「私、あなたの娘、らしいです」
殺意に似た視線、感情を抑えた声で自分に告げる顔。
小学生高学年ほどのその娘を前にして、ああ、そうか、これが罰って奴なのか、と男は思った。
「つまりあなたには私を養う義務があります」
お国の為などと御託ふりまわして荒事専門で殺りまくる。
一発一刀ごとに駆け巡る絶頂、これを知ったらもう戻れねえ、とさえ思った。
構うこっちゃねえ相手だってそのつもりだ、殺るか殺られるか、いいねぇとことんやっちまえ、
好きなことやって金もらって恩給だって付く、最高!これぞ天職──だとあの頃は思っていた。
「ですが、頭を下げるつもりなんかありません」
だからこれは罰なのだ。自分に子など持つ資格などなかったのだ。
血と硝煙が織り成す黄金色の中で、いつか誰かに放った弾丸が巡り巡ってこの胸を貫き、自分は塵に帰るのだ。それが願いだった。
なのに自分はただ一度、女に狂った。こいつになら殺られてもいいと思った。こいつでなければ、とさえ思った。
しかし女が放ったものは子供だった。家族だった。甘い甘い砂糖菓子で出来た弾丸だった。
けれどそれは、男を狂わすには十分過ぎる毒だった。
「これは私が有する当然の権利だからです」
その娘が目の前にいる。母は亡くなったという。
遺品の中から男の存在を探し当て、今日ここに来たという。
あの女の子供、遠い日ついに抱きしめてやる事の出来なかった愛しい娘。
今度こそ潮時だ、と男は思った。
幸い現在教導中の新人は馬鹿で泣き虫だが見込みはあった。
少々時間は掛かりそうだが素質は十分過ぎた。こいつなら後釜にすえられそうだとも思った。
なによりもかつてあの女の言ったこと──みんなが枯れ果てた時、また一緒に暮らそう。最近これを良く思い出す。
もう自分も若くない。いまがその時だろう、と。
「あなたを父などと呼ぶつもりは毛頭ありません」
娘のその一言に苦笑いしながらも男は思う。
まったく立派に育ちやがって。あの狼みたいな女にそっくりだ。
これが罰?神様甘いぜ、最高じゃねえか。こんな楽しいやつぁ他にいねえ。
いいともよ、俺の背中お前に空けといてやらあ、いつでも刺すがいいさ。
「もう一度言います。誰が呼んでやるものか、糞虫」
さすが俺の娘、なかなかのもんだ、と男は笑った。
狼の娘・滅日の銃
第二話 - マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ -なのに、ああ、それなのに。
「わ、わわわ、わたしっ!あなたの事、お、おおお父さんと呼んであげてもっ、いいわっ!」
一週間目でこれは、いったいどういう事なのかしら奥さま。
「お父さん!ほら早く洗濯物出して!私のと一緒に洗うから!ち、違うわよ!節約よ節約!」
二週間目でこれは、まったくこまったものですわねマダム。
「──なによ?」
やられた。まんまと騙された、なにこのツンデレステレオタイプ。
「真澄ちゃん」
「ちゃんは余計」
「真澄」
「なに?」
「ナニをしてるのかね君は」
「添い寝」
ほうほう、そう来ましたか。そうですか、そう来ましたか。なるほど。
藤原は我が子のツンデレ三段活用に感心したかのように寝ながら腕を組み、深くうなずく。
背中から真澄の声がする。自分の胸に真澄の腕が巻きついている。ほうほう、なるほど。
では検証してみよう。
あの恐ろしい大家との接見を済ませ、家に引き返した後、真澄は細かい荷解きの続きを、
そして藤原は縁側でこっそり、上司である室戸局長に連絡。
──やーい、シンヤ、おめえ、だまされてやんのー。
即座に通話を切り携帯をへし折ろうとした所を娘に止められる。
なんかもうどうでも良くなって来たお父さん、勢いよく風呂を掃除する、台所を磨く、玄関から軒先まで徹底的に掃く、
前庭とちっちゃな裏庭の雑草を引っこ抜くゴミカレンダーを確認するゴミを分別する廊下を雑巾でビッカビカに磨クソッ何やってんだ俺はァ!
──ごはんできたよー。
娘の声で我に返り一緒に少し遅めの夕食を取る、おいしい。お父さん涙こぼれそう。
んで娘の後にゆっくりと風呂につかり局長の顔を思い出しムカムカしたので浴室の壁を殴るも娘に怒られる。
本格的にどうでも良くなって来たお父さん、湯上りに缶ビール開け娘のジュースと乾杯。
だらだらとテレビ見る。そろそろ寝よう。布団敷く。寝る──はいストップここだ。
何故気付かなかった布団並べて敷いてある。ここだよココ!今日の最大の問題点はいココ!
「真澄、そこに座りなさい」
即座に起き上がり布団の上で正座しながら、んんッ!と咳払いをする藤原。
「はい、座りましたお父さん」
「膝の上から降りなさい」
ぶーぶー言いながら彼の膝から降り、渋々といった表情で父に習い正座する真澄。
「男女十四にして同衾せず、という言葉を君は知っているかね、娘」
「はいお父様、私は十二ですが何か」
外堀から攻めようとするも外堀自体無かった事に気付くお父さん。
「お父さん、それホントは七歳──なんでもない」
娘の言葉で実は外堀は存在したが自分で埋めてしまった事に気付くお父さん。
「よし、いまのナシ!ノーカン!」
再びンンッ!と某御大漫画のような語尾で軽く咳払いの後、次は正攻法でいこうと決心。
「さて問題です。ここに布団が並べて敷いてありますね真澄。何故でしょう」
「寝るためです」
「うんそうだね真澄、偉いぞ。そうだ寝るためだ」
「うん問題ないねお父さん、それじゃ寝ましょう」
「うんそうだね寝ようか、って違うんだ起きるんだ抱きつくな座りなさい」
「もう!なんなのよお父さん、おかしいよ!」
「そうだお父さんはおかしい。けどここに布団敷いてある事がもっとおかしい」
え?なんでぇー、と少々わざとらしく首を曲げイノセンスな表情を送る真澄。
「おまえ部屋あるだろう」
「うん、あるよー」
「よぉし一歩進んだぞぉ。いいぞぉ次のステージへ進もう、では年頃の娘がだ」
「お父さん」
「なんだい?」
「何で自分の部屋で寝なきゃならないの?真澄わかんない」
よぉしッ!腹を割って話そう!と膝を叩き、藤原グッドダディモード終了。
「つまり来年中学上がろうって娘ッ子がお父さん添い寝とかねえってんだ!」
「わけわかんないわよ!甘えたい年頃なのよ甘えさせなさい!」
「言うか?フツーてめえで言うか?なあ言うかそれ!」
もはや伝統芸とも言えるツンからデレ変化に藤原少々押され気味。
真澄はといえば布団へ仰向けに寝転がり、中腰浮かせた藤原へ、ばん!ばんばん!と隣の開いた布団を叩き、
いいから早く寝れこの野郎!と無言で催促を送る始末。
「だいたいおめは一ヶ月前俺になんつった!父とは呼ばねえだクソ虫だ啖呵切りやがって」
「いつ言ったぁー?何時何分何秒前ぇー?地球が何回まわるときぃー?」
「きぃぃーくやしいッ!この子ったらきぃぃぃぃー!」
「っていうかねお父さん」
「おう」
「成長期の娘にそんな事いったって通じない」
「性徴期の娘だからこそ言わなくちゃなんね」
「さてはお父様、娘のないすばでぃに欲情されてますね」
「あ、俺な、胸とかケツとか二次元の奴ぁ興味ねえから」
さて皆様、カポエイラという武術をご存知であろうか。
南米とかどっかの奴隷が領主とかに隠れて武技を磨くため踊りの中に蹴り技とか取り入れて密かに牙を研いでぐるんぐるんというアレである。
もうちっと易しく言えばブレイクダンスとかで頭のてっぺん軸にしてぐるんぐるん回る奴。
大サービスで言えばストなんちゃらで腕にトゲトゲつけたチャイナ娘がぐるんぐるん回って蹴ったりする奴の浮いてないバージョン。
さて、何故いきなり突如三人称から二人称に変えてまで説明に行を費やしたかと言いますと。
「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!」
「痛ッ!やめっ!痛いッ!いたいたいたーい!」
真澄、ちょうどいまそんな感じ。
「ちょ!なにこの子!なんでこんな技もってんの!」
「小学校のッ!保健体育でッ!習うの!よッ!」
「嘘だッ!」
「お前ら、五月蝿い」
突如第三者の抑揚の無いその声でぴたりと静止する二人。
声のした方へそろりと振り向けば裏庭に続く窓を半分開け、浴衣姿の黒髪童女が暗闇にぼう、と浮かんでいた。
「夜は静かに。次やったら、引き千切りますゆえに」
直後スパン!と勢い良く閉じられた窓。
えっとカギ閉めたよね?うん閉めた、と一瞬何が起こったのか解らず、というか何も無かった事にする藤原親子。
「とりあえず、寝て」
「お、おう」
あれ?どさくさに紛れて言いくるめられてね?と思いつつ真澄の横に寝そべろうとするも。
「その前に電気」
「お、おおう」
えっと豆球も?うん消して──そんなやり取りを経て、結局は元に戻ってしまった二人。
「今日、だけだからな」
再び背中に貼りついた娘へ、観念したかのように藤原はつぶやく、しかし。
「駄目、許さない」
「おめえ」
「聞いて」
ぎゅ、と背中から胸を抱く小さな手が締まる。
「私はまだ、許していない」
そっか。藤原は小さく頷く。
「あなたは私を捨てた。許す訳ないでしょう?」
だよな。藤原は安堵する。
「あなたをお父さんと呼ぶのは私の妥協。あなたへの復讐のために」
なるほど。藤原は観念する。
「お父さんを殺してやる。甘い甘い砂糖の山に埋めて殺してやる」
彼の胸を締め付ける小さな腕に力が篭る。
「だから私は甘える。甘えて甘えて甘え尽くしてやる。逃がすものか」
彼の背にじわりと滲んでいく、涙。
「お父さんには一生掛けて償いをさせてやる。虫歯だらけになったって構わない。砂糖が固まって眼が開かなくなっても構わない。
耳に詰まって何も聞こえなくなっても構うもんか。鼻にも口にも嫌というほど砂糖を詰め込んでこの甘さで殺し尽くしてやる」
オゥケイ、殺してくれ。
ぽんぽん、と自分の胸を締め付ける小さな掌を軽く叩く。一瞬抜ける真澄の力。
そして藤原は振り返る。振り返り娘の頭を胸に抱く。小さな嗚咽が聞こえる。聞かない振りをする。顔を埋めしがみつく真澄。胸元に染みていく涙。
そして藤原は思う。オウケィ、殺してくれ。俺の残る一生を台無しにさせてくれ。思う存分殺してくれ。
だらしなく涎垂らし腑抜けた末期なんざ最高の逝き様だ。そして娘の頭を今一度抱きしめる。甘い匂いがした。
「なんだ、いい匂いじゃねえか」
何が獣だ、あの化物。昼間確かに聞こえた繭子の言葉を笑い飛ばす藤原。
こんな甘い匂いさせた愛しい愛しい俺の砂糖菓子を言うに事欠いて獣だぁ?俺と同じ匂いするだぁ?
馬鹿じゃねえの?あのバケモン、ずいぶんヤキが回ったもんだぜ、と一人苦笑する。
「ずっと、甘えてやるん、だから」
嗚咽と共に途切れ途切れに言葉を放ち、やがて真澄の目蓋が落ちる。
眠りに落ちる数瞬、彼女は自分に言い聞かせる。大丈夫だ。私はまだ大丈夫だ。
この男は自分を捨てたのだ。敵だ憎き仇だ。思い込めそう思い込め。その支えがあれば私はまだ、大丈夫。
彼女は、そう思うことにした。そう思うことで均衡を取ろうとした。
自分が、溢れてしまわぬように。
■
朝が来た。新しい朝だ。希望の朝らしい。
喜びのあまり腕ぶん回して大空目掛け飛んでいけ、そんな歌がラジオから流れている。
「──おはよ」
「──おう」
洗面所で短い挨拶を交わした後、無言で二人歯ブラシを手にシャコシャコと歯磨き開始。
無言。ひたすら無言。ひたすらシャコシャコ。お互い顔を合わせようともしない。
理由は簡単。洗面所の鏡台に並ぶ親子の顔はなんというかまあ、目がぷっくりと腫れていた。
「がらがらがらがら──」
「がらがらがら──ぺっ」
綺麗なユニゾンで口をゆすぎ、流しっぱなしの蛇口で交互に顔を洗いタオルで顔を拭く姿は、
さながら二個の水飲み鳥が交互にコップにくちばしをつける仕草に酷似していた。
「では、改めて」
「おう」
「おはようございます」
「おはやうごぜえやす」
昨日の夕飯は娘が用意してくれたので今朝はお父さん頑張っちゃった、とばかりに食卓に並ぶ品の数々。
定番のメニューではあるが食欲をそそる匂いが朝の食卓に漂う。
「いただけます」
「いただきます」
味噌汁をずずう、ご飯もぐもぐ、そしてメインディッシュの玉子焼きに手をつける。
しかし口に含んだ途端、真澄の顔色が変わる。
「甘い──あまい!」
んんー、と眼を閉じぷるぷると肩を震わす娘。
ありゃ、しくじったか、とお父さん軽く狼狽。
「あ、えっと甘いの駄目か」
「あまい!うまい!おいしい!」
叫んだ後、ほわぁん、とだらしなく口元を緩めるも、
にやにやと自分を見ている父の視線に気付き、急いで顔を元に戻し、すくっと立ち上がり娘がひとこと。
「シェフを呼べ!」
「はっ。お嬢さま、おそばに」
「あなたを今日から藤原家の玉子焼き大臣に任命します」
「光栄の極み」
そんなやりとりの後、寝起きのぎこちなさはどこへやら、すっかり通常運転に戻った二人。
「って言うかフツー親同伴で挨拶行くだろ!」
ネクタイ締め終えた藤原が叫ぶも。
「いいの!転入届の書類揃ってるから私一人で出来るもん!」
いってきます!と駆けて行く娘。路地の向こうへ消えるまで小さな後姿を見送る父。
「ま、しゃーねえか」
ふぅと溜息付いた後、藤原も予定を変更し、最寄の停留所へ向け歩き出す。
朝は本数が多いのか電車は直ぐにやってきた。
終点の市役所前駅へ進む二両編成の小さな箱は役所職員やら学生やらで中々の混みっぷり。
つり革に掴まり、やがて動き出す町の景色を眺めながら藤原は思う。
本当に静かな町だ。朝だというのに、眠るような静けさだと。
未だ目覚めず、二度寝を果てなく続ける町、かなめ市。唯一無比の化物に護られて。
ばけものを取り込んだのか、ばけものに取り込まれたのか、それは解らぬが。
■
あいにくと市長は不在の為、ひとまず助役に挨拶を済ませる。
その後、案内された一室は日当たりの良い角部屋だった。
長い間使われていなかったにも関わらず客人の為にと綺麗に整えられた室内。
小さなソファーと応接セットの隣、ロッカーを空け上着を掛け、窓際のデスク備え付けの少々大振りな椅子に腰掛ける。
机上には事前に設置されたであろう端末のモニター。電源を入れると瞬時に立ち上がる認証画面。パスワードを入力。
モニター内臓カメラに右目を寄せる。網膜認証完了。専用ブラウザが立ち上がる。内務省統合情報管理局の文字。
「要事案部、駐在調整官、藤原信也、着任報告──局長へ」
端末付属マイクに告げるとブラウザに窓が開き、制服姿のオペレーターが現れる。
お待ちくださいと返答。画面暗転。しばし待つ間に藤原はどのような悪口雑言を吐こうかと思案する。
やがて画面に現れた局長付秘書官の顔。冷静沈着クール気取りの女。しかし様子がおかしい。
「藤原さん。申し訳ございまクッ、失礼。申し訳ブッ!室戸局長は現在会議ブフッ!」
「てめナニ笑ってんだよオイ!いろんだろ?そこにいるんだろオイ!」
モニターを掴み怒鳴りつけながらも、そんな彼女ちょっと可愛いと思ってしまう藤原。
「失礼しました藤原さん。言伝がございましたら承ります」
なんとか平静を取り戻し、口元を引くつかせながら藤原に告げる秘書官。
「了解。てめえん家のドアノブにうんこつけてやる、とお伝え下さい」
「承りました。他にはございますか?」
「ではもうひとつ──おっちゃん何で夜も昼もグラサンかけてるん?馬鹿なん?カッコいい思とるん?そういう世代なん?
おっちゃんそれ似合わへん。信楽焼のタヌキにグラサン掛けてみ?おかしいやろ?おっちゃんな、そんな感じやん。ばーか──とお伝えください」
「クッ──だそうです、局長」
「いるんじゃねえか!」
着任報告終了。
一息つけるため一旦端末を落とし一階下のベンディング自販機でコーヒーを淹れ部屋に戻る。
一口啜る。旨い。結構美味い。これで百円安くね?再び端末を入れ各種情報を仕入れる。
メール新着の表示。LFSD田中真美の文字。見たくないが開ける。以下内容。
『はきゅーん!マミたんだにょ(絵文字省略)どうすかぁー師匠、そっち慣れましたかぁ?
やーいやーい島流しバーカバーカ(絵文字省略)キャハ!(絵文字省略)いっけなあいマミたんたら馬鹿にバカだなんてオイ、オイ(絵文字省略)
というわけで来月そっち顔出します、そういう約束ですから守って下さい、稽古つけてください、もう泣きません。
つうか今度はアタシがあんた泣かせてやんよ、首洗って待ってろやコラァ(絵文字省略)
というわけでアナタのラブリーエンジェル(絵文字省略)マミたんだったのダー(絵文字省略)バイビー(絵文字省略)』
ころす。
以上三文字を入力の後、返信する。コーヒーを啜る。旨い。
携帯が鳴る。表示見ればベソ美の文字。無視する。携帯止む。コーヒー啜る。旨い。
コーヒー呑み干す。もう一杯買って来よう。端末切る一階降りる百円入れるコーヒー手に戻る端末入れるコーヒー啜る、旨い。
再びメール新着の表示。送信者LFSD田中真美。題名〈すいませんさっきのあれはおとうとがかってに〉削除する。あいつは姉しかいない。
コーヒー啜る。旨い。以下軽くエンドレス。
以上、要市駐在調整官、藤原信也の着任初日午前中の模様をダイジェストでお送りしました。
■
実際のところ藤原の仕事はそう多忙では無い。というより暇である。
もうむっちゃヒマ。ヒマキングってくらいヒマ。ある特別な権限を持つ事を除けば随分と御気楽なものである。
「はい申請、申請っと。おお、通ってやんの。何考えてんだあのタヌキ」
まあ暇と言っても初日である。最低限揃っているとは言えまだまだ足りない備品もいくつか。
しかも昨日、町のヌシにうっかり出会ってしまったものだから、それも考慮して携帯型備品の発注にも余念の無い藤原。
携帯型とはつまり、彼の〈得物〉である。
「ありゃゴー・ナナの新型も、あれれフクロナガサ新調?うお、タマ数上乗せされてね?」
気持ち悪いほどの大盤振る舞いに餞別かな?とも思ったが、あれこれって少しやばくね?とも感じ始めた藤原。
そういやあのバケモン、昨日言ってやがったなと繭子の言葉を思い出す。
──つなぎを置くつもりなら強きものを、楔打つつもりならより強きものを。
これってひょっとしたら随分やばくね?と少々不安になってきた藤原。
「いやおっさん、俺ぁ権限行使するつもりなんざねえから」
などと端末のマイクに向かって独り言を言うも当然何も返らず。
しかしぽんぽんと申請だけが通って行く。かなりスムーズに。いとも簡単に。こわいくらいに。
「気楽にやらせてくれよぉ、頼むよぉ──メシいこ」
気が付けば申請以上にこれでもかと追加され返信された発注リストを、渋々ではあるが認証した後、
端末を落とし、少し遅めの昼食を取ろうと部屋を後にする藤原。
「弁当つくりゃ良かったかなあ」
食堂の前で本日の日替わり終了、と書かれた掛札を見てがっくりと肩を落す藤原。
聞くところによればココの日替わり定食は安い割にボリューム満点で美味いとの事で、職員のみならず外来からも人気らしい。
次こそは、と決意を新たにし近場の食堂を探そうと市庁舎を出る。
「おっちゃん精出るね、ありがと」
「いやいや、仕事だからねえ」
庁舎の前庭で、麦わら帽子でタオル首に巻き草刈りに励む用務員っぽい老人に声を掛け、
ついでに近場でお勧めの美味い店を聞こうと藤原は立ち止まる。
「あ、おっちゃん、この辺で美味いトコどっか知らない?」
「そうだねえ、うーん。何ならご一緒しますか、藤原さん」
「あれ?おっちゃん俺の事、知ってんの?」
「ああ、さっき助役さんから聞いてね」
そのまま立ち上がり麦わら帽子を取り、軽く会釈する痩躯の好々爺。
その顔を見て、あれ?このおっちゃんどっかで見てね?と首を傾げる藤原。すると背後から助役の声。
「市長ぉー、あんたまた草刈りなんかしてー、早く公務戻ってくださいよォー」
「助役さんごめんねぇ、ちょいとこの藤原さんと閑休庵行ってくっから、頼むわぁ」
うん、そうか。わかった藤原わかりました。この町あれだ、なんでもアリだ。
「あ、どもども。朝はすいませんでしたね。市長の粟川です」
はは、ははは、と藤原の乾いた笑いが午後の陽光に溶けて行く。
■
閑休庵。
どんな店かと思ったら市役所前駅の立ち食い蕎麦屋でした。
「これ、ウマイですね」
「でしょう」
昨日といい今日といい色々あり過ぎてかなり開き直って来た藤原、駅そばカウンターで舌鼓を打つの巻。
とは言いつつ美味いもんは旨い。客の表情を満足げに眺めた後、カウンターの中で椅子に座り新聞を広げる店主。
その横を見れば布に覆われた木箱の中、残り少ない蕎麦玉が粉を打ち置かれている。
その脇で空になり立てかけられた木箱が三つ。そりゃそうだ、と藤原は得心する。
主流のフリーズドライでも袋麺でもなくきっと手打ち。どうりでコシあるわけだ。出汁もいいじゃない。あらら天麩羅ここで揚げてんのか。
そりゃ昼は混雑するわ。木箱三つも空になるわけだ、と夢中で味わいながらも掻き込む。それが立ち食いの作法だとばかりに。
「ごっつぉさん、いくら?」
「はい天そば三百五十円ね」
「安ッ!」
プラス百円でも安いくらいだ、と小銭入れを取り出す藤原。
「あ、いやいや藤原さん、ここはわたしが」
「いえいえ、そんな訳には」
「いえいえ、いえいえいえ」
「いえいえいえいえいえい」
お決まりのやりとりの後、少々大げさな謝辞を述べた後、つり銭を受け取る藤原。
「なるほど、馴れ合いはお嫌ですか」
一言つぶやき、ツユを呑む市長。その口元は椀に隠れ見えない。
「いえ、そういうつもりではございませんよ市長」
お互い税金で食わせてもらってる身分ですからね、と藤原は笑う。
律儀なお方ですねえ、と椀を置き粟川も笑う。
お互い支払いを済ませた後、ここじゃなんですから、と待合所のベンチに腰掛ける二人。
築百年と言われる駅舎は、それでも当時かなりハイカラだったのだろう。
待合所のある角部屋に角は無く、ぐるりと楕円のカーブを描き、それに併せて木造りのベンチも壁のカーブに沿うように作られている。
高い天井に天窓、ドームを思わせる造りは中々どうして凝ったものだ。
この駅舎ひとつ見ても市政開始百年前、この町を作った者たちの意気込みが伝わって来る。
「良い部屋をご手配いただき、有難う御座いました」
「狭かったですかねえ」
「いえいえ、一人ですから広いくらいで」
実際いい部屋だった。
丁度良い広さ、日当たり良好、しかし窓は中庭に面している為、外の雑踏は届かずいたって静か。
本来やっかいものであろう自分にここまでの配慮は、ともすれば上手く取り込もうとしている風にも見えた。
この町の気質か、はたまた市長の差し金か。
粟川礼次郎、六十歳、現かなめ市長、三期目。
元考古学者にして民俗学者から異例の転進。しかし辣腕家であるとも権謀術式に長けた人物であるとも聞かない。
痩躯の好々爺。若い頃はさぞかし色男だったのだろう、と藤原は想う。
「なんか本局のごり押しでこうなりまして、ご迷惑お掛けします」
「いえいえ。お上の頼みとあらば、喜んで御引き受けいたします」
お上──その言葉を出した粟川からは嫌味も揶揄を感じることが出来ない。
藤原にはそれが不気味だった。そして想う。彼の言うお上とは、果たしてどちらを指すのだろうかと。
「あ、いやいや。行政的な意味で、という事ですよ藤原さん」
藤原の想いを察したのか、その通りの意味でですよ、と付け加える粟川。
「むしろ安心しておるんですわ。今までのようにほっとかれるのも少々居心地が悪いもので」
「あ、なるほど。そういう事ですか」
確かに、と藤原は想う。
かなめ市は行政区分上、当然県の管轄下にあり国の一部だ。
どこの地方自治体も同じであるようにそれは一切変わらない。しかしそれは、あくまでも、かなめ市としての話である。
魔道──ライン源流地カナメ。この件について国は一切不可侵なのだ。
つまりかなめ市は国に属するがカナメは属さない。故に手出しはせず、変わりに何が起ころうと原則として関知しない。
これが国とカナメ間に締結された合意である。
「まあ、市長というわたしの立場はアナタと同じようなものです」
「ですね。市長がカナメ側、私が国側、という点を除けば」
藤原が現在属する要事案部とは内務省統合情報管理局のカナメ監視ユニットである。
このたび新設された駐在調整官とは、かなめ市とカナメの中間に立ち折衝、調整、そして監視を行う大使に似た立場に当たる。
似てはいるが異なる立場。これは調整官の持つある権限に起因する。
「わたし腹芸は苦手なもので。率直にお聞きしますね」
どうぞ、と動ぜず藤原は市長を促す。
「特務権限──行使なさるおつもりはございますか?」
唯一、調整官だけが有する特務権限、それは干渉権を意味する。
「率直にお答えします。それが使われない事を願っております」
ぶっちゃけますと私、ここに住みに来たもんで、と藤原は笑う。
「なるほど、だから娘さんを連れてこられたと」
「私の事も既にお調べになっておられるんですね」
「あなたがわたしの事を調べられている程度には」
「市長、いえ粟川さん。それについては思い違いされぬよう申し上げますが」
シャツのボタンを一つ開け、ネクタイを緩めながら藤原は囁く。
「──あいつに手ェ出したら誰であろうとブチ殺す」
顔を直し再びネクタイを締め、穏やかに笑う藤原。
「まあ、その為に権限行使するつもりは毛頭ございません」
「なるほど。娘さんを守る為にこの町へ来られたのですね」
藤原の真意を悟り微笑む粟川。
その意味ではこの町ほどうってつけの場所は他に無いだろう。
「そんな仰々しいものではありませんよ。静かに暮らせればいいな、と」
なるほど、と粟川はうなずく。
藤原信也。省内では荒事専門で通して来た男。彼のシンパは部内外でも多い。
それはつまり敵も多いという事。それも直接的な意味で。娘ともなれば彼の致命傷になりかねない。
だから彼は決断した。娘を守り共に暮らす為この町を選択した。誰もが恐れ遠回しに傍観せざるを得ないこの町に。
化物の懐に敢えて飛び込んだのだ。そして彼はその意味を良く理解している。
調整官とは言わば守り刀。化物の懐に飛び込み、されど喰われないよう一歩引き、恭順ではなく対峙の意志を示しつつも均衡を保つ。
なるほど、鉄火場を好む彼らしい。この男は、娘を守る為に己の命をベットしたのだ。
つまりは、そういうことなのだろうと粟川は理解する。
「ま、好き勝手おやりなさい、藤原さん」
それが常世の君の望みでもありますから──続くその言葉を粟川は敢えて言わない。
「はい、ご迷惑お掛けしない程度にダラダラさせて頂きます」
それがいいでしょう、と市長は微笑みの影で想う。
ですがね、藤原さん。あなた常世さんに気に入られてしまいましたよ。もちろんあなたの娘さんもね。
ご愁傷さまです。かつてわたしがそうだったように、あなたもそうなるでしょう。
良かったですね藤原さん、あなた達の平穏は約束されました。望む望まざるに関わらずその願いは叶うでしょう。
残念ながらあなた見誤りました。わたしと同じ間違いを犯してしまいましたね。
それはあの方を絶大な力を振るうただの化物だと思ってしまった事です。
より強きものであったばかりにそう思ってしまったのですね。
残念でしたね藤原さん。その程度で済むなら──いやこれで止めときましょう。もう視ておられますからね。
「さて、そろそろ戻りましょうか藤原さん」
「そうですね。あ、そういえば市長、あのコーヒー」
「二階のアレですね。旨いでしょう?」
「ええ、そりゃもう」
粟川礼次郎は微笑む。しかし心の内でこう告げる。
お教え出来ないのが残念です。何故ならわたし、そこまでお人良しでは御座いません。
■
しまった、やりすぎた、と真澄は思う。
「残りはタッパーに──無理。何個必要か考えるのも面倒」
そもそも朝の感動的とも言えたあの玉子焼に対抗しようと思ったのが間違いだったのだ。
などと眼前の寸胴鍋一杯に煮込まれた肉じゃがを見ながら真澄は腕を組む。
「いったい何がいけなかったんだろう」
以下真澄回想。
転校初日、緊張はしたが拍子抜けするほど簡単にクラスへ溶け込めた。その中で仲良くなった数人と同じ悩みを分かち合う。
今日夕飯当番なの何しようかな──などと放課後、議論に白熱する最中に別の子から、今日フード・シミズの特売だよ、との情報を得て議論を中断。
くだんのスーパーに乗り込む小学生女子買出し軍団。
うわ玉ねぎ安いうわジャガイモ安すぎホラ見て牛肉百グラム五十円これ外国産?違う国産みたい外国産はもっと安いうわうわどうしよう私ったら──
──結局全て買いました。少し調子乗りました。冷蔵庫頑張れ。
さて、何にしよう。カレー?否。甘いカレーなど言語道断。ならばアレだ。アレしかない。
最初は普通の雪平鍋だった。さっと一品のつもりだった。甘さが足りないと思った。
砂糖どばどば。甘すぎた。具材追加。溢れる雪平鍋。両手鍋に移住完了。煮込む。
しょっぱいかな。砂糖どばどば。かなり甘すぎた。具材大量投入。溢れる両手鍋。最終兵器寸胴鍋出撃。
ぐつぐつ。よしイイ感じ。でももう少し甘──
「うん。私ったら、おばかさぁん!」
てへへ、とポーズ決めても家には一人。
虚しくなったのであのキュートな大家さんに少々過酷なノルマを課そうと思いつく。
家で一番大きなタッパーにそれをこんもり放り込み。
「これは何ですか、真澄」
ですよねー、と娘は苦笑する。
「これは何ですかと聞いております真澄」
だよねー、と繭子がいま両腕に抱える幅五十センチ程の巨大タッパーを見て、
流石にやりすぎたか、と今更ながら激しく後悔する真澄。
「えっとあの、肉じゃが、鍋一杯に作りすぎちゃって」
「なるほど、ならば鍋を持ってくるのです真澄」
「はい?」
「足りぬ、と申しておるのですよ真澄」
「はーいー?」
なるほどなるほど真澄わかっちゃった。このマユコさん、胃下垂なんだ。
「でなければお前を食べねばならぬ」
なるほどなるほど真澄わかっちゃった。このひとすこしおかしい。
「でもカワイイからジャスティス!」
「これ真澄やめなさい頬すりつけるの止めなさい暑いです真澄」
信頼のマキタ製グラインダーと同程度の真澄ちゃんほっぺグラインド攻撃を受けてもタッパーを手にする繭子は揺ぎ無い。
どうやらよほど気に入ったと見える。はたと気付き、少し名残り惜しそうにそのぷにぷにの頬より顔を離し娘が言うには。
「あ、それならさ、マユコさん」
真澄、提案する。
「そうですか。ならば良しです真澄」
繭子、受諾する。
「それじゃ、行こっか!」
藤原、あやうし。
■
「お前、何やってんだ」
「げえむですよ、藤原」
「あ、お父さんお帰り。見てみて繭子さんすっごく上手いの!」
「訂正。お前ら何やってんだ」
見れば一目瞭然なのだが敢えて藤原は聞いてみた。
真澄と繭子は現在、テレビに向かい白熱のカートレースに興じている。
お互いのカートが曲がる度、つられてその身を曲げる二人。カートが右カーブで二人右にきゅーん、左カーブできゅーん、
と背丈の変わらぬ二人がぺたりと尻を床につきながら上半身だけきゅんきゅん右往左往する姿に藤原の胸もキュン。
なにこれこいつらかわいい。
しばし我を忘れるも、ちゃぶ台中央に堂々と置かれた寸胴鍋を見て、藤原別の意味で我を忘れる。
なんだこれは儀式か?何かの儀式か?おい俺これと似たヤツ前に見たぞあれは確か。
「あ、そうそうお父さん今日のおかず肉ジャガ作ったんだ!」
そうか良かったよ真澄、お父さん別の想像する前に肉ジャガって固定してくれて助かった。
そうだともこれは肉ジャガだ。以前某カルト組織のアジト強襲した時に押収したドラム缶の中身とかお父さん思い出す所だったよ。
そうかこれは肉ジャガだもんな肉ジャガと思い込め!
「お、おいしそうじゃねえか、やるな真澄」
「はい、とても美味でしたよ藤原」
ぶおん、と藤原が振り返る。
気になっていた居間のとなり台所のシンクに置かれた巨大タッパー、それが空になっている事実に気付きしばし茫然。
なるほどおすそ分け?だよね?と納得。
「そっかー、真澄ごちそうしてあげたのかー、えらいぞー」
「えへへー」
「さあ、それでは皆でいただきましょう。真澄、わたしの椀を」
「はい、マユコさん。ほらお父さんも座って座って」
「待てコラ」
あんだけ食ってまだ──違う違うそれはいい、むしろコレを減らしてくれた事に感謝すべきだろう。しかし問題はその次だ。
オメエいまなんつったコラ皆でいただくだコラわたしの椀だコラ何こらタココラおめえ何様だコラ、と額に青筋を浮かべる藤原。
しかしお父さんまだ頑張る。
「よし、いいでしょう常世さん。一応聞きますがあなた大家ですよね?大家と言えば」
「大家と言えば親も同然と言います藤原。いいから早く食わせなさい」
よしッ!お父さん限界!藤原切れます。
「ひとン家上がりこんでメシ喰らう大家がどこにいるんだよ!」
「ここに居りまする」
「ここにいるじゃない」
「うんそうだね。食べようか」
何か大切なものすらどうでも良くなって来たお父さん。
娘から渡された炊き立ての銀シャリがこんもり盛られた自分のお茶碗を手に、お父さん少し涙ぐむ。
目の前に可愛らしい愛娘が小振りの御茶碗を前に手を合わせ、いーたーだーきーますっ!する姿を見て少し泣く。
ああ家族っていいなあ。その隣でドンブリにどっかり盛られた御飯の山を今にも掻き込もうとする童女の姿が待て。
待て、少し待て流されるなココで流されたら終わりだハイここが今日の分水嶺!
タン!とちゃぶ台の上に箸を置きパンッ!と膝を叩く藤原がひと言。
「よしッ!おめえら、腹割って話そ」
「そのままの意味で割りますよ藤原」
「あしたモツ煮がいい?お父さん?」
二日目でこれか。よしッ!お父さん覚悟完了しちゃうゾ。
甘いはずの肉ジャガが、少ししょっぱく感じる吉宗、いや藤原であった。
■
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
「完食ッ !? 」
二日目、これにて終了。
■狼の娘・滅日の銃
■第二話/マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ■了
■次回■第三話「馬鹿が舞い降りた」