの顔を見て、どう答えていいものかと困惑する。



「いやその・・・ええと・・・」

「長・・・巨乳好きなんですか?」

「別にそこまでではないが・・・・・・不味いか?」



長は首を軽く傾げてジョヴァンニに尋ね返した。



「いえいえいえッ!別に普通だと思いますですはいッ!」



これにジョヴァンニは慌てて長の考えを肯定し、アルの方も無言ではあるが何度も首を縦に勢い良く振る。

ちなみに彼女はというと。



「・・・・・・・・・むぅ」



自分の胸に手を当て、複雑な気分でそれを眺めていた。

今まで気にした事も無かったが、彼女は思う。



(私の胸・・・・・・小さいかな?)



彼女が尊敬するテレサは大きい。

背もそうだが、もちろん胸もである。

出る所は出て、締まる所はしまった体をしていた。

今まで散々テレサに抱き付いてきたからそれはよく分かる。

確かにあの包容力とか弾力は実に良い。

それは彼女も認めるところだ。

では自分はどうかと、彼女は軽く自分の胸を揉んでみる。



「・・・・・・・・・はぁ」



言うまでも無く、結果は悲惨なものだった。

そう言えばテレサが自分と同じ頃はどうだったかと、思い出す。



(・・・・・・・・・私よりも、大きかった)



加えて言うなら背もそうだ。

自分の背は、まだ頭がテレサの胸辺りに来るくらいの大きさだった。

自分は体の成長が遅いのではないだろうかと、不安な気持ちになる。



――――――これが彼女がこれから長きに渡る付き合いになる、人生の悩みの始まりでもあった。



そして彼女は思う。

自分の胸が大きい方が師も喜ぶだろうかと、そんなとんでもない事を彼女は考えた。

それを尋ねようとした、その時だった。



「いい加減話を進めたいのだが、いいか?」



本題を進めたいと言った不満を長が漏らしたのだ。

それを聞いて二人の目の色が変わる。



「え、ええそうですねッ!そうしましょうそうしましょう是非ともそうしましょうッ!ねえ兄上ッ!?」

「進める、そうだ、話。時間、それ、私、勿体無い、困る。困る、皆」

「だそうだから話を進めるよ我が妹よッ!それでいいと言っておくれッ!」



長のその言葉を聞いて、涙目で慌ててすぐに話を進めようとするジョヴァンニ。

アルも同意するが、片言でしかも順序がバラバラになっていた。

二人とも、もうこの空気に耐えられなかったのだ。

もし彼女があの質問をしたら、二人の寿命は大幅に縮んだであろう。



「・・・・・・分かりました。それで、何が問題なのでしょうか?」



不満はあったが、彼女もこれ以上話が進まないのは不味いと思い、それを承諾する。

それを聞いて二人のアサシンは大きく深呼吸をして落ち着く事が出来た。

空気がこんなに美味いものだと、これほど実感出来たのは初めてだった。



「それは今回のこの任務、恐らくお前は今までしてきた任務の中でもっとも困難なものになるであろうからだ。
 そしてそれは私がしても同じだろう。つまりはそれほどに困難なものだという事だ」

「最低の場合は死。そして最悪の場合は敵の駒になる・・・といったところですか?」

「そうだ。本来なら私かアルかジョヴァンニか、それか他のマスターに頼むべき任務なのだが、生憎それも出来ん」

「テンプル騎士団の流れを汲む者達が暗躍しているという情報が入ってね。
 その為に人員を割かなければいけないんだ。あいつ等と僕達は、長い因縁があるからね。ほおっておけないのさ」



テンプル騎士団。

それは暗殺教団の長きに渡る戦いの相手だった。

今でこそお互いその勢力こそ衰えたが、戦い事態はまだ水面下で行われていた。

この教団が相手にしてきたのは、その騎士団の暗部と呼べる存在達であった。



「それに今度の作戦が上手くいけば、騎士団を今度こそ壊滅させる事も出来るだろう。それも奴等の暗部を全てな。
 だから我々も本腰を入れるという訳だ。そしてその任務には暗殺教団本部の協力もある。
 既に今代のハサン・サッバーフにも許可をいただいた」

「そうだ。故に、お前しか任せられる者がいないのだ」



三人の話を聞いて、彼女は自分の意見をまず言う事にした。



「それならその討伐の任務を後回しにする訳にはいかないのですか?」



彼女の考えを、師は首を振って無理だと答える。



「それは出来ん。奴等の件とて放置しておく訳にはいかん。
 スカーレットといえば今でこそ没落し辺境で大人しくはしているが、かつては自分達の国すら持っていた程の一大勢力だった。
 二代目ブラムが当時の最高のヴァンパイアハンター達に倒され、勢力は瓦解した。
 だが三代目であるレミリアが存在すれば、またその勢力が復活するかもしれん。
 今回の任務の依頼主はそれを危惧しているのだ。そして私も、それには同じ意見だ。
 早く阻止しなければならず、そしてチャンスも今の内しかないのだ」

「チャンスが今しかないというのはどういう訳ですか?」

「スカーレットには最強の存在が二人いた。その一人が初代当主であるエイブラハム・スカーレット。
 そして奴に仕えた最強の従者でもあり、砕く魔狼と謳われた、ローレンス・リュカオン・ジェヴォーダン。
 奴は今だ生きているらしいが、今は紅魔館にいない事が確認されている。狙うなら、奴がいない今しかないのだ。
 そう、かの大戦を生き延びた数少ない伝説の魔人の一人がいない今しか、そのチャンスは無いのだ」



ローレンス・リュカオン・ジェヴォーダン。

その強さは初代当主であるエイブラハム・スカーレットと双璧をなし、スカーレットの剣として存在していた。

主であるエイブラハムとブラムが亡くなって数年してから、その姿が確認されなくなった。

だがだからといってぐずぐずと待っている訳にはいかず、彼が戻る前に処理をしなければならなかったのだ。



「・・・・・・・・・分かりました。その任務、謹んでお受けいたします」



彼女はそう言って師に頭を下げて、任務を受ける事を承諾した。

確かに説明を受けて、そうした方がいいだろうというのは彼女も同意した。

そんな彼女に、ジョヴァンニは心配そうにして尋ねる。



「いいのかい?これは本当に危険な任務なんだよ?」

「今まで危険でなかった任務はありませんでしたよ、ジョヴァンニ兄さん?」

「それは・・・そうだが」

「あまりに時期が悪かった・・・すまない」

「いいんです。気にしないでくださいアル兄さん」



暗い顔をする二人に、彼女は笑って励ます。

二人は苦笑するしかなかった。

彼女の兄であるのに、逆に励まされるとはと、苦い思いを噛み締める。



「出発は明日。それまでに装備を十分に整えておけ。必要な物はいくらでも、何を持っていっても構わん。
 こちらも準備をさせておく。今回出来るのは、それくらいだ」

「それだけで十分です。それでは、失礼します」



彼女は簡潔に答えた後、サッと踵を返し部屋から出て行った。

だが、彼女に不安が無かった訳ではない。

今までもそうだったが、もしかしたら自分は帰って来れないかもしれない。

テレサに、アルに、ジョヴァンニに、教団のみんなに会えないかもしれない。

もう我が師に、会えないかもしれない。

今までこんな想いは何度もしてきたが、今回はその恐怖が強く彼女の中にあった。

恐怖に抗う事はもちろん出来る。

だが不安なものは不安だった。

だから彼女は考えた。

どうすれば――――――この恐怖を克服出来るだろうかと。





































今回は名前だけ登場したキャラクターが三人いました。

でもこの三人は本編には出てきませんので悪しからず。二人は死んで一人は行方不明ですので。

当主二人の名前はブラム・ストーカーと本名であるエイブラハムから取りました。

行方不明の人も狼に関係してる名前ばかりです。映画の狼男の主人公の名前とか。

でもアルカディアでリュカオンを名乗るのは・・・不味かったかな?ま、いいか。

三人は出ても精々、回想とか外伝でしょうね。

そして次回はなんと咲夜さんが(###このセリフは検閲されました###)します。

それでは!



[24323] 第十四話 誓いの夜
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/12/21 19:03






「・・・・・・それでまた私に相談って訳かい?」

「・・・・・・はい、テレサ姉さん」



彼女はテレサに、今回自分がする任務について話した。

それを聞いたテレサは額に皺を作って渋い顔をする。

この任務はあまりに危険だとテレサも思う。

本来なら長かそれに順ずる実力のマスターアサシンがするべき任務だ。

とても酷だとは思う、だが、理解出来ない訳ではなかった。

自分を含めたマスターは騎士団との戦いに準備しなければいけない。

そうなれば長期に亘る任務になるだろう。

それに他の任務だってもちろんあるのだ。

その任務には他の熟練のアサシン達が担当する事になる。

彼女の援護する者を用意するのは不可能だったのだ。

そしてこの任務を任せられそうなマスター以外のアサシンとなると、実力的に彼女しかいなかった。

他の者にこの任務を出来そうなアサシンはいなかったのだ。

あまりに時期もタイミングも悪過ぎると、テレサは腹を立てずに入られなかった。

きっとあの二人もこんな気持ちに違いなかっただろう。



「クソッ!どうしてこんな事に・・・」



悪態を吐かずにはいられなかった。

準備が万全なら、この任務はマスターである者達がするべきものだった。

それが出来ないのは分かっているだが、どうしても言わずにはいられなかったのだ。

そんなテレサを見て、彼女は大丈夫と声を掛ける。



「いいんですテレサ姉さん。私はただ、自分の任務を全うするだけですから」

「だけどッ!?・・・・・・いや、そうだね。私達はそういう者達だったね。
 でもいいかい?無理だと思ったら、逃げるんだよ?逃げる事は決して恥じゃないんだからね?
 生きて帰る事。それが大事なんだ。時には投げ出さなきゃいけない事もあるだろうさ。
 でもそれは最後の手段なんだからね。それを忘れるんじゃないよ?」



テレサは真剣過ぎる表情で注意深く彼女にその事を釘刺しす。

そして彼女もそれにしかと頷き答える。



「もちろん分かってますよ、テレサ姉さん。いざとなったらちゃんと逃げますから。
 でも・・・・・・今はその、別の事が聞きたいんです」

「別の事?まあ、他ならぬチビの頼みだし、私に出来る事ならするけどさ」

「そ、そうですか。えっと・・・その・・・実は・・・」



彼女は途端に恥ずかしそうにモジモジと動いて顔を赤くする。

この瞬間、テレサはまたとんでもない事を言うのだろうと瞬時に理解する。

自分は長よりもチビとずっと一緒だったんだ。

こういう場合は決まって何か突拍子もない事を言うに決まっている。

だが大丈夫だ。

自分はもう、どんな事を言われても慣れたのだから。

だから、ああそうだ。

こうしてゆったりと紅茶を嗜んで聞くくらいの余裕もあるのだ。

それに明日はからは大事な任務だ。

そこまで突拍子もない事は言わないだろう。

というか言わないでほしい。

さあ、私の可愛い妹よ。

どんなとんでも発言でも言っていいぞッ!だが私が混乱しない範囲で頼むッ!



「えっと・・・えっとですね・・・あの・・・その・・・」



モジモジと恥ずかしそうに下を向いて、顔を赤らめて、潤んだ瞳でこちらを上目使いで見る可愛い妹。

これが可愛くない訳がなかった。

たぶん私が男なら今頃即座に押し倒しているだろうこの可愛らしさ。

というかもう抱き締めてそのまま押し倒したい今すぐ。



「・・・・・・いかんいかん、私にはアルが」



・・・よし、大丈夫だ。

今までだってこんな事はよくある事だった。

もうこんなのは慣れっこだ。

・・・・・・慣れたくなかったが。



「その・・・テレサ姉さん・・・あのね・・・その・・・ね」



モジモジしていた彼女はついに顔を上げて、そして言った。




















「夜伽って・・・どうすればいいか教えてくれない・・・かな?」




















「ぶえっへぇぇぇぇッ!?おっほッ!うおぉっほッ!ごっほ、ごほッ!」



気管に紅茶が入り思いっきりむせる。

A兵器並みの爆弾発言だったのだから、それも当然ではあったが。



「テ、テレサ姉さん大丈夫ッ!?」

「だ、大丈夫・・・な訳あるかいこのチビ介ッ!夜伽って・・・夜伽ってあんた・・・あそうか。
 病人の看護、主君の警備等の為に夜通し寝ずに側に付き添う方の夜伽だね?」

「違います」

「そ、それじゃあお通夜で夜通し起きていることかな?」

「それも違います」

「じゃ、じゃあ・・・まさか・・・女が男と一緒に寝て、相手をすることの・・・夜伽?」

「・・・それ、です」



ズバリ、当たってしまった。

これは今までのとんでも発言の中で一番とんでもない発言だった。

そのあまりの衝撃に思考の全ては停止して、ついでに心臓まで止まりかけた。

テレサは何だって彼女がそんな事を聞くのか慌てて尋ねる。



「な、なんでそんなもん私に聞くんだいッ!?」

「だってテレサ姉さん、アル兄さんと、その・・・してるじゃないですか」

「な、な、な、何を証拠にッ!?」



テレサは顔を真っ赤にして否定するが、それだけでもう十分語ってる気がしないでもない。

それでも彼女はテレサに言う。



「だってテレサ姉さんに抱き付いた時に、アル兄さんの匂いがしたもん」

「え、嘘ッ!?だって体はちゃんと洗って」

「ほら、やっぱり」

「・・・・・・アアアアアアアアッ!嵌められたぁぁぁぁぁぁぁッ!」



頭を抱え、その場で悶絶するテレサ。

うっかり彼女の罠に嵌り、アルとの関係を暴露してしまった。



「こ、こんな単純な罠に引っ掛かるなんて・・・マスター失格だ」



隠す理由は無いのだが、どうにも恥ずかしく言い出せなかった。

だから今まで言わなかったのだが、まさかこんな所で、しかもこんな状況でバレとはあまりに予想外過ぎだ。



「まあ、そうじゃないかなとは予想していたもの。姉さん、最近綺麗になってきたから」

「えッ!?そ、そんな・・・ことは・・・」



彼女にそれを言われたテレサは顔を赤くして目を逸らし、両手の人差し指を突付いてモジモジとする。

その理由は、なんとなくだが、自分でも分かっていたから。



「胸だってその、なんだか大きくなってるような感じが」

「って、何を見とるかあんたはッ!・・・そ、そりゃまあ、少しは大きくなったかもだけど・・・」

「やっぱりその・・・揉ま「ダァァァァァァァァァァァァッ!とりあえず待てッ!」・・・・・・はい」



テレサは慌てて彼女の発言を止めさせた。

このままでは自分がまたこいつの発言に釣られて変な事を言いかねない。

とりあえず事情を聞かなければ。



「オッホンッ!・・・・・・とりあえず、その・・・だ。そんな事を言うくらいなんだ。相手はいるんだろうもちろん。
 誰なんだいそいつは?事と次第によっちゃあ私も黙って「我が師です」あ、なんだそれなら別に・・・・・・・は?」



今こいつはなんて言ったんだ?

テレサの脳は理解出来ずに聞き返す。

たぶん聞き間違いかなんかだろう。

そして彼女はもう一度同じ事を言った・・・・・・顔を赤らめて。



「だからその・・・・・・我が師と・・・・・・です」



ああ、なるほど、私の聞き間違いじゃないんだね。

よかったよかったてっきり耳か頭が悪くなったかと思ったよ。

・・・・・・うん。

とりあえずこれは言わなければ。



「エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッ!!!!」



テレサは、力の限り、そして腹の底から叫んだ。



「待て待て待て待てッ!つまりあんたは長とその・・・・・・すると?ど、どうしてッ!?」

「そ、それは・・・その・・・」



理解が出来なかった。

これはあれか?ドッキリか?カメラでも仕込んでるのか?

誰が誰と何をしたいって?チビが長とナニをしたいって?

いやいやいやいやいやなんだこれ?いくらなんでも話が飛び過ぎだ。

テレサは混乱しながらも話を続けた。



「それにあんたまだ小さいじゃないか?そんなんじゃその、か、体に障るよ?」

「もう大人ですッ!生理だってちゃんと来てますッ!」

「大声でそんな事言うもんじゃないよ馬鹿ッ!それにそれは知ってるよ。前にそれの相談してきたからねあんた」

「あ・・・そうでした」

「まったく・・・誰に似たんだか。大体だよ?長だよ?あの長だよ?この教団の私等のあの長だよ?
 いやだからその・・・ああ、もうッ!どうして長としたいだなんて結果になったんだい?
 そもそも明日の任務についての話をしていたんだよ?それがなんでこんな流れになったんだい?
 あまりに急過ぎて着いてけないよ。ちゃんとした訳を話しなチビ」



話すうちに幾分か落ち着いたテレサは、そう彼女に言って尋ねる。

だが尋ねられた方の彼女はまだモジモジとして、言い難そうにしていた。



「・・・聞き方を変えるよ。あんたはその、長が好きなのかい?・・・・・・抱かれたいくらいに」

「それは・・・分かりません」

「はぁ?分からない?じゃあ一体どうして?」


益々訳が分からない。

好きでないならどうして抱かれたいだなんて言うのか、テレサには皆目検討がつかなかった。

彼女はテレサの問いに声を小さくして答え始めた。



「・・・・・・私は、今度の任務で死ぬかもしれません。それも高い確率で」

「・・・それで?」

「私は今まで師に道具として、そして師の腕として鍛えられました。私のほぼ全ては、我が師の物です」

「・・・まあね」



確かに彼女の言ってる事はアサシンとしては正しい事だ。

言ってしまえばこの教団の全てがあの方の物と言ってもいい。

無論この自分もそれは同じだ。

いざとなれば自分の命を始めとした、自分の持つ全てを捧げる覚悟は十分過ぎるほどある。

そしてそれは長も同じであり、いざとなれば自分達と同じ決断をするだろう。

言ってしまえば長はこの教団のアサシンの教科書のような存在だ。

自分達に出来るほとんどの事は長から学んだのだ。

アサシンの業も、そしてアサシンの心構えもだ。

時として自分の命を捧げる事を厭わない。

それが普通ではない事くらいは分かっていたが、自分達はこれが普通なのだ。

アサシンとは、そういうものだから。

だがそれと今の話がどう繋がるのかが、テレサには分からなかった。

彼女が続けて話す。



「私はそれで満足ですし、幸せだと思っています。・・・・・・でも」

「でも・・・なんだい?」

「不安なんです。私が死んだら、我が師は私を覚えていてくれるのか。
 恐いんです。あの方が、私をなんとも思わなくなるのが、堪らなく恐いんです」

「・・・・・・それは」



テレサは彼女の不安が、なんとなくだが分かってしまった。

長は、泣かないのだ。

長が手塩にかけて育てたアサシンは彼女の他にも過去に何人かいた。

だがその兄弟が死んでも長は泣かずに、それどころか、それが普通だとさえ言うような態度で淡々とその報告を受けるだけだった。

死を悼み、追悼はするが、それもどこか事務的な感じがしていた。

何事も無く受け入れ、そして何事も無く自身のやるべき事をするだけ。

その姿はまるで死んだ人間の事を、もうなんとも想っていないとでも言わんばかりだった。

アサシンとしては理想的な態度かもしれないが、人としてはあまりに冷たい態度だった。

そしてそれは、弟子である彼女もよく知っていた。

だからきっと、彼女は自分がそれと同じように、長になんとも想われなくなるが恐かったのだろう。



「私、それは嫌、絶対に嫌ッ!我が師になんとも思われなくなるなんて、嫌なのッ!
 そうなったら私は、私は、本当に死んでしまうッ!」



そう叫ぶ彼女は――――――泣いていた。

彼女にとって、師は自分の全てであった。

その人に、なんとも想われなくなる。

そうなれば今の自分は――――――死ぬ。

それも生きたまま、死んでしまう。

そうなるのが、彼女は恐ろしかったのだ。



「だから・・・抱かれたいと?自分が死んでも、そうならないように」



テレサの言葉に、彼女はコクンと頷く。



「・・・欲しいんです私は。私と我が師にしかない絆が。私が我が師の物であるという証が欲しいんです。
 そうすれば、私に何かあっても、私の事を想ってくれると、思うから。・・・だから」



だから抱かれたいと、彼女は言った。

自分でも馬鹿な考えだとは分かっているが、我が師の心を繋ぎ止める方法なんて、これしか思いつかなかったのだ。

そしてそれが出来れば、自分は死ぬのを恐れる事は無い。

たとえ自分が死んでも、我が師が自分の事を覚え、想っていてくれるなら、彼女は何も恐くはなかった。

だから欲しかったのだ。

自分が死んでも我が師が忘れないような絆を、この身に。

自分の全てが我が師の物であるという証を、この身に。



「・・・・・・・・・」



テレサは腕を組んで黙ったまま彼女の想いを聞いた。


そして――――――



「・・・・・・分かったよ。私で良ければ相談に乗るよ」

「・・・・・・テレサ姉さん」



テレサの言葉に、彼女の涙が止まる。



「あんたの気持ちは、分かるからさ。私だってアルになんとも思われなくなるのは、恐いよ。
 あいつ、長と性格似ているからさ。あんたのその不安は、痛いほど分かっちゃうんだ。・・・・・・それに」

「それに?」



テレサは彼女の涙を拭い、髪を撫で、そして微笑む。



「私は、あんたの姉さんだからさ。妹の力になってあげるのは当然だよ」

「・・・ありがとう姉さん」



彼女は頭を下げて、姉の言葉に感謝した。



「さてそうなると・・・何から教えればいいかね・・・」



テレサは悩みに悩む。

こういう事を教えるなんて今まで考えた事も無かったのだから、それは当然なのだが。



「なるべくその・・・分かりやすいので・・・」

「いや、言っとくけど私もそんなに詳しくないからね?それじゃあ・・・・・」



それから彼女達は夕食になるまで話し合い、夕食が終わった後はまた就寝の時間まで話をしたのであった。





































そして彼女は今、我が師の部屋へと向かっていた。

その顔は緊張で汗を掻き、羞恥心で顔を真っ赤に染めていた。

移動する時は両手両足が一緒になって動いていた。

今までの彼女の人生の中で、一番心が乱れに乱れた時間であった。

彼女は我が師の部屋に行く間に何度も自身を確認する。

体は何度も洗って丹念に磨きに磨いた。

寝間着も下着も自分が持ってる中では一番良い物を選んだ。

避妊薬も飲んだ。

懐中時計を取り出し時間も今の時間も確認する。

若干汗は掻いているが、この後に散々汗を掻くのだから問題無いはずだ。

それに姉の助言もある。



「いいかいチビ。まず最初が肝心だよ?自信を持ちな。あんたは間違い無く可愛いんだからさ。
 顔赤くして瞳潤ませて上目使いで頼めば、いくらあの長だってイチコロ・・・だと・・・思う」



最後の方はなんだか自信が無さそうに言っていたが、それでももうやるしかなかった。

そして彼女は自分の目の前を見て呟く。



「・・・・・・・・・着いたか」



そう、とうとう彼女は目的の場所である我が師の部屋へと辿り着くのであった。

見慣れた扉が今はとても重々しく感じてしまう。

荒くなった息を深呼吸して整え、トントンと軽くノックする。



「・・・入れ」



部屋から師の声が聞こえてきた。



「し、失礼しみゃすッ!」



緊張して返事を咬みながらも、彼女は部屋へと入っていった。

師はいつものように椅子に座りながら書類を見ていた。

恐らく明日の任務についてのものだろう。

師が彼女を見て尋ねてくる。



「どうした我が弟子よ?明日は任務であろうに」

「あの・・・そのえっと・・・」

「・・・まあ、とりあえず座るがよい」

「ひゃいッ!」



彼女は師に言われるままに近くの椅子へと座った。

いつもと違う様子の彼女に師はいぶかしむが、師はそれを尋ねる事はしなかった。



「それで?こんな夜遅くにどうしたのだ?何か聞きたい事でもあるのか?」



本題に入ると彼女の顔が更に赤くなる。

覚悟して来たはずなのに、心臓がドキドキしている。

今までの任務で感じた緊張とは比べ物にもならないくらいに、彼女の鼓動は高鳴っていた。

それでも彼女はなんとか言葉を搾り出して話をする。



「あの、今日はお願いがあって・・・来まして」

「願い?なんだそれは?」

「その・・・えっと・・・」

「・・・言い難い願いなのかそれは?」

「違いますッ!いえ、違いませんけど言い難い訳じゃなくて、話し難いというか頼み難いというか・・・」

「早く言ったらどうだ?」

「ハ、ハイッ!・・・スゥ・・・ハァ・・・」



彼女はもう一度深呼吸をする。

そして姉が言った事に従い、上目使いで我が師を見て、思い切って自分の想いを師に伝えた。



「今日はその・・・私を抱いて・・・寝て、くれませんか?」

「・・・・・・なに?」



言った、言ってしまった、ついに言ってしまったッ!

彼女は途端に顔を真っ赤に蒸気させ恥ずかしがり目を逸らしてしまう。

だがそれでも気になり、我が師の顔を見る。



「・・・・・・・・・」



師は彼女を意外そうな顔で見詰めていた。

ほとんど無表情の師のこんな顔は、自分も意外で驚いてしまった。

顔の動きは目がちょっとだけ大きくなり、眉が少し動いた程度だったが、長い付き合いである彼女には師が驚いてるのが分かった。

師がこんなに驚いているのを、彼女は初めて見た。



「・・・・・・・・・」

「あの・・・我が師よ?」



黙っていては不安になってくるではありませんか。

そう彼女は言いたかったが、緊張し過ぎてそれ以上声が出なかった。

駄目だったろうか、断られるだろうかと、思わずにはいられなかった。

そんな不安を抱く中、師はついに彼女に告げた。



「・・・分かった。意外ではあったが、お前の願いだ、聞き入れよう」

「・・・え?ほ、本当ですかッ!?」

「ああ、お前は先に待っていろ。私は明かりを消す」

「わ、分かりましたッ!」



彼女はそう言うとすぐに師のベッドに入り、師が来るのを緊張して待つ。

不意に、部屋の明かりが消えた。

すると師の足音がこちらに近付いて来る。

一歩・・・二歩・・・三歩・・・四歩と。

その音が近付く度に彼女の鼓動は大きくなっていった。

そしてとうとう、音がベッドの前まで来た。



「入るぞ」

「は・・・はい・・・」



彼女は蚊の鳴くような弱弱しい声で小さく返事をする。

師がベッドの中に入ってくる。

そして師の手が不意に自分の手に触れた。



「ッ!?」



彼女はそれに驚き、思わず手を引っ込めてしまう。



「どうした?」

「いえその・・・緊張しまして・・・」

「・・・それも、そうだな」



もう頭の中は混乱して真っ白だ。

何も考えられなかった。

その時、彼女の体を師の腕が抱き締めた。



「あッ!・・・う・・・」



師に抱き締められた瞬間に、彼女は体を丸め小さくなり、生まれたばかりの子犬のように震えだした。

自分の鼓動の他に師の力強い胸の鼓動が聞こえてくる。

それを聞く度に彼女の心臓も速くその音を鳴らす。

師の暖かい体温で抱き締められてその温もりを感じる。

それを感じる度に彼女の体が熱くなってくる。

師の全てが自分の体を包んでいくような感じだった。

もう自分は自分ではどうしようもないくらいに混乱している。

こうなればもう我が師に全てを委ねよう。

自分が何かするよりもずっと良いはずだ。



「震えているが、怯えているのか?」

「・・・少し。やはり恐いので」

「そうか・・・そうであろうな」



そう言うと師は少し彼女への抱き締めを強くした。



「それでは―――」

「う・・・あぁ・・・」



いよいよだと、彼女は混乱しながらも思った。

ああ、我が師よ、どうか私の事は好きにしてください。

師が望まれるのなら私はもうどんな事でもします。

でも出来るなら痛くしないでください、初めてだから。

そんな事を彼女は混乱しながら心の中で師に懇願する。

そして師は――――――彼女に告げた。




















「明日は任務だ。しっかり休むのだぞ、我が弟子よ」

「・・・・・・・・・え?」





















彼女は、その言葉に拍子抜けした。

体の緊張も一気に無くなってしまった。



「どうした?何かあるのか?」

「あ、いえ、その・・・それだけ・・・ですか?」



緊張を無くして気が抜けてそう返事をする彼女に、師は不思議そうな顔で彼女を見る。



「他に何がある?」

「・・・・・・いえ」

「お前の今回の任務は難しい。恐れるのも無理はない事だ。それを恥じる事はない」

「・・・・・・はい」



彼女は少し安心しながら、だがどこか不満そうにして返事をした。

あんなに緊張していた自分が、まるで馬鹿みたいではないか。

こっちは何度も覚悟をして此処に来たのに、あんまりではないかと、思わずにはいられなかった。



(・・・馬鹿、鈍感)



彼女が心の中で師に言ったその言葉は、奇しくもかつてテレサがアルに向かって言ったセリフそのままであった。



「・・・・・・何かあったか?」

「もう・・・いいです。・・・・・・まったく、もう」

「うん?そうか?」

「・・・・・・はい」



一度解けた緊張は戻る事無く、彼女はボフッと師の体に抱き付く。

その瞬間、ふと思う。



「こうして一緒に寝るのは、久しぶりだな。懐かしく感じる」

「・・・そうですね」



そう、彼女が思ったのはまさにそれだったのだ。

懐かしかった。

こうして師の腕を枕にして寝るなんて事は、久々の事であり、もう何年も無かった事だ。

今はもう先ほどのような恥ずかしさは既になく、安心して師の腕の中にいられた。

そう、昔のようにだ。

昔のように恥ずかしさを感じずに、我が師に甘えて眠る事が出来たのだ。



「此処に来たばかりの頃は、毎日こうして寝たものだな」

「そう・・・でしたね」



泣いてばかりだったあの頃。

自分が一人で眠れず、駄々を捏ねて一緒に寝たいと言ったのが始まりだったと思う。

今ではあまりに不敬な事を言ったものだと苦笑するが、それでも言ってよかったと思う。

だってそれが言えたから、一緒に寝て安心して眠る事が出来たのだから。

今思えば、あの頃が本当に幸せだったように思う。

もちろん今も幸せなのは変わらないが、それでもそう感じるのは、自分が此処に来て七年も経ったからだろう。

七年もいれば、若くとも思い出を懐かしむだってあるのだと、彼女はこの時に知った。



「しかし驚いたぞ?まさかその歳でまだ私とこうして寝たいだなど「言わないでください」・・・ああ」



人の気も知らないで偉そうにしないでほしい。

そんな事を思う彼女だったが、さすがにこのままでいるというのも気まずい。

何か話題はないかと考えた彼女は、姉との会話を思い出す。



「あの、我が師よ」

「なんだ我が弟子よ?」

「眠るまで、いくつか質問をしてもよろしいですか?」

「いいぞ。何を聞く?」

「師は、どうして泣かないのですか?アサシンの兄弟達が亡くなっても、師は泣きませんでしたよね。
 どうして泣かなかったのか、それが知りたいんです」



この際だ、聞きたい事を聞いておこうと彼女は思った。

どうして我が師が泣かないのか、それが知りたかった。

今ならなんでも聞けると思った。

だから、彼女は知りたかったのだ。

我が師がどうして皆が死んで泣かなかったのか。



「なに、ただの慣れだ」



師はすぐに簡潔にそう返事をした。

迷いが無い、実に我が師らしい返事だと彼女は思った。

思ったが、やはり冷たいと感じてしまった。

一瞬も迷わずにすぐにその言葉を言った我が師を、冷たいと彼女は感じた。



「慣れ・・・ですか?」

「そうだ、慣れだ。私はあまりに死に慣れ過ぎた。標的の死もそうだが、仲間の、兄弟達の死に私は慣れてしまったのだ。
 私も初めは兄弟達の死に涙を流せたのだが、今ではそれは不可能になってしまった。
 私はもう、誰かの死に涙を流す事が出来なくなった」

「そう、ですか」



それは、とても寂しく、悲しい事だ。

彼女は、そう思わずにはいられなかった。



「今では私はどんな死も平等に見る事が出来るようになった。御蔭でアサシンの業は上がったが、人としては堕ちた。
 恐らくお前が死んでも、私は涙を流すことは無いだろう」

「・・・・・・・・・」



それは、彼女が一番聞きたくない言葉だった。

自分の懸念は当たっていた。

我が師は、自分が死んだらもうなんとも思わなく――――――



「だが、私はお前の事を決して忘れはしない」

「・・・・・・・・・え?今、なんて?」



驚く顔の彼女は、師がなんと言ったのかを聞き返す。



「お前が死んでも忘れはしない。そう言った」



その言葉に、彼女の心が、揺れる。



「私は今まで死んで逝ったこの教団の兄弟達を、かつての友を、決して忘れはしない。
 忘れず記憶に留めていく。それが、私に出来る事だからだ。私は彼等との思い出を決して忘れはしない」



その言葉は、彼女の心を大きく揺らした。

揺れに揺れて、彼女を揺さ振り――――――



「だからお前の事も決して忘れはしないと誓おう。我が業と剣に誓ってな。
 お前との思い出は決して、私は忘れはしない。お前は、我が弟子だからな」

「あ・・・ああ・・・」



その言葉に、涙を流した。



「どうした?何故泣く?」



師の言葉に、彼女は涙声で訳を話し始めた。



「私・・・恐かったんです。我が師に忘れられるのが、死んでなんとも思われなくなるのが、恐かったんです。
 忘れられて、我が師になんとも思われなくなるのが、とても恐かったんです。
 私はそれが、死ぬより恐かった。それが、一番・・・恐かったんです。
 でも・・・でも・・・師は私を覚えていてくれると、言ってくれたから、だから・・・だから・・・」



彼女は師の腕の中で、胸の中で泣き泣いて自分の想いを打ち明けた。

自分が一番恐れていた事を、彼女は打ち明けた。

そしてそれが杞憂だった事に安心して涙し、師の言葉に感謝し歓喜し、涙を流したのだ。



「お前は自身の死よりも、自身が忘れられるのが恐いのか?」

「うう・・・は・・・はい」

「そうか・・・ならばそれは何もおかしくはない」

「どうして・・・ですか?」



普通、忘れられるより死ぬ事の方が恐いはずだ。

それなのにどうしてそれがおかしくないのか、彼女には分からなかった。

だがそれは、続く師の言葉がそれを説明し始めた。

どうしてそれが、おかしくないのかを。



「死は二つある。自分が死ぬ事とそして、自分が忘れられる事だ。
 人は死んでもすぐにその存在が無くなる訳ではない。誰かの記憶に、何かの記録に残り、世界に留まる。
 そして世界の全てから忘れられる事によって、人は完全に死ぬのだ。それは人間も魔物も変わらない事。
 いや、この世界に存在する全てのものがそうなのであろう。物であれ、人であれな」



それを聞いて彼女は納得した。

自分は死を恐れてはいないと思っていたが、それは間違いだった。

自分は忘れられる事が恐かった。

でも師の言葉に従うならば、忘れられる事を恐れるのと死を恐れる事は同じ事なのだと、彼女は納得した。



「では、覚えられてる限り、私は死んでも、生きていられるのですか?」

「矛盾しているが、そうだろうな。生きるのだ。――――――私の思い出として」



――――――そして、誰かの思い出として。

彼女は涙を拭って師の顔を見る。

そこには先ほどまでの怯えは存在しなかった。



「・・・だったら私は、死ぬのは恐くありません、だって我が師が私を覚えてくれている限り、私は死なないんですから」

「私が死んだ場合はどうするのだ、我が弟子よ?」



そんな師の言葉に、彼女はこう答えた。



「その時は――――――私が師の事を覚えておきます。私、ずっと覚えてますから。
 我が師の事、教団のみんなの事、私が・・・殺してしまった人達の事。絶対忘れませんから」

「・・・そうか、そう言ってくれるか」



そう言う師の顔は、とても安堵したものだった。

表情こそ変わらなかったが、彼女は初めてそんな師の顔を見た。

今なら自分にも分かる。

今の師はきっと、自分と同じ気持ちなんだと。

そう思うと彼女は嬉しくなり、師の体に抱き付く。

今こうして一緒にいる事が、彼女は幸せだった。



「でも、やっぱり死なないでください。我が師が亡くなれば、私は絶対に・・・泣いてしまいますから」

「ああ・・・分かったよ、我が弟子よ」



その言葉を聞けて、彼女は更に安堵する。

師が生きている限り、私は死なない。

私が生きてる限り、師は死なないと、安堵する事が出来た。

そして彼女はもう一つ我が師に質問をした。



「それじゃその・・・どうして私には名前が無いのでしょうか?それが少し気になって・・・」



自分に名前が無い事が今の彼女にとって不思議な事だった。

どうして教団の中で自分にだけ名前が無いのかが、分からなかった。

彼女の師は、それについても語ってくれた。



「アサシンには、語る名前なぞ無い方が良いからだと、私は考えるからだ」

「でも・・・みんなにはありますよ?」

「我が弟子よ、お前は私にとってのなんだ?」

「無論、我が師の道具であり、我が師の腕です」



彼女はすぐにそう答える。

その答えを聞いて師も満足気に頷く。



「そう、だからだ。名を語るべきでない私にとって、我が道具も腕もその名を語るべきではないだろう?
 そしてこれは名前のある他の兄弟達には決して出来ない事だ。これは私とお前だけにしかない、絆のようなものだ」

「私と、我が師だけの、ですか?」

「そう・・・そうだな。考えてみれば、そういう者はお前が初めてかもしれん。
 お前に才があったから、私はそうしたのかもしれん」



それを聞いて、彼女は更に嬉しくなった。

教団で名前が無いのは自分だけ、それはつまり我が師にとってのそういう存在が自分だけという事だった。

この事実を知って彼女は嬉しくてまた涙を流す。

我が師が自分の事を特別に見ていてくれたのだと知り、嬉しかったのだ。



「お前はよく泣くな。悲しい事でもあったか?」

「うれし・・・いんです。我が師が、私の事そんな風に、想っていてくれて・・・嬉しいんです」

「そうか・・・そうなのか・・・そうだったな」



師は彼女の頭を抱き寄せ、その上に自分の頭を乗せて彼女を撫でて、そしてしみじみと言う。



「人は・・・嬉しくても泣くのだったな」



彼女の師は、そう呟き彼女の髪を撫でる。



「私は、私は幸せ者です。我が師よ。私はどうすれば貴方にこの恩を返せるんですか?」

「ならば・・・決して裏切るな。それだけで十分だ」

「それだけで・・・いいんですか?」

「裏切らない。それだけが出来れば、私達は家族でいられる。だから、それだけでいいのだ。
 自分を裏切らない。その確信があるだけでも、守る事が出来る、守られる事が出来る。
 それだけで、私は安堵する事が出来るのだ。分かるか、我が弟子よ?」

「はい、分かります・・・我が師よ。とても、とてもよく分かります」



彼女はその心のしかと刻み込む。

決して忘れない事を、そして、決して裏切らない事を。

絶対に、絶対に――――――忘れない、裏切らないと、自身の魂に誓って。



「あ・・・そうか」



その時、彼女はある事に気が付いた。



「どうした?」

「私、分かった気がします。師が泣かない理由が」

「・・・・・・なんだそれは?」



興味深そうに尋ねる師に、彼女は自分が気が付いた答えを言った。



「悲しく、なかったからですよ。だって、みんな我が師の中で生きているから。だから、師は悲しくなかったんです」

「・・・・・・そうか、そうだったのか」



師はその答えを聞いて、どこか安心した様子でそう呟いた。



「私の心は、まだ人のものだったのだな。・・・弟子にそれを教えられるか。
 やはり・・・・・・生き続けてみるのも、良いものですなぁ・・・長よ」



誰かに言うように、師は虚空に向かって呟く。

長というのは我が師以前の長の事だろうかと、彼女は推測する。

きっとその人も、師の中で生き続けているのだろう。



「感謝するぞ。その事を私に教えてくれて。・・・いや、こう言わせてくれ」



師は彼女の瞳を真っ直ぐに見詰めた。




















「――――――ありがとう」



そう言った我が師の顔は――――――笑っていた。




















「え・・・あ・・・」



彼女は初めて見た、我が師が笑った顔を。

彼女はその師の笑顔に、心を奪われた。

だってそれはあまりに尊くて、優しくて、穏やかで、綺麗で、そしてなにより――――――暖かかったから。

心臓の高鳴りが、少しだけさっきの様に戻った。

トクンと、小さく音を立てて。

でもこの音は、さっきのものとは別のものだ。

これはもっともっと、もっと大事なものだと、そう思ったから。



「顔が・・・少し赤いぞ?」

「そんな・・・見ないでください。・・・・・・恥ずかしい」



彼女は赤く染まった顔を師の胸の中に埋めて隠し、恥らってそう答えた。



「そ、そうか?」

「そうですよ・・・もう」



困惑する師に向かい、彼女は師にしか聞こえない小さな声で答えた。



「・・・・・・ならばもう寝るが良い。明日から任務になるのだからな」

「分かってます。でもその前に」

「聴きたいのか?私の歌が?」

「・・・・・・はい」

「分かった・・・なら、いつものでいいな?」

「・・・・・・はい」



師の胸の中で、彼女はコクリと頷き答える。

それを聞いた師は、静かに歌いだす。

ああ、久々に聴く。

師の腕の中で、温もりを感じてこうして眠りながら歌を聞くのは何年振りだろうか?

とても、とても心地良い。

とても、とても、とても――――――幸せだ。

うつらうつらと意識が揺れて、彼女は眠りについた。

深く、深く眠って、そして夢を見る。




















「覚えておけ。私はお前の師であり、そしてお前は私の弟子だ。これからもずっとな。
 それが私とお前だけの――――――絆だ。私達には、それだけで十分過ぎるくらいに十分だ。
 そうだろう――――――我が弟子よ?」




















そして、時計の針はカチリカチリとその針を進めていく。

明日に向かい、未来に向かい。

ぼんやりとした彼女の意識が、十六夜 咲夜の意識が、段々はっきりとしてくる。

深い眠りから覚めていく中、咲夜は泣いていた。

思い出したから、思い出してしまったから。

みんなの事を、我が師の事を、そして、自分が絶対に忘れないと誓った想いを。



(ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・テレサ姉さん、アル兄さん、ジョヴァンニ兄さん、みんな。
 忘れないって・・・みんなの事忘れないって・・・絶対忘れないって私、誓ったのに)



彼女は、咲夜は思い出す。

我が師に向かい、裏切らないと誓ったあの時の夜の思い出を。



(ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・我が師よ。
 裏切らないって・・・絶対に裏切らないって・・・私、誓ったのに)



どれだけ我が師は嘆いただろう?

どれだけ我が師は悲しんだだろう?

どれだけ我が師は――――――私に失望しただろう?

咲夜は、彼女は覚醒する意識の中でただひたすらに謝り続けた。

何度も、何度も何度も、何度も何度も何度もだ。

ただひたすらに、彼女は、咲夜は誤り続けた。

ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も、何度も――――――




















――――――それはとても深く、そして悲しい現実に嘆いているようだった。

――――――そして物語はまた進んでいく。

――――――カチリ、カチリと、音を立てて。





































・・・・・・ああ、またなんか湿っぽくなってまぁ。

ここで過去編は終わり、現代に戻ります。

前半はまああれでしたが、後半はまああれになりました。

こんな展開になるとは・・・想定外・・・想定外・・・想定外だ・・・!

どうしてこれ惚れたっぽい感じになってるの?あまりにその・・・書いてて・・・あれだったよ。

さて、咲夜さんが目を覚ました時、咲夜さんはどうなるのでしょうか?

そして、次回はついにあの方が・・・出ますッ!

その方とは・・・・・・次回のお楽しみにッ!

それではッ!



[24323] 第十五話 目覚めは七色と共に
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:d86d6c57
Date: 2010/12/22 21:47






「・・・・・・朝、か」



目覚めてすぐ、彼女はそんな言葉を漏らす。

そして深い眠りから、長い夢から覚めた咲夜は起きると同時に涙を流していた。

我が師の事を想い、涙を流したのだ。

此処で再会して、我が師はどんな想いで私を見たのだろうか?

恐らく、失望しただろう。

師は言った、裏切り者と。

自分に向かいそう言った。

決して忘れない、裏切らないと誓ったあの約束を守らなかった自分にさぞ失望しただろう。

自分は忘れていた。

我が師と出会うまで、みんなの事を思い出す事が今まで無かった。

絶対に忘れたりしない。

そう言った昔の自分が、どれだけ馬鹿だったかと嘆かずにはいられなかった。

いや違う、そうじゃない。

忘れてしまった今の自分が、なによりも許せなかった。

約束を守れなかった、今の自分が。



「・・・・・・とにかく、起きないと」



このまま寝ていてもしょうがない。

そう思い彼女はベットから起きようとしたその時、ある事に気付く。

体が妙に重いのだ。

何か暖かいものが、自分に抱き付いている。



「・・・・・・・・・え?」



咲夜は掛け布団の中身を確認する。

そしてまず目に付いたのは――――――七色に輝く宝石だった。



「・・・・・・・・・え?」



彼女は慌てて布団を捲る。

そこには――――――



「・・・スー・・・スー・・・スー・・・」

「い・・・妹・・・様?」



可愛らしい寝息を立てて咲夜に抱き付いて眠っている、紅魔館の主の妹。

フランドール・スカーレット、その人だった。



「な、なんで妹様が私のベットに?」



咲夜は混乱するしかなかった。

目が覚めてみればいきなり訳が分からない事が起こっていたのだから、それは仕方が無いだろう。

どうして妹様が自分のベットに入って一緒に寝ているのか、彼女には理解出来なかった。



「どういう事?どういう事なの?一体、何がどうなって?」

「う~ん・・・えへへ~・・・」



まだ眠ったままのフランは笑いながら咲夜に抱き付く。

それを見て咲夜はというと。



「ぐ、か・・・可愛いッ!」



なんて事を言い出し始めた。

――――――おい、さっきまでの苦悩はどうした?



「い、いけない。私には、私にはお嬢様が「さ~くや~・・・へへへ」ぐほぉッ!」



寝惚けて自分の名前を言われた瞬間、まるで強烈なボディブローを喰らったかのような衝撃が咲夜を襲う。

無論、精神的な意味で。

咲夜はレミリアを敬愛している。

いやもういっその事愛していると言ってもいいだろう。

あの愛らしく可愛らしい主を咲夜は愛していた。

それはもう襲い掛かりたいくらいにである。

――――――恐いよね、ホント。

そして姉妹だから当然の事なのだが、フランはレミリアによく似ている。

もちろん髪の色や翼の形は違うのだが、根幹的な可愛らしさは同じだった。

だもんで咲夜は。



「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・!」



息を荒げて血走った目でフランの事を凝視して、危ない状態になっていた。

それはどう見ても危険人物そのもので、見かけたら即通報ものの恐ろしい雰囲気を纏っていた。



「し、辛抱堪らん・・・クッ!い、いけない・・・冷静に、冷静になるのよ私。
 と、とにかくよッ!早く、早く妹様を起こさないと。でないと私、何をしでかすか・・・」



咲夜は急ぎフランを揺さ振り、起こそうとする。

このままでは自分はお嬢様の妹を襲いかねない。

・・・・・・無論、アレな的な意味で。



「起きてくださいッ!起きてくださいよ妹様ッ!主に私の理性の為にッ!」

「・・・ふぇ?あれ~・・・・・・咲夜?起きたの?」



揺さ振られてやっと起きたフランが覚醒しきってない声で返事をする。

むくりと起きて、軽く寝惚け眼をクシクシとこすり、軽く背伸びをする。



「う~ん・・・・・・よく寝たぁ・・・・・・」



七色の宝石が輝く羽をパタパタと可愛らしく動かし、そして――――――



「えいッ!」



フランは咲夜にまた抱き付いた。



「い、妹様ッ!?一体何をッ!?」



困惑し慌てる咲夜に、フランは笑顔で返事をした。




















「おはよう――――――咲夜ッ!」

「・・・・・・・・・ゴハァッ!」



朝起きてすぐ、咲夜は気絶したのであった。




















レミリアは今朝起きてから、これからの事をどうしようか考え始める。

あのアサシンをどうやって生かして捕まえ、そしてこちらの要求を飲ませるか。

それを考え・・・ようとしたのだが、お腹が減って何も浮かんでこない。



「腹が減っては・・・か。まず何か食べないと」



しかし今日の朝ご飯はどうするか彼女は迷う。

普段なら咲夜が作っていてくれるのだが、今日は無理だろう。

昨日の今日で元気になるのは難しい。

今日くらいは休ませてもいいだろうとレミリアは考えるが、それだとご飯を作る者がいない。



「美鈴に頼むしかないかなぁ・・・うん、そうしよう」



自分で作ろうという選択肢は出てこないのがレミリア・スカーレットのカリスマである。

レミリアはさっそく美鈴の所に行こうとする。

その時、こちらに近付く足音が後ろからしてきた。



「お嬢様、おはようございます」

「え、咲夜?」



まさかもう起きたのかと驚き、レミリアは後ろを振り向く。

そしてそこには――――――



「えへへ~咲夜~咲夜~・・・・・・えへへ♪」



フワフワと飛びならが咲夜に抱き付く自らの妹、フランドール・スカーレットがそこにいた。



「・・・・・・え?どういう事?」



まさかの光景にレミリアは開いた口が塞がらなかった。



「私にも何がなんだか・・・今朝起きた時からこんな感じなんです」



咲夜は自身も訳が分からないと困惑して返事をするが、その顔は若干幸せそうにニヤついていた。

フランもなんだか嬉しそうにずっと咲夜に抱き付いている。

そしてそれを見て、なんだか面白くない気持ちになるレミリア。

それもそうだろう。

自分に甘えてほしい妹が自分の従者に甘えているのだ。

しかもその従者の方も困惑気味だが迷惑はしてないようで、むしろ嬉しそうにしている。

これがレミリアには面白くなかった。

そこまで考えた時、レミリアはある事に気付く。



「・・・ちょっと咲夜、さっきなんて言ったの?」

「え?今朝起きた時からこんな感じですって言いましたが?」

「それ・・・どういう意味なの?」

「だからその・・・今朝起きたら妹様が私のベットいて、なんか一緒に寝ていたみたいでして・・・」



咲夜の返事の中に聞き捨てならない言葉が入っていたような気がした。

確認の為、レミリアはもう一度咲夜に尋ね返す。



「今・・・なんて言ったの?」

「なんか一緒に寝ていた「ど、どういう事なのよそれッ!?」いや、私に言われましても」



自分に詰め寄るレミリアに、咲夜はそう言うしかなかった。

妹様に訳を尋ねようとしても、ずっと抱き付いてこの調子なのだ。

決して、決してこのままでもいいかなとか、そんな事を思ってない訳ではないのだ。

一方レミリアは、どうしてそんな状況になったのか気になってしょうがなかった。

どうして自分ではなく咲夜と一緒に寝たのかが気になってしょうがなかったのだ。

本音を言うなら、レミリアはフランにもっと自分に甘えてほしかった。

だが長い間地下に閉じ込めていた事が原因で、お互いの関係はギクシャクしていた。

そもそも自分の性格ではもっと甘えてほしいなんて事はとても言えなかった。

どちらかといえば後者の方の所為で上手くいかなかったのだが、それは今はどうでもいい。

問題は自分の妹が自分の従者に甘えているようにしか見えない事だ。

レミリアは今咲夜に若干以上の嫉妬心を持っていた。

どうして姉の私じゃなくて従者の咲夜にあんなにベタベタとくっ付いてるのかと、悔しかったのだ。

レミリアはこれではいけないと、フランにどうしてそんなにベタベタとくっ付いてるのかその訳を聞く事にした。



「ちょっとフランッ!フランッ!?なんで咲夜に抱き付いてるのよッ!?」

「あ、お姉様おはよう」

「って今気付いたのあんたはッ!?」

「うん♪」



まさか眼中にすらなかったとは。

レミリアの中の姉としての威厳が大きく傷付いた。

そんなのものが元々あったのかどうか別としてだ。



「うん♪ってあんた・・・とにかく抱き付くのを止めなさいッ!」

「えー・・・・・・やッ!」



フランは姉のレミリアの要求を不満をあらわにして却下した。



「な、なによッ!なんでそんな事言うのよッ!?私、あれよ?お姉ちゃんなのよッ!?」

「それでもやなのッ!」

「う・・・うーッ!うーッ!」



今のレミリアには、カリスマなんて欠片も無かった。

微塵も無かった原子の欠片ほども無かったとにかく無かった全く無かった。

無いったら無いのである。



「ま、まあまあ二人とも・・・あの妹様?そろそろ訳を話してくれませんか?」



咲夜はもう少しこの至福の時間を過ごしていたかったが、これではいい加減話が進まない。

そう苦渋の判断をした咲夜は、どうして自分に抱き付いているのかをフランに尋ねる。



「え?えっとね・・・咲夜が可愛いから」

「「・・・・・・へ?」」



二人はフランのその予想外の回答に頭が一瞬真っ白のなる。



「私が可愛いから・・・ですか?え、どうして?」

「そ、そうよ。どうして今更そんな事言うの?」

「うーんとね、実は昨日美鈴とかに話を聞いたんだ」

「美鈴と?一体なんの話をしたのフラン?」

「なんか今、この屋敷にアサシンのオジサンがいるでしょ?その人から咲夜をみんなで守ろうって・・・そういう話でしょ?」

「ええと・・・まあ、確かにそうですが、それとこれがどう関係するんですか?」

「みんなの話を聞いてね、咲夜は本当にみんなに愛されてるんだなって思ったの。そしたらなんだか可愛くなっちゃって」



それを聞いた二人は顔を少し赤くして、なんと言ったらいいか分からないといった感じで困ってしまう。

確かにそうなのだが、それを面と向かって言われるのは恥ずかしかったらしい。



「あ、赤くなった。かわい~んだ」

「もうッ!からかわないでよフランッ!」

「そ、そうですよ妹様。それにそろそろ離れてください。私は朝食の準備がありますから」

「ちぇ~・・・は~い」



少し不満を残してはいたが、フランはやっと咲夜から離れた。



「朝食って・・・咲夜、体の方はいいの?無理してない?」

「大丈夫ですよお嬢様。むしろやらせてください。少しでも気分転換したい気分なので」

「まあ・・・貴女がそう言うならいいけど・・・」



ここは本人がしたいという事をさせた方がいいだろうとレミリアは判断し、その願いを聞き入れた。

その時、自分の服が引っ張られる感覚がした。

ふとその方を見るとフランが目を輝かせてこちらを見ていた。

何か言いたそうにしているのがレミリアには分かった。



「ねえお姉様お姉様」

「なによフラン?」

「私もさ、オジサンの相手してもいい?ちょっと遊んでみたいの」



フランのその言葉を聞いて、二人は少し厳しい顔付きになる。



「・・・駄目よフラン。今回は我慢してちょうだい」

「えーッ!?なんでーッ!?」



フランは姉の言葉に不満を漏らす。

咲夜はそんなフランをなだめるように説明する。



「今回の相手は、とても危険なんです。下手をしたら、殺されるかもしれません」

「えー?そんな事無いよ?殺さないって」

「そこは殺さない、じゃなくて殺される、よ・・・まあ、とにかく、今回はそういう相手なのよ。
 それに貴女をあいつと戦わせたら、貴女加減を間違えて殺してしまうかもしれないじゃない。
 私達はあいつを生け捕りにしなきゃいけないのよ?」

「そうなの?・・・あ、そうだったねそういえば。ちぇ、面白そうなのになー」

「お願いします妹様。ここは私に免じてどうか・・・」



咲夜はそう言って目の前の吸血鬼の妹に頭を下げた。

それを見たフランは少し悩んだ後、頷いて返事をした。



「・・・うん分かった。咲夜がそこまで言うなら、私我慢してあげるね」



二人はそのフランの言葉を聞いて少し驚く。

もっと駄々を捏ねられると思ったのにこうもあっさり了承されるとは思わなかったのだ。



「・・・いいのですか?」

「今回は咲夜にとっても大事な事なんだもんね。だったら私、我慢してあげるよ」

「・・・ありがとうございます、妹様」



咲夜は再度フランに頭を下げて礼を告げる。

そんな咲夜を見て、フランは羨ましげに微笑む。



「咲夜はホント、みんなに愛されてるよね。・・・・・・羨ましいなぁ」

「そんな事は・・・妹様だって、みんなに愛されてますよ。ね?お嬢様?」

「ま・・・まあ、ね」

「そ、そう・・・?」



恥ずかしそうに答えるレミリア。

そんなレミリアを見て、フランも少し恥ずかしそうにする。

面と向かって言ったり言われたりして、二人ともさすがに恥ずかしかったらしい。



「それでは私は朝食の準備をしてきますね。お二人とも、食堂でお待ちくださいね」

「わ、分かったわ。お願いね咲夜」

「それでは」



彼女はそう言うとその場から一瞬で消えた。

恐らく能力を使用して調理場に向かったのだろう。



「それじゃ、私達も行きましょうフラン」

「う、うん・・・あのね、お姉様」



腕を組ませモジモジとなにか言いたそうにするフラン。

それを見てレミリアはまだ何か言いたい事があるのかと尋ねる。



「どうしたのフラン?」

「・・・一緒に、行こう?」



フランはそう言って自身の右手を差し出してきた。

その顔は、どこか不安そうな顔で、その言葉が小さな勇気を振り絞って言った言葉である事がレミリアには分かった。



「フラン・・・貴女」



フランが自分からこんな事を言ってくれた事に、レミリアは驚く。

驚きはしたが、それと同時に感謝もしていた。

自分からはその言葉を、その手を差し出すのはとても難しかったから。

レミリアは嬉しくなり、そして――――――その手を握った。



「そうね・・・一緒に行きましょう、フラン」

「――――――うんッ!」



妹は姉の言葉を聞いて嬉しそうに笑う。

フランは上を向いて小さく、虚空に向かって呟く。



「・・・・・・・・・頑張って、言ってみてよかったよ」

「何か言ったフラン」

「――――――なんでもないよ、お姉様。さ、行こうッ!」



そして二人は一緒に食堂へと向かって行った。

――――――とても、幸せそうにだ。





































やっと妹様が登場しましたが・・・こんな感じで大丈夫か?

ここからは妹様もちょこちょこ出て来ますんで・・・はい。

咲夜さんがヤバイ状態になりかけましたが・・・みんなはなった方がよかったかな?いや、まさかな・・・だが、しかし・・・

そんで妹様は戦いには参戦しません。残念だったねぇッ!

でも活躍はしますので、そこは安心してください。今回もある意味活躍してくれましたしね。

それでは!



[24323] 第十六話 家族を語る二人
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:d86d6c57
Date: 2011/02/15 01:33






紅魔館は現在厳戒態勢で警備を布いていた。

館周囲を結界で包み侵入者が入り込む隙間は微塵も無かった。

とはいえ紅魔館の現在出来る警備といえばこれくらいしかない。

妖精メイドは今回はいつも通りに役に立たないだろうから、普段通りに好き勝手させるしかなかった。

とはいえ誰か進入しようものならすぐにでもそれが各員に伝わる。

ただ進入を知らせるだけでなく、何処から進入したのかもだ。

――――――ヴィーッ!ヴィーッ!ヴィーッ!ヴィーッ!

そう、このような具合に。



「ダァァァァァァッ!ウルサァァァァァァイッ!」



そのけたたましい音に館の主であるレミリアが叫ぶ。

もう今日で二十三回目の警報だった。

最初の警報の時は皆慌ててすぐさま侵入者の下へと駆け付けた。

だが到着してみれば、そこには一匹の妖精が慌ててオロオロしているだけ。

これに皆は呆れて、そして同時に嫌な予感がした。

そう、結界に引っ掛かるのは全部フラフラと飛んでくる妖精ばかりだったのである。



「パチェッ!このうるさいのなんとかしてよッ!もう何回目だと思ってるのよッ!?
 こんなに四六時中ビービー鳴ってちゃ相手にも結界が張ってある事を気付かれるじゃないのッ!」

「大丈夫よ。この音は紅魔館の主な者にしか聞こえないようにしてあるから」

「なんでそんな器用な事が出来て肝心の相手以外にも引っ掛かるような結界にしたのよッ!?」

「・・・・・・だから今こうして直してるんじゃない」



パチュリーはその言葉にむきゅとうな垂れる。

確かにそこは盲点だった。

なにしろ急いで張った結界だった為に不備が出たのだ。

しかもそのまま強化したもんだから誰彼構わずに結界が反応してこのありさま。

完全にパチュリーのうっかりによるミスであった。

今現在パチュリーは結界の設定を急ぎ変更してる最中だった。



「で?何時になったらまともになるのよ?」

「・・・・・・丁度終わったところよ。これでもう妖精には反応しないはずよ」

「だといいんだけど・・・はぁ、ずっとこんなんじゃ気がもたないわ」

「お嬢様、パチュリー様、御茶をどうぞ」



紅茶の香りと共に咲夜が瞬時に現れる。

その顔にははっきりと苦笑が浮かんでいた。

それを見たレミリアはハァと溜め息を吐いて尋ねる。



「聞くまでもないけど・・・どうだった咲夜?」

「また・・・妖精でしたわ」

「やっぱり・・・まあ今さっき結界が新しく設定されたから、もうこんな思いはしなくていいわよ?」

「本当にうるさかったですね。耳がどうにかなりそうでした」



苦笑を浮かべたままの咲夜は苦い物を噛み潰すように話す。

なにしろこの音に最初一番怯えたのは他ならない咲夜であったからだ。

最初の一回目は酷かった。

レミリアはいざ勝負とばかりに皆に檄を飛ばし、咲夜はどうかお願いしますと涙を浮かべて皆に頼んだ。

それなのに来てみればそこには妖精一匹。

あまりの間抜けな展開に、その場に駆けつけた全員が気を抜かしてしまったのだ。



「ま、まあこれで妖精には反応しなくなったんだからいいじゃないの」

「パチュリー様、よろしいでしょうか?」

「・・・えっと、何咲夜?」

「妖精以外の者が引っ掛かる・・・なんて事はないですよね」

「あ・・・」

「・・・また設定の変更をお願いします」

「・・・むきゅ~」



パチュリーは嫌々また魔方陣を展開し、結界の設定変更をまた初めからし直し始めた。



「お嬢様、私一度美鈴の所に行って来ますね」

「え?ええいいわよ」

「それでは失礼します」



そう言い残して瀟洒な従者は一瞬にしてその姿を消した。



「咲夜・・・無理はしないでよね?」



主は姿を消した従者に向かい、そう心配そうに告げたのであった。



「わ、私の体力の心配もし「ほらそこキリキリ働く」むぎゅぅぅぅぅぅぅ・・・」





































昼の日差しが降り注ぎ、紅魔館の自慢の庭園が輝く。

そんな庭園には目もくれず突っ切って、咲夜は美鈴に結界の再調整の事を伝える為に、門へと向かっていた。

美鈴は今朝からずっと警備に当たっていた。

結界の反応に肉体的に一番苦労したのは彼女だ。

とにかく警備に当たってから、反応があればすぐさま美鈴は駆けつけた。

だが結果はずっと空振りが続き、美鈴もさすがに疲れが出始めた。

更に四六時中神経を張り詰めていたので疲れは益々溜まっていくのは目に見えていた。



「そろそろ休憩してもらわないと・・・普段もこれだけしっかりしてくれればなぁ」



それは今は言うべき事ではないとは分かってはいるが、どうしても考えてしまうのだ。

せめてこの十分の一、いや百分の一でも仕事をしてくれれば、制裁を加えずとも済んでるのだ。



「まあこんな事を考えてられる内がまだ幸せなんでしょうけど・・・ん?」



門に向かう途中で、咲夜はある事に気が付く。

門番の方から賑やかな声がしてきたのだ。



「・・・・・・なにかしら?」



気になり急ぎ足になる咲夜。

そして目の前にいたのは―――――



「めいり-んあそぼーよー」

「遊ぶのかー?」

「ええっと・・・今はちょっと遊べなくて・・・」

「ほ、ほらチルノちゃん、ルーミアちゃん。美鈴さん困ってるから・・・」



チルノ、ルーミア、大妖精の子供三人を相手に困っている門番の姿があった。

咲夜の姿に気が付いた美鈴は気まずい愛想笑いを浮かべる。



「あ、咲夜さん?す、すみません。すぐに帰ってもらうんで・・・」

「はぁ・・・いいわよ。少しは休憩した方がいいわ美鈴。もうずっと警備をしているじゃない?」

「いえ、まだ大丈夫ですよ。まあ、昔はいつもこんな感じだったから、別に辛くはないんですがね」



そう言ってガッツポーズをする美鈴を、咲夜は呆れ顔で見る。

自分に気を遣っているのは分かるが、いざという時疲れて動けない、なんて事になったら一大事だ。



「だったらなんで普段は昼寝なんてしているのかしら?」

「は、張り詰めた緊張感が無いとどうにも・・・でもいいんですか?気を抜いたら危ないんじゃ・・・?」

「大丈夫よ。今はこの子達がいるからね」

「どういう意味です?」



油断をするなと言ったのは咲夜本人だ。

だがその本人は今は大丈夫だと言う。

美鈴の疑問に咲夜は答える。



「もし我が師が今この状況を見ていて私達を仕留める事が可能だとしても、我が師は実行しないわ。決してね。
 そんな事をすれば、関係の無いこの子達まで巻き込むもの。我が師はそういうのを嫌うから、だからしないわ」



咲夜には、彼女にはそれが分かる。

無差別に殺すような愚行をするような我が師ではないのだから。



「・・・・・・今でも咲夜さんはあの人を信頼しているんですね」

「まあ・・・そういう人だもの。でも私は・・・その我が師の信頼を・・・」



忘れて、裏切ってしまったのだ。

美鈴は暗い顔で落ち込む咲夜を心配した。

それは他の三人も同様であった。



「なーなー?メイドはどうしてそんなに暗いんだ?何か嫌な事でもあったのか?」

「あったのかー?」

「あったんですか?」



子供心に咲夜が元気が無く落ち込んでいるのを察したのだろうか。

三人は心配そうに咲夜の顔を見詰める。

それを見て咲夜はクスリと苦笑し、心配を掛けまいと思いその場に少ししゃがみ三人の頭を撫でた。



「・・・なんでもないわ。貴方達は気にしなくてもいいのよ」

「・・・そーなのかー?」

「ええ、本当よ。ちょっと用事があって、忙しいだけだから。
 美鈴も、今日は真面目に門番する事になるから、あまり無茶は言わないであげてね?」

「・・・分かった。今日は遊ぶの我慢する」



少し寂しそうにして、チルノは渋々承諾した。

そんなチルノを見て申し訳ない気持ちになる咲夜は、チルノに礼を言う。



「ありがとうチルノ。今度は何かお菓子でも用意してるから。その時は妹様とも遊んであげてね?」

「本当かッ!?分かった、じゃあ約束なッ!」

「約束・・・え、ええ・・・約束・・・するわ」



約束というその言葉を聞いた瞬間、咲夜の顔が一瞬曇って影を落とす。



(約束を守る・・・今の私に、そんな事を言える資格があるのかしら?みんなの事を忘れて生きてきた、この私に・・・)



約束を守れなかった、そもそもその約束自体を忘れていたこの自分に、そんな事を言えるだろうか?

そもそもどうして自分は忘れてしまったのだろうか?

あんなに大事な約束を、みんなの事を、どうして自分は忘れてしまってのか。

咲夜には、それが分からなかった。



「それじゃあなー」

「じゃーねー」

「さようならー」



チルノとルーミア、そして大妖精は、それぞれ二人に手を振りながらその場を後にした。

それを見送った後、咲夜は美鈴に話しかける。



「美鈴、貴女も休んだ方がいいわ」

「だから大丈夫ですって咲夜さん。それにちゃんと守るって誓いましたからね。やっぱり気は抜けませんよ」

「・・・本当にごめんなさい。私の所為でみんなに迷惑を・・・」



落ち込む咲夜を見て、美鈴は慌てて手を振り首を横に振る。



「そんな!咲夜さんの所為なんかじゃありませんよ!それに守るって誓ったのは、何も今回に限った事じゃなですし」

「どういう事?」

「スカーレットを、家族を守る。大旦那様と、先代当主様。それにローレンスさんとか・・・まあその人達とも約束しましたから。
 今も昔も、紅 美鈴はスカーレットを守る盾なんですよ」

「・・・そういえばその三人の事、今まで詳しく聞いた事が無かったわね。どんな人達だったの?」



昔此処に来る前に名前と簡単な素性だけ聞かされた人物達。

エイブラハム・スカーレット、ブラム・スカーレット、そしてローレンス・リュカオン・ジェボーダン。

不思議とこの三人についての話を今まで詳しく聞いた事が無かったのだ。

一方質問された美鈴はというと、困った顔で悩み出す。



「どんな人達・・・ですか。一言では語れないんですよねぇ」



三人が三人とも一癖も二癖もあり実に特徴的で、何から話せばいいのか迷ってしまうのだ。



「だったら長くてもいいから聞かせてくれるかしら?休憩も兼ねてね」

「・・・分かりました」



少しでも咲夜の気が紛れるのならと、美鈴は思い話し始めた。



「まずは先代当主様のブラム様ですが・・・まあ、典型的な吸血鬼でしたね」

「それは知ってるわ。それ以外だと何があるの?」

「たぶんこれを言えばもう分かるかと思いますが・・・お嬢様はブラム様に似ておいででして・・・」

「・・・ごめん。もうそれだけで大体分かったわ」



なんというか、もうそれだけで分かったような気がする。

きっと決めるところは決めて、でもいつも決めたいと思っても普段は外すような人だったのだろう。

美鈴は咲夜が何を考えてるのか察して、苦笑するしかなかった。



「ははは・・・大旦那様に振り回されてた時は、威厳なんて欠片もありませんでしたよ。
 その時は決まってがーがー唸ってましたね。それとお嬢様達と一緒にいる時と奥様がいる時も抜けてましたね。
 ブラム様はなんだかんだで、家族を大切にしてましたから。それに父である大旦那様の事も、なんだかんだで尊敬してましたよ。
 だから大旦那様にならって、家臣の者達も大事にしていましたね。
 当主としての義務を真っ当していたから、みんなもブラム様に従ったんですよ。
 お嬢様は今でもそんなブラム様を尊敬して、少しでもそれに近付こうと頑張ってるんですよ」

「そう・・・立派な方だったのね」



お嬢様が今でも尊敬し目標としている。

それだけでも素晴しい方だったのだろうと考える咲夜に、美鈴は頷いて話を続けた。



「ええ、本当に。でもヴァンパイアハンター達との大きな戦いで、多くの家臣の方々と共に・・・討たれました。
 最後は自身を囮にして、お嬢様達を守ってくれました。そうでなければ・・・今頃は私達は・・・」



今でも美鈴ははっきりと覚えている。

多くのヴァンパイアハンター達が家臣達と戦い、領地は文字通り焦土と化した。

そのハンター達の中でも屈指の業の使い手達もよく覚えている。

人を小馬鹿にしたような態度で挑発してし、だが恐るべき早業で一刀の下に仕留めた侍。

美の女神すら嫉妬する程の美貌を持った、長刀使いの黒き衣を纏いし美しきダンピールの青年。

長きに渡り吸血鬼と戦い続けた、歴戦の戦士が集った一族達。

そして当主であったブラム・スカーレットを滅ぼした、炎を纏いし紅蓮の女剣士。

彼等の戦う様は、今でも脳裏に焼き付いていた



「なんとか生き抜いて・・・生き延びて・・・生き続けて・・・頑張りましたよ。
 残った私とローレンスさんは、お嬢様達を守るように命を受けて、そしてまあ現在に至るって感じでしょうかね」



そこまで語り終えた美鈴は、疲れたように溜め息をほうと吐いて遠くを見る。

彼女は未だにその何かを気にしているのかもしれない。

話を切り替えて進めた方がいいだろう。

そう判断した咲夜は話を進める。



「なら・・・そのローレンスというのは、どんな人だったの?」

「大旦那様と互角に戦えるだけの力を持った、狼男ですよ。そしてスカーレットが誇る完全無欠の執事でしたね。
 丁度今の咲夜さんみたいなポジションでしたよ。
 大旦那様がレミリアお嬢様で、ローレンスさんが咲夜さんでって感じですかね?」

「従者としての腕前はどうだったの?」

「もちろん優秀でしたよ。いや、あれはもう咲夜さんと同じで優秀過ぎる部類でしたね。
 ううん・・・咲夜さんが命令を受けてすぐ実行完了するなら、ローレンスさんは命令される前にそれを用意して済ませるって感じで。
 とにかく無茶苦茶に勘が良いんですよ。あれがしたいこれが欲しいって思ったらすぐにそれがある。
 そういう感じでしたねあの人は。あの勘の良さは霊夢さんと同じか、それ以上かもしれませんね」

「そんなに凄い人だったの?そのローレンスって執事は?」

「そりゃもう。普段は礼儀正しくて執事の鏡みたいな人なんですが、戦闘になったら熱くなるタイプでしたね。
 本能の赴くまま成すがままに暴れましたね。でもその動きは熟練者の業そのものでしたね。
 洗練された闘争本能と暴力。それが彼の戦闘スタイルでしたよ」



ローレンスとの稽古は、美鈴にとって実に有益なものだった。

美鈴の拳が技巧を凝らし磨き上げたものなら、ローレンスの拳は暴力を叩き上げ追求した代物だった。

ローレンスは美鈴にとって良き修行相手であり、敬うべき先達でもあった。



「三本やって一本取れる・・・そんな感じでしたね」

「今はいないようだけど・・・何処に行ったか分かる?」

「・・・分かりませんね。本来あの人は大旦那様に忠誠を誓ってたんです。
 二人は大昔に戦ったみたいで、その時の決闘で負けて、大旦那様を主人と認めたんですよ。
 ブラム様に従ったのも、大旦那様が頼むって言ったから仕えているんだって言ってまして。
 お嬢様に当主としての心得と戦い方を教授して、それからすぐに何処かへ行っちゃいまして、それっきりなんです」



ただやるべき事、成すべき事があると言って、ローレンスはスカーレットから去ったのであった。



「そうなの・・・」

「あの人が今いてくれたら、今回の問題も難しくはなかった・・・そう思いますね」



確かにそれほど優秀な人物がいたのなら現状はなんとかなったのかもしれないが、いない人物に頼る訳にはいかない。

そう思い、咲夜はまた話を進める事にした。



「・・・それじゃあ大旦那様は?どんな方だったの?」

「一緒にいたら楽しい・・・ずっと一緒にいたい、着いて行きたい。みんながそう思える人でした。
 強くもありましたが、やっぱり大旦那様は楽しい人でしたよ。
 私が修行の旅の最中に会ったんですけどね、私を一目見て「気に入ったッ!俺の所に来いッ!」なんて言ってですね。
 半ば無理やり部下にさせられたって感じでしたね」

「それはまた・・・なんとも。お嬢様達とはどんな感じだったの?」

「孫馬鹿でした」



迷い無くはっきりと言う美鈴に、咲夜はこうもズバリと言われる初代当主に呆れるしかなかった。



「・・・はっきり言うわね」

「いや、そうとしか言えませんでしたからね。特に妹様は相当可愛がりましたね」

「妹様を?それはまたどうして?」

「亡くなられた大奥様によく似ているそうでして。「俺とあいつとの間に娘が生まれたら、フランのような子が生まれたはずだっ!」
 なんて豪語されましてね。私は大奥様には会った事は無いんですが、肖像画を拝見した事はありましてね。
 確かによく似ておられるなって、私も思いましたよ。妹様が大きくなられたらこんな人になるんだろうなって思えるくらいに。
 現にもし女の子が生まれたら、名前はフランドールにする予定だったらしいですよ?」



自分の娘に付けるはずだった名前を孫娘に付けるとは、その大旦那様は随分と妹様の事を気に入っていたようだ。



「それはまたなんとも凄い可愛がりようね。でも・・・そんな肖像画、あったかしら?」

「あ、一応私が預からせてもらってるんです。大旦那様の遺品とかは大体全部」

「知らなかった・・・それで?大奥様はどんな感じの人なの?」

「聞いた話とかを判断するとですね、天真爛漫で落ち着きの無い猫みたいな人だったらしいです。
 それで・・・そうですね・・・黒がよく似合う人って感じでしたね。私が肖像画を見ての判断ですが。
 亡くなられた原因ですが、ブラム様を生まれてから段々と体調を崩していって、そのままって感じだったそうです」



その当時は大変だったらしく、特にまだ育ち盛りだったブラムは母親に死に悲しみ、泣きに泣いたらしい。

その所為かブラムは母こそが最高の女性であると考えて、それは死ぬまで変えなかったらしい。



「ようするにマザコンだったの?」

「いや、小さい子供の頃に母親に死なれたら、そう考えるのは仕方ないとは思いますよ?
 相当大事に思われてたようで・・・お嬢様の名前は大奥様の名前を捩ってつけたそうでして。
 ブラム様はレミリアお嬢様を可愛がってましたね。
 そんな感じだったからお嬢様はお父さんっ子で、妹様はお爺ちゃんっ子って感じでしたね」

「じゃあお嬢様の性格ってそのブラム様に影響されてああなったの?」

「まあ、そんなところですね」



地の性格は子供なのに妙に大人ぶった態度を取ろうとしているのは、その父親の影響を受けた為かと咲夜は納得する。

そんな咲夜を見て、美鈴はそんな風に納得しているのだろうなと予測する。

だが真実を言うなら、そのブラムも若い頃は今のレミリアと同じように父親の真似をしていたのだ。

もちろんカリスマな部分をという意味でだが。

吸血鬼の子は吸血鬼なのである。



「でもブラム様の奥方様まで大奥様と同じように亡くなられたのは・・・皮肉過ぎましたがね」

「それって、妹様を生んだからって事?」

「まあ・・・そうです。・・・といけないいけない。暗い話になっちゃいますねどうも」



これではいけないと思い苦笑する美鈴はエイブラハムの話に戻す事にした。



「大旦那様はそりゃもうしょうもない人でしたよ。ローレンスさんや私が何度も突っ込みを入れたもんですよ。
 こう、思いっきりガツンと」

「主になんて事してるのよ貴女は・・・」

「いやそう言われましても・・・家族でしたからね。ついやっちゃったというか・・・」

「家族?」

「ええそう・・・家族ですよ」



咲夜の問いに答える美鈴は、懐かしむよう優しく微笑む。



「私に紅の姓を与えてくれたのは、大旦那様でした。家族になるんだからそんなのは当然だって言って。
 でも美鈴・スカーレットじゃおかしいから、だったら紅にしようって、それで私にこの姓を与えてくれたんです。
 紅魔館の紅 美鈴。実に良い響きだって、そう言われて・・・」

「そうなの・・・」



そんな経緯があった事を初めて知った咲夜は、それを聞いて驚く。

気に入った相手に名前を贈るなんて、まるであの時のお嬢様みたいだと、思わずにはいられなかった。



「なんだか、私とお嬢様みたいね、それ」

「ああ、そういえばそうですね。家族になるものには名前を与える。何時の間にか決まった、家訓ってやつなんでしょうかね。
 嬉しかったですね・・・まさか私に家族が出来るなんてって、嬉し過ぎて涙を流したもんですよ」

「・・・そう、名前の無かった私とはまるで違うわね」

「違うって・・・そういえば咲夜さんはどうして名前が無かったんですか?」

「私は・・・名前を語らない我が師の道具であり、武器であり、腕だったからよ。
 そんなものが名前を語るのはおかしいでしょう?だから我が師は私には名前を与えなかったのよ。
 それが、私と我が師の絆だったのよ」

「それは・・・どうなんでしょうか?私には、少し分かりかねますね」



名前を与えられて絆が生まれた美鈴には、それは理解し難い考えだった。

名前を与えずに生まれる絆があるなんて、聞いた事が無かった。

咲夜はそんな美鈴の考えを察してか、クスリと笑みをこぼす。



「貴女の言いたい事は分かるわ、美鈴。それが普通じゃない事であるくらいは、私にも分かるわ。
 でもね美鈴、私はその言葉を聞けてとても嬉しかったのよ?名前が無かったのは、私だけだったもの。
 我が師は私だけに、その名誉を与えてくれたんだって、思ったのよ。
 無名という師と私とだけの絆・・・それが私の、十六夜 咲夜になる前の私の、最高の名誉だったのよ。
 だからそれは理解出来なくてもしょうがないわ。それは私と我が師が理解して・・・いれば・・・」

「咲夜さん?どうしましたか?」



声を小さくして話を途中で止めた咲夜に、美鈴はどうしてのかと尋ねる。

そして美鈴が見た咲夜の顔には、先のような昔を懐かしむ笑顔ではなく、後悔の笑みが浮かんでいた。



「馬鹿ね私・・・今はそんなもの、何の意味も無いっていうのにね。
 我が師を裏切った私には、もうそんな、それが名誉だなんて言う資格なんて、ありはしないのに・・・ね。
 名前が無い事が名誉?それを今の私が、十六夜 咲夜がそれを語る?馬鹿馬鹿しい・・・馬鹿馬鹿しいわ。
 それを言っていい者は、とっくの昔に死んだはずのにね」

「咲夜さん・・・」



美鈴は咲夜の瞳から涙が流れるのを見て、どう言えばいいのか分からなかった。

美鈴が分かるのは、今泣いてるのは十六夜 咲夜ではなく、死んだはずの名前の無い少女だと言う事だけだった。

死んだはずの、死んだと思っていた彼女の涙という事だけ、美鈴には分かった。



「ねぇ美鈴?私にもね、家族がいたのよ?大事な、とても大事な家族が」

「咲・・・“貴女”の家族は、どんな人達だったんですか?」



何故呼び方を変えたのか、美鈴にも分からなかった。

分からなかったが、そうすべきだと思ったのだ。

だから“咲夜”とは呼ばずに“貴女”と呼んだのだ。

そして“彼女”は、自分の家族の事を話し始めたのだった。



「ジョヴァンニ兄さんはお調子者で女誑しでよく注意されたけど、私を何度も笑わしてくれたわ。
 妹よ、君は笑顔が一番似合うから笑った方がいい、なんて言ってね」



教団に来たばかりの私を笑顔にしてくれた優しい兄。

口調や態度はふざけてはいたが、自分を大事にしてくれたのはよく分かった。



「アル兄さんは反対に真面目だけど鈍感だったわ。性格は我が師によく似ているって言われたわね。
 私は我が師のようなアサシンになりたかった。そしてアル兄さんはある意味私がなりたかった存在でもあった。
 我が師のようなアサシンになれたアサシンっていう、そんな存在にね。アル兄さんには何度も修行で相談して、助けてもらったわ」



厳しさという優しさを持っていた兄は、彼女の憧れの存在でもあった。

いつか自分も兄のようになって我が師の助けをしたいと、そう思ったものだった。



「テレサ姉さんは、私にとって姉でもあり、母でもあったわ。
 気は強いけど、芯はしっかりした人でね、色々相談したりして・・・憧れたなぁ。
 テレサ姉さんみたいな人になりたいって思って・・・我が師とは違った、私の理想だったわ」



彼女が教団の中で一番時を共にしたと言ってもいいだろう。

どんな時も頼りになり、兄弟達の中で一番手を焼いて自分を心配してくれたであろう姉。

いつかその恩返しをしたいと・・・そう・・・思って・・・



「教団のみんなもそう。みんな私を大事に想ってくれて、家族だって、兄弟だって、言ってくれた。
 みんな・・・みんな・・・家族だったのよ?大事な家族だったの。大事な、大事な家族だった・・・はずなのに」



共に泣いて共に笑って、一緒の時を過ごした教団の家族達。

今ではその全てをはっきりと思い出せる。

生きている者も、生きていた者も、その全員を。



「師は・・・我が師はね、私にとって父親でもあり、私が大好きだった、大事な人。
 私に、私に家族というものを、優しさを、温もりを、笑顔を、全部教えてくれた人なの。
 今の私の中にある全部を教えてくれた、大事な人・・・それが我が師なの」



あの人がいたから、今の私が存在しているのだ。

あの人がいたから、今の私の時が進んでいるのだ。

でも、それはもう――――――



「全部・・・過去の事なのよ・・・」



そう、それは過去の自分の事であり、今の咲夜の事ではないのだ。

咲夜が想っていいような思い出ではないのだ。



「私は、みんなを、我が師を裏切った。もうみんなは、私の家族じゃない。
 みんなもきっと、私の事を家族とは思わないでしょうね」

「そんなッ!そんな事ある訳ないじゃないですかッ!そこまで貴女を大事に想っていたのなら今だってきっと」

「・・・それは無いわ。だって、我が師が言ったのだもの。私の事を裏切り者と。これがどういう意味か分かる美鈴?」

「・・・・・・いえ」

「我が師の意思は、教団の創意でもある。だからあの発言は、みんなの発言でもあるのよ。
 今回は我が師と出会ったけど、違う人でも同じ事を言ったはずだわ」



師と再会して、今回の事件は始まった。

では他の者と出会ったらこのような事にはならなかったかと言われれば、彼女は否と答えるだろう。

たとえ他の者だったとしても、この事件は始まっていたはずだ。

そして全員が揃って言うはずだ。

彼女を、裏切り者と。



「ジョヴァンニ兄さんも・・・アル兄さんも・・・テレサ、姉さん、も・・・みんな・・・みんなッ!
 そうよッ!みんな言うのよッ!私をッ!裏切り者ってッ!」



彼女は叫び、そしてボロボロと泣き始める。

もう誰も家族とは呼ばないだろう。

そして変わりに言うのだ、裏切り者と。

もうお前など家族ではないのだと、自分に殺気を込めて糾弾するだろう。

あの時出会った我が師と同じような殺気を込めて。

美鈴はそんな彼女の悲痛な叫びに耐え切れず、彼女を抱き締める。



「咲夜さんッ!大丈夫ですから、私達がいますから、だから・・・だから・・・」

「私は、みんなを愛してたのよ?愛してたのに、裏切って、忘れてしまって・・・嫌よ。
 もう家族じゃないなんて、家族じゃないなんて言われるなんて、私嫌・・・嫌なの・・・」

「大丈夫ですから・・・咲夜さんには私達がいますから・・・」



自らの胸の中で泣く彼女に、美鈴はそう言うしか術を持たなかった。

大丈夫だと言うしかなかった。

だが何が大丈夫だと言われれば、美鈴には言うべき答えが無かった。

咲夜にとっては自分達がいるが、彼女にはもう、誰もいないのだから。



「どうして私は生きているの?もう死んだと思ったのに、どうして私は生きていたの?
 どうして私の中に・・・まだ生きていたのよ・・・思い出したのよ」

「今でも貴女は、その人達の事を家族と想ってる。だから思い出せたんですよ。
 今でも、愛しているから。だから、だから思い出せたんです」



美鈴はここまで彼女に想われているあのアサシンを、正直に凄いと歓心するしかなかった。

離れて何年も経ったというのに、ここまで彼女に愛され想われるなんて。

それを思うと、美鈴はあのアサシンに軽い嫉妬さえ覚えた。

咲夜は自分の事をここまで想ってくれるだろうかとか、場違いな考えを持ってしまう。



(名も知らないアサシンよ。見ていますか?彼女は今でもここまで貴方を想っているんですよ?
 それなのに貴方は彼女を裏切り者と呼び、殺すと言うのですか?
 確かに忘れていたかもしれない。でももう思い出しているじゃないですか。
 貴方の事も、貴方達の事もみんな思い出したんですよ?それに、この子は裏切った訳じゃないんです)



そう、彼女はその最後の最後まで、自分に課せられた使命を全うしようとしていた。

レミリアに敗れた後も、しばらくはずっと殺す機会を窺っていたのだ。

夜になれば一人泣いていた事もあった。

ただの偶然だったのだが、美鈴はそれを聞いてしまった事があった。

先の三人の名前も、その時に聞いた覚えがある。

ずっとずっと家族の事を想って泣いていた事を、美鈴は知っていたのだ。


 
(お願いです。貴方に慈悲があるのなら、彼女を許してあげてください。お願い・・・許してあげて・・・)



美鈴は姿の見えないアサシンに向かい、心の中で懇願する。

今の彼女には、それしか出来なかった。



「・・・咲夜さん、そろそろ屋敷に戻りましょう」

「・・・ええ、ごめんなさい美鈴。いきなり泣き出して」



咲夜はそう言って美鈴から離れて涙を拭う。

その目は赤く腫れて、拭った後でもまだ少し涙が出ていた。



「いいんですよ。今の私には、これくらいしか出来ませんから。さ、行きましょう?」

「そうね・・・行きましょう」



咲夜は小さ返事をして頷き、暗い影を落として館へと戻っていく。

美鈴もそれに続き屋敷に戻る中、今は亡き主達に祈る。



(大旦那様、ブラム様、奥様、そして大奥様。どうかみんなをお守りください。
 今の私の家族のみんなを、どうか、どうかお願いします)



紅の名を持つ一人の門番は、今はそう祈るしかなかった。




















「おや?今日は門番は休みか?いやいつも昼寝してるから休んじゃいるが、いないのは珍しいぜ。
 まあいいか、余計な時間が掛からなくて済むぜッ!」



空から門を眺める白黒の魔法使いは、門に誰もいないのを確認すると流れ星の如き速さで赤い館に向かっていった。





































さて、今回は二人にそれぞれの家族について語ってもらいました。

それにしても伏線・・・この第二章の中でどれくらいいれたかな・・・

今回もそうだけど、前回は不味かったかな・・・なにしろスレスレな感じで・・・

あまり言う訳にはいかない、か・・・うん。

そして最後に登場したのは・・・これもうみんな分かるか。

それでは!



[24323] 第十七話 ただ一つ名のある業
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:03dd8c5e
Date: 2011/04/22 20:28




「………終わった………何もかもが………むきゅ」


結界の再設定をし直したパチュリーは、しおれた紫もやしと化してぐったりとしていた。
下手に強化した結界だったので、細かい設定を組み直すのに時間が掛かったのだ。
結界の感知度に、誰が掛かるかの細かな調整。そして不評だった侵入者発見時の警報音などなど。
それらの設定を並列して一度に行いかつ急ぎ、文字通り脳の情報処理速度をフル回転させての作業。
普段ならなんてことない作業ではあったが、これが二回目でかつ急がなければならなかったので疲れたのだ。
そんな親友を眺めるレミリアは、やれやれといった表情で呆れていた。


「相変わらずの虚弱体質ねパチェ………なんとかしたらどうなの?
 あの魔法使いの爺さんも、もう少し体を動かした方がいいって言ってたじゃない」

「………あそこまで動ける魔法使いの方がおかしいのよ。魔力使ってとはいえ、美鈴と組み手が出来るなんて絶対おかしいわ」


武術の達人である美鈴と組み手が出来る魔法使いなんぞ、件の老魔法使いと命蓮寺の聖 白蓮くらいのものだろう。
体を魔力で強化して体力を上げるという方法は、パチュリーも出来ない訳ではなかった。
出来ない訳ではなかったが、体質に合わなかったのだ。使用した場合、術の反動で全身筋肉痛と化すのだ。
つまり、身体能力を上げる魔法に耐えるだけの体力がそもそも無いのである。


「肉体と精神の強さこそが~とかなんとか言ってたじゃない。私はあいつは嫌いだけど、言ってる内容は納得出来るもの。
 とても癪だけどね。でもそれを抜きにしても、もう少し動いた方がいいわよ。そんなんだから紫もやしだとか言われるのよ」

「前にあんこうを持ってこられた時は参ったわよ。ビタミンが豊富だからとか言われて食べさせられたのはきつかったわ。
 まあ、美味しかった事は美味しかったけど………」


そう、美味しい事は美味しかったが、調理の過程のあんこうの解体したのを見てしまったのだ。
見た目がグロテスクな魚が目の前でどんどん解体されていくのだ。あまり良い気分はしなかった。
もっともフランはそれを好奇心一杯の目で楽しそうに眺めて、振る舞われたあんこう料理を美味そうに食べていた。
ちなみに余談ではあるが、フランが一番気に入っていたのはあん肝であった。

ぐったりとうな垂れるパチュリーとそれを眺めるレミリアに、声を掛ける者達がいた。
門から戻ってきた咲夜と美鈴であった。


「お嬢様、只今戻りました」

「結界の調整は……終わったみたいですね」

「ええ……今やっと……ね……うう」

「あ、あははは……ご苦労様です」


今にも倒れそうなパチュリーを見て苦笑を漏らす美鈴。この状態で襲われたら、間違い無くパチュリーは役に立たないだろう。
美鈴はパチュリーに近付き首の付け根に触れて、疲労と共に乱れたパチュリーの気の流れを緩やかに戻していく。


「あ"あ"ー……それ効くわー……」

「うわぁ、オヤジ臭い。………と、これでよし。どうですか?」

「うん………だいぶ楽になったわ。ありがとう美鈴」

「いえいえ。肉体的の疲れはある程度ほぐしせましたが、精神的な疲れは気休め程度しか回復出来ませんでしたから」

「それでも無いよりはあった方がいいわ」


魔法使用の場合、疲労は肉体よりも精神の方が疲労しやすい。
美鈴の気は肉体の疲れは治せても精神の疲れには肉体同様に治せる効果は無い。
だが肉体と精神の繋がりは深いもの。劇的な効果は無くとも、気休め程度以上の回復効果はあった。

咲夜と美鈴はレミリア達と同じテーブルに着き一休みしてほうと溜め息を吐く。
軽い一休みではあっても、あるならあるでやはりありがたい。今は何時襲われるか分からないのだから、休める時に休むべきだ。


「でも待つのは待つで退屈なのよね……何か暇潰しになる事って無いかしら?」

「いきなりの無茶振りですか……あ、さっきまで大旦那様達の話をしていたんですよ。ね、咲夜さん?」

「あら?お爺様達の?どんな話をしていたの?」

「え?あー……まあ簡単に大旦那様達の歴史なんぞをちょいちょいと」


性格は抜けてる部分があった云々の話をしていた、なんて言ったら不機嫌になるのは目に見えている。
だもんで嘘ではないが真実でも無い事を言って誤魔化す美鈴。
この判断が功を奏したのか、レミリアは美鈴の話を聞いて満足そうに笑みを浮かべる。


「あらそうなの……なら咲夜、このスカーレットの偉大さが少しでも分かったかしら?」

「え?あー……はい、それはもう」


ここは美鈴に話を合わせていた方がいいだろうと判断して適当に相槌を打つ。
それを聞いたレミリアはこれまた満足そうに笑みを浮かべて満足そうにする。
そんなレミリアを見て、美鈴は吸血鬼の子は吸血鬼なのだなと内心苦笑する。


(お嬢様は容姿は奥様に似ているけど、性格やらなにやらはブラム様そっくりだなぁ……煽てやすいところとか特に)


家臣としては不敬な考えかもしれないが、家族としてはしみじみとそう感じてしまうのだ。
生き残ったスカーレットの中では自分は二番目の古株だ。レミリアとフランの世話は彼女達が生まれた時からしている。
だからそう思ってもしょうがないかと、のんびり考えてしまうのであった。

そんな美鈴の心に気付かず、レミリアは偉大なる祖父達の事を我が事のように自慢して話を進める。


「お爺様もお父様も、それはもう立派な方だったわ。いや、確かにお爺様は破天荒だったけど、それはそれとして。
 お父様はまさに夜の支配者であり魔族の王としての威厳があったわ。いや本当に尊敬したわ。
 そして爺もね。スカーレットの長い間仕えてくれて、私もよく助けられたわ」

「………よく叱られたの間違いでは?」

「そ、それは!……そうだけど、言わないでよ美鈴……」


レミリアは美鈴に言われて嫌な事を思い出す。自分にとっては恥ずかしい思い出だ。

ローレンスはスカーレット二代、つまりブラムを初めレミリアとフランの教育係だった。
もっともフランは諸事情の都合により簡単な教育だけで、教育はエイブラハムが主に行っていた。
ローレンスがブラムとレミリアにしたのは当主としての厳しい教育であり、レミリアはある意味トラウマを持っていた。
特に何か悪戯などして悪さをした場合、問答無用で尻を思いっきり叩かれたものだ。
プライドがズタズタになるまで泣いて謝って、それでなんとか許してもらったものだったと渇いた笑みを浮かべて思い出してしまう。
特に一番堪えたのはそれを祖父であるエイブラハムに見られて大笑いされてしまった事だ。
もっともその後ローレンスに思いっきり吹っ飛ばされはしたが。
母と、そして美鈴に慰めてもらって泣き止んで。だが一番自分を慰めてくれたのは父だった。
レミリアがローレンスから受けた教育をそのまま受けたのである。娘である自分の気持ちはよく分かってくれた。
この教育に耐えた父は凄いと尊敬の念を感じたものだった。

ちなみにフランの方は厳しい教育はされなかった。というかとことん甘やかされた。
情緒不安定なフランの性分では厳しくする訳にもいかず、しょうがないといえばしょうがなかったのだ。
それにエイブラハムの性分ではそんな事は出来るはずも無く、これもしょうがないといえばしょうがなかったのだ。
だがほとんど遊んでるだけの二人に呆れたローレンスがまた主人を思いっ切り殴った事は、これまたしょうがなかったのだ。


「小さい頃のお嬢様はそれはもうローレンスさんの事とても怖がってましたね」

「あ、あれで泣かない奴なんていないわよ!」

「……その話は私も初めて聞いたわ。って咲夜どうしたの?」


なにやら虚ろな表情でブツブツと不気味に呟く咲夜に、パチュリーは恐る恐る話しかける。


「小さい頃のお嬢様……今より小さいお嬢様……涙目で謝るお嬢様………………凄く、いい」


ふふふふと、不気味に笑い出し若干息を荒げる咲夜。昔のレミリアを妄想して、また悪い癖が出てしまったようだ。


「咲夜さん!咲夜さん!目付きが危なくなってます!笑みが恐くなってます!」

「ハァ……ハァ……ハッ!?ご、ごめんなさい美鈴。昔のお嬢様の事を考えたらつい」

「………そうですか」


だがたぶん、その妄想は間違っていないだろうと考える美鈴であった。
思いっ切り泣いて自分に甘えてくるレミリアはそりゃもう可愛くて仕方なかったのだから。


「そ、それより咲夜?聞きたい事があるのだけれどいいかしら?真面目な話で」


この話の流れを変えようというのもあったが、レミリアには確認しておきたい事があったのだ。
そしてそれは咲夜にしか聞けない、咲夜だけが知っているであろう事でもあったのだ。


「え?ああ、はい。なんでしょうかお嬢様?」

「あのアサシンの戦闘方法なのだけれど、殺気が無かったのよ。その所為で攻撃が全く読めなかった。
 一体どうしてあそこまで殺気を消す事が出来たのか、それを知りたいのよ」


あのアサシンとの戦闘の時に一番苦労したのが、殺気を放つ事無く、その所為で攻撃が読めずに思い切った攻撃が出来なかった事だった。
レミリアの生涯において、あのような存在は生まれて始めて見た。
あれと似たような存在といえば、初対面で会ったばかり咲夜がいたが、咲夜はそれを上手く隠していたのに対し、相手はそれが無かった。
殺す相手に殺気を放つ事無く攻撃するという事が出来る者がいるのが、レミリアには信じられなかったのだ。
相手を殺す場合、強弱はあれど殺気というものは出るもの。そしてそれを聞いた咲夜はなるほどと思い、レミリア達にその理由を話した。


「結論から先に言えば、我が師は殺そうとは考えてはいません。救おうと考えているのです」

「殺すではなく、救う?どういう事それ?」

「生とは苦しみであり、死はその苦しみからの解放。それを静かに、穏やかに、苦しまずに苦痛を与えずに。
 それを可能とする業を持ち実行する。だから殺気は必要は無い。殺意ではなく慈悲の心を持って死を与える。
 それが、我が師のアサシンとしての考えなのです。恐らくそんな境地に達しているのは我が師だけ。
 教団の皆もその境地を目指しましたが、それを完全に体得した者は誰一人としていないでしょうね」


それを聞いたレミリア、パチュリー、美鈴の三人はそれぞれ別の事を考えていた。

レミリアはゾッと恐怖した。そんな事が出来るという事はつまり、死を与える事が救いであると本気で信じているという事だ。
いや、信じているのとは違うのだろう。きっとあのアサシンは、自分はただそれを実行するだけの存在だと認識しているのだ。
普段の日常はどうかは知らないが、少なくとも仕事をする時は自分はそういう存在なのだと思っているのだ。
死という救いを持ってやって来る、アサシンという人間の姿をした怪物。レミリアはその存在の一端を知って恐怖したのだ。
あれは正しく死の幻想なのだと、理解し恐怖たのだ。

パチュリーはふむ頷き納得する。恐らくそのアサシンは、死を平等に見ているのだろう。
命という存在を過剰には評価せず、かといって過小にも評価せずに仕事を実行し、その命を刈り取る。
死の執行者故にそれが出来るのか、そうするよう心掛けてきたから出来るようになったのかは分からないが、これだけは言える。
あのアサシンにとっては命は全て同じ価値である。殺す相手の命も自分の命も何も変わらないと考えているはずだ。
あれは人としての心の何かが狂っている。少なくとも自分達とは確実に違うのだと認識するのであった。

美鈴は凄いと感心する。それが出来るというその事実を知り、驚き、素晴しいと感嘆した。
自分には分かる。それを行うのがどれほど困難なのかが。それはその考えを知ったからといって、到底真似出来るようなものではない。
一体どれほどの数の、そしてどのような死線を潜り抜ければそのような境地に達する事が出来るのか、美鈴にはその想像すら出来ない。
その境地はまさに、自分が目指す武の境地に通ずるものがあり、思ってはいけないのだろうが尊敬の念すら感じた。
あれは自分自身の思想を自ら体現し、そして実行する事が出来るようになった奇跡のような存在だと畏怖した。

そしてその三人が共通して同じように考えた事がある。
それはあのアサシンが間違い無く強敵であるのだという再認識であった。


「正直に言えば、私はもう相手をしたくないわね」

「私は出会いたくもないわね」

「私は相手をしたいですけどね。不謹慎ですけど、また戦ってみたいです。それも相手が十全の状態で。
 奇襲を受けて負傷した時ですら手強かったんです。本来の状態でどのような事をするのか、興味があります」


それを聞いた咲夜は少しムッとして美鈴を見る。そんなつもりは無いのだろうが、まるで我が師をなめているように聞こえたのだ。


「はぁ……美鈴?貴女は我が師の本来の力を知らないからそんな事を言えるのよ?」

「す、すみません咲夜さん。あ、それならあの人の一番恐ろしいところを教えてくれませんか?
 相手をする時に、知ってると知らないとでは大違いですからね」

「………それもそうね。まず、基本的に能力以外の業では、我が師は私と同じ業を使うわ。
 ただしその全てが私よりも上だと認識しておいて。もちろんそれ以外の方法の業を使う場合もあるから気を付けるように」

「分かりました。では一番気を付けるべき点は?」

「奇襲、闇討ち、そして攻撃が読めない。でも一番分かりやすく言うなら――――――認識出来ない、かしら?」


咲夜のその言葉を、三人は理解する事が出来なかった。


「どういう意味なの咲夜?」

「そうですね……美鈴、貴女も隠形は出来るわよね?それを簡単に説明してみて」

「え?えーと……気配を消す、ですかね?まあ簡単に言えばですが」

「そうね。でもそれだと一つ問題があるのよ」

「問題……ですか?」

「気配を消すという事はね、本来その場にあるはずの気配すらも消してしまうという事よ」


美鈴はそれを聞いて何かにハッと気付いたが、レミリアとパチュリーの二人にはまだよく分からなかった。


「我が師から聞いた説明で分かりやすい例え話をしますね」


咲夜が皆に説明した我が師が教えた例え話は次のようのものだった。

一つの絵で説明するなら、気配を消すという事は、本来ならその場にある気配をも無くしてしまうという事。
つまりそれは絵の中に空白が出来るようなものであり、見る者が見ればすぐに分かる事。
そこにあるはずの空気の流れや音の響き、目には見えなくてもそこにあるものの気配を邪魔するという事だった。


「それはつまり、気配を消す事でそこにあるはずの気の流れも消してしまうという事ですか?」

「たぶん、その認識で間違い無いと思うわ」


美鈴はそれを聞いてなるほどと納得する。
自分には気を操る程度の能力というものがある。だからこそ分かるのだが、気というものはどこにでも存在するものだ。
先の説明を参考にするなら、気配を消せばポッカリと気の無い空間が生まれるという事。
本来あるはずの気の流れなどを自ら消して、不自然な空間を作り出してしまうという事だった。


「全然気が付かなかったですね……自分ではそれでいいと思ってたんですが、まさかそんな落とし穴みたいなのがあるなんて。
 でもそれって、普通はそれ自体気付く事なんて出来ませんよ?言われてやっと、
 ああなるほどって納得出来るくらいの小さな事で……普通なら認識する事も出来ない事ですよ?」

「そう、そうね。普通ならそんな事に気付くのは無理でしょうね。でも我が師はそれを知る事が出来た。
 そして私達もそれを知る事が出来たから、気配を消して姿を隠した者を見つける事が容易に見つけるのが可能になった。
 これは我が教団の奥義の一つでもあるわ」

「知る事が出来たから手に入れる事が出来た業ですか……あれ?でもそれだとあの人の一番恐ろしいところってなんですか?」

「では先の説明を踏まえてもう一度言うわね。我が師の恐ろしいところ。それは――――――“認識出来ない”事よ」


咲夜のその言葉を聞いて、三人はそれがどういう事か考える。
そしてあのアサシンの恐ろしさに一番早く気付いたのは――――――


「まさか……嘘でしょ……」


紅 美鈴その人であった。レミリアはそれに気が付いた美鈴にそれがなんなのかを尋ねた。


「美鈴?何か分かったの?」

「馬鹿な……そんな事出来るはずが……いやでも、その事実に気付いたのなら……」


自分が気付いたその事実に相当驚いてるのだろう。美鈴にはレミリアの声が聞こえていなかった。
勝手に一人で納得している美鈴に、レミリアは先よりも大きな声で尋ねる。


「ちょっと美鈴!一人で納得してないで教えなさいよ!」

「え?あ……すみませんお嬢様。あのアサシンがどれだけ恐ろしい業を持っているか、やっと分かったので」


主の声にやっと気付いた美鈴は、これ以上無いというくらいに真剣な表情で返事をする。
それを見たレミリアは、美鈴が気付いたその事実がただ事ではない事を察する。


「………貴女がそこまで言うなんて。なんなの、その業っていうのは?」


レミリアの問いに、美鈴は一旦深呼吸して息を整えてから言った。自分の気付いたあのアサシンの真に恐るべき点を。


「咲夜さんの説明を聞いて、それで分かったんです。あのアサシンの真の恐ろしさが。
 それは自分の気配を消すのではなく、自分の気配を周囲と同じにするって事なんですよ。
 あの絵の話で例えるなら、気配を消して空白を作るのではなく、気配を同化して、
 あるいは似せて、自分が絵の模様とか背景とかそのものになるって事なんですよ。
 だからつまり、空白ではなく透明になるって事………なんですよね咲夜さん?」

「そうよ。我が師が気配を周囲と同じにした場合、私達は師が目の前の現れてもそれを人とは認識出来ずに、ただの背景として認識する。
 それはそこにあって当たり前のもので、あるのがおかしいとすら感じる事も無いでしょう。
 それを使用されればきっと、人の多いで所で堂々と大量虐殺をしても、誰もその虐殺をしている師を気付く事はないでしょうね」

「………なんなのよそれ?そんな、そんな事が出来るの?あいつの能力でどうこうしてるとか、そういうのじゃないの!?」


もしそれが事実だとするなら、もしかしたら今も此処で自分達と一緒に、しかも堂々と椅子に座っていてもおかしくないという事だ。
そこまで考えた時、レミリアは恐ろしくなって周囲を見回してしまう。
今此処でのこの会話も聞いているのではないかと思ってしまい、知らず知らずの内に自身を抱き締めてブルリと震える。
どこにいるか分からない。どこから来るか分からない。だがそれは確実に自分の傍にいて、そして確実に自分の所にやって来る。
その気付いてしまった事実に、レミリアは恐れを感じずにはいられなかった。


「似たような存在で、確か地底の妖怪の古明地こいしの無意識を操る程度の能力ってのがあったけど、それと同じものかしら?」


地底の地霊殿の主の妹である古明地こいしの能力の無意識を操る程度の能力。
この能力でこいしは無意識で行動する事によって他者から感知される事無く、幻想郷を行き来している。
もしくは他者の無意識を操り感知されないようにしているのかもしれない。
現に何時の間にか自分達の屋敷にも侵入して、これまた何時の間にかフランドールと仲良く弾幕ごっこをやっている事もあった。
それを指摘したパチュリーの言葉に咲夜は軽く頷く。


「そう考えても、間違いありません。ただしこれは能力ではなく、純粋な技術であり業だそうです。
 そして個人的な意見も入りますが、恐らくこいしの能力以上にこの業は恐ろしいと判断します。
 あの子は能力を無意識で使いますが、我が師はその業を意識して使う事が出来ますし、なによりそれを活かす力も技術もあります。
 呼吸法や移動法を駆使して使用するのだと私達は教えられましたが、結局それを体得出来た者は誰もいませんでした」


教団の者はそれに限り無く近付く事は出来ても、それそのものを再現する事はついに誰も出来なかったのだ。


「決して誰にも見つかる事の無い、そして決して誰も再現出来ぬと謳われた業。
 その名は――――――幻想隠形ザバーニーヤ。自身の名を語らぬ我が師が、唯一自分の業に名前を付けているのがこれです。
 我が師はハサンの名を受け継ぐ代わりに、ハサンの業の名である、このザバーニーヤの名を頂戴したそうです」

「まるでその業にそこまでの自信があるのだと、そう言っているみたいですね……」

「実際それだけ恐ろしい業なのよ。救いがあるとすれば、一度誰かに見つかれば姿を暗ますまで使えない事。
 戦闘では性質上使えないって事。そして結界には効果が無いくらいでしょうね」


咲夜の説明はそこで終わった。それを聞いた三人は自分達が戦う相手がどれほど危険な存在なのかを改めて実感する。
もし今あのアサシンが進入していたら、自分達は既にこの世からいないであろう。
そうなっていないという事は、少なくとも今あのアサシンはこの紅魔館にはいないという事。
三人はそう考えてホッと軽く一息吐いたのであった。


「ふぅ……どうあっても正面から戦わせるようにしないといけないという事か」

「一度私とレミィ、そして美鈴の三人での戦闘分担を決めておいた方がいいわね」

「そうですね………今回ばかりは負ける訳にはいきませんからね。万全の状態で挑むべきです」

「ごめんなさい。本当なら私が戦わなくてはいけない事なのに……」

「いいんですよ咲夜さん。無理はしないでくださいよ」

「そうそう。なんか知らんけど何事も無理はよくないんだぜ」

「ええそうね。ありがとう美………え?」


今此処にいるはずのない者の声が混じっていた。皆は急ぎその声の主を探して、そして見つけた。










「よう!なんだなんだ?雁首揃えてまぁた悪さでも企んでるのか?」


能天気に話しに加わってきたのは白黒の泥棒魔法使い、霧雨 魔理沙であった。




















後書き……やっと後書きが書けるか……

最近モチベーションが下がり気味の荒井スミスです。あう!もう!別の話書きたいわ~。
仮にこの第二章を紅魔郷編とするなら、妖々夢編とか永夜抄編とかやりたいが………まだまだ道は長いな………
ああ、早く他の人達を書いてあげたい!

それとザバーニーヤは………まあ、やりたかったからやりましたとしかいえないな。
私ね、サーヴァントの中でハサンはトップ3に入るくらい好きなんです。だからやりました。
二次でのハサンの出番に、もっとアカルイミライヲー!

そして登場しました霧雨さんとこの魔理沙ちゃん!どんな活躍するかは次回のお楽しみという事で!

この作品は私の電波とノリと、皆様の暖かい声援で出来ておりますと、姑息に感想を催促します。
それでは!



[24323] 第十八話 もう一人の自分
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:03dd8c5e
Date: 2011/01/11 20:39




「………で?何で貴女が此処にいるのかしら?」


開口一番に侵入者に話しかけたのは、なんだかんだでこういう事にすっかり慣れてしまったパチュリーであった。


「いや何でって言われても、何時も通りだからとしか言えないんだぜ?」


何を今更そんな事を聞いてるんだこいつはと言わんばかりに、魔理沙はパチュリーを不思議そうに眺める。


「そもそも結界を張っていたのに、どうして反応しなかったのかしら?………パチュリー様?」


またミスをしたのかと疑いの目を向ける咲夜に、パチュリーは慌てて反論する。


「いや!今度はちゃんと設定して………あ、あいつしか反応しないようにしたんだった」

「はぁ………まあ彼女なら特に問題無いでしょう」

「なんだよ問題無いって?」

「こっちの話よ。それで?また盗みに来たのかしら」

「対応が冷たいぜメイド長。チルノより冷たい。いやな?ダン爺からそれは出来る限り控えろって言われてるから、今日は別の用だぜ」


盗みをしないとはこれまた珍しい。しかも別の用事とは一体なんだろうか?咲夜がそう思ったその時、レミリアがスッと席から立つ。


「騒がしくなりそうだから、私はここいらで退散するわ。咲夜、貴女はこの白黒が何もしないように見張ってちょうだいな」

「かしこまりましたお嬢様」


レミリアはそう言ってその場を後にして、図書館から出て行った。


「それじゃ私は………また門に戻りますね。そうだ魔理沙さん、妹様を呼んできてもいいですか?
 退屈でしょうから、相手をしてあげてください。きっと喜びますから」

「構わないけど、弾幕ごっこは勘弁な」

「ははは……一応伝えておきますね。それでは」


そして美鈴もまた、苦笑を漏らしながらレミリアの後に続きその場から離れていった。
とりあえずパチュリーは魔理沙に何の用があって此処に来たのかを尋ねる事にした。


「それで今日は一体全体何の用なのよ魔理沙?」

「うむ、暇だったからその用を探しに来たんだぜ」

「それはつまり暇潰しに遊びに来ただけって事?呆れた………それは用があるとは言わなくてよ?」

「対応がこれまた冷たいぜ。ちぇ!いいさいいさ。暇潰しの種なら無い訳じゃないもんな」


そう言って魔理沙は帽子に手を突っ込むと一冊の本を取り出した。
帽子は物入れではないだろうにと思う二人ではあったが、魔理沙が取り出した簡素な造りの本に少し興味を持つ。


「魔理沙、それは一体何かしら?魔導書………にしては魔力らしきものは感じないわね」

「へへへ、これか?少し前にダン爺から貰った本なんだぜ!」


胸を張って自慢する魔理沙を見て、二人はそれを自慢しに来たのだなとまた呆れる。
尊敬する魔法使いから貰って、それで嬉しくなってそれを持って来たのだろうと考察する咲夜。
そしてその考察は的を得ており、魔理沙はその貰った自慢の本を誰かに見せびらかしたかったのだ。


「どうだパチュリー?羨ましいだろ?」

「羨ましいだろって言われても………それは一体何の本なのよ?」

「おお、聞いて驚けよ?これはなんとダン爺が初めて買った本なんだぜ!」


どうだと言わんばかりにまた自慢する魔理沙ではあったが、それを聞かされたパチュリーはそこまで驚きはしなかった。
それだけの説明では精々、あらそうなの?くらいの感想しか出てこないのだ。


「………いやそうでなくて、本の内容よ内容」

「うーんと………よく意味の分からん………詩集?」

「………え?それだけ?」

「それだけ………だな。うん、本当それだけの本だ」


さっきまでの威勢の良さは何処へ行ったのか、魔理沙は困った顔で唸り出す。
そんな本でよくそこまで自慢が出来るものだと、二人は逆に歓心すらしてしまった。
だがあの魔法使いの私物ではあったのだ。それだけでも一応の価値はあるのだろうと思ったパチュリーは、
それが一体どんな内容なのか、とりあえず確認するくらいはしてもいいだろうと判断した。


「………で?どんな内容なのかしら?」

「どんなって言われてもな………一言では詳しく言えない。見た方が早いな。百聞は一見に如かずだな」


そう言って魔理沙は手にしていたその本をパチュリーに渡す。
まず本の作りとタイトルをしげしげと眺めるが、やはり魔導書の類のものではなかった。
ページ数もそこまで多くない、厚さも内容も実に薄っぺらい感じのした本だった。


「変なタイトルね、『誰かの言葉』だなんて。なんか投げやりな感じね」

「だろ?それに内容もチンプンカンプンでな。意味は何かしらあるんだろうけど、それが一体何なのかがさっぱりなんだぜ」

「どれどれ………………んん?」


そう言われてページを開いて中身を確認したが、パチュリーも意味が分からなかった。
印象としては何か格言っぽい事を言ってるような感じのものだった。
一つのページに一つの文章があって、だがその内容は続く訳もなく、また別の事が書いてあるだけの、そんな内容の本だった。


「確かにこれは、なんとも言えない内容ね」

「だろ?だろ?」

「それに………作者の名前の所も空欄になってるじゃない。どれだけ適当に作った本なのかしら。
 なんだか本というものを馬鹿にしているようにも思えるわね。………なんかムカツク」

「いや、そこまでは思わんが………しかし作者の名前は今気付いたな。書き忘れかなんかか?」

「知らないわよそんなの。けど………やっぱなんかムカツクわ」

「あの、そこまで酷い内容なんですか?」

「酷いというより支離滅裂というか、全体のテーマみたいなのが無いのよこれ。
 咲夜も見てみる?何を本当に言いたいのかが全然分からないからこれ」

「はぁ、それでは…………」


パチュリーからその本を受け取る咲夜は、パチュリーがそこまで言うほど酷いものなのか確認してみる。
そして軽く流し読みをしてみるが、本を好んで読まない咲夜には内容の良し悪しが今一つ分からない。
自分の感想としては、良い事っぽいのを書いてるだけ、なんだろうなという程度のものだった。
だがあるページに目が止まり、パラパラとページを捲っていたその指が止まった。


「これって………」


咲夜は予想外のものを見てしまったかのように、目を丸くして驚いた。
そこに書いてあった、彼女が驚いた文章とは以下のものであった。


――――――自分という存在を受け継いでくれる。

――――――それは本当に素晴しい事だ。

――――――そう、弟子とはつまり師の分身のようなものなのだ。

――――――だから自分の事を受け継ぐ存在には、優しくするのかもしれない。

――――――何故ならそれは、自分自身であるのだから。

――――――例え師である今の自分が終わっても、その次の、弟子という自分がいる。

――――――そしてその自分がまた新しく何かを学び、それを次の者に学ばせ受け継がせる。

――――――そうする事で、その者は生き続けるのだ。

――――――受け継がれていく限り、その者はずっと生きていく事が出来るのだ。

――――――もう一人の自分がどのように生きるか、そしてどのような証を残すのか。

――――――それを考えるだけで、幸せではないかね?


そこまで読んで、咲夜はまた暗い表情を浮かべる。その文章に考えさせられるものがあったからだ。


「………どうしたの咲夜?何か気になる事でも書いてあったの?」

「え?………いえ、確かに良い内容とは言えませんでしたね。それにこういう本は読み慣れてないので、どう言っていいのか……」

「そうか?………まあ内容が分かり難いのは間違い無いだろうな」


自身の気持ちを悟られまいと苦笑を浮かべて誤魔化すが、先の読んだ内容が頭から離れられなかった。
弟子は師の分身であり、だからこそ優しく出来るというあの文章の内容がだ。
言われれば確かにそうだと思える部分はある。かつて自分は師の道具であり腕とも言える存在だった。
そう、かつての自分は師の分身。いや、未熟な分身といった存在であり、まだ師の写し身そのものとは言えなかった。
だが似てる部分は間違い無くあるだろうと、自分ではそう思う。
自分はそこが詳しく分からなかったが、他のみんなはよく似ていると言われた事があった。
なんだか呆れたような感じで言われていたが、それでも自分はそれがとても嬉しかった。
目指している目標に似ていると言われたのだから、当然といえば当然だったのかもしれないが。


(………………どんなところが似ていたのかな?ちゃんと、聞けばよかったな)


だが、それは今ではもう叶わぬ望みであった。裏切り者と言われてしまった自分には、もう叶えられない望みだった。
出来なくなってやっと気付く事が出来る大事なものがあるのだと、咲夜はそれを痛感した。


(かつての自分の分身である私が裏切ったのを知った時、あの人は私の事をどう思ったのかな?
 失望したのは当然だろうけど、ならそれ以外は?私の事を、どう、思ったのかな………)


昔は師の考えている事か、どう思っているかは詳しくは分からなかったが、それでもなんとなく分かった時もあった。
だが今ではそれはもう出来ない。もう自分があの人の分身という存在でなくなったからだろうかと、自嘲気味に笑う。
そんな事を考えるだけで不敬ではないかと、自分を嘲り笑う。なんだかまるで、昔の自分が今の自分を嘲笑しているような気さえした。


「ねぇ魔理沙?一つ………聞いてもいいかしら?」

「なんだよ改まって?」

「貴女にも師匠はいたわよね?あの魔法使いと………確かもう一人」

「ああ魅魔様な?それがどうかしたのか?」


魔理沙はどうしてそんな事を聞くのかと不思議そうに首を傾げ、パチュリーは師匠という咲夜のその言葉に反応する。


「貴女は…自分と師匠が似ている部分はあると思う?」

「ああ、あるぜ。美人なところとか特にな!」

「私は真面目に聞いてるのよ?ちゃんと答えて」


いつもと違って少し剣呑な雰囲気の咲夜を不思議に思いつつ、魔理沙は頭を悩ませる。
咲夜も咲夜ではっきりとした答えを求めた訳ではない。ただなんとなく聞いてみたいと思っただけの事。
意味なんてありはしない、ぼんやりとしたただのうわ言だった。
だが魔理沙は少し悩んだ末彼女に、十六夜 咲夜に自分なりの答えを言った。


「ううむ、そんなの考えた事無かったからな。そうパッとは思い付かないぜ?でも………そうだな。
 もしかしたら、未熟な部分かもしれないな」

「未熟な部分?」

「前にダン爺が言ってくれたんだよ。お前はかつての私の、未熟だった頃の魔法使い達の姿そのものだって、そう言ってくれたんだ
 私が味わった苦労も、そしてこれから味わうだろう苦労も、昔自分達が味わってきたものだ。
 だからそんな昔の自分に頑張れって言って、手を貸してくれるんだってダン爺、そう言ったんだ。
 あ………そうか、そうなのかもしれないな」


魔理沙は何かを気が付いたかのように一人で頷き、その気付いた事を自分で呟く。


「もしかしたら魅魔様が私を大事にしてくれたのは、私に昔の自分を見たから………なのかな?」


それを聞かされた二人は、あの魔法使いがそんな事を言ったのかと驚くと同時に、目から鱗も落ちた。

咲夜はもしかしたら、我が師もそう思っていたのではないだろうかと思い、そして同時に、それは間違いではないと思えた。
未熟だった頃の自分を私に見たから、だから真剣に私と向き合ってくれたのだと、そう思えたのだ。

そしてパチュリーはそれを聞いて、自分が魔理沙に惹かれたのはそれもあるのかもしれないと思い、なんだか恥ずかしくなった。
まるで自分が魔理沙を好いてる理由を、その魔理沙本人に言われたみたいで恥ずかしかったのだ。
しかもそれを否定出来ないのだから、なお恥ずかしくなった。
言われればなるほど、確かにそんな風に思った事もあったように思えたからだ。


「だから私と魅魔様、それとダン爺が似ているところといえばこんなもんかなって思うんだ。えっと………これでよかったかな?」

「………ええ十分よ。十分過ぎるくらいにね。ありがとう魔理沙」

「おお、満足してくれたみたいでなによりだぜ」


咲夜の満足そうな顔を見て、魔理沙もそれはよかったと笑みをこぼす。
魔理沙が咲夜に教えた質問の答え。それを聞いて、彼女は気を引き締めてかつて自分自身と、そして心の中にある我が師の面影を想う。
今思い出されるのは厳しかった修行時代の光景。自分と我が師が真剣な表情で修行をしている姿であった。
とても厳しかった。でもだからこそ今の自分という存在がいるのだ。
十六夜 咲夜の原点である自分を生み出し、鍛えて、そして育ててくれた。そしてなにより――――――幸せというものを教えてくれた。
自分という存在に最初に真剣に向き合ってくれたのは、他でもないあの人だった。


(我が師は私と真剣に向き合ってくれた。それはもう昔の事なのかもしれない。でもだからといってそれは無かった事にはならない。
 ならば私は我が師と真剣に向き合う義務がある。そう、かつての弟子として私は、我が師と向き合わなければ………)


心にそう決意する咲夜ではあったが、やはりどうしても不安は残ってしまう。
現実に我が師と対峙してそれが出来るのかが、それが不安だった。だがそうも言っていられないのもまた事実。
たとえどうなろうとも、自分は師と向き合わなければいけないと、そう思ったのだ。

そんな時、不意に図書館の扉がバタンと開く音が聞こえ、そしてテトテトとした足音がこちらに近付いて来た。
そして三人の前にその足音を出していた人物が現れた。


「魔理沙~!遊びに来てくれたんだ~!」

「ウオォットォ!?」


魔理沙に抱き付いて、その七色の宝石の翼をパタパタと嬉しそうに羽ばたかせるのは、
この屋敷の主の妹であるフランドール・スカーレットその人であった。
彼女は美鈴に言われてすぐに図書館に向かって行って、そして現在に至るのであった。
よっぽど魔理沙が来た事が嬉しかったのだろう。フランは目を輝かせて喜びを表していた。


「ねぇねぇ?何して遊ぶ?弾幕ごっこ?」

「いや、今日は勘弁してくれ。それ以外だったらいいからさ」

「えー駄目なのー?………分かった、我慢する」

「なんか今日は聞き分けがいいな………なにかあったのか?みんなの様子もなんとなく変だしさ」

「え?えーっと……………き、気の所為だよ気の所為!そうだよね二人とも?ね?ね?」


フランが慌ててそれを否定して、咲夜とパチュリーの二人を見て助け舟を求める。
二人は、まさかフランが魔理沙にアサシンの事を知られないようにしているのではないかと思ってそれに驚く。
いつものフランだったらありえないような行動ではあったが、今回の一件には家族の命が懸かっているのだ。
それに無関係な者を巻き込むのは自分達も同様であり、二人は今回の件を隠す事にした。


「あったといえば………あの魔法使いが来てお嬢様を怒らせてしまった事くらいかしら。ねえパチュリー様?」

「ああ、そうね。怒ってそれをフランが見て笑って………そんな感じだったかしらね」

「うんそうそう♪あの時のお姉様は面白かったんだよ魔理沙!」

「え?ああ、それか。それたぶん前にダン爺に聞いた話だな。なるほどね、それでおかしかったのか。納得納得」


なんとか魔理沙を誤魔化す事に成功した三人は、内心ホッと一安心する。


「ああ、咲夜?此処はもういいから、レミィの所に行ってあげて。こっちは私もいるしそれに………小悪魔?いる」

「はぁーい、今そっち行きまーす」


そんな声と共に図書館の奥の方から出て来た、背中と頭に特徴的な蝙蝠の羽を持つ赤い髪の女性、
パチュリーの使い魔である小悪魔がやって来た。
彼女は今まで本の整理や倉庫のチェック等の仕事をしていたのだ。決して今の今まで空気であった訳ではない。


「何でしょうかパチュリー様?」

「悪いけれど御茶の用意をしてくれるかしら?人数分ね」

「分かりました。じゃあちょっと待っててくださいね。すぐに用意しますから」


そう言って小悪魔はその場から離れて、御茶の準備に取り掛かって行った。


「………という訳だから」

「分かりました。それでは私は此処で失礼しますね」


咲夜はそう言ってその場から消えて、レミリアの下へと向かって行った。
それと入れ替わるようにして、小悪魔が御盆を持って戻って来た。


「お待たせしました」

「あら?早かったわね?」

「いや、そろそろ休憩の時間かなと思って用意してただけですから」

「そう………でも何で玄米茶と羊羹なのかしら?紅茶は無かったの?」

「あるにはあったんですけど、こっちの方がいいかなと思って。御茶もたくさんありましたしね」


パチュリーは用意された御茶と菓子をジッと見つめる。簡潔に一言で言うなら、実に美味しそうだった。
なんだか妙にしっくりくる安定した組み合わせのこの二つを見て、これでもいいかなと思った。


「………まあ、美味しそうだからよしとするわ」

「ありがとうございます!」


嬉しそうに笑う小悪魔を横目に、三人はそれぞれ用意された御茶を飲む。口の中にホッと暖かい、落ち着く味が広がっていった。


「………うん、悪くないわねこれ」

「美味しいね魔理沙。それに落ち着くし」

「そうだなー………これは悪くないぜ。あ、たくさんあるなら土産にいいか?霊夢も喜ぶだろうし」

「いいですよ。たくさんありましたからね。ああそうそう。それともう一つ」


小悪魔はまたその場を離れそしてすぐに何かを持って戻って来た。その手にあったのは、青色の蝋燭であった。


「蝋燭………よねそれ?それがどうかしたの小悪魔?」

「これ実はアロマキャンドルなんですよね。倉庫の方でセットで眠ってたみたいでして、
 試しに点けてみたらとても落ち着く良い匂いだったんですよこれが。さっそく点けてみますね」


小悪魔は適当な燭台に蝋燭をセットして火を付ける。すると辺りに段々とその蝋燭の匂いが包んでいった。


「へぇ………いいわねこれ。匂いだけでここまでリラックス出来るなんて」

「あれ?この匂いって………」

「何だ?知ってるのかフラン」

「………ううん、なんだか凄く落ち着くなって、そう思っただけ」

「そうか?………うん、確かにそうだな」


改めて深呼吸してみるが、なるほど、確かにこれは落ち着く。強いて何が似ているかといえば、母親の匂いが一番近いのかもしれない。
まるで母親に抱かれているかのような、そんな安心感が自分を包んでくれているかのようだった。
もしかしたらフランもそう思ったのかもしれないと魔理沙は、判断した。


「それで…この後どうするの?」

「そうだな………あ、近々ダン爺の家に行くんだけど、その時ダン爺が自分が集めた魔法関係の品とか、その他諸々を見せてくれるんだ。
 良かったら今度一緒に行かない「行く!行くわ!絶対行くわ!」………そこまで喜ぶか?まあ気持ちはよく分かるが」

「だってあのダン・ヴァルドーが集めたものよ!どんな物があるか想像しただけで、いえ、きっと想像出来ないようの品物があるはず。
 それを黙って見過ごすなんて、魔導の探求者としての名が泣くわ!」


魔理沙は知る由も無いが、ダンは魔法使いの中でも伝説中の伝説とさえ謳われた人物なのだ。
そんな人物が所蔵している品がどんなものなのか、同じ魔法使いなら興味が無い訳が無かった。


「まあ確かに凄いの持ってたよな。この前見た魔導書なんてそりゃもう凄いのばかりだったし」

「どんなのッ!?一体何を持っていたのッ!?」

「ええーと………金枝篇、妖蛆の秘密、水神クタアト、セラエノ断章、エイボンの書、屍食教典儀、そして無銘祭祀書。
 話に聞いたところだとギリシャ語版のネクロノミコンも持ってるとか」

「な…何よそれッ!?ほとんど伝説級の代物ばかりじゃないのッ!?………ああ、一目だけでも、いえ一節だけでもいいから読んでみたい。
 出来るならこの手にとって余す所無く読み漁ってみたい………」


パチュリーはその存在が間近にあるのだと思えるだけでもうっとりと陶酔する事が出来た。
自分が知らない魔法の知識がそこに確かに存在する。たとえ似たような内容であったとしても解釈や考察は違うかもしれない。
それらを抜きにしても貴重な魔導書に触れる機会があるかもしれないと思うだけで、パチュリーは幸せになれた。
そんなパチュリーを見て、魔理沙も同意するように頷く。


「分かるッ!その気持ちはよー………………く分かるぞッ!でも私の位階だとまだ読めないって言うし。
 早く見れるようになりたいぜ。………そうそうッ!しかもまだ私等が知らないような魔導書とかあるみたいだぞ?」

「何それ何それッ!?」

「確か武器物語とか、ボーレタリアに住む悪魔達とか、そんな感じだったと思うぜ?」

「き、聞いた事も無いわね………ああ!どんなものなのか早く見てみたいわ!」


そんな感じで盛り上がる二人に着いていけず、フランは不満そうに頬を膨らます。


「もう二人とも、私を置いて勝手に盛り上がらないでよね」

「ああ、ごめんごめん。ならフランとパチュリーと、それとアリスと一緒に行こうぜ?」

「………ちょっと待って?アリスも行くの?」

「そうだぜ?話したらパチュリーと同じですっごく喜んでたぜ」

「………………二人っきりじゃ、なかったのか」


魔理沙と二人だけで行けると勝手に思い込んでいたパチュリーは目に見えてむきゅんとがっかりしていた。
だがたとえ二人で行ったとしてもダンという魔法使いがいるので、結局二人っきりにはなれないのだが。
あまりに興奮し過ぎてそれを忘れていたようだ。


「あれ?どうしたんだパチュリー?」

「………なんでもないわ。他に何か外で面白い事はあったのかしら?」

「そうだな………コバックスのオヤジがまた妖怪だか外来人だかを血祭りに上げたとか、
 兄貴がまたなんか調子に乗ってまた慧音に頭突きを喰らってお互い頭を痛めたとか、他にも色々あるぜ?」

「なにそれ?聞きたい聞きたい!」

「そいつらって確か吸血鬼異変の時の………私にも聞かせてくれるかしら?」


そうして二人は魔理沙のする話に段々と夢中になっていき、魔理沙も身振り手振りで楽しそうにそれを話していったのであった。


「…………ああ、また私空気になってる。………うん、御茶美味しい。羊羹美味し」


その存在感の薄さ故に話題に参加する事が出来なかった小悪魔。
寂しそうに、そして羨ましそうにそれを眺めて御茶と羊羹を食すのであったとさ。




















紅魔館を見つめる一人の妖がいた。いつもと様子が違い過ぎる館のその剣呑な雰囲気に、何かあるのかと思案する。


「一体何をしようというのかしらね………これは確かめる必要がありそうね」


そうして彼女はフッとその姿を消した。

――――――自らが開いたスキマに、その身を投じて。




















後書きを書くまでが小説です。

小悪魔もそれなりに修行すれば立派なアサシンになれるのではないだろうかと、書いててそう思ってしまった。
それだけ存在感が………いや、言うまい言うまい。

そんでパチュリーさんは魔理沙と二人っきりになれなくて………残念だったねぇ!
…………あれ?これってぱちゅん(ry

そして咲夜さんも、師であるあの人と向き合おうとし始めました。それが出来るかどうかはまだ分かりませんが。

しかしあの人書くの本当苦労する。まず名前が出せないのがね、きついんだよ。
一応名前はちゃんとあるんだけどね………あるんだけどね!出す訳にはいかないですからねはい。
そしてなにより、あの人のある部分を書かないようにしています。そこを書かないから思った以上に書くのが難しくなってしまってね。
それは一体何かと言えば………次回の後書きで話そうと思う。それを気付いた人は………まあいないだろうな。

そしてババァーンと最後に出てきたのは………これだ言えば十分か。

それでは!



[24323] 第十九話 先の見えぬ不愉快な運命
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:03dd8c5e
Date: 2011/01/23 13:12






レミリアは自分の部屋で椅子に腰掛け、頬をついて目を閉じ黙って過ごしていた。
これからどうするべきかと思案したいが、現状は待つしかない。歯痒くて仕方ないが、今はそれをするしかなかった。
そんな時だった。咲夜が何時も通りに音も無く自分の目の前に現れたのは。


「あら咲夜?あっちはいいのかしら?」

「はい、パチュリー様と小悪魔に任せてきました。妹様も、魔理沙が来てとても喜んでいました」

「え、フランが?………へぇー、ふーん………そうなの」


咲夜の話を聞いて、レミリアはなんとも面白くなさそうに生返事をする。
フランが自分より魔理沙に懐いているのをあまり快く思っていないのだ。
本当ならもっと自分に甘えてほしいのだが、長年フランを地下に幽閉していた事が原因で関係はギクシャクして上手くいかなかった。
ならばそれをしなければよかったのではないかと言われれば、そういう訳にもいかなかった。
フランの幽閉は父であるブラムからの命であり、そしてそれは祖父であるエイブラハムからの命でもあった。
フランもそれを承知していたし、だから四百九十五年もの幽閉にも耐えられたのだ。
だがそれがずっと続いた所為で、二人の関係は上手くいってなかったのだ。

レミリアが面白くないのはフランが姉である自分よりも魔理沙に懐いている事。つまりちょっとした嫉妬心であった。
魔理沙と出会って、フランが前よりも狂う事が無くなってきたのは感謝している。
魔理沙はフランが自分で作る事が出来た初めての友達だ。だから無碍には出来ないのだが、面白くないものは面白くないのだ。


「お爺様が生きていれば………いえ、せめてお父様が生きておられれば、私も………」


もっとフランと遊んで、今よりもっと仲の良い姉妹になれたのにと溜め息と共に愚痴をこぼす。
だがそんな事は出来ない。そもそも二人は命を懸けて自分達を守ってくれたのだから、これ以上の事を望むのは酷というもの。
それに今ではフランも、普通に出歩けるまでにはその狂気を抑える事が出来るようになった。
だがその大きな要因があの白黒だと思うと、また面白くなくなってムスッと頬を膨らませるのだ。


「はぁ………面白くない、面白くないわね」

「でもお嬢様?今朝はとても仲が良かったじゃないですか」

「えッ!?う………うん、まあね」


そうなのだ。何故かは分からないが、今日のフランとの関係は実に良好だと言えた。
フランの方からレミリアに積極的に関わっていたと言ってもよかっただろう。それが今朝の朝食での事だった。
フラン自身もどう甘えればいいか迷ったようで、おっかなびっくりではあったが、それでも姉と共に笑い、一緒の時を過ごしたのであった。


「本当に今日はどうしたのかしらねあの子?でもまあ………………えへへ」


本当に嬉しかった。今でもあの時を思い出すと頬が自然と緩んで、笑みがこぼれてしまう。
なんだかまるで、家族全員が一緒だったあの時を思い出してしまう。あの頃がレミリアにとって一番幸せな時間だったのかもしれない。
祖父がいて父がいて、母がいて美鈴がいてローレンスがいて、そしてフランと一緒に過ごしたあの時間は、本当に幸せだった。

そんなレミリアを見て、咲夜も自然と笑みになる。この小さな主が心から笑ってくれると、自分もなんだか幸せな気分になれる。
真実咲夜は幸せだった。この主に仕える事が出来て、自分はなんて幸せ者なのだろうかと思う。
一緒にいたい、いてあげたい。この主を見ていると心底そう思ってしまうのだ。


「お嬢様、御茶の方をお持ちしましょうか?」

「そうね………お願いするわ」


咲夜の申し出にレミリアは満足そうにして答える。そして――――――続けてもう一人。


「それでは私も一杯頂けるかしら?」


空中にスキマが開くと同時にそんな声が聞こえ、中から一人の美女が顔を、そして体を出してきた。
主従二人はそんな招かれざる客人を見て、不愉快かつ不満そうな、そして内心慌てた表情になる。
レミリアはそれを出来る限り隠しながら招かれざる客人に挨拶をした。


「八雲 紫………何の用かしら?生憎、無礼な客人に出す茶は今切らしてるのよ。ねぇ咲夜?」

「はい、お嬢様」


主のその問いに従者は肯定する。二人は同じように厄介な者を見るような表情で紫を見る。
そんな二人を見て、紫はさも愉快そうにクスクスとした笑いを扇子で隠しながら話を続ける。


「つれないわねぇ。貴女の祖父の紅魔卿なら笑って迎え入れて、御茶もケーキも出してくれたわよ?」

「これまた生憎、私はまだお爺様ほど偉大ではないの。だから諦めなさいな」

「まだ………ねぇ。あの御人のようになれるのかは疑問だけれどもね」

「お爺様を知ったような口を「聞きますわ。貴女の知らないあの人を知っていますから」………ほう?」


そう、紫はレミリアと出会うずっと前から、いや生まれる前からエイブラハム達と面識があったのだ。
付き合いの古さだけでいったら、紫はレミリア以上に古い付き合いをエイブラハム達としていたのだ。
だからレミリアが知らないエイブラハムの事も知っているのだ。


「エイブラハム・スカーレット。そしてローレンス・リュカオン・ジェヴォーダン。
 この二人とはかつての大戦の時に戦った事があるもので。その時あたりに出会ったのよね」

「それで結果は?」

「まあ………事実上こちらの負けで、お情けで勝たせてもらったといったところですわ。なにしろ当時の私達はまだまだ若輩の身。
 偉大なる先人達には遠く及びませんでしたわ。もっとも………今戦えば、結果はどうなるかは分からないのですが」

「ふん、どうだか」

「だから残念ね。一人は死に、一人は行方不明。今のスカーレットにはかつての、全盛期の力はもう無い。
 特にブラム時代は酷かったようね」

「………なんだと?」


紫のその言葉に、レミリアは眉をひくつかせて反応した。


「あいつは力はあったし知恵もあった。有能な部下もいたし、それを統率出来るだけの威厳もあったけど、エイブラハムほどではなかった。
 父であるエイブラハムほどの力があれば、ハンター達に敗れる事も無く、スカーレットを今の状態にする事もなかったでしょうに。
 そして完全従者にして砕く魔狼と謳われたあのローレンスが未だにこのスカーレットに残っていたのなら、
 貴女が起こした吸血鬼異変も、先代の博麗の巫女と守護者達の手で治められる事も無かったかもしれなかったでしょうにね。
 今の主である貴女には、従えなかったのかしらね?」

「………貴様」


ギリと歯軋りし紫を怒りの形相で睨み付けるレミリアではあったが、言い返す事は出来なかった。
言い方は気に食わないが、それは事実でもあったからであった。

父ブラムは確かに強かったが、エイブラハム以上の力を持っていたかといえば否と答えるしか出来なかった。
もしエイブラハムが生きていたのなら、ハンター達を返り討ちにする事も出来たかもしれない。
いや、そもそも戦ってこようなど考えもしなかっただろう。

ローレンスの事だってそうだ。自分にもし祖父の、そして父のような威厳があれば、スカーレットの下から離れなかったかもしれない。
そうなればあの吸血鬼異変の結末も変わった事だろう。
先代の博麗の巫女。そして彼女と共に立ち向かってきた人里の守護者達。あの戦いの敗北は自身の未熟が原因と言ってもよかっただろう。
だからこそ彼女達に、人間に負けたのだ。

自身のどうにも出来ない苛立ちに葛藤するレミリア。そんなレミリアに紫は容赦無く更に話を続ける。


「そもそもエイブラハムが健在ならなんの問題も無かったのよ。そういえば、彼はどうして死んでしまったのかしら?
 噂だと、貴女の妹が彼を「違うッッッ!!!!」………」


もう我慢の限界だった。それ以上言うなら今此処で殺してやると言わんばかりにレミリアは怒りを燃やし、その矛先を紫に向ける。
先ほどまでの事は言い返せない事実ではあったが、紫が今言おうとした事はまったく見当違いも甚だしい事だった。
だからレミリアは怒りを爆発して叫んだのだ。それはまったくの出鱈目であり、事実ではないのだから。
だからレミリアは紫に伝えられる事実を教える事にした。


「お爺様は長年能力を行使し過ぎて、それが原因で弱ってた。そして自分の始末を自分でつけただけだ。
 ………断じて貴様の言ったような事はない。分かったか八雲 紫?」


睨み付けるレミリアを見て、紫もさすがに言葉が過ぎたと反省し溜め息を吐く。
少し興が乗って口が軽くなったのだ。悪い癖だと自分を戒めながら、紫はレミリアに謝罪する。


「そう………それは失礼。でもそれが分かっただけでもよかったわ。
 生前あの人とは殺し合いもしたけど、それ以上に助けられもしたから、気になってたのよ。
 彼は本当に偉大な方だったわ。それは今の私でも敵わないわ。それだけ素晴しい方でしたからね」


大戦以降も紫はエイブラハムには助けられる事もあったし、学ぶべき事も多かった。
君臨すれども統治はせず。そもそもそんな事をしなくとも皆は彼に着いていった。
あの大馬鹿者と一緒に、盛大に馬鹿な事をやりたい。エイブラハムに従った者は大なり小なりそんな想いを抱いていた。
紫自身も、彼と一緒にいられたらどれだけ面白い人生を送れるだろうと思わずにはいられなかった。
多くの者達にそんな想いを抱かせる事が出来る。それがエイブラハム最大の魅力であったのだ。

紫のそんな説明を聞いて幾分かは落ち着いたレミリアは、さっさと紫の用件を聞く事にする。
大体どんな用件かは分かってはいたが。


「………それで?今日はなんの用があって此処に来た?それを聞きに来た訳ではあるまい」

「それでは単刀直入に聞きます。館の周囲にある、あの妙な結界は一体なんなのかしら?」


やはりそれを聞くかとレミリアと咲夜は内心思いながらも安堵する。
結界の事はばれたかもしれないが、どうやらあのアサシンの事は知ってないようだ。
もっともあれほどの腕のアサシンだ。たとえこの賢者相手でもばれるような事は無いだろう。
そう思ったレミリアは、適当に話を合わせる事にした。


「ああ、パチェが作ったあの結界か。なに、新しい術の研究だと。止める理由も無いから、好きにさせてるわ。
 なんでもあの魔法使いから教えてもらって、それを使用して試したそうだ。まあ、やってみたかったんだろ?」

「本当にそれだけかしら?」

「それ以外の理由があれば素直に帰るか?」


不満そうに言うレミリアと疑いの眼差しを向ける紫。そして少し時間が経ち、紫の口から溜め息が出る。
あまりこれ以上言うのは野暮だと判断し、話を切り上げることにしたのだ。


「………………はぁ、分かりました。とりあえずそういう事にしておきましょう。
 ただし――――――幻想郷に災いをもたらすようなら、こちらも相応の手段に出ますので」

「この幻想郷は全てを受け入れるんじゃなかったのか?」

「幻想郷はね。けどそこに住む者達全てがそうだとは限らないでしょう?」

「………確かにそうだな」


誰も彼もが来られたら、幻想郷はともかく、そこに住む者達は迷惑になるのだ。
外来人とてそうだ。もし外の世界で厄介者だったのなら、此処に住む者達にとっても厄介者なのは変わりないのだ。
細かい事は気にしない幻想郷の住民達ではあったが、自分の生活を邪魔されていい気になる奴は一人もいない。
もっともそういう場合は、大体決まって同じ結末が待っている。半端者はただ駆逐され幻想の餌食になるのみ。
だが今回のあのアサシンは違う。あれは半端者でもなければ駆逐される者でもない。
逆にこちらを駆逐し餌食にしようとする狩人なのだ。


「では、何があろうとどのような事態になろうと、全てそちらで対処する。そういう事でいいのかしら?」

「ああそうだ。私達に何があろうと、それは私達だけで対処する。お前には迷惑はかけんさ」

「ではこちらが迷惑になった場合、こちらもそれ相応の対応に出る。それでいいわね?」

「好きにしろ」


しつこく質問する紫に、レミリアはそう答える。以外かもしれないが紫は心配性でもあった。
だがそれは自分の愛している世界の事を思えばこそ。レミリアもそれはよく分かっていた。
この自分だって家族に危機が迫ろうとするならどうしたって不安な気持ちは生まれてくるのだから。

そして紫はレミリアの返事を聞いてそろそろ退散する事にした。


「そう………それでは、私はこれで。ああ、次は美味しい御茶と御菓子を期待してますわよ?」


そう言い残して、紫はスキマを開いてその場から消えた。溜め息を吐くレミリアに、咲夜は不安そうにして尋ねる。


「………お嬢様、よろしいのですか?」


助けを求めれば助けてくれたかもしれない。咲夜はレミリアがなんと答えるかは分かっていたが、それでも確認の為に尋ねる。
そしてレミリアは咲夜の予想通りの答えを返してきた。


「今回の問題は私達の問題だ。異変でもなんでもない。解決するなら私達でなくては。………それに」

「それに?」

「お前の師は一応だが、標的以外は狙わないのだろ?」

「………はい」

「なら大丈夫だ。他の者達に迷惑にならなければ、それでいい」


安堵するように微笑みながら答える咲夜を見て、レミリアもそれなら大丈夫だろうと安心する。
妙な話だが、あのアサシンの話を聞いてる内に、そういう事に関しては信頼すら出来るようになったのだ。
標的以外は狙わないのなら、自分達以外に迷惑はかからない。だから紫とのあの約束も守れるのだ。


(我ながら妙なものだな………あのアサシンに奇妙な信頼すら感じるとはな。
 たぶん咲夜が、今でもあのアサシンの事を信頼しているからだろうな)


この幸せ者がと内心悪態を吐くレミリア。そんなレミリアに、咲夜は続けて質問をしてきた。


「お嬢様、一つだけ聞いてもよろしいですか?」

「なんだ咲夜?」

「初代当主が亡くなられたのは、本当にさっきの理由なのですか?」


咲夜にはレミリアが言った事が真実ではない、とは思わないが、それ全てをを語ってるようにも思えなかった。
何か重大な事をを言っていないと、そう思ったのだ。
そしてそれは当たっており、レミリアは有能な自身の従者に苦笑を浮かべ感心し、語っていない真実を話し始めた。


「………嘘は言ってないわ。お爺様は自分で自分の命を絶たれたのよ。フランに、肉親を手にかけるという罪を負わせない為にね。
 お爺様はね咲夜、フランの能力でフランに………致命傷を負わされたのよ」

「ッ!?どうして、ですか?確か妹様は、初代当主様に大変懐かれていたと伺ったのですが?」


美鈴の話を聞いて、フランはエイブラハムを愛していたし、エイブラハムもまたフランを愛していたような印象を受けた。
だからどうしてそんな事が起こってしまったのか咲夜には分からなかった。
だがレミリアは、そんな咲夜にただ首を横に振って答えるしか出来なかった。


「………分からないわ。私はその場にいた訳ではないから。私とお父様が駆け付けた時には、途方にくれるフランと、
 必死に叫ぶ美鈴と、美鈴に抱き抱えられながら血を流し続けるお爺様の姿しかなかった」


あの光景は忘れたくても決して忘れられるものではなかった。
父も自分も、いやスカーレットに連なる者達全てが尊敬し敬愛し、まさしく最強と呼ぶに相応しいエイブラハム・スカーレット。
そのエイブラハムが自分自身の血でその身を染めて、泣き叫ぶ美鈴の腕の中で息も絶え絶えに、虫の息で抱き抱えられていた。
フランはただ自分が手にかけた祖父の返り血で染まった自身の両腕を、ガタガタと振るえてそれを見ているだけであった。
その場に駆け付けた者達はその光景に驚き、何が起きたか分からず、分かってもその目の前の光景が信じられなかった。


「………それで?」

「傷は回復した。だが回復する為に力を使い過ぎたの。ただ………生きていられたというだけ。
 力のほとんどを失い、かつて最強と謳われた紅魔卿の姿は、もうどこにもいなかったのよ」


まともに歩く事すらままならず、もはや生きている事それ事態が奇跡と呼べるような状態だった。
まだ死んでないというだけで、ほとんど死人のその姿。いつ死んでもおかしくなかった。
それは見ているだけで辛かった。いや、見たくなかったし………見なかった。見る事が、自分には出来なかった。
未熟過ぎた当時の自分には、祖父の痛々しい姿を直視する事は出来なかったのだ。


「そのまま死ねば、それはフランが殺したも同然。そうなればフランの心も死んでしまう。
 だってフランは本当に………本当にお爺様が大好きだったんだから。そんなお爺様を殺してしまったら………
 だからお爺様はそうならないように………御自身でその命を絶ったのよ。愛する家族に同族殺しの罪を着せないように。
 その最後を看取った者は一人だけ。それは私でもフランでも、お父様でも爺でもなく………美鈴だったわ」

「美鈴が?どうしてですか?」


何故と問う咲夜に、レミリアは愉快そうにして苦笑を浮かべるしかなかった。


「これが実にお爺様らしいセリフでね。「最後は飛びっきり良い女の腕の中で死んで、いきたい」そう言ったのよ。
 それもう豪快な大声で笑ってね」


辛い記憶のはずなのに、その時の事を思い出すだけで腹は捩れて涙が笑い共に出てくるのが止められなかった。
父は苦笑するしかなかったし、爺は貴様らしいと牙を剥き出しにして笑いに笑った。
美鈴は顔を赤くして慌てたが、それでもその顔には笑顔があった。
他のみんなも思い思いに笑っていた。絶望し暗くなっていた皆の顔など完全に吹き飛んでいたのだ。


「………そうなんですか」

「あの時はもう、みんな釣られて笑うしかなかったよ。もう見る影も無く弱っていたのに、そんな事がまだ笑って言えるんだぞ?
 ………凄いと思ったよ。私の祖父エイブラハム・スカーレットは本当に偉大だと、そう思ったわ」


どんな時でもどんな状態でも、エイブラハムは笑っていた。その笑顔に、どれだけ自分達が救われた事か。
本当なら自分達がエイブラハムを助けなければならないのに、逆に救われてしまった。
そんな事が出来るエイブラハムに、笑ったみんなは本当に凄い方だと思わずにはいられなかった。


「そして………そしてその後、お爺様と美鈴は雪の振る紅魔館の庭園へと行ったの。
 しばらくして私達の前に現れた美鈴の腕の中には………お爺様が愛用していた杖だけがあったのよ。
 どんな最後だったかみんな美鈴に聞いたけど、「遺言で言う事は出来ません」って言うだけでね。
 気にはなったけど、それがお爺様の願いならとそう思って聞くのは止めたわ」

「妹様は、どうなったのですか?」

「………初めは本当に酷かった。今にも死にそうなくらいいえ、ほっとけば自害していたかもしれない。
 そうならなかったのは、自害する前になんとか回復してフランの下へ行ったお爺様の御蔭ね。
 何をどう言ったかは分からないけど、その御蔭でフランは落ち着いたのよ。
 後になってそれを尋ねたけど、フランも「私とお爺様だけの秘密だ」って言って、話してくれなかったわ」


実はこっそり二人のいる部屋の扉の前でそれを聞こうとしたのだが、聞こえたのは悲しみと絶望しかなかった妹の泣き声。
そしてその後しばらくして聞こえてきた、喜びと安堵が籠められた妹の泣き声。
レミリアが聞いたのは、そんな相反する二つの泣き声だけだった。


「フランの事はその後、美鈴が任されたわ。お爺様と同じくらいに、フランは美鈴に懐いていたからね」

「そういえば、どうして妹様は美鈴にあそこまで懐いているのですか?」


自分が直接知っている者の中で、美鈴がフランに一番懐かれているだろう。
美鈴に一番甘え、我が儘を言って困らせ、そしてまた甘える。
フランがこの紅魔館で誰の言う事を一番に聞くかといえば、美鈴だった。
咲夜はそれがどうにも分からなかった。そしてレミリアは咲夜のその質問になんて事ないといった風にして、答えた。


「そりゃまあ………血の繋がった親子だしね」

「…………………は?今なんと?」


咲夜はレミリアが言ったその言葉を理解する事が出来なかった。
それを見たレミリアは、面白い事を見つけた子供ような意地悪な笑みを浮かべてもう一度言った。


「血の繋がった親子よ。ほら、美鈴の放つ気って虹色じゃない?フランの羽の宝石の色が七色なのはその証みたいのものよ」

「ちょちょちょ!?ちょっと待ってください!?親子って、その………ええ!?」


いきなりそんな重大な事実をあっさり言われても、咲夜は戸惑うしか出来なかった。
まさかあの美鈴とフランがそんな関係だったとは、誰もが夢にも思わないだろう。
そしてレミリアはそんな戸惑う咲夜に対し、面白そうにして更に衝撃の事実を語った。


「ただし、生んだのは私のお母様よ」

「え、ええ?」


益々訳が分からない。生んでないのに血の繋がった親子とはどういう事なのか、咲夜にはさっぱり分からなかった。
そんな咲夜をおかしそうに笑って見るレミリアは、意地悪するのは止めて、そろそろ事の真相を教える事にした。


「私の母、エミリア・スカーレットはね。フランを身篭ってた時に、美鈴の血を吸ってたのよ。定期的に、それもたくさんね。
 美鈴の気の籠められた血は、体を弱らせていたお母様の体力を回復する為にうってつけだったのよ」


レミリアとフランの母であるエミリア・スカーレット。彼女はレミリアを生んだその時から体を弱らせていた。
レミリアを生む時に、自分の力のほとんどを使い切ってしまったからだ。
そんな体でフランを生めば死産は確定。母であるエミリアもまたフランと運命を共にする事は必然であった。
だからそうならないようにエミリアは美鈴の血を定期的に飲んでいたのだ。
自分が死ぬ事になっても、娘であるフランドールは無事に生まれる様にする為に。


「フランはお母様のお腹の中で美鈴の血を受け取って生まれたきた。だから血の繋がった親子という訳よ」

「そ、そうだったんですか」

「そしてそうするように提案したのは、他ならぬお爺様だったの。
 よっぽど美鈴の事が気に入っていたのね。「これでお前も本当に、家族の一員だな」そう言ったのよ。
 美鈴はそれを言われて、抱いていたフランを抱き締めながら泣いていたのを、今でも覚えているわ」


五歳だった当時の自分は、その時初めて自分の祖父がどれだけ偉大な存在なのかを、幼いながらに感じたのであった。
こんな存在になりたいと、祖父のような偉大な当主になりたいと思った初めての出来事であり、彼女の大事な思い出の一つ。
それが、フランが生まれた日だったのだ。


「ただ………気になる事もあるのよ」

「気になる事、ですか?」

「フランはお母様の事をほとんど覚えていないと思うのよ。お母様が亡くなったのはフランが十歳の時。
 しかもお母様はフランを生んで体を弱らせて部屋に篭ってしまったし、フランは………言わなくても分かるわね。
 だから二人が会ったのはほとんど無かったのよ。私が知る限りではね」

「………それは」


あまりに酷過ぎるのではないかと、思わずにはいられなかった。
必死になって生んだ娘に会えない母。きっと、みんなは二人を会わせてあげたかったろう。
だが、二人の事を考えればそれは出来ない。それはあまりに辛い、現実だった事だろう。


「フランが知っているお母様の顔は、きっと肖像画の中の笑顔だけなのよ。私はそれが………悔しいわ。
 そしてその時はいつも思うのよ。早く大きくなりたいってね」

「それは、どうしてですか?」

「私の顔は、お母様の面影が強く残ってるのよ。だから私、この顔が好きなの。
 鏡を見ればお母様が私を見守ってくれているみたいで、安心するの。私の中でお母様は生きてるんだって、そう思うのよ。
 ………吸血鬼が鏡を見て安心するなんて、おかしな話だけどね」


自分の顔に年月が経つにつれて、鏡の中の自分は母の面影を明確にしていく。
まるで母が自分の事を何時でも見守ってくれているように思えて、安堵する。


「だから早く大きくなって、フランに言ってあげたいのよ。私達のお母様の顔はこんな顔だったって。
 こんな風に泣いて怒って、そして笑っていたんだって、教えてあげたいの。だってそれが、私とお母様がした約束なんだから」

「約束………ですか」

「そう、大事な、大事な約束。だから、だからまだ死ぬ訳にはいかないわ」


そう、だから自分はまだ死ぬ訳にはいかないのだ。母と残した唯一の約束。それを果たすまで決して自分は死ぬ訳にはいかないのだ。


「今回のこの事件の結末………どうなるか私にも分からないわ。能力も使おうとはしたんだけど、見えなかったわ」

「………我が師が原因でしょうか?」

「そうかもしれないわね。先の未来にはどうしたってあいつが関わっている。そして奴に私の能力は通じない。
 だからまったく見えないわ。決まった結末はおろかちょっとの可能性すら見えないなんてね」

「本当なら、それが普通なんですがね」

「まあ、確かにそうだな………」


自分には運命を操る程度の能力がある。神にも等しき力だ。だがだからといって全て自分の都合のいいように出来る訳ではない。
もしそうなら、家族みんなが今此処で幸せに過ごしているはずのだから。
何もかも自分の思った通りに出来るほど、この運命というものはヤワではないのだ。
もしかしたらいずれはそんな事も出来るようになれるのかもしれないが、少なくとも今ではない事は確かだった。


(しかしこの不安感、前に………どこかで?そう、それもごく最近に………そうだ、あの亡霊異変の始まる前に感じたものと同じだ。
 全ては、あの時からもう始まっていたのかもしれない。いや、もしかしたらもっと前から………)


あの時感じたあのぼんやりとした不安感。あれだけでは終わらないとは思っていたが、まさかこんな事になるとは思いもしなかった。


(あの時感じたあの不安感はこれだったのだろうか?………いや、本当にそうなのか?
 この感じはあの時のままだ。それはつまり………まだ何かあるという事か?これ以上一体何が?)

「お嬢様、どうかなされましたか?」

「………いやなんでもない。なんでもないんだ、咲夜」


あの時感じた大きな何か。今はそれが大きな不安感となって現れ、そして同時に若干の不快感すら感じていた。
先の見えない運命に嘲笑されているような、そんな不快感が。それが本当に運命なのかどうかさえも、今の自分には分からなかった。










(ならば見ていろ。運命か、それとも別の何かかは知らないがな。この私の、レミリア・スカーレットの意地を見せてやる。
 私のこのスカーレットの名に懸けてな)










――――――運命の輪はただ回るだけ。容赦無く音を立てて回るだけ。

――――――今それはギチギチと音を立てて嘲笑の声を出していた。非常に不愉快な声をあげて。

――――――それは物語とて同じ事。無慈悲に、そのページを進めていくだけだ。

――――――そして同じようにパラパラと冷笑の声を出すのだ。とても不愉快な歌を歌いながら。




















後書きや、ああ後書きや、後書きや。書いて終わって、ホッと一息………なんてね。

はやてのように~あらわれて~はやてのように~さっていく~。
す~き~ま~ば~ばあ~はかのじょ~です~。す~き~ま~ば~ばあ~はかのじょ~です~。
てなわけで!紫さん出ました去っていきました!ちょろっと顔出しただけですがね。まあそんなもんでしょうどんなもんで?てね。
出番少なくともインパクトある。それが彼女の魅力なのだろうと思うのであった私は。

それで前回の後書きで言ったあのアサシンの書いてないある部分とはつまり、容姿と彼の思考なんですよ。
容姿を書かなかったのはイスラム教が偶像崇拝禁止だから………という訳ではなく、単に書かない方がいいかなと思っただけでして。
そういえばムハンマドが歴史漫画で出る時は顔が描かれない場合が多かったな。
たまに描いてあるのもあった気もするけど、本当だったらあれは駄目らしいなと豆知識。
あ、あのアサシンの姿は四十代くらいです、はい。

そして思考の部分。これは書いてません。精々第三者がこう思ってるのではと書いてあるだけで彼自身の内心はまだ書かれてません。
つまり、彼はその光景を見て呆れるしかなかった。といったような心理描写は書いてないんですよ。
暗殺者が何を考えているか分かったら読む方はつまらないですしね。

………この第二章が終わったら、次は何を書こうかな?いっその事第三章と第四章を同時に始めてみようかな?
時系列的には同じ時期に起こるから出来ない事はないんだけど………まあ、またその時に考えるとしましょうかね。
予定は未定~決定ではな~い~てね。それでは!



[24323] 第二十話 忘れない面影
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:03dd8c5e
Date: 2011/01/29 19:49







紫が紅魔館から出て行って、二人が御茶を嗜んでいた時にフランは来た。
なんでも途中から魔法の話で二人で盛り上がっていってそれについていけずに面白くなくなり、退屈になって此処に来たらしい。
確かに専門的な話ばかりになっては、その専門外の者は面白くなくなるのも当然かもしれない。


「もう、魔理沙もパチュリーも私を話から置いてけぼりにしちゃうんだもん。
 楽しそうなのは分かるけど、そればっかり話されちゃこっちは面白くないのよ。
 あ、でもでも人里の話は面白かったよ?骨を折るオジサンとか鉄頭のお兄さんとか髪が少ないの気にしてるお巡りさんとか。
 それからええっと………他にもたくさん面白い事があったんだって!」

「………咲夜?なんだか私、その何人かを知ってるし会ってもいるような気がするんだけど?」

「十中八九あの時の人間達でしょうね」


あの時とはつまり、レミリア達がこの幻想郷に来てすぐに起こしたあの吸血鬼異変の時の事だ。
レミリアが幻想郷の覇権を握ろうと戦争を仕掛け、そして敗北した吸血鬼異変。
それはレミリアにとっては苦い思い出であると同時に自身への戒めの記憶でもあった。
レミリアは咲夜に、自分が奢り高ぶり必要以上に増長しそうな時は「吸血鬼異変を忘れるな」と言うように頼んでいる。
その言葉はレミリアにとっての臥薪嘗胆。薪の上で寝続けたり肝をなめ続けるのと同じくらいの戒めの力があった。
あの戦いは単に人間が化け物に勝ったとかそんな話ではない。
なにしろ人間側もまた、揃いも揃って化け物のような意思と力を持っていたのだから。


「確か貴女のあの時の相手は………」

「鍛冶屋と穴掘り、それと鞭使いの警察官でしたね」


数の上では三対一と咲夜が不利に見えるが、咲夜の能力を考慮すればそんなものは関係無い。
それだけ彼女の力が強大だという事なのだ。だがしかし――――――


「まさか負けるとは思いませんでした。今でも驚きですわ」

「本当にねぇ………パチェも三対一、美鈴も三対一で、なんだかゲームのボスと勇者達みたいだったわね」

「ですがお嬢様は………」

「ああそうだ、先代の巫女と戦って負けたよ。他の守護者達を囮にして、更にあいつの力を借りて私の下までやって来た。
 一対一の真剣勝負で私は完敗したんだよ。………あいつともう戦えないと思うと、寂しいものだな」


レミリア・スカーレットという吸血鬼の怪物を恐れずに立ち向かい、そして勝利した初めての人間。
それが先代の博麗の巫女であった。


「結局あいつの名前はついに分からず終いだったな。それが悔やまれるな。………………ああクソ、勝ちたかったな………あいつに」


先代は病か何かで無くなったらしいが真相は不明。そしてその真相を知っていそうな者もまた不明なのだ。一応が付くが。
紫なら何か確実に知っていそうだが、彼女はそれを決して話そうとはしない。彼女の意思だから教えないとしか返事をしないのだ。

レミリアは彼女が死んだ事に激怒した。自分を倒したあの人間が病程度に殺されるなんてと思わずにはいられなかった。
もう二度と彼女と戦う事は出来ない。再戦する事は叶わず、そして当然もう勝つ事も叶わない。これではあいつの勝ち逃げだ。
レミリアはそれが悔しくて悔しくて仕方なかった。
もう二度と彼女と戦う事が出来ない。あの心躍る幻想の戦いを、あいつと私だけの幻想の戦いはもう決して出来ない。
レミリアはそれが悲しくて悲しくて仕方なかった。
あの先代博麗の巫女との戦いは、自分の輝かしい記憶の一つ。誇るべき思い出の一つであった。
それをもう二度と味わう事が出来ないのは――――――


「本当に、残念だよ」


遠い目線でレミリアは呟く。そしてそんなレミリアをフランは羨ましそうに眺め、姉に話しかける。


「いいなぁ………私も戦ってみたかったなぁ」

「残念だがこればかりは譲れないぞ?あいつには勝てなかったが、今は霊夢がいる。
 博麗は私の獲物だ。フラン、貴女はそれ以外の獲物を見つけなさいな。例えばあの白黒の魔法使いとか」

「魔理沙は私の友達だからなぁ………それ以外にするね」


そしてフランは続けて小さく誰にも聞こえないように呟いた。――――――あの人がいいかなぁ?と。
顔にこそ出さなかったが、その小さな体の中で狂気がグラグラと燃えて燻っていた。
自分のそれなりに長い人生の見たものの中で恐ろしく破壊的で、そしてなにより美しかったあの幻想の炎。
そう、自分の父を焼き殺したあの紅蓮の女剣士。彼女の事は忘れたくても忘れる事は決して出来ない。
父を殺された怒り、次は誰が殺されるのかという恐怖、燃え盛る炎の熱気、そしてなによりも美しかった彼女の姿。
それら全てが彼女の中でぶつかり合い混沌となり狂気となり――――――


(ああいけないいけない。またどうにかなっちゃいそうだった)


どうやら二人には自分が暴走しそうになったのはバレなかったようだ。ここは話題を変えた方がいいかもしれない。


「ねぇねぇ咲夜?一つ聞いてもいい?」

「なんでしょうか妹様?」

「咲夜ってさ………まだあのアサシンのオジサンの事好きなの?」


そんなフランの言葉に咲夜は内心驚きながらも、とりあえずそれを聞く理由を尋ね返す。


「………え?ど、どうしてそんな事を?」

「だって話を聞いてたら咲夜、まだその人の事好きみたいに聞こえたし」

「それはその………確かにまだお慕いしてるのは違いませんが」


咲夜が無難な返事をした時、フランは更に続けて尋ねてくる。


「うーんと………抱かれてもいいくらいに?」


フランのその言葉によってその場の空気が凍った。
レミリアは口をあんぐり開けて驚くだけで何も言えず、咲夜は驚きを隠せずに慌てるしかなかった。


「ちょ、ちょっと待ってください!?どうしてそんな話になるんですか!?」

「え?だって前はしようとはしてたんでしょ?」

「な、な、な、な、何でそんな事知ってんですか!?」


自分の過去はある程度の話はしたがその事は喋ってない。どうしてフランがそんな事を知ってるのか咲夜には分からなかった。
それに気付いたフランは、慌ててそれを知っている理由を話す。


「え!?それはえーっと………ほ、ほら!一緒に寝てた時に寝言で言ってたのを聞いただけだから!」

「あ………アアアアアアアアアアアッ!あの時かぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」


それを聞いて咲夜は頭を抱えて叫ぶしかなかった。
一体何を言ったんだ私は!?寝言で一体何を言ったんだ!?他に何か言ってなかったか!?
まさかあの訓練の時の事とか言ってないだろうな!?そしたらもう死ぬしかないではないか!

そんな咲夜を見ていて、レミリアは何を言っていいのか分からず困り果ててしまう。
咲夜のこの状態から見てもフランの言った事は事実なのだろう。
レミリアは咲夜がそこまであのアサシンに入れ込んでいた事に驚きつつも、早くこの場から出て行かせた方がいいだろうと判断した。


「えーっと………咲夜?とりあえず今日のご飯の用意でもしてきてくれるかしら?」

「わ、分かりましたッ!」


咲夜は叫ぶようにしてその場から一瞬で消えた。だが次の瞬間にまた現れ、今度はフランの肩をガシと掴み嘆願する。


「妹様………もし!私が他の事を何か言っていたとしても!それは口外しないでください!………いいですね?」

「わ………分かった。いえ分かりました、はい」


咲夜のあまりの迫力につい敬語になってしまうフラン。まさかここまで取り乱すとは思ってもみなかったのだ。


「本当ですよ?約束ですよ?………それでは失礼します」


そう言い残して、咲夜は今度こそその場から消えたのであった。


「こ………こわかったぁ………」

「そりゃそうでしょう。そんな………だ、抱かれる云々の事を知られたんだから」

「でも結局それは無かったみたいなんだけど?」

「そうなの?いやそれでも言ってはいけない事には変わりないから。次からはちゃんと注意するのよフラン?分かった?」

「はぁーい………分かりましたー………」


シュンとうな垂れるフランではあったが、次の瞬間に少し明るく笑う。


「どうしたのフラン?何かおかしかった?」

「え?えへへ………なんだかさっきのお姉様、まるでお母様みたいだったなって思って」


フランのその言葉を聞いて、レミリアは目を見開いて驚いた。


「フラン………今、なんて?」

「だからお母様みたいだなって。だってほら、お姉様お母様にそっくりじゃない?
 優しく笑ってくれる時とか本当よく似てるよ?それに怒った時も泣いてる時も本当にそっくりだし」

「そう、そうなの………」


その言葉を聞いた時、レミリアはよかったと呟き、そして――――――涙を流した。


「ど、どうしたのお姉様!?」


いきなり泣き出した姉に驚き、フランは慌ててレミリアの肩を掴んで揺さぶる。
何かいけない事を言ってしまったのかと心配したのだ。


「よかった………よかったぁ………フランがお母様の事、覚えていてくれて………本当よかった」


そう言って泣き続ける姉を見て、フランはそんな姉を優しく抱き締めて、そっと耳元で囁く。


「忘れるわけ無いよ。だって――――――私達のお母様なんだよ?」

「そうね………そうよね。それでも、それでも本当に………よかった」


フランが母の事を覚えていてくれた事が、レミリアはただただ嬉しかった。


「でもね、そのお母様の事をずっと覚えていられたのはね、お姉様の御蔭なんだよ?」

「私の、御蔭?」


それは一体どういう意味なのか?それを尋ねたレミリアに、フランはそれがどういう事なのかを教えた。


「お母様との思い出は少ないけど、それでも覚えていられたのはお姉様の顔本当にお母様にそっくりだから、だから覚えていられたの。
 どんな風に泣いて怒って、そして笑ってくれたのか覚えていられたの」

「………ありがとう、フラン」

「実はね、私お爺様に同じ事言われたんだ」

「お爺様に?なんて言われたの?」

「お爺様はね、「お前を見ているとリュミエール、お前の婆さんの事をはっきり思い出す事が出来る。だから、ありがとう」ってね。
 よく私に言ってくれたんだ」

「お爺様が、そんな事を」

「だからねお姉様………ありがとう」

「ッ!?」

「お姉様の見ていると、お母様の事をはっきり思い出す事が出来る。だから、ありがとう」

「う、うああ………ああ、ああ………」


レミリアは妹の胸の中で泣いた。その言葉がとても嬉しくて、その言葉にとても救われたから。だから、泣いた。
そこにはスカーレット家当主の姿は無く、レミリアという一人の少女の姿しかなかった。


「お願いフラン。もう少し、もう少しだけこのままでいさせて。もう少しだけこのまま………泣かせてちょうだい」

「………うん」


父が亡くなってから今までずっと頑張ってくれた姉。その姉の願いをフランは小さく頷き答えた。

こんなに姉と近付く事が出来たのは、もうどれほど前の事だったのだろう?
こんなに姉を身近に感じる事が出来たのは、もうどれくらい昔の事なのだろう?
フランはそれを思い出そうとして、そして思い出せたような気がした。
そう、それはもしかしたら――――――自分が生まれた日の事かもしれない。
家族みんなが自分の誕生を祝福してくれたあの時。赤ん坊の時の事を、しかも生まれたばかりの頃の事を覚えてるなんて事はありえない。
でもそうとしか思えないのだ。あの時、確か姉は自分を抱き締めて笑顔で言ってくれたような気がした。
あれは確か――――――










「フラン、私の妹になってくれて――――――ありがとう」










自分の胸の中で泣いていた姉がその言葉を聞いた時、はっきりと思い出す。
そうだ、あの時姉はそう言ってくれたのだと、思い出す事が出来た。
ならば自分は返事をしなければいけないだろう。あの時と今の言葉に。そしてフランはレミリアに返事をした。










「私のお姉様になってくれて――――――ありがとう」










吸血鬼の姉妹はお互いを抱き締め合いながら、感謝した。様々な想いをお互い篭めながら――――――ありがとうと。




















魔理沙はパチュリーとの話を一通り終えて今は紅魔館の門の前にいた。
時間はもう夕方であり、空は夕日の赤で染まっていた。どうも話が弾み過ぎたらしい。


「それじゃあ魔理沙さん、さようなら」

「おう美鈴、また眠って咲夜にブスリと起こされるなよ?」


美鈴はそれを聞いて苦笑を浮かべるしかなかった。やはり自分はサボるイメージが強いらしい。


「はははは………精進します」

「そうそう、精進しとけよ?それじゃあな!」


魔理沙はそう言うとすぐさま箒に跨り夕日に染まった空の中へと向けて飛び立っていった。


「やれやれ………一難は去りましたが、また一難来るんでしょうね。それも飛び切り厄介なのが」


もうすぐ夜になる。妖怪達がざわめき支配する時間。だが今回は違う。あのアサシンが暗躍し、縦横無尽に動き出す時間である。


「夜の支配者は私達かそれとも彼か………一体どちらなのでしょうね………」


そんな独り言を、門番は不安そうな表情で呟く。今の自分にはそれしか出来なかったから。



















空を飛んでいく魔理沙は、ウキウキとした気分で自分の家を目指す。いつかみんな揃ってダンの所へ行くのを心待ちにしながら。


「………あ、いけね。大事な事聞くの忘れてた」


紅魔館に来たら聞いておかなければいけない事があったのをつい忘れていた。
魔法の話で盛り上がりすっかりそれを忘れていたのだ。そしてその聞きたかった事とは――――――


「何日か前に紅魔館の事を教えてくれって言ってた、あの黒尽くめのオッサンの事を聞くのを忘れてたぜ。
 あのオッサン、ちゃんと紅魔館に行けたのかな?」


数日前に偶然出会ったあの黒尽くめの地味な感じの男。紅魔館に行くと言うので道を教えたのを覚えている。
何をしにいくのかは言わなかったが、あれからどうなっただろうと魔理沙は気になっていたのだ。


「あれからどうなったんだろ?パチュリーは何も言わなかったし、そんな大した用事じゃなかったのかな?
 まあ今度来た時にでも聞いてみるか!」


そんな事を暢気に考えつつ、魔理沙は飛ぶスピードを上げて一気に魔法の森へと向かっていったのであった。




















日は沈み、幻想郷は夜の闇に包まれていく。そんな闇の中から一つの影が音も無く湧き上がった。
それは徐々にその輪郭を現していき人影となっていく。そしてそこに現れたのは一人のアサシンの姿であった。

今回の紅魔館の事件を起こした当事者である彼は、立ち上がると同時に自身の体の様子を確認する。
美鈴にやられたダメージは大きかったはずなのだが、特に苦も無く動いてるその姿からはもう傷は癒えた事が窺える。


「…………ふむ」


アサシンは確認後そう頷き呟くだけだった。どうやら任務を続行するのに支障は無いようだ。


「では、行くか」


彼がそう言うと同時に、人の姿をした闇はその輪郭を崩して暗黒の中へと消えていった。










――――――恐怖の幻想の一つにして、影となり闇に生きる術の継承者であるアサシン。

――――――彼の死の刃から逃れる術があるとすればそれは希望以外には無いのかもしれない。

――――――だがその希望はあまりに小さく、儚く、頼りにするには弱々しいものでしかない。

――――――それでもその小さな希望に縋るしかないのだ。

――――――だがそれは本当に縋るべき希望なのだろうか?

――――――そう見えるだけの残酷な絶望ではないのか?

――――――だがどちらにしろ運命は進み、物語は語られていくのだ。

――――――たとえどんな結末になろうともだ。




















後書きってさ、作者にとって本当色々な場合があるよね?

つまり魔理沙があのアサシンを紅魔館に案内したようなもんなんだよ!………うんそれだけだね。

言葉というのは面白いものだと書いていて思うね。言葉一つ違うだけで意味がだいぶ変わるし真実を隠す事が出来るのだから。
どんな伏線か、それがバレないように、だがギリギリで書く。それがまた面白いんだけど………でもなぁ………
まあ後でこれはあれだったのかって驚いてもらえればそれでいいか。

そしてやっと表にアサシンが登場してきました。次回はついに………どうしようかな?
それでは!



[24323] 第二十一話 夜が始まり、幸せが終わる
Name: 荒井スミス◆a8359a08 ID:bbc241b3
Date: 2011/02/13 21:34







夜の闇に包まれ、月の光に照らされる深紅の悪魔の館。
館の主とその従者は、上階のテラスで寄り添うように並び佇み、夜空に映える月を眺めていた。


「月の明かりはいつもと同じなのに、夜の闇は全く違うものに見えるわね」

「………はい」


夜空の月から地上の影へと視線を落とす。少し前まではなんともなかった、月明かりに照らされて伸びていく影。
だが今ではその全ての影の一つの中があのアサシンだと思えてならず、その影全てが恐怖の対象に見えるのだ。


「もういっそ、あの影全てが奴だという方がまだ気が楽かもしれないな」

「本当に、そうですね」


あの影全てを斬り払い平穏な生活が戻るのなら喜んでやろう。二人は今そんな心境だった。
待てども待てども彼は来ない。何時来るか分からない死の影に怯えるのはレミリアはもううんざりだったし、
咲夜も自身も何時何時、自分の目の前にいきなり我が師の影が現れるかと思うと気が気でなかった。


「………ねぇ咲夜?」

「何でしょうかお嬢様?」

「………恐い、わね」

「………………はい」


不安と恐怖の表情を隠さないレミリアに、咲夜も同じような表情を浮かべて同意した。
どんなに取り繕うとしても、恐怖という感情は隠す事は出来なかった。
それは五百年を生きた吸血鬼の王も、時を操る瀟洒な従者も何も変わらなかった。


「こんなに恐いと思ったのは、お父様が亡くなった時以来かもしれない。
 ………自分の死をここまで恐いと思ったのは、本当に久しぶり。それは、感謝すべき事かもしれないわね。
 だって御蔭で私はよりみんなと一緒に生きていたいと思えるのだから」

「それは私も同じ気持ちです、お嬢様」

「………ふふふ、貴女の場合はあのアサシンも入るのだけどね。本当、我が従者には困ったものね」

「………すみませんお嬢様」


苦笑を浮かべるレミリアに、咲夜も同じように苦しく笑うしかなかった。


「でも本当によろしいのですか?私の願いを聞き届けてくれる事を」

「何度も言わないの。もう決めた事なんだから。それともなに?叶えられるかどうか不安なの?」

「………申し訳ありませんが、その通りです」

「………奴自身の力を一番知っているのは貴女自身だものね。それは当然か。
 未だにそれだけ信頼し、慕っているという事ね。なんだか………少し妬けるな」

「お嬢様以上とは言いませんが、同じくらいに大切に想っているのは本当です」

「別に私以上と言ってもいいのよ?そりゃ妬ける事は妬けるけど、奴はお前の親でもあるんだから。
 だからそうだとしても、私は怒らないわよ。むしろそうであってほしいとさえ思うのよ。
 私にはもう両親はいない。だから貴女がそう想えるのは羨ましいわ」

「でも美鈴がいるじゃないですか?」

「あれはフランの親をやるだけで精一杯だからな………そして爺も、今は何処かに行ったままだしね」


もしかしたらレミリアも美鈴を母と呼べたのかもしれない。むしろそうであってほしかったとレミリア自身も思っている。
だが残念な事に、それは出来なかった。昔一度だけあったのだ。美鈴がレミリア達の母になるかもしれなかった可能性が。
もっともその可能性は諸事情により無くなってしまったのだが。


「それに私はこれでもこの家の家長だ。誰かに甘えるというのは………な」


どうにもそれは出来ないのだと、小さく呟く。それは咲夜に答えたものではなく、ただの独り言に近いもの。
だが咲夜はそんなレミリアの言葉に、ただただ穏やかに答えた。


「………いいんじゃないでしょうか?誰かに甘えても」

「………え?」


そんな事を言われるとは思ってもみなかったレミリアは驚き、咲夜を見る。咲夜は少し照れたようにして、言葉を続ける。


「誰かに甘える事は、恥じゃありません。むしろ出来る時はした方がいいと思います。
 私にはもう、それは出来そうもありません。だからそれが出来るのは幸せな事だったんだなって、そう思うんです」


もう自分は我が師に甘える事は出来ないだろう。昔のようにあの腕の中で安らぐ事は無いだろう。
あの人が自分の為に子守唄を歌ってくれたあの夜はもう来ないだろう。
自分に幸せを教えてくれたあの温もりを感じる事はもう、決して無いのかもしれない。
だがレミリアは違う。手を伸ばせばその温もりを与えてくれる人達は、すぐそこにいるのだから。


「咲夜………」


咲夜がどんな想いでその言葉を口にしているか。レミリアはそれを少なからず理解出来た。
かつての幸せを悲しそうに想う彼女の表情を見れば、その想いはズキズキと胸に伝わってくる。

そして同時に、レミリアは罪悪感によって胸が痛み出す。咲夜に、彼女に、こんな表情をさせてしまったのは自分の所為だ。
自分の我が侭の所為で、十六夜 咲夜という存在は今此処にいるのだと、そう思わずにはいられなかった。
彼女の幸せを奪ってしまったのは他ならぬ自分だ。今こうして彼女が苦しんでるのも自分の所為だ。
かつての親に、師に、裏切り者と罵られるようになってしまったのは自分の所為だ。
自分と一緒に生きてほしいと願ってしまったから、今彼女を苦しめているのだ。


「ねぇ咲夜?」

「なんでしょうお嬢様?」

「私の事………怨んでる?」

「どうしてそのような事を?」

「だって私の所為で、私が貴女に此処にいてほしいって願ったから、だからこんな事に」


どうして私ははこんな事を言っているのだろうかと、レミリアは我が事ながらそう思わずにはいられなかった。
だが、聞かずにはいられなかったのだ。咲夜が今自分の事をどう思っているのかを、聞かずにはいられなかったのだ。
きっと私の事を怨んでいるはずだ。だって私は彼女の幸せを奪った張本人なのだから。
だがもしかしたら違うかもしれないと、そんなありえない奇跡を思う。

そしてそれを聞いた咲夜は、レミリアに言った。


「そう、ですね。そりゃもう………怨みましたよ」

「ッ!?………そう………そう、よね」


予想出来ていたとはいえ、やはりこの答えは堪えるものがある。
ほんの小さな奇跡でもいいからと、そう思っていた自分が惨めに思えてくる。
そう思いしょんぼりと嘆くレミリアに、咲夜は続けて言う。


「生きて我が師の下には帰れず、死んで我が師の教えを守る事も出来ず。本当にね、怨みに怨みましたよ。
 任務も何も関係無い。必ず貴女をこの手で殺してやろうと思ってました」

「そう、やっぱり………」


ならば彼女は今も自分の事を――――――


「そう、思ってました。昔はね」

「え?それじゃあ………」

「今はそんな事、これっぽっちも思ってませんよ?」


レミリアはそんな咲夜の言葉にまた驚き、そしてその訳を少し声を荒げて尋ねる。


「どうして?どうしてそんな事が言えるの!?私は貴女の幸せを奪ったのよ!それなのにどうして!?」


どうして罵らないのか?どうして怨まないのか?どうして殺そうと思わないのか?
レミリアにはそれが分からなかった。自分ならそんな事はしない。自分の幸せを奪った者を怨まないなんて事、出来るはずがなかった。
だからどうして咲夜がそんな事が出来るのか、レミリアには分からなかったのだ。


「そうですね、強いて言うなら………」


そんなレミリアに対し彼女は、咲夜は少し誇らしげに、その答えを言った。










「だって今の私は――――――十六夜 咲夜ですから」










その答えを聞いて、レミリアはハッと咲夜の顔を見る。
そこには優しく微笑む、そして自分がよく知ってる、十六夜 咲夜の笑顔がそこにはあった。


「お嬢様は確かに私の幸せを奪いました。ですが同時に私に新たな幸せをくれたじゃないですか?
 だから私は、もうお嬢様の事を怨んでなんていませんよ?」

「咲夜………」


そう、本当なら自分は今でもレミリアを怨んでもいいはずだ。その理由があるのだから。
だがそれは出来ない。怨む理由は幸せを奪ったからだが、代わりに別の幸せをレミリアは与えてくれた。
十六夜 咲夜という幸せを、この小さな吸血鬼は与えてくれたのだ。それなのにどうして怨む事が出来ようか?


「そう、今の私は十六夜 咲夜なんですよ。かつての名も無きアサシンは、お嬢様とのあの戦いで死んでしまった。
 だから私は今の幸せを受け入れる事が出来たんだと、今では思います。
 だから私は大切な思い出や約束を、忘れてしまったのかもしれません」


そう、あの戦いでかつての自分は死んでしまったと思う事で、咲夜は今の幸せを受け入れる事が出来るようになったのだ。


「もっとも死んだと思っていただけで、実はまだ生きていたんですけどね………私は」


そう、悲しそうに笑いながら彼女は言った。その笑顔は今にも消えてしまいそうなくらいに儚いものだった。
死んだと思っていた自分はまだ生きていた。もう死んでいなくなったとばかり思っていたのに。
いや、もしかしたらそう思い込むことで、かつての幸せを思い出さないようにしていたのかもしれない。
思い出してしまえばどちらの幸せも今の自分には辛いものになってしまうから。
だが、それを今は思い出してしまっていた。かつての思い出と、かつての約束を。

そして案の定、今の自分は苦しんでいる。仮に救いがあるとすれば、自分を苦しめているのは過去の幸せだということだろうか。
もし過去と現在の二つの幸せに苦しんだら今の自分はどうなっていたのだろうかと、咲夜は思案する。


(きっとあの夜のように、十六夜 咲夜となって初めてあの人と会った時のように怯えてしまうでしょうね。
 そしてその辛さに耐えられず私は………死を選んだかもしれない)


だがそうはならなかった。今の自分を、十六夜 咲夜という存在を支えてくれる人達がいたから。


「前にも言ったでしょう?生きている間は一緒にいますからって。あの言葉、忘れちゃったんですか?」

「………忘れてないわ。少し思い出せなかっただけよ」


この小さな主人と一緒に生きて………生きたい。彼女といると本当にそう思うのだ。
この人と一緒に人生を歩んで生きたい。そう思える魅力がレミリアにはあったのだ。

それはまさに、彼女の祖父が持っていた魅力と同じものであったのかもしれない。
ただ優秀なだけでは誰も着いていこうとは思わない。そう思わせるだけの輝きが無ければ、人は着いてはこないのだ。


「あの時言った言葉は嘘じゃありません。本当にそう思ったから言ったんです。
 もし今も怨んでいるなら、そんな事言うわけないじゃないですか。
 それにそんな事もお嬢様に言われるまで、さっぱり綺麗に忘れてましたわ」

「まったく、私がこんなに気にしてた事が馬鹿みたいじゃないのよ」

「ええ、本当にそうですね。ふふふ」

「もう、笑わないでよ………」


なんだか途端に恥ずかしくなり、レミリアはその表情を帽子を下げて隠す。
そんな主が愛しくて、愛しくて。従者はその小さな体を後ろからキュッと抱きしめる。


「あ………咲夜………」

「………すみません、先の言葉は訂正させてください」

「訂正?」

「はい。私はまだ甘える事が出来ます。今だってそう。お嬢様やみんなに甘えて、私の願いを聞き届けてくれるのですから」

「そう………そうね」

「だから………だからお嬢様ももっと甘えてください。美鈴やパチュリー様や妹様に。そして――――――」

「そして貴女にも、ね?………ありがとう、咲夜」

「その言葉だけで、私は幸せです」


お互いの温もりを感じて、二人は幸せそうに笑い合おうとした――――――その時だった。










頭の中でガチリと――――――歯車の音が――――――鳴った。










その音に反応し二人はお互い離れ先ほどの表情とは打って変わった緊張を浮かばせていた。
この音はパチュリーの結界に反応があった事を皆に知らせる音。そう、それはつまり――――――彼が来たという事だ。


「咲夜これはッ!?」

「ええ………来て、しまいましたね」


悲しそうに、不安そうに、咲夜はか細い声で答えた。幸せを感じる時間は、もう終わったのだ。


「貴女はどうするの咲夜?もし辛いなら貴女は来なくても」

「それをする訳には、いかないでしょう。これは私と、あの人との問題なんですから」

「………いいのね?」

「――――――はい」


決意を込めた眼差しを主人に向け、従者は答える。逃げる訳にはいかない。
たとえ戦えなくても、自分はこの目で見届る義務がある。責任がある。逃げる訳には、いかなかった。










「なら――――――来なさい十六夜 咲夜。貴女の願い、このレミリア・スカーレットが叶えてあげるわ」

「ええ、ではいきましょう――――――レミリアお嬢様」










運命の歯車が動き出したその音を聞いた者の一人、パチュリー・ノーレッジは読んでいた途中のその本を静かに閉じた。


「とうとうこの時が来たか………小悪魔、行ってくるわ」


反応のあった場所へ向かおうとする主に向かい、小悪魔は不安そうに声を掛ける。


「気を付けてくださいパチュリー様。私、なんだか不安で」

「その不安はきっと此処にいるみんなが同じでしょうね。でも、大丈夫よ。みんなと一緒なら、恐くないわ」

「なら私も一緒に!」

「それは駄目。酷な事を言うけれど貴女じゃ戦力にはならない。戦っても足手纏いになるだけ」

「………そう、ですね」


小悪魔とてパチュリーの使い魔だ。戦う力が無い訳ではない。だが今回の戦いではその力は通用しないのだ。
相手は少なくとも咲夜以上の力の持ち主であり、状況次第では紅魔館メンバー全員を暗殺出来るだけの実力がある。
この幻想郷でもまず間違い無く最強と言えるだろうその実力者を相手にするには悲しいかな、小悪魔の力はあまりに小さ過ぎたのだ。
そして小悪魔自身もそれを分かっているから、パチュリーのその忠告を受け入れるしかなかったのだ。


「………ごめんなさい。こんな事言って」


覆せない事実とはいえそれを口に出して当人に言うのはやはり辛いものがある。
そんな主人の意を汲んで、小悪魔は寂しそうに笑って返事をする。


「いえいいんです。それは、事実ですから。だから私を戦わせたくないっていうパチュリー様の気持ちはよく分かります。
 分かりますけど………私だってみんなの為に出来る事がしたいんです。………私だって」

「家族、だものね。なら………お願いがあるの」

「お願い、ですか?」


今の自分に出来る事があるのだろうか?小首を傾げる小悪魔に、パチュリーはその願いを言う。


「私が帰ってくるのを、待ってて。家族が待ってるってだけで、私は頑張れるから。
 これが貴女に出来る戦いよ。待ってるだけなのは辛いけど、だからこそ私は貴女にそれをお願いするの。
 だって貴女にはそれが出来るだけの力があるのだから。だから――――――お願い、小悪魔」


主のそんな願いを聞いて小悪魔は小さく、だが力強く頷いてそれを了承した。


「………分かりました。それではお気を付けて」

「ええ、行って来るわね」


パチュリーは小悪魔にそう言い残し、大図書館を後にして出て行った。










「喘息の調子は良好、後は私の実力次第。なら――――――全力でやらなきゃね」










紅 美鈴は自室でその歯車の音を聞いた。夜の闇の中で門番をするのは危険過ぎるとの咲夜の忠告から、美鈴は門にいなかったのだ。
アサシンの実力を誰よりも知っている者の忠告だ。美鈴はそれを素直に受け取り今の今まで部屋で待機していたのだ。

そんな彼女は今、一枚の絵を見ていた。それは家族みんなが一緒にいる絵だった。
その絵は美鈴が管理していた物の中の一枚であり、彼女の一番のお気に入りの絵だった。
スカーレットが一番幸せだった頃の象徴。自分が一番幸せだと思えたかもしれないあの瞬間を切り取ったもの。
それが彼女が今見ている絵だった。


「………大丈夫。あの子達は必ず、私が守ってみせますから。だから、安心して見守っていてください」


愛しそうにその絵を見詰め、美鈴は言う。


「それでは行って来ます。そして必ず――――――戻ってきます」


そう目の前の絵に誓い、美鈴もまた部屋を後にして自らの行くべき場所へと向かっていった。










「アサシンよ、あの子の気持ちに応えてください。そうでない場合、私は――――――貴方を倒さなければいけなくなる」










紅魔館の最下層にいるフランドール・スカーレットもまた、その歯車の音を聞いた。
今までする事も無くベッドの上でしどけなく寝ていた彼女は、事が始まる事を知りむくりと上体を起こす。


「………あ、あのアサシンのオジサンか。あーあ、私も行きたいけど………」


それは出来なかった。自分が行けば全てが台無しになってしまう可能性がある事を彼女は知っていたから。
だから行くのを我慢したのだ。後はもう皆に任せるしかない。


「しょうがない、か。邪魔しないってみんなに約束したもんね。つまんないけど、あんなにお願いされちゃあ、守るしかないもんね」


だがきっと面白い舞台になる事だろう。それはよく分かる。それが見れないのはとても残念だが、ここは我慢しなければいけない。
それにどうなったかは後で聞けばいい事だ。話を聞いてそれがどんなものだったかを想像するという楽しみがあると思えばいいのだ。
だから早く話が聞きたい。どんな事があったかを、当人達の口から。










「だからみんな、みんな頑張ってね?………………ふふ、ふふふふ、ふふふ」










紅魔館の庭を歩いていく影は音も無く目的地を目指し進んでいた。自身の目的を果たす為に無心で、進んでいく。
その影は言うまでも無く、今回のこの小さな異変の元凶であるアサシンその人だった。
そして屋敷の入り口にまで進んで、あるものがアサシンの目に入った。


「………ほう?」


アサシンはそんな声を漏らし、そのあるものを見据える。そのあるものとは――――――この屋敷の住人達だった。


「こんばんは、名を語らぬアサシンよ。今日は貴方をメインにパーティーをさせてもらうわ」


その住人達の長でもある当主が前に進み出て軽く御辞儀をして、アサシンに挨拶をする。
そして七曜の魔女と華人小娘がそれに続くようにして前に出る。


「メインゲストになるかメインディッシュになるかは貴方の態度次第だけど、さてどちらがいいかしら?」

「私は出来ればゲストとして持て成したいんですが――――――そうでない場合は調理するしかないんでしょうかね?」


二人の皮肉がアサシンに向けられ、三人の視線が動く影とも言えるアサシンに注がれる。
だが件のアサシンはそんな三人の視線には目もくれずに、ただ一人の人物を見詰めるだけだった。
そう、かつての自分の弟子である十六夜 咲夜を、アサシンは見ていた。
咲夜とアサシンの視線が合い、咲夜はどう言えばいいか分からずに黙るしかなかった。
だがそれに耐えられなくなり、咲夜は師に向かい口を開く。


「我が師よ………私は」


少しの間ただ黙って彼女を見ていたアサシンは、彼女の続く言葉を遮る様にして、自身もまたその口を開き言葉を投げ掛ける。










「では終わらせるぞ――――――我が弟子よ」


無慈悲に、そして冷たく――――――彼はそんな言葉を投げ放つだけだった。



















後書きだ………やっと、やっとここまで………

うわぁー遅くなった。投稿遅くなった。だいぶ時間経ったな本当。遅れた原因は主にモチベーションが上がらなかったからですね。
そして小説のデータが全部パーになったからですね。………はい、全部です。
あーあ、細かい設定とか他の話とか書いてたのにそれもうパーだよ。スミスは めのまえが まっしろになった。
でもまぁ内容は頭の中にちゃんと入ってるんで問題無いですがな!

そんで次はアサシンさんの嫌な部分が出てきますね。もうどれだけあんたはあれなんだってくらいあれします。
………さて、頑張るかね、うん。

皆様の感想、お待ちしておりますぞ!
それでは!



[24323] 第二十二話 守られた誓い
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:bbc241b3
Date: 2011/02/17 00:00






アサシンのその言葉に、全員に緊張が走る。アサシンの鞘から剣が抜かれ、鋭い残響音が走る。
そしてアサシンが動き出そうとした――――――その時だった。


「アサシンよ、話をしてもよろしいでしょうか?」


美鈴がそんな待ったの声を掛けたのだ。その行動に驚いたレミリアは何故美鈴がそんな事を言うのか尋ねない訳にはいかなかった。


「美鈴?貴女一体何を」

「お嬢様、ここは私に任せてはもらえないでしょうか?今回はただ戦えばいいという話ではありません。
 もし可能なら、誰も血を流さずに済むようにしたいんです」


美鈴は落ち着いた声で返事をし、それを聞かされたレミリアは黙って後を任せる事にした。


「………いいわ。お願い」

「………ありがとう」


レミリアの言葉に笑顔を浮かべ返事をする美鈴だったが、アサシンの方を向くとその表情は緊張一色に一変した。
この争いを出来る事なら話し合いで解決したい。それは万に一つの可能性も無いかもしれないが、やるだけの事はやってみよう。
そんな決意を胸に秘めた美鈴に向かい、アサシンは問い掛ける。


「………闘士よ、今更どのような話をしようというのだ?何を話そうと時間の無駄だ」

「無駄な戦いをしない為に」


ただただ真剣な眼差しを向けて応える美鈴に、アサシンは一歩下がりその問いに答える。


「………………聞こうか」

「ありがとうございます」


美鈴の一礼と共に、剣はとりあえず鞘に納まる。それと同時に皆の緊張も僅かに収まった。


「ではアサシン………失礼、この呼び名でよろしいか?」

「構わぬ。私もお前の事は闘士と呼ばせてもらう」

「ではアサシンよ。貴方の目的を教えてはくれませんか?」

「言わずとも分かろうが、お前達の処理だ。もっとも、もう一つ仕事が増えたがな」

「それは咲夜さんを殺す、という事ですか?」


アサシンの言葉に若干の怒気を篭めて美鈴は返事をする。自分の弟子を殺す。
そう言ったアサシンの言葉には躊躇も戸惑いも一切無く、感情も微塵も感じない。
何故そんな事が出来るのかという怒りと、悲しみが沸々と湧き上がる。

だがアサシンの次の言葉にその感情は無くなり、そして皆は驚く事になる。


「何故、私がその咲夜とかいう者を殺さなければならないのだ?」


そう、この言葉を聞いた全員が驚くしかなかったのだ。そんな一同の気持ちを代弁するかのようにして、美鈴は慌てて尋ねる。


「ちょっと、待ってください!言ってる事が違うじゃないですか!
 貴方は咲夜さんを、自身の弟子を殺すとその口で言ったじゃないですか!?」

「勘違いをするな」

「え?」

「私の弟子はそこにいる“我が弟子”だ。断じて“咲夜”なぞという者ではない。そして私が殺すのはそこにいる“我が弟子”だ」


アサシンは“咲夜”ではなく“我が弟子”と彼女を呼んだ。殺すのも“我が弟子”であって“咲夜”ではないと言った。


「貴方にとってまだこの子は“我が弟子”なのですか?」


美鈴は複雑な想いでそれを問い質す。咲夜自身は気付いていないのだろうが美鈴には分かる。
そう呼ばれる事で咲夜が、彼女が小さな安堵を覚えている事に気付いていた。


「それ以外の呼び方をする気は無いな。………少なくとも今はまだ」


こんな事を言われてもまだ彼女は彼を信頼し、慕っている。きっと彼と彼女だけにしか分からない信頼が今でもあるのだろう。
それが分かった時、美鈴は自身の中に彼に対して嫉妬の感情が若干だが生まれるのを感じた。
今でもなおこれほどまでに彼女の信頼を得ている彼が、羨ましいとさえ思えた。


「………この子はもう“十六夜 咲夜”なんです。そこを分かってあげてください」


彼に対してのそんな小さな抵抗を見せる美鈴は、我ながら子供だなと思うしかなかった。
そう言う事で彼女は私達の家族だと、暗に言っている自分が小さな存在に感じるざるを得なかった。


「………まあいい。だが闘士よ、このままでは埒が明かぬ。お前達の望みを言え」

「この件から手を引いてはもらえないでしょうか?そして彼女を、咲夜さんを許してはくれないでしょうか?」

「気が触れたか?本気でそんな事を言ってるとしたらお前の評価を変えねばならんな」

「私はただ咲夜さんを、みんなを、家族を守りたいだけなんです。ただ、それだけで………」


それだけでよかった。みんなが幸せであってくれれば、美鈴はただそれだけでよかった。
この幻想の世界で続いた平穏で穏やかな日々。それが今の美鈴にとっての幸せだった。
そしてこの平凡な日々を命を掛けて守る。それが美鈴の勤めであり使命だった。

それを聞いてアサシンは、そんな彼女の気持ちを抉るような事を投げ掛ける。


「それはかつての当主を守れなかった代わりに、という事か?」

「アサシン、貴様ッ!!!!」

「待ってくださいお嬢様!………落ち着いてください」

「でも美鈴ッ!?」


美鈴は激昂し今にも飛び出しかねないレミリアを片腕を出して宥めるが、レミリアはそれでも前に出ようとした。
だが美鈴の顔を見て、その気持ちは治まった。美鈴のその顔が泣いてしまいそうなくらいに、儚く歪んでいたから。


「お願いですから………お願い」


辛そうな声で、泣きそうな顔で、そんな事を言われては、レミリアは退かない訳にはいかなかった。


「………分かったわよ」


そうしてレミリアを宥めた後、先の表情とは違い気を引き締めた面持ちで、美鈴はもう一度アサシンの方を向いて先の問いに答える。


「………そう思ってもらっても構いません。でもこれが私の正直な気持ちなんです」


あの時、自分が攻め入ってきたハンター達の猛攻を防ぎ切れなかったのは事実だ。
守ると誓った家族を死なせてしまったのも、紛れも無い事実だった。
だからこそ、もう三度と失うまいと誓ったのも事実だ。だからアサシンが言った事は間違いではない。
そう、間違いではなかったが、面と向かってそれを言われればやはり、辛いものがある。
失った家族の代わりに咲夜を守る。これではまるで代替品だ。
レミリアが怒ったのも、アサシンの発言がそう聞こえたからだったが、それはある意味では合っていたのかもしれない。


「結局、ただの自己満足なのかもしれません。でも、それでも私は守りたいんです。もう、失いたくないから」

「私が願いを叶える理由にはならんがな」


美鈴に対しそう冷たく言い放つアサシンに、今度は咲夜が話し掛ける。


「我が師よ、私の話も聞いてはくれないでしょうか?」

「なんだ我が弟子よ?」


その静かな威圧感に若干押されながらも、咲夜は震えるのを堪えてなんとか話し掛ける。


「かつて我々がこの人達を狙った理由。それはスカーレットが再び力を取り戻し勢力を復活させるのを防ぐ為でしたよね?
 だったらそれはもう大丈夫なんです。もう私達はこの世界で静かに暮らす事を望んでいるんです。だから」

「だから見逃せと?出来ぬな。スカーレットという脅威は不発弾の脅威と変わらぬ。
 それ自体が何もせずとも危険な存在である事は変わりないのだ。そして、脅威は取り除かねばならぬ。何があろうともだ。
 お前達にとってスカーレットがどんな存在なのかは関係無い。力衰えてなお、スカーレットとはそれほどの脅威なのだ」

「それは………」


そう言われ咲夜は言葉を詰まらせる。師の言葉がどういう事なのか、理解出来るからだ。
かつての自分、アサシンであった頃の自分は他者から見れば恐怖そのものでしかなかった。
そして目の前の師もそれは同様。今は自分達の恐怖として目の前にいる。
だが彼女は知っている。目の前のこの人も誰かと共に喜びを分かち合い幸せを語る事が出来る優しい人だという事を。
しかしそんな人物も、今のスカーレットにとっては脅威であり恐怖でしかなかった。

自分達がこんな存在だと言っても、それが相手にとってもそうであるとは限らない。
スカーレットがどんな存在か知り、そして他者にどう思われているか、咲夜はよく知っている。
アサシンがどんな存在か知り、そして他者にどう思われているか、彼女はよく知っている。
その優しい想いは普通の人と何も変わらず、だが何よりも恐れられる恐怖の権化。
そういう意味ではスカーレットもアサシンも何も変わらないのだ。
それがそのスカーレットとアサシンの双方を知っているの咲夜の、そして彼女の結論だった。

言葉を詰まらせた咲夜に代わり、また美鈴がアサシンに話し掛ける。


「アサシンよ、もう一つ話を聞いてはもらえないでしょうか?」

「なんだ?」

「咲夜さんは貴方を、貴方達を裏切った訳じゃないんです。お嬢様に敗れた時は迷わず自害しようとしました。
 それでも生きていたのは私達がそれを彼女に無理に望んだからです。彼女が自らの命惜しさに貴方の教えを破った訳ではないんです。
 それに生きていた時も、お嬢様や私達の命を常に狙っていました。生き恥を斯いてでも使命を果たそうとしたんです。
 だから、彼女は裏切った訳ではないんです。それはどうか理解して頂きたい」

「なら何故お前達は生きているのだ?」

「そ、それは」


アサシンのその問いに、今度は美鈴が言葉を詰まらせる。


「生きて生還する事もせず、死んで我等アサシンの信条に殉ずる事もせず。殺そうとした者と生きている。
 これのどこが裏切りでないというのだ?」


無機質なアサシンの言葉に、美鈴は言い返す事が出来なかった。したくても、出来なかった。
咲夜が自害しようとしたのは事実だ。生き延びて自分達を殺そうとしていたのも事実だ。
だがそれは言ってしまえばこちらの都合であり、相手側からしてみれば今言ったアサシンの言葉が彼等にとっての事実なのだ。


「闘士よ、お前が言った事は事実なのだろう。だが我等にとっての事実とはそれだけなのだ。
 どのような過程があったにせよ、結果はこうなった。それが揺るぎようの無い事実であり、そして真実だ」 


そうだ、それは美鈴にもよく分かる。相手のその理屈は頭では理解出来る。だが――――――


「………知らないくせに、偉そうに言うな」

「なに?」


だがどれだけ頭では理解出来ても――――――


「この子がどんな辛い想いでいたかも知らないくせにッ!偉そうに言うなぁッ!」


心では、納得出来なかったのだ。


「美鈴、貴女………」


そう叫ぶ美鈴を見て、咲夜は唖然とした。今までこんな美鈴は見た事が無かった。
この紅魔館で一番優しいであろう彼女がここまで怒りを露にし、そして――――――泣いていたのを始めて見た。


「知っているのかッ!?この子が毎晩一人きりで涙を流していた事をッ!」


ただ一人、誰にも知られないように枕で顔を隠し涙を流していた事を、美鈴は知っていた。


「知っているのかッ!?この子がみんなに会いたい、帰りたいと泣いていた日々をッ!」


一人ぼっちで泣いて、心が締め付けられるような泣き声で言ったその言葉を、美鈴は知っていた。


「知っているのかッ!?この子がどれだけ貴方達の事を愛していたのかッ!
 そしてその気持ちは今でも変わらない!今でも貴方達の事を、この子は愛しているんだッ!」


それを語る美鈴の目には涙が溢れ、そして流れていた。
こんなものは理屈が通らないからただ泣き叫ぶだけの、子供の言い訳にしかならないのかもしれない。
だがそれでも言わずにはいられなかったのだ。彼女がどれだけ苦しんだのか、言わずにはおけなかったのだ。


「どうして殺すなんて事が出来るんですかッ!?貴方達はかつて家族だったんでしょうッ!?
 その家族をどうして殺すなんて事が出来るんですかッ!?お願いですッ!そんな事は止めてくださいッ!
 貴方にとってもこの子はまだ大事な存在なんでしょうッ!?だったらお願いしますッ!」

「何故そんな事が分かる?私にとって大事な存在だなどと」

「だって貴方はまだ言ってるじゃないですか――――――“我が弟子”と」

「………………」


美鈴のその言葉をアサシンはただ黙って、そして聞いていた。


「貴方が本当に彼女を裏切り者だと思っているのならそんな事は言えないはずです。
 それはつまり貴方がまだ彼女の事を家族だと思っているからではないんですか?
 もしそうならお願いです。どうか手を引いてください。――――――この通りです」


そう言うと美鈴はその場に跪きアサシンに向かい頭を下げ――――――土下座をした。
それを見た紅魔館のメンバーはただそれを見て驚くしかなく、言葉が出なかった。


「お願いです。どうか、どうかこの通り………」

「闘士よ、何故そこまで………などとは無粋な問いだな」

「この子は裏切ってなんかいません。その証拠に、この子は貴方との約束をちゃんと覚えていたんですから」

「………………本当か、我が弟子よ?」


咲夜は、彼女は師の問いに頷き、そして答える。


「我が師よ。私、思い出したんです。あの夜に誓った約束を」

「………………そうか」


彼女の言葉に、彼はそう今までと同じ声の調子で、だがほんの少しだけ穏やかな声で、それだけ答えた。


「本当に、本当にごめんなさい。裏切らないって誓ったのに、忘れないって約束したのに。
 私は、私はそれを破ってしまった。思い出す事は出来ても、それは変わりません」

「だがお前はそれを思い出す事が出来た………そうだな?」

「………………はい、我が師よ」


弟子のその言葉を聞いて、師は何かを考え込む様にして黙り、少ししてその沈黙を破った。


「我が弟子よ。お前は私に、何を望む?」

「我が師よ………それは、まさかッ!?」

「答えるがいい我が弟子よ。お前のその望みを」


師のその言葉を聞いて、彼女は顔を笑顔にして輝かせ、皆の顔を見る。
そこには安堵した皆の表情があった。まさかこんな奇跡が起こるとは夢にも思わなかったのだろう。
咲夜は自分の願いを叶える為、師にその願いを言った。


「私は――――――貴方に許して欲しい。みんなを助けて欲しい。それだけを望みます。我が師よ」

「そうか………………ならばその願い」


アサシンの次の言葉を、皆は固唾を呑んで待った。そして――――――


「聞き届けよう」


そう、答えてくれた。


「本当ですか我が師よッ!?」

「ああ、そうだ」

「よかった………本当によかった………咲夜さん、本当に、本当に」

「泣かないでよ美鈴。………ありがとう。貴女の御蔭で」

「いいんです。私だって、それを望んでたんですから」


泣き崩れる美鈴を立たせて落ち着かせようとする咲夜もまた、涙を流して喜んでいた。
本当にこの願いが叶ったのだと知って喜んでいるのは咲夜なのだから当然と言えば当然だったのかもしれないが。
そんな二人を見て、レミリアとパチュリーも知らぬ内に涙ぐみ、その光景を見守った。


「本当に………よかったわね、レミィ」

「そうねパチェ。こんな運命になるなんて、私にも分からなかったわ。けど、これで皆が幸せに生きる事が」


そう安堵したその時、ふと何かを忘れているような気がした。
それは何かとても大切な事だったような気もしたが、思い出せないのなら大した事では無いのだろう。
今はこの瞬間以上に大切な事などありはしないのだから。


「ありがとうございます我が師よ。なんと、礼を言えば………いいのか」


咲夜は師に礼を言うが、それ以上なんと言えばいいのか分からず、歓喜の涙を流すしかなかった。



「構わぬ。言う必要は無い。何故なら――――――」


彼女の師は、アサシンは、昔と変わらぬ静かで穏やかなその口調で――――――告げる。










「私が成すべき事は結局――――――何も変わらないのだから」


その言葉と共に――――――無数の銀の飛剣が空を斬る。










「咲夜さんッッッ!!!!ガァッ!?」


咄嗟の判断で咲夜を庇う様にして美鈴は前に出て飛剣を打ち払おうとした。
気で硬化した美鈴の手刀が飛剣を捕らえ弾き、そして弾かれた飛剣は周囲の地面に突き刺さる。
だが予想外のその出来事に完全に対応出来ず、自身が負傷する結果を生んでしまった。
その時飛んだ美鈴の血が、咲夜の顔に飛び付く。咲夜は何が今起こったか分からず、思考を停止させてそれを見る事しか出来なかった。


「………………え?」


訳が分からなかった。なんで美鈴が目の前で血を流して傷付いているのかが。
理解が出来なかった。どうして我が師が自分達目掛け攻撃をしてきたのかが。
何も分からなかった。いや、分かりたくなかった。
目の前の光景が一体なんなのか。そんなもの、分かりたくなかった。
だが自分の中の冷静な部分がそれを理解させてしまう。その瞬間、咲夜は叫んだ。


「美鈴ッ!!!!我が師よッ!これはどういう事ですかッ!?」

「アサシン貴様ッ!謀ったかッ!?」


困惑する従者に続き、激昂する当主がアサシンに向かい叫ぶ。


「私はただその者の願いを叶えただけに過ぎん」

「ふざけるなッ!これのどこがだッ!」

「私が願ったのは、こんな事ではありません我が師よッ!」

「何が違う?私はお前に死という許しを与え、この者達には死という救いを与える。
 そう、これが私のお前達に対する返答だ」


なんでもない事を告げるような淡々とした口調で、アサシンは死を宣告する。
フードの影と面布で表情こそ分からないが、きっとその表情は一切変わっていないのだろう。


(ああクソッ!そうだ、これだ。私が感じていたものは。運命が見えていなかった事だッ!
 あいつが本当に許したのならそれが見えていたはずだった。それが無かったと言う事は、そうではないという事じゃないかッ!)


自分の注意力の無さを、レミリアは怨んだ。もっと警戒していればこんな展開にはならなかったかもしれないのにと、自身を怨む。


――――――ギチギチと、不愉快な笑みが零れてしまう。


「美鈴ッ!?怪我はッ!?」

「大丈夫です。まだ、動く事は出来ます」


咲夜の問いに美鈴は無事だと告げる。奇襲による体の被害は酷いものではなかったが、それでも無傷ではなかった。
そこかしこに傷を受け、滴る血が肌の上を流れている。


「あの奇襲に対応するとはな。見事だ。素直に賞賛しよう闘士よ」

「黙れッ!何故だ………なんでこんな事をしたぁッ!?」

「本気で私がお前達を見逃すなどと考えていたのか?愚かな。私が何者か忘れたのか?私はアサシン。お前達を殺す者だ」

「この子のあの笑顔を見なかったんですかッ!?許すと言った貴方の言葉に歓喜したあの笑顔をッ!
 貴方はその笑顔を裏切ったんですよッ!」


咲夜から彼の話を聞いて、彼は尊敬に値する人物だと思った。だがそうではなかった。
こんな人の心を弄ぶような策で奇襲するような者をどうして尊敬など出来るだろうか?

だがアサシンはそんな美鈴にまたしても無慈悲な回答で答えるだけだった。


「それがなんだと言うのだ?」

「なッ!?」

「奇襲、闇討ち、そして騙まし討ち。それは我等アサシンの常套手段だ。
 勘違いするな闘士よ。我等は正々堂々と戦う事を誇りとする戦士ではない。
 悪鬼外道と蔑まれてもなお、任務を達成する事を誉れとする暗殺者である。
 恥ずべき事なぞ何一つとして――――――無い」


美鈴は根本からして間違っていたのだ。話せば分かってくれるというその考え自体が間違っていたのだ。
相手はそのような甘い考えが通じるような存在ではない。咲夜の話を聞いて勝手にそう思い込んでしまっただけなのである。

アサシンは自らの質問に問いを投げ掛ける。


「我が弟子よ答えろ。お前の師は先のような事を言われて任務を放棄する存在か?」

「………そんな事は、断じてありません」

「情に流されて目的を誤るか?」

「………ありえません、そんな事は」

「そう、それが私だ。それはお前自身が一番よく分かっているはずだな?」

「………は、い。それが貴方です。我が、師よ」


そう、そうなのだ。目の前の存在がこのような些細な事で任務を放棄なんて事をするはずがないのだ。
それは彼女自身が一番理解していた。

任務においては師は、普通の人間が持っているような情や甘さなんてものは欠片も持ち合わせてはいなかった。
無慈悲な刃こそが彼の慈悲の心。一切の迷い無く殺す事が彼の情け。そして与える救いは死。ただそれだけ。
それがアサシンという存在であり、かつて彼女がそうでありたいと願った理想の形なのだ。


「我が弟子よ。たとえお前が裏切ったとしても、私はお前を決して裏切りはしない。何故だか分かるか?」

「そういう存在であり続ける事が、貴方の誓いの守り方だから………ですね?」

「私は“私”であり続ける。それがあの夜、私がお前と交わした約束を守り続ける事の証明だ」


咲夜は、彼女はそれを聞いて素直に嬉しかった。あの日から約束を守り続けていてくれたというその言葉に。
だがそれと同様に、悲しかった。それは自身の望みが叶わない事を意味していたから。


「貴方は、本気で自らの家族を殺そうと言うのですかアサシン!?」

「そうだ、殺す。だがそれでも我が弟子は生き続ける。私が永久に忘れぬ事によって。
 だが闘士よ、その者はお前達の家族である“咲夜”なのであろう?そう、私の家族ではない。
 故に殺す事に一切の躊躇も無いのだ」


美鈴はその言葉を聞いて先に言い放った自分の言葉を呪った。
この子はもう“十六夜 咲夜”なんです。そう言った自分の先の言葉を呪うしかなかった。
無論そんな事を言わずともこのような結果になったのだろうが、それでも美鈴は自分の軽い発言を怨むしかなかった。


「でもアサシン?貴方、この状況で私達を殺せると本気で考えているの?」


その言葉を言ったのは今まで黙っていたパチュリー・ノーレッジその人であった。


「姿を隠しての暗殺なら貴方に分があったかもしれないけど、今現在貴方は私達に見つかりその姿を晒している。
 そして四対一という戦力の差。いくら貴方が優秀なアサシンであろうとも、それを覆す事が出来て?」

「確かに状況は不利だ。だがな七曜の魔女よ、それだけだ。それは任務を放棄するような障害ではない」


答えるその声には意思の揺らぎなどは一切感じられなかった。逆にその意思がどれだけ固いものかを教えさえした。


「戦力の差程度では諦めないか………どうするレミィ?」

「咲夜の為にも殺す訳にはいかない。半殺しで押さえ込む。それしかないだろうな」


苦汁を飲んでパチュリーの問いの答えるレミリア。説得が駄目だった以上当初の予定通りに生きて拘束するしか――――――


「そうか。なら感謝すべきだな」

「………なんだと?」


アサシンの理解しかねる発言に、レミリアはいぶかしむ。そしてその疑問に、アサシンは答えた。


「力を加減するのだろう?だがこちらはそんな事はせん。十全の力を持って殺してやろう。
 我が弟子よ、感謝するぞ?お前の御蔭で此度の任務、案外楽に終わりそうだ」

「そんな、私、は………」

「――――――キサマァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!」


怒号と共に、美鈴の周囲に七色に輝く虹の闘気が美鈴本人を中心にして湧き上がる。
その湧き上がる力は凄まじく、大気が痺れ弾ける程であった。


「許せん………どれだけ彼女の想いを踏みにじればお前はッ!」

「この者が帰らなかった事でどれだけの者が悲しんだか、お前は知っているのか?」

「今更何、を………あ」


アサシンのその言葉を聞いた皆はそれが一体なんなのかを理解してしまう。その中でも咲夜の、彼女の反応は明確だった。
自分が帰らなかった事で悲しんだ者達。それはつまり――――――教団のみんなの事だ。


「知っているのか?アルとジョヴァンニがどれだけお前を任務に就かせてしまった事を悔やんだか?」


一歩、アサシンは彼女等に向かい歩み始める。


「知っているのか?テレサがお前が帰ってこない事を嘆き泣いた事を?」


一歩また歩み、アサシンは一旦は納めた剣に再び手を掛ける。


「知っているのか?教団の者達がどれだけお前の帰還を望み、それが叶わなかった事で悲しんだか?」


一歩また一歩と進み、アサシンは剣を鞘から引き抜いた。


「知っているのか?あの者達がどれだけ――――――お前を愛していたかを?」


その言葉でアサシンは歩みを止めた。咲夜は師のその言葉を聞く度に後退り、再び後悔の念が胸の中に湧き上がる。
かつての自分がそうであったように、教団のみんなも同様に嘆き悲しんだ事を知り、胸がジクジクと痛み出す。
みんなにあの想いを味合わせてしまった事への罪悪感が、その痛みを生み出していたのだ。


「お前の裏切りで皆を悲しませるくらいなら、私はお前が掟に殉じて死んだと皆に伝え安堵させる事にしよう」


夜の闇の中で、木目状の独特の模様が浮かび上がる片手剣。
その剣に使われる素材がなんなのか。知識人であるパチュリーはそれがなんなのかをすぐに看破した。


「その剣………まさかダマスカス鋼ッ!?」


パチュリーが驚くのも無理はなかった。
ダマスカス鋼。別名ウーツ鋼とも呼ばれる、もうその製法は失われ伝説の中だけで生きる伝説の鋼材。
それは柳のようにしなり、人を斬ってもその切れ味が落ちる事は無く、鉄をも簡単に斬る事が出来ると伝えられている。
伝説の存在と呼ばれ伝承の彼方に消えていった、まさしく幻想の存在である剣。
パチュリーはその存在は知識では知っていたが、実物を見るのはこれが初めてだった。


「そうだ。そしてこの剣は私そのものでもある。私と共にあり続けた私の半身だ。
 かつてのお前がそうであったようにな――――――我が弟子よ」


ダマスカス鋼の剣を咲夜に向け、アサシンは厳かに告げる。


「十六夜 咲夜という今の貴様を殺し、かつてのお前を蘇らせる。そしてお前を皆の下に連れて帰ろう。
 それが――――――かつてお前と交わした約束を守る事だと信じて」

「我が師よ………私は………」

「咲夜ッ!下がってなさいッ!美鈴ッ!パチェッ!――――――本気で挑みなさいッ!」

「言われずとも――――――そうするわよッ!」

「やらせはしない――――――させてたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」


赤い月の魔力が夜を染めて、五色の賢者の石が輝き、虹の閃光が荒れ狂う。
その光が増す度に、周囲の影は濃くなり、そして長く伸びていく。










「私の中で生き続けるがいい――――――我が弟子よ」


――――――銀の光は、まだ輝かない。




















後書きを書ける。こんなに素晴らしい事は無い。

まぁーた長くなったよ。でもこの文章の量なら許してくれるかな?………質も無いと駄目ですよね。

残酷な展開その1 交渉失敗。
そんな、話し合いで解決する訳が無い!無いったら無いのである!
そして許すと言ってみんなを持ち上げて。だが待っていたのは騙して悪いがなのこの展開。
あー………やりたい事書けたから実に気分がいい。

さて、次回は本当に久々の戦闘シーンになりますね。いやぁ………上手く書けるかな?
これどう考えても激しい戦闘になるよな………あーあ、そうはならないって言ってたんだがなー………
………騙して悪いが(ry

しかし消えてしまったデータはあまりに惜しかった。
また全自動津波発生装置波乗りポニー君19万8千円を書かねばならんと思うとなるとな………はぁ。
それでは!



[24323] 第二十三話 姿は見えれども
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:bbc241b3
Date: 2011/02/21 10:58






最初に行動を起こしたのはレミリアだった。戦闘の開始と同時に赤い魔弾の嵐がアサシン目掛け降り注がれる。
前回同様にアサシンはその弾幕の間を潜り抜け、飛剣を投げ付ける。

だがレミリアに当たる数メートル手前で、飛剣は甲高い音を響かせ弾かれる。まるで不可視の壁にぶつかったかのようだ。
その不可視の壁の正体。それはパチュリーによって創造された結界であった。


「ナイスよパチェ、さすがね」

「五つの賢者の石全てを使用して生み出したこの結界。破れるものなら、破ってみろってね」


そう言って満足そうに胸を張るパチュリー。そう、この結界はパチュリーの持つ賢者の石全てをフル稼働させて生み出したもの。
その強固さは凄まじく、魔理沙や幽香のマスタースパークを受けても決して敗れる事は無いと自負出来る代物だ。


「あのアサシンがどんな業を使おうとも、マスタースパーク以上の火力を持つものは持ってないでしょう。そうよね咲夜?」

「………ええ、マスタースパークみたいな業を持っていたら暗殺なんて出来ませんから」


アサシンの持つ業。何を使うのかは分からないが、それでも分かっていた事もある。それが火力の問題だ。


「戦闘になればもうこちらのもの。最大火力が分かればそれを完全に防げるだけの結界で弾く。
 奴の攻撃はこちらに通じない。でもこちらの攻撃は」

「何も問題無くッ!そのまま奴に通るという事さッ!」


そう言ってレミリアは思う存分自身の魔力を無数の弾丸と化し、それをアサシンに叩きつけていく。

レミリア達が立てた作戦はこうだ。
戦闘時、まず全員がパチュリーが生み出した結界の中で待機。そしてレミリアが遠・中距離の攻撃を行うというシンプルなもの。
だが効果はあった。相手の攻撃がこちらに通じないのは有利以外のなにものでもない。
たとえ攻撃が当たらなくとも、相手の体力を徐々に奪う事は出来るのだ。

だがそれはすぐにアサシンにも分かった。相手は持久戦を狙っている事は。


「このような児戯で私を倒せると思っているのか?」


アサシンの回避行動は極力最小限しか動いておらず、体力を損耗している風には見えなかった。


「もちろん、私の攻撃が当たらないのは仕方ないけど、何もこれで倒そうなんて思ってはいないわ」

「なに?」

「残念ながら今回の私は脇役よ。そう主役は――――――」

「私ですッ!」


パチュリーの結界の中から紅魔館の従者が一人、紅 美鈴が叫び飛び出す。
閃光一陣、美鈴はアサシンに迫り凶器と化した拳を叩き込む。
だがその拳はかわされ、アサシンが引こうとした――――――その時だった。
アサシンが移動しようとした空間には、既にレミリアの弾幕が埋め尽くされていた。


「………ぬぅ」


弾幕の壁に突っ込みそうになったアサシンは間一髪でタタラを踏み、その一歩手前で静止する。
そしてその隙を逃す美鈴ではない。すぐさまアサシンの頭目掛け鋼鉄の手刀を振り下ろす。
アサシンはその手刀を自らの片手剣ダマスカス・ブレイドで受け、だがそのまま受け止めはせず、
美鈴の力をそのままに更に自分の力を加えて受け流す。その瞬間、シャオンと独特の残響音が響き渡る。
肉薄していた二人はすぐさまお互い離れ、視線をぶつけ合う。


「………面倒な」

「私が肉弾戦で攻撃する。かわされた場合は、事前にお嬢様が私が貴方を追いやる空間に弾幕を叩き込む。
 そして止まればすかさず私が拳を叩き込む。これが私達が出した貴方を打倒する方法です」


それを口で言うのは簡単だが、それを実行するとなると話はまた別になってくる。
タイミングが合わなければ弾幕は美鈴にも当たる可能性がある。そうならないのはお互いの呼吸を知り連携が上手くいったからだ。


「私達はお互いをよく知っている。どう行動するかなんてのは言わなくても分かります」


それは長年一緒に生きてきたからこそ出来る連携だった。
美鈴はレミリアを信じ、レミリアは美鈴を信じるからこそ出来る攻撃。それがこれだった。


「私は近接戦を、お嬢様が遠・中距離を、パチュリー様が防御を。三位一体のこの布陣。そう簡単に敗れはせぬッ!」


美鈴がゆっくり息を吐き、集中し気を高める。その気は密度を高めると可視が可能となり、
それは虹のオーラとなって彼女の体を覆い、溢れ出ていた。


「逃げる事もかないません。その時はすかさずお嬢様の魔弾がそれを防ぐ。
 そう、貴方はこうなった時点で勝機は無かったのですよ。素直に降参するなら………いえ、それは貴方への愚弄だな。
 一度貴方をこの拳で叩き潰す。話はまたそれからだ」

「見事。どうやら私はお前達を見くびり過ぎていたようだ。その力、素直に賞賛しよう。………だが」


前のめりの姿勢で構えていたダマスカス・ブレイドのその切っ先を美鈴に向ける。


「それはお前達にも言える事。戦闘を望まぬとはいえ、戦いの業が無い訳ではない。それに闘士よ、お前は一つミスを犯した」

「ミス?この私が?」

「お前はあの時――――――私を逃すべきではなかったのだ」


アサシンが黒き風を化し、美鈴に迫る。美鈴はすぐに構え迫り来る剣を受け止めようとした。
硬化した腕にアサシンのダマスカス・ブレイドが接触――――――する事無く、すり抜ける。


「なんだ………オオッ!?」


先に振り下ろされたはずの剣がまた振り下ろされる。
完全に虚を突かれた美鈴はギリギリでその不可思議な現象から逃れる。
彼女の体には剣は当たらなかったが、その犠牲に彼女の赤い髪が少し切り払われた。


(なんだ、今の攻撃は?タイミングが、まるで出鱈目だ。防いだと思った一撃がすり抜け、間髪入れずに全く同じ攻撃。
 一体奴は………何を?)


あの不気味な斬撃は一体なんだったのか?まるで攻撃の映像だけが先に見えたようなあの感じ。
ともかくその正体が分からなければと思い、美鈴は一旦また相手から離れようとした。だが――――――それは出来なかった。

離れようとした美鈴に、まるで彼女の影のようにピタリと離れようとせずに第二撃を斬り込んできた。


「なにッ!?クゥッ!」


眼前に迫るダマスカス鋼の刃を美鈴はかわした――――――はずだった。
そう、かわしたはずの刃が、またワンテンポ遅れて、彼女の頬に赤い一筋の線を描いた。


(またこれかッ!?)


同じ攻撃が更に繰り返し迫り来る。美鈴はそれを防ぎ、かわそうとするが、防ぐタイミングもかわすタイミングも全く合わなかった。
致命傷こそまだ無いが、その攻撃の不気味さは底知れぬ恐怖があった。
離れようともするが、アサシンは一定の距離を維持したまま美鈴に付き纏う。
まるで本当に美鈴の影にでもなったかのようだった。

美鈴はならばと思い自身の中にある気を一気に高め、それを爆発させる。


「――――――ハァッ!」


美鈴の周囲の空間が爆発し、それと同時にやっとアサシンも離れる。

美鈴は外見こそ息を切らせず落ち着いてはいたが、その内面では焦りが生まれていた。
不可思議な攻撃に自分の影の如く着いてくるあの動き。見た事も聞いた事も無い業だった。


(直接戦闘でなら勝機はある?冗談じゃない。僅かでも油断すれば………死ぬ)

「どうした?攻めぬのか?」

「恐ろしい業の使い手だと、改めて歓心していたんですよ。確かにあの時貴方を討てなかったのは痛いですね」

「………我が言葉、理解していないか」

「え?」

「ならば――――――理解、させてやろう」


そう言った瞬間、アサシンからの視線が消えた。いや、それだけではなかった。
呼吸が聞こえなくなった。僅かな動きも感じられなくなった。そして――――――相手が何をしてくるのかが分からなくなった。


(………なん、だ?何なんだ?何なんだ何なんだ………これは一体何なんだッ!?)


自身の目の前で起こったその現象を目撃し、美鈴は心中でそう叫んだ。
強いて言うならそれはまさしく影そのもの。姿形は見えれども、それ自体からは何も感じる事が出来なかった。
そしてその影はゆぅっくりと美鈴へと伸びていき、そして死の刃を突き出す。

美鈴の体は本人の意思と関係無くすぐに動き、その刃を避け、影に目掛けて拳を浴びせる。
だがその拳は当たる事は無く、外れてしまう。本当に影に向かい拳を振るっているような、そんな感覚だった。
美鈴はそれで止まる事無く、目にも見えぬ速さで、鍛え抜き凶器そのものとなった四肢で攻め続ける。
名刀と化した手刀を振るい、触れたもの全てを破壊する正拳を突き出し、鞭の如くしなやかな足技を唸らせる。
更にそれらの技全てが自身の気で極限まで高められ、文字通りの一撃必殺の存在となっていた。
それら疾風怒濤の如く迫る虹の閃光が、アサシンに襲い掛かる。

しかしその全てが、当たる事無く無残に空を切る。
名刀はただ闇を切り、正拳は影を捕らえる事無く、鞭は虚しく振るわれるだけ。
狂瀾怒濤に荒れる虹の閃光は、暗き影を払う事は叶わなかったのである。


(何故だッ!?いくらなんでもありえないだろうこんなのッ!?)


全ての攻撃がかする事も無く外れていく。自分とアサシンの距離はほとんど無いと言ってよかった。
通常なら確実に一撃が入るであろう間合いの中に相手がいる。それなのにその全てが当たらないのだ。


――――――そう、美鈴の攻撃はアサシンに読まれていたのだ。


(どうしてここまで私の攻めを読む事が出来るッ!?あの時での戦いなら間違い無く当たるは………まさかッ!?)


美鈴はどうしてここまで自分の行動が読まれてしまうのか、ようやく理解した。
それは先ほど言ったアサシンの言葉。私をあの時捕らえるべきだったという言葉の、真の意味を理解したという事でもあった。


「貴様まさかッ!あの時の戦いで――――――私の動きをッ!?」

「そう、覚えていた」


攻撃と回避の応酬の中、美鈴の問いにアサシンが答える。


「通常、我等アサシンは一度しか相手を殺さぬ。だがお前達妖怪は一度殺した程度では死なない事が多い。
 だからこそ、二度目に備え覚える必要が生まれる。相手の技を、動きを、呼吸を、癖を。僅かな瞬間で、それを覚えるのだ」


あの時、アサシンは美鈴の攻撃を受けて重度のダメージを負っていた。
しかしそれ拘らず、アサシンは今言った美鈴の動きなどを覚えていたのだ。


「たとえ一度失敗しようとも、敗北しようとも、それだけでは終わらぬ終わらせぬ。
 お前は私を仕留め損なう度に自身の死へと近づくのだ、闘士よ」


そのアサシンの言葉を切欠に、状況が一変していく。
少しずつではあるのだが、アサシンは美鈴の攻撃を避けつつ、自身も美鈴に対し攻撃を始めていたのだ。
しかも先ほどと同じ攻撃ではなかった。いや、攻撃自体は同じだった。変わったのはそう、気配である。


「馬鹿なッ!?気配が、読めないッ!?」


そう、全く読めなかったのである。相手が次に何をするのかが、分からないのだ。
長き修練と強敵達との戦いで培ってきた戦いの経験。それが全く働かなかったのだ。
今の相手はまさに気配の無い影そのもの。何をするか分からないという恐怖の存在であった。

今美鈴が相手の攻撃を捌けているのは、自身の目で相手の動きを追っていたからだ。
気配が読めず先の行動が分からなくても、まだ目で見る事が出来る。
しかし一瞬でも気を抜いてしまったら、死の刃は美鈴を捕らえてその命を奪う事だろう。


「いくぞ」


その言葉と同時に、アサシンの動きが急激に変わりだす。
今までゆっくりと纏わり付くようだった動きから、吹き抜ける風のような速さへと移り変わったのだ。
それはまるで静かな風だった。穏やかにフッと吹き抜ける風が美鈴の体に当たる。
だが繰り出される攻撃は、そんな生易しい表現ではなかった。
上へ、下へ、右へ、左へと、縦横無尽に美鈴の周囲を動き回る。荒狂い輝く虹の閃光。黒き影は一陣の風と化してその虹の閃光を覆う。










その様子をレミリア達は固唾を呑んで見守るしかなかった。レミリアが援護したくても、相手は美鈴に付き纏い離れようとしない。
その状態で攻撃などをすれば、美鈴にも被害が及んでしまう。故に、見守る事しか出来なかった。


「クソッ!アサシンめ、狙ってやってるなッ!」

「下手に結界を解いてしまったらこちらに攻撃してくるでしょうね、きっと」

「パチェッ!なんとかならないのッ!?」

「無茶言わないでよッ!今の私は魔力のほとんどをこの結界に費やしているのよッ!
 私だってなんとかしたいわよッ!でも………」

「………ごめんなさい。でもそれじゃあ一体どうすれば………」


美鈴が真剣勝負であそこまで苦戦するのは、レミリアは初めてみたかもしれない。
美鈴は武術の達人だ。格闘戦なら幻想郷でも最強クラスの存在だろう。
その美鈴が得意の格闘戦であそこまで追い詰められているなんて事が目の前で起きている。
レミリアにはそれが信じられなかった。


「大体何で美鈴の攻撃が当たらないのよ。最初の戦いでは当たったのに」

「………あの時、美鈴の動きを覚えていたからだと思います」


今の今まで黙っていた咲夜の言葉を聞いて、レミリアとパチュリーが咲夜の方へと顔を向ける。


「覚えたって………奴はあの時美鈴の一撃でダメージを負ったんだぞ?それなのにそんな事が」

「出来ます。我が師なら可能です。でも………まさかあれほどとは思いませんでした」

「ねえ、それはどういう意味なの咲夜?」

「私は我が師が二度同じ相手と続けて戦うなんて所は、見た事が無いんです。この戦いが、初めてです。
 私達アサシンは妖怪討伐の任務も受けていました。結果、一度では殺せない相手もいました。
 だから二度目からはすぐに始末出来るように、相手の動きを覚えるのですが………」


咲夜はアサシンと美鈴の戦いを見る。結果は変わらず美鈴が不利。いや、状況は更に悪くなっていった。


「たった一度の戦いであれほどの事が出来るなんて………異常です、ありえません。
 一体どれだけの経験を積めばあんな事が………」

「………咲夜、何か美鈴を助ける方法は無いの?」

「………………私が、戦えば」


レミリアの問いに、咲夜は声を搾り出すようにして答えた。
美鈴が苦戦している理由の一つとして、相手がどのように攻めてくるのかを知らない事が大きかった。
いくら過去にアサシンとの戦闘経験があったとはいえ、それはだいぶ前の話だ。
アサシン達とて研鑽の日々を送り業を磨き、それを代々伝えていったのだ。いつまでも昔のままという訳ではなかった。

だが咲夜はそのアサシンの業がどのようなものかを美鈴以上に知っている。
その咲夜が参戦し美鈴と共闘すれば、今の状況を打開する事も可能だろう。だがそれは咲夜が出来ればの話である。
自分が戦うとは言ってはいるものの、無理をしてそれを言ってるのは誰の目から見ても明らかだった。
そんな咲夜を戦わせる訳にはいかないと、レミリアは頭を振る。


「………それは駄目。彼方を彼と戦わせる訳にはいかない」

「そうだけど………でもレミィ、他に方法が」

「駄目だ。咲夜にあいつを殺させるような事は、その可能性すら与えるつもりはない。
 家族を傷付ける事がどれだけ辛いか………私には分かるから」


そう、そんな事はあってはならないのだ。かつてのフランが味わった苦しみを咲夜に味合わせる事は、断じてあってはならない。


「だけど………だったらどうすれば………」


パチュリーのその問いにレミリアは答える事が出来ずに歯噛みする。
そして何もする事が出来ない無力な今の自分が、憎くて仕方なかった。
家族を守る為に当主になったはずなのに、それが出来ない今の自分が、憎くて仕方なかった。

そんな時だった。咲夜がふとある事を呟いたのは。


「やっぱり………やっぱりそうだ。あの業は全部」

「何か知ってるの咲夜?」


レミリアの問いに、咲夜はコクンと小さく頷く。


「幻殺と、静かな風。今我が師が使っているのはそれです。
 幻殺は無味無臭の薬を相手に吸わせて感覚を狂わせる業です。本当に些細なものでしかないんですが、
 だからこそ気付かれる事がほとんど無いんです。恐らく美鈴は幻覚で混乱しているんだと」

「だったら静かな風ってのは」

「今のあの業です。本来はターゲットに付かず離れず気付かれずに着いていき、暗殺する業です。
 その時にはただ小さな風が吹くだけ。だからそんな呼び名が付いたそうなんですが、実戦であんな使い方が出来るなんて」


咲夜はそれを自身で言っていてある事に気付く。幻殺に静かな風。だったら次は――――――


「美鈴ッ!すぐに空に逃げてッ!」










「え?は、はいッ!」


咲夜の叫びに美鈴はすぐに反応し、多少のダメージを覚悟で上空へと逃げようとした。
ダマスカス・ブレイドが上空に逃げようとした美鈴を狙ったが、間一髪で美鈴はそれを避け、上空へと飛んで逃げる。


「………ふむ」


そんな美鈴を下から見るアサシンはそう呟き軽く腕を振るう。
その瞬間に美鈴が今までいた場所が轟音と共に爆破される。だがそれだけでは終わらなかった。


「体が引っ張られ、クゥッ!?」


美鈴はガクンと自分の体が、腰の辺りが何かによって地面に向かい引っ張られるのを感じた。
すぐさま腰に目をやると、そこには細いワイヤーが何時の間にか巻き付いていた。
そのワイヤーの先はアサシンが握り、力強く引っ張っていた。
だがそれで驚くのはまだ早かった。地面からは飛剣が凄まじい数で美鈴に向かい襲い掛かってきたのだ。
逃げようとしてもワイヤーによって逃げる事は出来ない。切断して逃げては間に合わない。


「ならば、迎え撃つまでッ!――――――彩光乱舞ッ!」


回転と同時に、溢れ出る美鈴の虹の気がアサシンの飛剣の全てを弾く。
同時にワイヤーも切断。美鈴は上空でアサシンと一定の距離を取り、下から自分を眺めるアサシンに視線を落とす。


(何時の間にワイヤーなんかを。いや、そこじゃないか。一度の動きで同時に三つもの業を使う。
 もし咲夜さんの声を聞いてなかったら)


恐らく、最初の爆発で吹き飛ばされ上空に上がり、ワイヤーで引かれ飛剣の雨をまともに浴びて見るも無残な針鼠になった事だろう。
だがそこまで考えて、美鈴はふとある事に気が付く。何故咲夜はこのアサシンの動きを読む事が出来たのだろうか?
こうして相対している自分では気付かなかった事に、どうして咲夜は気付く事が出来たのかが、美鈴には気に掛かったのだ。


(師弟だから、なのでしょうか?だとしたらこの勝負咲夜さんにも………駄目だ、それはしないと決めたじゃないか。
 咲夜さんにはこの人と戦ってほしくない。………だけど)


もし咲夜が参戦するなら、勝率は大幅に上がるのではないかと、美鈴は考えてしまう。
事実それは間違いではないだろう。咲夜なら相手の手の内を直に知っている。この状況では喉から手が出るくらいほしい要素だった。
皆を守る為に。そう考えた場合、美鈴の考えは正しいものだ。


(そう、お嬢様やパチュリー様に咲夜さん。そして妹様………フランを、あの子を守る事を考えればその方がいい。
 でもそれは………やはり駄目だ。親を殺してしまうかもしれない事に手を貸せなんて、言える訳が無い)


そんな風に内心悩む美鈴に、アサシンが声を掛ける。


「見事だな。あれで仕留められると思っていたが、そう上手くはいかんようだ」

「確かに貴方の技量は凄まじいものです。前回の私とのあの戦いで、まさかあれほどまで動きを覚えて行動を読む事が出来る。
 そして、先の業のどれもが恐ろしかった。特に気配を無くしたあの体捌き。行動がまるで読めなかった。
 ………まさかあれが貴方の業である、幻想隠形(ザバーニーヤ)なのですか?」

「それを知るか………違うな。あんなものは幻想隠形(ザバーニーヤ)ではない。
 我等アサシンの頭目、ハサンより受け継ぎし業の名。あんなものではそれを名乗るのはおこがましい」

「そうですか………失礼を」


咲夜から聞かされた目の前のアサシンの奥義、幻想隠形(ザバーニーヤ)。
あれこそがそうだったのではと思ったが、そうではなかった。
このアサシンの奥義がいかなるものか見てみたかったが、それが叶わず残念だという気持ちが生まれてくる。


「口惜しいか、闘士よ?」

「………何を?」

「気付いていなかったか?私の攻撃を捌いていた時、お前は――――――笑っていた。それも実に楽しそうにな」


アサシンのその言葉に、美鈴はハッとなって驚きを露にする。


「わ、私が………笑って?」

「戦いを楽しむというその感情は、私にはあまり理解出来ん。だがそれを否定する気は無い。
 戦う為に生きるというその願いを満たし、生きているという実感を得る。善も無く、また悪も無い。
 ただその為だけに戦うという事。なるほど、まさにお前は闘士なのだな」

「それは………」

「そしてこうして話している今でもなお、お前はその笑みを崩してはいない」

「ッ!?」


美鈴は自分の頬に手をやり、そしてやっと気付く。自分の頬が、大きく歪んでいる事に。


「お前が安寧を望んでいる事は真実なのだろう。だがお前の中には戦いに生きるという渇望もまた同時に存在している。
 そのどちらも、紅 美鈴という闘士なのだろう」

「………否定はしません。私が心の中で戦いを渇望していると言う事。それを偽る気持ちはありません。
 そして、これほどまでに命というものを感じたのは本当に久々です」


そして闘士は、自らの戦いの本能を爆発させ、吼える。


「そう、貴方とのこの戦いのなんと充実している事かッ!この出会いに、私は感謝すらしているッ!
 貴方という強者とのこの戦いがッ!私の中にある戦いの血を滾らせるッ!積み重ねた武が歓喜しているッ!
 闘士としてッ!武人としてッ!そう、私は今まさに幸福の中で生きていると実感する事が出来るッ!」


今きっと自分は間違い無く、酷い顔で笑っているのだろう。美鈴はそう思わざるを得なかったが、それを止める事は出来なかった。
今自分の目の前にいるのはまさに最強の存在であり、自身の全力をぶつけても壊れぬ存在なのだ。
戦いたい。自分の中の全ての力を、技を、武を。その全てを叩き付けたいと戦いの本能が叫ぶのだ。


「………出来る事なら貴方とは、別の形で出会いたかった。ただ純粋に、貴方という存在と戦いたかった」

「戦いたくはないが、別の形で出会いたかったのは同意しよう。その時に何を語らうのか、もしくは何で語らうのか………興味はある」

「そう出来なかった事が、本当に残念です」

「………我ながら、よく喋る。殺すはずの相手とここまで喋るなぞ………魔術師殿以来だ。
 お前のその気迫に感化されたか。………まだまだ、未熟だな」

「それは私も同じ事です。これは守るべき戦いだというのに、もっと戦いたいと望んでいる。
 今の私は、酷く醜く笑っている事でしょうね」

「そうか?私は実に美しいと思うがな。純粋に戦いを求め武を振るい。
 そんな純粋な感情がそのまま出ている。それは何よりも――――――美しい」

「それは貴方とて同じだ。一切の無駄を排し洗練された業の数々。気付けば私はそれに魅了されている。
 そう、私は知らず知らずの内に思っていたんですよ。それが何よりも――――――美しいと」


フゥと、アサシンは溜め息を漏らす。


「………戦いを通して通じ合う。それはアサシンには不要の感情だ。だから私は戦いを望まんのだ。殺す相手に情が移りかねんからな」

「ですがその心配は無用でしょう。貴方はまさに――――――アサシンなのだから」

「口が過ぎた、か。………いくぞ?」

「応ッ!」


虹の閃光は彗星となって影に落ち、黒く影は無形の闇となって迎え撃つ。










レミリアとパチュリーは目の前で行われているその戦いを心配そうに見守る。
だが同時に、二人は知らず知らずの内にその戦いに魅せられてもいた。
美鈴とアサシンが生み出す戦いの舞台。その一挙一動に目を奪われ、心を奪われていた。
駄目だ駄目だと思っているのだが、目の前の戦いを見続けていたいと、思ってしまうのだ。


(あんな風に戦えるのが………羨ましい。ああクソ………あんなに楽しそうに笑って)


美鈴があんなに楽しそうな、そして獰猛な笑顔を浮かべているのは始めて見た。
だがレミリアはそんな美鈴の笑顔を見て、誰かに似ている事に気付く。そう、とても身近な誰かに――――――


(あ………そうか、フランに似ているんだ。………いや、違うか)


この場合は、きっとその逆なのだろう。
あの美鈴の獰猛な笑顔がフランに似ているのではなく、フランの獰猛な笑顔が美鈴に似ているのだと。


「フランが好戦的な理由、分かった気がするな。似た者親子………か」

「あんなに楽しそうに戦う美鈴、初めて見たわ」

「私もだよ。あんな笑い方も出来たんだな。そういえば咲夜?どうして貴女アサシンの行動が分かって………咲夜?」


アサシンの行動を読めた理由を尋ねようとしたレミリアは、咲夜を見て驚く。
咲夜の、彼女の目から一筋の涙が流れていたからだ。


「幻殺に、静かなる風………そして多業。やっぱりそうだ。あれは、みんな………」

「どうしたのよ、咲夜?」


二人の戦いを見て独り言を言う咲夜をいぶかしみ、レミリアは尋ねる。


「多業は、一つの動作で多くの業を仕掛けるというものです。事前に準備して、その準備した仕掛けを全て発動させる。
 それが、先の業の正体なんです」


返ってきたのはそんな答えだった。今アサシンがした不可思議な業の説明。だがレミリアが聞きたかったのはそんな事ではなかった。


「なら、どうして貴女はそれが来ると分かったの?奴が貴女の師だから?」


なんでその業が出て来るのが分かったのか?それが聞きたかったのだ。
咲夜はレミリアの言ったその推測に首を横に振って否定した。


「違います。あれは全て私の、家族が得意としていた業なんです」

「なに?」

「幻殺はテレサ姉さん。静かなる風はアル兄さん。多業はジョヴァンニ兄さん。
 この業はそれぞれ、みんなの二つ名にもなっています。幻殺、静かな風。だったらもしかしたらと思って」

「幻想隠形(ザバーニーヤ)とかいうのが奴の業ではないのか?」

「自分の業だと名乗っているのが、それだけという意味です。
 我が師は教団最高のアサシンであり、そして私達アサシンの目指すべき目標。私達はあの人の模倣を繰り返してきました。
 そしてその業を一つでも自分の物とする事が出来た時、その業を二つ名とする事が許されるんです」

「………つまり貴女の教団のアサシンは全て、奴の分身だという事か」


咲夜は、彼女は目の前で起きている光景を涙を流しながら見続ける。
そう、レミリアの言う事は正しい。教団のアサシン達は全てあの人の分身だ。みんながあの人を手本とし、彼の業を受け継いでいった。
教団のみんなは直接的にも間接的にも、全員が彼の弟子であり、そして分身なのだ。


「ジョヴァンニ兄さんの、アル兄さんの、テレサ姉さんの………姿が見える」


ジョヴァンニのしたたかさが、アルの鋭さが、テレサのしなやかさが、全て目の前にある。
個人を特定させない為のあの装備は教団員全員が同じものを使用している。
だからこそ、目の前にいるあのアサシンの動きからかつての家族全員の姿を幻視してしまうのだ。


「あそこには、みんながいる。私の家族であるみんなが」


彼女は――――――感謝した。幻影とはいえ彼女は今、かつての家族と再会する事が出来たのだ。
頭の中で、みんなの声がはっきりと聞こえてくる。










「僕の可愛い妹よ。君は長生きするんだぞ?大きくなって美人になって、その時は僕に一度は口説かせてくれ」

「飲み込みが早いな。昔の自分が惨めに思えてくるくらいだ。………お前なら必ずなれる。長のようなアサシンに」

「いいかいチビ?逃げるべき時はちゃんと逃げるんだよ?………心配なんて、させないでおくれ」










まるでみんなが目の前で喋っていると錯覚させられるくらいに、その声は明確に聞こえた。
目の前にみんながいると錯覚してしまうくらいに、その顔がはっきりと思い出される。


「我が師よ………ありがとうございます。貴方はたった一人で、みんなと再会させてくれた。
 貴方の御蔭で私はまた、私の中にあるみんなの笑顔を、はっきりと思い出す事が出来ました」


彼女は流れる涙を拭き、真剣と化した表情を浮かべて歩み始める。


「待ちなさい咲夜ッ!?貴女が結界から出たら」

「お嬢様、私はいきます」

「行きますって………貴女、あいつと戦う事が出来るのッ!?自分の親に刃を向ける事が出来るっていうのッ!?」


そんな事をさせてはいけないと、レミリアは咲夜の前に立ちはだかる。
だがそんなレミリアに向かい、彼女は何の迷いも無く答えた。


「それがあの人の想いに私が応える方法なのだと、そう信じます」


レミリアは咲夜の目を見てハッと気付く。この目は前にも見た事がある。
恐れも無く迷いも無く、ただ自分の成すべき事を見据えるその目の輝き。
それはレミリアが初めて彼女と出会ったあの夜に見た彼女の目だ。何の無駄も無い純粋なその輝き。
とても美しいと、心奪われ魅了されたあの輝きがそこにあった。

そして思い出す。あのアサシンと戦い敗れた時にも、自分はあの暗殺者の瞳に同じものを無意識に見出していた事を。
全く同じ輝きだった。無駄という無駄を無くし、冷たく鋭く、無慈悲と慈悲の二つを感じさせたあの瞳の輝きを。


(………ああ、そうか。そういう事か)


彼女の瞳の輝きを見て、レミリアは溜め息を吐く。今目の前にいるのは自分の従者である十六夜 咲夜だけではない。
かつて自分が戦った名も無き暗殺者である彼女もまた、存在しているのだ。


「それが、お前の成すべき事なんだな?」

「――――――はい」


その答えを聞いて、レミリアは笑って彼女に道を譲る。


「ならばもう何も言わない。いきなさい、十六夜 咲夜。そして――――――いきなさい、アサシン」

「私が望む運命。私のこの手で必ず――――――手に入れてみせます」


そして咲夜は、彼女は目の前の戦場へと歩んでいった。


「………よかったの?」

「言ったろ?私は脇役なんだよ。今回の主人公は、あの二人なんだよ。私達は精々舞台を盛り上げる事を考えればいい」

「………そうね。そうするべき、なのでしょうね」


二人はただ彼女の背中を見守り、無言で送っていった。










「ハァァァァァァァァァァァッッッ!!!!」

「………………クッ」


蹴りと共に放たれた気が、刃となってアサシンに幾度も迫る。アサシンはそれを回避するが、今までのように余裕でとはいかなかった。
ギリギリで回避したその瞬間に終わる事無く次の攻撃が迫ってくる。
今の美鈴は迷いも躊躇も無く完全に攻めの態勢で襲い掛かってきた。今までの動きとは段違いの速さ鋭さ強さがあった。


「ここまでとは………」

「この紅 美鈴ッ!ただ一度の邂逅で全てを読まれるような武を積んできてはいないッ!我が研鑽と修練………その身に刻めッ!」


そうして美鈴が構え、次の攻撃に移ろうとした――――――その時だった。


「待ちなさい――――――紅 美鈴」


そんな凛とした響きの声が、二人の耳に入る。そして二人はその声のした方へと視線を送る。


「咲夜さんッ!?どうして出てきたんですかッ!?」

「結局、私がやらなければいけない事だからよ」


咲夜が出て来るという想定外の事態に焦る美鈴。そんな美鈴に咲夜はなんでもない事のように涼しげに答える。
いつもと同じ完全完璧な紅魔館のメイド長としての落ち着きがあった。いや、少し違う。
いつも以上に落ち着いた雰囲気が、今の彼女には漂っていた。それはまるで、今対峙しているアサシンと同じ雰囲気だった。


「残念そうね、そんなに自分一人で戦いたかった?」

「え?い、いえそういう訳では」

「嘘仰いな。そんな残念そうな顔したら丸分かりよ」

「………すみません」

「それに………どう見ても殺そうとしてたでしょ?」

「うう………重ねてすみません」

「………まあいいわ。私も一人で戦おうなんて思ってないから。一緒に戦ってくれるかしら?――――――紅 美鈴」

「――――――はいッ!」


猛る虹の炎と静かな銀の光が、その肩を並べて佇む。そして二人はアサシンへとその視線を移す。
アサシンは目の前の存在に問い掛ける。


「我が弟子よ、戦うというのか?この私と?」

「それがこの“私”がするべき事なら」



一切の迷い無く答えた彼女に対し、アサシンはあの言葉を送った。そう、昔よく彼女に対して送った――――――あの言葉を。










「――――――よく言った。さすがは“我が弟子”だ」

「――――――ありがとうございます。“我が師”よ」










全く同じ輝きを放つ二つの視線が、交わりあう。もうそれだけで十分だった。語るべき事は――――――もう無い。










「――――――いくぞ、我が弟子よ」

「――――――いきます、我が師よ」



今この瞬間、真の意味で二人は、師と弟子は――――――再会を果たした。





















後書きを書けるって事はよぉ、つまり本文が書き終わったって事なんだよな~?ん~?

またこれ長くなったな!最近なんだか長くなってるような………いいか、うん。

久々の戦闘はいかがだったでしょうか?何分久しぶりに書いたもんで、オッサンちょっと不安なのよね~。
途中なんか美鈴が戦闘狂になっちゃったけど、別によかったよね?無問題だよね?ね?

そしてとうとう咲夜さんが参戦してきました。主人公はピンチに陥っています。
………みんな忘れてるかもしれないけど、師匠は主人公なんだぞ?ホントだぞ?嘘じゃないぞ?
敵の行動してるだろ?それでも主人公なんだぜあいつ?

今回はなんかピンと来る曲が無かったから、WAのBGM「戦鬼」をずっと聞いてた。
ブーメラン、かっこいいよブーメラン。あんた最高だよ。
………その所為で美鈴があんなんになったのかな?

感想とかもお願いするッス!やる気と元気と電波の源ッスからね!
それでは!



[24323] 第二十四話 銀の光、虹の輝き、影の闇
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:bbc241b3
Date: 2011/02/24 22:12






戦いの合図はそう、咲夜とアサシンの二人が同時に一本のナイフを投げ、それが空中でぶつかり弾けた、その瞬間だった。
美鈴は限界まで引き絞られ解き放たれた矢の如き速さで、アサシンに迫る。


「シャッッッ!!!!」


戦闘本能を剥き出し、嬉々とした表情で襲い掛かる美鈴。防御の事、など一切考えていない。
そんな状態で攻撃などすれば易々とカウンターを取られてしまう。そしてアサシンが剣を構えようとしたその時。


「出来ませんよ?」


落ち着き払った咲夜のそんな声と共に、銀のナイフがアサシンの急所目掛けて放たれる。

アサシンはカウンターを取るより先にそちらの防御を優先し、手にした片手剣で弾く。
だがその時生まれた一瞬の隙の間に、美鈴はアサシンの懐に入り、気を放ち光輝く虹の拳をアサシンに向けて放ち、
外れる事無くアサシンの体を捉えて、吹き飛ばした。吹き飛ばされたアサシンは枯れ葉のように空を舞う。
だが美鈴は気付いていた。自分の放った拳が相手にダメージをほとんど与えられなかった事に。
美鈴の拳が命中した時、相手にダメージを与えたという手応えが無かったのだ。
恐らく、拳が当たる直前に一歩下がって飛び上がり、体の力を抜いてワザと美鈴の攻撃を受けたのだろう。


(そして更に、あの抗う程度の能力でダメージを軽減したはず。ダメージなんて皆無でしょうね)


ひらひらと空を力無く舞い、落下するアサシンに向けて、美鈴は顔を歪ませて笑みを送る。


(殺せなかったか………そうだろうな、そうでなくてはッ!)


居ても立っても居られず、ゆっくり落ちて来るアサシンに向かって空を飛ぶ。
そして美鈴が落ち行くアサシンの目の前のに迫り下に向けて送る視線と、
頭から下に向けて落ちるアサシンが、下を向いて自分より上空にいる美鈴に視線を送ったその時、嵐が吹き荒れた。


「シャアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」


闘士のその掛け声と共に、アサシンに襲い掛かるは濁流と化し、止まる事無く打ち続けられる幾千もの拳打と脚打。
目前の強者を滅殺せんが為に、その数は更に増していき、篭められる力もまた増していく。


「………………」


アサシンの無言の威圧感と共に、闘士に襲い掛かるは清流と化し、流れるように繰り出される剣とナイフの二重奏。
眼前の戦士を斬殺せんが為に、その鋭さは更に増していき、振るわれる速さもまた増していく。

ぶつかり合いながら、そして交じり合いながら落ちていく虹の濁流と影の清流。
闘士の拳が、アサシンの剣が、お互いの命を刈り取らんと空を打ち切り、音すら打ち砕き、切り裂いていく。
戦士の脚が、暗殺者のナイフが、獲物を殺すという自らの使命を果たさんと互いを否定し合う。
だが拳打と剣撃、脚打と刺突はその目的を果たす事無く弾け合いそして散って逝く。

その様子は嵐というのはあまりに荒々しく猛々しく、そしてあまりにも美し過ぎた。
永劫すら感じさせたその一瞬の攻防。だがその終焉は迫り来る大地と共に確実に近付いていく。
地面に無様にぶつかるギリギリの瞬間に、二人は爆発したかのようにお互い離れる。

そしてアサシンが大地へと帰還したその瞬間、天を覆うような数の銀のナイフが彼目掛けて飛来する。
これは咲夜が美鈴とアサシンが落ちていく間に仕掛けたトラップだった。
空間を操り事前に空中に設置されたナイフの軍勢が、アサシンに迫る。


「ふむ………」


だがアサシンは慌てた様子を見せる事無く、そして迷う事無く動き出す。
全周囲から迫る銀の刃の壁。その壁の一点に迷う事無くアサシンは突撃していく。
前方に向かい、自身もナイフの嵐を銀の刃の壁に叩き付ける。
その瞬間、迫り来る壁の一点が崩され、アサシンはその一点を突き抜け、そして脱出した。


「あれをそうかわすかッ!」


美鈴は目の前でアサシンが起こしたその出来事に舌を巻いた。
あのまま動く事が無かった場合、咲夜のナイフの全てがアサシンに突き刺さっただろう。だがそうはしなかった。
ナイフが全て迫り来るその前に動き、その壁の一点を崩してそこから脱出したのだ。
一瞬の判断すらも出来たかどうか怪しいのに、あのアサシンは迷う事無くそれを実行した。
一瞬でも行動が遅れれば、あのアサシンの全身にナイフが突き立ち、血は流れつくしていただろう。


「だが彼はそれを成し得た。やはりアサシン………貴方はッ!」


――――――素晴らしいッ!


脱出したアサシンが進むその先に、夜風に銀の髪をなびかせて待ち構えている彼女の姿があった。
ダマスカス・ブレイドを振り下ろすアサシンに対し、彼女は銀のナイフで待ち構える。
アサシンの片手剣が彼女のナイフに合流する。だが彼女のナイフが押し切られ、弾かれる事は無かった。
アサシンの剣は本来進むべきだった軌道を逸らされ、彼女の体を切り裂く事は無かった。
剣とナイフが接触したその瞬間、彼女は相手が振り下ろした勢いをそのままに軌道を書き換えたのだ。


「「………………」」


お互い無言のまま、その応酬が繰り返される。
彼女がナイフを振るえば、アサシンは彼女がしてみせた事を同じように片手剣でしてみせる。
そしてアサシンが片手剣を振るえば、彼女はまた同じ事をしてみせる。
二人の一撃が振るわれ逸らされる度に、銀の刃とダマスカスの刃から澄み切った残響音が奏でられる。

彼女の頭の中は今、その残響音と同じように澄み切っていた。
体がここまで軽く、思い通りに動く事が出来るという、そんな考えすら浮かばなかった。
ただ自分のするべき事をするだけ。相手の動きををどう見切り、合わせ、逸らし、そして先に一撃を入れるか。
その為にもっとも合理的でもっとも無駄の無い動きをする。今の二人はそれをする事だけに集中していた。
いや、集中なぞという生易しいものではない。今の二人はまさにそれをするだけの存在だった。

美鈴はそんな二人をただ黙って見ていた。本来なら咲夜の援護をするべきなのにである。
出来なかったのだ。いや、したくなかったのだ。何故なら彼女は今――――――目の前の二人に見惚れていたからだ。


「………まるで、踊ってるかのようだ」


彼女から漏れたその言葉は目の前の出来事を見事に言い表していた。
一切の無駄も無く幾度も繰り返されていく洗練された剣戟の乱舞。何かを極められた者にだけ許された美しさがそこにあった。
武の極致と美の極致がそこにあり、その二つが織り成し生み出すその光景は、まさに二人だけの為に存在する舞踏会場。
もしこれを邪魔などしようものなら、美鈴はその存在を許す事は出来ないだろう。
たとえそれが自分であっても、家族であってもだ。

永遠に続いてほしいと思われたその光景にも終わりが訪れる。
アサシンが大きく後ろに下がり、地面に何かを叩き付ける。着弾と同時に炸裂し、白い煙が立ち込める。


「煙幕かッ!」


美鈴が叫ぶと同時に、その中から二つの影が飛び出す。一つは自分の近くに。そしてもう一つは――――――


「紅魔館かッ!」

「美鈴、すぐに後を追うわ。今見失えばもう対抗する手段が無い」


慌てる事も無く、感情の一切も無く、彼女は美鈴に言う。
それを聞いた美鈴は返事をするよりも先に体が動き、アサシンの後を咲夜と共に追いかける。

逃げるアサシンは目の前の窓に目掛けて突っ込み、ガラスの割れる大きな音が響き渡る。
咲夜と美鈴もその後に続けるように割れた窓に飛び込む。
その二人が屋敷に入ったその瞬間に、二人に目掛けて飛剣とナイフの混合軍が迫り来る。

美鈴が飛剣を気弾で、咲夜がナイフをナイフで打ち落とし防ごうとする。
そしてそれぞれの気弾、飛剣、ナイフがぶつかり合った。
だがその瞬間――――――打ち落とされた飛剣とナイフの影が、二人目掛けてなおも直進し続けた。


「なッ!?これはッ!?チィッ!」

「まさか………」


影の剣が当たる直前に、二人はギリギリのタイミングでかわし、弾いた。
それらは地面に突き刺さり、二人は飛び出してきた正体不明の影の正体を見る。


「これは………黒塗りの短剣?」

「やはり、ダークか」


咲夜は地面に突き刺さる黒色短剣の事を見て、その武器の名称を口ずさんだ。


「なんですそのダークってのは?」

「山の翁であるハサン・サッバーフが愛用していた武器よ。我が師がハサンから受け継いだもう一つの存在がこれよ」


歴代のハサンが代々使用してきたこのダーク。
闇夜の中で、暗闇の中で放たれれば、飛来するそれの目視は困難となり、音も無く相手の体を穿つ事が出来る。


「それをあのナイフや飛剣の影で隠した………影手裏剣ですか」

「………不味いな」

「何がですか?」

「見晴らしが良く拾い庭から、室内の限定された空間に場所が変わった事がよ。
 障害物が無いだけマシね。それに隠れられたらもうアウトだったわ。でも………」


彼女はナイフを構え自分達と相対するように、廊下の奥に立つ影に備える。


「状況が悪くなった。簡単に言う。相手は蜘蛛みたいに動く」

「蜘蛛みたいに?」


美鈴の疑問に答える前に、咲夜はすぐ動き出す。それと同時にアサシンもまた動く。
咲夜の言葉を美鈴が理解したのは、その次だった。アサシンの動きの質そのものが変わったその瞬間は。
咲夜とぶつかり合う一歩手前で、アサシンは床を力強く蹴り舞い上がり――――――天井を駆け抜ける。


「なぁッ!?」


それを見て一瞬驚く美鈴だが、冷静に考えれば大した事ではないのだ。
そう、ただ単に空を飛ぶ要領で天井に張り付き逆さまの状態で走っているだけなのだ。
だがそれは冷静に考えられたらの話だった。見上げれば天井に張り付く影が、猛スピードで自分に迫って来るのだ。
とてもではないが、戦闘により若干の興奮状態に陥っている美鈴に、それを冷静に分析しろというのは少々無理な話だった。

美鈴は急ぎ天井を駆けるアサシンに向かい気弾を放つ。するとアサシンはダンッと天井を蹴って今度は横の壁を走る。
それを追うように再度気弾を放つが、同じようにかわされ今度は反対の壁に移り、止る事無く美鈴に迫る。
相手との距離が三メートル程にまで迫る。美鈴は迷う事無く、腕を引いて腰を落として構えカウンターの準備をする。
二メートルにまで迫る。まだ確実に命中するには距離がある。拳に気が集まり熱くなる。
そして互いの距離が一メートルにまで狭まったその時、アサシンは壁から床、床から天井、天井から美鈴の背後へと瞬時に移動する。


(それくらいの動きッ!)


美鈴は後ろを瞬く間も無く振り向き、アサシンと正対する。
目の前まで迫ってきて攻撃。そう見せかけてすかさず後ろを取り、殺す。それがアサシンの狙いだったのだろう。
だがそうはならなかった。そう来る事を予想した美鈴は、相手が自分の後ろに来る事を待ち構えていたのだ。
距離は一メートルも無い。距離は相手と自分の吐息が掛かるくらいにまで狭まった。
完全に攻撃態勢に移っている美鈴に対して、アサシンはまだ攻撃の準備すら出来ていなかった。
この機を逃すまいと美鈴の拳が唸りを上げてアサシンに放たれる。


「もらったぁッ!!!!」


だがその拳は当たる事は無かった。瞬時に美鈴の背後を取ったアサシンは、そのまま止まる事無くその場から離れたからだ。
背後に移動しすぐに攻撃すると思い込んでいた美鈴は堪らずタタラを踏む。美鈴は慌てて相手の姿を追う。


(何処だッ!?今度は一体何処からッ!?)


下からか?左右からか?それとも――――――上を見上げたその時だった。


「ナァッ!?」


美鈴の目に飛び込んできたのは、自分の頭上のほぼ真上の空中で静止し、ダマスカス・ブレイドを突き出してくるアサシンの姿であった。
ほぼ真上からのいきなりの攻撃という事態に、体はどう対処すればいいのか迷い、その判断が一瞬遅れてしまう。
何しろ相手との距離がほとんど無い、真上から来るという攻撃なんてものは今まで対処した事が無かったのだ。
そもそも通常の格闘技全般に言える事なのだが、相手が自分の真上に来るなんて事はまずありえないのだ。
相手と距離があった場合、狙撃等の遠・中距離からの攻撃なら、美鈴とていくらか経験は無い訳ではなかった。
だがこれがほぼ零距離となると話は別になる。今のようなこの状況、今まで一度も経験した事が無かったのだ。
冷静な状態でない今の彼女では、突き出されるその刃を防ぐ術が無かった。剣先が眼前まで迫る。


(殺られ)


美鈴がそこまで思ったその時、影の刃は銀の弾丸に弾かれ僅かに軌道を変えられ、美鈴の頬を軽く掠るだけだった。
その瞬間にアサシンは静止したその空中からすぐに動き出して美鈴の下から離れる。美鈴はその弾丸を放った者の名前を叫ぶ。


「咲夜さんッ!」

「まだ来るわ」


両雄が並び立つの前で、アサシンは動きを止める事無く上下左右を素早く移動しながら二人に向かい銀のナイフを投擲する。
その中には先ほどのダークもいくらか含まれていた。二人はそれを防いでいくが、その状態はまさに紙一重。
気を抜けばすぐに急所に刃が突き立つだろう。


「なんて速さで動くんだッ!動きがまるで読めないッ!」

「違うわ。単純に速さだけなら貴女の方が速いわ。どう動いてるかをよく見なさい」


相手の攻撃を防ぎながら、美鈴はアサシンのその速さではなく、アサシンの動きに注目する。そして、ある事に気付いた。


「一瞬も、動きを止めていない?」


それが美鈴が気付いたアサシンの動きだった。そう、アサシンは動きを止めていなかったのだ。
別の方向へ移動しようとすれば、その時には速さは若干とはいえ落ちてしまう。
だがアサシンにはその若干の遅れが無かったのだ。常に一定のスピードを維持し続けて、動いていたのだ。


「だからあんなに速く動いているように見えて」

「タネさえ分かっていれば、少しは読めてくるでしょう?」


彼女の言う通り、それを知った美鈴は少しだが相手の動きを捉える事が出来ていった。
その正体を知ってるのと知らないとでここまで変化がある。
確かによくよくそのスピードを見れば、それ自体は自分よりも僅かに遅かった。
それを速いと思ったのは、一瞬すらそのスピード落とす事無く維持し続け、アサシンが動いていたからだった。
美鈴はそれを実感し驚くが、それ以上に驚いてる事もあった。


(この状況でここまで落ち着いている事が出来るなんて………まるで)


目の前で今自分達を襲っているアサシンと同じくらいに、彼女は落ち着いていた。
そう、どちらがどちらか分からないくらいに、今の二人の有り様は酷似していた。


(………………この二人がとても、羨ましい)


そんな二人を見ていて、美鈴は心の片隅でそんな事を呟く。


(あのアサシンは自分という存在をこの子に継承させている。その証拠に、今のこの子はそっくりだ。
 業の冴えも、判断も、思考も、その何もかもがあのアサシンに似ている。
 あのアサシンの存在は、確かにこの子の中に受け継がれている。それが堪らなく………ああ、羨ましい)


自分という存在を受け継がせる事が出来たあのアサシンが、羨ましかった。
そして彼という存在を受け継ぐ事が出来た彼女がとても、とても羨ましかった。


(この二人は本当に親子であり、そしてそれ以上に………師と弟子なんですね)


美鈴がそんな事を考えている間も攻防は続き、状況は一転しない。
しかしこのままでは、地の利に不利なこの状況で、しかも動けないこちらが不利になるのは明らかだ。
この状況を変える。そんな一手が――――――










「スピア・ザ――――――グングニルッ!!!!」

「ロイヤル――――――フレアッ!!!!」


放たれた。










真紅の魔槍と烈火の火球の軍勢が、アサシンに向かい進撃する。


「来たか」


自身に襲い掛かるその光景を目撃したアサシンはそれだけ呟くと、すぐさまその嵐に向かい走り出す。
灼熱の雨を潜り抜けて地面を蹴り宙に浮かぶ。穿ち貫かんとする迫り来る魔槍を体を捻り、ギリギリでかわす。
全てを避け切り着地したアサシンの後方で、行き場を無くした弾幕が轟音を立てて爆発した。


「さてと………ようやく追い詰めたぞ」

「さすがにもう、逃げ場は無いわね」


アサシンの前方で愉快そうな笑みを浮かべる吸血鬼の少女と、軽く一息吐く魔女。
そして後方からも、アサシンを追いかけて来る者の足音が響いてくる。


「アサシンッ!これで終わりだッ!お嬢様とパチュリー様。そして私と咲夜さん。
 私達に前後から挟まれたこの状況では、もう戦う事も逃げる事も出来まいッ!」

「………終わりです、我が師よ」


追い付いた門番と彼女は、アサシンに向かい視線を放つ。
アサシンの前方にはレミリアとパチュリー。そして後方に美鈴と咲夜が構える。


「我が師よ、いくら貴方でもこの状況を覆し私達を抹殺する事は出来ません。どうか、御自愛を」


彼女の言葉に、アサシンは振り向き答える。


「すると思うか?」

「思いません。ですがお願いします。でなければ、私は貴方を」

「殺す………か。では何故そうしない?」

「それは………」


その問いに、自分はどう答えればよいのか。一瞬迷った後、彼女はその答えを語りだす。


「………恥ずかしながら、私は、今でも………貴方の、事を」


そこで言葉が止まった。自分のこの気持ちをなんという言葉にすればいいのか、迷ったのだ。


(私はあの人になんて答えればいいんだ?家族と思ってる?そうだけれど………何か違う。
 まだ親だと思ってる?………間違いじゃないけど、これじゃない。
 なら………愛してる?………違う、この言葉じゃない。私の言うべき想いは、この言葉では伝わらない)


迷走する結論の出ない彼女に向かい、アサシンは問い掛ける。


「どうした?我が弟子よ?」

「………ああ、そうか」


我が弟子よ。師のその言葉を聞いて、彼女の霞が掛かった思考が晴れていく。そうだ、自分の言うべき答えは――――――これだ。










「そう、私は今でも貴方の事を――――――“我が師”であると思っているからです」


――――――それが、彼女が選んだ言葉だった。ひっそりと人知れず咲く花のような、そんな笑顔と共に送った言葉だった。










彼女のその笑顔に、皆が心を奪われた。
窓から入る優しい銀の月の光に照らされたその笑顔は、その光よりも美しく、そして儚く輝いている。
今にも消えてしまいそうで、でもだからこそ、その笑顔はとても美しいと、それを見た皆が思った。


「それがお前の答えか?我が弟子よ?」

「はい………我が師よ。これが私の答えです。嘘偽りの無い、本当の答えです」

「………そうか」


両者の間で静寂の時が流れる。ただ黙って、お互いの姿を見ているだけだった。
まるで鏡の中の自分を見るかのように、二人はその姿を見ているだけであった。


(そう、私はあの人の道具であり分身だった。あの人の腕であり半身だった。
 そしてあの人の今の姿は、私がなりたかった、いやなる筈だった――――――未来の姿だ)


もしも、この紅魔館に留まらずに帰還し、この紅魔館で過ごした日々と同じ年月を過ごしたら、
自分はあの姿になれていたかもしれない。あの人になれていたかもしれない。
私がずっとそうでありたいと思ったあの人に、私はなれていたかもしれないと、そう思った。

そんなあの人の事だ。私のその言葉を聞いたら、こう答えてくれる事だろう。










「「何があっても、私のする事に変わりは無い。それが私だ」」



――――――それが、二人のアサシンが言った言葉であった。









「お前に出来るのか?私という過去に捕らえられたお前に、それが出切るか?」

「やってみせます。それが貴方という未来を目指した、私の成すべき事なれば」


十六夜 咲夜という自分は今まさに、過去という思い出と未来という目標に捕らえられている。
今の自分の時は、目の前の暗殺者に捕らえられているのだ。


「………………同じ相手を二度も仕留め損なうのは、久方ぶりだ」

「ふん、三度目なんてのは無いがなアサシン」


アサシンの言葉に、レミリアはそう冷たく言い放つ。


「これでもう長い夜は終わりよ。楽しくはあったけど、そろそろ幕を引かせてもらうわ」

「幕引きは私の役目だ。そしてその時を決めるのもこの私だ」

「この状況でよく言えるわね貴方?そういうところは歓心するわ。でも私達を相手にして勝てるとでも?」

「勝てぬ。そして私は死ぬ。お前達四人を相手にして生き延びる事は私には無理だ。
 だがそれでも言える。この状況だからこそ、私は先の台詞を言えるのだ。
 逃げる道が無いのなら作ればいいだけの事。そしてその準備は済ませてある」

「なんだと?」


レミリアは周囲を見回すが、そんな様子はまるでなかった。
辺りは戦闘を物語る傷跡だらけ。抉れた床に周囲に突き刺さる飛剣とナイフという痛々しい光景だけしかなかった。


「………どうやって逃げる場所を作ろうというのかしら?」

「場所ではない――――――道だ」


その瞬間――――――豪華と爆音が炸裂する。


「ちょッ!?何よこれッ!?」

「アサシン貴様ッ!何をしたッ!」


いきなりの爆発にパチュリーとレミリアは混乱する。


「こうしただけだ」


アサシンが軽く手首を捻るとカチリと小さな音がした。同時に、壁に突き刺さった飛剣が爆発を起こした。
壁が崩れ、外へと続く通路が作られた。通路に月明かりが大きく入り込んでくる。


「闇雲に投げていた訳ではない。逃走ルートの確保も怠りは無い」

「そんな装備、ありましたっけ?」

「お前がいなくなってから造られたものだ。製作したのは外部の、言動が珍妙奇天烈な男だったがな。
 だが存外、使い勝手が良い。そう――――――このように」


再度手首を捻ると、今度はレミリア、パチュリー、美鈴の周囲に突き刺さった飛剣が炸裂していく。


「け、結界をッ!?ゲホッ!ゲホッ!け、煙がゴホッ!喉にッ!」

「痛いッ!破片が痛いッ!銀の破片が痛いッ!」

「お嬢様ッ!パチュリー様ッ!今参りまウワァッ!?」


次々と爆発が起こる中、結界で爆発を防ぐパチュリーは煙を喉に吸い込んでしまい咳き込む。
レミリアは銀製の飛剣の小さな破片を浴び続けて、堪らずに頭を抱えてしゃがみ込んでガードする。
美鈴はそんな二人の下に向かおうとするが、周囲の爆発が激し過ぎて近付く事も動く事も出来なかった。

そんな三人を後に、アサシンは爆発によって出来た穴から出て行こうと歩き出す。
彼女は後を追おうとするが、その前にアサシンは止まり、彼女に向かって振り向いた。


「私とお前どちらが生きていくか………次こそ雌雄を決しよう」


月の光を背に浴びて、アサシンはそう答える。


「私と貴方どちらの目的が達せられるか………次こそ明暗を分けましょう」


月の明かりを正面から受け止めて、彼女はそう答える。
そして二人は口を揃えて、お互いを呼んだ。










「我が――――――弟子よ」

「我が――――――師よ」










外から吹き込んだ風に煙が舞い上がり、その中にアサシンは飲み込まれ、映る影は崩れていき、次に風が吹いた瞬間には消えていた。
咲夜は、彼女は外を眺めるが、辺りは銀の月明かりの中で大小様々な影が点々と浮かんでいるだけ。
もうあの中のどれが我が師なのか、彼女には分からなかった。


「………たとえ何が起ころうと、私は私であり続けます」


彼に向かい小さく、そう呟いた。









――――――こうして第二幕の夜は、幕を引いた。



















後書きが電波………そういうのはありか?………いや、今更だな。

今回アサシンはダイナミックにエグジットしました。爆発を起こしてそれに紛れて逃げるなんてのは、よくある事さ。
………………あってたまるかッ!

えー、まだまだ話は中盤を過ぎた辺りでしょうか?ここまで読んでくれた皆様にはまず感謝を。
さてここで、私から皆様にちょっとした暇潰しのタネを差し上げます。

思い込み、というものがあります。ここはこうだからこうなんだと、思い込んでしまう事があります。
この第二章はそんな思い込みの要素があります。そう、この話の最初の時点から既にそれは始まっています。
皆様はそもそもある事をこうだと決め付けてこの話を読んでいます。
そう、始まりがああだったのだからここはこうなってるんだなと、私に思い込まされています。
それが一体何なのか………タネ明かしをしたいところですが、それは面白くない。でもそれをする時はさぞ楽しい事でしょうね本当。

もしこの思い込みの正体を知りたい方には、その正体を見つけるヒントを二つだけあげましょう。
一つはこの話ではイレギュラーであるあの子の何気ない発言。そしてもう一つは………時です。
ふふふふふふ………我ながら、今回は本当に危ない橋を渡らせてもらいました。
一歩間違えればこの話の結末までも当てる事が出切るかもしれないヒントを出したんですからね。

読者の方に予想出来ない物語を書いていく。これはそんな話を書いていく私の皆様への挑戦です。
私の物語の結末は誰にも予想なんか出来ないものなのだと。それを証明してみたいのです。
まあこれを受けるかどうかは今これを読んでる貴方次第。答えは物語の最後に明かしましょう。
この物語がどのように進もうともう結末は決まっていますので、答えを変えるなんてケチな真似はしません。
それでは………荒井スミスでした。



[24323] 第二十五話 スカーレットに愛されし者
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:bbc241b3
Date: 2011/03/14 16:16






アサシンとの対決。さてあれからどうなったかと言うと。


「イダダダダダダッ!痛いッ!痛いわよ美鈴ッ!」


などとリビングでわめいて痛がるお嬢様の姿がありました。
戦いが終わった後、全員はリビングに集まり体力と負傷の回復をしていたのだ。


「す、すみません。ですがもうちょっとだけ我慢を」

「でも痛いものは痛いのよッ!」


なんて事を言って騒いでいるお嬢様。だがそうなるのも無理はない。
アサシンが最後に仕掛けたあの爆発。あの時に飛び散った銀の破片をモロに浴びてしまったのだから。
それを受けてレミリアの体は所々赤く腫れ上がっていたが。
普通ならすぐに回復するのだが銀の効果の所為か、治りが遅延していた。
それを美鈴が気孔で回復していて、現在に至るという事だった。


「でもさすが吸血鬼、いえレミィね。普通の吸血鬼なら致命傷か死んでるか。
 それなのに腫れ上がるだけって………呆れる頑丈さね」

「パチェが私の方にも結界を張って防いでくれていたなら、この頑丈さを披露する事も無かったんだけどアタタタタまだ痛いッ!」


パチュリーに対して皮肉を言おうとしたレミリアだったが、治療で発生した痛みで言う事が出来なかった。


「美鈴ッ!もうちょっと優しく出来ないのッ!?」

「いや、これ以上はちょっと………もうすぐの辛抱ですから」

「つねられてるような地味な痛さがあるのよッ!全身にッ!」


早く治って欲しい。だがそうすると痛い。そんなジレンマで苦しむレミリアを見て、美鈴は苦笑するしかなかった。


「だいたいなんで美鈴はそんな平気そうなのよッ!?一番攻撃されてたのは美鈴じゃないッ!あの爆発だって美鈴の方が」

「体を気で硬化させてましたし、傷も戦いながら回復してまして。なによりほとんどが軽傷でしたから」


あの攻防の中、見た目の派手さとは裏腹に美鈴の負傷は思っていた以上に軽いもので済んだ。
日頃の鍛錬を欠かさない美鈴だから、そんな事が出来たのだとレミリアは思うが。


「代わりに服はボロボロになっちゃいましたけどね。またジョセフさんの所で直すか買うかしないと」

「………やっぱ納得出来ない」


あまり戦わなかった自分が負傷して苦しんでいるのに、最前線で戦った美鈴はなんともなさそうにケロリとしている。
それどころか破れた服の事を気にしている余裕がある。それがどうにもレミリアには納得出来なかった。

そんな賑やかそうにしている二人を見て、咲夜は呆れながらも美鈴に話し掛ける。


「日頃の鍛錬を怠らないのはいいけど、門番の仕事も怠らないでほしいわ」

「す、すみません咲夜さん」


申し訳なさそうに頭を下げる美鈴。そんな風に謝るくらいなら普段から真面目にしてほしいと咲夜は思う。
が、さすがに今回のような緊張感でいつもいつも門番をしていたら美鈴も参ってしまうだろう。
それに今回一番頑張ってくれたのは間違い無く美鈴だ。きつく言うのはここまでにしておこう。
咲夜は苦笑を浮かべながらも、美鈴に言う。


「………でも今回は貴女に助けられたわ。ありがとう、美鈴」


咲夜から出たのは、そんな労いの言葉だった。


「咲夜さん………いえ、それが私の役目ですから」

「そうかもしれないけど、でも………ありがとう」

「………はい」


ここは素直にこの言葉を受け取っておこう。そう考えた美鈴はただそれだけを言って、笑顔を浮かべる。


「ところでパチュリー様………我が師は?」

「………少なくとも今現在は、この紅魔館周辺にはいないわね。
 まあ、また来たら今回と同じように結界が発動するから。そこは安心していいわ」

「今日また来る………なんて事は無いわよね?」

「それは………無いでしょう。いくらあれだけの強さがあるとはいえ、あっちだって体力やらなにやら消耗しているんですから」

「我が師も人間ですし………いくらあの人でも続けて戦うのはきついと思います。
 無理は極力しない。出来る限り万端の状態で仕事に望むという人でしたから」

「実際に戦って分かりましたが、あのアサシンは本当に強いですね。
 傷だって完璧に治った訳ではないはずなのにあの動きと業のキレ、さすがは咲夜さんの師匠ですね」

「ん………ありがとう」


我が師を褒められて、咲夜はついそんな事を口走り、これまた苦笑する。
今はあの人とは敵同士。それなのに美鈴のその言葉を我が事のように嬉しく思ってしまう。
やっぱり自分はまだあの人の事を慕っているのだなと、そう実感した。

そんな咲夜の気持ちを知ってか知らずか、レミリアは少し不満そうな顔になる。
理由は単純。単なる焼き餅だ。


(あんなに嬉しそうに笑って………なによ、そんなにあいつの事をまだ好いてるの?)


きっとそうだろうと、レミリアは思う。あの笑顔には我が事を褒められたかのようなものが感じられる。
どうしてそんな顔になるのか理解は出来る。だが納得はいかなかった。その相手が今は自分達の敵だから、という訳ではない。
自分の飼っている可愛い犬が、前の主人の事で嬉しがるのが悔しかったからだ。


(少し………意地悪な質問でもしてみるか)


それは、そんな焼き餅な思いから生まれた子供な思考。
こんな想いを自分にさせたのだから、ちょっとくらいは困らせてやろうという、子供の発想だった。


「ねえ咲夜?一つ聞いてもいいかしら?」

「なんでしょうかお嬢様?」

「今度あいつと戦うとして、貴女、あいつに勝てるの?」

「それは………」


レミリアの問いにシュンと項垂れる咲夜。そんな咲夜を見て、レミリアは少し満足して質問を更に続ける。


「貴女と美鈴、二人を相手に互角に立ち回るあのアサシンに、貴女は勝てるの?」

「………勝つしかない、でしょうね。それしか私には」

「そうですよ。それに咲夜さんだけが戦う訳じゃないんですし。今度こそ私達の手で捕まえましょうね」

「………うん」


美鈴の言葉に小さく頷き答える咲夜。美鈴は今度は溜め息を吐いてレミリアに注意する。


「お嬢様も、そんな意地悪な質問しなくてもいいでしょうに」

「なッ!?私は別に」

「大方、咲夜さんがあの人の事で嬉しがるのが悔しかったからそんな事言ったんでしょうけど」

「そそそそそ、そんな事はッ!」


レミリアは慌てて否定するが、その様子から美鈴の言った事が図星である事は誰が見ても明らかだった。


「だそうですよ咲夜さん。嬉しいのは分かりますけど、今はちょっと我慢してくださいね」

「ふふ………ええ、気を付けるわね」

「ああ咲夜もそんな事ッ!違うッ!違うんだからねッ!」


うーうーと唸って否定するレミリアをみんなは微笑ましく見る。
そんな視線を受けて更に顔を赤くするレミリア。なんとも微笑ましい光景だった。

すると今まで座って休んでいたパチュリーが立ち上がり、部屋から出て行こうとした。


「今日は疲れたから、私はもう寝るわね。何かあったらまた結界が発動すると思うから」

「パチュリー様………ありがとうございました」

「お礼なんていいわよ咲夜。今回はそんなに活躍も出来なかったし」

「そんな事はありません。パチュリー様が影ながら頑張ってくれたから、戦う事が出来たのですから」

「………貴女も無茶しちゃ駄目なんだからね?それじゃ」


そう言い残し、パチュリーはノロノロと部屋から出て行った。


「それじゃあお嬢様、美鈴。私も自分の部屋に戻りますね」

「あ、それじゃあ私は………妹様の所に行きますね」

「フランの所に?」

「はい、とりあえずは無事に終わった事を伝えないと」


確かに、とりあえずの危機は去った事は伝えておく必要はあるだろう。
レミリアは美鈴の言葉に頷く。


「そうね………じゃあお願いね。私はもう少し此処で休んでいくから」

「分かりました。それでは、失礼します」

「失礼します、レミリアお嬢様」


美鈴と咲夜もそれだけ言い残し、部屋から出て扉を閉める。
美鈴は軽く背伸びをして、咲夜に話し掛ける。


「とりあえず………今日はなんとか凌げましたね」

「ええ………本当に」


美鈴の言葉を聞いて、咲夜はホッと息を漏らす。生き延びる事が出来たという安心感の現われだった。


(でも………それは“今日”はというだけ。次は、どうなるか)


そう、次も上手くいくとは限らない。相手は自分の師であるあの人である。油断は微塵も出来ない。
そんな風に不安に思っていた時だった。美鈴が自分を優しく抱き締めてくれたのは。


「………美鈴?」

「大丈夫………心配、しないでください。私達が付いてますから」


そんな美鈴の優しい言葉が、彼女の温もりと共に伝わった来るのが肌で感じた。
それがなんだかとても懐かしいように思えて、思い出す。


(ああ、そうだ。姉さんだ………この感じ。優しくて………暖かくて………とても、落ち着く)


この暖かく柔らかい安堵感。寂しい時に何時も抱き締めてくれた姉と、とても似ていた。


「懐かしい………な」

「そうですね………前に何度かこんな風に咲夜さんを抱き締めた事、ありましたっけ?」

「え?そうだったかしら?」


美鈴の言葉に咲夜は首を傾げて答える。前にもそんな事があったなんて、自分は覚えていない。
すると美鈴は不味いと思い体を一瞬硬直させる。


「え、ええっと………ほ、ほら!昨日ですよ昨日!昨日の夜アサシンが来た時!」

「えっと………ああ、そういえば、そうだったわね」

「そうですそうです、たはははははは」

「うん?おかしな美鈴ね」


気まずそうに笑う美鈴をおかしく思う咲夜ではあったが、あまり気にはしなかった。
今は少しでもこの懐かしい暖かさを感じていたい。そう思っていた。

美鈴は自分の胸の中にいる咲夜を見て、ポツリと言葉を漏らす。


「背………伸びましたね。昔はお嬢様よりも頭二つ分大きいくらいだったのに」

「そりゃあ、ね。此処に来てもう何年も経ったんだし。なにより成長期だったし、それなりに大き………く………」


そこまで言って、咲夜の言葉が不意に止まった。いや、言えなかったのだ。
確かに昔と比べて自分も成長はした。精神的にも肉体的にもだ。
だがしかし、今現在こうして自分を包んでくれている美鈴の母性の塊と自分のとを不意に比べてしまったのだ。
その差は、あまりにも――――――圧倒的過ぎた。


「ねえ美鈴………私、大きくなったわよね?」

「え?ええ、そりゃもちろん」

「………そう、そうよ。そもそも比べる基準が悪いのよ。美鈴にしても姉さんにしてもこれはあまりに規格外なのよ。
 普通、普通が一番よ。別に私は小さくない。普通よ、普通なのよ。普通くらいはあるわよ。………そもそも普通ってどれくらい?」

「さ、咲夜さん?」

「大体大きけりゃいいってもんじゃないのよ。それに言うじゃないのよ。
 お金だって表彰状だって価値あるものは大抵薄いものだし………いや、薄くはないわよ?これでもそれなりにはあるとは思う」

「あの、咲夜さん?小さくブツブツ言わないでください。恐いです。とても恐いです」

「でも我が師もあった方がいいとか言ってたしああなんだかそれを思うとこれがなんだか憎たらしくなってきた。
 どうしてこれが私に無くて美鈴に?ああなんだか腹が立つモギトレナイダロウカ?」

「咲夜さんッ!?サクヤサァァァァァァンッ!?正気に戻ってッ!私の身の危険を回避するという意味でッ!」


美鈴は咲夜の肩を掴んで体を揺さぶり正気に戻そうとする。そうしないと自分の身に大きな災いが降り掛かりそうだったから。


「………ハッ!?私は一体?」

「正気に戻ってくれたんですね。よかったです。本当によかったです。私にも何故だか分かりませんが」

「私はなんだかチャンスを逃したような気分だけど………なんでかしら?」


小首を傾げて考えてみるが、何故かは分からない。憎い怨敵を逃したようなもやもやとした気分が残るだけだった。
そんな咲夜を見て、美鈴は頬を引きつらせて苦笑いを浮かべる。


「はは、はははは、なんででございましょうかね?………あ、そう言えば」

「どうしたの?」

「あのアサシン………大きくなった咲夜さんを見て、何を思ったのかなって」


美鈴のその言葉を聞いて、咲夜も疑問に思う。成長した今の自分の姿を見て、どう思ったのか知りたくなった。


「………全部終わったら、聞いてみたいわね」

「そうなるよう、頑張りましょう。それじゃあ、私は妹様の所に行きますね」


今まで咲夜を抱き締めていた美鈴の腕が解かれる。咲夜にはそれがなんだか少し、寂しく感じた。


「………そうだったわね。でもその格好で行っていいの?」

「そういえば確かに………ボロボロですね」


美鈴は改めて自分の姿を見る。アサシンとの戦闘で、服は破れに破れ血が滲んでいた。
傷はもう塞がっていた為、彼女の肌がチラチラと出ている。


「どうせ向こうに行ったら妹様と一緒に寝ちゃうのだろうし、着替えてきたら?」

「うーん、そうですね。一旦部屋に戻って着替えてきます」

「そうしなさいな。それじゃ、私は先に戻るわね」

「はい、お休みなさい咲夜さん」


咲夜の姿がが見えなくなるまで、美鈴はその姿を黙って見送った。
そして咲夜の姿が見えなくなった時に、美鈴は自分達が出て来た扉の向こうに声を掛ける。


「お嬢様、もう出て来てもいいですよ?」


その言葉と共に扉が開かれ、中からレミリアが出て来る。


「………咲夜に気付かれたかしら?」

「そういう素振りはありませんでした。疲れてたし、気付いてないでしょうね。それで?私に何か?」

「これからフランの所に行くの、よね?」

「そうですね。着替えたらそうします。きっと一緒に寝ちゃうでしょうし」

「そっか………うん、それじゃあ」


お休み。そう言おうとした時、レミリアの頭に美鈴の暖かい手がポンと乗せられ、そのまま撫でられる。


「一人は寂しい………ですか?」

「………………うん」


美鈴の問いに、レミリアは素直に、小さな声で返事をして頷く。
そこにいつもの傲岸不遜の態度は無く、見た目相応の少女の姿しかなかった。


「ねえ美鈴………一つ、聞いていい?」

「なんでしょうか?」

「お父様のプロポーズ、どうして断ったの?」


何故、紅 美鈴は自分の父であるブラム・スカーレットのプロポーズを断ったのか。
その質問は前々から聞いてみたかったが、聞けなかった事であった。
聞き辛かったというのもあった。聞く機会を逃した事もあった。だが今なら聞ける。そう思ったから、レミリアはそれを尋ねたのだ。

父が美鈴にプロポーズをしたのは母であるエミリア・スカーレットが亡くなり、
祖父であるエイブラハムも亡くなって数年してからの事だった。
その話を父から最初に聞かされたレミリアは純粋に喜んだ。母も亡くなり祖父も亡くなり、レミリアは寂しかったのだ。
もちろん自分が甘えられる家族はいた。父もそうだし美鈴だってそうだ。ついでに言うならローレンスも。
だがレミリアが欲しかったのは、母の愛情であり温もりだった。
美鈴は自分の家族ではある。だが母親ではない。彼女はフランの母だ。美鈴に母の温もりを求めるのは、難しかった。
だから父が美鈴にプロポーズをすると言った時はとても嬉しかった。
これで気兼ね無く、美鈴を母と呼ぶ事が出来ると、心から喜んだ。

だが、そのプロポーズは断られた。その理由を父に聞いても、父は苦笑するだけで答えてはくれなかった。
ただ一言「振られてしまったよ」と、笑って言うだけだった。


「ねえ美鈴教えて。どうして………どうして」


私のお母様になってくれなかったのか?そう言おうとしたが、言葉が止まる。
それを言えば美鈴と自分との距離が広まりそうで、恐かったのだ。


「………どうして、断ったの?」


それが彼女の口からやっと出た言葉だった。


「………亡くなったエミリア奥様の事を想うと、お受けする事は出来ませんでした」

「そんな事ッ!お母様は気にしなかったわよッ!むしろ美鈴だったら喜んでさえくれたわよッ!」


美鈴の答えを聞いて、レミリアは声を荒げて反論した。
生前、母は美鈴を信頼しとても慕っていた。そんな母なら美鈴が夫の伴侶になった事を喜びこそすれ、文句を言うはずがない。
自分が聞きたいのはそんな建前ではなく、本当の事だ。


「貴女はスカーレットの一員で、家族で、なによりフランの母なのよッ!お母様だってそれを喜んでいたじゃないッ!
 気にする必要なんてどこにも無いじゃないッ!」

「お嬢様………」

「何が駄目だったのよッ!?どうして駄目だったのよッ!?なんでなのよッ!?なんで………なのよぉ」


大粒の涙を流し、レミリアは美鈴に詰め寄る。だが段々声は小さくなり、涙声になる。


「なんで、どうして………私のお母様に、なって、くれなかったのよぉ」


それが、レミリアがやっとの思いで口にした言葉だった。
やっと言えたという安心感から、レミリアは言えなかった本心を美鈴に言い始めた。


「私、フランが羨ましかった。母親が二人もいるあの子が、羨ましくて堪らなかった。
 母親の愛情を受ける事が今でも出来るフランが、羨ましかったのよ………悔しかったのよ」


自分の妹のように、目の前の女性に無邪気に甘えたかった。抱き締められたかった。母と呼びたかった。
普段の二人は美鈴や妹様と呼び合ってるが、それでも二人の時はお母さんやフランと呼び合ってるのを、レミリアは知っていた。


「もし美鈴がお父様と一緒になってたら、私だって美鈴をお母様って、言えたのに。甘える事が………出来たのに」


うつむいて涙を流し続け、今までずっと言いたかった事をレミリアは言った。
そこには紅魔館の主であるスカーレットの党首の姿は無く、レミリアという一人の少女が泣いている姿しかなかった。
勝手な事を言っているのは自分でも分かっている。我が侭を言っているのも自覚している。
それでも言いたかったのだ。ずっと我慢して言えなかったこの気持ちを。


「教えてよ美鈴………どうして、なんでなのよ………」


その言葉に、今まで黙っていた美鈴が、レミリアの問いに再度答えた。


「………実を言うと、本当はブラム様のプロポーズ、一度は受けたんです」

「………え?」


美鈴の答えにレミリアは驚きを隠せなかったが、美鈴はそれには構わず話を続ける。


「これでちゃんと妹様の、フランの母親になれる。お嬢様の母になれる。そう思って受けました」

「だったらッ!「でも、それじゃ駄目だったんです」………どういう事?」


美鈴は言うべきか悩んだが、これもこの子の為だと思い、話す事にした。


「私の返事を聞いて、ブラム様は言ったんです。「もしフランやレミリアを思っての事なら、それは止めてくれ。
 そんな事をせずとも、君はもう二人の母親なのだからな。私が欲しいのはそんな返事じゃない。
 それでは私が娘達を理由に君と結婚するみたいではないか。そうではないのだよ。
 私は君に、紅 美鈴という一人の女性に純粋に愛されたいのだ。ブラム・スカーレットという一人の男を愛してほしいのだよ。
 そう、私は君が好きだ。愛している。心から純粋に、私は君を欲しているんだ。それを理解してほしい。
 私は純粋に君を愛しているから、プロポーズをしたんだ」………そう言われたんです」


美鈴が言った父の言葉を聞いて、レミリアはただただ驚くしかなかった。
だが全てを聞き終わった時、なんだか嬉しいような馬鹿らしいような気分が沸いてきて、笑みがこぼれ始める。


「ふ………ふふ、ふふふ………なによそれ?お父様、本当にそんな事言ったの?」

「ふふふふ………ええ、一字一句間違い無く」


レミリアの笑みに、美鈴も釣られて笑い出す。どこか、安心したような微笑だった。


「お父様らしいわね………でも、それじゃどうして断ったの?」

「いや、ブラム様はとても魅力的でしたよ?でもなんていうかこう………ずっと一緒にいたからもう家族って感じで、
 改めて一人の男性として好きになるってのは、どうもなって思って。
 家族としては愛せても一人の男性として愛するってのは、どうにもこうにも………今更かなって」

「その余計な事言わなければ一緒になれたでしょうに………馬鹿ねお父様」

「あははは、本当に。………でも、それがブラム様でしたから」


傲岸不遜でキザで、でもそれが様になっていて、だがやはりどこか抜けてるところがある。そんな人だった。
その抜けてる感じがエイブラハムに似ていると、周りはよく言ったものだった。


「その理由を最初から言えばよかったのに………」

「恥ずかしいから言わないでくれとお願いされてましたので」

「もう………お父様ったら」


本当にしょうがない人だ。そんな事を思いながら、レミリアは父を懐かしんだ。
すると美鈴は何を思ったのか、レミリアに頭を下げる。


「………お嬢様、申し訳ありません」

「え?」

「私は貴女の事もフランの事も同じくらいに大事にしてきた………つもりでした。
 でも結局は寂しい想いをさせてしまい………ごめんなさい」


レミリアが気付いた時には、美鈴は自分を力一杯抱き締めて――――――泣いて自分に謝っていた。


「ごめんね………ごめんなさいねレミリア。私がちゃんと気付いてあげてれば、貴女に寂しい想いなんてさせる事は無かったのに。
 私が………しっかりしてれば………ごめん、ごめんね」


美鈴はそうやってレミリアに謝り続け、レミリアも自然と抱き締め返していた。
レミリアは目を細めて、美鈴の温もりを目一杯に感じた。


(………暖かい。そう、私は、この温もりが欲しかった。私だけが味わえるこの温もりが、ずっと欲しかった)


嬉しかった。今こうして自分の為だけに泣いて、自分の事だけを想って抱き締めてくれるのが、堪らなく嬉しかった。
美鈴がフランと同じくらいに自分を大事に想い、愛してくれているのは、十分過ぎるくらいに分かっていた。
それでも寂しいと感じたのは、美鈴とフランの間にだけしかない絆があったから。フランだけが味わえる愛情があったからだ。
血の繋がった親子なのだから美鈴がフランを大事にするのはしょがない。
だがそれでも欲しかったのだ。平等な愛情とは別に、自分だけに向けられる温もりが、想いが、特別な愛情が欲しかった。
そして今、それを確かに感じる事が出来る。自分だけを愛してくれていると感じる事が出来る。
だから今こうして、やっとこの言葉が言えるのだ。










「泣かないで――――――“お母様”」










それはとても、とても小さな声であった。二人の今の距離でなければ聞けないくらいに、小さな声だった。
その声は抱き締め、抱き締められる距離でなければ聞こえない、そんな小さな声だった。


「レミ………リア………私の、事………」

「そう呼んでも………いいよね?この距離ならそう呼んでも、いいよね?」

「ええ………ええ、もちろんよ………いいに、決まってるじゃない」


二人は再度抱き締めあい、そしてお互いに向けて言った。










――――――ありがとうと。










数分ほどそのままの状態だった二人は、今はお互い離れて恥ずかしそうに少し顔を赤くしていた。


「うー………なんでこうなったのかしら、美鈴?」

「うーん………でもまあいいじゃないですか、お嬢様。これはこれで」


二人の呼び名は普段と同じだった。今はその距離ではないから。この距離ではまだ言えないから。
でもいつかは………と、お互いそう思っていた。


「なんだか………すっきりしたわ。もっと早くこうしていればよかったのだろうけれど」

「党首としての体面とかも、ありましたしね」

「そうね………あ」


そう言って相槌を打つレミリアは、前からもう一つ美鈴に確認しておきたい事があった。
この際だ。それも聞いてしまおうとレミリアは口を開く。


「ねえ美鈴………懐かしかった?」

「え?何がですか?」

「お母様よ。ほら、私お母様によく似てるでしょ?」

「え、ええそうですね。そりゃ確かに懐かしくもありましたけど………」

「抱き締めた感じとか似てた?ほら、美鈴って確かお母様の愛人だっ「断ッッッじて違いますからねッ!!!!」


美鈴は大声を上げてはっきりそう否定する。それは自分にとって話題にしてほしくないだったから。


「大体それ誰から聞いたんですかッ!」

「お母様本人から」

「奥………ああもうッ!エミリアの奴ッ!娘になんて事吹き込んでるのよッ!
 違いますッ!違いますからねッ!そりゃ確かにそんな感じの時もありましたけど私の方からはしてませんからッ!
 そういう事をしてきたのはエミリ、じゃなくて奥様からですからッ!私はそういう趣味は無いですからッ!」

「でも抱き締めたりとかはしたんでしょう?」

「そ、それは………ええと………」


言葉に詰まる。否定出来ないからだ。紛れも無い事実だから。


「で、でもやましい事とかはありませんでしたからねッ!?」

「でもファーストキスは奪われたんでしょ?」

「それも言ったのあいつぅぅぅぅぅ!?ほ、他にはなんてッ!?」

「全部は教えてくれなかったけど………風呂とか着替えとか吸血の時とか」

「そ、それも十分不味いんですがねぇ………」


まさかこんな置き土産が遅れてやってくるなんてと、美鈴は頭を痛める。
紅魔館に来て何故かエミリアに気に入られてしまい、度々迫られた事が何度もあった。
しかも皆にそれを隠す事をしなかったのだから困りに困った。

まず夫であるブラムが止める事をしなかった。
なんで止めないのかと問えば、美しいからだと嬉しそうに答えやがった。
エミリアが自分を愛しているなら構わないとか、君なら問題無いしとか本気で言っていたのだ。
挙句の果てには奪いたければ奪ってもいいぞ、他の者なら許さんが君なら許そう。なんて事を抜かしやがりもした。
思わず頭を打ち砕いた自分は決して悪くないはずだ。

雇い主のエイブラハムはすっっっごく気まずそうに目を逸らして無視を決め込んでいた。
どうして無視するのかと問えば、どうすればいいか俺にも分からないと情けなく答えられてしまった。
無理に言ってもどうにもならないしとか、話せばなんとかなるかもとか頬を引きつらせて言われた。
挙句の果てには自分でなんとかしてくれお願いします。なんて土下座されて謝られた。
思わず頭を踏み潰した自分は間違っていないはずだ。

ちなみにローレンスはそういう時は決まってその場にはいなかった。
持ち前の勘で逃げていたのだろう。


「美鈴、お母様の事嫌いだった?」


少し心配そうに尋ねるレミリアを見て、美鈴は溜め息をしつつ答える。


「………迷惑ではありましたが、嫌いではありませんでした。
 奥様の事は好きでしたし、愛してもいました。家族の範囲で、となりますが」


そこが一番困ったところだった。美鈴はエミリアの事を嫌う事が出来なかったのだ。
エミリアには同姓すら魅了してしまう程の魅力があった。
外見の美しさはもちろん、一つ一つの仕草や言葉遣いだけでドキリとするものがあった。
正直、押し倒してしまおうかなと考えた事もあった。もちろん実行はしなかったが、そう考えさせられるだけの魅力があったのだ。
なにより、本当に自分を愛していたのだ。嫌う事など出来るはずもなかった。


「………私と奥様と生まれたばかりのフラン、三人だけの時でした。
 あの人は言ったんです。「私と貴女の子ね」って、冗談抜きで本気で、幸せそうに言われたあの時。
 あの時が一番あの人を、エミリアを愛しいと感じました」


自分の血を継いだ娘を産んでくれた、自分を本気で愛してくれた女にそう言われて、愛しいと思わない方が無理だった。
その気持ちには、嘘を吐きたくなかった。

レミリアはそんな美鈴の言葉を聞いて、満足そうに頷く。


「そっか………ありがとう。その言葉が聞けただけで、もう十分」

「なんだか、変な話になっちゃいましたね」

「そんな事無いわよ。私が聞きたい事を聞いただけだから」

「………私は、このスカーレットに一番愛されていると自分で思います。自惚れでもなんでもなく。それが、私の誇りです」

「そうね………その通りね」


祖父も、父も母も、妹も自分も、紅 美鈴という女性が好きで、大好きで、愛している。
そしてその事を誇りとしている美鈴の事を、レミリアは同じくらいに誇らしく思った。


「………それじゃ私はそろそろ行くわね。でも今日はなんだか寂しいから、一人じゃ………寝たくないな」

「それじゃあ………」


一緒にフランの所へ行こう。そう言おうとしたそれより先に、レミリアは言った。


「だから今日は、咲夜と寝るわね」

「………いいんですか?」

「咲夜も今日は寂しいと思うから。だから、ね。今日はフランに譲るわ。私はあの子の姉だしね」

「それでも今日は、ですか」

「私は我が侭なのよ。いいじゃない、それくらい?」

「………はい。それくらい、いいですね」

「そうでしょう?それじゃあね………美鈴」


レミリアはそう言って咲夜の部屋へと向かい歩き始めた。美鈴も自分の部屋へと行こうとしたしたその時、レミリアに声を掛けられる。


「そうそう美鈴、お母様からの伝言があったわ」

「伝言、ですか?」

「うん。「最初は冗談だったのに、結局貴女の所為で本気になっちゃった」………ですって」

「………………え?」

「じゃあねー」


レミリアはそれを言って手をヒラヒラと振って、そのまま去って行った。
そして姿が見えなくなったその時、クスクスとおかしそうに笑う彼女の声が廊下に鳴って、暗闇に溶けていった。

美鈴は一人ポツンと佇み、笑い声が消えてやっとクスリと声を漏らした。
レミリアが伝言を伝えた時に一瞬だがエミリアの姿がダブって見えたのだ。
まるで彼女が生き返って目の前の現れたと、錯覚してしまうくらいに。そんな彼女に向かい、美鈴は小さく言う。


「あの子はやっぱり貴女の子ね………エミリア。ああいうところも貴女に似てきたわ。
 ………貴女、絶対分かってたでしょ。私が断った理由」


美鈴がそう言うと、心の中の彼女は意地悪そうに笑うだけだった。
それに苦笑しつつ、美鈴はやっと歩き始めた。




















くそぅ………まだ後書きが残ってやがる………

また、時間が掛かったな………申し訳ありません。でも頑張って書いたから許して!
ほい、謝罪終了。

平等な愛情と特別な愛情。子供に与えるべきものはこの二つだと私は思う。特に兄弟姉妹だとそう思うね。
みんなに同じ愛情を与えるのは素晴らしい事だけども、自分だけが味わえる愛情、みたいなのもあった方がいいかなと思うね。
家族全員に与えるのが平等な愛情で、その家族の中の個人に与えるのが特別な愛情、とでも言えばいいのだろうか?
うん、自分の考えがなかなか言葉に出来ん。
ちなみに美鈴は咲夜さんを抱き締めた時は平等の愛情で、お嬢様を抱き締めた時は特別な愛情で抱き締めていますかね。

で後半は………奥様がね、まあ………ね?
これはまあ………あれだよ。お決まりの電波だよ。まあアーンな事やこんな事があったんでしょうね。
………………気付いたらこうなってた事って、よくあるよね?それだよ、それがこうなってああなったんだよ。

そして次はやっとあの子の登場です。ええ妹様。一体何をしでかすのでしょうか?
それでは!



[24323] 第二十六話 夢の続きへ
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:bbc241b3
Date: 2011/03/25 16:30






自分の部屋に戻りボロボロの服を着替え、美鈴はフランのいる部屋へと向かい、今大きく重い扉の前で佇んでいた。
そして部屋に入る前に扉をノックした。


「妹様?入りますよ?」

「えッ!?美鈴ッ!?え、えええッ!?」


返ってきた返事はそんな慌てたフランの声だった。なんというか、酷く落ち着きの無い様子だった。


「………?」


一体何をそんなに慌てているのか美鈴には分からなかったが、とりあえず入って確認する事にする。


「失礼しますよ?」

「あ!ちょ、ちょっと待っ」


フランが静止する前に、美鈴は扉を開けて部屋の中に入った。
中には自分のベッドに腰掛けて、キョロキョロと自分を、そして部屋の周囲を見て慌てるフランの姿があった。


「美、美鈴?こ、これはそのちょっとした事情というかなんというかその」

「どうしたんですか?そんなに慌てて?」

「………え?あれ?え?」


美鈴の顔を見て、フランは訳が分からないといった当惑した表情になる。


「本当にどうしたんですか?何かありました?」

「えっと………ううん、なんでもない」


キョトンと何かに驚いた表情を浮かべて、フランはただそう答える。
それがなんだかおかしくて、美鈴は笑ってしまう。


「ふふ………そうそう、今日あった事を話すんでしたね」

「あ………うん、そうだったね」


美鈴は開いていた扉を閉めて、ベッドに腰掛けるフランの隣に座った。
幾分か落ち着いたのか、フランはほうと溜め息を吐いた後にポツリと呟いた。


「………凄いなぁ」

「何がですか?」

「え?えっとね………アサシンのオジサンが」

「あのアサシンが、ですか?」


どうして件のアサシンを凄いと、今此処で言うのか。フランは美鈴の問いに答える。


「えっとね………だってみんなを相手にして生き残るだもん。凄いじゃない」

「どうしてそれが分かるんですか?」

「美鈴の顔見てたら、そうじゃないかなって、思ったんだ」

「………そうですか」


この子は本当に自分の事をよく見ているなと、微笑む。それがとても嬉しくて、嬉しくて微笑んでしまう。
そんな美鈴を見て、フランも笑って抱き付き甘える。


「それじゃあお話して………お母さん」

「ええ、いいわよ………フラン」










「………というわけで、また逃げられちゃったのよ」


先ほどあった出来事を、美鈴は自分に抱き付いていたフランに伝えた。


「ふーん、そっかそっか………ふふふ」


それを聞いたフランは、なんだかおかしそうに笑う。


「どうしたの?何かおかしいところあったかしら?」

「聞いてるとさ、オジサンと咲夜の事すっごい褒めてるみたいだったから。それにすっごい楽しそうに話してたよ?」

「………ああー確かに」


我が娘にそれを指摘され、美鈴は苦笑を浮かべるしかなかった。
事実、美鈴はあの戦いを楽しんでいた。それも心の底からだ。不謹慎かもしれないが、正直楽しくて仕方なかった。
自分の全力をぶつけて壊れない相手がいて、肉体も精神も魂も、燃えに燃え盛った。
それに咲夜とアサシンのあの戦いは心を奪われる美しさがあった。
研ぎ澄まされ洗練された刃のような美しさに、心を奪われてしまったのだ。
そして美鈴はそれを、自分でも知らぬうちに楽しそうに語っていたのだ。


「うーん………私も見ればよかったかなー」

「駄目よ、万が一って事もあるんだし」

「えー?そんな事無いよー?」


そう言ってフランはギュッと腕に力を入れて美鈴にまた甘えた。


「もうこの子ったら………」


美鈴もまた自分に甘えてくるフランを強く、抱き締める。
そして背中をそっと撫でていき、フランの翼に手が触れた。それを優しく、愛しく触れる。
七色の宝石がシャランと小さく鳴り響く。それがくすぐったいのか、フランも鈴のような声を上げてクスクス笑う。
とても、心地良い音色だ。聞いてるだけで幸せになれる、自分の大好きな音色だ。


「………綺麗ね」


本当に綺麗だと、美鈴はうっとりとフランの翼に見惚れて、無意識の内にそれを口にする。
自分の翼を綺麗だと褒めてくれる母の言葉が嬉しくて、嬉しくて。フランは微笑みコクリと頷く。


「うん………お爺様もよく言ってくれた。綺麗な翼だなって」

「そうね………あの人も、そうだったわね」


フランの翼は、祖父譲りの姿をしていた。違いと言えばエイブラハムの翼の宝石は全て紅色だった事くらいか。
それにフランにはエイブラハムの妻の面影がはっきりと受け継がれていた。
だからだろうか。エイブラハムはフランの事を孫であると同時に、自身の子供として触れ合っていたのだ。
口癖のように何度も何度も言っていた。あいつと自分の娘が生まれたら、きっとフランのような子供が生まれたと。


「ねえお母さん。お爺様ね、言ってくれたんだ。私が生まれてきてくれて本当に嬉しかったって」

「私だってそうよ。貴女が生まれてきてくれて………どんなに嬉しかったか。
 みんなだってそう、お嬢様………レミリアもブラム様もエミリア様も、みんな喜んだのよ?
 生きて会えなかったけど、貴女のお婆様だって喜んだはずよ。貴女が生まれてくれた事をね。
 だから………本当にありがとう。スカーレットの子として生まれて。………私の娘として生まれてくれて」

「………お母さん」


母の胸の中で、娘は精一杯に甘える。暖かく優しい母の胸の中で、温もりを感じる。
母もまた、自分の胸の中にいる我が娘の温もりを感じた。愛する我が子の、その温もりを。


「………フラン、必ず、必ず私が守ってあげるからね」

「………うん」


美鈴はフランを強く抱き締め、再度誓う。この子を、我が子を、フランドールを必ず守ると。










自分の部屋に帰った咲夜は着替えを済ませ、ベッドの上に座り、あるものを手にしていた。
昔、自分が此処に来た時に装備していたアサシンの装備だった。
今までクローゼットの奥にずっと仕舞ってあった装備の数々。なんとなくだが、急に見たくなったのだ。
その一つである黒いフード付きのチュニックを、そっと自分の体に当てて比べてみる。


「………やっぱり、小さくなったな」


当たり前の事をポツリと呟く。もう此処に来て何年も経ったのだ。あの頃に比べて自分は成長した。
もうこの装備をそのまま身に着けるのは無理だろう。装備するなら、手直しが必要だ。


「………もうこれを着る事は無いでしょうに」


捨ててしまう事も出来たが、それは出来なかった。だからこうして仕舞ってあったのだ。かつての記憶と共に。
この装備の存在も記憶と共に忘れていったが、今ではこうして自分の腕の中にあった。


「どうしてなのかしらね………忘れる事が出来なかったのは」


あの人が現れたから?違う。それは思い出す切欠ではあったが、忘れなかった理由ではない。
これを捨てる事が出来なかったから?それも違う。捨ててもきっと自分は忘れてしまう事は出来なかったろう。
十六夜 咲夜がかつての自分を忘れる事が無かった理由は一体何なのかが、結局のところ分からなかった。
どうして私は消える事がなかったのだろうと、思案にふける。

そんな時だった。自分の部屋の扉をトントンとノックする音が聞こえたのは。


「咲夜?まだ起きてる?」


その声は聞き覚えがあった。自分の主である、レミリア・スカーレットその人の声だった。
こんな時間にどうしたのだろうと咲夜は不思議に思いつつも、とりあえず返事をする。


「お嬢様?はい、どうぞ」

「失礼するわね」


そう言ってレミリアは咲夜の部屋へと入っていった。
レミリアの目にあるものが留まる。咲夜が手にしている黒いチュニックだ。


「あら?咲夜それって」

「はい、昔私が着ていたものです」


咲夜の返事になるほど、道理で見覚えがあるはずだと納得する。


「それ、今でも着れる?」

「ご冗談を。手直しをしなければ着れませんよ」

「そう………残念ね。それを着てた貴女はとても、とても綺麗だったものね」


目を閉じて、レミリアは思い出す。かつての目の前の在りし日の姿を。
そう、これを着ていた目の前の彼女はとても、とても綺麗だった。
その姿もそうだったが、なにより自分に向けられたあの殺気が素晴らしかった。
あんなに綺麗な殺気を味わったのは、生涯初めての出来事だった。
無駄という無駄の一切を無くして研ぎ澄まされた剣のような殺気。それは自身を貫く冷たい刃。
純粋で澄み切ったあの眼差しは、キラキラと美しく輝いていた。まさに、生きた芸術であった。


「ああいうのを無垢と言うのでしょうね。本当に………素敵だったわ。もちろん、今も十分素敵だけどね」

「………ありがとうございます」


ふとレミリアにある考えが浮かぶ。


「ねえ咲夜、それちょっと着てみていいかしら?」


咲夜が持つ黒いチュニック。それを着てみたいと思ったのだ。理由は無い。ただなんとなく着てみたいと思っただけだ。
そしてそれを聞かされた咲夜は少し驚き答える。


「これをですか?お嬢様には少し大きいと思いますが?」

「いいじゃないそんなの。私は気にしないわ」

「そうですか………それでは、どうぞ」


レミリアは帽子を脱いで、咲夜に手渡されたチュニックを被るようにしてもぞもぞと着ていく。


「うー………さくや~頭が出ない~」

「………………いい」

――――――何が?と言うのは野暮というものなのだろうなぁ………

「え?」

「あいやいや!なんでもないですはい!………これでどうですか?」


咲夜が手伝って、レミリアは頭を出して着替え終えたやっと。
やはりレミリアには大きかったのか、チュニックはブカブカでダボダボになっていた。


「うん………ねえねえ咲夜、似合う?」


だがそんな事を気にしないレミリアはブカブカの袖を振って咲夜に自分に似合うかどうかを尋ねてくる。
想像していただきたい。可愛らしい少女が自分のサイズよりも大きな服を着て愛くるしい笑顔で手を振っているのだ。
好きな人には堪らない光景だろう。そして咲夜はその好きな人の部類に入る。よって………


「こ、これはまた………………た、堪らんッ!」


忠誠心が出る一歩手前であったとさ。


「どうしたの咲夜?なんか恐い」

「いえなんでもありません。………ええなんでもないです」

「そう?ならいいけど」


いぶかしむレミリアであったが、気にしない事にした。


「ふーん………案外着心地良いわねこれ」

「防弾防刃防火防水防菌その他諸々。これでもかと言うくらいの性能が詰め込まれた代物です。
 正直よくこれだけのものが出来るなと私も思いますよ」

「それはまたなんとも………随分なものね」


不思議そうに自分の着ているチュニックを見るレミリアに向かい、咲夜は本題に入ろうとする。


「あのお嬢様?どうして此処に来たのか尋ねてもいいでしょうか?」

「あ、そうだったわね………えーっと、その、ね………」


もじもじと恥ずかしそうに顔を赤くするレミリア。理由が理由だけに、言うのを少々躊躇うのだ。
そんなレミリアを、咲夜は恍惚とした表情で眺めていた。だがその表情はレミリアの次の発言で硬直した。


「今日、私と一緒に………寝てくれる?」


上目遣いの潤ませた瞳で、レミリアは咲夜に恥ずかしそうに、か細い声で懇願した。
理性などかなぐり捨ててしまいたいくらいの愛らしさを見せ付けられた咲夜だが、一歩手前で踏み止まる。


(………うん、とりあえず落ち着こう。落ち着いて考えよう。冷静に、冷静にだ。アサシンは慌てない。紅魔館メイド長はうろたえない。
 お嬢様はなんと仰られた?私と一緒に寝てくれると私にお尋ねになられたわ。そうね、そう言ったわね。
 これはあれよあれ。そういう事ではなくてこういう事よ。今日一緒に寝るだけよ。うん、そうね。そういう事ね。
 それだけ、それだけよ。でも、ああでもそれだけでも………ああ、お嬢様………ふふ、ふふふふ)

――――――半歩ほど、踏み外しているように見えなくもないな。紙一重だね、うん。

「それで………どう、かな?」


恐る恐る尋ねるレミリアに、咲夜はしどろもどろになる。


「だ、だだ、だだだいだい大丈夫です。私わ、私でよければもう!ええ構いませんとも!
 あ、でも着替えはどうしますか?」

「あー………面倒だからこのままでいいわ」

(着替えは見れないか………いや焦るな。一緒に寝られるというだけでも僥倖。
 そうよ、これ以上は高望みというものよ。ああでも………見たかったなぁ)


内心悔し涙を流す咲夜であった。











ベッドの中で、レミリアと咲夜は身を寄せ合い横になっていた。
お互い顔が息が掛かる程の距離にあり、咲夜の心臓は初めバクバクと早鐘を鳴らしていた。
だがレミリアの安心しきった表情を見ている内に落ち着いていき、今は自身も安らいだ気持ちでいた。

レミリアの髪を指で梳かしている時、彼女が咲夜に話し掛けてきた。


「ねえ咲夜覚えてる?初めて会った時の事?」

「忘れるはずないじゃないですか。自害しようとした時、泣いて止められた時は驚くしかありませんでした」

「え?そ、そうだったかしら?」


咲夜の言葉に若干慌てるレミリア。そんな彼女がおかしくて咲夜はクスリと笑みをこぼす。


「ええ、そうですよ。………でも、だからこうして生きていられるんです。今ではその事に感謝しています。
 こんな形になってしまいましたが、もう一度我が師と会う事も叶いましたし」


昔は生かされた事を怨みに怨んだが、今では逆に感謝している。
そして生きていたから、また自分はあの人に会う事が出来たのだから。

咲夜のそんな感謝の言葉を聞いて、レミリアは嫉妬と困惑の入り混じる表情を浮かべた。
感謝してくれるのは嬉しいが、またあのアサシンの事を言われるのは面白くなかった。
ベッドの中でくらい自分だけを見ていて欲しいと、そんな独占欲が生まれる。


「もう、口を開けばあいつの事ばかり………私の事は無いの?」

「あるに決まってるじゃないですか。………あり過ぎて何を話せばいいのか、迷うくらいです」


長い時間をこの館で過ごしてきた。どんな思い出も今では大事なものだ。
そのどれもが、話して懐かしいと感じる事が今では出来る。だから迷ってしまう。贅沢な悩みだ。


「ねえ咲夜………ありがとう」

「何がですか?」

「私の所に来てくれて」

「………はい」

「嬉しかったのよ。私を恐れないで立ち向かう人間がいる事が本当に、嬉しかった。
 今までの生涯の中で、あんなにも充実した時間は初めてだった。貴女と出会ったあの夜を、私は生涯忘れる事は無いでしょうね」


レミリアが目の前の彼女と初めての出会ったあの運命の夜。その記憶は自分の中に今でもなお鮮明に残っている。


「あんなに私の命が充実させてくれたのは」

「私を含めて三人、ですか?」

「………そうね。咲夜の他に二人。霊夢と………先代の博麗。私を心から昂ぶらせ楽しませてくれた」


霊夢とはスペルカードでの戦いしかしていないが、それでも本当に楽しかった。
幻想郷で行われた初めての本格的なスペルカード戦。初めて行う戦いに心を躍らせたものだ。
紅い霧の異変の決着は自分の敗北に終わったが、それでも満足出来た。

そしてもう一人。それが先代の博麗の巫女だ。
自分がこの幻想郷に訪れた時に起こした吸血鬼異変。それが彼女と戦う切欠だった。

当時、妖怪は幻想郷の人間を容易に襲う事が出来なくなりつつあった。
人里を襲えば妖怪の賢者の報復が待っている。人里から離れればその限りではなかったが、運が悪ければ博麗の巫女に退治される。
そんな状況に限界に来て、ルールを破り人里を襲おうとする者もいた。
だが上白沢 慧音を始めとした人里の守護者達により返り討ちに遭い退治された。
更に運悪ければ、守護者達の中でも過激派と呼ばれる者達に殺される場合があった。

先代の巫女の時代。それは幻想郷の長い時代の中で守護者が、人間が、最も妖怪に恐れられた時代でもあった。

妖怪達は外来人を襲うか、運良く迷って目の前に現れた人里の人間を襲うかの選択しかなくなってきた。
そんな現状になれば、幻想郷の妖怪達の気力が低下していくのは火を見るよりも明らかだった。
そこに目を付けたレミリアは妖怪達を焚きつけ吸血鬼異変を起こし、それを期に幻想郷の勢力を我が物にしようとしたのだ。


「とはいえ、結果は私の負けだった」


急増とはいえ、戦力は十分にあった。いや、十分だと思ったのだ。
戦力の数はあった。だが質が足りなかったのだ。自分には優秀な部下が決定的に足りなかったのだ。
そして相手の戦力を甘く見ていた事も敗因の一つだった。自らの傲慢さに負けたと言ってもいい。


「私は王として戦争に負けた。そして………怪物として人間に負けた」


戦いの中、自身の目の前に現れた紅白の巫女。纏う気迫はどちらが怪物か錯覚させてしまうくらいの凄まじさがあった。
全身全霊を懸けて戦った。迫り来る紅白の蝶の姿をした魔獣に、死の運命をもって迎え撃った。
だが巫女はその死の運命を突き破り、そして見事自分を打倒したのだ。


「あいつにも、そして霊夢にも負けた。私は二代続けて博麗の巫女に負けた。それでも本当に、楽しかったよ」

「私はお嬢様に負けてしまいましたけどね」

「勝負は時か運よ。貴女が勝つか、また私が勝つかなんてのはやってみないと分からないわ。
 この運命ばっかりは私にもどうしようもないわ。出来たとしてもやんないけど」


咲夜との戦いで、人間の強さというものを初めて感じた。
先代の巫女との戦いで、人間の恐ろしさというものを初めて知った。
そして霊夢との戦いで、人間の可能性というものを改めて分かる事が出来た。


「本当に人間というのは………凄いな」


人間全員が彼女達のような凄さを持っている訳ではない。だからこそ、その凄さを持つ存在が一際輝くのだ。
だがもし、そういう人間が一人でも多くかったら。もし全員がそういう存在だったら………


――――――なんと、素晴らし過ぎる世界なのだろうか。


笑いながら、咲夜が話し掛けてくる。


「まあ、今ならお嬢様に簡単に勝つ事も出来るかもしれませんね」

「へぇ?どんな方法で?」

「紅茶ににんにくでも入れればイチコロですわ」

「なら大丈夫ね。そんな紅茶、にんにく臭くて飲めたもんじゃないから」


お互いおかしそうにクスクスと笑う。そして暫し笑いあうと、咲夜は話し掛けてきた。


「………お嬢様がいてくれなかったら、今日は眠れなかったかもしれません」

「私もよ。今日はなんだか、人肌が恋しかったのよ」


咲夜の上に覆い被さるようにレミリアが抱き付いて来る。体に軽い体重が圧し掛かる。頭をゆっくりと摺り寄せてくる。
小さな吸血鬼の少女の熱い吐息が、首筋に掛かる。


「寝ぼけて噛まないでくださいね?」

「咲夜の血は美味しいから、寝ぼけようかしらね?………冗談なのが残念」


ふざけ半分冗談半分で咲夜の白い肌を小さな唇で優しく噛む。優しく、そっと、熱く。


「ふふ、冗談でもしないでくださいね」


そんな主の戯れを、従者はただ笑って容認する。首筋に走る甘い刺激をもっと享受していたいという、本音を隠して。


「………抱き締めてくれる?」

「こう………ですか?」


主の願いに、彼女は自らの腕で包み込むようにして、優しく抱き締める。
お互いの温もりと鼓動を感じ取りながら、二人はまどろみ、段々と眠りに落ちていく。


「うん………暖かい。このまま………寝かせて………」

「私もこのまま………眠らせて………もらいます」


そして最後に、お互いを呼び合う。


「お休み………私の………咲夜………」

「お休みなさい………私の………お嬢様………」










深く、深く、皆眠りに落ちていく。夢の中へ深く、深く落ちていく。
どこまでもどこまでも、どこまでも。
そしてやっと、夢の底へと辿り着く。霞が掛かった思考が、段々と覚醒していく。
ゆっくりとゆっくりと、懐かしき夢を見る。
そこは――――――夢の続きだった。





















昔は貧弱だったこのボディ!後書きの御蔭でこんなにたくましくなったのさ!

さぁいきんだるいんだよ………腕が動かないんだよ。気分が乗らないんだよ。
正直今回の話そんなに考えてなかったんだよ。もうなんとか書くしかなかったよ。
ああ、もっと話を短くした方がいいのかもなー………と愚痴るスミスだったってさ。

美鈴とフラン。この話だと仲良い親子だなーと思います。そういう風に書いてるからと言われればそれまでなんですがね。
でもそういう風に書けるのが美鈴とフランなんだと、書いててそう思いました。

そして咲夜とレミリア。最初暴走しそうでしたけど、なんとか治まりました。
正直よく踏み止まったと思うよ。だってお嬢様にああいう事されたら誰だってああなる。私だってああなる………んだろうなぁ。
書いててなんかこっちの量が多くなった。吸血鬼異変の事とか入れたからだな。

勘の良い人はもう分かったかもしれないね。先代の巫女はきっとあいつだーとか、美鈴がプロポーズ断った理由はこれだーとか。
たぶんきっと当たってると思いますよそれ?前者の方が正解率は高いだろうな。

スカーレットの党首達の話、外伝に書くか、それともいっそ一つの話として書こうか、迷ってます。
外伝でちょこちょこ出す量じゃないような期気がして。

そしてそしてそしてぇぇぇぇぇ!また過去編に突入しますからな!
ああこんにゃろう!やっと此処まで来たぜ!ヒャッハァァァァァァァ!バリバリ書くぞ!バリバリ書くぞ!
咲夜さんが紅魔館に来てからの話になります。楽しみだった人いる?少なくとも私はそうだ!
それでは!



[24323] 第二十七話 運命と出会いし時
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:bbc241b3
Date: 2011/03/31 18:46






彼女は気配を断ち姿を隠していた。夜の闇にアサシンの装束は溶け、その輪郭をぼんやりと崩していた。
目を凝らしその姿を見たとしても、一人の人間がそこにいると気付くのは難しいだろう。
それでも彼女は用心に用心を重ね隠れていた。彼女は今、今回の標的が住む館である紅魔館の様子を見ていた。


(………やはりいたか)


そう心の中で呟く彼女の目には、館の門の前で佇む赤い長髪の門番の姿が映った。


(あれが紅 美鈴か。確かに………強い)


一見しただけだが、それでも彼女の実力を窺い知る事は十分出来た。
なるほど、正面から戦いたくないという我が師の判断は的中していた。
彼女はすぐに自分の持てる業であの門番を倒せるかどうか考える。その結果は――――――


(無理だな。刺し違えても倒せるかどうか………)


それが彼女の出した結論であった。
まず、当たり前だが不用意に動けばそれだけで勘付かれてしまうだろう。用心して近付いても気付かれる。
時を止めて殺すとしても問題があった。
ナイフの投擲で殺す事はまず無理だろう。時を止めて全周囲にナイフを配置したとしても、その全て防がれる可能性があった。
近接は問題外だ。急所を突き刺したとしても、時が動き出した瞬間にすぐさま自分を殺す事があの門番には可能だろう。
前者は不可能。そして後者を成功させるには修練が足りなかった。命を懸けても倒せるかどうか………いや、恐らく無理だろう。

故に彼女は門番の女を殺す事は諦める事にした。標的の一人ではあったが、殺せないのであれば無理はしない。
彼女は今の自分と相手との力量の差が、それだけあると判断したのだ。


(相手にせず、進入した方がいいだろう)


そう思った彼女はすぐに時間を止めて、館に向かい走り出した。
止まった時の中で、彼女は門番の横を通り過ぎる瞬間にその顔を見た。
厳しい表情をしていた。ジッと遠くを見据え、何かに備えている。そんな事を連想させられた。

門を飛び越え、館の庭園に侵入した彼女は一直線に館を目指し、進入した。
もう大丈夫だろう。そう判断し、彼女は止まった時を動かした。


(さて………ここからが仕事だ)


館の中は蝋燭の薄明かりしかなく、暗い、冷たい空気が漂っていた。妖魔の好みそうな空気だ。
そんな空気をものともせずに、彼女はその闇の中を進んでいった。










時が動き出した瞬間、紅魔館の門番である紅 美鈴は急ぎ館の方へと目を向けた。館の中に突如現れた何かの気配を感じ取った為だ。


「来た、か。しかし一体何が………?」


この紅魔館に美鈴が来てから数百年になる。だから何かが進入すればその瞬間に分かるのだ。紅魔館の雰囲気が変わるのが。
美鈴が感じ取ったのはあまりに小さな違和感だった。普段だったら妖精かなと、そう思うような感覚。
だが、今日はそうではない事を彼女は知っていた。今感じているのは妖精などという優しい存在ではない事を。


「………お気を付けて」


美鈴はただそれだけ呟き、今までと同じように門の前で立っていた。
違ったのは、今の彼女は何かを祈るような表情に変わっていた事だけだった。










館に進入してからの行動は実に楽だった。見回りも無く、罠等の仕掛けの類があるようにも感じ取られなかった。
必要など無かったのかもしれない。そもそも進入する為にはあの門番を突破しなければいけない。
そしてこの館の住人は全員が恐ろしい実力者だ。警護の必要なぞ無くても構わないだろう。

だが別の問題があった。標的が今何処にいるか、それを探らなければいけなかった。
今回、標的が普段は何処にいるかという情報は入手出来なかった。分かるのはこの館の何処かにいるのは間違い無いという事だけ。


(文句を言う訳にもいかない、か。相手の能力や姿を知る事が出来ただけでも良しとしないと)


夜の闇の中、彼女はそんな事を思いホッと息を吐く。当然の事だが、夜は吸血鬼の領域だ。
吸血鬼の闊歩しているかもしれない中でよくそんな事が出来るものだと思うかもしれないが、それが出来るだけの理由もあった。

吸血鬼は最強の怪物の代名詞の一つだが、絶大な力を持つ割に弱点も多い。太陽の光はその代表と言ってもいいだろう。
だが吸血鬼とて馬鹿ではない。自分の弱点をそのままにしておくような事はしない。
名のある吸血鬼なら大抵は何かしらの事前策を用意しているものだ。自分の住処に罠を仕掛けるのがそれだ。
そして住処に仕掛けられた罠の類は自身が動けない昼に作動している事が多い。
そりゃそうだろう。一日中作動させてたら、罠だらけの家の中で過ごす事になってしまうのだから。
だから昼寝ている時は罠を作動させ、夜起きる時にそれを解除するのが、普通の吸血鬼の日課みたいなものだった。
場合によってはその罠の方が手強い事もある。だから昼の吸血鬼の住処に入り込むのはとても危険な行為なのだ。

それに夜を住処とするのは自分達アサシンも同じだ。吸血鬼と同じく、夜の方が動きやすいのだ。
闇に紛れて近付き仕留める。夜はそれを行うのを助けてくれるし、逃走する時にも味方になってくれるのだ


(けどあまり時間は掛けられない………なら時を止めて、ゆっくり探すとするか)


自分の中にある歯車をカチリと止める。その瞬間に、彼女以外の世界の全ての時が止まった。


(最初は何処から探そうかな………トイレだったらどうしよう………さすがに気まずい)


その時は見逃そう。いくら殺す相手とはいえ、そんな尊厳を無視するようなやり方はさすがに躊躇われた。
安らかな死を、穏やかな死を、そして最低限の尊厳のある死を与えん。それが我が暗殺教団のモットーだ。
苦痛を与え殺すべからずという掟にも触れる。この場合は精神的な苦痛という意味になるが。
少なくとも、トイレの最中に生涯を終えるなんて事は自分なら嫌だった。
自分が嫌な事は他人にしない。当然の事だ。なら殺しはいいのかと言われれば、それはそれこれはこれ。
生活の為にも仕事はしなければいけないのだから、そこはしょうがないと諦めてもらおう。


(まずは………上の階から探していこう)


どういう理屈かは分からないが、傲慢な吸血鬼は高い場所にいる事が多い。
馬鹿と煙は高い所に行くものだと言うが、狡猾な吸血鬼が馬鹿な訳が無い。
きっと後者の方だろう。吸血鬼は煙にもなれるのだから、きっとそうに違いない。
何処かズレた考えで結論し、彼女は一人勝手に納得して探索を始めた。











時を止めながら探索して約十分程が経っただろうか。色々と部屋を回ったが、標的は未だ見つからなかった。
時間は十分にあり過ぎたが、それでも有限なものだ。早く見つけ、自分の成すべき事を実行すべきだろう。
そう判断し、彼女は足を進め――――――ある一つの気配を感じた。


(上………外、か)


屋上の方から強い存在を感じ取る。彼女は自身の気配を無くし、足音一つ衣擦れ一つ立てずに、感じ取った気配の下へと歩み始めた。
屋上のテラスに出る扉が開いて、外から中に風が流れ込む。誰かいるのは間違い無い。壁に身を隠し、そっと頭を出して外の様子を探る。


(――――――いた)


彼女の目には今回の標的である少女の姿をした吸血鬼の、その後ろ姿が映っていた。
夜の闇に差し込む月光の中、大きな蝙蝠の翼をなにやら楽しそうにパタパタと動かしていた。
どうやらこちらに気付いている様子は無い。外から中へと風が吹いているという事は、自分の匂いにも気付いていないという事だ。
絶好の機会だ。そう思った瞬間、彼女は時を止めようとして――――――


「ああ――――――時間ね」


楽しそうに、吸血鬼の少女がくるりとこちらを向いた。
彼女は驚いた。まさに時間を止めようとしたその瞬間だったのだから。


「ねえ出て来てくれないかしら?私を殺しに来た暗殺者さん?」


紅い双眸が彼女を捉えて妖しく光る。声の調子はウキウキとしており、その姿もあってか、楽しい児戯の始まりを待つ子供のようだった。


「そんな暗い所にいないでこっちに出てきなさいな。今夜は月の明かりが綺麗。とってもね。さあ来て、こっちへ。私の所へ」


手招きする吸血鬼の少女。嬉しそうに笑うその表情は、とても自分を殺しに来た者へ向けるものではなかった。
まるで遊びに来た長年の友人か、あるいは家族へと向けるような、そんな笑顔だった。
出て行くべきか一瞬迷うが、もう姿を隠す事は無理だと判断し、暗闇の中から月明かりの下へと出て行く。


「何故分かった――――――レミリア・スカーレット」


吸血鬼の少女、レミリアの前に現れたのは、黒いチュニックにフードを被った暗殺者だった。
顔を隠してはいるが声から判断して、人間の、まだ幼い部類であろう少女なのは分かった。
隠されているものは見たくなる。そんな好奇心にレミリアは駆られる。


「綺麗な声ね貴女。折角だから顔を見せてくれないかしら?もう隠れる必要も無いのだし、ね。
 見せてくれたら、貴女のその問いに答えるわ」

「………………」


レミリアの問いに、彼女は無言で答える。
気配は完全に消していた。匂いで気付かれた訳でもない。なのに何故自分がいる事が分かったのか、彼女には判断出来なかった。
だからこそ知る必要があった。どうして自分に気付いたのかを。
それにレミリアの言う通り、もう自分の存在は相手にバレいるのだ。今更隠すもなにもないだろう。
そう判断し、彼女はフードを取った。

レミリアが目の前に現れた人物を見て思い浮かんだ言葉。それは銀だった。
吸血鬼である自分にとっては忌々しい存在であるはずなのに、目の前の彼女にはそんな感情は芽生えなかった。
ただただ――――――美しいと、そう思った。
月光に照らされて映える銀の髪は本当に銀で出来ていると錯覚させられる。
凛とした、だが愛らしさも十分にある顔立ち。だが一番に惹き付けられたのは彼女の目だった。


(なんて………綺麗なのかしら)


彼女の目に宿っていた光。それは純粋無垢な冷たい殺意の光だった。
他の感情は一切感じない。ただ静かに、自身への殺意しか感じなかった。
それはまるで、冷たい白銀の刃に心臓を貫かれているような、そんな殺気だった。
レミリアは目の前の銀の少女に心を奪われていた。その純粋な美しさに故に。


「ありがとう。私の問いに答えてくれて」

「何故分かった?」


レミリアの感謝の言葉に、彼女はそう冷たく答えるだけだった。そんな彼女に対し、レミリアは軽く苦笑する。


「もう少しこの一時を楽しみましょう?急かしては駄目よ。でも、そうね、約束だものね。答えてあげるわ、貴女の問いに。
 私が貴女が来た事に気付いたのはなんて事はない。ただ自分の能力を使って知っただけなのよ。
 そう、運命を操る程度の能力という私の能力でね」

「私が来る事を知っていたと、そういう事か?」

「ええ、その通り。説明が省けて助かるわ」


そう言うと、レミリアはにっこりと彼女に微笑む。


「私が来ると知っていて、何故警備を疎かにした?」

「貴女に会いたかったから。それだけよ。だから美鈴………この屋敷の門番にも言ってあったのよ。
 今日来るお客様はそのまま通してあげてってね。ふふ、だから貴女が来た事はもう知っていると思うわね」


時を止めて来たとはいえ、道理ですんなりと進入出来たと思った。
あの門番に気付かれずに進入出来た事。それが本当に出来たかどうか、ずっと疑問だった。
相手は我が師が強敵也と認めた人物だ。いかに自分の能力があったとはいえ、全く気付かれないというのはおかしいと思ったのだ。
だがこれで分かった。この目の前の少女が前もって教えていたのだ。今日、自分が来る事を。


「どうして私に会いたいなどと?」

「そうね………貴女が私の運命だったからよ」

「運命、だと?」


それがどういう意味なのか、彼女には判断出来なかった。そしてレミリアはそんな彼女の問いに答える。


「そう、運命。私は運命が、未来が見えるわ。でも絶対の未来ではない。近ければ近いほどはっきりと未来は見える。
 でもあまりに先だと霞が掛かって見えないの。もしくはそう………あまりに多くの未来を見てしまうの。
 そうね………可能性の数だけ、私には未来が見えてしまうのよ。ただ見えるだけで、理解は出来ないのだけれどね。
 もしあんなに膨大な数の運命を理解してしまったら、私は発狂するでしょうね。
 簡単に言えば、ぼんやり森を見てるのと同じ。木の一本葉の一枚を全て意識して見ている事が出来ないのと同じなのよ」


運命は、未来は可能性の数だけ存在する。どんなにありえない事でも、もしかしたら。かもしれないという可能性はある。
それはあまりに膨大で、無限と言ってもいいかもしれない。
森を一目見て葉の一枚一枚がどうなってるか、その全てを理解する事はまず不可能だ。
砂漠を一目見て砂の一粒一粒がどうなってるか、それを理解する事はまず不可能だ。
レミリアにはそれだけの未来が、そう見えてしまうのだ。


「意識を集中すれば先を見る事も不可能ではない。でもやはり絶対ではない。
 的中率は限りなく百に近いだけで、でも決して百ではない。それでも、分かる事はあるわ」

「分かる事?」

「運命の転換期、とでも言えばいいかしら?そういう時には多く見えるのよ。自分に深く関わる存在が。
 季節の変わり目に緑の葉が紅葉するように、それが分かる。そして今回、それは貴女だったという事。
 無限の可能性の中で、貴女という存在が関わる可能性が多くなって、それが見えた。そう言えば、少しは理解出来るかしら?」

「だから、私がお前の運命だと言ったのか」


彼女の問いに、レミリアは満足そうに頷く。


「そういう事。貴女の存在を知って、私はこの逢瀬を一日千秋の想いで待っていたわ。
 そして今日、待ちきれなくてずっとずっと………此処で待ってたわ。経験は無いけどまるでそう、恋人を待つような気分だったわ。
 だから今とても嬉しいの。貴女に出会えたこの瞬間が。この一秒一秒が堪らなく愛しいのよ」

「自分の死がそれほど嬉しいのか?」

「貴女と戦ってどうなるか。それは私にも分からないわ。だからこそ、だからこそ私は待っていたのよ。
 何が起こるのか分からない。どんな運命が待っているのか。それが楽しみで嬉しくて愛しくて………ずっと待っていたのよ。
 そう――――――この瞬間をッ!」


歓喜の声と共に、レミリアは翼を広げ月の輝く夜空へと舞い上がる。


「さあッ!狂ったように歌い、熱く踊ろうじゃないかッ!共にこの長い夜を過ごしましょうッ!
 我が名はレミリア・スカーレットッ!永遠に紅い幼き月にして深紅の後継ッ!さあ教えなさいッ!貴女の名前を、この私にッ!」


月を背に、永遠に紅い幼き月が吼える。歓喜の渦はそのまま、魔力の嵐となって吹き荒れる。
それに対して彼女はただ静かに銀の刃を構え、冷たく言い放つ。


「名は無い。私はお前を殺す、ただのアサシンだ」

「名無しか………それもまた良し。では踊ろうじゃないの、名も無きアサシンよッ!」


夜空に輝く紅い月と銀の刃の殺気がぶつかり合う。










「こんなにも月が美しいから――――――本気で殺すわッ!」

「汝の罪を裁き、引き継ごう。――――――眠れ、安らかに」










――――――十六夜の月が、二人を照らす。



















ああ後書き、どうして貴方は後書きなの?

すみません………なんか、バリバリ書くとか言って遅くなってしまって………すみません。
私もね、出来ると思ったんですよ。でもなんかまだ気が乗らなかったっていうか………本当にごめんなさい。

今回から咲夜さんが紅魔館に来てからの話になります。そして次回はお嬢様と咲夜さん(予定)が戦います。
勿論負けますよ咲夜さん。問題はどう負けるかですね。
かっこよく負けさせてあげたいですね。作家の腕の見せ所ですね、頑張ります。
それでは!



[24323] 第二十八話 十六夜の月の下で
Name: 荒井スミス◆47844231 ID:bbc241b3
Date: 2011/04/14 23:55






放たれた銀のナイフと紅の魔弾が激突した瞬間、戦いの鐘が鳴った。
レミリアは地上にいる彼女に向かい、魔弾の嵐をただ力任せに叩き付ける。


(まずは小手調べ、という事か)


押し潰すように降り注ぐ弾幕をのらりくらりとかわしながら、彼女はそんな事を思った。
相手は実に楽しそうに笑っている。余程自信があるのか、それとも単なる自惚れか。だが、そのどちらにしても好機だった。
自分は戦いを楽しむなどという無駄な感情は持ち合わせていない。さっさとケリを着けるのに限る。
そう判断し、そして彼女は時を止める。紅の弾幕も、夜空に浮かぶレミリアの笑顔もピタリと止まる。
そして空を飛び、レミリアの、吸血鬼の急所である頭部と心臓に目掛けて銀のナイフを投擲する。
命中する寸前、放たれたナイフは空中でピタリと止まる。後は時を動かすだけで事足りる。
レミリアよりも上空を飛ぶ彼女は、眼下の吸血鬼に向かい静かに告げる。


「終わりだ――――――そして時は動き出す」


世界の歯車が動き出す音が、彼女の頭の中で鳴った。
次に聞こえてくるのは吸血鬼の断末魔――――――ではなかった。


「ああ危ない危ない。危うく様子見で終わってしまうところだったわ」


聞こえたのは愉快そうな声で喋るレミリアの声だった。レミリアの手の中には彼女が放ったナイフが全て納まっていた。
レミリアは自分よりも上を飛ぶ彼女を見上げ、たいそう楽しそうな笑みで顔を歪める。


「貴様、何をした?」

「驚いたわ。一瞬でナイフが心臓と目の前にあるのにも、貴女がそこにいるのだものねぇ。
 でも本当に驚いたのはそこじゃない。吸血鬼の私が一瞬の動きも気配を読み取る事が出来なかった事よ。
 本当に次の瞬間、ナイフも貴女もそこにあった。ねぇ、もしかして貴女――――――」


何かを確信したように、ニヤリと笑う。


「時とか、止めたり出来ちゃったりするのかしら?」


彼女の行動は早かった。レミリアがそれを言い終わる前に、彼女は銀のナイフ何処からとも無く出して投げ付ける。
だがナイフはレミリアの身の丈よりも大きい蝙蝠の翼に弾かれてしまう。
返答も何も無くそんな事をされたレミリアだが、そんな事は些細な事だと言わんばかりに大声を上げて笑いに笑う。


「アハハハハハッ!当たったみたいねッ!嬉しいわぁ、正解のご褒美は一体なんなのかしら?」


おかしいと、彼女はそう思った。何故先の攻撃が命中しなかったのか。それが気掛かりだった。
タイミングもスピードも狙った場所も、完璧過ぎるくらい完璧に決まっていた。
たとえ吸血鬼といえどもかわす、防ぐ、受けきる事は出来なかったはずだ。
出来るとすれば精々耐える事くらいだが、レミリアはそうせずに、命中する前のナイフを全て受け止めたのだ。
事前にそれが来る事が予想出来なければ、そんな事が出来るはずが――――――


「来る事が分かっていたのか?」

「ええその通り。私は貴女のナイフが何処に来るか事前に分かっていたのよ」


彼女の問いにレミリアはなんて事無いと言わんばかりにあっけらかんとそれに答える。


「私の能力、それは運命を操る程度の能力。言ったでしょう?ほんの少し先の未来なら見えるって。
 だから貴女のナイフが何処に来るかが分かったのよ。でもそれだけじゃないわ。
 私に命中するというナイフの運命を、ほんの少し弄ったのよ。そう、私が受け止めるという運命にね」


レミリアは腕を後ろで組み、自分が何をしたのかを楽しそうに話す。
自分の自慢の能力を披露してみせて、それを説明するのが余程嬉しいのだろう。


「私の能力、どんなものか分かってくれたかしら?」


楽しそうに話すレミリアとは対照的に、彼女はその表情こそ変えてなかったが、内心ではその肝を冷やしていた。
運命を操る。未来を見て、それが自分に不利なものなら自分の都合のいいように書き換える。
事前に分かっていた事ではあったがいざそれを目にすると、まさに神の如き所業ではないかと、ゾワリと戦慄していた。

だが彼女の中の冷静な部分。アサシンとしての本能と言うべきものが彼女に告げる。
目の前の存在は、倒せる敵であると。
そう判断する理由は簡単だった。レミリアはナイフを受け止めた。つまり受け止める必要があったという事だ。
銀の刃は目の前の存在に対し有効だ。それさえ分かれば十分だった。


「ああ分かった。倒す事が出来るのなら、そうするだけだ」


焦る事無く、ただ静かに構えてそう答える。
神の如き力。それがなんだというのだ。それだけでは任務を放棄する理由には成り得ない。
倒す事殺す事が出来るならそれを実行する。それが自分の任務だ。そして、任務は遂行しなければならない。


「貴女………恐ろしくはないの?この力を持つ私が恐くはないの?」

「お前が神だとしても、殺せるのなら恐ろしくはない」

「ふ、ふふふ、ふふふふ、ふははははは、ハァァァァァハッハッハッハッハッハッ!
 アーハッハッハッハッハッハッ………最高じゃないかッ!素晴らしいぞ人間ッ!お前は最高に素敵だよッ!
 さすがは私の想い人だッ!そんな素敵な事を言ってくれるだなんて………感激して狂い死にそうだッ!」


彼女の答えが気に入ったのか、大気を震わせる大音声でレミリアは叫び笑い、愉快痛快ここに極まれりといった表情で破顔する。
それを見る者は誰もがこう思うだろう。まるで最高の遊び相手を見つけた子供のようだと。


「お前に敬意を表して私の全力で戦ってやろうじゃないかッ!
 喜べアサシン。なにしろ私が本当に人間一人に本気で戦うのは今宵が初めてなのだからなッ!
 ああだからお願いッ!今夜はどこまでも私を熱くさせてッ!私と貴女で最高の夜を過ごそうじゃないのッ!」


レミリアの体がその輪郭を崩すと、次の瞬間には幾千もの蝙蝠となって散らばる。
そして彼女の周囲を完全に囲む。遠くからその光景を見るなら、無数の蝙蝠で出来た球体が空に浮かんでいるのが分かるだろう。
蝙蝠達は彼女に向かい弾幕を放つ。人一人が掻い潜る隙間は何処にも無い赤い壁が迫る。


(無ければ造ればいい)


再度時を止める。銀のナイフをズラリと構え、下に向かい投げる、放つ、撃ちまくる。
銀の壁が生まれた瞬間に時が動き出す。動く瞬間、彼女は遅れる事無く銀の壁に飛び込んでいく。
銀の壁と赤の壁がぶつかり合う。消されたのは赤の壁であった。
テラスの床一面に銀の刃が突き立ち、彼女はその中心に降り立つ。
その瞬間、彼女を捕らえる事が出来なかった赤い弾幕は爆音を上げて彼女の頭上で炸裂する。

休む事無く彼女はレミリアの分身たる蝙蝠達目掛けてナイフを放つ。
爆発の衝撃の所為か、蝙蝠達はナイフを避ける事叶わずに次々と銀の刃を受けて消滅していく。
蝙蝠達が一ヶ所に集まりだす。蝙蝠達の影は集まっていき、一人の少女の影の形へと変じていく。
そして次に現れたのは右腕から血を流しながら夜空を飛ぶレミリアの姿が現出した。


「ああ痛い、本当に痛いわ。ジクジクと焼けるように痛い」


雪のように白いレミリアの肌を、彼女自身から流れ出た血が染め上げていく。
その自身の血を舌を這わせてつつつっと舐め上げていく。
愉悦し、陶酔しきった表情を浮かべるレミリア。傷口に舌が達すると、彼女はピチャリと音を立てて舐めて吸う。
この傷が愛しかった。なにしろ彼女が初めて付けてくれた傷なのだから。
どんな想いで傷を負わせたのか百も承知だ。だがそれでも嬉しかったのだ。


(そう、それがどんな想いであれ、彼女は私を想ってこの傷を負わせた。この私の事だけを想ってッ!
 これを喜ばずにいられようかッ!?あんなに素敵な子にそこまで想ってもらえるなんて………なんて幸福なのかしらッ!)


吸血鬼の再生力によって傷は綺麗に完治する。だが嬉しくもなんともなかった。
逆にああ、もう消えてしまうのといった悲しみの方が強かった。

レミリアは地上から自分を見上げる彼女と目を合わせる。見る度に思わずにはいられなかった。なんて美しいのだろうと。
純粋な殺意の眼差しの中には何があるのだろうか?考えるまでもない。
きっと自分を彼女は殺す方法しか考えていないはずだ。それがはっきりと分かる。
そんな彼女を見ている内に、レミリアの中にある考えが生まれてくる。


(あの子が――――――欲しい)


そう思った瞬間に様々な思いが溢れ出て来る。
私の物にしたい。私の側にいてほしい。私と一緒に生きてほしい。一緒に生きて、笑ってほしい。
彼女の笑顔が見たい。彼女の優しい笑顔が見てみたい。そして、自分の為に笑ってほしい。


(ああなんて罪な子なのかしら。私をここまで恋焦がれさせるなんて………)


慈愛の眼差しを向けて、彼女に言う。


「本当………いけない人」

「痛みが嫌ならこちらへ来い。痛みを感じさせず殺してやろう」

「そういう意味ではないのだけれど………そうね、貴女がそう言うのなら」


両腕と翼を大きく広げ、叫ぶ。


「そうさせてもらうわッ!」


そう叫ぶと瞬時に翼で自身を包み込み、彼女に向かい高速で回転しながら急降下する。
迫り来るレミリアに向かいナイフを投擲するが、弾丸と化したレミリアはそれを弾いて構わず直進する。
あれがまともにぶつかれば散り散りばらばらの肉片と化す。それに気付いた時、体は既に回避の準備に取り掛かっていた。
三度目の時間停止。地面を蹴って大きく後退する。
時が動き出す。同時に今まで自分がいた場所に赤い弾丸が着弾する。轟音を上げて粉塵が舞う。
もうもうと煙が立ち込める。だがそれも束の間、爆心地から突風が吹き荒れ煙を吹き飛ばす。
晴れた煙のからはクレーターが現れ、その中心点に翼を大きく広げたレミリアが佇んでいた。
どうやら今の突風はレミリアが翼を広げただけで発生したもののようだ。


「あらあら、自分から誘っておいて逃げるだなんて………ふふふ、酷い人」

「………何故お前はそんな顔で笑う?」

「楽しいからよ。ああでも………それだけじゃないわね。
 私ね………どうもその………貴女の事、好きになっちゃった………と、思うのよね」

「………なんだと?」


一瞬何かの冗談か、あるいは罠の類かとも思ったが、どうにもそうではないようだ。
顔を赤く染めて恥じるように言うその姿からは嘘を言っている様子は感じられなかった。


「だって、貴女の事を知ってから私はずっとずぅぅぅっと、貴女を焦がれて待ってたのよ?
 それにこんなに楽しい夜にしてくれるなんて本当に嬉しかったし………気付いたらその、貴女に夢中というか………」

「理解出来ないし、する気も無い」


彼女が素っ気無く返事をした瞬間、レミリアの頭上から大量の銀のナイフが降り注ぐ。


「なぁッ!?チィッ!」


急ぎ魔力の障壁を張り防ぐレミリア。訳が分からなかった。
何故いきなり頭上からナイフが降り注ぐのか。そして何故、その未来が見えた瞬間に同じ攻撃が来たのか。それが分からなかった。
ほんの少し先の未来が見え、吸血鬼の肉体を持つ自分の力なら十分過ぎる対応が出来た筈だ。
それなのに、自分は慌てて防御した。その事にレミリアは困惑する。


「どういう、事だ?一体、何が?」


種を明かせば、それは先ほど蝙蝠達に放ったナイフだった。投擲の後、彼女はナイフを空中で停止させ、
レミリアが自分が先ほどまでいた場所に立ったその時を狙って、時を戻したのだ。
しかもただ時を戻しただけではない。時を加速させて巻き戻し速度を上げて、ナイフのその威力を更に増していたのだ。


「未来が見えるなら、対処出来ない速度で殺してやる。そして――――――」


軽くパチンと指を鳴らす。それを合図に、レミリアの周囲におびただしい数の銀のナイフがその刃先をレミリアに向けて現出する。


「対処出来ない数で、殺してやる」


その言葉を号令に、銀の軍勢は標的に向かい進撃する。
レミリアの目に、自分の運命が映った。それは全身に銀の刃が突き立った、自身の姿だった。
回避したくても、死の刃はあまりに速く回避する事が出来なかった。
防御したくても、頭上の攻撃を防いでいる為に回避する事が出来なかった。
そしてその運命を変えようとしても、どんな運命にすればいいのか、混乱した今の自分にはそれが分からなかった。
ただその光景を見て、こう呟くしかなかった。


「――――――痛そう」


言い終わった瞬間、レミリアの全身に銀の刃が突き立った。レミリアが見た運命の通りに。


「あ………ああ………ああ、あ………」


突き立ったナイフからレミリアの血が止まる事無く流れ出ていく。
朦朧とする意識の中、レミリアは自分の中の命が流れ出ていくのを感じた。
両膝を地面に着き、それでも倒れようとはせず、息苦しそうに夜空を見上げる。

そんなレミリアを見て、彼女は頭を下げて謝罪する。


「苦痛を与え殺すべからず。すまない吸血鬼、そうする事が私には出来なかった。
 怨んでくれ。それは全て私の未熟によるものなのだから。だからその苦痛、すぐに終わらせよう」


レミリアは自分に近付く彼女を、ただ黙って見つめる事しか出来なかった。
透き通った眼差しで自分を見下ろす彼女は、十六夜の月を背にして輝いて見えた。
それはまるで、十六夜に咲いた夜の高貴な花のようで、とても――――――










「――――――綺麗」

「その苦痛を癒そう。――――――眠れ、安らかに」


心臓を、一振りの刃が、深々と貫いた。










吸血鬼の急所である心臓を完璧に刃が捕らえた感触が、彼女の腕に伝わる。
流れ出ていた血は完全に止まり、クレーターは小さな血の池と化していた。


「これで、終わりか」


不思議な吸血鬼だった。こうして終わった今だからこそそう思う。
殺し合う相手である自分にどうして、この吸血鬼はあんなに楽しそうな笑顔を浮かべたのか、分からなかった。
戦いの中、笑っていた怪物達は自分も何人か見てきた。だが、レミリアはそれとは少し違っていた。
戦いを楽しんでいたのは、間違い無い。違ったのはそう、眼差しだ。
自分の大事な人を、愛しい人を見る眼差しだった。我が師や教団のみんなのそれと同じ眼差しだった。


「………もう、終わっちゃったんだ」


その想いはどうであれ、この人は自分を好いてくれた。
今では愛らしいと思えたあの笑顔をもう見る事が出来ない。自分がこの手で殺してしまったのだから。
そう思うと、罪悪感で胸がジクリと痛んだ。


「私は、貴女を忘れる事はないだろう。さようなら、レミリア・スカーレット」


そう告げて、ナイフを引き抜こうとした――――――その時だった。










「捕まえたぞ――――――人間」


赤い悪魔の腕が、彼女の右腕を捕らえた。










「なぁッ!?」


声を上げて驚いた時には、もう遅かった。


「そぉぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


レミリアは力任せに彼女の腕を握りグルンと振り回し、彼女を自身の血で出来た池の中に叩き付けた。


「ぐあ、ガァァッ!」


激痛が全身を支配した。骨が軋みを上げて、右腕は砕ける音がはっきりと聞こえた。
ごぼりと音を立てて、口から血がこぼれ出る。内臓の何処かを損傷したのだ。


「い、たかったわぁ………ほん、とうに………死にそう、よ………こんなに、痛いの………初めてよ」


レミリアは自分に突き刺さったナイフを一本一本取りながら、息苦しそうに彼女に話し掛ける。


「でも、ね。これく、らいじゃあ死なないのよ、わた、しはね。
 血筋、でね。血が全部無くな、ろうが、心臓刺されよ、うが、それだけじゃあ、死なないのよ」


丈夫過ぎる体を与えてくれた両親に、レミリアは心底感謝していた。
普通の吸血鬼なら完全に死んでいただろう。だがそうはならなかった。
この身は最強の怪物である吸血鬼の中でも、更に最強を誇るスカーレットの血が流れているのだ。
そう簡単には死ねないし、それに何より、そう簡単に死ぬ訳にはいかなかったのだ。


「貴女になら倒されてもいい。そう思ったわ。でもそれは死にたいという事じゃない。
 貴女と戦っている時、私は生きているんだと、自分の命を強く実感する事が出来たから。だからそう思ったのよ。
 結果死んだとしても、私は悔いは無かったでしょうね」


息を荒げながら、自分が流した血の中で倒れる彼女を見詰める。
最高の好敵手だった。自身の生涯の中で彼女のような存在に初めて出会った。出会う事が出来た。
それだけでも幸福な事なのに、自分は勝つ事が出来た。今の彼女は至福に満ち満ちていた。
その喜びを噛み締めつつ、大きく息を吸って冷たい夜の空気で肺を満たした。


「形勢、逆転ね。私の………勝ちだぁッ!」


立ち上がり、ふらつきながらも、レミリアは満面の笑みで勝どきを上げる。
命を掛けた初めての全力での真剣勝負に、レミリアは勝ったのだ。

そんなレミリアとは対照的に、彼女は狼狽し。


(止めを、刺し損なったッ!見誤ったッ!完全に、私の失態だッ!)


血だまりの中、彼女は我が身の未熟と油断に激怒していた。
相手が死んだと勝手に思い込み詰めを見誤った。今まで生きてきた中で最大の失態だった。
そしてその最大の失態が原因で、自分はこうして無様に倒れているのだと自身を攻めに攻めた。


「だ、が………まだ………だ………」


まだ諦める訳にはいかなかった。僅かでも、生き残れる可能性があるなら実行する。今の彼女には、それしかなかった。


「ま、だだ………まだ、終わるわけ、にはぁッ!」


彼女は叫び、時を止めようとする。だが彼女の中の時の歯車は止まる事はなかった。
全身を支配する激痛と怒りに乱れた心。その結果、能力が発動しなかったのだ。
今の彼女には、能力を発動するだけの力がもう残されていなかったのだ。
いや、そもそも戦う力なぞ、もう何処にも無かった。
右腕は骨が砕け激痛を感じるだけでピクリとも動かない。左腕も痛みで震え、ナイフを正確に投げる事は不可能に近かった。

レミリアはそうやって抗おうとする彼女を見て、なんて尊い人なのだろうと感心していた。
この状況でまだ戦おうとするその意思の強さに、感動していた。
だが状況はどう見ても自分の勝利が確定している。


「もう、いいのよ。貴女はよくやったわ。でも今の貴女ではもう………私には」

「それ、でも………私はぁッ!」


血反吐を吐き叫びながら、彼女は気力を振り絞り、起き上がろうとする。
だがその前にレミリアに腕で軽く押さえ付けられ、起き上がる事は出来なかった。


「………無理をしては駄目よ。人間は私と違って簡単に死んでしまうのだもの」


彼女の口からこぼれ出る血を、白く細い指で掬い取る。そして彼女の血で赤く濡れたその指を軽く音を立てて舐め取る。


「ちゅ………ん………んん………ん、つぁ………なんて美味しいの。こんなに澄んだ血は初めてよ」


今まで味わってきた血の中で最高の味だった。ほんの一口味わっただけで感じるこのなんとも言えない愉悦。
血の中に含まれる力も最上級のものだ。体も随分と楽になった。
うっとりとした表情で、彼女に囁く。


「もっと………欲しい」


その意味を理解した瞬間、彼女は逃げようとしたが、体が金縛りにあったかのように動かなかった。
吸血鬼の魔眼の力。その力で体が動かなくなっているのだ。
レミリアの小さな手が、そっと右頬に触れる。


「そんなに恐い顔をしないで。綺麗な顔が台無しよ?」


レミリアの顔が、段々と迫ってくる。更に月の明かりに照らされて、その顔がはっきりと見える。
恍惚とした表情で自分を見つめる紅玉の美しい眼。小さな唇は自分の血で紅を差して朱に彩られていた。
正直に言おう。私はその瞬間、目の前の少女に見惚れていた。


「大丈夫よ。痛くないから………ね?」


レミリアは彼女の耳元で優しく囁くと――――――彼女の頬に口付けをした。


「な、何をするッ!?」

「いいから………ジッとして」


そう言ってレミリアは彼女の口からこぼれ出た血を吸って、綺麗に舐め取っていく。
一頻りしてそれが終わると、レミリアは恥ずかしそうに頬を赤く染める。


「ここまでにするわね。もっと欲しいけど、それだと………その、お互いの………うん」


それ以上はもう言えないと恥ずかしそうに目を逸らす。
そんなレミリアの愛らしい仕草に、彼女は不覚にも内心ドキリとしてしまう。


「で、でも貴女がいいなら私………その、あげても、いいけど?」


何がとは聞けなかった。聞いたらもう、変な意味で後には引けないように思えた。
ドギマギする本心を悟られないように、彼女は慌てて別の事を尋ねる。


「ど、どうして首から血を吸わないんだ?その方がもっと、その………吸えたのに」

「だってそんな事したら、貴女のその綺麗な肌に傷が付いちゃうじゃないの。
 それに私、その………血を吸うのが上手じゃないのよ。よくこぼして服を汚しちゃうから、紅い悪魔だとか言われちゃうし」

「………本当に吸血鬼なの?」

「………言わないでよ」


しゅんと悲しそうな顔をするレミリアだったが、気を取り直して立ち上がる。
彼女の血を少しとはいえ吸った御蔭か、体の傷は見た限りでは治っていた。
レミリアは仰向けで倒れている彼女に向かい、一つの提案を出した。


「ねえ貴女………私の物にならない?」

「なに………?」


それを聞いて、彼女は我が耳を疑った。


「私ね、貴女の事気に入っちゃった。何度も言うけど、貴女とっても素敵なんだもの。
 貴女と一緒にいられたらどんなに素敵かしらって、戦ってる時も思ってたのよ?
 私、貴女と一緒にいたい。これからもずっと………永久に。そう、思っちゃったのよ」


レミリアのその言葉を聞いて、彼女は体を硬直させる。
それはつまり、この吸血鬼に永久に支配されてしまうという事だ。
吸血鬼を倒す者が到る末路。その一つが吸血鬼に血を吸われてその吸血鬼の僕になる事だった。

何故レミリアがそんな事を言ったのかといえば、彼女に言った事意外にも理由があった。
自分の祖父であるエイブラハムはかつて、死闘を繰り広げて勝った相手を自分の従者とした。
それが後にスカーレット最強の従者と謳われたローレンスだった。
そう、レミリアは彼女とそんな、自分が尊敬する二人。あのような関係になりたかったのだ。

だが彼女の方はそんな事は知らない。今彼女の中にあるのは焦りだった。
任務を遂行する事は勿論、逃げ切る事も不可能なこの状況。そして事態は最悪な方向へ向かおうとしている。
殺されるならいい。だが吸血鬼に支配されれば最悪の場合、自分は教団に、我が師に刃を向ける可能性があった。
自らの意思とは関係無く、自分は家族に刃を向けるかもしれない。それだけはなんとしても阻止しなければならなかった。
そう判断した彼女に残された選択肢は、もう一つしかなかった。


(自決………それしかない、か)


幸い、まだ左腕は動く。ナイフを喉に突き刺す事は可能だ。
そうしようと腕を動かそうとしたその時、恐怖で腕が振るえ、動かなくなった。
死ぬのが恐かったのだ。誰かに殺されるのではなく、自分で自分を殺すのが恐かったのだ。
どうすればこの腕が動くのか。それを思案した時、彼女の頭の中に浮かんできたものがあった。
それはあの夜見せてくれた、我が師の笑顔だった。


(ああそうだ。そうだった。あの人が覚えていてくれるなら、私は恐くない。
 だって私はあの人の………我が師の中で生き続けるのだから)


そう思った瞬間には、腕の振るえはもう止まっていた。


「我が師よ………忘れないで………」


隠し持ったナイフを握り、自らの首に突き立てようとした――――――その時だった。


「ダメェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!!」


レミリアは喉が裂けるくらいの大声で叫び、彼女に抱き付いた。
ナイフは彼女の喉には刺さらず、レミリアの背中に突き刺さった。


「ぐ、あ、ああ………!」


小さく呻き声を漏らすレミリアだったが、ナイフの痛みよりも間に合ったという安堵感の方が大きかった。


「な、何をする貴様ッ!?」


驚く彼女に向かい、レミリアはキッと睨み付けて怒鳴る。


「それはこっちの台詞よッ!貴女今死のうとしたじゃないッ!なんでそんな事するのよッ!?」

「任務が遂行出来ない今ッ!これが私に出来る事だからだッ!」

「勝手な事言わないでよッ!勝者は私よッ!私の言う事聞きなさいよッ!」

「お前にいいようにされるくらいなら死んだ方がマシだッ!」

「そんな事言うな馬鹿ッッッ!!!!」


鬼気迫る怒声で叫ぶレミリア。彼女は驚いた。その迫力にではない。そう叫ぶレミリアが――――――泣いていたからだ。


「死んじゃったら、死んじゃったらもう一緒にいられないじゃないッ!
 誰かと一緒に笑う事も泣く事も喧嘩する事も出来ないじゃないッ!出来なくなるのよッ!
 人間はね、長く生きられないのよッ!それなのにどうして自分で死のうとするのよッ!?」


泣いて、泣き喚いて、レミリアはすがるように彼女に抱き付く。
彼女はどうすればいいか分からず、ただただ唖然とする事しか出来なかった。


「お願いよぉ………死ぬなんて………言わないでよぉ………」

「私、は………お前を、殺そうとしたんだぞ?そんな相手にどうしてそんな事を?」

「死んじゃったら、私を殺す事なんて、出来ないじゃない。お願いだから生きてよぉ。
 生きていたら私を殺す事だって出来るのよ?それでもいいからぁ………一緒にいてぇ………お願い………」


自分の胸の中で泣くこの吸血鬼の少女。先ほどまで戦っていた人物と同じとは思えないくらいに、小さく、弱々しく感じた。


「なんでだ………どうしてそこまで………」


自分が死ぬ事をどうしてそこまで必死に止めようとするのか、理解出来なかった。
自分達は先ほどまで殺し合いをしていのだ。その相手にどうしてそこまでするのか、分からなかった。


「ずっと、待ってたのよ?貴女の事ずっとずっと………待って、待ち続けてたのよ?
 それなのに、やっと出会えたと思ったのに死ぬなんて、死ぬなんて言わないでよぉ」

「だから………どうして………」

「私の側に、いてほしいのよ。私と一緒に、生きて、ほしいのよぉ」


彼女の問いに、レミリアは泣きじゃくって、そうとしか答えなかった。
殺すべき相手だとは分かっている。倒すべき相手だとは分かっている。だが、今はそう思う事が出来なかった。
気付けば彼女は、レミリアの背中に刺したナイフを抜いて、それを血の中に落としていた。
そしてあろう事か、動く左腕でレミリアの頭を抱き締めていた。


(なんでだ?どうして、どうして私はこんな事を?)


彼女は自分で自分がしている事が皆目理解出来なかった。
混乱しているからこんな事をしているのか、こんな事をされたから混乱しているのか。それすらも分からなかった。

そんな二人の下に誰かが駆けつける足音が近付いてきた。
それはレミリアが彼女の自決を止めようとした叫び声を聞いて駆けつけた、美鈴の足音だった。
戦いには手出し無用と言われていたが、あんなに必死そうな声を聞いてしまったのではもう我慢出来なかった。


「お嬢様ッ!一体何………が………?」


急ぎ駆けつけた美鈴が見たものは、予想外の光景だった。そこにあった光景。
それは月光と血の中で泣いている自らの主と、その主を抱き締め、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる少女の姿であった。










――――――それが彼女達が出会った、その夜の終わりであった。




















後書きってさ、書くとホッとするよね?本当に、そう思うんだ。

という訳でそんな訳で!レミリア嬢と咲夜さん(予定)の戦いでした!
どうだったでしょうか?かっこよく負けさせてあげる事が出来たでしょうか?そこが心配です。
頭の中に思い浮かび見えた彼女達の戦いを、文章でどう再現するか。これが実に難しい。
ううむしかし、そんな光景が見えただけでも幸せなのだろうか?電波よ、アナタに感謝をッ!

こうして書いてる時って、苦しい時もあるけど、やっぱり楽しい時もあるね。
プラモデルを作ってる時の楽しみ。あんな感じじゃないかな?
逆に苦しいって思う時は………そうだなぁ、あれかなやっぱり。
私の場合、話のおおまかなストーリーってのはもう完結しているんですよね。
それを一々書いていくのがダルイナーメンドウダナーと思ってしまうんですねこれが。
下手をしたら東方SSの中で一番壮大な話になってしまうのでは、なんて図々しい事を考えていたりしてます。
………………本当に、そうしちゃおうかな。

語彙堅固乾燥、もといご意見ご感想お待ちしております。
それでは!



[24323] 第二十九話 貴女の名前は――――――
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:bbc241b3
Date: 2011/10/21 18:43





酷く、体が重たかった。頭がグラグラと揺れる。自分に何が起こったのか、分からなかった。
分かるのは自分がまだ生きているという事。それが最初に分かった事実だ。
次に分かった事は自分が今、ベッドの中で寝ているという事だ。


(………ベッドの中?)


そこまで気が付いた時、彼女は重たくなった瞼を開けた。
部屋の中は暗かった。窓が無く、火の明かりを感じる。何処かに蝋燭があるのだろう。
着ている服は自分が着ていたアサシンの武装ではなく、無地の寝巻きだった。
上体をゆっくりと起こすが、体は鉛と化したのではないかと思うくらいに重く感じた。
何故こんなにも自分の体を重く感じるのだろうかと思ったその時、彼女は思い出す。


(そうだ、私は………あの吸血鬼と戦って………)


あの吸血鬼と戦った。戦って、そして自分は後一歩というところで敗北した。
そして敗北し、自らの命を絶とうとしたその時に、自分が殺そうとした吸血鬼にそれを止められたのだ。それも自らの体を張って、だ。
自分に抱き付いて、死なないでくれと泣いて懇願されて………訳が分からなかった。
自分を殺そうとした相手であるはずなのに、あの子はそれを助けようとしたのだ。


(それからだ………それから………どうした?)


その後の記憶が無い。それから自分がどうなったのか、まるで分からなかった。
思い出そうとするが、頭が酷く痛み、思わず右手で抑える。
その時彼女は何かがおかしい事に気付く。体が重く感じるという違和感ではない。何か、そう、こうでなければおかしいという違和感。
一体それはなんなのだろうかと思って右手を見た瞬間に、その違和感の正体に彼女は気付いた。


「右腕が………なんともないッ!?」


あの吸血鬼、レミリアと戦った時に、自分の右腕は掴まれ振り回され砕けたはずだ。
なのに右腕は傷一つ無く、自分の肉体としてそこに付いていた。
体の方もそうだ。内臓を酷くやられたはずなのに、今はあの時の痛みがまるで無かった。
今あるのは軽い頭痛と重く感じる疲労だけ。あの戦いの後で体がこの状態なのはあまりにおかしいではないか。
そう思った時、レミリアのあの言葉を思い出した。


――――――ねえ貴女………私の物にならない?


「まさか………あいつッ!」


その時だった。ガチャリと、扉が開く音が聞こえた。


「あら?気が付いたみたいね」


声の方へと目を向けると、そこにいたのは眠たそうに自分を見る少女の姿があった。
一瞬誰かと思った彼女は、目の前の少女が誰だったか思い出す。
此処に来る前に写真で確認した標的の一人である魔女。確か名前は――――――


「パチュリー………ノーレッジッ!」


相手が誰か分かった瞬間。彼女はベッドから飛び出そうとしたが、全身がズキズキと酷く痛み出し思うように動かなかった。
それを見たパチュリーは軽く溜め息を吐く。


「完全に治った訳じゃないのにそんな風に動くからよ」

「私の………私の体に何をしたぁッ!?まさか、あいつが私を」

「ん?ああ、そういう事。大丈夫よ、貴方は吸血鬼になった訳じゃないから。
 その傷は私と美鈴………ああ、家の門番の事ね。あ、私の名前知ってるならそっちも知ってるか。
 とりあえず二人で治したのよ。だから貴女の予想は外れてるから、安心しなさいな」

「………本当なのか?」

「嘘吐く必要ある?」


どうでもよさそうに返事をするパチュリーを見て、それが嘘ではない事を感じ取った。


「………どうして私を治したんだ?」

「レミィに、貴女が戦った吸血鬼に頼まれたからよ。お願いだから治療してくれって、威厳もなにもかなぐり捨ててね。
 レミィと戦った貴女は気絶して、駆け付けた美鈴に運ばれて、私の所に来たのよ。放っておけば確実に死んでたわねあれ」


感謝しなさいよねと彼女は言ったが、別にそう思わなくてもいいといった風にも見えた。
だが彼女がパチュリーに言った次の言葉は、そんな彼女を驚かせる事になった。


「………………ありがとう、ございます」


その言葉を聞いた瞬間、パチュリーの眠たそうな目が大きく開かれた。


「………驚いた。まさかそんな事言われるなんて思ってもみなかったわ」

「理由はどうであれ、助けてくれた。なら言うべき事は言わなければならない。だから言った」

「ふぅん………礼儀知らずではないみたいね」

「あれから、何日過ぎた?」

「三日ね。ちなみに今は夕方の………六時頃ってとこね」


三日。そんなに寝ていた事に驚いた彼女だったが、あの重傷がそれだけの時間でここまで治った事にも驚く。
この目の前の魔女がそれだけ優秀なのか。それともあの門番が優秀なのか。あるいは、いや、きっとその両方なのだろう。
そんな風に思っていた時だった。部屋にまた別の者が入ってきた。


「パチェ、あの子の様子はどう………あ、アアアッ!?」


部屋に入って、自分を見た途端に驚いた声を上げたのは誰でもない。
彼女が戦った相手であり、その命を助けたレミリア・スカーレットその人だった。


「体は大丈夫?痛い所は無い?パチェも美鈴も一応は大丈夫だって言ってたけどやっぱりまだ痛い?
 ほ、本当にごめんなさいね?なんていうかこう、ついやり過ぎちゃって。でもそのあの!………やっぱりごめんなさい。
 あ、御腹空いてない?もう三日も寝てたもんね。もう少ししたら夕食だから一緒に、あ、でも起きたばかりだから出来ないか。
 それにご飯も別のものを用意した方がやっぱりいいのかしら?まだ治ってないし軽いものの方が………
 うん、大丈夫!美鈴に頼んで用意して貰うから」


レミリアは彼女が寝ているベッドに駆け寄ると矢継ぎ早に彼女に話し掛ける。


「あ、いや、今は別に。軽い頭痛と疲れだけで………それだけ。食欲も、今は特には」

「本当?大丈夫なの?」


彼女は戸惑いながらも頷き、それを見たレミリアはホッと溜め息を吐いた。


「よかったぁ………貴女が気絶した時、私死んじゃったかと思って………本当によかった」


彼女が起きないこの三日間ずっと続いていた緊張感が解けたのか、安堵の笑みと共に涙がこぼれる。
このまま起きないのではないか?そんな不安がずっと続いていたのだ。

そんなレミリアに対してどうすればいいのか分からず、困惑する彼女だったが、そんな時に声が掛かった。


「あの、お嬢様?そんなに一気に色々言ったら、彼女も戸惑うじゃないですか」


何時の間にか入って来たのは、この紅魔館で彼女が最初に出会った人物である門番の女性、紅 美鈴であった。


「今はもう大丈夫ですが、まだ休んでないといけませんからね」

「う、うん。ごめんなさい美鈴。それと………貴女も」


素直に謝るレミリア益々困惑する彼女だったが、そんな彼女にパチュリーが質問してきた。


「ねえ、貴女私の事見て、すぐに私の名前言ったじゃない?どうして分かったの?」

「………写真で、見た」


これ以上追求される前にと、彼女は当たり障りの無い答えを返した。


「写真?なんで私の写真なんか………あれ、写真?」

「それってもしかしてあの時の………ですかね?」

「心当たりが………あるのか?」


若干驚く彼女の問いに、美鈴は頷く。


「ええっと確か………そう、あれは確か二ヶ月位前の事でしたかね」


美鈴の説明は以下のようなものだった。
その日、紅魔館に一人の男が来た。人間の、取り立てて特徴の無い男だったそうだ。
男は個人で各地の古城や屋敷を写真に収めるの趣味だそうで、紅魔館の事も噂で聞いて来たらしかった。
怪しくはあったが、相手は唯の人間。何かしようとしても、自分達相手に何か出来るとも思えなかった。
それに主であるレミリアが退屈でしょうがなかったので、暇潰しにと招き入れたそうな。その時に三人の写真も取ったらしい。


「い、いやぁまさかあれがそんな事に使われるとは………」

「というかあれスパイだったのね。スパイってあんなのでもなれるのね。
 いやだからこそスパイになれた?………世の中ってほんと不思議ね」

「こ、この私に気取らせないなんて中々のものじゃない!今度会ったら褒めてやろうかしら!」

「お嬢様、写真写り良いですね~なんて言われて褒められてましたけどね」

「め、美鈴だって様になってるとか言われて喜んだじゃないの!顔までビシッと決めてさ」

「いやあれはあの時、これぞ門番って感じの緊迫した表情でお願いしますって言われただけで………」

「私は………本を読んでる時にいきなり撮られたっけ?」


などという事を三人が勝手に話し出す。ちなみにその時の写真は後で送られて来たらしい。
その話を聞いて彼女が思ったのは、その写真を撮った人物はとても優秀な諜報員………なのだろうかと、頭を捻らせる事だった。


――――――まあ傍目から見ればきっと実に間抜けなのだろう。


そんな空気を切り替えようと、美鈴は本題に入る事にした。


「そ、それじゃあ来たばかりですみませんが、彼女と二人で話したい事があるんです。申し訳ありませんが、お嬢様とパチュリー様は」

「出て行くわ。さあレミィ、邪魔だから行くわよ」

「でも今来たばかり「いいから行く」………はい」


もう少し様子を見たかったレミリアだったが、有無を言わさぬパチュリーに連れられて部屋から出て行った。


「それじゃあ、まずは横になって休んでください。今から気の流れを正しますから」


美鈴に言われるがまま彼女は横になる。美鈴は彼女の胸の中心に手を置き、自らの気を彼女に流し込む。
美鈴の気を流し込まれた瞬間、彼女は今まで感じていた頭痛や疲労が嘘のように軽くなったのを感じた。


「どうですか?少しは楽になったでしょう?」

「………………ああ。だが、どうして助けたんだ?」

「お嬢様が、それを望まれましたから」


彼女の問いに、美鈴は静かに微笑んで答えた。


「そしてお嬢様が望まれたから、私は貴女とお嬢様を会わせる事にしたんです」

「やはり、気付いていたか」

「気付いたのは貴女が屋敷の中に入った瞬間でしたけどね。追おうと思えば追い着きました」


だろうなと、彼女は心の中でそう思った。


「紅 美鈴………どうしてお前の主人は私を生かそうとしたんだ?」

「お嬢様の口から聞いたのでは?」

「それでも分からないから、聞いている」

「私にも、よく分からないんです。分かるのはお嬢様が貴女と出会う事を本当に、楽しみにしていたという事だけですね」


彼女が来る事をレミリアから知らされた美鈴は、正直に言えば彼女と会わせる事は反対だった。
守るべき主人に害を成す存在を見捨てておく訳にはいかない。
レミリアもそれは十分承知していた。だがそれでもなお会いたいと懇願してきたのだ。
自分はどうしても会わなければならないのだと、美鈴に願ったのだ。


「そして出会って、貴女と戦った。言ってましたよ。あんなにも心を躍らせたのは生まれて初めてだって。
 それと、これも言っておかなければならないんですが」

「なんだ?」

「貴女の治療は私とパチュリー様でやりましたが、貴女が寝ている時の介護はお嬢様がやりました」


正確に言えば美鈴と一緒にやったのだが、彼女はあえてそこは伏せておく事にした。
それはその方がいいだろうという彼女の判断だった。嘘は言っていない。そこは、そう、言い忘れた事にしておこう。
美鈴はそう考えた。


「私は敵なのに………変な奴だ」

「血筋なんでしょうかねぇ………まあそこがお嬢様の良い所でもあるんですがね」

「………ふん」

「一つ、聞いておきたい事があります」

「何が聞きたい?言っておくが誰が任務を依頼したか、何処の者なのかなど言われても私は」

「まだ、私達を狙いますか?」


今まで優しかった美鈴の眼差しがスッと細められ、重々しい威圧を放つ。
それを感じた彼女は知らずに喉を鳴らす。これだけで目の前の者が只者ではない事を嫌でも悟ってしまう。
それでも彼女はその威圧に屈する事無く、睨み言い返す。


「止めると思うか?」

「思いません。だから言っておきます。………もしまた私の家族に牙を向けると言うのなら、その時は覚悟をしておけ。
 この手で――――――殺してやる」


そう言ってゾッとするような殺気を視線に乗せて飛ばす美鈴。
恐かった。それが彼女の正直な気持ちだった。だがそれ以上に恐ろしい殺気を彼女は知っている。
だからだろうか。彼女の心は冷静で、その視線の中に殺気以外のものを感じる事が出来た。


「貴女は………優しいな」

「………え?」

「それは貴女の主を思っての殺気だ。それが、よく分かる」


あの主は愛されている。そうでなければこの門番はここまで怒りを表す事はないだろう。
彼女はレミリアを愛している。それが痛いほどに、彼女には分かった。

一方、思いがけない言葉を投げ掛けられた美鈴は呆気に取られてしまった。
恐がるでもなく強がるでもなく、澄んだ目で彼女は自分を見ている。
表情も言葉も柔らかく、これが彼女本来の顔なのだと美鈴は悟った。
そしてハッとある事を思い出すと、自らの懐に手を入れる。


「………武装の類は返せませんが、これを」


そう言って美鈴に渡されたのは、彼女が肌身離さず常に持ち歩いていた懐中時計であった。
そう、それは彼女の師から託された、あの懐中時計であった。


「………ありがとう」

「やはり大事な物のようですね。大切にされているみたいだったので、そうじゃないかと思ったんです。
 何か所縁のある品なんですか?」

「私の、大事な人から貰った………贈り物だから………」


渡された懐中時計をもう無くすまいと、手で握り締め胸に自らの胸に押し当てる。
カチリカチリと、何時もと変わらない歯車の音が胸に響く。それで安心したのか、彼女は小さな笑みを浮かべた。
きっと彼女自身も知らないうちに、不安になっていたのだろう。目が覚めればそこは自分が進入した屋敷なのだから当然だ。
それでも、それでも彼女はこうして、ほんの少しだけれども笑っている。


(それだけ大事な物………なんだろうな。それにしても………)


優しい笑顔だと、美鈴は思った。レミリアから聞かされていた彼女の印象とはまるで違う。
純粋で冷たい銀の刃。それがレミリアの評価だった。だが今自分が見ているのはレミリアから聞かされていたのとは違う顔。
誰かを想い優しくなれる少女。目の前にあるのはそんな、少女の笑顔だった。

それが出会ったばかりの美鈴が見た、彼女の笑顔だった。美鈴はこの紅魔館の者の中で、最初に彼女の笑顔を見たのだ。
だが、他の者達がその笑顔を見るのはもっと先の、数年後の事になる。何故なら、彼女はそれ以来、笑わなくなってしまったからだ。











彼女が起きてから更に三日が過ぎた。美鈴とパチュリーの治療の御蔭で、彼女は完全に回復していた。
結局、レミリアと彼女の間で会話らしい会話は無かった。
レミリアも何度か会いはしたのだが、彼女から送られる冷たい視線に耐え切れずにすごすごと帰って行った。

そんな事が続いた三日間だったが、それも今日で終わる。
彼女は元着ていた服装に着替えて、美鈴とパチュリー、そしてレミリアの前にいた。


「体の方、もう大丈夫そうですね」

「つまりまた戦うって事?それじゃあ治した意味が無いじゃない」

「それは………この人次第ですね」


二人の目の前で、彼女とレミリアが対峙していた。だが戦いの雰囲気は無かった。
レミリアは上目遣いで不安そうに彼女を見て、彼女はどうしていいのか分からないと言った表情でその視線を受ける。
最初に出会った時の空気は欠片も存在していなかった。
気まずい空気が流れる中、最初に切り出したのはレミリアだった。


「………………ねぇ?」

「………なんだ?」

「じゃあやっぱり、また戦うの?」

「戦っても、私はお前を殺す事は出来ない。そもそも暗殺者は戦わない。相手に気取られず殺す事が第一だ。
 だがこの状況ではもう………………」

「な、なら諦める!?だったら私の所で」

「お前の部下になれと?冗談にしては過ぎないか?」

「それじゃあ………帰るの?」

「それは………」


レミリアの問いに、彼女は答えられなかった。この屋敷から出て行くのは可能だろう。
出会って一週間程だが、この紅魔館の人達は根は善人だと分かる。無理に引き止めるような事はしないだろう。
だが、それだけだった。今の自分に帰る場所は、もう無いのだ。もう組織は、あの場所は、自分の帰る所ではなくなっていた。
レミリアとの戦いで、アサシンとしての自分は死んだ。少なくとも、自分はそう思う。
殺すべき相手に助けられ、こうして自分は生きている。死ぬべき時を奪われて、こうして生きている。
そんな自分が帰ったとしたら、みんなはどう思うだろうか?


(………みんな裏切り者って、言うのかな?)


それを想像した瞬間、今まで感じた事も無い恐怖が生まれた。優しかったみんなから裏切り者としての視線を浴びる。
憧れて慕った優しい兄達と姉。そして忠誠を誓った――――――我が師。
自分が家族と思っていたそんな人達から受ける憎悪の視線を想像しただけで、恐怖でどうにかなってしまいそうだった。


(もうあそこには帰れない。帰る訳にはいかない。じゃあ………どうすればいいの?)


此処から出て行き、この者達の感知出来ない場所でこの命を絶つか?そうも考えたが、もう遅いようにも感じた。
自分が死ぬべきだった時は、レミリアと戦い、敗れ、自決しようとしたあの瞬間をおいて他に無かった。
あの時死ねれば、自分はアサシンとして死ぬ事が出来た。だが今死んだとして、何になる?何の意味がある?
今の自分はもうアサシンではない。今の自分はもう、我が師が誇ってくれるような存在では、なかった。


「帰れない………もう私には………あそこへ帰る資格なんて………」


今まで三人が聞いた事も無い悲しそうな声で、彼女はそう答えた。
何故彼女がそこまで悲しそうにしているのか、三人には分からなかった。
分かったのは、放っておけば彼女は泣いてしまいそうだと言う事、だけだった。


「帰る場所………無いの?」

「お前の所為で………もう私は、帰れなくなった。………帰れなく、なっちゃった」

「………じゃあ、私を殺せば、貴女は帰れるの?」

「どういう、意味だ?」

「貴女、此処にいなさい。私の従者としてね。もちろん唯で働かせる気は無いわ。
 報酬はそうね………私の命を狙う事を許すわ。私に隙があったら殺してみなさい。それでどうかしら?」


レミリアのその言葉に、誰もが耳を疑った。美鈴もパチュリーも、そして………彼女も。


「お嬢様ッ!?どうしてそんな事をッ!?」

「レミィ、貴女正気なのッ!?唯でさえ今回の件は私は反対だったのに」

「それくらいしないと、この子は此処には残らないわよ。それで、貴女はどうするの?」


レミリアは返答を求めたが、彼女は最初、それにどう答えればいいのか分からなかった。
分からなかったが、それでも段々と考えが纏まってくる。
このままでは自分は組織に戻れない。だがこの吸血鬼を殺し、その証を持って行く事が出来たのなら――――――


(私は………帰る事が出来るッ!みんなの、我が師の下へ帰る事がッ!)


それが出来れば自分は元に戻る。元のアサシンに、死んでしまった元に自分に戻る事が出来るのだ。


「その言葉………偽りは無いだろうな?」

「ある訳無いわ」

「お嬢様、どうしてそこまでして………彼女を」

「美鈴、私は考え無しにそんな事は言わないわよ。これはそう、一種の勝負なのよ」

「勝負、ですか?」


レミリアは頷き、愉快そうに続きを話す。


「この子が私を殺せば、この子の勝ち。だけどこの子が本当に私の従者となってくれるのなら、その時は私の勝ち。
 これはね、そういう勝負なのよ」

「………あまりにも、分が悪くはないですか?」

「賭け金は私の命。勝率はほぼ0に近い。だけどね、勝った時に手に入るものを考えれば小さな事よ。
 私はね………それくらい彼女が欲しいのよ」

「しかし………」

「美鈴、お父様の口癖忘れた?「どんな確率も100には出来ないし0にも出来ない。厄介だが、だからこそ楽しい」
 そう言ってたじゃない。どんなに小さい可能性でも、私はそれが見たいのよ」


そう言ってレミリアは彼女の前に立つ。今度は自信を持って、堂々と。


「そういう訳よ。どう?この勝負乗らない?」

「いいだろう。お前は私が殺してやる。必ず………絶対に」

「なら、契約成立ね。でもそうなると………名前が無いのは不便ね。だから、貴女に名前をあげるわ」

「私に、名前………だと?」


レミリアにそう言われて、彼女はきょとんと驚く。
今まで名前が無いのが普通だったし、今はそれを誇りとしている。だから名前を与えられるというのは奇妙な気持ちだった。


「実はね、ずっとそれを考えていたの。それで思いついたのよ。貴女にピッタリの、素敵な名前がね」


胸を張って自慢するレミリアだったが、美鈴とパチュリーはとんでもなく嫌な予感しかしなかった。
レミリアのネーミングセンスは実に壊滅的だ。それを二人は知っているのだ。


(………なんて名前になっちゃうのかしらあの子。不憫過ぎて私、見ていられないわ)

(お嬢様のセンスはなんというか、独創的だからなぁ………父親に似て。あまりにアレだったら私がなんとかしないと)


なんて失礼な事を考えている二人を他所に、レミリアは話を続ける。


「貴女に名前をあげるわ。このレミリア・スカーレットの従者としての名前。貴女の名前は――――――」


そしてその時――――――時が進んだ。










「貴女の名前は――――――十六夜 咲夜。それが貴女の名前よ――――――咲夜」










レミリアは優しく笑って、彼女にその名前を与えた。
十六夜 咲夜。それはあの十六夜の月の下で戦った時に思い浮かんだ言葉だった。
彼女にはその名前こそが相応しい。この名前はまさに彼女の為に生まれたような言葉だと、レミリアはその名前を閃いた時に思ったものだ。


「どうかしら?響きも中々のものでしょう?」

「………ねえ美鈴、これって奇跡かしら?レミィが良い名前思いついたんだけど?」

「どんな確立も、本当に0じゃないんですね」

「………ちょっと二人とも、随分と失礼じゃないそれ?」


レミリア達三人が話している中、十六夜 咲夜という名前を与えられた彼女は、内心戸惑っていた。
十六夜 咲夜。それがこれから自分の名前となる。それはこの吸血鬼の少女に仕える従者の名前だった。だが――――――


(嫌じゃ、ない。あまり違和感が、無い。………どうして?)


自分にとってはそれは忌むべき名前でしかないはずだ。屈辱でしかないはずだ。
なのに、そういう感情は、あまり出てくる事は無かった。
元々自分は、そういう憎んだりするという感情には乏しい方ではあった。
だがそれでも、その感情がほとんど無いというのは自分でも驚くべき事だった。


(何を考えているんだ私は………どうして………)

「それで、どうかしら?」


レミリアに問われてハッとした彼女は答える。


「………いいだろう、その名前で呼ばれてやる。そしてその名前で呼ばれる度に思い出してやる。
 お前を殺し、その名を捨て、本当の私に戻る事をな」


そうだ、これでいい。これでいいのだ。自分は思い出す。十六夜 咲夜と呼ばれる度にその事を思い出してやる。
今の自分は無名のアサシンではない。そうであると誇る自分は今はいない。
だが必ず、必ず元の自分を取り返してみせる。取り返し、必ずみんなの下に帰るのだと、心に誓った。


「それじゃあこれから長い間よろしくね――――――咲夜」

「ああそうだ………いえ、そうですね――――――お嬢様」










――――――こうして彼女は十六夜 咲夜の名を与えられた。

――――――だが彼女が本当に十六夜 咲夜となるのは、更に先の事となる。




















後書き見れば、心が渇く。退屈はもう飽きたのさ。

もう随分経ったなぁ………長かった。実に長かった。
正直な話、彼女をどうやって十六夜 咲夜にしようか悩みました。ちゃんとした理由。納得出来そうなものを受信するのは大変だった。
そこで彼女にとって十六夜 咲夜という名前は臥薪嘗胆のようなものにしようと、そういう事になりました。
そこら辺に悩んで、それで長くなってしまいました。
別にTV版OVA版ボトムズ全話見て遅れたとか、そんな理由ではないからね!
ゲームのベルゼルガ物語は面白かったよなぁ………スコープ・ドッグとライジング・トータスをよく使ったもんじゃな。
それでは!



[24323] 第三十話 夢だけど、夢じゃない
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:bbc241b3
Date: 2011/10/21 18:44





彼女が名前を十六夜 咲夜としてこの紅魔館に来て過ごすようになってから、大体半年程の時間が過ぎた。
彼女の仕事は紅魔館のメイド長として紅魔館の雑事をこなすと、いうものであった。
レミリアのお気に入りであったとはいえ、いきなりメイド長になれた理由はもちろんある。

まず第一に、彼女が非常に優秀であった事。
自分のすべき仕事がどんなものか簡単に教えられただけで、彼女は大抵の事は要領良くこなす事が出来た。
もっともやる事と言えば家事等の雑事であり、教団でやっていた事と大して違いは無かったから、
彼女にとっては大変でもなんでもなく、勝手が少し変わったくらいの感じしかしなかった。
しかし紅魔館の者達からしてみれば彼女の仕事は正に完全完璧と言えるものだった。
掃除をさせれば塵一つ残らず綺麗に無くなり、料理をさせればプロも裸足で逃げ出す程の一品を作り上げる。
そしてそれを行う動作の一つ一つに無駄というものが無く洗練されており、気品と優雅さを感じずにはいられなかった。
半ば無理やりな形で紅魔館に住む事になったのに何故そこまで真面目に働くのか、レミリアは気になり尋ねた。
彼女から返ってきたのはこんな答えだった。


「与えられた仕事も真面目に出来ない不真面目な人間なのかと思われたくなかった」


それだけだった。
彼女はそんな不真面目な人間と判断され碌な教育を受けてないと思われるのが嫌だったのだ。
自分がそう思われるという事は育てた者が碌な人間ではないと判断される事。彼女はそう思われるのが我慢出来なかったのだ。
そんな教団の顔を、我が師の顔に泥を塗るような事をするのが嫌だった。それだけだったのだ。
もっともレミリア達にそれが分かるはずもなく、彼女は実に真面目な者だと感心されるだけだった。

そして第二に、これがある意味では一番の理由なのだが、メイドが他にいなかった事だ。
以前には従者の数もそれなり以上の人数がいたのだが、ヴァンパイアハンター襲撃の時に主だった配下の者達はそのほとんどが討たれ、
非難させて難を逃れた生き残った非戦闘員の者達には暇乞いをさせて出て行かせた。
これは執事長であったローレンスの判断であり、次に戦いが起これば彼等を守る事が難しいとの考えによるものだった。
彼女の働きに助かったのは美鈴と小悪魔であった。
それまでの雑事は主に彼女達二人が分担してこなしていた為、優秀な人材が来てくれたのは非常に助かっていた。
何をさせても完璧にこなし想像を絶する速さで仕事を終わらせたのだ。
御蔭で二人もそれぞれの本来の仕事の時間も増えたし自分の時間も増えた。
そんな優秀な人材を手に入れたレミリアは喜びその事で彼女を褒めたのだが、


「この程度の事で褒めてもらわなくとも結構」


と、冷たい返事を返しただけであった。

彼女が名前を十六夜 咲夜としてこの紅魔館に来て過ごすようになってから、大体半年程の時間が過ぎた。
当たり前かもしれないが、レミリアと彼女の関係が良くなる事は決して無かった。
だがしかし、それ以上関係が悪くなるという事も、決して無かったのである。










レミリアは今その事で親友でもあるパチュリー・ノーレッジと自室で御茶を嗜みつつ話をしていた。
その会話の内容はと言えば、何の事も無い。レミリアの愚痴にパチュリーが付き合うというものであった。


「はぁ………あれからもう半年。進展が何も無いってのは思った以上にきついわ」

「もう半年じゃなくて、まだ半年じゃないの?それくらいの時間しか経ってないじゃない」

「私にとってはもう半年なの。こんなに時間を長く感じるなんて、初めてかもしれないわ………」


彼女が本当の意味で自分の従者になるのに時間が掛かるであろう事は分かっていた。
だがそれがこうも上手くいかないとは思いもしなかった。甘かったと、今では思うしかなかった。
早くあの子を自分のモノにしたい。早くあの子の笑顔が見たい。早くあの子が自分達の事を家族だと思えるようになってほしい。
早く早くと焦って、焦がれてしまう。自分のすぐ近くにあるのに自分のモノにならない事が実にもどかしかった。


「あの子の事を知って楽しみにして待っていた時も長く感じたけど………こっちの方が長く感じるわ。
 お爺様やお父様だったらもう少しこう………」

「上手くやったでしょうね。カリスマが足りないのね」

「うー………意地悪ぅ………」

「でもしょうがないわよ。先代と比べればまだ未熟なのはしょうがないし、
 大旦那様はほら、何と言うか、カリスマの種類が丸っきり違うし。あれは山賊とか海賊だかの親分みたいなものだし」

「親分みたいなもの、じゃないわよ。………親分だったのよ」

「とにかく、あの二人みたいにとか考えても無駄だろうからそういうのは諦めなさい。レミィ、貴女は貴女なんだから」


そうパチュリーは言うが、レミリアはどうしても気持ちが焦ってしまう。
何しろ自分の従者を自分で見つけて決めるというのは初めての事だったのだ。
しかも見つけたのは自分の予想を遥かに上回る程の最高の人間であった。
これを逃せばもう出会えないという思いもあり、更に気持ちは焦るのだ。


「まあ貴女の気持ちも分からなくはないわ。あの子、思った以上に良い子だものね。
 私もあの子が早く打ち解けてくれればとは思っているんだけどね………」


パチュリーがそう思うのは、少し前にあった出来事からの事であった。
図書館の蔵書量が増えてきて本の置き場所に困り悩んでいた時の事だった。
何か良い案はないものかと思案していた時、ふと気が着くと目の前にあった本が無くなり、代わりに咲夜が目の前にいたのだ。
本はどうしたのかと尋ねたパチュリーに対し、彼女は事も無げに「本棚の空間を広げて整理した」と答えたのだ。
確認してみると確かに本棚にはある程度のスペースが生まれて、置いてあった本はジャンル別に分別されていた。
これにはパチュリーも驚いた。空間の広げたというその事実にも驚いたのだが、それ以上に驚く事があった。
パチュリーがどういう基準で本を分別し、整理し、本を置くのかを完全に把握した上での仕事を彼女は行ったのだ。
何故そんな事が出来たのかを尋ねれば「何度か整理を手伝ったし、どういう種類の物がどう置かれているか軽く見たから」と、
素っ気無く答えただけであった。


「素人じゃ分からないような魔導書もあったのに、あの子少し手伝って軽く見ただけで出来たって言ったのよ?
 あれにはさすがに驚いたわ。それって魔術の知識がそれなり以上に無いと出来ない事だもの。
 魔法使いの素養は十分あるわね。私の賢者の石もある程度理解していたみたいだし………錬金術とか合ってたりして」


パチュリーのこの考えは正しかった。そう、彼女には魔術の心得があり、そして才能もあったのだ。
教団が狙う者の中には魔術師もいた。その対処法の為に、彼女は魔術を学んでいたのだ。
暗殺教団は魔術等の知識にも数多く精通していた。それは前述のように魔術師に対抗する為という理由もあったが、
暗殺教団の最初の指導者でもあるハサン・サッバーフ自身が数多くの分野の知識に精通した知識人でもあったという理由もある。
暗殺の技術だけでなくそういった知識もまた、代々受け継がれていったのだ。

そして錬金術云々の考察も正鵠を射ていた。
教団で使う装備の数々の中には幻想の怪物に対抗する為に銀を使用する物が多かった。
端的に言えば、装備の費用が尋常でない額になるのだ。
その為に錬金術を用いて銀を確保する必要が生まれた為に、それら錬金術の業も存在したのだ。
魔術に関して言えば、彼女の教団は下手な魔術結社よりも多くの魔術の奥義を習得していた。
その為に彼女が魔術の知識に明るくなるのも当然の事だったのかもしれない。

余談になるが、教団が此処まで魔術に通じているのはただその知識を受け継ぎ学んでいただけではなく、
ある一人の高名な魔術師の協力もあったからでもある。


「パチェがそこまで言うんならそうかもね。まあ私は錬金術師のあの子なんて想像出来ないけど」


はぁと軽い溜め息を吐き御茶を飲むレミリア。
何処か寂しそうな表情を浮かべる彼女にパチュリーは尋ねる。


「やっぱり、態度は冷たいままなのね?」

「そうなのよ………私に対してだけね」


そう、レミリアが落ち込む理由の一番の原因はそこにあった。
この紅魔館の者の中で、レミリアにだけ彼女は冷たい、棘のある態度で接していたのだ。
彼女はレミリア以外の他の者には、親しくとはいかないまでも棘のある態度で接する事は無かった。


「この前も私が本を読んでいて、何か飲みたいなと思ったら紅茶を持ってきてくれたのよね。しかも茶菓子のクッキー付きで」

「………私なんか言わなきゃ持ってきてくれないのに。茶菓子のクッキー?何それ?そんなもの一度も出た事無いわよ」

「美味しかったわよ。あの子が作ってくれたクッキー」


それを聞かされて、レミリアは更に落ち込む。
他の者も同じような態度になるならレミリアもそこまで落ち込まないが、自分だけとなると結構きついものがある。
強いて言うなら美鈴に時々妙な目線で睨む事があるが、それも本当に時々である。
それにここ半年ずっと咲夜に命を狙われているのも、落ち込む理由の一つであった。
この半年で狙われた回数は六十を超えている。
それも三日に一度のペースという訳ではなく、一日に三回狙われた事もあれば十日経って気が緩んだ所を狙われた事もあった。
その中には本当に危なく、危機一髪で殺されそうになった事も何度かあった。
レミリアには当初、それもスリルがあって面白いと思っていた。
実際に楽しかったし面白くもあったが、此処最近は生活のリズムが崩れて疲れも堪っている。


(何時でも命狙っていいなんて言ったけど………色々ときついなぁ………)


それに気になる事もあった。咲夜が自分を殺そうとした時に感じる殺気に違和感を感じるようになったのだ。
出会った時のような、冷たい銀の刃のようなあの殺気を感じなくなったのだ。
もしかしたら自分と関わった所為なのか?自分の所為でこのままあの子を駄目にしてしまうのでは?
そんな気苦労の連続が更にレミリアを落ち込ませるのだ。
目に見えてうな垂れる親友の姿を見たパチュリーは話題を変えた方が良いと判断し、別の話をする事にした。


「そういえばレミィ、幻想郷の件はどうするの?」

「………勿論攻め入るわよ。当然じゃない」


気を取り直したレミリアは背筋を正してさも当たり前の様に言った。
襲撃があってしばらくして、妖怪の賢者である八雲 紫が尋ねて来た事があった。そう、幻想郷への勧誘である。
その時の申し出は“丁重に”断った。だが、それはただの強がりでしかない事はレミリア自身が分かっていた。
父と多くの臣下の者達が討たれた今、自分達の居場所はもうこの世界には無かった。少なくとも、レミリアはそう感じた。
だからこそレミリア達は自分達幻想の住むべき世界。幻想郷に行く事を決めたのだ。
しかしそれではまるで自分がその世界に逃げ込むみたいではないか。幻想郷に行く事を当初迷っていたのはこの事が大きかった。
それはレミリアの、吸血鬼としてのプライドが許さなかったからだ。
だが逃げ込むのではなく攻め入るのなら話は別だ。幻想郷に攻め入りこの手で支配し、そしてスカーレットを再興する。
それがレミリアがスカーレットの当主になって初めて抱いた野望であった。


「でもさすがにこのまま攻め入るって訳じゃないでしょう?咲夜はあれだし。そもそも今は戦力そのものが少ないのだし」

「………あちらで戦力を集める。でもその前に、こちらでもそれなりの戦力を集めないと」


幻想郷では今、人間を簡単に襲う事が出来なくなっている現状に不満を持つ妖怪達が増えている。
その連中を焚き付ければ幻想郷を手中にする事も決して不可能ではない。
だがそれにはまず、自分達がそれが出来るだけの力を持っている事をその連中に知らしめなければいけない。
自分達に味方をすれば勝てる。そう思わせるだけの戦力が無ければ話にならないのだ。
それが無ければ味方にもならないし、そもそも戦争をする事自体信じてはもらえないだろう。
自分がやろうとしているのは戦争だ。そして、戦争はただカリスマがあれば勝てるほど甘くもない。
だからこそ事前にある程度の戦力が必要になってくるのだ。


「ただ数を増やすなら魔界から悪魔とかを呼べばそれなりに数は揃うけど………それだけじゃあ駄目ね。
 私達と同程度の力を持った奴も、必要になってくる。あそこにはお爺様達と同じだけの力を持った者も当然いるのだしね」


吸血鬼は最強である。そう信じているし、それだけの力もあると自負し誇りにしている。
だが幻想郷にはそれに匹敵するだけの力を持った存在がいる事も知っている。
いくら自分が強くてもそういう存在が集まり自分に挑めば勝つ事は………まず、難しいだろう。
だからこそ必要なのだ。数で揃えただけの兵隊ではなく、一騎当千の実力者が。
そして出来るなら兵隊達を上手く纏めて運用出来るだけの力を持った存在が。


「でも今の御時世でそれだけの力を持っている存在なんてそうそういないわよ?」


パチュリーの言う通りである。今の時代にそれだけの力を持った存在は少なくなった。
だが………伝手が全く無い訳でもなかった。レミリアは若干苦い表情をしてそれを教えた。


「………どうやって揃えてるか知らないけど、それだけの戦力を持ってる奴がいるわ。
 十分な金を揃えればそれに見合った戦力を提供してくれる傭兵みたいな奴らしいけど」

「よく知ってたわねそんなの」

「まあ………お爺様やお父様が残してくれた情報網の御蔭なんだけどね。
 金額に見合った仕事をするのが信条らしいわ。こちらが裏切らない限りは、ね」


本当にそいつ等が信用出来るかは分からない。
金額に見合った仕事をするとは言ったが、それは言うなればそれ以上の事はしないという事だ。
そういう者達はいざという時に役に立つとも思えたない。レミリアが表情を曇らせたのもその為だ。
一世一代の大博打で危険の大きい賭けになってしまうが、他に手段が無い今、そういう者達の力を借りなければならなかったのだ。


「取りあえず資金は十分過ぎる程にあるから、その点は大丈夫ね。
 持って行けない土地やら、持って行っても意味の無い財産は古い付き合いの商会の方で処分して貰ったし。
 そもそもお爺様やお父様が集めた財宝やらがまだ館にゴロゴロしているし………」

「………まあ、それもそうね」


それに同意するパチュリーは紅魔館の地下に納められているあの光景を思い出す。
レミリアの祖父と父が生涯集めに集めた金銀財宝の山、山、山。
それらの品々は歴史的価値も芸術的価値もあり、中には魔術的価値のある代物も多数あった。魔導書もその一つだ。
一度、何でそんなに集めたのかと尋ねたら「冒険して財宝集めるのは男の浪漫だから」と胸を張って答えられてしまった。
要は集めるのが楽しくてやり過ぎてしまったと、そういう事である。


「はっきり言うけどレミィ………あの二人馬鹿よね。というか馬鹿よ」

「で、でもその御蔭でお金に困る事は無いんだからいいじゃない?」

「土地やら何やらの財産を金やらに換えて………今の財産なら国とか余裕で買えるわよ?」

「………………まあ、それくらいはあるでしょうね」

「でも向こうに行くとしたも………そうね。やっぱり咲夜が私達と一緒になってからね」

「うう………何年掛かる事やら」

「ねぇレミィ、一つ聞いてもいいかしら?」

「うー………なによぉう?」

「そろそろ半年にもなるし………あの子とフラン、会わせたらどうかしら?」

「それは………」


パチュリーの言葉に言葉を詰まらせるレミリア。
フランドール・スカーレット。自分の愛する妹でもある彼女と咲夜を会わせる事に、レミリアは躊躇していた。
彼女が紅魔館に来てから半年。実を言えば彼女達はお互い会う事も無ければ、お互いの存在も知らされていなかったのだ。
これは何故かと言えば、紅魔館に彼女が来た当初にレミリアが二人を会わせるのは危険と判断した為だ。
咲夜はレミリア、パチュリー、美鈴の三人の顔と名前を知っていたが、フランドールだけは知らなかった。
これはフランの存在が長年秘匿されていた為であったが、レミリアはこれは幸いとフランの事を教える事はしなかった。
紅魔館に来たばかりの咲夜が自分以外の他の者を狙う可能性もあった。だから教えなかった。と、いうのが理由の一つ。

もう一つはフランが咲夜を殺してしまうという可能性を恐れての事だった。
フランはよく、狂う事がある。元々は少しばかり情緒不安定という位だったが、
過去に自分の祖父を手に掛けた事。そして目の前で父親を殺された事で、それが更に酷くなったのだ。
もし運が悪ければ、咲夜は自分の妹であるフランに殺される可能性が高かった。


「たぶん咲夜はあの子を殺す事はしないと思うわ。それにフランだって最近は落ち着いてるし、良い機会だと思うのよ。
 私達と長く付き合うなら、いずれ会う事になるのだし」

「そうかもしれないけど………」

「大丈夫よ。会う時はみんなで一緒に会いましょう。そうすればいざって時にも対処出来るし、ね?」

「………分かったわ。とりあえずまず、フランに話をしてみるわ。まあ会わせるのはもう少し先になるかもだけど。
 でも、うん、パチェの言う通りよね。みんな一緒なら大丈夫………よね」


軽く息を吐いて胸を撫で下ろすレミリアは、少し温くなった紅茶を一口飲む。
あの子の美味しい紅茶が早く飲みたいと、そう思いながら。












一方その頃。咲夜と美鈴は庭園の手入れが終わりベンチに腰掛け一休みをしていた。
青く澄んで晴れた空の下での休憩はそれだけで気分が良くなりそうなものだったが、
美鈴と咲夜の間にあるどこか気まずい空気の所為で、あまり効果が無かった。


「あー………ありがとうございます。咲夜さんの御蔭で庭園の仕事が早く終わりました」

「別に構わない。仕事があったからした。それだけだ。だから礼なんて」

「手伝ってもらったら御礼を言う。これは大事な事です。ね、そうでしょう?
 だから――――――ありがとうございます」


ニコリと笑ってそう答える美鈴に、彼女はばつが悪そうにして目を逸らす。
美鈴の言う事は実に正しい。何かをしてもらったら礼を言う。我が師からもそう教わってきた。
しかしどうにも素っ気無い態度を取ってしまうのだ。
お互いの関係が関係だから仕方が無いのだが、相手が礼に礼で返さないのは無礼だ。


「………どういたしまして」


気まずそうに小さく、彼女は美鈴に返事をした。
美鈴はそれがなんだか嬉しくて、また笑う。


「咲夜さんって本当、礼儀正しいですよね。
 若いのにとても落ち着いてるし。見た目もですが、お嬢様達よりも年長のようにも見えますし」

「………私まだ十五位なんだけど」


姿は若いとはいえ、百歳そこそこの魔法使いに五百近い吸血鬼よりも年長に見えると言われればさすがに悲しいものを感じる。
美鈴も彼女の言葉を聞いてそれに気付いて、これはしまったと慌てて弁明する。


「す、すみません!そういう意味じゃなくてその、あ、あれです!
 私こう見えてかれこれ長く生きてまして、それで昔は礼節を重んじる人が多くてですね、
 それでまあよく今の人達と比べたりとかもあるんですが咲夜さんは本当にそこら辺がしっかりしててですね、
 ああ、昔は咲夜さんみたいに礼儀を大事にする人が多かったなぁって懐かしんだりしてただけなんです本当です!
 つまりその、昔気質な人間と言いますか――――――」

(褒められてるんだかそうでないんだか分からないんだけど………つまり古いって事なのかな?)


自分はただ我が師の教えを守って………いや、守ろうとしているだけなのに。
確かに我が師はみんなから昔気質な人ですねと言われてはいたし、お前は長と性格が似ていると言われもした。
しかし、少なくとも数百年は生きてるだろう人物にまでこう言われては、まるで自分達も妖怪みたいではないか。
自分も我が師も歴とした人間だというのに、あんまりである。


「………もういい」

「も、もういいですかッ!?ありがとうございますッ!ううー………すみません、変な事言って。
 悪気があった訳では無かったんですが………」

「なお悪い」

「ですよねー………はぁ」


落ち込んでちゃ駄目だと、美鈴は空を見上げる。
そこには雲一つ無い青空があるだけで、時間の流れを感じさせなかった。
時間が止まったと錯覚する位に、静かな空だった。
隣に座る少女は時を止める事が出来るが、彼女が見る空もこんな感じなのだろうかと、ぼんやり考える。


「時間、かぁ………そういえば咲夜さんが此処に来てから、かれこれもう半年ですかねぇ………此処の暮らしには慣れましたか?」

「慣れる前に出て行くつもりだ」

「そ、そうですか………ははは、はは………」


それは暗に「慣れる前にレミリアを殺す」という意思表示であった。
そんなものを聞かされた美鈴はたまったものではなく、苦笑を浮かべるしかなかった。


(お嬢様………この子をこのまま置いておくなんて出来るんでしょうか………?)

「………美鈴。その、前から思ってた事なんだが」

「は、はい。なんですか?」


首を傾げる美鈴に、彼女は前から思っていた事を口にする。


「その………なんだ?私にそんな敬語で話して貰わなくてもいい。貴女の方が年長者なのだし、別に気を遣わなくても」

「ははは!上手いですね!私の能力だけに気を遣わないって………すいません。もう言いませんのでそんな目で見ないでッ!
 うーん、私はこれが普通なんで………このままって事でいいですか?」

「貴女が、そう言うのなら………」


自分より年長の者に敬語を使われるという経験が無かった為にどうにも畏縮する部分があったのだが、
その方が良いと言うのなら無理に話し方を変えさせるというのも失礼に当たるだろう。
そう思ってした返事に、美鈴はホッとした表情になる。


「ありがとうございます。なんか変に気を遣ってもらうのは、どうにもむず痒い感じがして」


美鈴はそう言うと、うんと軽く腕を上に伸ばし背伸びをする。
その時に彼女の目にはどうしても目に入ってしまうものがあった。そう、美鈴のその豊満な胸にだ。
はっきり言おう。実に立派である。もしかしたら姉より大きいかもしれない。正直羨ましくも感じた。
恐らく美鈴にはそんな気は無いのだろうが、どうにも見せ付けられている感じがしてならないのだ。


(………全然違うなぁ)


自分の胸に目が行って、どうにも悲しい気分になってしまう。
紅 美鈴という人物がどういう者なのか。半年間一緒に過ごしてきて分かった事がある。
まず彼女の人格は根っからの善人だ。お人好しと言ってもいい。この自分と話しているのがその良い証拠だ。
抜けている所がある事もあるが、基本的には礼節を重んじるその性格は自分には好ましく思えた。
醜美には疎い自分ではあるが、間違い無く美人の部類に入るだろう事は容易に検討が付く。
軽薄な方の我が兄弟子なら確実に声を掛けるだろう事も想像出来た。
容姿も良くその上人格者でもある。容姿云々は抜きにしても我が師は好ましく思うだろう。
そう思うと――――――何だが腹が立ってきた。


(悪気が無いのはなお悪いけど無意識にされると――――――更に腹が立つ)

「うーん………いや今日は良い天気で………え、咲夜さん?なんでそんな目で睨むんですか?
 そのジトーって言葉が見えそうなくらいの、え?す、すいませんッ!私気に触る事しましたかッ!?」


お互い無意識だったのだろう。
彼女は美鈴の胸を不倶戴天の敵のように睨み付け、美鈴は両手で胸を庇い涙目になっていた。


「いや………なんでもない」

「そ、そうですか………」


自分にはまだ希望がある。未来がある。可能性がある。そうであると信じたい。
と彼女は思っているが、その結果は………言わずもがなである。
そうして話を打ち切ろうとした彼女に対して、今度は美鈴の方から話し掛ける。


「それより咲夜さんですよ咲夜さん」

「わ、私が何か?」


いきなり質問を返され若干戸惑う彼女に、美鈴は言う。


「咲夜さんの喋り方。なんかこう………硬い所があるんですよ」

「硬い、所?」

「なんて言うか男性みたいな喋り方をしている………いや違うな。
 カクカクしてると言うか、そんな感じがしまして。まるで無理して無感情な口調をしてる感じがするんですよ」

「………そんな、事は」


あった。美鈴の考えは的中していた。
正直、無理に任務中に使う口調で――――――我が師が使う口調でずっと話していた。
感情的にならないように。そしてその見本である我が師の真似をしていたのだ。
もちろんずっとそんな口調で話す事が出来るはずもなく、気が緩んだ時には地を晒してしまう事もあった。
緊張の連続で、疲れが溜まる事も多くなった。前はこんな事が無かったのにである。


「無理をしてたら体を壊しちゃいますよ?リラックスしたい時はしていいんですから。
 誰も貴女をどうこうしようなんて、そんな事は思ってないんですから。だから――――――安心して」

「………ッ!どうこうしようとしてるのは私の方なのよッ!?どうして貴女はそんな事が、安心してなんて言えるのッ!?」


美鈴のその最後の言葉に、彼女は叫んだ。
誰も貴女をどうこうしようと思っていないから安心しろ。この言葉を聞いて湧き上がった感情は、怒りだった。
自分でも上手く説明出来ない、怒りの感情だった。


「私はね、貴女の大事なお嬢様を殺そうとしてる人間なのよ?そんな人間にどうしてそんな、そんな優しい言葉が言えるのッ!」


彼女の激しい言葉をぶつけられた美鈴は驚き、目を見開いて黙って聞く事しか出来なかった。
今まで感情の無い、冷たい人形のような態度でしか話さず、感情らしい感情を見せなかった彼女が今、自分に怒りをぶつけている。
この紅魔館で美鈴が見たのは、大切な懐中時計を返した時に見せた小さな笑顔と、帰れない事に悲しみ泣きそうになった顔だけだった。

一方彼女の、咲夜の方も内心では驚いていた。今の今まで、大声を上げて怒り叫んだなんて事は初めてだったのだ。
だが叫んだ事で少しだけ、ほんの少しだけ落ち着き、自分が怒る理由を見つけた。
自分がこの屋敷の主の命を狙っているというのに、この連中はそんな事は気にも留めていないと言わんばかりのこの態度だ。
これでは命を狙っている自分が馬鹿みたいではないか。ああそうだ。だから自分は今ここまで腹を立てているのだ。
彼女はそう判断する事にした。

そして今まで黙り、どう答えようか考えていた美鈴は口を開き、彼女に答える。


「………そりゃまあ、私にはみんなを守る責任があります。そして貴女はお嬢様を害しようとしている。
 普通だったら私は、貴女を倒さないといけない」

「だったらどうしてッ!?」

「でも咲夜さん私の事、怨んだり憎んだりした目で見ないでしょ?」


考えに考えた末の答えがこれだった。
少なくとも美鈴が知る限りでは、咲夜はレミリアを除く者達に敵意を感じさせる目を向ける事が無かったのである。
それに美鈴はレミリアに向ける殺意にも違和感のようなものを感じていた。
なんと言うか、不器用に感じたのだ。本当に殺すつもりがあるのかと疑ってしまうくらいに。

そしてそれを言われた彼女の方はと言えば、訳が分からないといったキョトンとした表情で驚いていた。


「怨んだり憎んだりって………どうしてそんな事しないといけないのよ?」


彼女の思いもよらない返事に、今度は美鈴の方が驚くしかなかった。


「え、ど、どうしてって………私達の所為で咲夜さん此処にいる事になったんだし」

「貴女ではなく貴女のお嬢様の所為でしょ?一体何を言っているの?訳が分からないのだけど」

「その………出来ればこうは言いたくないんですが。
 貴女がお嬢様を狙っている以上まだ敵同士のようなものですし………」

「敵同士だから怨む………ああそっか、そう言われればそう………だな」


何か納得したように頷く彼女に、美鈴は驚き続けるしかなかった。


「そうだなって、普通敵同士なら敵意はあるのが当たり前じゃないですか。
 それなのに貴女はその、私達と極力関わらないようにしてはいるけど、そういったものがまるで無い。
 私にはそれがどうにも分からないんです」

「それはたぶん………私は怨みや憎しみを持って殺した事は………一度も無いから」

「そう、なんですか?」

「どのような相手であっても、殺す時に苦しみを与えてはいけない。
 怨みや憎しみなんてものを持っていたら、そんな事は出来ない。だからそんな感情は持って殺した事は一度も無い」

「今まで一度も、ですか?」

「………今回が、初めて」

「………そうですか」


それを聞いて、美鈴は自分がどうして彼女に対し危機感を持てないのか、分かった気がした。
そしてその答えを美鈴は口にした。


「貴女は、優し過ぎるんですね」

「優し、過ぎる?」

「はい。私も上手くは言えないんですが………咲夜さん誰かを怨んだり憎んだりした事無いんでしょう?
 今まで貴女がお嬢様を殺そうとした時に感じた殺意。私、なんだか不器用なものに感じたんです。
 でも咲夜さんの言葉でそれが分かりました。どうしてそう感じたのか。
 咲夜さんは今、初めて誰かを憎いと思って殺そうとしてるんですね」

「あ………」

「たぶん咲夜さん、敵意とか悪意とかそういうの持つの、苦手なんだと思います」


この半年。数多くあった彼女の襲撃を美鈴は何度も目撃し、彼女の戦いを見てきた。
その結論から言えば、彼女がレミリアを殺すのは不可能だと判断したのだ。
確かにその実力は凄いと感じさせるものもあったが、前にレミリアが言ったような洗練された銀の刃のような感じはまるでしなかった。
本当にそんな事が出来るのか?本当にこの少女にそんな存在になれたのか?
そんな疑問を持っていたのだが、この事でやっとそれが分かった。
つまり彼女はその実力を出し切れていなかった。そういう事だったのだ。
敵意や悪意といった雑念があったからこそ、本当の力を発揮出来ていなかったのだ。
それが分かった美鈴はある事を思い付く。


「咲夜さんがお嬢様を倒せないのはそんな敵意や悪意があるからです。
 そういうのがあるから貴女は本来の力を出せないんだと、私は思います」

「それじゃあ………それじゃあ私はどうすれば………」

「簡単です。つまりそういった敵意とか持たなければいいんですよ。
 まあ………難しくはあるでしょうが、前は出来ていたんですから大丈夫だと思いますよ」

「………………敵意を持たない、か」


言われてみればなるほど、確かにその通りかもしれない。
今の今までこの半年、自分は確かにレミリアに対して敵意を持っていた。
ターゲットはターゲット。それ以上でも以下でもない存在に敵意を持っては任務に支障をきたす。
だからこそ、慈悲の心を持ち敵意を無くす。もしくは隠すようにと教わってきたのだ。


(それを忘れていたなんて………駄目だなぁ私)


思っていた以上に自分は思いつめていたらしい。
そういう基本の教えを忘れる程に悩んでいては、倒す相手も倒せないというものだ。

一方美鈴は、なるほどと言った表情をしている彼女を見て上手くいったと内心喜んでいた。
今ある敵対心が無くなってくれれば、関係は今以上に良くなるはずだ。少なくとも悪くなる事は無いだろう。
代わりに咲夜の枷が無くなりレミリアが益々苦戦する事になるだろうが、今あるレミリアの悩みが無くなるのなら本人も喜ぶはずだ。


「悩んでいてもしょうがないです。あ、そうだ。私と稽古でもしませんか?」

「稽古?貴女と?」

「体を動かしている間は、悩みも感じませんからね」

「貴女はそれでいいの?」

「まあ本音を言えば、稽古の相手が欲しいってのもあるんですよね。
 日々の鍛錬は欠かさないようにしてはいるんですが、此処十数年は稽古の相手もいなくなりまして、はい。
 勿論咲夜さんがよろしければの話なんですが」


美鈴は自身の上手く目的を隠しつつ提案をする。
嘘は言っていない。稽古の相手が欲しいと思っていたのは本当の事だ。
こういう場合下手に嘘を吐くよりも別の目的を言って本来の目的を隠した方が良いと美鈴は判断したのだ。


「そうしてもらえるなら、こちらも助かる。………けど」

「何か、ありますか?」

「あの吸血鬼にどう………接すればいいのか」

「ほんの少しだけ、話をしてあげて下さい。お嬢様、寂しいの嫌いですから」


家系なのだろう。レミリアの父親も祖父も、寂しいのが嫌いだった。だから、何時も側に誰かがいた。
時には家族。時には仲間。時には部下。時には敵。そして時には………この自分だった。
もっとも三人とも我が侭で強情で意地っ張りな性格だった為にそんな事は普段は表に出さないが、
長く付き合うとそういうのがなんとはなしに分かり、妙に愛らしく感じるものだった。


「ねえ美鈴。どうして貴女は私に、その………ここまで親切にしてくれるの?」

「どうしてって。そりゃあお嬢様が」

「それだけで親切にするの?」

「いやその、お嬢様が貴女の事を気に入ったのも理由の一つではあるんですが、
 まあその………お恥ずかしい話になってしまうんですが………私もどうもその、貴女の事が気に入ったみたいで」

「………………へ?」


美鈴はそんな事を恥ずかしそうに自身の頬を指でポリポリと掻きながら言った。
そしてそれを聞かされた彼女は、ただポカンと口を開けるばかりだった。


「い、いきなりこんな事言ってすみません。でも本当にそう思ってるんですよ?
 理由はどうあれ仕事をしてくれて大助かりしてますしそれにえっとそれに………」

「………それに?」

「えっと………その………」


言葉を続けようとしたが、途中で止まってしまう。上手く言葉が出てこない。
もっともらしい理由を探そうとして考えるが、やはり上手くいかない。
ふと、咲夜に目を向ける。そこには何やら不安そうに、そして何かを言って欲しそうにしている彼女が目の前にいた。
不安で、寂しくて、悲しくて、今にも泣いてしまいそうな少女がいた。
そんな咲夜を見て、美鈴はやっとその理由を見つけた。どうして自分がここまで彼女の事を気に掛けているのか。
分かってしまえばなんて事はなかった。そして、美鈴それを口にした。


「――――――家族、ですからね」


美鈴のその言葉を聞いた彼女は、内心ドキリとする。


「そう、家族だから、優しくするのは当たり前なんですよ」

「でも私は」

「確かに今は、とてもそうは言えないでしょう。それは、分かってます。
 でも私や、お嬢様は、そうなって欲しいと思ってるんです」


確かに今は家族ではないかもしれない。だがそうなりたいと思っている。
だからこそ家族にするように彼女に接しているのだ。いつか本当の家族になってくれると信じて。


「美鈴………貴女」


そんな美鈴の優しい言葉に、彼女の心がぐらつく。
言わないでほしい。それ以上は、何も言わないでほしい。
そんな彼女の思いとは裏腹に、美鈴は言葉を続ける。


「咲夜さん。貴女が望んでくれるなら私は、私達は………貴女の家族に」

「………そろそろ休憩は終わりにしましょう。少し、長くなり過ぎたわ」


懐中時計を取り出し時間を見た彼女は、そう言ってベンチから立ち上がる。
その姿は美鈴の続きの言葉を聞きたくないと、無言ながらにそれを伝えていた。
そんな彼女の姿を見て、美鈴の顔は暗くなる。


「それじゃあ………私は戻るわ」

「あ………はい、それじゃあ………」


寂しそうな表情の美鈴を残し、彼女は館へと急ぎ戻っていく。
懐中時計を握り締めて、彼女は先の美鈴の言葉を聞いた時に感じた事を思い出す。
美鈴の言葉を聞いた時彼女はほんの少し、本当にほんの少しだけだが――――――嬉しいと、感じたのだ。
だからこそそれ以上その言葉を聞きたくなかった。聞けば辛くなるだけだったから。
あの人が、この館の人達が自分に向ける優しさは、あまりに辛かった。
懐中時計を握り締める力が強くなる。すがる様に強く握り、抱き締めていた。










その日の夜、彼女は初めて泣いた。愛する家族の名前を呼んで泣いて、帰りたいと泣いた。
あの優しさで自分が変わってしまう前に――――――帰りたかった。










翌日の朝、彼女はレミリアを起こす為にレミリアの部屋の扉の前に訪れていた。
軽くノックをして、挨拶をする。


「お嬢様、お目覚めの時間です。起きていらっしゃいますか?」


返事は無い。それからまた何度か言ってみるが、返事が返ってくる事は無かった。
まだ寝ているのだろう。そう思った彼女は扉を開けて、部屋に入る。
案の定というか、レミリアはスヤスヤとベッドで寝ていた。
普段なら絶好のチャンスとばかりに襲い掛かろうとするのだが、昨日の事もある所為か、そんな気分にはならなかった。


「本当………おかしいな」


そんな事を呟いた後、彼女はレミリアのベッドの側により、軽くベッドに腰掛ける。
目の前の吸血鬼の少女は小さく寝息を立てて安らかに眠っている。
ふと手を伸ばし、自身のその指で彼女の頬に触れる。柔らかく触り心地の良い感触が指に伝わる。
そうやって触れている内に、レミリアがくすぐったそうにして笑う。
その愛らしい寝顔を見ていると、こちらもつられて笑みを溢しそうになる。


「貴女を殺そうとしている者が此処にいるのに、どうして貴女はそんな風に眠れるの?」


聞こえるはずがないのに、答えるはずがないのに、そんな事を尋ねてしまう。
その時だった。レミリアの瞼がゆっくりと少し開いたのは。


「あ………お嬢様………」

「んんー………んん?」


ぼんやりと、とろんとしたその赤い眼が咲夜の姿を見た時、レミリアは――――――


「ああー………咲夜だー………」


笑って、咲夜に抱き付いた。


「お、お嬢、様?」


その事に驚く彼女だったが、すぐに冷静さを取り戻す事にした。
どうやら寝ぼけているらしい。抱き締める力も弱く、振り払う事は簡単だった。
そして離れようとした時、レミリアは彼女に言うのだった。


「咲夜はね、此処にいて………良いんだよ」


その言葉を聞いた時、レミリアから離れようとしていた彼女の動きが止まった。
抱き締めて、レミリアは甘えるように彼女の体に頭を擦り付ける。


「大事な人だから………大好きだから………家族だから………」


幸せそうに、そう言った。まるで夢がまだ続いているかのように。
その時に彼女は気付いた。まだ彼女は起き切っていない事に。そして、どんな夢を見ていたかも。
それは恐らく、自分が家族になって一緒に過ごしている夢。この少女が望んでいる夢だ。
だがそれは夢だ。夢でしかない。………夢であって、ほしい。
だから告げよう。それは夢だと。ただの夢でしかないのだと――――――告げようとした時。


「だからね、咲夜の事は――――――私が守るから」


彼女が告げるより先に、レミリアはそう言ったのだ。


「咲夜を怖がらせるのぜぇんぶから………守ってあげるから………だから………これからも一緒に………」

「………………………そんなの、勝手過ぎますよ」


夢見心地なレミリアの言葉に、彼女はそう答えるだけだった。


「うー………ん?んん?」


レミリアの声が段々とはっきりしてくる。どうやらやっと起き始めたらしい。
抱き付いていた咲夜から離れ、寝惚け眼をくしくしと擦り出す。


「んんん?………咲夜?」

「………ようやく起きましたかお嬢様」

「咲夜?へ?………咲、夜?………………さ、ささ、さささささ咲夜ッ!?」


最初は良く分かってないといった感じだったその表情は、
今の状況がどんなものか分かり始めると困惑と驚愕が入り混じったものになっていく。


「はい。そうですが何か?」

「え、何で!?どうして!?何がどうなって何があったの!?」

「………起こしに部屋に入って起きる気配が無かったのでいつも通りに刺そうとして近付いたら、
 寝惚けたお嬢様にホールドされて出来ませんでした。以上です」

「刺そうとするなよッ!恐いよッ!痛いよッ!普通に起こしてよッ!」

「ではそのまま寝てください。永久に」

「意地悪ッ!咲夜の意地悪ッ!」


刺そうとしたのを意地悪で済ませる方も済ませる方だと内心呆れるが、実際刺してもそれくらいにしかならないのも事実。
どれだけまあ頑丈というか死に難いというか。彼女はまた呆れるしかなかった。


「まあ今回は貴女の間抜けな寝顔を見れただけで良しとしましょう」

「鬼ッ!悪魔ッ!メイドッ!」

「鬼も悪魔も貴女でしょうに。………そして何故そこにメイドが?」

「うー………私変な事言わなかった?」

「うーうー言ってました」

「言ってないもんッ!そんな事言ってないもんッ!」

「言いました。「うー………私変な事言わなかった?」って今言いました」

「それ違うもんッ!数に入ってないもんッ!ノーカウントよノーカウントッ!」

「お嬢様。そんなに騒いだらほら涎が」

「え、嘘ッ!?」

「垂れるかもしれないじゃないですか」

「………うわぁぁぁぁんッ!咲夜が苛めるぅぅぅぅぅぅッ!」


顔を赤くしたり騒いだりいきなり泣いたり。忙しない吸血鬼のお嬢様だ。
………少し可愛いなと思ってるのはただの気の迷いのはずだ。


「さあさあ、着替えの用意をしますからさっさと済ませてください。ああ、そうそう。それとお嬢様」

「なによぉう………ぐす………もうなんなのよぉう」

「おはようございます」

「………へ?咲夜、今………なんて?」


レミリアは彼女の挨拶を聞いて信じられないと言った表情で驚いている。


「………?ですからおはようございます、と」


もう一度言うと、レミリアは嬉しそうに顔を輝かせる。


「どうしたんですか?そんなに嬉しそうに」

「だって、初めて咲夜からおはようって言ってくれたのよッ!嬉しくない訳ないじゃないのッ!」


そう、これまで咲夜はレミリアに対して自分から挨拶をするような事は今まで一度も無かったのだ。
挨拶をすれば返事をするというだけで、自分からそんな事を言うのはこれが初めてだった。
たったそれだけの事なのだが、レミリアはそれだけで嬉しくてしょうがなかったのだ。
嬉しさのあまりに、レミリアは再度咲夜を抱き締める。


「あの、お、お嬢様!?」

「ありがとう!ありがとう咲夜!夢じゃないんだよね!これ、夢じゃないんだよね!」


ただおはようと、挨拶をしただけなのにこんなに喜んでいるレミリアを見て、ある事を思い出す。
自分も我が師におはようと言われたらとても、とても嬉しかった事を。


(そうだ………そうだったな。意地を張り過ぎて私、そんな事も忘れてたんだ)


あまりに気負い過ぎて、自分はそんな嬉しかった事も忘れてしまっていた。
振り返ってみれば、今までの自分は確かに自分らしくなかった。
切羽詰って、焦って、頑なになって――――――自分を見失っていた。


(少し、少しだけ………気を緩めても、良いかな)


そんな事を思いながら、彼女は、咲夜は答えた。


「ええ――――――夢じゃないですよ、お嬢様」


この日から、彼女がレミリアを襲う回数は驚く程少なくなった。
代わりに以前とは比べ物に程に、出会った時と同じ程に動きが鋭くなったが、レミリアはそれを喜び、安心した。
あの時のように強い彼女がいる事に安堵し、以前より少し優しくなった事が嬉しかった。










誰もいない。此処には誰もいない。自分以外に誰もいない。
ずっとずっとこの部屋から出ていない。もうどれくらい出ていないのかも分からない。
この部屋には時計が無い。だが、それが良かった。
そんなものがあったら分かってしまう。どれくらいの時間を過ごしているのかが。
何日何ヶ月何年――――――分かってしまえば狂ってしまう。
そうこれ以上に――――――狂ってしまう。
クルクル回る時計の針を見て過ごして来る来る時間を見詰めて狂狂狂って狂うクル来るくる狂う――――――
バンッ!と、音を立てて何かが弾けた。そちらの方に目を向けると人形が一体、弾けていた。
内側から弾けたように綿が飛び散り、倒れていた。


「………またやっちゃった」


悲しそうな声が重く、暗い部屋の中に響く。
いけない事だとは分かっている。でもどうしてもやってしまう。
駄目だ駄目だと自分でも分かっているのに、我慢出来なくて、堪え切れなくて――――――ヤッてしまう。
詰まらない。詰まらないつまらない。ツマラナイツマラナイツマラナイ。退屈でどうにかなってしまいそうだ。
退屈で――――――どうにかシてしまいたい。










「何かないかなぁ………面白そうな事」










いやぁ、後書きは強敵でしたね。

どうも!遅い遅い遅いの三拍子が揃った荒井スミスですッ!
駄目ですよね!いけませんよね!ほんと申し訳ありません!
いやもう本当に、本当に申し訳ありません!………中には私を忘れてしまった人もいるでしょうね。

「スミス?誰それ?」「あれだよ、声がダニー・タナーで黒スーツグラサンで一人見かけたら三十人以上はいる」

「私私私………」

そして私。………寸劇はここまでにしましょう。
いえ咲夜さんがどうやったらお嬢様に惹かれていけばいいのかなと思うと、そこが迷いました。
だって咲夜さんってば相当お嬢様の事憎んでたはずですからね。
そして考えに考えてスパロボZ2買って五日以内にクリアしてまどかマギカ見て感動して
ダンブルドアが同性愛者だったらしい事に驚いてロックマンDASH3発売中止に驚いて
虎&兎見て「こんなヒーローいたらなぁ」ぼんやり妄想して日常の予告は何が誰を演じるのか楽しみにして
やっと書いたのがこれだったんですよ。………いや、まだあるか?

簡単に言えば咲夜さんはすっごい良い人だから結局怨み続けるなんて事は出来ないって事にしました。
そうしたら真の実力が発揮出来ないとか、そんな理由とか考えてね。
そんで紅魔館の人達もこれまた良い人で殺しにくくて、お嬢様は可愛いからあれがあれしてあれあれで。
って事にしましたはい。

しかし………ハサン先生書きたいなぁもう!なんかもうネタでもいいから書きたいなぁもう!
そんで出来れば本人とか書きたいなぁもう!さすがにそれは無理だけどさ本編だと!
ジャスティスハサン書きたいなぁもう!SSでこの頃流行りの暗殺者になればいいのになぁもう!無理だろうけどさ!
しかし錬金術は………どうだったかな。咲夜さん出来るようにしたの。
一応歴史で調べて、ハサン先生錬金術とか出来るらしいからああ書いたけど。
でも咲夜さんが魔法、しかも錬金術使うのは………面白そうではあるけどなぁ。
そういえば似てる人は錬金術使えたっけ………確か名前はミ(ry
それでは!



[24323] 第三十一話 唐突過ぎる出会い
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/10/17 23:51




咲夜が紅魔館に来てから、一年程が経とうとしていた。
今ではメイド長としてもだいぶ板についてきた。もっとも他にメイドもいないので肩書きだけの役職ではあったが。
夜になればレミリアに付き従い街に下りて、彼女の食糧の調達を手伝いもした。
相手を気絶させ血を抜き取るだけの簡単なお仕事である。
殺しはしない。無益な殺生は自分は禁じているし、好きじゃない。
レミリアも相手を殺すような事はしない。優雅に上品に食事をするのがマナーだと考えているからだ。
とはいえレミリアは血を吸うのは上手ではない為、いつも血で服を汚してしまう。
レミリア自身も気を付けてはいるのだが、どうにも血を吸うのが上手くいかない。
それを見ていて咲夜が思った事は「まるでカレーうどんを気を付けて食べてるみたいだな」という、そんな感想だった。
そしてそれをレミリアに言ってみた。その結果、彼女はうーと泣いた。
咲夜はそんな彼女を内心可愛いなと思いつつ、隙あらば殺ってしまおうと日々頑張っていた。

ヴァンパイア・ハンターや、それに類する者達の襲撃も何度かあった。
とはいえ、もう数年で二十世紀も終わろうというこのご時世だ。
兵士としては優秀に分類出来た者達だったが、本物の幻想を相手に戦えるだけの実力者ではなかった。
彼等は自らが敵対する幻想の怪物が数を減らしたその結果、皮肉な事にその戦い方もまた失われていったのだ。
そんな者達をするのはほとんど美鈴と咲夜。レミリアはそれを楽しそうに眺めているだけだった。
だが殺戮を楽しんでいるのではない。そもそもこの二人が相手では戦いにすらならない。
レミリアが楽しんでいるのは、相手をどのようにして二人が、特に咲夜が倒すかという事だった。
最初は咲夜の圧倒的な実力に満足していたレミリアだったが、すぐにある不満が生まれた。あまりにも無駄が無さ過ぎたのだ。

完璧であった。完全であった。だがあまり優雅とは言えなかった。
特に咲夜の持つ能力の所為と、彼女の戦い方の所為で楽しむ時間はほとんど無かった。
例えるなら、自分が好きなボクシングの選手が一瞬にして、パンチ一つで相手選手を倒すようなもの。
確かに凄い事は凄いのだが、もう少し長く試合を見たいという思いもレミリアにはあった。
レミリア自身が相手をするのならそれは十分に楽しめるし面白い。だが彼女の強さを第三者として楽しむのは難しかった。
だからレミリアは咲夜にもう少し時間を掛けて、より美しく魅せて、より完璧に相手に引導を渡す事を望んだ。
相手が一体誰に戦いを挑んでしまったのか。それを明確に、その魂に刻み付けて教える事を望んだのだ。
彼女は最初はそのやり方は気が進まなかったのだが、相手に無駄な苦しみを与えないようにすれば良いかと、そう考えてその願いを了承した。

美鈴との稽古は咲夜には良い刺激になった。
今まで生きて来て、自分を強くする為に全力を出して戦える相手というのが限られていた彼女にとってはありがたい事だった。
今では能力を使わないで戦うなら七回に一度。使用するなら三度に一度の割合で勝てるようにもなった。
美鈴自身も良い相手を見つけたと内心喜んでいたが、それと同じくらいに空恐ろしくも感じていた。
彼女の持つ時を止めるというその能力にも驚いたが、それ以上に彼女はその身に着けた技術に驚いた。
彼女はまだ若い。だが戦ってみて感じるのだ。彼女が習得しているその技術は、彼女の歳の数十倍の年月を掛けて完成された物の類である事が。
なるほど、確かに彼女には才能があったのだろう。だがそれだけではこれほどの実力を身に着けるのは不可能だ。
よほど名のある武人か、それに類する人物に師事を受けたのだろう。
美鈴がそれを伝えると、彼女はただ黙って頷いただけだった。
笑いこそしなかったが、彼女は内心我が事にように喜んでいたのだが。

彼女はもう紅魔館の事はほとんどを把握していた。そう、一部の例外を除いては。
その一部の例外とは、紅魔館の地下の事であった。紅魔館の地下の事は咲夜はほとんど知らされていなかった。
いや、地下にあるという紅魔館に収められている財宝なら見せられた。
確かに凄まじいの一言に尽きるものだったが、彼女にはそれで全てとは思えなかった。
まるで本当の宝を隠す為に他の宝を見せられているような、別の何かを隠しているような、そんな感じがしたのだ。
彼女がそれを伝えると、レミリア達は驚き「確かにその通りかもしれない」と、そう答えた。
それが何なのか尋ねても、レミリア達は「いつか話す」とか「もう少し待ってほしい」とかはぐらかしてばかりで教えてくれない。
分かっている事と言えば、地下には確実に別の何かがある。いや、居るという事。その何かと自分が出会う事を皆が不安に思っている事。
その何かが危険である事。その何かの身を案じている事。そして――――――自分の事を案じてくれている事だった。

そして咲夜は、その何かと出会う事になる。
初めはそう――――――それはただの偶然だったのかもしれないが――――――









咲夜は止めていた時を動かした。屋敷の掃除がたった今終わった所だった。
だいぶ時間が経ったはずだが、窓から入る太陽の光は変わらずに輝いていた。
静かな昼。風の音も小さく鳥も鳴かない光景がそこに変わらずあった。
それは彼女にとっては数時間前からの光景だった。だが現実は彼女以外の存在にとってはほとんど時は経っていない。
精々彼女が軽く息を抜いた合計の、一分弱だろう。

軽く、溜め息を吐く。少しばかり時間を止め過ぎているような気もする。
あまりやり過ぎると、生活習慣のリズムが狂ってしまう。
調整出来なくもないが、少し面倒なのもまた事実。どういう場合に時を止めるのかも、考えた方が良いかもしれない。
そうでないと、一般的な吸血鬼以上に生活リズムが狂ってる人間になってしまう。


「うーん………それはいただけない。気を付けないとなぁ。
 さてと。掃除も一通り終わった事だし、後は洗濯物を取り込んで。お昼の準備もして。
 ああそうだ、紅茶の葉が切れてたっけ。後で補充しとかないと。後はあれとあれと………ああ、ついでにあれもやっておこう」


別にそこまで働かなくてもいいのだが、時間も余り(当然だが)暇になるのもあれなので、
ついでにしておこうという感覚が此処最近染みついてきている咲夜。
そんな風に暢気にしていたその時だった。彼女の耳が、何かを聞き取ったのは。


「………?何かしら?」


澄んだ空気の中で聞こえてきたのだ。この空気よりも澄んで綺麗な、小さな何かを。
彼女はその何かに惹かれて、知らず知らずの内にその音の聞こえる方へ聞こえる方へと足を運ばせる。
そして、はっきりとではないが、段々と大きくなり、そして気付く。


「こっちは確か………地下の………」


この先は地下の、まだ自分が行っていない紅魔館の地下への入り口だったはずだ。
歩みを速めて、地下への入り口に向かう。
そして入り口に辿り着いた時に、小さかったその音をほんの少し聞き取る事が出来た。


………ラ………ラン…………フフフ………

「これは………歌?」


耳に聞こえてくるその音は、誰かの歌声だった。声の感じからして、十かそこいらの歳の少女の物。
最初に思い浮かんだのはレミリアだったが、彼女は即座にそれを否定する。
あのレミリアがこんな所で歌を歌うとは思えないし、そもそもこの声はレミリアにしては少々幼く聞こえる。
もっと無垢というか無邪気というか、そんな感じがした。
もう少し近づいてみようという思いが彼女の頭の中に浮かんだ時には、彼女は階段を下りて地下へと向かった。


………フフフン……ララ……


段々とだが、はっきりと聞こえてくる。
歌詞のようなものは無い。ただ口ずさんでいるようだ。
それはなんだか明るいもののように聞こえて、その実それ以上に寂しさを感じる声だった。
何故だか、それを聞くと放っておけなくなった。

声に惹かれて更に下りていく。気付けば階段は終わり、咲夜は一本の通路に出ていた。
日の光は無い。蝋燭の明かりがぽつぽつ点いているだけの、暗い道だった。
暗くてよく見えないが、この道は何度も修繕された跡が見つけられる。
壁に近付いて観察してみると、何かを強い力で叩きつけたような壊れ方をしている。
触ってみて分かったが、この壁事態が相当な強度を誇っているのが感じ取れる。軽い爆発程度なら傷も入らないだろう。
そんな壁をここまで、それも何度も破壊しているとはどういう事なのか?
レミリアや美鈴ならこうする事は可能だろうが、そもそも彼女達にはそれをする理由が無い。
つまり別の何かがこの破壊活動を行ったという事だった。
そう思った時、また歌が聞こえた。


…ラララン……フン、フフンフン……フンフン……


通路の奥の方から聞こえてくるその歌声が、今度は恐ろしいもののように聞こえる。
我知らず、生唾をごくりと飲む。アサシンとしての勘がすぐさま叫ぶ。
この歌声の主が、この破壊を行ったという事を。

本来ならその時点で引き返すべきなのは分かっていた。
そもそも今の自分には、危険だと分かっているその場所に行く理由が無いし、その必要も無い。
だがどういう訳か、その場所に行ってみたいという思いが無くなる事はなかった。
気になるのだ。この声の主が一体何なのか、それを確かめたかったのだ。
それに、もしも何かあった場合でも、自分には時を止める力がある。
少なくとも、油断さえしなければ逃げ切る事は出来るはずだ。そう判断した咲夜は通路の奥の方へと歩みを進める。
もちろん気配は消し、足音や衣擦れすら立てずに、スッと慎重に進んでいく。

進んでいく内に分かったのだが、この通路はただの一本道という訳ではなかった。
ある程度進むとU字の曲がり角に出て、そんな曲がり角が何度も何度も進む毎にあった。
これでは移動するのに無駄な時間が出来てしまうではないかと、そう思った。
それに通路の幅は思ったよりも大きい。紅魔館の通路の中で大きい類になるだろう。
まるで怪物の腹の中を進んでいるような、そんな錯覚すら感じる。
何故こんな通路を造ったのか。今の彼女には判断出来なかった。

そして通路の奥に到達した時、彼女の目の前にいかにもといった重厚な扉が拒むように現れた。
しかもただ重厚な扉というわけではない。よく見れば薄っすらと魔方陣が浮かび上がっている。
魔方陣を構成している術式の癖からして、どうやらこれはパチュリーが施した代物のようだ。


ラン……ランラン……フフフン……フフフン……


あの歌がこの扉の奥から聞こえてきた。間違い無くこの中に何かが居る。
改めて扉を見てみる。目の前の頑健な扉と複雑な魔方陣は侵入者を拒むという感じはしない。
むしろその扉は中の存在を外に出さない為に存在しているようにしか見受けらなかった。

そこでこの異様な通路がどうして存在しているのか、彼女は理解した。
それはつまり、この扉の中の存在を解き放たないようにする為だ。
頑丈な壁や多数のU字の曲がり角は容易に外に出ないようにする為。
大きな幅の通路は戦闘が起こった場合に戦いやすくする為。
そして修復された壁は戦闘が起こった時に壁が破壊された事を物語っていたのだ。
そしてそれはこの要塞のような扉は何度も破壊された事をも意味していた。
そうでなければ通路が破壊される事は無いからだ。

彼女は生唾を飲み、扉に触れる。するとたちまちの内に魔方陣がふっと消えていった。
どうやら中からは出られないようになっているが、外から入るのは構わないらしい。
ふと、ある事に気付く。今まで聞こえていた歌が――――――


「………止まった?」


そう思ったその時だった。


「………あれ?誰か来たの?」


そんな声が聞こえたのだ。
聞いた瞬間、彼女は全身の血が一瞬にして冷たくなるのを実感した。
その声を聞いて恐怖した、という訳ではない。一瞬先がどんな状況になろうと冷静に、瞬時に行動出来るように反射的に自らそうしたのだ。
今の彼女はその精神を造り替え、鞘から引き抜かれた抜き身の剣そのものになっていた。だが――――――


「お姉さま?それとも美鈴?えへへ、待っててね。今開けるからね」


扉の中から続くその声は嬉しそうな声色だった。
そんな声を聞いた所為か。彼女の研ぎ澄ませた神経が緩くなる。
少なくとも、今この声の主は自分に危害を加えるような感じはしなかった。

扉が動き始める。ゴゴゴゴと、重々しい音が通路に響く。
扉が開く。そしてそこから出てきたのは――――――


「こんな時間に珍しいね。何かあった………あれ?」


この薄暗い闇の中でも輝き映える金の髪と、この館の主と同じくらいに紅い瞳の少女だった。


「貴女………だぁれ?」










レミリア・スカーレットは悩んでいた。幻想郷を攻める前の戦力をどうやって集めるかである。
その事で今自らの自室で相談しているのが、自分が生まれる前からスカーレットに仕えていた忠臣、紅 美鈴であった。
長らくスカーレットに仕えてきた美鈴は名士としても名が通っていた。
まだスカーレットが一大勢力を誇っていた時には勢力下にあった者達から畏怖もされていた。
例えるなら、マフィアの本家に仕える大幹部のような扱いを周囲から受けていたのだ。
そしてその忠臣は主の問いに答える。


「やはり私としては古くから親交があった方達を頼りたい所ですね。共に戦うのなら、その方が一番でしょうし」

「まあ、そうだけどね。とはいえこのご時勢。今時「戦争するから協力しろ」なんて言っても話に乗らないわよね」


美鈴の答えはレミリアの予想通りのものだった。
祖父であるエイブラハム亡き後。それまで傘下にあったそれぞれの派閥が争いを初めた。
そしてそれに続くように、それまで抑えられた他の勢力も活動し始めた。
その結果、ほんの数十年前には欧州を影から支配していた程の一大勢力は今現在にまで零落したのであった。
しかしだからといってスカーレットの影響力が無くなったかと言うと、そうでもないのだ。
今でこそ幻想達は各地に散らばり、自分達と同じような隠遁性格を余儀なくされている者が多いが、
美鈴を後見人としてレミリアが決起すれば、今でもスカーレットの名の下に集う者達は今だ確かに存在するのだ。

問題はその者達にも今の生活というものがあり、それを乱す事をレミリア自身が良しとしない事だった。
仮に、そういう者達を集めたとしても、その後の彼等の生活を今のレミリアでは保障出来ない。
そんな状態で彼等を自分達の戦争に付きあわせて、その結果彼等が滅ぶのを目にするのは、正直に言えばたまらなく恐ろしいのだ。

レミリア自身の考えはこうだ。
まず自身の兵力を精鋭で集め、幻想郷に攻め入り勝利し支配する。
そして幻想郷で再度勢力を拡大し力を蓄えた後、現世に戻り再びスカーレットの復活を世に知らしめる。
その時に改めて他の者達を呼び集めてかつての栄光を取り戻そうと、そう考えていたのだ。


「ヴァレンティーナさんとこは………やっぱ駄目でしょうね」

「当り前よ。ヒルダは性格ころころ変わるし。キースは家宝の剣が曲がったくらいで落ち込むへたれだし。
 特にヨアヒムはただの脳筋馬鹿だし。プロレスごっこで家宝の剣折るわ借金作って逃げ回る事もあったわ。
 同じ吸血鬼として恥ずかしいったらないわよ」

「駄目ですよお嬢様そんな事言っちゃ。ヨアヒム君もキース君もヒルダちゃんも、昔はみんなで仲良く遊んでたじゃないですか」

「まあ、そりゃそうだけどさ。………やっぱあいつらはパス。戦争するなんて言っても、邪魔こそすれ協力はしないわよ。
 そうなったら面倒でしょ?あいつら性格はあれだけど私と同じくらいに強いし」


性格云々はどっこいどっこいだと思うけどなと思う美鈴。もちろん口に出す事はしないが。
他にも候補者は色々と居るのだが、連絡がつかなかったりする者も居たりして、なかなか決まる事はなかった。


「それに今回は強いだけじゃ駄目なのよ。兵隊をちゃんと率いる事が出来るだけの器量を持った奴もいないといけないし。
 ………ねえ美鈴。貴女出来ないかしら?」

「私は………無理でしょうね。軍学は武経七書とかを齧った程度に見たくらいでしかないですから。
 そりゃ指示を出す立場になった事はありますが、兵を動かすっていう事はほとんどした事が無かったですし」

「美鈴。そういう人物に心当たりは無いかしら?」

「………申し訳ありません。知り合いの仙人にそれが出来そうなのは居るんですが、みんな俗世の事は興味無いから協力しないでしょうね。
 そもそもスカーレットの戦いは圧倒的な力で蹂躙するみたいなのがほとんどでしたからね。軍師みたいな事をする人は居なかったんですよ」

「爺が居れば、少しは楽になりそうだとは思うんだけどなぁ………」

「何処に居るのか。消息が分からないんですよね」


父親であるブラムが死に、その後レミリアをスカーレットに相応しい当主に育て上げたローレンスは、今現在その消息は不明だ。
ただやるべき事、成すべき事があると言って自分達の下から離れたローレンス。
そのやるべき事とはなんだったのか。まず予想出来るのは、復讐だった。
ブラムを殺したハンターに復讐をする事。一番の可能性としてはそれが上がった。
もしくは、ただ楽隠居をしているだけかもしれなかった。どちらにしても、今彼が居ない事は大きな損失だった。


「………だったらやっぱり雇い入れるしかない、か」

「雇うって………何か伝手でもあるんですか?」

「事前にそれ相応の実力を、幻想の力を持った存在を傭兵みたいな形で集める事が出来る存在。
 確かそれが出来る人物が居るって聞いた事があるのよ。貴女だったら何か詳しい事知ってるんじゃないの?」

「傭兵みたいな……?」


そんな知り合いが居ただろうかと、訝しんだ表情で顔を曇らせる美鈴。
傭兵みたいな形で雇い入れた人物も過去には何十何百と居た事もあるが、それを集める事が出来る人物となると限られてくる。
そして今でもそれが出来そうなのとなると更に数は限られてくる。
頭を捻り思い出そうとする。確かに自分はそれを知っているし、会った事もあった、はずだ。
が、名前が出てこない。顔も浮かんでこない。その人物を思い出す事が出来ない。
もう少しで思い出せそうなのに思い出せない、もやもやとした感情に悩まされる。
何かちょっとした単語でもいい。小さな切っ掛けは無いものか。このままでは幻想郷に行く事は………ゲンソウキョウ?
その言葉が頭をかすめた時、美鈴はやっと思い出した。


「ああ、はい。思い出しました。確かそんな人が居ましたね」


もやもやが晴れてすっきりとした表情で、美鈴は言った。


「それって幻想卿の事ですね。いや、そういえばすっかり忘れてたな」

「幻想郷?いや、そっちに行く前に集めるって事なんだけど?」


今度はレミリアが首を傾げる番だった。今は幻想郷に行く前に戦力を集めるという話だ。
それが出来る人物の事を聞いたのに、何故そこで幻想郷の事が出て来るのか。それが分からなかった。


「えっと、その人ってもう幻想入りしているって事なの?」

「いえそうでなくて、その人幻想卿って呼ばれてるんです。サー・ファンタズマって人でして」


それを聞いたレミリアはなんともややこしい名前だと思った。
ついでに言うなら、実に悪趣味で大仰な名前だとも感じた。


「うわぁ………で?美鈴は会った事はあるのかしら?」

「ここ数百年は………会ってませんね。けど、それ以前はちょくちょく訪れてましたね。
 それと、お嬢様や妹様にも何度かお会いになってますよ。覚えておられませんか?」

「そうなの?私全然知らないんだけど?」


そんな変な名前の人物に会ったという記憶はレミリアにはまるで無かった。
それを聞いた美鈴は軽く苦笑する。


「まあ、お二人ともまだお小さかった時でしたからね。それにあの頃は人の出入りも多かったですし。覚えておられないのも、仕方ないでしょうね。
 確か大旦那様が若い時からの知り合いだと伺いましたので、付き合いだけなら私以上に長いと思いますよ?」


確かエイブラハム自身がまだ一人でぶらぶら自由気ままに世界を旅していた時会ったらしく、
なんでもある王様が塔を造るからと働き手を募集して、そこで一緒に働いたとかなんとか、そんな話だったはずだ。
だが今までその件の人物を忘れていた所為か、話の内容はいまいち思い出せなかった。


「ふぅん………信用出来る相手なの?」

「出来ますよ。そうでなかったらお嬢様や妹様と会う事も出来ませんからね。ただ」

「ただ、何?」


そこから先を言い難そうな困った表情をしている美鈴。
確かに信用は出来る相手ではあったのだが、どんな人物かと問われれば言い辛いものがあった。
どうしたものかと思案したが、結局自分が思った感想をそのまま伝える事にした。


「えっとですね………胡散臭くて人を食ったような性格で皮肉屋で。
 まあ例えるなら、あの八雲 紫の悪い印象が豪華版になっている人物とでも言いましょうか」

「ごめん。私それ聞いて信用出来る要素欠片も見出せないないんだけどッ!?」

「は、はははははは………まあそれだけ聞くと確かにそうなんですけどね。
 でも、一度交わした契約は何が何でもやり遂げる事を信条としてましたから。
 それこそ異常と言える程に。だから、はい。そこは絶対と言える程に信用出来ます」


まあ悪魔との契約みたいなものですけどねと、美鈴は笑って言った。
それはつまり契約の裏をかいて何か良からぬ事をするも同然と言ってるようなものだったが、
それを語る美鈴の顔には「それを含めても信頼出来る」といった感じが含まれている気がした。


「じゃあ、信用は一応出来るけど、相当厄介な人物なのは変わらないと考えていいのかしら?」

「その認識で良いと思います。確か、はい。相当に底意地の悪い人だったと思います。
 人の要求にはきっちり応えて「必要なのは揃えてやった。これでも失敗するならそれは君の責任だ」なんて事を皮肉めいた笑みを浮かべて言う人です」


レミリアはそれを聞いて益々不安になったが、今の自分にはそれ以外の手段は思いつかなかった。
自分の知る一番厄介な性格の妖怪と言えば八雲 紫だ。祖父や父の縁で何度か会った事がある。印象としては胡散臭いというのがそれだった。
その幻想卿なる人物はそれ以上に厄介な人物だとこの忠臣は進言する。彼女が言うのだ。間違いでは無いだろう。
そして同時にその彼女が信用出来るというのなら、その通りなのだろう。
どうするか判断に迷ったが、自分から言い出した提案だった。彼女は決断した。


「美鈴、そのファンタズマって奴に連絡取れるかしら?」

「情報屋みたいな人でもありましたから。今でも存命なら私達の連絡網から情報を流せばあるいは」

「それじゃあお願い出来るかしら美鈴?」

「分かりました。明日一番にでも伝えておきますね」


軽く溜め息を吐き、楽な姿勢で座るレミリア。
此処最近の運命は見る事が難しくなっている。深い霧の中を彷徨うようだ。
運命を操る事が出来る自分でもそんな時がごく偶にある
そして、そういう時は決まって何かがあるものだ。良い事であれ、悪い事であれだ。










十六夜 咲夜は戸惑っていた。扉の中から出て来たのは一人の少女。
咲夜は改めてその少女を見た。年の頃はレミリアと同じか少し下といった印象を感じる。
人見知りなのか、扉から頭を少し出して上目遣いで不安そうにこちらを見ている。
外見の年相応なそんな愛らしい行動を見た彼女は緊張の糸を緩めてしまう。
この少女は紅魔館に、レミリアに所縁のある者で間違いは無いだろう。


「むー。ねえ誰なのよ貴女?」


頬をぷっくりと膨らませて目の前の少女は不安を漏らした。
咲夜はそんな彼女に半ば反射的に返事をした。


「お初にお目にかかります。私はこの紅魔館で従者として働かせて頂いている者で、十六夜 咲夜と申します。以後お見知りおきを」


軽くお辞儀をして挨拶をした咲夜は、終わってからある事に気付く。
そういえば自分から十六夜 咲夜だと名乗るのはこれが初めてだった。
名前が無かった彼女からしてみれば異様とも言える事だったが、あまり違和感とか抵抗とかそういった類の物は感じなかった。


「え?新しいメイドさん?今働いてるの?」

「はい。此処の当主であるレミリア様に仕えております。
 失礼ですが、貴女様はレミリア様とはどういった御関係なのでしょうか?」

「私?私はね、フランドール。フランドール・スカーレット。お姉様の妹なの」


彼女はフランドールの自己紹介を聞いて若干驚き、その後成る程と納得した。
かつてこの紅魔館に侵入する時にメンバーの全員の確認をしたつもりだったが、そうではなかったらしい。
もう一度改めてフランドールを見る。印象はだいぶ違うが、確かに顔立ちは良く似ている。
特にその紅い瞳は瓜二つ。同じ輝きを感じ取る事が出来た。


「レミリア様の妹様であられましたか。これは失礼しました。
 私、此処で働くようになって一年程にはなろうかというのですが、貴女様の事は未だ知らされておりませんでした。
 何か私に無礼がありましたらお許しくださいませ」

「うん?別に良いよ?私も貴女の事知らなかったし。みんなったらどうして教えてくれなかったのかしら、もう!」

「察するに、私が未だこの紅魔館では新参者だからでしょう。だから皆様は貴女様の事を私に教える事が無かったのだと思われます。
 どうか皆様の事をお責めにならないでください。恐らくですが、皆様方はフランドール様の事を思い、そう判断されたのだと私は思います」


恐らくこのフランドールという少女はこの紅魔館の者達にとって大事な存在なのだろう。
自分達アサシンや他の者達に知られないようにしている点からもそれが考えられる。
そして自分の事をフランドールに教えなかったのも、恐らくは彼女を不安にさせないようにとの配慮からだろう。
そこまで考えて彼女は未だ紅魔館の者達に完全に信用されてないのだなと、そんな事を思い内心苦笑してしまう。
信用されないのは当然だ。自分は此処の当主を殺そうとしているのだから。
それなのに信用どうこうを気にするというのは、実に奇妙なものだった。


「そうなのかなぁ………うーん、どうなんだろ?それで?えっと、咲夜だっけ?どうして貴女は此処に来たの?」

「私は、その、館の掃除をしていましたら歌声が聴こえてきまして。それで気になって此処に来たんです」

「歌って………えっと、それってもしかして………」

「とても澄んだ、綺麗な歌でしたよ。フランドール様」

「あ、その………………ありがと」


赤くした顔を両手で下した帽子で隠しながら、フランドールは咲夜に恥ずかしそうにそう伝える。
ただ暇でしょうがなかったから歌っただけだったのだが、それが聴かれたと思うと急に恥ずかしくなったのだ。

そんな外見の年相応の少女の行動に、咲夜はくすりと笑みを漏らしたが、すぐに顔を引き締める。
その時、咲夜はフランドールの後ろでぱたぱたと輝くある物に気付いた。


(あれは………えっと、何、かな?)


体のほとんどが扉で隠れていて分からなかったが、フランドールの背中には奇妙な物があった。
木の枝のような物に七色程の種類のある宝石が付いている、羽のような物だった。
羽のようなと表現したのは、ぱたぱたと動くその動きが羽の動きによく似ていたからだ。
羽だと断定しないのは、その形がとても羽とは思えない形だったからだ。
彼女もアサシンとして様々な妖怪と出会ったものだが、こういうものは初めて見た。


「………どうしたの?」

「いえ、レミリア様とは随分と違った………羽だなと、そう思いましたので」

「その、変………かな?」

「いいえ、そのような事は決して。綺麗な羽で、私は好きですよ」

「じゃあじゃあ!お姉様と比べたら?」

「そうですねぇ………レミリア様の羽は立派ですが、私はフランドール様の羽の方が御綺麗だと思いますよ」

「そっかぁ。えへへへ」


気分を良くしたフランドールは嬉しそうに羽をぱたつかせて微笑む。
自分のこの羽を家族以外の者に褒められたのは、随分と久しかったからだ。
フランドールは最初、咲夜を見た時に冷たくて恐そうな人だなと思ったが、今では違う。
表情は変わらず、冷たく恐い感じもまだあるが、少し話してみたら優しい人だと分かったからだ。


「咲夜は優しいんだね」

「そう、でしょうか?」

「それになんだか犬っぽいわ」

「犬ですか?よくそう言われますが、どのような所なんでしょうか?」

「なんかね、忠犬っぽい感じがするの。主人が死んでもずっと待ってるような感じがする」

「ハチ公ですか私は?まあ悪い気はしませんが」

「じゃあ咲夜は犬なんだ。そっかそっか」


なんだか何時の間にかこの少女の中では自分は犬になってしまったが、わざわざ訂正する必要も無いし、何より楽しそうだからまあいいかとそう判断した。

余談だが、この判断の所為で咲夜は長い間フランドールから人間ではなく犬だと思われてしまう事になる。
もっとも当人達は気にする事は無いので問題は無い訳だったが。


「ねえねえ咲夜!私ね、退屈だったの。ちょっとでいいからさ、付き合ってくれない?」

「困りましたね。私もまだ仕事が終わったとは言えないんですよね」

「だいじょーぶ!お姉様や美鈴には私から言っとくから!私だってスカーレットなんだから!」

「フランドール様は偉いんですね」

「そうよー。私だって偉いんだよー。えっへん!」


胸を張って「私は偉いんだぞー」というその姿はレミリアの妹なんだなと思わせるには十分だった。
仕事の方はまだ終わっているとは言えないが、少しだけ休んでも大丈夫だろう。


「それじゃねー、えへへへ。咲夜、こっちこっち!」

「はいはい。そんなに引っ張らなくても大丈夫ですから」


嬉しそうに自分の腕を引っ張るもう一人の吸血鬼の少女のその姿を見て、咲夜は緊張とかそういうものを忘れてしまっていた。










「フランの部屋の扉の結界が解除されたってどういう事よッ!?」


レミリア・スカーレットは急ぎ、自分の妹が待つ部屋に向かっていた。
美鈴とパチュリーがそれに続くようにして付いて行く。

最初にその異変を感知したのはフランドールの部屋の扉に結界を施したパチュリーだった。
いきなりの出来事に一瞬慌てたパチュリーだったがすぐに天候操作の魔術を使用し紅魔館の周囲に雨を降らせた。
フランが暴れて扉を破壊して外に出ようとしたらすぐに雨を降らせて脱出を防ぐ。流水を苦手とする吸血鬼だからこそ通用する手段だった。

その後慌ててレミリアと美鈴の下に文字通り飛んで行ったパチュリー。
そんなパチュリーの姿と周囲に降る雨を見た二人は何が起こったのかすぐに察した。
はっきり言えばフランが暴れて脱走を試みるなんて事態はよくある事だった。
最近は大人しくしていて油断していたというのを差し引いても、慌てるような事態ではない。
では何を慌てているのかと言うと、今回は結界を“破壊”されたのではなく“解除”されたという事だ。


「分からないわよ!あの結界は破壊する事は出来ても内側から解除するなんて事は出来ないのよ!」

「正式な方法で解除されたという事は、誰かが外側から解除したって事ですよね?侵入者の気配は感じませんでしたし、だとすると」


扉を解除したのは咲夜だという事だ。だからこそ三人は慌てていたのだ。


「ああもうッ!パチェッ!何で外から触っただけで解除出来る結界にしたのよッ!」

「普段私達以外誰もフランに会わないからよッ!」

「今は咲夜が居るんだから注意しときなさいよこの紫もやし魔女ッ!」

「解除が面倒なのは嫌だって言ったのはあんたじゃないこのおこちゃま吸血鬼ッ!」

「何よ文句あんのッ!?」

「そっちこそやろうってのッ!?」

「ウーッ!」

「ムキューッ!」

「ウーッッッ!!!!」

「ムッキューッッッ!!!!」

「いいッ加減にしなさい二人ともッ!今はそんなウーウームキュムキュ言ってる場合じゃないでしょうがッ!」


美鈴の一喝に思わず喧嘩をしそうになる二人は怯んでしまう。
確かに今は争っている場合ではない。急いでフランの下へ行かなければいけないのだ。
決して怒った美鈴が物凄く恐いからとか、そういう理由では決してない………のだ。

地下の通路を通り、三人は急いでフランの部屋まで駆け抜ける。
扉が見えた。破壊された様子は無い。だが魔方陣は予想通り消えていた。
つまり二人は部屋の中。三人の脳裏に最悪の場面が思い起こされる。


「二人とも、行くわよッ!」

「ええッ!」

「はいッ!」


三人はレミリアを先頭に部屋に突入する。そしてそこで三人が見た光景は――――――









「ふーんふふーん。この頃流行りの暗殺者~背骨の浮き出る暗殺者~」


なんかノリノリで歌ってるメイド長と楽しそうに笑う妹様が居た。










「……………………って、何やってんのよあんた達ッ!?」


一瞬目の前で何が起きているのか理解不能だったレミリアが気を取り戻して言ったセリフがそれだった。


「どっちを向いてもハサ……ん?」

「あ、お姉様に美鈴。ついでにパチュリーも」


予想していた最悪の事態は避けられたようだが、待っていたのは予想外なこの展開。
レミリアは思わずツッコミを入れ、美鈴はどうしたものかと判断しかねていた。
ついでに言うとパチュリーはついで扱いされた事を地味ぃに気にしてむきゅぅっと項垂れていた。
レミリアはハッと、今の自分が威厳0なのに気付き、気を取り直して尋ねる。


「……おほん。咲夜、どういう事か説明して貰えるかしら?」

「結論から言います。私は――――――歌ってました」

「んなもんは見りゃあ分かんのよッ!そこに至るまでの過程を聞いてんのよ私はッ!」


威厳はすぐさま消え去った。


「では簡潔に言います。
 掃除してたら歌が聴こえて気になったので此処に来てフランドール様と会って――――――で、歌ってました」

「成る程。………………だからなんで歌ってんだよぉぉぉぉぉッ!?」

「そう言えば、どうしてでしたっけ?」

「私が咲夜の声綺麗だねってとこから話が始まったんだっけ?」

「あ、そうですね。そうでした。はい、つまりそういう事です」

「ああんもぉうそれでいいよ!もう、どうでもいいよそんな事はッ!」

「お、お嬢様?ほ、ほら落ち着いてくださいよ。ね?」

「うー!うー!」


あんまりな扱いにうーうー泣き出したレミリアとそれを宥める美鈴。
そして一体何がどうしたのだろうと首を捻る咲夜とフランドール。
この騒ぎを起こした元凶ではあるのだが、当人達はそんな気持ちはこれぽっちも無かった。
ついでに言うと、もやしは日陰に黙って生えていた。


「それよりもお姉様、どうして咲夜の事黙ってたのよ?」

「え?い、いやその、本当はもう少し後で紹介しようと思ってたというか、あんた達二人の都合を考えてというか」


急に質問されたレミリアはしどろもどろに答える。それをジト目で見るフラン。


「本当かなぁ?咲夜ったらね、私の事を知らされてなかったのはお姉様達に信頼されてなかったからだって思ってたみたいよ?」

「咲夜ッ!?そういうんじゃないからね!?勘違いしないでよね!?
 私貴女の事はこれ以上ないってくらい信頼してるんだからねッ!本当なんだからねッ!」

「そうですか。じゃあ、殺していいですか?」


スチャッと何処からともなくナイフを構え物騒な事を言うメイド長。


「嫌だよ!なんでそうなるんだよ!唐突過ぎるんだよ!そのナイフしまえよ!」

「………………チッ」

「舌打ちした!?この子今舌打ちしたんですけど美鈴!?」

「うるさいなぁお姉様は………………チッ」

「妹にも舌打ちされたぁぁぁぁぁぁ!?うわぁぁぁぁぁぁぁぁんッッッ!!!!」


従者と妹二人揃ってぞんざいに扱われて遂には泣いちゃったレミリアちゃん。
それをよしよしと頭を撫でて慰める美鈴。今のレミリアにカリスマなんてある訳が無かった。
ついでに言うと、もやしは第二次世界大戦中では光の無い潜水艦の中で栽培されていたらしい。


「ええっとぉ……咲夜さん?此処にはまだ来ちゃいけないって言ってましたよね?」

「………そうね、ごめんなさい美鈴。どうしても気になってしまって」

「まあ取り敢えずは結果オーライ………という事でいいかな?」


緊迫した事態になると思って扉を開けたら結果はこのぐだぐだな展開である。
正直もうどうでもいいかなーなんて事を考え始めた美鈴だった。


「まあ、別になんかの物語みたいに一々運命的な出会いがあるわけもないですしねー」

「うー………えっぐ、ぐすん………私はそういうのがいいのに………」


そんな風に泣きじゃくるレミリアを見て、咲夜は「漫画や小説じゃあるまいに」と美鈴と同じ感想を内心呟いた。
これは早々に仕事に戻った方が良いなと、咲夜は暢気にそんな事を思った。


「全く人騒がせな。これじゃあ急いで雨を降らせたのが馬鹿みたいじゃないのよ」

「………パチュリー様。今、何と仰いました?」

「いや、だから雨を降らしたのが馬鹿みたいって………」

「洗濯物、まだ、取り込んでないんですけど」

「………あ、ああ、そうだったの?」

「洗い直して下さいね。パチュリー様」

「いや、今回の事は緊急の事態で仕方なく「お願いしますね」ちょ!?私だけが悪いみたいに言わない」


それ以上は先を言わせないとばかりに、パチュリーの両肩をガシリと掴む。
そして感情と言う物一切が無くなった表情で、心臓が凍り付きそうな声で小さくだがはっきりと囁く。


「オ・ネ・ガ・イ・シ・マ・ス・ネ」

「…………………はい」


有無を言わさぬその物言いに、パチュリーはそれだけしか言えずにその場からそそくさと立ち去って行った。
決して心底恐いからとか、震えや鳥肌が止まらなくなったとか、そういう事では………そういう事だった。

一方レミリアはある程度は泣き止んだが、まだぐずぐずと泣いている。
二人の事を心配して来たというのにこのあまりに散々な仕打ち。泣きたくなるのも当然だった。
そんなレミリアの珍しい姿を見て、フランはそんな姉を少しからかいたいという嗜虐心がくすぐられた。


「ねえお姉様?」

「うー………なによぉう?」

「私ね、咲夜の事気に入ったわ」

「ふ、ふーん。そうなの?」


レミリアは取り敢えず落ち着こうと努めて、返事をした。
こんな出会いになってしまったが、フランがこの新しい従者を気に入ってくれたのは好都合だった。
少なくともフランが咲夜に出会っていきなり殺しにかかる、なんていう事態は避けられたのだから。
だが問題はその後の行動だった。フランは嬉しそうに咲夜に抱き着いたのだ。


「アーッ!?」

「あららら?」

「……はい?」


声を荒げて驚くレミリア。不思議そうに首を傾げる美鈴。どうしたのかと訝しがる咲夜。
三者三様の違いはあるが、それぞれフランの行動に驚く。


「あったかいし柔らかいし………うん、良い匂い。えへへへ」


きゅっと力を入れて抱き締めて、自分の頭をぐりぐりと押し付けるフランドール。
どうやら咲夜は姉のお気に入りのようだ。だったら自分がこんな事をしたらどうなるのか。
そう思ってやってみたのだが、フランドールが思っていた以上に咲夜は抱き心地が良かった。
犬にしては爺とはまた違った感じで変身もしてないが、これはこれで病み付きになりそうな感触だった。

一方レミリアは一番のお気に入りの自分の従者にそんな事をされて黙っているはずがなく、
すぐにフランに近付いて引き離そうとする。


「離れなさいよフランッ!咲夜は私のッ!私のなーのーッ!」

「やーだーッ!離れたくなーいーッ!」

「お姉ちゃんの言う事聞けないのッ!?」

「お姉ちゃんだったら我慢してよッ!」


そんな風にして言い合いを始める姉妹は、数百年の年月を生きた吸血鬼という感じは欠片も無かった。
見た目通りの子供の喧嘩を目にして咲夜は困惑しつつも「なんかこれかわいいなぁ」と、そんな暢気な事を考えていた。
美鈴の方を見てみると、困ったようにして笑っている。この二人を止められるとしたらもうこの保護者以外には居ないだろう。
それが伝わったのか、美鈴は二人に近付きしゃがんで目線を合わせてから二人の頭をぽんと叩く。


「こーら二人とも、咲夜さんが困ってるでしょ?そこまでにしてください」

「うー……だってフランがぁ……」

「お嬢様は姉で、それに今は当主なんですから。ちょっとは我慢するようにしてください。ローレンスさんにもきつく言われたでしょ?」

「うー………………はぁい」

「妹様もですよ?からかうような事をしてはいけませんからね?」

「………だって、お姉様は咲夜が居るのに、私は」


むすっと詰まらなそうに不満を言うフランに、美鈴はフランの耳元で小さく、彼女にだけ聞こえるように囁く。


「今日は一緒に寝てあげるから。ね?」

「………うん」


それを聞いたフランは頬を赤くして頷く。その時にフランの羽がぱたたっと嬉しそうに動くのを見たレミリアは、悔しそうにうーと唸る。
何を言ったかは聞こえなかったが、何を言ったのかは大体分かったからだ。


「はい!それじゃあこれで御終いですね!あ、咲夜さん。私はもうちょっと妹様と居るので、先にお嬢様と一緒に戻ってください」

「ええ、ごめんなさいね美鈴。結局私が勝手に来たのが騒ぎの原因だったのに」

「いいんですよ。何時かは会う事になってましたし。それにこういう風に終わる事が出来たのは、本当に幸運だと思いますから」


確かにこのように丸く収まったのは実に幸運な事であった。
彼女達は知る事も無いだろうが、もし仮に、咲夜が普通にフランドールに出会ったのなら、咲夜の張り詰めた空気は変わらなかっただろう。
レミリア・スカーレットの妹として最初に出会っていれば、彼女はずっとフランドールを警戒していただろう。
そしてその剣呑な空気を感じ取ったフランドールのその不安定な精神のバランスに影響して………
だからこそ、この結果はある意味では最上の出会いであったのかもしれない。


「それじゃあ妹様、部屋に行きますよ」

「うん、分かった」


美鈴の後に続いて部屋の中に入ろうとしたフランは、立ち止まり振り向く。


「それじゃあ咲夜――――――またね」


軽く手を振り自分に向けるその笑顔。それはまるで家族に向かって送るような、そんな笑顔だった。
扉が閉まり、通路には咲夜とレミリアだけが残されていた。


「それじゃあレミリア様、戻りましょうか」

「………………」

「………?いかがなされましたかレミリアお嬢様?」


どうしたのかと聞いても返事は無い。ただ黙って下を向いて、俯いているだけだった。
するとレミリアは突然、何も言わずに咲夜に抱き着いた。先ほどのフランの同じように。


「あの、お嬢様?」

「………………」


同じように黙ったまま。その表情も自分の体に埋めていて伺う事も出来ない。
ただ黙って、レミリアは甘えるようにして抱き着いて咲夜を離さなかった。
まるで構って貰えなかったのを気にしていたとでも言わんばかりのその行動。
いや、まるでではなくその通りなのだろう。今のレミリアは外見相応の少女だった。
そんな姿を見ていると不意に、ある感情が咲夜の中に芽生えたのだ。
この少女が愛おしいと、そう感じたのだ。


(何を馬鹿な事を。私は………この子を殺そうとしているのに)


そうは思っても、一度感じたその感情は無くならなかった。
それはジクジクと甘い毒になった彼女、咲夜の中に広がっていく。
妹に甘えられるというのはこんな感じなのだろうか?自分が小さかった頃の姉さんもこんな気持ちになったのだろうか?
そんな事を考えた時にはもう既に、彼女は微笑んでいた。


「あの、このままだと動けないから離れて欲し「やだ」………そうですか」


やっと返ってきた返事がその一言だった。本当に子供だなと、呆れてしまう。
咲夜は先ほどの美鈴と同じように、しゃがんでレミリアと目を合わせる。
やっと見る事が出来たその表情は涙目になっていて、泣いた所為か、それとも恥ずかしい所為か、その白い頬を赤く染めていた。
そんなレミリアに、咲夜は優しく言う。


「お嬢様。私と一緒に戻りましょう」


レミリアはその言葉を聞いて咲夜の顔を見る。
もう既にあの微笑みは無く、レミリアはそれを見る事は無かったが、無表情ながらも何時もより柔らかい、彼女の顔がそこにはあった。
それを見て安心した瞬間、抱き着いているのが恥ずかしくなり、レミリアはやっと咲夜から離れた。


「それじゃあ、行きましょうか」

「………うん」


そうして二人は暗い地下の長い通路を、時間を掛けて歩いて行った。
だがその間、レミリアは地下から出るまでずっと、咲夜のスカートの裾を握っていた。
咲夜もそれに気付いてはいたが、なんだかこれも悪くないなと思い黙ったままだった。
それが、今の彼女達の距離だったのだろう。










その後、咲夜はフランドールがどのような人物なのかを聞かされた。そして同時にどれだけ危険なのかも聞かされた。
そしてフランドールが暴れた時にも立ち会う事にもなり、それで負傷するようにもなったが、彼女は怨んだり恐れたりする事は無かった。
あの出会った時に見せてくれた笑顔の事を思えば、そんな事は考えるまでもなかったのだ。
そう、あの出会いは確かに彼女達にとって、最上の出会いであったのだ。










咲夜が来てから二年近くになろうとしていただろうか。季節は秋。肌寒くなり葉の色も変わり始めていた。
美鈴は寒空の中一人門の前で佇んでいた。だがもうそろそろ一日も終わろうとしていた。
見上げればそこはもう紅く染まった夕暮れの空。太陽も沈み、眠りに入ろうとしていた。


「もうすぐ夜か。………あーあ、今日は冷えるんだろうなぁ」

「そう言うんだったら、今日はもう上がれば?」


美鈴一人しか居なかったその空間に、もう一人の声が唐突に現れる。
美鈴は慌てる事も無く返事を返す。


「いえ、こんな時間だからこそ気を付けないと。今は逢魔が時。何が現れてもおかしくないですから」

「そうは言っても、此処最近は誰も来ないじゃない。前はちょくちょくハンターが来たものだけど、もう此処数か月は見てないし」

「おや?ハンターなら私の目の前に一人居るんですがね?」

「あら、そうだったわね」


美鈴は咲夜のその冗談が嬉しくて、つい笑ってしまう。なんだかこの子が、もう自分達の事を家族だと思ってくれてるように聞こえたから。
レミリアを狙う回数も随分少なくなった。もう此処二か月はレミリアを殺そうと襲う事も無かった。
此処に来たばかりの頃に聞こえていたあの泣き声も、今ではもう過去の事だ。
このまま何事も無く一緒に時を過ごしていけば、この子は何時かみんなに笑顔を向けてくれる。


「どちらにしても、休んだ方がいいわ。寒くなりそうだし、暖かくしないと」

「そうですね。それじゃあ」


そうして二人は館に戻ろうとした――――――その時だった。










「では――――――私も御一緒して宜しいかな?」









その場に唐突に現れたその場に居てはいけない第三者のその声。
いきなり聞こえたそれは酷く耳障りで、聞こえた瞬間に二人はすぐさま振り返り、その声の主を自らの目に捕らえる。
そこには先ほどまでは存在していなかったはずの黒い影が、夕日を背にして佇んでいた。
先ほどまでは何の気配も無かったはずなのにそこにいる不気味な存在。
その影の怪異に向かい、二人はそれぞれ言葉を漏らす。


「貴様――――――何者だ?」

「そんな――――――貴方は」


十六夜 咲夜はそれが一体何だったのか知らなかった。
紅 美鈴はそれが誰だったのか知っていた。
そんな二人に向かい、影の怪異は皮肉めいた微笑みを浮かべる。









「気を抜いてはいけないな。刻限は正に逢魔が時。何が現れてもおかしくは、ない。
 そう例えば―――――ああほら、この私のような者とかねぇ」










あっとっがっき!あっとがき!だっぜぇぇぇぇぇぇぇぇ!

なんでまあこうも遅くなったんでしょうかと問われれば、気が乗らなかったからとしか言い訳出来ない。
うん、でもほら、クーガ―の兄貴も仰ってたでしょう?「二十年かければバカでも傑作小説が書ける!」って。
………ほんとごめんよ!だ、大丈夫!二十年もかける気は無いから!

いきなりだけどFate/Zeroの話。いやぁ面白いですね!何が面白いってそれは勿論、
ハサン先生が活躍されるからですよ!ええ本当にね!
この話でも先生のネタ出たけど、別にアニメにつられてとかそういうのじゃないからね!
この話書く時に絶対やろうと思ってただけなんだからね!それだけなんだからNE!
アニメを機会に、先生の人気が上がる事を願うばかりです。

で、最後になんか変なもん出たけど話バァァァッと進めるのに必要だったからね。
もう私バァァァァッと書くからねバァァァァッと!ノリノリで!ああ、書いてやろうじゃないか!
もう今書く!すぐ書く!投稿してから書くからね!
ダァァァ書いてバァァァァ書いてジャァァァンと書くからね!
次の話で色々と大風呂敷を広げようかと思ってるから。
この本編だと関係無い話ばかりだがな!ヒィィィハハハハハハハハハッ!

※スミスは話がやっと書き終わりテンションが非常にハイになっております。
 感想などでツッコミを入れて大人しくさせてあげましょう。
 それでは!



[24323] 第三十二話 忍び寄る怪異
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/10/21 19:00





紅魔館の空気は今、冷たく張り詰めた空気が漂っていた。それは突然来訪した人物の所為に他ならない。
だがその人物が来る事は予期せぬ事態という事ではなかった。むしろこちらとしては望んでいたものではあった。
ならば何故此処まで緊迫した空気が漂っているのかと言えば、それはその件の人物が問題がある人物だからであった。

レミリア・スカーレットは紅 美鈴。パチュリー・ノーレッジ。そして十六夜 咲夜を伴い紅魔館の通路を進んでいた。
その件の人物は今、客間で待たせてある。全員は今そこに向かっている最中だった。
通路を進む中、美鈴は心配そうにレミリアに話しかける。


「お嬢様、これだけは気を付けて下さい。決して自分のペースを乱さないで下さい。
 あの人と話す時は話の流れがどうなるか分からないんです。気付けば相手の気に呑まれる事もあります」

「ええ、分かったわ」

「用心に用心を重ねて下さい。それも過剰だと思えるくらいにです。あの人相手ならやり過ぎという事はないでしょうから」

「心しておくわ美鈴」

「無理に虚勢を張ろうともしないで下さい。あの人はそこを確実に突いてきます。
 そういう事に関しては実に目敏いですし、それを存分に楽しむ相手ですから」

「………………うん」


先程から美鈴からのこの過保護とも言える忠告がずっと続いている。
だがレミリアはそれをうるさいとは決して思わなかった。いや、思う事が出来なかったのだ。
忠告してくる美鈴のその顔を見て、その声を聞いて、そう思う事が出来なかったのだ。
何故ならそれは正に戦場に出る前に気迫そのものが込められていたからだ。鬼気迫る思いがあったからだ。
それだけでレミリアには分かるのだ。今から自分が会う人物がとんでもない相手だという事が。
手に汗が握られる。喉が渇く。心の臓腑は早鐘を鳴らす。
今レミリアは、初めて命を懸けた戦いをしたあの頃の自分を思い出す。
それを懐かしいとさえ思う事が、今の彼女には出来なかった。
足取りが重い。息が荒げる。体から震えを消す事が出来ない。
正直に言えば今まで味わった事が無いこの奇妙な緊張感が、堪らなく嫌だった。

その緊張はパチュリーや咲夜にも伝わって来た。
パチュリーは正直に言えば着いて行きたくはなかったが、事は紅魔館全体に関わる一大事だ。
ならば関わらない訳にはいかなかった。自分の気持ちがどのようなものであれだ。

咲夜はただ緊張と驚きしかなかった。このようなレミリアは初めて見たというのもあった。
だがそれと同じように、あの相手の事を警戒してもいた。
気を緩めていたのを抜きにしても、自分と美鈴がその瞬間まで気付かない程に近付いたその実力。
その事実だけでも十分警戒する理由にはなったが、それ以上に――――――


(お嬢様には………出来ればあれと関わってほしくない)


あれと出会った瞬間に最初に感じた感情。それは、自分でも上手く説明する事は出来ないが、少なくとも善い感情ではない。
むしろその対極だ。断言してもいいが、あれは悪いものだ。存在する事すら認めてはならない何かだ。少なくとも、そうと表現するしかなかった。
だからこそこの小さな吸血鬼の少女にあれに関わってほしくなかったのだ。
この人が自分と同じあのような感情を抱く事が、我慢出来なかったのだ。

全員それぞれ思う事はあったが、皆同じように緊張していた事は確かだ。
レミリアも美鈴もパチュリーも、そして彼女も、同じ思いで同じ場所に向かっていた。
このような事で初めて全員の心が一つになったのは、実に残念であり皮肉な事ではあったが。

そうこうしている間に四人はとうとう問題の客間に辿り着いてしまった。
全員が緊張した面持ちで佇む。この先は戦場だと言わんばかりの表情だ。
いやそこは正に戦場なのだ。そしてこれは初陣なのだ。四人が初めて共に戦う事になる戦場そのものなのだ。
レミリアは軽く深呼吸する。何度も、確かめるように、息を吸って吐く行動を繰り返す。


「それじゃあ………行くわよ」


そしてついにその扉に――――――手を掛けて開いた。










その扉を開けて最初に飛び込んで来たのは、豊かなコーヒーの香りだった。そのコーヒーは目の前の人物の為に咲夜が淹れた物だったはずだ。
咲夜が御飲み物はと尋ねた時に注文されたのがコーヒー。あまり紅魔館の者達が飲まない代物だが、無い訳でも無かった。

部屋の中は照明と夕焼けの光が入り込み明るくあった。その中、レミリアは件の人物を探し、そして見つけた。
その人物は夕焼けの光が差し込む窓際に自分達に背を向けるようにして立ち、紅魔館の庭園を眺めていた。
夕暮れの光の中で、それに反するように佇む黒い影は、その存在をこれでもかと強く強調していた。
その光景に若干気圧されるレミリアはこれではいけないと気を取り直す。その時、黒い影が背を向けたままレミリア達に話しかけた。


「久しぶりに見る光景ですが、やはり美しい。朱に染まる空と雲。夕日に照らされ紅く輝く庭園。
 黄昏の僅かな時間にしか見る事が出来ぬ儚くも美しいこの光景。実にこの館に相応しい美しさだ。
 永遠を思わせる刹那の風景と―――――そうは、思いませんかな。皆様」


振り返り、黒い影は、男は皆に同意を求めた。
だがその表情に浮かんだ皮肉めいた微笑みは、彼女達の同意などはどうでもいいと、語っているように見えた。


「この光景を共に楽しみたいとは思いますが、吸血鬼にとっては身を焦がす毒。
 実に残念ですが、まあ、いいでしょう。短くも長いこの時間の間、この光景を独り占め出来ただけでも、良しとしなければ」


黒い男は残念にそうにカーテンを閉めて日の光を閉ざした。
それによって先程までの強い威圧感は少し薄れるが、全く無くなった訳でもない。
だがその妙な威圧感が少し弱まってくれただけでも、今のレミリアにはありがたかった。

レミリアは改めてこの男を見定める事にした。
男が着ている服は黒に近い紫にダブルスーツに黒いシャツを着て、柄の無い明るい紫のネクタイを締めた中肉中背の男だった。
その服装は一歩間違えれば悪趣味とも言えたが、その男には不思議と似合っていた気がした。
レミリアはそれをこの男が得体の知れない人物だからだろうと判断した。
背丈は美鈴と同じくらいなのだろうが、その重苦しい服装によって体格はそれよりも大きく見える。
顔から判断して外見の年齢は初老、いや不惑を超えているように見えるが、堂々と背筋を伸ばす姿は反して若々しく見える。
ただその後ろ姿だけで判断するのなら、三十路に見えない事もなかった。だが、それ以外は何の特徴も無かった。

男がレミリアにゆっくりと近付く。ゆっくりと一歩、二歩、三歩と、焦らす様に。
その表情は慈愛に満ちた微笑みにも見えたが、それ以上に皮肉に満ちた冷笑にも見えた。
四歩、五歩、六歩と近付いて来る。それと共に威圧感もゆっくりとだが更に増していく。
七歩八歩九歩と近付いく。そして、十歩目でレミリアの前で止まった。
レミリアは気を強く持ち、遂に目の前の人物に話しかける。


「私の要請に遠路遥々来てくれた事、感謝する。―――――幻想卿、サー・ファンタズマよ」


レミリアのその挨拶を見て黒い男――――――サー・ファンタズマはにこりと、その笑みを強くした。


「これはこれは、恐悦ですな。スカーレットの当主に労って貰えるとは。………おや、いけない」


男は胸のポケットに手を入れると、白いレースのハンカチを取り出し、レミリアに差し出す。


「どうぞ、御使い下さい」

「………これは?」

「失礼ですが、若干頬に汗が。ふむ、どうやら少し緊張されているようですな」


それを聞かされたレミリアは内心しまったと声を上げた。
まさかいきなり自分の心を見透かされるという失態を演じた事に、顔を曇らせる。
落ち着かなければならない。そう思うレミリアはファンタズマが差し出したハンカチを受け取る。


「………ありがとう。気が利くのね」

「宜しければ差し上げますよ。そもそも自分の為に使うのではなく、こういう時の為に用意しているものでして。
 それに第一私が持つには、どうにもそれは華美が過ぎる」


汗を軽く吹き終ったレミリアは、咲夜にハンカチを手渡す。
正直このハンカチはもう二度と見たくなかった。後で必ず燃やして捨ててやると、内心に留めておく。


「それじゃあ、立っているのもあれだし、適当に座ってちょうだいな」

「ええ、分かりました」


レミリア、美鈴、パチュリーはそれぞれテーブルに着き、咲夜はレミリアの側に控える。
その後にサー・ファンタズマは三人と向かい合う席に座ると、早速話を始めた。


「もう知っているとは思いますが、改めて自己紹介を。
 私は名前は、サー・ファンタズマ。親しい者からはファンタム。もしくは人柄から、スティンガーとも呼ばれますな」

「スティンガー……皮肉屋か。お前にピッタリじゃないか」

「ええ、私もそう思いますよ。実に、私に似合っている仇名だ」


皮肉屋に相応しい笑みを浮かべるファンタズマだったが、途端にその顔を引き締める。


「まず最初になりますが、御父上の事は残念でした。お悔やみを申し上げます」

「あ、ああ………どうも」


急に改まった態度になる相手に少しばかり困惑するレミリア。
そこに先ほどの笑みは無く、苦渋に満ちた顔しかなかった。


「葬儀に出席、参列したくもあったのですが、私にはその資格は無いものでしたので」

「何故だ?どうしてそのような事を言う?」


ファンタズマは一瞬躊躇い、苦い物を吐き出すようにして言葉を続けた。


「私は事前に知っていたのですよ。君達がハンターに襲われるというその情報をね」

「なんだとッ!?」


相手の予想外のその発言に、場の空気は一気に低くなった。
声を荒げるレミリア。目を細めて冷たい視線を放つパチュリー。あの美鈴までもがジトリと彼を睨み付けていた。


「そして、それを事前に知らせる事もこの私には出来た」

「………教えて貰おうかファンタズマ。どうしてそうしなかったのかをな」


返答次第では今すぐこの場で貴様を殺すと、殺気を含ませて尋ねるレミリア。
その問いに、ファンタズマは厳かに答える。


「エイブは、スカーレットは私にとっては古き友でした。初めて会ったのはそう、未だ世界が一つと定まらず大きかった頃。
 ニムロド王がバベルの塔を建造する為の人員を集めた時に、出会ったのです。まあ、結局塔は忌々しいあの神に壊されましたがね」


さらりと何気なく出て来たその単語から、この人物が相当古く長い間生きている事を察する事が出来たが、
今のレミリア達にはそんな事はどうでもよかった。


「だからのあいつの妻、君の祖母になる訳だが、その人の事も知っているし、当然君の御父上の事も生まれた時から知ってる。
 だからこそ、いざという時は助けたいという心情はありました。ですが私はそれが出来なかった。いえ、しなかった。
 それは、そのハンターの中にも同じように私の古き友が居たからです」


そう答えたファンタズマは三人の気迫にも劣らぬ威圧感を漂わせて、その先を語り始めた。


「その者は私にスカーレットの情報を求めました。これから戦うからと、揺るぎ無い意志を持って。
 それを聞いた私は、もはや止める事は出来ないとただ嘆く事しか出来ませんでした。
 私に出来たのは、私の持つ情報を開示しないという事だけ。その後はただ傍観するしか、出来ませんでした。
 ですが一つ注意してほしいのは、私がただの私情でそうしたのではないという事です」

「ほう?私情ではなく一体なんだというのだ?」

「利益ですよ。そう、スカーレットもそのハンターも、どちらも私にとっては大切な御客だった。
 どちらかに情報を売ればどちらかを裏切る事になる。私は一度交わした契約は決して破らない。報酬分は必ず働く。
 どのような事があろうと自分の客を売る事は決して行わない。客自身が私を裏切らぬ限り。
 まあお得意様かそうでないかでも扱いは変わりますが、とにかく、それがこの幻想卿の何者にも覆せぬ信条なのですよ」


そう語るファンタズマの言葉には、レミリア達を僅かだが怯ませるだけの気迫が込められていた。
それを見たレミリアは思う。この男はあの時襲撃してきたハンター達の事を絶対に知っている。
だが、それを言う事は決してないだろう。例え今この場で自分達に殺されようともだ。


「………何故それを私達に話した?言わなければバレずに済んだものを」

「これから共に戦うのであれば、これは言わなければいけませんからね。第一私の信条にも反する事です。不利益になりかねない。
 それに何より、個人的なものですが、私が言いたかったからですよ。これは何もしなかった私の懺悔のようなもの。
 勿論許し等は私は求めてはいません。ただ言って心の靄を無くしたかっただけ。御蔭で、随分と心持ちが楽になった。
 例えこの後殺されようとも、悔いはありません」

「………………そうか」


レミリアはそれだけ言って落ち着きを取り戻した。
心情から言えば、この男は許す事は出来なかった。だが、責めた所で今更どうにもならない。
この男があの襲撃に加担していたのであれば、今すぐ殺してやろうかとも思ったが、男はそうではないと語った。
そもそも知っていたからといってどうにかなったとも思えなかった。精々が警告として受け取り、同じ事をしただけだったろう。


「私は、お前を信用してもいいのか?」

「仲間ではなく友でもなく、ただ共に仕事をする相手として信用してほしい。
 まあもっとも、君があまりにだらしないのであれば、私もそれ相応の対応をしますがね」


そう言うファンタズマの顔には、初めて見せたようなあの皮肉の笑みが浮かんでいた。
それを見たレミリアは信用出来る出来ないは別として――――――この男が実に気に喰わなかった。


「それにしても、昔と違い成長されましたな。前にお会いした時は実に愛らしくありましたが、今ではそれに気品も備わった。
 まだ幼いですが、先程君を見た時には亡き御母上の面影が見て取れたものだ。
 成人されて、御母上のあの血の婚礼衣装を身に纏えば、生まれ変わったと錯覚すらするでしょうな」

「………………まあ、私はお前を覚えていないんだがな」


頬杖を突いて目を逸らし話をはぐらかすレミリア。
母の衣装は確かにまだ残っており、今はレミリアがそれを所持している。だが今まで一度も着た事は無かった。
サイズが合わないとかそういう事ではない。そもそもあの衣装は好きなように姿形を変える事が出来る。
母自慢のあの鮮血の衣装は、幼かったレミリアが憧れ羨ましがったものだ。
では何故着ないかと言えば――――――


(あの服を着るのは………まだ、ちょっと恥ずかしいんだよなぁ)


チラリと美鈴の方を見ると無言ながら「あれはちょっとなぁー」という同意の眼差しが返された。
自身の母エミリアのあの衣装は、体のラインがはっきりと分かり露出も多いものだったからだ。勿論変えようと思えば変えられるのだが。
相手もそれは承知しているだろう事を考慮すれば、それは十分にセクハラ発言だった。
レミリアの中での相手の評価は益々悪くなっていく。彼女の中ではもう既に目の前の男は嫌いな人物に確定した。
一方ファンタズマと言えば表情はそのまま変わらず、肩をすくめる。


「まあ、もう数百年も前の事ですからな。当然でしょう。それにメンツも代わりましたな。
 私が知っているのは君と美鈴。そしてそこの魔女、パチュリー・ノーレッジですな」

「………なに、私の事も知ってるの?」


急に話を振られたパチュリーは一瞬ドキリとしたが、努めて冷静に返事をした。


「貴女個人というより、ノーレッジ家の者を知っていると言った方が正しいですな。
 いやしかし………相も変わらず不健康そうな一族ですな。肌が病的に白い」

「…………………ふん」

「まあ、病弱だとしてもそれが問題にならない実力を持つのがノーレッジの魔法使い。
 こうしてスカーレットの一員だというのがその何よりの証でもある訳ですな」

「当然よ。パチェは、このパチュリー・ノーレッジは私の親友なんだからな」


胸を張って自慢するレミリアを見て、ファンタズマはほほうと感嘆の声を上げる。


「素晴らしいですな。我が事のように誇らしく語る事が出来る友が居るというのは。実に、羨ましい。
 という事は………君の側に控えるそこの少女もまた、そのような関係なのですかな?」

「違うわ。この子は――――――」


レミリアはチラリと、咲夜の顔を見る。そして咲夜もまた顔を合わせ、その視線を交わす。
そして改めてファンタズマの方を見て、誇りを持ってその問いに答えた。


「この十六夜 咲夜は、私の最高の従者よ」


ファンタズマはレミリアと咲夜を交互に見て、得心したようにふむと頷く。


「成る程、その十六夜 咲夜がレミリア・スカーレットの背中を預ける事が出来る従者という訳ですな。
 かつての君の祖父と従者のように。その若さでもうその相手が居るとは、実に幸福な事ですな」

「ええ、その通りよ」

「でしょうな。君がそうである様に彼女もまた、それを誇らしそうにしている」


それを聞いたレミリアと咲夜は思わずお互いを見てしまう。それを聞いて二人とも驚いたからだ。
今の自分達はそのような関係に見えたのだろうか?


「えっと………そう、見えるのかしら?」

「うん?ええ、私は彼女の事は知りませんが、その立ち振る舞いやそこから見て取れる実力。
 そして君と共に居る事を誇らしそうにする姿を見て、これは正に君の従者なのだなと思ったものなのですが………?」

「そう………なら、いいわ」


そう言って満足そうな笑みを浮かべるレミリアを見て、ファンタズマは訳が分からないと言うような表情になる。
レミリアは嬉しかったのだ。今の自分達が赤の他人が一目見て信頼し合ってるように見られたのが、堪らなく嬉しかったのだ。
今はまだ本当にそうと言える関係とは言えなかったが、その言葉を聞いて、何時か必ずそうなれると信じる事が出来た。確信する事が出来た。

だが、咲夜は違った。自分とレミリアは本来なら殺し殺され遭う関係なのだ。
それなのに初対面の者にそう見られた事を、表情にこそ出さなかったが困惑し驚いていた。
驚くべき事はまだあった。自分はこの男の言葉を聞いて―――ほんの一瞬だったが―――嬉しく思ってしまったのだ。
まるで教団の者達に「さすがは長の愛弟子だな」と言われた時のあの暖かい感覚を、抱いてしまったのだ。


「サー・ファンタズマ。はっきり言えば私は貴方の事が嫌いだわ。
 だけど………うん。貴方のさっきの言葉は本当に嬉しかったわ。本当に、ありがとうね」


今のレミリアは最初の時の様に緊張してはいなかった。
穏やかに笑みを浮かべるその表情には、当主としての貫禄と余裕とがあった。いや、慈愛の感情すら込められていた。
それを見た美鈴とパチュリー。そして咲夜もまた、無駄な緊張が無くなり落ち着いた気持ちになっていた。
これがレミリア・スカーレットの当主として持ち合わせた資質なのだろう。

一方ファンタズマは相手の様子が変わった事に困惑の表情を更に強めていた。
そこには何時もの皮肉な笑みは無く、今まであったあの不気味な威圧感は薄れてさえいた。


「少し長くなったけど、話を進めましょうか?」

「え?ええ………分かりました。それでは始めましょう」


ファンタズマは気を取り直したのか、またあの笑みを浮かべた。


「君達は私を、正確には私の持つ戦力をだが、それを雇いたいという話でしたな。ですがその前に、私は君に幾つか聞いておきたい事があるのですよ。
 確かに、今のスカーレットにはかつての力はあるとは言えませんが、それでも戦力が無い訳では無い。
 何故なら君達が呼び掛ければ集まる戦力は未だ大勢居る。それを以ってすれば、私の力を借りずとも幻想郷に戦いを挑むだけの戦力は集まるはず。
 なのにそれをしないのはどうしてなのですかな?」

「簡単よ。結局その集まる戦力はスカーレットの、私のお爺様とお父様の為に集まるようなもの。私の為とは言えないわ。
 二人に世話になったから私を助ける、というのは、私としてはあまり好ましくはないのよ。
 もし集めるとしても、それは私が真にスカーレットに相応しい者であると証明してからでないと駄目なのよ」

「ああ……つまりは、自らのプライドの為という事ですかな?」

「そうだプライドだ。意地だ。それが無ければ紅魔の当主とは言えないからな」


それを聞いたファンタズマはくくくと声を上げて笑う。


「いやいや、実にスカーレットの当主に相応しい傲慢だ。と言いたい所ですがそれはどうでしょうかな?
 君はもっと傲岸不遜であってもいいのですよ。それでこそのスカーレットなのだから」

「何が言いたい?」

「君はそのように彼等の事を遠慮をする必要は無いのだよ。何故なら君は生まれながらの王者。
 君はエイブの様に成り上がったのではない。ブラムの様に家臣を仲間として共に戦ったのでもない。
 君は彼等が手にしてきた全ての遺産を、スカーレットを正式に継承したのだ。財も、家臣も、力もだ。全てが君の物だ。
 だからこそ君は支配者としてそれを好きなように使う事が許されているのだよ。
 先も言ったように君は生まれながらの王者。生まれながらにしてエイブラハムやブラムと同等の地位に居るのだ。
 まあつまりだ。今の君にはもう既に彼等の上に立つ資格というものがあるという事だ。
 あの二人の様に重臣達に命令が出来る立場に居る筈なのにそれをしないというのは、当主としてはどうかと思うのだよ」


ファンタズマのその意見は、レミリア自身も成る程と思った。
確かに、そうなのかもしれない。レミリアはスカーレットの当主だ。
そしてスカーレットの当主であればそれが許される。それが支配者としての特権だ。
祖父の様に、父の様に傲岸不遜を貫き臣下達に命令出来る立場にレミリアは居るのだ。
かつて自分を当主として教育した爺も同じ事を言っていた。
上に立つ者ならば家臣に遠慮をしない事もまた必要なのだと。だが――――――


「だがそれにはまず、私にそれを出来るだけの器がある事を臣下に示さなければならない。
 確かに私には財も家臣も力もある。だがな………私には自信が無いんだ。彼等を率いるだけの自信が、彼等を束ねるだけの自信が無いんだ。
 お爺様にもお父様にもそれはあった。だが私には無いんだ。当主としてやっていける自信が私には無いんだ。
 何故ならその自信と言う奴は、結局自分で手に入れなければいけないものだからだ。自分で築かなければいけないものだからだ。
 今度の幻想郷へ攻め入り勝利し、私はそれを手に入れてみせる。そしてその時にこそ私はスカーレットの真の当主として胸を張れるんだ」

「………つまり、当主としての実績を造り上げてからという事なのだと、そう理解して宜しいのですかな?」

「ああ、その解釈で間違いは無い」


当主として自分がどれだけ出来るのかという事を示せば、集まる者達も不安は無いだろう。
そしてかつての祖父や父の様に自分を当主として認めて従うようになるだろう。
それが出来てこそ、自分は本当のスカーレットの当主として君臨出来るのだ。

そして、それを聞いたファンタズマは真剣な表情を浮かべて、得心したようにして頷いた。


「そうですか。それが君の、いや、貴女の当主としての意地という訳ですか。
 ふむ、ローレンスの教育は正しかったという事か………成る程な。
 ではもう一つ別の事をお聞きしたい。名を上げたいと言うのなら、今の君達でも十分出来るはずだと私は思う。
 君達は多くの切り札を所持している。それを使えば幻想郷で名を上げるのは容易だし、上手くいけば支配する事も可能なはずだ」

「私達の切り札だと?」


いきなり切り札があると言われても、レミリアには何の事だか分からなかった。
困惑するレミリアを他所に、ファンタズマは話を進める。


「まず君の力だ。君は御父上の「確率を操る程度の能力」を更に上回る「運命を操る程度の能力」を持っている。
 仮にまだその力を使いこなせていないとしても、それでも十分な脅威のはずだ。
 それにそこの紅 美鈴もそうだ。彼女の実力は、はっきり言えば貴女よりも上。
 かつては生きた伝説の一人として名を馳せ拳神とさえ謳われた彼女の力は絶大だ。圧倒的だ。
 パチュリー・ノーレッジもそうだ。魔術の名門の家系であるノーレッジの正当な継承者。まだ若いが、その見識は既に賢者のそれだろう。
 そしてそこの十六夜 咲夜は………」


ファンタズマは言葉に詰まり、チラと咲夜の方を見る。


「まあ、どのような力を持っているかは知りませんが、此処に居る者達に引けを取らない実力がある事は分かります。
 これだけでも幻想郷のパワーバランスの一角を担うには十分良過ぎる。………それにだ」


声を一層低く落とし、上目遣いでジトリと全員を見渡して間を開けた後、彼はその続きを言う。


「君の妹君。フランドール・スカーレットもまた、それに劣らぬ力を持っている」

「「「「………………」」」」


また空気が重くなる。当然だ。この男はフランドールを戦力として加えるべきだと、そう言ったのだ。
その提案を聞いて四人が良い気分になるはずもなかった。さすがにそれが分からぬ彼ではなかったが、彼は構わずに話を続ける。


「言いたい事は分かるがね、「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」というその力は、戦力としては非常に魅力なのもまた事実。
 それを使わないのはあまりに、その、実に勿体無いではないかと思うのだよ。それがどれだけ強大なのかは、君達は私上に知っているはず。
 なにしろあの最強の幻想の一人であったエイブラハムを、その能力の通りに破壊したのだから」

「私はッ!………あの子を、戦わせたくはありません」


発言したのは美鈴だった。語気を荒げて立ち上がり、だがすぐ冷静になり声を落とす座る美鈴。
ファンタズマはそれを見て「気持ちは分かるが困ったな」と言った表情で答える。


「美鈴。君の気持ちはこの私にも分かるつもりだ。あの子は君にとって掛け替えの無い存在なのも分かる。
 君にとって“特別な存在”なのも承知している。だがそれはこの紅魔館の者全員がそうではないのかね?」

「それは………そうですが………」

「あの子がどういう性分なのかも分かるよ。いざという時暴走して“また”家族に被害が及ばないか。
 それを皆の為に、なによりフランドールの為に心配している事は他人ながらも重々承知しているつもりだ。
 だがこうは思わないかね?戦いであれば存分に力を振るう機会を得られる。そしてその機会はもうすぐだ。
 その時に力を試しコントロールする術を学ぶ事が出来るのだと、そう思ってあの子を戦わせてはみないかね?」


ファンタズマの言い分には一理ある。今の時代ではこの戦いは数少ない貴重な機会になるはずだ。
その時にフランに僅かの間でも力のコントロールを学ばせる事が出来れば、なによりも彼女自身の為にもなる。
それが分からぬ彼女達ではなかったが、それでもという思いがあったのだ。


「ファンタズマ。貴方の言い分は分かるわ。だけどやはり、私はあの子を、妹を戦わせたくはないの。
 別にあの子の命が危ないとか、私達が危ないとかそういうのを危惧しているのではないのよ。
 存分に戦える事は分かっている。力の制御を自分で学べる数少ない機会なのも分かる。
 でもそれは、幻想郷の者達にとんでもなく恐れられる事にもなるのよ。だってあの子はきっと、多く殺し過ぎる。
 戦いが終わった後、私達は幻想郷を支配する。その時に私が恐れられるのは構わない。けど、あの子は駄目。
 本当は誰よりも優しいあの子が恐がられるなんて、そんなのは嫌なのよ。そんな事になればあの子は………」


本当に壊れてしまうと、レミリアは確信めいた口調で語る。
フランが壊れる事。それが恐くて堪らなかったのだ。それは紅魔館に居る全員の創意であった。
ファンタズマは黙って、その言葉を聞いていた。その表情には苦悩とも憐憫とも思わるものが浮かんでいた。


「………そのお気持ちは分かります。分かった上で言わせて貰ってもいいでしょうか?」

「………………」


レミリアはただ黙って、その言葉に頷いた。


「私にはフランドールの気持ち等は分からない。分かるはずもない。
 それでも言わせて貰うなら、もし戦いになった時に自分が皆の役に立てないのを知れば後悔、いや恐怖するのではないかと、私は思うのですよ」

「もう随分会ってないお前がどうしてそのような事が分かるというのだ」

「言ってしまえば勝手な想像だよ。だがあながち間違いでもない気がするのだよ。
 もし君達が戦う事を知れば、きっと彼女は自分も一緒に戦うと言うだろう。
 それを言うのは自分自身の楽しみではなく、君達の役に立ちたいという純粋なその想いからだ。
 そして君達に戦ってはいけないと言われたら、堪らなく悲しくなるだろう。
 そしてこう思うのではないだろうか?「また私はみんなの足手纏いになるのか」………とね。
 勿論最初は駄々を捏ねる、かもしれない。だが最終的には分かってくれるはずだろう。
 皆が自分の為を想ってそう言っているのだという事を理解するだろう。だがそれでも、やはり心から悲しむのではないだろうか?
 自分にも出来る事はあるはずだ。どんなに小さな事でも、自分にだって出来る事があるはずだ。
 自分はまだみんなの役には立てないかもしれないだけども、それでも小さな事だけでも出来るのではないか?
 自分にはそれすらさせて貰えないのか?それでは私は、一体何の為に此処に居るのだろう?
 私はただ愛でられるだけの人形なのか?いやそうじゃない。みんなそんな事は思っていない。そんな事は私がよく分かっている。
 みんな本当に私の事を心の底から愛してくれている。そんな事は十分過ぎる程に分かり切っている。
 だけど、だからこそ私はみんなの為に役に立ちたい。力になりたい。
 だからこそみんなのその想いに私は応えたいのだと………そんな事を考えてるのではないかと、勝手ながらに私は思うのだよ」


それを聞いた全員が思わず息を飲む。目を見張る。戦慄が走る。
それはただの勝手な想像のはずなのに、まるで本当にフランの気持ちを代弁しているように聞こえたのだ。
彼の勝手なその想像を、そんな事はありえないと一笑に付す事がレミリア達には出来なかった。
少なくとも、もしかしたらフランはそんな事を考えるかもしれないと、そう思えるだけの可能性は確かにあった。
いやもしかしたら、フランは似たような事を一度は考えた事があるのではないか?度々そう思っているのではないか?
もしくは心の奥底に常にあるのではないかと、そんな事を考えさせられてしまう。

そう思った瞬間、全員は自分達の目の前に居るこの男が空恐ろしいものに感じた。
一体この男は何者であるのか。いや一体何であるのかと、恐怖せずにはいられなくなってしまったのだ。
このサー・ファンタズマという理解出来ない存在が、恐怖としてそこに存在していた。


「サー・ファンタズマ、聞かせてくれるかしら。貴方はどうしてそう思うのかしら?」

「多くの者を見てきた人生経験と、後はまあ、私だったらそう思うなという想像力だな。
 心を読み取る術を知らない訳でもないが………私程度の術では君達には通用しないだろう。
 だから結局の所、私のこの考察はそういった経験と想像が大きく占めている」


手を組み、そこに視線を落とし、何処か哀愁を感じさせる表情で、ファンタズマはそう語る。


「人というのは大抵、自分が居て良い場所という物を欲しがる。
 そしてそれには自分が必要とされているというを実感する事で、その居場所というのを強く感じる事が出来る。
 誰かの役に立っていると感じる事で安心する事が出来る。自分の行いでありがとうと言われる事で感じる事が出来る。
 君達も、そういった経験は無いかね?」


そう尋ねられたレミリア達は頷く事はしなかったが、心の中ではそれを肯定していた。
レミリアは父の仕事の手伝いを任された時はとても嬉しかったのを覚えている。
パチュリーはレミリアに助力を求められた時それを嬉しく感じた事があった。
美鈴は紅魔館の皆に頼られた時、信頼されている事を喜んだ事を忘れない。
咲夜は、彼女は我が師に頼りにしていると言われた時に幸福を覚えた。
ではフランはどうだろうかと尋ねられたら、彼女達は答える事が出来なかった。
皆同じように彼女を愛していた。それは間違い無い。だが彼女を頼った事が今まで一度でもあったかと尋ねられれば、それは無いと答えるしか出来なかった。
全員が彼女を守ろうとしているばかりで、何かをさせてあげるという事をしていなかった。
ならばそれを不安に思う事があったのではないかと、彼の言葉を聞いてそう思わずにはいられなかった。


「………失礼。少々話が脱線してしまいましたな。まあその事は今後皆様方で話し合って解決して頂きたい。
 戦力にするしないの話も、その時にすれば言い事ですし」

「ええ……そうさせてもらうわ」

「それは結構。さて、話を戻しましょう。スカーレットが持つ最高の切り札について、ね」

「最高の切り札?」


まだこの男は何かを知っているのかと訝しむレミリアは、それが一体何なのか最初は分からなかった。
だがふと目にした美鈴の緊迫した表情を見て、“ある物”を思い当る。
そしてその“ある物”の名を、ファンタズマは口にした。


「あるのでしょう?エイブラハム・スカーレットが残したあの――――――紅魔杖が」


紅魔杖。その名を知る三人はその名を聞かされた途端に驚愕の色をその顔に浮かべる。
それを見たファンタズマは実に満足そうな笑みを浮かべて、その続きを口にする。


「エイブラハムは死んだ。だがその力はまだ残っている。
 それは彼の力そのものを結集して生み出された、彼の分身とも言えるあの紅魔杖に今もなお宿っている。
 私と君達の戦力とそれが合わされば……幻想郷を征服する事なぞ、一日と経たずに達成する事も十分過ぎる程に可能だ」


レミリアは思う。確かにこの男の言う事は正しい。祖父の事を知っているのなら、あの力の事も知っているのは当然だ。
あの力なら幻想郷を支配する事も、いや、世界を支配する事も可能だろう。あれにはそれだけの力を秘めているのだから。
かつて祖父エイブラハム・スカーレットが造り出した自身の名を関する紅玉の魔杖。
それが紅魔杖エイブラハムだった。そしてそれは今も存在し、自分達が所持してはいた。


「サー・ファンタズマ。確かにお前の言う通りだ。我が祖父エイブラハムが残した我等スカーレットの至宝とも言える存在。
 神にも勝る力を秘めた紅魔杖は確かに我等が今も所有している。だが………」

「貴方も知っているでしょうファンタム。あれは大旦那様が自分自身の為だけに造り出したもの。
 それ以外の者に使う事は、出来ないんですよ。使えたとしても、その真の力を発揮する事は出来ない。
 例えそれがあの人の血を受け継いだ者であってもです。ブラム様も試された事はありました。が、限定的に使用するのがやっとでした」


言いよどむレミリアの言葉を美鈴がそう続けて代弁した。
そう、スカーレットが所有する最強の至宝である紅魔杖のその真の力を発揮する事は、その真の所有者以外には出来ないのだ。
父であるブラム・スカーレットでさえ、その力を限定的に使用する事が出来なかった。
もし完全に使いこなしていれば、ハンター達を一時間と掛からずに一掃する事なぞ、造作も無かったはずだ。
そしてそれはレミリアも同じ事だった。


「私が出来ると事と言えば、紅魔杖の魔力を限定的に使用して武器とするか、日の光の無い真紅の空を生み出す事が精々。
 お爺様の様に眼前の敵全てを見ただけで爆裂させたり、死んだ者を甦らせたりとかいったあんな反則技は出来ないのよ」


もっとも爆裂させるのも死者を甦らせるのも、ある程度の強さを持った者には通用しないとも祖父は言っていたが。
それが出来れば、自分の妻やレミリアの母を死なせる事は無かったはずである。本人自身も、それを嘆いていた。


「やはり、そうですか。いや、もしやとは思い期待したのですが、残念です。
 ですが、それでもそれは十分な脅威である事に変わりは無い。吸血鬼の力を十分に発揮出来るのですからね。
 ………………ああ、そうそう。うっかりしていた。これも聞いておかねばなりませんでしたな。八雲 紫は君達の下に訪れましたかな?」


八雲 紫の名前が出た時、レミリアは驚きはしたが今までの内容に比べれば大した事では無いようにも思えた。
幻想郷に攻め入る話をしようと言うのなら、その名前は出て来て当然だった。
だがどういう訳かこの男。八雲 紫の名前を出した途端急に声の調子が楽しそうなものに変わった。
それが少々不気味にも思えたが、レミリアはファンタズマの問いに答える。


「あ、ああ。確かに八雲 紫はもう何十年か前に此処に来た。話の内容は幻想郷への勧誘だったんだが」

「それを御断りになられた。そうですな?」

「まあ、そうだ。丁重に断って、宣戦布告してやったよ」


レミリアがそう答えた瞬間―――――ファンタズマは破顔し、大声を上げて笑った。


「く、くくくく、ふはッ!ふはははははははッ!イィッヒヒヒヒヒヒヒヒッ!
 そぉうですかそうですかッ!宣戦布告してやりましたかッ!それは痛快!愉快!爽快だぁ!
 その時のあの小娘の顔ぉ………ああこの目でしかと見たかったなぁ!はは、はははッ!ヒィッハハハハハッ!」 


今までの静かなあの皮肉の笑みなど吹き飛ばすかの様に、狂った様に目の前の男は腹を抱えて笑いに笑う。
その笑い声はあまりに不気味でありある種の不快感さえ感じさせた。慇懃無礼だった先の男の姿はそこには無かった。


「くくく、ひひ、くくく………いやぁ申し訳無い。少々下品が過ぎましたが、どうにもこればかりは我慢出来ませんでな。
 あの小娘の思惑が上手くいかないのを見たり聞いたりするのは私の娯楽でしてね。これがこれが楽しくて仕方ない。
 普段はやれ妖怪の賢者だ、神隠しの主犯だ等と呼ばれぇ……良い気になってるあれがぁ……悔しがる様は心が躍るッ!
 まあ御蔭で、私はあいつには心底嫌われ憎まれておる訳ですがそれすらも、私は面白くてしょうがない。
 間違い無く私は八雲 紫に世界で一番、嫌われている。それが愉快で堪らない!心躍り胸が弾む!だってそうではありませんか?
 幻想郷をこよなく愛する八雲 紫の一番嫌いな者がこの私サー・ファンタズマ。幻想卿なのですからねぇッ!
 ああなんと実に最高の皮肉だろうかッ!なんと笑える………くくく、皮肉であろうかッ!」


レミリアは笑いそう語るファンタズマの姿を見て―――どういう訳か自分でも分からないが―――嫌悪の念を感じていた。
不愉快極まりない汚物のそれを、この男に感じていたのだ。
暫しの間爆笑したファンタズマは満足したのか、息を整える。


「……ふぅ。あの小娘が君達を幻想郷に招き入れたいというのは君達の為を思えばこその行動だ。そこに嘘は無い。
 勿論打算も無い訳では無い。君達が自分達の敵になる事を防ぐ為というのもあった。自分達の戦力にしたかったというのもあるだろう。
 だが彼女もまたエイブラハムに助けられた恩義がある。だから君達の助けになりたいとそう思ったのは間違い無いだろう。
 あれは冷血の様に見えて、結局の所その優しさを捨てきれぬ弱さを抱えた子供だ。だからこそ私は」


それを見るのが楽しいのだと、男はそう語った。
レミリアは益々この男が分からなくなった。どんな人物なのかが、判別出来なかった。
目の前に居るのに、その表情の変わり様に一体どんな顔だったのかも分からなくなりそうだ。


「しかしそれ以上に、私を君達に接触させたくなかったというのもあるのだよ。
 なにしろこの私、サー・ファンタズマは紛れも無く――――――幻想郷の最大の敵ですからな」


幻想卿が幻想郷の最大の敵だというその皮肉を、この男はこれ以上無い幸福に満ち足りた笑顔で語り終えた。
レミリアは思う。この男は間違い無く幻想郷の憎き敵そのものであると。
そして一歩間違えれば、自分達にとってもそうなる恐ろしい怪物なのだと、理解した。


「私が聞いておきたかった事はこれで終わりです。それでは……」


サー・ファンタズマは改まった態度でレミリア達と対峙し、あの皮肉気な笑みを浮かべた。










「さて、商談と参りましょうか。私がこれから提示する内容は――――――そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?」











俺の書いたこの後書きとて、よいものでござるよ、ゲヒヒヒヒ。


どうも荒井スミスです!ゲヒ殿じゃないよ!大好きだけね!
今回は早く終わった。けど話の内容が長くなりそうだから此処で一旦切る!切ります!
だって面倒だもの!楽したいもの!悪いか!悪いかこんにゃろー!ドチクショー!

そう言えば、ニコニコ静画で咲夜さんが一位になったのは嬉しかったですね。
なにしろ今こんな話を書いてる訳ですしね。うん、忘れそうだけどこれ咲夜さんが主役なんだよな。
勿論投票中は彼女に一票入れましたよ。その一票以外は全部………………雲山に入れたけどねッ!

で、今回出てきやがったこの男は前回の最後にチラッと出た奴です。
良い奴か悪い奴かと言われれば、良い奴の様に見える悪い奴です。
こいつはくせえーッ!ゲロ以下の臭いがプンプンするぜッーーーッ!って奴です。
でも本当に悪い奴なのかと言うと………悪い奴に決まってます。少なくとも、紫と幻想郷にとってはそういう奴です。
ちなみに名前やセリフはどっかの実写みたいなCGのロボットゲームのあれです。
これだけでどれだけ奴が信用出来ないか分かろうというもの。
でも面倒なのは嫌いじゃないよ?

次回は商談の話になったりもしたり、妹様がどうして爺ちゃんを殺しちゃったのかという話になります。
言っちゃうけど、そうなったの原因は妹様ではありません。じゃあ誰の所為かと言われれば、世界中みんなの所為です。
それでは!



[24323] 第三十三話 幻想卿の説明
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/11/06 15:15





「実はですな、私としてはいずれ君達と幻想郷を攻略しようと考えていたのですよ。
 もしそちらが私を呼ばずとも、私の方からお誘いしていた事でしょうね」

「私達を?どういう意味か説明して貰おうか」

「ええ、勿論ですとも」


サー・ファンタズマはそう言うと立ち上がり、そのまま説明を始めた。


「まず私が先ほど幻想郷最大の敵だと申しましたな。それは私が長く幻想郷の敵として存在し脅かしてきたからでしてね」

「それは何故だ?」

「理由は色々ありますが、簡単に言えば………そう、それが私の存在意義だからですよ。
 レミリア・スカーレット。君が吸血鬼として人を襲い血を吸うのと同じようにね。
 そう私は………もうかれこれ千年以上幻想郷を脅かしてきた」

「千年以上も戦いを挑んでおいてまだ勝つ事が出来ないとはな。はん、お前の力が疑わしくなってきたな」


鼻で笑い挑発するレミリアに対し、ファンタズマは涼しげに返答する。


「ほう、では勝利とは一体何を持って勝利と言うのですかな?
 戦いに勝ち支配する事?それもありでしょう。完全に敵を滅ぼす事?正にその通り。ですが私は違う。
 私にとっての勝利とはいかに楽しむのかという事。その一点なのですよ」

「楽しむ、だと?」

「ユーモアの無い人生など生きてる価値はありませんからな。私にとって幻想郷を攻める事は面白い事だらけ。
 まるで何が出るか分からないビックリ箱。例え結果がどうあれ面白ければ私の勝ちなのですよ。
 そう、面白ければ私自身がどれだけ惨めに死のうと構わないのですよ」


そうして浮かべるその笑みはまるで大地を裂いて出来た闇の様だった。
ゾクリと、背筋が震える。祖父や父とはあまりに異質なそれだったが、レミリアは恐怖を感じたのだ。
この男が放つ威圧感。それはまるで黒い泥の様に粘着質な重々しい感じ。
不愉快で気味が悪く、だがそれがはっきりと分からないから感じる恐怖。
この威圧感は、レミリアは決して好きになれないと思った。


「そうやって、私は千年以上幻想郷と関わってきました。御蔭で私は幻想郷の住人のほとんどに嫌われておりましてな。
 何か妙な事が起きればそれは八雲 紫の仕業。何か災厄が起きれば幻想卿の仕業。なんて事を言われております。
 だが代わりに私は千年以上楽しむ事が出来た。だからある意味では、私は幻想郷に勝ち続けていると言ってもいい」

「………お前、よく今まで生きて来れたな」


レミリアは心底そう思う。幻想郷には八雲 紫を初めとした強敵である妖怪達の巣窟だ。
それに千年以上も喧嘩を売っておいて死んでいないというのは、確かに驚くべき事なのかもしれない。


「まあ無駄に生きている訳ではありませんでしたからな」

「お前が我々を誘うとして、一体どうやって勧誘するつもりだったんだ?」

「簡単ですよ。私の持つ幻想郷の情報を差し上げようと考えてましてな。
 幻想郷に戦いを挑むのなら喉から手が出る程それは欲しいはず。私の持つ幻想郷の情報は、八雲 紫の持つそれを凌駕している。
 そうでなければ、千年以上も生き残るのは不可能ですからな。そしてこれが、その情報の一つ」


パチンと軽く指を鳴らすと、レミリア達が着いているテーブルの前に不可思議な模様の大きな布が現れる。


「私の持つ幻想郷の地図です」


そう言った途端に布はぼんやりと光を放ち、次の瞬間目の前に小さなジオラマが現れた。
よく見ればそのジオラマも僅かに発光し透けて見える。これは所謂立体映像だった。


「これが、幻想郷か。こうして見ると……随分とまぁ小さいものだな」

「それでも実際の広さは小さな国ならすっぽり入るくらいなのですがね。見ての通りの内陸部で、海はありません。
 人が住める場所も限られております。ああ、ちなみに詳しく見たい所を触ると………」


そう言ってファンタズマが地図に指で触れる。すると瞬時にその部分が拡大された。


「この様に拡大されます」

「「「「おー」」」」


拡大された実に鮮明で細かい見事な造りの光のジオラマに一同声を上げて驚く。
中でもレミリアはその地図を今にも触りたそうにうずうずと体を震わせ、子供らしく目を輝かせていた。


「………なあ、ちょっと触ってみていいか?」

「いや、まだ説明が終わったませんので。これはその後で差し上げますので」

「おお、そうか」


レミリアはちょっと嬉しそうに羽をぱたたっとぱたつかせる。
それを見た咲夜はなんだか、新しいおもちゃを貰った子供みたいな反応だなと思ってしまう。
どうやらそれは美鈴やパチュリーも同じらしく呆れ顔になっている。あのファンタズマもそうだ。片頬を引き攣らせ苦笑している。


「うん?どうしたファンタズマ?頬が引くついてるぞ?」

「ああいや、エイブやブラムの血を引いてるなと、そう思っただけで………ええ」


コホンと軽く咳払いをして、ファンタズマは話を戻す。


「まず拠点を何処に置くかという点につきましては、私は此処を推薦します」


そう言ってファンタズマが指を指して進めたのは、山の麓にある湖だった。
その大きさはそれほどでもなく、何故この場所に拠点を置くのか、レミリア達には今一つ分からなかった。
 

「どうしてなのか聞いてもいいか?」

「簡単に言えば、此処は霊地の一つでもありましてな。これをご覧下さい」


ファンタズマがジオラマの地図を軽く手で払うと、その姿が一変した。
ジオラマの中に青い線が現れ、それが川の流れの様に、いや血液の流れの様にして動いていた。


「この青い線は何だ?」

「これは地脈の流れです。レイラインとも龍脈とも言います。大地の霊的な気の流れを表したもの。それがこの青い線として表れているのですよ。この山をご覧下さい。
 この山は妖怪の山と言いまして、天狗という種族が治める領土でしてな。昔は鬼が治めていたのですが、今はもう居ないのでそこは割愛します。
 この湖はその山から流れ出る川が行き着く場所でして、龍脈も同じように此処に流れ込み、ちょっとした力の貯まり場になっているのです。
 それにこの場所は幻想郷のどの重要な要所にも割と近い距離にもあります」

「つまり此処に拠点を構えればその要所のどの場所にも近い距離で行けるという事か。………うん?この洋館は何だ?」

「そこはもう既に廃館になっていて、もう人間は住んでおりません。居るのは幽霊と迷い込む妖精くらいですな。
 気にする必要も無いでしょう。それに……近付くと騒がしいですしね」

「……?まあ拠点は此処にするとしてだ。まず私としては何処を攻め落とせば幻想郷を支配した事になるのかが知りたいんだが?

「そうですな。となると………これらの場所になりますかな」


レミリアに尋ねられたファンタズマは数か所の場所を指示した。


「まずはこの妖怪の山。幻想郷の妖怪で集団になって徒党を組んでいるのは此処ぐらいでしてね。
 天魔と呼ばれる者を長として幻想郷のパワーバランスの一角を担っています。戦力が一番多いのがこれですな。
 ですが私個人としてはそれ以上に此処、この人里を重視しますな」


ファンタズマの顔が真剣な面持ちになっていく。それは妖怪の山以上に重要なのだと、その表情でも語っているようにも見えた。
指し示した場所、人里は青い光である龍脈の他に白い光も流れている。


「今現在の妖怪は人間の存在によって存在していると言ってもいいでしょう。そしてそれは幻想郷でも強く表れています」

「つまりその人間を押さえる事が出来れば、幻想郷の妖怪のほとんどを支配する事にも繋がるという事か」


レミリアは成る程と思い、ふむと軽く頷く。簡単に言えば妖怪にとって人間は食糧、空気と同じく必要な存在だ。
これを押さえる事が出来れば、確かにそれは幻想郷の妖怪全体にとっては死活問題になる。
そう思いレミリアはファンタズマを見るのだが、相手は難しく顔をしかめている。
まるで問題はそれだけではないと言わんばかりのものだった。


「まあ、確かにそうなのですが………事はそう簡単にはいかないでしょうな。
 何しろ此処は霊的にも重要な位置。妖怪の山が幻想郷の陰ならこの人里は陽の位置にある。
 その上、歴代の守護者達によって管理・強化されて、今ではこの場所は容易には攻められぬ霊的な要塞都市にもなっているのです」

「その守護者というのは何なんだ?」

「文字通り人里を守護する者達ですよ。腕の立つ妖怪退治屋とでも言いましょうか。妖怪の天敵とも言える。
 特に此処最近の守護者の力は凄まじいの言葉に尽きますな。今の守護者達は幻想郷の上位に位置する妖怪達にも渡り合える猛者揃い。
 全員がとは言いませんが、一騎当千の実力者達と思ってくれて間違いありません」

「ファンタム。私も聞きたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」

「うん?何かね美鈴」


美鈴は光り輝く人里の、白い光を指した。ファンタズマの言う通りならこの青い光は龍脈なのだろう。
だがもう一つの、この白い光が何なのかが気になったのだ。それは人里の周囲を囲み何重にも重ねられていた。


「この人里の、青い光。龍脈の他にあるこの人里の周りを囲むのは何でしょうか?どうにも私には結界の類の様にも思えるのですが」

「ああそれか。それはな、人里の守護者だった者だよ」

「どういう意味ですか?」

「彼等は死んだ後も人里を守護する為にその身を捧げ結界となって存在しているのだ。
 だがこれは守護者全員がそうなるという訳では無く、一種の志願制の様な形で行われているものでね。
 そうだな……この例えは君達には分かり難いかもしれないが、日本の東京を守護する平将門の様な守護霊になると、考えてくれ」


実に上手い事を考えた奴が居たものだと、ファンタズマは忌々しそうにして語った。
その物言いはそれを考えた者が八雲 紫だと暗にして語っているのがはっきりと分かった。


「そして……幻想郷にとって最も重要な場所。それが此処――――――博麗神社だ」


そうしてファンタズマが指し示したのは幻想郷の最東端に位置している、小さな神社だった。
だがそこは他のどの場所よりも青い光が強く輝いている場所の様にも見えた。


「この神社こそが幻想郷と外の世界との境界に位置し、そして分ける要でしてね。
 幻想郷には陰と陽に分けられる土地が多く存在しますが、此処は陰でもなければ陽でもない。
 太極図で例えるなら、此処はそれらを内包する境界線の様な役割を似合っている場所なのですよ」


つまり人里かこの博麗神社を手中に収める事が出来れば、事実上幻想郷を支配したも同然だという事なのだろう。
それだけ聞けば別にそう難しい話ではない様にも聞こえるが、現実はそうではないだろう。


「何処を攻めればいいのかは一先ずこれでいいとして、次は私達の敵になる者が誰なのかを教えてくれ」

「ええ、それについての説明の用意もございます」


ファンタズマがまた指をパチリと鳴らすと、その手元に黒いファイルが現れた。


「このファイルには幻想郷の妖怪、神、そして守護者の情報が記載されているものでしてね。
 私が長年掛けて記した代物です。勿論全ての情報が載っているという訳ではありませんが。
 幻想郷で必ず戦う事になるだろう者はまず、八雲 紫。そして最強の幻想は龍神でしょうな。
 ですがこの戦いで私が一番の強敵になるであろうと確信しているのが――――――この者です」


ファンタズマはファイルを開き、その人物。一人の女性をレミリア達に見せた。
それは普通の日本の巫女の装束のそれとは変わった装束を纏った、妙齢の美女だった。


「それがこの博麗の巫女です。名前は……残念ながら巫女としか呼ばれていないようなので分かりません。
 ですがその実力は強大無比。そして更にこの者は歴代の博麗の巫女の中でもこの者は屈指の武闘派でしてね。
 異変を起こした妖怪には一切の慈悲無く処理するという、恐ろしい者だ。私も何度殺されかけた事か………いや思い出すだけでも恐ろしい」


私も何度殺されかけた事かとファンタズマは冗談めいて言ったが、その目は笑っていなかった。
まるでそれは自身の最大の宿敵を語る様な、そんな光が彼の目には宿っていた。


「実は少し前の事になるのですが、ある魔術結社が総力を挙げて幻想郷に進攻を行ったのですが、その結果は惨敗。
 博麗の巫女と八雲 紫を初めとする数名の者達によって結社は壊滅。結社の首領は厳重に封印された上でスキマに落とされ時空の彼方へ飛ばされた。
 その結社も君達に劣らぬ力を持っていましたが………遂にその目的を果たす事は叶わなかった」

「そんなに強いのか、こいつは?」

「強過ぎるのですよ。あの力は人間のそれを軽く凌駕し過ぎている。私も古き幻想。悠久の時を生きて怪物と恐れられた事もありました。
 が、その私から見ても彼女は正に怪物。化け物の類に入りますな。だからここ十数年は彼女を倒そうと躍起なって、時を経つのを忘れる事もしばしば。
 こんなに私を楽しませてくれた博麗の巫女はそうはいない。一番、とは言いませんがトップ3には入りますな」


その博麗の巫女が実際どれだけ強いのか気になる所ではあったが、レミリアは他にも気になる点があった。


「幻想郷を狙っているのは、私達だけではないという事か」


気付いてみれば以外でもなんでもないのだが、自分達以外にも幻想郷を狙う者達が居る事を以外に感じたのだ。


「ええ、そうですよ。私や君達だけでなく、昔から多くの者に幻想郷は狙われていたものです。
 神罰の代行者やら旧日本軍やら海外の魔術結社やら秘密組織やら………その目的は様々ですが、狙われてましたな。
 とはいえ、最近ではそれももう過去の話になってきました。かつては世界中に存在した幻想の存在達。だがそれも近年大きく減少した。
 人間が幻想の存在を信じなくなったのもあるでしょうが、一番の原因は、やはり人間が起こしたあの世界大戦からでしょうな。
 あれが無ければ今頃もエイブは生きており、幻想の存在も未だ世界の影にではあっても、多く存在し続けたでしょうに」


この男が何を言いたいのか、レミリアにはよく分かった。
第一次世界大戦。それは人類史上初めて行われた世界規模の大戦争。あの戦争によって、世界中は狂気に包まれた。
大戦が始まって二年後、フランドールは日に日に増していくその狂気に当てられる。
元々精神的にあまり安定していないフランはそれに耐えられなくなり、ついに発狂してしまう。
それを抑えようとした祖父のエイブラハムは返り討ちに遭い、死に至る傷を背負わされた。
そして祖父は自身の愛する孫娘に自分を殺したという罪を着せない為に自害した。
だが、そこから全ては始まったのだ。

最強の幻想として欧州に君臨していたエイブラハムの死。
それはスカーレットの内部分裂だけに留まらず、彼が存命していた事で活動を控えていた幻想の存在が活発に動き出したのだ。
そう、エイブラハムの死を切っ掛けに幻想達の間でも人間と時を同じくして世界大戦が始まったのだ。
初期の頃はそれぞれの派閥を持つ幻想同士が戦っていた。だが人間の戦争と比例するように彼等の戦争が激化すると、ある変化が訪れた。
各国の軍は幻想達と影ながら結託し、それぞれの敵と戦うというお互い利用する関係を築き上げていったのだ。
魔術結社の台頭。秘密組織の暗躍。それらは複雑に絡み合い、決して表だって語られる事の無い幻想の影の歴史が始まっていった。

父であるブラム・スカーレットは古くからの家臣達と共に戦争に参戦し戦争終結の為に奔走した。
その時にはレミリアも参戦し父と共に懸命に戦った。だが神の如き力を持つ彼等の活躍も、戦局を一気に打開するまでのものではなかった。
泥沼の戦局が続く事約二年。第一次世界大戦の終結と共にして、幻想の大戦も一旦の終幕を迎える。
二年。幻想達にとってみれば瞬く間の時間であったはずのその時間は、彼等にとって長く辛い年月だった。
気が付けば多くの幻想が共倒れになり、スカーレットもそのかつての勢力を失う事になった。

その後に起こる第二次世界大戦でも同じように幻想達は戦争を始めたが、そこにはもうかつての勢いは存在しなかった。
多くの者はこの戦いで自分達の勢力を挽回しようと奮戦したが、時は科学全盛の時代。古く弱い幻想は必要とされなくなっていった。
弱者は淘汰されていき、かつての強者はその力を失っていった。
力を維持していたのは幻想郷の様な隠れ里で穴熊を決め込む者達。だがそれでも力の減退からは逃れられなかった。
戦争が終わるまでの間はつらいものだった。特にフランの様子は酷かった。
一人になれば精神の自制が不安定になり暴走する為、一緒に誰かが着いてなければいけなかった程だ。
それは第一次大戦の時よりも酷く、第二次の戦争がどれだけ恐ろしく悲惨なものだったかを物語っていた。


「冷戦中が終わっても、まだまだ物騒な事には変わりなく。特に近頃もまたちょっとした争いがありましてな。
 大体二年程でしょうか?テンプル騎士団系列の裏の組織がついに壊滅しましてな。組織の再建は不可能でしょうな」


テンプル騎士団。その言葉を聞いて一番驚いたのは咲夜だった。
しかも二年前という事は、自分が教団から離れてすぐの事ではないか。それが壊滅したという事は――――――


(みんなは………勝ったんだ………よかった………)


思わぬ朗報を聞いて安堵する咲夜だったが、今は大事な話し合いの最中。
その話を詳しく聞きたい気持ちは強かったが、それを今此処で言う訳にはいかないだろうと、その気持ちをグッと堪えた。
そんな咲夜の気持ちを知らず、レミリアはなんとなく相槌を打つ。


「そんな事があったのか………そういえば最近ハンター達も来なくなったなと思ってたんだが、そんな事があってたのか」

「そうでしょうな。君達を討伐したくとも、その戦力を用意する事が出来なかったのでしょうな。それだけ厄介な相手だったのでしょう。
 双方共に甚大な被害だったそうで、その敵対していた組織も無事ではなく、本部が破壊されたとか。
 生憎とその組織についてはあまり詳しくはないのですが、また幻想の担い手が居なくなったと思うと寂しく思いますな」

(本部が……破壊された!?それじゃあみんなは………)


咲夜の、彼女の頭の中で最悪の光景が思い起こされる。教団のみんなが傷付き倒れ、一人また一人と居なくなる光景。
そんなはずはないと思いたかった。そんな事あるはずがないと否定したかった。自分はあの人達がどれだけ強いか知っている。
簡単に死ぬような人達ではないと知っている。みんなが、我が師が死ぬなんて事あるはずがないと、信じたかった。
レミリアはそんな彼女の不安を感じ取ったのか、咲夜を心配そうに見詰める。


「咲夜、どうしたの?顔色が優れないようだけど?」

「………いえ、なんでもありません」


咲夜は動揺を努めて隠し、返事をした。だが内心の不安は消えるはずも無く、彼女の心に残ったままだった。


「そういった幻想郷を狙う輩はその数こそ減りましたが、居なくなった訳でもありません。
 事を起こすのであれば、早く実行する事をお勧めしますよ」

「………まあ、そうだな」


気の無い返事をするレミリア。彼女自身としては咲夜が本当の従者になってからと思っていたが、事はそうはいかないらしい。
少しばかりの焦りが彼女の中に生まれる。他の者に後れを取る訳にはいかない。もし遅れれば、それだけ自分の野望も遅れるのだから。


「サー・ファンタズマ。お前は戦力をどれくらい集める事が出来る。
 どれくらいの質と量を集める事が出来るのか。私としてはそれが知りたくてな」

「当然ですな。それはこちらをご覧下さい」


彼はまた指を鳴らすと先程と同じファイルをレミリアに差し出した。レミリアはそれの中身を軽くぱらぱらとめくって見てみる。
そこに記されていた顔写真を見てみるが、どれもこれも一癖も二癖もありそうな者達ばかりだった。


「その者達はどれも一騎当千の実力者ばかり。まあ癖はありますが、それだけの力を秘めていると思えば気にする事はありません。
 先程も言った通り、最近は属していた組織が壊滅したりして行き場を無くした者が増えて来ていましてな。
 そうした者達の、再就職先というとあれですが……紹介する事もまた私の仕事でしてね」

「ふうん………成る程なぁ………」


つまり自分の力を活かす場が無くなった幻想に仕事を斡旋するのもこの男の仕事でもあるらしい。
今まで知らなかったが、どうやら最近は妖怪達も就職難に陥っているらしい。
幻想を信じなくなってきた昨今の世間では、そうなるのも仕方が無い事なのかもしれない。

ファンタズマの説明によるとこのファイルに記されている者達以外も居るのだが、
それぞれ他の仕事に着いていたり扱いの難しいのだったりして、このファイルはそれらを考慮して選んできたものだという事だ。
レミリアとしてはやはり戦士として強い者や軍師として優秀な者が欲しくはあった。
ただやはり自分と同じ吸血鬼も欲しいし、もう少し見栄えの良い奴も欲しかった。例えば赤いドラゴンとか。
ファンタズマに聞いてみると、吸血鬼はそこにお勧めのが居るが、ドラゴンは気位が高くて扱い難い種族だからお勧めしないとの事。
どうやらこのファイルには載っていないが、一応はドラゴンも居るらしい。

そんな感じで暫し二人は話を進めていく事になった。
兵隊を率いる事が出来る軍師が欲しいと言えば、それが出来る魔術師が居ると教える。
先陣を任せる事が出来る将軍が欲しいと言えば、良い人材が居るのでスカウトしてみると答える。
そうやって話を進める事十分。今回の遠征に参加させる者達は、後日レミリア達と会う段取りになった。
簡単に言えば、面接をするという事だった。


「そういえばファンタズマ。聞いておきたいんだが、私が幻想郷を征服したらお前はどうするんだ?
 幻想郷にちょっかいを続けるんなら、それはさすがに私も困るんだが」


この男は理由はどうあれ幻想郷に戦いを挑み続けてきた。
その相手が居なくなるという事は、もしかしたら今度は自分達の敵になるのかもしれない。
契約を終えたらあっさり敵になる。なんて事はレミリアとしては勘弁してほしい事だった。
この男は敵にしたら間違い無く厄介だろうし、幻想郷を制圧した後にも必要になるかもしれないのだから。


「確かにそれもそうですな。しかしそうなると私の楽しみも無くなる訳ですし。
 ふむ………では、私への今回の報酬として、一つそれに代わる楽しみを提供しては貰えないでしょうか?」

「楽しみ?例えば?」

「君は幻想郷を征服した後も、それで終わるつもりはなく、もう一度外の世界で勢力を盛り返すのだろう?
 それに付きあわせて貰えればそれで十分。恐らくは長い時間が掛かるだろうから、退屈はしないで済むだろう。
 なにしろ君は、エイブラハム・スカーレットの孫だからな。あいつと一緒に馬鹿をするのは、本当に楽しかった」


そう語るファンタズマの顔は、笑っていた。
それは最初に見せた皮肉な微笑でもなければ狂気を孕んだ冷笑でもなかった。
それはかつての少年時代を楽しそうに語るかつて子供だった者の笑顔だった。


「あいつとの冒険は楽しかった。心が躍った。心底ワクワクしたものだ。
 あの男に何故多くの者が惹かれたか。その理由は簡単だ。あいつには人に夢を与える才能があったからだ。
 我が儘で自分勝手て乱暴者で。だがそんな奴だからこそあいつの生き方に惹かれたのだ。
 あいつと一緒に居れば自分もあいつと同じように楽しく生きられる。最高の夢を見せてくれる。
 それが、エイブラハム・スカーレットが持つカリスマの正体だ。そう、あいつはまるで……」

「海の様な男だった。そうでしょう?」

「そう、正にその通りだったんだよ」


レミリアの言葉に、ファンタズマは感無量だと言わんばかりに笑って頷いた。
祖父エイブラハムを語る者達は皆同じ様に言うのだ。「あいつは海の様な男だった」と。
一緒に居ればどんな事が起こるか分からない。危険な目にも遭う。命を落とす事もある。
だがそれ以上に魅力溢れる面白さがそこには必ずあったのだ。心躍る冒険がそこにはったのだ。
自分の命を代価にしても惜しくは無いと思わせるだけの世界があったのだと、皆は語った。
あの男と共に生きれば終わらぬ夢を、永遠の冒険を自分達に見せてくれたのだと、笑って語った。


「一つの冒険が終わった時あいつは言うのだよ。「次は何をしようか」と。その言葉を聞く度に胸が熱くなった。
 この男は次は一体どんな冒険を自分達に見せてくれるんだと、期待せずにはいられなかった。
 そうして集まる者が増えていき、スカーレットが生まれたんだよ。
 もっともそれはゴロツキ共の集まりで、最初はスカーレット一家と呼ばれていたものだったがね。
 とてもじゃないが、貴族などとは無縁の存在だったよ。だからこうして今の君達を見ると、私は驚くばかりでね。
 まあ………あの頃のスカーレットを知る者は皆同じ様な事を言うだろうがね」


最後にその言葉には、僅かな寂しさを感じさせられた。
レミリアにはそれが、もうそれを知る者が少ない事を言っているのが分かった。
自分やフランが生まれる時には勿論、美鈴が来た時にはスカーレットはもう今の貴族然とした家柄になっていた。
だから最初のスカーレットがどんなものだったのかは、こうして話で聞くだけで、実際には分からない。
だがなんとなく想像は出来る。何故なら今の様に貴族な家柄になっても、祖父は変わらず粗野粗忽な親分気質だったからだ。
馬鹿騒ぎを起こしてみんなを巻き込んで振り回して迷惑を掛けて。だがみんなそれがとても楽しくて。
きっと最初の頃はもっともっと騒がしかったのだろう。それを知っているこの男が、レミリアはほんの少しだけだが、羨ましく思えた。


「もしあの日々をもう一度味わう事が出来るのであれば……最高に幸せでしょうな」

「………サー・ファンタズマ。それは、無理だ。今の私ではお前のその願いを叶える事は出来ない」

「まあ、それは……当然、でしょうな。あれはエイブだから出来た事。だから私は貴女には別の物を望みます」

「別の物?」

「貴女が今後どの様に生きるのか。それが見たい。それが知りたい。
 幻想郷を征服した後もそれで終わる事は無く、外の世界に返り咲き覇者として復活する。
 いやそれだけではない。世界を支配し再び世界に幻想を甦らせる事も不可能ではない」


いきなり世界を支配する等という誇大妄想染みた事を言われて驚く一同。
この男はそれが自分達に出来ると言う。それも我が事の様に誇らしく胸を張って。
さすがにレミリアにはそこまでの考えは無かった。かつてスカーレットが誇った力を復活する事が出来ればそれで良いと思っていた。
だが、ファンタズマの言葉を聞いて果たしてそれだけでいいのかと考え始める。


「………もしだ。もしそれが出来れば、私はお爺様やお父様以上の当主だと誇れるだろうか?」

「もしそれが出来て、あの二人が生きていたら何と言うか。貴女には容易に想像出来るでしょう?」


そう言われ、レミリアはその光景を思い描いてみる。
父は自分の事を美辞麗句を並べ立て我が事以上に誇り自分を認めてくれている。
祖父は大声を上げて笑い、ゴツゴツとしたその大きな手でクシャクシャと頭を撫でて褒めてくれている。
そんな偉大な二人に認められ胸を張って喜ぶ自分の姿。それが、はっきりと見えたのだ。

ふふんと、レミリアは軽く笑う。その顔はもうすっかりその気だという事が容易に分かるものだった。
そんなレミリアを見て咲夜も美鈴もパチュリーも呆れるしかなかった。
呆れるしかなかったが、幸せそうなレミリアを見てしょうがないかと思うしかなかった。


「私にそれが出来ると思うか。サー・ファンタズマ?」

「出来ますとも。幻想だけでなく人間の王になる事も不可能じゃない。
 そう、エイブラハムの血脈である貴女にはその資格がある。器がある。
 レミリア・スカーレットにはそれが備わっている。その力があるのですから」


人間の王にもなれるとは煽てるにしてもさすがに言い過ぎではないかと咲夜とパチュリーは思う。
だが美鈴はその言葉に何か心当たりがあったのか、苦笑いを浮かべるしかなかった。
エイブラハムから自身の父とその祖父の事を聞かされた事がある美鈴は「そう言われりゃそうだな」と納得するしかなかったのだ。
そんな三人の考えなぞ露知らず。レミリアはカリスマ全開の笑みを浮かべる。


「クククク……だがそうなるとだいぶ長い時間が掛かる事だろうなぁ」

「百年では無理でしょう。千年でも、出来るかどうか。ですがそれ以上ならば十分に可能。
 私はそれが長ければ長い程良い。それだけ長く楽しめるのですからね。さて………とりあえずこの話はここまでにしましょう。
 私と契約するかしないか――――――あなたであれば、よいお返事を頂けることと信じています」


そう芝居掛かった身振りで言い終り、サー・ファンタズマはレミリアの返事を待つ。


「ふふ、呆れた奴だ。お前、ロクな死に方しないぞ?」

「でしょうな。皆に同じ事を言われますよ。その時は精々ロクでもない死に方をしましょう。私にはそれが相応しい。
 ですがその末路に至るまでは、存分に楽しませて頂く事にしましょう。ですのでそれまでは」

「ああ、精々貴様を振り回して使い潰してやろうじゃないか。お前の力。私の下で存分に振るってもらうぞ?
 幻想郷を征服した暁には……そうだな、幻想郷を紅魔郷とでも改名させるのもいいかもしれん」

「それはそれは……面白そうですなぁ……ふふふふ」

「クククククク………………」

「ふふふふふふ………………」


咲夜には二人揃って不敵に笑うその光景を見て、どう見ても二人とも仲が良さそうにしか見えなかった。
それに何処かでこれと似たような光景を以前に見たような気がする。さてそれは何だろうかと考えた時にそれを思い出した。


(なんだか越後屋と悪代官のやり取りみたいだなぁ………)


さすがに言葉にこそしなかったが、もしそれを聞いた者は全員が同意して頷く事だろう。
満足そうに笑うレミリアであったが、ふとある事が気になった。


「そういえばファンタズマ。お前の力は一体どんなものなんだ?」


そう、肝心のこのサー・ファンタズム自身が一体どんな能力を持っているかという事だ。
祖父と同じ程の年月を生きてきたという事はそれなりの力はあるという事に他ならない。
それが一体何なのか。これから共に戦うのであれば是非とも知っておきたい事であった。


「おお、気になりますかな?まあそう思うのも当然でしょう。
 私自身は強い訳ではありませんが、能力は実に応用が利く物でしてね。これの御蔭で私もこうしてしぶとく生き残ってこれました」


少し自慢気味に笑うファンタズマをレミリアは改めて見る。
確かに薄気味の悪い、底の知れない威圧感はあるにはあった。だが自分が知る強者の風格というのは感じられなかった。
何か事を起こしても表には出ないで裏から何かをするタイプ。その様に見えたのだ。
そういう者は確かに厄介ではあるが、そういう者に限って強くはないものだ。
なら自分が戦って勝てるかと問われれば、レミリアは分からないと答えるしかなかった。
今までの考察は自分の判断でしかなく、その実力は実際に戦ってみなければ分からないのだ。


(いや………私ならそれが分かる)


自身の運命を操る程度の能力を用いて、この男の運命を見ればそれが分かる事だった。
目を細めて集中し、レミリアはサー・ファンタズマのこれまでの運命を覗き見てみた。

そして見えたのは胎児の鼓動に眠り行進する軍歌の尻尾が回り飛んで死体が躍り科学するは意味も無く。
鉄の馬を率いる魔同士はごきげんようと散歩の喜びああなんと美しき侮蔑侮蔑侮蔑侮蔑だが意味は無い。
覗き見る馬鹿は安全卑怯者め卑怯者ね愛して告白無理だって役者じゃなくて個人だから無理意味は有る。
七十二度の肉は嘲笑の愉悦であり我等はその証を黙り黙れ黙ろ完全の撲殺こそが王の右足に意味が無い。
断りから外れた藻の太刀の恐ろしさは仁情ではなく騙る事も股難しくであり理科芋出来ぬぞ意味は有る。
ああ私の可愛い■見るべきではないのだ■私が、私が異能■■あったのなら■と剣の通路を意味は有無。
狂気狂喜凶器共起狭軌兇器侠気強記驚喜教規凶季狂機共季共姫凶帰今日気鏡忌キョウキその意味に無無。
渡し餓死通て星胃の歯必ず師もかの徐達が黄身性質を会い擦る事花い問い鵜事が事をなのだ意味も有る。


「ッ!?ハァッ!ハァッ、ハッハッハッ!………ハァァァ……ッ!………はぁぁぁぁ………………」

「お嬢様ッ!?どうしましたお嬢様ッ!?」

「レミィしっかりしてッ!気を確かに持ってッ!」


いきなり苦しみだし息を荒げるレミリアの姿に驚いた咲夜はその肩を大きく揺する。
パチュリーも尋常ではないその出来事を目の当たりにして親友の名を叫び呼び掛ける。


「ファンタムッ!お嬢様に一体何をしたッ!?」

「いやそう恐い顔をして怒鳴らないでくれ美鈴。悪いのは彼女だ。勝手に人の運命を覗き見ようとするからこうなる。
 いきなりだったのでね。だから思わず私の力を使ってしまったのだよ。さて、大丈夫ですかなレミリア君?」


渋い顔をして尋ねるサー・ファンタズマに、レミリアは荒げた息を整えつつもキッと睨み返す。


「おま、え………はぁ……なに、をした?すぅ……はぁ……私に、何をしたんだ?」


この男の運命を見ようとしたその瞬間、レミリアは支離滅裂な光景と、意味不明な言葉を見た。
それはあまりに理解不能であり、見た瞬間に首を絞められるような感覚に襲われた。
だが理解不能のそれに首を絞められたのではない。自らの意志。いや本能で首を絞めたのだ。
これ以上あれを見てはいけないという防衛本能。続きを見ればどうなるか分からない、その恐怖。
その恐怖を拒絶する為の自己防衛により、レミリアは息を荒げていたのだ。


「いやなに、私は少々邪魔をしたくらいでしてね。貴女が能力を私に対して使うであろう事は分かっておりました。
 そこで、私は事前に貴女が能力を使おうとした時に我が異能を発動させるようにしていた。それだけでして、ね」


そんなレミリアに、なんて事は無いと肩をすくませアピールするファンタズマ。
だがその行動はレミリアの能力に干渉出来るだけの力がある事の証明に他ならなかった。
自分にはそれだけの力があるのだと、アピールしているのだ。


「私の力が知りたいのなら今すぐにでもお見せしますものを……せっかちはいけませんな。
 だからその様に苦しむのですよ。そう、焦る事に良い事はありません。
 それに私もこの様の力の示し方は好きでは………ないとは言いませんが盛り上がりに欠けますのでね」

(……確かに、少し先走り過ぎた。だが、どうして私はあんな事をしたんだ?そんな事をせずとも聞けば済むだけの話なのに)


やっと息を整え落ち着くレミリア。緊張した所為か、気分が高揚した所為か。
普段なら決してこの様なミスはしないのに、それをしてしまった。この男の雰囲気に僅かでも毒されたからだろうか?

側に控える咲夜は警戒した目付きでサー・ファンタズマを睨み、パチュリーもまた同様に警戒する。
美鈴は不安そうに、そんな彼女達を見詰めるだけだった。


「そこまで知りたいのなら、これから私の力がどういったものか皆様に御披露目させて頂きましょうッ!」


そう言うや否や、サー・ファンタズマは部屋の中央へと歩み出る。
途端に部屋の空気が張り詰める。何をするか分からない男が何か行動を起こす。そうなるのは当然だろう。
レミリアも咲夜もパチュリーも、何が起こってもすぐさま行動出来るように身構える。
部屋の空気が更にどんよりと重くなる。そうした元凶は部屋の中央でピタリと止まる。
そしてあの皮肉めいた笑みを浮かべると、舞台に立つ役者が観客に向かい行う様に御辞儀をした。
幻想卿。サー・ファンタズマのその力が今正に披露されようとしていた。そして――――――










「それでは御覧頂きましょうッ!この私、幻想卿のこの「お姉様ぁぁぁぁぁぁッ!退屈だから遊ぼぉぉぉぉぉッ!」………え?」


部屋の扉をぶち破り登場してきた予期せぬ乱入者――――――フランドール・スカーレットによってその場の空気は完全に破壊された。










後書きが書けるのは、話が書き終ってからだよねー。

ええ、まずこの場において皆様にお詫びしなければいけない事があります。
このおじさん。本編とはほとんど関係無い事しかしてません。伏線を張るだけ張ってるだけです。
それだけです。ほんとそれしかしてません。ちょっとは関係あるけど、今は重要じゃない事をしてます。
この話って結局後々になって話が進んでから見返して「ああ、そういう事なのね」って思わせるだけの奴でして。
なんか「これもしかしてあの時言ってた奴ちゃうんかな?」って思わせるだけの話なんです。
盛り上げる話じゃなくて、盛り下げる……盛り下げ?いや掘り下げる?そんな話。
私もぶわぁっとして話書きたいんですけど、後々面白くする為に地味ぃな事を書いてるんです。
だからかなー、話が進まないし長くなっちゃうんです。本当に自分は未熟だなと、そう思います。

話の最中に世界大戦云々が出て来ましたが、これは前々から私が気になっていた事でして。
幻想郷はその時はどんな感じだったのかなと。大戦が起きた時はみんなどうしてたのかなと思いまして。
で、世界大戦起きた。なんか世界が狂いだした。それにフランちゃんが感化された。
その所為で爺ちゃん死んだ。爺ちゃん死んでまとまりや抑えが無くなって他の妖怪も戦争した。
その結果段々とみんな死んじゃって、世界から幻想が無くなった。そういう事になりました。

フランちゃん出て来ましたからなんとかなると思います。この空気をバーンと壊してくれる事でしょう。
もう既にバーンと壊れてる様にも思いますが……はい。
それでは!



[24323] 第三十四話 きゅっとしてドカーンとされました
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/11/08 19:04





いきなりのフランドールの登場に、部屋に居た全員がそちらに注目したまま固まっていた。
そのフランの後に遅れて現れたのは、息も絶え絶えにフランを追いかけて来た小悪魔だった。


「い、いもうと、さま……まって……きょうは………はぁはぁ………皆様大事なお話があるから……お部屋に……」


小悪魔は今日、フランが大事なこの話し合いに出て来ない様にとの御目付役を任されていた。
だが、退屈で暇を持て余したフランは「面白そうな気配がする」と部屋から出て来たのだ。
小悪魔も必死で妨害をしたが、フランは余裕綽々その妨害を突破した。
それから小悪魔は必死に追いかけたのだが――――――結果はご覧の通りである。


「こ、小悪魔ぁぁぁぁぁッ!今日は大事な話し合いだからフランの相手をしてって言ったじゃないのぉぉぉぉッ!」


そう叫んだのは小悪魔の主であるパチュリー・ノーレッジだった。
自分の従者の失態に怒るパチュリーだが、そんな主に小悪魔は涙目になって訴える。


「で、でもでも私なんかじゃ百人束になったって妹様を止めるなんて無理ですよッ!」


確かにその通りだ。小悪魔では百人どころか千人束になって重装備で挑んだとしても、
精々ほんの数十分長く足止め出来たかどうかというだけで、この結果は変わらなかったろう。
そしてそんな事はパチュリーも十分分かってはいた。


「それでも止めるのがアンタの仕事なのよッ!」


分かってはいたが、文句を言わずにはいられなかった。
それとこれとは話が別、という心境なのだ。


「こあぁぁぁぁッ!そ、そんな殺生なぁぁぁぁぁッ!私頑張ったんですよ!?これでも頑張ったんですよ!?
 走馬灯だって見たしなんか幽体離脱し掛けて自分を見ちゃったし、それにもうどうやって此処まで来たか記憶もあやふやなんですよッ!」

「言われた事が出来てなけりゃ意味無いじゃないのッ!」

「………こあぁぁぁぁぁぁぁッ!パチュリー様の紫もやしッ!引き篭もりッ!本の虫ッ!知識馬鹿ッ!」

「むぎゅぅぅぅぅぅぅッ!言ったわねぇぇぇッ!」


わんわん泣く小悪魔にパチュリーは掴み掛って揺さぶるが、非力過ぎてゆさゆさと動いているだけだった。
何処が動いているか?そんなものは何処かに決まっている。ゆさゆさと何処かが動いているとのだ。

さて、そんな事はどうでもいいとフランちゃんは部屋をきょろきょろと見回します。
紫もやしと小悪魔以外に部屋に居たのは、目を点にしてうーと鳴いてる我が姉。
能力を使わずに自身の時を止めて固まっている我が家のメイド長。
気まずそうに遠くを眺めて微笑んでいるだけの我が家の門番。
そして頬を引きつらせて間抜けそうに自分を見る、黒紫スーツの変なおじさんが居た。


「あれ?おじさんだぁれ?お客さん?」

「……ハッ!?そ、そうよフランッ!今このお客様と大事なお話をしているからッ!
 だから、だからまた後で遊んであげるからッ!ね?ね?良い子だから部屋に戻りなさいッ!今すぐにッ!」


妹の質問にやっと我に返ったレミリアは、すぐに妹を部屋から追い出そうと近寄って押し出そうとする。
だが悲しいかな。妹のフランの力は姉以上であり、その場からウンともスンとも動く事はなかった。
そんな姉を他所に、フランはもう一度おじさんの顔を見てみる。


「うーん……あれ?おじさんひょっとして………」


フランがファンタズマの顔を見て何かを気付いた風にして見返す。
この顔。どうにも何処かで見覚えがあるような、ないような………


「………ッ!?」


するとどうした事か。その視線に気付いてファンタズマは顔を背けて目を合わせない。
そしてなにより、物凄く顔が引き攣っていた。それも途轍もなく気まずそうに。若干だが汗まで浮かんでいる。
その姿からは完全に威圧感は消え失せていた。なんというか、物悲しい小物臭すら漂っていた。

その様子に気付いたレミリアは何事かと驚いてその場に立ち尽くすしかなかった。
さっきまでとはまるで別人の様なその行動に目が更に点になった。

そんな姉から離れたフランはファンタズマに近寄り顔を覗き込もうとする。
するとファンタズマ。サッと顔を逸らして顔を見せようとしなかった。


「ねぇねぇおじさん?ちょっと顔見せて?」

「……………」


黙ったままのファンタズマ。仕方なくフランは回り込んで顔を見ようとする。
だがファンタズマはそうはさせまいとくるりと反対に向き直る。


「むー………ねーおじさんってばー。こっち向いてよー」

「……………嫌です」


もう一度回り込んで顔を見ようとするフラン。
だがファンタズマはまたもや背を向けて顔を見せない。しかも今度は嫌だとまで言った。
するとフランはムッとした表情で更にしつこく尋ねる。


「……ねえ見せてよ」

「……嫌です」

「見せてってば」

「だから嫌ですって」

「こっち向いてよ」

「嫌だって言ってるでしょ」

「見せてよ!」

「嫌です!」

「見せろよ!」

「嫌ですから!」

「こっち向け!」

「嫌だ!」

「見せろ見せろ見せろ見せろ!」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ絶対にだ!」


そんな感じで言い合い、フランはその顔を見ようとファンタズマの周りをぐるぐると回り出した。
ファンタズマも見せないようにその場でぐるぐると回りだした。
そんな奇怪な光景にレミリアが発した言葉はと言えば――――――

                「嫌なんだよ!」
「は?………………なにこれ?」
                「見せなさい!」

凄く冷めた眼差しでのそう言い放った。

                「こっち見ろよ!」
「……ねえ咲夜。私どうしたらいいのかしら?というかこれどうすればいいのかしら?」
                「嫌だ!見るな!」
「私に分かると思いますか?」
                「減るもんじゃないし!」
「そうよねー………うん、ごめん。聞いた私が悪かったわ」
                「減るんだよ私の命が!」

いくら優秀な我が従者でも出来ない事と出来ない事がある。
これはもうほっとくしかないと結論するしかなかった。

パチュリーも小悪魔も言い合いを止めて呆けた顔でそれを眺める。
いきなり変な寸劇が始まったのだそちらに目が行くのは当然だった。
美鈴はと言えば、そんな光景をただ懐かしそうに見守るだけだった。

その間も言い合いながらぐるぐると回り続けた二人だったが、遂に終わりの時が来た。


「………いいもん。そっちがその気なら」


フランはスッと右手をファンタズマに向けてかざした。
それを見たレミリアは、妹が何をしようとしているのかがすぐに分かった。


「きゅっとして………」

「ちょッ!フラン待ちなさいッ!」

「え?あッ!待て待て待て待ちなさいッ!」


慌てて止めようとするレミリアと、その声を聞いてフランが何をしようとしているか悟ったファンタズマも静止の声を上げる。
だがそれはほんの一瞬、遅かった。


「ドカーンッ!」


フランのその掛け声と共に握られる手。そしてその中で何かがブツリと音を立てて潰された。
その瞬間、ファンタズマの方から気味の悪い炸裂音が鳴り響いた。
何かが完璧に破壊される音。それが鳴り響いたのだ。
慌ててそちらの方を見たレミリアは、とても信じられない光景を見た。


「………ぜぇ………はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


そこには冷や汗を流して肩を上下させ激しく呼吸するファンタズマの姿があった。
そう、フランの右手で破壊されたにも関わらず、サー・ファンタズマは生きていたのだ。それも無傷でだ。
能力が発動しなかったのならまだ理解出来る。だが今のは確実に能力が発動したはずだ。
それなのに生きているのは、本来ならあり得ない事だ。そのあり得ない事が起きているから、レミリアは驚いたのだ。
ただ――――――


「あー……焦ったぁ……いきなり、いきなりてちょっと………ふぅー………………死ぬかと思ったぁあ……」


ただ、あの慇懃無礼な皮肉屋がこうまで崩れた姿を見せているのは更に驚かされるのだが。
本当にさっきまで一緒だった同一の人物なのか、本気で疑わしくなるほどの変貌ぶりだ。

一方フランはそんなファンタズマを見て、得心したように頷き笑う。


「やっぱり!ファンタムおじさんだ!」

「……はは、はははは……お、覚えていてくれておじさん嬉しいよフランちゃん………………クゥッ!」


片手で目の辺りを隠してそう答えるファンタズマだったが………どう贔屓目に見ても正反対の事言ってる様にしか見えなかった。
たぶん、恐らく、いやまず間違いないのだが、泣いている様にも見える。
いい歳をした大人が情けなく泣いている光景というものは、こうまでみっともないものなのかと思わずにはいられなかった。


「というかフラン、えっと、この人の事覚えてたの?」

「うん。私が、えっと……何歳だっけ?」

「五歳。五歳の時だよ。確か、うむ、私と初めて会ったの五歳の誕生日」

「そうそう。で、それくらいで会ったんだよね」


そう、フランはこの男。サー・ファンタズマの事をよく覚えていたのだ。
何しろどれだけ自分が弱点である“目”を潰しても、不思議と生きているのだ。
先程も一撃で思いっきり潰したのに、壊れたのはファンタズマの目の前の空間だったのだ。


「お爺様がね「こいつはそう簡単には死なねぇから、ちょいと練習してみろ」って言ってね。
 それで試したら本当に壊れないんだよ!凄いよねー」

「そ、そうなんだッ!エ、エイブの野郎昔っから私に無茶な注文ばかり押しつけやがってッ!
 昔、帝国に戦争自分で吹っかけてとっ捕まった癖に、あの野郎私に脱獄の手引きをさせようとしやがったんだッ!
 私が帝国に仕えていた時だってぇのにだッ!昔っからそうだッ!まったくどれだけ図々しいんだあいつはッ!
 待遇を改善させてなんとか我慢させたが………野郎結局脱獄しやがってッ!御蔭で私にまで疑いの目が掛けられる始末だッ!
 あの後私がどれだけ苦労させられたか………ああ今思い出しても腹が立つッ!あ、あ、あの海賊吸血鬼ッ!」


オッサンがみっともなく喚き散らす様というのは、実に見苦しいもの。
最初の威圧感なぞもう何処にも無く、完全にはっちゃけて壊れていた。
レミリアはフランが壊したのはそれなんじゃないかと思わずにはいられなかった。
取り敢えず分かったのは、このサー・ファンタズマなる人物は祖父の被害者の一人だという事。
昔から振り回されていたのなら、本当にもう大変でしたねと同情せずにはいられない。
レミリア自身も、祖父の破天荒ぶりに振り回された事があるのでよく分かるのだ。


「それにしても随分性格が変わるもんねぇ……」

「そのですね。この人は実力は本当に超一流なんですが、その……」

「その……なに?」

「大旦那様曰く「超一流の実力と威圧感を持ってる小物」だそうで」

「えー………なにそれー………」


前半と後半の形容詞が完全におかしいではないかと思ったレミリア。
だが今目の前に居る人物はまさに自分の祖父の評価通りの道化者。
それが笑えなかったのは、なんだか他人の様な気がしない所為でもあった。
もんのすっっっっっっっっっっっっごく認めたくはなかったのだが。


「まあほら、大旦那様の昔からの悪友だそうですから」

「……美鈴。それを最初から言ってくれればあんなに緊張しないで済んだのに」


自分の祖父の悪友と聞いて、もう目の前の人物が一気に親戚の変なおじさんクラスに見えてしまう。
するとある事を思いだす。自分とフランがまだ小さく母も生きていた頃の事だ。
フランが楽しそうに祖父と一緒に誰かを追いかけていた。爆音も何度も聞こえた。
追いかけられていた人物は死にもの狂いで必死に逃げていて、腹の底から命乞いをしてたような。
あの時は幼心に「可哀そうだなぁ」と思った事があったが………


「あー……思い出した。お爺様とフランから必死になって逃げ回ってたあのおじさんか」

「あ、それで思い出しちゃいますかやっぱり」

「そこ二人ッ!聞こえてるぞッ!ああーもう……レミリアお嬢ちゃんが忘れてるから、
 てっきりフランお嬢ちゃんも忘れてると思ってすっっっっかり安心してたってのに……まさか、まさか覚えられていたとは……」


がっくりと項垂れ目に見えて落胆しているファンタムおじさん。その姿はどう見ても哀れである。


「それで、この人結局どんな能力持ってるの美鈴?」

「確か「幻を想い惑わせる程度の能力」ですよ。幻術なら右に出る者は居ないらしくて。
 それに昔は爵位もあったみたいで、だから昔からみんなに幻想卿って言われてるんだって、聞きました。
 お嬢様の能力を防いだのは、たぶん幻術を見せて惑わせたんだと思います。それで妹様の能力からは」

「フランちゃんの時は私以外の別の目を私の目だと幻術で惑わせる事で、それで外したんだよ。
 というか美鈴?そういうのは私から言わせて貰えないかね?年寄りの数少ない楽しみをなんだからそれを奪わないでくれ」


そうしょげるファンタズマのスーツの裾をひっぱり、目をキラキラさせてフランは笑う。


「おじさんおじさん、遊ぼうよ!私がきゅっとするからッ!でね、おじさんドカーンッ!て爆発して!」

「君は私に一体何の怨みがあるというのかねッ!?……いや、元気に育ってくれたのはおじさん嬉しいよ?
 生まれてすぐの頃は病弱だったから、それを思えばおじさんとしては嬉しい限りだが、ちょぉっとばかり元気過ぎじゃないかな?」

「病弱だったって……それって本当なの美鈴?」


今まで事の成り行きを黙って見ていた咲夜は、信じられないとばかりに美鈴に尋ねる。
パチュリーも同じ様に驚いた顔で美鈴を見る。二人ともこの元気な姿のフランドールしかしらないから当然と言えば当然なのだが。
そんな咲夜の問いに、美鈴はその事を懐かしそうに笑って頷いた。


「ええ、本当ですよ。生まれてすぐに地下の御部屋に移したのだって、それが原因ですからね。
 体が丈夫になるまでは日光とかに当たらないようにって考えて。それと妹様?あまりファンタムおじさんに無茶を言っちゃ駄目ですよ?
 妹様が今元気なのも、ファンタムおじさんが昔頑張って体が少しでも良くなるようにって、
 色んな所に行って薬を探してくれたり、御医者様を訪ねてくれた御蔭なんですからね?
 大きくなって動けるようになって、大旦那様達と一緒に遊んでくれたから体も丈夫になって………今はほらこんなに」


ひょいっと軽くフランを抱き上げる美鈴。フランはきゃあと嬉しそうな声を上げてそのまま美鈴に抱き着いた。
嬉しそうに頬を摺り寄せるフランに、美鈴はくすぐったそうに、幸せそうに笑顔を向ける。


「元気になってくれました。だから……フラン、おじさんにあんまり無茶を言っちゃだーめ。分かった?」

「うん、分かった!」

「それじゃ、おじさんに謝らないとね」


そう言うと美鈴は、フランを抱いたままの状態でファンタズマの方へと近付いて行く。
ファンタズマはと言えば、どうすればいいのか分からないのか困惑した表情のまま、その場に立ち尽くしていた。
二人が近付くと、フランはそっと右手を指し伸ばし――――――ファンタズマの頬に触れた。


「おじさん、ごめんなさい。私、おじさんに会えて嬉しくて、それでその、はしゃいじゃって。
 だから、だから………本当にごめんなさい」

「ああ、いや私は………私、は………」


そんな謝罪に今までの勢いも失い、ファンタズマは困った様に美鈴の方へと目を向ける。
そして美鈴はそれに笑って、小さく頷き返しただけだった。


「………私は、大丈夫だよフラン」

「本当?私の事、嫌いじゃない?」


不安そうな表情のフランに、ファンタズマは寂しそうに笑う。
自分の頬に触れているフランの右手を、片手でそっと包み込むように握り締める。


「まさか。そんな事は無いよフラン。私の事を覚えていてくれて私は……とても、嬉しいよ」


最後の言葉は酷く言い難そうに言っていたが、フランはその言葉を聞いて花を咲かせる様に笑った。
そんなフランを見て、ファンタズマは懐かしそうに言う。


「………もう君は何度も言われただろうが、君は本当に君のお婆さんに、リュミエールによく似ている。
 顔立ちもそうだが性格もだ。無邪気で、天真爛漫で自由奔放で」


手を伸ばし、帽子の上からフランの頭を撫でる。


「気ままな所は本当に、猫そっくりなその性格。ああ、生き写しと言ってもいい」

「えへへ……そうかな……」


嬉しそうに笑うフランと美鈴。それにつられてファンタズマもほんの少しだけ、小さく笑う。
それを見ていたレミリア、咲夜、パチュリーの三人は、この時完全にこの男への警戒を解いていた。
フランが懐いているから。美鈴が警戒していないから。それもある。
だが一番の理由は、最初会った時に存在していたあの何者とも分からぬ威圧感が今は完全に無くなっていたからだ。
今三人の目の前に居るのは小さく弱々しい、年老いた男の姿しか映っていなかった。
だがそんなファンタズマを見て、美鈴はホッと息を漏らす。


「なんだか、そう……やっと安心しましたよ」

「……美鈴?」

「なんと言うか……最初は本当にあのファンタムかって、驚いたんですよ?
 そりゃ、昔から貴方は怪しい雰囲気はありましたけど、でも……お嬢様達と居た時は、今みたいな感じだったじゃないですか?
 みんなに振り回されて、大旦那様と馬鹿野郎この野郎って言って喧嘩する気の良いおじさんって感じで。
 だから、はい。安心しました。貴方は貴方なんだなって。だってさっきまでの貴方はまるで「美鈴」……なんでしょうか?」


その続きを制する様に、ファンタズマは言葉を遮る。


「そこはまた後で、話をしよう。だから、それは言わないでほしい」

「………?分かりました」


そう言われ訝しむ美鈴。そのやり取りを見ていたレミリアはなんだろうと思ったが、それを口にはしなかった。
気が付けば、外はもう完全に日が落ちて夜になっていた。


「ファンタム。今日はもう遅くなりそうですから泊まっていってください。
 あ、もうすぐご飯なんで一緒に食べませんか?すぐに用意しますから」

「いやしかし……悪いだろう?」

「何言ってるんですか。昔来てた時はよくみんなで一緒に食べたじゃないですか」

「それは……そうなのだが……」

「はい、それじゃあ決まりですね。咲夜さんの料理って、美味しいんですよ?私も作りますんで、期待して下さいね」

「あ………ああ、すまないね美鈴」


今ではすっかり話の主導権は美鈴が持っていき、ファンタズマはたじたじになって返事をするだけだった。
なし崩し的に決まってしまい困惑する一同を他所に、美鈴は元気良くフランと笑うだけだった。


「それじゃあさっそく準備してきますね。咲夜さん先に行ってますから」

「私も!私もお手伝いする!」

「うん、じゃあお願いしちゃいますね」

「お願いされちゃいました!」


美鈴はフランを抱き抱えたまま、部屋を出て行った。そして、それを見送り取り残された五人。
パチュリーはもうなにもかも馬鹿馬鹿しくなり呆れ果てるしかなかった。


「むきゅー………なんだか無意味に疲れたわぁ………小悪魔行くわよ」

「え?え?私話が全然分からないんですけど?」

「いいからほら」

「こ、こあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………………」


涙目のままパチュリーにひっぱられ着いて行く小悪魔。
十二回も死にかけてやっと生きて辿り着いた結果がこれである。


――――――合唱、礼拝。


残った三人はさてどうしようかと、気まずそうにお互いの顔を見る。


「まあその………あれですな。行きますか?」

「あ………はい。それでは案内は私が」

「いや大丈夫だよ。昔はよく来ていたから大体の場所は分かるのでね」

「………私もおじさんと呼んだ方が良いのだろうか?」

「いやぁー……まあ、そうですな。そこはどうぞお好きな様に」

「じゃあ、ファンタムで。サー・ファンタズマって長ったらしいし。それじゃあ行こうか」

「………ええ、それでは行きましょうか」


そして三人は、部屋を後にして出て行った。
こうして話し合いは終わった。終わりの方は随分と気の抜けたものになってしまった。
だが咲夜は、彼女は表情を不安そうに曇らせている。
それは思わず聞いてしまった教団の、家族の話の所為であった。
みんながどうなったのか詳しく知りたいという、不安な気持ちは消えなかったのだ。










逃げる奴は後書きだぁッ!逃げない奴は訓練された後書きだぁッ!


長くなるから、ごめん!途中で話を切った!
長さか速さか長坂早坂。私は速さを取りましたよ。クーガ―の兄貴は偉大だから。
だからこの世の理に従いました。

生まれてすぐ地下の入れるのって、おかしくね?じゃあどうしたら納得出来て面白くなるのか?
能力を理由に地下に幽閉?NON。その設定は既にありきたり過ぎて面白味に欠ける。
狂気を理由に地下に幽閉?NON。同じくお馴染みの設定で新鮮味が無い。
実はただの引き篭もり?NON。生まれながらの引き篭もりなんてギャグならともかく妹様に失礼だ。テルヨじゃあるまいし。
実は究極の箱入り娘だった?NON。悪くはないがいまいちインパクトが欠けている。
答え③かわせない?NON。ごめん、答えにつまってジョジョネタに。
結論は、面白みも、新鮮味も、インパクトもあり、こ妹様の素晴らしさをこの上も無く引き立たせる事が出来る、そんな設定だ。
その結果。妹様は昔は体が弱かったんだよーという病弱設定が誕生しましてな。
んーつまりギャップ萌え?それを狙ったのだよ明智君。病弱で儚げな妹様………なんだかとってもイナフじゃねーか!
そう思うだろ?あんたも!!

なんだかおっさんが良い人っぽく見えちゃったかもしれませんが、それは間違いです。
この人は悪い事をするのが大好きなおっさんなんです。それを忘れてはいけません。いけませんからね?
どしゃ降りの雨の中、捨てられた子猫や子犬を拾ってるからって騙されてはいけない。
きっと持ち帰って喜々として皮を剥いで三味線や作ったり101匹集めて毛皮のコート造ったりするに決まってるんだッ!
もしくは………食べるとか?どっかの魔導探偵の様に。
ただ「お前は猫を食った事があるか?」と尋ねられた場合に「肝臓を食ってやったよ、空豆と一緒に。ワインのつまみにしてな」
と言って畜生ッ!と言わせたいが為にするかもだけど。まあ、そんな人です。

後書きで随分と色々なネタ言ってはっちゃけちゃったけど、僕満足!
………ああ、もっとはっちゃけたネタが書きてぇなぁ。
それでは!



[24323] 第三十五話 まだ良い夢を
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/11/11 20:03





紅魔館にとって久しぶりの客人を招いての夕食は、最初は気まずい雰囲気ではあったが美鈴が気を遣って取り成した事で解消された。
ファンタズマは最初の方こそ何処か遠慮している風だったが、若い頃のエイブラハムの冒険譚を始めると活き活きと語りだした。
燃え盛るソドムとゴモラからの多くの市民を助けた救出劇。
荒れ狂う大海原を突き進み七つの海を制覇し暗黒大陸や新大陸、南極大陸での冒険譚。
東西南北。様々な世界を仲間達を振り回しながら渡り歩いたエイブラハムと、それに四苦八苦させられた者達の苦労話。
それらの話を活動弁士の如くに緩急付けて話し、その物珍しさと巧みさで皆を話に引き込み楽しませた。
中でもフランは特にそれが気に入った様で、美鈴の膝の上で何度も若い頃の祖父の話をせがんだ。
レミリアも興味津々で聞いており、自分の父の話も聞きたいと思わず頼んだりもした。
その様にして盛り上がる中でも、咲夜は不安な気持ちはそのままで、話の内容のほとんどを聞いてはいなかった。

そして夕食が終わり、夜も遅くなり始めた頃だった。
咲夜はファンタズマが今夜泊まる部屋に向かっていた。
そして扉の前に立つと、軽くノックを叩いた。


「失礼します。コーヒーをお持ちしました」

「ああ………どうぞ」


扉を開けると、中は暖炉の火以外の明かりは無く、薄暗く感じた。何処に居るのかと一瞬目が泳ぎ、見つけた。
件の人物は暖炉の前に移動させた椅子に座り、背中を丸めて暖炉の火を見詰めていた。
その後ろ姿は最初に感じた違和感は感じられず、枯れた老人を思わせる雰囲気を漂わせていた。
その雰囲気の所為で部屋は更に暗く重く、寂しい空気に包まれている様な錯覚さえ覚えてしまう。

咲夜はファンタズマに近付き、持って来たコーヒーをマグカップに注ぐ。
上質なコーヒーの香ばしくも芳醇な香りが部屋に満たされ、鼻孔をツンと刺激させる。


「熱いのでお気を付け下さい」

「ありがとう」


渡されたマグカップを受け取り、口を付けてゆっくりと飲んでいく。
背中を丸め火を見詰めたままコーヒーを飲むその姿はとても小さく見えて、哀愁すら感じられた。
とても最初に見たあの泥の様に異様な威圧感を感じさせた男と同一人物とは、とても思えなかった。
その男が不意に咲夜に話掛けてきた。


「君が淹れてくれたこのコーヒー……実に美味しい。最初飲んだ時にもそう思ったものだ」

「ありがとうございます」

「ただ……」

「なんでしょうか?何かご不満な点でもありましたでしょうか?」

「不満があるとすれば……このコーヒーは美味過ぎる。私には上等過ぎる。
 私にはもっと苦く不味いコーヒーの方が似合っている。だから、次はもっとそういうものにしてくれていい」

「……分かりました。次からはその様にします」


おかしな注文だったが、本人がそれを望むのならそうすべきだろう。
そう判断し返事をした咲夜に、ファンタズマは満足そうに小さく頷いた。


「夕食の時のお話。妹様はとても喜んでおられました。
 お嬢様も聞き入っておられましたし……そういうお仕事もなされていたんですか?」

「昔は映画は音が無くてね。トーキーと言うのだが。登場人物のセリフや状況の説明をする活動弁士をしてましてね。
 映画の状況に合わせて、声に抑揚を付けて。それで盛り上げるのですよ。
 ………まあ昔から場を盛り上げる仕事をしたりしてましたから、それ以外にも色々とやりましたがね」

「そうだったんですか」

「まあ……ふふ、君はあまり楽しんではくれなかったようだがね」


自嘲気味に笑い肩をすくめるファンタズマ。
どうやら自分が話を聞いていなかった事は分かられていたようだ。


「………申し訳ありません。お気を、悪くされましたでしょうね」

「いや、君が楽しんでくれなかったのは私自身の未熟故だ。楽しませる事が出来なかった私の方こそ謝るべきだ。
 私は君を楽しませ、笑わせる事が出来なかった。申し訳ない」

「そんな事は……」


逆に頭を下げられ、こちらこそ申し訳ない気持ちになる。
教団の事が頭から離れず気になっていた自分の方こそ悪いのだ。
もしいつも通りだったら、自分も話に興味を持ち引き込まれ、楽しみ、みんなと一緒に――――――


「………笑え、たのかな?」


此処に来て、もう二年になる。だというのに自分は今まで誰かと一緒に笑った事が無かった。
パチュリーとも小悪魔とも、美鈴ともフランドールとも、主であるレミリアとも、一緒に笑った記憶が無い。
心の何処かで、それがいけない事だと思ってしまうから。


「………失礼だが、私に何か尋ねたい事でもおありかな?」

「それは……」

「いや、話し合いの最中に貴女が私が話してる時からそんな顔だったのでね。
 その場にいる相手の顔を見て心境を図るのが特技であり癖でね。だから私も気になっていたのだよ」


話し合いの最中によくそんな芸当が出来るなと思ったが、向こうから話を切り出してくれるのは助かった。
だが、話しても良いのか彼女は迷った。自分が聞きたい事を聞く為には、自分の氏素性を話さなければいけない。


「聞きたい事が、あります。でも、それには私の事を話さなければいけません。
 ですから……ですからこの事は他の方達には言わないでくれると、ありがたいのですが……」

「そう、ですなぁ……それでは一つ契約をしましょう」

「契約……ですか?」

「なに、そこまで面倒な事ではないよ。君の能力を教えて……そうだな。
 それと、私の話に少し付き合ってくれればそれでいい」


また火を見詰めカップのコーヒーを飲み、ファンタズマはそう言った。
契約と大仰な言い方をした割には、随分と簡単な取引だった。


「それだけで、いいんですか?」

「私は老人だ。長く生きてきた。君とは比べ物にならない程にね。
 そして時に、私の様な老人は自分の経験した物事を誰かに話したい時がある。
 それは昔の友人と懐かしく語り合い、そして君の様な若者に聞いて貰いたい時があるのだよ。
 私にとってそれは大変貴重な存在でね。だからそうしてくれると、私はとてもありがたい」

「……分かりました。私で良ければ」

「ああ、ありがとう。長くなるだろう。さあ、君も椅子に掛けてくれ」

「はい」


咲夜は返事をした後、近くの椅子を持って来て、ファンタズマの隣に椅子を置きそこに座った。


「いや、私も幸せ者だ。君の様な美しい女性が話し相手になってくれるのだから」

「いえ、そんな事は」

「謙遜しなくてもいいのですよ。まだ若いのに、よくしっかりしていなさる」

「十七にもなったかどうかなんですけどね……」


少し褒められて照れてしまう咲夜だったが、ファンタズマは彼女の歳を聞いて軽く驚く。


「十七?いや失礼。まだ私はてっきり十五になったかそこいらかと……」

「………………まあそこは置いときましょう」


彼女ももう年頃だ。実際の年齢よりも二つも子供に見られたのは、あまり良い気はしない。
成長期の十代にとって、十七歳と十五歳というのは二歳だけ違うのではなく、二歳も違うのだ。


(あれから背も伸びたし、胸だって少しは……そりゃまあ美鈴や姉さんに比べたら全然だけど。
 全然だけど……全然だけど……全然……全然………全……然……)

「はぁー………全然違うんだもんなぁ………」

「その話題には、触れない方が良いですかな?」

「うう……お願いします」


相手の暖かい目線と心遣いが、とても辛かった十七歳?だった。


「それでは……君の能力はどんなものなのですかな?」

「私の能力は……「時を操る程度の能力」です。時間の流れを早くしたり遅くしたり、止める力です」

「それは、また……神にも等しい。いや、そこいらの神ですら軽く超えている能力ですな」


驚くファンタズマを他所に、咲夜は首を横に振ってそれを否定した。


「そんな事はありません。時を操ると言っても、時間を戻す事は出来ないんです。
 いえ、投げたナイフを戻したりとかは出来るんですが。壊れた物を直したりとか傷を治したりとかは、出来ないんです。
 神の力なんかじゃありません。もしそうなら私は……時間を巻き戻してやり直す事をしたでしょうから」


本当にそうだと思う。此処に来たばかりの頃は何で自分は時間を戻す事が出来ないのかと泣いて悔やんだ。
どうにかして出来ないかと足掻いたりもしたが、結局その感覚は掴めなかった。
もしそれが出来たら、こんなにも悩む必要は無かったのにと思わずにはいられなかった。


「時間を操作し物理法則の縛鎖から解き放たれ、停止した高密度の時間の中でただ一人行動を可能とする。
 その力は敵に回せばこの上なくに恐ろしい能力だ」

「……あまり、驚かれないのですね。それに、この力にも詳しそうですし」

「まあ、そうですね。大変希少な能力ではありますが、同様の力を持つ使い手は過去にも存在していましたしね。
 ギリシャ神話の時の神のクロノスやカイロス辺りが有名でしょう。
 外なる神の知識や技術でも行う事が出来ますし、それに月人にもその手の力を持っていた者は居ますな。
 それに他の世界にもまだまだ居ますので、そこまで驚く事でもないでしょう」

「そんなに居るんですか………月人?」

「ああ、大昔に月に逃げた者達の事でしてね。ただ運が良かっただけの連中だ。
 力はそれなりにありましたが……当時を知る者から言わせれば、生きる事から逃げた逃亡者だ。
 穢れによって寿命が縮むからと逃げ、それに適応する事も出来なかった終わった者達。
 この私ですらどうとでも対処出来る者がほとんどだ。まあ大した事は、ありませんな。
 穢れがあろうと無かろうと、長生きする事は出来るのですよ。私の様にね。
 まあ……此処に居る今の君には関係の無い話ですな」


少し小馬鹿にした様にして、会話を止めた。
自分の持っている能力を他にも持っている者達が居るのは驚いたが、同時にそんなものかとも思う。
この人物は自分では分からぬ程に長く生きてきたのだ。ならば過去に同じ様な存在が居た事も知っていて当然なのだろう。


「そも時間とは一定した物ではなかった。一日の時間は二十四時間だなんてのは、最近の事だ。
 それに一つでもなかった。それぞれの世界で時間の流れは違い、更に日々変わっていたものだ。
 ある時ある場所では一日は無限にも等しく、その次の日は刹那ほどの時しかなかった。
 聖書の神は七日間で世界を創造しただろうが、その一日が二十四時間である訳が無い。
 創造の神も一人ではなかったのだしね。今の様に世界が纏まってきたのも」

「あ、あの………なんだか、話のスケールが飛躍し過ぎている様な気が?」

「おっと、これは失礼。世界の秘密を語りそうになった。これをすると長くなっていけない。
 今ではこの秘密を知る者も少なくなった。エイブラハムもその一人だった。が、今ではもう居ない。
 この自分だけが知ってる知識という奴は開かして得意気にさせるものでね。話を戻そう。
 君は先ほど自分には出来ないと言ったが、能力とは言ってしまえば認識によって力を発揮するのだよ」

「認識、ですか?」

「そう、認識だ。それが出来れば時間を逆行する事も可能だろう。最初はまるで自転車の動かし方を覚える様に認識する。
 覚えれば後は空気を吸って吐く事の様に、HBの鉛筆をベキッとへし折る事と同じ様に、出来て当然と思う様になる。
 我々が持つ能力という物は、そういう代物なのだよ。そういう認識を多く持ったり、認識出来る幅を広げたり。
 あるいは何処まで解釈を拡大するかで、更なる力を手に入れる事も十分に可能なのだよ。例えば………そうだな」


ファンタズマは手元のマグカップを差し出す。


「今から簡単な理科の実験をしよう。時を操る。それは言ってしまえば速さを操る事でもある。
 咲夜君。このカップの中のコーヒーは僅かにだが流れている。その時間の流れを加速させてみてくれ。
 ただし気を付けてくれ。少しずつ加速させる感じで頼むよ」

「………?分かりました」


咲夜は言われた通りに、コーヒーの時間を加速させてみた。
ゆらゆらと流れるコーヒーの時間。それを少しずつ、少しずつ加速させていく。
するとどうした事か。コーヒーはグツグツと音を立てて蒸発を始めたではないか!
自分で行った結果なのに、予想もしていなかったその出来事に驚きを隠せなかった。


「これは………?」

「熱とはエネルギーだ。それはまず運動する事によって発生する。そして激しく運動すればする程に熱くなる。
 君がこのコーヒーの流れを早く運動させる事で、熱は上昇し結果蒸発したのだよ。
 そしてもし反対の事をして時間の流れを遅くしていったのなら、コーヒーは冷たくなっていくだろう。
 そして最終的には、このコーヒーは凍り付いた事だろうな」

「つまり、分子や原子の粒の運動エネルギーの速度を操作する事で、この蒸発という現象が起こったと?」

「そう!その通りだ!いや、君は理解が速いな!ふふふふ………おめでとう十六夜 咲夜君。今この瞬間君は二つの能力を手に入れたのだよ。
 一つは「速度を操る程度の能力」であり、もう一つは「熱を操る程度の能力」だ。
 元々の能力と比べれば大した事はないだろう。だがこれは君の能力を応用し、そして認識して生まれた結果なのだよ」


そう言われ、咲夜は不気味な感覚を覚えた。
確かに一度認識出来た今では、なるほどその二つの能力も使う事が出来るだろう。
たった今手に入れた力ではあるが、時を操るよりも難しくはなく、訓練すれば今後色々と役にも立つだろう。
だがいきなり二つも能力を認識し手に入れてしまった事が、恐ろしく不気味に感じたのだ。
もしこの事を教えられなければ、自分はこれからもずっとそれを認識する事は無かったはずだ。
それをこの男は容易く行った。いや、行わせたのだ。それが、たまらなく不気味に感じた。


「いきなりコーヒーが凍ったら、温度の急激な変化でカップは割れていただろうな。
 まあ、だから徐々に熱くさせた訳なのだが……さて、いかがかな?」

「いきなりこんな力を手に入れても……不気味ですね。慣れない武器を渡された感じです」

「まあ、いずれ馴染むさ。それにこの二つは便利なのは間違い無いのだし」

「確かに御湯を沸かしたり氷を作る時は便利そうではありますね。
 あ、発酵速度を調整して簡単に御酒を造ったりとか出来そうですね」

「発想が随分と身近というか家庭的というか……まあ、君が良いならそれで良いか。
 だが、ふむ。咲夜君が造る酒か……それは間違い無く美味いだろうな。名前もピッタリで縁起が良い」

「そうなんですか?」

「そうだとも。まあそうやって訓練をしていけばいいでしょう。ちなみに、その力は何時頃から使える様に?」


確か、物心が着いた頃には使える様になってたはずだ。
そう伝えると、ファンタズマは少し思案した後に言った。


「失礼かもしれないが、もしや君は自分の本当の親を知らないのかね?」

「そうですが………どうして分かったんですか?」

「まあこれは私の勝手な想像なのだがね………」


ファンタズマはその勝手な想像を話し始めた。その内容は彼女にとって少しばかり驚く内容だった。
その内容とは、昔の自分は過去や未来に行く事が出来たのではないかと言う突拍子も無いものだった。

先程言った認識。これは力を得る為だけでなく力の方向性。つまり能力をコントロールする為の方法でもある。
咲夜の場合は時を操る事が出来ると認識出来ているから、そのコントロールが出来ている。
だが物心の着かない頃から既に能力を発揮し、それを無意識に使っていたとしたらどうだろう。
時を速くしたり遅くしたり止めたりしていただけでなく、無意識に使ってしまい、
思わず過去や未来に移動したりという事も昔は出来たのではないかと、その可能性を示唆した。


「ですが、そんな事がありえるのでしょうか?」

「可能性というのはどんなに確率が低かろうが存在するものでね。
 0%の確率は存在しない。そして存在しない事を語る事は出来ない。
 こうして可能性を示唆出来たという事は、少なくともそういう可能性もあるのだという事だ」

「そう、なんでしょうか?」

「しかしそう考えると面白い可能性が色々と生まれて来るな。
 もしかしたら君は過去か未来から来た可能性がある。
 いやもしかしたら此処ではない他の世界の住人というのも可能性もありえる。
 君は何処か浮世離れした感じがするからな……そうであってもおかしくない」


いきなりこの世界の人間ではないかもしれないと言われても、いまいちピンと来なかった。
自分は自分だ。それが分かればそれで十分ではないかと思う。
第一浮世離れと言うが、今この館には浮世の住人なぞは一人も住んでいないのだ。
だからそんな事を言われてもそこまで気にもならなかった。


「では、その……やり方を思い出す事が出来たら、今でも時間の移動は可能なのでしょうか?」

「それは勿論可能だろう。では君は、過去に戻りたいのかね?」

「え?………それは………」


そうですと、言葉にする事が出来なかった。どうした事かと、自分でも分からなかった。
昔の自分ならすぐにでも「そうです」と言ったはずだ。だが言う事が出来ない。
自分でも訳が分からなかったが、答える事が出来なかった。


「まあ過去をやり直したいと思うのは人であれば誰もが思う事でしょう。
 例えば失ってしまった最愛の人を死なせない為に過去に行きそれを食い止めたりとか、ね。
 だがそれは現実では不可能だ。だから人はその過去を乗り越えようとしたり、時間によって傷を癒したりする。
 そう、それが普通の事だ。………………………だが」


カップの少しばかり強く握り締め、続けて語る。


「だがそれは普通の場合だ。もし普通でないものでそれが可能だとしたら?
 そしてその可能性があると知ってしまったら?その場合は過去をやり直そうとするのが当然でしょう。
 そう、こんなはずじゃなかった事ばかりの世界を、変える事が出来る可能性があるのなら、その可能性に縋り付く。
 希望の光を見た者は、いや、見てしまった者はそれを手に入れようと必死に足掻くでしょう。
 狂人と呼ばれ外道と蔑まれても、その可能性を盲信して手を伸ばすでしょう。
 失った者が自分の全て以上に掛け替えの無い愛しい存在であればある程、その想いはとてつもなく強靭なものになる。
 その不屈の心による行いは、私には尊い祈りに、思えてならないのだよ」


しみじみと遠くを語る男の視線は此処ではない遠くを見詰めている。
それが一体何処に向けられているのかは分からない。
分かるのは、彼がその遠くの場所を眩しそうに見ているという事だけだった。


「………まあ、君が過去に戻りたいのなら、その力を取り戻す事だな」

「貴方なら何か知っているのではないですか?その、どうすればそれが出来るか」

「光より速く動ければ可能かもしれないなぁ………ただし、圧縮し停止した時間の中で速く動けばいいのではない。
 今の時間この進む時間の中で速く動かなければいけないだろう。それが出来れば、可能かもしれませんね」


光より速く動くなんて事は、そう簡単に出来るはずはない。
まず光以上の速さが何なのか分からなければそれ以上の速さになる事は出来ないだろう。
それに、たとえ光以上に速くなれたとしても、その時は自分の体がとんでもない事になってしまう。
過去への逆行は無理なのかと諦めかける咲夜を、ファンタズマはニヤニヤと面白がる様に笑う。


「ただ、君自身が光より速くなる必要は無いでしょうな。
 結果的に光より速ければいいのですよ。君自身が速くならなくても、光より速くなる方法はあるはずだ」

「おかしいですよそれ。より速く、ならないで光より速くなるなんて、不可能ですよ」

「そうかな?この問題は発想を少し変えればいいだけだと私は思うがね。
 まあこの話は次の機会に取っておくとしましょう。それまで考えるのも面白い。
 しかし………君は本当に過去に戻りたいのかね?私にはそうは見えないのだが」


そんな事は無いと言いたかったが、口から出る事は無かった。
それがどうしてなのか、自分でも分からいのがもどかしかった。
そんな心情を察したのか、ファンタズマが話を続ける。


「先程、過去をやり直す事が方法があった場合はそれを実行するのが普通と言いました。
 だがその方法を見つけても実行しない者も中には居るのですよ」

「それは、どうしてですか?」

「過去を乗り越えた者。今を幸福だと感じる者。飛び切りに突き抜けた馬鹿という事もありえる。
 君はそんな馬鹿には見えない。だが過去を乗り越えた様にも見えない。
 という事は今を幸福だと感じているからという事になる。私の説明に従えばだが」

(今の自分が幸福?そんな事は………そんな、事は………)


そんな事は無い。そう言い返そうとした。だが――――――


「御蔭で本の整理が楽になって、本当に助かってるわ。ありがと、咲夜」

「すみません咲夜さん、運ぶの手伝ってもらって。後で私もお手伝いしますからね」

「咲夜さんの御蔭お嬢様や妹様が本当に嬉しそうで………貴女の御蔭ですよ咲夜さん」

「ねえねえ咲夜咲夜!私ね、私ね!えへへ……咲夜の事大好きだからね!」

「貴女が私の所に来てくれて、私は本当に幸せだわ咲夜。だから……ありがとう」


途端にそんな声が頭の中に浮かんできた。その声を聞くと、不思議と胸の中が暖かくなる。
同じだった。教団のみんなの事を、家族を思い出す時に感じるそれと同じ暖かさだ。
咲夜は、いや“彼女”は意を決してファンタズマに尋ねる。


「………私が聞きたいのは、貴方が客間でお嬢様達と話していた時に言っていた事です。
 テンプル騎士団系列の組織と戦った者達がどうなったのか、知りたいのです」


彼女は自分の素性を話し始めた。
自分はレミリアを殺そうとして失敗した暗殺者である事。
そしてそのテンプル騎士団に戦いを挑んだであろう組織に自分が属していた事。
詳しい事までは教えなかったが、大まかな事は話した。
ファンタズマはそれを黙って聞いていた。そしてその話が終わった時に、ある言葉を呟いた。


「真実は無く、許されぬ事など無い」

「何故それを!?」

「なるほど。この言葉を知っているという事は、君はアサシンなのか」

「本部が破壊されたというのは、本当なんですか?」

「ああ本当だとも。詳しくは分からないが、今代のハサンは死んだそうだ。
 もっとも今のハサンの名にはかつての意味は失わられて形骸化したものだそうだから、仕方も無いのだろうが」


彼が何を言いたいのか、咲夜には理解出来た。
その昔我が師が教えてくれた事なのだが、今のハサンは本来の方法で選ばれる事ではないのだ。
ザバーニーヤ。それぞれの方法でその奥義を生み出した者にこそ、その名が与えられるのだ。
しかし近年ではその奥義を生み出す者はついぞ現れる事は無く、本来の意味でのハサンは此処数百年現れてはいないのだ。
今ではかつての十九人が残した聖遺物のどれかに適合し、それを使いこなす者にその名が与えられる様になったそうな。
それを知っているという事は、もしかしたらみんながどうなっているのかも知っているかもしれない。
そんな希望を持ち、咲夜はその事を尋ねてみる事にした。


「その、本部とは別に組織があったはずです。それがどうなったか分かりませんか?」

「別の?君は本部に属していたアサシンではないのかね?」

「私は飛翔せし祈りの鳥と呼ばれる教団に属すアサシンです。ご存じないですか?」


飛翔せし祈りの鳥。その名を口に出した途端に、彼の表情は強張った。


「飛翔せし祈りの………?なッ!?それはまさか……鷹の事ですか?」


鷹と、確かに男はそう言った。それを聞いた瞬間に、彼女は目の色を変えて詰め寄る。


「ッ!?そうですッ!そう呼ばれてもいますッ!お願い、お願いしますッ!
 みんなが、みんなが一体どうなったのか教えて下さいッ!」


身を乗り出して祈る様に手を組み懇願する彼女に、彼は少しばかり押され気味になる。


「お、落ち着いて下さい」

「あ……申し訳ありません」


その言葉で取り乱した事を恥じた彼女は、そう謝罪し相手の言葉を待った。


「しかし、驚きましたな。君がまさか鷹のアサシンだったとは。
 あそこは今の暗殺教団の中でも多くの実力者を排出している。
 私の情報に間違いが無ければですが、今代のハサンも元々はそこの出身者だったはず。
 半ば形骸化した本部よりも、鷹の方が本来のアサシンの力を維持していたはず。
 そうですか……君はそこの……となると、残念ながら私は君に多くを語る事は出来そうもない」

「どうしてですか?まさかみんなも」

「いやそうではない。あれは秘密主義の権化のアサシンの中でも更に厳しいものだ。
 下手に調べようとしたらこの私でも命なぞ無いも同然。だから教えられないのです」

「そんな………」

「ですが、少なくとも滅んではいないでしょう。その証拠に情報漏洩が今も無いのですからね。
 未だに情報のガードが働いているのなら、君のその不安は杞憂だという事だ」

「そう、ですか」


その言葉を聞いて、彼女はほっと胸を撫で下ろす。
どれだけの被害があったのかは分からないが、少なくとも壊滅してはいない。
それを聞けただけで、嬉しく思い涙が流れた。


「すみません……取り乱してしまって。お見苦しい所を見せてしまいました」

「いえ構いませんよ。いや、むしろ幸運でしょうな。一流のアサシンが涙を流す所を見られたのですから。
 それも君の様に美しい方がその様に笑って嬉し泣きする所を見られたのなら猶更に僥倖」


思わぬ所を見られて、それをその様な世辞まで言われて彼女は赤面する。
そんな彼女を、彼は見守る様に微笑みながらも彼女に尋ねる。


「私は、君の要望に応える事が出来ただろうか?」

「………はい。この上なく」

「そうか………ああ、本当に良かった………」


そう答えてくれた彼女の言葉を聞いて、彼は感慨深く吐き出すようにしてその言葉を漏らした。


「お教え頂きありがとうございました。ですから、聞かせてくれませんか?
 貴方が話したい事を。私に話したい事を。話しては貰えませんか?」

「そうですな……そうでした。となるとさて……何を話そうか……」


椅子に深く座り直し、片手で目頭を抑えて軽く思案する。


「長くても私は構いません。時間もありますし。私の事は気になさらないで下さい」

「……それもそうですな。これは私と君の会話だ。誰に気兼ねする必要もありませんな」


安堵した様に答えた後、彼は暖炉の火をジッと見詰め、話を始めた。


「私は、スカーレットとは長い付き合いになる。エイブ、昔はアブラハムと言ったがね。悪友だったよ。
 悪い事はどんな事でもしたな。それもこの上なく楽しんで。ああ、よくみんなで騒いだものだよ。
 あいつは元々は父親の下で大工として働いていてね」

「大工ですか?」

「父親は元々は農家だったんだが、色々あって出来なくなってね。
 作物の代わりに家やら道具やらを造る事になって、それを兄弟達と手伝っていたらしい。
 吸血鬼になった後で世界を回り始めて、私と会ってね。あいつは神が、聖書の神が嫌いでね。まあそれは当然だ。
 父親を追放された上に大洪水で一苦労して。皆で懸命に造った塔も破壊された。
 それに私達みんなで造ったソドムとゴモラを硫黄と火で滅ぼされたのだからな」


しみじみと彼は話すが、話のスケールがとんでもない事になっている様な気がする。
昔から生きてきたのなら、歴史上や伝説上の事も当事者として知っているのも頷ける。
………もしかしたらだが、自分はエイブラハムの父親が誰なのか知っているかもしれない。
というより、世界的に有名かもしれない。人間の王がどうのこうのというのも、それだと納得がいく。


「ソドムとゴモラは元々皆で楽しく暮らせる街を造ろうとして生まれたものでね。
 人間だろうが妖怪だろうが構わず騒いで飲んで歌って楽しんで。それが出来た場所だった。
 まあ、素行の悪い不良共の巣窟とも言えたが、そうだな……いずれ行く事になる幻想郷の様な場所だったよ。
 もちろん、私達の方が問題は多かったがね」


最後の方を自慢する様にふふんと鼻を鳴らして話したが、そこは自慢する場所ではないと思う。


「そういう神の敵の集まる場所だったからね、滅ぼされるのも当然と言えば当然だ。
 だが、ああ我が麗しの悪徳の都よ!悪漢共の楽園にして理想郷のソドムとゴモラ!何故お前達は滅びたのか!
 我等悪徒がその力を一つにし生み出した美しき街並みは見る影も無く醜く破壊されつくした!……ってね。
 まあ街は滅ぼされたが住人はほとんど逃げおおせたがね。私の様に」


してやったりと悪戯っぽく笑うファンタズマ。それを見て彼女は苦笑いしか出て来なかった。
もしその時にこの男が死んでいれば、この世界はもう少し落ち着いたのではとさえ思った。


「そうやって、私は長く生きてきた。ええ、生きて来ました。
 ……そうですな。分かりやすい様に少し話を飛ばしましょう。
 君の主であるレミリアについて、話してみましょうか?」

「レミリアお嬢様、ですか?」


レミリアの話。それは咲夜にとって今まで以上に興味のある話だった。
昔のレミリアがどうだったのか。パチュリーや美鈴とは違った事を言ってくれそうで、気になってしまう。


「あの子は、昔からお父さんっ子でね。よく後ろを着いてまわったよ。
 実に良い子でね。あれは五歳の時だった。自分に妹が出来る事を喜んで、私に自慢してくるんだよ。
 そう、こんな感じだったよ」


そう言うと彼は軽く指を鳴らした。すると目の前に一人の小さな少女の姿が現れる。
それはレミリアだった。だが今とは違い背も随分小さく、その姿のままの幼さがそこにはあった。
その小さいレミリアが、これ以上ないくらい幸せそうに、弾む様に笑って自分達に話し掛けた。


「おじさんおじさんッ!レミィねレミィね、お姉様になるんだよ。すごいでしょ?すごいでしょ?」

「こ、これって……お嬢様ですかッ!?この、この……とてつもなく愛らしい生き物がッ!?」

「………いや、未だって皮良いと重い増すよ渡しは?」


言葉の発音が随分とおかしく聞こえたが、彼女はそんな事はどうでもよかった。
昔のレミリアがこんなにも可愛いだなんて。まるで天使。いやそれ以上に愛らしいではないか!
こう思わず、ぎゅっと抱き締めて頬ずりしてずっと過ごしていたいという胸の高鳴りが抑えられない!
脊髄反射的にそんなレミリアを抱き締めようと手を出して触れようとした時、スッとすり抜けた。
これに驚きどういう事か彼の方を見る咲夜に、説明がなされた。


「それは私が造り出した幻だよ。だから……触れないよ?」

「そ……そんな……馬鹿なッ!?こんなに、こんなにも可愛らしいのにッ!?愛らしいのにッ!?可愛いのにッ!?」

「いやその理屈はおかしい。そもそも何故二回も言う?大事な事だからかね?」

「触れる様には出来ないんですかッ!!!!」

「ええっと………ざ、残念ながら無理ですよ?」


目を逸らして答えるファンタズマ。
だがその仕草はまるで「出来ない事はないけどやらない方がいいな」と語っている様にも見えた。
だが可愛い生き物を見て興奮状態にある咲夜さんには、そんな事を察する洞察力は欠けていた。
その言葉に絶望し、思わず膝を着いて、涙ながらに訴えた。


「サー………サー・ファンタズマ……ッ!うう……ああ……ああ……
 お、お嬢様を、抱き締めたいです……ッ!!お、お嬢様をぉ……」

「ああ、私は……私は、やってはいけない事をしてしまったのだろうか………とりあえず、諦めて泣くのを終了しましょう…?」

「でも……でもぉ……ッ!」

「そのですね、そんなに言うのなら後で本物を抱き締めればいいじゃないですか?」

「…………………ッ!?そうか、その手があったか………」


その言葉を聞いて絶望は一変して希望となった。
歓喜に満ち溢れた笑顔で、嬉し涙が流れてその頬を濡らした。
あまりに感極まったのか、「また余計な事を」とか「どうすれば?」とか「いやもうどうでもいい」とか、
そんな言葉は一切聞こえてはいなかった。

後日、紅魔館の主は従者に訳も分からずにぎゅっと抱き締められて慌てふためいたという。
その時に赤面して嬉しくも恥ずかしがってうーうー可愛く鳴いていた為に、ずっと抱き締められたトカ。


「取り敢えず、続きを見てくれるかな?」

「いいとも!是非お願いしますッ!」

「……うむ、少し待とう。そしてちょっと落ち着こう。
 この先ずっとその調子だとさすがにあれが、それなので」


………五分後。


「……すみません。落ち着きました。さっきのは忘れて下さい。私は忘れました」

「うむ、そうしよう。さっきのは忘れよう。私も忘れたから続きを見よう」

「………お願いします」


お互いさっきの事は忘れた事にして、続きを見る事にした。

そこに映し出されたのはファンタズマが記憶していたレミリアの過去であり、それを能力で自分に見せているのだという。
それはレミリアが五歳の時の記憶であり、第二子が生まれると聞いて来たらしい。
幻のレミリアは満面の笑みで嬉しそうにその事を報告してくるものだった。


「お母様がね、レミィが良い子にしてたから来てくれるんだよって言ってくれたんだッ!レミィ偉いでしょ?偉いでしょ?
 でねでね、しかもね、妹なんだってッ!すっごく可愛いんだろうなぁ!お母様が言ってたから間違い無いよ!」

「……ああ、そうだろうね。それにレミィちゃんの妹だから、間違い無く可愛いだろうね」


返事が無い幻に向かって、彼は優しそうに話し掛けていた。
もしかしたらそれはかつて行われた会話の再現なのかもしれない。


「名前はね、もう決めてあるんだって!フランドールなんだって!可愛いでしょ!
 レミィね、フランが生まれたらね生まれたらね!たっくさん優しくしてあげるんだ!
 まいにちいっしょにいてね、寝る時も。お母様や美鈴みたいに抱っこしてあげるんだ!」

「それはいいな。お母さん達を見習って、自分にしてもらった事をしてあげなさい」

「あ、それとね。お父様とーお爺様とーお母様に美鈴。あと爺も。みんな言ってたんだ。
 レミィはお姉様になるから、妹の事を守ってあげてねって。
 だからねレミィお姉様になったらね、フランの事ぜっっったい守ってあげるんだ!
 えっと、お父様とーお爺様とーお母様に美鈴。あと爺。みんなみたいに守ってあげるんだ。
 レミィお姉様になるからね、フランの事はね、レミィが守ってあげるんだ!」


元気一杯に胸を張って、笑顔で彼に宣言するレミリア。
その笑顔に応える様に、同じ様に笑顔を作って、彼は言った。


「ああ……それを忘れなければ、レミィちゃんはきっと良いお姉さんになれるはずだよ」

「ありがとう!ファンタムおじさん!」


そう言うと、幻の幼いレミリアはふっとその場から消えた。
目の前にはただパチパチと静かに音を出し弾けて燃える暖炉の火があるだけ。
それ以外には何も、目の前には無かった。

ファンタズマは疲れた様にして息を吐き出して、また暖炉の火を見詰めて黙る。
数十秒か一分かが経った頃。彼は先と同じ様に言葉を吐き出す。


「もうあれから五百年近くになる。私には短いが、あの子には十分長い。自分の人生の時間だからな。
 そう、五百年は長い。私の事を忘れたとしてもそれは、何もおかしくはないのだよ。
 今日彼女が私を見た時に見せた顔でね、分かったのだよ。この子は私の事を忘れているな、とね」


吐き出されたその言葉には、寂しさが込められているのがはっきりと分かった。
咲夜は考える。もしも、昔自分にあれだけの笑顔を向けた子供が、自分の事を忘れて、尚且つ敵意を向けられたらどんな気持ちだろうか?
自分だったら間違い無く、悲しんでしまう。もし我が師に、みんなに忘れられたらと思うと、恐くて仕方が無い。
だが、この人物はどうなのだろうか?やはり悲しいのだろうか?


「……忘れられるというのは、悲しいですよね。私だったら、大事な人に忘れられたらと思うと、悲しくなります」

「なら、君はどうするのかね?」

「忘れません。私の事を大事に想ってくれた人の事を決して忘れません。
 そうすればその人は生き続けるんです。例え体を失ったとしても、私の心の中で。
 お互い忘れなければ、生き続けられると。だから忘れないと、約束したんです」

「それは……愛、ですかな?」

「――――――はい」


はっきりと、彼女は断言した。かつて誓ったのだ。決して忘れないと。
それが、自分と我が師との大切な絆だから。


「羨ましいですな。君にそこまで思われている者は」

「貴方だって、出来ます。だって美鈴や妹様は覚えていてくれたじゃないですか。
 それに、今はお嬢様は少し警戒していますが、思い出してくれればさっきみたいに、昔みたいにきっと!」


懸命に、我が事の様に必死になって彼女はそう訴えた。
我が事の様に。そう、きっと彼女は思ってしまったのだろう。
忘れられるのはつらい事だ。だからそうならない様にしなければいけないのだ。
そんな、半ば強迫観念染みた考えが彼女にあったから、放っておけなかったのだ。
そして、そんな彼女に向かい、ファンタズマは笑顔で、あっけらかんと答えた。


「私は――――――忘れられてもいいのですよ」

「………え?」


彼女には最初、彼が何を言ったのか理解出来なかった。
先程あんなに悲しそうにしていたのにどうしてその様な言葉が出て来るのか分からなかった。
彼は笑顔のままに話を続けた。


「そう、忘れられてもいいのですよ。それは私にとっても彼女にとっても些細な事だ。
 ただ彼女があの日自分に誓った事を忘れなければ、それでいいのですよ。
 その記憶は、彼女にとっても大切な思い出だ。その記憶に私が居るか居ないかは重大ではない」

「どうして、そんな事を言うんですか?私には、分かりません。
 大事に想っていた人に忘れられるなんて、だってそんなの……悲し過ぎるじゃないですか……」


何時の間にか、その目には涙が溢れ出ていた。
どうしてかは自分でも分からない。分からないが、泣いてしまうのだ。
そんな彼女に、彼は諭す様に話し掛ける。


「君は、優しい子なのだね。私の様な老人の為に涙を流してくれるのだから。
 だが君も気にする事は無いのだよ。私の話に付き合ってくれたのはありがたいがね」

「でも………だけど………どうして………?」

「どうして?そんなのは決まっている。彼女達、いや君達が幸せだからだよ」

「私達が、幸せだから?」

「私が大事に想う君達。それが幸せなら、私も幸せなのだよ。
 忘れられる事は悲しい事かもしれないが、それ以上に幸せなら、気にする事などないではないか。
 それに私は長く生きた。忘れられる事には、もう慣れたでね」

「貴方はそれで、それでいいんですか?」

「構わない。なにしろ私は――――――幻想卿なのだから」


自慢する様に、丸めた背中をちょっとだけ伸ばして、彼はそう言う。


「幻想とはいつか忘れられるものだ。だがいつかは、思い出されるものでもある。
 私はね、それで良いと思うのだよ。私はね、だから良いと思うのだよ。幻想というものは」


その言葉にどの様な意味が込められているのか、彼女には分からなかった。
その言葉にどれだけの想いが込まれているのか、彼女には分からなかった。
分かったのは、彼がそれをこの上も無く幸せそうに語っているという事だけだった。


「昔、私はエイブと約束したのだよ。「孫達に何かあって、助けられる様なら助けてやってくれ」と。
 私は約束した。契約ではない。男の約束だ。だからこそ私はその約束を果たす。そう、何をしようともだ。
 それは私が私である為にする事だ。自分の為にする事だ。だから咲夜君。私を決して善い者だとは勘違いしないでくれ。
 その時が来たら君は私を疑え。怨め。憎め。私はそれだけの事をするのだから。自分の為に」

「どうしてそんな事を?」

「楽しいからだよ。面白いからだよ。だからこそやるのだよ。
 愛も憎しみも。喜劇も悲劇も。優しさも怒りも。幸運も不幸も。楽しく面白いじゃないか?
 人というのは素晴らしい。どんな不幸も、戦争も災害も面白くして楽しむ事が出来るのだから。
 それは決して否定出来ない人の業だ。だからこそ人という者は素晴らしく楽しく面白いのだ。
 何故ならそれもまた幻想には違いないのだから。それでも、幻想には違いないのだから。
 私は楽しく面白ければ、どんな事でもするのだよ。それが私だ幻想卿だ」


ゾクリと感じるこの泥の様な威圧感。それは最初に出会った時に感じた不気味な威圧感だった。


「そしてその素晴らしさを否定する者は、否定しか出来ない者は人という者を理解していない証拠だ。そういう者は大抵面白くない。
 上っ面だけの能無し。自分と向き合えない間抜け。誰かの素晴らしさを妬むだけの塵だ」


口汚く蔑み吐き出される言葉には悪意が込められていた。嫌悪が込められていた。
どうしてその様な事を言うのか、彼女には理解出来ずに困惑した。
そんな彼女を見て、彼は微笑む。そこにはもうあの威圧感は残っていなかった。


「理解出来ないかね?まあいいさ。これは君が理解する必要の無い事なのだから」

「確かに理解しかねますが……その、後悔はしないのですか?」

「いいじゃないですか。後悔しても。私はずっと後悔してきた。後悔の連続だったよ。
 だが何時かその後悔も笑える時が来ると知っているから、私は後悔する事を後悔しないのだよ」

「後悔する事を後悔しない、ですか。それが出来れば、どんなに良い事か」


後悔する事を後悔しないなど、そう簡単に出来る筈がない。
それは長い人生を生きた者だけが至れる境地だ。今の自分には、そう思う事は出来そうもない。


「……咲夜君。私から一つお願いがある」

「なんでしょうか?」

「レミリア・スカーレットの事を、頼めないだろうか?」

「……それは」


レミリアを頼む。その言葉は彼女にとって「レミリアを殺すな」という事と同義であった。
この二年間ずっと命を狙い続けて来た自分にとって、受け入れがたい言葉だった。


「私はエイブに彼女を助けると約束した。力になる事は、この私でも出来る。だが幸せにする事は出来ない。
 それが出来るのは、君なのだと私は思う。レミリア・スカーレットには十六夜 咲夜が居なければならない。
 そして十六夜 咲夜にはレミリア・スカーレットが居なければならないのだと、私はそう確信している」

「何故貴方にそんな事が分かるのですか?」

「一緒に居る時。私には君達がとても幸せそうに見えたからだよ。
 レミリアだけじゃない。他の者達も君が居ると幸せそうだった。
 いざという時にレミリアを本当の意味で助ける事が出来るのは君だ。
 だから、頼む。あの子の事をどうか頼めないだろうか?あの子を、幸せにしてやってくれ」

「そんな、そんな勝手な事言わないで下さい!私は今でもお嬢様を殺そうとしているんですよ!?
 殺して、殺さないと帰れないんです!私は……みんなの所に……」


激高し怒鳴る彼女に、彼は静かに語り掛ける。


「……もし君がその事で苦悩するのなら、選べばいい」

「……選ぶ?」

「十六夜 咲夜であるか。アサシンであるかをだ。選び、決めて、自分の答えを得ればいい。
 真実は無く、許されぬ事など無いのだから。これはアサシンの教えの根源ではないかね?
 正解など無い。選べば必ず後悔する。ならば選んだ答えを信じて歩みなさい。
 歩んだ先に幸せがあるのだと信じて、進みなさい」



十六夜 咲夜であるか。それとも名も無きアサシンであるか。
そのどちらを選ぶべきか。それを決めなければいけないのは分かっていた。
幻想郷に攻め入るまでに、それを決めなければいけない。その時が来たのだ。
逃れられぬ選択肢を前に、彼女は尋ねる。


「これが――――――私の運命なのでしょうか」


その問いに、男は答えた。


「それが――――――君の宿命なのでしょうね」


二人は黙り、静寂が生まれる。
静かに暖炉の火が燃える。燃える薪が音を立てて崩れる。
静かな時が、そっと流れていった。


「迷うのなら、こう考えなさい。簡単に、どちらを選べば幸せなのかと。
 アサシンである事で得られる幸せ。十六夜 咲夜である事で得られる幸せ。
 ただ私は、十六夜 咲夜である事を勧めましょう。先程私に見せてくれたあの笑顔。
 あれは私ではなく、レミリア達と共にあってほしい。彼女達と笑ってほしい。
 それに、十六夜 咲夜である事を選んだからといって、アサシンの君が消える訳では無い」

「どうして、そう言えるんですか?」

「君は言ったね?忘れないと約束したのだと。君が忘れないと誓ったのなら、相手も同じはずだ。
 だから君が十六夜 咲夜を選んだとしても、アサシンの君はその相手の中で生き続ける。
 そうじゃないかな?」


その言葉を聞いて、ハッと彼女は気付く。
そもそもアサシンとしての自分は、あの赤い月の夜に死んだのだ。
ならば自分は十六夜 咲夜として生きても良いのではないかと、一瞬でも考えさせられる。
その考えは忘れようと消えはせず。甘い毒の様に広がり、ジクリと染み込んでくる。


「………考えさせて下さい。私には、大事な事ですから。
 でも、もう一つだけ教えてください。それでも、後悔し続ける時は私は、どうすれば?」

「その時は、私の所為にすればいい。私に余計な事を言われたからと思えばいい。
 実際にその通りなのだし、なに気にする事は無い。そう思われ恨まれるのも、また面白い」


悪戯っぽく笑うその気軽さに、何処か救われた思いを感じる。


「……分かりました。その時が来たら精々恨んであげます。貴方の所為でこうなったんだって。
 だから私は、貴方の事を忘れません。例え忘れても、思い出して恨みますから」

「そうか……ありがとう。そうそれでいい。それでいいのだ。
 ………………話が随分と長くなってしまったな。もう遅い。早く休むといい」


言われて気付き、懐中時計を取り出して時間を見る。
確かにもう随分と遅くなった。随分と話し込んでしまった様だ。
咲夜は椅子から立ち上がり一礼する。


「お話、ありがとうございました。ところで、明日の朝食はどうしましょうか?」

「明日は、すぐに此処から立ちますので朝食は結構ですよ。
 こちらこそコーヒーありがとう。もう少し飲んでいるから、置いて行って下さい」

「分かりました。それでは失礼します」


そうして部屋から出て行こうとした時。ふとある事が気になり、振り返り尋ねる。


「サー・ファンタズマ。貴方は、幸せですか?」


この人物の人生がどんなものだったか分からない。
だがこうして生きている今、彼自身は自分の事を幸せだと思えているのか?
その問いに、サー・ファンタズマは暖炉の火を見詰め自分で注いだコーヒーを飲んだ後に答える。


「ええ幸せですとも。まるで夢を見ている様な気分だ。そう、夢の中に居るようだよ。
 だから―――――お休み十六夜 咲夜。最後には良い夢を見られる様に」


面白そうに答えるその声を聞いた後、咲夜は部屋から出て行った。
そして早朝にサー・ファンタズマは今後の準備をすると、挨拶もそこそこに紅魔館から出て行った。










その後、紅魔館はサー・ファンタズマが用意した戦力と共に幻想郷に攻め入る事になる。
後に、吸血鬼異変と呼ばれる幻想郷全土を巻き込んでの戦いが起きる事になる。
そして――――――サー・ファンタズマは、その壮絶な戦いの最後の場面でその長き人生に幕を下ろした。
その最後は幻想郷の敵に相応しい哀れな末路であり、彼は多くの者に憎悪されて死んでいった。


――――――それがどんな末路であったかは、また別の物語の時に語る事にしよう。










つまり、此処から書かれる事は全て後書きなんだよ!!

な、なんだってー!………ども、荒井スミスです。
まあつまり、咲夜さんが色々とおかしいのは全部このおっさんの所為なんですよ。
そういう事にしておきましょう。あいつは腹が真っ黒だから白か黒で悩まなくて済みます。
そういうキャラクターは実に便利です。

今回は二人でだらだらと長話してるだけの話でした。おっさんはね、話が長いんだよ。
作中色々と能力の解釈が入ったりして、コーヒーを蒸発させる所がありましたが、あれには元ネタがあります。
ラルフ・イーザウ作の「暁の円卓」というお話の中で、主人公がアインシュタインと話している時の奴、だったと思う。
その主人公が自分の能力でグラスの水を凍りにして、うっかりグラスを割ってアインシュタインが不思議がる場面、だったと思う。

咲夜さんの教団の名前。あれはつまりアルタイルさんの事です。
伝説のアサシンの名前を教団の名前にしている今回の影の薄い主人公。
恐らく尊敬しているからそんな名前にしたんでしょうね。

そして、世界はこんなはずじゃなかったばかり云々は、もうリリカルなそれズバリです。
プレシアさんの事です。いつかそっちも書きたいなとは思うんですが、もう一段落してからだよなぁ。
まどマギもいいじゃない?面白そうな話書けそうだ。でもやっぱもう一段落してからだよなぁ。
そもそも他にも東方の作品があるのにそっちは放置だし………頑張るっきゃないわい。

結局おっさんは吸血鬼異変の時に死ぬ事になりますが、多くの人が喜ぶので問題無いです。
悪は倒される事でみんなに喜ばれる存在であり、おっさんはそんな存在です。
実に嫌な奴です。どうしてかはその時が来たら話します。
ちなみに、おっさんは登場した時から能力を使用していました。
出会ってからのレミリア達が作中何処かおかしいのはその為です。
それでは!
それでは!



[24323] 第三十六話 懐かしき夢は終わり、新しき夢が始まる
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/11/11 20:04





サー・ファンタズマが去って一週間になるだろうか。
紅魔館の空気はどうにも落ち着いているとは言えず、高揚した雰囲気に包まれていた。
明日には件の人物が約束の戦力となる者達を連れてくる日だったのだ。

レミリアはそわそわと落ち着く事が出来なかった。
自分が当主として初めて行う戦いに武者震いを感じていた。それもある。
だがそれと同じ様に落ち着かないのは、咲夜の事を考えてしまうからだ。

元々自分は咲夜を本当の意味で自分達の家族にしてから幻想郷に行くつもりだった。
だがあの男の話を聞いて焦る気持ちが生まれて、その所為で幻想郷侵略を急ぐ結果となってしまった。
今思えば早計過ぎたかと後悔の気持ちもあったが、もう既にサイは投げられた。
自分と咲夜にある溝をどう埋めればいいのか悩みに悩み。結果何も出来ないという体たらく。
この様に悩んだままでは、下の者に示しがつかない。そうして更に悩むという悪循環に苦しんだ。

一方咲夜の方もまた同様に悩んでいた。十六夜 咲夜であるかアサシンであるか。
そのどちらかを選ばなければいけない時が来ていたのは分かっていた。
後はただ決断するだけ。それだけだった。だがどうしても決断する事が出来なかった。
一人の名も無きアサシンとしてレミリアを殺し、みんなの下へ帰るか。
十六夜 咲夜としてレミリアと共に生き、みんなと共に暮らすのか。
殺すべきか生きるべきか、それが問題だった。

結局レミリアと咲夜はこの一週間ロクに口も聞かずに過ごしていた。
そんな二人を周囲の者達は心配していたが、当人達の問題に口をはさむ事が出来ずにいた。
どうにかしなければいけない。だがレミリアはどうする事も出来ず、咲夜は決断する事が出来ずにいた。
だがそれでも時間は無情に進み、容赦無く決断を迫らせる。

そして―――――最後の夜が訪れた。
レミリアはレミリアの決断を下した。
そして彼女も、咲夜も決断の時を決めたのだった。










空に浮かぶのは奇しくも十六夜の月。
二人が初めて出会ったあの夜と同じ明かりが、紅魔館を照らしていた。

レミリアは待っていた。あの時初めて出会った場所で、紅魔館の屋上で同じ様に待っていた。
心臓の鼓動がトクトクと高鳴り響く。あの時と同じ様に。
だがその心情はあの時とは全く違っていた。
心臓は高揚感で打ち鳴らされているのではなく、不安によって叩かれていたのだ。
今日此処に居ればあの子と会える。あの子が来る。それは自分の力で垣間見た運命で分かっていた。
しかし分かっているのはそれだけ。待っていれば来る。それだけしか知らなかった。
そこまでしか、レミリアは運命を見なかった。その先の運命を見るのが恐かったから。

十六夜の月を見詰め、レミリアは待つ。
早く来てほしいだけど、まだ来ないでほしい。そんな矛盾した想いで頭が一杯になる。
そして――――――声が聞こえた。


「―――――待ちましたか?」


振り返ったそこに居たのは――――――“彼女”だった。
その服装は出会った時と同じ、黒いアサシンの忍び装束。
一瞬あの時間に戻ったかと錯覚したが、違う事もあった。
二年前のあの時よりも、彼女の背は伸びていたのだ。
それに、あの一振りの剣の様に冷たい眼差しではなかった。
相変わらずの無表情だったが、何処か柔らかい雰囲気があった。
だがそれ以上に目立ったのは――――――彼女自身が美しさだった。
出会った時のあの美しさは、例えるなら銀の刃。
闇夜に一瞬輝く銀の光。無慈悲で冷たい、美しい抜き身の銀の刃の輝きがあったのだ。
だが今の彼女は、少し違う。抜き身ではなく、鞘に収まった感じがしたのだ。
その様子がレミリアは美しいと感じ、ドキリと、鼓動の音が高くなる。
この美しい銀の乙女に見惚れて、心奪われたからだ。


(………ううん、また、奪われたのよね)


レミリアはそんな自分に笑い、目の前の彼女に精一杯の強がりで答えた。


「――――――待ってないわ。私の愛しい人」


レミリアは彼女の事を、咲夜とは呼ばなかった。
いや、呼べなかったのだ。この少女がどちらかを選ぶまで、呼ぶ事は出来なかった。


「隣り、いいですか?」

「うん、いいよ」


彼女はそれを聞いて黙って頷き、レミリアの隣に立ち、同じ月を見上げる。


「あの時と、同じ月ですね」

「十六夜よ。貴女と出会った時を思い出すわ。経った二年前なのに懐かしいと思える。
 この二年は本当に長かったわ。長くて、楽しくて。夢の様な日々だったわ」

「もしかしたらこれは夢なんじゃないかと、時々そう思います」

「それは悪い意味で?良い意味で?」

「……それを今日、決めに来ました」


同じ月を見ていた二人は、示し合わせた様にお互いを見る。
彼女は相変わらずの無表情のままだった。
レミリアは不安を隠した笑顔を浮かべていた。


「背……少し伸びたね。服の方は合ってる?」

「少し、直しました。窮屈になっていて驚きました」

「そっか……ふふふ。それにね、貴女綺麗になったわ。あの時よりもずっとね」

「そういう貴女も、私にはあの時とは違って見えます」

「それは貴女が変わったから。成長したからよ。私自身は変わってないわ。
 いえ……違うわね。私も、あの時と変わったわね」


軽く首を振って、一瞬恥じ入る様な表情を見せた後に、笑って答えた。


「私は……あの時よりもずぅっとずぅっ……と、貴女の事が好きになったわ。
 あの時とは比べ物にならないくらいに、今の私はね、貴女の事を愛しているわ」


レミリアは包み隠さず、自分のありのままの本心を彼女に打ち明けた。
そんなレミリアに、彼女は冷たく言う。


「……私が貴方を殺すと言っても、それは変わりませんか?」

「もちろんよ。そんな事で変わる訳無いじゃない。
 そんな事ではね、私のこの想いを変える事なんて出来ないわ」


優しく笑う。その言葉が本当であると証明する様に。頷き答え、そして続ける。


「それはね、みんなも同じだと思うわ。例え私を殺しても、みんなは貴女の事を怨む事は決してしないわ」


そう、みんなもきっと分かってくれるはずだ。
例え今此処で自分が死んだとしても、誰も彼女を怨む事は無い。
みんなも咲夜の事を愛しているのだから。
ただし、その中でも自分が一番愛しているとは自負させてもらうが。
レミリアに、彼女は悲しそうに語り掛ける。


「ですが、貴女の死を悲しむのは変わりません」

「………そうでしょうね」

「それに死ねば、幻想郷を征服し、スカーレットを再興する事も、出来なくなります」

「だけどね、私にとって貴女はそれ以上に大切な人なの。
 それだけ貴女の事が大切なのよ。そんな貴女に殺されるなら、それは素敵じゃないかしら?」

「………そうですか」

「だけど出来る事なら――――――私は貴女と行きたい。幻想郷へと。
 そして出来る事なら――――――私は貴女と生きたい。これからも」


この愛しい暗殺者にこれから殺されるのなら、それは本望だ。それはとても幸せな事だろう。
だが愛しい従者とこれからも生きられるのなら、それが本望だ。それが一番の幸せだろう。


「だから決めたのよ。私の運命は、貴女に預けようってね。
 貴女が一人のアサシンに戻るか、十六夜 咲夜になってくれるか。
 私を殺すか、私と生きてくれるか。それは貴女に任せるわ」

「貴女は、本当にそれでいいんですか?」

「もし私を殺す事で罪悪感を感じてくれるなら……嬉しいかな?
 それくらいは私の事を思ってくれてるんだって、思えるから。
 だけどね……だから教えてあげるわ。貴女が罪悪感をあまり感じない様に」


そう言って一人の少女は、目の前の愛しい人に語る。


「私は貴女がどちらを選んでも幸せになれるわ。だけど出来るなら、生きていたい。
 貴女とこれからも一緒に生きていたい。幸せになりたい。そう思ってるわ」

「……そう言われると、まだ心残りが消えそうにないんですが?」

「ごめんなさい。ちょっとだけ、意地悪しちゃった。……許してくれる?」

「……はい」

「そっか……ありがとう、私の愛しい人」


彼女のその言葉を聞いて、嬉しそうにレミリアは胸に手を当てて語る。


「今なら貴女は私を殺す事が出来るわ。貴女の銀の刃でこの心臓を貫けば、それで私は死ぬ。
 普通だったらそれだけじゃ死なないけど……今の私は心から貴女を愛してる。殺されてもいいと思うくらいに。
 だからきっと殺される時は、私は甦る事無く死んでしまうでしょうね。そう、他でもない私自身がそれを望むから」


吸血鬼というものは、そう簡単に死ぬ事は無い。
心臓を貫かれ、頭を砕かれ、全身を切り刻まれ、燃やされて灰になろうとも、それだけでは死なない。
銀の刃や弾丸でも、そう簡単には死なない。それは何故か?簡単な事だ。
貫かれ、砕かれ、切り刻まれ燃やされても、強靭な意志がある限り滅びない。
その意志の力が失われない限り吸血鬼は、いや妖怪という存在は簡単には死なないのだ。

だがそれでも、滅びる事はある。それは何故か?これも簡単な事だ。
その強靭な意志が失われれば、吸血鬼でも死ぬのだ。
それは全身全霊を掛けて戦い負けた時。意志を屈服させられ滅ぼされるか、あるいは満足して死ぬのだ。
屈辱の中で最後を迎えるか。最高の好敵手に打ち倒され満足して最後を迎えるか。
レミリアの場合は後者が当てはまるが、レミリアの場合はそれだけではなかった。
愛しいこの人に殺されるのならそれもいいと、そう思っているからでもあった。
今思えば、祖父もそうだったのではないかと思う。
もしかしたら愛する孫娘になら殺されてもいいかなと、そう思ったから癒えぬ傷を負ったのではないか。
それだけではない。自分の意志を継ぐ者が居た。だから満足して死んだのではないか。
そう思い、自分の愛する者達の中で、祖父は満足して死んだのではないかと、レミリアは思った。
そう思うと、祖父は本当に幸せ者だったのだなと、レミリアは羨ましくなった。


「私を殺すのなら、貴女にお願いがあるの。私を抱き締めて、そして殺してほしいの。
 私は貴女の腕の中で、愛する貴女の胸の中で、満足して死にたいの。それがお願い」


レミリアは彼女を迎え入れる様にして腕を、そして翼を広げる。


「ねえ……答えは決まった?」

「決めました。決めて、此処に来ました。そして、貴女に言いたい事も」


冷たい眼差しで――――――彼女はこの言葉を向ける。


「この二年間は、アサシンである私にとって苦痛でした。貴女を怨みました。呪いました。
 そして自分自身も、同様に怨み呪いました。そして何時か貴女を殺そうと思いました。
 それが――――――アサシンである私の答えです」

「………そっか。そうだったんだ」


怨まれているだろうとは分かっていたが、いざそれを聞かされるとつらいものがあった。
千の銀の刃で全身を切り刻まれるよりも、その言葉は痛く苦しかった。
次は何を言うのだろうと怯えて、彼女をもう一度見て、驚く。


「あ………」


優しい眼差しで――――――咲夜はこの言葉を贈る。


「でもこの二年間は、十六夜 咲夜である私にとって幸せでした。貴女に感謝しました。
 そして、貴女を愛していました。貴女と一緒に居られる事がなんて幸せなんだろうと思いました。
 それが――――――十六夜 咲夜である私の答えです」


彼女は、咲夜はスッキリとした表情で微笑を浮かべる。
それがどちらの微笑みかは分からないが、今まで双方が溜めこんだ想いなのは分かった。
彼女の言葉は冷たかった。そして咲夜の言葉は嬉しかった。
その言葉を聞いたレミリアは――――――


「うん……うう………ああ………」


紅いその瞳に涙を浮かべて、歓喜していた。


「いけない……人ね。私に、こんな想いさせるなんて……」

「でも、伝える事が出来て良かったです。最後のはちょっと、照れくさいですけど」

「だけど……嬉しかった。そう言って貰えて本当に……嬉しかったから」


恥じ入って笑う銀の少女と、涙を浮かべて笑う紅の少女。
二人はそうして笑い合い、そしてついに、その時が来た。


「それじゃあ決めます。私の答えを」

「それじゃあ教えて。貴女の答えを」


月の光に照らされる中、彼女はレミリアに近付く。
そして自分の腕の中へと、その小さな体を包み込む様に抱き締めた。
抱き締められた瞬間に感じた暖かさにその目を細め、夢見心地になる。
彼女の心臓の音が聞こえる。力強くトク、トク、トクと、響いてくる。
彼女の時計の音が聞こえる。正確にカチ、カチ、カチと、聞こえてくる。
その音が響く度に自分の鼓動は高鳴っていく。もっと一緒に居たいと。
その音が聞こえる度に不安が募っていく。次の瞬間にはもう一緒に居られないと。
永遠にも感じられるその時間の中で、レミリアは待ち続けた。
そして――――――彼女が動いた。










彼女は次の瞬間レミリアを――――――更に力強く、優しく、抱き締めていた。










その行動に驚くレミリアは何が起こったのか理解出来なかった。
理解出来ずに、自分を抱き締めている者の顔を見た。
その顔は――――――笑っていた。
今まで見た事も無いくらいに綺麗で、優しい、自分が一番見たかった――――――十六夜 咲夜の笑顔がそこにあった。
その笑顔を見て、レミリアはやっと名前を呼ぶ事が出来た。


「咲………夜?」

「はい、お嬢様」


答えた。答えてくれた。確かにはっきりと答えてくれた。
十六夜 咲夜と呼んで、はいと答えてくれた。答えてくれたのだ。


「咲夜……咲夜……咲夜咲夜……咲夜ぁ……ッ!」


それが嬉しくて何度も何度も、何度も。レミリアは咲夜と言い続けた。


「はい、お嬢様。咲夜は此処に居ます。此処に、貴女の目の前に居ますから」


咲夜は愛しい主を抱き締めて、優しく答える。
嬉しかった。幸せだった。この小さな主に咲夜咲夜と、自分の名前を呼んでもらえるのが、幸せで仕方なかった。


「本当に、本当にこれでいいのね?後悔しないの?」

「その時はその時です。たとえ後悔するとしても、私は構いません。
 その時には後悔して後悔して……貴女と一緒に笑えれば、それでいいです。
 レミリアお嬢様。その時は私と一緒に笑ってくれますか?」

「うん……うん……ッ!約束する。約束するよ咲夜。
 これからも一緒に居ようね………約束だからね。幸せに……してあげるからね」

「はい、お嬢様」


これでいいと、咲夜は思った。
たとえ十六夜 咲夜として生きる事になっても、アサシンとしての自分は我が師の中で生き続ける。
そう、これが一番良い選択なんだと、咲夜は思う事にした。

そして十六夜 咲夜はレミリア・スカーレットから離れ、忠臣の如くその目の前で跪いた。


「レミリア・スカーレット。我が主よ。これから貴女の為に生きる事を御許し頂けますか?」


忠臣のその言葉を聞いて、主は笑って答える。


「――――――許す。これからも私と共に生きてほしい。我が従者よ」


この従者の為にも、自分は誇り高い当主であろう。
レミリア・スカーレットに仕えている事を誇りに思える様に、主としての務めを果たそうと思った。
だがその前に、やっておきたい事があった。


「ねえ……咲夜?」

「はい、お嬢さ……ッ!?」


顔を上げて返事をし、主の顔を見ようとした時だった。
レミリアは――――――咲夜に口付けをしたのだ。
軽く浅いその口付けは、従者の鼓動に早鐘を打たせる。
だがそれとは逆に、体は動く事は出来なかった。まるで魔法にでも掛けられたみたいだ。
動けないまま、咲夜はレミリアの顔を見た。
雪の以上に白く絹以上に滑らかなその頬は、ほんのりと赤く朱に染まっている。
紅玉の瞳は細められて自分を見ている。その瞳に自分が写っていると思うだけで、言い知れぬ高揚感を感じる。
それを美しいと、それ以上に愛しいと心が叫ぶ。このままでいたいと、そう願う。
そう願った時、レミリアは咲夜から離れて、恥ずかしそうに笑い掛ける。


「ふふ………初めてしちゃった」

「あ………その………私も、です」

「そっか……うん、じゃあなおさら良かったわ」


月明かりの中で笑うその姿は、伝説の吸血鬼の姿には見えなかった。
その姿は、自分の恋が成就した事を心から喜ぶ少女のそれだった。
その相手が自分なのだと思うと、咲夜はそれが世界一の幸せ者の証の様に思えた。
事実、咲夜は幸せだった。生まれ変わり幸せを感受していた。

そしてまた、レミリアは咲夜に寄り添う。そこが自分の居場所だと言う様に。
そして咲夜も、レミリアの隣で笑顔を向ける。此処が私の場所ですと答える様に。
月の光は、そんな寄り添う二人を照らして、一つの影を造る。それがその二人の在り方だと言う様に。


「これからも私と一緒に居てね――――――私の、従者」

「大丈夫、生きている間は一緒にいますから――――――私の、主」


そう、ずっと一緒に居る。この人が私を覚えていてくれる限り、私はずっと生きて、一緒に居る。
それが私が選んだ――――――幸せだから。










深い、深い、深い眠りから目覚めていく。長い夢から、目覚めていく。
深く長く懐かしい夢から、ようやく目覚めようとする。
そして、夢の底から戻っていく。霞が掛かった思考が、段々と覚醒していく。
懐かしかった。本当に今まで懐かしかった。だがそろそろ戻らなければならない。
この懐かしい夢から目覚め、また新しい夢を見よう。
そこは――――――夢の続きだったから。










「懐かしかったわ。それに面白くあった。けど――――――微睡みだから見れる夢もあるの」


そうして――――――微睡みの中で紅い笑みが浮かんだ。


――――――夢というのは、思い通りにならないものだ。










神か・・・最初に後書きを考え出したつまらん男さ。


ああ、やっと終わった。やっと、ようやく、みんなに起きて貰える……ッ!
話を進める事が出来る……ッ!おお、神よッ!貴方の御蔭で……はありませんね。

どうして咲夜さんがレミリアに忠誠を誓い、過去と決別する事が出来たのか。
そこは大事な部分でした……大事な部分だったのに当初のプロットからスッポリ抜けてた。
だから、こんなに時間が掛かってしまった。これも私が未熟故。皆様、真に申し訳ありませぬ。

で、その結果がもう書いてて恥ずかしくなったあれでした。
いや……そのね……クッ!十三回も愛という言葉を使ってしまったッ!
なんだよこれ……なに?直江 兼続が十三人居る計算になるよッ!?
あ、後書きも含めると十四人だ。

そして最後に出て来たのは……出て来たのは……出てしまったのは……うん。
それは次の後書きで話す事にします。
それでは!



[24323] 幕間 鮮血の令嬢
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/11/28 23:06





十六夜 咲夜は紅魔館の廊下を歩いていた。
歩いていて、そこで咲夜はやっと気付く。


「………どうして私は歩いているの?」


紅魔館は夜の闇に包まれ、紅い月明かりが差し込む。
それだけだった。それしかなかった。


「夜……そう、夜だ。確かにさっきまでは夜で……さっき?」


屋敷には誰の気配も無い。誰も居ない。
どうしてかは分からないが、ぼんやりとそれが分かる。


「なんでそんな事が分かるの?私は……どうして……何を……?」


奇妙な感じだった。ふわふわしているというか、暖かいというか。
危険な感じはしないのだが、それでも今の現状が異常だとは分かる。
だが分かっても何かをしようとは思わない。思えない。
勝手に体が動くのに、それを違和感として感じない。
歩いているのに、その感覚すらない。まるで目に映った映像を見ているだけの様な感じ。


「なにか……似ている。そうこの感覚は……」

「まるで夢の中の様―――――そうでしょう咲夜?」


夢?そうだ、この感覚は夢を見ている時のそれと同じだ。
という事は、今の自分は夢を見ていたという事なのだろうか?


「夢……夢……一体、何処から……何処までが?」

「貴女が紅魔館に来てから。その二年間がよ。
 まあ断片的だったでしょうから長くは感じなかったでしょうけどね」


思い返せば確かに、長い様でいて短い様な、そんな感じがした。
そうだ。今まで自分は夢を見ていたのだ。
だがそこまで分かると、咲夜はある事に気付く。
今自分に話し掛けているこの声は一体――――――誰の者なのか?


「くす……ふふふふ……やっと気付いてくれたのね?
 いけない子。もっと早く気付いてくれなくちゃ、私悲しいわ。泣いてしまいそう」

「この……声……レミリア……お嬢様……?いや、でも」


確かにその声色はレミリアのそれとよく似ていた。
だが何かが違う。それが何かは分からないが、明らかに何かが違うのだ。
此処が夢の中だからそう思うのか?それとも夢だから分からないのか?


「どっちかしらねぇ?どうなのかしらねぇ?ふふふふ……くす……」


分かるのはその声がとても楽しそうなに笑っている事だ。
声の主まで幻視しそうな程に印象的な、鈴の様に転がる笑い声。
それはどこかで聞いたこのある声だった。だが、初めて聞く声でもあった。


「一体、何が起こって………?」


どう考えてもこの状況は普通ではない。なのに、危機感を感じない。
どうしてこんな事になったのか、咲夜は分からない。
どうにかしようにも、どうにも出来ない。体が勝手に動くのだ。
いや、体が勝手に動くのとは少し違う。どうにかしようという意思が霧散するのだ。


「駄目よ。ダメダメ、ダァァァァァ……メ。勝手な事しちゃ……駄目なんだから。
 でも安心していいわ。貴女はなぁんにも、恐がらなくていいの。
 いいえむしろ……ふふ……くす……くす……とぉっても――――――楽しい事だから」


ゾクリと、咲夜の背筋に甘い痺れが走る。
声は耳元から聞こえてきた。耳元で、囁く様に、息を吹き掛けられる様にそれは聞こえた。
目を向けるが、そこにはやはり誰も居ない。不気味だった。


「かっわいいかぁわいい子犬ちゃん♪銀~の毛~並み~の子犬ちゃん♪
 撫で~て抱~き締~めよぉしよぉしと、ま~た撫~で抱~き締~め可愛がる♪
 ぜったいぜったい、にぃがさぁない~♪ふふ……くすくすくす……」


そんなふざけた歌を楽しそうに歌う声。その歌声は天使の、いや悪魔のそれだった。
そんな歌声が自分の周りで飛んだり跳ねたりする様に聞こえてくる。
一か所から聞こえる時もあれば別々の方向から聞こえてくる事もある。
しかもそれだけではない。


「あッ!ン……ンン………ッ!」


首筋で、胸元で、腰元で、背中で、口元で、そして包み込む様に歌声は聞こえてくる。
その所為でむず痒くなり、思わず声を漏らす。それも喘ぐ様にだ。


「ン……ンンン………そんな……いや、だめぇ……」

「あら、良い声で歌うのね?ああもっと、もっとその声を聞きたいわ。それも直接。私の……耳元で、ね。
 だから、さあ……ふふ……くすくす……くす……こっちにいらっしゃい。かわいい子犬ちゃん」


そして、声はピタリと止まってくれた。
ホッと一息吐いて安心する咲夜だったが、それも一瞬だった。
歩みは止まらず、勝手に何処かへ進んで行く。
だが今自分は何処に居るかは分かっている。たとえ夢の中でも此処は紅魔館。
住み慣れて勝手知ったる我が家だ。それに気付いた瞬間に、自分が何処に向かってるかも気付く。


「この先は……テラス……?」


そうと分かった瞬間。咲夜はテラスに出る扉の前に立っていた。
気付いたらその前に立っていた、という訳ではない。気付いたから目の前に扉が現れた、と言った方が正しいだろう。
咲夜は本能的に察する。この先にあの声の主が待っている。
何者かは分からないが、それが尋常の者では無い事は理解出来る。
それが何者であるのか、この扉を開ければその答えが分かる。
それを確かめようと、咲夜はその扉を開けようとドアノブに触れて、ふと気付く。


「体が……動く……?」


今まで思い通りに動かなかった自らの体に、やっと自由意志が戻る。
この夢の世界で使えるかは分からないが、能力の確認も行う。………………特に問題は無さそうだ。
武装もいつも通りに揃っている。いざという時には問題は無いだろうが、不安な気持ちは無くならない。
そして――――――扉を開ける。










扉を開けると、そこはやはり夜だった。
空を見上げれば紅い満月が、自分を含めたテラス全体をその紅い月明かりで染め上げ、紅い世界を生み出していた。
赤という色は精神を高揚させる力が宿っている。そんな世界を見ている所為か、咲夜はどうにも落ち着かない気分になる。
この世界は、赤という色を見慣れた紅魔館の住人である自分でさえ、落ち着かせなくなる何かがあった。
いや――――――何かが居たのだ。


「月にばかり見惚れちゃ、いやよ?見惚れるなら――――――私でなくちゃ」


その声に思わず、視線を落とす。
そして思わず、その声が言った様に、見惚れてしまう。
何故ならそこに居たのは、この世界で最も美しい――――――紅だったからだ。


「やっと貴女と会えた。やっと私を見てくれた。ああ、なんて良い夜なのかしら。
 ねえ貴方もそう思わない?私は……そう思ってくれるとうれしいわ。とても……とてもね」


咲夜のその目に映った人物は、まるで高貴な真紅とでも例えるべきだろうか?
紫掛かった銀髪は紅い月の光の中で謳う様に光り輝いている。
透けてしまいそうな程のその白い肌は、磨かれた玉の様に美しく、そして艶めかしい。
背中には夜の闇を体現する様に、黒く黒く濡れた、漆黒の翼が揺れていた。
一目見れば美の女神すら嫉妬に狂い、だがそれ以上に情欲に狂いそうなその肢体。
包み込む紅の衣は血で編み込まれた如くに赤く、朱く、紅く、玉体の曲線を魅せ付け映えさせる様に一体となっている。
紅の瞳に輝く光は、天上に輝く月のそれ以上に美しく、そして妖しい。
至高の赤がそこに存在していた。
究極の朱がそこに降臨していた。
神の芸術が、美の体現が、この世で最も美しい紅がそこに居た。
その姿を見て、咲夜は言葉を漏らす。
だがそれは美しいと言う溜め息でも、素晴らしいという称賛でもなかった。
咲夜の口から出て来たのは――――――


「レ……ミリア……お嬢……様……?」


出て来たのは、自分の主の名前だった。ただし、疑問形ではあったが。
咲夜がそう呟いたのは、目の前の存在がレミリアとよく似ていたからだ。
そう、よく似ている。その存在はレミリアとは明らかに違ったのだ。
そもそもレミリアの外見は十かそこいらの少女のそれだった。
だが目の前の女性は自分と同じ背丈であり、大人の外見だった。
例えるならその人物は、まるで美しく成長した未来のレミリアの姿だったのだ。
そして、その人物は咲夜の言葉を聞いてくすりと笑う。


「くす……ふふふふ……お嬢様、だなんて。そう呼ばれたのは何百年振りかしら?
 まあ、悪くはないのだけどね?ふふふふ……くす……」


そう笑う人物を見て、咲夜はレミリアではないと分かる。
だがその特徴の尽くはレミリアと通じるものがある。無関係とも思えなかった。
確認の為に、尋ねてみる。


「貴女は……レミリアお嬢様ではないのですね?」

「ふふふ……さあ、どうかしら?なんなら試してみる?それとも……」


静々と、紅い貴人が自分の目の前に近付き、そして笑う。


「試して、みたい?」


その声を聞いた瞬間に、鼓動がビクンと高鳴る。
レミリアに似た声で、レミリアに似た顔で、レミリアに似たその唇で、その貴人は尋ねた。
咲夜の中の理性の歯車が、悲鳴を上げて軋んでしまった。


「………ッ!……レミリアお嬢様ではないのなら、貴女は一体誰なんですか?
 その声、その姿。我が主に通じるものがある。何者なのですか貴女は?」


軋み歪みそうになる理性を引き締め直し、問い質す咲夜。
その声音は自然と硬い口調になり、目の前の人物を警戒をしているのが分かる。
だが警戒されている本人は、そんな事そうでもいいとばかりに答える。


「似ている?私があの子に?ふふふ……それは違うわ。逆よ逆」

「逆、ですって?」

「私があの子に似ているんじゃないのよ。あの子が私に似ているの。
 当然だわ。だって私は――――――あの子の母親なんですもの」


あっけらかんと、その人物はそう告げた。


「お嬢様の……母親?それじゃあ貴女は……」


目の前の存在を称える言葉は多い。
鮮血の令嬢。真紅なる貴人。美しき紅の女神。魅惑の君。
飲み干す者。赤の魔性。血の悪徳の体現者。耽溺の色。
それらの二つ名で謳われた存在が目の前で――――――紅く微笑む。










「私は紅魔の王。スカーレット・デビルが一人――――――エミリア・スカーレット。それが私の名よ」










咲夜はその名前を聞いて、ただただ驚くしかなかった。
その名は以前にも、誰かから聞いた事があった気がするからだ。
確かにレミリアの母親ならばこうまで似ているのは納得出来る。
だがそれ以上に咲夜は驚いてしまう。何故なら………


「エミリア……でも貴女はもう既に亡くなられているのでは?」


そう、何故なら目の前の人物はもう数百年前も昔に亡くなっているはずなのだ。
その人物がどうして自分の目の前に居るのか、咲夜は見当がつかなかった。
そんな咲夜に、エミリアはくすりと笑みを溢す。


「驚く事は無いわ。だって此処はそう夢なのですから。
 だからこうして私は貴女に会う事が出来たのだから」

「……いえ、それはおかしいです。私は貴女を話の中でしか知りません。
 それなのに、私の夢の中で貴女が出て来るはずがありません。あるはずがないんです」


咲夜はエミリアの事を話の中でしか聞いた事がなかった。
だからこうして自分の夢の中で出るはずがないのだ。
もし出て来るのだとすればそれは成長したレミリアであって、母親と名乗る事はないはずだ。
だがエミリアはそんな彼女の言葉を聞いて声を上げて笑う。


「ふふふふふふ……あはははははッ!ねぇえ咲夜?私は何時、此処が貴女の夢だなんて言ったかしら?」

「え?それじゃあこれは……」

「確かに、此処は貴女の夢だけど、貴女だけの夢ではないの。
 此処は……そうねぇ……みんなの夢なのよ。紅魔館の者全員が共有する夢の中なのよ」

「紅魔館全員の……?」

「そう、貴女達は今夜みんなで同じ夢を見ていたのよ。そう、過去の夢をね。
 そして此処は夢と現実の狭間。微睡みの世界。そして此処だから、私は貴女に会う事が出来た。
 貴女達が今まで見ていた夢には、私は出て来なかったのだから」


その説明を聞いて、咲夜はある程度納得する。
どうして皆が同じ夢を見ていたのかは保留するとして、どうしてエミリアが此処に居るのかは理解出来た。
つまり此処が他の者達の、レミリアかフランか美鈴かの夢でもあるから、彼女は此処に居るのだ。


「では、その……今此処に居る奥様は誰かが記憶しているものの再現、という事なのでしょうか?」

「奥様だなんて……他人行儀。エミリアと、そう呼んで?そう……」


スッと咲夜に近付いたかと思うと、その耳元で囁く。


「こんな感じでね……咲夜」

「ッッッ!!!!」


その声を聞いた瞬間。その吐息を感じた瞬間に、背筋に甘い刺激が走る。
いけないと思わず赤面する咲夜を見て、エミリアは満足そうに笑う。


「あら敏感ね。くす………感じちゃった?」

「そ、そんな……事は……」


口ではそう否定する咲夜だったが、ドキリとしたのは確かだ。
咲夜と、そう言われた瞬間に胸が高鳴ったのは恥ずかしながら事実だった。
自分の主と同じ様な声で、同じ様な顔で、同じ様な響きで咲夜と言われたのだ。
だからどうにも意識してしまい、胸の鼓動は平時の物になってくれなかった。
そんな咲夜に構わず、エミリアは説明を始める。


「私はね、記憶の再現ではないわ。死んだけど、でも生きているのよ。
 貴女の誓い。忘れなければその記憶の中で生き続けるというその思想。
 それと似てる様で、でもちょっと違うのだけれどね」

「どうして貴女が私の誓いを………?」

「まあ、それは後で説明するわ」


エミリアは一歩離れて、説明を続ける。


「此処に居る私はね、私の娘の、レミリアの意識や魂に血となって溶け込んでいる存在なのよ。
 私の能力は「血を支配する程度の能力」でね。実に吸血鬼らしいでしょう?
 その能力を使って、私はあの子の中で今の今まで、こうして生きてきたのよ。
 あの子は私の血を受け継いでいるし、それに私に瓜二つの愛らしさでしょう?だからそんな事が出来たのよ。
 そう、私は文字通りあの子の血の中で生きているという訳なのよ」

「お嬢様の……血の中でですか」


その説明を聞いて、咲夜はそれがどういう事か分かる様な気がした。
血の繋がり。それは親から子へと受け継がれる命の連鎖だ。
そう、それはまるで師から弟子へと受け継がれる意志の連鎖に似ている。
どちらもそれが途切れる事がなければ、それを受け継いだ者達は、次の世代の中で生き続ける事が出来る。
この人物は、まさにそれを自身の能力でこうして体現していたのだ。
レミリアの血の中で、このエミリアという人物は存在し続けてきたのだ。


「ちなみにこの服も、私の能力で編み上げた代物なのよ?どう?似合っているでしょう?」


そう言うとエミリアは咲夜に見せびらかす様に、その場でくるりと回ってみせた。
確かにその服装は彼女に似合っていた。いや、その服装は彼女が自身の為に造りあげた代物。
それは自分の分身であり、似合っていない訳がなかった。訳がなかったのだが……咲夜は本音を漏らす。


「えっと……色々とその……見えて、ますね」


そう、目のやり場に困る位に、色々と見えていたのだ。
まず体のラインがはっきりと見えるのが一つ。胸も腰も足も、その形がはっきりと分かる程に、服と体は一体となっていた。
第二に肌の露出部分が多い。背中は丸見えだし、胸元も見える。生地は薄い部分もあり、そこが透けてうっすらと白い肌を見せていた。
見えそうで見えない。見せる様で見せない。そんな感じのする服だった。
そして彼女の記憶が確かなら………


「それやっぱり、下着は着けてないんですよね?」

「そうね。まあこれは衣装であり下着でもあるようなものだから」


やはりそうなのかと、彼女は溜め息を吐く。
そう、彼女は昔この衣装を見た事があったのだ。血婚礼衣装スンジェ・ロキ・デ・ミラーサ。それがこの服の名前であったはずだ。
この衣装を咲夜は吸血鬼異変の時にレミリアが戦装束として来ていたのを見た事がある。
だからその衣装にも見覚えがあったのだ。その時とは姿形が大分違ってはいたが。
見ているだけで気恥ずかしくなり、咲夜は思わず目を逸らしてしまう。
そんな彼女を見て、エミリアは嬉しそうな声をその口から漏らす。


「あらどうしたのかしら?思わず………興奮しちゃった?」

「あの、奥様?その……あまりお戯れは」

「貴女が可愛いのがいけないのよ?からかうともっと可愛い。
 そして……私が遊んであげたらどんな可愛さをみせてくれたらと思うと……私はゾクゾクするわ」


妖しく光るその瞳に見詰められ、胸の鼓動は高鳴り止まらない。
一体何をして遊ぶのか。その言葉の意味が分かってしまい止まらないのだ。


「そうそう。さっき私が何故貴女の誓いを知っていたかという事だけど」


視線が逸らされる。ホッと人心地着く。
あの瞳を見ると、どうにも……その……落ち着かない気分にさせられる。
………………いけない気持ちにさせられてしまう。


「私はさっきまで貴女達の夢を見ていたから。だから知っていたのよ。
 まるで一つの舞台を見る観客の様に。まるで一つの本を見る読者の様にね。
 行動だけじゃない。貴女達の想いも知る事が出来て本当に私、面白かったわ」

「………そうですか」


その言葉を聞いて、咲夜は初めてこの女性に僅かばかりの敵意を持った。
自分の人生のプライベートな部分を知られて、それを面白いと言われる。
そんな除き魔みたいな事をされて、良い気になれる訳がなかった。


「あら?怒っちゃったかしら?」

「………はい。少し」

「結構。それでいいわ。それでいいのよ。私だって逆の立場だったらいい気はしないもの。当然ね。
 だけど弁明させてもらうなら、言うなれば不可抗力なのよ?
 レミリアが見て聞いて感じたものは、私も同じ様に感じるのだもの。
 そう、だから知ってるわ。貴女があの子にした事。してくれた事全部ね」

「………………へ?」


そう言われて、咲夜はいよいよ顔を真っ赤にする。
という事はつまり、この人は自分とレミリアがしてきた事を全部知っているという事だ。
そう全部だ。………色々な物を含めての全部を知られている。


「例えば……あの子がこの服を着て貴女と「ワァァァァッ!ワァァァァッ!ワァァァァッ!」……とか知ってたり。
 それと「お願いです言わないでッ!言わないで下さいッ!」……まあ、そういう事は知ってる訳ね。
 本当………どの時の貴女も可愛かったわぁ」

「う……うう………ううう………ッ!」


恥ずかしかった。とんでもなく恥ずかしかった。物凄く恥ずかしかった。
つまりこの人は自分とレミリアとの……あんな事や……こんな事を知っているという事だ。
これが恥ずかしくない訳がなかった。


「もう、そんなに落ち込まないの。それにね、気にする事もないのよ?」

「ううう……どういう意味ですかそれ……?」

「言ったでしょ?私はあの子の中で生きてるって。あの子は私であり、私はあの子でもある。
 だから………その、ね……咲夜?私も貴女の事……愛してるのよ?あの子と同じ様に」


今まで妖艶な色香を漂わせていたエミリアが、まるで打って変わって見せる恥じらいの表情。
艶やかな大人の女性の魅力と、愛らしい少女の恥じらう仕草が入り混じっていた。
思わず見せられたその表情に、咲夜は今までで一番心臓が苦しくなる。切なくなる。
この人を抱き締めたいと、理性の歯車が壊れそうになる。
いやいっそそうであればどれだけいいかと思ったが、後一歩の所で踏み止まる事が出来た。
だがそんな自分に、エミリアはゆっくりと近付いていく。
咲夜にはそれがまるで、自分を理性の崖から本能に突き落としに来ている様に見えてならなかった。


「ねえ咲夜?お願いがあるのよ。少しでいい……貴女の血を、少し飲ませてくれないかしら?」

「血、を……ですか?ん……でもそれなら、お嬢様を通して今まで」

「飲んできたわ。でもやっぱり、直接貴女から吸いたいじゃない?ねえ咲夜……駄目?」


甘える様に、ねだる様に、その紅い瞳で自分を見詰めるエミリア。
そんな風に見詰められたら、嫌だなんてとてもじゃないが言えなかった。


「………少し……少し、だけなら」


そう言うのが、彼女の精一杯の抵抗だった。


「くす……ふふ……ありがとう、咲夜。安心して。私はあの子と違って、上手に吸ってあげるから」


そう言うとエミリアは自分の片手の握り、自分の指を絡めてくる。
彼女の白磁の指は何度も何度も、自分の体温を求める様に這って来る。
何度も何度も、何度もだ。その度に理性の鎧はガリガリと削られていく。


「恐がらなくていいわ。緊張は………………ちょっとだけして?その方が、私好きだから」


手を握ったまま、もう片方の手で自分の頬にそっと、その手で触れて来る。


「綺麗な顔ね……特に目が良いわ。本当に、綺麗よ。どんな宝石よりも、素敵な瞳。
 ねえ見て。その瞳で、もっと私を……私を見て……お願い」


潤んだ瞳で懇願してくる。反射的に頷き、見つめ返す。
彼女は自分の目を綺麗だと言ってくれるが、彼女のそれと比べてみれば果たしてそう言えるのか?
美しかった。ただただ美しかった。今この瞳が自分を見ているのだと思うと、それだけで幸福で満たされる。
彼女の瞳はレミリアの瞳だ。だからこそそう思ったのか?それとも彼女の瞳だからそう思ったのか?
恐らくは、その両方だろう。レミリアはエミリアでもあるし、エミリアもレミリアでもある。気にする必要は無い。
ふと気付く。彼女の瞳に映った自分の顔が見えたのだ。
瞳の中の自分は、笑っていた。赤面してはいたが、幸福そうに微笑んでいたのだ。
それに気付き更に顔が熱くなるのを感じる。とても止められそうにない。
瞳の中に自分の魂が吸い取られた様な錯覚を覚え、それが堪らない幸福に感じてしまったのだ。


「奥さ……エミリア様。貴女も本当に御綺麗です。
 私も、貴女のその瞳が好きです。私の主と同じその瞳を、私は愛しています」


その言葉に、エミリアを嬉しそうにくすりと笑う。


「他の女の事を思っちゃ嫌って言いたいけど……あの子なら許してあげるわ」


指の背で咲夜の頬を愛しむ様に撫でて、エミリアは微笑む。
そしてその指がゆっくりと、咲夜の肌の上を滑って行く。
白い頬から桜の唇へ移り、人差し指でその周りをなぞっていく。
そこから顎へと渡り、そのまま喉元の形を確かめる様に下へ、下へと落ちていく。


「や……だめぇ……吸うのなら…早……く…」

「くす……だめだめ、駄目よ咲夜?もっと魅せて。感じて。そして感じさせて」


喘ぎながら懇願する咲夜を、意地悪な笑みで嗜めるエミリア。
指はついに胸元に辿り着き、そのまま心臓の上へと持って行かれる。
自分の鼓動の響きを知られていると思うと、更に心臓は早鐘を鳴らす。


「こんなに高鳴らせて……いけない子。でも、嬉しいわ」

「そんな……事、言わな………いで……」


気付けば、咲夜は自分で動く事がほとんど出来ずにいた。
いやいやと首を振るが、抵抗の意志ではない。むしろ催促している様にすら見える。


「ア………ッ!」


喉から嬌声が漏れ出る。胸を触られたからだ。もちろん、服の上からではあったが。
揉まれると言うより、触れられているというのが感じが実にもどかしく、切なくなる。
少しの間、確かめる様に触れていたエミリアはその感想を言う。


「良いわねこれ。手の中に納まる感じで」

「………どうせ小さいですよ」

「気にする事無いわ。私は好きよ?だって、貴女の綺麗ですもの。
 きっと他の奴が見たら見惚れるはずよ。まあ……他の人に見せたくはないけどね」


その言葉が恥ずかしくなり、顔を逸らせて横を向いてしまう。
恥ずかしかったのは、見られて綺麗だと言われて、それを嬉しいと感じてしまった為だ。
それを悟られまいと目を合わせなかったのだが、やはり気になり、視線だけエミリアの方へと戻す。
案の定、エミリアは笑った。自分の心を見透かす様にだ。


「そんな可愛い顔されたら、もっと虐めたくなるじゃない。
 こんな……「ンンンンッ!」風に……「アッ!………ンン、クッ!」……ね?」


不意打ちで与えられた快感に耐える様に、唇を固く結ぶが、それでも声は出てしまう。
息が荒くなるのが分かってしまう。顔が、全身が上気して熱くなるのが若分かってしまう。
そのまま指は更に下へ下へ………下へと落とされていき……


「待って……お願い……そこ……もう……」


これ以上されては堪らないと理性が悲鳴を上げて懇願する。
しかし無理だろうと、心の何処かで諦めていた。だが………それを聞いて、白い指は止まった。


「え………なん、で……?」


止まってしまった指。何故止まるのかと、咲夜は問い掛けてしまう。


「待ってって言ったのは貴女でしょう?だから待ってあげたの。
 それに、貴女が望むなら……もう止めてあげるわ。本当に嫌なら、しない事にしているから」


それを聞いて思わず……思ってはいけない事だったのだが……残念な気持ちが生まれる。
そしてそれを自覚した瞬間に気付く。あれは諦めではなく、期待だったのではないかと。
そして更に気付く。もしかしたら自分はこの人に嵌められたのではないかと。
期待している事を自覚させて、逆らう事が出来ない様にしたのではないかと。
問い質す様に視線を投げ掛け、その視線に意地悪そうな笑みで返されて理解する。
自分の考えは当たっていたのだと。


「どうする?もう止める?」

「………………意地悪」


からかう様に尋ねるエミリアに、咲夜は拗ねる子供の様に、か細い声でそう言うしかなかった。
それで彼女は精一杯だった。


「そう………それじゃあ……」


下腹部の辺りに置かれた指が、背中の方へと回り……


「これで、どうかしら?」


ツツツッと、背筋をなぞって首筋まで一気に登って来た。
今までなぶる様に与えられていた悦楽が、雷となって背中を駆け巡る。


「ヒ……ンッッッッッ!!!!」


寸での所で唇を噛み締めて、嬌声を堪える。快感から逃れる様に拳を強く握り閉めようとする。
だが結果としてそれは、片方に握られたままだったエミリアの手を握り締めるものになる。
そしてエミリアは「逃げる事は許さない」とばかりに握り返してくる。

足腰が立たなくなり、後ろに倒れ込もうとして壁にぶつかる。エミリアが挟み込む様に迫って来る。
背中に壁の冷たさを感じさせられる。その所為でエミリアの温もりは際立って感じ取ってしまう。


「下拵えはこれでよし……ってね。こうしてから飲むのが楽しいし、気持ちいいし、美味しいのよね。
 だから、そう。今の貴女はきっと、私好みの味になっているわ……咲夜」


舌舐めずりの淫猥な音が耳の中に響いてくる。
刺激的で甘い色香が鼻孔をくすぐる。それは芳醇な血の香りだった。
敏感になった首筋の吐息が掛かった瞬間、脳が甘く痺れだす。
恥辱と理性と悦楽とが頭の中で荒れ狂う。耐えられないという気持ちと耐えたくないという気持ちが入り乱れる。


「ほら………ん……」


首筋に小さな唇が触れる。肌の上で舌先が這う。
それは此処から血を吸うのだと言う合図であった。
それを理解した時。咲夜は小さく頷いた。
そして――――――白い牙がその肌を破った。


「ンアア……ッ!!!!………ッ!!!!」


最初に感じたのは一瞬の痛みであった。プツリと音を立てて肌を破った時に感じた、一瞬の痛み。
だがその痛みは云わば、次に感じる快感を引き立てさせる香辛料の様なものでしかなかった。
血を吸われるのと同時に与えられる快楽に、理性は溺れそうになる。
常人ならばそれだけで命を落としかねない魔の愉悦。

それでも理性を失わないのはひとえに咲夜の精神力の強さにあった。
そう、その強い精神力の所為で、彼女はその愉悦に狂う事が出来なかった。
もっと吸ってほしい。もっと味わってほしい。もっと感じてほしい。
そう思う事だけが出来ればどれだけ良かったかと、咲夜は自らを呪う。


「ああ……なんて味……ッ!澄んでいて愛しくて、芳醇で狂おしくて、私の方が……どうにかなりそうッ!」


気が付けば、咲夜は握り締められていない方の腕でエミリアを抱き締めていた。
その感触はレミリアのそれよりも女性の柔らかで、それが心地良かった。


「やっと……やっと私自身の口でこの味を味わえた……こんなにも私を、あの子を想ってくれる味……」


あの子と、そう言われた瞬間にレミリアの顔が思い浮かぶ。
自分の愛しい主の笑顔を、自分を咲夜と呼び慕ってくれるあの小さな主の笑顔を思う。
すると、あんなに高ぶっていた情欲は不思議と治まり、そして引いていった。


「咲夜……貴女……」


同時にエミリアも咲夜の心境が変わった事を、その血の味の変化により察した。
先程までの彼女の血には、一口啜るだけで心身を高揚させる熱さがあった。
だが今味わうこの血にそれはなく、穏やかな安堵感を与えてくれる温もりがあった。
その血をゆっくりと味わって、やがて満足したのか、咲夜の首筋の白い柔肌から口を離した。


「………本当にいけない子。私、駄目なのよ。この味だけは駄目なの。だって……」


ほうっと、溜め息を吐いて、咲夜の胸の中で甘える様にしなだれかかる。
それはまるで、幼子が母に甘えるそれに似ていた。


「これを味わうと私、甘えたくなるのだもの……」

「私は、そうしてくれると嬉しいのですが」


咲夜は紫に輝く銀の髪をとかす様にして、そして抱き締める。
自らの主が時折甘えて来た時と同じ様に、抱き締めて愛でる。


「この子は、もう……駄目だって言ってるのになぁ……」


口ではそう言うエミリアだったが、その顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。


「あーあ、折角色々と楽しもうと思ったのに台無しになってしまったわ」

「申し訳ありません奥様。でも、私は」

「もういいわ。もういいから……もうちょっとだけ、こうして」


この夢の中で、夢見る様な眼差しを向ける彼女に、咲夜は静かに頷いた。
しばらくそうしていると、エミリアは抱かれたまま語り掛ける。


「どうにも弱いのよね……昔からね、甘えさせてくれる人に弱かったのよ私」

「お嬢様と、同じですね」

「母娘ですものねぇ……好きな人の好みも似たんでしょうね」


エミリアは咲夜の手を取り、自分の腹部の方へと持っていく。


「分かる?此処にあの子が、レミリアが居たのよ」

「此処に、お嬢様が……」


かつて主が居たその場所を、咲夜は尊い物に触れる様に優しく、慈愛を込めて撫でる。


「元気だったわ。お腹を何度も蹴って「早くみんなの顔に会いたい」って、言ってる様で。
 最初の内は慣れなかったけど……それでも嬉しかったわ。ああ、私も母親になれるんだって。
 私達は文字通り、一心同体だったわ。もっとも、今じゃ立場は逆なのだけどね」


くすりと笑う、母親としてのその顔。
出会ってまだ僅かではあったが、咲夜は確信する。
その笑顔こそが、彼女の一番美しい表情であるのだと。
そしてこれこそが自らの主とこの人との決定的な違いなのだと。
レミリアにはまだ、この人の様な「母親の顔」は出来ないからだ。


「まだこうしてあの子の意識の底で存在していられるけど、あの子が大きくなったら、もう無理でしょうね。
 私の意識はあの子の中に溶けていって……完全に一つに戻るのよ。
 だから……だからその時が来たら、偶にでいい。私の事も呼んでほしい。私の名前を呼んでほしいの」

「……その時まで生きていられたら、そうしますね」

「もう、そんな事言って……駄目ね本当に」


トンと、軽く押す様にして咲夜から離れるエミリア。


「そんな事ばかり言ってると……うん、そうね。あの紅白の巫女にあの子を盗られちゃうわよ?」

「そ、そうなんですか?」

「あの巫女の事も、あの子気に入ってるみたいだし。好きな者は手に入れる。うん、さすが私の子ね。
 まあ私としては、もう一人の方が好みではあったのだけどね」


なんて好色家だと呆れる咲夜ではあったが、少し不安にもなる。
確かに我が主はあの巫女の事を気に入ってはいる。
だからと言われてもどうもと答えるしか出来ないが、言葉に出来ない不安感はある。


「もういっその事あの子の伴侶にでもなったら?」

「は、伴侶ですかッ!?いや、さすがにそれはちょっと。
 私達は主と従者の関係ですし。それにそもそも……女同士ですし」

「あら?どうでもよくないそれ?私だって美鈴が居たし、他にも大勢の子が居たし……」

「いやどうでもよくない事はないんじゃ……え?美鈴?大勢?」

「うん?変な事言ったかしら?」

「…………いえいいです。どうでもいいです」


可愛らしく首を傾げてとんでもない事を連発する我が主の母親。
美鈴とも関係があった事や、他にも相手が居たなんて事をさらりと言われても、驚くより呆れるしかなかった。


「あ、あの子と一緒になってくれたら私の事はお義母様って呼んでね」

「え、ええと………善処します」


冷や汗を流しつつも適当に相槌を打つ咲夜に、この人妻吸血鬼は更に凄い爆弾発言をする。


「ああでも、あの子に子供が出来たら、私の方が貴女の事お母様って呼ばなきゃいけないかしら?」

「こ、こ、ここ、子供ッ!?子供って……ッ!?」

「いやどちらかと言うと……お父様?うん、そっちの方が似合うわね。貴女カッコいいし」

「どうしてそうなるんですかッ!無理ッ!無理ですからねさすがに子供はッ!」

「大丈夫よ。私だってフランを生んだんだし。だからどうにでもなるわよ」


何でこの人はそんなとんでもない発言をあっさり言う事が出来るのか、理解出来ない。
それにいけしゃあしゃあと「もう一度生まれてくる」発言までかましている。
会って間もないが、この人の事で分かった事がある。この人は色々な意味でとんでもない御仁なのだと。


「まあ、それもこれも貴女の問題を解決してからなのだけどね」

「……そう、ですね」


その言葉で咲夜の顔がそれまでと打って変わって引き締まる。
この人は知っているのだ。自分の娘を通して、今自分達がどんな状況にあるのかを。


「私も長く生きたけれど、貴女のあの師匠は初めて見るタイプね。
 欲ってものがほとんど感じられない。まるで悟りを得た聖人みたい。
 良い男だとは思うんだけど……私のタイプじゃないわね。
 ああいうのの相手をするとどうにも堅苦しくなって疲れそうだもの」


それを聞いて咲夜はそうだろうかと首を傾げる。
確かにこの人と我が師は正反対の性格をしている。
だが我が師もそれなりに人生を楽しむという事はしていた。
御茶を飲んだり、街を飛ぶ様に駆け巡ったり、御茶を飲んだり、昔話に花を咲かせたり。
御茶を飲んだり、旅行先で御土産を買ったり、御茶を飲んだり、静かに読書をしてたり。
御茶を飲んだり、誰かとカラオケに行ったり、御茶を飲んだり、路上ライブで歌ったり。
そんな事をして結構楽しんでいたと思うのだが。


「まあ……御茶飲むのが好きでしたね」

「爺臭い趣味ねーあいつ。もっと楽しそうな事すればいいのに」


取り敢えず御茶を飲んでる事が多かったのでそう答えたら、呆れた様に肩をすくめるエミリア。
他の事を言えばよかったかとも思ったが、別に一々言わなくてもいいかなと思い言うのは止めておく。
そもそもこの御仁の楽しそうな事で我が師が楽しむなんて事は、天地がひっくり返ってもありえないだろう。


「まあ、助けてあげたい気持ちもあるのだけど……今の私に出来る事はほとんど無いと言っていいわ」

「大丈夫です。これは私達で解決してみせますので」

「そう……じゃあそっちは任せるわね。まあする必要は、無いでしょうけどね」


言いたい事は一通り伝える事が出来たのだろう。エミリアは安堵して息を吐いた。


「それじゃあ……そろそろお別れね。貴女と話せて、楽しかったわ」

「私の方こそ、貴女と出会えて本当に良かったです」


そう答えると、エミリアは笑った。レミリアと瓜二つの笑顔で。










「またいつか会いましょうね。次は――――――ベッドの中でね」


その言葉で、咲夜の意識は不意に途切れた。









本文無くして何が後書きかッ!

今回は「ああ、いけません奥様そんな」な、内容でした。
なんでこんなもん書いた?と問われりゃ、書くしかなかったとしか答えられませぬ。
いえね、次を書こうとしたらどうしてもこの部分がチラチラと出て来て。
それで書くしかなかったんですよ。
私、話とキャラクターの比重はキャラの方が重くなる性質でして。
それで、こんなん出来ました。正直この話無くても本編は書けたんでしょうけどね。
だからこの話は幕間なんです。
それでは!



[24323] 第三十七話 幸せの、幻想の絵
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/11/29 20:05





不意に感じたその暖かさに、咲夜は目が覚めた。
暖かいベッドの暖かさと、それとは別の暖かさ。
その別の暖かさがもぞりと、動いた。


「………………んん」


自分の胸の中で、そんな声が聞こえた。
閉じた目を開くとそこには――――――


「くー………すー……」


そんな可愛らしい寝息を立てる我が主。レミリア・スカーレットの顔がそこにあった。
その愛らしい寝顔を見て、咲夜はくすり笑みと漏らす。


「確かに、ベッドの中でお会いしましたね」


先程まで会っていた人物の言葉を思い出し、目の前に彼女に向かってそう告げた。
彼女を一目見て、あの微睡みの中で出会った貴人を思い出す。
色々と凄い人だったが、とても優しい御方だったと、そう咲夜は思った。
自分は母親というものを知らないが、きっと良い母親だったんだろうなと、そんな風に思う。


「性格は、ちょっと問題あったけどなぁ」


いつか自分の主があんな風になるのだろうかと思うと、ちょっと困るなと、
当人が聞けば「失礼な」と言い返しそうな感想を浮かべながらも、咲夜はその頭を撫でる。


「安心して下さい。私がしっかりお守りしますから」

「ん……んんー……?」


主は起き始めたらしく、もぞもぞと動きだして目を擦る。


「んんー……さくやぁ……」


自分の名前を呼ぶ主に向かい、彼女は答える。










「おはようございます。レミリアお嬢様」










その日は実に奇妙な朝だった。
起きて外を見れば、そこら中にふわふわと何かが漂っている。
パチュリー曰くこれは神霊と呼ばれるものらしく、特に害があるという訳ではないらしい。
しかしこんな事が普通に起こり得るはずもない。
そう、これは明らかに誰かが起こした異変であった。
普段ならレミリアの命令で咲夜がその事を調べに行くのだが、生憎自分達は別の事で手一杯だ。
今回の異変は巫女とか魔法使いとかに任せて、自分達の事に専念する事にした。

そして、そんな日の朝食の後の事だった。
美鈴は自分が保管していたある一枚の絵を、紅魔館のロビーに飾っていた。
その絵はこの紅魔館の、家族みんなが揃っている絵だった。
今まで保管していたのは、最初この絵が損傷しない為だった。
それから色々と慌ただしい時期が重なったり、出すのを忘れたりしていた。
勿論今だって慌ただしい時なのは変わらないだろうが、もうそろそろいい加減に出してあげた方がいいかなと、
そう判断しての事だった。


「……これでよし、と」

「何がこれで良しなのかしら美鈴?」


唐突に、という訳でもないが、美鈴の近くに咲夜が現れて近寄ってきた。
咲夜の問いに、美鈴は自慢する様に笑う。


「あ、咲夜さん。ちょっとこれ見て下さいよ」

「この絵って、もしかして……」

「はい。これがスカーレットの、家族みんな絵です」


そう言われ改めて、咲夜はその絵を見る。
そこには自分の知っている人も居れば、知らない人も居た。
共通していたのはみんなが幸せそうに笑っているという事。
絵の中のメンバーで自分が知っているのは、レミリア、フラン、美鈴、パチュリー、小悪魔。
そして少し前に会ったばかりのエミリアであった。
絵の中の彼女は夢の中で会った時と同じ服装だったが、あの時に感じた艶というものはそこまで感じなかった。
ただ幸せそうに柔らかく微笑んでいるその姿は、聖母のそれを連想させるものだった。

だがそれ以外に、その絵の中で見た事の無い四人の人物が居た。
まず一人目は一目見ただけで豪快そうな印象の、左足が義足の海賊風の偉丈夫。
二人目は肌が恐ろしい程に白いのが印象的な、黒衣を纏う美丈夫の貴族。
三人目は紳士然としていながら何処か野性味を感じさせる、慇懃な老執事。
そして四人目は無邪気に明るい表情で、妹様によく似た表情で笑う、闇の衣を纏う女神。
それが咲夜がその四人を見た最初の印象だった。


「ねえ、美鈴?初めて見たから自信は無いのだけれど、
 あの海賊風の人がエイブラム様で、貴族然とした人が先代のブラム様。
 そして老執事が、ローレンスさんでいいのよね?」

「よく分かりましたね咲夜さん。ええ、その通りですよ」

「じゃあその、あの闇色のドレスの人って誰か分かる?」

「ああ、あの人がエイブラハム様の奥様であり、ブラム様の母上であり、
 レミリアお嬢様とフランお嬢様の祖母でいらっしゃる、リュミエール様です。
 大旦那様はよく、妹様は御自身の妻に似ていると仰ったんですが……どうです?確かに似ているとは思いませんか?」


そう言われ、改めてリュミエールを見る咲夜。確かにフランとよく似ている。
無邪気に笑うその笑顔は、フランが皆によく見せるものと瓜二つ。
まるでフランがそのまま成長した姿に見え、エミリアと初めて会った時のあの感覚を思い出させる。
大きな違いといえばフランにはある、あの七色の宝石の翼が彼女には無いくらいだろう。

絵の構成は男三人に女七人の合わせて十人。
まず長椅子の中央に堂々と座るのがエイブラハム。
そしてこちらから見てエイブラハムの左隣りにレミリアが座り、右隣りにフランが座る。
長椅子に座るエイブラハムの左後ろにブラムと、右後ろにリュミエールが並んで立っている。
そのブラムの左にエミリアが立ち、その対になる様にローレンスがリュミエールの隣に立つ。
パチュリーは絵の左端に、小悪魔は絵の右端に立っていた。
そして当の美鈴はといえば、フランの右隣に座っていた。
家族みんなで幸せそうに、そんな幸福を表現している絵だった。


「………?」


その絵を見続けていた咲夜は、この絵に妙な違和感を感じた。
みんな幸せそうに笑っているのだが、何かがおかしいと、そう感じてしまう。
だがそれが何なのかが咲夜には分からなかった。


「ねえ美鈴。ちょっと変な事を言うようだけど……」

「この絵がなんだかおかしい事ですか?」

「そうそれよ。美鈴、それが何か分かるの?」

「大した事じゃありませよ。この絵はみんなが一緒の時に描いた絵じゃないってだけです。
 ほら、リュミエール様はお嬢様達が生まれる前にお亡くなりになりましたし、
 それにエミリアは……奥様はパチュリー様が来るずっと前に亡くなられています」


そう言われて咲夜は、この絵に感じていた違和感の正体が分かった。
この絵が描かれるには、リュミエールとエミリアの二人が存命していなければ描かれないのだ。


「つまりです。この絵は「本当だったらこうでありたかった」というみんなの想いが込められた、幻想の絵なんです」


幻想。それはつまり「こうはなれなかった」という意味が込められているのだろう。
一見ただみんなが幸せそうに笑うこの絵には、そんな少し悲しい想いもあるのだと思いそれを見ると、
咲夜の胸は寂しい切なさを覚えた。


「私もリュミエール様にお会いした事はありません。ブラム様を出産して、それから暫くして亡くなられたそうで」

「どんな人だったか、美鈴は聞いた事が?」

「ええそりゃもう。耳にたこが出来るくらいにエイブラハム様に聞かされましたよ。
 事ある毎にあいつは最高の女だったとか、一緒になれて幸せだったとか、嬉しそうにまあ何度も何度も言うんですよ」


そう語るその美鈴の顔が、咲夜には何故だか少し寂しそうに見えた。


「ええ、何度も何度も、馬鹿みたいにしつこくて……ほんと、嫌になっちゃいますよ」

「……美鈴?」

「だからきっと、この人はとても素敵な方だったんでしょうね。
 そんな人だったら是非一度お会いしたいと思ったものですが、それが出来ないのが、ちょっと寂しいですね。
 あんなにエイブラハム様に愛された人がどんな方だったのか。会って、みたかったですね。
 だってほら、こんなに幸せそうに笑ってるじゃないですか。本当に……幸せな人です」


その言葉には何か別の意味が含まれているのだろうが、咲夜にはそれが分からなかった。
そしてその意味を尋ねたとしても、美鈴はそれを教えてはくれないような気がした。


「……まあつまりッ!大旦那様は、愛妻家だったという事です」


これは少し話を変えた方がいいかなと、咲夜は別の話題を口にする。
実を言えば、彼女がこの絵から感じる違和感は他にもあったのだ。


「そっか……それじゃあ美鈴、もう一つ聞いてもいいかしら?」

「なんですか咲夜さん?」

「えっと、ほら。大旦那様の左足。あれって義足よね?」

「はいそうですよ。歩くとカツーンカツーンって音がしたもんです。
 こっそりどっかに行く時は、片足上げてけんけんけんけん言ってたもんで……」

「でも吸血鬼なのよね?普通だったら再生出来そうなものなのに」


咲夜の言う通り、吸血鬼ならその程度の負傷は再生する事は容易いはずだ。
レミリアは頭を潰されても心臓を貫かれても、日の光で灰になっても甦る事が出来る。
そのレミリアの祖父ならば、片足の一本くらい簡単に再生出来てもおかしくはない。
なのに義足を何故着けているかが、咲夜はそこを疑問に思ったのだ。


「大旦那様が義足の理由……ですか。聞いた事は、まああるんですけどね」

「ただし聞いたら最後。とことんまで暴れて手が付けられないのよね~」


いきなり現れた第三者の声に二人は一瞬緊張するが、それが聞いた覚えのある声だと分かるとすぐに緊張を解く。
そして案の定、声のした方の空間が裂けて、スキマが開いた。
そしてそこから出て来たのはやはり――――――八雲 紫その人であった。


「なんだ、貴女ですか」

「持て成す用意はしてないし、しないから」

「………ねえ、ちょっとは驚くくらいしてもいいんじゃない?
 ただでさえ最近驚いてくれる人は少なくなるし、扱いは悪くなるわなのに」

「いやだって、なんか慣れましたし」

「扱いが悪いのは自業自得よね」

「……ぐす……みんな最近冷たいわぁ……」


割と本気で悲しいらしく、ほんのちょっぴり涙を浮かべる紫であった。


「というか神霊騒ぎの方はどうなってるのよ?」

「ぐす……そっちは霊夢達がなんとかするわよ。
 相手はちょっと面倒というか、もしかしたら目障りかもだけど」


どうやらこの異変の元凶が誰なのか。紫は分かっているようだ。
そして霊夢達が解決に向かったのなら、恐らく一日もしない内にこの異変は終わるだろう。
そういえば、つい最近も幻想郷中に幽霊が蔓延した異変が起きた。
咲夜はあの時の手痛い結果を思い出し苦笑してしまう。


「ところで、大旦那様の義足の理由を貴女も知っているんですよね?」

「んー……まあね」

「聞いたら暴れるって……そんなに嫌な事でもあったの?」

「嫌な事、か。確かに嫌な事ではあるわね。
 私にしたってあれは………………決して良い思い出とは言えないから」


その何かを思い出したのか、紫はほんの一瞬震えた後に深呼吸する。
その一瞬見えた感情の色に怯えが見えたのは、決して気の所為ではないだろう。


「もう、随分昔の話でね。正直今思い出しても恐いわ。
 結論から言うとね、エイブラハムの左足は……喰われたのよ。
 左膝の辺りの霊体を、そのまま丸ごとごっそりね。失われた霊魂は戻る事は無いわ。
 肉体は大丈夫でも、それを治す設計図でもあるそれを喰われたら、治癒は不可能でしょうね」

「……八雲 紫。貴女は知ってるんですね。エイブラハムの足を誰が、いや。一体何がそんな事が出来たのかを」


美鈴が知る限り、エイブラハムは最強の存在だ。
もし生きていたら間違い無く、この幻想郷で最も強い存在になっただろうと確信出来る程に、彼は強かったのだ。
その彼に癒す事が出来ない程の傷を負わせる存在は、それと同等の力を持つか、あるいはそれ以上の存在のはずだ。
美鈴にとってはそれは想像すら出来ない事であったが、それは確かに存在したのだ。
それが一体何なのか、美鈴は知りたかったのだ。
紫はそんな美鈴の心情を察して、とりあえず話を続ける。


「とりあえずこれも結論だけど、エイブラハムの足を喰った奴は、もうこの世に居ないわ。
 エイブラハムや私や……他の人達と一緒になって戦って、倒したから。
 あれを放っておけば、世界は間違い無く滅んだでしょうね。だからそう……皆で、倒したわ」


そう語る紫は頭の中で、その事を思い出しているのであろう。
その表情から読み取れるのは、絶対的な恐怖への怯えと、そして悔恨だった。


「……ごめんなさい。もうこれ以上は言いたくないわ。
 エイブラハム程じゃないけど、私だってこれ以上……あれを思い出したくないもの」
 

ひどく疲れたと言った顔で、溜め息を吐く。
振るえる体を自身で抱き締め抑え込もうとするその姿に、美鈴は見覚えがあった。
エイブラハムもこれと同じ様に、いやそれ以上に酷い状態になった事があった。
半狂乱で暴れ出し落ち着いた後は、部屋に一人で籠り、イライラと義足の鳴らして部屋の中を歩いたものだった。


「思い出すだけで震えが止まらなくなると……あの人は言っていました」

「………………そうね。私だってこのザマよ。
 あれと真っ向から戦ったあの人なら、それ以上のものを感じたでしょう」


この妖怪の賢者とて、この幻想郷でも力のある存在なのだ。
その紫に、ただ思い出させるだけで此処まで疲労させる存在。
美鈴も咲夜も、それは決して知ってはいけない存在なのではと思い、それ以上の追及は出来なかった。
知ってしまえば、この賢者と同じモノを味わう事と察したからだ。


「……この絵、出す事にしたのね」


そう言って半ば無理矢理気味に話題を変えた紫は、久しぶりに見るエイブラハムの絵に向かい恭しく頭を下げ一礼する。
その姿を見て、咲夜はただ驚くしかなかった。
絵とはいえ、あの紫が畏敬の念を以って自分から進んで頭を下げたのだ。
しかもその後に見せた紫の顔には、尊敬の意志がはっきりと宿っていた。
嬉しそうに、懐かしそうに、絵の中のエイブラハムの笑顔を見て、八雲 紫は笑っていた。


「この人が居たから、今のこの幻想郷があるのよ。
 あの人の想う理想郷の在り方。私は、それが大好きだったわ」

「理想郷の、あり方?」


咲夜の問いに紫は頷き、それを教える。


「要約して言うとね、小悪党やぼんくらや、どうしようもない屑だって楽しく生きられる場所がいいんだって」

「………そんなのが、理想郷なんですか?」


一度聞いただけでは、それはとても理想郷を語る言葉に思えない。
呆れ顔になる咲夜のそんな心情を察して、紫は続ける。


「まあこれは、あの人の考えを要約し過ぎたものだけどね。あの人は言ってたわ。
 正しい奴が正しい事をして、正しく生きる事が出来るのが理想郷なら、そんなのは嫌だ。
 人間は全員が立派に生きるなんて事は出来ない。そういう生き方が出来ない奴の方が圧倒的に多い。
 だから本当の理想郷は、自分みたいなどうしようもない奴でも幸せになれるんだって思える場所……なんだって。
 悪い事をしても、殴って笑ってそれで御終いに出来る世の中。
 少しの失敗くらい、それを笑ってみんなで酒のツマミに出来る世の中。
 そういう悪い事をしても良い事をしても生きやすい世の中が俺は大好きだって、貴方はそう言ってましたね」


絵の中で笑うエイブラハムに向かって、紫は語り掛ける。
それは人間が自らの神に祈りを捧げる姿にも見えたが、それ以上にただ古い恩人に感謝を捧げている者の姿に見えた。


「もし、吸血鬼異変をこの人が起こしたのなら、私は喜んで降伏したでしょうね。
 やっと来てくれたんだって思って、嬉しがって、そしてみんなに言ったでしょうね。
 この人はとんでもなく凄い人で、それ以上に面白い事を教えてくれる人なんだぞって。
 柄になく目を子供みたいにキラキラさせて、楽しい祭りが始まるのを走ってみんなに教える感じでね」


実際に紫は一度自ら頼んだ事があるのだ。どうか幻想郷に来て、自分達を導いてほしいと。
だが、エイブラハムは紫のその申し出を断った。
「俺がいきたくなるくらいに楽しい場所になったら考えてやる」と豪快に、それを楽しみにしていると笑って、断ったのだ。
その言葉があったから、紫はこれまでにあった幾度かの苦難を乗り切る事が出来たのだ。

もし幻想郷という世界を自分が造らなかったら、あの人の下で一緒に生きていたいと、何度そう思った事か。
どんな窮地も、その後ろ姿を見せ付けただけで勇気を奮い立たせる事が出来る背中を持った男。
人の良い所も悪い所もそのままを受け入れ、愛してやる事が出来る度量を持った男。
たった笑顔一つで皆に希望を与える事が出来る力を持った男。
そんな魅力を備えたのが、エイブラハムという男だったのだ。


「何か出来たら笑って褒めてくれて。何かしちゃったら怒鳴って怒って、そして笑って。
 エイブラハムって名前の通りで……みんなのお父さんって感じだったなぁ」

「我儘で自分勝手で、どうしようもないぼんくら親父って感じでしたけどねー」

「ふふ、本当にそうね。でも……本当に良い人だったわ。
「もし第一次月面戦争の時にあの人をリーダーにして戦ったら、私達は間違い無く勝ったでしょうね。
 それに……その前に戦争なんて起こらずにみんなが一致団結していたら、一日で勝ったでしょうね」


懐かしそうに語り合う紫と美鈴を見て、咲夜自身も会ってみたかったと思った。
もう一度、絵の中のエイブラハムを見る。
今にも声を出しそうなその笑顔は、確かに見るだけで心の中を暖かくさせるものがあった。
実際に会ったらどれだけ凄い人なのかと、なんとなく想像してしまう。

紫は楽しそうにその絵を見ていたが、何かを思い出すと途端に顔を曇らせた。


「私はこの絵は好きだけど……ただ一つだけ、どうしても気に入らない事があるわ」


紫は絵から目を背け、苦々しい物を吐き出そう様に呟く。
それは先程までの暖かさとは打って変わって、冷たい憎悪を感じさせるものだった。
さすがにそれに気付いた二人は、どうしたものかとお互いに目を合わせる。


「紫……一体何が気に入らないというのですか?」

「この絵が貴女にとって大事な物だとは分かっているけどね、どうしても気に入らないのよ。
 だってこの絵はあいつが……あのファンタムが描いた絵なんですからね……」


ギリと歯軋りをして、ありったけの憎悪を込めて、紫はその名を口にする。
その名を口にするだけでも嫌だとばかりに体は怒りに震え、拳をブルブルと震わせる。
絶世の美女の美貌はそこには無く、憤怒の炎を現した修羅さながらのその姿。
その迫力に美鈴も咲夜も思わず後ずさってしまう。


「そこまで、憎いんですか?あのサー・ファンタズマが?」


咲夜がその名前を口にした途端に、紫は咲夜を怒りの形相で睨み付ける。


「……十六夜 咲夜。二度と私の前でサー・ファンタズマと、幻想卿と口にしないで頂戴。
 この私の幻想郷とッ!あんな奴の……名前がぁ……ッ!似てるってだけで、吐き気がするのよ……ッ!
 怒りで……どうにかなってしまいそうなのよッ!」


殺気染みた視線を向けて、憎悪に顔を歪ませながら、紫は咲夜にそう伝える。
今度言えばこの場で殺すと、そう伝えたのだ。
それは半ば我を忘れての言葉だったのだろう。
自分の言動に我が事ながら呆れた紫は、二人に謝罪する。


「……ごめんなさい。いきなりこんな事言っちゃって。
 でもあいつだけは、どうしても駄目なのよ。あいつの事は思い出すだけでも嫌なのよ」

「でももうあの人は……もう死んでるじゃないですか。
 吸血鬼異変の最後の最後で貴女と……先代の巫女によって殺されたのでしょう?」


吸血鬼異変の最終局面で、サー・ファンタズマは紫と先代の巫女によって滅ぼされた。
美鈴は戦闘で負傷し、その場を目撃する事はなかった。
紅魔館のメンバーの中で最後に彼の姿を見たのは、レミリアであった。
彼はレミリアが先代の巫女に敗れた直後に現れ、その後の思いもよらぬ行動に移った。
その彼の行動により、戦局は未曽有の大混乱に陥った。
レミリアはその時の事を自らの恥として詳しい事は語らなかったが、苦々しく語った。
「あいつは私と交わした契約を守る為に私を裏切ったのだ」と。
その意味は今でも分からないが、それ以来レミリアは、今の紫ほどではないがファンタズマの事を嫌っていた。
この幻想郷では、吸血鬼異変の首謀者はレミリアではあったが、その黒幕はサー・ファンタズマであると認識されている。
それがなおさら気に入らないから、レミリアはファンタズマの事を嫌っているのだろう。

そして、殺した本人である紫はその事を肯定する様に頷く。
その後に手にした扇子を開いて、口元を隠し――――――笑った。


「ええ死んだわ。私とあの子によって殺してやったわ。あの惨めな最後は今思い出しても溜飲が下がるわ。
 長い間偉そうで憎たらしいあの笑みで私を馬鹿にし続けた、あのファンタムの最後。
 あれはとんでもなく惨めでみっともない最後だったわ。ほんと、あいつに相応しい末路だったわ」


その扇子の下に浮かぶ笑みをもし二人が見る事が出来たのなら、きっとこう思うだろう。
なんて邪悪で醜い歪んだ笑い方をするのだ、と。
紫自身もそれを分かっているから、あえて顔を隠したのだ。
長きに渡り幻想郷と自分を苦しめ続けてきたあの男の最後。
悶え苦しみながら地べたを這いずり回るその男に、ついに引導を渡した時に感じた壮快感と愉悦感。
それを思い出すとどうしても我慢出来ずに、こんな顔で笑ってしまうのだ。

転生する事も無い様にその魂も砕いたが、紫はそれだけでは満足出来なかった。
その死体は七日七晩もの間晒され、罵倒や石やら泥やら汚物やらを投げ付けられた。
そして最後は一欠けらの灰も残さずに燃やし尽くした。
それが長年の間幻想郷を苦しめてきた怨敵の末路であった。

咲夜はその事をこれ以上無く楽しそうに語る紫に嫌悪を隠さずに反論する。


「八雲 紫。あまり死者を愚弄する様な事を言わないでほしい。
 その様な末路を辿ったのなら、もうそれで十分なはず。だから、もうそれ以上面白そうに語らないでほしい」

「……貴女達はあいつに利用されたのよ?それなのにどうして、そんな庇う様な事言うのかしら?」


紫は咲夜の反論に驚きながらも、不愉快なものを見る様な視線を投げ付ける。
あの男を擁護するその言葉は、紫には耳障りな騒音にも等しかったからだ。


「最初に彼を利用しようとしたのは私達ですし、なにより彼は形はどうあれ交わした契約を果たしました。
 結果はこちらが利用されたのかもしれませんが、お嬢様はそれを承知の上で彼を利用する事を決めたんです」

「だけど………………いいわ。私自身もあまり話題にはしたくないから」


これ以上何か言って、反感を買うのもまずいだろうと、紫はそれ以上の追及はしなかった。
確かにあいつの事は気に入らないが、自分がこの絵が好きなのも事実だ。
いくら気に喰わないからといって、この絵まで嫌いになる理由にはならない。


「仕方ない、か。生まれ方は変えられないものね」


どれだけ最低最悪な者が造り出した物であっても、造られた物自体には罪は無い。
作者自身はどうあれ、この絵が素晴らしいのは変わらないのだから。
だがそれでも気に入らないと思うのは、自分の我が儘な部分の所為かもしれない。
そんな風に自重する紫の横で、咲夜は美鈴に最後の質問をした。


「美鈴。この絵って、これで完成しているの?」

「というと?」

「その、長椅子に座るお嬢様の隣りが一人分空いてるじゃない?」


そう指差す先には確かに、あと一人が座れるだけの空間が存在していた。
咲夜が感じていた最後の違和感がこれだったのだ。


「ああそれは……本来だったら咲夜さんが座る予定だったんです」

「……私が?」

「吸血鬼異変が始まる前に、あの人がまた付け加えたいって言ったんです。
 パチュリー様と小悪魔さんまでは描けたんですが、咲夜さんを描く前に異変が始まって。
 あの人言ってました。「彼女の分は異変が終わってから描くとしよう」って」

「……私、知らなかったわ」

「ビックリさせたかったんだと思いますよ?そういう……人でしたからね」 


美鈴自身は、今でもファンタムの事を嫌ってはいない。むしろ感謝している部分が多い。
あの人が居なければフランは今の様に元気に育ったかどうか分からない。それにこの絵だって、描かれる事はなかった。
エイブラハム自身もそれは同じだったらしく、彼の御蔭で妻の笑顔を今でも見る事が出来ると感謝していた。
妻のリュミエールに会った事がある人物で、絵心もそれなりにあったから書く事が出来たのが、彼だけだったのだ。


「……死ぬ前の最後に、これを描いてほしかったですね」


そう呟く美鈴の横で、殺した本人である紫は僅かばかりの罪悪感を感じた。
紫はその時にふと、ある事を思い出す。
あの男は死ぬ前に、地べたを悶え這いずり回りながら呻いていた。
死ぬ訳にはいかない。まだ死ぬ訳にはいかないと、何度も何度もその言葉を血と共に吐き出していた。
その時はただの命乞いの一種かと思い、そんなザマを見て罵り笑ったのだが……


(この絵の為に、死ぬ訳にはいかなかったという事だったのかしら?)


紫は反射的に頭を振る。一瞬、あの男に対してほんの僅かに感じた罪悪感を振り払う為に。
一瞬とはいえあの男に対して罪悪感等というものを感じた事に、嫌悪したのだ。
あの男には僅かばかりの同情だって感じたくない。哀れむなんてのは絶対に間違っている。
この感じた罪悪感は美鈴達に対してのものであって、断じてあいつへ向けたものではない。
気の迷いだ。錯覚だ。ただの勘違いだと何度も何度も自分に言い聞かせて、納得させた。
その時、紫はある事を閃いた。それは先ほどの笑顔とまではいかなくても、邪悪な類には違いないもの。
例えるなら最高の悪戯、ただし邪な類のものを思い付いた子供の笑いだった。


「この絵、今此処で私が完成させましょうか?」

「貴女が……ですか?」

「完成出来なかったのは私の責任でもあるのだし。だからそのお詫びにね」


申し訳なさそうに言う紫だったが、それだけが理由ではなかった。
この絵をあいつの代わりに自分が完成させてしまおうと、そんな事を考えたのだ。
それはつまり、頑張って組み立てたジグソーパズルの最後の欠片を他人がはめ込むという事。
そんな最後の最後に味わう達成感を奪ってやろうと、紫はそう考えたのだ。


(あいつを殺して、もう何も出来ないと思ってたけど、まさかこんな事が出来るなんてね。
 ふふふふ……あいつの悔しがる顔が目に浮かぶわ)


もちろんお詫びしたいという気持ちも嘘ではないが、それが全てではない。
今ではもう殴る事も罵倒する事も出来ない相手にまだ嫌がらせが出来るのが嬉しかったのだ。
そんな自分の本心を隠して、紫は二人に尋ねる。


「どうかしら?私の能力でパパッとするわよ?」

「どうするの美鈴?」

「………………え?ああ、いいですよ。チャチャっとお願いします」


ぽかんと呆ける様に紫を見ていた美鈴は、咲夜に尋ねられた後に軽い感じで了承する。
大事な絵に手を加えられるのに、どうしてそんな簡単に了承出来るのか咲夜は分からなかった。


「じゃあ始めるわね」


我が事ながら幼稚な動機だとは思うが、やるからには本気でやろうと、気を引き締める紫。
一人分の空いた空間に向かい手をかざし、スッと指をなぞる。
すると一瞬にして絵の中で長椅子に座るレミリアの隣に、みんなと同じ表情の咲夜が現れた。


「……どうかしら?我ながらなかなかだとは思うのだけど?」


そう尋ねる紫ではあったが、なにか不手際は無かったかと不安な気持ちもあった。
なにしろ自分は紅魔館の者達にとって大事な品に手を加えたのだ。
一瞬で出来上がる事は出来たものの、いざやるとなると緊張もした。

それに対して美鈴と咲夜は、その絵を満足そうな表情で眺めていた。
咲夜が描き足された事で絵はバランスが取れたものになり、人物それぞれが対になった。
咲夜はその絵を見て、今更ながらに紅魔館の一員に成れた気がして嬉しくなり、感謝する。


「ありがとう、紫。凄く……嬉しいわ」

「いえいえ、どういたしまして」


咲夜の言葉を聞いて、紫もホッと胸を撫で下ろし安心する。
そして改めて絵を見ると、今まで感じていた気に入らなかった点は嘘の様に消えていた。
これでもうこの絵を見てあいつを気にする事は無くなるだろと思うと、素直に嬉しくなる。
そんな紫を、美鈴は少し申し訳なさそうに見る。


(いやまさか……本当にこうなるとはな……)


実は昔、ファンタズマに言われていた事があったのだ。
もし自分がこの絵を完成させる事が出来なかったら、その時は紫に未完成である事を伝えてほしい。
そうしたら紫は喜々としてこの絵を完成させてくれるだろうからと、意地悪そうな笑みを浮かべて言ったのだ。


(完全に手玉に取られてるなぁ……生きてたら絶対笑ってるだろうなあの人)


満足そうに笑う紫を見て、美鈴は言わぬが仏と思いその事は伝えない事にした。


「あ、そう言えば紫さん。貴女何をしに来たんですか?」


今更ながらに、美鈴は紫に何故来たのかを尋ねた。
正直今は他の者に紅魔館に来てほしくないというのが本音であり、
要件を終えて早く帰ってほしい気持ちがあった。


「そうそう、実は美鈴。貴女に聞きたい事があって来たのよ」

「聞きたい事、ですか?」

「まあちょっと聞きずらいではあるんだけど」

「絵を完成させてくれたましたから……私が答えられそうなものでしたら」

「そう……だったら単刀直入に聞くわ美鈴。
 ブラム・スカーレットを倒したのは誰か、貴女はそれを知ってる?」


その言葉を聞いた途端に、美鈴は渋い顔になる。
確かにそれは聞き辛い事には違いなかった。


「エイブラハム程ではないけど、ブラムは私と同程度に強い吸血鬼の王だったわ。
 そのブラムを一体誰が倒したのか。私はそれが気になったのよ」


エイブラハムが覇王ならば、ブラムは魔王という言葉が相応しい人物だった。
この幻想郷でも上位に入るであろう力を持った者を一体誰が倒したのか。
まだその者は生きているのか?既にもう死んでいるのか?紫はそれが知りたかった。


「……私も詳しくは分かりません。実際にほんの少し見ただけで、戦った訳ではありませんから。
 分かるのは燃える様に赤い髪をした女の剣士というくらいでして」

「紅い髪の女の剣士……ねえ」
 
「それ以上の事を知りたいのでしたら……妹様に聞くしかありません」

「フランドールに?……どうしてなのかしら?」

「ブラム様の最後を見たのが……妹様だからです」


ブラム・スカーレットの、父親の最後を目撃したフランドールはその後暴走し、その剣士に挑んだ。
しかし、その結果はフランドールが手も足も出せずに惨敗する。
何故その剣士がフランを殺さなかったのか、その理由は分からない。
それ以降、フランにその時の話をしようものなら暴走して手が付けられなくなった。


「……そうだったの」

「だから、その事を聞く場合は命懸けになります。
 それを思い出すと妹様は見境が無くなって、手が付けられなくなるんです」


ブラムを倒した相手が誰だったのか気になる所ではあるが、無理強いをしては自身の命が危ない。
仕方が無いと思い、紫はその事を尋ねるのを諦める事にした。


「私がもっと早く駆け付けられればよかったんですが、私自身の相手も相当な手練れで、叶いませんでした。
 それに……この身の恥の言わせてもらいますが、私はその時の戦いを楽しんでしまったんです」

「………どんな相手だったか、聞いてもいいかしら?」


悔いる様に我が身の恥を離す美鈴に尋ねる紫。
美鈴に自身の全うすべき役目を、一時の間忘れさせる程の実力を持っているその手練れは誰なのか。
それは紫が聞きたい本題ではなかったが、彼女が戦ったその相手が誰なのかも気になった。


「私が戦ったのは、他のハンターからストライダーと呼ばれた剣士です。本名ではないでしょうね」

「ストライダー……韋駄天って意味かしら?」

「そうですね。その呼び名に恥じない二刀流の、高速剣の使い手でした。
 あれは恐ろしい相手でした。あれほどの剣の使い手は私の今までの人生の中でもそうは居ません。
 それに剣士としてだけではなく、兵法家としても凄まじかった。
 八門遁甲を応用したあの時の罠の張り方。そして仲間への的確な指示。
 恐らく、あの時のハンター達のリーダーは彼だったのでしょう」

「もう少し詳しい事分かるかしら?」

「ええ、色々と特徴のある人物でしたからね。
 見た目は四十辺りの男性で、日本刀と抜刀術に適した造りの西洋剣の二振りを携えてました。
 それからあの服装は……そう、あれは確か旧日本陸軍の将校の服装だったかな。
 けど堅苦しい軍人って感じじゃなくて、ちょっと口が悪いけど何処か粋な感じのする人でした」

「………………え?」


そこまでの特徴を聞いた紫は、正直嫌な予感がした。
美鈴が語る人物は、もしかしたら自分の知っている者かもしれない。
自分の知っている者と美鈴の語る人物の特徴の事如くが一致している。
これはもしやと考える紫に、美鈴はその考えを決定付ける言葉を口にした。


「でも一番の特徴は、もう今時じゃ珍しい――――――半人半霊だったって事ですね」

「そ……そうなの……」


冷や汗を隠す様に扇子を仰ぎぎこちなく答える紫。
嫌な予想が当たってしまった事に動揺するが、それを努めて面に出さない様にする。
その場で頭を抱えて叫びたかったが、それをすれば色々と不味い気がしたのだ。


「半人半霊の剣士ねぇ……?もしかしてそれって妖夢と関係があったりして」


咲夜の何気ないその発言に紫は心底肝を冷やしたが、美鈴は笑い、首を横に振ってそれを否定した。


「いやそれは無いと思いますよ?だって剣術の型が丸っきり違いますもん。
 関係者だったら形は少し違っても同じ流派の剣術を使うでしょうけど、全然似てない似てない。
 妖夢さんのはちゃんとした正統派の流派の流れを組んだ剣術でした。
 でもその人の剣は、基礎を徹底的に鍛えた我流って感じのものでした。
 二刀流の抜刀術なんて聞いた事も無いし、剣を抜かないで鞘で渡り合ったり打ち合ったりで」

「確かに妖夢の剣とは全然違うわねぇ……」

「ただ、本当に速い剣でした。抜刀の速さだけじゃなく、それに縮地の速さまで乗せての、あの一の太刀。
 例えるならあれは、一昔前に何度か見たガンマン同士の決闘みたいでしたね。
 あの神速の剣を受けてよくまあ凌げたと、我ながら思いますよ。」


あっけらかんとそう笑って語る美鈴。
それはかつての主の仇の一人のそれではなく、古い知人を懐かしく語るものに近かった。
それを怪訝そうな表情で、紫は聞いていた。


「美鈴、そいつが憎くはないの?そいつが貴女達を不幸にしたのは間違い無いのでしょう?」

「……そりゃあ、思う所が無い訳じゃないですが、私自身は憎いとは思いませんね。
 戦いに身を置けば、殺されるのはその相手も同じです。
 私はこれでも武人です。お互いの武をぶつけての結果ならば、怨みはしません。
 それはブラム様も同じだった思いますし、もし怨めば大旦那様から怒られちゃいますよ。
 「お互い殺されるのを承知の上で戦っておいて怨むとはなんだ」って、一喝されちゃいます。
 お嬢様達には申し訳ないとは思いますが、それが私の本心です」


実にサッパリとした表情で、美鈴は紫に告げる。
確かにあの戦いで多くの者達が死んだが、久々の戦いに皆が歓喜したのも事実だった。
お互い笑いに笑って、存分に楽しんで、楽しみ抜いての殺し合いだった。
そんな久方振りの楽しい殺し合いを楽しまないなんてのは、間違いだ。
もちろんそんな考えが異常なのは美鈴自身も分かってはいる。だがどうしようもなく楽しかったのだ。
外の世界ではもう自らの武を存分に、命の限りに振るって戦う事は難しくなっていた。
その久々の興奮を味わわせてくれた相手に、美鈴は感謝の気持ちすらあった。


「もし叶う事なら……私は、もう一度手合わせをしたいですね」


懐かしそうに笑う美鈴を、咲夜は呆れ顔見るしかなかった。


「美鈴ってば、思いっきり武闘派なのね」

「いや咲夜さん。私はどちらかというと武当派です」

「……?だから武闘派って言ってるじゃないの?」

「あ、今のは武当派と武闘派を掛けた私なりの洒落でして。
 武当派ってのは私の師父である張三豊師父が創設した流派でして……」

「そんなの分かる訳無いじゃないの」

「で、ですよね……ハハハ、ハハ……すいません」


我ながら伝わり難い洒落だったなと苦笑する美鈴と、それにつられて笑う咲夜。
美鈴の言葉を聞いて、紫はホッと安心する様に胸を撫で下ろす。


「……まあとりあえず、私の聞きたい事はもう無いわ。それじゃ……そろそろ帰らせてもらうわ」


聞きたい事は取り敢えず全部聞いた。
予想外の事実を知って疲れた紫は、今日は早く休んでしまおうと思った。


(チッ………あの糞餓鬼………)

「次に来る時は、歓迎しますからね」

「ただし、事前に連絡してくれたらだけどね」

「……そうさせてもらうわ。では、また何時か」


紫は自身の後ろの空間にスキマを開き、そしてスッと下がって、スキマを閉じて消えた。


「……人騒がせだったわねぇ」

「まあそれは幻想郷のみんなに言える事なんでしょうが」

「あ、そうだ美鈴。最後に聞いていいかしら?」

「あれ、他に何か?」

「貴女とエミリア奥様ってどんな関「さあ咲夜さんッ!仕事を頑張りましょうかッ!」ちょ、美鈴ッ!?」


咲夜の問いかた逃げ出す様に、美鈴はダッシュでその場から駆け出す。


「美鈴ッ!少しぐらい教えてくれたって」

「聞こえない聞こえない聞ーこーえーまーせーんーッ!」

「逃げるなッ!耳を塞ぐなッ!」

「蒼い海がわーらうーッ!波が岸に打ち寄ーせるーッ!
 波に身を任せ漂うーッ!あるのは今だけーッ!」

「歌うなぁッ!」


そんな風に二人が追掛けっこをしている時、レミリアは小さなくしゃみをしたという。
自分の噂をされた様な違う様なその奇妙な感じに、レミリアは何度も首を傾げた。










だって、僕は『自分を信じている』もん。自分を信じて『本文』を書き続けていれば、後書きはいつか必ず書ける!

起きました。絵を飾りました。昔話をしました。要約するとこうなります。
どうも荒井です。今回まぁた伏線を張りました。ちゃんと回収するけどね。
ちょっとした伏線を皆様の頭の隅っこに入れて、そこが回収された時に、
「あれ?これってもしかしてあの時の?」と思わせる事が出来れば私は嬉しいです。

美鈴ってさ、太極拳を使うでしょ?それを調べてたら武当派というのを見つけましてね。
太極拳の他に八卦掌や形意拳なんかもある流派みたいですね。
美鈴をもっとカッコ良く描くなら、武侠小説を読むのは大事なんだろうなぁ……と思いました。
ただ、美鈴が最後に歌ったのは華山派の人達が歌ったものなんですけどねぇ。
……こんなネタ、分かる訳ないんだろうけどさ。

で、今まで第一章とか第二章とか題名を付けてましたが、今回からそれはちょっと外します。
いや、確かにこの作品続き物と言えば続き物なんですが、話の主な内容は全く別物。
だからそれぞれの話として読んでもらった方がいいかなと、そう考えての事です。
それでは!



[24323] 第三十八話 不意の訪問
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/12/04 21:02





その日の午後は曇り空で日の光は弱く、涼しい空気が流れていた。
そんな中、紅 美鈴は門の前で来客の応対をしていた。
折角来て貰った客人ではあったが、今の状況では招く事もままならない。
美鈴はそれらしい理由を申し訳なさそうに伝えて、その客人に帰ってもらう他なかった。


「………………という訳でして、今はちょっと都合が悪いんですよ」

「いや、こちらも不意の訪問だったのだ。そういう事も時にはあるだろう。
 気にする必要は無い。今回はそういう日だったというだけの話だったのだ」


幸いにこの客人はこの幻想郷では友好的な部類の者であった。
美鈴の説明を聞いても嫌な顔一つせずに願いを聞き入れてくれた。
残念だが仕方がないと了承してくれた知人の言葉は、美鈴にとってとてもありがたいものだった。
この客人の場合、巻き込まれて死ぬ事は決して無いだろうが、迷惑になるのは同じ事。
そうなる前に帰ってもらえる事に安堵したのだ。


「わざわざ来て頂いたのに、申し訳ありません。
 それと、お写真ありがとうございます。妹様に渡しておきますね。
 妹様、とっても楽しみにしていましたから」

「ふむ……ではまたいずれの機会にと、姫君達に伝えおいてほしい」

「はい、本当に何時もありがとうございます教授」


黒衣のインバネスコートを羽織った大男。教授と呼ばれた者はただ頷き、その場を去って行った。


「美鈴そろそろ休憩に……あら、御客さんだったの?」


それと入れ替わる様にして現れた咲夜は、門から離れていく者が居る事に気付いた。
少し離れてはしまってはいたが、大きな男のその背中はまだはっきりと見えていた。
恐らくは客だろうと思って尋ねてた咲夜に対し、美鈴は肯定する様に頷く。


「はい咲夜さん。教授が来てくれたんですよ」

「教授……ああ、そうだったの。そういえば、今日は曇りか。だからあの人来れたのね」

「ほら、今日も写真貰ったんですよ」


そう言って美鈴は教授から渡された封筒を開けた。
出て来たのは動物の、それも生まれて間もない赤子写真の束であった。
これらの写真は教授の動物研究の一環であるフィールドワークの際に撮られた物で、
自分達の為に時折こうして持ち込んで来てくれる事があったのだ。


「あー!咲夜さん見て下さいよこれ!この雛鳥!母親に餌をねだってる所なんか可愛いじゃないですか!」

「こっちは子犬の写真か………………うん、いいな」


可愛いは正義という言葉もある。
美鈴にとっても咲夜にとってもそれは同じらしく、何枚もの写真の中の愛らしい動物達を微笑ましそうに見ていた。


「いつも思うんだけど、よくこういう写真が撮れるものね」

「動物研究のついでにしては、結構凝った撮り方ですよね。
 あの人見た目は強面だけど、社交的だし面倒見も良い人ですよね」

「ただねー……あの人が来ると、動物の毛とかの掃除が大変なのよね」


吸血鬼異変の時からの知り合いの困った所に、咲夜はそう愚痴を漏らす。
確かに面倒見も良く、妹様の遊び相手にもなってもらった事も度々あり助かるのだが、
その時に彼が使役する使い魔(本人曰く厳密には違うらしいが)の毛やら羽やらが抜け落ちて掃除が大変なのだ。
それを美鈴もそれを思い出し、同意する様に苦笑して頷く。
そんな風に思われてる教授ではあったが、この紅魔館に訪れる者の中では礼儀正しい御客様に部類される。
普段なら不意の訪問であっても手厚く持て成すのだが、残念ながら今の状況ではそれは出来そうもない。


「妹様、残念がるだろうなぁ。教授の話を何時も楽しみにしてましたから」

「でも教授って……吸血鬼としては変わってるわよね。お嬢様達と同じくらいに」

「ははは……まあ、そうですね。あ、もう休憩でしたっけ?」

「ええそうよ。せっかくの写真、お嬢様達にも早く見せてあげましょうよ」

「はい。妹様、喜ぶだろうなぁ」


これを見た時のフランの顔を思い、ほくほく顔で言う美鈴に呆れながらも、咲夜も同じ様な事を考える。
取り敢えずあの子犬の写真はなんとか貰えないだろうかと、そんな事を考えもしてはいたが。










「お姉様見て見てッ!この子この子ッ!ころころしててすっごく可愛いッ!」

「そ、そうね……ま、まあまあ可愛いんじゃないかしら?」


早速貰った写真を見て無邪気にはしゃぎ喜ぶフランと、同じ様に喜びたいが姉の威厳が邪魔してそれが出来ずにもどかしいレミリア。
そんな二人を美鈴は微笑ましそうに見て、咲夜は写真の動物達よりも愛らしい目の前の存在に心を奪われていた。


「美鈴……幸せって、こういう事を言うのね」

「……咲夜さん?なんかちょっと危なく聞こえるのは私の考え過ぎなんですよね?」


最初の内は教授と会えなかった事に文句を言っていたフランであったが、写真を渡された時には大人しくなった。
今では渡されたその写真を姉と一緒に夢中になって見ていた。
動物の写真を楽しそうに眺める妹を羨ましく思いつつ、レミリアは小さな溜め息を吐く。


「教授には悪い事をしたわね。いつもだったら手厚く持て成したのに」

「私も教授に会いたかったなー。色んな動物たっくさん出してくれるのに」


同族の吸血鬼という事もあったのか、二人ともそれぞれ教授の事は気に入っていた。
レミリアは吸血鬼の先達として敬意を持ち、フランは親切で面倒見の良い親戚の叔父さんとして教授に懐いていた。


「あ、ところで美鈴?あの絵出したのよね?」

「え?ええ、見ましたか?」

「咲夜が描き足されてたわね。あれ、誰がやったの?」

「ああ、あれは紫さんが来て、それで描き足してくれたんですよ。
 こう、スキマを使ってちょいちょいちょいっとやってくれたんです」

「紫が?そりゃまたどうして?」

「ああー……それはですねー……」


美鈴はその時あった事を話した。紫がどういう理由で来たのかは、上手く伏せて誤魔化しはしたが。
あの絵がまだ未完成であった事。そしてその作者が最後に仕上げるはずだったと伝えた事。
それを知った紫が嬉しそうにして絵を完成させた事。それらの事を美鈴は話した。
そしてそれを聞かされたレミリアは、半ば呆れた表情になる。


「あのスキマ妖怪も、案外子供な所があるのねぇ」

「でも、あの絵をちゃんと仕上げてくれました。理由はどうあれ、私は感謝していますよ」

「まあ、それはそうなんだけどさ……」


紫の気持ちも分からなくはないと、レミリアは思った。
あの吸血鬼異変の時、結局レミリア自身もあの男にいい様に使われていた。
上手く利用するつもりがそれを見透かされ、あの男自身の目的の為に動かされた。
だからこそ紫の気持ちは、少しばかりではあるが分かるのだ。
ただ、紫と自分とでは違う部分がある。
それは紫はあの男を憎悪して嫌っているが、自分の場合は悔しいという想いから彼を嫌っていた。
忘れる事の出来ない、あの男が自分に見せた、あの最後の笑顔。
それを思い出すだけで悔しくなり、苛立ちが湧いて出て来る。
最後にあの顔を殴って、文句を言ってやる事が出来なかった。
それが出来なかったから――――――レミリアはサー・ファンタズマの事が嫌いだった。


「……そういえばあの絵、パチュリーと小悪魔も見たんだっけ」


話題を変えようと咄嗟に出て来たのはそんな言葉だった。
レミリアが飾られた絵を見たのは、パチュリーと小悪魔の二人と一緒の時だった
あの絵を見た時、パチュリーは照れながらも嬉しそうに笑っていた。
対して小悪魔は、他の方々を差し置いて一使い魔である自分が等と言って萎縮しながら、嬉しさのあまりに泣いてしまっていた。


「あの時の二人には、笑わせて貰ったわねぇ」


その二人は今現在、次の戦いに備えて準備をしていた。
紅魔館の周囲に張り巡らした対アサシン用の結界。侵入を探知するだけではなく、捕縛も可能な様に改良していたのだ。
もちろんそれで捕らえられるとは思ってはいない。しかし自分達が駆け付けるまでの時間稼ぎくらいにはなるはずだ。


「あの二人には無茶させっぱなしね」

「申し訳ありませんお嬢様。私の所為で」

「咲夜、もうそんな事言わないで。誰も貴女の所為だなんて思ってないんだから」


頭を下げる咲夜に気にするなと告げるレミリア。
あの二人もいざという時に動ける様に、そこまでの無茶はしないと言っていた。
だから咲夜がそこまで気にする必要は無いと、レミリアは続けた。


「あ……そういえば絵と言えば、お嬢様覚えていますか?」

「覚えてるって、美鈴何を?」

「吸血鬼異変を私達が起こす前に、その時居た皆さんで集合写真を撮ったじゃないですか?」


言われて、そんな事もあったなと思い出すレミリア。
吸血鬼異変の時に自分達の下に集まった者達と一緒に撮ったあの写真。
その時集まった面子は誰も彼もが一癖も二癖もある様な連中だった。
だがその力は確かに一騎当千と呼ぶに相応しい実力を備えており、性格の問題を考慮しても十分なものだった。

しかし、そんな実力者を揃えて挑んでなお、レミリアは負けた。
戦力は十分あると思っていた。この者達となら負ける事は無いと思っていた。
それでも負けたのは、結局の所レミリア自身の未熟の所為だったのかもしれない。
前に自分が負けたのは質が足りなかったからだと思ったが、それは自身への言い訳でしかなかったのかもしれない。
彼等は優秀な部下とは言えなかったが、頼りになる戦友ではあったのだから。


「教授もそうだけど、随分と灰汁の強い連中だったわね」

「まああの人が連れて来た人達ですからね。
 世界征服を目指した組織の残党とか、活きの良いゾンビの強盗団とか。それに他にも色々な方が居ましたねぇ」

「そうだったわねぇ……」


懐かしむ様に呟くレミリアはその顔を僅かなに哀愁で曇らせた。
あの時自分の下に集まった者達の多くは、あの異変の中で戦死した。
生き残った者達も居たが、行方不明になって姿をくらませたり敵前逃亡したり、異変後に捕らえられたりした。
その他の者の中で紅魔館に残った者は一人として居らず、時々教授の様にふらりと現れては話をするだけだった。


「あの時は久々に騒がしい紅魔館になったと、私も内心喜んだんだが……」

「みんな、居なくなっちゃいましたね。私はあの時は久々の活気で喜んだものですが」

「戦いで死んだ者達には、本当に悪い事をした。
 幻想郷征服の後も私に着いて来てくれると……そう言ってくれた者も居たのにな」


感謝すべきはその者達が自分を怨まなかった事だろう。
それどころか自分達に死に場所を与えてくれた事を、束の間の夢を見せてくれた事を感謝すると、そんな事まで言われてしまった。
だから貴女はそれを嘆く事も、後悔もしなくていい。むしろ自分達にそれを与えた事を誇ってほしいと、そう言ってくれた者がいた。
だがだからこそレミリアは思うのだ。もし幻想郷を征服する事が出来たのなら、あの者達にもっと良い夢を見せてやる事が出来たのに、と。


「私にお爺様やお父様の様な力があればと、何度も思ったよ。
 感謝すべきは私の方だ。あの時ああ言ってくれた御蔭で、私は苦しく後悔する事はないのだから」

「……そうですね」

「お姉様。美鈴。どうしたの?」


少しばかりくらい顔になっていた二人を心配そうに見詰めるフランに、レミリアは心配する事は無いと告げる。
今は出来る限りフランに心配を掛けたくはない。不安になり感情が揺れれば、フランは狂気によって暴走するかもしれない。
最近は随分と大人しくなったものだが、それでも安心は出来ない。
これは自分達の為というよりも、純粋にフランの為を想っての事だった。


「この写真、早くこいしちゃんやぬえちゃんにも見せたいなぁ」

「今は色々と込み入ってるから、また次の時にしときなさいね」


新しく加わった自分のコレクションを友人に見せたいと逸る妹を嗜めがら、レミリアは考える
あの時に撮った写真も、何処かに飾ってもいいかもしれないと。










休憩が終わって、美鈴と咲夜はそれぞれの持ち場に戻る最中であった。とはいえ、もう少しもすれば日暮れになる。
仕事も簡単なものしかせず、何時何が起こっても大丈夫な様に備えていなければならない。
その前に、咲夜は美鈴にある事を聞いておかなければならなかった。


「美鈴。今度もまた貴女が我が師と戦う事になるけど、その……大丈夫?
 あの時の戦いで我が師は更に貴女の動きを読んだと思うのよ」


今度また戦うとなれば、我が師は更に手強い相手になっているだろう。
あの戦いで紅魔館の者達がどの様に動くのか、我が師はそれを読み取ったはず。
それに相応の準備もして来るはずだ。今度こそ、自分達を殺す為に。
だが美鈴はそんな咲夜の不安を吹き飛ばす様に、ほがらかに笑う。


「大丈夫ですよ咲夜さん。私だって同じ様にあの人の動きを読みました。
 どれほどの動きをするのかは、あの時の戦いである程度は分かります。
 ただ……問題はあるんですよね」

「問題?」

「ほら言ってたじゃないですか。あの人の奥義ですよ。幻想隠形ザバーニーヤでしたっけ?
 それがどんなものか、実際に見てないから恐いんですよね……」


美鈴はその幻想隠形ザバーニーヤは自らの気配を周囲の気と同化させて、一種の透明人間になる様なものだと認識している。
それは美鈴の知る武術の奥義の一つである、圏境に近いものなのかもしれない。
その圏境を身に着けた者は美鈴が知るだけでも十人足らずしかおらず、そしてその全てが武神を名乗るに相応しい猛者であった。

かつては美鈴自身も圏境を習得しようと修練を重ねた事もあったが、ついにそれを手にする事は叶わなかった。
もちろん美鈴が未熟だった訳では決して無い。むしろ彼女自身とて最強を名乗るに相応しい力を身に着けている。
習得出来なかったのはただ単に美鈴自身の気質では習得出来なかった為だ。
美鈴の武は清流の静けさではなく、濁流の荒々しさの方が合っていたというだけの話だった。
幻想隠形ザバーニーヤなるものが実際にどの様な代物かは分からないが、圏境に匹敵するものと考えた方がよさそうだろう。


「あの人は強いです。戦ってみてそれがよく分かりました。
 暗殺なんてしないで普通に正面から戦っても……自惚れに聞こえるかもしれませんが、私と渡り合えた」

「私はその事にも驚いてるのよね。いくら我が師とはいえ、美鈴と互角に戦えるなんて無理だと思ったのよ。
 ああも見事に貴女の動きを見切る事が出来たのを見た時は、本当に驚いたわ」

「次は私も相手の動きが見えてくるでしょうから……咲夜さんのご期待に応えられると思いますよ」


次に戦う時が来たならば、美鈴にはあのアサシンを捕らえる事が出来ると自信していた。
それを盤石にする為にも、美鈴は咲夜に尋ねる。


「そういえば咲夜さん。咲夜さんはその幻想隠形ザバーニーヤを習った事はあるんですか?」

「そりゃ……取り敢えず教えて貰った事はあるけど」

「もしその業を使われても、事前に少しでも知っていればなんとか対処する事が出来るかもしれません」

「……それは、どうかしら?」


美鈴の言葉に、咲夜は顔を曇らせる。
確かに自分はあの人の様になりたいとの思いから幻想隠形ザバーニーヤを教えを受けた事はある。
しかし奥義をそう簡単に習得出来る訳はずもなく、隠形の術の腕がそれ以前とは桁違いに上がったくらいにしかならなかった。
だがあの人の奥義には程遠く、足元にも届いていないと、咲夜は思い知らされたのだ。

美鈴の実力を疑う訳でないが、一度あれを使われたら見つける事はまず不可能だ。
一度使われれば自分達に勝ち目は無い。だからそうなる前に見つける必要があるのだ。
とてもではないが、対処出来るとは思えなかった。


幻想隠形ザバーニーヤを使われたら確実に殺されるわ。
 あの人の側でそれを見てきた私が言うのだから、まず間違い無いわ」

「どの様な攻撃をしようとも、空気に触れずには行えません。動く時に必ず空気は割れ、振るえるものです。
 中国の拳法は、それを「聴く」為に数百年を掛けてきました。それはその業も同じはずです。
 だから咲夜さん、お願いします。少しでもいいので教えては貰えませんでしょうか?」


真っ直ぐな眼差しを向けて、美鈴は力強く語った。
そんな美鈴の言葉を聞かされて、咲夜はもしかしたらと、そんな事を考える。


「………………一応は教えとくわ。もちろん出される前に見つける方がいいのだけど」

「ありがとうございます咲夜さん」

「じゃあ、言うよりもやって見せた方がいいわね。美鈴、少しの間私を見ないで」

「分かりました」


そう言うと、美鈴は咲夜から目を離した。
そして咲夜は、彼女はかつて師から教えて貰った事を思い返す。
呼吸の仕方を。歩法のやり方を。心構えを思い返す。そしてそれは自身でも驚く程簡単に思い出す事が出来た。
だが彼女はそれは当然だとも思えた。なにしろこの呼吸の仕方と歩法に、自分は数年の年月を費やしたのだから。
毎日毎日。繰り返し繰り返し繰り返し……繰り返し続けたのだ。
そう、思い出すのは簡単な事だった。少し意識すれば、それだけで十分だった。
何故ならそれは自分の根幹を構成する基本的なものだったからだ。
自然と、呼吸が落ち着いてくる。頭の中がスッキリと澄み渡るのが分かる。
美鈴の方を見ると、彼女は自分に背中を向けている。
ではどうしようかと思った瞬間には、彼女は美鈴の背中を触れようと手を伸ばし――――――


「……………ッ!?」


驚く美鈴に、その手を捕らえられた。美鈴の顔には、一筋の冷や汗がジワリと浮かび流れていた。
あと刹那程の時があれば、背中に触れる事が出来ただろうその手を美鈴は緊張した面持ちで見詰める。
一方咲夜は、捕らえられた自分の手を黙ったまま静かに見て、数秒置いて溜め息を吐いた。


「ふぅ……私じゃやっぱり駄目ね。後ろを取ってこれじゃあね」

「そんな事はありませんよ。まさかこれ程とは思いませんでした」


何かする事は分かっていたから、美鈴は意識して耳を澄ましていた。
特に意識して聴いていたのは、咲夜の呼吸だった。
最初はただ深呼吸を繰り返すだけだったそれは段々と小さくなっていき、ついには聴こえなくなった。
聴こえなくなったと同時に、今まで後ろに居たはずの咲夜の気配が完全に消えていた。
時間を停止して何処か遠くへ行ってしまったかと錯覚してしまった程だ。
そうでないと分かったのは、自身の手で咲夜の手を反射的に掴んだ時だった。


「……随分と、ゆっくりとした動きでしたね」


美鈴が聴き取る事が出来た音は、咲夜の手の動きによって僅かに揺れた空気の音だけだった。
その音が聴こえたのも、咲夜の手がいよいよ美鈴に触れようとした時のみだけで、それまで一切何も聴こえなかった。
そんな美鈴の感想に咲夜は頷き答える。


「まあ、確かにそうね。当たり前だけど、我が師はこれよりもずっと速く動けるわ。
 それに目の前に居たとしても気付く事は無いでしょうね。だからはっきり言って、私のこれは参考にしない方がいいわ美鈴。
 私のこれは我が師の足元にも届かない未完成な代物でしかない。こんな出来じゃ、実際には使い物になんてならないもの」


これくらいの芸当なら、教団の玄人のアサシンならば誰でも可能な事であり、自慢する様なものではない。
多くの者がこの奥義を習得しようと苦心して修練に修練を重ね、研鑽の日々を送った。
二人の兄と、自分を可愛がった姉はもちろん、それ以前のアサシンの先達も同じ事をした。
それでも誰一人として我が師と同じ域に達する事は叶わず、多くの者が挫折した。そして思い知らされるのだ。
これを実践する事が出来る自分達の長が、どれほど恐ろしい存在なのかを。


「これで分かった?対処なんて出来ないって事が?」


その言葉に、美鈴はただ黙って頷く事しか出来なかった。
未完成のものでこれでは、完成ものはどれほどのものか。想像するだけでも、恐ろしくなってしまう。


「貴女が幻想隠形ザバーニーヤを見る……いえ実感出来るとすれば、それは貴女が死ぬ時だけでしょうね。
 もしかしたら、自分が死んだ事も気付かない内に全ては終わってるかもしれない。
 人を殺すには、一撃あれば十分。それを確実に決める事が出来ればそれでいいってのが、我が師の考えよ。
 幻想隠形ザバーニーヤはその必殺の一撃を相手に気取られる事無く与える為の方法。
 誰もこの業を見破る事は決して叶わないわ」

「二の打ちは要らず、一つあれば事足りる……って訳ですか」

「だからもしこの業を破る事が出来るとすれば……それは我が師以外には居ないでしょうね」


話はそれでお終いと、咲夜は美鈴と別れ自分の準備の為に戻って行った。
残された美鈴は一人、自分の拳を見詰めていた。










外はもう暗くなり、夜を迎えようとしていた。
美鈴はいつも居る門の前ではなく、屋敷の入り口の前で一人立っていた。
冷たい風が吹く中で、美鈴は先ほどの事を思い出していた。

ゆっくりとした空気の流れる音の中を、咲夜の手は極力乱さない様にして動いていた。
あまりに穏やかだった、あの音。それはほぼ完全に周囲に溶け込み違和感が無く、それが自然だと錯覚してしまいそうな程だった。


「正直なんとか出来るなんて考えて、自惚れていたのかもしれませんね……私」


まだ見ぬ相手の奥義がどんなものか期待して、それを見てみたいと、心の何処かで思っていたのだろう。
そして出来るならそれを打ち破ってみたいと、そんな事を考えてしまっていたのだ。


「……お前の悪い癖だ、紅 美鈴。これじゃあ昔と同じ事をしそうじゃないの」


自分自身に言い聞かせるように、美鈴は呟く。
そんな事を考えていてはまた数百年前と同じ様に、また自分はアサシンという存在に敗れてしまう。
自分の、最愛の家族を殺されてしまう。一武闘家として挑み死ぬという事は出来ないのだと、強く言い聞かせる。


「一人で挑もうと思うな紅 美鈴。私達は必ず勝たなければいけないんだ。勝手は許されない。そんな事をしてはいけないんだ」


重ねて美鈴は自分に言い聞かせる。
咲夜の言う通り、幻想隠形ザバーニーヤを出させる前に相手を見つけて対処した方がいい。
今度の結界は更にパチュリーが改良を施したものになっている。
一度相手が侵入すればただ自分達に知らせるだけでなく、捕縛用のトラップも発動する様になっている。
それで捕らえられるとは思えないが、自分達が来るまでの時間稼ぎくらいにはなるだろう。
だから無暗に戦う必要は無いのだと、何度も何度も言い聞かせる。

しかしその心の底では、どうしても一戦交えたいという想いが消えてくれなかった。
自分の武を全力でぶつけられる相手がこの闇の中に居る。それを思うと居ても立ってもいられなくなるのだ。
あのアサシンの奥義を破る事が出来るかどうか、自分を試してみたいという衝動は消えなかったのだ。


「まったく……我ながら厄介な性質にだわ……」


自身の性分に呆れながら、美鈴は目の前の闇を見る。月も昇り始めており、庭の木々の影が付き従う様に長く伸びて来ている。
もうすぐあの者が来る。その時が来たらこの気持ちを相手に存分にぶつけよう。眼前の闇を見詰めながら、美鈴は結論した。
こちらが全力で挑んだとしても、そう簡単に死ぬ様な相手ではない。
こうしてごちゃごちゃと考えるよりその時が来れば――――――








――――――トスっと、小さな音が聴こえた。










「ん……なに……?」


唐突に聞こえたその音に、美鈴は何だろうと思って音のした方へと目を向ける。
音は確か――――――自分の胸元から聴こえたはずだ。
目を向けるが、特にどうもなってはいない。ただ少し目の前が暗くなっているのを除いては。


(あれ……おかしいな?月が出てるから少しは明るいはずなのに?)


空を見上げれば、まだ月は低い位置にあったが、周囲を十分に明るく照らしていた。
なのにどうして自分の目の前だけがこうも見え難いのか、美鈴には分からなかった。
明らかに何かがおかしいと気付いた時に、美鈴は自身の異変に気付く。
音の聴こえた辺りが――――――心臓の辺りが妙に冷たいのだ。


「へ……なん……え……?」


なんでと、そう声に出そうとしたのに、その声は上手く出て来なかった。
改めて自分の胸を見てみると、どういう訳か――――――何か鋭利な物が自分の胸に突き刺さっていた。
先程までは何も無かったのに、どうしてそんな物が自分の胸に突き刺さっているのか。
よくよく目を凝らして見てみれば、その鋭利な物は細く鋭い、針の様な直剣である事が分かる。
それと同時に心臓が妙に冷たい理由も分かった。この冷たさはこの剣の刃の冷たさなのだと。

その剣先からゆっくりと目を動かして確かめていけば、美鈴の目にぼんやりとした闇が見えた。
だがどうした事か、闇は段々と手の、腕の形に見え始めた。
そしてはっきりと見えた。薬指の欠けた左手が、闇から変じて現れたのだ。
混乱しながら視線を更に動かせば、今まで何も無かった目の前の空間に――――――ある者が居た。


「あ……あ……ア……」


夜の闇と同じ色の黒衣を纏うその姿には、確かに見覚えがあった。
だがどうしてこの者が自分の目の前に居るのか、全く理解出来なかった。
混乱の極みに達した美鈴は、それでも声にならない声でその者の名前を口にした。
ただ一言――――――










「ア……アサ……シン……ッ!?」

「――――――まず一人」


目の前の闇は――――――アサシンは静かに呟いた。










――――――後書き。

ああ……やっと、ええ。どうも荒井スミスです
この話ももうすぐ終われそうです。その兆しがやっと見え始めました。
もうすぐ終わらせる為に、今回は少し急ぐ感じになりました。

そして最後の最後でやっと、私はやりたかった事が出来ました。
あのシーンをやりたくてやりたくて……どれだけッ!この時を待った事かッ!
そう、私はこれをッ!これこそをやりたかったッ!
……いや、色々と言いたい事は分かりますよ?分かりますがね。

久々に出て来た主人公の活躍。どうだったでしょうか?
最初に言っておきますが、彼は失敗してません。バッチリ成功しています。
奇跡も起こりません。助っ人も出て来ません。当たり前の事ですが、美鈴が生き返る事も当然ありません。
何があろうと、この結果は変わりません。変えるつもりもありません。

次回は、ずっとアサシンのターンです。色々と伏線を回収していきたいと思います。
それでは。



[24323] 第三十九話 幻想隠形
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/12/05 23:55





アサシンが美鈴の胸を貫いた剣――――――アサシンブレードを引き抜くと同時に、美鈴は力を失いその場に崩れ落ちる。
引き抜かれた剣の刃の部分には血糊は一切付着しておらず、アサシンの技量がいかほどの物かを悠然と物語っていた。
それを見届けた後に、アサシンは左腕に装着した籠手に仕込まれたアサシンブレードの刃を戻した。

一方倒れた美鈴の方は――――――まだ生きていた。
もう既に体を動かす事はほとんど出来ず、僅かに首から上が動くだけだったが、それでもまだ生きていた。
自分の体の奥深くを貫いた冷たい刃がゆっくりと引き抜かれる感触を味わった瞬間に、美鈴はやっと理解した。
自分はこのアサシンの刃に刺されたのだという事を。


「あ……ああ……く……」


石畳の冷たい感触が倒れた体に迫って来る。
夜風の冷たい感触が動かない体を包んでいる。
だがそれよりも冷たいのは、自分の胸に今でも残っている剣の冷たさだった。

一切動かない体ではあるが、呼吸は問題無く行われている。
そして思考も、美鈴自身も驚く程はっきりと働かせる事が出来る。
だが痛みは一切、何も、感じる事が出来なかった。
それが分かった時に美鈴は今まで感じた事も無い程に、自分に死が近づいている事を悟った。


「そんな……どうして……?」


やっと口に出来たのは、どうしてという疑問の問いだった。
どうして目の前にこのアサシンが現れたのか?
どうしてパチュリーの結界に探知されなかったのか?
疑問は後から後から、次々に浮かんで来る。


「まだ意識があるか」


目の前の死が、美鈴の言葉に答えた。
そしてその場でしゃがみ、倒れた美鈴を片手でゆっくりと抱き起す。


「普通ならすぐにでも眠るのだがな。さすがと言うべきかな闘士よ?」


とてもではないがその言葉は、今自分が剣で刺した者に向けるものではなかった。
あまりにも場違いだと思える程に静かに、アサシンは穏やかに語り掛ける。


「前に二度も我が弟子から聞いたであろう?これが我が唯一無二の奥義。幻想隠形ザバーニーヤだ。
 お前は今の今までこの私をずっと直視していたのだ。お互いに、目も合った」


それを聞いた美鈴は言葉を失い、ただ驚くしかなかった。
ずっとこの男を見ていた?そんな馬鹿な。目の前には確かに誰も居なかったのだ。
何もおかしい所は無かった。違和感なんて何も感じなかった。感じる事が出来なかった。
何も見えなかった。何も聞こえなかった。何も匂わなかった。
自分は確かに“何も無い空間”を見ていたはずなのに、そこにこのアサシンが居たとは今でも信じられない。


(これがこのアサシンの、奥義なのか……ッ!?まさか、これほどとは……ッ!)

「我が弟子の未熟なあの業では、想像する事も出来るはずもなし。闘士よ。少しばかり判断が浅慮過ぎたな」


確かにその通りだと歯噛みする美鈴は、その時になってやっとアサシンの言動がおかしい事に気付いた。


――――――前に二度も――――――我が弟子の未熟なあの業では……


おかしい。明らかにおかしい。確かにこの奥義の説明を咲夜から二度聞いた。
そして咲夜からこの業の一旦を知る事もした。だが――――――どうしてそれをこの男が知っているのだッ!?
その言葉はその事実を知らなければ言えない言葉のはずだ。それがどうしてこの男は言えるのだッ!?


「気付いた様だな闘士よ。なに簡単な事だ。
 私はあのお前達との最初の出会いの時から既に、今日までずっと――――――この館に潜んでいたというだけだ」

「最初の……ま、さか……ッ!?」


アサシンの驚くべきその言葉に、美鈴は驚くほかなかった。
つまりこのアサシンは、最初に侵入して戦闘した後に紅魔館から逃走したのではなく、この紅魔館に今までずっと隠れ潜んでいたのだ。

だがそうなるとどうしても分からない事がある。
ずっと隠れ潜んでいたのなら、この暗殺者の奥義を用いて自分達を暗殺する事が出来たはずだ。
なのに、どうしてそれを行わなかったのか?
その疑問に答える様に、アサシンは口を開いた。


「確かに我が奥義を用いて殺す事は出来たやもしれぬ。それをしなかったのは幾つか理由がある。
 もし私が最初の逃走からすぐにお前達の誰かを黙らせたのなら、あの時は完全に警戒していたお前達だ。
 私が館に潜む事に気付き、私の知らぬなんらかの手段でそれを伝え、警戒していた……かもしれぬ。
 私はお前達の手の内が分からなかった。だからそれが出来なかったのだ。
 お前から負わされた傷を癒さねばならなかったというのも理由の一つではあるがな」


つまり殺さなかったのではなく、殺せなかったという事だったのかと、美鈴は理解した。
このアサシンは自分達がどんな力を持っているか、最初は把握出来ていなかった。
誰かが殺されたらすぐに別の誰かにそれが伝わる手段を自分達が持っているかもしれないと警戒していたのだ。
勿論そんな手段は自分達は持っていないが、アサシンはそれを知らなかった。
だがこの暗殺者はそれがあるかもしれないと、そう仮定して行動した。
もしかしたらこのアサシンはそれ以外の事も警戒していたのかもしれない。
あまりに用心深いその判断に、美鈴は言葉が出なかった。


「二つ目はお前達の日常を見て、動き、呼吸、癖に思考を詳しく学び覚える為だ。
 二度目の戦いの時。本来の私の力では、正面から戦えばお前に拮抗し対峙する事は叶わない。
 そしてお前が我が弟子と共に戦えば確実に私はお前達に捕らえられていただろう。
 曲がりなりにもそれが出来たのは、お前達を常に観察していたからだ」


アサシンは相手の動きを覚えて、確実に殺すと咲夜は言っていた。
だがその時は確かこうも言っていた。「いくらなんでも動きを把握し過ぎている」と。
その答えは簡単だった。この暗殺者は戦いの中の自分達だけではなく、普段の自分達も観察していたのだ。
だから咲夜の言う異常な先読みを行う事が出来たのだ。


「けどそれだけじゃ……殺さなかった理由には」

「二度目のあの戦いは必要なものだった。お前達が館の周囲に張り巡らした、あの結界。
 あれをわざと発動させればお前達は確実に「私は紅魔館の外から来ている」と思い込む事だろう。
 傷が癒えたこの体がどれだけ動けるかも試さねばならなかったのもあった。
 そして、この三度目だ。お前達は完全に油断してくれた。御蔭で私の目的を邪魔されずに済む」


二度目のあの戦い。それはつまりこの時の為の布石だったのだ。
結界がある限り自分達はこのアサシンを発見する事が出来る。
そう思い込まされ安堵しきった所を、この暗殺者はこうして狙って来た。
この三度目の襲撃を確実に遂行する為に、このアサシンはわざと二度の戦いを行ったのだ


「そもそも私の幻想隠形ザバーニーヤはどの様な知覚・探索機器を用いても認識する事は出来ぬ。
 それはあの結界も同様。我が弟子には全てを伝えていた訳ではなかったが……それがまさかこの様な形で役立つとはな」

「けど、それでも……刺された事にすら気付かないなんて」

「どの様な者にも気を抜く瞬間というものはある。それはお前も、この私も例外ではない。
 お前がどの様な時に、どの様な瞬間に気を抜くのか。私はそれも覚えたのだ。
 だが、それだけではまだ不十分かもしれぬ場合は――――――」


言葉を一旦止めたアサシンの姿が、ぼやけて崩れた。
一体何事かと思った瞬間に改めて現れたのは――――――


「こうして自分の気配を変えて“我が弟子”の姿になって、貴女を刺したわ」


この紅魔館のメイド長である、十六夜 咲夜の姿であった。


「そんな……ッ!?」


声を上げて更に驚く美鈴。
服装こそ違うが、その姿とその声、そして感じ取れる気の流れは間違い無く咲夜本人のものだった。
違うと分かっていても、一瞬本物の咲夜かと見間違える程に、アサシンの姿は変わっていた。


「いくらなんでも……ありえない……そんな……」

「忘れたの美鈴?“私”は元々名も無き暗殺者だった。けどそれ以前は、何も無い生きてるだけの一人の人間だった。
 そんな“私”に人間としての基本を教えたのは―――――」


また姿がぼやけて、そして現れたのは――――――


「この――――――“私”なのだ」


先程と同じ顔と声をした、アサシンであった。


「隠形とは、ただ隠れるだけではない。時には姿形を偽り侵入する事もある。
 もっともここまで上手くいくのは、あれが私の弟子だからだがな。
 いくら年月が経とうとも、あれの根本は私が叩き込んだ教えが今も根付いている。
 少し変わりはしたがな、観察すればそれがどの様なものか理解する事は容易い。
 どの様な変化があろうとも、あれは我が弟子――――――我が分身なのだ」


弟子は師の分身とも言えると、そう聞いた事がある。
それをまさかこの様に利用する事が出来る者が存在しているとは……


「さて……お前に与えられた傷は十分に癒えた。だから私はその時が来たと判断し、こうして私は行動したのだ」


そこまで彼の言葉を聞いた時、美鈴の意識が霞み始めた。


「さすがに眠り始めたか。なに、心配する事は無い」


心配する事は無い?それは一体どういう……


「この私が約束しよう。お前の家族は誰一人として欠けさせる事はしないと」


欠けさせる事は、しない?それは、つまり――――――全員殺すという事か?


「次にお前が目にする者は恐らく――――――お前の娘の顔かもしれぬな」


お前の娘……フランの事か?それは、フランドールの事を言っているのか?
そう気付いた瞬間になってやっと美鈴はこのアサシンに、そして自身に迫る死に心の底から恐怖した。
恐怖した瞬間に、美鈴自身も気付かぬ内に、その目には涙が溢れていた。
溢れ出たのは涙だけではなかった。頭の中から声にならぬ悲鳴が次々と溢れ出て来た。

駄目だ……そんな事は駄目だ。絶対に駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だッ!
あの子は私が守ると決めたんだ。あの子は私の子なんだ。私の娘なんだッ!
フラン。ああフラン。私の可愛いフランドール。私はあの子の母親だから守らなくちゃいけないんだ。
約束したんだ守ると。私は守ると誓ったんだ。みんなを守ると、私は。
フランドールを、レミリアを、咲夜をパチュリーを小悪魔を、守らなければいけないのに……ッ!
もう形振り構ってはいられない。この男はこの場で殺さなければならない。
そうしなければ皆が殺されてしまう。そんなのは嫌だ――――――絶対に嫌だッ!


「………………ほう?」


美鈴の顔を見たアサシンは、静かにそれだけを呟いた。
それはそのアサシンが今まで見た事の無い――――――いや、この紅魔館の者が誰一人として見た事の無い顔であった。
それは逆鱗に触れられた竜が見せる怒りの形相であった。
それは我が子の命を守ろうと涙する母親の表情であった。


「まだ意識を保つか。……お前がこの館で一番強いのは、何も年長者というだけではない。
 真に恐るべきは子を想う母の情、か。それがあるからこそ、お前は強いのだろう。この私以上にな」


その言葉を無視してなんとかして体を動かそうとするが、美鈴の体はその意思に反してピクリとも動かない。
腕は力が入らずにだらりと垂れ下がり、足も同様に力無く倒れている。
気を練る事も一切出来なかった。そもそも力が湧き上がって来ない。まるで完全に抜け出てしまった様だった。
ほんの少しでもいいから動いてくれと、涙を流して祈るが、その願いは叶えられる事はなかった。


「だからこそ、一番にお前に退場してもらうのはありがたい。
 紅 美鈴。お前が私の目的を達成する中で一番の難問だった。さて……そろそろか」


その言葉と同時に、急激に意識に掛かる靄が濃くなってゆく。
もう目の前のアサシンの顔も、輪郭も見えなくなっていく。
自身の呼吸音も、鼓動の音も段々と小さくなり聞こえなくなっていく。


「それと、今回の件とは関係は無いが、あれはもう数百年も前の事だ。
 かつてお前によって片腕を奪われたアサシンが居たのだが……あれは私の兄でな。
 若かった私はその時には激怒したものだが、今は怨んではいない。だがそれでもやはり、思う所はあるらしい。
 私自身、実に未熟なとは思うのだがな……お前に対するこの幼稚な嫌がらせは、つまりはそういう理由なのだ。
 済まんな闘士よ」


聞こえなくても構わないとばかりに、アサシンはそんな事を美鈴に伝える。
だが美鈴は彼のその言葉は一切聞こえてはいなかった。頭の中の恐怖の悲鳴で、何も聞こえなかったのだ。


「い……や……嫌ぁ……」


……嫌だ。嫌、そんな、駄目。みんなを、守らなくちゃ。フランを、フランを。
死ぬのか?これで、死?嫌だ、そんなだって、駄目だ駄目駄目駄目。
死んだら、守れない。あの子が、死んじゃう。そんな嫌だ……そんなの嫌だッ!
ああ、待ってそんな。こんな所で死ぬ訳には。だから、死ぬのは嫌だ。
あの子が、フランが、嫌だ嫌だ嫌だ嫌、だ……そんな……嫌……死ぬの、は……嫌ぁ……


「死にたく……ない……」


もう何も見えぬ目から涙を流しながら、やっと思いで吐き出されたその言葉。
その彼女の言葉に、アサシンは静かに、穏やかに答えた。









「真実は無く、許されぬ事も無い――――――眠れ、安らかに」


その言葉を最後に、美鈴の意識は完全に闇に沈んだ。










紅魔館の誇る大図書館の中で、パチュリー・ノーレッジは静かにあのアサシンが来るのを待っていた。
結界が反応すればすぐにでも駆け付ける事がいつでも出来る様に準備もしている。
今度こそ確実にあのアサシンを捕らえる事が出来ると――――――真実を知らないパチュリーは思い込んでいた。
もう既にかの暗殺者はこの館に侵入しているなどとは夢にも思うまい。今の彼女は完全に油断していた。
そんな事など露知らず、パチュリーは一人溜め息を吐く。


「ふぅ……もうこんな夜ともお別れね。まあ、今夜相手がくればの話なんだけど」


落ち着く事が出来ない彼女は、うろうろと図書館の中を彷徨い歩いていた。
気を紛らわそうと適当に本を取ってその中を見るのだが、その内容は見ずにただ文字の羅列だけを眺めるだけ。
頭に内容はほとんど入って来ない事に我ながら呆れ本を元の場所に直し、また彷徨い歩く。
ずっとそんな行為を繰り返していた彼女は、さすがに自分の行為に飽きてきた。


「何かこう、気分を落ち着かせる物ってないかしら……ん?」


パチュリーはその時ある異変を、文字通りにその鼻で嗅ぎ取った。


「この匂い……あのアロマキャンドルよね?」


パチュリーが嗅ぎ取ったのは、昨日の昼に使用したアロマキャンドルの匂いだった。
一体誰が火を灯したのかと疑問に思った時に、落ち着かずにうろうろしていた小悪魔に心配された事を思い出す。
きっとこれは少しでも気を紛らわそうとの小悪魔の配慮だろう。
ほんの少し嗅いだだけなのに、自分でも驚く程に気が楽になった。


「取り敢えず、あの子にお礼の一つでも言っておくか」


そして匂いのする方へと、パチュリーは足を向けた。
少ししてすぐに、パチュリーは小悪魔を見つけた。
青いアロマキャンドルの光に照らされて、小悪魔は机に体を預けて倒れていた。恐らく疲れて眠っているのだろう。

小悪魔は結界の改良の時に大いに働いてくれた。
それがこの匂いを嗅いでだ瞬間に一気に出て来て、そのまま眠ってしまったのだろう。
だがこのままうすら寒いこの図書館で眠っていては風邪を引いてしまうかもしれない。
何か上に掛けておこうと思った時に、パチュリーはある事に気付く。


「あら?この子ったら、アロマキャンドルにこんなに火を点けて……」


机の上で火の点いたアロマキャンドルは十本以上もあった。
こんなに点けなくてもいいのにと思いながらも、その香りを堪能する。
実に落ち着く匂いだ。なんだか幼子に戻り母親に抱かれた様な安堵感で満たされる気持ちになる。
さっきまではみっともないくらいに落ち着かなかったのに、今ではこんなにも――――――


「少しは落ち着いたかな、七曜の魔女よ?」

「ええ、もう十分にね」

「それはなによりだ」

「………………?」


今自分は誰に声を掛けられ返事をしたのだろう?
聞き慣れない声だったが、つい最近聞いた事があるような……?
そう思い声のした方向に、自分のすぐ右上の方へと目を向ける。
そこには黒衣を纏ったあのアサシンが、自分を見下ろす様にして立っていた。


「え?あれ?……どうして貴方が此処に居るのよ?」

「手短に言うとだ。私は最初からこの館に潜伏していた」

「何よそれ?それじゃ私のあの苦労は一体……あれ?」


何かがおかしいと、そこでやっとパチュリーは“自分の異変”に気付いた。
すぐ目の前にアサシンが居るというのにどうして自分は――――――こんなにも落ち着いているのだろうか?


「貴方……私に何かしたの?」

「あれだ」


アサシンの指差す方へ目を向けると、そこにはあのアロマキャンドルがあった。


「あれは私が用意した物の一つでな。心を鎮める効果がある。
 だがこうして匂いがきつ過ぎてそれを嗅いでしまうと、今のお前の様に危機感という物が欠けてしまう」

「それじゃあこの蝋燭は貴方が仕組んだ物なの?」

「そういう事だ」


淡々と答えるアサシンを見ても、パチュリーは言われた通りに危機感というものが完全に欠けていた。
目の前に恐るべき敵が居るというのに、恐怖も何も感じる事が出来なかった。
変わってくれる事の無い自身が感じるこの異常な安堵感に支配され、それを驚く事も出来なかった。


「貴方は、なんともないの?」

「慣れている。いや、この匂いではなく感情にな。元々これはテレサ……私の弟子の一人が造った代物でな。
 擬似的に私と同じ私と同じ心境になろうとして、工夫を凝らした結果がこの蝋燭だ。
 麻薬の類ではないが、その効果は御覧の通りだ。耐性が無いとお前の様になる」


どうするべきか、パチュリーは判断出来なかった。
ただ混乱しているだけではない。そもそも混乱という程慌てる事が出来ないのだ。
別に判断力が落ちている訳では無い。ただこの状況が自分にとって致命的なものだと思えないのだ。
本来なら防御なり攻撃なりすぐにでも行動出来るのに、それが出来なかった。
いや、今からでも遅くない。取り敢えずは防御結界の展開を――――――










「自らの従者と共に――――――眠れ、安らかに」


その言葉を聞いた瞬間に、パチュリーの意識は断絶した。










紅魔館の地下。フランドール・スカーレットの自室へと、アサシンは向かっていた。
その歩みは何の迷いも感じられず、歩き慣れている様にすら見えた。
長い地下の通路を通り、そしてついにアサシンは大きく頑丈な扉の前へと立った。


「………………」


黙したまま見詰めるその扉こそが、フランドール・スカーレットの自室の扉だった。
普段は中の存在を閉じ込める為の存在の分厚い扉は、侵入者を拒む様に立ちはだかっていた。
その扉に、アサシンは手を伸ばした。取っ手を掴みゆっくりと扉を引いて開いていく。
その時に、僅かにだが音がした。その音を聞いたのは扉を開いたアサシン本人と――――――


「――――――誰?」


自分の部屋に入って来た者に問いを投げ掛ける――――――フランドール・スカーレットだけだった。
アサシンは部屋に入り自分に何者なのかと問うフランドールに向かって静かに、穏やかに告げる。










「もうすぐ終わる――――――フランドール・スカーレット」


その言葉と同時に、分厚い扉は音を立てて閉じた。










\アットガーキ/

はーい後書き、はっじめーるよー!
てな感じでども、荒井スミスです。

前回の後書きでも言いましたが、絶対に復活なんかしないしさせないからねッ!
それは絶対に絶対なんだトカッ!

次々と脱落していく紅魔館メンバー。
一人、また一人とアサシンによって退場させられていく。
こういうとあれだけど、私すっごく楽しいよ。すっごく楽しいよ。
ただ小悪魔には申し訳無い事をした。殺されるシーンを書く事が出来なかった。
でもあんまり長くなるのもあれなんで、カットしました。
カットカットカットカットォッ!しました。

よし……次も頑張ろう。どんどん行くよ?ガンガン行くよ?
いやぁ、俺って本当に酷い奴だよ。こんな事して、今すっごく輝いてるって思えるもの。
そんじゃまあ、感想とか楽しみにしてますので。
それでは!



[24323] 第四十話 燃え上がる紅
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/12/06 22:56





レミリア・スカーレットは一人、紅魔館の屋上で夜空に浮かぶ月を眺めていた。
レミリアには分かるのだ。この小さな異変の全てが今日終わる事を。
今回の運命にあのアサシンが関わっている所為か、未だに運命の先を読む事は出来ない。
では何故そんな事が分かるのかと言えば、それはただの勘でしかなかった。
だが彼女にはそれだけで十分だった。それだけで十分だったからこそ、レミリアはこの場所に居たのだ。
自分があの日、咲夜と出会ったこの場所。
この場所こそが全ての、自分達の運命の始まりであると、レミリアはそう思ったのだ。
ならば全てが終わる今日。自分は此処で待つべきだなのだろうと思い、レミリアは待ち構えていた。

今のレミリアは心身共に高揚していた。この様な気持ちさせる者は、自身の生涯で四人しか居ない。
一人目は自分の愛すべき従者である十六夜 咲夜。
あの始まりの夜に自分達は出会い、命を懸けて死闘を繰り広げた。
戦いに喜びを見出す事はそれ以前にもあった。だが彼女との戦いは何もかもが新鮮だった。
愛しいと思える敵の存在に初めて出会う事が遂に出来た、運命の夜。
今ではその敵は自身の誇るべき従者として仕えている。
それはレミリアにとって最高の喜びだった。

二人目はかつての吸血鬼異変の時に自分を下した先代の博麗の巫女。
自分の野望を、覇道の始まりを阻んだ恐るべき敵。
全身全霊を掛けて戦った。自身の持てる全ての力をぶつけて、戦って、そして敗れた。
絶対に負けられないと、負けてたまるかと、闘志を燃え上がらせて戦った。
初めての事だった。あんなにも誰かに負けたくないと、ただあいつに勝ちたいという意思を燃え上がらせた相手は彼女が初めてだった。
その最高の敵は、もうこの世には居ない。もう戦う事が出来ない。もう勝つ事が出来ない。
絶対に勝ちたかった相手に死なれた時。レミリアは悔しさのあまりに涙を流した。

三人目は今のこの幻想郷という楽園の巫女である博麗 霊夢。
スペルカードという、言うなればでしかなかったお遊びの勝負。
自分が起こした二度目の異変である紅霧異変。あの時は異変解決の為に霊夢を含む三人の少女達が動いた。
そして霊夢とスペルカードで勝負した。彼女とのその勝負は、本当に楽しかった。純粋に楽しいと思えて戦う事が出来た。
こういう戦い方もあるのかと感心したがそれ以上に、自分は霊夢という少女に惹かれた。
命を懸けて戦う訳でもなく、だがそれでも楽しむ事が出来る事を教えてくれた彼女の事をレミリアは気に入っていた。

この三人には、レミリアはそれぞれの感情を抱いていた。
咲夜には愛しいという想いを。先代の巫女には勝ちたいという想いを。霊夢には楽しいという想いを抱いていた。

そして四人目のあのアサシンには――――――恐怖という想いを抱いていた。
今まで自身が戦ってきた者達の中で、レミリアはあのアサシンが一番恐ろしかった。
恐ろしかった。ただただ、恐ろしかった。この夜の闇に潜むあの死の体現者が、堪らなく恐ろしかった。

人は必ずしも死という存在に恐怖するものではない。
もし自分に訪れるのが穏やかな死だと事前に分かるなら、不安もあるしやはり恐くもあるだろうが、
心の何処かでしょうがないと納得し、死ぬ事も出来るだろう。
唐突に訪れた死なら、恐怖する事も無く死ねるだろう。

だがこの場合は違う。あの暗殺者の場合は違うのだ。あの男の与える死が、レミリアは堪らなく恐かった。
あの男は自分だけではなく他の者まで殺そうとしている。それが恐かったのだ。
フランが、美鈴が、パチュリーが小悪魔が――――――そして咲夜が殺されるのが、恐かった。
そして自分が死ねば他の誰かも殺されるかもしれないと思うと、自身の死さえ恐くて震えてしまう。


「……大丈夫。大丈夫よ。大丈夫……だから」


振るえる体を抱き締めて、レミリアは自身にそう言い聞かせる。
結界がある限り、そんな事はありえない。そんな心配はする必要は無いと、何度も言い聞かせる。
だが――――――レミリアは知らない。その頼りの結界は何の意味も無い事を。
そう――――――レミリアは知らない。もう既にかの暗殺者がこの館に潜んでいる事を。

そんな時だった。屋上の扉が開く音を、レミリアの耳が捕らえたのは。
誰かがこちらに向かって来る。一体誰だろうと思いそちらに目を向けると――――――


「――――――え?」


そこに居たのは、月明かりの中に佇む黒衣の暗殺者であった。
その姿を見た時に、レミリアは咲夜との出会いを思い出す。
そうだ。あの時も彼女はこんな服装を着ていたと、なんだか懐かしい想いが浮かんで来る。
またあの夢を自分は見ているのだろうかと思ったその時に――――――暗殺者は語り掛ける。


「こんな所で月見とは酔狂だな――――――レミリア・スカーレット」


その暗殺者の、アサシンの声を聞いた瞬間――――――レミリアの時は凍り付いた。


「え……なんで……?なんで、お前が」

「その質問は闘士と魔女にも問われた。簡潔に言う。
 私はずっとこの屋敷に居たのだ。結界が張られる以前からな」

「……ちょっと待ちなさいよ。パチェは?美鈴は、どうしたのよ?」


震える声で尋ねるレミリアだったが、その質問に何の意味があるのだろうか?
この暗殺者がこうして目の前に居るという事は、もう答えは決まっているも同然なのに。
だがそれでもレミリアは尋ねる。もしかしたらという無意味な希望を込めて。
だがアサシンの言葉は、レミリアのそんな希望をあっさりと絶望へと変えた。


「答えずとも、分かるであろう?」

「嘘よッ!!!!嘘嘘嘘ッ!そんなの嘘なんだからッ!!!!」

「虚言は言っていないのだがな」

「信じないッ!!!!そんなの絶対信じないんだからッ!!!!」


声を張り上げて叫び否定するレミリアの姿には、紅魔館の主としての威厳は欠片も無かった。
認めるしかない事実を叫び否定する事しか出来ない子供。それが今の彼女だった。


「こんなの嘘よッ!嘘嘘……そんな事あるはずないッ!
 こんなの……そうよ、悪い夢でしかない。これは悪い夢なのよ。
 そうでなきゃ……私……私、は……そんな……嘘よ……」

「どうあっても信じない。信じたくないというか。
 よかろう。ではどうあっても信じてしまう物を見せてやろう」


そう言うとアサシンは自分の懐から取り出したある物を、レミリアの前に投げて捨てた。
自分の目の前に落ちたそのある物を見て、レミリアは全身に流れる血液が逆流し凍り付いた気がした。
信じられない、信じたくないと思って、それを確かめる様に拾い上げ手に取る。
しかし手にした瞬間に、彼女は理解してしまう。アサシンの言った事が事実であると。
レミリアが手にした物。それは自分の妹――――――フランドールの、僅かに血の付いた帽子であった。


「そんな……そんな……あ……ああ……」

「これで分かったかな?」

「ああ……フラン……そんな……フラン……フラン……」


力を失い、その場に座り込むレミリア。
アサシンの言葉はまるで聞こえていない。頭の中は絶望のみが支配していたからだ。
手にした帽子を抱き締めるレミリアの紅い瞳からは、涙が溢れ次々と流れていく。


「約束したのに……守るって……私お姉ちゃんだから守るって約束したのに……
 私、お姉ちゃんなのにそんな……フラン……フラン……ごめんね……ごめんね……」


何度も何度も、手にした帽子に向かって涙を流しレミリアは謝罪する。
この手で妹を守るとそう誓ったのに、約束したのに出来なかった事をただ、謝り続けた。
そんなレミリアに対して、アサシンは容赦無く言葉を突き付ける。


「さてどうするレミリア・スカーレット?まさかこれで終わりではあるまい?」


そのあまりに耳障りな声を聞いて、レミリアの思考が一気に変わった。
絶望が憎悪へと変わり、憎悪は燃え上がり憤怒へと昇華した。
その瞬間、レミリアの体から圧倒的な力が解放されて周囲に流れ出す。
紅い光は爛々と燃え上がり、怒りを増す毎にそれに同調するかの様にその輝きを増していった。
紅魔館全体が主の怒りに呼応する様に震えだした。既にレミリアの周囲は流れ出る力に耐えられずに崩れ始めていた。


「殺してやる……殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッ!!!!
 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
 殺してやるぅッ!殺して、殺して、殺して殺して殺して……殺して、やるからなぁッ!!!!
 この手で殺すッ!必ず殺すッ!何が何でも殺すッ!殺すからなッ!殺して殺してやるゥッ!」


自身のありったけの憎悪を、殺意を、目の前のアサシンに咆哮と化してレミリアは叩き付ける。
その凄まじい殺意は紅魔館の周囲を覆い尽くし、全てをその紅の光で染め上げた。
常人ならば受ければ一瞬にして絶命し魂も残らぬだろうその殺気を浴びても、アサシンは変わらずに静かに佇むだけ。
フードで隠れた顔がどんなものか窺い知る事は出来ないが、恐らくは平時と何も変わらぬ穏やかな表情なのだろう。
何一つ調子を乱さぬ穏やかな声で、アサシンは語る。


「まさに嵐だな。これ程までの凄まじい力を秘めていたか。
 なるほど、お前はスカーレットの名を受け継ぐに相応しい」

「殺してやるッ!殺してやるッ!殺して殺るゥッ!
 殺す殺すッ!殺すころすころすころすころすコロスコロスコロスコロスコロスコロスッ!!!!
 殺すコロスころす殺すころすコロスころすころす殺すコロス殺すコロス殺すコロスゥッ!!!!
 オォォォォマエヲォォォォォォォッ!!!!コォォォォロシテヤェルゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!」


最早アサシンの言葉はレミリアには聞こえてはいなかった。
紅い瞳は血走らせて更に紅く、血の涙を流して更に紅く変じていく。
殺意を張り上げて叫び、叫んで、叫び続けて。自身の喉すら裂ける程に叫び、血を吐き出して更に、レミリアは紅くなる。
もう自分がどんな状態かもレミリアには判断出来なかった。
今の彼女はただ目の前の存在を、怨敵であるアサシンを殺す事だけしか考えられなかった。

皮肉な事に彼女の力は、その五百余年の生涯において今まさに最高潮に達していた。
咲夜と戦った時よりも、博麗の巫女と戦った時よりも、霊夢と戦った時よりも、それ以上の力が今引き出されていた。
燃え上がる自らの怒りに狂いに狂い、スカーレット・デビルはその怒りを全て右手に集中させる。
その右手に顕現したのは、グングニルの名を冠した紅い魔槍。レミリアの必殺の咢である。
レミリアの手の中で暴れ狂うグングニルの魔力は凄まじく、持ち主自身の手が血で真っ赤に染め上げられる。
その血を浴びて更にグングニルは力を増して、猛り狂う。










「アァァァァアサァシィィィィィィンッッッ!!!!貴様ヲォォォォォッ!!!!
 コォォォォォォォロシテヤルゥァァァァァァァァァァァァアアアッ!!!!」

「――――――もう遅い」


その瞬間に――――――世界は紅一色に染まった。










時は少し戻る。
十六夜 咲夜は一人自室で今か今かとその時を待っていた。
その耳にはただカチカチと、自身の持つ懐中時計の音だけが聞こえていた。
時間が気になり時計を見れば、時刻はやっと七時を回った程度だった。


「……どうも落ち着かないわね」


一人で呟く咲夜はどうしようかと悩む。
我が師が来るまではする事が無い。そしてそれまでは何もする事が無い。
このまま待っているのはどうにも耐えられない。さてどうしようかと彼女は思案していた。


「……うん、お嬢様の側に居よう」


いざという時、やはり自分はあの人の側に居た方がいい。
私はあの人の、レミリア・スカーレットの従者である十六夜 咲夜なのだから。
その時が来るまでは、お嬢様と何か話でもして暇を潰していよう。
そう思い咲夜が自分の部屋の扉を開けた――――――その時だった
紅魔館全体が、大きく揺れたのだ。


「ッッッ!?クッ……一体、何がッ!?」


すぐ続けて咲夜の体に強烈な威圧感が襲い掛かる。
今まで感じた事も無い程のこの威圧感。だが咲夜はすぐに分かる。
これと似た威圧感を自分は知っている。これは自分の主であるレミリアの物だ。
だがこれほどの威圧感は咲夜は過去に一度として感じた事は無かった。
まるで地獄の業火の中にいきなり放り込まれた様な錯覚を感じつつ、咲夜は自身が感じた嫌な予感を口走る。


「まさか……あの人がッ!?」


そんな馬鹿なと否定したかったが、そうでなければお嬢様がこれ程までの威圧感を放つわけがない。
混乱する頭の中で、それでも冷静な部分が結論する。
もう既にあの人が――――――我が師が来ている事を。


「いけない、お嬢様ッ!」


すぐさま能力を発動し、時を止めて主の下へ駆け付けようとした、まさにその瞬間だった。
咲夜の本能が、アサシンとしての冷静な勘が、その行為を禁じて止めさせたのだ。


「……そうだ、今私が能力を使用する事は出来ない」


時を止めれば当然、今戦っているだろうお嬢様の時は止まる。
だがあの人は、我が師は違う。時が止まっても我が師なら自身の能力で抗い、止まった時の中を移動する事が出来る。
そうなればもうお終いだ。止まった時の中で我が師はすぐにでもお嬢様を殺すだろう。


「……クソッ!」


そこまで判断した時、咲夜の体は走り出していた。
飛ぶよりも速く、速く、地面を蹴り上げて颯爽と駆けていく。
威圧感は上から、屋上付近から感じる。きっとお嬢様と我が師はそこに居る。

そこまでの最短ルートを彼女は瞬時に導き出して、力の限り命を懸けて、駆けていく。
だがそれでもまだ遅い。これでは間に合わない。間に合う訳が無い。
もっと速く、今よりもっと速くなければいけないと、彼女の本能が告げる。
そんな時に、彼女の記憶の奥底からある言葉が甦る。


――――――咲夜君。このカップの中のコーヒーは僅かにだが流れている。その時間の流れを加速させて……


それが誰の言葉だったかまでは思い出せなかったが、その時の結果が甦る。
その記憶が甦った瞬間に彼女は――――――自分の体内時間を一気に加速させた。


「ぬぅ……グ……ッ!!!!」


その瞬間、彼女の速度は一気に加速される。
しかしそれと同時に、彼女の体に掛かる負荷も大きく膨れ上がる。
体全体が未知の加速に悲鳴を上げて軋みだす。だがそれだけだ。
全身を痛みが雷鳴となって神経を駆け巡る。だがそれだけだ。
もっと加速させる事は可能だ。だが加速を何処まで上げて大丈夫か、今の彼女には判断出来なかった。

体内時間が加速されると共に、思考の速度もまた加速される。
その加速された思考は、彼女を刃如く冷えて冴えた物へと瞬時に研ぎ澄まさせる。
もしもの場合に備えて、これ以上速度を上げるのは危険だ。
だがこれ以上速くなる方法は――――――あった。その方法は他ならぬ自分の体が覚えていた。


「シィッッッ!!!!」


加速した足で、彼女は地面を力強く蹴り上げて飛び上がる。
そのすぐ真上にある天井にぶつかる前に、体を反転させてその天井を蹴り上げる。
続けて、壁にぶつかる前に反転し壁を蹴り上げて更に疾走する。
一歩床を、天井を、壁を蹴り上げる度に速度は加速していく。
曲がり角では減速など微塵もせず、むしろ更に速度を上げて難無く通過する。
その動きはかのアサシンが美鈴と咲夜との戦いの時に見せたあの移動手段に他ならなかった。

恐るべき速度で行われるその三次元移動で走破していく中、彼女は祈る。
どうか間に合ってほしい。コンマ一秒でも速く、お嬢様の下へ行かなければ。
速く速く速く、何よりも速く、何者よりも速く、一瞬でも速く刹那でも速く――――――あの人の下へッ!


(間に合ってッ!お願いッ!)


もう目的地だと理解したのは、屋上への扉が眼前まで迫った時だった。
勢いのまま扉に体当たりをし、彼女は屋上へと飛び出した。
そして彼女の目に飛び込んで来たのは――――――









「ギ……ア……ガ……ア……サシ……ン……ッ!!!!」

「――――――速かったな、我が弟子よ。いや、遅かったというべきか」


地面に倒れ苦しむ自分の主と、無傷で立っている自分の師の姿だった。










「後書きを書く」と心の中で思ったならッ!その時スデに本文は終わっているんだッ!

どうも荒井スミスです。ここまでお楽しみいただけたでしょうか?
私自身は中々の物が出来たとは自惚れてはおりますが、読者の皆様がどう思うのかは当然別でございます。
私と同様に面白いと思う方も居らっしゃれば、当然面白くないと思う方も居るでしょう。
特にこの話での原作キャラでの扱いときたらもう……酷い物です。我ながらそう思います。
ですがッ!これだけは理解して頂きたい。私は自分が酷い事をしている事を自覚しております。
だからこそ面白い物が書けると、普通ではお目に掛かれない作品を書ける事を自負しております。

さて、今回のレミリアは本当に怒り心頭です。相手を完全に殺す気でいます。
もう咲夜さんとの約束も覚えてはいないでしょうが、それは仕方がないでしょう。
こんな事をされて怒らない者は、普通は居ませんからね。

ちなみにですが、感想を書く際は遠慮する事はありません。
読んで思った通りの事を書いてくれて結構です。
内容が内容なので、非難される事は覚悟しておりますので。
しかしそれでも、私は感想が欲しいのですよ。はい、喉から手が出る程にです。

次の話も、頑張って書きましょう。彼女達がどうなっていくか、楽しみに待っていて下さい。
それでは!



[24323] 第四十一話 運命に抗う時
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/12/09 17:35





「お嬢様ッ!」


声を張り上げ叫ぶ咲夜は、すぐにでも倒れる主の下へ駆け寄りたかった。
だがそれは出来なかった。自らの師が、それを阻む様に佇んでいたからだ。
フードの影に隠れてはいるが、その視線は自分を見抜いていた。
そう、自分だけを見抜いていた。倒れるレミリアには、一瞥もくれていなかった。


「アア……サァ……シ、ン……ッ!」


倒れたままのレミリアは、アサシンに憎悪を込めた殺気を叩き付けていた。
体が動けばすぐにでもこの手で殺す。咲夜にはそうとしか見えなかった。
そのレミリアの目にはアサシンしか見えていなかった。
憎悪のあまりに咲夜が来た事にさえ気付いておらず、ただ一心に殺意を叩き付けていた。


「クソ……クソッ!畜生ッ!殺して、殺してや……ギィ……ッ!」


手を伸ばし、その首と引き千切り粉砕したくとも、その手は動いてはくれなかった。
殺したくても殺せない事が悔しくてならず、レミリアは血の涙を流し続け、吠える事しか出来なかった。


「お嬢様……我が師よッ!一体お嬢様に何をッ!?」

「前に使用した物よりも強力な毒をな、使わせてもらった。
 さすがは、テレサの毒だ。効果も即効性もこの通り申し分が無い。
 薬物に関しては、あの者は既に私以上の力を持っている」

「テレサ姉さんの……!?」


言われて成る程と、彼女は納得する。確かに姉の薬物に関しての才能は凄まじいものがあった。
自分がまだ教団に居て一人前のアサシンとして認められた頃には既に、その才覚から師範の位を与えられていた。
その姉が調合した毒は人間のみならず妖怪や魔物といった幻想の存在にも通用した。
ならば、今こうしてレミリアが倒れているのも頷けるというものだ。


「自らの強過ぎるその力に慣れていなかったらしい。隙だらけだった。
 だからこうして再び毒を打つ事は容易かった。こうして我を無くした者の相手は、実に楽だ」


確かにその通りだが、咲夜にはそれが分からなかった。
あのレミリアがどうして此処まで怒りで我を忘れてしまったのかと、思ったその時だった。
咲夜は見付けた。レミリアの左手に咲夜が見慣れた物が――――――フランドールの帽子が握られていた。


「その帽子は……我が師よまさかッ!?」

「そうだ。フランドール・スカーレットが所持していた物に相違無い」


まさかとは思い尋ねてみれば、やはりその通りだった。
この人は――――――フランドールを殺したのだ。


「……妹様」


その時になって咲夜は、レミリアがどうして此処まで怒りを燃やすのかが理解出来た。
最愛の家族を、妹を殺されたのだ。ならば主がこうまで怒るのは当然の事だった。
そしてそれは咲夜も同様だった。この時初めて咲夜は、自らの主に対して怒りを向けていた。


「お前のその顔は、初めて見るな」

「当然です我が師よ。フランドール様は既に私にとって家族も同然。
 それがこの様な事をされて、怒るなと言う方が無理なのですよ」

「それは他の者達もか?」

「……ッ!?……当然です」


他の者達と聞いて、咲夜の頭の中に美鈴、パチュリー、小悪魔の三人の顔が浮かんだ。
此処まで来たのなら当然、他の三人も始末しているだろう。そうでなくてはおかしい。

咲夜とアサシンがお互いを睨み合う中で、レミリアはやっとこの場に咲夜が居る事に気が付いた。
体は上手くは動かないが、僅かに首を動かして咲夜の方を見る。


「……咲夜?咲夜、なの?」


まだ無事だと分かった途端に、レミリアの怒気はようやく緩んだ。


「よかった……咲夜……咲夜……」

「喜んでいる場合ではなかろうレミリア・スカーレット。
 私は依然として此処に居るのだ。忘れて貰っては困る」


火に油を注ぐが如きそのアサシンの発言が、レミリアの緩んだ怒りを再度滾らせる。
咲夜からアサシンに目を向けて、レミリアはまた怒りをぶつける。










「アサシン……貴様……殺す……殺してやる……お前をぉ……殺せ……
 サァクヤァァァァァァッッッ!!!!コォイツヲコロセェェェェェェェェッッッ!!!」!










激高する主は従者に向かい力の限りに叫び命令を下した。
この男を殺せと。アサシンを殺せと。自らの師を殺せと命令した。
遂に出た主の「殺せ」と言う命令に、咲夜の体は硬直する。
こんな状況になってしまえば、それは当然の事だと咲夜は思う。
だがやはり、その言葉を聞いてしまえば悲しまずにはいられなかった。


「今更その様な事を言っても遅い。その命令はもっと早くに下すべきだったな」


動かないレミリアに向かい、アサシンは冷たい言葉を浴びせる。
咲夜を、自らの弟子を見たまま。レミリアの事は一切見ないで。
アサシンはそのまま彼女を見たままで、口を開く。


「ようやくだ……ようやくこの時が来たか。この状況を生み出す為にどれだけの準備を行った事か」


感慨深そうに、アサシンは語り始めた。


「我が弟子よ。お前は実に優秀な弟子だった。
 老いに抗い生きてきたこの数百年の生涯の中で、お前程の才覚を持った者はそうは居なかった。
 それはお前の能力の事だけを言うのではない。アサシンとしての技量もまた、お前は飛び抜けて優秀だった」


語り始めたのは、自らの弟子への称賛であった。
予想もしなかったアサシンの言葉に、咲夜もレミリアも、黙って聞き入る他なかった。


「そう数百年。数百年だ。その数百年の中で私の多くの弟子達を育て上げた。
 多くの者達が私の教えを学び、研鑽し、そして更に自らの手で昇華させた。
 そして私もまた、弟子達から学んだ。私の教えを更に昇華させたその技を、知識を、私は学んだ。
 そして次の世代にはその昇華させた技を学ばせ更に研鑽し昇華させた。
 これがどういう事か、お前には分かるな我が弟子よ?」

「次の世代は更に研鑽された知識と技術を学び、更にその次の世代には更なる昇華された物を学ばせる。
 時代が進めば進む程に我等の技は昇華され、時代を重ねる度に知識を蓄える。
 ……そうして教団は強くあり続けたのですね」

「その通りだ、我が弟子よ」


つまり、こういう事だ。
我が師は自らの弟子達に自らが持つアサシンを技術と知識を与え、それぞれの力でそれを進化させてきた。
一つの技を十人の弟子達に教えれば、それぞれの者達が鍛え上げて新たに十の技として進化させる。
もちろん全員が全員出来る訳では無いだろうし、出来たとしても使えない物かもしれない。
だからその生まれた技の中で優秀な物が選ばれ、それを我が師が学び新たな世代に伝える。
師がそれを学び覚えるのは難しい事ではないだろう。何故ならその弟子達は師の分身でもあるからだ。
弟子の癖も動きも、自らの事の様にこの人は分かるのだ。出来ないはずはないだろう。


「我が弟子達は、まさに私の分身だ。だがそれは逆の事も言える。
 この私もまた、我が弟子達の分身なのだ。弟子達の技が、知識が、力が、私の中で今もこの身に息衝いている。
 この血と肉の全てが弟子達によって形作られた。皆の力によって、今の私の強さは存在のだ。
 そうだ、今此処に居るこの私という存在は――――過去数百年の間に存在したアサシン達全ての分身に他ならぬのだ」


その事実を聞かされた瞬間に咲夜は、そしてレミリアは瞬時に――――――圧倒された。
目の前に居たはずの、たった一人だけ居たはずのアサシンの存在感が、その濃度を増したのだ。
まるでいきなり目の前に数百―――数千―――いや数万を超える大軍勢が現れた錯覚に陥った。

否。それは決して錯覚ではなかった。
あのアサシンの中にはその数万を超える大軍勢が、アサシン達が確かに存在していた。
あのフードの影の中には、その数万のアサシン達が間違い無く今もなお存在し生きていた。
このアサシンの力は彼だけの物ではない。彼の中に存在するアサシン達が居たからこそ存在しているのだ。
彼等と共に歩み、学び、戦い、生きてきたからこそ存在しているのだ。
今彼女達の目の前に存在しているのは、決して“彼”という一個人ではない。
そこに存在しているのは、正に“アサシン”という言葉を具現化した最強の存在に他ならなかった。

その圧倒的なまでの存在感に気圧されつつも、咲夜はある者を、その存在感の中に見た。
そこに居たのは――――――自分だった。我が師の弟子として、分身として生きていた頃のかつての自分であった。
そしてそのすぐ側には姉が、兄が、自分の知る教団の兄弟達が全員そこに居た。


「我が弟子よ、その私が断言しよう。お前は本当に優秀な弟子だ。
 お前のその才があればあのアルタイル様をッ!あのエツィオ様をも超えるアサシンになる事が出来るのだッ!
 それだけではない。その能力があれば、二十一番目の新たなハサン・サッバーフになる事さえも可能なのだッ!
 今のこの“アサシン”を超え、我等アサシンを更なる高みへ導く事が出来る新たな“アサシン”にもなれるのだッ!
 それが理解出来るか我が弟子よッ!我が半身よッ!我が分身――――――もう一人の“アサシン”よッ!」


普段は穏やかな口調の我が師が声を荒げて自分に向けて言ったのは、かつて自分が心の底から渇望した称賛の言葉だった。
この人の様になりたいと夢見た自分が、この人に一番言ってほしかった言葉だった。


「……ありがとうございます我が師よ。その言葉は、私にとって最高の栄誉です」

「……そう言うな。私は結局、自分で自分の事を称えたに過ぎん」


荒げた口調を戻し、いつもの調子で返事をする我が師の言葉に、彼女は嬉しくて堪らなかった。


「……やはり、お前を失うのは惜しい。あまりに惜しい。
 お前を殺すという事は、私の手で私を殺す様なものだ。
 だからこそ、私はお前に選択させようと思う」


彼女に向かいアサシンは、自らが帯刀していた剣。ダマスカスブレイドを差し出し、そして告げた。










「この剣を以ってこの者を――――――レミリア・スカーレットをその手で殺せ」


それはとても穏やかでいて――――――冷たい、刃の様な言葉だった。










その言葉を聞いた瞬間に咲夜は、先ほどのレミリアの言葉と同様に体を硬直させる。
それはレミリアも同様であり、固唾を飲んでその言葉を聞くしかなかった。


「その手で殺し、かつてのお前の任務を果たすのだ。
 そして私達の、家族の下へ戻って来い……我が弟子よ」


家族と聞いて、彼女の頭にその者達の顔が、先程見た者達の顔が次々と浮かんで来る。
厳しくも、だがそれ以上に優しくかったテレサ姉さん。
修行の時には優しく諭してくれたアル兄さん。
辛くて泣いている自分を笑わせてくれたジョヴァンニ兄さん。
そして、教団の他の人達。みんなとまた会えると思うと、彼女は嬉しかった。


「……咲夜」


ポツリと自らの従者の名前を呼ぶレミリア。
だがその声はとても弱々しく、一瞬で消えてしまいそうな程に小さかった。

咲夜がこの自分を殺す。かつては容易に想像出来たはずだが、今のレミリアにはとても想像出来なかった。
あの咲夜が自分を殺す事なんてするはずがないと、そう思うからだ。
だが咲夜でなく彼女なら、アサシンの彼女ならそれは可能だ。
あのアサシンの剣をその手に取り、この私を殺す事が出来るはずだ。
そして自分を見事討ち取り――――――自らの家族の下へ見事帰還するだろう。

そう考えた瞬間、レミリアはそれで良い様な気がした。
仮にこのアサシンを殺したとしても、もうこの館には自分しかいない。もう誰も、家族は居ないのだ。
この先、咲夜と二人だけで過ごして、その生に一体何の意味があるのだろうか?
もうフランも美鈴もパチュリーも小悪魔も居ない。誰も居ないのだ。
そんな人生を遅らせるくらいならいっそ……自分を殺させて、家族の下に帰らせてあげるのが彼女の為ではないかと、そんな事を考えたのだ。


「……咲夜、貴女の好きにしなさい」

「お嬢様……」

「もうこの館には誰も居ない。誰も居ないのよ。誰一人も……貴女の家族は居なくなったのよ。
 それなら私を殺してもう一つの家族の下へ帰った方が、貴女の為なのよ。
 前にも言ったでしょ咲夜?貴女ならこの私を殺す事が出来るわ。貴女になら、私は殺されてもいいから」

「………………」

「貴女に殺されて……私もみんなの所に行くわ。だから咲夜、貴女の好きな様にしなさい」


そう言い終えた瞬間、レミリアは肩の力を抜いて楽になる。
彼女は幸せになる。また自分はみんなに会える。それで良い様な気がしたのだ。


「でもね咲夜、これだけは言わせて。貴女と過ごした時間は、私にとって本当に幸せだったわ。
 私の従者になってくれて――――――ありがとう、十六夜 咲夜」


もうその目に流れていたのは、紅い血の涙ではなかった。
自らの従者を、十六夜 咲夜を想い流す、澄んだ色だった。


「お嬢様………………分かりました」


主の言葉を聞いて少しの間を置いて、従者は頷き返答した。


「答えは決まったか。我が弟子よ」

「はい―――――我が師よ」


同じく頷き、彼女は答え、そして歩み始めた。
一歩一歩、また一歩と。何の迷いも無く二人の方へと歩いて行く。

それでいいのだと、レミリアは笑って頷く。
悲しい結末になってしまったが、これでいい。これでいいのだ。
これで彼女が幸せになるのなら、それでいいじゃないか。

また一歩一歩と、彼女は進んで歩く。
その歩みには、迷いは無いと言わんばかりの力強さがあった。

そんな彼女を見て、レミリアは思う。
もし、もしも彼女が十六夜 咲夜であった事を少しでも幸せだったと思うのなら、それでいい。
それだけでいいんだ。

遂に彼女は自らの師の前へと辿り着いた。
そして、自らの選択した答えを、二人に教えた。










彼女は―――十六夜 咲夜は何の迷いも無く―――自らの師の横を通り過ぎた。










「……………え?」


その疑問の言葉を発したのは、レミリアだった。
自分の下へ近寄って来る咲夜の顔を、ただただ驚き見る事しか出来なかった。
レミリアに近付いた咲夜は優しく抱き起して、穏やかな笑みを浮かべて尋ねる。


「お嬢様、御怪我の方は大丈夫ですか?」

「え?え?……だって、そんな。えっと……体が動かないだけで」

「そうですか。それはよかった」

「そうじゃなくてッ!なんで……なんでなのよ咲夜ッ!?」


こんな事はいけない。あってはいけない。
今すぐにでもあの剣を取らせるべきだ。自分を殺すべきだ。
そうしなければ貴女は幸せになれない。そんな事はあってはいけないと、咲夜に言おうとした時だった。
その言葉よりも先に、咲夜は主に答えを返した。


「だって私はお嬢様の従者の――――――十六夜 咲夜ですからね」


それが彼女の、十六夜 咲夜の言葉だった。


「前に言ったでしょう?生きている間は一緒にいますからって。
 だから、私は貴女と一緒に居ます――――――レミリアお嬢様」


そう言って、咲夜はレミリアを抱き締めた。
包み込む様に、優しく、優しく、抱き締める。
愛しくて愛しくて、愛しくて、自らの主を咲夜はその腕で抱き締めた。

そんな咲夜の温もりに抱き締められながら、レミリアは涙を流す。
この従者の想いが嬉しくて嬉しくて、それ以上に愛しくて、歓喜の涙を流した。


「ああ……ああ……ッ!咲夜……咲夜ァ……ッ!」

「はい、お嬢様。私は此処に居ます。咲夜は此処に居ますからね」


どれ程かの時が経って、咲夜は振り返り、我が師を見る。
黒衣の暗殺者はただ黙って、自分達を見ている。
フードに隠れた顔がどの様になっているか分からないが、それでも咲夜は自らの選択を口にした。


「これが私の答えです――――――我が師よ」

「それがお前の答えか――――――我が弟子よ」


この様な答えを出した今でも、自分を弟子と呼んでくれる事に感謝しつつ、咲夜は師の返答に頷く。


「我が師よ。貴方の言葉は……本当に嬉しかったです。
 私を自分の半身とまで呼んでくれて、本当に……嬉しかった」


嘘は無い。何一つとして、嘘は無い。
この人のあの言葉がどれだけ嬉しかったか。


「貴方の御蔭で、私はこうして生きている事が出来ました。
 貴方と出会う事が出来たから、生きる事が出来たんです」


貴方と出会えたから、私は幸せになれたのだ。
貴方と出会えたから、私はお嬢様と会う事が出来たのだ。


「貴方は、私の最大の理解者です。貴方だけが、私と同じ世界を見る事が出来る。
 私の時の世界を理解してくれる。これは、お嬢様にも無理な事です」


あの止まった時の中で唯一、この人だけが自分と同じ時間を生きる事が出来る。
私と同じ物を見て聞いて、感じて、私の世界を理解する事がこの人は出来る。


「だから……ごめんなさい。その貴方に、私はこんな答えを出してしまいました。
 けど、後悔はしません。私はこの人の為に、レミリア・スカーレットの為に戦います。
 だってこの人は……私の事を一番に愛してくれていますから」


そう、自分は決して後悔はしない。
自分は十六夜 咲夜だ。レミリア・スカーレットの従者である十六夜 咲夜だ。
ならば自分のする事はもう決まっている。


「私はこの方をお守りします――――――この命尽きるその時まで」


その場で立ち上がり、咲夜は自らの師――――――最強のアサシンと対峙する。


「さあお嬢様――――――ご命令を」


主を背にして、咲夜はレミリアに指示を仰ぐ。
その立ち姿は正に威風堂々。完全無欠。洒脱にして瀟洒な紅魔の従者に相応しい姿だった。


「咲夜……十六夜 咲夜。私の、最高にして最愛の従者よ。私は貴女に何と命を下せばいいのだ?」

「戦え、そして勝て、と」

「ならば戦って、そして勝ちなさい。そして必ず―――――戻って来なさい」

「分かりました――――――お嬢様」


主の命が下った。戦い、勝ち、そして戻って来いと。
ならば必ず成し遂げてみせよう。何故ならば、そう命令されたからだ。
ならばどうして負ける事が出来ようか?負ける道理があるだろうか?
成し遂げろと、命令を賜ったのだ。ならば勝てる。必ず勝てる。勝つ事が出来る。
何故なら私は――――――十六夜 咲夜なのだからッ!


「そうッ!これが私の選択ッ!私の答えですッ!これが――――――私なのですッ!」


今までの人生の中で、咲夜は最高潮の充実感で満たされていた。
気力は満ち足りていた。戦意に溢れていた。
戦える。今の私ならば、この人と正面から戦う事が出来るッ!


「御覚悟下さい我が師よッ!今宵の十六夜 咲夜は、完全以上の瀟洒な従者ッ!
 今の貴方にも負けはしないッ!負ける事などありはしないッ!今宵の勝者は、この私ですッ!」


銀の刃を構え、十六夜 咲夜は目の前の暗殺者に勝利を謳う。
真っ直ぐな瞳で、頬に微笑を浮かべて、自らの師と対峙した。

そんな咲夜の言葉を聞かされて、それでもアサシンは変わらず、穏やかな口調で語り掛ける。


「それが自らの意志で選んだ選択だというのだな、我が弟子よ?」

「その通りです。我が師よ」

「ならば、それでいい。それでいいのだ。
 真実は無く、許されぬ事も無い。自らの意志で選択した答えならば、それを誇れ。
 迷う事は無い。躊躇う事も無い。誇り、信じ、そして生きてみせろ――――――我が弟子よ」


黒衣の暗殺者もまた自らの剣、ダマスカスブレイドの刃を鞘から引き抜く。
夜の闇の中で、木目調の独特の金属の光沢が月光に濡れて光る。










――――――遂に、遂に遂に、遂に遂に遂にッ!この時が来たッ!

――――――皆々様方ッ!遂にこの時がやって参りましたッ!

――――――今宵始まる演目は暗殺者の師と弟子、お互いの全てをぶつけた剣劇ッ!

――――――その業の冴えをどうぞご覧あれッ!

――――――迎え撃つは時を捕らえし、名を語らぬ最強の暗殺者ッ!

――――――挑み抗うは時を操る紅魔の瀟洒な従者十六夜 咲夜ッ!

――――――銀の光の幻想と、黒の闇の幻想が遂にッ!その雌雄を決する時が来たッ!

――――――舞台は整った……さあッ!幕を開けようッ!










「さあ見せて貰うぞ――――――我が弟子よッ!」

「魅せてあげましょう――――――我が師よッ!」









――――――物語は積み上げられる。

――――――それは幻想の物語。










後書きを書く事を、強いられているんだッ!

やっと遂に此処まで来ることが出来たッ!
長かった……本当に長かったッ!
もう一か月ちょっとで終わらせるつもりだったのにッ!本当に長かったッ!

アサシンが最強な理由は、弟子達の御蔭なんです。
弟子達が強くなれば、彼もまた強くなる。そしてその強さを次の世代に伝えていく。
簡単に言うと、最初の弟子達のレベルが、10で始まるなら、次の世代の弟子達は11で始まる。
そして12、13、14、15と……段々と全体が強くなっていく。
それと同じ様に、彼は長い年月を掛けて強くなっていったんです。だから強いのは、まあ当然という事で。
教団の強さ=彼の強さと言ってもいいでしょうね。

今回のサブタイトルは、我ながら結構好きだね私。
レミリアとアサシンと咲夜さんが上手く組み合わさった感じがしてね。

さて、いよいよ次は二人の戦いに遂に決着が着きます。
それを全力全開絶好調の今の私の力ならば、きっと皆様を楽しませる事が出来るはずッ!
期待して、お待ちくださいね。感想とか感想とか、あと感想とか書いてッ!お待ち下さいなッ!
それではッ!



[24323] 第四十二話 師と弟子
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/12/17 13:33





勇ましい口上を述べたものの、この状況は咲夜にとって最悪以外の何物でもなかった。
相手は自分に戦闘技術全てを叩き込んだ、最強のアサシンである我が師なのだ。
それはつまり、自分がどう動きどう対処するのかもあの人には丸分かりという事。
だが、それはこちらも同じ事。その技術の全てを受け継ぎこそしなかったものの、自分はアサシンの基礎を徹底的に叩き込まれた。
自分が離れてからの間も、我が師はその力を上げた事だろう。しかしその基礎はほとんど変わってはいないはず。
そして、この自分もまたあの人と同じアサシンである。
あの人が自分達の動きを見て覚えた様に、自分も紅魔館に来てから見せた戦闘での師の動きは、完全に覚えていた。

この戦いにおいて十六夜 咲夜が最も警戒すべき事。それは相手を見失わない事だ。
一度見失えば、我が師は自らの奥義である幻想隠形ザバーニーヤにより姿を暗ます。
そうなれば最後、自分は確実に殺されるだろう事を咲夜は理解していた。
だからこそ決してその姿を見逃してはいけないのだ。

この状況は咲夜にとって最悪以外の何物でもなかった。だが、それだけだ。
最悪というだけであって、相手を倒せない訳では無かった。
確かにアサシンの技術だけで勝負しようものなら勝ち目は無いだろう。
だが自分にはこの人の力以外の、自分にしか持ちえない能力があった。
それがこの勝負の決定打になるだろう。

そこまでの状況判断を刹那の内に終えた咲夜の前に、初撃の飛剣が風を切り裂いて飛来する。
このままでは避ける事は出来ない。受ける事も出来ないだろう。
だがそれは――――――このままだった場合の話だ。

眼前の飛剣の速度を、咲夜は限り無く0に近い速度まで落とす。
自分の「時を操る程度の能力」を応用し、飛剣の速度を操ったのだ。
その空中で減速した飛剣をナイフで叩き落とし、そして師に刃を向ける。


「私とて、教団を離れてから無為に過ごしていた訳ではありません。
 私自身のこの能力。それが貴方に対抗出来る為の牙。アサシンには無い、私だけの力ですッ!」


これで投擲の類の攻撃は防ぐ事が出来る。それだけでもこの状況、少しでも自分に有利になるはずだ。


「成る程な。さすがは……いや、まだか」


アサシンが静かに自らの愛刀、ダマスカスブレイドを構える。


「ならばこちらから――――――往かせてもらう」


一足飛びでアサシンは咲夜の懐に入り、横一文字に剣を振るう。
それに彼女の体が即座に反応し、剣の速度が最高速に達する前に両手のナイフ二つで防ぐ。
防いだ瞬間、そのままナイフを剣の刃の上で滑らせ、今度は逆に咲夜が懐に入る。
左の刃で剣を防ぎつつ、右の刃の切っ先を心臓目掛けて突き出す。

だが刃は心臓に届く後一歩の所で、アサシンのもう一つの刃に止められる。
左の籠手に内蔵されたアサシンブレード。それが突き出されたのだ。

アサシンの蹴りが彼女の体を捕らえる。。
だがそれを予期していた彼女は蹴りを避けず、その衝撃に逆らわず、逆にその威力を利用して後退し、宙を舞う。
同時に六本のナイフを投擲し、相手の追撃を防ぎながら、地面に無事着地する。

この間の攻防の時間は、僅かに三秒足らず。
普通の人間が見れば、アサシンが近付き咲夜が後退しただけとしか理解出来なかったろう。

お互い一定の距離を取りつつ、出方を伺いながらも、彼女の思考は止まらない。
あの時の我が師の動きに、自分の体は完全に反応していた。
どう防ぎ、どう攻め、どう逃げるのか。それが反射的に行えた。


(この感覚、このリズムに体がこのまま乗っていれば、まずは死なない。ならば思考は状況を見極める事に集中出来る)


体も頭も今の彼女はこれ以上無い程に、冴えに冴えていた。
自らを構成するアサシンの技と知識は完全に研ぎ澄まされ、在りし日の彼女を完全に甦らせていた。

相手の動きを見失わなければ、自分は問題無く対処する事が出来る。
ならば何も慌てる事は無い。慌てる必要は無い。
相手がどれだけ強かろうが、その動きに着いていけるのなら、何も恐れる必要は無い。


「冷静に対処していけば、私は敗れる事は――――――無い」


その言葉を口にした瞬間に、咲夜の目が一気にその鋭さを増す。
冷徹な、刃の様な視線。眼前の獲物を狙う狩人の目。アサシンの眼差しが、そこにあった。


「その目になったのなら、このままでは埒が明かぬな。
 お前のその目ならば、私の技は全て対処出来るだろう」

「あれからの年月で、貴方も力を付けた事でしょう。
 ですがこの身は我が師よ、貴方から徹底的に基礎を叩き込まれた。
 基礎を極めれば、そこから派生するどの様な応用にも対処出来る。
 これは貴方の教えです。そして――――――今の私ならば、どの様な業であっても対処出来る」

「だろうな。お前なら出来るだろう。出来なければ困る。
 それが出来なければ、我が弟子とは言えぬからな。だが――――――」


その言葉に続いて、目の前のアサシンの存在感が濃密になる。
本来アサシンはその存在感を闇に隠すもの。だが、これは明らかにそれに反している。
若干の困惑を抱えつつも、冷静に、咲夜は相手を伺う。


「基礎に応用。それだけで終わる程に我等の業は浅くない。
 それらを極限まで極め、更に生涯を掛けて体得するアサシンの奥義。
 それは易々と破る事は出来ぬぞ――――――我が弟子よ」


咲夜の直感が、最大級の警告を自らに向けて発する。
これから状況は更に不味い事になる。冷静さを失うな。それを失えば、命を失う。


「始めたばかりではあるが――――――奥義を、見せてやるとしようか」


奥義。その言葉を聞かされた瞬間に、咲夜の中の血の気がサッと引いた。
姿を晒しているこの状況では、幻想隠形ザバーニーヤは使えないはずだ。
まさか姿を晒しても発動出来る様になったのかと思った時に、彼女はある事に気が付く。


「奥義を……見せる?」


幻想隠形ザバーニーヤは姿を暗ませる奥義のはず。
それを見せると言うその発言は、明らかに矛盾している。
ならば今から見せるその奥義とは――――――


幻想隠形ザバーニーヤでは、ない?」

「その通りよ。今から見せるは数百年ぶりに誕生した真の山の翁。
 二十番目のハサン・サッバーフが体得した新たな奥義。
 さあ――――――括目せよ」


ゆっくりと彼女に向かい歩みながら、アサシンは奥義の真名を紡ぎ出した。








「―――仮想群身ザバーニーヤ―――」









その言葉が口に出されたその時、アサシンの輪郭がぼやけて崩れる。
そして崩れた輪郭が再構築された瞬間に現れたのは――――――


「そんな……まさか……ッ!?」


同じ黒衣を纏った、五人のアサシンの姿であった。
驚く咲夜に向かい、同じ姿のアサシン達が、同じ声色でそれぞれ語り掛ける。


「これぞ新たな山の翁が奥義、仮想群身ザバーニーヤである」
「本来ならば九つの身を現してこその奥義だが、私の器ではこれが限界」
「されどこれがお前にとって脅威である事は変わりはしない」
「鷹の目を持たぬお前に真の私を見抜く事叶わぬ」
「それでもなお打倒出来るものならば――――――挑むがいい」


五人がそれぞれの違った構えに入り、声を揃えて告げる。


「「「「「さあ凌いでみせろ――――――我が弟子よ」」」」」


そう言うや否や、まず三人のアサシンが飛び出した。
一人目は猛然と一直線に地を蹴り駆けて、風の如く斬り掛かる。
二人目は地を這うが如くに上体を低くし、蛇の如く襲い掛かる。
三人目は文字通り月夜の空を舞い上がり、鷹の如く飛び掛かる。
三者が三様に、それぞれが必殺の一撃で剣を振るう。

いきなりの事態ではあったが、彼女も驚くばかりではない。
この必殺の三連撃をどう凌ぎ捌くのか、彼女の冷静な部分は既に思考を始めていた。

このままでは自分は確実に殺されるだろう。
どれか一撃でも防げば、残りの二撃が振り下ろされる。
上空は既に抑えられ、逃げる事も出来ない。
普通ならば絶対絶命の窮地であったが、彼女は決して慌てない。

咲夜は先程自分に対して行った加速を、自分の中に流れる時の速度を倍加させた。
この時、彼女の全ての速度は通常の三倍にまで加速された。
十六夜 咲夜が自らの「時を操る程度の能力」を応用して発現するこの「速さを操る程度の能力」こそが、この状況を打破する手段であった。
その倍速された思考の中で、彼女はすぐに行動を開始した。

ナイフを地を這う一人に向けて投擲し、その動きをほんの一瞬遅らせる。
次に上空の一人にも同じく牽制の一撃を放つ。放たれたナイフは難無く弾かれたが、動きを遅らせる目的は果たせた。
これで瞬時に繰り出されるであろうはずの三連撃は阻止出来た。
残る一人。正面に迫るアサシンに向けて、十数倍にまで引き上げた速度で投擲した六刃を放つ。
ナイフは見事、全て人体の正中線を捕らえて突き立ち、アサシンは駆ける速度のままに転げて倒れる。

まず、一人を始末した。だが、上空に一人地上に一人。残った二人が咲夜に迫り来る。
今のこの速度ならば十分に対処する事が出来る。
そう判断した咲夜は、まず地を這うアサシンを地面に縫い付ける様に、その背中目掛けて刃を放ち命中させる。
残りの一人。上空のアサシンの剣が咲夜の頭上まで振り下ろされる。
だが加速状態の咲夜にとって、降り下されるその速度はノロく、緩慢なものでしかない。


(慌てる必要は無い。この距離と速さならまだ間に合う)


剣が振り下ろされる直前に、彼女は半歩後ろに下がり回避する。
すかさず、剣を降り下ろして伸びた右腕を両手で掴み、背負い投げの要領で地面に叩き付ける。
そして倒れた相手の手から剣を奪い取り、その心臓目掛けて突き立てた。

三人のアサシンの分身が倒れる中で、咲夜は残る二人を睨み付ける。
と、同時に、咲夜の倍加された速度が通常の速さ戻った。
戻った瞬間に、咲夜は自らの体がズシリと僅かに重たくなる感覚に襲われた。


(自分の速度を速くするなんて事、初めてしたからな。慣れてないから、疲労が一気に出て来るか)


三倍速の領域にまで引き上げたのならば、通常はその体に相当な負荷が掛かる事だろう。
だが彼女の場合、三倍速程度の速度ならばその負荷は掛かる事は無く、僅かばかりの疲労が蓄積されるだけだった。
咲夜にとって、自らの時の速度を速くする事なぞは、世界の時を止めるよりも遥かに簡単だったのだ。
だがだからと言って、容易く行える訳では無い。現に今、咲夜の体は疲労している。
慣れない能力の使用に、体が上手く着いて来ないのだ。

僅かばかりに肩を弾ませながら、咲夜は目の前の二人を警戒する。
一人はジッと自分を見詰め、もう一人はそのアサシンを守る様に前に出ていた。


(この三体の分身は本物ではなかった。ならばあの二人の内のどちらかが本物か)


普通ならば後ろに控える者が本体と考えるべきだろうが、その裏を突いて前に出ている者が本物かもしれない。
どちらが本体か見極めたい所ではあったが、咲夜にはそれが出来なかった。
咲夜に向かい、後ろに控えるアサシンが口を開く。


「行動の加速か。成る程中々の代物だ。だがその力、リスクも相応にある様だな。
 息を荒げているのがその証。多用すればすぐにでも力が尽きよう」

「多用出来る内に倒しますので、心配は御無用です。
 ですがそちらの分身も後は一体を残すのみ。そう時間が掛かる事は――――――ッ!?」


このまま此処に居てはいけない。
彼女の直感に体は素直に反応し、地面に倒れる三人のアサシンからすぐさま離れる。


「ふむ、良い判断だな」


その言葉を口にしたのは、倒れた三人の内の一人だった。


「死なない……いえ、消えない分身ですか」


倒れた分身は何事も無かったかの様に立ち上がり、それぞれ剣を構える。


「本物の私が倒れぬ限り、我々は消えぬ」
「そして我々は全ての感覚を共有している」
「自らの影を犠牲としてお前のあの動き、学ばせてもらったぞ我が弟子よ」


普通ならば驚愕の一つでもする所だろうが、今の咲夜は慌てる事無く、冷静に目の前の状況を分析する。
そして少しではあるが、咲夜はこの奥義の特性が分かり始めた。

仮想群身ザバーニーヤ。それは死なずの影。不死の分身を生み出す事が出来る奥義。
本体が倒れなければ分身は消えず倒れず、この様に標的を追い詰める。
死なぬからこそ、死を恐れずに特攻染みた事も、相手を巻き込んでの自爆も可能だろう。

更に、この五人はそれぞれの感覚を共有して自分を観察し動きを見ている。
簡単に言えば、今のあの人は五人分の視覚を有しているという事だ。
先程の自分の動きを三人が近くで観察し、その身を犠牲にして力を測った。
そして後ろに控える二人が遠くから観察して、更に詳しく分析する。
そうして相手の動きを完全に見極めた所で止めを刺す。といった所だろう。


(我が師は、その五対の鷹の目を以って私を見ている。今のあの人に死角は無いと考えた方がいい。
 それに時間を掛ければ、動きを完全に読まれて殺される。勝負は、早々に決めなければ)


幸いにも、相手は自分が何処まで加速出来るのかを知らない。
そこが鍵になるだろうが、それは咲夜も同じである。
果たして自分は何倍速までの加速に耐えられる事が出来るのか。それは咲夜自身にも分からないのだ。

先程はこの屋上に来るまで無我夢中で加速させたが、果たしてあれはどれだけの速度だったか。
体の感じからして、三倍速以上であったのは間違い無い。だが十倍速以上は出ていなかったはずだ。
十倍近いの速さを出してもこうして動けるのなら、それよりも僅かに速い速度で動いてもなんとかなる、はずだ。


(十倍以上の速度を出して何処までこの体が持つか、分からない。
 体の疲労を無視するならたぶん、二十倍までならどうとでもなる。
 けどそれ以上出すなら確実に体は壊れる、かもしれない。
 それをも無視するなら三十倍までなら動く事が出来る、だろう。
 それ以上で動けば、死ぬ可能性も出て来る。
 けどそれを覚悟して動くなら、四十倍までなら動く事が出来る、はずだ)


未確認故に勘の域を出ない結論だが、あながち外れでもないと思う。
自分の能力と体だ。誰よりも分かる――――――


「死を覚悟すれば四十倍まで加速出来ると、そう結論したか我が弟子よ」


思考を当てられて、咲夜は思わず汗が一つ流れる。
だが驚く程の事ではないのかもしれない。この身を我が師は自らの分身とまで言ったのだ。
自分の体の事が分かるという意味では、我が師も同じだろう。


「お前が風よりも速くなったとしても、私は見事お前を捕らえてみせよう」
「闘士も言っていたであろう。どの様に速く動こうとも、必ず空気に触れると」
「それを「聴き」動きを見極める事は、この私にも可能」
「私に出来ぬと思うか?これを虚言と思うか?」
「どちらにしろお前は私を倒さねばならぬ。そうでなくば――――――お前は死ぬだけだ」


黒衣の暗殺者のダマスカスの五刃が、その手の中で月光に濡れて輝く。


「「「「「幻の四刃と真実の一刃。虚実合わさりしこの五つの刃――――――見事見極めてみるがいい」」」」」


今度は五人全員が漆黒の風となって、咲夜に迫る。


(たとえ動きを読まれようとも、私の方が速いのは確か。ならば――――――)


体内時間を五倍速の領域まで加速させて、彼女もまたアサシンに向かっていく。
そして先頭の一人目掛けて、彼女はさっきと同じ速度で刃を放つ。
当たる直前。彼女の放った刃はアサシンの剣により難無く弾かれた。


(やはり、既にこの速度では読まれているか)


あの速さに慣れたかどうか。それを確認する為に放たれた刃は、彼女の予想通りに弾かれた。


(なら、これで――――――)


五倍速の速さから、一気に二十倍速の領域に咲夜は踏み込む。
文字通りに突風と化した咲夜のその動きだったが、アサシンは見事に捕らえていた。
その剣は、咲夜が自身の正面に来れば確実にその命を奪い取るであろうタイミングで振るわれ――――――


(――――――今ッ!)


二十倍にまで加速させた自分の速度を、咲夜は十倍の域にまで減速させた。
二十倍の速さに合わせての一振りは、彼女が剣の射程内に入る前に空を斬った。


(速くするだけが能じゃない。速度に緩急を付けて、行動を読み難くさせるッ!)


いくら我が師とはいえ、自分がどれほどの速度に動くのかを即座に見破る事は出来ないはず。
それに我が師の場合は思考速度を加速させた訳では無く、研ぎ澄ませた自身の反射神経だけで対処している。
刹那の時で行われる急激な変化には、さすがに着いていく事は出来ないはずだ。

今度は速度を十五倍。投擲速度は二十数倍にまで引き上げて刃を放つ。
そして放たれた一撃は心臓に命中。だがこれは幻。次の第二撃が既に迫っていた。
振るわれる一刀を、彼女は一人目のアサシンを盾にして防ぐ。


(十五倍から十九倍――――――投擲速度、右二十、左は三十ッ!)


先に右から放たれた刃を、遅れて放たれる左の刃が追い抜く。
反射的に右の刃を先に防ごうとした為に、アサシンは左から放たれた刃に対応出来ず、刃は喉元に突き刺さる。


(次、三人目)


十九倍の速度を八倍に落とし、彼女は三人目のアサシンに向かう。
その三人目の後ろに、後二人。背後に一人。それから三歩程離れて一人居た。
この三人の内のどれかが本物のはずだ。


(まず目の前の者を始末してそれか、何ッ!?)


眼前まで迫った三人目のアサシンの腹から、ダマスカスの刃が向かって来る。
その刃は、三人目のアサシンの背後に控えた四人目の物だった。


(分身を壁にして私ごとッ!?)


速度を一気に二十倍に引き上げて、眼前に迫る寸でのかわす。
だが次の瞬間、ダマスカスブレイドの代わりに迫っていたのは一撃必殺の暗殺の牙。アサシンブレードの剣先だった。


(この速さのままでは殺られるッ!速度加速――――――二十五倍ッ!)


ついに二十倍の速度を超えた時、彼女の全身に激痛が走る。
普通ならその痛みで頭の中は支配されるはずだが、彼女の研ぎ澄まされた精神はそれを許さず、思考を続ける。
二十五倍の速度を以って回避した彼女は、四人目の懐に潜り込む。
そして即座に両手にナイフを構え、心臓に、喉に、両肺に刺突の連撃を決める。
手応えはあった。だが刃には血は一切付着してはいなかった。
それはつまり、残る一人が本体である事を物語っていた。


(最後は――――――上か)


咲夜は高速された感覚と思考を以って最後の一人を、上空に飛び上がるアサシンを見る。
それと同時に、上空から豪雨となって降り注がれる飛剣の景色が目に飛び込んで来た。


(不味い、このままではッ!)


加速された感覚で目に映るの飛剣の速度はゆっくりとした物だった。
このままではこの剣の雨が自分に降り注ぐのは明らか。ならば今のこの速度更に上げて――――――


(いや駄目だ、それも出来ないッ!)


降り注ぐ飛剣は、広範囲に展開されて投擲させられていた。
そう、例え今此処で速度を自身の限界だと思われる四十倍の速度に達しても逃れられない程に、広範囲に展開させられていた。
上空から自分にゆっくりと近付いて来る剣の結界。それを前にして、咲夜の思考が結論する。


(私はこれから――――――逃れられないッ!)


飛来する剣の速度を落として回避する。という方法は使用出来ない。
何故なら、速度を落とす為には自身の加速状態を一旦解かなければいけないのだ。
今の咲夜の力では、加速と遅延を同時に使用する事が出来ない。
そして速度を遅らせるには、遅らせる物を一度認識する必要がある。


(だけどこれだけの数を認識するには、加速状態でないと……)


そう、加速状態でなければ不可能だ。
よって、今の彼女に残されている選択は二つ。
一つは加速状態を維持したまま、ゆっくりと落ちて来る飛剣によって串刺しになるか。
もう一つは加速状態を解除して、高速落下して来る飛剣によって串刺しにされるか。
この二つだった。


(このままでは不味いこのままでは不味いこのままでは不味いこのままでは、このままではッ!
 何かあるはずだ、もう一つの可能性がッ!第三の選択肢がッ!生き残る事がッ!)


アサシンならば慌ててはいけない。アサシンならば狼狽えてはいけない。
あの人の弟子ならば、あの人ならば慌てない。狼狽えない。
思考を研ぎ澄まし、可能性を模索しろ。必ず答えがあるはずだッ!
それが何か、それが何かそれが何か、それが何かそれが何かそれが何か、その答えは――――――










「――――――時よォッッッ!!!!」


叫ぶと同時に、咲夜の体に飛剣の豪雨が降り注がれ――――――甲高い金属音が月夜に鳴り響いた。










金属音が全て鳴り終る。そこに立っていたのは、一人のアサシンと突き立つ無数の飛剣。
そして――――――


「―――――ゼハァッ!ゼェ、ハァッ!ゼェ、ハッ、ハッ、ハッ……ハァ」


その無数に突き立つ飛剣の中で、肩を激しく上下させ呼吸する、十六夜 咲夜の姿だった。


「――――――何をした我が弟子よ?お前の降り注がれた飛剣は」

「ゼェ……ハァ……ええ……確かに――――――私に、命中しました」


そう、飛剣は間違い無く咲夜に命中した。
それなのに何故、彼女はこうして今も生きている事が出来るのか?
それは咲夜が飛剣に当たる直前に、自らの時を一時的に停止したからだ。

あらゆる物体には時間が流れている。過去から現在、そして未来へと。そして物体は朽ちていく。
だがその時間の流れを停止させたのならばどうなるか?その物体は朽ちる事はない。壊れる事がないのだ。
つまり、咲夜は自らの時間を停止させて、自らの肉体を壊れる事の無い肉体へと変化させたのだ。
更に簡単に言えば、一瞬の間だけ鋼鉄の体になって攻撃を防いだという訳だ。
それはギリギリの極限状態になって、咲夜の本能が無我夢中で行う事が出来た奇跡であった。


(今までやった事が無いし、出来るかどうかも分からない賭けだったけど……上手く、いった)


咲夜の全身に激痛が稲妻となって駆け巡る。
体内時間をただ加速させただけでなく、その速度を幾度も変更し、更に二十倍速以上の速度で行動したのだ。
この様な結果になるのは当然の事であった。


(けど、痛いだけだ。それだけ。体は問題無く動く。ダメージは負ってない)


戦闘の続行は十分可能。ならば動く。勝つまで動く。
動かなければならないのだと、自らを奮い立たせて刃を構える。


「どれが本体、かは……見極めま……した。次……次で……私が、勝つ」


言葉は途切れ途切れになりながらも、咲夜は自らの勝利を口にする。
どれが幻でどれが本物か。あの一瞬の攻防で見極める事が出来た。
行動の加速も、二十五倍までならば恐らく、あと三回行う事が出来る筈だ。


「無茶をする。その体、今は全身が激痛に苛まれているであろう」

「それ、くらい……しなければ、私、は……貴方には勝てません。
 けどまさかあの、速度を……体の反射だけ、で対処する事が出来た……なんて」


あの一瞬の攻防の中で、咲夜は思考を加速させて判断し行動した。
だがアサシンはその速さに自らの反応だけで対処した。
つまり咲夜と違い考えて行動したのではなく、何も考えずただ勘に従い行動したのだ。
それは修練に次ぐ修練を重ね、数多の死線を潜り抜けたからこそ、辿り着けた境地だ。


「それはお前にも出来る筈だ。出来る様に、基礎を鍛え上げたからな。
 故に、私はお前を侮る事は無い。なにしろお前は――――――」

「はい、我が師よ。私は――――――貴方の弟子なのですから」


師の言葉を、弟子が続けて言葉にする。
油断など、するはずがない。する訳がない。ありえない。あるはずがない。
この人は、我が師は言ってくれたのだ。お前はもう一人の自分だと。
そう言った者に対して、我が師が油断、侮り、慢心する事など無い。
きっと我が師は、今の自分と同じ様に――――――最強の敵と対峙していると、そう考えているはずだから。

敬愛する自らの師に、そこまでの存在になったと認めて貰えた事。
それは彼女にとって胸を震わせ涙を流させる程に、嬉しい事実であった。
だが、今はその時ではないと、咲夜は自らを戒める。


(私はこの最強のアサシンに―――我が師に―――自分に―――勝たなければいけないのだから)


咲夜の目の前で、倒れた虚像のアサシン達が再び立ち上がる。
死なずの分身であるならば、何もおかしい事は無い。だが、彼女は既にこの術の弱点とも言うべき所を見つけた。
息を整えた咲夜は、アサシンに向かいそれを口にする。


「不死の分身を造り出す恐るべきその奥義。ですが、欠点もある様ですね。
 それは一度殺されて甦るまでの間に、僅かなタイムラグがあるという事。
 本来なら一人が殺されても他の分身が相手をして、復活までの時間を稼ぐのでしょう。
 が、今の私ならその僅かな時の間に虚像を討ち、貴方を打倒する事は可能。
 そして――――――」


自らの「時を操る程度の能力」の応用である「速度を操る程度の能力」を更に応用。
「温度を操る程度の能力」で、飛剣の周囲の分子運動を極限まで減速させ温度を極低温にまで低下させる。
すると地面に突き立つ飛剣がみるみる内に凍り付いき、地面と一体になる。


「これは……」

「飛剣の回収も、させはしません。これだけの数です。同じ事をするには、一度回収しなければ行えないでしょう。
 更に虚と実、それがどちらか見切る事が出来ました。次の一手で――――――決めさせてもらいます」


彼女のその手に、何処からともなく銀の刃が出現する。
次の一手を以ってこの勝負を決めるべく、彼女はその全感覚を研ぎ澄ませる。


「成る程。アサシンの業だけでは私には及ばぬだろう。それは私が教えた物だ。どの様に動くかはすぐに分かる。
 だがその能力だけはお前の物。この私でもどうなるかは、上手くは先を読めぬ」

「読めないとは言わないのですね。ええ、貴方らしいです」

「それはお前も同じであるのだがな。まあよい。
 勝負を付けるというのなら、私も……そう、そうすべきであろうな」


対するアサシン五人は再度剣を構える。
この一手で全てが決まると、咲夜は確信する。
この一手でお互いの命に必殺の一撃を討ち込むのだと、彼女は確信した。


「――――――勝負ッ!」


駆け出す彼女は、再度自らの体内時間を加速させる。まずは加速速度、二十三倍。
後はその速度でギリギリまで近付き、そこから三十倍にまで加速させて勝負を決める――――――はずだった。


「――――――え?」


咲夜が加速するよりも一瞬早く、虚像のアサシン達は口にした。


「「「「―――――神は偉大なり」」」」


その言葉と共に、虚像の四人のアサシン達は――――――咲夜の目の前で、自爆した。


「自爆ですってッ!?」


爆発の眩い閃光で視覚を奪われ、猛々しい爆音で聴覚を遮られながら、咲夜は驚く。
咲夜は自爆そのものに驚いているのではない。分身を使っての特攻は、考えられるべき当然の行為だ。
咲夜が驚いているのは、その自爆のタイミングであった。自爆をするのなら、四人で自分の周囲を囲んでから行うはずだ。
それに今の爆発もおかしい。閃光と爆音ばかりが大きく、威力がまるで無い。
これでは、まるで―――――


「―――――しまったッ!?」


咲夜が爆発の意図を完全に理解したその瞬間だった。
彼女のその耳にしっかりと――――――死の宣告が届いた。










「―――幻想隠形ザバーニーヤ―――」










風が吹き、爆煙が掻き消されたそこには――――――アサシンの姿は何処にもなかった。
決して出させてはいけないアサシンの最秘奥。幻想隠形ザバーニーヤが遂に発動したのだ。


「そんな……」


思わず、絶望の言葉を口にしてしまう。
仮想群身ならば、自分はまだ十分に対処する事は出来た。
だがこの奥義だけは、幻想隠形だけは駄目だ。どうあっても、自分はこれを破る方法が分からな――――――


(諦めるなッ!それでもあの人の弟子かッ!?それでも十六夜 咲夜かッ!?
 何か方法はあるはずだ。必ず、何かが、残されているはずだッ!)


空に浮かぶ月は、丁度雲によって隠れていた。
今咲夜の目の前にあるのは薄暗い闇夜……だけだった。
僅かに吹く風の音だけで、何も聞こえない。
薄暗くはあった。だが彼女の目は闇夜の中でもよく見えた。
それでも彼女は、自らの師の影も形も見出す事は出来なかった。

その闇夜の中、彼女は努めて冷静になりながら幻想隠形(ザバーニーヤ)の攻略法を見出そうとしていた。
いくらあの人の奥義といえど絶対に破れない訳がない。
何かしらの方法があるはずだと、必死になってその答えを探る。


「何を焦る必要がある、我が弟子よ?」

「ッ!?」


反射的に、彼女は声のした方を向こうとして、出来なかった。
彼女が聞こえたその声は、彼女の全周囲から聞こえて来たのだ。
声のした方向から位置を確認する事は出来なかった。


「お前はこの奥義を出させない様にしてきた。それはお前が理解していたからだ。
 私がこの奥義を発動させれば、お前に勝機は無い、と」

「ですが、方法はあるはずです。何か、必ず方法が……」

「成る程な。では、こういうのはどうだ?
 お前は今すぐに自らの体内時間を限界まで加速させて、この私を待ち受けるのだ。
 加速された思考の中でなら、私の必殺の一撃を僅かに受け、その時に反応し一瞬の内にこの私を倒す事も可能だろう」

「確かにそれなら……何故、そのような事?」


確かにその方法なら、師の攻撃を受けた瞬間に、最小限の傷を受けた後に反撃する事が出来る。
肉を切らせるのではなく、僅かに皮を切らせて骨を断つ。加速された状態なら、それも可能だろう。
だが何故その方法をこの人は教えたのかが、咲夜には理解出来なかった。


「お前ならその方法をギリギリの所で思い付いたであろうがな。
 だがお前がその方法を取るのならば、私はただ待つまでの事よ」


ただ待つ。どうしてなのかと思うその前に、その言葉の意味を彼女は理解する。


「理解した様だな。今のお前の加速限界は恐らく四十倍速まで。
 そして動かずに四十倍速のまま座して待っていれば、肉体の疲労も少ないだろう。だが、果たしてお前は待つ事が出来るかな?
 四十倍の加速状態の時のお前の時間は、単純計算で通常の一秒が四十秒まで引き延ばされる。その四十秒に、お前は耐えられるかな?
 何処から来るか分からぬが、確実に自らの下に来る死の一撃を四十秒間を、ただひたすらに待つ。
 その中で流れる四十秒は、さぞや長く感じるであろうな。“私”であれば、刹那の時が永遠にも等しく感じる。
 我が弟子よ――――――お前はその時間を耐えられるか?」

「それ、は……」


無理だ。そんな事、とてもではないが出来る訳が無い。
もしそんな事をしてしまえば、自分の気は狂ってしまう。
死の一撃を、ただひたすらに待ち続ける。
師が一秒待てば、自分は四十秒以上の時間を待たなければいけない。
師が十秒待てば、自分は四百秒以上の時間を待たなければいけない。
師が百秒待てば、自分は四千秒以上の時間を待たなければいけない。
師が千秒待てば、自分は四万秒以上の時間を待たなければいけない。
その間ずっと、死の一撃を警戒し続けるなんて事をすれば、間違い無く発狂する。
いっそ殺してくれと、叫んでしまうだろう。
狂って自らの命を、この手で絶ってしまうだろう。


「その手段を使っても無駄だと、そういう事ですか。だから、教えたと」

「その通りだ」


師の言葉に、彼女は歯噛みする。
いっそ諦めて自分に殺された方が楽だと、そういう事らしい。
何をしても無駄なのかと、諦めかけた――――――その時だった。
果たしてその言葉はそれだけの意味しかないのか、と。


(本当に、それだけなの?何か他に意図する所があるんじゃないか?)


その事実を突き付ければ、自分はこの勝負を諦めてしまう。
事実、そうなるはずだった。だが自分は疑問を持った。
もしかしたら、あの言葉は別の可能性を隠す為に言ったのではないか?


(確かに加速状態で待つという考えは、私は言われなくても思い付いたかもしれない。
 けど、それは悪手だ。使えば負ける一手だ。でももしかしたら、他の可能性を思い付いたかもしれない。
 それを思い付かせないた為にあの人は私に、私が思い付いてもおかしくない悪手の一手を言ったのでは?
 それを言って、諦めさせて、可能性の模索を放棄させようとしたのが目的だったとしたら――――――)


自分にはまだ――――――勝利の可能性があるはずだッ!


「……申し訳ありません。もう少しで私は貴方の言葉に惑わされる所でした」

「……裏を読んだか」

「はい。そして読めたからこそ確信します。
 この私には――――――貴方の奥義を破る可能性が、あるのだという事を」


そうだ。我が師は気が付いているのだ。
この私に、自分の奥義を破る事が出来る可能性がある事を。
ならば自分はそれが一体何なのか見極めねばならない。
自分なら出来る筈だ。何故なら、あの人が気が付けた可能性なのだ。
だったらこの自分が気が付けないはずが無い。何故なら自分は――――――


「貴方の弟子であり、貴方の分身。貴方の影であり、もう一人の貴方なのですから」


彼女のその目に、迷いは一切無かった。
この自分が本当にあの人が認めてくれた者であるなら、出来る筈だ。
出来ない筈が無い。自分はその可能性を見つけ出す事が出来る筈だ。
そう思う事が出来た時、彼女の表情には余裕の微笑すら浮かんでいた。
恐怖も不安も無い。ただ静かに、穏やかに、その心は落ち着いていた。


「――――――言葉は不要か」


それを最後に、師の言葉は聞こえなくなった。聞こえるのは、穏やかな風の音だけ。
だが迷いの無くなった今の彼女は、その風の音が心地良くすら感じた。
焦る気持ちは無い。今の自分には、風の心地良さを感じるだけの余裕さえある。
もうすぐそこまで我が師が、自らの死が来ているのに、恐怖は一切感じなかった。


(なんでだろう……不思議だな。命を懸けた戦いの最中なのに。
 いや……そうか。そもそも、それが間違いなんだ。戦ってると思う事自体が、間違ってたんだ)


戦って勝つ。今まで自分はそう考えていた。
だが我が師は違う。ただ、安らかな救いを与えようと考えているのだ。


(駄目だなぁ……私。今の今になってやっと、あの人の事を理解出来た。
 あの人は一度も、戦って勝つなんて事考えてないはずだったのに。
 穏やかな死。安らぎを、救いを与える。それが、我が師だったんだ)


死を間近に感じながら、間近に迫る師を理解する事が出来た。
だとしたら、今の自分なら気が付ける筈だ。
あの人を理解し、あの人と同じ心境ならば、師が気付いた可能性に自分も気が付けるはずだ。
自分の―――可能性を―――


「あ……そうか……」


その可能性に、彼女は、咲夜は気が付いた。
それは気付いてしまえば、なんて事はない事だった。
後はあの人が来るであろう瞬間に、それを行えばいい。
大丈夫。今の自分なら、その瞬間すら分かる。


「分かります。貴方が、もうすぐそこに居てくれてる事」


風が頬をくすぐる。耳元で歌う。それを聞いて、思い出す。
懐かしい、あの歌声が――――――










「―――私の世界―――」


咲夜の言葉と共に時が止まり、世界が止まる。そう、ただ一つの存在を除いて。
彼女はその存在に向かって――――――何も居ない目の前の空間に、銀の刃を突き立てた。










「………………ぬ、ぐぅ」


苦悶の声は、その何も無い筈――――――だった、空間から漏れ出た。
声が聞こえた瞬間に、彼女の目の前に、自らの師であるアサシンが現れた。
一撃必殺のアサシンブレードを彼女に放つ前に、その心臓に銀の刃を突き立てられてた姿で。


「気付い……たか」

「はい。本当は、簡単な事だったんですね」


自分が世界の時を止めれば、我が師は自らの能力でそれに抗う。
そして抗ったその瞬間に、僅かな抵抗が生まれる。小さな気配が放たれるのだ。
それは本当に小さなものだった。普通なら、気付かない位に小さな違和感。
だけど、この世界でなら、それがはっきりと分かります。
何故ならこの世界で今動いているのは――――――


「私と、貴方と……二人だけだから」


風の音は聞こえない。闇夜に浮かぶ雲も動かない。何の気配も、一切しなかった。
そう、自分と、この人だけを除いては。
だからこそ気付く事が出来たのだ。ほんの一瞬だけ現れた、この人の気配を。


「……この、世界で、言葉を誰かと交わすのは……久方振りだ」

「それは、私も同じです。私の世界で、私と貴方以外の誰かが話せる事は、ありませんから」

「……だろう、な」


時の止まった世界の中で、その小さくなった声は良く聞こえた。
そして突き立った銀の刃から伝わって来る鼓動が、はっきりと伝わって来る。
だからこそ分かる。自分は今、我が師の心臓を刺したのだと。
それを理解した、その瞬間だった。


「……ふふ、ふふふふ」


あのアサシンが、あの我が師が――――――笑い声を上げたのだ。


「……我が師よ?」


十六夜 咲夜の、彼女の人生において、彼の笑った声を聞いたのはそれが二度目だった。
普段は決して笑う事などは無い我が師が笑ったのを見たのは、もう随分と前の事。
ローブの影で顔は見えないが、今確かにこの人は笑っている。
あの時と、あの夜と同じ様に笑っているのが、彼女には分かった。


「やっと……やっと私は、言う事が……出来、るのだな」


まだ刃が出されていない左のアサシンブレード。
本来だったら一瞬で突き出されるその腕は、ただ弱々しく、彼女に向かっていく。
そして彼女の下に手が届いたその時に、彼は――――――彼女の頭にその手を乗せた。


「………え?」


何をされたのか、彼女は一瞬分からなかった。
だがこの手の感触だけは、すぐに思い出した。
かつて大きく感じたその手は、少しだけ小さくなった様に感じた。
頼もしく力強かったその手は、少しだけ弱くなった様に感じた。
心地良く暖かかったその手は、少しだけ冷たくなった様に感じた。
それでも、その懐かしい手の感触は思い出す事が出来た。
小さかった頃、この手はよく自分を撫でてくれた。
頑張って、そして褒められる時に必ず撫でてくれるこの手が、彼女は大好きだった。


「我が弟子よ……十六夜……咲夜よ」


彼女は、咲夜は、その言葉は驚くしかなかった。
十六夜 咲夜の名で、呼ばれた。それも自らの弟子と言って。
それだけでも驚くべき事なのに、この人は更に信じられない事を口にした。


「良き名を、貰ったなぁ……」


穏やかに、優しく、彼女の師は咲夜の名を褒めた。
そして彼女が大好きだった、あの言葉を――――――言ってくれた。










「――――――よくやった。さすがは我が弟子だ」


――――――そして時は動き出す。










君がいつか見た後書きは、終わらない旅の途中だったんだ。

ああ……やっと、此処まで来ました。
どうも、荒井スミスです。ちょっと感無量になってます。
今回の戦いは、とんでもない速さで繰り広げられました。
読んだら長いけど、その戦闘時間は五分も経ってないんじゃないかなと思います。

さて、今回の戦いで見せた咲夜さんの戦闘について、少し話しましょう。
咲夜さんが時を操る程度の能力を色々と使用しましたが、これは他の一次作品を参考にしました。
加速状態はFate/Zeroの衛宮 切嗣さんとか。
時間止めて鋼鉄の体になるのはダイの大冒険の凍れる時の秘法とか。
剣を凍らせたのは暁の円卓という作品の主人公がやって見せた描写とか、色々です。
とまぁね、色々な作品の時間操作なりなんなりを参考にして、この魔改造咲夜さんが誕生した訳で。
……さすがにやり過ぎたかなぁとは思いますよ?この私でもさすがにね。
けどもっとやり過ぎるとね、この咲夜さんで一兆度のプラズマ火球とか発生出来るんですよ。
しかも物理法則を無視して、マイナス一兆度なんて馬鹿げたとんでも技を使えたりトカね。
……ええ、怪獣です。宇宙恐竜です。Zンです。私的には百魔獣の王ですが。ラギュ様ですが。

仮想群身ザバーニーヤって奥義も出ました。
あれはね、アサシンクリードの1と2のラストバトルに出て来た技を、参考にしました。
本来なら、あるアイテムが無いと使えない技なんですけど……ほら、そこは二次創作って事でさ。ね?

さて、遂に次回から色々とこの作品の中での謎が明かされていきます。
いや長かった。本当に長かった。やっとネタバレ出来る。
それでは!



[24323] 第四十三話 歓喜の涙
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/12/17 23:13




止まった咲夜の世界が動き出したその時に、アサシンは膝を着き、そして倒れた。
我が師の思わぬ言葉に混乱した彼女だったが、倒れたアサシンを見て、すぐに抱き起す。


「我が師よッ!一体、そんな……どうしてッ!?」


倒れた師に向かって、何をどう言えばいいのか。
そもそも、倒したのはこの自分なのだ。その自分が一体、どんな言葉を……


「すま、ないが……ローブを、外してくれ。お前の顔がよく、見えん」


途切れ途切れになってはいたが、彼は何時もと同じ、穏やかな調子で弟子に語り掛ける。
その言葉に、弟子は何度も何度も頷き、そして頷いた後で、そのローブを外した。
そして、今の今まで隠れていた我が師の顔を、彼女はやっと見る事が出来た。


「ああ……よく見えるぞ。お前の、顔が。これ……何を、泣いているか」


時が動き出し、空の雲は流れて、隠していた月の光を通す。
ローブを外したその時と同じくして、月光が師の顔を照らした。
久しぶりに見る我が師の顔は、別れた時から一切変わってはいなかった。
あの時から変わらない顔で、あの夜と同じ時笑顔が、そこにあった。


「我が師よ……私は、私はッ!」

「泣く事は、無い。悲しまずとも、よいのだ」


師はそういうが、彼女は泣かずにはいられなかった。
自分の手が、この手が、我が師の心臓に刃を突き立てたのだ。
泣かずにはいられなかった。自らの半身にこの手で、刃を突き立ててしまったのだ。
これが、どうして泣かずにいられようか。


「やはり泣くな……という方が、無理か。私は、お前に……酷い事をし……そして、させたのだから」

「師よ……師よ……」


涙を流し続け、師を刺したその腕で、彼女は強く抱き締める。
かつてはあんなに暖かかったこの人の温もりが、今ではもう僅かにしか感じる事が出来ない。
自分がそうしたのだ。自分が、この自分が……


「昔は、私の腕の中で……お前が寝たものだが……今は、逆だな。
 ああ……大きく、なったのだなぁ……それ、に……う、くぅ……」


ほんの少し前は必殺の一撃を神速の速さで繰り出したその右腕を、彼は必死に持ち上げようとする。
彼女はその手を取り、その動きの手助けをする。
弟子の力を借りてやっとの思いで行き着いたその手の先は、彼女の頬だった。
冷たくなりつつある指で、愛しそうにその頬を彼は撫でて、口にする。


「本当に……美しく、なっ……た……」

「……師よッ!」


自分の頬を撫でてくれるその手を、彼女は更に強く握り締め、頬に当てる。
彼女の瞳から流される涙は頬を伝わり、一つになった師と弟子の手の上を流れた。

そんな二人に近付く者が、一人居た。
この短い戦いを最後まで見届けた十六夜 咲夜の主――――――レミリア・スカーレットだ。
体の毒はまだ消えないのか、その体はまだふらついていた。


「初めてお前の顔を見るが……そんな風に、笑えるのだな」


初めて見るアサシンの顔を、その笑顔を見てレミリアが最初に思った事。
それは、笑ったその顔の雰囲気が、咲夜が笑った時と似ているという事だった。
人種も性別も年齢も、勿論顔立ちも違うはずなのに、二人はよく似ていた。
師匠と弟子というものは此処まで似るものだろうかとか、この二人だからなのかとか、そんな事を考えてしまう。


「二人は、よく似てるな。まるで……親子みたいだ」


親子。この二人を見てレミリアが思い付く言葉がそれだった。
レミリアの中で一番しっくりくる言葉が、それだったのだ。

レミリアの今の心境は、複雑な物だった。
この男に家族を殺された怨みを今すぐにでもぶつけてやりたい。
愛する咲夜にこの男を倒させてしまった事が悲しくて仕方が無い。
憎悪と悲しみと、複雑に入り混じった視線をレミリアは二人に向ける。


「レミリア……スカーレットよ……」


不意に自分の名を呼ばれたレミリアは、その言葉に応じていいのか一瞬迷った。
だが、もうすぐ死ぬだろう者の言葉だ。答えない訳にはいかないと考え、返事をする。


「なんだ……アサシン?」

「我が弟子に良き名を与え……そして、家族として迎えて、くれた事……感謝、する」

「………私は」


その言葉に、自分はどう答えればいいのか。
幼い吸血鬼はそれに答えようとして、だが何を言えばいいのか分からずに言葉を途絶えさせるしかなかった。
それに構わず、アサシンは続ける。


「そして……済まない。貴女には……迷惑を、かけた」


済まないと、その言葉を聞いてレミリアは――――――


「迷惑……?迷惑ですって?――――――ふざけんじゃないわよッ!」


激高した。声を張り上げて、怒りを露わにして、目を涙ぐませて。
レミリアはその勢いに任せて、その怒りを吐き出す。


「フランを、家族を殺した事をそんな、そんな言葉で済ませるんじゃないわよッ!
 あんたの所為で、あんたの所為でみんなは……みんなは……みんな……」

「お嬢様……」


怒る主を見て、咲夜はどうしようもない気持ちになる。
確かに、済まないという言葉で済ませていい事ではない。
主が師を責めるその気持ちは、咲夜にもよく分かるから。
けれど自分は、どうしてもこの人を今責める気持ちにはなれない。
だからこそ、咲夜は悩むのだ。この先どうすればいいのか、と。

だがその答えは、意外な所から出て来た。


「その事だが……安心するがいい。
 あの闘士にも言ったが、貴女達は――――――誰一人として、欠けてはいない」










「ね……え……き……ほ……たら……」


誰かが、自分を呼んでいる。ぼんやりとした意識でも、それが分かる。


「ねえ……早……きて……ねえ……」


ああ、分かる。この声が誰の物か、自分にはすぐに分かる。
分からないはずが無い。だってこの声は、自分を呼ぶこの声は―――――


「ねえ……起きてよ……美鈴……お母さん」


私の最愛の、娘の声だから。


「ん……あれ……え……?」


ぼんやりとした意識のまま彼女は、紅 美鈴は目を覚ました。
目を覚まして、彼女が最初に目にした者は―――――


「あ、もうやっと起きたの?ねえ大丈夫、お母さん?」


自分の事を母と呼ぶ、自分の娘の――――――フランドールの笑顔だった。


「フラン……え?……フラン、なの?」

「そうだよ。ほらほら、しっかりしてよもう」


頬を愛らしく膨らませてみせるその姿は、紛れも無くフランドールの姿だった。
一体何がどうなっているのか。彼女の混濁した意識は状況を把握しようと動き出した。


(私は……えっと、今まで寝てて……で、起きて……うん。
 いやその前は、そう……寝る前私は……一体……どうしてたっけ?)


自分に何があったのか、美鈴は必死に思い出そうとする。
そして落ち着いてきた頭の中から、ある者の言葉が呼び起こされる。


――――――次にお前が目にする者は恐らく――――――お前の娘の顔かもしれぬな。

「ッ!?」


その言葉を思い出して、彼女は自分がアサシンに殺された事を思い出す。
だとしたら今目の前に居るこの子は――――――ッ!?


「フランッ!体はッ!?痛い所は無いッ!?恐い事は、いや、アサシン……あのアサシンはッ!?」

「い、痛い、痛いよお母さんッ!」


痛がる娘の言葉を無視して、美鈴は必死になってその体を調べる。
怪我は無いかとか、おかしな事になっていないかとか、そもそも死んでるのかどうか。
フランドールの体を自分の手で強く握り締めて、彼女は必死になって調べる。
だがその無茶苦茶な調べ方にとうとうフランの方が耐えられなくなり――――――


「止めてって言ってるでしょがッ!」


母親の頭を殴り付けた。


「――――――ッ!?痛ッ!いったぁッ!
 ほわっちゃ……いったぁ……あたたたたた……」

「もう、何度も言わせないでよね!」


思わぬ一撃を脳天に貰った美鈴は、その痛みで思わず涙が流れる。
そしてそこで気付く。自分の体が、痛みを感じている事に。
その事に気付いた彼女は、一気に冷静になる。


「痛い……え……それじゃあ……」

「あんまりしつこいといくらお母さんでも……え?」


文句を続けて言おうとしたフランの顔を、今度は冷静に、自分の手で調べる。
はっきりとこの手で触れる事が出来る。その顔に、腕に、体に、触れる事が出来る。
そして、感じる事が出来る。自分の娘の鼓動と、その温もりを。
そう、今此処に、今自分の目の前に居るフランドールは――――――


「生き……てる……?生きてる、のね?」


気付いた瞬間に、母は娘を力強く抱き締めた。


「フランッ!フラン……フランッ!よかった……よかった、よかった。
 生きててくれて……ああ、生きてる……此処に居るのね……
 私の娘が……フラン……ああフラン……フランドール……」


娘が生きててくれた。その事実に美鈴は涙を流さずにはいられなかった。
この子をこうして抱き締める事が出来た事に、歓喜せずにはいられなかった。

一方フランはといえば、思わず母親に強く抱き締められて、痛くて苦しい思いをした。
だがそれが喜びと、自分を愛してくれているからだという事も分かるから、無理矢理離れる事も出来なかった。
それに抱き締められて嬉しいのは自分も同じだ。だからフランも、美鈴を抱き締め返す。
照れた赤くなったその顔を見られない様に、母親の胸の中に顔を隠す様に。

少しして、美鈴はフランをやっと離した。
フランが生きていた事があまりに嬉しくて、美鈴は自分がまだ生きている事にやっと気が付いた。
そして思わず、アサシンに刺されたはずの自分の胸に手を当てる。
だがそこにはあったのは、服に僅かばかりに空いている小さな穴があるだけだった。
襟元を広げて刺されたであろう自分の胸の部分を見ても、肌には傷一つ無く、血の跡さえ無かった。

今度は自分が一体今何処に居るのかを確認する。
そこは自分がさっきまで居たはずの紅魔館の玄関前の光景ではなかった。
薄暗く、古くなった紙の独特の匂いが立ち込めるこの場所は――――――


「此処は……図書館?」


そう、彼女が居るのは紅魔館が誇る大図書館であった。
美鈴はその図書館のソファーの一つで、寝ていたのだ。


「どうして、私は此処に……そもそも何で、死んでないの……?」


次から次へと疑問は湧いて来る。
そんな彼女の目が、ある者を見付けた。
自分と同じ様にソファーに横になって寝かされているパチュリー・ノーレッジ。
そして机に身を預けて寝ているパチュリーの使い魔である小悪魔の姿だった。

美鈴はソファーから起き上がり、二人の様子を伺う。そして二人は、無事に生きていた。
パチュリーの方はどうやらただ単に気絶して寝ているだけ。そして小悪魔の方はと言えば……


「えへへへへ……パチュリー様ったら……あん……駄目ですぅ……そんなぁん……」


幸せそうに寝言を言いながら、涎を垂らしていた。


「……と、取り敢えずまずパチュリー様を」


美鈴はソファーに眠るパチュリーに近付き、きっちり斜め四十五度の角度でパチュリーの首筋に喝を入れる。


「むぎゅんッ!え?な、なに?何事?」


奇声を発して。パチュリーは一発で起きた。


「えっとパチュリー様、私です。落ち着いて下さい」

「え、美鈴……えっと、何で此処に?」

「私も今起きたばかりでよくは分からないんですが……
 パチュリー様、気絶する前に何があったかは思い出せますか?」

「何がって……そ、そうよッ!あ、あのアサシンがこの屋敷にッ!……あれ?じゃあ何で私……生きてる、のよね?」


ついさっきに美鈴と同じ事をパチュリーは思う。だがその答えは美鈴にも分からない。
どうして自分がこうして生きているのか。何故あのアサシンが自分達を殺さなかったのか。
疑問は次々と出て来るが、そのどれもが分からない事ばかりだった。
そんな疑問に頭を悩ませる二人に、フランは声を掛ける。


「ほら二人とも、起きたんなら早く行こう」

「行くって……何処にですか?」

「屋上。お姉様達とアサシンのオジサンが居るから」

「ちょ、ちょっと待ちなさいフランッ!?どうして二人が何処に居るか分かるの!?
 そもそも、えっと……アサシンのオジサンって」

「もうッ!時間が無いから速くしてよッ!」


何かに焦る様に、フランは二人の手を握り急いで引っ張る。
何が何やら、訳が分からない二人はフランにされるがままに図書館から連れ出されていく。


「ちょ妹さ、フランッ!一体何をそんなに」

「イダダダダダダダダァイッ!手がッ!手が千切れ潰れ離れガガガガガガガ……ギャァァァァァッ!」


あっと言う間に、三人は図書館から出て屋上へと向かって行った。


「……ふにゃぁああ……あぁん駄目ぇ……そんな……無理……にへへへへ……」


約一名を、図書館に残して。










「誰も、殺してないだとッ!?」


アサシンの言葉に、レミリアは驚くしかなかった。
それは咲夜も同様であり、驚愕のあまりに何も言えなかった。
だがアサシンはレミリアの言葉に、弱々しくではあったが、しかと頷いた。


「その、通りだ。私は……誰一人として……手に、掛けてない」

「それじゃあ、これは?このフランの帽子は?」


レミリアは手にしたフランの、血の付いた帽子を見せる。


「借りた、だけだ。付いているその血は……私の物だ」

「そんな……それじゃあ、それじゃあ私は……」


そう、レミリアはアサシンの血の付いたフランの帽子を見せられて、勝手に殺されたと勘違いしだだけだったのだ。


「そもそも私は……お前達を、殺そうと思って来た……訳では、ないのだ」

「そんな……我が師よ、それじゃあ貴方は……どうして此処に?」


震える声で尋ねる彼女の問いに、アサシンは静かに笑って、答える。


「何の事は、無い。私は……ただお前に、会いに来ただけなのだ」


ただ会いに来ただけ。
言葉にすれば短いその言葉に、レミリアも咲夜も驚くしかなかった。


「そんな……そんなッ!だって、だって……だってッ!我が師よ、貴方は言ったじゃないですかッ!
 裏切り者の私を、お嬢様を殺せなかった私を……殺しに、来たって」

「そんなものは……ただの、虚言だ。お前達を、欺く為の、嘘だ。
 いや、そもそも嘘と言うなら私は……ぬ……ぐ……」

「喋らないで下さいッ!傷が、傷……開いちゃう……駄目駄目駄目、そんなのダメェッ!」


声を張り上げ、必死になって呼び掛ける咲夜。
その体からは段々と温もりが消え、次第に冷たくなっていく。
それが恐くて、今にもこの人が死にそうで、だから呼び続けた。
必死になって、呼び続けた。

少し持ち直したのか、アサシンの呼吸は少しばかり楽になる。
驚くべき事ばかりを口にするアサシンは、更に驚くべき彼女達に事を告げる。


「嘘と言うなら……お前の任務自体が、嘘だったのだ」

「嘘って……それって、どういう事……?」

「テンプル騎士団との戦いは……苛烈なものだった。いかにお前と言えど、死ぬ可能性も、あった」


途切れ途切れになりながらも、アサシンは語った。
騎士団との戦いはあまりに苛烈で、双方の陣営で多くの者達が亡くなった。
教団本部は壊滅し、かつての彼の弟子であった当時のハサン・サッバーフも死亡した。
長かった戦いが終わり、教団が機能を回復させるのには、更に長い年月が掛かったそうだ。


「それじゃあ何で、私にあの様な任務を?」

「此処に、お前が来る事が出来れば……お前は死ぬ事は無いと、あの者が……ぬ、クッ!」

「我が師よッ!しっかり、しっかりして下さいッ!」

「お前は、お前は裏切ってなど……いない。何一つとして……何一つとしてだ」


そしてアサシンは自嘲的な笑みを浮かべて、彼女に詫びる。


「済まない、我が弟子よ。私は、私は……“我が身”可愛さのあまりに、お前を、お前を一人此処に……逃げさせたのだ。
 ふふ……何がフィダーイーか。自己犠牲を厭わぬ者か。裏切り者が居るとすれば、この私ではないか。
 我が弟子よ……この様な私に、失望した事だろう……だがな……だがそれでも……」


冷たくなった右手に力を籠めて彼女の手を握り、師は弟子にその想いを伝えた。


「お前だけは、お前だけは、私は――――――死なせたくなかったのだ」

「……師よッ!」


彼女は涙を更に流し、その手を強く握り返す。
自分一人を生かす。その為にこの人がどれだけの苦悩を抱えたのか、彼女にはその言葉だけでありありと伝わった。
他の兄弟達を死地に赴かせ、自分一人だけを逃がすというその決断にどれだけ苦しんだか。
逃がした先で、自分が味わうであろう苦しみと悲しみを想像してどれだけ心を痛めたのか。
それでもこの人は決断した。その決断を、どうして自分が責められようか。
それ程まで自分を想い愛してくれたからこそ、この人はその決断をしてくれたのだ。
その想いを知って、責められる訳がない。責める事など、出来るはずがないではないか。


「でもだったら……だったらどうしてこんな……こんな事を……」


弟子の問いにアサシンが答える前に、フランに連れられて美鈴とパチュリーが遅れてやって来た。
訳も分からずに来た美鈴とパチュリーは、目の前に飛び込んで来た光景を見て更に困惑するしかなかった。


「ちょっと、何が……どうなってるのよこれ?」

「アサシンが倒れて……まさか咲夜さんが、倒して……ああ、そんな」


困惑を言葉にするパチュリーと、僅かではあるが、何が起こったのか察した美鈴。
この結末を迎えない様にと、咲夜に自身の師を倒させない様にと。
その約束が守る事が出来なかった事に、美鈴は悔やむしかなかった。


「来たか……闘士よ。丁度いい時に来た」

「アサシンッ!何故私を殺さなかったッ!?そもそも、どうして私は死んでないッ!?
 あの時……私は確かに、貴方の刃で貫かれたはずなのに」


詰め寄る美鈴に、アサシンは短いが、美鈴にはすぐに分かる様に、それに答える。


「私は、最初からお前達を殺す気は無かった。死ななかったのは、ただ我が刃の一撃が鋭かったからだ。
 細胞を傷付かなければ、切り口は元に戻るからな」

「戻し切り……ならば、傷が無いのは分かりますが……」

「気絶したのは、刃に仕込んだ毒の……効果だ。お前が居ては、私の目的は……果たせなかったので、な」

「目的……そう、それです。私達を殺す気が無かったのなら、一体何が目的だったのですか?」

「それは……ぬ、くぅ……」


答えようとして、だがアサシンはそれが出来ずに、代わりに苦悶の表情を浮かべる。


「我が師よッ!しっかりして下さいッ!」

「どうやら、私が全てを答える事は……出来そうもないか。
 だがこれだけは……これだけは、私の口から……」


力を振り絞り、アサシンは自分の愛剣へと手を伸ばす。
だが剣を掴む事は出来ても、その手には既に持ち上げるだけの力は残されてはいなかった。
しかし、その剣は持ち上がった。彼と一緒に、彼女が持ち上げたのだ。


「我が弟子よ……私はな、最後にこれを……お前に託したかったのだ」

「これは……でも、貴方の……」


師の半身、いや師そのものとも言える剣。それがこの、ダマスカスブレイドだ。


「これを、この剣を託せる者にやっと、私は出会えたのだ。今のお前になら、この剣を……頼む」


彼女にはそれが、我が師が万感の想いを籠めての言う言葉だという事が分かる。
分かったのならば、頷かない訳にはいかなかった。


「……分かりました。この剣。この私がしかと受け取りました」

「そうか……そう、言ってくれるか」


弟子のその言葉を聞いた師は、満足に頷き、微笑みそして――――――涙を流した。
その涙は、彼女が始めて見た、師の涙だった。
もう涙を流す事は無いと言った、師の涙。それを、彼女は始めて見たのだ


「師よ……何故、泣かれるのですか?」

「昔……あの夜に、お前が思い出させてくれたではないか。人は……嬉しい時にも泣けるものだと。
 どうやら私は、悲しみ涙する事は出来ずとも……まだ、喜びで泣く事は……出来るらしい」


その声はとても小さく、もはや彼女だけにしか聞こえなかった。
彼女だけが、彼の言葉を聞く事が出来た。


「老いに抗い……生き延びて……数百、年。やっと、私は……これを……託せる……者に……」

「お願いです……しっかり……生きて……お願い……」

「お前が生きていれば……私は……死なぬよ……だから……な……」


涙を流し、笑って、小さなその声で、アサシンは彼女に告げた。










「ありがとう―――――我が弟子よ」


その言葉と共に、弟子と共に手にした剣から、師の手が落ちた。
月夜に残され響いたのは、彼の弟子の――――――慟哭だった。










人民の人民による人民の為の後書き。

どうも、荒井スミスです。
これで、長かった夜がやっと終わりました。

取り敢えず……私は一切嘘は言ってませんからね?
復活はしないし、甦る事もしない。はい、全く嘘は言っておりません。
だって、みんな死んでないもん。死んでないも~ん。
……うん、石とか投げてもいいよ?

元々、アサシンは殺す気は無かったんですよ。
ただ弟子に会いに来ただけ。それだけだったんです。
でもそれじゃなんで戦う事になったのか?はい、まだ謎が残っています。
でもそれはちゃんと後で分かります。
次回はついに今回の出来事の全貌が明らかに……なるっぽい。
なるかもしれんッ!……なるのかな?……なればいいなぁ。
それでは!



[24323] 第四十四話 救いの言葉
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2011/12/23 22:52





弟子の腕の中で、アサシンは眠りに着いた。
咲夜は大声を上げて涙を流し、師の体に縋り付いた。
自らの半身を失った悲しみ。この手でその半身を殺した悲しみ。
その悲しみを泣き声として吐き出し、涙として流そうとしても、それは尽きてくれる事はなかった。
いつまでもいつまでも、悲しみは無くなる事はなかった。
世界の時は動いている筈なのに、咲夜はそれを感じる事が出来ずにいた。

始めて見る咲夜の深い悲しみに、紅魔館の者達は何も言う事が出来なかった。
ただ黙って、泣いている彼女の姿を見守る事しか出来なかった。
なんとかしたいとは思っても、どうする事も出来ない。
何かをしてあげたいと思っても、何をすればいいのか分からない。
そんな歯痒い思いに、彼女達の心はこれでもかと苦しめられる。

永遠に続くかと思われる程の悲しみに支配された夜。
それでも、そんな悲しみの夜でもいつかは終わるものだ。
彼女は師の体に抱き着き、涙を流したまま疲れ果てて眠ってしまったのだ。









――――――それが、この夜の終りだった。










その翌朝、紅魔館は重苦しい空気に包まれていた。
ほぼ全員が疲労の為に、その夜はすぐにでも眠れたのはありがたかった。
だが目を覚まし起きても、皆の気持ちが晴れる事はなかった。

特に酷かったのはやはり、咲夜であった。
慣れない能力の使用により、彼女の体は相当消耗した為か、目を覚ましたのは一番最後だった。
目を覚ました彼女は、目の前に師が居ない事に酷く慌てた。
半狂乱になりながら、他の者達に師が何処に居るのかを脅す様に尋ねた。

アサシンの遺体は、紅魔館の一室に安置されていた。
遺体の横には、アサシンから彼女に託された剣が寄り添うように置かれていた。
彼女は師の側に近寄ると、「二人きりにさせてほしい」と頼み、他の者達を部屋から出した。
部屋から離れる者達の耳には、小さく、押し殺す様な、彼女の泣き声が聞こえた。

そして、咲夜を除く全員が、紅魔館の一室に集まっていた。
全員立っているのも億劫なのか、それぞれ思い思いの場所に座っていた。
沈黙が続く中で、最初に声を発したのは館の主のレミリアであった。


「これから……どうしようかしら?」


それは誰かに尋ねるというよりも、半ば独り言の様な物であった。
誰も答えられるとは思っていなかったその言葉に、意外な者が答えた。
レミリアの妹である、フランドール・スカーレットであった。


「取り敢えず……咲夜が来るのを待たないと」

「え?……ええ、そりゃ……そうね」


答えなど期待していなかったレミリアは、意外な者が答えた事に二重で驚く。
しかし答えそのものは平凡なものであり、レミリアも適当に相槌を打ち、おざなりに返事をする。
だが続くそれから言葉が、レミリアの耳に違和感として伝わる事になる。


「私、咲夜に……ううん、みんなに言わなきゃいけない事もあるし」

「言わなきゃ、いけない事……?フラン、それって一体」

「そういえば……あの、妹様?えっと、私が図書館で眠っていた時に、なんだか慌てて屋上に行きましたよね?
 あの時は別になんとも思わなかったんですけど……あの時の妹様は、何か……変でした、よね?」


アサシンの一撃を受けて眠りに着き、そして図書館で目が覚めた。
あの時美鈴は、フランに屋上に引っ張られる中で何かが違和感がある事に気付いていた。
それは、フランドールが自分達と一緒に居た事だった。
事が終わった後で、レミリアがフランの帽子を見て我を忘れた事を美鈴は聞かされた。
それを聞いて美鈴は、フランが自分と同じ様にアサシンによって眠らされて、その時に帽子を持って行かれた。
そしてフランが一番最初に起きて、自分達を起こしたのだと、勝手に解釈していた。
だが、それだと一つおかしい事がある。
自分達を起こした。それはフランが心配して行った。これは問題無い。
問題はその後。つまり――――――


「妹様……どうして、咲夜さん達が屋上に居る事を分かってたんですか?」


それが、美鈴が感じた違和感だった。
もし、自分が一番に起きて確認するとしたら、あの場合は自分が生きてるかどうかの確認だろう。
確認の後に、周囲の状況を把握する。あの時自分はパチュリー達のすぐ近くに居た。
寝ているパチュリー達を見た自分はきっと、慌てて生死の確認を行うだろう。
そして生きていると分かれば、寝ている者を起こした事だろう。
そう、きっとそこまでしかしないだろう。何がどうなのか分からない状況。慌てて他の確認などしない筈だ。
だが、フランの場合は違った。
フランは自分達を起こした時には既に、レミリア達が屋上に居る事を知っていた様子だった。
それに慌てた事は慌てていたが、あれは何が起こったのか分からずに混乱したと言うよりも、
何か目的があって、それに間に合せる為に急いでいた。そんな感じがしたのだ。

美鈴の説明を聞いて、レミリアもやっとその事に気付く。
おかしいと言えば、アサシンが持っていたフランの帽子だ。
あの帽子を手に入れるには、どうしてもフランに会わなければいけない。
そしてフランに会うには地下の部屋の、あの固く分厚い扉を開けなければいけない。
あの扉を開ける時、どうあっても大きな音がしてしまう。
いかに隠形の達人といえども、扉を開ける音でフランに気付かれてしまうはずだ。
そしてフランが気付けば、その時は戦闘が起こる筈だ。戦闘が起これば、双方共に相応の被害があるはずだ。
戦闘の経験が乏しいとはいえ、曲がりなりにもフランドールは力のある吸血鬼だ。
たとえ倒す事は出来なくとも、アサシンに深手を負わせる事位は出来たはずだ。
なのに、アサシンはレミリアの下にやって来た。特に大きな深手を負っている様子も無く、だ。


「……フラン。どういう事か、説明してくれるかしら?」

「うん。それもね、咲夜が来たらちゃんと言うから」


姉の言葉に、妹は真剣な表情で答える。
いつもは自由奔放な彼女の珍しい顔を見せられて。レミリア達はそれ以上の追及が出来なくなった。
だがそれでも分かった事がある。フランドールは、確実に何かを知っているのだと。

それからまた少しして、彼女達の下にやっと、咲夜がやって来た。
その姿は一目見ただけで、誰もが痛ましく思う物だった。
体内時間の加速によって起こる反動により、体は激しく損傷。
ふらふらと片足を引きずる様にして歩く姿は、さながら生きた死体だった。
泣きに泣いて、その目は真っ赤に充血していた。頬にも涙を流した後がはっきりと残っていた。
先に生きた死体という言葉が出て来たが、今の彼女はまさにそれ。
生きてはいるが、それだけ。ただ死んでいないから動いているだけだった。
それは仕方の無い事だったのかもしれない。
何故ならあの夜に、彼女は自らの手でもう一人の自分を殺したのだから。


「あの……咲……夜……?」


自らの従者のその酷過ぎる有様に、主は思わず声を掛ける。
だが咲夜はそれに一瞥する事すらなく、適当な場所を見付けて、そこに崩れる様にして座り込む。
うな垂れて両手を組み、呼吸する為に僅かに体が動くだけの彼女を見て、レミリア達は何を言うべきなのか。
レミリアには何を言ってあげればいいのか分からなかった。
分からなかったからこそ、従者の名前を呼ぶ事しか出来なかった。


「咲夜……咲夜……ねえ……咲夜」


レミリアは三度彼女の名前を呼んだ。
だが彼女はうな垂れ、俯き、地面を見ているだけ。
答えもせず、見向きさえする事はなかった。


「咲夜ってば……ねえ、咲夜ぁ……」


レミリアは涙声になり、彼女に近付き、その肩を揺すって名前を呼ぶ。
だがそれでも彼女は答えず、揺さぶられるまま視線を泳がせるだけだった。


「ねえお願い……お願いだから私を見てよ……咲夜ぁ……」


遂には涙を流して、答えてくれと彼女は懇願する。
そこでやっと、彼女は今自分が何処に居て、誰が目の前に居るのかに気が付いた。


「あ……お嬢……様……?」

「咲夜ッ!?そうよ、私よッ!咲夜……咲夜……」


咲夜と、そう呼ばれても、彼女はぼんやりとそれを聞くだけだった。
レミリアが何を言ってるのか、彼女には分からなかったのだ。
一体レミリアの言う――――――さくや、というものが何なのか、彼女には理解出来なかったのだ。


「さく、や……さくや……さくや?」


彼女は何度も、その言葉を繰り返し呟く。
その言葉はもう何度も聞いた事があるし、自分はそれが何なのかも知っている。
だがどうにも……思い出せない。何か、特別な意味があったはずなのだが……


「さくや……さく……あ、そうだ。何だ、私の事でしたね」

「え……咲夜……?」


思い出して、やっと気付く。
十六夜 咲夜。確か自分はそんな風に呼ばれていたはずだ。


「そう、そうでしたね……今の私は、十六夜 咲夜でしたね。
 お嬢様の従者で……この紅魔館の一員で……ええ、十六夜 咲夜でしたっけね、私」


だとしたら、自分は何をすべきなのだろうか?
時間は、今は朝なのだろうか?朝の、どれくらいだろうか?
いやそもそも自分は、朝になったら何をしていたのだろうか?


「えっと……そうだ、朝食。済みませんお嬢様。今からすぐ朝食を」

「そんなのはいいからッ!いいから……そんな……今は……いいから……」


傷付いた体で立ち上がろうとする咲夜を抑えて、レミリアは泣く。


「咲夜……ごめん……ごめんなさい私……私……」

「どうしたんですか、お嬢様?何を、謝って」

「約束、守れなくて……ごめんなさい……」


約束と言われても、彼女にはレミリアが何を言ってるのかすぐには思い浮かばなかった。
何か、大事な事だったとは思うのだが、それが一体何だったのか……


「約束……ああ、我が師の、事ですか」


思い出して、レミリアがどうして泣いているのか、彼女はやっと理解する。
この小さな吸血鬼は、我が師を私に殺させないというあの約束を守る事が出来なくて、泣いているのだ。


「……いいんですよ、お嬢様。気にしないで下さい。お嬢様は、何も悪くないんですから」

「でも……だけどッ!」

「悪かったのは……悪かった、のは……」


誰が、何が悪かったのか。それが分かれば少しは楽になれる筈だ。
彼女はそれを口にしようとして、


「なんなのよぉ……」


出来なかった。彼女は、何が悪いのか分からなかった。
分からないから分からないと、涙声で口に出す事しか出来なかった。


「我が師よ……どうして、どうして私と戦ったんですか……
 ただ会いに来ただけなら、どうして……そんな必要なんて無かった筈なのに」


自分の右手を、恐ろしい物を見る様な怯えた目付きで見詰める。
震えるその右手の手首をもう片方の手で握り締めて、同じく震えた声を漏らす。


「消えて、くれないんです……この手から、消えないんです」

「消えないって……何が……?」

「あの人を刺した感覚が……ナイフから伝わる心臓の鼓動が、消えないんです……消えないんですよッ!」


叫び、頭を抱えて俯いて、彼女はまた涙を流す。
もう何度も流した筈なのに、その涙が途切れる事は無かった。
どれだけ泣いても、涙は止まったくれない。どれだけ叫んでも悲しみは、消えてくれなかった。

そんな彼女に、レミリアは何もしてやれる事が無かった。
彼女を助けたいのに、自分では助けてあげる事が出来ない。
それが悔しくて堪らなくて、堪らなくて、堪らなくて――――――ただ、泣く事しか出来なかった。

その気持ちは美鈴も、パチュリーも小悪魔も、一緒だった。
家族を助けてあげたいのにそれが出来ない無力な自分が、怨めしかった。
だがそんな中で、一人が彼女に近付いた。それは、フランドール・スカーレットだった。
フランは彼女に近付くと、ポケットからハンカチを取り出して、彼女の涙を優しく拭った。


「………………妹、様?」


思わぬ行動に、咲夜はそれだけしか言えなかった。
優しく自分の頬を拭う彼女のその顔は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
初めて見せるフランドールの微笑みに思わず、咲夜は美しいと溜め息を漏らす。
自身を苦しめる罪悪感を忘れさせる程に、その微笑みは美しかったのだ。

他の者達も、初めて見せられる彼女の微笑みに魅せられてしまう。
なんと眩しく、美しいのだろうと、誰もが見惚れてしまった。
その微笑みを見せた者は、涙を流す彼女をその小さな両手で優しく、そっと、包み込む様に抱き締める。
そして見せた微笑みと同じ、慈愛に満ちた声で、彼女は言った。


「咲夜、私ね。昔この手で――――――お爺様を壊しちゃったんだ」

「………………え?」


思わぬその言葉に、彼女は驚くしかなかった。
壊した?誰が?この人が?自分の祖父を?その手で?
いや、確かそれは前にお嬢様に聞いた事がある。あったはずだ。
だがどうしてそれを、そんな風に笑って言う事が出来るのか。それが理解出来なかった。
混乱する咲夜に、彼女は続けて言う。


「その時の傷でね、お爺様はね、もう長く生きる事が出来なくなって……もう、死んじゃいそうだったんだ」

「違うッ!あの人は、エイブラハムは貴女が殺したんじゃないのよフランッ!」


フランの言葉を聞いてそう叫んだのは、フランのもう一人の母である、美鈴だった。


「あの人が……あの人は自分の手で自分を殺したのよッ!だから貴女は……貴女は……」

「うん……でもね?私の所為でそうなっちゃったのは、間違い無いから」


娘のその言葉に、母は何も言う事が出来なかった。
それが紛れもない事実だった、からではない。
それを語るその表情が、穏やかで優しいものだったから、何も言えなかったのだ。


「お爺様の命を壊した時の感触はね、今でもこの手に消えないで残ってるんだ。
 すっごく大きくて、熱くて、力強くて。壊そうとした、私の方が壊れそうだった。
 けどそれが壊れた時……お爺様は、私の目の前で倒れてたんだ」


抱き締めるフランの右腕が、僅かに震えるのが彼女には分かった。


「恐かったんだ……あの時一番ね、自分の手が恐かった。
 恐くてね、感触消えなくてね、こんな手なんて無くなっちゃえばいいって、壊れちゃえばいいのにって。
 何度も壊そうとしたんだよ?でもね、出来なかった。力を使うのがもっと、恐かったから」


その気持ちは、今の咲夜には痛い程に分かった。
消えてくれない、師を刺した時の感触を消す為に、彼女は自らその腕を斬り落とそうとした。
だが結局、それは出来なかった。どうしても、それを実行する事が出来なかった。
だがその理由は、フランの場合とは違った。
自分のこの体は、師が鍛えて、そして与えてくれた物だ。
それを斬り捨てるという事は、また自らの手で師を手に掛ける事にも等しい行為だ。
だから、斬り捨てる事が出来なかったのだ。

彼女は知りたかった。
自分と同じ様な境遇を味わいそれでもなお、どうしてそれを笑って語る事が出来るのか。
どうしてそんなに幸せそうな笑顔になれるのか。
それを知れば、この苦しみから解放されるかもしれない。
だから知りたかった。この少女がどうやって、その苦しみから解放されたのかを。


「妹様は……どうやって、それを克服したんですか?」


懇願する小さな子供の様に、咲夜はフランに問う。
そしてフランは優しい母親の様に微笑み、答えた。


「お爺様が、許してくれたから。気にするなって、大丈夫だって。
 それくらいの事で俺がお前を嫌いになるはずがないじゃないかって。
 お前は俺の、爺ちゃんの孫なんだぞ。大好きに決まってるじゃないかって、そう言ってくれたんだ。
 それにね、それだけじゃないんだ」


抱き着いた腕を解いて、フランは自分の右手を見詰める。


「お前の力は壊す事しか出来ないかもしれない。だけどそれでいいじゃないか。
 壊す事で出来る事なんて、この世界には探せばいくらだってあるんだ。だからそれが、お前の出来る事なんだぞ。
 お前はそれを一生懸命すればいいんだって、言ってくれた」

「出来る事を……一生懸命に……」


気が付くと咲夜は、フランの右手を握っていた。
自分の手と比べても小さなこの手。それが咲夜には何よりも尊い存在に思えた。
ありとあらゆる存在を壊す事が出来るこの手が、何よりも素晴らしい存在に思えたのだ。
その手に自らの手を伸ばし、触れて、掴みたいと、そう思った時には、彼女のその手は動いていた。
フランは彼女の手を握り返し、幸せそうにまた笑う。


「あの……妹様?どうして、また笑うのですか」

「ふふふ……お爺様ってやっぱり凄いんだなって、また思ったんだ。
 お前のその手は、壊す事以外にも出来る事がある。ほら、こうして手を繋ぐ事が出来るじゃないか。
 出来ない事があれば、出来る奴に助けて貰えればいい。知らない事があれば、知ってる奴に教えて貰えばいい。
 それはお前のこの手でだって、こうして立派に出来るんだ。そう、言ってたんだ」


嬉しそうに祖父の言葉を語るフランを見て、レミリアと美鈴は同じ想いを抱いていた。
フランにとって、その言葉は自分と祖父だけの秘密。宝物だった。
それは決して姉にも、母にも言う事はなかった言葉だった。
それを彼女は咲夜に話した。それは咲夜を助ける為に教えたのだと、それは分かる。
だがそれでも、どうしてその言葉を教えたのかが、二人は気になった。
その疑問を、二人の代わりに咲夜が問う。


「妹様……どうして、その事を私に?」

「私ね、今まで咲夜にたっくさん助けて貰ったから。たっくさん、色んな事教えて貰ったから。
 助けて貰ったら、自分の出来る事で助けてやれってね、お爺様言ってた。
 だから話したんだ。咲夜に、私の宝物の……お爺様の言葉を」


それが彼女の答えだった。
彼女を救った。彼女の心を救ってくれた言葉だった。
本当ならそれは、これからも彼女の心の中で秘められる筈だった言葉。
だが彼女は、それを咲夜の為に伝えた。祖父の言葉を守る為に、伝えたのだ。

咲夜はそんなフランの気持ちが、嬉しく思えた。
その言葉を聞いてほんの少し、心が軽くなった。
だが……それだけだった。その言葉で少しは楽にはなれたが、救われる事はなかった。


「……ありがとうございます、妹様。だけど私は」

「うん。これは私の答えだからね。咲夜のは、別の答えじゃないと駄目なんだよね」


フランの言葉に、咲夜は頷く。
その言葉は、フランの為の言葉だった。決して自分の為の言葉ではない。
自分をこの苦しみから解放してくれる言葉を言ってくれる人。
それを、彼女自身が殺してしまった。だからもう、その答えを聞く事は出来ない。


「私に……その答えを教えてくれる人は……もう」

「大丈夫、居るよ」

「……え?」


フランの短いその言葉に咲夜と、そして周りの者が驚く中、フランはその答えを持つ者を指差した。


「私の目の前にね、ほら」


フランが指差した者は、フランの目の前に居る、十六夜 咲夜だった。


「……私、が?妹様それはどういう」

「咲夜はね、オジサンの弟子でしょ?オジサンが認めてくれた、弟子なんでしょ?
 だったら簡単だよ。咲夜なら分かるでしょ?落ち込んだ“自分”に“自分”がなんて言うか、分かるでしょ?」

「……あ」


フランのその言葉を聞いた瞬間、咲夜はいきなり目の前の霧が晴れた気持ちになった。


「私だったら……何と言うか……」


そうだ。自分だったら、いや自分なら何と言うか。自分ならそれが分かる筈だ。
我が師がお前はもう一人の自分だと認めてくれたこの自分なら、それが分かる筈だ。
私だったら自分に、何と言うのか。


「あの人だったら……私だったら……」


瞼を閉じて、彼女は瞑想する。
自分を刺した弟子に、自分は何と言うのか。どんな言葉を掛けるのか。
こんな事をして済まない。許してほしい。
悪いのは私だ。だから自分を責めないでほしい。
頭の中で浮かんで来る様々な言葉は、そんな謝罪の言葉がほとんどだった。
そして彼女は、自分が思った事を、そのまま口にした。


「……許します。あの人だったら、きっと許します。この私の、弟子のした事を許します。
 私のやった事で、私自身が苦しまない様に……許して、そして謝ります。
 私だったら……許します。残った者に、幸せになって貰いたいから」


もしかしたら、あの人は違う言葉で言ったかもしれない。
だが同じ様な事を言った筈だ。落ち込む自分を励ます筈だ。
いや、この身はあの人がもう一人の自分と言ってくれた存在だ。
どんな言葉を思い浮かんでも、それがあの人の言葉になる。
ならばこれでいい。この言葉で良い筈だ。それがきっと――――――自分の答えなのだ。


「……そっか、うん。だったら、それでいいんだよ。
 アサシンのオジサンもね、きっとそう言っただろうなって、私も思うよ」


彼女のその答えに、フランは満足そうに頷いた。

気持ちに余裕が出来たからなのか、咲夜はある違和感を感じた。
どういう訳かは分からないのだが、どうにもフランがやけに……自分の師の事を親しそうにしている事に。


「あの、妹様。気になったのですがどうして、我が師の事をそんな親しそうに呼ぶのですか?
 その………………オジサン、などと」

「あ、それそれッ!私その事も言おうと思ってたんだ」


パンと手を叩き、「そうそう忘れてた忘れてた」と呆れる程に明るい声で言うフランは、
何でも無い事の様に、部屋に居る全員に告げる。










「私ね――――――アサシンのオジサンとは、もうずっと前から会ってたんだ。
 それもええっと……うん、一週間ちょっと前だったかな?と、思う」


その言葉で、部屋の時が止まった。










なー、後書きはなんで飛ぶん?

ごめん。全部は語られませんでした。
ちょっと話が長くなりそうなんで、良い所のオチで〆させて貰いました。

取り敢えず、アサシンはもうずっと前から紅魔館に潜んでいたってのを分かって貰えれば。
所々ね、それを匂わせる描写は書いておりました。
一話から、仕込んでました。フランちゃんが色々おかしかったのも、それが原因でした。
うん、取り敢えずこれくらいで。
それでは。



[24323] 第四十五話 世にも奇妙過ぎた真実
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2012/01/25 21:50





全員の表情が彫像の様に完全に固まっていた。ピクリとも動かない。
フランドールの言葉は別に、何かの呪文であったとか何らかの魔力が籠っていた訳でもない。
アサシンと出会ったのは一週間前であった。彼女が言ったのは、それだけの事だったのだ。

シンと、静かになる部屋の空気。その中でチチチと、小鳥の囀りが聞こえる。
なんとものどかで平穏なその鳴き声は――――――


「「「「「………………ハァァァァァァァァァッ!?」」」」」


五人の驚愕の声によって吹き飛ばされた。


「い、妹様ッ!?どういう事、どういう事なんですかッ!?」

「会ってたって何時からなのフランッ!?いや何時からなのよッ!」

「まままま、待ってください皆さんお、落ち着いて。こ、ここ、こんな時こそれれれ、冷静に」

「………小悪魔、私疲れてるよ」

「パチュリー様ぁぁぁぁッ!夢じゃありません現実ですッ!現実ですから私を捻らな……ごあぁぁぁぁぁッ!」


五人が五人共、驚きのあまりに混乱するしかなかった。アサシンが自分達の前に現れたのは三日前だった筈だ。
という事はつまり、その四日前からあのアサシンはこの館に滞在していた事になる。
それを教えられて、驚くなと言う方が無理であった。
しかしそんな五人を無視して、フランは説明を続ける。


「あの時、私部屋ですっごい暇だったんだ。暇でねー……うん、暇だった。
 暇で、ベットで寝てたらね、扉の結界が解除されたんだ。
 でも誰も来ないから、変だなって思って扉を思いっきり開けたらね」

「思いっきりあけたら……どうしたのですか?」


まるで怪談話の続きを聞く様に、咲夜がその先を尋ねる。
他の者達も息を飲んで、フランの言葉を待つ。待って、そして出て来たのは――――――


「………………足の先を無言で、痛そうに抑えているオジサンが居たんだ。
 私、この時に分かっちゃったんだ。私が思いっきり扉を開けたから、オジサンの足に当たったんだって」


そんな、あまりと言えばあまりな言葉だった。
フラン自身もそう思っているのか、物凄く気不味い顔で、皆と視線を合わせないでそっぽを向いていた。


「いやぁ、だってまさかあの重い扉がいきなり開くとはオジサンも思わなかったみたいでね。
 驚いたって言ってたよ?顔は無表情のままだったんだけどね。
 ああ……うん、無表情のまま痛がってたのは、凄い……恐かったなぁ」


何処か遠い所を見るフランの言葉を聞いて、咲夜は頭が痛くなった。
隠れ潜んでいたのなら、間違い無く幻想隠形ザバーニーヤを使用していた筈だ。
それがまさかそんな、そんな間抜けな方法で破られたと思うと、咲夜は頭痛を感じずにはいられなかった。


「えっと……色々言いたい事はありますが、妹様?怪しいとは思わなかったんですか?
 その……我が師の姿は、どう見ても怪しい者以外の何者にも見えない筈でしたが?」

「私もさすがに怪しいなって思ったんだけど、オジサンが私を見てね、私の名前を言ったんだ。
 で、なんで知ってるのって聞いたらね。此処に来る前に魔理沙に道を尋ねて来て、その時に教えて貰ったって。
 それでね、怪しいけど、魔理沙の事知ってる人なら別に気にしなくていいかなって」

「あ……あの白黒魔法使い……ッ!」


つまり、二日前に来ていた魔理沙は知っていたのだ。
もう何日も前から我が師がこの紅魔館に来ていた事を。
今度来たら普段の倍のナイフを、と考えたが、今はそんな事はどうでもいい。
今は話の続きを聞く方が大切だ。


「で、取り敢えず落ち着いた後で、貴方は誰って聞いたの。
 そしたら咲夜の師匠だって答えたんだ。だからね、そーなのかーって安心したんだ」

「そーなのかーって……どうして、それを信じたんですか?」


いくらフランドールが世間知らずとはいえ、会ってすぐの者に「御宅の従者の師匠を昔していた者です」なんて言っても、
それを鵜呑みにして信用するとは思えなかった。ちゃんとそれなりの理由というものがある筈だ。
……あってくれないと困る、という気持ちが皆にはあった。

そんなみんなの不安を他所に、フランはうーんと小首を傾げて考える。
まさか本当に鵜呑みにしていたのかと皆は不安になったが、そんな気持ちを無視して、フランは一人納得した様に頷く。


「咲夜とね、似てたから。なんか雰囲気とか、目の感じとか。色々そっくりだった。
 だから信じたんだなー……と、思うんだ」


フランがアサシンの言葉を信用した理由。
それはアサシンの特徴の所々に、自分の家族の一人と似ていた部分を感じ取ったからだった。
だから、フランはアサシンのその言葉を信用したのだ。


「……そう、ですか」


フランのその言葉を聞いて咲夜はホッと、小さく溜め息を吐く。
その後で、その言葉がほんの少し嬉しく思う気持ちが芽生える。


「ね、ねえフラン?私も一つ聞いてもいいかしら」


頬をひくつかせ変な笑みになりながら、今度はレミリアがフランに尋ねる。


「ほら、そのえっと……あれよ。一週間もあのアサシン、何処で過ごして居たのかしら?」


何か質問しなければと思って出たのが、その疑問だった。
一日や二日なら館の何処かに隠れ潜むのも出来るだろう。
しかしいくらなんでも、一週間もどうやって過ごして来たのか。
今となってはどうでもいい事だが、さすがに気になったのだ。


「え?私の部屋だけど?」

「あっそう貴女の部屋……だったのぉぉぉぉぉぉぉッ!?」


あっさりと言われた妹の言葉に、姉は吠えるしかなかった。


「あ、あ、あんたねぇッ!仮にもあんただって女の子なのよッ!
 それを、それ、それを男の人を泊まらせるなんてッ!ふ、不謹慎だわッ!」

「うん、さすがにオジサンも最初は「女性の部屋で寝泊まりするのは」って言って遠慮してたんだ。
 だから何処か適当に他の部屋に隠れるって言ってたんだけど、私暇だったんだ。
 面白そうな話とかも聞きたかったし、聞けそうだったし。だから」

「……だから?」

「此処に居てくれないと、暴れて貴方の事バラしちゃうぞ♪って言ったんだ」


えへッ♪なんて感じの表情で可愛くとんでもない事を言うフランに、皆は血の気が引いた。
バラすというのが「貴方が居る事をみんなに教える」という意味か、「物理的な意味で体をバラバラにする」という意味か。
そのどちらの意味とも取れる(明らかに後者)その脅迫によって、アサシンはフランの部屋に居る事になったらしい。


「けどあんた……その、男の人と一緒ってのは「いいですかお嬢様?」え?何、咲夜?」

「お嬢様が何を危惧しているのかは、私はよく分かります。
 だからこそ言わせてもらいますが……我が師に限ってその様な事はありません。
 妹様に手を出すなんて断じてッ!ありえませんですからねッ!」

「ありえま……え?ですから?」

「ありえないんですからねッ!いいですねッ!」

「ヒィッ!?わ、分かりましたッ!」


従者の鬼気迫る表情に思わず敬語で答えるレミリアを見て、咲夜はふむと頷き落ち着く。
我が師が妹様に手を出すなんて事はある筈が無い。あり得る訳が無いのだ。
妹様の外見は十歳そこそこ。確かに愛らしく、思わず手が出そうになるのも分かる。
だがそれでも彼女はありえないと強く断言する事が出来る。
もし我が師がそんな事をする人間だったのなら、昔の自分に手を出した筈だ。
だがそれは無かった。一切、何も、無かったのだ。だから、その様に断言出来るのだ。


「でね、色々お話して貰ったんだ。昔の咲夜の事とか」

「……え?私のですか?」


昔の自分の事と聞いて、咲夜は途端に嫌な予感がした。


「うん。子供の頃の咲夜の事、色々教えてくれたんだ。
 で、オジサンがみんなと最初に会った次の日に私が咲夜に「アーッ!タシカニナンカイッテマシタネーッ!」……うん。
 あれ実は咲夜の寝言聞いてたからじゃなくて、オジサンの話聞いてたからなんだよね」

「そ……そういう事だったんですか……あーもう……そんな……」


つまり、親戚の叔父さんが「昔はお前も寝小便してたな」なんて感じの事を彼女の師匠は言ったのだ。
というよりも、彼女の場合は正にそれだった。
その事に咲夜は羞恥心で思わず、真っ赤になる顔を両手で隠してしまう。
それを見た美鈴は何かあったんだなと察して、取り敢えず話題を進める。


「ああ、でもフラ……妹様?私と一昨日の夜に一緒に寝ましたよね?アサシンはその時はどうしてたんですか?」

「あの時はびっくりしたなー。だってオジサンと話してた時に美鈴いきなり部屋に入ってくるもん。
 でもオジサンね、凄かったよ。何か……呪文?言ってね、部屋に来た美鈴全然オジサンに気付かなかったんだ。
 私には見えてるのに美鈴には見えない。あれには思わず凄いなぁて言っちゃったな」

「あ、あの時の凄いなぁって、そういう事だったんですか……」


あの時、美鈴が部屋に入って来た時に妙にフランが慌てていたのはそういう事だったのだ。
恐らく、というか間違い無くアサシンはその時に幻想隠形ザバーニーヤを使用したのだろう。


「で、美鈴が扉を閉める前に出て行って、その日は居なかったね。別の部屋見つけて休んだみたい」

「よかったぁ……まさかずっと居たのかと思いましたよ。あ、食事とかはあの人どうしてたんですか?」

「え……ああ……それは、ねぇ……」


またもや遠い目をして、どう言ったものかと悩むフラン。
その顔を見たその時、もう皆は察していた。またとんでもない発言が出て来るのだと。
此処まで来たらもうなんでも来いみたいな表情に全員がなり、その息をゴクリと呑む。
そしてフランの口から出て来たのは――――――


「ごはんはねぇ……普通に、その、みんなと一緒に食べてたんだけど……」


そんな、理解する事が出来ない言葉だった。
全員が、フランが一体何を言っているのか理解出来なかった。
まるで見知らぬ異国の言葉を口にしているかの様な。
あるいは人ではないまったく別の生物の特殊な言語を聞かされている気持ちになる。
だが、全員が彼女のその言葉を頭の中で復唱する。
普通に、みんなと一緒に食べていた。
普通に、みんなと一緒に食べていた。
普通に、みんなと一緒に食べていた。
普通に、みんなと一緒に食べていた。
普通に、みんなと一緒に………………


「「「「「食べてたってどういう事ですかぁあああああッ!?」」」」」


一言一句全員が同じ言葉で、叫んだ。叫ぶ事しか、出来なかった。


「あ、やっぱり気付いてなかったんだ。あれも凄かったんだよ?
 オジサンね、みんなと一緒のテーブルに着いてたのに誰も気付かないんだもん。
 あ、お姉様。昨日のお昼に納豆食べたでしょ?」

「………へぇ?あ、私?ああ、そう言えば食べた様な」

「その時に「誰かお醤油取ってー」って言ってお醤油を渡したのが」

「ちょっと……ま、まさ……か……」

「うん――――――オジサンでした」

「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああアアアアッ!!!!」


あの時レミリアは、醤油を取ってくれたのは咲夜だとばかり思い込んでいた。
それがまさかのアサシンだったという恐ろしい真実に、レミリアは叫ばずにはいられなかった。


「いやちょっと待って下さいッ!その時の昼食は私、咲夜さんと一緒にちゃんと人数分作りましたよッ!?
 一人多かったら、人数分合わないじゃ「あの……美鈴?」ないって、なんですか咲夜さん?」

「私、昨日は……朝食しか作ってないんだけ、ど……」

「……待って、下さいよ。それじゃあ私が一緒に居た咲夜さんは」

「そう――――――それもオジサンです」

「………イ、イヤぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアアアッ!!!!」


あの時美鈴は、一人で料理を作ってる時に、咲夜が何時の間にか来て手伝っていたとばかり思い込んでいた。
それがまさかのアサシンだったという恐ろしい真実に、美鈴は叫ばずにはいられなかった。

近くに居て、しかも一緒に食事とかもしたのに、誰も気付かなかったというその事実。
フランの口から次々に出て来るそのとんでもない事実は、下手な怪談話よりも更に恐ろしいものだった。


「まさか、あの奥義でそんな事まで出来るなんて……ッ!?わ、我が師ながらなんと……恐ろしい事を……」

「みんなと一緒に居るのに、だーれも気にしてないんだもん。私それ見て、笑うべきか恐がるべきかですっごく迷ったなぁ」

「そんなのどうでもいいのよッ!そもそもフランッ!あんたなんでその事を隠してたのよッ!?」


ようやく此処でレミリアが一番重要な事をフランに尋ねた。
今まで何処に隠れていたとか、隠れてる間の食事はどうだったとか、そんな事はどうでもいい。 重要な事ではない。
重要なのはどうしてフランがアサシンが来た事を皆に黙っていたのかという事だ。


「あ……うん。みんなに黙ってたのはね、私も悪かったなって思ってるよ?
 でもね私、オジサンに頼まれたんだ。「全部終わるまで黙っていてほしい」って、頼まれたんだ」

「頼まれた……それだけですか妹様?我が師に頼まれた……だけ、なんですか?」

「それだけって訳でも……ないかな。オジサンね、凄く礼儀正しかったんだ。
 普通はみんな私の事何処か子供扱いするけど、オジサンは私を大人として見てくれてね。
 大人の対応って、言うのかな?そういう感じで私と接してくれたんだ。
 私、初対面の人にそうされるの初めてだったから……ちょっと嬉しくってね。それが、理由の一つ」

「一つって……他にもあるんですか?」

「私ね、オジサンに頼られたんだ。頼られて、感謝されて。
 そういうの私、やっぱり初めてでね。それがすっごく、嬉しくてね。
 みんなはね、私の事守ってくれたりしてくれて。それは嬉しいし、感謝もしてるんだよ?
 でも私の事を頼ってくれたりとか……そういうのは、ね……」


少し、寂しそうな表情を浮かべてその事を語るフランを見て、皆の心は僅かばかりに痛む。
全員フランを守る事ばかり考えていて、頼りにするなんて事を考えも出来なかったのだ。

勿論本人はその気持ちを嬉しく思ってはいた。
みんなは自分を愛してくれるから守ってくれる。それは分かるのだ。
だが、割れ物みたいに扱われるのが、どうしようもなく寂しくもあった。
自分もみんなみたいに頼られたかった。誰かの手助けをしてみたかった。
しかし壊す事ばかりしか出来ない自分ではそれも難しい事も分かっていた。
だからしょうがない、仕方ないと思い、半ばそれを諦めていた。
だが、あのアサシンは違った。自分が強引な形で部屋に留まる様に要求こそしたものの、それでもアサシンはそれに感謝した。
部屋に泊めてくれた事を深く、礼儀を以って彼は感謝してくれた。
フランにとってその時に感じた感情はとても新鮮で、嬉しいと思えるものだった。
だからアサシンが「自分の事を黙っていてほしい」という願いを聞き届ける気になったのだ。


「オジサンね、昔の咲夜の事話してる時ね、笑ってたんだよ」

「……そう、なんですか?」

「うん。初めて会った時の事とか、一緒に居た時の事。オジサンすっごく懐かしそうに話してたんだ。
 それでね、オジサンが私にね、此処に来てからの咲夜の事を教えてほしいって言ったんだ。
 私が咲夜に会った時とか、その時に歌を歌ってくれた事とか、色々教えてあげたんだ。
 オジサンね、私が話す度にそうか、そうかって、嬉しそうに笑ってたんだ。
 その笑った時の感じがね、咲夜と似てた。あったかくて、優しい感じだったんだよ」

「そう……なんですか……」


笑った顔があの人と似ていると言われて、彼女の胸が少し暖かくなる。嬉しくなる。
そんな咲夜を見てフランは、


「そうだよ。今の咲夜と、おんなじ顔してた」


笑っている咲夜を見て、フランもつられて嬉しそうに笑う。


「ねえ咲夜。オジサンに似てるって言われると、咲夜は嬉しいの?」

「……はい。我が師は私にとって、目指すべき目標であり、憧れですから。
 いつかあの人の様になろうと、修行に明け暮れたものでした。
 だから……はい。あの人に似ていると言われると、嬉しく思うんです」

「オジサンにも、認めて貰えたんだよね」

「……はい。まだまだ及ばない所はありますが、あの人は私を認めてくれました。
 我が師に認めて貰うという私の夢は、叶う事が出来たんです。……でも」


それでもやはり、生きていてほしかったという気持ちがある。
勿論今でも自分の中でしっかりとあの人は息衝いている。
しかしだからこそ、生きていてほしかったというその気持ちは、無くならなかったのだ。


「妹様は、ご存じなのですか?我が師がどうして、私達と戦う事にしたのか」


何故我が師が自分達と戦ったのか。フランドールはそれを知っている筈だ。
そして、フランは咲夜のその言葉にしかと頷いた。


「うん、知ってるよ。それを伝えるのが、私がオジサンに頼まれた事だから。だからね……はい、これ」


フランがポケットから取り出したのは、一枚の封筒だった。


「これは……?」

「オジサンから手紙。これにね、全部書いてると思うから」


フランから手渡された手紙を受け取る咲夜は、手紙を取り出そうとその封を切ろうとする。
しかし、その手が一瞬止まる。この場所でこの手紙は読むべきではない。
そんな言葉が浮かんできたのだ。そう、この手紙を読むべき場所は――――――


「あの、お嬢様?この手紙、我が師の前で読んでもよろしいでしょうか?その、一人で……」

「……ええ、いいわ。貴女の師が、貴女に残した言葉なのだから」


レミリアもその手紙の中身は気になるが、それを知るのは咲夜だけでいいと、そんな気がしたのだ。


「……ありがとうございます」


咲夜は主に一礼すると、一人部屋を出て行った。










咲夜は自らの師が眠る―――遺体が安置されている部屋に入る。
部屋のベッドには、アサシンの装束のままだが血を拭き取られ清められた自らの師が横たわっていた。


「……我が師よ」


先程まで自分が居た部屋。だがあの時とは今の咲夜は違う。
今の状況を受け止め、前に進む事が出来る様になった。
咲夜は眠る我が師に、意を決して言葉を送る。


「我が師よ……聞かせて貰います。貴方の、言葉を」


そして彼女は、手の中の手紙の封を切った。










意外!それは後書きッ!

ごめん、遅くなっちゃいましたね。
いやー年末忙しくってさー手が付けられなかったんだよねーうん。
それで色々とあれが、それで、これでね?いやーまいったまいった。
……一旦書かなくなると、中々書けないよね?うん、恐いなほんとに。

今回ちょっと話がくだけた感じになりましたが、つまりそういう事だったんです。
アサシンのオジサンは、紅魔館の中で普通に過ごしていました。
ごはんもちゃんとみんなと食べてたし、元気にやってました。
簡単にですが、時系列を話数で説明しますと、こうなります。

プロローグ=アサシンが来て一日目。
一話=アサシンが来て五日目。

ね?簡単でしょう?
だからプロローグの夜は、一話目の夜という訳ではなかったんですよ。
これに引っ掛かった人達全員に、万感の想いを籠めて、私はこの言葉を言いたい。
スゥー……ハァ―……いきますッ!

やぁ~いやぁ~い、引っ掛かってやぁんのぉうッ!

……はい。ご清聴、ありがとうございました。
それでは頑張って、続きの方を書かせていただきますね。
感想というツッコミ、お待ちしておりますね。
それでは!



[24323] 第四十六話 師から弟子へ
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2012/04/17 22:48






『この手紙を今読んでいるのが、ある程度の事実を知ったであろう我が弟子であると仮定して、以下の事を伝える。
 この手紙が読まれているという事は、今の私は全ての事を伝えられない状態に、あるいは死んだという事だろう。 
 もしそうなったならば、我が弟子よ。この様な形での説明になってしまった事を済まないと思う』


その様な書き出しで始まった我がの師の手紙。
数年ぶりに見る事になる我が師の字を懐かしみつつ、咲夜は続けて手紙の先を読み進めた。

 
『初めに、フランドール・スカーレットの事について話しておくべきだろう。
 もし、彼女が私を匿っていた事でその責任を問われる様な事があるのなら、どうかこれを許してほしい。
 今回の責任は全てこの私にある。そもそも私が来なければ、今回の件は起こらなかった。
 私の事を黙っていて貰ったのも、この私のたっての願いによるものであり、彼女に非は無い。
 重ねて言わせてほしい。今回の件でフランドール・スカーレットに罪は無い。
 だからどうか、彼女の事を責める事はしないでほしい』

「……本当に、この人は」


自分を匿った事で、フランが責められる事を我が師は心配したのだろう。
妙な所で律儀な人だと、咲夜は呆れた笑みを浮かべて、溜め息を吐いた。
だがその次の所を目にして、その表情が変わる。
此処から、手紙の本当の内容になると分かったからだ。


『まずは全ての発端から語ろうと思う。
 私がお前にレミリア・スカーレットの討伐の任務を命じたのには理由がある。
 おかしな話になってしまうが、私はお前を死なせない様にする為に、あの任務を命じたのだ。
 当時、テンプル騎士団との戦いが始まる前の事だった。
 私は事前に、あの戦いは騎士団だけではなく、他の勢力との戦いにまで発展するであろう事を予想していた。
 事実、我々の戦いは騎士団だけに留まらず他の勢力とも戦う事となり、我々は相当の被害を被った。
 私自身、生き延びられたのが奇跡とすら思える程の激しい戦争であった。
 本部は壊滅し、当時のハサンは死亡。そして、我が教団にも相応の被害が出た』

「教団にも被害が……あの人が言っていた事、嘘じゃなかったんだ……」


咲夜はかつて、自分が去った後の教団の状況を教えてくれた者の言葉を思い出す。
出来る事なら嘘であってほしいと思っていたのだが、
こうして手紙に書かれているという事は、それが真実であったのだと痛感せずにはいられなかった。


「私が、もし私が、一緒に居る事が出来たのなら……」


教団の被害を少なくする事が、誰かを死なせる事は無かったのではないかと、そう思ってしまう。

 
『もしお前があの戦争に参加していれば、お前が死ぬ可能性は十分にあった。
 当時のお前の実力は経験を抜きにしたならば、既に最高位のアサシン達となんら遜色の無いものであった。
 お前の異能の力を私は十分とは言えないが、それでもある程度の理解は出来ていたつもりだ。
 お前が戦いに加われば、我々にとって大きな戦力になったであろう事は分かってはいた。 
 がしかし、あの戦いではお前の力にも匹敵する恐ろしい異能の存在達がひしめき合い、跋扈していた。
 たとえお前のその力をもってしても、生き延びる事は難しかったであろう』

「……それ程の、何かがあったという事か」


咲夜は自身の時間操作能力に絶対に近い自信を持っていた。
そして我が師も、その力がどれだけのものかは、自分と同じ程にそれを理解してくれていた筈だ。
だがそれでも、我が師に恐ろしいと言わせる程の何かが、その戦いにはあったのだろう。
それと自分が接触するのを恐れて、我が師は自分を教団から離れさせたのだ。


「けど……だけどどうして紅魔館に?」


咲夜が思った疑問。それは丁度次の所にその答えが書かれていた。
だが、その答えはどうにも咲夜には理解し難いものであった。


『お前はきっと訝しむだろう。何故、スカーレットの下へ行けば生き延びられるのだろうと。
 実を言えば、私もどうしてお前がスカーレットの下へ行けば生き延びられるのかは、その理由は分からないのだ」

「分からないって……」


急ぎ、その続きを読む。


『ある時、私の下に古い知人が現れて、私に告げたのだ。「弟子を死なせたくなければ、スカーレットの下に送るのが最良だ」と。
 私はその者にその理由を尋ねたのだが、その者ははぐらかしてまともに答える事は無かった。
 だが、その者は言動は怪しくとも信用のある者であった。過去にその者の助言によって教団の危機を乗り越えた事も多々あった。
 覚えているかは分からないが、任務の説明の時に見せた写真があったと思う。
 それを持って来て、現在のスカーレットがどの様な状況かを伝えたのがその者だ。
 私は怪しく思ったのだが、結局はまた何時もの事だと考えその者を言葉を信用し、お前をスカーレットの下へと送った。
 その結果は、今現在のお前を見て分かる。少なくともあの者の言った事は真実であったのだと、今ではそう思う』

「……一体、どういう事なの?」


我が師の書き残したその言葉は、咲夜を混乱させた。
内容そのものを見るなら、第三者の助言があったから紅魔館に送り込んだ、と読み取れる。
信用のある者と我が師は言っているが、それがどんな人物だったかは咲夜には分からない。
どうしてその人物は紅魔館に行けば自分は助かるのだと判断出来たのか?
それが気になった咲夜は、もう一度文に目を通して、文章の中で気になる個所を見つけた。


「言動は怪しくとも信用のある……?これって、まさか……」


言動は怪しくとも信用のある人物。そんな人物を、咲夜は一人だけ知っていた。
かつて紅魔館に訪れて、共に協力して吸血鬼異変を起こした人物。


「まさか……サー・ファンタズマが……いや、だけど」


そう考えた付いた咲夜ではあったが、それだとおかしな部分が出て来る事に彼女は気付いた。
もう昔の事なのでよくは覚えていないが、写真を撮りに来た者の話を紅魔館の皆が話していた事があった筈だ。
皆はその者の事を初めて会った様に話していた、と思う。もしかしたらそれは幻想卿が変装した姿だったのかもしれない。
しかし写真を撮るのが目的だったのなら、態々姿を誤魔化す必要は無い。
あの男はスカーレットと古い付き合いがあったのだから、そのままの姿で行った方が怪しまれなくて済む。
変装なんて、そもそもする必要が無いのだ。


「そもそもあいつだと決まった訳じゃないし……全くの別人かもしれない」


しかしそれでも幻想卿を疑うのは、あの人物ならば何をしていてもおかしくないと、そう思うからだ。
そう思わせるだけの奇妙な説得力というのを、あの人物は持っていたからだ。


『騎士団との戦いが終わった時には、お前が居る筈の紅魔館は形も影も存在しなかった。
 その頃には既にお前達は、この幻想郷なる東方の秘境へと移動していた様だったから、当然と言えば当然。
 我々はお前達の事を全力を上げて捜索したのだが、見つける事は出来なかった』

「……やはり、あいつじゃないか」


その文を読んで、咲夜は謎の人物がファンタズマでは無い事を確信した。
この文から察するに、我が師は戦いが終わった後で自分を迎えに行くつもりであった事が分かる。
もし仮にその人物があの男、サー・ファンタズマであったのなら、聡明な我が師の事だ。
知り合いだったのなら、かの幻想卿どの様な人物かは十分理解していた筈。
ならば自分達の戦いが終わった後で、弟子である自分を探す事に協力する様な契約を結ぼうとするだろう。
そして、あの幻想卿は一度交わした契約を必ず、何があろうとも果たそうとする。
幻想卿とは短い間しか共に行動してないが、それでも十分過ぎる程に理解出来た事がある。
あの男は交わした契約を果たす為なら、契約したその相手がどうなろうとも、そして自分自身がどうなろうとも構わないと考えていた。
結果として、その契約を果たすという異常な拘りがあの男の破滅に繋がったのだが……


「さすがに……考え過ぎか」


あの男がいかに不気味な存在だとしても、いくらなんでも考え過ぎだと、考えを振り払う。
その人物の正体が気にはなるが、今は重要な事ではないと考えて、咲夜は先を読み進める事にした。


『騎士団との戦いによって疲弊した教団の力ではお前を探すのは困難過ぎた。
 皆はいつかまたお前に会うのだと尽力した。特にテレサは、必死だった。
 あれはお前の事を実の妹の様に、大袈裟に言うなら実の娘の様に大切にしていたからな。
 だがお前の捜索ばかりに力を注ぐ訳にもいかなかった。
 疲弊した教団を再建する事も、お前の事と同様に必要な事だった』

「姉さん、無事だったんだ。……良かった」


知っている者の名前が出て、咲夜は安堵の溜め息を溢す。
こうして名前が出て来るという事は、無事に生きているという事だ。


『お前が何処に居るのかは調べられなかっただが、お前が生きている事だけは私には分かっていた。
 お前が自らの能力を使ったであろうその度に、世界の時の流れは止まるのを、私は感じていたのでな。
 いや、もしかしたらお前の時を知っている私だからこそ、私はお前の時を感じ取る事が出来たのかもしれない。
 お前が生きていると分かった私は、それを確認出来るだけでも良しと考えまずは教団の再建に尽力する事にした。
 だがそうこうしている間に、長い年月が過ぎてしまった。
 生まれ落ちて凡そ九百年程になるが、あの数年の月日程長いと思った事は無い』

「私の時間……感じ取ってくれてたんだ」


自分の止まった時間を感じ取る事が出来た。その言葉は咲夜にとって嬉しく響いた。
きっと我が師だからこそ、そんな事が出来たのだと咲夜は思う。
自分の事を一番理解してくれた我が師だからこそ、自分の世界を感じる事が出来たのだ。
それが咲夜には、堪らなく嬉しかったのだ。


「それにしても……我が師って、九百年も生きてたんだ。私……全然知らなかったなぁ」


今まで人間だとばかり思っていたので、まさかそんなに生きているとは思わなかった。
そう言えば前に美鈴から「まるで昔の人みたい」と言われた事があったのを、咲夜は思い出す。
自分と我が師は似ている所がある。そして、その我が師は正に昔から生きている人間だった。
まるで昔の人みたいという美鈴のあの感想は、的を得ていたのだ。


「美鈴が言った事が、なんか納得出来ちゃったなぁ……」


そして、思ってしまう。自分はあの人の事を知っている様でいて、多くの事を知っていなかった事を。
そして手紙の続きには、その事を更に痛感させられる言葉が綴られていた。


『お前の居所が分かったのは、ほんの数日前の事だった。
 私のお前の事を教えてくれたのは、魔術師殿。ダン・ヴァルドー殿なのだ』

「ダン………………え、それってまさか……ッ!」


驚く咲夜は再度読み直してみる。
だがそこにははっきりとダン・ヴァルドーという名前が書かれていた。

そう、今から一週間以上も前に、咲夜自身がアリス・マーガトロイドと東風谷 早苗。
その三人掛かりで戦い、それをものの見事に返り討ちにしたあの老魔法使い。
ダン・ヴァルドーの名前が手紙の中に書かれていた。
何かの読み間違いかと思い堪らず読み直すが、手紙の中の名前が変わる事は無かった。


『実はあの方と私は、もう数百年来の付き合いのある古い友人でな。
 魔術師殿はお前と手合わせした時に、お前が我が教団の者だと気付いたらしい。
 そして「銀髪の、時を操る事の出来る娘を知らないか」と連絡をしてくれたのだ。
 私はその連絡を受けた時、天啓が来たと思ったものだ。
 私はすぐさま魔術師殿の下へ向かい、その時の話をして頂いた。
 魔術師殿がお前と、他の二人の者と力を合わせ戦った時の話だ』

「……ちょっと待って。一旦考えましょう。考えて整理しましょう」


手紙を読んで頭が痛くなった咲夜は、頭の中で話の整理をする事にした。
我が師とあの魔法使いは古くからの知り合いだった。
その知り合いから、私の居所を知って我が師はこの幻想郷に来た。
という所まで整理して、咲夜は思い出す。
その件の魔法使いはほんの数日前にこの紅魔館にやって来ていた。
その時には既に我が師はこの紅魔館に潜んでいた。
あの魔法使いの連絡を受けて我が師は此処へ来たのなら、当然あの魔法使いは――――――


「あ……あの魔法使い、今回の事を最初から知ってたわねッ!」


紅魔館に来た時に、あの魔法使いはなんだか意味深な笑みを浮かべていた。それも、凄く楽しそうにだ。
今思えば、あの時の笑みはこういう意味だったのかと理解してしまう。
そして理解した瞬間に咲夜は――――――


「あの魔法使い……ッ!あの……魔法使いぃぃ……ッ!」


両手で頭を抱え地団太を踏んで、悔しがる事しか出来なかった。
あの時の笑みが今では堪らなく憎たらしくて堪らなかった。

そうして数分の間苦悩した後で、咲夜はやっと冷静になる事が出来た。
まさかあの魔法使いが我が師の知り合いだったとは夢にも思わなかった咲夜であった。
だが思い返してみれば、戦った当初あの魔法使いは自分のアサシンの業を知っている風な事を口にしていた、気がする。
確かにあの魔法使いの事は腹立たしくは思う。思うが彼の御蔭で我が師とまた出会う事が出来た。
下手をしたらもう二度とは出会えなかったかもしれないのだ。彼が居たからこそ、自分と我が師は再会する事が出来た。
だからこそ、本来だったらそれに感謝すべき事なのだろうが、どうにもあの笑顔を思い出すとそんな気持ちは無くなってしまう。
あの「気付いてないの?まだ気付いてないの?マジで?まだなの?え、うっそー?信じらんなーい」と言う様な、あの笑み。
あの笑みの真意に気付いた今、感謝する必要は一切無い様に思えた。というか一回殺したいさえ思えた。

……取り敢えず、気持ちを切り替えて咲夜はまた手紙を読み始めた。


『魔術師殿曰く、「あの娘の動きを見ていてかつてのお前を思い出した」と仰ってくれた。
 私は魔術師殿のその言葉が、嬉しくて仕方がなかった。
 長い年月が過ぎてなお、お前の中に我等の教えが存在していた。それを知る事が出来て、私はとても嬉しかった。
 この世界で出会った時、お前は我等の事を忘れていたと思っている様だがそれは違う。
 お前の中には確かに私の教えが根付き、生きてる。魔術師殿の言葉が、その証明だ。
 だからお前は、決して我等を裏切った訳ではないのだ。忘れていたた訳ではないのだ』

「忘れていた訳ではない……か」


確かにそう言われれば、そうなのかもしれない。
今の自分という基礎・根幹は、かつての教団の日々があればこそだ。
それを忘れるという事は、自分という存在そのものを無くすに等しい事だ。
だが、これはそういう事でない。
この紅魔館に来てから、幻想郷に来てから、かつての日々を思い出す事は無かった。
それは忘れていた事と同じではないかと、咲夜は思う。


『だがもしも、お前が忘れていたと思っているのなら、こう思え。
 忘れていたのではない。思い出さなかっただけなのだ、と』

「思い出さなかった……だけ?」

『お前はきっと、この紅魔館に来てから、この幻想郷に来てからもずっと、幸せだったのだろう。
 かつての事を思い出し、懐かしむ必要も無い程にだ。幸せだったからこそ、昔の事を思い出す必要は無かった。
 そう考えて、納得しろ。単なる言葉遊びかもしれんが、私はそれで良いと思う。そう思って、自分を許すのだ』

「我が師よ……私は」

『また話がずれてしまったか。私の悪い癖だ。
 とにかく私は、お前がこの世界でどの様に生きているのか。それを知りたかった。
 悪いとは思ったが、私は姿を隠してお前の様子を観察させて貰った。
 正直に言おう。最初にお前を見付けた時、私はお前に見惚れてしまった。
 成長したお前の姿が本当に、美しかったからだ。
 だが幸せそうに笑った時のお前の顔は、私が記憶していた時と何も変わらなかった。
 それを見て、私はお前が幸せに生きている事を知った。知って、安心する事が出来た。
 私はすぐにでも姿を現し、お前に声を掛けたかった。
 よく無事だったと、よく成長したと、そう言ってお前をこの腕で抱き締めたかった』

「……私だって……私、だって……」


よく無事でしたと、よく来てくれたと、そう言いたかった。
抱き締めてくれたのなら同じ様に、抱き締め返したかった。


『だが、知っての通り私はそれを行う事をしなかった。その理由を、これから私はお前に語らなければならない。
 きっとそれは、今これを読んでいるお前が一番知りたいであろう事だから』


ついに自分の知りたかった事が、どうして戦う事になったのかを知る事が出来る。
戦った理由。我が師の目的が一体何であったのかが、ついに分かる。
そして、その目的は次の一行で短く纏められていた。


『お前と戦った理由。それは私と戦わせ、お前を強くする事だった』

「……どういう、事?」


その一行を見て、咲夜は訳が分からず、そう呟く事しか出来なかった。


『お前の力がどれ程の物かは、魔術師殿のお話からある程度予測出来た。
 その予測から私は、その力がかつてのお前を既に超えている事は理解出来た。
 そう、予測出来たのだ。お前の力は、未だ私の予測出来る範疇に留まっていた。
 強くはなっただろう。だがそれは私が驚く程の物ではなかった。
 お前を見付けた後の暫くの間、私は影から観察したが、やはりお前は私の予測の範囲内の力しか身に着けていなかった』

「ちょっと待って下さい。そんな、意味が分からな」

『そのお前を強くするには、どうすればいいのか。
 その結論が、お前を私と戦わせ、そして勝たせる事だった。  
 限界以上の、真剣勝負を行う事で、その力を高めさせる。それが、私の目的だったのだ。
 幸いにも私には、お前達と戦うべき理由という物を用意する事が出来た。
 それが「スカーレットの暗殺」と「裏切り者の抹殺」であった。どちらも私がお前達を殺すには十分な理由だ。
 そして、真相を知らぬお前達にこれを言えば、お前達を確実に騙す事が出来ると、そう思った。
 実際、お前達は素直に私の言葉を信じた』

「確かにそうだけど……違う、私が知りたいのは」

『私の目的を達するには、本気のお前との一対一での真剣勝負を行う必要があった。
 しかしそれを果たす為には、二つの難問があった。一つは紅魔館の他の者達をどう黙らせるか。
 そしてもう一つが、お前をどうやって私と本気で戦わせるかだった』

「そうじゃなくて、なんでそんな事をしたのかが私は」

『一対一でお前と戦うには、紅魔館の者達に邪魔が入らない様にする必要があった。 
 だがだからといって殺す訳にもいかぬ。しかし殺さぬ様に加減して戦うのはあまりに至難な相手だ。
 故に私はお前達を注意深く観察し、二度目の戦いで加減したまま戦えるかを試す必要があった。
 その結果は上々。御蔭で紅魔館の者達を傷付けるのは最小限で済みそうだ』

「最小限って……私が知りたいのはそんな事じゃなくて」

『二つ目の不安は、お前が私とまともに戦えるかどうかだった。
 お前とこの館で刃を交わしたあの最初の夜。お前は私を恐れた。
 きっとあの時のお前は、私が過去の亡霊の様に見えた事だろう。恐れて震え、私に刃を向ける事すら出来なかった。
 このままではお前に私を倒させるのは難しい。しかし、私にはお前を戦わせる様に仕向ける事も難しい。
 出来る事といえば、お前自身が私と戦う事を決意出来る様になる事を信じ、待つ事だけだった。
 そしてお前は、二度目の戦いの時に私を倒す事を決意し、そして戦った。
 お前が全力で、私を恐れる事無く戦えた事で、私は安心が出来た。これでやっと、私の目的は達成出来そうだ。
 いや、お前が無事この手紙を読んでいるという事は、私の目的は既に達成されたのだろう』

「私が知りたいのは、そんな事じゃないんですッ!」


思わず叫ぶ咲夜。最初の一行はあまりに彼女にとって信じ難い、いや、受け入れがたい言葉だった。
何か納得出来る言葉が無いかと急いで読み進めたが、それは見出せなかった。
戦う理由は分かった。だがどうして自分を強くする必要があったのか?
だが、理由は何処にも書いてなかった。


「どうして……そんな事をする必要が……あったんですか……」


手紙を読み進める事で、様々な感情がごちゃまぜになった所為だろうか。
今にも泣きそうな表情で、咲夜は答える事が無い目の前の我が師に問う。

手紙はまだ続いている。もしかしたら、答えはこの先に書かれているのかもしれない。
そう思って、彼女はまた手紙を読み始めた。


『この事は、お前に直接言う事は出来そうにないのでな。だからこそ手紙という形で伝えたい事がある。
 私が今までずっと、我が弟子よ、お前に言いたかった言葉だ。
 もしかしたらこの言葉は、想いは、お前と出会った瞬間から生まれたのかもしれないと、今ではそう思う。
 我が弟子よ。私はお前に伝え、告白したい事がある』

「伝え……え……?」


読み進める手紙の、次の言葉で、咲夜は本当に頭が真っ白になった。










『私はな、我が弟子よ。昔からずっとお前の事が――――――羨ましかったのだ』

「………………え?」










自分が羨ましかったと、そう書いてあった。
自分が憧れ、目指した我が師の手紙に、そう書いてあった。
お前の事が羨ましいと、そう、書かれていた。


『お前の異能。お前の才能。実に素晴らしい物だ。
 だがそれ以上にな、私はお前の持つ可能性が羨ましかった。
 お前は未熟だった。未熟だがそれでも、お前は既に教団でも屈指の力を手にしていた。
 私の知る限界よりも更に成長し、なお高みを目指す事が出来る可能性がお前にはあった。
 その可能性を持つお前が、私は羨ましかった。私にはどう足掻いても、出来ない事だったからだ。
 私では届く事が出来なかった、飛ぶ事が出来なかった空を飛べるかもしれない。
 そんなお前の事を私は、唯々羨ましかった。羨ましくてな、よく思ったものだ。
 私も、お前の様になりかったとな』

「私の……様に……」

『お前は、私に向かってよく「いつか我が師の様になりたい」と、そう言ってくれたな。
 私はその言葉を聞く度に嬉しく思い、幸福を感じたものだ。
 そして私は、夢見たものだ。お前が私の様になりそして、私以上の存在になる事を。 
 そんなお前を見てみたい。いやたとえ見れずとも、その可能性があるのだと思うだけでも、私は幸せだった。
 自分の分身。いや、もう一人の“自分”が今の“自分”を超えて新たな可能性を開く。
 私という過去には出来なかった事を、お前という未来なら出来る様に成れる。
 そんな“自分”の可能性を想う度に、私は幸福に満ちていた』


この時、咲夜は我が師がどれだけ自分という存在に期待していたを今更ながらに知った。
自分が我が師に憧れていた様に、我が師もまた自分に憧れていた。
自分という可能性を認め、信じ、憧れてくれたのだ。


『そんな可能性を夢見させてくれるお前を殺されるかもしれないと思うだけで、私は恐怖した。
 お前を死なせたくない。私は“我が身”可愛さのあまりに、自らに科した制約も信条も裏切ってしまった。
 挙句の果てには「真実は無く、許されぬ事は無い」という教団の古くからの教えを悪用し、自分の行いを正当化する事までしてしまった。
 この私に憧れたお前の期待を裏切る事になり、本当に済まない。
 怨んでくれていい。憎んでくれていい。許してくれなくていい。
 私がお前に酷い仕打ちをして、長い間苦しめてしまった事に変わりはないのだから。
 私に出来る事といえば、お前に私を倒させて成長させてやる事ぐらいしか出来ない。
 だが、その事で私はまたお前を苦しめる事になるのだろう。それを含めて我が弟子よ、本当に済まない。
 だがそれでも私は、お前に怨まれようとも、憎まれようとも、許されなくとも、やらずにはいられないのだ。
 私という過去を、限界を、お前という未来に、可能性に超えさせたい。
 その欲求はどうあっても、この私の中からは無くなる事が無いのだ。
 お前のその異能を、その才能を、お前という可能性を失いたくはなかった。
 私はお前を、失いたくなかったのだ。私自身の全てを引き換えにしてでも、お前を死なせたくはなかった。
 教団の者達全てを引き換えにしてでもなお私は、お前だけは死なせたくはなかったのだ。
 たとえ我々が死んだとしてもお前が、お前だけでも生き残ってくれればそれで良いとさえ、私は思ったのだ』

「……我が師よ。貴方はそれほどまでに……この……私を……」


自身を含む教団の全てと比べてもなお、お前の事が大事であった。手紙には、そう書かれていた。
教団の全て。それはつまり、教団に今現在生きている者達。過去に生きてきた先達達。
そしてその者達が積み重ねてきた、その長き歴史。
その全てと比べてそれでもなお、お前の方が大事なのだと、我が師はそう言ったのだ。


『私がお前に伝えるべき事は、これで一通り伝えた。だが最後に、もう一つだけ。
 十六夜 咲夜。本当に良い名前を貰った。お前に、実に似合う。
 だが出来る事ならば、私はお前に、私の名前を継いでほしかった。それが、少しだけ残念に思う。
 時が経てば、私の名前を知る時が来るかもしれない。この私の、本当の名前をな。
 そしてその時が来たら、どうか考えてみてほしい。この私の名前を、受け継いでくれるかどうかを。
 いや、お前にこそ受け継いでほしいのだ。最愛の弟子である、お前に。
 それが私からお前に送ってやれる、最後の贈り物だ。
                                      師から弟子へ』


手紙は、そこで終わっていた。読み終わった手紙を握る手は、震えていた。
肩は僅かに、震えていた。そして涙は、流れて震えていた。
泣きに泣いて、もう出て来ないとさえ思えた涙は、止まる事無く流れていた。
咲夜は涙を流し声を震わせて、目の前に横たわる自らの師に語り掛ける。


「我が師よ……貴方がどれだけ私の事を思って下さったのか。
 私には、この私には痛い程に、我が事の様に……分かりました。
 ですが……ですがそれでも……お怨み、申し上げます……ッ!
 私だって……私だって貴方の事を、貴方が私の事を想ってくれたのと同じ様に……同じ、様に……」


涙は握り締める手紙に落ちて、インクが僅かに滲む。


「それなのに、それなのに貴方は……私に、この様な事をさせて……ッ!
 貴方なら、分かった筈、です。私が貴方を殺せば、私がどう……思うか。
 貴方なら、貴方なら分かった筈です――――――我が事の様にッッッ!!!!」


もうこれが何度目の、何十度目の、いや何百度目の叫びを、咲夜はまた叫ぶ。
声はかすれ、もう叫び声にすらならない声で、泣いて叫んだ。
弟子に、師を殺させる。そして残った弟子がどの様に思うか。
それが理解出来ぬ我が師では無い筈だ。理解出来る筈だ。そう、自らの事なのだから。


「自分でも許せない事……私に、やらせないで下さいよぉ……
 こんな事……こんな事しなくたって私は、私は貴方と一緒なら……一緒だったら……
 何処までも一緒に、高く飛ぶ事が……出来たの、に……出来た筈なのに……ッ!
 貴方に出来なくても……私なら……私、だったら……貴方とだったらッ!」


握り締めていた涙で滲んだ手紙が、手元を離れ床に落ちる。
涙を流したまま、横たわる師に覆い被さる様に、咲夜は抱き着く。


「私は、私はもっと貴方の事が……知りたかった。
 私の知らない貴方の事を、貴方から聞きたかった……のに。
 我が師よ私は……私は貴方の名前すら……知らないのに……」


貴方は私が、貴方にした事を許すだろう。
だが私は、貴方がした事を許す事は出来ない。
貴方が自分のした事を許しはしないのと、同じ様に。


「私……そんなの嫌です。貴方を許さないままなんて、出来ません。
 そんな事、したくありません。師よ……我が師よ、貴方は卑怯です。
 私が貴方にした事は許す癖に、貴方は私に私自身の事を許せと言う癖に。
 貴方がそれをしないなんて、駄目じゃないですか。
 貴方が自分のした事を許さないと……私だって、同じなのに……」


一言。たった一言で良い。ただ一言を何か、言ってほしかった。
どんな言葉でもいい。その言葉だけで、自分は救われる気がした。
幻聴でもなんでもいい。ただ一言、ただほんの少しの言葉を――――――










「………………よく、泣くな。お前は」


――――――聞く事が、出来た。










天を見よ…見えるはずだ、あの後書きが!!

やっと書けたよ(笑)。どうも、荒井スミスです。
まず初めに、遅れて申し訳ありませんでした。
そもそもこの作品あったっけ?そもそもあんた誰?
なんて事を言われかねない位に遅れてしまいました。
そのね、まあ、色々あったんですよ私にも。
さて、下手な言い訳はもうしないで本題に行きます。

手紙の内容はアサシン師匠の気持ちが書かれてましたが、読者の方々には理解出来ない方の方が多いでしょう。
それは当然です。だってあれ、師匠が咲夜さんに当てた手紙だもの。
他の人が読んだって、感動なんてまずしないもの。咲夜さんくらいのものでしょうね。

師匠からの手紙の内容は、まあ簡単に言うと、将来性のある弟子を死なせたくなかった。
自分の全てと引き換えにしても惜しくないと、そう思わせられるだけの力が咲夜さんには備わっていた。
で、弟子に更なる境地に至ってほしいから戦って、自分を倒させたと、そういう事が書かれてました。
師である自分を倒させる事で、弟子に自分を超えさせる。それが、師匠の目的だったんです。
まあ、咲夜さんにとってはとんでもなく迷惑な事だったかもしれませんがね。

そういえば、アサシンクリードの最新作が発売されました。
買いたいけど……買ってもする時間が無いしなぁ……うん。
そういやこの作品って、何気無くアサクリともクロスしてなくもない気がするけど……
けど別に、完全なアサクリとのクロスじゃないからね?パラレルだからね?FATEの要素もあるし。
もしこれがちゃんとしたアサクリとのクロス作品だったら、ある問題が出て来る。
そもそもこの作品の主人公であるアサシン師匠が、登場すらする事が無いもの。
だってアサシン師匠、アサクリ本編だと……おっと、これ以上は止めておこう。
アサシン師匠の■■が、■■てしまうもの。

感想とか、文句とか、苦情とか、(後の二つの方が多いだろうけど)楽しみにしてますね。
それではッ!



[24323] 第四十七話 彼方の空は、眩しく青く
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2012/04/28 19:30







私は、お前が羨ましかった。お前という存在そのものが、羨ましかった。

お前と出会った時の事は、今でもはっきりと覚えている。
私の長い年月の中で、お前との思い出は今でもなおはっきりと輝いている。
美しく輝いて、私には眩しかったくらいだ。

憧れ、何度も見上げたあの青い空の様に、お前は輝いていた。
子供の頃は届くかもしれないと、掴めるかもしれないと、何度も手を伸ばした。
大きくなり、決して届かないと分かっても、私はあの空に手を伸ばさずにはいられなかった。

だが私は、それでも良かった。
手を伸ばせば伸ばす程に、私は少しずつだが、あの青い空に近付いく事が出来たのだから。
少しずつ、ほんの少しずつではあったが、私は高く、高く飛ぶ事が出来たのだから。
届かずとも、近付いていく事が出来た。私には、それだけでも十分だった。

だがお前と出会って、それが変わった。お前の存在。可能性。それを知って、私は思った。
遥かな高みと思い眺めていたあの空には、私が思った以上の先が、在ったのだと。
それを知ってしまった私は、更なる高みの存在に胸躍らせそして同時に、絶望もした。
その更なる高みに私は、届かないと、もしかしたら近付く事さえ出来ないのかもしれないと、そう思ったからだ。
届くどころか近付く事さえも私には出来ないのかと、そう思わされた。

だがそんな絶望は、すぐさま消し飛んだ。お前が、私の弟子になってくれたからだ。
たとえ私には届かずとも、お前なら届く事が出来る。私にはそんな確信があった。
ならば私は、それでいいと思った。
師である古き私を、お前という新たな私が超えてくれるのなら、きっと届く事が出来る筈だ。
新たな私が届くのなら、それでいい。古き私は必要無い。
どちらにしても、私がそこに至る事に変わらないのなら、それでいいではないか。

お前は私に更なる高みがある事を教え、絶望させた。
だがお前が、私の様に成りたいと言ってくれた時。私は希望を見出す事が出来た。
私はお前という希望を手に入れる事が、出来たのだ。

そうだ。だから私は、もっと手を伸ばす事が出来る。
もっと、もっと、もっと遠く高くに手を伸ばす事が出来る。
だが、不思議だ。
手を伸ばした青い空から、私の頬を何かが打って、流れて行くのが分かる。
雨、だろうか。不思議なものだ。こんなにも青く晴れた空から雨が降るなど。

それに何かが、聞こえる。これは、泣き声か。
この声は………ああ、覚えがある。忘れようの無い声だ。
また泣いてるのか。本当に、仕方の無い。だが、私にはそれすらも羨ましい。
それはもう私には、出来ない事だろうから。

手を、伸ばさなければいけない。私は今、それをしなければいけないからだ。
だが手を伸ばして私は、どうすればいいのだろうか。
私はお前に……何を……言えば――――――










「………………よく、泣くな。お前は」


私の口から出たのは、そんな言葉だった。
伸ばし、届いて触れられた手で、自らの弟子の涙を拭って言えたのが、その言葉だった。










「………………あ、え?」


拍子抜けした声を出して、咲夜はただ驚いていた。
目の前で起きた、信じられない事に唯々驚くしか出来なかった。
自分が流す涙を――――――死んだ筈の師が、拭っていたのだ。


「いや、泣かせた私が悪いのだから……仕方も無い、か」

「え……そんな……え、あ……」


震える自らの腕を、重く感じる瞼を広げて見て、アサシンは呟く。


「む……此処まで体が重く感ずるは、随分と久しい。
 やはり、相当無理をしたか。だがなんとか「師よッ!」……ん」


アサシンの呟きを遮る様に咲夜は叫び、強く抱き締めた。
起きたばかりで、体が重く感じていたアサシンではあったが、
自分を抱き締める腕の強さと重みと温もりは、痛苦を忘れさせるに十分だった。


「夢じゃないんですよね……生きてるんですよね……幻なんかじゃ、ないんですよね」


泣き過ぎて、叫び過ぎて、枯れた喉で出て来るその声にどれだけの歓喜が籠められているか。
アサシンにはそれが十分過ぎる程に伝わっていた。そう、我が事の様に。

自らの体を抱き締めてくれる弟子に答えようと、自らも腕にあるだけの力を籠めて、抱き締め返す。
そして弟子の言葉に、師は万感の想いを籠めて答えた。


「……ああ、そうだ。幻じゃない。これは……夢じゃあ、ないぞ」










どれ程の時が経ったか。二人は落ち着いて話せる状態になっていた。
とはいえアサシンの体は満身創痍。精根尽き果てまともに動く事が出来ず、ベッドに横になったままだった。
咲夜も咲夜で椅子に腰かけたまま。二人の体の疲労は、限界にまで来ていたのだ。


「師よ、こうして生きていてくれたのは嬉しく思います。
 思いますが……どうして、生きていられたのでしょうか?
 あの時私は確かに、貴方の心臓をこの手の刃で貫いたのに」


あの時確かに咲夜は、師の心臓を突き刺した筈だった。
突き立てた刃から伝わる心臓の鼓動。あれが偽りであったとは思えない。
そう、だからこうして生きているのはあり得ない事だった。
そんな咲夜のもっともな意見に、アサシンは僅かに頷く。


「確かにお前は私の心臓を見事貫いた。それは事実だ。
 だが、私はそれくらいでは簡単には死なん。私の能力、覚えているな」

「抗う程度の能力、でしたよね?でも、それでどうやって」

「なに、少しばかりな……死に抗った程度の事を、したまでよ」


なんてことの無いように語る自らの師の言葉に、咲夜は呆れるしかなかった。
老いに抗い長い年月を生きてきただけでなく、まさか死に抗って生き返る等というとんでもない芸当。
その力はある意味、不老不死そのものではないかと驚き呆れてしまう。


「死に抗う……そんな事まで……」


しかし、その真実は咲夜が思う様な大仰な物ではない。
アサシンは咲夜の考えを察し、その驚きに首を降って否定を示した。


「勿論、自らの力のみでそこまでの事は出来ん。かつて魔術師殿と共に生み出した錬金術が奥義。
 賢者の石より生成した不老不死の妙薬たる生命の水アクア・ウィタエをこの身に宿している。
 他にも仕掛けはあるが、だからそう簡単に死ねる事もな……どうした、我が弟子よ?」


自身が無事だった理由を語っていたアサシンは、不思議そうに咲夜に尋ねる。
咲夜は顔を伏せて、肩を震わせていた。そして顔を上げた次の瞬間に――――――


「――――――なんですかそれはぁぁぁぁぁぁッ!」


アサシンの顔を、あるだけの力を籠めて思いっきり、殴り付けた。
まともに動けないアサシンはどうする事も出来ず、殴られる他無かった。


「私が、私がどれだけ苦しんだかッ!分かってるんですかッ!」

「……そうだな。その事を思えば、怒り当然。
 お前に責められても仕方な「そこじゃないんですよッ!」………………え?」

「勝手にこんな事を初めて、勝手に私に刺させておいて……そこはいいんです。
 私が怒ってるのはえっと……だから……その、えっと……」


師の言葉に思わず、ついカッとなって殴ってしまった。
怒る理由は、確かにある。だが咲夜は、その理由で怒ったのではない。
師が行った事は、全て自分の為を想っての事だ。感謝こそすれ、怒り理由には出来ない。
では何故殴ったかと問われれば、その場のノリとしか言い様が無かった。
自らが思わずやってしまった事に戸惑いながらも、咲夜は思いつくまま適当な理由を口にした。


「そう手紙ッ!手紙ですよッ!」

「手紙?手紙が、どうかしたのか?」

「手紙なんか残してッ!あれじゃまるで遺言じゃないですかッ!
 死なないんだったら手紙なんか書かないで、直に話せば良かったじゃないですかッ!」


そう、手紙。そもそも死なないのであれば手紙を書く必要も無い。
直に話して伝えれば済むのに、どうしてこんな回りくどい事をしたのか。
咲夜はそれが納得出来なかったのだ。と、いう事にしておいた。


「………………」

「……どうしましたか?」


咲夜の言葉に、アサシンは無言のままではあったが、驚いた様に眉をピッと動かす。
少し黙ったまま考え始め、そしてなにやら納得した様に頷いて、こう言った。


「――――――ああ、確かに」

「今更気付いたんですかぁぁぁぁッ!?」

「いや、事を行っている最中はどうにも一杯一杯でな。
 そこまで気が回らなかった。そうか、確かに自分で言った方が良かったな。
 しかしそこに気付くとは、やはり天「こんな時に言わないでッ!」うぐぅッ!」


二発目をまた、顔面に貰った。
咲夜も疲れている為にそこまで力は無かったのだが、それでもアサシンはちょっと痛かった。


「いや……しかしな、やはり手紙にして良かったとは思うのだ」

「ア゛ア゛ンッ!?何でですかッ!?」

「まあ、その……あれだ。あの手紙で、お前に関しての所をな、直接言ったとしよう。
 こうしてお前に、直接だ。一体どうなると思う?」

「どうなるってそりゃあ……それは……んー………………あ」


咲夜はそうなった場合の事を、考えてみる。
考えてみて、すぐに分かった。


「……お互いなんか、気恥ずかしくなりますね」

「………………うむ」


師が何を言いたいのか察して納得した咲夜は、気まずそうに口する。
それを見て理解してくれたかと感謝しながらも、アサシンは考える。

手紙の中で、お前に憧れていると伝える事は出来たが、それは手紙だからだ。
だがそれを直接口にすると言うのは、この性格の所為かそれとも歳の所為か。
どちらにしろ弟子の言った通り、どうにも気恥ずかしいのだ。
取り敢えず話題を進めなければと、アサシンは自分から話を進めた。


「私はあの手紙を、遺言のつもりで書いたのだ。
 生命の水を初め、私はこの体に様々な手を加えて延命し、力を付けて来た。
 だからそう簡単に壊れもせぬし、死にもせぬ。だがな」


自らの胸に手を当てて、アサシンは続ける。


「やはり限界はあるのだ。我が身を流れる生命の水も、老いぬ体と不死に近い生命力を与えたのみ。
 だから、死ぬ時は死ぬしかない。もっとも賢者の石そのものを取り込めば話は別だろうが」

「……ならば何故、それをしなかったのですか?」

「それをすれば、それ以上強くなる事が、高みを目指す事が出来ぬからだ」

「それは、どういう……」

「人間というのはな、死に近い時ほど成長するものだ。
 逆に死から遠ざかれば、成長の速度は著しく落ちる」


百年程の寿命しかない人間が、千年を超える寿命の存在。妖怪等に勝つ事がよくある。
本来ならその様な事はまず無い筈なのに、実際にそんな事が起こるのには理由がある。
それは人間の方が、妖怪と比べ格段に成長の速度が速いからだ。

アサシンがそれを強く実感した事が、三つある。
一つは歳を取らなくなった時。
二つは死を身近に感じた後の時。
三つは弟子達と共に成長した時だ。


「自らの能力で老いに抗い歳を取らなくなってから、私自身の成長の速度が落ちた。
 もっとも、それに気付いたのは随分後になってからの事だったがな。
 当時の私は、成長出来なくなったのは自身の才の器の限界だろうと思ったからな。
 だがそうでないと気付いたのは、強敵と戦い死を身近に感じた時だ。
 強敵を倒し、死から逃れた後で、私は以前よりも力を増した気がした。事実、私の力はその以前よりも増していた。
 そして私よりも短い寿命の弟子達が私に匹敵する、あるいは凌駕する力を身に着けたの時に、私は察したのだ。
 長く生きる者ほど、成長するのが遅く。寿命の短い者ほど、早く成長する事にな。
 そして、死という存在があるからこそ、人という存在は成長する事が出来るのだとな」


だからこそ、自分は不死を望まないのだ。
自らの才覚はただでさえ矮小。それが不死なぞになれば、成長する事なぞ出来なくなる。
魔術師殿も同様の理由で、完全な不死はなっていない。
自分は器が完全に壊れれば死に、魔術師殿は魔力が尽きれば生き返る事が出来なくなる。
しかしそれでいいと、自分は思う。その代わりに自分達は、まだまだ高みを目指せるのだから。

曲がりなりにも今の力を身に着ける事が出来たのは、弟子達の存在があればこそだった。
弟子達と共に修練を重ねる事で、不思議と自身も同じ様に成長する事が出来た。
もし、自分自身のみで修練したとしても、今の半分にも届かなかっただろう。


「この事は今のお前ならば、十分理解出来る筈だ。
 私という死を乗り超え倒し、新たな力を手にした今のお前ならばな」

「それは……はい、我が師よ」

「話が逸れたが……私もまた、死ぬ時は死ぬ存在だ。だから、あの手紙を遺言としても書いた。
 それにお前ならば、私程度の仮初めの不死なら殺す事は出来たであろうからな」


師のその言葉を、咲夜は複雑な気持ちで受け取るしかなかった。
我が師は褒め言葉として言っているのであろうが、殺す事が出来ると言われても、嬉しくはなかった。


「我が師よ。私は怒ってるんですよ?あんな事をさせなくても、私は」

「あのような事をしたからお前は、私を倒す事が出来たのだ。
 この様な機会でなければ、お前は私と本気で戦おう等とはしなかっただろう。
 ……確かにやり過ぎだと言われればそうなのだが。だがな、やはり私は嬉しいのだ。
 お前は、私の可能性。それが私を倒した時、嬉しくて仕方がなかった。
 まるで自分自身を大きく超えた様な、そんな気がしたからな」

「それでも、嫌だったんです。貴方と戦うのは、本当に辛かった。
 貴方を刺して自分自身も殺した様な、あんな事。本当に、嫌だったんですからね」

「……本当に、済まないな」


咲夜の言葉に、アサシンはそう答えるしかなかった。
他に言うべき事が、分からなかったから。
それが分かったからなのか、咲夜の方もそれ以上の事はもう言わない事にした。

疲労を吐き出す様に、アサシンはほぉうっと、息をした。
そして今更ながらに、自分の体がどれだけ疲労しているのかを思い知る。


「……疲れたな。それに、長かった。これだけ長い数日間は、久しぶりだ」

「……はい」


そう答える咲夜も、師と同じ様に自分の疲労を自覚する。
能力の無茶な使用で、肉体の疲労は限界を超えていた。
一度自覚してしまうと、疲労と痛みは容赦無く襲い掛かってくる。
全身がズシリと重く、ギシギシと痛みが走る。
話すのもきつくなり、意識を保つのも難しくなってきた。


「みんなの事、聞いてもいいですか?何か話してないと私……きつくって」

「皆は元気だ。いや、死んだ者も居るが……テレサにアル、ジョヴァンニは無事だ」

「そうですか……良かった」


それを聞いて、安心した。
安心したら、ああ駄目だ。なんだか、眠くなってきた。
もっと、話したいのに。


「ジョヴァンニの奴は、元気過ぎていかん。教団の教えを守らん事が多い。
 女癖も未だ悪いが、まあ、よくやっているさ」

「ふふ……相変わらずなんですね、ジョヴァンニ兄さん」


あの兄は相変わらず、そういう所が治っていないらしい。
いや、もし治ったらそれはそれでおかしいか。
……駄目だ、また眠く。


「アルはな、ああ、本当に立派になった。今では立て直した本部の、新たな長になっている」

「それって、まさか……」

「お前にも見せたであろう。新たなハサン・サッバーフの奥義を。
 そうだ。あれを編み出したのは、アルだ。真の意味での、新たなハサンに成ったのだ」

「凄いですね、アル兄さん。まさか、ハサンの名を受け継ぐなんて。
 でも……うん。兄さんなら、当然かもしれませんね」


兄弟達の中でも特に尊敬していた兄は、見事に大成した様だ。
それを聞いて我が事の様に、嬉しく思う自分が居る。
……体が、重い。けどそれ以上に、瞼が、重く……


「それで……あの、テレサ姉さんは?」

「テレサか……テレサはな、ああ、アルと夫婦になった。戦いが終わって、すぐだったか。
 式にお前が出なかったのが、残念でならなかったと言っていた」

「見たかったですね……姉さんの花嫁姿」


きっと綺麗な姿だったろうなと、そう思う。
みんな幸せそうで、本当に良かった。


「それにな、テレサの奴に……いや、これはテレサ本人から聞いた方が良いだろう」

「ふふ……なんですか、勿体ぶって?」

「なに、もうお前は望めば何時でも会えるのだ。あ奴もその方が嬉しかろう」


そう。そうだ。確かにそうだ。
この人にだって会えたのだ。姉さんにも兄さん達にも、また会える。
会う事が出来る。そう思うだけで、胸の内がとても、とても暖かくなる。
暖かくなると同時に、また、瞼が重く……


「眠いか、我が弟子よ?」


師の言葉に、咲夜は堪らず頷く。
もうそろそろ、意識を保つのも限界だった。


「なんだか……はい。疲れて、しまいました」

「私もだ。起きたばかりだが、私も……眠くなってきた」


アサシンも咲夜同様に、疲労により来た睡魔がすぐそこまで来ていた。
もっと話していたいと思っても、それは難しくなってきた。


「だが、別に良いかもしれん。寝てしまっても。
 お前とはこれから何時でも、何時までも、話す事が出来るのだからな」

「そうですね……これから、何時でも……何時、までも……」


そうだ。これからは何時だって話す事が出来るんだ。
そう思うと咲夜は安心し、安心した途端にドッと眠気が増してきた。
このままだと、すぐにでも寝てしまいそうだ。


「……あの、我が師よ」

「なんだ?」

「済みませんがちょっと私……眠くて……寝ても、いいですか?」


寝ぼけ眼で尋ねる咲夜を見て、アサシンは頷く。
頷いたのを見た咲夜は椅子からふらつきながらも立ち上がる。
そして立ち上がると、そのまま目の前のベッドに倒れ込んだ。


「……きついのは分かるが、寝るのなら何も此処でなくとも」

「此処が良いんです。此処が……此処で……此処じゃなきゃ……やぁ……なの。
 また……此処で……やっと、だから……此処が、良いから」

「……そうか」

「また此処で、眠れる。ほんと……良かっ……た……」


相当疲れているのだろう。喋る言葉もたどたどしくなっていた。
瞼を閉ざし、嬉しそうに微笑みながら、咲夜は自らの頭を師の胸に擦り付ける。
その姿はまるで、親に甘える幼子の様だった。
いや、まるでではなく、まさになのだろう。


「懐かしい……本当に、な。懐かしい」


アサシンは、咲夜の頭に手を伸ばし、昔の様に頭を撫でた。
腕は変わらず重く感じたが、手にした幸福感に比べればどうという事はなかった。
自らの子を愛しみながら、アサシンは頭を撫で続けた。


「………ん」


咲夜は、彼女は今幸せしか感じる事が出来なかった。
胸に耳を当て、その力強く響く鼓動を感じて、堪らない懐かしさを思い出す。
頭を撫でてくれる大きな手の温もりは、昔と何も変わらず、そのままであってくれた。
その温もりを感じながら、彼女は思う。やっと、帰って来れたのだと。

そしてアサシンも、彼女という懐かしい幸福を胸に抱いて、満ちていた。
心地良く耳に聞こえる小さな吐息は、出会った頃と何も変わらなかった。
胸に預けられた温もりもそのまま。だが昔と違い、その温もりは大きくなっていた。
大きくなって自分の胸の中に帰って来てくれた幸福が、アサシンは愛しくて仕方がなかった。
そんな幸福を胸に抱きながら、彼は思う。よく、帰って来てくれたと。


「……おやすみなさい」


そう言って彼女は、幸福に満ちた笑顔を浮かべて、深い眠りに着いた。
それを見たアサシンは彼女にそっと囁く。


「ああ……眠れ、安らかに」


そう言うアサシンもまた、深い眠りに落ちようとしていた。
それでもアサシンは、少しでも長くと、両の目を開けていた。
この愛しい弟子の安らかな寝顔を、少しでも長く、見ていたかったから。
しかしそれも、もはや限界に来ていた。もっと長くと思って、気が付く。
自分はまたこの顔を、見る事が出来る事を。

だったら、もう寝てもいいだろう。
また見る事が出来るのなら、安心して眠る事が出来る。
こんなにも心安らかに眠れる日は、何年振りだろうか。
酷く、疲れた。だから少し、少し休んでもいいだろう。


「今度の眠りは……少し、長く……」


次に目覚めれば、また見られる筈だ。










自分が望んだ夢の続きを、また、一緒に。










咲夜がアサシンの遺体が安置されている部屋に向かってから、それなりの時間が経った頃。
紅 美鈴は咲夜の事が気になり、様子を伺いに咲夜の居る部屋に向かっていた。
出来れば二人きりのままにしてあげたいとも思ったが、咲夜の疲労は既に限界を超えていた筈だ。
もしかしたら部屋の中で倒れているかもしれないと、心配になったのだ。
部屋の前に到着した美鈴は、扉をノックし中に居る咲夜に声を掛けた。


「咲夜さん?すみません、部屋に入ってよろしいでしょうか?」


そう答える美鈴に、咲夜からの返事は無かった。
返事が無い事が心配になり、美鈴は悪いとは思いつつも部屋の扉を開けた。


「咲夜さん、失礼し……ま………………え?」


言葉は途中で途切てしまった。
部屋に入った瞬間に目に飛び込んで来た、その光景を見たからだ。
それを目にして、美鈴は暫しの間唖然としてまい、そして言う。


「私は……夢でも、見ているのか?」


美鈴が目にしたもの。
それはベッドの上で寝息を立てて寝ている咲夜と、同じ様に寝ている、死んだ筈のアサシンの姿だった。

その光景を見て、一体どうなっているのかと困惑する美鈴。
だが、寄り添い眠る二人の姿を見ていると、そんな困惑が小さな事の様に思えてきた。
邪魔してはいけない。そう思った美鈴は部屋を出る事にした。
振り向き様に、美鈴は二人を見守る様に見詰めた。


「二人共……目が覚めるまで、穏やかに」


そう言い残し、美鈴は部屋から出た。
部屋から出て、美鈴は自分が見たあの光景をもう一度思い出し、微笑みを浮かべる。
穏やかな寝息を立てて眠る二人の表情は、同じだった。
安堵に包まれ、幸福に満ち、ただ、ただそこにある。
二人が浮かべるそれは、そんな微笑だった。










この文は良いねと君が言ったから、4月28日は後書き記念日。

生きてたよ(笑)。はい、生きてましたね。
どうも、荒井スミスです。

アサシンが生きてたのに不満がある方がいらっしゃったら、私はこう答えましょう。
だって、このアサシン。あの魔術師(前作主人公)の知り合いなんだよ、と。
そんな奴が、ただ心臓にナイフ刺さった程度で死ぬ訳無いじゃない。
……まあ、自己改造スキルで自分の体色々と弄って、だから頑丈なんだって思って下さい。
でも咲夜さんの刺さり具合がもうちょっと良かったなら、アサシン死んでたかもね。

そして今回初めて、アサシンの考えている事を描写で書きました。
初めてだよほんと。今までは他人が「もしかしたらこんな事考えてるかな?」的な感じで、
アサシンの代わりに考えていた。そんな感じで、今回みたいな直接的な描写は今まで無かったです。
いやぁ、だからこの話は今まで実に書き難くかった。
あ、手紙は違うからね。あれは間接的に伝えてる感じなので。

それにしても……この話の主人公。今まで全然名前が出ていないッ!
そう、出ていない。出ていないのですよ今までずっとッ!
今まで師匠とか、アサシンとか、長とか、代名詞ばかりで本名が出て来ていない。
………………つまり、もうそろそろかな?
それではッ!



[24323] 第四十八話 見上げる空は、眩しく懐かしく
Name: 荒井スミス◆735232c5 ID:a8ac40c1
Date: 2012/05/28 17:43




下を見れば、そこは荒れた大地であった。乾いた風が強く吹き、緑など極々僅か。
しかし、そんな場所だからだろうか。僅かな緑であっても、眩しく見えた。
そんな大地が懐かしく思えて、けど、始めて見る光景の様にも思えた。

ふと気付くと、大地には一人の子供が立ってこちらを見ていた。
その子供は顔に笑顔を浮かべ、眩しそうにこちらを見ていた。
不思議と、自分はその子供の笑顔を見た事がある様な気がした。
それが随分と昔の様に思えるのは、何故だろうか。

気付けば、その子供の笑顔を、上から眺めていた。
どうしてあの子供は、嬉しそうに笑って自分を見ているのだろうか。
それにどうして、自分はあの笑顔に見覚えがあるのだろうか。
ずっと昔だったか、少し前だったか。けど確かに見た事がある様な気がする。
子供の笑顔がとても懐かしく思えたのは、だからだろう。

そんな事を思った時に、また気付く。
あの子供は自分を見て笑っているのではない、と。
見ているのは、自分よりも高い所だと気付く。
一体何があるだろうと、振り返る。
あんなに眩しそうに笑うものが何なのか、気になったのだ。
気になって、見てみたいと思った。そこに一体、何があるのか。

そして振り返って、目の前に広がっていたのは――――――










「おーい。ねーねー」


ぷにぷにと、頬を突かれて、目を覚ます。


「………………?」


いきなりの事に驚くが、瞼は重く目を開ける事が出来ない。
頬を突く感触からして、それは恐らく指だろう。それも子供の、少女の指だ。
その誰かの指は、絶えずぷにぷにと自分の頬を突いている。


「んん………あ………」


取り敢えず、軽く呻き声を出してもう起きている事をその相手に教えた。
すると耳元近くで、ボソボソとか細い声を出しながら、


「おはよーございまーす」


と、鈴を転がす様な心地の良い声が聞こえた。
その聞き覚えのある声に、重い腕を動かし瞼を擦り、なんとか目を開けた。
そして目の前に居たのは、予想した通りの人物だった。


「おはよーございまーす。よく眠れましたか―?」


ボソボソと、楽しそうな声で続けてそう言った少女。
フランドール・スカーレットは、ニコニコと愛らしい笑顔を浮かべていた。
頭はふらふらしているが取り敢えず、返事をしなければいけない。


「………………おはようございます」


疲れ切った声で、気怠そうな表情で、ベッドに寝たままのアサシンは何とか返事をした。
ちなみに、咲夜は幸せそうな笑顔を浮かべたまま、アサシンに抱き着いて眠っていた。
若干、口から涎が出ている気がしないでもなかったが。
そんな普段は見せない咲夜の顔を見て、フランはくすりと笑みを溢す。


「ふふ……咲夜のこんな顔、初めて見たな~」

「……そうか」

「ちなみに、オジサンも似た様な顔だったよ」

「………………そうか」

「あ、涎は出てなかったけどね」

「……そうか」

「ん~と……まだ、眠い?」


抜けきらぬ疲労と眠気により未だ頭に靄が掛かってはいたが、それでも質問をするくらいには覚醒していた。
今居る部屋は薄暗く、窓も厚手のカーテンにより光が遮られている。
一体今は何時なのかと気にはなったが、体に掛かる重い気怠さの所為でどうでもいいと思った。


「そう……ですな。起きたばかりなので、まだ些か」


そう言って起き上がろうとするアサシンを、フランは心配そうに尋ねる。


「オジサン、起きても大丈夫なの?」

「寝てばかりいても、疲れますので。それよりも、フラン殿はどうしてこの場に?」


どうしてこの場に居るのか尋ねたアサシンに、フランは笑って答える。


「んっとね、様子を見に来たの。私が昨日ね、咲夜に手紙を渡したの。
 それから咲夜此処に来て、それから一日ずっと、寝てたみたい。
 美鈴には起こしたら駄目だって言われてたんだけど、やっぱり気になっちゃって」

「左様でしたか。いや、気に掛けて頂きかたじけない。
 ところで、フラン殿。今回の事で、貴女が私を匿った件で何か、咎めはあったであろうか?」

「お姉様達に、ちょっと怒られちゃったくらい。うん、それだけだから大丈夫」

「そうか……それは、なにより」


フランドールの返答を聞き安堵し、アサシンは息を吐き胸を撫で下ろす。
なんの因果か、アサシンは意図せずしてフランドールに会ってしまった。
そしてその為に今回の自身の計画にこの女性を巻き込んでしまった事を、アサシンは後悔していた。

しかし、この出会い御蔭で計画は成功したとも言えた。
最初の戦いで紅 美鈴から受けた負傷。自らの能力と自己改造の恩恵でいくらか防げた。
だがそれでもその負傷は思った以上に深く、治癒を行うには見つかる心配が無い場所が必要だった。
その場所が、フランドールの部屋であった。紅魔館の者達も仮にアサシンが屋敷内に潜んでいたと疑っても、
自分の部屋に潜んでいるとは夢にも思わないだろうと進言したのは、誰あろうフランドール本人だった。
もしも回復が滞っていたのなら、二度の目戦いの時に捕らえられたか、あるいは死んでいたかもしれなかった。
だからこそ、その治癒を集中して行える場所を提供してくれた事は感謝してもし足りなかった。


「なに?心配だったの?」

「心配するは、当然の事。今回の件は貴女は何も悪くない。全ては私の責任なのですから」

「そんな事無いよ。みんなを心配させちゃったのはさ、私にも責任はあるから」

「いやしかし……………分かりました。この事はこれ以上は言わぬがよろしいでしょうな」


これ以上の謝罪は、かえって向こうに気を遣わせてしまう。
ならば此処はその気持ちを汲むのが良いのだろうと、アサシンは頷いた。


「ですがこれだけは、言わせて頂きたい。
 貴女の御蔭で、私は生きて我が弟子を抱き締めるという奇跡を得られた。
 この御恩を私は、生涯決して忘れる事は致しませぬ。
 フランドール・スカーレットよ。今回の事は、誠にかたじけなく思います」

「い、いいよいいよそんなッ!私、そんな大した事なんて……してないのに。
 それなのにそんなに御礼言われたらその……な、なんか恥ずかしいなぁもうッ!」


礼を言われる事に慣れていないフランは、何処か嬉しそうに顔を赤くして恥ずかしがる。
自分に礼を言う相手は、紅魔館の皆が一目置く程の人物。
そんな人物にこうまで礼を言われるというのは嬉しくもあったが、それ以上に気恥ずかしくこそばゆかった。
それに耐えられず、フランは顔を赤くしたまま部屋から出て行こうとする。


「わ、私みんなにオジサンが起きた事教えて来るねッ!」

「あ、待たれよフラン殿」


慌てて部屋から出て行こうとするフランをアサシンは呼び止める。


「えっと、どうしたの?」

「知らせに行くのなら、急がないでほしい。……今少し、二人で居たいのでな」


腕の中で眠る弟子を、目を細めて見詰めるアサシン。
フランはそんな幸せそうな二人を見て思う。
今は二人っきりにしてあげて、邪魔しない方が一番良いのだろうと。


「……うん、分かった。じゃあゆっくり、歩いていくね」

「何から何まで、かたじけない」

「それじゃあ、ね」


そう言い残し、フランは部屋を出て行った。
残されたアサシンは僅かに起き上がり、自分に抱き着き寝ている咲夜の頭を撫でた。
咲夜は眠ったままではあったが、くすぐったそうに、だが、幸せそうにむずがる。
そんな咲夜を見て、アサシンの顔には自然と笑みが浮かんでいた。


「そうか私は……生きているのだな。まだ、生きているのだな」


幸せそうに眠る自らの弟子を見て、アサシンはその事を嬉しく思う。
自分がまだ生きている事を、嬉しく思う。久しく忘れていた感情だ。


「自分が生きている事を嬉しく思う、か。そんな感情、もう忘れたとばかり思っていたのだがな」


そんな誰に言うでもない、答えの帰らない独り言だった。
だが、しかし―――――


「――――――それはまあ、此処が幻想郷だからだろうな」


それに答える、異質な声が割り込んで来た。
唐突に部屋に聞こえた、第三者の声。
アサシンはその突然の声に僅かに驚き動揺するも、すぐさま警戒し、声の方角を注視した。


「人がかつて忘れたモノが存在する場所。それが幻想郷。
 お前が忘れた感情も、此処だからこそ思い出す事が出来たのだろう。
 と、いう事にしたら話的にはさぞ深みが増し、面白くなるだろうな」

「……何者だ?」


ゆっくりと進み出て、声の主の影はアサシンに告げた。










「初めまして。それとも、久しぶりかな?――――――名を語らぬアサシン」










目の前に出て来た声の主が誰か分かった瞬間、アサシンは警戒を緩める。
目の前の人物に現れた人物。それはアサシンの古くからの知人であった。
その名前を呼ぼうとして、アサシンはふと気付く。この者の名前は一体、今は何なのだろうかと。
そう、確か、前に名乗った時のその名前は……


「貴様は、ユリック。ユリック……ノーマン」

「――――――オーエン。それが、前に名乗った名前だったな。
 勿論、偽名だがね。しかし……うむ。これは良い偽名だが、私にはもっと相応しい偽名がある。
 だから、U.N.オーエンは私ではない。しかし折角の機会だからな。名乗らねば勿体無い。
 まあ、それはどうでもいいか今は。ふむ、とにかく久しぶりの方でなによりなにより」


相変わらずのその言動と、何故だか嬉しそうに浮かべる不気味な笑顔に、アサシンは額に皺を寄せる。
付き合いは長いが、この者の言動は理解するのは難しい。いや、理解しない方が正しいと言った方が良いのかもしれない。
だが今はとにかくそれよりも、アサシンには気になる事があった。


「貴様、一体何時の間に此処へ?」


そう、少なくともフランドールが出て行くまでこの部屋には自分達以外誰も居なかった筈だ。
それなのに何時の間にこの者がこの部屋に入って来たのか。アサシンにはそれが分からなかった。
疲労しているとはいえ、この自分に気取られぬ様にどうやって入り込んで来たのか。
アサシンにはそれが分からなかったのだ。
一方、そんなアサシンの質問にオーエンを名乗った存在は嬉しそうに、口を歪め裂けた。


「おうおう、その台詞をアサシン。お前から聞く事になるとはなッ!
 私はその台詞は言われ慣れてるし、好きな台詞だ。だがお前から聞くとまた違った充実感があるッ!
 その台詞、いつもはお前が言われてるのになと思うと更に、なぁ?」

「貴様……またはぐらかす気か」

「いやいやいや答えます。答えますとも!まあ、居たのは“最初”から。此処には今姿を現した。
 と答えておこう。分かり難くて済まないが、まあそういう事だ。そういう事にしてくれ。そういう事にしよう。
 おいおいそんなおっかない顔をしなさんなしなさんな。さっきみたいに笑って、スマァァイル?」


笑えと言われても、笑える訳が無い。
アサシンは額の皺を更に深くし、不愉快な表情を浮かべる。


「……貴様とまともに付き合う気は無い」

「そう冷たくしないでくれよ、アサシン。私はこの時を案外長く待っていたというのに。
 どこぞの無能の所為で遅れてしまったが、今やっとこうして出て来られたのだ。
 もう少し相手をしてくれてもいいじゃないか?え?そうじゃないかね?」


黙っていれば黙ったで勝手に喋る。
意味深な言葉を口にしている様で、意味の無い事を口にしている。
だがもしかしたら意味のある言葉かもしれない。
そんな事を、この者は常に口走る。それがこの者の厄介な所で、面倒な所だ。
そんな奴に勝手に喋られるよりはと思い、アサシンは以前からの疑問を尋ねる事にした。


「……質問がある。答えてくれるな?」

「勿論勿論ッ!今回私は、その為に此処に来たのだからな。
 お前が知りたい事はあれだろ?どうして弟子を此処に来させれば無事だと分かったか、だな?」

「そうだ。何故貴様は、我が弟子が此処に来れば安全だなどと言う事が分かった。
 実際、我が弟子はこうして生きていた。だからこそ、お前の言葉は真実だったのだろう。
 だがしかしどうして、そんな事がお前に分かったのだ?私はそれが分からぬのだ」


アサシンの質問に、目の前の存在は待ってましたと言わんばかりに笑った。
声を上げて喜ぶその姿は、悪戯を楽しむ子供にも見えた。
だがその顔に浮かべる表情は、無垢な子供とは言えず、醜く歪んでいた。
愉快そうに、更に口元を歪めて、裂けんばかりに頬を引き上げて、目の前のモノはその答えを吐き出した。


「簡単だ。此処に来れば、お前の弟子は――――――十六夜 咲夜に成れるからだ」

「………………なに?」


吐き出された答えを聞いた瞬間、アサシンの背筋が濡れる様にゾッと、冷たくなる。
自分は今からこの存在からとんでもない事を聞かされると、そんな直感があったのだ。
目の前の存在はそんなアサシンに構わず、その続きを謳う様に口から吐き出し続けた。


「そして十六夜 咲夜に成れれば、少なくともこの幻想郷に来る事になる。
 そうなれば少なくとも、死ぬ事は無い。それが、十六夜 咲夜という存在の宿命さだめなのだよ」

「貴様、何を……言って……?」

「来るべき時にレミリアの、紅魔館の者達の前に銀髪で時を止める事の出来る少女が現れれば、
 その子はいずれ十六夜 咲夜の名前を与えられ、紅魔館のメイド長として働く事になる。
 それが宿命さだめだ。少なくとも、大体そうなる。そうなる可能性がほとんどだ。
 だから私は、それを利用してやったのだよ。そう、その宿命さだめをな。
 私の目的の一つはな、お前の弟子を十六夜 咲夜にしたかったという事だ」

「私の弟子を……十六夜 咲夜に……だと?」

「まあ、ぶっちゃけて言ってしまえば誰でもよくはあったのだがな。
 ヴァンパイアハンターの末裔だろうと。霧の都の殺人鬼だろうと、月の民の一族の関係者だろうとな。
 ふむ、錬金術一族の幼き長でも良かったかもしれんな。他にも、まあ、探せば色々とあるだろうな。
 ……いや、未だあの娘の過去は分からぬ所が多いからな。もしかしたらそのどれかの可能性も、まだ十分にあるな。
 という事にすると、まだまだ面白そうなものを感じる事が出来そうだ。僥倖僥倖。
 いや、お前の弟子を見付けたのは私にとって幸運だった。御蔭で、私も随分とやりやすくなったよ」


この者が何を言っているのか、アサシンには理解出来なかった。
というよりも、頭が理解する事を拒絶していた。
この者の言葉を理解してはいけないと、本当に理解してはいけない。
そんな確信があったから、この者を理解しようとはしなかった。

思えば、今までそうだったのかもしれない。
自分は今までこの者の言動が理解出来ないと思っていたが、そうではなかった。
このモノを理解しない様にと、無意識の内に拒絶していたのかもしれない。
それに気付いた瞬間、アサシンは目の前のモノが違って見えた。
気狂い染みた言動の者から、理解不能のとんでもなく、恐ろしい存在に。


「貴様……運命が分かるとでも言うのか?」

「勿論勿論、勿論だとも。私は運命が分かる。そして干渉も出来る。
 だがそれがどうした?その程度の事が驚く程の事か?私は、な、あれだ。驚く程の事ではないと思うが。
 まあ、卵が先か鶏が先かで言うならだ。本来ならば卵が先で鶏が後なのに、今回はその逆だったと言うだけの事。
 お前の弟子が十六夜 咲夜に成ったのではなく、十六夜 咲夜がお前の弟子であった。という事だ。
 十六夜 咲夜は結果で、お前の弟子は過程だった。先に産まれていたのは結果。過程は後で生まれたのだ」


言葉を交わす毎に、アサシンは目の前の存在を警戒し、腕に籠める力を強くする。
千年近い年月を生きてきたアサシンは、神と呼ばれる存在や、悪魔と呼ばれる存在を知っている。
知っていて、会って、時にはその存在を自らの手に掛けた事すらあった。
だが目の前の存在は違っていた。自分の知る超常の存在とは違った。
何かは分からないだが、何かが決定的に、違っていた。


「まあいいではないか。十六夜 咲夜。良い名前だろ?ああ、本当に良い名前だ」

「……私の弟子を十六夜 咲夜にしたかった。それはいい。
 だがどうしてその様な事をした?結局貴様の、貴様の目的は、何だったのだ?」

「今回は、というより今回“も”だが……詰まる所私の目的はアサシン、お前とそう変わらないのだよ。
 強いて違いを上げるなら、私の方が規模が大きいって所か。そう、とんでもなくな」

「私の目的と、同じだと?」


自分の目的と同じと言われて、アサシンはどういう事だと目を細める。
自分の目的とは、一体どちらの事を言っているのだ?
自分が今回の事件の為に動いた目的か。それとも、自分の人生そのものの目的か。
あるいは……その両方の事なのか。


「だからなアサシン、私はお前に感謝している。お前の御蔭で私はまた一歩、目的を達したのだ。
 だから……本当に、ありがとう」


目の前のモノはそう言って、頭を下げて感謝の言葉を述べた。
頭を下げてはいたものの、僅かに見えるその表情はそれまでと違い、引き締まり、真面目であった。
それは以前から見せていたふざけた態度でも、今感じさせた不気味さでもなかった。
出会って今まで、始めて見るその姿にアサシンは驚く。この者はこんな表情も出来たのかと。
しかしそう思ったのも束の間。その表情はすぐに砕けて元のふざけた物へと変わっていた。
言い知れぬ不気味な雰囲気ではない、いつもの雰囲気に戻っていた。


「と~り~あ~え~ず~~は此処までッ!此処までにしておきましょう。
 さて、私から貴方に何か贈り物を差し上げたいのですが……さてさて何がよろしいだろうか?」


元の口調に戻った途端に、意味不明な緊張感は無くなっていた。
アサシンはそれに内心安堵しつつ、溜め息を吐き答える。


「……余計な世話は要らぬ」

「まあ、そう言わずに。では………………これはどうですかな?
 私は貴方の名前を知っている。ですが今後それを二度とは口にはしない。
 そして、誰にも、決して教えない。そう、誰にもです。貴方の名前は、貴方達だけの物になる。
 それがどういう意味かは、貴方自身が一番理解出来る筈だ」


その者の言う通り、アサシンにはその言葉が理解出来た。
千年近い年月を生きて、自分の本当の名前を知る者は、今ではこの者くらいだろう。


「……貴様に感謝されるいわれはない。が、お前がそうしたいのなら、好きにするがいい」

「ええ、私はそうしたいのでね。好きにしますよ」

「いや、待て。それならばいっそ……忘れろ。私の名前を」


正直に言うならば、アサシンはこの者が自分達の名前を知っているのは不愉快極まりなかった。
もう誰も知らぬなら、この名前は自分達だけの物にしたい。そう思ったからだ。
そんなアサシンの意図に当然の如く気付いたそれは、得心した様に頷く。


「……まあ、そうでしょうな。その方が気分が良いでしょう。
 だったら御安心を。実を言えば、貴方の名前はもう思い出せんのですよ。
 いや、はったりをかませば言ってくれるかもとそんな魂胆だったのですが。
 企みは上手く行かなかった様で。いや、残念無念ッ!」

「……相も変わらず、貴様という奴は。そもそも、貴様は一体何者なのだ?」

「そうだなぁ……此処幻想郷の言葉を借りるなら私は……うむ。私はそう、本来の意味での妖怪と言った所だな」

「本来の意味、だと?」

「恐ろしい物。不可解な物。説明出来ない物。私はそういった物だ。
 だからそういう意味では、私はU.N.オーエンを名乗るに相応しい存在だ。
 他にも、怪物の条件を三つの内二つを満たした物でもある。
 ただ残りの一つは……まあ私はお喋りだから満たせないので、化け物としては二流か。
 だがな、良いではないか二流。この私にぴったりの響きだ。それこそ、私に相応しい」


自分で聞いておいて、アサシンにはやはり理解出来なかった。
結局、理解出来ない物と理解しろという事しか分からなかった。


「まあいやぁ……しかし、くくくくく……」


それは何やら急に笑い出した。
一体何だと思ったアサシンに、その者は指を指す。


「アサシン、貴方はよっぽどその娘が大事とみえる。
 気付いているか?貴様、私が出て来てからその娘を後生大事に抱き抱えているぞ?
 まるでそう、この私からその娘を守るかの様にな」

「………………」


言われて気付く。その者の言った通り、アサシンは咲夜を抱き締めていた。
いざという時は自らの命と引き換えにしてでも守ると、そう主張している様でもあった。
そんな二人を見て、それは浮かべていた笑みを段々と溜め息と共に沈め、目を細める。


「お前が想う程に、その娘もお前を想っている。いや、実に……羨ましい。
 私の様な存在には、それはどれ程望もうとも決して手に入れられぬ絆ですからな。
 まあ……なんだ?私の様な存在はそれを望んではいけないし、だからこそ私も望みたくないのだが」


そう言ってその者はアサシンに背を向けて、閉じていたカーテンを開け、窓を開けた。
薄暗い部屋に暖かな日の光と涼やかな風が入り込み、窓の向こうには青い空が眩しく輝いていた。
アサシンに背中を見せ、自身は青い空を眺めながら、それは語る。


「なあアサシンよ。もし笑いたい時があるのなら、満ちた気持ちで晴れた空を見ろ。
 空を見て、眩しくて目を細めて歪んだ顔はな、なんとなくだが私には、笑っている様に見える。
 眩しいと嬉しいって、何処か似てると思わないか?だからな……ああきっと、つまりはそういう事なんだろうなぁ……」


背中越しにそう語るその者の声は満ちている様にも聞こえ、だが逆に満たされていない様にも聞こえた。
そんな声を聞きながら、アサシンは思う。
青い空を見詰めながらこの者は今、どんな表情をしているのか。
そしてこの空の向こうに一体何を見て、何を想っているのか。


「さて……と。いい加減、そろそろ私はここらで失礼するとしますよ。
 もうこれ以上お前達の逢瀬を邪魔するなんて野暮な事は、私自身もしたくないのでね。
 ではなアサシン。また夢の続きでも見たまえ。今度はその目を見開いて、な。
 そうすればお前もまた、昔の様に笑えるだろうさ……それでは」


そう言い終えた直後、正確に言うならアサシンが瞬きして目を見開いた瞬間には、もう何も存在していなかった。
まるで最初からそこには何も無かったかの様に、消えていた。
あるのは窓から送られてくる風と、揺れるカーテン。そして限り無く何処までも続く、青い空だった。


「……夢でも見ていたのか、私は。……いや、違うな」


夢はこれから見るのだと、アサシンは呟いた。
そう、きっと見せてくれる筈だ。腕に抱くこの新しい可能性が、きっと見せてくれる筈だ。
そんな確信を、アサシンは目の前の空を見ながら想い焦がれていた。
その様に想い焦がれていると、腕の中でむず痒そうな声が。


「ん…………んん…ん……」


僅かに震えた後、瞼を重たそうに動かして、咲夜は目を覚ました。
ぽやっとした懐かしい寝起きの顔を見て、アサシンの頬が緩んだ。


「ふふ………起きたか、我が弟子よ?」

「え……あ……」


起きた直後に見せられたその笑顔に、咲夜は見入ってしまう。
懐かしいと思うと同時にドキリと驚いてしまい、思わず赤面する。


「どうした?顔が赤いが……」

「えッ!?あっと……それは……」


指摘され、更にその顔を赤くする。
しかも師の腕に抱かれている事にも気付いて、また更に赤面する。
赤く上気したその顔は、今にも湯気が出そうな程に染まっていた。


「あの、あの申し、申し訳ありません我が師よッ!私寝ちゃって……しかもこんな……こんな……ッ!」


目に涙まで浮かべながら慌てるその表情。
そんな咲夜の表情を見て、アサシンは益々おかしくて堪らず、


「ふ……ふふ……ふふふふふふ」


声を出して、笑っていた。


「……え?」


それに気付いた咲夜は驚きのあまりに目を点にしてその声を聞いた。
嬉しそうに、幸せそうな微笑みを見た事はあった。だが今この人は、ただ単純におかしくて笑っている。
まさかこの人がそんな事を、咲夜は驚かずにはいられなかった。


「どうした我が弟子よ?そんな腑抜けた顔をして……ふふふ……くく」

「いえ、その、貴方がそんな風に笑うなんて……思いもしなかったもので」

「だとしたら……ああ、それはお前の御蔭だろうな」


そう言って、アサシンは咲夜をそっと抱き締める。
いきなりの事に咲夜はあっと声を出して驚くが、気恥ずかしさは無く、安堵を感じた。


「なあ我が弟子よ。私はこうして生きている。生きて居るぞ」

「……はい。私もです。私も生きて、此処に居ます」


それがどの様な想いで言った言葉か。弟子にはそれが分かった。
だから自分も同じ気持ちだと、そう答えた。

弟子を抱き締めながら、師は窓の向こうの空を見る。
何時でも見上げればそこにあった青空が、今はとても懐かしく、眩しく見えた。


「今日は、良い天気だ。本当に、そう思う」


そう語る師の顔を見て、咲夜は思い出す。
眩しそうに青空を見るその顔。その顔が先程まで見ていた夢に出て来た子供と、よく似ていたのだ。
もしかしてと思った時、咲夜はくすりと笑みを溢して、師と同じ空を見る。


「……はい。本当に、良い天気」


甘える様に、咲夜は自身の体を師の体に寄せて預ける。
もう子供じゃないのにと自分でも呆れるが、今ぐらいはいいじゃないかとも思う。
この人と別れてから、もう何年も甘える事が出来なかったのだ。
少しずつでもいい。これから先、甘えられる時は甘えてしまおう。
咲夜はそんな事を、青い空を見ながら想い続けた。










後書きの中でくらい幸せでいてもいいだろッ!

寝起きドッキリだったけど何か?という事で荒井スミスです。
いや、やってみたかったんだよ寝起きドッキリ。アサシンに。
まさかとは思うけど、途中まで咲夜さんだと思った人は……ふ、居る訳が無いか。

で、なんか途中で変なの出て来たけど、ごめんなさいね。
いや、もう他に出て来られそうな所無かったんだ。
あれに関しての言動は今の所無視して構いません。それっぽい事言ってるだけだから。
ちなみに、あいつ最初から居ましたとだけ言っておきます。はい、最初から。
別に最初からあの部屋にスタンバっていた訳じゃないから。
会話の中でも出て来ましたね。特徴の無いカメラマンとして。あれがあれですあいつです。
まあ、ある意味みなさんずっとあいつの事見てましたね。それくらい最初から出て来てました。

後ちょっとで終わりそうだけど……ほんとにあとちょっとで終わるのかな?
これ、最初は一か月で終わらせる予定だったのに、一年以上続いてるもの。
場合によっては、他の章の話はそれぞれ進めた方がいいかもしんないな。
その方が、なんか気晴らしにもなって進みそうだしね。
それではッ!


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