男子寮室内
ふっと目が開く。
寝起きだからだろうか、よく頭が働かない。
横にあった時計を見る。午前五時。まだ大分早い。
二度寝しよう。そう思い、毛布をかけ直す。
やはり布団と言うのは魔性のアイテムだ。
そんな取り留めのない事を考えながら、眠気に身をゆだねようとする。
が、ふと意識が覚醒する。
おかしい。此処は何処だ?俺は何故こんなところで寝ている?
疑問は膨らみ、止まる所を知らない。
机の上の手鏡が目に入る。
少し赤茶けた髪、やや童顔で中肉中背。
コレは、誰だ?
そう思った瞬間、頭の中のピースが全てかみ合わさる。
ああ、そうか。
俺は、死んだんだった。
学園大食堂内
俺―――衛宮士郎には記憶がない。
自らの名前ですら、持ち物に書かれてあった物から推測したに過ぎない。
しかし、まったく無い訳じゃない。
そもそもの話、記憶がまったく無ければ赤ちゃんの様なものだ。話す事さえ出来はしない。
欠けていたのは、俺自身に関する記憶のみ。
自分は何者で、何処から来て、何処へ行くのか。どこに住んでいたのか、恋人はいたのか、友人関係はどんなものだったのか。
全く、何も覚えてやしなかった。
けれど、記憶喪失というのはこの世界だとよくある事らしい。
死んだ時に何らかの作用が働いて、一時的な記憶喪失に陥るのだそうだ。
が、しかし。記憶がないと言うのはやはり不安な物だ。
あるべき物がない。あったはずの物がなくなった。それだけで人は、容易く不安に陥る。
だが、そんな気持ちを察してくれたのだろうか、俺の所属する団体―――正確にはまだ所属してはいないのだが―――が慣れない内はサポートしてくれる人を付けてくれるという。
迷惑だろうから辞退しようとも思ったのだが、むこうの熱心な勧めと内心の不安から、結局その申し出を受けることにした。
今日はその人との初の顔合わせ。なんでも校内を案内してくれるそうで、今はその相手を待っているところだ。
その人の名前は、そう、確か……。
「お早う御座います」
「うぉ!?」
咄嗟に声のした方を見ると、見知らぬ女性がいた。
綺麗な金髪に、鳶色の瞳。顔立ちは日本人形のように可愛らしいが、無表情を貫いている。
えっと………誰だ?
「失礼ですが、貴方が衛宮士郎さんですか?」
「ええ。そうですけど……」
そういう事を聞くという事は……。
「じゃあ、君が遊佐さん?」
「はい。申し遅れました。遊佐といいます。貴方の一時的なサポートをするようにと、ゆりっぺさんから言われました。今日はよろしくお願いします」
そういって遊佐さんは一つ優雅にぺこりとお辞儀をした。
その動きにあわせ、彼女の長いツインテールがさらりと動く。
制服は他の生徒とは違う白に青を基調としたもので、遊佐さんの綺麗な髪によく映えていた。
「あ、いや、こちらこそ、よろしく」
「はい。それでは衛宮さん。早速校内ツアーの事なのですが……」
と言いつつ、遊佐さんは手持ちのバッグから校内パンフレットの様なものを手慣れた動作で取り出し、俺に渡してきた。
「とりあえず、今日は日頃使う所、それから衛宮さんが見てみたい所を、二つ三つ見ようと思いますが、何処が見たいですか?」
急な展開。
一切の無駄を省いたような行動に、俺は戸惑いながらもパンフレットをパラパラと見てみる。
「あ、ああ。そうだなぁ」
渡されたパンフレットを眺め、興味のあるものを探していく。
そして二つ程、何かぴんと来る物が目に留まる。
「……………じゃあ、この二つでどうかな?」
俺は興味のある部分を指しながら、パンフレットを遊佐さんに見せた。
「弓道場と………調理室、ですか?」
俺が指し示したのは、パンフレットの中でも端のほうに書かれていた弓道場と調理室。
普通の男子高校生は向かいたがらないであろう調理室なんて場所に、遊佐さんは困惑の返事を返す。
「参考までに、何故ここにしたのか聞いてもよろしいですか?」
「いや、何となくだよ、本当。ただ、ちょっと行ってみたいかな、なんてさ。……駄目かな?」
我ながら、本当に何で弓道場と調理室何だろうか。
ふとこのパンフレットに載っていた弓道場や調理室の写真を見ると、何故か懐かしいような気持ちに襲われたのだ。
もしかしたら生前俺は、弓道や料理をやっていたのかもしれない。
「駄目というわけではないですが……。そうですね、ここからだと……調理室が近いです。では、そちらから先に回りますか?」
「ああ。そうしてくれるならありがたい」
「いえ、これも仕事の内ですので」
そういうと遊佐さんはくるりと向きを変え、こちらです。と俺を案内し始めた。
その背中を見つめながら俺は、これは何かお礼を考えないといけないな、などと考えて、俺たちの校内ツアーは始まったのであった。
調理室内
「ここが調理室か」
まず最初に案内されたのは、一番近いという調理室だった。
現在使っている人はいなかったが、ちゃんと手入れはされているのだろう、料理用の器具は清潔に保たれているし、包丁などもきれいに研がれている。
控えめに言っても、十分きれいで清潔な場所だ。
「衛宮さんはどのような料理を作るのですか?」
無言で器具を確認していると、手持無沙汰になったのだろうか、遊佐さんが話しかけてきた。
「あ~、たぶん和食」
「たぶん?」
「ああ。俺って今記憶がなくてさ、だから生前自分が何をよく作ってたか、なんて全く覚えてないんだけど、材料とか見てると和風な食べ物のレシピを多く思い出すんだ。だからそう思った。何なら、何か軽いものでも作ろうか?もう十二時くらいだろう?」
と、俺は時計に目を向けつつそう言った。
「というか、ここの材料は勝手に使っても良いのか?」
根本的なことを忘れていた。材料がなければ料理は作れない。
「ええ。ここにある物はすべて使用可能です。材料も気がつけば補給されていますから」
「ならよかった。それで?何が食べたい?俺が作れる物で、ここにある材料でできるなら作るけど」
「そうですね…」
遊佐さんはそう言って少し考えた後、
「では、和風サンドウィッチで」などと仰った。
「和風サンドウィッチ?」
何だろうそれは。
「そうです」
「……なんでさ?」
「和風料理が得意と仰っていたので、おむすびでも良かったのですが…何となく今はサンドウィッチな気分なので」
………………どんな気分なのだろう、それは。
まあ、それはともかく。お題を出されたからには相手を満足させるものを作らねばなるまい。
こう、何だろう。料理人魂の様な物が俺を掻き立てる!……気がする。
「あーっと、材料は…こんなもんでいいか。すぐに済むから、ちょっと座って待っててくれ。」
材料は揃い、装備も万端。こうして俺の死後初の料理が始まったのであった。
* * * * * *
「よし。出来た」
「正にあっという間でしたね」
内容は卵辛子サンドに味噌カツサンド、それに即興で作ってみた衛宮特製和風しめ鯖サンド。
しめ鯖なんてサンドウィッチと合わないんじゃ、と思うだろうが、こいつは一味違う。
まあ、本格的に鯖を締めるには時間がかかるので鯖カンで代用したが、工夫を凝らすべきところは他にあるのだ。
ふっふっふ。これは本当は秘伝なのだが、あえてここに記す事にしよう。
まず、調理室の棚に置かれていた薄口醤油で……(前略
次に中の具材に調理室の棚に置かれていたあれを……(中略
そして最後に調理室に置かれていた器具を……(以下略
する事によってできる俺特製の品物だ。
うむ。即興とはいえ結構自信作でもある。
とりあえずあるだけの材料を使って作ったので、少し量が多くなり過ぎてしまったかもしれない。
けどまあ、後で誰かにあげればいいか。
「しかし料理ができたのはいいけど、飲み物が欲しいな。何か買ってくるよ。何がいい?」
「いえ。サンドウィッチを作っていただきましたし、飲み物は私が買いに行きます」
「いや、いいよ。サンドウィッチは案内してくれているお礼みたいなものだし、自販機の場所を覚えておきたいしさ」
「……そうですか。分かりました。では……正午の紅茶のレモンティーをお願いします」
「わかった。レモンティーだな。すぐ行ってくる。あ、それと道は右に行って真っすぐだったよな?」
ええ、と頷く遊佐さんを横目に、俺は調理室を出た。
自販機前
「えーっと、レモンティーは……こいつか」
自動販売機に硬貨を入れ、遊佐さんに頼まれていたレモンティーを買った。
ガシャン、ガシャンと音を立てて落ちてくるペットボトル。たとえ死後の世界でも、自販機の要領自体は変わらない。
レモンティーを取り出しながら、俺は自分の為の飲み物を物色する。
それにしても意外に結構飲み物が揃っている。
フルーツジュースからスポーツ飲料、メジャーと思われる物から聞いた事のないマイナーな物。あとドクペ。
うーん悩み所だ。
Keyコーヒーにするか、型月茶にするか、敢えてニトロソーダーにしてみるべきか……。
いや、でも、サンドウィッチに合うものじゃないといけないんだからソーダーは無いな。
だとするとやっぱり遊佐と同じ正午ティーにするべきか………。
そんな事を考えていたからだろうか、俺は人が来ている事に気が付かなかった。
後から思えば、あまりにも迂闊。いくら日常時だとはいえ、飲み物の選別に気を取られすぎていただなんて、心底間抜けだ。
だが、それでもまだ、相手がちゃんと前を見てくれてさえいれば、きっとあの場は何も起こらなかった事だろう。
そしてそのままずっと、縁が逢う事もなかったに違いない。
しかし、何の導きだろうか、対する彼女もかなり集中していて、俺がいることに気が付かなかった。
もしあの時、どちらかがほんの少し周りに注意を払っていたら、二人の関係はきっと違う結末になっていたのだろう。
だからこれは、きっと運命なんだと思う。
俺と、彼女の、運命。
俺は、この時、この死んだ世界で、運命に出会った。
「「あ」」
ゴチンと鈍い音を立て、二人の体がぶつかった。
考え事をしていたせいか、相手よりも重いはずの俺が見事に尻もちをついてしまう。
何が起こった?俺は辺りを見渡しながら、状況を探った。
近くに人影。恐らく、女性。尻餅をついている俺は、自然と相手を見上げる形となる。
初めて出会った彼女は、茫然とこちらを見詰めていた。
相手が落としたのだろう、幾多もの紙が周りに散らばり、バサバサと音を立てて舞い上がっている。
それは廊下の窓から入る太陽の光を浴び、黄金色に照り輝く。
やがて紙は全て落ち、彼女の姿が現れた。
「――――――」
声が、出ない。
少し赤味がかった短めの髪。猫目石のように綺麗な瞳。
彼女はそんな瞳を驚きに見開かせ、美しい形をした口を小さく開けている。
惚けたように立ち竦む彼女の姿は、それでもなお、奇麗だった。
いくらの時間がたったのだろう。一分だったようにも、一時間だったようにも思える。
永遠にも思える時間が過ぎ、相手が口を開いた。
「―――――なあ」
その一言で、意識が覚醒する。
柄にもなく少し見とれてしまっていたようだ。
でもそれだけじゃない。
俺は、前に、どこかで、同じような、光景を………?
思考にノイズが走る。
/そう、たしかあれは
視界が割れ、聴覚が狂う。
/綺麗な満月が浮かぶ、冬の夜
体中が悲鳴を上げる。
/小さく暗い、土蔵の中
頭の中の撃鉄が、上がった。
/俺は、“彼女”と――――……
「――――――なあ、おい。おいってば。大丈夫?」
思考に邪魔が入る。
エラー、エラー、エラー。
頭の中の撃鉄が、消えた。
………はて?さっきまで俺は何を考えていたんだろうか。
なにか、とても重要なことだったと思うのだが。
「あ、ああ。大丈夫。すまん。ちょっと呆としてた」
「ならいいんだけど……」
まだ少し納得はしていないという顔。続けて彼女は言った。
「アンタ、NPC……じゃあないよな、行動が変だし」
「変って……まあ、いいけどさ」
俺は腰の埃を払いつつ立ち上がり、彼女に向き合う。
肩に下げたギターケース。周りに落ちている楽譜から想像するに、音楽家か何かだろうか。
「それで、えーっと。その、ゴメン。ぶつかって。俺は、衛宮。最近こちらに来たばかりなんだ」
「へぇー、新入りね。じゃあ今日の会合で話す案件っていうのは、その事かな?」
「たぶんそうだと思う。知らないけど。それで、その、あんたは誰だ?」
「ん?ああ、ゴメン。紹介遅れたね。アタシは岩沢。たぶん今日の会合で説明があると思うけど、陽動部隊のリーダーさ」
「ようどう部隊?」
聞きなれない言葉だ。
要道……いや、陽動だろうか。
何かを惹きつけておくための部隊なのだろうが……。
「ああ。その説明も、きっと今日の会合で話されると思う」
「そっか。でも、ぶつかっちまって本当にゴメンな。ちょっと飲み物買うのに迷っててさ、その、周りに注意を払ってなかったんだ」
「いや、それを言うならアタシもさ。新曲を書いていてね。ちょっと、集中してた」
「いやいや、俺が注意してればよかったんだし、そっちが謝ることじゃない」
「いや、むしろこっちから突っ込んだんだから責任はアタシにあると思う」
いいや俺だ。
いいやアタシだ。
そんな事を言い合って、俺達二人は睨み合う。
強情な奴だ。俺が悪いって言ってるのに。
そしてそのまま暫く睨み合い続け………
「「……………………ハハッ」」
同時に噴き出した。
「どうしてアタシ達、こんな事で睨み合ってるんだろ」
「ああ。まったくだ」
俺は思わず吹き出てしまった笑いを堪えながら、話を続ける。
「じゃあこの話はもう終わり。お互いに不注意だった。それでいい?」
「ああ。お互いに不注意が重なった。それだけだ」
「いいね。……っと。そろそろ時間だ。アタシはそろそろ行くよ。じゃあね新入り」
「ああ。いってらっしゃい。……って、ああ、ちょっと待った」
そう言って俺は、近くの自動販売機でスポーツドリンクを買う。
ゴトゴトゴト。自販機から落ちてきたそれは、当然の事ながらまだまだ冷たい。
俺はそのペットボトルを岩沢さんの方へと放り投げた。
「はいコレ。お近づきの印」
「ん。いいの?コレ」
「ああ。これからもよろしく。岩沢さん」
「岩沢でいいよ。じゃ、また会合でね」
ああ、と頷くと、岩沢はどこかへと立ち去った。
きっと先程言っていた新曲とやらの打ち合わせか何かがあるのだろう。
俺は去り行く岩沢の背中を、茫洋として見送った。
「さぁて、俺もそろそろ…」
その背中が見えなくなるまで見た後、俺はチラリと時計に目を向けた。
…………………………………。
調理室を出てから10分はたっている。
「やばい。すっかり忘れてた…っ!」
急いで頼まれていた正午ティーを拾い上げ、適当に自分の分の型月茶を買う。
まずい。こんなに時間がたっているのなら焼きたてのトーストはもう冷めているだろう。
それにきっと、待たされた遊佐が怒っているに違いない。
もしかしたら、俺の飲み物を待たずして既にもう食べだしてるかも……。
俺は不安を胸に、買ってきた飲み物を持って急いで調理室に行くのであった。