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[21899] 【第2部】魔法少女リリカルシャドウゲイト【魔法少女リリカルスペランカー なのは魔改造 ギャグホラー クトゥルフ】
Name: 槍◆bb75c6ca ID:2ebf79bd
Date: 2012/10/06 02:11
「〝パラドックス〟?」

「うん、それがそのロストロギアの名前」

 時空管理局ミッドチルダ地上本部のとある通路にて、高町なのはとフェイト・T・ハラオウンは次の任務について話を広げていた。
 高町なのはの次の任務、それはパラドックスという名のロストロギアを現地から回収し、本部へ輸送すること。

「最近遺跡から発見されてたんだけど、一緒に発掘された文献を解析してみたらなんでも〝因果律〟を操るとか〝時空〟に影響を与えるとか、物騒なことが書かれていたらしいの。
 だから私が出張ることになったんだ。未知の危険物だし、いつまた誰かに強奪されでもしたらJS事件の再来になるかもしれないしね」

「……気をつけてね、なのは。本当なら一緒に行きたいんだけど私も任務があるし……」

「にゃはは、大丈夫だよフェイトちゃん。慎重に運べば危険なんてきっと無いよ。それに見た目もそんなに物騒に見えないし。
 なんというか……銀色の鍵みたいな形をしてるんだ。結構アンティークみたいでお洒落だったよ?」

「……無事に帰ってきてね」

「うん、この任務が終わったらヴィヴィオを実家に連れていく約束をしてるし、ちゃんと無事に帰ってこないとね」

 そんな何かのフラグ立ちそうなことを言いながら、あはははと笑いなのはとフェイトは別れた。
 ――あの様子なら、きっと大丈夫。最近は休養だって取ってるし、前みたいなことにはならない。きっと、きっとそう。
 フェイトは自分の心にそう言い聞かせて、次の任務の準備を始めるために自室に向おうとして。

「――あれ?」
 
 ふと足に違和感を感じてうつむくと……靴紐が、切れていた。何故か、全て。

「……大丈夫、だよね」



「カァ! カァ!」

 たとえ窓の外にこちらを睨みつけるようにカラスが鳴いていたって。

「ニャー」

 どこから紛れ込んだのか、怪しく光る瞳を持った黒猫が前を横切ろうとも、なのはなら――きっと大丈夫。

「……大丈夫、かなぁ……なのはぁ……」

 一抹の不安を感じずにはいられないフェイトであった。



 二日後の正午。高町なのはがロストロギア『パラドックス』の輸送中、異常な魔力反応を発生させ〝消滅〟したという連絡を受け、不安の的中したフェイトはショックの余り意識を失うことになるのだが、それはまた別のお話である。



 ■■■



 『不覚』。ロストロギアを内包していたアタッシュケースから溢れる光に飲み込まれる直前、なのはが思えたことはそれだけ。
 さすがのエースオブエースも、なんの予兆もなく一瞬にして発生した巨大な魔力の前にはなんの抵抗もすることが出来なかったのを誰が責められようか。
 
 そして仮に抵抗出来たとしても、結果はおそらく変わらなかっただろう。
 燦々と輝く光が収まり、暗んだ目が視力を取り戻していくと――なぜかなのはの目線の先には見知った天井。

「――――あれ? なんか、知ってる天井……って、ロストロギア!」

 ガバっとかけ布団を取っ払いながらなのはは起き上がった。
 いつのまにベッドに運ばれていたのだろうと疑問を頭に残しながら周りを見渡すと、やけに懐かしい風景が目に入る。

「……ここ、私の、実家の部屋!?」

 思わず声を上げた。先ほどまでこの世界とは別の、ずっと離れた別の世界にいたのに。
 それが、なぜかいまは魂の拠り所とも言えるこの場所にいる。

(というか……お母さんいつのまに私の部屋の模様替えしたんだろう……昔みたいになってる……)

 可愛らしいヌイグルミなどが飾られた、小学生時代のような部屋の内装。
 中学校、高校と歳を重ねるごとにそういったものは押入れにしまったはずだったのに。

(……駄目だ、わけがわからない。とにかく誰かに話を聞かなくちゃ……)

 混乱が渦を巻く頭を無理やり落ち着かせながら、ベッドから飛び出そうとする彼女。
 だが、何故か思い通りに体が動かず、バランスを崩しベッドから転げ落ちそうになってしまう。

「うわっと――――」

 地面に身体を打ち付ける前に、片足を床に突きつけてバランスを取ったその瞬間。

「っ!?」

 『ゴキッ』っと骨が不気味な音を鳴り響かせ――。

「痛ったああああああああああああああぁ!?」

 足、折れた。



 ■■■



「なのはちゃんまたベッドから降りようとして骨折ったん? 先月も同じことして骨折ったんやで。学習せなあかんて何度もいうてるやんー」

「うん、そうだねはやてちゃん。というか〝先月〟もベッドから降りようとして骨折したんだ……」

 死んだ魚のような目をしながら、ブツブツと廃人のように棒読みで生返事を返すなのは。
 そんな彼女に話をかけていたのは、同じ病室、真横のベッドで寝そべっている〝小学生時代の八神はやて〟その人であった。
 あの後、足が折れたなのはの悲鳴を聞きつけ現れたのは、まったく歳を取っていない家族達。親友の月村すずかの姉と結婚しお婿にいったはずの恭也もいた。

 突然折れた足。歳を取っていない家族。迅速に病院へまるで日常茶飯事のように慣れた手つきで運ばれたこと。
 そして何よりも、与えられたベッドの横で、親友の八神はやてが小学生時代の容姿でそこにいたこと、病室の鏡に写った自分の姿が、同じく小学生時代の容姿だったことで――なのはの頭は完全にショートしていた。

(わからないわからない意味がわからない……これは、あれなの? タイムスリップって奴? ロストロギアが発動したせいで精神を過去に飛ばされた?)

 何とか現状に起こったことを論理的に説明付けようとするが、如何せんまったくなんの情報もないので確証がもてない。
 そもそも例え本当に過去に飛ばされたとしても――。

(私、ベッドから降りるだけで骨折るような貧弱じゃなかったよね!? たしかにあの頃は運動神経悪かったし体もそこまで強い方じゃなかったけど……)

 ということである。本当に過去に飛ばされたのなら、小学生時代の高町なのははここまで貧弱ではなかったはずなのだ。
 そして現在は小学2年生らしいのだが、この時点では八神はやてと知り合っているはずがない。だが、この世界では高町なのはは実際に病弱で、八神はやてとは知り合いどころか遥か昔に病院で知り合い、今では親友であるという。

 なのはの担当医という人からさりげなく聞いたがこの高町なのは、驚くほどに貧弱で病弱だった。
 筆頭するのはポッキーもびっくり、マッチ棒の方がまだ硬いとさえいわれる骨の脆さ。
 激しい運動をしようものなら全身骨折を覚悟しなければならないらしい。過去には指パッチンを練習していて指の骨を折ったり、柔軟体操で骨が折れたり、酷い時には何をしていなくても骨を折ったことがあるという。脆い、あまりにも脆すぎる。日常生活が困難どころではない。

(……SFはあまりよく知らないけど、〝別の世界〟の過去の私に意識がトリップしたってこと? ロストロギアパラドックスは〝因果律〟を操り〝時空〟に影響を与える〟って話だったけど……それならありえない話じゃない、のかな)

 ロストロギアは、はっきりいってしまえば〝なんでもあり〟という現象を起こしてしまえるものが多い。
 それは過去に封印したジュエルシードしかり。ミッドチルダでも時間移動の魔法は研究されているらしいが、いまだ一歩も進んでいないのが現状だ。

 しかしロストロギアはそれをいとも簡単に実現させてしまう。無論、それ相応の危険性を内包してはいるが。
 ならば、違う世界のありえたかも知れない高町なのはに、別の高町なのはの精神が乗り移ってしまってもありえない話ではない。
 だが――そうだとしたら“この体の持ち主である高町なのは”の“精神”は……どこにいったのだろう?

「なのはちゃん、どうしたん? そんなに考えこんで……」

「……あ、ごめんね。ちょっと色々思うことがあって」

「……元気だそう、なのはちゃん! 骨が弱いのがなんなん! 病弱なのがなんなん! 他の人にはない自分だけの個性だって考えれば不思議と愛着わくで?」

「嫌だよ骨がポッキーみたいに折れるアイデンティティーなんて! 痛っ!?」

「ああ、大声だしたら怪我に響くやん」

「うううぅ、なんか昔の事故を思いだすよ……」

「事故? どの? なのはちゃんの足の骨が折れるなんて日常茶飯事やったからぱっと思いだせんなぁ……」

「……なんでもない、ぐすっ、なんでもないよ……」

 折れた足をさすりながら涙目になるなのは。そしてはぁーと深い溜息をつく。

(これからどうしよう……もしかしてこのままこの世界で病弱なまま暮らしていかなきゃ駄目なのかな……元の世界はどうなってるんだろう。ヴィヴィオやフェイトちゃん、皆に心配かけちゃってるのかなぁ……ん? あっ!?)

 ここで、大切な人達の名前を思い出して――初めて重要なことに気がついた。

(もしこの世界も元の世界と同じようにPT事件や闇の書事件が起きちゃったら、私どうしよう!?)

 もちろん、過去のようにまた同じ事件が起こったとしても、同じようにユーノを助け、フェイト達と出来れば関わり合いそして分かり合いたい。
 例え違う世界の別人だとしても、それでもなのはにとっては同じ親友そのもの。元の世界と同じような人生を歩んでいるのなら――是が非でも助けたい。

 そして、できることならば助けることの出来なかったプレシアを助けたい、リインフォースだって助けたい。
 元の世界で助けれなかった人たちを救いたい。それは高慢な考えかもしれない。それは間違った考えなのかもしれない。
 それでも――きっとどんな困難が立ちはだかろうと、彼女は身を挺してそれに立ち向かうだろう。
 誰よりも優しい、不屈の心を持った魔法使い。それが高町なのはという存在なのだから。

 しかし……。

(こんな走るのものままならない状況じゃ、何も出来ないよー!)

 走ったら、折れる。脅威の軟弱さを誇るこの高町なのはでは、フェイトと互角の勝負どころか同じ土俵に立つ前に負ける。
 過去に何度も行った激しい戦闘でもやろうものなら、全身の骨が文字通り木端微塵に砕けるだろう。

(……いや、待ってよ? そういえばこの〝私〟は魔法を使えるのかな)

 深呼吸をして、前の体と同じ要領で自分の中の魔法の素であるリンカーコアを探しだす。

(……あった! 魔力は全然変わってない……というか寧ろ多い!? 凄い、ユニゾンしたはやてちゃんより多いかも)

 嬉しい誤算である。前の体よりも魔力だけは圧倒的に多い。これほどの魔力があるのならば前よりも遠くから砲撃が出来る、前よりも強い砲撃が出来る。

(今の私がフェイトちゃんやヴィータちゃん達に勝ってるのは〝魔力量〟と〝情報量〟そして〝経験〟だ。この3つを駆使すれば、なんとかなるかもしれない!)

 見えた一筋の光明。助けることが出来るかもしれない大切な人達を思い浮かべる。

(……やろう。皆を、助けたい! 元の世界に返る方法や、この世界の高町なのはのことは後から探そう――。
 この世界の大切な人達を助けてみせるんだ! ごめんね、ヴィヴィオ、フェイトちゃん……ちょっと寄り道していくよ……)

 はやてに気がつかれないようにこっそりと手のひらを重ね、つぼみ状態にして。その中に小さな一個の魔力弾を形成する。
 過去の自分ではデバイス無しでは出来なかった芸当。しかし未来の“なのは”ならばこのくらいは軽いもの。

(……出来る! 身体もなんともない! よーし、いまは小学二年生だっていってたから、猶予はあと一年くらいだ。それまで魔法の練習をして戦いにそな)

「ごぼはっ!?」

 大量の血がなのは口から噴出した。それはさながら噴水のようで。

「うわあああああああぁ!? なのはちゃんが血吐いたー!? 先生、石田先生ー! 誰か! 誰か先生呼んできてえええええぇ!」

 はやての悲鳴を聞きながら、ごぼごぼ血を流しぴくぴくと痙攣するなのは。どうやら魔法もアウトらしい。
 血を垂れ流しながら、心の中で涙の滝を流しながら、なのはは心の底から思った。






『詰んだ』。



[21899] 残機×1個目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:b0987ab9
Date: 2011/09/19 22:20

 なのはが盛大に病院で吐血してから数週間後、そこには元気に走り回るなのはの姿が!
 ――あったらよかったのだが、無論そんなわけはない。

 持ち前の不屈の精神で血を吹きながら回復魔法を無理やり使用して骨折の治りを早め、晴れて退院できることになり二度目の小学校へ通えるまでにはなったのだが……。

「ねぇ……本当に大丈夫? もう2、3日様子を見て学校を休んだほうがいいんじゃない? お医者さんも驚くくらい早く骨折は確かに治ったけど……」

「大丈夫だよお母さん。骨折くらい慣れたものでしょ?」

「それはそうだけど……でもなのは、病院で吐血したなんて久しぶりじゃない。お母さん心配だわ……」

「……過去にしたことあるんだ……本当にどれだけ病弱なのこの体……」

「え?」

「あっ!? な、なんでもないよ? 大丈夫、大丈夫! 具合が悪くなったらすぐに早退するから!」



 ■■■



「あ! なのは!? もう平気なの!?」

「大丈夫なのはちゃん? 今回は血も吐いたって聞いたけど……」

「うん、もう大丈夫だよアリサちゃん、すずかちゃん。それに吐血したっていってもほんのちょっとだよ!」

 最終的にペットボトル一本分が駄々漏れたのを〝ちょっと〟というには余りにも控えめ。
 だがそれは友人に心配をかけたくないなのはの思いやり。しかし、と――前の世界と全然変わらない友人達を見てなのはは安堵する。どうやらこの世界、自分の体が弱いこと、八神はやてと友達になっていること意外余り変わっていないようだ。

「今回は何が原因で骨折したのよ? また転んだの? また躓いたの? それともまたタンスの角に足をぶつけた?」

「……もしかしてそれ、全部骨折したの? 私……」

「なに言ってるのよ? 過去になのはが実現させたことじゃない、何度も」

「……よ、弱ぁ……」

「あはは……元気出してなのはちゃん。でも今回は早く治ってよかったね」

「で! な、ん、で骨折したの!?」

「えっと、ベッドから降りようとして、ゴキっと……」

 それを聞いて、アリサは目を点にしてプルプルと振るえだした。なのはは思う。『あ、キレてる』。

「……またぁ!? 私何回も言ってるわよね!? あんた低血圧なんだから朝は特に気をつけなさいって!」

「ご、ごめんね……」

「私に謝ってどうするの! もう!」

「うう、すずかちゃーん……」

「まあまあアリサちゃん。なのはちゃんもワザと骨折したくて骨折してるわけじゃないんだから」

「本っ当に! なのはは初めて出会ったときから怪我ばっかりして! 心配するこっちの身にもなってよね!」

「だからごめ……え? 初めて出会ったときから?」

 思わず聞き返す。以前のなのはとアリサ、すずかの出会いは確かに喧嘩にはなったが怪我はしなかったはず。
 だが、この世界のなのはの出会いはどうやら違うらしい。

「そうよ! 一年生くらいだったわよね。私がまだ我ままなガキで、すずかを虐めちゃってたとき」

「あー、あれは衝撃的だったよ。私がヘアバンドを取られて泣いてる所に割って入って、アリサちゃんにビンタして骨折したんだよね」

「今でもあのときのなのはのセリフを一字一句間違わず言えるわ。
 『痛い? でも、大切なものをとられちゃった人の心はもっともっ……とっ……痛い、んだよ! ……ごめん、腕折れた……救急車呼んで……痛くて泣きそう……』。
 もう教室中大パニックよ。なのははありえない方向に腕が曲がってるし、すずかはそれを見て気を失うし、私も私で人を骨折させたのなんて初めてで泣きそうになったし!」

(ええええええええええ!? 弱すぎるよこの世界の私っ!? ビンタで腕が折れるって!?)

 良くそれで前の世界みたいに仲良くなれたね!? というより、なんでこの体でビンタなんてしようと思ったの!? と心の中で盛大に突っ込みをいれながら、なのはは土下座したくなりそうな気持ちで、心の底から。

「……何かもう、本当にごめんね……」

 と謝ることしか出来なかった。それを聞いて、『だから私たちに謝ってもしょうがないでしょ!』とまたアリサに怒られた。



 ■■■



 その後はつつがなく授業を終え、迎えに来た父親である士郎と一緒に帰宅する。
 この世界のなのははバス通学ではなく、車で実家から送り迎えして貰っているようだ。塾にも通っていない。
 車に揺られながら、なのははこれからのことを考えていた。

(とにかく、この体じゃいくら魔力が多くても戦うのは無理。多分最初のジュエルシードの暴走体に勝つのも難しいよね……。となれば、やっぱり誰かに頼るしかないんだけど……)

 だが、現時点でこの地球に魔導師の味方も知り合いもいない。
 なのはの父である高町士郎と兄である高町恭也、姉の高町美由希は御神真刀流という剣術を会得しており、未来の成長したなのはから見ても一般人とは次元が違う強さを持っているのはわかっているが、それでもジュエルシードやヴォルケンリッター達と戦えるかは怪しいところだ。

 魔法を抜かせば互角以上だろうが、やはり空を飛んだり砲撃してくる魔導師相手は分が悪い。
 そもそもジュエルシードの暴走体は封印しなければ無限に再生する能力を有している。
 どちらにせよ最終的には魔法の力がいるのだ。

(うーん……あ、ロッテさんやアリアさんに話せば手伝ってくれないかなぁ)

 遠くない未来に出会うことになる人達。闇の書に復讐を誓う、本当は心優しき御仁――ギル・グレアムとその使い魔であるリーゼ・ロッテとリーゼ・アリア。
 ほぼ前回の世界と変わらないのならば、今も闇の書の主に選ばれた八神はやてを監視しているはずである。

(……でも、それだったら前の世界で、この街の異変に気づかなかったわけがないんだから、手伝う気があったら手伝ってくれたはずだよね……これは望み薄かなぁ。それになんていえばいいのかわからないよ)

 別の似たような世界から意識を飛ばされて来ました。もうすぐロストロギアがこの街に落ちてくるので探すのを手伝ってください。ついでにはやてちゃんを氷付けにする計画も止めてください。
 なんていってしまったら黄色い救急車を呼ばれてしまう。否、下手をすれば不穏分子として消される可能性もぜロではないのかもしれない。

(……こうなったら、ヴィータちゃん達を無理やり起こすしかない、かな。プレシアさんの計画が成功しちゃったら次元振でこの世界が吹き飛んじゃうし……未来が変わるなんて四の五のいってられないよ)

 どうにかしてヴォルケンリッター達を起こして一緒に戦ってもらう。それがなのはのだした結論だった。
 色々危うくはあるし、本当に他人頼みだが、現状なのはにはそうするほかないのである。それにこの時点でヴォルケンリッター達と面識を持っておけば、闇の書事件では前の世界よりなにかと優位な状況で事件解決にあたれるかもしれないメリットもあるのだ。

(よし、これでいこう。明日は土曜日だからはやてちゃんの家にいってそれから……)

「なのは、着いたぞー」

 運転席から士郎がそう言った。考え事をしている間に時間は過ぎ去っていたようだ。

「はーい。ありがとうお父さん」

 ドアを開ける。そしてぴょんと車から飛び出したとき、『はっ!?』と自分の行ったミスに気づいた。

「あー、なのは降りるときにはに気をつけ――」

(――言うのが、遅いよお父さんっ!?)

 およそ膝の高さくらいだろうか。しかしこのなのは――たったそれだけで、致命傷。
 『ゴキッ』と再び、嫌な音が鳴り響く。

「――ふっ、ぐぐぐっ……!」

 唇をかみ締めながら痛みを必死に我慢する。ここで叫んではいけない。骨折したとバレたらまた皆に迷惑をかけてしまう。その思いだけで、なのはは耐えた。

(痛い痛い痛い痛いっ――! だ、大丈夫! このくらいなら回復魔法でどうとでも……あ)

 前の世界の癖で、なんの躊躇いもなく思わず使ってしまった魔法。
 なのはの連続した致命的なミスの原因はただ1つ。〝この体に慣れていない〟ということで……。

「うわらばっ!?」

 ぶしゃーとどこぞの暗殺拳を受けたような叫び声と吐血を振りまいて、再びなのはは気を失った。
 健康って、本当に奇跡的な宝物なんだな、となのはは気絶する寸前で、そう思ったのだとか。



 ■■■



 時が流れるのは早いもので、あれから半月後。
 お泊りセットの入ったリュックを担いだなのはは、八神はやての家にやって来た。

「どうしたん? 急に私の家に泊りに来たいなんて。いや、私は大歓迎なんやけど、身体大丈夫なん? 二連続で吐血するなんてここ最近なかったのに……」

「ああ、ほら……最近入院しっぱなしで気分が憂鬱だから、大好きなはやてちゃんに慰めてもらおうと思って! その方が身体にもきっといいよ!」

 ヴォルケンリッター達を起動させたいので家に上げてください、ともいえないなのはの言い訳はそんな感じだった。しかし九割以上は本心である。

「い、嫌やわぁ、なのはちゃん! あんましからかわんといてやぁ!」

 と言葉とは裏腹に頬を染め嬉しそうにはにかむはやて。自分以上に病弱なのに、自分以上に〝強い心〟を持つ大好きな親友。
 そんな親友以上の感情を寄せる彼女に頼られるのは、はやてにとってこの上ない喜ばしいことなのだった。
 はやての花のような笑みに少しの罪悪感を胸に秘めつつ、成功か失敗か、いづれにしてもこれから先の運命が大きくゆり動くことになるであろう高町なのはの守護騎士起動大作戦が、今始まる。






「13」

「ダウト」

「……1」

「2」

「ダウト」

「……なのはちゃん、やっぱり2人でダウトは無理あらへん?」

「……ちょっと思った。別のことしよっか」

 いそいそとなのははトランプを片付けはやての机の中にしまう。
 そしてさり気なく「何か面白いものないかなー」と呟きながら本棚に向かった。

(……あった! この鎖が巻きついた本は間違いない)

 本を手に取る。封じられたように鎖に巻かれたその本の名前は“闇の書”と呼ばれる過去の遺産。
 悲しき悲劇を繰り返す運命を背負ったロストロギア。そしてこの中には、強敵であり、後に頼もしき友となる者たちが眠っている。

「うん? なのはちゃん、その本がどうかしたん。えらい真剣に見てるけど」

「え? いや、あの……この本鎖に巻かれてて、珍しいなと思って。鍵付きの本なんてはやてちゃん持ってたっけ?」

「あー、その本なぁ。なんか知らんうちに部屋にあったんよ。多分どこかの中古本まとめ買いしたときに買ったの忘れてたんかな?
 鍵が無いから開けれへんし読めへんしで困ってたんや。欲しいならあげるで? アンティークなインテリアとしてしか使い道ないやろうけど」

「いやいやいや駄目だよはやてちゃん!? この本絶対誰かにあげちゃ駄目だからね!? 捨てるのも駄目だからね!?」

「え? な、なんで?」

「にゃ!? え、えっと……あれ! この本きっと凄い価値があるの! 私の観察眼にビビっと来た! なんでも鑑定団とかに持ってたら『私が買い取りたいくらいです』とか言われちゃうくらいの価値があるの!」

「なのはちゃんいつのまに鑑定士に!? ……まあなのはちゃんがそういうなら大事にする」

「うん! うん! それがいいよ! きっと将来凄く役に立つから!」

 はやてのこの本に対する関心が全く無いことに驚きつつ、どうやら考え直してくれたようなので心の中で安堵をついた。

(あー、ビックリした。この時点じゃこの本の重要性なんて知るわけないもんねはやてちゃん……なら、それに気づかせてあげちゃうよ)

 なのはが考えた守護騎士システムの起動条件。それはやはり〝魔力量〟に関係してると睨んだ。
 本来なら守護騎士達は八神はやてが9歳の誕生日である6月4日の午前0時に起動する。ではなぜその時期に起動するのか?

(魔力量を起点に考えれば可能性はいくつかある。1つは、はやてちゃんから吸っていた魔力がはやてちゃんの誕生日に起動条件分溜まったから。つまり守護騎士システムを速めに起動させるには闇の書に魔力を注ぎ込むことだと思うんだよね)

 しかしこれ実行するには数々の問題がある。1つはどうやって闇の書に魔力を注ぐかということだ。

(うーん……私の魔力をどうにか分けてあげられればいいんだけど……どうやるんだろう? とりあえず魔力をわけてあげる感じでやればいいのかな?
 あ、でも闇の書って主以外がアクセスしたら即暴走して転生するんだっけ……だ、大丈夫だよね? 魔力を注ぎ込むだけでアクセスするわけじゃないし……)

 不安はある。だが、このまま何もせずに〝この〟なのはがフェイト達と戦うことと、守護騎士達がフェイト達と戦うこと。
 どちらが希望を見出せるだろうか。フェイトがクロノ達が来る前にジュエルシードを全て集めてしまったら、この世界や近接した世界も全て次元振によって崩壊するのである。100%負ける戦いか、1%の確率で心強い味方を得るか、だ。

「はやてちゃん、ちょっとトイレ借りるね」

「うん。あ、くれぐれも段差に気をつけてや?」

「わかってるよー」

 部屋から出て行くなのは。その手には闇の書。本当に大丈夫かなーとなのはを心配するあまり、そのことにはやてが気づかなかったのはきっと運がよかったに違いない。



 ■■■



「さてと……はやてちゃんの家を血で汚しちゃ不味いからね……」

 というわけでトイレである。ここならいくら吐こうが汚そうがボタン1つで綺麗さっぱり。もしも起動に成功したら守護騎士達が最初に目覚めたのはトイレというシュールなことになるだろうが、そこは我慢してもらいたいなのはであった。

「よし、それじゃ!」

 手のひらに魔力を集める。それはグルグルと螺旋を渦巻き、まるで小さな台風のようだった。
 そして同時に胃から登って来る嘔吐感に耐え切れず――。

「まヴらぶっ!?」

 とあいとゆうきのおとぎばなしのタイトルのような奇声を上げつつばしゃーとお決まりの吐血。
 ビリビリと身体が痙攣する。魔力を多少放出しただけでこの満身創痍。真っ赤にそまったトイレってなんかだ物凄い不気味なんて場違いな感想を思い浮かべつつ、なのはは魔力の渦を闇の書に注入する。

(お願い……! 起きてヴィータちゃん!)

 瞬間、眩く光始める闇の書。強大な魔力が動き始めたのを肌で感じる。

(……やった! 成功した!?)

 ドクン、ドクンと闇の書の脈動が聞こえる。血を吐いた代償は安くなかった。今、ここに最強の守護者達が現れ――。

「……あれ? ……光が消えちゃっヴォハッ!?」

 なかった。光が消え、脈動も聞こえなくなってしまったその瞬間、叩き付けたなのはの魔力が崩壊したダムのように〝逆流〟した。
 それは〝異物〟を排する為のプロテクト。現代でいうのならファイアーウォールが働いたのだ。魔力を蒐集する為のロストロギアといえども、守護騎士やその主を経由しないどこの毒ともしれぬ魔力はお断りらしい。

(ひっぎいいいいいいいいいいいいいいいぃ!? 痛い! 超痛い! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬこれは、死ぬっ!?)

 トイレで血を吐きながら痛みにのたうち回る美少女。下手なホラーよりよほど怖い。
 しかも、骨がマッチ棒よりも弱いという事実がここに来てさらになのはを襲う。
 のたうち回っているうちにゴツ! っとそれなりの強さで右腕強打。常人ならば「痛たたた……」と擦る程度で済むダメージは、この貧弱少女にとっては致命的。『ボキッ』と聞きなれた音がトイレという小さな個室に響きわたる。

「ぎにゃあああああああああああああああああああぁ!?」



 数十秒後、なのはの悲鳴を聞いて駆けつけたはやてに一生物のトラウマを植え付けつつ。
 なのはは無事に、とは言いがたいが最悪の結果を迎えることなく、再び病院送りになったのであった。これこそまさに、踏んだり蹴ったり。この少女完全に呪われている。



 ■■■



 入院って慣れれば別荘に泊まるような感じで案外楽しいかも。
 既に指定席と成りつつある血まみれだったシーツが新品に張りなおされた病室のベッドの上で、そう思い始めたなのははもう末期なのかも知れない。

 今回ははやては入院していないので話し相手もおらず、差し入れとして持ってきて貰った本を読むその瞳は、死んだ魚の目。
 いや、まだ死んだ魚の目のほうが輝きがあるというものだ。今回の闇の書の起動に失敗し、得たものは重傷のみという結果に終わったことで、少女の心は深く深く傷ついているのだ。そんな少女の目は、死んだ魚どころかむしろ腐った魚である。

(はぁー、もう本当に踏んだり蹴ったりだよ……闇の書は起動出来なかったし、はやてちゃんを怖がらせちゃうし、また私は入院だし……えへへ……もう止めよっかな魔法少女……)

 本を読みながら思わず涙ぐむ少女。不憫というほかない。

(……それはそうと、私の部屋から持ってきて貰ったはずなんだけど、この本読んだことない……この世界の私ははやてちゃんみたいに読書好きだったのかな?)

 一冊を読み終え、次の本に手を伸ばす。どうやらこの世界のなのはは読書家らしい。
 過去に読んだことの無い本ばかりだった。そういえばこの世界の自室は過去の自分の部屋より本棚が多かったな、と思い返す。

(ん、この本……表紙、というより全体がなんかもの凄く禍々しいんだけど……うわ、これ外国の本だ。中身が全部英語――じゃないな、なんだろうこの文字。
 うーん、ドイツ語でもないし、フランス語でもないし、アラビア語でもないし……アルファベット表記でも漢文でも無い……何これ?)

 謎の言葉が詰まった本を思わず見回す。表紙もページも真っ黒。そしてそのページに書かれた文字の色はまるで血のように赤かった。
 綺麗、というよりおぞましいという言葉がよく当てはまるだろう。この世界の自分は一体何を読んでたんだと少し不気味になる。

(あ、背表紙に英語っぽいのが書いてある。んん? これ、ひょっとしてラクガキ? 字が妙に子供っぽいし……この世界の私が書いたのかな。
 Celaeno Fragments……セラエノフラグメンツ? 訳すとセラエノ断片、かな。この本の名前? どういう意味だろう……)

 禍々しく、けれど不思議な引力を感じるその本。後に〝この世界の〟高町なのはの運命を大きく狂わせる、否、すでに狂わせている〝原因〟であることと知るのは、まだすこし先の未来。

 その本の真の名は『セラエノ断章』。本来は存在しない、存在してはいけない“クトゥルフ〟より生まれし架空の魔導書である。



[21899] 残機×2個目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:b0987ab9
Date: 2011/09/19 22:21

 はやてに植え付けられた『はやて家スプラッタ事件』。その事件において骨とともに折れかけたなのはの心。
 されど不屈の闘志は砕けなかった。諦めず、考えうる限りの闇の書の起動方法を試した続けた。けれどその全てが失敗。
 失敗、入院、失敗、入院、失敗、入院を繰り返しの数ヶ月――すでに年が変わり、それから三ヶ月余りの時が過ぎていた。

(まずいまずいまずい――ユーノくんが来るまで一ヶ月切っちゃったよー! 結局ヴィータちゃん達を起こせなかったし……これはもう終わったかも……うううう……)

 自分の身体である。いくら魔力が多かろうがこの軟弱な身体では戦うなど到底無理な話だということは嫌でも理解していた。
 清潔なシーツの敷かれた病室のベッドの上で、もはや何千回繰り返した自問自答を続ける。

 得たものといえばはやてのトラウマがここ数ヶ月で異常に増えたことと、身体の負担。いつのまにか個室になった病室。
 それに加えさらに最悪なことに――。

「なのはちゃん健診の時間ですよ。お熱を計りましょう。痛いところはないかな? 眩暈とかしない? 具合は大丈夫?」

 そういってなのはの元に現れたのは、白衣に身を包んだ、何故か『猫耳』の生えているお姉さん。

「あ……は、はい。大丈夫で、す……“アリア”先生……」

 なのはの親友、八神はやてを闇の書ごと封印するという計画を企むギル・グレアムの使い魔――リーゼ・アリアが、そこにいた。






(ま、まさかこんな方法で監視されるとは思わなかった……)

 八神家で何度も魔力を放出すれば、当然そうなる可能性も考慮に入れていたが……。
 まさかここまで露骨に、看護士として潜入し、実家よりも滞在期間が長い病院で『監視』されるとは思いもよらない。

(というか……アリアさんどうやって医師免許とかクリアしたの!? しかも猫耳だしっぱなしっておかしいよね!?
 なんで皆疑問に思わないの!? アリサちゃんですら「可愛いアクセサリーよねあれ」って言っちゃう始末だし! そんな部分的な認識阻害系の魔法なんてあったかなぁ……)

 窓の外に浮かぶ綺麗な青空を見る。それはとても遠い目だった。まだ腐った魚の方が綺麗な目をしているだろう。
 腋に入れた体温計のアラームが鳴った。36度、平熱である。

「ん~。熱はないみたいだけど……やっぱり顔色が優れないわね。何か思いつめてたりする?
 悩み事があるならお姉さんになんでも相談してね。実は魔法使いだったんですとか言われてもちゃんと信じてあげるから」

(サラッとカマをかけてくる貴女が原因の1つですなんて言えないよね……ああ、もう全部暴露しちゃおうかな……頭のおかしい子だと思われるだろうけどそうすれば楽になれ……)

 「はっ!?」っと一瞬、諦めかけたがすぐに思い返し、なのはは「にゃはは、なんでもないです先生」と乾いた笑いで返した。

 アリアは「そう、じゃあ今日の健診はこれで終わり、またねなのはちゃん」とカルテをまとめ、部屋から出て行く。ドアを閉める瞬間、「ちっ」と舌打ちが聞こえた気がしたが、なのはは幻聴だと気にしないことにした。

(……最近、すぐに心が折れそうになっちゃったなぁ……ふふ、身体は精神に影響を与えるっていうけど本当かもね……はぁ)

 部屋にはアリアの仕掛けた『サーチャー』が置いてあるので下手な独り言もいえず、心の中で溜息をつく少女。
 身も心もボロボロ、見てるほうが痛々しい気持ちになるほどこの少女は焦燥していた。誰にも助けを求められず、自分でどうにかすることも出来ない。度重なる失敗により肉体的にも精神的にも限界だった。

 枕の横に置いてある本に手を伸ばす。それは実家から持ってきて貰った数々の本の中にあった一冊。
 〝Celaeno Fragments〟とラクガキされた、どの言語にも通じない文が記された謎の本。

(……なんか、これを見てると落ち着くの。なんでかなぁ……全然読めないのに)

 一枚ずつ、ゆっくりとページを捲っていく。血のように赤い文。深淵のように黒い紙。
 不気味なはずなのに、何故かなのははこの本を捲る度になんとも言えない『安らぎ』に似た気持ちが溢れてくる。

「…………あれ?」

 ぴたり、とページを捲り続けていたなのはの手が止まる。なのはの目に映っているはやはり理解できない文字の羅列。
 しかし、ただ一箇所だけ、どことなく、なんとなく――。

(……読める? えっと……そ、そとな――外なる、か……かみ? あざ……とお、す……ああ! わかった、外なる神アザト)



 バ ン



「っ!?」

 音がした。それは何かが叩かれたようなもので。発信源を探る、方向はおそらく窓の方からだったような。
 窓を凝視する。だがそこには何もない。あるのはガラス越しに映る透き通るような青空。

(……気のせい、だよね。続き続きっと……)

 再び本に集中する。何故だが分からないが、一文だけ読めたのだ。頑張ればもう少し読めるかもしれない。
 そう思い、なのはは再び先ほどの場所を探す。

(外なる神、アザトース……? 神様の、名前? この本、聖書とかそんな感じの本なの? 神様の名前が出てくるくらいだし……)

 そのページで読めたのはその場所だけだった。次のページを捲る。そこにも、再び『読める文字』。

(これは……ローマ字? 英語かな。c・r・a・w・l・i・n・g・c・h・a・o・s……crawling chaos? うん? 横に訳っぽいのが書いてある……のかな? は、はいよる――こ、こんと、ん。這い寄る、混沌。――這い寄る混沌? にゃ、ないあるら、と……ほてっ)



 バ ン バ ン



 今度は、すかさず窓を見た。一瞬、それこそ刹那のような時間だったが、なのはは確かに見た。瞬時に消えてしまったが、そこには〝黒い影〟を。

(――鳥、鳥! 鳥だよね! ここ病院の五階だよ? 鳥以外の影が映るなんて、ありえないよね! ベランダもないし!)

 自分にそう言い聞かせ、背筋に冷たいものを感じながら、再び本に目をやった瞬間――。



 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン



 カタカタと小刻みになのはの身体が震える。今度は本から視線を外さない。気のせいだ、気のせいだ、気のせいだと心の中で呟き続ける。




 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン――――



 音が消えた。もうあの音は聞こえない。先ほどから息をするのを忘れていたようで、盛大に息を吐き、大きく吸った。

(……あ、あはは……と、鳥さんも驚かすのが上手いよね。巣でも作ってるのかな?)

 高鳴った心臓が徐々に落ち着いていくのを確認し、気が滅入ったので今日はもう本を読むのを止めようと、パタンと閉



 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン







 バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンッ!




 今度こそ、息が止まった。汗が止まらない。身体の震えが止まらない。窓の方を向いてはいけない。見るな見るな見るな見るな見るな見るな。
 それでも、まるで、身体が操り人形になったように、鉄が軋みをあげるように、首が窓の方向に動いていく。

(駄目だ……よ。見ちゃ、駄目。お願い、止まって、誰か、私を、止め)

 いまだに叩きつける音は続いている。まず角の窓枠だけが目に入った。揺れている。今度は逃げる気はないらしい。
 そして、ついに、なのはの目に、映ったものは――。

「ごめん! ペンを忘れちゃった!」

 病室のドアが開いて、そんな大声を上げながら入って来たのはアリアだった。操り糸が切れたように、なのはの身体は自由になる。
 なのはは窓を見た。そこには先ほどと何もかわらない綺麗な青空。


(――今ノハ、一体、何ダッタンダロウ――)


 ひゅー、ひゅーと過呼吸に似た呼吸音、異常なまでの汗、青ざめた虚ろの表情をしたなのはを見て、アリアはその異常に気がつく。

「……なのはちゃん……? なのはちゃん! なのはちゃん、しっかりして!」

 ベッドに備え付けられているナースコールをアリアはすかさず押して、なのはの頬を叩き意識を確かめた。

「なのはちゃん! 大丈夫!? 聞こえる!?」

「っ! はっ! ごほっ……――せっ、先っ、生――」

「落ち着いて、呼吸を整えて! 喋らなくていいから!」

 目の焦点が合っていない。ペンを忘れてから取りに戻ってから数分と立っていないのに、一体なにがあったのだとアリアは現状を理解しかねていた。本物の医者ではないので、医学的なことは判断できないが、ただ事ではないなにかが起きたのだとそれだけはわかっている。



「せん、せい――」

「なに? なのはちゃん……」

 少しだけまともな呼吸を始め、目の焦点も戻ってきたなのはを見て安堵するアリア。そんなアリアに、なのはは必死に声を出して聞いた。

「お、音……何かを叩くような、音、聞こえ……ません、でした……か……?」

「――音? 別に、聞こえなかったわよ。普段通り静かで、寝ちゃったのかと思ったくらいだし」

「…………そう、ですか……」

 それを聞いたなのはは、崩れるように、気を失った。






 ジュエルシードが落ちてくるまで、あと少し。だがその前に――もう1つの運命が、周り始めた。



 ■■■



 あれから数日後。あの不可解な現象は二度と起きる事はなかった。本当はあの出来事は夢だったと思えるほど、何も無い。
 しかしあれ以来、あまりの恐怖になのはは母親の桃子やアリアに付き添って貰わなければ1人で寝つくことが出来なくなっていたが。

 だがそれと同時に、もう1つ不可解な出来事がなのはの体に起きていた。
 それは――。

(……体が、軽い)

 なぜか、病弱を超えた弱さを誇るなのはの体が、少しだけ丈夫になっていたということだ。






 八神はやては不安だった。それはもう趣味の読書がまったく頭に入ってこないほどに。
 その不安の原因は、ここ数ヶ月に続くなのはの異変。

 親友である高町なのはのギャグのような弱小さは今に始まったことではない。
 骨を折ることなど日常茶飯事。吐血することだって何度も目にした。
 高町なのはの最弱伝説を友達となったその日から経験していれば、自然と大抵のことでは驚かなくなるほどに。
 当然、怪我をすればとてもいまでも心配するし可哀想にも思うけれど。

(――でも、最近のなのはちゃんは……)

 最近の高町なのはは、あまりにも“病弱”すぎた。
 いままで見たことも無いほどのペースで吐血と骨折の繰り返し。それ以上吐ける血と折れる骨があるのかと思わずにはいられない量だ。
 医者に何度も念入りに検査して貰った。はやても立ち会ってその診断を見守っていた。しかし、その結果は常に“原因不明”だ。前からもそうであったが、高町なのはが病弱な理由は現在の医学では説明出来ないらしい。

 それは、自分の動かない“足”と同じで――。
 治す術がない病気。治る見込みのない病気。考えたくなかった、最悪の事態をはやては思ってしまう。それは、なのはの病気が悪化しているのではないかということ。

(なのは、ちゃん……っ……な、の……は……ちゃ…………)

 ぽた、っとはやての瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
 はやては信じていた。きっと近い将来に医学が進歩して、私の足もなのはちゃんの病弱もきっと治るのだと。
 そして、治った暁には2人で元気いっぱいに普通の子のように外を走り回れるのだと。

 でも――現実は医学が進歩する前に、なのはが先に死んでしまうかもしれない。
 私だけを残して、なのはちゃんが消えてしまうかもしれない。

 そう考えただけで、はやては涙が止まらなかった。
 そう考えただけで、心が見えない刃で切り裂かれるようだった。

 ふとはやては思いだす。高町なのはと最初に出会ったときのこと。
 それは足が動かなくなり、1人寂しく車椅子に乗って病院の窓の外を見つめていた。
 両親が居ない、仲良しの友達もいなかった孤独の中――そんなときに同じ病院に通院していたなのはが、話しかけてくれたことを。



『――あなた、足が動かないの?』

『……そうなんよ。“げんいんふめい”なんやって……あはは……ほんまに困ってまうわ……』

『そっか……私と同じだね』

『……?』

『私ね、凄く怪我をしやすいの。骨とかがね、よく折れちゃうの。でも、その理由は“げんいんふめい”なんだって』

『……そうなんや……なんや、私だけやなかったんやな……えへへ……あっ!?』

『うん? どうしたの?』

『ごめん、ごめんな……いま、喜んでしもた……私だけやなかったって、辛いのは私1人やなかったんや、一緒な子もいるんやって……! 辛い、やろうに……ごめん……ごめん、なさい……ごっ、う、うっ……ごめんなさい……!』

『――泣かないで、大丈夫、大丈夫だよ。私は気にしてないから…………ねえ、私は高町なのは』
 
『――え?』

『私は高町なのはっていうんだ。あなたの名前を教えて欲しいな。』

『八神、はやて……』

『そっか! はやてちゃんか! ……ねえはやてちゃん、友達になろうよ! そして“約束”しよう!』

『友達になるのはええけど……約束?』

『そう、約束! いつか、私たちの病気が治って、元気よく遊べるようになったら……一番最初に、一緒に遊ぼう!』

『一緒に……?』

『うん! そうだ、約束するときは指切りしなきゃ! さ、指を出して!』

『うわ、ちょ……』

『指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます! 指きった!』

『……ご、強引やよなのはちゃん……』

『強引でもいいの! 約束したよ! 体が治ったら一番最初に一緒に遊ぶって! 嘘ついたら針千本なの!』

『でもなのはちゃん、1人だけ先に治ったらどうするん? もう1人が治るまで誰とも遊べんくなるで?』

『あ……え、えっと……治る! 2人同時にきっと治るもん!』

『……あはは、あはははは! おもろい、なのはちゃんおもろいわ!』

『そ、そっかな……にゃははは……』



 それは遠い日の記憶。いまでも幼い2人がさらに幼かったときのこと。
 強引だったけれど、その約束が八神はやてにとってどれほど嬉しいものだったか。どれほど頼もしいもので、どれほど希望を与えられたのか。

 その高町なのはという存在が、どれほど温かかったか。“愛”をくれたなのはが、はやてにとってどれほど――。

「……嘘、ついたら……針千本飲むって……いうたやん……!」

 神様――どうかなのはちゃんを、私の友達を助けてください。
 私に出来ることがあったらなんでもします、どうか、どうか……。

 そう、信じてもいない神様に八神はやては願った。
 なのはが治りますように。なのはがはやての傍から消えてしまいませんように。
 助けて、助けて、助けて、助けて、私の友達を、助けて――。

 それはただの祈りに過ぎなかった。祈ることしか出来ない少女のただ1つの方法だった。
 けれど――八神はやては“単なる”少女ではない。圧倒的な“魔力”を持つ、“闇の書”に選ばれるほどの少女。

 そんな少女が、祈ってしまった。



  “神様”に、そう願ってしまった。



 “闇”さえ及ばぬ深淵が――覗いていることも知らずに。




 ■■■



 一方その頃の高町なのはである。

「ぜぇ、ぜぇ……見て! 見てアリサちゃんにすずかちゃん! こほっ、ふぅー、ふぅー! 私走れてる! 走れてるよ!」

「なのはあああああぁ!? わかった、走れるのはわかったからそれ以上走るのはやめてええええぇ!」

「なのはちゃん止まって! 止まってええええええぇ!」

 何故か少しだけ丈夫になった体に感激し、外を元気に走り回っていた。
 その後ろを必死の形相で追いかけるのはアリサとすずか。確かに愛すべき友人が走り回れるようになったのはとても喜ばしいことだ。
 しかし、目に余るほどなのはは調子に乗っていた。これはまずい。走れるようになったとはいえ、なのはの紙のような丈夫さでは絶対に走ってはいけないことを、2人は嫌というほど知っているのだから。

「はぁー、はぁー! あはははは! ランナーズハイってこんなに気持ちよかったっけ!? 地面を走れるのって、素晴らしい!」

「調子に乗るなああああああぁ!」

「折れる、絶対に折れるからなのはちゃあああああああん!?」

「いやっほー!」



 運命の輪が回り始めるまで――あと少し。



[21899] 残機×3個目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:b0987ab9
Date: 2012/07/07 21:56
 暗い森の中、1人の少年と黒い靄の様な何かが対峙する。
 少年が手を翳し、浮かび上がったのは魔法陣。それを黒い霧にぶつけようとするが、黒い霧は咄嗟に身を引きそのまま姿を消した。
 黒い霧を取り逃がしてしまった少年は力尽き、その場に崩れ落ちると最後の力を振り絞り念話を飛ばす。

 『誰か……僕の声を聞いて……力を貸して……魔法の、力を――』



 ――そんな、懐かしい夢を見た。
 高町なのはにとってそれは運命の出会いでもあり、新たなる自分を見つけることの出来た掛け替えのない彼の夢。
 ユーノ・スクライアという少年。初めて魔法を教えてくれた、レイジングハートを預けてくれた、何度も守ってくれた、大切な友達。

 けれど、きっと彼は高町なのはのことを知るはずが無い。
 高町なのはが彼のことをどれほど知っていようとどれほど信頼していようとどれほど好いていようとも――この世界で、この『高町なのは』を知る存在など居ないのだから。



 時が来た、っと――彼女は目をゆっくりと開く。見慣れた天井を見つめ、深く心に刻むように、呟く。

「――それでも、守りたいんだ。大切な、友達を。大好きな、友達を……そして、助けられなかったたくさんの人たごぼふぇっ!?」

 華麗にキメ台詞を決める前に、バシャーと滝のように血が口内から逆流する。開幕ホームランならぬ開幕吐血。
 この世界に来てからは初めての経験である。

「ええ、なんで!? ごほっ! まほらばっ!?」

 ふとベッドを見れば今血を吐いたはずなのにどう見てもそれ以外の血で枕やシーツが染まっていた。
 どうやら寝てる間にも吐血していたらしい。寝違えや寝ゲロという言葉は聞いたことはあっても寝吐血というのは初めてだ。

(ごふっ……ま、まさか……ね、念話もアウト、なの……?)

 他に原因は見当たらない。吐血は主に魔法を使ったときが一番多かったのだから。

(ちょ、ちょっと待って!? 今日はユーノくんを探しに行かなきゃ駄目なのに、血を吐いてる場合じゃ……。
 というか見つけた後だって念話を何回も使うんだよ!? ど、どうしよう! 最近よくわからないけど体が丈夫になったからなんとかなるって希望が見えてたのに……!?)

 一応、なのはの1つのプランを用意していた。
 ユーノを保護したあとははやての家に退避してジュエルシードの暴走体を待ち構える→襲って来たら吐血を覚悟で結界を展開して八神家を守る→ジュエルシードの魔力や結界に気づいたリーゼ姉妹が助けに来てくれる→あとは野となれ山となれ、口先三寸で誤魔化しリーゼ姉妹にジュエルシード集めを託す。

 といった全力で人任せな計画。無論、リーゼ姉妹が助けに来てくれない可能性もあるが、そうなれば骨が折れようと血を出し尽くそうと2人を守りながら暴走体を撃退し封印するつもりだ。
 未来のエースオブエースだった知識と力を持つこの高町なのはならばデバイスを解さなくとも暴走体の撃退は可能だし厳しいだろうが封印だってなんとか出来る。

 ただ1つの難関であった体の脆弱さだって、何故かほんの少しだけ体が丈夫になったので問題ないはずだった。
 いや、出血多量と大量骨折で確実に長期入院することを“問題ない”というなればの話だが。

「くっ……それでもやるんだ……! 私は絶対に諦めなぶっふぇ!?」



 その後、起きてこないなのはを心配した家族が様子を見に来て、絹を裂くような悲鳴が近所に響き渡ったのは当然の結果である。



 ■■■



 あれから、何時間の時が過ぎたのだろうか。ユーノ・スクライアが目を覚まして、最初に思ったことはそれだった。
 疲労と怪我でぼやける眼を空を向ければ、すでに日は沈み、オレンジ色の夕暮れが闇に染まりかけている。

(……あの暴走体を逃してしまったのは真夜中……ということはすでに半日以上過ぎてる……っ!)

 よろよろと彼は力の入らない足と手に鞭を打ち立ち上がった。
 “人間体”でいるときよりも圧倒的に動きやすいこの“フェレット形態”ですらこのざまだ。
 暴走体を取り逃がしたとき、最後の最後で行ったスクライアの一族に伝わる変身魔法を使用したことにより、ほんの気休め程度だが体力と魔力は回復しているようだが。そう、ほんの気休め。わずかに歩けるようになって、わずかに念話くらいならば使えるといった程度の回復。

 これでは戦うことはおろか逃げることすら難しい。
 再びあの暴走体と相対したならば、待っているのは確実なる“死”だろう。

(念話を受け取ってくれた人は、いなかったのか……この近くに、魔導士やその資質を持った存在は……)

 救援を求める念話は確かに放った。しかし、誰も駆けつけてくれはしていない。
 しかし、この“管理外世界”ではそんなことをしても近くに魔導士や資質を持った人間がいる可能性が皆無であることはわかっていた。
 それに念話を受け取って貰えても、そんな怪しげな言葉だけで助けに来てくれるようなお人良しなどそういないだろう。

(……何を考えているんだ僕は。そもそも僕が“あれ”を発掘したせいでこんなことになったんだ……。
 それで誰かに助けてもらおうなんて……甘ったれるな! ユーノ・スクライア!)

 自身にそう激を飛ばし、弱い自分を拭い去ろうとする。弱った自分を振るい立たせようとする。
 だが、そうわかっていても、誰も助けてくれないことは辛いものだ。
 知り合いもいない遠い遠い別の世界で1人きり――どれだけ大人びていようとも、ユーノ・スクライアはまだ“九歳”の少年である。
 そんな少年が誰かに助けを求めたところで、果たして誰が責められるというのだ。

 そもそも、この世界に“ジュエルシード”という“願いを叶える宝石”がやってきてしまったのは誰の責任でもない“事故”。
 例え、それを発掘したのがこのユーノ・スクライアだとしても、彼に責任は全く無い。
 それでも傷ついた身を叩き起こして、危険性の高いジュエルシードを回収しようとしているのはほかでもなく――。

 正義感が強く、そして人一倍責任感があり――優しい心を持っているから。

(速く……あれを封印しないと……この世界の人達に被害が及ぶ……前に!)



 彼を、助けてくれる人は本当にいないのだろうか……。
 ――実際には全力全開で助けようとした少女が1人いたのだが、その少女を病院送りにしたのはほかでもなく彼の助けを求める声だというのは、なんとも皮肉な話である。



 ■■■



 “暗闇”が大地を粉砕しながら疾走する。眼前にちょこまかと逃げ惑うのは小さな小さな獣。
 誰がどう見ようとも――勝敗は、始まる前から決している。

「……くそっ!」

 小さき獣の呟きは歯の立たぬ相手への憎しみか、それとも力鳴き己への悔しさか。

 ユーノが目を覚まし、ジュエルシードの暴走体を探し回ってから数刻。
 辺りは完全に闇に沈み、それを照らすのは街灯と儚い月光のみとなった街中で彼らは出会った。出会ってしまった。
 “暗闇”は狩り損ねた獲物を再び狩り初めるように、小さき獣は強大な壁に立ち向かうように、激闘に身を委ねる。

「ガアアアアアアアァ!」

 “暗闇”の咆哮。それは大気を振動させながらユーノの体と心を恐怖に煽る。
 刹那、容赦のない暗闇の“爪”が襲い掛かった。空気を切り裂き、振り下ろされるそれは大地を簡単に砕ける威力を持っている。

(プロテク……ション!)

 それを防いだのは2人の間に現れた、光り輝く一枚の防御壁。ユーノ・スクライアの得意魔法である“プロテクション”だ。
 彼は攻撃魔法の適正を持たない。しかし、だからこそ彼の魔法は防御・補助に特化している。その防御魔法は一級品。一度発動すればそれを破壊するのは困難。

 だが。

(――!? プロテクションを構成する魔力が、足りない……っ!)

 それは、彼が“万全”だったならばの話。
 魔力の足りない防御壁はガラスのように砕け散る。

 プロテクションを破壊した爪の追撃はユーノの小さい体を宙へと掬い上げた。
 いや、掬い上げたなどと生易しいものではない。“吹き飛ばした”といった方が適正だろう。

「がっ……!」

 体が砕けるような衝撃。数メートルほど吹き飛ばされた彼の体は数回に渡り地面を跳ね飛んだ。
 薄れゆく意識。朦朧とする視界のなかで、痛みよりもどうすることも出来ない悔しさが心に溢れる。

(くそっ、くそ、くそくそくそくそっ……! 僕は、僕は……なんでこんなにも……弱いんだっ!)

 その円らな両目から溢れる雫。思考を埋め尽くす膨大な恐怖。
 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
 死ぬのが怖い。痛みが怖い。何も出来きないのが怖い。1人が怖い。孤独が怖い。

 そしてなによりも、このままではなんの罪もない人々があれに襲われてしまうことが……怖かった。

 ――そんな彼に止めを差すように、暗闇が疾走する。
 もはや魔力もあれから逃げ切る体力もない。万策尽きた。いや、もとより勝算も希望もなかったのだ。
 こんなはずじゃなかったのに。あれを発掘したのは、誰かの為になると思ったからなのに。

 目の前に迫る“死”に、ユーノは思わず目を瞑る――。



「そこまでだよ!」



 その空間に響き渡ったのは、幼く甲高い声。
 しかしその声は勇気に満ち溢れ、そして確かな“強さ”すら感じ取れる。

(――まさか、来てくれた……? 僕の声を、聞いてくれた――魔法の力を持つ、人が!)

 来てくれるとは思わなかった。誰かが助けてくれるなんて思わなかった。
 でも、それでも――来てくれた。

 さきほどまで絶望と恐怖、そして悔しさしかなかったユーノの心に“希望”というなの温かな気持ちが泉のように湧いてくる。
 その声の持ち主を、ユーノは見た。ボロボロの体で、ボロボロの心で、声の主を見た――。

「…………え?」

 その声の持ち主は、少女だった。顔にあどけなさの残る、麗しい少女。
 無論、ただの少女ではない。なぜならば彼女は……。

「君を、助けに来だぼっふっ!? ごっほっ、助けに、ごほっ!」

 ついさきほどまで病院で危篤状態でしたと言わんばかりに、おそらく元は純白だったであろう入院服を真っ赤に己の吐血で染め上げていたのだから。



 ユーノは思った。助けがいるのは君のほうじゃ!? と。



 ■■■



 成人女性の平均血液量は1kg当たり約75mlといわれている。体重が30kgならばおよそ2000mlだ。
 血液は人間の身体にとって重要な機能と役割を担っている。ともすればそれが“無くなる”ということが如何に危険であるか理解できるだろう。

 血液の15%を損失すればのどが渇き、いくら水分を補給したところでそれは収まらない。
 30%がなくなれば得体の知れない不安感が襲い、それによるいらつきや恐怖によって凶暴性が引き出される。
 40%ともくれば、単純に“眠く”なる。脳に血液から運ばれる酸素や重要や物質が回らなくなるのだ。
 そしてそれさえも超えた40%以上になれば――、一秒前の記憶すら曖昧になり、自分のことすらわからなくなるほどの混乱が襲う。
 それがしばらく続けばやがて意識さえもなくなり、身体は衰弱し――やがては“死”ぬ。

(――あ、あれ? 私、何しに来たんだっけ……なんで、こんなに……眠……)

 ユーノ・スクライアを助けにやって来たこの時点で――高町なのはは“3分の1”以上の血を流していた。
 高町なのはの体に現れている異常は、子供の体では決して耐えれるものではない。
 すでに死んでいたとしてもおかしくない。否、むしろ死んでいるほうが自然だろう。
 そんな体で病院を抜け出したというのは自殺行為に等しく、そんな体でこの場所にたどり着けたというのは奇跡に等しい。


 まどろむ瞳でなのはは目の前の光景を見つめる。
 荒れ果てた道路。自分を見定めるかのように“暗闇”がこちらを向いて蹲っている。
 そのすぐ後ろには小さな動物。傷つき、血にまみれ、小さく震えていて。

(…………ユーノ、くん)

 フラッシュバックする光景。多少は違えど、高町なのはにとってそれこそ己の全ての始まり。
 愛すべき友人、ユーノ・スクライアと初めて出会ったその記憶。

(ユーノくん、ユーノくん、ユーノくんユーノくんユーノくんユーノくんユーノくん――)

 病弱の体を酷使してまで行った魔力反応の探索と感知。血を吐き続けて、死ぬ思いでやってきた。
 それは全てこの為に、未来の友達を救うため。たとえここが違う世界で、たとえ違う人達だとしても、たとえ誰もが“高町なのは”を知らなくとも。

 得られなかった誰かの幸せを得る為に、彼女はここにやって来た。

 誰かを救うために、誰かが幸せになれるように。
 そしてその誰かが幸せになれた分だけ――高町なのはは幸せを感じる。
 誰かの為に己の為に。その2つがあるのならば、彼女はきっと全ての血を失おうとも――。

(――いま、助けるから!)

 ――戦うことが、出来るのだ。

 そして、いまもまた“誰かを守りたいから戦う為に”彼女は大地を踏みしめ、駆けだした。
 そんな駆け出した一歩先にあったもの。それは“ヒビ”だった。おそらくはあの暗闇が暴れた際に作られたのだろう。
 そのヒビの間に華麗ともいえるタイミングで足を突きいれ――。

「あ」

 彼女は転んだ。結構な勢いで転んだ。
 『ゴキッ』と――なにかの壊れる音が、静寂に包まれる夜の街に、少女の悲鳴と共に木霊する。

「にぎゃああああああああああああぁ!?」

(うわあああああああぁ!? 右足が向いてはいけない方向にー!?)

 少女の悲鳴と少動物の心の悲鳴はまるで夜空に響くハーモニー。
 別名阿鼻叫喚ともいうだろう。

(痛い、痛いよぉ……う、うぐっ! い、痛いけど、こんな痛み“あの事故”に比べれば……!)

 ありえない方向に曲がっている右足を尋常ではない痛みが突き刺す。しかし彼女は耐えた。
 蓄積した疲労が任務中に爆発し、二度と空を飛べなくなるかもしれないといわれたほどの事故の記憶。
 それを思い出すことによって、“不屈の闘志”を燃え上がらせる。

 そう、あの悲惨な事故に比べれば、右足が骨折したくらいなんだというのだ。
 たかが骨の1つや2つ、どうってことない。私はまだまだ戦える。そうだよね、ユーノくん! っとなのはは瞳に炎を宿らせて前を向く、前に突き進もうとする。

『き、君! 大丈夫!?』

「ごぶふぇぁ!?」

『血を吐いたー!?』

 そこに止めを刺すように、ユーノの念話がなのはに伝わる。
 たとえそれがほとんど魔力を消費しないものであっても、魔法に関与するならばなのはにとっては急所も同じ。
 現在の高町なのはをろうそくに例えるならば、燃え尽きようとしている最後の輝きに水をぶっかけられたようなものだろう。

 しかし、彼女はろうそくではない。
 何度でも言おう。彼女の不屈の意思はそれでも消えないと。

「ごっほっ! かはっ! ユ”、ユ”ー……きみ! 念話を使うのは止めぶべらっ!」

 この世界のユーノ・スクライアはまだ高町なのはを知らない。
 ゆえに現在の高町なのはがユーノ・スクライアを知っているのはおかしいのだ。
 そう考えて、あくまでなのははユーノと初対面の振りをする。

 それはある意味辛いものであったが、怪しまれでもしてレイジングハートを借りれないなどのことになれば2人とも死ぬのだから。
 もっとも、血まみれの少女を怪しまないものがいないことを彼女は考え付いていなかったが。

『え!? ど、どうして、というか君は一体――』

「まそっぶ!? お”ぇっ! ……い、いいから使わないで!」

 さながらナイアガラの滝のように血を吐き続ける彼女の幽鬼にも似た迫力に、ユーノは気おされてそれ以上何もいえなかった。
 いえなかったが、ユーノはここであることに気づく。

(彼女が何者かはわからないけど……信じられない魔力を感じる! 魔法を発動すらしていないのに肌身だけでわかるほどの……!
 で、でもなんで彼女はあんなにボロボロなんだ!? と、というかあれは死んじゃうんじゃ!?
 いますぐに回復魔法をかけてあげないと……で、でも今の僕には魔力も彼女を連れて逃げる力もない。どうすれば、どうすればいい――)

 彼は必死で悩んだ。自分の為に駆けつけてくれた少女が、たとえそれが何故か最初から死に掛けていたとしても、絶対に死なせたくなかったから。

「ガルルルルゥ――」

(暴走体が、動く!?)

 先ほどまで傍観を決めていたジュエルシードの暴走体である“暗闇”が痺れをきらせたのか蠢き始めた。
 当然だ。というよりはなぜ止まっていたのかと疑問を持つくらいなのだから。

(けほっ……! お、思った以上に厳しすぎるの……でも、あと3回の魔法――命を燃やしてでも、使ってみせる!)

 一度目はレイジングハートの起動。二度目はプロテクションよりも魔力使用の少ない一発の魔法弾の射出。三度目は封印。
 結局前回同様リーゼ姉妹は助けに来てくれない。ならば自分がやるしかない。
 命をかけてでも友達を守ってみせると、彼女は限界をとっくの昔に通り越してる身体に激を飛ばす。

「君! デバイスを持ってない!? 私は持ってないの! 持ってたら貸して!」

 枯れた声で、口の中に溜まった血液を飛ばしながらなのはそう叫んだ。これから先、幾度の激戦を共に戦い抜いてきたパートナーをこの手に掴むため。

(デバイスのことを知っている!? 彼女は魔導師なのか!? でもなぜ彼女ほどの魔力を持った魔導士がこの世界に?
 それにデバイスを持っていないなんて……くそ、このまま考えても拉致があかない! 彼女は戦ってくれる気だ、他の誰でもない僕の為に!
 僕より怪我が酷そうなのに、戦おうとしてくれているんだ! 僕が、弱いばっかりに……!)

 自分が強ければどれほどよかったか。自分だけであの暴走体を封印出来ればどれほど良かったか。
 あの血まみれの少女に今は頼るほかない自分が死ぬほど嫌になって、死にたくなるほど情けなかった。

 彼女が望むように、ユーノはデバイスを持っている。それはユーノにすら、いや、一族の誰もが使えない極めて扱いの難しい特注品。
 太古の遺跡より発掘されたインテリジェントデバイス。その名も『レイジングハート』。

(ごめん、ごめん、ごめんなさい……でも……今だけは、力を貸して!)

 心の中で悔しさに涙しながら、ユーノもまた限界のはずの魔力を燃焼させ、己の胸にかけてある待機状態のレイジングハートをその少女に向けて弾き飛ばした。

 自分に向けて飛んでくる赤き宝石。それに向けてなのはは手を伸ばす。

(レイジングハート……もう一度私に力を!)

 それは運命の再開。ここに、エースオブエースと未来に呼ばれることとなる魔法少女が再び誕生する。



 はずだった。



「ガアアアアアアァ!」



 “ぱくん”と空中を飛んでいたレイジングハートは、“暗闇”のその大きく開かれた口の中に吸い込まれた。



「え?」

「は?」

 その光景に、おもわず呆けた声を上げる2人。その光景が信じられないように、信じたくないように。

 ボリボリと音を上げて租借するそれをみて――高町なのははことの全貌をようやく理解した。



 すべての希望が、なくなったのだと。



 高町なのはにはいつも傍に居てくれるものがいた。
 それは家族でもない。それはユーノ・スクライアでもない。それはフェイト・テスタロッサでもない。それは八神はやてでもない。

 それはレイジングハートという名のデバイス。
 魔法の存在を知って、魔法を使い始めてから――レイジングハートはずっとなのはの傍に居た。片時も離れず、なのはを守っていたのだ。

 けれども、なのはを守りきれない時もあった。
 その度にレイジングハートはインテリジェントデバイスには不向きのカートリッジシステムを自らに組み込んだこともあった。
 彼女が強くなれば、レイジングハートもそれにあわせるように強くなっていく。2人は一緒に強くなったのだ。なのははそんなレイジングハートを信頼して、レイジングハートはそんな主を愛した。

 しかしそれは違う世界の高町なのはの物語。
 この世界ではたとえ彼女がレイジングハートをどれほど知っていようと、レイジングハートは彼女を知らない。それでもなのははこの世界でも、彼女と共に歩むことを望んでいた。

 最高のパートナー。最高の相棒であるレイジングハートを。

「――嘘、だ……」

 破滅の音がしていた。鉱石が砕き潰されるような音が響いている。

「ガウウウウゥ……ガッ!」

 “暗闇”が何かを吐いた。無数の欠片に散らばったそれは月光を反射しながら空を舞う。
 とても幻想的な光景だった。それが光景があまりにも綺麗で、それがあまりにも儚くて。

 だからそれが――とても現実だと思えなくて――呆然と、してしまった。

 最初に動いたのは“暗闇”。それは獰猛な野獣を思わせる動きでなのはに向かう。
 一方、彼女は完全な放心状態だ。自分のデバイスはレイジングハート、それは世界が何度変わろうとも変貌しないものだと思っていた。

 そう思っていたのに――レイジングハートは、もういない。
 あれだけ砕かれてしまったらもう修理も再生も不可能だろう。

 なのはにとってレイジングハートは“物”ではなく“人”だった。
 真面目で、少しだけ寡黙で、自分のことをなによりも思ってくれる“彼女”――そんな彼女が、“死んだ”。迫りくるあの“暗闇”に殺された。

 守ろうとしていた、大切な人を守れなかった。

「――ああ、ああああああああああああああああああああぁ!」

 その悲痛な叫びは悲鳴のようで、悲しみを帯びた泣き声のようで。
 雄たけびを上げながら彼女は、溢れだした涙を拭うこともせずその手に魔法弾を構成する。

 この世界では未来のこととなる知識と経験を彼女を持っている。
 デバイスを介さずに放つ魔法など彼女にとっては簡単なことだ。

 その体が、普通の状態であったなら。

 体内で爆弾が爆発したかのような衝撃が彼女を襲う。口から吹き出るのはどす黒い色をした血。
 思考が定まらない、視界もだ。それでも彼女は構成した魔法弾を“暗闇”に向かって射出する。
 過去の戦闘では初めて使った、しかも防御魔法にもかかわらずあの“暗闇”はそれだけで爆惨したのだ。

 当たれば間違いなく勝てる。レイジングハートの仇が討てる。

 けれど――無情にもその魔法弾は“暗闇”の一部を弾き飛ばしただけだった。
 悲鳴を上げる“暗闇”。瞬間、その吹き飛ばした部分に“闇”が集結し再生を始める

(そん、な……)

 “暗闇”の動きが俊敏なこともあった。放った魔法弾の咆哮がずれたこともあった。
 しかし最大の原因は、高町なのはの体はもはや限界の限界を超えていたということ。

 不屈の心は折れずとも――その器が先に折れていた。
 彼女はもう立つこともままならない。糸の切れたマリオネットのように地面に倒れこむ。

『君っ!? そこから逃げるんだ! 早く!』

 使うなといわれたはずの念話を使用してまでユーノはなのはにそう伝えた、伝えずにはいれなかった。
 だが、ユーノと同じくなのはにもはや自分の体を動かす力は残っていない。
 それどころか、念話を受信したというのに血を吐かないし痛みさえ感じない。
 吐けるだけの血も残っていないのだろうか。痛みを感じるだけの神経も動いていないのだろうか。

(…………)

 なのはは、考えることが出来なかった。意識は途切れる寸前であり視界には何も映らない。
 あのジュエルシードの怪物のように真っ暗だ。

「ガァ、ガアアァ――ガアアアアアアアアアアァ!」

 再生の終わった“暗闇”が咆哮を上げてなのはの元へ疾走する。
 ユーノが何かを必死に叫んでいた。しかしなのはは動かない。動けもしないし、“暗闇”が迫っていることにも気づいていない。

“暗闇”が闇の広がる大きな口を空け、“よくもやってくれたな”とでも言うようにその牙を――。






 彼女の頭に突き立てた。



 最後に聞こえた悲鳴は誰のものだったのだろうか。



 なんの偽りもなく、なんの嘘もなく、それが当然であるかのように。



 高町なのはは殺されたのだ。






















 『 』が聞こえる。

 化物が去り、2つの肉塊だけが残されたその場所で、何かが『 』を唱えている。

 召来の『 』。名を口ずさむことさえ禁忌とされるそれを讃える『 』が。

 暗闇などよりもずっと深い、深淵を覗く禁断の『 』。



 ――『 』が、聞こえる。









 ■■ ■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■■■ ■■■■■ ■■ ■■ ■■■■



 ■あ ■■ ■す■■ ■■た■ ■■あ■■ ■る■■■ ■ぐ■■■■■ ■■■と■ あ■ ■■ は■■■



 ■あ い■ ■す■あ ■■た■ く■あ■■ ■る■と■ ■ぐ■■■る■ ■る■と■ あ■ あ■ は■■あ



 いあ い■ ■す■あ ■■た■ く■あ■■ ■る■と■ ■ぐ■■■る■ ■る■と■ あ■ あ■ は■■あ



 いあ い■ ■すたあ は■た■ く■あ■く ぶる■とむ ■ぐと■■る■ ■るぐと■ あい あ■ は■たあ



 いあ い■ はすたあ は■たあ くふあ■く ぶる■とむ ■ぐとらぐる■ ■るぐとむ あい あ■ は■たあ



 いあ い■ はすたあ はすたあ くふあ■く ぶるぐとむ ■ぐとらぐるん ■るぐとむ あい あい は■たあ



 いあ いあ はすたあ はすたあ くふあ■く ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ■るぐとむ あい あい はすたあ



 いあ いあ はすたあ はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ■るぐとむ あい あい はすたあ



 いあ いあ はすたあ はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ あい あい はすたあ






 いあ! いあ! はすたあ! はすたあ! くふあやく! ぶるぐとむ! ぶぐとらぐるん! ぶるぐとむ! あい! あい! はすたあ!









 ■■■






「――あれ?」

 なのはが目を覚ますと、そこは見覚えのある場所だった。
 当然だろう、そこは自分の家の部屋なのだから。

「……私、たしかユーノくんを助けに行こうとして、それから……なんでだろう、思い出せない……」

 おかしなことにこの部屋で眠った記憶がない。
 体はかなりきつかったが、ユーノを助ける為に病院を抜け出そうとして――というところまでは覚えていたが、そこで記憶が無くなっている。

「――っ! ユーノくんは!?」

 部屋を見渡す。何の変化もない、いつも通りやけに本が沢山ある“この世界”の高町なのはの部屋。

(ひょっとしてユーノくんを助けに行こうとして倒れちゃったの私!?
 た、大変だ……ユーノくん、無事だよねユーノくん……! そうだ、私何時間眠ってたの!?)

 自分が倒れていた時間を確かめる為に携帯電話で時間と日付を確認する。



 そして、なのはは凍りつくように絶句した。



 携帯電話に記された日付が、高町なのはがこの“高町なのは”に逆行して来た――その日だったのだから。






 こうして運命の輪は絡んで動き始め――全てが、ゆっくりと壊れていく。



[21899] 残機×?
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0f320504
Date: 2011/09/19 22:22

 世界は“可能性”の数だけ無限に存在する。
 それは誰かが生きている世界、それは誰かが死んでいる世界。
 それは誰かが生きようとしている世界、それは誰かが死のうとしている世界。
 それは誰かが殺された世界、それは誰かが殺した世界。

 二択の選択肢の中でその1つを選んだ世界。二択の選択肢の中でもう1つを選んだ世界。二択の選択肢の中でどちらも選ばなかった世界。
 サイコロの1の目が出た世界。サイコロの2の目が出た世界。サイコロの3の目が出た世界。サイコロの4の目が出た世界。サイコロの5の目が出た世界。サイコロの6の目が出た世界。サイコロの目が出なかった世界。

 4面ダイスの世界。6面ダイスの世界。8面ダイスの世界。10面ダイスの世界。12面ダイスの世界。16面ダイスの世界。20面ダイスの世界。24面ダイスの世界。30面ダイスの世界。60面ダイスの世界。120面ダイスの世界。

 立方体の世界。正八面体の世界。正十二面体の世界。正二十面体の世界。菱形十二面体の世界。三方八面体の世界。四方六面体の世界。
凧形二十四面体の世界。菱形三十面体の世界。六方八面体の世界。三方二十面体の世界。五方十二面体の世界。凧形六十面体の世界。六方二十面体の世界。

 “高町なのは”の居る世界。

 たとえば彼女はどこにでもいる普通の少女であり、たとえば彼女はどこにでもいない魔法の力を持つ少女だった。
 たとえば彼女は英雄と呼ばれ、たとえば彼女は反逆者と呼ばれた。
 たとえば最強の魔導士であった彼女。たとえば最弱の魔導士であった彼女。たとえば魔導士ですらない彼女。

 たとえばとある喫茶店を受け継いだ彼女。たとえばとある流派を受け継いだ彼女。
 たとえば所謂普通の人生を歩んだ彼女。たとえば所謂普通じゃない人生を歩んだ彼女。

 たとえば二重人格を持つ彼女。たとえば多重人格を持つ彼女。たとえば人格すら持たない彼女。
 たとえば誰かと恋人になった彼女。たとえば誰とも恋人にすらならなかった彼女。
 たとえば誰かと結婚した彼女。たとえば誰とも結婚しなかった彼女。

 たとえば誰かとの愛の結晶である子供を生んだ彼女。
 たとえば見ず知らずの子供を自分の子として育てた彼女。
 たとえば子供なんて関わることすらなかった彼女。

 たとえばアリサ・バニングスが友達である彼女。たとえば月村すずかが友達である彼女。
 たとえば八神はやてが友達である彼女。たとえば今だ見ぬ誰かが友達の彼女。
 たとえばその全てが友達である彼女。たとえば友達なんていない彼女。

 たとえば関わる全ての人達を守りきった彼女。たとえば関わる全ての人達を守れなかった彼女。

 そして“高町なのは”が居ない世界。

 “八神はやて”の居る世界。

 たとえば彼女はどこにでもいる普通の少女であり、たとえば彼女はどこにでもいない魔法の力を持つ少女だった。
 たとえば彼女はとある魔導書の主に選ばれ、たとえば彼女はとある魔導書の主に選ばれなかった。

 たとえば最初から足の動く彼女。たとえば最初から足の動かない彼女。
 たとえば運動が好きな彼女。たとえば勉強が好きな彼女。たとえば運動が嫌いな彼女。たとえば勉強が嫌いな彼女。

 たとえば血の繋がった家族がいる彼女。たとえば血の繋がらない家族がいる彼女。たとえば家族のいない彼女。
 たとえば4人の守護騎士を従える彼女。たとえばそれ以外の守護騎士を従える彼女。たとえば守護騎士を従えない彼女。

 たとえば1人の名前を送った者と悲しい別れをした彼女。たとえば1人の名前を送った者と別れることはなかった彼女。
 たとえば何かの部署の部隊長になった彼女。たとえば何かの部署すら作らなかった彼女。

 たとえば月村すずかと知り合った彼女。たとえばアリサ・バニングスと知り合った彼女。
 たとえば高町なのはと知り合った彼女。たとえば今だ見ぬ誰かと知り合った彼女。
 たとえばその全てと知り合った彼女。たとえば知り合うことなんてなかった彼女。

 たとえば陰謀に巻き込まれて未来永劫氷の柩の中に閉じ込められた彼女。
 たとえば陰謀に巻き込まれても全ての悪意を断ち切り夜天に輝きを取り戻した彼女。
 たとえば陰謀すら起きなかった彼女。

 そして“八神はやて”が居ない世界。

 “今だ見ぬ誰か”の居る世界。“今だ見ぬ誰か”が居ない世界。

 無限の可能性がある世界。無限の可能性がない世界。出会う世界。出会わない世界。
 幸せに満ち溢れた世界。悪意に染まる世界。正義が真である世界。悪が全てである世界。
 法則のある世界。法則すらない世界。概念のある世界。概念のない世界。
 暗黒物質の宇宙である世界。エーテルの宇宙である世界。海が宇宙である世界。

 永遠、永劫、永久に創られ続ける可能性という世界。
 無限、無量、無尽に広がり続ける可能性という世界。

 神様の居る世界。神様の居ない世界。心優しい神様の居る世界。邪悪な神様の居る世界。

 これはその阿僧祇の、那由他の、不可思議の、無量大数の。
 或いは不可説の、不可説転の、不可説不可説の、不可説不可説転の中に存在する可能性の“物語”。



 それはかみさまとであったなのはというしょうじょのかなしいものがたり。
 それはしずかにたしかにゆっくりとくるっていくなのはというしょうじょのおはなし。



 ■■■



 昔々のお話だ。とある世界の“なのは”は願った。強い自分を。誰にも負けない、そして不屈の心を持った自分を。
 それは己を省みない、“神様”に心を犯された1人の“なのは”が起こした小さな奇跡。






 これは、“なのは”という少女の――神様に立ち向かう不屈なる心の御伽噺。



[21899] 残機×4個目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0f320504
Date: 2011/09/19 22:23

 極彩色のアラベスク模様が世界を覆っている。万華鏡のように廻る抽象画。歪んだ景色。歪みしかない風景。
 そんな気が狂いそうになる幻想に幾人の住民がいた。いや、それは人と言っていいのかすらわからない。
 手足がある。体がある。顔がある。目がある。髪の毛がある。でも、“鼻”がない。事故や怪我でなくなったのではないだろう。
 だって、元より鼻があった場所ならば、それを失ったのならばあのように“丸く突き出ている”はずがない。
 そして人間にはあってはならないものが1つ。“エラ”だ。それは魚介類独自の器官。遥かなる大海原に適応する為に進化したもの。
 首の喉横に、計6箇所の横に刃物で切り取られたような孔。それが独自の生き物の如く動いている。蠢いている。
 例えるならば“蛙”だろうか。人間と蛙の表情を足して割ったら、ああいう風な“生き物”になるのかもしれない。

 ■■ ■■ ■■■■■ ■■■■ ■■ ■■ ■■■■■ ■■■■

 彼らは時折その場所の中心に円を作って集まって、何かを唱えている。歌っている。呟いている。
 普段は唸り声にしか聞こえない言葉しか話さない彼らが、何かを呼んでいる。

 ■あ ■■ くと■■■ ■■■■ い■ ■■ ■■るぅ■ ■■だん

 ふと彼らの形作る円の中心を見てみれば、その中にあるのは何かの肉塊だ。
 心臓のように一定のリズムを取りながら脈動を刻むそれ。あれはなんなのだろう。何の“肉”だろう。

 ■あ い■ くと■ぅふ ふく■■ い■ いあ く■るぅ■ ふ■だん

 歌がはっきりと聞こえてくる。それは背徳的な歌だった。それは背徳的な言だった。それは背徳的な句だった。
 決して言ってはいけない言葉。■■を讃える『 』。

 いあ いあ くと■ぅふ ふくだん い■ いあ く■るぅふ ふ■だん

 或いは私は叫んでいた。それを口ずさむのは止めて、それを呼んではいけないいけないと。
 或いは私は歌っていた。彼らと同じくして、その禁句を、その呪文を、その讃歌を。

 いあ いあ くとるぅふ ふくだん いあ いあ くとるぅふ ふくだん

 歌が完成する。瞬間、世界が狂い始めた。極彩色のアラベスク模様が螺旋を描いて混ぜきった絵の具のように黒く黒く深淵に渦巻いて。
 彼らの上に広がる空間が大きな大きな一滴の雫のように、或いは受胎のように落ちてきた。
 その空間が裂けて、その裂け目から何かが私を除いている。瞼のない邪悪な瞳。薄暗く光り輝くそれが私を見つめている。

 いあ! いあ! くとるぅふ! ふくだん! いあ! いあ! くとるぅふ! ふくだん!

 徐々に歪んだ空間だ裂け目が広がり、その全貌が明らかになる。鰭がある。鱗がある。鰓がある。
 それは明らかに人ではなかった。それは明らかに彼らとも違う存在だ。あれを“生き物”と呼んでもいいのだろうか。
 冒涜的だ。背徳的だ。破戒的だ。見てはいけない。視てはいけない。
 息が出来ない。体が震えている。恐怖が私の全てを奪う。

【■■■】

 “あれ”が何かを呟いている。それは私には理解できない。したくない。

【■■は】

 それでも、その言葉には聞き覚えがある。とても人類には理解できない発音なのに、人間には聞こえることのない高音で発せられているのに。

【■のは】

 いうな。それいじょういわないで。だめだ。なんで。そのなまえは、わた







「――っ!? ……はっ……はっ…………」

 よく知っている天井。アラベスク模様もなにもない、清潔を思わせる純白の部屋。
 いつもの病室だ。いまでは自分の部屋のような感覚すらある、いつもの病室。

「……また、あの夢……」

 高町なのはが、“2度目”の逆行を繰り返してからというもの――彼女は、そんな夢を見るようになっていた。






「なのはちゃん、また怖い夢をみたん?」

「……うん」

 そこは八神はやての個室だ。なのはの個室の一階ほど階段を上がってすぐにある405号室。
 なのははベッドの上のはやてに縋り付くように、手を回してぎゅっと抱きしめていた。
 暖かかった。人の体温とはどうしてこうも安らぎを与えてくれるのだろうか。
 いっそ永遠にこうしていたいとすらなのはは思う。

「――もう、なのはちゃんたらしゃーないなー」

 そういってくすくすとはにかんで、はやては優しくなのはを抱きしめる。
 ちょっとしたことで傷ついてしまうなのはの体を、優しく、愛しく、繊細な芸術品を扱うように。

「ごめんね……」

「ええってええって。こんなんでなのはちゃんが落ち着くならお安い御用……いや、むしろ役得やな。なのはちゃんの体は柔らかくて気持ちいいしなー」

「にゃはは、はやてちゃんくすぐったいよぉ」

 いままさに、なのはは本当の安らぎを得ることが出来ていた。
 怖い夢も、怖いことも。体が弱いことも、魔法のことも、これからのことも、危機も、危険も全てを忘れることが出来たから。

 だがそれと矛盾するように、同時に“だからこそ”となのはの挫けそうな心が輝きを増す。
 自分が頑張らなければ、この優しい友達も、ジュエルシードによって巻き起こる次元振で消えてしまうか、もしくはギル・グレアムの計画によって氷漬けにされてしまうのだ。

 高町なのはに、1人の人間に出来ることなどたかが知れている。しかし、その“たかが”こそが重要なのだ。
 この世界も、八神はやてもフェイト・テスタロッサも、アリサ・バニングスも月村すずかもユーノ・スクライアも。
 なのはが魔法少女としてプレシアテスタロッサを止めなければ、ギル・グレアムを止めなければ、なのはの大好きな人々は消えてしまうかもしれない。

 それは別の世界の出来事だ。それは違う未来の出来事だ。この世界がそうと決まっているわけではない。
 元の世界のなのはが健康優良児であったように、この世界のなのはが健康不良児であるように、全てが前の世界のようになるとは限らない。

 それでも、一%でも前の世界のような事件が起こる可能性があるのならば、なのはは戦う。
 たとえ謎のタイムスリップという逆行を繰り返そうとも、何度骨が折れようとも心が砕けようとも。

「……はやてちゃん」

「うん?」

「はやてちゃんがいるから、私は頑張れるんだ」

 八神はやてがいるから、フェイト・テスタロッサがいるから、アリサ・バニングスがいるから、月村すずかがいるから、ユーノ・スクライアがいるから、父親がいるから、母親がいるから、兄がいるから、姉がいるから、クラスメイトのみんながいるから、病院のみんながいるから、この街のみんながいるから、未来に知り合うことになるであろう沢山の人々がいるから。

 高町なのはは、どんな逆境も越えていける。

「だからはやてちゃん、ずっと私の傍に居て。絶対に、居なくなっちゃ嫌だよ」

「……あ、あははは……な、なんや、なのはちゃんにプロポーズされてもたなー」

 そう茶化すように、顔面を熟した果実のように真っ赤に染めてはやては呟いた。
 心なしか、なのはに伝わる体温もどんどん暖かくなっている。

「……大丈夫やよなのはちゃん。私はどこにもいかへん。ずっとなのはちゃんの傍にいる。
 私はなのはちゃんが大好きやから」

 高鳴る心臓を押さえるように、なのはに聞こえるくらいに高鳴った心臓を落ち着けるようにして、なのはの耳に届いたのはそんな言葉だ。
 それはある意味での愛の告白。生涯共にいることを誓う桃源郷の契り。

 この瞬間、なのはの心に光が“戻った”ような気がした。深淵すら照らしてしまいそうな不屈の心。
 神様だって相手に出来そうな、不滅の闘志。どんな鉄よりも硬く、どんな衝撃だろうと折れない魂。

「――ありがとう、はやてちゃん。私も、はやてちゃんが大好きだよ。
 絶対に……守ってみせる。あなたを、みんなを」

 高町なのはの真の強さとは。その膨大な魔力ではなく、その莫大な魔法の才でもなく。
 “不屈の心”という、諦めない意思そのものなのだから。



 ■■■



 なのはがはやての病室から出て、階段を下りたところに丁度歩いて来たのは八神はやての主治医である石田幸恵だった。

「あ、石田先生! こんにちは!」

「え? あ、うん、こんにちは。今日は元気ねなのはちゃん」

 石田は驚いていた。八神はやての友達である高町なのはの変貌に。
 いや、変貌というものではないだろう。彼女は元々これくらいの元気がある少女だと記憶している。
 しかし最近は枯れた花のように憂いた表情しか浮かべていなかったし、元気の“げ”もみないほど何かに疲弊していたのだ。

 それがどうだろう。この日向に咲く活力に溢れた可憐な笑顔は。
 昔の元気な高町なのはに戻ったどころか、さらに元気な高町なのはに変わっている。
 その目にはやる気が満ち溢れ、見るものさえもやる気が出るような、そんな強い眼差し。
 何があったかは知らないが、きっととてもいいことがあったのだろう。

「石田先生! 私頑張るよ! いつだって! どんな時だって!」

「そっか。でもね、なのはちゃん。頑張りすぎは体に毒ですよ? ほどほどにね」

「はい!」

 そう返事をして、なのはは軽やかな足取りで自分の病室へと戻っていった。

(何があったかはわからないけど……頑張ってね、なのはちゃん)

 石田自身が担当している八神はやてと同じく“原因不明”の病気を抱える彼女がこれほどまでに活気に溢れている。
 ならばその親友であるはやてちゃんにもいい影響があるに違いない。石田はそんな嬉しい予想を立てて気分が浮き立った。



 ああ、きっとそうだ。



 はやてちゃん、今日は病院に居ないけど、次に来たときにはきっと喜ぶわ。と小さな呟きを残して。



 ■■■



 はやてに勇気を貰い、その不屈の心を取り戻したなのはは火気厳禁の燃料にガスバーナーでもぶち込んだように燃えていた。
 今度は、確実にユーノを助けてみせると意気込む彼女。

 そのためにはまず、綿密な計画、そして魔法以外の武力が必要なのではと考えた。
 なのはが前回の逆行を繰り返す前に覚えていたことは、ユーノの使った念話によって多大なダメージを受けて行動不能になったということだけ。

 その点についてはすでに対策は出来ていたし、それだけならば大した問題ではない。
 しかしこの体は魔法を使えない。いや、使えることは使えるが使った瞬間に吐血や激痛といった謎の症状が現れるのだ。
 尋常ではない痛み。下手をすればショック死さえしてしまいそうなそれらを我慢しながらスムーズに戦えるだろうか?

 答えは否だろう。無論、なのははユーノやはやてを助けるためならば自身の痛みなど苦にしない覚悟は出来ている。
 しかし、その為に動きや思考がおろそかになって、下手なミスで守りたい人達が傷ついてしまっては本末転倒だ。

 ――魔法は“ここぞ”というところだけで使わなければならない。
 いままでこの体で魔法を使った経験、そして耐久力を計算にいれると、魔法の度合いにもよるが使用できて“3回”ほどだ。
 それは精神力だけではどうしようにも超えられない壁。いかに不屈の心が限界無き力を持とうと、その器には確かな限界がある。

 3回以上の魔法の使用は、おそらく手足が動かせなくなるほどの満身創痍状態になるか、或いは“死”だろう。
 なのはも人間だ。当然死ぬのは怖い、十分すぎるほどに。しかし、それ以上に怖いのは“友達を守れない”ということ。

 だからこそ――“今の”高町なのはには、魔法以外の“力”が必要なのだ。



 なのはちゃんの様子がおかしい、と月村すずかが気づいたのは、よく利用している図書館で彼女の姿を見かけた時だった。
 図書館で彼女を見かけるのは特に珍しいことではない。高町なのははすずかの友達の中でも一番の読書家だ。
 最近はあまり読書をしている光景を目にしていなかったが、少し前は一週間に数十冊の本を読みきってしまっていたほどで。

 八神はやてと共に一緒に読書をしているのはよく見かける光景だ。
 すずか自身もなのはと一緒に何回とこの図書館ですごしたこともある。
 そこに然したる問題はない。問題なのは、彼女が机の上に山積みにしている本の“タイトル”だった。

 すずかはこっそりとなのはに見つからないように、慎重に後ろからそれを覗き込む。
 幸いにもなのはは本に集中しているようでまったくすずかに気がついていない。

 『危険な化学シリーズ・爆薬と爆弾』、『清く正しいダイナマイトの作り方』、『法律に触れるから決して作ってはいけない日用品で作れる“兵器”講座』、『効果的な爆弾設置術』、『戦国時代から現代までの火薬製造法』、『武器商人に会おう!』、『密輸』、『男のロマン・手榴弾』、『良い子のパイプ爆弾』。

 そんななんで貸し出し許可が下りているのか不思議でならないほどの危ないタイトルが勢ぞろい。

 すずかは思わず自分の目を疑った。私の友達が、なのはちゃんがこんなものを嬉々して読むはずがない、と。
 しかしいくら目を擦っても、やはりすずかの視界に移るのはそんな有害図書を嬉々として読み漁るなのはの姿だった。

「へー、パイプ爆弾って威力が高い割に結構簡単に作れるんだ……問題は爆薬だよね……どうしよう……」

 すずかは思わず自分の耳を疑った。私の友達が、なのはちゃんがまるでパイプ爆弾を作りたがるように呟くはずがない、と。
 しかしいくら耳を叩いてみても、やはりすずかの聴覚に聞こえてくるのは嬉々として爆弾を作りたいようななのはの呟きだった。

(な、なのはちゃん……? どうしちゃったの……? 爆弾なんて作って何するの……)

 自分の愛する友人の異常な行為。これをどう受け止めていいのかすずかにはわからなかった。
 年頃になれば、“性”に関する知識を欲するというのは聞いたことがあっても、年頃になると“爆弾”に関する知識を欲するというはまるで聞いたことがない。見たこともない。

 それに爆弾なんてものを作って一体何に使うというのだろうか。
 爆弾の使用法など限られている。鉱山で固い岩盤を爆破したりといった比較的平和な使い道から――。
 もしくは、考えてはならない最悪の使い方。まさか、なのはちゃんは……と、そこまで考えてすずかは頭を振った。

(いや、待って。なのはちゃんはただ何かが切欠で少しだけ爆弾に興味を持っただけかもしれない。なんというか……興味本位で!
 それに、もしも使うにしたってきっと山の中で岩石とかを破壊するだけだよね! うん! きっとそうだ! あの優しいなのはちゃんが爆弾なんて危ないものを“人”に対して使うわけが……)

「でもあいつに爆弾って通じるのかな……何回か爆散させれば弱りそうではあるけど……」

(使う気だったー!? しかも『通じるのかな』ってなに!? 通じるに決まってるよ! むしろ死んじゃうよ! 何回か爆散させれば弱りそうって……何回爆殺する気なの!?)

 当然、なのはのいう“あいつ”とは暗闇の如き姿を持つジュエルシードの暴走体である。
 しかしそんなことをすずかは知らない。なのはが爆弾を作りたがっているという衝撃、それに激しく動揺したすずかの頭脳はまともな思考が出来出来ていなかった。

 すずかの脳には“なのはは誰かを爆殺したがっている”という謎の固定概念が出来上がっている。
 想像力の豊かすぎた、思いやる心のあり過ぎた、悲しき少女が産んだ勘違い。もはやすずかは止まらない。止めることすら出来ないだろう。

(だ、駄目だよなのはちゃん……! そんなことしちゃ駄目! なんで? あの、優しいなのはちゃんが……なんでそんな恐ろしいことを……)

 すずかの脳にフラッシュバックする光景。それは、約二年前。小学一年生だった彼女達のファースト・コンタクト。
 昔のアリサ・バニングスは、普通の子供らしいわがままな子で、やんちゃの入った少女だった。一方月村すずかは、少しだけ影の入った、“暗い”とまで思わせる少女。

 アリサはそんなすずかに『気取っている』と感じたようで、ちょっとした意地悪のつもりですずかの大切にしているヘアバンドを取り上げてしまった。
 一方すずかはどうしていいかわからず、ただ静かに泣くだけ。その態度にアリサはまたムカついて、あわや喧嘩になりそうなところに割って入って来たのが――高町なのはだった。

 なのははいきなりアリサにきついビンタをかまし、大声で言ったのだ。『痛い? でも、大切なものをとられちゃった人の心は! もっともっと痛いんだよ! ……ごめん、腕折れた……救急車呼んで……痛くて泣きそう……』と。

 ありえない方向に捻じ曲がったその腕を見て、すずかは衝撃のあまり失神してしまったが、その時のことはよく覚えている。
 あとで聞いた話だが、なのはの体は原因不明の病気により、冗談としか思えないほど体が弱かったらしい。

 それなのに、なのははアリサを叩いたのだ。アリサの行いを悪いことだとわからせる為に、ただ泣くことしか出来なかった自分を助ける為に。
 自分がどれほど弱い体をしているのか、それを一番知っているのはなのは自身であったろうに。
 そんな体で全力ビンタなどすれば、どうなるかわかっていたはずなのに。
 さらには、その後すずかとアリサの仲直りを取り持ってくれて――。

 高町なのはは月村すずかの親友であると同時に、“憧れ”だった。
 優しいなのははとっても格好よくて、とっても凛々しくて、綺麗で。自分にはない物を沢山持っていて。
 そんななのはの親友である自分が嬉しくて、少しでも釣り合おうと勉強も運動も頑張って、いまの月村すずかがある。いまの月村すずかがいる。

 なのに、そんななのはが今、爆弾という危険なものを使って人を殺めようとしている。
 信じられなかった。信じたくなかった。勘違いであって欲しかった。

 実際に勘違いであるが。

(止めないと……なのはちゃんは私とアリサちゃんの間違いを正してくれた……今度は、私がなのはちゃんに恩返しをする番だ!)

 そう、すずかは胸に誓って。目を見開き眼前のなのはに向かい、悲鳴に近い叫び声を上げる。

「なのはちゃん! 駄目ぇ!」

「ひにゃぁ!?」

 後ろから突然大声を上げられたなのはは驚いて思わず席を立つ。
 その声の方向に振り向くと、鬼気迫る親友の顔が1つ。

「す、すずかちゃん!? お、驚かせないでよ……心臓止まるかと思ったの……」

「なのはちゃん……なのはちゃんは一体何をしようとしてたの?」

「な、なにって……あっ!?」

 ぎくっ、となのはは肩を震わして現状を理解する。よくよく考えてみれば図書館でこんな本をかき集めて読み漁っている人物がいればなんと思われるだろうか。
 しかもそれが知り合いなら尚の事。きっとすずかちゃんは私が危ないイタズラでもしようとしているのではないだろうかと勘違いしているに違いない、となのはは思って、必死に言い訳を探す。

「えっ、えっとね、その……」

「言い訳なんて聞きたくない!」

「えっ!?」

「なのはちゃん、なのはちゃんがなんでそんな怖いことを思い立ったのか、それは私にはわからない……。
 優しいなのはちゃんがそこまで追い込まれてる出来事なんて、想像も出来ない……。
 でも、なのはちゃんのやろうとしてることは間違いだってことくらいわかるよ!」

「ええっ!?」

 魔法と相対するような化学兵器を用いてジュエルシードの暴走体に挑もうとしていたのは間違いだったの!?
 と自身の戦略を全否定されたなのはの思考が混乱の渦に巻き込まれる。

「戻って! いつもの優しいなのはちゃんに戻って!
 ねえ、お話して? なのはちゃんいつもいってるよね。お話しないと何もわからない、伝わらないって。私に話して、なのはちゃんがそこまで追い込まれた理由を!」

(いや話せるわけないよ!?)

 十年後の未来からロストロギアでこの世界に精神だけ吹き飛ばされて、魔法使いやってますなどと話せるわけがない。話したとしても信じてもらえるわけもない。
 というかなんですずかちゃんがそんなこと知ってるの!? はっ、まさかこの世界のすずかちゃんは魔導師!? と、いよいよなのはの理解力も怪しげになってきた。

「私は、私は! なのはちゃんが大好きな、なのはちゃんの友達だから! 辛いことも、悲しいことも! 全部わけあうのが友達だと思うから! なのはちゃんを犯罪者なんかに――させないんだからああああああぁ!」



 その後、この混沌めいた騒ぎは図書館長に2人が叱られるまで続き、双方がさまざまな勘違いをしているのに気づくのは、それから二日後のことだったそうだ。
 その際に爆弾のことを調べていた言い訳として、なのはが『爆弾フェチ』に目覚めたことになってしまって、アリサやクラスメイトから生暖かい目で見られるようになったが、これもみんなを守る為だとなのはは涙を呑んで耐え忍んだらしい。



[21899] 残機×5個目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0f320504
Date: 2011/09/23 22:30
 面と向かっては恥ずかしくていえないけどれど、私はなのはが大好きだ。
 初めて出会ったときから気になって、付き合いを深めていくうちに、なのはのことを知っていくうちに、どんどんなのはのことがたまらなく好きになった。

 どうしようもないくらい彼女は弱い。運動神経ゼロだし、そもそも運動自体が出来る体じゃない。
 軽く小突いただけで下手をすれば骨にヒビが入るかもしくは折れる。繊細なんて問題じゃない彼女。
 けれど、それでも彼女は強い瞳をしていた。眩しいくらいに強い心を持っていた。

 今では思い出すと顔を両手で覆ってじたばたしたくなる、昔の私。
 自分だけが特別だと思っていて、私こそが世界の中心なのだとでも思っていたかのような時期。
 何も知らない能天気な子供だった私。つまらない理由ですずかの大切なものを取り上げ、泣かしてしまった私。

 それを、そんな弱い体で叩いてまで間違いを正してくれようとしたのが高町なのはだった。
 はじめは親にも叩かれたことなんてなかったのに! っとなのはを恨めかしくも思っていたかもしれない。
 骨を折ってまで叩くなんて、頭がおかしいんじゃないかと思っていたのかもしれない。

 けれど、ちょっとづつ大人になっていくにつれて、私がどれほど子供だったのか、なのはがどれほど大人だったのかを理解できるようになった。
 まあ子供だった大人だったと言ってもあの頃の私達は小学一年生で、今もそれから二年間しかたっていない小学三年生だ。
 大人からみたらなのはも私も子供だろう。だけど、子供にだって物事の善悪やそれに伴う価値観だってある。
 私はそれが曖昧で、なのははそれがしっかりしていたということ。

 今では一緒にいないことが考えられないほど親しくなった親友、月村すずかは彼女のことが好きだ。
 けれどその“好きの”ベクトルは“憧れ”に近いものだと思う。確かに私にとってもなのはは憧れる存在だ。
 誰よりも弱いくせして、その内なる心は誰よりも強くて。誰にも優しくて、だからこそ厳しいところもあって。
 困ってる人を放っておけないどうしようもない善人で。相手がどんなに怖い人だったとしても怯むことなくそれが間違っているなら間違ってると言える勇気を持っていて。

 すずかはそんななのはに“なりたい”のだろう。すずかは少し控えめで、少しだけ臆病なところがある。
 そこが可愛いところだと私は思うけど、本人はそれが嫌なようだから。

 ――そんな、すずかの好きと私の“好き”は違う。確かに私もなのはに憧れているところもあるし、なのはのような強い人になりたいと思っているところもある。
 けど、私とすずかの好きはやっぱり違う。決定的に違う。

 すずかならばもしも新しい友達がなのはに出来たとしても、自分のことのようにとても喜ぶのだろう。
 その新しい友達がなのはとどれほど親しくなっても、笑顔でそれを見ているのだろう。

 でも、私はきっと“嫌だ”。なのはに新しい友達が増えるのが、その友達と“私以上に”親しくなるのはきっと嫌だ。
 嫉妬してその新しい友達にきつくあたってしまうだろう。なのはに対して私は“独占欲”に満ちている。
 少し前に私はちょっとづつ大人になったといったけれど、それはやっぱりちょっとだけ。

 私はまだ、子供のように独占欲の溢れる、子供だから。



「うーん、信管はライターとラジオを組み合わせて作れるとして、問題の爆薬が……」

「濃硫酸と硝酸アンモニウムでニトログリセリンが作れるらしいで?」

「でもニトログリセリンは安全面が気になるよ。保管場所も探さないとだし……」

「なら肥料爆弾はどうやろか? ニトロよりは簡単に作れるで?」

「けど肥料爆弾は威力がなぁ……」

 と、そんな怪しげな会話を図書館の隅で繰り広げるのはなのはとはやての二人組み。
 すずかから聞いてはいたけど、なのはが爆弾フェチに目覚めたってのはマジなのね……。

「ん? あれ、アリサちゃん?」

「あー、アリサちゃんや。珍しいなぁアリサちゃんがこの図書館に来るの」

「私だってたまにはくるわよ。というかなのは! あんたが爆弾フェチに目覚めるのは勝手だけど、はやてを巻き込んでんじゃないわよ!」

 巻き込むなら私にしなさい、と言えないところが私の駄目な性分だ。
 くっ、この無駄なプライドがときどき恨めかしくなるわ。というかなんで私じゃなくてはやてに頼ってんのよ!

「うう、だって……」

「まあええやんアリサちゃん。爆弾作ろおもたら一人じゃ大変やし、それに作る場所もいるんやから。私の家だれもおらへんから丁度いいんよ」

 少しコメントしにくいことをさらっといわないでよはやて……。

「それになのはちゃんの“一番”の親友としては、やっぱ手伝ってあげたいやん?」

 にひひ、と笑顔で私を見るはやて。ぴきっ、と私のコメカミに青筋が入ったのが自分でもわかる。
 “八神はやて”は私達と出会う前から高町なのはの親友だ。お互いに原因不明の病気を持っているという共有感があるからだろうか、彼女達には私が立ち入れない不思議な“絆”がある。

 ……悔しいけど、わかってしまう。なのはは直接言わないけど、なのはの“一番”の親友は八神はやてであることを。
 昔からの馴染みで、今もなおその関係は続いていて。壊れることのない絆、不滅の友情。
 当然はやてはなのはが大好きで、なのはもはやてが大好きで。そのはやての“大好き”は私の“好き”と限りなく近くて。
 ――したくないのに、どうしても嫉妬してしまう。八神はやての“位置”に。なのはの一番傍に“いられる”彼女に。

 でも、それは“現段階”の話。はやてが“今の”なのはの“一番”だとしても――私は諦めない。
 これからの“一番”を目指せばいいんだから!

「だったら“最新”の親友の私が手伝っても問題ないわよね?」

「いやいや、ここは“最愛”の親友である私が手伝ってあげてるんやからアリサちゃんは休んでていいんやで?」

「そうわいかないわよ。なのはの“最強”の親友としての義務が」

「私も“究極”の親友の」

「私だって“至極”の親友で」

 そう延々と親友発言を繰り返す私とはやて。なかなかやるじゃない、でも負けないわよ!

「ふ、二人ともどうしちゃったの?」

「なのはは黙ってて!」

「なのはちゃんは黙ってて!」

「……はい」



 ■■■



「……ちょっとトイレ行ってくるね!」

 となのはが逃げ出したので、私とはやての親友合戦も一息つくことになった。
 肩で息をするほどに発展したのはさすがにやりすぎたわね……。

「ぜぇ……ぜぇ……さすがはやて……やるわね……」

「はぁ……はぁ……そういうアリサちゃんもや……」

 そうお互いに讃えあう。川原で殴り合いを繰り広げたかのような爽快すら感じる気分。いや、実際にやったことないけど。

「ふぅ、それにしても……やっぱりアリサちゃんはなのはちゃんが大好きやねぇ……」

「べ、別になのはのことなんて!」

「いやいまさらツンデレを取り付くわんでも」

 何よツンデレって。

「はやてだってなのはのこと好きじゃない」

「せやなぁ。私はなのはちゃんが大好きや……けど、最近思うんよ」

 急にその表情に影を落として、はやてはどこか遠くを見るような瞳で視線を逸らす。

「私はなのはちゃんのことが好きやけど――なのはちゃんは、私のことを好きでいてくれてるんかな、って」

「……はぁ?」

 思わず私は呆れた声を上げてしまう。なのはがはやてのことを好きでいてくれるか? そんな当たり前じゃない。
 見てるこっちがムカつくくらい普段からいちゃいちゃしてる癖になにを言ってるのか。

「それは自慢? 自慢なの? 最近なのはちゃんが爆弾ばっかりで私に構ってくれへんよ~って自慢? だとしたら私の拳がバーニングするわよ」

「ちゃうちゃう。いや確かにちょっと自慢になってしまうかもしれへんけど、“少し前”のなのはちゃんは私のことを本気で好きでいてくれたんよ。むしろ愛してくれてたといってもええかもしれん」

「OK、完璧なる自慢ね。さあはやて右の頬を出しなさい、そしたら次は左よ」

「少しは最後まで聞こうとする気はないんアリサちゃん!?」

「あるわけないでしょ!? 何が本気で好きでいてくれたよ! 何がむしろ愛してくれたよ! ライバルのそんな惚気話聞いていられるかー!」

 はやてに向かって右スマッシュ。といっても当てる気はないこけおどしだけど「のわー!?」と変な悲鳴をあげて立ち上がりすばやくかわしてまた元の場所に座る。

「危っ!? 暴力反対! 乱暴な子はなのはちゃんに嫌われるで!?」

「当てる気なんて無いわよもう! それにいいわ暴力女で! なのははドMだから相性いいはずだし!」

「それは確かになのはちゃんMなとこあるけど!」

「あるんだ!?」

 冗談だったのに!? ひょうたんからこまが出るってやつを初めて経験したわ。そうか、なのはってMだったんだ……。
 はっ!? もしや体が弱すぎて痛みが逆に快楽に感じるようになったとか!?
 だとしたら私がいままでなのはが傷つかないように怪我しないように見守ってきたのは逆効果!?

「ちょっと二人ともなにしてるの!? 喧嘩なんて駄目だよ!」

 そこに丁度トイレから戻ってきたのはなのは。どうやら私達が本気で喧嘩していると勘違いしてるみたいね。

「ねえなのは、ちょっと殴っていい?」

「嫌だよ!? 折れちゃうよ!? なんで、私何かした!?」

 はやての嘘つき。



 ■■■



 帰り際、はやてが先ほどの話の真意を私にこっそり教えてくれた。

『最近のなのはちゃんは、なんというか“平等”なんや。昔は私が一番なのはちゃんに愛されてるって自覚があったし自信もあった。
 なのはちゃんを独占してるのが嬉しくて、その優越感がたまらへんかった。でも……最近のなのはちゃんはそうじゃない。
 もちろんきっと私のことを好きでいてくれてるのはたしかやけれど、その好きは“私だけ”の好きと違う。
 ――今のなのはちゃんに、“一番”なんていない。みんな“同じくらい好き”になってる。
 それはなのはちゃんが成長した証かもしれへん。1人の誰かに依存することを止めて羽ばたいた証拠かもしれへん。
 でも……それが私には、たまらなく嫌なんよ。私だけのなのはちゃんじゃなくなってしまうんやから。あははは……私は本当に、子供やね……』

 そう呟くはやては、とても寂しそうだった。そしてとても苦しそうだった。

「平等、ねぇ……」

 すでに日が落ち始めた夕暮れを見つめる。はやてが言っていたことは本当なのだろうか。
 もしもそれが本当ならば、私はそのなのはの内面の変化に気づかなかったことになる。

 私が気づいたことといえば、ここしばらくなのはが本を読まなくなったということくらいだ。
 いや、最近は爆弾関係の本を読み始めたけど。

「……やっぱり、はやてに負けてるなぁ」

 それは勝ち負けの問題じゃないのかも知れない。人を好きになることに、人に好きになってもらうことに勝ち負けなんてないのかもしれない。
 でも、はやてが自分を子供だと言ったように、私もまた子供だ。なのはもすずかも、クラスのみんなも子供。
 子供でいられる時間は限られている。だったら、私はこの子供を一生懸命にやりたい。

 何事にも勝ち負けを決めるのが子供なら、独占欲を押さえ込めないのが子供なら私は子供を貫き通す。
 なのはのことで、はやてに負けたくない。はやてに勝ちたい。すずかにも、なのはの家族にだって。
 私は勝ちたい、そして“なのは”を手に入れたい。私だけのものにしたい。

 私は、意地っ張りでわがままで、思ったことを恥ずかしくて言えない子供だけど、“これ”だけはたしかだから。

「――なのはのことなんてぜんぜん大好きなんだからね!」

 その顔を沈ませようとする太陽に向かって私は叫ぶ。決意のように、契約のように。
 はやてがどう思おうと、やっぱりなのはの一番ははやてだ。なのはの好きが平等になった? それがどうした。
 だったら、その平等を崩すくらいなのはに愛されればいい。そんな人間になればいい。

「絶対に! 負けないんだから!」

 あなたもそう思うわよね、はやて。あなただってなのはみたいに病弱だけど、とっても強い子なんだから。
 私のライバルなら、簡単に諦めてくれないでよね? もしも諦めたりしたら、すぐに奪っちゃ――。

「……あれ?」

 瞬間、何かが私の中に引っかかる。なんだろうこの不思議な違和感。あれ、私さっきなんて言った?
 思い出せ、たしかはやてのことだったような。



 『あなただってなのはみたいに病弱だけど、とっても強い子なんだから』。



 ……ん? 別におかしなところはない、はやてもなのはと同じく謎の難病を抱えている。
 そんなこと普通に知っている。なのに、なんでその言葉がこんなに引っかかるんだろう。
 足が動かない彼女。車椅子に乗った少女……。



 あれ、さっきはやて――。






 立ってなかった?






 ■■■



 ふと肌寒さを感じてなのはが空を見上げると、わずかだが雪が降り注いでいた。
 天を飾り立てるように舞う粉雪はまるで幻想のようで、綺麗で、儚くて。

(雪は……あんまりいい思い出ないな……)

 それは遠い過去、そしてあるいは未来の出来事。
 自身の不甲斐ないミス、それによって大切な友達の心に深い傷を刻んでしまった。周りの沢山の人たちにも迷惑をかけて、なのは自身もまた――。

(――リインフォースさんも……)

 悲しい別れがあった。呪われた因果に囚われる1人の女性。ようやく解き放たれたというのに、彼女は消えなければならなかった。
 それが彼女にとってどれほど辛かったことだろう。彼女の主もまた、それ以上に辛かったことだろう。

「今度は……助けたい、助けてみせる。たとえそれが私のわがままだとしても……」

 助けたい、そう願った。助けてみせる、そう誓った。
 どんなに後悔したところで、過去は変わらない。変えられない。
 それが世界の理。しかし――高町なのははチャンスを得た。

 運命を変えられるかもしれない、そんな奇跡を。
 この世界が、前の世界のような軌跡を描くことはないのかもしれないけれど。

「プレシアさん――リインフォースさん――」

 助けたい人がいる。大切な友達の、家族がいる。
 その人達だけじゃない。この世の次元世界には、もっともっと悲劇が溢れている。

 そのすべてを救えるとは思えない。高町なのはは神様でもなければ万能でもなければ無敵でもない。
 それでも、それでも――誰かの笑顔が見れるなら、戦い続けよう。

 そうやって、高町なのはという1人の少女は――。

「……変わらないものなんて、ない。みんな変わっていかなきゃいけない。でも――私のこの思いだけは、きっと変わらな」

 そんな最後のセリフを言い終える前に彼女はふっ、と瞬間移動でもしたように消えた。
 彼女は気づかなかった。舞い落ちる雪景色に目をとられ、前方に『工事中』という看板があったことを。



「無骨折記録、絶賛更新中やったのになー」

「うん、私も骨折するのかなり久々な気がする」

 最近は定期診断でしかお世話になってなかった久方ぶりの病室である。
 そんななのはの側にいるのは同じくして定期診断の為に病院を訪れていたはやて。
 しゃりしゃりと手馴れた手つきでお見舞いの林檎を剥いて、8つに小分け。その内の1つに爪楊枝を刺し、なのはの口元へと持っていく。

「はい。なのはちゃん、あーん」

「あーん」

 バカップルよろしくな光景。もしもアリサが見たら嫉妬で暴れかねない状況ではあるが、両者はとても幸せそうだった。
 高町なのはが病弱なこの体になってから早1年と数ヶ月。完全に入院慣れをマスターしたと言わざるおえない。

 林檎を齧る心地よい音が病室に響く。
 ゆったりとした空間、愛すべき友人、守るべき友達、ずっと側にいてくれると言ってくれたはやてがそこにいる。
 私に向かって笑いかけてくれている。それだけでなのはの心は癒された。
 無論、骨折の痛みが消えるわけでもないけれど。心はもう、痛くない。

 それからしばらくして、彼女はうとうとと睡魔に誘われる。
 “はやて”という少女が与えてくれる安らぎに安心したのだろうか。今だけは優しいこの世界を堪能して――彼女は、目を閉じた。

「……おやすみ、なのはちゃん。いい夢を見てや」



 ■■■



 黒ずんだ塊が声を上げて私の周りを徘徊している。蠢くその姿は醜悪そのものだ。
 しかも一匹ではない。“奴ら”は徒党を組むかのように二匹、三匹と増え続けている。
 この部屋に集まっている。仲間を呼ぶように、同胞を召するように。

 どうやら、いつのまにか眠ってしまったようだ。
 そしてまたこの悪夢――いい加減にして欲しい。

 耳障りだ。目障りだ。筆舌し難い気味の悪さに胃液がこみ上げる。
 頭が痛くなってきた。壊れたテレビに流れる砂嵐、そんなノイズが脳内を駆け巡る。

 ――ここから逃げ出そう。こんなところには一秒たりともいたくない。
 そうやって私は病室のベッドから立ち上がる。壊れた足は不思議と動く、好都合だ。

 奴らを視界にいれないように、蠢く奴らに近づかないように歩いて病室の扉を開けた。
 見慣れたはずの病院が、素敵に狂っている。壁は皮を剥いだ生物の肉質に覆われていて、生きているかのように脈動して。
 床には数々の絵の具を混ぜ合わせた、黒に変貌する前の複雑な色で染まっている。歩く度に何ともいえない感触が足に伝わった。

 泥沼の中にいるみたい。異臭が嗅覚を刺激して何の臭いなのだか区別もつかない。
 吐きそうだ、吐きそうだ、吐きそうだ。いや、もうすでに吐いているかもしれない。
 口の中に酸味を帯びた何かが溜まっていた。嗅覚はもはや意味をなさないが、味覚は未だに健在らしい。

 上ってきた胃液と共にそれを吐き出す。血のように赤い、でも血じゃない。血は見慣れている、だから解る。
 これは“血”なんかじゃない。もっとおぞましい別の何かだ。なんでこんなものが私の中から出てくるのだろう。

 ゴボゴボ、ゴホッ。

 早く目が覚めますように、切実にそう願う。
 はやてちゃんはどうしているのだろうか、もう自分の病室に帰ってしまったのだろうか。
 ……会いたいな。さっきまで一緒に居たのに、もうどうしようもなく会いたい。
 はやく会ってこの震える体を抱きしめて欲しい、はやく会って痛みの走る頭を撫でて欲しい。



 気づけば、私は上下に浮き沈みする階段を上っていた。
 酷く歩き難い。しかしここを上らなければはやてちゃんの病室にはたどり着けない。

 ――たどり着つけても、この“世界”にはやてちゃんがいるわけがないけれど。それでも、私は彼女に……。
 肩で息をしながら、必死で階段を上りきった。ただ彼女に会いたい一心に。



 そして私の目の前に広がるのは、闇に彩られた“墓地”だった。
 日本式の墓石があった。外国式の墓石があった。世界各地――否、“次元世界”各地の“墓”が其処にある。

 一体これはどういうことなのだろう。何を意味しているのだろう。
 そしてなぜ――その全ての墓に刻まれた“名前”が……。



 抉りとられている?



 得体の知れないものが、背後を撫でる。小さく体が震えて止まらなくなってくる。
 ――進もう。ここで立ち止まっていても、何も変わらない。

 恐怖を振り払って、私を囲むように並んでいる墓の横を行く。
 誰の物かもわからない。そもそも、この墓の下に眠っている人が本当にいるのだろうか。
 いるとしたのなら、それは――。

 墓地を進み、私はようやく彼女の病室のある場所へとたどり着く。
 だいぶ狂ってはいるが、元の世界と照らし合わせれば、おそらくはこの場所のはずだ。



 はやてちゃんの病室の扉が、おびただしい数の“鎖”と“剣”に繋ぎ止められていた。



 まるで、中にいる者が逃げ出せないように。

 牢獄のように、結界のように、封印のように。

 閉じ込められていた。




 ■■■



「――はやて、ちゃ……?」

 彼女が目を覚ませば、歪んだ病室はもう見当たらない。
 陽だまりが窓の外から部屋を照らし、心地よい暖かさを生み出している。

 ふと横を見ると、すやすやと吐息を立てながら車椅子の上で眠る八神はやての姿があった。
 いつもと変わらない彼女の姿に、眠った自分を自身も眠くなるまで見守っていてくれた彼女に、なのはは安堵する。

「ずっと、側にいてくれたんだ……」

 それに感動して、なのはは思わず眠る少女の手を慎重に取って、自分の頬を摺り寄せる。
 暖かい体温、綺麗な肌――八神はやての、優しい香り。

「……出来れば、起こして欲しかったな……なんてね」

 そうすれば、あのような不可解で不気味な夢も見ずに済んだが、それは無理な注文だろう。
 人がみる夢なんて誰にもわからない。なのはがうなされていれば話は違ったかもしれないが、不幸にもはやては眠ってしまっている。

 けれど、側にいてくれたことが何よりも嬉しかった。
 とても怖い夢とは、目が覚めた後にもその恐怖心が持続する。
 そんなときに、愛すべき友人が側にいてくれることが、どれほどの安心と勇気を貰えることか。

「――むにゃ……あれ? なのはちゃん……起きたん? ……あっ! ごめん、眠ってもた私!?」

「にゃはは、可愛い寝顔だったよ」

「もぅ、そんな変なこと言わんといてやー」



 それからしばらく話し込んで、はやてが診断を受ける時間がやってきた。
 名残惜しくも、はやては車椅子を漕いでドアの前へ。

「それじゃなのはちゃん、検診が終わったらまた来るわ」

「うん、まってるからね。言ってらっしゃいはやてちゃん」

 2人して手を振り合い、はやては部屋のドアノブに手をかけ、廊下へと出た。
 はやく帰ってきてね、はやてちゃん。そうなのはは思いながら、はやてがドアを閉めるまで手を振り続ける。



 そんな、病室のドアが閉まる直前に。






 テケリ、リ――と、“誰か”の声が、聞こえたような気がした。



[21899] 残機×6個目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0f320504
Date: 2011/09/19 22:27

 暗い森の中、1人の少年と黒い靄の様な何かが対峙する。
 少年が手を翳し、浮かび上がったのは魔法陣。それを黒い霧にぶつけようとするが、黒い霧は咄嗟に身を翻す。

「グアアアァ!」

 黒い霧は咆哮をあげて少年に向かう。
 対して、少年は魔法陣を突撃する黒い影に向けての防御体制。
 衝撃。甲高い音を立てて黒い影は四散する。だが、空中に舞う無数の黒い影は死んでいない。
 それぞれが独立した意識を持って蠢くそれは、四方八方から少年を襲い尽くす。

「くっ――う、あああぁ!」

 幾度となく少年の身体に走る痛み、服から滲み出すのは赤い血。
 キリがなかった。この黒い霧はコアであるジュエルシードを封印しなければ死ぬことも動きを止めることもないのだから。

 状況は最悪だ。少年は攻撃を防げ相手の自滅を誘えるともジュエルシードを封印する手立てがない。
 このままでは確実に“殺される”――ぞくりと背筋に纏わりつく恐怖。されど、体が震えて止まらない“それ”を感じても……少年は諦めない。諦められるはずがない。魔導師である自分でさえこのような様になっているのに、これが魔力もなにも持たない人間だったのならば結果は火を見るよりも明らかだ。

(絶対にこの世界に解き放っちゃいけない――! この世界の人達は、何の関係もないんだから!)

 されど無常。少年の思いだけでは目の前の黒い霧を封印することは出来ない。
 どうすればいい? そうすればこいつを……その答えを少年が導き出す前に、分裂していた黒い霧は再び融合を経て元の姿を取り戻す。

 一瞬だった。黒い霧が大口を開け、その牙をむき出しにしながら大地を駆けたのは。
 動きが速い、もう防御魔法の展開は間に合わない。少年は両腕を自身の前に被せてせめてダメージを軽減させようとしたところで――。



「伏せて!」



 その声は響いた。幼く、されど凜として力強い声が。
 声と共に黒い霧に何かがぶつかった。瞬間、“バン”とそれが火花を撒き散らして炸裂する。

「ギャウウウウウゥ!」

 悶え苦しむ黒い霧。そして風に乗って流れて来たのは焦げた匂いと火薬の匂い。

「え?」

 少年は動揺を隠し切れない。何が起きたのかもさっぱりだ。
 混乱する少年の元に駆け足で、その声の“少女”が向かう。

「こっちだよ!」

 少女は少年の手を握り、再び走り出した。
 暗い森の中を駆け巡り、そこでようやく少年はおぼろげながらも事態を把握する。
 この目の前の少女が、自分を“助けてくれた”ということを。

「き、君は一体……!?」

「私は高町なのは! 君の名前を教えて欲しいな!」

 肩で息をしながら、なのはは少年に振り向いた。
 その顔を見た少年は、一瞬だけ“ドキ”っと胸を高鳴らせる。
 汗を浮かべるほど必死なのに、輝かしいほどの笑顔を彼女は浮かべていたから。

「ユ、ユーノ! ユーノ・スクライア!」

「そっか、ユーノくんか! よろしくね! ところでユーノくん、あれなに!」

 なぜか若干棒読み気味のなのはが後ろを振り向くと、その視界に映るものは草木をなぎ倒しながら2人を追ってくる黒い霧だ。

「あれは、その……」

「なるほど! 魔法っぽいなにかなんだね!」

「まだ何も言ってないよ!? って、魔法を知ってるってことは、君はまさか魔導師!?」

「何のことだかさっぱりなの! ところでユーノくんは操作性が難しすぎて自分では使えないけど別の用途では使えるから所持してるインテリジェントデバイスとか持ってないかな! 持ってたら貸して欲しいんだ!」

「デバイスのことを知っててなんで魔導師のことを知らないの!? というか、デバイスの例えが限定的すぎるよ!? なんで君は僕の持ち物を知ってるのさ!?」

 魔法のことを知っていても魔導師は知らないというのに、デバイスのことは知っていてしかもなぜか自分の所有するデバイスとぴったりと当てはまるデバイスを持っていないかと告げる目の前の少女、高町なのは。

 彼女は一体なんなのだ? 
 自身を助けてくれたのには間違いない、その点に関しては感謝してもしきれない。
 しかしこんな真夜中に、そしてこんな森の奥深くでこの少女は何をやっていたのだろうか。
 それに、先ほどジュエルシードの暴走体である黒い霧に投げつけたものは一体――。

(ぜぇ、ぜぇ……ま、まずい……ユーノくんに怪しまれてるかも……)

 なのはは後悔していた。元の世界では大親友であるユーノとはいえ、この世界では見ず知らずの他人。
 だから魔法技術のないこの世界の極普通の少女を演じつつ初対面の振りをして、早急にレイジングハートを貸してもらおうと算段していたのだが、あまりにも“焦り”すぎた。

 走れるようになったとはいえ、以前よりさらに輪をかけて体力の無さすぎるこの体。
 酸素不足の頭脳では思考がまとまっていないといってもこれでは完全に支離滅裂の不審者だ。

 ようやくやって来た“三度目”の運命が出会う時、待ち望んでいたこの瞬間。
 “二度目”の曖昧な記憶を省みて、ユーノが助けを求めてから出会うのではなく“助けを求める前に”出会うという未来の情報を知っているからこそ可能なこの計画に変更したというのに、こんなことでご破算になっては堪ったものではない。

 しかし落ち着いて話をしたくとも暴走体は待ってくれない。
 今もまたなのはとユーノの背後に迫っている。2人が必死に走っても、まるで子供と大人とでも言わぬばかりの速度。

「っ……」

 それを目視したなのははくるりと身を翻して、ポケットから取り出したのはスイッチの付いた怪しげな筒状の箱。

「えい!」

 スイッチを押し、大きく振りかぶって箱を投擲する。
 けれど数メートルも飛ばずにぽとりと地面に落ちた。体力もないことに含めて、力も無いなのはの体である。
 というか、振りかぶって思いっきり投げたせいで腕が凄く痛かった。もげそうだ。

 しかし、腕の痛みは無駄ではない。投擲から十数秒後、その上を黒い霧が通った瞬間――見計らったように箱が“爆発”した。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアァ!」

 黒い霧の一部が爆惨すると共に響くは悲鳴。その爆発は地面を抉りとる程にかなりの威力だ。
 もはや何度目の驚愕か、慌てふためきながらユーノは叫ぶ。

「い、今のってまさか爆弾!? 君はなんてものを持ってるんだ!」

「爆弾作りが私の趣味でね!」

「花火職人も驚きの趣味だよ!」

「子供って火遊びが好きなものだもん!」

「それは火遊びなんて度合いじゃない!」

 どういう子なんだ彼女は。言動がおかしいし、爆弾は持ってるし、それを躊躇なく爆発させるし。
 ユーノの中に不信感が募る。それだけじゃない、先ほどから感じるのはまるで“自分を良く知っているような”彼女の雰囲気も気にかかる。



 なんだ、初対面のはずなのに、まるで長年連れ添った友達のようなこの感覚は。



 なんだ、同時にその温かささえ感じる感覚とは真逆の、言いようのない奇妙な■■は。



 彼女は、“高町なのは”は一体“なんなんだ”? このまま、本当に“ついて行っていいのか”? 



 それ以前に――僕の不始末に“巻き込んでいいのか”。



 ――そう考えこむユーノに、なのはは気づいていた。
 見た目は少女といえど中身は成人し経験を積んだ大人だ。
 怪しげな視線を向けられればそれがどういうことを意味するのかは大体わかる。
 心苦しかった。背後から感じるのは確かな不信感に、かつての親友が自身を信じてくれない事実に。“私を頼ってくれない”という絶望に。

 こんな真夜中に、しかも山奥にいきなり現れた謎の少女にいきなり信用は置けないのも無理は無い。
 爆弾という危険物を持っていて、それを躊躇なく爆発させれば信頼できないのも当然だけれど――。

 なのはが立ち止まる、それにつられてユーノもだ。
 肩で息をして、汗が流れ出るのも厭わず彼女は真剣にユーノを見つめた。

 なのはの思いはただ1つ、それを、口に出してしっかりと伝えたくて――彼女の口が開かれた。

「――私のこと、信じられないかもしれないけど、それでも信じて欲しい。私は君を、助けたい」

 そんな言葉だけで、そんな一言だけで信用を得ようなどきっと甘い考えだろう。
 ユーノ・スクライアが9歳の子供だとしても、子供には子供の判断基準や価値観がある。
 たとえ助けられたといっても、命を救われたのだとしても“こんな見ず知らずの異世界で”計ったように現れた怪しい少女に心を置こうなどとは普通、思えない。

 信用とは、信頼とは、言葉だけでは得られない。偉そうな言葉を吐こうが、殊勝な言葉を呟こうが、優しい言葉を囁こうとも。
 まるで意思を持たない人形のように、まるで考えることのないプログラムのように、身を預けることはない。

 けれど彼女のその言葉の重みたるや――筆舌にし難く。

 なのはが手を伸ばす。子供特有の小さく、可愛い手だけれど、無数の切り傷と火傷のあとを隠すように絆創膏が張られたその手は逞しく、そしてとても大きく見えて。

 その差し出された手を彼は――。

 “信じた”のではなく、自分を助けてくれた彼女を、この手を、“信じてみたい”から。

 しっかりと――握った。

「――なのは。僕も、君にいうことがあったんだ。ごめん、これは最初に、君に手をとって貰ったときにいわなきゃ駄目なことだった」

 再び2人は走り出す。その足並みはばらばらだった先ほどまでとは違い、同じ道筋を一緒に辿っているように揃っていて。

「僕を、助けてくれてありがとう」

「……にゃはは」

 ただ笑顔で、必死に走った。



 ■■■



 ――爆弾を放っては駆け、放っては駆けること数分。
 森林を奥深く進む2人の先には広い原っぱが広がっていた。

 この場所こそ、魔法が使えないなのはがジュエルシードの暴走体に勝つ為に用意した最終決戦場。
 ここにたどり着いた時点で、この計画の半分以上が成功している。あとは、莫大な魔力を備える彼女が持つ“矛盾”を慣行するだけだ。

 今までに備えた爆弾も、この場所も、何もかもは全てがその為の布石。
 全力疾走を続けたなのはの身体はもはや死に体。されど走り続けて怪我をしなかったのは奇跡ともいえる行幸。

「ぜっ、はっ……! ユ、ユーノくん、あの穴――あの穴の中に滑り込むよ!」

「穴っ!?」

 彼女の指が示す先には確かに穴があった。ぽっかりと、子供2人が入るには余裕そうな大穴が地面に作られている。

「けど、あれに入ったらもうあいつから逃げられなくなる!」

「大丈夫! もう逃げるのはお終い、あれに入るのは逃げる為なんかじゃなくて――“巻き込まれ”ない為だから!」

 巻き込まれる? その言葉に嫌な想像を掻き立てられるものの、信じてみようと思ったからには信じるほかない。
 信頼とは、双方が信じて初めて生まれるものなのだから。

「グアアアアアァ!」

 しかし、ジュエルシードの暴走体である黒い霧もまた地獄に誘うような咆哮を上げて迫っている。
 速度はあちらの方が絶対的に速い。このままではあの穴に滑り込む前に“追いつかれてしまう”。

「そこに赤い線があるよね、ジャンプで超えて!」

 再びなのはが地面を指差す。真夜中ゆえに見にくいが、そこには約1メートルほどの間隔を空けて赤い線が記されていた。

「……っ、わかった!」

 そして、全力疾走からの跳躍。幼い彼らといえどもそれくらいの幅なら簡単に飛び越えられる。
 華麗なる着地、そして響くは“骨の悲鳴”だ。

「え? いまなんか変な音が……」

「――ヒビで済んだ!」

「何が!?」

 ユーノがそう呟くのと、黒い霧が赤い線の上を通ったのは、ほぼ同時だった。
 瞬間、黒い霧の真下を中心に軋みと亀裂が入り込んで、崩壊する。

「グゥアァ!?」

 俗に言う、落とし穴である。赤い線の中心に入らなければ壊れない、精密に計算されつくしたなのはのトラップ。
 無論、それだけで終わらせてやるほど“友達を助けようと決心している高町なのは”は甘くない。

「グゥゥ――」

 彼が思考と知識を持っていたのなら、その状況にも気づけただろう。
 ――気づいたところで、すでに将棋やチェスでいう“王手(チェックメイト)”ではあるが。

 その巨体がすっぽりと入るほどの巨大な穴の中にあったのは、夥しい数の“箱”だ。

 箱、箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。
 箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。

 視界を埋め尽くすほどに埋め込まれた、無論全てが“爆弾”で――。

 なのはは黒い霧が地面に乗り込まれるのを確認すると、胸のポケットから携帯電話を取り出した。

「それは特別製でね、起爆は遠隔操作なんだよ」

 誰に語るのでもないように、虚空に向かって小さく呟く。
 汗で滑るけれど、それでも慌てず間違えず定められたキーを丁寧に押して。

「これが、“今の”私の全力全開!」

 ユーノを先に穴の中に入らせて、それを見届けてからなのはも中に滑り込もうとする。
 いまから彼女が叫ぶのは、かつて己がもっとも得意としていた、いまは使えば体がばらばらになるであろう最強の魔法。
 “それ”の名を関する、今の彼女に出来る全力全開。

「スターライトォ――!」

 滑り込んだ穴の中は広く、そしてただ掘ったわけではない。
 セメントなどで補強されたその穴は下手な防空壕よりも強固で立派なシェルターの意味を持つだろう。
 簡易式の頑丈な蓋で穴を塞ぎ、なのはは最後のキーを――押した。

「ブラスト!」



 一回目の爆発が呼び水となって、全ての爆弾が雄叫びを上げた。
 爆音などではない。そんな範疇には決して収まらない。耳鳴りが鳴り止まぬその音はもはや轟音とでも言うべきだ。
 穴から天空へと伸びる火柱。大地を揺るがす地震にも似た震動。もはやそこは地獄そのものか。

 きっと黒い霧も悲鳴を上げているのだろう、されどその声は聞こえない。
 いや、聞こえるものなど何も無い。全ては焔と轟が支配しているのだから。
 焦土と化す、焦土と化す、焦土と化す、辺り一面が焦土と化す。


 轟音が鳴り終わり、震源地から大分離れた穴の蓋が外されて、2人が這い出てくる。
 ふらふらと足取りがおぼつかないのは酷い耳鳴りや何度も身体を揺すられた震動のせいだろう。

「な、なのは……や、やりすぎだよ……」

「ちょ、ちょっと……火薬の量、多かったかな……」

 未だ安定しない視界に映し出されているのは、地形の変わった原っぱだ。
 火種がまだ燃え尽きず、周囲の熱された空気は真夏よりも暑く、黒い霧が落ちたはずの穴は底が見えぬほどの巨大な大口を開けていた。

 その穴の中心におぼろげな青い光を放つのは、黒い霧の取れたジュエルシード。
 封印されたわけでも、壊れたわけでもなく――あまりの熱量と爆風に一時的に停止しているに過ぎない。
 このままではあと数十秒も立たず、再び霧を纏ってなのは達に襲い掛かるだろう。

 だからこそ、ここでケリをつけなければ。

「ユーノくん、デバイスを貸して貰えるかな」

「そういえば、だからなんでデバイスのこと――いいや、もう」

 何かいろんなことを諦めて、というよりは呆れて、ユーノは首にかけられているペンダントを外した。
 その紅い宝石が付けられたペンダントこそ、なのはが生涯を共に連れそうこととなる永遠のパートナー“レイジングハート”。

(彼女がやろうとしていることはきっとジュエルシードの封印)

 ユーノ自身では魔力が足りない――否、“適正が薄い”為に出来ないから彼女にやって貰うほかない。
 自分の無力に腹が立ち、なのはに対する感謝のさらに念が深まって――。

(――あれ? デバイスのことを知っていて使えるのなら、“逃げる”必要があったのか……?)

 ふと彼女の中の魔法の力を感じてみれば、それは膨大な、かつて感じたことのないようなとてつもない魔力だ。
 これほどの魔力があれば、暴走体も簡単に倒せたのではとも思ってしまうほどなのに。
 そんなことに引っかかるユーノだったが、なのはもまた同じように違和感を感じていた。

(今度こそ、会えたね――――ん? “今度こそ”?)

 自ら思ったことが、気にかかる。今度こそとは、一体どういうことだろう、と。
 “二回目”も、私は“彼女”と会ったんだっけ――?

(……あとで、考えよう。今は、封印を優先しなきゃ)

 そう、今はジュエルシードの暴走体が先決だ。レイジングハートをユーノから預かって、天に掲げるように突き上げた。

「名前はレイジングハート。デバイスのこと知ってるみたいだから説明は省くけど、いい?」

「うん、大丈夫。起動呪文だけ教えて?」

「……わかった。僕のあとに続いてくれ。我、使命を受けし者なり――」

 その言葉に、なのはが続く。

「我、使命を受けし者なり――」

「契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を」

「契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を」

 レイジングハートに魔力が流れる。桃色に輝くは彼女の魔力光。

「レイジングハート、セットアップ!」

 なのはが光に包まれる――その中から現れたのは、バリアジャケットを纏った最強の魔導師の姿。

「――さあ、行こうかレイジごぼふぁ!?」

 どばどばどば、びちゃっとトリコロールカラーのバリアジャケットと地面が一瞬にしてレッドカラーに染まる。

「血を吐いたー!?」

 絶叫するユーノ、そんな彼に対して何度も嘔吐きながら必死になのはは誤魔化す。

「ごぷっ……ち、違うよ、これはトマトジュースを飲みすぎたからだよ!」

「嘘だ!? トマトジュースってこんなにどろどろしてない!」

「トマトケチャップを飲みすぎたからだよ!」

「この世界の人はケチャップを飲料水代わりにするの!?」

 いきなり吐血を繰り返すユーノは何か彼女に異常が起きたのかと心配するが、なのははそれを振り払ってレイジングハートをジュエルシードに向かって構えた。
 大丈夫、まだ持つ、あと一回だけでいいから、持って! すでに意識が耄碌し始めて、身体に力が入らなくなっている。けれど――不屈の闘志を燃やして、彼女は魔法を発動させる。

「ジュエ、ごほっ! シード……シリアル21ぃ……封印!」

【sealing.(封印)】

 圧倒的な力でねじ伏せるように雄叫びを上げるなのはの魔力。
 光がジュエルシードに集約し、封印術式を汲み上げていく。

 その封印される光景に安堵したのか、“ぷつ”っと彼女の中の何かが切れた。
 前のめりで地面に倒れて、彼女が意識を手放す前に最後に思ったことは――。

(ジュエルシードの封印は十数年ぶりだけど、会心の出来だった、な……これで、やっと、みんなを、守れ……る……)

 こんな今の自分でも大切な人を“守れた”こと、そしてこれからも“守れる”のだということに対する――感動だった。



[21899] 残機×7個目(前半)
Name: 槍◆bb75c6ca ID:0df82b4f
Date: 2011/12/21 02:20

 ひとごろし。

 そう呼ばれたことが私にはある。けれど、実際に私が人を殺したということではない。あれは確か、質量兵器を密輸していた大型の犯罪組織を私が一網打尽に壊滅させた時だ。
 勿論、私が壊滅させたと言っても1人でやったわけじゃない。他の管理局員や現地の軍人にも協力して、何百人もの規模でやったこと。そもそも人々からエースオブエースと称されようと、たった1人で出来ることなどたかが知れている。

 Sランクを超える魔導師は総じて化物足りえる存在だ。攻撃方向に魔力資質が偏っていれば都市の1つや2つは消し飛ばせる。
 でも、だからってAAAランクの魔導師を10人ほど相対すればそれに勝つのは私でも限りなく難しい。Aランクであろうと100人を一気に相手すれば簡単に撃墜されるだろう。

 質量兵器を構えた相手なら尚の事。魔法は科学兵器に対して無敵じゃない。マシンガンを連射されればプロテクションは耐え切れないし、ロケットランチャーなら一撃で粉砕される。
 威力の高い爆弾なら突き抜けて重症を追うし、それこそ“核爆弾”なんてものを使われたら――後には微塵も残らない。正直、怖い。非殺傷設定の外された魔法も怖いが、焦げた弾薬の硝煙はもっと怖のだ。
 そんな物を呆れるほどに貯蔵した組織を相手にするなんて、考えただけでも身の毛がよだつ。

 だから数を集めた。そして仲間は集った。万年人手不足を嘆く管理局ではあるが、やはりいるところにはいるものだ。
 数の暴力と言っても過言じゃない戦力を持って、私達は大型組織を根本含めて打倒し拿捕。雑誌やテレビは『エースオブエース率いる管理局が大型密輸組織を壊滅!』と盛大に煽っていたことを覚えている。

 私のネームバリューはどうやら自分自身が思っているよりも価値があるらしい。
 特に率いていたつもりはないのだが、記者は興奮気味に私を持て囃しまるで私が1人で潰したように連日報道を続けた。
 まるで私1人の手柄のようで他の皆には至極悪いと思ってはいるが、それ自体は正直、嬉しかった。『ありがとう』や『凄い』といった自分に向けられる言葉の温かさは一種の麻薬に近いものがある。
 “自分の存在が他人に認められている”。そう思っただけで、ある種の“トラウマ”を持つ私は幸せな気持ちになれた――やってきてよかったって、この仕事を選んで良かったって。



 ひとごろし。



 なんでも、組織の構成員が何人か捕まる前に自殺していたらしい。
 それ自体は良くある話、だから何の感慨もわかない――いったら当然、嘘だ。けれどそれら全てを一々気にしていたら潰れてしまう。
 メンタル操作の術は訓練学校で学んだ。少しのことなら耐えていける。でも、やっぱり面と向かって、正々堂々真正面から“それ”を言われるのは、やっぱり堪えた。
 私にそう告げたのは自殺した構成員の残された一人娘らしい。何の因果かバッタリ街中で出会った私に向かって、彼女は罵倒の呪詛を叫び続ける。

 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし――。

 私は黙ってそれを聞き入れた、誰かが通報してくれたらしい警察がやってきて彼女が取り押さえられるまで。
 取り押さえられて尚、涙が流れる彼女の恨みの詰まった鋭い双眸が私に向けられていた。

 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。
 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。
 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし――。


 私は何も言えなかった。ただ立ち尽くすだけだった。
 思わないことがないわけじゃない。寧ろ真逆――“思うことがありすぎて”どれから告げればいいのかわからなかっただけだ。

 貴方の親を追い込んでごめんなさい、でもこっちだって仕事だった、犯罪を犯していたのは貴方の親だ、1人ぼっちにしてごめん、なんで私だけにいうかな、私だけの責任じゃない、どうすれば償える、悪いのは私じゃない、それを喜んでたのは私だ、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は――。

 そのあと、どうやって帰路についたのかすら覚えていない。
 ただ静かに泣いて、それに気づいたヴィヴィオにずっと慰めて貰っていたことだけを覚えている。
 『情けないママでごめんね』なんて泣き言をいえば、『そんなことない、なのはママは優しすぎるから』なんて慰めが帰ってくる。

 救われる、ヴィヴィオという存在に心の底から救われる。愛する家族の存在とはこうまでも心を癒してくれるのか。
 それはきっと何よりもかけがいの無いもので、それはきっと何よりも大切なもの。



 なのに私は、あの子の家族を奪ったんだ。



 そう思うと消えたくなって、潰れたくなって、ヴィヴィオを攫って私のことを誰も知らない世界に逃げたくなる。
 でも思った以上にこの身は頑丈で――数日もすればいつもの“なのはさん”を続けることが出来た。
 あの子のことを心の奥底に仕舞うことで、また次元世界の平和を守る管理局員を続ける為に。

 正しいことをしたのに、間違っていると言われる。
 見知らぬ誰かを守れたはずなのに、見知らぬ誰かが死んでいる。
 助けたいという私の願いは、人殺しという形で私の前に現れる。

 世界が矛盾で溢れていることなんて知っている。
 世界が理不尽で覆われていることなんて気づいてる。
 子供の頃に見えていた綺麗なものは、大人になるにつれて醜いものだと解される。

 なんで、私は管理局という仕事に就いたのだろう。
 なんで、私は戦い続けることを選んだのだろう。
 なんで、私は――。



 そんな、忘れていた(あくむ)を見た。



 ■■■



 目を覚ませば、私が居たのは公園のベンチの上だった。
 季節は四月なものだから気温は寒いはずなのに、今は不思議と温かい。

「……これ」

 見覚えのある懐かしいバリアジャケットが私にかけられている。
 ――それもそのはず、そのジャケットは愛しい親友のものなのだから。

 横を向けば、一匹のフェレットが私の横で丸くなっていた。
 そして昨日の記憶を思い出し、現状の全てを理解する。ユーノくんが気絶した私をこの公園まで運んでくれて、バリアジャケットをかけてくれたことを。

 この世界では、ユーノ・スクライアにとって私は見知らぬ不気味な子供に映っていたはずなのに、自身も満身創痍の状態であったのに。
 ――昔から、そうだった。そして、違う世界でもそうなんだ。思わず顔がにやけてしまう。相も変わらずに心優しい少年の存在に。

「守りたい人がいたから――私は魔導師を続けたんだ」

 矛盾を孕んでも、在り方に悩んでも、人を傷つけても――私は、高町なのはは友達の為に戦い続けていける。
 きっとそれが、あの悪夢(きおく)に対しての答え。きっとそれこそが、私の人生の王道なのだから。

「開き直るわけじゃない。けど、私はたオヴォェ」

 ――あー、昨日のダメージがまだ残ってたかなぁ……。
 もう何度目だろこの吐血オチ。私は格好つけると吐く呪いでもかかっているのだろうか。

「うううん……ん? あ、気づいたんだね! って――!?」

 ……とりあえず、私の血で全身を真っ赤に染めてしまったユーノくんに。

「な、なんだこれええええええぇ!?」

 なんて謝ろう。



 ■■■



 さて、現在私とユーノくんは家路を進みながらもお互いの境遇を紹介し合い、親睦を深めていた。
 ちなみにユーノくんの毛並みはまだ赤い。その赤さといったら赤い狐もビックリの色合いだ。
 私の服で拭っても良かったんだけど、そもそも私の服も赤いちゃんちゃんこのように恐ろしいことになっているし、バリアジャケットは拭う前に魔力構成が切れて消えてしまった。

 ユーノくんは限界を超えていたのにも関わらず私が凍えないようにバリアジャケットで保護してくれていたようで、もうジャケットを作り出す魔力すら残っていない。
 本当にゴメンねユーノくん……帰ったら一緒にお風呂はい――るのは今となっては少し恥ずかしいから、遠慮せずにゆっくり浸かって休んでいってね。
 逆に私は吐いたのにも関わらず体の具合は良好だ。ならなんで吐いたんだろう……どういう構造してるのかなこの体。

 ――というか、太陽が昇りきってない朝方で本当に良かった。血まみれの女の子と血まみれのフェレットが仲睦まじげに歩いているなんてただの怪談話だよ。
 通報されて警察の厄介になってもおかしくないね、うん。ああ、でもこの時間帯ならお兄ちゃん達が朝稽古してるかも……ど、どうしよう。

「――そっか、なのはは未来を知るレアスキルを持っているんだね、魔導師やデバイスのこともその能力で知った、と」

「う、うん! だからユーノくんが襲われているのが事前にわかったんだ。ただ、いつでも発動できるわけじゃないし、あんまり先のことは見えないし、そもそもよく外れちゃったりする駄目駄目な能力なんだ……」

 もちろん、私に未来が見えるなんてカリムさんのようなレアスキルはない。
 それはただの詭弁。嘘を付くのは心苦しいけれど、これから先私はどう考えても“未来を知っているとしか思えない行動”を何度もするだろう。

 だから怪しまれない為にはそうでもいわないと説得力がないから。
 まあ、こんなレアスキルを持っているほうが怪しまれる可能性も無きにしも非ずかもしれないけど。

「そして、レアスキル以外の魔法を使うと多大なダメージを負う体質……」

「多大といってもちょっと血が出るくらいだけどね!」

「少なくとも昨日今日みた限りじゃあれを“ちょっと”とは言えないよ!?」

「ちょっとだもん! 人間が70パーセントの水分で構成されていることを考えればたかが1リットルや2リットル……」

「例え人間が半分以上水分で出来ていたとしても血はもっと少ないから! 大事にしようよ赤血球!」

「それにほら、血がどばどば出るくらい、躓いただけで折れる弱小強度の私の骨に比べれば全然大したことないし!」

「病院に行ってー! そして入院して検査して貰って! 怖い、怖いよ君の体!?」

「病院にはいった。入院は月一でしてる。検査は受けた。原因不明。治る見込みは全くなし!」

「なんでそれを君は明るく語れるんだよ!? あ!? というか昨日の聞いた変な音、もしかして骨が折れた音!? だ、大丈夫!?」

「――あれ? そういえば治ってる……」

「何者なんだ君は!? 何者なんだ君は!」

「高町なのは! なのはだよ!」

「そういうことじゃなーい!」

 うん、ユーノくんと早くも凄く打ち解けれている気がする!
 こんなまるで親友とふざけ合うように話せるなんて前の世界でもなかったもん。
 こっちの世界でもいい関係が気づけそうで一安心だ――なんて話し込んでる内に、愛しの我が家へ到着。
 こっそりばれないように入らないと。お父さん達にむやみに心配かけたくないし……。

「さ、ここが私のお家だよ。上がって、ユーノくん」

「――なのは」

 その声は、静かに響く神妙で、とても真剣な声だった。
 さっきの、ふざけ合うように語り合っていた声とはまったく異質のもの。

「何かな?」

「“助けてくれてありがとう、この恩は絶対に忘れないし絶対にお礼もする”」

「そんなに気にしなくてもいいよ!」

「だけど――“僕はこれ以上君に頼るわけにはいかない”」

 ――え?

「僕は確かに助けてと願った。そして君は助けてくれた。情けない話だけど、もしよければこれから先も助けて欲しいと思ってた」

 そ、そう思うなら、全然私を頼ってくれていいんだよ!? むしろ、こっちから頼られたい勢いで――。

「でも、魔法を使えば血を吐いて、体をどこかにぶつければ骨が折れるなんて女の子に僕の変りに戦ってくれと言えるほど――僕は“非道”になれないから」

 思考が固まる。ユーノくんが言っている意味がまるで理解出来ない。

「だから僕は、もう二度と君に頼れない。下手をすれば――僕が解決しなきゃいけない不始末が“君を殺すことになる”」

 否――理解出来ないはずがない。私はこれでも大人だ。ユーノくんがそう考えるなんて、本当はわかっていたはずなのに。
 さっきの馬鹿げた会話は、無理に明るく馬鹿みたいに振舞っていただけ。“最悪”のパターンを考えることを、放棄していただけ。

「君は本当に優しい子だって、出会って間もない僕が思えるくらいだ。この世界で始めて出会った人が君で良かった。だって――絶対にこの世界を守らなくちゃいけないって決意できたから」

 ユーノくん、さっきから――さっきから

「“また会おうね、なのは”」

 一体、何を言っているの?



[21899] 残機×7個目(後編)
Name: 槍◆bb75c6ca ID:4b16d5e7
Date: 2012/07/13 04:53
 “また会おうね”――はて、その言葉は一体どういった意味合いだったっけ。
 まさか“君のような超強弱体質の娘に力を借りるくらいなら一人で頑張るよ、バイバイ”といった意味だとしたら非常に困る。
 ――否、まてまて。そもそもユーノくんの言葉が日本語だと断定するのは軽率だよね。“Mata a oh ne”という英語、もといミッド語である可能性も否定出来ないわけだから。

 んー、でもこんなミッド語は存在しないしなぁ。私だって伊達に10年以上ミッドで過ごしていたわけじゃないし……。
 少なくともこんな言葉は聞いたことがない。となればミッドでもない違う地方の言語なのだろう。スワヒリ語とか。ああ、なんだそんなことか焦って損したよ。

「ユーノくん、私ちょっとスワヒリ語はわかんないから日本語で話して貰っていい? ――ってもういないし!?」

 目を瞑って思考してたら――現実から目を逸らしてたともいうかもしれないけれど、手品のように姿形が消えていた。
 はやい、行動がはやすぎるよユーノくん! 行動力があるのは知ってるけど今発揮しなくても!
 急いで辺りを見渡しても影も形もない。うううう、どこいっちゃったんだろ……。考えろ、考えろ。ユーノくんが行きそうな場所…….。

 わかんないよ! つーかわかるか!
 ユーノくんと行動を共にしてたのって基本的に私の家だったから、私の家以外でユーノくんが拠点とする場所なんて検討もつかないよ! うううう、どうしよう。なんだか頭が痛くなってきた、というか物凄く痛いよ実際に……。

「な、なのはちゃん!?」

 不意に、私の名前を呼ぶ声がした。
 ぎくっと私は肩を震わせて恐る恐る振り返えってみれば、そこにいたの驚きの表情を作る――。

 はやてちゃんだった。

「……あれ、こんな時間にどうしたのはやてちゃん?」

 今、朝方の4時くらいだよ? 魚市にでもいくのかな。

「それは私のセリフやよ!? なのはちゃんこそ、そんな格好でなにしてるん!? それまさか全部血!?」

 はやてちゃんの目線の先は私の服。
 ……あ、しまった。そういえば私の服血まみれだったっけ。やっべ。

「ち、違うよ。こういう色のデザインなんだ、これ」

「嘘や!? 湿ってるもん!? 真っ赤に濡れてるもん!?」

「そ、それは……ウェットスーツだから!」

「どういうこと!?」

「ウェットスーツなんだから常に濡れてるのは当然だよ!」

「いやいやいや濡れてへん、ウェットスーツは常に濡れてるからウェットスーツって呼ばれてるわけやないで!? 寧ろ常に濡れてるウェットスーツの素材が気になるわ!」

 血まみれの私を見てパニックに陥るはやてちゃん、を見て同じく焦る私。まずい、ここで騒がれたら家のみんなに気づかれちゃう!
 現在の私は血まみれ。私自身の体はなぜか異常に調子がいいくらいなんだけど、そんなことをいってもまず信じて貰えない。ともすれば病院に強制連行は確実。

 こうなれば――よし、逃げよう!
 脱兎の如く私は走る。その脚力たるや全盛期のカール・ルイスをも凌ぐかもしれない。まあ気のせいなんだろうけど。

「なのはちゃーん!? なんで逃げるーん!?」

「私のことは見なかったことにしといて!」

「そんなんで出来るわけないやん!? 転ぶって! なのはちゃんがそんなダッシュ決めたら絶対転んで折れるってー!」

 徐々に私の背後で呆然と立ち尽くしながらも私を食い止めようと叫ぶはやてちゃんに、決して軽くはない罪悪感を感じつつも私は走る。

(ごめん、はやてちゃん……!)

 頑張り屋さんで、素直に見えて実はいじっぱりな友達がいる。
 その友達は、私が不甲斐ないばっかりにたった一人で事件に立ち向かおうとしていて。
 放っておけないんだ。世界が違ったって、ユーノくんは、ユーノくんは――!



 私の大切な友達だから!






「で、探し続けて結局夜になっちゃった……」

 はやてちゃんを振り切ってユーノくんを半日以上捜索するも、ものの見事に見つからなかったとさ。

 死にたい。

 ついでにやっぱり頭が痛い。死にたい気分、増々。

 市街とはいえ凄く広いよ海鳴。というか見つかるわけないじゃないっ。
 フェレットモードのユーノくんをたかが小学生の女の子が一人で探せるわけないよ!
 魔法を使えれば別なのに! 魔法を使えれば見つけれられるのに! もう嫌ぁ……。

「しかも学校サボっちゃってるし……」

 とっくに修学して、もはや予習なんてしなくても分かってしまう勉強内容に意味は見出せないけれど、それでもこの身は小学生。
 学校に通うのが本業だ。しかも病弱で休みまくってるから出席日数が足りないというどうしようもない問題もある。まあ小学校で留年なんてほとんど実行されないらしいけど。

「ううう、お父さん達に怒られちゃう」

 怒ってるだろうなぁ。普段は優しいお父さんとお母さん、そしてお兄ちゃんとお姉ちゃんだけれど。
 こういうことはしっかりと怒ってくれる良い家族だから。愛してくれているからこそ、心を鬼にして叱ってくれる。
 昔は、家族の中で私だけ一人浮いているなんて、ほんの少しだけ場違いのような感慨を持っていたけれどなんのその。
 大人になってみればそれがただ、私が“わがまま”を言わない“わがまま”な子供だったという話なのだと気がついた。

 わがままなんて言わなかった癖して。
 わがままなんて言えなかった癖して。

 もっと構って欲しいなんて言わなかった癖して。
 もっと構って欲しいなんて言えなかった癖して。

 私からは何も言わないのに、全部わかって欲しいのと思い塞ぐ、どうしようもない子供。
 それが昔の私で、それが昔の高町なのは。家族でも、愛してくれていても、お話をしなければわかってもらえないこともある。

 お父さんだって、お母さんだって、お兄ちゃんだって、お姉ちゃんだって。
 子供の心内を魔法のように全て見透かすことなんて無理なんだ。親心、子知らず――故にこそ子心、親知らず。

 これに気づけたのは、ヴィヴィオを引き取って親子で暮らすようになってからだっけ。
 ――はぁ、もっとわがまま言っておけばよかったなんて気づけた時には、もういい大人だったもんなぁ。

 あれだけお話、お話言ってた癖に、ね。

(かといって、迷惑をかけたいわけじゃないのが難しいところで……)

 難しいなぁ、親子関係。大人になった今だからこそ、甘えることが難しくなるなんて。
 成長することが妨げになるなんて、なんて矛盾なのだろう。

「――あー! もう、うだうだ考えてもしょうがない!」

 頭が痛すぎて思考がまとまらないよ。案ずるより生むが易し。怒られよう、こってりと。
 そして反省したあとは、ちゃんと学校をサボってた原因を話して、ユーノくんを探す協力をお願いするんだ。
 甘えられなかった私、甘えられなかった昔。違う世界とはいえ、今くらいは、無力な今だけは大切な家族に――甘えよう。



 ■■■



 ――その違和感に気づいたのは、我が家が見えた数十メートル矢先という所で。

「……え?」

 家の明かりが、ついてない。
 携帯電話の液晶に映し出された時計を見る。現在21時30分。
 翠屋はとっくに閉店時間を迎えていて、この時間帯だったら全員が家にいるはずなのに。

 どうしたのだろうか、何かあったのか――あ、ひょっとして家族総出で私を探してる!?
 そういえば連絡も何もしてないし、そんな可能性もなきにしもあらずだよ! 早くお父さんやお母さんに連、ら……く……。



 あれ。



 もう一度、私は携帯電話の液晶画面を覗く。

「……なんで」

 家族から着信がないのだろう。

 学校を勝手にサボったとなれば、学校側から保護者に普通は連絡がいくはずだ。
 私は携帯電話を持たされているのだから、そうなった場合にはまずお父さんでもお母さんでも、お兄ちゃんでもお姉ちゃんでも、私の携帯電話に連絡が入るはず。入らなければ、おかしい。

 ――おかしい。何かがおかしい。
 思えば、ユーノくんと別れた時から、何かが……。

「――痛っ」

 頭痛が激しくなっている。
 ゴリゴリと鋭いナイフで削られていくような、そんな痛みが頭の中で暴れまわって――。

「…………」

 嫌な汗が身体から溢れてくる。シャツが濡れ始めて気持ちが悪い。
 そもそも今日は一日動きっぱなしだった。どうにも汗臭くて不清潔。もういっそ服を脱ぎ散らかして裸になりたいくらいだ。

「お風呂、そうだ、お風呂に入ろう……」

 とにかくさっぱりしたかった。
 そんなことをしてる状況じゃないとは思うけれど、それでもこの肌に纏わりつく気持ち悪さを拭い去りたい。

 ――私は薄暗い家の玄関を開く。
 「ただいま」と大きな声で言ってみるも、返事は返ってこなかった。やっぱり誰もいないみたい。
 本当にどこに行ってしまったのだろうと考えつつも、鳴り止まない頭痛に比例して序々に重くなっていく足を引きずって浴場に向かう。どうせお風呂は沸いてないのでシャワーになるだろうがそれでもいい。



 浴場に着いた。すぐさま躾のなってない子供のように服を脱ぎ捨てる。
 しかし放っておくのはさすがに恥ずかしい。大量に流した汗で湿った服を近くの洗濯機に入れようと――んん? この服、こんなデザインだっけ……ってそっか、私の吐血でカラーリングされてたのを忘れてた。
 いやはや、もはや抽象画というか、一種の芸術性すら垣間見ることが出来るかもしれないねこの血の付きか――。



 ……あー。またおかしいことを1つ発見しちゃったよ。



 私、この服を着て街中を探しまわってたんだよね。
 なのに、誰にも声すらかけられなかったって、どういうことだろう。
 小さな女の子がこんな赤い服を着て歩きまわってたら、はやてちゃんみたいに驚くはずなのに。

 ……はやてちゃん? あれ、はやてちゃんも何か……何かが。



 痛い。



 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

 頭が、本当に割れそうだ。


 私は思考を放棄して浴槽のドアノブを捻る。
 もういいや。とにかく今は汗を流したい。



 ■■■



 シャワーを終えて、私はパジャマに着替えると部屋に戻った。
 さっぱりしたおかげが、頭痛は少し収まった。まだ痛いけれど、それでもさっきよりは全然マシだ。

 ――やっぱり家には誰も帰って来なくって、さっき電話をかけてみたけど繋がらなかった。
 仕方がないので、私は自室に戻ってベッドの上にダイブ。私の体を受け止めたベッドのバネが反発して、数回私の体を上下に揺らす。この世界に来た最初期の私なら多分これで骨が折れてたかもね。頑丈になったなぁ、私。

 ふと枕元を見てみれば、Celaeno Fragmentsと落書きされた真っ黒な本が目についた。
 思えば、この本も病院で読んだ時以来、怖くて読んでない。

「……」

 怖いはずなのに、私はどうしてかその本を手にとってしまった。
 そもそもなんで枕元に置いてあるのだろうか。この本は本棚の奥に閉まっていたような気がするのだけれど。
 この本の内容はどんな言語にも当てはまらない意味不明の謎の文字が羅列されているだけだ。しかし、前回は何故か一部分だけ読めた。ひょっとしたら今は、もう少しくらい読めるようになっているのかもしれない。

 恐る恐るページを捲る。赤い文字の羅列は、希望に反してまるで読めなかった。
 前は、なんで読めるようになったんだろう。何か条件でもあったかな。何か、切欠でもあったかな。



 あの時、何があったっけ――――。











 ゾル――ゾル――。











 瞬時に私は本を閉じる。
 瞬時に私は布団を被って蹲る。
 瞬時に私は耳と目を瞑って外の情報を遮断する。

 ああ、なんて馬鹿なことをしたんだ私は。
 こんな一人ぼっちの時に、なんで恐怖を感じながら、あの時の恐怖を一時も忘れられないのにこの本を読もうと思ったのか。



 また、あの時のナニカがやって来たんだ。







 ゾル――ゾル――。







 耳が痛くなるほどに必死で塞いでいるのにそれでも音が途切れない。
 何かが、地面を“這う”ような音が止まらない。なんだ、なんだこの音。

 一体――部屋の外に何がいる?





 ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル……。





 近づいてくる、確実に、明確に、音が大きくなっている。
 吐き気が胃の底から上がってくる。頭痛も激しく呼応するかのように酷くなって――。

 助けて、誰か、誰か……助けて、助けて……!






「なのはー? 帰って来たのー?」






「お母、さん……? お母さん!」

 ドアの外から声が聞こえる。間違いない、間違えるはずもない。
 なぜならその声は、私を産んでくれて、私を育ててくれて、私を愛してくれた愛しき母親の声だったのだから。

「部屋にいるの? なのは?」

 私はすぐさま布団を取っ払い部屋のドアの前に急ぐ。早くお母さんに会いたい、早くお母さんの顔が見たい。
 お母さん、私はここにいるよ。だから、だから早くお母さんの優しい顔を私に見せて。学校をサボったことでいくら怒ったっていいから、その後でいいから抱きしめて。

 部屋のドアノブまで辿り着いた私は焦る手つきでノブを掴み、いざ開扉しようと捻りかけて――。



「なのは? どうしたのー、扉を開けてー」



 手を、止めた。

「……ぁ……ぁぁ……」

 声にならない声が私の口から漏れる。
 え、え? どういうこと? なんで? わからない、意味がわからないよ。
 ドアからゆっくりと後ずさり、私は元いたベッドの位置まで下がった。



「なのはー」



 なんで、お母さんの声が下から聞こえてくるの。

 お母さんの身長は、小学生の私よりも当然、遙かに大きい。
 だとしたら、ドアの前から声が聞こえてくるのは私の“上から”でなければならないはずだ。
 なのに、なのに――母さんの声は、この私の名前を呼ぶ声は“下方向”から聞こえてくる。
 それもおそらくは、地面すれすれに顔を下ろして発声しなければならないだろうという、低い位置でないと聞こえてこないような。

「お母さん……? お母さんだよね……」





「なのは、ドアを開けて」





 そう、お母さんの声は懇願する。私は必死に絞り出し、声を張り上げた。

「か、鍵はかかってないから……お母さんなら、お母さんなら――自分で“開けて入ってこれるよね?”」

 本当にドアに鍵はかけてない。子供の私でも届くドアノブだ。だったら、“お母さんの身長なら簡単に自分で開扉出来るはず”。

 私に一々頼まなくたって――“本当のお母さん”なら、普通に入ってこれるんだよ……?







「なのはー……ここを開けてー……なのはー…………」




































 「開けろって言ってるだろ!」



 声が、変貌した。優しい、心地良い響きを持っていた声がその面影を無くして。
 耳障りなざわつく声。低く低く重音で、壊れたスピーカーから発せられるノイズみたいだった。



「開けろ!」

 ドアが硬い何かに殴打されたような音と共に揺れる。

「開けろ!」

 バキバキと下段からヒビが入っていく木造のドア。

「開けろぉ!」






「ひっ……!」

 恐怖で身が竦む。頭痛が今まで体験したことのないような痛みの領域に突入する。
 あまりの痛みに頭を抱えれば――どろりとした暖かな液体が手に付着した。

「なに……?」

 視界も揺れ始めて、視力すらもどんどんおかしくなる。
 そんな目でも、それが何かくらいはすぐに解った。“血だ”。真っ赤な、血。
 血が、私の血が止めどなく頭から流れて出て――。

 その瞬間、ユーノと別れてから感じた違和感の全てを理解する。

 そうだ。私が血まみれの服を着てても誰にも気に留められなかったのは。



 この街に、誰一人として“存在しなかった”からだ。



 なんで、そんなことに気づかなかったのか。誰も居ない、誰も歩いてない街なんて、海鳴ではありえない。

 しかし、唯一存在していた少女がいた。親友を超えた絆の情で結ばれる愛しい女の子が、私に話しかけてくれたではないか。

 “全てが終わった前の世界のように、自分の足で立っていた八神はやてがいたじゃないか。
 立てるはずのない少女が、私と面と向かって話してくれていたじゃないか。




「――――ひっ、ひひ。あは、あはははハはハ」



 何ゼか、私は笑っテいた。
 何モ可笑しクなンてないのに、笑わズにハ居らレなかっタ。



「アハ、アハはハハハはハハハ」



 モウ、ナニモワカンナイヤ。



 ドアガ粉砕スる。



 そこカら現レた、醜悪な躰ヲ持ツ何かガ私ニ向かっテキテ――。



 ソコカラサキハ、オボエテナイ。



 ■■■






















「あー、どうやら終わったらしいわ。今度のなのはちゃんは凄かったなぁ。ジェエルシードを一個封印するなんて。あの躰でようやるなぁ、尊敬するでほんまに。
 次は6人目やっけ、7人目? ああ、8人目やったかな。まあええわ。“外なる世界”からやって来るなのはちゃんは人数を重ねるに連れて強くなっとる。そろそろ本腰で相手せなやばいんやないん? “かみさま”」



[21899] 残機×『零』
Name: 槍◆bb75c6ca ID:4b16d5e7
Date: 2012/07/13 05:04
 主なる太陽は深淵に覆い隠されて、二度と光が差し込むことの無くなった世界がありました。
 母なる大海は邪悪に汚され尽くして、二度と生命を産むことの無くなった世界がありました。
 父なる大地は醜悪に飲み込まれて、二度と生態を系生することの無くなった世界がありました。

 その世界は混沌に支配されてしまったのです。
 その世界は神様に征服されてしまったのです。
 その世界は悪意に掌握されてしまったのです。

 命あるものは、たった1人の少女を残して全て息絶えました。
 たった1人の少女を残して、人間は殺戮され、陵辱され、弄ばれました。
 たった1人の少女を残して、動物は餌食され、解体され、荒ぶられました。
 たった1人の少女を残して、植物は伐採され、焼却され、踏みつけられました。

 それは世界の終わりでした。それが物語の最後でした。それこそ書史の巻末でした。
 もう世界は廻らなくて、もう物語は続かなくて、もう書史は綴る紙面がありません。

 その世界に残ったものがあるとするならば、絶対的な絶望だけでした。

「……負け、ない」

 ――それでも、たった1人残された少女は、諦めなかったのです。

「もうええやん。この世界には、私達を覗いてなーんにも残ってないんやで。なのに、なんで立ち上がるんよ。何の為に立ち上がるんよ」

 少女と対峙するナニカは、必死に彼女の心を砕こうと辛辣な言辞を投げかけました。
 少女と対峙する、生命という正しき系譜とはかけ離れた在処の領域に巣食う理外の存在が、少女の心を砕こうと、その精神を失意の底に叩き落とそうと謀略します。



「何をやっても、全てが無駄なのに」



 ――けれども、やはり少女は諦めません。
 右手に握った紅玉色の翼を広げる杖を支えに、片膝をつく満身創痍の体躯を起こそうと足に力を入れました。
 左手に握った雷玉色の翼を広げる杖を頼りに、今にも崩れ落ちそうになってしまう体躯に鞭を入れました。

 そうして少女は立ち上がります。見るも無残な、傷つき、焼けつき、血に塗れたバリアジャケットを誇りのように靡かせながら。
 そうして少女は2つの杖を構えます。目を逸らしたくなるような、罅割れ、欠け落ち、壊れかけたデバイスを慈しむように握り締めながら。

「行くよ、レイジングハート」

 【了解】と、少女に名前を呼ばれた右手の杖が、音叉状の先端に組み込まれた宝石が応えます。
 悠久の刻を経て、ようやく出会えた親愛なる主と共に、例え敗北の未来を見定めていようとも最後まで戦うことを決意するように。

「行くよ、バルディッシュ」

 【了解】と、少女に名前を呼ばれた左手の杖が、斧型の先端に組み込まれた宝石が応えます。
 自身を残して永遠の眠りについた親愛なる主の想い人と共に、例え残酷な未来を想定しようとも最終まで戦うことを決意するように。



「――モード『銀色の鍵』」



 その言葉を合図に、2つの杖は姿を豹変させます。
 それは、奇怪なアラベスク模様でした。どこか冒涜的な、どこか背徳的な感覚のする絵様でした。
 次々と模様が2つの杖を覆って行きます。しかも、変わったのは模様だけではありません。まるで水銀のような艶を持つ銀色へと変色していくのです。

「“開門”による魔力供給、開始」

 2つの杖が始動します。すると、少女の背後に聳える虚空に“扉”が出現しました。
 否――扉というよりは、次元の裂け目と言った方が正しいでしょうか。裂け目が現れた瞬間、無数の粒子が溢れだし少女の体躯に取り込まれていきます。それから僅か数秒足らずで、空っぽだったリンカーコアが一瞬にして魔力に満ち溢れました。



「――行くよ、“かみさま”」

「――来なよ、“にんげん”」



 2つの銀色の杖に魔力が収束します。余りにも強大で、余りにも膨大なそれは大気を震わせ、天すら轟かせるものでした。
 少女は真っ直ぐに目の前のナニカを見つめます。少女が知っている“彼女”とは、酷くかけ離れた存在に、目を逸らすこと無く真っ直ぐに見つめ――。

「はやてちゃんを……私の友達を! 大切な皆を!」

 叫びました。少女は腹の底から、雄叫びのように咆哮しました。



「返せえええええええええええええええええええええええええええぇ!」



 瞬間、地球の表面を数十回焼き尽くせるほどの砲撃が、暴風のように吹き荒れます。
 それは太陽の光が二度と届くことの無くなった世界に齎される、最後の星光の輝きでした。



 ■■■



 それから、数ヶ月が過ぎたでしょうか。或いは、数週間が過ぎたでしょうか。
 ひょっとすればそれは数日にも足らない出来事で、もしかすればそれは数時間にも足らない出来事で。

 ――おそらくは、数秒にも満たない刹那の後なのでしょう。
 右足と左手がちぎれ飛び、脇腹に向こうの景色が見える程の大穴を開けて、少女は淀んだ大地に伏していました。
 彼女の傍には銀色の欠片が無数に散らばっていて、その欠片が元はレイジングハートとバルディッシュと呼ばれた物だということをわかるのは、きっと彼女だけでした。

「困ったわぁ。そないな姿になっても、これほど力の差を感じさせても――まだ諦めへんのか。まだ壊れんのか。まだ堕ちんのか」

 圧倒的に強すぎる“かみさま”と呼ばれたナニカは呆れたように少女に向かって呟きます。
 そう、右足と左手がちぎれ飛び、脇腹に向こうの景色が見える程の大穴を開けて、淀んだ大地に伏そうとも――少女は、諦めてはいません。
 死なない限りは、頑張り続けるのだとでも言うように。“死ねない”からこそ、諦める道理はないのだと言うように。

 不屈の心がこの身にある限り、戦い続けるのだと証明するように。

「ぅ、ぅぁ……」

 されど、このままでは如何にしようともどうにもならないことを十二分に少女は理解していました。
 相対するかみさまは強すぎました。理不尽なほどに強大でした。今のままでは何千と戦おうと、何万と時間をかけても勝てないことははっきりとわかっています。

 だとしたらどうすればいいのでしょうか。
 だとすればどうすればいいのでしょうか。
 それとも、もうどうにもならないのでしょうか。

「なぁ、どうしたら諦めてくれるん? 私は、にんげんのそういう所がわからへんのよ。ひょっとして、“戦い”じゃない他のことなら壊れてくれるんか?」

 かみさまは、ついぞそんなことを少女に聞きました。
 にんげんはわからない。これほど強情なにんげんは始めてなのです。
 今まで壊してきたにんげんと、目の前の少女は全く違う異質の存在とすら思えました
 これだけ頑丈なにんげんは今まで見たことがなかった。だからこそ、何もわからないかみさまはそう聞くしかありませんでした。



 その言葉が、少女にとっての“天啓”になるとも知らずに。



「……かみさま」



 少女は顔を上げました。純垢の希望を宿した瞳で、真っ直ぐにかみさまを見つめます。



「――“ゲーム”をしよう」



「……ゲーム?」



 少女は提案しました。とある1つのゲームを。
 ――その内容を聞いて、かみさまは笑いました。楽しそうに、面白そうに、ゲラゲラと嘲笑します。



 これは、一番最初のお伽話の結末で――“違う世界の自分に全てを賭けた”長い長いゲームの、始まり。



[21899] 魔法少女リリカルシャドウゲイト
Name: 槍◆bb75c6ca ID:4b16d5e7
Date: 2012/10/06 02:21
 ※注意※

 『魔法少女リリカルシャドウゲイト』をお読みになる皆様へ大事なお知らせがございます。
 本作は前章に輪をかけた愛と不屈と鬱と恐怖、グロテスクな表現、残酷な描写、悲惨な物語が展開します。
 前作の時点で気分が優れなくなった、怖くなったという方がもしも居られましたら、大変恐縮ですが一抹の覚悟を持っていただくかご閲覧を一度鑑みて頂きたく思います。











 ご確認はよろしいでしょうか?
 それでは、魔法少女リリカルスペランカー第二部改め『魔法少女リリカルシャドウゲイト』――お楽しみください。












 ■■■



 人生とは長い長い無数に枝分かれを続ける道であるとする。ただしその道は決して戻ることの出来ない一方通行。
 そんな風に過程したならば“後悔”という過ちは枝分かれの分岐点で進むべき道を選択し間違えたことに他ならない。

 戻りたくても、戻れない。やり直したくても、やり直せない。
 間違いを認識しながらも、どうすることも出来ないから間違えた道のりをただ進む。
 なんでこの道に入ってしまったのだろう。なんでこの道を選んでしまったのだろう。そんなことを考えながら。

 後悔したって遅すぎるのに。来た道は二度と引き返せないのに。
 安全な道を選んだはずだった。幸福な道を選んだはずだった。決して軽はずみで軽率に選んだわけじゃないのに。ちゃんと吟味して、ちゃんと思考して、ちゃんと進むべき道を見定めたはずなのに。
 それでも進んだ道は凹凸が溢れかえり、泥に足を絡まれ、視界は暗闇一色――そんな悪路に悩みながら影を落として間違えた道をただ歩く。

 『道を選ぶということは、必ずしも歩きやすい、安全な道をえらぶってことじゃないんだぞ』と誰かが言っていたけれど――。
 それは大きな道を選ぶ時だけの話なのだと思う。例えば何か叶えたい夢が出来たとき、その夢に向かう道を行くには他の夢を諦めなければならなかったとしたら。他の大切な何かを犠牲しなければならなかったとしたら。
 他の夢を諦めたって叶えたいと思った夢ならば、他の何かを犠牲にしてでも歩みたいと思った道ならば、例え見据える道のりが泥沼の中だろうと進む覚悟だって出来るだろう。

 それは目に見える自分の人生がかかった分かれ道。
 それは肌で感じる自分の人生を決める分岐点。
 それは頭で考える自分の人生を選ぶ選択肢。

 だけど、それ以外なら?
 なんの変哲もない日常の1ページにこれまたなんの変哲もなさそうな分かれ道が現れたら。
 選ぶのは当然、安全そうな道のりではないだろうか。誰しも不要な苦労はしたくない。無意味な徒労は避けるに限る。
 一見安全そうなその道に、実は巨大な落とし穴があったとしても……そんなものに気づくわけがないのだから。

 人生とは長い長い無数に枝分かれを続ける道である。
 道とは選択肢のことであり選択肢とは道なのだ。

 ――私は道を間違えた。私は選択肢を間違えた。
 私が間違えた1つ目の道は一直線に落ちる崖のような坂道だった。
 1つ目を間違えた後は転がるように次々と道を踏み外して、選ぶ余裕も、選んだ覚悟もないのに巡り来る分かれ道をただ間違えて間違えて間違えて間違えて、また間違えて。

 いったい私はどこで道を選び間違えてしまったのだろう。
 いったい私はどこで最初に間違えてしまったのだろう。

 ……なんて、そんなことは自問自答をしなくてもわかってる。

 ちゃんと、わかってる。



 私はただ――。



 『貴方は、この世に生まれますか?』

 『はい』
 『いいえ』



 ∇『はい』







 この世に生を受けたことを、間違えたのだから。







 なーんて、そんなシリアスかつカッコつけかつアホらしいこと妄想をしながら早く次の授業が始まらないかなー、学校の休み時間って本当に苦痛かつ拷問だよねーと自分の机で寝たフリをして過ごす1人の少女がいた。

 というか私だった。どうしようもなく私だった。
 私の名前は高町なのは。小学一年生にして早くも学校という社会の縮図にてぽつんと取り残された、友達いない歴イコール年齢のダメ人間である。



 ■■■



「――以上でホームルームを終わります。皆さん事故には気をつけて帰りましょうね。じゃ、日直さん。号令をお願いします」

「きりーつ」

「れーい」

「ありがとうございましたー!」

 先生が挨拶を促すと、本日の日直の子が舌足らずな口を精一杯に開き号令をかける。
 それに合わせ、クラスの全員が礼をして帰りの会は終了。

 慌ただしく一目散に「せんせー、さよならー!」と風の如く飛び出す子達がいれば進学校らしく真面目なグループで集まってノートを開いて勉強会を始める娘達がいる。
 ただ他愛のない話で盛り上がる仲良しなグループの子達がいれば、それを羨ましそうに無表情で見つめる子がいる。まあそんな後者の子はこのクラスじゃ主に1人しかいないんだけどさ。みんな仲いいんだよね、その1人を除いて。

 ちなみにその1人とは言わずもがな私である。
 あー、友達がいる子って本当に羨ましい。なにあの『昨日のテレビみた?』『みたよー。すっげーおもしろかったー』『あははー!』みたいな会話で笑いあえる微笑ましい光景は。

 混ざりたい。もの凄く混ざりたい。けどさ……無理でしょ。
 なんというかもう、無理でしょ。早くも固有の雰囲気できちゃってるもんそれぞれのグループで。一見さんお断りみたいな結界出来ちゃってるもん。

 そんな中に気安く入り込める? 私は無理。絶対に無理。声をかけることすら私にとってはSランク任務。
 『あ、そのテレビ私も見てたよー!』なんて声をあげれる? その結果シーンと静まり返ったらなんて考えたら震えて声が出ないよ。いや、というか……私が声をかけてあの輪の中に入っていけない大きな理由が『2つ』あってさ……。

「でねー……っ!」

「……」

 ちらり、と私が眺めていたグループの中の1人と目があった。

「…………そうそう、今日の体育の時にねー」

 しばし見つめ合ったあと、ふぃっと目を背けられ、その1人は会話に戻る。
 無視だった。泣きたくなるほどに無視だった。私はいないものか。

 ……うん。今ので理由の1つを少しわかって貰えたと思うんだけど、嫌われてるんだよね。
 大事だから二回いうけど、嫌われてるんだよね、私――主にクラスの全員から。

 あ゛ー。なんでこうなったんだろ。
 いや、理由はあるんだ。『高町なのはマジやべぇ。あの無表情女と目を合わせるな、気を抜けば殺られるぞ』という空気がクラス内で形成されてしまった理由はちゃんとある。完全に自業自得な理由が。

 まあそれは自分自身あまり思い出したくもない黒歴史なので伏せるけれどさ。
 誰も好き好んで心の古傷エグリたくなんてないもん。それに無視されるだけでイジメられてるわけじゃないしそこまで大した問題でもないこともなくもない。

 帰るか。ここでウジウジしててもいたたまれなくだけだしねー。あはははは――はぁ。
 私はランドセルに机の中の私物を詰め込み静かに出入り口に差し掛かる。
 しかしながら教室には生徒と話をしている先生が残っている為、一応帰る前に挨拶はしておかなければならないだろう。

 軽く深呼吸して、私は「先生さようなら!」と子供らしく元気よく、それもとびっきりの笑顔で声をあげようとし――。

「――さよなら」

 ボソっ、と消え入るような声が小さく小さく響いた。多分ピクリとも動かない無表情で。
 無論そんな小声が先生に聞こえるわけもなく、気づかれもしない私はそそくさと教室を後にする。



 またこうだよこんちくしょー。
 廊下を歩きながら私は先の失態に自己嫌悪。
 相変わらずこの体は思うように動いてくれないから困る。

 ……私が声をかけてあの輪の中に入っていけない大きな理由が『2つ』。
 1つは先のようにクラスのほぼ全員から嫌われているということ。そしてもう1つの理由が――私は『思うように声が出せない、表情が動かせない』という持病を持っている為にコミュニケーションがとれない、ということである。



 ■■■



 はてさて、皆さんは人が『声』と『表情』を動かす仕組を存じているだろうか?
 まずは声だ。簡単に説明すると、声を出す際に人は脳の中にある発声中枢という場所から信号を発している。
 その信号を構音器官、声帯、呼吸器官がキャッチし作動。その結果、器官は空気を振動させ『声』という音を外に出すの。続いて表情。表情は顔面神経と呼ばれる脳神経から信号を流し表情筋を動かすのだが……。

 私はその仕組の要である発声中枢や脳神経に『障害』を持っている為に上手く声が出せない。
 生まれつきの病気というわけでなく、三年前のある出来事を堺に発症してしまった。生涯、決して忘れることのない出来事を切欠に。

 その障害のお陰で私は幼稚園に入学しても見ず知らずの他人とコミュニケーションが取れずに、小学1年生になった今も友達が出来ずぼっちまっしぐら。まさに文字通り私はコミュ障なのである。笑えねぇ。
 表情筋はテコでも動かないけれど、声の方は完全に出せないわけではない。発生中枢に障害があるといってもお医者さん曰く私の場合はその機構が壊れて『停止』しているのではなく『麻痺』しているらしい。顔面神経も同じくだ。

 例えば先ほど大声で元気よく『先生さようなら!』と声を出そうとしても消えそうに小さな『さよなら』になってしまう。
 けどこんなのはまだマシなほう、というか全然思い通り言えた部類に入る。酷い時には声が出なかったり全く違う言葉を言ってしまったりすることも多々あることなのだ。

 私がクラスから孤立してしまったあの『出来事』もまたこの障害たちが原因。あの時は本当にごめんね、月村さん、バニングスさん……。
 思うように喋れない、顔が氷のように無表情ということが如何な地獄か考えたことがあるだろうか? 人生ハンディ、もの凄いハンディ。100メートル走で私だけ古タイヤをつけて200メートル走らされるようなハンディなんだよ。

 泣きそう。

「――いま」

 家に帰宅した私は『ただいま』と言ったつもりなのにも関わらずヘンテコな単語を口付さむ。
 なんか俗にいう若者言葉ってやつみたいだった。“あざす”とか“ちっす”とかそんな喋り方と同レベル。

 ……まぁ、とはいってもこの病気に付き合って早くも三年だ。今はもう仕方ないと割り切っている。
 友達が出来ないのも悲しいし、誰かと自由にお話出来ないというのも寂しいもの、テレビを見たって笑顔の1つも作れないのはいっそ怖いくらいだけど、“他人が悪いわけじゃない”のだから。
 全部そんな病気を発症した私が悪い、完全完璧自己責任。自己責任の良い所は他人を恨まなくてもいいところだ。私は聖人君子なんかじゃない。それでも他人を恨んで過ごすなんてことになったら気分が悪くてしょうがないでしょ。



 自分で犯したことだけは、誰かを恨まなくてもいいから割り切れる。
 恨むのは、自分自身だけに留められる。



 かと言って今、貴方は幸せですか? 生まれてきてよかったと思えますか? と宗教の勧誘みたいなことを聞かれれば言葉に詰まるけどさ。
 正直、私は幸せだと胸を張ることなど間違えても無い。病気のことを割り切ろうが友達のことを割り切ろうとも私はかなり不幸な部類に入ると自負している。

 ふざけんな神様の馬鹿野郎なんで私にこんな残酷な運命を与えるんだコンチクショウと天に向かって吠えたいくらいだ。
 今は塞ぎこんでいないというだけで、私は耐え難い不幸を常に噛み締めて当たり散らしたくなるような憤りに苛まれている。

 ――なんせ。

 ランドセルを自分の部屋に置いて、私は家の奥にあるお座敷に向かう。
 お座敷にはそれなりに立派なお仏壇が備え付けられており、その中心に飾られているのは一枚の家族写真。
 パン、と手を合わせ、心のなかで今日はこんなことがありました、なんてことを話しながら私は拝む。



 なんせ――大切な家族のみんな、死んじゃってるし。



 ■■■



 優しいお父さん、高町士郎。
 憧れのお母さん、高町桃子。
 格好良いお兄ちゃん、高町恭也。
 綺麗なお姉ちゃん、高町忍。

 こんな私にも優しく接して、心の底から愛してくれた家族はみんなお星様になってしまった。
 それは3年前、私がこの病気を発症する原因となった時の出来事。当時の私は流行り病に犯されて高熱を出し入院していて、家族のみんなは付きっきりで看病してくれたりお見舞いに来てくれたお陰で事無きを得た。

 そしていざ退院するとなったあの日、家族は全員で家から車に乗って私の待つ病院へ向かってきてくれたのだけれど。
 猛スピードで信号を無視して突っ込んできた大型車と衝突事故を起こし――大型車の運転手を含んだ全員が帰らぬ人となってしまった。

 待っても、待っても、待っても待っても家族が来ないと病室で不安に満ちていた私の元へ飛び込んできた訃報。
 それが切欠で、私は上手く喋れなくなって、一切の表情を消してしまった。あの時は本当に荒れた荒れて、暴れまわったっけ。
 そりゃ愛する家族が突然、それも全員が居なくなったという悪夢のような出来事を3歳の子供が耐え切れるわけがない。いや本当、“彼女”が親身に支えてくれなきゃ私は自殺してたっておかしくなかったと切に思う。

「ただいまー……ってあれ? なのはちゃん、もう帰ってるー?」

 噂をすればなんとやら、おそらく買い出しに行ってたのであろう“彼女”の私を呼ぶ声が響いた。
 返事を返そうと思ったけどどうせ思うような大声は出ないので私は黙ったまま彼女がいる玄関へ向かう。案の定、近所のスーパーの袋を2つ床に置いて、靴を脱ぐ彼女がいた。

「――おか」

 ……なんだか『おかえり』がネットのチャットみたいなことになってしまった。
 しかも無表情だろうし。客観的にみたらとてもシュールな光景に違いない。主観的に見たってシュールなのだから。

「いまー」

 それでも、私にあわせてたような言葉で、それも笑えない私の分も含めてくれたようなとびっきりの笑顔を作って彼女はそう答えてくれた。

「今日は卵が安かったから沢山買って来ちゃった。夕飯はオムライスにしようね」

 オムライス――オムライス! いやっほう! 思わずテンションが上がってしまう。
 オムライス大好きなんだよね私。シンプルなのに奥深く、ボリュームたっぷりなのがたまらない。当然ケチャプは大量だ。これは夕飯が楽しみ過ぎる。

「うふふ、喜んでもらえてなによりね」

 三年前のあの日から、この世に1人取り残された私を今も尚支え続けてくれる欠けがえのない人。
 彼女の名前は『リーゼアリア』。無口で、無表情で――感情の一切を伝えないはずの私を理解してくれる愛しい私の“家族”だ。



 ■■■



 家族を失った私は一年以上、心を閉ざし自閉的になっていた。
 手を差し伸べるものがあれば弾き飛ばし、関わろうとするものは突き飛ばした。
 それなのにも関わらず、アリアさんは塞ぎこむ私を見捨てなかった。

 何日も何日も心を閉ざし荒れ狂う私の元へ、拒絶されても無視しても通って話しかけてくれた、関わろうとしてくれた。
 ――家族になろうと、言ってくれた。

 それだけ熱心に私に接してくれた理由は沢山あるらしいが、その1つは彼女の上司にあたる存在が一因だろう。
 本来、保護者を失った者は孤児院だとかの施設に入るのが普通だろうけど、私の場合は両親の知り合いの『グレアムさん』という方が後見人をかってでてくれたのだ。

 なんでもグレアムさんはお父さんの古い友人で、しかも多大な恩義があるらしく、それを返すためにも是非私の後見人を――ということらしい。
 しかしながらグレアムさんは世界を股にかけあっちこっち年がら年中移動しなければならない仕事についているらしいので私の直接的な面倒はみれない。

 そこでグレアムさんの直属の部下であったアリアさんが家政婦として私の元にやって来たのだ。
 アリアさんはグレアムさんを実父のように慕っているそうで、グレアムさんの庇護下にいる私はもはや実妹と同意義らしい。

 なんともありがたい話だ。グレアムさんにはいくら感謝しても飽き足らない。
 私の養育費や生活費を持ってくれるのはもちろんのこと、何よりもアリアさんと引きあわせてくれたのだから。

 障害持ちにも関わらず障害者学校じゃなくて、聖祥大附属小学校という進学校に私が通うことを選んだのは、何よりも将来的に良い学校を出て、自慢に価するような仕事に就きグレアムさんとアリアさんに恩返ししようと思っているからに他ならない。
 日本は学歴社会だ。その為には学力や学歴が必要不可欠。ただでさえ障害者というハンデを背負っているんだし。だから、私は友達が出来ずとも毎日学校に通い必死に勉学に励んでいるのだ! ――胸を張っていうことじゃないけど。



「なのはちゃん、美味しい?」

「――ん」

 オムライスを頬張る私をニコニコと笑顔で眺めるアリアさん。そうやってずっと見ていられると少し恥ずかしい。
 しかし、無表情な子がご飯を食べているのを眺めて楽しいのだろうか……アリアさんは何故か私の心の中のことをわかってくれるので、このオムライスの美味しさにほっぺを落としていることは理解してくれているのだろうけれど。

「んー、それにしても相変わらずなのはちゃんは友達が出来ないのねぇ……」

 こんな風にね。言ったことないんだけどね、友達が出来ないの。やれやれ、とアリアさんが困ったように苦笑する。
 うう……面目ない。心が痛いよ。けど、あのクラスで友達を作るのはもはや無理だと思うんだ。バニングスさんなんて今だに目を合わせると睨んでくるし、月村さんは目があっただけで脱兎の如く逃げるし。まあ私が悪いんだけどね? 心の底から反省しています。

「1人くらい、なのはちゃんのことをわかってくれる子がいればいいのに」

 ……そうなれば学校生活が二倍にも三倍にも楽しくなりそうだ。けど、確かに友達は欲しいけどさ――。

「――アリアさんがいるから……別にいい」

 今の私には、私のことをわかってくれるアリアさんがいる。それで、十分どころか十二分なんだから。

「……もう、なのはちゃんたら」

 それを聞いたアリアさんは、嬉しそうながらもやはり困ったような笑顔で――笑った。



 ■■■



 夕飯を食べ終えて、食器の後片付けなど手伝ってアリアさんと一緒にお風呂にも入り、これまたアリアさんと共にテレビとかを見ながらお話(といってもアリアさんが一方的に喋り私はそれに心の中で受け答えするだけ。しかしこれで会話が成立してしまうのだから本当に不思議だ)した後は本日の勉強の復習と明日の予習を済ませる。

 現在10時。それそろ耐え切れないくらいの睡魔が襲ってきているので今日はもう寝ようかな――っと、忘れてた。
 私は机の中から一冊の本を取り出す。表紙は黒く、十字架のような装飾が中々にお洒落な、如何にもお値打ち物ですといった感じの本である。それを開いて数十ページ捲り、昨日書きこんだ場所を探す……発見。



 ○月×日 晴れ 本日も世は事もなし。アリアさんのオムライスが美味しかった。



「――ん」

 そう書き終えて満足気に私は本を閉じる。
 見ての通りこれは日記帳だ。一年前あたりにふと日記でも付けようかと思い立ったことがあって、何か日記帳代わりになるものないかなーと探していたところ、この本を発見した次第である。全ページ真っ白なので丁度よかった。

 しかしいつ買ったのか記憶にないんだよねこれ。こんな高そうな本、買えば覚えてると思うんだけど。
 アリアさんやグレアムさんのプレゼントかと思って聞いてみても知らないらしいし。まあいいか。

 部屋の明かりを消して私は明日は友達出来たりしないかなぁ、やっぱ無理だろうなぁなんて考えながらベッドに潜り込む。
 すると、部屋のドアがコンコンとノックされ、「なのはちゃん、まだ起きてる?」とアリアさんが入ってきた。

「あ、今から寝るところだったかな? ――いくら勉強の為でも、あんまり夜更かししちゃダメよ?」

「――ん」

 大丈夫、ちゃんとわかってるから――おやすみなさい、アリアさん。

「ふふ――おやすみなさい、なのはちゃん」

 そういってアリアさんは私の頭を撫でてくれて、部屋から出ていった。
 アリアさんの温かい手のひらの感触がしばらくしてもポカポカと頭に残っている。今日は気持ちよく眠れそうだ。






 私、高町なのはは幸せじゃない。決して幸福であるとは言いきれない。
 友達がいないことは割り切れよう、障害を持っていることも割り切れよう。

 それでも愛する家族を失った傷は、三年立った今でも絶対に割り切れることはない。
 一度壊れた心は完全に癒えることなく傷を残し続けている。今だって、時々お父さんがいてお母さんがいて、お兄ちゃんがいてお姉ちゃんがいた頃の夢を見る。夢が覚めれば、大粒の涙を流して俯くのに、そんな夢を見てしまう。

 ――でも、アリアさんがいる。グレアムさんがいる。新しい家族がいる。
 私にはそんな2人に恩返しするという将来の目標だってある。



 人生とは長い長い無数に枝分かれを続ける道であるとする。ただしその道は決して戻ることの出来ない一方通行。
 そんな風に過程したならば“後悔”という過ちは枝分かれの分岐点で進むべき道を選択し間違えたことに他ならない。

 この世に生まれることを選択したのは、きっと『私』そのものだ。
 私の今の現状を見れば、高町なのはとして生まれることを選んだのは大きな間違いだったのかもしれない。
 選んだ道は歪んでいて、進むべき道筋は真っ暗で見えにくい。

 それでも私はその道を進む。進んで進んで、これから先、幾度となく道の選択を強いられるのだろう。

 それでもいつか――それでもいつか。

 この世に生まれるという選択をしたことを、きっと忘れてしまった『笑顔』で誇れるようになるために。



 ――私は、生きようと思います。







































 それが、間違いだったと思い知るまで。



[21899] 冒険×1回目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:4b16d5e7
Date: 2012/11/30 22:34
 昼休み、昼休みである。
 聖祥大附属小学校、長いので聖小と略すが、とりあえず聖小の昼休みは長い。かなり長い。
 何せ聖小の昼食は給食式ではなくお弁当式だから。4時間目の授業が終了してから5時間目が始まるまで実に猶予は1時間。
 私はアリアさんが毎日作ってくれるお弁当が大好きなので、たっぷりと味わう時間があるのはありがたいけれど、どんなにゆっくり食べても30分でその至福タイムは終了してしまう。

 つまり、何が言いたいかといえば……。

「……暇」

 友達がいない私には、昼休みが有り余るということさ。
 お弁当を畳み、私は机に乗りかかる。机が冷たくて気持ちいいなー、心まで冷えそうだ。

「はぁ」

 ため息はしっかり出てくれるんだよね、この体。
 ちなみに昼休みでなぜ静かなのかといえば、騒がしい場所には大体私の居場所がないからだ。
 教室では仲の良い子達で机を集めて輪を作りお喋りしながら楽しそうに昼食を取っているから、居心地悪すぎて辛い。

 ならば屋上? この学校は珍しく屋上を完全開放しているので、屋上で食べることも可能。
 けど、人気スポットなんだよ屋上。こっちでもやはり仲の良い子達で楽しそうにお喋りながら昼食を取っているから、居心地がとても悪くて辛い。

 図書館とかは飲食禁止だし、トイレで食べるという人達も世の中には存在するらしいけど私はゴメンだ。
 じゃあお前どこで食べてるの? という問に答えるならば、一言。

 理科準備室である。

 結構穴場なんだよねー、準備室って。
 用務員さんと理科の先生が掃除を頑張っているのか、ホコリ一つないから不衛生でもないし。
 それに準備室というのは暗いイメージがあるかもしれないけど、曇りガラスから意外と光が入ってくれるので結構明るい。
 キャッキャウフウフな羨ましい話し声も聞こえてこないし、まさに私だけの固有空間だ。時々死ぬほど切なくなるけど。

「……どう思う」

 私はこの理科準備室の主である人体模型の“つとむくん”にそう問いかけた。
 つよむくんはいつも無口で(当たり前だけど)私の悩みやボヤキを静かに聞いてくれる有り難い存在なのだ。まあいつも通りに“知らんがな”とつとむくんに返された気がして会話モドキは終了するが。

 しかし、いつまでもこのままじゃいけないよね。
 アリアさんにも心配かけちゃってるし、友達の1人や2人、作らないと。それがどのようなミッショインポッシブルであろうとも、だ。

「私、頑張る」

 頑張れー、と。再びつとむくんに返された気がした。



 ■■■



 うん、やっぱ無理。まず話しかける事自体、無理だ。
 放課後、今日こそは友達を作ろうと意気込んだのはいいものの見事に頓挫してとぼとぼと帰宅する道のりを歩む私。
 そもそも私と向かい合った子って全員が全員、ダッシュで避けていくからね。私はモーゼか。やはり私が友達を作るには“あの事件”の誤解を解かないことには始まらないのだろう。私がクラスで危険視される羽目になってしまった、あの……通称“ヘアバンド喝上げ事件”を。

 あれが起きたのは、この学校に入学したての頃の話……今から丁度三ヶ月前。
 突如誰かの泣き声とヒステリーな叫び声が教室内に響き渡ったのだ。

「う、うう……か、返して……」

「あーもう! いちいち泣くなあんたは!」

 ヘアバンドを取り上げられて泣いているのが、月村すずか。
 ヘアバンドを取り上げて怒っているのが、アリサ・バニングス。
 2人は両者共々容姿端麗でとても目立つ存在だったから、クラスの全員がその喧騒に注目したものだ。
 なぜ2人がそんなことになっていたのか今も尚、その経緯は定かではない(私は友達が居ない為に人づてに真相を聞くということが不可能だから)が、多分月村さんのヘアバンドを見せて欲しかったバニングスさんが、ちょっと強引に行ってしまったところ怯えた月村さんが泣き出して、それに対しバニングスさんが憤怒したのだろう。なぜそんな小さなことで泣くのだ、と。

 月村さんは気の弱い子でいつもおどおどしていて、バニングスさんは強気な子でいつもツンツンしていた。
 月村さんはそんなバニングスさんが怖くて、バニングスさんはそんな臆病な月村さんに腹が立ったのだろう。別段、互いに嫌っているわけでもないのだろうが、互いが互いを知らぬままに、外側だけで人を判断して相対しても、とくに子供なら尚更のこと喧嘩になるだけだ。

 その一方的な喧嘩を見守るクラスメイトは、どうすればいいか悩むばかりで動こうとしない。
 そりゃ6歳や5歳のついこの間までは幼稚園児だった子達である。喧嘩をしたことがあっても喧嘩の仲裁などやり方すらわからないのは当然だ。

 そこで私は思った。“この喧嘩を仲裁出来たら2人と友達になれるんじゃね? というかクラスの皆と打ち解けられるんじゃね?”と。
 幼稚園児だった頃はまだ家族を失くした精神的ダメージが回復せず、常に下を向いて生活していたような有様で、立ち直ったのは幼稚園を卒業する寸前だった。
 今と同じくしてこのままじゃやばい、小学生になったら絶対に友達作ろうと必死だった私はその千載一遇のチャンスに全てを賭けて行動したのだ。



 身の程を知らずに。



 私は勇気を出して2人の前に立ちはだかった。

「えぐっ、えぐ……ふぇ?」

「だから泣くなって! ……え、な、なによ?」

 突如と現れた無表情な女の子に、多分2人は相当驚いただろう。
 とにかく私は間違いを諭そうとバニングスさんにビンタを放った。ッパーン! とそんな音が鳴り響くほど強めで叩いてしまったのは実に誤算だった。やっべ、と思ったのもつかの間。雪崩込むように“誤算”のスパイラルが私を襲う。
 頬を叩かれたことなど初めての経験なのだろう、何が起きたかわからずに呆けるバニングスさんに『痛い? でも、大切なものをとられちゃった人の心は! もっともっと痛いんだよ!』と諭そうと思ったのだが……。

「……痛い? ――もっと痛いよ」

 全く言えなかった。ぶつ切りにしか言葉が出ないなんてレベルじゃない。もうどういう意味なのかすらわからん。ドSか私は。

「……はっ? は、ああああぁ!?」

 バニングスさんが激昂するのも無理は無い。もしも同じ事をされて、同じ事を言われたら私ですらキレる自身がある。
 負のスパイラルは続く。キレてしまったバニングスさんを見て、私は、なんというか……ビビっちゃったのだ。かなり痛かったのか、赤く染まった頬を押さえて涙目を浮かべるバニングスさんの睨みつけるような瞳はかなり鋭く、そして怖く、周囲から感じるクラスメイトの「何してんだこいつ」という冷めるような視線、月村さんの怯えきった目線のコラボレーションに私は極限までテンパってしまい、喧嘩を仲裁しにいったにも関わらずまったく出来なかった“失敗”という結果に頭がこんがらがってもはやどうすることも出来ず、何故か乾いた笑いが浮かびあがってしまって――。



「あは――あははははははははははははは



 と、悪魔染みた笑い声を上げてあげてしまったのだ。
 さながら勇者と相対する魔王の如く、敵討ちを成し遂げた復讐者の如く、ほの暗い水の底から聞こえてくるような笑い声。ちなみにこの笑い方、あとで再現してみようと思っても不可能だった。何故かこの時“だけ”偶然出来てしまった。

 そして、それを目撃したほぼ全てのクラスメイト達は全員ものの見事に――。



 引いていた。



 ドン引きだった。



 それ以来、高町なのははやばい子という風潮が広まってしまって私に近寄る存在は居ない。
 目があっても逸らされる。私に対する不可侵協定がクラス全員の間で結ばれているだろう、きっと。触らぬ神に祟りなし、臭いものにはフタをしろ――高町なのはに関わる無かれ。

「……はぁ」

 自業自得とはいえ、なんともやるせない話。
 一応は、善意で行ったつもりなのだけれども、その行為は必ず実を結ぶとは限らない。
 誰も彼もが善意や好意を喜んで受け入れるわけじゃないのが人間関係の難しい所だ。私だって、アリアさんの優しさを受け入れられるようになるまで長い時間をかけていたしね。

「ガンバ、私」

 ――頑張ろう。心を閉ざした私が真摯に介護してくれたアリアさんによって立ち直れたように。
 私だって真摯に求め続ければ、友達の1人は出来るはず――と、そんなことを考えていた時だった。



 カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン――。



 ふと聞こえてきた踏切の警報音。
 いつの間にやら目の前にはあったのは安全バーが降りていく電車の踏切。
 点灯と消灯を規則的に繰り返す赤と赤の信号機……ちょっと考えこみ過ぎちゃってたかな、前に踏切があることに全く気づかなかったよ。

 危ないところだったな。
 警報機が鳴らなかったそのまま路線を渡ってしまっていたかもしれない。



 カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン――。



 交通事故には、気をつけないと。なんせ私の家族がお星様と相成った理由なのだから。
 他人ごとでしか見たことのないような交通事故という現象は、割かし高い確率で存在している。
 明日は我が身ぞ、怯えて暮らせ。なんていうつもりはないけれど――頭の隅にでも置いておいて欲しい。死に至る事故とは、思った以上に身近にあるってことを。



 カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン――。



 ……電車、来ないな。結構待っている気がするんだけど。
 こんなに長いものだったっけ、踏切待ちって。普段待つことなんてあんまり無いから、度合いがわからないや。



 ……あれ。



 というか。



 そもそも。



 この通学路。



 ――踏切ってあったっけ。



 にゃー、と笑いながら私の隣を3つ首の犬が横切った。



 ……?。



 羽ばたいてやって来た1つ目のカラスが遮断機の上に乗りかかり、白い羽を長い舌で身づくろう。



 ……??。



 遮断機の下を見つめれば、魚みたいな顔をした彼岸花が咲いていた。



 ?



 ????????????????????????????。



 何かがおかしいような気がするが、何がおかしいのかわからない。
 ただどうしようもない平坦とした町並みに対する違和感。黒色の絵の具で白色のキャンパスを塗りつぶして、今度は白色で再び塗りたくるような……そんな、違和感。

「……あ」

 今の今まで気づかなかったが、踏切の向こう側に誰かが立っていた。
 丁度、私と同い年くらいの女の子。茶髪のショートカットで、赤色のリボンで一部の髪の毛を纏めている。
 美麗、というよりは可愛いというような整った顔に嵌めこまれた蒼穹のような青い2つの瞳が、やけに印象に残って。

「――――」

 もぐもぐと何かを頬張る彼女。彼女の右手を見れば、半分ほどに身を削ったホットドック。
 どうやら、あれを食べているようだ……でも、あれは本当にホットドックなのだろうか。パンに挟まれているのは確かにお肉ではあるが、あれはきっとソーセージではない。なぜかはわからないけど、断言出来る。

 多分、あれ。

 絶対に食べちゃいけない部類の、何かだ。

「……渡らんの? 踏切、もう上がっとるで」

 彼女の言葉通り、いつの間にか警告音は終わって遮断機は上がっていた。
 電車は通っていない気もするけれど、遮断機が上がっているということは渡っていいということだ。

 私はおぼつかない足取りで、ふらふらと揺れながら踏切を渡ろうと歩き始める。
 青い瞳の彼女が、それを楽しそうにホットドックを頬張りながらじっと見つめていた。見つめ合うように、私もただ彼女を見つめて。

 ……何故だろうか。彼女を見かけたのは今が始めてのはずなのに。
 ……何故だろうか。ずっと前から、知り合いだったような気がする。

 彼女の名前はなんというのだろう。
 この踏切を渡ったら、まず始めに彼女の名前を聞こう。名前を聞いて、それから、それから――。






「危ない! 何してるの!? 今、赤信号でしょ!」






 そんな怒声と共に、肩を引っ張られた。

「…………あ、れ」

 いつもの町並み、いつもの景色が私の目に映り込む。違和感なんて何もない、平坦平凡な海鳴の慣れ親しんだ土地。
 目の前には赤信号が点灯して車が右往左往する横断歩道――ボケっとしてて気づかなかったけど、どうやら私は赤信号の横断歩道を渡りそうになっていたらしい。

「もう、なの――あなた、ボーっとして道路を歩いちゃ、危ないじゃない」

 ……ボケっとしてたのは覚えいるけれど、なんで私はボケっとしてたんだったかな。
 とにかく、私を助けてくれたことのお礼を言わなければ。
 
「……ありがとう」

 そんな言葉と共に頭を下げて、感謝を告げる。おお、今回は完璧に声を出せた。
 頭を上げてそこでようやく、助けてくれた人物の顔を把握する。丸いメガネに、長いおさげ。そして竹刀袋を携えた美人の女子高生だった。
 
「これからはしっかり気をつけてね」

 うん、気をつけよう。私まで事故で死んだりしたら家族に顔向け出来ないよ。
 しかしこの美人のお姉さん、見ず知らずの子を誠意に注意出来るなんて、きっと良い人に違いない。
 私はもう一度だけ頭を下げて、アリアさんが待っているであろう我が家に向けて足を運ぶ。今日も今日とて友達は出来なかったが、良い人に会えたこと、そしてそんな良い人に助けられたことをアリアさんに伝えよう。

 ……横断歩道を渡り、ふと背後を振り向くと美人のお姉さんは未だにそこにいた。
 そこにいて、私を見ていた。私を見つめるその瞳に、どこか切なげな雰囲気を感じるのは、きっと私の気のせいなのだろう。だってお姉さんと会ったのは始めてだし、注意して注意されたという、そんな一期一会の間柄でしかないのだから。






「やっぱり、覚えてないか――なのはちゃん」





 そんな風に乗って聞こえてきた呟きもまた、気のせいか。



[21899] 冒険×2回目
Name: 槍◆bb75c6ca ID:e0c1f86e
Date: 2013/08/20 00:25

 私は高町なのはが嫌い。
 私は高町なのはが嫌い。

 私、アリサ・バニングスは――高町なのはが大っ嫌いだ。

 返ってきた数学のテスト、それも特に右上に記された点数を見ながら切実に私はそう思う。
 98点。最後の問題を間違えなければ満点だったのに。

「――という間違いが、この最後の問題は多かったですね。今回のテストはかなり難しく作ったので、満点は1人しか居ませんでしたが、それでもクラスの平均点は90点! 先生とっても嬉しいです」

 皆さんが普段からしっかり予習復習をしている証明ですね、と先生は子供のように笑ってクラスを褒め称えた。
 平均点が90、なるほど。今回のテストの難解さを顧みれば非常に高い点数といえるわね。まぁ、進学校だしこのクラスは中々に秀才が揃っている。どうも入試問題の合計点数上位組で構成されているようなので、自然と平均点が高くなるのは当然といえば当然だ。

 それでも、満点は1人しかいないというのが今回のテストの凄まじいところで。
 特に最後の問題なんて、まだ授業で習っていない範囲とひっかけの入った意地悪な問題文という悪意の塊で構成されていたし、間違えるのも無理はない。私の場合は後者で、問題の解き方自体は塾と事前の予習のおかげで解っていたけれど、問題文の解り難さに引っかかった。こんなもの、もはや数学じゃなくて国語の領分だ。

「……ぐぬぬ」

 思わず唸る。左少し前の席で、おそらく唯一の満点だったであろう少女を見ながら。
 だってあいつ、最後の問題の解説してる時に黒板見てなかったし。というか、今回のテストの問題の解説を全て無視して何か別の数学ドリルやってるの見えたし。

 ――また今回もテストの点数で負けてしまった。高町なのはに。
 記念すべき20戦目。現在の戦績0勝8敗12分。私の得意分野である理数系はなんとか引き分けが多いものの、苦手な文系が足を引っ張って敗北を重ねている。正直、悔しくて悔しくてたまらない。

 そもそも、全ての教科でオール100点を確実に取ってしまう相手に点数勝負は無謀だったのか。
 満点同士の引き分け以外は、敗北しかないじゃない。

「ぐぬぬぬぬっ……!」

「バ、バニングスさん。どうしたの?」

 横の席の子が若干引き気味にそう呟いたので、私はなんでもないわよ、と答えて唸るのを止める。

「……そ、そう」

「……ふん」

 少しばかり怯えた様子の横の席の子に、そっぽを向く私。

 ――自分でやった行動ではあるが、こんな時はいつもこう思う。ああ、またやってしまった、と。
 横の子は、私を心配……していたかはわからないが、少なくとも私を気にしていてくれて、どうしたのと聞いてくれたのだろう。それなのに私はそれが迷惑だと言わぬばかりの応対をしてそっぽを向いてしまった。

 いつも私はこうだ。いつもいつも、どうしても強気で物事に当たってしまい、不要な反感を生む。
 喧嘩を売りたいわけでもないし、1人が好きだというわけでもないのに――そんな有様だから、私は生まれてこの方“友達”と呼べる存在が出来た試しが無い。

 友達がいないことを寂しいとは思わないけれど。
 友達がいないことを虚しいとも思わないけれど。
 友達がいないことを、腹立たしいと思ってしまうのは何故なのか。

 何かが満ち足りない毎日。何かに業腹を煮やす日常。
 小学生になる前はこうじゃなかった。例え孤独でも孤高でもそんなことはどうでもよかった。それなのに高町なのはが私の前に現れてからというもの、私という人格は乱されっぱなしだ。

 あれは入学したての頃に起きた月村すずかとの一悶着。
 思えば、あの騒動が起こった原因も私だった。身に着けていたあの白色のヘアバンドが、パープルサファイアのように艶のある髪を持つ彼女にとてもよく似合っていて、私は柄にもなくそんな彼女に『それ、似合ってるわね』なんて褒めようと思いたち話しかけた。

 しかし私の高圧的な態度が悪かったのか、月村すずかは俯きがちに私の顔色を伺うかのように余所余所しい身構えを崩そうとはしない。
 それに、私は思わずイラッとしてしまう。私は弱腰だとか、物事をはっきりと伝えない人間があまり好きではなかった。他人からすれば余計なお世話だというのに、そんなナヨナヨした態度を取る人間にはどうしても“もっとシャキっとしなさい”と頭ごなしに否定してしまう。

 ついカッとなって、いつの間にか私は月村すずかのヘアバンドを取り上げてしまっていた。
 月村すずかは「返して」と泣きながら呟いているし、誰かに助けて欲しくてもクラスの連中は遠目にざわざわと野次馬をするだけ。

 思えばこの時、ただ単純に私は月村すずかにヘアバンドを返せば良かっただけのこと。
 思えばその後、ただ純粋に私は月村すずかに頭を下げて謝罪をすれば良かっただけのこと。

 思えばただそれだけのことで、私達は目を合わせれば互いに背ける現状とは違う関係を築けていたかもしれないのに。

 そして、野次馬だけが多くなる最中――あの悪魔染みた笑い声をあげる悪魔は、現れた。
 彫刻のように無表情。氷塊のように無透明。一切の感情を忘れているかのようにすました顔をひっさげる高町なのはという少女。彼女はいきなり私の前に現れると、私の頬を全力で叩いた。

 叩かれたことなんて生まれて始めてで。
 いったい何が起きたのか、私はさっぱりわからなかった。
 次第にジンジンと痛みを訴える頬に、ようやく叩かれたことを認識した私は眼前の少女を睨みつけた。

『……痛い? ――もっと痛いよ』

 今も尚、その言葉の意味はわからない。
 何がもっと痛いのだろうか。痛いのは私だ。目の前の少女は、更に私に手をあげようというのだろうか? さらに痛めつけてやろうという意思表示だったのだろうか。

『……はっ? は、ああああぁ!?』

 情けない話ではあるが、私はこの瞬間、目の前の少女に恐怖していたのだろう。
 間抜けな、それも負け犬のような遠吠えがその証明で。じわりと滲む汗が流れ、小さく震える体が疎ましい。叩かれた頬の熱は抜けない。刹那の先に何が起こるのか検討もつきはしなかった。

 だが以外にも、高町なのはは私に何もして来なかった。
 もう一度ぶたれることも無ければ、殴られもしなかった。

 ただ彼女は。

『あは――あははははははははははははは

 そう、地獄の底からこみ上げるような嘲笑い声を上げるだけだったのだから。

「っ……!」

 いまだに、あの声を思い出す度に寒気が走る。
 音量をMAXまで捻り上げた重低音のスピーカーから轟くようなしゃがれた声。
 あれは人間に出せるような声なのか。あれは人類が出していいような声なのか。

「……高町、なのはぁ――!」

 心の底から湧き上がる憤怒を奥歯で噛み締めた。

 認めたくない事実ではあるが、私はあの日からずっと彼女に怯え続けている。
 あの悪魔のような少女に、あの少女の皮を被った悪魔に、恐怖し続けている。

 私は、高町なのはに勝たなければならない。
 何でもいい。何でもいいから彼女に勝って、この恐怖を乗り越えなければならない。

 そうしなければ、私は前に進めない。一歩だって踏み出せない。

 高町なのはに、勝たなければ。

 高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ、高町なのはに勝たなければ……。

 ……私はずっとこのまま惨めなままだ。



 でも。



 高町なのはに打ち勝ち、恐怖を払拭したところで。



 惨めじゃなくなったところで。



 ――どうなるの?



「…………」

 ふと、そんな自問自答が脳裏に浮かぶ。
 きっとそれは何の意味もない問掛けだろう。

 それなのに、何故こうも頭に引っかかりを覚えるのか。



 勝って、どうなる?



 ――そんなもの、知らない。

 そんなものは、高町なのはに勝ってから考えればいい。
 来週の国語で確か小テストがあるはずだ。苦手な文系とはいえそんな言い訳はしていられない。

「勝つんだ……絶対にっ」



 私は高町なのはが嫌い。
 私は高町なのはが嫌い。

 私、アリサ・バニングスは――高町なのはが大っ嫌いだ。

 彼女のことが怖くて怖くて、堪らない。

 だからこそ。

 勝たなきゃならない。






「松坂くん、バニングスさんやっぱり怖いよぉ……」

「が、頑張れ山口さん! きっと多分かろうじて僅かながらも、な、なんとか……!」

 ……聞こえてるわよ、横の席とその後ろ。



 ■■■



 実をいうと、私こと月村すずかは。
 この学校で高町なのはと出会う前から彼女のことを知っていた。

 “以前”の彼女のことを……とても良く知っていた。

「――以上でホームルームを終わります。皆さん寄り道をせず真っ直ぐ帰るようにね。じゃ、日直さん。号令をお願いします」

「きりーつ」

「れーい」

「ありがとうございましたー!」

 いつも通りの変わらない放課後。
 いつも通りの変わらない1人ぼっち。

 私も、高町なのは……さんも、この学校に入学してから2ヶ月が立つというのに、いつも1人っきり。
 そのことに寂しさを覚えるけれど、私に限っては仕方ないことだと思う。

 引っ込み思案な、臆病者。
 誰かに話しをふっかけることすら恐怖心を思い浮かべてしまう私に、友達なんて出来っこない。

 寂しいけれど、仕方ない。悲しいけれど、しょうがない。
 元々、それが生まれつきの性格だったし。

 でも、かつてはそんな駄目な私を変えようとしていてくれた人がいた。
 そんなことじゃ駄目だよと、真摯に構ってくれた最愛の人がいた。

 その人の名を、月村忍――そしてもう1つの名前を、高町忍。

 私の血の繋がった実の姉であり。
 高町なのはと絆で繋がった義理の姉。

 だけど、そんなお姉ちゃんはもう。

 この世にはいない。

「…………」

 そんな思いに耽っている私をしり目に、なのはさんは帰り支度を整えていた。
 能面のように変わらぬ表情のまま、波紋すらない水面のように静寂を纏ったまま黙ってランドセルを担ぎ上げて――。

 ふと、私の方へ目を向けた。

「ひっ」

 私はとっさに目を背ける。
 見えない手で心臓を鷲掴みされたかのように心音が高なって。
 渦中に飛び込んだかの居心地の悪さに脂汗がドッと流れて、口に溜まった生唾を飲む。

 怖い、怖い、怖い、怖い。

 なんで、私はこうも他人が怖いのだろう。
 どうして、私はこんなにも人と接することに怯えてしまうのだろう。

 怖くて怖くて、喉がカラカラ。

「…………」

 なのはさんは目を背ける私に興味をなくしたのか、目線を外しそそくさと無言で教室から出てしまう。

「……っはぁ、はぁ」

 それを確認して、私は呼吸を荒げる。
 どうも、息をすることを忘れてしまっていたらしい。
 肺に入る空気が美味しい。でも、喉がカラカラだ。今すぐ水分が欲しいくらいに。

 真っ直ぐ帰るように先生には言われたけれど、飲み物を買うくらいはきっと許してくれるだろう。
 帰り道にある自販機に急がなきゃ。

 とぼとぼと帰り支度を整えて、誰にも気づかれぬままに隅を歩いて帰る一人っきりの放課後。
 いつも通りで、いつも通りの憂鬱な日々。

 ……あーあ。

 今日もまた、なのはさんに話しかけられなかった。



『私、今日から高町忍になることにしたから』

『え?』

『私、今日から愛に生きることにしたから!』

『え? え!?』

『結婚式、すずかだけは絶対に呼ぶわね! スピーチは任せたわよ!』

『ふぇ!?』

 思えば、あれはあまりにも唐突過ぎる結婚宣言あり、月村家への離縁宣言だった。

「んっ、んっ……ぷはぁ」

 缶ジュースを半分ほど飲み干したところで、ようやく喉の乾きが収まる。
 やっぱりなっちゃんは美味しい。次点でメローイエロー、どうでもいいや。

「……お姉ちゃん」

 私の姉、月村忍。歳は離れていたけれど、とっても優しくて、とっても頭が良くて。
 とっても美人で、とっても凄くて……そしてとってもとっても、大好きで。
 そんなお姉ちゃんだけど、4年前に『私は今日から高町忍になる』と宣言して家出同然で月村家から出て行った。

 私にはいつも優しかったけど、お姉ちゃんはお父さん達と仲が良くなかったから。
 いつも喧嘩ばっかり――お父さん達と口論を広げるお姉ちゃんの姿は、普段とは違ってとても怖かったことだけはやけに記憶に残ってる。

『すずか。悪いけど私はこの家から出て行くわ。“人”だとか“人じゃない”だとか、そんなくだらない柵に囚われるのはもうごめんなの』

『……』

『すずかには、まだ少し早い……だけどこの問題に直面する時があなたにも必ず訪れる。それは私達“夜の一族”の宿命であり運命なのよ』

『うん、めい?』

『……私は、全てを捧げられる人に出会った。そしてその人は、全てを私に捧げてくれる。だから私はその人と共に歩む。いついかなる時も、ずっと一緒に“人として”生きていくの』

『よく、わかんない……』

『今は、わからなくてもいいわ――すずか。あなたは他人に対して臆病なところがあるけれど、そんな価値観さえ変えてくれる、何よりも大切に思える人がきっとあなたの前に現れるわ』

『……会えるのかな、私なんかに』

『うん! 私だって出会えたもん。だから、すずかだってきっと会える――いえ、ひょっとしたら、近いうちにその大切に思える人かも知れない子に会わせてあげられるかも知れないわ』

『本当!?』

『ふふふ。その子はね、私のとっても大切な人の妹なの』

『妹……私と同じだ』

『いつも天真爛漫な笑顔を絶やさない。他人のことを優しく思い、接してあげられる。真っ直ぐで、太陽のように温かい心を持ったその子はね』



 ――“高町なのは”っていうんだよ。


 
「たかまちなのは……」

 何度もお姉ちゃんから彼女の話を聞いた。
 その度に高町なのはという人物のイメージが心の中で膨らんでいって、会いたいという思いが募っていった。私を変えてくれる運命の人はきっと彼女なのだ、と。

『なのはちゃんね、病気にかかっちゃって今入院してるんだ』

『えっ、だっ、大丈夫なの?』

『うん、完全に治るまでは少し時間がかかるらしいけど、命に関わるものじゃないから』

『そうなんだ、良かったぁ』

『――ねぇすずか。もしよかったら、なのはちゃんのお見舞おに来て貰えないかしら?』

『お、お見舞いっ?』

『なのはちゃんを元気づけてあげて欲しいの。そろそろ、すずかのことをちゃんと紹介しても大丈夫だと思うし』

『……う、うん! 絶対、絶対に行くから! 約束だよ、お姉ちゃん!』

『ふふっ。うん、約束――』

 けれど、その約束は果たされることはなかった。
 その翌日――お姉ちゃんとなのはさんの家族は、交通事故で亡くなったから。

 お姉ちゃんが死んだ。その突拍子もないあまりにも残酷な事実を受け入れるのに、随分と時間がかかったものだ。
 泣き叫んで、荒れ狂って、部屋の中に引きこもって――それでもなんとか気を取り戻し、震える足でお姉ちゃんとなのはさんの家族の葬式に、両親の手を握りしめながら参列した。

 そこで、私は始めて高町なのはを見た。
 あまりにも、お姉ちゃんから聞いていた風貌とはかけ離れた――高町なのはを。

 その鬱らに濁った瞳。どこかに感情をおいてきてしまったような無表情。
 一言も言葉を発しない小さな口、ぴくりともしない小さな体躯。
 多分、“絶望”を人の形にこね上げ形作ったらああなるのだろう――私の高町なのはの第一印象は、それだった。

 お姉ちゃんが誇らしげに語っていて、私が密かに憧れていた彼女。
 本来ならもっと違う場所で、違う形で知り合うはずだった少女。

 結局その日の私は、お線香をあげるだけで帰宅してしまった。
 話しかけることもなく。何をすることもなく、逃げ帰った。
 今でも度々思うけれど、もしもこの時、話しかけれさえいれば……。

 私が何かの行動を起こしていれば。ひょっとしたら私と彼女は……。

「……何度、期会を逃せば勇気を出せるのかな」

 話かける期会なんて、いくらでもあったはずなのに。
 あのお葬式の日が無理でも、その後日また落ち着いたら会いにいくという選択だって、存在した。
 私と彼女は、ある意味で他人じゃない。お姉ちゃんとなのはさんのお兄さんが結婚していたら、私達は義理の姉妹になっていたのだから。

 それでもやっぱり私はどうしようもなく他人が怖くて、高町なのはが怖かった。
 何も語ろうともせず、ただ静かに口を閉ざし表情すら変えない彼女が、怖かった。

「――けど」

 一度だけ、彼女は私を助けてくれたことがある。
 それはあまりにも奇天烈で、強烈で、不可解だったから、助けてくれたというのは私の都合のいい思い違いだったのかも知れないけれど。私は助けて貰ったのだと思ってる。

 忘れもしない、数ヶ月前に教室で起きたあの出来事。
 クラスメイトのアリサ・バニングスという人に私のお姉ちゃんから貰った大切なヘアバンドを取り上げられてしまった時だ。

 他人と触れ合うことの恐怖に、ヘアバンドを取り上げられた傷心に、泣きたくないのに泣くことしか出来なかったあの時。
 高町なのはが私の前に現れた。なのはさんはバニングスさんの頬をいきなり叩いて――。

 その少しあとのことはあまり思い出したくないから省略するけれど、ヘアバンドは無事私の手に戻ってきた。
 こんなことが二度と起きないように、学校にはもう付けてきてはいないけれど。あのヘアバンドはお姉ちゃんの形見でもあり思い出詰まった宝物。

 それを、きっとなのはさんは取り返してくれたのだと思う。
 泣いてる私を、助けてくれたのだと思う。

『いつも天真爛漫な笑顔を絶やさない。他人のことを優しく思い、接してあげられる。真っ直ぐで、太陽のように温かい心を持ったその子はね――』

 彼女は家族を失って、面影を見つけれられないほどに変わってしまった。
 笑顔を絶やさないどころか一度も笑うことはなくなり、他人を思いやるような人には全く見えないけれど。

「私を、助けてくれたんだ……」

 あの時のお礼を、私はまだ言ってない。
 話したいことは山ほどあって、語りたいことはたくさんで。

 勇気を、ださなきゃ。

 こんな自分を変えなきゃ。

 果たされることは、なかったけれど。

『――ねぇすずか。もしよかったら、なのはちゃんのお見舞おに来て貰えないかしら?』

『お、お見舞いっ?』

『なのはちゃんを元気づけてあげて欲しいの。そろそろ、すずかのことをちゃんと紹介しても大丈夫だと思うし』

『……う、うん! 絶対、絶対に行くから! 約束だよ、お姉ちゃん!』

『ふふっ。うん、約束――』

 私は、お姉ちゃんと……なのはさんを元気づけてあげて欲しいって約束したんだ。
 だから、だから。だから――。

「明日こそ、明日こそ……」

 高町なのはさんと、お話したい。



 それにしても、本当に不思議だな。
 なんでだろうかは、自分でもわからない
 彼女のことを思うと、ときどき怖さとは別の感情が湧き上がって、胸がきゅんと熱く、暖かくなって――。



 とても、喉が乾くんだ。



 ■■■



 トントントンと包丁が小刻みに食材を切り添える音の心地よさ。
 その音を聞くだけで、彼女の料理の腕が著しく成長していることが認識出来る。
 私の半身、双子の姉リーゼアリアの成長に感心するリーゼロッテこと、私だった。

「ねー、そんなに料理って楽しい?」

「……別に。必要だからやってるだけよ」

 ソファーに座りながら後ろにだらんと背をもたせかける私に、一瞥もくれず料理に集中する彼女はそう告げる。

「でもさー、数年前なんて卵焼きすら作れなかったじゃない、アリアって。包丁を使おうものならキッチンをところ構わず血まみれにしたし」

「失礼なことを言わないで、卵焼きくらい作れたわよ。包丁だって……出刃包丁に慣れてなかっただけだもの」

「卵をレンジに入れて爆発させるわじゃがいもの皮むきにデバイスを使おうとするわ煮込み物は煮込みすぎて水分を全部蒸発させるわ肉を焼きすぎて炭にするわ……あー、駄目だった頃のアリアが懐かしい」

 管理局では冷静沈着、品行方正のエリート秘書な使い魔で通っているくせに。
 家事が全く出来ない子だったということを知っているのは私とクロスケとお父様くらいなものなのはここだけの話だ。

「う、うるさい。誰だって最初は初心者なの。知りもしないことを出来ないのは人間も使い魔も同じよ」

「私は初心者だった頃でも蓋を開けて洗濯機を回すようなことしなかったよ?」

「蓋を開けてても回る洗濯機のほうが悪いわよ! 蓋を閉じなきゃいけないなら閉じなきゃ動かないようにするのが道理だと思わない!?」

「家事を全部私に任せっきりにしてたから」

「その分仕事関係のことは私に押し付けてたんだからおあいこでしょ!」

 まあね。家事は私がやる変わりにアリアはお父様の仕事を手伝うのが昔の私達のスタンスだった。
 書類整理とか報告書の作成とか、細かいことは大っ嫌いだったからなぁ。ああ懐かしい。

「……けど、本当にアリアは料理とか家事、うまくなったよね」

「さっきも言ったでしょ――必要だからやれるようになったの。お父様の“計画”の為に、ね」

 お父様の計画の為に、か。
 ――確かに、それはそうだろう。料理を上手くなったのも、家事が出来るようになったのも。

 全ては計画の要である高町なのはを生かしておく為に。

 1人で生きていくことは難しい6歳の少女を生き延びさせる為に。

 そして何よりも、憎きロストロギアに選ばれた高町なのはを――封印する為に。

 けれど、私は1つ心配なことがある。
 ずっと2人でお父様を支えて来た双子の半身を疑うわけではない。
 こんな考えを馳せるというだけでも失敬な話だ。だけどこれだけは、どうしても聞いておかなければならない。何より、アリアの為にも。

「……ねえ、アリア」

「なに?」

「あなた少し、高町なのはに……」






「“構い過ぎて”ない?」






 軽快だった包丁のリズムが止まった。
 一瞬にして訪れた静寂の中で、鍋の中で煮えるお湯の微かな音だけがこの空間に響く。

「何が、言いたいのか……わからないわね」

「わからないわけないでしょ。アリアは私より何倍も頭いいんだから」

「なら、なに? ロッテは、私が高町なのはに感情移入しすぎた挙句、お父様を裏切るかもしれない――とでもいいたいの?」

 あぁ、ほら。やけに突っかかってくる。
 冷静沈着なアリアらしくもなく、ね。

「別にそこまでは言ってないわよ。言っておくけど、私はアリアの為なら命だって捨てられるの。それ程に私はあなたが大事で、信じてる。裏切るなんて微塵も思わない」

 だけど、アリアは私よりも頭がよくて――とても“優しい”から。

「私が言いたいのは、あの子にいくら優しくしたって……最後は、アリアがその分……辛くなるだけじゃない」

 いずれ永久凍土の棺の中に閉じ込められる運命を背負った哀れな少女だ。
 構えば構う分だけ、優しくすれば優しくするだけ、愛情を持てば持つだけ――。

 ただ、最後にアリアの心を痛みつける。
 だったら、構いすぎることはない。必要以上に優しくする必要はない。愛情なんて、欠片すら不要。

 “殺す為”に生き物を育てる行為など、家畜にだけで十分だ。
 高町なのはは家畜じゃなければペットでもなく――純粋な、人間なのだから。

「…………」

 アリアは、なにも答えなかった。

「もう、いいでしょ? あとはこの国の家政婦かなんかに任せてさ、私達は裏方に専念して……」

「そういえば――そろそろ、あの子が塾から帰ってくる時間なの。だからもう、帰って」

「……アリア」

「私はお父様とあなたを裏切ったりしないし、計画を狂わせたりも絶対にしない。それが全てよ」

「……りょーかい」

 私はソファーから起き上がって、帰り支度を整える。
 ……これは思った以上に、アリアは高町なのはに情がわいているらしい。
 かといって、アリアがその程度の感情でお父様や私を裏切ることがないのはわかっているけれど……わざわざ自ら辛くなる道を選ばなくたっていいじゃない、馬鹿。

「――じゃ。優しい家政婦さんの“演技”……頑張ってね、アリア」

「――ええ。優しい家政婦さんの“演技”……頑張るわ、ロッテ」

 玄関先に向かう前に、私は一度だけアリアの元を振り向いた。
 相も変わらず、こちらに目もくれないで料理に集中する背中――どこか寂しげに感じる後ろ姿。






「にゃー」

「あ……ねこ」

 高町家を出て、子猫モードで道を歩いていると、丁度帰宅途中であろう高町なのはに出くわした。
 それなりに揃った顔立ちをしているが、無表情の少女というのは綺麗というよりも気味が悪いという感想しか出ない。

 あんな子の何がアリアは可愛いのだろうか。
 双子だというのに、どうもアリアの趣味は理解しかねる。



 ところで。



「……にゃー」

「……に、にゃー」

 高町なのはの数メートル後ろにそびえ立つ電柱の裏側。
 そこで張り込みをする刑事の如く隠れていた、眼鏡の竹刀袋を背負った女子高生らしき人物は、いったい誰なのだろう。


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