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[22157] 寄道茶房 【オリジナル 短編集】
Name: 伍葉葵◆53bf9f21 ID:17b50b16
Date: 2011/06/01 22:28
どうも。
別サイトにて別名義にて短編を何本か投稿しています。

時間を見つけて長編の合間にちょくちょく投稿出来たらと思っています。


お気づきの点やご感想ありましたら、感想掲示板の方にお願いします。
長い短いの基準がいまいちあいまいですが、お目こぼし頂ければ幸いです。

それでは、宜しくお願いします。

*9/26 タイトル変更しました。
*10/23 タイトル変更しました。



現在の目録
・神さまの腕時計
・嘘つきオオカミさん(10/8 あふたーすとーりー投稿、完結しました)
・4分16秒の愛物語
・因果応報論
・神さまの腕時計 2

*ここに登場する作品は全てフィクションです。実在の団体・企業・個人とは一切関係ありません。また、テーマとして一部社会情勢的なものを取り上げていますが、全て個人的解釈と独断的主観による完全な思い込みです。過度な期待はせず、生温かい目で見守って下さい。



[22157] 神さまの腕時計
Name: 伍葉葵◆53bf9f21 ID:17b50b16
Date: 2010/09/25 11:18
貴方は誰?


――――――『僕』は君の望む者。
――――――『僕』は君の望まない者。


どうしてここにいるの?


――――――君が『僕』を望んだから。
――――――君が『僕』を拒んだから。


僕が望んだから?


――――――君が望んだから。


じゃあ、僕のお願いを聞いてくれるの?


――――――君がそれを望むなら。
――――――でも、それには代償がいるよ?


代償?


――――――君が幸せを手にする力を貸してあげる。
――――――でも『願い』を叶えたその時は、君の全てを僕が貰う。


……全て?


――――――髪、顔、耳、眼、口、鼻、手、足、心臓、脳。
――――――それに君が生きた『証』と『存在』と、その他諸々。君に付随する全てだ。


…………全て。


――――――そう、全て。


……いいよ。全部あげる。
だから僕のお願いを叶えて、ね?


――――――契約、成立だ。
――――――我、契約に基づき汝に問う。その望む所を、欲する所を我に示せ。







「……ま、和馬!」
「…………ッ?」


つと、深淵に落ちていた意識が聞き馴染んだ声音によって引き戻される。
視界の端を遮る白っぽい物体が頭に乗せていたタオルの端だと気づくのに幾ばくかの時間を要し、汗を吸って水っぽくなったそれを手にとって、意味もなくただ呆然と眺めた。


「そろそろ後半、始まるぞ?」
「…………あ、ああ」


馴染み深い幼馴染であり悪友の彼の言葉に、漸く自分が今何をしているのか、そしてこれから何をするのかを思いだした。
腰かけていた椅子から慌てて立ちあがり、タオルを椅子の上に放って――――――腕に纏わりつく『それ』の存在に漸く意識が至った。


「……………………」
「あ?どうした和馬」
「……なぁ、これって」


腕に在る『それ』を示すと、悪友であり長年のチームメイトである彼は一瞬キョトンと目を半開きにしたが、秒針が二ミリ程動いた辺りで顔を上げた。


「……何って、中学の時からずっと付けてる腕時計じゃねえか」
「………………」
「試合の時とか練習の時とか、兎に角いっつも付けてるよな。その妙なデザインの腕時計」


「相当年代物っぽいけど、そろそろ変えたりしないのか?」と続けざまに問う彼の言葉は、しかし自分の鼓膜を震わせても脳で理解するには至らなかった。

ただただ呆然として、漠然としておぼろげにしか映らない過去の記憶など元より当てになる訳がない。
だが眼前で静かに時を刻み続けるアンティーク調の銀時計の時計盤をじっと見つめ、それがふと、何処となく『懐かしい』気持ちを呼び起こした。


昨今巷に流通する市販の大量生産品ではまずお目に掛かれないであろう逸品は、思い起こすと不思議な事に『買った』のではなく『貰った』のだと脳が告げる。
しかしその『貰った』相手が果たして自分の父か母か、或いは既に今生を去った祖父母か遥か遠くに在る祖国で暮らす姉か。

誰かと問われれば口を噤んでしまいそうになる。
要は覚えていない、という事だ。

『誰か』に『貰った』という結論だけが脳内に横たわり、肝心の過程やら付随する情報諸々が欠落しているのだ。


それを気に病む必要があるかと問われれば恐らく是だが、しかしそれなら何故いつも肌身離さず付けているのだろうか。

……うん?『いつも肌身離さず』?


「どうした?早く行かないと始まっちまうぜ?」


おかしい。
何かが、絶対に動いてはならない何かが根本的にずれている。


「なぁ、か――――――」


瞬間、時計の針の音が鼓膜を震わせた。







「やぁ、久しぶりだね」


周囲の気色が一変した。
何もかもが灰色一色に染まり、その濃淡と輪郭線だけで世界が構築されていた。

視界に映る悪友はまるで彫像の様に動きを止め、見れば壁に掛けられた時計すら時を刻む行為を止めていた。

だというのに私の腕に在る腕時計は止まらず時を刻み続け、今しがたこの両耳の鼓膜を揺らした声の主は色彩豊かな服を身に纏って、ケタケタと薄笑いを浮かべている。


「僕の事を覚えているかな、井上和馬くん」
「…………だ、れ?」


震え、動かなくなりそうになる喉を震わせて単語を紡ぐ。
目の前の―――自分より年下にしか見えない十五、六くらいの―――少年とも青年とも形容し難い『彼』の姿を、初見の筈なのに私は『知っている』。


「『僕』は君の望む者であり、望まない者でもある」
「……あ、くま…………?」
「ちょっと違うかな」


クスクスと、異国調の整った容貌を彩る淡い朱色の唇が弧を描いて笑んだ。


「『僕達』に固有の名称はない。『悪魔』と畏れ、『天使』と喜ぶ存在。…………うん、広義的に云えば『神』とかいう連中と一緒かな」
「……ん、な、子供みたいな神様がいるかよ」
「見た目や形式に拘るのは古臭い固定概念に凝り固まった劣悪種特有の特徴だね。『お仲間』にはもっと年下の奴もいるし、それこそ宇宙を創生してからずっと生き永らえている爺婆だっている」


「話を戻すね」と前置きして、『彼』は寒気がするくらい透き通った双眸をジッと私に向けた。


「それで、僕の事を覚えているかな、井上和馬くん」
「……………………」
「沈黙は肯定と受け取るよ」


『彼』の瞳が、朱に染まった。


「約束の刻はもうすぐだ。君の『願い』は間もなく叶う」







昔、ある所にサッカーが大好きな少年がいた。
ボールを蹴るのが、フィールドを駆け抜けるのが、大好きな仲間と一緒にサッカーをするのが大好きな少年がいた。

けれど、ある日少年はサッカーが出来なくなってしまった。


「……………………」


練習試合からの帰り道。
飲酒運転をしていたトラックに後ろから撥ねられてしまった。

少年が意識を取り戻した時、彼の右足は膝から下がすっぽり抜け落ちてしまっていた。

もうボールを蹴る事は出来ない。
フィールドを走る事も出来ない。
大好きだったサッカーも、二度と…………


「………………?」


病院の四角い窓から、代わり映えのしない空を眺めてどれだけの時間が経っただろうか。
一か月が、半年が、一年が。

そうやって無駄に過ぎ往く時間を無為に過ごし続けていた彼の目の前に『彼』は、まるで空から降り立ったかの様にふわりと現れた。


「……貴方は誰?」


酷く無警戒で、酷く無気力な少年の呟きに、『彼』はクスリと笑みを零した。


「……『僕』は君の望む者」


胸に手を当てて、


「『僕』は君の望まない者」


静かに囁く。


「どうしてここにいるの?」
「君が『僕』を望んだから」


少年を指差して、


「君が『僕』を拒んだから」


静かに笑う。


「僕が望んだから?」


少年が首を傾げると、


「君が望んだから」


間髪いれずに頷いた。


「じゃあ、僕のお願いを聞いてくれるの?」
「君がそれを望むなら」


僅かに上向いた少年に、しかし『彼』は指を一本立てて、


「でも、それには代償がいるよ?」
「代償?」


オウムの様に少年が問い返すと、何を思ったのか『彼』は大きく両腕を広げて語り始めた。


「君が幸せを手にする力を貸してあげる。でも『願い』を叶えたその時は、君の全てを僕が貰う」
「……全て?」
「髪、顔、耳、眼、口、鼻、手、足、心臓、脳」


次々と少年の各部位を、口に出してその名称を呪文を唱える様に呟きながら、


「それに君が生きた『証』と『存在』と、その他諸々。君に付随する全てだ」


ビッと、少年の顔を指差して言った。


「…………全て」
「そう、全て」


確認にも似た声音で少年は呟き、


「……いいよ。全部あげる」


ややあって、小さくそう答えた。


「だから僕のお願いを叶えて、ね?」


乞う様な視線を向けて少年が言うと、まるで見計らったかのように『彼』は悪戯めいた笑みを満面に湛えて、


「―――契約、成立だ」


青と銀が混じっていたその双眸を赤に染め上げた。


「我、契約に基づき汝に問う。その望む所を、欲する所を我に示せ」







「そうして君は僕に言った。『友達とサッカーがしたい。もっともっとサッカーが上手になって、みんなで世界を舞台に戦いたい』って」
「…………ハッ」
「ん?」
「…………思い出したよ、全部。『あの時』俺はそう言って、そんでもって淡い光に包まれて、気がついたら……」
「『あの日』に、君が交通事故に遭う『筈だった』その日に戻っていた」


言葉を繋ぐ様にして『彼』は笑んだ。


「そうして君は『無事に家に帰った』。遭う筈だった事故では運転手以外『誰も怪我をしなかった』……そうだよね」
「ああ…………そういやその時からだったよな」


力なく、手近にあった椅子に酷く重たく感じられる身体を預けて腕を見やった。
そこには、この灰色の世界にあっても尚その銀灰色の輝きを失わない腕時計が、ただ粛々と時を刻んでいた。


「この腕時計が、俺の腕にあったのも」
「それは僕からのささやかなプレゼントであり、同時に――――――」


契約の証だから。

言う『彼』の顔には子供の様に無邪気な笑みと、悪魔の様に妖艶で狡猾なそれが混じっていた。


「何で…………」
「ん?」
「何で、こんな事をした?アンタは一体何なんだ?」


神か、悪魔か。

理解と把握がずれ続ける思考回路をどうにか巡らせて、精いっぱいの疑問を口にしても、『彼』はただ静かに笑う。
ただそれだけだった。


「言ったでしょう?『僕達』に固有の名称はない。強いていうなら君達が創りだした所の『神』とか言う偶像とイコールだって」
「…………願いを叶えたら、俺はどうなる?」
「『君達』風に言うなら、死」


きっぱりと。
一片の躊躇も淀みもなく『彼』はただ淡々と、当たり前の様にその事実を突き付けた。


「『僕達』に全てを奪われるというのは、つまり君達が今生きる『この世界』からの脱却……『命』という縛りを持つ万物に共通する結末イコール『死』を意味する」
「…………ハハ、そりゃそっか」
「喚かないんだね、面白くない」


不貞腐れた様に呟く『彼』は、この様な状況で考えるのが可笑しいとは思ったが実に外見年齢相応の表情に見えて内心笑みが零れた。


「で?アンタは差し詰め俺の『生きる筈だった』時間を喰らって自分の『寿命』に変える……って所か?」
「ちょっと違うけど、まぁそういう理解で君が納得出来るならそう解釈して貰って構わない」


フフン、と鼻を鳴らして『彼』は言った。


「……さて、じゃあ僕はそろそろお暇するとしようか」
「一つ良いか」
「ん?」


アンタ、名前は?

問うた瞬間、彼は一瞬だけ目を見開いて、しかし次の瞬間にはまたあのあくどそうな、如何にも悪魔っぽい笑みを湛えて唇に指を当てて―――


――――――ヒミツ


天使の様な眩い光を伴って、私の耳目を包んだ。







『日本が初優勝を飾ってから40年……奇跡とまで謳われた伝説のW杯三連覇から実に28年の歳月を経て、今日この日、再び日本が世界の頂点に立つ日がやって参りました!!』


テレビの特別番組の音が、喧しく外で騒ぎ立てる蝉の声と妙なハーモニーを奏でて鼓膜を震わせる。


『予選こそ韓国に1位突破を許したものの、続くトーナメント一回戦では古豪アルゼンチンを2-1で下し、準々決勝の対中国戦では嘗ての勢いもかくやと言わんばかりの6―0!FWの立川選手のダブルハットトリックに、世界中が大きく湧きました!!』


今ではすっかり高層ビル群に景色を遮られてしまう空も、周囲に静かな野山が広がるこの郊外からは実に大きく映る。


『準決勝のドイツには前半リードを許しますが、名将井上監督の采配とそれに応えたMFの稲葉選手の活躍で逆転!3-2で、遂に昨年の覇者・ブラジルとの決勝戦に臨みます!!』
「すっかり時の人だね、井上和馬くん」


傍らに立ち、木製の柱に寄りかかりながら『彼』はクスクスと笑みを零した。


『そして!!王者ブラジルとの決勝戦では立川、稲葉両選手の見事な連携と一丸になった井上監督率いる日本代表チームの奮戦により!!遂に!!遂に日本が世界の頂点に返り咲きました!!!』


―――プツン。

買ってまだ三年程度しかたっていない最新型のテレビが音を立てて電源を落とした。


「FWの彼、何て言われているか知ってる?伝説の再来『井上二世』だって」
「……フフ」


我ながら妙な笑みを零しつつ、『彼』に視線を向けた。


「もう28年、か…………」
「君が第一線を退いて監督に就任したのが3年前。君達がいなくなってから急激に力を落とした日本は前回大会でまさかの予選敗退……あの時は凄かったらしいね」
「その日の晩だったか、協会の方から『日本代表の監督になってくれ』って電話が来たのは」
「名選手が名監督になれる訳じゃないのにね」


肩を竦めて、『彼』は愉快そうに口元を歪ませた。


「知ってる?あの日、もし君が監督の話を断っていたらその瞬間に契約は履行したモノと見なされて、君の『存在』はこの世界から『消滅』していたんだよ」
「………………もう少し、関わってもいいかなって」


ギシ、とウッドチェアが音を立てる。
心地よい風が吹き込み、随分と白っぽく見える髪をさらさらと揺らした。


「君の悪友の彼も、部活の時一番上手かった先輩も、君を慕っていた後輩も……みんな第一線を退いて、その名前は風化していく」


「けど」と、何故だか妙に凛と聞こえたそれが、まるで鼓膜を介さずに脳に直接話しかけるかの様に響いた。


「君の名前は欠片も薄れない。永遠に人々の心に残り続け、鮮明に記憶され続ける」


―――日本代表、最強無比のストライカー。
―――奇跡の決勝戦ダブルハットトリック。
―――大会三連覇の立役者にして、世界最高のファンタジスタ。


「楽しくサッカーが出来るんだったら……みんなと一緒にサッカーが出来るんだったら、何でも良かったんだ。世界一とか、栄冠とかが欲しかったわけじゃない」
「無欲こそ一番の強欲だよ?」


つと、季節外れの北風が頬を撫でた。


「何かが欲しい訳じゃない、ただ自分の好きな事にとことん打ち込めればそれでいい……その『好き』だけを求める事は欲だし、それを突き詰める事も欲だ」


「それに」と『彼』は続ける。


「君は言ったね、『世界を舞台に戦いたい』って」


僕が手を貸したのは、日本代表の選考を通過するまで。
そこから先は、ただひたすらに『サッカーが好き』な君の力だよ?

言って、まるで衰えないその容貌を喜色に綻ばせて『彼』は笑った。







「この時計」
「ん?」
「これが刻んでいるのは、俺の残りの『時間』だろ?」


いつからか、文字盤の下にうっすらと見え隠れする様になった秒数。
それが自分に残された時間なのだと感じたのは、いつからだったか。

「気づいていたんだ」と、台詞程に驚いた様子も見せずに『彼』は呟いた。


「『事故に遭わなかった』君が『生きられた筈』の時間……83年と11カ月と29日と18時間41分22秒。それがその秒数が刻む時間の数だ」


カチ、カチ……と、家の壁に掛けた時計が時を刻む。
それと殆ど変らないリズムで、私の……いや、『彼』から貰った腕時計も針を動かし続ける。


「いつか君は言ったよね。僕は君の『生きる筈』の時間を喰らって自分の『寿命』に変えるって」
「ああ…………」
「結論から言うとね、あれはハズレ」


喜色混じりに告げられたその声音に、思わず顔を上げて眼を見開いた。


「『僕達』に『寿命』なんて……そもそも『命』という概念なんて存在しないんだ。その気になれば宇宙が滅びるまで永遠に生きてる事も寝ている事も出来る」


だから、君の寿命を食べたりなんてしないよ。

クスクスと、いつか見たその笑みを零しながら『彼』は笑う。


「じゃあ、何で……?」
「『僕達』はね、退屈だったんだ」





存在しているのに存在していない。
生きているのに死んでいる。

そんな相反する『事実』を孕み続ける彼らは、『誰か』が求めなければその姿を現す事はない。
だが、事実存在していないという『非在』を孕む以上、誰かが自分達を『明確に』認知する事はない。

求められるのは、有機生命体である人間が創りだした『神』なる偶像に過ぎぬ存在。

目に見えぬという一点で同じだというのに、しかし自分達は求められない。


「求められなければ干渉する事も出来ない無力な『僕達』は、だからずっと退屈だった」


永遠を生き、永遠に死ぬ存在。

理解が追いつかない、と視線にそんな思いを込めて見ると、『彼』はさも小馬鹿にした様に肩を竦めた。


「当たり前だよ。『僕達』だって自分自身の存在を理解できていないのに、そもそもそんな『非現実』を『現実』の尺度で理解しようとしているのが間違ってる」


理解出来ないから『非現実』であり『非常識』なのだと言って、「細かい説明は面倒だから省くよ」と『彼』は指を立てた。


「だから、『僕達』は干渉を決意した」
「は?でもさっき……」
「勿論君達への直接的な干渉は無理だよ。でも偶像に成り変わるくらいは簡単簡単。『朝飯前』って言うんだっけ?ご飯食べないでよく頑張れるよね」


そうして『彼ら』は我々が創りだしたという『神』なる偶像を自らに取り込む事で、その退屈から逃れようとしたのだという。


「それで色んな世界に行って、色んな事をしてきた。創造したり、壊したり、改変したり、色々」


だから、君も僕の退屈しのぎの一種にしか過ぎないんだよ。
突き放す様な笑みと共にそう言う『彼』に、しかし私は「今更」という気持ちがあった。


「それでも、お礼を言いたい」
「……?」
「貴方のお陰で、こうして俺は自分の大好きなサッカーが出来て、ずっとサッカーに関われて……楽しかった。本当に楽しかった」


だから、ありがとう。

言うと、彼は薄い笑みのまま瞳から何かを零し――――――





カチリと、銀の腕時計がまた一つ時を刻んだ。


――――――――――――――――――――――――

長短の基準が分からず、長いのか短いのかよくわからない結果に……



[22157] 嘘つきオオカミさん
Name: 伍葉葵◆53bf9f21 ID:17b50b16
Date: 2010/09/25 11:13

私のお医者様(せんせい)はオオカミさんという人です。

名字が『大神(おおかみ)』だからオオカミさんというのであって、童話に出てくる子供を食べちゃう様な怖いオオカミさんじゃありません。


オオカミさんは黒縁メガネに白衣を着て、いつも首から聴診器をぶら下げています。
他の人からは「大神先生」と呼ばれていますが、私としては「オオカミさん」の方が可愛いのでオオカミさんで通します。





で、そのオオカミさんなのですが。

私とオオカミさんが初めて会ったのは、私が七つの時です。


冬の寒い日の事で、家で大人しく遊んでいたら突然目の前が真っ暗になって、気がついたら見知らぬ大きな男の人――当時の私は同年代で比べても随分と小柄で、そりゃ子供から見れば大人の男性は大抵大きく見えるのですがそれでもオオカミさんの大きさはずば抜けていて――が目の前にいました。


お母さんもお父さんも涙をぽろぽろと子供の様に流していました。
私にはいつも泣いちゃいけません、と言って叱るのにずるいです。

そう言ってむくれたら、オオカミさんは私の頭をぽんぽんと軽く撫でて言いました。


今日からここが君のお家だよ、と。


それはおかしいです。
本当の私の家はこんなに真っ白じゃないし、本当の私の部屋にはベッドがありません。それに花だって飾ってないし、窓もあんなに大きくありません。

そう言ったら、オオカミさんは困った様に笑いました。


君はここに引っ越してきたんだ。だから君も、君のクマさんもここにお引越し。


そう言ってオオカミさんは、私のお気に入りのクマさんをひょいっと差し出してくれました。
私がそれを抱きしめると、オオカミさんはふわぁっと柔らかい顔をしました。


けれど暫くしたら、お母さんとお父さんと一緒に部屋を出てしまいました。
一人ぼっちは嫌でしたが、クマさんがいたのでへっちゃらでした。


そうしたらまたオオカミさんは戻ってきました。
今度はお母さんとお父さんはいません。


お母さん達は?


私が尋ねると、オオカミさんはまた私の頭を撫でました。


お母さん達はお引越しのお手伝いに行ったよ。もう遅いから、君も寝なさい。


そう言って、オオカミさんは私に布団をかけてくれました。
なぜだか凄く疲れていたので、私はそのままぐっすりと眠ってしまいました。





その日から、私は一人で歩く事が出来なくなってしまいました。


起きる時もオオカミさんに起こしてもらって(ご飯は一人でちゃんと食べます。ピーマンとニンジンが嫌でしたがオオカミさんは食べなさいというので仕方なく食べるフリをしました)
『くるまいす』というものに乗ってオオカミさんにあちこち案内してもらったり(おトイレの時は他の女の人が手伝ってくれました。オオカミさんはサボっているのでしょうか?)
寝る時はオオカミさんが私が寝るまで傍にいてくれたので寂しくありませんでした(たまにオオカミさんがそのまま私の傍で寝ていますが、疲れているようなので起こさないであげています)。


お母さんとお父さんは毎日会いに来てくれます。
けれど何だか寂しそうで、泣いてしまいそうに辛そうな顔をしています。


そんな顔で会いに来ても嬉しくありません。


そう言ったら、オオカミさんはムッとなりました。


そういう事を言ってはいけません。二人とも忙しいのに毎日会ってくれるんだから、「ありがとう」って言わなきゃ駄目でしょう?


そう、オオカミさんは怒りました。
何で怒ったのか、私はよく分かりませんでした。







オオカミさん、オオカミさん。


少女はそう言って、私の冷たい手を取る。
彼女の小さな手越しに、その温かさが伝わる。


どうしたの?


そう聞くと、彼女は一枚の色紙と鉛筆を取りだした。


七夕のお願い、オオカミさんは何をお願いするの?


その無垢な笑顔に、無邪気な言葉に。
私の心臓が音を立てて軋んだ。

ギリギリと締めあげられる様な錯覚に陥りながらも、私は長年培ってきた『上辺だけの笑み』を湛えた。


そういう君は、もう何をお願いするか決めたの?

あのね、あのね!


言って、彼女は身を乗り出さんばかりに笑う。


私、今度のお誕生日会にオオカミさんが作ったケーキが食べたい!


看護師の一人が洩らしたのだろう、私が菓子作りが出来るという情報を得た彼女はもうお願いというよりおねだりに近いそれを満面の笑みと共に放つ。


オオカミさんの作ったケーキは凄くおいしいってみんな言ってたのに、私はまだ食べた事無いから食べたいの!


言って、彼女はお気に入りのテディベアを抱き締めた。
酷く無垢で無邪気なそれは、けれど、私にとってはあまりにも残酷な言葉だった。


ねえ、オオカミさん!


そう言って笑う彼女は、まるで外の蝉の様に喧しい。
けれど鈴の音の様に澄んだ声音で私を呼ぶその声は、何故か愛おしく思えた。

だから私は笑う。


いいよ、と。
たくさん食べさせてあげるよ、と。


そう言えば、彼女は向日葵の様に鮮やかな笑みを浮かべるのだ。





だから私はオオカミ(しんじつ)を隠す為におばあさん(うそ)の毛皮を被る。
毛皮を被って静かにその牙を研ぎ澄まし、じっと待ちかまえる事しか出来ない。


夏の終わりと共に訪れるであろう最期の刻を迎える為に。
赤ずきんちゃんが食べられるその瞬間を静かに待ちかまえる。


嗚呼、だからそんな笑顔を向けないで。


私はオオカミさん(うそつき)なのだから。赤ずきんちゃん(きみ)を食べてしまう(みごろす)悪者なのだから。


物語で、赤ずきんちゃんはオオカミに食べられてしまう。
その瞬間に、彼女は何を思ったのだろう?


きっと絶望しただろう。
きっと憤慨しただろう。


嘘つきのオオカミは自分の腹を満たす為に赤ずきんちゃんを食べた。



なら私は?
彼女を見殺しにしてしまうだろう私に、彼女は果たしてどんな顔を向けるだろう?どんな感情を抱くだろう?


きっと絶望するだろう。
きっと憤慨するだろう。


嘘つきのオオカミさん(わたし)は自分を守る為に赤ずきんちゃん(かのじょ)を食べる(みごろす)。





だから私は毛皮を被る。

やがて訪れるその時まで、彼女をたっぷりと肥やしていく。
その時が訪れた時、そこに心残りがないように。



――――――外で鳴く蝉の声が、一つ、消えた。



―――――――――――――――――――――――――――――

ルビが……ルビがぁッ!



[22157] 嘘つきオオカミさんのあふたーすとーりー
Name: 伍葉葵◆53bf9f21 ID:17b50b16
Date: 2010/10/08 21:34
眼下に街を一望できる、昨今にしては珍しく未だに開発が進んでいない見晴らしのいい小高い丘陵に建てられた墓地の一角を歩いていた。


抜ける様な青さが広がる青空には羊雲が群れを成し、肌を撫でる秋風が髪をスゥッと梳いた。
そこに若干の肌寒さを覚えるであろうと予期して事前に用意しておいたコートは、しかし麓の駐車場から徒歩にしておよそ十分と云う行程を黙々と歩いてやや暑いくらいに温まった身体には不必要になり、今では右腕に畳んで持ち運ばれている。


――――――久しぶりだね


そう言って、私は目の前に建てられた石碑に微笑みかけた。
まるでそこにあの幼き少女を幻視したかの様に、我ながら酷く柔らかなそれを湛えた。











二年前の、秋半ばにしては随分と寒さが身に染みた十月下旬の頃だった。


「せんせぇ……?」


回診に訪れた私に、あの子は酷くやつれて、けれどとても柔らかな笑みを浮かべてその双眸に私を映した。


九月に入った頃から彼女の容体が悪化し、十月に入る頃には立つ事すら儘ならなくなってしまった少女は、あの夏の日に見た元気な笑顔を浮かべる事が出来なくなってしまっていた。

日を追う毎に身を這い、刺す管ばかりが増え、それに反比例して彼女の元気はまるでそこから彼女の身体を内側から犯す溶液と引き換えに吸い取られる様にして失われていった。


「せんせぇ…………」
「寝たままでいいよ。無理をしたらいけません」


語りかけ、上体を起こそうとする彼女を手で制し、私はそのか細くなった腕を取った。
今にも折れてしまいそうな小枝程に細く、脆く、そして淡く見えるその腕にも、幾つもの管が喰らいついて溶液を彼女の身体に流し込む。
それがどれ程の苦痛を伴うのか、どれ程の精神的ストレスを感じさせるのか。

この仕事を続けてきた私にとって、そのストレスや苦痛をただ与えるだけの私にとって、それは理解できる筈もない事だった。


「せんせぇ……」
「…………大丈夫、もうすぐ良くなるから」


これまで幾人もの患者にそう嘯いてきた私の口がその単語を発した瞬間。
いや、正確に云えばそれを聞いて彼女が優しい笑みを浮かべた瞬間。


私はこの口を、喉を裂いてしまいたくなった。

裂いて、斬って、千切って。
そうしてこの嘘を平然と発する口を、声帯を捻り潰して、その存在の全てを否定したくなった。


彼女にその言葉を吐いてどれだけの時が経った事か。
一秒でも彼女の心を、その笑顔を欺き続けるこの身の全てを憎んでどれ程の時が経ったか。


「せん、せぇ…………」


儚く、消え行ってしまいそうな声音で彼女は私を呼び続ける。
そっと頭を撫でてあげれば、少女は少しだけ気持ち良さそうに目を細めるのだ。


「せんせ、ぇ……わたし、ね……?」
「……もう、いいから。ゆっくり休みなさい」


制そうとする私を、しかし彼女は病床とは思えない程に強い力で私の袖を握った。

そこには幼児程の力もない筈なのに、何故か彼女に袖を握られた瞬間から私の腕は鉄釘で打ち付けられたかの様に微動だにしなくなったのだ。


「わたし……せんせぇの作ったケー、キ……食べたい」
「……ああ。病気が良くなったら、いくらでも作ってあげるよ」


私が言うと、彼女はフルフルと首を横に振った。
そんな微細な動きすら、今の彼女にとっては物凄い負荷がかかる事であるというのに。


「食べるだけじゃ、ない……よ?」


言って、彼女は微笑んだ。


「せんせぇの作ったケーキで、私のお誕生日会をし、て……お父さんも、お母さん、も……学校のみんなや、近所のネコさん、や……病院の人も、みんなで一緒に」
「……私は、そんなにたくさんの人にケーキを作らなくちゃいけないのかい?」
「だっ、て……せんせぇのお菓子は美味しいんでしょう?だった、ら……ッ、みんなで……」


途切れ途切れで、とても小さい。
外に吹き荒ぶ風に掻き消されてしまいそうな程に淡い彼女の声を、しかし私は全神経を鼓膜に集中させて拾い上げた。


「みんな、で食べて……それで、一緒に笑えたら…………」


―――それだけで、私は幸せだよ?


窓の外に寂しげに佇む木の枝にあった葉が、風に飛ばされて虚空へと消えた。











やや季節外れとも思える秋風が、一際強く墓所を吹きぬけた。


山々に生い茂る木々を撫ぜ、ぴゅう、ぴゅう、と呼吸器を通して伝わる様な音を立てる。
酷く聞き慣れた、酷く不快な音を。


茜色に染まり始めた大地と雲ひとつない青空のコントラストは、見れば作画意欲を掻き立てられる者もいるかもしれない。


だが私の胸中に浮かんだのは、彼の木々と同じ様で異なる朱色。
嘗て消え失せた、私のたった一人の妹だった。











昨今の様に臓器移植が一般に普及しておらず、倫理的道徳云々という下らない建前に縛られていた頃。


私が小学校中学年、妹は入学したての折だったか。

生まれついて身体が弱く、心臓を患っていた妹は小学校の入学式当日を家で寝たきりで過ごす程に病弱だった。


日に日に身体は痩せ衰え、言葉も笑顔も弱弱しくなっていく妹の姿を、しかし私はただ見ているより他に出来得る事が何一つなかった。


この世でたった一人の妹だった。


級友との遊ぶ約束も断り、私は毎日の様に真っ直ぐ家に帰っては、やれ今日はこんな事があったの、明日はあんな事をするだの、様々な事を妹に話して聞かせた。
私の一言一句を妹が全て聞き取っていたか否かは瑣末な懸案に過ぎず、ただただ時折浮かべる彼女の笑顔を見られるのであればその程度何ら問題にもならなかった。





季節が肌寒い晩秋に移り変わった頃に、妹は市内の総合病院へと入った。
同時に、家の中までまるで冬将軍が居座ったかの様に冷たく感じられる様になったのもこの頃だ。


父は帰りが遅くなり滅多に顔も合わせない。
母は家事と病院への見舞いとで毎日の様にため息ばかりを洩らす。

私は家にいる事を拒み、外で遊び耽る様になった。
母が居ない時間を狙って病院に行き、それ以外の時は友人の家や近所の公園で警察官が巡回を始めるまで時間を潰した。


だが父母共に、そんな私の愚行を咎める気力さえ失っていた。


―――俺、ウチにいたくない


脹れっ面でそう呟くと、妹は少しだけ眉を困った様に下げて微かに笑んだ。


「お兄ちゃん、そんな事を言ったらダメだよ」
「けど、親父もお袋も俺の事なんかなぁんも考えちゃいねぇ。俺の事なんか、もうどうでもよくなったんだよ」
「お兄ちゃん」


少々ムッとした妹は、ほんの少し咎める様に口調を鋭くした。

バツが悪くなった私は目線を逸らし、頬の内側に溜めた空気を不平と共にふぅと吐いた。











思えば、これが妹との最期の会話だった。

妹はその後まもなく、臓器提供者が見つかる事もなく呆気なくその生涯を終えた。


葬儀の時、涙すら出なかったのは何故かと未だに疑問を抱いていたが、思えば妹は、或いは自分がそう長くはない事を本能的に悟っていたのかもしれない。


だから私に「家に少しでも長くいてあげて」とか「お父さんとお母さんを困らせないであげて」とか、会う度に口癖の様に呟いていたのかもしれない。


妹は家族が大好きだった。
幼稚園の頃に言っていた将来の夢に「家族みんなでずぅっと一緒にいたいです」と描くぐらいに純粋で。


そのままに逝った妹は、しかし今の私より余程聡い。

私は、妹のそんな心遣いに最期まで気づいてやる事は終ぞなかった。
愚兄とは正にこの事である。



幼年期の女性の臓器提供は、移植手術が公的に普及し始めた昨今に置いても尚適合者を見つける事が難しいとされる。
現状ですらそうなのだから、妹の時に見つかる筈もないのだと自認出来る程度に大人になったのは、最近になってからの事だ。





妹が死んで間もなく、私は医学の道を志す事を決めた。

あの時、妹を助けられなかった自分が。妹を守ってやれなかった自分が酷く無力で、そんな自分が何よりも嫌悪の対象に他ならなかったのが主たる要因である事は自他共に認める所だ。


結果論的に云えば、妹を助ける手段はあの当時でもあるにはあった。

しかし先に述べた通り、当時の倫理的観念云々などという――私個人にしてみれば過去も今も相違なく――馬鹿馬鹿しい愚論によってそのささやかな可能性の光は根こそぎ捻り潰されていた。


命を救う事と、命を奪う事が同時に起こるその行為は是か否か。

今でも議論は絶えぬこの疑問に、過去であればともかく現在の私は結論を下す事は叶わない。


医者として。
一人の人間として。


二つの命を天秤に掛け、一つを捨てるという行為そのものが、社会的道徳だの倫理的本性だのという世の御高説好きの大馬鹿共が垂れ下げる建前以前に許されざる行為だからだ。
例え一方が既に死したものであったとしても、だ。


同時に、救える命を何故救わない、という疑問も私の中で確かにとぐろを巻いている。

医者であれば、救える命を見捨てる事は出来ない。
だが、それなら既に死んだ命は、その入れ物だった身体は、遺族にしてみれば墓より掘り出されて辱められるに等しい解体などという行為を許せるか。


永遠にイタチごっこを続けるであろうこの疑問は、今も昔も変わる事無く続く。


しかし今、私が生きるこの世界では今日もまた人だったモノが他の入れ物の代替として使われている。





「―――オオカミさん」


倫理という論理が正義であり、死後の肉体を弄ぶに等しいこの技術によって救われた命が否であると断じられるなら、私はこれからもその悪行を重ね続けるだろう。


救われた命によって涙を流すのか。
救われぬ命を悼んで涙を流すのか。


いずれの涙も見、そしてこの身を以て知る私は、例え業罪であると世界が非難し続けようとその罪を重ねる。

二度と帰らぬ命の痛みを、涙を知るから。


「―――私は嘘つきな『オオカミ』だからな」


救えぬという世の理に嘘をつき、私はこの手で誰かに二度目の死を与え、誰かに二度目の生を授ける。


今日も。
明日も。


十年先も、二十年先も、五十年先も。


「――――――行こうか」
「ハイ」


あの日与えられる筈だった『死』という真実を騙し、そして守ったこの命と共に。



私は今日も、世界に『嘘』をつく。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

以前投稿した『嘘つきオオカミさん』完結編です。



[22157] 4分16秒の愛物語
Name: 伍葉葵◆53bf9f21 ID:17b50b16
Date: 2010/09/25 11:17
―――たおやかな指に弾かれ、弦が音を奏でる。
濁流の様に激しい音をBGMにして、彼女はただひたすらにその言葉を叫ぶ。


僕の彼女が急に「ギターやりたい!」なんて言い出したのはついこの間の事で、そこから考えれば実に目覚ましい程に上達した腕前なのだがあくまでそれは素人主観の問題であって、同級生のギタリストに言わせれば「まだまだ半人前」だそうだ。

まぁ他人の評価なんて別段僕には関係なく、ただただ彼女の音に密かに酔いしれるのがここ最近出来た新たな楽しみの一つになりつつある今日この頃なのだが。


(……何か聞いてるこっちまで疲れるよなぁ)


なんて、にべもない事を心中でぼやくのも既に数えただけで二桁は越えたと思う。

ちなみにこの統計はこの一週間分だけでも、である。


「なんでロックなの?」なんて事を疲れた彼女にジュースを投げ渡しつつ問えば、僕より白くてか細い指が悪戦苦闘しつつ彼女は「そっちの方がカッコいいじゃん!」とやや顰めた顔で返す。

そんなにやったら爪が折れちゃうんじゃないかってぐらい、頑張ってる。


ロック以外にもあると思うんだけどなぁ。
そうぼやくと、しかし彼女は実に不服そうな面持ちで僕に缶を差し出す。


玉の様な汗を掻きつつふくれっ面を浮かべる。そんな様子が何処か面白くて、つい笑みを零した。


僕も彼女も音楽にそこまで造詣が深い訳ではない。
精々たまに出る新譜のCDを近所のショップでレンタルしたり、金曜の夜にやる音楽番組を割と多めに見るとか、そんな程度。


じゃあ他に何があるのか考えてよ。
なんて事を開き直った風に言う彼女は、僕が手渡したタオルで汗を拭った。


しかし何が、と言われると答えに窮してしまうのは僕の浅い音楽知識の底をあっさりと暴露する様なものであって、それは彼氏という立場上聊か許し難い事であるのだが、けれども彼氏であるのなら彼女の問いにちゃんと答えてあげないとと思ってしまう。



何だろうねこのロジック。



と、その時。
不意に何かを思いついたかの様に彼女が「あっ」と息を零した。


その顔を見た瞬間、僕はいやぁな感覚を覚える。

あの顔は何か(彼女にとっては)天啓を思いついたものであり、同時に(僕にとっては)警鐘を鳴らすものでもある。


付き合い始めて一年近く経つからある程度は慣れたのだけれど、やっぱりそれに振り回されるのだと理解していて尚も近づく物好きはいるのだろうか?
…………うん、僕だねそれは。


「そうだよ!ないんだったら作ればいいんだ!!」


おっとっと。
予想通りというか予想以上というか、兎も角そんな彼女の言葉にたたらを踏む。


そんな僕をまるで気にせず、彼女は一人で何かブツブツ言っている。
大方、自論を次々と作りあげて自分を正当化しようとしているのだろうけど、やっぱり言った方がいいよね?


「曲を作るのって、大変でしょう?」
「大丈夫!編曲は私のギター中心だから!」


そういう問題じゃないと思うんだけど。


「……仮に作るんだとして、何のジャンルにするの?」
「ラブソング」


あっさりと。
実にあっさりと彼女はそうのたまった。


「……………………はいぃ?」
「何気が抜けた様な声出してんの?」


いや、これは僕のせい?

ラブソングってあれだよね?不特定多数の観客に自分の愛をばら撒くあれだよね?


それを歌う?
誰が?


―――彼女が?


「却下ァッ!!」
「わっ!?」


思わず大声で叫ぶと、彼女は久々に驚いた様な可愛らしい声を上げる。


「却下!ラブソングとか論外!!ダメ!ゼッタイ!!」
「な、なんでよっ!?」
「君は僕の彼女でしょ!?だったら他の男に愛を囁くとかやだよそんなの!!」
「……うわ。独占欲丸出し」


何かドン引きしてるけど、僕はそれどころじゃない。

またあの血みどろの――いや、実際問題流血事件は起きてはいないんだけど――争奪戦を繰り返すなんてゴメンだし、何よりやっと周囲にも『カップル』として認知され始めたこの時期になってそれは許し難い。

けど彼女の要望を叶えたいという彼氏としての心もあるわけで……あぁでもやっぱりラブソングはちょっと嫌だ。


「ん?」


と、そこである答えに辿りつく。

……あぁそっか。
『他の』男に愛を囁いて欲しくないんだったら―――


「どうしても歌うんだったら、せめて僕に向けて歌ってよ!!」
「は――――――ハァッ!?」


あ、首まで真っ赤になった人初めて見た。

何だか金魚みたいに口をパクパクさせて、プルプルと指先を震わせながら僕を指差す。


「お……お前に?」
「うん」
「わ、私が?」
「うん」
「―――わ、わあぁぁぁっ!!!」


二回程頷くと、何故か彼女は頭を抱えて思いっきり叫んだ。
僕もそうだったけど、この部屋こんなに騒いで外に音とか漏れないのかな?


「は……恥ずかしいだろそんなのっ!!」
「大丈夫!!歌詞は僕が作るから!!」
「そういう問題じゃなくて!!つか、それってお前から私に向けてになるじゃん!!」
「だったら僕が歌うから!!」
「お前はバンドに登録してないだろ!?」
「大丈夫!!僕実行委員長だから!」
「え、嘘!?―――って、それでも無理だろ!!」


まるで漫才の様に、激しい応酬を繰り返して。





それは昨日も見たような光景で。
それは今日も繰り返した光景で。
それは明日もするだろう光景で。

そんな日々は、多分そう長くは続かないかもしれない。
学校を卒業して。社会に出て。大人になって。

そうしたら、僕たちは違う道を選ぶのかもしれない。
それぞれの夢へ。それぞれの道へ。

僕達は歩いていくだろう。
それが『大人になる』って事だから。

だから僕は『今という瞬間』を君に捧げよう。
何者にも変えられない。何者にも奪えないこの『刹那』を君に捧げよう。

いつか違う女(ヒト)と出会っても。
いつか違う女(ヒト)と結ばれても。

この瞬間の『僕』は君だけの所有物(モノ)。


だから。
だから百万分の一でもいい。

君の『今という瞬間』を僕にくれないか?
何者にも変えられない。何者にも奪えないその『刹那』を僕にくれないか?

いつか違う男(ヒト)と出会っても。
いつか違う男(ヒト)と結ばれても。

この瞬間の『君』は僕だけの宝物(モノ)。

だから。
だから僕は君に捧げよう。

『愛してる』の一言を。


―――――――――――――――――――――――――

短いですかっ
基準が分かりませんっ



[22157] 因果応報論
Name: 伍葉葵◆53bf9f21 ID:17b50b16
Date: 2010/10/23 21:48
口から吹いて出た紫煙が虚空に揺らめいた。


待合室は閑散としていて、まばらに人がソファに腰掛け、或いは壁にもたれ掛かって、しかし皆一様に口を開きはしない。

そんな光景をガラス張りの壁越しに眺めながら、私は再び煙草を口に咥えた。



私が高校生の頃に一律値上げが施行されて十年近く。昨今では吸う人間の方がむしろ珍しい葉タバコ特有の臭みと肺腑に染み渡る味がお気に入りで、止めようと思っても中々止める事は叶わないそれを咥えながら、何をする訳でもなくただぼんやりと虚空を眺めた。



外は肌寒く、冬の訪れを感じさせる冷たい風が頬を撫でた。
葉を舞わせ、木々を鳴らし、水面を揺らす風はふわりと吹いて、宙を漂う紫煙を何処かへと運んで行った。













大学の、あれは卒業を再来月に控えた頃合いだったか。

『人権尊重』とか、確かそういった私にしてみれば至極下らない理由から『死刑』が廃止された。



国際的な死刑撤廃に向けた取り組みにこれといった持論を述べる訳でもなく、ただただ唯々諾々と欧米列強の下僕と化した政府と議会の決定が一面に報じられ、巷は騒然となって、或いは嬉々としてメディアのワイドショーは頻繁にこの政変を取り上げた。



それから間をおかず、ある事件が起きた。



資産家を狙った強盗殺人、一人暮らしの老人を殺害して現金強奪、某私立高校内でのカツアゲから発展した殺傷沙汰。


金に目のくらんだ欲深い馬鹿共が次々と跋扈し、己の無知無能を顧みずに世俗を騒がせたそれとは一線を画した、心胆を寒からしめた事件。




来日していた某国の要人を、大使館に乗り込みその凶行を止めようとした警備員諸共殺害したある一団。
要人一人、会談に来訪していた大臣一人、その傍回り二人、警備員は大使館の人間と合わせて計五十人の、占めて五十四人を殺傷したのは、まだ二十歳にも満たない少年少女五人だった。



犯行の動機は、その要人の息子が徒党を組み、主犯の少年の姉を輪姦した事。


それが原因で彼の家庭は崩壊の一途を辿り、更にその事件すら要人に恭順した政府高官の横槍によって握り潰された。
結果としてその事件は表ざたにならず、当然その要人の子も何一つ罰を受ける事無く放蕩自適な日々を甘んじて送る事となった。



それが、未だ二十歳にも満たぬ少年の心を引き裂いたのだろう。





深夜、警備が手薄になった頃合いを見計らって門衛を殴死させ拳銃を奪うと、少年少女は正面から堂々と侵入して大使館に殴り込み、次々と警備員を射殺、或いは撲殺した。


そうして奥の部屋で愛人と戯れていた要人を有無を言わせず肉塊に変えると、とって返す様にその要人の子と、彼が徒党を組んでいた不良数名が屯している都心のバーに向かった彼らは店内にいた従業員、一般客諸共彼らを殺害。



その頃になって漸く駆け付けた愚鈍な警察官共によって、漸く犯人逮捕に至り事件は解決を見たかに思えた。


―――だが、















「僕の行いの、何処が悪いんですか?」




『高度に政治的な問題』であるとして早急に開かれた裁判に置いて、開口一番彼はそうのたまった。


最近の無表情な若者とはまるで異なる、泰然自若として凛とした声で堂々と発言した彼は、傍聴席に座った要人の関係者と、その国の外交官をチラリと見て嘲笑った。


「僕の姉は、あの下衆共のせいで手を斬り死にました。父母は姉の事件を受けて周囲から後ろ指を指される自分達を恥じ、自ら首を吊りました。
けど警察も、政府も、誰も助けてくれないし、あのゴミ屑共に何一つ罰を与えようとはしませんでした」


世界的に普及し、近年では幼稚園児すら話す様になった英語を、しかし彼は実にネイティブな、流暢な発音で朗々と話し続けた。



「だけどある日、神様が僕に囁いてくれました。『あのゴミ共を殺せ』と」



子供の様に無邪気な笑みを湛えて、彼は続けた。
傍聴席の方で酷く気分を害したのか、荒々しい声音で怒声を上げ喚き立てる連中の言葉など戯言以下にも感じていないのか、顔色一つ変えず彼は続けた。




「罪に罰を、死には死を与えただけの事です。



ゴミを掃除する事の何が悪いんですか?
お上の人間なら、何をしても許されるんですか?


神様は見ています。あのゴミ達のやった行いの全てを。
けれど自分ではその罰を与える事は出来ないから、その役目を僕に下さったのです。


―――僕は何一つ、過ちなど犯してはいません」
















聞けば彼の祖母は生前、敬虔なクリスチャンだったそうだ。


幼心にそれを学んだ彼もまた神に仕える身として、神の言葉を賜る人間の一人として相応の教育を受けてきた。

だが同時に、彼の心には近年の若者が忘れ去ってしまった何かが芽生え、そして育っていたのだろう。


それが姉の事件をきっかけに弾け、そうして今回の事件へと結びついたのか。








検察は被告である彼を『大逆である』として、特例以外ではまず認可されない極刑、つまり既に廃止されている筈の『死刑』を求刑した。
また他の共犯四人に対しても同等の刑を求めているというが、これはいうまでもなく世間体と対外的な印象を最重要視しての発言である事は周知の事実である。



一方の弁護側は『犯行当時、少年に善悪の判断は出来なかった』として減刑を求めている。
だがこの弁護人のやる気が無い事は午前中の審議で既に明らかで、どう見てもあの少年を本気で守るつもりは欠片もない。


国選の人間と言っても、今回の事件は流石にキツイのだろう。
下手をすればそれこそ戦時下における『非国民』呼ばわりされ、非難のやり玉に挙げられかねない。


適当に争って、早々に死刑なり何なりにして貰おう。
そんな内心がありありと目に見える弁護人は、今頃外でフレンチでも食しているだろう。




パフォーマンスでしかない今回の裁判の行き着く先は、言うまでもなく極刑。



そんな事をとうの昔に理解しながら、しかし私の胸中にはドロリとした水たまりが広がっていた。
腸の底を抉る様な冷たさと鋭さを滲ませながら、その沼は心身を徐々に侵していく。



少年の家族は、一様に自殺でしかない。
対して要人は、一家を皆殺しにされた。



その前後の過程云々を差し引いた事実だけが伝わっている今、世評は後者に傾いている。



国家クラスでの情報統制。
よもや『一政党至上主義者』と軽蔑しているお隣さんのサル真似をしているとは、無知な人間は誰一人知りはしないだろう。











私がまだ学生という身分であった頃にはよくテレビで放映していた黄色い頭巾の老人と伴廻りが大暴れする勧善懲悪モノや、所謂ヒーローと呼ばれる単調な正義感を持った人間の活躍するドラマも、最近では酷く懐かしい代物になってしまった。


近年跋扈しているのは『悪の美学』であったり『嬲る者の理念』であったり、兎角私の様な少々古典主義な人間にはまるで理解の及ばない代物である。



己の信じる道が必ずしも正義である訳ではない。しかし進まずにはいられない―――



そんな言い訳がましい事をのたまう主人公は自分を爪弾きにした社会に復讐する、といった具合だ。
甥っ子が夢中になっているドラマも確かそんな内容だったと記憶している。



未だ中学生の身分でそんなものにハマるのもどうかと思案したが、姉の言う所によれば「実行しなければ問題ない」そうだ。


つまりは、私達が子供の頃に見ていた戦隊モノの真似を公衆の面前でやるという愚行と等しく、人様に恥を晒さないのであればどうだろうと良い、という事だ。



その意見が既にドラマと反していると感じたのは誤りではないだろう。



彼らは行動しなければならない、即ちのっぴきならない状況下に何らかの形で追い込まれていて、それで止むなく行った行動がたまたま私達視聴者には『正義』と捉えられたからウケているのだ。







では、彼はどうだ。

精神的にも社会的にも追い込まれ、救いようのなかった彼は。彼のとった行動が果たして『悪』であったのか。


私には断じる事は出来ない。

自分が同じ境遇に置かれたのなら、どうなっていたかなど想像も出来ないからだ。




















人はよく「貴方の気持ちもよく分かる」とほざくが、そんな事を言う人間に限ってその人物の表層しか見ていない。
否、そもそも赤の他人の本質をそう簡単に見抜ける人間など存在しようがないのだ。


存在した所で気色悪い事この上ない。自分の事を、自分以上に知る人間などいてたまるか。



だから私には彼の気持ちは分からない。



「何も殺す事はなかったのではないか」と云う人間と、「家族を奪われたのなら奪い返して当然だ」と云う人間。



相手が浮浪者か、一般的中産階級の庶民か、はたまた大富豪や大物代議士の血縁か。


その相手で、人は『罪』の軽重を判断する。



高度に政治的な問題?



――――――ハッキリ言おう、吐き気がする。

そんなモノはゴミ箱にでも放りこんでおいた方が環境に余程優しいだろう。



相手が某国の要人だから。
対外的面子を守りたいから。


だからあの少年は贄としてその首を刎ねられる。


全ての責を彼に押し付け、一億云千万の国民の当面の享楽と、お偉方の面子と懐は守られる。


馬鹿馬鹿しいそれが既に当たり前となってしまったこの社会が既に屑だ。
屑は屑らしく屑籠にでも放りこまれるのが分相応だというのに、未だに大国に縋りついて保身を図ろうとする上層の人間は自分が選ばれた人種だと勘違いしている。


阿呆の極みが国のトップである時点でこの国はお終いだ。










肺腑から入出た煙がゆらゆらと空に舞う。


酷く気力のないそれは、誰にも聞こえないであろう彼の叫びを物語っている様に幻視出来た。


家族を奪われた痛みを知らない私に彼の痛みは理解出来ない。
家族を殺された悲しみを知らない私に彼の慟哭は分からない。


だが、彼は己の行いを嘆き、悔いはしないだろう。


己の『正義』を振りかざし、その狂慢を悦とした彼に。
そしてその狂気を生み出したこの国に。





そう遠くない終わりを告げるかの様に、紫煙は空へと消えていった。



[22157] 神さまの腕時計 2
Name: 伍葉葵◆53bf9f21 ID:17b50b16
Date: 2011/06/01 22:20
都会特有のコンクリートの木々の隙間から覗く灰色の空が、身を凍らせる様な雨粒を大地に叩きつけている。駅舎の屋根を滴り、砂利に打ち付ける様に激しい音を立てるそれは、雨ざらしの俺の身体にもまた等しく降り注いでいた。
春先だというのに身を切る様な寒さを感じさせる日和は生憎の空模様という事もあり、しかし平日の午前も中頃という時分からか人通りはいつもと余り変わりない。その諸々の面々は皆一様に青ざめ、或いは甲高い悲鳴を上げている。にもかかわらず虚空から降りてくる無情な音は容赦なく全てをかき消し、洗い流そうとする。



俺は空を眺めていた。理由も意味もなく、ただただ漠然と身体を仰向けて転がっていた。
背中に感じていた鉄筋の線路の冷たさは、今ではそれが雨によるものなのか元からの冷たさなのか、はたまた俺自身の体温の低下にその原因があるのか。まるで見当がつかない。
仰向けのまま、空に手を伸ばしてみた。虚空を枯れ葉の様に舞い踊りながら天上へと昇る赤い風船に向かって伸びた手は届く筈もなく、ただその余りの遠さを改めて実感させられるだけの結果だった。



顔を動かす事すら億劫に思える程身体がだるい。力がまるで入らず、意図せず徐々に抜けて行っている様な感覚を覚えた。

視線を下に向けて見ると、そこには在るべき筈の二本の脚立の為の部位が失せ、醜い腸が無様に飛び出していた。血水はドロリと広がり、半身の切断面から止めどなく溢れ出る。


―――ああ。俺、死ぬのか。


その思考に至った途端、不意に笑みが零れてきた。
狂気に堕ちた訳ではない。絶望への失笑でも、無様な自分への嘲笑でもない。純粋に、ただ笑いたいから笑った笑みだ。

死ぬ事を今更恐れる様な感情は俺にはない。死ぬことよりも辛い事を、少なくとも一つ知っているから、だから俺は『死』という結末を恐れはしなかった。
だが少なからず『後悔』はあった。大切な人を残していくという未練があり、未だやりたいと思う多くの事への未練があり…………それらは、しかし決して満たされないまま終わる。その顛末が変わる事は絶対にない。

『二回目』の『死』は、どうあっても拭えないのだ。
































少年は極々平凡な家庭に生まれ、極々平凡な育ち方をした。
彼に関して取り立てて特筆すべき事柄を見つけようとするのは、鳥取砂丘に混じった大陸産黄砂を見つけ出す事よりも至難であり、


淡々と。
淡々と。

淡々と歳を重ね、淡々と時を過ごし。
何を望んでいたのか、何を願っていたのか。


自分ですら分からない事が他人に理解される事も当然ながらなく、淡々と普通教育を修了して淡々と社会に出た彼は、何処にでもいる様な極々平凡な、極々普通な、極々当たり前な人間として淡々と生き、やがて人並みの幸せと共に人生を終わらせる筈であった。



だが、それは机上の論に終わった。
















社会への奉仕という職を終え平凡な引退をした彼は、ある日散歩がてらに市街へと赴いた。
学生という身分であった頃とは随分と顔を変えた街を懐かしく、何処かうら寂しく思いながらも歩き続け、やがて何かに導かれる様に街角の寂れた店へと入った。


そこの内装は外観同様随分と寂れていたが中々に小洒落た面持ちで彼を出迎え、壁から棚から、至る所に時を刻む針の音を響かせていた。
奥の方に鎮座する老人は自分より一回りほど年上だろうか。店内だというのに目深に帽子を被り、来客に挨拶の一つも寄こさない。その無愛想ぶりは老成した現在ではともかく、若かりし頃の彼であればガンの一つも飛ばしたであろうものだった。

最も、彼は店主の無愛想よりも店内に充満する古臭く、しかし随分と心地よい音色に心を奪われていた。


これといった趣味もなく、幾ばくかの余裕がある手持ちの紐を緩めるのも悪くないと思ったのか、彼は品定めする様な目で店内を歩き始めた。
壁掛けの時計は木製から銀製、仕立てからして高尚さを匂わせる英国調の物から学生時代に齧っただけのうろ覚えな外国語を盤に刻んだ物まで多種多様に取り揃えており、少し視線を下に向ければ机の上にも所狭しと腕時計や置時計が並べられていた。

やがて、その一角にまるで転がる様に無造作に置かれていた腕時計に目が止まった。
アンティーク調の銀盤はこれといって煌めいている訳ではない。むしろ年代を感じさせる趣のある光沢と言った所だろうか……そこいらの店でたたき売りしている様な安っぽいものとは一線を画したそれに、惹かれる様に彼は手を伸ばした。

カチ……カチ……と刻まれる音は、一つ一つが意志を持っているかの様に何処か力強い音を奏で、それまで刻んできた年月を思わせる様な老成染みた趣を感じさせた。


「店主、これは幾らかな」


問うてみたが返答はない。
値札もついてない代物だから或いは売らない物だったか、と彼が思った矢先―――





―――――やり残した事はあるのかい?







凛とした少年を思わせる声が、彼の鼓膜を揺らした。









































―――夢を見る。
幼稚園の頃、海を自由に泳ぐ魚達に憧れて潜水艦の艦長になる事を望んだ自分。





―――夢を見る。
初恋と呼ぶには余りにも幼すぎた、仲の良い少女と戯れる自分。






―――夢を見る。
箱の向こう側の世界に憧れて、一心不乱に白球を追いかけ続ける自分。







―――夢を見る。
永遠に続けばいいと思える程に楽しく、そして刹那の内に過ぎた時間を懐かしむ自分。










―――夢を見る。
理想の無意味さを知り、平均化された社会に淡々と溶け込んでいく自分。








何をやり残したのだろうか。
何を願っていたのだろうか。
何を想っていたのだろうか。


本当によかったのか。そう問われて答えるのは大往生の三秒前と決めていた筈だった。

だが、口を衝いて肺腑の奥から漏れ出た答えは『否』





―――やり残した事はあるのかい?

―――あるさ、沢山ある。





一度目の、今生きているこの『命』は二度とないものだと知っていたから、ただ自分を育ててくれた親に恩を返す為に尽くしてきた。


仲の良い友がいた。
掛け替えのない人を得た。

やり残した事があっても、今更それらを捨てるつもりなど更々なかった。





―――もう一度、やってみないか?

―――何を。




分かっている癖に、問うてみた。


―――人生が二度あるなら、二度目の生は親に尽くす。だけど人生は一度きりしかないから、人は夢を追いかける。

―――そして、現実の非情な常識を知る。




クスクス、クスクスと笑い声が聞こえた。
純真な子供の様な、妖艶な女の様な、小洒落た男の様な、とても小さな羽音の様な笑い声。









―――夢を追いかけたいとは思わない?自分の人生を、自分の我儘の為だけに使いたいとは思わない?



思わない、とは云えなかった。
少年の言葉が、自分の胸の奥底を鷲掴んでいる様な感覚を覚えたから。







―――走り抜けてみなよ。自分の力が続く限り。自分が正しいと思った事をして、やりたいと思った事をして、駆け抜けてみなよ。




身体が虚空を彷徨う。
まるで時を引き戻す重力に引っ張られる様に、後ろへ、後ろへと身体が落ちていく。



―――いつかきっと思い出すよ。




そして俺は、光を垣間見た。
淡く、微笑む様な柔らかい光を。





―――本当に大切な宝物を。



























嘗て、母親が言っていた。



―――アンタはホント、手間のかからない子供だったわね。


もう声すら聞けない、顔を見る事すら叶わないその人は、何処か呆れた様な表情で続けるのだ。



―――親ってのはね、子供が夢を叶える為にいるんだよ。子供の夢が、親にとっても夢なんだよ。



我儘を言いたくなかった。
迷惑をかけたくなかった。

そう言うと、あの人は少し怒った様に眉をひそめるのだ。



―――アンタは、それでいいの?




夢を追いかける事の無意味さを知っていた。
だからそこまで子供になる事も、親にいらぬ苦労を掛けさせる事も遠慮したかった。



―――そう。だったらもう何を言わない。

―――けどね、これだけは憶えておきなさい。




言って、あの人は微笑むのだ。
もう聞けない声で、こう紡ぐのだ。





―――たった一回きりの自分の人生、好きな様に生きて罰なんてあたりゃしないんだ。思いっきり走り抜けてみなさいよ。




子供だった俺の背を押してくれた温もりは、ずっと遠い思い出。
けれどそれが、とても懐かしく、愛おしかった。


































『―――間もなく、三番線に参ります電車は―――』




駅の喧騒が鼓膜を揺らし、現実へと意識を舞い戻らせる。
辺りを見れば、誰も彼もが実につまらなそうな面持ちでそれぞれ新聞を読み、音楽に聞き入り、談笑に勤しんでいた。


空はどんよりと雨模様。
だが幾分か、この心地は穏やかだった。






瞼の裏に蘇る記憶。



只管に白球を追いかけ、泥まみれになってもバカみたいに楽しかった真夏の日。

当ても無くバイクを飛ばし、辿りついた先の海で泳ぎ疲れて仰ぎ見た満天の星空。

破れて尚悔いも残さず、怒涛の様に駆け抜けた青春という名の若気の至り。







沢山の馬鹿をやって、沢山の夢を見て。
全てが胡蝶の夢であったかのように美しく、余りにも楽しかった日々。





それらが嘘であったとしても。
例え現の夢だったとしても。




そこに居て、やり残した事などある筈もない。
自分が思うままに生き、思うままに行動した。



失敗だってたくさんした。
怒られ、喧嘩して、怒鳴り合って、殴り合って。




ありがちな「全てが今では楽しい記憶の一ページ」なんて言葉で片付けたくはない程、片づけられない程に力強く、楽しく、色濃くも過ぎ去った日々。









『―――間もなく、電車が参ります。白線の内側に―――』







ポツリ、と雨音が響いた。
ポツ、ポツ、と音を増やし、やがて来るであろう本降りを思わせるそれに、漠然と視線を中空に彷徨わせ――――――













「――――――ァ」




空を舞う赤い風船が、視界に飛び込んできた。














手を伸ばす――――――誰かが息を呑む音が聞こえる。







手を伸ばす――――――甲高い鉄の音が響く。









手を伸ばす――――――何かが悲鳴を上げる。









手を―――手を伸ばしたその先に、光が見えた。
いつか見た、さがり行く中に見た、淡い光。









そして、銀の腕時計が時を刻む音が響いた。




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お久しぶりです。
何だかシリーズ化の予感がします。

実際どうなるか知りませんが。


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