崩れ落ちる移動庭園が暴風に包まれて周囲からの視線を防いでいるのと同じく、臨海第八空港でも炎によって外界から遮断されていた。
火災などと言う言葉は生易しい。火山の噴火の如く炎が駐車場の一角から天に昇り、広がる。火の玉が地上に落ちる。一つ一つが爆弾となって周囲の物を破壊し、更に火を燃え移らせてその規模広げていく。
生きる者は灰も残らず、形ある物は無形状と化す灼熱の中で不動の男がいた。
アルハザードの戦闘機人、紅一色の世界で黒のコートを着たアインは大剣を逆手に地面に突き刺したまま動かない。
漆黒の眼が見据える正面の炎の壁、そのある一点から小さな光が煌めいた。
炎の壁が大きく揺らめき中から一本の矢が飛翔する。それが内包する魔力のせいか、矢が通過した炎は圧し退けられて何も無い空間を作った。
炎の世界に一本の空洞を作りながら矢は超高速でアインへと飛来する。
不動だったアインが逆手に持っていた大剣を引き抜きながら矢を受け止めた。
矢と剣が衝突した瞬間、矢に込められた魔力が大爆発を起こす。アインの持つ大剣が半ばから砕けた。
周囲に発生していた炎が爆風によって消し飛び、液状と化していた地面も後方へと流れる。
だが、デバイスを破壊され直撃を受けたはずのアインはと言うと、微動だにしていなかった。
アインが睨みつけるのは砕けた剣では無く、矢が作った空間の先だ。
魔力の矢が作った空洞の中を螺旋状に回転するウイングロードがあった。光の道はトンネルとなって空洞を補強する。
そして、光のトンネルとなったウイングロードの向こう側からシャッハが駆け抜けて来る。
アインは爆煙の中で半壊し短くなったデバイスを旋回させて構え、それを迎え打つ。
「はああぁぁっ!」
魔法による加速で一瞬にして間合いを詰めたシャッハが懐に飛び込もうとする。アインはそれを阻む為に逆手で持つ半壊したデバイスを振り下ろす。
長身である彼からの攻撃はほぼ真上からやってきた。シャッハが刃を備えた二本のトンファーで防ぐ。片腕で無く、両腕を使ったのはそうでなければ受け切れないからだ。
「くっ……」
案の定、アインの怪力は片腕だけで両腕で防御したシャッハの動きを止めていた。
上からの圧力で、シャッハの膝が地面に崩れ落ちる。炎の熱で溶けかけていた地面と触れ、激痛と共に焼け焦げた臭いがした。
歯を食い縛って耐えるが、アインからの圧力は増していく。いずれ、耐え切れなくなるだろう。
だが、動きを封じたのはシャッハも同じだ。
銀色の輝きがアインの手の甲に激突する。
「む――」
コンクリートの壁も貫く一撃を受けても尚傷一つ付いてはいないが、それによって力の向きが強制的に移動する。
その変化を見逃さずにシャッハがトンファーでアインのデバイスを受け流し、同時にその場から離脱する。
妨害した銀の輝きは一片の刃によるものだった。刃の底からはワイヤーが伸び、その途中途中で同じような刃物がいくつも付いている。そしてその先を辿っていけば、今にも炎によって喰い破られようとしているトンネルの向こうに、レヴァンティンをボーゲンフォルムからシュランゲフォルムへと変形させたシグナムの姿があった。
連結刃が鎌首を擡げ、アインの腕に巻き付く。
「俺と力比べをするつもりか?」
刃を喰い込ませようとする連結刃など気にした様子も無く、アインは腕を横へ振って逆にシグナムを引き寄せようとする。
シグナムがウイングロードを蹴った。
アインの腕力に逆らわず、しかも連結刃を手元から繋げて剣に戻す事で加速させる。
急速に近づき睨み付けてくるシグナム。それを受け止めながらアインの意識が背後に向く。離脱した筈のシャッハがいつの間にか後ろに移動していた。
更にはシグナムの後ろ、炎に蹂躙され閉じていくトンネルの中をクイントが駆けて来ている。
「フ、ハハッ……」
あの炎の中、三人ともが生存し、あまつさえ反撃を仕掛けようとする。
――面白い。
それ以外にどう表現しろと言うのか。この身は不出来な人形なれど宿る黒炎はあらゆるものを腐敗される魔刃。ただの火炎に四苦八苦していたヒト如きが怯えず、愚かにも果敢に攻めてくる。
虫ケラ風情が本当に哂わせてくれる。
アインの体から赤い炎が噴出する。同時に炎の蛇が何頭も現れ、シグナムとシャッハへと凶悪な顎を開いたまま伸びていく。
シャッハは一旦後退しながら炎の壁と蛇から逃れる。
逆にシグナムは連結刃をアインの腕から引き戻し、完全に剣へと戻す。カートリッジをロードし、引き戻した勢いをそのままに体を回転させる。剣が大きく振り回されながら炎を帯びた。
襲いかかる蛇の頭を斬り捨て、アインに迫る。それは炎の中へと飛び込む事を意味していた。
しかし彼女とて伊達に烈火の騎士の二つ名を持っているわけでは無い。
回転によって得た遠心力で炎の壁を斬った。更には、まるで服従するかのように斬り裂いた炎がレヴァンティンに纏わり付き、より激烈な炎の剣となる。
「これは……」
「――何だと?」
さすがにその現象は両者共にとって予想外だったのだろう。シグナムもアインも目を僅かに見開く。だが、二人とも歴戦の古強者である。一瞬にして冷静さを取り戻すと、シグナムは渡りに船と言わんばかりに勢いを増して剣を上段に構え飛び上がる。
「気紛れなものだ。女なのは外見だけでは無かったと言うわけか」
突然の炎の転身に心当たりがあったのか、馬鹿にするような独り言を呟きながらアインがデバイスを構える。
その時、シャッハがアインの背中に向け再び高速で駆けだしていた。炎が消えた事で接近できるようになったのだ。
離れた位置にまで蛇に追われていた彼女だが、移動系の魔法でほぼ一瞬にしてアインの真後ろにまで来ている。カートリッジのロードで、必殺の一撃を放つ為の魔力が高まる。
「烈風一迅ッ!!」
「紫電一閃ッ!!」
高密度の魔力を乗せたトンファーによる斬撃がアインの背に、そして巨大な炎の剣となったレヴァンティンの一撃がアインのデバイスを完全に破壊し右肩に激突する。
大気が大爆発を起こしたような衝撃が起こり、周囲に燃え盛っていた炎とマグマと化した地面を根こそぎ吹き飛ばした。
「くぅ……」
「そんな――」
だが、だがそれでもアインは健在であった。
背後から無防備な背中から攻撃を受けても、コートを斬り裂き、露出した肌が赤くなっている程度。紫電一閃の枠を越えた一撃でさえ、彼の肩に喰い込むだけ。剣に宿った熱で流れる血が蒸発していくが、アルハザードの戦闘機人は倒れず平然としている。
最早、人と機械の融合、究極の戦闘兵器などと言う枠組みをとっくに越えている。尋常な相手では無いと解っていた筈なのに、それでもまだ考えが甘かった。
「ぐぅっ!?」
デバイスを捨てたアインの右手がシグナムの首を掴み上げた。
「シグナ――くっ!」
シャッハが助けに入ろうとして時、アインはシグナムを掴んだまま後ろ回し蹴りを放って来た。
横から来るアインの踵を片手のトンファーでとっさに受け止めるが――
「ぐぅ!? が、はっ!」
鉄塊が風の速さでぶつかって来たような強烈過ぎる蹴りを受けてアームドデバイスが砕けた。
トンファーを破壊したアインの蹴りはシャッハの脇腹に当たり、シャッハを引っかけたまま一回転して蹴り投げた。
今までの火の中での戦闘で酷使したせいもあるだろうが、デバイスをただの蹴りで破壊するなど人間技では無い。
ボールのように投げ出されたシャッハは地面へ落下し、跳ね、転がっていく。
手を地面につき、なんとか踏み止まる。しかし、距離を離されてしまった。彼女の俊足ならばすぐにでもシグナムの元へ行けるだろうが、体が痛みで動かない。
「は、あぁ、ぐっ」
蹴りを受けた脇腹、その骨が砕けていた。折れたのでは無く、粉砕である。痛みとは危険信号だ。骨が内蔵に突き刺さっている可能性もあり、シャッハは痛みに耐えるので精一杯だ。
シグナムは首を絞められ、持ち上げられながらも剣をアインの頭部に振り下ろし、時には突く。だが、ただでさえ魔力を乗せた攻撃でも傷一つ付かないアインに対して無駄な抵抗であった。
「フン、なるほど。そういえば貴様はマテリアルの類だったな」
アインはそう言いながらシグナムの首をより強く絞める。彼の怪力にかかれば人の首の骨を折るなど容易い。
「折った程度で死ぬか怪しいものだ。確実に止めを刺してやる」
アインの瞳が更に黒く濁る。
その変貌は、間違いなく黒炎を出す前兆だった。
「シグ、ナムッ!」
立ち上がるだけで精一杯のシャッハが叫ぶ。だが彼女では助ける事は出来ない。
ならば――
「任せない」
シャッハの頭上を人影が飛び越えた。
「まったく、貴女達もうちょっと周囲の事考えて攻撃しなさいよ」
シグナムとシャッハが起こした衝撃の煽りを受けていたクイントが吹き飛んで綺麗になった地面に着地、衝撃を地面に吸わせ、瞬時に駆ける。
ガラスのような表面だった地面がクイントの豪快な走りによって、蜘蛛の巣状のヒビ割れを残す。
今までの戦いで全身に火傷を負い、髪も焦がした彼女を見て、アインが不敵な笑みを浮かべた。
来るなら来い。助けられるなら助けてみろ。挑発的な笑みは暗にそう伝えていた。
「上等。後で後悔しなさい」
「させてみろ」
クイントが依然シグナムを掴んだままのアインに肉薄する。
アインはシグナムをまだ黒炎で燃やさない。使う度に体の一部を捨てなければならない腐敗の炎は諸刃の剣だ。使うならば今度こそ確実に、且つまとめて潰さなければならない。
攻撃した直後に生まれる隙を狙い、クイントをシグナムもろとも腐滅させる。
だから、アインはそのつもりでクイントを待ちかまえる。
クイントがリンカーコアの枷を外しフルドライブを使用。左腕を大きく引く。同時に魔力が彼女の左手に集まっていく。そして、集中させた魔力を乗せたまま拳をアインに向けて真っ直ぐに放った。
槍のような鋭い突きはアインの右肩、シグナムの斬撃によって僅かに斬られた箇所を狙う。
無駄だと、アインは笑う。確かにシグナムの攻撃は強力であった。だが、クイントがそれと同等以上の攻撃を行えるとは思えない。出来たとしても傷が深くなる程度、骨まで行けば良い方だ。そして、例え骨が砕けてもシグナムを離すつもりは無い。
「はあああぁぁッ!!」
クイントの拳がアインの肩に命中――する瞬間、クイントの力が圧縮した。
左腕の筋肉が音を立てて引き締まる。尋常では無い筋力が生み出され、左腕が鋼鉄のように硬くなる。
腕力だけでは無い。左腕に収束されていた魔力が一瞬で形を持って圧縮される。圧縮された魔力はクイントの左腕の形をしていた。寸分違わず、もう一本の腕と言っていい精密且つ高密度に圧縮された魔力はクイントの腕と重なっている。
最早、鋼糸で編まれた腕なのか、高密度の圧縮魔力が形成した腕なのか分からない。
それだけの事が全てインパクトの瞬間に起き、拳が唸る音だけで岩石が割れるような音がした。
「……なに?」
アインが目を見張る。
シグナムに付けられた斬傷が割れ始めた。 他者の攻撃でまともに肉体を破損させる事の無かったアインの体が今初めて崩壊する。
中から筋肉繊維が一本一本契れ、割れていく。そして全てが千切れる前に、溜めていたエネルギーをもう押さえつけられなくなったのか風船が割れた音と共にアインの肩が破裂した。
「――――」
赤い霧と共にアインの右腕が宙に舞った。
それを、アインは信じられないと言った面持ちで見上げる。
アインのような怪物が生半可な攻撃で倒れない事など、クイントはとうの昔から知っていた。
ゼスト隊が壊滅したあの日から、クイントはあの日戦ったギロチンの男に対抗する為に己を鍛え続けてきた。
頑丈過ぎる程の体を持って超スピードで行動するギロチンの男。例え捉える事が出来たとしても加速や溜めなどをしている暇は無い。どんな状態からでも最強の一撃、触れただけでも相手の鎧を貫く攻撃手段が必要だった。
未だ模索し続けてはいるが、候補として得た答えの一つが先程の拳であった。
アインの手から解放されてシグナムが落ち、クイントが隻腕で受け止める。そのまま急いでアインから離れるように後退する。アインの片腕を破壊したと言っても油断はできない。
現に、アインが宙で血の線を描きながら回転する己の腕に呆然としたのはほんの一瞬。すぐにクイント達に視線を下ろすと、前蹴りを炸裂させた。
「ぐっ!」
クイントがシールドを、シグナムが鞘と剣で受け止める。後ろへ跳んでいた事もあり、シャッハの二の舞を踏まずに済んだが、あまりの衝撃に二人の体が予想以上に吹っ飛ぶ。
「二人とも、無事ですか!?」
隣にまで地面を転がって来た二人にシャッハが声を掛ける。
「大丈夫よ」
「私もだ」
無事だと言いながらもクイントの左腕は血管が破裂したのか内出血を起こし、シグナムの首には生々しい程の紫色の痣が出来ている。
「大体、大丈夫とか大丈夫じゃないとか言ってる場合じゃないわ」
三人はそれぞれの怪我を堪え、立ち上がって敵を見る。
アインは先程の場所から一歩も動いていなかった。足下には完全に破壊されたデバイスと彼の右腕が転がっている。それを一瞥し、クイント達を見た。
今や眼が完全に黒く染まり、血光を放っている。アインは両腕を失ってを尚、圧倒的な威圧感を放っている。
三人は身構えたまま動けない。
アインは手負い故かより凶暴で凶々しい気配を漂わせていた。だが、その佇まいは静そのものだった。
直前までは。
「がが、ガガががガガガガガガがががガががガガヶヶヶヶ」
笑った。耳障りな哄笑がクイント達の聴覚を襲う。
「ヒト如きがやってくれるじゃないか。地を這う虫よりもしぶとい。その癖、最多種とは図々しい。まったく、いくら殺しても飽き足らない減らない目障りだ。絶滅すべきなのだ。価値の無い劣等種は」
「ぐぅーーっ!」
「なに!?」
「く、ぁ……」
質量を持つ程の殺意を持った視線はそれだけで命が奪われるようであった。
「忌々しい事に俺に残った時間はもう無い」
突然、アインの全身から黒炎が噴き上がった。
「剣精の加護を無くせば僅かにしか保たんか。つくづく脆い身体だ。弱すぎる」
「あんた……」
使用者本人さえも腐滅させる魔の炎。それに包まれた時点でアインの死は確定した。
元々、黒炎に適応しきれなかった身体だ。古代ベルカの融合騎、烈火の剣精の力で辛うじて保っていたに過ぎず、それも今宵までであった。それに加え、どういう訳か剣精の力も失っている。
アインの命はあと半刻も保たずして燃え尽きるだろう。
「だが、ただでは終わらん」
「なっ――」
アインの身体から出る黒い炎が苛烈さを増す。塵と化していく身体は倒れず、逆に消え掛けの蝋燭が最後に大きな火を灯すように、腐滅の炎が黒々と燃え盛る。
「地獄を魅せてやる」
闇というのは負のイメージしか無い。だが、闇は最初の安息の場である。
胎児は母の中、光無い世界で生まれ、外界に出るまでは闇の中で育つ。
闇の書の闇は正しく闇そのものだ。存在の強い光からは目を向ける事なく、何も見なくて済む暗闇は安心を与える。身体を満遍なく包む微温湯のような暖かさは人と春の温もりと同じで安らかだ。
夜天の書の管制人格であるリインフォース。彼女の意識は闇の中で混泥していた。
意志は溶けかかり、思考もおぼつかない。蒙昧とした意識は既に外の様子を完全に認識できない。
リインフォースと言う存在は闇の中に溶けてしまっている。
感じない。考えられない。思い出せない。想えない。何かを抱く必要も無く、プログラムとして機能する歯車に成ろうとしていた。
今も、管制プログラムとして取り込んだ異物を処理する。あらゆる情報を数値として処理し、今や主プログラムとなった闇へと流し込んでいく。
蒙昧とした意識でも、数字の羅列を黙々と処理していく。どんな状態であろうと回り続けるのが歯車の役割だ。その動作に狂いは無い。
「――――……」
突然、闇が揺れた。水面に一滴の水滴が落ちてきたような波紋が起きる。何かが闇の中で暴れている。
しかし、リインフォースにはそれが何なのか解らないし解ろうともしない。頬を軽く叩かれた程度、僅かに意識が浮上するがそれだけだ。
再び目を閉じ、意識を闇に沈める――筈だった。
「………………」
いきなり横っ面を引っ叩かれたような感覚が再び彼女の意識を浮上させた。
波紋が、大きくなっていた。強い意識が闇に呑まれまいと激しく、怒りを込め、真っ向から挑んでいる。
それでも尚、闇と同化してしまったリインフォースの意識を目覚めさせた訳では無い。けれども、彼女に数字の羅列にしか過ぎなかった物を認識させる原因になった。
光が、在った。
「――あ……るじ…………あ、るじ……は、やて」
一枚の絵画のようにその光景が飛び込んでくる。
呪われた存在となった自分に名を与えてくれた心優しい少女。彼女の笑顔がそこにはあった。
守護騎士達の姿も、自分の妹と言えるリインフォース・ツヴァイの姿ある。
次々と通り過ぎていく、誰かが見たリインフォースが望んだ光景。それが一枚絵として意識に飛び込んでくる。
彼女が意識を覚醒させ、外のいるはやてと守護騎士の現状を感知させるには十分だった。
死に体になっても諦めず立ち上がろうとする主。その主を支え守ろうとする守護騎士。烈火の騎士は今もなお魔人相手に戦い続けている。
消え掛けた意識が浮上するのを感じたのか、闇が再びリインフォースを飲み込もうと彼女を包む。
リインフォースはただの歯車。一つだけ狂った動きをしようとも、他の歯車がそれを許さない。小さな歯車はより強大な歯車に従って回り続けるしかないのだ。
だから彼女は叫んだ。今にも闇を内側から打ち破ろうと暴れている正体も知れぬ相手に向かって、
――私を殺してくれ
叫んだ。
一瞬たりとも気を抜けば溶けてしまう意識を必死に留めながら絞り出すように、切実に、今持てる全力で叫んだ。
闇の書は主に管制プログラムのリインフォースと闇と呼ばれる防衛プログラムで成り立っている。どちらかが消滅しても一方が生きていれば復元される。二つで一つの存在だ。倒すならば、リインフォース共々その機能を停止させるしかない。
上位性を奪われたとは言え、管制プログラムであったリインフォースならば僅かな時間とは言え防衛プログラムの動きを止められる。
――だから、その間に
懇願するリインフォース。その言葉に、場が静かになる。
そして返ってきた言葉は――知るか、という冷たい言葉だった。
唖然とするリインフォース。しかし声は容赦無く続いた。
――そっちの事情など知った事じゃない。こっちはお前のせいで迷惑掛かってんだ。その上、人を勝手に介錯代わりに使おうとしてんじゃねえ。
乱暴で物言いが続き、そして、
――自分の主の面倒ぐらい自分で見ろよ。人任せにしてんじゃねえ!
何とも突き放した、優しく無い言葉と共に闇が弾け飛んだ。
崩壊しつつある移動庭園の上空、トゥーレを取り込んで黒い球体となった闇の書に異変が起きる。
球体が一直線に割れ、中から闇の書が外へと投げ出された。その四肢と三対の翼は半ばから失っている。
そして、まるで血の代わりに黒い羽を吹き出す球体の割れ目からはトゥーレが飛び出した。
羽の固まりとなって無残する球体を背後にトゥーレは右腕から生やしたギロチンを構え、闇の書向けて一撃を放つ。
瞬時に腕を再生させ、闇の書がそれを防御する。聖王の鎧、四重の障壁、多重シールド。絶対の防御と言える布陣。
しかし、ギロチンの一撃はそれら全てを打ち砕いた。
両腕が破壊され、衝撃で更に吹っ飛び、移動庭園を覆っていた竜巻を突き破る。
自分の魔力で作った竜巻だ。魔力刃も電流も素通りし、手足と翼を無くした闇の書の体は外へ脱出した。
追ってくるであろうトゥーレに対抗する為、急いで失った部分の再生を始める。だが、再生速度は明らかに低下していた。
内部からの妨害によって、傷口の体を構成する純魔力が結合し難くなっている。構成済みの体は分解されていないが、新しく結合させるとなると邪魔される。
己の体内で起きている異変に闇の書は即座に気づき、対応策を思考する。だが、それよりも速く竜巻の向こう側から強引に突風と刃、電流を突破してトゥーレが一瞬で彼女の真上にまで移動していた。
夜空を背に長大な黒い刃を大きく振りかぶっている。
「――――ッ!」
闇の書が巨大なシールドをいくつも発生させる。体内のレリックを最大出力で、全ての機能を防御に回す。
暗い虹色の魔力光に照らされ、三日月の刃が鈍い光を反射する。
断首刃が墜ちた。
大爆発が起きたかのような激烈な衝撃波が発生して大気が悲鳴を上げた。音が後になってようやく轟音として震える。
それらの現象を上に置き去りに、トゥーレは闇の書の首を刎ねる為にギロチンを真下の押しつけ続け、闇の書は地上に向かって落下させられる。
刃の切っ先がシールドの表面に触れて火花を散らす。レリックをフル稼働させた超高密度のシールドに刃が食い込んで来る。
赤と虹の光が黒い夜空から赤く燃える地上へと稲妻の如く落下した。
ナンバーズの七番目、セッテは無人となり廃墟となった都市の中を飛び回っていた。
雷刃の襲撃者、レヴィの足を止め、トーレと別れてから彼女は単独行動を行っていた。
ナンバーズ後発組の中で単純な戦闘能力ならば問題無いと判断されたセッテの任務は、戦争の混乱で散り散りになった敵の撃破。遊撃であった。同じような任務を前衛後衛と違いはあるがディエチが行っている。
黙々と、正に機械のように淡々と任務をこなした彼女の手に持つブーメラン型の武装は先端には欠けがあり、どれだけ戦ってきたのか物語っていた。そして今、彼女は通信の取れた姉のウーノの命によって移動庭園で戦う姉妹達の脱出ルートを確保する為に行動していた。
移動庭園を囲む竜巻を見上げれる位置にまで来たその時、荒れ狂う竜巻の中から何かが飛び出した。
轟音を鳴らす稲妻を素通りしたそれは空高くにあったが、戦闘機人の感覚器官はその姿を捉える。
手足を無くし、半ばから先を失った六枚の黒い翼を持った銀髪の女だ。
ウーノからの情報で女が闇の書と判断したセッテは武装を構えた。竜巻から飛び出した闇の書はセッテの位置からほぼ真上だ。場合によっては交戦する可能性が高い。
しかし、そんなセッテの杞憂――いや、可能性の計算は無駄に終わった。
竜巻の風の流れが一部乱れ、闇の書を追って中からトゥーレが飛び出して来た。
一瞬にして距離を縮めて闇の書の頭上で高々と構えられた三日月の刃は正しく断頭台の刃。速さという枷で捉えられた罪人たる闇の書はそれを受け止めるしかない。
かくして、死刑執行人はギロチンの刃を落とす。
閃光が煌めき、稲妻が落下した。
「……ッ」
強烈な光にセッテの視覚が一時麻痺する。
一瞬だ。戦闘機人のセッテでも稲妻としか形容するしか無い速さで二人は地上に落下。それに伴う爆発の音と衝撃を感じて、セッテはとっさにブーメランブレードをアスファルトの地面に突き立てる。
衝撃による突風が、セッテの体を浮かした。目が見えない中、肌に風と埃が通り過ぎるのを感じてセッテは手に力を入れて耐えきる。
「…………」
ようやく風が止んだ頃には、麻痺した視覚も回復してきた。
浮いた足を地に付け、落下地点を見やる。
所々から小さな火の手が上がり、粉砕されて飛び散った破片が転がっている。そして、ビルを砕いて出来たクレーターの中にその姿はあった。
「…………トゥーレ?」
彼女にしては間の抜けた声を上げた。
燻り続ける火の中で背を向けて立っている彼の右腕は黒く、同色のギロチンが生えている。
黒い三日月の刃。とても断首刃に見えぬが、確かにそれはギロチンだと誰もが思う。直感する。
トゥーレの足下には首を刎ねられ光の粒子となって消滅していく闇の書が倒れていた。構成する純魔力が全て消えた時、融合していた素体の正体が露わとなる。
闇の書が融合していたのは小さな金髪の少女であった。下半身や肩から先が欠損しており、丸見えの腹部からは有る筈の内蔵が無いという見るに無惨な姿を地面の上で晒している。
彼女は聖王の複製体。その失敗作。細胞結合が上手くいかずに肉体を欠損した状態で誕生し、破棄される筈であった少女だ。
闇の書と融合した時までは名も無き少女はかろうじて生きていたが、現在は既に事切れていた。元より闇の書の再生機能がなければ生きられなかった身である。
例え生きていたとしても、助かる道が無かったのなら、ギロチンによって痛みも無く闇の書ごと終わりを迎えたのならば、逆に救いがあったのだろう。胴から離れ転がる少女の首は安らかであった。
斬首死体を作るギロチンは残酷でおぞましい。だが、単に恐ろしいだけの処刑器具と言い切っていいものだろうか。痛みを与えず一瞬にして永遠の安息を与える刃は処刑器具本来の役割をどこまでも忠実にこなしている。
首を刎ねる事に関して完成した道具。それがギロチンだ。
そう、道具だ。無駄を無くし、一見してしか見れぬ外面など放棄、その機能を徹底的に追及し完成された道具だ。
「………………」
セッテはトゥーレの後ろ姿を見つめたまま、珍しく呆然と立ちすくんでいる。
「……あ」
今まで感じた事の無い感覚が彼女を支配していた。それをどう表現するものか、彼女には解らない。
例えるなら、そう――美しいと、セッテは思った。
戦闘用だからとか、感情抑制で要らない部分を削ぎ落とすなどして得たものとは違う。ギロチンは最初からそれしか出来ない純粋さとどこまでも洗練された機能美を持っていた。
あのように成りたい――。
戦闘機人と名乗るならば、何か一つの事しか能の無い機械であるならば、あれほど強く純粋な存在に成りたい。
この時初めて、兵器として生まれたセッテは羨望という感情を抱いた。
「……さむい」
人によっては涼しいか涼しすぎる程度の冷気を、リインフォースはうっすらと寒い空気と感じていた。
あの時、リインフォースが頼みを断れた時、闇が取り込もうとしていた存在に吹っ飛ばされた。
それ以降の事はよくわからない。ただ、どうやったか解らないがあの声の主が自分ごと闇を倒した事は確かだった。
まるで断頭台に掛けられ、首を切り落とされた感触がした。
一度も体験した事の無い感触にしてはやけに具体的だが、そう感じてしまったのだから仕方ない。
自分は死んでしまったのだろう、とリインフォースは思った。ならばこの冷気は死後の世界だからだろうか。所詮プログラムでしか無い自分が、地獄だろうとそんな世界に行けるかは疑問ではあるが、どちらにしろ終わったと言うならなんでもいい。
あれほど自分を溶かして粗食するように混ざりあっていた闇の気配は無い。ならば後は自分が完全に消滅すれば闇の書の闇が復活する事は無い。
リインフォースは安堵の息を吐く。
直後、怖気の走る気配を感じた。
「アッシャー・イェツラー・ブリアー・アティルト」
海に浮かぶ臨海空港で、何よりもおぞましいモノが開かれようとしていた。
「開けジュデッカ」
両腕を失ったアインの肩口からより巨大な黒炎が噴火した。両側にあった物全てを吹き飛ばし、黒い炎で腐らせ、滅する。
噴火した黒炎はそのまま形を持ってアインの肩から伸びて広がる。それはまるで巨大な黒い翼だった。
「――殺す。全てだ。ヒトも畜生も虫一匹逃がさない。ここからでも都市の二つや三つ、いや、どこまでも広がり腐らせて塵にしてくれる」
狂気を瞳に宿らせたアインが宣言した。
クイント達は動けない。既に彼女達の周囲は火柱によって囲まれていた。動けば、黒炎に襲われ腐り死ぬ。
――ここを地獄へと変えよう。
その殺念が大気に溶け込んで都市へと拡がっていく。
リインフォースは悲鳴のような声を上げた。
例え何も無い死の底にいようとも、地獄の顕現は感じる。感じてしまう。
目も見えない、耳も聞こえない。だけどその恐ろしい障気を感じ取る事は出来る。
それが何なのか彼女は知っていた。闇の書として再び復活し、更にプログラムを改竄された後、主導権が防衛プログラムになった時に得たデータはリインフォースも知り得ていた。
だが、そのデータを呼び出すまでも無く、プログラム奥深くにそれの恐ろしさは刻み込まれている。
黒き炎、無価値な炎、この世の大地から生まれたモノ全てを腐敗させる地獄の火。今それが解き放たれようとしていた。
黒い炎は都市の二つや三つ飲み込み、誰も住めない地獄にするだろう。その効果範囲には当然、彼女の慕う者達がいる。
しかし、リインフォースに何が出来るというのか。肉体も無い。魔力も無い。力も無い。あったとしてもどうやってアレを止める、それどころかもう黒い炎は噴火する寸前。時間を止めない限りは間に合わない。
守りたいのに、守れない。はやてとその友人達、ヴォルケンリッター。彼女と、その周囲の人間。彼女達が作る日常をあんな炎に燃やされてしまうというのか。
意識を覚醒する切っ掛けとなった誰かの記憶。宝石のような輝きを放つ絵画に似たそれを視てしまった故により執着してしまう。
守りたい。自分がその光景にいなくとも、あの日常を守りたい。
――何かがカチリと繋がった。
「――――」
夜天の書本体とも言えるリインフォース。彼女は所詮プログラムであり、自立意識に乏しい。要は自ら行動する気力に欠けている。
しかし、逆に何か行動を示唆された時の処理はプログラムである故に迅速且つ正確である。
「エミュレータ起動――」
誰かの意思と己の意思に従い、不可思議な術式を理解せぬまま組み上げていく。
リインフォースの自我が一時的に凍結された。今、行おうとしている魔法は全身全霊、正に己の持てる全て、夜天の書の全機能を当てなければ発動できない。
守りたいという思いだけを胸に彼女は祈る。
「――Die Sonne toent nach alter Weise In Brudersphaeren Wettegesang」
「――日は古より変わらず星と競い」
トゥーレの体に変化が起きていた。
背中から黒い羽根が生え、翼から形を変えて右腕のギロチンと似た幾条もの刃となる。髪は白く、眼は紅。肌も褐色となって全身に紅い紋様が浮かび上がり、胸に剣十字が描かれる。
些か差異はあるが、それは融合騎とユニゾンした時に起きる変化であった。
真正古代ベルカのデバイスである融合騎。そんな貴重なものがそう易々とあるわけが無い。ならば彼の変化の原因は極々限られてくる。
何故? どうして? 闇の書ごと首を断たれ筈ではなかったのか。
トゥーレがデバイスを操るデバイスという面を持つからなのか。それとも、別の要因があるのか。
ともかく、確かなのはリインフォースが彼の中にいるという事。そして、二人は同じ祈りを、声を重ねて捧げていた。
――定められた道を雷鳴の如く疾走する
――Und ihre vorgeschriebne Reise Vollendet sie mit Donnergang
――そして速く 何より速く
――Und schnell und begreiflich schnell
――永劫の円環を駆け抜けよう
――In ewig schnellm Sphaerenlauf
無価値なる者が全てを終わらすならば、こちらは全て終わりを拒否する停止した世界を創造しよう。どんな物にも終わりが来る。そんなもの当然知っている。だが、それを望み続けて止まないのだ。日が沈み、夕焼けの空を見上げてまだ遊び続けていたいと思う子供のような陳腐な発想。だが、その想いをお前のような無頼漢気取りの糞野郎に壊させてたまるものか。
――光となって破壊しろ
――Da flammt ein blitzendes Verheeren
――その一撃で燃やしつくせ
――Dem Pfade vor des Donnerschlags;
――そは誰も知らず、届かぬ、至高の創造
――Da keiner dich ergruenden mag, Und alle deinen hohen Werke
――我が渇望こそが原初の荘厳
――Sind herrlich wie am ersten Tag
誰もが幸せになれる楽園などこの世には存在しない。自分のエゴを晒せば他人から見ると地獄も同然。地獄には地獄を。薄汚い者同士の決着には丁度いい。
――創造
――Briah
――涅槃寂静・終曲
――Eine faust Finale
静寂に包まれた世界が生まれた。
範囲は少なくとも戦場全体。都市数個分の広大な範囲が凍結した空間となった。
正確に言うならば空間内の全てが遅滞し、肉体、思考、精神の時が極々ゆっくりとしたものになる。
そんな世界の中で動けるのは、元凶となったトゥーレのみ。だが、それにあらがい停滞の拘束を打ち破る者がいた。
「ウオオオオォォーーッ!」
慟哭を上げ、トゥーレが超々加速によって一瞬で黒い炎の上る臨海第八空港のあった場所へ移動した。
そこには、両肩から翼のように黒い炎を噴出させるアインが丁度トゥーレの方を振り向いていた。
周囲の炎の動きは非常に緩やかなのに対し、アインと彼から直接噴火する炎だけは停止結界の中で動いていた。
トゥーレとアイン。両者の視線が交わり、互いを認識する。
一瞬の躊躇いも無く、二人は牙を剥く。
羽根のようなギロチンの刃が獣の顎のように震え、翼のような黒炎が腕となって猛る。
共にどこかの世界の残滓から誕生した模造品。
凍結地獄と最終地獄。
停滞と終わり。
背負う者と無頼漢。
重荷を抱えて疾走し続ける者と誰にも頼らず最強種として君臨する者と違いはあるが、互いに必殺の刃を持つ者同士。
アインの黒炎を疾走しながら回避したトゥーレの羽根が彼の胴に突き刺さる。避けられた事への驚きで眼を剥いたアインが自分ごとトゥーレを包み込もうとする。
だが、残ったトゥーレの羽根が身代わりとなって腐滅の炎を防ぐ。そして、右腕のギロチンが首を捉えた。
決着は瞬く間の出来事であった。
アインの首が宙に舞った。
何故だと、驚愕と怒りの鬼の形相となった首。彼の決定的な敗因を強いて上げるとするならば、ただ一つの理由だ。それは彼が価値無し――ベリアルという炎であっても、嘘つき――背負う意味を知っている器では無かったというだった。
空が白み始めている。
臨海第八空港から始まった天使の軍勢による進軍は僅か一夜にして北部の都市を破壊した。そして、夜が明ける前には終わっていた。
まるで幻のように消えた天使。それは夜に起きた戦争は夢だったのではと思わせる。
だが実際に都市は破壊され、多くの死傷者を出し、未だ各所から火が燻って黒煙を上げている。
「はー……さすがに疲れたわね」
海の上に一本の光の道があった。道の上には同色をした長方形の板があり、四角に魔力で作ったホイールが付いている。その板が二つ、トロッコのように光の道に沿って走行していた。
「我ながらナイスアイディアだわ」
前列のトロッコの一番前に胡座をかいて座っているクイントが自画自賛する。ウィングロードによって作られた足場の上に、更にホイールを取り付けたウィングロードで走行しているのだ。
前列にはクイントの他にシグナムとシャッハがそれぞれ座っている。そして二両目の後列にはなのはとヴィータが眠っていた。
二人は途中、海に土座ェ門のように浮いていたのをクイント達が回収したのだ。
共に気絶した状態でよく溺れなかったものだが、デバイスの保護機能が働いていたおかげだ。ストレージでは中々出来ない、インテリジェントデバイスの強みであった。
「それにしても、一体どうなってんだか」
本当に、夢でも見ていたのかもしれない。
あの時、アインが両肩から黒い炎を噴出させた直後、クイント達を襲うと思われた炎は急速に火の手を弱めていた。
更には、いつの間にかアインの首が宙に舞い、空に鮮血を描いて地面に落下するところだった。
彼の肩から出ていた黒い炎は彼の首と胴体を腐滅させると萎むようにして燃え尽きた。
三人は突然の事に訳が分からなくなった。映画のフィルムのコマをいくつか跳ばしたような感覚。
最初は呆気に取られながらも周囲を警戒し続けた。が、彼女達には休息が必要であった。逃げ遅れた人間や残党勢力など最低限の確認だけを済ませて彼女達は空港を後にした。
三人は耐熱効果のあるバリアを纏っていたにも関わらず全身に軽い火傷があり、煤だらけだ。シャッハは脇腹の骨を粉砕骨折し、クイントに至っては腕を一本無くしている。
三人の体力と魔力は既に底を尽きかけていた。帰ろうにも臨海空港と都市を繋げる橋はとうに崩落している。シグナムはかろうじて飛べるが、さすがに二人の人間を抱えて飛ぶことは出来ず、一人でも海を渡れる程飛べるかは微妙だった。
結果、足場を作れるクイントに魔力を供給して海を渡る事となった。だが、
「魔力残ってる人ー」
「すまん。私はもう残っていない」
「私もです……」
「わお、これは本格的にマズいわね。今ここで海に落下したら私ら間違いなくショック死だわ」
既に綱渡りな状況だった。
「カートリッジシステムを使ったらどうだ?」
「ウィングロード使うのにカートリッジって凄く体に悪そう。まあ、背に腹は代えられないわね。誰かデバイス貸して」
「それなら私のを」
「ん? 待て、あれを見ろ」
陸の方角を見ていたシグナムが都市の方を指さした。
街は廃墟と化してしまい、過去の繁栄は瓦礫共々崩れ地に落ちている。いくつも黒煙が昇る中、白く成り始めた空には何機ものヘリが空を旋回していた。
その内の一機が真っ直ぐとクイント達に向かって真っ直ぐに飛行している。
そこには、スライドドアを開けてクイント達に向かって手を振るクロノ・ハラオウンの姿がそこにはあった。
崩れ落ち、切り立った岩場のように続く瓦礫の道を這いずるようにして歩く人影があった。夜天の書の主、八神はやてであった。
「はやてちゃん!」
後ろからシャマルとリインフォース・ツヴァイが駆け寄る。
「駄目よ、そんな体で。意識があるだけでも不思議なくらいなのに!」
「そうですよ、はやてちゃん。無理しちゃ駄目ですよ」
「ごめん、二人とも。でも、感じるんよ。あの子の気配……」
「そ、それは……」
戸惑う二人。守護騎士として、彼女達もその気配には気づいていた。
「ごめん。でも、もう少し。後少しで着けるんよ」
再び、はやてが歩きだそうとする。彼女の顔は包帯が巻かれ、眼が見えない筈なのに方向感覚だけはやけに正確だ。
マテリアルのロード・ディアーチェとの戦い後、すぐに治療を受けたが応急手当程度だ。
重傷者には変わらない。
「――あ」
はやてが足を滑らせて転びそうになる。だが、その寸前に何かがはやてと地面の間に飛び出して、転がるのは免れた。
「ザフィーラ……」
クッションの代わりとなってはやてを受け止めたのは犬型の姿をしたザフィーラだった。彼は文字通りに盾となった為に酷い外傷を負っており、全身に痛々しく包帯が巻かれている。彼もそうそうに病院に行くべきなのだが、無理を通してはやて達を追いかけて来たのだった。
「もう少しなのですね?」
首だけを動かして、ザフィーラは上に乗るはやてを見上げる。
「うん。この先、もう少しや」
夜天の主故か、守護騎士達よりも繋がりが強いようではやては正確に場所を把握していた。
ザフィーラの背中から起き上がり、再び歩き始めた。フラフラとした足取りをザフィーラが守るようにしてはやての横を並んで歩き。シャマルとリインも後ろから支えるようにして付いてくる。
明確に存在を感知できると言うならば、はやては他人任せにせずにどんな無理をしてでも自分で探す。そういう人間だ。
危ない足取りで瓦礫の上を歩いていくはやて。夜の戦闘が嘘のように周囲は静まりかえっている。時折遠くからビルが崩れる音がし、乾いた音を立てる。
空を見上げ、少し遠くに視線を向けて見れば大地が都市に突き立っているのを見ることが出来た。
移動庭園だ。地上に落下した移動庭園は半壊し、崩れた部分が衝撃吸収材と接着部になってそのまま大地の半分以上を残したまま健在していた。
ほぼ縦になって地上に突き刺さっているように見える庭園。その周囲をヘリや魔導師達が警戒するように飛んでいる。
そんな彼らを後目にはやて達は崩壊した都市を歩く。そして、大通りから脇道に逸れるように道を曲がり、ある廃墟の中に入った。
その廃墟は縦半分が見事に崩れ、張り子のような状態になっており崩れた場所の向こうには海が広がっていた。
そして、瓦礫の上に一人の女性が横になって寝かされていた。
「あ……」
カーテンかシーツか、ともかく廃墟の中から引っ張りだしたらしき薄汚れた布で裸体を覆い、女の長い銀髪が地面に広がっている。
はやてが駆け出す。
朝日が海の向こうから顔を覗かせた。
海に朝日の白い光が反射して宝石のような輝きを見せ、強い光が廃墟の中に入っていく。
眩しい程の光に、閉じていた銀髪の女の瞼がゆっくりと開く。
赤い瞳が、抱き付きながら名を叫ぶ主の姿を写し出す。
遠くから、朝日と共にヘリのローター音が聞こえてきた。
~後書き&補足~
ようやく終わりました。クリミナル・パーティーが。長く乱戦やり過ぎなんだよ自分……。
これでまだSTS編入ってないんだぜ?
次回からはSTS編に入るまでの四年間を(STS編の設定練りの時間稼ぎするために)短編で綴っていきます。
原作と違って環境に恵まれた自傷凡人の立場とか、差が付きすぎたであろうなのは達と新人達の対策とか、最高評議会もっと暗躍させたいとか色々あるので次回から遅くなるかも。
更に言えば、覇王っ子ってSTS編じゃ九歳ぐらいだからイケるかなー? とか。
・補足
→クイントの謎パンチ
人間じゃねえと笑われてしまうクイントの筋肉密度+圧縮魔力を放つのではなく、圧縮した状態で殴る事によって生まれた謎パンチ。Vivid三巻(単行本派なので情報が遅い)で判明したクイントの得意技を無視しています。トラックが目の前でちょっと前進するだけでビビるのと同じです。質量凄いから掠るだけで吹っ飛ぶ、みたいな。
→トゥーレのユニゾン
本文で書いた姿はあくまでリインフォースと融合した姿なので、Dies原作と差異があります。特に、髪の色は結構悩みました。これじゃあ狂獣だよ……。