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[21628] 鉄音同盟(仮) 【士郎×氷室 傾向:シリアス】
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:47
はじめましての方ははじめまして、せると申します。

注:今作は氷室SSです。
士郎×氷室を不快に思う方、回れ右でお戻り下さい。
ここから先は危険です、地獄です。
若干のオリキャラを含みますので、そちらにアレルギーのある方もご注意ください。
また、以前投稿した「氷室恋愛劇場」とは何の関係もございませんのであしからず。
それでは皆様方、どうぞ、宜しくお願いします。





『鉄音同盟(仮)』




 鉄を打つ音にも種類がある。
 ただ武器を打ち鳴らす音にも理はある。

 剣戟は何の為に。
 歯車が回る意味は何故に。
 機械が織る夢は何処に。

 自明だ。
 無為なる赤鉄には一片の意義を。

 剣戟は守る為に。
 未来の為に、歯車は回れば良い。

 美しい鐘の音が鳴る。
 そんな明日を、織れば良い。


  *                 *                 *


 ―序幕―


 さて少し唐突だが、此処である偉人に曰く。

『世の中は、君の理解する以上に栄光に満ちている』らしい。

 また、こう言った者もいた。

『森の分かれ道では人の通らぬ道を選ぼう。すべてが変わる』そうだ。




 古来より、知らぬもの、未踏の領域に価値を見出すのは人間の性である。
 開拓という言葉と共に、西へ西へと謳いながら馬を駆けた映画などがあるように。
 多くの冒険者が停滞した既知を忌み、多くの賢人が隠された未知を求めた。
 その試作と思索の果て、世界の法則は徐々にではあるが解かれつつあるのだ。

 ――そう、解かれつつあると思っていた。

「はは……」

 女史、などという呼び名が笑わせる。何のことはない。私も所詮平和ボケした日本人で、情報でしかモノを知らない一衆生の一人だったのだ。
 この国には既知しかないと、狭い常識だけで狭い世界を規定し、忌むどころか疑いさえしなかったのは紛れもなく己の落ち度。
 物理学者たちの名の下に、世界が理路整然とした神の箱庭であることを妄信していたのだ。
 何が才媛だ。本当にそういわれるほどの頭脳を、否、精神を持ち合わせていたらなら、私はきっと、あの狭く優しい世界に還ることさえできただろうに。

(嗚呼、井の中の蛙、頭でっかちの夢想家――氷室鐘の大バカ者め)

 目の前の現実に、私は半ば現実逃避のようにそんな事を考えていた。
 何せ他にやることがない。
 足は震えて動かないし、目は地面に転がったリアル志向のマネキン人形に釘付けだし、おまけに――ああ、これが致命的なんだが――もう既に、頭の上で化け物が腕を振り上げていたので。

 現状から結論を出すのは簡単だ。どうやら数秒後、私はこの薄汚い路地裏で死ぬらしい。
 阿呆らしい、馬鹿らしい。
 化け物に襲われて死ぬ? なんだその犠牲者Aのテンプレートは。
 如何様な罵倒と嘲笑を以ってしても飾るには足らぬ、惨めで愚かな滑稽劇(スケルツォ)
 それほど意義深い人生ではなかったが、まさかこんな三文芝居で幕を下ろすとも思わなかった。


 どうしてこんなことになったのか。
 私はこの今際の際で、そんな使い古された問いを脳裏に浮かべたのだった。



[21628] 壱幕之一 ―ラーメンは憂鬱な味
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:44
 空は連日続く曇天。秋も終りを迎え、気温は下がる一方で、暖冬で知られる冬木の街と言えども外套が必要な季節となった。
 虫の声が鳴りを潜めるのと同じ様に、普段の大学に漂う喧騒も、僅かに鈍くなっている。
 周囲にいる学生達は皆似通った微妙な視線でディスプレイを見遣りながら、取り繕うような会話ばかりだ。

 理由は明々にして白々。
 無論天気のことでも、寒くなってきたからでもない。
 その表情に張り付くのは一様の不安でもあり……そして何よりも、恐れである。
 平穏を取り繕った中に混ざるノイズ。誰も彼もが互いのそれを見て見ぬ振りしながら、今日というありきたりな日常を回している。

 そんな雰囲気の中、俺は食堂で一人、微妙な気分でラーメンを啜っていた。
 マズイと評判の汁物をわざわざ選んだのは、美味い物を食べようなんて気力がない為だ。
 無力な俺は廃棄物処理でもしているのがお似合いだ。
 だからさっさと昼食を終わらせよう、そんな益体もない事を考えていると、今日何度目かの視線を感じた。
 魔術使いなんて自分でもどうかと思うことをやっているお陰で、視線だとか殺気だとかフィクションの世界でしか使わないものにも敏感になってしまっていた。
 微かな苦笑を抑えながら振り返る。
 後ろの席についていた数名が、物珍しげに俺を見た以外は何もない。当たり前のこと。
 これが、ただの思い過ごしならいいのだが。

『――十一月十日未明、冬木市深山町の路上で男性の遺体が発見された事件で、警察は遺体の状況などから同事件を、冬木市における一連の犯行に類するものとして正式に発表しました。警察は近隣の住民方に注意を呼びかけると共に――』

 不意に耳に届いた声に、胸が重たくなる。これが周囲の不安の正体、そして俺の気力が減退している理由だ。
 視線を送れば、そこには食堂の隅に設えられたディスプレイ。中で、キャスターの女性が淡々と言葉を連ねていた。
 この冬木の町に舞い降りた、新たな災厄――連続殺人事件の犠牲者は、これで延べ四人になる。
 その誰もが若い世代だ。男でも苦々しく、女性ならその恐怖は推して知れることだろう。

 ……せめて、遠坂がいれば。そんな泣き言を、思わず呟いてしまいたくなる。
 無力感を、味も判らないラーメンの不味さで押し込めた。詮無きことだ、どうにもならない。
 何故なら、アイツは今倫敦に留学中だからだ。
 自分の管理地がこの状況では気が気ではないだろう。それでも帰ってこれない状況に業を煮やしているのは彼女である。
 アイツ自身が一番悔しいはずなのだ、考えなしの俺でも、簡単に帰って来いなんて言えるはずはない。
 手が塞がっているのは何処も同じ。詳しくは知らないが、それなりに難しい状況なのだろう。
 いつも電話で聴く声は、疲れているのを隠すような声音で。
 まあ、現代のリアル地下ダンジョンらしい時計塔にいるのだから、そりゃ何もない方がおかしいのだろう。

『けれど衛宮くん、貴方一人でどうにかしようなんて考えないで。ただの殺人事件なら警察に任せなさい。そうでないなら、なおさら私の帰りを待って。良いわね?』

 遠坂の忠告が脳裏を過ぎる。が、

(遠坂、悪い。でもそれは無理な相談だ)

 それが出来るなら、衛宮士郎はわざわざ魔術使いになんてなっていない。
 遠坂凛が帰ってこれないからこそ、衛宮士郎が踏ん張らなければならない。
 それが、衛宮切嗣から引き継いだ正義の味方としての信条。そして遠坂凛の弟子としての心情。
 師の誘いを蹴ってまでわざわざ冬木の街に残ったのだ、ここで日和見を決め込んでは、俺は俺自身に申し訳が立たない。
 衛宮士郎の意志は鉄と同義だ。心に座る自分以外の誰かの為に、ただ平和という夢を織り続ける機械。
 今更誰に確かめるまでもない。やることなど決まっていた。

 問題となるのは現実的な手法だ。手掛かりらしきものは何一つない。巡回程度なら警察だってやっている。マスコミとて最近は良く見かける。それでも新しい情報はなく、事件は被害者の数でしか進展しない。
 組織的なローラー作戦が効果を上げていない以上、俺個人で連日のように続けている夜歩きも、そろそろ見直すべきかもしれない。やれることがこれしかないから、そんな行動ではこの事件は解決できない。
 俺がどういう人間かなど、現実を前には何の意味もなさない。それを打ち破る行動を起こすしかないのだ。
 危機や困難に直面した時、羽が生えること。それが英雄の条件だとするならば、俺はその器ではないだろう、だが黙っていることもまた、出来ないのである。
 かといって現実は一向に崩れてくれない、俺は俺なりにどうにかするしかないのだが、その手法が思いつかない――。
 そんな益体も無い物思いに耽っていると、不意に隣から声を掛けられた。

「――やあ衛宮、同席して構わないかね」
「……ッ。ああ、別に良い、けど」

 続いていた憂鬱な思考は、その会話で断ち切れた。代わりに少し、戸惑いが声に出る。歯切れの悪い返答になる。
 だがそれも仕方がないだろう。現に、少し見渡せばこちらを怪訝に見ている人間はちらほらいた。
 周囲には空いた席なんていくらでもある。同じ講義を受けている、見知った人間もいくらかはいる。
 それでもその美しい女性――氷室鐘が隣を選ぶほど、彼女と交流を深めた記憶はない。
 訝しげな視線を送ると、氷室は少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「そう邪険にしなくてもよいだろう。穂群原から同じ法学部に入った、数少ない友人ではないか」
「別に邪険になんかしてないぞ。ちょっと珍しかっただけだ」
「ふむ、それは失礼」

 クク、とまた常の笑み。
 奇妙な口調、奇妙な空気、奇妙な間合い。
 これが初登場ならすわ新手の敵かと思うところだが、彼女は確かに、その言葉の通り同級だった。
 尤も、高校時代は同じクラスになったこともなければ、特に親しかったわけでもない。
 友人の友人という表現が正しいところだが――ああでも、あの奇矯な黒豹を友人と言っていいかは迷うぞ。
 

「そういえば、講義以外で君とこうして肩を並べるのは久しぶりだな」
「あ、ああ」

 ……というより、あったっけ? 
 そんな言葉が口をついて出そうになるのを、俺は寸でのところで抑える。
 そういう如何にも考えなしな物言いで、何度も遠坂にヤキを入れられた記憶が蘇ったからだ。いくら俺が間抜けでも、相応の痛手を負えば学習はするのである。
 が、彼女はそんな俺の対応を見て、その笑みを苦笑に変える。

「いや、覚えていないならいいさ。ふと思い出したので口に出してみただけだ」
「……スミマセン」

 バツが悪い気がして顔を背ける。誤魔化すように不味い麺を啜る。当然、となりの勘の良い佳人はクスクスと笑う。まるで子ども扱いだった。
 なにやってんだ俺、と内心で頭を抱えた。
 居心地の悪い状況を脱出する為、俺は多少強引に話を変えることにする。

「で、どうしたんだ。何か用があったんじゃないのか?」
「用というほどでもないが、君が浮かぬ顔をしていたのでね。何か悩みがあれば聞こうと思ったまでだよ」

 顔に出ていたらしい。俺はしばし返答に悩んだ。
 ここで殺人犯をどうやって捕まえるか考えていた、なんて言うわけにもいかないだろう。
 良くて笑い話だ。これ以上変人扱いされても仕方ないし、自分で不審の種を撒く必要はない。
 友人という評価さえおぼつかない彼女相手ならば尚更である。

「いや、特には。ただ夕飯は何にしようとか考えてた」
「ふむ、そうか。それならば良いのだが」

 告げながら涼しい顔で箸を動かす氷室嬢。煮魚定食なんて不人気メニューも、彼女が食していると不思議と美味そうに見えてくる。
 尤も、俺個人は嫌いじゃないんだが、煮魚定食。
 昨今進んでいる和食離れという問題と、このラーメンの不味さは基本的に別次元の問題である。

「しかし、不思議なことを言うな君は」
「なんでさ?」

 全然不思議そうな顔をせずに、何気ない口調で唐突に氷室が告げた。
 己の心拍が乱れたのが判る。だが、特に不自然なことを言った覚えはなかった。
 普通の大学生なら主夫臭い発言だと思われるが、俺の場合それは今更だからである。
 が、氷室はそこで笑みを消した。
 その目には、人の奥底を探るような暗い光。
 僅かに厭な感覚を覚える。

「人は普通、飯のことを考えるとき不味いものは選ばない。そうだろう?」
「む」

 自分の前にあるラーメンを見る。
 確かに、こんな不味い代物相手に夕飯もなにもない。
 細かいところに気付かなかった、衛宮士郎の落ち度だった。

(というか、本気で不味いしこれ)

 いくら憂鬱だからといって、わざわざ選ぶことはなかったはずなのだが。
 人間、自嘲状態に陥ると碌なことをしないらしい。

「ふふ、衛宮、君は隠し事が上手くないな。それと、誤魔化し方も」
「……ほっとけ。こいつはただの興味本位だ」

 また目を逸らす破目になった。クスクスと隣から笑みが洩れてくる。
 冷淡な優等生の鑑みたいなヤツだと思っていたが、意外なことに、氷室は良く笑うヤツだった。
 尤もそれは明るく朗らかな笑みではない。どちらかというと、雰囲気通りの冷たさを残している。
 その中に少しだけある意地の悪さが、どこか遠坂に似ている気がした。

「まあ、それはそれとして……」

 何を考えていたかなど話せる訳もない。俺は早々に話題を切り替えることした。
 幸い同級の氷室ならば、世間話程度のネタには事欠かないのだから。
  *                 *                 *

 その先はとくに他愛のない話が続いた。
 授業の内容や世間話の類だ。先ほど見せた氷室の眼つきが少し気になったが、それも舌に残るスープの不味さには敵わない。

「……と、長話が過ぎたな。そろそろ昼も終わりだ」
「そんな時間か」
 
 確かに、時計を見ればそろそろ次の講義が始まる時間だった。
 周りの学生たちも既に移動を開始している。 

「私は次の講義があるが、君はこれからどうするのかね」
「次は休講だから、買い物でも行こうと思ってるけど」
「……ああ、また伊野教授か」

 今時の、そして公立の大学としては珍しいが、伊野教授は良く講義を休む。
 研究に没頭していると発表が近いとかそういうのでもなく、単純に己の都合らしいから始末が悪い。
 悪い意味でオールドタイプな人間だ。
 アレで此処では重鎮で通ってるのだから、学生の身としては溜息をつく他はない。

「そういうことだ――と。じゃ、後でな」
「ああ、また後で」

 立ち上がり、一つ手を振って踵を返した。
 彼女とは採っている科目が重なっていることが多い。確か、四時限目も同じ講義だったはずだ。
 だから俺はそう軽く告げて、すぐにこの後の行動について考え始めた。

「――ああ、衛宮、最後に一つだけ」
「ん? なんだ?」

 唐突に、背後から氷室が声を掛けてきた。
 まるでコロンボみたいな言い方だな、なんて思いながら振り返ると、

「ほら、最近この辺りは物騒だろう?――通り魔には注意したまえ」
「……っ」

 ああ、分かった。辛うじてそんな返答を搾り出すのが精一杯だった。
 彼女の眼には、先ほど見た鋭い光が宿っていた。



[21628] 壱幕之二 ―自殺志願者の切実な事情
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:44
「……ふむ」

 早足で食堂を出て行く衛宮士郎を見ながら、私は一つ頷いた。
 先ほどまでの状況を頭の中で再構築してみる。結果、灰色。
 何とも煮えきれないが、こうなるだろうなと何となく予想していた。

 事の発端は噂だ。最近衛宮が夜に出歩いているのを良く見る。そういう話を複数人から聞いた。
 無論、大学生ともなればそんなものは当たり前だ。普通に考えれば、しない方がおかしい。
 けれどそれだって場合による。例えばあまり飲み会に参加したりしない人物が、度々繁華街でウロウロしている、なんてことになれば話は別だ。

 ……そう、吸血鬼、なんて物騒な通り名の殺人犯がいるこの町では、特に。

 本当に吸血鬼が存在するなど在り得ない。なのにそんな命名がされた理由は諸説ある。
 犠牲者は夜にしか出ないという、ある意味当然の事実もあれば、死体が動いているとか被害者の血が抜かれているとか、無駄な装飾としか思えない眉唾な話まで。
 虚実入り乱れてその真相は闇の中だ。問題なのは、それだけ騒がれ警戒されている中で尚、事件が止まらない事である。

 憶測は憶測と共に恐怖を呼ぶ。恐怖はさらなる憶測の温床となる。
 端的に言って、今冬木の夜はフィクションの中と変わりがない。あからさまに危険な誰かが一人いる、故に何があっても、そんな場所にいる方が悪いことになっている。ならば君子危うきに近寄らず、だ。
 賢明な人間ならば、そういう不確定な要素には近づこうと思わない。解らないからこそ、藪の中には蛇がいると知っているから。
 
 なのに彼は藪を突く。鬼か蛇しかいない夜を歩く彼は、私の目にはとても怪しく映ってしまう。
 それに加え、単純な引っ掛け――否、ただの注意に、こちらが驚くほど動揺していた。
 こんな反応まで揃ってくれば、なるほど、彼が犯人かもと思えてしまうのは無理もない。

 だが――。

(例え誰が怪しかろうと、こんなことは一大学生の仕事ではない)

 考えることでもない。本当に怪しいと思ったのなら警察に行けば事足りる。
 事実のみを伝えれ、後は善良な一市民として煉瓦の家に篭るべきだ。

「それに」

 私は衛宮士郎という人間の人となりを、少しだけだが知っていた。まだ高校時代、ほんの少しだけ袖触れ合った縁で。
 風評通り、アレはいわゆる善人だ。それも利益云々を度外視するお人よしに分類される。あえて狭くカテゴライズするなら重度の、という表現が付く。
 その人格から考えれば連続猟奇殺人など似合いはしない。絵にならない。まだ要らない正義感を発揮して犯人を捕まえようとしている、と考える方が筋が通る。馬鹿馬鹿しいが、まだ。

 無論そんなものは仮に口にしたところで冗談にしかならないし、本気ならばそれこそ笑い話だ。
 探偵ごっこが通るのはフィクションの中以外にありえない。本職である警官たちからすれば、そういう自殺行為は職務遂行の邪魔でしかない。そんなことは如何なお人よしでさえ判るはず。
 結局、どの可能性もまともに考えればありえない。
 残るのは奇妙な事実だけで、それを意味づけする材料など私の手には存在しない。

「やはり、わからんな」

 そういう結論に落ち着く。判り切っていた事だ。
 彼が犯人とは考え辛い。元々本気で疑えるわけもない。状況を振り出しに戻すしかない。

 それでも、私には考え続けねばならない理由があった。
 唇を僅かに噛む。忸怩たる思いが胸中に広がる。

「……由紀香」
 
 親友が行方不明になっていた。
 例えこれが自殺行為だと解っていても、私は彼女を助けたいと願っている。

  *                 *                 *


 ――故に、氷室鐘は行動をせねばならない。

 衛宮士郎の背後をつけながら、私は己を今一度叱咤する。
 善人だからなんだ? 知り合いだからなんだ?
 それは彼の怪しさに目を瞑る理由になりえるのか?
 私は衛宮士郎ではない。だから彼が何を考えていたかなど知りはしない。
 善人にしか見えない彼の行動に、悪意がなかったとは限らない。
 普段の私なら己の私見を信じもしよう。

(……だが今は一刻の猶予もないのだ)

 当たり前だ、殺人鬼がいる街で親友が行方不明なのだから。
 他の何を優先してでも、氷室鐘は彼女の無事を確認せねばならない。
 小さな異常でも見逃せないし、時には藁にだって縋る。善良な友人を疑いもする。馬鹿馬鹿しかろうと探偵の真似事もする。
 非情の誹りは後に受けよう。人の善い衛宮に恨まれようとも、他に候補がいない以上、今だけは彼を犯人と仮定する。

 だから、せめて衛宮。

「後で、私に謝らせてくれよ」

 そう小さく呟きながら、私は彼の後をつけるのだった。



[21628] 壱幕之三 ―かくして彼女は遭遇せり
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:43
 ――その結果がこれだ。
 目前には酷く生気の欠いた男性が立っている。
 はだけた服の下に見える首元には、まるで渾身の力で噛み付いたような歯型。
 中でも都合四箇所大きく開いた穴はなるほど、吸血鬼に噛まれた被害者そのものと言えた。
 暗いので断言はできないが、私の目が腐っていなければ頚動脈が完全に断ち切られているように見える。

 結論、どう見ても普通の人間ではない。

 証拠に、私の隣には頭から血を流して倒れている男性の死体。食事中だったのか知らないが、首には噛み千切られた後が生々しく残っていた。
 頭の方は完全に陥没していて負傷というよりは破壊跡、検死の必要すらないだろう。
 そしてどうやら、次にそのようになるのは私らしい。

 この怪物のどこがお人よしの衛宮士郎だ。私は回想の果てに自嘲する。
 死ぬ寸前で頭がおかしくなったのか、震える身体とは裏腹に思考は実に悠長である。
 お陰で、さてどうしようか、なんて思う余裕さえあるのだから困ったものだ。

 だがまあ、悪あがきも、悪くないだろう。たとえ現状がどうだろうと、動かないよりは動くほうがいい。それが頭の中だけであってもだ。
 だからせめて、現状を変えうる可能性を模索しよう。諦めるのはその後でいい。
 逃避の傍ら、簡単な分析と情報把握はもう済んでいる。
 言葉に直せば短い。化け物、死体、私、これで全部だ。不幸中の幸いか、由紀香でも衛宮でもない見知らぬ誰か。
 どう見ても死んでいるので、これ以上の文句は私以外からは出まい。
 その私も今は我慢するだろう。我慢するので、早く何か方策を考えろ。

(……そう、例えばこんな言葉もあったか)

『あなたが現状を変えられる唯一の人間だ』

 後半何か違う趣旨の言葉が続いた気がするが、それはこの際関係がない。
 必要なのは、今此処で私を助けられるのは私だけという、頭を抱えたくなる事実だけだ。
 現実が私に示すたった二通りの選択肢。無論選ぶ方など決まっている。
 ……尤も、どちらを選ぼうと最終的な結果は変わらないと思うのだが。

(しかし、案ずるより産むが易しとも言う)

 予想はいらないし、結果も後で良い。決して易くなくとも、やる前に決めて掛かるのは愚行と言える。
 一般論からいえば、オムレツを作るには、まず卵を割るべきだ。
 例え腐っているのが判っているとしても、観測してみなければ始まらない。

 では問うぞ、私。そう貴様にだ、氷室女史。
 散々考える時間は与えただろう。さっさとこの問題に答えたまえよ。

 ――さて、私が今、ここで採るべき選択は?

 時間の流れが現実に戻る。
 目の前には相変わらず腕を振り上げたままの怪物。
 けれど停滞はここまでだ。走馬灯だか何だか知らないが、これ以上の引き延ばしては認められない。
 かくして、凶腕は振り下ろされる。それが降り切った時、この頭は潰れた石榴のようになるだろう。

 私は自分の色素の薄い髪が気に入っている。普段はパっとしない灰にしか見えないが、陽光が照らせば銀にもなる。そんな昼行灯な具合が愛らしい。
 ゆえにこの髪が血と脳漿と地面の埃で泥塗れになるなんて、そんなことは許されない。
 否、許さない。
 だから、断じて震えている場合ではないのだ。
 この命の瀬戸際に於いて、頼るものなど己の心以外に何がある。
 生きるのだ。目前の死など見るな、考えるな。それはおぞましく、目を惹いて離さないが、全くもって不要な代物だ。
 ……足元には影がある、ただそれだけを知っていれば良い。大切なのは、その影を作り出す未来という頭上の光に他ならない。
 そう信じて、私は振り下ろされる死神の鎌を、その先を睨んだ。

(ドアを叩け――)

 覚悟がほしい。さすれば、と声にならないほど小さく続ける。
 同時に死の腕が振り下ろされて、

「――開かれん!」

 その凶手が我が身を引き裂く前に、全力で体当たりを敢行した――!

 耳元をおぞましい速度で何かか通過する。けれど、それに怯えていたら意味がない。歯をかみ締め、目前の化け物を肩口から突き飛ばす。
 三年間続けた高飛びのお陰か、身体能力は未だ錆びついてはいなかった。
 自分でも予想以上の衝撃に息を呑む。
 だが、ぶつかった瞬間、化け物が僅かに怯んだのがわかった。体勢が崩れ、腕が逸れる。

 成功、という二文字が脳裏に流れた。私は石榴にならず未だ呼吸を続けている。
 良く動いた。これだけでも高校三年を慣れない運動に費やした意義はあった。私は今心の底から己の身体を褒め、あの奇矯な友人に感謝する。
 だが感動している暇はない。咄嗟に身体を翻し、次の一撃が届かない位置まで後退した。
 これで、何とか土壇場はやり過ごせ――、

「……っぐ!」


 けれど同時、肩に酷い鈍痛が走った。
 思わずその場に蹲りそうになるのを、歯噛みして耐える。
 近づいたことで即死は免れたが、避け切ったわけではなかったらしい。どうやら腕の根元辺りが肩に触れていたのだろう。
 力学など持ち出さなくても解る。普通そんなところが当たったところで威力など伝わらない。けれど元の力が大きければ、いくら効率が低かろうとそれなりの威力になるのは道理だ。

 ……人間の頭蓋骨を素手で叩き割るほどの暴力、改めて相手の化け物加減を実感した。

「ぅぁ、ぁ」

 人語に変換できない呻き声を上げて、化け物が姿勢を整える。
 その隙に逃げ出そうにも、この路地裏の先は行き止まりで、唯一の出口は化け物が守っているのだ。

(どうするべきだ? どうすればいい?)

 まだ先には逃げられる。けれど、ここを退いたら逃げ道そのものから遠ざかる。
 数十秒逃げおおせたところで、その先はジリ貧以前の問題だ。背が壁に触れた時、私の死は確実なものとなるだろう。

(……だが、それでも)

 ジリ、と音を立てて踏み込む化け物。私は仕方なく同じ歩数後退する。
 動き自体は鈍重だ。闇雲に突っ込んでくるのなら、例えこの狭い路地でも何とかかわせるかもしれない。
 けれど化け物はそうしなかった。知能があるのか、はたまた元の知能(・・・・)が残っているのか。
 鈍重な動作で両手を広げ、逃げ道を塞ぎながらゆっくりと距離をつめてくる。一度捕まればあの怪力だ、決して逃げ出せはしないだろう。

 その様は映画の屍人そのもので――だからこそ、たった人間一人分の壁を突破することができない。

「ぁ、ぁぅ、ぁ」

 そして一歩。また距離を詰められる。これをあと数十度繰り返したとき、逃げ場と共に命運が尽きるのだ。
 唇を僅かに噛む。焦りに飽和しそうな思考を、なんとかギリギリのところで繋ぎとめる。

 ここが考えどころだ。生き残る為に、どうしても一度この怪物を突破する必要がある。
 だがこの怪物は慎重だった。相手の勢いを躱す手段が使えない以上、私に実現可能な方法など限られている。
 蒔寺ならその身のこなしで強引にすり抜けることも可能だろうが、こと平面の動作に於いては、私は彼女の足元にも及ばない。

 ――平面?

(そうか、それなら)

 一つの事実に気付いた。怪力の化け物は、その実それほど大きくはない。逸る心を抑え、距離を保ちながら背後を一度振り返る。
 視線の先には隙間無く連なるビルの外壁。
 この空間は袋小路で人が通れそうな隙間はなく、およそ常人には登れそうな場所も無い。
 周囲に足場になるものも存在しない以上、あちらから逃れる事は不可能だ。

 だが、

(距離はおよそ十メートル、地面は硬いコンクリートだが、幸い今日の私は運動靴だ)

 同時に、邪魔になるようなゴミも、踏んで怪我をしそうな硝子片なども存在しない。

「これならば」

 いける、と直感した、その時、

「っ、ぁ、ぅぁ……!」

 一瞬の隙を見抜いたのか。それとも単に焦れただけか、とにかく私の気が逸れた瞬間怪物が大きく踏み込んできた。
 慌てて上体を後ろに退く、鼻先をゾっとする速度で何かが通過した。
 中空を薙いだのは怪物の左手。私の首を落し損ねたそれは狭い路地の壁を直撃し、コンクリートの壁に亀裂を走らせた。
 次瞬、その腕が厭な音ともに砕け血が噴出する。皮膚を突き破った骨はこの世のどんな白よりおぞましい。
 もし反応が遅れていたら首から先がなくなるか、良くて顔の皮が剥がれていただろう。

 ――戦慄が、一斉に背筋を駆け抜けた。

「う、あ、あぁあああああああああああ!」

 私は恐怖に突き動かされるように逃げた。
 怪物に背を向けて全速力で走る。みるみるうちに逃げ道から遠ざかっていることは、まだ理解できている。
 一刻の猶予もないと感じた。これ以上アレと対峙を続けていたら精神の方が保たない。
 頭の冷たさを保っていられるのはあと数十秒。その先を越えてしまえば、もう身体からは生きようとする気力さえ失われるだろう――。

 そしてドン詰まりに辿り着く。振り返れば十数メートル先から徐々に距離をつめる怪物がいた。その表情は、自分から網にかかった獲物を見るように喜色で歪んでいる。

(まだこの距離があるうちに。まだ私の脚が走れるうちに)

 知らず、唇をかみ締めた。痛みが最後の後押しをしてくれる。
 私は自暴自棄紙一重の覚悟を決め、

「……行くぞ、私」

 怪物の元へ一直線に駆け出した。



[21628] 壱幕之四 ―鬼ごっこ終了
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2011/04/04 07:03
 衛宮士郎は正義の味方である。
 冗談ではない。だが、冗談にしか聞こえないのは事実だ。自覚もある。
 だからそれを人に告げることはあまりない。
 大抵の場合、衛宮士郎という名を変人の枠に分類されるのがオチだからだ。
「それがまさか裏目に出る日が来るとは」
 俺は先ほどまでの出来事を振り返っていた。



  *                 *                 *


 つけられている。そう判断するのには時間は掛からなかった。
 今日大学で何度も感じた視線。昼に一度外を出たときもついてきた視線。
 同じものが、もはや深夜に差し掛かろうというこんな時間になってまでついてくる。
 大学にいる内は何度か消えたものの、一度出るとなればそれは確実に追ってきた。
 あまりに怪しいので数時間に渡って連れ回したのだから、それでも諦めない根性には鬼気迫るものがあるだろう。

 それは、お世辞にも熟練されたものとは言えなかったが、確実に慎重ではあった。
 魔力の流れなどは感じられない。頭と勘と身のこなしは多少良い素人が、精一杯気配を消してついてくる。
 表現するならそういう評価が妥当である。

 そして、今この街で他人を付け回すような存在に、俺は心当たりがあった。
 気づかないふりを続けているのは、俺の方こそが相手に用があるからだ。その為にわざわざこんな時間まで待った。
 噂では、犯人は吸血鬼という。本当にそんな存在であるならば、俺程度では気づくことはできなかったかもしれない。
 だがこの殺人犯は人間らしかった。それが同じ大学生であることに衝撃は受けたが、ここで俺が何とかすれば惨劇は終わるのだ。
 ふと、遠坂凛の忠告が脳裏に過ぎる。

 ――人間ならば警察を。
 それは危険なことはするなという意味もあるだろうが、さらに深い意味がある。

 魔術は秘匿されなければならない。無闇に人の前で使ってはならない。
 それは、相手が害意あるものでも変わらない。否、害意があればあるほどタブーとなる。
 俺があからさまな魔術で犯人を取り押えれば、無傷で捕獲できたとしても、犯人は警察へその事実を語るだろう。

 それは本気にされはしないだろうが、一般人へ情報が流出することへの言い訳にはならない。
 いずれその情報は協会へと伝わり、俺の存在は露呈するからだ。
 土地の管理者であった遠坂でさえ知らなかった魔術師、衛宮士郎。

 それが一般人へ魔術を行使した愚か者ともなれば、彼らはその存在を無視すまい。
 そして、聖杯戦争の記録を詳細に分析されれば、遠坂でさえ誤魔化せはしないだろう。彼女にどれほどの迷惑を掛けるか、想像もできない。
 投影魔術。それも、唯一にして無二であろう宝具の投影。万能の魔術師をして解剖してやるとさえ言わしめた異能だ、連中が実行しない保障はない。

 元々、魔術師は魔術師以外に関わることは自殺行為だ。
 よほど巧くやれる自信があるなら別だが、俺にその能力があるかは疑問である。
 土地の管理者であり、正当な魔術師の遠坂凛がいれば話も違ってだろう。が、遠い倫敦からでは隠蔽できるとも思えない。

(それでも、止めるわけにはいかない)

 その論理は、魔術師が己の身を守る為のものでしかない。
 衛宮士郎は魔術使いだ。術理をただ道具として行使する者。手段が目的の上位に来ることはありえない。
 原則は、見られたならば殺せ。だがそんなものは当然許容できない。
 だから俺にできるのは、事が発展しないよう、精一杯の用心さを働かせることだけなのだ。

 故にできることも、やれる状況も限られる。
 それらを満たすには、第一に隠密に行動することだ。人がいない方へ誘いこむために、徐々に裏道の方へ逸れていく。

 夜半も過ぎた繁華街。最初はまだ周囲に満ちていた喧騒も、もはや意識の内より遥か遠く。
 今この場で大声を出しても届くかどうか。仮に届いたとしても、どこから来たものかなど判るまい。
 況や、助けなどありえない。それは、見られることも邪魔が入ることもないことを意味する。
 安全確保という見地からすれば、俺の行動は愚か者のテンプレートだ。自殺志願と言っても間違いがない。
 生粋の通り魔ならば、殺人が目的ならば、この好機を逃しはすまい。
 だがそれは、俺にとっても同じことなのだ。 

「……この辺りでいいか」

 急にペースを速めて路地を曲がる。背後で尾行者が慌てる気配が手に取るように解った。
 やはり予測通り、魔術師や怪物の類とは思えない。
 そのまま進みもう一つ路地を曲がって、物陰にしゃがみ込んだ。
 見失ったのだろう、慌しい気配は俺が曲がった方には来ずに、そのまま直進していく。
 既に時間は遅い。殺人鬼が蔓延る街で、こんな路地裏に人はこない。現に耳を済ませてみても、人がいる方向からは向かってくる気配など感じない。
 今なら、やれる。

(このまま背後から虚をついて、一撃で捕らえる)

 魔術の秘匿以前に、犯人が人間なら、出来れば殺したくはない。
 投影はせず、折りよく足元に転がっていたゴミの中から、長めの棒切れを手に取った。

「――同調(トレース)終了(オフ)

 二年前までは殆ど成功しなかった強化の魔術も、今では軽い集中だけこなせるようになった。
 遠坂のお陰で、精度自体も聖杯戦争の時より更に向上している。
 本来木製のそれは、精錬された鋼の塊以上の強度を誇る。
 筋肉自慢の大男が鉄槌で掛かってきたところで、この棒切れ一つで受けきれるだろう。
 人間一人相手ならば、これ以上は必要がない。長物の投影など以っての外である。

 よしんば何らかの武術の達人だったとしても、得物をもって奇襲して抑え切れないということはあるまい。
 無論、この行動自体卑怯だと思わないでもなかった。だが、俺程度の腕ならば、正面から戦うより背後から決める方が相手の安全を確保できる。
 己の信条を真に貫くならば、この程度の泥は飲み込むべきだ。
 そう胸中で何度も確認し、絶対に逃がさぬという覚悟を決めた。最悪の場合、手足の二、三本は諦めてもらう。
 一般人とて殺人者は殺人者だ。新たな犠牲者を出さぬ為ならば、命の保証すら俺には確約できそうにない。

「よし、いくか」

 一つ呟いて、俺は物陰から走り出した。
 未だ相手の気配は捉えている。戸惑っているのか、先に進むことなくうろついている。
 まるで酷く怯えながら手探りで探しているようだ。機嫌が悪いのか、その癖妙にやかましい物音がする。叫び声のようなものも聞こえる。
 だから、接近は滞りなくできた。完璧ではないが、気配の消し方は心得ている。
 一つ後ろの角にいるのに、相手はまるでこちらに気づかない。今襲えば、確実に先手を取れるという確信できた。
 だから俺は、あえてすぐに行動しなかった。先手はとれるが、大きな怪我はさせないに越したことはない。相手の体形程度は知っておきたかった。ゆっくり、角から顔だけだして確認する。

 ――だが、そこではなんと、

(……なんでさ?)

 同じ大学に通う同級生が、得体の知れない人間に飛び蹴りをかましていた。



[21628] 壱幕之五 ―翼、生えず。
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:44
 会心の手応え――否、足応えを感じ、私は内心、喝采を上げた。
 元陸上部にして高飛びのエース、氷室鐘はそこら辺にいる成人男性より、遥かに動ける一般人である。
 それでもこんな急場で、人間一人を越えるジャンプができるとは思えない。第一背面飛びなんてやろうものなら、マットのない地面の上で芋虫になること請け合いだ。

 だから私が敢行したのは高飛びではなかった。
 学生時代、戯れで大会にて披露した正面飛び。冗談ながらも己に合うと感じたそれを応用し――目の前の怪物を渾身の力で踏み付けたのである。

 正面飛びは、元々設備が不十分だった昔に於いて、安全に着地する為の技だった。
 怪物を障害物に見立て思い切り踏み付け、蹴り飛ばしても、私の身体能力と経験ならばそのまま飛び越して着地できる。
 その発想は天啓であり、この場に於いてたった一つの解答だった。
 状況を考えれば、今この瞬間、この私の為に考えられた物とすら言ってしまって良いだろう。

 かくして私は異常なる死を飛び越えて着地し、そのまま走り去ろうと――。

「………………え?」

 そのまま走り去ろうとした私の足首を、何か強烈な力が締め上げた。

 激痛と、働いていた強い慣性に逆らえず、私は無様に倒れ伏す。
 咄嗟に顔を庇おうとして、硬いコンクリートへと肩口から強かに打ち付けた。
 僅かに肌が裂け、血が流れ出したのを感じたが、今はそれどころではない。

 後ろを見れば、倒れたままの怪物が私の足を掴み、喜色に歪んだ顔で炯々と目を光らせている。
 捕まえたと、捕食者が舌なめずりをしているように。

 足を捕らえて離さない締め付けが、秒刻みで強くなる。骨が上げる悲鳴も比例してけたたましく。
 それは後数秒で、破砕音という断末魔に変わるだろう。

(……結局、私には翼などなかったか)

 万事休す。今度こそそんな諦めが、絶望となって私の心を押し潰した。
 だが、その時、

「――ハッ」

 鋭い掛け声が耳に届いた。次瞬、強烈な打撃音と共に、私を死へと引きずり込もうとしていた激痛が消える。
 半ば呆然としながらその場で顔を上げると、そこには木の棒を竹刀のように構えた――。

(……衛宮、士郎?)

「大丈夫か、氷室」

 あまりのご都合主義的な登場を信じ切れず、半ば疑問で構成されたその視線に、彼は確かに反応して見せた。

「悪いが、ちょっと待っててくれ」

 思考が追い付かない私に、彼はそう続けて路地に踏み込む。
 何も考えないまま視線で辿ると、先ほどの化け物がゆっくりと起き上がろうとしているところだった。 
 そこでやっと、一連の現象を理解する。
 足を掴まれた私を庇い、衛宮はその手に持った棒切れで相手を殴り飛ばしたのだ。
 聴こえた音からすれば、人間など撲殺していてもおかしくないほどの一撃。殺人、或いは未遂。そんな場違いな単語が脳裏を過ぎった。

 当然そんなものは一瞬で霧散する。相手が化け物であることを思い出したからだ。

「衛宮! 待て、ソレは」
「大丈夫だ、解ってる」

 危険だ、という警告を遮って、彼は冷静な声音で告げた。
 同時、半ば予想していた通り、怪物は何事もないように完全に立ち上がった。
 見た目はどこにでもいそうな成人男性だ。普通ならば殴った方が驚くだろう不自然な頑丈さだが、あくまで人間でしかない。
 それに対し、初見のはずの衛宮は何の迷いも感じさせない滑らかさで、追い討ちを掛けに踏み込んだ。
 覚えるのは――酷い、違和感。

(……待て)

 目前で展開する様子の不自然さに、私は先ほどまでとは違う焦燥と疑問に囚われる。

(何か、何かおかしくないか?)

 あくまで比較の問題だが、日本は平和な国だ。
 法と秩序に守られている故に、個人は武力を必要としない。必要とする場面も想定しないで生きていける。
 少なくともそういうことになっている。そういう約束事の上に成り立っている。

 だから今の私のような状況に陥るのは、徹底的に運に見放されているか頭が悪いかのどちらかだ。
 ……いざという時の覚悟? 持っている方がおかしい。建前はどうあれ、実質それが正しい生き方のはずだ。

 故に例え有事だろうと、平然と人の形をしたものを殴り殺せる日本人など私は見た事がない。
 仮にそれで死ななかったとして、更に追撃できる非情さを、彼が持っているなどと考えたこともない。
 なのに、起き上がりかける怪物の隙を見逃さず、衛宮は更に打撃する。

 ――なればこそ、衛宮士郎の振る舞いは、怪物に劣らぬほど異常なものだと言えるだろう。

 ドゴン。文字にするならばそんな表現が似合う音が轟く。再度、怪物を衛宮が殴り飛ばした音だ。
 得物を下から振り上げ、顎を盛大に吹き飛ばしていた。人間の固い頭部に幾度も叩き付けられているのに、何故木製のそれが砕けないのか。それすらもよほどありえないと思えた。

 友人が人間の首を砕く様が、私の目に確かに焼きつく。
 殺意以外を読み取りようのない光景だ。厳しい表情で、それでも躊躇なく行動する衛宮に、私は恩知らずにも恐怖を覚える。
 だが、それも一瞬後に聴こえた彼の呟きに戦慄し、掻き消えた。

「やっぱりこれじゃ駄目か」
「……っ、馬鹿な」

 張り詰めた声で吐き捨てる衛宮。その表情の厳しさは、敵意ではなく僅かな恐れと、多量の悔しさを湛えていた。
 だが私にはその表情の意味を考えることはできない。それどころではないからだ。
 何故なら、あの一撃をもってしても尚――。

「いき、ている?」

 返答を期待して問うた訳ではない。不死身らしいことくらい、遭遇した時から知っていたから。
 ただ、それでも目前の光景が信じられなかっただけ。
 怪物は……折れた首を真横にかしげながら、空ろな表情で立ち上がっていた。


  *                 *                 *


 状況を理解して飛び出したわけではなかった。
 何故氷室がここにいるのだとか、俺をつけていたのは彼女だったのかとか。
 そんなことを考えている時間はなかったからだ。

 氷室が倒れている。彼女が蹴り飛ばした相手が、倒れながらも彼女の足を掴んでいる。
 それだけ見れば、一体どちらが危険なのかを判断することはできないかもしれない。或いは、わりと壮絶な痴話喧嘩と見えないこともなかっただろう。
 だが俺は直感した。この状況はもっと抜き差しならない何かであると。

 何故なら、俺は氷室一人分の気配しか感じていなかったからだ。
 あれだけ騒がしい音がしていたのに、俺にはそこに二人いるという発想が浮かばなかった。
 それはつまり、片方が異常な存在であるという事実を指し示す。
 氷室の表情は焦燥していた。それを確信の材料とし、間髪いれずに背後の男を殴り飛ばした。
 人間ならば死んでいてもおかしくはない。だが、それでも手加減はできなかった。
 言い知れない危険を、目前の男から感じる。
 
 ――これは、生きている人間ではない。

 経験がそう告げている。それは聖杯戦争で見た、あの人骨の兵どもと同じ。
 目前の男……否、ソレは、キャスターが使った手駒に良く似ていた。

 生者の気配がないのは当然のことだろう。氷室が立てる音に紛れてしまえば、俺に補足できるわけもない。
 つまり死者。遠坂凛の講義を思い出す。吸血鬼に噛まれた、哀れな人間の末路。

(出来損ないの、吸血鬼、か)

 ならば衛宮士郎は容赦しない。哀れな怪物となってしまった誰かに悔しさを感じても、それで錆びる覚悟などない。
 故にさらなる一撃を。襲い掛かってくる怪物の顎をかち上げる。骨を砕く鈍い感触も手を緩めるには至らない。
 仰向けに吹き飛ぶ死者。背後の氷室から感じる怯えは、恐らく俺に向いているものもあるだろう。

 だが、それでも尚起き上がりかける怪物を見て、また違う怯えへと変わった。
 呆然と問いかけてくる氷室に、俺は何も答えることはできない。
 一般人に目前のソレが何であるかなど、説明することは不可能だからだ。

 ――それに。

(俺自身、実際に見るのは初めてだ)

 動く屍。話に聞いた通りだ。生存に必要な人体の機能など既に無意味となっている彼らは、例え全身の骨を砕こうが滅びない。
 半ば判っていたとはいえ、やはり打撃では殺せない。

「仕方、ないか」

 一つ小さく溜息をつく。手に持っていた棒切れを足元に放り投げる。その様は、機から見れば生存の放棄に見えただろう。

「……衛宮、何故」
「悪い氷室、今は何も言えない。けど、出来れば目を閉じていてくれ」

 問いかける彼女の声を遮り、意識を己の遥か裡に埋没させる。
 瞑想は一瞬。設計図は既にある。手順も厭になるほど覚えている。
 つまりそれは。

(創造理念を鑑定し、基本骨子を想定し、構成材質を複製し、製作技術を模倣し、成長経験に共感し、蓄積年月を再現する)

 速やかに工程を終了した。その間、一秒にも満たない。
 俺だけが可能とし、俺が持ちえる唯一の魔術。何度も使うなと念押された、絶対に人に見られるなと厳命されたことを思い出す。

 今最も正しい選択肢は、一般人である氷室を連れ出し、一度遠くへ逃げることだ。
 しかし、コレを放置すれば、早晩さらに死人が出る。目を離した時、もう一度見つけられる保障はないのだ。
 見られてはいけない魔術と、魔術を使わざるを得ない怪物。

 ……選べるのがどちらかしかないというのなら、そんなのは既に決まっている。

 危機、苦難。そういう難事に直面した時、問題を一足で飛び越える飛躍を見せる事。それが英雄の条件というなら、俺はそんな器ではないのであろう。
 ただの凡夫だ、俺にはできる事しかできないし、やれることをやるだけ。
 看過などできない以上、結局俺には自分を無視する以外に選択肢がない。

 けれどきっと、セイバーなら頷いてくれるだろう。
 最初は難しい顔をしていても、シロウなら仕方ないと言ってくれる。何よりも換え難い誓いを知っているから。

 その選択が師であり友でもある、遠坂凛への裏切りとなることは解っていた。
 何度も胸中の少女に謝る。
 過去の、今も、恐らく未来でさえ彼女の言う通りにはできないことを、謝る。

 だからせめて、可能なら見てくれるなと背後の少女に願いながら――。
 

(遠坂、悪い。俺はこういうヤツだから)


 ――こいつは、ここで仕留める。

「――投影、開始」
「――――――!」

 空の両手に現れた二振りの幻想を振り上げた瞬間、背後で押し殺した悲鳴が上がる。
 見られていたか、と乾いた声で胸中で呟いた。
 当然だ。死の瀬戸際で目を瞑るなんて、生存を諦めていない限り不可能だ。
 彼女はきっと目を見開き、俺の挙動の一つすら取りこぼさず見ていたことだろう。

 衛宮士郎は魔術使いだ、保身の為に目的を犠牲にする者ではない。
 だから氷室鐘が見る前で、その両手の力を持って、向かってきた死者の両腕に刃を走らせ、

「眠れ!」

 無防備となったその首に向かって、躊躇無く弓兵の剣を振り抜いた。




[21628] 壱幕之六 ―解らない人たち
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:45
「氷室、大丈夫か?」


 言葉と共に私に差し出された手に何も答えることなく、ただ呆然と見つめていた。
 今のは一体何だったのか。その疑問に答える為の、現実的な理由を大急ぎで探している。

 試行しては失敗する(トライ&エラー)

 錯誤に囚われた思考は、ビジー状態のコンピュータと何ら変わりがない。
 それでも私は、常識という己の地盤が幻想に過ぎないという事実に、未だ抵抗するつもりでいたようだ。
 あれだけの事があって尚、目前で起きた異常に折り合いをつける為に必死に思考を続けている。

 例えば先ほどの怪物は薬物に犯されたただの人間で、トリップ状態だった為に筋力の制限が掛かっていない火事場の馬鹿力状態だったとか。
 或いは衛宮が持っていたのは特殊な加工で木に見せかけた鉄製のイミテーションで、コンクリートに叩きつけても罅も入らない頑丈なものだとか。
 しかし、

(駄目だ、それでは説明がつかない)
 
 上記のどちらが正しくても意味はない。本当におかしい部分は別にある。
 例えばソレは誰がどう見ても首が折れていたのに動いていた怪物だったり、

「衛宮、君は手品が得意なのか」
「……それは」

 ……今はもう無手の彼が握っていた、あの無骨な双振りの曲剣だったり、だ。
 手品というものは基本的に視線の誘導に終始する。
 派手に、或いは巧みに。観客の視線を種から逸らしながら堂々と小細工する。性質上、誘導に付き合わなければ大抵は看破できるものだ。
 間違っても、何もない空中から本当に物質を取り出せるような手法は存在しない。

 私は見ていた。死の瀬戸際にいたのだ、例え動けずとも、動けぬからこそ必死だった。目前で起こった事象を、何一つ見落としていないと断言できる。

「動いていたのは人間だった。ただし最初から死体だった。衛宮が持っていたのは棒切れだったし、あんな大きな刃物を二つも隠せるような服装には見えない。鞄さえない。大体、君はあの瞬間無手だった。なのにその両手には博物館にでもありそうな刃物が現れて、しかも霧のように消えてしまった。――これは何だ? 夢か? 幻か? 一体何の冗談だ?」

 事実をただ羅列するだけで眩暈がする。悪寒が心胆から湧いてくる。
 気持ち悪い、座りが悪い。
 夢だと言われたならその通りと頷くしかないはずなのに、これが現実だということを足の痛みが執拗に訴えてくる。

 神は何処だ。もし今この場にいたのなら、襟首掴んで世界のあらましを吐かせるところだ。
 だが当然、そんなものはこの薄汚い路地裏にはいなかった。いるのは、私と、衛宮士郎という友人だったはずの得体の知れない誰かだけ。

「正直気が狂いそうだ。……だが」

 だが、と。そこで私は言葉を切る。
 今ここで現実の在りかを問う意味を、今の己は見出せない。

 そんなことはどうでも良いだろう? もっと大切なことがあるだろう?
 何故私はこんなものに遭遇したのだ? ――理由があるだろう氷室鐘!

「私は君に訊かなければならんことがある」
「……何だ?」

 理不尽な現実に、当り散らしたい衝動が全身を駆け巡る。この状況を心の底から破棄したい。
 だが、そんな心情は全て些事だ。

「こんな現実は認められない。狂っているならそれでいい、夢であるならそれがいい。しかし、しかしだ。……もし、私の気が狂っていなかったなら?」

 告げるだけで背筋が凍る。その可能性が最も怖い。
 夢物語でも、己が存在している場所であることに代わりはない。
 だから、だからこそ私はそれを認めなければならない。何故なら、

「彼女は……由紀香は何処にいるのだ!?」

 このおぞましい非日常に。悪夢が如く、狂気のような現実に。
 親友が、巻き込まれているのではと――そんな懸念が、私の頭を支配していたのだった。



  *                 *                 *


 こうして一日の回想は終了する。
 氷室の話を訊いて解ったのは、三枝由紀香が行方不明である事。
 俺の挙動不審な行動が原因で、氷室を危険に晒した事。加えてどうやら、俺は手品師には向いていない事、だ。

 そのどれもが簡単には見過ごせない。

 言うまでも無く、三枝の安否は俺にとっても最優先にしたい。
 知り合いが死者に成り果て、他者を襲っているなど許容できる現実ではないのだ。当然彼女自身の安全も無視できるものではない。
 しかしそれと同じくらい、今ここにいる氷室の安全も大事である。
 こんな状況でうろつくなど問題外だ、すぐ家に帰すべきなのは解っている。

 ……だが、じゃあ何故お前は大丈夫なんだと問われると、俺がどういう人間かを開示する必要に迫られるだろう。
 既に彼女は危険を承知で、犯人かもしれない相手を追って――考えられない話だ!――こんな所まで来ている。説明無しには到底納得などすまい。
 無論、遠坂はそれを許しはしないだろうし、俺にもそんな気はなかった。
 一度魔術行使を見られているのだから、とはならないのである。これはこれで、後で確実にどうにかする必要があるのだ。

 理想的な展開は、氷室が余計な詮索をせず家に帰り、今日の事は忘れて全て俺に任せてくれることだ。
 だがその為にどう話せば、彼女の理解を得られるというのか。

「あー、氷室、大体の話は分かった。それで訊くんだが、このまま黙って家に帰ってくれる気はあるか?」
「……馬鹿にしているとしか思えない提案だな」

 俺の切実な問いに対し、氷室はため息を吐いてそう呟く。

「不可能だ。まず私にはこの二つの死体について警察に通報する義務がある。加えて、君という極めて不審な人間を許容できるほど悟った人間でもない」
「だよ、なぁ」

 極めて不審。改めて言われるまでもなく己の不自然さは理解している。
 少なくとも、一般常識に則って考えれば、即通報されてもおかしくはない。
 目の前で人間の首を刎ねたのだ。彼女から見れば、経緯はどうあれ俺は殺人犯に相違ない。悲鳴を上げられないだけでも御の字だ。

「助けられた事は理解している。礼は後に何度でもしよう。君を疑うのもとりあえず止そう。――だが、説明だけはしてもらう。衛宮、私には君しか、由紀香に繋がる鍵がないのだから」

 絶対に逃がさん。言葉にはせずとも、強い意志を込めた瞳で氷室は告げる。
 一般人の身で、こんな状況に遭遇しながらここまで他人の事を思える。
 それは氷室鐘という一つの人格が、類を見ないほど強固である証左に他ならない。
 口下手な俺に、この真っ直ぐな意志を誤魔化す事は出来そうにない。どこぞの弓兵や神父ならともかく。
 それに、警察を呼ばれて困るのは俺だけだ。この交渉においてイニシアティブは彼女にある。

 さて、どうしたものかと俺は悩んだ。現状は手詰まりだ。話すことも話さぬこともできない。
 こういう小難しい状況が得意なのは俺ではなく遠坂で――。

(となると、それしかないか)

 ――やはり、当然の結論を下すしかないようだった。

「氷室、すまん。悪いが今は話せない」
「……ッ、衛宮! そんな言い逃れが通ると、「まず第一に」」

 彼女の抗議を強引に遮る。説得など元々不得手だ。確定情報を押し付けて条件を飲ませるしか方法が思いつかない。

「此処にいるのは危険だ。いつさっきの同類が現れるか分からない。第二に、俺には色々表沙汰にできない事情があって、理由はこんな場所じゃ話せない。だから、今日はここまでって事だよ」

 有無言わさずという調子で押し付ける。氷室は一度言葉を失い、けれどさらに視線の力を強めた。

「しかし、こうしている間にも由紀香が危険に遭っていたらどうする! 私にはこれ以上彼女を放っておくことなど出来ない!」
「ああそうだ、本当は俺だって今すぐ見回りを再開したい。必死こいて街中走り回りたい。通行人片っ端から捕まえて問い詰めたい。知り合いが危険かも何て言われて黙ってられるか。けどな、」

 そう、けど、だ。
 けれど、だからこそ、彼女の言葉には頷けない。

「第三に、もう夜も遅い。言っとくけど氷室――正直俺は、少し頭にきてるんだぞ」

 そこまで言ってから、一度だけ言葉を切る。
 多少気障かなと思わないでもなかったが、現状最も優先するのは、やはりこれしかあり得なかった。
 ただやはり少々恥ずかしいので、俺は僅かに視線を逸らしながら続ける。

「女の子が、こんな時間にうろつくべきじゃないだろう」
「……は?」

 さっきまで死にそうだったクセに、氷室はまるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、そんな単語を漏らした。
 案の定と言うか何というか。
 こういう無謀な事をする人間は、当然のように、そんな当たり前の常識さえ忘れている。

 本当に、もっと自分を大切にしてほしい。
 氷室がどれだけ三枝を大事に思っているかは知らないが、俺からすれば知り合いなのはどちらも同じだ。
 加えて彼女は同じ学園を卒業し、同じ大学の同じ学部に入った同級生。今日だって昼食を共にしたばかりだ、無視も軽視もできる筈がない。
 氷室が三枝の無事を祈るように、俺も目前の少女の安全を願っている。
 だから憂い無く三枝を探す為に、彼女には無事でいてもらわなければならないのに。

 こんな簡単過ぎる方程式も――彼女は言われるまで解らない。

「場所が悪いし時間切れだ、何を言われても答えられないし認められない。俺は今から、あんたを送らないといけないんだから」

 思わず吐いて出そうになるため息を我慢して、必要なことは全て告げた。
 視線を戻すと、氷室はいつの間にか俯いている。怒っているのか、悔しいのか、その肩が一度だけ震えた。
 だが、それもすぐに治まる。彼女は一つ長い長いため息を吐いて、

「……承知した、確かに君の言う通りだ。彼女の為と騒いでも、私が他人に迷惑を掛けて良い道理はない、な」
 
 告げると同時に顔を上げた彼女の頬は、何故だか少しだけ赤くなっていた。浮かんでいるのは自嘲するような微かな笑み。
 だが、次の瞬間にはそれも元に戻っている。

 そこにいたのは、俺が普段知る通りの冷静な氷室鐘だった。



[21628] 壱幕之七 ―その背はまだ少し遠く
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:45
 賑わいに影を落とした夜の新都を、私は衛宮士郎と歩いていた。
 無論、由紀香捜索の為でも衛宮を問い詰める為でもない。
 説得されて帰宅する途中である。彼は言葉通り私を送り届けるつもりのようで、さっきから無言で半歩後ろからついて来ていた。

 周囲を警戒しているのか、それとなく視線をやる表情は厳しかった。
 特に雑談するつもりもないらしい。
 
 尤も、私自身もそういう気分ではなかったのでその行動は有難い。頭の中では、色々な思考が無秩序に空回っている。
 とても雑談に容量を割ける暇はなく、かといって真剣な話題をするには余裕がない。
 今は自己の復旧作業に精一杯である。

 ふと頬に手を当ててみた。熱いな、と心中で呟く。
 熱の理由の半分は、己の浅薄さに恥じ入っているせいだ。

(虎穴に入らずんば虎子を得ず、か)

 しかし、虎子がいるかどうかも確認せずに飛び込むのは、ただの自殺志願だ。ミイラ取りがミイラとも言う。
 私が無闇に出歩いた所で、由紀香を見つけられる保証はなく、危険を犯して得られるのは危険だけ、などという結果は馬鹿馬鹿しい。
 それで死体が一つ出来上がったところで、街の人々を脅えさせる無意味な犠牲でしかない。

 そういう意味で、彼の言う通り、私の軽率な行動は様々な人に累が及ぶ。
 無論、悔しさは込み上げて来る。臍を噛んでも余りある屈辱は止まるところを知らぬ。
 そんな状態でも反論一つ浮かばないのは、彼の言葉が一方的に正しかったからだ。
 言われるまで気づかなかった愚かさを恥じるには十分過ぎた。

(普段ならそうなる前に気づくものだが、相当私も参っているということだろうか……しかし、それにしても)

 ――あの言い方は何とかならんものかね、と私は深く嘆息した。

 頬の熱さのもう半分は、彼の言い回しがあまりにもあまりだったせい。
 衛宮の告げた言葉を直訳すれば、「君が心配だ」である。
 彼は本気で、女性であるこの身を案じていたのだろうが、それにしても。

 六割方はこの性格ゆえでであろうか。実のところ私は、男性という生き物に耐性がない。

(無論残りは私の高校生活を部活などで消費させた動物のせいだが、まあそれは今は良かろう、今は)

 とにかく私は生まれてこの方、他人、それも男性からあんなことを言われた記憶は無いのだ。
 こんな強烈な出来事を忘れることなど不可能なので、恐らく本当に初めてなのだろう。
 思い出すだけでまた頬が熱くなる。冷静さを取り繕うとしても、隣を歩く衛宮の顔が見れなくなる。だが、それでも思い返すことを止められぬ。
 もう一度同じように手を当てる。熱が引く気配は無かった。衛宮が歩く右側とは反対の手。彼に見つからないようにした事に、特別な意図は無いと思いたい。
 
 そんな事を考えていたせいだろうか。気付いた時には、私は半歩遅れて隣を歩く衛宮の顔を捜していた。
 僅かに振り向くような形になる。当然彼も気付き、周囲に満遍なく向けていた視線をこちらに返した。

「どうしたんだ?」
「ん、あ、いや……その」

 特に意味など無かったので、私は少しうろたえた。
 無言で通そうという考えが過ぎったが、このままではただの不審者だと思い直す。
 彼は既に、こちらに意識を移しているので。

 何を言うべきだろう。そして何を言わないでいるべきだろう。
 問うべきことは、それこそ山のようにある。けれど、それらを告げた所で、先ほどの二の舞にしかならないと知っていた。

 そう、言うべきことは、今は言わないでいるべきこと。ならば私は、今何を語れば良いのか。
 逡巡は焦りを生む。彼がこちらを見ている。何か、何か無いかと考えれば考えるほど、言葉が頭の中から滑り落ちていった。

 嗚呼、これは一体どういう事だ氷室鐘。
 貴様の唯一の美点は、そのどうしようもない物怖じの無さではないのかと――。


「心配しなくても」
「……?」

 私の沈黙をどう捉えたのか。衛宮は、引き締めていた気配を微かに緩ませた。
 そして声に潜む僅かな笑み。それはどちらかというと自嘲のような響きを滲ませていて。

「このまま帰ってハイサヨウナラとは言わないさ。今日は遅いから引き上げるけど、今度説明の場は設けるから」
「あ、ああ、そうだな、是非そうしてくれると助かるが」
「下手打ったのは俺だからなぁ、……ああ、でもアイツに何て説明すればいいのか」

 そんなことを呟く衛宮。後半は独り言のようだった。
 私は反応に少し困る。アイツ、という言葉に隠し様の無い親愛の情が見えた気がして。

 そうこうしてる内に、また沈黙の帳が立ち戻ってきた。
 が、今度は長く続かない。一つ角を曲がると、私の住む蝉菜マンションが目前に見えたからだ。

「ここまでで良い。見送り感謝する」

 では、また後日。そう告げて歩き出す。
 衛宮がついて来る気配は無い。何となく背中に視線を感じてムズ痒い気分になったが、振り向きはしなかった。
 しかし、

「おやすみ氷室。――ああそれから、三枝は俺が見つけるから」
「……ッ」

 思わず振り返った視界に写ったのは、片手を一度振って足早に引き返す衛宮士郎の後姿だった。
 退き止めようとすれば可能だろう、反論するなら声を出せばよかろう。
 だが私はそのどちらも選択できず、ただ小さく息を吐くことしかできないかった。
 今日の氷室鐘は失点の塊。大切な誰か一人も助けられなかった私が……一体、何が言えるものか。
 それに、

「ああ――」

 思考が己から他者に移った拍子に、一つの事実に気付く。
 失点追加だ。それも、特大の。既に落ちている肩の高度を更に下げ、嘆息と共に呟いた。

「――済まない衛宮、それから」

 私は愚かだ。無駄に悩んで黙り込んでいたくせに、本当に伝えなければならないことを、今の今まで忘れていた。
 彼はどうしようもない善人だ。あえて狭くカテゴライズするなら重度の、という表現が付く。
 そんな当たり前の事を、知っているような気になっていたけれど。

(何が礼なら後に詫びよう、だ。私は真っ先にそれを言うべきだったのだ)

 無事家に着き、本当の意味で冷静になった今、そう思う。
 思えている事実に、心の底から感謝した。明日もう一度、必ず伝えると決心して、呟く。

「それから、ありがとう。今日は君に助けられた」

 既に向けた者の後姿すら見えなくなった夜道の先を、私は数分の間見つめていた。




[21628] 幕間之一 ―気まぐれ、打算、或いは善意以外の何か
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:46
「――――ァ、    」

 目が覚める。同時に襲う違和感に、即刻意識を手放してしまいたい衝動に駆られた。理由は、己の欠落を思い出したせいだろう。
 逃避を許さなかったのは意思の強さではなく、違和感と共に走った激痛ゆえ。
 思わず何か言葉を吐いた気が、覚醒直後の私には混濁した己の寝言など聞こえなかった。

 ……どうでも良い、どうせ下らない世迷い事に違いないと切り捨てる。
 こんな国のこんな場所で、誰かに聞かれて困ることもないだろう。
 決め付けて、私は上半身を起こした。そんな事より、傷の具合を確認する方が先だ。目を瞑り、全身の感覚に意識を向ける。

 引きつる様な両腕の痛みは無視。些細な裂傷など放っておく。
 同じ人形といえど、所詮お上品な魔術師モドキの手管だ、まともに受けなければ致命傷に至ることなどありえない。
 負った当初は自分でも目を背けたくなるほど醜い爛れ方をしていたが、今は包帯さえまめに変えていれば人目にはつくまい。

 ――四肢など、神経が通っていればそれで良いだろう。それより、

 問題は腹部をほぼ裁断している、割創とも杙創とも言い難い大穴だ。
 脊椎に直撃しなかったのは僥倖だった。そうなれば如何に私とて、逃亡する暇もなく挽肉にされていただろう。
 しかし、未だに苦痛だけで死にたくなる。
 模造品とはいえ、自分の臓器が欠けている場面は想像もしたくない。服をまくって確かめるのはやめておいた。

「しかし、バス停投げますか普通」

 あの馬鹿力め……と、この国のものではない言葉でそう呟く。
 これだから狂戦士の類は始末に終えない。どうやら私は生まれからして、ああいう手合いが苦手らしい。
 せめて相方の術者がいなければどうとでもいなせるのだが、それを踏まえての目付け役なのだろう。
 もうあの二人組には二度と会いたくはないが、国を超えて追って来るほどだ。
 そう簡単に諦めてくれるとは思えないが――さて。

 痛々しい回想はとりあえず後回しだ。

 現状を確認する。両腕に中度の火傷と擦過傷。並びに腹部に割創。
 他、全身に分類不可能な様々な負傷多数。結論、極めて重症。

 但し眠っている間に、新たな問題などが起きてはいないようだ。
 身体性能は正常の範囲。意識の精度も、やや霞がかっている程度で、深刻な欠損は免れている。
 幸い、今すぐ生命機能が停止するような兆候は見られない。が、戦闘能力は著しく低下中、これの回復にはまだ数日を要するだろう。

 ……逆に言えば、これほどの損傷でも数日程度で修復できる。その人間には成しえない耐久度は、私の存在理由に直結する。
 端的に言えば、この身に宿る魔術回路は特別製だということ。
 
(――自身に可能な事象に限り、過程を無視して結果を手繰り寄せる魔術特性、か)

 それが製造時に付与されていた、まるで冗談のような機能を最大限に強化している。
 結果稼動するのは擬似的な復元呪詛だ。即死さえしなければどうとでもなる、笑ってしまう程の耐久性。
 神経自体は普通な私としては、自分の頑丈さなんて一生知りたくなかったのだのだが、端的に言えば、簡単には死ねぬ体というヤツらしい。
 それが、当時求められていたコンセプトであったのだろう。
 あっさり破棄された身だが、どうやら成果自体は十分挙げているようだから癪に障る。

(尤も、適任者がいた以上恨み言をのたまうつもりはないのですが)

 こんな馬鹿馬鹿しい個性のせいで、令呪まで改良する余地が残っているはずもなかった。
 不死身任せであんな規格外を召喚させられていれば、生き地獄に堕ちる破目になっただろう。

 閑話休題。

(色々と酷いが、短時間の稼動に問題はない、か)

 そう結論し、私は意識を内部から外部へと切り替えた。己のチェックばかりに時間を掛けてはいられない。
 自己修復用の強制休眠状態であった筈だ、何らかの異常を感じ取らない限り覚醒などしない。
 故に目が覚めたのは、外界でその何らかの変化があったからだ。

 覚醒の仕方が極端でなかったので、害意に晒された訳ではないだろう。
 もしそうならば、状況を把握する前に私は退避行動に移っているはずである。

「ネズミか何かかしら……」

 故にまず耳を済ませた。周囲は静寂に包まれていて車の音一つない。
 当然だろう、体内時計が狂っていなければまだ深夜である。動物の鳴き声すら聞こえない。
 精々が小虫程度で、どうやら他に動くものは何もないようだが、はて……。

「あの、大丈夫ですか?」
「――――…………ッ!」

 背後から掛けられた声に、全身が総毛立った。咄嗟に振り返り、同時に声の聞こえた方向に腕を突き出す。
 ほぼ反射だったが、無論殺すつもりの行動であった。


「ひっ」
「……」

 だが、それは叶わなかった。

 原因の一つは、私が休眠していたのが公園の遊具の中だったこと。
 ドーム状で数箇所穴がついているだけのそれは、隠れるには申し分ないが運動するには不適切だ。
 振り返り様の目測を誤らせるには十分の狭さ、そして暗さである。

 二つ目は腕の裂傷。痛みは無視できるとしても、筋組織を深く傷つけられている以上まともに駆動するはずもない。
 振り抜いた一撃は不確かな確認と相俟って、覗き込む顔をそれてコンクリを打つに留まった。
 腕力自体減衰しているのか、削ることすら出来ていない。

 ――全然どうでも良くなかったようだ。先ほどの分析は撤回する必要がある。
 あの魔術師め、最初からこちらの戦力を削ぐことだけが狙いだったようだ。
 計算済みだと言わんばかりのしたり顔を思うと、忌々しいことこの上ない。

 三つ目として意識の不備。何が正常だ出来損ないめ。
 休眠から明けた直後という理由はあっても、人間が近くにいて把握できないなんて在り得ない。
 そもそも、その存在の接近を感じ取って覚醒したのだろうに。

 以上の理由を以って、私は対象の殺害を仕損じた。機から見ればびっくりして手を振り回したようにしか見えないだろう。
 証拠として――ああ、これが四つ目にして失敗の主な理由だろう、間違いなく――対象は怯えを隠してもう一度言った。大丈夫ですか、と。
 遊具内にいること、加え夜であることも相俟って、対象の顔は良く見えない。
 だがそれでも、その声に宿る無害さは理解できた。咄嗟に排除して良いか迷ってしまう程に。

「ああ、いえ、ごめんなさい。少し驚いてしまって。大丈夫です」  
「――良かった」

 私のとりあえずの返答に、感情の篭った声音でそう告げたのは少女のようだ。
 その雰囲気は極めて善良。この国の言葉で言えば人畜無害といったものだろうか。どう見ても追っ手には見えない。

「しかし、こんなところで何を?」

 それは相手のセリフだろうな、と思いつつ私は問うた。時刻は夜半、街には吸血鬼と騒がれる殺人者が野放し。
 仕事の帰りにしても、わざわざ公園になど立ち寄りはしないだろうし、立ち寄ったところで遊具の中を覗くことはあるまい。
 そう判断して隠れていた訳だから、こちらとしても対処に困る。
 筋違いだが怒りさえ沸いてきた。本当に、さっさと家に帰っていれば良いものを。

 ――まあ、そういう危機感のない人間はこの国には多いようだから、諦めるしかないだろう。
 現に不本意な遭遇はこれが初めてではなかった。お陰で魔力の補充自体は順調である。

「え? あ……あの、えっと、弟を、探していまして」
「ああ、それは心配ですね、この街の夜は物騒ですから――少し失礼」

 告げながら遊具の外へと出る。女性は慌てて入り口から離れた。
 立ち上がると同時に服の埃を払った。多少砂で汚れているが、目立ちはしないだろう。
 処置に不備があって血塗れにもなっていないようだし、当面はこれで保つだろう。不満はあるが後回しだ。

 しかし、いくら服装に不審は点がないといっても――。

(この状況は怪しいでしょうに)

 胸中で呟いて、街灯で照らされる女性を見た。
 年齢は二十歳手前辺りだろうか。素朴な顔立ちには、スーツがあまり似合っていない。
 浮かべているのは曖昧な笑顔だ。気弱そうな雰囲気は、どう見ても捕食される側のソレ。
 それなのにこんな場所にいて、私なんかに出遭っているのは……ああ、弟とやらを探しているのだったか。

「あの、私行きますね。それじゃ気をつけて下さい!」

 色々疑問が顔に出ていたが、流石に怪しいという結論に至ったようで、彼女は慌てるように踵を返した。
 それはそうだろう。殺人鬼が出る街で、こんな夜半に外国人(よそもの)が、公園の遊具で、隠れるようにして休んでいる。
 怪しいなんてものではないし――。

「――ヤー、それで正解ですよお嬢さん」

 駆け去って行く背中に苦笑を投げながら、さて、と私は呟いた。
 ここで採るべき選択はそう多くない。どうするべきだろうかと、再び己の身体に意識を向けた。
 外傷は重い。戦闘行為など望むべくもない。だが一方で私は頑強らしい、短距離を走る程度なら問題もないだろう。
 ……彼女にも、この傷を癒す為の仕掛けになってもらうおうか? 

(いや、数そのものは足りている。今更増やす利点は薄い)

 これからも犠牲者は一定数出るが、私がその付近に近づくのは得策とは言えまい。
 当然、自力での摂取(・・・)など無意味な危険だ。
 それでは教会の目につく危険を押してまで、自動式を放った意味がない。

「服が汚れてしまう、代わりもないし」

 そうだ、やはり何もしない方が良いだろう。
 走ることは可能といっても、安静にした方が良いに決まっている。血の匂いなんて自分のもので十分だ。
 身体もろくに洗えない状況だし、これ以上不満を増やしたくはない。
 しかし、

「場所は変えた方が良いかしら」

 さっきの女性は善良に見えたが、だからこそ誰かに話すという可能性は否定できない。外傷は隠せても、血臭は別だからだ。
 来るのが医者か警察かの違いはあるが、どちらにしても立場ある人間に関わっては面倒だ。
 そういう人間を皆殺しにすると、別の輩を相手にする破目になる。
 ある意味これ以上ない天敵だし、無駄な遭遇は避けたかった。私には目的があるのだから。

 やはり、早々に場所を移して休息に戻るべき、という結論に達した。公園など探せばいくらでもあるだろう。
 本当は宿泊機関を使いたいところだが、その記録が追っ手の手がかりになってもつまらない――。

「……ん?」

 微かな音が耳に届く。何故か意識がそちらに向かった。
 やや遠くで走り去る足音が一つ。あの女性だろう。いかにも遅々として進まない感じも、何故か彼女らしい気になってくる。
 どうやら探している弟やらの為に、あちらこちら意識を向けながら走っているようだ。
 そちらは下手すれば既に私の餌になっているが、もし無事見つかっても、それほど私に害はない。

 問題はそこではなく、
  
「車、か?」

 少女の進む方向、暫く行った先の道路を一台の車が走っている。
 何やら大音量で品のない音楽を流していて、如何にも騒がしく、鬱陶しい。
 更に耳を澄ませる。深く意識を集中し、女性の足音と車の走行音を聞き比べる。

(この進行速度、もし変わらなければ……)

 ……いや、気付くだろう。どれ程少女が鈍かろうとあの音には。
 それに車の方とて、あからさまな十字路でブレーキを踏まないはずがない。
 いくら弟とやらが大事でも、いくら深夜で注意力散漫になりがちでも、どちらかは気付くだろう。
 仮に気付かなかったところで私には関係がな――。

(――大丈夫ですか?)

「……ああ」

 何故か既に駆け出していた私は、心の底から疑問の声を上げていた。
 ああ、本当に何を考えているのだろう。私は何を考えているのだろう。

(……お腹が痛い、痛いのに何故走っているのだ私はそれも全力で気持ち悪い)

 思考が空転している。己の脳と行動が直結しない。
 私は既に、この街の人間を手に掛けている。彼らを生きる屍と変えて、更に多くの人間を襲わせて、それで私は力を取り戻す。
 個々の人格に興味などない。どれも餌だ。完治するまでは続ける。また傷を負えば繰り返す。
 顔すらしらない人間を火にくべて、己が使命を果たすだろう。
 そんな怪物が何を助ける? その後、私が作り出した死者に殺されるかもしれないのに。

「人食いが、何を人間みたいなことを」

 告げながら、目前に迫った少女の身体を掻っ攫った。筋力がズタボロにされているので握りつぶす心配もない。
 女性の表情は凍結していた。当たり前だろう、何が起こっているかなど常人の思考速度では把握できまい。
 馬鹿らしいと心底思い、このまま壁に投げ捨ててやろうかと考えた。
 この速度で投げつければ、きっと潰れたトマトの様に盛大に散らばるだろう。

(ああそうすればいくらかこの混乱も消えて爽快な気分に取って代わるに違いない違いないのに)

 相変わらず思考の歯車は壊れた音を吐き出し続ける。
 まともな命令が来ないので、身体は慣性に従って行動を続行する。

 直後、右から全く止まる気配のない車が突進してきた。
 並ぶのは軽薄な格好の若者と、驚いたような惚け顔――忌々しい。貴様らのせいで、私の吹き飛ばされた腹部が悲鳴を上げている。
 空いていた右手を叩きつけてやろうか。それともこの女性の身体を投げつけてやろうか。
 このまま助けるよりよっぽど楽しいだろう、楽しいから投げつけてああでも腹部が痛くなったので辞めた。

 嗚呼、痛い。――とても痛いから仕方がない。

 一つ息を吐いて、跳躍。騒がしいクラクションを今更鳴らす車を飛び越え、私と女性は刹那の間、空を舞った。
 暫し空を見上げる。意識に霞が掛かっているのは、負傷が原因ではなく、そこに浮かんでいる光のせいらしい。
 気付かなかったが、今日は満月の夜だった――月が、美しい。

「貴女は――」
「舌を噛みます。口を閉じなさい」

 そう、月が美しいから。
 自分でも信じられないような言葉を吐いて、慌てて口を押さえる女性を抱え、着地した。
 場所は低いビルの屋上。幸い警備装置が鳴り響くようなことはなく、安堵する。
 こんなつまらない行動で、無駄な注目など浴びてはただの馬鹿だ。

「さて……」

 怯えているのか、律儀にまだ私の言葉を守っているのか。口を閉ざす女性に私は向き直った。
 揺らぐ目は混乱の証だ。それでもこちらから視線を外さないのは、存外強い意志の成せる業か。

「貴女、名前は?」
「さ、三枝由紀香、です」

 僅かに微笑みながら問うと、彼女は切れ切れに答えた。
 嘘を吐いた気配はない。こんな怪しい相手に本名を話すなんて、なんて愚鈍な人格だろうか。
 けれど、そうでなければ助けなかったのだろうな、と自嘲しながら、私は由紀香と名乗った女性に視線を合わせた。

「怯えなくても、殺しはしませんよ。――折角助けてしまったわけですから」
「え? ……っ」

 ビクンと彼女の身体が一度跳ねる。そして、すぐに弛緩した。その口はもう疑問すら零さない。
 考える時間が欲しかった。それに微妙に腹が立っていたので、とりあえず気絶させてみた。
 人造の低級な魔眼といっても、何の魔術抵抗力もない一般人には覿面だ。意識を奪う程度は造作もない。

 後で暗示でも重ねておく必要はあるとして、問題は今この少女をどうするかだ。
 正直、何の用途も思い浮かばない。後腐れなくやっぱり此処で殺してしま……あ、そうだ。
 不意に一つ閃いた。このどうしようもないお荷物と、己の頭を抱えたくなる過ちの有効な利用方法。

「ホテルの手続きでも、してもらいましょう」

 名目は現地の協力者だ。異邦人という、あまり宜しくないステータスをカバーできる。
 彼女の名前を借りれば、薄汚い公園で身体を休める必要もなくなるだろう。
 この善良さを絵に描いたような少女は、他人の目を誤魔化す場合にも役立つかもしれない。
 物資の調達も円滑になるかな。……とりあえず服が欲しいし身体も洗いたいわけで。
 言い訳のような欲求が後から後から沸いて来る。倍以上ついてくる反証を、全て省みなければ良い事尽くめだ。

 だから名案だと呟いて、私は小さく笑みを浮かべた。
 それが相変わらず自嘲の形をしていることには、もう暫く気付かないフリをしていよう――。


*   *   *


幕間投稿に至って色々と謝罪を
まず前言翻してさっちんフラグ全開でごめんなさいごめんなさい
ラストはちょっと迷ってるので保障できませんが、一応最重要キャラなので大切に扱いたいと思います
またアフターということで敵キャラはオリジナル以外思いつきませんでした
後ほど1.5名ほど出ると思いますが
メインのオリキャラは敵役の一人のみとなりますのでご了承くださいませ



[21628] 弐幕之一 ―既知に足る信頼、履行すべき勝利の契約
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2010/11/10 08:45
『なんですってェエエエエエエエエエエエエエエ!?』

 鼓膜を破りかねない大声が受話器から轟いた。
 こちらが悪いと知りつつ、反射的に耳から離す。キーンという高周波のような余韻が耳朶に残った。痛い。
 そんな俺の事情には無論構わず、彼女は己の喉も省みず大声で捲くし立ててきた。
 遠坂、もう少しボリュームを絞って、なんて苦言は当然のように届かない。

『見られた? アンタ今、投影見られたって言った? 一般人に? それも知り合いに? 魔術行使してるところばっちり見られたって!?』
「あ、ああ、氷室に」

 ぼそぼそと、まるで叱られる子供のような口調で告げる。
 いや、まるでもなにも叱られているのは純然たる事実なのだが。

『ああはいはい氷室さんね。なぁんだ、へえ、そう、氷室さんなんだ。なら大丈夫かー、ってなるわけないでしょ! ちょっと彼女出しなさい。――記憶消すから』
「おまっ、ドジっ子のクセにそんな危ないこと簡単に言うな! 大事な記憶とかまで消えたらどうすんだ!」
『……ドジっ子?』

 遠坂凛は優秀な反面、一族伝来の呪いがある。
 何度か零した彼女の証言によれば、ここ一番で失敗する、という厄介な代物だ。
 何が厄介って、普段は極めて優秀なところだろう。重要なところこそ任せたいのに、彼女の場合ピンポイントでおじゃんにしかねない。
 イメージ的には大事な時に限ってクシャミが出るようなものだろうか。
 そんなギャグ漫画的なお約束娘に、氷室の大切な思い出を手違いで消されては堪らない。
 翌日からべらんめぇ口調で、頭が高い、某は冬木の銀狼ぞ! とか騒ぎ出す氷室なんて見たくない。
 そんなものに出遭ってしまった日には、俺は生涯悔やんでも悔やみきれず、英霊と化してでも彼女を救わねばならなくなるだろう。
 正義ではなく氷室の味方、そんな事になったら十年前の俺は土下座しようとも許すまい。

『ねぇ……あんた今、自分の師に向かってドジっ子って言いやがりましたか? こんの大馬鹿! うっかり頭! 間抜け工具! 衛宮士郎!』

 そんな俺としては当然の反論も、今の彼女には火に注ぐ油だ。
 ああ、こういう失言は確かにうっかり頭だなぁ、と思わなくはないのだが、許せるのはせいぜい工具扱いまでである。

「おい、だから人の名前がさも悪口の一つであるかの様に言うなとあれほど」

 ささやかな抗議は、ああもううっさいわよ! という鶴の一声で掻き消えた。
 声に含まれる苛立ちは蓄積するばかりで、電話前の彼女が髪を振り乱して牙を剥いている様が見えるようだ。

『大体ね、あんた人の心配していられる身分じゃないでしょう。下手すれば封印指定よ? 脳みそホルマリン漬けよ? バッドエンド20よ? 判ってんのそこの所』

 バッドエンド20って何だ。判ってんのと言われましても、と俺は少し途方にくれた。
 あ、いや、と無意味な言葉がついて出る。

「遠坂、俺にはお前が何を言っているのか、サッパリこれっぽっちも理解でき――いや、そんなことはどうでもいいか」

 何故だか物凄く不穏な響きである気がしたが、今はそんな突っ込みを入れてる場合じゃないと思い直す。
 怒りの原因は俺だ。無駄な茶々を入れられる立場じゃない。
 それに、

(単純な怒りというよりは、俺の身が心配で仕方ないんだろうなぁ)

 そんな予想が簡単につく。自惚れとかでは勿論なく、そもそも遠坂凛とはそういう女性だ。
 彼女は魔術師として、冷徹であることを己に架す一方で、その冷徹さを発揮しなければならない状況を徹底的に忌避している。
 曰く、そんなヘマを踏むつもりはないわ、だそうだ。

 端的に言って、重度のお人好しといって相違ない。そしてそんな遠坂凛に無駄な心労を背負わせるのはいつも俺だ。
 今回の大ポカも、きっと俺だけの問題で済ます気など彼女にはないのだろう。
 声を張り上げる一方で、どうにか帳尻を合わせる方法を、必死に考えてくれているに決まっているのだ。
 だからこそ怒り様だと思うと、どのような罵倒も到底足りんなという気になってくる。
 
「そうだな、お前の言うとおりだ。悪かった、俺が軽率だったのは認める。本当に済まない、申し訳ない」
『う』

 誠心誠意、心からの謝罪だった。俺なりに真剣な声音で言ったつもりだから、それは向こうにも伝わるだろう。
 なのに彼女は妙な声を一つ上げたきり、何故だか沈黙を行使する。
 そして数秒の後、ハァと大きな溜息を吐いて、なにやら呟きはじめた。

『全くこいつは本当にもう……そんな風に言われたら怒るに怒れないじゃないの、アーチャー予備軍のくせに』

 声が小さすぎて、微細なノイズのかかる電話では上手く聞き取れない。
 何故だか、深く呆れている雰囲気だけは伝わってくるのだが。

「……あの、遠坂? すまんが良く聞こえなかった、もう一回言ってくれるか?」
「良いわよ別に、大したこと言ってないから。……とにかく!」

 仕切りなおすように一度大きな声で告げ、一度言葉を切った。
 気分を切り替えろということだろう。つまり説教は終了、これからが本題だ。

『魔術行使を見られた事は無視できないけど、過去について論じるのは時間の無駄だわ。電話口で記憶操作なんて出来ないしやりたくない、だから氷室さんはあんたが責任持って説得すること。今はそれより』
「ああ、吸血鬼のことだろう」

 犯人の正体は最初に伝えてあった。
 明らかに生きていない人間、致命傷を与えてなお平然と動き回る怪物――死者。
 それがこの眼で見た敵の正体だ。元々本題はそちら側。氷室の事は、事実を伝える上で無視できなかったから話したに過ぎない。
 必然長い説教を受ける羽目になったが、話の本質とは全く関わりがない。

「ええそうよ。当然そのこと、なんだけど……」
「……どうした?」

 突然遠坂の口調に変化が出た。

「ねぇ衛宮くん、その怪物……ほんとに死者だった?」

 酷く歯切れの悪い声音。
 原因は――疑念、だろうか。

「あ、ああ、それは間違いないと思う。他に、人間があんな風になる理由が思いつかない」
「う、ん……それは、そうなんだけどね」

 死者とは読んで字の如しだ。死んでいる者。問題なのはそれが動くという、物理法則に反した事実である。
 動く死体は存在する。吸血鬼の犠牲者として。彼らは死して尚徘徊し、人間を同じ死者に変える。そうして奪った生命が親である吸血鬼の糧となる。
 だからこそ、吸血鬼は姿を隠しながら力を蓄えることができる。本気で隠れている吸血鬼を特定するのは、教会の専門家でも簡単にはいかないらしい。
 故に死者の存在は、脅威であると同時に吸血鬼来訪を知らせる唯一の兆候と言えるだろう。

(けど、死者は鼠算式に増えていく)

 まだ犠牲者が少ない内に何とかしないと、この街は死都となる――。

『でも士郎、それはありえないのよ』
「……ん、なんでさ?」

 最悪の未来を想像し、忘れていた焦燥感が身体を焦がし始めた瞬間、遠坂は冷水を被せるようなことを言った。
 つい、自分でも間抜けだなと思える声で問い返す。

『なんでもなにも、私は冬木の管理者よ? 留学する為にどれだけ結界張ってきたと思ってるのよ。力の弱い死者単体ならともかく、大本の死徒なんて入ってきたら判るわよ』

 経年を判定するヤツとか、もし祖なんて入ってきたらぶち切れて盛大に警報なるしね、と微妙に不穏なことを呟いた。

『だから、吸血鬼なんて存在自体が神秘染みたヤツはいないわけ。あからさまにやってくれてる所は頭に来るけど、十中八九、元凶は生きている魔術師だと思う』
「……なるほど、言われてみれば確かに」

 管理者が土地を空けるなら、相応の準備はするのが道理だ。泥棒を知らせる警備装置くらいは自前で用意するだろう。
 ここ一番でうっかりすると言っても、それまでは何処までも卒がない優等生、それが遠坂凛だ。事前準備は十八番だろう。
 だが、

「けどな遠坂。そうなると、俺が遭った怪物の正体が不明になるぞ」
『そう、なのよねぇ……』

 そこが判らない、と彼女は溜息を吐く。

『人間を死者に変える魔術か。うーん、別に不可能じゃないだろうけど……目的が思いつかないのよね』
「だよなぁ」

 吸血鬼が人間を襲うのは、魂と肉体の劣化を抑える為だ。
 人間の魂というのは変換不可能なエネルギーで、生きている魔術師にはまるで用がない代物らしい。
 だから死者を作ること、それを操作することが可能だとしても、実行する意味が存在しない。
 いくら死者を増やしたところで、使えない魔力モドキが集まるだけだ。暖炉の薪代わりにすらならない。

「目的として思いつくのは、吸血鬼化の実験くらいか?」
『そうね、寿命の克服は魔術師として当然の欲求だから、それ自体は在り得るし、在ったわ。けれど』

 そう、けれど、だ。必ずそこで反語が入る。
 何故なら、

「『それを冬木でやる理由が無い』、か?」
『あら、分かってるじゃない?』
「当たり前だ、俺でもそれくらいは考えるぞ」

 当然の帰結だ。如何に霊地として優れようと冬木市は魔術協会と教会、双方が関心を寄せる聖杯戦争の舞台である。
 吸血鬼を許さない教会は元より、魔術の隠匿を至上とする協会もそんなものは認めない。
 冬木で吸血鬼化の実験なんてものは、警察署の前でテロの演習を行うよりも自殺行為だ。
 半人前の魔術使いでも判る結論。仮にも死者の創造にまで至っている魔術師が、まさか見落としているなどとは思えない。 
 無論、それは本物の吸血鬼だろうと当てはまる。遠坂の結界を潜り抜けることが可能だとしても、天敵が目を光らせている土地に訪れる理由がない。

『ま、そういうこと。でもね。衛宮くん、現状と矛盾するけど』
「ああ、言いたいことは解ってる」

 今俺たちが頭を悩ませている矛盾を解くのは簡単だ。俺の勘違いという一言で済む。

(……但し、そんな楽観は許容できない)

 吸血鬼。それはあのおぞましい聖杯の泥に迫る災厄だ。もし仮に固体の武力が弱くとも、アレは都市規模で人を殺す。
 例え状況に納得できなくても、勘違いで済ませて良いレベルを超えている。

「相手の思惑は知らないが、手をこまねいている理由にはならない。そういうことだろう」
『ええ、管理地の死都化なんてオーナーの名折れも良いところよ。例え1%以下の可能性でも許しはしないわ。この間は待てって言ったけど、衛宮くんには明日から動いてもらう』
「当然だ。動くなって言われても動くぞ」
『当然、か。――確かに当然よね、私は貴方が何とかするって知っているもの』

 俺の返答に、遠坂は苦笑と共にそんなことを言う。

「ハハ、流石俺の師匠、なんでもお見通しか」

 どうやら怒りは概ね抜けてきたらしい。
 安堵に胸を撫で下ろしながらそう返すと、遠坂は微かに声音を変えた。
『ええ、でもね衛宮くん』と静かな声で言葉をつなげる。

『知っているなんて頭の悪い台詞、私は貴方以外には言わないわ。この意味分かる?』
「……うん? どういうことだ?」
『勘違いでも、期待外れでもないってこと……知っているって言ったら、それは確定しているってことでしょ?』
「遠坂、それは」

 何気なく告げられた言葉の重みに気付く。
 俺は咄嗟に返す言葉を失った。

『衛宮くんが上手くやるのは確定事項なの、だから遠坂凛は何一つ心配しないし、弟子がミスしたらなんて考える必要もない』

 クスリ、と一つ笑みを挟んで、

『ううん、そんなの絶対許さないの』

 最後に告げた台詞の声音が、あまりに和やかだったせいだろうか。俺は即答を避け、静かに彼女の言葉を噛み砕く。
 そうであれ、ではない。そうであると、未来を約束する確信。嘘にしてくれるなという懇願。
 遠坂凛にそう言わせた罪は重い。その期待は真実、鉄より重い。
 だからその万感すら足りぬ信頼は裏切れない。ならば――応える言葉など決まっている。
 
「ああ、任せてくれ――俺は、死なない」

 そう、死なない。失敗しない。
 だから任せてほしいと告げるのだ。この俺にきっと、何とかできると信じてほしい。その願いを、こちらから彼女に届けなければならない。
 衛宮士郎は遠坂凛のオプションじゃないと。
 彼女の留守を守れる程度には役に立つ弟子だと、今確かに示したい。彼女の期待に応えたいから。
 これは、親に褒めてもらいたいという、子供の純粋な動機と同じだろう。だから、

「うん、任せる」

 小さく託された返答に、俺は心の底から熱い思いが湧き上るのを感じた。
 やるぞ、やってやる。新たに去来した想いを胸に、ありがとうと彼女に告げ、今宵の別れを告げようとしたところで。

『あ、けれど自重しろって指示は撤回しないわよ? 今回だって貴方、魔術バレなんて凡ミス仕出かしてるんだから。――ほんと、帰ったらどうしてやろうか』

 今から考えるのが楽しみで仕方ないわね、士郎。なんて言葉を、彼女は実に楽しそうに付け足した。

(……うわぁ、実はまだ結構怒っていらっしゃるご様子です)

 硬く定まった純粋な意思に、軟弱な思考が僅かに混ざる。
 やばい、俺ほんとにちゃんとしないとヤバイ。熱く燃えてる場合じゃない、もっと危機感全開じゃないとヤバイかもしんない。

「あ、ああ、今度こそ気をつける。当面は強化でどうにかするよ、氷室にも何とか納得してもらう」
『そういうこと。強化だって十分使える魔術よ。モップで戦えるなんて素敵じゃない』

 そう言って遠坂は笑った。大方モップ構えて必死な顔をしている、誰かさんの顔でも想像しているのだろう。
 悔しいが反論が浮かばない。実際死者相手でも自衛に投影は必要ないし、強化だけなら何とか言い訳はできたのだから。

『あんたの武器は投影だけじゃないんだから、ちゃんと考えて行動しなさいな。それに任せるとは言ったけど、私も色々手を打ってみるから』

 おやすみなさい、そう言い残して彼女は電話を切った。
 倫敦でももう夜になる時間帯だ。つまりこちらは夜明け前、数時間程度でも睡眠はとっておいたほうが良い。

「とりあえず仮眠とって、大学か」

 ニュースもチェックしないと。
 自室に向かいながらそんなことを一人ごちる。その間に頭に浮かぶのは、同級生の少女の顔だ。

(遠坂には説得するって言ったけど……)

 氷室鐘。彼女には干将莫耶で怪物を倒したところをバッチリ目撃されている。
 とりあえず口外しない約束だけは取り付けたが、それもせいぜい今日の昼くらいまでが限度だろう。
 三枝のこともある。帰宅まで延々と探したが、結局見つからなかった。
 彼女は確実に問い質しに来るだろうが、良い知らせもなしでどうなる事やら。

「……どうするかなぁ」

 上手い言い訳など、当然俺に思いつくはずもない。
 だが、

 ――ううん、そんなの絶対許さないの。

 貴方ならば何とかすると彼女は言った。
 任せろと応えたのは俺だ。そして、任せると言われたのも俺だ。
 ならば、衛宮士郎に出来ぬ方が有り得ない。
 揺るがぬ意思こそが俺に許された唯一の手段だ。氷室鐘には、何が何でも納得してもらう。

 そう心に定めながら、俺は布団に仰向けに転がった。

「覚悟しろよ氷室。俺は絶対負けないからな」

 思わず声に出た台詞が、まるで敵に対するようだと気付いて、俺は一つ苦笑を浮かべた。



[21628] 弐幕之二 ―正義の味方がいたとしても
Name: せる◆accf7c71 ID:a370305f
Date: 2011/01/05 22:11
 最初のアラーム音と同時に目が覚める。
 氷室鐘の意志とは関係なく反射で動いた左手が、けたたましく鳴り続けようとする目覚まし時計を黙らせた。
 世辞にも快適とは言えない覚醒のせいか、軽い頭痛を感じて顔を顰める。

 朝一番の不快をぶつけるように、親の敵の如く手中の機械を睨みつけた。
 だが当の彼は持ち前の仏頂面を片時も崩す事無く、淡々と秒を数えるだけの簡単なお仕事を遂行している。
 裸眼なのでボヤけて良く見えないが、時針は午前六時を表示しているらしい。

 冴えない頭と身体と魂が、早すぎる起床である事に不服を申し立て二度寝を要求するが、鉄の意志によって却下する。
 無意識に停止しようとする怠惰な己を数秒に亘る格闘の後に制すと、少々気分が落ち着かないことに気づいた。
 俗に言う胸騒ぎというヤツだろうか。心理的なものか身体的なものかは知らないが、どちらにしろ快いものではない。
 二度寝を諦めた脳が、代案としてシャワーで眠気共々意識をリセットすることを提案、採用。
 危うい足取りでベッドから抜け出し、半覚醒状態でふらついたまま壁伝いに浴室を目指した。

 ドアを開け脱衣室に入る。寝巻きを脱ぎ捨て、ぞんざいな手つきで籠に放りこんだ。
 少し洗濯物が溜まっていたので、後で洗わなければと考えながら浴室へ移動、水栓を捻ると勢い良くシャワーが噴出す。

 寸前、しまったと思ったが遅かった。

「――……!」

 寝起きの身体に直撃したのは冷水。あまりのショックに全身が総毛立つ。
 それもそうだろう、早起きな家族も未だ就寝中である。こんな早朝に先に湯を使っている者など誰もいない。
 湯沸かし器が必死になって仕事してくれている音を聴きながら、水が湯に変わる数秒をただひたすら耐えていた。
 お陰で曖昧だった意識が一瞬にして覚醒する。
 やっと暖かくなったシャワーを浴びながら、本日最初に口にする言葉は同然、

「……間抜け」

 そんな自虐となるのであった。



***
 
 起き始めた家族を尻目に家を出る。
 こんな時間にどうしたんだと問われても、本当のことなど何も言えないので挨拶もしなかった。

「夜明け前が最も暗い、か」

 蝉菜マンションを出、まだ薄っすら星の見える空を見上げながら、私はそんなことを呟いた。
 暖冬の冬木といっても、太陽の時間はまだまだ遠い。折角温まった身体も、すぐに黎明の寒さに音を上げる。
 だがこの寒さは、温い思考を必要としない今の私にはありがたかった。
 きっと今日一日、先ほどのような間抜けを晒すことはないだろう。この現実の冷たさに、私の身体が震え続ける限り。
 
(由紀香は今、きちんと暖かくしているだろうか)

 どうか無事でいてほしい。それだけが今、氷室鐘が願う唯一の望みだ。
 最終的に彼女の身に何も起こっていなければ、それまでに私がどんな苦労を被っても問題などないのである。

 無論、その帰還は短ければ短いほどいい。
 彼女の無事を願っているのは氷室鐘だけではない、由紀香の家族、職場の仲間。
 蒔寺楓をはじめとする高校時代の友人たちも、現状を知ればそうなるに決まっている。
 三枝由紀香とは、周囲のほぼ全てに愛される人柄をしている故に。

(だから必ず、この手で彼女を皆に還さなければならない)

 私はこの街の不穏な事象に足を踏み入れた。最早何も知らない友人の枠ではいられなくなった。
 ならばその責任を果たそう。
 化け物が実在することを知ってしまった以上、警察など当てにはできない。
 彼らは人間の犯罪者を取り締まるプロであって、御伽噺の主人公ではないのだ。
 
 なればこそ、この氷室鐘がその役を演じなければならない。
 私には、力も、智慧も、特別な能力も何も無いが、それでもQ. E. D. と宣言する者が必要だ。
 自分が適しているとは思わない。衛宮のように、他に適任はいるだろう。
 知らないだけで、独自に動いているものもいるだろう。正義の味方だっているかもしれない。
 しかしその誰かが、由紀香の安全を最優先に考えてくれると何故言える?

 正直に言えば、私は他の被害者などどうでもいい、由紀香が助け出せればそれでいい。
 もし由紀香が化け物と関わりが無かったなら、それら一切から手を引いて彼女を探すだけでいいとすら思っている。
 同じ理由で、他の誰かは由紀香を切り捨ててしまうかもしれない。
 ゆえに彼女を第一に考えるなら、他人に任せることはできない。

 昨日遭遇した恐怖を忘れたわけではなかった。明確な死を示す存在に慄かない筈がない。
 思い出すだけで鳥肌が立つ。生きていない者が動いている、生理的嫌悪の塊に触れられる怖気。
 そんな作り話はできることなら忘れていたい。

 だが――今、ここでそれを認めよう。
 同じ冗談にもう一度遭った時、笑い出す以外の行動が出来るように。

 両手で一度頬を打つ。閑静な住宅街にピシャリという音が響く。
 冷え切った肌に走る痛みと共に、今一度だけ日常を忘れる決意をする。
 最悪の場合、由紀香はアレラに関わっている。無関係だと分かるまでは、そういう前提で動かなければならない。
 保身はしない。そんなものは、これから氷室鐘が歩む人生を延々蝕み続ける毒になる。
 だから、

「さあ幕を開けよう、氷室鐘」

 このふざけた演劇(げんじつ)に一刻も早く終幕を下ろす為に、今より、この役を演じ切ると誓う。
 種別はファンタジーでサスペンス、ミステリ、或いはホラー。
 だが当然最後は大団円だ。それ以外を許しはしない。
 脚本家が何処にいるかは知らないが――殴りつけてでも、めでたしめでたしの締めを打たせてやる。

 歩き出そうとしたところでふと、些細なことを忘れていることに気が付いた。

「表題を忘れていたな。そう……探偵氷室、最初の事件、といったところか」

 途中で主役が死んで終わりなんて阿呆な喜劇は御免被る。
 この先続く由紀香の人生の為に、この現実(えんげき)はシリーズ物になってもらわなければ困るのである。
 二作目からは何の読み応えも面白みもない、平凡至極な日常というジャンルとして。

(覚悟は決まったが、さて、どうするか)

 思案するようなセリフを呟いても、その実やる事は一つしかない。
 早くしなくては遅れてしまう。時計兎は急ぐもの、戸惑うに時間など最早ないのだ。
 下らないワンダーランドになった冬木の街から、大事なアリスを連れ出そう。

 右も左も判らない物語の主人公が序盤に会うのは、知識の豊富な案内人。
 そう――狂言回しと相場が決まっているだろう。


 ***


 新都よりバスに乗り、深山の坂を上る事十数分。
 若干迷いながらも、記憶にある衛宮士郎の屋敷に辿り着いた。

「以前も一度思ったが、大きな家だな……」

 所謂武家屋敷そのものの古風な概観に関心しながら、そんなことを呟く。
 来る道が違っていたのか。私の手が触れているのは屋敷の囲いだ。
 只管壁であることを鑑みるに側面か裏側にいるらしい。

 外敵対する必要のあった時代の名残だと思っていたが、昨日のことを思うと、案外まだまだ現役なのだろうなんてことを考える。
 素直に沿って歩いていると、やがて見覚えのある外構えが見えた。
 家を間違えてはいなかった、と若干の安堵を覚えながら早足に近づく。

 屋敷の見た目に反して開かれていた扉にはノッカーなどなく、脇に地味なインターフォンが付いているだけだ。
 しかし開かれているといっても、この先は他家の敷地。
 数メートル先の玄関に行く事は物理的に可能だが、私には出来そうもない。

 だがここで衛宮が出てくるまで立ち尽くす選択肢はない、代わりにインターフォンに意識を移す。
 朝からこれを押すこと自体迷惑だろうが、由紀香の為だと思えば衛宮には我慢して貰う以外に他はない。
 覗き込んでもカメラのような物はない。これからの事を思えば、あれば緊張してしまっただろう。
 些細なことだが、好都合と言っていい。
 一度深呼吸し、早鐘を打つ心臓を押さえつけながらボタンに触れた。

 ピンポーン、という実に普遍的で安っぽい音が響く。
 屋敷の重厚さを台無しにする軽さに少しだけ救われた気したが、数十秒後玄関が動くのを見て一瞬で消え去った。
 だが――。

「お待たせしました、どちら様でし……って、あれ?」
「……ふむ」

 出迎えに現れた予想外の人物に、緊張すら押し退けた疑問と、一瞬の沈黙が場を満たす。

「氷室さん、ですよね?」
「ああ、その認識で相違ない。早朝に押し掛けて済まないが、衛宮士郎殿に詮議したき旨があって参った」

 彼女の疑問に答えるも、その表情から戸惑いが失せることはなかった。
 だが私は一度、高校時代にここに来ている。
 この屋敷が衛宮士郎の住処であることに間違いはないし、彼女が彼と既知であることも思い出した。

(少々驚いたが、何もおかしいことはない、か)

 自分だけ一つ納得が行った所で、固まっている彼女に話しかける。
 繰り返すが、ここで手を拱いている時間も余裕も私にはないのだ。

「ごきげんよう。それにしても久しいな、確か」

 一度目の前の人物を脳内で検索。その名が間違いないことを確信し、発声した。

「間桐――桜殿」

 ***

 寒いし立ち話も何なので、ということで衛宮家の居間に通された。
 上座らしき場所に案内され、座らされる。
 妙に手馴れた仕草で他人を招き入れた間桐嬢はというと、一度衛宮を呼びに姿を消した。
 普段からこんな時間に起きているのか、と二人に感心していると間桐嬢はすぐに戻って来る。

 今は、お茶を入れてきますね、という一言を残しカウンターの向こう側だ。
 ここから垣間見える些細な作業すら、長年使い慣れた故の安定感を匂わせている。
 衛宮には年下の内縁の妻がいる、なんて噂を高校時代耳にしたことがあるが、どうやら真実だったようである。
 屋敷の広さには問題がないとしても、付き合っている程度では此処まで人の家に慣れることはないだろう。

「おはよう氷室、お前も朝早いんだな」
「……ッ」

 間桐嬢の後姿をぼんやりと見ていると、縁側の方から急に声を掛けられた。
 油断していた私は酷く驚く。一瞬声を出せなかったが、一つ息を吐いて、

「ああ、おはよう衛宮。普段はもっと怠惰だよ私は。――悪いとは思ったが、早々に訪れさせてもらったぞ」

 声を震わせることなく、衛宮士郎と再会を果たした。 

「それにしても衛宮、君は外にいたのか」
「いや今朝方まで、土蔵の方でちょっと日課をな」

 気付いたらそのまま寝てた。そう言いながら彼は靴を脱ぎ、縁側を横切って居間に入ってくる。
 この寒い中薄い部屋着だけなのに、全く気にする様子も無かった。
 いつからかは知らないが、土蔵とやらにも空調設備はないだろう。
 今朝方、つまり先ほど眠ったばかりだというのに眠たげな様子もない。私が来たから起きたわけでもないだろう。
 どうやら、そういう辛さには強い体質らしい。

「そうか、邪魔した身で言うのもなんだが健康的で何よりだ。どういう日課か知らないが、私には出来そうもない」
「なんでさ? 氷室、お前真冬でも外で走り回ってただろ」

 テーブルの側部、やや離れた位置に座りながら彼はそんな事を言う。

「高校時代の話だろう。元々私は絵を描いている方が性に合う性質だし、」

 思い出に身を委ね、一度言葉を切った。現状を考えると、あの頃は本当に良かったと心底思う。
 だが今はそれを懐かしんでいる場合でも、悲観している場合でもない。

「――今は目的もないしな」

 やらなければならない事があるだけだ。

「へえ、絵とはまた雅な趣味だな。そっちのが俺には真似できないが」

 まあ人それぞれってことか、と衛宮は小さく呟く。

「けどさ、それなら絵を描く練習はするんだろ。俺だって同じだよ、目的があるからやるだけだ」

 特別なことをしているわけじゃないと話を締める。それより、と前起きを一つして、

「今日来たのは昨日のことだよな」
「……ああ、その通りだ。だがその前に」

 自分から会いに来たのに、中々そのカードを切ることが出来なかった。
 予想外の第三者がいたから、というのは言い訳にしかならないだろう。
 私が言い出せなかったのは、その前にどうしても伝えなければならないことがあったからだ。

 生半な気持ちではいけないこと。だから、一度姿勢を正し、

「まずは君に感謝を。助けてくれてありがとう。そして、それを伝えられなかったことを謝罪したい」

 彼の方を向き直り、頭を下げながら、言った。

「昨夜の私は大切な礼儀を怠っていた。今、本当にそれを悔いている――済まない」

 やっと言えた。心を苛んでいた棘が一つ取れたのを自覚する。

「やめてくれ氷室。礼が聞きたくてやったことじゃない」
「ああ、確かに君からすればそうだろう。だがこうしなければ、私は前に進めないのだ」

 衛宮の声音に謙遜の色は無い。真実、彼は礼など必要としないのだろう。
 私が知る浅い知識でも、対価を要求する性質ではないと判る。
 いっそ不気味なほど誰かを助けようとする献身性。
 便利屋扱いされて苦にもしなかった理念の最奥。
 一体それが何に由来するのか……いずれ、それを確かめる必要があるかもしれない。

 だが、

(今はこれでいい、まだ彼の立場が見えない今は)

 衛宮に聴きたいことは山ほどあるが、彼個人に踏み込むのは、それが由紀香にとって必要になったときだ。
 昨日の一面だけで彼が普通でないことは解る。
 だがそれが、本当に由紀香失踪に関わっているかを明らかする方が先決だ。

「分かった、分かりましたよ氷室」

 諦めたような声音で衛宮は言った。折れてくれたのだろうが、素直に受け入れたことを安堵する。
 だがその安堵は、次の彼の言葉で砕け散った。

「折角だからその感謝は重く受け止めておく……だがそれは、お前がこれ以上危険に遭わない為にだ」
「――ッ」

(お見通しか。お人好しのようで存外頭が切れる……いや、これも全てその性根ゆえか)

 のんびりしているようで、誰かの困難や危険には聡い感性。
 予想外に早く切り込んできた衛宮の返しに、私は言葉を失った。
 私が自力で探そうとすることを読んでいたのだろう。昨夜、衛宮が最後に言い放った言葉を思い出す。
 確かに彼からすれば、私は無力なだけの邪魔者。早々釘を刺してしまいたかったに違いない。

 頼まれもしないのに、毎夜危険を冒してまで巡回する正義感。
 そういう相手であることが、今の私には困難の一つとなってしまう。
 彼に任せれば、或いは苦労する事無く由紀香は戻るかもしれない。現状、それが最も安全な案であることは知っている。
 しかし、それでも私は――。

「何か、あったんですか?」
「「む」」

 一体何と言い返したものか。
 それすら纏まらずに反論しようとした矢先、我々の虚を突くように横合いから声を掛ける者がいた。
 思わず二人して停止する。
 忘れていた訳ではないのだが……いや、やはり忘れていたのだろう、ここに第三者がいることを。

「さ、桜か、あ、あーそれはな?」

 それは、その、とシドロモドロになる衛宮士郎。
 どうやらこの様子を見る限り、間桐桜は彼のやっている事を知らないらしい。
 私にとって問題なのは、その知らないがどこまでか、である。

 彼が危険を犯していることは知らないのか。それとも、

(異能を持っていることすらも知らないのか、だ)

 恋人が彼の正体に気付いていないとは考え辛い。
 だが一方で、衛宮が持っている異能は、どうやら他人に知られてはならない代物であるようだ。
 由紀香捜索は私にとって最優先事項。しかし、その為に彼の生活を乱す事は本位ではない。
 そんな事をしては、先ほどの謝罪は何だったのだと己に問わなければならなくなる。

 だから、

「私が昨夜暴漢に襲われそうになったところを、衛宮が助けてくれたのだ」
「……ん?」

 間桐嬢にしか意識を向けていなかった彼は、横合いからの助け舟に一瞬疑問を顕した。
 こんなところは鈍いのか、と些細な頭痛を覚える。
 間桐嬢が衛宮の反応に疑問を抱かないうちに、私は畳み掛ける戦術に切り替えた。

「こんな早朝に押しかけたのも一刻も早く謝罪したかったからだ。昨日は動転していて助けられたのに禄に礼すら言わなかったのでな。だから間桐嬢、君が思っているような妙

な展開はない。イエスでもヤハウェでも天照大神でもいい、天神地祇に誓ってそう言える」

 自分でも言っているうちに焦ってきたのか、別の意味で余計疑わしくなる釈明となった気がしたが――押し通した。
 例え彼女に疑われるとしても、彼の正体よりは色恋沙汰の方がマシの筈、と固く信じるより他は無い。

「そ、そうだぞ桜。俺と氷室には全然怪しいところなんてないからな」

(おい衛宮、そこまでいくと逆効果だ!)

 私が言った事に嘘は一つも含まれない。ただ暴漢の中身が常軌を逸した存在であるだけ。
 彼の行動は全て事実なのだからどっしり構えていればいいもの、何故まるで浮気を隠す夫のような台詞を発するのか……!

 戦々恐々としながら間桐嬢の方を見遣る。彼女は俯いていて、何故か一度肩を震わせた。
 まずい、これはまずいぞと次に発する言葉を大急ぎで検索したところで、
 
「クス、大丈夫ですよセンパイ、別に妙なことなんて疑っていませんから」

 顔を上げ、笑顔で彼女はそう告げた。

「そ、そうか桜。分かってもらえて何よりだ」

 全身で安堵を表現しながら、衛宮はそんなことを言っている。
 彼としては異能がばれなくて良かったということなのだろう。
 私としてはその姿が、浮気がばれなくて喜んでいるように見えないことを祈るばかりだ。

(センパイ、という発音が妙だったのは気のせいという事にしておこう)

 でなければ、私も彼もバッドエンド直行であろうから。
 間桐嬢の笑顔を見ていると、そんな良く分からない確信が消えてくれないのであった。



[21628] 弐幕之三 ―Vs姉、序章
Name: せる◆accf7c71 ID:a370305f
Date: 2011/01/20 12:17


「それにしても桜、時間は大丈夫か。確か朝錬があっただろ?」
「いーえ先輩、全然、全く、何の問題もありませんよ?」

 大丈夫です、もーまんたいです、パーフェクトです、ですから今朝はちょーっとだけゆっくりするんです、と桜は至極上機嫌な笑顔で繰り返した。
 そして何故か氷室の方をちらりと見る。どうやら彼女を気にしているらしいが、理由がさっぱり分からない。
 当の本人はというと、まるでこちらを意に介さず静かに茶を啜っている。焦った様子を見せていない事には安堵する。
 だが、コレは弱ったことになった、と俺は胸中で呟いた。

 理由は明白だ。 氷室の来訪が予想より相当早かったというのも、原因の一つではあるだろう。
 問題はその上で、偶々この場に同席している桜が、何故か頑として動こうとしないことである。
 前者だけなら、彼女の説得を前倒しにするだけで良かった。
 しかし現状でその話をすると、桜に俺の巡回どころか魔術の存在すらバレかねない。

 先ほど氷室がわざと暈した回答をしたのも当然だ。
 むしろ彼女は、俺が桜にも内密にしていることを見抜いて、手探りながら辻褄を合わせてくれたに過ぎない。
 ありがたい選択だったといえる。氷室が俺の秘密にしてくれ、という願いを忠実に守ってくれる証左にもなった。

 今度はその誠意に俺が答える番だろう。彼女には最終的に大人しくしてもらうしかないが、あくまで氷室自身に納得して貰わなければ意味がない。
 その為の話し合いを一刻もなく始めなければならない。時間がないのは俺も同じだ。
 同じ、なのだが……。
 
「それでですね先輩、今朝は時間もあることですし私が何か作ろうと思うんですけど、お肉かお魚どちらがいいですか?」
「あー、えーっと、そうだな……」

 俺の記憶が確かなら冷蔵庫の中にある魚は鰤とカレイしかない。獲れたてな訳もなく、臭みもある。刺身などまず考えられない。
 鰤大根や煮付け、照り焼き辺りか。ならば肉は……あれ? 確か冷凍しておいたスペアリブくらいしかなくね?

(おいおい桜、どっちにしろ結構時間が掛かるぞう……?)

 大学に間に合わないことはないだろうが、桜の方は遅刻ギリギリになってしまう。
 高校生活も終わりに差し掛かり、弓道部主将という重責を立派に勤め上げた彼女に、そんな真似はさせられない。
 美綴の期待と周囲の信頼。桜が苦労して築き上げたそれらが、俺のせいで僅かでも傷つく……そんな事は許せるわけがないだろう。
 桜にはこのまま、勤勉で頼もしい上級生として卒業してもらわなくては困るのだ。

 大体、どれも準備無しで朝から使おうと思う素材じゃない。
 いつもそれなりの素材を軽く仕立てるだけなのに、どうして今朝に限って彼女は――。
 つい悩みが深い方に行きそうになったその時、桜の方から静かなメロディが流れ始めた。俺の記憶が確かならそれは、

「あ、電話……先輩、ちょっと失礼しますね」

 携帯のディプレイを見るなり、桜はあわてた足取りで廊下へ消えた。
 この時間に彼女に連絡してくる人間は、十中八九弓道部の関係者だ。

(虎がまた何か仕出かしたか……いや、それにしては時間が早すぎる。朝錬が始まっているはずだから現主将辺りか)

 確か美綴の弟だったはずだ。ぶっきらぼうのくせに気が弱かったりと複雑なお年頃の少年。
 主将という大任に振り回されているのか、良く桜に教えを請うているようである。部員同士の諍いか何かか、ともかく今回も彼からだろう。
 そんなことより、
 
「悪い氷室、無駄な時間を取らせて」

 俺は先ほどから静かに茶を啜っている彼女に向き直った。
 すると氷室は伏せていた目をこちらに向け、ふむ、と一つ頷く。

「相変わらず不思議なことを言うな、君は」
「不思議?」

 以前もしたような遣り取り。
 なんでさ。と俺の方が首を傾げる羽目になった。

「何でも何もなかろうよ。君や間桐嬢には普段の生活がある。その朝を乱しているのは私だ、謝るのなら気を使わせているこちらが先だ」

 ――尤も、私にも事情はあるので謝る訳にはいかんが。彼女はそう付け足して、また茶を一つ啜る。

「でもお前、時間がないからこんな朝早く来たんだろ?」
「だからこそ、だろう。確かに私には時間が無い。同時に手がかりは衛宮、君しかいない。ならば、」
「――俺の機嫌を損ねる方が馬鹿げている、か?」
「フ、回転が速くて助かるな」

 なるほど、と思わないでもない。彼女の立場からすれば、ここで時間を惜しんで闇雲に捜し歩くより、俺を問い詰めて情報を得る方が有益だ。
 多少時間が掛かったとしても、他に選択肢がないのだから交渉が不利になるような言動は取れない。どれだけ焦っていても、それを表に出す訳には行かない。
 理解はできる。できるが……。

(それを氷室に強いているこの状況は良くないよな)

 やはり、多少強引でも桜には席を外してもらう必要があるだろう。
 電話で一時離れている程度では駄目だ。氷室を説得するにはそれなりの言葉が必要だ。

「氷室、やっぱり「言っておくが」」
「桜には……うん?」

 早めに席を外してもらおう。そう告げようとした矢先、彼女が言葉を被せてきた。

「君の人間関係にいらぬ楔を打ってまで、強引に話を進めるような能無しであるつもりはない」
「――」

 言葉を失う。理由は思考を読まれたから――では、ない。
 あえて急がず、こちらを尊重しようとする彼女のスタンスから垣間見えた。この場を訪れる為に、どれほどの決意を固めて来たかを。
 交渉をする為に、たった一つの些細な不利益すら積まないという意思表示。これは氷室の戦い方なのだ。向こうも、俺が素直に情報を渡すとは考えていない。
 迷惑を掛けに来たのではない。昨日の会話を噛み締め、それでもここに来たのだと彼女の沈黙が告げている。

「理由は今、君が自分で言った通りだ――そら、間桐嬢が帰ってくる、今はゆっくり茶でも飲もう」

 うむ、旨い。そう言って彼女は湯飲みを置いた。
 同時、廊下から桜が駆けてくる音が響いてくる。そのせいで、俺は彼女に何も言葉を返すことができなかった。
 何故なら、その足音は酷く慌しく、まるで焦燥しているようで――。

「先輩、あの、すみません」
「桜? どうし」
「今藤村先生から連絡が入って、犠牲者がうちに出たって――とにかく急いで学園に行ってきます!」
「な、それって――」
「休校になると思います。詳しくはニュースを……それでは失礼します」

 言い終えるや否や、彼女は鞄を掴んで視界から姿を消した

「犠牲者……まさか」
「一つしかないだろうな。失礼、借りるぞ」

 言いながら、氷室は既にリモコンを手に取っていた。テレビが付くと同時、次々にチャンネルを変えていく。
 仕草は落ち着いているものの、力の篭る彼女の指には焦燥が表れていた。

「これか」
「そのようだ」

 チャンネルが止まる。画面の中でキャスターの女性が慌しく状況を伝えている。数分の間、俺たちは黙って画面を凝視していた。
 ディスプレイから流れてくるそのどれもが、厭になるほど既知の情報。これは早朝の特報だ。普通ならば事件の存在すら知り得るはずがない。
 場所は新都の繁華街らしい。朝の光に照らされ汚れが目立つ。夜には気付かない、目に入らない風景。だが、確かにそこは記憶に残る裏路地の――。
 視線は画面のテロップに釘付けだ。書かれている文字を、氷室が無感情に読み上げる。

「犠牲者二名、またもや吸血鬼の犯行か……か、笑えないな」

 全く笑えない。そう氷室が零す。俺も同感だった。
 間違いない、犠牲者に数えられているのは昨日氷室を襲い、俺が倒した死者のことだろう。
 首と両腕を切断されていることはニュースには流れていないが、情報規制か何かだろう。元々、血が抜かれていることすら公にはなっていないはず。
 吸血鬼云々と騒がれているが、それもどこから伝わったかも判らない噂だ。なので何もおかしくは――


『――でも士郎、それはありえないのよ』


「待て、ちょっと待て」
「……どうした?」

 死者、二名――二名だって?

 気付く同時に鉄塊で殴られたような衝撃、俺はとんでもない事実を見落としていた。
 自分の間抜けさに半ば呆然としながら、空ろな声で隣の少女に問いかけていた。

「なあ氷室、吸血鬼の特徴を教えてくれないか。思い当たる限り順番に全部だ」
 
 いきなりこいつは何を言い出すのか。
 そんな表情を浮かべるも、彼女は素直に一度頷いて語り出す。

「まず第一に、人の血を吸う。第二に、吸われた者は吸血鬼になる。第三に、日光に弱い。第四に、流れる水の上を渡れない。第五に、首を断つか、胸に白木の杭を打てば死ぬ。そして当然だが、第六に、」

 次々に特徴を挙げていく。一つ一つに俺は頷いた。そして、

「死ぬと灰に」

 そこで、言葉が止まる。
 彼女は口元に手を添え、ゆっくりと俯いた。まるで昨夜の全てを、小石一つ一つすら思い出そうとするように。
 そして数秒の後、掠れて殆ど聞こえない声で、彼女は呟いた。

「馬鹿な……灰になんてなれば、覚えていないはずが……だが、あれは確かに首から血を、いや、しかし」

 自分の記憶と知識と状況の齟齬。俺と全く同じ疑問を前に、彼女は完全に停止した。
 この状況はおかしい。俺たちの信じる何かが間違っている。俺たちは何かの事実を間違えている。
 だが、それに答えてくれるものなど此処には――。




「――そうよ、吸血鬼なら灰になるのよ?」




「「……ッ」」

 突然掛けられた第三者の声に、俺たちは咄嗟に振り返った。 
 だがそれだけ。あまりに不意打ちに言葉を失い、氷室も俺も、彼女に返答する事ができない。
 それがおかしかったのか。常の無邪気さを欠片も感じさせない、まるで魔術師のような顔で彼女は、 

「気付かなかったの? お兄ちゃん」

 イリヤは、嘲るような笑みを浮かべているのであった。



 * * * 


「もしかしたら四日間の内に会っていたかもしらないけど、現実ではとりあえずはじめましてね」

 登場するや否や、彼女は俺を視界から外し、氷室に向かって礼儀良く挨拶し始めた。

「私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン、そこのお兄ちゃんの親戚ってところよ。イリヤって呼んでもらえるかしら?」
「あ、ああ、丁寧にどうも。私の名は氷室鐘と――」
「そう、でも良いのよ鐘。別に貴女は名乗らなくても」

 イリヤは氷室の名乗りに被せるように、そんな事を言う。唐突に、なぜか厭な予感がした。
 それを証明するように、だって、とイリヤは些細な悪戯をするような笑みを浮かべる。
 そして氷室の目を覗き込み――待て。

「貴女は此処で死ぬんですもの」
「……!」
「イリヤッ!」

 氷室が反射のように視線を切った。俺は叫ぶと同時に咄嗟の投影。
 詠唱も何も無しで手に収まったのは悪魔の牙のような歪な剣。それを少女二人の間に走らせ、消し、氷室を背後に庇った。

「どういうつもりだ」

 僅かに恫喝のような声音が混じる。それも当然だろう。
 微かな、そして確かな手応えがあったのだ。間違いない、イリヤが仕掛けたのは俺もいつか受けた、視線による魔術行使……!

「あら、貴女意外と勘が良いわ。士郎なんて一発で掛かったのに」
「警戒を……していたのでな……」
「イリヤ、答えろ」

 問いに答えず、なお俺越しに話しかける少女。
 二度目の追求にやっとイリヤはこちらに視線を向け、その表情を緩めた。そのまま畳に座りばたばたと足を投げ出す。
 そして、至極退屈そうな表情で廊下の方に話しかけた。

「答えろ、って言われても困るんだけど……どう思う、セラ?」
「お嬢様には何も問題ないかと」
「リズは?」
「イリヤが、ただしい」

 スっと音も無く部屋に入ってきたのは二人組みだ。イリヤのメイド、セラとリーゼリット。
 俺は彼女たちがいることには驚かないが、氷室にとっては別だ。
 突然増えた見知らぬ二人に緊張したか、俺の服を背後から握り締めた。
 そんなこちらの遣り取りは意に介さず、イリヤは溜息混じりに彼女たちと会話を続ける。

「そうよねー、どーいうつもりって言われても、どー見ても私が正しいしねー」
「何が正しいだ。お前、自分が何しようしたか判ってるのか」

 イリヤの敵意が薄れても、俺の方はまだ緊張が解けない。
 セラは一流以上の魔術師で、リズはサーヴァントすら足止めできる戦闘能力を備えている。言わずもがな、イリヤとてマスターとして超一流。
 一人ならばいざ知らず、三人相手に俺が敵う筈もない。一言告げるだけで、先ほどの言葉を実行できるのだ。一時すら集中力は切らせない。
 そんな俺を眇めると、イリヤはまるで人生屈指の難問か、救えない大馬鹿者に出会ったような表情を浮かべた。

「あー……どう思う? リズ」
「判ってないのは、シロウ」
「セラ」
「相変わらず衛宮士郎は低脳かと」
「こら、私のお兄ちゃんにそういうこと言わないの」
「申し訳御座いません」
「ま、正解だけどね。どうせこんな事だろうと思ったけど、流石に斜め上っていうか。私の勘でも当たらないことはあるわ」

 彼女たちの会話に飽きたか、イリヤはもう一度溜息をつき、やっとこちらに視線を戻す。
 その表情はふやけたままだったが、目元には隠しようも無い非難の色があった。

「まさか一般人と一緒に作戦会議してるなんて、予想しろって方が無理よね。――ほんと、協会関係者にバレてたらどうしようかと思ったわ」
「――イリヤ、お前もしかして」

 その時、ぴくりとイリヤの眉が動く。

「……もしかして?」

 俺の返答に、イリヤは鸚鵡返しにもしかしてと繰り返し、

「もしかして、か。もしかして、もしかして。もしかしてー……じゃ」
「……うん?」



「ないでしょおおおおおおおおおおおおおお!?」




「――ッ!」

 爆発。そう表現するしかない剣幕で、立ち上がるなり下から俺の胸倉を掴み寄せた。

「士郎! 貴方馬鹿なの、死ぬの? 封印されるの? 何で一般人相手に吸血鬼がどうとか話してるの? 何で目の前で投影なんてしちゃうの?  ねぇねぇこれからどうするつもりなのねぇ教えてよ私にも分かる通りに!」

 相当頭に来ているのか、がくがくと引き寄せた胸倉を揺すってまくし立てるイリヤ。
 俺は倒れて下敷きにしないよう必死で、とても彼女に返答する余裕などない。

「何がもしかしてなのよ分らないわ分からなかったの? 私はお兄ちゃんが心配なの当たり前でしょう分かったら後ろの女の記憶消すからさっさ退いてよもしかしてとか冗談言ってる場合じゃないでしょう分かりなさいよ!」
「イ、イリヤ、落ち着け……お前の言ってる事は分かるが、俺はお前にそんなことさせたく」
「ああああああああもう分かるならそ、こ、ど、け、って言ってるのが解らないかなぁああああああああああああああ!?」

 そこから先は侃々諤々。氷室とメイド二人は置き去りに、お互い何を言っているのかも分からないまま言い争った。
 話題が今回の件から強制、暗示、人形など、記憶消去の手法あれこれ。
 俺の魔術の腕、切嗣への恨み言、切嗣への恨み言、俺の悪口、切嗣への恨み言、聖杯戦争にまで遡って果ては遠坂への愚痴、切嗣への恨み言……と、段々収拾が付かなくなる。
 それを収めたのは意外にも。

「なるほどな」

 という、氷室の呟きだった。

「ありがとう衛宮。しかしもう良い、私に話させてくれないか」

 言いつつ氷室は前に出る。そこにいるのが、拳銃を向ける強盗より恐ろしいと理解している筈なのに、彼女はまるで恐れる様子を見せなかった。
 それを見て、ふーん? と目を眇めるのはイリヤだ。度胸を買ったか他の思惑があるのか。いきなり魔術行使はせず、会話に乗る事にしたらしい。
 浮かべるのは、先ほどの嘲りすれすれの笑み。

 しかし氷室がこう言っている以上、俺が間に入ってまた口論を繰り広げるわけにもいかない。
 唐突にイリヤが魔術を行使しても断ち切れるよう、精神を集中させるしかない。
 願わくは、メイド二人が今度も見逃してくれること祈るだけだ。

「イリヤスフィール殿、立ち聞き済まないが貴女方の事情は概ね理解した。貴殿の言い分至極当然、他人より家族の方が大切だ。私の存在など邪魔にしかならぬ、それも重々承知している」
「……へぇ、それじゃあ貴女、素直に記憶を消させてくれるわけね」
「ああ、それだ。詳細は皆目不明だが、魔術というモノが存在することを私は了解している。強制、暗示……どうやら、先の会話を聞く限りでは本当に殺される訳ではないらしい」

 静かな口調で彼女は続ける。淡々理解を示す従順さに、俺は勿論イリヤすら困惑を浮かべた。
 だがそれすら氷室は意に返さず、

「ならば私にとっても渡りに船だ、快く承諾しよう」

 穏やかな笑みを浮かべ、そんなことを告げていた。



[21628] 弐幕之四 ―姉曰く「嫁なら生きろ豚はしね」
Name: せる◆accf7c71 ID:a370305f
Date: 2011/03/02 10:52
「おい、氷室」
「なんですって?」

 前後から真意を問う声が届く。加えて困惑が混ざるのは衛宮、疑念が色濃いのは目前の少女だ。
 それも当然だろう。こんなにアッサリ諦めるくらいなら、普通人は最初から行動しない。
 しかし、任せてくれと言ったとおり、今は目前の少女と話がしたかった。
 彼が混ざると話が思うように進まない。故に後手で制止の意を送った。通じたようで、彼から再度疑問の声が飛んでくることはなかった。

「さっきの台詞、もう一度聞きたいわ。貴女――ヒムロカネだっけ? どういうつもりなの?」

「どういうつもりも何もないな。私は貴女達に迷惑を掛けに来たわけではない。知っている事が不都合で、消去する方法があるというのなら、こちらが拒める筈はなかろう」
「……へぇ、じゃあ今すぐ「但し」」

 あえて少女の言葉を遮る。ムっとした表情を浮かべるも彼女は言葉を止めた。一瞬の沈黙、口を開くのは当然遮ったこちらから。

「当然こちらにも事情はある。協力が取り付けられないなら仕方ないが、今記憶を奪われては個人で動くことすら支障が出る。だから私が要求するのはまず二点だ」
「……フン、言ってみなさいよ。聴くだけ聴いてあげるわ」

 胡乱気な表情で少女が告げる。声音に宿るのは、とても年相応のモノとは思えない冷徹さ。
 これが違う世界の住人か、とまるで関係のない感想を抱いた。
 勿論そんな些事に気を取られている暇はない。冷たかろうと何だろうと、話が通じないよりは良い。

「記憶の消去には同意する。但し私が友人を見つけるまで待って欲しい。そしてその間、私に危害を加えないで頂きたい。五体満足でなければ一人で探すことすら出来ん」
「氷室、それは「却下」」

 衛宮が言いかけた言葉に被せて、イリヤが告げた。次いで、「士郎ちょっと黙ってて」と釘を刺した。
 すると、茫洋とした目付きをした侍女が音も無く近寄り、「シロウ、ダメ」と言いながら彼の口を塞ぐ。どうやら主の意に沿わせる為、実力行使に出たらしい。
 少女は顛末を見届けるとこちらに視線を戻した。首を振り、僅かに笑みを浮かべながら続けて言う。

「無理だし、駄目よ。そんなの信じられない、その間に士郎の秘密をバラされたら堪らないわ」
「私が口外する事はない、と言っても?」
「関係ないのよ」

 そう言って溜息を吐いた。関係ない、関係ないわと繰り返す。

「意思なんて問題じゃないわ。魔術師なら、一般人から情報を取り出すのなんて難しくない」

 いくら黙ってるつもりでも人形にして操れる。だから貴女の意思なんてどうでも良い。そんな危険な条件は飲めないと告げる。
 その言葉に、そうか、と私は一つ頷き、

「それは衛宮がいても同じだろうか?」
「むむぅ!」
「貴女ねぇ――」

 少女が言い切る前に押し通す。ここで遮られたら議論は終了していまうだろう。
 それは少ない手掛かりどころか、由紀香を探す意思すらも失うことを意味する。到底許容できるものではない。衛宮の抗議はこの際無視だ。

「私と彼の目的は一部共通している。そして単純な人探しならば数は多い方が良い。一方、危険な人物が居る事は承知している。ならば」
「守ってもらう、とでも言うつもり?」
「そうだ。魔術師なる者がそう易々と居るとは思えない。この場にいない、人から記憶が奪える第三者。もしいるとすれば、それは貴女達の目的そのもの――吸血鬼本人ではないかね」
「士郎が倒すにしろ守るにしろ、一緒にいる限りは問題ない、か。――何が一人で探すよ。貴女元から士郎を使うつもりだったわね?」

 私は敢えて答えなかった。代わりに僅かに笑みを浮かべる。それを見て、少女は深く溜息を吐いた。
 当然この展開は読んでいる。記憶を奪う事ができるなら、自白させる事もできるだろう。

 魔術がどれほど万能なものかも知らないが、薬で可能なことが出来ないとも思えない。
 具体的にどんな手段が存在するにせよ、もはや黙っていると言った所で意味はない。知ってしまった以上一人で探すといっても通らない。

 この身は既に常識外の異界に踏み込んでいる。ならば残る選択肢は、今すぐ全てを忘れるか――対抗できる人間を頼るか、だ。
 当然こちらは後者を望む。折角見つけた手掛かりだ、簡単に手放すつもりはない。

「記憶を消されては由紀香を探す事もままならない。彼女が見つかるまでは要らぬ不利は遠慮したいものだ」
「後は全て任せろ、と言っても?」
「信用できん。君達の目的は犯人であって行方不明者の救出ではなかろう」
「ま、そうだろうけど」

 どうしたもんかなー、とイリヤはつまらなさそうに呟いた。

「実際貴女一人をうろつかせるよりは、連携した方が士郎も私も困らないのは分かるの。記憶を奪ったところで魔術の痕跡は残るし、それが相手の手掛かりになってもつまらないし」

(これは……いけるか?)

 少女の悩んだ素振りに、私は手応えを感じた。
 衛宮は案外押しに弱いと見る。目前の少女は逆だ。
 実際どういう関係かは知らないが、この少女を味方につけられれば心強い。そうなれば、衛宮本人と交渉する際にも上手く運べるかもしれない。

 ――そんな期待が、決して忘れないと誓ったはずの警戒心に穴を開けた。
 だから、

「でもそれ、貴女を殺しておけば解決する問題でしょう?」

 その眼を、見て、しまった。

「ッ、しま……!」

 呻くように言葉が出る。だが、動くのはそれだけ。
 咄嗟に逃げようとしたはずが、足はおろか指先一つ動かない。なのに倒れもせず、私は少女と視線を合わせたまま金縛りに遭っていた。

「貴女の話にはメリットがないの。お人好しの士郎ならそれで動かせたかもしらないけど、私には通じない。あるだけで邪魔なものを敢えて守る必要なんてないわ」

 淡々と告げる少女の瞳に宿っているのは、雪原のように静かな意志。
 透徹した表情から感じられるのは、その言葉が真実であるという保証だけだ。
 
(見誤ったか……いや、違う)

 少女を人間と見てしまった。衛宮と親しげな少女が、彼同様の温かさを持っていると、根拠もなく信じてしまった。
 それは油断だ。何の力のない私が最も許してはならない隙だ。
 招くのは、速やかに魂を射抜く致命の矢。
 だからこそ、こうなるのは当然で――気を抜けば終わると、私は知っていたはずなのに。

(やれやれ、だな。こんな様で由紀香を助けるなど叶うものか)

 半ば諦めのような台詞を胸中で零しながら、思考の大半は、現状を覆す要素を探していた。
 拘束は解けない。動くのはせいぜいが口だけ。
 必死になって末端まで神経を研ぎ澄ましても、解るのは身体が自分のものじゃなくなった、という頭を抱えたくなる事実だけだ。

(自力での打開は不可能。ならば第三者の助けはどうだろう?)

 少女の奥にいる侍女の一人は、まるで動く様子がない。今死に直面している私を見て、眉一つ動かさない。
 無理だと判断する。彼女は理由なく主に背く人種ではなさそうである。

 では、ともう一人の侍女に意識を移した。だが、そちらは更に望み薄だ。
 何故なら、現実的に私を助けてくれそうな衛宮を取り押さえているのが彼女だからだ。
 
 その衛宮士郎はと言えば……どうやら、こちらは助けてくれようとはしているらしい。
 口を押さえられたままなのか、もごもごと何かしら抗議している気配が、背後から伝わってくるからだ。が、それでも自由に動く気配がない。
 拘束している侍女が相当の怪力なのだろうか。あの細腕で?

(そうは見えない、なんて感想はこの期に及んでは出てこないな)

 どうやら、そういう力があるらしい。
 こんな愛らしい少女が、視線一つで人を縛る事ができるのだ。そういうものだと納得するしか道がない。
 そして上記の者以外に、この場における第三者の介入は望めない。故に結論はこうなる。

 打つ手無し。

(ここまでか……いや、諦めるのはなしだ)

 例え指一つ動かせなくても、自分から投了(リザイン)は出来ない。それが、今の私に残る唯一の矜持だ。
 もしかしたら今隕石が落ちてきてイリヤが吹っ飛ぶかもしれないし、ナゾのセイギノミカタが天井を突き破って助けてくれるかもしれない。
 もはや奇跡に賭けるしかなくても。否、奇跡しか望めないからこそ、諦めはしないこと。
 それが、人智を尽くすということだろう。それをせず、どうして天命を待てようか――。

(目の前の少女が急に心変わりをするかもしれないし……いや、流石にこれは)

「……と、考えてはいるわけだけど」

 ないか、と考えた矢先、不意に少女がその殺意を緩めた。
 まさか、と思うも、イリヤは難しい顔で言葉を繋げ始まる。

「殺す前に、一つ訊くわ。――どうして?」
 
(これは、そのまさかだ)

 事此処に及んで、会話を続ける意味が少女にはない。
 だが、私にとっては話が別だ。会話を繋ぎ続ける限り、チェックメイトにはならない。
 ならばここが分水嶺だ――さあ私、考えろ。


(重要なのは一手目だ)

 どうして? と来た。抽象的な問いだ。だが、間違いなく明確な意図がある。
 的外れな言葉を返せば、会話が終わる。彼女はその手番で私を殺す。
 それが許せないなら、この一手を受け切って次に繋げるしか道はない。


(問題を整理しよう。彼女の意図はなんだ? 指一つ動かせない私に、圧倒的強者の彼女が期待するものは?)

 人は、期待出来ないものに時間は掛けない。動けなくした身体を使ってどうにかする事を望んでいる筈はない。
 では今の私が動かせるものとは? 決まっている。思考だ。それを彼女は期待している。何らかの思考の是非を問うている。
 焦点は定めた。だからもう一歩進めよう。
 彼女は何故殺す手を止め、問いを投げるのか。問う事によって、彼女が期待するものは?

(強者と弱者。立場の違いを忘れさせるもの。それが、どうしてと問わせた何かの正体だ)

 明確な問いを見つけ、同時に閃く。どうして、私が何かをしたから出てくる問いだ。
 ならば可能性はこれしかない。それを明確に、意図したものだと答えることが、真に彼女が望むもの。

 要は、こう言っているのだ。――もう一度繰り返せと。

「どうして……どうして、最初は避けられたのかという問いだな?」
「……驚くわ、ほんと。その冷静さ、どこから来るのかしら?」

 その嘆息に光明を見る。彼女は確かに、驚くと言った。推察が正しかったことを証明した。
 そう、驚きだ。それこそが、弱者が唯一強者に示せる要素だ。
 路傍の石同様に扱われない為に、相手に存在を意識させる意外性。

(私が一度でも彼女を驚かせたとしたら、それは最初の攻撃を凌いだあの場面しかない)

 一度驚かせた。だから敢えて生かされた。その理由が手違いでなければ、彼女は私を殺さない。
 故に勝負は終わらない。 勝てぬなら引き分けるのがチェスの手だ。
 少女が納得する(ステイルメイト)まで必死で躱せ! 

「私はここに来る前に一つ、ある事実を受け入れた」

 慎重に思考を重ねながら言葉を繋げて行く。

「それは物理を超越した、私が知らないの法則がこの世に存在すること。君たちの言葉で言う魔術というものを、まず認め、前提とした」
「ふーん、それで?」

 二手目を凌ぐ。
 興味をそそれ。少女が驚いた理由が、ただのマグレでないことを示せ。

「それらを扱う者は、どうやら一般の者に存在を知られてはならないらしい、衛宮の態度からそう推察した。そうだろう?」
「ええそうよ、正解だわ。続けて」

 三手目も続いた。
 愚鈍でないと思わせる言葉だけが蜘蛛の糸だ。
 ならば捏造する。彼女が興味を抱くに足る聡明さを、全て承知だと知った顔で演出しろ。

「では一歩進んでこう考えることが自然だろう。知られてはならないことを知られたら、彼らは一体どうするだろう? と」
「まあ、聡明だわ」

 四手目。彼女は大げさな声音で及第を示す。
 必要なのは想像力だ。強者の力を想え。そこから弱者の道を逆算する。
 一度は確かに思い描いたその事実。告げて良いのか、僅かに迷う。
 だが、

「私は、目撃者を消す、という選択が彼らには当然存在し得ると結論した」
「……へぇ」

 告げた、五手目。少女の顔から笑みが消えた。私は危険な手札を切った。
 その結論を持ってして、この現状……その無様な事実を彼女に思いこさせるには十分だ。愚か者と切り捨てられてもおかしくはない。
 それでも、恐れてはならない。弱者にあるまじき油断をした、それが事実だ。避けて通れないのなら、隠す姑息さは首を絞める。
 だから示すのは、認める度胸だ。私は途中で失敗した、だがそれが全てではないのだと。
 
「衛宮も間桐嬢も例外ではないよ。疑っていたさ、この衛宮亭で出会うものは全て危険だ。そこで吸血鬼なんて言葉を告げた君も、当然そちら側だと判断した」
「……」

 六手目。ありのままの告白を。
 無知から危険に踏み入れた愚者ではないと告げる以上、甘えた観測を述べる訳には行かない。
 疑念と確信を持ってこの場に訪れ、だからこそ一度は君の攻撃を凌いで見せたと。
 結論を告げよう。

「以上の理由から私は貴女を警戒した。その愛らしい外見に似合わぬ笑みが拍車をかけた。眼を合わせると石になる(メドゥーサの)伝説くらいは知っていた、それが視線を切った理由だ」

 ――うん、もう結構よ、良く分かった。
 七手目を迎え、彼女は呆れたようにそう言った。

「ねぇ貴女、いる場所間違えているわよ。士郎もそう思うでしょ?」
「ぐ、ぶはぁ……な、なんでさ?」

 主が問い掛けたことで、侍女が拘束を解いたのか。若干荒く息を弾ませながら、衛宮は口癖と共に問いを返す。
 何でも何もないでしょ、とイリヤは肩を落としながら零した。

「探偵さんはミステリで殺人事件でも解決してればいいのよ。何故こんな場違いな所(ファンタジー)に捕まっているのか、全く理解できないわ」

 だってそうでしょう? その言葉と共に、彼女はこちらに視線を移した。
 今更警戒しても意味がない、私は真っ向からその瞳を見返す。

「貴女の自慢の脳みそなんて、その気になれば三秒でおが屑にしてしまえるのよ」

 ――分かっていまして? Missドロテ。
 イリヤがそう疲れた声音で告げると、私の身体から束縛が消えた。

(勝った……いや、見逃してもらえたか。とにかく、乗り切った)

 安堵から身体から力が抜ける。どさり、とその場に両膝を着く。
 たった数分の遣り取りで、信じられないほど疲労していた。
 ここで隙を見せるのは再度死を呼び込み兼ねない、分かってはいるが身体が思うように動かない。

(ま、例え動いたところで意味はない、か)

 開き直ると、若干自虐的な笑みが沸いた。それで何とか活力が戻る。
 とにかく、機嫌を損ねる前に返答しよう、それだけが私の選べる道だ。
 
「解っているさ、危険だったのは重々承知の上だ。それでも私には友人を助けたいと願った」
「危険はこれが最後じゃないとしても?」
「それも、承知している」

 その指摘には頷くしかない。
 どう考えても理は彼女にある。それでも、という話なのだから仕方ない。もはや双方承知の上だ。
 だから、しかしな、と反語を繋げた。

「彼女は生憎、嵐の孤島には縁がない子でね――柄でなくとも、こちらから迎えに行かねば」
「……ほんと驚くし、呆れる。早死にするわよ、貴女」

 呟く声音が不機嫌なものであるのに反して、浮かべているのは微かな笑みのようで。
 その笑みは、彼女が私に見せた最初の素顔となるのだが――私がそれに気付くのは、まだ少し先の話である。




[21628] 弐幕之五 ―侍女曰く「つける薬がありません」
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2011/03/31 08:59
***

「色々やる事あるし、私たちはもう行くわ。――それじゃお兄ちゃん、気をつけてね!」
「バイバイ、シロウ」
「ああ、またな」

 浮かべる笑みを魔術師の貌から少女のそれへと切り替えて、イリヤはこの家から立ち去った。
 主人に追従するリーゼリット。もう一人の従者も当然その後を――

「セラ?」
「私には、まだ仕事がありますので」

 二人と共に立ち去ると思っていた彼女は、常の涼やかな無表情でそう告げた。

「「……?」」

 思わず氷室と互いの顔を見合わせる。
 はて、彼女個人が俺に用など、普段ならばまずあり得ないのだが。

「その、さも不思議そうな表情を浮かべるのを今すぐ止めなさい。意味もなく腹が立ってきます」
「「すみません」」

 イラっとした声音を隠そうともせず、彼女はその無表情を崩した。
 セラが一人で俺の前に立つことはあまりないが、そういう場合は往々にしてこのような不機嫌へと変遷する。
 嫌われているのは最初からなので、今更気にもならない。ただ、不機嫌になることを承知で残る彼女の意図が分からない。

「えっと、仕事、だっけか?」

 訊きながら、立ち話もなんだと俺たちは食卓の前に戻る。
 俺は胡坐、育ちの良さそうな女性二人は折り目正しく正座である。
 こちらの問いに、ええ、と表情を繕い、頷くセラ。
 彼女は、俺の隣にいる氷室に、視線を送りながら告げた。

「その氷室様のせいでお嬢様も言いそびれたようですが、私たちは貴方に用事があって来たのですよ、衛宮様」
「……」

 目を瞑りながら無言の小さく頷き、静かに茶を啜る氷室。
 どうやら、まずそちらと話を付けろということらしい。

「ああ、なるほど。……ただ心配して様子を見に来たわけではない、と?」
「当たり前です。お嬢様は、貴方のような自殺志願者を意味もなく心配するほどお暇では御座いません」

 だったらどうして来たのだろう。
 当然そのような疑問が沸くが、それを告げる前に彼女は、何処からともなく鎖のようなものを取り出した。
 しかし、彼女が差し出した相手は俺ではなく、

「これを手首に付けなさい」
「……む?」

 関係がないはずの氷室とくれば、二人揃ってもう一度間抜けな疑問顔を浮かべる羽目になるのは、当然の帰結と言えただろう。
 セラの言うとおりに、鎖――どうやらブレスレットの類らしい――を手首に巻き付ける氷室を見ながら、俺はその行動の意味を問うた。

「どういうことだ?」

 一体何なのかサッパリだが、ともかく彼女らがそれをわざわざ渡しに来た、というのはセラの言い分から分かる。
 だからこそ、それがイレギュラーである氷室の方へ行くことは不自然だ。
 しかしセラはその当然の問いに答えず、氷室の腕に巻かれた鎖を凝視し……呟いた。
 やはり、と。
 それに応えるように、氷室が言う。

「これで良いだろうか」
「ええ、私の仕事はこれで終わりです」
「っておい」
「が、頭の回らない衛宮様の為に、特別に説明をして差し上げましょう」
「……そりゃ、ありがたい」

 わざわざ言葉を切って突っ込ませる辺り、彼女の意地の悪さは平常運行のようである。

「衛宮様も知っての通り、アインツベルンの魔術は錬金術に近く、人工物の創造、中でも特別な金属の加工に秀でています。その鎖のように。つまり」
「まさか、これ魔術品(アーティファクト)?」
「ええ、お察しの通りです。本来貴方に渡す為にお嬢様が製作されたモノですが、私の独断により譲渡先を変更させて頂きました」
「……ふむ、流れを見るに、これは魔法の道具というわけか」

 氷室の独白にセラは小さく頷いた。
 魔法と魔術の差異など今は良い。要は、ソウイウモノを一般人に渡してしまったセラの意図の方が何倍も気に掛かる。

「性質は転移、機能は感応。用途は或る呪いからの保護ですが、まあそれは良いでしょう」

 お嬢様に繋がる直通のアンテナと思って構いません、と彼女は告げる。

「副次的な使用法として、精神への干渉、誘導、操作など受けた場合、そういったモノを感知し、外部から遮断します。
 衛宮士郎は魔術師として三流ですから、下らぬ搦め手に掛からぬように。というお嬢様からのお心遣いで御座います――咽び泣いて喜ぶが宜しいかと」

 よろしいかと、じゃねーよ。なんだそのボロクソな言い様――と反論したいところだが。
 聖杯戦争中何度かそういうモノにしてやられた記憶がある為、口に出すことは出来なかったちくしょうめ。

(ってか、本題はそこじゃない。なんでそれを氷室に渡すかってところだろ)

「ふむ……要は、イリヤ嬢自身が、彼女が見せたようなナニカを防いでくれる、ということか」

 それが本当ならば、私にとってこれほど都合の良いものはないな。 
 死に掛けた恐怖を露も漏らさず、シレっとした表情でそう告げる氷室。
 コイツの度胸の良さも、そろそろ異常の域に思えてきた。イリヤはそれを感じて、先ほどのようなやり取りを仕掛けたのだろうか。
 俺としては本気でないか気が気でなかったわけだが……それもともかく、だ。

「おいセラ、確かにそれが本当なら便利だろうが、そもそも魔術品は魔力がなければ意味が……え、嘘?」
 言い掛けて、気付く。
 セラがさっき呟いた、やはりという言葉の意味に。

「マジで?」
「ええ、真面目に動いていますが? どうやら、彼女には回路が存在するようですから」
「……なんてこった」

 魔術回路は、別に魔術師特有のものじゃない。
 あるかないかで言えば、一般人にも存在し得る。少なくとも、可能性という意味で問えば。
 現に俺は魔術師であった親父とは血が繋がっていないが、強化と投影という魔術が扱える。
 ……だが。

(だが、だからと言って、これはない)

 そう、それとこれとは話が別だ。
 偶々居合わせただけの氷室に偶然魔術回路があって、偶然魔術の才覚に目覚めるなんて、そんな都合の良い――

「勿論、だから彼女は魔術を扱える――なんて都合の良い話はありません」
「ぶっ」

 思考を読んだかのような否定の言葉に、俺は思わず妙な声を出していた。
 セラは、そんな俺の浅はかさを軽蔑するかのように、冷たい視線で一度眇め、告げる。

「あるかないかで言えば、あるでしょう。但し例え幼少の頃から修練を積んだとしても、魔術を扱うにはとても足りない。
 言うなれば粗悪な回路です。一流以上の魔術師でなければ、漏れ出る魔力に気付くことすらないでしょう」

昔、どこかで誰かから聞いたような話を、セラは今俺の前で繰り返した。

「……ああ、もしかしてそれって、魔術師は一定以上の魔力を持たなければ認めないっていう」
「はい、お嬢様や冬木の管理者とは比べるべくもなく。衛宮様や教会の修道女、水準以下の貴方方と比較しても、格段に精度も保有量も落ちる……その程度のものです」

 正直、このレベルの回路ならば、一般人が保有していてもそれほど珍しくはない。
 冷たい声音で、嘲りとも言える言葉を淡々と彼女は連ねた。
 それを気にする風もなく、ふむ、と氷室は一度頷き、

「魔法は覚えられないが、魔法の道具を動かすくらいのマジックポイントはある、と……ゲームでいえば、私はそういうユニットなわけか」
「はい、その認識で間違いないでしょう」
「ホイミくらいは」
「使えません」

 ですが、まあ値はホイミで一回分くらいです、と彼女たちはヨクワカラナイ会話を繰り広げた。

「元々それは、魔力の乏しい衛宮士郎が負担なく扱えるように作られたものです。ホイミ一回分でも運用に支障はないでしょう。……故のデメリットもあるわけですが」
「……なんだと?」

 何故ゲームの例え話がドイツ製の人形メイドに通じるのか分からないが、それよりもっと聞き捨てならないことを彼女は言った。
 勿論それはさり気ない俺へのディスりでもなく、ボソっと付け足しやがったデメリットとやらのことである。

「使用する魔力を削減する為、簡易化可能な点は極限まで削っているのです。端的に言えば、一度嵌めると使用者の変更が効きません」
「待て」
「ふむ」

 それって、つまり。

「なるほど……外せん」

 俺が突っ込むより早く、氷室は実地で彼女の言葉を証明した。
 頭痛が、稲妻となってこめかみに走る。

「……なんでさ?」
「回路と本体を繋ぐパスが、一度で焼き切れる使い捨て。それだけのことですが、何か?」

 この程度も分からないなんて、ほんと貴方は衛宮士郎ですね、と彼女は冷笑を浮かべながら首を振る。

(人の名前を悪口として使うな……じゃなくて)

「魔術品?」
「お嬢様の特別製です」
「外せない?」
「お嬢様以外には」
「無理に外すと?」
「回路ごとズタズタに」
「魔力の使用は?」
「微弱ながら」
「……魔術師が見ると?」
「パっと見で解ります」
「…………ハァ」

 最初に出るのは、深い深いため息。
 そして次に漏れるのが、意味のない、意図しない、魂からの、嘆き。

「あぁあああ――――」

(なにやってくれんだセラぁああああああ)

 脱力し膝が折れた。
 あまりの展開に気力が追い付かず、俺はふらふらと床に両手を着く。

「……俺はっ! これからっ!」

 どうにかしてっ! 氷室を説得しようと思ってたのにっ!
 思わずセラの襟首を掴んで喚き散らしたい衝動に駆られたが、紳士的にそれは出来ないので、床を叩くに留まった。
 バシバシと床を叩く姿は人生の落伍者のそれだろうが、実際今の心境はそんなもんである。

「お嬢様に出来なかったことが、衛宮士郎に出来る筈がありません。ならばその先を考えるのがメイドの務めです」
「そりゃ、セラの立場からすればそうかもしれないけどさぁ」

 主至上主義の弊害だ。決して俺の立場が過剰に軽んじられているわけではない。そう信じたい。
 ともかく彼女の中では、俺が氷室を説得出来ないのは前提となっているらしい。
 それなら未熟ながらも魔術が扱える俺より、更に無防備な氷室の安全を優先した……と、そういうことなのだろう。

「分かるけど、分かるけど……!」
「良く分からんが、このまま私が一人でうろつくとマズイということかね?」
「そうだけど、そうだけど……!」
「ふむ、器用貧乏な方だと思っていたが、どうやらそう捨てたものでもないらしい」

 現状、願ったり叶ったりだ。
 淡々と語る彼女に返す言葉を失って、仕方なく俺はバシバシと床を叩く。親の仇のように叩く。

(遠坂に絶対説得するって言ったのに……どうするんだ? 言い訳するか? 出来るか?)

 昨日の決意はどうなるのだろう、万感極まって叩いたあの大口をどうすれば良いのだろう。
 折角、師匠が全幅の信頼を以って託してくれたというのに。
 ものの数時間でいきなり失敗した俺に、これから先一体何が出来るっていうんだ。

「遠坂に言ったのに……任せろって言ったのに。……ごめん遠坂、ダメだったよ……俺ダメだったよ……」
「……うざ。っと、あの、衛宮様、これはお嬢様と話している時から思っていたのですが、それは良いのですか?」
「今うざって言ったろ。言い直しても聞こえたからな。で、なに? 俺、今遠坂への言い訳考えるのに忙しいんだけど」
「ですから、それです」
「だから、それってなにが?」
「ああ、もう」

 折角人が珍しく気を使って代名詞を使っているというのに、これだから衛宮士郎は。と不思議な言葉を苛立ちと共に吐き出す。
 すると、それに助け舟を出すように、たぶんこれだろう、と氷室が呟いた。

「遠坂という名を、先ほどから君ら魔法使いが私の前で口にしている事実に対して、それは良いのかと問うているのだと思うが」
「……!」

 戦慄し、瞬間的に顔を上げる俺。
 彼女はそんな俺には勿論構わず、茶を一度ずずっと啜り。

「まあ、私がこんなフォローを入れている時点で後の祭りだろうな」
 
 実にのんびりとした口調で、そんな世にも恐ろしい事実を告げるのであった。



[21628] 弐幕之六 ―ポーカーの行方
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2011/04/16 11:45
「では、まだ仕事が御座いますので私はお暇させて頂きます」

 そこらの日本人より余程丁寧な礼と共に別れを告げ、外国謹製の辛口メイドは私の視界から消えて行った。
 衛宮は魂の抜けたいような力無い表情でアアマタコンドナと告げたようだが、何分魂が篭っていないので私の耳にすら届かなかった。
 当然彼女に伝わった筈も無いだろうが……あの態度を見る限り、これが彼らの軋轢を広げる原因になることはないだろう。
 何せ元々好感度ゼロの没交渉。衛宮がこれから辿る人生(ルート)に、メイドさんと結婚する

(
セラとねんごろになる)
なんて可能性はあるまい。
 只の憶測だが、彼らはこれからずっと同じような距離感を保つ気がするのである。

(正直私が気にする必要も、意味もなかろうし……そろそろ本題に入るかね)

 幾ら待っても衛宮が再起動しないので、手中の湯飲みが冷めるのをゆっくりと待った後に、私から声を掛けることにした。

「それで、遠坂嬢の正体についてだが」
「……!」

 ビクンッ、という擬音と共に劇的な再起動を果たした衛宮は、そのまま私の顔を見てフリーズ。当たり前か、と心中で微かに苦笑めいたものを浮かべる。
 流石に初撃に選ぶには強烈な話題だろうとは思ったが、渇を込める為なのだから仕方が無い。
 兎角、彼は言葉を失っているものの、意識を私の方へと向けた。
 さあ、交渉を始めよう。取っ掛かりは既に見当をつけているし、そこから始めるのが良いだろう。

「私としてはどうせ忘れることだし、由紀香に関連があるわけでもない。――故に全く以ってどうでもよい。聴かなかったことにしようと思う」
「……? いいのか、普通、気になる話題だと思うが」
「む」

 明らかにホッとした表情を浮かべながらも、行き成り予想外の返答をする衛宮士郎。
 何故此処で己が不利になる言葉を選ぶのか。それは単なる彼固有の、不器用な公平さや気遣いの顕れか。
 穿った見方をすれば、自分は良くても相手の善意は無条件に許容できない性質、という風にもとれる。
 そんな分析は兎も角としても……正直なところ、私は酷く驚いていた。
 表情を繕う必要に迫られ、思わず冷えた湯飲みを口に運ぶ。

(正確に痛いところを突いて来るのは、鋭さからか偶然か……存外、ただの善人とは違った種別なのかもしれぬ)

 真なる善意は狂気と同義――などと云いはするが、突き詰めて考えなければ、善意と偽善に大きな違いなどない。
 余程の理由がない限り、誰も意図的に善意に裏を仕込んだりはしない。
 特に善人と呼ばれるモノは大抵、己が感性に従い、素直な意思の元に善行をする。
 故に、彼らはあまり他人の善意を疑わない。己が善なのだから、他人の行動を善の側で捉えようとする。

(そこに間違いがある筈もない、故に)

 衛宮が絵に描いたような善人だとするのならば、素直に礼を言って先に進む方が自然なはずだ。
 にも関わらず敢えて、良いのか、と訊く理由が彼の中にあるとすれば、それはある種の疑念に他ならない。

 ――そして、この場合に於いて、彼の疑念は間違いなく正しかった。
 交渉開始早々、私は出鼻を挫かれたと言って良いだろう。
 そう、裏は、あるのだ。

(まあ、修正は利きそうだ。分析よりも今は誤魔化すのが先か)

 湯飲みを手に数秒逡巡する振りをしながら、彼の心理分析を中断し、結論を下す。
 ヒヤリとはしたが、表情はさほど変えてない。大丈夫だと判断した。

「正直に言えば、気にはなる。そうとも、気にはなるさ」

 一部を認めつつ、尚何でもない風を装って、彼の問いに答える。
 彼が覚えた違和感は消せない。――消せないならばズラせば良い、それだけの話だ。

「だが、私は好奇心を満たす為にこの場を訪れた訳ではない。訊かぬが礼儀でもあるだろう?」

 遠坂嬢に敢えて触れない合理的な理由が、私には確かに存在した。
 故に善意から出た返答ではないし、本当に礼儀だと思っている訳でもない――それが痛いと思った理由だ。

(どうやら彼女の正体は、衛宮士郎のアキレス腱の一つであると推測できる)

 正体を知られる事を嫌う彼らである。同胞の情報漏洩は。友好な関係に決定的な亀裂を入れるだろう。
 彼をあまり好いていなさそうなセラが、気を使って遠回しに指摘するほどだ。
 この推測に無理はないし、後の彼の反応を見る限り正しい。

(恐らく衛宮の疑念の通り、遠坂嬢の名を条件に、幾らかの情報を引き出す手は有効だろう)

 そして、それが悪手であることにまでは至っていない……それが肝である。

 友好を求める相手には、この種の情報は強すぎるのだ。
 核兵器と同じ、一度使えばこちらとしても無傷では済まぬ。
 話題に挙げるだけで私の印象が著しく落ちるだろうし、いらぬ楔を打たぬと言った先の言葉を嘘にしてしまうことだろう。
 しかし一方で、この強力な手札を只眠らせておくのも阿呆である。

(故にこれでよい、使えぬ手札は伏せることで意味が出る)

 彼には、私の言葉が大きな譲歩に映る。
 故にこの選択を裏切らない限り、衛宮は多少の譲歩を考えざるを得ない。


「そうか、そう言ってくれるなら嬉しい」
「うむ、必死に聞き耳を立てていたと思われたくもないのでな」

 シレっとした顔でそんな返答をし、打算の結論を装った善意で押し通す。
 言葉とは裏腹だが、彼には恩に着て貰う。

「……全く、性格の悪い氷室鐘だ」

 偽善という言葉はコヤツの為だけにある。
 そんな風に内心で呆れ返りながら、己の耳にも届かぬように自嘲した。
 尤も、私はそんな己のズル賢い部分だけは、割と認めていたりするわけだが。

「ん? 何か言ったか?」
「いや、単なる独り言さ。それより本題だが」

 重要なのは、如何に有利な条件を揃えて由紀香捜索に当たれるか、その一点に尽きる。
 だから先ほどの手札が効いている内に、さっさと交渉を続けてしまうことにするのである。

「まず関係のあること、ないことを確認したい。その為に君たちの素性についても触れそうなキーワードがあるわけだが、良いかね?」
「と、いうと?」
「さっきから気になっていたのだが……聖杯戦争とは、何かね?」
「――ッ」

 彼らの会話の中で数度見られた、意味のわからない単語。
 使用の場、どころか使用の可不可すら不明のカードを、先ずは小手調べとして切った、だが。

(――誤った、か?)

 衛宮の表情は劇的に変わった。遠坂嬢の名を出した時とは違う色に。
 重要度のみで言えば同等程度……だが、これはどうやら、彼個人に深く踏み込む問いらしい。
 考えどころだったが、逡巡は一瞬で済ませた。彼が結論を出す前に口を開かねばならない。

「いや、良い。話し難いことならば詳しくは訊かん。吸血鬼について関係がないか、それが知りたいだけだ」
「関係……関係か、そうだな」

 正直まだ分からないが、と前置いて

「たぶんだが、ないと思う」

 ないはずだ。彼は静かに繰り返した。
「そうか」

 ならそれで良いと早口に告げる。
 私は部外者に限りなく近い、故に深いだけの情報は無闇に知らぬ方が良い。
 大金を持ち歩くのが危険なのと同じである。

「では次だ。正直良く分からんのだが、これを付けていると私は本当に危険なのかね?」
「……うーむ」

 手首に視線を送りながら告げる。そこにあるのは、先ほど貰った銀鎖である。彼はソレを見て数秒唸った。
 実際私にはお守り程度にしか見えない。が、魔法使いたちがこれを見てどう思うか、という点は捨て置けぬ。
 良い意味でも悪い意味でも、だ。

「俺でも良く見れば……やっぱり、魔力を感じるな」
「ふむ、ではこういうモノを一般人が付けていることは?」
「要は曰く付きの装飾品の類だからなぁ……ないこともないと思うが」
「目立つことは否めない、かね?」

 まあ、そうなる――と、物凄く残念そうに頷く衛宮。彼としては、これほど面倒な展開もないだろうから当然か。
 要は現状、氷室鐘という一般人は特定の――衛宮が接触を嫌う一部の――人種から見て、酷く浮いて見える状態、という訳である。
 貧乏人が腕時計だけ最高級品をつけているようなものだ。気付いた者は須らく、それを何処で、何故、誰から手に入れたという疑問に至る。
 当然彼らに遭遇すれば、私は生命の危機に陥るだろう。そして、衛宮にとっても情報漏洩の危機だ。

「では外すとどうなるのかね?」
「む、断言はできんが、たぶん」

 私にとっても、この鎖の扱いは微妙だ。
 ある意味信じられないほど都合の良い代物なのだが……幾つかの問題を考えれば、外せば良いのでは? としか思えない。
 なので当然、この疑問は出てくる。
 どうやら、回路なるものがどうにかなるそうだが、

(ホイミすら使えんのなら、別にどうなっても構わぬ訳だが)

 そんなことを考えていたせいだろう。
 私は衛宮が告げる次の一言に、

「死ぬ、かも」
「――……ッ」

 思わず、絶句した。

(は、外せんと言っても、無理やり引っ張れば簡単に抜けそうな訳だが?)

 鎖を巻きつけて、金具で引っ掛けているだけの代物だ。
 正直、何かに引っかかった拍子に外れても全く不思議ではない。
 そんな小さなミスで死ぬなど、どうして簡単に納得が出来ようか。

「具体的にでも抽象的にでも、何故そうなるのか説明することは?」
「まあ簡単に言えば……そうだな、無理に外すのは全身の神経引っこ抜くようなもんで」

 俺もやり掛けた経験あるけど、内臓全部破壊されるのと同じこと。
 そんな空恐ろしいことを彼は言った。血の気が引き、思わず眩暈に似た錯覚を覚える。
 リアルに、現在進行形で、命を掛けている訳だから当然だ。

「……まるで、爆弾だな、これは」
「つーか、そのものだよ。全く、なんでセラは、イリヤにも言わずにこんなことしたんだか……」

 似合わない愚痴っぽい呟きを零す衛宮。
 だが、その言葉に私は、酷く違和感を覚えた。思わず首を傾げ、疑念が口を突いて出る。

「……ぬ?」
「どうかしたか?」
「あ、いや、やはり良い」

 だが、結局は衛宮の問いには首を振るに留まった。何故そんな疑問を覚えたのか、自分でも分からなかった。
 何かがおかしい、彼の台詞は何かが致命的に間違っている……確かにそう感じたのだが、理由が説明できそうになかったのである。

「? まあいい、それでな氷室」

 彼は一度言葉を切り、これが本題だ、というような表情で、

「これは切実なお願いなんだが……前にも言ったが、三枝のことは俺に任せて、暫く外出を控えてくれないか?」

 そんな、私として一番許容出来ないことを告げた。

「一つ、訊くが」
「ああ」

 当然この台詞が再度来るのは想定済み。というか、彼の立場を考えれば必然ですらあった。
 しかし、幸か不幸か、イリヤ嬢とその従者殿のお陰で、今の私には十分反論材料が揃っている。それを彼も知っている。

(だから、告げるのはこれだけでよい)

「私が此処で素直に頷いたとして、それを信じることが果たして君には可能かね?」
「……まあ、無理だな」
「だろう?」

 当然だ。こちらが本気であることは十分に伝えているし、手首に巻き付いている鎖のお陰で、私自身が危険な状況。
 現状を考えれば、彼は私を保護せざるを得ない。目の届かない自宅待機などで安心できる筈もない。
 そう、どのような理由、信条から来るものであれ、彼は――衛宮士郎は、類稀なる善人に他ならないのである。

「そういうことだ。加えて言えば、元より私は後には退けぬよ。これがあろうとなかろうと、君の協力を得られようと得られまいとな」

 故に、ここで交渉が決裂すれば私は単独行動に戻る。キラキラと光る魔法の鎖を下げて街を歩く。

(だが、或いはそれも一つの収穫だ。危険であることは想像に難くないが、犯人に接触する方法であることは確かだ)

 遭遇した時、果たして私に何が出来るか……それは極めて切実ではあるが、また別の問題でもある。
 突き止めてからもう一度衛宮に協力を頼んでもいいし、由紀香を連れて逃げてもいい。やれることをやるだけである。
 それをどう思うかは彼次第だ。協力は出来ないと言われてしまえば、強制することなど不可能である。
 此処まで来れば、後はサイコロの目が吉を示すことを祈るしかない。
 故に、

「――――…………状況が変わったのは認めるよ、氷室」

 彼が長い沈黙の後そう告げた時、私の呼吸は止まった。緊張で早鐘のように心臓が鳴った。
 此処でもし、けれどダメだ、記憶を消させてもらう、と言われれば……私は即座にこの場から逃げ、そして。

(……あの怪物に己一人で立ち向かわなければならぬ)

 余りにも恐ろしい想像、生々しい程にリアルな死の感触に手が震えた、その時、

「三枝を探し、必要なら事件との関連も探る。――氷室、手伝ってくれるか?」
「……嗚呼」

 応の意が、返ってきた。
 それを理解し、心の底から安堵の声が零れる。

「――協力の了承、心より感謝する。此れより宜しく頼む、衛宮」

 告げながら差し出した私の手を、確かに衛宮は握り返した。
 硬く冷ややかなその肌を、ふと、まるで鉄のようだと感じた。
 それが一体何の暗示だったのかは、きっと――後の私が答えてくれることだろう。



[21628] 弐幕之七 ―聖女曰く「彼の者達に憐れみを」
Name: せる◆accf7c71 ID:4cf09cd3
Date: 2011/04/23 09:19

「さて、それではどうするべきかね」

 氷室は切り替えが早い様で、互いが手を離すなりそう告げた。
 協定の締結が成されたのなら、この場で出来ることは何もないということだろう。
 時間を無駄にはできない、彼女は直ぐにでも行動に出る気でいるようだ。

 俺としてもこうなった以上は氷室との共同作戦に厭はない。
 終わったことを掘り返すのは、男として恥ずべきことである。
 腹は既に括っていた。

 ――だが。

 だからと言ってすぐさま動けるかというと、現状そうではないことにも気付いていた。

「そうだな……すぐに動きたいところだが、幾つか問題がある」
「ふむ、教示願おう。その心は?」

 唸るように告げると、彼女は目を細めて問うた。コチラ側の事情に彼女は疎い。
 だから、俺にしか気付けない問題というのは当然出るのである。

「相手の正体を見極めたい。今回の相手は幾つか伝承と違う部分があって、本当に吸血鬼かどうか分からないんだ」
「灰にならない死体の問題、かね?」
「そういうことだ」

 イリヤは言った。吸血鬼ならば灰になる、と。
 純正の魔術師である彼女がそういう部分を間違うことは考え辛く、俺に対して嘘を言う理由も思いつかない。
 だから、イリヤはきっと、冬木にいるのが吸血鬼であると考えてはいないのだ。そしてそれは、遠坂が告げた提言と一致する。

「吸血鬼でないのならば魔術師でしか在り得ない。けど思うに、今この街にはそれ以外の魔術師が何人かいると思うんだ」
「理由は?」
「魔術師には魔術協会ってコミュニティがあるんだが、基本理念に神秘の隠匿ってのがあるんだよ。だから」
「こういう世間を騒がせる輩は放って置けない?」
「ああ」

 イリヤとの問答をした時点で大体概要は察しているのだろう。俺が言い終える前に事実を言い当てていく氷室。
 流石に頭の回転が早いと思った。もしかしたら、彼女は俺が見落としそうな部分を上手く補ってくれるかもしれない。
 聖杯戦争時、遠坂が度々助言をしてくれたように。

(もしそうなら、この同盟は案外妙手だったかもな)

 一般人を危険に晒してしまう以上、どんな言い訳も結果論でしかないのだが。

「だから、俺たち以外の魔術師がいたとしても犯人だとは限らないんだ」
「接触すれば分かることでは?」
「俺は兎も角、お前は見付かったら拙いだろ、それ」
「ああ、そういうことか……」

 呟くなり氷室は己の手首に視線を送る。
 そこには、彼女をこの場に留める最大の理由があった。

「見付かればアウトか、これは少し困……む?」

 難しそうに呟くと同時に、彼女はその表情を怪訝なモノへと変えた。
 そして次には、分かった、と小さく呟くなり、徐にケータイを取り出す。
 目の焦点は中空の何もないところを見つめている。
 混乱を押し殺したような表情で、取り出したケータイに小さく告げた。

「これで、いいのかね?」
「……いきなりどうしたんだ?」
「君の可愛い親戚の少女から電話だよ」

(は?)

 親戚? 少女? イリヤか? 何で電話? 鳴ってないのに?
 疑問が次々に脳裏に過ぎるが、そんな俺を置き去りにして氷室は電話口に何やら話している。 

「ああ、今丁度その話題を衛宮と――ふむ、それは本当かね? ……うむ、了承した」

 感謝する。納得したように告げ、ケータイを仕舞った。通話を切る仕草は無かったが。
 何がなんだかわからないぞという俺の表情に、彼女は呆れたような声音で言う。

 魔術とは便利なものだな、と。

「もしかして、ソレか?」
「そうらしい」

 因みにケータイはただのポーズだ。
 言いながら、トントンと手首を叩く。銀の鎖が微かに音を立てた。
 セラのセリフを思い出す。彼女に何が起きたかは大体理解できた。

(確か、直通のアンテナとか言ってたっけか)

 聖杯戦争の折、キャスターに似たような精神攻撃を受けたことを思い出す。 

 ――性質は転移、機能は感応。なるほど、人形に意識を移し変えるのも、意識を遠くに飛ばすのも原理は同じ。
 どうやら本当にそういうものらしい。念話まで出来るとは思わなかったが、考えてみればそう難しいことでもなさそうだ。
 遠坂辺りなら簡単に再現できるのだろう。

「で、なんて言ってたんだ?」
「使い方について幾つか。どうやら基本受信専用で、念話を受ける時は怪しまれるからケータイでも出せと。それから、伝言だ」
「伝言? 俺にか」
「うむ、口調そのままを伝えるのは難しいので意訳するぞ」

 そこで彼女は一度言葉を切った。聞いた事を思い出す為か、ゆっくりと目を瞑る。

「冬木市内にて活動中の全魔術師に帰投命令。早期に専門家が派遣される故、協力して事態収拾に努めるべし。――管理者より」

 ……なんだと?
 管理者って、それはつまり。

「確かなのか」
「さあな、私には何とも言えん。少なくとも単語を間違えてはいないはずだが」

 直感した。
 どうやって協会を動かしたのかは知らないが、これは冬木の管理者(とおさかりん)からの正式な援護射撃だ。
 昨夜の電話で言っていた、こっちでも動いてみるという言葉の意味がこれだろう。

(なるほどな、そもそも俺が協会とは相性良くないから、か)

 仮にも俺は聖杯戦争の生存者だ、存在自体は既に明るみ出ている。隠せるはずがない。
 それでも未だ封印されていないのは、遠坂が己の弟子という名目で誤魔化してくれたからだ。

 だが、実際に投影を見られたら一巻の終わりである。
 警戒するならば強化に頼るしかないが、投影を封じられた俺など高が知れている。
 昨夜のように、使わざるを得ない状況に追い込まれる可能性は、いくらでもあるのだ。

 故に、協会の魔術師に出会いたくないのは俺も同じ。氷室が例えいなくても、俺は足止めされていただろう。
 つまり、俺を動かすのならばこれは最初から必要な措置だった。あの遠坂凛が、それに気付かないはずもないのである。

(しかしイリヤは、何でさっき教えてくれなかったんだろう?)

 見た目はあんなだが、イリヤは聖杯戦争時代、アインツベルンの秘蔵っ子だった少女である。
 冬木在住の魔術師に通達。そういう名目ならば、彼女に連絡が行くのはそうおかしな話でもないが……ん?
 そういえば、同じ魔術師の俺に連絡がこないのは何故だ?
 遠坂本人は忙殺されているだけかもしれないが、誰かしらが電話一つくらいくれていいはずだが。

(もしかしなくてもアレか、ぶっちゃけ存在を忘れられてるだけか)

 少し寂しくなるような想像をしたところで、俺は気分を切り替えた。
 イリヤのことは、今は良い。正直、今日のアイツらは何がしたいのか分からない。
 案外、念話の試運転をする為に、わざわざサプライズとして取っておいたのかもしれん。

(氷室が平然としてる辺り、手違いに腹を立てて鎖ごと爆破とかもないようだし)

 どういう理由か知らないが、セラの独断はイリヤ的に問題ないようである。 

「オーケー、何となくだが把握した。どうやら当面の問題は片付いたらしいぞ」
「それは僥倖だ。では」
「ああ」

 分からないことを考えても仕方ない。そんなことで悩むより、動けるようになったことを喜ぶべきだ。
 故にこれ以上、この場で互いの顔を見ている理由はない。作戦会議は移動しながらでも可能である。

「とりあえず出るか」

 * * *


 ――こうして外を動けるようになったのは良いモノの、俺たちの悩みは尽きなかった。

「先ず、行き先をどうするかなんだが」

 現状、大学に行くなどという選択肢は消えている。
 警察が入り難いという理由から、俺も氷室もあの場所は既に可能な限り捜索済みなのだ。
 結果は白。今日は金曜日なので講義を受ける必要があるが、もうそんなことは言ってられまい。
 必然二人して暫くはサボタージュなわけだ。

「……白状すると、実は手掛かりが何もない」

 屋敷から出て、坂の下の交差点を目指す傍ら、俺は現状の深刻さを氷室に告げた。
 彼女は俺に新たな手掛かりを期待して此処まで来たわけだが、実のところ、手がないのはこちらも同じだったのだ。
 先ずはそれを伝えなければならない、そう思ったのである。
 しかし、
   
「ふむ、では私から行き先の提案があるのだが」
「……まじで」
「一応、大真面目だ」

 予想外の返答に、思わず間抜けな声が出た。
 氷室は自信無さ気に、だが真面目くさった顔で頷く。
 どうやら、冗談ではなく心当たりがあるらしい。

「最初に要点を整理しよう。衛宮、我々の一番の問題点は何かね」
「むむ」

 彼女の問いに、俺は直ぐ返答しなかった。
 一度、深く考えることにする。

(問題……問題か)

 言われて見れば、それは重要な言葉だ。
 手掛かりがないのが問題? それとも氷室や俺の安全性?

(いや、どれも違うな)

 本当の問題点を、先ほど俺は口にしたはずだ。

「相手の正体が見えないこと、だろ?」
「うむ、それだ。別の話題でこそあったが、先の言葉が全ての正鵠を射ていたのだ」

 三枝の失踪が別件で殺人事件に関わっていないのなら、氷室が危険を冒す必要はない。そうなれば、彼女が頼るべきは公共の力である。
 だが、三枝本人を見つけられない現状、それを判断することが出来ない。そして公共機関は、コチラ側の問題だった場合無力だ。
 故に安全策という見地から、三枝はオカルトに関わっている、という前提で動かざるを得ない。
 だから、それらが判明するまで俺たち共通の目標は、吸血事件の犯人を突き止めることとなる。

「ならば、本当に吸血鬼なのか、実はそうでないのか。それが分かれば指針として大きな筋道が通ると思うのだ」
「確かにお前の言う通りだけど、どうやってそれを確かめるんだ?」

 氷室がいうことは理に叶っていた。
 相手が日の光を厭うのならば、夜に重点を絞って捜索すれば良い。
 しかしそうでないのなら、安易に時間を限定してしまうのは危険だ。

(それが分かったところで、肝心の判断が出来ないんじゃ何の意味も……あれ?)

 俺、何か重大なこと忘れてない? その事実に思い至ると同時に、氷室が正解を告げた。

「……うむ、単純な思い付き故、少々恥ずかしいのだが――」

 * * *

「――いいえ、教会はこの件について、吸血鬼の存在を認めてはおりません」
「ふむ」
「……まじか」
「大真面目ですが?」

 目の前で真面目くさった顔で返答する修道女――カレン・オルテンシアの元を訪れ、俺は思った。

『お前凄いよ、正解だよ、と』

 一歩後ろで黙って俺たちの会話を聞いている氷室に向けて。
 彼女の提案は、聞いてみれば確かに単純で、それでいて至極尤も発想だ。

『吸血鬼のことは、教会(せんもんか)に訊いてみるべきかもしれぬ』

 普遍した俗説に習う、一般人でも可能な思い付き。
 正直何故俺はそれに思い足らなかったのか、己の頭の具合を心配したものである。
 ……ここには良い思い出がないので、もしかすれば無意識に避けていたのかもしれないが。

「じゃあ、カレン。お前には何の命令も下ってたりしないのか」
「一応事態の監視はするようにという辞令は届いておりますが、実質的にはこれといって何も」

 ――これは協会側が対処するべき問題だ、という判断でしょう。全く、他人事ですね。

 何時も通り何を考えているか分からないポーカーフェイスで、それこそ他人事の様に上司(うえ)の事情を語る修道女。
 それなりの交友を経て、彼女がどこぞの神父と同じように、(性格に少々難があるが)あまり嘘を言う人間でないことは知っていた。
 事情がない限りは本当のことを語ってくれるはずだし、語れないならばそう言ってくれるはずだ。
 だから俺は、

「そうか、吸血鬼はいないか――ありがとなカレン、少し安心した」

 彼女の返答を聞いて深く安堵したのだ。
 心の底から、良かったと思った。

「……また貴方は妙なこと仰いますね、衛宮士郎」
「なんでさ?」

 つい最近何処かで誰かに言われたようなことを、再び告げられた俺。
 そんなにおかしいことばかり言っている認識は、相変わらずないのだが。

「貴方は殺人者を捕まえたいのでしょう? ならば本当に吸血鬼であった方が探し易いではありませんか」
「……あー、まあそうなんだが」

 言われてみればなるほど、と思わなくはない。

「けどさ。これで冬木が死都になる可能性は消えただろ」
「確かに、それはそうですが」

 それが何の偽りもない、心よりの本心だ。
 自分の生まれ育った街が怪物で埋まって滅ぶ。そんな可能性は赦せない、真っ先に消えて貰いたい。

(この街は何度も聖杯戦争って災厄に見舞われたんだ、もういいだろう)

 もう、開放されていいはずだ。
 穏やかな、ありふれた、平和な日本の一地方都市に戻っていいはずだ。

「もう地獄は沢山だ。あんなのは二度とあっちゃいけない、そうだろう」

 思い出すのは紅蓮の空。

 黒い太陽と、喉を焼く白い蒸気。

 赤熱の焦土に飲み込まれた、誰かの家。

 あの日、確かに存在したこの世の終わり。

「――あんなものは、もう」
「……ええ、そうかもしれません」

 告げる言葉に、カレンを責める意図はなかった。
 だが彼女が僅かに俯いて、悔やむように小さく返答を零したのは、俺の悔恨が言葉に滲み出ていたせいなのだろう。

「衛宮?」

 だから何も知らない氷室が、その独白を怪訝に思うのは当然だった。
 そして、十分だったのだ。
 俺に昔、何かあった。そう思わせるには。

(しまったな、別に隠したかった訳でもないんだが)

 話しても構わないが、聞いて面白くなる話題でもない。何と答えるべきかと迷った。
 しかし俺がその判断を下す前に、眼前の修道女が再び口を開く。
 幸か不幸か、それで逡巡は無用に終わった。

「貴方の言う通りです。明らかな失言でした」

 申し訳ありません。腰を深く折り曲げて彼女は詫びる。

「いや、良いんだ。別にお前を責めたかった訳じゃない」
「そうですか、ではそういうことにしておきましょう」

 アッサリと態度を切り替える彼女に、俺は思わず苦笑を浮かべた。
 相変わらずだ。そんな自分でもヨクワカラナイ感想を抱く。
 たぶん忘れているだけで、彼女のそういう気安い態度を見たことがあったのだろう。

 そんな俺の内心には勿論構うわけもなく、カレンはそれで、と前置きながら氷室の方へ視線を向けた。

「さっきから気になっている訳ですが――そちらの女性を紹介しては下さらないのですか?」
「ああ、悪い。先にするべきだったか」

 誰何を促す台詞。
 それに僅かに拗ねたような色が混ざっていたのは、気のせいだろうか。

「お初にお目に掛かる、修道女殿。私は氷室鐘という。衛宮とは学友だ。どうぞ、宜しく御願いしたい」
「これはこれは、丁寧にどうも。……ところで、衛宮士郎」
「うん?」
「何時から協会(そちら)は、一般向けのお呪い教室を設立したのですか?」

 寡聞にして知りませんでしたわ、修道女も受講できるのかしら?
 そんな実に彼女らしい嫌味テイストで、俺の痛いところを突いてきた。

「……」

 氷室は浮かべるべき表情を選びかねたか、ただ戸惑いを沈黙と共に押し隠す。

「うっ……やっぱ、分かるか?」
「ただの悪魔払い見習いが一目で怪しめる程度には」

 そんな駄目押しを添えてため息を吐くカレン。
 眇めた目が、またドジを踏みましたねこの愚か者はまるで衛宮士郎ではないですか、と雄弁に罵倒してきた。

「またドジを踏みましたねこの愚か者はまるで衛宮士郎ではないですか」
「人の心を読むんじゃねぇあと人の名前をそのまま悪口に使ってんじゃねぇよエセシスター」

 考えたことをソックリ読まれて驚いたせいか、思わず黒い部分が出てしまった。

「――――まあ」

 そして何故か、罵られてときめいた表情を浮かべる修道女。

(っていうか何だよこれ。この言い回しはアレか、局地的なブームか何かか)

 全く意味が分からないぞ。
 そんな俺の混乱を断ち切ったのは、

「済まないが、どうか衛宮を責めないでくれないか。巻き込んだのも、無理を言っているのも私なのだ」

 という、本当に申し訳なさそうな氷室鐘の謝罪だった。
 無駄な突っ込み入れてる場合じゃないと、咄嗟に我に還る俺。

「それは違うぞ氷室、元々は俺が」
「……ええ、大体そんなことだろうとは思いました。思いましたが」

 己を責める氷室に、反射的に口を突いて出る否定の言葉。
 だがそれは、カレンのやや語気の強い言葉に遮られた。

「命を軽んじるのは感心出来ません、悔い改めなさい」

 続ける言葉に咎める色を滲ませて、彼女は踵を返す。
 向かう先には、礼拝堂の奥へと続く扉。
 その背が、もう話は終わりだと告げている。

「……返す言葉もない」
「ああ、悪かった」

 教会の修道女による、至極尤もな苦言。謝罪するより他はない。
 俺も氷室も僅かに項垂れながら、そのまま礼拝堂を後にした。
 だが、俺たちが扉を閉める前に声が届いた。

 ですが、と。

「残念ながら、教会の扉は遍く者に開かれています」
「カレン?」
「何かあれば、またこの場所を訪れなさい」

 ――その時は、力になりましょう。

 神の僕に恥じない清廉さで、最後にそう告げてくれたのであった。

「……全く」
「……ふむ」

 閉ざされた扉の前で、二人して意味のない言葉を吐く。
 考えていることは、大体同じようなものだと思われた。
 勿論それを言葉にはしなかったが、互いの顔には微かな笑みが浮かぶ。

(ああ、全く、素直じゃない)

 何故だろうか。
 今、他に誰もいない教会の中で一人、修道女が静かに跪いている。
 それは紛れもなく俺たちとこの街の行く末への祈りである、そう不思議と確信できるのであった。

 己が街に住む修道女。
 その、少し分かり難い優しさを垣間見た、或る金曜の朝の一コマである。





[21628] 弐幕之八 ―怨嗟、記憶、贖いの火
Name: せる◆accf7c71 ID:c233e64d
Date: 2011/08/29 20:13
 教会から締め出された我々は今度こそ途方に暮れた。
 だが得た物もある。幾つかの断片を繋ぎ合わせれば、今度こそ辿るべき道が見えるかもしれない。
 周囲に怪しい点が無いか探索しながら、私は衛宮と意見を交わし始めた。
 基本的に情報を上げていくのは衛宮、それを精査し疑問点を出していくのが私、という役割分担で落ち着きつつある。
 知識の所有量から本来逆の方がスムーズなのだろう。こうなってしまうのは、互いの性格故だろうか。

「カレンには叱られたが、吸血鬼が存在しないと確信できたのは朗報だったな」
「しかし、これで手掛かりを失った現実は無視できん」
「……確かに。これからどうするべきか」

 吸血鬼がいないのなら、あの化け物は死者に似ただけの何かだったと思われる。
 生きていない、動く屍である点は両者に違いなど無い。。
 だが同種のシステムに依るものとは考え辛い。そうであれば、それは吸血鬼と呼んで然るべきだ。
 しかしではなんであるか、という問いに回答を出せるほど、私には異界領域についての知識が無い。

「衛宮、私は情報を持たないからこそこう疑問に思うのかもしれないが」

 だが、だからこそ出る疑問もある。 

「我々が遭遇したアレ以外に、化け物など存在するのかね?」
「……その心は?」

 考えもしなかったといった表情で、衛宮は根拠の提出を要請する。
 余程不意打ちな意見だったらしい。思考が一瞬停止した様が外から見て取れた。

「そのままの意味だが……問いの根拠を述べるなら、私は最初、アレを吸血鬼による犠牲者であると考えていた」
「そうだな、俺にもそう見えたよ」
「二人してそう信じたのも、無理はなかった。何故ならアレは、我々が知るフィクションの情報を良くなぞっていたからだ――だが」
「……ああ」

 なるほど、と得心する衛宮。
 そうおかしな疑問では無かった、と安心しながら言葉を連ねていく。

「吸血鬼とは同種を増やす。その固定観念ゆえに、我々は相手を複数だと考えた」
「けど吸血鬼でないのならばその特性も失われる。なら同種のナニカが存在する理由も消える、か?」
「そういうことだな。君の意見を聞かせてほしい」
「ふむ……」

 確かに尤もな意見だ。と小さく告げる衛宮。だが、彼の表情は難しく曇ったままだった。
 故に当然、連なる返答にも予想はつく。失意が僅かに胸を満たす。

「いや、たぶんそれはない」
「理由は?」
「事件が長期的に起きているからだよ」

 彼はその言葉の理由を述べていく。

 管理者命令で魔術師たちが撤退したのは今日のこと。
 裏返せばそれはつまり、先日までこの街にはやはり、協会の捜査員がいたらしい。
 彼らの使命は神秘の秘匿で、ニュースになるまで騒がれるような超常の存在は放置出来ない。
 見つければそれこそ、吸血鬼か否かなど関係なく、ただ秘密裏の処理するのみ。

「つまり、この街では昨日まで、魔術師達が血眼になって元凶を探していたはずなんだ。それを掻い潜って事件を起こし続けた犯人なら、それほどの手練ということになる」
「……君が倒したアレは、とてもそういうモノではなかった、と?」
「そうだな。どんな魔術師でも始末出来るような部類だろうし、知能があったようにも見えない」

 更に、未熟な俺が言うのなんだが、と言葉を繋げた。

「敢えて端的に表現するならアレは雑魚――キャスターが使った手駒のような雑兵であったとしか言えない」
「……キャスター? 知り合いの魔術師の名前かね?」
「ああ悪い、単語で言っても解らないよな」

 前に戦ったちょいヤバイやつだが、まあそれはいいとしてと言葉を濁した。
 あまりその件については話したくないらしい。
 だが、彼の意図を汲めない私は新情報から無意識に推論を広げてしまっていた。

(前に……戦った、か)

 戦い、という言葉は現代日本人にとってフィクション用語だ。精々自衛隊員でもなければまず出てこないし、使わない。
 にも拘らず、こうも簡単に口から転がり出てくるということは、彼にとって戦いとは現実に起こり得るものであるようだ。
 そして、それを証明する単語を私は何度か耳にしていた。

(件の単語……確か、聖杯戦争)

 どうやら既に終わってはいる事件らしいが、戦争とつく以上そこには戦いがあったのだろう。
 その内にいたであろう人物の名がキャスター、というところか。人物の名称として少々不自然だが。

(雑兵とは嵩増し要因の兵隊。つまりは歩、或いはポーン。前に進み、眼前の敵に食い付くしか能がない)

 それは著しく、昨夜の怪物に類似する。
 それは盤上ではなくてはならない存在であるが、同時に数がなければ意味が無く、また指令するものが無ければ成立しない。

「もし一連の凶行を起こしていたのがアレ単体だったなら、被害は最初の数日で終わっていなければ不自然だ」
「……だが現実には事件は起こり続けている」

 そういうこと、と頷きながら衛宮は話を続けていく。私にはもう、行き着く結論が見えていた。

「協会が処理した被害者は無かった事にされる。世間の注目なんて引く意味がないからな」
「では実際の被害者の数は」
「当然、報道された事件より更に多いと見て間違いがないと思う」

 世間には六名の被害者が上がっているが、それは氷山の一角である可能性がある、ということ。
 多くの番犬が目を光らせる中、それらを引き起こしたのが件の怪物一体では筋が通らない。
 この矛盾を解くにはやはり、同様の怪物が複数以上徘徊していると結論せざるを得ない。

「……なるほど。対処した君がそういうのならば、やはりそういうものなのだろうな」

 落胆が表情から滲むのが自分でも解った。実際の被害者も怪物も予想より多数、つまり由紀香の生存確率は更に下がった。
 だがそれを何時までも引きずるわけには行かない。私がする事は彼女の無事を確保することだけ、生きている可能性が潰えない以上は諦めなど意味がない。
 元の平静を取り戻して顔を上げた。再び議論を進め始めよう。

「では、結局アレは何だったのか」

 推定される条件はいくつかある。
 元は人間であったと思われる。
 複数であると考えられる。
 人を襲う傾向を持つ。
 怪力で不死、人の首元に噛み付く。
 何故か見つかって騒ぎにならない。
 吸血鬼ではない。
 なのに――正体はわからない。

「そうだな。でも氷室、それは脇に置こう」
「……何故かね? 最大の手掛かりであることに違いはないはずだが」
 
 衛宮の言葉に私は首を傾げた。怪物の正体がなんであれ、我々の持ち得る情報はアレしかない。
 だがその問いに、衛宮はバツが悪い事この上ないという表情を浮かべた。

「単純な話で悪いが、俺には推測すらできん埒外の何かだってだけだな」
「ふむ……」
 
 彼としては手詰まりの宣言だったのだろう。常識外の知識を所有する衛宮にすら推測できないナニカ。
 だが。

(――ならば、それはそれで一つの情報であると考えられる)

 口元に手を沿える。思考が走り出すのが解る。
 それは正しく閃きだった。唐突に浮かび上がる影。それを映し出す現像を高速で逆算していく。
 そして、一つの結論が浮かび上がった。

「二つほど質問がある」
「なんだ?」
「一つ目。君の魔術なるものは、同業ならば誰でも扱えるものかね」
「……む?」

 どういう質問だ、これは? と如術に不明を示しつつも、彼は素直に返答してくれた。

「そうだな。昨日お前が見たモノをいっているのなら、ノーだ」

(つまり私が見ていないモノもあるということか)

 新たに脳内に情報をストックしつつ、質問を続ける。
 今必要なのは導き出した結論と照らし合わせる情報だ。

「二つ目。扱えないまでも、同業ならば誰でも知っているものかね」
「んー……それもどうだろう」

 今度は一つ目のような不可解な質問ではないらしい。
 だが、これまた微妙だなと言いたげに唸る衛宮。

「相当マイナーらしいからな……知る機会はある、くらいの意味でならイエスだろうが」
「なるほど」

 頷き、なるほどなと繰り返す。
 これでパーツは出揃った。彼の口から出たモノは否定を含まず、尚且つ推測を補強する。

「――つまり、誰か固有の術ともなれば扱える者は他に無く、他者からは未知そのものとなる場合も在り得る訳だ」
「そういうこと……って」

 あー、えー、まさか、と厭そうな顔をしながら言葉を捜す衛宮。

「氷室、お前が言いたいのはつまり」

 こちらの独白に、彼は私が何を言おうとしているか解ったようだ。
 ならば答え合わせだ。結論を述べよう。

「ああ、相手は君と似たもの同士ということだ」

 * * *

 
 告げた言葉に、衛宮は頭痛を堪えるように額に手を当てた。
 彼が異端ならば敵も異端。情報が出て来ず、手詰まりになるのも当然の事だ。

(彼が解らないのが悪いのではなく、解らなくて当然であるほど希少な術者の可能性)

 そも広く知られた知識に沿う輩ではないらしい。
 そういう相手を探す難しさが、今彼の脳裏に渦巻いている筈だ。そう簡単には整理もつくまい。

(だが、推測を広げる情報ならば幾つか既に存在する)

 しばしの沈黙。私はその間に、いくつか沸いた断片を繋ぎ合わせていく。
 思い出すのは最初の夜だ。目に焼きついたシーンを何度も何度も繰り返す。

 衛宮士郎があの怪物を倒した時、一体どういう手法を取っただろう?
 最初は打撃だった。数度の痛打、生物ならば致命傷とも成り得た。
 それでも怪物は不自由なく動いた。衛宮はそれを半ば予測していたのだろう、剣を写し出す仕草に迷いはない。

 しかしそれは禁じ手の筈だ。一般人の私が見ている前で簡単に行って良いものではなかった。
 つまり彼は、手の棒切れでは倒せない怪物も、首を落とせば死ぬと知っていた。
 情報の露見と怪物の退治が、綺麗に天秤に乗る確信があったのだ。
 後は性格上の問題。当然彼に保身に走る性質はなく、

(故に躊躇無く、撤退ではなく討滅を選んだ)

 だが、それは何故だ? 怪物は吸血鬼ではないのに、何故そのような確信を持ちえたのだろう?
 剣で倒せない可能性もあったのならば、彼は逃げるべきだったのではないか?
 正体不明な敵相手ならば、保身ではなく勇気ある撤退と呼んで良い。
 不確かな行動は、ただ己の不利を晒し出すだけに終わる可能性もあったのはずだ。

(否、それは結果論だ。現状の齟齬は全て、後の情報によって生じたモノに過ぎない)

 あの時点に於いては、怪物と吸血鬼はイコールであった。
 対処法自体は正しかった。その場で倒さねばならない、彼の判断に間違いがなかったと断じて良いだろう。

(是、つまり似てはいる訳だ)

 完璧ではない不死。人を襲う首元から血を流すナニカ。
 システムが違って、細部に誤差があっても類似する点がある。だからこそ我ら二人は揃って誤認した。
 ――だが、果たしてそれは本当に誤認といえるだろうか?

 こんな偶然が存在するか? 存在しないならば必然か?

(これも是、これは明らかに真似ている。意図は不明だが踏襲していることは間違いがない)

 吸血鬼のように見えて、吸血鬼ではない何か。
 つまり件の術者が扱うモノがソレなのだ。
 まるで人形浄瑠璃のように、黒子となって死者を操るノスフェラトゥ。

(……手に取るべきはドラキュラではなくフランケンシュタインか)
 
 怪物を作りたいのか、怪物に成りたいのか――或いは怪物に成れなかった誰か。
 とにかく、そういう現象を引き起こす未知の術が存在すると仮定しよう。
 するとどうなるか。似て非なるものならば伝承は意味を成さないか?
 日の光も、流れる水も、灰にならぬ死体相手では考察する価値はないだろうか?

(否、真似ているのならば――)

「価値は、ある」

 知らず、結論が口を突いて出る。
 衛宮が疑問を湛えた表情で問う。何か分かったのか、と。

「化け物捜査の条件を限定しよう。場所は被害者が集中している新都、繁華街の近くで人の通らない空白、時間は夜だ」

 告げる条件は、先ほど判明した事実と矛盾するものだ。
 当然、衛宮はその当然の疑問を投げかけてくる。

「相手は吸血鬼ではないのに、か?」
「だが、明らかに真似ている」

 我々が吸血鬼に固執するのも無理はない。
 相手がソレを意識していて、それがこちらに深く伝わってきているのだ。

「理由は不明だが、同じロジックで動く可能性が高い」
「それはそうかもしれないが」

 難しい表情で黙り込む衛宮。
 こちらの言葉の是非と、失敗した場合の被害を量りかねているのだろう。

「真似ているのなら傾向も類似する、だから場所だって吸血鬼が好みそうな場所になる……か? こりゃ賭けだぞ」
「だが、そう分の悪い勝負でもない。事実、私が襲われた条件は見事当てはまる」

 被害者が若い世代に集中する理由付けにもなるはずだ。
 餌場と行動範囲が重なっているのだから当然だ。

(そういう意味では、由紀香が捕まる可能性は低くなるしな)

 希望的観測も僅かながら必要だろう。

「確かに大学生の行動範囲は近いからな……うーむ」

 呟き、数秒の瞑目。再び開いた彼の目には、もはや迷いは消えていた。

「他に手掛かりはない。それで行こう、氷室」 


 * * *


 相手の正体を測りかね議論を繰り返した上での結論としては、元のレールというか無難な落とし所になったと言えなくもない。
 だが必要な対話ではあっただろう。
 一度遭遇した場所、などという安直な発想だけでは、探す内に不安を抱えることになるからだ。
 もしかしたらという内声の芽は摘んでおかなければ、無限に近い選択の前に膝を着く事になりかねない。

(一つ明確な指標を持てば、有象無象の可能性を切り捨てることもできる)

 故に、こういう提案も可能になるということだ。

「そうと決まれば、化け物については夜まで待とう。体力と時間の浪費は避けたい」
「確かにこっちの体力も無限じゃないしな……じゃあ、とりあえず一度休憩しておくか?」

 それもいいかもしれない、と小さく返答。教会を出て数十分をほぼ歩き詰め、僅かな疲労が溜まりつつあった。
 闇雲に周囲を探しても由紀香も化け物の姿も見えず。平日昼間では、聞き込みする対象すら商店程度が関の山。
 案の定、道行く人を捕まえても色好い返事は一つも無い。
 足を止めて議論していたとしても、成果は何も変わらなかったであろう。
 こういう時間の使い方はあまり良くない。

「夜に備えての休憩と仮眠は必須だろうが……場所がどうにも良くないな」

 意見を交わしている内に、存外遠くまで来ていたようだ。
 目前に映った景色を前に、私は軽く眩暈を感じながら呟いた。
 だが声が掠れ、後半は吹いた風に掻き消される。
 音と成っていれば暗い響きを伴っていた筈の独白――それもこの街に住む人間ならば当然の情感と言えただろう。

(此処は、教会からそれなりに離れていたはずだが)

「新都の公園か――久々だな」

 だというのに、追従する衛宮の声音に忌避はなかった。同時に、無常でも無関心でもなく。
 その視線と声音の透徹した色が、此処が彼にとって、何か特別な場所なのだと感じさせた。
 今、彼の瞳には一体何が映っているのか。

「……衛宮?」

 声を掛けるものの、続く言葉が思いつかない。
 私は魔術師である彼にとって稀人に近い。……深く立ち入るには遠過ぎる、そんな関係であることを思い出したから。

(今更、だな)

 とても軽々しくは触れられない。
 だが此処もこの街の一部である以上、一度は探る必要があった。
 加えて、好悪を感情に入れなければ、休憩という当面の目的には沿う。
 人がいないので情報を集められない反面、落ち着ける場所としては最適だ。

(さて、此処はどうするべきか)

 彼の内面には気付かない振りをして、さっさと探索を終わらせるのが上策だろう。
 場所柄を無視し、当面の目的である休息に専念するのは理屈には沿う。
 しかし敢えてスルーし、一人の時間が出来ればもう一度訪れてみるのも悪くはない。

 どれを選んでも間違いではないが、だからこそ束の間の逡巡。
 私が足を止めたその一瞬で、迷う素振りもせず衛宮が公園へと歩みを進めていた。 

「あそこにベンチがある、少し休もうか」
「……あ、ああ、そうだな」
 
 映る背中には、先ほど見せた情感の名残は欠片も残っていない。
 気を使いすぎたか、と軽く反省しその後を追う。
 化け物探しが夜になる以上、他の時間は全て由紀香捜索に繋げて考えよう。

(休憩が必要ならば場所が一体なんだというのか)

 公園に入るなり纏わり着く厭な空気を、そんな言葉と共に振り切った。

 * * *

 二人並んでベンチに座り、一息つく。視線の先の慰霊碑を見つめる衛宮を他所に、私はただただ内省していた。
 衛宮の事情も、場に満ちる奇妙な怖気にも、躊躇を覚えている余裕などないのだ。

 原因である場所、ソレに対するらしくもない感傷と戸惑いの理由くらいは知っている。
 此処は元火災現場。新都の住人ならば当時ことは脳裏に焼き付いているからだ。
 その被害の程ならば当時齢一桁の小学生とて覚えている。

「死傷者五百名、焼け落ちた建物は百三十四棟」

 ――新都の住人ならば。
 唐突に告げた彼の言葉が、あまりに私の回想と重なっていることに驚いた。
 だが、それで理解する。 

(ああ、そうか。衛宮、君は)

「氷室、お前はあの時無事だったか」
「……ああ、私自身も、私の家族も被害はなかったよ」

 先ほど彼が浮かべていた表情の理由が厭でも解った。
 つまり、元は彼も新都(ココ)の住人。

「だが友人を失った。何人も」
「そうか」

 人がいなくなることを知ったのはあの時が最初だった。
 今、思い出した。私はあの火災に対して思うところがある。だからこの公園にあれほどまで忌避を抱いたのだ。
 だからだろう。話す必要も無いのに、ぽつぽつと私は語りだす。
 思い出したから、ただ話したくなった、それだけのことだった。

「当時私には男の子の友達がいてね」
 
 もう名前も顔も思い出せない。印象は何故か子犬。

「へぇ、子犬?」
「ああ、子犬だ。何故かは思い出せないが」

 多少腕白だった気もするし、素直な子だった気もする。
 そういうところが子犬っぽかったのかもしれないが……兎に角、普通の子だった事に間違いはない。

「特に意気投合したという風でもなかった。だが彼は変わり者とも普通に接する子で」

 レッスン通いやらで友達の少なく、それ以上に時間の合わなかった私には、帰宅途中の短い時間に彼と公園で少しだけ遊ぶのが楽しみだった。
 夕暮れ時の数十分足らずの共有。どんなことをしていたかなど、もう思い出せない。記憶にある、いつもの言葉はまた明日。
 そして、それが最後に交わした会話。彼はこの区域に住む少年だった。

「或いはそれは初恋だったかもしれないな――十数年も前の幼少の話だが」
「そうか」

 衛宮の返事はあくまで淡々としていた。だがそれで良かった。
 これはそう特別な話でもない、当時はザラに転がっていた悲劇の一つだ。当事者の一人であろう彼に今更哀れみを受けても対処に困る。

「思えば」
「うん?」
「思えば、物事には理由があってほしいと、そう願うようになったのはアレが理由かもしれん」
「そういえば、昔そんなこと言ってたな。確か……神仏が望んだ、そんな理由でも構わない、だったか」
「おや、覚えていたのかね? 学食の時は忘れていたようだが」
「……ああ、今思い出した。お前とこんな風に話したことが何度かあったよな」

 あの時は確か幽霊の話題だった。
 生憎私も何時の話かはテンで思い出せないが、確かにそういう会話を彼とした日々がある。
 その数日の出来事が衛宮士郎という路傍の通行人を知人、或いは友人に格上げしたのだろうか。

「そう。どんな理由であっても良い、物事には理由が在ってほしい。――そうでなければ、ただの偶然や思い違いで喪失した悲しみは何処に行けば良い?」
「ああ、そうかもしれないな。……いや、きっとそうだ」

 衛宮の肯定に、心の中の澱が剥がれた。浮き上がるのは、無意識に沈めていた幼子の怨嗟。

(死傷者五百名、焼け落ちた建物は実に百三十四棟)

「未だ以て原因不明――そんな言葉、許せるものか」

 吐き出すのは、こんなものが自分の内にあったのかと驚くほどの怨念で。
 だが、その時。空気を凍えさせる不意打ちの返答が響いた。

「――では問いましょう、そこのお嬢様」
「ッ!」

 声と共に唐突に表れた人の気配に、私と衛宮は戦慄した。
 反射で立ち上がり声の方向に振り向く。衛宮は既に、私の前に立っていた。
 視界の先にいるのは一人の女。彼女は、私を塊根から揺るがせる言葉を放った。

「その火災に理由があったとなれば、貴女は一体どうすると言うのですか?」 


 * * * 

「な、に?」

 聞き逃せない女の言葉に、私は否応無く注視する。
 彼女は暗い色のロングコートとジーンズを身に着けて、ポケットに両手を突っ込んでいる。顔立ちは極めて端正だ。淡く微笑む様は美人と称して間違いがない。
 肌は日の光など知らぬような白。同じく薄い白色、或いは銀色の髪――見るからに北欧系だ。
 口調に反して服装はラフだが、今朝衛宮の邸宅で遭遇したメイド二人に驚くほど良く似ている。

(理由、理由だと)

 突然の闖入者に危険を感じながらも、意識は言葉の方に吸い寄せられる。到底無視できる言葉ではなかった。
 だが、それは一体どういう意味だという叫びは、目前で発生した異様な現象に遮られた。

「……!」

 色は鮮烈。勢いは苛烈。
 撒き散らすのは壮絶な数の火の粉。
 草の疎らな地をお構いなく走り、我々三者を取り囲む紅蓮の円陣。

「ッ、これは炎の――結界か」

 衛宮の独白に背筋が凍る。
 これが魔術、これが異端。もはや理由付けをする気にもなれない、唐突過ぎるほどインスタントな怪奇現象。

(そういうものだと、存在するのだと受け入れた……だが、これは)

 あまりにも軽々しく常識を度外視する在り方に言葉を失う。
 ガソリンや灯油の臭気は無い。モノの燃える匂いもしない。燃えるようなものもない。
 だというのに、土の上で燃え盛る炎は消える気配などおくびも出さない。それでいて、燃え広がる事無く同じ範囲を維持するのみ。

(広がってこないのは僥倖だが、これを徒歩で突っ切るのは不可能か)

 一秒で全身を炎に巻かれ死ぬのが分かる。命を賭しても数歩と進むことすらも不可能だろう。
 これほどの現象を一瞬で行えるのかと半ば感心するのは、逃げ道を断たれた状況からの逃避だろうか。

「お初にお目に掛かります、衛宮士郎様。そして可憐なお嬢様、後ほどお名前を拝聴したく存じますわ」
「アンタ、何者だ」

 口上を遮って誰何する衛宮。だが女はそれに答えず、僅かな笑みを浮かべて首を振った。

「女中で御座います――ええ、ただの女中で御座いますれば、名乗る名など持ちませんとも」
「へえ、メイドさんか。けど、まさかイリヤの差し金じゃないんだろう?」
 
 クスリ、と彼女は笑みを零す。それが肯定の意を表していることは私にも解った。
 ああ、やはり彼女の縁者かと納得する。が、だというのに彼女が関係ないというのはどういうことか。

ヤー(はい)。私の主は御館様。なればお嬢様の意志が介在する余地はありません」
「……今頃になってイリヤを連れ戻しに着たのか?」
ナイン(いいえ)。御安心下さい、御館様はそのような些事に拘る方では御座いません」
「じゃあ、まさか」

 そこで言葉を切る衛宮。不可解極まりないという声を押し留める為だったのだろう。
 だが、もはや、今この地で特別な事など一つしかなく――。

「まさか、怪物絡みか?」
ヤー(ええ)、ご名答で御座いますとも衛宮様。そして」

 答えるなり笑みを深める女。ポケットから片手を抜き出し、掌を眼前に掲げた。
 その張り付いた表情に禍々しさを感じたのか、衛宮の手に双剣が収まる。
 同時、

「そして――仕事場に邪魔があれば、先ずは掃除を始めるのが女中の嗜みで御座いますれば」

 炎が、踊った。

「氷室、伏せろ!」

 反射的に指示に従えたのは、それくらいしか取れる回避行動がないと当たりをつけていたからだ。
 頭上を火炎の柱が薙ぎ払う。衛宮が保険として上方へ受け流してくれていたのか、熱気がかすることすらなかった。

「臥して下さいませ、倒れて下さいませ。御館様は不動なれど、我らアインツベルン女中一同、衛宮の姓を持つ者に御恨みを申上げます」
「アンタの言いたい事は重々承知だが、ハイそうですかなんて言えるか」

 舌鋒を交える二人を前に、私はただ蚊帳の外だ。

(くっ)

 解ってはいたが、こういう時、私は何処までも無力だ。
 どうしようもない現実。それをただ噛み締める。今更嘆くのは筋が違う。

「……知っていて着いてきたのだ。命の危険程度で顔を下げていられるものか」

 衛宮の負担を減らさねばならない。避けられるものは死に物狂いで避けろ。その為に、常にあの超常現象から目を離すな。
 故に見た。衛宮が戦っているものを。それはコレまで見た中で、最も私の常識から乖離したナニカだった。

「絵本の怪物、種の無い手品、挙句の果てには火達磨か」

 それは紅蓮の人影だった。燃え盛る巨大な炎。手に抱えるものは槍か柱か。
 刺す、斬るといった戦いの則には従わない。ソレは薙ぐ。
 正しく、焼き払うという苛烈な殺意、死を振りまく戦火の具現である。

「炎の魔人か、無形を操る術は始めて見た」
「アインツベルンの女中は大抵、戦うモノを造る何者かで御座います」
「セラやリズが特別か。つまりアンタは俺とご同輩、って訳だ」
ヤー(如何にも)

 再び炎の塊が踊る。水辺のない地形でアレは脅威だ。攻撃を受ければ、致命傷に関係なく延焼で死ぬ。
 極端な話、相打ちで抱き付かれでもすれば終わりだ。当然、衛宮は必死で避けるより他はない

(……標的をこちらに移されればどうにもならんな)

 己の命を他人に預けるしかない状況。それは予想以上の恐怖だった。
 だが耐えるしかない。恐怖に屈しても逃げ場は無い。
 恐慌に駆られ炎の境を越えようとすれば、衛宮に致命的な隙を生んでしまうだろう。そうなれば、どちらも助からず共倒れだ。

「……チッ! でかいヤツってのは毎回厄介なもんだな!」

 芸術的なまでの運びで炎柱を掻い潜り、右手の剣ですれ違い様に斬り付ける衛宮。
 やったか、と思うも巨人は何の痛痒も見せず攻撃を続行する。無形故か、まるで剣の攻撃が通らないらしい。
 物理特性を受け付けないとなれば、アレは正しく火災。災害の具現だ。
 故に両者の動きは対極だった。動きを組み立て、上手くいなして反撃する衛宮。ただ突き進み、炎を振り撒くだけの戦火の落とし子。
 辛うじて拮抗を保ちつつ時間は進む。今のところ、衛宮が崩れる様子は無いことに安堵する。
 だが、

(待て、何かおかしくないか)

 衛宮は良くやっている。攻撃が利かない、ソレでいて向こうは一撃入れれば終わりというイカサマのような勝負で安定してイーブンを保っている。
 そして、その現状がどうにもおかしく見えて仕方が無い。妙な違和感が止まらないのだ。

(そうだ、何故あの女は動かない。本人は戦えないのか? 巨人と挟撃しないのは安全の為か?)

 ――戦うモノを造る何者か。
 つまりその言葉が真実である証左か。では、この違和感は思い過ごしか?

「いいや、違う。何かある、もっと別の何かが」

 必死で戦いを注視する。一挙一動見逃すものかと集中する。
 振るわれる炎の柱。
 打ち付けられ、抉れる大地から響く轟音。紙一重、炎をすり抜け深く両断しようとする衛宮の双剣。
 踊るように後方に身を翻す炎の怪物。宙返りの後、着地して柱を構えるのは女の隣。

「待て」

 待て、待て、待て、待て!
 今の攻防はなんだ? おかしいぞ、何処かおかしい。

(それも、一箇所じゃない)

 もっとたくさんだ、違和感が止まらないどころじゃない。間違いのバーゲンセール、冗談詐欺錯視騙し絵が総動員だ。
 そう感じているのは私だけじゃない。攻防一つ超えるごとに衛宮の表情が曇っていく。疑問が動きから精彩を奪っていくのが解る。
 そして反比例するように女の表情は落胆が混じるのだ。
 こんなものも解らないのか、こんなものが倒せないのかと雄大に告げている。

(マズイ)

 後一歩なのだ、もう少しで違和感の正体が掴める。それを彼に伝えられれば状況を返せるはずだ。
 なのに、

「もう、五分経ちました。衛宮様、遊戯はそろそろお仕舞いに致しましょう」

 女が告げると同時、炎の巨人が立ち止まる。
 あまりにゆっくりとしたその動作に、全身に恐怖が駆け抜ける。

 そして、
 初めて、
 その顔が、
 こちらを、
 見た。

「……やめろ!!!」

 叫びながら、衛宮が視線に割ってはいる。
 だが無意味だ。自然の摂理に従い、突貫と同時に繰り出した両の手の剣は空を切る。
 そう、相手は焔。無形の悪魔。剣など介さず、ただ相手を己と同じモノに変えてしまう死の抱擁。人形を気取る意味すらない只の現象――。

「――――そうか」

 ついに答えを得た。呟きながら立ち上がる。
 だが遅い。逃がさんぞとでも言いた気に、目前に迅雷の如く着地する悪魔。

(そう、着地だ。この現象は一度たりとも、重力の鎖を引き千切る様子を見せていない)

 あまりに落ち着いているのは死が目前に来ているからか。いいや、違うと私は思った。
 炎の巨人が振り上げる。手に持つのは狂い猛る炎の柱(かたちなどないもの)

「それで私の身体を貫く気かね?」

 衛宮が駆け寄ってくる。だが間に合わない事を知っているのか、巨人は私の言葉に手を止めた。
 笑ってしまう、話しかけた私に対し、ソレは明確に戸惑いを見せていた。
 炎のクセに人間臭い。そしてまるで戸惑いを引き千切るように、大きく反動をつけ始める。
 ソレに対して、私は、

「……馬鹿な、やめろ氷室!」

 コチラの意図を悟ったのか。
 制止を告げる衛宮に微笑を返し、

「すまんな、痛いのは御免だよ」

 私は柱に押し潰される前に、背後で燃え盛る炎陣の中へと飛び込んだ。
 
 




[21628] 弐幕之九 ―彼女の設問(初級)
Name: せる◆accf7c71 ID:ff9a5be4
Date: 2011/11/20 02:59
 戦きが灼熱を伴って肌を削る。
 振り下ろされる柱は鉄槌か、土砂の崩落。否、いっそ其れは死そのものと呼んで良いだろう。
 受ける事は勿論、逸らす事もできない。
 形がないから、ではない。もしソレが質量を持ったなら、恐らく同量の鋼と等価となろう剣呑な一撃が次々に繰り出される。

「ッ……ハ!」

 故に避ける。紙一重を狙って火に巻かれてもつまらない。ならば十分な余裕を以って。
 それだけの安全を確保しても、一度攻めるに回る隙はある。
 大地を抉り、轟音を伴うほどの一撃だ。火柱が地面から離れる前に、既にこの身体は袈裟斬りの構えに入っていた。
 退路を断つ二の太刀も詰めている。……行ける。
 
「お返しだ!」

 火の粉を撒き散らす紅蓮は速く、強い、脅威だ。
 だが、余りにも大振り。コチラの攻撃が効かずとも、演舞を続けるだけなら体力の限り持つだろう。
 右の干将が斜線を描いて炎を裂き、迎える漠耶が両断する。
 が、描いた図が成る寸前、火の魔人は己が不死身を忘れたように宙に逃げ、主の下に下がった。


(これは、変だ)

 故に、その考えが先ほどから頭から離れない。まるで誰かに踊らされているような錯覚。
 まるで、この四肢を見えない黒子が糸で絡め取っているような――。

「……痛ッ」

 深い思案に埋没しようとすると、不意に襲う頭痛が掻き乱す。
 脳裏にちらつくのは幻影だ。……見捨てられた、そして見捨てた誰かの記憶が圧力をかけるのか。
 黒い炎の影が俺に正常な思考を許そうとしない。

(こんな場所で炎に囲まれてりゃ無理もないが)

 余計な思考、余計な幻影がリソースを食い荒らす。加えて、目前には脅威の塊だ。
 バーサーカーにはまるで及ばないとしても、触れられたら終わるという状況は肝を冷やす。

「く……ッ」

 縦、横、斜め。豪快極まる薙ぎ払いは嵐の如く。
 その場をやり過ごすことは可能。だが決して舐めて掛かれるものではない以上、現状を打破する為の思考にまで辿り着けない。
 そうしてまた数合を死合う。傷などなく、得るものもなく。
 何かに騙されている、そんな気配だけが疑念の澱となって積み重なっていくような感覚。

「思い過ごしでも、ないのか」

 そう確信したのは、炎の繰り手が浮かべる表情が段々と退屈の呈を見せはじめたからだ。
 なのに自身は参加せず、あくまで繰り手に徹するのは安全の為だろうか。
 氷室を狙いもしないのはこちらにとって僥倖ではあ――待て。

(本当にそうなのか?)

 いくら安全確保を優先しようと、見るからに一般人である氷室を捨て置くのはおかしい。
 人質にでも取られればこちらは終わりなのだから、俺と炎を戦わせるより遥かに簡単なはずだ。
 もっと言えば、結界に氷室と共に囚われた時点で、本来俺達は負けていなければおかしいのだ。

(しかし、それを言うなら)

 ならばそれが疑問の根本。故にそれを捕まえれば、連鎖的に違和感が解へと変わる。
 そう、詰まるところこの術者は――。

「もう、五分経ちました。衛宮様、遊戯はそろそろお仕舞いに致しましょう」

 一つの考えを導き出したのと同時。女中は不意に炎を止めてそう言った。
 戦うのを止めたのか、そう思い気を抜いたその時……炎の悪魔が、氷室を見る。

(……拙い!)

 それまでの思考が凍り付き、衝撃でバラバラに砕け散った。
 怖気と突き動かされるように制止を掛け、効かぬと知っていても斬り付けるしかなく。
 当然のように炎は逃れ、俺の背後へと直進する。
 咄嗟に追いかけるも、一度離された距離は埋まらない。氷室の前に着地する炎の人形、力なく立ち上がった氷室が淡い笑みを浮かべる。
 積み重ねてきた洞察が一閃の雷となって脳裏を走る。
 その体勢を見て、彼女が何をしようとしているのかが分かった。ありえない、だが必ずそうするだろうという確信。

「……馬鹿な、やめろ氷室!」
「すまんな、痛いのは御免だよ」

 何故彼女がそうすることが解ったのか、理性では最後まで理解できないまま制止を掛けた。
 だが氷室は予測を裏切る事無く、炎の鉄槌で潰される前に己から背後の紅蓮に姿を消した。
 ショックに脳髄が沸騰する。間に合わない、意味がない、そんな理性が浮かぶ端から砕けていく。

「どけッ!」

 何の意図も持たず、俺は衝動的に双剣を投げ捨てた。続くのは無意識、咄嗟の投影。
 数歩駆ける度に都合四度、歩数四倍の歪な得物を写し、片っ端から投擲する。火炎の塊は視界の隅で四散した。
 そんなものの結末を最後まで見ている意味はない、俺の意識はそれっきり、氷室が身を投げた炎の海に固定される。

 切れぬならば砕けばよい、こんな簡単な方法を何故採らなかったのか――そんな呆れすら思考の隅にも残らなかった。
 俺は自分の身すら慮外のまま炎の海から氷室の身体を抱きとめ、結界の外へと転がり出た。

「……、……、ハ、氷室、氷室! 無事か!」

 無事なものか。火達磨になって生きている人間などいない、わかっていながら叫ぶ己が滑稽だ。
 ああだけど、だというのなら、同じく火達磨になっている筈の俺はこんな無様を晒しているのにどうして火傷の一つも――え?

「ああ、至って無事だ」

 君と転がったせいで擦り傷ができたかもしれないが。そんな軽口と共に、力の抜けた腕から氷室は自力で立ち上がる。
 パンパン、と少し転んだだけだと言いた気に服を払う様にも淀みはない。少なくとも、火に巻かれてのたうち回る様子はなかった。

「しかし君、無事だと分からないで飛び込んだのか。自殺志願は感心せんと言われただろう」
「――なんでさ?」

 実に醒めた表情で飄々と告げる彼女に、止まった思考のまま告げる俺。
 その様は実に間抜けであろうことだけは理解できる。

「なんでって、君、それは」
「……なるほど。只の一般人かと思いましたが、中々どうして慧眼ではありませんか」

 パチン、と掌を叩く音が一つ響く。同時に、先程抜けた炎の結界が瞬時に消えた。
 地面には草が焦げた跡すらない。
 故に残るのは俺と氷室と件の術者だけ……ではなく。

 理解が追いつかない俺を他所に、それを見て氷室は面白くもなさそうに、なるほど、と呟いた。

「化け物の正体見たり枯れ尾花……とはいかなかったようだ。その、中の人を紹介してはくれんのかね?」
「クス、良いですとも。挨拶なさいな、ライン」

 ペコリと日本人のように腰を曲げて会釈したのは、先程まで間違いなく存在しなかった長身の女性だった。
 その薄い色の肌や髪は、やはり北欧特有の雰囲気を醸している。
 曖昧模糊とした視線は如何にも茫洋としていて、最初に出会った頃のリズを髣髴とさせた。

 服装は地味の一言だが、良く見ると所々が裂けている。その下から覗く微かな赤は負傷の証か。
 加えて手に持っているのは、所々が剥げているものの、元は白く塗装されていたであろう棒のようなナニカ。
 察するに、どこぞで標識でも引っこ抜いて来たようである。

(……そういうことか)

 目前で存在する人間の確かさを見て全てを悟る。
 落ち着いて比べれば、先程対峙していた全ての脅威は、真に迫った重みに欠けていたと言わざるを得なかった。
 つまりは幻。取り囲む炎も、焔の魔人も、実を伴わぬ蜃気楼。

「道理で攻め方が甘い訳だ。触れれば幻ってバレるもんな」
「ええ、確かに全て幻術です。まさかそちらのお嬢様が先に見破るとは思いませんでしたが――理由を伺っても?」
「ふむ、理由か」

 唇の下に指を当て、軽く思案する風を見せる氷室。思考を整理しているのか、数秒の沈黙を以って頷いた。

「先ず最初に違和感を得たのは、貴殿が全く動こうとしなかったことだ。幾ら自身が只の繰り手といっても、本当に勝つ気があれば私を捕まえるくらいは出来るだろう?」
「……別の目的が見えた、と?」
「実際はどうかしらんがね。それで疑問が生まれたのは確かだ。それでよくよく目を凝らすとおかしな点が見えてくる訳だが。――さあ衛宮、君が言ってやりたまえ」
 
(いきなり振るか)

 そういうのはお前の役じゃないのか、と思いつつ。
 実際幻と分かれば、何が不審だったかを言葉にするのは容易い。実際その違和感と戦っていたのは紛れもなく俺だからだ。

「アレだろ、間合いの取り方と地面の抉れ、後ジャンプしてもすぐに着地するところもか。……どれをとっても炎っぽくない」
「なるほど」

 本当に炎を操るだけならば人型をさせる意味はないし、突っ込ませて火に巻けば済む話。
 それをわざわざこちらが避けられるようにギリギリで動いていたは、本命が手に持った鉄柱の物理攻撃であるからに他ならない。
 要するに目晦まし。炎は全てフェイントの役でしかなかった訳だが……。

 何となく事の概要を把握する。軽い頭痛が走った。全く、何でこうも迂遠な事実ばかりが訪れるのかと。

「洞察は御見事。では私のメッセージも受け取って頂けましたでしょうか」

(いつでも殺せたって言いたいんだろうチクショウめ)

 九割九分、実体のない虚の攻撃だけで追い詰められた。
 最初から殺す気でいられたらどうなっていたかは分からないし、そうでなくとも、氷室を結界内に捉えられた時点で負けていたのは事実だ。
 歯噛みしながら沈黙すると、氷室が疲れたような声音で返答した。
 
「枷の私が言うのも何だが……邪魔をするな、と?」
ヤー(はい)。先程も申した通り、此処は我々の仕事場となりましょう。お嬢様の大切な方々を危険から遠ざけるのも、務めの一つに御座います」
「大切、ね……でもあんたら、俺への恨みがあるんじゃないのか?」

 先の恨み節は何だと問うと、彼女は初めて、クスリと敵意をない笑みを浮かべ、

「最近の女中は、冗句も嗜みの一つでありますれば」

 告げると同時に、それは起きた。

「では最後にもう一つ、取って置きの見世物をご覧に入れましょう」
「……ッ!」

 巻き起こるのは炎の風。但し、今度は間違いなく本物の。
 女の足元を取り囲むソレは、引き寄せる木の葉を次々に炭屑に変えて行く。
 変化はそれだけではなかった。隣で控えていた女が再び焔の幻を纏い――分裂した。

「それが、アンタらの本来のやり方って訳か」
「我々を幻術頼みの木偶だと思われても困りますので」

 俺が苦戦した悪魔が眼前にて三体。
 一つには先程と同じ様に本物。残り二体は偽物なれど、揺らめく焔は絶えず変化する。一度でも見失えば看破は至難の業となろう。
 そして中に人間がいないのならば、その炎が偽物である必要はない。
 文字通り紅蓮の塊に紛れて、力任せに得物を叩きつけてくる狂戦士。或いは、その後方からコチラを狙う紅蓮の射手。 

(例え一人だったとしても、この本気で掛かられたら切り抜けられるかどうか)

 不利を全て廃そうと、無策で掛かれば抜けられぬ死地となろう。
 肌が泡立つのを止められない。文字通り、命懸けの相手となるに相違ない。

「火はノーマル、風はノーブル。そう申します上に、この小さな炎が私の扱える限界では御座いますが」
 
 言葉を切ると同時に、女は浮かべていた笑みを消し、

「――もし本当にこの程度が破れぬようなら、どうせ早晩屍骸を晒すのみ」

 一つ礼をして、何の未練も見せず去って行く。

「ならば我々の邪魔にだけはならぬよう、どうかお願い申し上げます」


 * * * 


「……やられたな」
「その、ようだ」

 二人して元のベンチに座り込み、沈黙のまま数分の時が過ぎた。
 やっと先の言葉を搾り出したものの、互いに続く言葉が出てこない。
 本当に、完膚なきまでの敗北だったのだから当然だ。言いたい放題されたのに、結局何一つ言い返すことができなかった。 

「相手からすれば只の警告、か」
「助かったのは自明だが――衛宮、私がいなければ倒せたか」
「分からない」

 問いに含まれた落胆を晴らす為の言葉ではなかった。正直、分からないとしか言えない。

「分からないが、もし次があったとしても先手を取られちゃダメだな」
「こちらから仕掛ける、ということか?」
「いや、場所の問題だ」

 どういうことだ? と表情で問う氷室に、俺はベンチを力なく叩きながら言う。

「結界が張られていただろう。アレ、俺たちが来る前からあったみたいだ」
「……何?」

 最初に俺と氷室を閉じ込めた炎の陣。一見、向こうが一手目で放ったように見えるがそうじゃない。

「元々結界ってのは仕掛けておくもんなんだよ。普通なら入った時に気付くんだが……場所が場所だからな」

(この公園は、もう既に一種の結界みたいなもんだから)

 否、結界というよりは異界。新都を蹂躙した災厄の焔は、今尚この地に爪痕を残している。
 その色濃い影に幻炎の結界はさぞや馴染んだことだろう。
 きっとあの女が敷いた結界自体、酷く似た匂いがするに違いなかった。

「良く分からんが、言葉の通りなら最悪の目は過ぎたということか?」
「たぶんな」

(けど、それでも全く楽観は出来ない)

 本当に恐ろしいのは、あの女が全てを狙ってやっていたということだろう。
 この場所に敵となり得る者が訪れることを想定し、確実に相手を呑める手順を組んでいた。
 思えば、籠城を選んだキャスターがそうだった。けれど、それでもアレは英霊。己に絶対の自信があったから、正面からでも向かってきた。
 だがあの女は違う。正直、本当に命懸けの戦いになれば打倒する手段はある。俺の乏しい経験だけで言っても、あの二人同時に相手でも勝機はある。
 だからこそあの女は徹底する。或いは、キャスター以上に魔術師として。油断などない、きっと遭遇戦など許してはくれまい。
 元々、魔術師とは戦う者ではない。だからどれほど冷静で己の技量を信じていようとも、いざとなれば敵を相手にする、なんてことはありえない。

 遠坂や言峰のような気風を、全く感じられなかった。感じるのは、戦わない。相手を土俵に立たせないという、狩人の思考だけ。
 聖杯戦争でさえ相対することはなかったが、恐らくコレが生粋の魔術師が選ぶ、正当な殺し方。
 そして、それを最も上手くこなしていたのは、キャスターでも遠坂でもさっきの魔術師でもなく――。

「そうか、それは、良かった」

 おれの肯定にホっとしたのか、気配を弛緩させた氷室に幾分声音を軽くして伝える。
 その氷解を思わせる気配に、陥り掛けた陰鬱な思考の渦も霧散した。
 考えても仕方ない、親父はもう生きちゃいない。
 誰が何と言おうと、俺の知ってる切嗣はそう(・・)じゃないんだ。

「ほんとにな。どういうつもりかはしらないが、警告で助かったよ、氷室……氷室?」
 
 だから幾分力を抜いて返答したのに、言葉が返ってこない。
 代わりに方に重みを感じた。振り向けば氷室の頭が俺の肩に乗っている。……いや、これは。

「おい、氷室!」
「く……すまん、衛宮、少し」

 言葉が途切れると同時に、氷室の身体から完全に力が抜ける。
 倒れ掛かってきた彼女の身体を受け止めた。苦しそうな表情。明らかに顔色が悪い。
 元々色白な氷室のソレは、血の気を失ってまるで人形のようだった。
 緊張で体調を崩したのか。または幻とはいえ魔術に相対したことで、何らかのダメージを負ったのか。

(いや、これが当たり前なんだ)

 恐らくあの結界は幻術を補強する効果を持っていた。
 仮にも質感を伴った熱風や匂いがそれだ。五感を狂わせる、情報の圧力と言い換えてもいいだろう。
 当然そんなものは、あるだけで人間の精神を蝕む。何故それらが氷室に、本来の効果を及ぼさなかったのかは知らないが――。
 一つの連想が弾け、俺は氷室の片手を見た。それは鈍く光を返す一条の鎖。

「ああ、そういうことか」

 それは魔除けのアミュレット。
 間接的な干渉を弾く、千年続く錬金術師達の鬼札(イリヤスフィール・フォン・アインツベルン)が練成した呪い返し(アーティファクト)
 その性能に不備がある訳はない。問題があるとすれば、当然使用者の方でしかなく。

「早速役に立ってくれたらしいが、氷室が倒れたのもこれのせいか?」

 結界の干渉を防ぎ続けていたというのは、即ち継続して魔力を消費し続けたということに他ならない。
 何の冗談か知らないが、セラ曰く氷室の魔力はホイミだかケアルだかの一回分らしい。
 実際どの程度を示すかは分からないものの、極少量でしかないことは想像に難くない。
 瞬間的な遮断しか想定していなかったとすれば、コレは明らかに許容外の運用と言えるだろう。
 しかし、

(無理な使い方というなら、一般人が持ってるのが元々の間違いなんだ)

 終わったことを掘り返しても仕方がない。原因が特定出来ただけでも良しとすべしだ。
 今は氷室の回復を待つしかない。少し待ってダメならタクシーでも呼ぶ事になるだろう。
 それに、マイナスばかりでもない。色々思うことはあるし無傷とも言えないが、今回の事は大きな手掛かりとなった。
 いや、一気に絞り込めたと言っても良い。

(犯人の正体は会うまで分からないだろうが、その探し方はたぶん――と?)

「……う、む」
「もう気づいたのか?」

 氷室の体に、力が戻ってくる気配。
 意識を取り戻したことを確認した俺は、抱きとめていたままだった彼女の身体をベンチの背に返した。

「私は、どの程度気を失っていた?」
「ほんの数分だぞ。良いのか、もう少し寝ていた方が」
「いや、問題はない。気分はそれほど悪くない。それより衛宮」
「なんだ?」

 まだ茫洋としていた表情に、それでも理性の色が戻ってくる。
 未だ青白い顔色は病人のそれだが、その双眸には力に満ちた光があった。
 苦痛がないはずはないだろうに。彼女は確かに、その口唇を薄く吊り上げ、

「敵の、目星がついた」


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