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[22485] 【習作・処女作】王様が復活しました。(真・恋姫+コミュ)
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/11/29 00:36
 
 初めまして。まっぎょと言う者です。
 ここで色々な作品を見ているうちに、自分も何か書いてみたくなり、衝動的に作品を書いてしまいました。
 処女作ですので、文章構成やら話の流れやらが無茶苦茶になるかもしれませんが、何卒宜しくお願いします。
 
 この作品には、以下の特徴があります。
 ・主人公はコミュの登場人物である某王様です。一刀くん出ません。
 ・コミュ側はカゴメルート最中(若しくは終了)の時点です。
 ・コミュキャラは一応複数出す予定です。

 以上の事柄を苦なく許容できる方、ぜひ読んでやってください。
 そして、楽しんでいただければ幸いです。




 10/17 二話改訂

 11/6 三・四・五話 誤字等修正

 11/29 八話改訂



[22485] 一話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/10/11 20:41



 我斎五樹は王である。

 それは、彼が何処に存在していても決して変わることは無い。

 才覚。能力。性格。意識。

 我斎五樹という人物が持つ、個としての性質そのものが、其れ即ち王たる者の持つべき素質。

 覇を唱える。世を制す。

 我斎五樹が目指すものこそが、其れ即ち王が欲し、求めるべきもの。

 彼は生来より、王たる者の素質を有し、王たる者と同じくを目指していた。

 故に、彼は王である。

 それは最早、宿命と言っても何ら差し支えのない事実。

 実際、彼は元の世界では王であった。

 現代、高倉市という新都市の闇に君臨する皇帝、カエサル。

 数多くの臣下を従え、自身にも強大な力を宿し、腐り果てた世界の破壊を心に決めた、一人の覇王。

 曰く、『千の敵を持つ王』。その仇名は、彼の持つ、巨大な王の化身の異名でもあった。

 高倉という異質な戦場にて、数多くの敵を屠り、力を蓄えた千の敵を持つ王。王の雄姿に魅了され、王に付き従うことを決めた軍勢、カエサルレギオン。

 それらの強大な力、それを手足の如く操る皇帝の前には、誰もが屈服せざるを得ない。

 彼の存在はそれほどまでに大きく、そして計り知れないものであった。

 だが、しかし。

 我斎五樹は敗れた。

 多大なる軍勢と並み外れた力を持ちながら、彼は唯一つの要因によって、地に落とされることとなった。

 黒き竜を駆る、たった五人の蛮勇によって。

 異形の黒き竜、名をバビロン。

 バビロンのコミュニティ、竹川紅緒、柚花真雪、春日部春、伊沢萩。

 そして、コミュニティを率いる『道化』、我斎五樹の対極であり、我斎五樹の意思を決して認めようとしなかった男、瑞和暁人。 

 彼ら『バビロンコミュ』の行動により、皇帝の玉座は陥落したのだった。

 要因は多々ある。だが、敗北の一番の理由は、我斎五樹の慢心であった。

 自身の驕り高さ故に敗北する。王の死に様としては典型的とも言える。

 しかしながら、我斎五樹は後悔などしていなかった。

 敗走し、惨めに逃げ落ち、混乱の最中に狂気を帯びた敵勢に無残に叩き殺される、という運命となっても、彼は決して自身の行動を悔やむことはしなかった。

 なぜならば、彼は生粋の王であったから。

 自身の覇道を貫いた。他人の意見に道を変えること無く、唯見据えた先を前進した。

 故の敗北。なればこそ、彼に後悔など生まれるはずもなかった。

 唯一つ、彼に未練があるとするならば。

 それは、彼が彼自身の望む王になれなかったこと。

 彼は、彼の軍勢を、彼の臣下を支配することはできた。

 しかしながら、彼は高倉市に潜む巨大な闇を御するには至れなかった。

 そう、彼は彼の望む目的、『革命』を成功させるには至らなかったのだ。

 それが、彼にとっての唯一の、生きることへの未練。

 覇王として、世を制することを欲す。

 一度死した彼の、今更叶うはずもないその願いは、肉片と化したその体の腐敗とともに消え行く筈であった。



 しかし、男の未練は摂理に反し、より明確な形を成して行くことになる。



 それは、新たなる外史の起点。

 王足り得る素質を持ちながら、終ぞ王として全てを統べることが出来なかった一人の男。
 
 戦乱の世を恨むも、自らの力無き故に民を救えぬ歯がゆさを噛み締め、自らを導く主足り得る存在を探す三人の少女。

 彼と彼女達が邂逅を果たす時、新たな外史が幕を開く。  

 始まりは、彼の死。そして、転生。

 摂理に反し、死から生へと転じた彼の、新たなる覇道は一体何処へと向かうのか。

 それは未だ、誰にも分からない。


























「ほらぁ~、二人とも早く早く~!」

 そう言って、後ろに続く少女二人を呼ぶ、一人の少女。 
 桃色の長髪が美しい彼女は、あどけなさの残る表情を浮かべてはいるが、その体付きは成熟した女性のそれに近い。
 少女は、その可憐な容姿と煌びやかな服装に反し、豪奢な装飾の施された一振りの剣を腰に携えていた。

「お待ちください、桃香様。お一人で先行されるのは危険です」

 続いて声を発したのは、先へと行く少女――桃香を諌める少女。
 艶のある長い黒髪を一つに纏めている彼女は、姿こそ若く華奢な女性ではある。
 しかし、その身に纏う鋭い空気と手に持った青龍偃月刀が、その少女が只の非力な女性ではない、ということを雄弁に物語っていた。

「そうなのだ。こんなお日様一杯のお昼に、流星が落ちてくるなんて、どう考えてもおかしいのだ」

 黒髪の少女の隣、未だ幼さの残る赤髪の少女が、桃香の判断に疑問を投げる。
 どう見ても子供にしか見えない彼女だが、凄まじく長大な蛇矛を軽々と担いでいることから、並みの子供では断じてない、ということが目に見えて分かる。

「鈴々の言う通りです。もしかすると妖の類かもしれません。慎重に近付くべきです」

 赤い髪の子供――鈴々の意見に同調する黒髪の少女。
 彼女達二人にとって、桃香という人物は、自分たちの身を犠牲にしてでも守らなければならない大切な存在。故に、軽率な行動は諌めなければならない。
 彼女の命を守るために。そして、桃香に仕える者として、彼女を正しき道へと導くために。

「そうかなぁ~? ……関雲長と張翼徳っていう、すっごい女の子たちがそういうなら、そうなのかもだけど……」

「お姉ちゃん、鈴々たちを信じるのだ」

「そうです。劉玄徳ともあろうお方が、真っ昼間から妖の類に襲われたとあっては、名折れと言うだけではすみません」

 必死に自分たちの主を危険から遠ざけようとする鈴々と黒髪の少女。しかし。

「うーん……じゃあさ、みんなで一緒に行けば怖くないでしょ? だから早く行こ♪」

 それに構わず、桃香は率先して危険へと歩いていく。
 それもそのはず。劉玄徳という人物は、自身の好奇心を抑えることが出来ない類の人物であった。

「はぁ~~~、分かってないのだぁ~~~」

「全く。……鈴々、急ぐぞ」

「了解なのだ」

 続く二人は呆れつつも、主の我が侭には逆らえないのだった。






「流星が落ちたのって、この辺りだよね?」

 幽州啄群、五台山山麓の荒野。流星の軌跡を追って、桃香達はその場所に辿り着いた。
 しかし、周囲には何もない。荒野には、何かが落ちた後どころか、粉塵一つ舞ってはいなかった。

「うーん……なーんにもないねぇ」

 周囲を見渡した後、後から来た二人の方に向きなおる桃香。期待したものが何も無く、その顔には落胆した表情が浮かんでいる。  
 だが、後に来た二人の表情は、明らかに桃香のそれとは違っていた。
 彼女たち二人の目に宿っているのは、警戒の色。

「桃香様、御気をつけ下さい。……誰か来ます」

「はぇ?」

「お姉ちゃんの後ろから、こっちに向かってくるのだ」

「後ろ? ……あ、ホントだ」

 振り返った先で桃香の目に入ったのは、白い服を着た長身の男。
 少しばかり遠くに居るが、その男は一直線に桃香達の方へ歩いて来ていた。

「よくわかったねぇ、愛紗ちゃんも鈴々ちゃんも。私全然気付かなかったよ~」

 その感心の言葉に、鈴々と黒髪の少女――愛紗は、何も返せなかった。
 関雲長、張翼徳。彼女たちほどの武人ともなれば確かに、気配で人の居場所を察知することも難しくは無い。しかしながら、ここは荒野のど真中。障害物が無く見通しが良い場所なので、人が居ることに気付くのはむしろ当然のこと。
 本来ならば、この状況で不審な男の接近に気付かない桃香の不注意を責めるべき、なのだが。
 今回の場合は違った。彼女たちは、自発的に男に気付いたわけではなかった。

 気付かされたのだ。

 その濃密な存在感と、圧倒的な気配によって。
 男は、ただ歩いているだけだ。まだ距離も随分と開いている。
 にも拘らず、彼女たちの肌は男の存在を強く感じ取っていた。




 
 ――何なんだ、あの男は。

 愛紗は、男を想像する。

 これは武によって培われた気配ではない。むしろ、傲慢な為政者の空気に近いものだ。自信と驕りと、そして野心の塊。あの男は確実にそれを持っている。
 
 が、只の為政者にしてはおかしい。気配の密度が違い過ぎる。

 強大すぎるのだ。少なくとも、並みの人間が放つ気配ではない。だとすれば、彼は何なのか。

 覇王。

 愛紗の頭にふと浮かんだのは、そんな言葉だった。
 
 



 ――わけわかんないのだ。

 鈴々は、男に疑問を抱く。

 あの男は、自分より遥かに弱い。その評を下したのは、武人としての直感と、ここに至るまでに繰り返してきた戦いの経験だ。

 男の身から放たれる気は強いが、武人のそれとは別種のもの。男の持つ武の質自体は然程ではない。あの程度では、自分を倒せないのは間違いない。

 でも、自分はあの男を恐れている。

 一合あれば倒せる。それは事実だ。だが、何故か。自分の攻撃はあの男に届き様がないものなのだと、そう考えていた。

 あの男には勝てない。

 自身のたどり着いた結論に、鈴々は首を傾げざるを得なかった。





 徐々に自分達へと近付いて来るその男に、愛紗と鈴々は警戒を強めていった。 

「? どうしたの、二人とも? 何か顔が怖いよ?」

 そんなこととは露知らず、表情の硬い二人に首を傾げる桃香。未だその脅威に気付いていない彼女の相手をする余裕など、二人には欠片も残ってはいなかった。

「下がって下さい、桃香様」

「危ないのだ、お姉ちゃん」

「――ほぇ? ひゃぁあ!?」
 
 二人は、有無を言わさず桃香の両の腕を掴み、彼女を背後に引き下げる。

 ――あの男は、危ない。

 得体の知れない危機を感じ取った二人は、各々が持つ武器――青龍偃月刀と蛇矛を前方へと構えた。
 男はしかし、それに怯んだ様子は無く、ゆっくりと、しかし確実に、彼女たちへと近付いていく。
 決して男は焦らない。ただ、見据えた目標に向けて、着実に、大きく、歩を進めていく。

「あ、あの……二人とも? 何だか怖い、よ……?」

 男を凝視しつつ、武器を構えたまま動かない二人の少女に、桃香は当惑する。二人が突然臨戦態勢に入ったその理由を、彼女は理解できていなかった。

 ――あの男の人に、何かあるのかな?

 前方から近づいて来る男を、桃香は改めて視界の真中に収め、凝視する。
 そして、それと同時に、桃香は驚愕した。





 ――何、あの人……。
 
 見た目が普通ではないことは分かっていた。男が身に纏っているのは、見たこともない意匠の白い服。その服は何故か、陽の光を弾いて輝いている。あんなものが市に出回っているのを見たことが無い。珍しい品であることは間違いないだろう。

 が、服装よりも何よりも、彼の歩く姿、それそのものに、完全に目を奪われた。

 均整のとれたその端正な顔立ちには、人を引き付ける力と、人を畏れさせる力が溢れていた。そして、その黒い瞳からは、強く気高い意志の力を感じることが出来た。

 そう。男は、傍目から見て分かるほどの、凄まじい密度の『力』を持っていたのだ。

 ――すごい。

 一瞬にして、魅了された。
 
 感嘆するしかない。今の自分では決して持ち得ないその『力』を、今の自分が必要としているその『力』を、男は当然のように持っている。

 根幹から既に違う。目的のためにその『力』を欲している自分とは、完全に別の存在。恐らく彼は、その『力』を行使する立場になるために生まれてきたような人間だ。

 そんな人間が、自分の目の前に居る。

 これは、好機なのではないだろうか。
 
 いや、むしろ天佑、というべきことだ。

 今の自分に足りないものを、いずれは自分も手にしたいものを、彼は持っている。

 だとすれば、やることなんて決まっている。

 ――よし!

 そして、桃香は一人心の内に、ある覚悟を決めるのだった。





 沈黙が長く続いた。    

 少女たち三人は各々の思考により口を噤み、男は元よりただ歩いているのみ。
 先程から周囲に響いているのは、砂を踏む一対の足音のみ。
 そして今。

 その音が、不意に止んだ。

 完全に音が消え、周囲が静寂に満たされる中、四人は遂に対面する。  
 数瞬の睨みあいの後、初めに口を開いたのは、歩みを止めた男。

 覇王、我斎五樹であった。





「到着早々この扱いか。また豪く物騒な場所だな、地獄というのは」








[22485] 二話 改訂版
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/10/17 22:46

 





「何者だ、貴様。何故このようなところを歩いている」

「怪しいのだ。普通の人は、こんなところを手ぶらで歩かないのだ」

 五樹は、彼女らの問いには答えなかった。
 代わりに、冷たい眼差しを三人に向ける。

「一つ、聞きたい」

 そして五樹は、何の表情を浮かべることも無く、言い放った。

「何を、怯えている?」

「――なっ」

 その言葉に、愛紗は顔を引き攣らせた。

「俺はただ、歩いていただけだ。なのに、何故お前たちは俺に武器を向けた?」

「……それは、おまえが怪しいからなのだ! 怖かったわけじゃ――」

「お前たちは、怪しい人間がいれば必ず武器を向けるのか?」

「――ッ、それは、違うけど……」 

 五樹の問いに、鈴々は悔しげな表情を見せ、言葉を詰まらせる。
 事実、五樹の例えようの無いほどの濃い気配に恐れを抱いていたことを、彼女達は否定できなかった。
 口を開こうとしない鈴々の態度に、五樹は恐れの色を見た。

「怯えられてもこちらが困る。俺はただの一般人なんだがな」

 変わらず無表情で、五樹は愛紗と鈴々の二人に話しかける。
 その態度に、愛紗は思わずいきり立つ。
 
「一般人が、あのような剣呑な氣を放つはずが無い! それに、今この時も、刃を向けられているのにその余裕……一体何なんだ、貴様は!」

「答えられんな。そうやってお前達が俺を脅しているうちは」

 刃の先に一瞬だけ目をやり、五樹は毅然と言い放つ。

「話を聞きたいのなら、相応の態度で臨むのが常識だ。……これがお前達の、話を聞く態度か?」

「くっ、言わせておけば――」 

 周囲に剣呑な空気が漂い始めた、その時。

「愛紗ちゃん、鈴々ちゃん。武器を仕舞って」

 その一言は、静かに響いた。

「桃香様、しかし……!」

「危ないのだ、お姉ちゃん!」

 愛紗と鈴々は、ここで引くわけにはいかない。
 彼女たちにも『君主を危険から遠ざける』という理由がある。
 しかし。
 
「お願い、武器を仕舞って。この人は、御使い様かもしれないんだよ?」

 その言葉に、二人はハッとした表情を浮かべる。
 彼女達がここへ来た目的を考えれば、桃香の言い分は確かに正しかった。
 だが、彼女たちの側にも理はある。
 
「それは、そうです……ですが、この者は危険です」

「そうなのだ。この人は危ないのだ。理由は分かんないけど、なんかそう思うのだ」

 二人が感じ取った五樹の氣は、人が放つことのできるような類の物では無かった。余りに強過ぎ、異質過ぎたのだ。
 言い様のない恐怖。二人がその氣から感じ取ったのは、そういったものだった。
 そんな危険に、自らの主を差し向けるわけにはいかない。二人が桃香を諌めるのも当然と言えた。
 だが桃香は、二人の言葉を聞き入れようとは思わなかった。

「桃香様、離れましょう、ここは危け――」

「――武器を、仕舞って。ここは、私に任せて欲しいの。お願い」

「っ、あ……」

「お姉、ちゃん……?」

 強く響いたその声に、愛紗と鈴々は驚いていた。
 二人が反射的に武器を降ろしてしまうほどに、その声には力が込められていた。
 強い意志の力と、決意の力が。
 そして、二人は思い出す。
 自らの君主が、ここぞという大事の選択を他人には決して任せない、頑固な人間であったということを。
 そして、その選択が誤ちだったことは、ただの一度も無かったということを。

「……分かりました、貴女にお任せします」

「鈴々たちが何言っても、今の桃香お姉ちゃんは聞きそうにないからなー。仕方ないのだ」

「あはは……ありがとう、二人とも」

 武器を降ろした愛紗と鈴々に礼を言った後、桃香は再び五樹の方へ向き直った。

「これで、良いですか?」

「……何のつもりだ」

「私は、あなたのことを知りたいんです。あなたに、聞きたいことがあるんです」

 真っ直ぐに五樹を見つめ、真っ向から言葉を放つ桃香。
 その高潔な眼差しと、武人二人を黙らせた言葉、何より自分に向けた真摯な態度に、五樹は興味を持った。
 何故、自分に拘るのか。五樹は、その理由を知りたくなったのだった。

「……いいだろう。聞いてやる」

「まずは、名前を。私の名前は劉備。字は、玄徳と言います。……ほら、二人も」

「我が名は関羽。字は雲長だ」

「鈴々は張飛なのだ。翼徳っていうのが字だぞ」

 少女達の名を別段感慨の無さそうに聞いた後、五樹も桃香達に倣う。 

「……我斎五樹だ」

「がさい、いつき……さん」

 五樹が短く名乗ると、桃香はその名を記憶に刻むように、声に出して繰り返した。
 そして、五樹に質問を投げかける。

「……我斎、さん。あなたは、このあたりに住んでいる人ですか?」

「違う。と言うよりそもそも、俺はここが何処なのか理解していない」

「? どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味だ。俺は、気が付いたらここに居た。それ以上のことは分からん。……ここは何処なんだ?」

 問いかけた五樹は、本当に自身が何故ここに居るのかを理解していなかった。
 自らの身に起きた出来事の結末が、どうしてもこの場所には繋がらなかったのだ。

「ここは幽州の琢郡、五台山の近くです。……元々は何処に居たんですか?」

「……遠い場所だ。少なくとも、こんな景色のある場所ではなかった、とだけ言っておこう」

 五樹はあからさまに答えを濁した。それを察してか、桃香も深くは聞こうとしなかった。 
  
「そう、ですか。……あの、本当に、ここが何処か分からなかったんですか?」

「ああ、全く」

 その答えを聞き、桃香は「やっぱりそうだ……」と何かを確信したかのように呟いた。

「……私たちがここに来た理由は、ある占い師さんの占いを信じたからなんです」

「占い?」

「ええ。『乱世を平和へと誘う天の御遣い、流星に乗って地に降り立つ』。私たちはその、天の御遣いを探していたんです。乱世を救うために」
 
「……乱れているのか、この国は。そんな与太話を信用するほどに」

「……とても。町や村には盗賊の被害や飢饉が絶えず起きていて、それを収めなければいけないはずの王朝も私腹を肥やすことしか考えてなくて、
 人々の苦しみはずっとずっと続いています」

 その苦しみを共有しているかのように、桃香は悲しげな表情を浮かべる。隣では、愛紗と鈴々も苦々しい表情をしていた。
 彼女たちは乱世を、腐敗した国を、そして自分たちの力の無さを、憂い、悔いていた。

「私は、苦しんでいる人々を救いたい。そのためにいろいろの場所を旅して、人の役に立とうとしました。でも、力が全然足りないんです」

 力が足りない。その言葉で、五樹は少女達の意図を察した。
 
「……なるほど。それを補うための天の御遣い、と言う事か」

「はい。私たちの名前を広げるために、力を蓄えるために、嘘でもいいからそういう神聖な存在が必要なんです。
 ……あなたのような、不思議で神聖な存在が」

 そう言って、桃香は五樹の姿を見つめる。『ここではない別の場所』から降り立ったという、一人の男を。
 雄々しい長身を飾るのは、陽の光を跳ね返し、光り輝く天の衣。
 その正体が、その実取るに足らない物だったとしても、彼女の、この地の人間の目には、その姿は神聖に映る。
 だからこそ、彼女は五樹を求めたのだった。

「お願いします、我斎さん。私達に、力を貸して下さい」

「……私からも、頼む」

 そう言ったのは、愛紗であった。 
 先程までの怒気は完全に鳴りを潜め、彼女は縋る様な目で五樹を見つめている。

「桃香様は本気だ。それに、力の無さは私も強く感じている。貴方の、御遣いの威光があれば、あるいは私達も民を救える力を得られるかもしれない。
 ……頼む、協力してくれ」

「鈴々も、同じ気持ちなのだ。苦しんでる人を助けられるようになるんなら、なんだってするのだ。だから、力を貸してほしいのだ」

 そう続けた鈴々も、真剣な表情をしていた。 
 
「あなたがいれば、私たちは動きだせる、人々を救えるんです。だから……」

「何故、俺を選んだ」

 言葉を続けようとした桃香の声を遮り、五樹は問いを投げかける。

「先程の関羽と張飛の見解は正しい。俺は、お前たちから見れば怪しい人間のはずだ。なのに何故、会ったばかりの俺に助力を請う? 
 俺が天の御遣いとなり得る存在だからか?」 

「そうです。……そうですけど、それだけじゃないんです」
 
 桃香が五樹を選んだ、愛紗と鈴々も知らない理由。
 五樹を初めて見た時に感じた、衝撃。  
 同時に、心の中に芽生えた、ある感情。

「初めて見たんです。あなたみたいな、とても大きい人を」

「大きい?」

「存在感とか、雰囲気とか、心の強さとか、そういう力の大きさです。人を先導して、強く強く引っ張っていけるような力」

 彼女は、覚悟を持っていた。そして、人を惹き付ける魅力と徳を持っていた。
 大国を統べる器。桃香が師事していた士大夫・盧植をしてそう言わしめるほどに、彼女は優れた存在であった。

「そういう力って、経験とか知識とか、自分への自信とか、内にあるものから出てくるんだと思うんです」

 しかし彼女は、それだけでは満足しなかった。

「今の私には、そういうものが足りない」

 彼女は、自分の経験や知識が浅いものだということを理解していた。だからこそ、自分に対して自信が持てなかった。
 故に、旅をすることで人々を救うと同時に、自身の見聞を広げていたのだった。
 裏を返せば。
 自分がそんな力を、知識や自信を手に入れられれば、乱世に平和をもたらすことが出来ると、彼女は固く信じていたのだ。
 その、大きな力。それを持つ人間が、目の前に現れた。

 ――私に、その力があれば。

 五樹に触発され、一度に大きく膨れ上がった、向上心。それが、今の桃香を突き動かす、もう一つの要因であった。  

「だから、その大きい力を、自信を、あなたから学びたいんです」

 その決意は固く、そして強かった。
 全ては、乱世を治めるために。
 未だ三人という人数に過ぎない彼女らは、その身に余るほどの大望を抱いていた。
 叶うかは分からない。だが、信じ続ける。自らの夢を、理想を。
 その一途さを垣間見た五樹は、彼女達を認め始めていた。

「お願いします。私達に、力を貸して下さい!」
 
「……人を救うために、お前達は何を為す?」

 唐突に、五樹は問うた。

「乱世を平和へと誘う。それが御使いの役割と、お前達はそう言った。なら、世の中がどうなれば、平和になったと言える?」

 その突然の問いに、桃香は戸惑うこと無く答えた。

「本当の平和な世の中は、みんなが優しい気持ちを持った、争いの無い世界のことだと、私は思います」

「それはただの理想だ。目指すのは構わないが、絶対に実現は出来ない」

「それは、分かってます。目標や夢っていうには、それはあまりにも大きすぎますから」

「なら劉備、お前は何を目指す?」

 五樹の言葉の後、少しの間静寂が流れる。
 その沈黙は、桃香の迷いによるものではない。
 彼女は、言葉を選んでいた。目の前の男に、自身の目指す夢を端的に、確実に、伝えるための言葉を。
 そして、意を決して、彼女は言った。

「天下を一つにすること。ただそれだけを。……少なくとも、みんなが同じ気持ちになるためには、世界を繋がないといけませんから」

「……自分の言ったことの意味、理解は出来ているんだろうな」

「当然です。私は、この大陸を一つに纏め上げたい。そのためには、一番上に立たないといけない。絶対に」

「……そうか」

 その答えを聞き、五樹は一度だけ、首を縦に振った。
 その瞬間、桃香の目には、五樹がほんの少しだけ微笑んだように見えた。

「いいだろう。お前達に協力する」

「! ホントですか!?」

「ああ。断る理由は無い。精々俺を利用すると良い」

 少しばかり皮肉めいたその言葉には、敵意は含まれていなかった。

「私が言うのもなんだが、その……本当にいいのか?」 

「共に行ってくれるというのなら、むしろ助かる。何せ俺は、ここにいきなり放り出された身だからな。それに……」

 そう言って、愛紗から桃香に視線を移した五樹の顔には、何かを楽しみにしているかのような表情が浮かんでいた。 

「劉備には覚悟がある。それに付き従う関羽、張飛にも。ならば、それに応えるのも悪くは無い」

「じゃあ、決まりなのだ!」

 元気よく声を張った鈴々の言葉に、桃香達は明るい笑顔を浮かべる。

「ありがとうございます! これからよろしくお願いしますね、五樹さん♪」

 そう言って、桃香は自らの右手を差し出した。
 自分の信頼を預け、五樹の信頼を得るために。

「ああ、宜しく頼む」 

 そして、五樹は差し出された手をしっかりと握った。
 桃香達の願いに応え、理想を叶える力になるという、約束を違えぬために。

 だが。

 ――茶番にしては、面白い。

 真摯な桃香の願いはしかし、五樹に届いていなかった。

 ――全く、良く出来た空想だ。

 彼は、この世界を『現実』とは思っていなかったのだ。
 
 なぜならば、『我斎五樹』は既に死んでいる。
 比喩でなく、その身を砕かれて。
 それは、紛れもない事実。
 肉と骨が、質量に圧し潰され、奇怪な音と共に潰れ落ち、ただの肉塊と化したことを、覚えていた。
 自らの血が、壁に、地面に、化身の操者の嗤い顔に飛び散り、全て紅に染めた風景を、覚えていた。
 復讐と狂気に頭が染まり、下卑た笑いを周囲に響かせる、理性を失った人間の所業を、覚えていた。  
 何よりも、生きたまま肉体を潰された、激痛と言うには余りに生温い痛みを。
 そして、人間の底辺に位置するような下種から、その責め苦を受けているという屈辱を。
 五樹は強く、覚えていた。
 だからこそ、五樹は決して信じなかった。信じることが出来なかった。
 自分が生きている、などという、奇跡のような出来事を。

 故に、この世界は幻想であり、空想であり、妄想だ。
 現実などではあり得ない。
 劉備や関羽といった英雄の名が出たにも関わらず、五樹が一切反応しなかった理由もここにあった。
 これは、我斎五樹という死人が勝手に生み出した、生へのくだらない未練の残り滓。死者の妄想。
 故に如何なことが起きても不思議ではない。
 結局、何が起きようとも、この世界での出来事は全て、ただの幻想なのだと。
 そう、五樹は思い込んでいた。 

 ――消える前に、精々この空想を楽しんでおけ、ということか。

 つまらなさげにそう考える五樹の心の中の、『生きていた』頃の感情や意欲は、最早消えそうなほどに薄れていたのだった。
 藁にも縋る思いで信じた奇跡が現実となり、ようやく飛躍への道筋を捉えた桃香達。
 自らの死から生じたあり得ないはずの奇跡を、そうと信じられずに空想と断じ、目に映る世界を軽んじる五樹。
 お互いの意思に大きく齟齬を持ったまま、五樹と桃香達は、互いの手を取り合った。





















 以下あとがき


 戦ってもないのに激しく中二臭い文章で申し訳ないです。王様をイメージしたらこうなりました。
 しかも愛紗と鈴々が微妙に空気。文章って難しい…… 
 そして展開が亀。まだ荒野から一歩も動いてないってどんだけ……  

 次あたりコミュキャラ出します。多分。誰が出るかはまだ秘密です。
 あと、更新の速さは余り期待しない方がいいかと思います。
 それでは、御目汚し失礼しました。




 追記:時間経った後に自分で読み返してみてあまりに酷かったので、改訂しました。推敲ってやっぱり重要ですね。
    最後のほう以外結構大々的に変わってます。
    あと、桃香の考え方が原作より柔軟になってるかも?





[22485] 三話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/11/06 21:03






― ???side ―




 
 私は、救えなかった。


  
 私は、貫けなかった。



 あれだけ大きなことを言っておいて。あれだけいろんな人を巻き込んでおいて。 

 結局私は、何もできなかった。
 
 やり方を間違えた。
  
 状況を甘く見ていた。

 周囲を信じすぎていた。

 言い訳ならいくらでも浮かんでくる。後悔ならいくらでも滲み出てくる。

 もっと、周りを強く説得していれば。

 もっと、良く考えて行動していれば。

 もっと、力を付けていれば。

 あの後、独りになってから思い浮かんでいたのは、そんなことばかりだった。

 
  
 でも、あの後のことをずっと見ていて、ふと考えた。

 その「もっと」を達成できていたとして、私は彼らを救えていただろうか。

 私は、確かに最良を選び続けることは出来なかったけれど。
 
 仮に、そう出来ていたとして。

 強大な力によって、狂気に染まった彼らを。人の道を、半ば外れてしまっていた彼らを。

 果たして私が、止めることなど出来たのだろうか。

 恐らく、私が何をしても、結果は何も変わらなかった。

 私は弱い。一人では誰も救えないほどに弱い。 

 だからこそ、皆の手を借りようとした。手を取り合って、平和を作ろうとした。

 でも、そんなことをしたところで、自分の弱さは変わらない。人を集めても、結局は無駄だった。

 なぜ、気が付かなかったのだろうか。

 私は弱い。ただそれだけのことに。

 


「巫女様、御準備を」



「……はい」



 気付くのが遅かった。

 おかげで私は、何もかもを失った。

 もう、私には、何も残っていない。

 

「今、参ります」

 ゆっくりと瞼を開くとそこには、虚ろな目をした人々が、祈るようにこちらを見つめていた。 

 今の私には、何も無い。

 だから、考えることを拒絶していた。

 それが、どんな結果を生んだのかを知っているにも拘らず。








― ???side end ―















「……」

 荒野を黙々と歩く一人の男と三人の少女。
 協力関係にこそなったものの、彼らの間には冷たい空気が横たわっていた。
 理由は明白。五樹があまりにも喋らなさ過ぎているからだった。
 既に先程の出来事から三十分強。その間、会話らしい会話と言えば。



『い、いい天気ですね……』

『そうだな』

『あ、あはは……』



 これのみであった。非常に気まずい。

「……」

 五樹の顔は、お世辞にも優しさや柔らかさを持ち合わせているとは言い難い。端正だが迫力のある彼の顔は、見る人間に威圧感を与えている。
 そんな彼が、自分から何かを言うわけでもなく、ただ黙って歩いている。
 そこへ話しかけるためには、相当な勇気が必要だ。
 そのため、桃香は言うまでもなく、愛紗や鈴々でさえ気後れして何も話せないでいた。
 しかも、本人はそのことに気付いてすらいない。どころか、気を遣って何かを話してあげよう、という思考自体を五樹は持ち合わせていなかった。

「……」

 四人の周囲を包む空間には、実に微妙な空気が流れていた。
 そんな中。

「……今、何処へ向かっているんだ?」

 言葉少なな三人へ向けて言葉を放ったのは五樹だった。

「え、ああ、目的地ですか? えっと、前いた街で聞いたある村なんですけど、なんか妙な噂があるらしくって」

「妙な噂?」

「はい。何でも、龍が出てきて村人を襲ってるとか、っていう……」

 桃香の話に、あからさまに顔をしかめる五樹。その表情の変化を察してか、桃香は途端に饒舌になった。

「あ、り、龍っていうのは多分そこの村人さん達の見間違いとか勘違いですよ多分! でも何かの理由で村が困ってるのは確かだと思うし、それなら何とかしてあげたいって思いまして、だからその――」

「分かっている。その村を助けたいのだろう」

「……そ、そうです、ハイ」

 勢いを挫かれて桃香がしぼんだ。 

「お前達は、それを信じているのか?」

 五樹のその問いは、愛紗と鈴々に投げかけられていた。

「……話の信憑性は確かに薄い。だが証拠はある。少なくとも、その村で何かが起きているという証拠は」

 愛紗の言葉に、鈴々が続ける。

「お野菜の値段がいきなり高くなった、って言ってたのだ」

「野菜?」

「その村、ちょっとおっきめの農村なんです。前いた街に行商さんがいて、行商さんの仕入れ先がその村だったらしいんですけど、最近になって急に野菜の値段が跳ね上がって儲けがごっそり減った、って」

 桃香の補足に、五樹は僅かに首を傾げる。

「今の世の中は何処も戦だらけなのだろう? なら物価の高騰などよくある話のはずだ」

「それが、最近その農村の周辺では、戦や賊などの被害は一切出ていないらしい」

「……となれば、獣害か」

 その言葉に、愛紗は首を横に振った。

「いや、それも違う。行商が言うには、畑そのものは別段荒れていなかったらしい」 

「壊されちゃってるのはお家とか厩とかだけらしいのだ」

「……いよいよ分からんな」

 五樹は顎に手を当てて思案する。

「家屋だけが壊れているのなら、価格の高騰の説明が付かん」

「行商さんも首を傾げてました。『村の連中に聞いても「龍が出た」としか言わなくて、全く訳が分からん』って」

 それきり、四人は揃って口を噤んだ。今度は気まずさからではなく、事態の不可解さに、である。 
 それから暫し四人は思考を巡らせたが、各々が納得のいく答えに辿り着くことは無かった。  

「……とにかく、行ってみるしかないと思います」

「ええ。自らの目で確かめる以外に、方法はありませんね」

「というか、初めからそのつもりだったのだ。さっさと村へ向かうのだ」

「ああ、分かった」

 結論が出たところで、再び四人は歩き始めた。
 話し始める直前の、あの微妙な空気を漂わせながら。

「……」

 無言。響くのは足音のみ。
 先程少しだけ盛り返した周囲の雰囲気は、ほんの一瞬にして冷え切っていた。

「……」

「よ、よーし、しゅっぱーつ!」

 空元気を出しながら一人歩いていく桃香の背は、何処か寂しげであった。



 桃香が少し遠ざかったのを見計らい、

「……何時まで気を張っている」

 愛紗と鈴々の背後で、低い声が小さく響いた。

「――!?」

 驚く二人に、五樹は小声で呟く。

「……まだ、俺が怖いか」

「っそ、れは……」

 言い淀む愛紗の言葉を待たず、五樹は言う。 

「理解するまで遠くはない。直に教えてやる」

 それだけを言い、五樹は二人の間を通り抜け、桃香に続いて歩いていった。
 残された二人は、暫し考える。 



 御使い足る彼の協力は得た。しかし、自分達は彼を信用しても良いのか。
 君主は、何故か彼を信用している。だが、自分達には彼を疑う理由がある。
 異質な氣。人のそれでは決してない、余りに強大な氣。
 幾ら桃香が彼を信用しようとも、得体の知れない妖しげな物に頼るのはどうしても抵抗があった。
 恥を恐れずに言うのなら、ただその氣が余りにも、怖かった。
 あの氣の正体は、一体何なのか。それが分からない以上、彼には気を置いておく必要がある。
 気をつけなければならない。自分達が。 



「愛紗……」

「……我らが守るんだ、鈴々」 

 責任と共に恐怖心を飲み込み、彼女達は自らの主に追いつくために、少し早足で歩き始めた。















「……ひ、どい」

 桃香の呟きは、正に四人の心の内を代弁していた。 
 五樹たちの目の前で今まさに、数軒の家が潰れ、燃えていた。
 周囲には木が焼け焦げた匂いが立ち込め、赤い炎の熱い光に照らされている。
 弾けるような音を立てて上がる火の手は、砕けた柱を、崩れた壁を焼き尽くし、黒煙とともに天へと昇っていく。
 必死の形相で水を運び、火にかけて消していく村人たちは皆、理不尽への怒りを昇華するように、怒声を上げながら炎を鎮めていく。
 形を留めた家を挟んだ隣では、炎に包まれた瓦礫に飛びつこうとしている男を、他の男達が力ずくで止めている。炎に飛び込もうとした男の頬には、血混じりの涙が伝っていた。
 他へ目を向けると、傷だらけの子供が地べたに座り込み、燃える残骸を呆然と眺めている。その手に持っているのは、何かの残骸――否、誰かの肉塊であった。

「――みんな!」

「分かっています!」  

「村の人たちを助けるのだ!」

 惨状にいち早く反応した三人の少女は、それぞれが他方へ散り、村人へ助力していく。
 一方、村の惨状を眺めていた五樹は、言い様のない違和感を感じていた。



 ――何か、おかしい。

 具体的に何が、というわけではなかった。だが、心に何かが引っ掛かる。
 燃え上がる炎か、焼け落ちる瓦礫か、或いは泣き叫ぶ人々か。
 見たところは『ただの』惨劇の風景だが、何かが違う。
 
 ――何だ、一体何が……。



「五樹さん! こっち手伝って!」

 五樹の思考を遮るように、桃香の大声が響く。

 ――今は、事態の鎮静が先決か。

「……今そちらに行く!」

 五樹は思考を中断し、目の前の惨状を対処することだけに意識を集中させていった。
















「……龍の裁き、ですよ」

 村人達が消火活動を行なっている最中、少し離れた場所でその行動を見つめている集団があった。
 見たところ、水を運んでいる村人たちとさほど変わらない服装の、数人の男女。
 彼らは皆、一人の女性を守る様に囲い、じっと瓦礫が燃えていくのを見つめ続けていた。

「愚かですね。巫女様に逆らわなければ、このようなことにはならなかったものを」

 その中心、守られているのは、白い外套を羽織った神秘的な容姿の女性。

「巫女様、これ以上は危険です」 

「……はい」

 外套の頭巾に隠れたその瞳は、酷く虚ろな輝きを湛えていた。
 
「……社に、戻ります。皆さんも、共に」

「はっ。……全員、巫女様を守りつつ社へと導いて差し上げろ」

 そう言ったのは、その集団を率いていると思しき、一人の青年だった。
 外套を翻し、燃える家々に背を向けて歩き出した女性の後を、その青年と数人の従者が守護するように付き従う。
 そして彼らはゆっくりと、盛り昇る紅蓮から遠ざかっていった。

   



















 以下あとがき


 一話と二話を改めて見直してみると、微妙に流れが不自然で凹みました。しかも何処が悪いのかいまいち分からない……うまくいかないものですね。
 ここがダメ、とかここは不自然じゃね、とかあったら遠慮なく指摘してくれるととてもありがたいです。
 

 ちょっと短めの三話ですが、コミュキャラ出しました。でも、まだ誰なのかは伏せてます。……いや、バレバレか
 話の流れはいきなりオリジナルな感じに入っていきます。落ち着いたら蜀ルート本筋に戻ります。多分。
 それでは、お目汚し失礼いたしました。





 追記

 この話だけ行間が一文ずつになっていたので、修正しました。その他、細かいミスを修正しました。



[22485] 四話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:51508118
Date: 2010/11/06 21:04







 ― ???side  ―








 そこは、静かで暗い場所。
 一切照明の無い、灰の壁に囲まれたその部屋には、ただ一つだけ光差す窓があり、そこからの白い光が木目の板を四角く切り取っている。
 舞う塵と埃が、床に描かれた光の四角の斜め上をゆらゆらと、きらきらと漂う。
 飾り気のない質素な部屋。そこは、「巫の間」と呼ばれていた。 
 裁きという名の暴虐を終えた翌日の朝、明瞭な朝の空気を心地よく感じるはずもなく、私はその「巫の間」で一人佇んでいた。
 すると、背後から扉の開く音がした。

「準備は整ったようですね、巫女様」

 聞こえてきたのは、若い男の声。
 振りかえると、そこにはやはり、見知った青年の姿があった。
 白い外套を羽織った私の姿を見て、青年は満足そうに頷く。

「……まだ、続けるんですか」

 朝でも薄暗いその部屋の中、私は幾度問いかけたか分からない。
 そして、その問いに返ってくる言葉も、全てが同じものだった。

「報復を終えるまで、僕は止まりませんよ。巫女様」

 彼の名前は、李白と言った。
 この村の生まれで、一度もこの村から出たことが無い。
 にも拘らず。
 彼は、村のコミュニティから完全に弾かれた身の上だった。

「……僕は、貴女を助けた。ならば貴女はその恩を、黙って返すべきではないでしょうか?」

 そう言って、濁った眼で李白は私を睨みつける。 
 その言葉と、彼の目に、私は逆らえないでいた。

「……分かって、います」

 だって、彼の行動を否定することが、出来なかったから。
 私怨で人を傷つけることはよくない。
 以前の私ならばそう言っていただろう。
 でも、今は違う。
 そうやって争いと力を否定した結果、私は何も為せなかったのだから。

「今回の一件で、僕達に逆らおうとする人間は居なくなったでしょう。後は彼らを、追い詰めていくだけです」

 李白は嗤っていた。とても濁った眼で。
 それを私は、悲しく思う。
 でも、彼のこの行動を否定できない。
 私が何を言おうとも、最早彼は止まらない。
 私の言う『綺麗事』なんて、『現実』を知った彼には届かない。

「頼りにしていますよ、龍の巫女……いいえ、奈々世さん」

 なら私は、せめて彼に報いるしかない。
 命を救ってもらった、その恩に。

「さて、行きましょうか」

 二人が居ても、話していても。温かみなど、喜びなど、そこには何もなく。
 そこは、静かで暗い場所だった。









― ???side end ―















 朝。雲一つない青空に、吹き抜ける風が冷涼な朝。日差しは強すぎず弱すぎず、程好い陽気を持って大地に降り注ぐ。
 そんな、空気『だけ』は清々しく感じられる朝、五樹は村の外縁にある広場のような場所に居た。丁度昨日、彼らが村の惨状を初めて目の当たりにした場所である。
 昨夜の傷痕は生々しく残り、心地よい空気は全てそれらの放つ陰鬱な気によって塗り潰されている。
 広場の周辺には、目の高さに達している物がほとんど見当たらない。そこにかつて在ったであろう家々は、瓦礫の山か、あるいは燃え滓の絨毯となって地面の上に横たわっている。
 広場付近で無事だったのは、火の手の及ばなかった家屋が三軒だけ。その家々は、活気無くそこに佇んでいた。
 焼かれず残ったその家は、傷を負った村人を収容し治療するための簡易的な病床と化している。
 村人たちは今、一晩に渡った消火活動と負傷者の救護によって疲れ果て、しかして悲劇による興奮と悲嘆に眠ることを阻害され、何も出来ずに燃え残った家の中で呆然と座り込んでいる。
 涙も声も枯れ果てた彼らには、静寂が必要だ。
 そう考えた五樹は、桃香達が寝ずに村人の世話をしている中、一人外へ抜け、誰もいない広場に立って思案していた。
 彼の目の前にあるのは、残った家々の周りに散乱する、黒と灰が混じった残骸の山。

「……やはり」

 やはり、不自然。
 炎による被害。ということはつまり、これは天災でなく人災であるということ。であるならば、賊や軍がこの場に攻め入ったと見るのが妥当である。
 しかし、そう考えると不自然な点があった。
 その主たるは、燃え残った三軒の家である。それら家々を良く見れば、燃え跡がほんの僅かに見えるだけで、ほぼ無傷の状態にあった。つまり、そもそも被害を受けていない。
 ということは、広場の近くにある手近な家屋であるにも拘らず、その家々はあえて見逃されていたということになる。ここを襲った集団がそのようなことをする自然な理由が見当たらない。
 そして、もう一つ。こちらは、家々の様子を見て、新たに浮かび上がった疑問。

「何故、この三つが残った」

 生き残った村人たちが集まっている、首長宅。怪我人を治療するための、診療所。治療が終わった怪我人を休ませる、宿。
 残った三つの家は、そのそれぞれが現状この村の生命線と言うべき施設であった。
 ここが、『あえて』残されている理由。それは何なのか。
 疑問はまだある。それは、視界が開けているこの時だからこそ分かる奇妙な情景。

「……どういうことだ」

 彼の周囲に見える惨状に反し、広場から遠く離れた場所には、一切の被害が無かったのだ。
 遠目から見る限り、被害のなかった場所には民家や蔵があるだけだ。防衛の要があるというわけでもない。何故、あそこは狙われなかったのか。
 五樹は、現状から発生した数々の疑問に、頭を悩ませていた。
 その時。



「――――――何、と」



 背後から聞こえてきた声に彼が振り返る間も無く、五樹の横を一人の少女が走り抜ける。
 少女は瓦礫の前で立ち止まり、色彩の欠けた残骸の絨毯を目の前に、暫し絶句したように固まっていた。
 硬直が解けたのも束の間、少女は手に持った朱色の槍を、掌が白く染まる程に強く握りしめる。

「何という……」

 短く碧い髪を揺らし、少女は五樹の方に振り返る。丈の短い着物の袖と、槍に付いた飾りが、風を受けて翻った。

「――答えろ。ここで、何があった?」

 険のある声、鋭い眼差し。女は冷静に問いかけたつもりなのだろうが、彼女の憤慨は誰の目から見ても明らかであった。
 他人を射殺せそうなその眼差しに臆することなく、五樹は徐々に近づいて来る彼女と視線を交わす。 

「それを今、調べているところだ」

「何だと? それはどういう――」

 立ち止った少女が言葉を続ける前に、五樹は仔細を付け加える。  

「俺達は、昨日ここへ来た。丁度、其処に散らばっている塵がまだ燃えていた頃にな。だから――」 

「事情は知らぬと、そういうことか」

 意趣返しか、言葉に割り込んだ少女の態度に、五樹は小さくため息を吐く。
 少女は五樹の態度に目を細めたが、それを受け流した五樹は、呆れた様な声色で言う。

「ああ、そうだ。詳しいことが知りたければ、急かずに待て。今は早朝だ」

「……待て、だと?」

 その一言が、張り詰めた彼女の糸に触れた。

「このような暴虐が起きた最中、朝も昼も関係があるものか! 早急に賊を見つけ出し始末せねば、またこのようなことが繰り返されるかもしれんのだぞ!」

 憤る彼女に、五樹は冷たい視線を浴びせる。
 反論は、容易い。

「被害を被ったのはこの村の人間だ。そして、それを鎮静したのもこの村の人間だ」

「ああ、そうだ! だからこそ、村人達を救わねばならん! こんなふざけたことをしでかした連中を許しては――」 

 自分の言葉の意を正しく理解しない少女に、五樹は苛立ちを隠さず、強く言い放つ。



「鬱陶しい」



「――っ、何!?」

 激昂しかけた少女の声は、それ以上は続かなかった。

「と、『精根尽き果てた』村の人間は、そう思うだろう。……もう一度言う。今は早朝だ。そして、被害を受けたのは村の人間だ」

 その言葉に、少女は出掛けた反論を飲み込んで、押し黙る。

「まだ理解出来んか」

 念を押す五樹の言葉に、少女は素直に頭を下げた。

「……済まない。どうやら少し、間違えたようだ」

「謝罪は必要ないな。お前はまだ、何もしていない」

「……、それもそうか」

 言葉の間に微かに混じった息が苦笑であるということに五樹が気付くには、少しの時間を必要とした。
 少女は五樹に背を向け、瓦礫の中に立つ一軒の家に目線を向ける。その先には、人影の覗いている窓があった。

「村人はあの中か。私はあそこで待たせて貰うとしよう」
 
 歩き始めた少女の背を見て、五樹は思い出したように声を上げる。

「もう一つ、言い忘れていた」

「……ん? 何だ」  

 振り返ってこちらを向いた少女を見て、五樹は先の言葉を出した自分を褒めてやりたい気持ちになった。

「……その顔で村の人間の前に出るな。下手をすれば追い打ちになる」 

「……………………」

 再びの絶句。そして少女は、自分の右頬に手を当てた。掌は左頬へ、顎へ、最後には右目と額を覆うように。
 そうして彼女は、ようやく自身の表情に気がついた。 

「……これは、失敬。少々、気が立ち過ぎていたようだ」

 僅かに表情を緩め、取り繕うように言った彼女に、五樹は冷たく返す。

「ああ、そうだな。敬を欠き過ぎて、見るに堪えなかった。呼び止めなければ惨事になっていたことだろう」

「……容赦が無いな、お主」

 今度こそ少女は、誰が見ても分かる苦笑を浮かべた。 















「趙雲、子龍」

 鸚鵡返しは間抜けであると知りつつも、五樹はそうせずには居られなかった。

「? 変わった名前では、無いはずだが?」

 ――十二分に、変わった名だ。

 ついそう返そうとした自身の口を何とか噤み、五樹は頭を抱えた。
 
「悩むようなことでもなかろうに。……知り合いに同じ名でもいたか?」

「……いや、そういうことではないんだが」

「む……分からん奴だな」

「ああ、俺もそう思う」

 ――こんな、妙な人間だったのか。
 
 それは無論、目の前に居る趙雲(女)と、加えて劉備・関羽・張飛(いずれも女)の存在を許容する、自身のことであった。
 この世界は、全てが幻想。
 走馬燈や桃源郷のような、瞬間に消え逝く泡沫の空想。
 消え逝く者が生みだした、生への願望であり、死へのモラトリアム。
 自らの死を受け入れた今の五樹にとって、その見方こそが唯一この世界における真実である。 

 となれば当然、ここに居る人間は自身の妄想の産物ということになるのではなかろうか。

 桃香達と会ったときから頭の片隅にあったその意識は、五樹には受け入れ難いものであった。
 著名な三国志の世界。誰でも知っているような名高い武将が、何故か自分に集まってくる。しかも全員が何故か、容姿端麗な女。
 俗な言葉で言うところの、御都合主義のハーレム展開、というものである。

 ――これは、拙い。

 具体的には何が拙いのか、五樹自身には理解できない。だがしかし、彼は言い様のないおぞましさに襲われていた。
 このままでは、自分が何かと駄目になるのではないか。
 そんな不安に、五樹は頭を抱えていたのであった。

「お主の名は何というのだ? 私ばかり名乗っていては不公平だろう」

 趙雲の声が、無駄な思考の混沌から五樹を引き上げた。

「……我斎。我斎五樹だ」

 少し声が低くなったのは、単に彼が落ち込んでいたからに過ぎない。

「ふむ、我斎殿か。では我斎殿、時を待つ間、少し聞きたいことがあるのだが」

 結局趙雲は家の中には入らず、五樹の傍で待つことを選んだ。

『いやなに、お主に少し、興味が湧いてきてな』 

 そう言って、五樹が聞きもしないうちに、彼女は名乗り始めたのだった。

「何だ。つまらないことで無いのなら聞こう」

「ふ、随分な前置きだな。……まずは、その服だ。なにやら面妖なまでに煌びやかで気になってな」

「……まずは、か」

 幾つも質問をする気なのかと内心面倒に思った五樹は、恐らく飛んでくる疑問全ての答えになるであろう言葉を選び、口にした。

「俺は、天の御使いという奴らしい」

「………………は?」

 趙雲は、意図しないどころか完全に予想の斜め上を行った五樹の言葉に、彼の正気を疑った。
 その趙雲の呆けた顔を気にせず、五樹はつらつらと説明を続ける。

「こことは別の世界から来た。だからこの服はここでは手に入らない特殊なものだ。他に普通と違うと感じることがあるのなら、それも恐らく俺が天の御使いだからだ」

「……御使い、というと……管輅の占いの、あれか」 

「そうらしいな。劉備も占いがどうのと言っていた」

「劉備?」

「俺の連れだ。他に二人、関羽と張飛というのがいる」

 連れがいるという言葉に何か思い当たるものがあったのか、趙雲は納得したように頷いた。

「……なるほど。真実どうあれ、お主は体の良い御輿というわけか」

「有り体に言えば、そう言うことだ」

 五樹が無愛想に言い捨てたのを見て、突然趙雲は吹き出した。

「っくく、はははっ! 面白いな我斎殿、お主は実に面白い」

「俺は全く面白くは無いが」

「そうか? 眉唾ものであるはずの占いをそうもあっさり肯定し、御使いは自分だと臆することなく言い張るばかりか、御輿にされる器たり得ると自信を持って言うその態度。
 ……くく、実に面白いではないか」

「……気のせいか。俺にはお前が喧嘩を売っているようにしか聞こえん」

 その言葉に、趙雲は悪びれる様子もなく、笑いを含みながら口を開く。

「ああ、言い方が悪かったか? いやなに、その得体の知れん度胸と器量の大きさに感服したまでの話だ。すまんすまん」

「相変わらず馬鹿にされているように感じるが」

 不貞腐れるような五樹の態度に、再び趙雲は大きく笑った。

「ふふ、っくははは。…………む? あまりに面白すぎて、何を聞こうとしていたか忘れてしまったではないか」

「……馬鹿かお前は」

「ふ、まあよい。どうせつまらぬことだ」

「つまらないことは聞くなと初めに置いたはずだがな」

 ひと通り趙雲が笑い終えた後、二人はどちらともなく黙り込む。
 やはり、目の前の情景が気が行ってしまっていた。
 何をしていても目の中に映り込む、惨劇の爪痕。 
 当初の猛りも何処へやら、落ち着いた様子の趙雲を見て、頃合いとばかりに五樹は問うた。

「……どう思う」

「酷いな。私が知る中でも、抜きん出ている」

 顔をしかめて言う趙雲は、心の内に静かな怒りを抱えていた。

「……だが……今更になって気付いたが、妙だな」

 そして、怒りと同時に趙雲は、五樹と同じ種の違和感を抱いていた。 

「家が不自然な位置に残っている。この広場から離れた場所には被害が無い。そして、燃えた家々の悉くが完膚なきまで砕かれている。賊がやったと見ていたが、どうやらそうとも言い切れんな」

「……家が、砕かれている?」

 五樹の気が付かなかった点を、趙雲は指摘していた。

「そうだ。幾ら火の手が強いと言えど、柱に使われるような太い木材が、あのように折れ砕けることなどあり得ない」

 趙雲の指差す先には、もはや元の形など見る影もない残骸の山――そこには、太く長い柱であったと見られる大きさの建材は、何一つ見当たらなかった。

「つまり、賊共は家を燃やす前か後に、鎚か何かで家を打ち壊した、ということになるだろう。しかも、見る限り十軒は下らない数の家を」

 自身の言葉に、趙雲は改めて首を傾げる。 

「……他の場所に盗める物は幾らでもあるのに、そんな悠長なことをする意味が分からん。というより、これだけの家を壊そうと思うこと自体が不自然だ」

 遠回しで非現実的な破壊。集中している被害。そして、不自然に残った村の心臓部。
 趙雲の言った言葉の意味を心の内で反芻し、五樹は慎重に推測していく。
 そして。

「ふむ。これでは、龍というのも、あながち与太と笑い飛ばせんな」

 趙雲のその言葉と同時に、五樹はその答えに辿り着いた。
 奇妙な事実の連なりの中、五樹が見出したのは、人間特有の甘い意志と、強大な『力』の影であった。

「――居る」

 あくまで可能性の一つではあるが、今の状況での最適解は、その推論によってのみ容易に導くことが出来た。
 そして五樹は、一つの確信を得た。
『それ』は確実にこの世界に存在している。そして、『それ』を扱える自分以外の人間もまた、この世界に存在している。
 五樹が今確信したのは、後者であった。
 前者は、既に分かっていた。この世界に来た時からずっと感じている奇妙な、しかし慣れ親しんだ――『それ』と『繋がっている』――感覚によって。 
 そして、今ここに五樹が確信した事実によって。
 
 ――なるほど。呼べば、使えると言うことか。

 五樹は、王の力が健在であるということを確認したのであった。
 
「居る、とは…………我斎殿、まさかとは思うがお主、龍の噂を信じているのではあるまいな?」

「……何だ、お前もそれを知っていたか」

 五樹がそう言うと趙雲は、少しだけ呆れたような表情を見せた。

「ああ。そもそも私がここへ来たのも、龍が出たなどという嘘臭い話を真に受けた凡庸な州牧殿が、回らん頭で妙な気を回したせいでな」

「……お前もなかなか手厳しいことを言うじゃないか」

「ん? ああ、いやいや、貶しているわけではないぞ? 伯珪殿はあれはあれで実に愛らしいお方だ。少し凡庸だが、それも愛でるべき長所となり得る」

「そうか。……で、龍だったか」

 特に興味のなさそうに返事をした五樹に、趙雲は再び問いかける。

「そうだ、龍だ。伯珪殿のことはどうでもいい。『居る』と言った時のお主が、妙に怖い顔をしていてな、気になったのだよ」 

「……そうだな、信じるかどうかは別として」

 そう前置いた五樹の口の端は、僅かに歪んでいた。



「夢のある話だ、とは思うがな。……実に、幻想的だ」



 じっと五樹の表情を見ていた趙雲は、ぽつりと言葉を漏らす。

「……夢や幻想を語るには、お主の顔は怖すぎるな」

「どういう意味だ、それは」

「ふ、言葉通りの意味なんだがな」

 趙雲が五樹の言葉に笑いながら答えた、その時。



「――いいから、こっから早く出て行ってくれ! 迷惑なんだよ、あんたら!」



 若い男の怒声が、燃え残っている家の中から大きく響いた。

「ふむ、どうやら揉め事のようだな」

「……面倒な」

 再びの波乱を予想しつつ、五樹は趙雲とともにその家へと駆け込んでいった。





















 以下あとがき

 四話です。思ったより長めになりました。今回のお目見えは、フライング登場の星さんと巫女・奈々世さん(一応)です。
 あとオリキャラ的なのが一人出てます。名前はそれっぽいのを適当に付けました。
 奈々世さんの動機ちょっと弱くね? との指摘をコメにて受けまして、ちょっとだけ彼女の事情を水増ししました。指摘ありがとうございます。
 今回は星さんと五樹の絡みで、二人がらしくない言動をしているかもしれません。あと、五樹が何かに気付くくだりも少し不安です。
 流石にこれはおかしいだろ、これは。とかあったら遠慮なく指摘して頂けるとありがたいです。

 この奈々世さん編(仮称)は、後二~三話、もしかするとそれ以上続くと思われます。
 さて、桃園まであとどれだけかかるんだろうねー……なんとか頑張って書いていきます。
 それでは、お目汚し失礼いたしました。




 追記

 李白の一人称が一ヶ所だけ私になっていたので修正。
 それと、伯桂 → 伯珪に修正。







[22485] 五話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/11/06 21:05



















「これで、一段落かな」

「ええ、怪我をしている村人は全て手当てしました」

「寝ちゃった人もちゃんと宿に連れてったのだ」

 桃香達三人は結局、早朝になるまで寝ずに村人たちの世話をしていた。
 現在彼女達が居るのは、この村の村長の家、その居間である。
 家自体は広く、居間に村人が数人集まっても、窮屈さはあまり感じられないほどであった。

「皆さん。もうお休みになられても、大丈夫ですよ?」

「後は私達が、村の見張りも怪我人の様子見もしますので」

「……ああ、そうか」

 一人の青年が、生気の籠らない声でそう返した。
 現在、その居間に居るのは、この家の家主である村長と、昨夜の一件で怪我をしなかった数人の若い村人たち。
 ここは、村内で起きた問題の諸々を解決する議論の場として使われていた。この場に村人が集まるのは、半ば習慣のことであった。
 些細な夫婦の喧嘩であったり、土地を巡ったいざこざであったり、盗賊への対処であったりと、様々な問題が村人たちの間で活発に話し合われ、そしてここで、解決されていた。
 しかし、今は誰一人として、この場で自ら口を開こうとしている村人は居ない。
 村人はそれぞれ、作りの単純な椅子にもたれながら天井の木目をじっと見ていたり、部屋の中心にある大きな円卓に突っ伏して呆けていたり、あるいは、灰色の床に座り込んで木の壁にもたれかかり、扉の方を見て放心してたりしていた。
 誰の目にも、意思は籠っていなかった。
 誰の心にも、思いは宿っていなかった。
 誰の体にも、力が入ることはなかった。
 そこには文字通り、何もなかった。

「むー、もっと元気出すのだ。こんなにへこんでても意味ないのだ」

「……んなこと、できるわきゃねえだろ。あんな訳分かんねえもんに、村ぁ壊され――」

 青年は言ってから、しまったと言わんばかりに口を噤む。見れば他の村人も、青年を咎めるような眼で見つめていた。

「おい! それ以上は……」 

「訳分かんないもの? なんなのだそれ」

「何でもねえよ。……ああ、何でもねえ」 

 明らかに取り繕うような青年の態度に、愛紗は何かを感じ取り、ついその言葉が口から出た。

「何かあったのか? 良ければ、私達が力を貸すが」

 その言葉に、村人の空気が一変した。
 気力を失った村人たちに、その瞬間、何か警戒感に似た気配が宿った。力無く俯いていた目は、何かに怯えるような色を湛え始める。
 何もなかった空間に、負の雰囲気がゆるりと広がり始める。
 その空気を知ってか知らずか、桃香は愛紗の言葉に深く頷き、持ち前の義と徳を発揮する。

「そうですよ。力になれることがあれば、何でもします。こんなひどい状態の村を放っては置けないですし、村が立ち直るまで私達もお手伝い――」

 だが、その心は村人には伝わらなかった。

「……あんたら、いつまで居るつもりだよ」

 盛り上がった心を一気に冷ますような、温度の低い言葉が響く。
 その温度は、周囲の村人に伝播するように広がった。

「――――――え?」

 冷たい言葉は、桃香の心に戸惑いをもたらす。
 
「そうだ。あんたらはこの村とは関係ないだろう。さっさと出ていってくれ」

「関係ない人間を受け入れるほど、あたしらに余裕はないんだよ」

「あ、あの……」

 あまりに突然に噴出した村人たちの拒絶の言葉に、桃香は呆然となった。
 
「助けてくれたことには、礼を言います。……その上で、不躾ながらお願い致します。理由は聞かず、この村からどうか、立ち去ってほしい」

 丁寧に、しかしながら拒絶の意思をはっきりと示したのは、髪の白い、腰の曲がった老人――村長であった。

「で、ですが、この村の惨状を、このままにしては置けません。助けられる物ならば私達も――」

 愛紗が戸惑いながらも自分達の意思を伝えようとするが、やはり村人には届かない。

「要らねえ世話だって言ってんだろうが。聞こえなかったのかよ」

「わたしたちの問題は、わたしたちで解決できます。だから、あなたたちの力は……」

 必要ない。そう言おうとして、村の少女は口を閉じた。そして、居間には剣呑な空気が満ち始める。
 今にも桃香達に殴りかかりそうな目で睨む若者もいた。何かに怯えるように頭を抱えている女性もいた。目を閉じながらも警戒感を隠さず、低く唸っている男もいた。
 しかし。
 村人たちの明確な拒否。それを見て尚、三人の少女は引き下がらない。弱きを助けるのが自分達の使命であると、少女たちは頑なに信じていた。
 喰い下がったのは、鈴々である。

「でも、このままじゃ元に戻るまでいっぱい時間がかかるのだ。その間に、もういっかいこんなの起こったら――」

 説得の意図があったその言葉はしかし、村人の触れてはいけないところに触れていた。
 鈴々の親切心は、突然立ち上がった青年の激昂に掻き消される。



「――いいから、こっから早く出てってくれ! 迷惑なんだよ、あんたら!」



 その怒声に、鈴々は思わず息を飲む。
 迷惑。何処か悲痛な色を湛えたその言葉は、三人の少女の胸に深く突き刺さった。
 そして、青年の心は、一回の怒声で収まるものではなかった。

「いいか、何回でも言ってやる。あんたらが居ると迷惑なんだよ! 親切のつもりか知らねえけどな、あんたらが居たら俺らは――」

「舜! ……それ以上はやめておきなさい」

 村長の声に、舜と呼ばれた青年は押し黙る。
 村長の威によって、という面もあったが、舜の言葉を止めたのは、彼の目に映る、目を潤ませている鈴々の姿であった。
 俯き、涙を溢さぬように堪えている鈴々の姿に、彼の良心が痛んだのだった。
 しかし、良心が痛んだとしても、彼の心根の部分は変わらない。

「……怒鳴って悪かった。でも、言いたいことは変わらねぇ。こっからさっさと出てってくれ」

「私からももう一度、申し上げます。この村から、立ち去って下さい。これは、私どもからの、心からの願いなのです」

 静かに親切心を撥ね退ける村長の言葉に、三人は返す言葉が見当たらなかった。

「で、でも……」

「お願いします、どうか……」

 桃香の言葉も、やはり遮られる。
 居間の空気が、桃香達の諦めと村人たちの拒絶に染まり変わっていった、その時。

「ふむ、来て早々に帰れと言われてしまったか。どうしたものかな、我斎殿」

 居間の扉が開くと同時に、おどけるような女の声が響いた。

「撥ね退けられたのは俺たちだけだ。お前も試しに村長に頼めばいい。もしかしたら居座れるかも知れん」

「そうだなぁ…………ふむ、そうしようとは思うのだがな。か弱い私は拒絶されれば、子供のように泣いてしまうかもしれん」

 同時に部屋に入ってきた男の問いに答えつつ、女――趙雲は、鈴々の方にちらりと目線をやった。
 その言葉に、鈴々はがばっと泣き顔を上げる。

「鈴々、子供じゃないのだ! 馬鹿にすんななのだ!」

「ふふ、別にお主に向けて子供と言ったわけではないのだがなぁ……もしや、心当たりでもあるのか?」

「う、うるさい、心当たりなんてないのだ! というか、お前誰なのだ!」

 見知らぬ女の登場にすっかり涙の引いた鈴々は、五樹の隣に立つその女に向けて半ば意地のような問いを投げつける。
 それを、自身に満ち溢れた表情で返そうとするあたり、やはり彼女は英雄然としていた。

「我が名は趙雲。字は子龍。幽州は州牧、公孫賛殿の意によりこの地に遣わされた――」

 しかしこの趙雲、あまり真剣に物事を通すことには向いていないようであった。

「そう、正義の味方だ」

 口の端を歪めて不敵な笑顔を浮かべた趙雲に反応したのは、意外なことに俯いていた桃香であった。

「公孫賛……白蓮ちゃん、が?」

「おや? そこの利発そうな乳の貴女は、どうやら伯珪殿のことを存じておられるようで」

「え、ええ。三年くらい前まで、一緒に盧植先生の下でいろんなことを学んでたんです。(……利発そうな乳って、何?)」

「なるほど、伯珪殿のご学友というわけか。それにしては乳が大きい……と、これでは並盛の伯珪殿に失礼だな。はっはっはっは!」

「あ、あははは……。(な、何なんだろう、この人)」

 下らない世間話は、村人の耳には入っていなかった。
 彼らの耳に届いたのは、この村から遠く離れた場所に居る筈の、州牧の名であった。

「……公孫賛様、だと? 何故、公孫賛様がこんな場所のことを……」

「誰だ、誰が言ったんだ!」

「……あの行商だよ、きっと。あたしらの話を盗み聞きしてた奴さ。あいつが言った場言った場で話してるんだ……」

「糞ッ、余計なことしやがって……」

 村人たちが口々に言う中、趙雲は不敵な笑いを崩さずに言う。

「ふむ、お主らはどうやら伯珪殿を侮っているようだな。そのようなことなど無くとも、彼女は気付いただろうさ。
 あの方は確かに凡夫且つ特徴のないことが特徴の御方だが、目端は利く方なのだよ」

「……どちらかと言えば趙雲殿の方が侮っているような」

 ぽつりと呟いたのは愛紗であった。

「まぁ、伯珪殿個人のことはどうでもいい。重要なのは、私が州牧殿から直接命を受けてここに来た、ということだ。今更何もせずには帰れんよ」

「そん、な……」

 その言葉に村人たちは、己の口を噤むより他は無かった。
 なぜならば。



「そうですか。既に州牧の耳には届いていると。……残念ですね、とても残念です」



『彼』がそのことを知ってしまえば、自分達の未来が閉ざされてしまうことを、理解していたから。

「……李、白」

 舜が呟く。開いたままの居間の扉に、何時の間にか二人の男女が立っていた。
 一人は、若い青年。もう一人は、白い外套の頭巾を深く被って、顔を俯けている女。

「外には知らせるな、人は呼ぶなとあれほど言い聞かせていたはずですが……結局、僕達の願いは聞き入れられなかったわけだ」

 冷徹に言い放つ青年――李白に、村人たちは縋るように叫ぶ。

「ち、違うんだ、これは、こいつらが勝手に入ってきただけで!」

「そうです! わたしたちが自分から言ったわけじゃ……」

「あたしらがやったわけじゃない、信じとくれよ、李白!」

 その懇願にも、李白は冷たく一瞥するだけであった。

「そう言うことではないのですよ。意図的であれ何であれ、あなた方が僕達との約定を破ったことには変わりない」

 そして李白は、居間の村人達を見渡したあと、薄く嗤った。

「となればこちらは、それなりの対応をしなければならない」

「ああ、李白、許してくれ! 俺達ぁもう、お前には逆らわねえ、だから……」

「……五月蝿いですね」

 溜息交じりに、李白は嗜虐的な目で村人たちをねめつける。その視線に、村人たちは全員が押し黙ってしまった。
 突然の状況変化に、一番早く理解を示し反応したのは、愛紗であった。
 彼女は直感で理解した。目の前の青年が、事態の元凶であるということに。

「……何だ、貴様達は。村人たちに何をした」

 その言葉に、俯いている外套の女が一瞬、怯えたような反応を見せる。
 しかし、口を開いたのは李白だけであった。

「いえいえ。僕達はただ、聞き分けの無い彼らに灸を据えたまでですよ」

「灸、だと?」

 怒りが徐々に積層していく愛紗に対し、李白は事も無げに言い放つ。 

「ええ。一度目は、巫女様の力を信じないばかりか、尊ぶべき彼女を侮辱した。二度目は、僕達の提示した約定を理由なく突っ撥ねた」

 その言葉に、今回のような暴虐が二度も行われていたということを、桃香達は理解する。
 そして。

「そして今、決められた約定を破った。……このひと月に三度。しかも、昨夜痛い目を見ているのにも拘らずこれです。……呆れてものも言えませんね」

 三度目が、彼らの手により行われるであろうことも、ここに理解した。
 愛紗は、溢れんばかりに溜まった怒りを、今度こそ相手に解き放つ。

「……貴様、こんなことをして、こんなに村人たちを苦しめておいて……ただで済むと、思っているのか!」

「そうなのだ! 村の人たちをこんなに苦しめて、絶対に許さないのだ!」

 鈴々も同じく、義憤に駆られて怒声を上げる。
 目の前に、惨状をもたらした明確な敵が現れ、彼女たちの怒りは既に天を衝く程に燃え上がっていた。
 その、怒りを目の前にして尚、李白の余裕は揺らがない。
 なぜならば、彼の後ろには、常に彼女が控えていたから。

「……許さないから、何なのですか? ただで済むと思っているから、やっているのですよ」

「――ッ、貴様ぁあ!」

 壁に立てかけた青龍偃月刀を掴み取り、愛紗は李白に斬りかかる。
 一瞬で間合いを詰めた愛紗が、右肩から袈裟に振り下ろそうとした時。

 ――甲高い、金属音が響いた。

「――――なに!?」

 見れば、愛紗の刃を止めていたのは、朱色に染まった直槍であった。
 その持ち手趙雲は、両の手で構えた槍で、愛紗の剛撃が李白に届く寸前の位置で止めていた。

「何故邪魔をする、趙雲!?」

 斬撃の軌道を防いでいる槍を超えようと、力任せに偃月刀を押さえつけながら、愛紗が叫んだ。

「冷静になれ、御仁。こ奴が消えたところで、村人を襲った賊全てが消え去るわけではあるまい」  

 趙雲は、愛紗の刃を防ぎながらも、親の仇を見るような眼で、李白の眼を射抜いていた。
 その趙雲の表情と言葉に、愛紗は自らの刃を下げる。 

「……済まない、趙雲殿」

「構わん」

「――っふ」

 その様子を見た李白は、なにが可笑しかったのか、手を叩きながら口を大きく開けて嗤い始めた。

「ふふふ、あっはっはははははは! あなた、大きな勘違いをしていますよ、趙雲さんとやら!」

「……どういう意味だ」

 静かに問うた趙雲の目には、隠すつもりの無い敵意の念。
 それを言葉にて受け流すかのように、李白の口は滑らかに動いていく。
 
「全てはね、『村の中』での出来事なんですよ。賊なんてものは居やしない。家を燃やしたのはね――」

 そして、李白は真実を口にする。



「この村の人達なんですよ」



 その言葉に、村人たちは悔しげに俯く。
 驚愕したのは、桃香達であった。

「……何だと」

 かろうじて反応出来た愛紗に答えるかのように、李白は言葉を紡いでいく。
 その顔には、変わらず濁った嗤いが浮かんでいた。

「今ここに居る人達はね、僕達の書いた約定に異を唱えた方々なんですよ。村長以下、広場あたりに住む人たちですね」

 李白は、心から愉しそうに嗤いながら、事実を語る。

「そして、家を燃やしたのは、今回被害を受けなかった方々。こことは別の方角の、村の外縁の方に住む方々です。
 彼らは一度目の時、既に私達のことを受け入れてくれていたのですよ」

 村人同士が、自分を起因として、凄惨な諍いを起こした。そのことを、李白は心の底から悦んでいた。

「しかし、このあたりの人々はそうではなかった。だから、私達はお願いしたのですよ。『村人』たちに、ね。……哀れですよねぇ。元の仲間を、こうも簡単に傷付けるのですから。
 ……親戚を焼き、友人を殺し、恩人を潰す。ああ、哀れですねぇ、実に」

「……貴様」

 悦に浸るように自身の言葉に酔っていく李白を、四人の少女は射殺さんばかりの視線にて、貫いていた。
 膨れ上がる彼女達の怒気が、周囲を包みこむ。
 それを承知の上、李白は未だ嗤い続けていた。

「ふふ、構いませんよ。怒りにまかせて僕の首を撥ねるのも、それはそれで良いでしょう。……しかしながらですね、運命はもはや、決まっているのです」

 そして、後ろに控えた外套の女を、自らの横に引き寄せた。

「この、龍の巫女様の手によってね」

 俯く女――龍の巫女の肩を抱きながら、李白は不遜に言い放つ。

「――龍の裁きは、必ず下ります」

 その言葉に、愛紗と鈴々は嘲りの表情を浮かべる。

「ハッ、何を言うかと思えば、龍だと? 脅しの文句ならば、もう少しマシな物を考えることだな!」

「龍なんていないのだ! そんなの分かりきってるのだ!」

 その言葉に、李白は初めて薄ら嗤いを消した。
 そして、天を仰ぐ盲信者のように純粋な目で、彼は言う。



「居ますよ。龍は居ます。だからこそ、村人は二つに分かれた。……それが理解できませんか?」



「――っ」

 不気味なまでに確信に満ちたその言葉に、愛紗達は理由も分からず気押されていた。
 それは、彼が現れるまで桃香達を拒み続けていた村人たちが皆、顔を伏せ怯えきっていることも無関係ではなかったのだろう。
 しかし、その場に二人、李白の言葉に揺らがなかった人物がいた。



「……許さない」



 一人。今までに無いほどに怒りをあらわにした、桃香である。

「あなたがどんな手を使ったのかは、知りません。でも、こんなことをするような人を、私は許さない」

「……だから、許さないから何だと言うのですか? どうせあなたは、龍によって裁かれ――」

「止めます。どんな手段を使っても、あなたを、止めます」

 怪気炎を纏い、桃香は意志を込めた視線を李白にぶつける。  
 その気迫に、武人二人に迫られて尚余裕を見せていた李白は、初めて気押されていた。

「……止められるものなら、止めてみると良いでしょう」

「ええ、言われなくても、必ず止めます」

 同じ言葉を、同じように繰り返す桃香に、李白はたじろいだ。

「っく……もう、ここに用はありません。行きましょう、巫女様」 

 そして、李白は去り際に言い放つ。

「あなた方の命は、最早今日までです。ゆっくりと、裁きの時を待つことですね」

 立ち去る李白に従って、龍の巫女と呼ばれた女が背を向けようとした、その時。
 この場に起きた何に対しても、動じることが無かった男が、一人。
 今まで沈黙を守っていた五樹が一言、龍の巫女へと投げかけた。



「……今夜か。愉しみに待っているぞ、龍の巫女」



 その言葉に、龍の巫女は振り返った。
 常に俯き、村人達を視界に入れまいと努めてきた巫女は、ここで初めて『彼』の姿を視界に入れる。
 彼女の顔は、一瞬にして驚愕に染まっていた。



「――カエ、サル」



 巫女――高遠奈々世が呟いた言葉の意味を、理解できるのは五樹だけであった。
 五樹は、本当に愉しそうな笑みを浮かべて、奈々世に今一度、言葉を掛ける。


  
「逃げられると思わないことだな、『パーシヴァル』」



 一瞬だけ五樹と目を合わせた奈々世は、何かから逃げるように、その場を後にした。
















 以下あとがき

 さて、奇跡的に二日くらいで書きあげることが出来た五話です。今回も前回と同じくらいの分量になってます。
 今回は結構どばっと情報出しました。小出しにしてると終わらないなぁ、と思いまして。
 そのせいで、少し展開が駆け足になってしまっているかもしれません。不自然なところがあれば、是非指摘の方宜しくお願い致します。
 
 次あたり、出てくると思います。なにがってそりゃあ、あれですよ、あれ。
 ちゃんと描写できるかどうかものっそい不安ですけど、頑張っていきたいと思います。
 それでは、お目汚し失礼いたしました。


 追記

 伯桂 → 伯珪に修正。
 その他舜の口調を少し修正。





[22485] 六話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:51508118
Date: 2010/11/06 21:06













 李白と、龍の巫女。二人が去った後の部屋には、沈黙が流れていた。
 村人達の顔には、一切の生気が消えていた。宣告された龍の裁きが下るのは、今夜。
 今、彼らが想起しているのは、燃え落ちる家々と傷ついた仲間達、そして、咆哮を上げる翠緑の龍の姿。
 あの光景がまた、蘇る。
 昨夜に比肩するであろう今夜の絶望に、村人達は打ちひしがれていた。
 そして、一人の村人が、諦観と絶望を込めて、呟く。

「……あんた達のせいよ」

 それは、誰に向けた言葉なのか、分からない人間はこの場にはいなかった。

「あんた達が、余計なことしたから、こんなことになったんだ。……どうしてくれんのさ。ねぇ」

 静かな怒りは、他へと伝播する。

「……なぁ、助けた気にでもなっているのか? 残念だけど、迷惑にしかなってないんだよ」

「なんで、助けようとなんてしたの? あなたたちが来なければ、わたしたちも平和でいられたかもしれないのに……」

 口々に、桃香達への不平を出す村人に、彼女らは黙り込むより他は無かった。
 李白の言ったことが真実なら確かに、彼女達は村人達の命運を、最悪の方向へ転じさせた張本人と言える。
 彼女達は、その罪悪感を、少なからず感じていた。
 だが、彼女はそれでも貫き通す。

「私は、私達は、あの人達を必ず止めます。そして、これ以上誰も、不幸な目には遭わせません」

 そう、強い意志を込めて言い放つ桃香であったが、村人達の心は、その意志を感じられるような余裕など残されていなかった。

「適当なこと、言わないでよ。……そんなの、できるわけないじゃない」

「……あなたたちは、あの龍を見ていないから、そんなことが言えるんです」

「あれは、正真正銘の化物だ。人の身でどうこう出来るものじゃない」

「それでも、止めます。……何があっても、必ず」

 その桃香の言葉に、村人の一人が耐えきれずに立ちあがって、鬼のような形相で桃香を睨みつけた。

「出来もしないこと、言ってんじゃないわよ! あんた、身の丈なんて軽く超える龍と戦えるっての!? じゃあやってみなさいよ、あの化物を倒してみなさいよ! ねぇ!」

 その叫び声に、桃香は全く怯まなかった。ただ、その怒声を上げた村の女性を、強い眼差しで見つめていた。
 そして、叫んだ女性は、その真っ直ぐな目に居心地の悪さを感じ、桃香の目線から逃れるように、顔を伏せて床に座った。

「……何やったって、もう無駄なのよ」

 そう女性が呟いた後、再び部屋の中には沈黙が流れた。
 流れる静寂の中、一人の男が口を開く。

「一度目は何があった」

 彼は、村人の憤慨や落胆を意にも介さず、そう聞いた。

「……お前には、関係ない」

「ある。……答えろ、一度目は何があった」

「……」

 無論、村人達にはその問いにまとも答える気力も義理もなく、ただ俯いたままで五樹の言葉を流していた。
 ただ一人の、例外を除いて。

「……五軒、家が焼かれた」

「おい、舜!?」

 李白が去ってから沈黙を守ってきた舜の発した言葉に、村人達は驚いたように顔を上げた。
 舜は、半ば諦観した様子で、他の村人達に言う。

「良いじゃねえか、もう。どうせあいつらに知られたんだ、どのみち同じことだろ。…………それに、助けて貰った恩もある」

 少しだけ彼の表情が陰ったのは、村の手助けをしてくれた恩人に辛く当たってしまった負い目であろうか。
 そんな様子を見せる舜の言葉を、村人達はこれ以上遮ろうとはしなかった。
 間を見計らい、五樹が再び問う。

「いつの話だ?」

「……確か、今からひと月ほど前、だったと思う。村の端の方で騒ぎがあって、行ってみたら今のここらとおんなじに、粉々になった家が燃えてたんだ。
 ……そんで、そこらあたりに住んでたやつらが、やたらに怯えてた」

 舜は、その時の情景を思い出したのか、眉間に皺を寄せる。

「『龍が出た。李白が連れてきた。逆らったら殺される』……竹簡握りしめてさ、この世の終わりみたいな顔してた。
 ……ホント、あの怖がり方は異常だったよ。話も無茶苦茶だったし」

「竹簡……、ですか?」

「さっき李白が言ってただろ? 約定ってやつだよ。そこに書かれてる約束事を破ったら、龍の裁きが下る、ってな」

 嘲笑めいた表情を浮かべる舜。その嘲りは、果たして何処へと向いているのか。桃香には分からなかった。

「その竹簡、一体何が書かれていたんだ」

 趙雲も、気付けば身を乗り出して話に聞き入っていた。

「命令に従え。外に龍の話を広めるな。助けを呼ぶな。外に出るな。村長が持ってる権利を全部渡せ。……俺は字が読めねえから人づての話だけど、確かその五つだったと思う」

「村長の権利……なるほど」

 何かに納得して頷いた趙雲をちらりと見ながらも、舜は話を続けていく。

「内容があんまりふざけてたもんだから、俺達は本気にはしなかった。
 どうせたまたま起きた火事かなんかに李白が便乗しただけだ、龍だの何だのってのもあっち側の奴らが騙されてるだけだって、そんときは思ってた」
 
「それで、放っておいたというわけか」

 五樹の言葉に、舜は後悔しているような表情で頷いた。

「……しばらくは、な。なんせ気味が悪かった。あっちの村人がホントに馬鹿正直に李白に従いやがるから、傍目にゃあ怪しげな集団にしか見えなかったんだ。
 ……でもその後、どうしても我慢できねえことが起きた。奴ら、商人の連中を横取りしてやがったんだ」

「商人を横取り? どういうことなのだ?」

「この村じゃあな、作物でも何でも物を纏めて外に売るときにゃ、村長に話をつけて貰わねえといけねえんだ。交渉とかで商人に騙されねえように」

「ふむ、識者に意見を求める、ということか」

「ああ。でも、その月何人か来てた行商がさ、一人も村長んとこに来なかったんだよ。流石におかしいと思ったから聞きに行ったんだ。
 あっち側の奴らに」

 少しだけ、李白の言葉に熱がこもる。

「そしたら、ここに来た商人は全部、李白んとこに行かせた、って。売った物も、あっち側の奴らが作ったもんばっかだった。
 ……俺らは、何も知らされてなかったんだ」

 李白は、その時の怒りを思い出したかのように、歯噛みした。周囲の村人も、皆苦々しい表情を浮かべている。

「そこで勝手やられたら、俺らの稼ぎが無くなっちまう。だから、李白んとこに文句言いに行ったんだ。
 そしたら、『僕は約定に従い、権利を行使したまでです。それに反抗するようなら、あなた方にも痛い目を見て貰わないといけない』って」

「そうか、それで……」

「ああ、このザマだ。笑えねえよ、本当に笑えねえ。……だってさ、本当に龍なんてもんがいるだなんて、普通思わねえだろ?」

 その言葉を返すことが出来る人間は、この場にはいなかった。
 話を終えた舜が、弱々しい表情を五樹達に向ける。

「……あったのはそれだけだ。期待には添えたかよ」

 舜の言葉に、五樹はしばらく口を噤んでいた。 
 その様子を、舜は怪訝な表情で見る。顔を伏せ、返事すらしない彼の態度に、舜は少し苛立っていた。
 そして、沈黙に耐えかねた舜が口を開こうとした時。

「本当にそれだけか」

 五樹は、短くそう言った。 

「……どういう意味だよ」

「何故、あの李白という男は、この村に害を与えたのか。それが見えん」

 そう聞いた五樹に、舜は顔をしかめて答える。

「……知らねえよ、そんなこと。あんな奴のことなんか、誰が知るか」

「同じ村の人間なのにか」

 瞬間、舜の顔に驚きの色が広がる。

「……なんで」

「何故分かったのか、か? ……今の話で分からない方がおかしいな。初めに被害を受けた連中が李白という名を口にした。
 ならその連中は以前から李白を知っていたことになる。……分かるように言ったのはお前だ」

 つまらなさそうに舜の驚きに応える五樹だが、その言葉には強い響きが混ざり込む。

「村を襲う前から、李白はこの村に居た。……なら、同じ村の人間であるお前達は、何かを知っている。
 そう考えることは、別段不自然ではないだろう」

 静かに、問い詰めるようなその響きに、舜は気押され、言葉をせき止められる。 

「もう一度、今度は濁さず聞こう。李白という男がこの村を狙った理由。それは何だ」

「……それ、は」

 その問いは、舜だけでなく、この場に居る村人達全員に投げかけられていた。
 しかし、村人達は、俯くばかりでその問いには答えようとはしない。舜も言いかけたきり言葉を切っていた。
 村人たちの間で流れる空気は、先程の怒りや怯えを含むものとは異なり、何かをひた隠しにしているような気味の悪さを含んでいた。
 その様子に、五樹はまた、つまらなさげな表情を浮かべる。

「答えんか。まあいい」

 そう言って五樹は、持たれていた木の壁から離れ、居間の扉へと近付いていく。

「おい、何処へ行くんだ我斎」

 愛紗の声に振り向いた五樹は、淡々とした口調で言う。

「聞くべきことは聞いた。もうここに用は無い」

 五樹は、扉を開けて外へと出ようとする。

「待て。まだ奴らにどう対抗するのか決めていないだろう。それを今から――」

 引きとめようとした愛紗の声に、五樹は被せるように言い放つ。

「お前達だけでやれ。俺は知らん」

「――なっ!?」

 冷たく突き放した五樹は、そのまま何事もなかったかのように、扉の外へと歩いて行った。
 扉が閉まる音の、その余韻が消えた後。
 見計らったように――実際には偶然であったが――愛紗が怒りを露にする。

「何なんだ、あやつは!? 自分の聞きたいことだけを聞いて、ことを丸投げして逃げ出すなどと!」

「……今の態度は、流石に少し頂けんな」

 苦言を呈した趙雲も、冷静にではあるが怒りを内に抱えていた。
 対して、鈴々は飄々とした態度で、五樹に対して言及する。

「別にいーのだ。どうせあいつ、戦いになったら役立たずなのだ。どっかいっても、あんまり関係ないのだ」

「五樹さん……どうしたんだろ」

 一人、五樹に否定的な態度を取らない桃香に、愛紗は忠告するような口ぶりで言う。

「ふん、どうせ臆病風にでも吹かれたのでしょう。桃香様、あのような輩、放っておいて構いません」

「で、でも……」

「今は我斎殿よりも、李白と言う男と龍の巫女、そして例の龍とやらをどうするか。それを考える方が先決だと思うが?」

 趙雲の言葉は、この状況では何よりの正論であった。

「そう、だよね。……それじゃ、部屋移そうか?」

 今の村人達に聞かせる話ではない。その意図を含んだ桃香の言葉に、三人は意見すること無く頷いた。




 居間を出て、村長の家の玄関口を抜ける。
 抜けた正面からは、村の入口広場と、村の外へ続く道、その脇の林だけが見え、振り返らなければ、ここが凄惨な被害を受けた村だとは思えないほどであった。
 左を向くと、手前側に一つ、奥に一つ、間に瓦礫の山を挟んで、家が見えた。
 桃香達は、手前側にある、残存している中で最も大きな建物、宿へと歩く。
 時刻は、昼の少し前。
 春の陽気は清々しくあったが、彼女達がそれを楽しむ余裕はなかった。
 宿の扉を開けると、そこには誰もいなかった。カウンターのような机と、待合スペースのような場所が広がる場所には、人の居た痕跡はあるものの、人の気配はまるでなかった。
 それもそのはず、怪我人は全て寝台のある部屋で寝かせてある。ここにわざわざ出てこれるほどの元気のある村人は、この宿の中には居ない。
 宿の受付部屋、その待合スペースにあった机の周りに並んだ四脚の椅子に、彼女達は座り込んだ。
 机を囲み、暫し、間を図る沈黙が続く。
 初めに口を開いたのは、桃香であった。

「……どうすればいいんだろう、龍なんて」

 切実に言う桃香に対し、趙雲は少し表情を曇らせた。

「龍の方は、正直どうにもならんでしょうな。実物を見たわけではない以上、対策はとれない。それに、対策を施す時間もない。
 故に、当たって砕けるしかない」

「……そっか」

「鈴々、それ得意なのだ! 龍なんて、とりあえずぶっ倒せばそれでいいのだ!」

 深刻な表情の三人を無視したような鈴々の快活な言葉に、趙雲は少しだけ笑みを浮かべる。
 少しだけ、彼女の言葉に周囲が勇気づけられていた。

「ふ、威勢がいいのは結構なことだ。まぁ、龍の方は張飛殿の武勇に期待するとして、もう一つ、気にしなければならんのは――」

「向こう側の村人達、か」

「? 何で村の人を気にしなくちゃいけないの?」

「お忘れですか、桃香様。向こう側の村人達は、このあたりにあった家を全て、燃やしてしまったのですよ」

「……あ、そういえば」
 
 桃香が思い出したように呟いた。
 向こう側の村人達は、李白に脅されて暴徒と化した。で、あるのなら、彼らにも警戒を払わなければならない。

「つまり、下手をすれば龍を相手にしながらも、襲い来る村人達をいなしつつ、三つの建物を守らなければならない、と言うことになる」

「むー、厄介なのだ」

「しかし、その状況を打開する具体的な策は見当たらん。そこでだ」

 少し間を置き、趙雲が提案を口にする。

「休みを取ろう」

 その言葉に、愛紗はあからさまに顔をしかめた。

「はぁ? 何を言っているんだ。こんな非常事態にのんびりと休んでいられるか!」

「こんな時だからこそ、だ。それにな、私は昨夜、村に着く前に休んだが、お主達は救護なり火消しなりでまともな体力が残っておらんのではないのか?」

 愛紗は、その言葉を否定出来なかった。彼女もまた、口には出さないが、相当の疲労を負っていた。
 そしてそれは、鈴々や桃香とて同じであった。

「んー、言われてみると、なんか眠たいのだ……」

「……鈴々、真面目な話だ。しゃきっとしろ」

「んあ」

 半ば寝ぼけた返事を返す鈴々に、趙雲は少しだけ溜息をつき、苦笑した。

「こんな状態では、戦いどころか話し合いも満足にできんだろう。それに今回の件は、考えてもどうにもならなさそうなことが多い。なら、いっそ休めばいい」

 その言葉に、桃香は緊張の糸を解いた。

「……そうだね。私もちょっと、疲れたし」

「桃香様、しかし……」

 桃香が休むのは良い、むしろ休んで貰いたい。愛紗はそう思っていたが、自分も一緒に休むのでは意味が無い。
 桃香を守るのは自分である。愛紗は、その思いが強かった。
 しかし、桃香もまた、愛紗のことを心配していた。

「愛紗ちゃん。私はね、皆に無理はしてほしくないの。それに、私達は守らなきゃいけない」

 それは、先走り過ぎている愛紗にも、焦っている自分にも言い聞かせるような言葉であった。

「守る立場の私達が、いざって言う時に動けないと、困るでしょ?」

「……しかし、万が一私達が寝入っているときに、襲われでもしたら」

「そこはほれ、私が見張り番をしてやろう。私は特に寝る必要はないからな。酒でも飲みながら外を見ていてやるさ」

「だって。心配いらないよ、愛紗ちゃん。……もういっかい言うよ。私は、愛紗ちゃん達に、無理してほしくないの」

 思い遣りと心配の籠ったその言葉に、愛紗が首を横に振れる筈が無かった。

「……分かり、ました。休みます」

 少し、躊躇があったものの、渋々といった様子で愛紗は頷いた。
 そして、鈴々はどうするんだ、と彼女が聞こうとした、その時。

「………………ごぉ」

 鈴々の、短いいびきの声が響いた。三人が彼女に目線をやると、椅子にもたれかかった鈴々が、大口を開けて既に寝入っていた。
 その様子に一瞬だけ、三人は言葉を失う。

「……は、早いなぁ」

「……やはり、子供だな」

「……鈴々、お前と言う奴は」

 呆れたように、三人は呟いた。















 中天に、月があった。
 散るように浮かぶ金色の星々と、満月に少しばかり満たない銀色の円が、地を照らす。
 その神秘的な光はしかし、昨夜に続いて地に横たわる、痛ましい残骸を照らすばかり。
 花にでも降ればさぞ美しいであろうその銀色の光も、その照らす先が無粋であるのなら、月明かり自身もその精彩を欠く。
 淡い月光程度では、未だ消えずに周囲に残る、惨状の傷痕と鈍重な空気の、その暗さと惨さを誤魔化せない。
 周囲の景色はやはり、その凄惨さを消しきれず、未だ混沌としていた。
 そんな月天、その下で。

 ――地の底まで響き渡るような、鬨の声が発せられた。 

 
 
 

「――――!?」

 その地鳴りのような音に、宿の入り口近くで寝ていた桃香達は飛び起きる。

「――っ、何だ、一体何が起きた!?」

「今の何!? 何の音なの!?」

「まさか……龍が、龍が来たのか!?」

 宿の部屋から口々に聞こえる不安の声に、しかし桃香達は動じなかった。

「大勢の声、みたいに聞こえた……まさか」

 その時、宿の扉が勢い良く開き、趙雲が三人の寝ている場所へと駆け寄った。

「おい、起きろ! 鬨だ!」

「拙い……! っ、鈴々!」

「言われなくても、分かってるのだ!」

 鈴々の言葉を契機に、四人の少女達は各々の武器を手に取り、外へと飛び出した。





「最悪の事態は避けられた、ようだが」

 趙雲は、瓦礫の向こう、遠くから迫る集団を見ながら、静かに呟いた。
 農具や松明を持ち、瓦礫を踏み崩しながら徐々に近づいて来るのは、壊された家々の、向こう側に住む村人達。
 彼らは、恐怖と罪悪感を打ち払うために、人とは思えない狂乱した叫び声をあげて、迫っていた。
 龍は、まだ居ない。

「桃香様は、家の中に避難を」

「でも、村の人達が――」

「お姉ちゃん、ここに居たら危ないし足手まといなのだ。すっこんでてくれた方が、多分いいのだ」

 鈴々が正直にそう言うと、桃香は悔しそうな表情を浮かべたが、彼女も自分の非力さは承知している。
 桃香は直ぐに顔を引き締め、真剣な表情で鈴々に返す。

「分かったよ。私は、建物の中に居る」

「村人達が、先程の鬨に怯えていました。桃香様は、彼らを励ましてやってください。それと、龍が出た際には村人達を――」

 その先を言うまでもなく、桃香は大きく頷いた。

「うん、分かってる。命がけで村の人を逃がすよ。……じゃあ、愛紗ちゃん、鈴々ちゃん、趙雲さん、ここは任せます。よろしくお願いしますっ!」

 そう言って、勢い良くお辞儀をした桃香は、愛紗達に背を向けて再び宿へと駆けて行った。
 彼女の姿が完全に家の中へと消えるのを見計らい、趙雲が切り出す。

「さて。……守るべき物は三つだ」

 村長宅、診療所、宿。趙雲は残った建物に順番に目線をくれ、最後に愛紗と鈴々を見る。 

「そして、我等は三人……いい具合に割れたな。何処を守る」

「「宿」」

 二人は同時にそう言った。そして、互いが互いの声と重なったことに気付き、二人はにらみ合う。

「……気持ちは分かるが、早く纏めてくれ。でないと間に合わん」

 趙雲が少し呆れ気味に言った言葉に、愛紗が一番に反応した。

「鈴々。お前、一番初めに寝て一番後に起きただろう。ということはお前が一番寝ている。不公平だ」

「……まさかそこを責めるか、お主」

 かなり大人げない愛紗の言葉であったが、鈴々にはそれなりに効いたようであった。

「う……でも、眠かったから仕方ないのだ」

「仕方なくは無い。それに、お前は寝起きの動きが悪い。万が一を考えれば、私が宿を守った方がいい」

 主君のために。その言葉が暗に含まれた愛紗の言い分に、鈴々は渋々頷いた。
 それに鈴々は、慣れない場所で寝たせいもあり、自身の体が十全な状態ではないことを分かっていた。

「むー、仕方ないのだ」

「では、私が宿を守る。鈴々は村長の家を、趙雲殿は診療所を頼む!」

「了解した!」

「合点なのだ!」

 そうして、各々が守る場所を確認し終えたところで、三人は揃って瓦礫の絨毯の広がる方向を向いた。
 既に、向こう側の村人達は、初めの位置から入口広場までの、半分以上の距離を詰めてきていた。

「殺すなよ」

「分かっている」

「大丈夫なのだ」

 最後にそう確認し合い、三人はそれぞれが守る場所へと散っていった。















 村に鬨の声が響き渡る、その少し前のこと。



 初めから、彼女達には勝ち目が無い。そのことは誰よりも、五樹が理解していた。
 だからこそ、五樹は一人、そこに居た。
 両側を林に囲まれた、一本の道の、その中央。
 そこに立った彼は、徐々に近づいて来る二つの人影を、ただ見据えていた。

「……来たか」

 五樹が呟く。
 二つの人影は、ほぼ同時に五樹に気付き、その歩みを止めた。
 その間合い、十メートル強。

「どうしました、そこの御仁! わざわざ迎えになど来なくとも、僕達はちゃんと村へと向かいますよ! 裁きを与えにね!」

 声を張り、自身に満ち溢れた表情で言う李白に一瞥をくれた五樹は、彼に対して一度だけ、憐れんだ表情を見せた。 
 
「……随分と、追いやられているものだ」

 五樹の表情も言葉も、李白に届くことは無かった。
 そして五樹は、只一言、告げる。   



「止まれ、高遠奈々世」


 
 離れた場所へでも確かに届く、その低く強い響きは、李白を眼を見開かせた。

「馬鹿な……何故、その名を!?」

 うろたえる李白に、奈々世は静かに言葉を掛ける。

「終わるんですよ。李白」

「な、奈々世さん。一体何を……」

「私は、あなたが思うほど強くはありません。……龍の巫女は、ただの幻想です」

 そう言って、彼女は外套の頭巾を脱いだ。
 瞬間、一つに纏めた亜麻色の髪が、一陣の風に吹かれ、外套と共にたなびく。
 顔を上げ、五樹を見据えたその瞳は、悲しみと安堵に彩られていた。

「だから、ここで終わるんです。あなたも、私も」

 奈々世は、李白の前へと進み出る。
 彼女は、自らが弱いということを自覚していた。そして、自分の考えが甘いことを知っていた。
 だからこそ、自分がここで終わるであろうことも、理解していた。

 ――でも。

 そう簡単に、終わるわけにはいかない。
 沈黙が辺りを占める中、奈々世は五樹に向かって言葉をかける。

「……お久しぶりですね、カエサル」

 周囲の静寂が、奈々世のか細い声さえも、五樹の耳元に運んでいた。

「久しいのか。俺はつい先日、お前と会った記憶があるのだがな」

「……あなたは、死んだはずではなかったのですか」

 五樹の声など聞こえていないかのごとく、奈々世はその質問をぶつけた。
 我斎五樹の死亡は、彼女にとって衝撃的であった。
 彼女達の『世界』で絶対強者であったはずの彼が、名も知らぬ輩に殺されるなど、彼女は思いもしなかった。
 故に、その事実は彼女の脳に鮮烈に記憶されていた。
 しかし。
 我斎五樹は生きている。現実、自分の目の前に。
 驚かないはずがない。気にならないわけがない。死した人間が蘇るなど、在り得ないのだから。
 だが、その在り得ない事実を前に、五樹は淡々とした態度であった。
 
「そのはずだった。だが生きている。何故だろうな」

 薄く嗤う五樹に、奈々世は薄ら寒さを感じていた。
 死という事実が翻ったことよりも、我斎五樹という王が生還したことそのものに、彼女は怯えていた。

「……あなたは、何処まで」

 その感情は、彼女が彼に初めて会ったときから、ずっと心の中に秘めていたものであった。
 震える声で、奈々世はそれを口にした。

「何処まで、恐ろしい人なんですか」 

 その言葉に、五樹の薄ら笑いは助長される。

「恐ろしいか。……お前こそ、随分とおぞましい女になった。あれだけの数の人を殺し、家を焼いて尚、まだ壊すつもりでいる。
 ……お前は慈善が趣味だとばかり思っていたが、あれは表向きのものだったのか」

「――っ、それは!」

 嘲るように言う五樹に、奈々世は敏に反応した。やりたくてやったわけではない、そう言いたげな、悲痛な声を上げた。
 彼女は、慈しみを、善行を忘れたのではない。
 ただ、それを捨てようとしただけであった。

「違います。……私は、ただ、あなたから、学んだだけです」

「学んだ?」

「ええ。……優しさでは足りない。意志でも足りない。目的のために必要なのは、力と数と、それを統べる技量であるということを」

 奈々世の声は、やはり震えていた。

「私は、間違えました。私が平和を説いたせいで……皆が傷付いて、崩れていって、失われて、最後には何も手元に残らなかった。
 ……もう、あんな思いはしたくない。あんな、虚しくて、辛い思いは、もう……」

 涙を流しながら、思い出すのは『円卓』の同胞。そして、彼女を支え、時に背中を押した、一人の青年。

「だから! 私は甘さを、弱さを捨てなければならなかった! 誰も彼もを救うのではなく、自分の大切な人を守るために!」

「ふん、大切な人か。……お前は全て失った。ならそんな人間はもういないのではないのか」

 五樹は、昂った奈々世に合わせることなく、あくまで冷静に問うた。
 奈々世は、その問いを掛けられて、意識することなく彼の、李白の方を向いた。

「私は、彼に、李白に救われました。誰もいない荒野へ飛ばされて、水も食べ物も見当たらない中、四日近く、一人で彷徨って」

 顔を向けられた李白は、先程の驚きの余韻を残した、俯き加減の表情のまま、何も言おうとはしなかった。 
 恐らく彼には、彼女の独白など耳に入ってはいない。彼は今、狂った計画を元に戻すために、戸惑った心を落ち着けることに腐心していた。

「空腹と、渇きと、疲れの中で私は倒れて。……そこを救ってくれたのが、李白でした」

 彼女の、心からの恩は、李白には届いていない。
 そもそも、李白は彼女を見てなどいなかった。

「彼は私を助けてくれた。食べ物や飲み物を用意してくれて、看病をしてくれて、薬も出してくれて……とても、感謝しています。
 ……感謝以上に、私は彼を信頼しています。彼だけが、私に残った最後の絆なんです」

「……たかがそれだけのことを、絆と言うか」

「命を救ってくれた恩は、決して軽くありません!」

 強く言う奈々世であったが、その声は依然として震え、眼は涙の余韻に濡れていた。
 
「お前がそう言うなら、それも良いだろう。しかし、その絆とやらのおかげで人が死んだ。それはどう釈明する」

 淡々と、冷静に。五樹の態度は変わることなく、奈々世にそう問いかける。

「確かに、初めは間違っていると、そう思いました。でも――」

 悔いるような奈々世の表情は、重く暗い。 

「彼が、私の仲間が、それを望んだら、私はそうするしかないんです。……私にはもう、何も残っていない。だからせめて、彼の望みだけは、私の力で叶えなければならない」

 何処か息苦しげにそう言った奈々世の目に宿るのは、過去の自分を遠ざけるための、冷たい眼差し。

「私はもう、あのときの私じゃない。無駄に争いを否定して、平和な世界を夢見るだけ――そんな、哀れな人間じゃないんです」

 痛い思いをもう二度と、繰り返すような真似はしない。だから彼女は、過去を切り捨てた。

「護りたい人だけを護る。だから私は、前に進めるんです。もう、以前のような苦しみを、味わいたくないから。……私はもう、やるしかないんです!」

 弱々しくも、強くなろうとした。そう言い張る奈々世に、五樹は。



「前に進むか。聞いて呆れる」



 相手の心を凍えさせるような冷笑を浮かべた。

「一つ、真実を教えてやろう。……お前は、何もしていない」

「……え」

 虚を突いたその言葉に奈々世は一瞬気が抜ける。しかし、五樹はそれを気にも留めない。
 無謀になった奈々世心に、その言葉を直に送る。

「反省も、判断も、決意も、行動も、後悔も、お前は何一つ為していない」

「ッ、そんなことは!」

 再び憤った奈々世は怒ろうとするも、五樹はやはり、彼女の感情には目を向けなかった。

「……なるほど、確かにお前は空だ。見事に中身が消え去っている。何もない、何も考えていない、何も為していない」

「そんなこと――」

 反論は許さない。そう言いたげに、五樹は奈々世の言葉を、自身の言葉で遮る。

「先程お前が何を言ったのか、俺がもう一度、教えてやる」

 そういって、五樹はやはり冷静に、淡々と語る。

「お前は、自分の考えが間違った方向に自分を導いたからと言い、俺の考えを肯定し、自分の考えを否定した。
 お前は、頼るものが無くなったからと言い、眼の前に突然現れた男に依存し、それを絆と言い換えた。
 お前は、進むべき道を失ったからと言い、依存する男の目的を、自分のそれにあてはめた」

 それは、ただ彼女が言ったことの繰り返し。

「お前は結局、自分を消した。間違えたからと言い、自分の短所を他人の真似事で塗りつぶそうとした……薄いな。それ以上に軽い」

「……違う。私は、自分で、自分の意志で――」

「他人の考え方、仮初の薄い絆、借り物の目的。それで自分が何かをしたと、そう言えるのならば言えばいい。だが俺は、今のお前を認めない」

 飽くまで冷静に。
 しかしその言葉には、先程の酷薄さが消えうせ、代わりに強い侮蔑が混ざり込んでいた。
 冷笑を潜め、五樹は射殺すような視線を、奈々世に向けて突き刺す。
 彼は、奈々世に対して、憤っていた。



「もう、お前は『パーシヴァル』ではなくなった。……高遠奈々世。お前の生に、もはや意味などありはしない」



 その言葉が、きっかけとなった。



「――カエサル!」

 その名を口にする。死んだはずの、その王の名を。
 最早彼の死の、その記憶には意味などない。
 目の前に立つ人間を、死んだはず、と否定したところで、その人間が消えることなどあり得ない。
 だからこそ奈々世は、対峙するより他無かった。
 逃げられるわけが無い。あの、我斎五樹から。それは、彼にあの名を呼ばれた時から、分かっていたことだった。
 奈々世は、震えながらも自らの、有終とは言えないみじめな最期を飾ろうとしていた。
 自らの罪を、拭い去るために。



「――来い、奈々世」

 パーシヴァル――『円卓卿』としての彼女の名前を封じ、五樹は彼女を迎え撃つ。
 一度は集団の頂点に立った彼女であるが、今やその姿は見る影もなく、奈々世は堕ちるところまで堕ちてしまった。
 ではなぜ、そのような腑抜けた彼女が自分の『夢』であるはずの、ここに存在しているのか。
 五樹には分からない。しかし、その疑問は、今や些事であった。
 奈々世は堕ちた。なら、殺す。
 五樹は、彼女を許すつもりなど無かった。



 沈黙の後、期せずして二人の声が重なった。



「――――高らかに謳え、フッフール!」



「――――制覇せよ、エル=アライラー」



 その声に呼応し、彼らの背後の中空からそれぞれに、青い燐光が放たれる。
 ゲート光。
 扉の役割を果たすその燐光は、徐々にその輝きを増していく。
 そして、直視出来ないほど煌く二つの光の、その『奥』から、異形の影が姿を覗いた。



 一方は、竜。
 龍ではなく、竜という字がより適当であろうその外観は、一言で表すならば、羽の生えた獣脚類。
 巨大な頭部に相応しい、怖気すら感じる竜の顎。生え揃う牙は全てが鋭く、異様な光沢を放っている。
 太く強靭で、しかししなやかさも見てとれる特徴的な脚部。足先に生える爪は、人の腕ほどの太さである。
 強靭な両足の後ろから生えるのは、長大な尾。太い部分では人の胴を軽く超え、その長さは竜の全長、その三分の一以上を占めている。
 腕は短く、生えている羽は虫のそれに近い。しかし、かえってその不自然な弱々しさが、外観の恐怖を水増ししている。 
 光が弱まるにつれて見えてくるのは、色鮮やかな翠緑の外殻。
 おぞましい外見に反するその色は、その竜に幻想的なイメージを印加していた。
 太古の暴竜と幻想種が一体となったその姿は、まさに異形というべきもの。

 ――翠緑の竜、その名をフッフール。
 


 一方は、騎士。
 しかしそれは、単純に人の形をしているとは言えなかった。
 まず、脚部に当たる部分が見当たらない。下半身は板状の装甲に覆われ、その下から何かの「噴出孔」らしきものが覗いている。
 目に付くのはもう一つ。背部より生える九本の剣。沈黙している剣達は、今の騎士にとっては動かぬ装飾に過ぎない。
 しかし、巨大な体躯を飾るその剣は、その騎士の荘厳な姿を彩るには十分であった。
 衰えるゲート光は、騎士の身を包む重厚な鎧の色を、頭部を覆う兜の色を、明らかにする。
 それは、一切の白銀。
 月と星の光を跳ね返し輝く騎士の鎧は、暗く深い夜を淡く照らす。
 そして騎士は、右手に持つ一本の剣を軽く振るう。騎士の身の丈近くの長さを誇るその洋剣には、淡い輝きが灯っていた。
 その威風、その荘厳は、まさに王たる者の姿。

 ――千の敵を持つ王、エル=アライラー。



 二体の異形が、同時に異界へと降り立った。

























 以下あとがき

 さて、前回よりも倍近く長くなってしまった六話です。何とかアバター登場までこぎつけました。戦闘は次に持ち越しです。
 そして、五樹君がまさかのSEKKYOU。……一度やってみたかったんです、こういうの。後悔はしていない。
 今回も少し駆け足気味かもしれません。気になるところがあれば、是非に御指摘お願い致します。

 現在、奈々世さん編(仮)が完全に長引いてます。しばらく終わりそうに無いです。無計画ですいませんでした。
 次回は、フッフールvsエル=アライラーと、出来れば村人達vs愛紗+鈴々+星の模様をお送りできたらいいな、と考えております。
 それでは、お目汚し失礼いたしました。







[22485] 七話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/11/13 22:59



――――――――――





 ある日、女を助けた。

 女が道で倒れているのを見て、家に運んできた。面倒とは思わなかった。助けないなんて言う選択肢は無かった。

 父さんと母さんも、きっとそうしていただろうから。

 あの、人の好い笑顔を浮かべて、親切を続けた僕の父さんと、父さんを理解して、支え続けた気の強い母さんなら。

 絶対に、そうしていたのだろうから。





 女は、意識が朦朧としていて、酷く熱を帯びていた。風邪だと気付くのに、それほど時間はかからなかった。

 見たところ、女に熱以外の目立った外傷も、発疹の様なものもなかった。これなら与えても問題ないだろう。そう思って僕は僕は、熱冷ましの薬を彼女に与えた。

 父さんから作り方を教わった、その薬を。 

 そのおかげか、女はしばらくすると、落ち着きを取り戻した。熱も、少しは下がっていた。

 そこで、事情を聞こうとしたが、今度は女が何も喋らろうとしなかった。女は満足に喋れないほどに衰弱していた。

 だから僕は、女に食事を与えた。山菜が入った汁物と、握り飯。母さんから教わったものだ。

 与えた食事を、女は時間をかけて、平らげた。弱っていても食欲はわくのだな、と感心して見ていたら、女は急に泣き出した。  

 ありがとう、ありがとうと。そう言いながら、女はずっと泣いていた。

 同じだった。母さんがあの時拾ってきた、あの男と、この女は同じことを言っていた。

 僕は、不安に思った。でも、ここで放りだす訳にはいかない。父さんも母さんも、そんなことは絶対にしないだろうから。

 だから僕は、父さんや母さんと同じことを言った。

『体がちゃんと治るまでは、ここでゆっくりしていってください』

 そういうと、女はやっぱり、あの男と同じように、また泣き始めた。





 
――――――――――










「あ、ああ……」

 ――まさか、そんなことが。

 その光と、内より出でた二体の異形、自身の背丈の三倍近くあるその怪物達に、李白は落ち着きを失っていた。
 彼は、想定していなかった。
 まさか、竜と同等の存在がもう一体、自分の目の前に現れるということなど、彼には想像出来なかった。
 それは、彼に生まれた敗北の、死の可能性。
 絶対強者であるはずの、彼の支配する龍の巫女、そして、翠緑の竜。それを盾にすれば、自らが傷付くわけが無い。その筈であった。
 自らの報復を達成するための、唯一無二の方法であり道具。そして同時に、人の力では到底太刀打ち出来る筈も無い、神の如く絶対なる存在。
 その、唯一無二、絶対であるはずの竜を、自らの生を確約した竜を、殺し得る可能性が今、彼の目の前には存在していた。
 同時にそれは、彼が初めてあの翠の竜を見た時の恐怖を、鮮明に思い出させていた。

「ああ、ぅあ……」
 
 足の力が抜け、李白は地面にへたり込む。その顔は涙に塗れ、酷く歪んでいた。
 それは、彼が二度目に抱く、恨みや報復などという混じり気のない、純粋な恐怖。

 一度目は、彼が歪んでしまうきっかけとなった。彼は、強い畏れの後に竜の正体を知り、その力を誤解してしまった。
 彼は、竜を利用していたわけではなく、その存在を心から信仰していた。竜の巫女という、自らが作り出した神聖な存在を。
 全ては、悪しき村人に裁きを下すために、自分に与えられたのだと、本当に信じていた。

 そして今度は、彼を歪めた竜に加えて、それを討たんとする異形の巨人。
 二度目の恐怖、それを味わった彼は今、自分の考えが誤りであったことに気付く。
 
 ――こんなものが、神聖であるはずが無い。

 神にも等しい絶対的な竜の存在は、彼の冷静な感覚を狂わせていた。幻想の翠にばかり目が行き、獰猛な眼と鋭利な牙に、彼は気がつかなかったのだ。
 つい昨夜まで、彼の眼に映る竜は狂おしい程に輝き、神秘的な姿を見せていた。
 だが、今はそうではない。
 鋭い牙の間から洩れる、野性に塗れた汚らしい吐息。何かを急かすように、指毎に下品に蠢く銀の爪。土を裂き、草花を踏み潰す傍若無人な足。
 それの何処が、裁きを与えるような聖性を持つ竜であるのか。
 こんなものは、ただの化物でしかない。
 そのことに、李白は今更になって気が付いたのであった。

「……ぅうあああああああぁぁああぁ!?」

 叫び声とともに、李白は道を外れて茂みへと逃げて行く。
 その悲鳴は奇しくも、鬨の声と同時に響き渡った。










 アバター。
 無造作に選び出した人間と繋がり、繋がった人間にその力を行使する権利を与える、正体不明の異能の怪物。
 アバターと繋がれた人間は接続者と呼ばれ、アバターの持つ強大な力を、召喚という形で自在に行使できるようになる。 
 接続者は、アバターの力が尽きていない場合を除き、何時どのような時に於いてもその異形、アバターを召喚することが可能になる。
 我斎五樹のように。あるいは、高遠奈々世のように。
 その力は、アバターという概念が存在し得ないこの異世界においても、発揮することが可能であった。
 翠緑の竜と白銀の王。現れた二体のアバターは、見た目には不備の無い形で、この世界に顕現したのであった。
 
 しかし、その異能はこの世界において、十全に再現されるものではなかった。

 異変は、召喚の直後に起きた。

「――――――っぐ!?」

 五樹の頭を襲ったのは、形容できない違和感と苦痛。
 耳鳴りと共に眉間から、こめかみから、釘を突き入れられているかのような激痛が走る。

「……っか、あ……っく……」

 苦痛にあえぐ五樹の体を、不快感が駆けまわる。頭の中をのた打ち回る痛みによって、吐き気が誘発する。
 その痛みは、頭痛というレベルではない。ともすれば脳が物理的な損傷をしていると錯覚してしまうほどに、その痛みは激しいものであった。
 視界は揺れて明滅し、耳からは甲高い異音と心音しか聞こえず、喉元までせり上がる胃液の臭いが鼻を潰す。
 外から来る情報の一切が、その激痛によって捻じ曲げられていた。

 ――何だ、これは?

 突如自身に訪れた異変に、五樹は混乱していた。
 顎を大きく開けて迫り来る翠緑の竜のことを、慮外に置いてしまうほどに。 

「――――――――■■■■■■■■■――――――――!!」

 爆音のような咆哮が竜の口から発せられ、その顎が白銀の王の喉元を捉える――

「――っ、弾け!」

 ――直前に、王が右手に持つ剣が、無造作に振り上げられた。
 
 瞬間、重量感のある高音が周囲に響く。

「■■■■■■■■――――――!?」

 王の剣は、竜の下顎に直撃した。しかし、その一撃を放ったのは、剣の刃ではなく腹であった。
 その『打撃』の衝撃に、竜は一瞬ひるみこそしたが、すぐさま体勢を立て直し、後ろに跳んで騎士との距離を取る。
 二体の距離は、召喚されたその時と変わらず、約十メートル。
 睨み合いの状態は、長くは続かなかった。

「……フッフール!」

 命じられた竜が、王の刃を全く恐れることなく襲いかかる。
 対する王は、不安定に剣を構え、踊り来る翠竜にその切っ先を突き付けた。
 そして。

「――――くっ!」

 五樹の念じるままに、翠竜へ向けて白銀の王が剣を振りかぶり、そのまま真上から刃を振り下ろす。
 しかし、その軌道は世辞にも美しいとは言えず、むしろ剣自身に振り回されているようにも見えた。
 その不格好な剣筋を、獰猛な竜の眼差しが見逃すはずもなく。

「かわして!」

 奈々世の声に反応し、竜が踏み込んだ右足の筋力を解放して、勢いを付けた身体を左へとずらした。
 その動きに反応出来なかった王の剣は、轟音を上げて竜の右側の空を斬る。
 その隙に左脚を着地させた竜は、再び足に力を溜めて顎を引き下げ、勢い良く己が頭蓋を騎士の腹へ向けて突貫させた。
 
 重い金属同士が打ち当たり、騎士の鎧から悲鳴のような音が上がる。

「――っく!?」

 音と同時に、白銀の王は衝撃に弾き飛ばされ、巨体の起こす風と共に林の中へ仰向けに倒れた。
 王はすぐさまに置き上がったものの、鎧の腹は変形し、その形は醜く歪んでいた。
 一方、勢い良く頭から突っ込んだフッフールも、体勢を崩して倒れてかけていた。
 しかし、奈々世の操作によって器用に体勢を立て直し、素早く王から身を離し、自らの主の前に立つ。
 起き上った王は、盾の役を果たすべく、五樹の前へと進み出た。 

 戦いは、五樹の思惑通りには運ばなかった。



「……苦しい、でしょう? 頭が、痛いんですよね? ……ふふ、私も、そうなんです」



 そう言う奈々世の表情も、五樹と同じく苦痛に歪んでいた。

「私達、世界に嫌われてるん、でしょうか? ……ねえ、カエサル?」

「……っ、戯言を」

「戯言なんかじゃ、ありません。……気付きませんか?」 

 言われて、五樹は瞬間に気付いた。
 突如始まったフッフールの攻勢に対処することばかりに気を割いて、彼は初めに見るべき物を見ていなかった。
 それは、彼の持つアバター、エル=アライラーの、能力値。

 ――!?

 五樹は、言葉無く驚愕した。

 召喚されたアバターの能力値は、そのアバターの接続者に自動的に送られる。それと同時に、接続者はアバターの現状を――アバターが知覚している物も含めて――把握することが出来る。
 戦闘を効率よく行なうため、アバターの力の管理をするために、自身のアバターの固有情報というものは非常に重要な要素である。
 そして、接続者が閲覧可能なアバターの能力値の一つに、魔力というものが存在する。
 魔力は、アバターが顕在し続けるために必要な力であり、その力が尽きると、アバターはゲートによって強制的に帰還する。
 召喚されているときは常に、アバターが活発に活動している際にはより早く、その魔力が消費される。
 魔力とは、言い換えるのならば、アバターがその世界に居続けるために必要な『体力』のようなものである。

 その、文字通りアバターの生命線とも言える魔力が、異常な値を示していた。
 召喚後、まだ数分と経過していないのにも拘らず、エル=アライラーの魔力値の底が既に見えかけていた。

 その残量、既に最大値の約二割。

 召喚直後のこの値は、まさに異様と言えた。

「……何故か、魔力が減るんですよ。そして、私達にはこの痛みが、与えられる。……ほら、嫌われてるでしょう?」

 そう言って、苦痛に耐えながら力無く微笑む奈々世の目には、僅かながらに涙が浮かんでいる。
 しかし、彼女の心の中では、ある種の自信が生まれていた。
 五樹の苦しみ方。そして、動きの鈍ったエル=アライラー。その様子に、彼女は見覚えがあった。
 それは、初めてこの世界で彼女がフッフールを呼んだときの、彼女自身の姿。
 予期しない痛みに驚きと苦痛を感じ、まともにアバターを操作出来なかった、その時の自分と同じ。
 だからこそ、彼女は勝機を見出した。
 今の五樹には、付け入る隙がある。 

「無理はしなくても良いんですよ、カエサル。もう、分かってますから」

 五樹は強く、奈々世を睨みつける。しかし、痛みにゆがんだその顔は、先程のような迫力には欠けていた。 
 力に欠けた五樹の顔をしっかりと見据え、奈々世はほんの少しだけ、余裕の出来た笑みを見せる。

「――楽にしてあげます」

 瞬間、フッフールが再び飛び出した。
 人の背丈の三倍近くある翠の巨体は、その外見からは想像もつかないほどの速さで疾駆する。
 十メートルなど、ものの一秒もかからない。次の瞬間には距離を半分以上詰め、白銀の鎧に喰らい付こうとする。

「……ち」

 エル=アライラーも、迫り来る巨体を前に即座に行動に移る。
 翠竜の突撃するタイミングを見計らい、右手の剣を両手で支え、勢いに任せて横に一閃、左へ薙いだ。
 先程の剣閃よりも、その攻撃は鋭く正確ではあった。
 が。

「遅いですよ!」

 巨体に迫った刃はしかし、翠の外殻に掠ることすら無かった。

「――っな!?」

 夜に映る白い刃の軌道を、フッフールは何と『跳んで』避けた。
 剣を振う初動を見切り、刃が自らに届く寸前、脚力全てを行使して、暴竜は空へと跳ね上がったのだ。
 高速で羽ばたく虫の羽も、竜の跳躍の助けとなり、疾走してきた勢いのまま、高さにして四メートルほど跳び上がった。
 そして、白銀の王の僅か上空より、翠の竜が凶悪な牙にて強襲する。
 月夜を受けて妖しく光る牙は、凄まじい疾走と跳躍した巨体の落下エネルギーを受け、凄まじいスピードで王へ向かって襲いかかる。
 その攻撃、受ければ致命傷は必須。回避は不可能。
 故にこれは、竜の決め手であるはずだった。

 しかし、奈々世は知らなかった。
 王の武装が、剣だけではなかったということを。

「――防げ!」 

 光と共に、竜と王との間の空に、紫電が僅かに迸る。

 ――直後、重い鉄の轟音。

 大きく開いた竜の顎は、何かに阻まれるように不自然な位置で宙に止まり、そして弾かれた。
 その唐突な停止の余波で、翠緑の竜は自らの突進の勢いをそのまま身に受け、後方に弾き飛ばされた。
 並木の道の真中に、鮮やかな緑が衝撃と共に横たわる。
 飛ばされた距離は短かったものの、竜の転倒にて上がった砂埃は、衝撃と風に乗って衣服や髪をはためかせ、奈々世の視界を覆ってしまうほどであった。
 自らの竜、その必中の急襲が、あり得ない位置で止まり、そして防がれた。
 ほぼ無意識のうちに竜を起こして体勢を立て直している間も、彼女はその事態に呆然としていた。
 そして彼女は、遅ればせながら驚愕する。
 思い出したのだ。自分が何を見たのかを、はっきりと。

「……何、今の、壁」

 紫電と共に僅かに空間が揺らぎ、透過した薄い壁の様なものが現れていたのを、奈々世は視界の中で捉えていた。その、注意しなければ容易には見えない壁に、フッフールは弾き出されたのだ。
 自らの突進のエネルギーを、謎の防壁によりカウンターの形で食らうことになった竜は、直接衝突した牙が数本折れ、頭部の外殻が僅かに歪んでいた。
 ダメージ自体は大したものではない。十分に戦闘を続行できる範囲の損傷である。
 しかし奈々世は、その不可思議な事態に、強く警戒せざるを得なくなった。
 アバター同士の戦いにて大きなウエイトを占めているその要素は、接続者には決して無視できない。
 自らの呟きに、奈々世は自分で答えを出した。
 
「……エル=アライラーの、EX」

 アバターが規格外の怪物であることのもう一つの証明。それが、各アバターが固有に持つEX――特殊能力。
 現実には決してあり得ないであろう、物理法則を明らかに無視した特異な状況を作り出す、魔法のような異形の異能。
 例えば、空気と風を自在に操る技能。あらゆるものを切り裂く不可視の刃。周囲を焼き尽くす超高温の熱波。
 字面にしてみれば妄想の類としか思えない、まさに超常的な力を、アバターという化物は行使できるのである。
 そして、フッフールの急襲を防いだのが、エル=アライラーの特殊能力、空間断絶。
 空間の連続性を魔力によって強引に引き剥がし、完全に空間同士を隔絶させるという、常識外も甚だしい異能。
 消費される魔力の余波ですら、小さな雷を起こすほど強大なその能力は、彼の王を王足らしめる要因の一つであった。
 まさに絶大。その異常な力を前に、奈々世は戦慄する。
 しかし、彼女の恐れは王の力の強大さへの恐れではなく、認識できない謎の力、未知に対しての恐れであった。彼女は未だ、彼の能力の本質には気づいていない。
 それ故に、フッフールの攻撃を防いだ『謎の壁』の正体を見抜けずにいた。

 ――広域の、防御能力? いや、それだけじゃないはず。

 エル=アライラーは、コミュネット――アバターに繋がった接続者達のコミュニティであり、高倉市の中にのみ存在した閉塞世界――の中で、最強の一角に上げられたアバターである。
 その名の知名度、又、それを操作する『カエサル』の知名度は、コミュネット内で群を抜いていた。
 しかし、それに反してエル=アライラーの能力値や特殊能力については、一切が謎に包まれていた。
 直接交戦をしたアバターはほぼ、その全てが破砕され消えていたからである。それ故、コミュネット内でも有力な位置に居た奈々世ですら、その能力を知らなかったのだ。
 そして今、彼女は初めてエル=アライラーと交戦し、その能力を垣間見た。
 そのことによって彼女が得た王の特殊能力の情報は、不可視の防壁を召喚出来る、ということだけである。
 彼女は、その防壁の召喚能力だけが特殊能力の全てであるとは、どうしても思えなかった。
 それだけでは、その程度の能力では、最強とは呼ばれない。有力なアバターを封殺できない。あそこまで恐れられる存在に、昇華するはずが無い。
 故に。

 ――まだ何かがある。

 何が出てくるのかを予想できない緊張感は、苦痛に捩れる奈々世の頭に、さらに重い負荷をかけていた。
 それから逃れるため、奈々世は一つ、決断する。

 ――撃ってみるのも一つの手、ですね。

 奈々世にも切り札はあった。人にも物にもアバターにも、等しく苦痛と破壊をもたらす切り札――EXが。
 しかしこちらは、五樹のそれとは違い、能力の詳細を知っている人間が複数存在していた。
 交戦し、勝ちを得たとしてもとどめは刺さず、降伏させることを選ぶ。奈々世の優しさ、その甘さが、コミュネットにその切り札の姿を露呈させていた。
 手の内は、恐らく読まれている。それでも彼女は、切り札を使おうとしていた。
 全ては、五樹の手の内を、EXの正体を少しでも知るために。

「……どう出ますか、カエサル」

 彼女は、自らの切り札を早々に切るために、翠竜の羽を大きく広げさせた。
 竜は、大きく呼吸する。
 その『歌』を、謳うために。





 ――……拙いか。
 
 一方、フッフールの強襲を防いだ五樹は、想像以上の危機に直面していた。
 エル=アライラーは素の能力値の高い強力なアバターではあるが、その分行動の際の魔力消費が高いという欠点がある。
 加えて、特殊能力の使用。やはりこちらも、強力であるが故に魔力を多大に喰ってしまう。一瞬とは言え空間断裂の盾を張ったことにより、魔力の減りは大きくなっていた。
 魔力の残量は一割と八分。わずか数十秒の交戦で既に、残存魔力の二割以上の値を消費してしまっていた。
 長期戦をするのは絶望的である。残りの魔力から見て、後数分程度しか魔力が持たないのは明白、ではあるが。

 ――奴、『私達』と言っていた。

 そう。何も魔力が低いのはこちらだけではない筈。五樹はそう考えた。
 残存している魔力がエル=アライラーと同程度なのかはそれ以上なのかは五樹には分からないが、少なくとも相手の魔力が低いことは、奈々世自身の言葉からはっきりしていた。
 と、するのなら、条件は互角に近い。ならば、エル=アライラーが負ける道理など無い。

 ――しかし。

 問題は、五樹自身にあった。
 今この瞬間も五樹の頭を掻き乱す、凶悪な激痛。鋭利な物で脳を掻き乱されるような痛みは、彼の集中力を大幅に減退させている。
 想像を絶する痛みの中にあって、正常且つ適切な思考を働かせることなど、不可能に近い。
 しかも、痛みによって五感は乱され、エル=アライラーから流れ来る視聴覚情報は活用できない。今の五樹には、アバターの操作を精緻に行う能力は無かった。
 しかし、この奇妙な頭痛に関しても、奈々世は『私達』と一括りにしていた。
 では果たして、本当にこの条件は同じであるのだろうか。
 奈々世の方は、苦痛に顔を歪めてはいるものの、操作に関してはそれほど粗は見つからない。一方五樹は、先程から精彩に欠ける動きしか見せていない。
 違う。明らかに差がある。この差は一体何なのか。
 彼が思い当たるのは、今のところ一つ。

 ――三回目。その慣れか。

 五樹は今回、この世界に来て初めてアバターを召喚した。対し奈々世は、今を入れて少なくとも三回の召喚経験がある。
 痛みに慣れたのか、痛みを抑える方法を見つけたのか。それは五樹には分からないが、少なくとも奈々世は、彼よりも正確にアバターを操れている。 
 この点に関しては、互角どころか奈々世の方が優位に立っているのである。
 つまり。
 アバター単体の能力値では、五樹が有利。
 魔力減少の影響では、共に互角。
 頭痛による操作技能への影響は、五樹に強く出ている。
 エル=アライラーのスペックの高さは、この異常な条件の下に、そのアドバンテージが帳消しとなっていた。

 ――気は抜いていられんか。

 絶対的な筈であった、エル=アライラーとフッフールの力量差。それを僅差にまで詰め寄られ、五樹は危機感を憶えると共に、意識を引き締めた。

 引き締めた、つもりであった。

 竜の転倒が巻き起こした砂埃。それが止み、五樹の視界の中、白銀の王のさらに向こうに、竜の姿がはっきりと現れる。
 大きく羽を広げ、今にも羽ばたかんとしている、翠緑の竜の姿が。
 その姿に五樹は、翠竜に秘められた異能の力を思い出す。
 
 ――まさか。

 五樹の中に密かに残っていた余裕が、全て消え去った。
 苦痛と焦りによって、彼は失念していた。フッフールの切り札足る、あの『歌』のことを。
 今あの『歌』を撃たれれば、五樹は、一度は必ず防戦に回るより他無くなる。
 そうなれば、今のエル=アライラーに残された僅かな魔力を、ほぼ全て防御に回さなければならなくなる。
 この状況で奈々世の打った、能力を探るためのその一手は、彼にとっては脅威以外の何物でもなかった。

「――く、エル=アライラー!」

 命じた五樹に反応し、エル=アライラーは、姿勢を低くして羽を広げているフッフールへ向けて突撃する――
 直前で、踏みとどまった。

 ――く、間に合わん!

 既に羽が動き始めていた。
 五樹は直ぐさまにエル=アライラーに構えさせ、空間断絶の盾を『球状』に、自身を包みこむように張る。
 目に見えて減少する魔力は、今は気にしてなどいられない。
 あれの直撃を食らえば、ただでは済まない。
 エル=アライラーが、ではなく、五樹自身の体が持たないのだ。 
 フッフールの切り札。それは、アバターにではなく、接続者にこそその威力を発揮するものであった。




  
 五樹が盾を張ったその直後、フッフールの羽の動く速度が、音を超えた。
 その瞬間、竜は高らかに謳い始める。



「――見せてください、あなたの力を。カエサル」



 ――そして、凄まじい怪音が、振動する羽から生まれ出る。
 フッフールの『エンデの歌』は、衝撃と共に森の木々を揺らし、新緑の葉を散らしながら、その一帯に響き渡った。














―――――――――




 女の名前は、高遠奈々世というらしい。
 
 聞いてもいないのに、そう名乗ってきた。少し変わった名だとは思ったが、それ以上は何も思わなかった。

 仕方なく、僕も名前を名乗った。そうしたら、女は驚いて固まり、しばらく後に訳の分からないことを言い始めた。

 にほん、だとか、たいむすりふ、だとか、意味の分からない言葉を言って、女は混乱し始めた。

 少しだけ、面倒だなと思った。でも、放っておくわけにもいかない。僕は、女が落ち着くまで待った。

 女は、しばらくして、ここのことを教えてください、と言った。聞き方があいまいだったので聞き返すと、この国のことを教えてください、と言い直した。

 それでもあいまいだったけども、僕は知っていることを女に教えることにした。

 政のこと、帝のこと、州のこと、村のこと。そのあたりのことを話すと、女は分かりましたと言って、頭を抱えて悩み始めた。

 分かったのに悩み始めるのは何故だろう、とも思ったが、あえて口には出さなかった。代わりに、父さんの真似をしてみた。

『あまり悩まない方がいいですよ。難しいことは、元気な時に考えるのが一番です』

 そう言うと、悩んでいた女は急に顔を上げて、しばらく黙った後、明るい声で、ありがとうございます、と言った。

 その元気な声は、少しだけ、母さんに似ていた。





 いつものことだった。

 女、奈々世さんが来て、食料の減りが早くなった。だから、家から出て、あの村に食料を買いに行った。

 その先で、陰口が聞こえてきた。

 人殺しの息子、だとか、不幸を呼んできた、だとか。正直、うんざりしていた。

 人殺しはどちらだ。不幸を持ってきたのは、お前たちだろうが。そう叫んでやりたかった。でも、出来なかった。

『僕は、間違ったことをした。だから、罰せられたんだ。……僕が悪いんだ。彼らは悪くない』

 父さんはそう言った。なら、本当なんだろう。この村は悪くない。だから、罰せられない。僕はそう信じる。

 それでも、腹は立った。ならなんで、父さんと母さんは。そう、何度も思った。でも、それを言ったところで、村は悪い存在ではないのだから、罰せられない。

 僕はいつものように、怒りを中に溜めこんで、家へと帰った。

 その晩の食事。山菜と野菜の炒め物と、握り飯。僕はそれを、無言で食べていた。

 いつもは、奈々世さんとそれなりに話す。彼女は、ここのような山の中の暮らしに余り慣れていないらしく、毎日毎日新しい発見があると言って僕に話をしていた。

 僕も、話の内容に突っ込みを入れたり、父さんから得た知識を教えたりと、それなりに奈々世さんとの会話を楽しんでいた。

 でも、その日はそんな話に付き合ってられる気持ではなかった。

 奈々世さんは、途中まではいつものように楽しく話していた。でも、ずっと黙っている僕の表情を見て、口を噤んだ。気を遣ったのだろう。

 僕は、そんな状況がふと、嫌になった。

 何で、今まで楽しく話していたのに、今日はそれが出来ないのだろう。思い出すのは、村の人の陰口。

 あの人達は、何処まで僕達を追い詰めれば気が済むのだろう。

 誰も喋ろうとしない食卓の中で、僕はふと、そのことが嫌になった。





――――――――――





















 以下あとがき

 七話。奈々世と五樹、エル=アライラーとフッフールの独壇場。そして恋姫勢の出番はゼロ。……クロス作品なのにね。
 今回、一応バトル回になりました。そんでもって、本作限定のアバター設定がお目見え。アバター達をかなり弱体化させました。
 魔力減ったり頭痛が強くなったりの詳しい理由は、後々出そうかなと思ってます。そこまで続けられるのかは謎ですが。
 今回出てきた諸々について、これはおかしいだろ、という所があれば、是非にご指摘いただけたらと思います。
 
 次は、結局書けなかった恋姫勢VS村人達の戦いと、まだ続いているアバターバトル、それプラス李白に関する云々を書けたらいいなと思ってます。
 では、お目汚し失礼いたしました。









[22485] 八話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:51508118
Date: 2010/11/29 00:33






――――――――――








 僕は、逃げていた。

 森の中を駆け回り、木と木の間を右へ左へ、蛇が這うように無秩序に、走る。

 前から後ろへ流れる緑の木々。その枝が肌を掠り、僅かに腕が痛んだ。でも、その傷を気にしている余裕はない。

 後ろからは、三人の盗賊。 

 下卑た笑い声を響かせながら僕を追いまわす三人の足音は、どんどんと近づいて来る。
 
 一方僕は、直ぐにでも足を止めてしまいそうなほどに、疲れていた。

 汗が滲む。足が痛い。息が苦しい。頭を巡るのはそんなことばかり。

 まともなことなんて、考えられなかった。

 だから、木の根に足を引っ掛けた時、僕の頭は真っ白になるだけで。

 転んだ後も、身体は動かなくて。立ちあがって逃げようとも思えなくて。

 気付けば全身が傷だらけになっていて。
 
 無様に寝姿を晒していた。 
 
 盗賊達が、僕のすぐ近くで、歩みを止める。

『手こずらせんじゃねえよ、糞が』 

 そんな気だるそうな声が響いて、同時に、銀色に光る刃が、僕の目の前に現れた。

 もう、死ぬと思った。

 そのとき。

 僕と三人の盗賊を、一つの大きな影が覆う。

 盗賊達が、上を見た。そして同時に、目を見開いた。

 彼らの膝は急にがくがくと震えだし、眼は恐怖に揺れ始める。

 そして、腹から喉からすべてを絞り出したかのような、絶叫が響く。

 三人は、足取り乱れて転びながらも、必死の様相で僕とその影から遠ざかっていった。

 何故、彼らは逃げたのだろう。

 そう思い、僕も彼らに倣って上を仰ぎ見る。



 見えたのは、翠色をした大きな顎だった。



 顎も首も胴も、鮮やかな翠。その中に覗く、白く鋭い牙と爪。

 下から見る『それ』の姿は、明らかに自然には存在しないような、奇妙な輝きと力を持っていた。
 
 僕の背の二倍以上はありそうなその体躯は、強靭で、獰猛で、そして何より、神秘的だった。

 声ならぬ呻き声が、僕の口から無意識に漏れ出る。

 怖かった。ただひたすらに。目の前の異形が、怖くて仕方が無かった。

 あまりにも異常。人間と言う存在と、あまりにひた離れすぎているその異形の姿に、僕は全身を震わせていた。

 人間程度が触れてはいけないもの。無意識にそう思った。

 それは畏怖。人の遥か上位に立つべき生命の姿に、僕はただただ恐れおののいていた。

 ――その異形は、紛れもなく、幻想の中だけの存在。

 僕の窮地を救ったのは、他に言いようのない、龍という幻想の実体、そのものだった。

 そして、声が響く。

『李白、怪我はありませんか?』

 響いた声は、何故か母さんの声色に似ていた。
 




――――――――――










「……どうしよ」

 張翼徳は、考える。
 迫り来る人々は、一人の人間に扇動された、罪の無い村人達。ならば、殺せない。
 しかし。
 殺さないためには手加減が必要だが、彼女にはその才能があまり無かった。つまるところ、上手く力を抜く技量が無いのだ。さらに、寝起きであるということも、不安要素の一つであった。
 加えて、相手は戦闘経験のない農民。武装した兵士ならいざ知らず、ただの一般人が彼女の一撃に耐えられるはずもない。
 つまり。
 彼女は迂闊に武器を振えない。下手に当たれば一撃必殺、命を奪ってしまうかもしれない。
 故に、彼女は考えていた。
 どうすれば、彼らを殺さず、止められるのかを。

「――ぁぁあああぁっぁあぁぁあああぁあああああ!!」

 狂乱した叫びは、彼女の直ぐ目の前まで迫っていた。
 襲い来る村人が、瓦礫を踏み越えて彼女の間合いに入るまで、あと十数秒。
 その段になって、彼女は思いつく。

「これしかないのだ」

 そう言って、鈴々は、両の手で持って構えた丈八蛇矛を持ち替える。持つ位置を石突き近くに変えたあと、そっと左手を離した。
 そして、片手で軽く愛器を振り回す。
 風が音を立てて唸る中、蛇矛の刃を天高く、夜空へ向けて突き出した。

「――――――――っな!?」

 瞬間、村人の勢いが、止まった。

「?」
 
 彼女には、その理由が分からなかった。
 だがそれは、よくよく考えてみれば分かること。
 丈八蛇矛の丈八は、一丈八尺の意。その長さは、平均的な大人二人分の背丈を優に超える。数ある武器の中でも、その長大さは他に類を見ない。
 そして、長大であるということは即ち、相当の重量があるということ。
 あり得ない長大さがあり、その中で半端でない重さを誇ることが、一目見ただけでも容易に想像がつくのが彼女の得物、丈八蛇矛の外観であった。
 加えて、その得物を持つ彼女自身、それもまた埒外。
 彼女の背丈は低い。他から見れば彼女の姿は、小さな子供にしか見えない。
 にも拘らず、凶器と松明を掲げて叫ぶ、数多くの人々を目の前にして彼女は、一切怖がるそぶりも見せない。
 それどころか、襲い来る村人を迎え撃とうとしている。凶悪な長さと重さの武器を構えて。
 その光景は、異常としか言えない。
 そして、彼女が取った行動によって、異常は際立ち、膨れ上がった。
 凄まじい重量の蛇矛を片手で持ち、そのまま上へと掲げるという行為。
 それによって浮かび上がったのは、非力なはずの少女が長大な武器を軽々と持ち上げ、その姿が二丈五尺以上の高さに伸びて行くという、冗談のような光景であった。
 あまりにもあり得ない光景を目の当たりにし、狂気を削がれた村人を、燕人張飛は気にすることもなく。
 
「――――せやあぁ!!」

 迫り来る村人達の丁度真ん前。その場所に。
 天高くそびえる蛇矛の刃を、思い切って振り下ろした。
 風を切る轟音は、離れた村人の耳にすら聞こえるほど。
 月明かりを受けて光る蛇矛の軌跡が、大きく白い円弧を描く。
 そして、重力と遠心力によって凄まじい速度と相成った刃が、瓦礫の山の一つに落とされる。

 ――響き渡った音は、最早爆音であった。

 一瞬にして煙のような砂塵が舞い上がり、音の衝撃が周囲に響く。
 音とともに爆ぜるように散った瓦礫の山は、その欠片それぞれが飛礫となって村人に襲いかかった。

「――――ぅうわあああぁあぁあぁぁ!?」

 大小入り混じった飛礫の雨は、横殴りに村人達を攻撃する。
 数々の木片が、炭化した建材の欠片が、拳大の石の数々が、村人の頭を、胴を、肩を容赦なく傷付けていく。
 
「――ぐあぁあ!」

「っぅ、……っかはッ!?」

 苦悶と驚愕の混じった村人の声が、次々と発せられていく。
 その声に、彼女は悲しげに顔を歪める。

「……ごめんなさい、なのだ」

 しかし、手を休めることはしなかった。
 今一度、彼女は蛇矛を引き上げて、再び刃を天へとかざす。

「――――ひぃっ!?」

「まずい、もう一回来るぞ!」

「あ、あんなの食らったら死んじまう! 逃げろぉ!」

 彼女の剛撃の凄まじさに、村人達の狂気は消え去り、代わりに恐怖が滲み出る。
 恐れ慄き、逃げようとすらしている村人達を視界に捉えつつ、もう一度。
 彼らへ向けて、彼女は蛇矛を振り下ろした。
 
「――――てぇぇい!!」

 もう一度爆音が響く頃には、村人達の戦意など、欠片も残ってはいなかった。










 三つに分かれた村人の群れ。その一つが、爆音とともに四散していく。
 小柄な少女によって、振り下ろされる長大な矛。それが地に落ちる度に響く凄まじい音。狂乱の叫びは、凄惨な悲鳴へと変わっていた。

「な、何なんだよ……あれ……」

 その光景を見ていた村人の一人が、呟いた。
 もう少しで目標に辿り着くところであった、その矢先。仲間達が恐慌に陥る様を見てしまった村人達に、動揺が走る。
 しかし彼らは、揺るがなかった。揺るげなかった。彼らの心情、その背後には、大きく開いた竜の顎が構えていたから。

「くそ、俺らだけでも……」

 彼らの正面には、黒い髪をたなびかせ、大きな得物を構える一人の少女がいた。
 彼女の背後にあるのは、怪我をした人々が床に臥している、宿屋。彼らが破壊を命じられた建物の一つ。
 彼らの進行を妨げるように立つ黒髪の少女はつまり、宿屋の守護を任された者。
 その光景が意味するところ。それは、自分達の障害が、たった一人の少女だけである、という事実であった。
 
 ――簡単じゃないか。

 村人の一人は、少し前までそう思っていた。しかし、その夢想は、別の場を攻める仲間の恐慌に、儚くも崩れ去る。
 目の前の黒髪の少女よりも小柄な、子供と言っても良いような少女が、瓦礫の山を吹き飛ばすような凄まじい一撃を放っているのだ。
 それを見て、平然としていられるはずが無い。
 子供のような少女があれほどの力を持つのなら、黒髪の少女の力は如何ほどのものなのだろうか。そう思ってしまうのは道理であった。
 彼らもまた、目の前の少女を恐れていた。
 たった一回の爆音が、多くの村人達の狂気と気迫を吹き飛ばしていた。
 そして、目の前の少女と、仲間の惨状を交互に見ながらうろたえる村人達へ向けて、声が放たれる。


  
「何処を見ている。貴様等の相手は、私だ」 



「――――――っ、ぁ」

 まるで、地の底から響いてきたかのような、怒りを湛えたその言葉に、村人達に戦慄が走る。
 言葉の中、温情は一切籠っていない。しかし、燃え上がるように溢れ出る憤慨は、凄まじい熱を持っていた。
 怒髪が天を衝くほどの、義憤。
 そして、濃密な気迫。
 何よりも、その殺気。
 黒髪の少女は、自らの激情に身を焦がしていた。



「我が名は関羽。字は雲長。……身内を襲うその悪行、私が残らず裁いてくれる」



 そして彼女は、武器を構えて咆哮を上げる。

「はあぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!」

 頭が一瞬、低くなる。
 村人達には、そこから先の動きが見えなかった。

「―――――――え?」

「遅い!」

 驚きに呆ける男の右脇腹に、得物の峰がめり込んだ。
 同時に鳴った、乾いた異音と衝撃音。

「――っ、ごああぁあっ!?」

 一瞬遅れて、悲鳴が上がる。男はそのまま、彼女の得物に吹き飛ばされた。 
 瓦礫に体を傷つけられながら、凄まじい勢いで男は地面を転がっていく。――砂埃を上げながら、投げ捨てられた人形のように手足を放りだして。
 勢いが徐々に失われていくと共に、男に生傷が増えていく。
 そして。

「ぁ、っぐ、は……ぅあ……」

 勢いが止まる。瓦礫の中で、傷だらけになった男が苦しそうに呻いた。
 その男に一瞥すらくれず、愛紗は冷酷に、村人達へと目を向ける。得物に掘られた青龍が、月に照らされ妖しく輝いた。

「あ、ぁあ……な……」

 一瞬で変化した状況に、呆然とする村人の喘ぎ。その声色は、恐怖を肌に感じる直前の、何も考えることのできない空白。
 その小さな隙をも、愛紗は決して見逃さない。

「まだだ!」

 その声が響くと共に、村人達はまた、彼女の姿を見失う。
 実の所、彼女はただ姿勢を低くして走っているだけであった。
 しかし、腰を落とす彼女の挙動が、あまりにも速過ぎた。常人の眼には、彼女が消失してしまったかのように映るほどに。
 夜の暗さと散った瓦礫も、彼女の素早い動きを隠す。月明かりのみの薄暗さは、村人の視認能力を弱める。瓦礫は足場を乱しに乱し、彼らの意識を真下の足元に集める。
 結果村人達の意識には、彼女の動きを捉える余裕が無くなっていた。
 消失の錯覚に村人が驚くその隙に、彼女は強靭な脚力にて瞬時に距離を詰める。こちらの速さも頭抜けていた。
 地を奔る疾風よりも速く、彼女の体は駆け抜ける。

「――破ぁっ!」
 
 そしてまた、何かの砕ける乾いた音がした。

「――――――っがぁっ!? ………っご、ぇ」

 青龍偃月刀。その石突きが、深く深く、男の鳩尾に沈んでいた。
 一撃を貰った大柄の男が、苦痛に顔を醜く歪める。そして、その巨体をくの字に曲げて、地面へと倒れ込んだ。
 がらり、と。
 男の持った鍬が、音を立てて地に落ちた。

「次は、誰だ」

 低く響いた彼女の声。
 そしてようやく、村人たちの心が、現実に追いついた。

「ぁあ、うわあぁぁああ!?」

「慌てるな! 相手は一人だ、皆で掛かれば――――――」

 続く言葉は、鈍い打撃音と共に行き場を失い霧散する。
 
「遅い。言う間があれば掛かって来い」

 男が倒れる。
 彼が立っていた場所、その中空には、固く握られた愛紗の拳が浮いていた。
 
「畜生、調子に乗るなあああああ!」

 掛け声とともに、複数の男達が、彼女へ向けて突進する。
 彼らの攻撃的な姿を見て、愛紗は静かに言い放つ。

「仲間の背を斬った貴様等に、そう言われたくは無かったな」

 彼らが残らず地に伏すまで、そう時間はかからなかった。










「ふふ、不器用な奴だ」

 趙子龍は、不敵に笑う。
 村人を守る義務と、どんな理由であれ不義を許さぬ心。二つがせめぎ合った結果、黒髪の少女はその手段を選んだ。
 不殺を胸に怒りを装い、暴力によって処断するという、慈悲と無慈悲が混ざり合った、実に半端な方法を。
 人間らしいその考えに、彼女は素直に好感を抱いていた。
 同時に、轟音を上げて矛を振り回す、赤い髪の少女をも、彼女は見ていた。
 不器用なりに、武器を振るう。殺さないよう努力する。雑念など無く、ただ純粋に護るために力を使う、そんな少女の姿を、彼女は見ていた。
 そして。

 ――なるほど。並び立つなら、あのような者等が良い。

 彼女は、そう思い始めていた。

「死ねぇええぇえぇぇ!」

 言いつつ襲いかかってくる若い男に、彼女は呆れたような溜息をつく。
 彼女の愛槍、朱色の槍の穂先には、炭となった木片が突き刺さっていた。

「まったく。無駄だというのが分からんか? ――――ほれ」

 気の抜けた声とは裏腹に、瞬く間に槍が空を裂き、朱色の半円が描かれる。
 同時に、黒い炭が刃を離れ、一直線に男の顔へ飛んで行く。
 槍の速度に比例して、高速で飛ぶ黒い塊に、男は反応出来なかった。
 
「――っがぇ!?」

 間抜けな声を上げて、若い男は炭の直撃を受ける。
 炭自体の質量はそれほどでもないが、飛来した速度と当たった場所が悪かった。
 鼻の頭にまともに一撃をくらった男は、そのまま仰向けに倒れて気絶した。

「はぁ……脆いな」

 幸か不幸か、彼女の護る診療所は、他の二つの施設からは少し離れた場所にあった。
 故に、必死の覚悟で襲いかかる村人達の、鋭敏になった感覚には、血気迫る二人の武人の雄姿は一切割り込まなかった。
 結果残った唯一の、元の気迫を保った村人の一団。
 勢いを失わず襲い来る彼らを、趙子龍は涼しい顔で受け止めていた。

「もう一度言うぞ。お主らでは相手にならん、話にもならん。さっさと引け」

 つまらなさそうに、彼女は槍を回して弄ぶ。

「うるせえんだよ! ここまで来て誰が引くか!」

「俺たちゃ殺されたくねえんだよ、あんな化けもんに!」

 震える声で怒鳴り散らす村人達を、彼女は嘲るように嗤い飛ばす。

「気迫は認めるが、腰が引けているのはどうにかならんか? 正直見ていられんのだが」

「――っ!? て、テメぇ、舐めてんじゃねえ!」 

 その言葉が合図となったのか、一挙に五人が彼女へ躍りかかる。
 草刈り鎌に鍬、棍棒、脱穀槌。本来の用途にそぐわない、凶器と化した農具を手に持ち、彼らは真っ直ぐ、彼女に挑みかかる。
 彼女は、憐れんだような表情を浮かべ、片手に持った槍を地面に突き刺した。
 
「……だから、無駄だと言うに」

 呟いて、趙雲は右腕と共に槍を勢い良く撥ね上げる。
 同時に、迫り来る五人の目の前で、土と瓦礫が飛び散った。

「――うわっ!?」

「隙あり。一人目だ」   

 砂を避けるため、思わず目をそむけた一人の腹へ向けて、強烈な前蹴りが突き刺さる。
 蹴った足が地に着くと同時に、短い呻き声を上げて男が倒れた。
 瞬間に起きたその出来事に、倒れた男の隣にいた一人が反応した。

「――糞ッ!」

「二人。っと、三人目もか」

 汚く罵った男の頭に向けて、振り上げたままだった朱色の槍頭が勢い良く落下する。
 男がその衝撃に『ごぁ!?』と声を上げた直後、彼女は手首を捻って槍をに引き戻し、その勢いのままに石突きによる打撃を繰り出す。
 流れるような動きを見切ることが叶わず、顎にその突きを食らったのは、彼女の死角を取ったはずの小男だった。
 一瞬で伸された三人を目の当たりにし、残る二人は一瞬怯える。

「な――」

「お主、呆けてる場合か?」

 男に生じた隙を、彼女は見逃さない。
 右肩の上を狙って、突きを一閃。瞬間に伸びた槍の切っ先は空を切る。
 しかし、槍頭の鉤の部分が、男の衣服を掛かっていた。    
 そして、彼女は槍に左手を添え、手首を捻って槍の頭を回す。服が穂先に絡みついた。

「ぃよっ、とぉ!」

 そのまま趙雲は、腰を捻って両の手を振り、左へ向けて槍を真横に薙いだ。
 すると、鉤に吊られた大の男が、槍に引かれて横へ飛ぶ。

「――――ぅわぁ!?」

 その先には、彼女が槍を外したことを隙と見て、周囲も見ずに飛びかかろうとする、一人の男。
 槍に引っ張られて声を上げる男に、必死の形相で棍棒を振り上げる男は気が付かない。
 掛け声でも掛けて機会を合わせたかのように、彼らの影は丁度良く重なった。

 ――そして、衝突。
 
「「――――ぐぇぁっ!?」」

 男達の声が同時に上がり、重なり合って絡み合うように、二人の男が転がった。
 一人の男の衣服は破れ、その切れ端が朱色の槍に絡んでいた。
 それを見た趙雲は、くすりと嗤う。

「なんだ、お主ら男色の気でもあったか?」

 男達から返事は無かった。
 代わりに返ってきた呻き声に、趙雲は再び溜息を吐く。
 五人が彼女に襲いかかった、たったの十五秒後。槍に絡んだ布を引きちぎる彼女の周りには、男が五人、威勢を失い伸びていた。
 彼らを見下しながら、布きれを放った趙雲は呟く。

「……やはり、勢いだけだったか。骨の無い奴らだ」

 呆れた様な表情を浮かべる彼女は、残りの村人へと目を向けた。

「さて、今一度問うが……まだやるか? 今なら見逃してやっても良いが」

 降伏を勧めるその声に、村人達は一瞬だけ戸惑った。
 だが、一人の声が迷いを散らす。

「ふざけんじゃねえ! ここで引いたら俺達が死ぬんだ! 止めたきゃ殺して止めやがれ!」

 その声に、戸惑いを見せていた村人たちの目に、再び戦意が宿った。

「……そうか、残念だよ」

 呆れたように言った趙雲。しかし、発した言葉とは違い、彼女の心情にはそれほどの余裕は無かった。
 彼女の頭の中には、ある不安が渦巻いていた。 

 ――拙いな、放ってはおけんのだが。

 趙雲は恐らく、この村の中に居る人間の中で一番冷静であった。
 彼我の力量差を理解し、最低限の力で敵を制する。そう努めていた彼女は、自身の周辺で起こっていた出来事を、見渡す余裕があった。
 鈴々の驚異的な一撃も、愛紗の鬼神の様な気迫も、怯える村人達の姿も、彼女はその目で見ていたのだ。
 そして、もう一人。彼女がその行動を注目した人物がいた。
 村人に罵られても決して引くことの無かった、華奢な体の少女。
 武人二人が、争ってでも守ろうとした、彼女達だけの主君。
 趙雲自身も少女の器の広さに感心していた。人を安心させる雰囲気を持った、その少女。

 劉玄徳。
 
 あの純粋な眼を持った少女が、村の外へ駆け出して行くのを、趙雲はその目で見ていたのだった。

 彼女が何故、この場を放って走っていったのかは分からない。だが少なくとも、村人を見捨てるつもりではない筈。
 その点で言うのなら、趙雲は桃香を心配してはいなかった。
 問題なのは、その理由。あれだけ『村人を助ける』と言っていた桃香が、この状況を放って走り出す理由である。
 それは何か。
 考えるまでもない、と彼女は思う。
 そんなものは一つしかない。
 村人が襲われているという状況よりも重要なことなど、ただ一つだ。
 その考えに行きついたからこそ、趙雲は密かに焦りを感じていた。

 ――頼むから、無茶はしてくれるなよ、劉備殿。

 助けに行きたくても、行くことが出来ない。
 この状況を抜け出すことの出来ない趙雲は、彼女の無事を祈るより他無かった。










「――はぁっ、ぁ、っはぁ……っく」

 桃香は、並木の道を駆けていた。
 彼女がそれに気付いたのは、本当に偶然であった。
 鬨の声に飛び起きて、彼女が外に出た時に、遠くの森で、消えかけの青白い光が発せられていた。
 その光を、彼女は視界の端に捉えていた。ただ、そのことを冷静に考える余裕が、その時には欠落していた。
 そして、宿に戻った彼女は直ぐに、その音を聞いた。
 不自然なまでに大きく響いた、金属と金属のぶつかり合う音を。
 戦によって発せられるような物とはほど遠い、あまりの異音。それ故に、戦乱の騒音の中でも、妙に浮いてその音が聞こえたのだった。
 気になって、彼女は外の様子を見た。その音がした方向――丁度、青白い光が見えた方角と同じであった――を。
 そして、彼女はそれを、偶然に見てしまった。

 ――木々の高さを僅かに超える、翠色をした巨大な『何か』を。

 ――そして、その『何か』に相対する、白く大きな『何か』の影を。

 それを見た瞬間、彼女は無意識に駆けだしていた。
 宿を出て、村の外へと。その『何か』が戦っているはずの、その場所へと。 
 森の木々は、彼女の視界を前から後ろへ流れていく。
 風を切って走る彼女の額には、玉のような汗が浮いていた。

 ――早く、行かなきゃ。

 その衝動が間違ったものだと、桃香には思えなかった。
 あそこには、一連の出来事の結末がある。根拠は無くとも、桃香は事の終局を予想していた。
 だからこそ、桃香は走る。
 村人たちの苦しみを、彼らの痛みを、いち早く止めるために。
 そして、あの場に居る筈の、遭ったばかりの一人の男を、いち早く止めるために。
 男がいるであろうこと。それもまた、彼女が勝手に立てた予想。つまりは勘に過ぎなかった。
 しかし、桃香は自身の予想に、確信を持っていた。
 遠くで翠の異形と戦う、巨大な白い影から、感じたことのある『空気』が伝わってきていたから。
 独特の、周囲が自然と張り詰めてしまうような、凛とした空気。
 それは、彼女が彼と出会ったときに感じた、大きな『力』と同じものであった。

 ――五樹さん、あなたは一体……。

 何を考えているのか。
 彼と出会って未だ一日と少し。今の彼女が彼の心を理解することなど、天地が逆転してもあり得ない。
 しかし、それでも彼女は彼を知ろうとしていた。
 共に行くために。そして、彼から『王』を学ぶために。
 桃香は彼のもとへと、終局のもとへと、ただひたすらに駆けていた。

「はっ、はぁっ、ぅ――っ、はぁっ」

 未だ彼女の視界に映る、今は見合って動かない、二体の異形。
 離れて寄ってを二度ほど繰り返したそれらは、紛れもなく互いを傷付け合っていた。
 異形の戦闘。幾度かその重く鈍い音が、彼女の耳に届いていた。
 
 そして、彼女はそれを目の当たりにする。 

 翠の『何か』が跳躍し、木々の高さを軽々超えて、その全身を惜しげ無く晒す、その様を。
 巨大な頭に凶悪な顎、躍動する脚。そして、奇妙に羽ばたく一対の羽。その全てを、彼女は視界に捉えていた。
 それは、龍。

「――――な」

 足音が止む。
 あまりに非現実的な光景に、彼女の動きは止まってしまった。
 その間にも、翠の龍は白い『何か』に襲いかかろうとしていた。
 そして、中空に紫電が奔る。
 龍はその紫電に弾かれて、森の木々の中へと消えていく。
 大きなものが地を叩いたような、音と震えが彼女に伝わった。
 
「なに、あれ」

 そう言うより他は無い。彼女の眼に映った龍の姿は、あまりにも異常が過ぎた。
 月明かりを受けて不自然に輝く、翠色の甲殻。大きな牙と、異常に太い脚。大き過ぎる巨体、その跳躍。
 あり得ない。あんなものがこの世に存在すること自体が、まず間違いなく異常である。
 はっきりと姿を見せた異形の龍に、彼女の思考は奪われた。
 そうしてできた、長い時間の空白。
 それが、致命的となった。

 木々が僅かに揺れ始める。
 空気が徐々に、震えを帯びる。
 それは、龍の咆哮、その前触れ。
 異様な空気が周囲を包む。濃密な魔力の奔流は、異能を持たない彼女にも確かに、気味の悪さとして伝わっていた。
 
 何かが起こる。彼女にも、そのことだけは理解出来た。
 ただ。
 理解をしていたとしても、対処が出来るとは限らない。
 そう。その『歌』は、たかが人間の身では防ぎようが無いものであった。
 そして、その時は訪れる。
 一瞬の静寂。そして。



 ――耳を劈く、轟音が響いた。


 
 周囲の空間を歪めるように、その音は瞬時に森を浸食する。
 木々の葉が散る。空気が揺れる。彼女の肌が細かく震え、その衝撃を全身に伝える。
 彼女は声すら出せなかった。
 あまりにも大き過ぎる、文字通り『衝撃的』な轟音に、彼女の思考は吹き飛ばされた。
 
 その後。

 十分の一秒にも満たない時が流れた、その後。

 音を受けていた耳の奥に、違和感。

 そして。


 
「―――――――――――――――――――――――ぁ」 



 ――ぶつり、と。

 何かが切れる音。
 そして、細くて甲高い奇妙な異音が、彼女の耳の中を満たす。

 風の音。
 森の葉が擦れる音。
 二体の異形の戦いの音。
 空間を捻り潰すような轟音。
 彼女の耳に届いている筈の音は、その全てが消え去って。

 響くのは、途切れることのない、奇妙な異音だけとなった。















――――――――――





 僕は正しかった。

 父さんは正しかった。母さんは正しかった。

 僕の目の前に現れた龍が、その証明だ。あんなに誇り高くて、荘厳で、聖性溢れる神秘の龍が、悪の前に現れる筈が無い。

 龍を操っていたのは、奈々世さんだった。

 やっぱり僕は、そして父さんは、正しかった。父さんと同じ行動をして、僕は彼女を得たのだから。

 ということは、やっぱり村の人は悪い人間だと言うことだ。

 良く考えてみれば当然じゃないか。

 父さんはただ、人助けをしただけだ。母さんはただ、怪我人の治療をしただけだ。――ただ、その相手が山賊だっただけで、父さん達は何も悪いことなんてしていない。

 そのあと、何処かの賊が村を焼いたのも、父さんが助けた山賊とは無関係だったんだ。村を攻めた奴らは、あの山賊たちと違って、黄色い布を頭にしていた。

 誰が見たって父さんと母さんは悪くない。そんな当然のことなんて誰でも分かるのに、村の奴らはそうは思わなかった。

 ただ、短絡的に、父さんが賊を助けたせいで自分達が襲われた、なんて。そんな馬鹿な考えを振りかざして。

 何様のつもりだったのだろう。まるで、自分達だけが正しいと言わんばかりの口ぶりで、父さんや母さんを責め倒して、殴って、蹴って。

 挙句の果てに、家を無理矢理村の外れに移させて。本当に馬鹿だ。あいつらは何にも物事を見ていなかった。分かりやすい、都合のいい答えだけにしがみついて。

 しかも、その逆恨みをずっと根に持ち続けて、ことあるごとに父さんや母さんを責めて、殴って。

 村の広場にいても平気で汚らしい罵倒を投げかけて。砂を投げつけたり、人前で頭を下げさせたり。挙句土下座した頭を蹴ったりして。

 遂には、父さんと母さんを、殺した。

 殴って、蹴って、張り倒して、苦痛を与え続けて、父さんと母さんを殺した。

 許せない。

 父さんは言っていた。『僕は間違ったことをした』と。

 ――違う。それだけは絶対に違うんだ。

 父さんも、責められてる内にあいつらに感化されてしまったんだ。

 本当は、何にも間違ってなどいなかったのに。あいつらは、正しかった父さんの考えを歪めた。自分勝手な都合と恨みだけで。

 許せない。絶対に。

 罰を与えるんだ、僕は。そのために、奈々世さんは僕の目の前に現れたんだ。父さん達の正しさを証明するために。

 奈々世さんは、僕に協力してくれるはずだ。いや、協力しなければならない。

 彼女の立場を、龍の巫女とでも言うべき彼女の役どころを考えれば、そんなものは当然だ。

 彼女は龍の巫女として、村の奴らに裁きを与えなければならない。そのために彼女は、真実を知るべきだ。

 村の奴らの狡猾さと傲慢さを。そして、僕だけが正しいという真実を。

 全てを奈々世さんに教えなければ。そして共に、あの村人共に裁きを与えなければ。

 早急に。確実に。

 あいつらを苦しめて苦しめて、苦しみ抜かせて、裁いてやる。

 それだけが、あいつらが天に許されるために必要な、贖罪なのだから。



 

――――――――――





























※以下あとがき
 八話は恋姫勢メイン。一人ひとりの戦いを平等に書いたつもりが、気付けば分量は星よりに。無意識に贔屓しちゃってました。
 描写は少しチート気味です。特に鈴々はやりすぎたかもしれません。主に瓦礫の飛び具合が。
 李白の過去は結構ベタなのを持ってきました。少しでも奈々世さんが彼に協力した理由に、信憑性を持たせたかったので。
 アバターバトルはほぼお休みです。何回も予定がくるって申し訳ないです。進展は次回へ持ち越します。
 戦闘描写のここがおかしい、不自然だ、等々意見がありましたら、是非に感想をお願い致します。

 とりあえず、次回で戦闘は終局を迎える、はず。これは守りたい。
 そして、一応の区切りが近くなってきました。尻すぼみにならないように、出来るだけ気を付けて頑張ります。
 それでは、お目汚し失礼いたしました。


 追記

 冒頭改訂。前話と微妙に話がかみ合ってませんでした。 


 



[22485] 九話
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/11/29 00:35





 フッフールの『エンデの歌』。

 背に生えた羽を使って周囲の空気を高速で振動させ、分子構造にすら影響を与える波動を発生させる、翠竜の切り札、EX。
 その能力は、空気の振動、つまり音波を発生させることだけがその本質ではない。
 振動によって起こる副次的な効果こそが、その『歌』の脅威。それは、単なる『音』という域を遥かに逸脱していた。
 『歌』による振動は、その莫大なエネルギーによって分子の結合を解き、構造を崩壊させる事が出来る。或いは、空気中の分子自体を高速で振動させて、膨大な熱量を生成する事が出来る。
 つまり、竜の『歌』は、物質を容易に破壊できるほどのエネルギーを持ち得る、ということになる。
 その『歌』は、『音』という概念には決して収まらない、圧倒的な力。
 彼女がこの『歌』を使用する時には、出力を制限・周波数を調整することによって、人間の三半規管のみにダメージを与える程度にまで、威力と殺傷力を落として使用していた。
 相手を、殺してしまわないために。アバターを破壊することなく、相手を戦闘不能に陥らせるために。
 しかし、今の彼女には、他人の死を厭って出力を緻密にコントロールする余裕など残っていなかった。

 その状況で、彼女のとった方策。
 それは、竜の『歌』を、純粋に『音』のみに特化させること。
 つまり、鼓膜に直接ダメージを与えるほどの轟音を発すること、であった。

 これならば、発動にさほど魔力を要せず、緻密な操作も必要ない。ただ、無秩序に大きな音を発生させればいいだけなのだから。
 殺してしまう心配もない。ただの『音』には、殺害能力など存在しないのだから。
 威力不足は否めない。これではおよそ、王を倒すことなどできはしない。
 だが、それで構わなかった。
 元々彼女は、こんな手で彼を倒せるとは思っていなかったのだ。

「やはり、効きませんか」

 奈々世は呟いた。
 彼女が五樹の耳を潰す気で放った『エンデの歌』は、白き王の力によって完全に防がれてしまっていた。
 それを確認したのち、奈々世は『歌』の出力を下げる。この方法では王の防御は破れないと、彼女は瞬間に悟っていた。
 エル=アライラーの周囲には、断続的に雷光が光っている。それは、白銀の王の力が放たれている証。
 奈々世は未だ、王の力の正体を掴めてはいない。しかし彼女は、彼の行動に一つの推測と、勝機を見出した。

 ――あの『壁』、相当強い。

 エル=アライラーの展開する、防御壁。彼女はこの『壁』の特性を、放った『歌』によってある程度把握することに成功していた。
 まず、強度。大質量のアバターの突撃を受け、ほんの少しも揺らがない絶対的な防御力。加えて『空気の振動』をも防ぎ切る機密性。
 そして、防御可能範囲。五樹は、未だに苦しそうな表情を浮かべてはいる。しかし、純粋な音響兵器と化した『歌』の直撃を受けたにしては、その表情に変化は見られない。つまり、竜の『歌』は彼の下には届かなかったと考えるのが妥当である。
 あの『壁』が、文字通り壁としての役割しか果たさない、一方向からの攻撃にしか反応できないものであるならば、振動の波は壁の背後に回り込み、五樹の耳に届くはず。
 が、そうはならなかった。ということは、あの『壁』は、白い巨体と五樹の体を丸々と包み込むように展開している、ということになる。前後左右、あらゆる方向からの攻撃を、あの『壁』は防ぐ事が出来るのだ。
 あの『壁』が持つ二つの特性を基に、彼女が出した一つの推測。それは、フッフールではどうあがこうともエル=アライラーの防御を抜くことが出来ない、という無情な予測だった。
 
 ――強力すぎる。でも……いいえ、だからこそ。

 そう。奈々世は決してあきらめてはいない。
 強力過ぎる防御壁だからこそ、彼女はそこに隙を見た。

 ――あんなもの、長続きするわけがない!

 魔力切れ。
 奈々世は、自身に残された確かな勝機を見逃さなかった。
 あのままエル=アライラーに防御壁を張らせ続けることが出来れば、いずれは自滅するであろう。
 それを狙って『歌』を発動させ続ければ、もしかしたら。
 奈々世はそう考えていた。
 幸運なことに、『エンデの歌』は威力を抑えてもある程度は人体へのダメージを期待でき、消費魔力を抑えた状態でも相手に対する脅威になり得る技であった。加えて、低威力のまま『歌』を使い続ければ、しばらくは魔力切れの心配は無い。
 五樹が『エンデの歌』の効力を知っていることも、彼女にとっては僥倖であった。『エンデの歌』の特徴は、空気の振動による攻撃であるために見た目では威力を測れないところ、そして、消費魔力量に応じた威力の振れ幅が大きいところにある。
 力が見えない。軌道が見えない。規模が見えない。ならば、実際に攻撃を受けなければ、威力の程はわからない。
 その不可視の攻撃が、一体何を意味するか。
 この状況下に於いて五樹は、『エンデの歌』が発動している間、『もしかしたら自分の意識を奪うほどの轟音が響いているかもしれない』という懸念を頭に置いて戦わなければならないのだ。
 つまり彼は、今の状態では下手に防御を解くことが出来ない。
 実際には、頭に苦痛を感じる程度の威力しかない攻撃に対しても、彼のアバターは全力の防御を強いられる。エル=アライラーは、自らの主を守るため、剣を納めて足を止め、竜の咆哮に対して楯を構えなければならない。
 もしかしたら。ひょっとしたら。僅かな可能性であったとしても、それが自身の死に直結するのなら、彼は防御を解けない、解かないはず。
 合理的な思考を持つ五樹を知っていたからこそ。
 そして、エル=アライラーが強力なアバターであると、改めて理解したからこそ。
 奈々世は、自らが打った手が好手であったことを確信した。

 ――さあ、どう出ますか、カエサル。

 出力を落とした『歌』を周囲に響かせながら、翠竜は眼光を光らせる。
 その目は、苦しみながらも強い眼差しを奈々世に向ける五樹と、力が尽きかけているにもかかわらず、その威風が一向に萎えることのない、巨大な王の姿が映っていた。
 見た目には、力強く見える。
 しかし、彼の全盛を知る奈々世には、彼が窮地に陥っているということがありありと見て取れていた。
 ともすれば慢心とも解釈できる、我斎五樹の底無しの余裕。奈々世の眼に映る彼の姿には、その余裕が一切見えなかったのだ。

 ――勝てる。これなら。

 奈々世がそう思った、その矢先。



 ――エル=アライラーは、突如動き出した。


 
 ゆっくりと。しかし着実に。姿勢を落として羽根を振動させている翠竜へと。
 自らが動くことで、防壁を引き連れて行ってしまうことにすら、構わずに。
 奈々世の表情に、驚きが浮かぶ。

 ――……なん、で……。

 自殺行為。一瞬彼女はそう思った。あのまま動いていけば、いずれ五樹が防壁の範囲外に出てしまう。そうなれば、『エンデの歌』を防ぎようが無くなる。
 何故、この状況で動くのか。彼女にはそれが分からなかった。白き王の不可解な行動に、彼女は目を奪われた。
 だから、彼のその行動に気付くのが、一瞬遅れてしまった。
 


 五樹は、翠の龍へ向けて、走り出していた。

 

「――なぁっ!?」

 人の意によって動く人外の怪物。ともすれば虐殺の道具にすらなり得る凶器。アバターとは、それを知る人間からは常に恐れられている存在。
 そして、アバターの前では、塵同然の存在でしかない人間という生き物。
 弱者と強者がはっきりしている二者間の関係を知って尚、生身でアバターと対峙しようと考える馬鹿は居ない。
 故に、そんな絶対強者の前に躍り出て、わざわざ自分の身を危険に晒すなどと言う行為は、絶対にあり得ない。
 その、『コミュネット』内では常識であった考えが、奈々世の思考からその可能性を排除していた。

 自分がアバターの移動の妨げになるのなら、自分自身から動くしかない。

 当たり前のことである。それに、危険を晒す云々も、己がアバターの防御が絶対であるということを彼自身が承知しているのなら、その前提に意味はない。
 王の楯は、破れない。ならば、その中にいる以上は、どのようなことをしたとしても、自身は安全である。
 故に、動くことが出来る。アバターという脅威を前にしても。
 
 ――なんで、気が付かなかったの!

 竜の『歌』が響く中、アバターを盾にして、生身の人間が自身に接近する。彼女がその脅威を味わうのは、これが二度目であった。
 一度目は、高倉市にて。相手は、黒き龍の随伴者。異形を前に一切怯まず、己が足で彼女に肉薄し、刃を突き付け嗤った『魔女』。
 確かに奈々世にはその経験があった。しかし、その『魔女』の行動があまりにも異常であったが故に、その出来事を一度限りの特異なこととしてしか認識していなかった。
 故に彼女は、その経験を生かすことが出来なかった。過去にあった出来事から、正しく学ぶことが出来なかった。
 だから、彼女は見抜けなかった。 

 翠竜が羽を広げて高らかに謳う、その直ぐ近くまで、我斎五樹/白き王が肉薄する。
 王の防壁が、竜の頭の直ぐ前に迫った。
 
 そして、防壁に稲光が奔る。

 周囲に激しい落雷音が響き渡り、竜はその衝撃にたたらを踏んだ。
 一歩、二歩と、怯んだ龍は背後に後退する。『エンデの歌』は、衝撃によって静かに停止していた。
 結果、竜に大きな隙が生じる。

 ――くっ、立て直さないと!

 思った直後、彼女の耳に彼の声が届く。王の防御は、既に解かれていた。

「まだだ!」

 白き王は、突き出した竜の頭へ向けて、剣の切っ先を奔らせる。
 動きは未だ緩慢ながら、上手く体重を乗せた突きの一撃。まともに当たれば行動不能は必至。
 奈々世はとっさに反応し、竜の頭を僅かに逸らす。が、避けきれない。
 竜の眼に迫る刃。切っ先の軌道は一直線。片眼が刃に覆われる。
 そして、金属の打ち擦れる壊音。砕け散る甲殻。嘶く竜。右目を砕き、翠を貫いた白の刃。

「くぅッ!?」

 竜から伝わる視界が狭まる。しかし奈々世はそれに構うことなく、竜の動きを制御する。
 剣を受けた反動でよろめいた竜は、体勢が崩れかけていることに構わず、その口を大きく開く。
 一方王は、突き出した剣を引き戻す挙動の最中。体重をかけた必殺の一撃の代償は、致命的な隙であった。 
 既に互いが肉薄した状態で、竜の顎が王に迫る。王は迫る牙を避けられない。防御の壁も間にあわない。
 
 ――獲った!

 奈々世が確信する。不意を突かれたものの、突如の攻防を制したのは翠緑の竜。
 で、あるかに見えた。
 竜の顎が、王の鎧に喰い付く直前で止まる。
 大きく開いた竜の口。その中に、王の左腕が突き刺さっていた。
 口腔内から喉を押さえられ、勢いを失った竜はそれでも一矢を報いようと顎を閉じる。
 王はそれを防ぐそぶりは見せない。代わりに、身体に紫電を纏わせ始める。

 竜の牙が甲殻を砕き、左腕を喰いちぎった直後。
 王は再び雷光を放つ。耳を刺す激音が辺りに響く。
 互いの攻撃の反動で、両者は再び距離が離れた。
 そして。
 
「――これ、は」

 その攻防の結果、彼女らはあり得ない位置に居た。
 奈々世と五樹の立つ場所。そこは、互いのアバターが睨み合う、まさにその中間点。
 アバター同士に挟まれた、危険極まりない場所に、彼と彼女は立っていた。
 睨み合う最中、五樹は嗤い、奈々世は焦燥する。

 ――『エンデの歌』が、封じられた……!

 幾ら振動を操作して指向性を制御できても、目標の直線状にあるものを範囲の外に避けることはできない。
 この位置取りで『歌』を使えば、奈々世自身もそのダメージを負ってしまう。これでは容易に『歌』を放てない。
 威力を落とせば使えないことは無い。だが、この状況では、威力を削いだ『歌』に意味などない。
 相手は、奈々世の肉体を直接狙える位置に居るのだ。敵の魔力切れなどもはや望めない。状況を打破するには、もっと決定的な手段を用いるしかない。

 ――どうすれば……!

 彼女が考えを巡らせた、一瞬。
 その間に、白き王は既に、奈々世の所へと近づき始めていた。
 それと同時に、王の持つ剣が、雷光を纏って輝き出す。剣に通う高密度の魔力の奔流が、唸るような音となって周囲に響き始めた。
 王の力、その本当の恐怖。彼はそれを、最後に解き放とうとしていた。
 自身に満ちた表情を浮かべる五樹を目の前に、奈々世は、戦いの終わりを確信する。
 そして。

「終わりだ、奈々世」

 五樹の声が聞こえた瞬間、彼女は覚悟した。
 死を。
 ではなく、最後まで彼に抗うことを。
 その選択を、彼女は迷わなかった。



 翠竜が、羽を広げる。



「――何だと」

 竜の行動に、五樹は目を見開いた。
 彼の表情の変化に、奈々世は嗤う。

「終わりませんよ。私はもう、負けられないんです」

 竜の羽に、膨大な魔力が通う。残った力の全てを注ぎ、竜の羽は薄く輝き出す。
 一撃で良い。諸共果てても構わない。彼女は元より、王に勝てるとは思っていなかった。
 彼女はただ、抗わなければならなかった。
 自身の正しさを、信じていたから。
 そして、自身の間違いに、気付いていたから。

「――私は、止まってはいけないんです!」

「――死ぬ気か、奈々世ぇッ!!」

 白き王は防御壁を張らず、輝く剣を振り上げた。そしてそのまま、主の元へと突き進む。 
 彼が防御を捨てたことから、王もまた魔力が尽きかけているのだということを、奈々世は直ぐに悟った。
 エル=アライラーは、五樹の前で動きを止める。その場は、奈々世の目前でもあった。
 彼女の視界を塞ぐ様に立つのは、剣を振りかざした、堂々たる王の姿。このままでは、彼女は抵抗できずに両断されてしまう。
 しかし、剣が振り下ろされるよりも早く、『エンデの歌』は放たれようとしていた。
 竜の『歌』が、全てを無に帰すのが先か。
 王の剣が、彼女を消滅させるのが先か。
 互いの力、その残りの全てを掛けた、最後の一撃。 
 それが、今まさに放たれようとした、その時。



「やめてえええええええぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――――――――!!」



 少女の絶叫が、二人の耳を突き刺した。





 止まったのは、奈々世。

 ――何、で。

 少女の姿を視界に入れ、彼女は焦り、うろたえた。
 
 ――あのままじゃ、『歌』が。

 エル=アライラーの姿、その背後。視界の端の僅かな隙間に映った、少女。

 ――殺したくない。これ以上は、もう。

 瞬間に、彼女は思ってしまった。

 ――そうまでして、私は……。

 気付けば、竜の羽に集った力は、音も無く霧散していた。





 ――この声、劉備!?

 五樹もまた、背後からの叫び声に驚愕の表情を浮かべていた。
 そのせいで、彼はアバターの操作を誤り、王の手首に余計な力が加わった。剣の切っ先が大きくぶれる。

 ――く、逸れたか!?

 しかし、勢いの付いてしまった剣は、もう止めようにも叶わない。 
 狂った剣筋は、奈々世の立つ場所を大きく逸れた。
 が、不安定な剣の軌道、その直線状には、翠の竜が羽を広げて構えていた。

 ――このまま、斬る。

 剣が纏う雷の光が、一層の強さを持ち始める。通う魔力を緩めることなく、彼は力を解き放とうとしていた。
 予想外のことに乱されつつも、彼の剣は斬るべき物を過たなかった。



「――――フリスの断罪!」



 その瞬間、宵闇は白い世界と化した。
 耳を劈く、稲光の如き轟音。
 無秩序に周囲に迸る、激しい白色の閃光。周囲を白く染め上げたのは、直線に奔る光の帯。
 それは、あらゆるものを全て絶ち切る、防御不能の空間断絶。
 余波である雷光と共に、王の断罪は瞬時に駆け抜ける。
 翠の竜は、その閃光に、動くことすらできなかった。

 



 光が止み、奈々世は眼を開ける。

 ――死んで、ない?

 彼女の体は無事であった。予感した死は、彼女の喉元を掻き切る前に消え去っていた。
 その事実に安堵を浮かべる前に、脳に伝わってきた翠竜の状態。
 魔力の尽きかけた自らの分身を、彼女は直ぐに振り返った。

「――――フッフール!?」 

 そこには、地に伏して呻く竜の姿。
 竜は、半身が消えていた。
 左肩と、右脚の付け根。二つを結んだ線より下が、綺麗に消え去っていた。
 断面付近には、一切の欠けが無い。まるで、初めからそこには何も無かったのかと思えるほどに、竜の下半身は消滅していた。
 王の力。フリスの断罪。
 奈々世は、魔力を失って消えていく竜を見つめながら、その威力に身震いした。
 あれを、自分が食らっていたかもしれない。
 そう思うと、奈々世は薄ら寒さを感じていた。
 そして。

「ふん、仕留め損ねたか」

 彼女の背後で、低い声が響いた。

「――!? カエサ、」

 奈々世が振り返った瞬間、彼女の首に、五樹の両手がと伸びた。
 そして五樹は、握力に任せて奈々世の首を締めあげた。

「ぐぅっ!? っ、ぁ……っか、ぇ……」

 奈々世は、眼を見開いて苦痛に悶えた。彼女の視界が、徐々に霞んでいく。
 苦しみの嗚咽が、彼女の喉奥から漏れ出る。口腔は幾度も開閉を繰り返し、必死に空気を掻き集めていた。
 その光景を、五樹は冷静なまなざしで見つめている。

「言った筈だ。お前にはもう、生きる価値などありはしない」

「……ぅ、ぇ……ぁ、っぐ、ぉ…………っ」

 苦悶する奈々世を見つつ、つまらなさげに、五樹は呟く。

「苦しませず、一思いに消してやろうと思っていたのだが。生憎と、エル=アライラーは魔力切れでな」

 その言葉には、一片の情も籠ってはいなかった。

「あの高遠奈々世が、ここまで腑抜けた人間になり下がるとは。お前を慕って死んでいった仲間とやらは、今何を思っているのだろうな」

 ――そんなこと、あなたには関係ない。

「お前は、弱くなり過ぎた。円卓卿のパーシヴァルは、少なくとも、全てを守ろうとする決意があった。それは、お前が先程『弱さ』と言ったものだ」

 ――弱さは弱さだ。私が何もかもを失ったのは、私の考えが甘かったから。それは、只の弱さ。決意なんかじゃない。

「コミュネットに恐怖を抱き、震えていた接続者達の多くが、お前の姿を見たはずだ。平和を願って仲間を助ける、決意に満ちたお前の姿を」

 ――たった一人でも多く、救いたかった。ただ、争いごとを起こしたくなかった。馬鹿みたいに、それしか考えずに、私は進んでいただけ。

「そして、怯えていた接続者達が、お前を慕って集まることで、『パーシヴァル』は形成された。お前の言う『弱さ』が、円卓卿の一人としてのお前を生んだ」

 ――私を慕って。或いは、私を利用しようとして。私の周りには、いつの間にか多くの人が、多くの仲間が、いたのだった。

「それを否定して、残るのは何だ? 大切な人間。仲間。お前が言った『失ったもの』とやらは、『弱さ』が無ければ手に入らなかったのではないのか?」

 ――違わない。そんなこと、分かっていた。初めて無抵抗の人々を殺した、あの日から。

「そんなことすらも分からずに、お前は過去を否定した。故に、お前にはもう、何も残されてはいない」

 ――私は、弱かった。間違いに気付いても、戻れなかった。一度捨ててしまった『弱さ』を、私は拾えなかった。

「戻る機会なら、一月あればいくらでもあったはずだ」

 ――ただの人殺しには、その『弱さ』は、あまりに遠過ぎたから。

「なのに、お前は戻らなかった」

 ――間違いが怖かったから、進むしかなかった。殺されかけても、抗うしかなかった。

「自ら堕ちることを選んだ。だから」

 ――でも、私は罪を犯した。だから。



「お前はもう、ここで死んだ方がいい」

 ――私はもう、ここで死んだ方がいい。



 彼女の視界が、白い靄に満ちた。意識が薄れ、消えていく。
 しかし。
 
「――止めてください! 五樹さん!!」

「っく!?」

 少女の声が、奈々世を死の淵から引き戻した。

「っがはっ!? っく、はぁっ、……っはぁ」

 拘束が無くなり、奈々世は苦痛の余韻と解放の安堵を噛み締める。開いた口から流れ来る酸素を、貪るように肺が掻き集めていた。
 五樹は、誰かに羽交い絞めにされていた。
 抱きとめている腕を振り払い、五樹はその方向へと振り返った。

「何をする、劉備!?」

 怒りを込めて言った五樹に、少女は全く怯まなかった。

「殺すことなんて、ないじゃないですか!」

 そして、少女――劉備の、全てを絞り出すかのような叫び声が、響き渡る。

「村の人同士で争ってたんですよ!? 元々仲間だった人同士が! なら、やり直せるかもしれないじゃないですか!」

 甘い考え。奈々世はそう思った。それは、かつての自分に通じるもの。
 その言葉に、五樹は不快そうな声色で反応した。

「……何だと?」

「私は、止めるって言ったんです! 殺すなんて言ってない! こんな、こんな悲しいこと、誰かを殺したって何も変わらない!」

 劉備は叫ぶ。自らの心と思いをさらけ出して。
 瞳に涙を湛えながら、少女は自らの義に従って、五樹を諭そうとしていた。

「ここで巫女さんを殺しても、何にもならないじゃないですか! 起こったことは変わらない! 村の人の傷付いた心に、仲間を殺してしまった罪をかぶせてしまうだけです!」

「竜の巫女は、多数を殺した。それをお前は、許すと言うのか」

「生き残らないと、意味がないんです! みんなが生きていないと、過去は振り返れない! やり直せないんです! だから、だからぁ……」

 間髪をいれずに、劉備が返す。奈々世はそこに、違和感を覚えた。
 少女の言葉は、五樹の言葉の反論にはなっていなかった。

 ――この子……まさか、耳が。

 フッフールが『エンデの歌』を放ったのは、つい先程のこと。ならば少女は、『歌』の有効圏内に入っていたに違いない。
 傷付いて、何も聞こえない状態で、少女はここに立っている。奈々世はそのことにいち早く気がつき、そして驚愕していた。

 ――何で、ここまで……。

 耳が潰れて、アバターの脅威をその目で見ていて、それで尚、五樹に対してここまでの態度を取れる彼女の強さに、奈々世は驚きを隠せなかった。
 そして、劉備の異常に気が付いていない五樹は、彼女を怒りの形相で睨みつけていた。

「いい加減にしろ、劉備」

 五樹は、彼女への明らかな不快感を顔で示し、低い声で冷淡に言う。
 それが少女に届いていないとは、露も思わずに。
 そして。

「もう喚くな。これ以上続けるのなら――」

 お前から殺す。そう言おうとして。



「殺しちゃったら……死んじゃったら、もう! 何もかも、終わってしまうんです!」

 

「――――――――!?」

 五樹は突然、口を噤んだ。
 そして、何かに気付いたような顔をして、彼は劉備の方を見つめていた。
 奈々世には、五樹が押し黙った理由が分からなかった。
 呆然となった五樹に気が付いていないのか、劉備は更にまくしたてる。

「恨んで、恨まれて、殺して、殺されて! そんなのは、私達だけが、戦おうとしてる人だけがやればいい! 村の人達まで、乱世に染まってほしくないんです!」

 もう、遅い。彼らは既に、乱世に染まっている。李白の両親を追いやり殺した、その時から。
 奈々世はそれを理解していた。故に、彼女の言っていることに意味を感じなかった。ただの綺麗事。奈々世の耳には、そうとしか聞こえなかった。
 そして同時に、奈々世は気付く。

 ――だから、私は。

 間違えたのだと。本当のことを、知ろうとしなかったから。影で蠢く物に、触れようとしなかったから。
 戦いの予兆を、高倉市の影を、暗躍する人々を。調べて、知って、触れていれば。全てを理解していれば。彼らを理解して、その上で止めることが出来たのかもしれない。

「私は! 村の人達を、本当に救いたい! あの人達に、傷付いてほしくない!」

 救おうとしかしなかった。救う立場でしか、物事を考えていなかった。そのことが、失敗の要因だったのかもしれない。
 奈々世は、劉備を見て、そのことに気が付いた。
 そして、思う。

 ――この子には、間違えてほしくない。

 過去の自分と、重ね合わせて。自分と同じ道を、辿っては欲しくない。
 涙を流す劉備を見て、心から奈々世は、そう思った。
 もっと、世の中のことを知ってほしい。今のままでは、いずれ自分の様な人間になるかもしれない。
 そうなる前に、学んでほしい。そうすれば、自分が出来なかったことも、彼女にならば出来るかもしれない。
 一人そう思う奈々世は、劉備に対して奇妙な情愛が生まれつつあることに、気がついた。

「だから、私は! ここで誰も死なせるわけにはいかないんです!」

 劉備は叫び、腰間に佩いた豪奢な剣を抜く。
 ふらつきながら、華奢な体に似合わない剣を、少女は真っ直ぐに構える。

「もう、誰も、何も傷付けさせない……!」

 決意を秘めた彼女の瞳は、涙に濡れながらも強く輝いていた。
 劉備の姿に、五樹と奈々世は沈黙する。
 
 ――この少女は、止められない。

 五樹も、奈々世も。そのことにようやく気がついたのだった。
 そして、少女の決意を彼らが受け止め、言葉を返そうとした、その時。
 


 その声が、彼らの耳を突き抜ける。



「ぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!」



 気が触れた狂人の叫び声に、奈々世と五樹は直ぐに反応した。地を駆ける足音も、同時に響いている。
 奈々世は、その声が何処から響いているのかが分からず、ただ周囲を見回すことしか出来なかった。
 一方、五樹の動きは早かった。
 彼は劉備の腕を掴み、自らの方へと引き寄せる。引かれた劉備は、訳も分からず呆然としていた。
 身体を反らして、五樹は自らがいた場所へと劉備を引いていく。そして、彼自身は劉備のいた場所へと。
 そして、二人の位置が入れ替わった直後。



「――――――――ぐぅッ!?」



 五樹の短い叫び声が上がる。
 彼の顔には、一瞬にして苦悶の表情が浮かび上がっていた。

「……い、つき、さん?」

 唖然として、劉備が呟く。
 五樹は、その声に応えることなく。

「が、っは………」



 ゆっくりと、うつ伏せに、五樹は地へと倒れ伏す。
 その背には、短刀が突き立てられていた。



「……ふ、ふふ、ふふふふふふ」

 狂人は、嗤う。
 その姿を見た奈々世は、呟いた。

「………李、白」

「ふふはははははは、ひゃっはははははははは! ぼくの武器は、誰にも壊させない、壊させないんだよ、壊させないっていってるんだよ!」

 笑いながら狂乱する李白の瞳には、奈々世の顔が映っていた。
 そして、彼は叫ぶ。

「分かったんだよ! 奈々世さんは、巫女じゃなくてぼくの武器だ! だから龍はぼくの武器だ! だから誰も触れちゃいけないんだよぉぉぉぉぉ!」

 そして、彼は劉備を視界に映す。顔を歪めて徐々に近づき、暗い目で彼女の瞳を見つめる。

「おまえも、奈々世さんにさわるな」

 力の籠っていない空虚な声でそう言うと、李白は懐から、もう一本の短刀を取り出した。 

「い、嫌、やめて、こないで――――」

 少女は怯え、咄嗟に剣を前へと突き出す。
 しかし李白は、それに怯えることなく彼女の前へと躍り出た。正気を失った彼の眼には、彼女の構える剣など映ってはいない。
 そして、当然のように、それは起こった。

「だれも、触るなあああァぁぁあぁぁあ!?」



 ざくり。
 短く小さな音が鳴った。



「――――――――――――え?」

 劉備が短く、声を出す。
 音が、消えた。
 時間が、止まった。
 風が、止んだ。
 目の前の光景に、彼女の感覚は、一瞬で消え去った。

「…………ぅ?」



 剣が、深々と。首を傾げた李白の胸に、突き刺さっていた。



 ばたり、と。
 李白は、仰向けに倒れる。



「…………あ、ぇ」



 あまりに呆気なく、李白は命を失った。
 その散り際は、冗談のように、軽いものであった。
 そして、李白の胸に突き刺さった剣を見て、劉備は。



「嘘……うそ、こんな、こんなこと……」

 呆然となり、李白の亡骸の傍に、劉備は座り込んだ。
 眼には、涙。しかし、先程の涙とは、訳が違っていた。

「こんな、私、わたし……殺す気なんて……いや、いやだよ……」

 彼の死体の隣には、血を流して倒れている、五樹の姿。その姿を見て、劉備は更に取り乱す。

「私、そんなつもりは、ご、ごめんなさい……こんなつもりじゃ、こんなはずじゃ……」

 倒れている二人の男を目の前に、劉備は正気を失っていた。
 守れなかった。守ろうとした人を。二人とも。
 あれだけの決意をして、守ると誓って。それでも、思いは叶わなかった。
 彼女の決意は無情にも、自らの行動と剣によって、斬り裂かれたのだった。



「いや、いやああああああああああああぁぁああああああああああぁぁぁああああぁぁああああ!!」



 涙を流す少女の、あまりに悲痛な叫び声が、夜の森へと響き渡った。




















 


 以下あとがき

 九話です。地味に難産でした。ペースはなんとか守れた……かな? そして、戦いが一段落しました。
 アバターバトルは、桃香の乱入でギリギリ五樹の勝利。その他もろもろ色々起こって、最終的に色々こじれました。
 複線の回収超むずい、と、書いていて切に思いました。あと、エンデの歌の効果ややこしい。出すんじゃなかった、と本気で思いました。
 今回もあまり自信が無いので、不自然なところがあれば、是非ご指摘ください。お願いします。
 
 次回は、一応この一連の話の締めになると思います。
 まだ桃園にすら行っていない状況で十話も引っ張るとかいう訳のわからない話になってますが、出来ればお付き合いいただけたらなと思います。
 それでは、お目汚し失礼いたしました。






[22485] 十話 其の一
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/12/29 17:36










 五樹が、目を覚ました。
 彼の視界に入ったのは、薄暗い色の、汚れた天井。
 体に伝わる、衣服以外の布の感触と、背中に近い腰の部分に残る、強い違和感。
 体を覆っているのは薄い布団。天井との距離が妙に近く、少しばかり、視点が高い。
 彼は、自身が寝台の上に寝ている、ということに気が付いた。

「……ここ、は」

 五樹は寝そべったまま、首を左右に動かして、部屋の様子を窺う。
 彼が寝ているのは、木製の簡素な寝台。彼が体を動かす度に、ぎしぎしと寝台の脚が軋む音がする。
 左側には、古ぼけた小さな机と円椅子。壁には空いたままの窓。外に覗いているのは、緑の葉を茂らせた高い木と、月と星の淡い輝き。
 右側には、扉。戸板の端が腐り落ち、僅かに淡い光が漏れている。光の色は、炎の橙。誰かが扉の向こうにいることが、見て取れた。
 木と土でできた部屋の雰囲気は、この場に住む人間の貧しさを漂わせている。村にあった村長の家と見た目は似ているが、所々手入れが行き届いておらず、部屋はあまり清潔とはいえなかった。
 五樹は、寝台から上半身をゆっくりと起こす。

「……っく」

 鈍い痛みが、五樹の腰の辺りに走った。じわり、と何かが布に染みていく感触。
 その痛みと違和感に、五樹はようやく自身が手当てされていることに気が付いた。
 着ている衣服――白い制服ではなく、麻で出来た簡素な服――をまくりあげ、彼は、腹に巻かれている包帯を見た。
 正面から包帯を見ても、血の跡などは見当たらなかい。しかし、彼は自身の背中、腰の当たりに、僅かではあるが湿り気を感じていた。そして、同時に患部には、高温の物を押し当てられているような、酷い痛み。
 刺された個所は、未だ完治していないようだった。
 顔を歪ませながらも、五樹は動きを止めず、起きたまま体の向きを変えて、寝台に腰掛けるような体勢を取った。

「何処だ、ここは」

 少なくとも、彼はこの部屋を見たことが無かった。焼け残りの家々とは、また違う印象を持つこの部屋を。
 村の家とは違う。あの家々よりも薄汚れていて、暗く、何処からか湿気を吐きだしているかのような、陰気な部屋。
 今の状況で家々に活気がないのは当然ではあるが、この部屋は特別活力がない。
 誰の目からも忘れ去られて、生活の跡ごと朽ち果てている途中、と言っても言い過ぎではない。それほどに、この部屋は薄汚く、手入れが行き届いていなかった。
 五樹は、床に付いた足に力を入れ、寝台の脇から立とうと試みる。
 
「……ぐ、っ」

 しかし、力を入れた瞬間に滲んだ鈍い痛みによって、その意思は直ぐさまに折れた。
 ベッドが軋んだ、少し大きめの音が鳴る。

『……今何か、物音がしなかったか?』

『お兄ちゃんが寝てる部屋からなのだ』

『もしかしたら眼を覚ましたのかもしれん。様子を見てくる』

 聞こえてきた会話。椅子が床を擦る音。足音が近づき、戸がゆっくりと開かれる。
 蝶番が擦れて、木板が軋む音と共に、開いた戸から淡い橙光が差し込む。同時に、その光を覆うように影を作った、一人の少女の姿が、五樹の眼に現れる。
 艶のある、黒い髪。凛々しい瞳と、張った背筋。

「……我斎殿、起きて――――って、何をしてるんだ!」

 愛紗は、上半身を起こしてベッドに座る五樹を見て、慌てたように彼に駆け寄る。
 顔は、心配の色に染まっていた。

「関羽か。丁度いい、少し聞きたいことがある。ここは――」

 五樹の言葉を聞かずに退け、彼女はただ、一人の身を想っていた。

「その前に。――まだ動かないほうがいい。貴方の傷は、未だ治りかけの状態だ。下手に動けば傷が開くし、最悪化膿するかもしれん。ここは、大人しくしておいてくれないだろうか」

 その、つい先日の彼女とは格段に違う、思いやりに溢れた言葉に、五樹は一瞬言葉を失った。
 そして愛紗は、彼を寝台へと寝かせるように、ゆっくりと肩を押す。五樹は、痛みもあってそれに逆らえず、一度起きた彼の身体は再び寝台へと沈んだ。
 五樹は、言いかけた言葉を紡ぎ直す。

「……ここは、何処だ。あれから、どれほど経った」

「ここは、竜の巫女――奈々世殿の家だ。あの一件からは、既に三日ほど経っている」

「三日……」

 愛紗が説明したすぐ後に、戸の開いた部屋の入り口を、もう一人の少女がくぐった。
 彼女――鈴々は、目を覚ました五樹の姿を見て、喜びと驚きが混ざったような顔をした。

「お兄ちゃん、起きたのか! ずーっと寝っぱなしだったから、鈴々心配してたのだ! 大丈夫か? 痛くない?」

「こら、鈴々。怪我人の前では静かにせんか。傷に響くだろう」

「あや、ごめんなのだお兄ちゃん」

 鈴々の、五樹に対する態度も、数日前より幾分か軟化していた。
 五樹はそれに少しばかり戸惑うも、それよりも、愛紗の言った言葉の中に、気になる事があった。

「奈々世……奴は、生きているのか」

「ああ。貴方の傷の手当ては、彼女が行なったものだ」

「あと、村は怪我した人がいっぱいで場所が無かったから、寝台も貸してもらったのだ」

 その言葉に、五樹は彼女達を凝視した。
 愛紗の顔は、戦いの後らしく疲れの色が見えるものの、穏やかな表情が浮かんでいる。
 戦いの前、李白と相対した時の様な剣呑さは、微塵も残ってはいなかった。
 鈴々の方は言うまでもなく、底抜けに明るい顔をしている。

「奈々世殿になにか用事か? 生憎と、彼女は今別の用で外に出ているが」

 彼女の言葉に、五樹は心中で首を傾げていた。

「……何故だ?」

 気付けば、彼の口からは自然と疑問が出てきていた。

「何故、とは?」

「お前達は、奴が何をしたのか知っている。なのに何故奴の家に居て平然としていられる? 怒りは抱いていないのか?」

 それは、純粋な疑問だった。
 義憤に駆られ、我を失うほどに激昂していた愛紗が、何故村が傷付いた元凶を見て平然としていられるのか。五樹にはそれが分からなかった。
 五樹の質問に、愛紗は顔を伏せる。
 彼女は、自嘲するような笑みを僅かに浮かべていた。

「……出来なかったんだ。一度は、そうしようと思ったのだが」

 声色は弱く、何かへの後悔が滲んでいる。

「……あの時、桃香様が言ったんだ。『誰も、死なせたくなかった』と。倒れている貴方と、もう一人の男に、泣きながら縋りついて。だから、殺さなかった。殺せなかった」

「…………」

 あの時。五樹はそれを知らなかったが、恐らくは彼女達も『あの場』を見たのだろう、と彼は思う。
 五樹が薄れゆく意識の中聞いた、人の体が倒れる音と、桃香の悲痛な叫び声。その音が満ちた空間、その情景を。

「私は、守れなかったんだ。そして、傷を負わせてしまった。涙を流させてしまった。……義憤などと、言っていられる場合ではなかった」

 愛紗は、悲しみと怒りに眼を伏せる。
 何故、守れなかったのか。何故、気付かなかったのか。彼女の心は、そんな悔いに満ちている。

「どころか、私は醜く取り乱してしまった。我が主が、今までにない程に、深く傷ついているさまに」

「……鈴々も、驚いたのだ。お姉ちゃん、今まで鈴々達の前で泣いたことなかったのに、いっぱい泣いてて……」

 子供ながらに、子供だからこそ、鈴々も『あの場』にいた桃香の姿に胸を痛めたのであった。
 常に周りに元気を振りまいて、辛い時も笑顔を絶やさなかった桃香の、心からの慟哭。それに、鈴々も愛紗も、

「それを、奮い立たせてくれた。彼女――奈々世殿が」

「『今は、落ち込んでる場合じゃないでしょう!』って。あのお姉ちゃん、大人しそうだったけど、あのときすっごい声出してたのだ」

 ――何故。

 何故、敵である自分達を助けようとしたのか。五樹にはそれが分からなかった。

「だからこそ、直ぐに目が覚めた。尤も、彼女は既に貴方の介抱を始めていたが」

 彼女はまた、自身を恥じているような表情を浮かべた。己のふがいなさを、噛み締めるように。
 そして、彼女は想起する。敵であったはずの女性の姿を。

「殺せるわけがない。彼女は必死だったんだ、貴方を助けることに」

「分かんなくなったのだ。あのお姉ちゃんは悪いことしてたけど、それでもお兄ちゃんを助けようって頑張ってたのだ。あの時のお姉ちゃん、悪い人には見えなかったのだ」

「だが、奴は間違いなく人を殺した。何人も。それを許すのか、お前達は」

 それは真実。高遠奈々世は村人を殺害した。彼女の人柄がどうであれ、その事実は揺るがない。
 その上でなお、愛紗と鈴々は、奈々世を許すと言ったのだった。

「許すことが正しいのかは、分からない。だが、彼女に限っては、許すより他にない。……殺すなと言われた。それもあるが、何より私は、彼女の悪を素直に見れなくなっている」

「鈴々もなのだ。あの人、悪いことしてたけど、なんか敵みたいに思えないのだ」

「彼女は戦いに生きる人間でも無ければ、悪でもない。だから、殺せば、後悔するかもしれない。……私は、私達は、踏みきれなかった」

 そう言って、彼女達は揃って顔を伏せた。
 自分達の選択が、正しいのかは分からない。それどころか、今もまだ迷い続けている。
 でも。だからこそ。
 安易には手を下せない。事実や結果だけを見て判断を下すことは、彼女らの流儀では無かったから。
 己が義を信ずるからこそ、彼女達は望んで葛藤を抱えて続けていた。
 このままでいいのか。罰を下さずとも良いのだろうか。そんな葛藤を。

「……半端だな」

「自覚はあるさ」

 力無く笑う愛紗の顔は、後悔と安堵が混じり合った色を帯びていた。

「……私の方も、少し言いたいことがある」

 愛紗は、顔を上げて切り出した。

「何だ?」

 短く五樹が返すと、愛紗は短く息を吸って、言う。

「……ありがとう。桃香様を、助けてくれて」

 その言葉に、五樹は目を見開いた。

「……誰が」

「奈々世殿が、教えてくれた」
 
 真っ直ぐに五樹を見つめる愛紗と鈴々の瞳には、感謝と敬意の色が滲み出ていた。
 その感情は、命を掛けてまで桃香を守った、目の前の一人の男へ向けてのもの。

「その、背の傷。それは、桃香様を庇って出来たものなのだろう?」

 そう。五樹は桃香を庇った。五樹の行動を阻み、自らの価値観だけで彼を止めようとした、桃香を。

「……礼はいらん。俺が勝手にやったことだ」

 五樹の行動。それは、彼の個人的な感情故にだった。
 彼は、彼女の言葉に一つだけ、心を突き刺されていた。
 それは、今の彼にとって認めざるを得ないことであり、同時に彼の在り方を決定付ける言葉だった。
 桃香の言葉に、五樹は自身の感情を止め、そして彼女を守った。
 それはある意味で、彼にとっては当然のことであった。

「貴方がどう言おうと、私達は感謝している。言葉には出来ないほどに。……そして、貴方のことを、信用しても良い人間なのだと、少なからず思い始めている」

「初めはちょっと怪しいと思ってたけど、なんだかんだでお兄ちゃん優しかったのだ」

 彼女達は、五樹自身がどう思っていようと関係なしに、彼を信用していた。
 自分達の主を、身を呈して守ってくれた。その事実だけで、彼女達が彼を信用する理由は事足りたのだ。

「それで、なのだが」

 愛紗は、そして隣の鈴々も、五樹の顔を見つめる。
 そして、言った。

「私達の真名を、受け取ってほしい。言葉以外に感謝の気持ちを表す方法は、私達にはこれ位しかない」

「……真名? 何だ、それは」

「ああ、貴方は知らないのか。真の名、と書いて真名と読む。その者の本当の名、相応の重みを持つ、大切な名だ」

「大事な人じゃないと、呼んじゃいけない名前なのだ」

 それを聞き、五樹は身構える。聞くに、相当な意味を持つ名前であることは想像に難くなかった。

「……それを、俺に許すと?」

「ああ。呼んでもらいたい、貴方に」

「お礼だから、ちゃんと受け取ってほしいのだ」

 そして、改めて。二人は五樹に名を教える。感謝と信頼を込めて。

「我が真名は、愛紗」

「鈴々、っていうのだ」

 五樹は、名を呼ぶのを躊躇い、考える。自分は果たして、そのような名を受け取るほどの者なのだろうか、と。
 しかし、直ぐに思いなおす。彼女達は、五樹がどう言おうと、感謝をしていると言った。内心に関わらず、感謝していると。
 それはつまり、五樹本人にではなく、あくまで『行為』に対する礼である、ということ。
 言わばこれは、自分の行なった行為に対する対価なのだと、五樹はそう解釈していた。
 あくまでこれは、信頼などではなく、正当な『報酬』の一つなのである、と。五樹はそう思っていた。
 そして。
 彼には、彼女達の心からの『報酬』を、拒む理由は思い当たらなかった。

「……分かった。愛紗、鈴々。今後とも世話になる」

 五樹の言葉に、愛紗と鈴々は笑顔を浮かべる。

「ああ。これから、よろしく頼む。五樹殿」

「よろしくなのだ!」

 三人の声が、夜の森に立つ静かな家に、染み渡った。














 数多の星と天の月。
 燦然たる、と言えば言葉が過ぎるが、少なくとも現代の星空とは比べ物にならない数の星が、空で輝いている。
 月は、九分九厘程満ちている。ほんの僅かなその欠けは、幾望の月か十六夜か。円に満たない半端な月は、それでも美しく輝いている。
 星月の夜空から落ちる銀色の光は、白昼の陽光よりもずっと弱く、淡い。
 で、あるからこそ。闇夜の中の白色を、その銀光は際立たせる。
 
 その園に咲く、一面の白――否、桃色を。

 涼しげな春の夜に、淡い桃色をした花弁の群れが、広がり渡るように乱れ咲いている。
 幹から生える枝葉に咲いた、桃の花。欠けた月とは対照的に、一面満開の花々が、月天の光を受けて幻想的に浮かび上がっている。
 この場、一言で言い表すならば、桃源郷。
 樹の上に淡く光る桃の花が群れる、その下で。
 太い幹にもたれかかるようにして、上を見上げている二人。
 その内、桃の花が飾る夜天を、落ち着いた表情で仰ぎ見ていたのは、亜麻色の髪をした女性。
 彼女が、呟く。

「綺麗、ですね」

 言わずもがな。月並みな言葉だが、それでも口に出さざるを得ないほどの輝き。
 彼女――奈々世は、隣に座る、虚ろな眼をした少女に、そう話しかけていた。薄く赤みがかった髪の色の、ひどく弱り切ったその少女――桃香に。

「真昼の花もいいですけど、夜に見る桃園も、また別の趣があって。……本当、すごく綺麗です」

 桃香は、何も返さない。ただただ、花景色の後ろに浮かぶ、夜空の月を眺めているだけ。
 それでも、奈々世は口を閉じようとはしなかった。

「ここ、気に入りましたか? ……私も、ここが好きなんです。なんだか、懐かしい感じがして」

 自らの故郷、その春に咲いていた花を思い出し、奈々世は目を細める。
 彼女の懐郷の心は、過ぎゆく月日の早さ故か、変わってしまった自らのありよう故か。
 その心のうちはどちらともつかず、奈々世はただ、隣にいる少女に付き添っていた。
 その時。
 
「――――――あ」

 桃園に一陣の風が吹いた。
 花弁が風に散らされて、吹雪のように乱舞する。
 薄桃色に光る花弁の舞は、あるものは上へ、あるものは下へ、まっすぐに、曲がりくねって、つむじを描いて。それぞれが風の思うままに、暗闇に白い軌跡を描き、遠くへと運ばれていった。
 見惚れたような吐息とともに、花吹雪を見守ったのは、奈々世。
 花の舞には目もくれず、ただ月を見守る、桃香。

「これは、独り言みたいなもの、ですけど」

 奈々世の声にやはり、返事は無い。しかし、彼女はそれでも語り続ける。
  
「……もう、終わったんですよね」

 そう。終わった。
 奈々世に害意は既に無く、李白の命は既に絶たれた。同時に、彼の復讐も先を断たれ、これ以上村が傷付くことは無くなった。
 元より傷付け合うことを望んでいなかった村人達も、一応のことながら和解を果たした。互いに少なくは無いわだかまりを胸に抱きながら、彼らは村の復興のために手を取り合った。
 元凶が取り除かれたことで、事態は急速に収束し、分かれていた村は一つとなった。
 李白の死。
 たったこれだけのことで、村を包んでいた恐慌と狂気は消え去ったのだった。

「……いつか、こうなることは分かっていました。私も、彼も、きっと碌な目には合わないだろう、って」

 彼女は桃香を恨んではいなかった。いつか、すべてを失うことがわかっていたから。間違ったままに突き進んだ結果がどうなるかなど、考える余地も無く明らかだった。
 信頼を置いていた『彼』が、桃香の手によって殺された。死んだ彼の亡骸が、村人の手によってその形と尊厳を奪われた。村に溜まった憎悪の塊を、魂の抜けた躯が一手に請け負い、それが亡骸とすら呼べぬほどにまで、彼の遺体は無残に千切られ、晒された。
 だとしても。
 彼女は決して、桃香を恨みはしなかった。
 自分達がやってきたこと、その代償。村人達の感情と、彼らから奪ったものの大きさ。それらを考えれば、彼女が受けた罰は必然であった。
 むしろ彼女は、自身が恵まれ過ぎている、とすら感じていた。
 
「でも、何ででしょうね。…………何で、私は、生きてるんでしょうか」

 大勢殺した。大勢傷つけた。大勢悲しませた。恨みと憎しみを山のように買い、対価に凄絶な破壊を売り付けた。
 決して許されない悪行、それを犯した非道な自分が、何故、生きているのか。

「生きている。そのこと自体は、本当にうれしいんです。あなたに感謝もしています。……でも、その歓喜は、私には過ぎたものだって言うことも、わかってるんです」

 生きる価値などない。彼女に立ちはだかったときの、彼の言葉。彼女はそれを、決して否定しない。
 それが、高遠奈々世にとっての真実だから。彼女にとって、高遠奈々世という罪人は、世の空気を吸う価値すらないゴミのような人間なのだった。
 逃げて、目を逸らして、流されるままに取り返しのつかないことをして。自分が屑だと分かっていても、頼る人間がいるからと、彼の目的を叶えるためと、自らの死を選ぶ事はせず。
 結果、身以外の何もかもを失って、虚しさに浸る余裕を持てあまし、こうして桃の花を見上げている。
 本当に、どうしようもない人間だと、彼女は自身を断じていた。
 今の彼女は、生きる意味も支えも無い、ただの抜け殻の様なもの。いつ死んでもおかしくは無い。
 しかし、奈々世は自身の、その無価値といっても良い命を、否定しなかった。
 否、出来なかった。

「生きてちゃいけない。私は、そう思ってます。……でも、この命はもう、私だけのものじゃないんですよ」

 彼女は死のうとした。
 相手はカエサル。一度は地に膝をついたとはいえども、彼はコミュネットの王だった。幾らハンデがあろうとも、彼の強大さに彼女が敵う道理はない。
 故に、最後まで醜く抗おうとする哀れな自分を、彼の刃は確実に、切り裂いてくれる。彼女はそう思っていた。
 しかし、そうはならなかった。
 一人の少女が、彼女の命を救ったから。
 
「あなたに助けられた。あなたが助けた。……嬉しかったけれど、少し面倒だな、って思いました」

 言って、奈々世は少しおどけたように微笑んだ。
 不必要だと感じ、取るに足らないものだと言って、捨てたはずの命。彼女はそれを、一人の少女に拾われた。
 捨てた以上、自分にそれをどうこうする権利など無い。なら自分には、桃香に寄り添う以外の道は無い。奈々世はそう感じていた。

「……だから、おせっかいでもいい。迷惑と思われても構わない。あなたの都合になど構わず、あなたのためだけに、この命を使わせてもらいます」

 彼女は、結局のところ何も変わっていない。高遠奈々世は弱いまま、ただ新たな寄る辺を見つけただけ。彼女自身もそれを理解していた。
 それでも、彼女は生き続ける。ただ一つだけの決意を秘めて。
 
 ――彼女の理想を、支えたい。
 
 支えなければいけない、と言い換えても良い。桃香の理想は、それほどに脆いということを、奈々世は知っている。
 それは、経験であり確信。絵空事を夢見た自分と同じ、桃香は現実とかけ離れた未来を望んでいるのだと、奈々世は悟っていた。
 故に、それを守る。自らが学んだことを、糧にして。

「今、言いたいことは一つです」

 夢破れた自分の代替としての桃香を守ることで、過去の失敗を帳消しにしようとしている。そんな、惨めな思いを抱いていることを、奈々世は否定しない。
 でも、彼女は心から、桃香のためになりたいと思っていた。自分と同じような目に遭ってほしくない。自分と似ているから、これ以上傷付く姿を見たくは無い。
 惨めで哀れな道をたどるのは、自分だけで十分なのだと、彼女はそう思っていた。
 だから、奈々世は桃香を守ると決めたのだった。



「――立ちあがって下さい。私を、救ったのなら」



 桃花は、何も言わない。
 その姿を数秒、奈々世は見つめ続ける。
 何かを請うように、何かを願うように。
 だが、その思いは届かない。桃香は、何も言おうとはしない。

「…………先に、戻っています」

 ゆっくりと立ち上がりながら、奈々世はそう言った。
 桃の花が舞い落ちる中、彼女は桃香に背を向けて、歩き出す。
 奈々世は振り返らず、ただ前を見ていた。










 時が経って。

「――ごめん、なさい」

 ひとひらの花弁が落ちると共に、彼女の頬を、一筋の涙が流れた。










 炎の明かりが未だ灯り、揺れる橙の色に照らされている居間の中。外は月と星々が輝いているものの、未だ深い宵闇に包まれている。
 彼女は、その居間にある、古びた扉の前に立っていた。

『入りたければ入れ。……いつまでもそこに立たれると気が散って仕方がない』

 扉越しに不機嫌そうな男の声が響き、奈々世は少し驚いた。

「……よく、気がつきましたね」

『雑音が少ないせいか音がよく響く。お前が表の戸を開けた音も、こちらに近づいてくる足音も聞こえていた。……で、結局入るのか、入らないのか』

「入ります。……少し、話したいことがあるので」

『……ふん』

 短く男の声が響いた後、奈々世は扉をゆっくりと、少しだけ持ち上げながら開く。古びた戸板と蝶番は、軋んだ音を発しなかった。
 扉を開けた彼女の目に映ったのは、薄暗い部屋の中、上半身を起こして両腕を組み、窓の外を眺めている我斎五樹の姿だった。

「……意外と、元気ですね」

「お前こそ、よく死なずに済んだものだな。『龍の巫女』」

 五樹が返ってきた言葉は、奈々世の想像していた候補の中には存在していなかった。
 思いがけない方向からの言葉に、奈々世は少し戸惑ったものの、何とか話を繋げる。

「……趙雲さんのおかげです。彼女が、村の人たちを説得してくれて……」

 説得、と呼べるものかどうかは分からないが、確かに趙雲は彼女を守った。
 龍の巫女という存在を、うまくはぐらかした。相応の代償を、支払うことによって。奈々世は、細かい部分までは言おうとしなかった。その行為が、仕方がなかったとはいえ、とても平常心でいられるような選択ではなかったから。
 しかし。
 五樹は、その部分を嗅ぎ取り、軽く嘲笑した。

「奴の死体を差し出したか」

「――!? 何で……」

 奈々世は、目を見開いて驚いた。
 趙雲の提案した方法を、全く違うことなく的中させた五樹を、彼女は信じられないものを見たかのような目で見つめている。

「何でも何も、それしか無かろう。あの場での説得の方法など、そうあるものではない」

 五樹は当然とばかりに言い切る。むしろそれ以外の方法などあるはずがない、と言いたげに。
 村人達の怒りや慟哭を目の当たりにしていた五樹であるが故に、その結論に至るのは早かった。

「捌け口には丁度良かっただろうな。リスクの無い敵討ちは。……なるほど、さすがは趙子龍、と言ったところか。頭が回る」

 感心したような科白を付け足した五樹を見て、奈々世は思いだした。
 彼は、李白が死ぬ前には既に、背を刺されて倒れていたのではなかったか。

「何で、彼が死んだことを……」

「人間、そう簡単に気は失えんものでな。刺されてから暫くは意識があった」

 あっさりとそう口にした五樹に、奈々世は唖然とした。背に刃が突き立った状態で、周囲の出来事をまともに把握できるような人間がいることに、彼女は驚きを隠せなかった。
 しばしの間、彼の異常さに思考を漂白させられた奈々世を、五樹は変わったものでも見るような目付きで眺めつつ。

「……で、話とは何だ。まさか、死体の処理方法を話しに来た訳ではないだろう」

 無駄話をするために入れたのではない、と言わんばかりに、五樹は先を促した。
 元より奈々世も、余計なことを話す余裕など無かった。
 彼女が訊きたいこと、それはただ一つ。
 思考を完全に覚醒させ、奈々世は自らの思いを、言葉として想起する。
 そして、思い切って、彼女は口を開いた。

「――カエサル。……あなたはまだ、私を殺す気でいますか」

 彼女は一度、死のうとした。自らの罪の重さを知っていたから。
 しかし今は、やるべきことがある。死ぬわけにはいかない。一度受け入れたはずの死から、彼女は逃げようとしていた。
 自分勝手だと思いながらも、彼女はそのエゴに縋るより他に無い。それを徹すため、彼女は五樹の意志を問う。
 また立ちはだかるつもりであるのなら、今ここで。
 彼女はそこまで決意していた。
 しかし、彼から返ってきた言葉は、奈々世の想像とは全く違ったものであった。



「危篤だな奈々世。お前は、死者の怨念を慮るのか?」



 五樹はせせら笑いながら、奈々世を見下すように言い放った。
 その言葉の真意を掴めず、彼女は眉間にしわを寄せる。

「……それは、どういう」

「お前も知っているはずだ。我斎五樹は戦いに敗れ、何もかもを失って死んだ。俺の人生は、既に終わりを迎えている」

 突然に、彼は語り始める。何の感慨も持たずに、淡々と。

「今の俺は死者だ。意思はある、喋れはする、物に触れる事も出来る、人を殺せるのも確かだ。だが、それ以上は何もない。ただ、実体だけがある空洞に過ぎない」

 そして、やはり淡々と、彼は言い切った。
 今現在の自らの生、それを全て否定する、その言葉を。

「お前は、死んだはずの俺の言葉に揺れた。だからこそ弱いと言った。死体の恨み言など、鼻で嗤って流せば良かったものを」

「でも、あなたは現に、目の前に……」

 奈々世が言うと、五樹は耐えられないと言わんばかりに、彼女の言葉を嗤い捨てた。

「存在しているから何だと言うのだ? 価値があるとでも言う気か? ……下らんな。お前は生命の価値を馬鹿にしている。腐臭を放つ死体はただの廃棄物に過ぎん」

 彼は、徹底して死者を否定する。見下し、貶め、その価値を決して認めない。

「奴も言っていただろう。死ねば全てが終わるのだと。お前も、生きている身であるのなら、死の価値の無さを自覚しろ」

 桃香が言ったその言葉を、彼は違った意味で捉えていた。
 生きる者の価値ではなく、死んだ者の無価値を、彼は彼女の言葉から理解していたのだった。

「かく言う俺も、奴に気付かされた口ではあるがな」

 桃香が全てを振り絞って捻り出した叫び声は、確かに彼の心に届いていた。
 だからこそ彼は、自らの価値を思い直した。死者の価値を、切り捨てた。

「じゃあ、劉備さんを守ったのは……」

「守ったわけではない。死体を盾にしただけだ。零で一が買えるのなら、これ以上安い物は無い」

 自らの価値を零と置いていたからこそ、彼は身を賭して桃香を守った。むしろ、彼自身の感覚では、何も『賭して』すらいなかった。
 リスク無く拾える命がある。なら、拾わないのはもったいない。彼の思考の中では、所詮その程度のこと。

「……それで、いいんですか? 本当に、そんな考えで」

 奈々世は、戸惑っていた。彼女は、彼の周りにいた三人の少女が、如何に彼のことを思っていたのかを理解しているつもりであった。
 だからこそ、自らの価値を皆無だと断じた彼の言葉を耳にして、そう問わざるを得なかった。

「良い悪いの話ではなく、ただの事実だ。俺は既に死んでいて、最早価値など残ってはいない」

「……そん、な」

 何の臆面も無く、自嘲も込めず、五樹は言った。それはつまり、彼が心の底から、自身に価値を感じていない故のこと。
 敗北は死。彼にとっては、死者の念など唾棄すべき下らないもの。覇王として、立ちはだかる者を全て屠ってきた彼にとってみれば、それは当たり前のことなのかもしれない。
 彼女は、覇王としての五樹のことを少なからず知っているからこそ、その心中にある程度得心がいった。だが、果たして『彼女達』はどうであろうか。

「あの子たちは、どうなるんですか? 少なくとも関羽さん達は、あなたを信頼していました。それなのに……」

 価値が無いと断じるならば、彼を心から信じている彼女達の気持ちは一体、どうなるのか。『彼の眼が覚めた時、先ずは心からの感謝を受け取ってもらいたい』。そう口にしていた、少女の気持ちは。
 奈々世は、彼女達のその誠意を、無視できなかった。
 しかし。

「奴らと俺を繋いでいるのは、信頼ではなく信用、突き詰めれば利害の一致だ。俺は奴らに興味がある。奴らは俺を必要としている。ただそれだけの関係だ」

 彼は元より、今の自分に信頼を置くような人間がいるとは思っていない。彼は、彼女達から直接信頼の言葉を受け取っていても、それを心から信用することはしなかった。
 それもそのはず。死者には価値など無いという、彼の根幹は一切揺らいでいないのだから。

「お前も、死体に必要以上にかかずらうのは止めることだな」

 その態度に、奈々世は五樹に掛ける言葉を失った。
 あまりに、かけ離れ過ぎていた。意識が違い過ぎていた。
 彼の様な割り切り方を、彼自身の他に一体、誰が理解できると言うのか。自らの肉体が動いていることを自覚したうえで、その生に価値が無いなどという言い分を。
 自らを否定する、などというレベルを超えている。彼は自身の命を感じてすらいない。本当の意味で、自分は死んでいると思っているのだ。
 失望ではなく、自嘲でもなく、諦観でもなく、彼はただの事実として、自らの死を、その価値の無さを受け入れている。
 奈々世には、彼の心の内が、どのようにしても理解出来なかった。

「さて、質問には一応答えておこう。俺は、お前を殺す気などもう無い」

「――――え?」

 放心している奈々世に、五樹は平坦な声色で言った。

「今でもお前のことが気に喰わないのは事実だが、殺せない訳がある。奴らの信用を、ここで失うわけにはいかない」

 あれだけ奈々世に苛立っていたにも拘らず、五樹は彼女を殺さないと言った。愛紗や鈴々の気持ちを慮り、裏切らないために、彼女には手を出さないと。
 彼が怒りを収めた理由。それはやはり、『彼女』にあった。

「あの『大徳』が、どのようにして形成されるのか。その過程が見られなくなるのは、俺としても不本意だからな」

 劉玄徳。彼女の振る舞いが、我斎五樹の興味を引いていた。
 史実や物語における『劉備玄徳』という存在、その大きさ。桃香という名を持つもう一人の『劉備玄徳』、その思い。
 二つの影は、決して重なり合うことは無い。しかし、彼女が劉玄徳であるということは、紛れもなく事実。
 故に彼は、彼女の行動に期待していたのだった。未熟な彼女が、一体どのようにして『大徳』へと成長するのかを。
 かつて彼が、何も知らない『道化』を見守っていた時のように。

「……そう言えば、劉備は今何をしているんだ」

 五樹は、思い出したように奈々世の方を見た。
 彼が同じことを愛紗達に聞いた時、彼女らはただ目を伏せるだけで、桃香に付いて何も話さなかった。
 ただ、一言。

『私達は、守れなかった』

 それだけを、愛紗が言ったきり。彼女たちは口を開こうとはしなかった。
 故に、五樹の心に強く残ったのは、何かを隠しているような二人の態度だけ。

 そして、奈々世もまた、直ぐには口を開こうとはしなかった。
 
「……それ、は」

 言い淀む奈々世を見て、彼はいぶかしむ視線をより強いものにした。
 強く彼女を睨みつけ、言葉は発さず、威圧のみをぶつける。
 愛紗達には無かった、迷い。瞬間に表れた、彼女の迷い。そこを突いて、隠していることを吐き出させるために。
 教えろ。答えろ。隠し通せると思うな。様々な念が込められた彼の視線に、奈々世は思わず目を逸らす。
 しかし、奈々世はそれでも耐え切れず。

「…………ずっと、桃園に居ます」

 俯きながら、彼女は短くそう言った。
 元より彼女には愛紗達のような矜持は無い。そのため、桃香のことを隠す気は無かった。だが、先程の彼の言葉を聞き、言うまいかを迷ってしまっていた。
 今の彼女に、この彼を逢わせてもいいのか。冷酷に信頼を切り捨てた、自らを『死体』と言い捨てる彼を。
 
「……どういう意味だ」

 低い声で、確かめるように聞き返す五樹。
 最後まで言うまいかを悩んだ奈々世ではあったが、口を突いて出た言葉を戻すわけにもいかず、結局最後まで語ることを選んだ。

「あの日から、ずっと、彼女は桃園に居るんです。本当に、ずっと……」

 桃香は、李白を殺めたその日より、心を閉ざしていた。
 ただ、美しい桃園に佇み、花を、空を、或いは月を、眺めるばかりの時を、桃香は過ごしていた。
 これ以上、何も見たくない、聞きたくない。そう、言葉無く語るように。
 だが、そんなことを言ったところで、彼の心に何も変化は無いだろうと、奈々世はそう思っていた。自らにすら価値を認めていないのだから、他人を気にするはずもない、と。
 しかし。
 五樹の口から出たのは、彼女の予想外の言葉だった。

「今すぐ連れて行け」

「…………え?」

 思わず、彼女は声を出していた。
 先程まで、感情の籠らない声で淡々と語っていた五樹の声に、突然力が籠った。そのことに、奈々世は驚きを隠せなかった。

「なん、で……」

「奴には、こんなところで折れて貰っては困る」

 自らの価値に対する冷静さとは打って変わって、彼の表情に熱が帯びる。
 その色は、怒り。
 彼は、心の底から、憤っていたのだった。














[22485] 十話 其の二
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2010/12/29 17:36










 
 夜空の下で、桃の花が、咲いている。
 木の根に座り、夜空を見上げる桃香の姿は、弱々しい。 

「何をしている」

 その声に、彼女は肩を僅かに震わせた。
 しかし、彼女は振り返ることはしない。
 それを見た五樹は、さらに怒りを募らせた。そして。

「何をしている、と聞いている!」

 大きな声が、桃園に響く。その音量に、彼女は思わず振り返ってしまった。 
 その間に、彼は桃の樹の傍に座り込んだ彼女――桃香の傍に近寄って、その胸倉を掴み上げた。
 短い叫び声が、桃香の口から漏れ出る。

「カエサル! 今、彼女は耳が……」

 五樹の傍へ寄り、腕を押さえようとする奈々世のほうに目線をやり、彼は言い捨てる。

「……奈々世。何故、劉備は今、俺の方を向くことが出来た?」

 その言葉に、奈々世はようやく、そのことに気がついた。
 五樹は再び桃香を睨みつけ、言い放つ。

「なるほど。お前はそうやって、奈々世から逃げてきた訳か。奴を殺したから、恨まれているとでも思ったか? それとも、殺した事実と向き合いたくなかったか?」

 桃香は目を逸らす。何か言いたげな表情ではあるが、五樹の言葉と迫力に圧されて口を噤んでいた。
 その態度を見て、五樹は桃香を貶めるような、冷たい嗤いを浮かべる。

「下らんな。死肉など踏みにじれ。死んだ者に尊厳など与えるな。奪ったのなら奪ったと、胸を張るのが上に立つ者の正しい姿だ」

「――――っ、そんなこと、出来るわけない!」

 彼の言葉に、桃香は思わず声を張った。守ろうとしていた人間を貶めるような言葉を、彼女が認めるはずがない。
 死なそうとは思っていなかった。和解させようとしていた。彼女はあくまでも、李白の中に悪を定めず、事を終わらせようとしてた。

「口でそう言うのは構わん。むしろ、死者に思いを馳せていると『見えるように』振る舞うのは、時に必要なことだ。……だが、殺した命を悔いることだけは許されん」

 はっきりと五樹は言い切る。自らが壊したものを、振り返ることだけは、決してしてはならないと。
 それは、彼が死骸に轍を刻むような生き方をしていたからこそのこと。

「奴は間違っていたから死んだ。自分は正しい存在だから奴を殺した。お前は、そう言い張らなければならない」

 あくまでも、正義で無くてはならない。理由が無ければならない。
 後付けであれ、屁理屈であれ、自らに義があったと言うことを、彼女は主張しなければならない。
 人を導くに当たって、必要なことは『正しさ』である。皆が信じることのできる正しさが無ければ、誰も彼女の跡を追随しない。
 どんなことであれ、自分は間違ったことなどしない、してはいないのだと、そう周囲に思わせなければならない。
 五樹は、そのことをよく理解していた。故に、彼は桃香にその態度を強要する。
 そうしなければ、誰かの上に立つことなど出来ないのだから。

「そんなこと……私には、出来ない……」

「可能かどうかは聞いていない。そう振る舞うより他は無い、と言っている。頂点に立つために、それは必要なことだ」

 弱気など彼は許さない。幾ら彼女が泣こうとも、彼は決して妥協はさせない。彼女は、この国の上に立つと言ったのだから。
 本来ならば、このようなことは言わずとも理解しているはずだと、彼は思い違いをしていた。
 だが、事実は違っていた。彼女には強い面が多く持っていたが、同時に極端に弱い部分があった。指導者として強くなければいけない部分が、あまりに弱かった。
 当たり前の事実を、あえて言わなければ理解できない彼女の弱さ。意思の強さとは真逆に、彼女は厳しい『現実』に対して、酷く脆かったのだ。
 
「私は、結局、守れなかった……なのに、そんなこと……」

 約束を守れず、理想が崩れた今。彼女は今にも壊れそうなほどに、弱り果てていた。
 誰も死なせないなどと言う、端から不可能に近かったその理想が、ほんの少し破れただけで。
 その事実に、五樹は酷く苛立っていた。
 何故、この程度で止まる事が出来るのか。あれだけの言葉を放っておいて、何故この程度で容易く崩れるのか。
 彼は、その怒りを一切隠すことなく、桃香へ向けて放った。



「甘えるな、劉玄徳。お前には、この程度の事で躓く権利など無い」



 事実を認識しない少女へ向けて放たれた、一片の情も無い、冷酷な言葉。
 元より彼女には、止まる権利などありはしないのだと。上に立つ者とは、何処かで留まり、たゆたうことのできる存在ではないのだと。
 悲しみに立ち止まる少女の背を、五樹は蹴り飛ばすように突き放した。

「お前の後ろには、既に人がいる。少数であれ、お前に希望を抱いている人間が」

 関雲長。張翼徳。たった二人ではあるが、桃香を慕い、忠誠を誓った勇士達。その思いを、桃香が忘れる筈もない。
 付いてきてくれた二人の心に、彼女は深く感謝していた。
 だが、それだけ。感謝しているだけであった。
 
「自身の考えに賛同して、下に付いて来る人間がいる以上、止まることなど許されない。希望を抱かせたらのならば、それを死に際まで信じ続けさせるのが、王の責任だ」

「せき、にん……」

 平和な世をつくる。その夢を語り、叶えるための努力を見せたからこそ、愛紗と鈴々は桃香の言葉を信じ、これまで付いてきた。
 で、ある以上は。桃香は、その責を背負わなければならない。少なくとも二人の人生が、桃香の進む道に沿って進んでいるのだから。
 桃香が止まれば、二人も止まる。桃香が躓けば、二人も躓く。一心同体、とまでは言わずとも、桃香と愛紗と鈴々は、それぞれが体験するほとんどの事象を共有する関係にある。
 それはつまり、彼女達が一つの運命共同体であるということ。
 自らの行動の影響が、全て、臣下に及ぶ。彼女はそれを、深く自覚してはいなかった。

「無理ならば諦めることができるなどと、そんな次元の話ではない。皆で進むか、諸共果てるか。選択肢はそれだけだ」

「そんな………………私には……」

 避けられない事実を突き付けられて尚、桃香に力は宿らなかった。
 弱々しく顔を伏せる桃香に、五樹は更に苛立ちを募らせる。
 そして、沸き立つ怒りが、彼をその行動に駆り立てた。

「……これでもまだ、腑抜けたことを抜かすのならば」

 言葉と同時に、五樹は掴んでいた襟を放した。拘束が解け、桃香はバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
 何とか体勢を持ち直し、彼女が顔を上げた、その時には。
 五樹の背後の中空が、青白い輝きを放ち始めていた。
 桃色の園が、強い光に青く染められていく。
 突然の変化に、その現象が何かを知っている奈々世ですら、一切の反応が出来なかった。
 桃香には当然、何が起きているのかを理解できない。しかし。

 ――この、光。

 彼女には見覚えがあった。それを、何処で見たのかを思い出す前に。
 
「潔く、お前の夢を断ってやる」

 五樹の声が、低く響く。
 同時に、蒼白なゲート光は、より強い輝きを湛え始める。
 そして浮かび上がる、巨大な輪郭。頭と手と、足の無い下半身。背に生えた九つの剣。そして、無骨な形の大きな長剣。
 唸り声の様な、重く低い音が響き渡る。それは、巨体の輪郭が発した、怒りにも似た猛りの声。
 そして、光が弱まり出す。輪郭は明確な形へと変わり、その異様なまでの体躯を大気に晒す。
 重厚な鎧に包まれた巨体。人の胴にも等しい太さの腕。栄華を称える台座の様な下半身には足が無く、下へと噴き出る力の奔流を足代わりに、王は『立つ』。手に持った長大な剣は、漏れ出る力によって淡い輝きを放っている。
 その巨躯、五メートルを優に超えている。その、あらゆる意味において絶大な白い怪物が、中空に浮いているその光景。
 異形。化生。怪物。化け物。どの言い方でも構わない。それはまさに、人外の存在、埒外の構造体。ただそこに在るだけで、圧倒的な密度の存在感が人間の小さな肺を圧迫し、心臓の動きを速めていく。見ているだけで息が詰まりそうになるほどの、凄まじい畏怖を心の底から引きずり出す。
 白銀の鎧。覇王の化身。千の敵を持つ王。彼の者の名はエル=アライラー。
 数々の敵を悉く薙ぎ払い、数多の屍を生み出してきた白き王は、顕現と同時に凄まじい『雄叫び』を上げた。
 その『雄叫び』に、剣が激しく輝き始め、旋風が大きく巻き起こる。
 
「カエサル! それは――」

 唸る剣を目の前にして、奈々世は叫ぶ。彼の力、その剣の脅威。彼女がそれを忘れるはずが無かった。
 故に彼女は、王を止める。

 剣を振り上げた白銀の王、その目線の先。それは、林の中に立つ、古びた一つの家がある方向であった。

 五樹は、響いた声の主を見ず、言う。
 
「結果は同じだ。それでも阻むか、奈々世」

「――っ」

 奈々世は、それ以上何も出来なくなる。
 王の剣の前には、障害などという概念は存在しない。何がその軌道を阻もうとも、両断される物が増えるだけであり、結果は何一つ変わらない。
 加え、フッフールを討ち損ねた時とは違い、今は不確定要素は存在しない。故に、王が目標を違えることもない。
 それはつまり、必中必殺だということ。今度こそ、王の剣は確実に、狙ったものを消滅させる。

「やめて! 止めてください! あそこには――」

 その光が何であったか。ようやく思い出した桃香が、叫ぶ。
 しかし。
 続く桃香の言葉が放たれる前に、五樹は、その空間の音を掻き消すように。


 
「――――フリスの断罪」



 その光が、放たれた。
 同時に周囲に奔る、劇的な白色。爆音と言って差し支えない盛大な音と共に、世界は白く染められる。
 その中でもより強い白は、直線状に迸る、巨大な剣閃。
 瞬時にして夜闇を貫いた一条の光束は、己を境界として桃園を、そしてその先へ繋がる黒い森を、左右に分断する。
 余波によって巻き起こる突風に、桃の花が、木の葉が、抗う暇もなく凄まじい勢いで散らされる。その風は当然、桃園に立つ三人にも及び、髪や服を激しくはためかせる。
 風の唸る音と共に、あまりに長すぎる断罪の余韻、その光を、三人は、それぞれの表情で眺めていた。
 
「あ…………ああ……」

 桃香の口からは、言葉にならない声が漏れていた。
 奈々世は、一歩もその場を動けず、ただ呆然とその脅威を、見つめることしか出来なかった。
 そして五樹は、路傍の石を眺めるような眼で、その光景を眺めていた。

 光が、静かに止んでいく。

「……消えたか」

 五樹は、言わずとも理解できる事実を、口にした。
 何が消えたのかなど、この場を見れば誰であろうと理解出来る。言葉で示す必要が無い。
 全てだ。全てが、光に掻き消された。
 大木であろうが古木であろうが、枯れていようと生きていようと、小さな花々や草木すらも例外無く、光束に包まれたもの全てが、この数瞬で消え去った。
 残っているのは、森を貫く一本の道。
 桃園から始まるその『並木道』は、気味の悪い程に見通しが良く、普通ならば見える筈の無いほど遠くに生える木々すらも、眺めることが出来る。
 その道、破壊の痕跡は、絶大なる王の力の証明。それを見つめるように佇んでいた白銀の王は、ゆっくりとその存在を薄めてゆく。
 数秒の後、王は姿形を無くし、蒼い光の粒子が代わりに散った。
 残されたのは、消え去った物の、ほんの僅かな名残り。 
 響いたのは、重みのある物が、地に落ちる音だった。

「ぁ、ああ…………愛、紗ちゃん……鈴々、ちゃん…………」

 膝を地に落とし、呆然と、桃香はその『並木道』を眺めていた。視界を遮るものが何も無いにもかかわらず、続く先を全て見通すことが難しいほどに長いその『道』を。
 目に伝う涙を、桃香は止めることが出来なかった。突然に大切な人を奪われたショックに、桃香の目の前が暗くなっていく。
 その時、奈々世がぽつりと呟いた。

「…………残って、る?」

 その言葉に、桃香は眼を見開いた。一瞬だけ五樹に目をやった後、一直線に続く『道』を、手前から順に眺めていく。
 そして、見つけた。幹の縦半分しか残っていない木と、葉の全て散った木の間。そこに、少しばかり小汚い家の壁が、僅かに見えていた。
 桃香が、健在であったその家を、その家にいる筈の二人の無事を察し、吐息を吐いたその時。

「これ以上腑抜けたことを抜かすならば、と。俺はそう言った筈だがな」

 それは、彼女を安堵させると共に、緊張を与える言葉。
 まだ、五樹は判断を下してはいないのだ。それはつまり、これから発せられる桃香の言葉如何によっては、先程の悲しみは現実のものとなるということ。
 桃香は、顔を神妙に引き締めながら、しかし少なくない弱気の混じった声を放つ。

「私は、どうすれば……」

「それはお前が考えることだ。俺は、事実を示す以上のことはしない」

 五樹はやはり突き放す。助けるのではなく、立ちあがらせるのが彼の目的である以上、彼は手を差し伸べない。
 彼はただ、立ちあがるための知識を、常識を、事実を教えるだけ。
 励ませば、あるいは慰めれば、彼女は容易に立てたかもしれない。だがそれでは意味が無い。
 ここで強さを得なければ、彼女は近いうちに折れる事になる。五樹はそう確信していた。

「一呼吸の間に幾人もが果てる世だ、殺さず死なせずは理想に過ぎん。求めるのは良いが、信じ過ぎれば喰われる事になる」

 事実としてこの世が乱世である以上、戦いをもってでしか、世を統べることはできない。であるならば当然、全てを守ることなど出来はしない。死傷者が皆無である戦など、それこそ理想でしかないのだから。
 なら、理想が叶わないのなら、戦うことを選ばないのか。誰も傷付かない世界、という理想から離れるのなら、何もしないのか。その選択の結果、世界が理想からより遠のくのだとしても、彼女は諦観を選ぶのか。
 それは違うのだ。彼女が、他を傷つけることそのものを厭うのであるのならば、初めから乱世を治めようなどとは思わない。
 理想はあくまでも理想。言い換えるのならば、叶えるべき夢であり、望むべき結果であり、求めるべき目標に過ぎない。
 彼女の場合、手段にまで理想を求めれば、いずれは何処かで破綻する。
 当たり前だ。初めから、理想が手段と相反しているのだから。

「………………わかってる、んです……」

 力が抜けたかのようにその場に崩れ落ち、桃香は地に座り込む。
 彼女も、そのことをを承知していた。
 否、承知していた、つもりであった。
 事実として。理想のための通過点であるはずの場所にすら、彼女は理想を求めてしまっていた。
 だからこそ、彼女は折れかけていたのだ。当然の如く訪れた、その破綻によって。
 そして、望む理想によって与えられる痛みは、桃香には耐えがたいものであった。
 
「これ以上、失いたくない……だから、止まっちゃいけない。進まなきゃいけない。…………でも、忘れられないんです……守れなかったことが、どうしても……」

 桃香は、再び涙を流す。しなければならないことを理解しているのに、実行できない自らの不甲斐なさに。 
 五樹も、桃香に対して歯噛みする。目の前の少女の弱さに。事実を受け入れられない、彼女の心に。
 そして。
 心穏やかでない二人を目にして、今まで沈黙を守ってきた彼女が、ゆっくりと桃香に近づき、正面に立つ。
 そして、桃香に目線を合わせるようにしゃがみ込んだあと、口を開いた。

「顔を、上げてください。劉備さん」

 今、この場で、桃香の心を理解出来るのは、間違い無く奈々世しか居なかった。
 理想を失った痛みを知る、彼女しか。

「奈々世、さん……?」

 優しい響きを持った奈々世の声に、桃香は涙顔を上げ、目の前に居る女性の顔を、じっと見つめる。
 それに応えるかのように、奈々世は穏やかな表情を浮かべ、桃香に語りかける。

「目を伏せている間にも、世界は動くんです。確実に」

 奈々世が完全に理想を見失い、俯いていたその間に、多くのものが失われた。
 同胞、仲間、居場所、拠り所。いちばん身近に居て、いつも彼女の背を支えていた、一人の男性。彼女は、それらを全て、数日の内に失った。
 もしも、自分が直ぐに立ち直っていれば、違った未来があったかもしれない。そんな仮定を、彼女が考えない筈がない。
 悲しんだ。涙を流した。それ以上に、酷く後悔した。そうやって、彼女の心は、砕け散る寸前にまで傷付けられた。
 だからこそ彼女は、俯いて泣いている少女のために、過去の自分と良く似た少女のために、言葉を掛ける。

「俯いていると、何も分からないんです。その間に何が起ころうとも、顔を上げない限りは、本当に何も分からない」

 下を向いていると、周りからの情報が何一つ伝わってこない。滅入る心に浸り続け、何かを聞き入れることを拒んでしまう。
 だからこそ、周囲で何かが起きても、それが一切分からない。

「思い切って、勇気を振り絞って、顔を上げた時には、大切な人がみんな居ない。……あなたは、そんなことに耐えられますか?」

「――――っ」

 彼女の言葉に、桃香は思い出す。先程の凄まじい閃光が、奈々世の言葉と重なっていく。
 巨人が放った一撃が、愛紗達を消滅させていれば、恐らくあの場から、二度と立ち上がれなかった。桃香は、その自覚が間違ったものであるとは思わない。
 つい先程、愛紗達が死んだと思い込んだ時。完全に自身を失いかけていたことを、桃香は理解していた。
 その自失感ですら耐えがたい。この上に、二人が桃香の与り知らぬ場所で、死を迎えたとするならば。
 そんなものを、桃香が耐えられるはずが無かった。

「今の悲しみは、多分、この上なく辛いと思います。……でも、このままだと、あなたはもっと後悔することになる」

 先程のことがあったからこそ、桃香は奈々世の言葉を理解することが出来た。
 目を背け続ければ、どうなるのか。失う痛みが、ただ増すだけだ。

「だから、その前に。早く顔を上げてください。劉備さん」

 励ましに聞こえる彼女の言葉も、その意味を捉えればそれは、ただの事実でしかない。
 当然なのだ。下を向けば周りが見えない、などということは、人ならば誰しもが知る事実。
 そして、自分の与り知らぬところで何かを奪われれば、より心に傷を負うと言うのも、また事実。

「……は、い」

 桃香の眼に、力が宿り始める。
 事実を、受け入れて、理解すれば。
 今の自分がどれ程に危険な場所で佇んでいるのか、桃香は恐らく、自覚できる。
 そう。桃香は、受け入れなければならない。

「あなたが立ち止まって、心を痛めるのは、あなただけじゃないんですよ?」

「――――ぁ、……ぁあ」

 そして、顔を上げた彼女は、ようやく気付く。今までは、見えてすらいなかったことに。
 今、彼女が俯いているこの時。悲しんでいるのは誰なのか。
 守り切れなかったことを悔やみ続けていた、黒い髪の少女の顔が、桃香の頭をよぎる。
 心が悲しみに塗りつぶされて、純粋な笑顔が消えていく、小さな少女の表情を、桃香はやっと思い出す。

「あの子たちの気持ち、分かりますよね?」

「わた、し…………私、は……」

 少女達が涙している時、自分はいったい何をしていたのか。ただ見ているだけで、手を差し伸べることすらしなかった。桃香はようやく、そのことを思い出す。
 そして、彼女は自覚する。
 こうしている今も、失い続けていることを。大切な仲間の、強い心が、少しづつ削れていることを。
 桃香は、そのことを見過ごせるような人間ではない。

「――――っ!!」

 涙を、振り払う。
 膝を立て、地に足の裏を付ける。引力など最早、彼女の枷には軽すぎた。
 そして、桃香を促すように、五樹は言う。

「引けば失う。止まれば失う。進む過程ですら少しづつ失う。ならば、進み切って辿り着くしかない」

 言葉だけでも厳しいと分かる道程。だが、それすらも当然の事実。世を統べることが困難であることなど、誰であろうと理解している。
 だからこそ、桃香はいま直ぐに、立ち直らなければならない。
 両足を地にしっかりと付け、桃香はゆっくりと、立ち上がる。 

「お前は戻れない。止まれない」 

「……わかってます。そんなこと」

 立つしかない。そもそも選択肢は、それしかなかったのだ。
 幾ら痛みに苛まれようとも、前を目指すより他に無い。もう、動いてしまったのだから。
 下がる道など初めからありはしない。前に進む理由しか存在しない。
 こんなところで止まっていること自体、罪深いことだった。
 彼女は、前を向いて改めて、そのことを自覚した。

「…………私、何してたんでしょうね? 本当に、情けない……」

 俯きながら自嘲する桃香の肩に、立ち上がった奈々世が手を乗せる。

「休んでいたんですよ。……それで、いいじゃないですか」

 何処までも優しく、奈々世の声は桃香の心に届く。
 そして、五樹が掛けた厳しい言葉も、彼女の力になっていた。

「ありがとう、奈々世さん。……五樹さんも、本当に」

 五樹は何も言わず、促すように目線を横に逸らす。
 そこには、光によって切り開かれた、粗い一筋の『道』。
 そして、月の光に照らされながら、その『道』をひた走る、二つの影。

「―――お姉ちゃん!」

「―――桃香様! ご無事ですか!」

 響いた二人の声が、桃香の耳へと届く。
 
「愛紗ちゃん! 鈴々ちゃん!」

 桃香の声に、向かってきた二人は目を見開く。そして、元の気力に満ちた主の姿に、彼女達は笑顔を浮かべた。
 薄桃の花弁が舞い落ちる中、薄い薄い三人の影が、一つに重なる。
 自らの腕の中に、二人を迎えて。
 桃香は涙を流しながら、笑った。


「ありがとう。ずっと、待っててくれて」










 突然桃香に抱きとめられ、戸惑いながらも笑顔を溢す愛紗と鈴々の姿を、見届けた後。
 五樹が、顔をしかめた。

「…………っく」

 元より深手を負っていた彼には、この一件は少々負担が過ぎた。
 傷の痛みを乗り切れず、五樹の体がふらり、と倒れそうになる。
 が、少し傾いたところで、彼の体は動きを止める。

「……ふん」

 奈々世が、五樹を抱きとめていた。

「大丈夫、ですか?」

 心配を込めて言う奈々世を、五樹は見ようともしない。だがそれは、彼女に対して不平がある故のことではなく。
 奈々世が五樹を支え続けず、体を離して無理矢理に立たせたのは、彼に対して畏怖を抱いていなかったからのこと。

「……礼を言う」

「私も、言いたいです。お礼」

 今だけは、五樹は奈々世を見下さず、奈々世は五樹を恐れなかった。

 彼女を立ち上がらせた、互いの言葉に。その思いに。

 二人は、軽く短く、笑い合う。

 月の光に照らされて、淡く輝く桃の花は、静かに彼らを見守っていた。





















 ※以下あとがき

 随分と間が開いて、申し訳ありませんです。

 節目の十話。上手くビシッと締められずにだらだら増量。そしてなんとか、奈々世さん編が終わりです。……長かった。趙雲さんがフェードアウトしてるのは黙ってておこうか。
 締めはやはり難しいです。いろいろと詰め過ぎたせいで後半はgdgdになりましたし、自分の力の無さを実感しました。
 この話は特に長いのと、今までの締めということもあるので、ミスとか間違いとか気に喰わないところとかがあれば、是非、遠慮なくご指摘願います。

 次回からは、恐らく黄巾党編になるかと思われます。……ただ、頭使わないような軽い短編を書こうかな、とも思っていたり。バビロンの面子とか出るような感じの。
 どちらになるのかは未定です。
 それでは、お目汚し失礼いたしました。




[22485] 十一話 歳は甲子に在りて
Name: まっぎょ◆c2d5ca72 ID:0beb1863
Date: 2011/05/05 15:46










 










 乱世の原因は、明白であった。



 漢代では、帝とは名ばかりの、力を持たない幼子ばかりが朝廷の長となり、帝の権力が宙を浮くことが度々あった。
 その度に起こるのが、権力を我が物にせんと暗躍する、外戚と宦官による権力闘争である。
 本来、幼帝を補佐するために政治を執り行う必要のあった両者であるが、彼らには『そんなこと』をしている暇などなかった。
 互いが互いの粗を探り合い、隙を見ては双方の要人を暗殺し、虎視眈々と権力の簒奪を狙う彼らにとって、国政などは瑣末事。権力を得るためだけにしか頭を使うことが出来ず、民の困窮など視界に入れてすらいなかった。
 結果、権力闘争が起こる度、国政が軽んじられ、徐々に国が乱れていくこととなった。

 そして。

 闘争が一応の決着を見、宦官が霊帝を掌握した時代になっても、中央が国政を顧みることは無かった。
 外戚が排除された後も、宦官は自分達に反感を持つ諸侯との対立に終始する。政に関しても、ようやく本来の仕事をこなすようになったのかと思えば、宦官は私腹を肥やすことしか考えず、民に重税を与えるばかり。
 何時までも権力闘争に留まり続け、国を見ようとしない中央は、既に修復不可能なまでに腐敗していた。

 中央が腐敗すれば、地方にも当然その弊害が発生する。しかし、その害を中央は一切見ようともせず、地方に領を持つ諸侯にその責を押し付けていた。
 王朝は、地方の治水や開墾といった国の地盤に関わる事業を、その領地に住む地方豪族に全てを任せていたのだ。
 結果、どうなるか。
地方の民は自分達を救わない朝廷に不満を抱き、それでもなお自分達を守ってくれている諸侯に信を寄せる。そして、民の信によって、諸侯の力が増大していったのだ。……宦官たちに心中で反感を抱くような諸侯も含めて。
 王朝の腐敗。民衆の困窮。諸侯の隆盛。力の均衡が崩れかけ、不安定な情勢となった大陸に、さらに追い打ちが掛かる。

 自然災害である。
 干ばつ、凶作、疫病といった様々な災害が、ほぼ同時期に、重税に困窮していた民衆を直撃し、その活力を根こそぎ奪っていった。
 人災に続き天災にも見舞われた民衆に、最早希望など残ってはいない。ある者は飢えに耐えられず死に絶え、ある者は賊になることで食い繋ぎ、ある者は死肉を喰らうことで生き延びる。
 絶望の最中を生きる道しか、民には残されていなかったのだ。
 
 中央の腐敗から連鎖的に続いた不幸によって、所謂『乱世』は形成された。
 ならば、その原因など誰にでも分かる。乱世にあえぐ人々の怒りの矛先など、一つしかない。
 だが今、人々には抗う力が無い。だから彼らは動けない。溜めた怒りを吐き出せず、絶望を受け続けるより他にない。

 ではもし、力を手に入れられる機会があったのなら?

 力とは即ち数とも言える。世の中で最も恐ろしいのは、真に纏まりのある人間の集団である。
 纏まるためには『中核』が必要だ。中核があっても、人々を一つの方向に纏め上げるのは至難の業ではあるのだが、幸か不幸かこの世は乱世。しかも仇敵は分かり易過ぎるほどに明確だ。
 つまり、集団が纏まるための指針・目的は既に用意されている。
 逆に言えば、分かりやすい『中核』があれば、乱世の中で人は容易に纏まることが出来る。……漢王朝の打倒という目標の下に。
 今の人々に抗う力が無かった。だが、誰かが自ら『中核』となって、中央を突く矛先の地金と成れば、瞬く間に長大な矛が形成されるであろうことは、容易に想像することが出来たのだ。
 
 故に、『彼ら』は蜂起することができた。
 大賢良師の名のもとに、腐り果てた漢王朝を、根底から覆すために。

 それが、今はもはや忘れ去られた、『彼ら』の始まりであった。










「……いねえ、かな」

 諦観を込めて静かに呟いたのは、一人の少女。
 少女は目を細め、右手をこめかみに添えていた。自らの「目」を通じて流れ込む情報に、しかと集中するために。
 短めの黒い髪に、焦茶色の瞳。整ってはいるが、他人に与える印象としては薄い部類に入るであろう顔立ちのその少女は、皮革で出来た簡易的な鎧を身に纏っていた。
 腰間には、二振りの短刀がぶら下がっている。

「……やっぱ、いねえか」

 少女は集中を解き、細めた目を見開く。その眼差しの先には、一つの村があった。
 特筆すべきものの無い、小さな村。あまり家屋が見られないのは、村の土地の殆どが田畑で占められいるからだ。季節がら未だ緑色をした麦畑は、春の強い風に揺られ、ざわめいている。
 精々が五百、住んでいるかいないか程度の村。この規模の村が乱世の中で生き残ってこられたのは、『彼ら』の庇護があったから。『彼ら』が村を守護する代わりに、村が『彼ら』に食糧を供給する。その『契約』のおかげで、このひなびた農村は今まで生き残ってこられたのだった。
 だがそれも、今日で終わり。
 少女の後ろから、粗暴な男の声が響く。

「厳政様! 準備、整いましたぜ!」

「わーった。ちょっと待機しといて」

 振り返らず、気の抜けた声で男に返答した少女――厳政は、何の感慨も無さそうにその村を眺めていた。
 かつての協力者たちの住まう村。そして今は、裏切り者たちの住まう村。
 村人たちに、罪は無かった。ただ、凶作であったがために作物が十分に収穫できず、自らの食い扶持を確保するのに精一杯であっただけの話。
 しかし、『彼ら』にとっては畑の環境など知った話ではない。契約に背いたこと。それだけが肝要なのだった。

「……笑えねえなぁ」

「ああ、全く困ったもんでさあ。奴らにゃあもうウンザリだ」

 独り言のつもりが、存外大きく響いたその声に、厳政の後ろに控えたままの男が答えた。

「これまで通り守ってくれ。でも攻めてくるな、食いもんも金も持ってくな、女子供にゃ手を出すな、って……バカにしてるんじゃねえっての、あの糞ジジイ」

 吐き捨てるような男の声が、厳政の後ろから響く。彼女もその意見には同感であった。
 出さねばならないものを出せなくなったにも関わらず、村の長である長老は『契約』の継続を申し出た。
 その上、無いなら代わりのものを持っていく、と『彼ら』が提案したもの――女性や子供、多額の現金――を、長老は『出せない』と言って拒絶した。拒絶してしまった。

『一時ばかり凶作だっただけです。次からはこれまで以上の物をお渡しします。だからどうか、このままの関係を続けさせてください』

 そう申し出た村長を、危うくその場で殺しそうになったのが、厳政の後ろに控える男であった。そして、当然の如く交渉は決裂、『彼ら』はその村の行動を裏切りとした。
 村でのことを思い出したのか、厳政の後ろから大きな舌打ちが聞こえる。彼は、この周辺の村々の管理を厳政に任されていた人物であった。

「ありゃあ、殺されても文句は言えませんぜ」

「ま、そりゃそうだよなぁ。やっぱヒトとしちゃあ、守るもんは守んないとな」

 二人して、村の長の失態を吐き捨てる。
 暴力で委縮させ、収穫物を巻き上げる『彼ら』と、人の意などでは操れない自然の力によって止むなく契約を破らざるを得なくなった、村人達。
 死に追いやられても不思議ではないほどの非道を犯しているのは、どちらなのか。
 それは誰が見ても――『彼ら』自身から見ても――、明らかであった。
 だが『彼ら』は、それが幾ら自明の理であっても、自らに利が無ければ受け入れない。
 つまりはそれが、『彼ら』の本質とも言うべきものだった。

 ――都合悪いこと全部無視するような図太さが無きゃぁ、悪党はやってられない、ってね。

 厳政は、無自覚な『彼ら』の主とは違い、自らが悪であること理解していた。
 朝廷の政に不満を持った民が、大賢良師という中核を得て、改革のために蜂起する。言葉にすれば勢いがあり、また聞こえも良いかもしれない。
 だが、彼女は知っていた。意志の弱い人間の浅ましさというものを。力を持った人間が、どのように歪んでいくのかを。
 何のために剣を取ったのか、その切っ掛けはさほど意味を為さない。目的が崇高であったとしても、そんなものに意味など無い。
 剣を持てば、人を斬りたくなるのが道理だ。そして、剣を見せられた人間は、死から逃れるために全てを差し出してしまう。望まずとも、剣を振う人間は略奪の機会を得るのだ。
 そして、奪うことの簡単さを覚えれば、そこから抜け出すことなど出来なくなる。
 力を得た人間の大半は、いずれ目的を履き違える。意志の弱い者は、特に。
 故に、自分達は悪なのだと、厳政は自覚していた。『彼ら』の心の中にあった本来の大望は、既に失われているということを、彼女は知っていた。
 だからこそ、厳政は心から冷酷になれる。半端な善意が働かないほど、『彼ら』は悪意に満ちていた。

「助けたい、助かりたいのに何もしない。あたしが言うのもなんだけど、心底腐ってるよなぁ?」

「ええ、全くで」

「腐ってると臭いからなぁ。……そろそろ焼いとかないと」

 厳政は振り返り、後ろに控えていた男を、視界の内に入れる。
 そこに見えたのは、眉がつり上がり、頬が僅かに震え、笑いとも怒りともつかない表情を浮かべる、青年の顔だった。
 
「は、なんてツラしてんだよ、孫仲。面子潰されてイラついてんのか?」

 男――孫仲は奇妙な表情を少しも変えず、腹の底から響くような低い声で、唸るように吐き出す。

「……当り前でさあ。あの糞共、今直ぐにでも挽肉にして、乞食連中の餌にしてやりてえ」

「っははァ! 良い返事じゃん。……んじゃ一丁、やるとしますか」

 そう言って厳政は、孫仲の背後に控える『群れ』を眺める。 
 剣、槍、矛、弓。思い思いの兇器を掲げ、酷く残忍な表情のままに、口汚く談笑しつつ何かを待つ、彼らはまさに『群れ』であった。
 統率と呼べるものが最低限しか機能しない以上、軍隊などとは呼べはしない。
 その目的と性根から見れば、義勇兵などと言える筈もない。
 ともすれば、その常人と懸け離れた道徳観と過去の所業を鑑みるに、人とすら呼べないのかもしれない。
 彼らの眼は皆、深い深い底の奥から濁り切り、一つの感情に染まっている。
 期待、である。
 これから始まる、惨劇への、強過ぎるまでに強い、期待。

「オラ、テメエら聞けぇ! 厳政様のお言葉だァ!」

 孫仲の叫び声に、『群れ』のざわめきが一瞬で消え失せた。
 代わりに、狂気と期待を込めに込めた濃密な視線が、厳政に集まる。
 常人ならば、『群れ』の発するあまりの怖気に、逃げ出してしまいそうなほどの空気。
 それを一手に受けている厳政はしかし、少しの不快感すら一切示さず、涼しい顔のままに声を発する。

「言葉、って言われてもなぁ……あんまし言うことないんだけど。細かい指示とか出さんし、今回。とりあえず『次』攻める気力さえ残ってりゃ何しても良いしな」

 顎に手を当て、目を瞑りながら、次に紡ぐ言葉を考える厳政。
 士気を上げつつ、無理をさせず、かつ『次』に繋がるような言葉を、自らの語彙から探し出す。
 だが、どの言葉を言ったとて。

 ――今のこいつらに、通じるもんかね?

 結局のところ、彼女が思いついたのは、別段捻りらしい捻りも無い、平凡な煽り文句だけだった。

「……ま、今回に限っちゃ、一言で事足りるか」

 線の細い少女の、朗らかな笑顔。この表情を見て、彼女が『彼ら』を統べる将の一人であると一目で気が付くことのできる人間など、恐らく居はしない。何処にでもいるような町娘。厳政の容姿はまさにそれであった。
 だからこそ、彼女は恐れられる。人の皮を被った化け物。彼女はその比喩の体現であった。
 そして、彼女を覆う皮がゆるりと、剥がれる。

 口の端が、これでもかと言うほどに醜く、吊り上がった。

 余りにも濁りきったその表情は、紛れもない、嗤い顔。



「――――あの村、終わらせてこいよ」



『オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォ―――――――――ッ!!』

 当然のごとく放たれた殺戮命令に、『群れ』は歓喜し、雄叫びをあげた。
 目を血走らせ、口汚い言葉を叫び、剣を振り上げ、狂乱する。理性などいらない。遠慮も不要。最早彼らに敵などいない。
 数も力も気迫も狂気も、全てにおいて彼らはそう、彼らを指し示す呼び名の通りになっていた。
 つまりは、『賊』。

「全軍、突撃だァ!!」
 
 彼らは今、『黄巾賊』と呼ばれ、蔑まれている。
 そして、彼らもまた、『賊』と呼ばれることを受け入れている。不名誉など、彼らにとってはどうでも良いのだ。
 黄色い布を付けてさえいれば、彼らはもう、飢えに苦しまなくてもいい。顔見知りを喰らう罪悪を感じなくてもいい。賊に震える必要もない。蔑まれることよりも多く幸福が、彼らにはあった。
 彼らの目的は、王朝の打倒だった。だがそれは、その先にあるもう一つの目的のための、言ってみれば通過点にすぎなかった。

 彼らは、平穏な生活が欲しかった。

 少々貧しくても構わない。飢えにも、賊にも、重税にも、何にも脅かされることもない生活が欲しかった。
 そして。
 彼らは今、何にも脅かされてはいない。今度は彼らが、脅かす立場に立ったのだから。
 荒廃した乱世の中での『賊』の立場は、歪んだ形ではあるが間違い無く、無害な民草であった時よりも平穏だった。……計らずとも、掲げた大義を達するよりも早くに、彼らの望みは叶ったのだ。
 そして、得た平穏を守るため、彼らは略奪に腐心していった。奪い続けている間は、心の平穏が保たれることを、彼らは理解したのだ。
 彼らの中に、罪悪感は無かった。なぜならば、彼らには大義がある。腐敗した王朝を打倒するという、崇高な大義が。
 その大義が、最早本来の意味を失い、『死んで』しまっていることにも気付かずに、彼らは今でも叫び続ける。


 
 蒼天已に死す、黄天當に立つべし。



「人の事、言えた義理なのかねぇ?」

 彼女の呟きは、男達の怒号に消えていく。




















 幽州の心臓は静かに、しかし確たる力を以て脈動していた。
 だがしかし、数多の病巣に侵された州土<からだ>は、力強い鼓動をもってしても、十分な活力<けつえき>を循環させるには至らない。
 力が、足りなかった。侵入し浸透した数えきれぬ病魔を、抑え切ることが出来なかった。
 が、それでも、州の心臓は脈動し続ける。止まればその時が、幽州が死ぬ時なのだから。
 耐えなければならない。それは、誰であれ何処であれ同じこと。
 耐えなければならない。たとえ脳が、正常な動きを抑制されているのだとしても。
 耐えなければならない。歯を食いしばって、文字通り、必死に。
 そう遠くは無いいつの日にか、脳を侵す朝廷<まひ>が、取り除かれるまでは。





「この時期に、黄巾の討伐命令か……」

 朝廷からの使者が去った、数刻後。
 会議を終えて人影の無くなった、少し薄暗い『謁見の間』には、二人の少女がいた。
 一人は、赤みがかった髪色の女性。玉座に座る幽州州牧、公孫賛伯桂。
 もう一人は、少し癖のついた長い髪をくるくるといじりながら、玉座の隣で胡坐をかく、背の小さい少女。

「なーんか随分と遅かったにゃー。劉宏ちゃんは何? 自分の民ほっぽりだして玉無し竿無し共と遊んでたわけ? しかも何? これ見よがしに被害状況見せつけに来てさぁ? んな暇があったら、自分らで何とかしたらいいのに」

 彼女達の目の前、謁見の間の床には二枚の地図――大陸全土と幽州のもの――が広げられていた。
 地図の上には、赤く塗られた木製の駒が、至る所に置かれている。これが、黄巾が旗を立てた場所、ということになる。
 つい先程まで、尊大な態度にてこの地図の傍に立ち、如何に黄巾が危険な存在であるのか、大陸がどれ程に危険な情勢であるか、朝廷の使者が――今更ながらに――説明していたのだった。
 座ったままで欠伸をかきつつ、広げられた地図を横目で見ながら面倒臭そうに振る舞う少女を、公孫賛は少し呆れた様子で咎める。

「こら、ちょっと不敬だぞお前」

「不敬とか正直どーでもいい。言論の自由だよ、言論の自由ー……って、そういやここにはないんだっけ? まぁどーでもいいけどねー」

 言い終わり、再びの欠伸。少しばかりずれてしまった眼鏡を人差し指で直し、少女は座ったまま大きく『伸び』をした。

「んん~……くはぁ。ったく、こっちがどんだけ忙しいか分かってんのかなぁ」

「そりゃあお前、分かってるだろうさ。今は大陸中が混乱してるんだし、何処へ行ったって状況なんてさして変わらないからな」

 少しばかりの諦めと失望の入り混じった声色で言う公孫賛の顔色には、決して少なくは無い陰があった。
 乱世が一番に蝕むのは、人の心と体である。それは、どの立場の人間であったとしても、変わりは無い。

「……そう、何処も一緒なんだよ。だから、こんなことくらいで弱音なんて吐いてられないんだ」 

 俯きながらも言葉に揺らぎの無い公孫賛の姿に、少女は同情と敬意の入り混じった表情を浮かべた。
 彼女が、人前で弱みを見せようとしない人間であることを、少女は知っている。
 だからこそ、代わりとして。
 少女は不満げに呟くのだった。

「ま、はくちゃんの根気にはあっぱれあげたいけどさ。さすがにちょっと忙し過ぎない? 食糧危機に治安の悪化、匪賊に暴徒に黄巾党、挙句にゃ龍まで出てくるし」

「……最後のはちょっと毛色が違わないか?」

「似たようなもんだよ。結局害しかもたらしてないって意味ではね」

 溜息交じりの少女の一言に、公孫賛は考えを馳せる。
 突然に広まり、一月と少しで収束した、龍の噂。まるで夢幻のように消え去った伝説の魔物の、その居場所の跡に残ったのは、被害の爪痕と散った命の抜殻だけ。
 自らの治める領土の、しかし仔細を知るには離れ過ぎている場で起こった、不可解な出来事。公孫賛は、その謎に首を傾げる。
 龍とは、一体――

「……一体、何だったんだろうな。子龍が送りつけてきた報告書には『地元に根を張った小規模の賊』としか書かれてなかったし……」

 ――龍は唯の比喩であり、正体は小規模の賊であった。現地に居合わせた劉備玄徳、及び『天の御使い』の我斎五樹らの協力により、賊を壊滅させることに成功した。
 趙雲の報告書を要約すると、このようなことが書かれていた。
 読み進めるうちに天の御使いなどという胡散臭い存在が出てきたり、懐かしい名を見かけたことには少々驚いたものの、事態が収束を見たことを知った公孫賛は純粋に安堵したのだった。
 だが、心の奥底には、少しばかりのしこりが残っていた。
 本当に、龍は賊であったのか。

「さあねー? 馬鹿が流した嘘八百かもしれないし、ただの見間違いかもしれないし、村の人たちが使ってた隠語かもしれない。真実は深い深い闇の中~」

 ふざけた調子でそう言う少女に、公孫賛は少しばかり疑いの眼を向けた。
 玉座にもたれかかってだらけているこの少女は今、公孫賛の相談役の様な役目を担っている。
 数ヶ月前、情報屋を名乗って公孫賛の前に現れ、多量かつ正確な情報を余すことなく晒し、代金代わりに自分を雇えと啖呵を切った少女。
 情報源としてこれほど上等なものを、公孫賛は他に知らない。少女の持っていた情報は全て、有用かつ信憑性の高いものであった。
 故に、彼女は少女を疑わざるを得なかった。頼れる存在であるからこそ。

 ――本当に知らないのか? こいつ妙に物知ってるしなぁ。

 玉座からの訝しい視線に気付いた少女は、慌ても驚きも引きもせず、真正面から公孫賛と目を合わせる。
 そして、暫く見つめ合った後、少女は口の端を歪めてにやり、と嗤った。

「……お前、実はなんか知ってるだろ」

「いんや? 残念ながら、今回はなーんにもしらない。憶測でならモノ言えるけど、そんなの私の趣味じゃないしー」

「そうなのか? ホントに? ホントのホントに?」

「ほんとほんと、ほんとのほんとヨ。ワタシうそいわないアルよ」

「…………なんだろう、今民族規模でバカにされた気がしたんだけど」

「きのせいですだよー」

 風にしなる柳の様に追及を逸らし、へらへらと笑いながら気の抜けた言葉を返す少女に、公孫賛は自らの行為の無駄を悟る。
 給金をもらっている以上、言うべきことは言う。でも、言いたくないことは基本的に言わない。
 雇うことを決め、それを伝えた時に聞いた少女の言葉を、公孫賛はふと思い出していた。
 そして直後に、少女の言葉に偽りが無かったことを、彼女は改めて理解する。

「知らないかわりに、って言うとあれだけど、最近、龍に引き続いて眉唾な噂が多いって話、知ってる?」

「噂?」

「そ。一つ目巨人の化け物を見たーとか、外套羽織った怪しい奴が妖術使ったーとか、何もないところででっかい火柱が上がったーとか。とにかく変な方向性の噂がけっこう多いんだよね」

「結構、ってそんなにあるのか? 幽州だけで?」

「んにゃ、大陸各地であちこちと。うちの土地に来てる行商に聞きまくっただけだから、又聞の又聞きみたいな話だし、信憑性はあれだけどね」

「けど、そんな突拍子もない噂が流れているのは事実、なのか」

「そういうこと。国が乱れてるのが原因なのか、そういう噂をあえて流してるモノ好きがいるのかはわかんないけどにゃー」

 肩をすくめて首を傾げ、少女は呆れるように短く笑った。

「そう、か……」

 荒れた世に流言飛語が駆け回るのはさして珍しいことではない。化物や妖術の噂話など、それこそ山の様に満ちている。
 現に、黄巾党の頭目も、奇妙な術を扱うことのできる人外の化生として話が広まっているのだ。非現実的な話が民の間に広がることそれ自体には、別段の違和感は無い。

 だが、それにしても……と、公孫賛は思う。

 違和感があった。
 人を模した化物が語られることは数あれど、単眼の巨人なり大規模の火柱なりといった、明らかに別のものと見間違いようのないものが、ここまで大きく語られることなど果たしてあるのだろうか。
 いくら世が乱れているとはいえ、それほどまでに現実離れした噂が、何故こうも容易く広がっていくのであろうか。
 龍の一件を耳に入れた時から公孫賛が感じていた、その奇妙な感覚。あり得ない筈のものを、民達が信用していく、その違和感。
 まさか、本当に。
 そう思わざるを得ない状況が、何故かこの国で、広がっている。その感覚に、公孫賛は不安を感じずには居られなかった。

「ま、気に留めといて損は無いんじゃないかな?」

 軽い調子で少女がそう言った、その時。



「こ、公孫賛様! 至急お知らせしたいことが!」



 焦燥に満ちた叫び声とともに謁見の間に飛び込んできたのは、一人の若い兵士であった。
 その兵士が放った、あまりにも礼に欠ける絶叫に、公孫賛は僅かに不快の色を示す。

「騒々しいぞ。何があった?」

 額に汗をかきながら必死の形相で報告に来たその兵士は、そんな公孫賛のしかめ面など目に入っていないかのように、絞り出すように、叫ぶ。



「も、申し上げます! 州内の邑が三つ、黄巾の攻撃により……か、壊滅したとのこと!」



 その言葉に、二人の少女は暫し絶句した。
 礼に欠けていたのは当たり前であった。このような火急時に、礼節を気にしていられるような若年の兵士など、居はしないだろう。

「ど、何処がやられた!? 一体何処が!」

 少しの間が空き、公孫賛がようやく捻り出した声は、酷く震えていた。

「しょ、少々お待ちを! 今地図を持って……」

「ちょいちょい、君慌て過ぎ。目の前目の前」

 この場にいる内でただ一人冷静さを保ったままの少女が、兵士の足元に目線をやった。
 慌てていた兵士はここでようやく、自らの足元近くに地図が広がっていることに気が付き、『しまった』と言わんばかりに目を見開いた。

「もっ、申し訳ありま――」

「それは後でいいから。先ずは説明ね」

 謝罪の言葉を遮って説明を促しながら、少女は立ち上がり、地図の方へと歩み寄る。
 それを見た公孫賛も、慌てて玉座から離れて地図に近づき、少女の隣に付いた。

「は、はい! 壊滅したのは、こちらと、こちら……それと、この邑となります」

 兵士が指差した場所に、少女は目印として赤い駒を並べていく。
 目印が置かれた邑は、防備の比較的薄くなっていた州境に二か所と、少しばかり領土の内に寄った一か所であった。
 州境の邑二つが離れた位置にあり、その中間辺りに一つの邑がある、という位置取りである。

「薄い場所を衝かれたか……! なら、州境部で兵力の厚い地域から、警備隊を幾らか回す! とにかく中央への侵攻を防ぐんだ! ……相手方の兵力は!?」

「そ、それぞれ東方から八千、六千五百、七千五百程度の模様!」

「んー……それぞれなら対処しきれない数じゃないけど、内っかわで三隊に合流されるとちょーっと、拙いかもねー。各隊をそっこー撃破、できるかなぁ?」

「やれるはずだ! 付近の戦力を結集して、州境の戦力を加えれば十分に――――」

 自らの軍に対する自信と少しの希望的観測を込めて、公孫賛が言い放とうとした、その時。
 隣に立つ少女が息を呑む声が、彼女の耳に入ってきた。

「ちょっと待って。……ここは、そう簡単にいかないかも」

 そう言って少女が指差したのは、三か所の内の中央、六千五百の賊が侵攻していた邑。

「ほらここ、憶えてない? 少し前の報告にあった、黄巾の食料拠点だよ。ここが今回潰されたってことは……」

 公孫賛が、気付く。
 その邑が黄巾によって脅迫を受け、結ばされてしまっていたとある契り事を、彼女は思い出した。
 そして、その邑が攻められた、という事は同時に、もう一つの重大な事実を孕んでいたということに、気付く。



「不可侵の契約が……切れた、のか?」



 自らの血の気が引く音を、公孫賛は初めて耳にした。
 襲い来るのは、後悔の波。

「多分ね。……ていうか、ヤバいなぁ……このあたり、今かなり警備薄いよ」

 不可侵であるということ。
 それは、少なくとも極近い未来までの間は、その場所が戦場にはならない、という意味にも取れる。
 そして、下手に手を出せば、条約が破られるかもしれない、という意識を周囲に植え付ける。
 さらに現状、兵力を含むあらゆる人手は、幾つあっても決して足りはしない、という状態にある。
 これらの状況を鑑みた結果として、公孫賛以下幽州の役人達は、一つの方策を取ってしまっていた。

 放置、である。

 戦場にはならないと、確約とはいかないまでも短期間の保証はされているその場所に、兵力を裂く必要性は薄い。
 むしろ、徒に警戒して兵力をつぎ込んでしまえば、それそのものが諍いの火種になりかねない。
 ならば、この邑周辺に配置していた兵力・人員を一時的に他の地域に回し、国力の回復を急ぐ。
 その方が、効率がいい。そう、判断してしまった。
 そして、領内に入り込んだ諸悪を、無視してしまっていたのであった。

 勿論公孫賛は、件の村を長期に渡って放置をする気などは、毛頭無かった。
 そも『不可侵の契約』とは所詮、無法者の作った法である。信に値するかと尋ねられれば、誰一人首を縦に振るものは居ないだろう。
 それを分かっていながらも、公孫賛は事の放置を決断した。
 一体、何故? その理由は、ただ一つ。
 いつか来るかもしれない脅威より、今そこにある困窮の方が、より凄惨な色を持って見えるからに、他ならない。

「……微妙に州境から距離あるし、増援間に合わないかも」

「くっ、何故、あの時に私は……!」

 口惜しげに唇を噛み締め、公孫賛は目を潤ませる。
 彼女が過去の愚行に対し、自らへの怒りをぶつけようとした、その時。
 ばしん、という音と共に、公孫賛の体が揺れる。
 何時の間にか立ち上がっていた少女のその手が、彼女の肩を強く叩いたのだった。

「悔やんでもいまさら。今、間抜けな姿は晒さないように」

 少女の言葉は、短く冷たかった。
 故に、公孫賛が目を覚ますのは一瞬であった。

「……すまない。落ち着くべき時だったな」

「そうそ、さっさと対処法考えないと。他二つははくちゃん案でいいけど、六千五百が来てる方面は別の手を考えないとね。まずは、相手の侵攻してくる経路の予測からしようか。ああそうだ、君は軍師連中呼んできてくれる?」

「ハッ、了解致しました!」

 兵に命令を出した後、彼女達は二人して、床に広がった地図を凝視する。
 中央に向かうのか、拠点としての地盤を固めるのか、周囲の村を制圧するのか。賊の動向を想像しつつ、それぞれの場合に於いて賊が攻めるであろう方角を予測するために。



 そして間もなく、二人が同時に、『それ』に気が付いた。



 攻め込まれ、壊滅させられた、黄巾の息の掛かっていたはずの邑。
 その近くにある、一つの村に。 

「おい、もしかしてここ――!?」

「……龍の噂の出た村、だね。ちっかいねー、完全に攻撃対象だわこりゃあ」

 厄介事から解放されたばかりの、未だ立ち直っているとは言い難い情勢の、一つの村。
 これほどに落とし易い場所など他にはないだろう。危機が迫る確率は高い。
 故に、公孫賛は焦燥する。

「――あいつが、子龍がまだあそこに!」

「子龍ちゃん、黄巾が攻めて来ても、帰って来そうにないよねぇ……九割方いきり立って向かっていくだろうし」

 下手に現地を刺激しないよう、趙雲一人に噂の調査を任せたのが拙かった。
 せめて三百、いや五百程でも連れて行かせていれば。武と勘に長けた彼女の事だ、不利な情勢であろうとも、乗り切るに違いなかったのだろう。
 だが、幾ら人並み外れた才覚を持つ勇将であっても、単独では何も為せない。
 優れた武を以て斃せる兵数など、精々が数十。迫り来る六千五百をいなしつつ逃げるには、圧倒的に力が足りない。それは明白だ。
 だが。だとしても。
 趙子龍は、己が誇りと弱者を守るため、決して引かないだろう。負けることが決定付けられている戦いだとしても。
 つまり。
 趙雲の命は、危機にさらされている。これ以上が無い程、明白に。

「クソっ、どうすれば……どうすればいい!?」

 悔しげに下を向き、地図を凝視して必死に策を探す公孫賛。
 それを見て、少女は一つ溜息を吐く。公孫賛が冷静さを欠いているのが、少女には手に取るように分かった。
 彼女は、傍らの『武器』にすら気付かずに慌てふためいていたのだから。



「今から出兵すればギリギリで間に合うんじゃないの? はくちゃんご自慢の、あの部隊ならさ」



 その言葉に、公孫賛は俯けた顔を勢い良く上げた。
 何故、直ぐに気がつかなかったのか。自らの持つ、最良の切り札を使うことを。

「――そうか、白馬義従なら!!」

 白馬義従。その名の通り全騎が白馬によって構成された、公孫賛配下の騎馬隊。
 その機動力・速度は数ある騎馬隊の内でも随一とされ、行軍の際の持久力についても全く申し分のない能力を持った、彼女が最も信を置く部隊。
 迅速さを何よりも求められる現在の状況に於いて、元が遊牧民であるその優秀な騎兵達は、当にうってつけの存在であった。
 公孫賛の顔に、希望の色が差し始める。

「よし、私が直接行って――」

「ちょい待ち。出るってなったら私が出るよ? はくちゃんの代わりに副官連れてってさ」

 希望によって勢を得た公孫賛の言葉と行動を、癖毛の少女は諌めるように遮った。
 公孫賛は、少女の方を見つめる。少女もまた、彼女の瞳を射抜くように見つめていた。

「それは認められん! ここは私が行かねば――――」

 認められない。自らの失態が起こした出来事を、他人に任せるなどということは。
 そんな感情が心に渦巻いていた公孫賛にとって、少女の進言は受け入れ難いものであった。
 が、しかし。その意志以上に、少女の言葉は強かった。

「あのねはくちゃん、大将首がバカみたいに躍り出てこられると困るわけ。そこ理解してる?」

「――――っ、それ、は……」

「さっきも言ったっしょ? 落ち着きな、って。はくちゃんが死んじゃえば、それで幽州は何もかも終わりだよ? あんたが勝手やったらそれで全部ぶっ潰れるかもしれないの、わかる?」

 反論の隙すら与えられずに正論をまくし立てられ、公孫賛は自らの言動を反省するより他無くなってしまった。
 目を伏せて、彼女は少し口惜しげに、言う。

「……それもそう、だな」

「ホントにおっけー? ちゃんと理解した?」
 
「……ああ。無理を言って、悪かった」

 公孫賛の言葉に、少女は満足そうに二度、頷いた。
 しかし彼女は、先程少女の言葉に少し引っ掛かっていた。

「でも、お前が出るのは流石に危険だと思うんだが……」 

 幾ら肝が据わっている性格だとは言え、戦いを知らない人間を遠征させるのは心苦しいものがある。
 そう考える公孫賛の表情から何を読み取ったのか、少女はにやり、と妖しい笑みを浮かべた。

「私はあれだよ、誰が何と言おうと行くよ? 元々あそこに行ってみたいと思ってたし」

 少女は、広がった地図に目を向ける。その視線の先には、龍の噂のあった村を指し示す、赤い駒。

「興味あるんだよねー、『天の御使い』っていうのがさ。子龍ちゃん迎えに行くついでに、顔拝んでやりたいなー、と思って」

 好奇心に目を爛々と輝かせ、愉しそうな笑顔を浮かべる少女の様子に、公孫賛は軽い溜息を吐く。
 そう。活力を分け与えてくれたことに感謝しつつも、彼女はいつも通りに振る舞う事を選ぶ。
 それが、目の前の少女に対する礼の意味にもなるのだと、公孫賛は分かっていた。
 呆れ気味に、彼女は言う。

「……こんなときにまで、お前は……それも、『たんてい』の性、ってやつか?」

 その言葉に、少女は不敵に嗤う。
 そして、何が楽しいのか、にやけた顔を抑えようとはせず、少女は笑みのまま言い放った。



「のんのんのん。探偵じゃなくて、超・探偵。『超』超大事。忘れるな~?」



 少女――――自称『超・探偵』、蝉丸 繰利<せみまる くるり>。
 たとえその身が異世界にあったとしても、彼女の在り方は、決して変わらない。





















以下あとがき


先ず一言。長いこと放置してすいません……orz
一区切りついた瞬間に次が全然浮かばなくなって腕が止まってました。申し訳ない。

てわけで、黄巾編に入った十一話です。心機一転でサブタイ付け始めました。
Q,くるりちゃんとか誰得? A,俺得。な感じの回です。
原作無視? 展開が速い? 主人公がいない? こまけえこたぁ(ry ……正直すみませんです。
文章的にこれおかしくね? と思ったら、感想の方にぜひお願いいたします。

※注意:以降の更新速度はかなり遅くなるとおもいます。ホントにすみません。

では、お目汚し失礼いたしました。


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