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[21875] 【習作】白と黒のアリス(オリジナル/ファンタジー)
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:76e8ed61
Date: 2010/09/12 23:22
【前書き】

初めまして、時鳥と申します。此処に投稿すること自体が始めてなので、誠意を尽くして頑張りますが手違いなど御座いましたらご指摘頂ければ幸いです。

この作品は数年前Goccoという場所で連載させて頂いていたものを誤字脱字など直しながら載せさせて頂きます。
アリスの世界観をモチーフにしたファンタジー。
原作を一度読んでから構成していますので、原作に通ずるところもありますがそこはご容赦願います。
ですが、基本的にオリジナルなので原作のような世界観とはまた少し違ったものに仕上がっております。

また、話の流れ上、一部の間ごとに短い独白が入りますが、世界観構築に必要として書かせて頂いて居ますので、ご理解頂ければ幸いです。




色の消えた世界へ……ようこそ、アリス。他の誰でもない君がアリスだ。



[21875] 白の夢 ようこそアリス
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:76e8ed61
Date: 2010/09/12 23:20
 ようこそアリス。僕らの世界へ。
 白兎を追ってこの世界へ来た時から君はアリス。
 他の誰でもない。他の誰にも戻れない。他の誰にだってなれない。
 だってそうだろう?
 アリス、君がこの世界を変えたんだ。
 アリス、君がこの世界を必要としたんだ。
 アリス、君を……この世界が必要としたんだ。
 だから、逃げられない。帰れない。戻れない。

 アリス、君はこの世界で見つけなくちゃならない。
 白兎を追いかけて。
 白と黒だけに染まったこの世界を元に戻す方法を。

 アリス、君が来た日に世界は色を失った。
 いや、君達がきたあの日に……。



[21875] 一の夢 白のアリス
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:76e8ed61
Date: 2010/09/12 23:22
 迷い込んだのは一人の少女。
 彼女は……。

 閉じられた瞼の上から眩しいくらいの光を感じる。ゆっくりと目を開けても光の強さに目が眩んだ。
 ここはどこ?
 目頭を押さえ、差し込む光を抑えながら回復しつつある視力で辺りを……
 !?
 なに、これ?
 思わず眩暈がした。生い茂った木々。そこまではいい。
 あまりに現実離れしているのは――色。その一点のみ。
 漫画の世界に迷い込んだような白と黒のモノトーン。
 夢……そうよ、夢だわ。
 色を持たない夢を見ることもあるんだと聞いたことがある。今まで経験したことはなかったけれど、これがきっとそうなんだわ。
「本当にそう思う?」
「うわきゃぁぁあああ!?」
 声と同時に突如ひょっこりと白い顔が現れた!
 いきなり目の前に!
 思わず悲鳴を上げるほど驚いてしまったわけだけど……。
 よく見ればそこまで驚く相手じゃなかった。
 白いフード、というより白い雨がっぱを羽織った小さな子供。ただその雨がっぱには猫の耳と尻尾、まして全体にふさふさと毛が生えている。そして頭の部分には大きな瞳が並んでいて少々不気味だ。
 子供の顔はフードに半分以上覆い隠されてまったく見えない。
「本当にそう思う?」
 子供はもごもごと小さく口を動かしながらさっきの言葉を繰り返した。けれど声ははっきりと聞こえる。ただ、問われている意味がわからなかった。
「本当にそう思う?」
「何が?」
 三度目の同じ問いに眉を顰めて問い返した。すると子供は黙ったまま二、三度尻尾をくゆらせた。フードが少し歪んだ気がしたけど気のせいだろうか?
「夢だって、本当にそう思う?」
「え?」
 思わず反射的に声が漏れる。けど、夢なんだから不思議はないわよね。何を考えてたかわかることぐらい。
「駄目だよ、アリス。君は信じなくちゃならない。君が信じなくちゃこの世界は泡沫に帰す……」
「きゃっ!」
 その子の言葉が終わらないうちに地面が大きく揺れた。そして視界に映っていた全てが消える。不愉快な浮遊感だけが残って……。
 悲鳴を上げてるはずなのに風を切る音だけが頭に響く。
「アリス。このまま落ちていくの?」
 さっきの子の声が聞こえる。風の音さえ切り裂くような澄んだ声が。
 近くにいる?
 ううん、どちらかというと直接頭の中に声をかけられたような不思議な感覚。
「アリス。このままずっと落ちていくの?」
「――――――っ!」
 あたしは叫んだ。
 でも、自分でさえ何ていったのか聞こえない。でも、落ち続けるのは嫌だった。浮遊感と一緒に恐怖が背中を駆け上がってきている。
「それならアリス。信じるんだ。地面はあるんだって。存在してるんだって。信じて、アリス」
 もう! 信じるってなんなのよ!?
 半ばやけくそ気味に心の中で悪態を付くものの、それじゃあ、何も変わらない。結構落ちてるはずなのに真っ暗で底なんて見えないんだもの。
 いいわよ、どうとなったって!
 あたしは地面の上にいる。落ちてるなんてなんかの間違い!
 目を閉じて強く念じた。それ以外考えないようにした。
 すると足が硬いものに触れ、そして浮遊感も止まる。髪がぱさりと頬に触れた。
 目を開けると元の場所に戻っていた。
 あの白と黒だけが支配する森の中に。
 そして、一際白いあの子供はあたしの正面に立っていた。
「ようこそ、アリス。世界は君が来るのを待ってたんだ」
「あのねぇ……さっきからアリス、アリスってあたしは物語の登場人物じゃないんだから。人違いよ」
 手を差し伸べてくる相手に思わずため息交じりに言い返す。あたしはアリスなんて名前じゃないもの。
「人違いじゃないよ。君はアリスだ。白のアリス。君を待ってた」
「違うったら! だいたいあたしの名前は……あれ?」
 あたしは……誰だっけ?
 名前、自分の名前がわからないってどういうこと?
 色んな出来事は覚えてる。でも、出てくる名前の部分は空白。
 思い出せない。あたしは、あたしなのに……。
「アリス。無駄だよ。ここで君はアリスなんだ。アリス以外の誰でもない。誰にもなれない。誰にも戻れない」
 頭を抱えてるあたしを見ながら淡々と表情も変えず猫がっぱの子は言う。それが妙に怖かった。
「あたしは、あたしよ。アリスじゃないわ」
 声は震えていた。全力で否定したかった。名前がわからないだけで記憶の中の自分が他人のように思えた。
「何も違うことなんてないよ。白兎を追ってこの世界へ来た時から君はアリス。君は白兎に導かれやってきた。この世界を元に戻すために。だから、アリス。他の誰でもない、君がアリスなんだよ。白のアリス」
 白兎? その一言にふっと、引っかかるものを感じた。最近見たような? ううん、最近なんてもんじゃない。
 そう、ついさっきよ。
 学校帰りで確かマンホールに落ちそうになってたうさぎを助けようとして……。 
「穴に落ちた」
 あたしの思考と子供の声が被った。
「その穴はこの世界の入り口。アリス、その白兎を追って。まずは黒のアリスを見つけて」
「ちょ、ちょっと待ってよ! アンタ、誰なの? 言ってること全然意味判んないわ。黒のアリスって誰?」
 かなり頭は混乱してた。冷静に考えてれば夢ってことで全部片付けられたはずなのに。あたしは途中からコレが夢なんだってことを忘れていた。だから問いかけてしまった。
 相手はやはり無表情で。
「僕はチェシャ猫。白のアリス、君のもう一つの道しるべ。でも、猫は気まぐれ。ずっとそばにいるとは限らない」
 ザァァアアア
 強い風の音がした。あたしが見てるその場所でチェシャ猫と名乗った子供は水に映った影のように揺れて、そうして何処からともなく消えていく。
 風がおさまったときには、ただ森が静かに佇んでいた。



[21875] 黒の夢 ようこそアリス
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:76e8ed61
Date: 2010/09/14 21:02
 ようこそアリス。俺達の世界へ。
 あんたは白兎によって導かれたその日からアリス。
 どう足掻こうとアリス以外でなくなることなんざできない。
 だってさ
 アリス、あんたがこの世界を変えたんだ。
 アリス、あんたがこの世界を必要としたんだ。
 アリス、あんたを……この世界が必要としたんだ。
 だから、逃げようなんて思うな。帰ることも戻ることも出来やしない。

 アリス、あんたはこの世界で見つけなくちゃいけない。
 白兎を追いかけて。
 白と黒だけに染まったこの世界を元に戻す方法を。

 アリス、あんたが来た日に世界から色は消えた。
 いや、あんた達がきたあの日に……。



[21875] 二の夢 黒のアリス
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:76e8ed61
Date: 2010/09/14 21:03
 迷い込んだもう一人の少女。
 彼女も……。

「あー、暗いねぇ? ウサギちゃん」
 腕の中に抱えた小さな動物にワタシは語りかけた。温もりが小さく揺れる。
 でも、本当にマンホールの中って暗いのね。
 辺りを見回したってなーんにも……あれ?
 ふと気が付いた。ワタシが座り込んでいる正面。そこに白に近い灰色の何かが光っていた。大きな何かの目みたい。白い中に黒い丸――眼球があるもの。
「アナタ、だーれ?」
 声をかけたら目がぎょろりと動いた。こんなに目の大きい動物ってなにかしら?
「俺はチェシャ猫。アリス、あんたを導くもののひとつ」
 予想外だった。鳴き声とか唸り声とかが返ってくるって思ってたから。ぎゅっとウサギを抱きしめる力が強くなる。
「アリス、怖がる必要なんてない。あんたに危害を加えるものは今はない。だからアリス。俺の話をよく聞いてくれ」
 淡々とした声色。でも怖くはなかった。なんだか何処かで聞いたことのある声だったから。
「ねぇ、まって。チェシャ猫さん。ワタシはアリスじゃないわ」
「いや、あんたはアリスだ。あんたは白兎によって導かれたその日からアリス。黒のアリスなんだよ」
「ううん、ワタシはアリスじゃなくって……」
 彼が何故、ワタシをアリスと呼ぶのか判らなかった。だから、ワタシの名前を教えようと思ったんだけど……
 出てこない。
 名前が喉から出てこない。ううん、名前自体がワタシわからなくなっちゃってる。ワタシ、落ちたときに頭でも打ったのかな? 自分が誰だか判んなくなるなんて……。
「アリス。今はどう足掻こうとアリス以外でなくなることなんざできない。アリス、黒のアリス。もう一度いう。俺の話をよく聞いてくれ」
 彼の言っていることの意味がよくわからなかった。けど、名前が思い出せない以上呼び方に不自由しちゃうわけだし、もう「アリス」って呼ばれることには突っ込まないことにした。
 黙って一度だけこくりと頷く。こんな暗闇でワタシの行動が見えるかちょっと心配したけど要らない世話だったようだ。
「いいか? アリス。あんたはまず、白兎を追って白のアリスを探すんだ」
「ねぇ、さっきから言ってる白兎って……この子のこと?」
 抱えていたウサギを両手で持ち直し、チェシャ猫のほうに向ける。あの白い目が下へ動いた。ウサギの毛が逆立つのを感じた。
 パンッ!
 風船の割れるような音がして動物の温もりが手の中を飛び出す。あまりの音の大きさに耳の中がじーんと痛んだ。耳鳴りがわんわんと止まらない。
「きゃっ!」
 耳を押さえてたら急に右の手首を掴まれて引っ張られた。転びそうになったけど何とか体勢を立て直す。
「アリス、走れ! 白兎を追うんだ」
 チェシャ猫さんの声がした。耳鳴りは治まってないのにはっきりと頭の中に響いてくる。腕を引っ張られながら自然とワタシは走り出していた。
「アリス、白兎を見失わないように。しっかり前を見て」
 声がそっと囁く。ワタシは言われるがまま前を見た。ウサギは白く……チェシャ猫さんの目と同じように淡く光っている。
 これなら早々見失わないわ。
 ほっ、と一息ついてからチェシャ猫さんのほうを振り返る。あの大きな瞳と目が合った。
「アリス、白兎から目を離さないでくれ」
「う、うん。分かったわ。でも、さっきワタシに聞いてほしいっていってたことは白兎を追え、ってそれだけなの?」
 彼の目が正面を向いた。ワタシも合わせて前を見る。耳鳴りもようやく治まり、駆ける足音が耳に響く。
「いいや、後いくつかある。でも、時間がない。走りながら聞いてくれ」
 彼は言うと同時にワタシの手を離した。横で白い目がこちらを向く。そういえば、駆け足の音が一人分しか聞こえないような?
「話というより忠告だ。アリス、この世界は実に不安定で脆い。もしあんたがこの世界を否定するなら、夢だと思うなら……このまま暗闇を延々と走り続けることになるだろう」
 ぞくりと背筋が冷たくなる。彼の言葉は非現実的。でも、ワタシにはとても現実的に聞こえた。下手したらこの暗闇から抜け出せなくなる。それはすごく怖かった。
「信じていれば大丈夫さ、アリス。この世界でやるべきことを終えるまでは疑わなければいい」
 隣を振り向いてこっくりと頷くと目は少しだけ細められ……急に光がはじけ飛んだ!
視界が白一色に染まる。
 眩しすぎて腕で光を遮りながら目を閉じた。それでも白は瞼の裏側まで侵食する。
 けれど少しして光は急激に治まった。
 おそるおそる目を開ける。白い雲、やや灰色掛かった白いに近い……空? 黒く鬱蒼と茂る森。
 白と黒のみのコントラストは本当に不思議だった。
 暫くぼんやりとたゆたう雲を眺めていたけど、それじゃただ無駄に時間が過ぎるだけだと気づく。
 そういえばチェシャ猫さんの声がない。後ろを振り返った。
 正面とほぼ同じ風景。
 あれれ?
 納得いかずぐるりと一回転。
 ワタシは間違いなく森に囲まれた草原にいた。
 抜けてきたはずの暗闇はどこ?
 チェシャ猫さんはいったい?
 ここはどこなの?
 疑問符を並べたところで答えは出ない。
 その時、チェシャ猫さんの声が聞こえた気がした。
 ―― 白兎を追え。 ――
 そうだ! あのウサギはどこへ行ったんだろ?
 もう一度、探すように視界を360度回転させる。
 いない……。
 追わなきゃいけない目標を見失ってしまったみたいだ。どうしよう? 白兎を追って白のアリスを見つけなくちゃいけないのに。
 眉を寄せて額に人差し指を当てながら首を捻る。良い案なにか浮かばないかしら?
 すると視界の端に木々に隠れて動く白い影が飛び込んできた。
「あっ!」
 急いで方向を変え、ワタシは全速力で白いものに駆け寄った。徐々にしっかりとその影の姿が形を成していく。
 黒い長い髪が真上で一つに括られていた。白い洋風の人形が着るみたいなレースがちりばめられたワンピースを羽織り、肌は微かに紅葉してる。
 ウサギではなく人間だった。
 しかもその後ろ姿には見覚えがある。懐かしい感情が近づく度に込み上げてきた。
「お姉ちゃんっ!」
 彼女が振り返るその瞬間、ワタシは相手に抱きついていた。彼女の凛々しい眉は寄せられて、鋭い黒い瞳は困惑に揺れている。口は小さく開けられて、言葉は発せられない。そんな相手の表情にも懐かしさが胸をいっぱいにした。



[21875] 三の夢 二人のアリス
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:5153aa87
Date: 2010/09/16 21:10
 白と黒のアリスが出会い、そしてやっと始まる。
 小さな物語が……。

「お姉ちゃんっ!」
 後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。振り返ると黒いものが走ってくる。短い髪が風に揺れ、頬は赤く染まり、顔は嬉しそうに笑みを浮かべて。
 あたしは彼女を知っていた。
 抱きついてくる相手を受け止めて名を呼ぼうとする。
 また……空白。
 彼女の名前があたしの名前と同様にぽっかりと消えていた。彼女があたしの妹だということは間違いない。けど、やはり名前だけが出てこないのだ。
 妹とあたしは一つ違い。でも四月と三月生まれだから同じ学年だったりする。仲はもちろん良くて妹はしょっちゅうあたしの後を付いてくるのだ。
 今日だって学校の帰り道を一緒に歩いてたのよ。それでウサギがマンホールに落ちそうになってるのを見つけて……。
「お姉ちゃん、どうかした?」
 そこではっと気が付く。彼女は不思議そうに腕の中で首をかしげていた。
 首を横に振り「なんでもない」と付け加える。妹はどこかほっとしたような笑みを浮かべた。
「よかった、お姉ちゃん。マンホールに落ちてからどうしたのかと思った。だって全然見つからないんだもの」
 弾んだ声。肩は呼吸を助長するように上下している。あたしは彼女の頭をぐりぐりと撫でた。そこで違和感を感じる。
「アンタ、落ちた直後の記憶あるの?」
「うん、あるわ。ウサギを捕まえたはいいけど真っ暗でなーんにも見えなくてお姉ちゃんを呼んだけど返事はなくて……」
 どんどんと声が小さくなっている。一人になってしまった時のことを思い出したのだろう。彼女はとても怖がりだ。
「でも、チェシャ猫さんに会ったのよ!」
 すぐに戻った弾んだ声。でも、あたしはそれより出てきた名前が気になった。
 チェシャ猫?
 それはさっき、あたしが出会った白いカッパの子供。
 この子もアレにあったというの?
「ねぇ、それって真っ白な服を着た子供よね?」
 確認するように問う。でも予想外に彼女は首を捻った。そして言う。
「さあ? 暗い中でおっきな目だけが光っていたの。チェシャ猫って言ってたから大きな動物だと思ったけど人間だったのね? 見上げる程大きな猫なんていないかぁ」
 はしゃぐように話す彼女。でも彼女の話すチェシャ猫の容姿はあたしが出会った子供のそれと違っていた。
 きっと妹が目だと言ってるのはあのフードについた大きな飾り。でも、あの子供はあたしより……ううん、妹より全然小さかった。
 別人?
 でも、早々同じ名前の人間に関係ある二人が出会うかしら?
「でね、彼、ワタシのことをアリスって言うのよ」
 ぴくり、と自分でもわかるくらい眉が跳ね上がった。
 ―― アリス……。 ――
 チェシャ猫の声が頭の中で反復される。
 振り払うようにあたしは二、三度首を振った。
「不思議よね。あたしも言われたわ。あたし達はアリスなんかじゃないのに」
 その言葉に俯いて視線を泳がせる妹。こんな時の彼女は何か言いたいのだ。でも、迷っている。
「何? 言いたいことでもあるの?」
 誰かが促さないとずっと黙ったままになるのは経験済み。彼女は更に戸惑いを見せた後、ゆっくり口を開いた。
「お姉ちゃん、変なこと訊くけど……ワタシの名前覚えてる?」
 ドクン――ッ
 鼓動が大きく鳴った。あたしは今、一度も妹の名前を呼んでいない。判らないのが変に申し訳なくて誤魔化していた。でも、こう質問されたら答えるしかない。
 あたしは遠慮がちに首を左右へ振った。
「やっぱり! お姉ちゃん、ワタシもお姉ちゃんの名前忘れちゃったの。ううん、お姉ちゃんのだけじゃない。自分のも他の人も誰の名前も思い出せないの!」
 一気に彼女は捲くし立てる。その瞳は好奇心に輝いていた。妹は昔から現実離れしたことが好きなのだ。あたしと違ってよく本の世界に憧れていた。
「お姉ちゃんもそうなんでしょう?」
「え、えぇ。そうね、信じられないけど」
 弾んだ声で問われて戸惑いながらも頷き返す。そう、まったくその通りなのだ。考えてみたら誰の名前も思い出せない。父さん、母さん、学校の先生、友達……誰も。名前だけが空白の思い出は妙に気持ち悪かった。
「本当、信じられないくらい不思議。本の世界に来たみたいよ! そうだ、お姉ちゃん! お姉ちゃんはチェシャ猫さんに何て呼ばれたの?」
「あ、アリス。白のアリスって……」
 好奇心に満ちた瞳と口調に押され、深く考えず反射的に答える。すると、彼女は数回瞬きしより大きく黒い瞳を見開いた。
「お姉ちゃんだったのね!? チェシャ猫さんが言っていた白のアリスって。ワタシね、白兎を追って白のアリスを探すように言われたのよ!」
 ぐっと拳を握り締め熱の入った様子で言う妹。その熱の篭り様にあたしは半分以上彼女の話を聞き流していた。
 ―― アリス、白兎を追って。まずは黒のアリスを見つけて。 ――
 ぽんっと、脳内にあの声が思い出される。確かそんなことを言っていたっけ。
 黒のアリス。
「あたしも……あたしも言われたわ。黒のアリスを探せ、って」
 ぽつりと自分に向けて呟くように言った。そして気が付く。妹の表情がより一層輝いたことに。もしかして、もしかしなくても多分……。
「アンタ(ワタシ)が黒のアリス! 」
 綺麗にはもった声が虚空に吸い込まれて消えていく。暫く互いに何も話さなかった。でも、妹はにっこりと嬉しそうに笑っている。
「まぁ、いいわ。ところで、あんたこれからどうするの? あたしは黒のアリスを探せ、としか言われてないわ」
「呼び方がなくて不便ならクロって呼んで、お姉ちゃん。ワタシも白のアリスを探した後のことは聞いてないの。ごめんなさい」
 しょんぼりと妹――クロ(仕方がないので仮でそう呼ぶことにした。)は頭を下げる。謝る必要は無いんだけど……困ったわね。
 腕を組んで黙ったまま考える。ふと視線を下げたら自分の足元が目に入った。小さな違和感。足元に散っている黒い葉っぱが動いている。
 風もないのに?
 ぞわりと肌が泡立った。そして気が付く。ざわざわと囁くような声に。クロの腕を掴み引き寄せて辺りを見回す。人影は無い。でも、囁きはどんどんと大きくなっていく。
 ―― アリスだ。アリスが揃った。
 帰ってきたんだ、アリス達が。 ――
 ―― 色が、色が戻るぞ! ――
 同じような囁きがそこかしこで聞こえる。でも、誰の姿も見えない。
 ぎゅっと妹があたしの腕にしがみ付いた。
「アンタ達誰よ!!」
 あたしは沸きあがる恐怖を抑え、叫ぶ。妹に格好悪いところは見せられないから体全体を駆け上ろうとする震えを必死に堪えた。ざわめきはぴたりと止まる。
 暫くの沈黙。
 その後に、またさっきよりも静かに囁きは戻ってきた。
 ―― アリスは私達のことを忘れているわ。
それは困った。 ――
 ―― 色が戻ればきっと思い出すさ! ――
 ざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわ
 聞き取れないくらいざわめきが大きくなる。背筋を一瞬にして何かが這い上がってきたような感覚に襲われた。木々が大きく揺れて葉が擦れ合う音。それが人の声のように聞こえているのだと気が付いたせいだ。
 そして葉は一様に同じ言葉を繰り返す。
 ―― アリス、私達に触れて。
 さあ、早く ――
 ―― アリス、色をちょうだい ――
「きゃぁぁあああっ!」
 直ぐ近くで耳を劈くような悲鳴が上がった。妹だ!
 あたしの腕を掴む彼女の力が一層強くなったから間違いない。振り返れば妹の体中に木の根が巻きついていた。
「クロっ!!」
 木の根を掴んで引っ張り妹から引き剥がす。もちろん怖かった。でも、妹をそのままにさせたくなかったし、何より妹を襲った木々に対しての怒りが先行していた。怒り任せに頭より体を動かす。木の根は案外あっさり剥がれたが直ぐまた巻きついてきた。
「おねえちゃあぁあんっ!」
「大丈夫! すぐ助けてあげるわ!!」
 妹は耐え切れずわんわん泣きながらあたしを呼ぶ。それに答え、慰めながらあたしは必死に戦った。でも、木の根は妹だけでなくあたしにまで巻きついてくる。段々身動きが取れなくなってきた。
 このままじゃ――っ
「こらこら迷いの森の木々達よ。あんまり手荒なことはしちゃいけないよ?」
 目を瞑って諦めかけた瞬間、よく通る声がこだました。
 今度こそ、人間の声だ。しかも何処かで聞いたことがある……。
 何処だったっけ?
 思い出せない。
「アリスは怖がってるじゃないか。そんなことしてると色を戻してもらえないかもしれないよ?」
 更にその声は話を続ける。すると木の根がゆっくり引いていった。体の自由を確かめ、直ぐに妹を引き寄せ抱きしめた。そして、声の主のほうを振り返る。
 黒いシルクハットに同じく黒の燕尾服をぴっしり着こなしている男。帽子の横にちょこんとはみ出した灰色の長い獣の耳が妙に不釣合いだ。
 口元に笑みを浮かべているが肌は灰色。黒と白と灰色のコントラストで古い写真を見ているようだった。
 黒い森、灰色の空、モノクロの人間。あたしは自分の肌を見た。ちゃんと見慣れた色だ。あたし達二人以外に色は無い。彼等の色は何処へ行ってしまったのだろう?
「それにアリスはまだ、何も知らない。説明役が必要なのさ。僕みたいな」
 木々のざわめきは既に止んでいた。燕尾服の男は言葉を続ける。その言い様はまるで歌っているようだった。
 ―― お前は誰だ? 何を知っている?
 わかった、いかれ帽子屋だ! ――
 ―― そうだ! その帽子は間違いないっ ――
 木々がざらりと揺れて囁きあい、人間に近い声を作り出す。彼は笑った。
「正解。でも、よく見てよ? この耳は何だろう?」
 くるりと手にした黒い傘を回して楽しそうに喉を鳴らし帽子からはみ出た耳を指差す。
 ―― いかれ帽子屋の耳は人間の耳のはずだ。
 じゃあ、いかれ帽子屋じゃないのか? ――
 ―― あの灰色の長い耳は三月ウサギよ ――
「それも正解」
 満足そうに笑みを満面に広げ、小さく一度頷いた。彼はいかれ帽子屋で三月ウサギらしい。木々が一斉にざわつく。そんなはずはない。と言う意味のどれもこれも似たような言葉が繰り返された。
 ―― 怪しいやつだ!
 きっとアリスを狙う危険なやつだ! ――
 一際大きな声が辺りの空気を震わせた。二重三重に沢山の人の声が重なっているように聞こえ、耳が痛くなる。そして、声は消えた。けれど葉の擦れ合う音自体が消えたわけじゃない。
 ざわざわざわ、と、言葉にならない音が周りを支配する。
 シュッと風の切るような音が耳の直ぐそばを掠めた。ぎこちなく振り返ればそこには太い根。さっ、と血の気が引いていくのがわかった。あと少しずれていたら……考えるのはよそう。
「まったく、困ったものだね。すぐに周りが見えなくなるのだから」
 やや遠めにあったはずの声が直ぐ後ろで聞こえた。根が降ってきた方だ。いつの間にやらあのいかれ帽子屋三月ウサギがとても近くに居る。そして、傘で根を弾き飛ばしていた。それでも絶えず根は襲ってくる。いや、根はここら一帯に見境無く降り注いでいた。
 それをあたし達の付近だけ全て彼がなぎ払っているのである。
 状況をうまく頭が受け付けなくて暫く呆然と彼の背中を見てた。
「アリス、ぼんやりとしてたらいけないよ。そろそろ抜け出さないと僕達全員、風穴だらけになってしまう」
 彼が振り返らずに言う。その言葉は軽く、歌うような口調だった。緊迫感はゼロ。
 でも、それが冗談でないことはすぐわかった。彼の足が少しずつ後ろにずれてきているからだ。後ろ足の付近にこんもり小さな山が出来ている。押されて、いるのだ。木に。
「わかったわ。けど……何をすればいいの?」
 あたしは背中に問いかける。妹は腕の中で目を瞑って震えているのだ。あたしが何かやるしかない。
「僕に掴まってごらん」
 彼は答えた。そして、片足を後退させ体半分ほどこちらに向ける。手が目の前にきた。白い手袋に覆われたその手をあたしは迷わず掴む。彼の口端がつりあがったように見えた。
彼はぐっと手を握り返してきて、一言。
「跳ぶよ?」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに足が地面から離れていた。ぐいぐいと森の葉の塊の中に引っ張られていく。でも直ぐに抜けて灰色の空が見えた。頬を掠める風が気持ちいい。髪がたなびいてはたはたと音を立てた。
「アリス、もし恐怖はもう去ったなら下を見てごらん」
 いかれ帽子屋三月ウサギが振り返り笑う。彼は、顎で地面のほうを指した。その言葉と仕草に誘われて視線を落とす。
「……すごい……」
 ため息とともに言葉が出た。
 今まで見たこと無いような光景。黒い鬱蒼とした森が真下にスペードの模様を描き、その周りを川が囲んでいる。その川は、どこか遠くへ一本だけずーっと伸びていた。森から旅立つようにずっとずっと。川の終わりはまったく見えない。
 そのスペード型の森の他にあるのは草原と他の森。他の森の形はわからなかった。そこまであたしは高い場所にいない。でも、他の森の周りにも川が流れているのは見えた。
「面白い形だろう? この間女王様が模様替えをなさったばかりなのさ」
「えぇ、こんなのはじめて見たわ」
 上から声が降ってくる。あたしは風景に見惚れて半分上の空で返事を返した。
「お姉ちゃん?」
 腕の中であたしを呼ぶ声にはっとする。妹が目を瞑ったまま不安そうにしていた。未だに怖くて目が開けられないらしい。
「大丈夫よ、目を開けてみたらいいわ。すごいんだから」
 自分の声はとても弾んでいた。頬が緩んでいるのもわかる。あたしの胸は大きく鼓動を鳴らしていた。
 隣でごくり、と唾を飲む音が聞こえる。
「……すごい……」
 あたしと同じ言葉がクロの口から漏れた。彼女を見やれば瞳が煌々と輝いている。どうやら彼女もこの景色を気に入ったようだ。
「アリス、景色は十分堪能したかい?」
 いかれ帽子屋三月ウサギが問いかけてきた。あたしは迷わず大きく頷く。
「えぇ、すごく素敵だわ」
「じゃあ、落ちるよ?」
 え?
 思わず振り返って彼の顔を凝視する。柔和に微笑んだままの表情に不安になった。
 落ちるってどういうこと?
 訊こうとした瞬間、がくんっ! と、彼の急上昇が止まった。
 そして……。
「跳んだら落ちる。常識だよ?」
 くすくすと楽しそうに目を細めて笑いながらも、いかれ帽子屋三月ウサギは落下していく。もちろんあたし達も一緒に。
 落ちるスピードは徐々に加速し、地面は嘲笑うかのように迫ってくる。
 あたしの隣から悲鳴が上がった。妹だ。
 そりゃ、怖いわよね。どんな絶叫マシーンも顔負けの落下スピードだもの。
 しかし、あたしはいたって落ち着いていた。チェシャ猫の時の落下の浮遊感の方が数倍怖かったからだ。だから、叫んでもいない。
「ちょっと! もっとスピード落とせないの!?」
 むしろあたしはいかれ帽子屋三月ウサギを睨み付け食って掛かる。
「う~ん、そいつがねぇ。いつもスピード調整に使ってるこいつが、困ったことにさっきの木々達のおかげでボロボロになってしまってるんだよ」
 困った雰囲気は一切感じさせない口調で、彼は傘をくるりと回しながら言った。そういえば、あの傘で木の根を弾き飛ばしていたわ。
「ボロボロでも使えるんじゃないの? ちょっと一回使ってみてよ。少しはマシになるかもしれないわ」
 黒い傘はそんなにボロボロになってるように見えなかった。まぁ、いかれ帽子屋三月ウサギが間に挟まってよく見えないんだけど。
「別にいいけれど……あんまり変わらないと思うね」
 言いつつ彼は片手で傘を開いた。黒い傘に穴がボコボコ開いている。本当にボロボロになっていたのだ。
「あー、ひどいな。気に入っていたのに」
 傘を上に向け、残念そうに眉を寄せ彼は呟く。
 でも、いったいこの傘をどうつかうのだろう? まさか、差すだけなんてことはないわよね。そんなんじゃ、落下スピードを調整できる筈無いもの。
「ほらごらん、アリス。僕等を助けようとする風は穴から殆ど抜けていく」
「へ?」
 思わず絶句する。
 確かに風はひゅーひゅーと傘の穴から抜けてるけど……。
「アリス、そんな顔してても仕方ないよ。地面はすぐそこさ」
 言われてはっ、と下を見る。もうすぐそこだった。手を伸ばせばきっと届く。そんな近さ。思わず目を瞑った。
 ボスッ!
 ……あれ?
 予想と反した音。ゴッ、とかグチャとか、そんな音がすると思ってた。何か柔らかいマットの上に落ちたような?
 そういえば、体も全然痛くない。目を開けた。正面ににっこり笑ったいかれ帽子屋三月ウサギが立っていた。あたしの腕の中の妹は気を失っている。
「良かったね、アリス。優しい草の上に落ちて」
 言われて下を見た。灰色の草が沢山折り重なって山になっている。その上にあたし達はいた。落ちていく瞬間に見た地面にはこんなもの無かったはずなのに。
「アリス達の為に集まってきたんだよ。さあ、立って」
 手を差し出された。妹をそっとその場に寝かせて、その手を取り立ち上がる。
 草の山の周りは黒い土が見えていた。さっきは満遍なく草が広がっていたはずなのに。
「不思議……」
「しまった! もうこんな時間だ!!」
 小さく呟いた時、隣のいかれ帽子屋三月ウサギが慌てた様に大きな声を出した。
「ど、どうかしたの?」
 振り返り問う。彼は銀の懐中時計を片手に持って首の後ろを世話無く擦っていた。
「見てごらん、アリス。もう三時だよ! お茶の時間だ。戻らなければ!」
 銀の時計をあたしの真ん前に勢いよく突き出す。危うく、顔面に当たりそうになった。
 この人……そんなに三時のおやつが大事なのかしら?
 あれ?
「でも待って、この時計」
「僕はもう行くよ! もし良ければ僕のお茶会に寄ってくれ。アリス。準備をして待っているから」
 彼はそそくさと時計をしまい、早口に捲くし立てた。あたしが何か言おうとしたことにも気づいてないようだ。そして、こちらの反応を待たず踵を返し駆けて行く。
 時折飛び跳ねながら走っていく彼の背中はあっという間に見えなくなった。
 取り残されたあたしは暫く呆然と虚空を眺めていた。
「……寄れったって何処でやるかなんて知らないのにどーしろっつーのよ?」
 あたしが呟いた疑問もさらりと風が流していく。
 なんか、すごく虚しい。
 でも、いつまでもぼんやり突っ立てるわけにもいかない。あたしはまず足元の妹を見た。意識は戻っていないようだ。しゃがんで抱き起こし頬を軽く叩く。
「クロ、クロっ!」
「う、う~~ん……」
 微かに唸りゆっくりと彼女は瞼を上げる。数回瞬きを繰り返して、自分の力で起き上がり首を傾げた。
「えっと……う~ん」
「クロっ! 大丈夫?」
 まだ意識がはっきりしてないんだろう。ぼんやりとしている妹の肩をしっかり掴んで揺さぶる。
「お、お姉ちゃん、だいじょぶ! だいじょぶだから!」
「よかった……」
 彼女の意識は、はっきり覚醒したようだ。安堵の息を吐く。手を離して彼女の正面に座った。
「えっと……お姉ちゃん。帽子屋ウサギさんは何処に行ったの?」
 キョロキョロと辺りを見回してクロは不思議そうに首を捻る。多分、彼女が言っているのはいかれ帽子屋三月ウサギのことだろう。
 あたしは左右に軽く首を振った。
「どっか行っちゃったわ。動いてない時計を見て、ね。三時だからお茶会するとか言ってたわよ?」
 そう、あたしに見せられたあの時計は動いてなかったのだ。秒針さえぴくりとも。教えてあげようと思ったけど、そんな暇なくいかれ帽子屋三月ウサギは去ってちゃったし。
「そうね、いかれ帽子屋に三月ウサギだもの。終わらないお茶会をするんだわ」
 何故か妹は一人納得したように、うんうんと頷いた。彼女の言っていることが何のことかあたしにはさっぱり判らない。
「ま、いいわ。それよりこれからどうするの?」
「これから?」
 立ち上がって何処か遠くを見やりあたしは言った。妹も釣られたように立ち上がる。そして困ったように眉を寄せていた。あたしも特に案があるわけじゃないのでそのまま黙る。
「……あっ! お姉ちゃん、アレ見て!」
 いきなり沈黙を破り妹が叫んだ。あたしの腕を引っ張っりながら、ある一箇所を指差している。
 白い兎が一匹。
 森に駆けていくのが見えた。妹がよりあたしの腕を引っ張る。
「お姉ちゃん、白兎よ! 追いかけなきゃ!!」
「え、えぇ、でも……」
 ここで止めても無駄だった。はしゃいでる時の妹は周りが見えないのだ。あたしの腕を引き走り出そうとする。仕方ないから一緒に駆け出した。
 白兎はもう森の茂みの中に消えている。
 追いかけてあたし達はさっきとは別の森へ入っていった。



[21875] 鳥の夢 おかえりアリス
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:fae99036
Date: 2010/09/19 10:42
 おかえりアリス。
 全てを知り尽くしている世界へ。
 しかし、全てを忘れている世界へ。

 君達は思い出すために戻ってきた。
 君達は学ぶために戻ってきた。
 君達は見つけるために戻ってきた。

 アリス、白兎を追い、チェシャ猫を探せ。
 そして見つけるのだ。
 何を見つけるのか……そこまでは言えない。
 だがしかし見つけなければならないのだ。

 でなければ
 全てに色は戻らない。
 全てに託された記憶は消える。
 全て……なにも残らない。

 アリス、忘れてはいけない。
 アリス、思い出すのだ。
 アリス、知る勇気を持て。

 さすれば自ずと道は開ける。



[21875] 四の夢 ドードーと愉快な仲間達
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:fae99036
Date: 2010/09/19 10:43
 白兎を追いかけて森の中に入っていった二人。
 そこで出会うのは……。

 果たしてどれ位歩いたんだろう?
 足が痛い。
 結局白兎はあれから少しも見かけないし……。
「お姉ちゃん、少し休まない?」
 前を行くお姉ちゃんの腕を引っ張って止まってくれるよう頼む。お姉ちゃんは小さくため息をついた。
「仕方ないわね」
 そう言って彼女は近くの木の根に座る。ワタシも続いてその隣へ腰掛けた。
 足を伸ばして一息する。歩きなれない足はやや浮腫んでいた。黙って足を揉み解していると、遠くから音が聞こえてきた。何かが走るような、そんな音。
「お姉ちゃん、この音なにかしら?」
「音?」
 お姉ちゃんの方を向いて問いかけると怪訝そうな顔で聞き返された。でも、すぐに眉がピクリと跳ね上がる。どうやらお姉ちゃんも気が付いたようだ。
 音はこちらに向かっていた。徐々に大きくなり迫ってくる。
 ドドドドドッド
「え?」
 呟いたのはワタシだったのかお姉ちゃんだったのか。でも、ワタシもお姉ちゃんも走ってきた生き物に度肝を抜かれたことは確かだわ。だって見たこと無い生き物だったんだもの。
 ドジャッジャーージャッジャッ
 その生き物はワタシ達の前を通り過ぎる前に急ブレーキを掛けた。砂煙が一面に舞う。急いで口元を押さえたから咳き込むことはなかった。
「ごほっ、えほっ、な、何だって言うのよ!?」
 煙の中、むせかえるお姉ちゃんの声が聞こえる。どうやらお姉ちゃんはもろに吸い込んじゃったようだ。
 徐々に土煙は晴れていきさっきの生き物がはっきりと姿を現す。
 驚いた。
 さっき見たときは判らなかったけどワタシはこの生き物を知っている。ドードー鳥だ。こんな変な鳥はあの絶滅した鳥以外いない。ワタシは何回か本などでその姿を見たことがあった。
 でも、少し違う。目の前にいるドードー鳥は眼鏡を掛けてピチピチのチョッキを着ていた。
「……鳥、なの? これ?」
 お姉ちゃんが気の抜けた声で呟く。ドードー鳥はお姉ちゃんの方へ向き直った。
「私は鳥と言う名前ではない! ドードーと呼びなさい!」
 やや上向いて声高に叫ぶ。しわがれた老人の声だった。お姉ちゃんは面食らったように瞬きを繰り返している。
「あの、ドードーさん。初めまして。ワタシは黒のアリスよ」
 一歩前へ出て精一杯礼儀正しく名乗り頭を下げてみた。
「知っているとも! もちろん、白のアリスも黒のアリスも知っている。決して初めましてでは無いのだよ」
「あら、でもあたしはアンタなんて知らないわよ?」
 厳格な口調で言うドードーさんにお姉ちゃんは冷めた視線を投げた。それに対してドードーさんはうんうんと数回頷く。
「それは知らないのでなく忘れているのだよ。君達はこの世界の全てを知っている。だがしかし、全てを忘れてしまっているのだ」
「なによ、それ。どういうこと?」
 彼は眼鏡を翼で押し上げた。お姉ちゃんが不思議そうにドードーさんの顔を覗き込んで問う。ドードーさんはワタシ達の腰の辺りの身長だから体を折らないと目線を合わせられなかった。
「ふぅむ、どこから話したら良いかね? そうだ、アリス。君達の質問に答えよう。博識を誇るこのドードーが」
 腰に翼を押し当て胸を反らすドードーさん。ワタシとお姉ちゃんは顔を見合わせた。
「じゃあ、まずここは何処だか教えて頂戴」
 先にお姉ちゃんは疑問を投げかけた。ドードーさんの眼鏡が光る。
「まだそんなことも知らないのかね。チェシャ猫は何も言わなかったのかい?」
「え、えぇ。あたし達がアリスだとか白兎を追えとかぐらいしか言ってなかったわ」
 お姉ちゃんが答えると、ドードーさんは大げさとも言えるほど頭を下ろしてため息を吐いた。
「まぁ、仕方あるまい。では説明しよう。心して聞くが良い」
 バサリッ、と両の翼を広げ威厳を保つかのようにおごそかに彼は言った。
 ワタシはごくりと唾を飲み込みドードーさんを真っ直ぐと見る。
「ここはハートの女王様が納めるフシ・ギノ国。数年前に君達が色を奪い去った場所だ」
「ちょっと待って、その色って何のこと?」
 お姉ちゃんが横槍を入れる。ドードーさんの眉間と思われる辺りに皺が寄った。
「見て判らんかね? 私は元々茶色の土に近い色をしていたのだ。がしかし、今を見よ。残念なことに、ただの灰色の鳥に成り下がっている」
 片方の翼で眼鏡を押し上げ、もう片方で涙を拭うような動作をする。
 色を奪った、そんな記憶は無くともなんだか罪悪感を感じる。
「あの、ドードーさん。ワタシ達、何をすればいいの? どうしたらドードーさん達に色を返してあげられるの?」
 敢えて奪ったことを否定しなかった。きっと忘れているだけ、と言われるに違いない。
 それよりも、ワタシがどうしたらいいか知りたかった。
「それは二通りある。その中で私は一つを詳しく知っている」
「じゃあ、その一つを教えてください!」
 ワタシは意気込んでぐっとドードーさんに顔を寄せる。彼はやや驚いたように首を後ろへ引いた。お姉ちゃんはワタシの横で肩を竦めている。
「う、うむ。良かろう。実に簡単なことだ。黒のアリスは左の手の平を。白のアリスは右の手の平を。私の上に置いてごらんなさい」
 ワタシは迷わず左の手をドードーさんの翼の上に置く。お姉ちゃんは戸惑っていたけど、ワタシが視線を向けたら肩を竦めて、同じく翼に右手を置いた。
 すると、ドードーさんが白く輝いた!
 あんまりにも眩しくてワタシはすぐに目を閉じる。けれどその光は瞼を貫通するほどに強い。
「ほれ、いつまで目を瞑っているつもりかな?」
 光が治まり、ドードーさんの声が暫く流れた沈黙を打ち破った。そっと、目を開ける。すぐに目に入ったのは茶色。艶やかな毛並み、その上に赤いチョッキ。ドードーさんの眼鏡の縁は薄い青だった。目は黒く輝いている。
「どうだね、色を取り戻した私は? とっても素敵だろう?」
 翼を腰に当てて踏ん反り返るドードーさん。
そんなドードーさんの言葉である人を思い出した。ワタシの家の近所に住むお爺さん。ドードーさんはそのお爺さんにそっくりなのだ。その人の名前も思い出してる。
 ワタシは確認するようにお姉ちゃんを見た。お姉ちゃんと目が合う。彼女はこっくりと頷いた。
 お姉ちゃんもワタシと同じなんだわ。
「ねぇ、ドードーさん。色を返すとあたし達の記憶は戻るの? 急にあたしあることを思い出したんだけど」
 お姉ちゃんがドードーさんから手を離して腕を組みつつ言う。ドードーさんは深く頷いた。
「その通りだよ、アリス。色を封じてるのは君達の記憶である。故に、色を返せば必要なくなった記憶は自然と君達に戻るのだよ」
「じゃあ、あたしの名前は何に色を戻せば戻るの!?」
 がしっ!
 お姉ちゃんは急にドードーさんの胸倉……というよりはチョッキ? を掴んだ。彼は苦しそうに翼をバタつかせる。茶色い羽が舞った。
「お姉ちゃん! それじゃドードーさん喋れないわ!」
 慌てて二人の間に割って入り、お姉ちゃんをドードーさんから引き剥がした。ドードーさんは肩で息をしてる。
 お姉ちゃんの方はと言うと、我に返って苦笑いを浮かべていた。
「うおっほん、本当に白のアリスは変わらんのう」
「ごめんなさい。つい……。でも、どうしても知りたいのよ」
 咳払い一つ。そんなドードーさんにお姉ちゃんは苦笑いを浮かべたまま頬を掻いた。
「まぁ、許してやろう。だがな、私にはその質問に答えられんのだよ」
「なんで!?」
 また食って掛かりそうになるお姉ちゃんを急いで押さえた。
「私は判らないからだ。どんな記憶がどの色を封じているのか」
 ドードーさんが静かに言う。お姉ちゃんは真っ直ぐドードーさんを見やって眉間に皺を寄せていた。拳をぎゅっと握り締めて問い詰めたいのを堪えてるようだ。ワタシは押さえるためにお姉ちゃんの服を強く握っていた手の力を緩めた。
「だがしかし、誰かが知っているかもしれん。訊いてみるかね?」
 ドードーさんはそう言うと大きな声で嘶いた。鳥が仲間を呼ぶように。でも、すぐには何も起こらなかった。
「いったいなんなのよ? 訊くっていったい誰に?」
「アリス!」
 お姉ちゃんが堪らず問いかけると、ドードーさんじゃない声が聞こえた。ころころガラス球が転がるような子供の声。ワタシとお姉ちゃんはキョロキョロと辺りを見回す。でも、何にも見当たらなかった。
「今の、誰なんだろう?」
「こっちだよ、アリス!」
 頬に拳を当てて首を傾げる。間髪入れないでまたさっきの声が聞こえた。
 声の主を探してまた視線を巡らす。そして、足元を見た瞬間!
「いやぁああああ! ネズミぃぃいいっ!!」
 大きく叫んでお姉ちゃんの後ろに隠れた。
だってだって足元にいるんだもの! ネズミなんてテレビとか意外で見たこと無いから心底びっくりした。
「アンタねぇ……ネズミくらいでそんな悲鳴上げなくても。可愛いじゃない?」
 お姉ちゃんの言葉におずおずと顔を上げてもう一度ネズミを見る。そのネズミは頭を垂れていた。もしかして傷つけちゃったかな?
「そうしょげるでない、ハツカネズミよ。黒のアリスは驚いただけだ」
「そうサ、ハツカネズミ。それよりご覧ヨ。ドードーさんの色が戻ってるヨ!」
 ドードーさんの声の後にまた新しい声。よく辺りを見回したら色んな種類の鳥や小動物が集まってきていた。

「流石に疲れたわね……」
 木の陰で座り込み息を吐くお姉ちゃん。ワタシは既に木に寄りかかったままへばっていた。
 集まってきた生き物全員に色を返してたんだもの。いくら単純作業っていったって量が多すぎて疲れちゃったわ。
 でも、助かったのは森。たった一本にふれただけで全部の木々に色が戻った。一本一本だったら日が暮れちゃうし、体力だってもたなかっただろう。
 動物達は集まって嬉しそうに飛んだり跳ねたりしている。本当に色々な動物がいた。ネズミに始まりインコ、アヒル、カニ、何て名前の生き物か判らないのまで多種多様。とてもカラフルだ。
「でも、こんだけ沢山やったのに戻ってきた記憶といえば……」
 さっきよりも深いため息。お姉ちゃんが肩を落としてそういうのにワタシも同意したい気分だった。
 だって、戻ってきた記憶は学校の生徒会長の名前だったり、あんまり話さないような後輩の名前だったり、近所の子供の名前だったり。テレビに出てた芸能人の名前なんてのもあったわ。
 確かにどれも大切なものなんだけど……正直本当に戻って欲しい記憶は一つもなかった。
「アリス、そんなに落ち込まないで! これでも食べて元気出してよ」
 声を掛けてきたのは一番初めに現れたハツカネズミだった。ころころと赤い木の実を転がしてワタシ達の前に置く。彼の目は果実と同じく赤かった。
「あ、ありがとう」
「そうさ、アリス! 森は後十個もあるんダ。そこの住人達に色を返していけばきっと欲しい記憶が戻るヨ!」
 果物を拾い上げてお礼を述べると今度は別の方向から声が飛んでくる。インコだ。その子の言葉に疲れた様子でお姉ちゃんはインコを見やった。
「後十個もあるですって? その住人全部に一人ひとり二人で触れて色を返すの? 考えただけで頭痛くなるわ」
 頭を抑え緩く被りを振るお姉ちゃん。インコは頭を垂れてそれ以上何も言わなくなってしまった。
「なら、もっと早い方法を知ってるかもしれない人に会えばいいんじゃないかしら?」
「ドードーさんでも知らないんだよ? 他に誰がいるってのさ!」
 がやがやと一斉に動物達が騒ぎだす。あーだこーだとそれぞれいっぺんに話すものだから全部を聞き取るのは困難だった。
「ハートの4の森の芋虫さんは?」
 誰かの一声。その後に全員の納得する「あぁ」と言う声がはもった。
「成る程。あの芋虫ならば私の知らないことも知っているかもしれないな」
 ドードーさんがこくりこくりと頷く。
「ねぇ、ハートの4の森とか芋虫とかって何の話?」
 お姉ちゃんが割り込んで問いかけると皆一斉に振り返った。
 ちょ、ちょっと怖い。
 思わず手にした果実をぎゅっと潰れない程度に握り締める。
「ハートの4の森も知らないの?」
「じゃあ、此処がダイヤの2の森ってことも知らないわね」
「アリスが前に来たときはそんな名前じゃなかったのサ!」
 我先にと口々に喋り出す動物達。聞き取れたのは上の三つくらいだ。
「静粛にっ!」
 ドードーさんが翼を広げて叫ぶ。
 暫くの静寂。
 誰も口を開かないのを確認してから、彼は一度咳払いをした。
「私がまとめて説明しよう」
 沈黙の中にドードーさんの声だけが落ちる。お姉ちゃんがこくりと頷いたので、ワタシも続くように首を縦に振った。
「アリス、君達が来る直前。女王様がこの世界の衣替えをなさった」
「その女王様、っていうのは誰?」
「ハートの12の城に住むハートの女王様だよ」
 話し始めたドードーさんにお姉ちゃんが横槍を入れると間髪居れずハツカネズミが答えた。
「うむ。女王様はこの国を時計に見立て、それぞれ森を区分けして作り変えさせた。区分けした領域を……
『スペードの1』
『ダイヤの2』
『クローバーの3』
『ハートの4』
『スペードの5』
『ダイヤの6』
『クローバーの7』
『ハートの8』
『スペードの9』
『ダイヤの10』
『クローバーの11』
『ハートの12』
 と、新しく名前をつけていった」
 成る程。だから森は後十個あるのね。だってハートの12はお城だから数に入らないもの。
 ふぅむ。とお姉ちゃんが腕を組む。こういう話し合いは基本的にお姉ちゃんがしてくれるからワタシは黙って聞いてることにした。手にした果実を服で軽く拭く。
「じゃあ、ハートの4っていうのはここの隣の隣なわけね?」
「まったくその通りだ。そこに住む芋虫を訪ねなさい」
 ドードーさんの言葉にお姉ちゃんは「わかったわ」と返した。
 ワタシは果物を口にする。
「ところで此処からどの方向に――」
 お姉ちゃんの声が急激に遠くなった。いやお姉ちゃんの声だけじゃない。地面もどんどん離れていく。ワタシは立ち上がってなんていないのに、だ。
 あまりの急な変化に頭が混乱してぼんやりとするしかなかった。
 いつの間にか森が小さくなっている。白い雲をワタシの頭が突き抜けたことが判った。
 ワタシ、もしかしておっきくなってる?
 そう言えば本のアリスも物を食べて大きくなったり小さくなってたりしていたわ。
 アリスの本に似てる世界だとは思ったけど、ここまで同じなんて不思議よね。
 ワタシは空を仰ぎ見た。白い太陽が輝いている。それから下に視線を向けた。
 さっきまで居たと思われる森が半分近く黒い布に覆われている。
 ワタシだ。ワタシの黒い服だ。
 こんな広範囲を覆ってしまうなんて、ワタシどれだけおっきくなったの?
 急に怖くなった。
 一番近くに居たお姉ちゃん、ううん、他の皆も……潰されてないかしら?
 ワタシこんなに大きくなっちゃって……どうしたらいいの?
 ぽろぽろと涙が零れた。大きな声で叫びたかったけど出てくるのは嗚咽のみ。
「ふぇ、おね、ちゃ……ん、ぐす」
 ワタシの涙は木に落下して、鳥たちが羽ばたく。あの鳥達はワタシに潰されなかったのね。
 でも、お姉ちゃんは……。
 考えたらもっと涙が溢れてきた。
「アリス! アリス、そんなに泣かないデ!」
 耳元で声が聞こえた。首を捻りそちらに視線を向ける。あそこにいたインコだ。
「貴方……無事だったの?」
 涙を拭うこともせず、じっとインコを見ながらワタシは呟くように問いかけた。
「もちろんサ! 他の皆だって大丈夫だヨ!」
「本当!?」
 胸を張って言うインコ。問い返せばこくこくと頷いて陽気に羽ばたいた。
「皆、君の涙でびしょ濡れだけどネ!」
 パタパタとワタシの周りを楽しそうにインコは飛び回る。涙を拭いながら思わず噴出した。
 でも、良かった。肩の力が抜ける。ほふっ、と自然に息が出た。
 あら? あれは何かしら?
 落ち着いたらふと、目の端に灰色の煙を見つけた。体を折り曲げ顔をぐっと近づける。それは隣の森から上がっていた。気になって立ち上がり、更に覗き込む。森を手で掻き分けて煙の先に何があるのか確認しようとした。
「おや、アリス。やっと来てくれたんだね」
 其処にあるものを認知する前に声が飛んできた。驚いて目をパシパシと瞬かせる。目の前に知っている顔がいた。ついさっき出会った人。
「帽子屋ウサギさん?」
 問いかけると彼はにっこり笑った。
「アリス、少し大きくなったかい? 残念ながらそのサイズのティーカップはないんだよねぇ」
 マイペースにこぽこぽとお茶を注ぎながら彼は言う。ワタシは急いで首を横に振った。木がガサガサと音を立てる。
「ワタシ、お茶を飲みに来たわけじゃないんです。えっと、その……あっ!」
 注ぎ終わったお茶を飲みながら頷く帽子ウサギさん。喋りつつ彼から視線を辺りに巡らせて、あるものを見つけた。
 縦長のテーブルに複数の椅子。そして取り揃えられた沢山のティーセット。その中でワタシはある一つのものを指差した。
「それ、頂けないかしら?」
 帽子屋ウサギさんは飲んでいたカップを置いて、ワタシが指したものを見る。
「おや、お茶は要らないのにクッキーが欲しいなんて……変わってるねぇ」
 彼は肩を竦めたが、すぐにクッキーの入った籠をワタシの目の前のテーブルへと移動してくれた。その籠を右手で摘み上げ左の手の平に乗せる。
「ありがとう! 帽子屋ウサギさん」
「いやいや、アリスの御役に立てたなら光栄だよ」
 お礼を述べると彼は帽子を胸の位置に持ってて、頭を下げた。髪の間から生えた灰色の耳がひょこんと揺れる。それがちょっと面白くって少し笑ってしまった。
「本当にありがとう。それじゃワタシもう行かないと」
 ワタシは手で笑ってる口を隠しながら言う。彼は頭を上げ、帽子を被り直した。
「そうか、残念だ。またおいで。今度はお茶を飲みね!」
 柔和な笑顔。ワタシは幾度か頷き返して、それから上体を元の位置まで起こした。
 今度はお姉ちゃんと一緒にお邪魔しよう!
「アリス、アリス! クローバーの3の森で何をしてたノ?」
 急に耳元にインコの声が聞こえる。インコはワタシの顔の周りをパタパタと飛び回っていた。
「これを貰ってきたのよ」
 インコにも見えるように左の手を顔まで持ち上げた。その上に乗った籠の横にインコが止まる。
「クッキー? アリス、お腹空いてたんだネ!」
「う、うーん……ちょっと違うんだけど」
 苦笑いを浮かべ答えると、インコは不思議そうに首を傾けた。
 何でクッキーなのか。別に食べ物なら正直なんでも良かった。
 本のアリスは何か口にするたびに大きさが変わったわ。だからワタシもさっきの果実と別のものを食べれば小さくなれるかもしれない、って考えたの。
 まぁ、これ以上おっきくなっちゃう可能性もあるんだけど……。
「アリス、何がちがうノ?」
「うん、えっと……見てればわかるわ」
 うまく説明する言葉が思いつかなくてそう答えた。
 左の手の平にあるクッキーを右手で一枚だけ摘む。今のワタシにはとっても小さいからちょっと難しかった。
 それを口の中に放り込む。小さすぎて食べた感じが全然しなかった。
「ひゃっ!」
 小さく悲鳴を上げる。急激に下に引っ張られるような感覚に襲われた。
 目に映る風景が早回しの映像のように変わっていく。
 何を見ているのか分からなくなる速さ。でも、それはすぐにぴたりと止まった。
「クロっ! クロが消え……ちゃった?」
 お姉ちゃんの声が上から降ってくる。此処にいることを告げようと顔を上げて驚いた。
 だって、お姉ちゃんがすっごく大きくなってたんだもの!
「あ、アリス! 黒のアリスだっ!」
 横手から大きな声。振り返れば白い毛の塊。赤い瞳がきらりと輝いた。
 悲鳴が喉に突っかかる。相手は不思議そうに頭を傾けた。
「クロっ!」
 ふわりと体が浮く。お姉ちゃんがワタシを摘み上げたのだ。ワタシはお姉ちゃんの目の高さまで持ち上げられた。
「こんなに小さくなって……。何があったっていうの?」
 お姉ちゃんは不安そうに眉を寄せた。
 小さくなって?
 その言葉が引っかかり、今度はよく辺りを見回した。
 ドードーさんはお姉ちゃんのすぐ横に立っている。彼も大きくなっていた。さっきの白い塊も確認する。それはハツカネズミだった。森も一層深くなった気がする。
 ワタシは認めるしかなかった。
 今度はすっごく小さくなってしまったという事を。
「ちょ、また泣かないの! あんたが泣いたせいであたし達びしょ濡れになっちゃったんだからね!」
 お姉ちゃんが慌てた声で早口に捲くし立てる。
 目頭が熱くなって溢れ出そうになる涙を拭い、お姉ちゃんをまじまじと見た。
 そう言えば髪が濡れている。
「だから、’コーカス・レース’をすればすぐに乾くといっとるのに」
「嫌だって言ってるでしょ。ドードー鳥と堂々巡りなレースなんて」
 ため息を吐くドードーさんにお姉ちゃんは冷めた口調でびしっと言い切った。
 コーカス・レースって確か同じ場所をずっとずっと走る、んだったんじゃなかったかな?
 お姉ちゃんの表現は結構適切なんじゃないだろうか、と思った。
「それよりあんた、おっきくなったり小さくなったり……何だって言うの?」
「あ、あのね、お姉ちゃん。よく聞いてね? ワタシ達、ここの食べ物食べると大きさが変わるのよ!」
 怪訝そうなお姉ちゃんに向かって、右手の人差し指を立てつつ真剣に言う。お姉ちゃんの眉間の皺がより多くなった。
「嘘じゃないわ! そう思うならお姉ちゃんも……あれを食べてみるといいわ」
 ワタシはクッキーの籠を指差した。てっきり何処か知らないとこへ落としてしまったと思ってたけど、インコが持っていてくれたの。
お姉ちゃんはそちらへ振り向いて頭を掻いた。まだ信じてないって顔してる。
 ワタシを下においてインコから籠を受け取ると、クッキーを一枚取り出した。
「クッキー、ねぇ?」
「あ、お姉ちゃん! あんまり食べないでね。ワタシ一枚でこんなに小さくなっちゃったから!」
 両手を口に添え、メガホンの代わりにしながら叫ぶ。お姉ちゃんは呆れた様子で「わかったわ」とだけ返してきて、クッキーをほんの少しかじった。
 お姉ちゃんが一瞬にして消える。
 いや、本当は消えたわけじゃない。あまりにも早く縮みすぎて消えたように見えただけだ。
「な、何よ。これ……」
 小さな呟きはすぐ真横から。お姉ちゃんはワタシと同じくらいまで縮んでいた。
「ほ~ら、ワタシの言ったとおりでしょう?」
 驚いて呆けてるお姉ちゃんの顔がちょっと面白いもんだから、笑いを堪えるため口を押さえた。でも、やっぱり笑ってるのは声に出てしまったようだ。お姉ちゃんはちょっとムッとして眉を吊り上げる。
 お姉ちゃんが何か口にしようとしたその時、インコがすぐ近くに降り立ってきた。
 二人揃ってそちらを見る。
「アリスが僕らと同じくらいになっタ! すごいネ! すごいネ!」
 羽をパタパタと上機嫌に動かすインコ。風が起こってワタシ達の髪がなびく。
「ね、そうだわ! 貴方、ワタシ達を背負って飛べる?」
 お姉ちゃんが手を合わせて唐突にインコに問うた。インコは首を伸ばしてお姉ちゃんの顔を覗き込む。
「一人くらいなら多分大丈夫サ!」
「本当!? それならワタシ達をハートの4の森とやらに連れてって!」
 お姉ちゃんが意気込んで言った。
 そっか、鳥さんたちに運んでもらえるなら確かに早い。
 森の中を歩いていくより空を飛んだほうが目的地もはっきり分かるだろうし。
「残念ながら、それは無理な相談だ」
 急にドードーさんの大きな顔が目の前にぬっと現れた。びっくりして一歩後ずさる。
「なんでよ?」
 お姉ちゃんは眉間に皺を刻んで睨み付けるようにドードーさんを見た。
「私達はこの森より遠く離れられない。行けて隣の森の手前までだ」
 ドードーさんは体を起こし遠くを見つめた。お姉ちゃんはまだ訝しげな顔をしてるが何も言わない。
「まって、ドードーさん。それじゃあ、帽子屋ウサギさんは? ワタシ達が初めて彼に出会ったのは多分スペードの1の森よ。でも、さっきはクローバーの3の森に居たわ」
 そう、それは間違いない。大きくなった時見たクローバーの3の森は、名の通りクローバーの形をしていたんだもの。初めに見た森はスペードの形だったはず。ちなみに、今居る森はダイヤの形をしてたわ。
「クローバーの3の森に住むいかれ帽子屋も三月ウサギも狂ってるからサ!」
「女王様が怖くなんだよ。きっと」
 ワタシの質問にインコとハツカネズミが答えてくれた。
「女王様がなんなの?」
「ハートの女王様が決めたことを私達は守らねばならん。さもなけば首をちょん切られてしまう」
 お姉ちゃんの問いに深刻な顔をして、ドードーさんは翼を首の前でスライドさせた。首を切られる真似だ。それを見た他の動物達は身震いし、体を寄せ合っている。
 女王様ってよっぽど怖い人なのね。
「分かったわ。それじゃあ、隣の森まで連れてって頂戴。そこに居るいかれ帽子屋三月ウサギのところまで」
 お姉ちゃんが勝気な笑みを浮かべ腕を組みながら言った。動物達がざわつく。
「アリス、イカレタ奴等のとこにわざわざ行かなくてモ!」
「そうだよ! ずっと此処に居ればいい!」
「いや、連れて行こう」
 ざわめきはドードーさんの一言で重い沈黙に変わった。皆の視線は全て彼に集まっている。
「アリス、君達は見つけるために戻ってきた。全てを思い出すために戻ってきた。だから私はその手助けをしたいと思う」
 静かにゆっくりと彼は喋る。誰かが唾を飲む音が聞こえた。
「私の背中に乗れ。いかれ帽子屋達の所へ連れて行ってやろう」
 ドードーさんが背を向け腰を地面に下ろす。嘴で乗るように合図した。お姉ちゃんは迷わず毛の掴んでドードーさんに登る。
 ワタシは周りを見てから頭を下げた。
「あの、皆さん。心配してくれてありがとうございました。また来ますね」
 そう述べてから急いでお姉ちゃんの後を追う。ドードーさんの毛は結構ごわごわしていた。
「ふむ。では行こうか」
 ドードーさんが立ち上がる。動物達は見上げて黙ったままワタシ達を見ていた。
 でも、もう一度挨拶する前にドードーさんは走り出す。
 すぐに動物達の群れは見えなくなった。
「結構早いのね」
 お姉ちゃんが後ろを見ながら呟く。ワタシも同じことを思った。
 でも、確かどっかの言葉でドードーってノロマって意味じゃなかったかしら?
 木々の合間を縫いながらあれよあれよと進んでいく彼は、ノロマなんて言葉、全然似合わない。
「ふむ。この森はそんなに深くもないからな。もうすぐ出るぞ」
 ドードーさんの言葉にワタシ達は前を見た。
木々が一斉によけ、視界が広がる。短い灰色の草が風にたなびいていた。
 ドードーさんは止まることなく駆けて行く。後ろを向けば森が遠ざかっていく。前からは別の森が差し迫っていた。
 あれがさっき見たクローバーの3の森なことは間違いない。
「ここだな。降りるがいい」
 ドードーさんが止まって脚を折りゆっくりしゃがんだ。お姉ちゃんは軽やかに飛び降りる。ワタシは怖くてゆっくりと毛を掴みながら下った。
 ワタシ達は二人揃ってドードーさんの前に並ぶ。
「ありがとう。ここまで運んでくれて」
「ほんとう、助かりました」
 二人でお礼を述べる。ドードーさんは目を細めた。それは笑っているようだった。
「いいや。気にすることは無い。私達はアリス、君達の道標の一つなのだ。とても小さなものだがね」
 体を起こし片目を瞑ってみせるドードーさん。そんな仕草にお姉ちゃんもワタシも頬が緩んだ。
「さあ、アリス。行きなさい。君達に必要なのは知識だ。芋虫に会っても何も分からなければ、白兎を追いチェシャ猫を探すといい。もし、挫けそうになっても知る勇気を持ちなさい。さすれば道は自ずと開ける」
 彼は長々と述べてから空を仰ぎ大きく嘶いた。それから、ワタシ達の反応を待たずに踵を返し駆けて行く。とても急いでる様に見えた。
 ほんの少し森から離れただけだけど女王様に怒られちゃうのかも。
 そう思いながら姿が見えなくなるまで見送った。



[21875] 帽の夢 やぁ、アリス
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:b559f108
Date: 2010/09/21 14:56
 やぁ、アリス。よくきたね。

 君はまだ多くを知らない。
 僕達のことも君自身のことも。

 知りたいと思うかな?
 忘れたいと願ったのは君だけど。
 今の君はそれも知らない。

 僕も教えない。
 誰も教えない。

 だって皆知ってるからさ。
 思い出して悲しむのはアリス。

 君 だ か ら

 僕達は話さない。

 僕達はただの道標。
 よくも悪くも道標。
 道標の読み方を間違えないで。

 いっそ僕と永遠にお茶会でもしようよ?
 僕の時計は何時でも三時だから。



[21875] 五の夢 三時のお茶会
Name: 時鳥◆e4b8ca60 ID:b559f108
Date: 2010/09/21 14:57
 いかれ帽子屋三月ウサギに助力を頼むためクローバーの3の森に向かう二人だが……。

「さあて、行きましょうか」
 いつまでもドードーが去った方向を眺めている妹に向かって言う。振り返り小さく頷く彼女を見てからあたしは踵を返した。
 森を見上げて少々うんざりする。今は普段の何倍も小さいことを思い出したからだ。森の何処にいかれ帽子屋三月ウサギがいるか分からない以上、森を散策するしかないのだが……。
 どんだけ掛かるんだろ?
 考えて頭が痛くなった。
 どんっ!
 額を押さえていると急に辺りが揺れた。風が草を押し倒す。飛ばされそうになりながら何とか堪えた。
「おっかしーなぁ。誰か僕を呼んだと思ったのだけれど」
 降る声。聞き覚えがある。
「帽子屋ウサギさん!」
 嬉々として妹が叫んだ。あの黒い燕尾服は間違いなく彼だった。
 さっきドードーが嘶いたのは彼を呼ぶためだったのね。
 妹の声にいかれ帽子屋三月ウサギは視線を落とす。
「おやおや、アリス。また来たのかい?」
 あたし達に目線を合わせるためか、彼は腰を屈めた。その顔には相変わらず柔らかい笑みが浮かんでいる。
「えぇ! 今度はお姉ちゃんと一緒に来たわ」
 妹が背伸びをして大きな声で答える。相手が聞き取りやすいように気を遣っているのだ。
「そうかい。そいつはいい。あぁ、でも、こんなところで立ち話も何だし僕の家へおいでよ?」
「あら、そうね! じゃあ、今度はお茶を頂こうかしら」
 弾む会話。よく分からなくてあたしは黙ってるしかなかった。
 いかれ帽子屋三月ウサギがシルクハットを脱ぐ。
「さあ、アリス。これに乗って。森を歩くのは慣れてないんだろう?」
 妹は頷いて先に帽子の縁へ腰掛ける。あたしもその後に続いた。鳥の上のあとは帽子の上なんて……変な感じだわ。普通じゃありえないものね。
 いかれ帽子屋三月ウサギはひょいっと軽く帽子を持ち上げ被りなおした。
 草地がぐんと遠くなる。妹が寄り添ってきた。あたしは帽子の先を強く握って引っ張っる。帽子は一部めくれ上がる形になった。傍目から見たら不恰好に見えるだろう。
 でも、これなら下手に滑り落ちないわ。
「じゃあ、アリス。行くよ?」
 彼はそれだけ言って駆け出した。半分くらいが跳ねながらの移動。軽快なそのステップは踊っているようにも見えた。
「ねぇ、お茶って何の話よ?」
 帽子の端をしっかりと握ったまま妹に問う。さっきからずっと気になっていたのだ。
 クローバーの3の森で彼女は一度彼に会ったようなのだけど……詳しくは全然わからない。
「あのね、さっき大きくなったとき帽子ウサギさんに会ったのよ。その時彼、お茶を勧めてくれたんだけど、ワタシ、クッキーだけ貰ってお茶を飲まなかったの」
 成る程。あのクッキーはいったい何処のかと思ってたらいかれ帽子屋三月ウサギから貰ってきてたのね。
 やっぱり、普通に良い人なのかしら?
 実はあたし、いかれ帽子屋三月ウサギをちょっと疑ってた。
 だって、ドードーやその仲間達が口々に狂ってるとか言ってるんだもの。ちょっと考えるわよね。そりゃあ。
 でも、まだ気を許せるわけじゃないわ。妹を引っ張って逃げ出せる心構えは持っておかないと。
「ほら、アリス。ついたよ」
 その声に妹から視線を前に向ける。木々の間に縦長のテーブル。灰色でチェックのテーブル掛けの上には沢山の様々な形をしたティーカップが並んでいる。いくつも種類のあるポットからはほこほこと湯気が上がり、クッキーやケーキ等のお菓子も所狭しと置かれていた。ただ全てがモノクロ。
「好きな席に座るといいよ」
 彼は帽子をテーブルの上に置いてからそういった。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。あたしはすぐ帽子から降りた。相手を見上げ口を開く。
「椅子に座ったらテーブルの上が見えなくなっちゃうわ」
「あー……成る程。アリス、君達はなんだか少し小さくなったんだね。そのサイズのカップはあったかなぁ?」
 あたし達二人が降りたのを確認し、彼はもう一度帽子を被りなおす。それからマイペースに一個一個カップを手に持ってあーでもないこーでもないと呟いた。
「別に気を遣ってくれなくてもいいのにね?」
 テーブルの端のほうまで行ってしまったいかれ帽子屋三月ウサギを眺めながら妹に話しかけた。
 返事が無い。
 振り返ると彼女はケーキの前に居た。瞳がとても輝いている。
 ……そういえば甘いもの大好きだったわよね。クロって。
 今にもケーキに指を触れそうになっている彼女の後ろに近づき耳を引っ張った。
「いたっ!」
「まったくっ! 行儀が悪いわよ。それに食べないほうがいいんじゃない?」
 すぐ耳を掴んだ手は離したけど彼女は半分涙目になってさすっている。
 そんな強くはやってないつもりなんだけど……。
「うぅ、だってぇ」
「だっても何もないわよ。下手に食べ物口にしてこれ以上小さくなったらどうするつもり?」
 腰に手を当て呆れて言うと、妹は言葉に詰まって黙った。それでもちらちらとケーキを見てる。
 いくら好きだからって灰色のイチゴが乗ってるケーキを食べたいと思うのがよくわかんないわ。
「ケーキ、食べたきゃお食べよ。はい、カップ。何とか丁度良いくらいのが見つかったんだ」
 ふっ、と大きな白い手袋に覆われた手が目の前に降りてくる。それが退いた後には小さな人形用のカップが二つ。灰色の液体が入っていて薄く湯気が上がっていた。
「なに? これ」
「見て分からないかい? 紅茶だよ」
 とてもにこやかに言ういかれ帽子屋ウサギ。胡散臭そうな表情を作って彼を見上げた。
「君達が色を奪ってしまったんだ。仕方ないことさ。大丈夫、味は変わらないよ」
 あたしの態度を気にした様子もなく彼は自分のカップにお茶を注ぐ。それから一番近い椅子に腰掛けた。
「そうね、そうだったわ。じゃあ、お茶を飲む前にまず色を――っ!?」
 急に後ろから強い衝撃が襲ってきた。あたしは容易に吹っ飛ぶ。すぐ何かに当たって、倒れた。背中が痛い。
「いたたたた」
 妹の声。あたしは急いで身体を起こした。クロの姿を探して辺りを見回す。
 まず飛び込んできたのは今自分の居る場所。驚いたことにいかれ帽子屋三月ウサギの手の上だった。どうやらうまい具合にキャッチしてくれたらしい。
 更に視線を巡らす。妹はテーブル上に座り込んでいた。普通のサイズで。
 口端に白いクリームが付いてるのをあたしは見逃さない。
 食べたな。あたしがいかれ帽子屋三月ウサギと話してる間に……。
「おや、アリス。大きくなったね。カップを変えなくちゃいけないな」
「えっと……ごめんなさい」
 のんきないかれ帽子屋三月ウサギに対し、クロは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべテーブルから降りた。
「あ、お、お姉ちゃんも食べたら? 大きくなれるよ?」
 不機嫌そうに睨み付けてるあたしを見て妹は取り繕うように言う。あたしは表情を変えずにいかれ帽子屋三月ウサギを見やった。
「お茶もいいけど、あたし達行かなきゃいけないとこがあるの! よければそこまで連れてってくれないかしら? 変わりに貴方へ色を返してあげるわ」
 強い口調で捲くし立てると彼は笑いながら首を傾げる。
 正直あたしは人に頼みごとをするのが苦手だ。よく偉そうだとか、頼んでる態度じゃないとか言われてしまう。分かっているけど頼み込むってどうしても出来ない。
 だから、大概交換条件を出す。そうすれば結構呑んでくれるのよね。
「いいけど……二人ともが大きくなってしまうと連れて行くのが大変だなぁ。アリス、君達は跳ぶのに慣れていないだろう?」
「えぇ、まぁ……。あたしは大きくならないわ。それでいいわね?」
 普通跳びながら歩かないわよ。と言おうとしたが途中でやめた。話が拗れても困るからね。いかれ帽子屋三月ウサギはあたしと妹を見比べてから、こっくりと頷いた。
「いいよ、アリス」
「じゃあ、色を先に返してあげるわ」
 あたしはいかれ帽子屋三月ウサギの手の平に右の手を付く。視線でクロに合図すると彼女は彼の肩に左手を添えた。
 ドードーの時と同じように眩しい光が視界を埋める。だけどもそれは長く続かない。すぐに辺りが見えるくらいに治まった。
 白い手袋。黒い服。帽子も髪も黒。耳は灰色でいかれ帽子屋三月ウサギは殆ど変わっていなかった。唯一変化を見て取れたのは橙色の肌と赤い瞳。
「わぁ、すごい!」
 妹の声に振り返る。あたしも唖然とした。
 長テーブルや椅子、お菓子やケーキに色が戻っているのだ。黄色のチャック模様をしたテーブルクロス。赤い熟れたイチゴを乗せたショートケーキ。渋みのある茶色をした椅子。色とりどりのティーセット。
 とても鮮やかで、唐突に賑やかになったような気分になった。
「ありがとう。けど、もう一つ色を戻して欲しいものがあるんだ」
 あたしをテーブルの上にそっと降ろしてから彼は立ち上がりある場所へ向かう。あたしと妹が黙って眺めていると一つのポットを持ってきた。丸くて灰色の細かい柄が入ったやや大きめなもの。
「これって元から灰色じゃないの?」
「いいや、黄色い模様が入ってるんだけど……。このポットじゃなくてこの中の子に色を返してあげて欲しいんだ」
 いかれ帽子屋三月ウサギはポットをあたしの前に置いた。コトコトと蓋が音を鳴らして揺れる。ひょっこりと現れたのは毛に覆われた鼻。
 ネズミ……かしら?
 その鼻は匂いを嗅ぐようにヒクヒクと動いている。いかれ帽子屋三月ウサギが蓋を持ち上げた。でも、鼻より先は出てこない。
「あーぁ……また頬袋に種を詰め過ぎたんだな」
 いかれ帽子屋三月ウサギが呆れたように額を押さえた。あたしの所からはポットの上を見ることが出来ないので彼の言っている意味は分からない。妹は口を押さえて笑っていた。
「仕方があるまい~。其れが我輩の習性なのだよ」
 のったりとしたくぐもった声。ポットの中から聞こえてくる。
「一度ポットの中に戻って種を吐き出しておいでよ。そうすれば頬がつっかえて出れないなんてことにはならないさ」
 椅子に座りなおし背もたれに寄りかかりながらいかれ帽子屋三月ウサギは肩を竦める。彼の言葉に一度鼻は引っ込んだ。ごそごそと中で音がしている。でもすぐにピョンとそれは飛び出してきた。
 白い毛並み。背中に灰色の線が三本入っている。身長は今のあたしと同じくらいだがでっぷりと太っていた。
「可愛い! ハムスターだったのね!」
 妹が嬉しそうに手を組んで黄色い声を上げた。ハムスターは彼女に振り返り髭を短い前足で撫でる。ちなみにハムスターの癖に二本足で立っていてとても偉そうだ。
「我輩はハムスターではなく眠りネズミなのである~」
 言葉はとても偉そうだが、間延びした口調がものすごく抜けていて威厳を半減させている。
「そうだ! そういえば自己紹介がまだだったね」
 ぽんっと、手を叩いて今更ながらにいかれ帽子屋三月ウサギは言う。まぁ、確かに正式に自己紹介をし合った覚えは無い。
「それより先に眠りネズミに色を返すわよ?」
 あたしが眠りネズミの前足の辺りに手を置いて言った。いかれ帽子屋三月ウサギは「あぁ、もちろんよろしく頼むよ」と返してきて腕を組む。妹は頷いて眠りネズミの頭の上にそっと左手を置いた。
 また光が発せられる。そろそろ慣れてきたので目を細めチカチカならないようにした。
 ネズミの背の模様は薄い茶色だった。彼が入っていたポットの柄はいかれ帽子屋三月ウサギが言っていたように淡い黄色。
 しかし、こいつ等ってポットやらなんやらとセットなのかしら?
 ドードー達のとこでは物と一緒に色が戻ることなんてなかったのに。
「ありがとう、アリス」
 眠りネズミを両手で拾い上げて肩の上に乗せながらいかれ帽子屋三月ウサギは礼を述べた。
「じゃあ、まず改めて自己紹介しようか」
「待って、あたし達急いでるのよ! 早くハートの4の森の芋虫に会いに行きたいの」
 いかれ帽子屋三月ウサギの台詞に、あたしは首を横に振ってから心中を告げた。こっちとしては早く自分が何者なのか思い出したいのだ。いつまでもアリスに甘んじて居たくない。
 彼は両肘を付き手を組んで、その上に顎を乗せた。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「そんなに急がなくても芋虫は逃げやしないよ。それより、君は此処で聞いていかなきゃならないことがある」
『聞いていかなきゃならないこと?』
 あたしと妹の声がはもった。いかれ帽子屋三月ウサギはにっこりと笑う。眠りウサギはうごうごと髭を動かした。
「もちろんだとも。お主達が知らねばならぬことは星の数ほどもあるのだよ~」
 いかれ帽子屋三月ウサギの代わりに眠りネズミが答える。あたしは目を細め値踏みするように二人をまじまじと眺めた。
「貴方達……いったい何を知ってるって言うの?」
「アリス、君が知りたいことを。でも、君が思い出したくないことを」
 しん、と静まり返る。その言葉になんと返していいかわからなかった。背筋が薄ら寒い。追求することを拒むようにあたしの口は動かなかった。
「聞く気になったかな?」
 その問いにあたしは妹を見やる。彼女はいかれ帽子屋三月ウサギを凝視したまま硬く口を閉ざしていた。仕方なくいかれ帽子屋三月ウサギに視線を戻し、小さく頷いてみせる。
「うん、分かったよ。じゃあ、まず僕の紹介しよう。君達はいかれ帽子屋三月ウサギとか、帽子屋ウサギとか呼ぶけどちょっと違うんだよ?」
 話題が自己紹介に戻って何故かあたしはほっとした。好奇心はもちろん沸いて出ているけど、それを強く押さえつけるものがある。何かは分からない。
「えっと、それってどういうことですか? いかれ帽子屋さんで、三月ウサギさんなんでしょう?」
 妹が首をかしげ不思議そうに問う。いかれ帽子屋三月ウサギはこくこくと二度ほど頷いた。
「そうさ! 白のアリス。君から見たら僕はいかれ帽子屋なんだ。けど、黒のアリス。君から見たら三月ウサギなんだよ」
 言っている意味が全然分からなくて思わず額を押さえる。妹も首を傾げたまま困ったように瞬きを繰り返していた。
「う~ん、今一分からないって顔をしてるなぁ」
「帽よ~、アリスは知らないのだろう。世界の理を。この世界の在り方を~」
 眠りネズミが難しいことを言う。帽と呼ばれたいかれ帽子屋三月ウサギは視線を上に向け考えるように頬を掻いて黙ってしまった。
「ねぇ、帽子屋ウサギさんの本当の名前は帽って言うの?」
 沈黙が堪らなかったのか妹がどうでも良いことを問う。正直、彼の本当の名前が判ったところでただ呼びやすくなる、それだけだ。
「いや、そうであってそうじゃない。そうだね、この世界の在り方を一から話さないと分からないか」
「待って! 一応、ドードーからここがフシ・ギノ国って名前で女王様が納めてるんだって話は聞いたわ」
 無駄な話を省くため、あたしは横槍を入れた。いかれ帽子屋三月ウサギ、いい加減長いから帽って呼ぼう。彼が人差し指を立てて顔の前で数回振った。
「ドードーと僕らが知っていることは違う。ドードーは博識だけど、其れはあの森の中での話。知らないことは彼にも山ほどある」
「我輩たちが知っていること、それは何故、主達が信じなければ世界は闇に覆われるのか~。何故、取り戻した記憶の人物達に我輩達が似ているのか~」
 彼等が知っているといったことに興味が水のように湧き出た。
 そう、今まであたしは考えないようにしていたが、未だにこれは夢じゃないかと疑っている。けど、なるべくそれを忘れようとしていた。でないと、また地面が開きかねない……その恐怖感が背筋を駆け上るからだ。
「それ、教えてくれるの?」
「もちろん、アリスが望むなら話して聞かせるさ。さあ、アリス。話は長くなるから座ったほうが良い」
 屈託なくにっこりと笑う帽。彼の言われるままあたしはその場に腰を降ろした。
「じゃあ、まず、この世界が暗闇の覆われてしまう条件は知ってるかな?」
「あたし達がこの世界の存在を信じなかった時、じゃないの?」
 問われて答えると眠りネズミが髭を弄りながら頷いた。質問を投げてきたのは帽なのにも関わらず。
「そう、アリス。君達が世界の存在を否定した時だ。何故、その時全てが闇に消えるのか。決して世界が消えるわけじゃあないんだよ。僕らも世界もすぐ其処にある。けど、君達が見ないのさ」
「見ないなんて、そんなことできるの? 自然に風景は目に入ってくるものだわ」
 よく分からない帽の説明に、妹が極当たり前のことを言う。見ないなんてそんなことは目を瞑らない限りできない。そこにある物は見たくないものでも目に飛び込んでくるのだ。
「いいや、出来るよ。見ないから存在しない。存在しないから見えない。それに僕等は実際のところちゃんと形のあるものじゃないんだ」
「どういうこと?」
 やっぱり意味が理解できず問い返す。
「この世界が具体的に存在するにはアリス。君が必要なんだ」
「そう、アリスの記憶が我輩達に形を与えるのだ~」
 思わず眉を顰める。ドードーの言葉通り狂ってるんじゃないか、そう思えた。
 ちらりと妹を見やれば、キラキラと目が輝いている。完璧に信じてるようだった。
「君達が思い描いた人物が僕らに形を与える。分かり易く例を挙げよう。さっきの話に戻る節もあるけど僕は、白のアリス。君がいかれ帽子屋に近いイメージを抱いた人物の姿をしてる。記憶が戻ってるから分かるだろう?」
 確かに、そうだ。彼から戻ってきた記憶は近所に居たハムスターを飼っているお兄さんのもの。昔はよくハムスターを見に遊びに行かさせてもらっていた。その人に帽はよく似ている。ちなみに、お兄さんが飼っていたハムスターは眠りネズミそのものだ。模様まで少したりともずれていない。
「ドードー達もそうだったわね。人間の姿じゃなかったけど、雰囲気が戻った記憶の人物に似ていたわ」
「理解していただけたようで光栄だよ。でも、僕はドードー達程簡単じゃない。だって、白のアリスがいかれ帽子屋とイメージした彼は、黒のアリス。君がイメージした三月ウサギと同一人物だったのさ」
 そこで妹がぽんと手を叩く。そして、自信満々な表情を浮かべた。
「成る程、だから帽さんはいかれ帽子屋であり、三月ウサギなのね!」
「そう、その通り! ちなみに帽って言うのは一個前のアリスが呼んでたあだ名さ」
「一個前って何よ?」
 うんうん、と嬉しそうに頷く帽の言葉にすかさず突っ込みを入れる。ちなみに眠りネズミは帽の肩の上でこっくりこっくりと船を漕ぎ出していた。
「君達が来る前の話さ。アリスは世界に形を与える存在。形を与える者がアリスと呼ばれる」
「じゃあ、アリスは沢山居るってこと?」
 今度疑問を口にしたのは妹。帽は肩で丸まった眠りネズミを横目で見てから、考えるように視線を余所へ向けた。
「そうとも言えない。今のアリスは君達だけさ。形を与えなくなればアリスじゃなくなる。まぁ、二人のアリスって異例だから君達が初めてきたときは騒ぎになったけどね。さて、そろそろこんな話には飽きてきたかな?」
 眠りネズミを肩から下ろし膝の上で撫でながら、彼はあたし達を交互に見つつ言った。
「う、ううん! そんなことはないわ」
「そうかい? でも残念ながら僕達が話せるのはこんなものなんだ」
 妹の反応にくすっと悪戯っぽく笑って彼は肩を竦めて見せる。
 帽の話から分かったこと、それは何だか信じられなくて、信じたら頭可笑しいんじゃないか、と言われそうなこと。この世界に形を与えてるのはあたし達で、あたし達みたいのを総称してアリスと呼ぶらしい。本当に夢っぽい。そう考えたけどすぐ頭を振って忘れようとした。
「あ、じゃあ、一つ聞きたいんですけど、ワタシにとってのいかれ帽子屋さんって存在するの?」
 妹の声がふっと耳に届く。結構考え込んでいたと思ったがそうでもないらしかった。
「もちろんだよ。でも彼はちょっと出かけてる。時間君を探しにね」
 ずずっと紅茶をこともなさげに啜り彼は頷く。紅茶からはもう湯気が消えていた。きっともう冷めているのだろう。近くにあったあの小さいカップに触ってみたが熱は殆ど逃げていた。
「時間君?」
「時間君は時間君さ。それ以外の何者でもない。さて……と」
 妹が言葉を繰り返して不思議そうに問うが、帽は説明になってない答えを返す。からん、と空いたカップを置いて、ポットに眠りネズミを詰め始めた。
「眠りネズミは眠ってしまったことだし……。そろそろ、行こうか? アリス」
 眠りネズミを詰め終えると蓋をして立ち上がり、妹に手を差し出す。その手をとって妹も椅子から立った。それから帽はあたしの目の前に甲を下にして手を置いた。その上にそっと乗ると、ゆっくりエレベーターのように持ち上がる。さっきまで眠りネズミがいた肩の上に置かれたので、落ちないように帽の服の襟を強く掴んだ。
「行くよ」
 その掛け声とともに上から強い重力が掛かる。でもすぐにふわりとした浮遊感に変わった。前回よりはジャンプ力が弱いのか、低いところで止まる。けど、森をあっさりと飛びぬけた。
 さあて、次の森は芋虫らしいけどどんなのかしらね?


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