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[21813] 【仮想戦記】 The Islands War  二次創作 【二部開始】
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2013/05/21 16:12
 
<あらすじ>

――――時は西暦20××年。
日本は異世界において
未曾有の戦乱に臨もうとしていた・・・・!

――――西方の侵略国家ローリダ共和国がスロリア東部に侵攻。劣等種族の「教化」という天命を掲げる一方、自国の生存を脅かす存在として日本殲滅を企図するローリダ。スロリア亜大陸に援助の手を差し伸べる日本もまた、否応なく戦乱へと巻き込まれていく・・・・・・

―――――そして
日本政府は遂にPKF(平和維持軍)派遣を決断。征服者の手に陥ちたスロリアを奪回するべく、陸海空自衛隊の精鋭がスロリア東部へ集結する・・・・!


                    「場末の創作小説倉庫」から転載




 「場末の創作小説倉庫」さんのThe Islands Warの二次創作になります。興味が湧いた方はThe Islands Warで検索! 面白いっすよ! 原作が好きすぎて二次創作なんてものに手を出してしまいました。原作のだいぶ前、『転移』前からの話になるので、序盤はほとんどオリジナル臭くなるかも知れません。
 作者さんにメールで確認しました。快く許可をくださりありがとうございました。



 更新履歴
 
 2010/09/10  一章投稿 まさかの国名が間違い 訂正

 2010/09/11  二章投稿

 2010/09/14  三章投稿
 
 2010/09/16  四章投稿 あと三章の首都名訂正 指摘ありがとうございました。

 2010/09/16  五章投稿

 2010/09/22  六章投稿

 2010/09/30  七章投稿
 
 2010/10/11  八章投稿 その他各章の指摘箇所を訂正

 2010/10/16  九章投稿

 2010/10/23  十章投稿

 2011/04/21  十一章投稿 十章修正

 2011/08/05  十二章投稿

 2011/08/07  題名を指摘により変更。十三章投稿。四話修正

 2011/08/10  十四章投稿

 2011/08/17  十五話投稿

 2011/08/25  十六話投稿 指摘により十五話微調整

 2011/09/02  十七話投稿

 2011/09/18  十八話投稿

 2011/10/25  十九話投稿
 
 2011/11/07  二十話投稿

 2011/11/25  二十一話投稿 

 2011/12/17  二十二話投稿

 2011/12/24  一九話修正 自伝→伝記 感想にて指摘ありがとうございました。普通に考えれば、変でした。何故気付かなかったんだろう……

 2012/01/01  二十三話投稿

 2012/01/17  二十四話投稿 感想にて指摘の二十三話部分を修正 指摘、有難う御座いました。

 2012/02/09  二十五話投稿 後半にもっと肉付けしたいなぁ

 2012/02/28  二十六話投稿

 2012/03/15  二十七話投稿 最初のページを修正 なんでか見直したら急に恥ずかしくなっちゃって、発作的に消してしまった……

 2012/03/24  二十八話投稿 一部完

 2012/08/07  一話修正?

 2012/08/14  二部 一話投稿

 2013/02/17  二部 二話投稿 半年ぶりの更新

 2013/05/21  見てる方いるかどうか分かりませんが原作の更新により、こちらの更新はしばらく凍結。いや、それでなくても全然、更新してないのに、なんかもう色々すみません。新たな設定とか出てくるとなると大幅なプロット変更、修正が必要かなぁ。いやー、でも原作が更新再開して嬉しいかぎりですね!
  



[21813] 一話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/08/07 22:11
「や、やめてくれ! 後生だ、家にはまだ家内が居るんだ!」

「――ええい、うるさい! 黙って早くそのボロ屋から出るんだ!」

 そう怒鳴った男は、まさにボロ屋と呼ぶに相応しいバラックの前で仁王立ちしている。後生だと頭を地面にこすりつける男の服はボロボロで、ニホンじゃ浮浪者でもこんな格好していないだろう。

 ――彼は誰に頭を下げているのだろうか?

 それはローリダ植民地軍の委託を受けた建設業者だ。つまり、立ち退き交渉。コレが交渉と呼べるもの、であったらの話だが。

 はぁ、とため息をはいてベンチからゆっくりと立ち上がる。せっかく休憩に公園に来たのに嫌なものを見てしまったと、この散歩コースを選んだのを後悔する。

 

 ――基本的人権? 知ったこっちゃねえ! が当たり前のここ、ローリダ植民地"アルカディア"では比較的、先の様な光景も珍しくない。此処じゃ私刑も当たり前に行われているのだ。

 ーー取り敢えず本部に戻るか

後ろで上がる叫び声にうんざりしながら、まだ舗装が出来てない道を歩く。
 十分ほど歩いただろうか。目の前には、まさに豪華絢爛を絵に描いた様な建物が見える。先ほどのボロ屋とは天と地ほどの差だ。

「エンクルマ中尉! 遅刻だぞ!」

「……すみません」

 怒声をやり過ごし頭を下げながら会議室に入る。壁の時計を見て、まだ時間前であることを内心毒づきながら嫌にフワフワした椅子に腰を据えた。それを見たクソオヤジが、また煩い声で何やらプレゼンを説明し始めるのだ。

 そのがなり声をBGMに、こんなオヤジ共に囲まれる事になった原因を改めて考えてみる。会議に参加するよりも、こっちの方が余程有意義だ。意識は、このくそったれな世界に来た直後に飛んでいた――

 

 ――気付いたら、ファンタジー世界にようこそ!

 突然、別の世界からきたらしい俺は何処にでも居る普通の大学生であった。いやビックリしたね。泣いているらしい自分に母の手は差し伸べられず――あれ、このまま天に召されてしまうのか? と俺の頭の中では乳児死亡率なんて不吉な単語が渦巻いていたぐらいだ。なまじっか頭が働いているから、もう不安と格闘する日々。え、これってこの世界の常識だったするの? とまで思ったしね。

 精一杯泣きまくった、お陰か無事孤児院に入れたのは僥倖だった。開幕ゲームオーバーなんて事は無くて、その孤児院の院長もいい人だったしね。すくすく育ちました。

 そのうち勝手にファンタジーで魔法が使える!――なんて事もなく普通に微分積分と格闘したりと普通だった。うん、普通に算数とかしてた。魔法のまの字も無かったね。

 けれども、この世界が普通じゃない世界だ――というのは時が経つにつれ嫌でも理解しざる得なかった。

 まず宗教がヤバイ。元日本人から見ればアーレフさんとタメはれるほどのヤバさ。
 国教である宗教の名をキズラサ教というのだけど、またその内容が凄い。一神教の狭心さってレベルじゃない。いわゆる昔の――暗黒中世の――カトリックをもっと度きつくしたモノと考えてもらえばいい。

 教義内容は、まだいいんだ。エゲツナイのがそのキズラサ教を出汁にして”教化”なんて言っちゃうことだ。ぶっっちゃけ帝国主義――あの外国を植民地にしてってやつだ。

 現在のローリダ国の状況はこうだ。近隣諸国と共に産業革命を達成。そして、重火器などを整備してこの世界を順調に植民地化している。だいたい前の世界と同じ歴史を辿ってる。

 
 ――さて、そんな国の一番の出世街道は何処だろう?

 ――お金もない子どもの職場は?

 答えは、軍だ。

 実際、孤児院から高等教育を受けるには軍の士官学校やらに通うのが一番よろしい。って言うか、それしか無い。

 もちろん、前世で一応国公立の大学に通ってた俺に死角はなかった。本屋で一日中参考書立ち読みなど不遇な時代を経て、学校入学。まさかの次席卒業と人生バラ色だったはずなんだが。

 
 何でこうなったのか? 俺はどこで間違えたのか?

 
 一言でいえば『頑張りすぎ』だったのだろう。次席卒業なんて目立つことした俺は、その学業・見習い中に他にも色々とやってしまったことも手伝って、この植民地司令部付参謀となることに決まったのだ。一応、栄転である。
 軍内で期待されている奴は一度、植民地に出て経験を積み、また国に戻っていく。つまりエリート街道を突っ走ってる訳だ。

 そう言うことで同級生からは妬ましげな目で見られている訳だが俺は内心、喜んでいいものか迷っていた。

 軍で栄達を極める――それはいい、正直お金が会って困ることはない。子供時代にそれは、よーく思い知った。同様の理由で勲章も、そりゃもらえたら嬉しい。
 けど、それに命を賭けようとは思わない。植民地とは、ある意味最前線だ。内乱っぽいのも日々起こっていると聞いていたし、そこら辺がものすごく不安だった。

 結局、比較的安全そうな植民地の一つであったから良かったのだが――赴任早々またもや別の問題が浮かび上がった。

 
 それは本国人の植民地人への扱いだ。

 正直、想像の域を軽く突破してた。人を人とも思わない――そんな言葉が現実になっている所だったのだ、ここは。
 そこらへんの路地で暗い目をしている子供たちがどんな目にあったのか。想像もしたくないが現実、目の前で行われていることだ。

 ――平気で車で植民地人を引いていく。ぶつかった時は、車が凹んだと怒鳴る。周りの人も自分のことで精一杯なのか暗い目のまま関わろうとしない。本国からの車は、倒れた植民地人なぞ気にしないのでそのまま轢かれて……最終的にど根性ガエルみたくなる訳だ。ペッタンコに。

 そりゃ平和日本で生きていた自分にとっちゃ軽くトラウマになるような光景だった。本国にいたころはローリダ人じゃないと言っても、ここまでひどいことにはなってなかったし。

 ――可哀想だとは思う。しかし、それを俺の手で革命! なんてありえない。見て見ぬふり。これが現実だ。誰だって自分の身が一番、可愛い。

 そんな、いつもと同じ様な自己嫌悪に陥って、また溜息をはく。ここに来てからどれだけ幸せが逃げて行ったのだろうか、一生分逃げた気さえしてくる。

 椅子が引かれる音が回想から自分を引き釣り下ろす。ボンヤリとした頭で顔をあげると皆さんお帰りの様子だ。じゃ、帰りますか――



 ――出口に向かうと、そこには金髪イケメン野郎が。

「げ!?」

「久しぶりにあった親友に、何だその挨拶は」

「アドルフ! お前何でここにいるんだ!?」

「俺もここに”栄転”ってわけさ」

 目の前のウインクが似合うイケメンは、エアーズ=ディ=アドルフという。士官学校以来の腐れ縁だ。こいつの所為で俺に女性が来たことが一度もない――と思いたい。こいつの所為で、だ。決して俺の美貌の絶対評価のせいではねぇ。

「お前は変わらないな」

 目を細めるアドルフ。金髪に碧眼ってどこのチート主人公だ、と改めて思う。すべてのパーツが百点満点ってやつは、そうそう居やしないだろう。
 異世界でのバレンタインデーと言える日では、こいつへのチョコがトラックに積まれていたという漫画的展開を思い出す。

「変わらないって何だよ」

「その……だらけた雰囲気?」

「お前ケンカ売ってんだろ? な、そうだよな、よし買ってやる! 表へでろお!」

「まぁ、待て。人目を気にしろ」

 周りを見ると、情報下士官たちが驚いた顔でこちらを見ていた。

「ちっ、しゃあねえなケンカは預けといてやる。利子はトイチな」

「ふ、良く言うよ――運動とかからっきしのくせに」

 憎まれ口を叩きながら廊下を歩く俺とアドルフ。行き先は自室だ。先の会議室と同じ領地内に宿舎があるのだ。

「で、どうした? 栄転だなんて、そんな話全く聞いてないぞ」

「急に決まったことだからな」

「急?」

「ああ、コネで入った奴の所為でな」

「ふーん」

 アドルフは総司令部の方で働いてたはずだ。そこにコネで入った奴の所為で定員がオーバーになった、と。

「相も変わらず中央は腐ってんな」

「ま、これも一応立派な栄転だからな。悪いことばかりでもないし――」

「どういうことだ?」

「――ここにはお前がいるしな。少なくとも暇で死ぬことはないだろうよ!」

 軽快に笑うこいつは、性格もイケメンとあってどうも憎めない。

「……で、なんでついてくるんだ?」

「部屋はお前の隣だ」

「ああ、そうかい」

 至極どうでもいい。

 


 自身の窓からは荒廃した都市が見える。その中にあって、この司令部の輝きは目に痛いほどであり一層、辺りが貧相に感じる。
 目が死んだような顔をした少女が、植民地軍のナンバープレートをつけた車行きかう道路の側で所在なさげに立っている光景が見えた。年は十四、五といったところだろうか。
 ――身を売っているのだろう。そうしない限り、この厳しく、くそったれな世界でか弱い少女一人が生きていけるはずもない。

「……ひどいもんだ」

「ん? ああ、車の量が多くて排気ガスやら騒音がひどいな。宿舎、他の所に変えた方がいいんじゃないか?」

 性格イケメンのアドルフでさえ、この調子だ。最初から少女が見えていない。というか人間と認識すらしていないんだろう。
 彼は商人の息子だったはずだから特別な教育を受けたわけでもない。これが、この国の一般常識、普通って奴なのだ。

 性格云々が原因じゃない。こういった、この世界と自分の差異を感じるたびに、なんとなく気分が重くなる。
 


 ――はぁ、溜息一つ。今日も順調に幸せさんはどこかに行きなさる。

「暇つぶし出来る何か持ってないか?」

「そう言えば、プレイローリダの最新刊を持って来たぞ」

「貸してくれ」

「荷ほどき手伝ってくれ」

「……しかたがない」

 司令部付参謀といっても。毎日戦闘が起こってる訳でもないし基本、暇なのだ。しかも、ここは首都とは遠い植民地。娯楽施設なんて一つもない。

 この後、荷ほどきに二時間ほどかかった。全身筋肉痛と雑誌一冊。割にあわない取引だった。







 アルカディア国。それがこの国の植民地化される前の名前だ。

 国自体は険しい山々に囲まれ、ロクに農耕や放牧すらできない土地だったという。
 昔の偉い王様がそれではいかんと、国自体を農業中心から商工業中心に替えてから幾百年。ここが交通の要所だったこともあって大きく発展。昔、香辛料が高かった頃、貿易で大儲けしたという。

 しかし、栄えていた時代は遠い過去となる。原因は近隣諸国の帝国主義化。この国は自前の軍があまり強くないことと有り余るお金を使って、傭兵中心の国防体制を敷いた。

 まぁ、それが間違いだった。君主論に真っ向から対立するようなその方法をとったかの国は、その身をもってマキャヴェッリさんの正しさを証明したわけだ。
 結果、ローリダに侵攻され植民地化。と、まぁこんな感じで理想郷との名を持つ国は滅んだ。
 
 また、ここが交通の要所なのは現代も変わらず近隣諸国に狙われている。そこが比較的安全というのも、現地人の反乱が少ないというのが原因の一つだ。自分の目から見ると、もはや反乱する気力もないって感じであるが。
 銃弾が飛び交う前線よりかは確実にマシ。俺の見立ては正しいように思われた。



 

 ――ジリジリとなるアラーム。

 部屋で、まどろんでいた自分を一気に覚醒させる。

 まだ寝たりないと頭に響く痛みが俺に訴えるが、このアラームは緊急時に鳴らされるものだ。間違いなく、確実に、いい知らせではない。
 急いで制服を着込んで、ボタンも閉めきれぬまま会議室へ急ぐ。そこには、まばらな人影しか見えない。急ぎすぎたのだろうか?

「おい! 何が起こっている!?」

 近くの通信官に大声で問う。こんなアラームの中、怒鳴らなければ双方聞こえないのだ。

「北の監視塔からの定時報告が途切れました!」

「――なにっ? それだけでこのアラームか!」

「それだけではありません! 監視塔に向かった小隊がロマリア軍と思われる敵と遭遇し、すでに銃撃戦になっているとのことです!」

「ロマリアだぁ!?」

 怒鳴りあう二人。よく耳を澄ましてみると、いたるところから怒号が聞こえてくる。

 ロマリア共和国――ローリダと同じく帝国主義をとっていて、いろんな地域を”開放”している国だ。その実は”教化”と何ら変わりはしない。結局、同じ穴のむじなである。そして、その同じ様な国だからこそ次に、どんな行動をとるか手に取るようにわかるのだ。つまりは侵攻だ。戦争だ。開戦だ。
 
 確かに、その可能性は既に指摘されていた。しかし人間は希望的観測の下、生きたがる生き物らしい。侵攻に備えて――なんて聞いたこともない。


「その敵が、ロマリアだって確認はとれたのか!?」

「いいえ! 先ほどから小隊と連絡がつきません!」

 状況は最悪だ。


 ……そういえば何故、こんなに会議室がスカスカなのだ? あのおっさんたちは?

 
 そんな思考に気を取られていた、その時ドアを蹴飛ばす勢いで開ける男が一人。寝ぐせが、ついててもカッコいい男――アドルフだ。
 息がまだ荒れたまま、この状況を目で俺に無言で問う。

「北の方でロマリアの奴らと戦闘に入ったらしい」

 一言、聞いたアドルフの顔が急に青くなる。今の状況のヤバさがわかったらしい。

「それは本当か?」

「本当だよ、くそったれめ」

 ここで愚痴ってもしょうがない。それよりも、だ。ここに若い参謀二人しかいない方がおかしい。

「……司令はどこだ?」

 呟く俺の小さい声をキャッチしたらしい名も覚えていない士官が嫌な汗を、滝のようにかきながらぼそっと呟く。

「……連絡が取れません」

「何?」

「連絡が先ほどからとれません!」

 最後はほとんど、やけっぱちのように叫ぶ。俺がその内容を理解するのに数秒かかった。そのあり得ない状況を、だ。

「……連絡が、……とれない?」

 繰り返し呟くアドルフ。心の中で――言う必要もないので。口に出して俺は上官たちを罵る。

「あいつら揃いもそろって愛人宅かよ!」

 そう……もう確信に近い情報として、司令官が愛人を囲っていて、そこに居候しているらしいという噂がある。

 それが本当だってことだ。そして何よりも、その愛人宅の住所を誰も知らないことが大問題だった。

「どうするんだよ、これ……」

 自室茫然とした俺の呟きは慌ただしい司令部の喧騒に飲まれていった。

 



[21813] 二話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:29
「どうするんだよ、これ……」

 状況は最悪も最悪。これ以上悪い状況は想像できないほどだが、現実はそんな人間の想像をひょいと飛び越してしまう。

「中尉! 本国と連絡が取れました!」

 この植民地司令部はある程度独立した裁量が認められている。軍事力もそれなりのものだ。ただ、頭が悪かった。命令を出す頭がいなければ体は動かない。
 とはいっても一応、大きく軍を動かす時には本国の総司令部の指示を仰がなければならない。俺は慌てて受話器を手に取った。ベルを止め、周りに静かにするように注意する。

「総司令部のシステマ中佐だ」

「はっ! エンクルマ中尉であります」

 電話の向こうからは、少しくぐもった声が聞こえてくる。年季を感じる渋い声だ。
 さすが本部だ、こっちのクソ親父どもとは違うと感心しながら、現在の状況を軽くまとめて話す。

「……つまり、司令部の最高位は君たち中尉ってことだな」

「そうであります!」

 その返答の後、電話の向こう側で何やら話し合うような声が聞こえる。怒号が聞こえたのは聞き間違いだろうか。聞き間違いであってほしい、切実に。

 貴重な数十分がただ電話の前で待っていることに費やされる。全く早くしてほしい、正直このまま荷物をまとめて帰りたい。
 勿論、ロマリア軍と聞いたときに迎え打つという考えも一瞬頭に浮かんだが、すぐに頭から追い出した。バカバカしい。今、植民地に駐留しているのは敵の侵攻を迎撃するような数も持ってないし、武器もない。

 じっとしてるのが、だいぶ苦しくなったので近くの士官に司令の捜索の継続や部隊準備の状況を報告させる。今は一秒でも時間が惜しい。

「いや、待たせたな」

 ようやく電話から声が聞こえる。さて早く撤退の命令を出してくれ、頼む。この嫌な予感を早く払拭させてくれ。

 が、キズラサ神は非情だった。まぁ居たとしても信仰心などこれっぽちも持っていない俺に加護もあったもんじゃないか。

「現時刻を持って、貴官エンクルマ中尉を野戦任官として大佐に任命する」

「……は?」

 俺の口から出てきたのは、短い、心からの疑問の声だった。

 何だって、野戦任官? まだこの前学校出たばっかりのペーペーの俺が、大佐?

 余りのことに、頭がフリーズしかけた俺の耳に更なる追い打ちが聞こえてきた。

「なお、総司令部は撤退を認めない! 必ずやロマリア軍を迎撃するのだ!」

「……っ! それは、つまりこの”アルカディア”をここの軍で守り抜け、と。そういうことですか?」

「そうだ」

 見捨てられた、つまりはそう言うことだ。どうせこっちがまさしく命を削っている間に本国でのうのうと軍備をしっかり準備するってことだ。

「……システマ中佐。迎撃にはどんな手段をとってもいい、それは確約して頂けるんですね」

「ああ、大丈夫だ。では、貴官にキズラサの加護があらんことを」

 いくらか責任を感じているのだろう。とりあえずこの後のことは何をしても気にしなくてもいいようダメ押しをしたが、すんなりと許可をくれた。あくまでも生き残れたら、だが。
 どうせ死ぬんだし、と心の中で思ってるんだろうよ。

 さあて、あんなことを言ったが一発逆転の方法が腹にあるはずもない。

 ゆっくりと電話を置いて周りを見やる。会議室の奥には情報士官が五名ほど。そして、作戦を考え、それを検討するはずのテーブルには若い中尉と大佐が二人だけ。全員がこちらを見て状況の推移を観察していた。

「おい、こんどから俺のことはエンクルマ大佐と呼べよ」

『は?』

 六人全員から先ほどの自分の様な声が漏れた。六人そろって鳩が豆鉄砲を食らったような間抜け面を晒す。
 それを見て、こんな状況にも関わらず笑いをこらえることができなかった。

「なんの冗談だ?」

 いち早く、立ち直ったアドルフが俺に少し不機嫌気味に応える。こんな状況でふざけるなってことだろう。
 たしかにふざけてるだろうよ、この状況すべてがな。

「冗談でも何でもないさ、アドルフ中尉。先ほど、総司令部から野戦任官で大佐だってよ」

「え、野戦任官!? っというか大佐って」

 他の情報士官たちは声を出すこともできない。仕方がないさ、本人達だってまだ混乱しているんだからな。
 先ほどの内容をとりあえず、この七人に説明する。

「アルカディア植民地軍は、これからロマリアらしき軍に対して作戦を開始する。ちなみに内容は、潔く散って来いだとさ」

『なっ?』

 ようやく自体が飲み込めたのか、彼らが一様に青い顔をする。

「なるほど、俺達は見捨てられた訳か」

 アドルフも青い顔のまま納得した。つまりはそう言うことだ。

「どうする、今からでも教会に行ってキズラサ神にお祈りに行くか?」

「いや、俺は止めとくよ」

 俺の軽言に真面目にかえすアドルフ。……ん、重症だな、緊張でかちんこちんだ。
 なんで俺がこんなに落ち着いてられるかっていうと、人間パニックになりすぎると、逆に落ちつくもんだ。これ、今知ったトリビアな。

「さて、まさしく絶体絶命の俺達だが、何もわからないで右往左往したまま死ぬのは御免だ。そこの……」

「はっ! ハリー二等兵です!」

「おう、ハリー二等兵。今の部隊の状況は? いつまでに準備完了する?」

「おそらく、四時間から五時間ほどかと」

「ちっ! 長すぎる!」

 隣のアドルフが毒づく。確かにそれではロマリア国軍がその前にここに到着してしまうんじゃないか?

「ロマリア軍は……」

「同じく四時間後ほどかと」

「ギリギリ、もしくは遅いって感じか」

「ま、間に合っても勝てっこないんだけどな」

 その言葉に全員の顔がゆがむ。そうだ、みんなは分かってるわけだ、どっちにしろ破滅の道しか残っていないってことを。
 
 さて、十分絶望的な情報は得られたが、知ったところでいい策があるわけでもなく、重苦しい沈黙がたった七人しかいない会議場を包む。

「この状況を打破できる策を持っているやつ。誰でもいいから手をあげてくれ」

 と言って誰があげる訳もない。アドルフを見ると、やつもこっちを見ていた。

「アドルフ、お前は何か策がないのか? こう、逆転の手みたいな」

「あるとしたら、もう言ってるさ。エンティ、お前は? いつものようにみんなを驚かす奇策というか屁理屈というか。あんなのとかは無いのか?」

 アドルフの言う奇策とやらは、学業時代、シュミレーションで多用した小説やアニメなどの作戦を適当に使ったやつだ。お遊びでやったのが、意外と効いて面白かったのを覚えている。
 しかし、現実で使うとなると、

「やっぱ、何もないわ。ごめん」

 こてんとずり落ちるアドルフ。こいつ、まだ意外と余裕あるんじゃねーの?
 
 何か他に手は無いか……!

 刻々と時間は過ぎていく。右手で顎をなでながら歩きまわる俺を士官たちは不安げにこちらを見る。
 不安は当たり前だ、これが絶望に変わるのもそう遅くもないだろう。

 そのとき、脳裏に前世で見たアニメが浮かぶ。
 たしか、黄金の獅子は辺境で何をやった? そうだ! つまり焦土作戦。解放を歌う同盟が住民の食糧を……ってありえない!
 ロマリアの奴らが元植民地人に食糧を分け与える図が想像できねぇ、あいつらなら平気で困窮する植民地人から食糧をさらに取り上げそうだ。

 ……結局は、アニメはアニメだったってことか。そう現実が上手いこと行くはずはない。

(勝利条件は、このアルカディアからロマリア軍を追い出すこと)

 兵力が足りないから真正面から行けば軽くひねられる。残るは搦め手しかない。

「どうだ、俺たちは無いない尽くしだ。可能性があるとしても搦め手になるだろうが……」

 アドルフが何かを思いついたのか、輝く顔がこちらを向く。

「そうだ! あいつらを撤退させるだけなら、兵站を叩くだけでいけるんじゃないか?」

「どうやって攻撃するんだよ」

「北の方は確か、山を超えるための細い道が続いていた筈だ。そこを通る伸びきった補給線を叩けば……」

「確かに……、可能性はある、か?」

 良く考えろ、エンクルマ。 確かにアドルフの作戦は理に叶っている。第二次世界大戦時の日本が負けた理由の一つに、兵站の軽視があったはずだし。兵站を断たれた軍隊は弱い。

「しかし、今の今まで、この街で治安を担当してた奴らにゲリラなんて出来るか?」

「ああ……、無理だな」

 至極気落ちした様子で、アドルフの頭が垂れる。

 後方の補給線を狙うとなると、迂回して森にまぎれながら奇襲、待ち伏せをすることになる。がそんなのは特殊部隊がやることであり、ここいらに配属されているような普通の奴らには出来ない相談だ。
 そして、こういった時には住民の協力が必要となるが、彼らが協力してくれる訳がない。むしろ嬉々として敵を受け入れ、俺たちの背中を刺そうとするに違いない。
 
 以上の理由から、ゲリラ戦は無理だってことだ。敵の補給線を狙い、正面衝突せずに撤退に追い込むというのは魅力的だったのだが。

「クソッ、司令たちが居て指示系統がはっきりしていれば、もっとましな作戦が立てられていただろうに」

 バンッ! とテーブルを叩きながらアドルフは悔しそうに呻く。そんな参謀の様子を見て、周りの士官の顔が絶望に染まる。
 彼らも分かってきたのだ。ただでさえ不利な状況の中、まともな作戦もなく戦うことになるかもしれないということに。

 真正面から戦うこともできない、補給線を叩くことも叶わない。この状況で相手をせめて混乱……

 その時、頭の中で何かと何かがつながった、そんな気がした。急に頭に浮かぶ、アイデアを忘れないようにと繰り返し心の中で繰り返す。決定的な穴がないか、修正すべきところはないか。

 急に立ち止った若き参謀に怪訝げな目を周りの六人が向ける。

「うん、この作戦で行けるかもしれない」

 ぼそっと洩らしたその言葉は、彼らの目がひん剥くには十分すぎるほどの衝撃を持っていた。












「なんだ!? その作戦って!?」

 アドルフが興奮気味にこちらに詰め寄ってくる。必死のその形相が綺麗な顔とあいまって怖い。

「まあ、聞いてほしい。正直、運やらがかなり必要になってくるし、もし穴があれば遠慮なく指摘してくれ」

 ブンブンと頷く会議にいるみんな。もうこれが最後のチャンスとばかりだ。確かに最後のチャンスなのかもしれないが。

「つまり、あいつらを今の俺達みたいにしてやるっことさ」

『?』

 みんなの頭にはてなマークが浮かぶ。

「待て、今の俺らって言うのは?」

「指示系統を無茶苦茶にする。つまり相手の司令官達を爆殺するってことさ」

「爆殺って、……まさか!?」

 頭の回転の速いアドルフはもう正解にたどり着いたようで、その驚きを隠そうとしない。周りの奴らはまだ分からないといった顔をしていた。

「そうだ。俺たちはこの豪華絢爛な司令部を爆破する」

 遅れて周りの奴らもあいた口がふさがらないといった顔をした。

「これは、相手のアホさ加減に期待するしかないんだが、まず俺たちはこのアルカディアから撤退する」

「おい、撤退は禁止されたのじゃなかったのか?」

 アドルフが食ってかかる。

「これは、”戦略的”撤退だよ」

 またもやとぼけた顔をするアドルフの間抜け面が心底おもしろい。
 笑いをおさえるのに苦労しながら、話の続きを話す。

「これは、俺達のお偉様方の普段の行動を参考にしてみたんだが、まず俺達が攻めいった都のどこに司令部を置くと思う?」

「まあ、一番豪華な所だな」

 戦勝したあと、言い方は悪いが略奪が横行する。そこで、司令部などは一番貴金属などが多い王宮やらに布陣する。つまり豪華な所にってことだ。

「この都で一番豪華なのは?」

「……ここ、司令部ってことか!」

「そうだ。そうしてのこのこここにやってきた敵の司令部をボンッだ」

 とびきりのいい笑顔とともに軽い爆発音を鳴らす。

「そうだな、上層部が居なくなった後、どうするがだが」

 この後の言葉は言い出しにくい。結局ここで二の足を踏むのは偽善だと思うのだが、こういった決断を下すのに、経験も時間も足りない。でも、ここで戸惑うと自分の命があぶない。こんな辺境で死ぬなんてまっぴらごめんだ。まだ俺の第二の人生は始まったばかりなのだ。

「ここを燃やそうと思う」

 その言葉にまたも茫然とする彼らの顔は青いを通り越して黒ずんでいる。

「幸いにも、ここにはよく燃えそうな家がたくさんある。司令部がぶっ飛んだあと、占領地が燃え始めたらどうすると思う?」

「どうだろうか、とりあえず本部に連絡、とれるかな。混乱で、撤退、するかもしれないな!」

 後半になって上がり調子にテンションが上がっていく。

「でも、これはほとんど奇跡みたいな確率でしか成功しないと思う。けど俺たちは背水の陣。これ以外にないと思うが、どうだろうか」

「エンティ、やっぱお前はすごいわ」

「止めろよ、アドルフ。照れるじゃないか」

 アドルフは頭の後ろをかく俺を不思議そうな顔で見つめる。

「よし、じゃあまずは民間人に避難の勧告。ありったけの火薬と、ああ弾薬も集めてしまえ!」

「はい!」

 気色が先ほどよりいくらかよさそうに見える情報官たちの返事が聞こえる。

「そうだな、二個中隊ほどに植民地人と同じ格好させろ! あとは油もめいいっぱい集めろ!」

「了解!」

 慌ただしく命令をだす俺とアドルフ。にわかに活気づいてきたたった七人の司令部はその活動を活発に開始した。













 約四時間後、俺たちは勧告に従って避難してきた民間人とともに、都から程よく離れた森にいた。大量の人間を隠すには森に隠れるしかない。

「ロマリア軍、入場しました!」

 双眼鏡をのぞいた兵士が叫ぶ。始まった。まさに生死をかけた戦いだ。もう作戦が失敗すればここから散り散りになって逃げまどうしかない。

 無線から連絡が入る。どうやら敵さんは戦うべき敵が居ないことに拍子抜けしているようだ。……ふふ、そのまま油断していてくれ。

 二時間後、浮浪者に扮装させた兵から何やら豪華そうな指揮車があの豪華絢爛な司令部に入ったという。急いでそこから離れるように指示した後、命令を出す。

「よし、今だ! 爆発させろ!」

 俺の合図とともに、だいぶ離れた地点だというのに体に響くような轟音が響き渡る。民間人が急いで耳をふさぐ。正直、予想外の規模だ。

「……司令部は木端微塵です!」

 兵が望遠鏡を覗きこんだまま、興奮した声で状況を伝える。

「きたねぇ花火だ」

 とカッコ良く呟くアドルフ、やはりコイツ余裕があるんじゃないか、絶対あるだろ。
 そんな俺の視線に気づかないように、アドルフが次の作戦の指示をだす。

「α、β中隊! 状況開始!」

 可燃物、つまりは植民地人の家であるバラックに油をかけ、放火しまくる。それが彼らの任務だ。そして俺の出した命令。

 次々と火の手が都の方からあがる。一度燃え始めた木製の家は隣のバラックも巻き込んで連鎖的に燃えていく。特にスラム街はその密集した家家が大きく燃え上がる。その中の人間も巻き込んで。

 そろそろ、昼になるというのに、煙でそらは暗い。一面、どんよりとした雲が覆っているように見えるがこれはすべて火災から出る煙だ。
 ときどき、焦げ臭いにおいの中に、他の何かゴムが焼けたような匂いが混じる。これが人間が焼けた匂いだろうか。

 俺達は燃え盛る都をただボーと眺めていた。隣のアドルフが呟く。

「なぁ、今更だがこんな植民地燃やして良かったのか? 後で上の奴らから何かいわれないか」

「一応、電話の時に受けた命令はロマリア軍の迎撃だ。そのためにどんな手段をとってもいいとも確約した」

「ホントにお前は……」

 目を細めてこちらを見てくるアドルフ。やめろ、男に見つめられるような趣味は無い。

「ん、なんだよ」

「いや、何でもない」

 気持ち悪いな。そして、待ちに待った報告が響き渡る。

「エンクルマ大佐! 敵が、ロマリア軍が撤退していきます!」

 その怒鳴るような報告は、それまで雑談に興じていた兵士や後ろの民間人に響きわたった。一瞬の静寂。その後に続く爆発的な歓声。

『やった! 勝った! 勝ったぞ!』

『ロマリアの奴らめ! 尻尾巻いて出て行きやがった!』

『ありがとうございました、キズラサ様。ああ、聖なるかな!』

 喜びと怒声が渦巻く。カオスなこの空気はどこか祭りの様に、周りにひろがっていく。肩を叩かれたので、振り返るとそこにあの会議室のハリー二等兵が満面の笑みで立っていた。

「おめでとうございます! エンクルマ大佐!」

「ああ、ありがとう」

 あまり喜ばしそうでない俺の顔に不思議そうな顔をするハリー二等兵。
 生死の境をさまよっていた時は必死だった。生き残るという生命の使命に従ったまでだ。

 だが、こうして生きる希望が見えてくると、今更だがこの作戦で俺が何をしたのか、そんなことを考える自分がいる。

 赤く赤く燃えるアルカディアの火はまだ消えそうもなかった。
 





[21813] 三話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:30
 ロマリア軍がアルカディアから退却したあと、俺たちはまだ赤く燃え上がるアルカディアを遠目に見ながら、陣を張った。その際に簡単な野戦陣地を構築するのも忘れない。アルカディアから焼け出された植民地人が郊外に出てくるものと予想されたからだ。しかし、どうも予想は外れたらしくその多くの命を奪った大火から逃れ得た人たちもこっちとは反対側に逃げていた。こっちにきても打たれるだけだと解っていたのだろう。

 その場で興奮冷めやらぬ一夜を過ごした翌日、遠くからゆったりと行軍する共和国国防軍が見えた。代表者として俺とアドルフが指導車に向かう。

「おお! エンクルマ中尉! 無事だったか!?」

「大佐です、システマ中佐」

「ああ、そうだったな。ではエンクルマ大佐、現時刻をもって野戦任官をとく」

「分かりました」

「まあまあ、そう硬くなるな。で、どうだったんだ?」

 俺とアドルフはどの様にロマリア軍を撃退できたかを簡略に説明した。

「なるほど……、少ない兵力にも関わらず、奇抜な作戦を用いてロマリア軍を撃退。エンクルマ中尉、君は英雄だよ! 素晴らしい!」

 少ない兵力はお前らの所為だ、なんてことはそっと心の中にしまっておく。沈黙は金なりだ。

「そうなると、司令達がどこに行ったかが気になるところだが……」

 結局、彼らはその後も音沙汰なしだった。もうしかすると、あの火の中で焼け死んだのかもしれなかった。出てきたところで、どうせ軍法会議か少なくとも降格は免れないだろう。

「あの、もし司令が焼け死んでたとしても」

「ん? ああ、大丈夫だ。英雄にそんな形で報いたりはせんよ」

 ははは、と豪快に笑うシステマ中佐。


 その後、彼ら本国の兵士たちは復興活動に従事し、俺達は希望者とともに首都、アダロネスへ凱旋することになった。すでにこの一連の出来事は本国に伝わっており新聞などメディアでは連日、報道されているらしい。

 来る時よりもだいぶ豪華になった指導車に乗りこんで、一日半。窓から外を見やると、遠目からも発展していると分かる大きな都市が見えてきた。
 ローリダ共和国、首都アダロネス。景観は言ったことは無いが、ヨーロッパのどこか地方都市を思わせる。もちろんこの時代では十分に世界の最先端を行く景観であるが、前世の超高層ビル並び立つ東京を知っている自分としてはどこか物足りない。

 もう少しで首都というところで車がいったん停止する。いぶかしがる隣のアドルフを見ながら、外に出るよう促されて出て見るとそこには立派なパレード用と思われる車が鎮座していた。

「これに、乗れっていうのか」

 電飾が満載の、某球団優勝パレードに近いそれをみて、思わず言葉が漏れる。

「そうらしいな」

 隣のアドルフは、嬉しそうにほほを緩ませながら答える。

「お前、なんでそんなに嬉しそうなんだ? 気持ち悪いぞ?」

 不思議そうな顔をするアドルフ。

「なんでだよ? 喜ばないお前の方がどうかしてると思うぜ。ああ、お袋よろこぶだろうなぁ」

「そんなもんかねぇ」

 パレード車の運転手はその対照的な二人を見て首をかしげていた。




『おお! ロマリア軍の侵攻を寡兵で追い払った英雄が帰還したぞ!』

『”アルカディアの奇跡”の二人だ!』

『ローリダ共和国万歳!』

 万雷の拍手の中、パレード車はゆっくりと喜びに溢れる群衆を進む。すでに真っすぐ建国広場に向かう国道一号は、英雄を一目見ようと人でいっぱいで、夜店まで出る始末だ。すでに祭り会場と化した国道沿いは異様な熱気に包まれていた。

「ああ、うるさい」

「あ? 何だって?」

 隣のイケメンはその眩しいばかりの白い歯を見せながら、満面の笑みで観衆に手を振る。彼がにこやかなスマイルを見せるたびに黄色い声援が聞こえる。このうるさい中で聞こえるのはどういうわけだろうか。

「何でもないよ!」

 大声でどなりながらも、俺も無表情で手を振る。本当にこいつの近くにいるとそんなことばっかりだ。
 当然、俺が手を振っても黄色い声援なんて聞こえない。べ、別に悔しくなんかないんだからね!?

 もうそこにいるだけで、汗ばむような熱気はパレード車が建国広場につくまで続いた。
 いいかげん、もう疲れた。移動と手を振るなんて慣れないことをした俺は疲労困憊だったが、このあとまだまだイベントが目白押しだ。

 事前に聞かされていた通り、次はなんとこの国の首班である第一執務官による直々の功勲。それをこの興奮冷めやらぬ観衆いっぱいの建国広場でやろうとするのだから政治ショーにする気満々だ。
 
 車を降りて、歩くとそこには豪華な金糸をふんだんに使ったいかにもな服を着た老人がたっていた。彼は……あー、えっと名前を忘れた。ま、一番偉い奴だ。

「エンクルマ中尉、アドルフ中尉」

「はっ!」

 二人とも最敬礼でその国家最高の権力を握る男に応える。

「うむ、君たちの様な有能な軍人がこの国にいることは非常に誇りに思う。そうであるから……」

 この後も、長い長い校長の朝礼を思わせる訓示というなの演説が続いた。”周辺諸国の教化””キズラサ神の導き””この国の使命”なるキーワードがたんまりと盛り込まれたそれはそれは眠くなるような内容であった。
 襲い来る眠気をねじ伏せながら、なおも下がろうとする瞼とも必死に戦う。こんな所で寝たらどうなることか。

「では、その輝かしい功績に報いて」

 執政官が隣に控えていた黒服に指示をだす。彼が持ってきたのは、素人目にでも高級だと分かる勲章であった。

「マクシミリアン勲章……」

 となりのアドルフが呟く。
 黒服により俺の胸につけられると、後ろからわああと大きな歓声が聞こえた。
 後で聞いた話だが、この勲章は結構偉いものだったらしい。

 続いて、アドルフにも同じ様に勲章がつけられる。

「その勲章は本来は佐官以上のものに与えるものなのだが……」

 ここで一息空ける。今までざわざわしていた観衆がしんと静まる。さすが執政官、話の引っ張り方が上手いと思った。

「仕方がない。エンクルマ中尉。君は少佐だ」

「はっ!」

 は? と答えたかったが、さすがにそれは自爆もんだ。しかし、彼は止まらない。

「ふーむ、そして今回の功績。その分も答えなければな。功あったものには相応の恩賞をもたんとな。二階級特進で、どうだね?」

「あ、ありがとうございます」

 と、一気に大佐まで行っちまったが、これはいいのだろうか?

 その後もアドルフは中佐と、これまたえげつない昇進を果たし、パレードはお開きとなった。

 その後も、議員たちとの立食パーティーやらめぐるましく1日は過ぎて行った。その最後、先ほどの執務官にお呼ばれし会談するというラスボスが待っていた。
 すでに顔は慣れない作り笑顔でピキピキしているし、早くベットにダイブしたい気分だったが、まさか断るわけにもいかずその門をくぐった。





 政務室と書かれた部屋に入ると、そこは教室ほども広さのある豪華だがどこか落ち着いた趣のある部屋であった。
 恐る恐る足を踏み出すと、左手の、これまた柔らかそうなソファーから声が聞こえてきた。

「来たかね。ここに座りなさい、お茶を入れていこよう」

「あ、ありがとうございます」

 そのいそいそとお茶を入れてもてなそうとする姿はそこらへんの老人となんら変わらない気がした。
 コン、とガラスで作られているのだろう大きめのオシャレな机にお茶をおいてもらい、すすってみる。あ、案外うまい。高級な気がする。

「……その茶の茶葉も植民地で生産されているものじゃ」

「そうなんですか。おいしいです」

 その後、少しの沈黙。正直、こうやって二人で会談する意味が分からない。政治的アピールというのなら今日はもうすでに十分やったはずだ。
 そんな疑問が顔に出ていたのかもしれない。執政官は話し始めた。

「君は英雄じゃ。たとえ作られた英雄だとしても君の輝かしい功績は色あせん」

「ありがとうございます」

「おかげで、支持率も上がったしのう」

 ふぉふぉふぉと笑う様はどう見ても好々爺だが、その目の奥はきらりと光っている。

「で、わざわざここに呼びだした理由じゃが……」

 ずずーとお茶を飲む。ホント、人をじらすのが上手い人だ。

「君、いやエンクルマ大佐。この植民地政策をどう思う?」

 と、えらい問題が出された。

 これは、下手に答えられない。反対して、さあ殺そうなんてことにはならないだろうが目をつけられるかもしれない。これが権力を握る若者への試金石、だろうか。

 そんな戸惑う俺の様子がおかしかったのか、少し破顔した彼は口を開いた。

「そんなに心配そうな顔をせんでもええ。これは君の今後に関わらん。硬く誓おう」

 その言葉を聞いて安堵するおれを面白そうに爺は見る。くえない爺さんだ。

「では。植民地経営は、いずれか破綻すると思います」

「……ほう」

 爺の目つきが変わる。

 前世の史実でも結局、列強は植民地の独立という流れに逆らえなかった。

「いずれかは独立、いや反乱がおこり手がつけられなくなるでしょう」

「なるほど」

 その自分の言葉に満足いったのか、爺はふんふんと頷く。

「して、君はどうするのかね」

 再度、疑問が投げかけられる。すこし、考えた後こう答える。

「自分は軍人なので、命令に従うまでです」

「合格だよ、大佐」

 ふと、爺の雰囲気が変わった。

「いやはや、やはり英雄というのはそう簡単に生まれるものじゃない、とう事かね」

「は?」

 間抜けな声が出たのも無理は無い、と思う。今まで試されていた? この妙に張りのある声が本当の執務官の姿なのだろうか?

「失礼、すこし試させてもらった。君は色ものの英雄なんかじゃないようだ」

「……何故。この様な事を?」

 少し恨めしそうな目を、見た爺は豪快に笑う。こっちが本当の笑い方か。どこか覇気を感じるそれは爺の印象を変えるには十分であった。

「特に意味は無いさ」

「?」

「君の様な、有望な軍人が今少ない。次世代に残せるものは残してやりたいからな」

「……なるほど」

 確かに、今の軍部は腐ってる。特に上層部がひどい。親族が上級将官を独占なんてこともあったぐらいだ。

「君のような軍人が上につけば、この国もしばらくは安泰だろうよ」

 いつの間にやら、えらく評価されたらしい。そんな人間じゃないと思うのだが、そんな俺のことはお構いなしに話は進む。

「今の軍上層部では仕事がしにくかろう。私ができるだけ口をきいてあげるから頑張りなさい」

 となんかすごい言葉が聞こえた。正直、そんなに俺は『国を想う!』なんて大層なことは考えてもいないし、しようとも思わないのに。どっちかっていうとこの国、嫌いだし。なんか合わないし。元日本人としての感覚が抜けずにこんな仕事をできてるのはどこかこわれているからだろうか?
 第一に俺の命。その二にお金、あと綺麗な奥さんがいいな。あとは趣味な老後とか。そんな俺に彼は何を期待しているのだろうか?

「まず、君は地方の植民地軍司令になってもらうと思うが、どうかね? なにかしたいことでもあるかね?」

 お構いなく、希望を聞いてくる。正直、一週間ぐらい考えたい問題なんだが。

 考えて見る。いつかこの無理な植民地えの押さえつけは無理があるだろう。いくら宗教の洗脳があったとしても、だ。
 しかし、列強はどうだ? どっちにしろ、先に軍備を整え資源を抑えたほうが世界をリードしてきたではないか。

 ……結局は、この大きな流れ。『教化』なるための膨張政策しかないのであれば、肝要なのはただ一つ。『負けないこと』だ。
 負けた国はみじめなものだ。前世で平和を謳歌していた俺だがそれぐらいは分かる。歴史は勝者がつくるのだ。それを踏まえて俺に出来ることは……?

 俺のアドバンテージは前世の知識。前世は農学部居たから、これを使えるか?

『BC兵器』

 貧者の核兵器と呼ばれるこの手の兵器なら俺の知識も使えるかもしれない。そして、やはり核兵器か。

「そうですね、実験小隊でも作る許可をもらえますか?」

「うむ、それだけでいいのかね」

「いいです、今はまだ」

 その言葉を聞いた、爺はこれまでで一番の笑い声をあげた。近くの俺が少しビビるぐらいだ。

「ふ、ふ、なるほどなるほど。分かった、そう伝えておこう」

 涙を拭きながら、爺は手を伸ばす。そのふしくれだった手を力強く握り返す。

 こうして、これからも長く続く爺との関係がスタートしたのだった。








[21813] 四話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:30
 ローリダ国内基準表示時刻三月二七日 首都アダロネス 共和国殿堂


「――――戦争を行うからには我々は徹底的に正義に徹しなければならない。戦争における我々の行いの全てが正義であり、真実であることを周囲に示さねばならない。―――――ひいては共和国の将来に重要な意味を持つことだからである」

 ここは共和国殿堂。俺には鬼門となりつつある建国広場の近くにある、大きな、おそらくこのローリダ有数の収容数を誇る議場である。
 壇上には、黒髪の今まで見た中でもダントツであろう美貌をもつ女性が、静かに、されどもよく響く声で観衆に演説をしている。

 ローリダ共和国国防軍士官学校第187期生の卒業の際、メインイベントとしてこのように著名な人物を招いて演説をしてもらうのはもはや慣習となりつつあった。まぁ、この慣習を作ったのは俺達の世代なのだが。壇上の麗しき女性はルーガ=ラ=ナードラ。若手新鋭の元老院議員であり、そのたぐいまれなる才能と行動力は執政官ですら一目置くほどであった。

「――――我らは実際に正義を行うだけではなく、あらゆる手段を講じて敵を徹底的に悪魔に仕立て上げねばならない。出来うれば敵と戦争状態に入る前にこれらの準備を為しておくことが望ましい。そのためには徹底的に周囲を騙さねばならぬ。敵を欺かねばならぬ。敵を貶めねばならぬ。敵の味方を減らさねばならぬ」

 その欺く対象には、自分の国民も入ってるのかねぇ? なんて言ったらみんなにフルボッコ確定なので、心の中に留めておく。いちいちこの国の人間の言うことは矛盾がはらまれていることが多い。いや、自分の感性がこの国の常識と根本的に違うのだろう。今日までの経験から推測するに。
 周りを見渡してみると、壇上の前には赤を基調とした士官学校の制服を身にまとった、まだ幼げな少年、少女が見える。懐かしいな、俺もあんな派手な服を着てたっけ。俺達は165期卒業生である。かれこれ二十数年間が経ったのだ、感慨にふけってしまうのも仕方がない。

 想えば、この国に生まれてもう四十六年もの時がたっている。すでに人生の折り返し地点を過ぎただろう。今頃は、引退してどこか別荘でゆったりしている予定だったんだがなぁ、どうしてこうなっちまったんだろうか。

「――――最後に、心よりの誠意を込めてこの言葉を若人達への餞の言葉としたい。彼らに慈悲深きキズラサの神の恩寵あらんことを」

 閉めの言葉を言いきったナードラ議員に、観客がスタンディングオベーションを送る。その万雷の拍手に、にこやかな、見るものを陶然とさせる笑みを浮かべて答える。感動した士官学校卒業生たちが握手を求めて、壇上へ殺到する。中には花束をもった女学生も見えた。
 はぁ、と溜息をつく。毎回毎回、この時期が来ると憂鬱になる。なんで俺みたいなやつがこんな所で話さないかんのか。後、ナードラ議員、話うますぎだろうよ、この後に話す奴のことも考えやがれ。

 まだまだ、喧騒が静まりそうにはない。俺には全く心動かされない内容でも、彼らには何か心の中の琴線に触れるものがあったようで、騒ぎは大きくなるばかりだ。どこのアイドルだよ。
 こんなところに立たなければならなくなった原因を作った、あの爺に心の中で毒づく。……まったく、大変な宿題を残して勝手に逝きやがって。おかげで俺の年金☆老後計画はズタズタだ。

『では、次に我らが士官学校『奇跡の165期』にして、ローリダの英雄、ティム=ファ=エンクルマ司令官です!』

 やれやれ、やっと呼ばれたか。じゃ、さっさと終わらせますかね。











 まだなお、彼女に花束を渡そうと登壇してくる学生たちを笑顔で制しながら、舞台袖の椅子に腰をかける。この士官学校、式典のもはや名物となりつつある演説を聞くためだ。この後にまだまだ予定が詰まっているが、このくらいは良いだろう。

 学生たちが、席に戻るまで演説台の前で、不思議な空気を醸し出している壮年の男が一人。その外見から、彼がこの国の象徴ともいえる軍部で一、二を争う権力者だと言って信じるものは少ないだろう。
 この国では珍しい少し暗めのブラウンの髪に、黒ぶちの眼鏡。その猫背気味の背格好は覇気の一文字もない。が、彼はこの国では知らぬものはいないという、押しも押されぬ大英雄なのだ。

「皆さん、ご紹介に預かりましたエンクルマです。まずは一言、おめでとう。この士官学校のしごきに耐えられただけで君たちは誇っていい」

 大英雄の、その人間臭い口上に会場が笑いに包まれる。神聖な式典にそのような軽重な言葉は似合わない。そう、ナードラは想わずにはいられなかったが、会場が自分の時とは別の次元でいい空気になったのは認めざるを得なかった。

 
 ティム=ファ=エンクルマ。ナードラ自身も小さい頃から、聞かされ憧れてきた人物だ。
 ”転移”後のローリダは混乱の極みにあった。なんせ、植民地との連絡が取れないなんて異常事態から始まった株価の暴落などの経済の混乱は、今では想像もできないほどであったという。
 その時の執政官は、早急な植民地の獲得を熱望する経済界の声にも押されて、遠征軍を編成。その総指揮官に任命されたのが彼、ティム=ファ=エンクルマだったのだ。

 彼ら遠征軍は次々に周辺諸国を解放した後、その名を植民地駐屯軍と名を替えてその地の教化事業や治安にあたった。もちろん、国是である教化事業の最前線にいた軍部の発言権は鰻登りでそのとどまるところを知らない。軍部への元老院の優越を目標とするナードラとしては尊敬できるが、目の上のたんこぶのような存在であった。

 また、軍部も一枚岩ではない。業務の効率化という題目のもとに、植民地軍をまとめる植民地軍総司令部の設立は権力の二重構造を招いた。もともと国防軍内でトクグラム大将を中心とする一派が幅をきかせていたのだが、その体勢に不満を持つ者たちが植民地軍側についたため軍内で二大派閥がお互いに反目しあうという事態になったのだ。植民地軍総司令部を”影の国防委員会”と揶揄する輩もいるほどだ。

「――――君たちは、卒業後軍属となりさまざまな経験をすると思う。中には苦しい経験もあるし、悔しい想いもすると思う。無能な上官の命令とかな」

 そして、今彼が士官学校卒業の式典に、毎年欠かさず出席するにも訳がある。トクグラム大将一派が占める上層部に不満をもつ青年将校などは、”エンクルマ派”に多い。つまり、

「――――そのような壁にぶち当たった時、どうか挫けないでほしい。あがいてあがいて、あがき続けることだ。高いハードルほどくぐりやすい、つまりはそういうことだ」

 会場に、またも笑い声が響く。

「――――もし、どうしても壁を乗り越えれないと思ったら、自分の所を訪ねてほしい。全力で君たちを応援しよう」

 つまり、こう言うことだ。理不尽な上層部に困ったらうちの所に来い。そう言うことだ。
 権力を握る老人たちも年若いパワーには手を焼いてるらしく、次代の執政官は彼らエンクルマ派が推す候補者が当選してもおかしくないと巷ではささやかれている。トクグラム大将の栄達も、もうすぐ終わるだろう、と。

「――――以上で、終わりです。貴官らにキズラサの神の恩寵あらんことを」

 先ほどのうるさいほどの拍手に勝るとも劣らない大きな音が、この大きな殿堂に響き渡る。その拍手に、恥ずかしそうに応えた後彼は台を降りた。降りて舞台のそでに近づくと彼の制服につく数々のバッチからは、中身と外のちぐはぐな感じを受けた。

「素晴らしい演説でした、エンクルマ司令官」

 ナードラからの心から、とちょっとお世辞の入った賛辞に、エンクルマは恥ずかしそうに、右手で頭のうらをかく。

「?」

「ああ、これは自分の癖でね。ついやってしまうんだ」

 取り繕うようなその言い訳は、とても軍の重鎮には見えない。少年のような言い訳に少しほほえましさを感じて、少し笑みがこぼれる。

「これから、卒業記念レセプションへ?」

「いや、まだ時間があるからね。共和国外交安全保障委員会に少し顔を出そうと思ってる」

 ――――共和国外交安全保障委員会。元老院議事堂の一室で行われるそれは、通常官僚や議員が集まるぐらいで、軍上層部が出席するようなものではない。訝しげな彼女の視線に気づいたのか、苦笑しながらエンクルマは答える。

「特に理由は無いんだけどね。いち早く外敵に遭遇する自分たち植民地軍としては、何よりも敵の情報が大事なのさ」

 その会議に彼女が出席するのを知ってか知らずか、彼は何でもないように答える。その自然な態度には何ら随意も見えなかった。

「そうですか。かの有名な”アルカディアの英雄”に出席していただけるとは、光栄ですね」

「え!? ということはナードラ議員も出席するのかい?」

「はい」

「それは……」

「議員!」

 言いかけたその言葉は、後ろから掛けられたまだ若い声にさえぎられた。二人が振り返るとそこには、赤を基調にした士官学校の制服を着た少女が、荒い息とともにたたずんでいた。その澄んだ目は、ナードラを真っすぐと見つめている。

 彼女との間をさえぎるように、身を入れる警備員を手で制しながら、ナードラは少女に目線を合わせる。

「構わない……用件を聞こう」

「サインを、いただけませんか?」

 そのかわいらしいお願いに、二人の顔がほころぶ。ナードラがサインを書いている間に、

「俺のはいらないのかい?」
「誰? おじちゃん」
「お、おじちゃん……」

 とコントを繰り広げる彼、彼女を横目に見ながら、サインを返す。一緒に注意を促すのも忘れない。

 全員分の間、角でうずくまっている男は何度もいうが軍の中枢にいるこの国の重要人物のはずだ。この姿からは想像できないが、たぶんそうだろう。




 復活したエンクルマの同乗の誘いを断り、ナードラは元老院へと急ぐ。建国広場から元老院議事堂までは少し時間がかかる。この間にたまった未処理の書類を処理するのも彼女の重要な仕事の一つであった。

 車が地を這う蟻のように、アダロネス市街を移動する様はこの国の発展具合を如実に現わしていた。その込み具合は、一切の交通法規を守る必要のない議員公用車でも時間がかかるのことから推し量れるというものだ。
 それにしても、ナードラは思う。先ほどのエンクルマの行動・雰囲気が偽ったものでないとしたら、彼の様な軍人は、いや人間は初めてだ。そして、彼の落ち込んだ体育座りを思い出すと、自然と笑みがこぼれた。

 

 白一色で統一された、見る者に圧倒的な威厳というものを感じさせる元老院。そこには外交評議会からの官僚がナードラを待っていた。

「議員、皆様が待っております」

 無言で答えながら、赤いじゅうたんを歩く。

 奥の部屋には、官僚のほかにアドバイスの為の高級士官が主賓であるナードラを待っていた。
 そのうちの一人、エイダムス=ディ=バーヨ大佐はナードラと同期であった。

 彼とアイコンタクトととり、部屋を見渡すと、ほぼ全員の官僚、議員が出席しているようだった。
 席に座り、レポートを皆の席に回す。しかし、説明をしようとしないナードラを不思議そうに彼らは見た。ようやく、彼女は口を開く。

「諸君には貴重な時間を割いて、こうして集まっていただき、本当に感謝している。どうか、この場で喧々諤々とした議論を期待する。それと……」

 ナードラは扉の外から聞こえる、足音を聞いて言葉を止めた。

「今日の会議には、なんとエンクルマ司令が出席されることになった」

 その言葉に、小さな部屋がざわつく。ナードラがバーヨを見ると、ひどく狼狽している様が見えた。
 ざわめきが収まらぬうちに、扉が開く。そこには先ほどと変わらず、冴えない風貌の英雄が立っていた。

 みなの視線を一身に受けて、身じろぎした彼だが、そのまま近くの席に座る。そこは高級士官たちの席――――バーヨ大佐の隣である。彼の顔は冷や汗をかいて、青白くなっていた。

 そんな同期を一瞥し、ナードラは説明を始めようとした、その時、

「なぁ!」

 ただ事じゃないその声が聞こえ、その声は明らかに先ほどの闖入者、エンクルマ司令から聞こえてきた。その驚きに染まる顔を見るに彼が発生源なのは、明白であった。

「? どうしました、エンクルマ司令?」

 その顔は、昼間に幽霊を見たような、隣のバーヨ大佐とどっこいどっこいなほど青白かった。

「な、ナードラ議員! この、この資料に書いてある、こ、ニホンとは!?」

「ですから、これからそのことについて説明し、議論するのですよ司令」

 その顔はひどく青白いままであったが、彼女はそれを気にしながらも、当初の計画通り集まった彼らに説明し始めた」

「『ニホン――――新たなる脅威』の一ページ目を見てください……」













 エンクルマは混乱していた。すごく混乱していた。これほどの混乱はこの世に生を受けた時以来の混乱であった。
 軽い気持ちで出席を決めた共和国外交安全保障委員会だったが、こんな情報と出会うなんて。まぎれもなく、ローリア公用語で書かれたそのレポートには、ニホンと書いてある。目を何度もこするが幻覚じゃない、本物だ。

 スロリアという名前は良く知っている。今、我らが植民地軍が解放の名のもとに侵攻している名前だからだ。確かに、正体不明の車が出没したという報告は受けていたが、それが日本だったとは……!
 頭を抱えたくなる。まさか、まさか前世故郷が”転移”してくるなんて思いもしないだろう!? 予想で来たやつは、悪魔ぐらいに違いない。

 いや、待て。よく考えてみろ。ニホンと言っても、大日本帝国の方かもしれないじゃないか!? そうであれば、この国でも勝てる。今の俺には故郷日本への侵攻を止める権力なんて持ってなんかいない。少し便宜を図れるぐらいだ。そうだ、明治かもしれない……

「―――――資料の十ページ目を見てください」

 この資料を作ったとしたら、彼女は噂にたがわず本当に優秀なんじゃないか? だから、こんなことになる前に外交評議会の奴らに情報を捜索と尻を叩いたのに! と後悔するも全ては後の祭りだ。
 
 この世界に来てから、俺が重要視したのは『情報』であった。情報を制する者は戦いを制す。この言葉ぐらいは一般人であった俺にも分かる。そんな基本的な事すら分からないのが、外交評議会の奴らとトクグラム一派だったのだ!

 大体、右も左も分からない世界に来たらまずは、国々の情報を集めるのが筋だろうよ! のくせに、あいつらときたら、『それは植民地軍の活動の範囲じゃない』だの『何故、我々ローリアが他の国の顔をうかがう真似をしなければならないのだ』だの意味分からんことを言うからだ! 外交評議会なんて、それを集めるのが外交だろうよ。

 今、誰を罵ってもこの今の事態が良くなることなんかないのは俺も了承済みだ。しかし、心の平穏の為には必要だ。むかつく心を必死におさえながら、祈るように指定されたページをめくる。


 



 萌え絵だよ…… ああ、そうさ! そのページには可愛い可愛い萌え絵がでっかく載ってたよ! ちくしょう!

 終わったと、顔を見やる。まわりが訝しげにこちらを見てくるが、そんなのどうでもいい。この後、日本に威張り腐った顔で最後通牒をつきつけるローリダが簡単に想像できてしまう。あと、散々に敗れるローリダの姿もな!
 目の前の、かみ○ゅの萌え絵を見やる。嘘みたいだろ……神様で中学生なんだぜ…… ローリダでこんなことやったら即、逮捕だ。

 目の前のが暗くなっていくのを感じながら、俺は絶望に打ちひしがれていた。



 こうして俺にとって、ティム=ファ=エンクルマにとっての本当の戦いが始まったのだ。







[21813] 五話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:31
 絶望で胸いっぱいの俺をよそに、この世界は粛々と続いて行く。待ってなぞくれないのだ。
 もう一度、もう一度資料を見る。あ、やっぱりあの懐かしきHENTAI日本だ、間違いない。

 萌え絵で絶望と、見ようによってはコントの様な状況だが、本人にとっては深刻だ。特に、この国のその病み具合をその身をもって知ってきたエンクルマとしては、悪夢というしかない。

 天井を一分間ほど見た後、ゆっくりと元に戻す。いや、ダメだダメだ言ってる場合じゃない。もう、さじは投げられたのだ。こっからは時間との戦いだ。せっかく身に不相応な権力と地位をもってるんだし、自分とその周りぐらいは、破滅から守らなければ!

「―――――これより御覧頂きますのは、周辺国の領海で示威行動を行うニホン海軍を映したものです」

 気がつくと映写機で、映像を映している所だった。そこには、青い海を颯爽と白波を立てながら航海する船が。横にはJapan Coast Guardの文字が見える。その懐かしい文字にふと涙がこぼれそうになるが、ぐっとこらえる。意味は海上保安庁だろうと当てをつけるが、たぶん合ってるだろう。

「ふっ、とるにたらんな」「なんて貧弱な軍備だ」

 ちがうよ! それは軍隊じゃなくてどっちかって言うと警察だから! という訳にもいかない。見る人が見れば、この船の、凄さとか分かるんじゃないのだろうか、何も海軍は銃器ばかりという訳にもあるまいに。

「ナードラ議員!」

 手を挙げ、この資料を作った本人に質問をする。

「このニホンの脅威については、他の方々もご存じなのですか?」

 先ほどとは打って変わって、英雄にふさわしい気迫とともに質問を受けたナードラは、心の中で多少動揺してはいたが、外面にはおくびにもださず、淡々と答えた。

「このニホンについては、官僚幹部、執政官殿などはすでにご存じのはずです」

「……そうですか」

 まぁ、仕方がないのかもしれない。このニホンという脅威の存在を知っている人数が少数ならば、その人間ごと消して情報ともども抹殺するとういう手段があったのだが。執政官ほどの人物が知っているとなると、その手は使えない。そんなことをするぐらいなら、クーデターをした方がましだ。
 ともかく、ここで説明を聞いている時間が惜しい。行動しなければ。

「すみません、この議題はとても興味をひくものだったのですが、予定が入ったものでして途中で退席させていただきます」

 他の出席者からみて、彼のいう理由が嘘であることは明白だったがそのことを追求するような者はいなかった。

「では、失礼します」

 ドアの前で、もう一度礼をしてから、エンクルマは会議場を後にする。彼が風のように来て、風のように去って行った会議場には、重たい沈黙がその後しばらく続いのだった。




「そうだ、エンクルマだ。ああ、あいつに伝えといてくれ。そう『ニホン』について正確な情報が欲しい、とな」

 最近、発売されたPHSらしきものの電源を切る。この少し無骨なデザインの携帯電話みたいなものは、最近発売された最新の機種である。このとてもじゃないが、尻ポケットにすら入りそうにない大きさを見るたびに、前世の日本の携帯の薄さ、軽さを思い出す。
 こっちじゃ、真空管ラジオなんてものが、現役で使われている、そんな時代だ。その国が日本に戦争で勝とうなんぞ……

 すぐ来るであろう暗黒の未来を、どうしても思い浮かべてしまう。ダメだ、こんな思考では負ける戦が、さらに悲惨となってしまう。
 元老院をでて、そこに待機してある黒塗りの高級士官専用車に急いで乗り入れる。行き先は、俺の勤務先である植民地軍総司令部だ。

「総司令部ビルだ。急いでくれ」

「分かりました」

 植民地総司令部は、各行政機関が一堂に集まる区画にある大きなビルに入っている。日本でいうと霞が関を思い出していただければ大体そんな感じだ。まるまるビル一棟を使った司令部は、下手な省庁よりも、人の出入りは激しい。
 それも当然だ。各地の植民地軍との連絡や、作戦の立案、後方支援の調整、さらには植民地軍の採用試験まで処理するのだから、その大きなビルも納得が行こうものだ。

 高級士官専用車も一切の交通規則を無視してもよい。それでも、ここから数十分かかる。この時間がもどかしい。
 先ほどの携帯で、植民地軍ビルの専用回線に電話をかける。

「ああ、俺だが……」

「あなた! どこをほっつき歩いてるの!?」

「げっ!?  エミリー!?」

 司令付秘書官に繋がる筈の回線からは、何故か、俺がこの世の中で最も恐れるものの一つである我が妻、エミリーの声が聞こえてきた。

「え、てか、おま」

「あなた! 今何時だと思ってるの!? レセプションのドレスを見に行くって言ったじゃない!」

「げっ!」

 そうだった…… レセプションに行くのに、お気に入りのドレスがないとかで、この後一緒にショッピングに行く予定だった。私用だったから秘書官にも伝えてなかったんだっけか……

「っ! というか! なんでエミリーがこの電話に出れるんだよ!?」

 そんな俺の心からの叫び声に、反応するかの様に、電話の奥から聞こえてくる偲び笑。この声は、

「てめえが原因か、アドルフ!」

 昔からの、ワルダチ。アドルフが後ろで必死に笑い声をこらえてる様子を、脳裏にありありと思い浮かべる事が出来る。
 ちなみにアドルフは、植民地総司令部副司令である。俺の部下なのだが、コイツは分かってるのか……!

「アドルフ! お前覚えて、」

「エンティ!」

「はいっ!」

 これは本気で怒ってる声だ。こんなにご立腹な声は年に二三度しか聞いたことない。

「ホントにあなたは、どこに行ってたの!?」

「外交安全保障委員会だよ」

「外交安全保障委員会? なんで、そんな所に、」

「悪い、エミリー。これは事を急ぐ問題なんだ。早急に、司令部を集めてくれ」

「……分かったわ」

 はぁ、と電話の奥で嘆息する音が聞こえる。彼女はこう言う時に聞きわけがいい。彼女の役職を考えれば、当たり前なのだが。彼女は、植民地軍総司令部参謀長。俺達の同期にして、主席卒業の才女である。馴れ初めは、まあいいだろう。










 次々と後ろに流れるように見える景色は、もう植民地軍ビルが近いことを示していた。
 ビル近くには、植民地軍関係の施設も建設されている。例えば、植民地軍大学付属病院。これは衛生兵や最前線にでる医者などを中央が握っていたため、独自の人材を育てるために建設された。色々と問題があったのだが、爺のおかげで何とか解決したもんだ。
 その病院に併設されているのが、俺が生みの親とされる植民地軍所属防疫隊の施設だ。この施設について語ると、一日じゃ足りないのでここでは何も言うまい。

 そして、車は制服姿の人間がひっきりなしに出入りする、巨大なビルの前につく。俺が車からでると車に気付いた職員、軍人たちが一斉にこちらに敬礼する。その姿に、やっぱりアドルフ殺すと気持ちを新たにして、軽く返答を返した。総司令部はこのビルの最上階。そこまでは、エレベーターでもけっこうかかるものだ。

 エレベーターに乗ってしばらくすると、やっと目的の場所についた。豪華な、けれどもケバイ訳でもない。それとなく高級な、をコンセプトに俺自身が頑張ってデザインした部屋だ。それなりの思い入れがあるのだ。ちなみにお手本は、あの爺である。
 扉を開けると、そこにはすでに総司令部の面々がすでに揃っていた。

「司令、第一級までの招集に留めておきましたが……」

「ああ、それでいい。あとこれをみんなに見えるようにスライドで映してくれ」
 
 先ほどの資料を秘書官に渡す。
 見回すと、司令室に併設された会議室には、すでに全員がそろっているようだった。
 

 第一級とは、どれぐらいの官位まで、この会議室に招集するかを指している。この植民地軍総司令部は比較的招集が多いので、このような段階的な制度を敷いているのだ。
 そして、一級とは、上官のみを集めた、最低人数である。十三人と少ないが、それぞれの秘書官を除くともっと少なくなる。

 一番奥の、この会議のもっとも奥の席に座ると、秘書官が資料をスクリーンに映し出した。

 右手には、にやにや顔のアドルフ。副司令で階級は准将。そのあった当初から逢いも変わらないイケメンは、この年になってもプレイボーイとして有名である。まだ、所帯を持っていないのは、志が高いのかそれとも本人にその気がないのか。
 金髪の髪を、オールバックにして、飄々とふるまうその姿は美丈夫といっても全く差し支えのない。まったくエミリーもそうだが、この国の人間は年をとっても異様なほど若い。どこかの戦闘民族じゃないんだから。

 左手には、我妻エミリーがむすっとした顔でこちらを睨んでいる。金髪の髪を肩にかかる程度まで伸ばした彼女は、夫の俺が言うのもなんだが年齢がもう一回りもふたまわりも若く見える。彼女は身内のひいき目なしでも優秀なため、参謀長の役職についている、階級は大佐。

 向こうには、参謀長下の参謀三人。それぞれ作戦・兵站・通信、情報を専門にしている。彼らをまとめるのが、エミリーの仕事だ。

 通信、情報担当のサムス=フォ=コヌンティウス。階級は中佐。叩き上げの軍人であり、俺と同じ世代で、仕事以外の時は居酒屋でよく飲んだりする飲み仲間でもある。あと、禿げてる。

 兵站担当のニコール=ロ=サンダーソン。同じく中佐。寡黙な男だが、その仕事ぶりは信頼できる。めったにしゃべらない。

 そして、最後に作戦担当のグラノス=ディリ=ハーレン。彼は少佐なのだが、色々とややこしい事情がある。彼はとても有能なのだが、植民地出身の妻をもつことで居心地の悪い想いをしていたところをヘッドハンティングしたのだ。国防軍内ではやりにくかろうと、軽い気持ちで誘ったのだが、あれよあれよと言う間に出世を重ねていき、今ではこうして総司令部にも顔を出すまでになった。

「さて、みんなからも資料は見えるだろうと思う。それは、今日開かれた外交安全保障委員会で配られたものだ」

「ニホン?」

 左手から、疑問の声が聞こえる。不思議そうな声を出したのは、エミリー。

「エミリー、ニホン、という国について聞いたことないか?」

「いや、ないわね」

 同じくと、出席したみんなが同意の意を示す。植民地軍の頭である彼らが知らない、ということは意図的に情報をシャットアウトした誰かが居るという証拠だ。

「サムス、念を押すが報告は上がってないんだな」

「ああ、ない。これっぽちもな」

 首を振るサムス。ということは、

「国防軍、いや、トクグラムの仕業ね……!」

 エミリーが顔をしかめる。彼らは嫌がらせとして、情報を渡さなかったり、意図的に遅らせたりすることがある。

「それも、スロリアの方にニホン人は展開しているらしい」

「なるほど、正体不明の車がニホンの車だったのか」

 右のアドルフがふむふむと頷く。

「しかし、エンティ。お前がエミリーとの約束をすっぽかして、こんな会議を開くような内容じゃないと思うんだが」

 笑半分でこちらに、いらん言葉も付けて質問するアドルフ。ええい、いらんことも付け加えよって、ほら見ろ、怖くて左手が見れないじゃないか。
 司令が部下であり奥さんであるエミリーの黒い、無言の圧力に冷や汗をかいているのをみて、参謀たちは苦笑を洩らす。こんな場面がいつも見られるような、良く言えばファミリーチックな空気溢れる、悪く言えば風紀という言葉がどこか飛んでいったような空気。それが、この司令部のいつもの空気だった。さすがに二級以下の集まる会議ではもっと厳粛な空気も漂うのだが。

 ごほん、と空気を替えるような咳をして、口を開く。

「この情報は執政官閣下の耳にも届いているらしい。そのうち、教化―――侵攻が決定されるだろう。そうなれば、間違いなく我が軍は負ける。下手すれば壊滅、なんてことにもなるかもしれん」

『なにっ!』

 仮にも”転移”以来、負けることのなかった植民地軍を率いてきた英雄が、戦う前に敗北すると述べたのだ。これには、アドルフをはじめとする古くからの友人たちも、特に彼に心酔している節のあるハーレン少佐の衝撃は計り知れない。

「……理由を聞いてもいい?」

 いち早く、立ち直ったエミリーがこちらに真っすぐ疑問をぶつけてくる。
 別に誰も彼がうそをついているとは考えていない。むしろ、それが真実でない証拠が欲しいと彼に理由を聞いたのだ。

「……」

 目をつぶるエンクルマ。

「理由は、どうだろう?」

「どうだろう?」

 疑問を疑問で返されたことに、エミリーが不満げな顔をする。

「いや、俺も詳しくは見てないんだが、この資料からも……」

 と、ふと資料を見ると、堕落した文化として、真面目に例が出されて紹介されていた。それを見て、ブッと噴き出す彼を不思議そうな眼で全員が見た。
 例に挙げられていたのは、日本で冬と夏、開かれる祭典で売られるような、つまり同人誌、それもエロい方向のが大真面目に乗っていたのだ。

 気を取り直して、これをジーと見ていいもんだろうか、少し躊躇しながらもその資料を注意深くみる。

 それは、性的な描写のあるいかがわしい展開だったが、ここで俺はHENTAI日本たる由縁を発見した。これを軍崩壊の危機の理由としてみなに言うのかと思うと悲しいのか、何なのか。

 ……ええい! ままよ!

「例えば、この資料を見てくれ。これは、その性的な表現を含むいわゆる艶本の一種だと考えられるが……」

 この国でもエロ本は手に入る。しかし、これが国の規制が教育ママほどの厳しさなのだ。どんなに、”腐敗した”だの”反キズラサ的”だの言ったとしても男子の努力には叶わない。男の子はどの国でも一緒なのだ。

「ここに、避妊具として非接触型の、避妊具が描かれている。これは可能性を検討されたが、今の技術では無理だとされたものだ」
 
 この国では、結婚前の性交渉は何と法律で禁止されている。よいキズラサ者はそんなはしたないことしないらしい。それがキズラサ教と何がかんけいあるか分からないが。
 そして、この国での一般的な避妊方法はピルである。これに関しては、我が防疫隊が開発に関わったので俺も良く知っている。だから、コンドームという方法を考えた時に、そのゴムを薄く伸ばし、さらに一定の強度を持たなければならないと、技術的な壁がそりゃもうたくさんあってどうしようもなかったのだ。

「さて、画像を見るに彼らが上流社会の一員とは考えられない。ということは」

「彼らは、俺達が不可能だとしたものをいとも簡単に実現し、あまつもそれが社会で普通に流通している、と」

 アドルフが、その続きを話す。

「そうだ、彼らと俺達の技術は隔絶しているだろう。そんな国に戦争なんて吹っかけたらどうなる?」

「……いつもとは勝手が違うかもしれないわね」

 エミリーが焦った顔をし出す。やっとこの問題の深刻さが分かってきたようだ。
 今までは、圧倒的にこちらの技術が勝っていたからこそ、植民地化できたのだ。そんな国が、日本、それもイージス艦やら、衛星やらをもつ近代国家に勝てるはずがない。
 こっちは、核爆弾を作れたばかりなのだ。それも”神の火”なんてファンタジーな名前をつけたやつを。弾道弾につけられるような小型化できる訳なく、ファットマン型なのを見ると、いくらかは米軍の方がネーミングセンスあったんじゃないかと思えるほどだ。

「でも、なぁ。そんな国家の一大事をかの英雄様が見つけたそのきっかけが、」

『避妊具なんてなぁ(ねぇ)』

 右左の同窓が、同じ様に言葉を重ねて呆れたように言う。うっさいな、そこのサムス! 笑いを必死で押し込めない! ニコールは……いつものように無表情か、君はもうちょっと笑ってもいいんだよ?

「小さな情報も見逃さず、国家の危機を救われるとは…… 閣下の御慧眼、このハーレン、感服しました」

 キラキラとした目でこちらを見るハーレン少佐。やめて! 何だかすごい罪悪感!

 一瞬、重くなった会議室の空気がいつもの様に戻る。

「それで、だ。エンティ、お前は如何するんだ?」

「まず、第一に戦わないこと。正直、国防軍を説得できるとは思わないけど、どうにかしないと国が潰れる」

 国、という言葉に誰もが改めて事の重大さを確認する。

「そうだな。どっちにしろ情報を集めないかん。『一に情報……」

「『二に情報、三も情報、四に兵站』だろ?」

 アドルフが言葉を引き継ぐ。

「ああ、そうだ。この国のいく末は俺達にかかってると言っても過言ではない。みんないい意見を出してほしい」

 こうして、植民地軍の頭たちは、国家の危機に対して動き始めたのだった。

 






[21813] 六話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:31
「ああ、そうだ。この国のいく末は俺達にかかってると言っても過言ではない。みんないい意見を出してほしい」

 そんな言葉から始まった会議は、いきなり高い高い壁に突き当たった。

「して、俺たちに出来ることは何かね?」

 アドルフの軽快な口調とは裏腹に、その疑問に答えられるものは誰もいなかった。

「え、え?」

 見回すとアドルフ以外の誰もが難しい顔をして黙りこんでいた。

「正直言って、俺達ができることは少ない」

「私たちが独自に行動できるのも限界があるし……」

 いくら軍内の権力者だと言っても何もかも出来る訳でもない。むしろ軍内で良心派を自称するエンクルマ派は、自分たちの理想とする”軍は文民により統制されるべき”軍人像に邪魔され、暗躍するのも難しい。
 又、彼らの立場も動きにくい原因の一つだった。

 元老院では、大きく分けて二つの派閥が幅を利かせている。
 
 一つは閥族派。もうひとつは平民派である。
 彼らエンクルマ派は、最新の兵器を最前線に配備せず、ますます増えていく国防軍の防衛費に。彼ら平民派は同じく過剰と思われる国防軍防衛費による予算の圧迫によって、彼らは共同して彼ら閥族派を糾弾した。
そうなっては堪らないのが、国防軍と閥族派である。彼らは戦争とそれによる利権などで蜜月関係にあった。かくして国防軍&閥族派対平民派&エンクルマ派という対立構造ができるに至ったのである。
また、各官省の上層部がすべからく彼らの利権に絡んでいることで、官僚の支持さえ受けられない。例外なのは植民省ぐらいで、それ以外の上層部は閥族派を支持していた。あからさまな妨害はさすがに無いが、色々とやりにくくなるのは仕方がない。

「それにしても、ドクグラム達は何がやりたいのかしら? 同じ軍内で足引っ張っていても徒に被害を増やすだけなのに」

 エミリーが溜息をつく。彼女は結婚する前、反エンクルマ派だと思われていた頃の閥族派による勧誘攻勢を思い出して辟易していた。

「これは、最悪の想像なのだが……」

 重い口を、エンクルマが大層嫌そうに開く。

「もうしかすると、ドクグラムはニホンの技術を知ってて敢えて戦端を開こうとしているかもしれん」

「それは、ニホンとの戦闘で植民地軍の力を削ぐと?」

 そんなことはあり得ない、そう断言できない所が彼らの間に横たわる深い溝の深さを表していた。

「予算は幸いまだどうにかなる期間だ。補正なり裏金なり何とかできるだろう」

「やれやれ、これで三日三晩は寝れないな」

 アドルフが心底嫌そうな顔をする。

「そんな顔するなアドルフ。お前が三日なら、俺は一週間で何時間寝られるか……」

 これから始まるデスマーチを思うと、顔が歪みそうになるのを止められないエンクルマであった。

「となると、情報部の予算を増やしてくれるってことか?」

 先ほどの暗い雰囲気とは真逆に、明るい顔をするサムス。彼ら軍人も予算が無ければ何もできない。財務に睨まれているおかげで万年金欠気味の植民地軍では、予算が減ることはあっても増えることは少なかった。

「そうなるな。ということは、他の部門を減らさなければならないが」

 最後の一言に、彼ら全員が嫌な顔をする。貧乏の辛さはどの世界でも変わらないなと思うエンクルマであった。

「情報局には、そうだな…… まずこの資料にある、エウスレニアという国で調べるか」

「そうね、そこでニホンに関する情報を出来る限り収集。他にはニホン側の要人と接触してコネクションを作っておきたいわね」

 参謀長の指針に反対する者はいない。そういった会議の空気を感じ取ったのか、最後はエンクルマ自身の言葉で閉められた。

「まずは情報局での情報収集。これから、ニホンへの宣伝工作が国中で始まるだろうからまだ時間はある。各予算の調整を頼む」

『了解!』




 ローリダ共和国 植民地軍総司令部 四月二七日



 ニホン発覚から一か月、エンクルマ自身は居ても立っても居られないような気持ちだったが、彼の立場が自由な行動を制限していた。彼もそれぐらいのことは重々承知してはいたが、そのはやる気持ちは抑え切れそうになかった。
 だからだろうか。情報局からの一次報告をクリスマスのプレゼントを待つ子供の様にエンクルマが聞いていたのは。

「で、どうだった?」

 司令室の机の前には、雲の上の人物を目の前にして緊張しきりの情報局情報員が立っていた。

「はっ! では報告します。手元の資料をごらんください」

 エンクルマは事前に配られた資料を見る。彼自身は一か月で調べられる情報に対してさして期待はしていなかったが、それは資料の分厚さにいい意味で裏切られていた。

「――――エウスレニア国内ではニホンは比較的好意的にみられています。現地政府による世論調査では……」

 エンクルマは情報局のポイントを押さえた情報収集能力に満足していた。
 国内には多数の諜報機関がある。ナガルと呼ばれる正式名称共和国中央情報局、ルガルと呼ばれる正式名称共和国内務省保安局、そしてデルガルと呼ばれる正式名称共和国国防軍情報局。これら諜報機関に加えて植民地軍情報局も存在すると考えるといささか過剰な感じがする。
 乱立する諜報機関の裏には国防軍と植民地軍の様な対立関係があった。相互に監視し合っているこの状況は元老院でもたびたび議題に上がる懸案の一つだ。

 それぞれスパイ狩りや思想統制、対外工作など主にする任務は違うが似たような土俵で活動するので、必然的に対立もしやすくなっていた。スガルと呼ばれる植民地軍情報局は歴史が浅いながらも、情報に重きを置くエンクルマの指針もあって他の機関と遜色ない能力をもつこととなった。

「経済の面ではどうだ?」

「はい。ソニーやトヨタと呼ばれる多国籍企業が工場を次々と建設しています。エウスレニアも技術移転の観点から歓迎しているようです」

 その懐かしい名前を聞かなければ、祖国がこの世界に移転してきたという突拍子もない話なんて疑いたくもなる。

「なるほど、やはりニホンの企業は侮れない技術力を持っているか……」

「はい。それは彼らのもたらす工業製品からも見て取れるかと」

「分かった。杞憂であれば良かったが本格的な対策を講じる必要が出てきたな。ニホンとのコネクションは出来そうか?」

 その質問に、情報員はあからさまに表情を悪くした。

「それについてですが……」

「なんだ、何か問題があったのか?」

 問題は無いと前置きした上で、情報員はこう言い放った。

「方法に前例がありません」

「はぁ?」

 それは大きな問題何じゃないか? と大きく突っ込みたいエンクルマであったが顔を青白くさせた情報員を気の毒に思い言い留まる。

「い、いえ、国交のない国の正当政府とのコネクション作りなど未だ経験したことのないことでして……」

 その思ってもみなかったことに絶句するしかないエンクルマ。しかし、情報局側にも仕方がない理由があった。
 彼ら情報局は主に植民地で活動を行っている。その活動範囲の大きさと潤沢な予算を背景に影響力を強める情報局であったが未だかつて名前すら最近知った未知の国と交渉するようなノウハウなど無かった。彼らは、強力な植民地軍に制圧された植民地で活動してきたのだ。さすがに勝手が違った。

「大使館とかあるだろ?」

 と考えなしに言ったエンクルマだったが、よく考えるといきなり未知の国が、しかもその軍の諜報機関が出向いて対応してくれるだろうか?

「いえ、現地のエヌジーオーと呼ばれる組織との接触に成功し、今後は彼らとの交渉を足がかりにニホン本国とのコネクション作りを邁進していきたいと考えております」

「エヌジーオー?」

 オウム返しに聞き返したエンクルマは、すぐに彼らの言うところの”エヌジーオー”の意味に突き当たった。Non-Governmental Organizations。日本語で非政府組織と訳される。音だけ拾ってきたのでエンクルマはそれが何なのか最初分からなかった。情報局もまだニホンに英語と呼ばれる別の言語がつかわれているとは思ってもいなかった。

「はい。なんでもエウスレニアエヌジーオーという民間組織らしいです」

「……ん、分かった」

 転移後、周りの国に対する援助を! なんて言う自称有識者が雨後のタケノコのごとく増えるニホンがありありと想像できた。なんら変わらない、ただ”アフリカの恵まれない子供たち”が”周辺諸国の恵まれない子供たち”にとって代わるだけだ。

「また前回の資料にあった漫画の件なのですが、これについては詳しいものがそのエヌジーオーにおりまして」

 なんだか嫌に説明に意気込む様子の情報員に少し引くエンクルマ。しかし、彼はその様子に気づかずに熱弁をふるう。

「なんでも、その資料に乗っているようなものは、夏と冬に開かれる”戦争”にて取引されるものらしいです。しかもその戦争に参加できるのは良く訓練された一部の者たちだけで、激しい戦いが、何と三日間も続くらしいです。……すごい訓練ですね、敵は手ごわそうです」

「ああ、あ、うん。そうだね。報告ありがとう」

 敬礼して去っていく情報員の後ろ姿を見ながら、溜息を吐かざるを得ないエンクルマだった。知っていることを知らないふりするのは大変だとの思いを強くしながら、日々の仕事を処理する彼の胃は当分痛みそうだ。





 ノイテラーネ国 六月一日

「ローリダ共和国?」

 もうそろそろ今日の仕事も終わり、気の早い者は家に帰る支度をしようかという時間に舞い込んだ厄介事は、とんでもない厄介事であった。なんせ聞いたこともない国の、しかも軍事組織らしきところから視察団の派遣の許可、また会談の申し込みがあったというのだ。
 しかも、日本国外務省東スロリア課課長 寺岡祐輔を困惑させる要素はもう一つあった。それはこの厄介事が、国際協力局民間援助連携室という何ら関係なさそうな部署から回ってきたことだ。

「はい。どうも彼らはローリダ本国とは独立して動いているようで、エウスレニアNGOに繋ぎを頼んだようですね」

 目の前の若い男は他人事のようにその厄介事が舞い込んだ背景を語る。いや、実際に他人事なのだが。

「はぁ。それで、そのローリダ共和国はどこにあるんだ。聞いたこともないぞ」

 寺岡の疑問はもっともだった。未だ未知の国が存在する転移後の世界。続々と増えていく国名に、定年を間近にした彼の頭では、管轄の国々を覚えるので精一杯であった。

「彼らによると、どうやらスロリアの向こう側に位置するらしいですね」

 資料を見ながら、若い男は言う。軽く溜息を吐きながら寺岡は自分に課せられた職務を遂行するため、渡された資料を読みこんでいく。その冴えない姿は、どこからどう見ても窓際族の中年サラリーマンであった。




 寺岡は下降体制に入った飛行機を感じながら、一か月ほど前にもたらされた厄介事との邂逅に思いを馳せていた。あれから約一か月。向こうの組織との協議の結果、第三国ノイテラーネでの会談にこぎつけたのであった。
 新世界になってから鍛えに鍛えられた外務省の翻訳部との連携の結果、彼らとの会談には支障がないレベルまで高められていた。

『まもなく着陸体勢に移ります。シートベルトを着用してください』

 もの思いに耽っていた寺岡を現実に引きずり出したのは、機内のアナウンスであった。ノイテラーネ国際空港に危なげなく舞い降りる飛行機は公務出張としての利用なので決して専用機なんて訳もなく、普通に民間用のジャンボであった。

「さて、どんな奴らですかね」

 隣には、西原 聡 東スロリア課事務官が笑いながら寺岡に尋ねる。寺岡は彼の未知の国に対する純粋な好奇心は見習わなければならないかな、と思った。
 飛行機の狭い窓からは、日本の大都市にも引けを取らないほど発展した首都ティナクール市を見渡すことができる。

「ここも発展したなぁ」

 寺内の誰に聞かすでもないひとり言は、西原の耳には届かなかったようで返事は返ってこなかった。





 スルアン-ディリ迎賓館――――この国でも有数の歴史と絢爛さを誇る宮殿、であるが記念すべきローリダ共和国と日本との接触は別の場所で行われることになっていた。
 あくまでも第三国内での会談に拘った彼らはニホンの影響の及ぶ建物での会談には反対したが、彼らから言いだした事なので強硬に行ける訳なく結局ノイテラーネの市民館というせせこましい選択になった。

 到着し、色々と準備する職員たちを寺岡はボーと見つめていた。今回の交渉の目的は出来るだけローリダ共和国の情報を集めることや本国との外交チャンネルを作ること。あくまで会談は前段階の「顔見せ」であり大した力も入れていなかった。

「そろそろですよ、寺岡さん」

「ん? ああ、分かった」

 市民館との名前にふさわしい、普通の扉を開いた先にはきょろきょろとおのぼりさんの様に周りを見渡す西洋風の人物たちが四人ほどいた。落ち着いた雰囲気などひとかけらもない空気に寺岡は少し思考が停止状態に入りかけるが、本来の仕事を思い出し、彼らの長であろう中年の男に話しかける。

「はじめまして。日本国外務省東スロリア課課長の寺岡祐輔です」

「こちらこそはじめまして。ローリダ共和国植民地軍司令官ティム=ファ=エンクルマです」

 エンクルマと名乗ったその男は満面の笑みで寺岡と握手を交わした。エンクルマの顔を見るとその目じりには涙まで浮かんでいた。

「あの、何かありましたか?」

 その疑わしげな声がエンクルマの目じりに浮かぶ涙のことだと分かると、彼はブンブンと大げさに否定してからこう答えた。

「いえいえ、何が悪いって訳ではないんですがね。今までのことを思うと感無量で……」

 そういいながら目をこするエンクルマを見て寺岡は苦労したんだなと相手の心情を察した。彼の心配は的を得ているようで得ていない。確かにこの会談までの道のりは遠かったが、彼の涙の理由には他の理由が多分に含まれていた。

「なんだか、物々しいですね」

 脇に控える西原がそうささやく。確かに、と寺岡は思った。
 目の前の男は、軍の制服なのか緑の色の軍服らしき服を着ていた。普段、軍服を見慣れていない寺岡らにはコスプレにしか見えなかったが。
 さらに目を引くのが、その溢れんばかりの胸につけられた勲章の数々だ。金銀、中には宝石がちりばめられたものもある勲章は、十個以上あるんじゃないだろうか? 他の随員を見やるに、彼ほどの勲章をもっている者はいないようなので、彼が直接色々な武功をあげたかしたのだろう。

「ま、立ち話もなんですし座って話しましょう」

 彼の言葉を皮切りに、関係者たちは席についた。

「本日はこうしてニホンの方と会談の場を持てたことを、関係者各位に感謝したいと思います」

 会談は先ほどの男の言葉から始まった。彼を除く他の随員からの含みのありそう随員の目線には少し堪えたが。
 会談の形式としては向き合うように長いテーブルが二つ、向かい合うようにローリダ側と日本側に別れている。日本の代表者である寺岡と、ローリダのエンクルマがテーブルの最奥で向かい合っている。

「では午前中はお互いの国の情報に間違えがないか、すり合わせ、ということでよろしいでしょうか?」

「はい」

 頷く寺岡に早速説明するエンクルマ。彼の語るローリダ共和国の実体を聞くにつれて、寺岡は自分の顔から血が引いて行くのを感じた。まさか本当に侵攻しているというのか……!

「―――――ということになります。ただ今、植民地軍はスロリア大陸に駐留中です」

 衝撃の言葉で締めくくられた説明に、日本側外交団は返す言葉がなかった。隣を見ると、西原も茫然とした顔をしていた。
 それもしょうがない。NGOから紹介された、またどこかの国に農業支援かと思っていたら、何とまさかの帝国主義、それも今まさに日本が支援を行っているスロリアに侵攻しているというのだから。

「テラオカさん? ニホン側の説明をお願いします」

「あ、はい。西原君」

「はい。では、日本は転移後――――」

 慌てて説明を行う西原を見て、寺岡も少し安堵する。驚き狼狽していたのは自分だけではないとうのが確認出来たからだ。相手の方を見ると、必死にメモをとる随員たち。
 そう言えば、相手は確か植民地軍司令官と言っていた。ということは、軍トップ、もしくはそれに近い地位にいるということになる。この会談の重要さを再確認した寺岡の背に、冷たい汗が流れる。

 緊張の連続であった午前の会談は体感時間では短く、矢のごとく過ぎて行った。予定ではこの後、懇談目的の昼食会が開かれるはずだ。

 近くの高級レストランを貸し切った昼食会。そこに向かう車の中で、西原が寺岡に興奮を隠さず話をまくしたてる。

「ローリダ共和国って、あれですね昔のアメリカの様ですね」

 前世界で世界の警察を自称していた国を思い出し苦笑する寺岡。

「確かに。移民から国が出来て、独立なんて国の成り立ちはそっくりだ」

「結局、どの世界でも人間は人間ってことですか」

 未だ興奮冷めやらぬといった様子で話かけようとする西原を手で制す。

「しかし、彼らがスロリアを侵攻するとなるといずれ現地邦人と問題が起きるに違いない」

「そうですね、そして何故彼ら植民地軍がこっちに接触をもってきたかも気になります」

「そうだな。しかし、まだ話の分かる奴らで良かったよ」

「全くです」

 一路、車はレストランに向かう。






 レストランには、もうすでにたくさんのローリダ関係者達が詰めかけていた。一目で彼らがローリダ関係者だと分かるのは、全員がきょろきょろと周りを見渡しているからだ。その光景にほほえましさすら寺岡は感じた。
 よこを見ると、西原は軍服を着た女性とにこやかに話しあっている。こいつ、手が早いなと思いながらも、所在なさげに立っていた寺岡に後ろから声がかけられた。聞いたことがある声、振り返るとそこには先ほど向き合って握手したエンクルマ代表が立っていた。

「先ほどはどうも」

「いや、こちらこそ」

 お互い握手をしてから、周りをきょろきょろと見回すローリダ人に苦笑しながら、彼は言い訳するように話しだした。

「彼らも戸惑ってるですよ。なんせ事前に聞いていたこととまるっきり違うんで」

「まるっきり違う?」

 その問いかけに、エンクルマはしぶしぶ頷く。

「そうです。我らローリダ国内では、スロリア東部には未開の地が広がっていて野蛮人が跋扈している、とされていますからね」

「はぁ」

 そんなことが許されるような社会なのか? と素直に問いかける言葉が喉まで出かかったが、寸前の所で止まった。徒に質問して相手の機嫌を損なってしまえば、どうしようもない。
 目の前の人物は、同じ中年のオヤジ臭さが出ていたが、他の随員とは雰囲気が違う様だった。どこかこの会談を楽しんでいる……、具体的には他とは違ってきょろきょろなんてしていないことか。

「あなたは、驚いていないようですが?」

「ええ、私は国が本当のことを言うとは思っていませんでしたから」

 平然と答える彼は当然のことのように答える。そこに寺岡はかの国の病みを見たような気がした。








[21813] 七話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:31

「あなたは、驚いていないようですが?」

「ええ、私は国が本当のことを言うとは思っていませんでしたから」

「そうですか……」

「テラオカさん、ローリダ共和国の事情を聞いてどう思います?」

 思いがけない話を投げかけられた寺岡は少し考え込むように口をつぐむ。数秒ほど経って、ようやく口を開いた。

「幼い、と思います」

「幼い?」

 予想とは違った答えに、エンクルマはオウムの様に同じ言葉をそのまま返す。

「はい。我々もこの世界に来るまで色々な事がありました」

 何処か懐かしそうに目を細める彼の雰囲気は、戦争の話を子供たちにしみじみと語る老人のそれであった。おそらく多くの困難があったのだろう。

「我が国も一世紀ほど前までは同じように、植民地を欲しての戦争も起こしました」

「……今は、植民地無しでも国民は豊かに暮しているのでしょうか?」

 エンクルマは転移直前の日本の状況など知る筈も無い。しかし、転生前まで日本で暮していた記憶が大きく美化されいた為に転移前後にゴタゴタがあったなど考えてもいなかった。

「はい、我が日本国は植民地なぞ無くても平和に、幸せに生きていけます……!」

 寺岡はエンクルマの目をじっと見据えながら断言した。
 エンクルマは少しの間見つめ返していたが、目線を外してため息を吐く。何かを思い詰めたような顔をするエンクルマを寺岡は不思議に思った。

「? どうしたのですか?」

「私たちの国は、いや国民は自分たち自身で変われるほど強くないのです」

 エンクルマが賑やかになりつつある会場を見渡す。そこには、西原とエミリーが楽しそうに話している。向こうには、恥ずかしそうな外務省職員に、調子よく話かけるアドルフの姿も見える。他にもビクビクと猫の様にビビりながら話しかけようとする随員に、それを不思議そうにみる職員たち。

「ローリダ共和国が次に進むには、ニホンに負けるべきでしょうね」

「……」

 寺岡は、その職分と真っ向から衝突するような発言に驚きを隠せなかった。しかし、チラリと見た苦悶の表情を見るに、彼は何も言えなかった。







 午後からの会談は和やかなムードで始まった。ローリダ側随員たちの含みのあった視線も今は無い。昼食会を通して彼らニホン人が決して野蛮人などではないということを知ったからだ。国と国だと対立していると言っていい両国だが、個人同士ならそんなことは関係なくなるものだ。
 先ほどと同じ部屋で両外交団は向かい合う。初めに口を開けたのはまたしてもローリダ側のエンクルマであった。

「先ほどは、皆さん楽しい時間を過ごされたようで何よりです。今回の会談はこちら側が要望して行われたものですが……」

 目で隣のエミリーに合図すると、彼女は用意してあった資料を取りだす。長年連れ添ってきた夫婦ならではの連携プレーであった。
 寺岡の隣で西原がため息をつく。怪訝に思った寺岡が小声で理由を尋ねと思いもがけない答えが返ってきた。

「あの美人さん、エンクルマ代表の奥さん何ですって……」

 彼の言葉に寺岡は純粋に驚いた。資料を配る彼女とエンクルマを見るにどう見ても釣り合うような外見でない。エンクルマの外見など新橋にいても何ら違和感もなさそうだった。
 くだらない妄想を頭を振って振り切る。こんなことを考える様な場所じゃない。先ほど開かれた、日本側外交団のミーティングの場で、今回の会談では彼らの目的を知るのがまず第一だという結論に達したのだ。なんせ相手は帝国主義の国の軍隊である、そう簡単に心を許すわけにはいかない。

 配られた資料をめくる。その少し黄ばんだ昔臭い紙には海上保安庁の巡視船、それと何故かビニ本の類が載っていた。日本側のあちこちで噴き出す声が聞こえる。

「これは、私たちが初めてニホンの情報に触れた、その資料です。資料にはこの船が日本海軍と書かれてますが先ほどの説明を聞くにこれは軍隊ではなく……」

 彼女の説明をエンクルマが引き継ぐ。

「海上保安庁、その役割は海上の保安と国境の警備で合ってたかな?」

 その言葉に寺岡は頷いた。

「その通りです。海保は日本の行政機関の一つです。まぁ、準軍事的な組織であることを否定はしませんが」

「なるほど。そしてそれとは別に日本海軍がいるということでしたね」

「いいえ、海上自衛隊です」

「自衛隊?」

 聞こえてきた疑問の声は、席中央に座るアドルフのものだった。

「自衛隊とは軍隊なのか?」

 彼のもっともな質問に寺岡は顔をしかめる。それを見た西原が、慌ててその質問に答えた。

「我が国では、憲法で侵略を目的とした交戦権を放棄しています」

 その答えに、ローリダ側はエンクルマを除いた全員が困惑した顔を浮かべる。コイツ、何言ってんだ?と言わんばかりの雰囲気に西原も戸惑うばかりだ。

「交戦権を放棄、ということはニホンが戦争はしないということかしら?」

「”侵略を目的とした”戦争はしないということですよ、ミスエミリー」

 エミリーの鋭い質問に顔をしかめたまま寺岡が答える。

「つまり、”自衛を目的とした”戦争は禁じられていない訳ですか?」

 エンクルマが割って入る。

「そう言うことですな」

「なんでそんな事をするんだ?」

 アドルフが言う。その言葉にローリダ側全員は内心同意していただろう。彼らにとって戦争とは国家が持つ当然の権利であり、国を富ませるものだ。何故、自分の手足をわざわざ自分で縛るような真似をするのか?

「……侵略戦争をしないようにですよ」

 日本外交団らは、ただそれだけしか言えなかった。

「その問題については、後で憲法を見せてもらうなどするとしてですね、先ほどの資料を見ていただきたい」

 重苦しい雰囲気を吹き飛ばすために、エンクルマが本来の議題に切り替える。
 忘れていたその資料を慌てて読み始める日本外交団を眺めて、エンクルマはこの会談を開いたその目的を話した。

「今回、会談を持てるようにした目的はニホンの軍隊の脅威を知るためです」

 軍隊という言葉に日本側が動揺する。そのどよめきが収まるの少し待ってエンクルマは自国の事情を話した。

「我が国では、植民地獲得と教化事業を国是としています。その過程に関しては先ほど説明した通りです。ただ今植民地軍が侵攻しているスロリア西部ですが、政府は最終的にスロリア全域を植民地化するつもりの様です」

 彼のその衝撃的な言葉にまたもや日本側に衝撃が走る。寺岡も先ほどの説明を聞いて予想していたことだが、彼の、しかも軍幹部から戦争準備をしていると明言したに等しい言葉を聞いたのだ。他の職員と比べて、寺岡も大なり小なり動揺していた。

「我が国では戦争の前に相手国を徹底的に貶めます。そうして世論を開戦に持って行くのです。よって今ローリダではニホン討つべしとの世論が高まってきています」

更なる追い討ちに日本外交団は言葉もなかった。寺岡が自分に課せられた職務を全うする為、エンクルマに問いかける。

「なるほど、そちらの事情は分かりました。すると、あなた方の要求は?」

「戦争の回避です」

彼の口から語られた言葉にまたも頭の回転が止まりそうになる。しかし、何処か納得しそうになる寺岡がいた。先ほどの昼食会の時に交わした会話が蘇って来る。そして何よりも彼が頼りなさげに見えたことも理由の一つかもしれない。

「しかし、あなた方は軍人なのでは?」

その最もな疑問に苦笑しながらエンクルマは答えた。

「平和主義な軍人がいてはおかしいでしょうか?」

彼の言葉に両陣営が言葉を失う中、これは空気読み間違ったかなとエンクルマは思い、ゴホンと咳で誤魔化す。

「えー、もちろん命令が下れば命をかけてでも戦いますが、自分としてはかわいい部下が死ぬのは御免です。話を聞くにどうも私たちとあなた方の技術とはだいぶ開きがあるように思います」

先の会談でも、ニホンがセラミックを実用化していると聞いてローリダ側随員がかなり驚いていたのは寺岡の目に興味深く映ったものだ。

「しかれば、そのような国の間で戦争が起こればどうなるか。一方的な虐殺に成りかねません。そのような事態は両方にとっても本意とするところでは無いでしょう」

日本側に言葉が行き渡ったのを確認し、エンクルマは続きを催促するようなエミリーのにらめつけるような視線に押されながら言葉を続ける。

「そこで、我々に技術の格差を十分理解できるような証拠を、できれば貸して頂きたいのです」

「それをどうするのですか?」

確認するように寺岡がたずねる。

「勿論、政府を説得する為です」

その言葉に寺岡は微笑む。両者は立ち上がり、硬く握手した。

「あなた方とはいい関係でいられそうです」

「ええ、こちらこそ」

こうして日本、ローリダの記念すべき第一回の会談は両者とも大きな収穫を得て終わった。その後、資料の交換や協議をしつつ次回の会談を約束し会議室を後にしたエンクルマ達であったが、その約束は二度と守られることはなかった。






 会談を終えたエンクルマ達は、取って返すように真っすぐ首都アダロネスへ進路をとった。今回の会談は、もちろん事前に植民地省にも通告した公式に認められてものである。つまりドクグラム達にも知られていたはずなのだが、これといった嫌がらせもない。
 エンクルマは当然訝しんだが、特に悪影響どころか大助かりだったのので他の誰も気に留めなかった。

 首都に戻ったエンクルマはいつもの日常に戻ったように見えたが、水面下では順調に次の目的への準備を進めていた。その目的とは、議会の平民派に接触し対ニホン戦争の危険性を知らせることであった。

 何故、大体的にテレビやラジオなどで発表しようとしなかったのか? 当然、この手も植民地司令部で議論されたが不採用に終わったものである。
 その理由として、日本外交団が渡した”日本の方が技術で勝る”証拠が少なかったことが挙げられる。日本外交団もジレンマに陥ってた。

 戦争を回避するためには、こちらの圧倒的な技術格差を示さなければならないが、はたして今説明を聞いたような国にこちらの技術の宝庫と言っていいものを見せていいだろうか? 技術を盗まれないだろうか? という疑惑である。
 さらに、今手持ちの少人数で運べるものになると当然数は少なくなる。例えば、ライター。これを彼らに見せて、驚くだろうか?

 しかし、エンクルマ自身は先の会談に手ごたえを感じていた。出来るか分からなかった会談が一応の成果を上げたのだ。同郷の人達に逢えたのも彼の未来予測を甘くさせた原因の一つかもしれない。
 エンクルマの期待は最後の最後に外れることとなる。





 ローリダ共和国 平民派議員デロムソス=ダ-リ=ヴァナス邸 七月三日


「どういうことですか!?」

 植民地軍総司令官付第一秘書エレーナ=ル=リターシャルは、部屋の中から敬愛する上司の珍しい怒声を聞き軽く動揺していた。彼女もニホンの会談について行った随員の一人だが、だからこそ部屋の中から怒声が聞こえてくるとは想像していなかったのだ。

 エレーナが待機部屋にある大きな古時計を見ると、午後十時を少し過ぎた頃であった。かれこれ平民派の巨頭デロムソス=ダ-リ=ヴァナスとの会談が始まって数時間が経っている。
 しばらくエンクルマの大きな声が聞こえたかと思うと扉が開き、中から憔悴しきった顔のエンクルマが出てきた。エレーナは無言で、カバンに広げていた資料を詰め、邸を彼とともに後にする。自分の運転する高級軍人専用車に彼が乗るのをバックミラーで確認し、静かに車を発進させたのだった。

「……ダメだ、平民派の説得は失敗だった」

 その誰に聞かすでもなく、ふと口から漏れたような言葉にエレーナは返事をするかどうか迷う。しばらく考えをめぐらすも、結局知りたくて仕方がなかった説得失敗の原因をうなだれる上司に尋ねた。

「エンクルマ司令官、説得に失敗したのはどうしてですか? 今回、持って行ったのはデジカメとかいうものでしたが」

「ああ、それも問題だったんだが……」

 鏡越しに見える彼は、顔に不快感が露わになるのを隠そうともせずに吐き捨てた。

「それ以前の問題だったよ」

 彼の言葉にエリーナは首をかしげる。

「それ以前……とは?」

「今回のニホンの脅威を議員達に知らしめるには臨時会を開くのが手っとり早いんだが、それを開くには”よほどの緊急事態”が必要らしい」

「今回はその”よほどの緊急事態”では無いと……!?」

「ああ、彼らにとってはそうらしい。実際に軍が負けでもしないと緊急事態として臨時会なんて開かれないだとさ」

 議会が臨時会を開く例として、一定人数以上の議員の要求や、臨時予算の編成などがある。彼ら平民派の議員数は何より少ない。それに議員たちの中にも戦時関連の株など戦争の利益を貪る者が居るのは想像難いことではないだろう。
 そうした戦争で利益を得る者たちの妨害がないはずがない。もうすでにあの日、エンクルマがニホンの存在を知った時に全ては決まっていたのだ。

「……エリーナ、プランBに変更だ」

「分かりました、第一級の方々に連絡しておきます」

「それと、明日朝一番の招集も併せて伝えといてくれ」

「了解です」

 黒塗りの車は夜でも明るいアダロネスの渋滞に消えていった。







[21813] 八話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:32
ローリダ共和国 植民地軍総司令部会議室 七月四日


 いつものメンバーが招集された会議室には重苦しい空気が漂っていた。無理もない、『プランB』とは戦争がもはや避けられないことを示していたからだ。
 そして、皮肉な事に戦争を回避しようと身を削って努力してきた彼らが一番、ニホンとの戦争で武功をあげる筈の役職についている。

「みんなも知っている通り、順調に国内世論は開戦へと傾いて来ている」

 昨日から、心なしかほほがこけたように見える植民地軍最高権力者のエンクルマは呻くように呟く。
 ラジオ・新聞などに代表される各種メディアが一斉にニホンの情報、平たく言えば悪行を垂れ流し始めたのはいつからだろうか。その悪行が真実かどうかは定かではないが、確実に国民はあおられている。民衆に必要なのは真実ではないのだ。

「昨日、平民派のデロムソス=ダ-リ=ヴァナス議員にニホンの脅威について説明をしたが、ダメだった」

「……原因は何だ?」

 隣にいるいつもの軽薄な空気とは真逆のアドルフは、同じく枯れた空気漂う司令官に質問をする。

「一つに、今回持って言ったデジカメが挙げられるが、まあ、これが直接の原因だはないだろうな」

「デジカメ……、だったか、フィルムがなくても景色を写し取れる機械は。……それが何故問題だったんだ?」

 彼自身もニホンとの会談について行き、その自分たちとは隔絶した技術をこの目で見ていたので、デジカメを見せれば何らかの反応を引きだせると信じて疑わなかったのだ。
 それは、この会議室に集まった彼らも同じ思いだった。

「これを見てくれ」

 エンクルマがいつの間にやら出したデジカメには、S●NYと英語のアルファベットが書いてある。

「どうやら議員はこれがニホン製でない証拠だというんだ」

 戸惑う彼らに説明するエンクルマ。

「何故、ニホン語という言語があるのに、わざわざ他の全く体系の違う文字を使う必要があるのか? それはこれら製品がニホンで作られた訳ではないからだ! ……らしいよ、かなり強引だけどね」

「だとしてもニホンが強力な軍事力を持ってないという証拠にはならないじゃない!」

 物分かりの悪い議員に対して不満を隠しきれないエミリーに、苦笑いをしながらエンクルマの説明は続く。

「結局、そんな理由の妥当性とかは問題じゃない。戦争が始まらなければ困る、ただそれだけさ。
 さて、というわけで戦争回避の道は閉ざされた。あと自分たちに出来ることは自軍の被害を少なくすること」

「もしくは、勝つ、事だな」

 ようやくいつもの雰囲気に戻ったアドルフは、軽く言い放った。こうした切り替えが早いのも彼の美徳の一つであろう。

「勝つって……簡単に言ってくれるな」

 苦い顔をするエンクルマ。彼の脳裏には過去、『常勝将軍』なんてどこの中二だよといったレベルのあだ名を連呼された記憶がよみがえる。

「大丈夫ですよ。エンクルマ司令なら勝てます」

 自信満々に言いきるハーレン少佐からエンクルマは目をそむける。彼自身、今までの勝利は自分の実力というよりも運が多分に含まれていると思っているので、こう言った尊敬のまなざし苦手である。

「と言ってもだ。正直、正面からやりあうのは勘弁してほしいな」

「確かに」

 通信、情報担当の禿のサムスに、エンクルマは頷いて同意する。

「あなたの秘蔵っ子の防疫隊は使えないの?」

「お前も知っているだろう? BC兵器はスロリア大陸のど真ん中で使うような兵器じゃない」

 BC兵器とは、生物・化学兵器と呼ばれるものである。化学兵器の代表例としては、マスタードやサリンなどが挙げられる。生物兵器とは、その名の通り生物である細菌などを使った兵器であり、取扱は難しく生もののようなものだ。
 今まで植民地での暴徒鎮圧などに使用したことがあるが……正直、兵器としては使いづらいことこの上ない。防疫隊がエンクルマの管轄なのは、その実験のデータを植民地軍大学付属病院にフィードバックさせるためだ。医学の実験に人体実験はつきものなのだ。

「使うとすれば、後方基地へのテロぐらいしかないだろうな」

「それ、使えるんじゃない?」

「それはニホンに使う、という事かい?」

 その質問にエミリーは軽く頷いた。

「今回の会談で、私たちとニホンの間には隔絶した技術差があることは分かる。けど、技術だけが戦争の勝ち負けを決める訳じゃないわ」

 エンクルマは彼女の助言(?)を聞いて、薄れつつある前世の記憶を掘り返す。かの世界最強と歌われたアメリカがベトナム戦争でまけた原因は何か? それは結局世論の同意が得られなかったからではなかろうか。
 
 ……確かに日本の都市にテロでもやれば、世論が動いて戦争終結……に成らないだろうな。自衛隊がスロリアから撤兵したとしても、今度は本土に攻撃じゃー! なんて逝きそうな気がする。
 しかもこれはすべてがうまいこと行った場合だ。逆に国民を激昂させるかもしれない。あの国は両極端だからなぁ。
 激昂と言えば、今回の戦争で何としてでも止めないといけないのは『神の火』の投下だろうな。あの国一番のトラウマをよびおこせばどうなる事やら。

 考え込むエンクルマを司令部の軍人たちは心配そうに見つめる。

「しかし、どうやってニホンでテロを起こす? 工作員なんてニホンにいないだろう?」

「それにかんしては大丈夫だ。昨日、情報局から何とかニホンで活動出来るような体制が整いそうだとの報告がきた」

 サムスがここぞとばかり話に入ってきた。

「どれぐらいかかるんだ?」

「後、一か月もあれば支部なりなんなり作って活動できるらしい」

「一か月か……」

 それまでに戦争が始まるなんてことは無いだろうが、支部ができるのに越したことは無い。エンクルマは頭をかきむしり、呻くように言った。

「分かった。ニホンへのテロもオプションの一つとして考えておこう」





 日本国 東京 首相官邸


 日本で、いやこの世界で一番賑やかな場所であろう東京。その東京にある首相官邸である老人がビジネススーツでビシッと決めた男から報告を受けていた。その優しげな目を細めて詳しく聞いていた老人は日本の要人―――内閣総理大臣 河正道、その人であった。
 受けている内容は先日、行われた国交のない国の、それもその軍事組織との会談の報告である。当初あまり注目されていない会談ではあったが、彼らが現在日本が支援しているスロリアへ侵攻しようとしているという事実が判明したことで、にわかに日本外務省で大きく注目され始めたのであった。

「で、そのローリダという国とのパイプは構築出来たのかね」

 質問を受けていた男、西原は内心でこんな事態に追いやった東スロリア課課長、寺岡祐輔を罵っていた。年齢やその地位を考えても彼がこの日本国の実質的な代表の報告するという大仕事をすべきなのだ。であるのにこの仕事を西原が押し付けられたのは、寺岡が季節外れの風邪にかかったからである。
 総理大臣の質問に冷や汗をかきながら西原は答える。

「い、いいえ、第三国を通して会談を打診したのですが、どの国もいい返事をもらえず……」

「つまり、上手く行っていないということだな?」

 痛いところを突かれた西原はさらに嫌な汗をかきながらなおも言い繕おうとするも、結局いい言い訳も思いうかばず口をパクパクと動かすばかりだ。
 そんな西原を気の毒に思ったのか、河首相は彼に優しく退室を促す。ほっとした顔を隠そうせず退室する西原と入れ違うように、イノシシのような体系をした男が入ってくる。
 彼の名前は神宮寺一。自由民権党幹事長という重要な役職につきながら、河とは大学時代から付き合いがあり公私ともに支えあうような間柄であった。

「面白い情報を外務省が掴んだんだって?」

 神宮寺がその年季の入った顔をおもしろようににやけながら河に話しかける。その問いには相手が一国を背負う首相に対する緊張なぞひとかけらもない。転移してから混乱する政界で助け合いながら活躍してきた”戦友”の間には一切の壁は感じられなかった。

「掴んだというより、落ちてきたというべきだろうな」

 ローリダという国の軍事組織から接触を持ってきたという報告を聞いた河は外務省に少なからず失望していた。この世界に転移してきてから鍛えに鍛えられてきた外務省なら既に相手国とのパイプを作れていても不思議でないと思っていたのだ。

「まぁ、彼らを責め過ぎないようにな。かの国は特別らしいからな」

 神宮寺の耳にもローリダ国の情報が断片的であるが入ってきたのであるが、曰く”帝国主義で周辺国を植民地化している””スロリア大陸もその手中に収めようとしている””ゆくゆくは日本も植民地化しようと虎視眈々と狙っている”。さすがにそれら情報は噂の範ちゅうであり、正確な情報を欲していた。
 
「帝国主義か……、ややこしい事にならなければいいのだが」

 呟く河に、苦笑する神宮寺。彼は河らしいな、と思うと同時に危ういようにも思う。

「国民には公開するのか?」

 まだこの世界には確認されてない国も存在する。日本の近くに膨張主義をとる国があることは入らぬ恐怖心を煽ることになるかもしれない。難しい判断だ。
 少し俯き考えて、河は答えた。

「……伏せておこう。交渉もしていない国なんだから、それにまだ軍事組織と接触したにすぎんよ」

「そうか。そうだな」

「ああ。……そろそろ時間だ」

 河はそう呟いて首相官邸を後にする。日本の将来を背負う男に休みは無いのだ。



 



 七月六日 ローリダ共和国植民地軍総司令部、国防軍総司令部ともに第一執政官から侵攻の内示を受ける。一週間以内の作戦案の提出を命令。

 七月十日 国防軍総司令部、作戦案を提示。

 七月十二日 植民地軍総司令部、作戦案を提示。二日後に委員会の招集を決定。






 ローリダ共和国 七月十四日 首都アダロネス 共和国元老院


 高級軍人用の黒塗りの車から多くの勲章をつけた軍服姿の男性が下りる。その顔を見るに、どう考えても機嫌がいいように見えない。歪んだ顔の通り、彼の心の内は不安でいっぱいであった。

 目の前にそびえる元老院はいつにもまして、他のものを寄せ付けないような厳格な雰囲気を醸し出していた。ここで衝撃の事実を聞いてから、俺の心が休まることは無かった。正直、寿命がマッハでヤバい。
 溜息を吐きながら、エンクルマは階段を上がる。何故、わざわざこんな所に行かないといけないのか。出来るなら行きたくないと叶うはずもない想いを無理やり抑えるも、この顔はどうにもならない。ここ最近の俺の胃が荒れに荒れまくった原因に自ら向かおうというのだから、俺の頑張りを認めてほしい。

 が、このあと散々言われるんだろうなぁと思うとどうにもこの足が遅くなるのも仕方がない。戦争回避が不可能となった時点から植民地軍は文字通り不眠不休で作戦を立てていた。
 もちろん、一番ニホンを警戒していたエンクルマ自身が作戦立案に関わらないはずもなく、ここ最近彼の目の下にはクマが絶えなかった。

 この年になってデスマーチさせんなよ…… 絶対、労働基準法を成立させてやると新たな野望に燃えつつ、目の前の現実から逃避する。しかし、逃避したからと言って、現実が待ってくれる訳もなくエンクルマは会議場に到着していた。

 今回の委員会は、エンクルマが爺とタッグを組んでいた頃に開設された委員会である。
 戦争が起きる、というか軍が本格的に出動する事態になった時、執政官はもちろん見識のある議員などに作戦案を説明したり質問を受けたりする。まぁ、プレゼンといったところか。議員などと軍の意見を一致させるという目的のために開かれる当委員会で合ったが、国防軍などは作戦を平気で無視したりするので意味があるかは疑問だ。

 扉を開けると、どうやらまだ半分も委員は集まっていないようで、人はまばらだ。あいている席も目立つ。
 時間を確認するとまだ三十分ほど早い。周りから好奇心を多分に含んだ視線でじろじろと見られる。今回の戦争に植民地軍が、というよりエンクルマが反対なのは噂で流れているらしい。

 ……落ちつかねぇな。誰か見知った顔の奴はいないかと周りを見渡してみると、ひどく目立つ女性が一人。

 うわ、なんかオーラが出てるぞ。
 
 どっちかというと近づきがたいオーラを出している議員は、俺をどん底に落とした張本人、ルーガ=ラ=ナードラであった。

「ナードラ議員! あなたもいらっしゃっていたのですか」

 近づくと議員も気づいたようで、振り返った顔が一瞬こわばるも、すぐにいつもの様な笑顔に戻る。

「これはエンクルマ司令ではありませんか」
 
 遠い記憶にある彼女の対応に比べると、少し冷たいような気がする。まぁそれも仕方がないだろう。なんせ俺はこの戦争に反対しているのだから。

「ナードラ議員はどうしてここに?」

「私はニホンとの外交団代表に選ばれましたので」

「それはそれは……」

 仮面のような笑顔を浮かべなめらかに答える彼女と軽く壁を感じる。これは意図的なものだろうな、彼女の有能ぶりを知っている自分としてはニホンとの交渉で、彼女が音頭をとるというのは少し不安がある。いや、他の人物の方が逆に危険かもしれない。いきなり外交団を人質に取ったりしかねん。
 もうしかしたら殺してしまうかも……とまで考えるがすぐに、ないないと首を振る。んな近代国家がどこにある、どこかの未開部族でもあるまいに。

「……今回の作戦、楽しみにしています」

 そう言い放ち、彼女はその輝く金髪を綺麗になびかせながら近くにいた国防軍のバーヨ大佐の所に向かう。確か彼とは同期だったかとあやふやな記憶を思い起こす。

 そんなことより、目先のプレゼンが重要だ。戦争を避けることは無理だった。軍人が自分の意見を言える最高の場所だ、ここで自分の考えをはっきりさせておかなければ。
 あらぶる胃をさする。俺の言葉一つで何人死ぬか決まるといっても過言でない。我が軍が絶望へとひた走るのだけは阻止しなければ。

 決意を新たにエンクルマは彼の”戦場”に考えを巡らせていた。








 ナードラは先ほどの会話を思い出していた。特に注目するような情報は無かったが、彼の声は疲れ切っていた。顔も幽鬼のごとくやせ目のくまが彼の健康状態を如実に表していた。
 
 四か月ほど前、今いる元老院でひどく狼狽したようなエンクルマの姿を思い出す。確かに彼はひどく焦っているようであった。
 それからほどなく経った頃、ある噂が議員たちの間で呟かれ始める。噂の内容は、”エンクルマ司令はニホンに勝てないと言い切った”というにわかには信じられない内容だった。勿論、最初は誰も信じようとはしなかった。それはそうだろう、彼はこの国一番の英雄であり、”常勝将軍”との異名をも持つ傑物だ。
 どうせ今回も国防軍の嫌がらせだろう。誰もがそう思った。

 しかし、その後の彼の行動は異常だった。その実力が評価されている植民地軍情報局もどうやら活発に動いたようでもあるし、彼らの上層部も頻繁に会議を開いていた。
 疑惑を決定的にしたのは、ニホン側との会談を彼ら植民地軍が設定し、要求したからだ。誰も強大な権力を握っているとしても、彼ら軍人が直接仮想敵国と交渉を持とうと行動するというのは明らかに異常だ。いつもならば強大な軍事力を背景に、ただ相手は屈辱にまみれた降伏文書にサインさせるだけなのだから。

 しかも、ナードラが独自に得た情報によると、エンクルマ司令が平民派のデロムソス=ダ-リ=ヴァナス議員と接触したらしい。話した内容までは漏れてこなかったが、内容はなんとなく想像がつく。植民地軍と平民派議員は協力関係にあるはずだから、彼らが一致して協力できそうなもの……、”戦争の中止”であればすべて上手く説明が出来る。

「……ひどいクマだな」

 先ほど隣に移動した同期のバーヨ大佐がエンクルマ司令の方を向いて呟く。確かに彼やお付きの秘書など、植民地軍の関係者にはクマが出来ていた。
 国防軍のバーヨ大佐はまさしくその年でこの位置にいるなどエリートコースまっしぐらだったが、所属している派閥は国防軍派であるので、彼ら国防軍の目の敵であるエンクルマと親しくするなど土台無理な話だった。

「あの……噂は本当なのかしら?」

「さぁね、今日どっちにしてもわかることさ」

 欧米人の様に大きく肩をすくませる同期の友人に、ナードラは微笑みを禁じ得なかった。
 彼女はそわそわするバーヨ大佐に違和感を覚え、疑問を投げかけた。

「どうしたの? やけにそわそわしているじゃない」

 バーヨは、無意識にしていた行動を友人に指摘され、悪戯が見つかった子供の様な笑みを浮かべて言った。

「今回の作戦立案には、自分も関わっててね。作戦が評価されるかどうか、気にもんでいるのさ。……ナードラ、執政官殿は何か言っていたかい?」

 そのたぐいまれなる才能と行動力を執政官ですら一目置くほどであったナードラは事前に、執政官と短い会談……と言えるかどうか怪しい時間の長さではあったが、話し合う機会があった。
 カメシス執政官は、その時子供の様な笑みを浮かべて『楽しみにしておきたまえ』と意味深なセリフを吐いたのだった。
 そのことをバーヨに伝えると、少し考えるように首をかしげて言う。

「確かに意味深だな。どっちにもとれる」

 再び考え込む友人の姿を見ながら、ナードラは思う。もしも、巷で流れている噂が本当だとすれば、彼ら他の軍人たちはどう思うのだろうか? 
 それに……いつも邪魔をする国防軍が今回、ニホンとの会談しかり何も手を出していないのも引っかかる。ナードラ自身、身内同士の組織が互いに引っ張り合う愚を知ってはいたが、容易に彼らの関係は修復出来ないように思えた。

「バーヨ、あなたはもしあの噂が本当だとしたらあなたはどう思う?」

「あの噂というのは、エンクルマ司令が負けると言ったらしいことかい?」

 バーヨの問いにナードラは無言で頷く。バーヨは困ったような顔をしていたが、少し経ってから自らの考えを確認するように、少しずつ言葉をつぐむ。

「もし彼が本気でそう言っているとしたら、怒りがわくね」

 そう言いながらも彼の顔は比較的穏やかであった。

「本当だと信じたくないが…… それに一度も戦わずして負けるなんて味方を動揺させるようなことを、仮にも英雄が言ってはいけないと思う。それに……」

 胸を張ってそう答える彼の目は自信に充ち溢れていた。そして、彼のそれは、決して妄想の類でなく数々の経験に裏付けされたものだった。

「キズラサ神に祝福された我が軍が、東方の蛮人に負ける筈がない」

 自信満々に言いきるバーヨを見て、ナードラの胸に何か温かいものを感じた。一国の英雄がそんな事を言う訳ない。あり得ない筈だ。

 しかし、彼女の思いは裏切られることになる。





[21813] 九話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:32
 時間は矢のように過ぎて行く。五分前、委員会は色々な関係者でごった返していた。おかしい、委員会は数十人ぐらいしかいなかったはずだが……

「ドクグラム大将はまだですね」

 隣の司令付秘書エリーナが呟く。そういえば、関係者は国防軍の制服が多い気がする。何か仕掛けてくるつもりだろうか?
 入口の方でどよめきが起きる。どうやら噂の人物がご登場なさったようだ。顔を向けると、豪華な勲章で着飾ったドクグラム大将が見えた。白い歯をのぞかせて、周りの取り巻きと何か嬉しそうに話している。

 んにゃろう、俺の苦労も知らないで……

 軽く殺気がこみ上げる。金ない、人いないの二重苦に苦しめられてきた植民地軍はその原因である国防軍に憎悪に近いものを持っている。植民地軍の、その目の下にクマができた幽鬼たちに睨めつけられて国防軍に悪寒が走る。
 ドクグラム大将と目が合う。彼は口元をクイっとつり上げて、こちらを観察するように嗤う。ほんと、嫌な奴だ。






「では、時間となりましたので対ニホンに関しての意見交換委員会を始めます」

 大学の講義室の様な会議室で、教壇に立ったナードラが開会を宣言する。席に着いた委員数十名とは別に、何故か国防軍、高級官僚となかなか見られない顔ぶれが集まっていた。確かに、非公開でないのでおかしくは無いのだが、忙しい彼らがわざわざ見に来るとは。
 会場は拍手で包まれた。そんな拍手に、ナードラは舞台女優のように優雅に一礼をしたあと、今回の委員会の目的を説明する。

「今回の委員会の目的は、来るべき対ニホン解放戦争に関して、軍と元老院の意見を一致させることです。まず、国防軍、植民地軍それぞれの作戦案の説明。その後に質疑応答が予定されています」

 流暢に今後の予定を説明するナードラ。会議場のど真ん中には、第一執政官の姿が見える。右手に、豪華なキラキラした国防軍関係者。左手に顔をこけさせた、異様な雰囲気ただよう植民地軍関係者。対照的な彼らは、見る者に軍内の対立を思わせた。
 
「では、まず国防軍のドクグラム大将、作戦案の説明お願いします」

 国防軍関係者の拍手とともにドクグラムが教壇に上がる。鳴りやまない拍手を片手で制し、会場が落ち着くのを待つ。
 拍手が鳴りやんだのを確認し、ドクグラムはおもむろに口を開いた。

「僭越ながら代表して、私ドクグラムが説明したいと思います。では、資料の……」

 事前に配られた資料を参考に、作戦案が説明される。大枠はこうだ。

 スロリア大陸にある前線基地に、多くの飛行場を整備。他の植民地基地にある航空戦力を集中させ、開戦と同時に制空権を握る。
 そして機甲師団と歩兵とともに前進。敵を蹴散らし一気に占領する。まぁ、オーソドックスな作戦だ。
 ただ、赤竜騎兵団の派遣も示唆した瞬間、会場がどよめく。共和国最精鋭たる赤竜騎兵団は、最新のガルダーン戦車をも持つ、ローリダ最強の部隊であった。

「利権屋が頼みこんだのね」

 エミリーが毒づく。ガルダーン戦車を作る軍需産業は、その調達量が少ないことに不満を持っている。だからと言って、血税を一部の人がすするというのはいただけない。

「――――以上で、国防軍の作戦案説明を終わります」

 再び会場は拍手に包まれる。それに答えた後、彼は悠々と教壇を後にした。
 再び、ナードラが教壇に上がる。

「次は、植民地軍総司令エンクルマ中将の作戦案説明です」

 先ほどと同じく、拍手が起こる。先ほどと違うのは、やる気がなさそうだった議員たちが好奇心いっぱいの目をしていることだった。会場の右、左両方ともからの拍手は少ない。植民地軍には体力がなく、国防軍の理由は言うに及ばない。
 壇上に上がる。先ほどのドクグラム大将とはまた違った意味で、迫力があるというのか妙な威圧感があった。何か思いつめているかのような……

「ご紹介にあずかりましたエンクルマです。では早速……」

 エンクルマが説明しようとしたその時、

「失礼、エンクルマ司令に質問がある」

 突然、エンクルマの説明を遮るように声をあげたのは、会場のど真ん中に居座る、この国の最高権力者、第一執政官カメシスだった。






 エンクルマが、さぁ今から説明をしようとしたところに水を差された形になった。顔をさらに不機嫌そうに歪めて声の主を見ると、声の主はカメシス執政官その人だった。その顔は悪戯を成功させようとする子供の様な顔である。
 その瞬間、エンクルマは悟った。こいつは何か企んでやがる、それも俺にとって悪いことを。

 カメシスは、今まで露骨に植民地軍と対立するような行動も言動もなかった。しかし、彼は戦争を商売、ひいては自分の懐を温める手段としか見なしていなかったので、利権と絡む国防軍との距離は近い。
 そのカメシスがこちらの説明の前にさえぎって質問をする。それの意味する所をエンクルマは気づいていた。

「……なんでしょうか、カメシス閣下。今は私が対ニホン作戦案を説明する時間だったと思うのですが?」

 睨めつけるエンクルマの視線を飄々とかわし、カメシスは集まった委員に振り向き、役者のように大ぶりで反応を示す。

「最近、面白い噂を聞きまして、そのことについて少しお聞きしたい。私があなた方軍人と話せる機会はそう多くないのでな」

 噂、つまりエンクルマが負ける云々言ったことについてだろう。エンクルマは、全身の平衡感覚を失ったような気持ち悪さを感じる。当たってほしくない第六感が、これから起こるであろうことについて警報を鳴らす。

「……」

「なんと、噂ではあの”常勝将軍”とまで言われた司令がニホンに我がローリダ共和国が負ける、と言ったらしい」

 芝居かかった口調で語る彼が、悔しいがある一定以上のカリスマを備えていることにエンクルマは同意せざる得なかった。彼の、カメシス執政官の長所としてエンクルマが唯一首肯する所だったからだ。
 周りの委員がざわめきだす。彼らも噂を聞いたことがないものはいなかったが、その噂について、この場所で、第一執政官であるカメシスが問いただしていることについての動揺であった。

 エンクルマはすでにこの状況を打破する一手を思いつけなかった。今、自分を外から見ることができれば、ただちに病院行きを進めるだろう。彼の顔は真っ青で他の誰からみても、健康だとは言えなかった。
 
 ”エンクルマが負けると言った”という噂……勿論、エンクルマ自身が植民地軍総司令部以外で、そのような不用意な発言をするはずがない。それぐらい、エンクルマは心得ていた。
 ならば、この噂はいつ、だれが流したのか? 植民地軍首脳は、当然訝しんだが、彼らとて二つも三つも体を持ってるわけなく、他の業務に忙殺されて対応する余裕がなかったのだ。当時、対ニホンについて真剣に取り組んでいたのはニホンとの会談について行った植民地軍上層部であるし、疑い指揮するべきなのも彼らであった。また、調べる手足となる情報局がニホン工作で手いっぱいだったのも原因だったにちがいない。
 
 かくして噂について何ら手段を講じていなかったエンクルマ達首脳部だったが、彼らとて理由なく噂を無視していた訳ではない。当時、というかエンクルマ派とドクグラム一派が対立し始めてから、国防軍の嫌がらせによる情報操作など日常的に行われていたからだ。事実、ナードラをはじめ議員たちもそう考えていた。

 では、ここでキッパリ否定すればいいのではないか? 証拠もあるとは考えにくい、誰が国の軍組織会議室に盗聴器をつけるバカがいるのだろうか。

 そう簡単な問題ならエンクルマが顔を真っ青にする必要は無かっただろう。彼はここでキッパリ否定できない、いや彼に迷わせる原因があったのだ。
 
 それは、まさしく彼が今手にしている原稿。植民地軍が総出で作った作戦案であった。
 作戦案は極めて現実的に作られていた。当たり前だ、もし彼ら植民地軍が実際戦争するとなった時、大本はこの作戦案通りに遂行するからだ。彼ら植民地軍は国防軍とは違い作戦案を勝手に無視するようなことはできない。
 
 となると、その作戦案の内容は比較的、というか明らかに積極性に欠けるもの――――キズラサ神に祝されたローリダ共和国軍にふさわしくない―――――にせざるを得ない。血迷っても、航空戦力と正面でやりあうような作戦にはならない。具体的には、敵基地へのテロや撤退戦、先制攻撃による奇襲などであった。
 彼ら上層部はニホンの弱点を自衛官の絶対数の少なさや、スロリア侵攻時に伸びるであろう兵站線であろうと考えていた。であるからして、その作戦の大枠は大体決まっていた。戦争前のテロや、侵攻してきたときにはヒットアンドウェイを繰り返し、伸びきった補給線を叩く。

 そんな作戦は一般ローリダ兵士から見れば逃げ腰にしか見えなかった。神の加護がついている我ら共和国軍が、航空兵力すら持たない東の野蛮人に逃げながら戦う、そんな事を許すはずがない。
 致命的なのが先の噂である。今ここで否定するのは簡単だ。しかし、その後どうする? 先の国防軍の様な作戦を説明しろとでもいうのか。そんなことは出来ない。

 エンクルマは、植民地軍が血を吐きながら作った作戦案を強く握りしめる。胸の奥に絶望感が広がる。ここでとれる手段は二つしかない。噂を否定してこれまでの努力を無駄にするか、肯定し作戦案を最後まで説明するかだ。後者はエンクルマが今後の一切をあきらめなければならないだろう。
 今までは、ドクグラム派が彼を引きずり落とすのは難しかった。エンクルマは英雄であったし、戦争にも負けることは無かったからだ。

 思えばカメシスに作戦案を提示した時点でこの結末は決まっていたのだろう。委員会に人が多いのは目撃者を増やすため。

 エンクルマは深く息を吐く。覚悟を決めないけないのだろうな。ここで折れることは、自分を、何より今まで自分に付き合ってきてくれたみんなを裏切ることになる。それは何としてでも避けなければならない。



「……はい。確かに私はそう言いました。もう一度言いましょう。このままローリダ共和国と日本が戦えば、ローリダは必ず負けます」

 しんと静まる会議場。ニヤニヤと笑うドクグラムがいやに目立った。










 ナードラは動揺を隠せずにいた。他の議員、軍幹部も同様だろう。国防軍の妨害だと思っていた噂をエンクルマ司令自身が認めたのだ。

「この売国奴が!」

 静まる会場に右手から罵声が飛ぶ。そこは国防軍が占める一帯であった。それに続くように聞くに堪えないような野次が教壇に立つエンクルマに浴びせかけられていた。壇上のエンクルマは青い顔のまま黙っている。
 喧騒が会場を包みこんでいく。最初は国防軍側からしか聞こえてこなかった罵倒が会場から聞こえてくる。みんな分かったのだろう。彼が何故、あんなに慌て会談まで開いたのかを。火のないところに煙は立たぬ。英雄であった彼も権力が惜しくなり、臆病風に吹かれたか……!?

 こみ上げる怒りを抑えてナードラは壇上のかつて国中で讃えられていた英雄を睨む。こみ上げる……怒り? この感情は怒りというより、悲しい。空しい。そう言った形容詞がふさわしいに思える。
 彼女は勿論、世迷言を言うエンクルマに失望していたが、なにより今まで少なからず尊敬していた人物がニホンに負けるなどと言い、自分の気持ちを裏切ったことが空しく、悲しかった。

 このように感情面でかなり揺さぶられていたが、彼女の優秀な頭脳はこの状況に違和感を感じていた。
 
 ドクグラム派の対応が早すぎる。いや、これは事前に知っていた……?

 そこまで思考が進んで、そういえば事前に第一執政官に作戦案を提示していたと納得するも直ぐに思い直す。彼に関する噂が流れ始めたのは、勿論彼らが作戦案を提示するまえである。ということは、ドクグラム派は無関係?
 しかし、エンクルマは彼自身が認めたのだ! もし国防軍の奴らがただ妨害をしていたとしても、ただ一言否定するだけで済むのに。

 答えのない思考のスパイラルに陥った彼女がふと隣を見ると、バーヨ大佐が茫然とした顔で壇上を見つめていた。無理もない、彼の世代はエンクルマが活躍した時代だ、現に彼女と彼が士官学校に籍を置いていた時、興奮気味にエンクルマの活躍が載った新聞を読んでいたのを思い出す。家の関係で派閥はたがえてしまったが、一軍人として尊敬していたはずだ。彼も英雄エンクルマを信じて尊敬していた人物の一人なのだ。ナードラの世代に限らず、彼をその無垢な心で信じ、慕っていたものが何と多いことか……彼は、エンクルマはそれを裏切ったのだ!

 野次がひどくなる。このまま収集がつかなくなるのではと、次の予定を心配する気持ち半分、ざまーみろと思う気持ち半分で座っていると、先ほど彼を告発したカメシス閣下が再び立ち上がる。自然にみなの注目を彼に集め、野次が徐々に止んでいく。

「さて、委員会、議員の総意はエンクルマ司令、分かっていただけたと思うが……」

「ええ、はっきり分かりました。この国は一度負けた方がいい。そうした方が、この国の為だ」

「な、なにを言う!」

 狼狽するカメシス。弁明でも返ってくるだろうと思っていたが、さらに自分の首を絞めるような事を言うとは。
 内心、あざけるカメシスであったが、目の前の彼は、悔しそうな、後悔した顔などしていなかった。どちらかというと正の、どこかスッキリとした顔であった。

「ああ、そうです。戦争相手の首都の名前も知らないでどう戦おうとするのです、あなたたちは! 相手の政治形態は? 経済は? そんなことすら知らずに戦争しかけようとは気が狂っているとしか思えない」

「な、何だと貴様! ローリダ共和国を侮辱する気か!」

 手前で聞いていた、国防軍の軍人が興奮した様子で壇上の掴みかからんとする。

「お待ちください、カーナレス従兄上」

 ドクグラムが手で、今にも飛び出しそうな従兄を制す。不満げな顔をするも、同じ内容をカメシス第一執政官に言われ、しぶしぶ席につく。
 そして、エンクルマに向かいなおし、再びにやりと嗤う。

「カメシス閣下。彼は今はここまで落ちぶれましたが、元は英雄。共和国に多大なる貢献をしたのも事実。なにとぞ穏便な処罰を」

「何よ! 軍事裁判も開かず勝手に何を決めているのドクグラム! そんなの単なる私刑じゃない!」

 植民地軍側にいたエミリーが噛みつく。そんなエミリーの様子を無視して、カメシスに迫るドクグラム。

「そうじゃな、自宅謹慎……詳しい処罰は戦争のあとゆっくり決めればよいではないか」

 彼ら国防軍側としては、エンクルマが裁判で裁かれ処罰される事態は防ぎたかった。なんせ、彼は英雄であり市井ではトップの知名度、支持率を誇る。そんな彼を処罰することはしたくない。軍全体の支持に影響するからだ。
 しかし、国防軍に歯向かう植民地軍は煩わしい。かといって、植民地軍も貴重な戦力だ、穏便に国防軍の影響下に収めるのがよい。

 そんな複雑な背景により、このような提案がなされた。エンクルマ自身が自発的に自宅待機。植民地軍は良くも悪くもエンクルマ中心にまとまっていた。トップを挿げ替えれば後は簡単だ。対ニホン戦争の前に、指示系統の統一など理由をつけてこちらの息のかかったものを送り込めばよい。時間はかかるかもしれないが、確実に植民地派は空中分解するだろう。少なくともドクグラムにはその自信があった。

「……分かりました。自発的に自宅謹慎させていただきます」

「な!?」

 植民地軍側から驚きの声が漏れる。彼らは今の状況が最悪であることは分かっていたが、エンクルマが簡単に折れるとは思っていなかった。それはドクグラム派も一緒で訝しげな顔をする。呆けている場合ではない。いち早く我に返ったカメシスは、彼の気持ちが変わらないうちにと決着をつけた。

「では、今後しばらくはアドルフ副司令が兼任することでいいかね」

「はい。それで問題ないかと」

「そうじゃな。勿論、作戦案は国防軍のを全面的に採用しよう。敗北主義者の作った作戦など検討するに値せん」

 敗北主義……、カメシスの容赦ない言葉が植民地軍の軍人たちにつきささる。

「ちょっと! カメシス閣下! この委員会の目的をお忘れですか!?」

 激昂のあまり敬語を使えてるか、甘くなってきたエミリーがそう吠える。さらにもっと過激な言葉を吐こうとしたエミリーを制したのは、壇上から降りてきたエンクルマだった。
 そんなエミリーの様子に、カメシスは目を細める。

「……参謀長だったかな、君にも休暇が必要かね?」

 その明らかな脅しに、驚愕するエミリー。いくらこの国の最高権力者であるカメシスであっても軍の、それも植民地軍の上層部の人事に口をだす権利を持っている筈がない。

「もう、ここはアウェーなんだよ、エミリー」

 降りてきたエンクルマがエミリーに呟く。まさに彼の言葉通り、ここは敵の議会かと見間違うような敵意の嵐だ。完全に、エンクルマの公人としての人生は終わった。
 今までの努力を完璧に否定された植民地軍側は完全に自失茫然としていた。頭をつぶされた生き物は弱い。組織でもそれは当てはまる。彼らは、失意うちに罵声渦巻く会場を後にした。









 会話もなく帰路についたエンクルマだったが、彼には夢に逃げ込むことも許されないのだった。
 軍高級幹部や議員の集まる高級住宅街にあるエンクルマ邸に、深夜足音も荒く、入ってきたのは用事があると帰りに総司令部によると言っていたエミリーであった。

「エンティ! 大変よ! とりあえず出なさい」

「……どうしたんだ、エミリー。そんなに慌てて」

 今日まで、72時間働けますかを地で行っていたエンクルマは思考を放棄してベットでまどろんでいたのだが、その気持ちいい時間は突然の侵入者によって、見事に打ち崩されてしまった。
 どこか顔に赤みがさしたエミリーは、興奮気味にしゃべる。

「とりあえず、総司令部に行きましょう。話はそれからよ」

 制服に着換える時間も惜しいとせかすエミリーを不審に思いながらも、先ほど決まったばかりの処遇をエミリーに再確認する。

「……エミリー、俺は自宅に”自発的に謹慎"しているはずだ。今、外に出ればドクグラムの奴らに何言われるかわかったもんじゃないぞ」

「分かっているわよそんなこと! それでもあなたがいないと始まらないの!」

 着替えをせかすエミリーの剣幕に押されて、エンクルマは着換え、裏口から逃げるように出る。深夜の闇に紛れて、少し歩いた後軍高級幹部用の黒塗りの車とは違った普通の車に乗って植民地軍総司令部へと向かう。道中、エミリーにいきさつを聞きたかったが、かなり切羽詰まった顔をしているのを見て質問するのをあきらめた。まあいい。行けば分かるだろう、これ以上悪いことが起こるはずない、と。
 いつもの景色が後ろに飛んでいく。さすがに首都と言っても、深夜であったので車は少ない。大学などを見送って、いつものビル街に到着しそうだという時、向こうに見えたのは軍による検問だった。それも植民地軍によるものだ。

「……これはどういうことだ」

「それを説明するために司令部に行くんじゃない」

 エンクルマ、人生最悪の一日はまだ終わらない……






 

 



[21813] 十話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:32
 目の前には、多くの植民地軍兵士たちが忙しそうに走り回っていた。検問の所には六名ほどの兵士が立っている。通過しようとするエンクルマ達の車を一端、手で制し止めた後、中に乗っている人物を確認する。中に乗っているのがエンクルマ達だと分かると、慌てて兵士たちは敬礼をした。
 その兵士たちの、困惑した、けれども少し上気した顔で敬礼する姿に、エミリーは苦笑しながら、エンクルマは憮然としたまま答礼する。

 そのまま検問をくぐった先には、暗いビル街がエンクルマ達を待っていた。いつもは深夜でも決して灯は消えない不夜城として有名なビル街であったが、今日はビルのところどころから光が漏れてくる程度であった。
 暗闇の中を車は疾走する。暗い道を照らすのは、車の黄色いランプだけである。エンクルマも大体この事態の全容を把握しつつあったのだが、車内は静かであった。今更ここでエンクルマが騒いだ所でどうにもならないことを、彼はよく分かっていたのだ。

 一行は、暗いビルの中で唯一明るいビルの前に到着する。勿論、それは植民地軍総司令部が入っているビルであった。検問から伝達されたのか、ビルの前にはいつもより大分多い職員たちが整列していた。
 止まった車からエンクルマ、エミリーが出てくると先ほどの検問にいた兵士たちと同様に、整列した職員が敬礼する。先と同じように答礼した彼らは、急いで会議室へと向かう。途中合流したエンクルマの秘書に会議の用意が整ったとの報告を受けつつ、会議室への歩を早める。今回もいつもの第一級の招集がかかり、集まったのはいつもの十三人であった。

 重い扉を開くとすでに、エミリーら二人以外の彼らは着席していた。エンクルマは黙ったまま、奥の席に座る。誰も言葉を発しない中、最初にその沈黙を破ったのは彼を連れだしたエミリーであった。

「……昨日と言っても深夜のことだけど、スロリア駐屯軍第三中隊隊長のハリー少尉らがエンティの辞職……いえ、自宅謹慎の報を聞いて武力蜂起したわ」

 予想した通りの答えに、エンクルマは顔をゆがませる。彼自身、先の会議で自宅謹慎を”自発的に”決めた時からその可能性は考えていた。
 かといって会議の前に、エンクルマらが失敗したら蜂起するなどと取り決めていたわけではない。彼らも今回の会議でこれほど手痛くドクグラムらにやられるとは思ってもいなかったのである。
 上層部がそうであるのに下の彼らが予想などしていた訳がない。彼ら駐屯軍をはじめとして他の植民地軍にとっても青天の霹靂であった。

 エンクルマは集まった幹部たちを見やる。当然、ニコニコ顔をしているものがいるはずもなく、一同険しく顔をしかめていた。特に作戦担当のハーレン少佐の狼狽ぶりはエンクルマ自信も内心驚くほどであったが、彼としては当然の反応だ。
 
 ハリー少尉をはじめとして、エンクルマ司令による抜擢、能力の高いものなら士官だろうが下士官だろうが昇進できるシステムによって昇進した彼らにとって、エンクルマはその才能を認めてくれた恩師であり、彼に対して畏敬の念を持っていた。それと同時に彼らの後ろ盾であったエンクルマが失脚するということは、彼らの後ろ盾を失い、冷遇されるということだ。彼らは前の様な家の格により昇進が決まる国防軍の様なシステムに戻る事を恐れたのである。

「やはり、そうか……」

 深刻そうにつぶやくエンクルマに、アドルフが質問をぶつける。

「エンティ、やっぱりってことは予想していたのか?」

「ああ。確信はしていなかったが、こう言う事態になりうるとは思っていた」

「そうか……」

 さすがに空気を読んだのか、いつもの様な軽薄な空気をおくびにも出さずアドルフは頷く。

「そうだ、アドルフ。お前が今後司令の職も兼任するように、だとさ」

「了解、ってすでに決まっていることなんだろ?」

 エンクルマは頷く。次に口を開いたのは情報担当のサムス中佐だった。

「情報局、スガルの動きは今のところ特にないな。しかし、直属の部下から今こそ行動を起こす時だと涙ながら訴えられたぞ」

 渋い顔のままサムスは言う。彼は会議の場に出席してはいなかったが、通信・情報担当として情報局を配下に置く彼には素早く情報は伝わってきたのだった。

 行動を起こすべし……未だ彼らの口からその単語が出ることは無かったが、末端の兵士たちが望んでいるものは明白であった。

 クーデター

 軍人は政治、つまり元老院に統制されるべきという考えは、エンクルマら上層部から末端の兵士まで共有していた考えであった。エンクルマは爺と共同戦線を張っていた頃から、自分の考えを世間に知らせるため多くの書籍を発表していたのだ。勿論、植民地軍の兵士たちも読んでいたし、国防軍の中にも彼の考えに同調するシンパも居る。

 しかし、では何故彼らの様な軍人がクーデターを考え、実行しようとしているのか。

 結局、それは彼ら植民地軍に対する国防軍の数々の妨害、元老院の議員も利権に絡み、最新兵器は最前線である植民地軍には送られない。比較的彼ら植民地軍側であるであろう平民派であっても、結局は党利のことしか考えていない。今回のことだって、顔が変わるほど必死に努力しまとめてきた作戦案を発表することなく潰したではないか。
 天敵である国防軍はともかく、国民の代表である元老院の議員までもが、私腹を肥やすことしか考えておらず国のことなど考えていない。平民派も多数派を追い落とすことに固執して、大局を見ていないではないか。エンクルマ司令が自ら敵情を視察したのに、それに耳を貸さないとは何事か。

 また、国民の信任を受けているのが植民地軍であるという自負が彼らにはあった。植民地にいる多くの邦人を蛮族から守っているのは植民地軍の自分たちだ。前線にいる彼らからしてみれば、首都にひきこもる国防軍など痛いのを怖がる子供のようにしか見えなかった。

 結局、彼らは元老院を、引いては彼らを選んだ民主制を疎んでいた。議会制民主主義によって選ばれた彼らよりも、自分たち軍人の方が国を想っているのではないか。軍大学の教授による、ゲリマンダーなどによる選挙制にたいする批判がこれに拍車をかけた。今の元老院は不正に選ばれた議員であり、国民の信任を真に受けているのは我ら植民地軍であると。
 後は簡単だった。別にハリー少尉らが特別、急進的であったという訳ではない。彼らが蜂起しなければ、他の誰かが蜂起していたであろう。すでに植民地軍内の空気はクーデターに肯定的であった。

 それはここにいる彼らにもいえることであった。

「エンクルマ司令。ここは、同調すべきでは?」

 そう静かに口を開いたのは、顔色の悪いハーレン少佐であった。口には出さずとも他の四人も同意見であった。

「エンティ、ハリー少尉らを見捨てることは出来ないわ」

 エミリーは興奮気味に話す。彼女も妻として、エンクルマがどれだけシビリアンコントロールに関して真剣に考えていたか知ってはいたが、それでもここは気弱に見える夫を支えるべきだと考えていた。

「おう。俺もそう思うぜ」

 サムスがエミリーに同調する。

「……」

 兵站担当のニコール中佐も、目で同意の意を示す。

「エンティ」

 隣のアドルフが真剣な顔をして、エンクルマの顔を直視する。

「正直、国防軍や元老院が国民の心意を反映しているとは考えにくい。お前が何に悩んでいるかも良く分かっているつもりだ。でも、今回は、蜂起したハリー少尉たちを助けるという意味でも立つべきじゃないのか」

 アドルフたちが、こうしてクーデターに肯定的だったのは、蜂起したハリー少尉たちに対する同情だけではない。十分、勝機があると考えていたからでもあった。
 国防軍は実戦経験がない。これは致命的であった。実際、日々前線で戦っている植民地軍が一度はむかえば、かなり高い確率で勝てるだろうと確信していた。国防軍はお坊ちゃんたちで固められているのもそうした考えの根拠の一つである。また、人を殺したことがあるかどうか違いは、多少の兵器の優劣などひっくり返せるものだ。事実、植民地軍が独立してからは、植民地軍に”栄転”などあり得ないことであったから、彼らは実戦経験など持てるはずがなかったのだ。

「それにだ、俺に司令なんて大役が務まるとは思えないしね」

 最後にはいつものアドルフらしい軽口が漏れるに、少し場の空気が緩む。
 軽口に、苦笑しつつもエンクルマが答えを出そうとしたその時、会議室に軽いノックの音が響く。

「……なんだ? 入れ」

「ハッ、ロルメス議員がエンクルマ司令に面会を要求しております」

「ロルメス議員……?」

 当惑するエミリーを余所に、考え込むエンクルマ。エンクルマは名門ヴァフレムスに生まれながら進歩的な考えを持つ彼を知ってはいたが、直接面識があるわけではなかった。その前に、この状況で自分に面会とはどういうことだろうか?
 
「そうか…… 分かった、聞いた通り今から議員と面会してくる。彼が何を思って面会しようとしているのか分からんが、各自、もう少し考えていてくれ」

「考えておくって、何だよ!?」

 問いかけるアドルフの声に、軽く手を挙げることで答えたエンクルマは扉を開けて出ていく。残された五人はその背中を見つめることしかできなかった。






[21813] 十一話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:c9815b41
Date: 2012/02/09 14:32
 ロメルス議員がその情報を手に入れたのは全くの偶然であった。彼自身は建国以来の名門ヴァフレムス家を務める要員ではあるが、民生保護局長官という肩書をももつ彼と軍の間にはなんら関係もパイプもあるわけではなかった。しかし、そんな軍と馴染みの薄い彼であっても知っているべき大ニュースが政界に流れたのである。
 その内容とはずばり、『英雄エンクルマの失脚』という物だった。

 当然、政界に身を置いている者たちの間でなら彼ら軍の中で二大派閥に別れて反目し合っている状態は常識でもある。そして長年中央を牛耳ってきたトクグラム大将一派が劣勢なことも知れらていた。
 その勢力関係からして今回の失脚は予想出来ざるものだった。逆であろうというのが多くの関係者の予想でもあったのだ。

 だから多くの議員はまた中央お得意の情報操作だと考えたのだった。しかし、この考えも当日、意見交換委員会に出席していた議員から情報が漏れるにつれどうやら確かな事らしいということも伝わっていったのだった。
 そして、そういった議員の中にロメルス議員も含まれていた。
 しかし、彼が個人的に親しくしている高級幹部――名門ヴァフレムス家の関係から当然国防軍側であったが――から突然の連絡があった。その将校がいうには失脚したエンクルマがクーデターを企てているというのだ。
 その情報を聞いた時、ロメルスは自分の耳を疑った。何故ならかの英雄は良心派として内外に有名であったし、かれの著作の内容とロメルスの考えは大体において一致していたからである。だから、その立ち位置などは異にしていても同志であると彼は思っていたのであった。

 その大きすぎる看板である家や立場、そして彼の家族や周りの人物とエンクルマは公的な場では完全に反対の位置にあった。
 しかし、彼の心の中には周りの雰囲気や論理的な思考とは別の何か、強いて言うならエンクルマのこれまでの姿勢、と言うべきものがロメルスに待ったを掛けたのだ。

 それはほんの一滴に過ぎないインクのようなものだった。

 ほんの、少しのしこり。

 だが彼の心内にポトリと垂れたその一滴のインクは、じわりじわりと染み広がっていき徐々に大きな染みへと成長する。
 そして、それは彼をクーデター中とされるエンクルマ一派の総本部、植民地軍総司令部へと駆り立てたのだ。


「……どうしてもいくの?」

 白いネグリジェのような服に包まれた、ロメルスの妻であるディーナ=ディ=ロ=テリア=ヴァフレムスが心配そうな顔をして玄関まで見送りに来ていた。金髪とその丸い碧眼は見る者になるほどさすが名門ヴァフレムス家の一員であると思わされる深い知性を窺わせるものであった。そんな顔を悲しげに歪ませている彼女を見てロメルスの心が締め付けられる。
 外出用の外套を羽織って、ロメルスは黙って頷く。彼自身も何が如何してここまで危険な場所へと駆り立てるのか皆目見当つかないでいたのだ。

「そう」

 ディーナは少し微笑んで、たったその一言だけを呟いた。









 議員専用車にはそれ専門の運転手が一人付いている。こんな遅くは当然、連絡を入れても無駄だろうとロメルスは覚悟していたのだが案外連絡を入れると簡単に了承してくれたのだった。勿論、不信がられたが。
 今からクーデターを起こそうとしている軍の中枢へ行くということを知らせずに頼むというのは騙しているようで悪かったが、自分が運転していくというのも不安であった。

 結局、運転手に運転してもらいながら植民地軍総司令部のあるビル街へと向かう。

 車が行く深夜の首都アダロネスはいつもの喧騒が嘘のように静かであると彼には感じられた。黄色い照明が道路を冷たく照らす。
 そのうち、道路上の先に検問所のような場所が目に入った。こんな所で普段、検問所などが置かれているはずがない。となればやはり、植民地軍の検問所であろう。

 運転席の運転手が心配げな顔をしてこちらを振り返る。

 ロメルスは黙って頷いて、そのまま検問所へ向かうように指示する。


 当然、車は検問所の兵士に呼び止められた。ロメルス自身の心臓が飛び上がらんほどに拍動するのを感じる。
 コンコンと、扉を銃を下げた兵士が叩く。ロメルスは抵抗もせずに扉を開けた。

「議員……殿でございましょうか?」

 一兵士は多分に戸惑いを含んだ声色でロメルスに尋ねてきた。

 高圧的な態度を予想していたロメルスは兵士の態度に拍子抜けしてしまった。
 様子を窺うと奥の方でバタバタと何やら騒がしい気配がする。後方との連絡でもとっているのだろうか? とりあえずいきなり殺されるようなことはなさそうだ。

「ああ、元老院議員のロメルスだ。司令に取り次いでもらえないか?」

「し、司令にですか!?」

 大きな声で大いに慌てる兵士。その大げさな反応にロメルスは思わず、苦笑してしまう。
 しばらく兵士と間に気まずい沈黙が流れたが、数分ほど経つと奥から階級が上だとみえる上官が出てきた。そして、兵士を追い払うと丁寧にこちらに語りかけてきたのであった。

「ロメルス議員ですね?」

「ああ」

「エンクルマ司令に会いたいとかで」

「その通りだ。夜分遅くに失礼なのは分かっている。それでも頼めないだろうか?」

「……議員は今の状況を理解しておられるのですか?」

 その字面だけをきけば脅迫にも聞こえなくもない。しかし、その上官は周りの兵士たちで囲むわけでもなく、ただ静かに、確認するかのように聞いてきたのだった。
 ロルメスは質問に静かに頷いた。

「……分かりました。司令部まで送っていきましょう」

「ほ、本当か!?」

 頼んだ彼自身、信じられないほどすんなりと彼の願いは叶えられた。

「しかし、運転手の方は……」

「分かった。ここでUターンして帰ってもらうことにしよう」

 ロルメスは車内の運転手に家に帰るようにと伝える。心なしか運転手はほっとしている様子であった。
 その際に、彼の妻であるディーナに無事に帰れそうだと伝えておいてくれ、とそっと耳打ちする。

 運転手は少し震えて、御武運を、とロルメスに答えて深夜の首都アダロネスに消えていった。




 ロルメスはその後、士官用と思われる車に乗せられ検問所を後にする。

 その両脇は兵士に固められている状態であったが、そうひどい態度でも無い。あくまでいつもと変わらない普通の態度でロルメスは扱われ、植民地軍総司令部の入っているビル街を進む。
 ロルメスにはそのいつも見ている、なじみ深いビル街が全く別の都市であるように感じられた。勿論、電気はすべて消えていて何かしらの異常が起きているということをロメルスに知らせる。
 それにもましてその街の空気が違うのである。何と言うか、澄んでいるのだ。

 立派なビルに着いたロルメスはその両脇を兵士に囲まれながら一直線に司令部の入るビル最高階へと向かった。その道中、兵士たちの好奇の目に晒されながら、ロルメスは不思議と自分が落ち着いていることに気がついた。
 最高階についたロルメスたちは秘書然とした女から説明を受ける。どうも司令はこのロルメスに会ってくれるらしい。

 エンクルマ司令の秘書らしい彼女について行き通されたのは、落ち着いた応接間であった。
 一分も待たずにコンコンとノックの音がする。慌ててロルメスは立ちあがった。

 扉を開けて、現れたのは第一級のキズラサ者にして、植民地軍司令、そして”失脚”したというローリダの英雄、ティム=ファ=エンクルマであった。









 ロルメスは目の前の人物がにわかにはこの国きっての英雄だとは信じられなかった。

 この時まで彼とロルメスとの間に知己は無い。といっても彼のことはロルメスは当然、知っていたし、彼も自分のことを名前ぐらいは知っているだろうことは容易に予想がつく。
 ロルメスはその家柄や立場からこの国の要人たちと会食などで会ったり、話をすることもしばしばある。そんな中、彼がいつも思うのはこと軍人の、または元軍人の人は纏う空気が違う、ということだった。今の執政官である第一執政官カメシスも普通とは違う空気、というものを感じるのであるが完全に彼らとはベクトルが違うのだ。

 そう言う意味では、ロルメスが感じたのは執政官側の空気だった。決して現役軍人の、それもこの国きっての英雄とは思えない方向性である。

「ロルメス議員、だね?」

 確認するかのように、一言一言を発音するエンクルマはそう言って右手を差し出した。ロルメスも慌てて右手を差し出す。
 
 遥かに自分よりも皺の多い、年季の入った手と握手をしたロルメスは勧められるがままシックな色のソファに座る。
 対面にはエンクルマが座る。

 改めて見ると、彼は本当に英雄っぽくない人物であった。何と言うか、彼の身にまとう雰囲気が全力拒否するのだ。

「いやぁ、先代のジジイを目指してきたんだけど……やっぱりどこか違うんだよなぁ」

「ジジイ、ですか……?」

 周りの調度品を見渡すエンクルマは全く関係ない話を振ってきた。彼の意図が分からずにロルメスは混乱する。
 もっと言いたいことがあるだろう、そんな彼の心模様とは別にエンクルマはいつもの雰囲気を保ったまま世間話をするかの様に気負わず語りかけてくる。

「ああ、ジジイ、じゃ通じないか…… 先代の執政官だよ」

「執政官……というと転移当時の?」

「そう、確かその転移当時は君と同じぐらいの年でねぇ、ホント無茶ぶりだったよ」

 その後も愚痴とも、執政官批判ともつかない話がエンクルマから語られる。ロルメスのその優秀な頭脳はフル回転をして、この話題とクーデターの間の関連性を探しだそうと躍起になっていた。
 そして彼が立ちあがり、棚から何か機械を取りだしたかと思うと、

「ハイ、チーズ!」

 との謎の掛け言葉とともに目の前が真っ白に染まった。思わず、ロルメスは両腕で顔を覆ってしまう。
 何かをされた!? と背中に何か冷たい物が走るも部屋には、突然乱入してきた兵士の姿なぞはみえず、そこには上機嫌なエンクルマの姿だけがあった。

「い、今のは……?」

「ああ、ゴメンゴメン。急に撮って悪かったね。ほれ」

 といって見せられたのは、不思議な光沢を放つ四角い箱であった。

 しかし、その箱には鮮やかな写真が貼り付けてあったのだ! そしてその写真にはさっきの顔を隠したロルメス自身が映っていた。
 この写真が何時頃現像されたのか、そこから分からないと頭が混乱する。大体、この写真はいつ現像されたのか!? この時代の写真は現像にそれなりの設備と、時間と労力がかかるのが常識である。

「今のは、写真だよ。それも電気で動く機械製のね」

「なっ!?」

 彼の常識では写真とは『物』の一種である。

「そして、これはかの有名なニホン製さ」

 ロルメルは、ここからがこのクーデター騒ぎを含む事件の核心にせまる本番であると悟った。







「議員は随分開明的な思想の持ち主だと聞いているが……」

 ロルメスはエンクルマの行動の意味を必死に推測しようと頭を働かせる。
 黙ったまま神妙に聞いているように外見はみえるだろうロルメスをエンクルマはゆっくりと眺めたまま、話を続けた。

「まぁ、何故こんな時間にこんな所に来たかも大体は把握しているつもりだ」

「……っ!」

「――まったく、アイツには下手な事をするなって言っておいたのに……、ああ、すまない、こちらの話だ。
 で、それで何か用かい?」

 エンクルマからの質問は今更な質問であった。前置きや話の筋からして彼はロルメスがクーデターについての情報を知っているということを把握しているはずだ。
 それでも、あえてこのタイミングで聞くこの質問。

 緊張でロルメスは自分の喉がなる音を聞いた。

「……司令は自宅謹慎中では? そういった話を執政官からは伺っていたのですが」

「ああ、その通りだよ。でもねぇ、いきなり謹慎って訳にもいかないでしょ? ほら、ここにも色々な物が置いてあるからそれを持って帰ったりもしたいし、引き継ぎもしないといけないし」

 ならば、何故検問などをはる必要があるのか……っ!

 ロルメルは奥歯を噛みしめる。

「……そういうことですか」

「うん。本当はダメなのは分かってるけどね、だからちょっと黙っててくれないかな?」

 そう言って笑かける彼の真意がロルメスには分からなかった。
 一拍、二人の会話が途切れる。

 ここでクーデターについて話を出すのは簡単だ。しかし、藪をつついて蛇が出るかどうかまではロルメスには判断が付かなかった。そこで、先の機械について質問を投げかけた。
 
 エンクルマは先の委員会の事や噂は聞いてる? と疲れた顔で尋ねてくる。

「ええ。戦争に反対なさってたとか……」

「そう、ニホンはこんな機械が民生品として出回っているような国だよ? そんな国に戦争を仕掛けるなんて正気じゃないと思うね」

「……だから、司令は戦争に反対なさったのですか」

「だね」

 ロルメスはエンクルマから渡されたデジカメという機器を手で弄びながら、彼の答えを聞く。
 その精巧な作りや、どんな原理で動いているかすら分からないその機械はロルメスになるほどと確かに自国との技術格差を感じさせた。

 そしてこのような現物を持ってしても今のこの国の流れを変えることは難しいだろうなということまで予想が出来たのだった。
 ロルメスも議員たちと利権の関係は重々承知済みだったのだ。


 なるほど、だから……


「だからクーデターをしてでも戦争を止めようと、なさるのですか?」

 意を決して質問を投げかけたロルメスは真っすぐにエンクルマの顔を見つめる。

 目をつぶり、ジッと黙ったままのエンクルマを待つロルメス。

 ロルメスには数分にも感じられた刹那、エンクルマから語られた言葉は、

「――クーデターなぞ、しない……っ!」

 という彼自分に言い聞かせるような声であった。








「……本当、ですか?」

 歪んだ、顔を隠そうとしないエンクルマにロルメスは最後の確認をする。彼の胸中には安堵にも似た感情が広がっていた。

 エンクルマの顔が無表情へと変わる。
 
 髪を掻き毟りながら、彼はぶつぶつと呟きだした。



「ホント何だよもう……ええ? 訳分からん世界に生まれたとおもったらいきなり捨てられるし……訳分からんとこに拾われるわ……、金、金、金やらなんやらジジイは煩いわ学校? あれは何だよもう、学校じゃねぇ、監獄だよ監獄……、やっと卒業したら今度は糞ったれな上司の前線に飛ばされ、必死に生き残ったら英雄やら訳分からんこと言いよって……ジジイはうざいし色々な事を押しつけてくるし……何時になったら俺は年金生活できるんだ? やっとそろそろ終われるかと思ったら何だアイツら? どんだけこの俺が苦労してきたと思ってんだ……ッ! 予算は下りないし、給料は減らされるし、ネチネチ中央の奴らが変な噂ながすし……お前らはどっかの女子中学生か! 言いたいことがあれば正面で言えよう!うっざいんだよぉお前ら! ふざけんじゃねえ! 文句ばっかり言いやがってぇええ! ぶっ殺してぇ! ぶっ殺してやるぅ……!」

 
 エンクルマの呟きは最初は聞きとるのも難しいほどの音量であったのだが、その音量は二次関数的に上昇していき、最後には殆ど叫んでいるのと同じであった。

 
 その変わり様にロルメスは唖然とするしかない。


「どうしたのっ!」

 バンッ、という音とともにドアからエミリーたちが雪崩を打ったかのような勢いで流れこんでくる。
 勢いよく入ってきて、目の前の光景に全員体が止まる。

 ロルメスと机を挟んで、エンクルマは向かい側に座ったまま一言ごとに机を強打していたのである。

「そして今度は日本がきただぁ? 遅すぎんだろぉよぉ! ふざけんな! 来るならもっと早く来いよ! もう捨てれないところぉまできちまったじゃねえか! ありえねぇ! ホント、あり得ねぇよ! どんだけ子供ん時に帰りたかったことか……っ! 死ね! 死ね! みんな死ね……っ!」

 エンクルマが机を叩きつけるごとに、乗っている花瓶が少しずつずれていく。

 今まで見たこと無い様な様子に、ロルメスを含めた、エンクルマ以外の人物は言葉を失う。


「俺は……、俺はクーデターなんか、ぜってぇしねえからなぁぁあ!」

 最後にそう言って、エンクルマが拳を振り落とし端までずれた花瓶が音を立てて割れたのだった。






[21813] 十二話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:dffa363c
Date: 2012/02/09 14:33
 目の前には大きな背中が見える。
 休日の、家族の団欒としての夕食が終わった後、こうして父は自分の書斎に篭ってボーっとするのが日課であった。

 父がその手に握るパイプを時折吸いながら、眺める先には彼の勲章である銅の鈍く光る勲章と賞状が恭しく飾ってあるのだ。子供心ながらに、いつも本溢れるそのごちゃごちゃした書斎にあってその飾ってある場所だけがキチンと整理されているのを見て、特別な思い入れがあるのだと感じていたのだった。
 
 そしてそんな父の隣に座って、煙草臭い匂いを嗅ぎながら父の語る武勇伝を聞くことが、子供の時分、休日の夜のささやかな楽しみであった。

「お父さん。今日は……?」

「そうだなぁ。アルカディアでの話はもう話したか?」

「ううん。それってあの勲章をもらった時の話だよね?」

 指差す先の勲章を、見て父はゆっくり頷いた。

「そうだ。あの時エンクルマ将軍と一緒であったからこそ、お父さんはあの勲章をもらえたんだよ」

「エンクルマって、あのエンクルマ将軍?」

「ああ」

 頷く父は、その時だけは子供のような笑みを浮かべていて心底嬉しそうであった。

「じゃあ、どこから話そうかな。アルカディアの奇跡って聞いたことはあるかい?」

 話始める父に、高鳴る胸の鼓動を押さえて必死に耳を傾ける。
 
 休日の夜は、こうして過ぎてゆくのだった。









スロリア亜大陸ローリダ解放地 植民地ナーラ


 いつの間にか寝入っていたスロリア駐屯軍第三中隊隊長のハリー=ワタラ少尉は夢の余韻に引きずられながらも、ゆっくりと覚醒した。
 薄暗い部屋の中を見回すに、一瞬ここが何処なのか、何時なのかが分からなくなる。が、それも一瞬の事ですぐさま記憶がフラッシュバックのごとく蘇った。

 意見交換委員会の結果に、ハリー率いるスロリア駐屯軍第三中隊は蜂起し植民地ナーラの領主政府を制圧。キビルでのスロリア駐屯軍本軍に同調を促したのだった。

 薄暗い部屋は電気が消してある。それでも、近くのものが視認できるほどには明るいのは、長い長い夜が明け、朝日がうっすらこの部屋にも差し込んできているからであった。
 日に照らされた部屋の中に置いてある家具は、それぞれが重厚な雰囲気を醸し出していてたしかに価値のあるものだと、あまり審美観に自信のないハリーでさえ分かろうものであった。

 それもそのはずだ。この部屋は首都キビル郊外の都市であるナーラを抑える領主政府の領主室。つまりはこの首都キビルへの食料集積地として発展を遂げた一都市の首長の部屋であるのだ。そう安っぽい部屋であるはずがない。
 しかし、この部屋の主である領主は現在は一室に監禁されている。現在の主はたしかにスロリア駐屯軍第三中隊の隊長であるハリー少尉なのであった。


 うーん、と声が聞こえてくる方に顔を向けると、椅子で器用に寝入っている男が眼に入る。
 彼の名はディレ=ティグレ准尉。彼もハリーと同じくスロリア駐屯軍第三中隊所属であり、彼の部下でもあった。士官学校時代でも彼の後輩として、また妹の良き人としての親交を持っていた。
 そんなディレがこの本国アダロネスから遠いスロレア亜大陸の、それも首都キビルでなく一地方都市のナーラへの配属を希望したのはひとえに義理の兄であり先輩でもあるハリーがここにいたからだ、という話を聞いたハリーはアダロネスに居る妹のことを思って悪いとは思いつつも、嬉しく思えたのであった。

 彼らはこの領主室で何をしているのだろうか。キビルの本隊からの連絡を待っているのだ。
 

 ハリー率いるスロリア駐屯軍第三中隊が蜂起したのは意見交換会の結果が、もう少し精確に言うならエンクルマが国防軍のドクグラム大将らに陥れられた事が原因であった。
 だが、理由はそれだけというわけではない。むしろ、このような状況に彼らを追い詰めたのは国防軍への恨みつらみが主であった。国防軍だけでは無い。彼らに予算を優遇し、植民地軍を蔑ろにした元老院に対しても積もり積もった恨みがあったのだ。
 意見交換会の結果はただ引き金を引いたに過ぎない。前からその土壌はあったのである。

 
 そして、そういった中央に対しての悪感情は色々な要素によって増幅されていた、ということもある。
 植民地軍に国防軍から引き抜かれた者たちの中にはその出地やいわれのない様々な理由で冷遇されてきた者も多い。そんな彼らが国防軍や中央の、というよりキズラサ教の価値観に好意的になれるはずもない。
 そんな彼らにとってこの植民地軍は居心地のいい場所であった。そして、その居心地の良さは植民地軍のトップであるエンクルマによるものだということも重々承知していたのである。

 エンクルマがその時代の執務官とタッグを組んで創り上げたこの組織は正しく彼らにとっての新天地であったのだ。価値観的にも新しい、今までの慣行に縛られない新しい組織――それが彼らの認識であった。だからこの植民地軍とは、それすなわちエンクルマに等しかったのである。
 そのエンクルマが国防軍に陥れられた。それはつまり、この新天地を追われることと同義であったのだ。

 今までの居場所を追い出されるかもしれない。その強烈な不安は彼らに蜂起させるに十分であった。

 
 それでも、空気としてクーデターのことは認める様な流れだったとしても。
 実際に動くこととは別だ。
 
 それはもちろんエンクルマが良心派であること。そして、やはり軍がクーデターを起こす、ということに現実感が無かったのかもしれない。
 しかし、その危ない均衡はほんの少しの押しでどっちにも転ぶ、そんな状態であった。

 そして、その一押しを、と主張したのがディレ=ティグレ准尉であった。
 


『中隊長、いまこそ立ち上がる時です!』

 そういう義理の弟に引っ張られ、また中隊でもやる気の者達が多いのも手伝ってか彼らが最初の蜂起を起こす事となったのだ。
 最初、ハリーはその蜂起に消極的であった。彼も植民地軍の空気には同調していたし、国防軍も多少憎くも思っていたが、クーデターを起こす、それも他の部隊に先駆けてというのには踏ん切りがつかなかったのだ。何故、つかなかったのかと聞かれればちゃんとした形式的な答えを用意できるわけでは無い。しかし、彼の子供心に残るエンクルマへの印象がなぜか引っかかるのだ。
 
 それでも度重なる説得に、ついには彼も折れて今回の蜂起となったのである。
 ここ、植民地ナーラはそう大きな街ではない。彼らが蜂起すれば簡単に領事館を制圧できる程度の規模である。
 
 もちろん、今回の蜂起は純軍事的に見れば小さなもので、キビルの本隊がこちらに向かってくれば一日も持たずに逆に鎮圧されてしまうだろう。
 だが、今回の蜂起の目的はここナーラの制圧が主目的ではない。他の、迷っている植民地軍に発破をかけることを目的とした蜂起なのだ。

 そしてその目的は成功しつつあると、ハリーはその胸秘めた燻り続ける違和感とは反対に思っていた。
 その理由はこちらが蜂起の後、領事館からキビル植民地へと電話した時のことだ。

『やったのか! 本当に、蜂起したんだな!? ――よし、分かった、本国に連絡する』

 後ろの彼らも興奮している様子であった。その興奮具合を思うにやはり彼らも動きたかったのだと、そしてそれを動かしたのは自分たちだという不思議な達成感すらハリーは感じるのであった。
 
 



 そして、今。彼らキビル本隊からの連絡を二人はここ領主室で待っていたのである。
 
「ふぁー、……よく寝た。こんな椅子まで駐屯地のぼろ椅子とは天と地の差ですねぇ。すっごいフカフカですよ」

 とディレはポンポンとその今まで並べてベットの代わりにしていた、高級そうな椅子を叩く。
 この椅子一つをとっても、この贅沢を極めたような部屋と毎年予算不足に悩む植民地軍の格差が感じられるのだ。

 叩いた椅子から舞い上がる小さなホコリが、少し強くなってきた朝日に照らされてキラキラと光る。
 その光景に目を細めていたハリーに、起きて所在無さ気にしていたディレは、眉毛にシワを軽く寄せて不安気にポツリと一言誰に聞かすでもない言葉を零した。

「……クーデターは成功したでしょうか?」

 その言葉を聞いてハリーは思う。
 たぶん、成功しただろうと。あの本軍での熱気は彼にそう確信させるほどに熱くたぎっているように感じられたのだ。

「成功してるとすれば、今頃向こうでは国防軍の拠点や官庁を占拠してる頃だろうか」

「でしょうか…… どっちにしろ僕達にできるのはただ待つことだけですからね」

「国防軍側の反抗はこちらでは確認できていないんだろう?」

「ええ。こっちでは圧倒的な兵力差がありますからね。彼らが居たとしてもどうしようもありませんよ」
 
 と何故か自慢気にディレはそう断言する。
 確かに、こちらのスロレア亜大陸では圧倒的な兵力差がある。しかし、首都アダロネスでは……とまで思考がすすんだ時、ディレは補足して言う。

「本国でも大丈夫ですよ。何度も机上演習したでしょう」

 とディレとのこの一連の問答は何度も繰り返したものだった。呪文のように繰り返すこれらぐらいの事態はみんな既に予想もしているし理解もしている、が結局のところ不安なのだ。
 事態は動きだしている。そして、それは既に自分の手を離れているのだ。彼らにできることといえば、このように何度も同じ話題を繰り返すことぐらいであった。




 時間が過ぎるその一秒一秒は長く、一時間は短く感じる。
 ハリーは目の前の机に備え付けられている電話をじぃーと見つめる。この電話がなるということは本軍からの何か連絡があるということ。その一報を、二人はジリジリとした日差しから我慢しながら、待っているのだった。


 



 依然、連絡のないこの状況に二人はようやく違和感を感じつつあった。

「……もうそろそろ連絡があってもいい頃合いですが」

「そう、だな。そろそろ――」

「失礼します!」

 会話の途中、ドアからの突然の声にハリーの口は中途半端に開いたまま次の言葉が喉に詰まる。
 ピクリと二人の挙動が停止する。一拍の空白を置いた後、ハリーは入室の許可を出した。



「なにっ!」

 兵士の言葉を聞いたハリーはすぐに、領主室を飛び出して下の階へと急ぐ。
 下の階は兵士達が、制圧したこの建物の警戒にあたっているはずであった。その彼らが外に向けて、バリケードを張って銃器を外に向けている。しかし、彼ら兵士たちは困惑した顔をしていた。
 
 
 彼ら二人を待っていたのは――







「なんだ、これは」

 

 
 建物を包囲するように、こちらへと銃を向ける植民地軍本軍の姿であった。


『アルカディアの奇跡の時のエンクルマ将軍は……大層悲しそうな顔をしていたよ』

 ふとハリーの頭にそんな、父から聞いた話の一片が思い出されたのだった。







[21813] 十三話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:dffa363c
Date: 2012/02/09 14:33
「俺は……、俺はクーデターなんか、ぜってぇしねえからなぁぁあ!」

 そう言い切ったエンクルマが拳を机に振り下ろした、その衝撃で端まで寄っていた花瓶が音を立てて割れる。
 割れた音が、応接間に響く。ロルメスを含めたこの応接間の人たちは、蛇に睨まれた蛙のごとくピクリとも動かない。その原因は明白だ、ロルメスや入ってきた植民地軍幹部たちに囲まれたエンクルマの、静かな威圧感に全員が飲み込まれたのだ。
 彼がさっきまでの、温厚そうな人物と同一人物だとはロルメスはにわかに信じられない気持ちであった。それは他の幹部たちも同じなのだろう。やはり、一様に未だ動けないでいる。

 
 十数秒ほどだろうか。停止した時間が、ロルメスには嫌に長く感じられた。

「……はぁ」

 エンクルマからため息が漏れる。それと共に、先程からのプレッシャーが緩むのを肌で感じる。
 固まる幹部の中で、最初に動いたのは金髪の美しい女性――エミリー参謀長であった。さすがは彼の妻だ、とロルメスはそちら方へ視線を向ける。

「……エンティ、そうは言っても、もう賽は投げられたのよ。考えても見なさい、ここでクーデターを鎮圧したとしてその後は如何するの? さらに国防軍派、いいえ、ドクグラムのやつにいい口実を与えるだけじゃないの」

 そう、優しく駄々をこねる子供を宥め賺すかのような口調でエンクルマを諭す彼女の言葉を聞いて、やっとロルメスはこの状況の危ういことを認識したのであった。
 つまりはこのクーデター騒ぎ――彼女ははっきりクーデター、と口にしたのだ――は成功する最後の最後の段階にまで来ている。そして、エンクルマの周りの幹部たちは他の兵士たちと同様、クーデターに賛成しているのだ、と。
 その証拠に、入ってきた幹部の中にはこちらを胡散臭げに見てくる男もいる。

 つまりはエンクルマが今首を縦にふれば、クーデターは本格的に開始されるのだ。

 という所まで、思考を進めて唖然とする。彼は、エンクルマは先程何と言っていたのか?

『――クーデターなぞ、しない……っ!』

 それは、力強いクーデター反対の宣言であった。
 その言葉の意味を噛み締めるに、再びロルメスの背中に冷たいものが走った。つまり、今。この時点で。クーデターが行われるか否かが決まるのだ。
 
 まさしく今が歴史の転換点である――ロルメスは目の前の二人の会話に集中した。

「確かに、賽は投げられたのかもしれない」

「なら」

「それでもっ! その賽の出目を確認するのは俺だ! 俺の役目だ!」

 再びエンクルマは大きな声で、相対するエミリーに叫ぶ。
 参謀長はいつもらしくない夫の勢いに押されているかにロルメスは見えた。

 ひるむ彼女を後ろから、肩に手を載せ交代だとでも言うかのように出てきたのはアドルフ副司令である。他の三人の幹部たちは固唾を呑んでこの状況を見守っているのだった。
 その外野にはこの自分自身も含まれている――ロルメスは何とかエンクルマに加勢しようと口を開くが一向にそこから何か言葉が溢れることはなかった。

 
 この歴史の転換点に、自分は何を間抜け面をさらしてのうのうと座っているのか! 
 
 何かどうにかして、エンクルマの気が変わらないうちにこのクーデターを止めなければいけないのでないか!?

 そう思うのだが、思うように身体が動けないことに今更ながらロルメスは気がついた。
 身体の端々がピンで止められたかのごとく動かない、目の前の男の威容に身体が恐縮しきっているのだ。

「……エンティ、お前が何をそんなに迷っているんだ。消去法で考えてみろよ。もう、他に手立てはないじゃないか。俺たちは必死に戦争回避の方法を模索した、俺たちはよく頑張ったよ」

「……アドルフ」

 エンクルマは下を向いて、しっかりと副司令の名前を呟いた。
 その言葉を肯定の意にとったのか、副司令は笑みを浮かべようとして……それも一瞬、消え去る。

「だから、ダメなんだ。植民地軍は組織として固まりすぎた。閉じこもり過ぎた。”家族”になり過ぎたんだ」

 エンクルマは淡々と話しだす。頭を抱え静かに、しかしよく通る声で語るエンクルマの言葉に応対室に居るもの全員が聞き入るのが分かった。

「身内に甘すぎる。今回のクーデターだって結局は自分のことしか考えていないじゃないか。自分が排除されるかもしれないから――という理由で武力を、それも民から託された力を使っては絶対にいけない。それはただの私有化で、泥棒だ」

 頭を抱えていたエンクルマが顔を上げて、周りのみんなを見回す。

「それに、クーデターをした後のことはみんなどう考えているんだ? 一週間、いや、一ヶ月そこらは持つだろう。それからは如何する? 国防軍のヤツらを全員処刑するのか? 一度権力を、それも武力なんていう物を使って手に入れた組織なんて一気に腐るぞ。今まで抑圧されてきた組織なら尚更だ。
 
 俺は――」

 エンクルマは副司令の目を見つめてこう言った。

「――そんな独裁者に、俺はなりたく無い」

 
 訪れる沈黙。
 そんな止まった時間の中、ロルメスは先の言葉の意味を考えていた。


『固まりすぎた。閉じこもり過ぎた。”家族”になり過ぎた』

 ――確かに植民地軍は他の代表的な官僚組織に比べても、結束力が高いことで有名だった。
 
『植民地軍で信じられているのは、キズラサ教ではなくて、エンクルマ教だ』

 なんて言われるほど、同じ軍事組織である国防軍と比べてさえも、植民地軍のそれは圧倒的な強度を持っていた。
 先のことはそういうことを示していたのだろうか。植民地軍の排他的ともまで言われる、強い結束力が今回のクーデターを引き起こしたのだと?

 結局、それが原因だとして。その結束力はどこからくるのだろうか? エンクルマのカリスマ?


 ――違う。植民地軍にあって他にないもの。それは他からの害意、敵意だ。

 組織は、いや集団はそれ自身の構成単位の個性やそれぞれの割合から結束力が生まれる訳ではない。むしろそれ自身の内容では無くて、それと他との間に引かれる線、溝。そういったものがその集団を規定し、そしてその結束を強化するのではないか?
 
 人間は、自分とは何か? という問いによって自分の立ち位置を確認するのではない。何と違うのか? その問いによって自分自身を形作っているのだ。

 結局のところ、彼ら植民地軍がこうしてクーデターを起こしたのは周りからの有形無形の害意、悪意が原因なのだ。
 それは同じ軍事組織で、予算を食い合うといった関係の国防軍との間で顕著に見られたものだが、それだけではない。
 彼らへの予算を決定する元老院、どちらかというとキズラサの価値観にそぐわない者さえも受け入れる植民地軍に対する、民衆の仄かな蔑視。
 そういった小さな事から大きな事まで、そういった事が彼らの結束を固め、今回のようなクーデターといったところにまで追い詰めたのではないだろうか。
 
 だとしたら……彼らが武力を持って立ち上がった時に起こるは既製の価値観の破壊。それはキズラサ教の破壊、またはそれに近い状況になる!

 そんな混乱した状況になれば、間違いなく多くの死者が出る。最悪、内戦の道に突き進むことになるかもしれない。まさしく、それは亡国へと続く道だ。
 だからこそ、彼は自制したのだ。その暴れだしそうな部下たちの、甘い甘い誘いを断って。自分の身を確実に削って。

 ――ああ、何たることだ。彼は確かに一級のキズラサ者だ!

 少し潤んだ目でロルメスは未だ見つめ合う彼ら二人を見つめた。
 
 痛いほどの緊張の中。副司令のふぅというため息で、糸が緩む。いたずらの見つかった少年のような、どこかバツの悪い顔をした副司令がふてくされたかのように頭の後ろを掻きつつ、声を上げた。

「あー、分かったよ、分かったよ!」

 その言葉を聞いたエンクルマはありがとう、とたった一言呟いた。
 副司令は、その言葉にふんっと軽く鼻を鳴らして不機嫌そうに続けて言う。

「それで? そこまで言うからにはこれからどうするか考えているんだろ?」

「ああ、一応はな」

 言葉を交わす二人を後ろの幹部たち、それに自分を加えた四人は静かに見守っていた。彼ら幹部の顔を見るに、不安そうな顔をしているのはこの騒ぎの行方が、どこに着地するのか予想できていないからであろう。多分にもれず、このロルメス自分自信も内心ヒヤヒヤしていたのだった。
 副司令は明らかにエンクルマ司令の意向に不服そうな様子だ。この返答しだいでは彼の説得をまた再開するかもしない。もしくは、


 ――エンクルマ司令に代わって、自分でクーデターを完遂させるか。


「もう、戦争を回避するという訳にはいかなくなってしまった。そして、俺は国防軍のドクグラムの奴らにも後もう少しで袋小路に……いや、もう舞台から下ろされたも同然だ。そうなれば、もう形振りかまってる場合じゃない」

「ああ、そうだ。もうお前や俺たちで創り上げてきた植民地軍は、崖っぷちなんだ。だから――」

「――ああ、だから、兵士たちには悪いが、彼らには死んでもらう」





『なっ!』

 驚きの声は誰が発したのだろうか。
 確かに言えることは、その言葉に面食らったのは自分だけではないということだ。

「でも」

 エンクルマ司令は言葉を選ぶかのように、ゆっくりと続ける。

「無駄死には、させない」

 その時の司令は、なるほど確かに常人離れした迫力を持っていたのだった。

 










「それは、どういうことだ?」

 エンクルマ司令の迫力にも負けない程のこちらは怒気をもって副司令は静かにその理由を尋ねる。二人の間の空気は、実際に熱を帯びているかのように感じられた。
 その濃い空気に当てられたのか、そばで身動ぎ一つできない自分でさえ冷たい汗が額から流れるほどだ。周りの彼らも顔を青くしている。

「圧倒的な敗北をもって、国防軍の力を削ぐ」

「……」

 司令の言葉に一瞬目を丸くしたかに見えたアドルフ副司令であったがやがて目を閉じて、うでを組んで考え込んだ。
 その様子を見たエンクルマ司令は、畳み掛けるかのように言葉を重ねる。

「今回のクーデターの責任をとって、俺は今の職を辞任する。そして、今は噂程度かもしれないが、その時に俺は今回の戦争に反対だっていうことを明確にする」

 淡々と述べるエンクルマ司令の目はアドルフ副司令の顔をしっかりと見据えている。

「今回の戦争に一貫として俺は反対だってこと。俺と今回の作戦とを分離、それも民衆の目に見えるようにしないといけないんだ。責任をすべて明らかに国防軍に帰せる状況に持っていくこと、それが勝利条件だ」

「……今の世論を見てみろ。そんなことを明言すれば、批判の嵐だろうよ」

「だろうな」

 ようやく、目を開けたアドルフ副司令にエンクルマは苦笑気味に笑いかける。

「英雄から一晩の間に、卑怯者に転落するだろう」

「それを分かっていても……」

「ああ。今の状況から打てる最良の手はこれしか無いだろう。大局を見ればな」

 アドルフ副司令は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
 もう既に、その顔にはいつもの軽薄そうな笑顔が、浮かんでいる。

「……分かった。お前の作戦だ、成功するんだろ?」

「ああ。成功させなければ、膨大な人数の兵士が、それこそ無駄死にするんだ。絶対に、成功させなければならない……これだけは」

 ぐっと拳を握るエンクルマ司令を見て、やっと彼の皆の尊敬を集める将たる所以を見つけたかのように思われた。
 やはり、彼は凡百の将とは一線を画する存在なのだ。

「今回の騒動で、俺と」

 エンクルマ司令が指さしたのは、エミリー参謀長であった。

「エミリーが職を辞することにする」

「なんで、私も辞めることになるか聞いていい?」

「ああ、エミリーも国防軍の奴らに目を付けられているはずだからな。それにエミリーは俺の妻だ。ここに残ってもどうせ飼い殺しか、もしくは辞めさせられるかもしれない」

「かもしれないわね」

 エミリーは顎に手をあて考えこむ。

「エミリーは、意見交換会でも噛み付いていたからな」

 笑いながらアドルフ副司令が彼女に言う。

「と、いうと俺が残ってなんやかんやするってことか?」

「ああ、理解が早くて助かるよアドルフ」

「当たり前だ、何年の付き合いだと思ってる」

 笑顔を交わす二人に、ようやくほかの幹部たちも人心地ついたようで和やか空気が流れる。
 
「一応、お題目として指令系統の統一とか言ってアドルフ達の植民地軍司令部には国防軍の奴らが送り込まれてくるのは確実だ。アドルフはそいつらと適当に合わせてくれ、そうだなぁ……」

 少し考え込んだエンクルマは、口を開く。

「俺と仲違いした、って設定にでもするか」

「ま、それもいいかもな」

 ふんふんと副司令は頷く。

「後もう一つ、頼みたいことがある」

 エンクルマは更に言葉を続けた。

「前線に詰めるのは国防軍の奴らになるよう奴らを誘導してくれ。言い換えると植民地軍は後詰め、後方支援の方に。アイツらのことだ、先鋒の栄誉、なんて言っとけば調子にのって先走るだろう」

「かもな。了解」

 おどけて敬礼するアドルフに、苦笑しつつエンクルマは答礼する。

「さて」

 エンクルマは残った幹部たちに向き変える。
 彼らは、特に若い幹部の一人は背筋をピンっと伸ばして彼の言葉を待った。

「サムスには情報部の統率を引き続きしっかりしてほしい。それと、スガルの彼らにはニホンとのことでもう少し働いてほしいこともあるからな。詳細は後で追って知らせるよ」

「分かった」

 サムスはいつもの様に鷹揚に頷いた。

「ニコール、兵站は今回の戦争に大きな役割を果たすと思う。国防軍の奴らもスペシャリストのニコールを外すようなことはしないだろう。彼らが十分闘えるように、そして華々しく散れるように、兵站をしっかりたのむ」

「了解」

 思ったよりしっかりした返答と敬礼に驚いたのか、エンクルマは調子を外されたかのように少しまごついて答礼を返す。

「ハーレン少佐」

「……はい」

「すまない。君には迷惑をかけることになるだろう」

「……いいえ、閣下は十分努力なされました。死にゆく兵士たちも自分たちが、この国を正す礎となることを知ればそう悪い気もしないでしょう」

「そうか」

 一瞬の空白。
 そして、エンクルマは真っ直ぐハーレンの目を見つめて言った。

「生きてまた会おう」

「……はいっ!」

 

 こうしてこれまで植民地軍を、誕生から支えてきた体制が瓦解する事となる。
 
 後の歴史家たちはエンクルマの起伏の激しい人生を『物語より物語的だ』と評した。中でも彼が対ニホン戦争の直前で、その職を投げ出したことは賛否両論あるがある著名な歴史家はこう評している。


『彼の放つ光はまぶし過ぎて、人々の目を眩まし続けていた。そして彼が隠れ、光を失って再び人々の目が暗闇に慣れた時。ようやく人々は光の大切さに気づき、彼を探し始めたのだ』







[21813] 十四話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:dffa363c
Date: 2012/02/09 14:33
 会見場所となった植民地軍総司令部のビルは様々な人種の人々でごった返していた。
 ただでさえ、先日未明に起きたクーデター騒ぎ、いやクーデターを聞きつけた新聞社、ラジオなどのマスメディアは浮き足立っていた。朝の配達には間に合わず、そしてことの重要性によって飛ばし記事などにできない大手各社は泣く泣く朝刊掲載は見送ったのだが、弱小のメディアはあやふやにも構わず掲載を決断していた。

 民衆は朝の通勤、通学で出会う周りの人々と噂するぐらいで取り立て特別な反応は無かった。というのも、やはりそんな噂程度のことよりも現在進行形の生活のほうが大事であって、昼休みに雑誌や記事の乗っている小さな新聞などを持ち合って話し合う程度であった。
 つまるところ、皆は精確な情報を欲していたのである。
 
 新聞各社は総動員で情報収集に努めた。
 近い議員に事の真相を聞きに行く者、実際に現地に飛んでみようとする者……色々な記者がいたがその中には、事件の渦中にある植民地軍本丸に聞きに行く猛者もいるのであった。
 彼らが植民地軍総司令部の入るビルにて聞いた情報、それは今日正午から始めるという『記者会見』なるものであった。

 記者会見?

 ビルで実際聞いた記者も、彼らから聞いた本社デスクも、『記者会見』なるものの実体を思い浮かべれずに首を傾げる。
 彼らの反応ももっともで、ここローリダでの情報入手の手法は限られていたからである。その事件が民間の、それが国の機関など絡まないものであったら記者の足、つまりは聞き込みやらが通用したし、それが主体であった。
 しかし、それがこと大事件ともなると彼らマスコミといえども記者全員で歩き聞き込む訳にも行かない。特に官僚組織などの不祥事や事件になるとそれを知るのは、聞き込みで知るには厳しいものがある。

 結果、彼らが情報を得る最良の手は議員や関係のある組織内部の人物を通じて、であった。
 これはもしその事件が誰かの不利益に――その人物が不利益になることで喜ぶ人物が居るという時に――限って、使える方法である。だが、そういう事件で利益を得る人物がいない、ということはそう少ないので大抵の場合はそれが生きてくるのだ。またこういう情報源の傾向から、その新聞の姿勢や立ち位置というものが決まってくるのだった。
 こういう手法はある理由から確かに批判される手法であった。それはその手法が個人的な人物から得る方法であるために、そこには個人的な感情が介在し、そして腐敗の温床になりうるという指摘であった。

 確かにそれはその通りである。その指摘に対して、彼らは『相対する双方両方につながりを持っていれば防げる』との回答を返すのが常だった。
 だが、この場合政局だけでなく被害者がこの間に介在しない場合、例えば被害を受けるのが国民であった場合には対処できない、という純然たる事実は無視されがちである。


 そんな彼らであるから、今回の事件の難しさということはよく理解していたのだった。
 今回のクーデターは、ある意味で植民地軍全体の失点である。すると、彼ら内部からの情報が出てきにくい、というのが彼らの中での常識であった。もちろん軍に近しいところからの情報も期待できるにはできるが……それは信頼性という意味でも内容という意味でも薄いものになりがちである。

 その時である、記者会見の内容を彼らが聞いたのは。

 あの植民地軍、最高責任者であるエンクルマ司令が記者の前で事の真相を話し、挙句には記者の質問まで許すというのだ。
 
 彼らは息を飲んで、会見が始まるの一日千秋の思いで待っているのであった。


 





 ローリダ共和国 七月十五日 首都アダロネス 植民地軍総司令部ビル



「これより、エンクルマ司令による記者会見を始めさせていただきます」

 いくつもの部屋をぶち抜いて、急遽作り出された感のある大きな部屋の奥には、長いテーブルと安っぽい椅子が二、三置いてある。
 そしてその横では広報官とも思われる女性が大きな声を、更にマイクで増幅させて大きな部屋全体に響かせていた。部屋の端々には整理とかかれた腕章をした植民地軍兵士の姿も見られた。

 広報官の彼女の大きな声にもかかわらず、その部屋に居る記者や報道関係者たちはその囁きを止めようとしなかった。
 もちろん、それは直前に迫るエンクルマ司令の事が大半である。その中にはエンクルマ司令に近い、植民地軍寄りの新聞もあればもちろん国防軍よりの新聞もある。

 しかし、誰もクーデターしたとされる植民地軍の兵士に囲まれていること自体を屁にも思っていないことは共通しているのであった。

 ざわめく人だかりは、その人物がこの部屋に姿を見せることで一斉に水を打ったように静まり返る。
 それはまるで消音された映像を見ているかのような光景であった。エンクルマ司令が席の中央に座ると、その彼に向かって目に見えそうな量の視線が突き刺さる。それにも関わらず、クーデターを企てたとされる軍のトップは堂々としているように見えた。

 再び先の広報官が記者会見の開始を宣言した後、そのマイクはエンクルマの手に渡ったのだった。

「えー、今から記者会見を始めさせていただきます」

 そう言ったエンクルマは、目の前の机に置いてあるコップから水を少し舐めるように飲んだ。

「最初に一応自己紹介を。私の名前はティム=ファ=エンクルマ。ローリダ共和国植民地軍総司令官、でした」

 その過去形に終わる彼の言葉に、一瞬、会場が少しざわめきかけるもそれもすぐに止む。
 彼らはその時、全身で彼の言葉に一言も漏らすまいと集中していたのだ。

「知らない方も多いと思われますが、先日の意見交換会の結果、私、エンクルマは謹慎する予定でありました。しかし、その夜。遠いスロリア駐屯軍第三中隊の都市ナーラにおきまして蜂起が、つまり、クーデターが発生しました。その直接の原因はこの私の謹慎処分だと思われます」

 そこで話を一旦切ったエンクルマは、彼らの反応を伺うように多くの人で埋まる部屋をぐるっと見回した。
 実質、植民地軍の長であるエンクルマからクーデターという言葉が出たことに、彼ら記者たちは動揺の声を上げないのだった。それはやはり、そのあとに続く言葉を必死に聞こうとしていたからである。

「その報を聞いた私はすぐさま鎮圧を指示し、先ほどの午前八時ほど、中隊長であったハリー=ワタラ元少尉、ディレ=ティグレ元准尉の自害によって事態は収束しました」

 ここでまた、エンクルマはコップに口をつける。今度は水の一杯はいったそれを飲み干し話の続きを開始する。

「その責任と……、今回の戦争への抗議の意味も込めて」

 一拍、彼は言葉をためた。

「私は植民地軍総司令官の職を辞することにしました」

 そこで初めて、彼を囲む記者たちの間に動揺のざわめきが起こったのだった。






「それでは質疑応答を始めさせていただきます……では、質問のある方は挙手を」

 その言葉を皮切りに目の前の席――記者の多さによって、選ばれた各社の代表たちが座る――から一斉に手が上がる。
 その後ろではちょっとした人の混乱が起きていた。先の情報をいち早く本社に届けようとしたのか、記者などの関係者が一斉に出口に殺到したからであった。
 しかし、全体からみれば彼らは少数派で多くの記者たちはまだこの熱気のこもる部屋に残って、エンクルマの言葉を聞こうと耳をそば立てている。


「ローリダ中央新聞のシアカです。エンクルマ司令は今回の戦争への抗議の意味も込めて、とおっしゃりましたが、その戦争とは次の対ニホン戦争の事でよろしいでしょうか? また、その……意見交換会での謹慎の件に関してはやはり司令のその戦争への敢闘精神の低さが問題とされたのでしょうか?」

 記者の質問を、真面目な顔で頷きながら聞いていたエンクルマは、マイクをとり返答する。

「対ニホン戦争に反対の立場である、ということです。そして、謹慎の件ですが……」

 ここで、エンクルマは一度考える素振りを見せた。

「……意見交換会での私の作戦を、国防軍は、いえ、ドクグラム大将はお気に召さなかったようで一蹴されました。彼らと私の確執は皆さんもご承知の通りです。
 彼は、私の推測するところによりますと、第一執政官カメシス閣下に有ること無いことを吹き込んだのでしょう。結果、彼に誑かされた閣下は判断を誤まられ、私に謹慎するように促されたのです。ご承知の通り、カメシス閣下は軍事に詳しい方ではありません。だからこそ、閣下を補佐すべく我らがいるのですが……」

 エンクルマは仰々しく首を横に振った。

「カメシス閣下は、君側の奸に騙されているのです。彼らを止めれなかったのは返す返すも残念です」

 エンクルマの言葉に、ざわめく会場にはそれなりの理由があった。
 
 それにはエンクルマが国防軍を批判することが珍しいことがあげられる。それも、ドクグラムという個人名を上げての攻撃である、確かにそれは彼の人格イメージにも反する行為に思われた。
 ざわめく会場を無視して、エンクルマは次の記者を指名する。

「先ほど、エンクルマ司令は戦争に反対とおっしゃりましたが、その理由を教えて頂けますか?」

「簡潔にいうと、勝てないからです」

 言い切るエンクルマは、更に続けて言う。

「勝てない、というより負ける。それも圧倒的に、です」

 驚きもある程度を超えると無言となる――ということがその時部屋で再現された。
 一瞬の静寂、その後の怒号に似た喧騒。

 それはギリギリまで縮めたバネのストッパーが外れたのごとく、圧倒的な本流でエンクルマへと降り注いだ。それは本来質問が許されていない他の記者からの一斉の質問、皆が一斉に質問すればどれにも応え切れないことぐらいわかっていただろう。それでも記者の性、というものに逆らえなかったのだろうか。
 
 兵士たちが静める間、エンクルマは目をつぶり腕を組んで、椅子に座ったまま微動だにしない。

 数分後、静まった会場で、質問をする女性は肩を震わせながらエンクルマの方を睨めつけるのだ。

「し、司令は……教化事業にも反対なのですか!? ニホンの様な蛮族に尻尾を巻いて、逃げろと!? 彼らの愚昧な文明に飲み込まれようとするスロレア原住民を見捨てよと仰っしゃるのですか!?」

 鼻息荒い彼女を、他の前面に座る記者たちは白い目で見ていたが彼女は気にしていない様子であった。
 彼女の視界は目の前の堕ちた英雄――エンクルマに固定されていたのだから。

 彼女のその激昂とは対照的に、エンクルマは冷ややかに見えるほどに冷静に答える。

「いえ、この国の国是である教化事業まで否定する気はありません。大体、今まで教化事業を推進、また保持に心砕いてきたのは植民地軍ですよ?」

 そのもっともな言葉に、彼女はぐうと呻いた。

「私が言いたいのは、彼ら、ニホンは今までとは違う、そう言っているのです。戦争という手段一つで見るのではなく、文明国らしく……対話から入るのも一興では無いですか?」

「そんな……ニホンが一等の文明国だとでも……?」

「あーそう受け取りましたかー」

 エンクルマは言葉を選んでいるようであった。

「私が見たところによると……」

「というと司令は……」

「だからですね……」



エンクルマの会見は最初の予定である一時間半を大幅に超えて、三時間にも及ぶ長丁場の末、終了した。
 『記者会見』という今までに類を見ない方法で、十分に情報を得た記者たちはその豊富な情報を活かして熱い論説を繰り返すのであった。すぐに瑣末な出来事は隅に追いやられ、これからの数週間、エンクルマの一連の出来事がマスメディアで溢れることとなる。
 












 ナードラは家に備え付けられているテレグラフ機の前で、報告がくるのをじっと待っていた。
 ナードラが植民地軍のクーデターのことを知ったのは、他の議員たちとそう変わらない時間帯であった。その詳しい情報は、彼女の力を持ってしてもエンクルマの会見を待つしか無かったのである。

 最初、クーデターの一報を聞いた彼女の心に浮かんだのはずいぶん遅かったな、という印象であった。彼女は今までの情報から基づく推測によって、いつかはこのような暴発が起こるだろうことは予測していたのだが、その時期はもっと早いはずであった。
 彼らの確実に心の奥底に沈殿している不満をどう処理するのかエンクルマの手腕の見どころだと思っていたのだが――と彼女はふんっと、鼻を鳴らす。英雄の最期もこんなものかと嘲りとほんの少しの無念の入り混じった気持ちであった。
 
 不満の処理の仕方としては下の下だ、とナードラは思う。かといって彼が、植民地軍全員を率いて実際にクーデターを起こすだろうかと問えば、そんな勇気は無いだろう、とナードラは考えていた。その点、今回の件に関しての予測は当たっていたのだ。

 ピピっと機械が受信を知らせる。ナードラは機械から吐き出される紙をとって、ゆっくりと読みはじめた。

「……どういうことだ、これは」

 彼女が最初に感じたのは違和感、これにつきた。

 まず、彼女の予想していたのは完全にクーデターの件を無かったことにするか、まさしく今回と同じくトップが責任をとって辞めるということであった。前者は愚策も愚策だ、クーデターなぞさすがに植民地軍全体が結束してもそう隠し通せるものでもないし、あのドクグラム一派がこんな絶好の機会を逃すはずがない。かならず、何かしらの証拠を見つけて告発したことだろう。
 
 彼女が困惑したのはその会見という手法にもあったが、何よりその場で再度彼の失脚の原因にもなった姿勢、つまりは対ニホン戦争反対の立場をこうも強調したことについてだ。記者会見、という性質上ここで発言した内容は広く民衆に知らせることになるのと同義だ。当たり前だ、記者会見とは公開していい情報を発表する手法に見えるからだ。

 今まで、エンクルマが戦争反対という立場であることは議員や一部官僚の中での噂にとどまっていた。それは植民地軍を穏便に吸収したい国防軍側の事情にも合致することだ、何故なら彼らはエンクルマの評価を落とさず吸収したいからだ。彼の市井の評価は軍の評価に直結しているのである。そして、その程度の事情すら分からないエンクルマでもあるまい。
 となれば、彼が黙ってさえいれば今回の失脚も国防軍が適当に糊塗してくれていたはずだ。謹慎も、惜しまれながらの引退――ということに世間では認識されるはずであるのだ、それを不意にしてこの会見で何故このようなことをしでかす?

 事実、これからの彼への評価低下は避けられないだろう。国防軍側の攻勢も更に増してくるはずだ。彼らは今後、植民地軍を国防軍の手足にするのだろう、そのような屈辱的な下部組織にせしめるには彼らの象徴でもあるエンクルマへの人格攻撃が効果的だ、それに格好の標的を差し出して何の得がある?

 ――彼の、エンクルマの目的は何なのか?

 じっと報告書を睨みながらその疑問が頭の中で渦巻いていたのだった。






 ドクグラム国防相は部下から手渡された報告書を前に、顎に手をあて考え込んでいた。
 眼の前の報告書には、今回の記者会見での情報と国防軍独自に手に入れた情報が並んでいる。それを眺めるドクグラムの顔色は意外にもそう優れてはいなかった。

 ドクグラムは今回の戦争には格別の意義を見出していた。それはその戦争の内容や相手が原因では無くて、今回の戦争で憎き不倶戴天の仇である植民地軍、いやティム=ファ=エンクルマをどうにか下ろせそうだったからである。
 
 国防軍と植民地軍が反目し合う、その愚を彼も分からないでもなかったのだが、それも今まではその領域がよく別れていたことによって何とか無視できる程度であった。つまりは余裕があったのである。

 しかし、ドクグラムも国防軍を完全に掌握できた後に見るはやはり植民地軍であった。あの組織をも把握してこそ、ここローリダで栄華を極めたといえる――そう彼は思うのだ。
 そしてその試みはうまく行かなかった。比較的若かったエンクルマを侮ってたこともあったのか、徐々に国防軍が押されていき、ついにはドクグラム方が追いつめられる、という事態にまでなったのだ。それは恐らく植民地軍ができた時から、つまりはその枠組みから決まっていた将来だったのだろう、とドクグラムは推測する。その教化事業の最前線に居る彼らの発言権が伸びない訳がなかったのだ。対して国防軍は悪く言えば首都に篭っているだけ……その閉じ込めのような取り決め、規則をその時代の執政官とともに決めたエンクルマはよほど先見の妙があったに違いない。

 そんなエンクルマをドクグラムは憎悪している訳ではない。逆に賞賛にも似た気持ちさえ抱いていたのだ。まさしく好敵手の名前がふさわしい、そんな敵だと。
 
 だからこそ今度の意見交換会、その場で明らかに劣勢な植民地軍からついに決定的な勝利を勝ち取り、エンクルマを失脚まで追い込んだ――それはドクグラムには特別に意味の有ることであり、嬉しいことであったのだ。その晩、秘蔵の酒を三本開けたほどには。
 
 だが今回のクーデターに続く記者会見……これを無邪気に喜ぶことは出来なかった。
 この時点で完全勝利を宣言すれば良い――そう従兄上のカーナレスは言うのだがそれを聞いて内心ドクグラムは彼を罵倒するのだ。何故、これに違和感を抱かないのか!? だから、いつまでも飼われたままの豚なのだ! と。

 ドクグラムは自分が何か見えない路線を走らされているように感じていた。

 それに全てがうまく行きすぎている。目標は当初の七割達成できれば上等、しかし、今回は十割と言ってもいい出来だ。このような場合、ドクグラムの経験上何かしら罠か決定的な間違いに気づいていない場合が多いように思える。
 しかし、それが見つからない。新聞各社やマスメディアを使ってエンクルマの評価を落としていくのが常道ではある。そして、ドクグラムはすでにそう部下に指示していた。仄かな不安を抱きながら。

 ――これは長年のライバルに勝ったある種の感慨なのだろうか?
 
 ドクグラムは次の会食の時間が来るまで、その思考に没頭するのだった。









[21813] 十五話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2011/09/13 10:47
 ローリダ共和国 首都アダロネス エンクルマ邸 七月二七日

 
「ではエンクルマさん、また後日」

「ええ、大学の取りまとめをお願いしますね」

「了解です。エンクルマさんもお気をつけて」

 そういって、学者然とした初老の男性をエンクルマは玄関で見送る。彼はもう一度この玄関をゆっくり見回した後、一礼してエンクルマ邸を後にした。
 その姿をエンクルマは消えるまで見送り、うーんと背伸びをした後、ダイニングへと向かう。その後ろを彼の妻であるエミリーがついていく。

 彼ら夫婦はあの会見の後、植民地軍総司令官、参謀長を正式に辞任し植民地軍を去った。二人はその後、ここ高級住宅街の一角にあるエンクルマ邸で多くの時を過ごしていたのだった。

「エンティ、さっきの人は?」

「ああ、植民地軍大学の学長だよ。彼らはさすがだ、これだけ俺が叩かれても見限るようなことはないだろうね」

 と、エンクルマは満面の笑みを浮かべて言う。
 
 あの会見の後の新聞各社の報道姿勢は明らかにその背後にいる者からの影響を感じられるものであった。具体的に言えば、国防軍――ドクグラムである。
 また、確かにこの対ニホン戦争が発動しようかという時に反対の声を上げるのだから、多くの人に不快であったのは間違いないだろう。その証拠に、マスメディアは『堕ちた英雄』であるエンクルマを此処ぞとばかり叩いたのであった。

 仕方がない、予想の範囲内だ、とエミリーは頭では分かっていたのだが、やはり現実に自分の夫が、英雄と呼ばれていた男が此処まで誹謗中傷されるとなると多少なりとも心揺れるのであった。
 しかし、そんな彼女に対して、当の本人であるエンクルマはその会見の日から、つまりは軍服を脱いでからのほうが顔が輝いているように見える。

『こんなに軍服が重いもんだったなんて、脱ぐまで分からなかったよ!』

 とはエンクルマの弁である。
 
 その子供の様なはしゃぎようにエミリーは苦笑しつつ、今までの自分の心配は何だったのかと見当違いの怒りを彼に向けそうになるのであった。
 それほどエンクルマは身軽に、楽しそうに日々を過ごしていたのである。


「あなたが手塩にかけて育てた組織だものね」

 エミリーのその言葉に、エンクルマが嬉しそうに頷いた。
 
 植民地軍大学はエンクルマが生みの親であり育ての親でもある、とは巷でよく言われていることだ。それだけにエンクルマと大学の結びつきは固い。そして、そこを卒業する植民地軍幹部たちとも同様である。
 
 エンクルマは会見の後から色々な人たちをこのエンクルマ邸に招いているのであった。
 エンクルマが何をしているのかといえば、彼はこのエンクルマ公人として死んだ、といっていい状況時に周りの人々を試そうとしていたのである。これで権力に近づいてきたのかそうでなかったのかが分かるだろう、そうエンクルマは考えているようであった。
 
 その内訳は植民地軍の幹部たち、有力企業、財閥の幹部、そしてエンクルマに同情的な議員である。もちろん、前者の方が圧倒的に人数が多いのは言うまでもないだろう。
 そして植民地軍の幹部たちの中でも所謂”開明官僚”――植民地軍大学を卒業し、開明的な思想をもって植民地の統治にあたる官僚たち――が大きなウエイトを占めていた。
 
 

 エンクルマはダイニングのテーブルに座りながら書類をペラペラと捲り、眺める。
 そんな穏やかな午後、エミリーたちは久しぶりと言っていい落ち着いた一時を過ごしていたのだった。

 
 エミリーは淹れたコーヒーを書類から目を離さないエンクルマの目の前に置く。
 それを上目遣いに認めたエンクルマは、再び視線を紙面に移した。この小さな動作一つ一つが彼ら夫婦の間に流れる穏やかな時間を構成しているのだ、とエミリーは思うのだ。二人のこうしたルーチンワークは、あの会見の後でも、軍司令部で流れる時間と同じ物を形作るらしい。

「ずいぶん多くなったわねぇ」

「……そうかな?」

 白い湯気が立つコーヒーをゆっくりと啜りながら、エンクルマは持っていた書類をテーブルに広げる。
 そこには今までエンクルマとの会談を拒否した、していない、変わったことが無かったか、などの所感などが書きこんであった。

「やっぱり、植民地軍の幹部が多い……こんな大っぴらにみんなを呼んでも大丈夫なの?」

「大丈夫さ、国防軍は今度の対ニホン戦争に忙しいだろうし。それに、今ここで俺に何かあれば、疑われるのは彼らドクグラム派だろうしね。彼らだって俺が何かできるとも思ってないだろう」

 と、エンクルマは鼻を鳴らした。
 エミリーは彼の言葉を聞きながら、書類上の名前を眺める。

「ここに乗っている名前は、エンティに協力的ってこと?」

「じゃないかな」

「……ある意味、今の空気を読み違えているバカとも言えるのじゃないかしら」

 エミリーはリスト上の大企業、財閥の幹部たちを指す。植民地軍幹部でもない彼らは今となっては数少ない、民間の強力なエンクルマシンパであった。
 もちろん彼らの絶対数は少ない。議員にいたってはゼロと言ってもいいだろう。そこにはロルメス議員一人の名前のみがカッコつきで載っていた。

「まぁ、盲信してくれる彼らにも使いようはあるさ」

 エンクルマは事もなげに言う。

 ああ、まただ、とエミリーは思う。
 この割り切り、これこそが彼を巨大な組織である植民地軍の総司令官せしめていた資質なのだ、と。


 

 ピピっという音と共に備え付けてあるテレグラフ機が起動する。
 その機械は、きしんだ音を発しながら情報の詰まった紙を吐き出した。それをエンクルマは身を乗り出し取ると、熱心に紙上を眺める。

 そこには彼の持つ情報網が掴んだ情報が多分に載っているはずであった。横を見ると、彼が受け取った情報の多さを物語る書類の山が見える。
 エンクルマの名声が地に堕ちた、この状況は当初心配されていた情報収集能力の低下にはつながらなかったのだ。

「陸では国防軍の看護婦が一人行方不明……海じゃ『グリュエトラル』号、か」

 載っていた情報は、エンクルマに益々高まる対ニホンへの緊張感を知らせる。
 海での難民船を巡る対立――それは既にエンクルマも知り得ていた情報である。であるにも関わらず、エンクルマはその送られてきたテレグラフを読み進めると次第に顔を曇らせていった。

「ドクグラムめ……ついにやりやがったな!」

 吐き捨てるように呟いたエンクルマから、エミリーはテレグラフをひったくる。

「ああ……なんてこと!」

 
 そこには『グリュエトラル』号共々、ニホン海軍の艦船を撃沈したという事実が書いてあった。
 これが対ニホン戦争――新聞紙面に踊るのは解放戦争の文字であるが――の大きなきっかけとなるだろうことは、二人の共通理解であった。

 にも関わらず、二人の驚愕は根拠を異にしていたのである。
 
 そして、エミリーもそう感じていた。

 エミリーの驚愕・心配はもちろんついにことが起こったことに対する物もあったのだが、それに加えて意外に、ニホンの艦艇をローリダ海軍が簡単に沈めてしまったことにある。エミリーは士官学校を主席で卒業した才女である、だから確かにニホンと技術が隔絶していることを理解していたし、だからこそ今回の戦争の困難さをも理解していた。撃沈されたのが、ニホン海軍でなく準軍事組織である海上保安庁であることも。
 けれども、そんな彼女でさえ。ある種の不安を抱かずにはいられなかったのだ。

 
 ――もうしかするとこのままあっさりとこの国は勝ってしまうのでないか、と。
 
 理性では彼女もローリダが負けるだろうことは分かっていた。
 分かっていたからこその不安とも言えるかもしれない。

 
 エンクルマの異常はエミリーでさえ抱いた疑念を彼自身が持ち得ていないこと。それは言い換えれば、『エンクルマがニホンの勝利を”完全に”既定のものととし捉えている』ことであった。そして、それは彼自分の読みを信じることとは次元を異にしているとエミリーは思うのである。

 
 
 また、この戦争に反対して辞任したからには、今後自分たちが国の舞台に上がるには敗戦は最低必要条件である。
 
 本来喜ぶべきことである勝利と、自分たちの『勝利条件』の相違。それらは正反対の方向に向いており、決して交わることのない……
 これほどローリダ人として辛い状況はないだろう。このような状況になることをわかっているからこそ、他の人達は無意識にエンクルマから離れていったのでは無いか? 皆が悲しんでるなかで悲しむのは簡単だ、しかし、悲しみの中で喜ぶのは大きな労力を必要とするだろう。

 
 それに対してエンクルマはその様なことは一ミリも思っていないのではないか、とエミリーは思う。
 彼が驚愕したのは、まさしく今から始まる戦争のことであり、それも驚愕、という言葉では表せない何かのように思える。むしろ楽しみ、嬉しさといった方が適切かもしれない。

 ついに始まったゲームを楽しみに笑う子供、その様に見えるのだ。

 そして、エミリーはエンクルマにもう一つの”違和感”を覚える。

 ――まるで、彼がローリダ人としての自我を持っていないかのように。そう、ローリダ人では無いかのように。人としての基本的、下地となるべきそれが常人のそれと違っているのではないか?

 そこでエミリーは過去の記憶からある単語をふと思い出した。
 
 彼の書籍には必ず入る『植民地人』という言葉。それは普通、植民地軍人としての心構えや理想を表すと理解されている。

 しかし、本当に。彼が目指し、実践するのが――国防軍やキズラサ的価値観からの脱却だけでなく――まさしくローリダ人からの脱皮、『植民地人』への進化だとしたら。

 
 一体、夫はどこへ、そして何を考えて行動しているのだろうか。

 
 エミリーは震えそうになる胸を抑えて、目の前のエンクルマに問いかける。

「……ねぇ、エンティ」

「ん?」

 今までの人生の多くの部分を、同じく過ごしてきた良人がこちらに顔を向ける。

「エンティはこの国を……ローリダを、好き?」

 エンクルマは、彼女が期待していたのとは裏腹にすぐに返事を返さなかった。
 数秒の空白の後、エンクルマは答えを口にする。

「ローリダ……この自分を、うん、身寄りのない子供だった自分を育ててくれたこの国に、感謝はしてる」

 ほっと安心して息を吐きそうになったエミリーの背中に、続くエンクルマの言葉が刺さった。


「けど、好き嫌いでいったら――」

 その時の、エンクルマの顔は意外にも微笑んでいたのであった。


「――嫌いだな」















 ノドコール首都キビル郊外 サン-グレス ローリダ植民地空軍基地 七月二七日


 ルーガ=ラ=ナードラは眼下に広がる光景を、微妙な気持ちで見ていた。
 その光景の中には熱気にかける兵士たちの姿が見えた。それは敵国の代表団を迎える式典、そう、式典に参加する者としては到底覇気に欠けている、そう判断しざる得ない有様であった。

 空港にはたくさんの銃座、戦車、装甲車……と見るものすべてを圧倒する光景が広がっている。そのような事態であるがゆえに余計、彼ら兵士たちの士気の低さが露呈してしまうのだ。

 それをわかっているのか、ナードラの横に立つルード=エ=ラファス少将は声を荒げる。

「おい! ヤル気をださんか!」

「そう言われましても……」

 と国防軍から派遣された少将とその取り巻きの荒ぶった声を聞いて、彼女は自身の気持ちが更に下降していくのを自覚する。
 彼らに詰め寄られているのは、ここサン-グレスでもっとも高位の植民地軍将校だろうか。先から彼の弁明を聞いていると、この有様も仕方がないとしか思えない。

「彼らはキチンと仕事はしているのです。戦車も装甲車も……すべて配置を完了しましたし、準備は完璧です。彼らも大きな声を出せと言われれば出しましょう。しかし……」

 そこで、囲まれた彼は薄笑いを浮かべながら言った。

「やる気を出せという命令はちょっと……」

「な、なんだと! 貴様! 上官の命令に逆らうのか!?」

 皮肉げな笑みが彼らを馬鹿にしていると気づいたのか、取り巻きの一人が声を上げる。
 
 そんな不毛なやり取りを耳にして、ナードラは深くため息をついた。
 
 
 国防軍のやり方は少し間違えているのではないか――そう、この光景を見たナードラは思わずにいられなかった。上層部をそっくり国防軍からの派遣に入れ替えたそれは、植民地軍兵士達の士気をこれまでにないぐらいに削いだらしい。
 ラファス少将を含む彼らはエンクルマ辞任後に、国防軍から派遣された将官たちだ。植民地軍の主要な高官の一部はもとの地位を追われ、降格の屈辱を受け入れるか辞めるかの二択を突き付けられた。彼らの多くは、植民地軍を去る決意をしたと風のうわさに聞く。

 ある程度の将官を――実際にほんの少しの高官をこうして更迭した後――彼らは植民地軍の組織自体に手を加えようとはしなかった。
 それは植民地軍をどうにかするのは解放戦争後でいいだろうとの打算が働いたこともあるし、何よりも大きかったのは国防軍がこの戦争で大きく武功を上げるため、でもあった。

 これは戦争の後の国防軍の地位強化を狙ったものであった。そうすれば、益々その後の植民地軍吸収がしやすくなる――とその選択肢以外は考えられないほど都合のいいことであったのだ。

 
 加えて、植民地行政に植民地軍の協力が不可欠であった、ということも挙げられるだろう。

 エンクルマは植民地軍での占領の後、多くはそのまま軍政を敷き続けていた。その結果、優秀な官僚たちが植民地軍から育っていったのだ。
 よって規則化した慣習として、植民地軍はその植民地総督府の補佐をすることになっている。そこで仕事をしているのは植民地軍から出向している官僚たちであり、元植民地軍将校たちなのである。そして、彼らの多くは植民地軍大学卒の将校たちであった。

 こうしたある意味歪な体制が維持されてきたのは何故だろうか。それはその体制がかなり植民地の不満を解消してきたという実績があるからだ。

『風船に空気を入れ続ければ必ず何時か弾ける時が来る。大切なのはそこに丁度いい大きさの穴を開けておくことだ。そうすればいくら空気が入ろうが弾けることはない』

 つまり、植民地軍大学に入れれば――出地が植民地だろうが――官僚として植民地を治めることができるのだ。そして大学は確かにその門を誰にでも開放していたのである。

 自分達が勉強をしっかりとすれば、この国を治めることができる。栄達を求めることができる……これは風船に開いた”丁度いい”穴となった。




 言い争いをよそに、ナードラは管制塔からのヤル気のない報告を聞いていた。

「管制塔より報告。ニホンの飛行機が着陸針路に入りました」

 彼女の目には、予想よりも大きいニホンの飛行機が映っていたのだった。







 ノドコール首都キビル郊外 植民地軍附属迎賓館 同日

 
 
 河首相に交渉を一任された日本国外務省東スロリア課課長、寺岡祐輔は当直の兵士に呼ばれ会議室への扉を開けた。
 
 日本交渉団の代表に寺岡が選ばれたのは、スロリア課課長というその適当な地位もあるが、なにより彼ら”武装勢力”であるところの代表との会談経験を買われてのことであった。
 同じ理由で代表団には東スロリア課事務官、西原聡も選ばれている。

 控え室にと通された客室での盗聴や、政府機を降りた時に浴びせかけられた数々の質問、そして威嚇するかのように配置してあった兵器の数々…… そのすべてに寺岡は違和感を感じていた。
 その違和感はこの迎賓館に入ってからも嫌に目に付く。それは例えば会議室に入った最初に目に入ったシャンデリアにも感じるものだ。新しいげに見えるそれは最近運び込まれた物のようで、この迎賓館にある「空気」に合っていないように感じた。
 そのある種の”違和感”、それはお互いに反目しあう存在が、不自然に共存していることから来ているのではないか――そう、寺岡は思うのだ。
 
 難民船の件に関しては、その周りでにらみ合う相手側の艦船があのローリダ共和国のものであることは日本側でも確証を得られずにいたのだった。
 しかし、スロレアに駐留していた民間人や原住民などへの狼藉はローリダ共和国によるものであろうことは確実だと思われていた。スロリア以西に存在する”武装勢力”はローリダ以外ないことは、エンクルマ達との会談の中で確認していた事項であったからだ。



 寺岡の隣に座った西原は、横の寺岡がこの雰囲気に飲まれたのかと心配しているようであったが、寺岡の頭の中にはこの状況への疑問が渦巻いていただけであった。
 その疑問は、直にあのエンクルマと話した彼にしか持てない物かもしれない。あの、必死に戦争回避の道を探っていたエンクルマ達の姿勢とこの挑発的と言っていい状況が結びつかないのだ。

 豪華な会議室には、縦長のテーブルにこれまたけばけばしい椅子が横に並んでいる。それは相対する2つの団体が向きあうことができるように配置されている。
 そしてその片一方に、日本側の交渉団は座ってかれこれ十数分もの時間が流れていた。


 扉を警護する兵士がローリダ側の入場を告げる。
 
 満を持して入ってきたローリダ側を一目見た日本側交渉団は目を丸くしてその先頭に凛々しく立つ、女性を見た。

 その芝居道具の様な服装と絵画染みた外見は、これまでにないほどマッチしているように思われた。
 記憶の中のエンクルマとは大きな違いだな――新橋にいてもおかしくない、軍服がコスプレにしか見えなかったあの中年男性を思い出して、寺岡は少し微笑んだ。

 
「日本国外務省の東スロリア課課長、寺岡祐輔です」

 寺岡が席をたっての挨拶に、ナードラは不躾な視線を返すのみであった。
 その視線は最初に寺岡を捉えた後、隣の西原、その隣の……と日本側交渉団を舐めるように観察していく。そう、観察、その言葉がもっとも似合うだろう感触の視線であった。

 もちろんそれに好意的になれるほど寺岡は悟っていない。
 大人の対応で、それを顔には出さないけれどたしかに目の前の失礼な女性に軽い困惑・憤りを感じていたのだった。

 ふむ、と観察を終えたナードラは軽く息をついた後、ニヤッと笑った。それは明らかに日本側に好意的なそれではなかったが、見るものを不快にさせない、不思議な魅力を持っていた。

「……なにか?」

「いや、彼のいうニホン人がどのような人種か少し興味があったのだが」

 そこで彼女は口を閉じた。
 しかし、その後に続くはずである内容を想像できない人物はこの会議室には存在していなかった。

「彼というのは……?」

 未だに自己紹介を返してもらっていない、その状況を隣の西原は深刻に受け取っていたようだが、寺岡はなぜかこの状況でも動揺をまったくと言っていいほどしていなかった。むしろ、この様な出来ことを半ば予想していたのかもしれない、と寺岡は胸中で呟いた。
 寺岡の世界に溢れる違和感……その原因を彼はまずは知ろうと欲したのだ。

「あなたは……、前エンクルマ植民地総司令と会談を持った……?」

「……っ!」

 この一言で、寺岡は自分の中の疑問がどんどん氷解していくのを感じた。

 眼の前の女性は、あの男を”前”植民地総司令と呼んだ。
 この事実が示すこと――これは日本側にとって非常に大きな意味を持つことになるだろう……寺岡は早くもこの交渉の雲行きが怪しくなるだろうことを予見した。

 そして、その予感は見事に的中することになる。








[21813] 十六話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2011/09/13 10:47
 ノドコール首都キビル郊外 植民地軍附属迎賓館 七月二十七日


 ナードラは目の前のニホンの交渉団の面々を見て、軽い失望を感じていた。
 黒い画一的な服を着たニホンの交渉団は、ナードラの予想を遥かに下回る蛮族たちであったのだ。

 ――見ろ! あの非文明的な服装は!? 優雅で格調高い者が文明的であるとすれば、彼らの着る服、雰囲気すべてが蛮族にふさわしい非文明的である! それこそが彼らの文明の低レベルであることの証拠ではないか!

 続けてナードラは心の中で、あの『堕ちた英雄』として国民に周知されて久しいエンクルマを嘲る。
 
 ――こんな奴らを畏れ、怖気づいて今回の解放戦争に反対したと言うのか!?

 ナードラは自分でも不躾だと分かる視線で相手を観察する。が、それでも目の前の黒い男たちは何も言ってこないのだ。ただ少し不機嫌そうに顔を歪ませるだけである。
 このような人物達が代表を務める国ニホン、さぞ組み敷き安いだろう――ナードラは早くも勝利を確信したのだった。

「あなたは……、前エンクルマ植民地総司令と会談を持った……?」

「……っ!」

 ナードラは小手調べとして、目の前のテラオカと名乗った男にまずは軽いジャブを浴びせる。
 彼女の言葉を聞いて予想以上に動揺の色を見せたテラオカにやはり、とナードラは自分の推測の当たっていることを確信する。

 ――ニホン側の頼みはエンクルマであったのだ!

 相手側の失礼な態度にも目を瞑るような臆病者が代表を務めている国だ、正々堂々と正面からぶつかるようなマネはしないだろう。するとすれば……エンクルマにやったような汚い手しかない。
 そのような手に屈する司令官を事前に追放できた、この時点でローリダの勝利は確定したといってもいいだろう。

 ナードラは目の前のニホンの交渉団を無視して今後の交渉について思案を巡らす。
 やるべきことは変わらない。武力でニホンに自分自身の立場を理解させてから、が本当の交渉と言えるだろう。圧倒的な武力を背後に、頭をたれた相手側が降伏文書に署名をする……それこそがあるべき姿なのだ。
 
 ――となると、今回の”交渉”は?

 ナードラはニヤリと笑った。

 なるほど、今回の交渉のゴールは相手側の”エンクルマにかけていた期待というべきモノ”を粉砕することにあるのだろう。
 今度の交渉相手は前のエンクルマなどとは違う。それを知らしめること、それが今回の交渉でなされるべき唯一のことなのだ!



 



 寺岡は日本本国から送られてきた今回の事変についての見解を朗読しながら、今回の交渉という名の茶番について考えていた。
 
 交渉を開始してから早くも15分が経とうとしている。だが、早くも日本側の交渉団は今回の交渉が膠着状態に陥っていることに薄々気がつきはじめている、そう寺岡は思った。
 寺岡の隣、西原は目つき鋭く対面のナードラを睨めつけている。それに対して、ナードラは涼しげな顔を崩さず飄々と到底日本側が受託できないようなことを並び立てるのみだ。

 両国側の主張は平行線をたどり、いつまでも交わることはない。二国間の意見を一致させるにはユークリッド平面上では無理なのだろう。
 それを成し遂げるためには、空間を、平面を曲げなければならない。つまりはちゃぶ台――前提をひっくり返さなければならないに違いないのだ。

 目の前のすました顔をした、交渉人とは名ばかりの”脅迫者”が前提としていること。
 それは日本を武力で脅迫できると考えていること、それに日本が従うだろうという確信だ。

 ならば必然、この事態が向かう先は……

 
 そこまで思考を進めて、寺岡の脳裏に浮かぶのは戦争の二文字であった。

 ――戦争。

 ――日本が憲法前文で放棄までを謳う、その憎むべき行為。

 ――それを他国に強要される時、日本という国は変われるだろうか? 変わってしまうのだろうか?

 
 そして、続いて思い出すはあの時のエンクルマ司令官の言った言葉だった。 

 ――ローリダ共和国が次に進むには、ニホンに負けるべきでしょうね

 寺岡は強気の言葉で日本側の責任を追求するローリダ文官とそれを余裕の笑みで眺めるナードラを見て、虚しいような悲しいような、不思議な気持ちに囚われるのだった。






「これはどういう事なのですか!?」

「……何がかな?」

「しらばっくれないで頂きたい! スロリア海上での強行接舷は挑発行為ではないか!?」

 西原がナードラに語気を荒げて釈明を求める。
 寺岡ら日本交渉団に衛星通信を介して知らされたスロリア海上での状況の変化は西原を激昂させるに十分な情報であった。それでなくても両側の主張は正反対のままなのである。日本側の団員たちは今回の交渉の異常さに改めて驚き、焦燥していた。
 これが交渉と言えるのか――団員たちの率直な感想だろう。

 寺岡は隣の西原の荒ぶる様子を見て、彼の怒りも仕方がないのだろうものだろうと思った。
 
 ――最初から相手側に交渉の気があること、それを期待してかかるからこうなるのだ。ローリダ側に譲る気がないのは明白である。あまつさえ、このような脅迫を交渉中にするとは!

 そう考えながら寺岡は、静かにナードラの目を見つめる。
 西原の抗議にローリダ側が逆に抗議を返すと、西原の顔が怒りで赤を通り越し青ざめ始めた。それはまるで、子供の喧嘩だ。互いの主張を押し付けあうばかりで取引と言うものを考慮していないのだ。
 
 もっとも、相手側からすれば”取引”などという行為は同等の相手としか成し得ない行為……などと考えているのだろう。
 そして、日本の交渉団は同等と見られていないのだ。

「我々は、あなた方に事実関係の説明を求める!」

 西原がそう相手文官を睨みつけながら言い放った。
 ローリダ側文官がやはり顔を赤くして声を上げようと口を開きかけた、それを今の今まで不気味な沈黙を守っていたナードラが手でゆっくり制す。

「……そろそろあなた方もこの”交渉”とやらに飽きてきたのではないか? この様な不毛な時間の使い方は双方にとって不利益になると思うのだがどうか?」

 そう、ナードラはゆっくりと話し始めた。
 中央二人、寺岡とナードラの隣で激しく言い合っていた補佐二人は同時に腰を椅子に深く据えた。その二人の鼻息は荒い。
 
 対照的に、中央二人は静かなものでナードラの言葉に寺岡も深く頷いた。

「私もその意見に限っては賛成です。このような茶番は早く終わらせるべきだ」

 茶番、その言葉で隣の西原が勢い良く寺岡の方に振り返った。
 隣からの視線を感じながら、寺岡は目の前のナードラを見据えつつける。

「初めて意見が合いましたな」

「……そのようだ」

 ナードラは獲物を見つけた狼のように舌なめずりをした。

「では、同意をいただこう。あなた方の国、ニホンをローリダに委ねると」

 タイミングよく差し出された、降伏文書らしい文書を一顧だにせずに寺岡はナードラに返答をする。

「ニホンをローリダに委ねる? ……ここは笑うところですか?」

「……っ!」

 ここで交渉が始まってから初めて、ナードラの表情は崩れた。
 目尻をキッと上げ、彼女は目の前の寺岡を睨む。隣の文官は勝利を確信していたのか、呆然と間抜け面を晒していた。

 同じく西原を含む、日本側交渉団の団員たちも驚きを隠せずにいた。その理由は普段の寺岡からそのような言葉が出るとも思っていなかったからである。

「あなた方はどうやら交渉を望んでいないようだ。いや、交渉を知らないのでしょうか? ……残念なことです。私たちは、言葉を知らぬ犬と会話する術を知らないのですよ」

「……」

 寺岡は立ち上がり、日本側交渉団の面々に無言で退室を促した。
 あっけに取られていた団員たちであったが、それも一瞬のことで寺岡の意を汲み片付けを始める。

 あっけに取られていたのは日本側だけではなかった。
 ローリダ側もナードラも含め寺岡の行動に面食らっていたのだ。

「ま、待て!」

 ローリダ側文官が、慌てて声を上げる。

「……何か?」

 寺岡が帰り支度する手を止めて、文官を見やる。
 しかし、勢いだけで止めたらしく二の句を継げないでいた文官を、援護したのはいち早く衝撃から回復したナードラであった。


「……先の言葉は我らローリダ交渉団、ひいてはローリダ共和国への侮辱と受け取る。それ相応の報いという物を覚悟しているのだろうな?」

「私たちは脅されに来たのではない、交渉に来たのだ!」
 
 怒りの炎を、エメラルドグリーンの目に燃え上がらせながら静かに言うナードラに寺岡は反論する。
 
 準備を終えた日本側交渉団は、次々と退出する。
 最後まで残っていた寺岡は、ナードラに向かって最期の言葉を放った。

「エンクルマ閣下によろしくお伝えください。……では、さようなら」

 パタンとドアを閉じた音だけが静まりかえった部屋に響く。

「……後悔することになるぞ、ニホン……!」

 ナードラは彼らが出ていったドアを睨みながら、そうつぶやくのだった。












 ローリダ共和国 首都アダロネス エンクルマ邸 八月三日


 エミリーは手に持った電話を、ゆっくりと元の場所に降ろし溜息をついた。
 電話の内容は今日の会談についての話であった。かれこれあの会見を終えてからエンクルマは継続して様々な人物と会談をもっていた……が、それも今日までである、今日に限ってエミリーは相手側に会談の中止を申し入れていたのだった。

 何故、本人であるエンクルマが直接話さず、妻であるエミリーが断りを入れているのか。

 その原因は昨日の夕刊であった。

 夕刊一面に『ニホン首頭に正義の鉄槌が下る!』との記事が載っていたのだ。その中身から、国防軍へのへり下った世辞やキズラサ教賛美をそぎ落とすと、言っていることはこうであった。

 ――ニホン国首相を暗殺した

 それを見たエンクルマが卒倒したのも無理は無い。
 実は今回、また交渉がニホン側と持たれること自体はエンクルマも知りえたことであった。前回の交渉の内容――それは彼がいうには交渉と呼ぶに値しない物らしかったが――を知るエンクルマが不思議がっていたのをエミリーは思い出す。前回で懲りていなかったのか、と。

 しかし、彼の頭脳を持ってしても”交渉”の目的がその実、相手側の要人暗殺にあったなどとは思いつかなかったらしい。
 つまり、この暗殺についてエンクルマには寝耳に水であったのだ。

 昨日のエンクルマの狼狽ぶりは長い間寄り添ってきたエミリーにして、初めて見るほどの深刻さであった。瞬きを忘れたかのように一心に紙面を見つめながら、その顔色は青から赤に、今度は緑へと目まぐるしく変わる。
 どう見ても大丈夫そうには見えなかったが、エンクルマはエミリーの声には大丈夫、としか返さない。ハラハラと見守るエミリーの目の前でそのまま、力が抜けたのかドカッとソファーに座り宙をぼんやりと見ていたかと思うと、そのまま彼は自身の書斎へと向かったのだった。そしてそのまま、彼が閉じこもったまま、今日を迎えることとなったのだ。
 
 何度、エミリーが書斎の前で呼んだところで中からの返事はなかった。
 彼がどれほどのショックを受けたかは想像に難くない。しかし、それにしても……

 エミリーは椅子に腰を降ろして、再び長い間溜息をついた。
 
 既に時計の単針は真上を回り、午前が終わったことを示している。
 
 ――いつになれば彼は出てくるのだろうか?

 エミリーも首相暗殺にショックを受けてないといえば嘘になる。そもそも、彼女はニホンに勝てないと踏んでいるのだ。先の難民船での一件すら危ういのに、今回の件はどう考えてもやりすぎだ、とエミリーは考えていた。
 いたずらに相手を挑発し局地的な戦争、制限戦争でなく総力戦ともなればローリダ共和国そのものが崩壊する可能性すらあるだろう、と。

 しかし、それは戦争が始まるにあたって当然考えられる一つの未来である。
 
 その可能性が高まったからといって、今更あそこまで彼は打ちのめされることがあるだろうか?

 そのような疑問に最適解を与えるべく、聡明な才女であるエミリーは頭を勢い良く回転させる。
 けれども、彼女の納得のいく結論は最後まで得られないのであった。






 いつの間にか眠っていたエミリーが目を覚ましたのは午後三時頃であった。
 少しばかりの空腹感を感じながら、エミリーは覚醒していく頭の隅で小さな音を聞いた気がした。

 それは階段を降りる音だ。

 この家には二人しかいない。となれば、降りてくるのは二階の書斎にこもっていたエンクルマしかいない。

 エミリーは当然階段の方に目をやった。

「エンティ! 大丈夫なの?」

「……ああ、大丈夫、大丈夫さ」

 自分に言い聞かすように、そうつぶやく自分の夫は到底大丈夫そうに見えない。
 かと言って、彼は弱々しい足取りなどではなかった。逆に何かを吹っ切ったのか力強い足取りに見える。

 その目には力強い光が灯っていた。しかし、その色はエミリーには妖しく鬼火のように揺らいで見えた。

「エミリー……俺はこの国に……少し期待をかけ過ぎていたのかもしれない」

「えっ…… それはどういうこと?」

 エミリーの脳裏に先日聞いたエンクルマの言葉が浮かぶ。

 ――嫌いだな


「この国はおかしい。そのことに気づくのに、こんな手間取ってしまった」

 エンクルマは階段を降りた場所そのままから、テーブルに座るエミリーに口角から泡を飛ばして話をゆっくりと開始する。

「……交渉に来たテラオカさんを大いに失望させてしまった……、それも交渉の後に一方的な攻撃を仕掛けるなんて、酷すぎるだろ……
 それだけでもあり得ないのに、今度は一国の首相を暗殺、それも話し合いに来た人物をだぞ! そんな事がまかり通るこの国は、おかしい、おかしい、おかしいに決まってるんだ! そうだろう!?」

「エンティ! 落ち着いて!」

 ヒートアップしていくエンクルマをエミリーは慌ててなだめる。
 ハッとした様子のエンクルマはがっくりとうなだれた。しかし、彼女はなお彼の目の内に、灯る不気味な炎を認めた。

「……この国はおかしい。間違っている……決定的に。俺たちが、それを直さないといけないんだよ、エミリー」

「エンティ……」

「この国の再建には一度の破壊が必要なんだ。そして破壊するには……」

 エンクルマは顔を手で覆った。

「力が必要だ」

 彼の指の間から漏れた、その言葉はエミリーの耳にも十分に届いた。

 しかし、彼女からは彼の目を、直接見入ることは出来なかった。












 スロリア亜大陸ローリダ植民地 ノドコール首都キビル郊外上空 九月二十八日


 徐々に上がる高度とともに小さくなっていく街並みをミヒェール=ルス=ミレス国防軍参謀中尉は何気なく眺めていた。眼下に広がる景色はとても一植民地の郊外の景色とは思えない。
 これを噂の開明官僚たちが創り上げたのか……と、ミヒュールは最近よく聞く”開明官僚”と”開発五カ年計画”という単語を思い出す。
 
 
 国防軍参謀中尉である彼女は今回の解放戦争の最前線となるスロリア派遣軍への赴任のために、スロリア大陸に足を下ろすことになったのだった。

 彼女はスロリア大陸に、というより植民地であるノドコールを見てまず最初にその発展具合に驚いた。
 彼女が想定していたのは本国での田舎のような光景であったのだが、その予想はまったく清々しい程に裏切られたのだった。首都キビルに至っては、本国の首都アダロネスにも負けない発展具合である。
 それは嬉しい誤算であった。つまらない田舎への赴任では無かったのだ。彼女の好きな本たちが本国並に売っているのも彼女はすこぶる気に入っていた。

 しかし、参謀本部での仕事はつまらない出来事ばかりであった。
 参謀見習い、とは名ばかりで実際は参謀達の使いっ走りや面倒な計算の類など、要は雑用係である。そしてその手伝っている参謀達の能力にも彼女は疑問符を浮かべざるえなかった。彼らが得意なのは演習などではなく、上司へのおべっかや酒席の準備なのだ。

 そんなつまらない雑多な参謀達の中で、彼女の目に留まる人物が一人いた。

 センカナス=アルヴァク=デ=ロート大佐。二十代後半の大佐であり、それは彼が凡人とは一線を画す人物である証拠でもある。

 しかし、そんな彼は軍のエリートコースを歩いてきた訳ではない。複雑怪奇なる道を歩き、いつの間にか大佐になっていた、といった表現の方が適切だろう。
 彼が世間へ最初に露出したのは全くの偶然であった。彼は国防軍の幹部候補生養成科の出である。彼自身、銃弾の飛び交う最前線に出ることもないと思っていたし、そうであるはずであった。

 しかし、運命の歯車は奇妙な方向へと回り出す。植民地の文化に興味を持った彼は、周りの止めるのも聞かず植民地軍の植民地文化保存会――これは前エンクルマ植民地司令官の肝いりで作られた民俗学会に類する研究会である――の考古・民族学的調査へ参加したのだ。
 調査は順調に進んだ……その途中で、ノドコール軍残党に襲われるまでは。

 あろうことか、調査には植民地軍の将校は参加していなかった。
 同日、学会の発表会がありそちらに大部分の会員が参加していたのである。また、その調査地域が比較的マイナーな場所であったことも理由の一つに上げられよう。
 そしてそのような極限的状況下において、その集団唯一の将校であるロートが指揮を取ったのは必然であった。

 結果、彼らは勝利した。数的、質的に不利な状況下にあるにも関わらずに、だ。

 そのことはいち早く本国に伝わった。

 彼らが何を考えたか。国防軍は英雄を欲しがっていた。活躍の場を欲していた。
 
 だからこそ、国防軍は彼を囲い込むために国防軍の参謀大学校への入学も許し、執政官に働きかけ元老院名誉勲章という、軍人として第一級の栄誉に彼を浴することにさせたのだった。
 だが、彼はそのことの重要性や上層部の意向を理解しているとは思えない行動をとった。

 こともあろうか彼は勲章を質に入れてしまったのだ。
 その事件は国防軍に苦々しい思いを強いさせた。しかし、彼を切ることはできないのだ。彼は国防軍の英雄でなければならないのだから。

 その後も彼は国防軍に所属しながら、植民地軍の最前線で縦横無尽に活躍することになる。
 出向、という不思議な形での彼の参加は植民地側の感情を逆なでに……はしなかった。

 彼ら兵士は優秀な将校であれば、誰でも大歓迎であったのだ。それも、植民地軍の彼らを馬鹿にせず、気さくに話しかけてくるような人物なら尚更だ。
 
 エンクルマも彼を大手を振って迎えた。彼としても優秀な指揮官がタダで来てくれるというのだ、断るわけがない。
 世間はいつ彼が植民地軍に籍を移すか賭けあっていた。そして、それを国防軍は一番恐れていた。

 しかし、そうした周りの予想に反して彼は国防軍に所属し続けていたのである。

 その理由を勇気ある新聞記者が問いかけても、彼は曖昧に笑ってごまかすのみであった。



 その英雄が、となりで眠りこけているのだ。
 ミヒェールはガラスからの光景から、視線を左の座席に座るだらしない男に向けた。

 ぐっすり深く眠っているロートはまるで大きな子供のようだ、とミヒュールは思う。しかし、彼は国防軍きっての英雄なのだ。

 何故、サン-グレス発アダロネス着の航空機に彼とともに搭乗しているのか。
 それはひとえに彼からの誘いがあったからだ。

 参謀本部でも浮いていた彼を気にしていたミヒュールを、彼も気にかけていたのだろうか。
 参謀本部が入る王宮で彼は、ミヒュールにこう声をかけてきたのだった。

「ミヒュール中尉だね……? 一緒に来てほしいところがある。見て欲しい人がいるんだ」


 




 

「ここは……!」

「そう、ここは植民地大学だよ」

 
 アダロネスに着いた機から降りた二人は一路、植民地大学を目指した。
 道中彼から聞いた、これから会うという人物。その名前を聞いたミヒュールは予想だにしなかったその名前に驚きを隠せなかった。

「ここに……あの前植民地軍総司令のエンクルマ元将軍がいらっしゃるのですか……?」

「ああ、そのはずだよ」

 周りの困惑やら敵意やらが入り交じった視線を物ともせず、ロートは大学構内を堂々と歩く。
 国防軍の制服を来た二人組はかなり目立つらしい。

 当たり前だ、とミヒュールは思う。ここ植民地大学は国防軍一派がエンクルマ派の本拠地と糾弾して久しい施設なのである。いわば、植民地軍の本丸。彼女はノドコール植民地で見たヤル気のない植民地軍兵士たちの姿を思い出した。
 しかし、歩いているのがロート大佐であると気付いた何人かからは、困惑が少し混じってはいるが好意的な挨拶をされることもあった。

 
 エンクルマの今回の辞任騒動に関して、ミヒュールは周りの大人達と同じようにぼんやりと考えていた。
 それは、やはりこの解放戦争前に負ける、などと英雄が口にするのは憚られるべきであるし、彼はそうするべきでは無かったのだ、と。

 だが、彼女が少しの違和感――というより座りの悪さといった物を感じていたのも事実だ。それは今の今まで、あれよ英雄と讃えられていた彼がたった一言でこうもバッシングされていること。
 そうした周りの人々の手のひら返しに何とも言えない気持ちの悪さを感じていたのだ。少し、彼への憐憫の情も含まれていたのかもしれない。

 けれども、彼女も今回の件については、エンクルマ側に過失があるところは十分に認めていたのだった。



 

「……着いた、ここだ」

 彼が歩を止めたのは何の変哲もない、ただの準備室らしき一室であった。もっと豪華な部屋を思い浮かべていたミヒュールは意外に思う。
 ここに、辞任したとはいえローリダ共和国の軍人として頂点を極めていたに近い人物がいるというのだ。

 ミヒュールはそのスライド式の扉の上にかかっているプレートを見やる。
 そこには『特別教授 準備室』という文字が刻まれていた。

 
 ロートが扉を開ける。

「眩しい……」

 ちょうど、ドアの反対側から太陽が頭を覗かしている時間であったのか、扉を開けた二人に真正面から眩しい光が降り注ぐ。

 一瞬のホワイアウト。

 そして、輝く太陽を背にして座っていたのは――

「……待っていたよ、ロート大佐」

 不気味に笑う、前植民地軍総司令エンクルマであった。

 






[21813] 十七話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2011/09/18 00:16

「……待っていたよ、ロート大佐」

 扉を開けた先には、不気味に笑う前植民地軍総司令エンクルマが太陽を背に椅子に座っていた。
 ミヒュールには目の前の彼があのエンクルマ前司令であるという確信を持てずにいた。確かに背格好や顔は、新聞や遠くから見た英雄の姿であったのだが、少し彼女の予想していた雰囲気と違ったからだ。

 『特別教授 準備室』であるからには、彼エンクルマが特別教授であるのだろうか、と不思議そうな顔をしていたのを見とがめたのか、エンクルマはロートに続いて入るミヒュールに挨拶をしてきた。

「初めまして。ティム=ファ=エンクルマです、今はこの大学の特別教授、かな」

「あ、初めまして。こ……」

 国防軍、と言おうとしてミヒュールは口ごもった。彼は国防軍によって植民地軍から追い出されたようなものだ。そんな彼に国防軍と名乗って良いものだろうか、と。
 ミヒュールはここに彼女を連れてきた本人であるロートに確認しようと、横目で彼の方を見る。しかし、当の本人は何かを考え込んでいるようで腕を組んだままこちらを見ようとしない。
 内心、毒づいてミヒュールは無難な方法を取ることにした。

「ミヒェール=ルス=ミレスです」

 しっかり握手して、二人は離れる。
 必然、二人の視線は止まったままのロートに集中した。

「ロート君。えーと、今は大佐かな」

「……あ、はい」

「そうか、そうか。もう少しで追いつかれてしまうね」

 エンクルマはまるで自分のことのように嬉しそうにウンウンと頷く。
 その光景はその歳の差もあってか、まるで先生と生徒、師匠と弟子といった風であった。それもかなり優しい先生の部類だ。そして、実際彼ら二人は師弟の関係とも目されて久しいのであった。つまりは英雄を引き継ぐだろうという関係に、周りからは見られていたのである。
 それも、今回の失脚でないことになっているのだが。

 ミヒュールは事前に抱いていた彼へのイメージとの差をなんとなく理解した。あまりにも温厚・優しそうに見えたのだ。英雄、という言葉の響きからは目の前の好好爺然とした人物は想像出来なかったのだろう。

「……エンクルマ閣下」

「もう閣下じゃないからなぁ」

 ははは、と事も無げに笑うエンクルマを見て肩の荷が少し降りたような気がミヒュールはした。
 彼はどうも、離れた植民地軍の地位やらに執着していた訳ではなさそうだった。皆の言う英雄も一度その目で見てみないと分からないだろう、と少し屈折した思いをミヒュールは抱いていたのだが、ことエンクルマとロートに限ってはその人格も善良であるようだ。

「うーん、会長、とでも呼んでくれ」

「……分かりました、エンクルマ会長。ところで、今日の呼ばれた用件とは……」

「まあまあ、そんなに急がなくても……そうだ、コーヒーはどうだ? そっちじゃコーヒーは飲めないんだろう?」

 ロートがその答えを返す前にエンクルマはいそいそと立ち上がり、そのコーヒーという物を取りに行ったらしい。コーヒー? とミヒュールは首をかしげた。
 ロートはその途中で伸ばした手を宙に彷徨わせ、口を半開きにして何かを言いたそうな顔をしていたが、その手を眉間に持ってきてシワを揉むのだった。相当にこの部屋に来てからのロート大佐は変だ。

 奥からのコプコプという不吉な音をミヒュールは不思議に思いつつ、この部屋を改めて見回してみる。

 部屋は長方形の形なのだろうか? と疑問形になってしまうのはこの部屋が多くの本で埋め尽くされていたからだ。両サイドに本がこれでもかと積まれていて、それは正しく本の壁を形成していた。
 その本の壁は強烈な圧迫感を中の人間に与える。その両サイドからの威圧が強すぎて長方形に思えるのかもしれない。

 本のすき間には、雑多な紙が詰め込まれて壁をより強固にしている。両サイドの真ん中に三つの椅子、ミヒュールとロートが並び、その向かい側にエンクルマといった具合だ。エンクルマが奥に曲がったことを考えると、奥にもう一つ部屋かスペースがあるのだろう。そこも本で埋め尽くされているのだろうか。
 まるで本に埋まれているみたいだ――本好きのミヒュールからしてみれば羨ましいばかりの部屋であった。本もタダではないのだ。

「……中尉、彼のことをどう思った?」

「え、エンクルマ会長のことをですか?」

 そういえばこの会長とはどの会長のことなのだろうか? とミヒュールは思いながら突然の質問に頭をひねる。

「そうですね……思ったよりも優しそう? な感じですかね。やっぱり英雄と言われていただけあって独特の雰囲気というか常人とは違うというか……」

 ロートは顎でその先も話せと示す。

「……やっぱり本好きに悪い人はいないですよ」

 と彼女はこの部屋に積まれた本というよりブロックをニヤけた顔で見回す。
 その様子を見ていたロートはニコリともせず、無愛想な顔で押し黙るのだった。

「……どうしたんですか、ロート大佐。先から大佐、少し変ですよ」

「だろうなぁ」

「……ロート大佐が今日、エンクルマ会長に呼ばれたんですよね? あ、なんで会長なんです?」

「エンクルマ前司令は植民地の文化に興味を持っておられた、ことは知っているかい?」

「ええ、なんとなく聞いたことがあります。……ロート大佐も確か」

「ああ。エンクルマ会長は植民地文化保存会の会長でね。私も会員なんだ」

 との説明に、なるほどとミヒュールは納得する。
 しかし、今の会話でロートが変であることへの説明がないことにミヒュールは気がついた。言いたくないことなのだろうか、とミヒュールはまたも押し黙るロート大佐の横顔を眺めるのだった。

 しばらくして、奥から何やら黒い液体の入ったコップを三つエンクルマは手に持ちやってきた。ミヒュールはそれがコーヒーだろうかと推測し、いつの間にか漂ってくる良い香りに気がついた。
 その香ばしくて酸っぱい不思議な、でもどこかホッとする香りにミヒュールはなるほどコーヒーというモノも悪くないと思う。

「そういえば、ミヒュールさんはコーヒーは初めて見る?」

「あ、はい」

 ミヒュールはコーヒーを受け取る。
 黒いその水面には頬を少し赤らめたミヒュールが映る。

 ――安心する匂い

 そう思い、その安らぐ匂いにうっとりしていると、ミヒュールのメガネが湯気で白く曇る。

「わっ!」

 慌てて顔を上げたミヒュールを、男二人はコーヒーを啜りながら眺めていた。
 
 二人とミヒュールの視線がかち合う。

『……ふ』

 二人は同時にその口元を歪めた。

『は、ははは!』

 そして、同じように笑い出す。
 そんな二人の顔から、ミヒュールは顔から火が出るほどの恥ずかしさで必死にそらすのだった。










 その後もミヒュールがそのコーヒーの苦さに顔をしかめたりと、その様子を二人は面白そうに眺めて笑う、といった事が続き和やかな空気が流れたのだった。
 どうもコーヒーとやらは飲み慣れるのに、多少の時間が必要らしくその新人の反応を面白がるのも植民地軍の伝統らしい。その事をロート大佐から聞いたミヒュールは面白がっていた二人にぷりぷり怒りながらも、こんな空気が嫌いではないのだ。
 怒るミヒュールの小言を全く反省の色の見えない満面の笑顔で聞く二人は、イタズラ好きの子供の様な男たちであった。

 しかし、そのような暖欒が一段落ついた頃、ロート大佐は突然、何かを思い出したように真顔に戻る。
 彼女には、彼がこの温かい時間をもっと享受したいのに無理に空気を変えたように見えた。

「エンクルマ会長、今日はどのような用件でお呼びになったのですか?」

「……そうだな、そろそろ話さないといけないか」

 エンクルマは先のコーヒーカップ三つと本・書類で完全に制圧されている彼の作業机でゴソゴソと何かを探す素振りを見せる。
 そして、出したのは真新しい何かのレポート、報告書であった。

「君たちは俺がなんで植民地軍を追われることになったのか知ってるよね?」

 その疑問には、まったく悪意とか随意などは感じられなくて、単なる確認とミヒュールには聞こえた。
 それでも、彼の方に何ら感情がこもっていなくても、やはり先の空気と同じであることは許されない。三人の間の緊張がはしるのをミヒュールは感じる。

「……はい。今回の戦争――対ニホン戦争に反対なさったから、と」

 ロートの言葉に、ミヒュールも同じことを聞いていると軽く頷いた。
 二人の返答を聞いて、エンクルマはレポートを手に持ったまま、更にその問いを続ける。

「だったらその理由も知っているよね。俺は今回の戦争に負ける、と言ったんだ。それで総司令官を辞めるところまで追い詰められた。
 そこで、だ。此処まではそこらへんの新聞を買っている奴らなら知っていることだけど、君たちに聞きたいのは……このエンクルマが負けるといったことに疑問を持たなかったのか? そこを聞きたい」

 ミヒュールはその内容に反して、やはりエンクルマの質問の調子・空気は事実を確認している、既にわかっていることを念のため確認しているといった風に感じた。
 エンクルマを見やる。彼はミヒュールに目も向けず、ロート大佐の方を柔和な表情で眺めていた。

 対してロートは顔を引き締めて、背筋をピンっと立てている。
 二人の対峙は先の空気とは百八十度逆だ。そして、エンクルマとロートの顔も見事に対照的であった。

「……疑問を持ちました」

「どんな?」

「エンクルマ閣下が、不用意にそのような発言をするわけない、と。何か根拠あっての発言だと思いました」

「……なるほど」

 二人の掛け合いだけを聞いていると、それが堕ちた元英雄と今や国民の期待を一心に背負う英雄の会話には思えなかった。
 満足そうに頷いたエンクルマは、やっとその手に持ったレポートをロートに手渡す。

『……!!』

 
 
 驚愕、その一言では言い表すことのできない程の衝撃。
 
 ロートが受け取ったレポートには敵国ニホンの情報が事細かに載っているようであった。
 ようであった、というのも単語単語しか覗くミヒュールには見えなかったからだ。

 ――無人の偵察機……! 

 ――セラミック……ローリダのより遥かに長い射程距離のミサイル……!

 後ろから覗くミヒュールの目に、あり得ない情報が飛び込んでくる。
 
 ロートの後ろから覗こうと背伸びするミヒュールにエンクルマは同じようなレポートを渡した。焦ってその紙面に視線を沿わせても書いてあることはそのままであった。
 
 ゆっくりとその情報を読み込んでいくミヒュールの頭には予想を遥かに超えた事態が浮かび上がる。
 
 ――もし、これが本当だとすれば……演習をするまでもない! 基礎の基礎、あらゆる面で我が軍は劣っている!

 その結論は優秀なミヒュールの頭が、今までの常識からすれば到底あり得ない結論であるにも拘らず支持しているのであった。その可能性が高い、と。つまりニホンに負ける可能性が高い、と。そう、結論付けたのだ。
 
 ミヒュールは必死にレポートをめくる。そこにこれが嘘である、と書いてあるのを必死に探すように。
 しかし、そのようなことは当然書いていない。更に流れこむ知識は否定したい結論を強固にしていくだけだ。

 ミヒュールは背中に冷たい汗をかいているのを自覚した。
 悪寒がする、というより平衡感覚が失われていく。自分自身が他人ごとのように違う場所から眺めているようであった。
 頭がこれ以上の思考にストップをかけようとするのを感じる。

 それでも彼女の手は脳からの命令を聞かず、自律的に資料をめくるのを止めないのだ。





 その部屋の空気は重く、暗かった。
 
 その理由は明白で、エンクルマが二人に渡したレポートであった。
 中身は最新のニホンの報告書。特にその軍事力、科学力。そのまとめ方は見事としか言えないもので、そのことはミヒュールが一目見ただけで事態の深刻さを悟ったことからも分かろうものだ。
 彼女に先見性があったのも要因の一つには違いないが。

 数時間とも数分とも感じられる、苦しい時間は終わったかのように思われた。
 少なくとも彼女はそう思ったのだ。

 その報告書の最後は、彼女にとって死刑判決を読み上げているかのようであった。
 それは正式な署名などないが、明らかに専門集団が検討した結果――ニホンとローリダの戦いの結果――がその予想される経過とともに事細かく記してあった。そして、その結果はもちろん敗北。いや、全滅といってもいいかもしれない被害を受けての遁走……

 そして、彼女が何よりその結果に至るまでの経過をありありと想像できてしまうことが衝撃を更に押し立てる。
 この情報から、国防軍敗走の未来がしっかりと見えるのだ。

 ――しかし……、その情報自体がもし幻想であったとしたら?

 そこにミヒュールは小さな光を見つけたかに思えた。
 少しの余裕を取り戻したミヒュールは受け取ってから絡み取られたかのようにレポートにへばりついていた視線を、持ち上げて周りの様子をうかがう。

 ロート大佐はまだしっかり、そのレポートを読み込んでいた。
 さすがは英雄だ、とミヒュールは関心する。というのも、もっと取り乱して……例えばエンクルマに問い詰めるなどという反応をロート大佐は露ぞ見せなかったからだ。

 そして……この混乱に陥れた張本人であるエンクルマを見る。
 彼は先の、レポートを渡す前と変わらない柔和な表情でロート大佐を見つめている。しかし、ミヒュールにはその表情がその目に見えるそのままとはもう思えなかった。
 エンクルマはロート大佐に――気に入った生徒に課題を出してその様子を興味深く観察している、ミヒュールはなんとなくそう思った。

 すると、エンクルマの吸い込まれそうなほどの黒目が、突然嫌に光るガラス玉のように感じ始めたのだ。
 その変化は、ミヒュールに驚きをもたらすのに十分であった。

 眼の前の、先まで楽しく談笑していた人間が、怖い。

 そんなことを感じてしまう。

『――ひゅぅ』

 ミヒュールの喉から微かな音が漏れた。

 








 ミヒュールはその突然の恐怖に、その恐怖の正体が分からないことにさらに恐怖を覚える。
 それは拡大再生産していき、ミヒュールは必死にそれを打ち消そうと先の思考に軌道修正を試みた。

 ――しかし……、その情報自体がもし幻想であったとしたら?
 
 ――そうだ! そうであるはずだ!

 何もこの情報自体が本当のことであると決まったわけでない。すると、当然、その情報を下敷きにした戦争の予想も崩れることになるだろう。
 もともと、このレポートの出所すら教えてもらっていないのだ。更にあのエンクルマ前司令がロート大佐に渡そうとした書類である。

 ――偽装の……そう、国防軍であるロート大佐、これから活躍しうるだろう英雄を妬んでの撹乱……?

 ミヒュールはこの思考が多分に自身の希望が混じっていること十分に自覚していた。
 結局、自分はこの目の前の書類の内容が本物であると認めたくないのだ、と。

 しかし、しょうが無いではないか! と、どこに向けるでもない怒りも彼女は覚える。

 ――これから行く戦場で確実に負けるという資料を見せられては!

 そういう意味で、ミヒュールは目の前のエンクルマに憤る。
 結局、この情報が本当かどうかなんての判定は現時点ではどうにでも言えてしまう物なのだ。だからこそ、そこには判断する主体の希望が入り込む余地があるのだろう。
 
 その時点で戦争に最も必要な『真実』という価値は消え失せてしまう。
 
 この時点での情報の真偽はさほど重要ではない。それはもう己の判断ではどうしようもないことであり、判断のつかないことだからだ。であるなら、うだうだ考える方が無駄だろう。

 ミヒュールは自分がいつもの調子に戻っていくのを自覚した。
 それはいい傾向だ、と考える。今まではこのレポートに心を乱され過ぎた、そのせいで冷静に考えることが出来なかったのだ。

 情報の確かさはどうでもいい。いや、どうでもいいことではないが、この時点で、この私が考えるべきことではない。

 では、何を? 何を考えるべきなのか?

 ――それを考えさせるために。その様な思考に辿りつくかどうか試すために。エンクルマは私たちにこの資料を見せたのではないか?

 ふと、そのようなことをミヒュールは思った。
 そして、それは目の前の先生染みたエンクルマ元司令の印象に当てはまるものであった。

 
 ミヒュールは書類を見つめ、考える。
 
 ――今考えるべきはこのレポートの内容でなく、このレポートを何故このタイミングでロート大佐に渡しているか、だ。

 国防軍であるロート大佐は一応、エンクルマの敵になるのだろう。
 しかし、彼らが共に戦場で共闘した戦友であることも確かだ。そして、その意味ではロートは国防軍側ではなく植民地軍側とも言える。

 ――彼は……どっち側なのだろうか? それが決まらないと、このレポートの意味も変わってくるのではないか?

 そして、ひらめく。その迷いはエンクルマにもあるのではないか? と。
 その迷いを断ち切るためにエンクルマはロートにこのレポートを見せたのではないかとミヒュールは当てをつける。

 大体、ここでエンクルマが動いているということは今回の戦争でこの後の主導権をとれると踏んでいるからだ。もし、このまま国防軍が勝利を勝ち取れば、後は失脚したエンクルマの出番などない。せいぜい、国防軍に慈悲を乞うぐらいしかできない。
 だが、エンクルマは動いている。大人しく裁きを待っているのではなく、積極的に動いている。それは何を意味するのか?

 もし、エンクルマが何も考えずに、感情だけで動くような人物であればこの様な推測は成り立たないであろう。

 だがロート大佐は言った。 

『エンクルマ閣下が、不用意にそのような発言をするわけない』

 その言を信じるなら。この行動の目的は?

 この書類の内容の真偽を考えるのではない。その目的を考えるべきなのだ!

 そして、そうであるならエンクルマは何らかの目的をもってこの書類を見せたはずである。

 この書類の内容が嘘であった場合、エンクルマに何の得があろうか?
 それは国防軍からすれば、ただ単に混乱を招く原因になる。そして、書類が嘘であったということは何を意味するのか? それは国防軍が負けるという未来はないということだ。

 嘘の情報を流したことが、後で見つかればエンクルマへの格好の処罰の理由になろう。エンクルマはニホンに勝利し勢いづいた国防軍に処罰されるのだ。


 ――何の得もない。彼がここで嘘情報を流して、得られる得もないのだ。

 ――すると、やはり……

 ミヒュールは先より比較的冷静に自身の出した結果を受け取ることができた。

 ――この情報は、本物だ。











「ロート君、読み込めたかね?」

「……はい」

 そうミヒュールが結論づけたのと同時に隣から声があがる。
 ロート大佐は既にミヒュールに手渡された倍ほどのレポートを読み終わっていた。

「さて、君の感想を聞きたいのだが」

 エンクルマが椅子に深く腰を据えながら、ロート大佐に尋ねる。まるで既に答えの分かりきっている答え合わせするかのように。
 ロート大佐はエンクルマの目を真っ直ぐ見つめながら口を開いた。

「エンクルマ会長は、このようなことを意見交換委員会で意見されたのですか?」

「その結果が、これだからね」

 エンクルマは首を横にゆっくりと振った。
 ロートは唇を噛み締める。

「それで……少し相談があるんだ」

 エンクルマが身を乗り出した。

 ミヒュールは、心の中でついに来たかと身構える。彼がこの時点でロートを呼び出したということは、何らかの誘いがある可能性が高かったからだ。
 国防軍に目を付けられるのを承知で来たロート大佐も彼の提案に乗ろうという心持ちだったのだろう。

 そして……その誘いにノコノコ付いて来た自分ももう一蓮托生なのだ。

 それに、この資料を見て誰が国防軍の方に付きたがるだろうか?

「国防軍の兵士たちは玉砕して欲しい」

 エンクルマはいつもと変わらない調子で、そう言うのであった。









「……玉砕、ですか?」

 ロートはオウム返しに言う。
 ミヒュールはその内容が暫く理解できないでいた。

「ああ、玉砕っていうと少し違うか」

 エンクルマは斜め上を見ながら、軽く言う。

「戦争に負けた時の生き残りをできるだけ少なくして欲しいんだ」

『……』

 二人は声が出なかった。
 彼の言うことはつまり……戦死者を多くして欲しいということではないか!

 ミヒュールはエンクルマをまじまじと見つめた。とてもまともな提案とは思えなかったからだ。

「会長は……」

 ロートは声を震わせながら言う。

「何をおっしゃっているのかわかっているのですか!?」

「もちろん、分かっているさ」

 エンクルマは続ける。

「君たちになら言ってもいいかな…… この戦争が負けそうなことが公になれば、必ず俺が指揮を執るようになるだろう」

 まぁそうさせるんだけど、とエンクルマは続けて小さくつぶやいた。

「その後、国防軍の影響をできるだけ減らしたいんだ」

 分かるかな、とこちらを見やるエンクルマは物分りの悪い生徒を見るような目でこちらを見る。

「それは……」

 ミヒュールはそれ以上言葉が続かなかった。
 理屈としては、理解できる。結局、影響力というのは数だ。国防軍が敗走し、なおかつ数が少なくなるとなれば彼が主導権を握るのは簡単だろう。
 彼の敗戦という予言が、現実味を帯びるもプラスに働くに違いない。

 そこまで考えて、ミヒュールは気がついた。

 彼は、エンクルマはこのことを――主導権を握ることを――最終目的に動いていたのではないか?

 つまりは、あの失脚から会見まで、全ては今回の戦争を利用して更に大きな権力を握るために仕組んだのではないか!

 そう考えるとすべてのつじつまが合う、とミヒュールは思った。 
 そして今回のロート大佐への提案……というよりこれは命令だろう、なぜなら此処でこれを拒否するということはニホン戦争後に何が待っているか分からないということだからだ。
 どうせ国防軍からは目を付けられるに決まっている。

 ――ならばいっそのこと……

 そんなミヒュールの予想に対して。

「お断りします」

 ロート大佐は、そう言い切ったのだった。









「……それは何故かな?」

 彼からすれば予想外であっただろうに、エンクルマは静かにロートに問う。
 そして予想外だと思うはミヒュールも同じであった。にもかかわらず、どこか納得している自分が居ることに彼女は気がついていた。

「私は……部下たちをわざと減らすような、そんなことは出来ません」

 毅然とした口調で断るロートに、エンクルマはふぅと少し溜息をついた。

「冷静に今後のことを考えてくれ。大体、君だって国防軍が好き放題するなんてことは嫌だろう? それに……」

 エンクルマは何故かミヒュールの方をチラリと見た。

「……どっちにしろ、君はニホン相手に戦わないといけない。その事実は変わらないんだ。君もまさか犠牲者を出さないように逃げる、なんてことはしないだろうしね」

「……」

「戦死者はどうせ出るんだ。それがこの後の『平和』の邪魔になるなら減らしておくに限る、当たり前じゃないか。……兵士は死ぬものだよ。そして、それを決めるのが将校の仕事だろう」

 エンクルマは諭すように言った。
 
「いい加減に割り切りなさい」

 その言葉にロートは黙ったままだ。
 永遠に続くかと思われたその沈黙は、ロートの振り絞るような声でやっと破られた。

「……出来ません」

「……そうか。残念だよ」

 エンクルマはそのたった一言だけを返した。













「……ロート大佐」

「なんだい?」

 ロートとミヒュールは大学から一直線に飛行場に向かい、二人は既にサン-グレスへと向かう機上の人であった。
 ミヒュールはあまりにも濃い一日であったと今日を振り返る。
 その中で、疑問に思っていたことをロートにぶつけたのだった。

「何故、私を誘ったのですか?」

「ああ……それはね」

 行きの便とは逆の席に座っていたロートは、窓から外を眺めながら答える。

「エンクルマ会長に飲み込まれないように、誰かに見てて欲しかったのかもしれない」

 ミヒュールは、その飲み込まれるという表現に彼がエンクルマをどう思っているかを見たような気がした。
 
 ――彼は、エンクルマを恐れていたのではないか?

「私たちは……負け戦に臨まなければならないんですよね」

「……それも圧倒的な負け戦さ。勝ち目の一切ない、ね」










[21813] 十八話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2011/11/11 22:03


 日本国 首都東京郊外 九月二十九日



「君のことは外務省でも噂になっているようだな」

「はぁ……」

 と、情けない返事をしたのは今、注目の的であるローリダ共和国との会談を終えて帰国してきた東スロリア課課長 寺岡祐輔である。
 ここは首相官邸。後に世界の中心と呼ばれるここで寺岡は日本国の最高権力者とその親友に対面しているのであった。

 座り心地のいい椅子に座った寺岡の目の前には内閣総理大臣 河正道がその透き通るような目で寺岡の方を見つめている。その横には、面白そうに口を歪めて語りかけてくる自民党幹事長 神宮寺一の姿があった。

「いや、何も叱咤しようというわけじゃないんだ」

 神宮寺は苦笑しつつ要領を得ない様子の寺岡に言う。

「ただ前評判というか……寺岡君はもっと大人しい気質だと聞いていたのでね」

 神宮寺の言う所は先日、行われたローリダ共和国との会談での寺岡の対応であった。会談の途中で席を蹴るという、衝撃的な終わり方はローリダ、日本共々予想だにしなかった終幕であった。
 そして、そのような激しい出来事があの寺尾の判断で行われたということも事情を知る者の間ではいい話題になっている。
 
 結果、外務省での彼への評価は、真二つに別れたのだった。
 
 それは交渉、話し合いを途中で蹴るというのはけしからんという一見もっともな意見から、ローリダのあの態度、行動を受けてなら仕方がないという意見まで。いつもは正規分布を描きがちな、日本人らしからぬ反応であった。
 
「……では、君のローリダ共和国への印象を教えてもらえるかな」

 これまで沈黙を守ってきた河がやっと口を開いた。
 はい、とうなづいて寺岡は話し始める。

「彼らは……これまで同程度の発展具合の国と出会ったことがないと思われます。それと彼ら特有の宗教から来る世界観、それと経済的、政治的理由から今回の東スロリアの懸案に対して彼らが武力行使を厭うことはないでしょう。逆に積極的に行使してくるかと思います」

「なるほど。その文化的理由というのはレポートにもあったキズラサ教のことだね。政治的理由というのは……?」

「はい。私たちが事前に会談した相手であるローリダ植民地軍司令は今回の戦争回避の道を模索していました。しかし、今回の会談ではそれとは全く正反対の急進派が出てきた――これはローリダ国内で政変があり結果急進派が勝利した、と見るべきです」

「ふむ……。確かに、今回の戦争に肯定的である集団がそれを理由に勝利したとなれば彼らが止まることはできないだろうな」

 横で聞いていた神宮寺が頷く。
 河はその推測に同意しつつも、どこか納得していないように寺岡からは見えた。

「その、反対の立場であるローリダ植民地軍司令には連絡は取れないのかね」

「はい。残念ながら……」

 本当に残念だ、と寺岡は後悔する。
 あの会談でもっと彼らを信用し、通信機なども預けておけば、このように不安定な推測の下で話しあうということも無かっただろうに、と。
 
 納得していないのが顔に出ているのを自覚しているのだろうか、河は寺岡に向けて帰国した時にも言われた言葉を繰り返した。

「君を任命したのは私自身だ。君のした判断、行動の責任は全てこの河にある。君のことをとやかく言う輩は無視すればいい」

「君も考えなしに会談を蹴った訳ではないだろうしな?」

 神宮寺がイタズラ好きな子供に似た笑顔を浮かべながら茶々を入れた。
 その言葉に寺岡はあの時のことを思い返す。確かにあの行動は会談を台無しにした。しかし、それは無駄ではなかったと信じていたからこそ彼は少し演出過剰に思われる退出劇を演じたのだ。

 ――どうせあのままグダグダと話し合ったとして何か結果が出ていたとは考えにくい。いや、確実に出てこなかっただろう。それでも交渉を続けるべきなどとのたまう人は外交に対して全くの素人と言わざる得ない。あの行動で寺岡が示しかったこととは、日本がローリダに簡単に屈するような国にではないこと。今までのような国ではないということを彼らに伝えるのが必要であったのだ。

 そのような力強いメッセージは言葉など貧弱な方法で相手に簡単に伝えられるようなモノではない。
 
 武力を背景としない外交が意味を成さないように、時として外交でも言葉以外の手段を用いて相手にこちらの意思を伝えなければならない場面もあるのだ。
 そうしたことを頭の中で考えていた寺岡に、河は言葉を放った。

「……今度の招聘に私は応じようと思う」

『……っ!』

 驚いたのは寺岡だけでなく、その隣にいた神宮寺もその言葉に驚いている様子であった。
 その反応を微笑んで見ていた河は続けて言葉を重ねる。

「彼らが平和に価値を見出す我々の価値観とは違う、その寺岡君の意見はとても参考になった。しかし、そんな彼らといえども首相が自ら会談に臨むというその重要性を理解できないはずではあるまい」

「しかし……、彼らは危険です! 首相自らというその心意気は立派だと思いますが……」

「私も反対だ。河君、ここ数週間の間に彼らがしたことを思い返して見給え。彼らに通常の感性を期待するのは間違っている」

 外交交渉中に起きた挑発行為。そして、日本側に衝撃的であったのはその後に続いて、南スロリア海にて七隻もの巡視船が沈められたことである。更には今回の懸案とは関係無いと思われていた石油施設への攻撃などはどう考えても挑発行為を超えて、それは一方的な戦闘行為であった。
 その理由を今回の交渉の腹いせに求める者もいたが、その責任を寺岡らが取るべきだ、など言うトチ狂った者はいなかった。重ねて彼らがスロリアに侵攻を開始したとなれば、彼らがその侵略の意図を最初から持ち続けていたことは明白であった。

 そのローリダ共和国――いや『武装勢力』に首相自ら交渉に出向き渡航しようと言うのだ。彼ら二人が反対するのも仕方がないように思える。
 二人の反対に河は静かに顔を横に振った。

「だからこそだよ。彼らにこちらの強固なる意志を見せること。そのためにはこの手段しかないように思える」

「確かに、こちらの固い意志を知らせることはできるかもしれない。しかし、あまりにも……」
 
 その渡航に強固なる意志を見せる河に寺岡は微かに違和感を覚えた。

 ――彼も今回の渡航の危険性を分からない訳ではあるまい。対話を進めようという、その言葉表面が本当の真意なのだろうか……?
 
 寺岡はある一つの可能性に思い至ったが、それを彼は即座に否定した。
 
 反対の立場を崩さない神宮寺に河は静かに首を振るのみだ。その強固なる意志は彼の親友でさえも翻意させる事は出来なかった。
 そして、その不自然なほどの意志に。寺岡は先の推測を支持してしまいそうになるのだ。










 寺岡は前河首相らとの会話を思い出して、ため息を吐いた。
 結局、あのローリダに招待されて赴いた会談は最悪の結果に終わった。河首相を含む外交団の爆殺――その衝撃的な結末は確かにこの国を変えたように思える。
 
 ――遅い。遅すぎる。

 寺岡は既に1000人以上の犠牲者を出していたあの時点でまだ楽観的に考えていた議員が居ると聞いて愕然としたものだが、さすがにそのような輩も今回の件には肝を潰したらしかった。明日は我が身だ、なんて思ったのだろうか?
 あの必死の説得も、今から思えばもう少し食い下がれたのかもしれない。そう考えると、寺岡は今でも暗い気持ちになるのだ。

『君は残って、この国の今後を見守ってくれないだろうか』

 あの後、二人だけになった時に言われた言葉が今でも頭から離れない。
 
 ――静かな、けれども熱い気持ちを確かにその目に見た河首相は何を考えてあのようなことを自分に言ったのだろうか? どの様なことをこの自分に期待して?
 
 それら質問に対する答えは、もう永遠に得ることはできない。

 結果、寺岡は退官を前にその身の処し方に悩んでいるのだ。

 
 今日は久しぶりの休暇ということで寺岡は家でのんびりと過ごしている。
 日々の忙しい業務から離れてみれば……その頭に浮かぶのはそれら河首相のことであるのだ。

 ――結局、彼の意図がどうであれこの国が彼の死によってある種の『決意』をしたことは喜ばしいことだ。

 そう寺岡は思う。
 この国がこの世界で指導的な立場になるだろうことは必然だ。それは国力やその技術水準からも自明に思える。
 何もこの国が前世界での某国のように世界の警察を気取るべきだとは思わない。しかし、警察とは言わなくても消防ぐらいは――この世界での火事を消すぐらいはすべきなのではないか、と。逆にその責任がこの日本という大国にはあるのではないかと寺岡は思うのだ。

 そこまで考えを進めて、寺岡はテーブルに置いてある名刺を見やる。その名刺には『国会対策委員長 蘭堂寿一郎』との文字が黒々と光っていた。


『ピンポーン』

 彼の思考を中断したのは、玄関から聞こえてきたチャイムの音であった。その音を聞いて少し止まった寺岡は、そういえば家族は買い物に出かけていたなと思い出す。
 寺岡は二階から降り、ダイニングにある受話器をとる。彼の家ではダイニングから画面を通して玄関の来客が見え、会話できるのだ。

「はい」

「……すみません。寺岡祐輔さんでいらっしゃいますか?」

「ああ、そうだが…… あなたは?」

 テレビには中肉中背の男が映っていた。そして、彼は目立たない大人しい服を着た外人であった。
 彼は少しの笑みを浮かべてこう返す。

「ローリダ共和国植民地軍の者です」












 ローリダ共和国 首都アダロネス エンクルマ邸 九月三十日


 
 エンクルマ邸には相も変わらずたくさんの書類でダイニングの一角は占められていた。
 その中に埋もれているのは一心不乱に送られてきたレポートを読むエンクルマである。そのいつもの様子にエミリーは心配と安心という相反する二つの気持ちを抱くのだった。

「……エンティ、そろそろご飯にしましょう」

 と声をかけるは午後二時を過ぎた頃である。朝からその紙の中に埋もれっぱなしのエンクルマに流石のエミリーも心配しているのだ。
 
 彼がこの家で宣言をしてから早二ヶ月が経とうとしていた。今までも目に隈が絶えないぐらい一生懸命に働いてきたエンクルマであったが、その倍ほどエミリーからエンクルマは働いているように見える。
 シンパ達との会合、植民地軍官僚との勉強会、情報部からの報告……それら全てを精力的にこなす彼からは、もはや化物染みたオーラすら漂ってきそうな雰囲気がする。

 もちろん、彼の良人であるエミリーもただ見ていたという訳ではない。セッティングなど、秘書仕事から様々なことをこなしている辺り彼女の才女ぶりが分かろうものだ。
 そんな彼女さえも彼のその精力的な行動が結果何を目指しているのか、どの点に収束するのかは分からないのだった。彼が脇目もふらず進む道の先に何が待ち受けているのか――怖いような楽しみなような、不思議な気持ちを抱いていたのだ。
 
 エンクルマの暗躍が何を目的としているのか。そのことを一番近いエミリーでさえ把握していない事実は、それはつまり全てがエンクルマの中だけで完結しているということを意味している。
 その様な事態が許されているのは普通ではない。その尋常でない状況を支えているのは、彼に対する信頼――いや、盲信であった。彼の周りのその宗教に似た信頼は彼の権威が失墜した後の方が、ある意味純化しているとも言えるのかもしれない。

 ――この状況を理解し、危険性を把握し続けることができるのはこの私だけではないだろうか? そうであるならば、自分は、自分だけはエンクルマのそばに居続けなければならない……!

 エンクルマという台風の目に居る彼女は、その明晰な頭脳でそう決意するのだ。
 彼女が夫のそういった弱点を理解し支えられる、という意味では彼らは理想の夫婦であるといえるだろう。

「ああ。もうそんな時間か。あ、ちょっと待ってくれ」

 エンクルマが顔を上げた、とその時テレグラフ機は情報の詰まった紙を吐き出す。
 チラリと見たその紙は、確か植民地軍情報局からの報告書だったかと彼女は推測する。

 その紙面に視線を走らせていたエンクルマであったが、突然、ガッツポーズをする。

「――よしっ! これで前提条件はクリアだ」

 それは久々に聞いたエンクルマの明るい声であった。
 
 エミリーはその前提条件が何を意味するのかは分からない。しかし、その明るい声を聞いて自然に心が浮き足立っていくのを自覚した。
 
「おめでとう、エンティ。で、お昼にコーヒーは要る? それとも後?」

「あ、ああ。後にしてもらおうかな」

 嬉しそうな声でそう答えるエンクルマに自然とエミリーの頬が緩む。
 用意する間、前提条件が整った、ということを軽く考えてみる。

(そういえば、一昨日のことは関係あるのかしら?)

 一昨日、というのは大学であの国防軍の英雄であるロート大佐と話し合いを持つと言ったことである。
 これも普通に考えれば、ややこしい事態を起こしかねない行動だ。しかし、彼はこれが必要だと考え、実行したのだから何かしら意味があるのだろう。

「一昨日のロート大佐の件だけど、あれもあれでよかったの?」

 というのも彼の口からロート大佐が協力を断ったことを聞いていたからだ。
 その問いに、エンクルマはイタズラが成功した子供のような眩しい笑顔を見せて答える。

「うん。成功も成功、大成功さ。彼があの場所に来た、その事が重要であって彼の返答はぶっちゃけどうでもいい。大事なことはね、彼が『英雄』でなくなることなんだから」
 
 分かったような、分からないような答えにエミリーは首を傾げる。
 食器を手にテーブルへと向かう彼女にエンクルマは楽しそうにこう言ったのだった。

「英雄は二人も要らないのさ、エミリー」










[21813] 十九話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2011/12/24 14:30


 ローリダ共和国 首都アダロネス 高級住宅地 南門

 
 軍高級幹部や議員の集まる高級住宅街の最奥がエンクルマ邸らしい。
 
 高級住宅地というよりも一種の軍事施設のような、そんな物々しい様子を見てアミン=タダは改めてここが普通の住人が住むようなところじゃないと思う。やはり、こうやって警備がつかないと安全が保証できないのだろうか。

 植民地軍よりいい装備をしていそうなガードマンに、通行証を見せるついでにエンクルマ邸の場所を地図で教えてもらう。その時の生温かい目線は、お上りさんみたくはしゃいでテンションが天元突破している隣の人物が原因だと思いたい。

「エンクルマ司令は家に居るかなぁ?」

「いねぇだろう。あの人だって、忙しいらしいし。まぁ、何に忙しいのかとかまでは分からないが」

「そりゃそうよ! あのお方がドクグラムなんかにこのままやられて終わるわけないじゃない!」

 と、いつもの勢い持論を展開させるのは隣のクリスティーナ=デ=キルチネルである。
 彼女はアミン=タダと同窓であり、学生の間はよくつるんだ間柄であった。もともとアミンは庶民出であり、この愛らしい金髪ツインテールのお嬢様が所属するような貴族階級とは馬が合わないはずである。仲良くなれた原因として大きいのは植民地軍大学の『出地で差別しない』というアカデミックな空気だろうか、とアミンは推察してみるが最終的に根本的な問題へとたどり着いた。

 ――というより、他の貴族階級出の同窓などいなかったのではないか?

 そう思うと隣の女が如何に奇特な人物か分かろうものだ。
 哀しいかな現実社会は厳しく、大学卒業後軍に進んだ彼女と、大手新聞社に就職した自分はそう頻繁に会うことはなかった。右隣に揺れる金色の尻尾を視界にいれながら、歩くのは久しぶりだなぁと少しの感慨にふけってしまうのも仕方がないだろう。

 彼女の奇特さ、というより悪目立ちするのは貴族階級であるにも拘らず植民地軍に仕官しているということだけではない。

 その金色で眩しいほど綺麗な髪はここローリダでも珍しいし、彼女のは絹のようになめらかであるので見る者の目を惹きつけてやまない。
 しかもその長く伸ばした髪に対して、彼女は平均的な――彼女が言うには軍という特別な環境での平均的な――身長には大分足りていないのだから目立ちもする。こういっちゃなんだが、チビの金髪ツインテールお嬢様が制服を着てふんぞり返っているのを見ると劇画に見えてしょうがない。

 彼女は今、軍に仕官中であり、昨今対ニホンの情勢は緊迫している。にもかかわらず、何故こんなところに彼女は居るのか?

 その疑問は彼女から久しぶりに電話がかかってきた、昨日のアミンの頭にも浮かんだ疑問である。

 対して彼女の返答は、

「だって、こっち仕事ないんだもん」

 という何ともコメントに困る答えであった。
 彼女がいうにはアダロネスから海を渡ったノドコールでの植民地軍のやる気の”無さ”は凄まじいらしく、それこそ将校である彼女に『有給使っとけ』と指示が来るぐらいにはやる気がないとか。

 アミンはそれを聞いた時、大丈夫かと別の意味でこの戦争の行方を心配したのだが、兎も角彼女はそういう理由で帰国していたらしい。
 その彼女が自分に電話をかけてきたのは、懐かしい同窓の声を聞きたいとかいうロマンティックな理由ではなくもっと即物的な、自分の欲望に忠実な理由であった。

『エンクルマ邸での取材アポを取り付けたの!?』

 久しぶりに聞いた親友の第一声である。

 彼女が植民地軍に仕官した最大の理由。それは、彼女が尊敬してやまない『常勝将軍』への憧れからだ。家には反対され、勘当されかかったらしいが何とかして勉強し、実際大学に入ったのだからそのバイタリティは凄まじい。

 彼女の心酔ぶりは親友のアミンから見ても同窓の中で突出していたように思える。
 勿論アミンも、国防軍と植民地軍を選べというなら植民地軍であるし、卒業生の9割を超える人数が植民地軍に仕官するのをみると誰もが多少のあこがれを持って入学してきたのは事実だ。

 いくら表面上は、その広く開かれた門戸や質の高い教育を安い授業料で受けられることに惹かれて、といって入っても最期は仕官する人が大部分だ。むしろ、アミンのように他の一般企業に就職する方がよほど珍しい。

 ――アイツは何時か『エンクルマ教』の教会を立てるだろうよ

 そうした評判を得た彼女は、嫌どころか誇らしげにしているのだからどうしようもない。

 そうした彼女を横に伴いながら、豪華な家々の迷路を通り抜ける。この高級住宅地はそれ自体で全て完結できるように、中には学校・食料品店など全てが揃っているといっても過言ではない。そして、その周りを鉄格子で囲って完璧な安全を保証する――これがこの高級住宅地の全容だ。

 アミンがエンクルマ邸に訪れる理由。それは彼が新聞社に勤めていることからも分かるように、記者が取材するためという極々一般的な目的のためであった。

 彼がもともと大学に入ったのも、その安い授業料に惹かれてということもあるが、一番の理由はエンクルマへの興味であった。
 勘違いされやすいのが、彼が興味を持っているのがエンクルマ個人についてであって、彼女が惚れ込んでいるような”英雄”としてのエンクルマでないことだ。勿論、彼個人の評価には英雄としての評価も含まれようが、彼はもっと彼個人にフォーカスを当てたく入学したのである。

 だから卒業後は新聞社に入社し、取材や人脈といったおおよその技術を習得することにしたのだ。アミンの夢はエンクルマの伝記を書くことであった。
 彼は小さい頃から思っていたのである。

 ――孤児からどうやって難関の士官学校に入れたのか?

 ――学生時代はどう過ごしたのか?

 ――植民地軍を何を思って設立し、ここまで大きくしたのか?

 転移前のことを知るのは、そう容易なことではない。現在進行形の事件でさえ、記者は歩きまわりその自身の足で情報を集めるのだ。いわんや、転移という大災害の前の大昔の事など。

 そんな彼に今回の辞任騒ぎは、ある意味いい区切りであったのかもしれない。
 ここで、一度これまでまとめてきた情報をまとめたりしてみようかと考えたのである。

 そこで、ダメ元で学生時代の彼をよく知る人物――彼の良人であるエミリー女史に取材を申し込んだのだ。
 その返事は、まさかの快い了解であった。

 まぁ、彼女は現在、一市民という立場だ。今までは、軍の広報を通してでしか聞けなかった質問も本人からきけるだろう。

 そういう意味で、彼の心は浮き足立っていた。
 そんな彼に冷や水を浴びせかけたのが、先の電話である。

 アミンは必死に彼女に言った。取材をするのは、あくまでエミリー女史に、であってエンクルマにではない、と。
 それでも、もうしかすると家にいて会えるかもしれないじゃない! と興奮気味に話す彼女をもう止められないという事実を親友であるアミンは重々承知していた。

 そうした経緯で、ここに不機嫌そうな仏頂面の男とその横を歩く、荒ぶる尻尾が幻視できそうなほど嬉しく見える金髪少女という奇妙な二人組が誕生したのであった。





 門から歩いて15分ほど経っただろうか。
 他の家とそう変わらないエンクルマ邸は、逆に他より小さく見えた。

 呼び鈴を鳴らし、予定より一人多い二人で来たことを伝えるとお手伝いさんはにこやかに笑い、案内してくれる。隣のクリスティーナはキョロキョロと挙動不審だ。

 応接間へと通されたそこには、元植民地軍総司令部参謀長であり、エンクルマの良人であるティム=ファ=エミリーがにこやかな笑顔を浮かべて座っていたのだった。
 そういえばこの人と横のクリスティーナは似ているな、とアミンは何となしに思った。その美しい金髪という共通項だけでも、印象的には大きいものなのだろう。
 二人来ることは聞いているのか、特に驚いた様子もなく立ち上がり二人は握手を交わす。

「初めまして、ローリダ中央新聞のアミン=タダです。今回は取材を許可していただいてありがとうございます」

「ええ、初めまして。”元”総司令部参謀長のエミリーよ。ちょうど、空いてたから都合が良かったの」

 と、無難に挨拶を交わしたアミンは、次はお前の番だ、と隣のクリスティーナを見やる。すると、彼女はきちんと敬礼をしていたのだった。
 そんなクリスティーナの様子に、彼女は苦笑しもう一度確認する。

「もう、軍籍にあるわけじゃないのよ。だからそんなに固くしなくてもいいわ」

 そう言って、やっと彼女は敬礼を止めるのだった。

 
 応接間には座り心地のいいソファーと豪華なテーブルがあり、エミリーの対面に二人が座る。その頃になって、タイミングよくお手伝いさんが持ってきたのは三人分のコーヒーであった。
 その良い香りを楽しみながら、今回の取材について、また目的についてアミンは説明する。

「……なるほど、エンティの伝記ねぇ」

 コーヒーを啜りながら彼女はしみじみと呟いた。
 隣のクリスは、彼女の前にしてからは借りてきた猫のように大人しくなっていた。最初に、今日はエンクルマが外泊する予定だと耳にしたからだろうか。

「はい。丁度いい時期かと思いまして」

 と、そこでエミリーの形のいい眉が少し持ち上がる。
 これは失言だったか、と慌てて訂正と謝罪しようとして、エミリーはそれに微笑みながら首を振った。

「大丈夫よ、気にしないで。……でも、確かに立ち止まっているからこそ、振り返るにはいい時期かもしれないわね」

 そう独語する彼女は、何かを深く考えているかのように宙に視線を彷徨わせる。
 数秒彷徨った視線は、すぐにこちらへと向けられた。

「で? 何時の事を聞きたいの? エンティの――」

「――転移前の、それも出来れば士官学校時代のことを教えて頂けると助かります」

「士官学校? ……というより、その頃に初めて私は彼を目にしたのよ?」

「あ、そうですね。ということは、その頃からお付き合いされていたのですか?」

「……そうね。付き合いだしたのは学校を出てからだけど」
 
 男女交際は禁止されていたわね、と笑顔でエミリーは言う。
 そんな彼女相手に意外な伏兵から質問が飛び出した。先から大人しいクリスティーナである。

「二人の馴れ初めとか気になります!」

 ふん、と鼻息荒く急にエンジンのかかったクリスにエミリーは少し驚いた様子だ。それに乗っかる形で、

「そうですね、自分も気になります」

 とアミンは同意の意を示した。
 彼からすれば、彼女が知っている最古の記憶から聞き取りたかったのである。彼が現時点で得られるナマの情報として、それが最も古い情報になりそうであったからだ。
 それに、後の良人となる彼女ならエンクルマの事をよく知っていただろうと思ったからでもある。
 少し恥ずかしそうに笑みを浮かべて渋るエミリーであったが、彼らの熱意に圧されて、ついにゆっくりその口から二人の物語を紡ぎだし始めたのだった。

 その物語のプロローグは二十数年もの前、ローリダという国がまだ転移という史上最大の試練に直面する前に始まる。



 






 エミリーは機嫌がすこぶる悪かった。
 彼女の予定では、今日は清々しい気分で一日が始まるはずであった。そして、彼女が出来る範囲内でその希望を叶えるために、最大の努力をしていたということもあったのだろう。なまじっか、多大なる努力をしていたと自負するがゆえに彼女の機嫌は急降下している、ともいえる。

 彼女の機嫌が斜めな理由。それは、今日発表された中間考査の――この士官学校に入学してから最初の――考査の結果が貼り出されたのである。

 彼女は当然、この学校で一番であるはずであった。そのための努力もした。

 だというのに――

「どうして私が二位なのよっ!」

 周りに聞こえないぐらい小さく呟く。

 試験の結果、彼女は上から数えて二番目であった。

 友達の女学生は、それでもすごいと褒めてくるのだが彼女としては溜まったものでなかった。彼女らの賞賛の背景、それこそエミリーが打ち倒したいものだったからだ。
 
 彼女らの賞賛には、口には出さないけれどある常識があり、その上での賛美なのだ。

 それは『女だてらに……』から始まる全ての動詞、形容詞。この封建的な社会での女性への態度・見方、そういったものが全て彼女は気に食わなかったのである。
 彼女はそういった風潮が色濃く残るローリダで、女性でも能力があるということ、下手な男よりも有能であることを示したかったのだ。
 それ故、比較的能力主義な軍隊への最短ルートである士官学校に入学したのである。

 勿論、彼女とて簡単にそれがなし得ることだとは思ってもいない。
 
 ――だから、あんなにも努力をしたのに……

 心のなかで暴れるこの理不尽な怒りの向け先が分からない。
 彼女自身、この怒りが全くの見当違いなことぐらい分かっていた。そして、今この足が食堂に向かい、そこでこの自分よりも”上”にいる奴を見つけ出そうというこの行為は、ともすれば危ない行為であることも分かっていた。
 分かっていたが、彼女は気になるのだ。この自分を下した男が。

『エドワード=エンクルマ』

 彼女の名前の上にあったのは、そんな名前であった。



 事前に集めた情報によると、何とも微妙な奴だという。
 彼女はそのことを聞いて、なんでまた微妙な奴なんかに……と歯噛みした。というのも、二人で良くつるんでいるらしい男二人のうち、『じゃない方』が『エドワード=エンクルマ』であるらしいのだ。
 
 ――まぁ、今回の考査で『頭のいい奴』ぐらいには知られるかもしれないが

 兎も角、もう一人の方は金髪で背が高く、顔もいいと確かに女子の間で聞いたことがあるような人気のある男であった。そんなイケメン、エアーズ=ディ=アドルフとの親友であるエドワード=エンクルマを探してエミリーは足音うるさく、彼らが居るらしい食堂へと向かっているのだ。

 
 着いた食堂にはまばらな人影しかない。これは好都合だ、と周りを見渡すと奥のほうに目立つ金髪と黒髪の二人組がテーブルで向かい合い会話している姿が見えた。
 近づくと、その会話が断片的に耳に入ってくる。

「……にしても、今回の件で有名になるんじゃないか?」

「……はは、名前はよく見ても顔は覚えてない、みたいなことになると思うけどね」

 会話からして、彼らに間違いなさそうだ。
 彼らがエアーズ=ディ=アドルフと エドワード=エンクルマなのだろう。

「ちょっといい?」

 近づいて声をかけると、二人の顔がこちらへと向けられた。
 
 一人は流石噂のイケメンだ、女子から黄色い声が上がるのも無理は無い、整った顔をしている。
 対して、今回の目的であるエドワード=エンクルマは、一言で表すと冴えない風貌であった。
 いや、冴えないとまで言ってしまうのは、彼にかわいそうかもしれない。隣に居るのが、凄い美男なのだから――彼単品でみるに、まぁ普通といったところだろう。

 黒髪は隣が金髪だからか、少し魅力的に見えた。彼女自身も金髪であるのだ。
 そして野暮ったいメガネをかけている。童顔な顔に似合っていない真っ黒縁取りのそれは、彼のかっこ良さをかなり下げに補正しているように思えた。

 二人の視線は同時に向けられたのに対し、すぐに外れたのはエンクルマの視線であった。すぐに興味をなくしたかのように、そばに伏せられてあった文庫本が広げられる。
 
 そのお前に興味なぞないと語る態度に――エミリーは少し、ほんの少しだけむかついた。

「おやおや。マーガレットさんじゃないか? 高嶺の花が、何故こんな場末に?」

 少し芝居がかった態度でアドルフはエミリーに問いかける。
 その問いを無視して、エミリーは席についた。やっと、ここでエンクルマの目が手元の本から上がる。

「初めまして、マーガレット=エミリーよ。宜しくね、学年一位のエンクルマさん?」

 その少し挑発じみた挨拶に、エミリーは自分が少し暴走気味なのを感じるが、そのまま相手の挨拶を待った。
 顔を挙げたエンクルマは、少し首を傾げる。何故突っかかってくるのか、理由が分からないと言った顔だ。

「はぁ、初めまして、マーガレットさん。あー、エドワード=エンクルマです」

 とそこで彼の口は一旦閉じられた。
 一拍の静寂は、この二人の間の調和をこの自分が見事に乱してしまったからだろう。萎縮、というか困惑の表情をうかべるエンクルマとは正反対に、隣の金髪はえらく楽しそうではあるが。

「俺はエアーズ=ディ=アドルフだ。宜しく」

 半ば無視される形となったにも拘らず、アドルフは何も気にしていないかのように挨拶をしてくる。
 
「宜しく」

 と、彼には簡潔に答えてエンクルマを観察する。

 ――これが、自分を下した男、ねぇ?

 正直、拍子抜けな感じは否めなかった。
 勝手に幻想を抱いて、勝手に失望するとはなんて失礼だろうかと自覚するも、目の前の彼がそう大人には見えない。
 エンクルマの評価を素早く行ったエミリーは、とりあえず今回の目的を達成しようと質問を彼に投げかけた。ここに長居しても、いい事はないだろう。アドルフを慕う誰かに目をつけられてはかなわない。
 
 女の世界も、それなりにめんどくさいのだ。

 あるいは、そんな世界から逃げるためにこんな事をしているのかもしれない。

「こういっちゃなんだけど、私、今回の考査には自信を持っていたのよ」

「はぁ」

 エンクルマは、ただそう一言漏らすのみだ。
 対して、アドルフは何が楽しいのかニヤニヤと笑っていた。

「だから正直、今回は私が一位だと思ったわ。けど、蓋を開けてみればあなたが一位。それもオール満点とか、ありえないでしょ!」

 途中から、愚痴みたくなったがそれも仕方がないと自己弁護してみる。
 なにせ控えめにいっても、簡単ではない、との評価があるこの士官学校の考査での満点は史上初だというのだからその馬鹿らしさが分かろうものだ。そこで、仕方がないと割り切れるほどエミリーは年をとっていなかった。

 後半テンションの上がったエミリーに若干、エンクルマは引きつつ、これまたはぁとぼやけた返事を返すのみだ。その隣のイケメンは、ニヤニヤからフフフと笑いのステージが上がったと見える。口元を隠してはいるが、もう完全に笑っている。

「何がおかしいのよ」

「フフッ、……いや、別に」
 
 イケメンはニヤニヤを浮かべたまま、そう答えた。

「なんだか話が見えてきたような気がする…… それで、 マーガレットさんは何か用でも?」

 素直に、素朴に彼は当然の疑問を口にする。
 ここで、エミリーは彼にどうしても聞きたかったこと――その彼が一位をとれた”理由”――を尋ねることにした。
 彼女はその返答に、何も特別な理由を求めてはいなかったし、要求もしていなかった。もし、それがあの便利で非道な言葉である”努力”とかであるなら、それはそれで納得しただろう。
 努力が足りないというなら、彼女はもっと努力をするだけだ。
 別に彼女は完璧に、完璧主義である訳ではなかったから別に次の考査で勝てればいいと思っていた。それがダメであったなら、学年末で。それがダメであったら、卒業までに。彼女が優秀な男よりも優秀だと皆に認めさせればいいだけの話だからだ。

「――あなたは、何故一位をとれたの?」

 それに対しての彼の答えは彼女を混乱させ、そして激昂させるに十分であった。

「ズルをしているんだよ、俺は」

 そうやって、エンクルマは寂しそうに笑うのだ。









「ズル、ですか?」

 今まで静かにメモを取りながら彼女の話を聞いていたアミンは、顔を上げてエミリーに問う。
 当然の疑問に、彼女はゆっくりと頷いた。

「ええ。あの後も何度も聞いたけど、答えは変わらなかったわ」

「流石エンクルマ司令ですね! 考査をオール満点だなんて!」

 彼女の知らない武勇伝であったのは、エミリーにとって意外であった。エンクルマ教徒であることで有名な彼女が知らない、エンクルマ武勇伝があるとは思えなかったからだ。
 それも考査オール満点だなんてあつらえ向きな話、そうそうないと彼女は思う。

「流石のエンティも、満点はあれっきりだったけどね」

 エミリーはそう、口では言いながらあの悲しげな微笑みを思い出す。

 ――なんで、私はあの微笑みを忘れていたのだろう?

 思い出しながら、その強烈な印象に心臓がドキドキと不整脈を起こす。
 悲しげな、そしてほんの少しの諦観が混じった微笑みを私は見たことがある。無意識に記憶を抹消していたところを見ると、これは自分にとって嫌な記憶と深層心理は判断したのだろう。
 
 ――そうだ、あの時も同じような微笑みを彼はしていた

 結婚をしてから、自分が子供を産めない身体だと分かった時。泣きながら彼に謝った時だ。

 彼はあの時と同じ、諦めと納得と悲しみが混ざり合ったような微笑みで大丈夫だといってくれたのだ。
 
 ――何故、この二つが重なるのだろう?

「それが、エンクルマ司令との出会いですか?」

「え、ええ。それから、まぁ気にかけるようにはなったわね」

 そうだ、あれから彼のことを意識するようにはなったが、かといって付き合うとまではいくはずもなかった。どっちかというとライバル、とか敵、とかそういう言葉のほうが似合う間柄であったはずだ。
 
 ――さて、何がきっかけで付き合う程に接近した間柄になったのだったっけ?
 
 そう考えて、その事に自分が思い当たらないことに愕然とする。
  
 その様子を金髪のお嬢様は興味津々の輝く目で、隣の記者は思いついたことはずべてメモしようと集中した様子で上目遣いにこちらを見てくるのだ。
 そのちょっとした圧力に押される形で、彼女の頭にある出来事がふわりと浮かんできた。
 思い出してしまえば、なんだってこんなことを忘れていたのだろうと不思議になるぐらい強烈な出来事である。

 その都度、思い出し、思い出しながらエミリーは語る。
 彼女が彼に助けられた。たった一言で片付けられるその事件の発生は何ともチンケな理由からであった。









 結果から言えば、目立ちすぎたというのが理由となろうか。
 こんな、腕を後ろで縛られるという経験はそうできるものではない、なんてポジティブに考えようとするも体は正直だ。寒くもないのに、歯が鳴り身体は震えっぱなしだ。

 ここは自分の感覚が確かならナンセン駐屯地だろう。
 士官学校で行われる課業の一環として、実際の駐屯地に研修に行くというものがある。その研修のメンバーを考えるに、何もないはずがないと確信できるような人選であったのは、嫌がらせかなにかだろうか。

 ――もしくは、やっぱりあのいけ好かない奴らの身内が手引きしているのか

 各駐屯地へと振り分けられる研修のメンバーには、エミリーとエンクルマ、そして所謂『選ばれし者』のグループで構成されていた。
 『選ばれし者』なんて大層な名前を付けられてはいるが、その実ただのコネのあるグループというだけである。高級将校などの子弟は難関で有名な士官学校の試験にも有利だと噂に聞いていたが、彼らの愚鈍な様子を見るにそれもあながち嘘ではないように思える。

 そんな彼らとエミリーの仲が良い訳がなかった。
 彼ら自身が身の程をわきまえているのなら、そう派手な衝突なぞ発生しなかっただろうに、彼らはそれすら気づかないようなレベルであったのだ。彼らは自分自身が有能であると信じて疑わないし、それでいてプライドが天より高いとくるから面倒臭いことこの上ない。

 だから、つっかかってくる彼らをエミリーは歯牙にもかけなかったし、急に呼び出されては、俺の女になれと傲慢に言われた時には思わずビンタをしてしまったがそれも仕方がないことだろう。
 エミリーは自分自身の容姿が周りにどんな影響を与えていたかを十分理解していたし、彼らがその実、付き合っている女のことをすこしばかりのアクセサリーのように考えているだろうことも知っていた。正しく、彼女の信条の真反対に位置するような奴らであったのだ。

 だから、彼らがこんな馬鹿なことをする理由も全く理解出来なかった。

 ……いや、理解はできないが推測はできそうだ。
 彼らはその実力に見合った順位に毎回毎回、考査の結果発表で登場していた。当然、それが考査というべきものだろう。しかし、彼らはその当たり前のことが気に入らなかったようだ。
 私のことはいいらしい。
 
 ――アクセサリーは、質が高い方が周りに自慢できる、ということだろうか

 その考え方自体が嫌われる主因になっていることにも気づかない彼らの妬みは、当然立場の弱いものにむけられることになるのだ。
 そしてそれは、毎回エミリーと席次を争い孤児院出身であるエンクルマに向けられることになる。
 まぁ、彼は上手く彼らの嫌がらせをかわし続けた。

 並の手段が効かないと見た彼らは――

「――おい、やっときたか」

 その声を聞いて、エミリーは顔を上げた。
 ここは倉庫のどこかだろう。中は眩しい照明に照らされて、明るいというより白くみえる。その中央の椅子に座らせられているのは自分だ。明日の課業に向けて、早めに寝ようとしたが気づけばこのように、椅子に手を後ろで縛られている。

 その周りにあのいけ好かないグループとそのリーダーらしき男――名前すら覚える価値もないと覚えてはいなかったが――が一斉に倉庫の扉方向に顔を向ける。

 そこには、眠たそうに目をこすりながら歩くエドワード=エンクルマの姿があった。この状況に、助けに来てくれただろう彼に悔しいが少しの安堵と、胸に何か温かい物を感じる。

「……これは、何の集まりだい? リウロ?」

「ふん、そのいけ好かない余裕もいつまで持つかな」

 彼にリウロと呼ばれたリーダーらしき男は、不機嫌そうに鼻を鳴らしてそう答えた。
 彼の視線は当然、椅子に座ったままの自分へと向けられる。

「マーガレットさん? どうしてここに?」

「それはそっちの人に聞いてもらえると助かるわ」

 目線で、リウロという男の方を示す。
 彼は薄い笑いを浮かべながら答えた。

「調子に乗っている、お前みたいな親なしに己の立場を分からせてやろうと思ってな。俺たちの『先輩方』に頼み込んで、ここと――」

 彼が、見やる方向には二本の線が引いてある道路と、向かい合うように置いてある車が見えた。倉庫と外は、大きなモノを収納するためにスライド式の扉がついているのが常であるが、今夜はそれが全開になっていて外をよく見渡せる。
 月明かりに照らされたその”ステージ”を見てみると、それは何かの舞台装置のようであった。
 車の間は二百メートルほどだろうか。ここから見える視界のちょうど端と端に、向かい合った軍用のトラックは駐車してある。そして、そのトラックを囲む二本の並行な直線が引いてあるのだった。

 これらが何をするための装置であるか、エミリーは薄々気がついていた。
 最近、馬鹿な兵士たちの間で流行っているという――

「――チキンゲームができる一式を少しお借りしたんだよ」

 リウロは得意そうに言い放った。




「ああ、チキンゲームができるのは分かったけど……」

 エンクルマは二つのトラックを見ながら言う。
 
「それで何故、俺が?」

 呼ばれたのか分からない――不思議そうなエンクルマの顔に、いらついた様子のリウロは吐き捨てるように言い放った。

「お前みたいな意気地なしに、マーガレット=エミリーは似合わないっ!」

 彼はそういって、顔を赤くするのだ。

 ――ああ、こいつらは決定的な何か勘違いをしてるな
 
 それを見たエンクルマは全てを氷解した顔をした。

「……なるほどね」

「お前、考査だけで体育教練とか他はからっきしじゃないか。それに……その考査だって、”ズル”してあんな上位にいるってこと俺は知ってるぜ?」

 その言葉を聞いた瞬間、エンクルマの顔は一瞬ひどく歪んだかのように見えた。
 エミリーは、エミリーで今の言葉に妙な不快感を感じる。何か、大切な宝物を盗られたかのような、そんな不快感。
 
 ――彼が『ズルをしているんだよ』と言ったのは、あの時ぐらいであったはずだ。何故、彼がそんなことを知っているのだろうか?

 そんな疑問が湧いたが、リウロは話を続ける。

「そんなお前の化けの皮を剥がすのに、これはうってつけだ。まさか、断るなんてことはしないだろう? お前がチキンだってことをここで証明してやる」

 そう言って彼は一つの車の方に向かっていった。
 それを険しい顔で眺めるエンクルマ。

 チキンゲーム。つまり、白線に囲まれた”線路”上を相対した車で正面衝突するようにアクセルを踏む。衝突を恐れてハンドルを先に切ったほうが負けだ。

 そんな、本当にくだらないゲーム。

 今まで、ライバルしてきた経験からして彼は断ると思っていた。
 こんな馬鹿げた、片思いのパフォーマンスなんかに、命を賭ける訳ない。それが正常な判断ってものであるし、これを断ったからと言って自分がどうかなるようなこともないだろう。リロウという男は自分のことを好いているみたいだし。

 そんな予想を彼はいとも簡単に裏切ってしまった。

 じーとこちらを見つめるエンクルマ。
 それはこちらを見ているようで、どこか他の何かを見ているかのようであった。

「……何よ」

「いや…… ちょっと少し、迷ってるんだ」

「はぁ?」

 エンクルマの言葉に、思わずエミリーはそんな声を上げてしまった。

「……うん。まぁ、いいか、な」

「ち、ちょっと! まさか、ゲームに参加しようとか思ってるんじゃないわよね!? 危ないし、しょうもない怪我をしたらどうするのよ!?」

「こういう状況でもし勝ったら――」

 一拍、彼は言葉を溜めた。
 それは何か言いたいことを言おうとしてやめたような、そんな印象をエミリーは受けた。

 ――ああ、そうだ。この時の雰囲気が……この時の顔が……

 ――あの悲しげな微笑みに重なるのだ


「――かっこいいと思うんだよね」

「なっ!」

「女の子をめぐって戦い、死ぬっていうのもいけてるじゃないか」

「ば、ばか! そんなカッコつけてる場合じゃないでしょ!」

 そんなエミリーの制止にも拘らず、エンクルマはもう一つの車の方に歩いていった。
 取り巻きの連中は、少し意外であったようだがそれでも気持ち悪い笑みは浮かんだままだ。普通、こういったゲームでは多少慣れがある方が有利であるということを考えると、どうしてもエンクルマのほうが不利であることを知っているのだろう。

「ちょっと! エドワード=エンクルマ! 止まりなさい!」

 エミリーはそう叫ぶが、エンクルマは止まらない。少しの笑みさえ浮かべた彼は車の元まで歩いて行って、その車を観察する。

「……なぁリウロ、これって壊れてもいいような旧型だよな」

「ふん、それがどうした」

「いや……」

 彼はすぐには乗ろうとはしない。何かを点検しようと座席近くで弄ってる風に見えるエンクルマに、痺れを切らしたリウロが座席から挑発する。

「どうした、怖気づいたか?」

 その問いに答えず、エンクルマは数分席近くで何かをしているかに見えた。
 その何をしているかまでは、分からない。

 ようやく乗り込んだエンクルマを見た取り巻きの一人が、倉庫から出てきて小旗を揚げる。
 振り落とされた、それと同時に両隣から激しい摩擦音が聞こえた。その悲鳴のような音は、タイヤが古いからか、アクセルを踏み込むのが強いのか。

 が、その両の爆音の合間を縫うように甲高い音がカンッとなる。

 その音の正体は、投げ捨てられたハンドルだった。
 
 一瞬、この場の誰もが理解できない。目の前のハンドルが、ひどく場違いに見えるだけで、異常に見えるだけでそれの出自までは頭が回らない。

 しかし、数秒後理解する。

 これはエンクルマの座席から投げ捨てられたものだ。

 顔を上げて見えるのは、まさに衝突しようとする二台の車。
 
 何故かスローモーションみたく世界が遅くなり、見えたのは顔を盛大に引きつったリウロの顔と。

 微笑むエンクルマの顔であった。

 ――その顔は、あの悲しげな……







「それで、どうなったんですか!」

 途中まで身を乗り出して、聞き入っていたクリスがそう興奮気味の声を上げる。
 エミリーはそんな様子に苦笑しつつ、少し思い出すのに苦労しながらその続きを話す。

「ええ、結局相手の男が先にハンドルを切って、終了。その後、子分たち含めてすたこら逃げ帰ってたわよ。ホント、小物っぽい終わり方……」

 話す、途中でクリスの顔が一寸刻みに不思議そうに変化する。
 隣のアミンも、メモを取る動作も忘れてこちらを見てくるのだ。

「……え?」

 顔に温かいモノを感じる。
 顔に手をやると、離した手にはそこだけ濃い絵の具で描いたような、大小の点々がついていた。

「え……なにこれ……泣いてる?」

「だ、大丈夫ですか!? 急に……」

 前のクリスが声をかけてくるが、急の涙に一番動揺していたのは本人であるエミリーであった。
 本人にも、何故こんなに目に涙が溢れてくるのかすぐに分からない。理解できない。

「ご、ごめんなさいね。せっかく話してたのに…………うう、ううぅ…」

「ち、ちょっと! 本当に大丈夫ですか!?」

 周りの雑踏と涙に溺れながら考える。

 本当は薄っすら、薄く。

 心当たりがある。

 彼のあの悲しい微笑みを、最近も見るのだ。

 そして、その顔をさせてしまたこと。その事を今まで忘れていたこと。

 その微笑みに自分では、決して干渉できない何かが含まれていることに今更ながら気がついて。
 
 その不甲斐なさと無力感に。

「うう……うわああああぁ!」

 エミリーの涙はすぐに止まらないのだった。








[21813] 二十話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/02/09 14:34
 
 スロリア中北部 十二月七日



 
「おい、まだ繋がらないのか!」

「はい、うんともすんとも……先の敵発見のような報告しか…」

「……すると、なんだ。貴様は先行している部隊がすでに撃破されていると?」

「いえ、そのような……」

 口ごもる幕僚に、偉そうな態度だけは一人前の連隊長はふんと鼻を鳴らして指揮官用の椅子に腰を下ろした。位置的に上から眺めることとなる彼のイラついた視線は、舐めるように縮こまる幕僚たちを見回している。まるで、決まらない学級委員長に困り果てる初等教育の教室のような、ここは紛れも無くあの赤竜騎兵団の、分団内ではあるが指揮官用車両なのだ。これで無敵を呼称していたとは、とんだお笑い種だとエレーナ=ル=リターシャルは内心呆れを通り越して、悲しくなるのだった。

 彼女が何故、このような場所に居るのか。それは、彼女にある意味彼らの『保護者』としての役割を期待されている――と彼女は思ってたのだが、この学級崩壊の近い有様を見て保護者の役割は早々と諦めた。よって、彼女が此処に居る理由はただひとつとなった。

 それは表では言えない理由、有り体に言えば『国防軍』へのスパイのはずであったのだがそれが何故こうなったのだろうか。
 正直に言って、彼女自身にもよく分からなかったのだが、この戦場に来てやっとその意味を理解し始めたといってもいいだろう。なにせ、連隊長の指揮能力に疑問があるから経験豊富なエレーナに『保護者』役を頼もう、などというウルトラCな考えなぞついぞ思いつかなかったのだ。

 エレーナ=ル=リターシャルは植民地軍総司令の秘書をしていたのだが、その実植民地軍では機甲科出身でもある。植民地軍大学出身の彼女は他の同期と同じく、官僚としての経験も、部隊での指揮経験もあったが彼女自身がそのキャリアとして選択したのは秘書としての道であった。
 だからといって、指揮能力が無いというわけで無く、逆に部隊内でも数々の武勲を挙げたりとその能力は折り紙つきだ。基本的な能力が高いからこそ、秘書畑でもその働きは認められていたのだろう。

 そんな彼女は、前司令が辞職した後軍を去ろうと決意した高官の一人であった。彼女の秘書へ進んだ動機の一つにエンクルマ司令へのあこがれというものがあったからだ。彼女が軍を去ろうとした、その時に声をかけてきたのがスガルと呼ばれる植民地軍情報局であった。
 訝しむ彼女に、彼らはある話を持ってくる。それが国防軍へのスパイとして『出向』してもらえないだろうかという話であった。

 彼女は一も二もなく承諾した。彼女もこのままエンクルマたちが終わるとも信じていなかったし、できれば彼らに協力したいと思っていたからだ。
 では、彼女は何をスパイするためにここに居るのか。一言でいうとスパイたちへの前線指揮のためであった。既に国防軍内にはエンクルマ派に通じている者もいるし、スガルの情報員たちも行動している。しかし、彼らはスパイであり、集まって情報交換なぞできるはずもなく孤立した状態が普通だ。そんな彼らを取り仕切る頭としての能力をエレーナは期待されたのだ。
 
 機甲科出身で、エリート秘書官でもあった彼女は情報の取り扱い・整理に通じており、潜入させて情報を扱うにうってつけの存在であった。
 
 表向きの彼女は、このあえて言うなら赤竜騎兵団の分団ともいうべき連隊の幕僚である。
 この立場に彼女が収まるまでにも色々な経緯があったのだった。

 まず、外様である彼女が何故、赤竜騎兵団というエリート部隊に所属しているのか。それは情報部の暗躍もあっただろうが、大きな原因は内々の権力争いであった。この分隊が晴れ舞台とでも言うべき対ニホン戦争の攻勢で助攻であるという事実を見てもどちらが勝者であるかは明白だ。
 バイキンのような扱いを上層部にされた彼女であるが、彼らの思惑と、指揮官の能力に疑問を持つ部下たちの――国防軍の中にもまともな軍人は居るのだ――推薦によって彼女はこの主攻とは外れた連隊に所属しているのである。
 
 能力がなければ変えればいい? 縁故主義で雁字搦めになった人事にそのような真っ当な判断を期待する方が間違っている。彼らは常識とは全く違う力学で動いているのだ。

 
 無駄な言い争いすらしなくなったこの参謀たちをみて、彼女はそろそろ潮時かと考える。すでに前線の決定的な敗北の証拠は入手して本国へと送ってあるし、そのルートもできるだけ多くのルートで送ったのだから無事向こうに着いているに違いない。その証拠を収集、保存するのにニホンの優秀な電気機器が活躍したことは、とんだ皮肉だと彼女は思ったものだ。

 前線の諜報員や協力者たちの逃げ道もすでに確保済みだ。
 それら情報を総合して、そろそろ此処に居る戦車団もニホンの部隊と接触しておかしくない時間となっている。

 ――そろそろ私も脱出しなければ

 そう思う彼女は、自身の額から冷たい汗が流れるのを自覚した。
 そう、目下彼女には致命的な問題が目の前の横たわっていのだ。

 それは、自身の逃走ルートが用意できてないことであった。


 それは偶然が重なった結果であった。
 勿論、情報員も無事で任務を終えるとは限らない。思ったよりも国防軍の敗退が早すぎて、負傷者が多くその輸送に手間がかかった事。加えて、想定していたルートが使えなかったなどのミスも重なり、何とか他の人員のルートは確保できたが自分自身のは結局見つからないまま今を迎えることとなったのだ。

 ――本当であれば、もっと早く抜けていたはずだ。このような前線で足踏みしているはずでは無かったのに

 そう後悔するも全ては後の祭りである。

 ――いざとなれば、ここからこの身一つで戦場から脱出しなければならない

 そんな絶望的な状況まで思い浮かべてしまう彼女だからこそ脂汗をその額からにじませていたのである。

 黙って何も喋らない参謀たちに、ため息をついた連隊長は意地悪い笑みを浮かべて、その粘っこい視線をエレーナに向けた。
 その視線は、彼のゲスい想像をそのまま表しているかのように粘っこく気持ち悪い。

「……で? 臆病者の植民地軍から来られた『参謀』殿はこの状況をどう見るのだ?」

「はっ、既にニホンと接敵してるかと思われます。交信の状況から敵は私たちの偵察能力よりも……」

「ほう、ではお前も他の参謀と同意見か」

「他の方と同じかどうかは分かりかねますが、ここはまず状況の把握に動くべきです。一度後退して、もう一度斥候を放ってみては?」

「ふん、やはり腰抜けは腰抜けだな。……植民地軍出身の分際で、この赤竜騎兵団に参加できているだけでも感謝すべきであるというのに」

 予想していた通り、彼はエレーナの助言なぞ、最初から聞く気がないのは明白であった。
 大体、彼との仲は最初から険悪であったのだ。それは当然だろう、彼もエレーナの存在がその能力への疑問に端を発していることぐらいは――あるいはその事すら気づいていない可能性もあったが――分かっていただろうし、仲良くなどエレーナも望んではいなかった。
 が、その事と助言を受け入れることとは別だろう。そのような常識的な判断すら彼はできないのだ。

 加えて女性のエレーナが戦車に乗るべきでない、など前時代的な価値観で喚くのだから溜まったものではない。
 彼女もここから一刻も早く離れたかったのだが、そのような提案は彼の考慮にすら入らない。逆に選択肢から外れてしまったのかもしれないと思うと、下手を打ったかとエレーナはその形の良い唇を噛み締めた。

 ――こんな奴らと、犬死はゴメンだ

 そんな彼女の思いとは逆に、連隊長は声を張り上げてこう宣言する。

「主攻の奴らがやられている? ふんっ! 好都合ではないか! 弱小ニホン軍なぞに手間取っている奴らに我らが赤竜騎兵団の力を魅せつけてやるチャンスだ!」

 その目は、本流から外された彼が手柄を立てることしか見えていない。
 それに同乗して、周りの太鼓持ち参謀が賛同の意をしめすのだから彼らは自殺したいとしか思えない。

 『戦場ではいい奴と無謀な奴から先に死んでいく』という先輩の言葉を思い出す。この男どもは後者の典型的な例だろう、とエレーナは思った。




 ドーンという不気味な重低音が聞こえきた。
 この、比較的防音に優れている指揮車両でも聞こえるのだから相当な大音量だったにちがいない。エレーナは、自身の心臓が早鐘を打つをいやに感じる。

 自分が今ここで立っているのか、自信がない。

 吐き気がする。

 背中に嫌な汗をかく。服が張り付いて気持ち悪い。

 彼女は自分に死神が近づいてきている、その足音が聞こえるかのようであった。
 この車両は動く棺桶だ。先端の車両は既に戦闘に入っているようで、先から聞こえる継続的な報告が途絶える。

 彼らがヴァルハラに昇っていったのは明らかだ。だというのに!

「前進、前進だ!」

 無能はただその命令を繰り返すのみだ。一回、形勢を立て直すべきなのだ。
 というのに、今や運命の鍵を握るのは自分ではない。目の前の馬鹿なのである!

 彼女は、そんな地獄のような状況に耐えている他の参謀たちが信じられなかった。一部の太鼓持ちのような幸せな馬鹿以外は、この状況を薄々でも気づき始めているだろうに。
 彼女は今回の戦場が初陣という訳ではない。今までも、それなりの修羅場をくぐってきたという自信はある。であるが、このような信頼できる仲間のいない、自分で運命を決めているという実感がない戦場は初めてであった。

 ――そんな戦場が、こんなにも恐ろしいとは!

 彼女は、すぐに一秒後にも吹き飛ぶ自分自身が想像できる。
 想像できるがゆえに、こんなにも、恐ろしい。

 ――死にたくない、犬死したくない!

「おいっ! エレーナ参謀! どこに行く!」

 そんな怒号を背に、彼女は士官室を飛び出した。
 勢い良く扉を閉めた彼女は、がむしゃらに出口を目指す。大きい豪華列車に似たこの指揮車両は後方に、一応の脱出路があったはずだ。走行中の車両から飛び出すなぞ、正気の沙汰とは思えないが、彼女はもうすぐこのままいけば死ぬことに確信を持っていた。

「! エレーナ少佐! いったい何が……」

「そこをぉぉぉお、どけぇぇえ!!」

 走りながら、エレーナは腰の銃袋から士官だけに許された拳銃を取り出す。出口を守る兵士に、向けながら叫ぶ彼女の剣幕に圧されたのか、兵士は悲鳴を上げて、扉から飛び退いた。

 ――あと、八メートル

 時間が引き伸ばされたかのように、遅くなる。今にも暴れだしそうな心臓が急にゆっくりとなり始めた。

 ――あと、六メートル

 
 後ろから追って気配がする。捕まれば、もう逃げることは叶わないだろう。このまま、棺桶に閉じ込められままニホンに棺桶ごと潰されるのだ!

 ――あと、三メートル

 
 
 あと少し、あと少しで……

 
 その時、エレーナは背中にいつもの気持ち悪さ、とは違う何かを感じた。
 
 気持ち悪さというよりどこか生暖かい、そんな何か。

 それは一瞬でエレーナを包み、先にいた兵士をも一緒に吹き飛ばす。
 
 
 その瞬間、彼女の頭に浮かんだのは生まれ育った故郷であるノドコールの片田舎であった。

 
 ――ああ、帰りたい、私の故郷!

 それが、最期に彼女の頭に浮かんだ意識であった。




 


 





 首都アダロネス 元老院議事堂 十二月十日


 臨時会は事前の準備なく、唐突にその開催が決定された。
 
 しかし、ルーガ=ラ=ナードラにとってその開会が何を意味しているなんてことは、たやすく予想できるものであった。
 一斉に今回の対ニホン戦争についてプロパガンダを流していたテレビやラジオは、ある期間過ぎると現地の情報を流さなくなっていった。軍を離れた後でも密接な関係を保つ彼女は関係各所に問い合わせたが、はぐらかすばかりで精確な情報の一つも手に入れることができない。
 それはつまり、軍内で大きな情報統制が行われているということだ。

 それらが指し示すこと、それは今回の戦争について何かやましいことがある、ということである。

 そう考える彼女の脳裏に、あの言葉が蘇る。

『このままローリダ共和国と日本が戦えば、ローリダは必ず負けます』

 その言葉を振り払うように、元老院議事堂へと向かう車の中でナードラは頭を振った。
 



「……クルセレス小父」

「お早う、ナードラ。……気分が悪そうだな、大丈夫か」

「……はい」

 議事堂の前でナードラが出会ったのは遅刻で有名なクルセレスである。彼はその巨大な身体を左右に揺らしながら歩いていた。合流した二人は一緒に、議員席へと向かう。隣の大男はただの寝坊グセのある議員ではない。その卓越した政治センスやよく回転する頭脳で、皆に一目置かれる存在であった。
 そんな彼は議事堂を物々しく警備するいつもより厳しい警戒態勢に、ふむうと少しの唸り声を上げる。

「クルセレス小父?」

「ナードラは、これをどう見る?」

 彼の問いかけは彼女に答えを求めている、といった風ではなかった。
 しかし、彼女はその問いに少しの嬉しさを感じる。というのも、その問いが、自分がこの尊敬されるべき小父と対等のパートナーとして認められた――その隣を歩くことを許された――証拠のように思えたからである。

 彼女は生まれてこの方、この小父が苦手であった。
 
 それは認めらたいという感情の裏返しだったのかもしれない。

 そして、そう思ったからこそ、彼女は彼女自信のこの胸の奥にくすぶる思いを相談できないでいた。その不安を吐露することが、せっかく対等に並んだかに思えた小父に弱みを見せることになるような気がして。
 それゆえに、その臨時会の内容に踏み込むのではなく、その警備の表面だけをコメントするだけにとどまる。

「水も漏らさぬ警備ですね。普通ではあり得ない、少し異常な……これは中からの漏洩を防ぐため……?」

「……かも、しれんなぁ」

 と、曖昧な言葉をクルセレスはゆっくりと呟いた。
 
 ――やはり、この人は苦手だ

 クルセレス=ド=ラ=コトステノン、前植民地軍総司令エンクルマとも親交が深いという噂のこの男を、どうもナードラは掴みきれないのだった。







 席に着いたナードラは開会を前に集まってくる議員達の纏う空気がそれぞれいつもと違うこのに気がついた。
 いや、議員全体という訳ではない。着席した場所をみるとその理由が朧気ながら見えてくる。
 特に平民派が集まる一角の空気は尋常ではなかった。

 ――これは、彼らが戦況について何か掴んでいる?

 そう、思うもそれは推測の域をでない。大人しく、その真意を知るには開会を待たなければならないようであった。
 
 ようやく開会を告げるベルが鳴る。
 静まり返る議事堂。そして、第一執政官が入ってくると、先ほどの水を打ったような静けさを吹き飛ばすかのようなどよめきが議会を覆い尽くす。
 
 ナードラもその姿を見て、驚きのあまり開いた口がふさがらない。

「なぁっ!」

 第一執政官、カメシスと共に議会に姿を現したのは国防相ドクグラムではなく、ここに居る筈のない前植民地軍総司令ティム=ファ=エンクルマであったのだ。











[21813] 二十一話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2011/12/17 11:59
 日本 首都東京 某喫茶店内 十二月一日

 
 
 カランコロンという鐘の音を響かせ、寺岡祐輔は落ち着いた雰囲気漂う喫茶店に足を踏み入れた。
 外には派手な看板もなく、地味な色で『コロンビア』とだけ書かれているからか店内はお昼時だというのに人がまばらである。

 此処が本当に待ち合わせの場所であっているのだろうか――と、寺岡は自身のポケットに入っている紙に書いてある店名と時間をもう一度確認するが、確かに此処らしい。穏やかなジャズ流れる店内はなるほど話し合いやちょっとした暇つぶしにはいい場所だろう――それが友達や同僚との話であればだが。
 
 しかし、彼が待ち合わせている相手は、彼自身あまり面識のない人物、共政会党首 士道武明であるのだ。

 そして、彼が指定した待ち合わせ場所が、ここ喫茶店『コロンビア』であった。

 
 
 寺岡はマスターの勧めに従い比較的奥のテーブル席に腰を下ろした。
 テーブル席は店内奥の、ちょっと曲がった場所にあり他からの視線は気にしなくてもいいようになっている。マスターにアイスコーヒーを頼んだ寺岡は、ふと近くの雑誌の一面が目についた。

 『武装勢力との緊張高まる! 今後の日本の行く末は!?』

 思わず雑誌を手に取った寺岡はそのページを捲る。
 センセーショナルな記事が売りの週刊誌らしく、過激な記事も目立つがこれまでの事件の経過を上手くまとめていた。

 
 八月十日に行われた総選挙。それによって実現した共政会と自由民権党の連立。十一月五日、公開されたローリダ側からの”最後通牒”は国民に大きな衝撃をもたらした。
 
 
 日本は、ノイテラーネ及びスロリア大陸に有する全ての影響力を放棄せよ。
 日本は、ローリダ共和国に対する全ての反抗を停止せよ。
 日本は、その保有する軍事力を削減し、ローリダ共和国の管理下に置かしむべし。
 日本は、今後ローリダの開戦許可の手続き無しに戦端を開いてはならない。
 日本は、今後ローリダ共和国の推奨する内政顧問を採用し、一切の内政、財務体系をその管制下に置かしむべし。
 日本は、今後ローリダ共和国の派遣する徴税官以外の徴税機構を停止、もしくは廃止すべし。
 日本は、スロリア大陸及び日本本土におけるキズラサ教布教の自由を認めるべし。
 日本は、その諜報機関を解散させるべし。
 今次の周辺地域にまたがる騒乱の責任の全ては日本にある。日本はそれを認め、ローリダ共和国に謝罪し、賠償金5000億デュールを支払うべし。
 もし、日本が上記の条項を拒否したる場合、ローリダ共和国は相応の対抗手段をとる。

 これら要求が公表されるやいなや世論は激昂し、結果、各世論調査ではかのローリダ共和国という”武装勢力”に対してのPKF派遣容認は八十パーセントを超えたのだった。
 この状況を鑑みると神宮寺総理の行った博打は成功したといってもいいだろう、と寺岡は思う。しかし、この状況は果たして歓迎すべきものだろうかという疑問も消えないのだった。燃料に火をつけたような騒ぎ、一方通行の世論、それを煽るマスコミ……

 そんなことを考えながら運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、その意外な美味しさに驚いていると、入り口のほうから誰かの入店を知らせる鐘の音が聞こえてきた。
 寺岡は、顔をテーブルから乗り出して入口の方を見やる。

 そこにはトレードマークの不敵な笑みを浮かべた黒縁のメガネの男――士道武明が立っていたのだった。




「いやぁ、寺岡さんがこっち側についてくれるとは思いませんでしたよ。てっきり、蘭堂さんの方につくものだとばかり思ってましたから」

 といいつつも、顔に浮かぶ不敵な笑みは彼の真意を隠しているように寺岡は思われた。本当に彼はそう踏んでいたのか――それは、分からない。
 最初にお互い握手し、士道が寺岡と同じコーヒーをマスターに頼むと開口一番、彼は言った。

「……そうですか?」

「ええ。寺岡さんは前河首相の評価も高く、色々とお話されていたようですし」

 マスターの淹れたコーヒーを啜り顔を緩めながら士道は話しだす。
 寺岡は同じく、コーヒーに口をつけながら士道の次の言葉を待った。

「今後はうちの勉強会に参加してもらったり、退官後は身内のシンクタンクに籍をおいてもらうことになると思います。出来れば、外務省の友達方も引っ張ってきてもらえると助かりますね」

「……ええ、分かってます」

 そう答える寺岡に、士道はその笑みを深くした。
 上機嫌に見える士道は、やっと軽快に舌が回り始めたかのように見えた。

「寺岡さんは、共政会のことをどう思っています? そこらの有象無象みたく単に右翼、の一言で片付けるような人ではないと十分知っているのですけど、ちょっと興味があるんで」

 イタズラを仕掛ける子供のような顔で、士道はそう問いかける。

「これからはうちの若いもんとも大いに話し合う……いや、実際中に入ってみると喧嘩みたくなることも多いですけどね。まぁ、血の気が有り余っているような奴ばかりで、最初は猫をかぶってる奴もいるんですが……」

「……そうですね、特に新聞ぐらいで知られていることぐらいしか」

 と寺岡が曖昧に応えようとして、士道の目が鋭く光る。
 慌てて言い直そうとして、士道は寺岡に向けて手のひらを突き出した。

「大丈夫、大丈夫です。寺岡さんをどうこういうつもりは毛頭ありません。それに、誘ったのは私たちの方ですし、ね」

 よほどご機嫌のようだ――寺岡はこの目の前の浮かれたらしくない士道に、少しの違和感を覚える。彼のことをそう深くは知らなかったが、テレビで見るような雰囲気と違うのは確かだった。
 
 
 
 寺岡のもとに士道から誘いが来たのは蘭堂の名刺を前に悩んでいる頃であった。
 その頃、寺岡は今後の身の処し方に悩んでいた。勿論、今の事案が収まるまでは悠々自適の老後生活、などはあり得ないことであり、彼が悩んでいたのはそんな現実然とした選択ではない。  もっと観念的で曖昧な――あえて言うなら自分の『スタンス』、目指す『場所』というようなモノである。

 それは、退官を前にして突然天から降ってきたかのような選択であった。
 これまでの毒にも薬にもならないような官僚人生について、彼も思うところはあったが、概ね満足のいく人生であった。転移の時には苦労もしたが、それも甘さを引き立てる苦味のようなものであとで振り返ってみればいい思い出である。

 しかし、今回は一官僚の価値観で判断できる決断ではない。どちらかと言うと、彼自身――官僚としての寺岡でなく、一個人としての、一国民としての寺岡の価値観・理想像――の問題であったのだ。

 思いも寄らない、日本という国の問題が先鋭化かのような事案に関わって、彼自身にも遅まきながら自分の意志、という物が芽生えてきたのかもしれない。そんな自分に苦笑しつつ、彼はひたすら目の前の二つの名刺の間で思案に暮れたのだった。



「これから細かいことはすり合わせるとしても……私達の日本に対するビジョン、というかあるべき姿といった物が似通っているからこそ、寺岡さんは私達を選んでくれたんだと思います」

 そうしみじみという士道に寺岡は曖昧に頷く。

「私は、前河首相や神宮寺さん達の考えは少し……いや、かなり遅れてる、と思うんです。それが、今回の件で明らかになったと私は考えています」

「……遅れてる、とは?」

「ああ、言葉が足りませんでしたね。
 ……戦後、日本は平和・協調路線を主に実際はどうあれ国を運営してきました。それはそれで正しかったと思うんです。それは高度成長や、先進国になれたことで証明できた。例え対米従属だと言われたとしてもね――戦略的には十分成功してきた」

 そう語る士道に、寺岡はなんとなく自分が共政会に同調した理由を見た気がした。
 
 ――自分は、彼のビジョンに日本の将来を見たのではいか?

「しかし、状況は変わった。転移という、神のお巫山戯かなにかでね」

「……」


「少し、話は変わりますけど寺岡さんはこの国があの敗戦で変わったと思いますか?」

 突如、話を変えた士道に寺岡は少し当惑する。

「私は、この国の本質は変わってないと――そう思うんです。そりゃ、表面上は変わりましたよ。明治維新、敗戦……どれを経ても本質的なところは変わってない、と私は確信をしています」

「そう、かもしれませんね」

 そのことに関して、寺岡は同意見であった。

「結局ね、日本人はアニミズムである八百万の神という価値観から変わっていないんですよ。何でもかんでも感情移入するような、節操もない気性からね。……いや、それが悪いって言っているわけじゃないんです。まず、それを認識していない人が多いことは問題だと思いますけどね」

「はぁ」

「……まぁそんな怪訝そうな顔しないでもう少し話させてください。私自身の考えをあなたが知ることは、かなり重要だと思いますが?」

 そう笑う士道は、いつもの不敵な笑みでなく心から楽しそうに見えるのだ。
 寺岡は少し意外に思った。

「感情移入し易いというのにも短所、長所がありますよね。ある物事に神を見て、一つのことに心からはまり込むというのも一長一短だ。その一つのことを追求するという職人精神が日本の高品質な工業製品を生んだんでしょうし……あの九条を守れという人たちもある意味、それに感情移入しすぎた結果なんでしょうね。多分、彼らの中で九条は『神様』なんでしょう」

「……日本人は極端から極端に走りやすい、なんて言いますね」

「ええ、『信じやすい』という特性は変わってないから、”改宗”するときには端から端へといってしまうんでしょう。それを純粋というかは、言葉の定義の問題だと思いますが」

「それが、今回の件とどう関係があるんでしょう?」

「ああ、失敬。少し脱線しすぎました。つまり、彼らは――前河首相や神宮寺さんたちは前世界の常識をまだ『信じている』んですよ。それは、間違い・修正すべき事なんです。なぜなら、ここは前の世界とは違うのですから」

 そう言って士道は笑みを深めた。

「日本が外交ベタっていうでしょう? そりゃそうです、変化に対応するのが外交だというのに、一つのことだけを信じたい日本人がそれを得意なわけありませんからね。
 ……そう、つまりは周りのことを見て行動しなければならないんです。そんな当たり前のことできていない。前世界の平和・協調路線を信じて行動した結果どうなりました? 1000人以上の邦人が既に死んでいるんですよ? 明らかに失敗です。つまりは、この世界に合っていない。この世界にはこの世界の正解があるのに、それ見ようとしない。前世界の平和・協調路線という『神様』を信じて、見て見ぬふりをするのはこの国の国益を損なうことになります」

「それは……、戦争をして領土を広げる、他国を植民地にするということですか!?」

「――まぁ、落ち着いて。私も今すぐ帝国主義に走ろうなんていうつもりはありません。ただ、それがこの世界での正解かもしれない。しかし、今の政府ではそのことを選択肢にも入れてないでしょう? それは、間違いなのですよ」

 反射的に、詰問みたく声を上げた寺岡であったが、彼の話に心惹かれる自分がいるのも自覚していた。

  
 『君は残って、この国の今後を見守ってくれないだろうか』

 
 河首相の言葉が寺岡の頭に響く。それがある種の呪いなのか、それとも別の何かなのか、今の寺岡には判断がつかなかった。
 
 そして、先の週刊誌の記事を思い出す。センセーショナルな記事で国民を煽って戦争に突き進む……それは今回は相手が酷いというのもあるが、それだけではないだろう。この構造がまた別の機会で発揮されないという保証はない。寺岡にはそれが、戦前の状況とダブって見えた。

 そんなこの国の、国民の危ない気性で戦争に突入することが許されたとして過去と同じ過ちを繰り返さないというのは希望的観測だろう。
 であるならば、そのことを十分理解し、国を導いていける政治家が必要ではないだろうか? そうでなければ、あの敗戦と同じ結果を再びこの世界でも招いてしまうのではないだろうか?

 そう、寺岡は思う。


「そして、この世界での正解を得るための戦略として、寺岡さん。あなたが必要なんです」

 考え込む寺岡に、士道は真面目な顔でそう語りかけたのだった。




「……一つ疑問があります。どうして、私なんでしょう? もっと有望な人材ならいくらでもいるでしょうに」

 寺岡は誘いを受けた時から疑問に思っていたことを士道にぶつけてみる。
 士道はその真剣な表情を崩さずその質問に答えた。

「寺岡さん、あなたしかできないことがあるんですよ。植民地軍の……エンクルマという男でしたっけ? 彼に寺岡さんはずいぶん気に入られているみたいですね」

 寺岡は、士道の言葉が一瞬、飲み込めず思考が停止する。
 
 ――何故、彼らが出てくるのだ? エンクルマとどういう関係が?

 湧いて出たそんな疑問に、寺岡は心のなかでため息を吐きながら得心する。

 ――よく考えてみれば、この平凡な官僚の一人にしか過ぎない自分が特別な価値を持つ理由なぞ一つしか考えられないじゃないか

「思い当たるところがあるみたいですね」

 士道はニヤリと笑みを浮かべた。
 
「彼ら側のスパイからは接触を受けませんでしたか?」

 そういう士道に、そこまで知られているのかと寺岡は嘆息した。
 
 スパイが寺岡の家に訪ねてきたあの時、寺岡は彼を家に上げた。
 スパイは寺岡に現在のローリダの状況を説明し、そして帰っていった。ただ、それだけのことだ。寺岡はそのことに関して、他人には喋らなかった。喋った所で何も変わらないだろう。もう既に『衝突』するという路線を変更できるはずもないのだ。

 勿論、これが交渉の時になら必要な情報に違いない。しかし、今は必要もなく、寺岡がそのソースを提示することもできない。
 逆に痛くない腹を探られることになりかねない、と寺岡は判断したのである。

「勿論、彼らスパイの存在を公安の方々は承知しています」

 だろうな、と寺岡は頷いた。
 そうでなければ、彼が、士道がその事を知りうるはずがないからだ。

 そして、寺岡が彼らのことを話さなくてもよいと判断した理由のもう一つがこれである。スパイなぞはしかるべき日本の機関が監視しているだろうし、もし寺岡が交渉する時にその情報が必要であれば、上からその事は伝えられるはずだからだ。
 中途半端な知識は、邪魔になりうるのだ。

「公安の方の中にも、私の話に興味を持ってくれた人たちが居ましてね。外務省の、周りの皆さんは知っていましたか?」

「……いいえ、恐らく知らないでしょう」

「ふむ、そうですか」

 
 少し考え込む士道であったが、数拍の後、顔を上げ口を開いた。

「……この世界での正解を得るための戦略、ですが私はこの世界に管理された冷戦を作りたいと思っています」

「管理された、冷戦?」

 怪訝そうな顔をした寺岡に、士道は頷く。

「ええ、日本がこの世界でプレゼンスを拡大するためにはそれ相応の『大義名分』が必要です」

「大義名分……まさかっ!」

「――流石です、寺岡さん。日本がこの世界に進出するための、ヒールとしての役割をかのローリダに演じてもらいます。彼ら植民地軍側とも利害は一致しますしね」

 もう話はついている、と士道は言う。

「彼ら穏健派がローリダ国内で主導権を握るためには、今時の戦争で、ある種の得点を挙げなければならないのですよ。そして、こちら日本はまだ軍事的に余裕があるという訳ではありせん。寺岡さんも知っていると思いますが、今の自衛隊では補給やいろいろな都合で相手の植民地まで奪取する所まではいけないのです。……そこで、彼らと程よいところで停戦します」

「停戦、ですか?」

「ええ、それこそ朝鮮のあの線のように睨み合うことになれば言うことなしです」

「……なるほど、彼らが主導権を握るための『ある種の得点』というのが、私達を交渉で停戦させた、という事になるのですか」

「そういうことです。そして、我々は各国に関与する絶好の口実を得ることができる……」

 ニンマリと士道は笑う。

「彼らとて、軍隊は軍隊です。明確な敵あってこその軍隊ですからね。彼らの目的にも合致する、win-winの関係というやつですね、これは」

 寺岡は愕然とした。
 それはこの彼の描く青写真がかなりの確率で成功しそうだ、ということだけではない。この計画が、外務省や今の内閣の外で進行し、そして成功しそうだということについて、戦慄したのである。
 恐らく、彼の計画を支持する公安が、そのことを外に漏らさなければ外部の人間は何も知らずに事態はこの通りに進んだに違いない。そして、そのことを知り得たのは、彼ら以外にはこの自分のみであったのだ。

 その自分も、すでに彼ら側になってしまった。
 これで日本国内にこのことを知る外部の人間はいなくなったのだ。

 動揺を隠せない寺岡を横目で見ながら、士道の話はまだ終わらない。

「それで、寺岡さんには停戦交渉に同行してもらいます。大丈夫です、私が何があってもねじ込みますよ。もともと、寺岡さんが適任者ですしね。
 ……停戦理由にも事欠かないでしょう。先に言ったように、自衛隊の能力のこともありますが……彼らは核兵器を持っているらしいですので。こちらより数十年遅れた核保有国、素晴らしいじゃありませんか!」

「……出来レースですか」

「聞こえは悪いですが、まぁ、そういうことですね。物事というのは、それが高度になればなるほど予定調和だったりするものですよ。それが、公開されているかは別にしてね」

 そう結んで、士道はコーヒーをすすった。













[21813] 二十二話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/01/01 01:56
 首都アダロネス 元老院議事堂 十二月十日



「なぁっ!?」

 第一執政官カメシスとともに現れたのは、予想されていた国防相ドクグラムではなく、ここにいる筈もないティム=ファ=エンクルマであった。その予想外の人物に議場は当然、騒然となる。
 
 最初は驚きのあまり意図せず言葉が漏れてしまったナードラであったが、内心納得している自分もいることを自覚していた。逆に彼の登場によって、喉の奥に引っかかっていた小骨がとれたような思いすらするのだ。
 だが、そういった議員ばかりではないことは、このざわめきの収まる気配すらしない元老院の空気からも分かるだろう。

 ナードラは隣のクレセレスを横目でチラリと見てみる。彼はなにかを考え込んでいる様子で、この浮ついた空気の中今まで以上に浮いて見えた。


 彼の巨体を横に感じていると、不思議と落ち着いてくるような気がナードラはするのだ。
 ナードラは、先より冷静な目で壇上の二人を見ることができるような気がしたのだった。

 元老院、中央にある壇上のエンクルマは軍服姿であった。前植民地軍総司令である彼は本来、軍服を着ることはもう許されていないはずである。彼はいつもの野暮ったいメガネを掛けて、この騒然とした議場をぼんやり眺めている――そうナードラには見えた。

 対して、いつもの溌剌とした空気を感じさせないのは執政官カメシスである。
 
 彼は今まで、良い意味でも悪い意味でも常に目を輝かして周りをキョロキョロと窺っているような人物であるとナードラは感じていた。常に新たな獲物を見つけようとしている貪欲な猛禽類――そう、評すが正しいような人物像であったのだ。
 
 しかし、今の彼はどうか。
 その猛禽類のような目はなりをひそめ、もう完全に”老鳥”であるという印象だ。

 ――これは、何があったのだ?

 ナードラは、その内容までは想像できない。
 しかし、この後に続く大きな流れというものは容易に想像できそうな気がした。





 十数分だろうか、それ程に長くこのざわめきが収まるのに時間がかかったような気がした。といっても、実際測ったわけでもなく実際はもっと短いのだろうが。
 その間、壇上の二人は一言も発しなかったのだった。
 
 ようやくざわめきが収まり、皆の注目が壇上へと注がれる。怯えた顔の書記官が臨時会の開会宣言を発したのはこの時になってようやくであった。
 
 若干、疲れた顔をしたカメシスが進みでて、マイクへと向かう。

「あー、諸君。我が精強なる国防軍とニホン軍との戦闘が既に始まっているということは諸君らもご存知のことだと思う。しかし、その状況を……」

 ここで、くたびれた顔をカメシスは平民派の集まる一角へと向けた。

「……知り得ている者も一部にいるかと思うが、大部分の議員諸君は知らないだろうと思う。私はこの戦争についてドクグラム国防相を始めとする国防軍に一任しておった。そして、今の今まで諸戦の勝利を疑うこともなかった……しかし、事態は急を要する深刻な状況にある、と前植民地軍総司令――エンクルマ殿の報告によりそれが明るみに出たのだ」

 再びざわめく議場。それは勿論、この臨時会の目的が明らかになってきたことが理由だろう。
 
 平民派の面々は、一度腰を浮かそうとしたが、エンクルマの名が出たとたん、椅子へと座り込んだ。周りの若い議員は平民派の重鎮、ヴァナスの方を不安げに見ている。
 ヴァナスは目をつぶって、腕を組んでいた。


『今時の戦争に、何か問題が生じたのなら、国防軍の代表をここに召喚するのが筋ではないかっ!?』

 そんなやじがどこからとも無く聞こえてくる。
 確かにその通りだという賛同の声に、若干青い顔のままカメシスは頷く。

「確かに、その通りだとわしも思う。しかし、前線にいる国防軍首脳には連絡がつかんのじゃ。勿論、今は有事ゆえ何が起こっているのか正確なことは言えん、ということも多少あるかもわからん。しかし、一切の情報をよこさないというのは……あまりにも不自然極まりない」

 そして、カメシスはチラリとエンクルマの方を見やった。

「そこでエンクルマ殿からの報告が入ってな……今回の臨時会を開いた理由を諸君らにも理解して頂けたと思う。
 更に悪いことには、ドクグラム国防相にも連絡すらつかんのじゃ」

 その最期の一言は、会場にいる議員全てに衝撃をもたらした。
 国防相はどちらかというと、直接戦うというよりも後方で活躍するのが本来の役割だと思われている。つまり、彼がここに居ないということはそれこそ前線で何かが起こっているということであるのだ。

 最初の衝撃の残響が収まらぬ内に、カメシスはマイクをもう一人の人物へと譲る。
 頷いたエンクルマはゆっくりとマイクへと話し始めた。

「どうも、エンクルマです。私が此処に居る経緯は先のカメシス閣下の通りでございます」

 そう、切り出したエンクルマはいつものぼんやりとした彼ではなかった。
 言いたい事を短く適切に伝えようとする、軍人然とした物言いは事態の深刻さを表しているようであり、皆は彼の次の言葉をじっと待つ。

「ここで皆様に私が言葉を重ねても、何かが決まると私は思いません。今、前線で何が起きているのか――それを記録した映像がありますので、それをまずは見て頂きたい」

 とだけ言うエンクルマは、右手で議場裾に何か合図をする。
 それと同時に議場の上からは白い幕のような物が降りてきた。その幕は、本来この神聖であるはずの元老院には似つかわしくない――どこか暴力的な真新しさを感じさせるモノであった。
 それと平行して、何かの機械が議席中段へと運ばれる。

 不思議と、先まで浮ついていた議員たちも目の前の作業に呆気にとられているのかいないのか、大人しくその作業を眺めていたのだった。

 次に、議場が消灯される。
 そして、中央機械が何やら重低音を響かせ始めると目の前に大きな森が現れたのだ。

(……森? ここは……)

 一瞬、そうナードラは思うもすぐさま思考は別のところへと滑る。
 
(これほどの鮮明な、そして巨大な映像を映す機械――そんな物など見たことがない!)

 実のところ、ナードラはこの不思議な機械の出自を薄々であるが気がついていた。
 しかし、そのことを深く考える前に、目の前に広がる映像に飲まれてしまう。

 森、というよりどこか山の中腹だろう――なだらかな斜面を数人が上り、落ち着く場所を探しているようであった。斜面を登っているというのに、映像にぶれがないところを見るとこの映像をとった者は大層いい腕を持っているにちがいない――もし、この映像の撮り方が今の自分が想像できる範囲内であった場合のみの話であるが。

 開けた場所にでると、そこはちょうど崖の上にあり眼下を見下ろすことができた。
 映像は素直に崖下へと向かい……

『あっ!』

 と声を上げたのは議員のうち何名であっただろうか。
 その数少ない議員のうちの一人であったナードラはその画面に映る場所に心当たりがあった。これは空軍前線基地のスルヴェス02ではないか、と。

 基地を上から見下ろしたその映像は少し緑がかった色をしていたが、ローリダ最先端の技術を使っても実現できない程に綺麗であり、より細かいところまで見えそうである。
 森を開拓してできた基地は長細く端には今にも旅立とうとしてる数機の戦闘機や爆撃機の姿が見える。
 この映像が何を写しているか分からなかった議員も戦闘機をみて事の状況を理解したようだ。

 プロペラ機の爆撃機であるルデネス10は六機ほど綺麗に整列し、プロペラを回していた。一斉にプロペラを回すそれらはその後に続く同じくプロペラ機のギロ10と相まって、見るものを圧倒する光景に感じられた。
 これらが今から蛮族ニホン人の上を悠々と飛び回り、爆弾という天誅を下す――その光景が想像できた議員はこの光景に恍惚に似た優越感を覚えるだろう。そういった壮大な光景であったのだ。勿論、この映像が今まで見たどの映像よりも大きく、精緻であったこともそれを助長するに違いない。

 その映像に見入っていた多くの議員は、遠くから聞こえる不吉な音に顔をしかめる。
 
 ナードラはこの音がローリダ最新鋭のディガ12の音に似ていることに気がついた。
 
 ――それが、何を意味しているのか?

 そんな疑問が頭に擡げるナードラであったがその思考に没頭する前に、映像は突如基地上空を映した。ざわめく声は画面の向こうから聞こえてくるようだ。
 不吉な音はだんだんと大きくなっていく。映像が、やっとその音の原因であろう物体を捉えた。

 ――光る……流れ星?

 天体みたく見えるそれは、天体にしては近すぎたし、その音は天体にしては人の介在を感じさせる鋭く攻撃的な音であった。
 その流れ星は山から此処基地上空に向けて向かってくる――より下降して。
 ようやく基地の人間たちが事の異変に気が付き、上を仰ぎ見はじめた。が、既にそれは上空に滑り込もうとしている。

 その時、流れ星から何かが堕ちた。
 
 流れ星であるならそれは流れ星のかけらに違いない――しかし、そのようなメルヘンチックなものではないとナードラは確信していた。

 ――あれは、恐らく……

 かけらは、ボロボロと脆く、崩れて落ちてくる。既に機体周りの整備員たちもその様子を眺めることしかできない。
 
 それらが地面に接着した時、地面に花が咲いた。
 
 土色の汚い地味な花――きのこのようなそれが地上に次々と出現する。先に崩れたように見えた破片一つ一つが中心となって、咲くそれに巻き込まれた機体はすぐに見えなくなってしまった。

 遅れて、大きな音が聞こえる。
 爆発音。

 鳥肌が立つのを自覚したナードラは、自分の確信が正解であったことを残念に思った。
 
 その爆発は正確に、機体や滑走路を狙ってくる。後続からばら撒かれたかけら達は次々に基地を破壊し尽くしていった。
 よく目を凝らしてみると逃げ惑う兵士たちが見える。しかし、機体に乗っていたものは逃げることさえ出来なかっただろう。茶色い花輪が風で掃き出された後の基地は酷い様相であった。

 滑走路には、大きな穴が等間隔に並び、スルヴェス02は飛行場としての能力を完全に喪失していた。等間隔の大穴は、この爆撃がどれほど正確に行われたかを示している。

 ――爆撃?

 ナードラは自分の思考に自然に現れたこの単語に、少しの違和感を覚えた。

 ――そうだ、この『爆撃』は……

 その後に続く結論を彼女は認めたくなかった。
 しかし、目の前全ての状況はその結論を導いている。緊急の臨時会、国防軍の情報規制、前線を写したとされる映像……

 ――つまりスルヴェス02は……自分たちが嘲り笑ってきたニホンに先制され、爆撃を受けたのだ!







 その後も映像は無情にも破壊しつくされた基地の様子を映し続ける。

『……親父さん、どうやら本当にやられたみたいですよ』

『……そのようじゃのう』

『あの、大丈夫ですか?』

 映像から、撮影者だろう人々に会話が聞こえてくる。それは親父さんと声をかけた若い男の声と、彼らを気遣っている様子の女性の声であった。
 それから押し黙った彼らも目の前の光景に絶句しているのだろう。

 クレーターが抉られた滑走路の向こうには、破壊されたギロ18戦闘機も見える。このあとの任務に向けて羽を休めていた銀翼は無残に折れて、二度と飛べそうもない。
 壊滅――まさにその言葉が似合う光景だ。そしてこれが意味する将来は、ニホンが制空権を取るだろうという最悪の状況であった。


 
 ブンッ、という鈍い音と共に元老院に灯りが戻る。よく見ると、小間使いが先ほどの機械やら道具を片付けている。

 議員たちはまだ衝撃から現世に帰ってこれてない様子であった。

 あれほどまでにあからさまな証拠を見せられて理解しない者などいないだろう。
 つまり、ニホンは弱小なる野蛮国家ではなく、我らが国防軍の基地を先制し壊滅しめしせる程度の能力を持っていたということだ。

 ……いや、ややこしい言い回しはよそう。ニホンが最強を誇っていたローリダ国防軍よりも強い、ということだ。

 その事を裏付けるように、呆然とした顔をさらす議員たちにエンクルマは追い打ちをかける。

「……見て頂きましたのは、スロリア中北部に位置するスルヴェス02への爆撃の様子です。ご存知の議員もおられると思いますが、スルヴェス02は前線であり、ニホンへの先制爆撃の任を負っていました。
 しかし、見ての通り基地は壊滅。また、補足しておきますとニホンの先制攻撃はこの一件に留まらず他基地も爆撃を受け、国防軍は制空権を戦闘初期に喪失しております」

 度重なる衝撃に、もうざわめきすら起こらない。
 エンクルマは手元の紙に目を落としながら、淡々と報告するかのように被害状況を読み上げている。

「また、制空権を失ったままの無理な行軍、予想よりも精強なるニホン軍との決戦によって赤竜騎兵団は……壊滅。スロリア中部は完全にニホン軍の支配下に入っております。
 加えて申し上げますと、ニホン軍の精密な砲撃や奇怪な兵器によって各指揮所の連絡網は断絶し、各個孤立している状況です。このままでは連携の取れないまま撃破されるでしょう」

 不思議なもので驚きも通り越すと人間声すらでなくなるものだ――ナードラは昔聞いたクルセレス小父の言葉を思い出した。その言葉通り、議場は気持ち悪いぐらいの静寂につつまれていた。

 そして、その静寂の中、一人手を挙げる者がいた。

 平民派の重鎮――デロムソス=ダ-リ=ヴァナスである。
 
 発言の許可を得たヴァナスはゆっくりと口を開いた。

「先ほどの……エンクルマ殿の報告には、誠に驚きを隠せない。本当かどうか……分からないというのが他議員諸君の率直な心内だろうと思う。……あるいは信じたくない、のかもしれんな」

 そう言って、ヴァナスは口を歪めて笑った。

「誠に遺憾ながら……いや、幸いなことにここに彼の報告を裏付ける報告があるのだ。民生保護局長官 ロルメス=デロム=ヴァフレムスが我らに送ってきたこの報告書には同じような事が――ニホン軍の優勢なる事が書いてあるのだ」

 彼は手に持った厚みのある報告書をふりあげて、言い放つ。

「わしは……ここにある報告書を真実だと考えておる! そして、今しがたエンクルマ殿が報告した惨状も真実であるとっ!」

 ここでようやく認識が現状に追いついたのか、議場は爆発的な怒声に包まれた。
 ことの大きさに呆然とする者、この戦争に負けたとした時の損失の大きさに顔を青くする者、向ける方向の分からない怒りに顔を赤らめる者……

 全員に共通していたのは、将来への不安だろう。

 ――負けたとして、この国の経済はどうなるのか?

 ――植民地は反乱を起こすのではないか?

 ――それよりも、このままニホンがここまで攻め上って来ないという確証などないではないか!?

 






 恐慌状態に陥る議会の中、ナードラはこの情勢について思考をめぐらしていた。
 まず、遠くの地――スロリア大陸で起きていることを認めなければならない。

 それは、ローリダ国防軍がニホンに負けているという事実だ。

 ――悔しいが、エンクルマの『予言』は正しかった事を認めなければならないのだろう

 ナードラはそう思いながら、壇上に佇むエンクルマを見た。
 軍服姿の彼は相変わらず口を一文字に結び、隙のない格好をしている。彼の目に映るこの議場はどのように見えているのだろうか? 突然のことに狼狽え、ただ右往左往するばかりのこの現状をみてどう思うのだろうか?

 ――いや、この状況は彼の予想していた状況なのでは?

 ナードラは彼がこの後何をするのか、ということについて考えてみる。

 ――ただ徒に敗戦の報を知らせてこの混乱を生み出したのだろうか? ただ植民地軍司令の地位を追われたことを憎んで? その報復に?

 ――いや、そうではないだろう。何かを仕掛けるつもりで彼はこの情報という爆弾を投下したのだ


「先ほど見ていただいた映像機器は全てニホン製のモノであります。植民地軍情報部が手に入れてきたそれは……画質などからも分かる通り我らローリダの技術と隔絶しております。彼らが持つ技術はこちらより数世代上であるのです。
 勿論、それだけの技術があれば無論兵器の力差も歴然でしょう。そしてそれは実際、前線の兵士たちに襲いかかり、今もニホン軍は進撃を続けている……」

 エンクルマは、分かりきったことを説明する。
 青い顔の議員は、その言葉に必死に耳を澄ませて聴き入っていた。

「彼らは私達よりも性能のいい兵器を持っているのです。彼らが戦争に勝ち進めば? このアダロネスまで侵攻してくれば? 私たちは戦争で勝った後に何をしてきたでしょうか? 私たちにできたことを彼らが出来ないはずがありません」

 エンクルマは言葉少なめに、このあと我らが待ち受けるだろう未来を暗示する。
 
 ローリダが戦争に勝った後のことはこの元老院に居るものであれば皆大なり小なり知っていることだ。それは圧倒的な武力の前で降伏文書にサインすることから始まる、占領、略奪、破壊である。それを為して、富を築いてきたのがここにいる元老院議員達であったのだから、想像できないはずもなかったのだろう。

 それが、一度自分たちに向かうとなると、背筋が凍りつかない議員はいなかった。
 そんな彼らにエンクルマは更なる糾弾を加えるのだ。

「……国防軍は、確かに装備の面で劣っていました。しかし、それ以上に国防軍は非難されるべき点も多いと思われます。例えば、軍事に詳しくないカメシス閣下を欺き、判断を誤らせた点であります。また報告の中にも散見されるのは、利権などに支配された硬直的な人事によって無能な者が指揮権を持っている点です。
 
 その原因は彼らにもありますが、より非難されるべきは彼らにおもねり、利益を得ようとする輩でありましょう。特に戦争によって儲かる商売に手を出している方は、この中にも大勢いらっしゃるかと思いますが、あなた方はそういう輩ではありますまいか。戦争をしたい国防軍の馬尻に載って、軽薄に、この国を滅亡へと追いやったのです。その罪は万死に値する……」

 エンクルマの言葉は容赦なく議員達に突き刺さる。
 
 それはナードラも同じであった。
 結果的には、ナードラの交渉によってこの戦争が開始されたと言ってもいいのである。最期のトリガーを引いたのは彼女であるのだ。

 少し涙目になる自分を隣の小父に見せたくなくてナードラは横を向いた。
 彼女の心に刺さる、『このままローリダ共和国と日本が戦えば、ローリダは必ず負ける』というエンクルマの言葉がジクジクと痛みだすのだ。

 ――あの時、彼の言葉を聞いていたのなら……

 それは、誰もが声を出さなかったけれども心の中で悔いていたことであろう。
 なぜなら彼らがエンクルマを辞任に追いやった、に近いことをしたのだから。

 そして、最期にエンクルマはこう締めくくった。

「私は恥ずかしながら『常勝将軍』と呼ばれていましたが、私がもしこの戦争の指揮をとっていたとしても、勝つことはできなかったでしょう」

 それは議員達の心の奥底にあった最期の希望をも打ち砕く一言であった。









[21813] 二十三話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/02/09 14:35
 



 
 ――あの時、彼の言葉を聞いていたのなら……

 それは、誰もが声を出さなかったけれども心の中で悔いていたことであろう。
 なぜなら彼らがエンクルマを辞任に追いやった、に近いことをしたのだから。

 そして、最期にエンクルマはこう締めくくった。

「私は恥ずかしながら、『常勝将軍』と呼ばれていましたが、私がもしこの戦争の指揮をとっていたとしても勝つことはできなかったでしょう」

 それは、議員達の心の奥底にあった最期の希望をも打ち砕く一言であった。






 議場は奇妙な静寂に包まれた。
 ナードラは思う。この場に及んでも、まだ議員たちはこう思っていたのではないか――と。

 『エンクルマが植民地軍に戻り、国防軍を助けニホンに打ち勝つ――』

 ――そんな今時の青臭い青年すら見ることのないような、大甘な夢を彼らは未だ信じていたのではないだろうか。だから、この当たり前の確認であるはずの彼の言葉にこうまで衝撃を受けたのではないか?

 そんな、彼らの妄想とも言えるそれをバッサリとエンクルマは切ったのだった。
 
 静寂の空気は少しねちっこかった。
 そのねちっこい空気の重さというべきものを自身の肩に感じている、そんな気がナードラはした。周りの議員たちは、怒られ拗ねた子供のように目を壇上から背け、泳がせている。

 その戸惑いが、見当違いの怒りへと変わるのもそう遅くないだろう――ナードラは辺りを観察してそう思った。

 ――さぁ、どうするのだ、エンクルマ……!


 
 
 冷めた目を壇上から投げ下ろすエンクルマは、ゆっくりと議場を眺めまわす。
 彼の視線に真正面からぶつかるような猛者はこの場にはいない。議員たちのふてくされたような態度が、ナードラは癇に障った。
 
 そして、エンクルマは勿体ぶった言い方で、こう言い放つ。

「……しかし勝てないまでも負けない、ことはできるかもしれません」

 
 
 その瞬間、下を向いていた者も、視線を宙に彷徨わせていた者もほぼ全員の視線がエンクルマに集中した。
 様々な感情が載せられたそれは、熱ささえ感じられる視線であった。
 居心地の悪そうな様子で、マイクを隣のエンクルマから引き取ったカメシスが説明を引き継ぐ。

「……ということで、わしはこのエンクルマ前司令を独裁官に推挙しようと思う」

 カメシスのその言葉に、ナードラは頭を横からおもいっきり殴られるような衝撃を受けた。
 
 ――『独裁官』っ! あの、埃をかぶった遺物を引っ張り出してくるとは……!

 
 さて、ナードラと同じく衝撃を共有できた議員はこの議場に何人いただろうか?
 
 彼女ら以外の大多数の人間のために、先程機械を用意した小間使いたちが独裁官についての資料を配りだす。この用意周到な状況からして、ここまで全てが壇上に立つ軍人の思い通りに動いていることをナードラは改めて確信した。

 

 独裁官――その役職の出自を遡れば、この国が迎えた一大危機であり、エンクルマが歴史の表舞台へと上がる切っ掛けとなった事件……転移にたどり着く。
 出自、といえばその近代といってもいい時期が挙げられるが、その制度の骨組みは実はこの国の興りと時を同じくして生まれたと言っても過言ではない。つまり、この独裁官という制度の目指すところは、初代執政官であり、この国の首都の名前にもなっているアダロネスにあるからだ。

 もっと正確に言うとこの制度の目指すところは人工的な『アダロネス』という英雄を創りだすところである、ともいえる。

 つまり、強力なリーダーシップ。ピラミッド型の、強力な中央集権型の命令体系によって迅速な意思決定がなされる制度を目指して独裁官制度は作られた。いや、構想された、というべきか。
 それはこの国が未曾有の危機に晒された『転移』直後に、時の執政官の提案によってなされたモノである。

 危機の前に、ローリダは一丸となる必要があった。それは、周りの何も分からない場所に追い込まれたことからくる、集団的人見知りの成せる技であったのかもしれない。人と同じで国もいきなり『転移』などという意味のわからないことを経験すれば、疑心暗鬼を生ずるのも仕方ないだろう。
 
 そして、国が覚悟を決めるのは個人よりも多大な労力が必要なものだ。
 
 その中心となる核も必要となる。

 もともと執政官という役職は、その役職にあるものにある程度の権限を与え意思決定の効率化を促すものである。そして、それと相補的な関係にある元老院が執政官の暴走を監視する、という構造となっている。

 その転移時の執政官が提案した『独裁官』という制度は、簡単に言えばその執政官の権限を大幅に強化したモノということになろうか。
 いや、その大幅な強化によって『独裁官』は完全に制度としての執政官と別物になっている。
 
 まず、独裁官はそれがその役職にあるかぎり元老院による権限の監視を受けない。
 それどころか元々元老院の持っていた権限を、丸々独裁官が持つこととなっている。勿論、提案されたそれに記されている記述とは微妙に表現などが変わっているが、実質同じことである。
 詰まるところ、その制度の下では元老院は文字通り、単なる協賛機関に墜ちるということであった。

 必然の結果として、それは大きな反発を招いた。
 
 当然だ――それを可決するということは、元老院自身による自殺に違いないからだ。

 しかし、執政官の主張もある程度は理解されていた。当時の元老院議員たちの中でも多少頭の回る者は賛成の意を積極的に示すほどであったし、友人を説得して回る議員もいた。
 
 その理由として、その『独裁官』に当時の執政官自身がなろうなどはしなかった、という事が挙げられる。その独裁官候補として挙げられていたのは当時名が売れていた軍人であった。自分がなろうなどという厚かましい行動の生産物などではなかったのだ。
 二つに、所謂安全装置がその提案にしっかりと含まれていた、ということがある。完全無欠、敵なしの『独裁官』に仕掛けられた爆弾――そのスイッチを握っているのは現執政官と元執政官達である――が爆発すれば、『独裁官』は崩壊するように定められていたのである。問題は、そのスイッチを持つ彼らであったが、所謂元老と呼ばれる彼らは国民や議員の信任を十分に得ていた。
 三つに――これは緩い縛りではあるが――これが国の平時を取り戻すための制度である、と記されたことである。推挙される人物が軍人であることらしい条件であり、それこそがこの制度の目的であったが、それこそこの提案を推す者全員の総意であったに違いない。

 しかし、それに真っ向から反対する者たちがいた。
 
 それは意外にも、軍内部、からである。

 彼らにとっての問題は、根本的にその『独裁官』制度にあるわけではなかった。
 
 問題は、その”当時名が売れていた軍人”であった。
 その頃既に軍内は二つに分かれていた。未来の言葉を使えば、それは”国防軍的な一派”と”植民地軍的な一派”ということができよう。しかし、その分類は実際あべこべである。なぜなら、その後彼らが別れ、植民地軍と国防軍となったのだから。
 ”国防軍的な一派”はその『独裁官』なる者が自身以外の一派からでることを良しとしなかった。
 正しく、『独裁官』制度がそういう身内の争いをなくすために作られようとしていたのにそれが生まれる前に潰されようとしたのである。現実の魔王は勇者を待ったりはしない。

 事実、魔王はいち早く勇者を潰しにかかった。
 声高に国民に『独裁の危機』なるモノを叫び、中立の議員には有ること無いことを吹きこんで危機感を煽った。
 ……いや、有ること無いこと、とまで言い切るのは”国防軍的な一派”にかわいそうだろうか。少し誇張の嫌いがあったが、確かに『独裁の危機』が無いと100%言い切ることは出来なかったし、制度にも大きな穴はあった。しかし、その思考は一を十に考えていたし、メリットとコストという当たり前で且つ普遍的な価値観を放棄したものであった。
 
 結果、『独裁官』制度は元老院に否決された。
 
 しかし、魔王も実は無事ではすまなかったのだ。
 『独裁官』の次善の策として提案された、国防軍内の”出張組”と”国防組”から始まる植民地軍の分割・独立案という毒は確実に魔王にダメージを与えたのだから。

 そして、それが今という現在につながっている……



 

 
 
「皆の手元に資料は行き渡ったかの…… 『独裁官』という制度に聞き覚えのある者も無いものも資料によく目を通してほしい。
 この制度は劇薬じゃ。そして、今のこの国には薬が必要である、とわしは考えておる。劇薬は量によって薬にも毒にもなる……その事を胸に銘じて欲しい」

 そう、うつむき資料に見入る議員たちの後頭部にカメシスの言葉が降り注ぐ。

 ナードラは配られてきた資料にざっと目を通してみる。
 この『独裁官』という制度は、軍内ではある程度知られているものである。それは、近代軍事史の軍政的な意味でこの制度が与えた影響は小さくなかったからである。勿論、その影響の善悪については国防軍・植民地軍内で百八十度違う評価ではあったが。
 
 という訳で、ナードラもある程度の予備知識は既に頭に入っているのであった。 
 よって、見るべきポイントがあることを知っている。

 
 ――問題は”『独裁官』に仕掛けられた爆弾”であるが……

 ――やはり……っ!

 
 
 ナードラの見たところ、権力の面では前提案と特に変わったところは見当たらなかった。本来、元老院が持つあらゆる権限――法律を審議し、改訂をも可能とする権限や高級官僚の任命権、条約を承認する権限などの共和国を支配するのに必要な諸権限――を独裁官とその秘書団たちに委ねるそれは、相も変わらず極端なモノである。あの元老院最終勧告までも、名前をそのままそっくり独裁官最終勧告と名を変えて持たせているのだからその徹底ぶりが分かろうものだろう。これは元老院をあの民会と同じ地位へとせしめる事と同義である。
 そして、問題はその圧倒的権限を持つ独裁官を縛る鎖であるが、それが……

 
 
 ――丸ごと一切外されている!?

 独裁官の罷免権を唯一持つ執政官は、独裁官の任命と同時に免官されるか、辞任することになっている。また、当時元老と呼ばれた英雄たちはもうすでにこの世にいない。
 唯一定められている制限らしきものと云えば、これが国の平時を取り戻すための制度である、と記されていることだろうか。しかし、それは薄紙よりも頼りない縛りである。

 読み込んで、事態を把握した議員の何人かから困惑の声が上がる。
 それはそうだ、いくら何でもこれは野放しが過ぎる。

 ――しかし、これ以外に何か解決方法を私たちは見つけることができるだろうか?

 そうナードラは自問するも、勿論いい答えなど浮かばない。
 それは他の議員でも同じな様だ。皆、微妙な顔を崩さなかった。

 遠い前線で敗走を重ねる国防軍、そしてそれを隠そうとする首脳部、勝利を疑わない民衆、国軍内での対立……

 それらを一斉に解決する手段など無いのは明らかであるのだ。
 そして、それらを一挙に解決するとなれば、それこそ英雄でしか成し遂げれないことなのだろう。

 ナードラは目をつぶった。

 ――もう、打つ手はひとつかないのか……


 
 半ば諦めかけたその時、彼女は横で何か動く気配を感じた。
 顔だけで、ナードラは横を見やる。そこには、ようやく動き出したクルセレス=ド=ラ=コトステノンの姿があった。

 彼は腕を挙げ、発言の許可を求める。その巨体からか、存在感ある彼はすぐに許可される。
 ゆっくりと立ったクルセレスは一度軽く周りを見渡してから口を開いた。あのクルセレスの発言に、否応無く周りの視線が集まる。

「このクルセレス、皆の喧々諤々な議論を興味深く拝聴させていただいた。が、少し皆の議論の論点といったが少しずつずれているの気になる。
 皆ももう既に分かっておろうことだと思うが、この危機を――その責任追及は取り敢えず置いとくとして――解決する手段はもう一つしかなかろう。それを、少数の人間が唯一の解決方法以外を探そうとすることで堂々巡りしているように思えるが、どうかな?」

 そう言ったクルセレスは一度話を切った。その間に自分の考えをまとめろとでも言うかのように。
 自分の意見を確認しただろう議員たちを見てクルセレスは話を再開する。

「なるほど、そうだとして今私たちが話し合い決定するべきことはなにか? だらだらと貴重な時間を消費して更なる危機をこの国に招きよせようとするのは、この元老院のこの国に対する二度目の背任となろう。
 ならば、私たちがするべきことは最高を今考えるのではなく、最優を考えるべきではないだろうか? この提案の穴を埋め、素早く送り出すなら彼を――エンクルマを万全の状態で送り出すべきではなかろうか?」

 演説調子ついてきたクルセレスの話は、議員たちにゆっくりと染みこんでいく。
 隣のナードラさえ、十分聞こえているのに身を乗り出すほどの演説であった。

「穴というのはこの制度の肝である――独裁官の暴走を止める何かである。それがこの案に無い、というのはいくら何でも看過できない問題である。
 ……そこで、私は提案しよう。この制度の効力を”この戦争が継続する間”に留めてはどうか?」

 此処で、クルセレスは一寸話しを止めて、皆の反応を窺う。

「先ほどカメシス閣下はこの制度を劇薬であると例えられていたが、それを薬として用いるならば期間を守って用いなければならぬ。だらだらと続くこととなれば……毒にもなろう。
 諸君の中には、彼にこのような権限を与えることに不安な者もおるだろう。しかし、事態は急を要し、深刻であるのだ。彼が自由に動き、この国を、あの強大なるニホンに対する勝利へと導くには並大抵の権力では効かぬということに納得できないだろうか?
 だからこそ、強力な効果をもたせた薬を短期間、服用するのだ! 彼に対する二度目の裏切りを今諸君はなすつもりだろうか?! 『無敗将軍』たる彼に、ここは任せてみようではないか!」

 最期は身振り手振りを伴った、クルセレスの熱弁が終わると、またもや議場には奇妙な沈黙が訪れた。
 しかし、それは爆発の前の踏み込みに過ぎなかったのだ。

 次に爆発かと聞き間違えそうになる拍手、同意の声――! 先の混乱よりも統一感をもったそれは、議場を何周をもした。
 空気が熱くなっていくような錯覚を覚える程の共鳴は、級数的に大きくなっていくようにナードラには感じられた。

 そしてこの喧騒の中、マイクを渡されたエンクルマがそれをさらに加速させる。

「……このエンクルマが、ニホンに決して負けぬことを約束しましょう」

 そして、より一層議場の共鳴がその大きさを増していくのだった。







 喧騒の中、ナードラはその波に一向に乗れないでいた。
 この波に乗ることは簡単で、楽である。しかし、それは何か思考を放棄することにつながるのではないか――そうナードラは思わずにいられなかった。

 それはこの流れを創りだしたのが、隣のクルセレス=ド=ラ=コトステノンであることも少しは関係してるのだろう。その煽りというか、演説めいたモノで人をその気にさせる技術はさすがだと思うが、何かナードラは気に食わないのだ。

 しかし、だからといってナードラに代案があるわけでもなく、抗議する資格がないということも彼女は重々承知していたのであった。
 流れは完全に、執政官・エンクルマ側にある。今から始まる評決で先の案を修正されたモノが可決されるのだろう。修正というのも、先のクルセレスが指摘した点である、独裁官を制限はずの”この戦争が継続する間”という縛りである。
 これは、提案書には『この国が戦争状態を脱した時に、独裁官はその任務を終える』という表現がなされている。ナードラはこういう表現の仕方がことさら重要視されることを知っていたし、それは意外にどうでもなるということも知っていた。
 
 平時での、確かに政争の具になるような場所ではそれも大切かもしれない。しかし、今という非常事態にそんな事が重要視されるだろうか?

 大体、ナードラにはこの制度もなにか空虚めいたモノにしか見えなかった。こういった法律や条約が効果を発揮するのは、その裏側に何かしらの暴力が存在する場合のみだ。しかし、彼が植民地軍の長に復帰した場合、その前提は簡単に崩れ去る。
 なんたって、その効果を保証する暴力を彼自身が握っているのだ。こんな茶番――法律がただの紙になった時、それを守るバカ者などいるだろうか?

「では、賛成の議員諸君には起立をお願いしたい」

 賛成の意を示す議員たちが立ち上がる中、ナードラはぼんやりとその様子を座りながら眺めていた。

 彼らがある意味安心して、この制度に賛成するのは自己保身や贖罪や色々な物が混ざった理由があるのだろう。エンクルマを信じることなくまんまと国防軍に乗せられてしまった――その事にたいする贖罪。そして、これにて許してもらおうという甘い期待もあるに違いない。それに……この戦争について責任を投げてしまえるというのもあるだろう。

 ――必然その責任には、大きな権限もくっついているのだが……

 そう言えば――と、ナードラは思い出す。このことにはエンクルマが、一度クーデターを止めた、という事実も効いているのだろうか? 確か、そのことについて彼に心酔した人物――ロルメスという名前だったか――が若い議員中心にそういうことを広めていたという話が頭に浮かんでくる。
 それを聞き及んだ議員は安心して、この『独裁官』制度に賛成の意を示すだろう。

 全てがエンクルマの今に繋がっている――そういったふうに感じるナードラはこのことに不信感を抱かずにいれないのだった。
 
 ――あまりにも出来過ぎている……っ!


 どうやら、ナードラ以外の議員全員が起立したようだ。
 周りの議員達は座っているナードラに、驚きを隠せない顔をしている。特に隣のクルセレスは驚き、顔が引き攣っている有様であった。

 ナードラは、何故か少し爽快な気分であった。

『……では、賛成多数で独裁官にティム=ファ=エンクルマが任命されました』

 引きつった顔の小父に、ナードラは微笑みかける。

 この後に大きな不利益が待ち受けているだろうことをナードラは十分、分かっていた。
 冷静な思考はナードラに起立を促すが、ナードラは決して立とうとは思わない。それが、ナードラ自身不思議でもあった。

 立ち上がり拍手する議員の中で、座るナードラは目立ったのだろう。
 拍手で『エンクルマ独裁官』誕生を祝う議場の中で、無表情のエンクルマとナードラの視線がぶつかり合う。
 
 だから、ナードラはしっかりと確認することができた。

 ――エンクルマはナードラの方を向いて、ニヤリと笑ったのだ














 同日 首都アダロネス 第一執政官カメシス邸



「あれで、良かったのかね?」

「ええ、全て予定通りです。カメシス閣下もご苦労様でした」

「ふんっ、……わしの引退に協力してくれるのだからな、これぐらいは容易いことじゃ。なぁ、ドクグラム?」

 先程まで元老院の壇上に居た二人――カメシスとエンクルマ――の視線が、部屋中央のソファに注がれる。
 そこには、ワインを片手にどこかおもしろがる表情をした国防相ドクグラムの姿があった。

「いや、二人の議会での演目を十分楽しませていただいた。時には舞台に上がるのではなく、観劇というのも悪くないですな」

 そう言って笑うドクグラムはどこか晴れ晴れした気持ちさえ滲ませる。
 その様子をカメシスはニヤケ顔で、エンクルマは無表情で眺めていた。

「ドクグラム殿には、まだ舞台を降りてもらう訳にはいかないんですがね」

「むぅ…… この敗者にまだ働けと独裁官殿は仰っしゃるか!」

 ハハハとドクグラムは笑う。その手に持つアルコールはいい方向へその効用を発揮しいるようであった。
 
「ええ…… あなたには『独裁官』に対立する輩のまとめ役をやってもらうんですから。いわば、あなたはゴミを掃く前に撒く茶殻、ですか」

 そのエンクルマのあまりもの言い様に、カメシスはプッと噴きだしてしまう。
 そんな言葉を聞いても、ドクグラムは機嫌の良い顔を崩さない。

「はは……ああ、頑張って自分の役目を務めさせていただくとする」

「ええ……お願いします」

「……にしても、こう対立しているとされる二人方が裏でつながっているなんぞ、言われても信じる者はいないじゃろうなぁ」

 カメシスは、目の前の巷では激しく対立しているされている権力者二人を前に目を細める。
 その言葉に、ドクグラムは笑って答えた。

「物事というのは、それが高度になればなるほど予定調和となるモノですよ、カメシス閣下。それが公開されているかはどうかは、その時々の場合によりますがね」

 


 







 同日 ノドコール首都キビル 参謀本部 控え室


「な、それは本当か! そんな……そんな馬鹿な事があり得るのかっ!」

『ええ、そんな事があり得るのですよ、カーナレス従兄上。翌日には担当官や植民地軍参謀らがそこに向かうので、それなりの対応を宜しくお願いします。……良いですか、カーナレス従兄上――独裁官の権限は巨大です。下手なことをくれぐれもしでかさないよう、お願いしますよ』

「ま、待てっ! そんな、国防軍が終わるはお前の終わりと同義なのだぞ、ドクグラム! それでもいいのか!?」

『……後で独裁官の詳細をファクシミリでお送りします』

「……ドクグラム、わしを見捨てるのか?」

『カーナレス従兄上を見捨てる訳ないではありませんか。帰ってきても、人並みに生きていくだけの給金は差し上げますし、郊外の大きな家も探して差し上げましょう』

「こ、この……ドクグラムっ!」

『……失礼』

 電話が切れる前に、その電話口からのドクグラムの声は途切れることとなった。
 切れる前にカーナレスが電話を床に叩きつけたからだ。

「か、カーナレス閣下……」

「馬鹿な……そんなことがあり得るのか……? エンクルマはどんな魔法を使った!?」

 鼻息荒く、荒ぶるカーレナスを前に気弱そうな顔をした秘書は一度、ブルッと身震いをした。
 彼はカーレナスに、能力ではなくその正直さを買われて雇われている秘書である。この場合のカーレナスが言う正直さとは、それはすなわち小心のことであった。

「……くそっ、このままで終わるわけには行かぬ……」

「あの、……カーレナス閣下? 何があったのですか?」

「うるさいっ! 黙っておれ!」

 カーレナスはドンドンと足音うるさく、ブツブツつぶやきながら机の周りを回る。
 それを、秘書は不気味そうに眺めていた。

「……あいつは、やっとコマを使えるように仕立てたと言ってたな?」

「あいつ、とは……」

「ドクターだ! ……これまで、いらぬ金ばかりかけさせよって…… 少しは役に立って貰わぬとな」

 そう言って、ドクグラムは歪んだ笑いを浮かべた。

「ちょうどいいコマが……確か女だったな、アイツを使う」

「はぁ……」

「今に見ておれエンクルマ……これは何かの間違いなのだ……」

 







[21813] 二十四話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/02/09 14:35
 
 ノイテラーネ国 十二月十六日 パン=ノイテラーネ空港上空



「……何故、そのような事を言うのかね?」

 官房副長官である蘭堂寿一郎は、今さらながらこのまま自分の考えを告げていいのか、迷い始めている自分に気がついていた。その原因ははっきりとしている。それは、その短躯な身体から強力な威圧感を出している男――内閣総理大臣 神宮寺一と対峙しているからである。

 それも、今自分が口にしようとしていることはある意味”告発”である。
 そういった事を目の前の、政治家にしては頑固なほど真っ直ぐな男が嫌っているということを蘭堂は重々承知していた。

 
 ――しかし、今ここで言わなければいつ言おうというのだ!

 一拍、息を吸い込んだ蘭堂はゆっくりと”告発”を口にした。

「寺岡祐輔に、全権委任するのは危ういと思います」

「……ふむ、君がそのようなことを言うのだから、何か理由があるのだろうな」

 その神宮の反応を見て、蘭堂はまずは第一関門突破だと心の中でガッツポーズをした。
 
 蘭堂は自分の言おうとすることが、如何に無茶で、めんどくさいものかを理解している。
 だから、最低限の信頼を彼から得ていなければスタートラインに立つことすら出来なかっただろうと推測していたのだ。

「勿論、あります」

 蘭堂は目の前の日本国最高権力者――神宮の目を真っ直ぐ見ながら答えた。

「なるほど…… 君も知っての通り、既にこの話はほとんど決まっている。決まっているも何も他に適任が見当たらない。加えて――」


 そこで、一旦何かを考える素振りを神宮は見せた。
 
「――士道たっての希望だからな。まぁ、安全保障・外交に執着な共政会のことだから、分からんでもないさ」

 そう言って、神宮は苦笑いを浮かべた。

「つまりは、彼を変えるのは難しい、と」

「ああ、出来ないことはないが相当な負担をかけるだろうな。それに、まず理由が見当たらん。人を動かすにはそれ相応の理由が必要だ。それも、既に決まったことをひっくり返すのなら尚更な」

「そうです、か……」

 やはり難しいのだろうか――そんな蘭堂の表情が表に出たのか、神宮は苦笑しつつ話を続ける。

「なんて事ぐらい、君が承知の上だってぐらい分かるさ。さて、その相応の理由とやらを聞かせてくれ」

「はい」

 蘭堂はそう応えると、小さく一言呟いて斜め上に何かを探すかのように目をやった。
 二人の間に少しの沈黙が流れ……ようやく、蘭堂は口を開いた。

「彼は――寺岡祐輔は共政会の、いや、士道のシンパの疑いがあります」

「士道の……シンパ?」

 怪訝な顔をする神宮の蘭堂は黙って頷いた。
 
「そうですね、今は共政会と呉越同舟の関係にありますが、その関係がこれから永く続くとはとうてい思えません。士道はいつか、彼自身の理想のために何かを仕掛けてくるでしょう」

「それは理解できる。しかし、奴もこの戦争がある程度決着つくまでは動けんだろう。第一、それが民意でもある」

「ええ、私もそう思います。彼自身が動くとすれば、戦後か直後であると。だからこそ……」

 ここで、蘭堂は神宮の目を正面から見据えた。
 
「……だからこそ、直接戦後に結びつく今回の交渉で仕掛ける意味があるのです」

 蘭堂の言葉を聞いた神宮は、顎をさすりながら何かを考える素振りを見せた。

「ふむ、なるほど。確かにそう考えれば、態々士道が彼を推しているということは理解できるな。しかし、まだ状況証拠にすぎん。それに、寺岡君が今回の交渉に適任者であるのも事実だ。彼も優秀な官僚であるし…… 今回の件で注目されていることを君も知っているだろう?」

 彼の言うとおり、あの衝撃の交渉の内実が省内、日本に知れるにつれて確かに寺岡の名前は話題になっていた。今まで一介の官僚に過ぎなかった人物に対しては、少し過大な評な気が蘭堂はしていたのだが、彼もまた寺岡に興味を持ったことも事実である。
 それは言うなればギャップの成せる業とでも言うのだろうか。強面のヤンキーが見せた少しの優しさと同様に、冴えない中年官僚が見せた一瞬の煌きは皆の心に強い印象を植えつけたようである。

「ええ。ですから余計に不味いと思います。彼が対ローリダ外交に影響力を持ち、士道と結託されるとこの国が彼の思う通りに誘導されかねません」

 まだ迷っている様子の神宮を見て、蘭堂は畳み掛けるように話を続ける。

「彼は安全保障に関する勉強会にも出席しています。勿論、共政会議員主催の勉強会です」

「しかし、それは政治家の言うような派閥的な”勉強会”ではなかろう」

 まだ渋る神宮に、蘭堂は最期の切り札を切る決意をした。
 
(これはここで使うには危険すぎる――しかし、このままでは彼を説得することはかなわないだろう)

「これはある筋から得た情報なのですが――士道と寺岡は度々二人で会っているようです」

「……二人で、か」

「はい。何も寺岡さんに代表団を抜けてもらおうという訳ではありません。私も代表団に随行して……彼が仕掛けてくるか見極めましょう。それに必要な立場と権限を私に与えて頂きたい」

 ここで、蘭堂は口を閉じ神宮をじっと見つめる。
 その蘭堂の様子を見てまだ考えを巡らしている様子の神宮であったが、ついには首を縦に振ったのだった。










 蘭堂はC-2輸送機の座席に腰を下ろし、この無骨な機体が安定飛行に入ったのを感じていた。
 日本から、ローリダとの交渉の舞台となるノイテラーネ国まではざっと二時間といったところだろうか。彼の隣には、今回の外交団団長の寺岡が気分悪そうに座っている。

 普通の人間なら、この様な輸送機に乗るような稀有な経験はできないだろう――そう搭乗前は豪語していた寺岡であったが、彼の身体はこの機をお気に召さなかったようである。

 結局、蘭堂の働きによって今回の交渉の全権は”第一時的に”蘭堂が持つこととなったのだった。この様なややこしい事態になったのは勿論、共政会が反対したためだ。曰く、外交はその道の専門家に任せるが一番正しいのだ、と。

 しかし、無理を通せば、道理引っ込むのが摩訶不思議な政治の世界である。加えて、士道がこれといったアクションをとることもなかったのが決定的であった。それが、蘭堂には少し不気味に感じたのだが、彼の希望が叶うのだから文句の言いようがない。
 結果、ある意味外交団は理想の形となっている。つまり、蘭堂が第一に交渉を行い、その補佐を寺岡ら官僚が行うという形である。過去にはある政治家が政治主導などというお題目ばかり述べていたが――形だけ見れば、外交団は理想のそれに見えたかもしれない。

 
 数分後、ようやく寺岡の胃からの氾濫気配が収まったようで、彼の顔色は良く見えた。
 
 蘭堂は既に現地入りしている彼の後輩である東スロリア課長 西原聡との、電話上での会話を思い出していた。大学時代、後輩先輩の関係だった二人は気の置けない関係であったのだ。

 その時、彼が言っていた事を思い出して蘭堂は寺岡に声をかけた。

「寺岡さん、具合は大丈夫ですか?」

「あー、ええ。……何とか大丈夫です」

「はは、先より幾分かマシそうですね。さっきの寺岡さん――顔を文字通り青くしていましたし」

 寺岡は少し乾いた笑いで蘭堂に返答をした。
 まだ、完璧には回復しきってはいないようである。

「体力は回復させておかないと……なんたって相手はあのローリダ人ですからね。一筋縄には行かないでしょう」

「ええ…… 今回の交渉も捕虜の存在を匂わせなければ、乗ってきたかどうか怪しいですし」

 そう言って、寺岡は浮かぶ弱い微笑を顔から消した。
 今回の交渉を取り付けたのは外務省の手柄とされている――が実質その手柄は寺岡のモノである。少なくとも、周りにはそう認識されていた。彼の、個人による外交ルートから――それはローリダ共和国の中枢と繋がっていると噂される――今回の交渉を分捕ってきた、らしい。
 外務省自体は今回の戦争を防げなかった時点で、失態を演じたに近い評価を得ている。だから、彼の特異さには蘭堂は何かの影響を感じずにはいられなかった。

「ローリダ人……どんな人種なのでしょうか…… 私たちの価値観とはかけ離れているのは予想できますが、好戦的な――原始人みたく大柄のむさ苦しい男達と向き合うというのは勘弁願いたいですね」

「ああ、姿形は私達と変わらないように見えましたよ。少し格好がローマ人チックでしたが。……それに、一人凄い美人がいます」

「へぇ…… お飾りですか?」

 蘭堂は身を乗り出して聞いた。
 そんな彼の様子に寺岡は苦笑しつつ、あの寺岡のある意味痛烈な外交デビューとなったあの交渉を思い浮かべている様子であった。

「いや、彼女が相手の外交団をまとめているようでした」

「……それは興味深い」

「今回も彼女は来るのではないでしょうか?」
 
 そう言って蘭堂は会談に望む集団――美女と野獣――を思い浮かべて少し吹き出した。
 まだ、野獣のイメージは払拭できていないようである。

 



 

 ノイテラーネ国 同日 パン=ノイテラーネ空港上空 セレス-117型旅客機機内


 クリスティーナ=デ=キルチネルは人生で最良の時間を過ごしているように思われた。しかし、その事をこの機に同乗している随員に聞いたとして同意を得るのは難しかろう。何故なら彼らローリダ交渉団は、こちらの軍勢をあっさりと蹴散らした悪魔の軍団――ニホンとの交渉へ向かっているのだから。

 そう意味で武者震いの様な気持ちでいる搭乗員はいたのかもしれない。
 しかし、クリスティーナの幸せの起因となっているのはそのようなことではない。今回の交渉に抜擢された――正確に言うならエンクルマ独裁官に選ばれた――ことが既に彼女には望外の幸せであったのだ。そして、その幸福感は今回の交渉についての予備協議といった形でのエンクルマとの会議・会談といった場面で既に最高潮に達していた。
 
 そう、彼女にとって今回の交渉はあくまでデザートであり、メインディッシュは既に食べ終わっていたのである。
 だからといって、デザートをほっぽり出す訳では無かったが。

 しかし、エンクルマの方針に疑問など浮かばない彼女にとっては今回の交渉などは消化試合にも等しい。彼の期待に答えようなどとプレッシャーに感じる凡人とは、彼女は格が違った!

 神に疑問を持つことなぞ、彼女にとって論外であったのだ。

 
 それと正反対の感情を抱いてるに違いないのは、元交渉団の面々である。
 いや、元交渉団という名称は正確ではない。未だ、書類上は確かに彼らが正式なローリダ国交渉団である。
 しかし、その実質的権限は彼らに付いて来た、独裁官エンクルマの意を汲む植民地軍の将校らのものであり、彼ら彼女はお飾りに過ぎなかった。
 
 彼らは今回の破滅的な戦争の引き金を直接引いた張本人たちである。いくらでも言い訳は出来ようが、その事実は揺るがない。
 そのことを彼ら自身も重々理解していた。だからこそ、この葬式のようなムードの旅客機の中でいくら嫌味を言われようが我慢しているのだった。

 交渉団の中でも中心であった人物――ルーガ=ラ=ナードラはそんな卑屈極まる団員たちの中でも一人異彩を放っていた。
 彼女は確かに機内でも浮いていたのだが、それは他人からすれば孤高ともいえる雰囲気であったのだ。

 そして、その様な態度がクリスティーナは心底気に入らないのだった。

 如何にも澄ましているといった態度の彼女は、もはや開き直っている風にも見えなくもない。それ以上に彼女は、エンクルマ独裁官に賛成の意を示さなかったことが何より気に入らないのだ。

 ――この様な危機を招きながら、その解決に尽力しようというエンクルマ閣下の足を引っ張るとは! この女はどれだけ恥知らずなのだろうかっ!

 そこには彼女の容姿に対する嫉妬も、少し混じっていたのだがそのような不都合な真実を彼女が自覚する訳ないのだった。彼女が常々コンプレックスに思う身長やら胸やら――そういったモノをナードラが完璧に備えていることもまた原因の一つに違いない。

 だから、彼女に話しかけるクリスティーナの声は自然と棘のある声となってしまう。

「……じゃあ、ニホン人の印象でも聞いておきましょうか、ルーガ=ラ=ナードラ。エンクルマ閣下の話を疑うわけじゃないのだけど、あなたの話も、実際に会った印象ぐらいは参考になるでしょ」

「……ええ、分かったわ」

 そういって、今までボーと窓から青空広がる空を眺めていたナードラは顔に手をあて何かを思い出す素振りを見せる。数分後、彼女はゆっくりと口を開いた。

「ニホン人は、そうね……画一的な服を着て交渉の場に現れた。それが彼らの特徴を表しているのかもしれない……例えば、彼らは最後の最期まで全ての交渉を譲歩や話し合いで解決しようとしていた。それは、彼らの協調を重んじる性格や争いを避ける向きを根にしているのかも」

「なんだ、交渉に最も向いてない性格じゃない」

「ええ、そう、悔やむべきは私達の方針と彼らのその性格が完全に合わなかったに尽きる。決定的に私たちとニホン人は噛みあわせが悪すぎる…… そういう意味で彼らをもっと知る努力をするべきだった」

「……ふーん」

 悔しがるナードラを見て、クリスティーナは少しの優越感を感じた気がした。

「流石エンクルマ閣下! 話に聞いていた通りだわぁ……これで、あれが効果的に使えるわけね」

 そう小さく独語すると、聞こえなかったらしいナードラがこちらをきょとんとした顔で見る。クリスティーナは顔に浮かぶ笑顔を抑えようと努力するも、ニヨニヨを止めることは出来なかった。
 
 クリスティーナ=デ=キルチネル――後に独裁官秘書団に抜擢される、彼女の最初の仕事は彼女にとって幸福に包まれていた。



 
 

 ノイテラーネ国 同日 スルアン-ディリ迎賓館

 
 
 ノイテラーネ国の中でも最上級の格式を誇るスルアン-ディリ迎賓館、その中でも青の天井の間では両団体の代表者を中心として、長いテーブルを間に二つの交渉団が向かい合っていた。
 勿論、二つの団体とは日本交渉団とローリダ交渉団である。
 
 日本側の真ん中には、蘭堂が座っている。その両脇を対ローリダ交渉経験者である寺岡と西原が固める形だ。
 彼らの予想では相対するはあのナードラ女史であった。

 当然、ローリダ側の中心に座っているのはナードラ女史――では無かった。

 彼女だけではない。西原や寺岡が見たことがある顔は、テーブルの後ろに所在無く座っているだけであって交渉に出てきた様子でない。その尋常ではない様子は、日本とローリダの立場が百八十度逆転したことだけに寄っている訳ではなさそうであった。

 代わりに、テーブルには軍服姿の数名が着席している。

(軍服姿とは穏やかではないな……)

 そう、事前の情報とは違う状況に蘭堂は思わずにいられなかった。

 それに――

(目の前には、ちっこい女の子が座ってる、とは、ねぇ)

 足がテーブルにつくかどうか、ということを心配している彼女が向こうの代表者だという。
 軍服に着られている、という言葉が似合う彼女とこれからやり合うことになるとの未来を想って蘭堂は少し憂鬱な気分になる。

「では、始めましょう。先も自己紹介したけど、私の名前はクリスティーナ=デ=キルチネルよ。今後も宜しく」

「あ、ああ」

 そういって、二人は握手を交わす。キマらないのは、クリスティーナが精一杯身を乗り出してやっと蘭堂と握手をしているからだろうか。
 
「……私の役職は、独裁官代理としての交渉官です。分かりやすい言葉を用いれば、私の言葉はエンクルマ閣下の言葉。エンクルマ閣下の言葉は、ローリダ国の言葉よ」

「……確認したいんだが、君は全権委任状を持っているという認識で構わないんだな」

「ええ、当然」

 ずいぶんフランクだな、と蘭堂は場違いな気持ちを抱いた。
 少し軽すぎないか、なんて思うの自身だけはないと蘭堂は確信した。横の二人はもとより、他の日本交渉団随員もあっけにとられた顔をしていたからだ。

 そんな彼らの気持ちをよそに、彼女の口は止まらない。

「ここに来るまでの景色を見ると、私たちが負けたのも納得できるわ。えーと、こんなのがあと……?」

「日本は、ノイテラーネ国中央市に匹敵する都市を7つ程持っております」

「……あなたが寺岡さん?」

 クリスティーナが少し、調子を変えて質問をしたのは彼女の疑問に答えた寺岡に対してであった。寺岡は、その問いに静かに頷くことで応える。

「……そう、分かったわ」

 何が分かったのか、日本側の誰もが気になったが話題が次に移り、その疑念は霧散する。
 その次の話題とは、ついに本題――日本の持つ捕虜についてである。



「まぁ、正直私からすれば捕虜なんてどうでもいいんだけどね」

 なんて爆弾をクリスティーナが落としたのは、本題に入ってすぐのことであった。
 それについての反応は、どちらかと言うとローリダ側の方が大きかったように見えた。

「な、何を言っているのだっ! クリスティーナ交渉官!」

 その声はクリスティーナの後ろから――元交渉団の一員であるゴジェス=リ=サナキスのモノである。

「ま、そういうことだから捕虜はカードにならないわよ」

 後ろからの怒声を無視して、クリスティーナはそうぶちかました。
 
 蘭堂は驚いた。彼女は――クリスティーナがその見かけによらず、実はどちらかと言うと『豪腕』な外交をする人物であることに、である。
 大体、日本ですら彼女らの情報が不足しているのだ。相手の国の情報等は、衛星からの画像などが主であり政治的な動向などよく分かっていない。
 
 唯一アクセスできるのは、公安かそれこそ外務省だろうが、そのような情報が流されてこないのを見ると手に入れてないのだろう。大体、独裁官という話から蘭堂は初耳であった。

「あー、あなた方は直接選挙に基づく議会制民主主義政体であると。それは間違いないだろうか?」

「――だった、わね。今は…そうね……」

 少し、笑ってクリスティーナは言う。
 その笑みから彼女の体格にも拘らず、どこか妖艶さを蘭堂は感じたのだった。

「――独裁制」




 
 
 蘭堂はふらりと倒れそうになるのを、ぐっと堪えた。
 
 
 ――独裁! それも軍部の独裁か!

 もう、根本から色々と崩れていく音を蘭堂は聞いた気がした。
 今回の敗戦によってだろうが――相手側の政体が倒れるとは蘭堂は予想していなかった。いや、ある程度の推測はあったのだが、それはただでさえ不足している情報のもとに得られた予想である。推測する者にも自信がないという、とてもじゃないが使えそうなモノでは無かったのだ。

(……ちょっと待てよ。となると、今回の会談は何を目的にしているのだろうか?)

 相手は日本側の捕虜の情報に引きつられてこの交渉へ参加した――という前提条件が崩れた今、蘭堂にはいまいち相手側の狙いが分からなかった。

(それに……後ろの元交渉団の存在はなんだ? ただの独裁ではない、か……?)

 寺岡がやりあったというナードラは、クリスティーナらの後ろで椅子に座りこちらを観察するように見つめている。確かに主導権は、軍人たちにあるようだが、もし本当に軍事クーデターを起こしたのであるならば彼らの存在が説明つかない。

 混乱する蘭堂に、クリスティーナは続けて言う。

「さぁ、始めましょう。ニホンとの停戦交渉を」

 そこで、初めて彼女は今回の交渉の目的を明かしたのだった。
 

 


「……私達が圧倒的に後退を積み重ねたのだから、こちらから条件を突きつけることなどできないわ。だから、ニホン――あなた方の停戦条件をまずは示して欲しい」

 そういったクリスティーナの言葉に、蘭堂は案外拍子抜けだなとの感想を抱く。
 各関係者に聞くローリダの話を総合すると、このような素直な人物像は想像できなかったからだ。

「あ、ああ、分かった。こちらの条件を伝える」

 蘭堂は隣り合う二人の顔を確認する。
 二人共頷いたのを見て、蘭堂は事前の協議の結果、決まった条件を相手に突きつけた。

 
 
 ・十二月三十一日二十三時五十九分を期限に、ローリダはスロリア亜大陸に駐屯する全ての軍部隊の武装を解除し、スロリアより撤兵せしめる。

 ・ローリダはスロリアにおける日本及び各国による平和維持活動の一切を妨害しない。

 ・ローリダはスロリア地域より不法に連行した現地住民の身柄を全て引き渡す。

 ・ローリダ側は一連の挑発的行動を、指導者の声明を以て日本に謝罪する。

 ・ローリダはノドコールの支配権を放棄し、以後を現地住民の自治に委ねる。

 ・ローリダはノドコール救済及び自治に必要なニホン側人員及び物資の、安全なノドコール入国を無条件で認める。
 
 ・ローリダは侵攻により被災したスロリア住民に、自国国内総生産の約半分相当の換算額を補償金として支払う。
 
 ・ローリダは今後50年間、いかなる形であれスロリア地域に軍事力を行使してはならない。


 
 ――ヤクザの交渉術

 そう蘭堂が呼ぶ外交方針は、詰まるところこういったことだ。
 
 まず、最初に相手が到底受託できないほどの厳しい条件を突きつける。現状は圧倒的に日本優位であり、彼らは恐れ、混乱するだろう。
 そこで、すっと一歩引き、相手を狼狽えさせる――そして比較的条件の緩い要求を提示するのだ。
 勿論、その要求は見た目通りのモノではない。例えるなら遅効性の毒のような、そのような条件を加えることができればこの作戦は成功だといえよう。

 もし、ここで相手が毒に気がついたりすれば、また工程は最初に戻るだけである。なにせ状況は日本に味方であるのだ――先の厳しい条件に軍事的恫喝が加わるのみである。

 
 蘭堂が今回、この様な方針をとったのは日本の軍事的アドバンテージを最大限に活用するためだ。彼は当然、この方法の孕む弱点も理解していた。
 ヤクザは力の弱い一般人にのみ強気でいられるのだ。相手が国家権力である警察には歯がたたないし、一般人相手だとしても彼らにはヤクザを”正常に怯えて”もらわなければならない。

 だからこそ、ヤクザはナメられることを一番に怖がるのである。ナメられれば、ヤクザはお終いだからだ。

 もう一人、ヤクザが相手に出来ない人種がいる。
 
 それは、狂人だ。


(彼ら独裁政権が、狂人であったなら――この戦争は泥沼になる)

 蘭堂は心のなかで彼らが狂人でない一般人であることを願いながら、目の前の軍人たちを見つめた。
 彼らの反応は比較的冷静であった。
 反応が大きかったのは、むしろ後ろの元代表団たちであろう。文官の彼らは顔を青くして、思わず立ち上がってしまう――しかし、その怒りを言葉にできなく顔をゆがめるのみだ。
 彼らが此処で何も出来ないことを、彼らは彼らなりに理解しているのだろう。

 蘭堂は、視線を目の前のクリスティーナに向ける。
 
 クリスティーナは、しげしげと出された要求を見ていた。

「――ずいぶんと、厳しい条件ですね」

「ああ、しかしこれがコチラの出せる条件だ」

「飲めない、と言った場合には……?」

 少し、挑発気味に下から見上げる様な形でクリスティーナは蘭堂に問いかける。
 蘭堂は彼女の意図が見えなかった。彼女らに期待していた混乱は見受けられなかったからだ。

「それ相応の手段をこちらはとることになるだろうな」

「それ相応の、ですか」

 全く手応えのない反応に、蘭堂は次第に不安になってくる。
 彼女が――ローリダが狂人の可能性が見えてきたのだから。

「ならば、私たちにもそれ相応の手段がある事を、あなたに教えてあげましょう」

 
 そう言って、勝ち誇った顔でクリスティーナはこう宣言する。

「現在、前線に複数個の――原子爆弾を既に配備しています」

 蘭堂の頭に、その宣言は雷鳴のように大きな衝撃を伴って響き渡ったのだった。 
 そして、それは彼が恐れていた事が現実になったという事であった。

 
 ――しまった、コイツらは狂人っ…… 

 
 
 ――それも刃物を持った狂人だ!










[21813] 二十五話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/02/28 21:35

「ならば、私たちにもそれ相応の手段がある事を、あなたに教えてあげましょう」

 勝ち誇った顔でクリスティーナはこう宣言する。

「現在、前線に複数個の――原子爆弾を既に配備しています」

 その言葉は、蘭堂が予想していた中でも最悪の部類に入るものであった。
 思わず顔をしかめてしまう蘭堂はしまったという思いが顔に出る前に、目の前の小さな交渉人を観察しようと目をやった。

 ――やはり、というべきかクリスティーナはニヤニヤとした嫌味な笑みを顔に貼りつけたままこちらを観察していた。

 蘭堂は自分の感情が表にでないように必死に制御しながら、やっとのことで答えを返す。

「……『原子爆弾』、とは?」

「ん? 私達よりもずっと進んだ技術をお持ちの皆さんはそれぐらい分かっていられるでしょう?」

 弾んだ声でそう応えるクリスティーナに、蘭堂は一度此処で引くべきかと考える。
 蘭堂はまず、彼女が『原子爆弾』という物をどう扱うか試したかったのだがこの調子だと、『原子爆弾』は彼女の切り札であるようであった。

 そして、遺憾なことにその切り札は日本にとって到底無視出来るものではなかった。むしろ、日本にとっては最悪のカードであるジョーカーに等しい。
 最善は彼女らが自身がジョーカーを切ったことを知らない事、であるがこの様子だとそれも期待出来ないだろう。

 蘭堂は、隣に座る寺岡にアイコンタクトで相談してみる。
 寺岡は少し考えた後、ゆっくり頷いて立ち上がり宣言した。

「……すみません、一度ここで休憩を挟んではどうでしょう? 議題も最初に予定されていた物とは少し違うようですし、そちらも必要では?」

 その言葉に、先の笑顔を消したクリスティーナが寺岡を睨めつけた。
 後ろのローリダ元外交団の一部が騒がしくなってきたのを聞いて、彼女は小さくため息をつき了解する。

「ええ、分かったわ。では、半刻程休憩をはさみましょう。それでよくて?」

 寺岡が頷き、彼女らローリダ外交団と日本外交団がそれぞれの控え室へと戻ろうとしたときであった。

「……私達の提案は、現在での前線での”停戦”よっ! 良い返事を期待しているわ――寺岡祐輔っ!」

 そうクリスティーナは捨て台詞めいた言葉を残して、青の天井の間を離れるのだった。








「――はい、そうです。はい、はい……よろしくお願いします」

「どうだ?」

「……停止していた哨戒任務も再開させました。これで現在の前線については大丈夫だと思います」

「そうか」

 そういって、蘭堂は交渉団随員である自衛隊員制服組から目を離した。
 テーブルに座るは蘭堂と寺岡、西原である。他の随員は先伝えられた衝撃の事実を日本にいる政府に伝えたり、控え室警備に当たっている。言うまでもないことであるが、この控え室に関してはすでに防諜済みだ。

 蘭堂は、交渉についての先輩である寺岡達へと向き合った。
 蘭堂自身、今回は目の前の彼を警戒してこの交渉に付いて来たというのに、此処で彼に頼るしかない自分が情けないと思う。

 しかし、そんな自分勝手な感情で一国の交渉について手を抜く、なんて事はしないぐらいの責任感はあると自負しているのだ。

「……厄介なことになりましたね」

「ああ、これで状況はイーブンだ」

 伏し目がちに言う西原の言葉に頷きながら、蘭堂はため息をつく。
 
「全く机をひっくり返されたような気分だ――それも相手はそれを意図的にやっていると見える」

「しかし、原爆という兵器があるならなんで此処まで引き延ばしていたんでしょうね? アイツらの印象だと残虐だから、なんて良心の呵責なんてなさそうですけど」

「確かにそれは疑問だな」

 と軽く相槌を打ちながらもう一人の人物――寺岡の方を見やる。彼は手を顎に当てながら何かを考えている様子であった。

 
 ――何か、仕掛けてくるのか?

 なんていう疑心が一瞬、浮かぶも蘭堂はそれを打ち払おうと首を振った。

「ローリダが通常兵器に依らない戦闘を仕掛けてくるという予測は最初からあったんだよ」

「へ? そうだったんですか?」

「ああ、だからこそ自衛隊の作戦は最初に相手側の基地を叩き、相手の制空権を奪う事が大前提だった。いくら日本の戦車が強いって言っても核兵器には勝てないからな。結局、彼らは今回の戦争でそんな意図は無かったようだが……」

 実際、政府高官たちが一番恐れていたのは相手が核兵器を使用してくることであった。それは勿論、核兵器の破壊力もそうであるが、一番恐ろしいのは世論の反応であったのだ。

「――となるとだ。前線に核兵器がなかった時点で可能性は二つに絞られるわけだ。
 一つにローリダが核兵器を開発していないという場合。もう一つはローリダが今回の戦争には核兵器が”もったいない”として前線に送ってない、使うつもりがなかったという場合だな。本国だと前者だという予想が多かったんだが、現実は残念ながら後者のようだ」

「何故、前者が多かったんですか? というか、”もったいない”だなんて慢心もいいところですね、その結果があれですし」

 西原からの当然の質問に、蘭堂はさーてねとアメリカンなポーズをしつつ応える。

「まぁ、希望的観測が混じってたのかもしれないが…… 『前線に核兵器がない』ということから解ることなんてそうないさ。ローリダの連中も大層”アレ”だしな。
 ああ、それに”もったいない”という仮説よりも、一応無理やりではあるけどもっと合理的な説明も出来なくはないぞ。例えば、こうとも考えられる。核兵器は持っていた。しかし、その威力が分からなかった――」

「威力、ですか? ……ああ、核実験をせずに兵器をいきなり作ってみた、みたいな」

「いくらなんでも核実験をせずに、核兵器を造ったとは考えたくないがな。まぁ、その場合は当然さっきの様な使い方は出来ない訳だ。核兵器が交渉をひっくり返す効果を持つのは、両者がその破滅的な威力を知っている場合に限るからな」

「……うーん、話がややこしくなって来ましたね。けど、先の交渉の推移を見てると核兵器を見事に『カード』としてテーブルに出してましたけどねぇ」

 加えて、日本にとって原子爆弾が効果的であることを熟知しているみたいな外交手腕でしたけど――という西原の疑問には内心、蘭堂も同意していた。

 結局、ここでループしてしまうのだ。核兵器の威力を知っていれば、戦争には使うだろう――しかし実際使われ無かった。そして、威力を知っていなければ先のような外交は出来ない――しかし実際はこちらの弱点を知っているかのような外交を仕掛けてきた。

 
 そのループの中で、西原は突如出口を見つけた気がした。

「……ああ、なるほど」

「どうしたんですか? 先輩」

「なんてこった…… 普通に考えれば当たり前じゃないか――つまり、今回の軍服姿のあの子、彼女の言う”独裁者”はその威力を知ってたんだろう。しかし、戦争開始直後の政権は知らなかった。それで全ては説明がつく」

「あ」

 短い声は、西原の喉からしか聞こえて来なかった。
 寺岡は先からの考えこんだ姿勢のまま、こちらの話を聞いているかどうかすら怪しい。

「……寺岡さんは今後どうしたら良いと思いますか?」

 蘭堂の声かけに、やっと寺岡は思考を止めた様子でこちらの話し合いに参加する。

「……はい、少し考えていたんですが、彼らが『核兵器』を持ちだしてきた時点でこの交渉の結論は停戦、以外にないと思います」

「です、か」

 ずいぶん考えた様子の寺岡の結論がこうなのだ。テーブルをひっくり返された状況では、今までの積み重ねてきたカードが通用する訳もなく現状維持に終わるのが当たり前であろう。

「……これは、私達の”外交的敗北”なんでしょうか?」

 気落ちした声で西原が言うその字面が、蘭堂の心を締め付ける。
 
 ――見極める、と息巻いた結果がこれか? 

 ――しかし、ローリダが『原子爆弾』なんて出してきたのだからしようがない! 誰がやっても同じ結果だったに違いないっ!

 叱咤と自慰の混じったそれは蘭堂の頭の中で渦巻くばかりで、そこから生産的な物は何一つ生み出せそうに無かった。
 そんな状況だったからこそ、彼の声が天からの声に聞こえたのかもしれない。




「結論は停戦、から動きませんが状況はイーブンではありません。ここからもう少し攻められるのではないでしょうか?」

 寺岡は斜め上を見ながら、何かを思い出すように言う。

「状況はイーブンでは、ない?」

 蘭堂は、最初に自身が言った事を思い浮かべて疑問符を浮かべた。
 その問いに寺岡は首肯しながら応える。


「ええ、先の『原子爆弾』カードで大分戻されましたが、まだこちらが優勢です」

 今回の戦争によって、日本が持つことになった”カード”を思い出してみてください――という言葉に蘭堂は再確認する意味でも所謂”カード”を思い浮かべてみる。

 一つに、捕虜という人質がある。
 それは今回のメインの”カード”になるはずであるのモノであっが、それは交渉の最初に否定されている。
 今、考えればこの異様な事態も理解できる。全ては相手側の”プレイヤー”がいつの間にか交代していたのが原因であったのだ。それももっと強力な手札をもった、頭のいい”プレイヤー”に――そう考えるとこの交代劇も戦術の一つかと疑いたくもなる。

 二つに今回の戦争での勝利だ。
 しかし、その強力なカードも『原子爆弾』に打ち消されている。

 と此処まで考えを進めて、他にめぼしい”カード”がないことに気がついた。
 
 そうだ、ローリダとは『戦争』するまでろくに知らない国同士であったのだ。であるからして、同盟国間や経済云々などの搦め手が全く使えない。接点が針先でしかないのだから当然である。

 ――全く、彼の言う”カード”が見つからない。状況はイーブンに戻されてしまったように見える。

 その様子をみて、苦笑した寺岡は少し舌を出しながらスミマセンと一言謝った。

「目には目を歯には歯を――な感じですか。いや、コレとは少し違うかな」

「て、寺岡さんー、じらさないで下さいよ」

 涙目でいう西原に、寺岡は頷く。

「自分でも整理しながらですから、何か上手く行きそうにないところがあれば指摘してください。
 戦闘勝利による現実的なカードは原爆に打ち消されてしまいました。しかし、こちらが――日本がローリダに”圧倒的な力量差”をつけて――勝ったという事実は消えません。それを利用します。つまり、その事実を”カード”として使います」

「”圧倒的な力量差”、ですか?」

「”圧倒的な技術差”と言い換えてもいいかもしれませんね。そして、今回の交渉で判明した事実があります。それは、交渉のテーブルでは現実の事実が全てではないということです」

「確かに――私たちは『原子爆弾』をこの目で見たことないですけど、”カード”としての効果は絶大でしたしね」

 うんうんと頷く西原。

「つまり、寺岡さんは日本が大勝したことから何らかの”カード”を見い出しているということですね。そして、それは現実的な事実でない……」

「はい、そこでそこから引き出す”カード”としてですね」

 一瞬、言いにくそうにした寺岡であったがそのまま勢いで言い切ったように見えた。

「核反応を止める――なんちゃら兵器とかどうでしょう?」

「……は?」

 その瞬間、二人の時は止まったかのように思えた。
 それほどまでに予想外の言葉であったのだ。

「つ、つまりですね」

 慌てていい加える寺岡は、かく汗が幻視できそうな慌てぶりであった。

「相手側は今回の戦争で、私達が”圧倒的な技術”を持っていることを感じ、知っているんですよ――その『感じ』を利用します。
 彼らの持つ最高技術である『核兵器』を、無効化する技術が、”圧倒的な技術”を持つこちらにないと向こうは断言できるでしょうか? その迷い、躊躇を”カード”にします」

「……ニュートロンジャマー的なやつですか」

「ニュートロンジャマー?」

「あ、いや、スミマセン、なんでもないです」

 西原はそういって、素早く謝った。

「つまり、私達は相手側の核兵器を無効化する手段を持っている――フリをするわけですね」

「ええ、それによって文字通り机上の『核兵器』は無効化されます」

 頷く寺岡に顔を見て、蘭堂は口元が緩むのを抑えきれなかった。
 ――それは未知なる手段に挑戦する際に感じる、なんとも言えない高揚が成せる業であったのだろうか?

「……面白いじゃありませんか。『見えない幻』に夢想をぶつけるなんて、よくできた話です――しかし、彼女にその空想を否定できる程の知識があれば……いや、それはもう考えても仕方がないことですか」

「まぁ、コレはつつけばいくらでも埃の出る作戦ですし。しかし、可能性は少ないと思いますよ。彼女は多分、軍人であり外交官であるので最先端の科学の知識を持っているとは思えません。”圧倒的な技術”を持つ私達を否定するには、そうとうな深い理解が必要とされるでしょうし。後は彼らの科学観が―― 一神教の直線的発展史観が――うまい具合に働いて、私たちの虚像を見てくれるの祈るだけですね」

 そういう寺岡も、いい笑顔で笑うのだった。


「では、もしその空想的な”カード”が効果を発揮したとして、どのような要求をつき加えるのですか?」

「ええ、それに関してなのですが制服組の人に少しお聞きしたいことがあります」

 蘭堂の質問に、不敵に微笑む寺岡は少し遠くにいた自衛官に声をかける。
 三人に近づく自衛官に寺岡は今回の”停戦”についての質問を投げかけた。
 
「今の前線で停戦したとして、そこに自衛隊が張り付くことになると思いますが…… それは日本への負担とならないでしょうか?」

「そうですね…… 勿論規模には依るでしょうが、日本本土から遠く離れた前線となると負担は避けられないと思います」

 自衛官の返答にフンフンと頷く寺岡。
 振り返り、彼は続けて二人に”停戦”の問題点を説明する。

「そしてもう一つ問題なのはこの前線が、ローリダ側――それも植民地に近いということです」

「あ」

 彼らの口から、全て語られた後に蘭堂はその致命的と言っていい問題に気がついた。
 停戦する位置、である。

「勿論、ここまで前線を押し上げたことはこちらの優位にもなります。しかし、この前線の維持、という観点になるとそれが逆にマイナス評価となる。
 今度、攻められたときにはそれがいい方向に働くでしょうが、その未来が実現する可能性は限りなく低いでしょう。それに、今後彼らが圧力をかける手段として前線に兵力を集める――なんてことにもなりかねません。
 それらを解決するのに、前線での兵力を制限する項目を付けたいですね。あとは項目が満たされているかを監視する監視団とか……緩衝地帯を設けてもいいかもしれません」

 そこら辺はおいおい詰めて行きましょう――そういって寺岡は蘭堂の方を見た。

 蘭堂は軽く笑って――背を仰け反らせて降参のポーズをとったのだった。




 
 




「どう? 相談は纏まった?」

 ちょうど半刻経った青の天井の間には、先と同じく交渉団同士が向い合って座っていた。違っているところといえば、ローリダ元交渉団の面々が少し煤けている点だろうか?

 相も変わらず挑戦じみた質問をぶつけるクリスティーナに、蘭堂も先の様子とは打って変わって、重い様子で応える。

「とても動揺していたようだけど…… 私の提案を考えてくれたかしら」

「ああ。先は済まない、みっともない姿を見せてしまったな」

「くふっ……大丈夫よ、なんだって『原子爆弾』だもの、しょうがないわ」

 不思議な笑いを零した彼女は、楽しくて仕方がないと言った様子で返事をする。

「……まさか自分が『原子爆弾』を無効化する兵器の使用許可を政府に求めるとは思わなかったからな、少しビビってしまったんだ」

「……え?」

 そのキョトンと擬音語が聞こえてきそうな表情に、蘭堂は今自分が笑いをこらえられているのか少し心配になる。

「……ちょっと、待って。今、なんて……?」

「『原子爆弾』を無効化する兵器、だよ。固有名を君に言っても分からないだろう? 原子爆弾なんて旧型の兵器に対抗する兵器がないとでも思っていたのかい?」

「……それを、つかうと、その」

 目に見えてうろたえるクリスティーナの様子に、蘭堂はこの交渉にて初めて確かな手応えを感じる。
 彼女だけでは決めれなく見えて、彼女はここに来て初めて隣の他の軍服たちと相談をし始めた。

 この状況をつくりだした仕掛け人の方を、蘭堂は伺った。目が合うと、今がチャンスとばかり寺岡は頷いた。

「それで、先の停戦の提案だが日本側は”原則”賛成だ。こちらとしても、無駄な戦死者は出したくない。こちらの提案書を見てくれ――少し厚くなったがな」

 先の寺岡の意見などを盛り込んだ提案書を差し出す。
 それを見たクリスティーナの顔は青くなる――しかし、こちらの顔をキッと睨め返すのみだ。

 後の細かいところは、自分たちの出番ではないだろう。大まかな情勢は決まったも同然だ。
 日本側に有利な項目が詰まった提案書を囲む軍服姿の交渉官達を見て、蘭堂は勝利を確信する。
 
 
 ――勝った、か。


 
 

 その時、青の天井の間には確かに敗者と勝者が存在していた。
 

 




[21813] 二十六話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/03/15 22:39

 日本国 首都東京 十二月十八日




「失礼します」

 と言って、扉を開けた先には当然ながらこの部屋の主がゆっくりと座っていた。
 しかし、声をかけたにも拘らずその視線はこちらに向けられている様子ではない。斜め四十度に向いたそれは先の風景に見入っているわけでも、具体的な対象にフォーカスを合わせている訳でもなさそうである。

(司令部で思索に励むよりも、現地で兵士達を指揮するほうが似合う行動派の首相――神宮寺一がこのような様子だというのは珍しい……)

 と、ともすれば無礼かもしれない感想を得た蘭堂はどうかしましたかと上の空の神宮に声をかけた。やっと蘭堂に反応した神宮は、こちらに意識を向けたようだ。

「ああ、蘭堂君か…… ローリダとの交渉、ご苦労だったな」

「スミマセン、本来なら真っ先に報告に伺うべきだったんですが」

 と、弁解しようとする蘭堂の話を、神宮は手を軽く振りながら遮る。

「そこらの話はこっちも聞き及んでいるよ。大丈夫さ、事情は大体理解している」

「はぁ」

 どこか億劫そうな動きで、そう言う彼に蘭堂は気の抜けた返事を返した。
 
 蘭堂は彼のこの反応の原因について、大枠ではあるが想像がついていた。勿論、彼に会うまでは他の可能性だってあったので気は抜けなかったのだが、予想通りの状況に部屋に入る前の張り詰めていた緊張の糸が緩んだ格好だ。
 
 
 神宮の言う事情とは、ローリダとの交渉を終えた後の尋問のような質問攻めであった。彼ら交渉団はローリダとの話し合いもそこそこに会談の翌日、日本へ帰国したのであるがその後、彼らを待っていたのは外務省での”取り調べ”であった。
 戦争という針の先での接触ではない、ある意味初めての、正常な外交の果実を貪欲に求めていた外務省は外交団から情報を引き出そうと必死であったのだ。いや、引き出そうという表現は適切でないかもしれない。引き出すというよりも絞りとるといった方がよい質問攻めは気丈な蘭堂をして、ここは敵地かとげんなりするほどの苛烈さであった。

 しかし、外務省としてもそれをするに十分な動機と理由があったのだ。これまで、転移直後からこの日本の外交を牽引してきたという自負や周りの期待などが入り混じった何かに圧されて、彼ら外務省職員は割りと限界に迫りつつあった――限界とは、精神的なそれである。

 加えて、輝く中年外交官の例があったので成果のないまま簡単に白旗を挙げることすらできないという背水の状況もあったに違いない。


 ふぅと軽いため息を吐いた神宮に、蘭堂はさすがに無視も出来ず話題をふることにした。

「やはり、労働党や左派の連中の反応が……?」

「ああ、彼らのある意味本丸に乗り込んだようなモノだからな。彼らの中にも話のわかる奴と……当然、分からん奴もいる。――空想的平和主義というか、あれだ、頭がお花畑のイエスキリストを気取った奴らだよ」

 と吐き捨てるかのように呟いて、神宮は眉間を片手でゆっくりと揉みしだいた。相当参っているようだ――と、蘭堂は日本国最高権力者の姿を見て思う。ぐったりとした気だるけな彼の雰囲気は疲れからくるものだろうか、いつもの猪突猛進とは真逆の気がした。

「しかし、彼らもローリダが核兵器を持っていることの危うさは理解できるでしょう? そして、それに対する現実的な解決方法が一つしかないことも当然……」

「大部分の人間はそうさ」

 ふっ、と一瞬自嘲気味に笑った神宮だったがその笑みもすぐに先までの気配に覆い隠される。

「主張は議論で変えさせることができる、その正当性いかんでな。だが、それが主義やらいわゆる居酒屋でよく聞く『俺の人生哲学』になるとどうしようもない。主義と人生が寄り添いすぎてくっついちまったんだろうな――主義の否定を人生の否定ととる輩に何言っても無駄だよ。無機物にでも話してたほうが、イラつきが溜まらない分有益じゃないかね?」

「首相がそんな有象無象の輩に配慮することないのでは? 大部分の議員が賛成なのでしょう?」

「そりゃ、蘭堂君。向こうにもメンツってもんがあるだろう」

 そして、また不満そうな顔をしていたらしい蘭堂の顔を見て神宮は軽く笑った。蘭堂はその笑いにまだまだ若いなという裏の声を聞いたような気がして、少し反発心を覚える。
 しかし、すぐにその反発心を覚えること自体が若いということなのだろうか、と自問自答してしまうのだが。

「すまんな、少し愚痴っぽくなってしまった。まぁ、君たちの持って帰ってきたモノがモノだから許してくれ」

 神宮の言葉に、蘭堂は日本に帰国してからの驚天動地な日々を想う。
 彼ら外交団の得た情報――ローリダが核兵器を保有しているという情報――は会談中でさえ政府内を引っ掻き回すに十分な情報であった。ある意味、意思統一できている政府内でさえそうなのであるから、それが多様な意見という名のカオスである世論に与えた衝撃は比でなかった。

 その二つの衝撃は比べようもないものではあったが、意思決定というレベルになると途端にその順位は逆転する。
 
 というのも、日本がローリダに対抗して保有する――ということに関しては日本の世論は満場一致といっていい割合で賛成であったからだ。そして、一部の議員を除いて国会議員もそのほとんどが賛成の意を表明していた。
 しかし、核兵器を使用するといったその段階までくると急に賛成の割合は少なくなる。あるメディアが行った世論調査では『核兵器の使用』という質問に関しては賛成と反対が半々であった。

 ここで問題なのは核兵器が核兵器たる所以として、その国に核兵器を使う”覚悟”があるかどうかという二次的な問題が発生するということであった。

 転移しても、今の日本が日本である過去――戦後、唯一の核被爆国として焼け野原から経済発展をなした日本――は消せないのである。

 
 自分勝手で都合のいい民衆はその正しく身を切るような決定を投げてしまえる。よしんば世論調査に答えたとしても、それはどれほど切実な選択であっただろうか。

 しかし政治家は――日本を、文字通り代表する代議士先生はそうもいかないのだ。


「それで……政府はどの様な対応をすることになるのでしょうか?」

 様々な思考を追いやって、蘭堂は神宮に尋ねる。

「核実験についての法律を急ぎ整備することになるだろうな。包括的核実験禁止条約……については、さて、世界を転移した後も有効なのかね。
 委員会の話だと今の日本で早くて四ヶ月、遅くて十ヶ月で核開発にかんしてどうにかなるらしい。その前に国としてある程度の宣言はしなくてはならないだろうが」

「では、核兵器を持った後は……?」

「……後、とはどういう意味かね」

「使わない、という宣言を日本国として出すという噂もあります」

「……んな、バカな話があるか。何も言わんよ、少なくとも私が首相にいる間はな」

「何も、言わないのですか」

「ああ、”私”は何も言わない。最も、共政会が何を言うかまでは私の知るところではないがね」

 そう、嘯く神宮の顔を蘭堂は見つめる。
 今、自分自身が納得のいかない顔をしているだろうことを蘭堂は承知していた。そして、それを分かっていながら見せつけることが彼のささやかな抵抗であった。

 それを見た神宮は先と同じ様な笑いを――今度はもうすこし深い笑みを――浮かべて言った。

「沈黙は金なり、だよ蘭堂君」

「……」

 それに蘭堂は何も言わなかった。
 しかし、それは『逃げ』ではないかと――彼は思わずにはいれないのであった。









 日本 首都東京 某喫茶店内 同日




「いやぁ、お見事でした、寺岡さん」

「ありがとうございます」

 そう言って、二人はコーヒーに口をつけた。
 
 ここ、喫茶店『コロンビア』の奥まった席に二人の姿はあった。静かなジャズ流れる店内には二人の他に客の姿は見えない。士道に会う際に、この喫茶店を多用していた寺岡でさえ他の客が入っているところを見た事がなかった。この調子でやっていけるのだろうか? という疑問が寺岡の頭にもたげたが、ここはカジュアルな”料亭”の一種なのだろうと納得する。正直、その必要性やらが寺岡には理解出来なかったが……

「もう世論は核保有の方向に流れてます」

 コーヒーを十分に堪能したかに見える士道は、満面の笑みを浮かべて言う。

「当然ではありますが、自民も核開発をすすめる方向でいくようです。国民もそれを望んでいる。反対する輩も出るでしょうが……まぁ、いいリトマス試験紙となるでしょう。国益を本当に考えている議員か否かの、ね」

「共政会は……?」

「当然、賛成です。既に、核開発のロードマップさえ用意してたんですから」

「……用意が良すぎるとして、疑われませんか?」

「ははは、かもしれませんねっ!」

 士道の機嫌は最高潮に達しているように寺岡は見えた。
 それもそうだろう――自分自身の絵描く絵にそって、国が、世界が動くのは気持ちいいに違いない。ここまでは彼の青写真の通りである。

 嬉しそうな彼の様子を見て、寺岡は心持ち恐怖と失望を感じた気がした。彼も人間であるという安心感も少し混ざったその複雑な気持ちは、寺岡が素直に喜ぶのを邪魔するのに十分であった。

「今回の交渉の内実、寺岡さんの手柄である事は事情を多少知る者ならすぐに分かります。私達の相棒である自民の皆さんも寺岡さんを評価しているみたいですよ。
 ……蘭堂をねじ込んできた時は、どう反応すればいいか決めかねましたが――様子見で正解だったようです。どうも蘭堂周辺はこちらを疑っているようで、場合によっては彼らを切り捨てる必要もあるかもしれないですね」

 政治家達の権謀術数には興味がない寺岡も、士道が楽しく話す未来予想図についつい聞きいってしまう。
 ある程度話し終えたのか、一息ついた士道は再びコーヒーをゆっくり啜りながら寺岡に次の一手について話だした。

「とりあえず核開発を続けて……次のステップはこの世界で早く核爆発を生むことです」

「核爆発を生む、ですか?」

「ええ。少し詩的に言うなら、”この世界は一度地獄を見ないといけない”のですよ」

 先の楽しい未来予想図の延長線で――士道はそう話す。
 
「人間は想像上の恐怖で自制できる程できた生き物ではありません。個人的には核実験での核爆発では役不足だと思いますのでね。やはり、核の破壊力を戦場で一度証明する必要があるでしょう。この世界では、ローリダか――日本が核を使わなければこの世界に核爆発を顕現させることができない。これは由々しき問題ですよ……」

 






「あ、そうそう」

 この秘密の会談も終わりかという時に、士道はふと何か思い出したか見えて声をだした。

「寺岡さんに、今度案内を頼みたい人がいるんですよ」

「案内、ですか……?」

 訝しがる寺岡に、士道は悪戯っ子のような笑みを浮かべて言った。

「ええ、日本観光案内を頼みたいんですよ。人質の中に向こうの元老院とかいう、いかつい機関の議員がいたらしいんです。将来、ローリダとの窓口になるだろう寺岡さんにとって、彼と親睦を深めることはプラスになると思いますよ?
 あー、名前はなんて言ったかな? ロンメル、ロルメス? 確かそんな名前だったはず……」

「……はぁ」

 寺岡は想ってもみなかった提案に中途半端な答えを返すしかなかった。













 ローリダ共和国 首都アダロネス 植民地軍大学前 十二月十九日



 
 アミン=タダは懐かしさが胸に広がるこの気持ちを噛み締めながら、冷え切り澄み切った空気を楽しんでいた。もうすでに、雪が降ろうかという季節になって久しい。彼は色々な季節のなかで、この時期が一番に気に入っていたのであった。

 アミンが歩く周りの景色は彼が大学を卒業した当時のモノとは既にだいぶ違って見える。昔は腹が空けば、遠くまで行かないと食料調達さえ覚束ない立地であったはずなのだが……今はまさに大学下町といった風に便利な店も多いようだ。
 講義を受けに行く生徒たちと共に、正門を潜ると通っていた日々が昨日のように思い出せるから不思議である――と、アミンは白い息を吐きながら思った。

 アミンが何故、すでに卒業した大学へ向かっているのかと言えば彼はある集まりに招かれたからであった。招かれた集まりに特別名前がある訳ではなかったが――彼はそれに招かれたことをすこぶる嬉しく思っていた。
 植民地軍大学という場所から分かる通り、その集まりは植民地軍に関わりのあるモノである。表向きは大学の特別教授であるエンクルマの講義となっているが、それに参加するのはこの大学に在籍している生徒たちではない。現時点で植民地軍で働いているホープや幹部達が対象の講義である。この講義を受ける人物達は植民地軍の将来を約束される――そのような噂が実しやかに語られるようなそれであったのだ。

 また、講義の時期が時期でもあった。
 
 先日、『独裁官』に就任したエンクルマの復活劇は、これからのローリダを彼らが引っ張っていく未来を周りに予感させた。植民地軍人達は落ち目から一転、期待の成長株へと華麗な変身を遂げたのである。
 そんな矢先の講義は正しく登竜門であり、呼ばれた者に明るい未来を想像させるに十分であった。

 
 しかし、アミンは植民地軍に所属している訳ではない。植民地軍シンパの新聞に所属している記者ではあるが、軍属でも何でもない。
 
 ――それにも拘らず呼ばれたということはどういうことだろうか?

 植民地軍と新聞社の窓口として選ばれた――と、アミンは認識していた。ある意味、植民地軍大学を卒業して、新聞社という大手マスコミに属する彼は植民地軍の広告戦略上重要な位置にいたのだろう。というより、正確に言えば双方の事情を知る彼は利用価値が大きかったに違いない。

 それでも、アミンは講義に呼ばれたことを喜んでいた。このコネを使えば新聞社での立ち位置も大きく向上する……もしかすると、主筆の地位もあり得ない訳ではないと思ったのだ。そして、それは実際正しいのだった。

 今後、ローリダ国政を動かす『独裁者』に気に入られたいというのは新聞社にとっても切実な問題である。だから彼は笑顔で会社から見送られ、今此処にいる。


 とまぁ、明るい未来が拓けたというのもあるのだろう。気分よく歩いていたアミンは向かいから見知った顔の人物が歩いてくるのに気がついた。

 軍服姿はこの植民地軍大学にあっては珍しいモノではない。
 しかし、その特徴的な外見――金色に輝くツインテールと小さな身長――が当てはまる軍人は一人しかアミンの記憶になかった。彼の知りうる情報では、彼女はつい先日エンクルマ独裁官の初手として注目された”停戦交渉”において、あのニホンとの交渉官として大抜擢されたはずである。

 クリスティーナ=デ=キルチネル――彼女はその金色をゆっくり揺らしながら、何やら幸せそうに歩いていたのだった。

「おい、クリス」

 アミンは声をかけるが、ほわわんとした彼女は全く気づいた様子でない。

「おいっ!  クリスティーナ=デ=キルチネル!」

「ん? ああ、アミンじゃない。どうしたの、こんな所で」

「それはこっちのセリフだ。お前は今頃、ニホンと丁々発止やってるんじゃなかったのか? まさか、失敗して……」

 危うく暗い未来を想像してしまい渋い顔をするアミンに、クリスティーナはシャーと金髪を逆立て猫のように反応する。

「なわけないじゃない、停戦交渉は成功したわ! さっき、エンクルマ閣下に報告してきたところよっ!」

「成功したのか……それは良かった」

 ホッと息をつくアミンを見て、クリスティーナは無い胸を張った。
 と、思い出したかのような顔をして彼女は再び先の質問を繰り返す。

「で? 私の質問に答えてくれる? なんでこんな所にいるのよ、新聞社をクビにでもなった?」

「な訳あるか…… 呼ばれたんだよ、俺も講義に」

「……あなたが?」

 疑わしげな顔をするクリスティーナに、失敬なとアミンは送られてきた招待状を見せる。確かにそれはエンクルマ特別教授の講義への招待を表すモノであった。
 それをまじまじと見る彼女は、何かに思い至ったようで納得した顔をした後薄く笑った。

「……まぁ、軍に行かずに新聞社なんかに就職するような変人はそう居ないものね」

「変人で悪かったな」

「って、講義の時間ギリギリじゃない…… エンクルマ閣下の講義に遅刻なんて笑えないわよ――急いだら?」

「ああ、まぁ、兎も角成功して良かったよ。クリスもよく頑張った」

「……多分、エンクルマ閣下からそれについての話が有るはず。私の活躍をよく聞いてきなさいっ!」

 そんな照れ隠し半分の捨て台詞を残してクリスティーナは正門へと歩いていった。
 そんな彼女にやれやれとアミンは首をふる。しかし、自身の口に薄く笑いが滲んでいるのを彼は自覚していた。

 ――さて、俺も急がないと

 アミンは、先よりもいくらか幸せな気持ちで、講義室へと歩を進めるのだった。



 






[21813] 二十七話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/03/24 02:01

 ローリダ共和国 首都アダロネス 植民地軍大学303講義室 十二月十九日




 クリスティーナと別れ、急いで講義室へと向かったアミンは目的の303講義室へ無事、遅刻すること無く到着したのだった。さすがに前の扉から堂々と入る気にもならず、後ろのドアをそおうっと開ける。比較的大きめの講義室は、既に八割方の席が埋まっている状況であった。この大事な講義にこうしてギリギリにやってくるような人物は少ないらしい。

 余った席について、教壇上にある時計を見やる。ちょうど講義が始まる五分前であった。



 講義の始まる時刻となり、チャイムがなると同時に前方の扉が開く。と、同時か少しフライング気味に講義室全員が起立をした。
 訓練されたそれは統一された心地良い音を奏でる。この整然とした音は此処にいる講習生たちがただの学生でないことを端的に表しているかのようであった。

 アミンはつかつかと教壇へと歩いて行く人物を直立不動の姿勢で眺める。
 少し遠目から見る独裁官――ティム=ファ=エンクルマは何ら前回の記憶と変わりないように思えた。軍服に多くの勲章をつけた正装の彼はあの会見の時よりも、少しゴテゴテ感が増したようだ。中身は少し太ったのか、最後に見た彼よりは顔がふっくらしているようにも見える。
 ――いや、よく考えれば少し前の彼が痩せすぎだったのだ。目のクマが日に日に大きくなっていく彼を見て、クリスティーナがおいたわしやと泣いていたのをアミンは思い出した。


 教壇に立った彼は講義室全体を見渡した後、軽く敬礼する。
 全員が答礼を返し、それに彼が少し呻いたかのように見えた後――許可がおり皆が一斉に着席するのであった。
 マイクの調子を確認したエンクルマは、もう一度ゆっくりと皆を眺めた。痛いほどの沈黙が講義室を包む。

「元植民地軍総司令官改め、エンクルマ独裁官です。……今回、皆に忙しい中集まってもらったのは、こちらも了解している――まずは、貴重な時間を割いてくれてありがとう。短くまとめるから、話自体はすぐに終わるつもりだ」

 そう言って、一度彼は水を飲んだ。
 まだ独裁官として日が浅いからか、どのように話せばいいか戸惑っている様子だ。

「最初に……この講義が始まる少し前、ニホンとの交渉に赴いていた交渉団の報告を受けた。その結果を君たちに伝えておこう。心配している者もいると聞いているからな」

 その言葉に、先まで軍人らしい沈黙を守っていた彼らもざわめく。先の緊張は独裁官としての初めての訓示によるものが大きかったようである。蓋を開けてみれば、エンクルマは独裁官などというイカツイ肩書きになっても、まだ彼らのイメージできる親しみやすい司令官殿であったのだ。

「私が任命した交渉官――クリスティーナ交渉官は私の意を十分汲んで、いい仕事をしてくれた。……停戦交渉は成功だ、ニホンがローリダにコレ以上攻めてくることはない」

 その瞬間、講義室は爆発的な歓声に包まれた。
 この反応を見ると先の自分の反応が如何に淡白であったかが分かろうものだ、とアミンは少し驚く。そんなに皆は心配であったのかと意外に思う自分は、確かに『変人』にカテゴライズされるのだろうとアミンはやや不満に思いながらも納得した。

 皆の喜びが収まるまで一分もかからなかった。十分、喜びを表現し終えた彼らは笑顔でエンクルマの話を聞こうとキラキラとした目を教壇へと向けていた。
  
 エンクルマはその様子に少し微笑んで、マイクを口元に近づける。

「皆に心配かけたが、これで最初の試練を私達は乗り越えることができた。そのことについては、今日の夕刊にでも載るだろう。……しかし、私は今日、その事を話すために皆を集めた訳ではない。第二段階――最初の試練の後に続く試練について話すために今日は集まってもらったのだ。そして、その試練は最初の試練よりも辛く、厳しい物になると思う」

 真剣な表情で、そう語るエンクルマに先まで熱いほど熱せされていた空気が急激に冷めていく。再び訪れた沈黙は最初の緊張に彩られたそれとは違い、話に集中して引き込まれることによって自然発生した空気のように思われた。

「私たちはひとまずニホンと停戦することができた。しかし、それは戦争終結を意味するわけではない。逆にこれからはニホンとの長い”戦争状態”が継続するのだ。彼らとて今回の結果に、いつまでも安住している訳ではないだろう、それぞれの――ローリダとニホンの――利害が一致して、今停戦しているに過ぎない。交渉によって周到に詰められたその均衡が崩れれば、向こうが開戦を決意することは必定である。
 だからこそ、”ローリダをニホンに負けない”ことを約束した私はまだすべきことがあるのだ。すべき、第二の義務を負っているのだ。その義務とは、簡潔に言えば――このローリダをニホンに負けない国にすることである」

 その最後に、僅かな溜めの後語られた文句の意味を理解出来ない人物はこの講義室には居ないだろう。むしろ、自分の予見が当たったことに安堵している者が多かったに違いない。
 アミンもその内の一人であった。つまりは、次の試練は――次の敵は――ローリダの国内にあるということである。

「……この国に巣食う病巣は根深い。それを除去するには多大な出血を時に強いる結果になるかもしれん。しかし、それはなさらなければならないことなのだ。病人のまま巨人と戦うことなど出来ない。
 さて諸君。今回の戦争で負けた原因を思い浮かべてほしい。あまりも膨大な数にめまいを覚えるかもしれんが、それを私はなさなければならないのだ」

 そこで教壇上のエンクルマは一度、話を切った。
 
 アミンは今、彼が言った言葉を受けて思考をめぐらした。横目で隣を見ると、どうも他の講習生たちも同じく考え込んでいるらしい。
 もしや、こう一度考えさせるために話を中断したのだろうか――という疑問が湧いたがそれを無視して今回の敗因についての思考を継続する。

 ――国防軍? いや、それに付随する古い慣習? むしろ悪しき習慣の塊が国防軍であったのではないだろうか?
 
 結局、そこに行き着く……という所まで考えて、改めて事の重大さを意識する。

 ――それを改革するという事はつまり、この国の有り様を根本的に変えてしまう事と同義なのではないだろうか!

 
 思わず心臓が高鳴るアミンは周りを見渡してみた。様々な顔が見えたが、そこには怖気づいたような顔は見いだせなかった。

「しかし、それら数々の敗因とは無関係である組織が、人々がこの国にも存在すると――そしてそれがこの国の唯一の希望であるとも、私は自信をもって言える。
 それは勿論、植民地軍だ。植民地軍を作ろうとした私に賛同してくれた人々だ。私たち、彼らが力を合わせれば、出来ない事などないと――私は信じる」

 それは遠まわしではあったが、ある意味宣戦布告であった。
 それがそういう風に聞こえないのは、それが敵に向けたモノではなく仲間への意思表明であったからであろう。

「皆に力を貸して欲しい! 今後の植民地軍の中核を担う君達の力が、私には必要なのだ! これは植民地軍総司令官として命令ではない。独裁官としての、命令でもない。これは同志へのお願いである――
 共に新しいこの国のあり方を考えようではないかっ! 共にこの国を作ろうではないかっ!」

 ここで徐々に高まっていたムードは頂点を迎えた。それまでの沈黙で抑えつけられてきた皆の感情が爆発する。普段はそう熱くならない、どちらかというと静かなエンクルマの情熱的な声に自然と聞いている者の心も熱くなったのだろうか。
 それまでは静かに座って聞いていた優等生が、椅子を蹴出して立ち上がり拍手する。一人が立ち上がれば、後は雪崩のごとく――堰を切ったようにその熱波は伝染していった。

 ――講義室に響く拍手は鳴り止まない。アミンには、この講義室の温度が2、3度上がったように感じた。周りの興奮は先の興奮の比ではない。中には感極まったのか、泣いている者もいるようだ。周りの皆と比べて、冷静であると自負するアミンでさえ心の奥から湧き出る熱い思いを思わず自覚せざるえなかった。
 



 先の熱狂のまま入った休憩が終わる頃には、講義室は再び沈黙につつまれていた。最初と違うのは、この講義室にい名前も知らない講習生たちの間に不思議な連帯感が生まれた事だろう。こういった若手の横のつながりを作ることもこの講義の目的かもしれない、と今さらながらにアミンは思う。そうなれば、遠慮することはない……この講義が終わった後は手当たり次第に連絡先や名前やらを聞いてまわろう――とアミンは決意した。記者たるもの、コネがいくらあって損はないからである。

 そして、教壇には先の歓声を受けてなのか安堵を滲ませた笑みを浮かべるエンクルマの姿があった。

「さて、皆が私の考えに賛同してくれたのは嬉しい。改めて、感謝の意を伝えたい。
 だが、今回の講義の主要な目的は違うところにある。同じ理想を目指す私達が、その手段への意識を共有することである。つまり、その手段とは――これから私が何をしようとしてるかという事と同義である」

 その言葉に、ある数の講習生の肩がピクッと揺れたのをアミンは気づいた。そして、その揺らした彼らを、後の声をかける優先候補としてアミンは心のメモにしっかりと書き込んだ。

「私の改革を一言でいえば――それは”再植民地化”と端的に言えるだろう。ローリダ本国を文字通り、外の植民地と同等の位置、価値観を共有する一つの植民地の一つとせしめることが究極の目標だ。
 言い換えれば、私のいう”植民地人”と”本国人”との差を無くし同一化させることである。そのことに関しては、私達が長年の植民地経営によって蓄積してきたノウハウが活きるだろう。本国のその一式を植民地式に改めることが出来る力を、権力を、私たちは持っているのだ」

 
 ――つまりは、植民地が本国を飲み込まんとしているということである!

 アミンは再び、この場に今自分がいることを神に感謝した。
 先の彼の話について、そのある意味革命に近い仕事の先端を担うのがここに集められた若手達である――行間を読めば、彼の言いたいことは明らかであった。

「私は今回の敗因をどうしても、本国の国防軍や現体制の不備に求めざるを得ないと思っている。敗因をこの短い停戦期間に除くのは必須であり、私の義務であることは先にも述べた。だから、それら敗因の代わりを私の理想に――私が一番正しいと確信している組織に――修正するのは当然である。
 私は、この国の根幹までをも否定する気はない。しかし、いくら美味しい果実であっても、時が経てば腐るのだ。その時、その果実が”美味しいと知っている”私たちの義務は、その腐った果実から種を取り除き、再び育てることであると私は思う」

 彼の暗喩と分かりにくい例えの入り混じった演説は、すぐに若手ホープの彼らとて消化できるモノではなかった。しかし、彼らはエンクルマの演説を全部理解することが肝要ではない、ということに気づくぐらいには有能なのであった。

 ここで、エンクルマは少しの間を置いた。教壇に置いてある水差しからコップに少しついで、水を飲む。

「……さて、それが最終的な目標だとしてその実現方法であるが、私は独裁官であるからといって――全て独裁的に物事を決めるのは悪手であると考える。勿論、独裁的に実行しなければならない部分はある。だが、さっき言った目標を全てそれで解決しようと思えば、反発は避けられないだろう」

 その言葉に、講習生達はすこし首を傾げたかに見えた。
 最終的な目標を理解した彼らは、同時にその成功には強権を行使するしかないだろうことも推測していたのだ。
 そんな彼らの内心に感心したのか、エンクルマは老教授めいた微笑を浮かべて話を続ける。

「本国に私達がいきなり乗り込んで、何とかするのは簡単ではない。むしろ、本国は元老院、国防軍のテリトリーといえる。つまり、そこに乗り込んで戦うには不利を覚悟しなければならない。だから、私達は彼らのテリトリーでは戦わない。同じ次元では戦わない」

 アミンには、講習生達の頭上に浮かぶクエスチョンマークが大きくなった様に見えた。

「私たちは彼らを置いて、新たなステージに於いて戦うのだ。それが、後に言う具体的な政策にも関わってくるのだが……。まあいい、そのステージとは”民衆的な政治”である。
 元老院は、今では”民会”と同じ土俵に立っている――そして、”私”は『世論』という幽霊について、半世紀は先を進んでいるのだ……」

 その時の彼の笑みについて、アミンが本当の意味を知るのは大分先になる。

「また独裁官という身軽な役職は、愚鈍な動きしか出来ない元老院よりも軽く素早い行動ができる。まず主導権を握ることができるというのも独裁官の強みの一つだろう。……抽象的過ぎる話では皆もつまらないだろうから、私が独裁官として行動する最初の目標を教えようと思う。
 私は先に独裁的にするしかない部分もある、といったがこれがその部分に当たるだろう。まず私達はローリダ中央銀行を制圧しなければならない。今まで縛られてきた鎖を、今こそ解き放つのだっ!」

 その言葉を聞いた講習生達の一角が、静かに涙を流していた。アミンは彼らを見て、その素性について頭の中で検索をかけてみる。

 彼らは、植民地通貨管理局の――植民地軍行政部の中でも『墓場』と言われて久しい部門の――局員であった。植民地軍行政部の中でも管理局は多くの点で特異な存在であったが、多くの開明官僚を輩出したことでも有名である。彼ら管理局出身の開明官僚――『墓場』からもじって彼らは”ゾンビ”と呼ばれた――の多くは開発五カ年計画に携わっていた。

 ――そんな彼らが涙している?

 アミンにはその理由は分からなかったが、彼らの中でエンクルマの言葉が大きく響いただろうことは用意に想像がついた。
 
「――通貨発行権を獲るぞ、諸君」

 最後にそう言うエンクルマに、ゾンビたちは感涙にむせぶのみであった。
 







 ローリダ共和国 首都アダロネス ドクグラム邸 十二月二十日


 ドクグラムは朝から大騒ぎになっている原因――ニホンとの”停戦”――の記事を見ながらワインを嗜んでいた。
 朝からのワインは少しの罪悪感からか大層美味しく感じる、とドクグラムは奥にしまってあった秘蔵のモノを飲みながら思う。彼と会う時は前回も今回と同じくワインを飲んでいたのだったか、とドクグラムはアルコールでほのかに揺れる思考の中で顧みた。

 ――二つの共通項は緊張をほぐそうとする無意識の行動の結果なのか……

 そんな事を考えていたドクグラムの耳に、ドアのノックの音が響いた。
 なんだと声をかけてみれば、家令の一人よりエンクルマ独裁官がいらっしゃったとの答えが返ってくる。応接室まで案内するようにと言って、ドクグラムはいそいそとワインを片付けるのだった。

 
 ドクグラムが応接間の扉を開くと、そこには少し不機嫌気味に見える独裁官の姿が見えた。その格好は軍服姿であり、独裁官というよりやはり植民地軍総司令官といった側面の方が強調されるに見える。
 そこにエンクルマの無言の意思を見たのだが――という所まで思考を進めて、ドクグラムは目先の問題へと焦点を合わせた。
 
 ドクグラムが彼を不機嫌になるのも承知でここに呼び寄せたのにも理由がある。それは勿論、自分自身がこの先の大混乱の中で生き残るための一手を打つためであった。
 
 その一手とは――今回の”停戦”に関わることであった。
 今回の停戦について、新聞などのマスコミ各社はその結果のみを伝えるに終始していてその方法や理由などは言及していない。それよりも独裁官体制の初っ端だからだろうか、独裁官礼賛の内容の方が多いように思える。

 勿論、ドクグラムは彼らが紙面に載せる以上の情報を得ていた。その上で、エンクルマをここに呼ぶことにしたのだ。
 ドクグラムが得た情報の中でも、彼が特に気にしたのは彼の意を汲んで行動しただろうクリスティーナ交渉官の”交渉カード”であった。

 彼女の交渉は原子爆弾――通称『神の火』――を価値を精一杯利用したモノであったようなのである。もし、これがクリスティーナ交渉官の独自のアイデアでなくエンクルマ発案のものであったら、そこに自身が入り込む隙があるとドクグラムは考えたのだった。
 というのも、『神の火』と呼ばれる最終兵器について、ドクグラム達を含む国防軍上層部以外によく知る者は居ないと考えられていたからだ。『神の火』という破壊兵器が存在することはその筋に詳しい者にとっては常識である。しかし、その性質までは――例えばこの兵器が核反応によってその破壊や汚染を引き起こすことや、開発の為には多くの核実験が必要なことまでは――隠されていたはずであった。植民地軍は勿論、元老院、執政官もそう深くまでは知らないだろう。そのために消された国防軍将校もいるほどなのである。

 その秘密はあの植民地軍総司令官といえども知りえぬモノであったはずだ。しかし、交渉の方法や背景を鑑みるに、その秘密を知っていた、と考えるほうが妥当であるとドクグラムは結論づけていた。
 その理由の一つに、クリスティーナ交渉官が『神の火』を核兵器というカードとして交渉の場で使用していたということがある。あの交渉を考えつくには『神の火』をただの兵器として知っているには不十分なのである。

 かの兵器が最終兵器たる条件を備えていることを知っていて――そしてニホンもその事実を認知しているという事を確信していて――初めて採用できる作戦であるからだ。となれば、停戦後エンクルマが『神の火』にどれくらい近い位置にいるのかということが重要な事項となろうことは明白である。

 そして、その『神の火』についての多くの情報を握っているのはドクグラムを含めた数少ない上層部――という現状を確認してドクグラムはニヤリと口端を歪めた。

 ――やはり、情報というのは独占しておくにかぎる。それもそれが国家の中枢に近かければ近いほど価値が上がる……
 
 ドクグラムの周りの人物達はエンクルマが独裁官に就任した後右往左往し、彼にも忠告していた。曰く、このままだと独裁官エンクルマに潰される、新体制の下では植民地軍による国防軍パージが始まる――
 そんな輩を見て、ドクグラムは呆れるのだ。今更に遅い、遅すぎる。
 
 ドクグラムが見るに、エンクルマは軍人上がりによく見る愚直さが全てを解決すると信じ込んでいるバカではなく、どちらかと言えば政治家向きの人物であると評価していたのでその心配は少なかった。事実、すぐにエンクルマはドクグラムと和解し独裁官反対派の取り纏めを要請してきたし、ドクグラムもそのことには笑顔で応じてきた。
 だが、ドクグラムはもう少し独裁官と”仲良く”する必要も感じていた。今の状態でも、切って捨てられることは無いだろうが、もう少し深く”お付き合い”する必要もありそうだ、と。

 仲を深めるには、共犯関係になるが一番だというのはドクグラムの持論であった。そして、そのネタにうってつけなのが『神の火』であるドクグラムは判断したのである。


「独裁官殿、まずはおめでとうでよろしいかな?」

「……そうですね、あなた方達が始めた一連の厄介な出来事は、ようやく終わったようで」

「おお、これは手厳しいことを仰っしゃる。これからはこのローリダを発展させていく同志ではありませんか」

「……」

 エンクルマの相変わらずの視線を感じながら、ドクグラムは彼の対面のソファーに腰を下ろした。既に女給の淹れた飲み物が当然置いてあり、ドクグラムがチラリと盗み見るにエンクルマのそれは全く手付けられてはいなかった。

「それで、今日は何の用事ですか? これでも忙しい身の上でしてね、しょうもないことなら早くに済ませたいのですが」

「忙しいというのは、今回の停戦の件ですか? イヤハヤ、私は記事を見ただけでよくは知りませんが流石は”無敗将軍”だ…… あの戦力差で停戦に持ち込むとはどんな魔法を使ったんでしょうな?」

「……何が聞きたいんですか?」

「いえいえ、そんな剣呑な声で話すようなことではありませんよ。独裁官はローリダ共和国全体について責任を負う立場――そんな大変な立場である貴方には、是非『神の火』についても知って欲しいと思いましてな」

「神の火?」

 
 ――ん?

 その独裁官のあまりにも素な反応にドクグラムは違和感を覚えた。
 これまでの流れや反応からして、独裁官がドクグラムに好意を抱いていないことぐらいは彼にも分かる。そんな彼から、交渉でも重要な役目を演じた『神の火』についての話題が出れば、もっと反応があってもおかしくはないはずなのだが……

「神の火……ああ、あの核兵器のことですか」

「……え? あ、その『神の火』のことで、」

「……なるほど、今回の交渉で核兵器をカードとして使ったことを耳にして、呼んだんですか。特に知りたいことはありませんよ。私は貴方のそういうところだけは信用していますしね。誰もが使えるような危険な状態にしていないということも確認済みです」

「……『神の火』は核反応によって爆発を起こす兵器だと知っていて……?」

「? いまいちドクグラム殿の話が見えませんね。『神の火』が核兵器であるなんて、当たり前のことがどうしたんですか」

 その言葉を聞いて、ドクグラムの頭の中にまた一つ疑問が増えたような気がした。
 話が見えなくなったのはエンクルマだけでなく、ドクグラムも同じであった。彼はエンクルマが『神の火』を核兵器と分かっていることは予想していた。その知り得た方法については不本意ではあるがドクグラム達の情報管理が甘かったか、植民地軍情報局の暗躍があってこそだろう。しかし、”『神の火』が核兵器であること”は決して”当たり前”では無いはずだ。
 となれば、この現状は何を示しているのだろうか。

「……『神の火』について、独裁官殿はどこまで知っているのですか? ロストウェルトという名前に聞き覚えは? ……あ、私達は既に同志です、別に隠し事しても混乱が増すだけですぞ」

「ロストウェルト? 聞き覚え無いですが…… それが神の火と何か関係が?」

 そういうエンクルマは嘘をついている様子ではなかった。そして、ここで嘘をつく意味もないだろう。
 ということは――

 
 ニンマリとドクグラムは笑った。

「……いやぁ、エンクルマ独裁官殿は聡明でいらっしゃる。しかし、お一人でこの国を背負うというのはさすがにのっぴきならないだろうと推察されます。……大きな事をなさるには、同志が必要ですぞ、”同志”が」

「何を、何が――まぁいいです、それよりも今日私を呼んだ本題に速く入って貰いたい」

「ふむ、そうですな」

 と、エンクルマがふと外を見た。それにつられてドクグラムも同じ方向に、応接間から見える窓が切り取った空を見やる。

「今、何か聞こえたような……」

「いや、私には何も聞こえませんでしたが」

 それでもなお気になる素振りを見せるエンクルマであったが、ドクグラムが話す気配を感じたからか、その意識を外からこちらに戻したに見えた。ドクグラムもその様子を見て話し始める。

「これから話すのは独裁官殿にも是非知っていて貰いたい話です。それは『神の火』とも国防軍の闇とも関係する話であります。
 ロストウェルトと呼ばれる、神にも見放された――『失われた世界』という地獄の物語……」
 





 
 ローリダ共和国 首都アダロネス 植民地軍遺族会パーティー会場 同日

 

 ――緊張していたが、案外何とかなるものだ

 と、ディレイタ=ワタラは腹部に感じる重く冷たい感触を感じながら思う。あのクソったれなドクターの訓練で、学んだことの一割も活用出来ずに成功してしまったことを悲しめばいいのか、喜べばいいのか彼女には分からなかった。

 しかし、簡単なのも当たり前であるとディレイタは思う。何故なら、彼女は正真正銘の遺族であるからだ。であるから、書類の偽造などのややこしいステップは省略することができたのだった。身体検査などの不備は言い逃れできそうにもないが。
 暗い笑みを浮かべながら、いけないと思いつつも服の裏に隠し持っているナイフを手でなぞる。確かな存在感を放つその凶器は自分と様々な障害を超えてきた相棒でもある。

 
 パーティー会場を歩き、いい場所を探す間にも躓きそうになるこの服は、身体の動かしやすさというこの後、最も重要視されるべきそれを完全に台無しにしている。彼女が今着ている服――ドレスはたしかにこのパーティーには合っているかも知れないし、確かにそのフリフリはナイフを隠すには持って来いかもしれないが、運動性が著しく欠如しているとしか思えない。
 
 あとは壁の花となって機会を伺うのみである――という所まで来てディレイタは誰かに話しかけられた。

 一瞬、心臓が高く跳ねる。



「あれ、ディレイタじゃない?」

 その声は背中越しに聞こえた。振り返るかどうか迷い――


「……カサリー、久しぶりね」

「久しぶり、じゃないわよ! どこに行ってたの?! あんなことが起きてから貴方が居なくなって……みんな心配したんだからっ!」

 カサリーという名の女性はディレイタの昔の友人の一人であった。ディレイタが時々見る、まだ幸せだった頃の夢に出てくる彼女であると、その夢のおかげか声だけでもすぐに判断できる。
 しかし、その幸せな思い出の中の彼女だからこそディレイタは今ここで彼女と会いたくはなかった。

「そうね…… 少し、旅行に」

「旅行って……」

 明らかに虚だと分かる嘘であったが、そんな事はディレイタに何の意味もないのだった。もう彼女は私の思い出の一部に過ぎないのだ。そして、また自分ももうすぐ彼女の思い出となるのだろうとディレイタは思った。

「じゃあね、カサリー。やることがあるから私先に行くね」

「ちょ、ちょっと待ってよ、ディレイタ! もう……ディレやハリー先輩のことを吹っ切ったからここに来たんじゃないの?!」

「……」

 背中越しに声を上げる彼女を無視して、ディレイタはずんずんとパーティー会場を進む。そして、久しぶりに聞いた愛しい人と優しかった兄の名前を聞いて、不思議と自分の顔に笑みが浮かんでいるのに気づいた。

 ――ディレやハリー兄さんのことを吹っ切った?

 ――吹っ切るために此処に来たのよ……!


 
 

 





[21813] 二十八話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/03/24 02:01


 
 事の後特有の気怠い感覚をシャワーで洗い流し、バスローブを着てディレイタ=ワタラは浴室の扉を開けた。此処まではいつもの儀式と同じである。いつも通りであるなら、この後作戦の説明があるはずであるが――と、ボーとした頭の片隅でディレイタは思いめぐらせた。最初の頃は後悔の念と僅かな背徳感を感じていたこの儀式も、日々のルーチンワークの一つとなって久しい。それが良いことなのかどうか、彼女には判断がつかなかった。

 ベットルームには、先にシャワーを浴びた男がテーブルを前にソファーへと腰掛けていた。彼は彼女の足音に気づいたようであるが、顔もあげずテーブルに置かれた紙面に見入っている。その横には、やはりいつものキズラサの『聖典』が置かれていた。
 そんな彼のいつもの反応にディレイタは既に思うことなど無く、ディレイタはそのまま彼と前のテーブルに相対するように座る。当然、そのように座ればそこには椅子もソファーもない。しかし、彼女は諦めきった所作で床に直接座って彼の言葉を待つのだった。

 
「……ディレイタ、お前の待ち望んできた指令が来たぞ?」

「……っ!」

 彼のその言葉に思わずディレイタの肩が揺れる。
 男はテーブルの上の紙を彼女に見えやすいように置き直した。そして、ディレイタはその中身を静かに読み込む。

 
 ――独裁官 ティム=ファ=エンクルマの暗殺

 
 その内容は彼の言葉からも予想できているはずのモノであった。しかし、実際その事実を目の前にするに、ディレイタの身体の震えは止まらない。彼女が頬に何やら熱いものを感じたかと思うと、それは自身が知らず間に流していた涙であった。
 そんな彼女の様子を男は楽しそうに眺めている。

「どうした? 何故、泣いているのだ? 喜びの涙か?」

「はい…… そのはずです」

「ふんっ ……まぁ、お前が地獄に堕ちてでも成し遂げたかった復讐だ。せいぜい頑張るがいいさ」

 そういって男は懐から煙草を取り出した。たちまち、二人の間に白煙が漂い始める。
 その間にもディレイタはその作戦内容を確認していく。場所、時間……と基本的な情報は既に作戦書の中に書いてあるのだった。
 しかし、ディレイタはその内容に少しの疑問を持つ――あの、今この国の最重要人物とも言える独裁官がこうも無防備でいるだろうか……?

 彼女の心を読んだかのように、男は吸っていた煙草を一度消して口を開いた。

「俺も自分で調査をしてみたが、その紙に載っている情報は色々と”甘い”ようだ。それが故意にかどうかは分からん。しかし、まぁ、そう簡単には彼を殺すことは出来んだろうな。あらかた、スポンサーも追い詰められてるんだろう……頭の悪い御仁だ」

「……具体的には、どれくらいの齟齬があるのですか? 障害は……?」

「そうだな、俺が予想するにお前が確実に失敗するといえる程には難しいだろうな。その情報を鵜呑みにしているようなら話にならない――成功の確率はあって三%ぐらいだろう」

「……」

 ディレイタは上目遣い気味に男の顔色を伺った。彼の話している様子はいつもと特に変わった所はなく、嘘をついている風でもない。
 男は僅かな笑みを浮かべて頭を軽く振りながら、降参だとでも言うかのように両手を上げた。

「おいおい、ここで嘘をついても得なんてひとつも無いんだぜ。俺だってお前とは、かれこれ長い付き合いだ……情も湧くさ」

「……ドクターはこの作戦の後、どうするのですか?」

「おお、俺のことを心配してくれるのかっ!?」

 男の軽口をディレイタは無表情で受け流す。そんな彼女の態度をみた男は再び薄笑いを浮かべた。

「ふむ、この後か……順当なところだと植民地軍にでも身を寄せるかな。これからあそこは俺のスキルを必要とするだろうし、コネもある。……前のスポンサー程、気前よくはないだろうが何とかなるだろう」

「……っ、だから、ドクターはこの作戦が難しいと言ったのですか? 彼が殺されると、次に行くところがなくなるから……!」

「たくましい想像力だな、ディレイタ」

「っ!」

 彼が低く声でディレイタの名前を呼ぶと、彼女は悪寒が走ったかのようにぶるっと震える。
男は再び口を開こうとして――何かを思い出したみたく止まった。目元を疲れたように揉みほぐしながら、男は疲れたような声を出す。

「あー、だからそんなことはないって言ってるじゃないか。逆に考えてみろよ? 独裁官殿を殺せるとして、もしお前が成功したらスポンサーを裏切ったとして次に追われるのは俺だ。殺せなければ、お前という作品が壊れるだけだし、どっちにしろ俺には不利なことしか無い……ただの老婆心だよ、さっきも言っただろう。俺はお前のことを存外気に入っているんだ」

 彼の疲れた声を聞いていると、まったくそれが真実だとディレイタには思えてくる。

 ――しかし、それが真実だとすれば、つまりそれは私の復讐は成功しないということではないか……!

 
 ディレイタは呻きながら涙を流した。今度の涙は嬉し涙ではなく、理不尽な現実にぶち当たっての涙だ。
 そんな彼女の様子をただ見ていた男は立ち上がり、部屋を出ながら彼女に声を残す。その声には、僅かではあるが優しさが――ディレやハリー兄さんを思わせる優しさが――含まれている、そのようにディレイタには感じられた。

「よし、最後の授業だ、ディレイタ――俺は教えたはずだ、まずは最終目標を確認すること、それが行き詰った時にまず考えるべきことだ、と。……往々にして正解にたどり着く道はひとつではない。その一つが行き止まりだったとして、最終目標を”成し遂げられない”という訳ではない。
 
 ――さようなら、ディレイタ。俺はお前の復讐が成功することを願っているよ」

 
 





 ローリダ共和国 首都アダロネス 植民地軍遺族会パーティー会場

 

 壁の花を決め込んでどれくらいたっただろうか。最初の頃は声をかけてくる男もいたが、ディレイタが例外なく無視するのを受けてだんだん誰にも話しかけられなくなってきていた。
 目をつぶるディレイタは、ドクターと最期に会ったあの夜のことを思い出していた。あの夜以来彼とは会っていないが、彼のことだ上手くやっているのだろう――と彼女は推量する。


 ――まずは最終目標を確認すること、それが行き詰った時にまず考えるべきことだ

 彼の言葉通りディレイタはその夜、自身の最終目標が何であるかについて思案を巡らしたのだった。そう考えてみるとディレイタは復讐だ、と思うあまりその方法を吟味していなかったことに今さらながら気がついた。

 ――兄さん達の蜂起を鎮圧し、私の世界を奪ったエンクルマに復讐を!

 その一心で此処までよく走ってこれたとディレイタは自分でも感心する。逆に言えば、それはあまり考えずにがむしゃらに日々を生きていたとも言えるのだろう。
 
 ――その日々の中、自分はドクターに出会い復讐の方法を学び、引き返せない所まできた。その最終段階で、”その”復讐について深く考えるなんてなんていう皮肉だろうか!

 ――もしもの世界でも、あり得ないことだが……ここでドラマみたく復讐の虚しさなぞに気づいたとして、
 
 ――そんな綺麗事に目覚めたとして、これまでの自分の罪は消えはしないだろう


  結局は、そういうことなのだ。



 
 
 
 ディレイタは目を開けて、近くにいたウエイターに声をかける。白と黒のタキシードを着たウエイターはディレイタの知りたい情報を事も無げに教えてくれた。

「はい、貴賓のティム=ファ=エミリー様は少し予定より遅れて到着なされるそうです。後もう数分だと思いますが……」

「そう、有難う」

 ウエイターは軽く礼をしてディレイタから去っていく。ウエイターの後ろ姿を眺めながら、静かに周り様子を伺った。
 これから貴賓が来るというのに、警備の者が配置されるという訳でもなさそうだ――と確認したディレイタは再び、いけないと思いつつも腹部に隠し持ったナイフを撫でてその存在を確認する。
 

『皆さん、お待たせしました! 植民地軍参謀長ティム=ファ=エミリー様のご入場です!』

 ついに植民地軍参謀長であり――エンクルマの妻である――ティム=ファ=エミリーの来場を告げるアナウンスが会場に響いた。
 
 エミリーは植民地軍人とは思えない綺麗なドレス姿であった。年齢を感じさせないその麗しい姿に周囲からため息が漏れる。
 実は参謀長の肩書きとは別に、彼女のこうした姿からエミリーはこうしたパーティーの場に呼ばれることが多い。端的に言えば、彼女の華やかな姿は非常にパーティー映えするのだ。

 ディレイタは彼女の周りを素早く観察した。彼女の長所を損なわないようにするためか周りに無骨な警備などは存在しないように思えた。
 
 しかし、ディレイタは彼女に握手を求める人垣の中で妙な動きをする人物が二人ほどいるのに気がついた。足運びや周りへの気配り方が軍人のそれである――ディレイタは彼らが一般人に紛れたボディーガードであることを感じ取ったのだった。
 逆に言えば、エミリーを守る盾は彼ら二人だけである、というのがディレイタの予想であった。そして、その確率は彼女の今までの経験からしてかなりの高確率であるように思える。

 ディレイタは彼女の周りの人垣が一段落するまで待つことにした。
  
 多くの人に囲まれて、真っ白なドレスを着たエミリーが笑うとその光景はまるで絵画のようである。新聞などの報道でみる彼女は最近憂鬱な顔でいることが多かったのであるが――と、そこまで考えを進めて彼女が笑顔な理由に思い至りディレイタは顔を歪めた。

 エンクルマの独裁官就任――その出来事がディレイタの神経を逆撫でするのは必然であった。
 ディレイタが修羅の道に堕ちたのは勿論、彼女の恋人、身内の復讐のためである。しかし、彼女は聡かった。彼女自身がそのことで苦しみ、馬鹿でありたいと願う程には聡かったのだ。

 エンクルマは彼女の世界を奪うつもり無く――ただクーデター独裁を否定する為に鎮圧を指示したことぐらい彼女は十分理解していた。そして、自身のこの復讐がタダの八つ当たりのような、稚拙で幼い感情によるモノであるということも。
 だが、だからこそ彼女は憤慨したのだ。彼が結局『独裁』という手段でしかこの国を救えなかったことが許せなかったのだ。

 ――兄さんやディレの死は全く意味の無い、無駄死であったのか!



 

 
 彼女の純白のドレスは皮肉にもディレイタと同型の流行りのドレスであった。少しずつ奥に進む彼女はその都度、関係者に囲まれて談笑している。
 恐らく彼女はお祝いの言葉をもらい、彼女が謙遜していえいえ、皆様の御力添えのおかげです……
 
 ディレイタは心を落ちつかせる為に深呼吸する。

 エミリーがディレイタと同じ部屋に入ってくる。彼女が部屋に現れた瞬間、皆の顔がそちらに向くのを感じる。その瞬間を狙って、ディレイタは腹部のナイフをドレスの右手袖に隠した。

 エミリーが部屋全体を軽く見回した。そして、同じドレスを着た女性――ディレイタにて視線が止まり、彼女の顔に笑顔が浮かぶ。

 それに呼応する様にディレイタは同じ笑顔を貼り付ける。笑顔の仮面をかぶる。

 ツカツカとエミリーはこちらに向かってくる。最初の話相手として私が適当と判断したのだろう。同じドレスを着た美しい女性のツーショットは、さぞ絵になるだろうから。

 同じく私も彼女に近づく。大丈夫、二人のボディーガードはまだ気づいていない。彼女の後ろで他に気を払っている。

 
 彼女は私と握手をしようとして右手を差し出し――

 

 ――私も彼女を刺そうと右手を差し出した






 ああ! あの時の彼女の顔と言ったらっ!!

 彼女は呆然とした顔で自分の腹部から映えるナイフの柄を見ていた。そして、私はそのナイフを素早く捻り引いて次の攻撃に備える。

 と、右の視界端にボディーガードの一人が拳銃を抜く姿が見えた。それを視認した私は彼女に追撃を与えることが出来ないのを残念がりつつも、素早くそのボディーガードへと駆け寄り拳銃を持つ手ごとに鋭いキックを放つ。

 呻いたボディーガードは手を抑え座り込んだ。当然、手から離れた拳銃がホールの部屋を回転しながら滑っていく。

 ここで、やっと何が起こっているのか理解した周りから悲鳴が上がる。報告がいって外の警護の部隊がここに到着するのも時間の問題だろう。
 しかし、それでは遅い。それだけの時間があれば全てが終わる。

 すぐさま飛んでいった拳銃へと寄り付く。途中、嫌な予感がして振り向かずに横っ飛ぶ。その瞬間、先までいたところの地面が弾けるの確認する。もう一人のボディーガードがこちらに向けて発砲したのだろう。

 落ちていた拳銃をとり、撃ってきた方向に引き金を引く。こちらに銃を向けていたボディーガードの頭が運良く、はじけ飛んだ。

 再び周りで悲鳴が響き渡る。今度は驚きでなく、生理的な恐怖からのだろう。後は冷静に、先の手を抱えうずくまるボディーガードに二三発放つ。それはしばらく痙攣していたが、すぐに止まった。




「動くな! 動いた者から撃つ!」

 そう宣言すると先までざわついていた会場も沈黙に包まれるのだから不思議である。素早く周りを見渡して――他にボディーガードが居ないの確認して――ディレイタはエミリーの近くへと歩み寄った。
 
 外にはすでに連絡がいっているだろう。しかし、彼女と少しおしゃべりする時間程度は残されていそうである。

 エミリーは仰向けに寝ている格好であった。その顔は先の呆然とした顔でなく、腹部の痛みに耐えているようで痛々しく歪んでいる。近づいてくる足音に、彼女は自身の死期を悟った様子であった。

「……お願い…助けて……」

 嘆願も絶え絶えに、荒い息遣いの彼女は同性のディレイタをしても申し分なく美しかった。そんな彼女の姿に美しいという平凡な言葉だけでは表せない、壮麗な教会めいた儚さをディレイタは見た。

 そして、その澄み切った儚さにはこんな命乞いは似合わない――という違和感をディレイタは感じた気がした。
 
 彼女の左腹部の赤い染みはどんどん広がっていく。紙を走る火のように拡大していく血は彼女がもう助からないことを示していた。そうなれば、彼女にさっさと止めをさしてやるほうがいいのだろう。今でも相当に痛みを感じているはずだ。

 しかし、そう分かっていてもディレイタはその違和感の所為で止めをさせなかった。首筋に持っていったナイフを直前で止める。

「……ティム=ファ=エミリー、貴方は私の復讐の為に死ぬの。恨んでくれて構わないわ、だって貴方にはひとつも落ち度はない。全ては私の八つ当たり、わがまま……」

「……」

 沈黙の帳が降りた会場にディレイタの告白とエミリーの荒い呼吸の音が響く。
 その痛いほどの沈黙のなかで、ディレイタは最期だと質問を投げかけた。

「最期に聞かせて、貴方はどうして……そこまで生きたいの?」

「……」

 彼女は自身の疑問が非常に傲慢でどうしようも無い質問であることを自覚していた。
 
 しかし、彼女は違和感の正体を知りたかったのだ。痛みで気絶してても不思議でない彼女がこうもしてまで生にしがみ付くその理由を、知りたかったのだ。

 エミリーは苦悶の表情を浮かべて何度も咳き込み、血を吐きながら質問に応えようと――もう光を写してない目を空中に投げ出しながら口を開いた。

「あの人を……一人にさせたくない…… あの人の、エンティの側に……」

 その言葉を最後まで言えずして、彼女の目から光が失われた。
 目から流れる涙と口から溢れる血が耳の辺りで合流する。赤黒い血が薄まったそれはエミリーの耳でルビーのイヤリングのごとく輝いていた。


 
 ディレイタは彼女の遺体の前で一瞬祈り、彼女の開いた目を手で閉じさせる。
 そして拳銃を掲げ、しばらくして周りを取り囲もうとする兵士達に叫ぶ。

「……私は暗殺を依頼されたのだ! 依頼主を喋ってもいい! だが、交換条件がある! その内容を話す相手は副司令官のエアーズ=ディ=アドルフのみだ! 条件が受け付けられない場合、即座に自決する!」

 そうして、ディレイタは掲げた拳銃を自身のこめかみへと当てるのだった。

 
 彼女の復讐はまだ完遂しない。





 <一部完>

















<作者コメという名のあとがき>

 終わった! やっと終わった!
 これって完結なの? という疑問を持つ方もいると思いますが、まぁ、一応完結です。というのも、これはそうですね、二次創作的な意味合いで完結です。ローリダとニホンとの戦い、という原作の基本ストーリーは一応決着つきましたし。まぁ、ここから本当はニホンとローリダの冷戦&エンクルマさんの楽しい経済政策が始まる予定だったんですが……もう、そうなると、ねぇ? ほとんどオリジナル臭くなりますし。
 全く省略していた戦闘は外伝かなんかでそのうち挑戦してみたかなぁとぼんやり考えてます。大佐さんや元老院議員のニホン見学やらも外伝かなんかで書きたいですしね。
 [194]っp◆d4ec6a05さんの感想見て、おお、よく見てはるなぁ!と少しビックリしました。英雄エンクルマさんは一部で終了です。個人的に英雄は老害になるまで書きたいという気持ち(悪堕ち好きとも言うかも)があるので、続きが有るとすれば普通に独裁してそうですね。SUN値ゼロになったエンクルマさんの今後の活躍にご期待ください!(ぇ 主人公だった人物が敵に回るのってワクワクしません?

 最期にこの二次創作に対してのあとがきを。
 The Islands Warは自分にとってすごく想い出深い作品で、すごくワクワクして読んだことを覚えています。二次創作界隈をうろうろし始めた初期に読んだ戦記で、むしろ、この作品で戦記モノというジャンルを知りました。そして、この作品の続きを読んでみたいと思い、んなら二次書くか! と。
 一年半も書き続けた事自体が自分にとって奇跡みたいなもので、それも感想くれた皆さんのおかげです。本当に有難うございました。
 もしこの二次創作に目が止まり、原作を読んでくださった方がいれば望外の喜びです。そして、人が集まれば原作の続きが読めるかも(ry





 



[21813] 二部 一話
Name: ホーグランド◆f59e9141 ID:de55ef8e
Date: 2012/08/14 02:54



 ローリダ共和国 アダロネス 五月九日
 


 エアーズ=ディ=メレス=ゼナウィは窓から入ってくる日差しに、緩やかに覚醒する。身を起こして、ボーとした頭で現状把握に努めようとするも寝ぼけた頭ではどうも上手くいかない。
 ゼナウィが目を擦って頭に血がのぼるのを待っていると、下の階から何やら物音が聞こえてきた。

 ――何の音だっただろうか?

 そんな疑問が浮かんでくるのと同時に、扉の開く音をゼナウィは聞いた。目を向けると、そこにはいつもの様に黒い伝統的な服を着た執事の姿が見える。

「ようやくお目覚めですか、メレスお嬢様」

「……うん、ムガベ」

 そう頷いたゼナウィは、みっともなく欠伸をしながら低血圧特有の緩慢な動きでベットから降り、執事の待つ扉へと向かった。そんな様子をみて、ムガベはため息を軽くつき、まだ危なっかしげな足取りのゼナウィを支えながら下の階へと誘導するのであった。
 この屋敷は女の子と執事が住むには巨大過ぎる代物である。何せ部屋数は軽く二桁はあろうか、という豪邸なのである。ゼナウィは正直、この手に余る家を手放したかったのだが、この家に残る父との思い出に躊躇して、その決断が出来ないでいたのだった。

 1階の大広間には、ムダに長いテーブルが中央に大きな存在感を放ち、鎮座していた。その大層な大きさとは対照的に、その上に載っている料理は小じんまりしている。
 朝食はいつものセット――ムガベという名の、この屋敷付き執事お手製の朝食であった。

 少し歩いて、ようやく覚醒してきた頭でゼナウィはいつものルーチンワークをこなしていく。1階奥に置いてある、これまた歴史を感じさせる調度品を操作して今日の日付を確認するのだ。この操作は代々当主が行わないといけない――と小さい頃、父に聞いてからの日課であった。何故なら、そんな事を言っていた父が面倒臭がって、この作業を娘のゼナウィに押し付けていたからだ。
 
 その作業も、ゼナウィの父が死んでからは正式な彼女の仕事の一つに数えられている。

 作業も終えて、ゼナウィはテーブルへトコトコと歩いていく。ムガベが無言で引いた椅子に座り、いつもの祈りを行う――のだが今日は違う事を伝えないといけないのだった。今日はエアーズ=ディ=メレス=ゼナウィにとって特別な日であったのだ。

「ムガベ、今日はアドルフお父様の命日よね」

「はい」

「じゃ、午後にお墓参りに行かないと」

「……何時にお迎えにあがりましょう?」

「うーん、午前の講義が終わった頃にお願い」

「分かりました」

 そんな口数少ない会話が交わされ、今日の用事が決まる。別に二人は会話を嫌っている訳ではない。長い間、一緒に過ごしてきたある種の家族に似た関係がなせる空気なのだ。

 確認が終わり、彼女は軽く息を吐いた。朝食を目の前に手を合わせ、いつもの挨拶を唱える。

 挨拶はゼナウィの父――エアーズ=ディ=アドルフが毎回、不思議な笑みを浮かべながら唱えていたモノであった。いつの間にかゼナウィも習慣化してしまったのだ。


「――いただきます」

 そんな少女の高い声が、寂しい邸宅に響くのであった。






「いってきます」

 ゼナウィは門の前で礼儀正しく見送るムガベに声をかけてから、カバンを揺らし大学へと歩を進めた。彼女は植民地軍大学の学生である。この、二人では少々寂しい邸宅も実は別荘である――と言い切ると言い過ぎだろうが実際、彼女はアダロネスに”本宅”と言っていい更に豪華な邸宅を持っているのだ。しかし、彼女はムガベ以外に家族と呼べるような人も居ないので、時折帰る以外は放置しっ放しである。
 ゼナウィが大学生でいる間は、この屋敷を中心に生活するつもりであった。

 彼女が見慣れた通学路を歩いていると、背中から聞き覚えのある声がかけられる。

「あら、ゼナウィ、ちょうど良かった」

「モモじゃない。珍しいね」

 彼女が振り返った先には、ゼナウィの数少ない友人の一人であるジョセフ=サイドゥ=モモの姿があった。モモはゼナウィと同じ大学に通う同級生である。
 
 彼女の髪は腰まで届こうかという長さであり、肩にかからないくらい位のゼナウィとは正反対の印象を周囲に与える。ゼナウィの絹のような金髪とモモの異国情緒溢れる黒髪という色の対比も、それを助長しているのだろう。黒髪美人という印象とは裏腹に、モモは控えめに言って物怖じしない性格であった。むしろ、ピリリと辛い毒舌を吐くような女学生である、とゼナウィは認識していた。
 しかし、だからといってゼナウィが物言わない、という訳ではない。むしろ自分の方が、ズケズケとモノを言う方だ、とゼナウィは自負しているのだが、ある程度の友人にしか心開かず話さないので二人の周りの評価は正反対であった。

 声をかけられたゼナウィは、モモに横へと待ち入れ歩くのを再開した。大学の活動で、たまに一緒になったりする彼女らはタイミングが合えば、ご飯を食べたり話をしたりする間柄であったのだ。

「ちょうど良かったって、どういう意味?」

「ええ、今日は先輩たちの活躍のお話を聞くイベントがあるって言ってたでしょう?」

「あー、そういえば言ってたね。自治会主催のやつ?」

 同じ社会研究系サークルに所属している二人であるが、モモは自治会執行部でも活動しているという話をゼナウィは思い出した。そして、その自治会が毎月開催している大学卒業生の声を聞くイベントを彼女が今回、担当しているという話も聞いた記憶があったのだ。

「そう、それでダメ元で声をかけてた大物が、今日の朝! いけるって返事が来たのよ!」

 モモは彼女にしては珍しく興奮している風に、ゼナウィは感じた。

(いつも一歩引いた立場に居るような彼女とは雰囲気、違うなぁ)

 心の中で密かに思うゼナウィは、初めて自分主体でまわすイベントに彼女も興奮しているのだろうと結論付けた。
 そんな勝手思うゼナウィに、らしくないモモはそのままの高度を保ったテンションで語りかけ続ける。

「聞いたら驚くわよ、ゼナウィ――貴方にこそ、聞いて欲しい話をしてくれる人なのよ」

「……でも、元々誰かがお話してくれる予定だったじゃないの。その人は?」

「素直に事情を話すわよ。相手方には悪いけど、きっと納得してくれるはず」

 と似合わないウインクをモモはかますのだ。
 大分、アガッてると見えるモモを眺めつつ、ゼナウィは”相手方が納得するような人物”に思いを馳せた。植民地軍大学出身ともなれば今の時代エリートもエリートであり、あらゆる業界の頭となる可能性が高い人物だ。当然、プライドも高い。

 ――そんな人物が納得する相手とは?

 悩んだ顔のゼナウィに、にんまりとするモモは勿体ぶった言い方で今日の大物ゲストを口にした。

「植民地軍参謀長のグラノス=ディリ=ハーレン中将よ!」

 その人物に、ゼナウィは確かに驚いた。
 植民地軍参謀長といえば確かに雲の上のような人物である。エンクルマが独裁官に就任してから植民地軍が行政のすべてを握ってきた今の世の中で、正しく権力の中心であるような人物なのだ。
 しかし、ゼナウィが気になったのはモモからすればどうでもいいと思われる部分であった。

「それ、は……植民地軍大学出身?」

「細かい事はいいの! この大学卒業者の何割が軍に行くと思ってるのよ、未来の職場の上司の話を聞くのに間違いはないでしょう?」

 そういって自分で頷くモモに、ゼナウィは苦い顔を晒した。先ほどの、『ゼナウィにこそ、聞いて欲しい話』の内容が想像できたからだ。

 そんな顔を見てゼナウィの思いを理解したのか、先ほどまでのテンションとは打って変わって真面目な表情でモモは口を開いた。

「軍が嫌いな癖に植民地軍大学に通っている中途半端な誰かさんに、こそ聞いて欲しいわね」

「っ! けど、」

「……貴方のお父様が殉職なされたから軍が嫌いって、さすがに幼稚過ぎるのよ、ゼナウィ。子供のうちはしかたがないわ、でもあなたはもう世の中の理を理解できるでしょう? ……私はね、あなたみたいな頑張ってきた子が変な”うわさ”で人生を見誤ろうとしているのが気に入らないの」

 モモが自分の親友たり得ているのは、こういう人のセンシティブな所にもズカズカと踏み込んでくる所なんだろうな、とゼナウィはモモの、そのどこまでも真剣な眼差しをボーと見ながら思った。

 彼女が言う所の”うわさ”というのは今の世の中で口にだすのも憚れるような、そんな種類の噂であったのだ。
 ゼナウィ――エアーズ=ディ=メレス=ゼナウィはエアーズ=ディ=アドルフの養子であった。まだ一桁の女の子を孤児院から引き取って養子にするというそれは、長らく結婚しなかった植民地軍高官の――というよりイケメン軍人の――事件といってもよい衝撃を周りに与えたのだが、それがティム=ファ=エミリーの暗殺の後に起きたことであることもあり、それほど報道されることは無かった。それよりも妻を失った若き独裁官という方が俄然、注目を浴びていたからだ。独裁官が喪に服し、周囲の心配をよそに身を粉にして働きだした後に、ひっそりと語られるぐらいであった。

 それが再び人の口にのぼるには数年、待たなければならなかった。

 独裁官とエアーズ=ディ=アドルフの親交は有名であった。勿論、妻を失った彼を支えるのは親友の彼であると、誰もが、そう疑わなかった。

 だが、現実はそうとならなかった。


 ――今後の施策の方向を巡って二人は対立

 ――独裁官であるエンクルマの命で、アドルフは左遷された

 というのが、噂の内容である。その事に関して軍の広報は何も言わないし、聞いても何も教えてくれなかっただろう。そして、その左遷された後にアドルフは不審死を遂げるのだ。
 事実だけを並べるなら、その裏に”うわさ”が真実として横たわっていると推測してもおかしくはない。そして当時、子どもであったゼナウィがそう推測するのも必然であった。

 つまり、ゼナウィにとって植民地軍は――エンクルマは――親の敵と同じなのだ。少なくとも彼女は、そう信じていた。

「あなたは普通の子のように見られない。血は繋がっていないとしても、エアーズ=ディ=アドルフの娘として見られ続ける。
 ……あなたは大学に入って何がしたかったの? 軍が嫌いなら、民間に就職するつもり? それなら別に植民地軍大学にする必要もなかったじゃない。あなたは……矛盾してるし、それに気付いてもいる。何が、あなたをそこに縛りつけているの?」

「……私は…、私は軍に入って、中から変えようとして――」

「――嘘ね、そんなあり得ないこと、あなたが心からできると思ってるはずがない。軍が悪くない、なら何、エンクルマ独裁官を排除でもするの? 植民地軍から彼を除いて、何が残るのやら――除けるはずもないわ。
 ねえ、どっちかに決めなさいな。軍に入る道を決めたとしても、あなたはエンクルマに尻尾を振るぐらいの勢いでいかなきゃだめよ。唯でさえ曰くつきのあなたなのだから。それが嫌なら、」

 そういって少しイタズラめいた笑みを浮かべて、モモは言った。

「大学の男をつかまえなさい! 幸い、優良物件は多いわよ!」

「……うんっ、そうね」

 そう少し笑って、ゼナウィは応える。
 
 ――胸の奥に疼く、良心の痛みを隠すように








 ローリダ共和国 植民地軍大学 第三号舎 同日


 
 アミン=タダは母校の懐かしい匂いに心浮き足立ちながら、ある扉の前で足を止めた。古ぼけた空気漂う、場末の教室の扉の上には『ウォレス=ジョンソン』という札が刺さってる。
 アミンは、ここが本当に目的の場所なのか、と周りを見渡してみる。ウォレスは植民地軍大学の教授であり、経済学部の学部長でもあるのだ――そのような人物の部屋が、このような場所で合っているのだろうか、と。

(にしては辺鄙な場所に、部屋があるもんだ……)

 アミンは心の中で呟いた。彼が此処に来るまでに、母校であるというのに二三回、人に聞かなければ部屋に辿りつけなかったのであるのだから、その辺境具合も分かろうものだ。

 ――あの”うわさ”は本当なのだろうか?

 新たな疑問を胸にアミンは、その埃かぶった扉をノックする。返事は無いが中の人物が昔のままであるのなら、返事を返すようなやつじゃないだろうとアミンは納得し、ゆっくりと扉を開けた。
 
 扉を開けたアミンは夕暮れの光が差し込む部屋に、思わず手を掲げて遮った。ちょうどオレンジ色で溢れる部屋は、その道程が長いこともあってか別世界の様にアミンには思えた。


「ふんっ、遅かったな――<アミン=タダ>ローリダ中央新聞主筆様」

「ここが僻地過ぎるんだ……お前も変わらないで何よりだよ、 ウォレス=ジョンソン教授」

 そう言ってアミンは何も言わずウォレスの前の椅子へ腰掛けた。隣を見ると、先ほど入れたばかりのような、湯気漂うコーヒーが二つ置いてあるのだ。そういう奴なのだ――とアミンは昔から変わらなそうな彼に、安心してコーヒーに口をつけた。
 
 二人が出会ったのは十二月十九日の、あのエンクルマの演説の席であった。アミンが心のメモに書き込んだ内の一人が彼であったのだ。
 
 アミンがコーヒーを啜っていると、ウォレスはニヤッと笑って言った。

「ここまで来るのに何回迷った?」

「三回ほど、だ……なぁ、ウォレス。あの”うわさ”は、やはり本当なのか?」

「それを本人に聞く所が実にお前らしいな。――ああ、本当だ。エンクルマを批判するような教授はこの大学の鼻つまみ者らしい」

 再び鼻を鳴らすウォレスに、やはり噂は本当であったかとアミンは納得した。

 彼らが言う”うわさ”とは経済学部部長のウォレスがエンクルマを大嫌いだ、という事に関連する四方山話である。
 ある個人の好き嫌いが”うわさ”になるのにも、それなりの理由がある。
 今のエンクルマは”不可能なことはない”地位にある――それは文字通りの意味であり、その状態がここ十数年続いてきたのだ。その様な世の中であって、態々『エンクルマ嫌い』を公言する人物なぞ中々、現れようが無かったのである。
 また、その『エンクルマ嫌い』ウォレスが植民地軍大学の教授――それも経済学部学部長に居るという事が事態をややこしくした。植民地軍大学は、今も昔も変わらないエンクルマシンパの巣窟である。その様な場所で、そのような事を公言することがいかに異常か分かるだろう。

 では何故、そのよう人物がこの大学に在籍できているのか?

 そもそも何故、学部長にまでなっているのか?

 それを為したのも、やはりエンクルマ独裁官であった。

 彼が直接ウォレスを学部長に任命したのだ。
 この植民地軍大学の学部長級の人事は植民地軍司令官が――現在はエンクルマという個人が――握っている。通常は教授会の推薦を追認するだけであったのだがウォレスの場合だけ、その権利をエンクルマは行使したのだった。しかも、その行使したタイミングがウォレスに対し、その言動による弾劾協議会が立ち上がった、その時であったのだ。

 勿論、エンクルマ信者の教授たちは、その決定が不服であったに違いない。しかし、その決定を為したのが、あのエンクルマなのだ。
 そのなんとも言えない感情の発露の結果が、この僻地なのだろう。

 ――そう思うと大人のやることも子どもと変わらないな

 アミンは何とも言えない状況になっている経済学部に頭を抱えつつ、この状況に得心した。
 額に手を当て悶々するアミンを、ウォレスは楽しそうに眺めながらコーヒーを舐めるようにして飲んでいるのだった。

「で、こんな僻地に何のようだ、アミン?」

「もう伝えてあるだろう? そういう茶目っ気も友人との間にしとけよ、唯でさえ誤解されやすいんだから」

「……エンクルマ施政への経済的見地に立っての評価、だったか。これは”主筆”のお仕事か?」

 顔を背けて、そう問うウォレスにアミンは軽く応えた。

「どうとも言えるが、ローリダ中央新聞主筆として、では無いことは確かだぜ。”主筆”だろうが、そう自由に記事をかける訳じゃないんだ」

「そうか、分かった」

 ウォレスは頷いて紙の束をクリップで留めたモノをアミンに投げ渡した。どうやら何かの資料らしい。
 それを読み始めるアミンにウォレスは問いかける。

「お前は今の状況を、どう捉えている?」

「今の状況か…… 俺は経済の専門家じゃないが景気はいいんじゃないか? 確かにエンクルマ独裁体制は色々あるんだろうが、マイナスよりプラスが優っている、みたいな……そうだな、独裁官就任前と比較すると中間層が増えた気がする。後は官僚が強くなってきてるな、確実に。これは植民地軍が権力を握ったことが大きく影響してるんだろうが……?」

 そういうアミンにウォレスは頷いて手元の資料を見ながら口を開く。

「素人にしては良い目の付け所だ」

「そりゃ、どうも」

「エンクルマの就任”前”と”後”を比較すると、確かに所得格差が減少している。それは統計的に明らかだ。そうだな、エンクルマが就任直後に出した”独裁官令”を覚えているか?」

「ああ、確か農奴解放令、基幹産業集中令、銀行令、戦争利益団体解体令、だったか。農奴解放令の世論へのインパクトは大きかった気がする」

「経済的には古くから農地に縛り付けられた労働力が、都市部に供給される事の方がインパクトあるんだがな。あと農奴解放令が効果を期待されていたのは”対農奴”じゃないさ。実際、アレは”対地主”対策だよ」
 
 だから元農奴がエンクルマ支持しているのを見ると馬鹿に見える――とウォレスはせせら笑った。

「アミン、独裁官令の中身は覚えているか?」

「いや、覚えてない。……何か、変な条項があったか?」

「全くエンクルマは狡猾だよ――農地・農奴を地主から強制的に買い上げ、土地を農奴に転売したり、地主への代金は国債で、だもんよ」

「何が不味いんだ?」

「……もう一つ、 戦争利益団体解体令だ。これは国防軍に協力した財閥、財閥家族の資産を十年譲渡禁止の国債に転換する、独裁官令だ」

「……大体、想像がついてきた。つまり、停戦直後のインフレか!」

「そうだ」

 ウォレスは大きく頷いて、コーヒーを口に含んだ。

「国債は額面通りしか価値がない。そんなモノしか持っていない資産階級が没落するのも不思議じゃないだろう? 一方、国は国債の価値が、一般企業も設備投資の借入の価値が、減少したんだ。そして企業は、その利益を雇用者の還元する……とな、そういうカラクリだ」

「なるほど……しかし、インフレは? どうして起きたんだ?」

「基幹産業集中令、だよ。インフレも、どうも独裁官が起したように見える」

 アミンは停戦後のインフレ混乱時に書いた記事を思い出す。アレは原因を国防軍の戦争の責任に求めていなかったか。独裁官もそう主張していたはずだ。
 
 ウォレスは資料に目を忙しく走らせながら、話を続ける。

「基幹産業集中令で、まずは戦争用の重油を鉄鋼生産に集中させて、鋼材を増産する。そしてその増産した鋼材を炭鉱に、また集中させる――そしてその石炭で鋼材を拡大再生産させる、これがこの独裁官令の目的だ。
 その為には補助金で石炭、鋼材を企業に原価より安い価格で渡さなければならない。その資金はどこから出たと思う?」

「まさか……」

「――そうさ、奴らは紙幣を刷ったのさ。通貨増発のインフレーションで家計の消費を抑えて貯蓄に回させる。その貯蓄を使って補助金を出す、そこまでしてインフレを起した犯人は、あんなに断罪されていた国防軍じゃない。エンクルマ独裁官だったのさ。
 ……停戦後の株価暴落の後に銀行令を出したのは、タイミングが良すぎるようも感じてしまうな。あの後、エンクルマは株式・証券の危険性を訴えてただろ?」

「あ、ああ、あんな暴落があった後だから……」

「違う、もっと深い意味があったはずだ。――この頃から、金融を官僚の元で統制しようと目論んでいたんだろうな。……銀行令に続いてエンクルマは株式配当制限令を出したが、アレのお陰で株取引は低迷した。今では息をしてるか怪しいぐらいさ。
 アミン、今の企業の資金調達で証券形態の比重は極めて軽いんだ。これが、何を意味しているか? つまり、企業は銀行からの借入で資金を調達している、間接金融中心になっているんだぞ! 停戦前は直接金融中心だったのに! こんな急激な変化があってたまるか!」

「ちょ、ウォレス、落ち着け!」

 はぁはぁと肩で息するウォレスにアミンはコーヒーを勧める。
 コーヒーをグビッと飲んだウォレスは、興奮冷めやまぬまま話を続けた。

「……間接金融で各銀行は中央銀行にオーバーローン気味だ。先に独裁官が札を刷った、と言ったよな。つまり中央銀行も独裁官の言いなりだ……」

 今度はウォレスは頭を抱え、呻き始めた。ただアミンはその様子を眺めることしか出来ない。

「税制改正令で税制も中央集権化された…… 強化された経営と所有の分離は利潤を無視した増産に走るだろうよ。
 アミン、俺は恐ろしい。エンクルマが逝った後も、この”制度”は変化できないんだぞ。アイツは無責任だ、いや、狂気に走ってるのか? こんな過剰な生産能力は確実に持て余す。必ず、この国は巨大な消費行動に走る――」










<作者コメ>
なんか別モノですよね。
エンクルマの施政の元ネタとか大体の人に分かるんじゃないだろうか。

 



[21813] 二部 二話
Name: ホーグランド◆78e7441a ID:1573ddda
Date: 2013/02/17 00:58

 ――この手記は元老院議員ロルメス=デロム=ヴァフレムスが、ニホンで見聞きした事象を記すことを目的とする。これからの前途多難であろうローリダを思えば、ここで記したことを大多数の、ニホンを知らない我が国民に知らせることを私は有益と考える。
 
未知とは恐怖である。私は、この不幸な出会いをした二国の架け橋となりたい――



一日目
 ……この筆記具一つをとっても、この国の技術力の高さをうかがい知ることができる。それほどまでに、ニホンには私達の使うモノよりも一層、高品質な物が多いように思われるのだ。私が日記を書きたいと要望を言えば、職員は快く一式を貸してくれた。ありがたい。
 ニホンに居ると、様々なことに驚かされる。この今、書いている紙もそうであるが、ひと目で様々な工夫が凝らされているのが分かる。もっと外に出て、ニホンの多くの物事を見物したいが、その様なわがままが許されるのだろうか。
 本来、敵国の捕虜となって当然、覚えるべきであろう不安などが今の私には一切感じられないということが自分でも不可解である。勿論、一般の兵士達は不安に怯えているのだろうから、できるだけ早く彼らを本国へと返す算段を見つけなければならない。このことを忘れないようにしよう。誰もが私のように、このニホンという国に浮かれている訳ではないだろうから。

二日目
 ……ニホンの人々は皆、黒のきっちりとした衣服を着ている。少なくとも、今日会った人物達は同様な服を着ていたが、それがこの国での正装なのだろうか。兵士たちは、緑色の服を着ていたがアレは戦闘用の衣服であろう。その場に適切な実利のある服を、この国が好むとしたら、あの服は何を目的としているのだろうか? 少なくとも暗闇に隠れるため、ではなさそうだ。
 
……

○○日目
 今日、テラオカなる者と会談した。年齢は、私よりも二回りも違う初老の男性だ。彼が言うには私の担当となったようで、これから付き合いの長い人物になるという。そして、彼がニホンの対ローリダ外交において重要な位置を占めているという事も聞いた。
 やはり元老院議員という肩書きを伝えたことが功を奏したようだ。というのも私が今後のローリダとニホンとの架け橋となりたい、との旨を伝えると、とても喜んでいたからだ。これが何も肩書きもない若造の言葉であったなら、信じられていたか疑わしい。ともあれ、第一歩は踏み出せた、ということだろうか。
 ローリダにも外交官なる者がいたが、一癖も二癖もあるような者達ばかりであった。テラオカからは、その様なモノは感じられない。やはり私はローリダの価値観で判断してしまう傾向があるようだ。ニホンとローリダは違う、その事を肝に銘じよう。

○○日目
 喜ばしい事をテラオカから聞いた。ニホンは、どうやら私のワガママを聞き入れてくれたようだ。ニホンのことを知る、という事の手伝いをしたいと向こうから提案してきたのだが、まずはエイガなる形式でニホンのことを私に教えてくれるという。明日が楽しみだ。
 それと気になる他の捕虜達の事を聞いた。彼らニホン人のことだから、そう心配することはないと思うが、私は少なくとも元老院議員である。最低限の保障はされているが、彼らはそうもいかないだろう――といった心配をしていたが、取り越し苦労だったようだ。ニュース、なる映像(この映像も、ローリダとは違う、かなり鮮明なモノであった!)から見るに、向こうも何とかやっているようだ。胸のつかえがとれたような思いである。

○○日目
 センデンヨウエイガ、なるものは非常に興味深いモノであった。最初に、その映像の美しさに目を奪われた自分を他のローリダ人は笑うことは出来ないだろう。しかし、本題はそこではない。むしろ、その内容こそ半日も私を夢中にさせたものであった。
 内容は大きく分けて、三つに分けられる。一つはニホンの転移前の世界についての説明。そして、ニホンの国についての説明。最後にこの世界においてのニホンについての説明。特に私を惹きつけたのは、二つ目のニホンの国の説明である。この国が、世界大戦で負けた、という事実が最初に私に衝撃を与えた。そして、ここまでニホンを再建したという事実に、また衝撃を受けた――私達ローリダが進むべき未来予想図はまさにコレである!
 私の予想に反してローリダはニホンに敗北した訳ではない、という事情をテラオカからは聞いている。しかし、実質は敗北である。敗戦である。そこから這い上がる為の一つの雛形を私は知った気がした。





 ロルメスは自身の懐かしく、青い意気込みを綴った日記をゆっくりと閉じた。
 十数年前の自分は、大層夢見がちであったようだ。あの頃は若かった――と愚痴るのは、老人の特権だと思っていたのだが、ついに自身もそのような歳になったのかと少し寂しくなる。もう夢すら見る事が出来ないという意味では立派な“老人”なのだろう、とロルメスは自嘲気味た笑みを浮かべた。

 ここは、世界でも有数の活気を誇るニホン国首都、トウキョウ。その中でも最高級に分類されるホテルから見るトウキョウの夜景は、煽るアルコールによるものか何時もより空虚めいて見えた。
 コンコンと扉から音が聞こえる。ロルメスはアルコールの入ったグラスを傾けながら、どうぞ、と扉に声をかけた。
 お久しぶりです、と口にしながら扉を開けたのは相も変わらず黒いスーツを着たニホン人――ロルメスにとって、ニホンにおける友人の一人であるテラオカであった。テラオカは、このニホンに捕虜として連れて来られてからの長い知り合いである。その頃のテラオカは外務省というニホンの外交を司る省庁の官僚であったのだが、今は共和党の参与を務めているという。
 
 ぼんやりと先まで過去の回想をしていたからであろうか、そんな取り留めのないことを思っているとテラオカはお邪魔でしたか、とロルメスへと遠慮がちに声をかけた。
 いえ、大丈夫ですとロルメスは首を振りながら答える。

「何か、私に用でしょうか? 監視団絡みのお話なら明日お聞きしますが……」

「いや、どうにも最近寝付きが悪いみたいで。久しぶりにどうでしょう?」

 そう言って、テラオカはウイスキーの瓶を見せる。
 ロルメスは、その動作を見て得心する。そしてイタズラがバレた子どものような苦笑いを浮かべて、すでにテーブルにある、ウイスキーが注がれたグラスを乾杯するように掲げた。





「ウイスキーの美味しさを分かって貰えて嬉しいですよ。最近の子は、ウイスキーなんてあまり飲まないですからね」

「先生の教え方が上手かったんでしょう」

 テラオカは二つのコップを持ってきて、一つにはウイスキーを、一つにはチェイサーとしてミネラルウォーターを注いだ。テーブルにはチョコレートがアテに、と置いてある。ロルメスは、この人生の先輩にウイスキーの飲み方を十数年の間に教えられていたのだった。

「それは何です?」

 テラオカは、テーブルに置かれた古ぼけたノートを指さして尋ねる。ロルメスは、一瞬どうすればいいか迷ったが、酒の魔力に圧されてか口は滑らかに動きはじめた。

「そうですね――夢の残滓、といった所ですか」

「夢の、残滓?」

 首を傾げるテラオカに、ロルメスは先ほどと同じ笑みを浮かべながらページをめくって彼の方へと突き出した。
 ふむ、と目を中身へ向けるテラオカにロルメスは話し始める。その様子は、どこか牧師に懺悔する信徒のようであった。

「書いている内容を見れば、わかりますが…… 私が『二国の架け橋となりたい』と言ったことをテラオカさんはお覚えですか?」

「……ええ、よく覚えています」

 テラオカは紙面へと逃げこむように、伏し目がちに頷いた。

「あの頃の自分は戦争後、二国は――ニホンとローリダは――もっと“仲良く”できると信じていました。勿論、戦争をこちらが仕掛けた後ですから、そう簡単にはいかないだろうとは思っていましたが、それでも、時間をかければ必ず、この二国の不幸な関係に終止符を打てると思ってました。
 ……初めての印象が最悪なのですから、後は上がっていくだけでしょう? 国防軍の影響力が下がり、エンクルマ独裁官の治世が始まればローリダは変わっていく……、そうすれば、自ずとニホンとの関係も変わっていく……、そう楽観視していたんです。あまつさえ、その二国の架け橋になるのは自分であると、そう、思っていたんです。今から思えば、滑稽極まりないですが」

「そんな、そんなに自分を卑下しなくても……」

 テラオカは苦しそうに、そう口にする。ロルメスは、そこに彼の優しさを見た気がして薄く笑った。

「いえ、そんな気を使われなくても結構です。酒の席での話ですし、話し半分で聞いて下さい」

 そう言って、ロルメスはロックで割ったウイスキーを煽る。少し薄まったアルコールが、それでも喉を刺激する。頭がぼんやりとする感覚に溺れて、ロルメスの口は止まらなかった。

「ニホンは何も悪くないのです。共和党が進めた『大同盟』も、核開発も、全てが当然の反応なのでしょう。ニホンの歴史を知っている私がそう、思うのです――だからテラオカさん、そんな顔をしないで下さい」

 テラオカは、ウイスキーとチェイサーを交互にちょびちょびと飲みながら、額に手をやって何かを考えこんでいるようであった。その眉間には何かに苦悩しているかのように、シワが刻まれている。

「ニホンが、というよりはローリダが問題なのですよ。何も、あんな戦争があった後なのに、ローリダは対外的に何も変わらなかった。国防軍が倒れ、植民地軍の天下となっても、ローリダの国民はニホンの事を知らないし、知ろうともしない。彼らにとって、未だにニホンとは未知の国にして、恐怖の対象なのです」

「……」

「あの頃は、純粋にエンクルマ独裁官の下でローリダは変化していくと思ってました。しかし、フタを開けてみればローリダとニホンとは徹底的に情報封鎖され――民間交流なんて夢のまた夢。
 確かに国内では、少し変化も見られますが、それも独裁官の権力に及ばない限り、です。……この監視団で行われるのは形骸化した交渉と、“植民地軍のための”技術移転でしょう。その技術を植民地軍関係機関が活用することで植民地軍の権力基盤が、また強固になる、ますますローリダは“変われなくなる”」

 ロルメスは追加のウイスキーをグラスに注ぎながら、捨て鉢に呟いた。

「こんな事になるなら、あの時にローリダはニホンに負けるべきだったのでしょうね」



 その言葉を聞いたテラオカは、目を剥いてロルメスに目をやる。あっ、と何かに気づいたかのように大きく口を開けたテラオカの表情からは、何か取り返しのつかないことに気がついたような――そんな必死さがにじみ出ていた。
 そんな彼の様子にすら、ロルメスは投げやりに答える。

「……元老院の権限は独裁官に完全に奪われました。そんな元老院の一院議員が、この状況を変えられるはずもないのです。
 なのに、こんな形だけの監視団におめおめと付いて来て、女々しいったらありゃしない。今も、あの時も、自分は現状を変えてくれる誰かを待っているだけなのですよ……」

 そう言って、突っ伏すロルメスをテラオカは複雑な表情で見つめていた。
 テラオカはロルメスに、近くにあったブランケットをかける。彼の行き場のない視線は自然と外へと向かった。

東京の夜景は、数十年前と変わらず――









 日本 首都東京 某喫茶店内 五月十日


 カランコロンという鐘の音を響かせ、寺岡祐輔は落ち着いた雰囲気漂う喫茶店に足を踏み入れた。
外には派手な看板もなく、地味な色で『コロンビア』とだけ書かれている此処は、いつも士道と打ち合わせと言う名の駄弁りに使用されている。かれこれ十数年もの間、ここにある『コロンビア』は、マスターが前マスターの娘さんに代替わりしたぐらいで特に変化はない。現在この世界に名を轟かす日本の、政治界におけるキングメーカーと呼ばれる士道武明と数十年、この場所で定期的に話し合いの場を設けているのだ。今回も、そうであるはずであった。

 寺岡は現在、衆議院第二党――共政会の参与を務めている。他に、関連団体のシンクタンクにも所属していたりと肩書きは多岐にわたるが、共政会を中心として回っていることは確かである。
 今の衆議院は自由民権党がかろうじて第一党を確保しているが、内実は主流派とそれ以外の対立で混沌としている。それに対して、士道は悪魔的とさえ言われる党運営によって、この数十年間分裂など許すことなく共政会を纏め維持し続けていた。この調整能力こそ、彼がキングメーカーと呼ばれる所以なのであろう。

 いつもの様にマスターに会釈した後、特等席である奥の席へと向かう。運ばれて来たコーヒーを飲み、このマスターに変わってから味が変わったかな、などと埒もないことを思って数分。待ち合わせの時間、きっかり十分前に入り口から、鐘の音が聞こえてきた。
 入り口に見えたのは、黒いメガネと胡散臭い笑みがトレードマークの士道武明――政治家として油の乗った年齢だからか、彼は数十年前とは、また異なる空気を纏っていた。

「やあ、遅れましたかな?」

「大丈夫ですよ、いつもの通りです」

 士道は注文を取りに来たマスターに、いつものコーヒーを頼む。ショートボブの彼女を見送って、士道はこちらに改めて向かい合った。
 寺岡が、声をかける。

「『大同盟』会議、お疲れ様です」

「ああ、今年も大過なく会議を終えることが出来て本当に良かったよ。何せ、議長ともなると心配することも多くてね」

「今まで逆に議長になれなかった方が不思議でしたけどね。……『大同盟』構想に積極的だった士道さん自身が主導した会議でしょう?」

 そう寺岡が言うと、面白い冗談を聞いたかのように士道は笑う。

「ふ、うふふ、寺岡さんが『大同盟』構想、なんて手垢に塗れた言葉を使うとおかしくって。勿論、『大同盟』構想などは、それ自体が目的じゃありませんからね。『大同盟』すら、 “冷戦を作る”という目的のための手段でしかありませんし、いわんやその為の会議なんて…… 
議長になれなかった、ということなんかではなく“なる暇がなかった”んですよ」

 ズズ、とコーヒーを啜って士道は穏やかな笑みを浮かべた。

「冷戦構造も、固定化して幾年も経ちました。メンテナンスぐらいは、しなければならないと思いましてね」

 そういう訳です――と確認するかの様に言い終えた士道に、寺岡もコレまでの忙しい日々に思いを馳せる。
退官した後こそが人生の本番だというかのように、二人は精力的に働いた。士道は党の運営や議会の掌握などの根回しをする傍ら、寺岡はOB達に声をかけたり、どの様な手段を持って目的を――冷戦構造の固定化を――達成するかなどの思案に暮れていた。自衛隊法の改正、核開発、集団自衛権の問題……と、彼らが処理してきた課題は他にもたくさんある。しかし、その中でも彼らが冷戦を固定化する為の布石が『大同盟』構想であったのだ。
寺岡は自身の努力の結果、今の日本があるのだと――『大同盟』の盟主であり、ローリダに対して唯一対抗できると考えられている大国日本の地位があるのだと、そう自負していた。
 
冷戦構造を作ることに粉骨砕身した日々を寺岡は後悔していない。しかし、少し前にロルメスという青年が言った言葉が、心に刺さった棘みたく痛むことに寺岡は気がついていた。そして、そのことを自身が存外、気にしているということも。


(……あの時ローリダは日本に負けるべきだった、か)

 過去を振り返る流れだと感じたのか、士道は再びコーヒーを口にしながら言う。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言ったのはビスマルクでしたか。文字通り、私達は歴史に学んだ、という事になりますかな。前世界の歴史に――」

「――しかし歴史に学ぶなら、冷戦はソ連の崩壊で終わりを迎えた訳ですが?」

 他愛もない言葉の応酬。こういうやり取りができる程度には、二人はお互いを信頼しており、それゆえ盟友と呼ばれる関係と目されているのだ。
 士道はニヤリと笑う。

「だからこその“交流”じゃないですか。ローリダの監視団との会合はいかがでしたか?」
 
 寺岡は、自身が上手く表情を作れているか心配になる。こういう腹芸染みた事が上手くなったのは喜ぶべきことだろうか、寺岡には分からなかった。
 だから、最近妻に「士道さんに似てきた」なんて言われるのだろう。特に胡散臭い笑みがそっくり、だそうだ。

「ローリダ側との相互交流は大切ですからね。相互に停戦条約を守っているかを確認するための監視団――こんな小道具を使って、向こう側に餌を与えるという所まで想定してたとは、ホント寺岡さんは恐ろしい」

「……全くの思いつきだったんですがね」

「それでも、凄いと思いますよ。監視団との相互交流を通して技術を与える。勿論、監視団はほとんど植民地軍関係者だ。この技術を利用して彼らは自身の権力を強化し、ローリダの崩壊の防止につなげる――冷戦は継続される。
 向こうに技術を与えている風に見える私達を売国奴、と言う奴らがいますがね。彼ら、『ローリダに戦争を!』なんて声高に叫ぶ輩の方がよっぽど売国奴ですよ。今の『大同盟』諸国の市場を解放できたのは何故か? そりゃ、目の前にローリダという差し迫った恐怖があり、それに勝った日本の『大同盟』に参加したいからです」

 うんうん、と士道は頷いた。

『冷戦は日本の道具であるべきで、冷戦の為の日本になるべきじゃない』

 寺岡は常々、士道が言っていた言葉を思い出した。

 
 そういや、と士道は何かを思い出したか唐突に呟いた。
 
「『大同盟』会議は何も問題なく終わったんですがね。その周辺は、これから騒がしくなると思いますよ」

「どういうことです?」

「ええ、実は……レモーティアで革命が起きたそうです」

 レモーティア、との言葉に寺岡は“ローリダ勢力”と“日本勢力”の境界に位置する国を思いだした。
 そして、寺岡は頭の中にあるレモーティアの情報に検索をかけつつ、これから日本はどうすれば最大の利益を得ることができるか――そんなシミュレーションを繰り返すのだった。




 
 
 日本 首都東京 レスティアデイリー日本支部 同日

 ナンギット=リ=リアンは目の前の、先まで忙しく社内を駆けまわっていた男を気の毒にそうに眺めた。
 会議室にいきなり呼び出されたからか、その男――ジョアキン=レ=シサノは自身に何が起こるのか想像を巡らしているようで斜め下を睨めつけて微動だにしない。レスティア人の特徴である大きな尖り気味の耳は視線と真逆の方向――天井へと向いている。元は真っ白であっただろう高地羊に似た、その巻き毛はインクで汚れているのか草臥れた雰囲気と同調するかのように灰色とくすんでいた。
目前に上司がいるにも関わらずその態度はどうなのか、ともナンギットは思ったが、これから彼に告げなければならない事を思うと、その様な些事に腹を立てることも無かった。
 ようやく、視線を上げたジョアキンが口を開く。

「ナンギット支局長、私にどのような要件でしょうか? 今は『大同盟』会議の時期ですので、猫の手も借りたいぐらい忙しいのですが」

「そうね、忙しい所悪かったわ。でも大丈夫、しばらくは、ここの修羅場からは解放されることになるから勘弁してちょうだい」

 わけが分からないと見えるジョアキンに、ナンギットは一枚の紙を差し出した。その紙が示す事は一つ――彼のレモーティア支部へ異動、であった。
 なんだって自分が、という心が透けて見える彼にナンギットはため息を吐く。

「本社の奴らは貴方をとても買ってるのよ。それに、以前の伝手が使えるでしょうし。まだ、やり取りはしてるのでしょう?」

「ええ、まあ、記者たるもの人脈は大切にしろ、と教わってきましたからね。……レモーティアで、何かあったんですか?」

 ――頭の回転が速いと助かる、とナンギットは頷いた。その様子に何かを感じたのだろうか、ジョアキンは心なしか背筋を伸ばしたように見えた。
 どうせすぐに分かることでしょうけど、と前置きしてナンギットは先ほど手にした情報を口にする。

「レモーティアで革命が起きた――シャヌシ朝王家打倒を叫んで、軍部がクーデターを首都で決起したそうなの。詳しいことは分からないけど、たぶん、現国王は廃位されると思うわ」

「そんな……」

 言葉を失った様子の彼にナンギットは同情を覚える。彼は数年前、レモーティアで勤務していたのだから、当然、現地では多くの友人がいたことだろう。クーデターなんて穏やかでない言葉を聞けば、ショックを受けて当然であった。
 こういう時は事務的に事を進めるに限る、とナンギットはレモーティアの情報について淡々と整理する。

「今回の『大同盟』会議にも、レモーティア代表は来ているでしょう。オブザーバーとしてだけど、そこが軍部の連中は気に食わなかったみたいね」

「……『大同盟』会議にオブザーバーで参加し続ける現政権の姿勢に痺れを切らしたんでしょうか。それだけが原因とは思えませんけども、……というか、唯でさえあそこはローリダ勢力圏に隣接してますし、どういうことでしょうか?
 ――軍部のやつらは、国の意図が分からないほど阿呆なのか……あんな場所でクーデターを起こして混乱をもたらすことが、どれだけ危険か理解しての行動とは思えません」

 静かな怒りを込めて呟いたのだろう、少し震える彼の言葉にナンギットも心のなかで首肯する。レモーティアは“対ローリダ勢力”、つまり『大同盟』から見れば、最前線とも言える位置にある。その様な場所でレモーティアが独立を保ってきたのは、その外交手腕による所が大きい。
 地理的に考えれば、日本主導の『大同盟』にレモーティアが加盟しない選択肢はないように思える。しかし、その一手が指せない理由が、かの国にはあった。

 その理由とは愛国的な感情――これを“愛国”と呼ぶこと自体にナンギットは違和感を覚えたのだが、ともかくレモーティアは外国嫌いな国民性で有名であった。国粋主義、とでもいうのだろうか、そう言った国内感情を考慮すると、とてもじゃないが『大同盟』への加盟は困難である、と言われている。
 加えて、『大同盟』への加盟条件がこれに拍車をかけた。国内市場の解放などを含むそれは、自国内産業の保護を訴える右翼の地雷を踏んだに違いない。『大同盟』の加盟に国内は揺れに揺れ、その結果、今回まで続くレモーティアの“オブザーバー参加”となっているのだ。

 そういった状況を踏まえても、ナンギットはレモーティアの外交はうまくやっていたと感じていた。
 というのも、『大同盟』に加盟はしないまでも会議に“オブザーバー参加”し続けることによって、ローリダを牽制しながら国内にも言い訳できる――そのような外交をレモーティアは堅持してきたのだ。一本の綱を渡るような外交ではあったけれど、それで今まで上手くやってきた。少なくとも、そう諸外国からはそう見られていた。

 しかし、今回でついにレモーティアは薄氷を踏みぬいたらしい。

 
ジョアキンは少し考え込んだ様子を見せる。

「……日本は、ローリダがレモーティアにちょっかいを出すとして、何もせずにただ傍観している、なんてことはあるのでしょうか? さすがに、何かアクションを起こすと思うんですが……?」

「懸念の表明、以上は期待できないでしょうね」

「何故でしょう?」

 平時なら絶対にたどり着くであろう、その考えが出てこないのは急な状況に彼の頭が追いついていないからか。
 ナンギットはあくまで素人考えだけど、と前置きして自身の意見を述べる。

「ここで、日本が安易に助けたら『大同盟』の価値が半減するからよ。考えてみなさいな、ここまでしたレモーティアを、もし日本が具体的な行動を持って助けようとしたのなら他の『大同盟』諸国のメンツが丸つぶれだわ。
 国内の反対を押し切って、対ローリダの為に泣く泣く『大同盟』に加盟した国もいるのに。もしそんなことになったら、多少軍事力に自信のある国の離反が相次ぐでしょうね」

「……なるほど、それでナンギット支局長がそんな顔をしていた理由が分かりました。
大丈夫です、今すぐ荷造りを始めます」

「……有難う。引き継ぎは軽くでいいよ、……急なことで、本当に済まないね」

「心配なさらずに。なに、久しぶりに向こうの友人と会うのも楽しみですし」

 微笑んで言うジョアキンに、ナンギットは顔には出さなかったが心の痛みを感じていた。そして、こんな無茶苦茶な異動をだした本社の人間に呪詛を吐くのだった。



<作者コメ>
 お久しぶりです。三ヶ月ぐらい投稿してないかな-、とか思ってたらなんかだいぶ空いてたみたいで。半年ぐらい空いてるとは……これから、頑張って更新していきたいですね。
 今回は、日本側の状況説明って感じでどうにも説明しきれてない感じなんですが…… あれです、物語の流れの中に説明入れようとするとなんとなく不自然になってしまいがちですね。三回ほど視点変更するとか、反省しきりです。
 感想、お待ちしています。更新、がんばろう。


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