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[21864] 【習作】There Must Be Angels! (Angel Beats!×Fate)
Name: saitou◆bef4fc0e ID:57996561
Date: 2010/10/03 17:53
 WARNING!

・この作品は文才がないどうしようもない阿呆が、勢いに任せて書いた処女作品です。
・多少の自己解釈自己設定があります。
・キャラがぶれているかも知れません。
・不明な点や駄目だと思う点は感想板へお願いします。
・更新は不定期です。勢いに任せて書いているので終われるか分かりませんが、少なくとも終わらせるつもりです。

初めて書いた作品なので思い切り叩かれるところはあると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

なんか弄ってたら消えてしまいました><
もう一回投稿します。



[21864] プロローグ 一、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:57996561
Date: 2012/08/15 12:54
男子寮室内



ふっと目が開く。

寝起きだからだろうか、よく頭が働かない。

横にあった時計を見る。午前五時。まだ大分早い。

二度寝しよう。そう思い、毛布をかけ直す。

やはり布団と言うのは魔性のアイテムだ。

そんな取り留めのない事を考えながら、眠気に身をゆだねようとする。

が、ふと意識が覚醒する。


おかしい。此処は何処だ?俺は何故こんなところで寝ている?


疑問は膨らみ、止まる所を知らない。

机の上の手鏡が目に入る。

少し赤茶けた髪、やや童顔で中肉中背。

コレは、誰だ?

そう思った瞬間、頭の中のピースが全てかみ合わさる。

ああ、そうか。



俺は、死んだんだった。







学園大食堂内


俺―――衛宮士郎には記憶がない。

自らの名前ですら、持ち物に書かれてあった物から推測したに過ぎない。
しかし、まったく無い訳じゃない。
そもそもの話、記憶がまったく無ければ赤ちゃんの様なものだ。話す事さえ出来はしない。
欠けていたのは、俺自身に関する記憶のみ。
自分は何者で、何処から来て、何処へ行くのか。どこに住んでいたのか、恋人はいたのか、友人関係はどんなものだったのか。
全く、何も覚えてやしなかった。

けれど、記憶喪失というのはこの世界だとよくある事らしい。
死んだ時に何らかの作用が働いて、一時的な記憶喪失に陥るのだそうだ。

が、しかし。記憶がないと言うのはやはり不安な物だ。
あるべき物がない。あったはずの物がなくなった。それだけで人は、容易く不安に陥る。
だが、そんな気持ちを察してくれたのだろうか、俺の所属する団体―――正確にはまだ所属してはいないのだが―――が慣れない内はサポートしてくれる人を付けてくれるという。
迷惑だろうから辞退しようとも思ったのだが、むこうの熱心な勧めと内心の不安から、結局その申し出を受けることにした。

今日はその人との初の顔合わせ。なんでも校内を案内してくれるそうで、今はその相手を待っているところだ。
その人の名前は、そう、確か……。

「お早う御座います」

「うぉ!?」

咄嗟に声のした方を見ると、見知らぬ女性がいた。
綺麗な金髪に、鳶色の瞳。顔立ちは日本人形のように可愛らしいが、無表情を貫いている。
えっと………誰だ?

「失礼ですが、貴方が衛宮士郎さんですか?」

「ええ。そうですけど……」

そういう事を聞くという事は……。

「じゃあ、君が遊佐さん?」

「はい。申し遅れました。遊佐といいます。貴方の一時的なサポートをするようにと、ゆりっぺさんから言われました。今日はよろしくお願いします」

そういって遊佐さんは一つ優雅にぺこりとお辞儀をした。
その動きにあわせ、彼女の長いツインテールがさらりと動く。
制服は他の生徒とは違う白に青を基調としたもので、遊佐さんの綺麗な髪によく映えていた。

「あ、いや、こちらこそ、よろしく」

「はい。それでは衛宮さん。早速校内ツアーの事なのですが……」

と言いつつ、遊佐さんは手持ちのバッグから校内パンフレットの様なものを手慣れた動作で取り出し、俺に渡してきた。

「とりあえず、今日は日頃使う所、それから衛宮さんが見てみたい所を、二つ三つ見ようと思いますが、何処が見たいですか?」

急な展開。
一切の無駄を省いたような行動に、俺は戸惑いながらもパンフレットをパラパラと見てみる。

「あ、ああ。そうだなぁ」

渡されたパンフレットを眺め、興味のあるものを探していく。
そして二つ程、何かぴんと来る物が目に留まる。

「……………じゃあ、この二つでどうかな?」

俺は興味のある部分を指しながら、パンフレットを遊佐さんに見せた。

「弓道場と………調理室、ですか?」

俺が指し示したのは、パンフレットの中でも端のほうに書かれていた弓道場と調理室。
普通の男子高校生は向かいたがらないであろう調理室なんて場所に、遊佐さんは困惑の返事を返す。

「参考までに、何故ここにしたのか聞いてもよろしいですか?」

「いや、何となくだよ、本当。ただ、ちょっと行ってみたいかな、なんてさ。……駄目かな?」

我ながら、本当に何で弓道場と調理室何だろうか。
ふとこのパンフレットに載っていた弓道場や調理室の写真を見ると、何故か懐かしいような気持ちに襲われたのだ。
もしかしたら生前俺は、弓道や料理をやっていたのかもしれない。

「駄目というわけではないですが……。そうですね、ここからだと……調理室が近いです。では、そちらから先に回りますか?」

「ああ。そうしてくれるならありがたい」

「いえ、これも仕事の内ですので」

そういうと遊佐さんはくるりと向きを変え、こちらです。と俺を案内し始めた。
その背中を見つめながら俺は、これは何かお礼を考えないといけないな、などと考えて、俺たちの校内ツアーは始まったのであった。





調理室内



「ここが調理室か」

まず最初に案内されたのは、一番近いという調理室だった。
現在使っている人はいなかったが、ちゃんと手入れはされているのだろう、料理用の器具は清潔に保たれているし、包丁などもきれいに研がれている。
控えめに言っても、十分きれいで清潔な場所だ。

「衛宮さんはどのような料理を作るのですか?」

無言で器具を確認していると、手持無沙汰になったのだろうか、遊佐さんが話しかけてきた。

「あ~、たぶん和食」

「たぶん?」

「ああ。俺って今記憶がなくてさ、だから生前自分が何をよく作ってたか、なんて全く覚えてないんだけど、材料とか見てると和風な食べ物のレシピを多く思い出すんだ。だからそう思った。何なら、何か軽いものでも作ろうか?もう十二時くらいだろう?」

と、俺は時計に目を向けつつそう言った。

「というか、ここの材料は勝手に使っても良いのか?」

根本的なことを忘れていた。材料がなければ料理は作れない。

「ええ。ここにある物はすべて使用可能です。材料も気がつけば補給されていますから」

「ならよかった。それで?何が食べたい?俺が作れる物で、ここにある材料でできるなら作るけど」

「そうですね…」

遊佐さんはそう言って少し考えた後、

「では、和風サンドウィッチで」などと仰った。

「和風サンドウィッチ?」

何だろうそれは。

「そうです」

「……なんでさ?」

「和風料理が得意と仰っていたので、おむすびでも良かったのですが…何となく今はサンドウィッチな気分なので」

………………どんな気分なのだろう、それは。
まあ、それはともかく。お題を出されたからには相手を満足させるものを作らねばなるまい。
こう、何だろう。料理人魂の様な物が俺を掻き立てる!……気がする。

「あーっと、材料は…こんなもんでいいか。すぐに済むから、ちょっと座って待っててくれ。」

材料は揃い、装備も万端。こうして俺の死後初の料理が始まったのであった。


* * * * * *


「よし。出来た」

「正にあっという間でしたね」

内容は卵辛子サンドに味噌カツサンド、それに即興で作ってみた衛宮特製和風しめ鯖サンド。
しめ鯖なんてサンドウィッチと合わないんじゃ、と思うだろうが、こいつは一味違う。
まあ、本格的に鯖を締めるには時間がかかるので鯖カンで代用したが、工夫を凝らすべきところは他にあるのだ。
ふっふっふ。これは本当は秘伝なのだが、あえてここに記す事にしよう。
まず、調理室の棚に置かれていた薄口醤油で……(前略
次に中の具材に調理室の棚に置かれていたあれを……(中略 
そして最後に調理室に置かれていた器具を……(以下略 
する事によってできる俺特製の品物だ。
うむ。即興とはいえ結構自信作でもある。

とりあえずあるだけの材料を使って作ったので、少し量が多くなり過ぎてしまったかもしれない。
けどまあ、後で誰かにあげればいいか。

「しかし料理ができたのはいいけど、飲み物が欲しいな。何か買ってくるよ。何がいい?」

「いえ。サンドウィッチを作っていただきましたし、飲み物は私が買いに行きます」

「いや、いいよ。サンドウィッチは案内してくれているお礼みたいなものだし、自販機の場所を覚えておきたいしさ」

「……そうですか。分かりました。では……正午の紅茶のレモンティーをお願いします」

「わかった。レモンティーだな。すぐ行ってくる。あ、それと道は右に行って真っすぐだったよな?」

ええ、と頷く遊佐さんを横目に、俺は調理室を出た。





自販機前



「えーっと、レモンティーは……こいつか」

自動販売機に硬貨を入れ、遊佐さんに頼まれていたレモンティーを買った。
ガシャン、ガシャンと音を立てて落ちてくるペットボトル。たとえ死後の世界でも、自販機の要領自体は変わらない。
レモンティーを取り出しながら、俺は自分の為の飲み物を物色する。

それにしても意外に結構飲み物が揃っている。
フルーツジュースからスポーツ飲料、メジャーと思われる物から聞いた事のないマイナーな物。あとドクペ。
うーん悩み所だ。
Keyコーヒーにするか、型月茶にするか、敢えてニトロソーダーにしてみるべきか……。
いや、でも、サンドウィッチに合うものじゃないといけないんだからソーダーは無いな。
だとするとやっぱり遊佐と同じ正午ティーにするべきか………。



そんな事を考えていたからだろうか、俺は人が来ている事に気が付かなかった。
後から思えば、あまりにも迂闊。いくら日常時だとはいえ、飲み物の選別に気を取られすぎていただなんて、心底間抜けだ。
だが、それでもまだ、相手がちゃんと前を見てくれてさえいれば、きっとあの場は何も起こらなかった事だろう。
そしてそのままずっと、縁が逢う事もなかったに違いない。
しかし、何の導きだろうか、対する彼女もかなり集中していて、俺がいることに気が付かなかった。

もしあの時、どちらかがほんの少し周りに注意を払っていたら、二人の関係はきっと違う結末になっていたのだろう。

だからこれは、きっと運命なんだと思う。

俺と、彼女の、運命。

俺は、この時、この死んだ世界で、運命に出会った。

「「あ」」

ゴチンと鈍い音を立て、二人の体がぶつかった。
考え事をしていたせいか、相手よりも重いはずの俺が見事に尻もちをついてしまう。
何が起こった?俺は辺りを見渡しながら、状況を探った。
近くに人影。恐らく、女性。尻餅をついている俺は、自然と相手を見上げる形となる。
初めて出会った彼女は、茫然とこちらを見詰めていた。

相手が落としたのだろう、幾多もの紙が周りに散らばり、バサバサと音を立てて舞い上がっている。
それは廊下の窓から入る太陽の光を浴び、黄金色に照り輝く。
やがて紙は全て落ち、彼女の姿が現れた。

「――――――」

声が、出ない。
少し赤味がかった短めの髪。猫目石のように綺麗な瞳。
彼女はそんな瞳を驚きに見開かせ、美しい形をした口を小さく開けている。
惚けたように立ち竦む彼女の姿は、それでもなお、奇麗だった。

いくらの時間がたったのだろう。一分だったようにも、一時間だったようにも思える。

永遠にも思える時間が過ぎ、相手が口を開いた。

「―――――なあ」

その一言で、意識が覚醒する。
柄にもなく少し見とれてしまっていたようだ。

でもそれだけじゃない。

俺は、前に、どこかで、同じような、光景を………?

思考にノイズが走る。
/そう、たしかあれは
視界が割れ、聴覚が狂う。
/綺麗な満月が浮かぶ、冬の夜
体中が悲鳴を上げる。
/小さく暗い、土蔵の中
頭の中の撃鉄が、上がった。

/俺は、“彼女”と――――……


「――――――なあ、おい。おいってば。大丈夫?」

思考に邪魔が入る。
エラー、エラー、エラー。
頭の中の撃鉄が、消えた。

………はて?さっきまで俺は何を考えていたんだろうか。
なにか、とても重要なことだったと思うのだが。

「あ、ああ。大丈夫。すまん。ちょっと呆としてた」

「ならいいんだけど……」

まだ少し納得はしていないという顔。続けて彼女は言った。

「アンタ、NPC……じゃあないよな、行動が変だし」

「変って……まあ、いいけどさ」

俺は腰の埃を払いつつ立ち上がり、彼女に向き合う。
肩に下げたギターケース。周りに落ちている楽譜から想像するに、音楽家か何かだろうか。

「それで、えーっと。その、ゴメン。ぶつかって。俺は、衛宮。最近こちらに来たばかりなんだ」

「へぇー、新入りね。じゃあ今日の会合で話す案件っていうのは、その事かな?」

「たぶんそうだと思う。知らないけど。それで、その、あんたは誰だ?」

「ん?ああ、ゴメン。紹介遅れたね。アタシは岩沢。たぶん今日の会合で説明があると思うけど、陽動部隊のリーダーさ」

「ようどう部隊?」

聞きなれない言葉だ。
要道……いや、陽動だろうか。
何かを惹きつけておくための部隊なのだろうが……。

「ああ。その説明も、きっと今日の会合で話されると思う」

「そっか。でも、ぶつかっちまって本当にゴメンな。ちょっと飲み物買うのに迷っててさ、その、周りに注意を払ってなかったんだ」

「いや、それを言うならアタシもさ。新曲を書いていてね。ちょっと、集中してた」

「いやいや、俺が注意してればよかったんだし、そっちが謝ることじゃない」

「いや、むしろこっちから突っ込んだんだから責任はアタシにあると思う」

いいや俺だ。
いいやアタシだ。
そんな事を言い合って、俺達二人は睨み合う。
強情な奴だ。俺が悪いって言ってるのに。
そしてそのまま暫く睨み合い続け………

「「……………………ハハッ」」

同時に噴き出した。

「どうしてアタシ達、こんな事で睨み合ってるんだろ」

「ああ。まったくだ」

俺は思わず吹き出てしまった笑いを堪えながら、話を続ける。

「じゃあこの話はもう終わり。お互いに不注意だった。それでいい?」

「ああ。お互いに不注意が重なった。それだけだ」

「いいね。……っと。そろそろ時間だ。アタシはそろそろ行くよ。じゃあね新入り」

「ああ。いってらっしゃい。……って、ああ、ちょっと待った」

そう言って俺は、近くの自動販売機でスポーツドリンクを買う。
ゴトゴトゴト。自販機から落ちてきたそれは、当然の事ながらまだまだ冷たい。
俺はそのペットボトルを岩沢さんの方へと放り投げた。

「はいコレ。お近づきの印」

「ん。いいの?コレ」

「ああ。これからもよろしく。岩沢さん」

「岩沢でいいよ。じゃ、また会合でね」

ああ、と頷くと、岩沢はどこかへと立ち去った。
きっと先程言っていた新曲とやらの打ち合わせか何かがあるのだろう。
俺は去り行く岩沢の背中を、茫洋として見送った。

「さぁて、俺もそろそろ…」

その背中が見えなくなるまで見た後、俺はチラリと時計に目を向けた。
…………………………………。
調理室を出てから10分はたっている。

「やばい。すっかり忘れてた…っ!」

急いで頼まれていた正午ティーを拾い上げ、適当に自分の分の型月茶を買う。
まずい。こんなに時間がたっているのなら焼きたてのトーストはもう冷めているだろう。
それにきっと、待たされた遊佐が怒っているに違いない。
もしかしたら、俺の飲み物を待たずして既にもう食べだしてるかも……。

俺は不安を胸に、買ってきた飲み物を持って急いで調理室に行くのであった。





[21864] プロローグ 二、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:57996561
Date: 2012/08/15 13:02
弓道場前



酷い目にあった。

結局遊佐さんは食べだしてこそいなかったものの、食事中ずっと黙して語らず、食事が始まるまで無表情ながらも不機嫌そうな気配を漂わせていた。
しかも案の定サンドウィッチはすでに冷めきっていて、本来の風味を損なってしまっているという始末。
まあ、それでも及第点くらいには行っていると思うが。

俺は必死に見目麗しいよう食事を配膳し、遊佐さんのご機嫌を伺いつつも食卓(調理室の机)の前へと座らせ、買ってきた正午ティーをティーカップ(棚に入っていた)の中へと注ぎ込み、まるで執事か何かのように遊佐さんの食事をサポートした。
その時の俺の甲斐甲斐しさは、たぶん死後の世界執事ランキングがあれば、上位ランクに食い込んだであろう程だ。
まあ少なくとも、そんじょそこらの人には負けないくらいマメに働いたと思う。
その甲斐あってか、遊佐さんは不機嫌な空気を醸し出しながらも結局席について食事を始めてくれた。

本当の所は、遊佐さんにサンドウィッチの感想を聞きたかったのだが、その無表情ながらも一心不乱な食べ様を見て、聞くのは止しておいた。
なんだかその食べ方が兎みたいで少し可愛らしかったし。


………まあ、そんなこんなで色々あって、俺は頼んでいたもう一つの場所、弓道場前に来ていた。

「……それにしても、これは中に入らせてもらえるのか?」

「それは……」

遊佐さんが何か言おうとした時、突然背後から声がかかってきた。

「よぉーっす、遊佐っち!」

「………今日は、部長」

遊佐さんが部長と読んだその人は、弓胴着を着用していた。
少し茶色がかってしゅっと伸びたポニーテールは肩の所まで伸びており、部長さんの動きに従いヒョコヒョコと動く。
その目は猫のようにパッチリと開かれており、好奇心に光り輝いていた。
二人は知り合いなのだろうか、会ってそのまま気安く挨拶を交し合う。

「相も変わらず、無愛想だなぁ遊佐っち。それで?そこの隣の彼は誰?はっ!まさか遊佐っちの彼氏?」

「違います」

即答。僅かの間もなく切って捨てられた。

「ふぅん。と、言ってるけど、本当の所はどうなのさ、色男」

と言って俺に流し眼を送る部長さん(仮)。

「どうなのさって言われても……。彼女は仕事で俺を案内してくれているだけですよ」

「ふぅん、へぇー、ほぉー。ま、とりあえずそういう事にしておきますか。………って、ああ、申し遅れたね、あたしは松任谷。そこの弓道部の部長をやらせてもらってて、そこの遊佐っちとは刎頚の仲って奴?」

「違います」

「うぅ。やっぱり遊佐っちは冷たいなぁ。だがそこがイイ!」

………テンションの高い人だなぁ。
まあ、それはともかく、少し聞き捨てのならない事があった。

「部活って、やってると消えてなくなるんじゃ……?」

この世界に来た時に戦線のメンバーから最低限の情報は聞いていた。

曰く、この世界は死者の世界である。
曰く、この世界には天使という者がいて、俺たちを排除しにかかる。
曰く、天使の言いなりになって日常生活を送ると消えてしまう。

部活動という物は、高校生生活の中において日常的行為と言っていい筈だ。
それを続けていくという事は、消えてしまうという事ではないだろうか。

「ああ。まともな部活動を続けていたら、まあ、消えちまうだろうさ。けど、それはまともな部活動を続けていたらの話。あたしを含めた戦線のメンバーの部員は半分幽霊部員の様なものさね。授業に出ていてもまともに受けなければ消えないだろ?同じようなものさ」

だろ?と言われても、授業を受けた事がないので分からないのだが……。
まあ、実際消えていないという事を鑑みるに、彼女の言う事は正しいのだろう。

「……講義の時間はそこまでにして下さい。そろそろ会合の時間が近づいてきていますので、すぐに見てしまいましょう。いいですよね、部長?」

「ああ!新入部員は大歓迎さ!」

「衛宮さんが部活に入るかどうかは衛宮さんが決める事ですよ。では行きましょうか、衛宮さん」

「―――――衛宮?」

その遊佐の言葉を聴いた瞬間、どこか不審げな顔で部長は呟いた。
あ、しまった。そういえば部長さんとまだ挨拶をしていなかった。

「あ、スミマセン。自己紹介がまだでした。俺は衛宮士郎。ここにはまだ来たばっかりですけど、よろしくお願いします」

「あ、ああ。よろしく。けど、衛宮。衛宮かぁ」

「……どうかしたんですか?部長」

「………ん。いいや、何でもない。何でもないんだ。たぶん気のせいさ」

と言って、これっぽっちも納得していないと言う顔で、

「それじゃあ行こうか。あたしだって部長なんだから、案内くらいはちゃんとできるさ」

と、弓道場の中に入って行ってしまった。

「「?」」

残された俺と遊佐は、部長のあまりにも不審な態度に互いの顔を見合わせる。
だがまあ、考えても答えなんて出ない。仕方なく俺達はすぐに部長の後へと続いていった。


* * * * * *


弓道場内


「へぇ。外観からでも想像できたけど、やっぱり広いな」

俺は道場内の内装を見つつ、そうこぼす。
壁も床も綺麗に磨き上げられていて、的に向かって弓を撃つ部員が並んでいる。

「ええ。超巨大マンモス校ですから。人口に合わせて大きさも大きくなったのでしょう」

部員数はマネージャーらしき人達を含めてもほんの十数人程度。
弓の方の錬度はまちまちだが、無茶苦茶レベルが高いと言う訳でもない。まあ、普通だ。

遊佐の方はよく来ているからだろうか、あまり周りの部員の注意が払われていないが、俺を見る目が少し不審気だ。
無理もない事かもしれない。そりゃあまあ自分の領域に突然他人が入り込んだりすれば誰だって不快になるだろう。
だが遊佐は、俺に向けられる複雑な視線など物ともせず、話を俺の方に向けてきた。

「ところで衛宮さん。この弓道場来たかったと言うことは、一本撃っていきたいと言う事ですか?」

「え?いや、そんな、悪いだろう。皆真面目にやってるのに部外者がしゃしゃり出てくるなんて」

それに、俺は(たぶん)初心者だ。弓だって(この世界に来てからは)始めて見た。
そんな人間のために場所をとらせるなんて、やっぱり少し心苦しい。

「いや、いい考えだ。ちょっと一手でも良いからやって見給え。というかやってみてくださいお願いします」

だが、意外な所から勧めの声がかかってくる。
それは、前方を案内していた部長さんの声だった。
急に打って変わったように頼み込むなんて……何を考えているんだろうか。

「いや、弓も無いですし」

「道具なら貸すから。お願い!」

いや、お願いされても。

「……はぁ。そもそも俺は、自分が弓を引いていたかどうかも覚えていない男ですよ?」

「それでもいいよ。一連の動作は覚えてるんだろ?だったら大丈夫。頭で忘れてても体が覚えてるって!」

大丈夫大丈夫やれば出来る大丈夫だってもっと自分を信じろやるんだよ。
言いながら、顔を寄せてくる部長。………正直、少し暑苦しい。

「………どうしたんですか、急に。いつもならもっとふざけているのに」

さすがに遊佐も不審に思ったのか、口を挟む。
俺の見るところ、いつも余計な事には口を挟まない遊佐が口を挟むだなんて、よっぽど今の部長さんは変なのだろう。

「いやぁ、その、なんだ。衛宮君がどのくらい出来るのかちょっと見てみたいかなぁ。なぁ~んて……思っちゃったり………?」

「…………。こう言ってますが、どうするんですか衛宮さん?」

「どうって言われても……」

普通に弓を撃っていた部員達もさっきからの遣り取りを聞いてか、こちらに注意を向け始めた。
今の部長の態度を見るに、どうやらこの事に関しては引くつもりがないらしい。
となれば、このまま拒否し続けるというのも時間の無駄。
むやみやたらと長引かせれば、真面目にやっている部員達に迷惑がかかる。

「頼む!一手だけでいいから」

「はぁ……分かりましたよ。じゃあ一手だけ」

「よぉしっ!いやぁ、君ならやってくれると思っておりましたよ、あたしゃ!あ、弓の礼とかは、てきとーでいいからね!」

………本当にテンション高いなこの人。


* * * * * *


SIDE:遊佐


「ゴメンね。予備に木製しかないから、カーボンじゃなくてもいいかい?」

「ええ。むしろ木のほうが好みです」

「ひゅ~、渋いねおたく」

私は、壁際の方で交わされていた衛宮さん達の遣り取りを聞き逃しつつ、部長の真意を問いただす。

「ところで、どういうつもりですか?部長」

「ん~?どう言う事ってどう言う事さ、遊佐っち」

あくまで白を切るつもりだろうか、部長は惚けた顔付きで返答する。
だが、いくら惚けた顔付きをしようとも、出会ってすぐの衛宮さんならともかく、腐れ縁である私の目から見れば、部長が何かをはぐらかそうとしているのは一発で分かってしまう。

「普段の貴方なら、一度断られたらそれ以上薦めることはまず無いです。それなのに衛宮さんにはしつこく薦める。何か裏があると考えるのが当然かと」

「え~、裏なんて無いのに。ただまあ……」

「ただまあ?」

「…………いや、見ていたら分かるさ。そら、そろそろ衛宮君が矢を放つぞ。観客は黙って見てないと」

部長の話が気にならないわけではなかったが、実際に衛宮さんの射が始まろうとしていた。
私だって、無粋な真似がしたいわけじゃない。心の疑問は一先ず置いておいて、衛宮さんの射を見る事にした。
まあ、別に衛宮さんの射を見てからだって、事の次第は問いただせる。
部長がどこに逃げたって、捕まえて吐かせればいいだけの事だ。


本座の裾から出てきた衛宮さんは、先ず自らの手に馴染ませるようにその弓を握り締め、弦に触れる。
繊細な手つき。宝石商が荷物を扱う時でさえ、そこまではしないだろうという慎重さで、衛宮さんは弓の準備をする。

的に向かい、一礼。そしてそのまま流れるような動作で本座から射位へと足を踏みしめ、体の姿勢を安定させる。
比較的ゆっくりと態勢を整えた後、衛宮さんは弓を上に持ち上げ、引いた。
その目は鷹のように鋭く、的に狙いを定めている。
緊張の瞬間。ただ立っているだけなのに、何故か衛宮さんの周りにはただならぬ気迫が立ち上っていた。
部屋中の誰もが、衛宮さんに視線を向ける。しかし、それでも彼の弓先は揺れたりしない。
山のようにどっしりと、的の中心だけを狙っている。

その時ふと、風が吹く。ほんの軽い東風。どこからともなく飛んできた葉が、衛宮さんの目の前を過ぎる。
そして、まるでそれを合図とするかのように、衛宮さんの矢が放たれた。
ひゅっと、大気を切り裂く音が出て、矢は鳥のように飛んでいく。
そのまま続けてもう一射。素早く、しかも自然な動作。圧倒的に無駄の無い動き。
その動きは、どこからどう見ても、無骨でしかないはずなのに、何故か流麗さを感じさせた。

何故だろう。ここからでは遠くて見えないが、私はあの矢が外れているとは思えなかった。
弓道に関して全く無知と言って良い私をして、そう思わせる。
それほどの技量が衛宮さんにはあった。

私は部長に先の話を問いただす事も忘れ、ただただ衛宮さんの見せた弓技に思いをはせるのであった。






SIDE:衛宮


「ふぅ。こんなもんか」

やはり俺は弓道か何かをしていたのだろう。部長の言う通り、体がかってに動いた。
風が吹いた時には少しまずいかとも思ったが、何て事はなかった。
ようは、的にあたる矢を想定して、その想定通りに矢を放つだけなのだ。
何だろう。まだ一度しかやってはいないが、何となく少し勘を取り戻せた気がする。
俺は内心満足感を抱え、部長達の所へ戻り、弓やその他雑多な装備を返した。

「………部長?」

すると、どうしたのだろう。部長が何か呆けている。
どうかしたのかと、遊佐さんに問おうとすると、遊佐さんもまた呆けていた。

「お~い、遊佐さん?」

肩を突いて揺り起こす。

「…………ふぇ?」

「…………は?」

今、何やら可愛らしい声が聞こえたような……。

「ぁ……え、衛宮、さん?えっと……何でしょう」

「え?……あ、ああ。次はどこへ行くのかなって」

「そ、其の事でしたら、もうそろそろ定例の会合がありますので、一先ずゆりっぺさん達と合流する事にしませんか?」

「うん、分かった。あ、部長さん、装備とか色々ありがとうございました」

「え?あ?あのあの、えと、その……」

………?どうかしたのだろうか、部長の挙動が不審だ。
まあ、不審でない部長なんて、出会ってから一度もお目にかかったことなんてないのだけれど。

「衛宮さんは、どうぞ先に行っててください。私は部長と話がありますので」

「え?うん。分かったけど……」

ちょっと腑に落ちない。いったい二人で何を話そうと言うのだろうか。

「……ぇ?いや、ちょっと、遊佐っち――――」

「校長室の場所は分かりますね?教員棟の一番上です。すぐに私も向かいますので、行って下さい」

「いや、けど、部長……」

「い い か ら 行 っ て 下 さ い」

「ハイ、ワカリマシタ」

アレは、駄目だ。
何と言うか…ああなった女性に反抗する事は無駄だと俺の生存本能が叫んでる。
きっと、生前似たような事があったのだろう。若干手が震えている。
と、いうわけで。俺は部長を見捨てて校長室に向かうのであった。






SIDE:遊佐


「……さて。衛宮さんもいなくなった所ですし、知ってることを洗いざらい喋ってもらいましょうか」

「いやぁ………あれはいなくなったって言うより、どっか行かせたって言う方が近いような…」

「何か違いが?」

「いえ、なんでもないです」

変な部長だ。まあ、変でない部長なんて、私には想像できないのだけれど。

「ではまず、彼は何者ですか?」

「え~そんな事から聞いちゃうのぉ?まったく遊佐っちは空気が読めないなぁ。こういうのは、こう、しょぼい事から聞いていって、最後に大きいことを聞くのがお約束って………いえ、何でもないですゴメンナサイ」

本当に変な部長。何をそんなに怯えているのだろう。私は今、こんなに優しく微笑んでいるというのに。

「いやでも、遊佐っちには悪いけど、あたしもたいして彼の事を知ってるわけじゃないんだよ」

「部長が知っている限りのことでかまいません。話してください」

「うん。まぁ、別にそれはいいんだけどさ。一つ聞いていいかい?」

「答えられる範囲でしたら」

「なんで遊佐っちは彼にそんな興味を示しているんだい?察するに彼と会ったのはそんなに長い訳でもないんだろう?なのに遊佐っちは彼に興味を抱いてる。何故だろう。そいつを教えてくれたら、あたしだって鬼じゃない。知ってる情報を快く教えようじゃないか」

「興味……?」

これは興味なのだろうか?今彼に抱いてるこの気持ちは。
そう言われればそうかもしれない。でも、それとは少し、違う気がする。

「私の仕事は衛宮さんに学校を案内すると共に、その適正を見分けゆりっぺさんに報告する事です。それには彼の情報が不可欠」

でも、きっとそれは建前だ。私の中に、そういう任務とは別に個人的にも興味を感じている部分がある事を否定する事は出来ない。
でも、それは何故なのだろう。

「ですので、貴女の情報が必要なのです。部長」

「はぁ。まぁ、今回はそういうことにしてやってもいいか。まだまだ時間は腐るほどあるんだからね」

手を頭にあて、やれやれと首を振る。
その分かってないなぁ見たいな態度に少しイラッと来るが、これでも一応情報提供者。
落ち着いて対処しないと。制裁は、話を聞いた後にでも出来るのだから。

「それで本題です。彼は何者ですか?」

さっきも聞いた問いを再び問いかける。

「彼は…………そうさなぁ、そう……伝説みたいなものだったよ」

「伝説?」

私は、まぬけにそう問い返す。
でも、それも仕方のない事ではないか。いきなり伝説とか言われても、普通の人は戸惑うだけだ。

「そう、伝説。あたしの推測が正しかれければ、彼は公式の試合で一度も的の中心から外したことのない人なのさ」

「は……ぁ?」

公式試合で…一度も?

「勿論、そんなものは眉唾物だ。いろいろな噂が飛び交った。弓に細工してるとか色々ね。でも彼の弓には細工なんて施されてなかった。それに一度でも彼の射を見た人は誰もそんな事言えやしない。言いふらしているのは、ただ嫉妬で目の眩んだ俗物共だけ。でも、そうやって皆が疑ってしまうくらい、彼の射は完成されたものだったんだ」

何故か部長の声には、えらく実感がこもっていた。
私の様子に、部長は私が不思議に思ったのに気が付いたのか、表情を苦笑に変える。

「実はあたしもその無責任な噂を流してた口でね。当時は色々言ったもんさ。彼の家の保護者が実はやくざな所のお孫さんでね。しかもその人が弓道部の顧問ときてる。こいつは出来すぎていやしないか、裏からやくざの人が手を回してるんじゃないか…………とかね」

当時を思い出したのだろう。その苦笑いは、顔に張り付いたまま取れやしない。

「今から思えばきっとあれも嫉妬だったんだろうね。けど、私の半端な自負心を、彼は一瞬で砕け散らせた。一年にして既にエース。その才能に誰もが驚き、恐怖した。期待の新星なんてものじゃない。彼は正真正銘、バケモノだったんだ。
―――――でもそんなバケモノのような彼は、急に弓道をやめてしまった」

「――――え?」

私は驚かざるを得なかった。
だって、聞いただけでも衛宮さんの才能は素晴らしいものなのに、どうしてそんな。

「あたしは学校が違うから良く分からなかったけど、何でも事故にあって利き手を壊したらしい」

「………………」

それはどんな気持ちだったのだろう。
奇跡のような成績を出すという事は、きっとそれ相応の練習を積み重ねてきたのだろう。
血の滲むような努力を重ね、血豆が出来るくらいに頑張って、その成績を叩き出したのだろう。
でも、そんなにも頑張っていた弓が、ほんの一瞬で出来なくなる。
それは、今までの全ての努力が否定されたようなものだ。
希望は、絶望へと変わる。

「まさか彼はそれを苦に………?」

「どうだろう……でも、この世界に自殺者はいない。そうだろう?」

たしかに、それが今の通説だ。だがそれは、あくまで“今の所”の話だ。これからもずっとそうだとは限らない。
だが、そんな事を言っていたずらに部長に気を遣わせても、何の意味もありはしない。

「そう…………ですよね。きっと、そうです」

「ああ。きっとそうさ。ぱっと見た感じ彼はそんなにやわじゃないよ」

ああきっとそうに違いない。あんな射を打つ人がそう簡単に死ぬわけが無い。

「でもそういう話を聞くと、衛宮さんのイメージが変わってきてしまいますね」

「ああ。あたしも一回だけ彼の射見る機会があったんだけど、そん時は彼の射に心を奪われていたからね。本人をあまり見ていなかったんだ。だから本当に彼が衛宮なのか確証が持てなかったんだけど、あの射を見て確信した。
彼は衛宮だ。間違いない」

「そうですか………貴重な情報ありがとうございます」

私は一つ、部長に対してお辞儀をする。
親しき仲にも礼儀あり、という奴だ。ちゃんと情報をくれたのだから、こちらもそれ相応の態度で望まねばならない。
そして、そろそろゆりっぺさん達の所へ行こうとすると、部長が呼び止めた。

「あのさ、遊佐っち。彼は今、記憶が無いんだよね?」

「ええ。そう伺っています」

「だったら…………………。
いや、やっぱり、いい。うん。やっぱりこう言う事は自分で言わないと」

………?まぁ自己解決しているのならいいでしょう。

「ありがとうございました。それではまた、部長」

「ああ、またな遊佐っち。それとエミヤンにあったらまた来てくれと言っておいて」

「………エミヤン?」

「あたしの考えた彼のあだ名。どう?良い感じでしょ。使いたくなったらいつでも使っていいよ。他ならぬ遊佐っちだから、使用料はタダにしておいてやるよ?」

「使いません。まあ、伝言の方は伝えておきます」

「ちぇっ。相変わらず遊佐っちはノリが悪いなぁ」

私は後ろから聞こえる雑音を無視し、少し駆け足でゆりっぺさん達の所へ向かうのであった。







[21864] プロローグ 三、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2012/08/15 13:06
裏山中腹


SIDE:衛宮


「――――やばい。迷った」

この学校は広い。それこそ事前の知識がないと迷子になってしまうほどだ。
しかし校長室には一回行ったことがあるし、地形把握能力は有る方だと自負している。
少なくとも、今まで一度来た事のある場所へ行くのに手間取った事がない程には。

ならば何故迷子になったのだろう、と俺は自問する。
答えはすぐに出る。実に簡単なことだ。

困っていた人を助けていたら見知らぬ場所にいた。
何故だろう。NPCとは聞かされていても、困っている人を見ると助けたくなる。
そうして人助けをしていたら見知らぬ所にいた、と言う訳だ。
遊佐さんに言えば呆れられてしまいそうな理由だが、まあ、やっちゃったものは仕方ない。

たぶん裏の方にある山だと思うが……。
辺りを見渡す。瑞々しい木々に、小鳥の囀りが心地よい。
こんな場合じゃなければ、一息休んでしまいたいような所だ。
………だがしかし、俺はいったいどうやってこんな所に入り込んだんだ?

「はぁ………なんでさ」

「……誰か、居るのか?」

俺が一人空しく溜息を付いていると、突然声が聞こえてきた。
だが、こんな裏山に?何かの幻聴だろうか?
そう思い、俺は回りに注意を張り巡らす。すると、再び声が聞こえてきた。

「お~い誰も居ないのか?」

「いや、待ってくれ!」

まずい!ここで逃しては次にいつ人に会えるか分からない。
少なくとも校舎までの戻り方は聞かないと……っ!
俺は声のした方へ駆け足で向かう。
道は悪いが、走れない事はない。若干泥濘に足を取られそうになりながらも、俺は急いで駆け抜けた。

少し走ると、木々に隠れて見えなかった位置に、胴着を着た人影が見える。
薄目で、空手か柔道経験者を思わせる、がっしりした体付き。
先程自発的に声を掛けてきた事を鑑みるに、どうやら彼はNPCではないらしい。

彼は足音を聞きつけたのだろうか、こちらの方へと体を向けた。

「おぉ。本当にいたのか」

「いや、悪い。いろいろあって道に迷ったんだ。だから、校舎までの道のりを教えてくれないか?」

「いやそれは別にかまわんが……」

そう言うと彼はこちらを探るように一瞥して問うてきた。

「こんな所にいるって言う事はNPCじゃないよな………。しかしお前みたいな奴は見た事が無いぞ」

「ああ。見たことないのも無理はないさ。昨日この世界にやって来たんだ。俺は衛宮士郎。よろしく」

そういって俺は手を差し出す。友好の印にはやっぱり握手だろう。
彼は俺の差し出した手を驚いたように見つめ、またしても問う。

「む。そういう事か。そういえば、ゆりっぺが今日新人の紹介をすると言ってた様な気がするが、お前のことか?」

「たぶんそうなんじゃないか。」

「そうか俺は松下。こちらこそよろしく」

納得できたのか、松下は俺の差し出した手をぐっと握り返す。
結構握力も強い。

「それはそうとなんでこんな所にいるんだ?昨日来たというのなら、こんな所に来る訳が分からない」

「いや、色々あってさ……」

実際に起きた事を言ってしまったら、きっと松下も呆れてしまう事だろう。
俺は返事をすると共に苦笑いで松下への答えをはぐらかす。

「ふぅん。まあ、俺も人のことを言えんが、変わった奴だな。まぁいい。それで校舎までの道のりだったな。俺もそろそろ帰るところだったからそのついでに案内しよう」

「すまん。助かる」

そう言って俺達は山を下り始めた。

こうして俺は新しく戦線のメンバーと知り合ったのであった。






対天使用作戦本部入り口前


「………馬鹿じゃないんですか」

「いや、何もそんな言い方しなくても………」

裏山での邂逅の後、制服に着替えるから松下と別れ、俺は校長室へと向かった。
そうして入り口の前にいた遊佐と鉢合わせしたのだった。

「NPCを助けて道に迷う人なんて始めて見ました」

呆れながらにそう言葉を投げかけてくる遊佐。
ぐっ……。確かにそれはそうだろうけど……。しかし、少しは言い返す。

「いや、そうは言っても困ってたんだよあの人。そういうのって、見て見ぬ振りはできないだろ」

「………はぁ。もういいです。さっさと入って下さい。そろそろ会議が始まります」

そういって遊佐は俺に背を向け何か呟いた後、校長室のドアを開けた。

「ゆりっぺさん。衛宮さんをお連れしました」

「あら、遅かったじゃない。主賓抜きで会議始めちゃうところだったわよ」

そう遊佐さんと言葉を交わしていたのは、ベレー帽をかぶった女の人だった。
名前は、ゆり。この世界における戦線のリーダーであり、この部屋の主だ。

「申し訳ありません。どうやら衛宮さんが道に迷っていたそうで」

「ふぅ~ん。ま、ここは広いもんね。始めてだったら無理もないわ」

彼女は遊佐さんとの会話を終え、こちらの方に視線を向ける。

「こんにちは衛宮君。昨日ぶりね。今日はどうだった?」

「ああ、本当に助かったよ。見たい所も一応全部見れたし、大体把握した」

「……迷子になってたのにですか?」

「うっ!それは………」

遊佐がボソッと横やりを入れる。そう言われると立つ瀬がない……。

「冗談です。別に衛宮さんの言う事を疑ってるわけではありません。ですので、会議を続けてください」

………まあ、迷子になってたのは事実だから、別にいいんだけどさぁ。

「うんうん。さっそく仲良くやってるようね。安心したわ」

そしてゆりはこちらを見て、ニヤッと笑う。
少し反応に困る。余計な事を言うと危険な目に遭いそうだ。



「それでは定例の会議を始めるわ!」

ゆりが叫ぶと突然部屋の電気が消え、パソコンの電源が付いた。
ハイテクな技術。この世界でもこんな事が出来るのかと感心していると、ゆりは窓の上からスクリーンを出して映像をそこに映し出す。
画面には、校舎内らしき見取り図が3D画像で映し出されている。

「――――その前に、そいつは誰なんだゆりっぺ」

だが、ゆりがその機械を動かそうとする前に、ソファーに腰をかけていた眼付きの悪く、腰に刀を佩いている男がこちらの方を見ずにゆりの方へ質問する。

「あれ?通達してなかったっけ?彼が昨日来た新人。名前は衛宮君よ」

ゆりがそう言うと部屋中の視線がこちらに集まってきた。
好奇心で満ち満ちているそれらは、俺の体中のあちこちに突き刺さる。

「ほぉ………こいつがか」

ゆりが俺を紹介した後、先程質問してきた男が、含み笑いをしながらチラリとこっちを見る。
その視線は俺を馬鹿にされているようで、内心あまり面白くない。
が、最初に不和を撒き散らすのもよくないと思い、俺は心を落ち着けた。

「まあ紹介も終わった所で、今日の最初の議題は衛宮君の事よ」

「俺の事?」

「そ。まだ昨日の返事をもらってないでしょ。時間は与えたんだからこの場で返事をくれない?」

昨日の返事というと………俺がこの戦線に入るかどうかという奴だったか。

「一つ確認しておくけど、この戦線がしたい事って、天使と呼ばれる物を撃退し、この世界で安全に暮らすこと………だったよな」

「ええ。そうよ。天使を倒さなければ私達に未来はない」

自信満々に胸を張って話すゆり。その様子にはまったくといってもいい程躊躇いがなく、その目標に絶対の自信と誇りを持っている事が窺われた。
見れば、他の戦線の連中は、そんなゆりに忠誠を誓っているようだった。
周りをこんなに惹きつけているというのなら、たぶんゆりの言葉は一定以上の真実を含んでいると考えていい。
………だが、何か頭に引っかかる。
本当にゆりがしようとしている事は正しい事なのか?自衛のためとはいえ誰かを傷つけるという事が?
それが例え、やらなければやられるのがこっちだとしても。
それは……………。

「――――で?結論は?」

「………わかった。俺は戦線に入る」

周囲から感嘆の声があがる。どうやら歓迎されているようだ。
そんな周りの反応を見て、俺は嬉しくなる。こんな俺でも、役に立つことがあったと。
でも、もしかすると俺は、ただ状況に流されただけなのかもしれない。
もしかしたら俺は、後で後悔するかもしれない。
でも、今はこれが最善だと思えたんだ。

「我が戦線にようこそ!衛宮君、あたし達は貴方を歓迎するわ。そして貴方にこの戦線のメンバーだけに伝える合言葉を教えるわ」

「合言葉?」

さっきここに入る前に遊佐が呟いてた言葉だろうか。
なにやら二言三言程だったが……。

「そう。ここの扉には仕掛けがしてあって合言葉がないと吹っ飛ばされるの」

「吹っ飛ばされるって……?」

「文字通り建物の外に放り出されるわ」

………どんなセキュリティーなんだここは

「対天使用罠なんですもの。その位しなくちゃ意味がないわ」

「………そうですか」

もう突っ込むのもめんどくさい。
俺のそんな気持ちを察したのだろうか、ゆりは軽く咳払いをし、話題を戻す。

「ちょっと話がずれちゃったわね。合言葉は、神も、仏も、天使もなし」

そしてスッと右手を差し出す。
それは女性らしい、小さな手。でも、力強い手。
たぶんこの戦線の皆は、この手に引かれてここまでやってきたのだろう。
そしてきっと俺も、この手に導かれていくのだろう。

ゆりの言葉にこめられた意味を、俺はまだ知らない。

この戦線の辿って行く軌跡を、苦難を、俺はまだ知らない。

それでも俺は、この戦線と運命を共にすると、決めた。

「ああ。これからよろしく頼む」

そして俺は、差し出された小さな手を、力強く握りしめた。




「それでは、今回のオペレーションを説明するわ」

あの後、SSSの制服をもらい、他のメンバー達の軽い自己紹介が終わり、ゆりはそう言った。

「オペレーションって何だ?」

「それを今から説明するのよ」

と言いつつ、ゆりは後ろのスクリーンを指してこう言った。

「オペレーション:ブルファイト」

周りから声があがる。

「おぉ」「もうそんな時期か」「去年は散々だったよな」「うわ、面倒くせぇ」「まぁまぁ」「Oh! it’s Festival Time!」

「ブル………ファイト………?」

闘牛………?闘牛をするのか?この世界では?

「近々始まる学園祭で天使をおちょくり、かき乱す!」

……どう言う事?と、遊佐に目で尋ねてみるも、遊佐はただ首を振るばかり。
えーと、つまり、何だ。自分達を闘牛に見立てて学園祭で暴れまくると言うことだろうか………?
だが大抵闘牛は………いや、よそう。皆乗り気だ。それでいいじゃないか。

「それで、具体的にはどうするんだ?」

「衛宮君は初めてだから分からないか。遊佐さん……には仕事があるし………高松君?」

と、ゆりは隅の方にいた男に声をかけた。
メガネをかけていて、知的な雰囲気を醸し出しているが、馬鹿らしい。

「当日まで彼の世話をしてあげて」

「わかりました」

そしてこちらを向き、手を差し出してきた。

「よろしくお願いします。衛宮さん」

「ああ、こちらこそ」

手を握る。見た目とは裏腹に、結構筋肉が付いている。
意外にもスポーツマンなのだろうか。
俺たちが握手をすると、ゆりは話を続けた。

「それじゃあ、具体的な説明をするわ。まず、この学校の学園祭には出し物の人気投票があるの。そしてこの作戦では、そのランキングの一位から十位までを私達戦線が確保する」

「出し物を出すには、先生や生徒会の許可が要るんじゃないか?」

俺は疑問に思ったことを聞いてみる。

「それじゃあ意味がないのよ。普通に参加してたら消えちゃうじゃない」

何言ってるの?とでも言いたげな顔だ。
すみませんね。まだここの常識に疎くて。

「勿論ゲリラ参加だから、生徒会や先生達の妨害が考えられるわ。どう対処するかは自分達で考えて行動なさい」

生徒会や先生達の妨害か………面倒くさいな。

「適当な人と組んで行うもよし、単独で何かをするもよし。そこらへんは好きに任せるわ。けど、もし生徒会の妨害でランキングに載れなかった場合は………死よりも恐ろしい地獄の罰ゲームを用意しているわ」

その時、皆の体に緊張が走る。
死よりも恐ろしい罰ゲーム?皆が緊張してるって言うことは相当な物なのかもしれない……。

「なぁ、地獄の罰ゲームってどういう物なんだ?」

気になった俺は、近くにいた高松に聞いてみた。

「何でも噂によると、発狂し人格が狂うとか」

「どんな罰ゲームだよ、それ………」

「さあ?わたしは受けたことがありませんので」

そんな会話を繰り広げていると、ソファーに座っていた男――――確か名前は、日向とか言っていた――――が立ち上がって言った。

「はいはいは~い。だったらさ、ゆりっぺ!」

それを見ると、ゆりはまたか……と少々鬱陶しげな顔をして口を開く。

「たぶん聞くのもうんざりする様な意見だと思うけど、一応聞いといてあげるわ。何、日向君」

「女子メンバー全員でストリップショーをすれヴぁっ!」

――――それは、まさに一瞬だった。
机を乗り越えてジャンプ。そしてその勢いを殺さずに日向の腹へと飛び回し蹴りが炸裂する。
悶絶し、泡を吹いて気絶する日向。………うん。あれは日向が悪い。

「一般常識は守ること!他に聞きたいことがある人は随時聞きに来て!以上!」

そしてゆりは怒って出て行ってしまった。








[21864] プロローグ 四、
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Date: 2012/08/15 13:10
他の人も、ゆりと同じ様に出て行ってしまい、結局残ったのは俺と高松のみ。
どうやら遊佐も、ゆりの言っていた仕事とやらで何処かへ行ってしまったようだ。
そしてこの作戦をどうするか二人で話そうとした時、悶絶から復活した日向が立ち上がった。

「ぐへぇっ。ゴホッゴホゴホッ………あー。死ぬかと思った」

「この世界では死にようがありませんので、安心してよいかと」

「そういうこと言ってるんじゃねぇよ!あの時ゆりっぺ、確実に俺を殺そうとして蹴ったぜ?ありえねぇよ」

「ありえないのは貴方の意見だと思いますが」
「ありえないのはあんたの意見だと思うぞ」

同時に突っ込む。もしかして、何気に俺は高松と相性が良いのかもしれない。

「おぉ?何だ何だ。さっきあったばっかり立ってのに息がばっちり合ってるじゃねぇか。………それにしても、俺の案、そんなに酷かったか?」

「ええ。何であんな案が通ると思ったのですか?そちらの方が不思議です」

「さすがに、あれは酷いと思うぞ」

「ちぇー。いい案だと思ったんだがなぁ。天使はおちょくれるし、NPC男子の人気を獲得できるし。いいこと尽くしじゃないか」

「ストリップするのが貴方ならゆりっぺさんも何も言わなかったでしょう」

まぁたしかにそうだろうけども。高松よ。それは誰が得する?

「はぁ?!俺に脱げってか?それで誰が得するんだよ」

「少なくとも一部の女子には人気がでるでしょう。それに私が言っているのは、自分がする気もないのに他人に全て任すのは、いかがな物かと言っているのです」

それを言われると痛いらしく、黙ってしまった。

「まあ、ちょっときつい言い方かもしれないけど、高松の言ってることは正しいと思うぞ。今からでも一応謝ってきた方がいいんじゃないか?」

「ああ、確かにそうだな…………………決めた!俺さっきの事ゆりっぺに謝ってくるよ。ありがとう高松、衛宮。またな!」

やはり根はいい奴なのだろう。日向は吹っ切れたように立ち上がり、唐突に去って行った。

「何と言うか………ここの皆は基本的にいい奴らなんだけど、個性的だな……」

「そう言う貴方も、もう戦線のメンバーですけどね」

「ハハッ。違いない」

そして二人で笑いあう。
一頻り笑った後、俺は高松に学園祭の事を切り出した。

「ところで高松。学園祭の事なんだが………」

「そういった話は食堂に向かいながら話しましょう。まだ夕食を食べていないでしょう?」

あ、夕食と言えば、昼食の余ったサンドウィッチの事すっかり忘れてた……。
はぁ。少しもったいないけど、動物のエサにでもするか……。

「どうしたのですか?そんな間違えてゴキブリでも口にしてしまったような顔をして」

「う~ん。当たらずといえども遠からず、かな」

「ゴキブリを食べたと言うのですか……っ!?なるほど、私は貴方の事を見くびっていたのかもしれません………」

………ん?あれ?今、何か凄い事いったような………?

「っ…ごめん。考え事して適当に返事した。全然近くないし、俺はゴキブリなんていう物は匂いを嗅いだことすらない」

「………びっくりさせないで下さい。これからは貴方の事をゲテモノマスターと呼んでしまう所でした」

危ない危ない。でも外国の何処かにはゴキブリを食べる国もあると聞いたことがあるような……ないような……。

「しかし、だとするなら貴方は何を考えていたのですか?」

「あ、ああ。昼にサンドウィッチを作ったんだけど、作りすぎちゃってさ、誰かにあげようとして忘れてたから、どうしようかなって」

「そう言う事でしたら、松下五段にあげては如何でしょう。柔道の練習後はとてもお腹が空くと言っていた気がしますよ」

なるほど、あの体躯だ。それ相応のカロリーは摂取するだろう。

「いい考えだな。ありがとう。後で会ったらあげるよ」

「そうした方がよろしいかと。では、食堂に参りましょうか」

食堂は確か………学生寮までの途中にあったな。

「ああ。それでさ、学園祭ってのは………」

そうして後ろ手に校長室の扉を閉め、俺たちは校長室を後にした。





学園大食堂前


「つまり、学園祭は前夜祭と後夜祭を含めて三日間あるって言うことだな?」

「ええ。前夜祭は主に夜の間だけ、学園祭と後夜祭は一日中です。後夜祭に関しては、岩沢さんも入っているガールズデッドモンスター、略してガルデモのゲリラライブも開催されます」

そう言えば、さっきの会合では結局あまり岩沢と話せなかった。
次にあった時は、もっと話せればいいんだが……。

「それで、貴方はどうします?料理ができるのなら、喫茶店などが考えられますが」

「う~ん。喫茶店は一人じゃできないし、何より妨害が来たとき客に迷惑がかかると思うんだ」

「そうですね………では、移動制にするのは如何でしょう」

「移動制にするって………売り歩きって言うことか?」

うん。それなら良いかもしれない。妨害が来ても、走って逃げることができるし。

「ええ。それなら、どうにでもできますから。私の話はお役に立ちましたか?」

「ああ。十分役に立ってくれた。ありがとう。高松も何かやるなら手伝うよ」

「それは何よりです。こちらも貴方のする事を出来得る限り手伝いましょう」

そんな遣り取りを交わしていると、食堂に着いた。
食堂には皆で一緒に食べたりする事もあるが、基本的に自由だという。
まあ、小学生ではないのだから、当然といえば当然の事なのだが。

「ここで食券を買って、あちらの方で食べ物と交換します。この食券をNPCから平和的に奪うミッションもありますが…それについては、今は関係ないので飛ばします」

平和的に奪うって………まぁ好奇心がそそられない事もないが、今は聞かなかったことにしよう。
どうせそのうち分かる事だろうし。

「へぇ。やっぱり食堂も大きいな。………っと、あそこにいるの、日向とゆりじゃないのか?」

食堂の二階を見ると、日向とゆりが一緒に夕食をとっている。あの様子だと、ちゃんと謝ったようだ。
俺は適当にクリームパスタを買って(高松は蕎麦だった)、二人に近づく。
すると、途中で日向が気付き、挨拶してきた。

「おう、衛宮。高松。………へへっ。さっきは、ありがとな」

「その様子ですと、仲直りされたようですね」

「おう。っていうか、別に喧嘩してた訳じゃないんだけどな」

二人の座っているテーブルまで辿り着く。

「それにしても大きい食堂だな。端から端まで行くのも大変だ」

俺の隣に日向。反対側にゆりと高松が座り、食事を始める。

「ええ。岩沢さん達のライブも、ここで行われるのよ。ゲリラライブだけどね」

「ふぅ~ん。あ、胡椒とってくれないか」

向こう側に座る高松に渡してもらう。

「どうぞ。その感じだと、もうこの世界にも慣れましたか?衛宮さん」

「え?うん。まぁ何とかやっていけると思うよ」

ここのスパゲッティーは、なかなかおいしい。後で食堂のおばちゃんからレシピを貰えないだろうか。

「そういえば、他の皆さんはどうしました。食事が終わる時間には少し早いような」

たぶんこれは市販のクリームソースじゃないな。

「ああ、皆学園祭に向けて色々工作するんだとさ」

恐らく、オリーブオイルでアスパラガスとベーコンを炒めた物を、ツナとバター、後牛乳か何かでクリームにしたんだろう。

「お二人はしないのですか?別に暇だというわけでもないのでしょう」

胡椒が付いていなかったのは個人に任せるためだろうか………

「あたしも色々したかったんだけど、日向君が急にやって来るもんだから、止めたの。工作なんてものは明日でもできるんだしね」

パスタ一つとってもこの作りこみ様。他の食事も凝っているのだろうか。気になる。

「で、衛宮は何するか決めたのか?」

「え?」

料理のことを考えていてすっかり聞き逃してしまっていた。
何を話していたのだろう。聞きなおす。

「悪い。考え事してた。何の話だ?」

「はぁ~。聞いてなかったのかよ。だからさ、学園祭で何をするかって言う話」

「さっきも思いましたが、衛宮さんは注意力が散漫な様です。人と会話している時は、その人に注意を向けるべきかと」

む。言い返しようのない正論だ。確かにその通りだと思う。
俺は少し反省した。

「まあまあ、二人とも、そんな責める様な言い方をしないであげなさい。それだけここの食事がおいしかったって言うことでしょ」

「まぁ、そう言う事なら…」

二人は渋々納得したような顔をした。……いや、まあ悪いのは俺だから、気にしないでくれ。

「それで結局、衛宮君は何をする事にしたの?」

「うん。まあ、まだ具体的には決めてないんだけど、食べ物販売系にしようと思う」

「ふぅ~ん。衛宮君って料理できたのね。意外……って言うほどの事でもないか」

そう言うとゆりは、二人の方へと顔を向けて聞いた。

「で?後の二人はもう何をするか決めたの?新人の衛宮君ですらもう決めているのに、まだ何も決まっていないなんて事はないでしょうね」

ゆりの表情は笑っているが、目が笑っていない。
正直、少し怖い。

「ええ。私のほうは大体案が出来つつあります」

「俺は………ほら、まずゆりっぺに謝ろうと考えてたから……その……まだ、何にも」

「へぇ~。日向君は、女の事で頭がいっぱいで、何も考えられませんでしたって言うのね」

意地悪な言い方をするゆり。

「な、何もそんな言い方することないだろ」

「ふふふっ。ゴメンゴメン。ちょっとからかってみただけ。別に悪いって言ってるわけじゃないわ。まだ時間は有るんだし、ゆっくり考えたら?」

平和な時間。幸せな日々。あの世の楽園。
まだここに来て間もないが、それでもこの世界の人達と触れ合ってきてわかったことがある。
皆、必死に生きようと努力し、行動している。
その姿は、正しいはずだ。人は常に生きたいがために抗い、戦う。
………正しい、はずだ。はずなのだ。
今が楽しく、充実していさえすれば、それでいいじゃないか。
でも、と俺の心のどこかが疑問の声を上げる。
その為に誰かを犠牲にするのは正しい事なのだろうか。
自分達の幸せのために他者を蹴落とし、不幸へ陥れることは正しい事なのだろうか。
そんな事をして、俺達は本当に楽しめているのだろうか。

答えは出ない。記憶が戻れば、答えが出るのだろうか。
だとするなら早く戻って来て欲しい。

初めは美味しく感じられたスパゲッティーが、なぜか今は味気なかった。


結局その後、三人と別れた。
聞きたいことも聞けたし、後はもう寝るだけか。
そう思い、俺は男子寮へと足を向ける。
食堂からは男子寮までは結構近い。ものの数分で着いてしまう事だろう。
一人で物事を考えるには、ちょうどいいくらいの時間だった。
答えは出ないかもしれないが、考える事は無意味ではない。
だが、俺が考え事をして歩いていると、道で岩沢と会った。

「あれ。岩沢じゃないか。どうしたんだ?こんな所で」

「……ん?ああ、衛宮か。見ての通り、飲み物を買っているんだけど」

そう言いながら右手に持つペットボトルをこちらの方へ見せてきた。
全部で三本。ミネラルウォーターの類だった。

「いや、そうじゃなくてさ。何で岩沢が買ってるんだ?こう言うのって普通マネージャーとか、雑用係みたいな人がやるもんだろ?」

「ああ、そう言う事。雑用係……か。居るには居たんだけど、消えちゃってね。以来誰もやれる人が居ないから、ローテーションを組んで買いに行ったりしてる訳」

「何で誰もやろうとしないんだ?」

ガルデモはこの世界ですごく人気だという。
だとするならば、志願者が多くてもおかしくはない筈だ。

「あ~。ほら、NPCを雇うわけにもいかないでしょ?かといってあたしたちみたいなNPCじゃない連中は他にも色々やってるから、常に手伝ってくれる訳じゃないし、何よりこういった仕事は忍耐力とある程度の筋力が要るから」

なるほど。確かに言われてみればそうだ。物事には適正というものがある。誰もがなりたい職業になれるわけではないのだ。
こんな世界でも変わらない世の法則に、俺は少し空しくなった。

「まぁ、その点衛宮は………合格かな。どう?ガルデモのマネージャー。やってみない?」

口元に笑みを浮かべ、こちらを伺う岩沢。
たぶん冗談なのだろうが、そう言ってくれるのはありがたい。けど……。

「ま、少し考えさせてくれ。まだ来たばっかりで右も左もわからない状況なんだ」

「ふぅん。まぁ、いいけどさ。気が変わったらいつでも言ってよ。あたし達も使える手足は欲しいからね」

「あ、でも困ったことがあったらいつでも言ってくれ。特に最近は学園祭で忙しいだろうから」

「ん。ありがとう。でも、今特に困ってることは………あ」

「何かあるのか?」

「あー。いや、いいよ。何と言うか、衛宮じゃ無理だろ」

「む。そういう言い方をされるとむしろ気になる。言うだけでもいいから言ってみてくれ」

「んー。まあ、夜食に最近飽きてきたって言うか、あたしも少しなら作れるんだけどレパートリーがあんまり多くないし」

へ?

「何だ。そんな事か」

言い渋るからもっとすごい事かと思った。

「そんなことって衛宮。あたし達にとっては結構重い問題なんだぞ」

「あ、いや、そういうことを言いたいんじゃなくて。俺、料理作れるぞ」

「は?」

驚きで目を丸くする岩沢。
はて。コレはそんなに驚くことだろうか。
最近は結構料理を作れる男性も増えてきているって話だったけど。

「むしろ何で俺が作れないと思ったんだ?」

「いや、他の戦線のメンバーの男はまともな料理作れないし。生前男が料理が得意なんて話聞かなかったし」

そこで俺を疑わしそうに見る岩沢。

「むしろお前の方こそちゃんとした料理作ってるのか?料理が下手な奴が、自分で料理うまいと思ってるだけじゃない?」

「だったら試してみるか」

といって俺は、松下に上げようとして結局会えずに残してしまったサンドウィッチを岩沢に見せる。

「それは、なに?」

「俺が昼飯のときに作った余り。少し作りすぎちゃって。冷めてるけど、たぶんまだ食べれる」

「ふぅん。期待はしてないけど」

そう言って岩沢はサンドウィッチを掴んで口へと運び、ついばむように食べる。

「…………………………………………………………美味い」

「それはよかった」

岩沢は、少し釈然としないような顔をして感想を言った。
だが、やはり他人に美味しいと言ってもらえる事はうれしい。
少し顔がにやけていたのだろうか。岩沢がこっちからふいっと目線を外した。
別に岩沢のことを笑ったわけじゃない。そう言おうとして、先に喋られた。

「コレくらいの腕だったら、その、夜食を作ってくれないか?」

「それはいいけど………俺はいつ持って来ればいいんだ?」

「いつもあたし達が使っている空き教室に、大体この時間帯くらいに持ってきてくれると助かる」

「わかった。大体この時間帯だな。後、何かアレルギー持ってたりする人はいるか?大変だからな、そう言うの」

「いや、いないはずだよ。それにいざアレルギーで倒れたとしても、この世界では死なないからね」

「いやまぁそうだろうけど」

下らない冗談を交えつつ、俺たちは話した。
何故だろう。岩沢と話していると時間がたつのが早い気がする。
俺達はいくつもの話題を話し、語り合った。
気が付けば、さっきまで考えていた記憶への執着は薄くなっていた。
そんな中ふと、岩沢がこう切り出した。

「何て言うか、衛宮と話していると、饒舌になる気がする。あたし、普段はこんなに話さないのに」

「うん。俺も、いつもと比べて話し込んでるような気がする」

これは偶然の一致なのだろうか。それとも、何かの縁?

「あっ………そろそろ休憩時間が終わるみたいだ。それじゃあ、明日はよろしく」

「ああ。まかせとけ。きっと美味しい物作ってくるから」

「ははっ。今日はありがとう。いい気分転換になった」

「いや。俺も楽しんでたし、何より岩沢とはもっと話してみたかったから」

その言葉を聞くと、岩沢はフイッと顔を背けた。……?何か変な事でも言っただろうか。

「後、こいつも持って行って他の人達も食べてくれるとうれしい」

岩沢にサンドウィッチの入ったタッパーを渡す。

「ん。ありがとう。たぶん皆も喜ぶ」

岩沢は顔を背けたまま素っ気なくそう言うと、さっと俺のそばから離れて少し先まで走り、こちらを振り返って

「明日の夜食、忘れるなよ!」

と叫んで去ってしまった。
う~む。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
皆目見当も付かないが、恐らく何かしたのだろう。
次にあったら謝っておかないと……。

そうして俺も、男子寮へと戻ったのだった。





[21864] 学園祭準備編 一、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/09/25 19:27
対天使用作戦本部


「先の会合から早三日。勿論出来てるとは思うけれど、まだ学園祭の出し物を決めていない人、いないわよねぇ?」

ゆりは、会合開始直後からそんなことを言った。



岩沢との会話からもう三日。アレから俺は毎日(といっても三日間だけだが)夜食を作りに行った。

どうやら俺の夜食はガルデモの他のメンバーにも結構好評らしい。料理人冥利に尽きる………って俺は料理人じゃないけど。

「でもさぁゆりっぺ。逆に言うとまだ三日だぜ?ちょいと性急すぎやしないか?」

アホな事を考えていたら日向が反論していた。まあ、日向の言うことも一理ある。

「甘い!まるでジャムの上に蜂蜜をかけて、更にその上に砂糖をばら撒いたかの様だわ」

「な、何もそこまで言わなくても…………」

力なくうなだれる日向。

……最近日向の扱われ方が酷い。と言っても俺が最近来たからそう思うだけで、前からこんな扱いだったのかもしれないが。

「いい?バックアップする方にも準備が必要なわけ。早いこと決めてくれないと苦労するのは裏方なんだから」

そしてチラッと遊佐のほうを見る。

そういえば最近遊佐と喋っていない。やはり仕事が忙しいのだろうか。

「で?日向君は論外として、他に決めてない人いる?」

さすがに誰も手を上げ様としない。

「うむ。よろしい。じゃあ一人何も思いつかなかった日向君は……何か思いつくまでずっとスクワットね」

「えぇ~?そりゃないぜ、ゆりっぺ」

「いいから、さっさとやりなさい」

「マジかよ………。一、二、三………」

日向は本当にスクワットをやり始めた。やはりここではゆりの発言力は高い。

「それじゃあ、端から順に出し物と誰がやるか言いなさい。勿論常識は守ってね」

と言って日向を軽くにらむ。日向はひるんだような声を出したが、変わらずにスクワットをやっている。

日向がスクワットしている傍ら、ソファーに座っていた高松が立ち上がる。

「それでは僭越ながら、私から話をさせてもらいます」

高松はゆりを見詰めながらそう言うと、今回の作戦の事を切り出した。

「今回私達は学園祭にて天使を迎え撃つ訳ですが……」

そこで高松は言葉を区切り、辺りを見渡しながら

「私は天使をおちょくり、生徒から人気を得、なおかつ実利を得る方法を思いつきました」

おぉ、と周りの人から歓声が上がる。

「御託はいいのよ。で?その方法とは?」

「その方法とは………我々対NPCによるサバゲーです」

サバゲー……?サバイバルゲームのことだろうか。

「サバゲー?まぁ、たしかに天使をおちょくる事は出来るかもしれないわ。でもどうやって実利を得ようというの?」

「確かにサバイバルゲーム単体では参加料を募ったところで高が知れています。しかし、それを賭け事にすれば?」

「! なるほど。他のメンバー達と共謀してトトカルチョを開くわけね」

トトカルチョとは何ぞや?と隣の大山に聞いてみると、元はサッカーでの賭け事のことを指すらしい。券を買ってどこのチームが勝つかを予想し、当たっていたら配当金をもらうという、競馬みたいなものだと言われた。

「はい。勿論一口にサバゲーといっても色々ルールを作成しないといけませんから、まだ全て完成したとはいえませんが」

「ふぅ~ん。面白そうね。いいわ。採用する」

「ありがとうございます」

高松がソファーへ座る。それと入れ替わるように、この前睨んできた藤巻が発言する。

「そんで、俺と大山が券を売り歩く。券はまだ作ってないから作らなきゃいけねぇが」

「なるほど…………でも二人だと足りなくないかしら」

「あっ!だったら俺が入るぜ!」

スクワットしていた日向が急に叫んで自己アピール。

というかまだスクワットやってたのか。

ゆりは白けた目線を日向に向けつつ

「まあ余計な事させる方より、売り子させる方がいいかもね」

と言って許可した。

「いやぁ~。良かった良かった。案なんて全然思いつかなかったから、あのまま一生スクワットするのかと思ったぜ」

「あらぁ?そっちの方がいいなら、学園祭までずっとスクワットさせてもいいのよ?」

「け、結構です…」


…………………

…………



その後、他の皆は自分のする事をゆりに伝え、残るは俺一人になった。

「じゃあ最後になっちゃったけど、衛宮君は何をするつもりなの?」

俺は考えていた事を口に出した。

「本当は、移動制の食事処にしようと思ってたんだが………」

そこで言葉を止め、高松の方を見る。

「高松の提案したサバゲーを手伝う人数は多い方が良いだろ?だから、高松を手伝う事にする」

いいよな?と高松に目線で問う。

高松は少し驚いたような顔をして、顔を軽く縦に振った。

「へぇ~。ま、当人達が納得してるなら別にそれでいいわ」

そう言うとゆりは机に乗せていた足を下ろし、立ち上がって宣言した。

「ではここに、オペレーション;ブルファイトの本格的始動を宣言する!以降何か変更がある場合は、私もしくは遊佐に言ってちょうだい。解散!」

……………………

………





「しかし本当に良かったのですか?」

会合の後、少しなまった肩をほぐそうと背を伸ばしていると、高松がこちらに近づき聞いてきた。

「何が?」

「学園祭の出し物の事です。別に貴方に手伝ってもらわなくても、十分学園祭を乗り切ることは出来ます。御自分のやりたい事をなさるべきではないですか」

「む。その言い方だと俺が嫌々手伝ってるみたいじゃないか」

「おや。違うのですか?」

失敬な。俺はそんなに薄情な奴に思われているんだろうか。

「たしかに一度喫茶店みたいな事はやってみたいかなって思ってたけど、友人が困ってたら普通助けるだろ」

「衛宮さん……」

一瞬、言葉に詰まる高松。

「それに裏方もやってみると面白いかもしれないし」

「………ええ。そかもしれません。では衛宮さん、手伝っていただけますか?」

その言葉に、俺は無言で肯いた。

「で?俺は具体的には何をすればいいんだ?基本的な事なら、多分なんでもできるぞ」

ここに来てまだ数日だが、自分に出来ることとできない事位はわかるようにはなっている。まぁ、まだ記憶は戻っていないんだけど。

「では衛宮さん。貴方は、サバゲーでお腹をすかした人達のために食事を作って下さい」

「え?」

それでは俺のやることはあまり変わらない。

「本来は食堂のNPCに作ってもらうように頼むつもりでしたが、貴方が来てくれると言うのでその必要はなくなりました」

「でも本当にいいのか?俺なんかが食事担当で」

暗に、迷惑じゃないかというニュアンスをこめる。

「もちろんです。私の目的を達成することが出来、なおかつ貴方のやりたいことも出来る。完璧な結論だと思いませんか?」

「高松……」

今度はこちらが言葉に詰まる番だった。

「………手伝ってくれますか?」

「ああ。どれだけ役に立てるかわからないけど、よろしく頼むよ」

手を握り合う。

高松……いい奴だな。

どこまで出来るかわからないが、出来ることはやろう。


俺たちがこれからの展開を話し合おうとすると、突然藤巻が話しかけてきた。

「おい。そこで手を握り合ってる男二人。いつまで握ってんだ?もしかしてお前ら、コレなのか?」

手を口の横に反らす様に当て、ポーズを作る藤巻。

突然すぎるその言動に驚きつつも、困惑を隠すことが出来ない俺。

「なあ高松。コレって何だ?」

藤巻がした、変なポーズを真似る。

「む………それは……」

ゴニョゴニョゴニョ

「ああ。成る程。そりゃあ勘違いだ。俺たちはそんな間柄じゃないよ」

「マジレスされても、それはそれで困るんだが……っと、そうじゃねぇ。俺が言いてぇのは、券をどうするかって言うことだ」

券を……どうするか…?

「ギルドに大量受注した筈ですが、何か問題でも?」

「誰があんなところからとって来んだよ。めんどくせぇし、遠いだろうが」

「まぁギルドは地下数十階まであるしね」

あ、大山居たんだ。気が付かなかった。

「結構な量がありますし、何人かで取りに行くと言うことでいいのではないかと」

普通に大山が会話に入ってきた事に何の反応も見せない二人。と言うか気付いているのか?

「複数人で一気に取りに行くということだね」

うん。何で大山は言わなくてもわかってるような事を繰り返すんだろう。

「あ、だったら俺が行ってくるよ。飯だけ作るんじゃ働かなさ過ぎだから」

「お。わきまえてんじゃねぇか、新人」

「でも、衛宮君だけじゃ地下の間取りはわからないだろうし、券は多いから一人で運べるものじゃないよ」

「と、言うことはもう一人くらいつけたほうが良さそうですが……」

と言って周りを見回し、誰かを探すような仕草をする高松。

「残念ながら筋肉自慢の野田さんは居ないようなので、私が行きましょうか」

「まぁ、頼んだところで素直に行ってくれるかどうかは怪しいところだがな」

「野田君はゆりっぺ一筋だからねぇ」

「……野田って誰だ?」

そんな人が居ただろうか。

「ああ。先の会合でも今回の会合でも彼は来ませんでしたからね。知らないのも無理はないかと」

「う~ん。彼は…何と言うか、馬鹿?」

「ああ。馬鹿だな」

ひどい言われようだ。そんなにも馬鹿なのだろうか。

「まあ居ないものはしょうがねぇ。高松が行ってくれるってんなら反対はしねぇぜ」

「えぇー。ちょっとは自分から行くとか言わないの?藤巻君」

「だったらお前が行くか?」

「僕は、その、ホラ、筋力が足りてないから……」

「つまり、行きたくないって事だろ」

まぁ結構遠いらしいし、行きたくない人を無理に行かせることはない。

「じゃあ早速行ってくることにするよ。高松、案内してくれないか?」

「ええ。善は急げといいます。さっさと行って終わらせてきましょう」

そうして俺たちは、武器製造所、ギルドへと向かうのであった。



[21864] 学園祭準備編 二、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/10/03 17:54
体育館 内部



「また変わったところにあるんだな」

体育館に着いて早々、俺たちは体育館の下の方から(あそこは何て言うんだ?)パイプイスを取り出して、ギルドへの道を開いた。

こんな変な所に隠してあるのでは、ほとんど見つかる心配はないだろう。

まぁ、話を聞く限り、それでも見つけられそうなところが天使の怖いところだが。

「ええ。ギルドが天使に見つかり崩壊してしまうと、私たちは弾丸の供給無しで闘うことになりますから。対策しても、し過ぎると言うことはありません」

それに、こう言ったこまごまとした事もできなくなりますからね。等と言いながら高松はギルドへの入り口へと目を向けた。

この下にあるギルドという場所には、チャーさんという戦線でも古参のうちに入る人物が仕切っているらしい。職人気質で、敵には容赦がないが味方には優しいと言う兄貴分だとか。

「で?どうやってギルドへ行くんだ?かなり下の方にあるんだろう?」

「先方に取りに行くと伝えておきましたので、罠は解除されているはずです。そして、少々遠いですが、ギルド最深部へと向かいます」

…………………………………え?…………何?罠?ギルドって、そんなに危険な場所なのか?

「あ………あー。ゴメン。この世界に来て知らぬ間に疲れていたみたいだ。よく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか?」

「む。それはいけませんね。今日の所はやはり一旦帰って休みますか?」

「い、いや。そんな大した事じゃないんだ。ただ、さっきの言葉をもう一度言ってくれないか?」

「無理をしてはいけませんよ。それで、さっき言ったことですか?罠は解除されているはずなので、少々遠いですがギルド最深部へと向かいます」

やっぱりかぁぁぁあああああああ!!!

いやぁね、わかってましたよ?ただ万が一、万が一実は本当に疲れて聞き間違えたという可能性を考慮してですね。

「どうしたんですか?衛宮さん。そんな膝と手を地に着け、落ち込んで。本当に大丈夫なのですか」

「いや、何でもない。本当に、何でもないんだ……。じゃあ、そろそろ行こうか」

膝に付いたほこりを払いつつ立ち上がり、高松を促す。

「?……大丈夫ならいいのですが……」

かなり不審げな顔をされたが、どうやらスルーしてくれたようだ。

ここの人達は全員スルー能力が総じて高い。まぁ、そうでもないと生きていけないのかもしれない。

ゆりの、あるがままを受け取れと言う訓戒が効いてるのだろう。あれって要は分からない事があってもスルーしろって事だからな。

などと現実逃避をかましつつ、ギルドへの道のりを行く俺。

果たして、この後俺を待ち構えてるものは何なのだろうか。

乞うご期待!




























なんて意気込んでみたのはいいのだが、延々と歩くだけで、普通に地下まで降りられた。何の障害もなく。普通に。

罠があるって言ってたからとんでもなく危険かと思ったのに。

「………なぁ。こんなに簡単に行ってしまって良いものなのか?」

もっと何かこう、何人もの人が道中で命を落とす(ここでは死なないが)……位の事は想像してたのだが。

「?罠は切っていますから。しかし、もし仮に何らかの事があって罠が作動した場合は、構造が複雑ですし、地下までたどり着くことは難しいと思います」

うへぇ。それは大変だ。相当の量を歩いて多少なりとも体力を消耗すると言うのに、さらにその上罠があるなんて。

「まぁ、そんな事は天使が襲撃してくるか、事前にギルドへ連絡し忘れない限り大丈夫でしょう………………………そこを左です」

「っと……こっちだな。そう言う事を言うって事は襲撃をかけられた事があるのか?」

「そんな事があれば、いくら罠があると言えどギルドはただでは済まないでしょう………あ、そこは右です」

「ん。こっちか……と言うか、そんなに天使って無茶苦茶な存在なのか。化物じみてるな」

「ええ。何度私たちは彼女に煮え湯を飲まされてきたことでしょう」

「ふ~ん……………………ん?…………………“彼女”?…………って事は、天使って女性?」

「何を今更………っと、そう言えば衛宮さんは、まだ天使を直に見たことがないのでしたか」

今まで聞いた話を総合すると、天使とは怪力で、凶暴で、戦線メンバーを幾たびも倒してきた、化物じみた奴と言う事だが……

「天使は外見に限って言えば可憐で、愛らしいと言っても良い位の美少女です」

な、なんだってーーーー!!!

衝撃の事実!戦線は美少女と戦っていた!………まぁ、ゆりも美少女といえばそうなんだが。

「いえ、むしろ美幼女でしょうか。身長的に考えて」

「えっと、つまり俺たちは、見た目美少女に攻撃を加えているのか?一方的に?いくら化物染みてるからと言って?」

「む。そういう言い方をすると悪く聞こえますが、我々はNPCには危害を加えませんし、銃を使うのも天使にだけです」

「いや、そうは言っても………」

違和感が残る。入隊する前も少し思ったが、それは果たして正しいことなのだろうか。

「一度戦ってみれば分かると思いますが、銃でも使わないと勝てる相手ではないのです」

「話し合いという手だってあるはずだ。武力をもって話しかけるなら、それは恐喝であって話し合いじゃない」

「彼女は一方的に襲いかかり、私たちを打ち倒していく。そんなものと、どう話し合えと?あなたは熊を目の前に話し合おうというのですか?」

「天使には言葉が通じるんだろ?だったらなんか熊じゃない。きっと話し合えるはずだ」

「詭弁です。話し合おうとしても、殺されるのが落ちです。躊躇していては、何もできない。衛宮さん、天使を目の前にして銃を撃つのを躊躇うというのなら、貴方は戦場に入らないほうがいい。覚悟がないものは、銃を撃ってはならない」

それでこの話はもう終了だ、と言わんばかりに足を速める高松。

………機嫌を損ねしまったかもしれない。

もう、天使を擁護するような事は、言わないほうが良いのかもしれない。

でも、いくら化物じみているからと言って、少女を一方的に銃で攻撃する理由になるのだろうか。

頭のどこかで、それは違うと何かが囁いている。

頭のどこかで、それは仕方ないことだと誰かが呟いている。

俺は誰の言うことを信じればいいのだろう。分からない。

だって、俺には記憶がないのだから。

俺は………

「見えてきましたよ、衛宮さん」

その言葉で現実に引き戻される。

前を見てみると、永遠に続くかと思われた通路も終わりが見えてきた。

「ここを降りればギルド最深部です………さぁ、降りましょう」

先ほどの口論の所為だろうか、こちらに目を向けず降りだす高松。

………まだ天使とも戦っていないのに、生意気なことを言ってしまったかもしれない………

全ては自分の目で確かめよう。そして、全てを確かめた後、答えを出そう。

たとえこれが、一種の逃避なのだとしても、今の俺にはそうすることしかできない。

そんなことを思いつつ、俺はギルドへと降り立った。







ギルド最深部


「はぁ?」

間抜けな声が口から出た。

驚いた。それはもう驚いた。細かいことがどうでもよくなるほどに。

それも無理からぬ事と思う。なんて言ったって、こんな光景が目の前に広がっているとは思いもよらなかったからだ。

まずはその広さに圧倒された。東京ドームが丸々入るんじゃないかって言う位(見たことなんてないが)のとてつもなく大きい空洞。

そして次に目が言ったのは、高度に機械化された工場群。コレだけ本格的だとは思いもよらなかった。せいぜい町工場位の物と想像してたのに。

これなら原爆だって作れそうだ………

下を見ると、俺がギルドの威容に圧倒されている間に、高松は既に降りきって人と話をしていた。

まずい。見とれるのは後でも出来る。早く追いかけないと。



俺が下に降っていくにつれ、地下の様子がどんどん明らかになっていく。

下には絶え間なく誰かがうごめいており、何処かの悪役が、まるでゴミのようだ!と言うのも、この様子を見ては賛成してしまいそうになる。

少し行った所で高松は、ガタイの良い男が話をしていた。

「ああ。頼まれていた券はそこのダンボールに詰めてある。本当はペイント弾も出来ているんだが………さすがに、二人で持って帰れと言うのもなんだしな」

「ええ。また何人かここに来る様に、ゆりっぺさんに伝えておきます」

「おう。その時はギルドからも何人かつけるから、そんなに人数はいらねぇぞ」

「助かります」

そこでガタイのいい男は俺の姿が目に入ったらしく、高松に聞いた。

「おい高松。あそこにいる奴は誰だ?見ねぇ顔だが」

「ああ……彼は衛宮さん。最近来た、新入りです」

高松は先ほどの遣り取りにまだ気にしているのだろうか、顔をあわせようとしない。

そんな二人の間に横たわる空気に気付いたのだろうか、ガタイのいい男は俺に近づく様に合図した。

「おう。お前が衛宮か。俺はチャー。ここの責任者みたいな立場に居る」

おお。この人がチャーさんか。噂にたがわず、デカイ。

「はじめまして。俺が衛宮です」

「お前さんの事はゆりっぺから話は聞いてるぞ。将来有望な新人なんだってな」

自分で思った事はないが、ゆりにはそう思われていたらしい。うれしいような、そうでないような。

「それで、学園祭でサバゲーをやる事もあって、お前の銃を用意した」

え?

「俺サバゲーに参加する予定はないですよ?」

「普段の作戦の事も考えてだ。銃を持ってないことには対抗しようがないからな」

そう言って、付いて来いと先導する。

え~っと。これは、付いていかないといけないんだろうか?

高松の方を見る。

「行ってきてはどうですか。まだ時間も有ることですし」

高松は少しギクシャクとしているものの、こちらを見て言葉少なにそう言った。

「………ああ。じゃあ、そうさせてもらおうかな」

遠くでチャーさんの呼ぶ声がする。早く行かないといけない。

まだ少し高松のことが気になったものの、俺はチャーさんのもとに行くことにした。






チャーさんについて行ってしばらくすると、ある建物の中に入った。

その建物は他のものと同じ様な形をしており、パッと見分けはつかない

建物の中に入り、とある部屋まで入ると、チャーさんは壁に立てかけてあった銃を取り、こちらに渡してきた。

「これがお前の使う銃、イジェマッシSV-98だ。元はロシアの銃で、装弾数は十発。あくまで、本物を模した物だが、本物に勝るとも劣らない代物だ」

渡された銃を手に取る。ズシリと重い。その重さは、これが人殺しの兵器だと言う事を否応無しに気付かせる。

「ライフルの弾丸は拳銃とは規格が違うから、専用の弾がある。今回は学園祭用にペイント弾だが、平時には実弾が配給される」

と言って、部屋の片隅に置かれていたダンボール箱を持ってきて俺に見せた。

ダンボールの横には、ぺいんとだんとひらがなで書かれている。

…………ここの人は、ペイント弾くらいまともに書けないのだろうか。

その後、銃の取り扱い方や使用方法などを軽く聞いて、俺たちは雑談へと移った。

「そう言えば、この銃とかはどうやって作ってるんですか?」

「ほう。いい質問をするな。この世界では生命あるものを作り出すことは出来ない。しかし…」

チャーさんは近くの泥を掬い、強く握る。

「こうやって粘土質の土を握り、作りたいものを強く頭の中に描き出し、強く念を込める。すると………」

そう言って手を開く。手の中には少し水気の抜けている泥があった。

「??どこが変わったんですか?」

「触ってみろ」

言われた通り、泥に触れてみる。これは………

「少し………硬い?」

想像していたより水気がなく、どちらかというとゴムのような感じだ。

「泥をゴムに変えてみた。短時間だから中途半端だが、時間をかければなんだって作れる。それこそ銃だってな」

ゴム化した泥を握る。フニフニフニフニ………やばい癖になりそう。

ああ、これはあれだ、こういうトレーニング用の器機があったような……

「だがまぁ、あまり複雑なものは変えることが出来ない。銃は複数のパーツを合体させることによって出来る…………聞いてるのか?」

ジロっと睨むチャーさん。

「え、ええ。勿論聞いてましたよ。あれですよね、あんまり複雑なのはちょっと難しい、とか何とか……」

「はぁ。その泥は没収だ。寄越せ」

しぶしぶ泥ボールを渡す。……ちょっと気に入ってたのに。

「まったく………ん?」

チャーさんはボールをまじまじと見つめ、次いで俺のほうへ視線を寄せた後、またボールを見つめた。

?何だろう。ボールに何か付いていたのか?

「衛宮。お前、これ握りながら何か想像したか?」

唐突な質問。それに少しびっくりしたものの、その眼光に押されるように正直に答えた。

「ええ。その、健康用品でこういうのがあったような……って」

「ような?そんなに軽く?」

何故そんなことを聞くのだろう。何か気が付かない間にしてしまったのだろうか。少し、ポカーンとなる。

そんな俺の態度に、少し冷静さを失っていることに気付いたのだろう。少し落ち着いた様子で話す。

「……はぁ。まあいい。いや本当はよくないが、良しとしておこう」

自己完結されても俺にはさっぱり分からないのですが。

まぁ、良しとしているのだから無駄に波を荒立てる必要はないか。

「それより、少し高松との空気が悪かったが、どうかしたのか?」

急激な話題転換。少し不自然だが、このままこの話題は辛かったので乗ることにした。

「ええ。それが、………」

話をすっかり話してしまう。と言っても大して話すこともないが。

「……ほぉ。それで少しぎすぎすしてたのか」

「ええ……少し、思うところがあって」

「さっさと謝っちまう事だ。本当の友人なら、それで水に流せるさ」

果たして高松と俺は、真に友人と言えるのだろうか………まだ会って数日しか経っていないというのに………

そんな思いを鬱々と抱きながら、結局チャーさんと別れた。

………しかし、ごまかされたような気がするが、チャーさんは結局何が言いたかったんだろう。











SIDE:チャー


「こいつはとんでもない逸材なのかもな」

掌にはさっき衛宮から没収した泥ボール。いや、それはもうゴムボールと言っていい程の物になっていた。

通常あんな短期間で泥がゴムに変わることは断じてない。

それは他のギルドメンバーでも試してみて分かっている。

ほんの数十秒では泥をゴムに変えることは俺たちでは出来ない。

人の想像力には限界があり、思っている以上に物事を詳しく覚えていないからだ。

だが、もし奴が例外だとするなら………

予想以上に期待できる新人が来たことに喜びを覚えるとともに、少し疑問も覚える。

あんな事を軽々とやってのける奴は生前何をやっていたのか?

ゆりに聞いた所によると記憶喪失タイプらしいが……

………まぁ考えても詮のないことか。

大事なのは、我等が戦線に有望な新人が来たと言うことだ。

「……ギルドに誘うってのも、いいかも知れねぇな」

「何かいいましたか?チャーさん」

小声で言ったつもりが、少し声が大きかったらしい。通りすがりのメンバーに聞こえてしまった様だ。

「いや、なんでもない。それより、例の件はどうなってる?」

「例の件………ああ、アレっすか。今のところ六割って感じらしいっすよ」

「そうか。ありがとう」

アレも順調だし、学園祭が終わったら衛宮の勧誘を、ゆりに打診してみるのもいいかもしれない。

そう考えると、やる気も出てきた。さぁ、もう一踏ん張りだ。

「いいか野郎共!この学園祭は絶対に成功させるぞ!」

おうっ!と言う周りの声を受け、俺は持ち場へと戻った。



[21864] 学園祭準備編 三、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/10/10 18:09
ギルド最深部



チャーさんとの話の後、俺は高松を探していた。

途中で出会ったギルドの人に聞いてみると、なんでもトイレに行ったという。

なるほど、こんなに広い所だ。トイレの一つや二つあったとしても、何もおかしくない。

まあ、トイレならすぐ帰ってくるだろうと高をくくって早十分。さすがに遅すぎる。

もしや高松の身何かあったやもしれぬと、探し始めてもう数分。ようやく俺は高松が入って行ったと言うギルド第三トイレへと足を運んだ。

第三って………何個トイレあるんだよ。などと思いつつ、男子トイレに突入。ここはまず高松にさっさと謝ってしまおう。

男子トイレの入り口に手を掛け、ノブを握り、扉を押す。

そこには――――――――――――――信じられない光景が待ち受けていた。

お、落ち着け……素数を数えるだぁ………素数は一と自分しか割れない孤独な数字。俺に勇気を与えてくれる……どこかの神父もそう言っていたハズ。でも正直、神父ってキチなキャラ多いよね。

………………………ハッ!危ない危ない。すっかり変な電波を受信してしまった。

だがそれも無理からぬことだと思う。

だって、そこには変態がいたんだから。



「……………………………何してるんだ?」

「―――――――――――ゑ?」

上半身裸の変態こと、高松は俺のほうを振り返ったまま固まった。

最初に握手した時から、筋肉は付いているだろうと思ってはいたが、まさか自分の筋肉を鑑賞するのが趣味だったなんて………人は見かけによらないものだ。

どうやら彼は自分の筋肉をまじまじと見つめていたらしく、妙なポーズをとっており、その様子が高松をより一層滑稽な様子にしていた。

二人の間に冷たい風が流れる。

これは前の口論とは何の関係もない。そう、ただ高松がHENTAIであったというだけの話。

「………あー。ごめん。何か、邪魔した。もう一回、出直すよ」

「………いえ、それには、及びません」

脱いだシャツをもう一度着なおそうとする高松。

「いや!良いんだって。ほら、何て言うか、個人の趣味だしさ。その、こんな場所でするって言うのもどうかとは思うけど」

「………ええ。それに関しては、今まさに後悔している最中です………」

うなだれる高松。まずい。なにかフォローを入れないと……

「あー………その。なんて言ったらいいかわからないけど、全裸じゃなかっただけまだましだと思うぞ?世の中には毎朝自分の全裸に酔う人も居るって言う話だからさ!」

「……………全裸は五分くらい前に終わりました………」

………………………………………………。

「と、とりあえず、外出てる」

トイレの入り口のドアを閉め、もたれながら腰を下ろす。

後ろから聞こえてくる、高松の衣擦れの音。

その音は、心なしか落ち込んでいるように聞こえた。

「なぁ。そのままでいいから、聞いていて欲しいんだ」

気が付くと俺は、口を開いていた。

「…………………」

よしっ。その無言は肯定と受け取ろう。

「その、さ。聞いてるかもしれないけど、俺って記憶がないんだよ。だから正直、ここに来たときは、不安だった」

気が付けば、見知らぬところに居て、自分が誰か分からない。

それは、何も見えない暗闇の中に裸で放り出される事にも似た気持ち。

「でも、そんな時、ゆり達が、現れた。現れて、くれた」

それは、暗闇に灯される一条の光のように、俺を導いた。

右も左も分からない俺の足元を、照らしてくれた。道を見せてくれた。

「その時、俺は確かに救われた。この世界に、いても良いと思えた」

過去の自分のことは、俺には分からない。もしかしたらとんでもない悪人だったのかもしれないし、とんでもない善人だったのかもしれない。

この世界には前世でとても辛い目にあった人達が集まるという。だとすれば、俺も人並みではない辛い目にあったのだろう。

でも、そんな事は今の俺には関係ない。

この世界に生きている人達は皆、前世でどんな目にあっていようと懸命に、今を生きている。

「だから俺も懸命に生きる。俺は、彼らに、ゆりや、遊佐や、もちろんお前にも、会えて嬉しかったし、この世界で会えて良かったと思っている。だから俺は、お前と、お前達と、できるだけ諍いを起こしたくない」

会って間もないが、彼らを見ていると分かる。彼らはなんだかんだ言ってもいい奴らだ。恐らく高松の言ってた事は本当の事で、銃でも使わないと天使には敵わないのだろう。

「でも、それでも。俺は、和解の道を探したい。甘いといわれてもいい。夢物語というのなら、そうかもしれない。
でも、俺は分かり合えると思うんだ」

この気持ちがどこから出たのかはわからない。でも、それは大切なことだと思うから。

「無抵抗でいろって言ってる訳じゃない。ただ、話し合いの道を探したい。
例えそれが、雲を掴むような話でも、追ってみたいと思うから。
だから…………力を、貸してくれないか?」

…………………………………………………………………。

返事は、ない。

まぁ、当たり前といえば、当たり前な話。

今日まで敵だった者と仲良くしてくれと言っても、よほど特殊な条件でもない限りすぐに出来るものではない。

高松の了解を得ることが出来なかったのは悲しいことだが、仕方のない事でもある。

残念だ。

本当に、残念だ。

………さて、俺の言いたい事は全て言ってしまった。

提案を認められなかった者は、潔く去るとしましょうか。

手を付き、座り込んでいた腰を上げようとする。

けれど、腰が重い。歩き続けたせいだろうか。

そして、足早にこの場から距離をとる。

残念だ。心の中でもう一度だけ、そう唱える。

その時突然、後ろの扉の開く音がした。

まさか、と思って後ろを振り向く。



そこには、トイレの入り口には、高松が立っていた。

半裸で。

「っていうか服着ろよ!」

「衛宮さん。貴方の話は聞かせてもらいました」

俺の突っ込みは無視された。しかしシリアスなシーンに入ろうとしているので我慢する。

「確かに貴方の考えは甘いと言わざるをえない。あの天使を相手に話し合いで解決しようなぞ、無計画にエベレストを登ろうとするようなものです」

メガネに手をクイッと上げつつ話す高松。いいから服を着ろよ。

「話し合いを持つということは、対等の位置にいなければならない。しかし圧倒的武力を持つ相手と対等の立場になるためには、こちらも武力を持つ必要がある」

そうかもしれない。でも、その前に服着ろよ。

「しかし、もし、仮に、天使と分かり合える機会が与えられるとしたら。貴方が天使を話し合いにつかせる時が来たのなら。貴方の覚悟を見せていただけるというのなら………その時は、私も微力ながらお手伝いさせていただきましょう」

友人として、ね。とウィンクをしながらこちらに話す高松。

「高松………」

いいから服着ろ。

とは言え、高松の言葉は正直ありがたかった。今はこの言葉で精一杯なのだとしても、これから俺が頑張っていけばいいだけの話だ。

「………それではそろそろ上に戻りましょうか。貴方も新しい銃の性能を試してみる必要があると思いますし」

少し照れたように顔を背けて話す。どうでもいいが、半裸の状態でそれをすると、性犯罪者みたいだ。

「……ああ。券も早く持って上がらないとな」

券がないことには、儲けを得ることが出来ない。

「ええ。藤巻さんや大山さんも、待ちくたびれている頃でしょう。速く行って次の準備もしないと」

「そういえば、俺も食材を大量に入手しとかないと」

「お互いたくさんやることがあるようなので、さっさと帰りましょう」

「ああ。それには同意する。けど、その前に服を着ろ」

高松の肌には、すでに鳥肌が立っていた。







地上 体育館前



地上に戻って、券を一度校長室に置いた後、俺は高松と分かれて橋の所で銃の練習をしようと思い立った。

本当はこんな物に頼りたくはないが、この世界では何が起こるか分からない。いつまでも守ってもらうのも嫌だし、自衛の方法くらい身につけたほうがいい。

手にはチャーさんから託されたイジェマッシSV-98。

銃の先のほうには二脚が付いているが、弓道に慣れているなら伏射より立射のほうが良いと言われたので、とりあえずに二脚を外し、抱えるように銃を持つ。

銃床を肩に当て、スコープを通して川の向こう側を見る。

…………これじゃあ近すぎるな。

目標を変え、向こう側の橋の方へ目をやる。

……うん。アレくらいなら十分か。

橋の欄干上には誰かが置いていったのだろう。缶コーヒーの空き缶が置いてあった。

丁度いい。あれを目標にしよう。

目標を視認。スコープを覗き、空き缶に照準を合わせる。

弾倉に初弾を込め、セーフティーを外し、引き金を絞る。

パァン

…………痛ったぁああああ!!!

あまりの音の大きさに、耳が痛くなる。

注意していなかった俺が悪いのだが、一時行動不能に陥る。

クソッ。こんな事なら消音機を付けておくべきだった。

まぁ、今更そんな愚痴を言っても始まらない。それより戦果を確認しよう。

…………よし。大きな穴の開いた空き缶が、吹っ飛んで橋の上に落ちている。


パチパチパチ。


後ろから拍手する音が聞こえてきた。

誰だろうと思い、振り向く。

そこには、ゆりが立っていた。

「あれ?何でこんな所にゆりが?」

さっきは校長室にいなかったが。

「そこらを歩きながら色々してたら、突然銃声がするんですもの。驚いて見てみたら、貴方が銃を撃っていたって訳」

……あれ?見ていたって事は……

「もしかして……撃った後のことも……見ていたり?」

そこでゆりは、これ以上は堪え切れないとばかりに笑い始めた。

「あれは中々傑作だったわね。こう、銃を撃ったかと思えば急に耳を押さえてのた打ち回り始めたんだもの。つい笑っちゃったわ」

俺の真似をしているのだろう。銃を構える格好をした後、耳を押さえてのた打ち回る仕草をした。

知らず、頬が熱くなる。

「あ~。その事は誰にも言わないでいてくれると助かるんだが……」

「ふふふっ。しょうがないわね。でも、銃声のことを除いたら中々やるじゃない。遊佐からは聞いてたけど、ほんとに上手いのね、狙撃」

「別に、そこまで自慢出来るほどの事か?少し遠くの空き缶を吹っ飛ばしただけだぞ?」

「あの距離で少しって………なんだかんだ言って、やっぱり貴方もここの住人なのね」

素で引いた様子のゆり。あれ?俺そんな変な事言った?

「………はぁ。まあいいわ。そんな事より、これだけの狙撃ができるのなら次のサバイバルゲームに参加してもらおうかしら?」

「うへぇ。それはまだ勘弁してくれ。まだ銃の扱い方にも慣れてないのに」

さっとゆりから距離をとる。少し練習しようとしただけなのに、本格的参戦させられるのは敵わない。せめてもう少し後なら……

「何も今決めろなんて言うつもりはないわ。でも覚えておいて。いつか貴方も戦うことになるかもしれない。その時は私たちもできるだけの事をするつもりだけれど、本当に頼れるのは結局のところ、自分自身なのよ」

ゆりのその言葉には、深い意味が込められている気がした。今はまだその意味を汲み取ることは出来ないけれど、いつか分かる日が来ると信じている。

「さ、せっかく訓練するんだし、邪魔者はさっさと退散するとしますか。邪魔して悪かったわね、衛宮君」

「いや、そんな事はないけれど……」

颯爽と俺に背を向け、立去って行く。と、その途中でこちらを振り返り、声をかけた。

「ああ、そうそう。忘れてた。はいコレ」

ヒョイッと放物線を描きながら物が飛んで来る。

思わずキャッチする。

「何だコレ?」

見た目的には……木札?

「チャーはチャーで新人用の銃を貴方に上げたようだけど、実はあたし、すでに他のギルドメンバーに貴方用の武器を作るよう頼んじゃったのよねぇ~。せっかくだし、使ってくれない?ギルドのフィッシュ斉藤って言う人にその木札を見せれば交換してくれるわ」

彼はたまに地上に来るから。等と言いつつ去ろうとするゆり。

「じゃあ、コレを渡すために声をかけたのか?」

「まぁ、たまたま見かけたから丁度いいかなって言うのと、耳を押さえていたのをからかおうと思って」

てへ。とかわいらしく笑うゆり。……美少女というのは得だ。そんな顔をされると、追求しにくくなる。

「はぁ。まあいいけどさ。それじゃあ、気をつけろよ」

「じゃあまたね、衛宮君。ちなみに、サバゲーの参加要請は冗談じゃないわよ。ちゃんと考えておいてね」

勘弁してくれ、と笑いながら分かれる。

……それにしても武器か。あんまりそんなものに頼りたくないのだが。

まあ人の好意を無碍にするのも悪い。けれど、使うかどうかは俺次第だ。




その後、三十分くらい銃の練習をして晩飯を食べに行った。

恐らくこれで銃の性能は把握したと思う。

ちなみに晩飯は豚骨ラーメンだった。……ここって料理のレパートリー豊富すぎると思うんだが。



[21864] 学園祭準備編 四、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/10/24 17:31


学園祭まで後三日と言う所で、問題が発生した。







俺は、食堂のおばちゃんから食材をもらって調理室を使って日持ちする料理を作っていた。

切り干し大根やひじきの煮つけ、きんぴらごぼう等の常備菜や、大量に作れるシチューやハヤシライスやカレー。持ち運びできる炊き込みご飯のおにぎり。
そして疲れたときにつまめるお菓子を作ろうと調理室を探していると、絞り袋がなかった。

ケーキのクリームとかに使うアレだ。

この前見た時はあったと思うのだが……

しょうがなく食堂のおばちゃんに貸してもらおうと食堂に行ってみると、マヨネーズの袋しかないといわれた。

俺自身はそれでもいいと思ったが、そんな事をすると一部のNPCから文句が来る可能性がある (NPCには料理にうるさい奴もいるらしい) との事で駄目になり、しょうがないので調理室の中を探してみると、少し前まで袋があった痕跡があった。

誰かが持っていったのだろう。

戦線の中でも趣味で料理する奴はいるし、もしかしたらNPCが持っていったのかもしれない。

戦線の中の誰かが持っていったのならば取り返せばよし、NPCが持っていったのなら……
まあ、その時は色々と諦めるしかないだろう。







そんな訳で、少し作り過ぎてしまったおにぎりを持ち出して、校内の戦線のメンバー達を探し回っているわけなのだが……

「何だコレは………」

「おう!衛宮じゃねぇか!どうだ、お前もやってくか?」

威勢のいい掛け声と共に、日向がこちらへ振り返る。
その姿はいつもの制服ではなく、何故か赤いジャケットを着ていた。

「………日向は、何をやってるんだ?」

「ん?見てわかんねぇか?ムーンウォークの練習だけど。これってなかなか難しいんだぜ?」

そんな事は見たらわかるし、そもそもこんなに大きな音でBeat Itが流れてたら馬鹿でもわかる。

「いや、そんな事を聞いているんじゃなくて、お前券の仕事があるんじゃないのか?こんなとこで他の所手伝ってる余裕あるのかよ」

「いやぁ~。券の発売は学園祭当日だけ頑張ろうかなって。大山とか藤巻が頑張ってくれているだろうし」

「はぁ。またゆりにどやされても知らないぞ。まったく」

そう言ってあたりを見渡す。何人かの生徒が日向と同じような格好や、白いスーツなんかの恰好で踊っている。
全然できてない奴もいるが、たいていの奴は形だけは様になっている。

「それは勘弁。そんで、どう?お前もやらねぇ?」

「遠慮しとく。俺が踊っても様にはならないだろうし」

「まあ後三日だしな。付け焼刃でやっても面白くないか。でもまあこいつを持っていってくれよ。いつ来ても踊れるように。替えはまだあるからさ」

日向は着ていた赤いジャケットを脱ぎこちらに渡してきた。マイケルジャクソンの着ていた服を真似たものだろう。

……正直いらないんだが。まあ、いいか。

「……そんな事は多分ないだろうけど、一応貰っとく。学園祭終わったら日向に返せばいいのか?」

「ああいや、それはTKに返してやってくれ。TKがギルドで特注した物らしいから」

「分かった。洗って返す……っとそうだ。ずっと踊ってるんだったら腹が減っただろ?おにぎり食うか?」

「お。悪ぃな。じゃあ一個だけ……ってうまぁ!!どうしたんだよコレ、食堂の新しいメニューか何かか?!」

うん。気に入ってくれたのは嬉しいが、米が飛んで顔にかかった。話をする時は口のものを全て飲み込んでからにしろ。

「違う……まったく。これは俺が自分で作ったんだ。後、話をする時は……」

「まじか!そういや高松に飯を作ってくれって言われてたもんな。なるほどこの味なら納得だぜ」

「いや、まあ、ありがとう。でも、お前、米を……」

「いやぁ。こんだけ飯の出来るやつがいたら安心だな。次に何か会ったときは弁当作ってもらえるし」

「ああ、まあそれはいいんだが日向……」

「だったら学園祭の時弁当作ってくれよ!俺も一応サバゲーに出るんだけどさ、少しなら自由時間があって見て回れるんだけど、出店はもうほとんど回っちゃってさ。今年はどうしようかと思ってたんだよ。いや~助かった」

「……………………日向」

「何だ?」

「お前、人の話を聞けって言われたことないか?」

「?言った事ならあるけど」

「……………そういやここは非常識な奴が多かったな」

嘆息を一つ。

ここの住人には何を言っても無駄でしかないのだろうか。

こんな日向でさえ、あのメンバーの中ではまともに見えるのだから。

「何か釈然としないが………あ、嫌だったらいいんだぜ?無理にしなくても」

「いや、そういう訳じゃない。はぁ……まぁいいや。ところで、絞り袋知らないか?あの、クリームとかに使う奴」

これ以上日向のペースに乗せられていると頭がおかしくなりそうだったので、急激な話題転換。
まあ、もともとこの事が聞きたくてここに来たのだから、本来の話題に戻しただけなのだが。

「絞り袋………ああ、あのケーキとかに使うあれ?知らないけど……ってか、そもそもそんなの持っていく奴がいるのか?」

「調理室からなくなってるんだから誰かが持っていたんだろう。誰かは分からないけど」

「ふ~ん。あ、だったら岩沢が知ってるかも。あいつ、意外に料理とかしてるし」

「ホントか?ありがとう。じゃあちょっと訪ねてみる。あ、けどこの時間帯どこにいるか分かるか?」

「あ~。この時間は……A棟の空き教室で音楽の練習でもしてるんじゃないか?学園祭も近いし」

「いや、本当にありがとな。助かった」

「ま、おにぎり代って事にしておいてくれ。美味しかったぜ」

「ありがとう。じゃ、ダンス頑張ってくれよ」

「おうっ!」

じゃあな、という言葉を背に受けつつ教えられた場所へと足を向ける。

さぁ。急ぐとしよう。学園祭までは、後三日しかないんだから。







第一連絡橋下 河原




そんな風に決意をした数分後、俺は河原で釣りをしていた。

いや、待ってくれ。俺も最初はまともに探そうとしたんだ。けど、河原にいた釣り青年があまりにも楽しそうに釣るもんだから……いや、これは言い訳だな。誰にしているのかは自分でも分からないが。

「少しは釣れたかい?」

後ろから声をかけられる。結構かっこいい声。イケメンボイスとでも言うのだろうか、アニメの声優なんかでも食っていけそうな声だ。

「いや、まだ………ってキタ!」

持っていた竿に反応があった。始めて数分で一匹かかるなんて、もしかして俺には釣り人(アングラー)としての才能があるのかも、なんて自惚れてみる。

「そうだっ!力強く引っ張れ!絶対に離すなよ!」

後ろからの助言を聞きつつ、リールを回す。結構重い。

ぐるぐる回していくうちに、魚が近づいてくる感触がある。そしてココ!と思ったときに思いっきり竿を引っ張った。

水面から飛び上がるように引っ張り上げられる魚。

水飛沫と共に陸へと釣り上げられた魚は、初めての成果と言うことも相まって凄く綺麗だった。

「やったな。初めての釣りでコレくらいの魚が釣れたら上出来だ」

大きさは大体50cm位の、バスだった。

「いや、結構面白いもんだな。釣りって言うのも」

「だろう!まあ戦線でもたまに釣りをすることがあるからな」

「へぇ。俺は最近来たばかりだからまだやったことはないけど、機会があったらまたやりたいな」

「そう言ってもらえると、オイラも嬉しいよ」

どうして俺がこんな川辺で川釣り青年と釣りにいそしんでいるかと言うと、理由がある。

どんな理由かというと………あれだ、説明するのが面倒くさい。

はい、回想シーンスタート!









第一連絡橋 通路



日向達のいた場所から岩沢達の練習していると言うA棟は川を挟んでおり、連絡橋を使って渡るしかない。

多少面倒ではあるが、そうでもしないと向こう側へ行けないのだから仕方ない。

そう言う訳で橋を渡っていると、橋の下で釣竿が見えた。

こんな所で釣りができるのかと半ば感心していると、釣りをしている本人が見えてきた。

麦藁帽子に半袖短パン。この位置からでは顔の判別はつかないが、口元が微笑っているのはわかる。

その様子から見るに、相当釣りが好きなのだろう。よく見ると、竿を持つ手つきも堂に入っている。

その楽しそうな様子を見ていると、こんな忙しいときではあるが興味が湧いてきた。何だろう、俺の釣り人(アングラー)としての血が目覚めたとでも言うのだろうか。

「お~い」

河原の青年に声をかけてみる。しかし、聞こえているのかいないのか、何の反応も返さない。

とりあえず降りて話をしようと河原へと下る。

降り立ってみると、河原は意外に広く、戦線のメンバー全員で来ても支障がないほどだ。

「なあ、そこの釣り青年!」

俺の重ねての呼びかけに、釣り青年は人差し指を唇にあてて静かにするように促した。

何だろうか、と思いながらもとりあえず黙る。

俺が黙っていると、辺りは川の流れる音しかしない。

ふと、トンボが飛んできた。川以外に動くもののないこの空間において、それは自由気ままに飛び、釣り青年の帽子の縁に止まった。

だが、釣り青年はそれに気付いた様子もなく、川面を見つめて釣りに没頭している。凄い集中力だ。

何となく声をかけるのを躊躇っていると、彼は急に動き出したかと思うと、飛び上がった。

ジャンプと同時に竿を振り上げていたのだろう。竿の動きと合わせて魚が宙を舞う。

魚は万有引力の法則に従い、地面へと落ちる。が、落ちた先には壺があり、うまい具合にその中に落ちる。その一つを見ても彼がこの道において只者ではない事は容易に想像できる。

「で?オイラに何か用かい?」

振り向いた釣り青年の顔は、己の見せた芸に対する自慢の色を見せず、ただ釣りを楽しむことが出来たと言う清々しい顔をしていた。

「あ……いや、ちょっと橋の上から見えたからさ、何をしているのか気になって」

そう言うと彼は少し不機嫌な顔になり、こう言った。

「ああ。さっきの声はアンタのだったか。困るねぇ。あんなに大きい声を出されちゃ魚が逃げちまう」

「あ、すまない。そこまで気がつかなかった」

そうか。だとするとさっきは不躾な事をやってしまった。

「ま、過ぎたことを気にしてもしょうがないか。これから人が釣りをしている傍では大声を出さない方がいいぜ。…………そうだ。アンタも釣り、やるかい?そうすれば釣りの最中に大声を出そう何て事は思わなくなるだろ」

ふと、今思いついたようにそんな事を言い始めた釣り青年。誘いを断ることは簡単だが、本当に断ってしまっていいのだろうか。

俺が彼の釣りを邪魔したことは事実だし、過去に戻れる方法がない以上それは取り消せるものではない。ここは一つ彼の言うことを聞いて彼を満足させてやる事が先程の無礼の贖罪と成るのではないのだろうか。

と言うのは、まあ後付の理由で、本当は少し釣りをしてみたかっただけなのだが。

「じゃあ、やってみようかな。他に釣竿持ってるか?」

「お、本当にするのか。言ってみただけなんだがねぇ」

そう言いながらも、少し離れた所に置いてあった荷車から釣竿を取り出し、俺に手渡す。

「ん。ありがとう。で?こいつをどうするんだ?」

「ああ。まずはそいつの先に……」

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と言う訳だ。

相変わらず誰に弁明しているのかは分からないが、こいつは仕方のないことだったんだ。俺のDNAが釣りをしろって叫んでるんだからしょうがない。

「………ぉい。おいってば。おい!」

「ん!?何だ?!敵襲か?」

「何を寝ぼけてるんだ?結構な大物釣ったからって意識を飛ばすのはどうかと思うがね。オイラは」

はっ!気付けば誰とも知れない相手に言い訳をしていた。やばい…実は俺って、結構疲れているのかもしれない。

「……ああ。いや、なんでもない。それよりこの魚どうするんだ?食うのか?」

「ん?まあ食ってもいいんだが、ミッションじゃないし離そうと思うんだが、どうだ?」

「いいんじゃないか?キャッチ&リリースで」

釣り針の先についた魚を掴み、川へと放流する。

放された魚は、喜びを表すかのように激しく動くと、川の底へと逃げ去ってしまった。

「それで、釣りも体験したことだし、どうする?まだやるか?」

魚が川底へと逃げ去るのを見送った後、釣り青年は出し抜けにそんな事を言った。

「本当はもっとやってたい所なんだけど、本当はやることがあってさ。そろそろ行かなくちゃならないんだ」

そうだ。思えば本来ここで釣りをしている余裕なんか俺にはないはずなのだ。なのに釣りをやってしまった俺は……まあ、馬鹿なのだろう。

早く絞り袋を探し出さなくちゃならない。そのためには、まず岩沢に聞いてみなくては。

「そうか……じゃあオイラも、そろそろギルドへ戻るとしますかねぇ。偶々休みを貰えたからと言って、学園祭の準備で忙しいときに釣りに来るのは、ちょっとまずかったかもしれねぇ」

ああ。それでこんな所にいた訳だ………ってギルド?ギルドと言えばたしか……

「そう言えば聞いてなかったけど、アンタ、名前はなんて言うんだ?」

「ん?オイラの名前かい?まあ、名乗るほどの名前じゃないが、人呼んでフィッシュ斎藤ってんだ」

フィッシュ斎藤……?フィッシュ………斎藤?

「……そう言えばアンタの名前も聞いてなかったな。アンタの名前は?」

「あ…ああ。俺の名は衛宮。衛宮士郎だ」

「衛宮……?」

向こうもこちらの名前に心当たりがあるらしく、首をひねっている。

おかしいな。確か最近何処かで聞いた名前だと思うのだが……

「衛宮、エミヤ、えみや……何だっけか。たしか何処かで聞いた名前なんだが……ん?」

「俺もアンタの名前を聞いたような…と言うか、そんな個性的な名前聞いたら普通忘れな……あ!」

「「そうだ!たしか、ゆり(ゆりっぺ)に言われてた相手!」」

そうだ思い出した!フィッシュ斎藤と言えば、ゆりが俺の武器を作ってくれるよう頼んでいたギルドの職人の名前だ!

どうして忘れていたのだろう。こんな個性的な名前、忘れようとしても忘れる事なんて出来そうもないくらい個性的なのに。

「なるほど。アンタが衛宮だったのか。ゆりっぺが新人に武器を作ってくれなんて珍しい事言うからどんな奴かと思ってみれば。へぇー」

「フィッシュ斎藤。こんな個性的な名前なのに……やっぱり少し疲れてるのかな、俺。っと、そういえばこの木札、今渡してもいいか?」

「おお。すまんな。ま、こんなもんはただの証明書みたいな物だから、あんまり意味はないんだけど」

木札を懐へしまいながら、斉藤は荷台から何か細長い袋を取り出した。そう、それは………

「弓?」

袋から得物を取り出しながら感触を確かめる。間違いない。弓だ。

「ああ。ゆりっぺからの注文で、カーボンファイバー製。一応理論上では何度か天使のハンドソニックにも何回かは耐えられる……ハズだ。カーボンファイバー製の欠点である加工のしにくさも、この世界では泥から継ぎ足したりすることによって補うことが出来る。出来る事なら、自分でやったほうがいいだろうが」

手元の弓を見る。黒塗りの西洋弓。握りの部分にはハンドソニックを受け流すために丸くなっている。
それにカーボンファイバー製だからだろうか、とても軽い。だが、軽さのせいで少し頼りなく感じる。

「へぇー。まあでも、銃があるのに、こいつの出番なんてあるのか?」

「まあ基本はないだろうが、あれだ、天使にはディストーションがあるから」

「ディストーション?」

「天使のガードスキルだよ。詳しいことまでは分からんが、ある程度の質量以下の攻撃だと弾き返される。その時の為のそいつだ。ま、いわば切り札だって所か」

弓の方に視線を向ける。こいつが………対天使用の切り札。なんか、複雑な気分だ。話し合いで解決したいと思っているのに、ディストレーション用の切り札が手元に来るなんて。

「まあ、和弓が好みだったんなら悪かったよ。少し時間がかかるが、和弓に直すかい?」

じっと弓を見つめていることを不審に思ったのだろうか、そんな事を言い始めた斎藤。

「いや、これでいい。たしかに和弓の方が慣れてるけど、何故かこいつは手の馴染みがいい」

カーボンと木だったら木の方が好きなのだが………なぜだろう。

「ふぅーん。ま、いいけどさ。これで俺も肩の荷が下りたって所だ。それじゃあまたな、衛宮」

「ああ。また会えたら、そん時はまた釣りをしよう。じゃあな」

斎藤は荷車を引きながら去っていく。

………ところで、なんで荷車なんて持ってきているのだろう。ツッコムのが遅かったかもしれない。

まあそんなこんなで俺の初めての釣りが終わったわけだが………結構面白かったな。

竿、自分で作ってみるかな。






[21864] 学園祭準備編 五、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/10/31 17:32
学習棟A棟前



……………………………………暑い。

この学園は共通言語が日本語なだけに、気候も日本に近い仕様になっている。

つまり、夏は蒸し暑い。

川の近くは比較的涼しかったが、川から離れるにつれ暑くなってくる。

顔から吹き出てくる汗をぬぐいながら、先へと進む。

建物の中に入ってさえしまえば、クーラーが効いているはず。そう思ってA棟まで歩いていると、突然後ろから声をかけられた。

「お。衛宮じゃないか。どうした、こんな所で」

聞き覚えのある声。そう、この声は………

「岩沢!いや、ちょうど岩沢を探してたんだよ」

ちょうど休憩中だったのだろう。肩にタオルをかけ、手にペットボトルを持ちつつこちらに挨拶してきた。

「あたしを?」

何故に?という顔をして首をかしげる。

「いや、それが………」

「おぉ~い岩沢!皆待ちくたびれてるよ!」

俺が事の次第を説明しようと口を開くと、それを遮るようにA棟の教室から大きな声が響いてきた。

「あぁ!ごめん!すぐ行く!ごめん衛宮、また後に………っとそうだ、アンタも練習見てく?」

「へ?」










学習棟A棟 空き教室




「はぁ!?こいつが“あの”衛宮!?」

空き教室に女の子の声が響く。

連れてこられた教室は現在使われていない空き教室の一角で、岩沢達はいつもその教室で練習しているらしい。

「ん?そうだけど。何?」

岩沢がポニーテールの子に答えを返す。何かおかしい事でもあるのか、という態度に少し鼻白んだ様子を見せたが、勢いを取りもどし、問い返す。

「何ってお前、あの、最近練習の合間に料理を作ってくれてる方の?」

「そう。その衛宮」

他にどんな衛宮がいると言うのだろうか。

「と言うか、何でそんなに驚いてるんだ?」

「何でって、そりゃぁ……」

そしてこちらに指先を向ける。

「だってあいつは……………男だろ!」

…………………………………………は?

「……当たり前だろ?ほら見ろ、衛宮も呆れて見てるじゃないか」

「え?」

そこで初めて俺の視線に気付いた様にこちらを向く。

「「…………………………」」

無言のまま見つめあうこと数秒。

先に口を開いたのは彼女の方だった。

「えーと。いや、その、アンタが女じゃなかった事が不服なわけじゃなくて、ただ岩沢が差し入れとか言って食べ物ヒョイッと渡したかと思ったら、それが結構うまくて、誰がくれたのか聞いても衛宮としか答えないで練習始めてたし、男手料理上手いなんてペンギンが空を飛ぶ様なものだなって思ってたからそれで……」

「ああはい分かった、分かったから少し落ち着いて話してくれ!」

「あ、ゴメン」

まるで掴みかからんとばかりに近づいてきたポニーテールの子を押しとどめ、落ち着かせる。

「それで、えーと。その、俺が衛宮士郎だけど………」

「あたしは、ひさ子。ガルデモでリードギターやってる」

「あ、うん。高松から聞いた事がある」

意外に高松はガルデモの大ファンで、岩沢に会ったことを話したらガルデモのことを意気込みながらすっかり話してくれたのだった。

「へぇ~。それにしてもあんたが衛宮かぁ。この指からあんな旨い物が作り出されるなんて、なんか信じがたいな」

そう言ってまじまじと俺の指をみるひさ子。少しむず痒い。

「そ、それで岩沢。練習するんじゃなかったのか?いいのか、始めなくて」

その視線にに耐え切れず、とっさに岩沢へ話を向ける。

「ん?ああ。始めたいのはやまやまなんだけど、ベースの子がちょっと用を足しててね。待ってるって訳」

そう言えば高松から聞いたガルデモのメンバーはボーカル&ギターとリードギター、ドラムとベースの四人だったはず。

ボーカルは岩沢で、ギターはひさ子。ドラムは……後ろの方に隠れているあの子だろう。だとすればベースは………

「遅れましたぁ!」

突如として空き教室の扉を勢いよく開け、突入してくる人影。

かなり大きい声で叫んだので、近くにいたひさ子は耳を痛そうにしていた。

「関根!入ってくる時に挨拶するのはいいが、人の!耳元で!大きい声を出すな!」

すみませーん、とまるっきり反省していなさそうな態度で謝った後、こちらの存在に気づく。

「あれぇ?ひさ子先輩。この人誰ですか?」

「ああ、そいつはあれだ。最近料理作ってくれてる衛宮だよ」

「………………………………………………………………………………ええぇー!!ホントですか?!だってあのその、男の人ですよね?」

「そうだけど……」

「だって……えー!ホントにホント?嘘じゃなくて?」

「嘘だと思うんなら本人に聞いてみろよ……」

丸投げされた!

「えーと、あの、妹さんとか居られませんか?」

「いや、俺の知る限り妹はいないけど………そんなに男が料理するって変か?」

「え?いや、別に変じゃナイデスヨ?ただ、男の人に負けた……」

「えーと、関根、さん?」

「そんな!女のくせに男の人に料理で負けた私にさんなんてつけないで下さい。あたしなんて、あたしなんて……」

どうしたらいいの分からず困った状況になったと思っていると、ひさ子が助け船を出してくれた。

「大丈夫だ関根。料理がまともにできる女の中でもこいつにかなう奴なんてのはあまりいない。お前が恥じることなんて何一つないんだ!」

助け舟………なのか?

「ひさ子先輩……」

「関根……」

抱き合う二人。そのテンションの高さについていけず、取り残される俺。

「ゴホン。………それで、関根も戻ったことだし、あたしはさっさと練習を始めたいんだが………」

はっと気付いたように身を離そうとするひさ子。しかし関根の方が離そうとしない。

「ひさ子先輩!あの時交わした契りを忘れてしまったというのですか!」

「何のだよ!そんなもんいつしたんだよ!」

バシッという音と共に頭に張り手をかますひさ子。

「いたたたたっ。痛いですひさ子先輩!ジョーク!ジョークですってば!」

とっさに離れる関根。

「はいはい。それじゃあまずはAlchemyから始めるよ」

その遣り取りを、さすがに飽きだしたのか適当にあしらいまとめに入る。

岩沢のその言葉に急いでベースを抱えなおし、準備する関根。

「三、二、一、スタート!」

音楽が奏でられる。

知らぬ間に心が躍り、聞き入る。

音楽知識なんてまったくない俺でさえ引き込むような何かがその曲にはあった。

なるほど。生徒の間で人気だというのもうなずける。

そう言えば高松もAlchemyは良いって言ってたっけ。










最後に音の余韻を残しつつ、彼女らは演奏を終えた。

俺は、自然と拍手していた。

歌って暑くなったのだろうか、首に巻いたタオルで汗を拭いながら、こっちを見る岩沢達。

「なんというか、凄かった。うまく言えないけど、凄く良かった」

「あんたが日頃料理作ってあげてるのがどんな人物か分かった?」

「ああ。これだけ人の心を動かせる人達に俺は料理を作ってたのか。何か、誇らしいよ」

「それはちょっと言い過ぎのような……」

「それだけ感動したって事さ。あ、そうだ。そう言えば何か次の料理で欲しいものあるなら、聞いとくけど」

「あ、それだったら……」

「いや、ちょっと待って下さいひさ子先輩。ここは後輩である私たちに発言権を譲ってくれるというのが、良き先輩たる見本だと思います!」

「いやいや、ここは先輩に譲るのが後輩としての義務だろ?」

「そんな事ないよねぇ?みゆきち。みゆきちも、衛宮さんの料理美味しそうに食べてたもんね。好きな物食べたいよね」

「え?まぁ、それは……」

少し上目づかい気味にこちらを見る入江。しかし生来の性格からか、言いたい事をはっきりと言いにくいらしい。

「そんな煮え切らない態度じゃ駄目だよ、みゆきち。じゃないと衛宮さんの手料理とられちゃうよ?」

「それは……食べてみたいけど……」

「ほらひさ子先輩。みゆきちもこう言ってますよ」

「いや、どうせ作るのは衛宮だ。だったら誰の物を作るのか、衛宮に決めてもらえばいいじゃないか………衛宮は、あたしの杏仁豆腐を作ってくれるよな」

そう言って距離を近づけるひさ子。

「いえいえ、ここはあたし達のババロアを作ってくれますよね。衛宮さん」

距離を近づける関根。

「いやいや、ここはあたしの……」

「いえいえいえ、ここは……」

さらに距離を縮めるひさ子と関根。

助けを求める視線で辺りを見回すが、一歩はなれた位置で苦笑いしている岩沢と入江を見て、これは駄目だと諦める。

「衛宮?」「衛宮さん?」

「ああ分かった!分かった!どっちも作るから勘弁してくれ!杏仁豆腐とババロアだな。次には作ってくるからとりあえず離れてくれ!」

強引に二人を引き離す。俺も男だ、美少女二人が近くにいていつまでも冷静にいられる自信なんてない。

「ははっ。なんだ最初から二つとも作ってくれれば良かったんじゃないか」

「そうですよぉ。二つとも作れるなら最初からそう言って下さいよ」

………あれ?何でこんなにボロクソに言われてるんだろう、俺。

「………悪かったな気が利かなくて。それよりも、俺は岩沢に聞きたい事があって来たんだが」

「ん?ああ、そう言えばそんな事言ってたっけ。それで何?デートのお誘い?」

「えー!岩沢先輩と衛宮さんってそういう関係だったんですか!だから食事を作ったり………納得です!」

「なんでさ!岩沢も誤解を招く発言は控えてくれ!そうじゃなくて、絞り袋!ケーキのデコレーションとかに使うあれ、知らないか。日向から岩沢は意外に調理室を使うって聞いてさ」

「絞り袋……?ああ、アレね。最近使ったことは……ない、と思うけど」

「そう、か。ありがとう。また他をあたってみるよ」

「あ、だったら遊佐をあたってみたら?あの子意外に料理作るし、お菓子なんかもたまにくれたりするから」

「ホントか?ありがと。じゃあ今度は遊佐をあたってみるよ。後、杏仁豆腐とババロアの味付けなんかはこっちで適当にするけど、問題ないよな」

「あ、うん。べつにいいけど」「こっちも別いいよね、みゆきち?」「あ、別に何でも…」

「わかった。また機会があったら聞きに来るよ。じゃ」

後ろ手に扉を閉める。教室から聞こえてくる分かれの声を背に、俺は教室を離れた。







学園テニスコート前



遊佐はどこにいるのだろうか。そう思い、考えてみるとそう言えば普段何をやっているかわかるほど俺たちは深い付き合いをしているわけではないことに気付いた。

その事実を少しさびしく感じつつも、それならばこれから知っていけばいいと思い直す。そうだ。まだまだ時間はあるのだ。

とりあえず、気は向かないが遊佐の友人(自称)である弓道部の部長のところへ行こうと思い、弓道場へと足を向けた。

そこに待ち受ける者が何なのかも知らず……










「貴様が衛宮だな」

その殺気立った声に、まず体が反応する。

とっさに体を反転し声の主と対峙する。

男だ。そして腕には見慣れない得物。ハルバードというのだろうか、斧と槍を合体させたようなものを担いでこちらを睨んでくる。

「ほう。その身のこなし、多少はやるようだな」

「………そういうアンタは何者だ」

話をしながらも注意を逸らさない。奴は本気だ。

「ふん。そんな事はどうでもいい。俺が聞きたいことは唯一つ。貴様、ゆりっぺから何を貰った」

「は?」

目が点になる。コイツは何を言っているんだ?

「ふん。白々しい。どんなつもりでゆりっぺに近付いたか知らんが、この俺の目の黒い内はゆりっぺに指一本触れさせんぞ」

「あんた………何か誤解してないか?」

「あくまで白を切るつもりか。ならばこちらにも考えがある」

得物を槍のように構え、穂先を下方へ向ける。それだけで、こいつが相当の膂力を持つことが分かる。

本来ハルバードのような重い得物は、下から切り上げるよりもむしろ上から切り下げる方が簡単で、威力も高い。が、コイツはそれを軽々と扱い、構えはまったく微動だにしない。

………強い。隙を見せれば………やられる。

「落ち着け。俺は別にアンタと戦いたいわけじゃ……」

「問答無用!」

得物を下方に下げたまま突撃してくる。

結構な重さであろう得物を持ちながらの突撃にしては中々に速かったが、目で追えないほどではない。

「せぇい!」

突き出される得物。神速とは言いがたいが、それでも十分に速度の乗った攻撃。当たればただではすまないだろう。しかし………

「なにっ!?」

いけるっ!たしかに力は強いが、当たらなければどうということはない!かわせる……かわせるぞ!

「小賢しい真似をっ!」

振り回されるハルバードは確かに脅威的だ。しかし、力は強いが巧くない。狙いは正確だが真っ直ぐすぎる。そして何より速さが足りない!

「落ち着け!まずは話を……」

「とぉりゃあ!」

駄目か…………だがこのままではジリ貧だ。どうする……………そうだっ!

「ほう。ようやくやる気になったか。面白い。無抵抗な奴を嬲るのにも飽きてきたところだ」

仕切りなおしのつもりだろうか、わざわざ距離をとる。相手がわざと作った隙。その間に、斎藤からもらった弓を弓入れの中からとりだす。

「チッ。弓使いか。だが……矢を出す暇は与えん!」

距離を開けたことの失策を悟ったのだろう、あけた距離をさらに詰めてくる。しかし、こちらは元より矢を出す気はない!

ガキンッ!

硬い物と硬い物がかみ合わさる音。繰り出された暴風のごとき一撃は、俺の弓本体によって阻まれていた。

「なんだと!」

相手は驚いた声を上げる。恐らく弓自体を武器として使うなど思いもよらなかったのだろう。しかし、天使の攻撃に耐えられるというだけあって、弓自体はかなり頑丈だ。問題は………

「く…なんて馬鹿力だ」

奴の膂力を侮っていたということか。先程の一撃も、あちらは片手で、こちらが両手であるにも関らず腕が吹っ飛ばされるかと思う程の威力だった。このままでは……押し切られる。

「せぇい!」

一瞬に全力を込め、奴の得物を弾く。

「チィッ!」

奴は弾かれた得物を強引にこちらへぶつけてくる。その攻撃を受け流し、反撃しようとするが、奴の恐るべき馬鹿力によって体制が崩れ、手が出せない。

攻撃を避けようとするも、弓を持っている状態では先ほどのようにうまくかわせない。しかし弓を捨てようとする仕草を見せればそれは致命的な隙となる。

「はん!どうした!その程度か!」

好き勝手に言ってくれる!

とりあえず距離をとらなくては始まらない。しかし相手はそんな隙を見せようとしない。

千日手だ。だが、まだ手は有る!

「はぁぁあああああぁぁ!!!」

奴のハルバードがものすごい勢いでぶつけられる。わざとその攻撃を受け止め、その勢いを殺さずに後ろへと跳ぶ。

ごろごろと無様に転がりながらも距離をとる。

「ふん。梃子摺らせおって」

弓兵に距離をとられる事の恐ろしさも知らず、まるで勝者のように悠々と歩いて距離を詰める男。その油断が命取りとなる。

うずくまった状態のまま相手に分からぬようこっそり矢を取る。

男が止めを刺そうとハルバードを振り上げる。振り下ろす力+重力の威力は、先程までの攻撃より強いだろう。真っ二つにされてもおかしくない。が、不思議と恐怖心は湧いてこない。

俺はこっそり弓に矢を番え、相手を狙う。

勝負は一瞬で決まる。

弦を放し、矢が相手に刺さるのが速いか、ハルバードが俺の体をぶった切るのが先か。

勝利の女神はどちらに微笑むのか。

俺は、身を翻し、弦を放し…


「そこまで!」


ばぁん!という銃声と共に制止の声が入る。

そのいきなりの爆音に、とっさに手が止まる。それは相手も同じだったようで、体に当たるほんの少し手前に切っ先があった。

「どう言うつもりだ、女」

低く、脅しつけるような殺気立った声。それは後一歩と言う所で邪魔されたせいだろうか、それとも単に気が短いだけか。恐らくは両方だろう。

「いやいや、ホントは邪魔する気なんてこれっぽちもなかったんだ。たださぁ、うちン所の近くで血が流れるのを黙って見とくってのも考えもんだろぉ?」

そんな声を、飄々とした態度で受け流す。それは自信の表れか、それともただ虚勢を張っているだけなのか。

「そんな理由でこの戦いを邪魔したというのか」

怒りのあまり、ハルバードの向きを替える。まずい……このままではっ!

「落ち着け!貴女も挑発しないで下さい!部長!」

「や。エミヤン。お久ぁ~」

悪びれない態度。やはりこの人は何処か苦手だ。思い出せない誰かに似ている気がする。

「それにしても心外だなぁ。あたしはただ思った通りの事を言っているに過ぎないのに」

「そう言うのを挑発してるって言うんです!」

はぁ。自然とため息が漏れる。もうこの空気は戦える雰囲気ではない。

「なぁそこの。今日はもうコレくらいで勘弁しないか?どう見ても戦える雰囲気じゃないだろ?」

チッと舌打ちが一つ。やはり相手も、もう戦える雰囲気ではない事は悟っているのだろう。ハルバードを引き戻し、戦う姿勢を止める。

「貴様、名は?」

短い問いかけ。でも、アンタ最初に俺の名前言わなかったか?

「もう知ってるだろ?何で聞き返す」

「いいから答えろ」

言外に空気を読めと言う雰囲気を漂わせつつ、迫ってくる。また戦闘になるのはめんどくさいし、ゴメンだ。さっさと言っておくか。

「衛宮、衛宮士郎だ」

「俺は野田。いずれ貴様を倒す男の名くらい知っておいたほうがいいだろう。ゆりっぺから貰った物、せいぜい今は大事に持っておけ」

野田……野田…………ああ。そう言えば大山が野田君はゆりっぺ一筋だからとか何とか言ってたような……

ああ、なるほど。つまり、コイツは大好きなゆりっぺが男に贈り物をしたから嫉妬してるわけだ

「つまりはただの嫉妬って……フゴフゴフゴ」

余計なことを言おうとしていた部長の口をふさぐ。まったく。火に油を注ぐことしかしない人だ。

どうやら幸いなことに、野田には聞こえていなかったらしい。良かった。

そのまま立ち去る野田。取り残される二人。

思えばあのまま勝負を続けていたら、どちらかが確実に怪我をしていただろう。と言うかむしろ死んでいた。

そう思えば、部長が止めてくれた事に感謝するべきなのかもしれない。そう思い、部長のほうへと振り返る。

「その、部長」

「あー良いって良いって。別に感謝されるような事は何一つやっちゃあいないんだからさ」

こう言った恩に着せない所が彼女の魅力なのかもしれない。

「でも、一応感謝はしとく。ありがとう」

「…………あー。うん」

お礼を言われることになれていないのか、顔をそっぽ向ける部長。心なしか頬が赤いような……

「そ、そんな事よりもエミヤンはどうしてこんな所まで?普段ならこんな所まで来ないだろう?」

「ああ、そうだった。俺は部長に会いに来たんだった」

俺のその言葉に何故かさらに顔を赤める部長。何か変な事言ったか?俺。

「えっと、それは、どういう意味で受け取ったら良いんだ?その……ゴニョゴニョ」

最後の方は声が小さすぎてよく聞こえなかった。が、その姿は普段の姿を知る者から見ると少し、と言うか、かなり不審だった。正直気持ち悪い。

「遊佐を探してるんだけど、どこにいるか知らないか?俺あいつの事、思えばよく知らなくってさ。友人(自称)の部長なら知ってるかなって」

すると上機嫌だった態度が一変し、急に不機嫌になった。

???訳が分からない。女心というのはいつになっても分からないものだ。そう納得することにする。

「ったく。あたしだってそりゃ………ないけど………だからって…んぁあああ!!」

ぶつくさ何か呟いたと思ったら突然奇声を発する部長。……どこか壊れたか?

「へん!遊佐なら今あたしん所の企画手伝ってもらってるよ」

「へぇー。結構熱心なんだな。言っても良いか?」

「何でアタシに聞くんだい?好きにしたら良いじゃないか」

ふん、と顔をそっぽ向けて歩き出す部長。本当にわけが分からない。女って、不思議だ。








[21864] 学園祭準備編 六、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/02/01 19:37
弓道場内部




結局部長の機嫌は直らないまま弓道場へと来てしまった。そもそも何で怒っているのかもわからないのに機嫌を直すというのは至難の業だと思う。

「あの~…………部長?」

「あ゛ぁ?」

「いえ、何でもないです」

へたれと言うなかれ。こちらを見る彼女の眼付きは、悪鬼羅刹の如く、鋭く威圧している。

「ったく。そういうとこがいけないんだよねぇ。わかってないんだよなぁ」

ぶつぶつ呟くその姿は、滑稽を通り越して不気味でさえあった。



そんな不気味な部長と共に弓道場の前まで行くと、意外なことに、と言うかびっくりした事に、道場にかなりのデコレーションがなされていた。

と言って洋風ではなく和風の飾り付けで、正月などにみられる門松やら何やらがあふれている。

「部長~!」

その時突然、高く微妙に幼い声がする。どこからするのだろうとあたりを見渡すと、入口の近くからこちらに近づく人影が見える。

その人影は小さく、普通の学生服ではなく紺色の和服を羽織っていて、俺たちのいる場所まで小走りでやって来た。

「部長!ここなんだけど………………」

「ああ。ここは……………」

そして俺を無視して話始める二人。その着ている服に何らかの説明が欲しいと思ったが、どうやら部長の企画する出し物に関する事の様だ。部外者である俺は関わらない方がいいだろう。

しばらく話し合っていると、聞きたい事は全て聞いたのだろうか、雰囲気を変えて話す二人。

その様子はとても親しそうで、二人の仲がいい事がよく分かる。

「お、そういえば紹介してなかったね。こいつが衛宮。あたしはエミヤンって呼んでるけど、あんまりはやっている様子はないかな」

「こんにちは」

「ああ。こんにちは」

挨拶を返すと、まじまじと見つめられる。な、何だ?

「………え?」

目の前の、小さな部員がこぼしたかすかな声。

「どうかした?」

「え?いや、なんでもないよ。それより部長、その、この人は何でこんなとこに?」

すると部長はろくでもない事を思いついた顔をし、ぼそぼそと部員に耳打ちする。

「え?…………うそっ!?………そうなの?………へぇ~」

何を耳打ちされたのか、こちらを見る目付きが若干変化したような………何だ……何を言ったんだ………

「あ、じゃあ早く会わせてあげたほうがいいんじゃ………?」

「ああ、だからこうして彼を連れてきたんじゃないか。それをアンタが………」

「ああっと、私ふと急用を思い出したような……さようならぁー!」

「あ!おい!………行ってしまった。ちぇっ」

嵐のように来て、嵐のように去って行ってしまった。

「何だったんだ、一体……?」

結局俺には挨拶も紹介もなく消え去った部員。もう一度会うことはあるのだろうか、たぶんないだろうが。

「ったく。………あ、悪いエミヤン。待たせちゃったかな?悪いね。奴ももう少し落ち着きを学べばいいのに」

アンタが言うな。とも思ったけれど、何か悪巧みしたせいか、機嫌が直ってきた様子の彼女に何か言うのは藪蛇だと思い、あえて言わなかった。

「それは別にいいですけど………さっきの子に何を言ったんですか?途中であの子の俺を見る目つきが変わったんですが」

「えっと……その、ほら、あれだ。うん。あれ」

あれだよ、とか言いつつ場を濁そうとする部長。……見苦しい。

「そんなに言いたくないなら別にいいですよ。ただ、俺はともかく他の人の迷惑になるような事はしないで下さいね」

「それなら大丈夫!むしろあたしの行動は一人の少女に多大な進歩をさせたといっても過言ではないだろう」

むしろその自慢げな態度が不審なのだが………。まあ、本人もこう言っている事だし、気にしないでおくか。

この判断が間違いであった事を強く思い知るのに、そんなに長くはかからなかった。

………。

……。



弓道場内部




その外見同様、道場内も装飾を施されており、壁は祝い事でもないだろうに紅白幕が垂れ、射場の真ん中には何種類かの和服がこれ見よがしに置かれていて、隅の方はカーテンレールによって仕切られている。

その中で何人かの弓道部員らしき人達がせわしなく働き回っていて、そこには先程の和服弓道部員もいた。

「あ、ぶちょー。これどこに置いといたらいいですかね?」「部長。当日来てくれるスケットは何人くらい必要ですか?」「部長!服の数が予定より少ないです!」「部長も遊び回っていないで手伝ってくださいよー」

「あーはいはい、そいつは隅のほう置いといて。スケットは雑用は少しでいいけど、着付けが分かる奴をなるべく多く。服の方はあたしの方からギルドへ直接言ってやるから今出来ることをしな。後あたしは遊んでるんじゃない。周りの出し物であたし達のライバルとなる相手を探っているのさ」

ふむ。こうやって見ていると、部長は結構人徳があるようだ。なんだかんだ言っても皆部長を頼っている。

「部長、弓道部はいったい何をするつもりなんですか?」

「ふふふ。それはだね………」

「あ、衛宮さん」

部長が得意げに何か語ろうとしたその時、声をかけられた。探していた声。遊佐の声だ。とっさに振り返る。

「おう。久し…………ぶ……り……?」

振り返ると、美女がいた。

なんて言うと陳腐に聞こえるが、しょうがない。だって、厳然たる事実なのだから。

遊佐は、いつも二つにくくっている髪を下ろしてまっすぐに伸ばしている。それだけならここまで動揺することはなかっただろう。

しかし、それだけではなかった。

遊佐は和服を着ていたのだ。

無論ここには他にも和服を着ている人が何人もいて、特別浮いていると言う訳ではない。

しかし、しかしだ。

和服というのは意外に人を選ぶ。洋服のように形にものすごく差異があるわけでもなく、違うのは色や柄、もしくはその服に合った帯の選び方ぐらいな物だろう。

胸は大きすぎても変に見えるし、露出も少ないので分かりにくい。しかしその点遊佐はちょうどいいと言える。
大き過ぎず、かつ小さ過ぎるということもない。

姿勢にしても、背はピンッと張っていて美しいし、立ち居振る舞いは優雅だ。彼女と比べれば、他の人は服に着られているように感じてしまう。

着物の柄自体は濃い青色の布地に白と紺の花模様で、少し落ち着いた感じがする。帯は艶やかに紅く、そのただでさえほそい腰を、さらにほそく強調するように締め上げていて、さらさらとして美しい金の髪には、髪の色と対比させるように翡翠のように深い蒼味がかった玉の簪が一本挿されている。

「?どうしたんですか」

俺が黙っている事を不審に思ったのか、首をかしげてみせる遊佐。

「あ、いや、その…綺麗だ。似合ってる。」

その言葉で自分がどういう格好をしていたのか気付いたらしく、遊佐は恥ずかしそうに顔を俯け、頬を赤く染めた。

「い、いきなり……何ですか」

「い、いや、その和服、すごく似合ってる。正直……見蕩れてた」

「お~い。あたしは無視ですかぁ~。二人だけの世界にこもってないで、こっちにも注意むけてねぇ~。………無視ですか。ああ無視ですか。そっちがその気ならこっちにも考えがあるぞ」

こういう時、自分の口下手さにうんざりする。せめてもう少し口がうまければこの気持ちを伝えることができるのに。あと、何か変な言葉が聞こえてきたような気がするが、気のせいだと信じたい。

「その、他の人も着ているけど、どうして和服なんて着てるんだ?何か祝い事でもあるのか?」

「あ、部長から聞いてませんか?何でも弓道部が着物のレンタルと着付けを行うそうで、手伝ってくれと泣きつかれまして……で、気がついたら私も着物を着せられていたと言うか………………………………………………………似合いませんか?」

「い、いや、そんな事はない!むしろ似合いすぎと言うか、綺麗と言うか…………って、いつも綺麗じゃない訳じゃなくて、いつも綺麗だけど、今日はさらに綺麗と言うか……………あぁっ!何言ってるんだ俺!?」

こっそり遊佐のほうを見ると、向こうも顔を真っ赤にして俯いている。その言葉は偽らざる俺の本心だったが、さすがにちょっとクサい台詞だったかもしれない。

「………そ、そんな事よりどうしてこんな所に?普段はこんな所に来たりはしないはずですが?」

この気恥ずかしい空気をどうにかしたいと思ったのだろう。急な話題転換をする遊佐。

「あ。そ、そうだ。実は遊佐を探してたんだ」

ポンっという擬音が聞こえてきそうなくらい更に顔を赤くする遊佐。

「な、ななななな、なななななな……」

………壊れた?

「え、衛宮さんは、どうしていつもそう!……………え?」

話の途中で遊佐は何かに気付いたように俺の後ろを凝視した。振り返ってみると、扉の影に目の部分だけを出して(たぶん隠れているつもりなのだろう)こちらを伺っている部長達の姿が見えた。

「あ、やばい。バレた。撤収!撤収!みんな所定の位置について!」

その部長の声と共にごそごそと動く音が聞こえる。恐らく複数人以上がいると思われる。

そして当の部長本人は何食わぬ顔でやって来て、

「やあやあご両人。お話は済みましたかなぁ?」

等とぬけぬけと言う。

「………部長。言い残す言葉はそれだけでいいですか」

地獄の底から聞こえてくるような低く、暗い声。その声だけでいかに彼女が本気であるかということが分かるというものだ。

さすがの部長もこれはヤバイと感じたのか、顔色を変え、

「あ、あたしちょっとおなか痛くなってきた。みんな後はよろしくねぇ」

ダッシュで走り去る。運動部の部長というだけあって中々速い。

「私が逃がすとお思いですか?」

追走する遊佐。普段はオペレーターとして活動しているせいか運動はあまりしていないようだが、遊佐も遊佐で速い。和服であの速度が出せるならたいしたものだと思う。

ただ体力という面から言えば部長に軍配が上がるから短期決戦に持ち込めなければ……

等と考えていると、声をかけられた。さっきまじまじと見つめてきたあの子だ。

「追わなくていいの?」

「………さすがにあれは部長が悪いだろ。覗き見するってのはちょっと」

「へぇ」

女の子がこちらを見つめる。その瞳は深く、澄んでいて、何を考えているのか分からない。

「ま、追わないって言うならそれもいいと思うけど。ただ、もうそろそろ行く末を考えた方がいいんじゃない?いつまでもふらふらしてると、後悔するかもしれないよ」

「え?」

それはどう言う事か聞き返そうとすると、他の部員がこちらの方から目の前の子を呼ぶ声がした。

「はいはぁ~い。今行きますよ…と言う訳で。さよ~なら~」

言いながら駆け足で立ち去る女の子。

いったい何なんだ……

俺が呆けて突っ立ている後ろでは、遊佐に捕まったであろう部長の間抜けな呻き声が流れていた。

………。

……。







時は過ぎ去りもう午後8時。

何故か俺はその後遊佐と話し合うことが出来ないまま会場の準備を手伝わされ、そして何故か打ち上げみたいなものに参加させられていた。

部員の意味深な発言と、会場の準備の疲れが俺を眠りへと誘うが、部長が俺を捕えて離さず連れてこられてしまった。

連れてこられた…といっても設置した会場をそのまま流用しているから、別に移動するわけではないが。

連れてこられてしばらくすると、部長たちは一旦準備があるからと別れ、こうして会場内を適当にぶらついている。

会場内に置かれたテーブルには、色とりどりのお菓子と、とりあえず自動販売機から買えるだけ買ってきたと思われるドリンクの山が並んでいた。

手持無沙汰な俺はとりあえずスナック菓子を手に取ってみる。

うむ。見事なじゃが○こ。ジャンクフードに代表される無駄にカロリー高そうな感じ。

口に含むとサラダ味で、塩が効いている事がよくわかる。いつも食べると飽きてしまうし、体にも悪そうだがたまに食べる分には美味しい。

ところで、どう考えてもサラダの味がしないのにないのに、どうしてサラダ味なんて言う名前がついたのだろうか。不思議だ。

「ごほん。それでは、第……何回目だっけ?え?何回目でもいい?じゃあ……第X回目会場準備終了記念パーティーを始めたいと思います!」

なつかしのじゃ○りこを食べていると、部長によるパーティー開始が宣言された。

宣言に呼応してそこかしこから拍手が上がる。

「司会はわたくし、部長こと、松任谷でお送りいたします」

沸きあがる歓声。みんなノリのいい人達だ。

「では皆さん。堅苦しいことは抜きにして………かんぱぁ~~い!!」

「「「「乾杯!」」」」

グラスの打ち鳴らす音が響き渡る。もちろんお酒は飲めないので、ジュースなのだが。

音頭をとり終わると、みんな思い思いの人と雑談し始める。

とくに話せる相手も居らず、やはり一人むなしくじ○がりこを食べていると部長がやってきた。

「やぁエミヤン。チミもごくろうさま」

「いや、俺なんてたいした事はやってないですよ」

実際俺がやったのは少しの荷物を言われた場所においたくらいだ。俺がいなくても誰かが変わりにやっていた事だろう。

「はいはい。謙遜乙。さ、堅苦しいことは抜きにして、パァーっとやりましょパァーと。じゃがり○ばっかり食べてないでさ」

そう言いながら腕を伸ばして肩を組もうとしてくる。あと、乙ってなんだ。

「いや、パァーっとって言われても……」

言いながら抵抗するものの、無理やり組みついてくる。ちょ、部長、胸!胸が当たってる!

「それにしてもエミヤンってじゃが○こ好きなの?食べさせてあげようか?口移しで」

じゃ○りこを唇でついばみ、たばこをくわえるみたいにこちらへ向けてくる。

「ちょ、部長?!それは冗談ではすまないような…」

「まふぁまふぁ。エフィヤンふぉ思春期らからふぉういうヒフュフェーヒョンをもーほーしたことふらいあるんへしょ?」

何を言っているのかさっぱり分からない。口に物を含んで話すな。誰か通訳してくれ。

不自然に顔を近づけてくる部長。顔が近い。吐息かかってる。

「何を言ってるんですか。日本語しゃべってください。あと顔が近いです」

「あぁん?あたひのかふぉが近いと、何ふぁもんらいれもあるのふぁい?」

じゃ○りこが、口にくっつきそうな程顔の距離が縮まる。

「いや、一応部長も年頃(?)の娘さんなんですから、もうちょっとそういう所を自覚してですね………………」

「あ、もふぃかふぃて………んぐ。君、童貞かい?」

ぶっ!

「なんてこと聞くんですか!仮にも年頃(?)の………」

「ぶぅ~。遅れてるぅ。最近の子は小学生でもビッチとか売女とか普通に使ってるよ?むしろ知らないほうが貴重なんだよ?」

そんな事情は知りたくなかった!日本の社会は(死んでいるので関係はないが)いったいどうなってしまうのか!

「     部     長     ?」

思わず背筋が凍るような冷たい声。俺に向かって言っている訳でもないのに、つい体が反応してしまう。

「ゆ、遊佐っち?」

「あなたは、いったい、この神聖な道場で、何を大きな声で叫んでいるんですか?」

その冷たい瞳の視線は、俺の肩にしなだれかかってじ○がりこをむさぼる部長に注がれていた。

「あ、あれ~?遊佐っち、頼んだ仕事は……?」

「終わらせましたよ。それはもう完璧に。あとで部長が文句を言わないよう。完璧に。それで疲れて帰ってみれば聞こえてきるのは聞くに堪えないスラングばかり」

口元は笑っている。しかし、その冷徹な目は笑っていない。

「どうやら、部長には“教育”が必要なようですね」

「な、何さ。あたしには自分が淫売じゃないって事も主張させてくれないのかい。ビッチ女郎には人権はないのか」

あ、今かすかに残っていた目の光が消えた。

「ちょっと来てください部長。いやとは言わせませんよ」

「え?マジ?だぁ~れぇ~か~たすけてぇ~~。お~か~さ~れ~る。嫌!やめて!だがその言葉は遊佐っちは届かず、無残にも……ちょ、痛い痛い。髪の毛、髪の毛を引っ張るのはヤメレ。はげたらどぉする……」

フェードアウトしていく遊佐と部長。さよなら部長。貴方のことはたぶん忘れませんよ。

お、ポッ○ーも美味しそう。

「はぁ。やれやれ。そんな事じゃ、いつまでたっても進展しないってのに」

「!?」

気配もなく後ろをとられた。

「そう思わない?アナタも」

「すまないが、何を言っているのかわからない」

こいつの前では決して気を抜いてはいけない。言動からして不審だ。

「やれやれ。これじゃあ報われないなぁ。誰がとは言いわないけど」

「なにがさ」

「べっつにぃ~。悩めばいいじゃない」

こちらに背を向け去っていく部員。その背中は、少しいじけているように見えた。

「お~い」

その背中がさびしそうに見えたからか、俺はふと声をかけていた。

「ん?なに……ってうわぁ!」

部員が振り向くとともに、型月茶を放り投げる。際どい所でキャッチした部員が文句を言ってくる。

「あ、あぶないなぁもう!女の子にはもっと丁寧に扱った方がいいんじゃない?!」

「いいから、それやるよ。○ゃがりこばっかり食べてるとのどが渇くだろ?」

バカっという言葉を残しつつ、そのまま走り去る部員。文句を言いながらもそれ以上何もしてこないって事は、案外悪い奴じゃないのかもしれない。

「   衛   宮   さ   ん   ?   」

はっ!殺気?!

後ろ振り返る。そこには冷たい瞳でこちらを見る遊佐の姿と、地面に倒れ伏している部長の姿が!

「またそうやって女の子に声をかけて誘ってるわけですかそうですか……………“教育”が、必要のようですね」

誰かぁーたぁーすーけーてー!




そして俺は“教育”された。遊佐ニハ、逆ラワナイヨウニシヨウ。



[21864] 学園祭準備編 七、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/11/17 18:41
弓道場 外



無事打ち上げも終わり、(途中部長が司会のマイクで歌いだすなどのアクシデント等もあったが)部員達が寮に帰っていく中、俺は遊佐を呼び出して本来の目的を話した。

「なるほど、つまり衛宮さんは調理室の絞り袋がなかったから私を訪ねた、というわけですね?」

何故だろう。心なしか、遊佐の目付きが鋭い気がする。

「あ、ああ。さっき会った時にでも言おうかと思ったんだけど、途中から記憶が抜けてて何してたか思い出せないんだ」

具体的には部員Aと分かれた直後から二十分くらいの記憶がすっかり抜け落ちている。いったい俺に何があったのだろうか……ただ分かる事は、遊佐はなるべく怒らせないにしようということだけだった。

「ええ。たしかに私は絞り袋をもっています。その………クッキーを作ろうと思って」

へぇ。岩沢から聞いてはいたが、本当に遊佐はお菓子とか作るんだな。

「どんなのを作ろうと思ってるんだ?俺でよければ手伝うけど」

「……………秘密です。手伝ってもらうほどのものでもないですし…………ところで関係ない話ですが、衛宮さんは甘い物が好きですか?」

「?いや、とくに食べ物で好き嫌いはないけど………何でそんな事聞くんだ?」

いえ、と遊佐はあわてた様に手をパタパタと振ってごまかす。

「なんでもないです。ただちょっと聞いてみたかっただけで。ところで絞り袋のことは分かりました。後でちゃんと返しておきます」

そのうやむやにしようとする態度を不審だと思ったが、追求されたくなさそうだったので、スルーした。

時には聞いてなかったふりをする事が大切なのだろう。

「……………………………はぁ。それにしても、衛宮さんが私を訪ねて来たというのはそういう事ですか。まあたしかに、そんな理由でもないと、衛宮さんは来てくれませんよね」

あ、あれ?何故か遊佐さん怒ってらっしゃる?さっきまでそんなそぶりを見せなかったのに。女性って、不思議だ。

「い、いや。俺も機会があれば行こうと思ってたんだ。それがたまたま今回のと重なっただけで………」

何で俺は弁解してるんだろう。

「いえ、いいんです。言い訳なんてしなくても。ガルデモの皆さんに夜食作る時間はあっても、私に会いに来る時間は作れないんですよね」

言っている内に遊佐のボルテージがどんどん上がっていくのが分かる。言いながら不愉快な記憶を思い出しているのだろう。

「いや、そういう訳じゃあ……」

そこで言葉が止まる。なら、どういう訳なんだろう。たしかに深い意味はない。ガルデモのメンバーも遊佐も俺は同じくらい大事に思っている。

けれど実際、今まで行かなかったのは事実なのだ。時間も、捻出できなかったといえばウソになる。

だとすれば何故俺は遊佐に会いに行かなかったのか?

俺が急に言葉を止めたことを自分のせいだと誤解したのだろう。遊佐の顔色が変わった。

「……………いや、俺は甘えてたのかもしれない」

遊佐の好意に。

そう考えた瞬間、激しい後悔の念が押し寄せてきた。と同時にふとこの場にいることが場違いに思えた。

「ごめん。少し頭冷やしてくる」

自分でも良くわからない感情が、俺を襲い、走らせる。

後ろから俺を引き止める声が聞こえる。呼びつけておいたのに走り去ると言う行為はひどく矛盾に満ちた行動だと思いながらも、足を止める事が出来なかった。

…………ゴメン。遊佐。








適当に走っていると、自販機が見えてきた。

少し息も乱れてきたところだったので、立ち止まり金を入れてボタンを押しつつ、先程の事を思い返す。

はぁ。何であそこで走り去ってしまったんだろう。別にやましいことなんかなかったし、あのままでは誤解することになるのではないだろうか。

そんな鬱々とした感情に囚われていると、後ろから声がかかった。

「何してんの、衛宮?」

岩沢の、声だった。

「どうした?こんな所で」

その声は、不審半分気遣い半分と言った感じだった。

「……岩沢か。その……何と言ったらいいのか」

女の子と話してたら気まずくなって逃げ出したって言うと、なんとなく聞こえが悪い。

まあ、実際その通りなのだけれど。

「ふーん。そう。何か訳ありみたいね。たぶん友人関係。しかも女性」

「………何でそう思う?」

そのときの俺の顔は、たぶん驚きに満ちたものだったと思う。

「だって、アンタが他に悩みそうなことって何かある?」

「そりゃあ俺だって少しは悩んだりするさ」

憮然とした顔で応える。悩みが何もない奴と思われるのは心外だ。俺も悩みの一つや二つは持っている。

もう一段階料理を美味くするにはどうすればいいだろう、とか。

本当に天使を説得することが出来るのか、とか。

高松の脱ぎ癖は直らないのだろうか、とか。

「けど、他の事で悩む時、アンタはそんなに言いよどむのかい?」

「それは………」

たしかに、そうかもしれない。ただ、高松の趣味は人に話せる類のことではないだろう。

「なんか、そういうのってさ、何と言うか、アンタらしくない感じがする」

「え?」

俺らしい?

「そ。アンタはさ、いっつも何処か抜けてて、困ってる奴がいたら放っておけなくて、けど意外に料理なんか出来て、でもやっぱりニブイ。そんな奴なのさ」

言いながら、隣の自販機でスポーツ飲料のボタンを押す。

「アタシは、人と話すより歌を歌ってるほうが好きだし、言葉で伝えるよりそっちの方が、アタシの感じてる事や考えてる事を伝えることが出来ると思う」

ガタンと音がして、スポーツ飲料が落ちてくる。岩沢はそれを確認して、けど、と続ける。

「アンタも似たようなもんなんだよ。言葉より、行動のほうが伝えられる。不器用だけど、アタシ達はそうすることでしか相手に伝えることが出来ないんだ」

だから、迷うなよ。と、岩沢は言った。

「普通の奴なら、そうやって悩んで考えて皆が笑いあえるいい案が思いつくかもしれない。でも、アンタはそうじゃないだろ?悩んで、考えて、行動しないと。アタシやアンタみたいな不器用者が何も言わないで察してもらう、なんて都合のいい事を考えてたらいけないんだ」

言いながら、自販機の取り出し口からかがんでスポーツ飲料を取り出す。かがんだ際、かすかに汗の跡が残るうなじに目を奪われる。

「だからさ、アンタはもう行きな。こうしてアタシとしゃべってるより、アンタにはする事が残ってるんだろ?」

ペットボトルのふたを開け、ラッパ飲み。岩沢の自慢である喉が、ごくごくと上下する。

ぷはぁっ、と勢いよくペットボトルから口を離す。実に漢らしい。 

「それに、さ。実を言うと、アタシの方まで迷っちまう気がするんだよ、アタシとよく似たアンタが迷ってると。何でだろうな……アタシはアンタの事情も知らないってのにさ」

その、岩沢風に言うのなら“らしくない”物言いに、違和感を覚える。けど、その違和感を言い表すすべは俺にはない。だから、岩沢の言うように、行動でしめすしかないのだ。

「……………俺なんかと岩沢が似ているかどうかなんて分からない。でも、少なくともコレだけはわかる。岩沢はいい奴だ。俺が保証する。だからさ、岩沢はもっと自分を信じていいと思う」

パンッと自分の頬を叩き、気合を入れる。

「ありがとう。なんか吹っ切れたよ。もう迷わない。俺は俺の道を行くよ」

岩沢は、それでいいとでも言う様に一度首を縦に振り、行ってきなと手で合図した。

俺も応えるように首を縦に振り、その場を走り去る。

ただ一度、岩沢の姿が豆粒みたいに小さくなった時、一度だけ、ベンチに座っている岩沢に振り返り、一言だけ言った。

「ありがとう!俺、岩沢みたいな奴は好きだ!」

それから先は一度も振り返らず、ただ遊佐の元へと急いだ。











「………………遊佐」

遊佐は、弓道部前のベンチに力なく座り込んでいた。

その様子に、少し声をかけるのをためらう。

「…………………衛宮………さん?」

ゆっくり顔を上げる。その顔は、何故という気持ちで溢れていた。

「…………ああ。そうだ」

遊佐の顔から驚きの感情が過ぎ去った後に残ったのは、後悔だけだった。

「……………その、先程はすみません。感情的になって「先に、聞いて欲しいんだ」……何ですか?」

台詞の途中で遮られても、遊佐はいやな顔一つせず話を促す。

「俺は、遊佐に甘えてた。遊佐の優しさや、気の利くところなんかに」

遊佐の表情には生気と言うものに欠けていて、こんな表情をしているのが自分のせいである事が悲しかった。

「俺が、ここに来た時、案内してくれたのは遊佐だったよな。あの時、任務ですからって言いながらも、親切に俺の行きたい所を案内してくれた遊佐を見て俺は、ああ、いい人だなって思ったんだ」

まあ、ここの人はみんな気のいい奴らばっかりなんだけど、と続ける。

「なんだかんだで俺は遊佐に頼ってた。しっかりしていたし、冷たい表情をしてるけど実はいい奴なんだってわかってた」

いつもの無表情な彼女を思い浮かべる。時にはきついことも言うれど、それもその人のことを思って言っているのだ。

「そんなだったから、たぶん心のどこかで安心してたんだ。遊佐だったら大丈夫って」

遊佐は強い人だ。でも、彼女とて人間だ。心配はするだろうし、とくに俺のようにふらふらしている奴はなおの事放ってはおけなかったのだろう。

「でもそうじゃなかったんだ。そうじゃなくて、俺が遊佐を安心させなくちゃいけなかった。この世界でいろいろあって時も遊佐に心配をかけるばっかりで、安心させてやれなかった」

遊佐の目をしっかり見据える。その目には突然語りだしたことに対する狼狽と、それに倍する程に何を言われようとも受け止めるという強い意志が感じられた。

「さっきの事もそうだ。それに言い訳する気はない。でも、これだけは知っていて欲しい。俺は遊佐を軽んじていたわけじゃない。だいじに思ってるし、だいじにしたいと思ってる。それはガルデモのメンバーもそうだし、戦線のメンバーにしても同じなんだ」

一歩、遊佐に近づく。返答は、ない。

さらにもう一歩、近づく。

二人で手を伸せば届く距離。でも、片方だけが伸ばしたのでは到底届かない距離。そこで俺は立ち止まり、手を伸ばす。

「だからさ、これからも俺と仲良くして欲しいんだ。これから出来るだけ、遊佐を安心させるようにしていくからさ」

「…………絶対とは言ってくれないんですね」

「え?」

「わかりました。衛宮さんは見ていてハラハラさせる人ですし、私が見ていないと不安ですから、仲良くしてあげます。あと、心配ですから、これからは自分から会いに行くことにします」

遊佐は、俺の伸ばした手を、しっかりと掴んだ。

「………………ありがとう。………あ、そうだ、これ」

自販機に行った時買った飲み物を渡す。

「何か買っちゃったからさ、これあげるよ。仲直りのしるしってことで」

「……………ありがとうございます。そう言えば私ものどが渇いてきたきがします」

遊佐は缶を手に持ち、プルタブに手を伸ばす。

そういえば適当にボタンを押したので、どんなものを買ったのか覚えていない。

でもまぁ、自販機で売っているって事は飲めないシロモノではなのだろう。

けど万が一飲めたものではないシロモノだった場合のことを考えて、ジュースのラベルを盗み見る。

…………………………………ニトロソーダ?

「あ、遊佐、待った!」

「え?」

時既に遅し。プルタブの明けられた缶は、走ってきた影響で炭酸が抜け、凄い勢いで噴き出した。

ブシャァァアアアアア!と言う擬音が当てはまるほどの勢いで噴き出すソーダ。

………………どれだけ炭酸濃いんだよ、このソーダ。

既に和服から制服へ変えていたのは不幸中の幸いだった。もし和服なら部長さんの所にも迷惑がかかっていただろうし。

「ゆ、遊佐!?大丈夫か!?」

止めようと近づいていた俺自身も濡れていたものの、遊佐は缶の真上にいた訳だからそれはもうずぶ濡れだった。

いつもの制服がびしょびしょになり、体に張り付いて体付きが強調されている。

…………遊佐って意外と着やせするタイプだったんだな。それに透けてるせいで胸を押さえつけてる黒いブラが………

「え、衛宮さん。その……じろじろ見られるのは………ちょっと」

はっ!煩悩に身を任せてはいけない!色即是空、空即是色……

「あ、その、悪い!あ、そうだこれ」

急ぎ自分の半袖のワイシャツを脱ぎ、遊佐に羽織らせる。少し濡れてはいるものの、遊佐の服に比べればなんて事はない。

「その、悪いです」

濡れた服の変わりにシャツを与えられ、文句を言うタイミングを見失う遊佐。

「そんな事気にするなよ。遊佐が濡れたのは俺のせいなんだし、いつも世話になっていることに比べたら何てことない」

しかし遊佐は気まずそうな顔をしている。

う~ん。どうすれば………あ、そういえば。

「ちょっと待っててくれ、すぐ戻る」

弓道場に向かい、中に置いていたもらい物のジャケットを取ってきて羽織り、遊佐の元へ帰る。

「悪い。待たせた」

「いえ、三分も待ってませんが………どうしたんですか、それ?」

………たしかにこの黒いズボンに赤いジャケットはないかもしれない。服装に疎い俺でもそう思うのだから、遊佐から見ればなおさらの事だろう。

「これはその、なんだ、日向に無理矢理押し付けられたと言うか何と言うか……とりあえずこれで別に俺の服装を気にしなくても良くなっただろう?」

俺には高松のように人前で脱ぐ趣味はない。断じてない!

「あ、はい。それはそうですけど………この服、どうすればいいんですか?」

「あ~。そうだな……また、取りに行くよ。とりあえず今日は寮の前まで送っていくから、もう帰ってシャワーでも浴びた方がいい」

「じゃあ、洗って返しますね」

そこで遊佐は安心したように笑みを見せた。

いつも仏頂面をしているだけに、その笑みはかわいらしく、年相応のものに思えた。

「……………………………笑うと、やっぱりかわいいな」

「え?なんですか衛宮さん?」

「いや、なんでもない。さあ、早くシャワーを浴びないと風邪をひくかもしれないからさっさと行こう」

「忘れたんですか?この世界に病気はないんですよ?」

「あ~なんかそんな事を聞いたような気も………でもべとべとしてるだろ?洗い流した方がいい」

「そうですね。べとべとして冷たいです。けど、今の私にはこのシャツがありますから」

俺の貸したシャツを胸に寄せ、そのぬくもりを確かめるようにギュッと握る。

その仕草に、不覚にも少しかわいいと思ってしまった。

照れ隠しに、相手の目を見ず手を引いて歩き出す。

「あっ………」

少し声を漏らしたが、それ以上何も言うことなく遊佐は歩き出した。

手には暖かなぬくもり。多少濡れているが、そんな事は気にならなかった。

俺の心の中には何か分からないが暖かな気持ちで満たされていて、これが幸せなのかもしれないと、そう思った。











その日、夢を見た。

ひどい、悪夢だった。










[21864] 学園祭編 ~前夜祭~ 一、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/12/20 20:44
対天使用作戦本部



「全員集まったわね。……では、これより学園祭におけるサバゲーの概要を説明するわ。高松君」

学園祭当日。といっても今日は夜に前夜祭があるだけで昼は店の準備がある。

だがNPCから見るところの不良である戦線のメンバーは、店の準備をサボり校長室で怪しげな会議をしていた。

「はい」

ゆりに呼ばれ、さっと立ち上がる高松。

「それではサバイバルゲームの基本的ルールと、天使対策を話したいと思います。

一つ、ゲームで使う銃器や弾はこちらで支給する。

一つ、弾がなくなった場合、銃の支給された場所でもらうことが出来る。

一つ、弾に当たり、アウトの判定が出た場合は即刻規定の位置へと急ぐこと。

一つ、移動できる範囲は橋から裏山までとする。

一つ、参加者以外に弾を当てた場合失格とする。

一つ、必ずゴーグルを着用すること。

一つ、ナイフアタックはなし。

以上です。何か質問はありますか?」

「はいはいはーい!ナイフアタックて何?」

もはや恒例と化している日向の質問タイム。まあしかしそれは俺自身も気になっていた所ではあった。

「それは、本来サバイバルゲームにおいて弾を当てる以外にも、相手と接触することにより相手を失格とすることの出来るルールの事です。しかしこのルールを採用すると、天使が優勢になってしまいますので却下することになりました」

なるほど。天使の武器は基本ハンドソニックのみと聞く。いくら化物染みていようと、銃の扱いにかけては素人と言うことか。

「それは分かったけど、実際どんな風にサバゲーを始めるつもりなの?時間帯は?人数は?全部で何人くらいを予想してるの?」

横から大山が質問する。大山にしては珍しい事に、分かりきったことではなくまともな質問をしている。

「そう話を急がないで下さい。まずは時間帯ですが、明日の午後を予定しています。NPCが少なくなり、かつ完全にはいなくならない程度の人数の時決行するつもりです」

「ちょっとまて。何でいなくなったら駄目なんだ?危険じゃないか」

その聞き逃せない言葉に、つい口を挟んでしまう。ペイント弾とはいえ、怪我をさせる可能性はある。

「それは、銃の弾をむやみに撃たせないためと、天使の動きを制限するためです」

「天使の動きを制限って………別にそんな事をしなくてもゲームなんだから正面から倒せばいいじゃないか」

「はぁ。やっぱりお前は何にもわかってねぇぜ。だからお前はあまちゃんなんだよ」

横から話に割り込んできたのは、あいかわらず腰に木刀を佩けている藤巻だった。

「天使はこっちが万全の状態でも足止めをさせるのが限界なんだぜ?まともにやったって勝ち目は薄いだろうが」

その言葉にムッとする。

「そんな事はやってみなくちゃわからない。大体いつもだって天使は無傷ってわけじゃないんだろ?それに今回の俺たちの目的は天子の足止めじゃなくて、ペイント弾を一発当てればいいだけだ。まともにやったって勝機はあるはずだ」

お互いの意見の相違に睨み合う俺たち。

「はいはい二人ともストーップ。残念だけど衛宮君。これは確定事項。変えることは出来ないわ。それにこの時間帯はあたしじゃなくて生徒会の方から指定してきたんだから」

「どういうことだ。わざわざ向こうから不利な条件を突きつけてくるなんて」

ゆりは首を横に振り、松下の言葉を否定した。

「そうでもないわ。この条件はむしろあたし達にこそ不利なのよ。あたし達はNPCを狙わない。それを知ってる奴が生徒会の中にいる。それが天使の発案なのか、NPCの発案なのかは分からないけど、この条件であたし達はむやみに銃を撃つことが出来なくなった」

対天使作戦における基本的対処方法は、天使に対応できないほどの銃弾を叩きつけることだそうだ。だがそれは跳弾がNPCに当たる危険がある。

つまり、俺達は人混みの中で銃を撃つことが出来なくなったと言うわけだ。

「…………分かってもらえたようね。じゃあ高松君。続きを」

「はい。次に人数ですが、募集してくる人数によるとしか言えません。場合によっては1チーム三名と言う事態もありえます。が、恐らく人数はある程度集まると思いますので、ここでは一先ず1チーム10名と考えればいいと思います。それと、バトル形式も集まった人数によってバトルロワイヤルか、トーナメントに分かれます」

そしてメガネをくいっと中指で押し上げ、話を切る。

「となると、あらかじめある程度のメンバー分けはしておいたほうがいいな」

教室の端のほうで聞いていた松下が口を出す。たしかにそのほうが効率はいいだろう。

松下の言葉に触発されたのか、日向がこちらに話しかけてきた。

「衛宮、俺と組まねぇか?」

その申し出はありがたいが………

「俺は食事担当だからサバゲーには出ないぞ」

「なんだってー!?」

と言うかまず真っ先に俺に話を持ちかけるなんて………相方がいないのか?

「はいはい。とりあえずチーム集めはこれが終わった後にしてちょうだい。で?他に質問は?」

ゆりの言葉に、ソファーでふんぞり返っていたハルバードの男―――野田が発言した。

「サバゲーの基本的なルールが分からんのだが。どうすればいい?ゆりっぺ」

「たぶんそう言う奴が出てくると思って、チャーにサルでも分かるサバゲールール集を作らせておいたわ」

「全部チャーの奴に丸投げだな」

無謀と言うか何と言うか、日向がツッコム。

その瞬間、ゆりが銃を天井に向かってぶっ放した。

空になった薬莢がコロコロと地面を転がる音がする。

はじめに見たときはなんて恐ろしい事だと驚いたが、もう慣れてしまった。慣れって恐ろしい。

「誰かなんか言った?」

「いいえ。なんでもありません」

銃声の音にびびったか、大人しくする日向。

「日向君は自ら地雷に踏み込んでいくよね。ハラハラするよ」

冷静なツッコミをする大山。まったく同感だ。

「ちなみに依頼したのは昨日」

「どう考えても無茶振りじゃねぇか」

日向は何回やっても懲りない。

「うるさい!文句があるなら日向君に全てやらせてもいいのよ?」

「はいすみませんゆりっぺさんはいつも正しいです」

「ふん。当たり前よ。で?他に質問がないようならこれで一旦解散とするわ。以上!」

その言葉で皆三々五々に散っていく。俺も仕上げに行かなくちゃ。

目指すは調理室。明日のサバゲーのために大量に作っておかないと。




廊下



まずはやるべき事を頭の中で確認する。

まずは飯を炊いておかないといけないし、それ以外にも今日くらいから煮込んどかないといけないのもある。他にも……

「おい、衛宮」

廊下を歩きながら今日の予定を立てていると、名前を呼ばれた。

「ん?ひさ子じゃないか。どうした?」

振り返るとギターを背負ったひさ子がいた。何で苗字じゃなくて名前で呼ぶのかというと、本人がひさ子と呼べと強要してきたのだ。

「どうした、じゃねーよ。お前昨日はどうしたんだ?来ると思って何も用意してなかったから、カップラーメンをすするはめになっちまったじゃないか」

言われて見れば昨日は飯を作りに行ってない。

「………あー。ごめん忘れてた。また今度何かで埋め合わせするよ」

「忘れてたって……お前、本当に衛宮か?」

疑うようなまなざし。食事において俺は相当信用されているようだ。まだそれほど長い付き合いでもないのに、何でそこまで信用されてるんだか。

「ひどい言い草だな。俺だって失敗することはある」

「………え?」

「怒るぞ」

「ははは。ゴメンゴメン。でも本当にただ忘れただけなのか?アンタ、そういうとこは律儀だから忘れないと思ってたんだけど」

「…………まあ、ちょっと調子が悪かったんだよ。もうなんて事ないから心配しなくていい」

そう、昨日俺はよく覚えてはいないのだが、悪夢を見ていたらしい。気が付いたら昼で、体がとてもだるかった。肉体的なものだとこの世界ではすぐ治るので、おそらく精神的なものだろう。

いったいどんな夢だったんだろうか。覚えていない。

「まぁ、調子が悪かったんなら仕方ないか。でも、休む時は事前に何か一言欲しいね。でないとまたカップラーメンになっちゃうから」

そもそも、カップラーメンなんてどこで手に入れるのだろう。購買にでも売っているのだろうか。

「そりゃ責任重大だな。ガルデモのメンバーに体に悪いカップラーメンばっかり食べさせるわけには行かないし」

「そう思うんだったら、何かあったら言ってくれよ。あたしだってアンタには感謝してるんだからさ。出来ることでなら相談に乗るよ?」

「ありがとう。でも、今ガルデモは忙しいだろ?むしろ何かあったらこっちに言ってくれ。何でもやるからさ」

「ん。ま、何かあったらアンタに頼むことにするよ。けど、自分の体調には気をつけなよ」

「ああ。でもひさ子こそ気をつけろよ?ボーカルじゃなくても風邪なんて引くもんじゃないからな」

「そういう台詞は岩沢に言ってやったら?あいつだって女なんだから彼氏には心配してもらいたいだろうよ」

…………………………………………………は?

「彼氏?誰が?」

「え?アンタ、岩沢と付き合ってないの?」

「なんでさ。それは岩沢に失礼だと思うぞ」

「そんな事ないと思うけどねぇ。って言うか、アンタ等付き合ってなかったのか。岩沢、アンタと喋ってる時だけ饒舌だから、何か特殊な関係だと思ってたよ」

「そうなのか?」

「ああ。岩沢ってホラ、音楽に無茶苦茶入れ込んでるだろ?だからそれ以外にあんまり興味を抱いてないって言うかさ」

言われてみればそうかもしれない。思えば、彼女がそれ以外に熱中しているところを見たことがない。

「いや、でも俺と岩沢は別に変な関係じゃないぞ」

「う~ん。そこまで言うなら本当なんだろうね。いや、こんな短期間に岩沢をオトすなんてすごいプレイボーイだと思ってたけど、そんな事はなかったわけか」

そうかそうか、と一人納得した様子で頷くひさ子。まったく人騒がせな。

「だったらアタシと付き合ってみない?」

「…………何でそんな結論に至ったのさ」

「衛宮って意外に力持ちだし、料理できるし、まともな会話できるし、考えてみれば中々優良物件だし」

「……………………褒めてくれるのは嬉しいけど、それは買い被りすぎだ。俺なんか全然たいしたことない奴だし、ひさ子にはもっといい奴があらわれるよ」

「………はぁ。なるほど。こりゃ岩沢も大変だ」

「?」

「いや、なんでもない。それより、ちゃんと岩沢にも昨日は調子が悪かっただけって言っときなよ。表面上は平気そうにしてたけど、たぶんあれはアンタの事気にかけてたよ」

「ああ、分かった。今度行った時ちゃんと言っとくよ」

そしてひさ子は空き教室へと、俺は調理室へと別れた。







調理室



もうこの調理室も実に馴染んでしまった。どこに何があるかすっかり分かるし、変なものがあったらすぐ感付く。

戦線のメンバーもたまには来るが、NPCがほとんどで、あまり来ない。

色んな事を考えつつも、手は止めない。野菜を刻み、肉を裂く。

われながら慣れた動作だと思いつつ、具を鍋の中に放り込む。

よし。あとはぐつぐつと煮込むだけでシチューが完成する。

火力を弱火に設定して、鍋のふたを閉じる。ある程度の時間がたったら焦げないようにかき混ぜないといけないが、まあ当分大丈夫だろう。

前にかけていたエプロンを外し、一息つこうと端のほうにあるソファーに腰をかける。

ドサッと結構大きな音を立て、倒れこむように座る。自分でも知らないうちに集中して疲れていたようだ。

ふぅ。と深く息を吐き、体中を弛緩させる。これでやるべき事はほとんど終わった。後は銃の手入れとか、弓の手入れとか、その他雑多なことしか残っていない。

手入れは後でも出来るし、何をしようかと思っていると、調理室のドアが開かれた。

「こんにちは、衛宮さん。その、お邪魔じゃないですか?」

見てみると、遊佐だった。扉で体を半分隠し、窺うようにこちらを見る。

「遊佐じゃないか。いや、ちょうどいい所に来てくれた。さっきちょうどする事がひと段落着いてさ、何しようかなって思ってたんだ」

「それは良かったです」

トコトコとこっちへ近づき、自然な動作で俺の横に腰を下ろす。

「あ、それと、これなんですけど」

「ん?何コレ」

袋を渡してきた。

「クッキー作ってきたんです。試食してくれませんか?うまく出来たか見てもらいたくて」

む。それは責任重大だ。

「わかった。役に立てるかわからないけど、とにかく食べてみるよ」

袋の口を開け、クッキーの形を見る。外見は渦巻き型で、きっと絞り袋はこれに使ったのだろう。

一枚つまみ、ヒョイッと口の中に放り込む。

サクッとした食感。中はしっとりしていてほのかに甘い。そしてのどを嚥下する時にかすかに香るレモンの匂い。

普通に美味しい。

「うん。美味しい。っていうかこれ、俺が作るより美味しいんじゃないか?」

「本当ですか。よかった」

心底ほっとしたように言う遊佐。

「うん。ホントに美味い。もう一つもらっていいか?」

「あ、はい。その袋ごとあげます」

「アリガト」

もう一つつまんで食べる。

結構癖になるな。

そのまま俺のクッキーを咀嚼する音だけが調理室に響く。

遊佐との間に会話はないが、悪くないおだやかな空気が流れている。

しばらくクッキーを食べていると、遊佐がこちらに話しかけてきた。

「そう言えば衛宮さん。昨日はどこにいたんですか?寮に行っても返事がなかったから、校舎中を探し回ってしまいました」

「あ、悪い。昨日はその、昼まで寝込んでて、起きても体がだるかったからそのままもう一回寝たんだ。だからノックされても気付かなかったんだと思う」

「寝込んでたって、大丈夫なんですか?」

心配そうに話しかけてくる。

「ああ。もうなんて事はない。倦怠感も残ってないし、絶好調だ。ただ………」

「ただ?」

「いや、その関係ないかもしれないんだが、その時夢を見た気がするんだ。あんまり思い出せないけど、それは俺にとって重要な夢だった気がするんだけど……」

そう、俺は何か彷徨っていた気がする。

赤い、赤い、赤い道を。

「ま、そんな事はどうでもいいんだ。あんまり覚えてないし」

「どうでもいいって………そんな、自分の記憶ですよ?」

「うん。でも、今必要はないから」

それより今は学園祭を成功させることだけを考えよう。みんな頑張っているんだし、俺も迷惑にはならないようにしないと。

その時、ふと喉が渇いた。そして遊佐にお茶を淹れていないことに気付いた。

「あ、そうだ。せっかくだからお茶で淹れようか。この前茶葉を発見してさ、淹れてみたいと思ってたんだ」

立ち上がって棚に収納されていたWEDGWO○Dのアッサムを取り出す。本当は日本茶の方が好きだが、残念ながら日本茶は見つからなかったのだ。

お茶を淹れようとポットにミネラルウォーターを注ぎ、温める。

俺はその間に茶を淹れるためのカップを棚から取り出して温めておく。カップが冷えているとお茶も冷えて香りが飛んでしまうからだ。

クッキーがあるのでお茶請けはいらないとしても、ミルクとシュガースティックを一応置いておいて………っと。

お。水が沸いたようだ。

茶漉しの上に茶葉を載せ、湯をできるだけ高いところから注ぐ。

茶葉が踊り、薄紅い茶がカップに注がれる。

もう一つ同じ様に淹れた後、茶を蒸らす為にふたをする。

「もうちょっと待ってくれ。後二分くらいで出来ると思うから」

ソファーに座りながら俺の行動を見ていた遊佐に言う。

暇だったかもしれない。

「あ、はい。わかりました」

少し呆っとした様子で応える。

その様子に違和感を感じないでもなかったが、一先ず紅茶のことに専念する。

本当は蒸すポットと飲む様のポットは変えたほうがいいのかもしれないが、時間をかけ過ぎると遊佐も暇だろうと思い、とりあえずふたを取り、紅茶の香りを嗅ぐ。

うん。悪くない。

遊佐からのクッキーを皿に移し変え、紅茶と共にトレーに乗せて遊佐のところまで運ぶ。

「はい。紅茶。遅くなったけど、クッキーのお礼と思ってくれればいいから」

「あ、いただきます」

紅茶に少しミルクを入れ、味をたしかめるようにちびりと飲む。

「あ、美味しい」

「それはよかった」

遊佐が飲んだことを確認した後、砂糖もミルクも入れずに紅茶に口をつける。む。少しぬるかったかも。

けどまあ合格点ではないだろうか。遊佐も美味しいといってくれたことだし。

紅茶を飲み、クッキーをつまむ。遊佐と過ごす優雅な午後の一時。

暖かく、そしてどこかホッとするような感覚に身をゆだねる。

こんな風に日々が続けばいい。そう思った。







[21864] 学園祭編 ~前夜祭~ 二、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/12/20 20:44
「それにしても、暑いですね。そう思いませんか、衛宮さん」

不意に、遊佐が尋ねてきた。
その言葉に、手にしていたティーカップを置いて遊佐を見る。

「あ、悪い。紅茶、熱かったか?」

「あ、いえ。そういうわけじゃなくて…………ほら、まだ夏ですし」

「そろそろ秋も近づいて多少は涼しくなったと思うんだが」

熱い鍋をかき回していた俺はともかく、遊佐まで汗をかいているって事は、遊佐は結構暑がりなのかもしれない。

「そうですか?私にはまだまだ暑いように思えるんですが」

そう言って、胸元を軽く開き、パタパタと扇ぐ。肌の上に残った汗が光に反射しキラキラと光って眩しい。
その、なんとも言えない扇情的な姿に、少し、目を奪われた。が、すぐさまそっぽ向く。
あくまで紳士的でいるべきだと思ったのだ。

「そ、そうかな。うんまぁ、言われてみればそうかもしれない」

見たい。でも見てはいけない。そんな矛盾に満ちた思いに、暑さとは違った意味で汗がだらだらと吹き出てくる。

「ええ。そうですよ。ほら、衛宮さんも、汗、かいてるじゃないですか」

クスクスと可愛らしく笑う遊佐。その様子だけを見ると、とても愛らしい。

「………………ところで衛宮さん。何で目線をあわせようとしないんですか?」

遊佐は両手をイスにつけたまま、こちらににじり寄ってきて反応を窺うように上目使いで見てくる。
少し開けた胸元から、女性特有の甘い香りが鼻をくすぐる。

遊佐さん。そのポーズは危険です。何と言うか、その、色々危ないところが見えてしまいそうです。

「いや……その………別に意味はない、けど………あ、そうだ。紅茶のおかわりを……」

「いえ。今はいいです。それよりも衛宮さん」

遊佐の瞳が、俺の瞳を捉えて放さない。

「は、はひ?」

つい声が裏返ってしまう。俺は何を緊張してるんだ。

「こっちを…………見て下さい」

潤んだように濡れた瞳。その瞳に、吸い込まれそうになる。
じっと見つめ合う。
互いの呼吸まで聞こえてくる距離。

遊佐が、その形の良い口を開く。

「衛「おーっす衛宮!遊びに来たぞ」っひぃぁ!?」
ガッチャン!
「熱っ!」
「あ、すみません!」
「あ~………タイミング、悪かったか……?」

……………………………………………………………何があったかというと。

遊佐がしゃべろうとした直後に日向が現れ、それに驚いた遊佐がトレーに乗っていた紅茶をこぼし、こぼれた紅茶が俺の頭の上へ思いっきりかかった、と言う訳だ。
幸いな事に紅茶は既にぬるく、火傷するって事はなかった。(まあ、ここでは火傷したところですぐに直るのだけれど)

「本当にすみません、衛宮さん」

遊佐は紅茶で濡れた俺の体を拭いてくれている。
別に自分で出来るといったのだが、私のせいですから、と言って寄せ付けない。
楽といえば楽なのだが、女の子一人を働かせるというのは、いささか心苦しい。

「はい。結構です」

遊佐の拭き掃除が終わり、自由になる。
そこで俺は調理室の端で縮こまって正座している日向に目を向ける。
日向は居心地の悪そうに目をきょろきょろさせて、俺の視線に気付くと謝ってきた。

「スマン衛宮!なんかお楽しみの最中に割り込んじまった!俺は何も見てないから存分に続きを…って痛っ!痛ぇよ遊佐!」

日向の台詞が言い終わらないうちに、遊佐がその耳を引っ張る。

「貴方のその可哀相なくらい貧相な脳みそにも分かるように説明するのも面倒ですが、あえて説明するならば貴方のその考えはゲスの勘繰りと言う物です」

たしかに恋愛感情がない人と特別な関係と疑われるのは遊佐にとって嬉しくはないだろう。

「でもさっき…………痛っ!それホントに痛い……スミマセン調子に乗りました!」

「私と、衛宮さんの間には、何もありません。そうですよね?衛宮さん」

「ん?…ああ。なんだかよく分からないけど、別に遊佐とは何もないぞ?」

あれ?何でそこでこちらを睨んでくるんですか?本当に女性というものは分からない。

「え、ええ。何もありませんよ。これっぽっちもね!」

不貞腐れたようにそっぽ向く遊佐。………参ったな。また機嫌を損ねちゃったかも。
少々嫌な空気になりそうだったので、急速に話題転換。

「と、ところで日向。こんな所に来たって事は、何か俺に用事でもあったんじゃないのか?」

「お、そうだった。実は……」

「何をさりげなく立とうとしているのですか?誰も立ち上がっていいとは言ってませんよ?」

「ハイ。スミマセン」

黙って座りなおす日向。遊佐の目が、怖いです。まるで虫けらを見るかのようだ。

「…………でさ。聞いてくれよ。ゆりが、貴方も踊ってばっかりいないで少しは大山君達みたいに少しは働いたら?なんて嫌味を言ってきてさぁ」

簡単に想像できるな。部屋の隅で踊り続ける日向に過激な突っ込みで説教をかますゆりの姿。

「そんなこんなで色々あって、気がついたら俺が券を全部の三分の一以上売り払わないと女装するって事になってたんだ」

「それは………酷いな(日向の格好が)」

「だろ?だからさ、その………」

今までぺらぺらと話していた日向が、少し言うのをためらった。

「なんだ?言うだけ言ってみろよ。何ができるかわからないけど、俺だったら手伝うぞ?」

「その………売り払う方法が思い付かなくってさ。できればその………力を借りたいというか……三人寄れば文殊の知恵って言うか……まあ、そんな感じ?な訳なんだが……その、手伝って……くれないか?」

自分から言い出したことなのに他人の力を借りることに羞恥心を覚えているのだろうか。少し言葉がとぎれとぎれだ。

「ああ。もちろんそれは構わない。けど、どうして俺なんだ?他にも頼れる奴がいるだろ?」

「だって、大山とか藤巻とかは謂わば商売敵だろ?TKと松下五段はダンスに夢中だし、ガルデモに迷惑かけるわけにもいかねぇし、他にまともな奴はいねぇだろ」

高松は……………ってまともな奴ではないか。すぐに脱ぐし。

「で、俺のところへ来たって訳か」

なるほど。別に日向に友達がいないって言う訳じゃないようだ。

するとそこで、今まで黙って会話に参加しなかった遊佐が口を出した。

「つまり日向さんは、アイディアを考える知恵もなく、頼れる友もなく、大きな口だけ叩いて、自分が女装したくないがために衛宮さんに泣き付いてきた、と言う訳ですか」

「うぐっ。そう言われるとそうなんだが………恥を忍んで頼む!俺に力を貸してくれ!」

正座の状態で頭を下げ、完全に土下座の格好になる。
その格好だけでいかに日向が本気か分かる。

「…………という事ですが、どうします?」

「どうするもこうするも、俺の答えはさっき言ったはずだ。日向に協力する」

元から協力する気だったし、ここまでさせて協力しません、と言う訳にはいかない。

「あ、ありがとう衛宮!やっぱりお前は頼りになるぜ!」

「ふぅ。仕方ないですね。しょうがないから私も手伝ってあげます」

「え゛それはちょっと………」

嫌そうに顔を歪める日向。なんか、本当に嫌そうだ。
苦手意識でもあるのだろうか。

「何か問題が?」

「何もないです……」

何だかんだでどうやら話もまとまったようだ。

「じゃあまずどうやって売るかを考えるか?」

「普通に売り歩くだけじゃいけないのですか?」

「たぶん大山も藤巻も同じ様なことはするだろうから、三分の一も売ることは難しいんじゃないか?」

「あ、じゃあ遊佐が売り子にすればどうだ。見かけは綺麗なもんだから、ただ売るだけなら何の問題も……っ痛ぁ~。ジョークだよジョーク」

無言で日向の耳を引っ張る遊佐。痛そうだ。

「でも、結構いいかもしれない。無論それだけじゃまだ不安だからもう何個か案が必要だろうけど」

「衛宮さんまでそういう事を言うんですか?」

「だって遊佐は可愛いじゃないか。たぶん売り子をすれば皆買っていってくれると思うぞ」

………………………………数瞬の間。

「も、もう!何言ってるんですか!その、恥ずかしいじゃないですか!」

「わ、悪い」

遊佐が背中を叩いてくる。と言っても遊佐の細い腕で出せる力は余り強くない。
日向は結構痛そうにしてたけど、二人はただじゃれていただけなんだろう。

「見せ付けてくれちゃってまあ」

その時、日向が何か呟いた、気がした。

「?」

「なんでもねぇよ……ハァ。俺も彼女欲しいなぁ。そしたらこうやって部屋に連れ込んであれこれ……」

「『こうやって』なんですか?」

「決まってるじゃんか。二人見つめ合って熱いキスを………はっ!」

日向の後ろにはいつの間にか遊佐の姿が。

「馬鹿な!お前は衛宮とイチャイチャしてた筈では!」

「へぇ。さっき私は言いませんでしたか?それは、ゲスの、考え方だと」

遊佐は近くにあったモップを無言で持ち上げ、柄の部分を日向に向ける。
………何も見なかった事にしよう。

「あ、いや、なんでもない。なんでもないからその棒をしまってくだsアッーーー!」

あーあー。何も聞こえなーいー。……………なんだかんだ言って二人とも仲いいな。




「……………それで、結局どうするんだ?」

痛そうに尻を押さえている日向を尻目に、遊佐のほうを見る。
遊佐は何かに目覚めてしまったかのようにサディスティックな目付きで息を荒げていた。
その様子に何か末恐ろしいものを感じながら、声をかける。

「はぁ…………………はぁ…………そう、ですね。とりあえずは………NPCのよく集まる場所を……探せば……効率は…良くなるかと」

「なるほど。合理的な考え方だな。じゃあ俺は聞き込みに言ってくる。後は二人でごゆっくり」

後ろ手に調理室の扉を閉め、歩き出す。
少し離れると、遊佐達の騒ぐ声がした、気がした。

「貴方が割り込んだせいで!衛宮さんが!どっか!行っちゃったじゃないですか!どうして!くれるんです!」

「ぎゃお!それはっ!俺のっ!せいなのかぁ!?オゥ!」

………大丈夫。遊佐は遊佐だ。
例え新しい趣味に目覚めたとしても、俺は態度を変えることはない。





さて。NPCの調査といったものの、実を言うと聞き込みなんてしなくても屋上から見渡せばNPCがどこに集まっているかなんて言うのはすぐに分かる。

なのに何故調査という名目で外に出たのかというと、遊佐に負い目を感じていたからだ。

あの一件で俺と遊佐の距離は縮まったと思う。
だけどその分他の人達との距離は離れてしまったんじゃないのか。

元々戦線メンバーとあまり話しているようには見えなかったけど、俺の世話を焼いてくれるようになってからその傾向に拍車がかかったように思える。
だからと言う訳じゃないけど、他の人とも過ごして欲しかった。
俺なんかと居るよりずっといいと思うし。

まあ、相手はあの日向だけどさ。けど他の人は忙しそうだったし。

ぶらぶら歩きながらNPC達の動きを見る。
どうやら今は昼食時で食堂へ向かう奴が多いみたいだ。
けどクラスの出し物の試食で腹を満たしている奴もいるらしく、その数はいつもに比べて少ない。

そう言えば俺も遊佐や日向の襲撃のせいで昼飯食べてないな。クッキーは食べたけど。
調理室へ戻って何か食べ物取ってきてもいいんだが、お楽しみ中だったら気まずいしなぁ。

考えながら歩いていると、部長が一人フランクフルトを頬張っている所を見かけた。
どうやら部長はまだこちらに気付いていないみたいだ。
ここは厄介事に巻き込まれる前に逃げるべきか。

「あ、エミヤン」

しまった!わずかな逡巡の間に見つかった!獣みたいに勘の鋭い人だな。

「なんだよ返事してくれよぉ。これじゃ見知らぬ人に挨拶した馬鹿みたいじゃないか」

「見知らぬ人でいたかった……」

俺の心からの呟きに気付いたのかそうでないのか、部長は陽気な調子で笑うとこちらに近づいてきた。

「ま、ここで会ったが百年目ってね。諦めてあたしの企画した文化祭前日ツアーのお供になりな」

はぁ。この様子じゃあ何を言っても無駄なようだ。
仕方ない。ついて行くしかなさそうだ。

「まったく。こんな所で油売ってていいんですか?」

「大丈夫大丈夫!弓道部の連中はあたしがいない位で何も出来なくなる程やわな奴らじゃないよ」

そういう問題じゃない気がしたが、本人がこう言っている事だし気にしない事にした。

「じゃあまずはどこを回ろうか。こう見えてもあたしゃあNPCにも結構顔が利いてね。大抵の所で試食させてくれるんだ。三組のたこ焼きだって、五組の焼きそばだって食い放題だ」

「へぇ。NPCもそういうのを作るんですね。なるほど。NPCの料理を食べてみるのも面白そうだ」

俺の返事が気に入らなかったのか、部長は少し眉を顰めて言った。

「思ったけど、何でエミヤンあたしに敬語使ってんの?もっとフランクリーにいこうぜぇ。あたしとエミヤンの仲じゃないか」

「いったいどんな仲だと思っているのか気になりますが、ほら、『一応』部長って『一応』先輩じゃないですか。『一応』敬意(?)は払っておかないと」

「ほうほう。でも、ああ見えたって遊佐達もエミヤンより前からここにいるんだよ?それは先輩って事なんじゃないの?」

せっかく一応って部分を強調したのにスルーされた……。何か虚しい。

「そうじゃなくて、ほら、部長ってアレじゃないですか、アレ」

「ん?大人の色香を放ってるかい?」

「いえ、どちらかと言うと子供っぽいです。そうじゃなくて……何だろう、言いにくいな。こう、何と言うか、達観してるというか…いや、違うな。何だろう、まあ、とにかく先輩っぽいと言う事です」

「遊佐達からはそんな感じはしないと」

「ええ」

「ふぅん。あたしだけに感じる特別さって事かい」

「?まあ、そういうことになりますか」

「……悪くないね」

そう言うと部長は歩き出した。
その足取りはどことなく浮かれている様で、不思議だった。

「速くしな!置いてくよ!」

「はいはい」

言われるがままついて行く。
やれやれ、今日もまた慌しい日になりそうだ。




[21864] 学園祭編 ~前夜祭~ 三、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/12/20 20:44
「ありがとー!学園祭当日は弓道部の所に来てよ。おまけしちゃうからさ」

「はいはい。別に期待してないよ」

そう言いながらも、相手はにこやかな態度を崩さず、部長に店の物の余りを渡す。ここでもう三軒目だ。
部長と俺の手にはそれぞれチョコバナナとフランクフルト、そして綿アメが握られていた。

「部長って、意外に人望あるんですね」

これは俺の本心だった。
道行く者の結構は挨拶してくるし、偶に話しかけて来さえする。
NPCだけに限って言えば、ゆりより人気があるかもしれない。アホキャラとしてだが。

「意外とは失礼な。あたしは人望で部長になったような女だよ?」

「へぇそれは凄いですね」

さらりと言われたが、その人望がないから部長になれない人もいるだろうに。
くだらない事を考えている事が悟られたのだろうか、部長がこちらに聞き返す。

「む。その言葉は信じてないな」

「いや、そんな事はなくて………ただ」

「ただ?」

「人望を得られるというのは、やっぱり才能の一種ですよ。部長より弓が巧くても、他の誰にも部長にはなれない。
だって、エースと大将を分けるのは人望ですから」

「エミヤン……」

部長は、俺のその言葉に何故か少し悲しそうな顔をした。
何か変な事を言ってしまったのだろうか、少しの間会話が止まる。
それは、遊佐との穏やかなで静寂な空気とは違い、ただ荒涼としているだけだった。

そんな湿った空気を一掃しようとしたのだろうか、部長はことさらに明るい調子で話しかける。

「そう言えばさ、こうやって二人で並んで歩くのって初めてだったっけ?」

「まあ、言われてみればそうかもしれませんね」

正直、部長の気遣いはありがたかった。俺は別に部長と険悪になりたい訳ではない。

「そうさ。あんたが来てもう結構たつのに、そんな事もしてなかったんだねぇ」

「いや、別にする必要がなかっただけじゃぁ……」

言いあっている内に、先程までの空気は払拭され、いつものお気楽な感じに戻っていた。
やはり、部長との空気はこうでないといけない。

「またまたぁ、そんな事言っちゃってぇ……………ん?」

部長が何かに気付いたかのように声を上げる。
俺も部長の見ている方へ目を向けると、通路に人が通りかかった。
あれは確か……。

「あ、ヤバ」

その時、隣に立っていた部長が声を漏らす。
俺がいったいどうしたのか聞きただそうとする前に、部長が何も持ってない方の手で俺の手を取り走り出す。

「あの……部長?あれって………」

「シッ。いいから黙って」

心なしかあせったような声で急かす部長。
いつもとは違った真剣な様子に少したじろぎながらも黙る。
人目から隠れるようにこそこそと移動を開始する部長と俺。

「チッ。予想外に追手がかかるのが速い……。後20分位は大丈夫かと思ってたのに……」

「もしかして部長………あれって弓道部の連中じゃあ……」

俺の言葉が言い終わらないうちに、少し先の角から人影が飛び出してくる。
その人影は行く手を遮るように立ちはだかり、俺達に(主に部長へだが)叫んできた。

「見つけましたよ部長!サボってばっかりいないで少しはこっちを手伝ってください!」

今までずっと走ってきたのだろう。
息は乱れ、汗はだらだらかいているが、その瞳は部長をきちんと捉えている。

「あ!ほら、エミヤンが黙ってないから見つかったじゃないか!」

「えぇ?そもそも部長が黙って抜け出さなければ追手なんて来ないでしょうに」

「えぇ~い。うるさい、うるさい、うるさぁい!とりあえず………………逃げるよ!」

「あ、部長!」

来た道を引き返し、部員を撒こうと走り回る。
ずっと走り回っていたせいで疲れていたのだろう、思うように調子の出ていない部員。
見る間に引き離して撒くことに成功し、校舎の中に逃げ込む。

「…………ところで、何で俺まで逃げてるんですかね」

走りこんだ息を整えながら部長に話す。
同じ様に息を整えていた部長がふぅふぅ言いながら応える。

「……何でって、そりゃ、………なんとなく?」

「もう俺帰っていいですか?」

「ここまで来たら一蓮托生ぉ!途中で抜けようなんて図々しい真似しようったって、そうはいかないZ☆E」

そのテンションの高さにうんざりする。
ここで無理に帰ってもいいが、さっき空気が悪くなった時の気遣いを思い出し、少しの間だけなら我慢しようと思い直す。

「……はぁ。わかりましたよ」

もうどうとでもなれ。

「はっはっはっはっは。それでこそエミヤンというものだ」

何やら意味が不明瞭な事を言いつつも息を整え前を見る。
その眼には、不屈の意志が表れていた。

「で、どうするんです?逃げるにしても、どう逃げるんですか?」

「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれた。あたし達の作戦目標は、当初予定していた店全てを回りつつ、何食わぬ顔で弓道場へやってくる!これ以外は全て失敗だ!」

「はぁ。その高いテンションどうにかなりませんか」

「なに、あたしはテンションが高くないとキャラが立たないからね。世知辛い世の中さ」

何を言ってるのかわからないが、どうせ碌でもないことだろう。無視する事にする。

「じゃあまずはどこから回ります?」

「ここからだと………中華飯店が近い、かな?」

「中華飯店ですか……?」

何故だろう。中華と聞くと何か思い出す気がする………
何だったろうか。
中華……中華………

「ん?どうした?もしかして、中華苦手?」

「あ、いえ。何でもないです。それじゃあ行きましょうか」

思い出しそうだった事柄に無理矢理蓋をして、部長と連れ添って歩きだす。
見つからないようにこっそりと、俺達は逃避行を開始した。






「お、部長!いいのか弓道部手伝わなくて!さっき弓道部の連中が探してたぞ?」

「あんがと。会ったらもうちょっとしたら帰るって言っといてよ」

「ほどほどにしとかないと後が怖いぜ?」

「はいはい」

通行人の言葉に律儀に返事しながらも足を止めない。
すぐ先刻まで部員達が追いついてきたのだった。
俺達は追い詰められていた。

「それで、中華飯店はどっちです!?」

「そこ、そこを左折!」

廊下を走り、左折する。
見えた!

「お~い宇多田!来てやったぞ!何か寄こせ!」

「ん~?ああ、部長か。どうした、そんなに急いで………ああ、また逃げてるのか。部長職は大変だな」

「嫌みはいいから何かくれ!超特急で!」

「う~ん。今だと………麻婆豆腐しか残ってないね。連れの方はそれでいいかい?」

部長と話していた―――ウタダ?という人が、俺の方へ目を向ける。

「おいおい何であたしには何も聞かないのにエミヤンには聞くんだよ。差別か」

「アンタは何でも食うからね。聞くだけ無駄ってもんでしょ」

思い当たる点があるのだろう、反論は出ない。いや、出せない。
ただ拗ねた様に口を窄めて唸っているだけだった。

「まぁ、あそこで唸ってる馬鹿はほっといて、本当に麻婆でいいかい?少し待つってんなら点心も作れるが……」

「あ、いえ。麻婆でいいです。急いでますし」

本当の所、点心のほうが良かったのだが、この際文句は言うまい。
別に麻婆も嫌いじゃないし。

「じゃ、ほい」

話している間にも準備をしていたのか、ほとんどタイムラグなしに麻婆を渡してくる。
うむ。何処かの誰かさんとは違って手際がいい。

「ほら、あんたもそんな所でいじけてないで、あげる物あげたんだからさっさとどっか行っておくれ。邪魔だ」

「聞いたかいあの言葉!?ちょっと信じられないくらいの横暴ぶり。そんな事だからあんたは―――」

「何言ってんだい。そもそもあんたが―――」

何やら口論が始まってしまった。
どうやら部長と中華飯店の人は仲が良いようだ。
本当はすぐに逃げた方がよいのだろうが、一度始まった口論は中々終わらなさそうだった。

部長達が口論している間、何をするでもなく適当に内装を見る。
中華風にアレンジされた店内は、元が教室であることを感じさせない。

中華の店によくある、回転する丸いテーブルの上には、薄いピンクのテーブルクロスが掛けられており、ラー油やその他調味料がその中心に置かれている。
店員は、より中華らしさを演出させるためか、赤や青のチャイナドレスを着用している者がいる。
これが文化祭当日だと全員チャイナドレスになるのだろう。

そんな中、制服を着た一般生徒が、客席について一人黙々と真っ赤な麻婆を食している様が目に付いた。

人形のように綺麗な顔立ちをしていて、かなり小柄だ。
ぱっと見、小学生みたいな形だが、学校の制服を着ている所を見るに、高校生なのだろう。
ただ、真っ赤な麻婆を黙々と、しかしがっつりと食べ行く様は、傍から見ていても気持ちがいいものだった。

まあただ、食べている麻婆は俺でも食欲が減退するくらい濃い赤色をしていたのだが。
けど、俺の料理も、食べてもらえるならあんな風に食べてもらいたいものだ。

そんな風に感傷に浸っていると、ドタドタと足音が聞こえてきた。
恐らく弓道部の部員達だろう。

「部長!楽しいおしゃべりもいいですが、来ましたよ!」

「だいたいあんたは……ってああ?もう来たのかい。撒いたと思ったのに、案外早いじゃないか」

口論を一時止め、麻婆を袋に入れて走る準備をする。
俺も遅れない様に急いで準備する。

「あんたとはきっちり話をつけてやるから、覚悟しとけよぉ!」

相手の返事も聞かず、しかしきちんと捨て台詞は忘れず廊下へと飛び出す。
そこにはちょうどあっけにとられた部員達の姿があった。

「あ、待て!」

待てといわれて待つ馬鹿はいない。
部員達の言葉を無視して走り去る。
変な逃走劇だが、むしろ何だか楽しくなってきた。
廊下を一気に駆け抜け、部員を置いてきぼりにする。

その時、先程の麻婆少女の声が立ち上がり、何かを言った、様な気がした。

「廊下を走っては―――」

けど、よく聞こえなかった。





[21864] 学園祭編 ~前夜祭~ 四、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2010/12/20 21:47
中華飯店を出た後、俺達は射的屋や人形焼き、喫茶などの比較的メジャーな所から、
ゲテモノ食いや懐かしの駄菓子なんていうマイナーな物まで適当に貰い、順調にノルマをクリアしていった。
しかし、最後の最後に難問に突き当たる。

部員達が、教室で籠城していたのだった。

今までも、俺達の向かう店があらかじめ分かっているかのように、行く先々に部員達が配備されていた。
だが、複数に配備する必要があるためか、最初の方はさして数は多くなく、簡単にあしらう事も出来た。
が、しかし、残る店も残り少なくなるにつれ、配備される人員も増えてくる。
そしてついに残る店があと一つという所で、他に配置されていた人員が集まり、立て篭もったという訳だ。

通常、人が立て篭もっている所を突破するのは容易な事ではない。
城を攻める際、攻撃する側は守る側の3倍の人数が必要という話を聞いたことがある。
たしかにアレは城ではない。城ではないが、見張りも含めてこちらの10倍ほどもある。

いくら城ではないと言っても限度があるだろう。
こんなのを、いったいどうしろと言うのだろうか。
ここまで来ると、笑いが込み上げてくる。

途方に暮れて部長の方を見てみると、その顔は笑みを浮かべてはいても、目は決して笑っていなかった。

「上等ォ…………」

口から洩れる呟きは、いつもの部長の様な余裕さはなく、ただ乾いた囁きにしか聞こえなかった。
その平坦な口調に、部長の本気が垣間見える。

ゆらりと幽鬼の様に立ち上がり、ふらりと入口の方へゆっくり近づく。
強行突破する気だ。

「待ってください!無理に突入しても、この人数差じゃあすぐに取り押さえられるだけです!」

見張っている部員に気付かれない様に小声で怒鳴る。
今部長は怒りで我を失っている。無理にでも止めないと。

「だったらどうするって言うんだい!他に何か策でもあるのか?!」

「とにかく静かに!どんな作戦を立てても見張りに気付かれたら一巻の終わりです。ここは冷静にならないと」

とりあえず動けない様に部長を羽交い絞めにする。
すると、俺のその言葉にとりあえず納得したのだろう。声を潜める部長。
やれやれだ。

「状況を把握しましょう。俺達の勝利条件は、あの教室の試食。そして俺達の敗北条件は、俺達二人の確保。その認識で正しいですか?」

羽交い絞めの状態なので、自然に囁きかけるように言ってしまう。
まあ、見張りに聞こえないようにしなければいけないから仕方ないだろう。

「あ、ああ。それでいいと思うよ」

耳にかかる俺の息がこそばゆいのか、少し身をよじる部長。
とりあえず冷静になったようだし、放すか。

「とりあえず、教室の周りを回ってみましょう。何か抜け道があるかもしれません」

「そ、そうね。あるかもしれないね」

羽交い絞めの状態から解放された後も、どこか部長の様子がおかしい。
反応が鈍いというか、どこかぼおっとしてるというか。
しっかりして欲しいものだ。

まあ、そんな部長は一先ず置いておき、とりあえず外へ出て窓からこっそり近づけないものか見る。
しかし、見張りが常に3人はいるせいで近づく事すらできやしない。
正直、手詰まりだった。

ただ、教室の中をカーテンとカーテンの合間から覗ける事を発見した。
あまり多くは見えないが、教室の中心に誰か立って指示をしている人がいる事は分かる。
恐らくその人物が、俺達の行く店を先回りするよう仕向けた人物なのだろう。
教室にいながらそんな事をやってのけたあの人物には称賛の念を禁じえない。
だから、その人物が誰なのかという事に、好奇心を抱いた。

カーテンが邪魔で少ししか見えないが、恐らく服の形状からして女子だろう。
しかし肝心な顔から上がカーテンで隠れている。
もう少しで見えるのに、見えそうで見えない。
見たいのに見る事が出来ないというのは、中々に焦れるという事を今日初めて知った。

「そろそろ動いた方がいいんじゃない?」

部長の心配する声も、今は遠い。
もう少しなんだ………もう少しで、覗ける………!
そんな俺の思いが天に通じたのか、突如風が吹いた。
恐らく、人はこれを神風と言うのだろう。
邪魔だった布が捲れ、隠された聖域が露わになる。
ほんの一瞬、ほんの一瞬だったが、俺にはそれで十分に見る事が出来た。

髪を頭の両側に高く束ねたツインテールに、綺麗にたなびく金の髪。
そして、無感情に指示を下すその容貌。
それは、間違えようのない遊佐だった。

「……………遊佐?」

間抜けな声が漏れる。
俺が茫然としている間に、風は凪ぎ、カーテンは元の位置に戻った。

「遊佐っちが、どうしたのさ」

部長の声すら、遠くに聞こえる。
頭の中では、見知らぬ部員に指示を送る遊佐の横顔が思い返された。
何故だ。何故遊佐が。

「ねぇ。どうしたのさ。黙っちゃって」

「…………部員に指示を与えていたのは、遊佐です」

部長は、その言葉を聞いても顔色を変えなかったばかりか、さも納得したと言わんばかりに首肯した。

「なるほど。遊佐っちならあたしの行きつけの店も知っているし、他人をサポートするのにも慣れてるか」

「驚かないんですか?遊佐が、敵方にいるって言うのに」

「なぁに。本当は抜け出したこっちが悪いんだ。困った部員が遊佐っちに泣きついたとしても不思議じゃないよ」

………たしかに、本来役目から逃げているのはこちらの方なのだ。
遊佐が見るに見かねて部長を捕まえようと考えても無理はない。無理はないのだが………。

「なんだい。あたしの推理じゃ不満かい?」

「いえ、そういう訳じゃないんですが……」

ならどういう訳なのだろう。分からない。

「だったらこう考えればいいのさ。遊佐っちは、あたしとエミヤンが一緒に出かけているのに焼餅を焼いて妨害しに来た、とかね」

いったい何を言い出すのかと思えば……

「それはあり得ないでしょう」

「ま、例え話さ、例え話。深く考える事はない」

はぐらかす様に、話を煙に巻く。
何故今そんな事を言い始めたのか理解できないが、そんな事よりも今は考えるべき事がある。

「ともあれ、相手が遊佐ともなると、たぶん通常の通り道は全て塞がれていると考えて間違いないでしょう」

だとすると、通常でない通り道を探すしかない。
通常じゃない……通常じゃない……

「………通風孔なんてどうだい?」

「通風孔?」

何か案を思いつこうと頭を捻っていると、部長の方から提案された。
通風孔って言うと、あのスパイ映画なんかでよく使われるアレか。

「ああ。あんな所に人を配備することはできないし、意外となんとかなるんじゃないかね」

「通風孔、通風孔、ですか。発想は悪くないけど、問題がありますよ」

「問題、かい?」

はて?と首をかしげる部長。
分からない事は分からないと言えるのは、部長の美点だと思う。

「ええ。一つ目は、たぶん通風孔は掃除されてないでしょうから、物を持って帰ろうとしても汚れてしまう。
二つ目は、入れたとしても確実に気付かれます。中にも人がいましたしね」

スーパーボール掬いとかだったら別に汚れてもかまわないのだが、食べ物となるとそうはいかない。
衛生状態の善し悪しによって味も変わってくるし、何より作ってくれた人に対して失礼だ。

「じゃあどうするって言うんだい」

「何か手はあるはずです。何か………」

そうだ。ここまで来て諦めるなんて事はあってはならない。
何か手はないのか……何か……

「…………………………………あぁ面倒くさい!別にあたしゃぁ考えるのが得意な訳じゃないんだ!
こうなったら無理にでも突撃を……!」

「待った待った!落ち着いて早まらないで!」

「誰だ!そこにいるのは!」

暴れだそうとする部長をまた羽交い絞めにしようとすると、見張りの人物にがこちらの声に反応した。
どうやら大きな声を出しすぎたらしい。
部長もどうやらまずいと思ったのか、とりあえず逃げる事にした。

「あ!待て!」

思ったが、人を追いかける時に言う台詞って他にないのだろうか。



……………………

……………

………





「とりあえず、撒いた……かな?」

俺達二人は階段のあたりで身を隠し、辺りを窺う。
どうやら見張りは追ってきていないようだ。

「くそっ。こんなの、どうすればいいんだよ………?」

走り疲れて床に腰をおろし、うなだれる部長。

「もう、諦めるしかねぇのかなぁ」

その姿は、旅に疲れ切った旅人の様で。

俺は、そんな部長の姿は見たくなかった。

「立って下さい。部長」

気がつけば、俺はそう言って部長の手を引いていた。
引っ張る俺の手を見て意外そうな顔を向ける部長。
たぶん、俺自身も部長と負けず劣らず意外そうな顔をしているのだろう。

だが、俺は掴んでしまった。自分でどんなに意外だったとしても、この手を掴んでしまった。
だったら、衛宮士郎の取るべき道は一つしかない。

「エミヤン…?」

何故だ。とその瞳が問うている。
何故お前は諦めないのか、と。

一つ、ため息をつく。
それは自分自身にもその理由が分からなかったからであり、けど同時に、それは魂の刻みつけられた行動原理だと、頭の何処かで気付いていたからに他ならない。

「誰かが打ちひしがれた様子なんて見たくありません。とくにそれが、部長の様な能天気な人だと特に」

「なっ!」

部長が何か言い返そうとするのを遮って、こちらの言いたい事だけを言う。

「自分で言ったことでしょう?全部の店を回るって。自分で言ったこと位責任を持ちましょうよ」

「でも、教室を見なよ。あんなのをどうやって突破するって言うんだ?」

そう言った部長の目は諦めを宿していた。
それは、負け犬の目だった。

「そんな事は関係ない!あんたは部長だ。部長とは、それに慕う者達の理想だ!
部員が、俺が、そしてあんた自身が望む理想は、こんな事で挫けるほど柔な物なのか!?」

悔しかった。部員が、そして俺が信じた部長が、こんな事で挫けてしまう事に。
そして信じた。部員が、そして俺が信じた部長は、こんな事では挫けない事を。

「エミヤン………」

死んでいた部長の目が、輝きを取り戻す。
戦うために。勝つために。

「そうだね。あたしは部長なんだ。部員に、あんたに、そしてあたし自身に胸を張って誇れる理想。それが、部長なんだ」

地に足を踏ん張り立ち上がる。力強く、決然と。
立ち上がった部長の目は決意に満ちていた。
それは、獲物を狙う戦士の目だった。
だったら、その目に応えなければならない。

「俺が、囮に出ます。その間に突入してください」

本当は、最初からその作戦は考えついていた。
けど、囮作戦は本命となる方を信じきらなけらばならない。
先程までの負け犬の様な部長では無理だった。けど、今の部長なら。

「いや、それじゃあ駄目だ」

「いえ。それしか方法はないんです。それ以外に、アレを打ち倒す方法は……」

「………分かった。成功したら、道場で落ち合おう」

俺の本気が伝わったのか、部長はそれ以上何も言わないでくれた。
その信頼に応えなければいけない。

「それと、こいつを持って行きな」

渡されたのは、丸い小さな玉を複数個。
これは……

「癇癪玉?」

「そう。衝撃が加わると爆発して音出す奴」

こんなものをどうやって…………もしかして

「まさか、あの射的の景品貰ってきたんですか?!」

そう、まだ部員に追われる前、俺達は射的屋の所で誘われるまま射的をし、そして当然の事ながらいくつか物を当てた。
俺の方は物はいらないと断ってきたのだが、部長の方は何か色々していたかと思えばちゃっかり一人だけ貰っていたとは……。

「いやぁ。やっちゃったぜ」

「やっちゃったぜ。じゃありませんよ!景品貰ったら当日迷惑になるから止めておきましょうって言ったじゃないですか!」

「まあまあ。こんな所で役に立ったから良しとしようじゃないか」

部長は、軽い調子で答えを返す。
油断も隙もあったもんじゃない。

「………一応、役に立ちそうなので貰っておきますが、この事は後できっちり説明してもらいますからね」

「ほらほら。囮をするなら早くした方がいいよ。これ以上集まってきたら厄介だしね」

シッシッと犬でも追い払うように俺を追い出す。
俺もそれ以上は無駄話をせず、一度その場を離れる。

最後に少し振り返って、頷く。
部長も返礼するように頷いた。
その姿を見た後、走り出す。



さあ、陽動を始めよう。






SIDE:部長


教室の周りから、怒号と破裂音が聞こえる。
どうやらエミヤンが陽動を開始した様だ。

エミヤンは自分の身を挺してあたしを送った。
だったらあたしは、その信頼に応えないといけない。
それが、どんなに博打染みた事だったとしても。

見張りはすでに破裂音がした所へ向かっていて、もういない。
しかし油断は出来ない。教室の中には遊佐がいて、部員達の動揺を抑えていることだろう。
望む所だ。あたしが誰だか思い知らせてやる。

兵は迅速を尊ぶと言う。そして時は人を待ってくれない。
エミヤンが陽動していられる時間はあまり多くない。すぐに人数差に負けて捕まってしまうだろう。

ポケットから鼠花火を取り出す。本当は、打ち上げの時にでも使おうと思っていたけど、しょうがない。
常備している(別にタバコを吸うためじゃなく、悪戯する時とかに使う)マッチを擦って、導火線に火をつける。
シュワッーっと音を立てながら動き回ろうとする花火を止め、こっそり教室に近づいて窓を開ける。

教室の中は軽くさざめいていたが、あまり大事にはなっていないようだ。
これも遊佐っちの手腕による物だろう。
しかし、これを受けてもその平静さを保てるかな?

少し開けた窓から、止めていた鼠花火を投げ入れる。       *危ないので、良い子は絶対に真似しちゃ駄目ダゾ。
軽快な音と共に花火が床を縦横無尽に駆け巡る。
部屋中に悲鳴が重なり、木霊する。人々が逃げ惑い、無数の影がそれを追う。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。気の弱い者は腰が抜けてしまったようだ。
気を確かにもった者も、花火を避けるように扉付近に集まっていく。

この時を、待っていた。

大体の人間が扉付近に逃げ込んだ時を見計らい、ロケット花火に点火し、教室の中へと発射する。
空中から人を襲うロケット花火に身の危険を感じたのだろう。皆扉をくぐりぬけ、教室から脱出する。

人がいなくなったその瞬間を見逃さず、窓を全開にして教室の中へと入り込む。
転がり込んだ教室内は、花火の火薬臭かったが、そんな事を気にしている余裕はない。
驚いた人によって倒された机や椅子を避けながら一目散に扉へと駆け出し、内側からカギを閉める。
カギが閉まった事に気付いた何人かが、扉の外を叩いてくるが、今さらそんな事をしても何の意味もない。
カギは閉まり、人は追い出され、教室にはあたしだけが残った。

つまり、あたしは賭けに勝ったのだ。

その事実に安堵する。
これであたしはエミヤンの期待に応える事が出来た。
部長としての責務を果たしたのだ。

後は専用の台に置かれていた林檎飴を二つ持って行くだけでいい。
けど、この店の奴らには悪い事をした。後でゆりっぺから何か言われるかもしれない。
でも、今そんな事は気にならない。その位気分がイイ。最高にハイって奴だ。

「さてさて、肝心の林檎飴ちゃんは……」

あれ?台に飴が……………ない?

「林檎飴なら、もうここにはありませんよ」

「え?」

後ろから、声が聞こえた。
軽やかな鈴のごとく澄んだ女性の声。
馬鹿な……あり得ない……………人は全て外に閉めだしたはずだ……
なのに、何故…………何故………

「何故お前がここにいる………!?遊佐っちぃいい!」

普段は無気力とさえ感じさせる瞳が、今は厳しく細められ、こちらを睨む。
透き通るような美しい金の髪を風に靡かせ、華奢な腕を不遜に組んで仁王立ち。
正真正銘、遊佐だった。

「それはこちらの台詞です。私の予想だと、部長が陽動で、衛宮さんが本命だと思ったのですが」

陽動が見抜かれていた?いや、別に驚くほどの事ではない。
相手は遊佐なのだ。こちらの手の内は、ほとんどバレテいるのだろう。

「答えろ遊佐っち。いったい、何時から作戦の事を予期していた」

「何時からも何も、始めからです。そもそも、籠城をされた場合の対処方法は限られてきます。強行突破か、兵糧攻めか、抜け道です。
そして抜け道は既に封鎖してあり、兵糧攻めはナンセンス。だとすれば強行突破しかない。しかし普通に攻めても捕まるだけ。
だったらどう攻めるか。そしてその中で部長や衛宮さんが選ぶであろう作戦は、陽動作戦しかあり得ない」

完璧に、読まれていた。
どうしようもないくらい理路整然として、反論のしようがない。
いや、仮に反論する事が出来たとしても、現実的に作戦が読まれていたのだから、それはただの見苦しい言い訳にすぎなくなる。
しかしこちらにも意地という物がある。

「へぇ。じゃあ遊佐っちは、この作戦が陽動だとわかっていて、なのにこうやってあたしに追い詰められた、と言う訳だ」

「追い詰められる?部長、日本語は正しく使いましょう。貴方は今、私に追い詰められているのです」

何を馬鹿な、と言いかけて、はっと気づく。
あたしが此処でこうして逃げずに遊佐っちと話をしている理由。
それは、林檎飴がなくなっていたせいで。

「まさか遊佐っち、あんたは、もしかして……………」

「はい。ここの林檎飴は、全て私が買い取りました。さすがに全部は食べきれなかったので弓道部の皆さんに配ったりしましたが」

しまった…………そうか、そう来たか。
あたし達の目標が食べ物にあると知られた時点で、こうされる事は予想してしかるべきだった。
そう。買い占めという事態を。

あたし達は油断しいていたのだろう。
所詮前夜祭だと。まさかそこまではやるまいと。

「甘かった。ここに売られていた、林檎飴より甘かった……」

「別にうまいこと言えていませんよ」

「うるさい!」

もう打つ手はない……のか?
こんな所で、何もできずに捕まるだけなのか。

「今までの貴女の行動は全て無駄になりました」

あたしを見る遊佐の目付きは、まるで地を這う蛆虫を見るかのように冷たい。
その目は、お前は敗者だと、負け犬だと、口より雄弁に物を語る。
その視線に、耐えられない。

アキラメロ。あきらめろ。諦めろ。諦めてしまえ。
心の奥で、臆病なあたしがそう囁く。
決着は付いた。これ以上やっても見苦しいだけだ。
諦めよう。これ以上醜いと思われるのは我慢できない。

けど、何故だろう。まだ、諦めたくない。そう囁く声も聞こえてくる。
そしてその声は、どんどん大きくなって弱気な声を打ち消していく。

諦めてどうする。諦めない。諦めたくない。諦めてたまるか。
心の中で、部長であるあたしがそう呟く。
諦めない。これ以上見下されるのは我慢できない。

決着はついた?それがどうした。
あたしの望みがどれだけ困難だろうが、そんな事はあたしと何の関わりもない。
弓道と一緒だ。どれだけ的が遠くても関係ない。

だって、目標(まと)は中てられるためにあるんだから。

不撓不屈の精神で、遊佐を睨みつける。
あたしの激情を真っ向から受けても、遊佐は顔色一つ変えやしない。

「……………………………………………へぇ。その目、諦めないと言うんですか。この状況で」

確かに状況は絶望的だ。
先行きは見えないし、具体的な案も思いつかない。
けど、諦める事だけは決してしない。
エミヤンが信じる部長は、そしてあたし自身が信じる部長は、こんな所で挫けたりしないはずだから。

「――――――――そうでした。部長は、そういう人でしたね」

何処か懐かしそうに、遊佐が呟く。
そういえば、初めて遊佐と会った時もこんな感じだったような気がする。

彼女は彼女で意地になり、あたしはあたしで一歩も譲らなかった。
すれ違って、突っ走って、でも最後には仲良くなれた。
友達になれた、と思う。

けど、今そんな事は関係ない。
遊佐っちが、いや、遊佐があたしの前に再び立つというのなら、容赦しない。

「ふふっ。本当に懐かしい。本気なんですね、部長」

「あたしはいつでも本気だよ」

そんな軽口の応酬でさえ、緊張を強いられる。
緊張した状況の中、遊佐は無造作に手をポケットに突っ込む。
もぞもぞとポケットの中で目当ての物を探し出し、ある物を引っ張り出した。
そのビニールの包み紙でくるまれた物は、まごう事なき林檎飴だった。

「あげたんじゃ、なかったのか?」

「ええ。けど、2個だけ余ってしまっていました」

遊佐の意図が読めない。
いったい遊佐は、何をしようと言うのだろうか。

「何のつもり……?何で今ここでそれをばらす?」

「本気になった部長って、何をするか分かりませんから」

「はぐらかすな!」

怒鳴りつけてもなお、飄々とした態度を崩さない遊佐。
こいつの態度が変わるのは、自分が気に入ったモノが絡んだ時だけだ。

「別にはぐらかしているつもりはありませんが……。そうですね。他にも理由を付けるとするならば、交渉をやりやすくするためでしょうか」

「交渉?」

この場面でそれを言うという事は、遊佐は元々その交渉とやらのためにあたし達を追いかけていたのだろう。

「ええ。部長、貴女は、私と勝負してもらいます」

「分かった。その勝負、受けよう」

遊佐の言葉に、即答する。
そもそも、遊佐の提案を受ける以外に道はないのだ。
だったら、何で迷う必要があるだろう。

「勝負内容、聞かなくていいんですか?結構重要な事だと思いますが」

「いいんだよ。あたしに選択肢はないし、遊佐が勝負にならない競技を選ぶはずがない」

それはある意味絶対的な信頼だった。
勝負の命運を分ける競技の種目を、遊佐だからという理由で聞きもしない。
たとえ敵であっても、遊佐はそんな事をしないと信じている。
他の人が見ればただあり得ない事であっても、あたしにとっては当たり前の事だった。

「………………まぁ、いいです。部長が勝てば、この飴を二つ。そして負ければ――――――――――」

遊佐の口から出てきた条件は、厳しい物だった。
しかし、選択の余地はない。
あたしには戦う事しか残されていなかった。

そうしてあたしは、勝負を受けた。









結果、あたしは遊佐に負けた。




[21864] 学園祭編 ~前夜祭~ 終、
Name: saitou◆92d7fd20 ID:a7a76251
Date: 2010/12/27 00:09
SIDE:岩沢



「――――ストップ。じゃあ、ここで一旦休憩とろうか」

最後にギターの弦を打ち鳴らし、バンドのメンバーに休憩を告げる。
ひさ子達の一息つける声を聞きながら、歌い疲れた喉を潤そうと机の上に置いておいたペットボトルに手を伸ばす。

しかし、蓋を開けてグッと呷ると、ペットボトルの中身はすぐになくなってしまった。
もう一本飲もうにも、もうこの教室にペットボトルは存在しない。

仕方ない。買ってくるか。

「飲み物買ってくる。何か欲しい物ある?」

ギターを下ろし、首に巻いたタオルで汗を拭きつつ、他のメンバーに声をかける。
どうせ買いに行くんだったら、まとめて買ったほうが効率がいい。

「あ、じゃあ、あたしとみゆきちはアクエリでお願いします」

「じゃあ、あたしはポカリで」

アクエリが二つに、ポカリが一つ。そしてアタシ用のボルビックが一つ。
うん。手持ちの金で何とかなる。

「けど、何で最近、ジャンケンで行く人を決めないで、岩沢さんが行ってるんですか?」

入江をからかっていた関根が、ふと思いついたように言う。

「ん?言われてみれば、最近買出しジャンケンしてないな」

ひさ子の同調する声を聞きながら考える。
言われてみれば、そうだ。何でアタシが率先して買出しに行ってるのだろう。
ようやく少し冷えてきたとはいえ、こんなクソ暑い外を歩く趣味なんてないのに。

「言われてみればそうだけど、だったら関根が行く?」

「あ、あたしはちょっと………みゆきち、行く?」

関根は、アタシのその言葉に少しうろたえ、入江にパスする。

「え、えー?しおりんが言ったんだから、しおりんが行ってよ」

「いや、ここは敢えてひさ子先輩が行く、というのはいかがでしょうか先輩」

「いや、いかがでしょう、じゃねぇよ!別に岩沢が行くって言ってるんだから、それでいいじゃねぇか」

自分のギターの調子を見ながら、ひさ子が反応する。
まあ、自分から暑い外へ出たがる奴はいないか。

「ま、いいさ。今日はアタシが行くよ。次はまたジャンケンね」

「うぇー。余計な事言っちゃった」

「自業自得だ」

辛辣なひさ子のツッコミを聞き流し、空き教室の扉を開ける。
ガラガラと音を立てて扉を開けきると、関根と言い合っていたひさ子が声をかけてきた。

「でも、本当になんでジャンケンで決めないんだ?」

その問いに、答えがつまる。
何故人任せにしないで、自分から行くのか。
何故だろう。自分でもよくわからない。

よく分からない。が、この自分でもよく分からないモヤモヤした気持ちを、歌にすればどうなるだろう。

そう思い付いたら、後はもう止まれない。
先のひさ子の発言など意識の向こうへと消え、音楽に対する思いだけが残る。
どのように歌にするのか。Aメロは、Bメロは、サビの部分はどうするか。
テンポは、フレーズは、入りは…………あぁ!どこかに書いておかないと!

とっさに近くの机に置いてある紙を取り出し、思いついた事を書き連ねる。
イントロが、こう入って………サビのフレーズは………。

「……だめだこりゃ」

「岩沢さん、こうなると長いですもんね」

その内、周りの声も気にならなくなる。
こうやって、歌の事を書き連ねている時はいつもそうだ。
周りが目に入らなくなる。頭の中の音楽が、私を書き出せと怒鳴りだす。

「なあ岩沢。とりあえず書くのはいいけど、飲み物買ってからにすれば?」

「しっ。少し黙って。今思いつきそうな所だから」

~~~♪~~♪~~~~~~♪
それでサビに入る。
それから………

アタシは周りの視線も省みず、延々と音符を書き続けた。

結局買出しに行ったのは、30分後の話だった。





学習棟A棟 廊下


一段落ついた所で辺りを見回すと、ひさ子も関根も入江も麻雀をやっていた。三人打ちで。
途中から入るのもなんだし、とりあえず飲み物を買いに行く事にした。

教室の扉を開けると、暑い風がこちらへ吹き付けてくる。
その暑さにまだ夏なのだと感じて歌のフレーズを思いつきそうになったが、そろそろ行かないと日が暮れそうなので諦めた。

廊下を歩いていると、自販機が見えてくる。
いつも使っている空き教室に程近く、少し前までは飲み物を買うときはいつもここに来ていた。
けど、最近は違う。いつも買っていた飲み物がここでは売られなくなったからだ。

特段好きだったというわけではない。
どこにでもある飲料水。けど、アタシは生前からずっとそれを飲み続けていた。
だからだろうか、どうにも他の飲料水を飲むと違和感が付きまとう。
どうでもいいといえばどうでもいいが、ライブの途中にいつもと違う飲料水に気を取られて失敗した、なんて事になったら目も当てられない。
だからアタシは買い続けた。売っている自販機がなくなるまで。





そういえば、初めてアイツと出会ったのもここだったな。

今は用のない自販機の前で、あの日のことを思い出す。
あの飲料水がなくなった事に気付いた数日後。
他に売っている所を見つけた次の日の事。

ぼーっとしてたアイツに、ぼーっとしてたアタシがぶつかった。

ただ、それだけの話。

それは運命なのかもしれないし、それとももっと別な何かのせいなのかもしれないし、ただの偶然だったのかもしれない。
でも、そんな事はアタシ達には関係なかった。
大事な事は、アタシとアイツが出会ったという事実だけだ。


そうして、アタシ達は巡り合った。






学習棟A棟 階段



校舎の階段を下りていると、ドタドタと複数の足音が聞こえてくる。
こんな暑いのに走り回っているのは、よっぽどの暇人か馬鹿に違いない。
もしくはこの暑さにやられてしまったかだ。

さしたる興味も湧かず、階段を下りる。
足音はしだいに近づき、怒鳴り声が聞こえてきた。

「待てぇ!」

そんな事を言う位ならさっさと走ればいいのに。
どうせ止まる訳もないのだから。

階段の踊り場に出ると、走っている連中が見えた。
その服装から、NPCではないと分かる。
まあ、廊下を走り回っている時点でNPCではないだろうと思ってはいたが。
寡聞にして、廊下を走り回るNPCがいるというのは聞いたことがない。アタシが知らないだけかもしれないけど。

それにしても、こんな暑い中をよく走る。
誰かを追いかけているようだが、いったい誰を…………………ん?あれは………?

「……………衛宮?」

追いかけられているのは、さっきまでアタシが思い描いていたアイツ――――――衛宮だった。

「えっと…………………………………何で?」

当然の事だが、応える声はない。
アタシの声は、ただ虚空へと消え去っていった。

















落ち着け………素数を数えるんだ………。


たしか、生前バイト先の先輩が無理矢理貸し付けてきた漫画本に、そんなことが書いてあった気がする。
背後霊同士を戦わせる超能力バトル物で、緻密な頭脳戦が売りだった。
そう言えばあれ、最後まで読みきってなかった。最後はいったいどうなったのだろうか。

「って、今はそんな事を考えてる場合じゃないだろ!」

そう、確かに今はそんなことを考えている場合ではない。
知り合いが追われていたのだ。それも比較的常識的な奴が。

これが日向や野田みたいな奴らだったら、追われているのにも納得がいく。馬鹿だし。
しかし、しかしだ。
あの衛宮が。人畜無害、学校の便利屋、一家に一台衛宮士郎と言われている、あの衛宮が、追い掛け回されているとなると話は変わってくる。
一大事といっても良い。ゆりが見ても驚くだろう。

アタシだって、そりゃもう驚いた。
どの位驚いたかというと、うろ覚えの漫画の台詞を思い返して、慣れないノリ突っ込みを誰もいない所にやってしまう位には驚いた。

いや、むしろ誰もいなかった事は喜ぶべきかもしれない。
ガルデモのヴォーカルが公共の面前でいきなり突っ込みをしていたなんて噂が流れれば、人気が落ちて聞きに来る人数が減ってしまうだろう。

まあ、今はそんな事より衛宮だ。
いったい何があったのだろう。昨日休んでいたのと何か関係があるのだろうか。
本人に聞こうにも、追手と共にすごい勢いで走り去ってしまったため、もう目に見える位置にはいない。

まったくアイツは人に心配ばっかりかけさせる。
昨日休んで連絡入れないし、この前だって……………………………………。
いや、まあ、別に、何にもなかったけどさ。

とりあえず、衛宮が見えない今、アタシがやるべき事は一つ。買い出しの続きをする事だ。
衛宮の事が気にならないと言えば嘘になるが、本人がいないんじゃどうしようもない。
まず飲み物を買って、それから今後の事を考えるとしよう。

のろのろと足の動きを再開させる。
この暑さのせいか、それとも妙な物を見た事による冷や汗か、少し汗ばんできた。
首にかけっぱなしにしておいたタオルで汗をぬぐいながら、ふと衛宮の事を考える。

アイツはお人よしだから、何かに巻き込まれたのかもしれない。
いつか見た時も、NPCを助けようと駆けまわっていたし、今回も何か厄介な事に巻き込まれたのかもしれない。

そう考えると、不安になってくる。
そうだ。気がつけば衛宮は巻き込まれている。
アタシの知らない所で、知らない奴と。

そう考えると、なんだか胸がもやもやする。
それは、教室を出る時に感じたものと似たような、でも、もっと冷たい別の何かだった。






弓道場前公園



弓道場前。ここには自販機が一つしか置いていない。
けど、ここに来たのには訳がある。
それは、アタシの飲む物が売っている一番近い場所だからだ。

他に理由なんてない。

とりあえず階段を下り、砂にまみれた地面の上に立つ。
自販機は、部活帰りの者に売りつけるためか、入り口の近くに置いてある。
グラウンドの方を見れば、さまざまな部員が自分達の出し物の設置を黙々と行っている。
アタシ達も、彼らに負けないように頑張らないと。

でも、そのためには飲み物が必要不可欠だ。
と、言う訳で自販機に金を入れ、スポーツ飲料を買う。

ボタンを押すと、ゴトゴト音を鳴らしてペットボトルが落ちてくる。
ペットボトルはよく冷えていて、持ってみるとひんやり冷たい。
こんな暑い日にはうってつけの代物だ。

買い出しに行った人の特権として、先に自分の分を開け、口を付ける。
甘く、冷たい水が、喉を通り過ぎていく。
ごくごくと嚥下しながら、木陰の下で少し休もうと都合のいい場所を探す。

グラウンドの縁には木が林立しているから、別にどこでもいいと言えばいいのだが、どうせならベンチのある場所がいい。
木陰で、ベンチのある場所というと………お、あった。
しかしそこには、広いベンチを丸々占有するよう横に臥せている奴がいた。
先に座られているのなら仕方ない。迷惑な座り方だが、諦めるほかはない。

しかし、あの背格好。どこかで見た事があるような………

少し、近づいてみる。
近づくにつれ、相手の様相がはっきり分かってきた。
人の証である戦線の服はどこか煤けていて、髪が少し赤みがかった、中肉中背の男。

あいつは、もしかして……………

「衛宮………?」

長椅子に寝そべっていた男は、アタシの言葉に驚き立ち上がる。
立ち上がって顔を見ると、相手が誰なのかはっきり分かった。

赤い髪の毛に引き締まった顔立ち。眼差しは鋭いが、人相が悪いと言うほどではない。
いつもはムスッとした顔をしていて、でも笑うとどこか愛嬌が漂うお人よし。

先程追われていた、衛宮だった。

衛宮は目をパチパチさせて驚きを表現しつつ、こちらを見る。
髪はいつもよりボサボサで、かなり汗をかいている。
立ち上がった衛宮は、こちらを見据えて一言、

「岩沢………?」

と言った。

「「………………………。」」

二人の間に言い知れぬ空気が漂う。
コイツは…………何をこんな所で寝そべっているんだ………!

「あ、あのさ」

先に均衡状態を崩したのは、衛宮だった。

「何で岩沢がここに………?」

その間抜けな言葉に、苛立ちが募る。
今はそんな間抜けな言葉より、もっと別の言葉が欲しい。

「言うに事欠いてそれか………………」

「え?」

ほう。どうやら聞こえなかったらしい。
だったらしょうがない。
聞こえるくらい大きな声で言ってやる。

「他に!言う事は!ないのかって聞いてるんだ!」

自分でも少しビックリする位の声が出る。
それはたぶん、昨日来なかった事とか、アタシを心配させた事とか、追われていた事とか、諸々の事が重なっての事だと思う。

アタシ自身が驚いた位だから、衛宮の方はもっと驚いただろう。
案の定、少し腰が引けていた。

「何で昨日は来なかった」

少し、目が赤いかもしれない。
そう自覚しながらも口は止まらない。
珍しい、と自分でも思う。
歌以外でこんなに感情を乱すなんて。

「何で連絡の一つも入れなかった」

ああ、駄目だ。
考えないようにしていた事がどんどん溢れ出してくる。

「ひさ子も、入江も、関根も、もちろんアタシだって心配してた」

結局、昨日アタシ達が食べた物は適当に握られたおにぎりだった。
衛宮が来る前は、さほど不味いとも感じなかったそれが、昨日ほど飯が不味く感じた時はなかった。
それは衛宮の作ってくれる料理の味に慣れてしまったからでもあるが、それ以上に衛宮がいなかったせいだ。

「答えろ!衛宮!」

アタシの声に、面食らった様な顔をしていた衛宮が思慮を取り戻す。
その瞳に力が宿り、こちらを見詰める。

「岩沢。俺は…………」

衛宮が口を開く。

「俺の作った物がそんなに喜ばれているなんて思いもよらなかったし、自分が休んだ位でそんなに皆が心配してくれるなんて思ってもみなかった」

そこで衛宮は一旦言葉を止め、ゆっくり考えるように言葉を吐き出す。
後悔するように。懺悔をするように。

「でも、それは言い訳だ。昨日行けなかったのは事実なんだ。例えどんな事情があっても、連絡を入れるのを怠った理由にはならない」

一言一言に、悔恨の気持ちが籠っている。

「でも、これだけは知っておいて欲しい。俺は、ガルデモが嫌いで行かなかった訳じゃない。面倒くさくなって行かなかった訳じゃない。俺は今でも、ガルデモが好きだ」

その言葉は真摯で、力が籠っていた。
視線は微塵も揺るがず、口調もはっきりしている。
これが嘘だとは思えない。
そもそも、衛宮はそんな嘘をつくような奴じゃない。

けど。

「それが、どうした」

衛宮の目が、少し悲しげな色を帯びた。

「アタシは、そんな言葉だけじゃ許さない」

そんな事じゃ許してあげない。
言葉だけじゃ、許してあげない。

「けど、どうしても許して欲しいなら、飯を作りに毎日来て」

えっ?という呟きを無視して一気に話す。

「飯を作りに、雨の日も、風の日も、雪の日も、暑い日も。
もうアタシ達を心配させない様に、遅れたり行けなくなったりする場合は連絡をよこして。
でないと、ライブを永遠に見せさせない。どんな手段を使っても、絶対に追い出す」

だから、昨日と言う日を駄目にした、その責任をとって。

それはアタシの本心だった。
もうこれ以上心配をかけるなら、もうこれ以上アタシの感情を乱すなら、もうこれ以上音楽の邪魔をするなら、衛宮であっても切り捨てる。

「はっ。ははははっ」

それなのに、衛宮は笑った。
楽しそうに。嬉しそうに。

「何で笑う!?」

「いや、悪い。別に岩沢の事を笑った訳じゃないんだ。ただ、俺って愛されてるなって」

「なっ!」

思わず顔が赤くなる。
こんなのはアタシらしくないと思いながらも、顔の紅潮を止められない。
そんな顔を悟られまいと背けるが、衛宮はさらに微笑みを深めるばかりだ。

くそっ。どれもこれも全部衛宮が悪い。

「べ、別に、そう言うんじゃ、ない。ただ…………そう!ただ、来るか来ないかはっきりしないと、他の奴らにも迷惑がかかる。だから、次ガルデモに迷惑がかけるようなら、アタシはアンタを切り捨てる。ただ、それだけの話だよ」

アタシの言葉に、衛宮はわかってるとただ深く頷いた。

「分かってるなら、それでいい」

ぶっきらぼうにそう言い放つが、頬はまだ熱い。
けど、言いたい事は言い切った。
だったら後やるべき事は一つ。それは………。

「ハイ、これ。飲みかけで悪いけど」

そう。仲直りだ。
とりあえず、しんどそうな衛宮に飲んでいた飲み物を与える。
少しぬるくなってしまったが、その位は許してもらおう。

「あ、ああ。ありがとう」

そしてペットボトルの口を見たままジッと動かない衛宮。
? どうかしたのだろうか。

「別にそんなに高い物でもないし、残りはやるよ」

ああ。と、ぎこちない返事をしながらも、やはりジッと動かない。
なんだ、仲直りのアタシの飲み物が飲めないのか。
ん?アタシの飲み物…………?
アタシが口を付けた飲み物………?
それはつまり、

間    接    キ    ス

「ちょっと待った。やっぱりなし。ペットボトル返して」

意識してしまえば、耐えられるものではなかった。
そもそもアタシは、前世で音楽一筋だったため、まだ男と手を繋いだ事さえない。
それなのに間接キスなんて………アタシにはまだ早いというか何というか………。

「お、おう」

粛々と無造作にペットボトルを投げ返す衛宮。
最初から気付いていたなら言って欲しかった。

なんとなく、気まずい空気が流れる。
こんな空気にさせるために、ペットボトルを渡した訳じゃないのに。

そんな空気を破ったのは、一人の闖入者だった。

「部、部長!?」

グラウンドの茂みから出てきた女は、アタシ達の少し離れた所に出て、地面に倒れ伏した。
戦線のメンバーであることを示す制服はすでにボロボロになり、派手に汚れている。
顔に見覚えはないが、服からして恐らく戦線のメンバーなのだろう。

「どうしたんですかその服!それに作戦は、作戦はどうなったんです!?」

「…………」

背中を太ももで支え、上半身を起き上がらせる。
大きな声をだす余力もないのか、衛宮の耳元で何事かをぼそぼそと話す部長(仮)。
たぶんシリアスなシーンなのだろうが、もう少し顔を遠ざけて話せないものか。

部長(仮)は、緩やかな動作でポケットに手を突っ込み、飴らしきものを衛宮の手に渡した。
それに、衛宮は驚いた様子で受け取る。
どうでもいいが、見事にスルーされているな。アタシ。

そして二言三言何か会話した後、部長(仮)は静かに目を閉じた。
まるで、死んだように眠った。

「悪い、岩沢。少し用事が出来た」

「その人、さっきアンタが追われていた事と何か関係があるの?」

「……………見てたのか」

恥ずかしい所見られたな、と頭を掻きながら気まずそうに言う。

「………その、色々あったんだ」

何も言ってくれないその態度に、少し悲しくなる。
けど、言わないからには何か理由があるのだろう。
そう思えるだけの余裕は得る事が出来た。

「………そう」

いったいどんな女なのかと、顔をよく見てみると少し思い出してきた。
どこかで見た顔かと思えば、弓道場の部長が、こんな顔をしていた気がする。
あまり接点がないので忘れていたが。

「ふぅ。お人よしだね。衛宮は」

「そうでもないさ」

そう言いながら肩の下から手を差し入れ、体を起こさせる。
その拍子に、どこかが痛んだのだろうか、うっと声を漏らす部長(仮)。
その様子に、より丁重に運び出す衛宮。少し、大変そうだった。

「手伝おうか?」

「いや、いいよ。俺はこういう事位しか出来ないんだから、助けられてちゃ格好つかないだろ?」

そう言って、恥ずかしげに笑う。
それは、自分の不器用さを嗤うようであり、他人に何かが出来る事を誇るかのようだった。

「………そうか。だったら、いいや。明日、暇ならライブに来てくれ。皆、待ってると思う」

「ああ。分かった」

そこから先、衛宮は後ろを振り返らなかった。
いつもそうだった。この前も。その前も。
そして最後に少しだけ振り返って言うのだ。


「あ、岩沢」


こうやって。


「ありがとう。岩沢のおかげではっきりした。俺ってやっぱり、ここの人達が好きだ」


アタシの感情を揺らしてくる。


衛宮が行き、見えなくなった所で一人呟く。



「アタシもアンタの事、嫌いじゃないよ」





SIDE:衛宮



追われていた時間も今は過ぎ、もう夜になっていた。

複数あるグラウンドでは、まるで夜を駆逐するかのように盛大に炎が燃え盛り、NPC達が踊っている。所謂キャンプファイアーという奴だろうか。

「こんな所で何してるの?」

突然後ろから声がかかる。しかし、今はなんとなく振り返る気分にはならない。

「何って、見れば分かるだろ。グラウンドを見下ろしてるんだ」

手すりに腕を乗せた状態で億劫に答えを返す。
そんな俺の答えが不服だったのか、声に少し苛立ち混じる。

「あたしが聞いてるのは、こんな屋上の縁で、何でグラウンドを見下ろしてるかって事なんだけど」

そう、俺は今、屋上からグラウンドを俯瞰した風景を覗いていた。
炎は轟々と燃え、NPCはその周りで砂糖に群がる蟻のように動き回っている。

「今日は色々な事がありすぎて、疲れたんだ」

「ああ。遊佐さんから聞いたわよ。派手に暴れたそうね。まあNPCに直接的な被害がなかったからよかったけど、次からはなるべくああいう行動は控えてね」

でないと、いくら新人といえど厳罰は免れないわよ、と続ける。

そんな事は分かっていた。あれが本当はいけない行為であるという事も、NPCに迷惑をかけたという事も。
でも、今はそんな事より重要な事が頭の中で蠢いていた。

遊佐の事。ガルデモの事。部長の事。学園祭の事。

それらから少しでも逃げ出したくて、屋上へ来た。

屋上からは、夜空が見えた。
月は半分欠け、いくつもの星の光が夜を裂き、屋上を照らす。
その幻想的な風景に、一時心を奪われる。

が、その気持ちもすぐに馬鹿騒ぎによってかき消される。
下の方を見ると、多くの人々が飲めや歌えやの大騒ぎ。
騒がしい事この上ないが、ここの風景としては星の光より似合っているかも知れない。

「聞いてる衛宮君?」

ふっと追憶から引き戻される。
いつのまにか、俺の後ろから手摺の横へと移動していた。
先刻から話しかけてくる女―――ゆりがこちらを覗きこんでいた。

「ん?悪い。もう一回頼む」

「はぁ。しょうがないわね。いい?もう次はないからね。……明日の話だけど、基本的に貴方には料理を担当してもらう予定よ。けど、未来の事なんて誰にもわからない以上、次善策と言うのは必要になる。だからもしかして非常時には貴方に参加してもらう事になるかもしれないわ」

「俺なんかに頼るよりも、他に頼る奴らがいるだろう」

「可能性の問題よ。行く事があるかもしれないけれど、覚悟しておいてねって事。それに、優れたスナイパーって、中々現れないのよねぇ」

正直、買いかぶりすぎだと思ったが、どうせ参加する事はないだろうと高をくくる。
頷くだけなら誰にだってできる。

「うむ。素直でよろしい」

俺の返答に、満足したように頷き返すゆり。
適当に頷き返しただけなのにそんな反応をされると、こちらとしても戸惑ってしまう。

「それはいいけど、本当に明日は大丈夫なのか?聞く所によれば、天使ってすごく強いそうじゃないか」

話を変えたくて、明日の話を持ち込む。
それに、気になっていた事でもある。

「う~ん。実の所、勝率は半々、いえ、四六くらいの割合なのよねぇ」

「それじゃあ駄目じゃないか」

「いや、別に賭けごとで儲ける訳だし丸っきり無駄ってわけじゃないのよ?」

実験にもなるしね。と、ぽつりと零すゆり。
ゆりはゆりで、何か試しているようだ。

「まあ、いいけどさ」

「ええ。いいのよ」

他に言う事もなく、聞く事もないので、何とはなしに空を見る。
空一面に散りばめられた星は、それだけで俺の気持ちを慰めてくれるかのようだった。
ゆりの方も特段何も言わず、俺とは違い下のNPC達やそれに紛れて馬鹿をやってる連中を見る。

結局、その後は適当に解散した。
俺は星に、ゆりは馬鹿騒ぎに見飽き、それぞれに屋上を離れる。
適当に会い、適当に話し、適当に見、適当に別れのあいさつを交わし、適当に分かれた。

こうして適当に、俺の前夜祭は終わった。



[21864] 学園祭編 ~サバゲー予選~ 一、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:a7a76251
Date: 2011/02/05 22:36
学習棟A棟 屋上



何で俺はこんな所にいるのだろう。
気が付けば、俺は校舎の屋上で松下と辺りを見張っていた。

「………なんでさ」

「ん?どうかしたのか?」

俺の独り言を、質問と勘違いしたのだろうか、松下が聞き返す。
何でもないと適当にあしらいつつ、こうなった原因を思い返す。

そう、あれは今から一時間ほど前の事だった。






一時間前 調理室



「これでよし、と」

レンジから温まった物を取り出しつつ、一息つける。
これで何とかサバゲーまでには間に合いそうだ。

やる事を終えて手持無沙汰になったので、辺りを見回してみるが、当然の事ながら何もない。
暇をつぶそうにもゲームもなければ本もない。
この前の様に遊佐が来てくれれば何の問題もないのだが、あいにく遊佐は準備で忙しいらしい。
部長の事とか色々と聞きたかったのだが。

仕方がないので、体でも動かそうかと考えていると、何の偶然か調理室の扉を開ける者がいた。

高松だった。

「高松じゃないか!」

「お久しぶりです、衛宮さん」

そう言って部屋の中へとはいってくる。
久しぶりに見た高松の顔は、心なしかやつれて目の下に隈が出来ている様に見えた。

「………どうしたんだ?疲れているようだけど」

「ええ。二日は寝てませんから」

何かサラッと物凄い事を言われたような………

「二日!?どうしたんだ一体!?」

「それはですね………」

何でも高松はサバゲー提案者として責任を取らされ、ゆりや遊佐、その他いまだ名も知らぬ戦線のメンバー達と共にずっと校長室で働き詰めだったという。

「という事は、もう仕事は全部終わったのか?」

「ええ。でも、まだ一つ残っているんです」

「何だ?手伝える事なら言ってくれ」

「いえ、それには及びません。何故ならそれは……」

「何故ならそれは……?」

「私自身がスナイパーとして参加し、サバゲーを勝利に導く事なのですから」

そう言った高松の目は、長時間における労働のせいで疲れ果ててはいるものの、揺るぎのない強い意志が垣間見えた。

「………そうか。ならけど、なんでこんな所に?」

「ああ。それはですね………」

高松が言葉を続けようと息を継いだ時、何かに気付いたかのように注意をそらす。
その視線は机の上に置かれた料理に目が止まり、動かない。

「……ん?何だ?食うか?」

「………あ、はい。丸一日何も食べていないので、お腹が空いているんです」

では失礼して、と言いながら皿の上の食べ物を摘み食いする高松。
その様は容赦を知らず、ガツガツと机上の料理を食べまくる。

「おいおい、そんなに焦って食べると………」

「んぐっ!」

突如奇声を発し、悶え苦しみ床に倒れ伏した高松。
あ~あ。言わんこっちゃない。

「え~と、水は……」

あれ?どこだっけ。

「ん~~!ん!ん!!」

苦しそうに水を求める高松。
その様子に、少し焦る。

「あれ?ここにあったと思うんだが……」

ここでもない、そこでもない。あれ?どこだ?
飲み物は別の人が持ってくるから調理室に置いていなかったというのもあるが、まったくないはずがない。

「ちょっと待ってろよ。今助ける」

その内高松の顔色が土気色を帯びてきた。
そろそろ本当にやばい!

「何でだ!この前はここにあったのに!」

机の上も、机の下も、机の中も、冷蔵庫の中も、冷蔵庫の上も、冷蔵庫の下も、棚の中も、棚の上も、棚の下も、何処を探しても見つからない。
まるで誰かが意図的に隠したみたいに。

「大丈夫だ!まだ助かる!気を強く持て!」

だが高松は弱弱しく首を振り、床に何か文字を書こうとした。

“私の かわりに サバゲーに  出”

そこで高松は力尽き、書いていた手は弱々しく痙攣したかと思うと、そのまま力なく横たわった。

「た、高松ぅーーー!」

力尽きた高松の亡骸を前に、俺は一人立ち竦む。
高松の犠牲は無駄にはしない。もうこのような事は起こさせない。
飲み物は確実に常備する。

「分かった。俺がお前のかわりに勝利をもぎ取ってやる」

高松の顔が、少し安心した、気がした。

………………

………



(今思えば、あれって確実に演技だと思うんだけどなぁ)

昨日買っておいた水もなかったし。展開が早すぎたし。
まぁ、頼まれて引き受けた以上はちゃんとしないとな。

「それにしても広い学校だ」

屋上から軽く見渡すだけでもかなりの範囲が見渡せる。
それが、俺がここに配置された理由でもあるのだろう。

「ああ。推定だが、二千人以上いるらしいからな。その分大きくならざるを得ないのだろう」

松下が適当に返事を返す。
まだ始ってはいないが、少し気の抜きすぎの様に感じる。

『ピンポンパンポーン』

間抜けなSEと共に、放送が流れる。
事前の打ち合わせにあった天使からの開催の言葉だろう。

『午前10時になりましたので、ここに、学園祭の開催を宣言します』

学園中のスピーカーから、簡潔な学園祭開催の合図が流れる。
そしてこの声の人が、戦線の敵であり、現生徒会長である天使だという。

事前の打ち合わせでは、開始の合図と共にサバゲーが開始され、第一予選が開始されるとか。
何故に予選かと言われると、一チームは八名で、前夜祭で事前に申し込んできたチームは40グループ。
更に噂を駆けつけ本日受付をしてくるチームを数えると、さすがにチームが多すぎるという事だそうだ。

メンバーは俺と松下を含め、椎名、野田、TK、藤巻、日向、ゆりの八名で、遊佐は直接参加せずにオペレーターとして全体の総括をするらしい。

俺はスナイパーとして、松下は観測手――――風の向きや距離を測り、余計な雑事でスナイパーを煩わせないように世話をし、かつ有事の際には安全の確保する役割―――――として屋上に配置された。

「まあ、改めてよろしくな。衛宮」

「ああ。こちらこそよろしく。上手く出来るか分からないけど、がんばるよ」

「初めての物事に失敗はつきものだ。今回は別にそんなに気負わず、敵を見つける事に専念すればいいんじゃないか?」

「ありがとう。そう言われると気が楽になるよ」

挨拶を交わしていると、遊佐からトランシーバーに合図が来た。

「………こちら遊佐。応答願います」

「………こちらB班。定刻通り所定の位置に付いた。次はどうすればいい?」

松下がトランシーバーに向けて応答する。
松下が出てくれた事に、心の中で少し安堵する。
正直、まだ遊佐の事は心の整理が出来ていない。

「………B班はその場で待機。その後別のチームを発見次第、射撃してください」

「………B班了解。これより哨戒活動に入る」

「………本部了解。新しい情報が入り次第連絡を入れるのでトランシーバーの電源は切らないで下さい」

本部との交信を終え、一息入れる松下。
感情の読めない遊佐が相手だと、少し緊張するようだった。

「なあ、松下」

「ん?何だ?」

「いや、その、もし射撃をする時にいきなりトランシーバーが鳴ったらびっくりして照準を外すかもしれないから、少し音を小さくしてくれないか?」

「ああ、何だそんな事か。分かった」

トランシーバーの設定を弄くり始める松下。
何も疑わないその態度に、少し心が痛む。
先程言った言葉は別に嘘ではないが、それ以上に心の整理が付くまで遊佐と会いたくない気持ちがあった。

任務に私情を入れる事への抵抗感もあったが、今遊佐と直接話せば自分が何を言い出すか分からない。
そして感情に身を任せて話せば、恐らくどちらにもよくない結果が訪れる事が予測できる。
それだけは避けないといけない。

「たぶんこれでよし、と」

どうやら松下のトランシーバー設定が終わったようだ。

「悪いな。無理言って」

「こんな事、無理でも何でもないさ」

なるほど、皆が松下五段と敬意を払われているだけはある。
頼れる兄貴分といった感じだ。

「さて、雑談もいいが、そろそろやらないとゆりっぺに怒られる」

「それもそうだ。それじゃあそろそろ始めますか………」

手に提げていたトランクケースからライフルを取り出し、掛け紐を首からかける。
松下はどこからともなく双眼鏡を取り出し、辺りを睥睨する。

「衛宮は双眼鏡を使わないのか?」

「ああ。俺はちょっとばかり目がいいから。双眼鏡で範囲を減らすより効率がいいんだ」

と言ってもこんな事は気休めだ。そう簡単に見つけられるはずが………。

「来た!」

松下のその言葉に、急いで方向を確認する。

「そんな馬鹿な!いくらなんでも速すぎる!」

松下の示す方向を見れば、確かに女生徒が………って、アレは!

「麻婆少女……?」

そう、アレは確か宇多田さんの所でひたすら麻婆を食べていた少女だ。
彼女もサバゲーに参加していたのか。

「麻婆少女?何を言っているんだ。アレは天使だ」

「…………………………………え?彼女が……………天使?」

言われて、よく見直す。
小柄で、かわいらしく、無表情で、色素の薄い髪と肌。
どこからどう見ても、戦線の大敵となるような人物には見えない。

「見かけに騙されるな。あんな姿でも常人では計り知れないほどの力を出す」

護衛も付けず、銃で狙われるなんて思いもよらない様子で黙々と歩いて行く天使。
自信の表れなのか、それとも本当に考えついていないのか、その様子に演技の臭いは感じられず、何の気負いも感じられない。

しかし、いくらなんでも遭遇が早すぎる。
この位置に配置を言ってきたのは………遊佐だったはず。
何故こんな的確な位置が分かった?これは偶然なのか?それとも………。

「こちらB班!天使発見!天使発見!これからどうすれば………何?射撃?だが人数が…………ああ……そうだが……………わかった。これより射撃を開始する」

松下がトランシーバーに向かって対応している。
どうやらこの状況で射撃しろとの事だ。

「できるか?衛宮」

「…………できるかできないかで言えば、できる」

彼我の間は目視で凡そ100m。
ゆりからのお達しでスコープは120mで合わせてあったから、そこまで難しい事じゃない。


けど、問題は。



俺に、人が撃てるのか、と言う事だ。



銃身を手すりの上にしっかりと置き、ライフルの重さを全て手すりにかける。
右腕はグリップを握りしめ、余った方の手で銃床を肩に引き付ける。
スコープの視界を調整し、ボルトを引いて薬室にペイント弾を送り込む。
スコープのサイトを覗きこみ、十字を彼女の頭に合わせる。

手が、震える。

これは本物の弾ではない。そう分かっていながら、引き金を引く事ができない。
人に、人の形をした者に、武器を向ける事を体が拒絶している。
アレが、アレが戦線の敵なのだ。そして今、自分はその敵を引き金を軽く引くだけで倒す事が出来る。

しかし、アレが、彼女が、いったい何をしたというのだろう。
彼女が戦線のメンバー達を倒したというのなら、それはこちらだって同じ事。
むしろ一対多数で戦っている分、こちらの方が悪く見られる。

たとえどんなに相手が強かろうが、一人に対して複数の人数で立ち向かう事は卑怯なのだ。

迷うな。

それなのに今俺は卑怯にも不意を打って彼女を倒そうとしている。

迷うな。

そうでもしないと勝てない相手とはいえ、俺は……

迷うな。

俺は…………っ!

「あ」

敵が――――天使が、こちらの存在に気付いた。
いや、後から考えれば、そんな事はなかったのだろう。
恐らく風が流れてきた方向を偶々見た、とかそんな他愛もない事だったのだろう。

しかし、その時の俺は動揺していた。
その視線が、こちらのスコープを覗いていると勘違いするほどに。

結果、俺は早まった。引き金にかけていた指が、驚きで引かれてしまった。
動揺して照準のずれた弾は、当然の事ながら標的には当たらず、天使の近くの地面に小さな穴を開けただけだった。
肩に残る反動の感触と、硝煙の香りに少し茫然となる。
しかし呆っとしている時間はなかった。

銃声自体はサプレッサーのおかげで聞こえなかったようだが、地面についた跡で大体の位置を特定したのだろう。こちらに猛スピードで走りこんでくる。

いけない。このままでは……

距離という優位を失ったスナイパーの末路は散々聞かされた。つまり、敗北だ。
こちらの位置を特定され、猛烈な勢いで迫ってくる以上、戸惑う事即ち死へと直結する。

戦いへの疑問と人の姿をした者を撃つ嫌悪感を一先ず心の底へと沈め、頭を戦闘用に切り替える。
とりあえず猛スピードを止めるため、威嚇の一射を加える。

当たれば御の字、せめて速度を落としてくれれば……
しかし、相手はそんなに甘くはなかった。

天使は走りを止めずに腕から剣をだし、虚空を鋭く切りつける。
無造作に切り捨てたかに見えた天使の剣は、しかしその実俺の放った弾丸だけを正確に見極め、払い落す。

「なんて奴だ……」

矢払いの術、というのはたしかに存在する。
自分の方向へ向かってくる矢だけを正確に打ち払う術の事だ。
西洋から東洋まで、古代から近代に到るまでそう言った話には枚挙に暇がない。

しかし、それはあくまで弓矢の話である。

音速を超える銃弾を視認し打ち払う事は、もはや矢払いの術と言うべきではない。神業だ。
そもそも、矢払いの術でさえ、普通の人間にとってすれば神業なのである。
自分に向かってくる矢を見据え、取り乱さずに打ち払う。
反射神経や度胸の問題ではない。技の問題でもない。半分運だめしの様な物だ。

それが、弓ですら難しいそれを銃弾で、しかも軽々と行う。
これだけで、いかに天使が異常な力を持っていて、油断するべきではないという事がよく分かる。
戦線が毎回手を焼いているというのも、無理からぬ話だ。

しかし今はそんな事に感心している場合ではない。
このゲームにおける死の代表とでも呼ぶべき存在が、その恐るべき脚力を持ってして襲いかかってきているのだから。

「おい、まずいぞ……すごい勢いで走ってくる」

隣で俺と同じようにスコープを覗いていた松下が、ぽつりと不安を押し隠してそう零す。
確かに天使は見る間にどんどん近づいてくる。
俺のライフルは弾かれ、松下のサブマシンガンでは届きそうにない。
だったら………

「逃げよう」

「は?」

何を言っているのか分からない。そんな顔をして、立ったまま呆ける松下。

「だから、逃げよう。他に手段なんてない。このままだと、確実に俺達はやられる」

「逃げるって、逃げてどうするんだ」

「勘違いするなよ。俺達の最終目標はこのサバゲーに勝つ事だ。天使を今ここで倒す事じゃない」

「それはそうだが……」

渋る松下を余所に、ライフルを片付け逃げる準備をする。
ここで言い合っている間にも、天使は校舎に入り階段を渡ってこの屋上へと来るかもしれない。

「早く逃げないと……今ならまだ校舎の中で遭遇する事は避けられるかもしれない」

「一応ゆりっぺに報告を……」

「そんな事は後でも出来る!今はとりあえずここから逃げないと…」

「その必要はないわ」

背後から、突然の声。
童女のような、それでいて感情を排した無垢な声。文化祭開始を告げていた、生徒会長―――天使の声。
だがそんなはずはない。
今、天使は下にいる。この下に。校舎の下に。
だけどここは屋上で、俺はフェンスを背にしている。
壁に階段なんて物は付いてない。登れる訳がない。錯覚だ。

「だって、貴方達はここで敗れるのだもの」

けど、耳を打つこの澄んだ声が、頭に染み入るこの声が、錯覚であるはずない。
アリエナイ。アリエナイ。アリエナイ。アリエナイ。アリエナイ。アリエナイ。
現実から目をそらすな。後ろを見ろ。そしてその目で確認しろ。
彼女の姿を。死神の――――天使の姿を。

「ごきげんよう」

状況を理解していないかのような、軽く優雅な挨拶。
しかしその綺麗な声とは裏腹に、天使の顔はこれ以上はないと言う程の無表情。
遊佐も無表情だが、天使は更にその上を行く。

「そして」

持ち上げられた右手には、銃でのみ失格と認めるというルールからか、手から出ている剣ではなく、腰に吊り下げたホルスターから抜き出された拳銃が握られていた。
天使の小さな手に握られた拳銃は、照門と照星と目を一直線にし、小揺るぎもせず俺を狙う。

「さようなら」

引き金に触っている指に力が込められる。
後ほんの数ミリ指を動かせば、その瞬間俺の体は真っ赤に染まる事だろう。

まずい。まずい。まずい。まずい。まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい

頭の中はそんな言葉でいっぱいなのに、体は痺れたように動いてくれない。
初めて感じた死の恐怖に、足が竦む。

………………初めて?

武器を突き付けられ、絶体絶命のピンチに陥ったのが、初めて?

本当に?

いや、 俺は、 たしか、 どこかで、 ?

しかし思考している間も天使は待ってくれない。
無情にも引かれた引き金によって、拳銃から飛び出した銃弾が俺を……

………あれ?発射……されていない?

よく見ると、天使は引き金を引いてはいない。いや、引いてはいるものの、その速度が圧倒的に遅いのだ。
何だこれは。天使が遊び心を起こしたとでも言うのか。
しかし聞いた話では、天使は相手を嬲る様な事は今までなかったと聞く。
では……何故?

とりあえず射線から逃れようと体を捩ろうとするが、思うように体が動かない。
頭だけが焦って空回りする。
そこで、初めてこの現象の正体に気付く。

天使が遅くなっているのではない。
俺の認識する速度が格段に速くなっているのだ。

そう気付いた瞬間、頭に激痛が走る。
脳内の神経を剥き出しにされて熱湯に叩き込まれたような、耳の中へと溶けた鉛を詰め込まれたような、そんな感覚。
耐え難い痛みに、呻き声を出そうにも、それさえも遅い。

一秒の何分の一の時間のはずなのに、無限にも思える時間の果てに、頭の中に一つのイメージが浮かぶ。

撃鉄が上がる。
神経にナニカが流れこむ。
頭の何処かが覚醒する。

全てを得たかのような全能感と、呑まれれば死ぬという恐怖感。
相反する二つの感覚が俺を襲い、苛む。

そこでようやく天使が引き金を引き切った。
銃口から銃弾が飛び出る。
それはたしかに恐ろしいスピードを出しているのだろう。
しかし、今の俺の前では子供が投げる弾より遅い。

筋肉の引きちぎれる音が体内に木霊するが、そんな事は構わず無理に体を動かす。

バァン!

俺が射線から逃れた後に、銃声が屋上に木霊し、銃口から噴き出る硝煙が風に揺らめく。
煙が晴れ、薄いベールに隠されていた天使の顔が明らかになる。
常に無表情だった天使の顔が、少し、驚きを帯びた。
当然だろう。倒したと思った相手が、無傷でそこに立っていたのだから……!

「………外した?」

そう天使が呟いた時、松下がサブマシンガンを腰に構え、銃弾をばら撒く。
毎分300発の銃撃が猛威を振るう。
しかし、その素早く攻撃を察知した天使は、瞬時に後ろへジャンプする。
屋上の地面がペイントで赤く染まる。
恐ろしい程のジャンプ力で銃弾をかわした天使は、上手い具合にフェンスの向こう側へ降り立ち、日輪を背にこちらを見る。
この距離では一気に近づくとしてもフェンスが邪魔になり、すぐには来られない。

「………形勢、逆転だな」

既にあの全能感は消えていたが、サバゲーが始まった時に支給された拳銃を向ける。
同時に松下もサブマシンガンを向ける。
いくら剣で銃弾を弾けようと、同時に二方からの攻撃は捌けまい。

「………どうやって銃弾を?」

「……さぁ。自分でもよく分からない」

たしかに自分でもよく分からない事ばかりだった。
急に頭が痛くなり、視界が減速し、弾丸をかわした。
それを聞くと、もう用はないとばかりに背を向ける。

「待て!」

その言葉は、落ち行く天使を心配しての言葉だったのか、ただ獲物を逃がしたくないが故の言葉だったのかは、今となっては分からない。しかし前者の場合、その心配は杞憂だった。
そして、どうやって壁を登ってきたのかも判明した。

そう。ハンドソニックを使ったのだ。

登りは突き差しながら駆けあがり、下りは落ちる一歩手前で壁を突き差し落下の威力を低減させたのだった。
フックの代りがあったとはいえ壁を登る事のできるその脚力と、威力を低減させたとはいえ落下の衝撃に耐えたその頑丈さには、敵とはいえ見事という他はない。

しかし、いくら相手に感嘆した所で、相手が帰ってくる訳ではない。
ライフルはもう戻してしまったので、すぐには出せない。
仕方なく、手にしていた拳銃で追撃を行う。
しかし、所詮は射程範囲10mほどの小火器。驚きの脚力で走り去った天使を前に、豆鉄砲ほどの役には立たなかった。

「………居場所がばれた。速く移動しないと」

天使を逃がしたという事は、相手にスナイパーが此処にいるという情報を渡してしまったに等しい。
早いうちに移動しておかないと、敵の対スナイパー部隊が強襲してくるだろう。

「…………いったい、何をしたんだ?」

俺にはさっぱり何が起きたか分からなかったと、松下が呟く。
そんな事、

「……俺が知りたい」

俺の体に何が起こったのか、今も残るこの鈍痛は何か、頭に思い浮かんだあのイメージはいったい何なのか。
俺が知らない俺の記憶。そこに、全ての答えが隠されているのかもしれない。
けど、今はそんな事よりも移動を最優先させねばならない。
でないと天使を撃退したことも全て水泡と帰す。

「急ごう。もしかしたら、今にも相手がやって来るかもしれない」

松下は、何も言わなかった。



[21864] 学園祭編 ~サバゲー予選~ 二、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/02/05 22:36
SIDE:直井



「暇だ」

「は?」

荒涼とした校舎の廊下に、間抜けなNPCの声が響き渡る。

「二度も同じ事を言わせるな。暇だと言ったんだ」

「えぇっと……しかし、それが今回の仕事なのでは?」

「やかましい!NPC風情が口答えするな!」

(…………NPCって……何だ?)



その日、神である僕は旧校舎の屋上で愚かな獲物が罠にかかるのを待っていた。

巣を張り蟲を狙う蜘蛛のごとく、ひっそりと愚民共を狙い撃ち続けて早40分。
仕留めた人数は五人に上るが、ここ十分で一人も来ないとあってはいささか退屈が過ぎる。

「そうだ貴様。今そこで踊れ。神への感謝の舞を捧げろ」

「………急に踊れって言われても無理ですよ。副会長」

「ふん!愚民ごときに大層なものは要求しない。いかに低能でも盆踊りや阿波踊りの一つくらい出来るだろう」

「えぇ~。何と言う無茶振り……………はいはい分かりました分かりましたからその銃こっちに向けないで下さい暴発したらどうするんです」

「ふん。その時は貴様の頭が吹っ飛ぶだけだ。さぁ、無様に踊って見せろ」

「はぁ………なんでこんな人の下にいるんだろ、俺………えー。たしか………えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ……」

「もういい。見るに耐えん」

「アンタがやれって言ったんでしょうが!」

しかし暇だ。
所詮NPCはNPC。犬でも芸で人を楽しませるというのに、それすらもできんとは。
まぁ、隣で怒鳴っているNPCも不快だが、それ以上にただ待つしか出来ないこの状況の方が不満なのだが。

立華さん―――生徒会長はメインアタッカーなのであちこちに出かけられるからいいものの、スナイパーであるこの僕はどこにも行けず、ただ愚民共を撃ち続けることくらいしか出来ない。

「それにしても現れませんね。他の連中」

愚かなNPCが、見れば分かるような事をわざわざ口に出して言う。
余りにも馬鹿馬鹿しい。そんな当たり前の事を一々言うなと怒鳴る気も失せてくる。
なんで僕はこんな愚物を飼っているのだろうな。

とりあえず隣の阿呆は無視してグラウンドを見渡す。

この場所は地図から見て校舎全体の三分の一を見渡せる好条件で、狙撃する場所に適していることは誰の目にも明らかだ。
故になるべく早い段階でここを占拠するようNPC達に通達したのだが……どうやら相手はそんな事も分からない馬鹿どもの集まりらしく、NPCが来てからも誰かが屋上へと立ち入ることはなかった。

現状況は実に上手くいっていると言ってもいい。
フフフ。まぁ僕は神だからな。全てが僕の盤上で動くのは当然の事なのだが。

しかし、マンハントも中々に面白いものではある。
撃たれた後も何が起こったのかわからずに呆然としていた奴らの顔。
そして何が起こったかわかった後の口惜しがりようといったら…………愚民にふさわしい間抜けっぷりだ。



そんな間抜けな奴らを見ていたせいだろう。あいつらを見かけた時も、また間抜けな獲物が罠にかかったくらいにしか思わなかった。

「副会長!誰か来ました!A校舎側から二人です!」

その声に、呆けていた意識を鋭敏化させる。
このNPCは人を愉しませる事には向いていないが、単純な作業ならきっちりとこなす。

焦らずにライフルを言われた方へと向ける。
……………いた。赤毛とデブの二人組みが、間抜けな面を晒しながら反対側へと歩こうとしている。

「ふん。馬鹿が馬鹿面を引っさげてのこのこやって来たか。飛んで火に入る夏の虫とはこの事だ」

照準を先頭の赤毛に合わせる。

「風速と距離」

傍らに立つNPCに、言葉少なく必要な事項を問う。

「風は東から吹いていますが無視できるレベルです。距離は……ざっと100と言った所でしょうか」

弾道は重力によって曲がっていく。
それは距離が遠ざかれば遠ざかるほど激しくなり、目標との差は広がる。
故に狙撃する上で、風と距離は確実に知っておかなければいけない事だ。

「距離は百、か」

だとするなら……この位か。

スコープ内の十字を、間抜けの顔より三センチほど上に合わせる。
これで奴の間抜けな顔面に、真っ赤な花を咲かせることができるだろう。

こんな遮蔽物のない所で呑気に歩いている愚か者どもに、敗北という名の教訓を与えてやる。

後引き金を数センチ引く。それだけで先頭の赤毛は敗退し、後ろの奴も遠からずこちらの餌食となる。

………………………………ハズだった。

「なっ!」

思わず、引き金を引く手が硬直する。

落ち着け。僕は神だ。神は何があっても動じない。



そう。



例えスコープ越しに、獲物と目が合ったとしても。



「どうしたんですか、副会長」

こんな時にも呑気なNPCの声が煩わしい。
今は貴様なんぞにかけている時間はないというのに。

落ち着け。冷静になれ。そうだ。実際目が合った訳じゃないのかもしれない。
恐らくただ風の流れてきた方を向いただけ………っ!

「あっ!奴らが急に走り出した!」

うるさいそんな事は言われなくてもわかっている!
しかし今は怒鳴っている時間さえも惜しい。
ずれた照準を急いで直す。しかし走っている人間に弾を当てるのは至難の技だ。

だが神になら、僕にならできる!

はやる鼓動を落ち着かせ、神経を集中させる。
狙撃に必要なのはこの集中力と、針の穴を通すような慎重さ。そして何事にも動じない不動の精神。
この三つがあれば、あの間抜け面をブチ抜く事など造作もない。

震えそうになる手を押さえ、慎重に狙いを定め、レンズの十字を調整する。
五倍に拡大された視界が、赤毛の顔を映し出す。
生意気そうに釣り上った眦に、鍛えているであろう躍動する肉体。
どこを見てもむかつく愚民だ。

「早く!早くしないと奴らが!」

神であるこの僕をコケにした罪は重いぞ……

「ああ!何やってんだ!早く!早く撃たないと!」

その鬱陶しい面を真っ赤に染めてやる……

「ああ!もう!これが終わったら、会長に言って配置換えてもらいますから……」

「うるさい!少しは黙ってろ!」

いつまでも口の減らないNPCの顔面をぶん殴る。

「いつも!邪魔ばかり!しやがって!話しかけたら!集中が!途切れるだろうが!」

ライフルを引っ掴み、倒れたNPCに振り下ろす。

「狙撃をしようと!している!スナイパーに話しかけるな!」

ライフルから身を守ろうと身をよじるNPCの背に、踵を思い切り振り落とす。

「そんな事だから!貴様は!うだつが!上がらないんだ!」

散々NPCを殴りつけた後グラウンドを見れば、すでに連中はどこかへ行っていた。

「貴様のせいで!獲物を逃したじゃないか!このクズめ!」

もはや死体のように動かないNPCの腰に腕を回し、止めとばかりにジャーマンスープレックスをかける。

「……ギブギブ………もう無理…………………おれ、このゲームが終わったら………生徒会やめるんだ…………ガハッ!」

NPCの戯言を無視し、先ほどの連中のことを考える。

たしかに狙撃に失敗した直接的な原因はNPCにあるが、初めの狙撃が撃てなかった理由はあの赤毛にある。
偶々顔を向けた先がこちらだった、という可能性はあり得ない。
奴の視線はぶれなかったし、こちらを“視て”少し呆けたような顔をしていた。

ここからあそこまでは、おおよそ100メートル程離れている。普通の者は見えたとしても“点”くらいにしか思えないだろう。
しかし、奴はその距離をものともせずに“点”を銃と判別した。
信じ難い事だ。今まで狙われていると言う事を撃たれてすら何が起こったか分からない者しかいなかったのに、奴は撃たれる前に狙撃を察知したのだ。

頭抜けた視力の良さと、危険を察知するあの直感。
そして引き金を引く手が止まったほんの一瞬を見逃さず逃げ出した判断力の高さ。
生意気そうな見た目とは裏腹に、厄介な奴だ。

もしかすると、今回のサバゲーで一番注意するべきなのは、あいつなのかもしれない。

「よくも神聖なこの僕の顔に泥を塗ってくれたな……この屈辱、覚えておくぞ、赤毛」

しかし、古来より神に逆らったものの末路は決まっている。


死あるのみだ。



[21864] 学園祭編 一、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/02/05 22:36
第三コート 奥



『ピンポンパンポーン。ただいまを持ちまして、予選会を終了いたします。生き残ったチームは、所定の場所に申請しに来て下さい』

広がる青空の下、チャイムの音と共に、予選終了の合図が鳴り渡る。

「「お、終わったぁ」」

その音に、思わず松下と共に地面にへたり込む。
少し情けないな、と思わないでもないが、今くらいは大目に見てもらいたい。

「人間、やれば出来るものだな」

背中越しに、松下が話しかけてくる。
向こうも疲れているのだろうが、それ以上に達成感に満ちているのだろう。

「ああ。変な仮面被った変態が奇声を発しながら襲い掛かってきたときは、さすがにどうなるかと思ったけど」

「まったくだ。何て叫んでたっけか…………うまうー?」

「ああ……そう言って倒れたな。あいつは」

まあ、それはともかく、こうして無事に予選は超える事ができたのだから良しとしよう。
それに、これで高松への義理も果たした。
きっともう高松も回復している事だろうし、本選は俺が出なくても大丈夫だろう。

けど、思えば本選にでない理由が俺にはあっただろうか。
そう、例えば出し物を見てくれとか、曲を聴いてくれ、とか。
そんな………事を………言われた………ような………。

「…………悪い!俺用事を思い出した。ゆり達にそう言っておいてくれ」

「え?あ、おい!」

ライフルをカバンに詰め込み、引き止める松下の声を振り切って通りへと躍り出る。
目指すは体育館でのガルデモライブ。サバゲーに気をとられ、すっかり忘れていた。

けど、走っていけば何とか開始までに間に合うだろう。
そんな楽観的な考えは、大きな通りへと出た瞬間、霧散した。
サバゲーによって隔離されていた空間を一歩出れば、そこは多くの人が行き交いする歩行者天国。
そのあまりにも多い人の群れに、一瞬立ち止まる。

道の端には出店が並び、通りにはアーチがかかっている。
トウモロコシの焼ける香ばしい香りや、タイ焼きの焼きあがる甘い匂いが漂った通りは思った以上に人があふれ、雑然としている。
しかし、今ここで歩みを緩めれば、きっと岩沢達のライブには間に合わないだろう。

人込みを掻い潜る決意をし、足を動かす。
見渡す限りの人の中、隙間を見つけながら急いで走る。
しかし、ただ走るだけでも気を使わざるを得ず、時折人にぶつかり文句を言われる始末。

(とりあえず、第三コートを抜ければ………)

すみません、と謝りながら、人を掻き分け前進する。
走りに走り、グラウンドの端の方まで来れた時、多すぎる人の熱気によって、こぼれた汗が目に入る。
立ち止る事すら億劫で、走りながら服の袖で汗を拭う。

「ちょっとそこの人どいてぇー!」

そんな中突如、少し幼いような声が上から響く。
……………………………………………………上?
その声に惹かれるように、上を見上げ………思わず、棒立ちになる。
だって、誰が想像できただろう。

空から、女の子が降ってくるなんて。

「ごふッ!」

受け止めようと手を伸ばし、受け止めようとするが、失敗。
女の子諸共に通路の上に倒れ付す。

「いたたたた……もう!どいて!どいてって言ってるでしょ!」

ぶつかった拍子に痛めたのだろうか、腰の辺りをさする少女。
ピンク色のフリフリの衣装に、手には変な形のステッキを持っている。

「わ、悪い。そんなつもりじゃあ……」

そこでふと気付く。あれ?こいつって………。

「すみません。大丈夫ですか?」

その時、横から声がかかる。
こちらはブルーを基礎とした似たような格好に、また変なステッキを持っている。
背は目の前の子よりは少し大きいが、たいした差はない。
けど、どこか大人びているような、達観しているような、不思議で、静かで、少し遠慮がちな声で語りかけてくる。

「ごめんなさい。ちょっとそこで劇の予行練習をしていたもので……」

「あ、いや。俺も不注意だったし……」

変な格好(ブルー)のまま謝ろうとする子を止めようとするが、先に変な格好(ピンク)が遮る。

「いいのよ美遊。こんな言っても聞かない奴………って、よく見たらアンタ!」

驚愕したようにこちらの顔を見る変な格好(ピンク)。この反応はやっぱり………。

「………………えーと。もしかすると、弓道部の?」

キャー!と身悶えするように地面を転がり回る部員A。
あー………やっぱり。
どこかで見たような顔だと思った。
けど、そんな格好で地面を転がりまわると、パンツ見えるぞ?
まあ、俺は落ちてくる時に見えたから既に柄を知ってるんだけど。

「………知り合いなんですか?」

「ん?ああ、知り合いと言うか何と言うか……うん。部活関係でね」

曖昧に言葉を濁しながら、最適な言葉を考える。
そもそも、コイツと俺の関係など、別にたいした物ではない。

「知り合いが弓道部の部長と友達でね。そのツテで会った事が一回あったんだよ」

そう、特段何もなかった。
ただ、コイツが最後に意味深な言葉をちょこっと言っただけの話。

「へぇ………弓道部で……………弓道部?」

自分の言葉にハッとなったようにこっちを観察し始める変な格好(ブルー)。
いくら可愛い顔立ちをしているとはいえ、そんなにジロジロ見られると居心地が悪い。

「その……何してるの?」

「…………あ……………そ、そのっ!すみません!」

顔を真っ赤にしながら急に距離をとる。
その態度はその態度で結構傷付くんだけど………。

「あの、ちょっと、失礼します!」

言うが速いか、部員Aを端の方へ連れ去り、何やらもぞもぞと喋りだす。

「なんで………に?……………れは………たしかに……………」

「だから…………で……それで………なの。……………って言う訳」

「けど……………………でも……………………………うん…………………通りにする」

途切れ途切れに聞こえる言葉からは、どこか不安げな響きを持っていた。
その事も気になるけど、まずいな。このままだったら演奏が始まってしまう。
しかし、このまま放って置くわけにもいくまい。なにせ自分が当たってしまったのだから。

「あー。その、何をするにしても、少し急いでくれないかな。この後予定があるんだよ」

俺がこんな事頼める立場にあるか分からないけどさ、と付け足す。

「もうちょっと!あと数秒待って!」

部員Aが叫ぶ。
道の脇にある出店の置時計で時刻を確認する。
うん。まだぎりぎり大丈夫かな?

「おまたせー」「おまたせしました」

どうやら会議は終わったようだ。

「で?結局なんだったんだ?」

「そ、それh…「ちょっと説明してただけよ。男だったら細かいことは気にしない、気にしない」」

無理矢理話を打ち切られた……別に細かいことではない気がするのだが……。
まあ、聞かれたくない事なのだったらしょうがない。
女の子なのだから、聞かれたくないことの一つや二つはあるのだろう。

「……まあ、いいけどさ。けど、これは説明して欲しいんだけど………その格好、何?」

先程何やら劇がどうのと聞いたが………その格好で?

「こ、これは……その…………厳正な審査に基づく、厳正な抽選の結果、と言うか何と言うか……」

「……ようするに、くじ引きではずれを引いちゃったって事か………ご愁傷様」

「な、なによ!べ、べつに、悔しくなんてないんだからね!」

「そ、そうですよ!わたし達二人とも主役なんですから。お兄さんに一番見られる位置という訳です!」

「は、はぁ!?美遊、ア、アンタ、何いいいい言ってんの!べ、べつにコイツに見られるために主役になったわけじゃあ……」

劇の疲れが出たのだろうか、部員Aの顔は赤く、視線もフラフラと泳いで安定しない。
と言うか、お兄さんってなんだ。

「おい、大丈夫か、顔が真っ赤だぞ。少し休んだ方が……」

「う、うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ!そ、そもそもアンタがぶつかってこなかったら………もういい!もう知らない!美遊、行こっ!」

そして、ふっと顔を背け、さっと駆け出す。
美遊と呼ばれていた少女は、その様子を見てどうするか少し逡巡し、部員Aについていく事に決めたようだ。
最後にこちらを向いて一礼し、追っかけていく。

「ちょっと待って……ィヤ!」

最後の方の言葉は、風に紛れて聞こえなかった。


走り去ってしまった二人を見据えつつ、先程の遣り取りを反芻する。
結局あの二人は何が言いたかったのだろう。

…………………劇があるから見にきてね、と言う事だろうか。
まあ、何も予定がなかったら行ってみるのもいいかもしれない。
あの服装でどんな劇をするのか、興味がないでもないし。

その時、時計の鐘が、時を告げた。
キーンコーンカーンコーンという、学校特有のどこか間抜けな雰囲気を思わせる音が、校内に響く。
時計を見れば、もはや彼女達がステージに立つ頃合。
嵐のような二人組みに気を取られ、時間を忘れるとは………不覚。
とりあえず急ごう。行った時にはすでに遅かった、なんて笑い話にもならない。




学習棟前 階段



「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ………!」

変な事で時間をとりすぎた。
もしかすると、もう終わってしまっているかもしれない。
それでも、一縷の望みを賭けて階段を上る。
周りの奴らが、邪魔そうな目を向けてくるが、今はそんなことに関わっていられない。

上り、上り、上る。
普段、そんなに苦にしていなかった階段が、今となって牙をむく。
少し足を止めたとはいえ、酷使した体はあまり言うことを聞いてくれない。
ふとすると、足を止めてしまいそうになる。

でも、それでも足を止めないで、諦めないでいられるのは。
白い目を向けられても、挫けないでいられるのは。
ここまで、届いてくるからだった。
彼女の、彼女達の、歌が。


“find a way ここから song for 歌うよ”


階段を上りきり、体育館へ走りこむ。
大腿筋は既に悲鳴を上げ、全身汗まみれだ。

体育館の扉をバタンッと開ける。けど、誰もこちらに注意を向けない。向けられない。
会場に入るや否や、歌声と共にムワッとした熱気が吹き寄せ、一瞬躊躇する。


“rock を響かせ crowと歌うよ”


目の前に広がる圧倒的な人混みの中を、かき分けるよう進む。
人込みの中は汗臭く、掻き分ける手は誰とも知らぬ人の汗にまみれ、少し気持ち悪い。


“いつまでこんな所に居る? そういう奴もいた気がする”


前へ、前へ、前へ、前へ。
岩沢たちが見える、この先へ。


“うるさい事だけ言うのなら 漆黒の羽にさらわれて消えてくれ”


歌ももはや佳境という時に、なんとか岩沢達の見える場所までたどり着く。
サーチライトがステージを踊り、音が会場内を反射する。
そのステージの真ん中で、岩沢が、歌っていた。

マイクを片手に熱唱するその姿は、とても、神々しく見えた。




体育館 裏



ライブも終わり、人々が三々五々に散っていく中、俺はSPみたいな事をしていた奴らから情報を聞き出し、岩沢達に会おうとした。
SP曰く、恐らく岩沢達は裏の水飲み場で休んでいるだろう、との事だった。
手ぶらで行くのもなんだと思い、途中で適当にスポーツドリンクを人数分買い、岩沢達のいるという水飲み場へと赴く。
情報の通り、と言う訳にはいかなかったが、ひさ子が水飲み場の所であたまから水を浴びていた。

「よっ」

「お、衛宮じゃないか」

被った水を拭きながら、ひさ子が返事を返す。
その気さくな態度に、思わず頬を緩ませつつ、ほいっとスポーツドリンクを投げ渡す。

「ん。サンキュ」

タオルを持っていないほうの手で、危なげなくボトルをキャッチ。
しかし先程まで水を飲んでいたせいか、そのままカバンの中へと仕舞い込む。
その様子にちょっと拍子抜けしたものの、まあ別に今飲む必要はないか、と思い直し、先程のライブの感想を伝える。

「さっきのライブを聞いてたけど、その、凄くよかった。なんて言うか、胸にグッと来た。ありがとう」

「な、なんだよ。真顔でそんな恥かしい事言うなよ。照れるだろうが」

ひさ子は顔をプイッと横に向け、ボソリと呟くように言った。
その態度に、意識していなかったこっちも、何故か恥ずかしくなってくる。
そんな空気を誤魔化すため、自分用に買ってきたペットボトルを開け、ゴクゴクと飲む。
冷たい感触が、火照った体にひんやりと心地よい。
全体の三分の一程飲んだあたりで、ペットボトルの蓋を閉める。
冷静になった所で、辺りを見回し他のメンバーを探してみるが、彼女達の姿は影も形もない。

「そう言えばさ、他の連中は?」

「ああ。皆は、楽器の片付けに行ってる。もうそろそろ帰ってくるんじゃない?」

「へぇ。そっか」

そうか。まだ休めてないのか。手伝ってこようかな。

「何だい、その気のない返事は?やっぱり本当の目的は岩沢だった?」

どこかムスッとしたような表情で、ひさ子が告げる。
あれ?さっきまでもう少し機嫌がよさそうだったのに………何故だ。

「いや、そんな事はないぞ?というか、俺が来たのは、ただガルデモの皆に差し入れでもどうかなって思ったからだし」

「差し入れ……ああ、さっきのスポーツドリンク?」

「ああ。ちゃちな物で悪いかな、って思ったけど、今から何か作ってもたぶん間に合わなかっただろうからさ」

むしろ、部員Aとかと話してたせいでライブが見れないところだったし。

「そんな、べつに差し入れなんて無くたってよかったのに。アンタが来てくれるだけで、みんな充分嬉しいさ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、俺って、差し入れだけしかガルデモと関わってないからさ」

「そんな事ないっ!」

唐突に出たひさ子の声に、思わずペットボトルを落としてしまう。
ガラガラとペットボトルが転がり、色んな所へ転がってしまう。

「あ、悪い」

慌てて拾い集めようと地面に屈むと、ひさ子も手伝ってくれた。
散らばってしまったペットボトルを集めながら、ひさ子がポツリと呟く。

「でもさ、もうそんな事言うなよな。確かにアンタの料理は美味しいけど、それだけだったらこうして談笑なんて、しない」

そして、静寂がやってくる。ただ、ペットボトルを拾う音だけが木霊する。
俺は、ばれないようにそっと、ひさ子の様子を窺う。
その目は、前髪に隠れてよく見えなかったが、少し、悲しんでいるように見えた。
ひさ子にこういう顔をさせたのは自分だ。そう思うと、こっちも少し悲しくなる。

「………………………ありがとう」

「え?」

「………いや、なんでもない」

ひさ子の言葉は、純粋に嬉しかった。だから、お礼を言った。
でも、やはりどこか気恥ずかしい。

ひさ子はこちらを呆然と見、そして少しだけ口元に笑みを浮かべながら、

「アンタって、変な奴だね」

と言った。
その顔に邪気はなく、ただふとそう思ったから口にした、といった風情である。

「………なんでだろう。その言葉、よく言われてきた気がする」

今や忘れた遠い過去、どこかで誰かが俺の事をそう評していた、そんな気がする。
それがいったい誰なのか、そんな事は思い出せない。
けど、その記憶を思い出そうとすると、胸が暖かくなる気がする。

「でもさ、そういう事を言うのは、岩沢に言ってやりなよ」

ひさ子は、ホイッと拾った分のペットボトルを渡しつつ、続ける。

「けどさ、きっと岩沢の奴、ふぅんそう、とか言って何でもなさそうな顔してさ、気のない振りをするだろうけど、絶対アイツは喜ぶと思うよ」

「……何で、そういう風に思うんだ?」

俺の言葉を受けてひさ子は、遠い所を見つめるように、ポツリと呟く。

「何でって……そりゃまあ、アタシも一応女なわけだし、同性同士分かることもあるのさ」

その横顔は、どこか寂しげにも、侘しげにも見えた。
俺がその言葉に、何か返事を返そうとしたとき、丁度良い―――いや、悪いか―――タイミングで、彼女達が帰ってきた。

「あれ?あれって、衛宮さんじゃないですか?お~い、衛宮さぁ~ん!」

体育館の裏口の方から、三人がぞろぞろと出てき、三人の中一番先頭に立っていた関根が反応する。
関根自身は無邪気にこちらに向かって手を振っているが、入江はなんでここに?って顔をしているし、岩沢にいたってはこちらの存在に気付いてすらいない。
呑気とすら言えるほど大きく手を振り、こちらに合図をする関根。
思わずひさ子と顔を見合わせ、苦笑する。
ああ、関根ってこんな奴だったな、と。

「衛宮?」

関根の大きな声に、ようやく岩沢が気付き、顔を上げる。
その顔は呆然としていて、何が起こったかよくわかっていないようだった。
そんな彼女の様子にも苦笑しながら、俺は彼女達に向かって大きく手を振った。




[21864] 学園祭編 ~幕間~
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/02/14 20:45
SIDE:遊佐



「納得いかないわ」

電気が消え、午後の日差ししか入り込まない対天使用作戦本部の中で、点滅する画面を見ながら女の人―――ゆりっぺさんが罵る様に吐き捨てる。
彼女が不機嫌な理由はただ一つ。先程の予選会のせいだ。
結果的には予選を通過できたものの、10名のうち4名は被弾。
しかも、その内の2名はゆりっぺさん直轄のメンバーの人で、ゆりっぺさん自身も後一歩という所まで追い込まれたともなれば、それも無理からぬことだろう。

「実戦経験もあって、良い武器を優先的に回させて、遊佐さんというサポーターまでつけたのに、何であたし達は苦戦したの?」

その声は、別に答えを期待してのものではなく、ただ自問自答のための独り言に近かった。
しかし、ここで応えておかないと話が続かないので、おざなりに返事をかえす。

「恐らく、今まで対NPC戦を想定したことがなかったからだと」

今まで戦線は、対天使用の作戦にのみ従事してきた。
それは今までNPCと敵対する理由がなかったからであり、NPCに対し攻撃を加える事をゆりっぺさん自身が禁じていた事とも関係がある。
しかし、今回の作戦では、ペイント弾とはいえNPC相手に武器を向ける事が必要になった。

今まで銃を向けてはならないとされていた者に、急に銃を向けろといっても普通戸惑うものだろう。
例えるなら、昨日まで崇めていた石像を、突然これはただの石に過ぎないと言われるようなものだ。
正当な理由があると分かってはいても、無意識のうちにNPCは撃ってはいけないと染み付いている以上、一瞬の躊躇いが生じる。
そこが、命取りになったのだ。

「本当に?本当にそれだけなのかしら」

しかし、それでは納得いたしかねるのか、ゆりっぺさんは険しい顔を変えないまま、眉間によった皺を揉み解し、何事か考えている。
そしてゆりっぺさんは初めて画面から目を逸らし、決然と私の方へ顔を向けた。
その目には、思考と、疑惑と、不安があった。

「私のグループは初めの一時間だけで、4回も敵チームとであった…………これははたして偶然なのかしら?」

まるで偶然とは思っていなさそうな声で、話を続ける。

「仮定の話だけれど、もし………もし、誰かが、戦場にいるあたし達の居場所を逐一ばらしていたのだとするならば、こんなにも敵のチームに当った事の辻褄が合うわ」

「……つまり、ゆりっぺさんは何が言いたいのですか?」

私のその言葉に、ゆりっぺさんはきゅっと口を結び、まるで私の反応を見たくないかのように、背を向ける。
その背中は、なるべくなら今から言う言葉を言いたくない、と言っているかのようだった。

「じゃあ、はっきり言うわ…………あの時、あたし達全ての居場所を知っていたのは、遊佐さん。貴女だけなのよ」

―――――― 一瞬で、空気が重くなった。
緊迫した空気の中、どうするか考える。
今、ここでやってしまうべきだろうか………?

「……………………ま、いいわ。今は過ぎ去ってしまった事よりもこれからの事を考えましょう」

そう言うとゆりっぺさんは、何の懸念もしていないというようにさっと機械を操作し、画面を変える。
そこには、メンバーの予選会での働きをまとめたものだった。

「…………………ほら、何やってるの?手伝ってよ」

…………少し、呆れた。スパイの疑惑が掛かっている者の目の前で、こうも堂々と手伝えとは………。
ゆりっぺさんはそう言ったきり画面に向かって仕事を始めた。
部屋にはキーボードを叩く音と、時折呟くゆりっぺさんの声しか聞こえない。

「………………椎名さんは……まあいつも通りね。銃器だけってのがネックだったんだけど、どうにか扱えているようだし…………野田君は……うん。彼もまあ、いつも通りか……………」

淡々と成果を読み上げながら、画面をスクロールさせていく。
その後姿は無防備で、こちらに注意を払っているようにはまるで見えない。
恐らくここで銃を抜いたとしても気付く事はないだろう。

………………今行うべきだろうか。
今ならば周りに目はなく、絶好の機会とも言える。
しかし………。

横目で彼女の姿をちらりと確認する。
いつも被っているベレー帽はどことなくなく萎れ、気のせいか普段より覇気がないようにも感じられる。
果たして私は、こんなゆりっぺさんを前にして………。

私が色んな事を考えている間にも、ゆりっぺさんは黙々と作業をこなしている。
そんな中、ただ傍で突っ立っているだけというのも間抜けな感じがして、近くへ寄って横から画面をこっそり覗く。
ちらっと見えた画面には、赤毛で釣り目な“彼”が映っていた。

「…………お?衛宮君、意外に頑張ってるわね。松下五段と一緒だったとはいえ、一度天使を退けてるわ」

「…………………」

彼の名を聞いた瞬間、不覚にも一瞬、胸が高鳴る。
ただ名前を聞いて、写真を見ただけなのに、胸の高鳴りが、押さえられない。
紅潮しそうな頬を懸命に抑えながらも、表面上は何もなかったかのように取り繕う。

衛宮、士郎。
不器用で、朴念仁で、鈍くて、でも、優しい人。
そして今、私がもっとも関心を寄せている人。

ふと、暖かく香ばしい紅茶と、甘いクッキーの匂いを思い出す。
そういえば、彼とはもう結構会っていない。今頃どうしているのだろうか。
またクッキーでも焼いているのだろうか、それとも女の人とどこかへ出かけているのかもしれない。
そう考えると何故か、胸がキュッと締め付けられるような気分になる。
おかしい。どうしんたんだろう。この世界に病気はないはずなのに。

「遊佐さん?」

無言のうちにも何かを感じ取ったのだろうか、ゆりっぺさんが振り返り、こちらを覗き込む。

「……いえ。何でもありません」

描いていた妄想を掃い、頭を切り替える。
ゆりっぺさんに気付かれるとは………やっぱりあの人の事を考えると調子が狂う。

「……………ええ。大丈夫です」

それでも心配そうな視線を向けるゆりっぺさんを振り払うように、仕事を始める。
今は彼の事を考えるのはよして、目の前の事に集中しよう。
そうだ。まだ時期ではない。もう少し待とう。時期が来るまで。





SIDE:直井



知恵の輪。それは絡み合った二つの鉄片を、知恵を用いて引き離す娯楽。
強固に組み合った金属片は、容易に変形せず、外れない。
その様子は、まるで“奴ら”のようで………。

「――――と言う訳です。………副会長?」

「…………聞いている。話を続けろ」

手元の知恵の輪を弄りながら、視線を向けずに発言する。
本来なら返事する事すら億劫なのだが、今回に限ってはそうもいかない。
何故ならこれは、ボクの神への道の重要な一歩となるからだ。

「んっ……では続けます。先程も言った通り、今回の予選会では二つの実験――――即ち、事故に見せかけた敵メンバーの排除、そして実験中の“例のアレ”の確認を行い、両者とも一定以上の成果を収めることに成功しました。
前者は補充要員がいたせいであまり効果をあげることは出来ませんでしたが、少なくとも一人を排除することに成功。今日の8時位までは起きだす事はないでしょう。
後者については………まあ、言う必要もないかと思います。“アレ”はすっかり役目を果たし、我々を勝利へと導きました」

NPCの言葉を耳に入れつつ、知恵の輪を弄り続ける。
金属製の知恵の輪は、ずっと握っていたせいですっかり温くなってしまったが、未だに外れる気配はない。
どこかでやり方を間違えたのかもしれない。

「副次実験として行った潜入工作は全員が失敗。しかしながら、敵の賭け札―――通称“チケット”の隠し場所は凡その見当はついており、指示があればすぐにでも突撃することが出来ます」

「―――よくやった。これでボクの作戦はまた一歩成功に近づく」

だがまだこれからだ。まだ何も始まってはいない。
地下のアレもまだ完成してはいないし、それに何よりあの男―――赤毛の存在もある。油断は出来ない。

赤毛―――あの得体のしれない、今までの情報に載っていない新人が、最大の障害になるかもしれない、なんて事はほんの一時間前には思いもよらなかっただろう。
しかし、実際に出会い、戦ってみたからには、それも無理からぬ事だと分かる。
あいつは、あの赤毛は異常だ。どこがどう異常なのか、はっきりとした事を言うには、まだ奴の事をよく知らないためできないが、いつか奴の異常性を暴いてやる。
そうして今後の決意を新たにしていると、NPCが何か言いたげにこちらを見つめているのが見えた。

「どうした。もう貴様に用はない。どこへなりとも失せろ」

「……あ、あのっ!……その、副会長」

「何だ。用があるならさっさと言え」

NPCの不審な態度に、ほんの少し、苛立ちを露にする。

「………………………あの、これで、良かったんでしょうか」

「何がだ」

その要領を得ない言葉に、より一層苛立つ。
トロトロとしたしゃべり方は、どうにも気に入らない。

「その、彼らは校則を違反しているとはいえ、立派なうちの生徒です。それを、こんな……」

「何をなまっちょろい事を言ってるんだ。貴様も聞いているだろう。奴らが生徒会長を一方的に嬲る様を」

「しかしっ!向こうにも何か事情がっ!」

「貴様、その言葉、矛盾すると思わないか。あいつらは、ただ風紀を守らない事に異を唱えた会長を、逆恨みで攻撃を仕掛けているんだぞ。
こちらの事情も考慮せず、無秩序に問題を起こし、反省せず、後始末は全て生徒会任せだ。そんな奴らに何を同情する?ボク達のやっている事はただの正当防衛だ」

「でもっ。でもっ!それでも、人が争うなんて、おかしいです!」

もう面倒くさくなってきた。所詮、愚かなNPCに何を言っても無駄か。
まったく。このボクに無駄な時間を使わせやがって。

「違う。ボクは神だ」

「え?」

催眠術を行使する。
NPCと視線を交わらせ、その深層へとボクの命令を届かせる。

「貴様はただの人形だ。言われた通りにしか動けない人形。そしてその人形の持ち主はボクだ。だから貴様はボクの言うことを聞かねばならない」

「………私は、人形。…………ただの、人形」

NPCの目は虚ろになり、ぼんやりとし始める。
催眠術にかかった徴候だ。

「そう。そうだ。貴様はただの人形だ。そして今、ボクは貴様に命令を下す。さっさと下がって次の本選に備えておけ」

「……………はい。わかりました」

そう言うとNPCは素直に立ち上がり、くるりとボクに背を向け入り口へと向かう。
完全に催眠術にかかったようだ。やれやれ。ようやく鬱陶しいのが帰る。
置いておいた知恵の輪に再び手を伸ばし、弄りを再開する。

この知恵の輪は、あと少しという所でいつも駄目になるなかなか厄介な代物だ。
本格的に取り掛かろうと気合を入れると、視界の端にまだNPCの姿が見えた。

「何だ。ボクは失せろと言ったはずだぞ」

「……………」

入口付近で立ち止まっていたNPCは、ただ無言のままにボクを見つめている。
何をしているのかを誰何しようと立ち上がった時、その頬に一筋、涙がこぼれた。
その瞳からこぼれ落ちる雫は、顎を伝わり、その足元へと落ちてゆく。

その涙の軌跡を目で追いながら、何故か無性に苛立ちが湧き、気がつけばボクは手に持っていた知恵の輪をソイツに投げ出していた。
小さい物だったのであまり大きな音は立てなかったが、顔面に当たり、少し、赤く腫れた。

「いいから失せろ!どこへなりとも消え失せろ!早くボクの視界から消えちまえ!」

腕を振り上げながら、激情を露に叫び上げる。
NPCは、知恵の輪が当たった部分を擦りながら、催眠術にかかった者特有の、何を考えているのか分からない瞳をこちらに投げかけたまま立ち去った。

肩で息をしながら、冷静になろうと努める。
荒げた息を落ち着かせながら、投げてしまった知恵の輪を拾い上げる。
それは少し、いびつに歪んでしまっていた。




SIDE:衛宮



「まいったな………」

岩沢達のライブから数十分後、俺は何をするでもなく、ただ立ち呆けていた。

「これからどうするかな………」

岩沢達との会話は有意義なものだったし、面白かったけど、当然の事ながら何事にも終わりは来る。
岩沢たちも女の子。汗をかけばシャワーを浴びたいと思うのも仕様がない事だ。
そういう訳で岩沢達はシャワーを浴びに行き、俺は一人取り残された。
サバゲーの本戦を観戦しようにも、まだ時間が余っている。

うーん。どうするべきか………。


1.うーん。そういえば部長に来るよう言われていたような……。
2.そうだ。劇場に行こう。
3.いや、ここは敢えて遊佐を探そう。
4.面倒くさいし、そこらのベンチで休憩するか。



[21864] 学園祭編 二、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/03/05 23:14
3.いや、ここは敢えて遊佐を探そう。


そうだな。思えば最近遊佐と会っていない。この機会に会うというのもいいだろう。
そして、そうと決めたら即行動だ。時は人を待ってはくれない。
でもまあ、取り敢えずは食事を取ろう。飯を食わねば戦は出来ない。

しかし、どこで取るか。自分で作るには時間が遅いし、何より今日は学園祭だ。せっかく店があちこちにあるのだから、行かない手はない。
とりあえず、道で配られていたパンフレットをもらい、現在位置からもっとも近い店を探す。

「あー。………ここからだと……………ガルデモファンクラブが近いか……」

どうやら学習棟B棟で、ガルデモのライブ感謝パーティーがあるという。
しかも途中からガルデモのメンバーが参加するという公式な物のようだ。
なるほど、さっき話を打ち切られたのはこう言う訳もあったのか。

そう納得しここに行こうと決意する。
こういう祭りの食べ物は味ではなく雰囲気を楽しむものである。
だとすればここは中々に良い所だ。きっととても華やかに違いない。
それに遊佐はガルデモのマネージャーみたいな事もやっていた。誰か遊佐の位置を知っている者もいるだろう。

そう言う訳でB棟に向かって歩き始める。
それが、いったいどんな結果を招く事かも知らないで………。



学習棟B棟 空き教室


「では!ガルデモライブを記念いたしまして!かんぱぁ~い!」

「「「「かんぱぁ~い!!!」」」」

高いテンションと共に乾杯の音頭がとられる。
いつもは空いているB棟の空き教室は、今や結構な人で賑わっていた。

「おう!アンタもガルデモファンなんだろ?こっちで一緒に飲まないか?」

親切にもそう言ってくれる人(NPC?)の申し出をやんわりと断る。
B棟の空き教室はただでさえ狭い教室に多くの人が集まり、混沌とした様相を呈していた。
思っていたよりも人が多く、雰囲気を楽しむよりも先に気分が悪くなってくる。
これもガルデモの人気なればこそ、とポジティブに考えるが、やはり暑苦しいものは暑苦しい。

とりあえず腹が減ったので配給をしていた子からカレーを貰い、適当にあたりをぶらつこうと考える。
どうにもここはガルデモ好きのファン達が好き勝手に集まり、騒ぐための場所であるようだ。
中には興奮しすぎてマイクを片手に歌いだす子もいる。まあ、中々上手い。
カレーも一般的なもので、誰にでも食べてもらえるよう甘口に設定されているが不味くはない。
いや、そんな心遣いを鑑みるならむしろ美味いと言ってもいいかもしれない。

今日は色々あって疲れたので、座って食べようとするが人が多く、どこのイスも埋まっている。
カレーを片手に、うろちょろと探し回るが、空席はない。
こうなったら恥を忍んでさっき声をかけられた所まで戻るか、そう思い、軽く溜息をついていると声をかけられた。

「あー!こんな喜ばしい日に溜息ついてる人がいるーっ!」

耳を劈くような大声で指を指される。
あまりの声に軽く耳を塞ぎながら、声の方へ目を向ける。
そこには、先程までステージの上で歌っていた少女がいた。

「駄目ですよぉ。こんな目出度い日に溜息なんて」

年の頃は、自分より少し下くらい。背は………あまり自分が言えた事ではないが、大きくはない。
戦線の服をパンク風に改造している所を見るに、NPCではないのだろう。
その娘は腰に手を当て、人差し指を立てながら説教をするように話を続ける。

「今日は折角のガルデモライブで皆テンション上がってるのに、一人空気読めずに溜息なんて、許せません!」

「あ、ああ。悪かったよ。ちょっと考え事しててさ」

あまりの少女のテンションの高さに、少し引きながらも返事をする。
少女は俺の言葉を聞き、少し大げさに驚いて俺に聞き返す。

「ええ!?考え事ぉ!?」

「何故そこで驚く」

そんな俺の突込みにも頓着した様子を見せず、ただ微笑みながら軽く流す。
その様子に少し呆れが来たものの、しかしここはそういう場所だったな、と思い出す。
そもそもここは死後の世界だ。人が死を経験し、何もおかしくないという事の方がおかしいのだろう。
…………ん?でもその論法だと、俺自身もどこかおかしいという事になるのか。

「ほら、またそうやって考え込んで。悩み事があるなら、さっさと言っちゃった方がいいですよ。ガルデモのファンは皆家族みたいなものなんです。
そう思うだろ、みんなぁー!」

「「「「「おぉー!!」」」」」

最後の方は、俺にではなく周りにいたガルデモファンに言ったもので、物凄い勢いで返事が返ってきた。
こいつら本当にNPCか?と疑心が広がるが、彼らも見ず知らずの俺のために言ってくれているのだ。その好意を無にするような事はしたくない。

「あー。じゃあ、女の子を見なかったか?このくらいの身長で……髪を上の方に二つ括って、髪の色は金なんだけど……」

「「「「ちっ。リア充かよ」」」」

一斉に大バッシング。
おい。家族がどうとか言う話はどこいった。

「まあまあ、そう言わず。目撃した人とかいないんですか?」

「あー、そんな奴ならどこかで見たような………。たしか………この教室を出て右に真っ直ぐ行った所の突き当りの部屋に入っていった気が、せんでもない」

聴衆の一人が思い出したように発言する。

「本当か!ありがとう!あ、これよろしく」

「え?右に出て突き当りってたしか………」

矢も盾もたまらず、カレーを少女にあげ渡し、走り出す。
まさかそんな近くにいたとは。その思いが、俺の足を駆り立てる。

「あ、ちょっと!カレー!どうするんですかコレ!」

「もう行っちゃったぜ?」

「あーあ。右の突き当りって確か……」

「ああ……。あそこは確か……」

「「「シャワールーム」」」





部屋を出て右に曲がり、突き当りの部屋へ行く。
その部屋は他の部屋とは違い、一切隙間のない密閉された部屋。
こんな部屋に遊佐が何の用があったのか。それは分からない。
しかし、どんな理由があろうとも俺は遊佐に会う。
その決意を新たに、俺は、扉を開けた。

「うわっ、なんだこれ。何も見えない……」

扉を開けた途端に湿気が顔に降りかかり、そのあまりの濃度に一瞬視界が利かなくなる。
ムワッとした湿気を振り払うべく、腕を動かし湿気を払う。
生温い湯気が晴れ、徐々に部屋の全貌が明らかになっていく。
湯気に隠れてよく見えないが、どうやらここは着替え室のようだった。

ここは……着替え室?なんでこんな所に、こんな物が……?

その答えが出る前に、部屋の奥にあった曇りガラスでできている扉がキィッと軋む音を立てた。
その扉に注意を向け、視線を動かした途端、

――――――――湯気より、頭の中が真っ白になった。

「衛宮、さん―――――?」

目に付いたのは、厳かな金の色。
秋の稲穂のように豊かな、それでいてやわらかさを失わない、金の髪。
いつもは高く結い上げられているその髪が、今は無造作に垂れ、水を滴らせている。

「…………………………………え?」

咽喉が痺れ、間抜けな音が漏れ出る。
頭の中が真っ白で、何も考える事ができない。
そんな阿呆のように突っ立っている俺の目の前には、シャワーを浴びていたのだろう遊佐がいた。

「…………………………」

無言が場を支配する。
俺はどうしていいのか分からず混乱し、遊佐はそんな俺を呆然として見つめている。

無言で見つめ合う事数秒。

「………………………その、扉、閉めて、くれませんか?」

始めに現実感を取り戻した遊佐が、恥ずかしそうに顔を俯け、扉で体を隠しながら囁く。
その声で、俺にもようやく現実感が舞い戻る。

「わ、悪いっ!」

急いで外に出、扉を閉める。そして、扉に重心を預けながら尻餅をつく。
ドスンと来る衝撃と、床の冷たさに、いまだにぼんやりとしていた頭が働き始める。

……やってしまった。不慮の事故とはいえ、女性の風呂場を覗いてしまった………。
しかも覗いたのが遊佐だったなんて……。やってしまった………。
どうしよう。責任を取るべきなのか。でも、責任って言ったってどう取ればいいんだ?切腹?
でもここじゃ何やっても死ねないし、第一、俺なんかが死んだ所で遊佐が喜ぶとは思わないし……。
だったらどうやって責任を取ればいい?結婚?………いやいやいや。どこの民族の風習だよ、裸見たら結婚って。
いやでも、結婚するとしても遊佐はきっと和式も洋式も似合うんだろうな。着物はこの前見て似合うのは分かってるし、きっと純白のドレスもあの金の髪とよく合う事だろう。顔立ちもどちらかといえば西洋風なのだし、洋式にするのかな?いやでもあの着物も結構綺麗だったし……。それに洋式だったら俺はタキシードって事になる。俺のタキシード姿って、いまいち似合わなさそうだ。それだったらまだ袴とかの方が……。それに結婚しても住むところはどうしよう。新しい家を建てるべきなのか。一から全部作るのはさすがに大変だな。いや、それよりもまず子供は何人がいいだろうか。こういうのは遊佐の意見も聞いてみないといけないけど、結構大事な事だと思うし。男の子二人に女の子一人?馬鹿でも良いから健やかに育って欲しいなぁ。でも最近はグレて不良になる子も多いって聞くし……。あ、そもそもこの世界で子供って産めるのだろうか。死んだ後の世界って事は子供もできないのかもしれない。子供ができないかもしれないっていうのは少し悲しいけれど、まだそう決まったわけじゃないし………。

――――――――――――って、いやいやいや!俺は何を考えているんだ。まだ結婚するって決まってないし。何で俺はこんなにテンパっているんだろうか。

「あの……。もう、いいですよ」

扉越しに、どこか躊躇いがちな声がかかる。
その声に乱れていた思考がまとまり、自らの不埒な考えに思わず赤面する。

「そ、そそそ、そうか。ゴメン」

さっと腰を上げ、扉から距離をとる。
すると遊佐は扉を半開きにし、顔の部分だけを扉の外に出す。
扉から出てきた遊佐の髪はほんのりと濡れており、急いで着替えてきた事を感じさせる。
頬はシャワーのせいか、それとも別の事のせいか上気して、紅かった。

「その、すみません。こんな格好で……」

濡れた唇が、艶かしく動く。
その妖しい動きに魅了されながらも必死に理性を保ち、話を聞く。

「あ、え、あ、う、い、いや。そんな事は気にしてない……………ってそうじゃなくて、その、さっきのあれは、わざとって訳じゃなくて、あ、いや、でも、こうやって見ちゃった時点で釈明の余地はないから、遊佐は、怒っていい」

いまだにバクバクいってる心臓を落ち着かせ、どもりながらも言いたい事を伝えた。
気恥ずかしさに俯きがちになり、遊佐の顔を見る事が出来ない。
ああ、今遊佐はどんな顔をしているのだろう。蛆虫でも見るかのような、見下しきった顔で俺の事を見ているのだろうか。
でも、どんなに軽蔑されてもしょうがない。俺はそれだけの事をしてしまったんだ。

俺が俯いていると、遊佐は扉を完全に開け、無言のまま手を伸ばし俺の頬に触れた。
女の子らしい、やわらかな感触。そして吹き抜けるシャンプーの香り。

「……事故、だったんでしょう?」

「………………………あ、ああ。そうだ」

「だったら、責めるのはお門違いです」

「でも、俺は……」

そこまで言いかけると、遊佐は俺の頬に添えていた手を、俺の唇に押し付けた。
たったそれだけの事で、言おうとしていた言葉が霧散する。

「お互いに忘れましょう。この件は、誰も悪くありませんでした。ほんの少し、互いが不注意だっただけ。それでいいじゃないですか」

「………遊佐は、それでいいのか?好きでもない男に裸を見られて」

「それは…………」

そして言葉を止め、遊佐は俺から手を離し、背を向けた。
髪がふわっと靡き、俺の視界を覆う。

「だって、衛宮さんですから」

答えになっていない答え。
どこかはぐらかされたように感じつつも、下手につつくと墓穴を掘りそうなので、深く突っ込む事が出来ない。
そして、言うだけ言って遊佐は歩き始める。

「あ、待ってくれよ」

先行する遊佐に追いつき、肩を並べて歩き出す。

それにしても、さっきの言葉はどう受け取ったらいいのだろうか。
遠回しな嫌味?いや、遊佐はそんな事は言わないか。
まあ、口調から察するに、少なくとも嫌われてはいないのだろうとは思う。

「ところでさ、今どこへ向かってるんだ?」

「空き教室です。ガルデモの皆さんが来る前に少し準備をしておかないと」

空き教室といえば、俺がカレーを食い、遊佐の情報を貰ったところだ。
なるほど。あそこにガルデモが来る予定だったから、あんなに人口密度が高かったんだな。

「あ、なんか俺に手伝える事あるか?荷物持ちくらいだったら役に立つと思うけど」

「ありがとうございます。そうですね……とりあえず机を退かしたりしないといけないので、その時手伝ってください」

机運びか……まあ、何とでもなるだろう。
そのくらいなら何個でも持ち運べる。

遊佐と話していると教室が見えてくる。
教室は部屋の外からでも分かる程の盛況ぶりで、やはりガルデモは人気なんだな、と感じる。
そして教室のドアを開けると、先程のガルデモファン達がいた。

「あ、リア充だ」「遅かったなリア充」「ナニしてたんだリア充」「お、それがさっき言ってた娘か。レヴェル高けぇなリア充」「さすがリア充!俺達に出来な(ry」

「リア充って言うな!」

「おや?リア充の意味が分かるんですか?」

「いや。ただ馬鹿にされてる事は分かる」

ちらりと遊佐の方を見ると、糞に集る蠅を見る目つきでこいつらを見ていた。
まあ、こいつらならしょうがない。

「これが噂のリア充の女か」「ちっ。リア充が」「これだからリア充は」「なんでリア充のくせにこんな所にいるんだよ」「リア充爆発しろ」「もげろ」

「散々な言い草だな!」

「………何ですかコレ。すごく気持ちの悪い人達ですね。ドン引きです」

遊佐が心底軽蔑しきった目を向ける。
あの時こんな目で見られていたら、俺は精神的に立ち直れなかっただろう。

「美少女に罵られてる!ああ、また新たな道へ入りそう……」「これいいな……ガルデモの皆も罵ってくれないかなぁ」「リア充はいつもこんな美少女に罵られているのか……うらやましい奴」

「ここは本当に変態だらけだな!」

頭が痛い……。
こんな奴らをいつまでも相手にしてたら、頭が腐ってきてしまう。
遊佐も同じ考えなのか、早々に彼らを無視し、会場の準備を始める。
配置を考えているのだろうか、遊佐は教室を一通り見回して考え込んだあと、俺に指示を送る。

「すみません。このゴミ箱と、あの机を外に出してくれますか?」

「分かった。………よっと」

まず近くのゴミ箱を運び出す。やはり人が多いからか、ゴミの量も半端ではない。
両腕に力を入れ、教室の外へ置いておく。
教室の中へ戻ると、遊佐が机の人に話しかけ、会場の準備のためにどいてくれないか交渉している。

「あ、さっきのリア充先輩!」

「リア充って言うな!………って、ああ。アンタか。何か用か?」

唐突な声の持ち主を辿れば、先程のガルデモファンのパンク風少女だった。
右手にカレーを、左手にスプーンを持った少女は、怒ったように話しかける。

「何か用か?じゃないですよ!アタシにカレー押し付けるだけ押し付けておいて、そのままどっかに行っちゃうなんて、鬼畜です!リア充です!」

「うん、たぶんリア充はそういう使い方しないんじゃないかなぁ!」

まあ、それはともかく。

「それ、持っててくれたんだな。あげたつもりだったんだけど」

彼女の持っているカレーに指を差しながら話す。
俺がそう言うと、彼女は怒ったように話し出す。

「食い残しを食えって言うんですか!しかも男の人の!なめてんのかワレェ!」

そう言われてみれば、たしかに女性に食べ残しを与えるというのは間違っていたかもしれない。
そう、例えこんな形でもこれは女の子なのだ。

「………なんか、失礼な事考えてませんか?」

「え?……ハハハ。ソンナワケナイジャナイカ」

「カタコトなのが気になりますけど……まあいいです。それよりこれ、重いから早く持ってください」

「あ、悪い」

渡されたカレーを持つ。そしてお礼を言おうと思い、そこでふと思い出す。
こいつ、名前なんだっけ。

「あー。ありがとうな………えーっと………………」

「ユイです。人々は畏怖と尊敬と愛を持ってこう言います。ユイ☆ニャンと!」

右手を目の横に当てて、キラッっと擬音が付きそうなほどのポーズ。
勿論右手の人差し指と小指と親指は立てた状態だ。

「そうか。ありがとうユイ☆ニャン」

「そこは突っ込んで下さいよ!」

?自分からユイニャン(笑)と言っておきながら嫌がるなんて、変わった奴だ。
俺が不思議そうな顔をしているのが気にくわなかったのか、ユイ☆ニャン(笑)は一つわざとらしく溜息をつき、頭を振る。

「リア充先輩は駄目ですねぇ。やっぱり人はリア充になれば堕落しちゃうものなんでしょうか」

「………散々な言われようだな。後、俺はリア充じゃなくて衛宮だ。衛宮士郎」

「へぇーそうなんですかリア充先輩」

「お前覚える気ないだろ……」

そこで遊佐が俺を呼ぶ声が聞こえる。どうやら交渉が終わったようだ。
そこで、なんだかんだ言ってカレーを持っててくれた彼女に、別れを告げる。

「それじゃあ、遊佐が呼んでるから」

「はいはい、お暑い事で。リア充もげろ」

「だから、俺はリア充じゃないし、別に遊佐とはそういう関係じゃないって」

「ケッ。別にどんな関係だって関係ありませんよ。そういう風に見えたら、それはもう立派なリア充なんです」

まるで捨て台詞のように言葉を残し、立去って行くユイ☆ニャン(笑)。
またいつか会うことがあるのだろうか。
その時、また遊佐の呼ぶ声が聞こえる。やばい。待たせたかもしれない。

「ゴメン!今行く!」

急いで机の所へと向かう。
そこには腕を組み、どこか不機嫌そうに俺を睨む遊佐がいた。

「手伝ってもらっている身でこういう事を言うのは心苦しいのですが………遅いです」

その言葉とは裏腹に、遊佐の口調から心苦しさは感じられず、むしろ怒りが込められていた。

「悪い……向こうで一悶着あってさ」

「へぇ。女の子と談笑するのが衛宮さんにとっての悶着なんですね」

ぐぅ。それを言われると辛い。

「ゴメンゴメン。すみませんでした。本当に遅れて申し訳ない」

「私が言いたいのはそういう事じゃなくて………もういいです。速くその机を運んでください」

プイッとそっぽ向く遊佐。
あれ?何で謝ったのに不機嫌になってるんだ?
周りのガルデモファンも、にやけながら見てるだけだし、本当に訳がわからない。




さっさと机を運び出し、残りの奴も全部片付け、一服しようと部屋の隅にいると、遊佐がやって来た。
その手には飲み物が二つ握られ、俺のそばに腰を下ろすと、片方を俺に渡してきた。

「お疲れ様でした。はい、これ。お礼といっては何ですが」

どうやらもう機嫌は直ったらしく、いつもと変わらない態度に見えた。
そして渡された飲み物のラベルを見ると、ポ○リだった。
軽い運動の後にスポーツ飲料を持ってきてくれるとは、やっぱり遊佐は気配りが上手い。

「お、サンキュ。丁度のど渇いてたとこなんだ」

硬い蓋をキュッと開け、一気に三分の一ほど飲みつくす。
自分で思っていた以上にのどが渇いていたようだ。
遊佐は座ったまま、自らのペットボトルから正午ティーをチビチビと飲み、俺に向かって話しかける。

「さて、これでステージの設置も全部終える事ができました。手伝ってくれて本当にありがとうございます」

「う~ん。他にもう仕事はないのか?」

「ええ。全部終わりました」

「そっか。やっと終わったかぁ」

ようやく終わった労働に一息つけるため、ぐっと身を反らし背筋を伸ばす。
しかしそこではっと気付く。
あれ?そういえば、そもそも俺は何しに来たんだっけ?

「ところで、衛宮さんはここに来るまではどこに?」

そんな疑問が頭を過ぎった時、ピッタリのタイミングで遊佐が話しかけてきた。
とりあえず考えを中断し、遊佐の質問に答える。

「あ、ああ。サバゲーが終わってからガルデモのライブを聞いて、それから食べ物でも取ろうと思ってここに来たら、遊佐がここにいるって聞いてさ。
最近会ってなかったし、話そうと思って……………あんな事に」

話を自分で整理しているうちに、“あの時”の情景を思い浮かべてしまい、顔が赤くなる。
遊佐も同じなのか、少し頬を赤らめ、誤魔化すように咳をした。

「ンンッ………余計な事は思い出さなくて結構です」

「はい………スミマセン」

その様子が、少し可愛らしいと思ったのは内緒だ。

「まったく。衛宮さんには女の子を恥ずかしがらせて喜ぶ趣味でもあるんですか?」

「誤解だ!事実無根だ!」

いや、たしかに恥らう遊佐の姿も可愛いと思ったけど!

「まあ、そういう事にしておいてあげますか」

「本当だよ!」

言っても信じてくれない悲しさというものを感じた。




「ところで、衛宮さんの今後のご予定は?」

今までの話の流れを完全に断ち切るように話し始める遊佐。
また何か悪ふざけかと思ったが、態度が真剣だったので話を聞く。

「え、ああ。別に何もないけど………」

その俺の返事を聞くと、遊佐は安堵するように一つ溜息をつく。
今度は何を言うつもりだ、と軽く警戒しながらも、慎重に遊佐に返答を返す。

「だったら、その…………できたら、でいいんですが………その」

?遊佐にしては珍しく歯切れが悪い。
遊佐はもっと言いたい事ははっきり言う方だと思っていたのだが。

「ん?何かあったか?」

「いえ、そうじゃなくてですね………その、もし、よかったらでいいんですが………」

そこで遊佐は決意したように息を止め、力強く話し始める。

「その、これから一緒に学園祭を…「ここにいたのか衛宮!探したぞ!」…せん、か?」

遊佐が何かを言おうとしたその時、丁度いいタイミングで(いや、悪いというべきだろうか)松下が乱入してくる。
今までずっと走っていたのか、汗まみれになっている松下の息は荒かった。

「どうしたんだ松下。汗だくじゃないか」

「説明は後だ。とりあえず今は速く来てくれ」

そういって松下は俺の手を掴むと、駆け足で俺を連れて行く。

「あ、おい、ちょっと!」

松下は俺の制止を振り切り、あくまでも走り続ける。
しかし振り払おうにも、何か柔道の技でも使っているのか、手がまったく外れない。

「遊佐!」

思わず遊佐の方に顔を向け、呼びかける。

「行ってください!恐らく重要な事でしょうから!」

「けど、遊佐の方が先に……!」

「いいんです!けど、いつか埋め合わせはして下さいね!」

遊佐の態度に迷いはなかったが、少し寂しそうな顔をしていた。

「………ああ!まかせとけ!」

その悲しそうな顔を見るのが嫌で、遊佐の頼みごとを請け負う。
しかしどんどん腕を引っ張られ、ついには視界から遊佐が見えなくなってしまった。

「頼むからもう少し速く歩いてくれ!」

焦っている松下の声が聞こえる。
その声はとても切羽詰っていて、とてもピンチな状況である事を知らせていた。
しかし、そんな松下にかかわらず、俺はただ遊佐の事を考え続けていた。



[21864] 学園祭編 三、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/07/11 23:53



「高松の意識がまだ戻らない?!」

「そうだ!報告からすでに数時間たっているにも関わらず、回復の兆候がない!」

この世界では普段どんな重症であっても数十分もあればすぐに回復する。
それが数時間たっても回復しないとなると、絶対におかしい。
もしかしたらただ事ではないのかもしれない。

「原因はわかったのか?」

「今の所何も言えん!ただ昏睡状態が続いているだけで表面上は何の異変もないが、さすがに長すぎる!もしかすると、一服盛られた可能性もあるとか」

松下の言った可能性に、顔が青ざめる。
もし松下の言った事が正しければ、俺の作った料理に毒が混じっている可能性がある、という事だ。
しかし、それはない、と思い直す。何故なら―――

「―――けど、ちょっと待ってくれ!俺は確かに味見したぞ!一服盛られていたのなら、俺自身が昏睡状態にあるはずだ!」

そう、俺はレンジに入れて暖める前に一度確かに味見をした。
へんな味はしなかったし、匂いも危ないものではなかった。
それに、俺自身はこうしてぴんぴんしている。

「だとすれば、どういう事なんだ……?まあいいか。それより今はゆりっぺの所に戻るのが先決だ」

先を行く松下の速度が上がる。
その巨体からは想像しにくいが、彼は足が速い。
あの速度で突っ込まれれば、列車が突っ込んでくるようにも見えるだろう。
そのスピードに遅れないよう、こちらも同じ様に加速する。
目指すは対天使用作戦本部。ゆり達のいる、今作戦の本拠地である。







「遅い!」

合言葉を言い、扉を開けて掛けられた最初の言葉は、罵声だった。

こっちも突然話をされて戸惑っていたのに、それでも非常時だからと走ってきた訳なのだから、もう少し言い方があるのではないかと思ったが、ゆりのその真剣な表情を見、文句を引っ込める。
部屋の中を見渡せば、どうやら俺たちが最後のようだった。

「スマン、ゆりっぺ。これでも走ってきたんだが……」

「……もういいわっ!それより今から状況を説明する!」

どこからか取り出したベレー帽を被ったゆりは、後ろのスクリーンを展開させながら焦ったように続ける。

「決勝戦では問答無用のサバイバルゲームっていう訳じゃなくて、領土争奪戦……というより、それを模した物よ」

模した物?と首を傾げる皆をスルーして、ゆりはスクリーンを弄くり、別の画面を出す。
それはこの学校全体の3D地図で、大まかに四色で塗り分けられていた。

「予選で勝ち残った強者達は、ここで四つの区域に分断され各々の領地に着くわ。そしてその内我々の領土となるのが……」

ゆりはスクリーン中の自分達の領土―――――この対天使用作戦本部のある校舎の周りを拡大する。

「ここ、対天使用作戦本部を中心としたこの区域よ」

ゆりの指すこの地域は四つに分けられた区域の中で最も端に位置しており、攻められ難く守りやすい要地だ。
中々いい場所が取れたと言うべきか。

「勝利条件は二つ。一つは、領地の奥深くに置かれた旗―――まあ、コレなんだけど、この旗をペイント弾で汚す事」

と言いながらゆりは机の上においてある旗を取り出し、俺達に指し示す。
その旗は中々大きく、適当に撃ったとしても高確率で当たりそうだった。

「まあでも、この条件はかなり難しいと言っても良いわ。なにせ、厳重に警備された建物の奥に安置された旗を撃たないといけないんだから」

ゆりは自らの爪を見ながら、何でもなさ気な様子で話しだす。

「そしてもう一つの方は、時間制限までに生き残ったメンバーが多いところの勝利、っていう何とも生温い方法。
だけど、冷静に考えて、後者の方が勝つ確立は高いわ」

さも後者を取れば勝つことは簡単だ、とでも言いたげに話すゆり。
しかしゆりは、続けざまにこう言い放つ。

「けど、私達が取る選択肢はただ一つ。

――――――――――――――前者よ」

そこで静観を保っていたメンバー達がざわめきだす。
まあ、あえて勝つ確率の少ない方法を取ると言うゆりの言い分は、たしかに一言言いたくなる。

「待ってくれゆりっぺ!何でわざわざ打って出る必要があるんだ?それで負けたらただの犬死だぜ?」

ソファーに座っていた藤巻が、身を乗り出しつつゆりに向かって反論する。
しかしゆりは慌てた様子もなく、軽々と返答する。

「まあ、その疑問はもっともだと思うわ。でもね、忘れてるかもしれないけど、これはトトカルチョ―――賭けなのよ?
ある程度は観客を楽しませないと、次回やるときに誰も買ってくれなくなるじゃないの」

そのあっけからんとした物言いに、また賭けをする気なのかよ、という突っ込みも忘れ、呆然となる。

「それに、ちまちま削ってタイムオーバーを狙うのって、ちょっと性に合わないのよねぇ。やっぱり潰すなら一気に潰さないと」

続けて言ったゆりのその言葉に、皆は衝撃から回復し、言葉を漏らす。

「で、でもさ。いったいどうやって奥にある旗を取ればいいの?さすがにちょっと無茶だよ!」

「フフン。それについては、もちろんちゃんと策を用意しているわ」

「ほぉ。どんなのだよゆりっぺ」

「聞いて驚きなさい。アタシが考案した………ってわけじゃないけど、コレがその策よ!」

ゆりは自信満々な態度で、机の中に隠しておいたのだろうある物を取り出す。
ソレは赤く丸い棒に導火線が付いていて、どう見ても爆弾―――――――ダイナマイトの類にしか見えなかった。
藤巻は少し焦ったように顔を引きつらせながら(他の皆も少なからず引いてはいた)、問う。

「ゆ、ゆりっぺ。そんなもん、どこで手に入れたんだ?」

「フフン。もちろん、この日のためにギルドに作らせて置いたに決まってるじゃない。これがある以上、私たちの勝利は揺るがないわ」

ゆりが説明するには、壁を爆破し、直るまでの一瞬の内に校舎の中へと入り込み、そこではたを制圧するのだと言う。

「でも……それって、ずるくない?」

「勝てばいいのよ。勝てば」

「鬼だなゆりっぺ」「ああ、鬼畜だ」「きっとゆりっぺの辞書には正々堂々と言う文字がないんだよ」「さすがゆりっぺ腹黒い」「黒っぺだな」

「ええい、うるさーいっ!文句があるんだったら、これよりマシな案を出してみなさいよ!」

沈黙。誰も手を上げようとしない。いや、できない。
それが有効であるとみんな分かってしまったから。

「フン。文句がないなら、班分けやるわよ」

ゆりは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、さっとメンバー表を広げた。
表には、戦線の戦闘メンバーが書かれている。

「まずは、藤巻君と大山君。それに、TKと松下五段が前線グループ」

「ついに俺の出番か」「少し緊張するよ」「まかせてくれ」「Oh! it’s carnival!」

「そして日向君は、野田君は皆のサポートをよろしく。結構重要な役割だから、油断しないでよね」

「ああ、まかせとけ!」「わかった」

「椎名さんは遊撃をお願い。好きに動いていいから、存分にがんばってね」

「了解した、ゆりっぺ」

「そして最後にアタシと衛宮君は……」

そこでゆりは言葉を区切り、俺の方へと視線を向けた。
その目は、俺に任せていいのかを図りかねているように感じられた。

「………。そうね。屋上からの狙撃、って感じかしら。何か質問があるものは?」

「ゆりっぺ!何故そんなどこの馬の骨とも分からない奴と……!」

「無いわね?よし、なら散開!直ちに位置に付け!もう余り時間は残されて無いわよ!」

ゆりは野田の質問を黙殺し、大きく手を振って皆を散らせる。
憐れ野田。とういか野田っていつもこんな役だよな。

「ほら、衛宮君も急いだ急いだ!貴方は屋上へ行って、狙撃の体勢を整えておいて。指示は追って出すから」

急かすゆりの言葉に従い、軽く涙目になっている野田を置いて、俺達は屋上へと急いだ。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ふぅ」

屋上を通り抜ける風が心地よい。ともすればこの変てこな状況を忘れさせてくれる。
俺は風を感じながら、屋上に来てから何も話そうとしないゆりの方へ、ちらりと視線を向ける。

こういう場でこんな事を言うのはなんだが、ゆりは美人だ。
流れるような黒髪は整っていて綺麗だし、プロポーションだって悪くない。
肌は肌理が細やかで、目元は知性を感じさせる。
よくは知らないがそこらのアイドルにだって負けはしないと思う。
そんな美人と二人きりで屋上にいると言うのは、正直何を話せばいいのか分からない。
特に、今のように黙りあっている場合だと。

「………………」

俺は黙って視線を逸らし、屋上からどんどん沈んでいく夕陽を見つめる。
綺麗だ。今は覚えていないが、きっと生前はこのような夕陽を幾度となく見ていたのだろう。

「ねぇ」

俺が夕陽を見つめていると、屋上に来て初めてゆりが口を開いた。

「ん?」

「………もしも、もしもの話なんだけど」

ゆりはそう念を押してから、訥々と話し出す。

「もし、貴方と仲のいい、例えば高松君なんかが、もし自分を裏切るような事をしたら、衛宮君ならどうする?」

いきなりの質問。それに、中々難しい。
意味が分からずゆりの方を見返すも、キッと睨まれる。
仕方ないので俺は、そうだなぁ、と断ってから、

「たぶん、悲しむんじゃないかな」

と言った。
ゆりはそれに対してフン、と一つ鼻を鳴らす。

「結構、ありきたりね」

「まあ、記憶を取り戻せば、また何か違う答えが出てくるのかもしれないけどさ」

「まあ、期待しないで待っておくわ」

「でも、何でいきなりそんな質問を?」

言外に、それを聞くために俺と二人きりになったのか、という思いを込める。
ゆりは俺の質問に少し渋面を作った。

「それは……」

『決勝戦開始五分前です。参加するメンバー以外は指定の位置から立ち退いてください』

ゆりが何か言おうとしたその瞬間、校内アナウンスがかかる。
その放送に、ゆりは目付きを鋭くし、敵がいるであろう校舎に鋭い視線を向けた。

「…………その話は、また落ち着いた後にしましょう。アタシだって、こんな事は信じたくなんてないんだから」

そうゆりは話を打ち切り、再び沈黙が全てを覆う。
俺達は無言のまま、試合開始の合図が鳴り響くのを待った。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「よしいい調子!」

すかさず一射。パン。軽い音と共にNPCの腹が真っ赤に染まる。
一名撃破。今の所、屋上からの狙撃は中々の撃破数を保っていた。
パン。更に一射。もう一人のNPCの頭を真っ赤に染める。

「この調子で行けば、もしかしたら突入班いらなくなるんじゃないの?」

「無茶言うなよ。そろそろ居場所を連中に感づかれたはずだ。そろそろ逃げる準備をしとかないと」

俺は天使に襲われた時の経験を生かし、常に逃げ道を作るようにしていた。
またあんなのに襲われたら、次こそはやられてしまうだろう。
しかし、ゆりにはそれが弱気に見えたらしい。少し強気な口調で言う。

「まだ大丈夫よ。ほら、ここからなら大抵所が見渡せるし……」

―――――――――コロンッ。

ゆりが全てを言い切る前に、どこから投げられたのか、手榴弾らしき物体を投げつけられた。
俺は咄嗟にそれを端のほうへ蹴り飛ばし、ゆりの頭を下げさせしゃがみこむ。

バンッ!

爆発と共に撒き散らされるペイント。だが幸いな事に俺もゆりも被弾はせず、真っ赤に染められる事はなかった。
しかし、このまま妨害が続くのならば、もはやここでの行動は不可能だろう。
俺はそう結論付け、素早く荷物を纏め上げる。

「なっ、ななななっ!」

驚きのあまり変な口調になっているゆりの手を引きながら、俺は屋上をすぐに出、すでに想定していた次の狙撃ポイントへと足を運ぶ。
妨害を受けないようこっそりと動きながら。

ゆりは少しして理性を取り戻したのか、俺に握られている手を見、そして俺の顔をマジマジと見詰めた後、か細い声で礼を言った。

「………アリガト」

「礼は勝ってからにしてくれないか」

俺は素っ気無くそう言うと、次の予定地へと足を速めた。




…。

………。

………………。



「ってここ男子トイレじゃない!」

ゆりは叫んだ。

「って言われても……」

俺はやって来た男子トイレを前に、頬を少し掻く。
たしかに少しデリカシーに欠けていたかもしれないが、屋上以外の狙撃場所だとここが一番いい所なのだ。
沈む夕陽とは逆方向を向いていて、相手が来る側に面している。しかも後ろから来られても最悪窓から逃げ出す事ができる優れもの。

「とにかく、アタシは嫌よ」

「分かった分かった。じゃあとりあえず、入り口の所で見張っててくれよ」

俺はゆりを適当にあしらい、窓のフレームの上に銃口を置く。
できる事なら椅子に座りたいものだったが、ないものはしかたない。
俺は中腰になり、窓の外を睥睨する。

視界は良好。風は止み、雲はなく、霧もない。
まさに絶好の狙撃ポイント。

だが、敵はまだ来ない。


「…………………ねぇ」

姿勢が安定し、いつでも撃てる状態になった時、一息ついたのか廊下の方からゆりの声が聞こえてきた。

「ん?」

屋上の時と、同じ様な遣り取り。
違うのは、お互いの顔が見えないと言う位だった。

「――――本当は、今こんな事を言うべきなんじゃないかもしれないけど」

でも、今くらいしか言う時がないから、と前置きして、ゆりは語り始めた。

「―――――さっきの予選、有ったじゃない?あの時、実はアタシ達、結構苦戦してたのよね。あ、でも別に、衛宮君がサボってたって言いたいんじゃないのよ?そうじゃなくて、あの時、アタシ達の作戦は、筒抜けだった。誰がどう動いて、どの位固まっているのかって事まで把握されてたの。だから正直、衛宮君が居てくれて本当に助かってた。優秀なスナイパーが後ろに居ると居ないでは、前線に居る皆の士気にも影響してくるから。
でね、話を戻すと、何故そんなに情報が漏れてたのか、って事が問題になって、それを解明していったら、なんと、スパイが居る可能性に気付いたのよ」

「…………スパイ?」

思わず間抜けな言葉が口を突く。
しかし、それは偽らざる本心だった。

そんな、映画じゃあるまいし、スパイだなんて。

「そ、スパイ。それでね、丁度その時、全員の動向を把握していたのは、アタシと、もう一人しか居なかった訳」

だが正直、なぜ今こんな話をゆりがしだしたのかが分からない。
スパイがいる?それはまあ、大変だ。戦線のピンチに違いない。
だが、何でそれを今ここで俺に話す?さっきの会議の時皆の前で話せばよかったじゃないか。

そんな思いが首をもたげるが、それでは話が進まない。
俺は努めてその思いを無視し、ゆりに答えを促した。

「で、そのもう一人っていうのは………?」

「それは……」

だが、ゆりが口を開こうとしたその瞬間、視界の端に人影が見えた。
俺たち戦線の白い制服ではなく、NPC用の黒い制服―――――つまり、敵だ。
俺は慌てず咄嗟に狙いをつけ、一射。
弾は狙いを逸れずに突き進み、哀れな人影は真っ赤に染まった。

「―――――さんなのよ」

「え?」

銃を放った衝撃で、上手く音が聞こえなかった。
そう、衝撃のせいだ。でなければ、こんな時に彼女の名前が出てくるはずがない。

「ゴメン、よく聞こえなかった。いったい、誰が何だって?」

「だからね、たぶんスパイは……」

しかし、ゆりが何か言う前に、またもや敵が押し寄せてくる。
必然、ゆりの話を聞くヒマなど無くなり、散発的に襲い掛かってくる敵を追い払うのに必死になった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「まずいわね………」

ゆりは無線機を耳に押し当てながら、そう呟く。
恐らく、戦場の様子を聞いているのだろう。

「………そっちはどう?衛宮君。前線の皆は順調に行動しているかしら?」

俺は辺りをスコープで見回して視界内に敵がいない事を確認した上で、ゆりの問いに答えを返す。

「ああ。どうやら相手の先遣部隊は粗方片付けたみたいだ。皆校舎の仲へ入っていった」

「………そう」

ゆりは俺の答えを聞いてもまだずっと無線機に耳を傾けていた。
それほどまずい状態なのだろうか。少し、不安になってくる。

「なんだ、そんなにまずいのか?」

「………ううん。今はまだ、それほど大した状況じゃないわ。けど……」

と、そこでゆりは一旦言葉を止め、無線機から耳を話してこちらの方を向き、ゆっくりと口を開く。
その目には、微かな不安が宿っていた。

「………もしかしたら、この場に天使がやってくるかもしれない」

「――――――――――」

…………天、使?

頭に思い浮かぶのは、あの時目の前にやって来た見掛けはまるで子供のようでありながら恐ろしい力を持つ、あの少女。
顔には何の表情もなくただ無感動に皆を狩っていったあの白い姿を思い出し、俺は戦慄を押し隠す事が出来なかった。

「………彼女が、来るのか?」

「……………それは、まだ分からない。もしかしたら、このまま大人しくしてくれるかもしれないけど………」

ゆりは、そんな事はまずあり得ないだろうけど、という顔をしながらそんな事を言った。

…………天使が、来る。

前回の接触の時は、何か自分でも良く分からない力が俺を助けてくれた。
だが、そんな上手い話がそうそう続く訳がない。
偶然に頼ってばかりだと、確実にいつか負ける破目になる。

「……………まあ、用心だけはしとけ、って事か」

俺は思考を切り替え、スコープの方へと意識を戻す。
…………視界確認。敵影なし。

「…………頼もしいのね」

どこか皮肉るような、ゆりの声。
やはり彼女も疲れているのだろう。その声は少し、かすれていた。

「まあ、近寄られたスナイパーに出来る事なんか逃げる事位しか出来ないから、頼られても壁になるくらいしか出来ないけどさ」

視線をゆりに向ける事なく、俺は自嘲気味にそう呟いた。

ゆりは戦線の要だ。ゆりがここで倒れてしまっては、戦線は瓦解する。
そうならない為にも、最悪俺の身がどうなろうともゆりだけは助けないと。

「………そう」

ゆりは俺の言葉を、顔色一つ変えず当然のように受け止める。
冷たいという人も居るかもしれないが、まあ、詰まる所こういった所がゆりをリーダーたらしめている所以なのだろう。

俺はそんなリーダーの元についているという安心感と共に、意識をスコープの内へと埋没させていった。












そして、待ち続ける事数分。

俺達が第一目標としていた地域に、噴煙が上がった。

「あれは…………」

恐らく、味方が相手チームを一つ潰したのだろう。
これで残るはあと二つ。この調子で行けば、優勝だって夢ではない。

「おーい、ゆり。さっき向こうで爆弾が―――――――ッ!」

――――――――ドンッ!

続いて、第二弾がもう一つの校舎を襲う。
吹き上がる噴煙。場所が遠いせいだろうか、先程より少し音が小さい。

「………………これだけ派手な事やって、どこからも文句でないのかな」

俺は思わず独り言ちる。
いくら皆NPC とはいえ、こんな文化祭の日に爆発が起きても誰も何も言わないなんて、やはりここは奇妙だ。

「なに?どうかしたの?」

トイレの入り口で、ゆりが声を張り上げる。
どうやら先程の俺の声が聞こえていたようだ。

「ああ、どうやら前線の奴等が二チーム倒したらしい。後残ったのは――――」

スコープを覗き込んでどこのチームが生き残っているかを確かめながら、俺はゆりの問いに答えを返す。

えーっと、残ったあの地域は確か………。

「―――――――生徒会チーム、だな」


天使率いる、生徒会チームだった。


「………これまた厄介なのが残ったわね。出来る事なら、他のチームと潰し合ってて欲しかったんだけど」

ゆりが呟くようそう言い放つ。そしてそれは、俺も同意見だった。

あの生徒会側のリーダーである天使という奴は、他の何と比べた所で別格だ。
圧倒的なパワーとスピード、冷静な判断力、人を傷つけるのに何の躊躇いもない鉄の心。
どれをとっても驚異的で、端から勝ち目なんぞありはしない。
ただ不意打ちでだけ、一抹の勝機が訪れる。
しかしそれも、一度外せば二度はない分の悪い賭けのような物だ。

だからこそ戦線以外の二チームによって疲労している所を狙うのが一番手っ取り早かったのだが………。

「………まあ、過ぎた事を言ってもしょうがないさ。今は、どうやって天使を倒すかだけを考えないと」

思わず痛くなってきた頭を軽く押さえながら、俺はそう答える。
正直、最初の印象もあるだろうが、自分が天使に勝つイメージが思い浮かばない。
想像の中の俺は、どう足掻いても最後には天使にやられてしまう。

「けど、それが一番難しいのよねぇ」

愚痴るようにこぼすゆり。まあ、気持ちは分かる。
なにせ俺自身、天使に勝つ方法なんて欠片も思いつかないのだから。

「「…………………………ハァ」」

思わず、二人揃って溜息をつく。

もう、どうにでもなれという気分だった。

「……………ま、ここでうじうじとしてても仕方ないし、アタシは無線機で周りの詳しい状況を探るわ。もしかしたら、今の天使の場所も分かるかもだし」

そう言ってゆりの声が途絶える。途端、静まるトイレ。
他にする事もなし、俺は黙って哨戒任務へと舞い戻る。

―――――でも正直、俺はこの時油断していたのだと思う。
全四チームの内二チームを倒し、中々いい位置に狙撃地点を取れたというこの事実に。

だが本当は俺は、旨い話には裏がある事を考えていなければならなかったのだ。
上手く行き過ぎるこの状況に、一抹の不安を抱いていなければならなかったのだ。

だって、生徒会チームが馬鹿じゃないのなら、こんな絶好の狙撃地点を見逃すはずがないのだから。


「―――――――――――」


そして俺は、“彼女”を見つけた。
“彼女”はこの前出会った時と何も変わらず、ただどこを見ているのかも分からない茫洋とした瞳で宙を見つめている。
まるで誰かが置き忘れていった精緻なフランス人形のように、ただ泰然と面持ちで。

だけど、その目はまるで宝石のように綺麗な光を放っていて、俺はほんの一瞬、その姿に心を奪われた。
まるで主の御威光に靡く信者のように、スコープをじっと覗き込んだまま、体の動きを止めてしまったのだ。

そしてそのせいで、俺は自身の存在をバラしてしまう事となった。
まあ、具体的には、

“彼女”と、目が合った。


「――――――――――!」

瞬間、俺は我を取り返し、銃を下げる。
何故こんな所に“彼女”が。
そう思うより先に、咄嗟に姿勢を崩し、出口の方へと駆け出した。

―――――だがしかし、それすらも既に遅かった。


――――――――――――ザンッ!


恐るべき彼女の一撃が、寸前まで俺のいた空間を薙ぎ払う。
微かに伝わる風圧が、その一撃の威力を示す。
理性ではなく本能が理解した。――――――――こいつは、怪物だ。

「ゆりっ!」

俺は入り口付近でまだ無線機を弄っているゆりの手を引き、無理やり走らせる。

「ちょっ、痛っ!な、なに?どうしたのよ急に!何が起きたのよ!」

ゆりは無線機を片手に、慌てて俺の走りについてくる。
慌てているゆりの様子を見ると、答えてやりたくなる気持ちが湧いてくるが、残念ながら今はその質問に答えている暇はない。

何せ今俺達の後ろには“彼女”が迫っているのだから。

「いいから急いでくれっ!でないと“奴”が――――!」

―――――――――トン。

軽い、足音。
そして、その音と共に男子トイレの奥より出てきたのは――――――――。

「天……使…………?」

それは、色素の薄い髪をした、まるで幼女のように無垢なる少女。
どこからともなくやって来て、俺達を薙ぎ払う殺戮機械。
ゆりの長年の宿敵であり、戦線における永遠の敵。

“彼女”―――――――――――天使だった。


「………………なん、で…………………こんな、所に」

後ろを走るゆりが目を見開き、絶望にも似た声を漏らす。
それは俺も同じ思いだった。

なんで、こんな所に天使が?

「―――――足を止めるなっ!急ぐんだ!」

俺は内心の衝撃を押し殺し、呆然としているゆりを引きずるように連れ出して、階段の方へと降りていく。
階段は全て三段飛ばしで駆け下りて、猛烈な勢いで走り去る。

だが、先程無駄に立ち止まって消費したロスは大きい。このままでは、いずれ彼女に捕まってしまうだろう。
そうすれば天使は、右手の剣で足を裂き、動けなくなった所を銃で止めを刺すに違いない。

俺はともかく、ゆりをそんな目に合わせる訳にはいかなかった。
ゆりのいなくなった戦線など、烏合の衆でしかない。頭を失った生き物の末路など、高が知れている。
だから、それだけは絶対に避けないといけない。

だから、この場で俺に出来る最良の方法は――――――。

「―――――――衛宮、君?」

突然足を止めだした俺に対し、ゆりは声をかける。

「―――――ごめん、ちょっと用事が出来た。先に行っててくれないか」

「用事って、こんな時に一体何を―――――――ッ!」

言っている最中に、ゆりの顔色に理解の色が差す。
俺が、唐突に用事があるなどと言った理由、その訳。
それは―――――

「…………まさか、特攻するつもり?」

天使に対し、足止めを行う事だった。

「無茶よ!今ここで貴方というスナイパーを失うのは惜しいわ!ここは一旦引いて再起を―――」

「無理だ」

俺は、ゆりの言を無造作に切り捨てる。

「本当は、ゆりだって分かってるんだろ?このままじゃ、いつか絶対に彼女に追いつかれる。だから―――」

俺はゆりに対してくるりと背を向け、階段の上へと昇っていく。
後ろは、見ない。

「俺が、囮になる。その間に、ゆりは逃げてくれ」

「――――――――!」

ギリリリ、と歯の食い縛る音がする。
きっとゆりの中で、葛藤が芽生えているのだろう。
ここで俺を見捨てて生き残るか、それとも俺と共に脱落するのかを。

―――――――――そして、遠からず答えは出た。

「…………ごめんなさい」

震えるような、小さな声。
その声は、余りにも卑小で、悲しかった。

そんなに悲しそうな声を出すなよ。そう俺は言ってやりたかった。
これが一番正しい方法なんだ。ゆりが悲しむ事など、何もない。そう言って、悲しむゆりを慰めてやりたかった。
だって、誰かの悲しむ姿は見たくない。特に、俺が原因だというならなおさらの事。

だが、そんな事はゆり自身も分かっている事だろう。
これが最善の方法で、俺自身納得のしてる事なのだという事を。

だから、言えない。言っても、何の意味もない。
だってゆりは、全部分かった上で悲しんでいるのだから。

でも、だからだろうか。
俺は、自分でも馬鹿だなと思う事言葉を、付け加えたくなったのだ。


「――――――ああ、そうだ」

後ろで、ゆりの振り返る音がする。
その顔はきっと、悲しみに歪んでいるのだろう。

「――――――足止めするのはいいんだけどさ」

だから俺は、この声がゆりに届いていると信じて、言った。


「――――――別に、あれを倒しちゃっても構わないんだろ?」


自信過剰なその言葉。だが別に、何か勝算があるわけじゃない。
俺の得物は室内戦には向かないし、なにより相手はあの天使だ。勝てると思うほうがどうにかしている。

だが、それでも俺はゆりのため、ゆりの後悔をほんの少しでも和らげるために、そんな事を言った。
ゆりはほんの少し息を呑むような音を出し、少しぎこちないながらも笑顔を見せ、言った。

「――――――――――――ええ。天使に一泡、吹かせてやって頂戴」

俺の思いこみだろうか、それとも単なる願望だろうか、その声からは少し、悲しみの色が薄れているような気がした。

だが、思い込みでも、願望でも、幻聴だって構わない。独り善がりだと罵られたって構わない。
それでも俺は、俺がゆりの役に立てたんだと、胸に誇りを抱きたい。
俺のこの単なる意地が、ゆりの負担を減らす事が出来たのだと、そう信じてみたいのだ。

だから俺は、拳を挙げてゆりに言う。
絶対の自信を持った、その声で。


「――――――ああ、まかせとけ」






[21864] 学園祭編 四、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/07/27 21:17


――――――――――――カツン、カツン、カツン。


俺の靴音が、誰もいない廊下に木霊する。

今更、その音を隠そうとは思わない。
俺達が階下へと逃げていった事はすでに向こうに知られているのだ。だったら、今更音を隠す事に何の意味があるだろうか。
それに、音を隠した事によって俺を見失った天使が、俺の代わりにゆりを見つける羽目になれば本末転倒という奴だ。

だから俺はむしろ、俺という存在を誇張するように、わざと大きな音をたてて歩き出す。


――――――――――――カツン、カツン、カツン。


俺は無言の内に、しかし決して警戒は怠らず階段をどんどん上がっていく。

天使はまだ階上にいるのだろうか。だとすれば、少し遅い。
前回俺と対峙した時の敏捷さをもってすれば、すでに出会っていてもおかしくはないのに。
何故俺は、未だに彼女と出会わないのだろうか。

疑問が、首をもたげる。



―――――――――――――――――――――――――カツン。


だが、そんな疑問を打ち消すように、誰もいないはずの廊下に、誰かの靴音が木霊した。

俺は、思わずその場に立ち止まる。
今の靴音は俺の立てたものではないし、かといってゆりの立てたものでもないだろう。
何せ、ゆりはすでにどこかへと逃げ去った後だろうし、ここまで来る理由がない。
そして何より、音は階上から聞こえてきた。階下へと行ったゆりが出せる訳がない。

俺は、つと階上へと目を走らせる。
窓から差し込む夕陽の光が、俺の目を軽く焼く。
慌てて目を腕で覆い隠し、日の光から目を守る。
だが、腕で目を隠すその直前、俺は完全に階上に立つ人物の姿を捉えた。

小柄な体躯、腰までかかるような長い髪、そして逆光でも感じられるあの美貌―――――。
ほんの一瞬だったが、見間違えるはずもない。あの階段の上にいるのは―――――――。


「―――――――――」

「………………………」


俺たち戦線の敵―――――天使だった。


天使は優雅な足取りで悠々と階段を降りてくる。

その様は、差し込んでくる夕陽の光と相まって、まるで何かの宗教画の一画のようでさえあった。

「………随分と余裕じゃないか。獲物を狩るのに歩いてくるなんて」

俺は緊張で身を強張らせ、いつでも弾を放てるようにセーフティを外して引き金に指をかける。

「……………」

天使は、何も答えようとはしない。
それが、元から答える気がないのか、それとも答えようと考えているのかは、その表情からは読み取れない。
ただ無表情のまま、淡々と階下へと降りてくる。
その様子に、何かを気負った様子はない。俺は、敵とさえ認識されていないのだろうか。

――――――だが、そんな事は関係ない。たとえ相手が俺の事をどう思おうと、俺のやる事は変わらない。

「それ以上動かないでくれないか。俺はなるべく、女性に銃なんて向けたくなんてないんだ」

言いながらも、俺は天使に銃口を突きつける。
天使は、ピタリと足を止めた。

正直、誰であろうと銃口を向ける事に忌避感を覚えないといえば嘘になる。が、しかし今はそんな事を言っている余裕はない。
目の前にいるのは、長年戦線を一人で圧倒してきた天使なのだ。油断なんて、出来る訳がない。

「…………それは、男女差別じゃないのかしら」

―――――天使が、初めて俺と会話した。何だ、ちゃんと話せるんじゃないか。

戦線の皆は天使の事を、まるで話の通じない狂戦士のように話していたが、本当はそんな事ないのかもしれない。
もしかしたら、会話だけで場を収める事が出来るのかも………。

―――――そんな事を考えていたからか、俺はほんの一瞬、彼女に対する警戒を緩めてしまった。
俺は本当に学習しない男だ。ほんのついさっき、そのせいで自分の居場所をばらしてしまったばっかりなのに。
だが、後悔先に立たず。俺は天使に対して、たとえ一瞬とはいえ隙を見せてしまった。

そしてその一瞬は、天使と対峙するにはあまりにも致命的だった。


「―――――――――なッ!?」

俺が考え事をしたその一瞬の隙を突き、天使が跳躍する。
それはまるでロケットのように、とてつもない勢いで垂直に飛び上がった。

ありえない軌道。どんなに天使の体が軽かろうが、人は垂直に飛び上がるなんて事は出来やしない。
意表を突かれた形となった俺は、天使の方へと向けていた銃口をあらぬ方へ向けながら、まるで痴呆症のように口をだらしなく開け、ただその跳躍を見つめるしかなかった。

『ガードスキル:ハンドソニック』

天使は呟くようにそう言って、天井を足で蹴り上げ勢いを殺さず俺の方へと猛攻を掛けてくる。

「――――――――ッ!」

反射的に、構えていた銃を引き、盾のように使って天使からの攻撃を防ぐ。
いつの間にか天使の腕から出ていた剣が、一刃の下に俺の狙撃銃を切り裂いた。

―――――――俺の考えが、甘かった。

フィッシュ斎藤から譲り受けた俺の愛銃が真っ二つに裂かれた時、俺はそう強く痛感した。
所詮、天使は話の通じる相手などではなかったのだ。
奴はただ、俺達を蹂躙するためだけに行動する殺戮マシーンに過ぎない。
でなければ、こうも俺達を目の敵にして襲ってくる理由が付かない。

―――――――奴は、怪物だ。

俺は無残に壊れゆく相棒を見つめながら、そんな事を思う。

だがしかし、その犠牲は無駄にはしない。

「――――――――ハッ!!」

俺は無意識下の内に、天使の攻撃後のほんのわずかな硬直を突き、天使の無防備な腹へと鋭い蹴りを喰らわした。

「―――――――ッッ!!」

メシリ、と嫌な音が鳴り、吹っ飛んでいく天使。だが、そんな光景も、俺を喜ばすには至らない。
何故なら、天使を蹴ったその感触が、まるで分厚いゴムの塊でも蹴ったかのように、硬く重たい物だったのだから。

「―――――なんて硬い体してるんだよ」

俺は蹴り上げて嫌な音を“立てた”足を見つめながら、そう呟く。
まあ、この世界では怪我なんてあってないような物だから、後遺症という点では何の心配もしていない。
だが、自分の足さえ嫌な音を立てる蹴りを受けた天使の方は………。

「…………女性の体を蹴り飛ばすなんて、酷い事するのね」

――――――なんの被害もなさそうな様子で立ち上がった。

「―――――おいおい、それこそ男女差別、って奴なんじゃないか?」

意識せず、口から言葉がこぼれ出る。
だが、口ではどんなに虚勢を張ろうとも、体の状態だけは隠しようがない。
今の俺は、突然の強襲を無理な形で防いせいか、息は荒げ、その視線は少々定まっていなかった。

我が事ながら、情けない。だがしかし、まだやれる。
少なくとも、今の天使の動きは目で追えないほどではなかった。
これなら、倒す事は出来ないにしても、あと少し時間を稼ぐ事くらいなら……。

「………本当は、貴方と遊んでいる時間なんてあまりないのだけど………」

そう言って天使は俺に対して向きなおり、構えを取る。

微塵も油断のない正眼の構え。上下左右どこからの攻撃にも対応できるその構えは、相対する者に絶大なプレッシャーを与えてくる。
ここでゆりや松下、椎名だったのならば、接近戦を挑む事も考慮に入れる事が出来たのだろう。
だがしかし、俺の剣士としての技量は天使に対して完全に下回っている。ここで接近戦を挑むのは無謀以外の何物でもない。

だったら、いったいどうやって時間を―――――――――――。
いや、駄目だ。そんな消極的な考え方では出来るものだって出来やしない。
やるからには、勝つ。その気概で臨まなければ、確実に負ける。
だからこそ今考えるべき事は、いかにして時間を稼ぐかではなく、いかにして天使を倒す事が出来るのかという一点のみ。

「………………………」

俺は考えを整理する。

俺の勝利条件は、天使のどこにでも好きな所にペイント弾をぶち当てる事。
そして敗北条件は、このまま俺がやられ、ゆりの所へと天使を向かわせてしまう事だ。

俺の手元には、狙撃銃は壊されてしまったものの、護身用にとサバゲーが始まる前に渡された自動拳銃――――グロッグ17がある。
軽くて丈夫で持ち運びやすいこの銃は、こういう狭い室内で振り回す分には狙撃銃よりも扱いやすい。
こいつを使い、どうにかして天使に一泡吹かせないと………。

俺が心の内でそう算段を付けた時、天使が、動いた。

「――――――――――フッ!!」

神速の踏み込み。
それはこの前見たような何かインチキくさいテレポートのようなものではなく、純粋な歩法のようで。

だがしかし、その動きを俺は完全に捉えていた。
そして、捉えている動きなら――――っ!

「――――――っと!」

――――――――――かわす事だって出来るのだ。

俺は、あまり優雅とは言えない足取りで距離をとる。
だが、戦いに優雅さなんて物は必要ない。必要なのはただ、勝つための貪欲なまでの意志。
そしてその意志を、俺はこれ以上ないと言うほど持っている。

――――いける、いけるぞ。このままかわし続ける事だって、今の俺なら出来るだろう。
俺は足手まといなんかじゃない。俺は、やれるのだ。

「―――――――――ッ!!」

俺は素早く身を引いて、爆転の要領で一気に天使から距離をとる。

そして、距離をとってしまったからにはこっちのものだった。

「―――――――シッ!」

俺は体勢が整えきれないまま、ひざを立てた座射の格好で、天使の方へと牽制を放つ。
――――――――キンッ!
比較的軽い音と共に音速で迫り来る弾丸を、天使は事も無げに捌いてみせた。


――――――ここまでは想定通り。
もとより牽制で倒せるほど甘い相手等とは思っていない。
これで倒れるくらいなら、長年戦線の敵などやってはいないだろう。

だからこそ、次で決める―――――っ!

「だぁああああああ!!」

ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!

両手両足と頭を同時に狙った容赦のない五連打。
それは銘々の方向へと音の速度で飛びさった。

銃を撃ちだした反動が腕に手痛い衝撃を与える。
例え一発の銃弾を弾く事は出来たとしても、別々の方向へ飛ぶ五発の弾を同時には防げまい。
そして、どれか一発でも当たった時、俺の勝利が確定する。

だが―――――――。

「―――――――――フンッ!」

―――――――――それすらも、天使には通じなかった。

「―――――貴方の射撃は、正確すぎるわ。その視線を見るだけで、狙っている所が分かる位に」

余裕気な発言と共に、振り切った剣を振り戻す天使。
その剣はいったい何で出来ているのか、いくつもの銃弾に当たりながらも一つの焦げ目すら付いていない。

「ご忠告どうも……」

対する俺は、渾身の五発が不発に終わったという事実に、打ちのめされた。
駄目だ……。こいつには、勝てない。
後ろ向きな思考が脳裏に過ぎる。
―――――――俺は、天使には勝てない。

だが、それでも―――――――ッ!

「時間を稼ぐ位ならっ―――!」

弾倉の弾には、まだ幾許かの余裕がある。
今俺に出来る事――――それは、飽和攻撃による時間稼ぎ!

「はぁぁあああああ!!」

一発、二発、三発、四発、五発、六発!

俺は弾倉に残る弾丸をありったけ撃ち込みながら、じりじりと後ろへ退いて行く。

七発、八発、九発、十発、十一発、十二発!

宙に無軌道を描く弾道は、先程の天使の忠告も加味されて、一発として同じ軌道を描きはしない。

―――――――だがしかし、それでもやはり、天使に銃弾が届く事はなかった。

(………いや、届けさせる必要なんてない。大事なのは、今こうやって攻撃している間だけは天使も攻撃が出来ないって事だ)

攻撃は最大の防御。こうやって攻撃している間だけは、いくら天使といえど銃弾を弾き返す事に専念するしかない。
だから、こうやって攻撃し続けていればいくらだって時間を………。


―――――――という俺の甘い見込みは、ほんの一瞬で砕け散った。


「―――――――って、なぁっ!」

俺が弾倉を交換するほんの僅かなその隙を突き、天使が突撃を仕掛けてきた。
想定よりも速い速度。その攻撃に容赦はなく、俺はただ必死の思いでかわす他なかった。

「―――――――――」

だが、天使は初撃がかわされる事を予想していたのだろう、振り切った剣の威力を殺さずそのまま一回転し、連続して斬撃を放つ。
必然、一撃目の威力に回転の力を足したその斬撃は、一撃目よりもはるかに重い。
襲い掛かる刃は、さながら獲物の咽喉元に喰らい付く蛇のような柔軟さをもって迫り来る。

『ガードスキル:ハンドソニックVer.2』

さらにいったいどういう絡繰か、天使の持つ剣の刃が伸びた。
さっきまでの剣を短剣とするなら、今ある剣はまさに長剣。
小回りを犠牲にする事によって、長大なリーチと莫大な威力を得た天使第二の剣。
それはまるで踊っているかのような優雅さで、もたついている俺の首を刈りに来る。

「――――――――」

―――――失敗した。こうなる事は予想してしかるべきだったのに。

確かに飽和攻撃は効果的だが、それでも一人でそれを成すには少々銃の種類が問題だ。
グロッグ17は名前の通り弾倉に17発もの弾丸を入れる事が出来るが、それでも自動拳銃なのだ。
火力も低いし連射性にも限度がある。いい銃なのだが、天使を相手取るには多少役不足の感がある。
だからこそ、ここは飽和攻撃ではなく一発一発を慎重に狙い定めるべきだったのだ。
慎重に狙いを定め、確実に天使の頭をぶち抜くべきだったのだ。

それなのに俺は、失敗した。

やはり、時間を稼ごうという消極的な態度が、この失敗を招いたのだと俺は思う。
そんな消極的な態度で臨んだからこそ、俺は今、こうして目の前の怪物にやられてしまう。


恐怖が俺の脳味噌を麻痺させる。全ての物事が色褪せ、遅くなる。

―――――ああ、また“あの感覚”だ。

頭のどこか冷静な部分が、正確に状況を把握する。
そうだ。この感覚は“あの時”の。

思考は少し過去へと遡り、初の天使との邂逅を想起させる。


――――――――――ごきげんよう。

天使はそう言って、俺達の前へと現れた。

――――――――――そして、

恐るべき力を持つ彼女は、圧倒的な力で俺達を蹂躙し、追い詰めた。

――――――――――さようなら。

そしてその言葉と共に、俺を葬る“はずだった”。


―――――――そう、“この感覚”が来なければ。



天使の振るう剣が、さながら死神の持つ鎌のように俺の喉元を撫で斬りにするその瞬間―――――――――――俺は、目覚めた。


「―――――――――あ」


天使の瞳が、僅かに見開く。
恐らく、彼女は気付いたのだろう。
今の俺が、先程までの俺でない事に。


「――――――――――――――――――――――」


体中が悲鳴を上げる。
これ以上は無理だというように。


「――――――――――――――――――――――」


左腕が焼けるように熱い。
だが、その痛みさえ今の俺を止められない。


「――――――――――――――――――――――」


わずかな理性が崩れていく。

最後のブレーキが、今壊された。


「――――――――――――――――――――――」


そして俺の腕には――――――――一本の剣が握られていた。



「………ま……か、貴……も……――――を?」


目の前の天使が、俺に何かを言ってくる。
だが、聞こえない。まるで罅割れたかのように拡散し、音としての役割を果たさない。

―――――何を、言っているんだ?もっと、はっきりと、話せ。

そう言おうと思ったが、何故だろう、声が出ない。
ただ、口元が吊り上っていく感触だけが、鈍くなった感覚の中で妙にはっきりと残る。

「……だっ………ら……何……………?」

―――――駄目だ。ノイズはどんどん酷くなり、もうほとんど何も聞こえない。
天使が何を言っているのか、今の俺にはもう分からない。

耳は駄目になり、視界も割れ、鼻はとうの昔に利きやしない。
だがしかし、手先の感覚だけはやけにはっきりと感じられた。
いつの間にか俺の手に握られていた剣。それは不思議と俺の手に馴染んでいて。



俺は、手の中の剣を、天使へと向け―――――――――――――――。




―――――――――――――――そこで俺の意識は途絶えた。







[21864] 学園祭編 五、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/08/04 01:49


―――――――――そして気が付いた時、辺りは暗くなっていた。


「―――――――――え?」

俺はいったい何が起きているのか理解できず、言葉を漏らす。

俺の尻の下には、ふかふかとしたやわらかい感触。
どうやら俺は、ベッドに寝かされているらしい。

「…………いったい、何が………?」

俺は未だにぼやけた頭で必死に辺りを見回した。

俺の目に映るのは、薄明かりの電灯に照らされた真っ白なシーツと、それが掛けられている真っ白なベッド。
それに、ベッドを囲うように広がった清潔で薄いカーテン。
そういった内装を見るに、どうやらここは、保健室のようだった。

何で俺は、保健室なんかに………?

俺は気を失う前の事を思い出そうと考える。
そう、俺はたしか、サバゲーに出て………ゆりと一緒に狙撃をして……………天使が襲い掛かってきて………それで…………。
それで…………?それからいったい、何があったんだっけ。

………思い出せない。俺は、いったい何を………?

そこまで考えたその瞬間、俺は部屋に漂う不思議な香りに気が付いた。

それは言いようのない甘い匂い。だがしかし、決して不愉快ではないその香り。
しかもこの香り、どこかで嗅いだ事のあるような……。

そう考えて、俺はふと右腕にかかる僅かな違和感に気が付いた。

「――――――――――――ッ!?」

俺が右腕の方へ顔を向けると、そこには――――

「遊、佐………?」

静かに眠る、無防備な遊佐の寝顔があった。

「…………………………すぅ」

ほんの微かな寝息の音。
その様は普段のクールな姿と相まって、とても可愛らしい。

「…………ははっ」

そんな遊佐の寝顔を見ている内に、俺の中にあった不安や焦燥の気持ちが薄らいでいく。
何でこんな所に遊佐がいるのかは分からない。
けど、なんというか、安心したのだ。

俺はそっと、遊佐のまるで金糸のように波打つ髪に手を伸ばす。
サラサラとした、心地よい感触。
絹糸を触っているかのようなその感触に、俺は一時陶酔する。
ああ、女の子の髪とはこんなにも素晴らしい物なのか。

「…………………………ふぇ?」

――――――だが、俺がそんな行動をしたせいか、遊佐が起きだしてしまった。

「あ、悪い。起こしちまったか?」

俺は少し罪悪感を感じながらそう謝る。
だが遊佐は、そんな俺の言葉さえ聞こえていない様子で辺りを見渡し、右を見て、左を見て、最後に俺の方へと視線を戻し、

「…………………………………衛宮、さん?」

と、呆然とした面持ちで、そう呟いた。

「あー………………、そうだけど…………もしかして遊佐…………寝ぼけてるのか?」

…………………………。
尋ねる事数秒。
遊佐の呆けたような瞳が一瞬見開き、そして次の瞬間、こちらが心配になるほど急激に顔を赤らめた。

「……え………あ…………えぇ?」

口をパクパクと開閉させ、赤い顔のまま何事かを話そうとする遊佐。
普段の態度を思えば、その焦っている様子さえどことなく可愛らしい。
けど、さすがにいつまでもそうさせておく訳にも行かない。
俺はもう少し見ていたい欲求を抑えながら、ゆっくりと遊佐へと話しかけた。

「大丈夫か、遊佐。ほら、落ち着いて」

なるべく安心させるような声を出そうとするが、どうしても少しぎこちなさが残ってしまう。
だが、そんな格好悪い所を見せてしまったにもかかわらず、遊佐は少し安心してくれたようで。

「………す、すみません。もう大丈夫です。落ち着きました」

まだやや頬を上気させたまま、伏せ目がちにそう言った。

「ああ、その、うん。なら、いいんだけどさ」

「………ええ。………………はい、もう、大丈夫です………」

「……………そうか」

「……………ええ」


「「…………………………………………」」


遊佐は多分、寝顔を見られたことが恥ずかしいのだろう。
そして俺は、そんな遊佐にかける言葉が見つからない。
結果、そのまま押し黙った俺と遊佐。

少々居心地の悪い雰囲気が、俺達の間に横たわる。
さすがに、いうまでもこんな空気の下でいつまでも過ごしたくはない。
だから俺はその状況を打開するため声をかけようとして、


「「あ、あの………」」


遊佐の声と、重なった。

「あ、わ、悪い。先に言ってくれ」

「あ、その、いえ。私は、たいした事が言いたかった訳じゃないので、衛宮さんが先にどうぞ」

「いや、別に俺もたいした事話しかった訳じゃないんだ。ただ、その………」

俺は声が被った事に少し焦りながらも、必死に問いを模索した。
この停滞した空気を打開する、最良で最適な質問。それは―――――。

「………なんで遊佐が、ここにいるんだ?」

って、それじゃあ遊佐がここにいるのが迷惑みたいじゃないかっ!

「って、別に遊佐が居てくれた事が迷惑って訳じゃなくて、いやむしろ大変心強いし嬉しい事なんだけど―――――っ!」

だが遊佐は、必死に弁解をしようとした俺に、ただ呆然とした面持ちを向けてきた。
まずい、呆れさせてしまったか。そう思ったが、どうやら少し様子が違う。
たしかに呆れてはいるようだが、その対象はさっき言った言葉の内容というよりは、俺自身に向けている感じがした。
俺はその様子に少し違和感を受け、口を噤む。

そして遊佐は、口を噤んだ俺の前で、ポツリと呟いた。

「衛宮さん。もしかして……………憶えてないんですか?」

「…………………………へ?」

俺は、間の抜けた声を漏らす。

えっと………何を?

「私、衛宮さんがいったん起きだして時にその説明しましたよね?サバゲーで倒れた衛宮さんが心配だったからお見舞いに来たって」

そして遊佐は、近くの机の上に置いていた見舞いの品と思しき物を手元に掲げ、俺の方へと見せ付ける。

あれ?そんな事あったか?
俺が始めて起きだしたのって、ほんのついさっきだよな。
あれ?俺の認識と食い違ってる?

だが俺は、先程遊佐が言った言葉の中に、一つだけ聞き逃せない言葉が混じっていたのを聞いていた。

「………すまん遊佐。話の腰を折って悪いが、俺がサバゲーで倒れたって?」

「……………そんな事も忘れてしまったんですか?本当に大丈夫なんですか?サバゲーの時にどこか頭でも打ったんじゃ………」

「いや、今どこも頭なんて痛くないから大丈夫だ。それより、俺はいったいどこで倒れたんだ?たしか、天使を迎撃しようとした所まではちゃんと憶えているんだけど………」

というか………。

「そもそも、いったいサバゲーはどうなったんだ?………俺達は、勝ったのか?」

「それは…………」

言って、言葉を濁す遊佐。
な、なんだ………?結局、どっちが勝ったんだ………?

もしかして、俺達は…………。

「………試合の上では、勝ちました。衛宮さんの天使に対する遅延行動が功を奏して」

………………………………………よかった。
どうやら俺は、天使に一泡吹かせる事が出来たようだ。
これでゆりに対する面目も保てたってもんだろう。

………でも待てよ?今遊佐は、試合の上では、と言わなかっただろうか?
試合の上“では”?

「…………試合の上では、って事は、他の何かで俺達は負けたのか?」

俺の問いに、遊佐は静かに一つ肯いた。

「………はい。たしかに試合の上では勝ったのですが………………その……賭けの売り上げをほとんど生徒会の連中に奪われてしまって……………」

「あー、…………それは………………なんとも………」

つまり、試合に勝って勝負に負けた、と言う事か。

本作戦の目標は試合に勝つ事だったが、その目的は天使の鼻を明かし、試合に賭けた金を独占する事だった。
それが逆に、賭けた金を生徒会側に独占されたとなれば、それはむしろ天使に鼻を明かされた形となるだろう。

「………おかげで今ゆりっぺさんは怒り心頭で、荒ぶっています」

遊佐のその言葉に、あちゃー、と手で顔を覆う俺。
うわ、何でだろう。すごく簡単にその様子が想像出来る。
机の前に仁王立ちして周りに何事か言いまわるゆりと、それを気まずげに黙っている皆が。

「………すみません」

「え?」

俺がゆりの取っているであろう態度を想像してこれからどうしようと頭を悩ませていると、何故か遊佐が謝ってきた。

「何で遊佐が謝る必要があるんだ?どっちかというと、試合が終わった後ずっと寝てた俺の方が皆に謝らないといけないと思うんだが」

「………いえ、衛宮さんは自分の仕事をきっちりこなしました。誰からも批判される謂れはありません。……でも、私は………っ!」

悔しそうに、顔を俯ける遊佐。
その様子に、俺は声をかけざるを得ない。

「…………遊佐は、いったいどうしたんだ?」

「…………私は、自らの責任を果たせませんでした」

……………遊佐曰く、賭け券売り場の責任者は遊佐自身だったらしい。
なんでも何故か戦術オペレーターから急に外された代わりに急遽責任者となったとか。
そしてそれが丁度運の悪い事に、生徒会側の襲撃と重なり、なす術もなく売上金を奪われたという。

その事を聞き俺が初めに思った事は、遊佐は別に悪くない、という事だった。

「………いや、それは別に遊佐のせいって訳じゃないだろ。たぶん、他の誰が責任者になっていても変わらなかったと思うぞ?」

襲撃をかけてきた生徒会側の人数は、十名を超えていたという。
そもそもNPCを攻撃する事は出来ないし、たとえ出来ていたとしても一対十では些か以上に分が悪い。
戦闘班である俺でさえそうなのだから、頭脳班である遊佐にはかなり厳しいだろう。

「………それでも、です。一度役職についたからには、その責任を全うしなければなりません」

どこか悲壮さを湛えながら、遊佐はそう呟く。
その様子から、遊佐の必死の覚悟が伝わってくる。

「………それは、たしかにそうかもしれない。でも――――」

たしかに、遊佐は失敗してしまったのかもしれない。
それはもしかしたら、取り返しの付かない事なのかもしれない。
でも―――――。

「――――だったらさ、ちゃんとゆりの所に謝りに行こう」

「――――え?」

「たしかに遊佐には、今回の事に少しばかり責任があるのかもしれない。だから、まずはちゃんと謝ろう。それでちゃんと経緯を説明して、そんなもん遊佐一人では無理だった事を証明してさ、許してもらおう」

まあ、それでも許されなくてゆりに怒られるんだったら、俺も一緒に怒られるからさ。

俺は軽く頬を掻きながらそう付け加えて、遊佐の方を見る。
対する遊佐の瞳の中には、驚きと困惑の色があった。

「………あー、というか、それが迷惑だって言うのなら俺も何もしないけどさ」

「い、いえ。迷惑だなんて、そんな。……あの、そうじゃなくて、その、謝りには、もう行ったんです」

………あ、なんだ。そうなのか。
だったらなるほど、遊佐が困惑するのも分かる。
もうすでに行ったのにもう一度行くかと言われても困るだろう。
つくづく俺は鈍い奴だ。少し恥ずかしい。

「…………でも、その言葉は、嬉しかったです」

「………………え?」

「い、いえっ。何でもありません!」

遊佐はそれっきり顔を横向け、照れたようにそっぽ向く。
でも、俺の耳が確かなら、さっき遊佐は嬉しかったって………。

………いや、それは言わぬが花って奴かな。
何となくだけど、今それを指摘すると大変な目に逢う気がする。
これも生前の経験だろうか。まあ、記憶のない今の俺には計り知れない事だけど。


そうして俺はあえて何も言わず、ただ遊佐の可愛らしい横顔を眺め続けた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



そうして俺が遊佐の少し赤らんだ横顔を見ながらしばらくのんびりしていると、突然珍事が舞い起こった。

それまではまったく音のしなかった校舎内に突如ヒュルルルル、と空気の擦れる軽い音が鳴り、ドンッ、と腹の底に響くような重い音が鳴り響く。
それは幾重にも重なって響き渡り、まるで迫撃砲の連射を受けているかのよう。

俺は咄嗟にベッドから跳ね起きようと縁の方へと手を突いた。

「な、なんだ!?敵襲かっ!?」

―――がしかし、手はそれ以上動かない。いや、正確にはそれ以上動けない。
何故ならそれは、遊佐の華奢で小さな手が、俺の手を優しく包み込んでいたからだった。

「………ようやく始まりましたか」

「………………遊佐?」

俺は訝しげに遊佐の方を見る。
不審な音は今もなお続いており、その脅威は決して去っていない。
遊佐にその危険性が分からないとは思えないのだが……。

「大丈夫です。これは敵襲なんかではありませんよ」

「敵襲じゃないって、じゃあ………」

いったいなんなんだよ、と続けようとして、俺は口を閉じる。
何故ならばあのいつも無表情を貫いている遊佐が、楽しそうに笑いながらこちらを見ていたのだから。

「外に行ってみれば分かります」

若干の笑いを含んだ遊佐の声。
遊佐自身の手は保健室の入り口へと向けられており、廊下に行けば全てが分かると言いたげだった。
俺は不審半分、好奇心半分の様子で保健室の扉を見つめる。が、見つめているだけでは何も進展しない。
だから俺は、仕方なく遊佐の腕を借りながらものっそりと立ち上がり、保健室の入り口を開け放った。


* * * * * *


―――――――最初に目に付いたのは、少し古びた校舎の窓。
それは綺麗に透き通ってはいるものの、どこか埃っぽさを感じさせる。
だが、そんな些細な物は、すぐに俺の意識の外へと消え去った。
何故なら―――――。

「――――――」

保健室を出た廊下の窓の外には、夜空に咲く大輪の花――――様々に光り輝く花火が広がっていたのだから。

「これは………」

咄嗟に、言葉が出ない。
俺は目前に広がるこの光景に、思わず感嘆の溜め息を付いた。
色とりどりの花火の形はどこか少し歪んではいたものの、その美しさは微塵も衰える事はなく、俺達を魅了する。

「………綺麗だ」

「………ええ。本当に」

いつの間にか隣に立っていた遊佐が、俺の言葉に応じてくる。
その様子は平静そのもので、遊佐はただ俺と同じように夜空に浮かぶ花火を見つめていた。

「こんな物、いったいどうやって作ったんだ?」

「なんでも、ゆりっぺさんがサバゲーの時に使うダイナマイトをギルドに頼んだ時、チャーさんがついでに作ったそうです」

ついでに、って………たしか花火って、専用の資格とかないと犯罪に…………まあ、銃器を作り出している時点で今更か。

「……チャーさんって、万能だよな」

「私は、衛宮さんも大概だと思いますけどね」

「俺なんて別に………。たいした事出来る訳じゃないし、器用貧乏って奴さ」

俺は、少し自嘲気味に哂う。
所詮、俺に出来る事など高が知れている。
多少料理が出来て、多少射撃が巧いだけだ。
いつも皆に迷惑ばかりかけているし、天使にだって結局一度も勝ててはいない。
そんな俺が、なんで己を誇る事が出来ようか。

「そんな事、ないです」

だが遊佐は、そんな俺に対して断定するように言い切った。
その瞳には強い意志が垣間見え、言われているこちらがうろたえてしまう様な、ある種の迫力があった。

「衛宮さんは、凄いです。いつも料理が美味しくて、天使とやり合って引き分けて、スナイパーとしても一流。ちょっと無愛想ですが、優しいし、気配りが出来る。力も強いし、頼んだ事はしてくれます」

次々と、俺の事を褒めだす遊佐。
だが褒め慣れていないせいか、その事が少々むず痒い。

「他にも、もっともっといっぱい良い所が、衛宮さんにはあるんです。だから、もっと自分に自信を持ってください」

そう言い切って、遊佐は顔を窓の外へと急いで向けた。
その耳は日も暮れているのにそれと分かるほど赤く染まり、先程の言葉が遊佐にとって如何に恥ずかしかったかを物語る。

俺はそんな遊佐に対し、心からの気持ちを込めて、言った。

「………ありがとう、遊佐。そう言ってもらえるだけで、俺は嬉しいよ」

言って、遊佐の頭へ腕を伸ばす。
遊佐は俺の手を嫌がる事もなく受け入れ、身を任せた。
触れた遊佐の金の髪は、やはり極上の手触りを以って俺の掌を刺激する。
暫し、頭を撫でるだけのゆったりとした時が過ぎる。
一際大きな紅の花火が、俺達の体を照らし出した。

下から、学生たちの騒ぎ出す声が響く。
それらには、純粋に花火を褒めている者もあったし、ただ場のノリに合わせて騒いでいる者もあった。

「…………………衛宮さん」

そして、そんな雑音を背景に、遊佐は髪を撫でられながら、隣にいる俺へと声をかけた。
それは、周りの雑音に掻き消えてしまいそうな程にか細い声。
だけどそれは、確実に俺の耳に届いて。

「なんだ、遊佐?」

遊佐の潤んだ瞳が、俺を捉える。
その得も言われぬ雰囲気に、俺は自然と押し黙った。

「「………………」」

心なしか、二人の距離が近づく。
遊佐の顔は花火の照り返しを受け、その色を変える。
赤、青、緑、黄。様々な色合いは交互に入り乱れ、輝いては消え、消えては輝いた。
そんな中、遊佐は一時も俺から視線を外さず、熱心に見つめている。
間近で見る遊佐の顔は遠くで見るよりずっと綺麗で、俺は少しドキドキした。

「ゆ、遊佐………?」

一歩、遊佐が無言のままに間隔を狭める。
そのせいで、俺達の距離は殆ど密着した状態になった。
だが、遊佐がその事を気にした様子はない。

さすがに俺はこの距離は拙いだろうと、意図的に距離を離そうとした。
するとその時、殆どぶつかり合うくらいまでの距離にいた遊佐の方から一瞬、女の子特有のあの不思議な甘い香りが漂ってきた。
その匂いに、俺は思わず足を止めてしまう。
しかし遊佐はそんな俺の隙を逃さず、さらに一歩を踏み込んだ。

「衛宮さん…………」

ほとんど抱き合うような格好になってしまった遊佐が、俺の瞳を下から覗き込むように見つめながら、何かを言おうとする。
―――――――待て、待ってくれ。
状況の変化についていけない俺は、そう言って時間を稼ごうと画策する。
しかし、こと戦術においては遊佐の方が一枚も二枚も上手。俺がまだ混乱している内に、遊佐は電撃作戦を仕掛けてきた。

「私、本当は――――」

遊佐のふっくらとした可愛らしい唇が、言葉を紡ぎだそうと蠢いた。
その蠱惑的なまなこに、思わず視線を吸い寄せられる。
――――ああ、いったい何が起こっているのかは分からないけど、遊佐は今、本気だ。
――――本気で今、俺に何かを伝えようとしている。
――――だったら俺も、本気で応じなきゃいけない。でないと、遊佐に失礼だ。

俺は心の中で覚悟を決め、遊佐に面と向かって対峙する。
遊佐は、ほんのりと紅く染まった顔をこちらに向けながら、意を決したように声を出し――――

「そんな衛宮さんの事――――――っ!」


「―――――あれ?ようやく起きたのか二人とも」


―――――まるで狙っているかのように現れた、日向の声に掻き消された。


あまりにも突然の事態に、思わず遊佐は言いかけていた言葉を止め、呆然とした面持ちになる。
そして徐々に事態を理解し始めたのか、その表情はどんどん色をなくしていき、ついには能面のような顔付きになった。
だがしかし、その事に日向は気付かない。ただ自分の都合を呑気に語りかけてくる。
遊佐はそんな日向の顔面に向かって―――――――。

「いやぁ、さっきまで二人とも寝てただろ?起こすのも悪いと思って、これでも結構長い事待ってたんだぜ俺。あ、でさぁ、なんで俺が二人を待ってたかって言うと、さっきゆりっぺが二人を呼んで来いって――――」

「――――――フンッ!」

――――――思いっきり拳をめり込ませた。

「ゲボァッ!」

軽い平手打ちとかじゃなくて、腰の入った重い拳。
しかも殺傷力をあげるためか、微妙に中指の間接を突き出した握り方をしている。

いくら死のない世界とはいえ、痛みは依然として存在する。
案の定日向は殴られた顔面を押さえながら、そこらを転げ回っていた。

「痛ェッ!顔がめちゃくちゃ痛ェッ!もげる!俺の顔がもげる!誰か、誰か新しい顔をくれ!」

「うるさい黙れ幼児体形愛好者(ロリコン)」

あまりの痛さに廊下を転がる日向に対し、遊佐は文字通り日向を見下しながらそう言った。
日向は顔を押さえているせいで見えないが、その瞳は永久凍土のように冷たく凍えていた。

「って俺のどこが幼児体形愛好者(ロリコン)っ!?違いますから!言っとくけど全然違いますから!むしろ俺の好みはボンキュッボンでグラマラスなお姉さんですからっ!ツルペタには欲情しませんからっ!」

「ハッ、将来なんの凹凸もないような女と(ピー)するくせに白々しいですね」

「はいそこメタでアウトな発言禁止ぃいいいいいい!!!」

痛みにもう自分でも何を言っているのか分からなくなりつつある日向が、押さえていた腕をどけて救いを求めるように俺の方を向く。

「衛宮からも何か言ってやってくれよ!俺は幼児体形愛好者(ロリコン)なんかじゃないってさぁ!」

生前にやっていた、とある金融機関のCMで出てきたチワワを想起させる瞳。
俺はそんな日向からの救助要請に、安心させるような笑みを持って答える。

「大丈夫だ日向!幼児体形愛好者(ロリコン)でも恥ずかしがる事なんてないさ!むしろそれは一種のステータスだ!誇れ!」

「っておいいいいい!!止めろよ、俺はそういうフォローを期待してたんじゃないんだよ!それじゃあまるで俺が本当に幼児体形愛好者(ロリコン)みたいじゃねぇか!」

「え?違うのか?」

「違うよっ?!何で俺がそんな風に思われてたかは知らないけど、俺は普通の趣味の持ち主だからね!?」

「ああ、なるほど。日向の中では幼児体形愛好(ロリコン)は普通の趣味なのか。日向の中では」

「だーかーらー!衛宮も遊佐も誤解してるんだって……」

「幼児体形愛好(ロリコン)が移るので話しかけないでください」

「移らねぇよっ!……じゃなかった、もとから幼児体形愛好者(ロリコン)じゃねぇよっ!」

だが日向は遊佐のその態度を変える事は不可能と判断したのか、がくっと項垂れて諦める。
その背中には、中年サラリーマンの持つような哀愁が漂っていた。

「………なぁ。最近俺って、こういう扱い多くね?」

「諦めろ、日向。お前はそういう星の下に生まれちまったんだよ」

俺は日向に慰めの言葉をかけつつ、そっと遊佐の方を見る。
どうやら日向を弄った事により少しは気が治まったのか、いつものように落ち着いてきた。
その瞳に、先程の熱に浮かされたような色はない。だから俺は、少し安心して遊佐に話しかけた。

「で?そろそろ落ち着いたか、遊佐?」

「………すみません、衛宮さん。少し取り乱してました」

少し掻いた汗をそっとハンカチで拭いながら、遊佐はそう答える。
………………………どうでもいいけど、女性のうなじが汗でほんのり濡れているのって、結構色っぽいよな。

「――――って俺には!?俺への謝罪は!?たぶんこの中で一番被害を被ったのって俺なんですけどっ!しかも何で俺が攻撃受けたのか聞いてないし!その俺に何の言葉もなし!?何故!?Why!?」

俺がさりげなく遊佐の姿を鑑賞していると、空気の読めない事に定評のある日向がそんな事を口にする。
その言葉に遊佐は日向の方をチラリと一瞥して、

「……………………………ハッ」

と地面に蹲る蛆虫を見るかのような目つきで冷笑した。
謝罪というのはあくまでも人間に対してするものですよね、と暗にその瞳が語っていた。

「………………酷ぇ」

俺は背中を小さくして項垂れた日向の肩を励ますように叩いてから、フォローの言葉を口にした。

「まあなんだ、あれだよ。きっと遊佐も面と向かって謝るのが恥ずかしかっただけなんだ。元気出せよ」

「ゼッテェ違ぇよ……。あの時の遊佐、夏の熱いアスファルトの上で干乾びたミミズでも見るかのような目付きだったぜ……?」

……なるほど。そんな表現は思いつかなかった。
だが、落ち込んだ日向の様子など見向きもせず、遊佐は自分の聞きたい事だけを質問する。

「それより、ゆりっぺさんが私達を呼んでくるように頼んだんですか?」

「あ、ああ。一応祝勝パーティーを第一グラウンドで催すから、メンバー全員に声をかけてくれって――――」

「それでは行きましょうか衛宮さん。あまり遅れると、ゆりっぺさんに悪いですから」

日向の声を最後まで聞かず、遊佐は俺の手を取って歩き出す。
その手の柔らかさに、俺は少しドキッとなったが、その動きはとても自然で、俺はただ引っ張られるまま遊佐の隣に付き従った。

「って、せめて台詞くらい最後まで言わせてくれよぉっ!」

そう言いながら追いかけてくる日向の声を背に受けながら、俺は、ようやくいつも通りに戻ったと、こっそり口元を綻ばせるのであった。






[21864] 学園祭編 六、 選択肢②
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/09/21 18:18
第一グラウンド



俺達が第一グラウンドへ着くと、そこにはまるでキャンプファイアのように篝火の前に集まった戦線のメンバーがいた。
しかもどうやら、いつものような幹部連中だけじゃなく、いつもは一般生徒に紛れている人達までいるようだ。
その人込みの多さと喧騒さの中に、あちこちから大声で騒ぎ出している者達がいる事が分かる。
たぶん、廊下で聞こえてきた騒ぎはこいつらの物だったのだろう。

「へぇー。結構な人数がいるもんなんだな、戦線って」

「ええ、詳しい人数は覚えていませんが、この世界には結構な数の人間が存在します。でなければ、天使に対抗できようはずもありませんから」

人込みの前でポツリと呟いた声に、遊佐は律儀に返答を返す。
なるほど。そう言われてみればまあ、この人数もさほどおかしい物でもないのかもしれない。

「……しかしまあ、さすがにこの人数は少し多過ぎるので、恐らくNPC達も混じりこんでいるのでしょう。彼らは結構、楽しそうな所に集まる習性がありますから」

習性って、動物じゃないんだからさ。
内心そう苦笑していると、俺達に先行していた日向が、どこから貰ってきたのかバナナを片手に振り向き様に声を掛けてきた。

「おーい!何してんだよ二人とも!こんな人込みなんだから、はぐれたら二度と会えねえぞ!」

悪い!と俺は返しながら、少し後ろを歩く遊佐を見て、じゃあ行こうかと促した。
遊佐は話を日向に邪魔されたせいだろうか、少し膨れたような顔をする。
思わず、苦笑が漏れる。
しょうがない。俺は若干不機嫌なお姫様の機嫌を取るため、何気なさを装い話しかけた。

「なあ、これからゆりの所での打ち上げが終わったらさ、二人でここら辺を回ってみないか?」

「………え?二人だけで、ですか?」

突然の俺の言葉に、遊佐は目をパチリと開ける。

「二人だけで、だ。ああ、勿論、何か用事があるんなら―――」

「ないですないですっ!全然ないです!むしろ暇してた所なんです!」

遊佐はこっちが少し驚いてしまうくらいの積極さをもって自分がいかに暇であるかをアピールする。
………そうか。遊佐はこういう時一緒に回る人がいないのか。かわいそうに。

「………じゃあ、いくか?」

「はいっ!」

ほんのりと笑みを浮かべながら、元気よく返事をする遊佐。
よかった、どうやら機嫌を直してくれたようだ。
まあ、見回る時にどのくらい金を使うのかは分からないが、こんな事ぐらいで機嫌を直してくれるのなら安いもんだ。

「おーい、二人とも!いい加減イチャイチャするのは止めてさっさと来いよ!俺が一人ぼっちで寂しいだろ!」

前の方から日向の呼ぶ声がする。
ああ、すっかり待たせてしまったのかもしれない。

「日向も呼んでるし、行こうか」

言いながら、俺はさっと遊佐の方へと右手を伸ばした。
遊佐はキョトンとした顔で、俺のその手を見詰め続ける。

「ほら、こんな場所ではぐれると厄介だろ?」

その言葉と共に、俺はもう一度遊佐の方へと右手を差し出す。
遊佐は俺の言葉に納得したのか、おっかなびっくりと腕を取り、そっとその手で包み込んだ。

女の子の手の柔らかな感触。汗で冷えた肌が気持ちいい。
俺はその手を離さないよう、キュッと握り締めた。
ほんの微かに、遊佐が握り返してくる感触。
その手からは、決してこの手を離すまいとした意思が感じられる。
俺もまた、そっと握り返す。痛くないよう加減して。傷つけないように。包み込むように。

遊佐は握り締めた手を見つめ、次いでこちらを見つめてくる。
そしてから、遊佐は何かに安心したように微笑みかけてきた。

ドクンッ。

その微笑みに、俺は不意に一つ、心臓が高鳴る。

何故だろう。
手をとるまでは意識していなかったのに、手をとってしまってからは猛烈に意識が右手へ集中するのが感じられた。

俺は遊佐の手を牽きながら、顔を見られないよう前を向いて歩き出す。
決して振り向いてはいけない。俺は自分にそう言い聞かせた。

だって今の俺の顔はきっと、みっともない程に紅くなっているだろうから。


そうして日向と合流した俺と遊佐は、そこらで配られていた飲み物を手にとって、恐らくゆりがいるであろうグラウンドの中心へと向かっていった。



* * * * * *



「………でさぁ、あたしはソイツに言ってやった訳よ。このド腐れクソビッチが!って。そしたらソイツ――――あ、衛宮君達おっそぉーーいっ!」

グラウンドでの騒ぎの中心には、やはりと言うかなんというか、案の定我らが戦線の主―――ゆりが、やはりそこらで配られているコップを片手に、野田相手に息巻いていた。
その顔はほんのり赤らんでおり、そのテンションの高さと相まって、まるで酒でも飲んでいるかのようだ。

「…………酔ってるのか?ゆり」

「あぁ?誰が酔っ払ってるってぇ?」

ケラケラと笑いながら、コップを片手にぐいっと顔を近づけてくるゆり。
その口からはアルコール臭は感じ取れない。だからたぶん、酒の類は飲んでいないのだろう。
だが、酒を飲んでいないというのなら、なぜこんなにもテンションが高いのか。
確か遊佐の話では、もっと怒り狂っているという事だったが………。

俺はそっと遊佐の方を窺ってみる。
だが、遊佐もいったいゆりがどうなっているのかは分からないらしく、若干困惑した顔付きで肩を竦めるばかり。
俺たちは二人そろって狐につままれたような面持ちでゆりの方を見た。

「おぅ、ゆりっぺ。一応俺の知ってるメンバー全員には祝勝会の事伝えてきたぞ」

すると、何の疑問も持っていなさそうな顔をした日向が、俺の後ろからひょっこりと日向が顔を出して、ゆりに向かって話しかけた。

「あら、日向君。居たの?」

「居たよ!さっきからずっと居たよっ!お前の無茶な命令終えて帰ってきたんだよ!」

「あーはいはいゴクローサマ。もうどっか行ってもいいわよ」

「酷ッ!せっかくお前の言うとおりにしてきてやった俺に対して、もう少しなんかかける言葉があるんじゃねぇの?」

「え?ごめんなさい。あたし、幼児体形愛好者(ロリコン)語って分からないのよね。せめて英語か仏語か独語か中国語か韓国語かで話してくれないと」

「逆にそれだけの言葉が話せるのかよ!むしろ凄いよ!いや、普通に凄いよ!ってかもう幼児体形愛好者(ロリコン)ネタから離れろよぉおおおお!!」

会って早々いつものやり取りを交わすゆりと日向。
微笑ましいというにはいささか過激ではあるが、本人たちは楽しそうだ。
俺と遊佐はそんな二人を生暖かい目で見つめていたのだが、しばらくしてふと気付く。
野田が何故か俺を睨みつけているという事に。

正直、何で睨まれているのかが分からない。別に、野田に対して何かした訳でもないと思うし。
だが、理由も分からないのに睨まれているのは、少し気分が悪い。
俺はとりあえず、野田に対して物申す事にした。

「…………何だよ、野田。言いたい事があるんだったら、さっさと言ったらどうだ」

少しだけ、喧嘩腰の態度。
今自分で気付いたが、俺は少し短気のようだ。

「…………別に。俺が言いたい事など、何もない」

「…………何もないって事はないだろ。だったらなんで、俺を睨んでるんだ?」

「俺が誰を睨もうと、俺の勝手だ」

「そりゃあ、他人に迷惑を掛けないなら何をしたって構わないさ。けど、アンタの視線が不快だと思ってる奴が今ここに居るんだ」

「ほう、それはどこのどいつだ」

「今アンタが睨みつけてる、アンタの目の前に立ってる奴だよ」

俺と野田の間に、一触即発の空気が漂いはじめる。
針で突けばすぐにでも破裂する風船のような雰囲気。
その中心で、俺と野田は睨み合った。

「野田君、止めなさい」
「衛宮さん、落ち着いてください」

だが、そんな雰囲気を察したのだろう。ゆりと遊佐が俺と野田の間に立ち塞がり、俺達二人を止めてくる。

「む……。ゆりっぺがそう言うなら」
「遊佐………。分かったよ」

さすがに、女子二人の前でこれ以上醜態を晒すのも躊躇われ、互いに矛を収めあう。
とは言え、それでも野田は俺を睨む瞳を止めはしなかったが。

「まあまあ、仲良くしろよ二人とも。今日はせっかくの祝勝会なんだぜ?そんな日に味方同士でいがみ合ってるなんて、馬鹿馬鹿しいじゃねぇか」

日向は俺と野田の肩を組み、間を取って場を和ませる。
野田は煩わしそうに肩に置かれた日向の手を睨んだが、その手を振り払う事はしなかった。
かく言う俺も、日向の仲裁に何だかんだで落ち着いている自分を発見する。
そうだった。いつも弄られてばっかりだったから忘れていたが、日向はこういう気遣いが出来る男だった。

「日向君の言葉に同調するなんて屈辱でしかないのだけれど、今回ばかりは日向君が正しいわ」

「………なんで俺は、いちいちそこまで言われなきゃならないんだ?」

俺は軽く落ちこむ日向の肩を軽く叩いて、慰めの意を伝える。
ゆりはそんな日向を捨て置いて、ざっと胸を張りながら俺と野田へと向き直った。
何だ、と思うのも束の間。ゆりはいつもの意志の強そうな瞳をいたずらに輝かせながら、俺と野田の肩を叩きながら言い放つ。

「なんと言ったって、二人は今日の主役なんだからね!」

――――――――――――――――――――え?

「「は?」」

ゆりは呆気に取られた俺達をほっぽりだして、突然用意されていた台の上に飛び乗った。
そしてどこからか取り出したマイクを右手に、高らかに声を上げる。

『えー、テステス。アメンボ赤いよあいうえお、蛙ぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ、隣の客はよく柿食う客だ、火の用心マッチ一本火事の元………』

突然発されたゆりの意味不明な宣言に、周りで騒いでいた皆が何事かと騒ぎを静め、自然と拝聴する姿勢となる。
きっと、こういう風に何も言っていないのに自然と周りを黙らせられるのが、指導者としての素質という奴なんだろう。

『っん、ん。テスト終了!……レディースアンドジェントルメン!皆、ちゃんと飲んでる!?』

おぉーーーーーーっ!
ゆりは少し高めの掛け声に、皆の低めの声が返ってくる。

『今日は皆、本当によくやってくれたわ。サバゲー出動班も、トトカルチョ班も、サポート班も、そうでなかった人達も、皆本当によくやってくれたと思う。まずはこの事に感謝するわ。ありがとう、皆。そしてお疲れ様。皆がいなければ、私達は勝ち抜けなかった』

ゆりっぺもお疲れ様ぁー!いもっぺ、愛してるーっ!
ゆりの言葉に、周りからも野次が飛ぶ。
それは決して悪意のあるものではなく、親愛ゆえの物なのは、誰が聞いても明らかだった。

『………ありがとう。でもさっき、いもっぺっつった奴表へ出ろ。ミンチにすんぞ。
………でもまあ、そんな事は後でするとして』

んっ、と軽く咳払いをして、場の空気を一新させる。
そして――――。

『それでは突然ですが、今日のサバゲーのMVPを紹介するわ!』

突然すぎるその内容に、観客の皆はどよめいた。
なんだなんだ、そんな物があったのか。聞いていないぞ、どういう事だ。
そんな観客の反応を楽しむように、ゆりは笑みをこぼしながら言い放つ。

『けどまず最初に、私はMVPという制度を作る気がなかった事をここに明言しておくわ。
でも、結局私は私の最初の思惑とは反対に、MVPという制度を作った。それは、この戦いにおいて真にMVPに相応しい者が生まれてしまったから……』

そこでゆりは言葉をため、観客の注目を引きつける。

『この作戦において一番多く、そして真っ先に敵陣へと赴き、敵の旗を奪い続けた彼。それはまさに、MVPという称号を受けるのに相応しいわ。その功績を今、私は讃えたいと思う。それは―――――』

どこからともなく鳴り響いてくるドラムロールと共に、これまたどこからか差し込んできたスポットライトが動き出す。
いつの間にこんな物を仕掛けていたんだと、皆は驚くよりも前に呆れ果て、ライトが一つの方向へと集まった。
――――――俺の隣に立っていた野田に。
唐突な光に目が眩み、野田は思わず腕で光を遮った。
だが、ゆりはそんな野田の様子に頓着せず、そのまま紹介を続けていく。

『彼こそが今回不利だったサバゲーを勝利に導いた勇者、野田君よ!』

ウオォオオオオオオオオオオオ!!

周りから、歓声とも怒号ともつかぬ声が鳴り響く。
それはまるで地鳴りのように鳴り渡り、一瞬耳がおかしくなりそうだった。

「ふんっ!」

やがて光に慣れたのか、野田は余裕を装い腕を組み、傲然とゆりの方へと目を向けた。

『今作戦一番のアタッカー。彼がいなければ、この作戦はもっと厳しい物となっていたわ』

ゆりから贈られる褒め言葉に、野田は嬉しそうに口元を釣り上げ、どうだ、と言わんばかりに俺の方を流し見た。

『そして――――』

だがすぐに、スポットライトの光は野田の上から外されて、またもやドラムロールと共に動き出す。
その出番のあまりの呆気なさに、野田は少し呆然となり、スポットライトが集まった。
――――――今度は、この俺に。

「―――――は?」

ウオォオオオオオオオオオオオ!!

先ほどに勝るとも劣らない声が、グラウンド中に響き渡る。

『彼こそが、今回のもう一人のMVP。最後の最後まで天使を一人で引きつけた、衛宮君よ!』

え?何?何がどうなってるんだ?
俺は、困惑の瞳をゆりへと向ける。
ゆりは、洒落気をだした瞳でこちらを見、構わず解説を続けだした。

『野田君を今作戦一番のアタッカーとするのなら、彼は今作戦一番のディフェンダー。彼がいなければ、この作戦を勝ち抜く事は出来なかったわ。結構最近来たから知らない人もいるでしょうけど、よろしくしてあげてね!』

そして、万雷の拍手。
見れば、いつの間にか周りに集まってきていた戦線の皆も、同時に拍手をしてくれていた。
高松も、日向も、松下も、大山も、TKも、椎名も、皆が俺達二人に拍手をしてくれていた。
まあ、藤巻だけは少し厭そうにしていたけれど。

俺は思わず、遊佐の方へと目を向ける。
やはり遊佐も俺の方を見てくれており、拍手をしてくれていた。
何故かその事が、俺は無性に嬉しかった。

『そして、この二人のMVPと、我々戦線の勝利を記念して、ガルデモメンバーに来てもらったわっ!存分に盛り上がれ野郎共!』

ウオォォォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!

俺達の時とは比較にならない位の歓声が、グラウンド内を埋め尽くす。
………おい。まぁ、気持ちは分かるけどさ。

そしてそのまま歓声が冷めやらぬ中、舞台の裾から、ギュインギュインと音を鳴らしながら岩沢達がやって来た。
その姿はいつもながらに格好よくて、観客皆の視線が岩沢達へと集まっていくのが感じられた。

『いいか野郎共!今日は無礼講だっ!食べて飲んで歌って踊って騒ぎまくれ!以上っ!』

ゆりの言葉の終了と同時に、曲のイントロが流れ出す。
周りから思い切り湧き上がる歓声。歌いだす岩沢。始まるライブ。
それらは留まる事を知らず、まるで地響きのように辺りに木霊するのだった。




* * * * * *



そんなこんなでゆりからのお話が終わり、周りにいた人間から散々賞賛の声を頂いた後、約束通り遊佐と辺りを回ってみようかと思い、あたりを見渡してみると、何故か遊佐はあの衝撃的ライブの間に忽然と姿を消していた。
もしかしたらお花を摘みに行っているのかもし知れないとの考えから、トイレの近くで数分間ほど待っては見たが、やはり出てくる様子はない。
―――さすがに、遅い。遊佐に限って迷子って事はないだろうが、何か厄介な事に巻き込まれている可能性はある。
俺は少し不安になり、遊佐を探してみる事にした。

俺はゆりや戦線のメンバー達の祝いの言葉を掻い潜りながら、遊佐の情報を聞き出していく。
だが、誰も遊佐の居場所の手がかりを持つ者がいない。
仕方がないので俺は聞き込みを止め、足を使った捜査に切り替える。
引き止める戦線のメンバー達の声を振り切って、俺は遊佐を探しに出かけた。

なんとなくイメージ的に、遊佐は騒ぎの中心にいないとの考えから、あまり人気のない所から探してみる。
観賞用樹林の下にあるベンチは満員だから、たぶんこっちじゃなくて、あっちかな?
いや、でもこっちはこっちで結構人通りがあるし……。

暫くそうして探していると、グラウンドの端の方で一人佇む遊佐を見つけた。
無料で貰った飲み物はもう飲みきったのか、手には何も持ち合わせておらず、どうやら手持ち無沙汰のようだ。
俺はすぐに、遊佐のその背中に向けて歩き出した。

「………やっぱり、ゆりっぺさんは、凄いですね」

俺が後ろまで近づいて来た事を気配で察知したのだろうか、遊佐が俺の方を一顧だにせず声をかけてくる。
その唐突な台詞に、俺は言葉に詰まった。
いきなりなんなんだ。そりゃあたしかに、ゆりは凄い奴だけど。

「きっと先程ゆりっぺさんが怒り狂っていなかったのは、勝利したのに怒っていたら、皆の士気に関わってくるからでしょう。勝っても怒られるのなら頑張る意味はありませんから」

あ、なるほど。と俺は納得する。
先程のゆりが、まるで酔っているかのようなハイテンションで上機嫌だったのは、そういう理由からだったのか。
まあ、全部が全部そういう理由なのではないのだとしても、少なくとも少しはそういう理由が含まれているのだろう。
でなければゆりの機嫌がよさそうだった理由が付かない。

でも俺は、やはりゆりは指導者としての素質がある、と思いつつも、しかしゆりのその思惑を見抜いた遊佐も凄いと感じた。
ゆりが指導者なら、遊佐はさしずめそれをサポートする参謀、といった所か。
だが、遊佐は俺の反応を待たず、続けて言葉を吐き出し続ける。

「ゆりっぺさんだけじゃなくて、岩沢さんも、部長も、チャーさんも………日向さんも。皆、皆、本当に、私にはないものを持っています」

そう言った遊佐の目線は、今もなおグラウンドの中心で騒ぎまくっているゆり達の方へと向けられて。
その口調は、どこか虚ろで、儚げだった。

「………どんなに私が欲しても、決して手に入れる事が出来ない、大切なものを」

「………いきなり、どうしたんだ?どこか、調子でも悪いのか?」

だが、気の利かない俺は、やはり気の利いた言葉の一つも思いつかず、そんな事をのたまうばかり。
けど遊佐は、そんな俺に対して優しく笑いかけてきてくれた。
何でもないような顔をして、平然と。

「………いいえ。何でもないんです。これはただの戯言。聞くに堪えない、ただの戯言なんです」

でもその言葉はやっぱり空虚で、俺は自分の口下手さが、この時ばかりは恨めしかった。

何で、そんな顔するんだ?俺は少し悲しくなる。
遊佐が悩んでいるのなら、力になってあげたい。
遊佐が悲しんでいるのなら、慰めてあげたい。
遊佐が弱っているのなら、助けになってあげたい。
そう思うのは、間違いなのだろうか。

―――――――いや、そんな事はない。ない、はずだ。

「………でも、その分遊佐には、皆にはないものを持っているじゃないか」

えっ、と遊佐の声。
なんとなく気恥ずかしくて、俺は前を向いたまま目線を合わせない。
だけど、遊佐がこちらを向いた音はちゃんと聞こえてきた。
だから俺は、遊佐が俺の話を聞いているものとして、やはり目を合わせないまま話をする。

「確かにゆりは凄いけどさ、でもまあ、その、なんだ。俺から見ると、遊佐だって、十分凄い奴なんだ。いつも冷静で、頭が回って、頼りになる奴なんだ」

思わず、顔が火照る。
別に本当の事しか言っていないのだから、顔が熱くなる理由なんてないだろうに、それでも俺は、頬の熱を冷ます事が出来なかった。
ああ、たぶん今の俺の顔、みっともないほど紅くなっているだろうな。
そう思っていると、今度は遊佐の方から返事がかえって来る。でもそれは、まだどこか虚ろ気で、か細かった。

「………ありがとう、ございます。例えその言葉が。私を慰めるためだけのものだったとしても、私は―――――」

「慰めの言葉なんかじゃないっ!」

俺は思わず、遊佐の言葉に怒鳴り返した。
遊佐は俺の突然の声に驚いて、その小さな肩を震わせる。
その様子は、俺に冷静さを与えるのに十分な威力を秘めていた。

「…………悪い。少し、カッとなった。でも、俺の言葉がただの慰めの言葉だなんて、そんな風に思って欲しくなんてない」

俺はその事に謝りながら、遊佐の体にそっと手を置き、遊佐と向かい合う。

「俺は本当に、本当に遊佐の事、凄い奴だと思ってるんだ。いつもめげないし、へこたれもしない、強い奴なんだって。だからさ、もっと自分に自信を持てよ。遊佐に対する誉め言葉を少しは素直に受け取ってくれ」

俺は遊佐と向き合いながら、目に力を込めて話した。
今俺の感じている気持ちのほんの一部でも、遊佐に届けばいいと思いながら。

「――――そんな事、ないんです」

「え?」

でも、そんな俺の考えは、遊佐の言葉で一撃の下に断ち切られる。

「本当の私は、衛宮さんが思うような、強くて凄い奴なんかじゃないんです。本当の私は、もっと弱くて――――醜い」

見れば、夕闇に煌めく遊佐の瞳は、光が失せ、暗く沈みこんでいた。

「さっきだってそうだったんです。本当の私は、さっき衛宮さんが皆に祝福された時、ほんの少し、心の奥の何処かで、嫉妬してしまったんです」

そう独白する遊佐の顔色は真っ青で、瞳の焦点は合わず、まるでうわ言のようだった。

「本当の私は、こんなにも醜悪で、薄汚い、穢れた女なんですよ」

だから、私は衛宮さんに褒めてもらう価値なんて、ないんです。
そう遊佐は呟いて、そっと顔を俯けた。

――――そんな事はない。
そういうのは簡単だ。
少し腹に力を込めて、ちょっと咽喉を震わせる。たったそれだけの労力で、望みの言葉は吐き出される。
でも、果たしてそれは正しいのだろうか。
遊佐の事情を何も知らないこの俺が、上っ面の言葉を吐くだけで、遊佐の心を変える事が出来るのだろうか。
――――たぶん、答えは否だ。
言葉だけでは、何も変わらない。変えれない。

――――でも、それでも。

たとえ無駄だと分かっていても、男には、何かを言わなければならない時がある。
それはたぶん、砂漠に一滴の水を垂らすがごとく、何の意味もないのかもしれない。
むしろ、言わなかったほうがよかったと後悔する時がくるかもしれない。
でも、それでも俺には――――

「――――そんな事は、ない」

言わないという選択肢はなかったのだ。

「遊佐は全然醜くない。汚くない。穢れてなんかいやしない。むしろそんな顔でそんな事を言っても、ただの嫌味にしか聞こえない。
そもそも、他の誰かに嫌な感情を抱くことなんて、誰にだってある事なんだ。勿論、俺にだってある。それを否定する事は、誰にだって出来やしない。それこそ、神様でもないと。
だから、誰が何を言ったって、俺は遊佐の強さを信じる。美しさを信じる。たとえ遊佐自身が、それを信じようとしなくても、俺は遊佐を信じる。だから……」

顔を俯けたままの遊佐の肩に、俺はそっと手を置く。

「だから遊佐、君は―――」

「――――もう、何も言わないで」

遊佐は俺に最後まで言わせず、言葉を被せてくる。
そしてそのまま、俺の胸の中へと飛び込んだ。

「ゆ、遊佐っ!?」

「……やっぱり私は、卑怯者です。だって、私があんな事を言えばきっと、衛宮さんは慰めてくれるだろうって分かっていたんですから。私は………衛宮さんの優しさに付け込んだんです。だから衛宮さんのその言葉の半分は、私が言わせたようなもの」

俺は違う、と言おうとして、遊佐の身振りに制された。

「でも―――それでも、衛宮さんのその言葉、嬉しかった」

その遊佐の声を聞いたとき、俺の背筋に電流が走った。
蕩けるような甘美な声。いつもの遊佐なら決して出さないような、どこかしっとりとした声。
その声に、俺は思わず後退りそうになる。

「離さないで……下さい。今の私の顔、見られたくないんです。きっと、悲惨なくらい、みっともないでしょうから」

でも、遊佐の小さな手が、抵抗するように俺の服裾を引っ張った。
その手は、少し震えている。見れば、その手同様小さな背が、小刻みに揺れていた。
………泣いて、いるのか?
俺は、遊佐のその背に手を回す。遊佐の体は、少し温かかった。

「だから………だから、もう少しだけ……この格好で、いさせて下さい」

産まれたての仔鹿のように、弱くか細い声。それは俺の服越しに、かなりくぐもって聞こえてくる。

「ああ………こんな事で良ければ、いくらでも」

俺の言葉に、服越しながら遊佐の頷く感触がした。
そして訪れる静寂。
少し離れた場所の喧騒が、こちらの方まで届いてくる。
―――何故だろう。俺もほんの少し前まではあちらの方に居たはずなのに、今ではあの場所が、限りなく遠い場所に思えた。

「恥ずかしい事を……言ってしまいました。こんな事………誰かに言う事になるなんて、思っても見なかった。他の人には、私がこんな風にしてた事、内助にしてくださいね」

ほんのかすかに、照れたような物言い。
まだ遊佐は顔を離したりはしてしないが、きっと服で隠した遊佐の顔は、いつかのようにはにかんだ、可愛らしい笑顔をしているのだろう。

「…………もう一つだけお願いがあるんです」

そうして暫く過ごしていると、未だに服に顔を埋めたまま、やっぱりくぐもったような声で、遊佐が言った。

「俺の出来る範囲なら、なんだって」

すると遊佐はそこで一度迷うように言葉を区切り、埋めていた顔をグッと上げ、俺の瞳を覗いてくる。
その顔はまだ少し紅く、目は緊張のためかうっすらと潤んでいて、その顔に俺は一瞬、自身の胸の高鳴りを感じた。

「でもそれは、衛宮さんにとっていきなり事だと思うかもしれません。でも、それでも………笑わないで、聞いていてくれますか」

俺は、無言のままに頷いた。
遊佐もそっと頷いて、小さく笑う。
そんな小さな事が、なぜだか俺は嬉しくて、俺もまた小さく笑う。
どんな事でも叶えてやろう。俺の出来うる範囲なら。いや、たとえ出来なかったとしても、最大限には努力しよう。
それが、遊佐の頼みなら。

俺は、心を決めた。
たとえ遊佐がどんな艱難辛苦を持ちかけようと、俺はそれに耐えてみせる。
そうだ。どんな無理難題であろうともこなしてみせる。
さあ、言ってくれ、遊佐。君がどんな頼みをしようとも、俺の心が掻き乱れる事はない。

「―――――衛宮さん。私は、貴方が好きです」

――――だが、そんな俺の心構えは、一瞬の内に吹き飛んだ。
遊佐の言葉は、爆弾だった。それも、核爆弾級の。
堅固に構えたと思っていた防空壕は、その言葉のあまりの威力になすすべもなく灰と化し、俺の心をむき出しにする。

――――え、なんで?

予想外の言葉に、俺の頭はフリーズする。
何で遊佐が、俺なんかに?答えは出ない。ただ真剣みを帯びた遊佐の顔だけが、眼前に厳然と並び立っている。
その顔を見て俺は、さっきの言葉が聞き間違いなどではなく、またからかっているわけでもない事を悟る。
遊佐は、本気だ。そこに幻想の入り込む余地はない。たしかに遊佐は、俺に対して告白をしたのだ。

静まる世界。色は失せ、騒ぎは掻き消え、木々は散り、月明かりは増し、視界には互いの姿しか映らない。
その時確かに、世界には俺と遊佐の二人だけしかいなかった。

「――――私と、付き合ってください」

放たれる、遊佐の言葉。

俺は、そんな遊佐の言葉に……。

①「―――――こんな俺で、よかったら」
⇒②「―――――悪い、遊佐。俺は、お前の気持ちに応えられない」
③「―――――時間を、時間をくれないか。その、急にそんな事を言われても、困る」
④(日向が乱入してくる)


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「―――――悪い、遊佐。俺は、お前の気持ちに応えられない」

そう、答えを返した。

「―――――――そう、ですか」

遊佐はそう呟き、そっと目を伏せる。
その眼にほんの一瞬、涙の光が見えたのは、俺の思い込みだろうか。
………でも、俺はまだ、遊佐と付き合う事は、出来ない。

「………………何でだろう。本気で告白して振られたのに、私、心のどこかでは、ちゃんと納得してるんです。ああ、衛宮さんだもんな、って。バカですよね、私。………私って、ほんとバカ」

遊佐は俺の背中に回していた手を緩め、そっと身を離す。

「最初から分かっていたんです。私なんかとじゃあ、衛宮さんとは釣り合わないって。でも、それでも、私は告白したかった。私の想いを、衛宮さんに知っておいて欲しかった。それが、ただの自己満足だと分かっていても」

そういった遊佐の姿は、今にもどこかへ消え入りそうだった。

「すみません、衛宮さん。私の我侭に付き合ってもらって。……じゃあもう私は行きますね。振った女が近くにいてもご迷惑でしょうから――――――」

「勝手に話をまとめるなよ」

「――――え?」

俺は、どこかへと去ろうとする遊佐の腕を取る。
その腕は細く、華奢で………ひどく、冷たい。
だが俺はそのまま、抵抗しない遊佐の身体を抱きしめた。

「先走るのは、遊佐の悪い癖だぞ。誰も遊佐の事を迷惑だなんて思ってない。それは被害妄想だ。大体、釣り合ってないのは俺の方さ。遊佐は正直かなり可愛いし、俺はいつもどじ踏んでばっかりだし」

右手の指で、遊佐の綺麗な髪を触る。
それはふんわりと花の香りがして、まるで雲で出来ているかのように俺の指を通した。

「俺は遊佐の事―――――――――嫌いじゃない。感謝してるし、尊敬してる。この世界に来てからずっと俺を助けてくれて、ずっと支え続けてくれた、遊佐を」

――――でも、付き合ってはくれないんですね。
遊佐の口から言葉が出る。遊佐の顔は、この位置からでは見えない。
――――ああ、今は、駄目だ。俺は、遊佐とは付き合えない。
俺は遊佐の耳元で囁く。俺の顔は、遊佐の位置からでは見えない。
――――だったら…………。

「だったら、やめて下さい……っ!なんでっ………なんで私を振ったのに、私に優しくするんですか……っ!もっと私を嫌って下さい、もっと私を遠ざけて下さい!でないと……でないと、私…………希望を、持っちゃうじゃないですか………っ!こんな、こんな私でも、衛宮さんと結ばれるかもしれないって!」

でも、見えなくても、分かる。
遊佐は、泣いている。そして、泣かせたのは、俺だ。
俺は、遊佐の言葉をかみ締める。傷ついた遊佐の心を、胸に刻む。

「叶わない夢なんて見たくない、叶えられない理想なんて欲しくない!…………私に希望を持たせないで。私に夢を見させないで。でなければ………」

――――私と、付き合って。

「――――無理だ。俺は誰とも付き合えない。付き合う資格なんて、持ってない」

「資格なんてどうでもいい!貴方さえいればもう、なんでもいい。私は、貴方さえ――ッ!」

「でも、駄目なんだ。例え遊佐がよくても、例え他の誰かが許しても、俺は、俺を許さない。記憶を持たないこの俺が、生前どうしていたかも知らないこの俺が、他人と付き合うなんて事、出来ない」

今の俺を世間の人が見るのなら、馬鹿だなと嘲笑う事だろう。
可愛い女の子に言い寄られて、その告白を振り切るなんて。
自分でも自覚している。俺は、馬鹿だ。大馬鹿だ。
―――でも、だけど。これが、俺なんだ。

「だったら――――だったら、記憶を取り戻しましょう。私達二人で、一緒に記憶を取り戻しましょう。そしたら衛宮さんは……私を…………もらって、くれますか?」

夜空に輝く月のように潤んで輝く金の瞳。容易く手折れる百合のように細く華奢な体付き。
胸に抱いた彼女の感触は、小さいけれど柔らかく、その存在を大いに主張し続けている。
でも――――。

「――――保証は、出来ない。もしかしたら俺は生前、とても好きな人がいたのかもしれない。もしかしたら俺は生前、将来を誓い合った人がいるのかもしれない。だから俺は、遊佐の言葉に頷けない。俺は、その人と遊佐、どちらを選ぶだなんて事、したくないから」

「………衛宮さんの、ヘタレ」

「―――――すまない」

「意気地なし。チキン。マザコン。ブラウニー。便利屋――……」

罵りと共に繰り出される遊佐のパンチを、俺は甘んじて受け止める。
どんな事を言われても仕方ない。俺は遊佐の気持ちを裏切った。
俺はクズだ。こんなに可愛らしい女の子を、泣かしてしまったのだから。

「――――――でも、私の愛しい人」

でも、俺はその言葉に目を見張る。
俺はもう、嫌われても仕方ないと思っていた。
告白したのにこっぴどく振った人間を、誰が好きになるだろう。
俺は嫌われても仕方のない存在だったのだ。
………でも、それでも遊佐は、俺に言ってくれた。
――――俺の事が、好きだと。

「―――――なん、で」

「……好きなんです。衛宮さんがどんなにヘタレで意気地なしで………生前、好きな人がいたとしても、それでも私は、衛宮さんの事が、好きなんです。その事に、嘘はつけません。だから――――だから私は、衛宮さんの記憶を取り戻すのを、手伝います」

「で、でも………」

「デモもストもありません。これは、私自身の意思なんです。誰にだって止められる謂れはないはずです」

「……………………」

「例え止めても、私は絶対に衛宮さんの記憶探しを手伝います」

遊佐の意思は、固い。
例えここで止めたとしても、きっと彼女は俺のいない所で俺の記憶を思い出させようとするのだろう。
だったら、近くで一緒に探した方が……。

「………それに、例え生前好きな人がいたとしても、関係ありません」

それは、覚悟を決めた者の顔だった。
俺は事の無意味さを悟る。これは、駄目だ。こんな顔をしている遊佐を説得するのは、不可能だ。
そして遊佐はそのまま俺の顔を見詰め―――

「だってその時は、その人よりずっとずっと、私の事を好きになってもらえば言いだけの話なんですから」

―――小悪魔のように、妖しく微笑みかけてきた。
普段の清楚な様子からは思いもよらぬ魔性の微笑み。
その突然の不意打ちに、俺は思わずくらっと来た。

「衛宮さんが私の事を嫌いじゃないのなら…………この申し出、受けて……くれませんか?」

俺は、遊佐の言葉にただ頷くしかなかった。

「ありがとう…………ございます」

遊佐が、俺の懐へと入りこむ。
だが、今の俺には、それを拒絶するだけの意思など残ってなどいやしない。
喧騒は遠く、光は途切れ、目前には一人の女の子。
夜空に瞬く星々だけが見守る中、誰もいないグラウンドの端の方で、俺と遊佐は抱き合った。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「それじゃあ三十分後にもう一度ここで集合。何か質問は?」

「「なーしっ!」」

「よしっ!じゃあ解散!」

先程の戦線祝勝ライブから早十分。
熱狂的雰囲気が早くも冷めつつある中、アタシは自らのギターを仕舞いこみながら、皆に解散の号令をかける。
入江と関根は楽しそうに声を返しながら、早々に控室から出て行った。
………やれやれ。元気のいい事だ。

「なぁ岩沢」

ギターケースを背中に担いでいると、一人アタシに付き添っていてくれたひさ子が、アタシに声をかけてきた。

「アンタこれからどうする?三十分じゃあ新しい曲だって書けないだろうし、中途半端な時間だろ?」

「ああ、アタシはこれから適当に周りを見て回ろうと思ってるんだけど」

―――ガタンッ!
何かが地面に落下する音。
アタシは少し吃驚して、その音の方向へと目を向けた。
するとそこには、ひさ子が目を剥きながら茫然とした様子で立ちすくんでいた。

「ど、どうしたんだひさ子!調子でも悪いのか?」

「調子が悪いのかって………そりゃあこっちのセリフだよ!あの音楽キ○ガイのアンタが、新しい曲も書かずに周りを見てくる?!熱でもあるんじゃないか!?」

………………オイ。
せっかく人が心配してやったのに、キチ○イ扱いか。

「………アタシだって、偶には音楽の事を考えずに過ごしたい時だってあるのさ」

「…………ダウト。だってアンタ、今まで一度もそんな事なかったじゃないか。いつもいつも音楽音楽ってさ、こっちが心配になるくらい音楽の事しか考えてなかったじゃない」

…………………そうだっただろうか。
………うん。まあ、言われてみれば、そうだったかもしれない。
思えばこの前の学園祭、アタシはずっと曲の練習ばっかりで一度も回っていなかった気がする。

「そんなアンタが、急に何の前触れもなく学園祭回りたいって………そりゃあギターも取り落とすよ」

「…………そんなに驚くような事か?そりゃあこの前は偶々どこも回りたいとは思わなかったけど、今回は違うというだけの話だろ。そこまで驚かれる程じゃあない気がするんだが……」

「いやいやいやいや、前回だけじゃないって。前々回も、その前の奴も、アンタはいっつも興味なさ気に曲の練習してたじゃないか」

…………………そうだっただろうか。
………思い出せない。そんな些細な記憶など、アタシの脳内からは抹消されているようだ。
まあ、そんな事を覚えているくらいだったら新曲の構想でも練っている方がマシだから、別に消えていても構わないといえば構わないのだが。

「なんでアンタはそんな急に…………あ。………はっはぁ~ん。分かった。分かっちゃったぞ、アタシ。アンタが急にそんな事を言い出した訳が」

アタシが前々回の事を思い出そうと考えている間に、ひさ子は急に声を出してドヤ顔しながら指を指す。
たぶん、今ひさ子の頭の中では、自分が犯人を追い詰める探偵のようにでも思えているのだろう。
アタシは半ば呆れながらも、いったいひさ子がどんな言うのかと思い――――

「それはずばり…………衛宮だろっ!」

――――その言葉に、軽くずっこけそうになった。

「って、なんでだよ!」

「隠すな隠すな。顔が紅いぞ」

「隠してない!」

「そんなにムキになるって事は、図星なんだろ。なあ、そうなんだろ」

ひさ子は顔をニヤニヤさせながら、こちらの顔を覗いてくる。
………ウザイ。ひさ子に対し、ここまでウザイと思ったのは久しぶりだ。
アタシは言葉で何を言っても無駄だと悟り、ギターケースを担いで控室から遠ざかる。

「―――ああ、ウソウソ!ウソだって!ジョークだよジョーク!軽いジョーク!」

少し焦ったようなひさ子の声。だがもうその声に傾ける耳などない。
アタシはギターを急いで仕舞い込もうと焦っているひさ子を尻目に、さっさと周りの出店へと足を運んでいくのだった。


* * * * * *


「まったく、ひさ子の奴…………」

アタシはそこらで適当に貰ったイカ焼きをかみ締めつつ、今ここにはいないひさ子に文句の念を送り続けていた。
ひさ子は失礼な奴だ。今まで結構長い間付き合ってきたが、あそこまで下世話な奴だとは思わなかった。
恨みをぶつけるように、思いっきりイカ焼きを噛み千切る。じわっとイカの味がしみ出して、深い味わいが醸し出された。
結構美味しい。こんな食べ物があるんだったら、去年も回った方がよかったのかもしれない。
が、まあ過ぎ去った過去を省みても仕方ない。未来の事を考えよう。
そうだなぁ、これ結構美味しいし、いつかまた衛宮が夜食を作ってくれる時にリクエストしてみようかな……。
いやでも、さすがの衛宮もイカ焼きを作った事はないだろう。もう少し簡単な奴を………。

「あ、あれってもしかして、岩沢さんじゃないっ!?」

「えっ?!マジ?うわっ、ホントだ。本物じゃん!」

と、そこまで考えていた時、突然アタシは声をかけられた。
声のかけられた方を向くと、そこにはアタシと同じ位の年頃の女子が二人並んで立っていた。

「い、岩沢さんですよねっ。あの、その、わたし、あなたのファンなんです!サイン貰えませんか!」

そしてその内、眼鏡をかけた方の女子が、アタシに向かって頭を下げる。
手には一枚のサイン用紙が握りしめられていた。

「………あー、その、悪いんだけど、アタシそういうのってやってないんだ」

「まーまーそんな事言わないでさぁ。美樹っちも頭下げてんだし、サインの一つや二つ、大して時間もかかんねぇでしょ?」

アタシが断わりの言葉を言うと、もう片方の女子がニヤけ顔で肩に手を置いて言ってきた。

「だから、アタシはそういう事やった事ないんだよ。誰にだってあげた事はないし、これから誰にもあげるつもりもない」

「なんだよ、ケチケチすんなよ。別に減るもんでもねぇしさぁ」

………なんなんだろう、この女。妙に馴れ馴れしいし、強引だ。
正直、ちょっと鬱陶しい。

「さーちゃん、もういいよ。岩沢さんも困ってるし………」

「駄目だって美樹っち!こういうのは押してなんぼの世界なんだよ!押して押して押しまくる事で……」

茶番だ。
アタシは二人のやり取りにうんざりして距離をとり、グラウンドの端の方へと足を運んでいく。
後ろの方で、先ほどの女子二人の声が聞こえてきた。

「……って、あれ?さっきの女は?」

「もう!さーちゃんがあんまりにも騒がしいから、どっか行っちゃったんだよ!折角岩沢さんとお話しできるチャンスだったのに……!」

しかしその声も、その内雑踏に紛れて消えていく。
これも、ある意味有名税という奴なのだろうか。
興味を持ってくれるのは嬉しいし、ファンができるのが嫌いな訳じゃないのだが、いかんせんああいった輩は苦手だ。
アタシはアイドルなどではない。歌手なのだ。サインなど出来ないし、観客に媚を売りすぎる必要はない。
“アタシ”にとって重要なのは、“アタシの歌”なのであって、“アタシ”にとって“アタシ”はさして重要な問題ではない。
たとえ“アタシ”がブスであろうと、美人であろうと、男であろうと、女であろうと、とりあえず歌えれば何の問題もない。
なのに観客は、ライブが終われば“アタシの歌”ではなく“アタシ”を見ようとする。
その事が、アタシは少し不快だった。

足をどんどん進ませる。
先程のような変わり種はあまりいないらしく、それから先は声をかけられる事もなかった。
アタシはすっかり冷めてしまったイカ焼きをちゃんと食べ切り、ゴミをゴミ箱へと投げ捨てる。
………ナイスシュート。
手持無沙汰になった腕をぶらぶらさせながら、アタシは周りの店を見る。
それも活気があって、華やかだ。中には鼻歌を歌いながら店をやっている者もいる。
皆、楽しげだ。

そんな風景を見ながら、アタシは思う。
そういえば最近、こういった楽しさを忘れてしまっていたような気がする。
誰に迷惑をかける訳でもなく、何か一つの事を勝手気ままにやるような、そんな事を。
近頃は歌を一つ作るだけでもゆりの判断が入ってきて、ライブに相応しくない物は没になる。
結構いい出来だと思った物でも関係なしに没にされるのは少し辛い。

でもまあ、それは仕方のない事なのだ。
人は組織に属する以上、好き勝手に行動する事は出来ない。しかもアタシ達の双肩には戦線の皆がかかっているのだ。
適当になんてできないし、辛いのもある程度はしょうがない。
でも、アタシは時々思う。
天使や、戦線や、他のどんなしがらみもなく歌に没頭できたのなら、それはどんなに素晴らしい事なのだろう、と。
絵空事だ。子供の空想にだって劣る。でも、それでもアタシは望んでしまう。
そう、生前必死に歌い続けたストリートライブのように、直向きに歌を歌い続けるという事を。

(もう一度………もう一度だけ、歌ってみたい。あの夏の夜のように、一人きりで歌ってみたい)

今に不満があるという訳ではない。ゆりは理解ある奴だし、バンドのメンバーは最高だ。これで文句のある奴は罰が当たる。
でもそれとは別に、一人で歌いたいという欲望があるのもまた、事実なのだ。
一人どこかで歌いたい。好きな曲を歌いたい。たとえそれが出来なくても、せめて誰かにこの計画を話したい。
そしてそういう風に自覚すれば――――後はもう、堪える事が出来なかった。

歌は今作っている新曲にしよう。バラードだからゆりはきっと文句を言うだろうけど、一人で歌う分には構わないだろう。
校舎の中だとNPCがうるさいから、場所はあの自動販売機の前にしよう。きっと、すごく気持ちいい。
ああ、でも、そんな事一人で全部するのは難しい。ゆりにバレたら煩そうだし、バンドのメンバーにバレても文句を言われそうだ。
だったら誰かに相談しよう。アタシの話を聞いてくれて、結構皆に顔が利いていて、機材を運べるだけの力持ち。
頭の中に知っている人の名前が思い出されては消え、消えては思い出される。
そして一つの名前だけが、アタシの頭の中に残された。

――――――――衛宮だった。

思い出してしまえば、なんで一瞬で思いつかなかったのか不思議なくらい、そいつは適任だった。
アタシの話を聞いてくれて、何人かの知り合いがいて、機材を軽々と運べるくらいの力持ち。
彼以上の適任なんて、この世界にはいないだろう。

それではさっそく衛宮に―――――とまで考えて、アタシはそこでようやく自らの考えに没頭しすぎて見知らぬ所まで来ているのに気が付いた。

たぶん、グラウンドの端の方なのだろう。人影は絶え、光は消え、喧騒は遠かった。
まるで世俗から切り離されたような場所。その静寂に、アタシは思わず足を止める。
どこだ………ここは。アタシは辺りに注意深く目を向けた。
しかし、林立する木々が視界の前に立ち塞がり、あまり遠くまでは見通せない。
かろうじて分かった事と言えば、この場所が恐らく東の方に位置しているだろうという事だった。

位置が分かったから安心した、という訳ではないが、アタシは心を落ち着けてこれから先の事を考える。
今すぐ帰った所でまだ早い。あまりに早過ぎると、またひさ子に何を言われるのか分かったものじゃない。
そうだ、その、先程言われたような、アタシが変わった理由が、衛宮、だなんて、そんな妄言をまた吐かれるかもしれない。
それはたしかにアタシは衛宮にお世話になってるし、アイツの夜食は美味しいし、ちゃんとライブは見に来てくれたし、意外に力持ちだし、結構頼りになる所もあったりしちゃったり……………………………………って、駄目だ駄目だ!何考えてるんだアタシ!?
落ち着け………落ち着くんだ…………あー……………クソッ。これも全部ひさ子のせいだ。アイツが変な事言うから、こんな事………ひさ子のバカッ!

そしてアタシがさらにひさ子に対し心の中で罵倒の言葉を重ねようとした時、アタシはこの薄暗がりの中にあって、一人の人影を確認した。
人がいた。誰だ。そう思う前に、アタシは人影が誰なのかを悟る。

―――――――衛宮だ。衛宮が、そこにいた。

と、そうアタシが認識した瞬間、アタシの頬は紅らんだ。
いきなり考えていた人物が急に現れたのだ。しかたない。そう思うも、頬の熱は冷めやらない。
クソッ。なんで急に現れるんだよ、とアタシは彼に対して逆ギレに近い感情を抱く。
せめて後ほんの少し後か、ほんの少し前だったら、こんな風にはならなかったのに。

しかし、なんたる幸運。相談しようと思った矢先に、こんな所で衛宮に出会えるとは。今日のアタシはツいている。
まるで、神様か何かがアタシに一人で歌を歌えと言っているかのようだ。
アタシは衛宮の方へ足を進めながら、声をかけようと息を吸い込み――――――

――――――――見てはいけないものを見た。見て、しまった。

頬の紅味が一瞬で弾け飛ぶ。
幸運?ツいている?誰が?アタシが?………馬鹿を言え。いや、馬鹿は――――アタシだ。しかも阿呆で、間抜けで、頓珍漢だ。
そう、偶然出会ったからって浮かれていたアタシは、大馬鹿者なのだ。

意思とは無関係に、足が勝手に反転し、衛宮とは反対方向へと駆け出していく。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。
息が乱れる。視界が歪む。耳鳴りがする。悪寒が走る。
足はふらつき、膝はわらい、肌には鳥肌が止まらない。

何で―――何でアタシは走ってるんだ?
別に走る必要なんてない。急ぐ理由はどこにもない。待ち合わせには後十分もある。
ああ、また早く帰ったら、ひさ子に何か言われるだろうな。
だから足を止めなきゃ。止まらなきゃ。

でも、足は止まらない。止まってくれない。
心臓はバクバクと激しく脈打ち、手足の感覚が冷たくなり、頭の中が真っ白になる。
頭の中には、先程目に付いた光景が焼きついていた。
見てはいけなかったもの。見るべきではなかったもの。見ないほうがよかったもの。

それは―――――――――――――――――――――――――――――――――――――女の子と抱き合う、衛宮の姿だった。

衛宮の顔は、どこか呆然としつつも嬉しそうで。
腕は相手をきつく抱きしめていて。
二人だけの世界を築いていて。
詰まる所――――――アタシの入る余地なんてものは、これっぽっちもなかったのだ。

一人で歌うなんてアイディアは、もう頭の中に欠片も残っていなかった。
意識はただ混沌に渦巻いていて、落ち着いて考えるなんて出来やしない。
ただ機械的に足を動かし続け、アタシはその場を立ち去った。



[21864] 本編 一、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:3e74f817
Date: 2011/12/02 23:54


学園祭から、幾許かの時が過ぎた。

あれだけ暑く騒がしかった夏の熱気も今は去り、やって来たのは冷たく寒い秋の季節。
ポツリポツリと夏服が消えていって、代わりに冬服が流行りだす。
今じゃあ殆どの人間が冬服で、それは俺―――衛宮士郎も、決して例外ではなかった。

「―――――――寝癖なし、目脂なし、寝惚けなし、不備なし」

俺はやって来ていた調理室にある姿見の前で、自らの格好を見直していた。
生地が厚く、耐寒性に優れたその冬服は、格別俺に似合うという訳でも、似合わないという訳でもない。
ただ、関節の部分を覆っているせいだろう、多少腕が振り回し辛いがそこまで支障が出るような事でもない。
いざとなればこの程度、何て事もないだろう。

「――――――よし」

俺はそんな事を思いつつ、最後にもう一度だけ姿見に目を向ける。
代わり映えしない自らの格好を見詰めて、俺は俺がこんな風に姿見に立っている原因を思い出す。
そう、普段の俺なら、こんな風に姿見の前に立つ所か、手鏡でさえ覗く事は少ない。
そりゃあ、髪の毛が跳ねてたりしたらいけないから多少は鏡を見るものの、それも朝の時間に少しだけ。
なのに何故その俺がこうして姿見の前なんぞに立っているのかといえば、答えは一つ。

今日は、人と会う予定があるのだ。

「―――――――飲み物よし、食べ物よし、バスケットよし」

俺は持っていくべき物を全てちゃんと確認し、調理室の扉へと手を掛ける。
最後に振り返りざま室内を見渡し、火元電気の消し忘れを確認。
全てが元通りに戻る世界とはいえ、無用心からお気に入りの場所が燃えたりしたら気分が悪い。
そして何も問題がない事を確かめた後、そのまま扉を開け放った。


料理を作るのに結構時間が掛かってしまったのだろう、あれだけ低い位置にあった太陽も、今は中天へと昇っている。
しかしまあ、昼食には丁度いい頃合なのだから、これはむしろ喜ばしい事だろう。
少なくとも中途半端な時間帯にならなかった事だけは、ちゃんと素直に喜んでおくべきだ。
……などと取り留めもない事を考えながら、俺は彼女達がいるであろう、あの場所へと足を進めていった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


“聞いてない 唐突の雨だ 傘もなく 立ち尽くす”

階段を上り、通路を歩いていると、歌が聞こえてきた。
聞き慣れた、しかし飽きる事のない、綺麗で、かっこよくて、力強い歌い声。
まだまだ距離があるっていうのに、こんな所にまで聞こえてくるなんて、相当力を入れている。

“いつでも二人がいいって 願ってたんだよ アタシ”

自然と耳に入る込んでくる、彼女の声。
恐らく新曲なのだろう。ノリのいいリズムに、力強い発声。
なんて名前なのだろう。もしかしたら、まだ名前も決まっていないのかもしれない。
でも、それでも、彼女の声は、彼女の歌は、いつも以上に格好よかった。

そうだ。ここに来る時は何時だって、この歌声が俺を迎えてくれる。
ここに来る時は何時だって、俺はこの歌声に元気付けられる。
俺にとって彼女の歌う曲は、ある種特別な物だった。

“そうしてたのはアタシ一人だったのかな”

しかし、何故だろう。
今耳に入っているこの歌声に、俺は何故か、普段は感じる事のない、悲しみの念を感じたのだった。


* * * * * *


そうして程なく、俺は目的の教室へと辿り着いた。
俺は練習の邪魔になっては悪いと思い、教室の前で一時待機する。
中からは、ドラムや、ベースや、ギターの音。
ヴォーカルの声は、俺が歩いている途中から聞こえなくなった。
たぶん、まだ曲が完成していないのだろう。残念ではあるが、仕方のない事だ。

しばらくして、俺は中が丁度切りのいい所まで演奏しきったタイミングを計り、少し部屋の中を覗いてみた。
中には女の子が四人。いずれも劣らぬ美少女ばかりだが、疲れているのか、皆少々息が上がっている。
そして、その内の二人―――リーダーであるヴォーカルの岩沢と、ギターのひさ子が何やら休憩の算段を整えていた。

「なあ岩沢。そろそろちょっとは休もうぜ。朝からずっと練習しっぱなしで少しも休んでないじゃないか」

「………じゃあ、そろそろ休憩するか」

言いながら岩沢は肩にかけていたギターを下ろし、机の所に置いていたペットボトルを引っ掴む。
そしてその行動が引き金となったのか、回りのメンバー全員が続々と休憩の体制に入っていく。

俺はこの様子だとそろそろ入ってもいいかと判断し、その空き教室の中へと入り込む。
ガラガラと音を立てる扉に皆が意識をこちらに向けたその瞬間、俺は皆に挨拶をした。

「よう皆、久しぶり」

その挨拶で俺の存在に気が付いたのだろう、皆がさっと俺を見た。
振り向いたその顔には、久しぶりに見た人に対する驚きと喜びに溢れていた。
俺は皆のそんな顔が見れた事が嬉しくて、少し気分をよくしてバスケットを掲げながら部屋に入る。

「おはようさん……って言うにはちょっと遅いかもしれないけど、ほら、今日は飯を持ってきたぞ」

「おぉ!ナイスだ衛宮!」「ありがとうございます、衛宮さん」「グッドタイミングです衛宮さん!」「………………」

ギターのひさ子、ドラムの入江、ベースの関根。皆口々に言いいながら、俺の持つバスケットの所に集まってくる。
しかし、一人だけ――――そう、たった一人だけ、近寄ってこない者がいる。

「―――――岩沢?」

その一人―――――岩沢は俺に背を向け、ミネラルウォーターを飲み続けていた。

「―――――アタシは、いい。お腹、減ってない」

そう素っ気なく呟いて、岩沢は俺を押し退けて教室の外へと出て行った。
その背中には人の言葉を拒絶する意思が漂って、俺は何故か、声を掛ける事が出来なかった。

「…………岩沢」

そしてその背中を、他のガルデモのメンバーは不安げな面持ちで見詰め続けるのだった。


* * * * * *


「………岩沢の事、悪く思わないでやってくれ」

俺の持ってきた飯に手をつけながら、ひさ子は俺にそう告げた。

「あ、いや、俺は別になんとも思ってなんかないよ」

俺は魔法瓶の中に入れた味噌汁をこぼれないよう細心の注意を払いながら容器に移し替えている最中だった。
ちゃんと岩沢も含めた人数分だけ容器を机の上へと置き、その内一つだけひさ子に手渡ししながら、俺はひさ子に答えた。

「……ありがとう。アイツ、っていうかアタシ達全員、今ちょっと重要な時期だから、ちょっとピリピリしてるのさ」

「何かあるのか?」

俺がそう問うと、先程までの暗い感じはどこへやら。
ひさ子はきらりと目を輝かせて、俺の方へと身を乗り出す。

「ああ、そうなんだ!聞いて驚くなよ………なんとな、アタシ達ガルデモが、体育館で告知ライブをする事になったんだ!」

「……なん……だって………?」

今までガルデモ、延いては戦線のメンバーは、確かに多くのライブをこなしてきた。
幾多のライブを駆け抜け、時には天使に邪魔をされ、時には歌を完遂させながら、彼女達は今まで過ごしてきた。
しかし、それは所詮、食事時に行う突発的なライブに過ぎなかった。
盛り上がりはするものの、それは食事の前座の見世物のようなもの。歌だけを楽しみに来るNPCはいない。

だが、告知ライブは違う。
それはただガルデモの歌う歌だけを目当てに講堂へと誘い込むものであり、今までのような受動的な作戦とは難易度が段違いだった。

「それはなんとまあ…………思い切った事をするなぁ。ゆりは、その案に賛成だって?」

「う~ん………まあ、積極的反対はなし、って感じだったな。やってもいいけど自己責任でね、みたいな」

まあ、ゆりとしては戦線の作戦が成功すれば、告知してもしなくてもどっちでもよかったのだろう。
もし告知した方が陽動の目的をかなえられるのならば、きっとゆりは迷わず告知ライブを増やしていくはずだ。

「だからなの……か?」

俺は先程の岩沢の態度を思い出す。
俺にだけ向けられたような、拒絶の意思。
あれは、初の告知ライブのせい?

「ま、そうなんだろうさ。だから、気にしないでやってくれ……………にしても、美味いねこのサバ焼き」

ひさ子は箸で肴を突付きながら、そう呟いた。
でも俺は、心のどこかで、岩沢のあの態度には、もっと別の何かがあるような気がしてならなかった。

「………けどまあ、分からない事を気にしても始まらない、か」

俺はひさ子の食いっぷりを見ながらそう呟いて、持ってきたバスケットを仕舞い込む。
そしてついでに、教室の端に置かれている次の料理のアンケートを入れている箱へと足を向けた。

この箱は、少し前から俺が自分で作った木の箱だ。
前に一度、次に作ってくる飯の内容でゴタゴタした時があったから、そういった事をなくすために作った代物だ。
素人作りで見るからに不恰好だが、まあ一応は使える物には仕上がったと思う。

そんな箱の中から、俺は手探りで紙を探り出す。
出てきた紙は、入江のサンドイッチ、関根の鱶鰭の餡かけ、ひさ子のスパゲッティーの三つだった。
…………入江とひさ子はともかく、関根はもう、何て言うか………俺が何でも作るからってはっちゃけ過ぎだろう。
っていうか、鱶鰭なんてどこに置いてあるんだよ。そんな物見た事ないぞ。
もし仮に鱶鰭が見つかったとしても、それを調理するのは色々と面倒………いや、まあどうせないから何かで代用しよう。
たぶん関根だったら代用品って事にも気付かないだろうし。

俺は心の内でそう突っ込みを入れつつ、残る最後の一人―――岩沢の紙を探す。
告知ライブで緊張しているという岩沢に、俺が出来る事は食事くらいしか存在しない。
だから、多少無茶な事が書かれてあっても作ってこよう。そんな事を思いながら、俺は箱の底を漁った。
和風か、中華か、もしかしたらイタリアンかもしれない。フレンチだったら自信はないけど、やれるだけはやってみよう。

そうして箱の隅から隅まで探し出し―――――だが、手応えはなかった。

箱を一旦裏返してみる。しかしやはり、そこに岩沢の紙はない。
……………どうしたんだろう。
いつだって岩沢は、このアンケート用紙だけは書いていたのに。
書き忘れた………のだろうか。けど、それにしては、何か………。

「――――――――――さあ、休憩の時間は終わりだ。続けるぞ」

と、俺がそうして考えていると、ガラガラッと勢いよく扉を開け、岩沢が入ってきた。
トイレで水でも被ってきたのだろうか、その綺麗な髪はびしょびしょだった。
俺はその事に少し驚き、一瞬ライブの事が頭に過ぎったものの、とりあえずアンケート用紙の事を言おうと声をかけ―――。

「あ、岩沢。次の料理のアンケート、岩沢の紙だけ入ってなか――――」

「――――アタシのは、いい」

――――目も合わされないまま、拒絶の言葉を投げかけられた。
岩沢のその視線は、じっと手元にあるギターにだけ注がれる。
その様子は無理矢理俺を視界から締め出しているように見えて、俺は少し、違和感を持った。

「いや、いいって一体どういう……」

「アタシの分は、もういらない。次からは、他の奴の分だけでいい」

寸分の躊躇いもなく、バサリと斬られる俺の言葉。
二の句を継ごうにも、一体どこから継げばいいと言うのだろうか。

「いらないって岩沢……じゃあアンタ、次の飯はどうするのさ」

絶句していた俺の代わりに、ひさ子が俺の内心を代弁する。
しかし、岩沢は予めその質問を予想していたかのようにスラスラと自らの考えを述べ立てた。

「食べ物なんて、いざとなればどうとでもなるさ。それに、この世界じゃあ食べないからって死ぬ事はない」

「だけど、何でそんな急に……」

「いいんだ。もう、決めた事なんだから」

言って、岩沢はまだ立ち直っていない俺の方へと向き直る。
その目は心なしか窶れており、見る人に何日も寝ていないのではと思わせる。
だが、そんな様子でも岩沢はちゃんと真っ直ぐ立ち、俺に言う。

「悪い、衛宮。もう新曲の練習をしたいから、出て行ってくれないか」

「――――――――、――――――――。」

頑なな瞳。
何故だろう。その心は、俺に対して閉じてしまっているようで。
その理由が分からず、俺は黙るしかなかった。

「………少し位いいじゃないか、岩沢。衛宮なんだし、別に聞かれても困る訳じゃないだろ?」

俺がどうすればいいのか戸惑っている間に、近くにいたひさ子が岩沢の言葉に反発する。
だが、ひさ子のそんな言葉にも、岩沢は頑なな態度をとった

「駄目だ。帰ってくれ」

「岩沢っ!さすがに、そんな言い方は――――」

「――――いや、いいよ。俺が悪かった。部外者なのにいつまでもここにいてさ。すぐに出てくよ」

空気が悪くなり切る前に、正気へと帰った俺は自ら辞退を申し出た。
機嫌が悪い時に依怙地になるのは良ろしくない。もう少し落ち着いてから、また来ればいい。
まあそれに、休憩は終わりと言っているのに居残っていた俺も悪いのだ。

そんな事を考えながら、俺はすでに片付けていた諸々の道具を担ぎ、出口へと行く。

「――――衛宮」

だが、その時後ろから、声が掛かる。
その声は、ひさ子のものだった。

「アンタが自分の事をどう思っているのかは知らない。知ったこっちゃない。
―――――でもな、ここにいるメンバー全員、アンタの事を部外者だなんて思ってる奴なんて、いないんだぜ?」

その声はどこか暖かく、穏やかで。
俺は小さく、ありがとう、と呟き、空き教室を出た。

何故だかその背には、岩沢の視線が張り付いているような気がした。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あ~あ。どうやら、岩沢さんの気持ちを傷つけちゃったみたいですね」

唐突に、道を歩く俺に声が掛かる。
どこかで聞いた事のある声。少し幼い感じの、でも綺麗な声。
この声は、確か――――。

「――――お久しぶりですね、リア充(笑)先輩」

「………ついにただのリア充ですらなくなったのか、俺は」

―――そう、ユイ☆ニャンだ。

「まあでも、確かに久しぶりだな、ユイ☆ニャン」

「ちょ、ユイ☆ニャンは止めて下さいって言ったじゃないですか!」

そんな事を言いながら横道から現れたのは、この前学園祭の時に出会ったガルデモファンの内の一人、ユイ☆ニャンだった。
彼女はその小さい体躯で一生懸命自らの焦りと怒りを表明しようと腕を上げ、俺に近付いてくる。
その手には一本の缶コーヒー。しかも、最近になって気が付いたら入れ替えられていたホットバージョンだ。

「え?ユイ☆ニャン(笑)の方が良かったか?」

「そういう問題じゃありませんっ!」

「いやぁ、でも俺、そもそもアンタの本名聞いてなかったし」

「ユイです、私の名前はユイでございます!ちょっと調子乗って恥ずかしい名前を名乗ってましたスミマセンだからもう勘弁してくださいっ!」

頭を地面に擦り付けんばかりに深々とお辞儀をするユイ☆ニャン――――いや、ユイ。
そんなにもペラペラと喋ってよく舌を噛まないなと内心感心しつつ、俺は話を最初まで戻す。

「いや、別にいいけどさ………所でユイはさっき、何か俺に言わなかったか?」

「いきなり呼び捨てですか…………成る程。これがリア充のリア充たる所以………恐るべし、リア充」

「…………………なあ、何も用がないなら、俺もう先に行っていいか?」

何やら真剣に考え出すユイに対して、俺は呆れた視線を向ける。
たぶんコイツも悪い奴じゃあないとは思うのだが、ちょっと変な奴だ。
……………思えば、俺の周りって変な奴しかいない気がする。

「あっ、ちょっと待って下さいよ!もう、リア充先輩はせっかちですねぇ。そんなんじゃ、遊佐さんから愛想尽かされますよ」

「………何でそこで遊佐が出てくるのさ」

「ふっふっふ。隠しても無駄無駄無駄ァッ!!今の遊佐さんから溢れ出るオーラは、まさに恋の叶った乙女のもの。そしてその相手とくれば、リア充先輩、アナタしかいないんですよ!」

名探偵には何でもお見通しだぜ、と言わんばかりに、指先を俺に突きつけてくるユイ。
その内、じっちゃんの名に懸けて、とか言いそうだ。
ちなみに、今のユイの顔はドヤ顔である。

「……………根拠に乏しいな。君の個人的な感想など知った事ではないが、それに人を巻き込むのは感心しないな」

「衛宮さん、言葉硬くなってますよ」

やれやれだぜ、と口元で呟き帽子の縁を押さえつける真似をするユイ。
………うん。軽く殴りたくなってくる。

「…………で、本当になんなんだ。言っとくけど、俺だって暇じゃないんだぞ」

「話を逸らしましたね、先輩。そうやって遊佐さんの話しを頑なにしようとしないのは……………ああはい分かりました分かりましたゴメンナサイだから置いてかないで下さい」

延々と続くユイの言葉に途中で面倒臭くなり、途中で離れようとした俺を呼び止めるユイ。
………正直、面倒臭い。これ、いつまで続くんだろう。

「仕様がないですね、この慈悲深いユイ様が直々にお教えさせ給いましょう」

「………分かってると思うけど、その敬語、変だからな」

仕方なく俺は、はあ、と一つため息を付いてから、ユイの方へと向き直る。
さっさと聞いて、さっさと去る。それがベストな方法だろう。

「でもぉ、私が直接言っちゃうのはルール違反だと思うんでぇ、抽象的にしか言いませんよぉ」

「とりあえずその変な話し方を止めろ」

だがそんな俺の突っ込みを無視し、ユイは口を開く。

だが次の瞬間、ユイの目から稚戯の色が消え、真剣味を帯びた。
それは、ついさっきまでのふざけた調子とは打って変わって、とても真面目な様子で。
その真剣さに、俺は黙ざるをえなかった。

「―――考えてみて下さい。アナタと、岩沢さんの関係を。岩沢さんが、どんな人間なのかを。そして、岩沢さんが、アナタに対してどう思っているのかを。そこにきっと、先輩の求める答えがあります」

おふざけの感は一切ない。
ただ純粋に、思いの丈をぶつけてくる。

「ずっとファンだった私には分かる。いつも傍にいる人や、ちょっと鈍い人には気付けなくても、ずっとあの人をも続けていた私には、分かる。でもそれは、私から言っちゃいけない事なんです」

だから、とユイは続ける。
その言葉に、万感の思いを込めて。

「………応えてくれとは言いません。けどせめて、あの人の、岩沢さんの思いくらいは、気付いてあげて下さい」

そう言って頭を下げたユイの体は、思っていたよりずっと小さく、細い。
そして、俺に向けられたその背は、微かに震えていた。

何かをしなければならない。俺の中で、そんな感情が湧いてきた。
このまま何もしないでいる事は出来ない。何かをしなくてはならない。行動しなくてはならない。
けど、何をすればいいのか分からない。圧倒的に経験が足りない。俺は、何をすればいいのだろう。

そしてふと、自分の腕が視界に入る。
よく動かすからか、結構筋肉の付いた、太い腕。
ユイや、遊佐や、岩沢のそれとはまるで違う、男の腕。
けどその腕は、この場で何の役にも立たちはしない。
でも、たとえ役に立たないとしても、俺は目の前の少女のために、何かをしなくてはならない。

そんな義務感に突き動かされて、思わず俺の手が伸びる。
その先には、頭を下げるユイの、小さな頭。
何とも手を載せやすい位置にあるその頭に、俺は思わず、自らの手を伸ばした。

「―――――――――――あ」

ユイの口から、声が漏れる。
その少しびっくりしたような声に、俺は少しだけ落ち着いた。

「―――――俺に何が出来るのかは分からない。けど、それでも、約束する。俺に出来る限りの事は必ずする。だから、俺に頭を下げないでくれ」

思うようにスラスラと、口から言葉が突き出てくる。
何の気負いもなく放たれたその言葉は、自分でもびっくりするくらい静かで、やさしさが篭っていたと思う。
俺は、静かにユイの髪を撫でた。


いつまでそうやってユイの頭を撫でていた事だろう。
微かに震えていたユイの頭は、今、もっと大きく震えだし、て………?

「――――――って、いつまで私の頭撫でてんですかっ!」

突っ込むユイの顔は、どこか少し紅かった。

「破廉恥、破廉恥ですっ!これは真性のリア充の仕業です!はっ!まさかリア充パゥワァを使って、このアタシを篭絡するつもりなのではっ?!しかし無駄です!なぜならアタシには秘奥義:ナデポ返しを修得しているのだから!」

どうやら混乱している様子のユイは、何やら訳の分からない妄言を口にしながら、右往左往するばかり。
けれど、それが一種の照れ隠しである事は、先程の態度を見れば一目瞭然だった。

「と言う訳で、そりゃっ!ナデポ返し!これで衛宮さんは私にメロメロに……」

と、そこまで言って、俺の向けている視線に気が付いたのだろう、ユイは唐突に我に返る。
正気を取り戻した彼女は、何やらあたふたした様子で、俺を見る。

「………って、何ですかその微笑ましいものを見るような目付きは。私がちょっと頭のかわいそうな子みたいじゃないですか」

「…………それじゃあ俺、もう行くから。ゆっくりしていけよ」

ちょっ、せめてそこは何か否定して下さいよっ!などと言うユイの言葉を背に受けながら、俺はその場を離れた。
………けれど、何かちょっと意外だ。アレだけふざけた様なユイだって、色々と考えているだなんて。
そんな事を思いながら、俺はユイの言った言葉について、少し考えてみる事にした。


………でも、ナデポってなんだ。




[21864] 本編 二、
Name: saitou◆5555eb13 ID:3e74f817
Date: 2011/12/25 21:13


俺。岩沢。ガルデモ。ライブ。音楽。食べ物。ボーカル。
それらの言葉が、頭の中で渦巻いていく。
岩沢と音楽の関係。音楽と食事の関係。食事と俺の関係。俺と岩沢の関係。
どこが、何で、どうやって、何になったのか。
俺は岩沢をどう思っていて、岩沢は俺をどう思っているのか。
分からない。他人の気持ちなんて、直接聞いてみない事には、誰にも窺い知る事など出来ない。

そう、この前の―――学園祭の時の彼女のように、はっきりと告白してくれない限り、分かるはずもない。


“――――――――――――衛宮さん。私は、貴方が好きです”


脳裏に思い返されるのは、俺にとって少し唐突だった、あの日の出来事。
学園祭最終日における、彼女―――遊佐の告白。
あの日、あの時。遊佐は、恐らくあらん限りの勇気を振り絞って、俺にその思いの丈をぶつけてきたのだ。
残念ながらその思いに答える事は出来なかったものの、それでも彼女は、俺に言葉で気持ちを表現してくれた。

「――――――――――――士郎さん」

でも、それは逆に言うと、そうまでして言ってくれなければ、俺にはその思いが伝わらなかったという事に他ならない。
鈍い、と常々自覚し、他人からも言われ続けている俺だが、まさか面と向かって言われるまで気が付かない程鈍いとは、あの時、あの瞬間になるまで思ってもみなかった。
そう、俺の考えは、甘く、ぬるい。本当に俺は、駄目な男だ。

「――――――――――――士郎さん」

でも遊佐は、そんな俺の事を好きだと言ってくれたのだ。支えたいと言ってくれたのだ。
手酷く断ったこの俺に、そんな風に、優しく言ってくれたのだ。
そう、先程から何回か聞こえてきた、こんな風に綺麗な声で――――――――――――って、え?

「――――――――――――遊佐?」

思考の世界から現実の世界へと意識を戻す。
気が付けば、俺の目の前には、頭の中で考えていた張本人、遊佐その人が立っていた。

「―――――――おはようございます、士郎さん」

「あ―――、ああ。おはよう、遊佐」

まるで想像の中の人が現実世界へと出てきたような驚き。
突然の出来事に混乱しながらも、俺は条件反射的に遊佐と挨拶を交わす。
遊佐は綺麗な目を不思議そうに俺の方へと向けながら、まるで何事もなかったかのように話しかけてきた。

「何回か話しかけたんですが、何か、考え事でもしていらしたんですか?」

「え、あ、うん。その、色々と、な」

まさか、ちょうど遊佐の事を考えていました、なんて事を面と向かって言える訳もなく、俺は多少どもりながらも答えを返す。
しかしまあ、突然の事態にしては、まずまずの返し。
相手が答えを返すまでの僅かな余裕を獲得した俺は、改めて遊佐に目を走らせる。

キョトンとしている、アーモンドのようにパッチリした瞳と、スラリとして贅肉のない両手足。
一度も光に当たった事のないような白いシミのない肌と、理知的な顔立ち。
学園祭が終わってからほんの少しだけ切り揃えられた、風に靡けば金糸と見紛うばかりの美しい髪。
俺の事を士郎さんと呼んだその少女は、間違いなく遊佐だった。

目の前に立つ遊佐の服は、もはや冬服へと移り変わっていた。
夏服のような半袖故の色気というものはないが、これはこれでまた可愛らしい。
頭の上で括っている髪留めも、冬をイメージしたのか蒼っぽい色合いのものに変わっている。

………などと、冷静な目で遊佐を見詰められていたのも束の間。
やはり遊佐には俺が適当にお茶を濁した事が分かってしまったのだろうか、僅かにその綺麗な形の眉をひそめ、少し悲しげな顔付きで俺に言う。

「………聞いては、いけない質問でしたか?」

「い、いや、そんな事はないんだけど……」

「けど……何です?」

やけに尋ねてくる遊佐。
その態度に、俺はこれ以上お茶を濁す事は出来ないと覚悟した。

「…………その、遊佐の事、考えてた」

言って俺は、この上もなく恥ずかしい思いを感じていた。
こんな恥ずかしい事を言って、遊佐は呆れてはいやしないだろうか。
そう思って、チラリと遊佐の方を見る。

―――――遊佐の顔は、目に見える程赤く染まっていた。

「い…………っ」

「…………い?」

胃?

「…………………い、いきなりっ!そういう事………言わないで、下さい………………っ!」

羞恥の色に満ちた、遊佐の言葉。
そこに秘められた感情に、元々恥ずかしかった俺も、より恥ずかしさが増していく。

「…………わ、悪いっ」

俺は咄嗟にそんな事しか言えず、さっと視線を下へと下げた。

何で俺は、言えって言われた事を言って怒られているんだろう。
そして何で、俺は意味もなく謝っているんだろう。

そう思わないでもなかったが、敢えて口には出さない。
言ったが最後どうなるかなんて事は、俺にだって予想できないからだ。

そして俺が黙ったままでいる以上、二人の間には沈黙が流れる羽目になる。
堪らない空気が二人の間に横たわった。
……俺達は、何でこんな事になっているんだろう。

「も………もう、いいです。ですけどっ、次からはその………もう少し、間を置いてから言って下さい。その、私にだって、心の準備が必要なんですから」

――――そしたら、ちゃんと受け入れて見せます。
そういって遊佐は、少し顔を俯けた。
しかし、顔自体は隠せても、耳の赤さだけは隠しようもない。
俺は内心微笑ましい気持ちになりながらも、遊佐の髪を撫でた。
久しぶりに触る遊佐の髪は、何故だか先にも増して、柔らかかった。

「そっ―――それより士郎さんっ!お腹、お腹空いてませんかっ!?」

その空気を打ち消すように、遊佐が突然声を張り上げ、顔を上げる。
その拍子に俺の腕は遊佐の頭から外れる。暖かな感触が、消えていく。
遊佐の顔は、いまだに紅みが残ってはいたものの、気丈に俺の顔を見つめている。
いつまでもこの空気ではいられないと感じていた俺は、遊佐のその言葉に渡りに船とばかりに乗りかかった。

「……ああ。俺実はまだ昼食食ってなくってさ。今から食堂行こうと思ってたんだ」

今まで考えてもいなかった事を思い付いたままに言いながら、しかし俺は実際に腹が減っていた事を自覚する。
出鱈目に言ってしまったが、これは案外いい考えなんじゃないか?
そしてそんな事を言ってから、ふと気がつく。
これ、遊佐と一緒に行ったら、もっといい考えになるんじゃないか?

「……そうだ、せっかくだから、遊佐も一緒に食堂に来ないか?
あ、もちろん、腹が減ってなかったら無理に来る必要はないけどさ」

俺は言い出して、遊佐の反応をうかがう。
もしかして、悪い事を言ってしまったんじゃないだろうか。
そう思う俺に、しかし遊佐は嫌そうな顔を全く見せず、むしろ逆に一つ提案してきた。

「あ、そ、それだったら、その、これ………」

そして後ろ手に手渡されたものは、一個の布に包まれた何かだった。

「ん?これは………」

大きさは、少し小さなバレーボールくらい。
形は箱状で、重さはそこそこ。布越しにも伝わる暖かい温度が、冷たくなった気候にちょうどいい。

「開けてみて……下さい」

遊佐は控えめな調子でそう言って、少し顔を俯けた。
一体、これは何なのだろう。俺は内心不思議に思いながらも、布の包みを開けてみる。
すると、中には……

「こ、これは………」

俺は信じられない思いで中身をみる。
角が丸い四角い形、蓋をしていても漂ってくる、食指を誘ういい匂い。
間違いなくこれは…………弁当だった。

「これ………もしかして、遊佐の………手作り?」

「…………はい」

その時、俺の体に電流走る。

「その………ご迷惑でしたか?」

「と、とんでもないっ!」

瞳にほんの僅かな涙を湛えた遊佐に、俺は勢い込んで否定する。
女子からの手作り弁当………これを迷惑と呼ぶ奴など、この世に存在していいはずがない!
それがたとえ不味くても、食えたものでなくても、塩と砂糖が間違ってようと、そんな事は関係ない。
手作りという事実こそが肝要なのだ!そう、これは――――

「―――とんでもないぞっ!」

「何故、二度言ったんですか………?」

しかし、もちろん作ってくれたのは嬉しいのだが、もしかしたらこの弁当、結構遊佐の負担になっているのではないだろうか。
そう思い、俺は直接遊佐本人に尋ねてみる事にした。

「……いや、でもコレ、結構大変だったんじゃないか?」

言いながら俺は、遊佐から手渡された弁当の蓋を開けてみる。
中から出てきた湯気は良い香りがし、見た目は実に美味しそうだった。

「そんな事はありません。私も、久しぶりのお弁当造りでしたから、楽しませてもらいました」

それに、と遊佐は俺から少し視線をそらしながら告げる。

「このお弁当を士郎さんが食べてくれたら、一体なんて言ってくれるんだろうって、そう考えたら、多少の疲れなんて吹っ飛んじゃいました」

そう言い放った遊佐の顔は、とても晴れやかで、俺は一瞬、言葉が出なかった。

「……………そっか。うん。ありがとな」

数瞬かけて俺の口からようやく出てきた言葉は、あまりにも凡俗な、普遍的言葉にすぎなかった。
自分に口舌の才能がないことが恨めしい。せめて、他の何かでこの感情を伝える事が出来るのならば、どんなに良かっただろう。

「ふふふっ。今はありがとうの言葉よりも、料理の感想を聞いてみたい所です」

少しふざけたように遊佐は言い、軽く片方の瞳を閉じる。
所謂、ウインクというやつだ。普通の人がやったら決して似合わないであろうそれは、何故か遊佐にはよく似合っていた。

「………ああ、そうしよう。けど、ここじゃあ何だから、いつもの所へ行くとするか」

俺は一言そう言って、踵を返す。
そうして少し歩きだし、耳で遊佐の足音を聞きて後ろに付いてきているのを確認した後、俺は弁当を食べるため、いつもの場所―――調理室の方向へと足を向けた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「―――ここに来るのも、随分久しぶりな気がします」

ガラガラと扉を開けて入って行った調理室の中は朝と何も変わらず、しかし遊佐の眼には懐かしく映ったのだろうか、しみじみとそう呟いた。

「…………あ、懐かしい。これ、士郎さんと初めて食事した時のマグカップですよね。ふふふっ、ここももうすっかり士郎さん専用の部屋ですね」

初めてここに案内した時は、まさかこんな事になるなんて、思いもしませんでしたけど。
そう言って遊佐は、俺のマグカップを手に取り、まじまじとそれを見つめる。

「…………別に、俺専用ってわけじゃあないさ。最近はなんだかNPCも良く来るし、その時は潔く外に出てるぞ、俺」

そうだ。近頃は、何人かのNPC達が時たまやってきて、何やら作業をして帰っていく。
一体全体何をやっているのか気になる時もあるのだが、所詮調理室は公共の場。
俺が何か特別な権利でも持っているわけでもない以上、中にいる人達に何かを言う事は出来ない。

「ふふっ。士郎さんらしい話です」

俺のその言葉を聞いて笑いながらも、遊佐は勝手知ったる人の家とばかりに壁の棚から新たなマグカップを用意する。
そして次に向かった先は、薬缶の置いてある所。その足取りは確かであって、一片の迷いもない。
……………俺専用だの言ってるけど、遊佐も大概だと思う。
俺はそう思いながらも口には出さず、ただ無言で遊佐から薬缶を受け取り、水を入れてコンロに掛ける。

「遊佐は、紅茶派だったっけ?」

「はい」

これ以上お客さんに働いてもらう訳にも行くまい。
そう思って俺は、棚の所からティーカップと適当なティーパックを取り出す。
本格的に茶葉から入れてもいいのだけれど、それだと時間が掛かりすぎる。
合理的発想の末、妥協案としてのティーパック。
しかし、ティーパックとて捨てたものではない。
手軽で、便利で、ある程度以上味も保証されている。
食事の添え物としてならば、これで十分以上だろう。

「………ま、お湯が出来るまでまだしばらくかかるからさ、先に弁当を食べさせてもらおうかな」

そう言って俺はティーパックを机に置いて、遊佐の作ってくれた弁当に手を伸ばす。
遊佐はああ見えてというか、見た目通りというべきか、決して料理は下手ではない。
まあまず食えないものではあるまいと予想して伸ばした俺の手はしかし、対象を掴む事なく空を掴む。

何故?と思い、空を掴ませた張本人―――遊佐の顔をのぞき見た。

「……遊佐?」

俺の訝しげな声に、しかし遊佐は応えず、ただ辺りを見回し、弁当を俺の手に届かない所へと置いてから、わざわざ開いていた部屋のカーテンを閉め、扉の鍵を掛けた。

「?」

遊佐は一体、何をやっているんだ?

「………これでよし、と」

そう思う俺を嘲笑うように、遊佐はとことこ歩いて座っていた元の席へと戻り、俺と向き直る。

「お待たせしました、士郎さん」

「………いや、別にいいんだけどさ。一体、何が良かったんだ?」

「何でもありませんよ、何でも。ええ、勿論何もないですとも」

遊佐は何やら早口でそう言って、誤魔化すようにパタパタと手を振る。
不審な態度。しかし、具体的にどこがどう変だ、というまでには至らない。
ただ単に、いつもの遊佐らしくないという、ただそれだけの話。

「そんな事より士郎さん、お弁当を食べましょう、お弁当を」

言いながら遊佐は甲斐甲斐しく立ち上がって、ティーカップを引き寄せ、机の上のティーパックをその中に入れる。
するとタイミングのいい事に、熱していた薬缶がピィピィと沸騰した音をたてる。

「おっと、もうそんなに経ったのか……」

紅茶という物は、お湯の温度でその味わいがガラリと変わる。
たしか茶葉が関係していたと思うのだが、詳しい所は忘れてしまった。
だが、蒸らす時間だけはちゃんと覚えている。お茶の味を楽しむにあたって、本当に重要なのはそれだけだ。
まあ、薬とかと同じで、どんな効用があるかとか聞きながらだと、より有り難味が出たりするのだが、とりあえず今は関係が無い。

「…………よっ、と」

俺はひょいと薬缶を取り上げ、遊佐がティーパックを入れてくれたティーカップの中に、沸いたばかりのお湯を入れる。
もっと美味しくお茶を飲みたいのならば、ティーカップ自体を温めたりとか、他にも色々とするべき事があったりするのだが、今回は割愛するとしよう。
茶葉の種類は確か、葉の細かいオレンジペコ。これならば確か、二、三分蒸らせばいい具合になるはずだ。
俺は机の端に置いてある砂時計を引っくり返す。小さな砂が、流れ出した。

「…………さて、じゃあまあお茶の準備も出来た事だし、弁当を食べさせてもらおうかな」

俺はお湯を入れたティーカップに蓋をし、その弁当を元に戻してくれないか、と目線で訴える。
しかし、効果は今一つのようだ。

「やらなくちゃ…………一歩リードするために……私は…………」

ぶつぶつと何かを呟く遊佐の目には、何やら決意と躊躇いの色。
相反するような二つの感情を表す遊佐の真意を測りかねている俺を前に、遊佐はそっと弁当を広げる。
中から出てきたのは、仄かに匂い立つ芳ばしい香りと、見事なまでに色鮮やかな食材達。
しかも、ちゃんと食事のバランスも考えられているのであろうか、肉だけでなく野菜も豊富だ。

そんな弁当箱を開けて、しかし遊佐は動かない。俺に与えようという素振りも見せない。
何で、と俺が思ったのも束の間、遊佐は中に一つしか入っていなかった箸をそっと綺麗に使い、中に入っていた一つ卵焼きを掴んだ。
掴まれたそれもまた中々の逸品で、焦げ目一つついてはおらず、微かに半熟であるようだ。
遊佐はそれを掴み、そのまま固まる。

「……士郎さん」

そして繰り出されたのは、少し硬くなった遊佐の声。

「……遊佐?」

一体、何が起ころうとしているのか。
そんな俺の浅はかな考えは、次の遊佐の言葉で、木端微塵に吹き飛ばされた。

「――――――――――――はい、あーん」

…………………………………………え?

俺は思わず、遊佐の持つ箸を見る。
それは美しい持ち方で、しかし不可解な事に、遊佐本人にではなく俺の方へと向いていた。
…………いや、不可解な、なんて言って現実逃避をするのはもうやめよう。
遊佐の気持ちを知ってしまった今、ただ鈍感でいられることなんて出来はしないのだ。
そう、これは、あれだ。
その………つまり、自分の箸で相手に食べさせてあげる行為――――所謂、あーん、という奴だった。

「…………あー、その、遊佐さんや?」

「はい、何ですか、士郎さん」

覚悟を決めた、遊佐の瞳。
その目にもはや迷いはなく、手先は小揺るぎもしない。
遊佐はこうと決めたら頑として行う人物だ。たとえ内心、耐え難い葛藤が起こっていたとしても。
それは俺も良く知る所で、しかしさすがにすぐにあーんをする勇気が湧いてくるはずもなく、俺はほんの少しだけ話をそらそうと試みた。

「あ、いや、その…………そう、お茶!お茶、もうそろそろ時間なんじゃないかな……なんて………」

「………まだ一分も経ってませんよ。そんなに紅茶を飲みたいんですか?」

言いながらも遊佐は揺るがず、決して動かない。
…………これは到底、口先だけで逃れられそうもない。誰が見ても分かる。遊佐は本気だ。
覚悟を、決めるしかないのか……?この、誰かに見られたらそれだけで社会的に終わってしまいそうな、この状況に……?

「――――士郎さん」

ごちゃごちゃと考えていた思考が、その一声で断ち切られる。
よく見れば、遊佐の顔はほんの少しだけ蒼く、山の如く不動に思えていた箸の先は、ほんの微かに震えていた。
そうだ。たとえどんなに平気そうな顔をしていた所で、遊佐も俺と同様に恥ずかしいのだ。
だったら、遊佐にだけ恥ずかしい思いをさせている今の俺は、どれだけ恥ずかしい奴なのだろうか。

「………はい、あーん」

遊佐の口が、艶めかしく蠢く。
その艶やかな唇は、まるで二弁の薔薇のよう。
しかし、綺麗な薔薇には棘がある。
そう。薔薇を得るには、多少の犠牲もやむを得ない。

「遊佐………」

そう、あーんが何程の物だ。
ここに来てから俺は、様々な難局を乗り切ってきた。
野田、天使、サバゲーの相手。どれも皆強敵で、しかしそれでも俺は生き残った。
彼らと比べれば、玉子焼きなんぞは難事の内にも入るまい。
そう思い、俺は差し出される箸に覚悟を決めた。
もう俺は逃げない。何物からも、決して逃げる事はない。

その誓いを胸に、俺は箸の先の玉子焼きを――――――。



“―――――――――――ッ!”


――――食べる寸前に、突然ノイズ音が調理室内に木霊した。

“―――――ッ! ――――――ッ! ―――――――ッ!”

それが発せられたのは、ここに来てから一度も鳴っている所を聞いた事のない、教卓上のスピーカー。
唐突な音に思わず固まる俺たち二人をよそに、そのスピーカーから、さながらマシンガンのように言葉が吐き散らされた。

“――――――――中ッ!――――――――ィクのテスト中ッ!――――――――――ぉちらマイクのテスト中ッ!
ロリ京特許許可局で、ロリ麦ロリ米ロリ卵を、青ロリ紙赤ロリ紙黄ロリ紙で包み、ロリ垣にロリ立てかけた、隣の日向はよくロリ喰うロリコンだっ!”

滑舌のよい女性の話し声。長々と台詞を放っても一度として噛まないその話しっぷりは賞賛に値するもので―――――って、この声、もしかして…………………?

“ちょぉ~~~っと待った!もう止めよう!俺のロリコンネタはもう止めよう!天丼とはいえもう絶対読者さん飽きてるって!しつこいよもう流石にっ!”

“メタな発言禁止よ、日向君。…………っていうか、アタシだって言いたくて言ってるわけじゃないわ。ただ、日向君がロリコン過ぎて見るのが辛いのはもう変えようのない事実。これは神でさえ否定できない絶対の真理………”

“凄過ぎるだろ俺っ!どんだけロリコンなんだよ俺っ!”

“こんだけ”

“その返し方小学生かっ!”

“小学生?それは貴方の好みの話でしょ?”

“だから違いますからっ!”

“あ、ごっめ~ん!そうだったわね、貴方が好きなのは小学生みたいな娘であって、小学生ではなかったわね!ごめんなさいね、勘違いして!”

“だ・か・ら!俺はロリコンじゃないと何度言ったら…………!”

スピーカーから流れてくる、いつもと言えばいつも通りな掛け合い。
それを聞き、俺は確信する。これを流している二人組みは、間違う事無くゆりと日向の二人であると。
その事実は徐々に俺の中へと染み込んでいき、衝撃を感じていた自分を冷静にする。

“………――――って、そう言えばこんな所でロリコンと話してる暇はなかったんだった。
え~っと、そう!緊急招集、緊急招集を発議する!囮班を除く戦線の全活動メンバーは、二十分以内に対策本部へと集合!いい、もう一度だけ繰り返すわ!二十分以内に全員集合!遅れた者は罰ゲームよ。いいわねっ!”

“ちょっと待てゆりっぺ!俺はまだ言いたい事が……!”

“ロリコンの妄言を電波に乗せる事なんて出来ないわ。もしそんな事をして、学校中がロリコンだらけになったらどうするつもり?貴方責任取れるの?”

“電波に乗せてもロリコンは移りませんからっ!というかそもそも俺はロリコンじゃあ……………って、あ、止めろゆりっぺ!襟を、襟をつかんで引っ張るなあぁぁぁぁ…………”

そして、フェードアウトしていく声。
わざわざそんな事を言うために放送室を乗っ取ったのかとか、確かに日向はロリコンである事は否定出来ないとか、色々言いたい事はあったもののとりあえず、哀れ、日向。
たぶん届かないだろうけど、黙祷だけはしておこう。

「………………………」

だがしかし、哀れといえば哀れなのがまた一人、俺の目の前にも固まっていた。

それもまあ、当然といえば当然の出来事。
折角覚悟を決めて恥ずかしかったであろう、あーんに挑戦したのに、肝心な所で邪魔されたとあっては、恥ずかしさも一塩だろう。
それに、彼らの掛け合いの後では、どんな雰囲気もぶち壊しだ。今更あーんを強行しても、滑稽な物にしかならない。
………もしかしたら先程カーテンを閉めたりしていたのは、こういった邪魔されないようにするためだったのかもしれない。
まあ、結果だけを見れば無駄だったのだけれど。

「折角……………二人きりになれたのに………………結構久しぶりに、二人きりになれたのに………………………………………………………捥ぎますか?」

何やら物騒な事を呪詛のように呟く遊佐。
その手は未だ宙に浮いて、あてどなく着地点を探している。
今更ただ下に下ろすのは馬鹿馬鹿しい。でも、今更もうあーんなんて出来る雰囲気ではない。
そんな思いが、遊佐の仕草から伺える。箸は宙に浮いたまま、行き着く寄る辺を探していた。

「………………まあ、仕方ないか」

その様は見るだに哀れで、俺は自分が何とかしてやるしかないと思った。
それはたぶん、俺が遊佐の気持ちに気付いてからの、初めての自発的な行動だった。

「――――――遊佐」

終わってしまった空気とか関係なく、あーん、と俺は大きく口を開ける。
恥ずかしいから、目は瞑った。
冷静ぶろうとしてみるけれど、たぶん今の顔は真っ赤だろう。

「―――――え?」

遊佐が驚きの言葉を漏らす。
何が起きているのか分かっていない様子。
しかし、だからといって今更引き返す訳にはいかない。
少しばかり恥ずかしいからといって引き下がる訳にはいかないのだ。

「え、し、士郎さん?」

初めにあーんをしようとした時とは正反対の形。
さっきは遊佐が俺にあーんをしようとして、今は俺が遊佐にあーんをして貰おうとしている。
正直、これはちょっと恥ずかしい。成る程、先程の遊佐はこんな気持ちだったのか。
そう考えると、渋っていた自分が如何にみっともないか分かってしまう。

「…………どうした、遊佐。シてくれるんじゃ、なかったのか?」

けれど恥ずかしいものは恥ずかしくて、俺は催促のような言葉を漏らす。
その言葉は恥ずかしさのあまり少しつっけんどんで、しかしそれでも、遊佐は応えてくれた。

「あ――は、はいっ!」

勢い込んだ返事。
その威勢の良さに、俺の頬は思わず綻ぶ。
それは恥ずかしさも一時吹き飛んでしまう程。

「はい、士郎さん。あーん」

「はい、あーん」

柔らかい感触。口に広がる多幸感。やさしげに微笑む、遊佐の笑顔。

………後はもう言うに及ばないだろう。
二言だけ付け加えておくとすれば、遊佐の弁当はかなり美味しかったという事と、せっかく用意していたお茶が、冷たくなってしまったという事だけだった。




[21864] 本編 三、
Name: saitou◆5555eb13 ID:3e74f817
Date: 2012/02/18 20:57

対天使対策本部


「遅いっ!」

俺達が部屋に入ってきての第一声は、ゆりからの怒鳴り声だった。
時計を見れば、告知されていた時間帯から五分程過ぎた辺り。
対天使対策本部の部屋はすでに暗く、奥の画面には何かが表示されていた。

「悪い、ゆり。昼飯食ってたんだ」

そんな言い訳にもならないような事を口にしつつ、俺は部屋の中へと入る。
どうやら他の連中はすでに揃っていたようだった。

「昼飯食ってたって、それだけじゃこんな時間になる訳………」

ゆりはそこまで口にすると、ちらりと俺の後ろにさりげなく立つ遊佐を見た。
そして何かを悟ったような瞳で俺に視線を戻す。
………何か、勘違いされたような気がする。

「…………まあ、いいわ。緊急事態だから、今は何も言わないでおいてあげる。けど、衛宮君達には後で何か罰ゲームを言い渡すからね」

「いやいや、ゆり。何か勘違いしてないか?俺達は別に………」

「ああはいはい今はそれ所じゃないからとりあえずその話は後でゆっくり聞かせてもらうわ」

ゆりは俺を適当にあしらいながら、何かの表示されたスクリーンの前に立った。
ベレー帽を深く被り直し、仁王立ちするその様はいつもながらに威厳があり、俺はそれ以上追及する術を失った。

「―――さて、衛宮君のせいで止まってしまった話を戻すわ」

まるで何事もなかったかのように話を戻すゆり。
この適当さの残る扱いは何なのだろう………こういう役割所は日向のはずなのに。

悶々とした気持ちを抱える俺をよそに、ゆりは表示された画面を動かして、一部分だけをピックアップする。
それにより、画面に映し出されていた黒い模様が文字であった事が発覚。
これは………名前?

「衛宮君以外にはさっき言ったと思うけれど、これはこの学園の名簿表。私や皆の名前も入っている、学校の備品よ」

そんな情報を、果たしてゆりはどこから持ってきたのだろうか……。
まあ、考えるだけ無駄か。きっと、どこからか奪――借りてきたのだろう。

「そこまではさっきも聞いたぜ、それが何だってんだゆりっぺ」

発言したのはソファーに腰をかけていた藤巻。
相変わらず腰に木刀を括りつけ、柄の悪そうな態度でこの会議に臨んでいる。

「そうだよ、ゆりっぺ。問題なのは画面に写っている物がなんなのかじゃなくて、その写っている物が一体ぼく達と何の関係があるのかって事だよ」

とりあえず皆の言いたい事を纏めたのは、藤巻の後ろでソファーの背の上に座っていた男子、大山だった。

「まあまあ、慌てない慌てない。いい?この名簿表は、この学校全ての生徒の名前が入っているの」

ゆりは言いながら、画面を下へとスクロールさせていく。
一体どのくらいの人数がいるのだろう、画面は下へと全くたどり着かない。
超巨大マンモス校とは聞いていたが、二千、いや、三千人位いるんじゃないだろうか。

「で、大事なのはここからなんだけど………。実はこの情報が随時更新されていると言ったら、分かる人もいるんじゃない?」

その言葉に、電流が走ったように閃いた―――――のは僅か数人。
後の数人は、ゆりの言葉の意味を掴めず、ただ呆けた顔を晒すだけ。

「……つまり、どういう事なんだ、ゆりっぺ?」

その筆頭である日向が、呆けた顔のままゆりに問うた。
ゆりはまあこの程度は予想していたと言わんばかりの余裕さを持ってヒントを出す。

「考えても見なさい。昨日書かれてなかった名前が新しく載っている。これが意味する所は?」

今度こそ部屋の中にいた皆が、あっ、と言う顔をした。
まあ、なんとなく日向は場の空気に合わせただけのようにも見えるけれど。

「―――そう、つまりこの名簿には、新しく入ってくる人の名前が書かれたって事」

画面のスクロールが止まる。そしてさらに拡大される画面。
そこには一つの名前があった。
記された一つの名前。

その名前は、音無、とあった。


「大体今までの経験上、ここに名前が掲載されてから十二時間後程にこの名前の持ち主はやってくるわ」

音無という名前の横に、タイマーのようなものが現れた。
それが指し示す時間は、二時十五分。
つまりは、あと十時間弱でこの音無という人が現れるという事だった。

「―――まあ、こうやって私達はいつも新入者の存在をキャッチしてきたって訳。衛宮君も、こうやって来る事を察知したのよ?」

ちらり、と視線をよこすゆり。
確かに思い返してみれば、ゆり達との接触までの時間が短かった気がする。
成る程、あの早さはこう言うからくりがあってこそだったのか。

「まあ、このやり方では大体の時間は分かっても詳しい時間は分からないし、第一出てくる場所が分からないから人海戦術を使うしかないんだけどね」

「いやいや、十分凄ぇじゃねえか、ゆりっぺ」

「知らなかったぜ、ゆりっぺ。今までこんな方法使ってたなんてよ」

「ふっふっふ。まあ、アタシを褒め称えるのはその位にしておいて頂戴。これから、今回の作戦の目標を発表するんだから」

ゆりはそう言って不敵に笑う。
しかし、ここまで来れば今作戦の目標はすでに言われたも同然。
新入者を待ち構えてまでする事といえば、唯一つしかない。
それは――――

「―――――今回の目標はただ一つ。新しくやって来る新入者を、天使より先に保護をして勧誘する」


新入生に対する、歓迎だった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



結局会議は一時間位かかった。
班を決め、配置を決め、勧誘の言葉を決め、班の中で誰がそれを話すかを決める。
たったそれだけの事なのに結構時間をくったのは、やはり戦線のメンバー皆が個性的であるという原因に行き着くだろう。
何故か途中で戦線の正式名称についての議論とかが始まってしまったあたり、この戦線のグダグダ感が現れている。

「―――――現れませんね」

等と過去に思いを馳せる俺の近くでそう呟いたのは、俺と同じ班になった高松。
ここの所、何故か俺と高松は良く組まされている気がする。
他に組まされる人がいないのだろうか。いや、むしろ他に俺と組ませる人がいないのかもしれない。

「まあ、その内現れるだろ。別に焦って出るものでもないし、気長に待とう」

言って俺は、辺りを見渡す。
そう、ここは大食堂の屋上。
天使が現れた時にはスナイパーが配置される、グラウンド全体を見渡せる高地。
反面校内を見ることは位置的に難しくなるのだが、その分は他の班がやってくれる事だろう。

「もしかしたら、もうすでに他の班が見つけてしまっているかもしれませんね」

変わり映えしない風景に退屈しているのか、高松はつらつらと言葉を重ねる。
一応大事な任務中だぞ、と思う心もないでもなかったが、それ以上に自分も退屈していた所。
俺はここで呆としているよりはまだ何かお喋りするほうがマシだろうと高松に返事を返す。

「まあ確かに、地上チームはともかく、屋内チームはもしかしたら見つけてるかもな」

ぽつりと呟きながら、俺は班分けの仕方を想起する。
俺たちは結局、三つの班に分けられた。
遊佐がいる屋内チーム。日向達がいる地上チーム。そして、俺が入っている屋上チームだ。
比率的には屋内が七、地上が四、屋上が三といった所。比較的に屋内チームが多いのは、屋内で現れても屋上チームが見えないから、だそうだ。
ガルデモの人達なんかも借り出されているようで、ゆりの本気が伺える。

「まあ、私達は地上チームのサポートのためにいるみたいなものですからね。彼らに先に発見されてれば私たちの存在意義がなくなってしまう」

苦笑を滲ませながら言う高松。
まあ、確かに広範囲で観察出来るこっちが足に頼る事しか出来ない地上チームに負けるのは流石に恥ずかしい。

「………そうだな。流石にお荷物になるのは―――って、そうだ!じゃあさ、賭けないか?どっちが先に新入者を見つける事が出来るかどうか」

「………いいですね、それ。面白そうです。しかし、私はこれでも長年戦線に勤めてきた者。そう簡単には――――」


「――――――――賑やかなり」


――――――っ!
突如かけられたその言葉に、俺と高松は揃って振り返る。
俺たちの視線の先。そこには、我らが屋上チーム第三のメンバー―――椎名が瞳を瞑り、腕を組んでいた。

「………あー、その。椎名、さん?」

恐る恐る、といった風体で、高松が話しかける。
しかし、その声が聞こえていないのか、椎名はピクリとも動かない。
聞き間違いか、そう俺達が思い始めた頃、ようやく椎名が口を開く。

「………何をそこで呆としている。我々の役割は、一体何だ?」

目を閉じたまま変わらず泰然とした様子で語る椎名の姿に、俺と高松は呑まれた。
しかし、黙っているままではいけない。俺と高松は呑まれながらも答えを返す。

「新入者の発見、ですが」

「分かっているのなら、もう少し真剣にあたりを探索しするのだな。新入者はいつやってくるのか分からないのだから」

そう言って、椎名は腕を組みながら黙りこむ。

そういうアンタは目を閉じてるじゃないか。
真剣に探索してないのはアンタの方じゃないのか。
心に浮かんだそれらの思い。しかしそれは、椎名の様子を見るだに消えていく。
確かに、椎名は一見ただ呆と座り込んでいるだけのように見える。
する事もなく、ただ漫然と暇を潰すだけの暇人に。
しかし、その内実は違う。
一見隙だらけのように見えて、隙はない。
呆としているようではあるが、周囲への警戒に余念がない。
無警戒に見える皮を一枚めくれば、そこには怪物が潜んでいる。
確かに椎名は、戦線最強と呼ばれるだけの事はあった。

これが、格の違い。
これが、戦線最強の女。
戦線で唯一、天使とまともに勝負が出来る奴。

「…………衛宮さん」

高松が視線で俺に引けという。
その視線に、俺は黙ってその場を離れる事で応えた。





「…………衛宮さん」

屋上の端の方で、自分の得物を整備しだした俺に、高松が声をかける。
その声は少し不安に満ちたもので、しかし俺は心配ないというように高松に笑いかける。

「確かに、椎名の言う事は正しい。俺達、ちょっと浮かれすぎてたかもな」

新入者がやってくるという事に。純粋な意味で初めての後輩が出来るという事に。

「けど、俺も男だ。あそこまで言われて、すごすごと引き下がるのは、ちょっと癪だ。
―――だからさ、二人であいつを見返そう。ちゃんと下の方を見守って、あいつより先に新入者を見つけよう」

―――それがたぶん、一番の見返し方だと思うからさ。
そう言って、俺は得物の整備に戻る。
天使の襲撃が予想される以上、戦闘の可能性は常にある。
いさという時、手入れを怠って使えないなどという事があってはならない。

「………ええ。確かに、そうですね」

後ろから聞こえてきた高松の声は、どこか温かであるように聞こえた。



* * * * * *


SIDE:藤巻


「ったく、メンドクセーったらありゃしねえぜ」

時刻は夜。日の光が失せ、丸い月が顔を出した頃。
俺は愛用の木刀を軽く振りながら、誰に言うとはなしに愚痴を呟く。
意味などない。ただ、何か気を紛らわせたかっただけの行為だった。

「仕方ないよ、藤巻くん。新入者がやってくるんだからさ」

その愚痴に答えたのは、俺と同じ屋内班の、さらにその中で三つに分かれたチームの仲間、大山。
大山はこんな時も暢気な調子を崩さず、ただ俺に意見してくる。
その正論はご立派だとは思うが、しかダルイもんはダルイ。

「はっ。ンなもん、戦線のメンバー全員で探さなきゃならない程の事でもないだろうがよ。タリーぜ」

「駄目だよ藤巻君、そんな事言っちゃあ。新入者からすれば、僕達は先輩みたいなものなんだよ?藤巻くん、部活の先輩が新しく入ってきた新入部員に冷たく当たってたら、部活動なんて成り立たないでしょ?」

「いや、俺部活なんて入った事ねえからわかんねえし」

「実を言うと、僕もない」

「じゃあそんな例えしてんじゃねえよっ!」

突っ込みに軽く頭を叩く。
パコン、といい音が鳴り、大山は大げさに頭を抱えた。

「痛いよ藤巻くん!精密な僕の精密な脳みそは精密機械並に精密なんだよ!?もっと精密に扱ってよ!」

「お前今精密って何回言った?」

「五回」

「数えてるのかよ!」

もう一度俺が軽く大山に突っ込む。
パコン、とまたもやいい音を立て、またもや大山は大げさに頭を抱えた。

「痛いよ藤巻君!精密な僕の――――!」


「ああもうはいはいストップストップストーーップ!」


俺達のやり取りを止めたのは、大きいながらも綺麗な声。
ハスキーとさえいえるかもしれないその低い声は、またもや繰り返されるかと思われたやり取りを強制的にやめさせる。
それを出したのは俺ではない。そしてもちろん、大山でもない。
という事は、残るはただ一人。

俺らのチームの最後のメンバー、現役ガルデモメンバーの一人、豪運巨乳こと、ひさ子だった。

「もういい。分かった。アンタ達が漫才が好きなのは分かったから。だから漫才するなとは言わないがせめて真面目に捜索してくれ!」

「おいおい止めてくれよひさ子。大山はともかく、俺は真面目に捜索してるぜ?」

「そうだよひさ子さん!藤巻君はともかく、僕はちゃんと捜索してるよ!その証拠にほら、さっき道端で見つけたユリちゃん人形が!こんなの真剣に探してないと見つかりっこないよ!わあ僕凄い!」

「ええーい!ごちゃごちゃと喧しい!ともかく二人ともまともに捜索する事!アタシが言いたいのはそれだけだ!」

そう言って、ひさ子は俺達に背を向けて先を行く。
ポニーテールがふりふりと揺れる。
そんな後ろ姿を見ながら、俺と大山は遅れずついて行こうと小走りになった。

「まったく、アンタ達ときたら。せめてもうちょっと静かに出来ないもんかね」

先行くひさ子の顔は見えない。
しかし、何となくその顔は、ぷりぷりと怒っているようだった。
けれど恐らく、そういった顔もまたひさ子という人物にはお似合いなのだ。
だから俺は、ひさ子の怒り顔を見るのが嫌いではなかった。
ひさ子にはどんな顔も似合う。怒り顔、泣き顔、笑い顔。どれも何と言うか、いい。
でも一番なのは勿論――――。

「ったく。きっと衛宮だったら………」

――――などという俺のそんな気持ちも、ひさ子のその言葉に突然冷や水をかけられたように萎んでいった。
衛宮……また、衛宮。
おそらく、何気なく言った一言なのだろう。その言葉には何の気負いもなかった。
しかし俺は、その言葉を聞くのが初めてではなかった。
麻雀を打っている時、適当に雑談している時、練習に打ち込んでいるのを偶々見かけた時。
そのうち何回か―――何回かだけだが、確かに聞いた。
ひさ子の口から、衛宮という名前が出るのを。

別に、ひさ子の口から衛宮の名前が出た所で何か俺に関係がある訳ではない。
それで俺の生活が変わる訳じゃないし、別にひさ子との関係も変わらないだろう。
しかし、それでも俺は、ひさ子の口から衛宮の名前が出てくる事がいやだった。

理由は分からない。ただそう、何となくモヤモヤするのだ。
こんな気持ちは生まれて以来味わった事がない。死んでここに来てからもそうだ。
そして、ひさ子の口から他の男の名前が出てきても、そんな気持ちにはならなかった。
衛宮だけなのだ。
衛宮の名前だけが、俺をモヤモヤさせる。
ひさ子の口から出たあの野郎の名前が、俺にこんなにも複雑な感情を抱かせる。

なぜ俺は、衛宮を嫌うのか。

新入りだから、ムカつく。
それもあるだろう。けど、それだけじゃない。
新入りだから、信用出来ない。
それもあるだろう。けれど、それだけじゃない。

分からない。分からない。分からない。
もっと何か大きな、でもそれでいてシンプルなもの。
そのために俺は、奴を嫌っているのだと思う。

でも、それが何か分からない。
その原因が、分からない。
分からないけど、俺は奴が嫌いだ。
それだけは、変わらない。


けれど、何故―――――?



そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら俺の元に、屋上班から新入者の情報が入ったのが十分後。
そして、その新入者が天使に刺されたと聞いたのが、さらにその五分後の事だった。


* * * * * *

SIDE:ゆり


『良い情報と悪い情報が一つずつある』

私の持つトランシーバーから衛宮君のそんな報告が入ったのは、私が学習棟B棟にいた時の事だった。

『前置きはいいわ。結果だけ話して頂戴』

『―――新入者を発見。C棟前階段の所だ』

よし。悪くない。これで天使に先んじる事が出来た。
こういったやり取りは速さこそが肝要。遅れれば遅れる程ハンディキャップを背負う事になる。
それは、武力という点で劣っている我々からすれば、致命的なものだ。
故に、衛宮君達の功績は大きい。

しかし、と私は思い直す。
確か衛宮君は、大食堂の上の屋上班。
けれども、あの屋上の位置からでは、C棟前の階段はかなり見えにくい。
頑張って見てもギリギリ見えるか見えないかといった場所であるはずだ。

衛宮君の報告を疑うわけではない。
だが、しかしそれを、彼は苦もなく見つけ出した。
繰り返しになるが、疑う訳ではない。しかし、興味を覚えないといえば嘘になる。

『―――了解。よくやったわ。流石ね。けれど、そんな場所にいるのを、よく見つけられたわね。その位置からだと、本当にギリギリじゃない?』

相手に報告の疑いを抱いていると思わせない、遠まわしな問いかけ。
その問いに、衛宮君は答えた。その口調は、思っていたよりも歯切れの悪い物であったが。

『ん。まあ、何ていうか』
『何ていうか、何よ?』
『あー、その、笑わないでいてくれよ?』

そう念を押す衛宮君の声は、先程散々笑われたのだろうか、まだ躊躇いがある。
そんなに荒唐無稽な話なのだろうか。普段そう言う事を言わない人物だけに、益々興味が湧いてくる。

『大丈夫よ。どんな荒唐無稽な事でも笑わない。約束するわ』
『本当だな?』
『本当よ。信じなさい。私が今まで衛宮君に嘘をついた事があった?』

まあ、本当はあるけど。複数回以上あるけど。

『…………その、何ていうか、新入者が来た時、何て言うか、そう、感じが変わったんだよ』
『感じが変わった?何の?』

感じが変わる。なんだろう。もしかしたら、何か私の与り知らぬ裏技みたいな方法があったのだろうか。
もしくは、衛宮君にしか分からない特殊な感覚――――って、そりゃあさすがにテレビの見すぎか。

『』

『――――この世界、全部のだ』

――――世界?

『…………ゆり?』
『―――驚いた』
『は?』
『あの衛宮君でも、そんな下手な冗談を言うのね』
『…………………はぁ。もういいよそれで。一応笑わないでいてくれたもんな』

だから言いたくなかったんだ、と衛宮君は小さく呟く。
その暗い調子に、これはどうやら彼なりの下手な冗談ではないようだと悟る。
もしこれが日向君とかだったなら、ついに頭がイカれただけかと納得出来るのだが、今相手にしているのは衛宮君だ。
噂では変態リア充で女を侍らせまくってるという話だが、別に彼は常識を知らないと言う訳じゃない。
とてつもなく賢いというわけではないが、馬鹿であるというわけでもない………筈だ。
そんな彼がここでわざわざ冗談を言う理由はない。
いや、私達の緊張を解す為と考える事も出来るが、それにしてはネタが詰まらない。
だとすれば、彼の言っている事は…………本当?

『ねえ、衛宮君。一応その話……』
『いや、その話はもういい。それより、悪い方の情報だ』

あらら。もしかすると、拗ねてしまったかもしれない。
しかし、参った。本当はもう少し詳しく話を聞いておきたかったのに。
万に一つの確立だが、もしかすると何かこの世界に関する手掛かりのような物を得られたかも――――

『―――天使が、新入者の方に近付いてる』

衛宮君のその言葉に、私はそれまで考えていた取り止めのない事が一挙に吹き飛んだのを感じた。

『天使っ!?何でそれを早く言わないのっ!彼女に来られたら、勧誘所の話じゃなくなっちゃうでしょっ!?』
『ゆりが話の腰を折ったんだろ!?けど、別にまだ慌てるような距離じゃないし、たぶん先に確保できるとは思う』
『確保………ねえ』

本来なら、新入者は天使のやって来る可能性が少ない所へと移送し、説得するのが理想的だ。
しかし、現実はそう上手くは進まない。
移送するにも人手が必要だし、移送最中に新入者が起きだしたりしようものなら説得どころの話ではなくなってしまう。
故に、進入者がその場で起きだすのを待つのが吉………なのだけれど、天使が来るとなると話はややこしくなる。

『………俺らが足止めをしようか』

私の中にある迷いを悟ったのか、衛宮君がそう言った。
その心遣いはありがたい。しかし――――。

『――――いえ。この場での天使への攻撃は逆効果にしかならないわ』

天使に対処するとなればそれなりの人数が必要となる。
新入者の位置を特定できた以上、そんなに多くの人は必要ではないが、やはり人数はあるに越した事はない。
それに、例え仮に天使を撃退出来たとしても、その撃退姿を新入者に見られれば、我々の勧誘行動はおしまいだ。
天使は外見上とても愛らしい子供の姿をしている。それは、もし現実であんな子を見つけたら無理矢理にでも友達にしてしまいそうな位だ。
そんな愛らしい美少女を、複数人数で囲んで一方的に嬲っている(ように見える)様を、何も知らない新入者に見られたら、その時点で勧誘は失敗してしまうだろう。

例え成功するにしても、いたいけ(に見える)少女を一方的に嬲る(ように見える)グループにわざわざ入る奴なんて、ただのドSでしかないだろう。
つまりは、変態だ。そしてもう変態の席はもう日向君で埋まっている。これ以上はもういらない。っていうか許容範囲外。

『むしろ攻撃はしないで頂戴。今は見守るだけでいいの』
『………了解』

衛宮君はどこか渋々といった態で肯いた。
もしかしたら、彼は天使と再戦したかったのかもしれない。
彼の天使との戦績は純粋な勝負の点から言えば全敗。男として、その状況は悔しいだろう。
しかし、今は任務の事が最優先。メンバー一人の感傷に付き合う余裕などないのだ。

『お願いね。後、分かっているとは思うけれど、他の屋上チームのメンバーにも、攻撃しないように伝えておいてね』
『分かったよ。でも、天使が新入者に何かしそうな場合は、絶対に撃たせてもらうからな』
『大丈夫よ。彼女は意味もなく新入者を傷つけるような事はしないわ。実際、彼女が始めて会った新入者に危害を加えた事なんてなかったしね』
『………なら、いいんだけどさ。じゃあ、俺は天使の監視へと戻るよ。天使が半径50m位に近付いたら連絡する』
『ええ。分かったわ。上手くね』
『ああ。ゆりも、上手く説得してくれよ』

ピッ、とトランシーバーの電源を切る。
とりあえずこの後は、遊佐さんに連絡をいれて屋内班に新入者の情報を伝達。
そしてC棟に向かいながら地上班のメンバーにも新入者の情報を伝達。
それでもって新入者が起きるまで天使を警戒………こんな所だろうか。

「それじゃあ………やってやりますか」

私は気合を入れながら、遊佐さんの方へとコールをかけるのであった。




[21864] 本編 四、
Name: saitou◆5555eb13 ID:3e74f817
Date: 2012/03/12 18:32


SIDE:関根


こんばんは、関根です。
え、誰だって?あたしですよ、あたし。
ほら。ガルデモのメンバーで、ベース担当の。
え?分かんない?ほら、あれですよ、あれ。
いつも岩沢先輩とひさ子先輩に出番食われて影が薄い二人の、金髪の方です。
………自分で言っててなんか悲しくなってきた。
あたしの影が薄い訳じゃないやい。あの人達が濃すぎるんだい。

まあ、それはいいや。いや、良くはないけど、今は良しとしておこう。

それはともかく………突然ですが、班内の空気が最悪です。


「「「…………………」」」


終始、無言。

オペレーションが発動され、班が決められ、辺りをうろつき回る今現在にいたって、一言の会話もなし。
これがどれだけ異常な事なのかは、皆々様も良くお分かりになられる事でしょう。
例え、例えそれが、あたし、遊佐先輩、岩沢先輩の三人チームだとしてもッ!
超絶美少女関根ちゃん、無口クール遊佐先輩、音楽キ○ガイ岩沢先輩の三人組だとしてもッ!
ここに至るまで一言も口を利かないままでいるというのは明らかにおかしいッ!
だって、華の女子高生ですよッ?!いくら死んでから○年経ってるとはいっても、仮にも我々は高校生ですよッ?!
本当ならここはもっと、何かキャピキャピした会話とか、キャプキャプしたスキンシップとかとりあったりとか、そんなのが正しい高校生なんじゃないですかッ?!

………などと心の中で憤ってみた所で、沈んだ場の空気には抗いがたく、結局はあたしも黙ったまま。
つくづくあたしは日本人なのだなあと深く感傷に浸り、反省する事すでに数度。
このままではいけないと覚悟を決めて、行動に移そうとしてから十数分。
意気地なしめ、根性なしめと自分を罵ってみたところで、咽喉から音は漏れ出てこない。
だって、恐いんだモン。遊佐先輩の事はよく知らないし、岩沢先輩はずっと新曲の事を考えているのか恐ろしい目付きだし。

だが、そうしていつまでも動こうとしないあたしに神様がお恵みを下さったのか、ついにこの空気を打破する機会がやってくる。

―――ジーッ、ジジーッ

突然鳴り渡る通信音。この世界にケータイなどという便利なツールは存在しない。
作れば出来るのかもしれないが、あたしはバカだから作り方分かんないし、きっと他の奴も出来ないだろう。皆もバカだし。
ケータイではないとすれば、答えは一つ。遊佐先輩の細い腰に吊り下げられたトランシーバーだ。

「――――こちら遊佐。どうかしましたか、ゆりっぺさん」
『――――こちらゆり。新入者を発見。あなた達非戦闘員は現時点を以ってオペレーションを終了とするわ。ご苦労様。帰ってお風呂にでも入ってゆっくりするといいわ。あ、でも帰り際天使を見かけたら一報頂戴ね』

―――プツン。と言いたい事だけを言って、ゆりっぺ先輩からの通信は途絶えた。
まさに傍若無人。必要な時には引っ張ってきて、要らなくなったらすぐにポイ。
結局場の空気を変えるチャンスだと思っていた物は、その実ただこの場に幕を下ろす物に過ぎなかった。

どうしようかと辺りを見回すも、遊佐先輩はトランシーバーを片手に呆としているし、岩沢先輩はまだ虚空を睨んだままでいる。
いや、ホントどうしよう。二人が動いてくれないと、あたしも動けないって言うか。

「あのー、遊佐先輩?ゆりっぺ先輩もああ言ってた事ですし、そろそろ動きませんか………?」

控えめにそう告げてみても、遊佐先輩はトランシーバーを見詰めたまま微動だにしない。
オイ、無視かコラ。いくらちょっと美人だからって調子コイてんじゃねえぞ。

「……そう、ですね。関根さん達はここで帰られた方がいいでしょう。私は、少し用事があるので少し残りますが」

少ししてから遊佐先輩はあたしの言葉に応える。
よかった。無視されてた訳じゃないようだ。まあ、信じてたけどね、うん。遊佐先輩は調子コクような人じゃないって。

「そうですか、分かりました。それじゃあ岩沢先輩どうします?あたしはこのまま寮に帰ろうと――――」

あたしは岩沢先輩の方へ目線を向けながらそう言おうとして、言葉に詰まった。
いや、正確には詰まらされた。岩沢先輩のその眼光に。
虚空を睨んでいたはずの岩沢先輩のその目は、気が付けば現実世界へと焦点を結び、あたしを通り越したその先―――遊佐先輩を射抜くように見詰めていた。

「――――用事ってのは?」

岩沢先輩のその言葉が、あたしに向けられた物ではない事に数秒掛かった。
え?と状況を把握できないままでいるあたしを置いておいて、状況はグングン進んでいく。

「――――ただの野暮用です」

あたしの頭越しになされる会話。
ちょっと待ってとあたしは言いたい。
どうなってんのこの状況。あんたらさっきまで頑なに話そうとしてなかったのに。
どうしてこうなった。

「野暮用、ねえ……」

目を眇めながら遊佐先輩を見る岩沢先輩。
不審、疑念、恐れ、諦念、様々な感情が入り乱れたその目は、ひさ子先輩ほどではないとはいえ、結構長い事同じバンドをやってきた自分でも見た事がないような、彼女らしからぬ、人間味を感じさせる目だった。

「はい。ですから、お二人は先に帰ってもらって構いません。私も用事が終わり次第帰りますので」

対照的に遊佐先輩は、何の感情も見せない瞳をあたしに―――いや、岩沢先輩に向けながら、相変わらずの無表情でそう言った。
まるで機械のようだ。何となくあたしは、そんな事を思った。

「――――関根」

だが、そんな柄にもない事を考えていたせいだろうか、あたしは岩沢先輩があたしを突然呼んだ事にほんの一瞬気がつかなかった。

「――――っはい!何です岩沢先輩?」

目線は遊佐先輩に向けたまま、岩沢先輩はあたしの返答を待っていた。
正直状況はいまだ良く分かってなかったけれど、それでも普段のノリで返事をする。
どうしよう、何て考えても無駄だ。あたしは、馬鹿だから。
馬鹿の考え休むに似たり、と言うが、あたしに休んでいる暇はない。

「お前、先に帰っててくれ。アタシも野暮用が出来た」

―――けれど、こうくるとは予想してなかった。
いやまあ確かに?よくわかんない状況だとしても考えるまいとは思いましたよ?
どうせ考えても分かんないなら場の空気に身を任せようとも思いました。ええ、それは認めます。
けど、だからってそんな、こんな日も暮れて暗くなって、どこに天使が現れるかも分からない中を歩いて帰れなんて。
冗談ですよね、と顔を見詰めてみても、そもそもこっちに顔を向けやしねえ。
酷え。鬼かアンタ!鬼畜!ドS!あたしに死ねといいますか!もう死んでるけど!

「まさか嫌だなんて言わないよな、遊佐」

そしてこの期に及んで岩沢先輩が声をかけるのは、あたしではなく遊佐先輩。
………もうあたし、泣いちゃうぞ?マジ泣きしちゃうぞ?

「………私に他人の行動を制限する権限は与えられていません」

「それはつまり、好きにしていいって事だな?」

そう言って岩沢先輩は黙ったままでいる遊佐先輩を一瞥してから、くるりと踵を返す。
その足取りに迷いはなく、颯爽としていた。
対する遊佐先輩も、岩沢先輩が踵を返したほぼ同じ瞬間に足を進め、闇の中へと歩いていく。
その足取りはゆっくりと、しかし正確なリズムを刻みながら去っていく。

分からない。この状況が。
分からない。二人の事が。
分からない。二人に何があったのか。
これは状況に流されっぱなしでいた事のツケなのか。それさえも分からない。

けれど、分かっている事が一つ。たった一つだけある。
それは―――


「――――結局あたし置いてかれたぁ!」


* * * * * *


SIDE:音無



――――――気が付けば、夜空に綺麗な満月が浮かんでいた。


「ここは………?」

仰臥しながら空を見上げ、呆然とした声が出た。
静謐とした空気。天から降り注ぐ月光は地面を仄かに明るく照らす。
そんな光に照らされながら、俺は考える。

ここは………どこだ?
何で俺は………ここにいる?
そもそも、俺は――――

「――――気が付いた?」

――――と、そこまで考えて俺は、唐突に声をかけられた。

「――――ッ!」

咄嗟に俺は横臥していた身体を起こし、声の方向へ顔を向ける。
そこには――――

「………は?」

―――大きな銃を構えた一人の女が、スコープでここではないどこかを覗いていた。

「あ…………え?」

意味が分からない。
ここはどこかとか、アンタは誰だとかいう疑問は、その女の手に持つ銃にかき消される。
絶対にアレは偽物なんかじゃない。なにせ、輝きが違う。
別に銃器になんて詳しい訳じゃないが、偽物が僅かな月明かりの下で、ああも黒く鈍く輝く訳がない。
アレは本物だ。だとするならば、それを操る彼女とは………いったい、何者なのだ?

そう。現状を理解出来ているとは言いがたいが、これだけは確実に言える。

この状況は、非現実的だ。

「ようこそ、我らが“戦線”へ」

そしてその女は、まるで悪魔のように―――嗤った。

言葉にしても不気味だが、実物を前にしてはより不気味だ。
しかも目線はずっとこちらではなく、別のどこかに向いている。
人と会話する時はその人の目を見て話せと親から教わらなかったのだろうか。

「そして唐突なのだけれど………貴方、我々の戦線に入ってくれないかしら」

などと考えている間に、目の前の女は俺に向けてどんどん話し続けていく。

「今入ってくれるなら何と洗剤一年分を付けてあげるわ。それに面倒見のいいサポーターを付けてあげる。ちょっと無愛想だけどいい子でね。時に辛辣な事も言ってくるんだけどそれがまたきっついのよ。でもなんだかんだ言って色々手伝ってくれるし過去の実績もあるから人選に謝りはないと―――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

話が見えない。
何だ?何を言っている?
戦線?加入?いきなり何なのだ?訳が分からない。

「事を順序だてて話してくれ!ここはどこで、今は何時で、俺は――――」

――――俺は?

「俺は――――?」

――――誰だ?

ふと思い返してみる。己は誰で、どういう人間であったかを。
しかし、何も思い出せない。心の内に掛ける問いかけは、虚しく木霊するばかり。
俺は誰だ?どこから来た何者で、どこへ行こうとする者だったのか?

「ああ、心配しなくてもいいのよ。記憶がないんでしょ?大丈夫。皆最初はそんなだったから」

心の奥深くより溢れ出でる恐怖という感情と戦う俺に、女は優しげに話しかける。
人の心を読んだかのような、あまりにも的確な指摘とタイミング。
だがそれとは裏腹な、人を落ち着かせるような優しい笑み。
時が経ち、女と話し合うたびに、女の人となりが分からなくなっていく。
だが、今の俺には、そんな女に対する疑問を抱く余裕もなくて。

「お、俺は、いったい、どうなって――――」

だから縋り付く。女の笑みに。
一見優しげな、この女の態度に。
だが――――

「ええ。貴方は――――」

――――もう死んでるの。

「――――え?」

返ってきた答えは、今の俺には、理解の出来ない事柄で。

「ここは死後の世界で、何もしないと貴方、消されるわよ?」

「な、何に………?」

「そりゃあ、神様でしょ。けど、当面のあたし達の敵は―――」

言いながら女は、グラウンドを見るよう顎で指す。
突然入ってきた諸々の情報を整理するので手一杯だった俺は、言われるがままにグラウンドの真ん中を見る。

「アレよ」

遠目ではよく見えない。ただ、大きさからして人のようだった。
しかし、丁度月が雲で隠れた事も相まって、それ以上のことは分からない。
アレは一体何なんだ?この女が敵というアレは―――?

「あ――――」

次の瞬間、月の光が差し込んで、アレと呼ばれた者の顔が見えた。
しかし、それはまるで――――

「――――天使」

遠目からでも分かる、月光を浴び、微かに照り返す銀の髪。
楚々とした立ち住まいに、どこか神秘的な雰囲気。
体付きこそ未成熟なものの、そこには西洋のビスクドールのような美しさがある。
それは昔どこかで見た、イエス様に付き従う天使そのもので。
俺は口から、そんな事を漏らしてしまった。

「あら貴方、話が早いわね。そう、アレこそが天使。我々戦線と敵対する、神の手先よ」

だが女は俺の言葉に不審な顔などせず、むしろ褒めるようにいった。
アレが、アレこそが、我々の敵、天使だと。

「日向君も貴方くらい話が早いとだいぶ助かっちゃうんだけどなあ」

そう言って女は、口元を微かに苦笑させる。
その美貌はあそこにいる天使に勝るとも劣らなくて。


――――――けど、俺はふと思った。


あそこにいるのが天使なのだとしたら。
ここにいるのは何なのだろう、と。

「おーい、ゆりっぺ!」

「あ、日向君じゃない!噂をすれば何とやら、かしら」

俺と女の下へ、新たな闖入者がやって来る。その口ぶりから、女の関係者なのだろう。
しかし、そんな事で俺の思考は止まらない。

古来より、神や天使と争う輩は決まっている。
人を誘い、人を欺き、人を弄んで、最後に人を破滅させる。
その名は、悪魔。
神に等しい力を持ち、神に抗い、最後に神に放逐される存在。

そうだ。天使と悪魔は敵対する。そして女と天使は敵対している。つまり女は悪魔なのだ。

こんな前提条件を無視した三段論法、冷静な者ならば鼻で笑っていた事だろう。
しかし、今このときの俺は冷静じゃなかった。まともでもなかった。
いろんな情報を詰め込まれ混乱した頭には、そんな子供だましの三段論法さえ、唯一の真理だったのだ。

故に俺が次にとるべき行動は逃避。

悪魔を信じてはならない。信じて碌な事になった者などいない。
もちろん例外もいるが、俺は俺がその例外だなどと嘯けるほど強くない。
逃げろ、逃げろ、逃げろ!いますぐここから走り去れ!

「う、うあああああ!!」

「あ、ちょっと待ちなさい!そっちは――――!」

聞こえない聞こえない聞こえない!
全部嘘だ悪魔の言う事なんて信じる物かそうだそもそも俺は死んじゃいないだって俺はこうやって走ってる走って息が上がって胸が苦しくてこれが生きてるって事だこれを生きてると言わずして何と言うそうだこれこそがあいつが悪魔である事の証明だ!

走る。走る。走る。
逃げて、逃げて、逃げたその先。

そこにいたのは―――――天使と呼ばれた少女だった。

「―――――――」

月の光が彼女を照らす。
遠目で見ても美しかった彼女は、近くで見ればより美しかった。
もはや言語で言い表す事さえ不粋だ。真に美しいものは言葉を不要とする。
俺の足が止まってしまったは、恐らくそんな理由からだったのだろう。

「――――なあ、アンタ、天使なんだろ?」

だが、俺の口からそんな言葉が出たのは何故なのだろう。

「なあ、答えてくれよ。俺は死んでなんかいない。俺は生きている。なあ、そうだろ?そうなんだろ?俺は――――!」

「――――貴方はもう、死んでいるわ」

しかし、返ってきた答えは無情だった。
顔から表情が抜け落ちる。馬鹿な。馬鹿な馬鹿な馬鹿な!
有り得ないありえないアリエナイ!

「じゃあ証明して見せろよ!俺がもう死んでいて、二度と死ねないってな!どうだ、出来るか!?出来ないだろう!そうだ俺は、俺は生きて―――!」

『ガードスキル:ハンドソニック』

「――――え?」

不可思議な言葉と共に、天使の腕から剣が生える。
何が起きているのか分からない。腕から剣が生える。それは、俺の中にある常識じゃありえない事で。
だったら、常識やありえない事が起きているこの状況は、一体なんだというのだ?

「後、私―――」

天使が一気に距離を詰める。
数歩分あったはずの距離を一瞬で詰め寄るその様は、まるでよく出来た舞踏のようで。
俺は何も出来ないまま、天使が近寄るのを呆と口を開けて待っていた。

「――――天使じゃないから」

銀光が煌く。
神速の突き。
それは俺の視認速度を超えていて。
間際、俺は彼女の瞳を見た。
深く澄んだ瞳。機械のような、その瞳。

そうだ。別に天使は人の味方をするのではない。
いつだって神や天使は人を助けない。
与えるのは何時だって試練ばかり。
そしてその試練を乗り越えた者にしか、彼らは救いを与えない。
むしろ、いつだって人に味方するのは悪魔の方だ。
最後にどれだけ惨たらしい扱いをしようと、それでも悪魔は人に戦う力を与える。

俺はとんだ間抜けだ。そんな事に、こんなタイミングで気付くのだから。
ああ、■■。ごめんな。俺、また、こんな所で――――。


そうして最後に俺が見て感じたのは、驚愕に目を見開いた天使の姿と、その腕に付いた剣が肩に刺さった感触だった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


SIDE:衛宮


「頼む椎名!あそこのアイツを回収してくれ!」

言い捨てながら俺はライフルに次なる弾を送り込む。
最初に貰ったあのライフルは修理中故借り物のライフルだが、それでもある程度以上の働きはしてくれる。
引き金を引き、弾は真っ直ぐ直線に飛び、天使の足に喰らい込む。

「――――っ!」

だが、その程度の攻撃ではやはり彼女を止める事など出来はしない。
当たり前のように弾を弾かれ、当たり前のように傷一つ負わせられない。
しかし、それでも。

「時間なら俺達が稼ぐ!速く行ってやってくれ、椎名!」

俺が叫ぶと同時に、横の高松が銃を撃つ。
恐らくそれも難なく躱されている事だろう。
しかし、いかに天使とはいえ、銃と相対するのに無手ではいられない。
ガードスキルを使わない事には、いかな怪力とて役にはたたないのだ。

「―――――っ!浅はか、なりッ!」

言って、椎名は屋上を飛び降りた。
しかし、事前に彼女がその程度の芸当をこなす事は聞いている。
今は彼女の心配をするより先に、するべき事がある。

「天使ィッ!」

殺意を銃弾に込め、引き金を引く。
甘かった。今までの俺が甘かった。
まさか天使が、あの天使が、何の関係もない、まだ来たなばかりの者に対して剣を振り上げるなんて。
甘かった。油断していた。夢想していた。
いくら天使でも、初めて来る奴相手に無茶はしないだろうと。
しかしそれは、ただの空想に過ぎなかった。

「―――――ッ!―――――ッ!―――――ッ!―――――ッ」

引き金を絞る。絞る。絞る。絞る。
一歩間違えば、あの少年はここで一度死んでいた。
もう一度死んだからもう一回くらい死んでも構わない?
そんな事はない。どんな状況下にあれ、死は死でしかない。
一回だって味わいたくないし、ましてやそれが何も分からない状況ならばなおさらだ。

「―――――ッ!―――――ッ!―――――ッ!―――――ッ」

もし俺のライフルの弾が天使の剣に当ってその軌道を逸らさなければ、彼女の剣は彼の心臓を貫いていたはずだ。
許せない。許せない。許せない。
怒りは己にも向けられる。馬鹿な己。愚かにも敵に理解を得てもらおうと、理解しようと思った。
そして分かったような気になって、挙句がこの様だ。
度し難い程の間抜け。俺は自分が何様のつもりなのだろう。

「―――――ッ!―――――ッ!―――――ッ!―――――ッ」

人を救えない俺など要らない。必要ない。
そうだ。救えない俺に何の価値がある。
ゴミだ。クズだ。カスだ。汚物だ。


だって、人を救えないのなら、何で俺は、■を―――!


「――――さんっ!衛宮さんっ!もう彼の回収は済みました!今は撤退を!」

高松のその声で、俺ははっと我に返る。
そうだ。怒りを自分にぶつける事はいつでも出来る。
今はそう、撤退の時だ。
勝てる手段がない以上、引くより他に手はない。
今の装備では、天使を殺しきる事など出来はしない。
俺は視線を天使へと向けながら、小さくこぼす。

「―――――次は倒す。確実に倒す」

そして俺達は硝煙の香り漂う屋上に背を向けて、ゆり達との合流を図るのだった。




[21864] 本編 五、
Name: saitou◆e08f0101 ID:ff8ba086
Date: 2012/05/16 17:37




―――熱い

手が、足が、肺が、周囲の熱気で炙られる。
何故自分がこんな所でこんな目に遭っているのか、それさえも分からないまま、俺は足を動かす。

―――熱い、熱い、熱い。

何かが焦げ付く臭い。周りから上がるのは、とてもか細い呻き声。
それら全てを置き去りにして、俺は歩き続ける。

“――――――――”

無心の境地。
頭には何も浮かばない。
ただただ、体を、足を動かしていく。

自身の周りを取り囲むのは、まさしく地獄。赤子の泣き声さえ聞こえない灼熱のその最中。
俺は何故か、呻き声につられて、ふと道端を見た。

そこには、一人の女性がいた。

まだ若い。年の頃は、20代後半から30代前半といった所だろう。
炭で煤けてはいるものの、どちらかといえば可愛らしい顔立ちをしている。

近所で評判になってもおかしくないであろうその女性にはしかし―――――足が、なかった。

焼いたのか焼かれたのかは分からないが、その傷口は炭化し、血は流れ出していない。
だがしかし、それは安心するための材料になりえない。
何故なら焼けた傷口などというものは、腹に突き刺さっている瓦礫に比べれば、何程のものでもないからだ。

“――――――――”

声ならぬ声を呻きながら女性が差し出したモノは、もはや元がなんだったのかも識別出来ない程焼け爛れた“ナニカ”。

―――子供だ。

何故か直感的に、俺はその爛れきった物体の正体を悟る。
差し出された物は子供で、差し出す彼女は母親だ、と。

“――――――――”

母親はただ縋るような目付きでこちらに手を差し伸べる。
拾って下さい。この子だけは助けて下さい、と。
差し出すその子が、すでに生き絶えているとも気付かぬまま。

もはや瀕死の重傷と言ってもおかしくないようなその人を動かしているのは、恐らく焼け爛れた“モノ”―――子供に対する執念とでも言うべき物。
言い換えるならば、子供への愛によって身体を動かしていた。

精神が肉体を凌駕するなどというものは眉唾だが、今目の前で起きている光景は、それが実際に起こり得る物である事を示している。

ある意味それは、愛の奇跡。
子を想う母の命の、最後の煌めき。

――――しかし、母のその奇跡にも等しい行為でさえ、今この現状においては、何の意味もなしはしない。

子はすでに死んでいる。母親はもう動けない。
――――そして通りかかった自分には、余計な重荷を背負う余裕など、ない。

故に、結末は定まっている。

俺は、立ち止まっていた時間を取り戻すように、すっと母子を見捨てて歩き出した。
その行為に何かを感じいる贅沢など、今の俺には存在しない。
ただ歩いて歩いて歩き続ける。
たとえその先に何もなかったとしても、今の俺には歩き続けるしかない。

――――しかし、後ろから声がする。
俺を恨む怨嗟の声が。
俺を憎む憤怒の声が。
俺を妬む嫉妬の声が。

赦さない、許さない、ゆるさない、ユルサナイ

―ここから逃げ出す貴方を許さない。
―私達を見捨てる貴方を許さない。
―そして、この子が死んで、貴方だけが生きるだなんて、許せない。
そんな事は、断じて許せない。

声は段々と近づいて来る。
一歩、一歩、また一歩と。

俺は足を動かそうとするも、まるで泥中であるかのごとく思うように足が動かない。

赦さない、許さない、ゆるさない、ユルサナイ

ああ、そうだ。
許さないでくれ。
俺は許されてはいけない。
自分だけ生き残り、のうのうと生を貪ったこの俺は。
死ぬまで、いや、死んでも許されない―――



女の手が、俺の頭に触れた。
その手は血に塗れ、どうやら指が何本か欠けているようだ。
しかし、その膂力に衰えはない。
むしろ普段より強いのではないのかと思わせるくらい、その手の勢いは激しかった。

赦さない、許さない、ゆるさない、ユルサナイ

まるで睦言のように、女は耳元でそう呟く。
しかしそこには愛などない。
あるのはただ、深淵のように深い深い憎悪。

女の掌が後頭部にめり込む。
万力のような力。視界が霞む。
しかし叫び声は出ない。

―死ね

叫びが耳に届く。
ただただ俺に死んで欲しいと願う女の声は、何故だか泣いているようにも聞こえた。

―死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!

死を想う呪詛の声。
その呪いに包まれながらも、俺は虚空へと手を伸ばし―――――




「――――――――――――――――――――あ」



目が、覚めた。



「……………………」

目に映るのは、もう見慣れた白い天井。
なんて事のない日常的な風景に、俺の心はようやく現実へと舞い戻る。

「……………………」

と同時に、俺は自らの服が寝汗でびっしょりと濡れている事に気が付いた。
原因はまあ、考えるまでもなく、先程見たあの夢のせいだろう。
燃え盛る大地、灼熱の地獄。
そう形容するに相応しいあの場所で、自身が殺される夢。

酷い、悪夢だった。

俺は黙って服を着替える。
シャワーの一つでも浴びたいのは山々だが、これから運動の予定がある。
どうせまた汗をかいてシャワーを浴びるつもりなのだから、今はいいだろう。

そう思って、俺は洗面所の前に立って顔を洗う。
冷たい水が汗で塗れた顔に心地いい。



――――――――――――――――――――そしてそのまま俺は、洗面所で吐いた。



唐突だった。
頭では何とも思っていなかったのだが、体の方が少し参っていたのだろう。
昨日食べた晩飯が排水溝へ流れて行く。
少し勿体ないな、と場違いに冷静な事を考えながら、俺は胃の中にあったもの全てを吐き出した。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



全ては、今朝の出来事だ。


「………つまり、記憶が戻ってきているという事ですか?」

朝の出来事を話し終え、ゆったりと欄干に身体を預けたままKeyコーヒーを飲んでいる俺に、話を聞かせていた相手――遊佐が、俺の出来事を纏めた。
場所はいつもの調理室ではなく、校舎の屋上。
朝の気持ち悪い感じを風で流そうと考えて来たのだが、何故か先に先客として遊佐がいたのだった。

「まぁ、多分、そうなんだと思う」

俺のその自信なさげな声に、遊佐はムッとして額に眉を寄せる。
その様子に俺は彼女の機嫌を損ねてしまった事を悟り、慌ててフォローに回った。

「だ、だってさ、まだあの夢が俺自身の物であるって証拠はどこにもないんだ。結論を急ぐのは早計だと思わないか?」

言いながら俺は遊佐の顔を伺う。
どうやら遊佐に俺の言葉に一応の納得はして貰えたようだ。

「それは……確かにまだ結論を定めるのは早計かもしれません。しかし……!」

と、思ったら、まだ何か言いたいご様子。

「それは士郎さん自身の問題でもあるはずです!それなのにそんな、多分、だとか、だと思う、何て、のんびりし過ぎです!」

こちらを見つめる彼女の目に映る感情は、少しの怒りと………悲しみ?

「士郎さんは、自分の記憶を取り戻したくはないのですか……?」

そこまで遊佐に言われる事によって、俺はようやく遊佐が何に対して腹を立てていたかに気が付いた。
そして、何に対して悲しんでいるのかも。

「遊佐………」

「一緒に記憶を取り戻すって、そう言ったじゃないですか……。あれは………嘘だったんですか?あの場を収めようと吐いた、ただの出任せでしかないんですか……?」

脳裏に思い出されるのは、あの日、後夜祭の夜。
花火が空を舞ったその夜に交わされた、誓いの言葉。
一緒に記憶を取り戻そうという、あの言葉。

遊佐の細い手が、俺の服の袖を軽く摘まむ。
ほんの少し力を入れれば簡単に振り解けてしまう程のか弱い力。
しかし俺は、その腕を振り解く事が出来なかった。

代わりに俺は、口を開く。

「違うさ……。あの時の言葉に嘘はない。俺は記憶を取り戻すし、取り戻さなければならない」

遊佐の瞳が俺を見つめる。
本当にそうなのか?その言葉に嘘偽りは存在しないか?
物を言わずとも、目は雄弁にその内心を語る。
その目に対し、俺はしっかりと頷いた。

俺の言葉に、嘘などないと。

「―――けどさ、何でだろう。俺はたぶん、記憶を取り戻すのが怖いんだ」

しかし、続けて出たのは心の底に隠れていた弱音だった。
このまま記憶を取り返してしまうと、何か取り返しのつかない事が起こってしまう。そんな嫌な予感が、頭を離れない。
それはただの妄想や、強迫観念の類かもしれない。もしかすると、何もしたくないがための言い訳なのかもしれない。
けど、それれでも、俺は……

「生前俺がどんな人間だったか、それを知る術はない。だから、俺は不安なんだ」

記憶を取り戻す前の俺と、記憶を取り戻した後の俺は、確実に違う人となる。
それがどういう変化をもたらすか、そんな事は記憶を取り戻してみなければ分からない。
けれど違う人となるという事はほぼ確実なのだ。

「記憶を取り戻した時、俺は今の俺でいられるのか?今の仲間たちを………俺を慕ってくれる女の子を、無下に扱ったりしないだろうか?」

たとえばそう、生前の俺が、酷く暴力的な人間だったならば?
誰彼構わず敵意を発し、咬みつかずにはいられない狂犬のような男であったのならば?
記憶を取り戻した瞬間、近くの人間………そう、例えば今俺の傍にいるこの少女、遊佐を襲ったりはしないだろうか。

「そう考えると、俺はもうこのままでもいいかな、ってほんの少しだけ、そう思ったんだ。壊れてしまうくらいなら、最初から思い出さなければいい、って」

らしくのない弱気。
根拠のない不安に煽られ、弱音を吐くなんて、惰弱と誹られても文句はいえない。

「………士郎さん」

しかし、そんな俺に対して、遊佐がかけた言葉の響きは、俺の予想に反して優しげな物だった。

「確かに、私は生前の衛宮さんを知りません。どんな人間で、どんな風に生きて、どのように死んだか。どこから来て、どこへと行ったのか。………それでも私は、衛宮さんについて知っている事が、確信出来る事が、一つあります」

面を上げると、そこには優しげな微笑み。

「それは………今の衛宮さんが、信頼に値する人物であるという事」

この時の俺には知る余地もなかったが、遊佐はほんの少しだけ俺の過去を知っていた。
その過去から推測して、今のような台詞を吐いた可能性は少なからずあると思う。
しかし、それでも俺は、この時この台詞を言ってくれた遊佐を信じたい。
推測と打算に塗れた上での信頼なのではなく、俺の人柄を見て言ってくれたものだと、そう信じたかった。

「だから、自信を持ってください。私の知ってる士郎さんは、私の信じる士郎さんは、記憶を取り戻した位で人が変わるような、弱い人間じゃありません」

見つめる遊佐の瞳は、真っ直ぐ俺を捉えて離さない。
逸らす事なんて出来ない。だから俺は、自分の思う事を、そのまま口から吐き出した。

「……………ああ、そうだな。少なくとも、女の子にここまで言わせておいてそれでもまだ躊躇っているような奴は、俺の知ってる衛宮士郎じゃない」

本当は、まだ心には不安がある。恐怖がある。仲間を傷つけたらどうしよう。仲間を想えなくなったらどうしよう。
この現状が、壊れてしまったらどうしよう。

だけど。けれども。

虚勢でもいい。強がりでもいい。どれだけみっともなくて醜くても、それでも今は、格好をつけるべき場面なのだ。
まるで不安は全て晴れたとでも言わん顔で、清々しい態度を取りつつ、笑いかけねばならない所なのだ。

―――でないと、遊佐が安心出来やしない。

「………ありがとう、遊佐。もう俺は迷わない。ただひたすら、俺は俺の記憶を取り戻す。
そして全てが明らかになった時、それでもまだ俺と遊佐の気持ちが変わらなかった時、その時は――――」

「――――はい。待っています。その日が、その時が来るのを」

遊佐が安心したような笑顔で、そう言った。

――――何故だか俺は、その顔を直視出来なかった。

「…………そ、そうだ!遊佐、知ってるか?音無……あの新入りの事なんだけどさ」

心の内から唐突に湧き上がった狼狽を押し殺しながら、俺は話を転換する。
変えた話題は今戦線の中で最も熱い話題……新入り、音無についてだった。

遊佐は唐突な話題の変化について特に気に留めた様子もなく、俺と話を続けていく。

「新入りさんは……情報では知っていますが、見た事はありませんね。男で、少し反抗的だったと聞いていますが?」

俺は何も言わずに話に乗ってくれた遊佐に感謝しながら、話を続ける。
まあ、遊佐は何か用事があると言っていなかった会議での情報だから、知らないだろうと思って言ったのだが。

これは昨日起こった話。まだ取れたてぴちぴちの新鮮な情報だ。

「ああ、一昨日まではそうだったんだ。だから皆、昨日の会議は荒れると踏んでいたのさ。あれだけ反抗していた新入りは、どれだけ拒絶してくるだろうと考えていたし、彼が起きるまでは何分間拒絶するかって賭けと、それへの対策についての話で全部潰れてしまったんだ。それが実際の所……」

起きだした音無と名乗る青年との交渉は、呆気ない程容易く終了した。
ゆりの戦線へ入れと言う提案に、音無はただ無言で頷き、了承の意を示したのだ。
これには百戦錬磨である戦線のメンバーも驚きの様子を隠しきれていなかった。
あの椎名でさえほんの少し目を見開いていた事からも、その様子は窺い知る事が出来るだろう。
ある者は楽観的にその事実を喜び、またある者はその態度に不信を抱き、またある者は賭けの大勝で大喜びだった。

天使と当たる寸前、彼はこちらを拒否していたというが、天使を直に見る事によって意を翻したのだろうか。

戦線のメンバーは一応そう納得をして、音無の参加を歓迎した。
実際の所彼が戦線に対しどう思っているのかは分からない。しかしその心中は那辺にあろうとも、結果だけを見るならば。
彼の身元は戦線が預かる事となったのだ。

「……………はぁ、成程。それで、士郎さんはどう思うんです?」

「どうって、何が?」

全ての話を聞き終わった時、遊佐は俺に聞いてきた。
その問いが漠然としているので問い返してみると、遊佐はこう返事を返した。

「その音無という人ですよ。皆さんは様々な反応をしてたって言いましたけど、士郎さん自身はどう思ったんですか?」

「俺か?うん、そうだな………」

俺は頭の中の考えをまとめてみる。
俺が見た所、あの音無の目に嘘はなかったし、強制されている感じも受けなかった。
けれど、代わりに彼の目に浮かんでいたものは……

「……何か、ちょっと尖ってたな、彼」

「尖っていた?」

俺のその抽象的な言い方に、遊佐は少し首を傾げる。
確かに今の言い方では相手には伝わらなかったかもしれない。
もう少しマシな言い方は……

「……そう、だな。尖っていたっていうか、こう、なんだ。どこか隙を窺っている獣のような、そんな雰囲気を漂わせてたと思う。一見親しい風を装ってるけど、隙を見せたら襲いかかってくる、みたいな」

そう、あの時、ゆりと握手をして契約を確かめた時、彼の目は、決して笑っていなかった。
過剰とも思えるくらいの警戒と、それを表に出さない強かさ。
そういった意味で彼は、心強い新人であると思えなくもなかった。

「けどまあ、悪い奴じゃないと思う。いきなりこんな所に来たんだ。警戒心だって持つだろうし、彼の態度はそこまで変だってものじゃない」

時間が解決してくれるさ、等と嘯いて、俺は遊佐へと微笑みかける。
いつの間にか、遊佐に対する狼狽は消えていた。

「成程、分かりました。士郎さんがそういうのなら、私もその音無さんを信じてみようと思います」

「ああ、そうしてやってくれ。その方が彼にとっても、戦線にとってもいい方向へ転がっていくと思う」

…………などと話している間に、時計は午後一時を回っていた。
確か今日の定例会議は一時半からのはず。
そろそろ動き出さないと、会議に遅れてしまうだろう。

「いい時間だから、そろそろ動き出そうか。遅れたらまたゆりに怒鳴られる」

笑いながら背を伸ばし、空になった缶コーヒーをポケットの中に入れる。
ポイ捨てはしない主義なのだ。

「そうですね。いくら慣れてるとはいえ、あの声はずっと聞いていたい物でもないですから」

「違いない」

俺達は笑いながら屋上を去る。
互いにあった僅かな蟠りも解け、気分は上々。
迷いは晴れ、当面の目標も定まり、後はそれを突き進んでいくだけ。
妨げる物は何もない。

……………この時は、そう、思っていたのだ。





[21864] 本編 六、
Name: saitou◆bef4fc0e ID:4a483c56
Date: 2012/08/09 18:38


SIDE:直井


コン、コン、コン。
軽めの、三度にわたるノック音。
意識が手元の書類から逸れ、扉の方へと引き付けられる。

「失礼します」

扉から入って来たのは、黒い制服を着た一般NPC。
しかし、ただのNPCがこの場所に踏み入る事など出来はしない。
それが意味する所は即ち、このNPCは生徒会の者である、という事だ。
だが、僕にはこのNPCの顔に覚えなどない。
まあ、一々NPCの顔を覚える程暇でも奇特でもないので、ある意味当然ではあるのだが。

僕はさり気なくNPCの腕にある腕章を見る。そこにあるのは、書記という二文字。
詰まる所、このNPCは生徒会に務める書記役なのだろう。

「副会長。会長の誘導、つつがなく終わりました」

書記のNPCの口から出た言葉は、与えていた任務の成功報告。
会長―――天使を所定の位置に誘導し、奴らの重要拠点を潰す任務。
子供であろうと出来る仕事だから、一々どのNPCに命令していたかも忘れていたが、成程成功したか。

「よし、報告は受け取った。下がっていい」

当然の事を成功させただけなので、一々労いの言葉などかけはしない。
只々一方的な別れの言葉を告げると、NPCは機械のように黙々と一礼をして部屋を出る。
書記というと、恐らく昔僕が直々に催眠術をかけた奴なのだろう。
やはり催眠術は素晴らしい。
無駄口を叩かず反逆の意図も持たない奴らを量産できるなど、普通では考えられない。

静寂が部屋を満たす。壁に備え付けられた時計だけが、時間の間隔を伝えてくる。
そうして暫し呆と考え込んた後で、僕は傍らの盤面に目をやった。
それは古めかしいチェスゲーム。
盤上の譜面は一見白が優勢だが、見る者が見ればそれは一瞬で逆転する事が分かるだろう。
危うい均衡の上に立った優勢。更に相手がその事に気付いていないとなれば、それはまさに砂上の楼閣。

―――そして今、その均衡が覆る。

僕の手によって動かされた黒の騎士は、白の僧正を打ち取った。
敵の陣に出来た大きな空隙。しかしそれはまだ、僅かに黒が優勢になったというだけの事。
このまま何かプレイミスでもすれば、また覆ってしまうであろう程度の功績。

しかし、ここで初めて、黒は白に対して優勢となった。

「――――ふん」

僕は思わず嘲弄の吐息を溢す。
甘い理念。硬直した体制。情報の杜撰な管理。
それらの隙は、自身を殺すという事を、奴らは知らない。
そう、奴らの感覚は狂っているのだ。
天使という強敵の存在に気を取られ、他に敵はいないのだと錯覚している。

過ぎた力を持つ者を見て、それに対抗しようとして足元が留守になる。
一人を襲うのには慣れていても、集団に立ち向かう事に慣れていない。
戦力を集中させる事は出来ても、戦力を分散させる事が出来ない。
個性的メンバーが多い故に足並みを揃える事が出来ない。
そしてそれは実際、前のサバゲーで証明された。

それでもまだ、敵は天使一人であったのなら何の問題もなかっただろう。
戦力を集中させ、鉄火を一人に絞れば、天使の行動を阻害する事は容易とは言えないまでも可能だ。
しかし、現実的に敵は彼女一人ではない。

その事が彼らには分からない。分かろうとしない。
敵は彼女一人であると自分に都合のいい思い込みをする。
まるで自滅を望んでいるかのように、死の淵へと自ら歩いていく。

ならばいい。好都合だ。
僕はただ、その背を少し押してやるだけでいい。
そうすれば彼らは飛んで火にいる羽虫の如くに駆逐される。

そうして彼らが淘汰され、この世界に神が顕現する。

神聖にして至高、偉大にして至大、前人未到にして空前絶後。
その存在こそ、神と讃えられ崇め奉られるに相応しい。

――――そう、僕だ。

だがしかし、それにはまだ早い。
まだ奴らには力がある。
荒事に慣れた連中が潤沢な装備を持って攻勢に出られては、流石の僕と言えども危うい可能性があるかもしれない。

だから待つ。
奴らが徐々に徐々に崩壊していくのを。
一つ一つ策を行使して、端から崩れ去っていくのを。

待つ、待つ、待つ、待つ………。
そう、待つのは得意だ。
それが成功に繋がるのなら、僕はどんな物にだって耐え忍んでみせる。
だって僕は、あの日からずっと今まで耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えてきたのだから。
今更それが多少長引いた所で、何の支障があるだろうか。

そう。僕は生まれ変わる。父さんや兄さんなんか目じゃない程の存在になって、全てを嘲笑ってやるのだ。
お前らが僕より大事にしていた陶芸(もの)なんて、神から見れば全て塵芥に等しいゴミ屑でしかない。
僕以外の物は全て必要ないのだ。
僕こそ至高。僕こそ究極。絶対無比なる真理の存在。

そうなるためだったら、僕はどんな犠牲も惜しみはしない。

そう。どんな犠牲を払っても……。

僕は……神に………。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



俺と遊佐が到着してすぐ、今回のオペレーション概要が発表された。

それはギルド降下作戦。
対天使用の銃や弾丸をギルドから回収するだけの、簡単と言えば簡単な任務だ。
しかし、新メンバーの加入も相まってこれから急増するであろう弾丸の消費を考えれば、この任務は絶対に必要である事が分かる。
天使の圧倒的な力に対抗するするためには、弾丸による圧倒的な物量が必要不可欠だ。
アレを押し留めるだけの弾丸がなくなった時、俺達は敗北する。

そしてそういった事情とは別に、俺には個人的にギルドへと赴く用事があった。
それは、前回天使に一刀の下斬り潰された俺のスナイパーライフルの修理だ。

一般的に戦線のメンバーには、ギルドとは銃や弾丸を生み出す所であると理解されている。
それは実の所、何も間違った認識ではない。
ギルドの主な仕事は対天使用の銃や弾丸を作る事であり、それを地上の戦闘班に回す事にある。
そうする事により彼らは天使による被害を直接被る事なく、天使に被害を与える事が出来る。

しかし、銃などの複雑な機構を持つ物体は作るのにそれだけ時間と手間がかかる物だ。
小さなパーツを一つずつ作り、組み上げ、製品とする。
言葉にするとそれだけだが、実際の煩雑さはまさに想像を絶する。
小さなパーツには不良品が多い。得てしてそういう物は少し歪んだだけで使えなくなるし、強度が足りなければすぐに壊れる。
一つでも欠ければ製品は組み上がらないし、組み上がった所でそれがちゃんと動くのかの試験もしなくてはならない。
そしてそうして長い時間をかけて作り上げられた物も、時に天使との戦闘で一瞬の内に破壊される事がある。

そうした時、その壊された銃は一体どうするのか?
新しい物と交換する?
それもいいが、問題がないでもない。

優れた兵士は銃をまるで自分の腕の延長であるかのごとく自在に操り敵を射抜く。
ならば、その自身の腕たる銃身に僅かな程でも違和感があれば、照準に誤差が生じるというのも自然の摂理。
故に己の銃に愛着を持ち、己の使う銃はこの一丁のみだと心に定め、修理を望む者も少なくない。
しかしそうは思えど、生前は銃に素人だったものばかりの戦闘班では、裂かれた銃を直すなどまず不可能。
だったらどうするか?泣き寝入りして渋々新しい銃と交換するのか?

いいやそうではない。
そのような者のために、ギルドはアフターサービスも怠ってはいない。
そう、ギルドは兵器開発所であると同時に、兵器修復所でもあるのだ。
壊れた部分を取り外し、新しい部品と交換する作業は、手慣れたギルドメンバーでなくば成しえない。

それ故にわざわざ地下のギルドに降りていかねばならないのだが……。


「――――衛宮さん?」

声をかけられ、ハッと意識が浮上する。
周りを見渡せば、いつの間に出したのだろう、体育館の台の下からパイプ椅子が取り出され、ギルドへの入り口が剥き出しとなっていた。
他の連中は意気昂揚と作戦の開始を待ち望み、顔に笑みを張り付かせながら待機している。
そしてそんな中、心配そうな顔をした男が一人。

「――――あ、ああ。悪い、高松。呆っとしてた」

その男―――高松はそっと俺の隣に立ち、俺の方に顔を向けている。
パイプ椅子の取り出し作業をやっていたのか、その額には薄らと汗の跡。
作業の音にすら全く気付かなかったとは、どうやら深く考えこんでいたようだ。

「………大丈夫ですか?」

心配させてしまったのだろうか、高松の口からはそんな言葉が飛び出る。
参ったな、心配をかける気なんて毛頭なかったんだが……
俺はそんな気遣いは無用と無理に微笑んでみせた。
上手く出来ていたかは、よく分からなかったけれど。

すると、高松が口を開く。

「脱ぎますか?」

意味が分からなかった。

「ゴメン。意味が分からない」

「あ、間違えました。脱ぎましょうか?」

「脱ぐって言う発想は変わらないっ!?」

「何を言うんですか衛宮さん。私から脱衣を除いたら何が残るというんですか」

「そりゃあるだろ!眼鏡とかさ!」

「ありがとうございます」

「誉めてないよっ!?」

「そこっ、五月蠅い!」

俺達の掛け合いに、壇上に立っていたゆりからお怒りの声がかかる。
どうやら突っ込みの声が大きかったようだ。
思わず咎める視線を高松に向けるが、奴は素知らぬ顔で下手な口笛など吹いている。
やられた。

「へぇ、余裕ね衛宮君。そんなに余裕なら、衛宮君だけ持ち帰る銃の量を倍にしようかしら」

「いや、流石にそれはちょっとキツイような……」

「ほぉ、衛宮君はリーダーである私の意見に反対すると」

「何でもありません!」

「よろしい!じゃあ衛宮君は三倍ね」

もう、何も言葉が出なかった。

「あと高松君は二倍で」

「私もですかっ!?」

「あら、高松君も何か私に言いたい事が?」

「いいえ、そうではありません、サー!」

「サーじゃないマムだ盆暗!」

「マム、イエス、マム!」

「よぉうし良い返事だ。じゃあ行くわよっ!突入!」

その言葉を合図として、戦線のメンバーは次々に地下へと降下していく。
そして取り残される俺と高松。

まあ、多分、恐らくだが、高松は俺を元気づけようとしてくれていたのだろう。
それがまあこんな結果になったのは不幸としか言いようがないのだが、それでも高松の心遣いは素直に嬉しい。
けど、帰り道の事を考えると……いや、考えるのはよそう。
なるようになるさ。ハハッ。

「俺達も行くか……」

「ええ……多分流石に明日は筋肉痛ですよ……」

「三倍なんて……出来るのかな………」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


地下に降り立ったその先は薄暗く湿った通路だった。
光源は頭上に光る電燈のみ。
しかし、静寂に満ちたその通路からは薄暗いながらも不潔さは感じられない。
少し空気がジメッとしているが、どこかが黴ているようにも見えないし、蜘蛛の巣だって張っていない。
定期的に誰かの手が入っているのだろうか。しかし、それにしては閑散としている。

「これが入口かよ……暗いな………」

俺と高松より少し早く下に到達していた音無が、通路に対してそう言った。
その傍には日向が一人。新入りのサポーターになったのだろう。
日向は呟いた音無の元へと寄り、多少ウザがられながらも絡んでいく。

今現在、音無の存在は複雑な立場に置かれている。
戦線の参加に反対したかと思えば、渋々といった態で参加する。
常に不機嫌で誰彼構わず壁を作り、一歩引いた立ち位置で俺は関係ないというスタンスを崩さない。
これでは誰も近寄りたくないだろう。
正直、この戦線に馴染めているとは言い難く、音無にマイナス感情を持っている者は少なくない。

だがしかし、それでも日向は一人音無に絡んでいく。
そう、こういう膠着状態を崩すには、そう言った事を気にしない日向のような人物が必要なのだ。
俺は日向のそういう所はすごいと思う。文字通り日向のように明るく、他の奴らを気にかけてくれる。
まあ、普段はただの芸人崩れではあるのだが。

「お、おいっ、誰かいるぞ!」

俺がちょうど足を進めようとしたその瞬間、先頭を行く藤巻がそう叫ぶ。
その声で主要戦闘メンバーである椎名と野田が臨戦態勢に入り、他のメンバーも銃器のセーフティーを外した。
俺は借り物のライフルを前方に向けたまま横目で音無達を確認する。
日向が銃口を向けたのに少し遅れて、音無は銃口を前方へと向けていた。
やはりまだこの手の事には慣れていないようだが、日向もいる事だし最低限の自営は行えるだろう。

緊張の一瞬。
藤巻の持つ電燈が、そっと前方へ向けられる。
そして電光に照らされ映る影は―――

「―――何だ、ただの鼠かよ。ビックリさせやがって」

とてとてと走っていく小さな鼠だった。
小動物にびっくりさせられたという恥ずかしさも手伝い、メンバー内で安堵の空気が広がっていく。

「……は、ははっ。なんだよ藤巻、ビビりすぎじゃね?」

「……うっせ、一瞬あれが人に見えたんだよ」

「大山鳴動して鼠一匹とはこの事だね。まあ、何にもなかったからよかったよ」

「ったく、俺ァてっきり天使じゃねぇかと――――」

その瞬間、夜目の利く椎名と俺が同時に気付く。
――――上に、何かいる!

「藤巻ィッ!」

思わず俺は叫ぶ。
しかし、遅い!
むしろ俺のその言葉に藤巻が振り返る。
それは敵を目の前にして致命的ともいえる隙。
無論相手はそれを見逃す程の間抜けではなく。

―――藤巻の首は、宙を舞った。

「て――――」

藤巻の持っていた電灯が放り投げられ、辺りに光を散らしていく。
床、壁、天井、まるで走馬灯のようにゆっくりと。
そして今、その光が人影を捉えた。
自らが光り輝くかのような、長く伸ばした銀の髪。
人形のように整った顔には、何を考えているのか分からない無の表情。
そしてその冷たい瞳は、決して惑わず一直線にゆりを見据えて。

「――――天使ぃいいいいいいいいっ!」

椎名の突進と俺の射撃。
どちらが速かったのだろうか、天使の軌道は横に逸れ、俺達戦線のメンバーと対峙する。
その腕には、血糊のついたハンドソニックが出されていた。

「撃てっ!」

咄嗟に出るゆりの命令。
そして藤巻を除く戦闘員全員の射撃の嵐が吹き荒れる。
しかし、その中でも天使の余裕は崩れはしない。

「ガードスキル:ディストーション」

そして現れる無色の結界。
放たれた弾丸はその壁の前に軌道を歪められ、明後日の方向へと飛んでいく。
それ所か、狭い通路に当たった銃弾が跳ね返り、メンバーの何人かに当たってしまう。

「各自銃をセミオートにして攻撃を継続しつつ撤退!」

撤退、とゆりはそう言ったものの、出口の方向には天使がいる。
もう地上には逃げられない。
だったら―――

「ギルドよっ!ギルドには天使と対抗するための武器がある!」

逃げるは地下。
あの広大なギルド内部であれば、天使に対して籠城戦を仕掛ける位の場所はある。

「何で天使がここにっ……!」

俺達は身体の方向を天使へと向けながら、後ろ足に一歩一歩後退していく。
天使は動かない。いや、それとも動けないのだろうか、ただその無表情をこちらにむけるのみ。

「日向っ!音無はまだ慣れてない!先に下がらせてくれ!」

「おうっ!」

俺はボルトを操作しながら日向にそう告げる。
一瞬の内に行われるボルト操作での排莢と装弾。
絞られる引き金。ズシンと鈍い反動と共に放たれる弾丸。
7.62mm×51口径から放たれる弾丸は螺旋を描きながら天使の右目へと向かっていき―――

―――当然の如く弾かれた。

そもそもスナイパーライフルは遠くの敵を一方的に撃つための道具だ。
火薬が多く入っているため拳銃弾に比べれば威力は大きいが、連射が利かず長物故に狭い空間では不便極まりない。
しかもその威力も、弾丸の嵐をも突破する天使の守りを突破する程ではないのだ。
即ち、ここまで近寄られてしまった以上、俺に打つ手はない。

「おおおおぉぉぉぉぉっ!」

俺達が攻めあぐねる中、天使に突進していったのは椎名だった。
彼女は持ち前の俊敏さを活かしつつ、天使に猛攻をしかけていく。
右に左に苦無を薙ぎ、払い、天使の剣をその身に当てさせはしない。
目は良い方だと自負していた自分でさえ、その動きを捉える事は容易い事ではない。
まるで瞬間移動にも思える移動方法と、あの天使の剣を抑えているその技量には感服するしかない。

しかし、それでも勝負がどちらに優勢なのかは、見るまでもなかった。

成程今は確かに二人が互角の勝負をしているように見えるだろう。
剣と苦無は火花を上げながらぶつかり合い、何者の介入をも拒むように舞っている。
だが、両者の動きには大きな違いがあった。

椎名は一度でも天使の攻撃を食らえば致命傷になる。故に回避がおおぶりになり、大きく動かざるをえない。
勿論その動きは尋常のものではなく、ただ躱すだけに飽き足らず相手を幻惑する効果も備わっている。
しかし、当然その分多く体力が消費される。
いかに超人的な椎名とはいえ、体力の上限は存在する。
その体力が尽きた時、椎名は成す術もなく天使にやられてしまう定めにある。

対して、天使の動きは必要最低限かつ緩慢とすら言えるものだった。
そのため天使の体力消費は椎名のそれと比べると大変燃費のいいものとなっている。
そして天使の恐ろしい所は、その緩慢に見える剣の動きが、椎名から来る全ての攻撃を防ぎ続けているという事だ。
まるで予定調和のように、苦無が襲ってくる所に天使の剣が存在する。
剣と比べて小さく軽い苦無は弾かれ、結果天使の身体には傷一つとして付けられない。

更に付け加えておくのならば、天使は椎名の攻撃を受けた所で致命傷になる訳ではない。
勿論それなりのダメージにはなるだろう。彼女のスピードに乗った苦無なら、生半可な肉体なら叩き斬ってもおかしくない。
しかし、天使の身体は強靭にして埒外の回復力を備えている。万が一攻撃が当たったとしても、大した問題にはならないのだ。

肉体的スペックにおける圧倒的不利。
今は拮抗出来ようと、それが崩れるのはもう時間の問題。
だからこそ、椎名が取れる手段は限られてくる。

――――即ち、短期決戦。

体力が尽きる前にケリをつける。
それ以外に有効な手立てはなく、そしてそれは天使も分かっている。
故に無理に短期決戦を挑めば、それを見越していた天使の攻撃がやってくる。
だからこそ迂闊に決戦を挑む事が出来ない。
しかし、迂闊に攻撃できないと悩んでいる間にも、自らの体力は徐々に徐々に減っていく。
進めば死、退がっても死。
そしてだからこそここで進退窮まる。


――――――そうして椎名は、負けた。


一瞬の隙を突かれての事だった。
息も上がり雑になった椎名の動きを、天使が見逃すはずがなかった。
袈裟懸けに一振り。それだけの攻撃で、椎名は行動不能となった。
化物。
彼女を形容するのに、それ以上に相応しい言葉があるのだろうか。

「………………」

天使は椎名を一瞥すると、こちらの方を向いてきた。
無言ではあるものの、その瞳はこう問うている。

何故貴方はここにいる?

そう、今この場にいるのは俺と天使と倒れている椎名だけ。
他の奴らは皆とうの昔に撤退を済ませている。
しかし俺だけは、ここに残って二人の戦いを見守っていた。
何故か?そんな事は決まっている。

「仲間を置いて、逃げ出せるかよ………っ!」

ライフルを腰だめに構える。
銃弾が天使に効かない事は、先の一戦ですでに分かっている。
しかし、そんな事は関係ない。
出来る出来ないではなく、やらなくてはいけない。
ここで逃げ出すなんて事は、選択肢に現れる事すらない。

深く息を吸い、吐く。
クラウチングスタートを切る直前の陸上選手のように、俺の身体は緊張に満ちている。
これから行う行動はこうだ。
一撃ライフル弾をお見舞いした後、ライフルを天使に向かって投げ捨てる。
それで一瞬目を眩ませておき、その隙に椎名の下まで赴いて救出。そして椎名を抱えたまま逃げる。

………勿論、この作戦ともいえない作戦が成功する確率は低い。
そして、無傷で全て済む確率は更に低い。
しかし、これが今椎名を救助する上で最も成功率の高い方法。
だったらもう迷いはない。恐れもない。
あとはただ、行動するだけだ。

狙うは目。
銃弾が貫く事はなくとも、目眩まし程度にはなるだろう。

天使に動きはない。
余裕か、それとも別の何かのせいか。

走りやすいよう、腰を低くする。
いつでもいける。確信が沸き起こる。

行ける。行ける。行ける。
左足をじりじりと動かしながら、自分自身にそう言い聞かせる。
出来る。出来る。出来る。
そう思い、そう信じ、そう確信しながら右足を踏み込ませたその瞬間、
―――――地面に、ぽっかりと大きな穴が開いた。

「――――え?」

口から出たのは間抜けた声。
あるべき物がない感覚に一瞬戸惑い、次いで恐怖し―――――俺は落ちた。

「な……なんでさぁ――――……………!」

そうして俺の記憶は、ここで途切れた。


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