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[21470] [チラシの裏から]スーパー厨二大戦(デモベ×Dies×禁書×Fate×他多数)
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/31 01:26
 この作品は作者の妄想と空想と幻想と厨二病で出来ています。
 タイトル通りかなり混沌としたクロスオーバーに成っており、すり合わせのための設定改変、独自解釈&設定が多数含まれております。一部クロスキャラ同士のカップリングも予定しておりますのでそういった物が苦手だ、という方はご注意くださいますようお願いいたします。
 それでも一向に構わんという猛者は暇潰しにでもお読みくだされば幸いです。



*キャラクター 元ネタ
 ○Dies irae ―acta est fabula―
 ○とある魔術の禁書目録
 ○斬魔大聖デモンベイン
 ○Fate/stay night
 ○11eyes
 ○3days
 ○リリカルなのはStrikerS
 ○うしおととら
 ○装甲悪鬼村正
 ○DUEL SAVER
 ○永遠のアセリア

*アイテムのみクロス
 ○トライガン
 ○スパロボOGs
 ○天元突破グレンラガン(予定)



*1 作中の強さバランスについては展開等の兼ね合いで変更が効きません。そいつがこいつに勝てるわけない、いやそのバランスはどうか、という考証については残念ながら聞き入れる事ができない可能性があるのであらかじめご了承ください。



*2 作品中にはアイテムだけの登場というケースがあります。その辺りはどうか広い心で生暖かく見てくだされば幸いです。



*3 EXシリーズは第一話の場面転換中の時間軸に発生した事柄になります。時系列に並んでいる訳ではないため読みにくいかもしれませんがどそれぞれが独立している(&一部が本編のフラグ)という感覚でお読み下さい。割合ネタに走る傾向に成るので、その辺りも大らかに見ていただければ幸いです。



[21470] 第一話 そして世界は歪みだす
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/09 16:52
 ここではない世界。
 ここではない宇宙。
 無限に広がるようで、その実態は泡沫の夢で形作られた世界においてその闘いは続いていた。
 一方は刃金の神。
 碧光の鬣を雄々しく靡かせ、その両手に神の化身した銃を構える鋼の神。

「オオオオオッッッ!!」

 雄叫びを上げ、その魔砲を構える。

「クトゥグア! イタクァ! 神獣形態」

 両手に握られた砲身は赤と白。フォマルハウトの破滅の劫火を吐き出す真紅が咆哮を上げ、セラエノの零度の魔風を噴出す純白が絶叫を響かせながら融合する。一本の長大な砲身となった魔砲は持ち主の命に従い、そこから一匹の荘厳なる獣を解き放つ!
 その威力は星を粉砕してまだ足りぬ。
 恒星さえ飲み込みかねない熱量を蓄えた神獣はいま一方の神へと殺到し、直撃する。

「無駄だよ大十字九郎。この程度じゃぁ僕に傷一つつけることなんて出来ない」

 直後に起きた大爆発をまるでそよ風のように受け流し、その神は悠然と微笑んだ。
 その姿を形容するならば傾国の美女と言おうか。
 およそ人が想像する女性としての美点をすべて兼ね備えた黒髪の女は、しかし、ある一点のみが欠けている。
 それは顔。即ち無貌。
 黒い絵の具で塗りつぶされたような女の顔にはただ焔が形作る三つの瞳だけが亡っと浮かんでいる。
 全うな人間ならばその目を見ただけで狂気に駆られる三つの魔眼を鋼の神はまっすぐに睨み返す。
 渾身の魔砲が防がれ、それでもまだ鋼の神の戦意は欠片ほどもくじけはしない。もとよりその一撃さえ布石。鋼の神は無貌の神が魔砲を受け止めたその刹那に自身最強の秘奥儀を解き放つための詠唱を完成させていたのだから。
 鋼の神のその手に現れたのは黒く輝く多面体とそれを収める金属の小箱。
 捻じ曲がった神柱。
 狂った神樹
 刃の無い神剣。
 ご都合主義(魔法使い)の杖!



 第零封神昇華呪法――<輝くトラベゾヘドロン>



「決着だ。ナイアルラトホテップ」

 精悍な男の声――鋼の神の言葉が無窮の闇に木霊する。
 その男は人類を守護する、あらゆる神の中でもっとも幼く旧い神。
 人類の英知たる科学と世界の真理たる魔術の力が生み出した最弱最強の刃金――デモンベインを愛機とするその神は自身最強の必滅奥儀を放つべく、杖を構える。
 その様、正しく威風堂々。
 その眼光に晒されたいかなる邪悪も震えずにいられない。
 そう確信が持てる程の威圧を受けてなお、無貌の神は嫣然と笑みを浮かべて対峙していた。

「それは残念。ボクは君たちとの鬼ごっこを結構気に入っているんだけどねぇ」

 無貌――あらゆる宇宙に存在し、時間も空間も超越する『這い寄る混沌』は心底残念げにそう漏らす。その言葉には自身の消滅に対する恐怖ではなく、大事にしていた玩具を捨てる時のような寂寞の意志が込められている。
 即ち、宣戦布告。
 絶えず受け流し、はぐらかし、弄び続けるだけだった無貌の神が事此処にいたって旧神を己の敵手として認めたと言い放つ。
 その傲慢は、旧神に必滅の一振りをさせるに十分な力を持ち――

「!? 九郎待て! 平行世界を切り裂いて何かが……」

 旧神の鋼の内から少女の叫びがするがそれよりなお速く。


 虹ッ!!


 世界を裂く七色の極光が二柱の神々を諸共に飲み込んだ。

◇◇◇


 その日の朝、上条当麻はなんとなく感じる違和感につんつん頭をがしがしと掻いていた。
 なんだかおかしい。なにかが変だ。
 そう感じるというのにどうしてもその『何が変なのか』という部分が分からない。同居している腹ペコシスターに聞いてみても『気のせいじゃないの? むしろ朝ごはんを早く早くプリーズ。でないとあなたを朝食にしてしまうかもがぶり』と上条の頭を齧るだけで建設的な意見なんて皆無だった。
 次にニュースやらネットやらを覗いて見たがやはり違和感の正体は見つからない。
 民放のニュースは来週に迫ったクリスマスがあーしたこーしたといった話題で盛り上がり、合間合間に思い出したように学園都市で起こってる連続猟奇殺人事件……被害者が全員揃って首を失っているなんて血生臭い報道を繰り返している。
 ネットの方でもやはりクリスマスの話題一色。それ以外には最近武装化が進むスキルアウトに対抗して警備員(アンチスキル)側が新装備を制式採用したとかでっかい十字架背負って街中爆走する金髪のヤンキーがいるだとかそんな嘘臭いことこの上ない与太話で沸いていて、まるっきり役に立たない。
 こうなれば他の人間に当たってみようと学校に来たわけなのだが、普段よりも早く家を出たせいか教室には悪友の土御門元春も青髪ピアスの大男もいない。あるいはこういった話題ならば風紀委員の吹寄でもいいかも、なんて思っているとそういうときに限って目的の人物と出会えないのが上条と言う人間なのだ。

「どうすっかな……」

 まあもう少しすればみんな来るだろうと自分の席に腰掛けているが、どうにも先刻から違和感が強まっているように感じられて落ち着かない。こうなれば時間を潰すために寝てしまおうかと机に突っ伏していると、頭の上から『聞き覚えのない』声が聞こえてきた。

「あら? 上条じゃない。あなたが一人だなんて珍しい」

「あん?」

 顔を上げるとそこには見慣れない少女が立っていた。
 一瞬、名前が浮かんでこない。初対面か? と言う疑問は相手が自分の名前を知っている時点で成立しない。実は隠れて記憶喪失な上条当麻にとって、相手が誰なのか分からないと言う状況は割と日常茶飯事なのだがやはりこういう時には若干慌ててしまう。

<おや~? 女性の名前を忘れるなんて酷いじゃないか。君は同級生の名前も忘れてしまうような薄情者だったのかい? 上条当麻。仕方ないから、今回だけは僕が教えてあげよう>

 必死に脳みその記録を精査していると、一つの名前がヒットした。

「ああ、ルサルカか」

 小柄な体に腰まで伸ばされた波打つ赤毛。明らかに異国人を感じさせる白い肌と碧の瞳。
 ドイツにある学園都市の協力機関からやってきたという、この学校でいま一番の有名人――ルサルカ・シュヴェーゲリンが上条当麻の目の前に立っていた。

「……なんだか気になる反応をするわね。いくら一月前に転校してきたばかりだからってちょ~っとひどいんじゃないかしら」

「いや、悪かったな。こんな早い時間に誰か来るとは思ってなくて」

 頬を膨らませて抗議してくる少女に慌てて言い訳を重ねるがどうやらそれが失敗だったようだ。彼女は碧色の瞳を細め、

「貴方だって来てるじゃない」

「ごもっとも」

 ぐうの音も出ない。そもそも、上条は話ができる誰かに会うためにいつもより大分早めに登校してきたのだから、そもそも言動と行動が一致していない。

「って、そうか。お前でも良いのか」

 少なくとも彼女は自分に噛み付いてくることはないし、一ヶ月とはいえこの街で暮らしているのだ。
 今日になって何か変なことが起きていると感じ取ることは十分出来るだろう。

「なに言ってるの?」

 一人で納得している上条にルサルカは怪訝そうな表情を向ける。そんな彼女にいや実はと切り出した。

「違和感? なにそれ」

「いや、なにそれって言われても……なんかこう、ある筈のものがないような、ない筈のものがあるようなそんな感じ? いや、具体的に何がどうこうって言うわけじゃないんだけど」

「……これだから思春期は」

「お前同い年だろ」

 洋画の俳優がやるような大袈裟な仕草で肩をすくめるルサルカに上条はそれ以上何かを言うのを諦める事にした。
 そう、全て上条の気にしすぎだという可能性がないわけではない。
 毎朝のニュースにどこそこで誰々が首を刎ねられて殺されたとか、ブラックロッジとかいう変な秘密結社が暴れているとか、それらに対抗するようにして『正義の味方』が現れたとか。
 科学的に異能を開発する最先端技術の集大成たる学園都市では『日常の出来事』なのは間違いない。
 きっとこんな違和感を抱く自分の方が少し神経質になっているのだ。

「……『御使落とし』なんて事件があったからな」

 今年の夏に起きた出来事の中でも『日常』に対する最も大きな影響を与えた事件を思い出しながら、上条は違和感に対して蓋をした。
 その違和感はこの世界で唯一彼にだけ、感じ取れるものだと言うのに。



[21470] 大戦前夜 EX1
Name: U.Y◆d153a06c ID:f78201d0
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。。








ex1『とある刑務官の憂鬱~彼が離婚する一ヶ月前の出来事~』










 その日、彼は自分の職務を初めて放棄させて欲しいと神に祈った。
 時空管理局に十代半ばで就職してから早数十年。気付けば職場の中では上から数えたほうが早い年齢となった今の彼にはこの空間に満ちたモノは毒でしかない。

(……ここは一体何処なんだ)

 明瞭過ぎるその疑問は誰かに否定をして欲しかったからこそ出たモノに違いない。
 しかし、這わせた視線はそこがよく見慣れた『接見室』である事を理解を拒絶する脳に刻み付ける。
 此処は時空管理局が次元犯罪者――特に特定遺失物(ロストロギア)を違法に所持・研究、あるいは使用した凶悪犯罪者が収監されている『監獄』の中で、唯一外部の人間と面接できる部屋だ。
 普段は執務官や弁護官などが裁判の進め方の相談や、あるいは身内などの面接を行うのに使われているこの部屋だが今日はまったく違う目的で使われていた。
 ……いや、厳密に言えばこれも『面会』の一種なのだろう。
 彼らの間に面識がないのは間違いないだろうが、朗らかに談笑している様子は十年来の友人であると言われても疑いを挟むことが出来ないほど。
 それほどに彼ら――ヴォルフラム・フォン・ジーバスとジェイル・スカリエッティの会話は弾んでいた。
 ……人語を必要としないほどに。

「パァァァァァンンンツッッッ!!」

 立派な顎鬚を蓄えた赤毛の紳士、といった風貌のヴォルフ博士……時空管理局にあってその人在りと言われるほどの天才科学者は両目を血走らせ、唾を飛ばし、大仰に腕を振り回しながら叫んでいた。
 接見開始から彼が『パンツ』以外の言葉を口にしたことはなく、話し始めた直後に彼の思考は停止した。

「ブゥゥゥゥゥラジャァァァァ!!」

 そして、その思考を混沌へと誘うのはその言葉。
 半年前にミッド地上を恐怖の底へと叩き落した張本人……ジェイル・スカリエッティは炯々と光る金色の瞳を限界まで剥き、ヴォルフ博士に負けじと叫んでいる。
 彼の方はまだ人語を用いていた時間があったのだが、ヴォルフ博士が「パンツ」としか言わないと悟るといまのような言葉を叫ぶようになった。一瞬、この恐怖の科学者がヴォルフ博士の精神攻撃によって人格を破壊されたのかと危惧した彼だったが、書記官がすさまじい速度で二人の会話を記している(同時に翻訳して注釈を入れながら)所を見ると、二人の会話は非情に弾んでいるらしい。
 下着の名前を叫ぶだけでどうしてミッドチルダの経済問題やら次元世界の流行やらを知ることが出来るのか、全く不明だったが。

「……というか、お前はどうしてあれの会話内容が分かるんだ」

「スク水? ……げふんげふん、い、いや、ちょっとしたコツがありまして……」

「そうか……頑張れよ」

「ちょっと!? 何でそんな生暖かい眼差しをするんですか」

 慌てながらも凄まじい速記術を発動させている書記官からじりじりと距離をとる。
 駄目だ。この空間にいては自分も遠からず「ああ」なってしまいかねない。
 彼は万が一に囚人が暴れた際に取り押さえるため、一緒に監督を行っている後輩に声をかける。まだ二年目の若者をこれ以上この混沌の空気に触れさせておくわけには行かないと考えたからだ。

「おい」

「ブルマ?」

「……手遅れだったか」

 後輩は既に自分が何を口走ったのかさえ分かっていない様子だった。彼は自分の無力感にがっくりと膝を折り、世の不条理を天上の神へと訴える。
 ああ、神よ。どうしてこんなことに……パンツだのブラジャーだのスク水だのブルマだのと叫ぶ輩がどうしてこうまで多いのか。

「どうして誰も……うなじのエロスに気付いてくれないんだ……」

「刑務官殿、貴方も大概手遅れですよ」

 書記官がガリガリと文字を記しながら顔だけ彼に向けて言う。
 しかし、世に絶望した彼は「帰ったら、かみさんに浴衣着てもらうんだ……」とうつろな瞳で呟くのみ。
 その後、当の刑務官はあまりにうなじへの執着を見せるため、気持ち悪がられて離婚する羽目になるのだがこれはまた別のお話。


◇◇◇


「まったく、人が一生懸命仕事してるってのにこいつらは……」

 ただ一人、かろうじて職務を全うしている書記官はぼやく。
 すでに専門的な話題へと移行してしまった二人のマッドサイエンティストの会話は翻訳は出来ても理解は出来ない。
 それでも、彼は自分が記している内容を読み返し、眉唾な感想しか抱くことが出来なかった。
 書記官が高速で記している会話内容を見ると、どうやらヴォルフ博士がスカリエッティに対して共同研究を持ちかけているようだった。
 その研究内容は昨今噂になり始めている対『魔導殺し』用質量兵器の開発。三メートル級のパワードスーツみたいな物を用いて機械的に装備者を強化することで魔力結合を切断する『魔導殺し』に対抗するというものらしい。
 それには『第97番管理外世界』に存在する『剱冑』の技術転用を基礎として<SSS級封印指定遺失物『魔を断つ剣』>を解析・転用するのだという。
正直『SSS級』なんてランクが本当に実在していた時点で書記官には驚きだった。S級までの高ランク指定の特定遺失物は士官学校の歴史学やらでも習う範囲だが、SSだのSSSだのはそれこそ『御伽噺』で語られる、存在自体が疑われているレベルの代物である。
 しかも、その実験機が既に試験運用の段階にまで至っているらしいと聞いて更に驚いた。
 試作実験機は特殊戦技教導隊の高町なのは一等空尉、八神ヴィータ三等空尉の二名が試験運用中。その名称は――

「『DDM-001 ゲシュペンスト』……亡霊だなんて物騒な名前をつけるなぁ……」

 ぼやきながら書記官は手を動かし続ける。
 ゆりかご事件から半年。
 のちにブラックロッジ月面基地総攻撃まで四年半前に記されたそのノートこそ、未来への希望であると、いまは誰もわからないでいた。



[21470] 大戦前夜 EX2
Name: U.Y◆d153a06c ID:ce56d156
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。。










ex2『とある結婚式の舞台裏』











 2005年の七月。
 鬱陶しい梅雨も明け、夏の足音が間近に迫ったその時期に、その『依頼』は教会に届けられた。
 語ったのは聖槍十三騎士団黒円卓第三位『聖餐杯』ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリン。常に変わらぬ仮面じみた微笑を真剣な眼差しへと変貌させているところからして、その報告が間違いないことは疑う余地もない。

「……いまなんて言ったの?」

 しかし、だからといって素直に受け入れるにはあまりに唐突な話であった。大抵の事では顔色一つ変えない氷室玲愛が驚愕に固まってしまうほどに。
 普段の彼女を知る者ならば、驚いたことだろう。通っている学校ではクールビューティ(微電波系)と呼ばれ、怜悧な美貌でもって相当数の男子から興味と羨望の眼差しを向けられている彼女の顔(かんばせ)が、いまは蒼白になってしまっていた。
 一体、彼女の身に何が起きたのだろうか?

「少し落ち着きなさい、玲愛。そんな状態じゃ、ヴァレリアも説明を続けられないでしょう?」

「でも、だって……」

 混乱しきった彼女の肩に母を思わせる優しさで手が置かれる。この教会で家族のように暮らしているシスター――リザ・ブレンナーは幼い子供をあやす様に玲愛の背中を撫でた。
 しかし、それとは別に般若の如き視線が尼僧から対面に座す神父に向けられる。その視線は『さっさと全て吐け』と言っていた。
 野暮ったい修道服の上からでも分かるほどの匂い立つ色香と美貌を持つシスターの流し目は、だからこそ名刀の切れ味をもって神父の焦り顔を撫で斬りにする。そんな視線を向けられたヴァレリアはひたすら脂汗を額に浮かべて鉛を吐き出す様に声を出した。

「あ、あのですね。私としましても、これは想定外の出来事でして……」

「ええ、確かに貴方に責任なんかないわね。貴方はただ頼まれただけ。それも極々当たり前の。でも、それを断ることが出来たはずなのに引き受けてしまったという事実はとても擁護できないけわね」

「そういじめないでください、リザ。貴女もあの子達の目を見てしまってはそんな言葉を口には出来ないはずだ」

「だからって引き受ける訳がないでしょう? 貴方、本当に理解しているの?」

 言葉の刃でザクザク切り裂くリザと防戦一方のヴァレリアのやりとりをただ呆然と眺めながら、玲愛はヴァレリアが口にした『依頼』について誰ともなしに問いかけた。

「本気で、黒円卓の拠点(此処)で結婚式なんて挙げる気なの?」


◇◇◇


 話を整理するなら、やはりそれはヴァレリア・トリファの責任となるだろう。
 彼ら黒円卓の拠点としている教会は科学至上主義な学園都市の郊外にひっそりと建っていた。主に農業用プラントや最新技術がたっぷりと詰め込まれた風力発電施設などがあるくらいで、住宅もやや少ないという辺鄙な所にある教会。
 態々そんな所に礼拝にくるような熱心な信徒は少なく、教会の管理をしているヴァレリアやリザも大した仕事がない毎日を過ごしていた。その裏で黒円卓としての活動を繰り返していたのだから、教会の方が忙しくならないようにという意図もその立地を選んだことに関係しているのかもしれない。
 ともかく、そういった理由でいままでこの教会に冠婚葬祭を頼むような奇特な人物は現れなかった。そういった祭儀はむしろ中央に特殊効果てんこ盛りで派手に、あるいはしめやかに執り行う式場が別にあるのだから当然の話だ。
 しかし、今日の昼間、その奇特な人間が現れてしまった。

「依頼してきたのはご近所で『あすなろ園』って孤児院やってる園長さん。新郎さんとの年の差が54歳もあって、あまり派手に式をやるわけにも行かないからこじんまりとした式だけ挙げたいんだって」

「うっわ。なんだかヴァルキュリアが聞いたら喜びそうな話題ねぇそれ。てか、何で私の所に来てるの? テレジアちゃん」

 とある学校の制服を着たままのルサルカ・シュヴェーゲリンは突然訪れたこれまた制服姿の顔見知りに対して露骨に胡散臭そうな視線を向けた。
 ここは学園都市におけるルサルカの拠点として使っているアパートの一室。学生寮に用意された部屋もあったが、彼女は黒円卓とブラック・ロッジという裏世界における二大組織に所属すると言う危険な二束の草鞋を履いている身である。どちらかには隠してある、あるいは誰にも知られていない拠点は安全のためにも複数確保していた。
 そのうち、黒円卓側から連絡があればすぐに分かるようにしてあったのがこの部屋である。

「結構綺麗なのね。魔女の部屋って、もっとごちゃごちゃしているのだと思ってた」

「そりゃどうも。便利な小間使いがいるから」

 埃一つないフローリングをぺたぺた障りながら玲愛が素直に感心した様子で言うと、ルサルカは「本当に何しに来たんだろ」と思いつつお茶なんかを用意したりする。
 玲愛が本題を切り出したのは魔女が緑茶を入れてお互いに一服してから唐突にであった。

「手伝って貰うから。結婚式」

「……それはギャグで言っているのよね?」

 残念ながら本当です、と言いながら玲愛は戦慄したような表情のルサルカにヴァレリアからの伝言を告げた。

「聖歌を唄う子を集めなくちゃいけなくて……リザはオルガン弾かなくちゃいけないから歌い手が足りないの」

「誰が? 私が? 聖歌を? 結婚式で!?」

「そう。レオンハルトは英語、苦手でしょ」

「そんな理由なの!?」

 驚天動地の態で叫ぶルサルカ。その筋の人間が聞いたら正気を疑うというか頼むから止めてくれと願うレベルであろう。歌声で男を水底に誘う魔性である『ルサルカ』に事もあろうに結婚式で聖歌を唄えとは狂気の沙汰もここに極まるという話である。

「……クリストフもとうとうボケが来た?」

「……ベイに受付をさせようとした辺り、その可能性は否定できない」

 勿論、リザがカインにぶっ倒させて止めたが。

「とにかく人手が足りないのよ。式を完膚なきまでに破壊しない範囲でなら、使えるモノは全部使うって」

「それで私に聖歌をって話になる訳ね……断れなかったの?」

「子供たちにお願いされたんだって」

 じゃあ無理だわ、と嫌な納得をするルサルカ。
 あのヴァレリア・トリファが子供の純粋な願い事を理由もなしに断ることはないだろう。そもそも、年中無休で閑古鳥が鳴いている教会がどうして一番の稼ぎになる『結婚式』を断れようか。下手な事を言えば、要らない詮索をされてもつまらない。特に教会に住む騎士たちは殺人狂という訳ではないのだし。

(まあ、本来はそういうもんな訳だし……仕方ないかなぁ)

 そこまで考えてから、ルサルカは思考を切り替えた。結婚式と一口に言っても人手は大量に要る。
 まずは来客の記帳やら何やらをしてもらうための受付人。教会では式を挙げるだけということなので必要ないかもしれないが、待合室を設けて多少は休めるスペースを作っておく必要もあるだろう。そこで出すお茶やら菓子やらを用意するだけでも何人必要になることか。特に、子供が多いと言うのは致命的に手間を増やす。

「いま人手はどれくらいあるの?」

「私を含めた教会に住んでる三人と貴女」

「……四人か。式が始まっちゃえばそれでも何とかなるかもだけど、余裕を考えるとあと何人か必要よね」

 顎先に手を当て、思案顔のルサルカは何かを思いついたように隣の和室へと声をかけた。

「おーい。使い魔ちゃーん。起きてるー?」

「……大声を出さなくても聞こえています」

「っ!!」

 ルサルカへの返事は玲愛の背後から聞こえてきた。直前まで何も感じることが出来ないでいた彼女は一瞬身を固めてすぐに振り返った。
 そこに立っていたのは恐ろしく綺麗な長い髪をした美女。着ているのは何の変哲もないシャツにジーパンだと言うのに、恐ろしいほどに似合っている。宝石めいたその瞳を縁なし眼鏡で隠した彼女は玲愛の反応に感心した様子で見下ろしていた。

「意外です。悲鳴のひとつくらいは上げるかと思いました」

「ある程度、慣れてるから」

「むぅ。小さい頃にやりすぎちゃったかしらね」

 気配も音も、そもそも部屋に入ってきた事を見てもいないのにいつの間に背後に回りこまれていた。
 そんな経験は玲愛にとっては言葉どおり慣れたものである。彼女の周りは言葉どおりの意味で人間以上の存在が多数在ったのだから。
 二人のやり取りを眺めていたルサルカは玲愛の反応につまらなそうな顔をする。どうやら、驚く様子を見て愉しむつもりだったようだ。

「ま、いいや。使い魔ちゃん、話は聞いていたでしょ? 貴女も手伝いなさい」

「……それは冗談で言っているのですよね?」

「それはこれから会いに行く神父に言って。あ、手加減抜きで殴っていいから」

「……ネロはどうするのです」

 美女の視線は隣室へと注がれる。
 ネロとは何を意味する言葉なのか玲愛には知ることが出来なかったが、それでも注がれる視線にはなにか暖かなモノが含まれていると察することが出来た。
 だから、なにか大切なモノがそこにあるのだろうと考えていた玲愛の思考を妙に上機嫌なルサルカの声がさえぎる。

「私の影に入れていくから平気よ。さぁーって、色々面倒くさそうだし、ちょ~っと気合を入れますか」

 話は決まった! とルサルカは立ち上がる。
 そんな気合の入りまくった魔女の姿に、初対面でありながら玲愛と美女は全く同じ事を考えていた。
 本当にこの結婚式大丈夫だろうか、と。


◇◇◇


<何を恐れることがあろうか。神の家たる教会にて永劫の愛を誓う。尊ばれるべきその儀式を邪魔するモノなど、何が許そうとこの私が許さんよ>

<随分と気張るな、カールよ>

<分からぬかな獣殿。彼の二人、その間にある隔絶は常人にとっては絶対に等しい。それを乗り越え、結実する愛の美しさ、尊さは賞賛以外の言葉では語れぬ。語らせはせぬ>

<そうかね。卿がそれほど浪漫主義であったとは……いま思い出したが、なるほど、では、卿の眼鏡に適った二人に私も言祝ごう>

<それはよろしい。ならば、ここに祝辞を贈るとしよう>


◇◇◇


 とある城(ヴェルトール)から贈られた祝辞によるものかどうかは分からないが、その三ヵ月後の十月。
 神無月と呼ばれるその月に、彼らは永遠の誓いを互いに捧げた。
 老女と青年の結婚式は多くの子供たちと善き隣人たちによって盛大に祝われたと言う。
 仕切っているのは血塗れた魔人たちであろうと、そこにあった笑顔は確かに幸福の縮図であった。



[21470] 大戦前夜 EX3
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。。








ex3『とある魔法使いの始まり』










◇◇◇


 それでは、始まりを語ろう。
 旧き神がいない、この世界の。


◇◇◇


 彼が目を覚ますと、そこは荒野だった。

「――……此処は、地球……か?」

 軋む身体を引き起こし、見渡す視界に人工物は少ない。
 広大な草原には春めいた気持ちの良い風が吹いており、空には小鳥達が舞っている。右手には何処までも無限に広がるような平原が広がり、左手には赤茶けた山脈が連なっており、その中腹に小さな村があるのが見て取れた。

「俺は……どうして……」

 混濁する意識の中、記憶を呼び起こそうとする。
 しかし、それは突然かけられた声によって遮られた。

「まだ、あまり無理をされない方がよろしい。貴方の肉も霊も魂も虹によってズタズタに引き裂かれたのだから」

「あんたは?」

 声に振り向くと、そこには突如として現れたとしか思えない唐突さで一人の男が立っていた。襤褸を纏い、蝋めいた白い貌を持つ男は寒気を覚える微笑を浮かべながらこちらを見下ろしている。
 男は誰何の声に僅かに考えたそぶりを見せながら、

「私はしがない詐欺師に過ぎませぬ。御身に名を覚えて頂く栄誉を、どうして私如き小物が浴せようか。私はただ、貴方をお迎えにあがっただけなのですよ。旧き神」

「……識っているのか。俺のことを」

「無論。拙いながら占術を繰る者として貴方を識らぬはずがない。もっとも、いまは本来の神格と権能を分断されてしまっているご様子。唯人の身となったいまの状態で神位に触れれば今度こそ粉々に粉砕されてしまいかねない。故、無理に記憶を引き出すのはお止め下さいますよう」

 丁寧な礼をする男の言葉に意識の何処かで反応する。
 神格も権能も分断される。肉も霊も魂もズタズタに引き裂かれた。
 それを、一体誰が為したのか。

「契約の虹。いまより凡そ1900年ほど後に現れる天才が放つ奇跡が貴方を断ち切った。不滅の魔女を割断するはずだった七色の閃光を邪神に利用されてしまい、いまの状況がある。ご理解頂けぬでしょうが、知っておいて頂ければそれで良い」

「虹……?」

 その言葉から引き出せた記憶は視界全てを覆う光。それを浴びて自分にとって大切なモノたちが全て引き剥がされたと言う事実だけが思い出される。
 最も振るい続けた武器を。
 最も頼りとした戦友を。
 最も愛した女性を。
 その光は全て自分から奪い去ったのだ。

「あいつは……あいつ等……あれ、名前が……」

 喉を裂く絶望は疑問となって漏れる。
 彼らの銘を、口にする事ができないと気がついたから。

「どうして」

「それは『まだ存在していない』ため。貴方はいま唯の人間となっておられる。故に因果の力に逆らえぬ。いまだこの宇宙に発生していない存在をどうして呼べましょうか」

「存在して、いない? でも、俺は……」

「この世界へと堕ちる時、軸が歪んだのですよ。御身が筆頭となってこの地に降臨され、戦鬼の心臓、魔導書、肉体、首、最後に杖が顕現する。それら全てを貴方が手にする事が出来たなら、宇宙に漂う貴方の神格を呼び戻す事も可能となる。それまでは、貴方は何一つ自身についての事柄を口に出せない。
 他者に認識されぬ神格など、それほどに無力なモノなのですよ。私がこうしてこの場に居合わせねば、貴方は永劫眠り続けたままであったでしょう。邪神の企みによって目を覚まさせられる、その時まで」

「それじゃあ、俺はどうすれば良い」

「心配は御無用。貴方が望むモノはこの道を歩いて行かれれば遠からず手に入ることでしょう」

 そう言って、男は草原が広がる地平へと指を向ける。
 それは村のある山脈とは逆方向であり、人工物は何も存在していない。
 道無き道をただひたすらに歩けと詐欺師は囁く。

「この先を真っ直ぐに。ただ只管進みなさい。一歩も止まらず、迷わず。振り返ってはなりませぬ。貴方が望むモノは他の一切を捨てねば届かぬ場所にある」

「もしも、止まったら?」

「全てを失い、別のモノを手にする事でしょう。その時、貴方は旧き神とはならず、時に英雄となり、時に英雄を導くモノとなるでしょう。故に魔法使いと、その時は呼ばれることになる」

 詐欺師を名乗る男が発する言葉は、しかし、絶対の預言であった。
 恐らくは間違いなくそうなるのだろう。
 何一つ分からないこの状況で、ただそれだけは理解できた。

「なら、俺は」

「そう早く向かわれるがよろしい。この場は直に月の王も降りてこられる故」

「え?」

 呟くのと、蒼穹の空が漆黒の夜へと変わるのはほぼ同時だった。

「なんだこりゃあ!?」

 叫びながら見上げた空には血が滴るような真紅の月が浮かんでいた。そこから一筋の流星が堕ち、其処には――

「村が!!」

 山脈の中ほどにあった村に直撃した流星は一切の爆発も起こさず、しかし、村の生命が『吸い上げられて』いるのが遠目にもはっきりと見て取れた。それは有無を言わさぬ搾取。それを受けた命は一切の抵抗も赦さずに殺しつくされるだろう。

「あれは……まずい。急いで助けに行かないと」

「ああ、あれではもはや生きているモノはおりますまい。そんなことよりも早く出立された方が良い。遠からず此処も彼奴の餌場として機能し始める」

「餌場? っていうか、そんなことよりってどういう事だ」

「些事であると言っているのですよ、旧き神。あそこは既に死地と化している。それに伝えたはず。この道を一時も止まらず歩み続けぬ限り貴方は貴方として存在するための全てを失うと。それでもよろしいのかな?」

 詐欺師の男は告げる。
 いまこの時を逃せば次はないと。
 しかし、魂の根幹が叫ぶのだ。霊の本質が訴えるのだ。肉を奔る血潮が動くのだ。
 其処で助けを叫ぶ人々を見捨てる事など出来ぬと。

「悪いな詐欺師。アンタの忠告、聞いてやれなくて」

 村へと向かって駆け出す刹那。
 男に礼と謝罪を残す。
 忠告を無視された詐欺師の男は、しかし、まるでそれが当然であるかのように一つ頷く。

「やはり、そちらを選ばれるか。何度言っても貴方は変わらぬ。故、気にする必要などありませぬよ。しかし、これより先名乗りを上げられぬは不便でしょう。良ければ貴方に名を贈りたいのですがよろしいか?」

「ああ、そいつはあり難い」

「ではキシュア――キシュア・ゼルレッチ・シュパインオーグと。戦鬼の心臓を捜すことです魔法使い殿。それを手にした時、貴方の『魔法』は完全となる」


◇◇◇


 背中に預言を浴びながら、キシュア・ゼルレッチ・シュパインオーグは疾走する。
 正義の味方と呼ばれる偉大なる魔法使いの伝説が、此処から始まる。
 この後、倫敦にてその命を果たすまで彼は走り続ける事になる。
 愛する魔導書の事も思い出せずに。





<やれやれ。アザトースの覚醒を阻むためとはいえ、心が痛む。胸が裂ける。ああ、この罪に応える為にも我が野望は必ず果たそう。旧き神、どうか其処で御照覧を。我が歌劇の出来栄え、無聊を慰める一助と成れば幸いである>





◇◇◇


 水銀の王の手によって月の王と邂逅させられた旧き神。
 それ故に生み出された宝石の魔法使い。
 その結果がどうなるか。
 どのような結末に至るのか。
 いと貴き座に在るモノ達だけが識る。



[21470] 大戦前夜 EX4
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。

 *注意!! クロスキャラ同士のカップリングがあります。苦手な方はギガマインを覚悟の上でお願いいたします。










ex4『とある少女の幸福風景』









 1766年。晩春。
 その日、その村では新たに一組の夫婦が生まれようとしていた。
 新郎は数年前に村へとやって来た若者。
 多くの辺境にある農村部がそうであるように、余所者に対して排他的な態度を取りがちな村の中にあって、彼は持ち前の社交性と長い旅生活で培ったという豊富な知識でもって溶け込んでいった。
 新婦は村で一番美しいと言われる少女。
 貴族にも見初められたこともあるほどの美しい少女は青年と恋に落ち、彼が村に溶け込めるように尽力し、その年月で更に関係を深めていく事になる。
 三度の春を迎えた頃、彼は漸く村の一員として正式に迎えられる事になった。
 少女と夫婦になる、という形で。


◇◇◇


 村の中央にある古ぼけた教会の一室。
 そこに純白の衣装で身を包んだ少女が生涯最大の晴れ舞台に上るため、両親の手を借りながら最後の支度をしていた。
 波打つ赤毛に宝石のような碧の瞳。
 こんな辺境の農村には似つかわしくないほどに整った面立ちは薄く施された化粧によって更に磨かれていた。美女を指して宝石と例える詩人は多いが、彼女を見たあらゆる歌い手は以後に他の女をそう呼べなくなるほどに彼女は美しかった。
 万人が羨む美貌を持つ彼女は、しかし、先程からころころと表情を変えて鏡に映る自分の顔をつぶさに見つめる。どうやら、それほどの美しさをもってまだ彼女は自分の化粧に納得がいかないようだ。
 古びた鏡台に並ぶ白粉に手を伸ばそうとする彼女に、年嵩のいった母が嬉しそうな困ったような、そんな色々と混じった声音で嗜めた。

「もう。そんなに塗りたくってはダメよ。あなたは元が良いんだから、お化粧は薄っすらと塗る程度で良いの」

「でもぉ……」

「母さんの言うとおりさ。白粉まみれな顔じゃ、かえって彼も驚いてしまうだろ」

「ううっっ……わかったわよ」

 両親にそう諭され、彼女は仕方ないとそれ以上化粧を上塗りする作業を停止する。それを見た両親は穏やかな笑みを浮かべ、その顔を見て彼女はなんとも気恥ずかしい思いに囚われる。
 十代も半ばといえば十分に大人として扱われるのだが、彼らから見れば彼女はずっと子供のままなのだろう。その扱いに反感を覚えるのと、そんな物がちっぽけに思えるほどの感謝を少女は胸に抱いていた。

「父さん、母さん。ありがとう。私、いまとっても幸せ」

「なにを言うんだ」

「そうよ。そういう台詞は孫を産むまでとっておきなさい」

 穏やかにかけられる言葉に、少女の目頭は自然と熱くなる。
 彼女にとって彼らは掛け替えの無い存在なのだ。
 実の親に捨てられ、飢えて死ぬか野犬に食われるしか道が無かった少女を拾い、ここまで育ててくれた老夫婦。
 その恩を漸く返せるこの晴れ舞台を前に、高揚しすぎた彼女の心が涙を作る。そんな少女を父は優しく慰めた。嵐の夜、悪夢を見た朝、他の子にいじめられた時と同じように。優しく手櫛でその滑らかな髪を整える。
 いつもと同じ温かな手に、少女の心も徐々に落ち着きを取り戻していった。

「ありがとう。父さん」

「いいさ。今後は彼にこの役目を取られると思うと、少し寂しいくらいだからな」

「もう。何言ってるのよ」

 父の冗談に心が平静になっていく。その感触はとても心地よかったが、しかし、それは逆を返せば冷静にいまの自分を振り返る時間が出来てしまったという事。
 高揚感が収まると、今度は焦燥が彼女の心を炙る。

「でも、本当に大丈夫かな? なんか変じゃない? おかしい所とかないよね?」

「大丈夫」

「ええ。とても綺麗よ」

 両親の言葉もこの時ばかりは慰めにはならない。彼らから綺麗とか可愛い以外の言葉をかけらたことが無いから、本当に大丈夫なのかと心配になる。
 なら、誰か他の人に感想を聞ければとも思うが他の村人達は既に礼拝堂の中。そんなところに準備も整っていない状態で突撃をかけられるほど、彼女は勇猛果敢ではなかった。
 故に、その来訪は神が与えたもうた祝福だったのかもしれない。
 ノックは二度。
 ドア越しの名乗りに少女の父はすぐにドアを開けた。
 そこに立っていたのは白髪褐色の神父。今日の慶事を取り仕切る神父に少女と両親は満面の笑みをもって出迎えた。

「これは神父様。今日は誠にありがとうございます。娘のためにこんなにも綺麗な衣装まで用意していただいて」

「神父が婚礼を取り仕切るは当然の事。礼には及びませんよ、舅殿。花嫁の支度はよろしいかな? 婿殿は緊張しきったようで早会場へと向かわれたが」

「あらあら。しっかりしているように見えたけれど、そういうところは歳相応なのね」

「さもありなん。本来は見届けるべき親がいない、天涯孤独の彼にとってこの村はやはり異郷なのだから。お二方、よろしければ式が始まる前に一つ声をかけてあげては頂けまいか。今日という日を境に彼とお二人もまた親子となる。父として、また母として、言葉をかけたならその凝りをほぐす事もできましょう」

 神父の提案に名案だと頷く二人は少女にもう一度だけ『綺麗だよ』と告げて部屋を出て行く。
 その後姿に否が応でも緊張は助長された。顔は強張り、手足には勝手に力が入ってしまう。農作業を手伝っていたから、健康的に焼けた肌がいまは酷く汚いものに見えて仕方がない。
 正直真っ直ぐ前を向いているのかどうかも分からなくなるほどに緊張しきった少女に、神父は一つ笑みを浮かべると、

「花嫁よ。……君は本当に良いのかね? 彼と結ばれて」

「へ?」

「彼と共にこれより後の生を歩み続けるのか、と問うている。どうかね?」

 唐突な神父の問いに少女は一瞬呆ける。
 まさか、今日これから式を挙げようとする花嫁に神父がそんな質問をするとは思っても見なかったからだ。
 しかし、すぐに合点が行く。

(あ、でもそっか。式が始まったら神さまの前で誓うんだ)

 去年あった友人の挙式を思い出す。
 式の終盤に『富める時も病める時も共に歩む事を誓うか?』という辺りの文言が確かあったはずだ。その直後に遭った誓いの接吻まで思い出して勝手に熱くなる顔をなんとか左右に振って元に戻しながら考える。
 褐色の神父は緊張しきっている少女の様子を哀れに思い、式の真似事をしてそれを紛らわそうとしてくれているのだろう。
 そう分かってしまえば、彼女の返答など決まっている。

「勿論です。私はゾォルケンを愛しています」

 自分が出来る満点の笑みを浮かべて、ただ純粋に答えた。
 神父はその返答に満足したのか、巌のような顔を綻ばせ、

「よろしい。ならば、汝に神の祝福が降り注がれん事を……それでは花嫁――アンナよ。本番もいまと同じように」

「はい、ナイ神父。よろしくお願いします」

 呼びかけに、彼女は立ち上がる。
 扉の向こう、愛する夫となる人が待つ、幸せに溢れた世界へと歩みだすため。





◇◇◇





 懐かしい夢を見た。
 まだほんの三年前の出来事。
 何もかもが幸せだった頃の記憶。
 いまはもう、その全てが亡くなってしまった幸福(モノ)が再生され、彼女は当に枯れ果てたナニカが瞳から落ちた。
 どうしてこうなったのだろう。
 放り込まれて数日。ずっと考え続けていた思考が再び脳裏によぎり、考え続ける力も無く項垂れた。
 意味がない。
 力がない。
 何より、彼女には未来がない。
 魔女の烙印を押された彼女は遠からず引き出され、火炙りの刑に処されるのだろう。
 優しかった両親がそうなったように。
 何もかもがどうでも良くなった彼女は、いつの間にかそこに立っていたモノに気がつくのが遅れた。もっとも、気づいたところでどうにもならない。下手に抵抗をしない方が『早く済む』事もわかっているから、視界の端に僧服が見えても助けを求める事はしなかった。
 もっとも、助けを求めたところで意味がない。
 被害者がどれだけ懇願しようと、正義を掲げる加害者が躊躇する理由などあるわけがないのだから。
 絶望が開いた悟りを胸に、汚辱を受け入れるため思考を深い深いところへ押し込もうとして、

「ああ、アンナ。やはりこうなったのだな」

 聞き覚えのある、重厚な声音に顔を上げた。
 そこに立っていたのは彼女を祝福した後に巡礼の旅に出た白髪褐色の神父。
 彼女を唯一汚していない、神の使いがそこにいる。

「……神父、さま?」

「まだ、私をそう呼んでくれるのか。アンナ」

 膝を折り、汚れに染まった彼女の頬に触れる。その手つきの柔らかさに、彼女は自然と涙を流した。何度となく叩かれ、殴られて腫れた頬は血が滲んでいるが、新婦はそれを意に介さずに拭ってくれる。
 その動作、その眼差しのどれもが狂ってしまったような世界の中で昔のままであり、だからこそ彼女は声を出して涙した。

「しんぷ、さま……わたし……わたしは、まじょなんかじゃ……」

「分かっている。分かっているとも」

 柔らかに微笑む神父の表情は慈悲が溢れている。
 これで助かる。
 これで救われる。
 これで、この地獄は終わるのだと。
 そんな幻想を抱いた彼女に、神父は告げる。
 お前の罪は、魔女である、などというものではないと。

「へ?」

「聞こえなかったかな? アンナ。君が犯した罪は魔女である、などという訳の分からないモノではないのだよ。近親相姦。実の父を夫として向かえ、子を作ったその行為こそ、お前が犯した罪だ。言っただろう? 『本当に結ばれて良いのか』と。二度もあった好機を捨て、罪を犯したのはお前なのだよ。アンナ」

「そん、な……し、知らない。私は知らない!! 彼と私が親子だなんて……だ、大体年齢だって!!」

「それこそ理由くらいすぐに分かるだろう? 何故、お前は此処にいる? どうして村人が魔女だ、など騒ぐ。なるほど、確かにお前の美貌は抜きん出ている。目立っているから足を引っ張られる。それもあるだろう。だが……まったく火の無いところに煙は立たぬだろう?」

 神父は告げる。
 彼女が愛した男こそが魔道の道に身を捧げた外道である、と。
 そして、それは同時に、彼女自身にもその外道の血が流れている、と。

「うそよ……」

「嘘ではない。あれは新しい身体に少しでも強靭な肉体を欲した挙句に自分の『孫』を使う男よ。あれほど躊躇無く外道を行う者は、中々おるまい」

 もはや、彼女の耳に神父の言葉は届かない。
 絶望が全てを飲み干していく。
 何もかも失った彼女は、最後に残った疑問を口にした。

「神父様。どうして、貴方はそれを知っているの?」

「当然。私がアレにお前のことを話したからよ。奴には『聖杯』を完成させてもらわねばならんのだよ。旧き神を招聘し、我が望みを叶える為には」

「……………………そう」

 全ては掌の上。
 自身を見下す神父を邪眼の如き瞳で睨み、制約を口にする。

「殺してやる……引き摺り下ろして地に這わせて永劫踏みつけて、殺してやる」

「善い。その殺意があれば、あるいは彼奴の目に触れるかもしれんぞ? 絶やさず囀り続けるがよい。水底の魔性の如く」

 神父は去り、彼女はまた置き去りにされる。
 奴の足を引き摺り下ろす力が欲しい。
 その渇望、呪詛の歌がとある告解師を招くのは、まだ先の事である。



[21470] 大戦前夜 EX5
Name: U.Y◆d153a06c ID:490dffbb
Date: 2010/11/02 17:44
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。

 *注意!! クロスキャラ同士のカップリングがあります。苦手な方はギガマインを覚悟の上でお願いいたします。










ex4『とある学園長の誕生秘話』











 1904年某日。
 それは突然告げられた。

『君に”神上”の創り方を開陳しよう』

 悪魔の囁きと知りながら、私はそれを受け入れた。


◇◇◇


 1943年のベルリンは間近に迫る敵軍の軍靴に怯え、それを覆い隠すための熱狂で沸いていた。
 東からはソ連が迫り、西からはアメリカ、イギリスが連合を組んで侵攻している。枢軸などと言って手を結んだイタリアが寝返るのは時間の問題だろう。
 迫りくる確実な敗北。そして蹂躙。四半世紀と経たずに喫する大敗北は彼らに何をもたらすのか。
 しかし、そんな不安を払う呪文を彼らは知っている。
 即ち『我らに勝利を(ジークハイル)』と。
 その在り様は正しく道化。
 俯瞰の視点を持つものならば、そのありようを嘲笑うか呆れるか憐れに思うか……地べたに座り込み、胡乱な眼差しで虚空を見つめるエドワード・アレキサンダーはそれがどうしようもなく知りたかった。
 空を見続ける。魅入られる。其処に堕ちていけたならどれほど幸せなことだろうかと。
 地上に縛られた身を呪いながらも羨望を続ける彼の視界を一つの影法師が遮った。

「それほど熱心に空を見つめてどうされた。魔術師(マグス)殿」

「……」

 返事をする必要を彼は感じなかった。元より世俗からは乖離した所で息をする彼に命じることなど、例え伍長殿であったとしても不可能だっただろう。
 しかし、この時彼の喉を詰まらせたのはそんなものではない。

「だれだ」

 三音。
 唇から発するだけで喉が焼ける。
 こちらを見下ろす翠玉めいた両眼に射竦められて動けない。
 それがどれほど異常な事態であるか。誰よりも彼自身がよく知っていた。
 この感覚に囚われたのは此度を含めても三度。
 千年を優に超える存在年数の中でたったそれだけしかなかった経験をこんな場所で味わう不条理にエドワードは恐慌しかけるが、影法師がすっと細めた瞳を向けるだけでそれは収まった。
 『収められた』と言うのが正しいのだろうが。

「恐れる必要はない魔術師殿。私は貴方に危害を加えぬ。むしろ、祝福するために此処に在る」

「しゅく、ふく……?」

「左様。貴方のご子息に。いや、まったくもって感服したと言う他ない。どうか賞賛を遅らせて欲しい。ヒトの一念がセフィロトを歪めたその功績、万言を費やした所で足りぬ。貴方は偉大なる業績を為したのですよ魔術師(マグス)殿」

「……あな、たは」

 影法師が告げるその言葉に即座に脳が反応する。
 思い出すのも憚られる、彼が創り上げた存在のことを。
 そして同時に影法師の正体を識る。

「洗礼者、ヨハネ」

「いまはカール・エルンスト・クラフトと。しかし、懐かしい名でもある。久しくそう呼ばれる事もなかった故に。ならば、私も旧きに倣いシモン殿とお呼びすべきかな」

 影法師は告白に目を歪ませる。
 それがその男の笑みだと知らなければ、恐怖で彼の魂が吹き飛んでいたかもしれない。
 最強最悪の魔術師。
 ルサルカ・シュヴェーゲリンやリーゼロッテ・ヴェルグマイスターを凌駕しうるとされたエドワードをして圧倒するその影法師。
 しかし、それも道理。
 カール・クラフトと名乗った影法師は彼に魔術の手解きを行った師匠であるのだから。

「では、シモン殿。話して頂けますかな? 貴方が産み落とした七頭十角について」

 促されるまま、エドワードは話す。
 それはまるで神に懺悔を捧げる信徒のように。


◇◇◇


 その存在がエドワードに接触してきたのは1904年のこと。
 彼が死蔵する最強の魔導書と最高傑作と呼ぶべき人造人間『ナームレス』を諸共に封印しようとしている時だった。
 この頃の彼は既に『目的』を失いかけていた。
 人の域を逸脱し、神の座に到達する。
 その願いは、しかし、決して果たすことが出来なかった。十字教が支配するこの世界にあって、それは『絶対』の摂理として存在していたのだ。
 故に、彼は自身の探求に幕を引こうと考えた。
 この世はあと100年と持たない。
 幾千繰り返した占術の全てがそれを指し示す。そして、おそらくはそれを為すであろう強大な魂の誕生を遠く離れたエジプトの地でさえ感じ取ることが出来てしまう。

「破壊の君は独逸で生まれるか」

 その事実に感慨は沸かない。
 その国にはいま、最強と目される魔女が二人存在することも瑣末なことに過ぎない。
 だが、それらの勢力に自分の『作品』を自由にされるのは面白くないと彼は思ったのだ。
 既にヒトから脱却するために不要なものを残さず削ぎ落とした彼にしては不可解なほど、その行動は人間的であった。
 つまり、彼は恐れたのだ。
 世界を滅ぼす何者かに自分を父と呼ぶ人形(ヒトガタ)が壊されることが。
 気付かぬうちに。無自覚に。自然と彼女を守ろうと行動した。
 ヘレナというかつて一度だけ結んだ愛を思い起こす縁(ヨスガ)とし、結局は名前を付けずにナームレスとだけ呼び続けた娘との最後の晩餐。
 悪魔が現れたのはそこだった。

『君に”神上”の創り方を開陳しよう。君が持つその銀の杖……その全能を視たいとは思わないかな?』


◇◇◇


 その後に行われた研究はそれまでの停滞が嘘のような速度で進むことになる。
 叡智を与える謎の存在は自身を『エイワズ』と呼び、エドワードはそれを『天使』と位置づけすることで交信をより安定させることに成功した事が大きい。
 聖書にも登場せぬ謎の天使から告げられる知識の数々はあまりにも魅力的であり、同時に凄まじいモノだった。
 ついには異界の邪神を一部とはいえ召喚することに成功するに至り、彼は一冊の魔導書を作り出すことになる。
 彼が持つ最強の魔導書を超える一冊とするために。
 エイワズの叡智と自身の研鑽とを掛け合わせて生み出したその一冊の銘を『法の書(リベル・レギス)』と言う。
 しかし、この魔導書はそれ単体では不完全であった。
 何故なら、エイワズが告げた知識の中にはエドワードであっても読み解けない箇所が数多存在し、それらの記述が踊る魔導書を読むことなど、人間の身では出来なかったのだから。
 故に、それを操る存在が必要だった。

 人間を超えた――神上の存在が。

 その役目を与えられたのはナームレス――人造の聖母とするのに全ての属性を内包したこの人造人間(ホムンクルス)以上の母体が存在しなかったのだ。
 彼女はエイワズが齎(もたら)した『血』で創った子を腹に宿すことになる。
 考え得る最上の胎と胤。
 それを更に強化するために施された魔術儀式。
 その果てとして生まれた存在はエドワードが望んだ通り――むしろそれ以上――の化け物として誕生した。


◇◇◇


「なんだ、コレは……」

 部屋中に撒き散らされた肉片を、全身を濡らす生ぬるい粘液を、それらが元は何であったのか訴える脳を、その全てを無視してエドワードは呟いた。
 コレはなんだと。
 目の前に立つ”金色の青年”を視たとき、問答無用に浮かんだのはその疑問だった。
 なんだこれは。
 どうしてこんなものが存在している!
 どうしてこんなものが存在して許される!!
 戦慄に凍る彼の背中に場違いなほど陽気な声が叩く。
 彼を此処まで導き続けた『天使』エイワズである。

『おめでとうエドワード。君はついに完成させたんだ。『世界を終わらせる獣』を!!』

 歌劇の役者めいた物言いに凍った時が動き出す。
 一糸纏わぬ――内側から引き裂かれた母体の血だけを身に着けた『生まれたばかりの青年』は魂を貫く金色の瞳をエドワードに向けると、路傍の石を見たような反応で視線を外した。
 それに全身全霊の安堵が浮かぶより早く、彼の理性が激発した。

「■vbんm■■hjkl■rちゅいおp」

 人間の喉では発声できない呪文を紡ぎ、二色の虹を放出する。
 第二魔法に該当する平行世界運用の応用――対象の魂魄を七つに分割し、平行世界へと散逸させる『虹』と呼ばれる秘術。
 彼が行ったのはその模倣である。本家のそれと比べれば弱く、また本来は使えぬ術式を邪神に喉を捧げることで可能にすると言う無茶な行為のために確実性は望めない。
 しかし、それでもエドワードは術を止めることが出来なかった。

 これはヒト全ての敵である。

 霊感によらず、生物の本能が告げるまま彼は術を編む。
 終生人語を吐けないことも覚悟の上で放った乾坤一擲の魔術は肉体と魂魄とを割断する事に成功し、更には魂のみとは言えこの時間軸から放逐した。
 一瞬の虹色が潰えた後、残されたのは、無残な肉塊となったナームレスと静かに横たわる金色の青年の死骸。
 そして、いまだ背後から去らない『天使』のみだった。

『ああエドワード。君はなんて酷いヒトなんだ』

(……コレが狙いだったか)

 全身を捉える虚脱感に抗いながら念話を起動させてエイワズを強く睨む。
 しかし、確固たる姿を持たず、ただ黒い靄のような身体に人間ならば額に当たる部分に灯る第三の眼だけを持つエイワズは炎の魔眼を揺らめかせながら言う。

『そうだとも。言っただろう? 神を超える存在の創り方を開陳すると。本当にありがとうエドワード。君は僕がして欲しい全ての事を為してくれた』

(なん、だと?)

 疑義を挟むより早く、エイワズは『法の書』を名も無き青年の抜け殻に被せ、それを諸共に『生贄』として捧げてしまった。

(なにを……)

『君には伝えたと思うけれどねエドワード。この世界は白痴の神によって閉ざされている。無限に繰り返されるこの世界は異界の神――鬼械神の招来を特に阻止しようとしているんだ。だから、鬼械神を召ぶには生贄が必要になる。此方と彼方とを結びつけ、縁を繋ぐため。神を一柱丸ごと召ぶにはどれだけの生贄が必要か分からない。けれどね? 生贄がそもそも『ヒト以上なら』どうなるか、分かるかな?』

 その理屈は非常に単純。
 邪神のいる異界へと通じる『陥穽』を開いてこちらに招くこの召喚術は逆説的に『こちらも覗かれている』と言うこと。
 人間に比べればあまりにも強大であり強壮である邪神を招くのは此方が向こうに招き寄せられる危険性を孕んでいた。
 だからこそ、術者はあらかじめ『通行料』としての生贄を支払ってしまうのだ。
 これだけ捧げるからどうかそれに見合う力を貸して欲しいと。
 エイワズによって告げられた召喚の大原則を思い出しながらエドワードは戦慄する。
 いま、生贄に捧げられたのは彼が生み出した窮極の魔導書とそれを操るために生み出した窮極の人型――常人に数えなおそうと思えばどれほど天文学的な数字になるか分からないほど膨大な『存在』が既に捧げられている。
 魂こそ抜けているがそれを差し引いたとしても一体どんなモノが呼び出されるというのか――

『エドワード、君が本当に彼を滅するつもりなら『銀の杖』を使ったはずだ。それは杖であると同時に神剣でもあり、神々を切り裂き封じる絶対の武装。使いこなせないでも、いまの彼ならば充分に滅ぼせた。それをしなかったのは『器』がそれだけの力を持つと分かっているからだろう? 我が子も同然の器に入ろうと、そう考えていたのだろう?』

 揶揄するようなエイワズの声に返すことも出来ない。
 それが正鵠を射ているなら、尚のこと。

『愛すべき強欲だ。だからこそ、世界は滅びる』

「あ、ああ……ああああああああっっっっっっ!!!!」

 音をさせて開く『扉』の向こう。
 視てはならないモノを視た彼は、何度も己の眼球を抉りながら彼は喉を振るわせる。

『そうそう。手伝ってくれたサービスだ。君に『深きもの』の血肉に混ぜておいたんだ。喜んでくれるかい? 君はようやく、人間を辞められたのだから』

 天使の福音めいた女の声が、彼の脳髄を溶かして消した。


◇◇◇


「なるほどなるほど。あの波動はその発現……七頭十角の獣が操るべき乗機の現出ならば頷ける。シモン殿がその場になければ今頃は世も滅んでいたことでしょう」

 全てを聞き終えた影法師は、しかし、何故か機嫌が良さそうに何度も頷く。
 彼にはそれが不思議でならなかった。
 世界を滅ぼす因子を作り出した。
 余人ならば与太話と笑い飛ばすであろう代物だが、この影法師に関してその心配はあたらない。何故なら、彼のほうがよほど摩訶不思議な存在なのだから。
 そうしている内にエドワードは一つの可能性を思い至った。

「し、よ」

 貴方は全て知っていたのでは?
 問う声は影法師に遮られた。

「シモン殿、貴方は復讐を望まれるかな? エイワズと名乗った世を滅ぼさんとする邪悪を、討ち倒したいと願うかな?」

「なに、を」

「言葉の通り。いま、貴方には二つの道が存在する。エドワード・アレクサンダーとして潰えるか、あるいは新たな名を受けて邪神を殺すもの――『神浄』を作り出すことを選択するか。選ばれよ魔術師(マグス)殿。いまこの瞬間が貴方の岐路である。貴方の千年を超える道程は全てこの刹那を選ぶために在った」

 宣告はそれが真実であると言う重みと共に降り注ぐ。
 邪神を討つ。復讐する。
 それはあまりにも荒唐無稽に過ぎる話だった。
 あの金色の青年にしろ、それによって呼び出されたモノにしろ、エイワズにしろ、ヒトの身ではあまりにも桁が違っている。二度と立ち会いたいとはとても思えない。
 だが――惜しいと思うのだ。
 ヒトを超え、神座に届く存在を作り出す。
 それに一度は成功したと言う事実が惜しいと思ったのだ。
 今度こそこの手で作り出す。

『頂きに届くことはない』

 かつてそう祝(呪)った師を越えるためにも。
 その意思を感じ取ったのか、影法師は目を綻ばせ、

「では、以後貴方は『アレイスター』と名乗られよ。その牢獄(ゲットー)を打ち破れんことを切に願う」

 生涯二度目の洗礼を浴びて、その日、アレイスター・クロウリーはこの世に生まれたのだった。



[21470] 第二話 ブラックロッジ
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:33

 第97管理外世界――現地名称で地球。
 その衛星の一つである月のクレーターに人知れず建設された魔城にて、その『戦争』は人知れず開始された。
 次元世界における法の番人を標榜する時空管理局が向けたのは精鋭中の精鋭が揃う次元航行艦隊の中でも随一と呼ばれる勇将クロノ・ハラオウンが率いるXV級艦船『クラウディア』を旗艦とし、他に巡洋L級三隻からなる大艦隊である。
 同行している魔導師たちもその殆どがAランク以上であり、クロノ提督の他に数名のオーバーSさえ含んだ大戦力がその組織を壊滅させるために差し向けられた。
 この過剰ともいえる戦力の投入は管理局内部からも大なり小なりの批判を受けることになったが、そんなことは瑣末なことであるといわざるを得ない。
 何故なら――

「総員退避ッ! オペレーター、補足し次第転移を開始しろ。AAランク以下の者は回収されるまで防御魔法を維持することだけに集中しろ!!」

 管理局屈指の戦力をもってしてもその組織――『ブラックロッジ』にはまるで足りていなかったのだから。

「なんだこれッッ! なんだよこれぇええええ」

 Aランクの陸戦魔導師は防御魔法など無いかのように燃え広がる漆黒の炎に巻かれて灰すら残さず焼滅した。

「いやだだだああああがあああああ!!! く、食わないでくれええええ」

 数十の犯罪魔導師を相手に武勇を誇った空戦魔導師は全身の穴という穴から奇怪極まりない蟲に集られ、生きながらにして貪り食われた。

「魔法が効かない!? 馬鹿な、AMFでも張ってるって言うのかよ!!」

 あらゆる砲撃、射撃魔法をいなして逸らす外法に翻弄され、嘲笑の下に蹂躙される。
 その光景はあまりにも馬鹿げていた。
 荒唐無稽。これが夢であるならばすぐにでも覚めてくれ。
 この場にいる全ての者たちがそう願い、しかし悪夢たちは嘲笑いながら現実として屹立していた。

「なんの冗談だ」

 この世はこんなはずじゃないことばかりだ。
 そのことを承知しているクロノをしてその光景は信じられなかった。
 そも、誰が想像出来るだろう?
 たったの『三人』に三桁以上の魔導師が圧倒されているなど。

「くそっ」

 これでは撤退する間もなく文字通りに『全滅』させられる。
 そう判断したクロノは両の手に白と黒のデバイスを顕現させた。師と父の遺品である二本の杖にありったけの魔力を込めて最も近い『敵』に向かって疾走する。

「ほう。それなりに強い力を感じるな」

「デュランダル! S2U!」

<OK.Boss!>

<詠唱開始>

 吶喊するクロノに対して悠然と構える敵――漆黒の軍服を纏った銀髪の青年は虚空に五芒星を展開する。その魔方陣に触れたあらゆる魔法はいなされるか、あるいは青年に吸収されていることは既に何度も目撃している。
 故にクロノは漆黒のテバイス『S2U』で詠唱していた魔法を発動させた。

「強制転移」
<トランスポート>

「なっ!?」

 S2Uから放たれたのは攻撃魔法ではなく対象を指定した空間へと飛ばす転移魔法。不可思議な手管で全ての砲撃や射撃をいなし続けていた青年に対して攻撃魔法は危険と判断したクロノの苦肉の策は、しかし見事に功を奏して、銀髪の青年を最寄の無人世界へと飛ばすことに成功する。
 犯人の逮捕よりも後退をするための時間を稼ぐ。そのための選択が結果として敵の無力化という結果を引き寄せた。
 その成果を目の端に止めながら次の獲物へと視線を向ける。
 一人は召喚師と思しき無数の蟲を使役する老人。いま一人は如何なる防御も焼き尽くす漆黒の炎を操る黒衣の少女。
 片方ずつ確実につぶすことが出来れば最善なのだが当然、それをさせるほど彼らは騎士道精神に溢れてはいない。

「ほう。面白い術を使う。アウグストゥスをあっさりと退けるか」

「いまのはアレの油断でしょう? まったく、坊やは百年経っても坊やと言うことね」

 一瞬で無力化された仲間のことなど無かったかのように二人の魔人が同時に行動を開始する。
 老人が無数の毒虫を地面に展開し、空は魔女によって必殺の焔が膨れ上がる。
 この状況で出来ることは一つ。

「悠久なる凍土 凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ」

 最大威力で先手を打つことのみ!

「凍てつけ!!」
<Eternal Coffin>

 振り下ろされたデュランダルから絶対零度の魔法が解き放たれる。あまりに広範囲に効果を及ぼすクロノ最大の魔法は緒戦で使うことは出来なかったが、既に周辺に生きている隊員はおらず、あるのは骸のみ。
 故にこそ使うことが出来た極大の凍結魔法は魔人二人の動きを僅かに止めることに成功した。
 しかし、言ってしまえばそれだけ。
 放ったクロノだからこそ、手応えで相手にさしたる手傷を与えられなかったことは十二分に理解することが出来た。数時間とせず彼らは復活するだろう。

(けれど、これで時間は出来た。これでなんとか撤退することが出来る)

 そう確信した、その直後。

「――――な、に?」

 念話によってもたらされたその報告を最初は信じることが出来なかった。
 咄嗟に見えるはずのない、宇宙空間に停泊している艦隊の方へと振り返りそして――無数の閃光が爆ぜる所を確かに目撃してしまった。最期に送られた念話が正しければその閃光は……

「逆十字三人を同時に捌くか。なるほど、英雄の名は伊達ではないらしい」

 いっそ穏やかなその声はクロノの視線の先。見ることなど出来ないはずの距離を隔てた場所から届く。
 見えないはず。
 聞こえないはず。
 だというのにクロノはその存在が口にする言葉の全てを、確かに見聞きすることが出来た。

「だが、その乗機は話にならんな。貴公もこのような駄馬では本領を発揮することは叶うまい」

 酸素など欠片もない、致死の太陽光が照りつける必死の空間で涼やかにこちらを見下ろすのは美しい青年だ。
 黄金の鬣と金色の瞳。
 完成された美貌は見る者の魂を凍りつかせるほど。
 一目で確信した。これは人間ではない。
 そも、純粋な人間ならばいかに高ランクの魔導師であっても『次元航行艦を撃破する』など不可能だろう。

「マスターテリオン」

 大導師マスターテリオン。
 ブラックロッジの首魁であり、強大無比な魔導師として次元世界に遍くその名を轟かせた次元犯罪者。
 黄金の獣と呼ばれる由縁は単純にそれが人間という存在から大きく逸脱しているからこそつけられているのだ。

「あるいは貴公が、とも思ったが……まあ良い。他に候補がいないわけではない」

「なにを……」

 意味不明な言葉を続けるマスターテリオンは、しかし既にクロノに興味を失ったのか、おもむろに掌を向けた。

「余興である。この一撃、耐え切ったなら命は救おう」



 ABRAHADABRA



「っ!」

 息を飲んだ刹那。
 全身が黒い稲妻に飲み込まれた。
 その一撃は防ぐことも避ける事も出来ず、完全にクロノの生命を奪い去る。
 意識が完全になくなる間際、彼が思ったのはただ一つ。
 この地獄に共に来てしまった血の繋がらぬ義妹の安否、それだけだった。


◇◇◇


「ってな感じでいまごろお空の上で一大戦争をやってると思うんやけどかみやんはどう思う?」

「いや、なんていうか……厨二病乙としか」

 なんやとう!? と憤る青髪ピアスを無視してアンパンをぱくつく上条。随分と冷たい反応に見えるが昼休みのチャイムが鳴ると同時に前の席に陣取るや否や聞いてもいない噂話などを捲くし立てているのだ。これが上条以外の誰かならとっくに愛想を尽かせて逃げ出しているところだろう。
 上条はアンパンを牛乳で流し込むと、

「それにしてもありがちだよな、世界征服を企む悪の組織とか」

「まあ、外じゃ学園都市自体がそう思われとる節があるから別に不思議じゃないんちゃう? ほら、こないだ制式採用された警備員(アンチスキル)の釼冑(ツルギ)とかいうあれ。あれ一体あれば十分軍隊とがちれるらしいで?」

「……それってマジ話だったのか?」

「なに、かみやん知らんかったの? わりと話題になってやんか」

 そうだっけ? と返しながら上条はもう一方の話題についても小首を傾げた。
 謎の犯罪組織『ブラックロッジ』。
 学園都市でさえ解析できない未知の技術を用いて数多の犯罪行為に手を染め、その多くはいまだに捕らえられることなく学園都市の闇に蠢いているらしい。
 正直レベル6計画の事や三沢塾での事件を知る上条としてはそういう組織もありえるかもしれない、程度には考えていたがその組織の本拠地が月に在るだとか大導師と呼ばれる首領は生身で宇宙空間を飛行できるなんていうレベルの話になってしまうと胡散臭い事この上ない。
 まあ、だからこそこうして教室の片隅で四方山話にする事ができるとも言えるが。

「ま、ブラックロッジが本物でも何でもどうでもええか。それよりかみやん。実は昨日土御門がめっちゃ美人なお姉さん連れてるん見たんやけどかみやんその辺の事なんか知ってる?」

「なん、だと? そっちの方が重要じゃねえか。ってか、昨日はあいつ部屋に帰ってきてないはずだぞ」

 mjk!? と叫ぶ青髪ピアス。
 世界の異常さを理解できる唯一の人間は平和な午後を過ごし、それ故に天上で鳴り響く開戦の号砲をいまだ知る事はない。
 いまは、まだ。


◇◇◇


 ブラックロッジの拠点、月面に古城の最奥に在る玉座の間。
 その場所に次元航行艦隊を迎え撃ったブラックロッジにおける最高幹部にして各々が魔道の極致に至った七人の逆十字――『アンチクロス』の内五人が集まっていた。

「――以上が先の襲撃における被害になります」

 分厚い資料を片手に報告を上げるのはこの場所で唯一の魔人ではなく、しかし科学という道において極点に立つ老人である。大導師マスターテリオンからはウェスパシアヌスの魔名を与えられた科学者――木原幻生は嬉々として戦果を報告した。

「続いて確保できた素体ですがA級以下が一〇〇余り。AA級二四。AAA級一〇にS級が一……被害を埋めてあまりありますな。もっとも、同士諸君がもう少し自重して頂ければより多くの素体が確保できたのですが」

 そういって木原が向けるのは先の戦いで矢面に立った三人のうち、青年と老人の二人だ。

「ティベリウス、アウグストゥス。貴様らが上げた戦果とはいえもう少し組織に還元しようとは思わんのか」

「カカッ、これは手厳しい。だがなウェスパシアヌスよ、アウグストゥスとは違い儂はほれこの通りの老体よ。運動のあとに体の手入れをしなければ満足な働きは出来んでな。お主とは違い儂は今しばらく戦場を渡らねばならんのだ」

 殺意さえ孕んだ木原の言葉に答えたのはティベリウスと呼ばれた老人だ。枯れ枝が和服を着ている。そう表現するのが正しいと思えるほどにやせ衰えた老人は、しかしその深く窪んだ眼窩から執念と妄執の炎が灯っているのが見て取れ、同時に木原に対して明らかな侮蔑が込められていた。
 和装の魔人が言った事に嘘はない。その体を無数の蟲によって形作っている老人にとって戦闘をすればそれを埋めるための『肉』を他所から集めなくてはならないのは厳然たる事実である。本当ならば、そのような命を削る真似を忌避する老人にとって、安穏と結果だけを受け取る木原はなるほど噴飯を感じるのは当然なのかもしれない。
 そして、青年もそれに同調する。

「ティベリウス殿の言うとおり。科学の徒である木原殿には分からないだろうが我々は力を尽くすために必要な戦利品を頂いたまで。もとより、最上級のSはそちらに譲ったはずだろうに。どうしても欲しいなら、自慢の能力者とやらで魔導師を狩ればいい」

「くっ。この屍体喰らい(ネクロフィリア)どもめ」

 木原の言葉に青年はただ肩を竦めるのみ。体の修繕に肉が必要なティベリウスとは違い、アウグストゥスと呼ばれた青年はただひたすらに自分の糧とする為に百人近い女性魔導師の子宮と心臓を抉り取っていた。
 ……もっとも、その行為自体に憤る人間はこの場所に一人もいない。木原にしても貴重な素体候補を食い散らかされ、更には二人の言葉や所作の端々に現れる侮蔑の念に対して怒りを覚えているのだけなのだ。
 しかし、だからとおめおめ引き下がる事をよしとする木原ではない。更に言葉を重ねようと口を開き、

「ティベリウス、アウグストゥス。それ以上つまらぬ事で場を乱すな。時間が勿体無い」

 鈴の音じみた声が木原の言葉を飲み込ませ、更に老人と青年の視線さえ控えさせた。
 魔女……漆黒の衣に身を包んだ十代半ばほどの少女の外見をしたその魔人は、しかしこの場で大導師を除けば最強の存在である事をこの場の全員が知っていたからだ。
 魔女は老人にその殺意交じりの瞳を向け、

「そんな些事よりも、だ。ティベリウス、例の儀式は大丈夫なのだろうな」

「なに、心配する事はないティトゥスよ。ネロ……聖杯の調整はクラウディウスの協力もあり順調じゃよ。あとは各々がサーヴァントを召喚すれば、いつでも開始する事ができる」

 のう、と水を向けられたこの場にいる最後の魔人――闇が人の容を持ったような黒い女は自分の手の甲をその場の全員に見せた。そこには幾何学的な三本のラインで構築された紋章が刻まれていた。

「これが令呪。奇跡を願うための挑戦権になるわ」

 その紋章は世界の果てから過去の英雄を使い魔(サーヴァント)として招聘し、使役するための大魔術。
 かつて冬木という街で執り行われていた七人のマスターと七騎のサーヴァントによる殺し合いによってあらゆる望みを叶える聖杯を召喚するという大儀式に用いられた代物である。
 ティベリウスはその大儀式を復活させるために十年という時を掛け、ブラックロッジという後ろ盾とクラウディウス、ティトゥスという協力者によってついに復元させる事に成功したのだ。

「ティベリウス、ティトゥス、クラウディウス。大儀である」

 その仕儀にこれまで無言だった大導師が言葉を発した。

「では、これより逆十字による聖杯戦争の開始を許可する。各々の願望を叶えるため、己の秘術を駆使せよ」

 それは酷くあっさりと下された開戦命令。
 本来、お互いの戦闘は禁止されているアンチクロス同士の殺し合いがいまこの時をもって解禁された。

「貴公らの戦場は既に万端整っている」

 そう言って虚空に映し出されたのは木原としては良く見知った日本の西東京に広がる町並み――学園都市。
 それを見た木原は皮肉げに口元を歪めた。本来、彼は学園都市側にブラックロッジの情報を送るために派遣された工作員だったのに、気がついてみれば大幹部にまでのし上がっている自分のいまの位置が彼の琴線に触れたのかもしれない。

「カリグラから既に現地で霊脈の最終調整を終えたと報告が来ている。現地に跳び、直ちに儀式を進行せよ」

 瞬!

 大導師の指令にまずアウグストゥスが転移し、ティトゥス、ティベリウス、クラウディウスが続いていく。
 最後に残された木原は儀式に参加しないが、それでもとある目的のために地上へ戻らなくてはならない。もっとも、そのための手段を用意するには今しばらくの時間が必要な計算なので、特別慌てずに戦地に赴いた同輩たちを見送った。
 それ故、滅多にはないマスターテリオンと一対一という状況に木原はふと浮かんだ疑問をぶつけた。

「大導師、貴方は誰が勝つと思われますかな?」

 これより執り行われる聖杯戦争はサーヴァントとマスターの殺し合い。七人の魔術師を用意する必要から技術協力を受けた魔術組織に一枠、あと二つの枠は聖杯が適当に選んだマスターという事になる。
 しかし、いくら敵同士とはいえアンチクロスの四人は邪魔者が混じった状態で決戦を挑もうとはするまい。ならば結果的に他の三人が排除された後に身内同士の殺し合いとなるだろう。
 ならば、果たして誰が残るのか?
 その疑問から発せられた問いに、しかし、マスターテリオンは僅かに目を細めた。

「さて、どうかな。彼の地には逆十字に匹敵する存在がいる」

「カリグラとその一党ですかな?」

 この場にやって来なかった最後のアンチクロス――カリグラの魔名を持つ魔女は元々ブラックロッジとは別個の魔術師集団からやって来た人間である。そして、マスターの一人もまた、その組織から輩出される事になっている。

「聖槍十三騎士団黒円卓……戦中の与太話と思っていたのですがな」

 かつてナチスドイツが敗戦濃厚な戦況を覆すためにオカルトに縋った結果生まれた闇の集団。その戦力は幹部でもない一騎士がアンチクロスの一角を担っている事から推し量る事ができるが、だからといってサーヴァントを得たアンチクロスに敵うとはとても思えなかった。
 それだけサーヴァントとは強力である。引いたカード次第ではマスターテリオンを屠る事が可能ではないかといわれるほどに。
 しかし、

「少なくとも、黒円卓の双首領は余に匹敵しよう。その近衛にある三騎士ならばあれらは敵うまい。いまは一時的に別の時空へ渡っているようだが……」

 カリグラからの報告で彼らを現世に帰還させる儀式が聖杯戦争と同じ学園都市にて執行されることになっていると伝えられていた。

「ならば……」

「聖杯降臨前に『愛すべからざる光(メフィストフェレス)』が戻れば、もはや聖杯戦争どころではあるまい。アレは加減がない。悉く討ち滅ぼされるだろう」

 アンチクロスの常識外れ具合を知っているからこそ俄かには信じられない言葉ではあったが、マスターテリオンが嘘を言う必要が皆無であるという事実がその言葉の正しさを証明していた。

(なんという事だ……)

 木原の知る限りにおいてアンチクロスや目の前の大導師はこれ以上ないほどの超人である。
 これらに伍する存在が他にいるなど……

「興味深い。実に興味深い」

 一刻も早く、自分も彼の地へ赴き、存分に検分したい。
 そのためには――

「一刻も早くアレを完成させねばならん。忙しくなる。忙しくなるぞぉぉぉ」

 その目に狂想を映しながら遅まきながら木原もこの場を後にした。
 常人でありながらアンチクロスの一角を担う木原幻生という人間は、しかしやはり魔人なのである。
 その背中が消えたあと、マスターテリオンは一人、虚空に映る街並みに目を向ける。

「さて、これで下準備は整ったはず」

 ブラックロッジによって執り行われる聖杯戦争。
 聖槍十三騎士団黒円卓首領を現出されるために執り行われる大儀式。
 これらはどちらも血を見ずには行えない儀式である。なによりも、それを執行する者たちが魂の隅々に至るまで邪悪が染み渡った存在たちである。
 故に、マスターテリオンの望みは叶えられる。

「悪に立ち向かう怨敵(善の極致)よ。早く余の前に立ちふさがるがいい」

 悪性が強まれば強まるほど、善性は研ぎ澄まされる。
 これほどの悪。これほどの邪悪が渦巻く魔都ならば、必ずやそこから産み落とされるはずなのだ。
 大十字九郎に成り代わる、魔を断つ剣の担い手が。

「早く来い。我が怨敵よ」

 焦がれるようなその呪詛が告げる。
 闘争の開幕を。



[21470] 第三話 黒円卓
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/09 16:53
 その日は特別な事が何もない一日だった。
 いつも通りに起きた。故郷から持ってきたmede in japanの目覚まし時計は低血圧なんて容赦なく駆逐して叩き起こしてくれる。おかげでこれまで遅刻とは無縁な生活を送れているのだけど、それでもジリジリジリ! という金音は正直頭が痛くなるような気がする。
 いつも通りに仕事をした。上司の悪口を言い合ったり怒鳴られたり失敗した後輩の尻拭いをしたりして時間をやり過ごしているといつの間にか定時を回っている。それじゃあ、と逃げ出そうとした所を『日本人が定時に帰るんじゃねえ!』と実に差別というか偏見というかな文句をつけられて残業する羽目に。
 いつもの通りに帰宅した。あとはシャワーで一日の疲れを流したらベッドにダイブして一日終了。
 ――俺にとっての『いつも』が崩壊したのはこのステップだった。

「……は?」

 実に間抜けな声。
 そんなのが断末魔なんていやだなぁと思いながら、俺は木乃伊になって死んだ。


◇◇◇


「Wo war ich schon einmal und war so selig
かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか」

 倫敦。
 その都市の名を知らないものは少ない。

「Wie du warst! Wie du bist! Das weis niemand, das ahnt keiner!
 あなたは素晴らしい 掛け値なしに素晴らしい しかしそれは誰も知らず また誰も気付かない」

 表向きには世界でも屈指の大都市として。
 表向きには世界でも屈指の魔術的拠点として。

「Ich war ein Bub', da hab' ich die noch nicht gekannt.
 幼い私は まだあなたを知らなかった

Wer bin denn ich? Wie komm'denn ich zu ihr? Wie kommt denn sie zu mir?
いったい私は誰なのだろう いったいどうして 私はあなたの許に来たのだろう」

 表向きしか知らないものは思うだろう。今日も平和な一日が終わると。
 裏向きを知るものは思わないだろう。ここを襲う存在が世界のどこかにいるなどと。

「War' ich kein Mann, die Sinne mochten mir vergeh'n.
 もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい

Das ist ein seliger Augenblick, den will ich nie vergessen bis an meinen Tod.
何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても 決して忘れはしないだろうから」

 故にこの結果は必然。
 そもそも、奇襲とはされる側が予期せぬからこそ奇襲足りうるのだから。
 自身の渇望をもって現実を侵食する。聖槍十三騎士団黒円卓の副首領カール・クラフト=メルクリウスが組み上げた秘術(エイヴィヒカイト)において第三階梯に位置する『創造』の発現。

 そのトリガーとなる聖句がいま唱えられ――



「Sophie, Welken Sie
ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ」



 ――もって、開戦の号砲となる。


◇◇◇


 その夜、倫敦は永い夜を迎える事になった。

「クッ」

 倫敦を一望できる尖塔の上。闇の帳に包まれた街を見渡せる位置に立つ男の口元から堪え切れないとばかりに嗤いが漏れる。病的なまでに白い肌をした長身の男にとって、自分が引き起こした眼下の光景はまさしく歓喜を呼び起こす物なのだろう。
 街を行く人々は次々に干からび、例外なく枯渇して死んでいく。車を運転しているうちに吸い尽くされた者が大勢いたのだろう。あちらこちで爆音と悲鳴が起こり、漆黒の帳が下りた夜空に紅蓮の蛇がのたうち始めている。
 この夜の下にいるありとあらゆる水分が男によって吸い上げられていく。水もガソリンも血液も……悉く飲み干して残っているのは空になった肉の袋のみ。
 その光景は正しく阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
 死と恐怖に満たされていく街並みをさも愉しげに見下ろす男の姿を余人が見たならば気でも狂ったのかと思ったかもしれない。あるいは逆に納得したかもしれない。老人……特に先の大戦を潜り抜けた経験のある者ならばむしろ男の態度を当然と受け取るだろう。
 髪も肌も白く、目元には夜だというのにサングラスをかけたその男の服装は黒の軍装に赤の腕章。そして見紛う筈もない鉤十字(ハーケンクロイツ)……ナチスドイツ、それも親衛隊の軍装を男は纏っているのだから。
 ああ、だかあの戦争はもう六十年以上も昔に終わったはずではなかったか?
 もしもそう問いかける事ができる者がいたら、その男はこう答えただろう。

「戦争再開だ、糞共。さっさと起きねえとこのまま全ン部ぶち殺しちまうぞ?」

 宣言と同時、男を囲むように彼らは現れた。
 鈍! と音をさせてどこからともなく『飛んで来た』鎧姿の騎士六名。
 その全員が鋼鉄の全身鎧に身を固め、右手に長剣と左手に大楯を装備した騎士たちは英国の魔術サイドに所属する『御伽噺に出てくる通り』の存在だ。
 即ち一騎当千の力を持ち、民草を守るために悪しき存在を切り捨てる正義の味方。
 その一団の長はヴィルヘルムの姿を確認すると最後通牒を下した。

「散れ」

 騎士の剣は閃光の如くヴィルヘルムの首へと殺到する。一本ではなく六人全員の刃が。
 多方向からの同時攻撃はいかなる回避も許さず、騎士の剣は惨状を引き起こした白貌のSS隊員を斬首の刑に処する。そう思っていたのは騎士と、僅かにその光景を目にしてしまったごく少数の人々だけだった。

「アん?」

「な、に?」

 騎士たちは例外なく驚愕する。しかし、それは自分たちの剣が敵に通じなかったからではない。
 真に彼らが信じられなかったのは、彼らが動くよりも早く自分たちが股下から脳天まで漆黒の杭によって串刺しにされていたからに他ならない。一団の長がいまだかろうじて意識を持てるのは単に剣に体重を込めるために深く踏み込んでいた事で頭まで串刺しにされなかったからにすぎない。
 それでも致命傷。
 騎士たちを貫いた杭は男の牙でもある。それ故、直接『吸い尽くされる』事になるのだから。

「ちっ。おいおいこんな程度でくたばるのか騎士サマよぉ。ご自慢の騎士道はどうした? 英雄願望の爺(ドンキホーテ)だってまだこのくらいじゃ倒れねえぞ? おい。
 そもそも、こっちはまだ名乗りも終えちゃいねぇってのに」

 しかし、その結果に一番不快感を示したのは男の方。
 彼はサングラスに隠れた両目を不愉快げに歪め、しかしすぐにまた喜悦の色に戻す事になる。

「なあ、そう思うだろう? 騎士団長殿?」

「決闘の前の口上とはまた随分と古臭い事を言う」

 斬! という刃音が男の残像を薙ぎ払う。その一閃は串刺しにされた騎士たちの遺体をも両断する。
 一見冷酷なその行動は、しかし最も正しい対処である事を男は直後に知る。杭から吸い上げたはずの騎士たちの魂が完全に粉砕されていることに気がついたのだ。
 サングラスの奥にある真紅の瞳を喜悦に歪めながら男は問う。

「……流石は騎士王の国。面白ェ得物を使うじゃねえか。そいつの銘はなんていうんだ?」

「さて、教えてやる義理はないな」

 男の前に現れたのは一本の長剣を携えたスーツ姿の紳士だ。
 それこそどこにでもいる、容姿が多少優れている程度の英国紳士は男を、続いて空を見上げてそこに輝く真紅の満月を睨んだ。

「この空間全てが貴様の腹か。これだから固有結界と言うのは厄介極まりない」

「そういうことはメルクリウスに言ってくれや。俺は便利だから使ってるだけなんでねぇ」

 おどけた調子で返すが、男の殺気は先ほどまでの比ではない。それこそこの空間全てを呑みつくすほどに研ぎ澄まされた殺意は無差別に人に襲い掛かり、街中の人々を例外なく串刺しにしていく。紳士の嗅覚はすでにこの空間を満たす臭い……溺れそうなほどに濃い血の臭いにその機能を半ば放棄しようとしていた。
 もっとも、その程度の事で彼……英国を守護する騎士を統べる長の戦意は微塵も揺らぐ事はない。

「やれやれ、ならば致し方ない。貴様の首をもって、そのメルクリウスとやらに文句を言いに行くとしよう」

 瞬! と一振り。
 それと同時に紳士の持つ長剣が赤黒い光に包まれ、やがて3mを超える長大な刃を形成した。
 これこそ騎士の長が振るう魔剣。
 斬った相手の返り血を啜る事でその切れ味を増していくといわれ、かつて英雄ベーオウルフが使っていたとされる御伽噺の剣。
 その銘を『フルンティング』と呼ばれる魔剣を突きつけられた男は歓喜を堪えられない様子で両腕を広げ、

「良いのかよ。期待しちまうぜぇ? ここんとこ碌な祭りもなかったからよぉ……溜まってんだ。その気にさせた責任を取ってくれねえとよぉ……てめえ、一瞬で吸い尽くしちまうぜ?」

 その全身から漆黒の杭が突き出す。
 聖遺物『闇の賜物』――吸血鬼ヴラド・ツェペッシュがその呪詛と怨恨を凝縮させて流した末期の血液――と完全な融合を果たしたその姿こそ、男の本領。
 その杭はあらゆる加護もあらゆる守護も貫き、生き血と魂を啜って主である男の力へとする。
 故に送られた魔名が『カズィクル・ベイ(串刺し公)』――

「聖槍十三騎士団第四位ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ」

「英国守護騎士団騎士団長名は……知りたければ私を吸い尽くして見せろ。串刺し公」

「上等ォッ!!」

 男――ヴィルヘルムの咆哮と同時に散弾の如く発射された漆黒の杭が騎士団長へと殺到する。


◇◇◇


 倫敦の街が白いSSに貪られている同時刻。
 英国の中枢もまた襲撃を受けていた。
 その日、バッキンガム宮殿へと攻め寄せてきた敵性戦力は僅かに二人。
 そのどちらも黒いSS服を纏い、腕に真紅の腕章を付けている事からある程度の知識を擁する者ならば黒円卓の騎士であることは一目で分かる。
 しかし、それでも守備側の騎士たちは侮っていた。
 黒円卓。
 その組織の名前は恐怖と畏怖でのみ語られる恐るべき魔術師たちの集団である。
 エイヴィヒカイトという超常の術式を扱い、その構成員は例外なく人間を超越した魔人であると彼らは多くの先達に教え込まれてきた。
 だが、果たしてそれは本当の事だろうか?
 仮にそれが本当ならばどうして六十年前の大戦で彼らは敗北し、別の次元へと逃げなくてはならなかったのか?
 騎士たちの多くは大戦後に生まれ、あるいは補充された者たちであることもその思いを強くさせた一因であるといえるだろう。
 もっとも……そんな幻想は一瞬で焼き払われてしまったが。

「Die dahingeschiedene Izanami wurde auf dem Berg Hiba
 かれその神避りたまひし伊耶那美は

an der Grenze zu den Ländern Izumo und Hahaki zu Grabe getragen.
出雲の国と伯伎の国 その堺なる比婆の山に葬めまつりき 」

 魔人の一人。
 まだ十代の半ばを過ぎたかどうかと思しき少女の手には黒塗りの太刀が握られている。
 日本刀として知られている反りの強い物ではなく、古い祭具に用いるような両刃の直剣を構えた黒髪の乙女は、しかし騎士たちから見れば魅了されたら逃れられない死神である。

「Bei dieser Begebenheit zog Izanagi sein Schwert,
 ここに伊耶那岐

das er mit sich führte und die Länge von zehn nebeneinander gelegten
 御佩せる十拳剣を抜きて

Fäusten besaß, und enthauptete ihr Kind, Kagutsuchi.
 その子迦具土の頚を斬りたまひき 」



 Briah
 創造



『Man sollte nach den Gesetzen der Gotter leben.
 爾天神之命以布斗麻邇爾ト相而詔之』

 そして、それは間違いではない。
 轟! と振り抜かれた太刀は受け手の剣ごと持ち主を焼き殺した。漆黒だった髪を真紅に染め上げた少女は既にその存在自体が人間ではなくなっている。
 唯一つの願望(焔)を絶やすことなく燃やし続ける。自身は独りであっても輝き続ける恒星でありたいという彼女の渇望を具現化させたいまの少女は人の形をした焔である。触れるもの、立ちふさがるもの尽くを焼き尽くしてバッキンガム宮殿を蹂躙していく。
 宮殿守護を預かる騎士団屈指の精鋭たちを歯牙にもかけず、むしろ斬り捨てると同時に魂を吸い上げて更に自分の力へと変換する事ができるエイヴィヒカイトの使い手である少女にとって、この戦場は餌が向こうから飛び込んでくる餌場であった。

「くそ……くそくそくそッッッ」

 ただ蹂躙されるだけの存在である。
 そう悟ってしまった若い騎士の一人がいま一人の魔人へと襲い掛かる。
 こちらは少女のような理不尽な暴威を振るっているわけではない。
 男は手にした槍で渡り合い、凌ぎ合い、純粋な力量を持って騎士たちを抹殺していく。
 その手にした真紅の魔槍は戦いはじめからこれまで心臓以外を貫いてはおらず、魔人はこの場を監督する部隊長を皮切りにすでに二十以上の心臓を奪っている。
 あるいはそれこそが若い騎士を魔人に向かわせた原因かもしれない。
 その部隊長は彼の父親だったのだから。

「くそおおおおっっっ」

「いい気合だ小僧っ!!」

 渾身の一撃が振り下ろされる。それより速く、男の魔槍は騎士の心臓を貫く――はずだった。

「むん?」

「これ以上わが国の騎士を殺されてはたまらないの」

 真紅の閃光から騎士を救ったのは本来彼らに守られているはずの姫であった。
 英国王室第二王女キャーリサ……宮殿の最奥にて現在黒円卓によって引き起こされている大惨事に対応していた『軍事』の王女は真紅のドレスを纏い、その手に無骨な剣を持って戦場に現れた。

「さてと、強盗には速やかに退場してほしいの。こちらはいま非常に面倒くさい術式を準備しているんだし」

「その術式を潰すために我々が来ているのです。王女様」

 キャーリサの背後から少女の声がする。その言葉を肯定するように魔槍の男も肩をすくめ、

「そういう訳だ。出来れば奥で引っ込んでてくれるとありがたいんだが」

「女とは戦えないと?」

「気が進む話じゃねえのは確かだな。女とやりあうなんざ閨の中で十分だ」

「下品よ。ランサー」

「ぬおっ!? あちっ!? じょ、冗談じゃねえかマジになんなよ嬢ちゃん」

 突然燃え上がった自分の前髪を叩きながら槍使いの魔人が少女に文句を言うが、焔の少女は涼しい表情で完全に無視した。

「……漫才がしたいならストリートにでも行けば良い。大道芸の届けをすればどこでやってもお金が取れるだろうし」

「残念ながら、そうも行かないのです。王女様」

 呆れるキャーリサに少女は自身の聖遺物(やいば)――『緋々色金』を構える。

「聖槍十三騎士団黒円卓第五位櫻井螢=レオンハルト・アウグスト。参ります」

「来ればいいの小娘。大天使の力というものを教えてやる」

 キャーリサが宣言すると同時、周囲の騎士たちが意気を吹き返す。
 その様を横目に見ていたランサーの瞳にも一瞬歓喜の色が浮かぶ……が、それもすぐに消火された。

「嬢ちゃん、撤退だ。変態神父が目的を達したってよ」

「……」

「あーそう不満そうな顔すんな。ベイも切れて暴れてるらしいから拾って帰るぞ」

「分かってる」

 表面上は無表情に、しかし内面ではどう思っているのか。それを思うとランサーは駄々っ子二人のお守りか……と多少背中を煤けさせる。

「ここから逃げられると思うとは良い度胸だし」

 しかし、それでそのまま逃がすほど騎士たちは甘くないし、彼女たちのした行為も許されるものではない。騎士たちと第二王女の戦意は更に激しく燃え上がろうとする。
 だが、その機先を再び制したのはランサーだ。

「貴様らが召喚しようとしてた神はこちらで討った。戦士を無駄に死なせるのは無能な王がする事だぜ? 姫様よ」

「……なに?」

 その場にいる全ての人間が僅かに動きを止めた瞬間を逃さず、ランサーと少女はその場を離脱した。建物の壁をぶち抜くという派手な逃走の手段もさることながら、ランサーが残した言葉に呆気に取られたキャーリサたちであったがやがてその言葉が真実であるのだと分かる。
 数秒後にやってくる『必要悪の教会(ネセサリウス)』と時計塔の崩壊を告げる伝令が最初にキャーリサに告げたの物が正しくその情報だったのだから。


◇◇◇


「と、言う訳で此度の儀式では余計な手出しをする余裕は英国には残されてはいないでしょう」

「なんていうか、私がいない間にこっちはこっちで随分と忙しかったのね」

 学園都市にある古びた教会の一角――しかも懺悔室という空間にはあまりに似つかわしくない話題を交えながら、黒円卓の首領代行――聖餐杯ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリンはブラックロッジへと出向していた同輩……聖槍十三騎士団第八位ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルムへと現状を説明した。
 ヴァレリアは神父の服装をしているし、ルサルカも一般的な女子高生の服装をしているから一目には実に一般的な構図に見えるのだが、その会話の内容があまりにもきな臭く血生臭い。

「それにしても首都を襲撃しただけじゃなく時計塔や必要悪の教会まで潰して大丈夫だったの? 下手をしたら恨み骨髄で私たちの邪魔をしてくるかも」

「なに。そんな真似をすればローマ正教が漁夫の利を狙って蠢動するようにシュピーネに動いてもらっています。ロシアとフランスはもとより、アメリカも大統領を殺されたくなければ動かざるを得ない」

 そういうヴァレリアの手にある新聞には『倫敦にて過激な宗教テロ!? 米国では大統領夫人が謎の変死を遂げた事にも関連が!!』と報じる新聞がある。無論、三流四流のゴシップ誌の類だがこういった報道はネタが真実であると思わぬ効果を発揮してくれるものなのである。

「……あの男がそんなに熱心に仕事するなんて珍しいわね」

 それだけの裏工作をした同輩のことを思い出しながらルサルカが胡散臭そうな表情をする。おそらく黒円卓の誰が聞いたとしても同じ反応をしたと思われるだけに、ヴァレリアも特別気にかけずに自分の推測を答えた。

「なに、彼もハイドリヒ卿が戻られた後のことを考え出したのでしょう。であれば、勤労に励む同士の助力をするのは現場を預からせていただいている私の仕事だ」

 そうなの? と明らかに信じていない調子で返すルサルカだが、元々彼女は誰がどこでどう死のうがあまり気にしない質である。その話題はこれまでとヴァレリアは話題を切り替えた。

「むしろ、私の興味は貴方がブラックロッジの大導師から監視を命じられた幻想殺しの少年にあるのですがその辺りはどうなのでしょうか? マレウス、貴方ならばある程度は分かるのではないのですか?」

「さあどうかしら。基本的に接触する事は禁じられていたし? まあ私が知る限りはきっちり異能を消し去っているようだけど、私たちの聖遺物まで消せるかどうかは試してみないと分からないわね」

 言いながらルサルカの脳裏に浮かぶのはツンツン頭の少年。
 その右手に宿る異能はありとあらゆる異能を打ち消す『幻想殺し』の力を持つという。
 もしもそれが真実異能を全て打ち消す事ができるなら、彼は黒円卓の騎士にとって最悪の存在といえる。
 騎士たちはその身に聖遺物――聖人の遺物の事ではなく数多の血を啜り、伝説や逸話を孕んだ物品をその体に取り込み、さらに他者から奪い去った魂を燃料として超常の魔人として活動する。
 しかし、もしもその核である聖遺物を破壊されたならどうなるか?
 答えは明瞭。超常の力を制御しきれずに破裂する。
 本来は格の違う聖遺物同士がぶつかりでもしない限りは起こりえない現象だが、上条当麻の右腕はそれを用意に可能にする……かもしれない。

「ねえクリストフ。本当にアレは放置でいいのかしら? なんなら、いまからメールして此処に来てもらう事もできちゃうんだけど」

 ついさっき学校が終わって分かれたばかり。なら、いま携帯に連絡を入れれば簡単に呼び出す事ができるだろう。最期にいい思いをさせてあげるためにも恋する乙女仕様でいけば9割方上手く行く自信が彼女にはあった。

「聖遺物の破壊……もしそんな事が可能なら、彼はハイドリヒ卿を妥当しうる。いくら彼だって自分の聖遺物を壊されたら耐え切れないでしょうし」

「なるほど……なるほど確かに貴女の言うとおりだ」

 不確定な要素はここで排除してしまうのが最善であるはず。
 だが、

「ですがマレウス、こんな諺をご存知でしょうか? 藪を突いて蛇が出る、と」

「……余計な事をしても厄介事を招く結果にしかならない。そういうこと?」

「ええ。少なくとも私はそう思います。なるほど、確かにその少年は聖遺物を破壊する可能性がある。ですが、あくまでそれは可能性だ。それよりはより明確な脅威や障害に注力した方が良い。少なくとも、我々の頭上にはおぞましいもう一頭の獣がある訳なのですからね」

「そう……それもそうね」

 二人同時に頭上へ一瞬視線を向ける。
 古びた教会の天上を貫き、二人の魔人は東の空から姿を見せ始めた月を睨みつける。

「そうだクリストフ。開戦はもうすぐなんでしょう? なら、第一は私に譲ってくれないかしら? 色々と面倒な仕事を最後に押し付けられたのよね」

 改めて視線を向け合ったルサルカからの提案にヴァレリアは僅かに驚いた。彼が知る限り、この魔女は一番槍の誉れを欲するような人物ではなかったからだ。

「ほう。アンチクロスとして聖杯戦争には参加しない予定だったのでは?」

「そうだけど、なんだか聖杯の面倒を押し付けられちゃったのよ。まったく、儀式の最重要部分をないがしろにするなんてどうなっているんだか」

「聖杯というと我々で言うテレジアに当たる女性の事でしょう? こう言ってはなんですが、マレウス以外に適任がいない時点でアンチクロスも終わっていますねぇ」

 余計なお世話よ、と残して懺悔室を出ようとするルサルカだったが、ふと思い立って最後の問いを投げかけた。

「それでクリストフ。英国がやろうとしていた儀式ってなんなの? 確か、メルクリウス直々の指示だったそうじゃない」

「ああ、あれですか。いや、最初は私でなければならないと言われた時は遠まわしな処刑なのかと思いましたがね。現場に着いてみれば納得しましたよ。ええ、あれほどの儀式では私が行かなければならなかった」

 ヴァレリアはその時のことを思い出したのか胸元で十字を切ると深い息をつき、

「異界の神を召喚し、使役する。狂気じみた大禁術を実行してなおかつ成功させてしまう……ラバン・シュリズベリィ卿とキシュア・ゼルレッチ・シュパインオーグ卿はその勇名以上の方々でしたよ。正しく、現状での世界最強は彼らだった」

 その両名の名前はルサルカも知っている。
 というよりも魔術の世界に一歩でも足を踏み入れたなら誰もが知っている名前だ。
 年老いてなお、邪悪を滅する正義の味方。
 御伽噺に現れる人類の守護者として活動している二大魔術師はブラックロッジと黒円卓の暗躍に対抗するため、遠きセラエノより魔神を呼び出して戦力としようと画策していた。
 それに英国の『天使の力』を扱える現女王が助力する事でその大禁術は成功させてしまったのだ。これはブラックロッジ、黒円卓に限らず闇に蠢くあらゆる組織にとって終末のラッパの如き事実となる。
 ……本来ならば。

「非常に残念でなりません。あれほど偉大な方々でもやはり聖餐杯は砕けなかったのだから」

 最後の一言が零れた時、聖餐杯の口元には凄絶な笑みが浮かんでいた。
 異界より召喚する理不尽の権化。御伽噺の化身。強壮無比たる鬼械神すら打倒した聖餐杯はここに儀式の開始を宣言する。

「ブラックロッジが動き出した以上、こちらも動かざるをえませんね。アンチクロスは別にどうでもいいですが、彼らが招聘するサーヴァントは見逃せない。その高潔な魂は至高天に捧げるに値する。ツァラトゥストラも舞台裏で準備をしているようではありますし問題ないでしょう。
 ではでは、これにて開戦と致しましょう。ハイドリヒ卿の凱旋に相応しき屍の道を築きましょう。ベイもマレウスも、レオンハルトもバビロンも黄金の祝福を願うなら存分に奮い、殺すがよろしかろう。
 我らに勝利を(ジークハイル)」

「「「勝利万歳(ジークハイル・ヴィクトーリア)」」」

 終末の刻を告げる笛の音が、神の家に木霊する。



<よろしい、ならば始めよう。今宵この時より混沌たる恐怖劇(グランギニョル)を>



 舞台裏。
 影絵の詐欺師もまた承認する。
 それは奇しくも、あるいは必然として、七頭十角の獣の宣言と完全に同期していた。
 ここに学園都市を舞台とした混沌の恐怖劇がその幕を開ける。



[21470] 第四話 赤い夜
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/04 22:44

「結局この違和感がなんだったのか分かんなかったなぁ」

 ツンツン頭をガシガシと引っかきながら上条当麻は夕暮れの街並みを歩いていた。
 12月の夕暮れは早い。まだ四時を半ば過ぎたくらいだというのにもう空は茜色に染まっていて、道行く人々はそれぞれが足早に自分の目的地へと向かっている。
 その中の何割かは彼氏彼女と思しきリア充たちであるのが自分の違和感の正体なのかも知れない、と八つ当たり気味に考えながらなんとはなしに街並みを眺めていると凄まじい音を伴って空を横切る影が五つ。
 それが噂にもなっている警備員の新装備である事は容易に想像できる。
 いかに科学の最先端、異能を科学的に解析してみせた学園都市であってもその姿はあまりにも異様であり、同時に威容を感じずにはいられないものだった。

「……世の中変わったんだなぁ」

 貪! と空気が破裂する音に見上げた空には翼の生えた人間が……正確には人型の強化装備を身に着けた警備員の姿があった。外見的には昔の漫画とかに出てくるロボットを人間大にまで小さくしたような感じ。背中にあるジェット機めいた翼が動くたびに宙返りだとか急旋回だとか中々アクロバティックな機航を見せている。
 零伍式竜騎兵――釼冑(ツルギ)と呼ばれるその新装備は被装備者の身体能力を増強し、単独で十人の強能力者(レベル3)を制圧可能な戦闘能力を発揮できるという代物だ。
 そんな凄まじい兵器が頭上を飛び交っているというのに街を歩く人々の顔に驚きの顔はない。精々が珍しいのが見えてラッキーという程度のもの。どうやらこの釼冑と言う装備は上条が思っている以上に浸透しているらしい。



<さて、それは果たして正しいのかね?>



「? なんだいまの」

 ずきんと一瞬走った頭の痛みに眉根を寄せる。走らせた視線にいまもピーガー言っているスピーカーが。どうやらアレから出た高音に耳が刺激されたようだ。そのまま視線を下ろすと何故だかそのスピーカーの周りに人だかりが出来ていた。

(なんだあれ)

 何故か出来上がっている人だかりに、しかし上条はこっそりと遠ざかろうと試みた。
 基本的に不幸な上条にとって人だかりというのは中々にデンジャラスな空間である。なにがどうしてこうなった、と思わず呟いてしまうような不幸にめぐり合った事は過去に数限りなく……だからこそ、障らぬ神に祟りなしを実践しようとしたのだ。
 もっとも、この世界の神様は障ろうが何しようが基本人間を弄ぶ人格破綻者な訳で。

「レッディィィィイイスェェェンドジェントルメェエエエン! 我輩の歌を聞きに良くぞ集まってくれたのである」

「あ、なんか不幸になりそうな声がする」

 思わず漏らした言葉は、しかしすぐに鳴り響いたエレキギターの音に掻き消された。周囲の人だかりもこの時点で何か不穏な気配を感じたのか全員が一歩後ろに後ずさる。
 そうすると、まるで狙ったかのように上条とギターをかき鳴らしている人物の間にあった人の壁が消失した。
 人垣を割って上条の視界に入ったのは白衣を纏ったなんだか緑色の髪をした変な中年の男だった。
 白衣の下は黒のライダースーツみたいなつなぎを着ていて、身長は高めで顔立ちだって決して悪くない。悪くはないが……決定的に一般人として大切な何かが欠けているのが一目で分かった。なんというか王気(オーラ)が違う。
 何故ならその怪人物。何故か顔面に手足を付けたようなロボットらしきものに乗り、その上で通行人たちからの視線を無視してエレキギターをかき鳴らしているのだから。
 かつて学園都市にやって来たシェリー・クロムウェルも似たような事をしていたが、あちらは常識とか物理法則に喧嘩を売っている魔術師がする事なので上条的には例外としてカウントされている。
 しかし、いまこの場所に魔術師らしき存在はなく、明らかに科学技術で動いているっぽいロボットの存在が余計にその男を『学園都市の変態』としての印象を強めた。自分の生活圏に変態がいる、というのは中々に重たいダメージを叩き込んでくれる。

「こ、これが真性変態の放つオーラなのか!?」

 無駄に精神的なショックを受ける上条の様子にエレキギターの白衣男が反応した。

「ふっふっふっ。そこな小僧、我輩を常人ではないと見抜くとは中々見所があるのである」

「しまったぁぁぁっ!」

 さっさと逃げればよかったものを相手の関心を引いてしまった。それと同時に周りの人々が上条からも離れていく。俺もそっちに行きたかったと半ば諦めながら白衣男にとりあえず気を引いてしまった責任(?)にとみんな思っているであろうことを尋ねてみた。

「えーっと、あんたこんなところでなにしてるんだ? それ、どっかの大学かなんかの新発明?」

「ふむ、良い質問なのである」

 バサッと翻る白衣。やかましくなるギター。
 その上で人体の構造上不可能っぽいポーズを決めた白衣の男は高らかに名乗りを上げた。

「我輩の名はドクターウェスト。一億光年に一人の大・天・才。そして、このロボットこそが我輩が開発した無敵ロボ試作第一号『裸眼』である」

『……ドクター、光年は距離っす』

「「『………………』」」

 ロボット――『裸眼』とやらから聞こえた突っ込みに周囲が一瞬無言となる。
 しかし、ドクターウェストはすぐに気を取り直した。

「まあ、この辺り一帯一億光年圏内に我輩以上の天才はいないので問題ないのである」

『それなら問題ない、のか?』

「いや、あるだろ」

 反射的にロボットの中の人に突っ込みを入れるがドクターウェストにしろ中の人も一切気にしていない。白衣の狂人は満足した様子で再びエレキギターをかき鳴らし、ビシッと見得を切るように上条へと指を突きつけた。

「と、言うわけなのでそこの小僧。貴様を我輩の偉大なる世界征服の犠牲者第一号にしてやるのである。神様や仏様や蛇や三つ目が通るあたりに感謝しつつ光栄に思うが良い」

「思えるか!」

 咄嗟に翻そうとする上条の視界にまるで大砲のようにエレキギターを持ち上げたドクターウェストの姿が映る。
 パコッと軽い音がして開いた穴からその身を覗かせているのはロケット弾。

「……ふ、不幸すぎる」

「ロォォッッックンロォォォォォル!!」

『はいはい。見学者はどいてないと大怪我じゃすまないぞー』

 中の人がなんか疲れたような声で警告を発しているが、その優しさは上条には向けられない。一頭身の『裸眼』はピコーンと軽快な音をさせて起動する。

「浜面ぁッ! アレで行くのである」

『了解ドクター。無敵ドリル起動っ』

「……意外とノリノリだよなアレに乗ってる奴」

 全力疾走しながら背後から聞こえてくるぎゅおおおおん!! なんて恐ろしい機械音に振り返るとロボットの両手が変形してドリルになっているのが見える。機械音はその掘削機が高速で回転している音だった。それに驚いた周囲の人々は耳を塞ぎながら遠ざかり、それが結果的に先程と同じように上条への進路を開く事になる。
 いまはむしろそれで良いと思いながら上条は全力で地面を蹴りつけた。


◇◇◇


 上条当麻は幸が薄い。きっぱりといえば不幸である。
 街を歩けば不良に絡まれ、家にいれば財布をなくす。カードが折れる。なんだかよく分からない理由で喧嘩を売ってくるビリビリ中学生の電撃で家電が全滅する事も数回あった。
 もう一度言おう。上条当麻は不幸である。
 故に、彼はこの街において厄介事に巻き込まれた際の逃走ルートをいくつも承知している。不良たちを上手く撒く手段もなく、今日まで生き残る事など不可能だったのだから!
 が、しかし。


 爆!!


 それでもなお無敵ロボは振り切れない。
 障害物に利用した建物も車も警備員の一団も無敵ロボは一切合財を貫き、粉砕し、破壊して上条を追跡してくる。

「ぜぇぜぇ……ちっくしょう! 何だってこんなにしつこいんだよ」

「えひゃーっはっはっはっ! そらそら逃げろ逃げろである!!」

『前方空けとかないと危ないぜぇっ!』

 がっすんがっすんアスファルトをへこませながら追いかけてくる無敵ロボの速度は割と遅い。上条の全力疾走よりもやや遅いくらいか。先程から上条を襲っている攻撃の殆どはドクターウェストが放ってくるロケット弾によるものだ。
 もしかしたら無敵ロボを操縦している人間が意図的に手加減をしているのかもしれないがリアルに寿命がストレスでマッハな上条には酷くどうでも良いことである。

「くそっ。どうすりゃ良いんだよこれっ」

 上条の右手にはそれが異能の力であるなら神様の法則すら打ち消す幻想殺しの能力が宿っている。いままでのピンチはなんだかんだでこの右手でなんとか潜り抜けることが出来ていたが、いま彼を襲っているのはれっきとした兵器である。
 鋼鉄を打ち抜く超電磁砲や大天使の力を打ち消す事は出来る右腕もロケット砲が直撃すれば吹き飛ぶのは当然の如く上条の方である。
 頼りにしていた警備員は何故かその動きが鈍い。無敵ロボを挟んだ向こう側には警備員の車両が数台あとを追跡しているがドクターを攻撃する事も停止命令を叫ぶ事もしない。
 その動きはまるで上条以外に被害が向かないように注意をしているか、あるいは何かを待っているかのようで。

「ちくしょうっ! 不幸だああああ!!」

 いつもの台詞を絶叫したその直後――


 破凛 


「……え?」

 硝子が砕ける音がして、視界の全てが真紅に染まった。

「なんだ、これ」

 突然変異した視界に蹈鞴を踏みながら足を止める。そうして気がついたが背後から追って来ている筈の無敵ロボもそれを追っていた警備員の車両もなくなっていた。
 全てが赤く染まった世界でただ一人、上条当麻だけが立っている。

「えっと、助かったのか?」

 とりあえずの脅威は消えたが代わりに理解不能な現状になってしまった。見渡す限りそれまで逃げ回っていた学園都市の街並みに変わりはないが空が異常に暗い。見上げた空は見たこともないほど赤黒いものになっている。その現象はまるで今年の夏に起こったとある事件を思い起こさせる。

「まさかまたどっかで親父がやらかしたんじゃないだろうな」

 前科があるだけに否定できないからなー、と頭をガシガシと掻きながら原因を考えてみるが情報が圧倒的に足りない。

「仕方ない。とりあえず寮の方に行ってみるか」

 人気がまったくなくなった世界にインデックスがいるとは思いたくないがこういった神秘(オカルト)関係の情報は彼女に聞くのが一番早い。そう思って歩き出した上条の視界に何か動く物が見えた。

「……何なんだ、ありゃ」

 うぞうぞと蠢くそれは見たこともない異形。
 コールタールのスライムと適当に人間の部位をあちこち混ぜたような姿をした怪物は上条の存在に気がつくとまるで悲鳴のような声を上げて襲い掛かってきた。

「うわっ」

 咄嗟に右手を翳して背筋に冷たい感触が走る。
 仮にこの生物が学園都市謹製の謎生命体なら、それだけで上条の右腕は食い千切られるだろう。一瞬その想像が脳裏を埋め尽くし――軽い音をさせて異形が弾けとんだことに心底安堵した。

「本当に、一体全体どうなってやがるんだ」

 まるで分からない、理不尽極まりない状況だがただ一点だけ分かったことがある。
 それは此処が非常に危険であり、自分以外の誰かが取り込まれていないなんていう保障がどこにもないこと。
 特に神秘に関わりがあるとあるシスターがもしもこの世界に取り込まれていたら……それはあまりにも危険極まりない状況だった。

「くそっ。インデックス、家の中でじっとしていてくれよ」

 ついさっきまでの全力疾走でがくがくしそうな膝に気合を入れて走り出す。
 一刻も早く寮へ。
 そう願って走り出そうとした上条の目の前にその人物は突如飛び降りてきた。

「「なっ!?」」

 飛び降りてきたのは上条と同年代と思しき少女だ。髪も服もこの世界と同じ、けれど明らかに違う赤色。波打つ赤髪を背中まで伸ばした彼女の手には何故か黒い刀身がギラリと光る日本刀が握られている。

「なんだろう。凄い既知感(デジャブ)を感じるんだが」

「なんだこいつ」

 疑問の声を口にしたのは少女の後ろに音もなく着地した少年。こちらは上条よりもやや年下くらい。服装も何故か木製の杖っぽいものを持っている以外は黒い学ラン姿と見慣れているといえば見慣れている格好をしている。
 だがしかし、上条は少女の方を見た時点で確信していた。
 また魔術がらみの厄介ごとに巻き込まれたのだという事を。

「っ! 伏せろっ」

「へ?」

 一瞬状況も忘れて呆然とした上条を少女が引き倒した。何事かと問うより速く、少女が少年に向かって鋭く叫ぶ。

「ライダー!」

「人使いが荒いマスターだなっ!」

「うおっ!?」

 何事!? という問いはぐるんと回る視界に答えがあった。
 上条たちのすぐ真上。赤く変化した空に先程の異形が集結している。その数はざっと見た限りでも二十を超える。例え幻想殺しがあるとはいえ、同時に多方向から襲い掛かられたなら為す術もない。
 まずいと思ったのと、異形が突撃を開始した事。
 それと少年の言葉は同時だった。

「この手の術は得意じゃないんだけど……お前たちみたいな奴にはうってつけだな――<朏の陣>」

 瞬間、魔術に疎い上条にも感じられるほどの圧迫感と共に錫杖の先から三日月の光が無数に放たれる。
 それに触れた異形が霧のように消えうせていき、全ての異形を消滅させるまで物の数秒も掛かる事はなかった。

「ふぃー。こんなもんかな」

「ご苦労だったなライダー。しばし休め。傷がまた開いては今度こそ命取りになりかねない」

「了解。そっちの奴への説明は任せた」

「分かっている」

 なにやら二人で話がついたのかと思った直後、少年の姿がやはり霧のように消えた。
 それらの現象は一つ一つなら超能力でも説明はつくが、基本的に学園都市の能力者は一人につき一つの能力しか使えないという原則がある。多重能力者の成功例でもない限り、彼女たちは魔術師であるということはこれで確定した。

「あーえっと……とりあえず、サンキュウ」

「いや、私の方が巻き込んでしまったのだろうからな。君が謝る必要はないよ」

 上条には視線も向けずに周囲を警戒しだす少女は、しかしふと何か思いついたの改めて目を合わせた。

「……ああ、なるほど。君が上条当麻か?」

「え、あ、そうだけど……」

 そっちは誰? と聞きそうになり一瞬つまる。
 上条当麻は今年の夏休みの初日以前の記憶がない。
 その事実をひた隠しにしている上条にはその少女が以前からの知り合いなのかどうかの判断が一瞬つかなかったのだ。冷静になれば少女の物言いで気がつくところだろうが、この数分の展開に一時的に彼の思考がストップしていた。
 しかし、その葛藤はすぐに終わる。上条の態度に少女は少しばつの悪そうに柳眉を歪めると、

「すまないな。私は知り合いから君の名前を聞き及んでいたのだ」

「あ、そうなのか」

「ああ。土御門元春は知っているだろう?」

 知らないはずがない。上条にとってはお隣さんであり悪友であり戦友でもある男だ。なおかつ学園都市と英国の魔術結社の二重スパイを行っている侮れない男である。
 だからこそ合点もいく。

「あんたも『必要悪の教会(ネセサリウス)』の人なのか?」

 土御門元春の魔術側の所属は英国に本拠を置く『必要悪の教会』である。そこに所属する魔術師とは敵対したり敵対したり死闘したり時折共闘したりと何かと縁があるため、上条としても身近な相手と言える。
 もしそうなら土御門とも協力してこの状況に当たれる、という予想を立てる上条だったがそれは少女が発した一言で完膚なきまでに粉砕された。

「いや、私は違うよ。あれとは昔、婚約者だった縁でこの街に来る前に多少連絡を取り合っているだけだ」

「へー……NANDALTUTE?」

 いま、この少女は婚約者だった、といったのだろうか?
 誰と?
 まさかあの真性ガチシスコン将軍土御門元春と?

「HAHAHA……やっぱりこの世界は間違ってる。少なくとも神様の性格は破綻してる間違いない」

「どうかしたのか」

「い、いや。なんでもない。きっと聞き間違えだから」

 一瞬聞こえた宇宙言語は記憶領域から破壊する事にして、上条はとりあえず一番の疑問を口にしてみた。

「あんた、名前は?」

「ああ。名乗りが遅れたな。私の名前は草壁美鈴。マスターの一人に選ばれ、この戦争に参加している」

 そう言って少女――美鈴は両手に嵌めている白い手袋のうち、右手のそれを外して見せた。
 ほっそりとした白い手の甲には三つの線で形成された紋章が浮かんでいる。

「聖杯戦争。君は土御門から聞いていないか?」

 鈴のような声で告げられるそれは。
 神と邪神の脚本に一滴の墨が落ちる音になる。



[21470] 第五話 聖杯戦争
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:34


「ぜぇ……この辺りなら大丈夫か?」

「あまり安心するのもまずいが……差し当たり、ここなら空から強襲される心配は少ないだろう」

 上条当麻は赤い夜に包まれた世界で出会った魔術師・草壁美鈴と共に最寄のショッピングセンターに入りこんだ所で一息つくことにした。
 彼女と出会う寸前まで変態+ロボに追われていた&彼女が『闇精霊(ラルヴァ)』と呼ぶ異形の怪物に追い回されていたせいで足がパンパンになってきた所だったこともあり、上条はホッと息をついた。

「えーっと……草壁さん、だっけ?」

「好きに呼んでくれて構わないよ。年齢は私の方が一つ上なのだろうがこんな状況で敬語では話しづらいだろう? 私は上条君と呼ばせてもらうが良いだろうか」

「オッケー。ならこっちは草壁で。……んにしても、タフだな。なんか魔術でも使ってるのか?」

「特には。私は獲物がこれだから多少は体の方も鍛えているんだ」

 そういって美鈴が示したのは彼女が持つ漆黒の刀だ。これまで何体もの闇精霊を斬り捨てたというのにその輝きは衰える事はなく、むしろ冴え冴えとした迫力が増しているように見える。その持ち主である美鈴の顔色も涼しいもので、上条としては少しだけ微妙なものを感じてしまう。
 しかし、いまはそれよりも気にするべき事柄が山盛りであるため一旦考えを切り替えた。

「そんであんた学園都市で一体何してるんだ? 聖杯戦争ってのは一体なんなんだ」

「……ふむ。多少余裕もありそうだし、とりあえず現状の説明はしよう。まずは聖杯戦争からになるが……上条君、君は聖杯と言うものを知っているか?」

「えーっと……悪い、あんまり神秘(オカルト)関係の知識がないんだ。ヒトラーとかが欲しがってたんだっけ?」

「どうしてそんな知識だけ持っているのか不思議だが……一般に聖杯というと神の子が処刑された際にその血を受けた杯の事を言う。ローマ正教が『本物』とする物は聖霊十式の一つとしていまもヴァチカンの方で保管されているはず」

「……ちょっと待て。じゃあなにか? いつかの使徒十字(クローチェディピエトロ)の時みたいに誰かが盗んでそれをあんたらが奪い合ってるとかそういう状況なのか!?」

 上条の脳裏に浮かぶのは学園都市の運動会である『大覇星祭』の裏側で巻き起こされた大事件だ。オリアナ・トムソンとリドヴィア・ロレンツェッティによって引き起こされたその事件は紆余曲折あって解決する事が出来たとはいえ、上条自身も友人たちも大きな傷を負う事になった。
 それと同じような事態になっているのかと思うと、

「いや、あの時といまの状況は別物だよ。そもそも、ヴァチカンに保管されている聖杯と今回の『聖杯』はまったくの別物なんだ」

「うん? それってどういうことなんだ」

「詳しく説明すればややこしくなるからざっくりとした説明になるが……今回この学園都市で行われる戦争の景品に掲げられているのは”手に入れた者の願いを叶える”霊装だと思って欲しい。それが如何に荒唐無稽な願いであっても叶える性能を持つ霊装を総じて『聖杯』と呼称しているんだ」

「七個集める龍が出てきたりするアレみたいな?」

「こすると魔神を呼び出せるランプでもいい。聖杯戦争と言う魔術儀式はそれら『願望器』を奪い合うために執り行われる争奪戦のことだよ。場所や物によって色々あって……誰よりも速く謎を解き明かした者が手に入れる、誰よりも多くの富を費やすことで手に入る、あるいは誰よりも高潔であり続ける事で手に入ると言う具合に勝利する条件も千差万別ある。
 今回、この街で行われる聖杯戦争の勝利条件は『他の参加者全てを排除』すること」

「……つまりはバトルロイヤルか」

「その通り。まあ、より正確にいうなら聖杯の力で呼び出した使い魔……神話や伝承に現れる英霊たちを現代に召喚してぶつけ合い、その勝敗で決着をするのだが……最終的にマスター同士の殺し合いに発展してしまう事がほとんどらしい」

 そう言って草壁は若干困った表情をする。
 その反応に上条は違和感を覚えた。彼の知る魔術師と言うのは誰も彼もが己の目的のためなら手段を選ばない人間ばかりであり、彼自身滅茶苦茶な理由で命を狙われた事は一度や二度ではない。なのに、いまの美鈴はまるでこの儀式に参加する事が本意ではないように見えた。

「……もしかして、あんた無理矢理参加させられたのか?」

「無理矢理、と言うと語弊はあるが……少なくとも私は万能の願望器なんて物に興味はないよ。今回の聖杯は参加者を自ずから選び、選ばれた側に拒否権がない。まあ、幸いと言うべきか、私の召喚したサーヴァントも変わり者らしく特別どうしても叶えたい願いと言うものはないらしい」

 そう言って、彼女は一瞬虚空を見て少し深く息をつく。

「……私がこの聖杯戦争に参加する理由はただ一つ。この戦争に参加する他のマスターによる一般人への被害を最小限にするため、土御門を頼りにこの街へと潜入したのだ。もっとも……待ち伏せして抑えるつもりが逆に待ち伏せされてしまっていたようだが」

 最後に若干苦笑気味にいう草壁の表情に嘘は見られない。そう確信した上条は再び安堵の息をついた。

「そっか、なら良かった」

「うん? 何が良かったなんだ?」

「あんたが聖杯に興味がなくて、だよ。何が何でも聖杯が欲しくて、そのためならどんな事でもするって言うなら止めなくちゃならないだろ? こんな規模の戦いを街中でやられたらまずいなんて話じゃないからな」

 もし、草壁美鈴が聖杯を欲するために無関係の誰かを巻き込むと言うのなら、それを知ってしまった者として上条当麻も黙って見過ごすわけには行かない。両者の激突は免れないものとなるだろう。
 しかし、そうならなくて良かったと上条は心から思ったのだ。例え何かの間違いだろうが神様の誤謬だろうが友人の許婚を殴るというのも気がひける事には違いないのである。
 一方で、上条の言葉を聞いた草壁もまた何かを納得するように頷いた。

「なるほど。元春の言っていた通りの少年なのだな、君は」

「……何ですかその生暖かい視線は」

 一体土御門はこのお姉さんにどう伝えているのか? 聞くべきか聞かざるべきか一瞬迷う上条であった。

「さて、話を現状についてのものにしたいが良いかな?」

「ああ。そもそも、此処って何なんだ? 人払いの結界みたいなもん?」

 魔術と言うのは基本的に隠匿されている。魔術師たちは無関係な人々にその秘術が知られないようにするため、人避けの結界を張る事が多い事は何だかんだでよく見かける事である。
 しかし、上条が今まで見た人避けの結界はこんなあきらかな異界を作り出すものではなかったはずだ。

「これは恐らく固有結界……魔法に近いとされる大禁術だろう。術者の心象風景を投射して現実を塗りつぶす。この世界は言ってしまえば展開した術者当人の腹の中みたいなものだよ」

「ふーん……うん?」

 魔法と魔術って何か違いがあるのか? と言う疑問浮かび、同時に回答が『浮き上がった』。



<現代では実現不可能とされる奇跡の事を魔法。どのような手段であれ再現できる現象を魔術と呼んで区別する。
 世界には■人の魔法使いがおり、かつて■■■■の時に盲目の賢者に■■■■■■■■■――>



「なんだ、これ」

 勝手に再生される記憶は見た事も聞いたこともないはずなのに知っているモノ。
 まるで脳髄に直接コードを差し込んで記憶(データ)を注ぎ込まれたように感じられて、すぐにでも吐き出したいのに一行に入力が終わらない。

「うぐっ」

「おいどうした!?」

 もう耐え切れないと競りあがってきた胃液が口の中いっぱいになり、それを押さえるために口を右手で押さえた。


 破燐


 瞬間、違和感も嘔吐感も全てまとめて砕け散った。

「っはぁ……はぁ……いまのは一体……?」

「だ、大丈夫か?」

 いつの間にか蹲っていた上条の肩に草壁の手が触れる。その温かさを基点として、上条はなんとか冷静さを取り戻そうとして、今朝からの違和感の正体に気がついた。

(なんだ、この世界。どうして……)

 混乱する頭の中で一つだけ分かった事。
 それは自分の記憶が変えられている……もっと正確に言うなら『歴史が変えられている』のだ。この世界は。

(草壁はこの事に気がついてないのか?)

 荒くなった呼吸を整えながら原因を考えてみるが、少なくともこの魔術師の少女は世界の異変に気がついているようには見えない。上条の脳裏に『御使堕し(エンゼルフォール)』という単語が浮かんだが、違和感は今朝からあった。しかし、中身が入れ替わった人間などはいなかったはずだ。

「一体どうなって……」

「差し当たり、その疑問は後回しだ上条君。すぐに立ちなさい」

「うおっっと……草壁? どうし……」

 疑問に埋もれそうな所を美鈴が腕を掴み、一気に立ち上がらせる。
 突然の事で蹈鞴を踏みそうになったがなんとかバランスを取った上条の耳にその足を音は届いた。闇精霊たちは足音をさせるような形はしていなかったから、必然その足音の主はこの結界の主かあるいは――

「……ほう。主人自ら殿をするとは何と剛毅な事か。雑兵に任せず出向いた甲斐があるというもの」

「バーサーカー……」

「こいつが?」

 その主の使い魔たる存在(サーヴァント)である。

「本当にこいつが……サーヴァント?」

 上条の口元から思わず疑問の声が漏れる。
 しかし、彼のその感想も致し方ないことだろう。
 上条と美鈴の二人に立ちはだかるサーヴァントは白いワンピースを纏った可憐な少女の姿をしていたのだから。
 しかし、墨色の髪を駿馬の尾のように一つに纏めた少女は上条のその言葉に猛々しい笑みを浮かべた。

「いかにも。我が名は光! 我こそ狂乱の戦士(バーサーカー)として召喚された英傑(サーヴァント)である」

 迸る覇気は質量となり、上条と草壁の体を射竦めた。


◇◇◇


 同時刻。
 すべての聖杯戦争参加者たちは同時にその波動に気がついた。
 とりわけ聖杯戦争について熟知し、此度こその執念の濃いティベリウスは真っ先にそれを感知し、莞爾と嗤う。

「カカッ。これはまた随分と凄まじい覇気よ。ティトゥスの『幻燈結界(ファンタズマゴリア)』越しでも感じられるとは……ほとほと恐ろしい鬼札を引いたと見える」

 瘦身に受ける波動は凍える程に凄まじい。彼の引いたサーヴァントではそれこそ鎧袖一触となるのは必定である。

「やれやれ。だが暗殺者(アサシン)も使いよう。いまのうちに勝利の夢に溺れておれ」

 和装の魔人はそう残して学園都市の闇に消えていった。



 同時刻。
 銀髪の青年は漆黒の大剣を携えた剣士を引き連れてその結界のすぐそばまで来ていた。

「流石はバビロンの大淫婦。1000年近い研鑽は伊達ではないようだ」

 一見冷静に見える青年の米神に冷たい汗が落ちる。
 恐らくは彼女こそが最強のマスターとなるであろう事はあらかじめ分かっていたし、それに対抗するために彼自身最優の『剣士(セイバー)』を召喚する事に成功していた。
 しかし、それでも埋められないと理屈ではなく本能に叩き込まれた青年は即座に踵を返した。

「尻尾を巻くのか? 我が主よ」

「ふん……猪武者を配下に入れたつもりはない。勝てる状況を作る努力を卑怯とは言うまい?」

「これほど芳しき闘気を放つ仕手。逃すのは惜しいというのが本音だが……まあ良い。こんなところで令呪を使われてもつまらんからな」

 不本意であることを隠そうともしない巨躯の剣士に青年の怒りは更に募るが、それを押さえ込む。
 その怒りを溜め込み、爆発させる事で彼はいままでその力を増幅させてきたのだから。

(待っていろ。すぐに貴様らを全て俺の足元にひれ伏せてくれる)

 憎悪を胸に、青年もその姿を消した。



 同時刻。
 学園都市の中央にある窓のない建物――理事長アレイスター・クロウリーが存在していた建物の内部でも、バーサーカーの気配を感知する者がいた。
 『弓兵(アーチャー)』として召喚されたその女は一見するとこの街でよく見る学生のように見える。赤を基調としたセーラー服に黄色いタイ。探せば何処かの学校が採用していそうなその制服を身に着けた黒髪の弓兵の手には彼女の宝具である白い弓が握られていた。
 ほんのさっき、学園都市統括理事を吹き飛ばした断罪の弓が。

「マスター誰かが凄い力を使うみたい。もしかしたら宝具かも」

「……」

「うん? マスターどうしたの? あ、もしかしてあいつの言っていた事気にしているの?」

「……」

「まったく失礼しちゃうよね。アリシアちゃん、こんなに可愛いのに」

 その『名前』にアーチャーのマスター・クラウディウスは反応した。
 憔悴しきった、病的に白い貌の中で唯一ぎらぎらと燃える瞳をアーチャーの腕に抱かれたモノへと向けた。そこに収まっているのは一抱えほどのガラスケース。その中にはクラウディウスの『娘』が眠っている。それを心得ているのか、アーチャーの手つきも非常に丁寧で柔らかだ。

「ほらほら。アリシアも元気出して、って言ってるよ? この子の為にもがんばらなくちゃ」

「ええ……ええそうね……そう、その通り……私の可愛いアリシア。聖杯が手に入れば、必ず元通りにしてあげる」

 幽鬼の如く立ち上がり、クラウディウスは夢遊病の如く動き出す。
 そう、彼女には勝たねばならない訳がある。他の者達がどんな願いを賭けようと愛する者のために死力を尽くす自分が負けるはずがない。
 そんな狂信を胸に彼女は動き、その背中を見つめたアーチャーもにっこりと童女のような笑みを浮かべた。

「うんうん。マスターの願望はとっても素敵。私も聖杯を手に入れたらお兄ちゃんを取り戻すんだぁ」

 蕩けた笑みには、すでにバーサーカーの波動など欠片も気にかけた様子はなかった。


◇◇◇


「バーサーカー……狂戦士?」

「サーヴァントのクラスの事だよ。聖杯が呼び出す英霊たちは剣士(セイバー)、槍兵(ランサー)、弓兵(アーチャー)、騎兵(ライダー)、魔術師(キャスター)、暗殺者(アサシン)そして……狂戦士(バーサーカー)の七つのクラスに沿って召喚される。
 元々英霊召喚というのはそれだけでも『御使堕し』級の大儀式なんだが、それを七つも行うには膨大なんて言葉では表せないほど多量の魔力が必要になってくる」

 それを解決するためにあらかじめ用意した格(クラス)に対応した英霊を召喚できるように術式(システム)が組まれている。各クラスにはそれぞれ固有のスキルが存在し、とりわけバーサーカーに備わっているクラスは七騎中最も戦闘に特化したものである。
 即ち――

「理性を犠牲にする事であらゆるステータスが強化される。戦闘以外には何も出来ない……はずなのだが」

「そう決め付けるものではないぞ? 騎兵の主よ。何事にも例外というものはある」

 鈴のような声音を発しながら、その一言一言に気圧される。
 上条も草壁も共に理解している。本能が告げている。
 これには勝てないし逃げられない。
 それは人の形をした死の具現。
 出くわさない事以外に対処する術のない現象なのだと。

「草壁……あんたのサーヴァントは?」

「実は君に出会う前に奇襲を受けていてね。いまは傷を癒すために拠点へ戻している」

「じゃあ」

「ああ、正直に言えば打つ手がない」

 実を言えば、草壁には一つだけサーヴァントを即座に召喚する術が残されていたが例えそれに成功したところで状況は変わらない。宝具の威力は確かに凄まじいモノがあるライダーだがその本領は一対一よりは一対多の殲滅戦にある。事戦闘に関して最強とされるバーサーカー相手では無駄死にさせてしまう公算が非常に高い。
 そんな他人に『死ね』というような真似を、彼女は良しとはしなかった。
 もっとも、

「上条君、私が奥の手を使う。合図をしたら君はどうにかしてこの結界を破って外に出て欲しい」

 それはこの場に守る者が誰もいなかった場合の話。
 草壁の家系は代々退魔を生業とし、悪鬼羅刹を覆滅する事を生業としてきた一族である。
 その次期党首としての自負と矜持がこの場で、自分の手が届くこの場所で、ただ巻き込まれただけの上条当麻を死なせる事をよしとはしなかった。

「……」

 草壁の言葉に上条は無言で返す。しかし、その体勢は即座に動く事ができるように腰を落とされた。
 それを了承と取った草壁はサーヴァントに対する三つの絶対命令権……令呪の一つを行使するために魔力を高める。
 それを感知したバーサーカーもまた、全身の覇気を研ぎ澄まして構える。
 その姿はまるで刃金。
 触れたもの尽くを斬って捨てる妖刀の鋭さがその身に宿されている視るモノ全てに『理解』させる。
 人間ではこれに敵わない。
 自身も一流派を背負う草壁だからこそなおの事その圧力を敏感に感じ取る事が可能であり、なおの事上条をこれ以上危険に晒すわけにはいかないと言う決意を強固なものにする。

(バーサーカーに奇襲を仕掛け、上条君が逃げ切った後に離脱……ライダーの速力に期待する他ないな)

 分の悪い賭けになるがそれもいい。

「走れ! 上条君」

 草壁の唇が契約執行の口訣を唱え――

「草壁、悪い」

 上条が疾走を開始する。
 バーサーカーへ向かって。

「なっ!?」

「ほう」

 一瞬、その場の誰もが驚愕に身を固める。
 誰が想像するだろう。
 サーヴァントに生身で右手に拳を固めただけの少年が突進するなどと!
 しかし、それはただの無謀な吶喊ではない。

(奴が使い魔……ステイルの『魔女狩りの王(イノケンティウス)』みたいな存在なら、俺の右手が当たれば倒せる可能性は高い!)

 上条当麻の右手には神様の奇跡さえ打ち消す異能が宿っている。
 その手に触れたならあらゆる霊装は砕かれ、どれほどの大儀式さえ尽く破壊する。
 故に、その存在自体が神秘であるサーヴァントには最強の鬼札(ジョーカー)として機能する。
 もっとも、

「友達置いて一人で逃げられるかよ!」

 そんな物があろうとなかろうと上条当麻に友達を捨てて逃げ出すという選択肢は存在しない。
 故に、もしも上条のことを良く知るものがいたならその行動は間違いなく予測できるものであっただろう。そして、もしもそういった人間がいたなら、止める事もできたかも知れない。

「オオオオッッ」

 渾身で放たれる右ストレート。
 それはまるで吸い込まれるようにしてバーサーカーの顔面へと伸びていき、

「ふむ、我流だがよい型だ。踏み込みも深い。何よりその気概、賞賛に値しよう。だが――」

 白磁の肌に触れることなく、虚空を貫いた。。

「圧倒的に遅いな」

(マズッ……)

 背筋に走る確信。
 いまこの瞬間に命を吹き飛ばされるという悪寒が上条の意識を際限なく加速させていく。

「拳の基本を教えてやろう。我流も良いが、お前に徒手空拳の才能はなさそうだ」

 スローモーションの世界の中、白い少女の唇だけが滑らかに動く。背後から異様に間延びした美鈴の声を聞きながら、上条の視線はバーサーカーから話す事ができなかった。
 右手を前に、左手を腰に。
 空手の型に良く似たその構えから、バーサーカーはいまだに晒されている上条の柔らかな横腹に向けて砲弾じみた正拳を放ち、


 駕遮!


 上条の体を貫通した。



[21470] 第六話 一つ眼
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/12 08:32
 十二月の日没は早い。
 学校を終え、アルバイト先の喫茶店にしばらく休ませて欲しいと直接伝えて学生寮の自室に辿り着いたのは午後六時になったところだった。
 今日もいつもの一日が終わることに安堵と退屈と鬱屈を感じながら鍵を開けた皐月駆を待ち受けていたのは、まるっきり予想だにしていない光景だった。
 つい先日、唐突に増えた同居人のせいで色々と世の中は不条理に出来ているらしいというのはよく理解しているつもりだったが、どうやら彼の理解はまだまだ浅かったらしい。
 古来より言われるとおり、一度あることは二度も三度も起こるのだろう。
 ……この場合は一匹見たらなんとやら、と言う言葉のほうがより駆の心情に合致したものだったが。

「……どうしてこうなった」

「何か言ったか坊ちゃん」

 健常な左目だけで虚空を見つめて立ち尽くしていた駆の耳に悪魔の声が。
 可能ならばこのまま空想に溺れて溺死したいと割と本気で思う駆だったが、現実はそんなささやかな願いも叶えてくれないらしい。反応が見られない駆に声の主は容赦のない台詞を浴びせかけた。

「そだ。やり方間違えて坊ちゃんのゲームデータ消しちまったわ」

「なん、だと!? 遊び人から育てるのがどれだけ大変かわかってるのか!?」

「いいじゃねえか。賢者なんてまた作れば」

 そもそもリセットボタン押すとデータが消えるなら最初に教えてくれと言う声の主に殺意を覚えつつ、駆は致し方なく現実を直視するために一つだけの視線を向けた。
 部屋の中は朝に駆が出かけた時と大して変わりはない。つい一昨日までとはまるで別世界化してしまっていたが山盛りになった煙草の吸殻や青い空き缶がごろごろしているのも、ビールやら日本酒らしき銘柄の瓶がごろごろしているのもそのまま。
 この異空間を創造した青年は相変わらずよれよれの白衣を着て、窓際にあるベッドに腰掛けて一服吸っていた。
 朝、駆が高校に出かける前と唯一違うところは駆のベッドに見知らぬ女性が眠っているところと玄関の入り口に異様にツンツンした髪型の少年が倒れていると言う程度のものである。
 ……現実がおかしいと声を大にして叫びたい皐月駆17歳の冬だった。

「おーい坊ちゃん。空想遊びも良いが地に足つけないと転んじまうぞ?」

「……うるさい。それよりキャスター、これはどういう事だ?」

「これ? ……ああ、坊ちゃんの童貞喪失にちょうど良さそうなのがいたんで拾ってきた。あ、心配しなくても大丈夫だぞ? 新品だから。そっちはおまけ」

「んなっ!?」

 青年……キャスターの位階(クラス)で召喚された英霊が言い放った言葉に思わずたじろぐ皐月駆17歳童t――

「童貞違うわ! っていうか、それよりもおまけが男ってどういうことだよ!?」

「え? だって坊ちゃん両刀じゃ……そうか、もっとマッチョが良かったか。坊ちゃんはどう見ても受けだしな」

「……いいぜキャスター。俺がどれほど巨乳を愛しているかわからせる時が来てしまった様だな」

「オーケー了解わかった。だからその手に持ったカッターを下ろそうぜ坊ちゃん。それとキャラが変わってんぞ」

「誰のせいだ!!」

 全力で怒鳴りつけるがキャスターにとっては正しく柳に風。凄まじい徒労感に駆が苛まれていると足元の少年とベッドの少女がもぞもぞと身じろぎし始めた。どうやら彼が放った魂の絶叫は彼らの眠りを覚ませる程度の効果は発揮したらしい。

「いっつ……俺は一体……」

「……ここ、は?」

「よう、目が覚めたか。バーサーカーに人間が生身で立ち向かうなんて馬鹿な奴らだなお前ら」

「「「!?」」」

 キャスターの一言にベッドの少女――草壁美鈴も玄関の少年――上条当麻も、更には駆も同時に驚き、それと同時にお互いに警戒の視線を向けた。正確には一対二。数で言えば実に四倍の視線を受けながら、駆は自分が召喚した(と本人は言っている)キャスターへと左目を向けた。

「キャスター、この人たちは……」

「ああ。坊ちゃん同様にこの糞みたいな儀式に参加してる魔術師だよ。まあ、性能はこっちのお嬢ちゃんの方が圧倒的に良さそうだけどな」

「それはどうも」

 キャスターに魔術師としての力量を褒められたところで皮肉以外には聞こえない。だからだろう。美鈴の表情は険しく、上条に向ける視線には悔恨の色が濃く浮かんでいた。

「それでキャスターのサーヴァントとマスターは私に何をさせたいのだ? 言っておくが、私にはまだ三つの令呪があるぞ?」

「こんな距離で令呪を使う暇があると思ってる辺り、お前もそこのツンツン頭と同じでサーヴァント舐めてるだろ」

 いまだに体を起こしただけの姿勢の草壁とキャスターとの距離はそれこそ手を伸ばせば届いてしまう程に近い。どれほどの術達者な使い手であっても、この距離で魔術の英霊よりも速く術を行使することは不可能だろう。その厳然たる事実があるからこそ、キャスターは飄々とした態度を変えることなく、むしろ少女の戦意に呆れかえっている事を隠そうともしない。
 もっとも、それ以外にも理由はあるのだが。

「とりあえず、暴れるのは感謝の一言もしてからにしろやイノシシ娘。こっちは命張ってバーサーカーのマスターが作った結界からお前ら助けてやったんだから」

「なに?」

「あんたが助けてくれたのか?」

 キャスターの言葉に草壁は怪訝そうな表情を作り、それまでしきりに自分の腹を摩っていた上条も顔を上げた。彼が気を失う最後に見たのは自分の腹をバーサーカーの白魚の腕が貫通する場面だっただけに、風穴の開いていない腹になんとも釈然としない表情を作っていたのだ。
 だが、このキャスター……バーサーカーと同等の存在が助けてくれたと言うのなら納得は出来る。そう思っての問いに白衣の魔術師は大仰に頷いた。

「感謝しろよ? なんせ『炎の魔女』とも呼ばれるあのリーゼロット・ヴェルクマイスターに気づかれないように結界に侵入&脱出をしてやったんだからよ」

「ヴェルクマイスター……馬鹿な。あの封印指定がマスターとして参加してるというのか」

「ああ。お嬢ちゃんのサーヴァントもかなり強そうだけど、あいつらじゃ分が悪い。マスターもサーヴァントも性能で圧倒的に負けてるんだ。勝てるわけないだろう」

「えっと……有名な奴なのか?」

「いや、俺に聞かれても分からない」

 キャスターと草壁は二人とも光と名乗った少女……バーサーカーのマスターについて知っている様子だが基本科学側に属する上条にも元々魔術なんて存在自体知らない駆にも二人が驚く名前が持つ意味が分からないでいた。そんな二人の反応に気づいたキャスターが軽く悩んでから口を開いた。

「このお嬢ちゃんがレベル20の魔法使いならあっちはレベルカンストな上にそれでもレベルアップし続けてステータスがバグッた賢者様だよ。サーヴァント同士の性能はもちっと調べないと比べられないが、基本バーサーカーの戦闘能力は最強だ。こと真正面からの正攻法でアレを倒したければ数で上回らないと無理」

「えーっと……それは無理ゲーじゃないか?」

「だから言ったろレベル0のたまねぎナイト。あ、ちなみに坊ちゃんはレベル1の戦士な」

 上条と駆の脳裏に浮かぶのは毎度『最後』と銘打ちながらすでにシリーズ15作目が作られ始めているとあるRPGの光景。ファ○ラとか必死に撃つこちらの攻撃を嘲笑うかのようにメテオとかぶっ放してくるボスの姿がなんとなく想像出来たところで草壁が顔を青くしている理由に納得する。
 ゲームの中なら『ふざけるな』とリセットボタンでも押せば済む話だが、キャスターの言葉が正しければ自分たちはいずれその理不尽な敵と遭遇する事になる。その時、そんな反則相手にどう立ち向かえと言うのか。

「って、ちょっと待てキャスター。それじゃあお前、そんなやばい奴に狙われているのにこいつらを連れてきたのか!?」

「ああ」

「ああってお前……」

 駆の視界は一瞬本当にくらくらと歪む。
 一昨日の夜、何の前触れもなく召喚してしまったキャスターから説明された聖杯戦争という儀式については彼自身の存在と能力とはまったく別の理論で発動する異能を直に見せられた為にある程度納得はしている。しているが、駆はこの儀式に積極的に参加するつもりは毛頭なかった。
 サーヴァント同士の戦闘で仮に誰かが巻き込まれようと、それが駆の与り知らぬところで起こっているなら一切気にしない。
 それが皐月駆の聖杯戦争に対する姿勢(スタンス)であり、それについてはキャスターにも同意は取っていたはずなのだ。

「どうしてこんなことを!」

「まま、落ち着けよ。俺だって考えなしにこんな真似したわけじゃねぇよ」

 激昂する駆を手で制しながら、キャスターはいまだに動揺から抜け出せない上条と草壁に向かって言い放った。

「さて、ライダーのマスター。命を助けた事に多少なりとも恩を感じてるのなら……ここは一つ共同戦線といかねえか?」


◇◇◇


 学園都市には学校としての施設以外にも無数の研究施設や実験プラントが存在している。
 第一次産業から第三次産業にいたるまで、学園都市内で賄えるようになっており、その施設もそうした物の一つだった。
 農業用実験プラント……大きさは一般的な学校と同規模。四階建てのそれは裏手に広大な敷地を持ち、そこには各種の野菜が多数栽培されていた。遺伝子組み換えによる種や肥料の改良、最適な栽培手段などを研究している。
 学園都市の胃袋を満たす台所。
 そういっても過言ではないその施設は、しかしそれだけの物ではない。

「まったく。開戦初日から飛ばしてるわね~」

 その施設の地下にはブラックロッジが密かに建設した学園都市内での拠点が存在している。そこでは日夜表に出せないような麻薬や薬物の研究などが行われ、その余技として農業に転用できる技術が表に流れ出ていると言うのが真実だった。
 ……もっとも、それらの非道な研究は今日この時をもって永遠に停止する事になる。
 たった一人の魔女の手によって。

「ん~量はそこそこだけど、やっぱり質が悪いわね。まあ、わざわざサーヴァントを捧げる必要もないか」

 人気が皆無の施設の中、軍装に身を包んだルサルカは踊るように廊下を歩む。
 その足取りはまるでピクニックにでも訪れているかのようなものだったが、彼女が奪った命は既にこの一時間弱で一〇〇に及ぶ。その全てが火器や霊装によって武装したブラックロッジの戦闘員たち。
 彼らは今日この夜に敵性戦力がこの拠点を襲撃するという情報からあえて集められた精鋭である。その戦力は例え襲撃者が必要悪の教会だろうと時計塔の執行者であろうと教会の代行者であろうと撃退しうるだけの質を持つ者たちだった。
 だからこそその命には価値がある。
 本来並の魂では数百の命を捧げなくては開かないスワスチカが既に開いているのがその証拠。戦場となったこの場所は第一のスワスチカとしての機能し始めていた。
 霊的に汚染されたこの場所は既に一種の異界となっている。
 万が一、精神感応系能力者がこの場所に訪れてしまったなら、それは間違いなく発狂するだろう。
 理不尽な暴力によって命を蹂躙され、魂を貪られ、霊を弄ばれる。
 その苦痛、その嘆きは至高天にも届く事だろう。
 だが、

「それでも三下ばかり送ったんじゃ怒られちゃうかもしれないし? と言う訳でそこで私を狙ってる子達出てきなさいよ~。私と一緒に夜のお散歩、楽しみましょう?」

「いや~出来れば見逃して欲しかったにゃ~」

「ちっ。完全にばれってンじゃねェか」

「まあ最初からオカルトなんかにあんまり期待なんかしていなかったけれどね」

「いやはや面目ない。けど、流石にアレの目を誤魔化しきると言うのはちょっと人間業じゃないんですよ? その辺りを少し考慮していただけるとありがたいですね」

 ルサルカの背後から現れたのは四人の少年少女――サングラスをかけた金髪アロハの少年に白髪赤眼、さらしを胸に巻いて肩に上着を引っ掛けただけという露出の多い格好をした少女と優等生然とした少年。
 一見するとまるで統一性がない一団だが魔術を齧った者が見ればなおのこと違和感を覚えるだろう。能力者が二人と魔術師が一人、不良品が一つと言うその取り合わせは組み上げた人間の意図がまるで読めない。
 読めないが、ルサルカにとってそれはさほどの意味は持たない。

「んー白髪の子は結構良さそうね。そっちのお兄さんたちも。お姉さんは……ちょ~っともの足りないかも?」

「おいショタコン女、良かったな。てめェ嫌われてンぜ」

「……次にそういったら頭だけ壁に埋めるからねペド野郎」

「まあまあ落ち着くぜい。っていうか、むしろアレに狙いをつけられるのは人間的にあれな奴らだから普通に喜ぶべきだと思うぜい」

「そうですね。正直、僕は彼女のような女性は趣味ではないのですが」

「「「ダウト」」」

「息ピッタリね貴方たち。まるでコメディアンみたい」

 感心したと言わんばかりのルサルカの様子に白髪の少年――学園都市最強の超能力者(レベル5)・一方通行(アクセラレータ)は細めた赤眼を向けた。

「おい。お前、ここにいた連中はどうしたよ」

「あの人たち? 私が美味しく頂いちゃったけど? 性的にも物理的にも、ね」

「それはまた……此処は街全体が一応学校みたいなところなんですけれど?」

「あらら。見た目どおりの優等生なのね。でもこんな時間に出歩いているんだもの、みんな十八歳以上ってことでいきましょうよ」

 優等生――学園都市に潜り込むアステカの魔術師・エツァリが困ったように言う。

「まあ俺たちは別にかまわんけれどにゃあ……」

「おいそこのサングラス。どうしてそこであたしを見るんだ。言っとくけどまだ十七だからな」

 殺意すらこもった視線で味方……の振りをした多重スパイ・土御門元春を睨みつける少女――座標移動(ムーブポイント)の結標淡希。
 やはり年齢の事は全女性(一部特例を除いて)にとって鬼門なのだろう。

「これがジャパニーズ天丼……奥が深いのねお笑いの道も」

「あァそうだな。ま、てめェには関係ねェだろ――ここで死ぬンだしよォ」


 怒蛮!


 爆音を足元でさせて一方通行が突進する。
 それを援護するようにエツァリが黒曜石のナイフを取り出し、結標と土御門もそれぞれの役割を全うするために散開する。
 科学と魔術の混成部隊『グループ』と黒円卓の魔女による激突は人知れず始まった。



[21470] 第七話 グループ+
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/14 22:48

 学園都市の闇を掃除するために結成された組織は複数存在する。
 今年の十月に起きた抗争によりその質、量共に低下したことは否めないがそれでもなお学園都市の闇にはいまもなお暗黒の中で蠢く有象無象の邪悪から光挿す世界を守るために拳を握るものたちが大勢存在している。
 学園都市最強の超能力者・一方通行が所属するこの『グループ』はその中でも随一と言って過言ではない。
 座標移動(ムーブポイント)の結標淡希は既に超能力といっても過言ではない能力使用が可能であり、魔術師エツァリの黒曜石のナイフに反射させた光はありとあらゆるものを分解する。様々な組織に内偵を行っている土御門元春の知識が彼らの行動をサポートする。
 諜報・戦闘のどちらにおいても彼らは優秀であり、あらゆる面において隙がない。
 なにより……単純に『最強』の二文字を背負う少年の力は伊達ではない。

「そォらよっ!」

 爆発的な突進と同時に横薙ぎにされた右の平手。対峙する魔女までまだ数メートルを置いて振るわれた一撃は、しかし一方通行の能力『ベクトル操作』によって増幅・制御されて空気の壁を形成し、ルサルカの小柄な体を窓枠へと吹き飛ばした。
 彼らがルサルカと遭遇したのは四階の廊下。窓枠に嵌められているのは流石は学園都市と言えるだけの強度を持つガラスだったが、そんなものが一方通行の能力に耐えられるはずもない。
 結果として、ルサルカは四階の高さから突如虚空へと投げ飛ばされた。

「あらあら。顔に似合わず乱暴な子ね」

 もっとも、その程度でどうにかなる魔女ではない。彼女は器用に虚空で姿勢を整えて難なく着地すると、間髪入れずにしゃがみ込んだ。寸前までルサルカの胸があった空間を『何か』が通過する。

「そんなに殺気立ってたらいくら危機感の薄い私だって気がつくわよ? アステカの魔術師さん」

「おや、僕なんかの事を知っているなんて驚きましたね。流石は『魔女への鉄槌(マレウス・マレフィカルム)』と名乗っているだけの事はあります」

 ルサルカの流し目を涼しい顔で受け止めたのはいつの間にか地上に現れたエツァリ。結標の能力で跳ばされた彼は絶好のタイミングで必殺の魔術を放ったが、その成果は自動車が一台のみ。螺子の一本、ボトルの一つに至るまで完全にバラバラにされたワンボックスを見て、ルサルカは勿体無いなーと暢気に言い放つ。

「蛇の道は蛇っていうでしょ? いやな言葉だけど。私みたいな立場してると聞く価値もない噂話でも聞こえてきちゃうのよねー」

 けらけらと緊張感なく笑うルサルカの頭上から一方通行が落下してくる。重力のベクトルを弄りながら降下出来る彼は、あえて落下速度を加速させて無防備な魔女に来襲する。その一撃は間違いなく人間を圧殺するには過分な威力が込められており、魔女にそれを防ぐ手段はありえない。
 故に、

「ぐごっ!?」

「はーいざーんねーんしょー♪」

 衝撃波すら起こしかねない速度で落下してきた一方通行をルサルカは一瞥もせずに迎撃した。
 彼女の影から撃ち出された歪な鎖の先端が一方通行の腹部を『直撃』したのだ。
 結果としてあさっての方向へ弾き飛ばされたのは鎖の方だったが傷を負ったのは彼の方。
 秘術によって形作られた鎖はただの物体ではない。それが与える衝撃は魂に直接刻まれる。物理的にはほぼ完璧な防御を誇る一方通行の能力もこれを防ぐ事は不可能である。
 その事実に一方通行の思考は一瞬だけ混乱に陥りかけるが、焼けつくような傷の痛みがそれを許さない。
 何より、少女の姿をした『死』が彼のすぐ傍に立っているのだから。

「いただきまーす」

「そうはさせませんよ!」

 エツァリが再び『トラウィスカルパンテクウトリの槍』を発動させた。
 手にした黒曜石を鏡として使い金星の光を反射させる事でアステカの破壊神「トラウィスカルパンテクウトリ」の伝承――それが投げた燃える槍(金星の光)を浴びた者を全て殺す――を模倣したこの魔術は回避も防御も不可能に近い。
 一度に一つしか対照に取れないという欠点こそあるが、それでも聖槍十三騎士団の魔人という遥か格上の存在である魔女を殺すには十分な威力を誇る術である。
 唯一彼が悪かった点を上げるとするなら、

「食人影(ナハツェーラ)」

 相性が絶望的に悪かった事だろう。
 ルサルカは自身が編み出した影絵の化け物で『トラウィスカルパンテクウトリの槍』を受け止めた。その光を浴びた存在をバラバラに『分解』して殺してしまう必殺の魔術も、繋ぎ目一つない影絵を『分解』する事はできなかった。

「順番は守らなきゃね。がっつく童貞にはちょ~っと嫌な思い出があるから」

 あくまで無邪気に、まるで唄うような調子のルサルカ。既に一方通行は彼女の魔術によってその動きを制限されており、結標もエツァリも打つ手がない。
 その結果は当然。

「まさかここまで予想通りとは思わなかったぜい」

「!?」

 魔女のすぐ背後へと転移させられたグループ最後の一人、土御門元春が手にした刃を一閃する。
 重い刃音が過ぎたあとにはらりと赤毛が数本舞う。その事実にルサルカは目を剥き、同時に地面を蹴って土御門から離れようとする。そうはさせぬと踏み込む土御門の鼻先を今度はルサルカの放った鎖が掠めた。紙一重で回避は成功したがその一瞬で広げられた間合いは十メートルを超えている。達人でもない土御門にその距離を一瞬で詰める技術はない。

「やれやれ。ねーちんだったらいまの一撃で決められたんだがにゃ~」

 大袈裟に肩をすくめながらだらりと片手にその刀を構えた。
 刃長2尺7寸。視る者が視たならそこから立ち上る霊気の濃さに目を眩ませる事だろう。
 彼が手にしているのは『本物』の霊剣。

「鬼切……かつて京の都を荒らした鬼女の腕を切り落とし、後にその鬼すら斬った一品だ。天下五剣とは行かないが草壁七宝の一振りであり、同時に我が国が誇る化け物殺しの剣……お前らみたいな存在(モノ)にはうってつけだろ」

「概念武装。まったく、厄介な物を持ち出してくれたわね」

 ルサルカの表情から余裕が消える。
 彼女たち秘術(エイヴィヒカイト)を操る魔人を殺す手段は極少ない。
 同等以上の秘術の使い手、1000年以上の年月を生きた幻想、彼女が所属していたブラックロッジの最秘奥である異界より召喚された神。
 これらの存在ならば黒円卓の魔人に拮抗する。死徒二十七祖級になれば現存最強の騎士であるヴィルヘルムを上回る者もいるだろう。
 しかし、それらはあくまでも同じ『人間以上』の存在たちである。実質まっとうな人間に黒円卓の魔人を殺す手段はたった一つを除いて存在しない。
 それが概念武装……長い年月を経て結晶化した魔術そのものと言える器物を用いる事である。概念武装の性能はもはや絶対と呼べる領域であり、それを覆せるのは同等の概念武装くらいである。
 『聖剣の鞘』はありとあらゆる傷を癒し、『竜殺しの剣』はどれほど強壮であっても竜を殺す。
 『契約破りの短剣』によって破れない契約はなく、『必中の弓』は必ず的を射抜く。
 一介の兵士による『神の子』の殺害すら、概念武装は可能とさせる。
 それ故、ルサルカが感じた戦慄は凄まじい。

「鬼殺しの霊剣……確かに厄介ね」

 土御門が持つ鬼切は正しく黒円卓にとって鬼門。
 人間から超人へと変貌した『鬼』を斬ることに特化したその霊剣は物理・魔術の両面で万全の守りを発揮する騎士たちの鎧を貫通する。
 ルサルカの髪を斬るのと同じ容易さで、その刃は魔女の首を刎ねるだろう。
 自分が殺されるかもしれないという感触が魔女の全身を駆けめぐる。
 故――

「良いわ。貴方たち、本気で殺(あい)してあげる」

 ――浮かんだ笑みには、遊びの欠片も存在していない。
 ゆらりと揺れる碧の瞳に浮かぶのは歓喜の色。
 互いに殺せる、殺される者たちが行う激突こそを闘争というのなら、今宵初めての戦争がここに執り行われる。

「Yetzirah
 形成」

 魔女の足元から影から無数の拷問器具が湧き出す。
 鎖、手錠、鞭、蝋燭、木馬、車輪ets ets
 それら全てが彼女の聖遺物とも言える拷問器具の数々がグループの面々に開陳される。

「聖槍十三騎士団黒円卓大八位 ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム。さあ、私の影に溺れなさい守護者の皆さん」

 ルサルカは自身の聖遺物『血の伯爵夫人(エリザベート・バートリー)』を日記として形成する。魔女はそこに記されたあらゆる拷問器具を呼び出し、攻撃に使う事が可能である。
 それら器具一つ一つであればエツァリの魔術でも破壊することは可能だが、数が圧倒的だ。既に顕現しているだけで二十を超える拷問器具は一瞬で彼を粉砕するだろう。
 物理的な衝撃はともかく、魔術的な汚染を防ぐ事ができない一方通行もこの布陣に飛び込むのは自殺行為と言える。肉体と同時に霊魂にも傷を負わせる秘術の攻撃は、だからこそ最強の術式として畏怖されているのだから。
 これに対抗するには土御門の持つ鬼切を主軸に戦うしかないが、彼は剣術の達人と言うわけではない。まともに吶喊すればあえなく迎撃される以上、その一撃を打ち込む時は結標による援護が必要となるだろう。
 しかし、二度も三度も同じ手を赦すほど魔女は平和ボケしていない。結標が僅かでも動けば彼女を轢殺せんと幾つもの車輪が虚空に浮かんでいた。
 形勢不利は覆しがたい。
 既に後退する事も難しい状況であると全員が理解しながら、グループの面々は自身の武器を強く握り締める。

「おいシスコン」

「なんだロリコン」

「ショタ女に腹黒を拾わせろ。俺とお前はアレの足止めだ」

「了解だニャーってことでお前ら逃走用意。プランAのままでいくぜい」

「……了解。君たちもどうか無事で。幼女を泣かせたりするのは好きじゃないんだ」

 軽口を交し合う三人の表情は明るい。
 彼らに諦めると言う選択肢は存在しない。何故なら、そんな敗北(ぜいたく)の代償が一体なんであるか、彼らは痛いほどに良く理解していたから。
 だからこそ、その瞳に戦意は灯り、その炎がなによりも魔女の殺意を研ぎ澄ませる。

「あら、置いて行くなんて酷いじゃない。皆仲良く一緒に水底に沈みなさいな」

「「「断る」」」

 宣言の刹那、全てが動き出す。
 魔女に言い切る事。
 結標が自分を含めた全員をルサルカから遠ざかるように転移させる事。
 その転移先に全員分の『棺桶』が口を広げて待ち構えていた事はほぼ同時に起き、瞬きの間も置かずにそれは突っ込んできた。

「騎兵隊だぁっ!!」


◇◇◇


 暴れ馬のように凶暴な単車の後ろに跨りながら、藤井蓮はどうしてこうなったのかとため息をつく。
 瞬き一つで背後へ吹き飛ぶ景色の中、その息はすぐに置いてきぼりにされるのだがどうやってかそれを聞きつけた遊佐司狼は片手でハンドルを押さえながら振り返った。

「どしたよ? 暗い顔しちゃってまぁ」

「暗くもなるだろ。こんな状況じゃ」

 平凡な日常。
 繰り返される平穏。
 いつか終わってしまうのだろうと分かっていてもずっと続いて欲しいと願っていた日々は、いともあっさりと砕け散り、いま彼は日常とは遠くかけ離れた戦場へとその身を投じようとしている。

「それで、グループってのはこの先でどんぱちやってんのか?」

「そうらしい。どっかのアホな理事会が出撃命令出しちまったんだとよ。普通の連中相手ならむしろ過剰戦力っぽいんだがなぁ……学園都市の最強さんも意外と大変らしいぜ?」

 蓮と司狼に与えられた任務は救出を目的としたもの。
 今夜、ブラックロッジと呼ばれる犯罪組織を潰すために派遣された学園都市の暗部部隊をその場に現れるであろう『脅威』から救出するのが彼らの役目だった。

「そう心配しなくても不意打ちで一発ぶち込んでとんずらするんだ。そう気負う必要もねぇだろ」

「その一発を入れるのが俺の役目じゃなければな」

 そう言いながら、ぼろぼろの赤い布で包まれた自分の右腕へと視線を向ける。
 そこにはかつて罪人の血を啜り、その首を落とし続けた断頭台の刃とそれに宿る少女の魂が在る。
 秘術(エイヴィヒカイト)と呼ばれる妖しげな術を操るために必要不可欠な物品であり、どうやら蓮はこれを操る事ができるらしいと彼らを戦場に放り込んだ人間には説明された。
 本来ならば、たとえ彼以外の誰にも出来ないと言われたとしても関わり合いになる事を拒否しただろう。なにより、その前提すらない。絶対に藤井蓮がその器物を宿さなくてはならない理由はなく、封印してしまっておく事もできると言われていたのだ。
 もしも、幼馴染の少女がこの件に深く関わり、彼女のせいではない罪を償わさせられる、などという状況でなければ例え神様に命令されたとしても蓮は頷かなかった自身が彼にはある。

「……あんなのが警備員の特殊部隊率いて本当に大丈夫なのか? この街」

「大丈夫なわけねぇだろ……ま、此処まできたら腹くくれや。衛宮の野郎はいけすかねえが基本はお人好しだよ」

「……とてもそうは見えないけど」

 蓮に秘術を教授し、脅迫した張本人の皮肉げな笑みを思い浮かべ、げんなりとする。
 それでも彼は選んだのだ。
 何よりも大切な、宝石のような日常を守るために刃を取ると。
 他の誰でもなく藤井蓮がそう決意してこの右腕に血塗れの刃を受け入れたのだ。
 だから、後悔はこれが最後。

「茶々、目的地まであとどれくらいだ」

「目標まであと30秒。準備は出来たかい? 蓮兄ちゃん」

 器用に司狼の膝に乗っている金髪の少女――茶々丸が片手で馬鹿みたいに巨大な鋼の十字架を振り回して合図する。司狼と蓮の視界にも争う人影が遠めに見ることが出来た。

「蓮、へますんなよ」

「お前こそこけるなよ」

「三けつじゃなけりゃ問題ねぇ。茶々、弾幕晴れや。――派手にな」

「諒解ってね!」

 叫ぶや否や、司狼がアクセルを握りこみ、突如単車の前輪を跳ね上げた。
 魔獣の咆哮に負けぬよう、茶々丸が喜悦の歓声を張り上げた。

「騎兵隊だぁっ!!」

 茶々丸が出鱈目に鋼の十字架を振り回す。十字架の中央には髑髏めいた握りがあり、彼女はその小さく白い手でそれを強く握り締めた。


 餓餓餓餓餓餓餓ッッッッ!!


 同時に降り注ぐ銀の雨。
 科学と魔術の集大成――錬金術によって創り出された破魔の弾丸が突然地面から吹き上がった黒い棺桶を例外なく弾き飛ばし、グループと思しき面々の窮地を助ける事に成功する。
 あまりの出来事に司狼たち以外の全員が動きを止めた瞬間に蓮は全ての意識を右腕に注ぎ込む。
 脳裏に反芻されるのは自称魔術師を名乗る警備員の男からの言葉。

『秘術の一番簡単な制御の仕方は呪文と動作を混ぜて行う事だ。
 ”開けゴマ”でも”ちちんぷいぷい”でも何でもいい。自己に対して『奇跡を起こせる』と信じ込ませるための暗示をかける事で大抵の術は起動できるようになる。その暗示が強ければ強いほど円滑に起動を行えるようになるわけだが……その顔は理解していないな』

 正直初めて聞く説明で理解不能な事ばかりだったが、一つだけ分かりやすい説明があった。

『……最悪、その布を外して相手に意識を集中しろ。それで呪文を唱えれば勝手に暴走(はつどう)してくれる。同行する遊佐の命は保障できんが』

 右腕に巻かれた赤い布を一気にはがす。

『Je veux le sang, sang, sang, et sang.

 Donnons le sang de guillotine.

 Pour guerir la secheresse de la guillotine.

 Je veux le sang, sang, sang, et sang.』 

 聞こえてくる忌まわしきリフレイン。
 天使の声で紡がれる血を欲する呪い歌。
 黄昏の海に佇む歌姫へと供物を捧げるため、蓮はその呪文を口にした。

「Assiah
 活動(アッシャー)」


◇◇◇


「なつ!?」

 突如乱入してきた三人乗りの単車……その中の一人、蓮が口にしたモノに魔女は絶句する。
 その呪文は『特定の理で起動する』術式における初歩の初歩。
 黒円卓副首領カール・クラフト=メルクリウスが編み出した秘術(エイヴィヒカイト)を起動させるための呪文である。
 そして、現状黒円卓以外でこれを行える存在はとある魔術師を除けばただ一人。
 スワスチカを開くこの儀式におけるメルクリウスの代替。
 黒円卓を追う狩人役。
 戦場を形成させるための舞台装置(マキナ)――

「ツァラトゥストラ!?」

「いっけぇぇぇ!!」

 蓮から放たれたのは断頭台の刃。
 その威力、いまだ素人同然でありながらまともに受ければただではすまない!
 咄嗟に斬撃の軌道に鎖を幾重にも展開して防御を行う。


 断ッ!


「ひゃぐっ」

「くそっ……浅かったのか!?」

 鎖はなんとか断頭台の刃を受け止める事に成功するが、それでも鎖の連環には皹が入っている。聖遺物と繋がっている魔女にもそれに等しい痛みが跳ね返り、彼女は六十年ぶりの激痛に涙すらその目に浮かべていた。

「ぐっ……よくもやってくれたわね……いま万倍にして返してあげる」

「いえいえ。お気遣いなく。あ、これ粗品ですが」

 からかうような口調で言い放つ茶々丸が鋼の十字架を擬す。迸る弾丸はしかし地面から現れた『鋼鉄の処女(アイアンメイデン)』によって全て防がれた。聖別された特殊加工の弾丸も不意を撃たなければ大した効果は望めない。
 しかし、それでも時間は稼げた。

「おいそこの白髪ども。さっさと逃げとかねえと、おっかねえ魔女が追いかけてくるぜ? あんたらのお仕事ならさっきキャンセルだって連絡が来てる」

「……ちっ。退くぞ」

 司狼の言葉に一方通行たちの反応は素早かった。結標の能力で戦場から転移していく彼らの姿を視界の端に映しながら、曲芸じみた機動で単車を操縦しながら自らも逃走を開始する。

「司狼! さっさと出せっ」

「こっちの弾幕も持たないって」

「わーってるよ。ったく面倒なお客乗せちまったぜ」

 面倒そうに言いながらその口元に獰猛な笑みを浮かべ、アクセルを全開に。魔女の殺意がその背中を捉えることはなく、司狼たちを乗せた単車もまた無事に戦場から抜け出す事に成功した。

「待ちなさいよ……待てって、言ってんでしょ!!」

 魔女のその後ろ姿に一瞬だけ怒りと憎悪を叩きつけるべく『轢殺の車輪』を向け……ギリギリの所で自制した。

(スワスチカはもう開いているし、此処でツァラトゥストラを殺したらあとでベイやクリストフに何て言われるかわかんない……だからここは我慢……我慢……がま……)

 呑! と魔女の背後から巨大な影絵の化け物が現れ、施設を丸呑みする。
 一向に冷めぬ怒りを胸に、この戦場は不完全燃焼での幕となる。
 魔女は怒りに燻り、敗者たちは凱歌をあげながら逃走する。
 その事を良しと嗤うは、一体どの神であるか……

<ほう……これは意外。地蟲にこれほどの理性が残っているか>

<当然。彼女は責任感の強い女性だ……放蕩する君とは違い、自分の役割がこれ以外にもあると理解しているのだろう>

 神ならぬ魔女にそれを知る事は出来なかった。



[21470] 第八話 警備員
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/18 23:01

 幼い頃の夢を見る。
 ただ兄と彼女に手を引かれ、微笑みの中で暮らしていた時代。
 それはとても……本当にとても幸せな時代。
 そして、既に失ってしまった時代。
 それをなんとか取り戻したくて。
 出来ないとわかっていても縋りついて。
 不可能だと冷たく言い放たれても何とかしたくて。
 だからこそ、彼女(わたし)は子供でいることを辞めてしまったのだ――


◇◇◇


「ホリン、起きなさい」

「――もう着いたのか? 嬢ちゃん」

「……ええ、だから間抜け面していないでさっさと目を覚ましなさい」

 肩を揺すられる感覚にホリンと呼ばれた男は薄目を開けた。隣の座席に座っている黒髪の少女はやや呆れた表情で頷きながら、顎で向かいの席を示した。そこには大量に散乱した酒の空瓶と、その中央で鼾をかきながら眠っている白髪の青年がいる。
 ファーストクラス以上の豪奢な作りのシートにどっかりと座り込み、やりたい放題なその様はまるで何処かの王様にも見えるが……それよりは路地裏で荒れてる不良のような印象が強いな、と男は感じた。

「貴方がつぶれたせいで、私がアレの相手をしていたの。おかげで長旅の間暇だけはしないですんだわ」

 ほんとにありがとう、という彼女の視線には殺意が灯っている。
 どうやら眠っている間に相当面倒くさい事態が起きていたらしいと察して、男はやや気おされながら居住まいを正した。

「あー……正直すまん」

「別に。誤られても意味がないわね」

 取り付く島もない、とはまさにこのこと。完全に不機嫌にさせてしまった悟ると男はそれ以上言葉を重ねる事はせず、代わりに意識が途切れる前までの経過を思い出していた。
 戦場へ赴くための移動手段(あし)がようやく準備できたと少女の仲間――彼女はそれを頑なに認めていなかったが――からの連絡でこの飛行機に乗り込んだのが昨日の昼間。それから機内に蓄えられていた食べ物や飲み物を片っ端から胃袋に放り込み始め……気がついたら眠っていたと言うのが今の状況である。
 戦の前祝とさきの前哨戦で燻っている鬱憤を晴らすと言う目的だったため、かなり派手に飲み食いした事は思い出す。そして、途中から行われた呑み比べ対決により男は白髪に敗れたのだと理解した。

「くそっ……飲み比べで潰されるなんて久しぶりだぜ」

「別に悔しがる必要はないわ。ベイも後半から反則使っていたし」

 悔しがる男に少女が投げやりな慰めをかける。しかし、それでも負けは負けと一頻り悔しがった後、男は再び少女に尋ねた。

「んで、俺はどのくらい寝てた」

「大体三時間ほど。シュピーネがあと三十分もしないうちにベイも起きるだろうって」

 そう言っていると件の青年――ヴィルヘルムがむくりと起きだした。

「あら、本当に起きたのね」

「よう、ヴィルヘルム。次は負けねぇから覚悟してやがれ」

「……ああ、アンタか。別にいつだってかまいやしねぇが……おいレオンここはいまどの辺だ」

「東京上空。もう学園都市に向けて降りている途中よ」

「よぉし……あの人の気配がかなり強い。今回は間違いなく儀式が行われているわけだ」

 一人で納得するヴィルヘルムに少女――櫻井螢は不思議そうに眉を上げて見せた。

「分かるものなの? 確か、双首領閣下と三人の大隊長は別の世界にいるはずでしょ」

「あン? ……そうか、確かテメエはあの人から直接『聖痕』を刻まれてねえからな。俺たちよりは鈍いからわからねえか。アンタはどうだ? ランサー」

 話を振られた男――槍兵(ランサー)として聖杯に召喚された英霊は軽く肩をすくめて、

「お前らの親玉らしき気配ってのは流石に感じないが……此処は既に修羅場だな。血の臭いが此処まで届きやがる」

「ああ。そうだろそうだろ……この臭い、一度嗅いだら忘れられねえ。どんな酒よりこいつが一番気付けになる」

「……流石ね。よく鼻が利くこと」

「ま、お嬢ちゃんにはまだ早い」

 螢の皮肉にもヴィルヘルムは無反応。ランサーだけがやはり肩をすくめた。
 その両者の反応に若干螢の眉間が谷間を作るが、それを遮るように最後の男がその場に現れた。

「同士諸君。歓談中のところ申し訳ないがよろしいかな?」

「おう、シュピーネ。操縦ご苦労さん」

「お前も一杯くらい飲むか?」

「折角の申し出、光栄の極みではありますが……私(わたくし)には今しばらく当機の操縦していなくてはならないので。この国では飲酒運転が強盗よりも重罪なのですよ。故、なにとぞご容赦を。アイルランドの光の皇子殿」

 ランサーに対して丁寧に腰を折ったその男は針金のように痩せ細った不健康そうな男だ。
 名をロートシュピーネと言うその男もまた、黒円卓に属する魔人である。

「さて、大統領専用機(エアフォース1)の乗り心地は如何でしたかな?」

「同乗者がこの二人でなければ良かったわ」

「ふむ……その辺りは馴れていただきたいレオンハルト。現状、彼ら……というか、中尉を御せるのは貴女だけだ。正直、私はこの機が海上で粉々になるケースも想定していたのでこれは喜ばしい成果と言える」

「……おい、俺がレオンに御せるってのはどういう意味だ?」

 シュピーネの言葉にヴィルヘルムが反応する。それと同時に噴出した殺気は完全に戦闘のスイッチが入ったことを意味している。
 一触即発。
 爆発寸前のダイナマイトじみた空気を掻き消したのはランサーの言葉だった。

「落ち着け。此処まで来て足を壊してどうすんだ? 遅参は重罪だろ」

「……っち」

「流石は”本物”の英霊殿。お陰で命拾い致しました」

 舌打ちした上で再びごろりと寝転がってしまったヴィルヘルムを無視してシュピーネが慇懃に頭を下げる。その様子を見ていて、螢は頭痛を感じる額に手を当てた。
 何よりも戦士である事を善しとするヴィルヘルムの価値観としては本物の英雄であるランサー……クー・フーリンの言葉は多少は聞き入れるに足りるものらしい。黒円卓の団員以外全て獲物としか見ないこの男にしては非常に珍しい事だが、この場合重要なのはランサーの言う事なら多少は聞き入れさせることが出来ると言う点である。
 イギリスでの作戦でも、撤退に渋った彼を最後に説得した(四肢を槍でぶち抜いて達磨状態にして連れ出すのを『説得』と証するあたり、やはりヴィルヘルムが気に入る要素を満たしているのだろう。この槍兵のサーヴァントは)のはランサーである。
 そして、そのランサーに対して強制力を持っているのが彼を召喚した螢である。
 つまり、

「では到着後は予定通りに。私は聖餐杯猊下の元で動きますゆえ、中尉とレオンハルト、そして皇子殿は三人一組(スリーマンセル)でサーヴァントを撃破して頂きたい。無論、その御霊でスワスチカを開く事もお忘れなく……一日に一つ、開けた後は最低24時間を置くようにと猊下より指示が出されております」

「わーってるっての。クリストフに子守は任せとけっていっとけや」

「おう。任せとけ」

「……了解」

 狂犬と猛犬、二頭の獣を従わせなければならないこの組み合わせに一人絶望を覚える螢。
 その事について気にしてくれる人間は、残念極まりない事に此処には存在しなかった。


◇◇◇


 一頻りミーティングを終え、シュピーネがコックピットに戻ろうとする所にランサーが待ったをかけた。

「そういや、着陸とかはどうするんだ。確か、こいつはどっかの国からかっぱらって来たもんだろ? 普通には降りられるのか?」

「ああ。それについてはご心配なく。彼の都市にも私の知己が降りますのでそれを頼って空港を使わせてもらえる事に……いやはや、持つべきものはやはり友と言う事ですね」

「その面(つら)で友と言われてもな……」

 ランサーはややげんなりと漏らす。それ以上聞いても胸焼けを起こすような事しか聞けまいと割り切って、寛ぐようにシートへ寄りかかった。

「ま、どっちみちいまからじゃ無駄かヴィルヘルム、嬢ちゃん。適当なもんに掴まっといた方がよいぞ?」

 一瞬の後、全員の表情に浮かんだのは疑問ではなく闘志。

「ほう。これはこれは」

「へっ、なんだやけにVIP待遇じゃねえか」

「……なるほど、そういうこと」

 曇! と響く衝撃音。
 螢がちらりと向けた視界にまるで紙細工のようにへし折られた鋼鉄の翼が見えた。

「釼冑……日本が誇る学園都市謹製の最新兵装ですか。いやはや、この国が作る物はどれもイカれている」

「貴方にだけは言われたくないわ」

 感嘆の声を上げるシュピーネに一応純粋な日本人と言う事で抗議を一つ吐き、螢はすぐに自分の聖遺物と取り出した。
 螢の聖遺物『緋々色金』はただの武器ではない。持ち主の渇望を種火として一切を焼き尽くす紅蓮を生み出す。その火力は英国の騎士が身に着ける鎧さえ焼き斬る程である。
 故、飛行機の装甲など紙同然で断ち切る事ができるが、今から行うのは斬撃ではない。
 両刃の直剣を握り、タイミングを計る。

「いまだ嬢ちゃん」

「わかってる」

 ランサーの合図と同時に刃を床へと突きたてる。
 そうしている間にも四方八方から刃金の鎧を纏った超人たちが迫る。刀槍で武装した黒金の鳥人たちが螢たちの乗る飛行機に肉薄した直後――

 爆ッ!!

 『内側』から起きた大爆発。
 東京上空で咲いた紅蓮の花は黒金の鳥人たちを巻き込み散華した。


◇◇◇


「グループの救出には成功……敵の無力化までは出来なかったか。まあ、そんなところだろう。初陣にしては十分だ」

 携帯を耳に当てながら次々と告げられる報告を聞く傍ら、今夜から部下となった『四人組』の戦果を聞き届けていた。報告される戦果はどれも予想の範囲内だったが、四人組の最大戦力たる青年が自分の能力をきちんと敵に向けられたという情報は彼にとって朗報だった。
 まったく使い物にならない可能性を視野に入れていただけに、指示通りに行動し、第一目標を達成する事に貢献したと言う事実は大きい。

「本番に強いタイプか……なるほど、秘術(エイヴィヒカイト)と相性は抜群らしい。そちらは今夜のところは解散、貴様はドクターのところに必ず寄れ。そこにグループの土御門も着ているだろうから、今後は我々の指揮下に入るように伝えろ」

『マジたりぃ。自分でやりゃ良いだろ』

「そうもいかん。今夜はこれから美女に誘われているのでね。子供の世話をしている暇はない」

『うっわ、なんつう無責任発言。キョーイクイーンカイにうったえてやるー』

「学園都市の教育委員会にか? 命が要らないならかまわんがお勧めはしない。ああ、それとも貴様の保護者を通せば出来るかも知れんぞ? 遊佐童心という政治家はアレで子煩悩だと聞いている。野党の大物議員なら、流石の統括理事も無碍に出来まい。しがない警備員一人、首を飛ばすなど物理的にも造作もないだろう」

『……この街の法律とかどうなってんだか』

 心からそう思っているらしい声音に笑いがこみ上げそうになる。
 無論、それは自嘲の類であったが。

「あんな者が理事長の時点でそんなものは鼻紙程度もあるわけがなかろう……時間だ。切るぞ」

『オーケイ。今度その美女っての俺とも踊らせろよ』

「背が足りるようになったらな、小僧」

 Pi、と電源を切る。
 すると、それを待っていたかのように三つの気配が背後に現れた。細身の男と大柄で派手な色に髪を染めた男、それと陰気な顔をした中背の男。彼らは衛宮士郎も含めて全員が一様に同じ服装――黒を基調とした防護服を身に纏い、胸には警備員(アンチスキル)である事を示す腕章が闇世の中でも輝いている。
 細身の男が彼の仲間から告げられた情報を告げる。

「衛宮、先行した部隊がやられた。どうやら、自爆したようだが……」

「その程度で死ぬ輩ならよかったのだが……現存の竜騎兵は?」

「我々を除けば二十。先遣隊を率いていたパトリックは戦線を離脱した模様。月山三機は既に所定の場所にて敵を補足していると連絡が着ております」

 応えたのは陰気な男。
 それに続いて大柄な男が鼻を鳴らした。その表情には怒りの色が浮かんでいる。それが何を対象にしているのかは言うまでもない。

「麿が出るわ。この空であんな奴らに好き勝手にされるのは気に入らないし、流石の奴らも空中では身動きが取れないでしょう」

「……奴らにそんな常識は通じん。それに、あの一団には『白貌のSS』がいる。奴の奥義は地上だろうが空中だろうが関係ない。……隊長格で奴らに挑み、私が一人ずつ潰す。現状、アレを殺しきれるのは私だけだろう」

「俺たちでは勝てないと?」

「端的に言えばそうだ。奴らは非常に厄介な鎧を着込んでいる。それを抜くには同等以上の威力をぶつけなくては殺しきれない……核でも叩き込めば、流石に多少は傷をつけられるだろうがな」

 その説明に一同は納得する。
 彼ら四人は全員が学園都市において最新兵装である『釼冑』を使用した治安維持行動を行う特殊部隊の指揮官たちである。その鎮圧対象には能力者やスキルアウトだけではなく、科学とは水と油の存在である魔術を行使する者たちも含まれており、その理不尽さについてはある程度全員が承知していた。
 中でも彼――衛宮士郎は対魔術師戦闘において他の四人を遥かに上回る経験を持っている。
 そんな彼の言葉だからこそ、全員が知る。
 いまここに降りてくる存在どれほど荒唐無稽で理不尽な存在であるのかを。

「高町と今川は痩せた男と少女に対応してくれ。残存二〇騎を全て連れて行け。湊斗は例のアレを。それ次第で戦術を変更するが基本的には白貌のSSと奴の仲間を分断させるのがお前たちの任務だ。ただし槍を持つ男とは真正面から打ち合うな。確実に殺される」

「「「諒解」」」

 指示を受けた瞬間から全員が行動を開始する。
 そんな中でただ一人、衛宮士郎だけが夜の空を見上げていた。
 その猛禽の眼には既に、こちらへ向かって『疾走』している白い吸血鬼の姿を捉えていた。


◇◇◇


 櫻井螢にとって、その降下は初めての体験だった。
 高度一千メートルからの救命具なしでの降下。むしろ行き過ぎた投身自殺といっても過言ではないその行為に、しかし螢にとっては大した脅威を感じることはなかった。

「便利なものね」

「意外に芸達者なもんだ」

「お褒めに預かり恐悦至極」

 螢の言葉に芝居がかった台詞を返したのはシュピーネだ。
 ランサーを含めた三人はシュピーネが虚空に張り巡らせた『巣』を足場にして地上へ向けて疾走している最中である。機体の燃料を利用して爆発を起こし、周囲から迫る敵手に深手を負わせる。
 螢が取ったその作戦は実に効率よく敵の命を奪う事に成功したが、その代償に移動手段を失ってしまった。故に、彼らは残る地上までの距離をその足で走破しなくてはならない。
 その事に多少面倒と思いながら、それ以上に螢は同情のため息を漏らした。

「敵も哀れね。ベイの八つ当たりに使われるなんて」

 彼女たちを置き去りにするような速度で疾走する白い吸血鬼は既にその体から杭を作り出し、機銃掃射よろしく盛大に弾幕を張りながら地上へ向かっている。
 先程の爆発から生き延びただけに、残っていた敵はかなりの錬度らしく一撃で斃される数は少ない。しかし、それもこのまま間合いを詰めきれたなら彼の創造が敵を全て取り込んで終わりだろう。
 そう、ヴィルヘルムの力量を知るからこそそこに弛緩が生まれる。
 そして、それを見逃してくれるほど敵は甘いものではなった。

「嬢ちゃん!」

「え?」

 巌! と螢の首筋に衝撃が走る。気がつくと、彼女の首筋には刃渡りの短い刀……小太刀が一本切りつけられていた。視線が一瞬で敵を捉える。
 いつの間にそこに現れたのか、漆黒の鴉めいた釼冑を纏った武者が静かにそこにいた。
 秘術の恩恵によりまともな武装では傷を負わないからこそ無事だったが、通常であれば間違いなく致命傷だった一撃。
 それをいとも容易く受けてしまったという事実が螢の行動を著しく遅くした。

「御神流・奥儀之肆」


 雷徹


 再び衝撃。しかしその凄まじさは先程の比ではない。まるで首から上が吹き飛ばされるようなその威力に螢の体は空を舞う。それを拾ったのはシュピーネの形成した絞殺の糸であり、それはつまり、彼が無防備になった証拠でもある。

「悪いけれど、麿の睡眠時間のためにも速やかに死んでもらうわ」

「おやおや。では私が永劫の眠りを与えて差し上げましょう。なに、御代は頂きませんよ」

 天空から急転直下。
 唐竹に斬り掛かって来る黄金の釼冑にシュピーネは蛇めいた笑みを浮かべた。

 絶!

 一閃がシュピーネの頭と股間を一直線に結ぶ。しかし、凄まじいまでのその一刀は彼が片手で形成した糸で受け止められていた。純粋な力量、威力であれば間違いなく上回っている斬撃を事も無げに防ぐ。
 その事実を見た全員がその出鱈目さに内心で舌を巻き、

「吉野御流合戦礼法『迅雷』が崩し――」

 真打の奇襲が此処に成功する。
 その一撃が効くか否か。
 学園都市が第三位の能力を解析して作り出し、かつそれを使いこなして見せた仕手が放つ奥儀が効くか否か。
 八人いる隊長格のうち、一人だけ量産型の竜騎兵『九四式』を愛用するその男の一撃が効くか否か。
 それ次第で今後の戦況は大きく変わると確信して全員がそれに注目し、

「電磁抜刀(レールガン)・禍(マガツ)」

 音速を超えた抜刀術がシュピーネの首を捉える刹那、蒼穹の獣がその閃光に腕を差し込んだ。

「なっ……」

「いい業(わざ)だ。宝具に換算してもランクはB……誇れ剣士。てめえの一撃は英霊に届く域にある」

 その腕は……無傷。
 ルーンマスターでもあるランサーが全魔力を防御に費やしたとはいえ、それでも必殺の一撃が無傷であったという事実は重い。
 そして、同時に窮地でもある。
 電磁抜刀はその威力こそ凄まじいが当然の如く代償も大きい。
 放つ事さえ至難とされるこの抜刀術は、それにもまして最大の欠点がある。即ち並の使い手では業を放った直後に気を失うほど消耗してしまうこと。学園都市博とはいえ、この電磁抜刀が行えるほどの人間は最も釼冑を使い続けてきた試験装甲者(テストパイロット)――学園都市見廻組四番隊隊長・湊斗景明だけだろう。
 しかし、仕手が耐え切れても釼冑の方が耐え切れない。
 電磁抜刀の際に発生する大量の熱を放出しきるまでの刹那、釼冑はその動きを停止させ、それ故に彼の身動きは完全に封じられてしまう。
 そのがら空きの喉元に真紅の魔槍が突き出され――

「やらせん!!」

「ハッ! 止められるものなら止めて見やがれ!」

 二条の鋼が寸でのところでそれを阻止する。残像さえ残して振るわれる二刀が火花を散らして閃光じみた刺突を迎撃する。しかし、槍兵の英霊が繰り出す一撃はその全てが音を置き去りにするほど。
 いかに釼冑を纏った超人であってもまともに受けてはたまらない。
 それを援護するために全ての竜騎兵たちが手に巨大な突撃銃を構え、

「一斉射! 高町回収任せたわ」

「承知!」

 弾丸の雨が黒円卓の騎士たちへと降り注ぐ。
 闘いはまだ始まったばかりだ。


◇◇◇


「上でどんぱちが始まったかよ」

「ああ、つまらん邪魔が入っては貴様も本気がだせんだろう」

 地上。
 半径一キロにはなにもない無人の空港に彼らは立っていた。
 一人は聖槍十三騎士団黒円卓に属する魔人。白い貌を持つ吸血鬼。
 そして、いま一方は褐色の肌に色素の抜け落ちたような白い髪の男。
 学園都市を守護する警備員の特殊部隊を率いる衛宮士郎に、しかし、ヴィルヘルムはまったく別の肩書きでその魔名を呼んだ。

「そんで? テメエが俺を止めるって言うのかよ? サンドリオン。黒円卓の補欠なんて無様なテメエが、この俺を」

 嘲り以外の何も含まれていない言葉がヴィルヘルムから放たれる。
 しかし、だからどうしたと衛宮士郎は口端を歪めた。

「なんと呼ぼうが構わんが、私は貴様らの一員になった覚えはない」

「言うじゃねえか」

 二人の間にある空気が音を立てて凍りつく。
 互いがぶつける殺意が空間を歪ませ、世界が悲鳴を上げているのだ。
 その哀切がまるで聞こえているかのように、ヴィルヘルムは笑みを浮かべる。
 肩が振るえ、喉を震わせ、抑えきれぬと口元からクツクツと漏れ出る殺意。

「まあ、確かに。てめえは俺たちの仲間じゃねえ。獣臭ぇ猿野郎なんざ貴様の代わりに五位になったレオンだけで十分だ」

 ヴィルヘルムがその名前を口にした時、一瞬だけ士郎の表情に感情の色が浮かぶ。色素が抜けたような鉛色の瞳は、しかしそれが完全に表に浮かぶより速く押さえ込まれる。
 しかし、それでもこぼれてしまう言葉があった。

「……レオンハルト。確か、名前は櫻井螢、だったか」

「よく知ってるじゃねえか。流石は親子二代の"魔術師殺し"だ。良い耳をしてやがる」

「貴様の耳が遠くなっただけだろう。これは忠告だがね、老害はさっさと舞台から消えた方が良い」

「くはっくくっ……まあ、言えてるかもな。俺とこうして話した奴は大概あの世に逝ってやがる」

 ヴィルヘルムが構る。

「偶然だな。私も同じだ。こういう会話をした相手と何度も出くわした事がない。貴様を除いて、な」

 それに衛宮も即応できるよう腰を落とす。

「……」

「……」

 互いに無言。
 それを破ったのは上空で走った閃光。
 ランサーが電磁抜刀を受け止めたその輝きが開戦の号令となる。

「「Briah/創造」」

 ここに、怒るはずのない番外位(イレギュラー)と第四位との激突が始まる。



[21470] 第九話 灰かぶり
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/21 23:51

 秘術(エイヴィヒカイト)と呼ばれる術式が存在する。
 聖遺物と呼ばれるマジックアイテムをその身に宿し、魂を燃焼させる事で術者の渇望を具現化する。
 聖槍十三騎士団黒円卓第十三位『副首領』カール・クラフト=メルクリウスが編み出したその秘術は、しかし原理だけで言えば既に古の魔術師たちによって構築されていた。
 その証拠に時計塔における随一とされる執行者は本物の『宝具』を扱う事を可能としているし、英国の騎士団長はバックアップを前提とするが自身が持つ魔剣の性能を十全に発動させる事ができる。
 『概念武装(マジックアイテム)を使いこなす』術ならば既に無数に存在する。そして、彼らの用いる武装の格であればいかに黒円卓の騎士たちであろうとも殺しきれると言われ続けていた。
 ……現実にその理不尽と遭遇するまでは。

「ヒャァッハー!!」

 歓声と共に放たれる漆黒の魔弾。
 二十を超える必殺の弾丸を衛宮士郎は両手に持つ陰陽の双剣で迎え撃つ。
 弾き、砕き、交わし、落とし、払い、断ち切り前進する。鉄壁の防御を引きながら致死の暴風を搔き分け、その中心へと肉薄する。
 漆黒の軍装に紅の腕章。白貌にかけられたサングラスの下から灯る赤眼を鷹の目で見据えながら串刺し公(カズィクル・ベイ)の領土を侵す。その偉業は、しかし達成寸前で阻止される。

「おいおい。足元がお留守だぜ? サンドリオォォォン!!」

「ちっ」

 からかうようなヴィルヘルムの声に反応している暇はない。
 突如として地面から垂直に突き上げられた巨大な杭を士郎は辛うじて回避に成功させる。その代償は避け損ねた枝葉によって貫かれた右足のみ。状況を考えれば神業めいた回避だが、この空間(よる)においてその浅手が与えるダメージは見た目以上に深刻なモノだ。

「ぐっ」

 がくんと肉体からナニカを引きずり出される感覚に士郎の口から苦悶の音が漏れる。
 黒円卓の第五位『吸血鬼』ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイの『創造』は吸血鬼である彼が全力を発揮する事が出来る『夜』を創り出す。この夜に存在するモノは須らくヴィルヘルムに捧げられる供物であり、ただ在るだけでも『吸い尽くされる』ことになる。
 血も肉体も魂も。
 健常な者であろうと彼が意識を向けたなら即座に木乃伊とされるだろう。衛宮士郎がそれを免れているのは単純に彼もまた吸血鬼と同位魔人であるからこそ。
 しかし、それでも手傷を負ったのは上手くない。ただでさえこの空間にいるだけで牙を突き立てられているような状態なのに、穴が増えればそこから更に強く吸われるのは道理である。

「おいおい、もう足にきてんのか? がっかりさせるんじゃねぇよ。まだまだ夜はこれからだろうが」

 そして、当然の理屈としてヴィルヘルムはその分回復する。
 鉄壁の防御と戦う限り永続する再生能力。
 こと『戦場で生き残る』という事に関して彼を上回る騎士は黒円卓にもいまい。
 だが、ここで勘違いしてはいけない部分がある。
 すなわち、ヴィルヘルムが埒外にあることは間違いないが……だから他の騎士たちが殺しやすい存在では決してないと言う事。彼ら黒円卓の騎士は戦い殺した魂を聖遺物に吸い取り、燃料とする。それを使えば多少の傷……絶対に先手をとる魔弾や血を啜る事で力を増す魔剣などによって受けた傷だろうと魂(ねんりょう)がある限り再生する。
 今の彼のように。

「随分と余裕だな串刺し公。この程度の掠り傷がそんなに嬉しいか」

「ハッ。生意気な餓鬼だ」

 瞬時に傷を塞いだ士郎は再び突進を開始する。
 再びヴィルヘルムが魔弾による弾幕を張ろうと試みるより速く、士郎がその手にした双剣を投げつけた。古代の名工が鍛え上げた双剣はそれが内包する年月の重さで存在を斬る。それがたとえ黒円卓の騎士であろうと例外はない。高速で回転する夫婦剣は断頭台の刃となって吸血鬼の首へと疾走する。
 しかし、不意打ちならばともかく、弾丸さえ撃たれてから回避できるヴィルヘルムにその投擲は余りにも遅すぎた。杭によってあっさりと打ち落とされた双剣は地面に落ちると同時に硝子の様に砕けて消滅する。それによって稼ぐ事ができた時間は刹那にも満たなく、

「お望みどーり串刺しにしてやるよッ!!」

 疾走する士郎を完全に補足していたヴィルヘルムが極大の杭を自らの影から突き出す。杭というより既に破城槌と呼ぶべきその牙は真正面から突撃する衛宮士郎の腹を貫いた。

「さーて、てめえの味を確かめてやる。安心しろよ、呑み残しだけはしないからよう」

 ヴィルヘルムは獰猛に嗤いながら宣言する。そして、その言葉通りに衛宮士郎の肉体から蓄えられていた『力』を吸い上げ始めた。いかに魂を燃料とした再生が可能であろうとこれでは無理。そもそも、これでは一瞬のあとに魂さえも吸い尽くされるだろう。
 十年前、前回の聖杯戦争に参加していた頃の衛宮士郎であったなら。

「脆い牙だな吸血鬼。歯磨きはしていないのかね?」

 臥鎮ッ!

 鋼と鋼が噛み合う音をさせ、砕けたのは何故かヴィルヘルムの牙。
 それを行った衛宮士郎の腹にはいま無数の剣(キバ)が生み出され、開いた穴を閉鎖する。まるで獅子が顎を閉じるように。それと同時に士郎の体にも異変が起きた。警備員(アンチスキル)の戦闘服――防刃、防弾、耐熱、耐電などなどの各種防護処理の施された鎧めいた衣服を下から貫いて、その剣群が顕れる。
 それぞれが有名、あるいは無名ながらも力を持つ剣の群れ。
 剣製に特化した魔術使いの少年が辿り着いた末の姿こそ、この戦闘形態。
 その輝きはまるで漆黒に塗れた夜を切り裂く閃光の様であり、故にヴィルヘルムの凶眼に殺意が生まれる。

「……いつ見ても気にいらねぇな。テメエの創造はよぉ」

 殺意を孕んだ憎悪の視線に士郎は皮肉げな笑みを口元に作る。
 自嘲めいたそれは果たしてどちらに向けたものか。

「生憎だが、この有様(カタチ)は私の性分だ。似たような存在が君と言うのは甚だ不本意だが、致し方あるまいよ。いまさら変えられるモノでもあるまい」

 刃の触れる音をさせて士郎が構える。
 一方は自身の内から杭を生み出し、武器とする吸血鬼。
 一方は自身を内より剣を抜き出し、武器とする魔術使い。
 彼らの姿かたちは酷く似通っていた。
 故にこそ、彼ら二人は相容れない。
 鏡でしか見ることのない存在を目の当たりにして、どうしてまともでいられよう?

<此処まで逆しまではもはや憎悪する他あるまい。彼らにとっての最悪が形をもって顕れているのだから。やれやれ、無貌殿の演出とはいえ、なんとも酷いことをする>

 くつくつと影絵が嗤う。
 それを合図としたように、両者の激突は再開された。

「死ねや猿野郎ぉぉおおおおお」

「今度は貴様が串刺しにされる番だ。吸血鬼ッ!」


◇◇◇


 吸血鬼と剣製の贋作者が激突している戦場の上空。
 学園都市最強の防衛戦力である『見廻組』と『獅子心剣』櫻井螢=レンハルト・アウグストたちによる激突が繰り広げられていた。しかし、その情勢は裏の世界の誰もが予想するモノとは異なっていた。
 即ち、黒円卓の騎士たちが劣勢に立たされている、という本来ありえない状況になっていた。

「くそっ……シュピーネ、足場は作れないの」

「難しいですね。この夜が明けなければ私の糸も中尉に吸われて満足な強度を持たせられない」

 焦りが滲む螢の言葉に暢気な口調で返すシュピーネ。
 しかし、その間にも二人を狙った銃口が絶え間なく炎を吐き出す。音速を超える赤熱した弾丸。それらをひらりひらりと回避しながら、シュピーネは螢の行動に眉を顰めた。彼女もまた超人的な運動神経で弾丸を回避しているが、それでも幾つかは避けきれていない。
 彼女はそういった弾丸をその手に形成した『緋々色金』で切り払っていた。
 戦車だろうと吹き飛ばせるだけの威力を誇る高速鉄鋼弾を見切って切り落とすその技量は立ち向かっている鎧士たちに寒気を覚えさせるものだったが、シュピーネにはそれが気に入らないものだったらしい。

「レオンハルト、貴方はもっと良く相手を観察なさい。我々の性能ならば、この程度の射撃は回避できるでしょうに」

「……悪いけど、貴方みたいにダンスが得意なわけじゃないのよ。誰も教えてはくれなかったから」

「ふむ……確かに。貴方が私の元に研修で来ていた時もこのような弾幕に曝されることはなかったか。ですが、貴方の兄上、当代のカインならば出来たでしょうに」

「兄さんが?」

 螢は顔面を捉えて飛来する弾丸を『蒸発』させてシュピーネに目をやる。針金で作られているのではないかと思うほど痩せ細った魔人は奇怪な動作で弾丸の全てを避けつつ、頷いて見せた。

「ええ。貴方の兄上は私や聖餐杯猊下同様に凡庸であり、同時にそれをよく理解しておられた。故に我々のような存在になっても慎重さを忘れる事がない。存外に難しいのですよ、これが。大抵はマレウスやベイ中尉のような感じになる。光の皇子殿も、どうやらその部類であるらしい」

「なるほど」

 シュピーネの説明に今度は自身のサーヴァントへと向く。
 そこには金色と闇色の劔冑二騎を相手に圧倒している蒼穹の槍兵が手にした朱色の魔槍を弾雨の如く突き出している。顔面、心臓、肝臓。刺突による三点バーストは吸い込まれるように二騎を貫くが、敵はそれを一向に介さず斬りかかって来る。

「ちっ! 面妖な業を使いやがって」

 閃光じみた剣戟を恐るべき槍捌きで全て受け流す。更には反撃まで行うがこれは先程同様に効いている様子が見られない。
 その様子を苦戦と見た螢は声を張り上げた。

「ホリン! 一度戻りなさい」

「応よ」

 景気のいい声を上げた直後、槍兵は残像だけをその場に置いて後退する。
 螢とシュピーネ、ランサーが一箇所に集まった事で警備員たちも警戒したのか、ランサーを相手に立ち回っていた二騎も僚騎の集団へと戻っていく。

「やれやれ……アイルランドの光の皇子殿もどうやら押され気味のご様子。貴方も正体不明の相手では些か勝手が違いますかな」

「そういう訳じゃねえけどな。どうやら、奴らの術で視覚と聴覚を誤魔化されてるらしい」

 ランサーは自分の目と耳を軽く叩きながら交戦中の現象を説明した。
 曰く、突如として敵の武装が伸びたり縮んだり、相手のいる場所がミリ単位でずれていたり……超人同士の戦いではその微妙な差異が生死を分かつ。その上、相手は聴覚にまで干渉して彼の五感を狂わせているらしい。
 目隠し耳栓した状態であれほどの手誰と渡り合っているランサーも凄まじいが、この場合はサーヴァントに有効なほど強力な幻術を行使している相手側を賞賛するべきだろう。螢は呆れ半分の息を吐く。

「陰義(しのぎ)という外付けの魔術回路で起動させてる術式……まったく、噂程度には聞いていたけれど、この街はどこかの国でも攻め落とすつもりなの?」

「我々が言える事ではないと思いますが……まあ問題は彼らが適切な対処を取っているという事でしょう」

「確かに。どうやって調べたのやら」

 散発的に撃たれる銃撃を避けながらシュピーネが疑問を口にした。
 彼ら黒円卓の騎士たちは遭遇してはならない、一種の天災の類である。それに対抗する手段など余人にはほとんど無い。それを覆しているいまの状況を作り出すには、それこそ黒円卓の騎士の事を詳しく調べ上げる必要があった。
 では誰が? 一体どうやってそんなことを調べる事ができたのか?
 螢もまったく同じ疑問を思い浮かべ、しかし、それについてはランサーがあっさりと答えを出した。

「敵に何度かお前らと戦った事がある奴がいる、そうとでも考えねえとここまで戦略は立てられねえだろうな。そもそもの前提がヴィルヘルムの野郎が使う奥儀の発動だろ。こりゃ」

 ランサーの言うとおり、彼らの敵手たちは積極的な攻撃を仕掛けては来ない。
 可能な限りの安全圏を確保しつつ銃撃を仕掛けて無駄な動作を一つでも多く取らせる。平時であれば何の意味もない作戦だがいまこの空間はヴィルヘルムの渇望が発現している。
 ただいるだけで命をすり減らされる吸血鬼の胃袋は劔冑を纏っていようと黒円卓の騎士だろうと分け隔てなく貪り喰らう。
 そう、この夜、この瞬間――この戦場においてのみ、科学の力しか持たない彼らでも騎士たちを殺しえる。
 物量と言う唯一の優位を用いたごり押して敵をすり潰す。
 闘争において最も正当(オーソドックス)な戦略でもって螢たちはいま窮地に立たされている。

「でも一体どこにあれと戦って生き延びられる奴が……」

 そうもらした螢の言葉にシュピーネが反応した。

「いえ、ですが……なるほど。彼が指揮するなら頷ける。前提条件を全て満たしていますし、なにより前回の優勝者だ。此度の戦争にも顔を出してくる可能性は高い」

 シュピーネの本領は諜報と暗殺。
 それ故に本来存在しない黒円卓の騎士を彼も良く知っていた。

「衛宮士郎。彼らの指揮官があの魔術使いであるなら……これはベイ中尉に加勢が必要になってきましたね」

「そんなに強い相手なの?」

「私が知る限りベイ中尉と戦闘すること八回。その度に生還している事が彼の凄まじさですよレオンハルト。まあ、貴女にも無関係な相手ではない。顔を見ておいて損はないでしょう」

「私に?」

 謎めいた台詞に螢の柳眉が曲がる。
 しかし、いまはこれ以上説明するつもりがないのか、シュピーネはまだなにか言おうとした螢を無視して敵軍に意識を集中する。

「さて、では遊びはこれくらいにして掃除をしてしまいましょうか」

 右手をさっと上げる。
 その動作に鎧士は一様に警戒を強めるが、そんなことは彼にとって何の意味もない。

「Auf Wiedersehen sie(お休み諸君)」

 勲、と糸の張る音がした。
 芝居がかった動作で振り下ろされる腕の指先には無数に分かれた絞殺の糸が。
 刹那の後、半数以上の天駆ける戦士がその首を切断された。


◇◇◇


 今川雷蝶にとって、その光景は悪夢に等しい。
 否、それはこの場に生き残った戦友全員が共有する思いだったかもしれない。しかし、それでも最も激甚な怒りを覚えたのは彼だっただろう。
 戦闘前、彼は指揮官たる衛宮士郎の説明を話し半分程度に考えていた。
 別段、それを責める者はいないだろう。
 それほどに劔冑とは強大であり、身に着けた者の技量次第では学園都市に生きるものにとって最強の存在として知られる超能力者(レベル5)さえ下しえる力を発揮できるのだから。
 たかだか三~四人程度の侵入者、鎧袖一触に斬って捨てることは出来ると考えるのは致し方ないことである。
 しかし、結果はこの様。
 隊長格『五人』による猛攻を物ともしない槍の使い手に二十を超える鎧士の射撃が創り出す殺人空間(キルゾーン)で平然と談笑する男と少女。
 雷蝶は事此処にいたって理解する。
 彼らは魔人であり、それを侮ったツケを仲間の命という換えの効かないモノで支払わされた。

「高町、貴方は残存を率いて後退しなさい」

「……悪いが、俺の流派は『破れ不る』が信条でな。鈴川たちに引継ぎを行った。先に後退した湊斗共々回収をしてくれる手筈になっている。……殿(しんがり)は俺も付き合おう」

 雷蝶が何かを言うより早く、鴉めいた釼冑を纏った男――高町恭也が両手の小太刀を構える。
 現状、残っている鎧士は彼らを含めて六人。
 初撃で奥の手(ジョーカー)を切った湊斗景明は敵の奥儀が発動すると同時に後退させている。消耗した彼ではただ飛行しているだけでも辛いはずという雷蝶の判断は結果的に彼の命を救う事になった。
 仮にこの場にまだ彼が残っていたなら、恐らくは先の一撃を避けることは出来なかっただろう。そう確信できる雷蝶は、だからこそ恭也にも後退するように促そうとした。

「子持ちが無茶するもんじゃないわよ。下の子、まだ小学校に上がってないんでしょう」

「死ななければ問題ない」

 しかし、その程度で引く男ではないと、雷蝶も分かりきっていた。
 だからこそ、

「麿が前よ。オカマを掘るのは趣味じゃないの」

「それを聞いて安心した」

 軽口を交わす。
 それと同時に、闇色の劔冑『銘伏』を纏った男――『見廻組』二番隊隊長高町恭也は背中の合当理(がったり)から紅蓮の炎を吐き出した。
 その鼻先を雷蝶が纏う黄金の劔冑『膝丸』が猛烈な勢いで追い越し、吶喊する。

「イイィィイィイァアアアアアアア!!!!」

 右の肩口で刀を当てるように構える蜻蛉の型から繰り出される打ち降ろしの一撃。最速最強の必殺剣が狙うのは仲間たちを殺した瘦身の男。
 二騎共にその速度は神速。
 繰り出される剣戟は今夜最高の一撃であることは疑いなく、

「お前らの相手は俺だろうが!」

「ぬぅっっっ」

「くっ!?」

 故に英霊を引き寄せる。
 人の身でありながら英雄を殺しえる剣技を誇る二人は、だからこそこの魔槍の使い手から逃れる事ができない。
 展開されるのは真紅の弾幕。すでに点ではなく面を制圧する槍兵の刺突は二人を捕らえ、その腕を、足を貫いて母衣(つばさ)さえ打ち破る。
 先程まで彼ら二人がその槍を捌けていたのはこの場にはいない三人の隊長格によって目と耳を誤魔化し、偽っていたからに過ぎない。しかし、その援護も建て直しを優先させている現状では望めない。彼らは彼ら自身の力量で持ってこの雨霰(あられ)と襲い掛かる死の雨を潜り抜けねばならない。
 雷蝶の太刀が、恭也の小太刀が縦横無尽に振るわれ、閃光めいた刺突を紙一重で見切り、心臓や頭といった部分だけを防御する。そのために腕を、足を、腸を朱に染め、甲鉄を撒き散らす。
 ほんの数秒の打ち合いで既に彼らの体は満身創痍。

「しゃらくさいのよっ!」

 それでも雷蝶の口からは獅子めいた咆哮を放ち、同時にその剣戟の速度が引きあがる。真紅の絶壁を断ち切る黄金の一刀はランサーの頬を浅く切り裂いた。槍兵はその事実に獰猛な笑みで応じ、さらに槍を扱く腕を加速させた。
 黄金と蒼穹の速度は既に人間が辿り着けるものではなくなっている。それでも高町が辛うじて援護出来ているのは彼自身の技量による。彼の流派が「神速」と呼ぶ肉体のリミッターを解除する事で到達する極致。それを更に三段重ねた末にようやく雷蝶の戦いを補佐する事を可能にしていた。
 しかし、それでも足りない。
 そして、なにより――

「そろそろ、私を無視するのはいい加減にして欲しいのだけれど」

 この場にはいま一人、可憐な少女の形をした死神がいるのだから。
 その手にあるのは『緋々色金』の剣。
 最高の鉱物で鍛えられた剣は炎を纏い、釼冑の護りさえ焼き斬る一撃が振り下ろされる。
 その軌跡は仕手の性格を現すように一直線。二人の首を同時に断ち切る一閃が引き結ばれる。雷蝶は反応は出来ても対処は出来ない。一瞬でも眼前の槍兵から目を放せばそれで詰んでしまうからだ。
 故に、高町は動く。
 自分の体がずたずたになる音を耳にしながら、激痛を無視して両腕を疾走させる。

「御神流――虎乱」

 必殺の斬撃に対抗して無数に引き結ばれる鋼の閃光。徹(とおし)と呼ばれる衝撃を内部に浸透させる斬撃は辛うじて『緋々色金』の軌道を逸らす事に成功する。勝利を信じていた少女の瞳が大きく見開かれるのを高町はしっかりと見つめ、

「見事だ。褒美に、俺の宝具(奥の手)をくれてやる」

 告げられた死刑宣告も聞き逃す事はなかった。

「高町! アンタは離脱を」

「悪いが、身動きが取れん」

 全身が氷付けになるような不吉の風を浴びた雷蝶は咄嗟に高町へと叫ぶが、既に限界を超えていた彼の体を無数の糸が拘束していた。この場にいる紅蜘蛛の異名を持つ魔人は己の間合いに踏み込んだ者を一切逃す気はないらしい。
 それを悟った雷蝶は絶望的な思いで槍兵を見つめる。
 朱色の魔槍は歓喜に震えるように光り輝き、好敵手の血を早く啜らせろと戦慄く。
 もはや、この場から逃げる事はできない。
 そう悟ると同時に――



 刹那――その祝詞は捧げられた。




「雷速剣舞 戦姫変生
 Donner Totentanz―Walkure (トール トーテンタンツ・ヴァルキュリア)」


 音を追い越す、戦乙女の閃光が夜を引き裂いた。


◇◇◇


「そんな……馬鹿な……」

「ありえませんねぇ。これは……」

 螢はその光景が何かの間違いではないかと思った。
 それは話に聞いていた彼女の奥儀に余りにも酷似していたから。しかし、それを確認しようとして視線を向けた先任のシュピーネの表情を見る限り、螢は自分が感じた事柄が事実であると悟った。悟ってしまった。

「どうして……」

「嬢ちゃん、呆けてる場合か!」

 ランサーの叱咤に我を取り戻す。
 彼女と突如として乱入してきた男(恐らくはシュピーネが衛宮士郎と呼んでいた敵方の指揮官だろう)との間合いはほぼゼロに近い。いや、実際にある彼我の距離は男が仲間を回収して引いたため既に数十メートル近く離されていたが、今の彼にとって何の意味もあるまい。
 その体を雷に変成している今の彼には。
 その認識が螢の体を動かした。緋々色金を構えさせ、視線は相手の動きを探る。

「ホリン……あれは?」

「さあな。でも、ありゃ嬢ちゃんの奥の手に似てる」

「あれはレオンハルトの前任であるヴァルキュリアの創造……直に見るのは初めてですが、それが貴方の創造ですかな? 補欠のサンドリオン殿」

「そういう貴様が紅蜘蛛か。成程……似合いの名前だ。そして、そちらが噂の新人と……ランサーか。ホリンという名前、聞いたことがある」

 サンドリオンと呼ばれた男はつまらなそうにシュピーネ、螢と視線を動かし、ランサーを確認すると鋭い視線を更に研ぎ澄ませ、もはや刃のような凄みがそれには宿っていた。
 その圧迫感に一瞬圧倒されかける螢だったが、当のランサーは飄々としたままにやりと笑ってみせる。

「随分とまた物知りな奴だ」

「そうでもない。ク・ホリン……アイルランドの光の皇子クー・フーリンの呼び方にそんな物があったと職業柄知っていたのだよ。これでも普段は世界史を教えているのでね」

 引き締められた長身に褐色の肌。鉛色の髪と瞳と持つ男の手には白い刺突剣(レイピア)が握られている。

「その剣は……」

「貴様たちなら知っていよう」

「『戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)』……ヴァルキュリアの聖遺物だった剣ですよ。レオンハルト」

 シュピーネが次いだその銘と、かつての持ち主だった人物の名前を聞いて螢の思考は完全に停止した。
 前五位・ヴァルキュリア……ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン。
 かつて一緒に暮らしていた、自分にとって姉のような、母親のような、大好きで尊敬していて、大切な女性。
 そんな彼女の聖遺物を、何故、この男が持っているのか?
 その魂にまで融合した、黒円卓の騎士が持つ聖遺物をどうやって取り出した?
 落ち着こうとすればするほどに混乱する螢の思考を決定的に崩す一言が、シュピーネから漏れる。

「ヴァルキュリアを殺して奪った剣で随分と……私も中々に酷い人間であると自覚しておりますが、貴方はそれを上回る。正直な話、虫唾が走るような思いですな」

「光栄の極み、とでも言えば良いかね? ……これ以上の被害は容認できんな。恐ろしい吸血鬼が追いつく前に我々は逃げるとしよう」

「ヴァルキュリア……ベアトリスを、殺した?」

 もし、それが本当ならば……

「ッ!! 創ぞ……」

「よせ、嬢ちゃん。無駄だ」

 激発しそうになる螢をランサーが抑える。それと同時に士郎を中心に炎が噴出し、一瞬の後、全ての鎧士が姿を消した。

「態々魔術の奥儀たる固有結界を転移のためだけに展開する……確かに、ベイ中尉の胃袋の中からでもあれなら逃げる事ができるでしょうがそれにしても大した大盤振る舞いだ。相当に焦っていたようですねぇ」

 その手並みを見て、シュピーネは感心したように息を吐く。しかし、螢にその意味をたずねる余裕は存在していなかった。

「シュピーネ、教えなさい。アレはなに」

「ふむ、これからの作戦に私情が混じるのは避けたいところでは在りますが……いいでしょう。先程言ったとおり、貴女と彼は因縁が深いですからね。
 彼の魔名は『灰かぶり(サンドリオン)』と言い、本来は彼が第五位として迎えられる筈だったが……しかし、彼は我々に合流せず、逆に敵対する道を選んだ。故、貴方が育てられたのですよ。レオンハルト」

「彼女が……ベアトリスが奴に殺されたと言うのは?」

「前回の聖杯戦争の折、冬木という都市で行われたその儀式の聖杯を手に入れる任を帯びたヴァルキュリアが失敗して命を落としたのは間違いありません。
 そして、彼は前回の戦争における勝者でありその手には何故か『本物』の『戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)』がある……状況証拠だけになりますがもはや言い逃れは出来ないでしょう」

 確かに、一度身に宿した聖遺物と取り出すなど、持ち主を殺して奪う他あるまい。
 ならば、彼はどうやって戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)を手に入れることが出来たのか。考えるまでもない。

「そう、あいつがベアトリスを……」

 血を吐くように呟く少女の声。その手に強く握られた『緋々色金』はこれ以上ないほどに灼熱する。
 騎士たちだけが残された吸血鬼の夜。
 地上では袖にされた串刺し公が怒りの咆哮を上げ、上空では怨敵を見つけた少女が無言の怨嗟を呻き、紅蜘蛛は飄々と地上へ降りていく。

「あいつが……奪ったんだ……」

「………………」

 いまだ消えた敵の背中を見据える少女をランサーはただ一人、痛ましいものを見るように眺めていた。



[21470] 初日終了時点での作中戦力分散表
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/22 00:29
()内は原作の題名
*は直近での彼らの行動予定表
分かりきっている状態でも作品内できちんと名前が出ていない人は???になっていますので予想してみませう(ある程度分かる人なら一発ですが 汗)


『月面』
○マスターテリオン(『斬魔大聖デモンベイン』より参戦)
○ウェスパシアヌス=木原幻生(『とある科学の超電磁砲』より参戦)
*木原は何かを完成させる直前。テリオンは聖杯戦争を鑑賞中


『窓の無い建物』
○クラウデゥス=???(『リリカルなのは』より参戦)
 アーチャー=???(『DUEL SAIVOR』より参戦)
*学園都市のど真ん中にある建物を掌握した事で霊脈に干渉する事が可能になる


『上条さんが美琴とバトルした橋』
○ティトゥス=リーゼロッテ・ヴェルクマイスター(『11eyes』より参戦)
 バーサーカー=湊斗光(『装甲悪鬼村正』より参戦)
*基本的に待ちの姿勢。超越者の特徴は即ちニート化するってことなのかもしれない


『某ホテル』
○ティベリウス=???(『Fate/stay night』より参戦)
 アサシン=ハサン・ザバーハ(『Fate/stay night』より参戦)


『宿無し』
○アウグストゥス=???(『3days』より参戦)
 セイバー=???(『永遠のアセリア』より参戦)


『とあるアパートメント』
○カリグラ=ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○ネロ=???(『Fate/stay night』より参戦)
 ネロの使い魔=???(『Fate/stay night』より参戦)


『とある学校の学生寮』
○皐月駆(『11eyes』より参戦)
 キャスター=???(『3days』より参戦)


『???』
○上条当麻(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
○草壁美鈴(『11eyes』より参戦)
 ライダー(『うしおととら』より参戦)
*キャスター組に勧誘を受ける。次回その返答が明らかに!?


『ドクターウェストパーク』
○グループメンバー(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
○遊佐司狼(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
 足利茶々丸(『装甲悪鬼村正』より参戦)
 パニッシャー(『トライガン』よりアイテムのみ参戦)
○藤井蓮(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
 マリィ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○浜面仕上(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
 滝壺理后(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
 裸眼(『天元突破グレンラガン』よりアイテムのみ参戦)
○ドクターウェスト(『斬魔大聖デモンベイン』より参戦)


『とある病院』
○今川雷蝶(『装甲悪鬼村正』より参戦)
○湊斗景明(『装甲悪鬼村正』より参戦)
○鈴川(『装甲悪鬼村正』より参戦)
○高町恭也(『とらいあんぐるハート3』より参戦)
○衛宮士郎(『Fate/stay night』より参戦)
*ほぼ全員が戦闘不能に追い込まれた状態


『某孤児院』
○ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリン(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○リザ・ブレンナー=バビロン・マグダレナ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
 トバルカイン(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○氷室玲愛=ゾーネンキント(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)


『とあるホテル』
○櫻井螢=レオンハルト・アウグスト(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○ランサー=クーフーリン(『Fate/stay night』より参戦)


『路地裏』
○ロート・シュピーネ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)

二日目以降の参戦予定戦力
○機動六課



[21470] 第十話 同盟
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:34

 ブラックロッジ月面基地内部。
 聖杯戦争に参加しない唯一の魔人・木原幻生は久方ぶりに感じる達成感に身をゆだねていた。

「やれやれ、この歳で徹夜は応えるわ」

 グキゴリグキギ……人体の構造としては鳴ってはまずいような音をさせながら首を動かし、ついでに音楽を垂れ流していたヘッドセットを外す。大音量で聞いていたらしい音楽が盛大に漏れるが、木原は一切気にしない。
 もっとも、この場に誰か他の人間がいたとしても別段気にしなかっただろう。
 木原の興味はついいましがた完成した『それ』に全て注がれていた。
 眼前には巨大なモニターと淀んだ緑色の液体に満たされた大きな水槽がある。象でも入れそうなほど大きなその水槽は左右に二つ。そのどちらにも一目で人間と分かる物体が浮かんでいる。
 向かって右側に男。短い黒髪。鍛え抜かれた鋼の体には無数の傷跡があるが、最も酷いのはその両腕。炭化仕切ったその両腕は現在機械的な義手が繋がれている。
 向かって左側に女。長い金髪。柔らかな曲線を描く肢体には傷一つなく、肌はその下に浮かぶ青い血管が透けて見えるほどに白い。完成された美貌は、しかし、それ故に見る者に不安を与える。精巧すぎる人形の美、女が纏う不気味さは正しくその類であった。
 彼と彼女はいまも生まれたままの姿で胎児のように身を丸くさせて漂っていた。

「ついに辿り着いたか……人の身で神の上をいく生物に」

 ともすれば卒倒してしまいそうなほどの多幸感に眩暈を覚える木原だが、すぐに気を取り直す。
 彼が完成させたこれらはあくまでも『実験作』である。この二体をさらに昇華、改良して初めて届く――神座とはそれほどに高く遠い頂であると彼は考えていた。なまじ、ブラックロッジ総帥という存在を知るだけにその確信に疑う余地はない。
 神とは絶対の存在でなければならない。
 狂信にも似た確信が木原に更なる研究を促す。
 しかし、精神が肉体を凌駕するには彼は些か年齢を重ねすぎていた。どっかりと体重を預けたシートから体を起こすのに難儀しながら、木原はゆっくりと息をつく。

(まずはこれをサーヴァントか……あるいはカリグラのような存在とぶつけ、実戦のデータを取る。都合の良いことに学園都市はいま戦場……相手に困る事だけはあるまい)

 これからの予定を思考の中で組み上げていくが、そのためにはもう一つの方も完成をさせる必要がある。急ピッチで実験体を完成させたので後回しになっていたが、これ以上遅れる事は避けたい。
 どうせぶつけるならばその相手は最強の戦闘力を誇るバーサーカーが最適なのだ。徒に時間を浪費してもしもその機会を失ってしまえば元も子もない。

「さて、それではまたこれに頼るとするか」

 勢いをつけて体を起こし、再びヘッドセットを被る。
 そこから漏れ出る『天使の声』に気分を高揚させながら巨大モニターに接続されているキーボードを打鍵する。

(ふむ……適当に外部を遮断できればと思っていたが存外使える。アウグストゥスの言ではあるが……天使の声と言うのはあながち言い過ぎではないな)

 ふと、聞いていた音楽に対する感想を考えると同時に自分がまだ実験体へ名前を送っていない事に気がついた。普段ならばそんなことを気にする木原ではなかったが、目の前の二体は格別の存在である。故に、彼も一瞬だけそのためだけに思考を巡らせた。

「ならば……サンダルフォン、メタトロンとするか。あれらも兄弟という説もあるらしいからな」

 格別の皮肉を思いついたと口端を歪める木原。
 彼の凶眼には肉体を改造された哀れな義兄妹の姿が映されていた。


◇◇◇


 学園都市には大覇星祭や一端覧祭といったイベント事で学生たちの保護者が逗留するためのホテルが幾つか存在する。その中でも特に『最上級』にランクされる部屋――畳敷きの和室で枯れ木のような老人――アンチクロスの一角・ティベリウスは意外な来客を迎えていた。

「ほう。随分な早駆けじゃな、アウグストゥス。まだ日が昇りきらぬこんな刻限に儂のような老骨に会いに来るとは」

「貴方と夜に遭うなど小心者の私にはとてもとても……貴方の指示通りにセイバーは建物の外に」

「ふむ……儂のサーヴァントが確認した。アサシン、姿を見せておけ」

「御意」

 ティベリウスの命令に静かな声が応えた。すると、ティベリウスの背後から髑髏の仮面を付けた魔人が虚空から浮かび上がった。霊体から実体へと移行したアサシンのサーヴァントは冷たい殺意をアウグストゥスと呼ばれた銀髪の青年に向けている。
 それを真正面から受ける形になったアウグストゥスは、しかし余裕の笑みを崩す事はない。彼の右手にある令呪は身に危険があれば発動し、自身の使い魔を瞬時に召喚する。まともにぶつかれば暗殺者が剣士に勝てる道理はない。それを良く理解しているティベリウスも下手な動きを見せる事はなかった。
 老人は部屋の中央にあるテーブルを顎で示す。

「さて、このような部屋で立ち話もなかろう。椅子は無いが座布団は平気かの」

「ではお言葉に甘えて……早速で申し訳ないが本題に入っても?」

 テーブルを挟んで向かい合って座り込むと、早速とばかりに切り出す。
 ティベリウスはそんな青年の様子を落ち窪んだ眼窩で見据えながら、鷹揚に頷いて見せた。

「かまわんよ。もっとも、大方の見当はついているがの……ティトゥスのバーサーカーに対してじゃろ?」

「御明察。単刀直入に言いますと、私と同盟を結んでいただきたい」

 頷くアウグストゥス。
 彼らが上げたのは昨日から本格的に開始された聖杯戦争における最大の障壁――狂戦士の英霊に関しての事だ。ティベリウスが召喚した暗殺者の英霊は元より、最優を誇る剣士の英霊を召喚する事に成功したアウグストゥスにとってもその存在は脅威でしかない。
 こと戦闘能力に関して、狂戦士は全サーヴァント中最強である。アウグストゥスの引いた剣士の性能も凄まじいモノを持っているが、昨日感じた圧力はそれらを圧倒するであろうと確信できるものだった。
 勝てるかどうかの確率は甘く見積もっても五分。
 その状況でリーゼロッテと言う最強のマスターが率いるバーサーカーに挑むほどアウグストゥスは勇敢な性質ではない。
 そして、ティベリウスに関してはバーサーカーに対して勝算を見出す事もできていない。たとえ奇襲による宝具の使用を成功させたところでサーヴァントもマスターも殺せはすまい。
 この状況でティベリウスにとって、アウグストゥスの申し出は渡りに船以外の何者でもない。
 何者でもないが……

「しかし、それで貴様になんの利益がある?」

 上手すぎる話には裏がある。
 その真理を知るからこそティベリウスの視線には懐疑の色が深く、それを向けられているアウグストゥスも一つ頷いて答えた。

「貴方が私と同盟を組んだ、と言う事実でクラウディウスを口説きます。如何にあの狂人といえども聖杯戦争の勝利を望むのならこの状況で同盟を拒む事はできないでしょう。そして、同盟を組むと言う事は……サーヴァントの情報を垣間見る隙があるということ」

「抜け目のない……彼奴のサーヴァントは?」

「ランサーかアーチャーか……ライダーは昨日の戦闘でバーサーカーと交戦しているのを確認済み。キャスターもこそこそと立ち回っている様子なので、この二体のどちらかでしょうな」

「ランサーはカリグラの一党が率いている。ならば残りはアーチャーか……どのような英霊であれ、あのバーサーカーと戦うには力不足。お主の目論見通りにことが運ぶ可能性は高いかの」

 ティベリウスは顎に手を当て思案する。アウグストゥスの提案は老人にとってもメリットがないわけではない。
 この学園都市で行われる聖杯戦争は生き残り戦。その性質上、情報と言うのは勝敗を左右する重要な要素である。敵を知り自分を知れば百戦危うからず、という諺があるがこれは非常に的を得ている。
 サーヴァントは例外なく死後に英雄として世界に登録された存在であり、逆説的に彼・彼女たちは必ず『死』という結末を得ている。そこがサーヴァントたちにとっての『弱点(アキレス腱)』となる。
 例えるならギリシアの大英雄にとってのヒュドラの毒。そういった物を知ることが出来ればこの闘いは格段に生き残りやすくなる。
 何より……バーサーカーに次ぐ勝者候補のセイバーについての情報を引き出しやすくなる。
 この一点こそ、同盟を結ぶ事で得る戦力以上にティベリウスの心を動かした。

「良かろう。同盟の期限は」

「バーサーカーを消滅させてから24時間は継続させていただく。それまでは互いに不戦の契約を」

 アウグストゥスが懐から取り出したのは魔術文字が記されている古びた羊皮紙。
 そこに記されているのは互いに契約満了まで交戦しないと制約するものだ。老人はそれを隅から隅まで目を通し、契約反故の代償についても確認した上で自分の親指を噛み、血印を捺す。
 それを最後まで見届け、アウグストゥスは満面の笑みを浮かべた。
 邪悪な……一欠けらの混じりけのない邪悪な笑みを。


◇◇◇


 そして、上条当麻は目を覚ました。
 窓から入ってくる日の光はまだ淡い。胡乱な目を彷徨わせるとデジタル表示の時計を発見。現在時刻はAM6:00ジャスト。昨日は何だかんだと色々とイベントが発生しすぎたため、自宅に帰り着くと同時に簡単な飯を作って同居人たちと食事を済ませ、すぐに寝室と化しているバスルームへと引っ込んだ所までは思い出した。
 それにしても寒いと分厚い寝袋の中でごそごそと蠢いていると、いまが12月なのだと思い出す。

「はぁ……ついこの間まで10月だったはずなんだけどな……そもそも、第三次世界大戦は何処いったんだ?」

 ため息を一つつき、現在の自分が放り込まれた状況をなんとか飲み込もうと努力する。
 上条が覚えている限り、学園都市にはあんなヘンテコロボは……あったかもしれないが基地の外な変態博士や聖杯戦争なんて物騒な儀式は存在していなかったように思う。一番分かりやすい変化は警備員(アンチスキル)の新武装とか言う劔冑だろう。
 あんな凄まじい兵器があるなら、いくらそっち関係に疎い上条でもその存在を知らないのはおかしい。魔術師たちによる学園都市襲撃は過去に何度か起こっているのだから。

「っていうか、本気でどうなってるんだか……インデックスもきょと~んとしてたし」

 何らかの魔術による影響なら土御門に聞いてみるのも良いかも知れないが、生憎と隣に住む金髪グラサンの大男は昨日も家には帰ってきていない。すわ婚約者のお姉さんとXXXな事を!? と本来なら騒ぐべきところなのだろうが彼女なら何故か上条宅にて就寝中のはずである。

「……どうしてこうなった」

 寝袋に包まったまま器用にortする上条。
 彼の脳裏では魔術師の英霊(キャスター)を名乗る男が持ちかけた同盟話が再生されていた。
 よれよれの白衣を着込んだ魔術師が言うには、キャスターのマスターは本来魔術師でもなんでもないただの少年であり、力不足な事この上ない。それを補うために同盟を組むに値する、信用の置ける相手を探していたところ彼女――草壁美鈴に白羽の矢が立ったと言う事らしい。
 バーサーカーのマスターによる奇襲を受けて重傷を負ったライダーの戦闘能力は六割ほどに低下している。
 そんな彼女にしてみればその提案は渡りに船なものだった。問題はそれをいってきたのが生き残りを賭けた戦争の相手である、という事だったがキャスターにその気があれば上条たちは既にこの世にいない。
 それらを鑑みれば、答えは当然――

「――上条君。起きているかな」

「草壁? ああ、起きてるけど」

「そうか。なら、少し早いが朝食を用意したのだが食べるかな。おにぎりだから冷めても問題ないと思うのだが……」

「是非食べさせて頂きます」

 思考を即座に中断させて寝袋から脱出。鏡をちらりと覗いて致命的な寝癖だけは手櫛で直してバスルームを出る。
 その間、僅か3秒!
 残像でも発生しているんじゃないかと思えるほどの身のこなしで現われた上条に草壁は若干驚いた表情で目を見張った。

「随分と早いな」

「ふっ……この上条当麻、実は母親以外の手料理なんて(覚えてないだけかもしれないけど)生まれて初めてなんだZE」

 彼女とかいないし。同居人のシスターに料理なんて望むべくもないし。
 女の子と一緒に暮らしていると言うある種夢のような生活にもかかわらず食卓を彩るのは何故か野郎料理である事実は上条が思っていた以上に彼にダメージを与えていたらしい。
 一方で期待の眼差しをビシバシ向けられている草壁は米神に冷たい汗が落ちる。余り包丁を握る機会のない彼女が作れる料理は極簡単な物でしかない。
 過度な期待はしないでくれ、と言う草壁の言葉にはそんな彼女の不安が色濃く滲みこんでいた。
 それでも不安を飲み込み、朝食の仕上げをしようと上条に背中を向ける。
 そのほっそりとした背中にとんでもなく重い物を背負っていると知っている上条は、思わず昨日の夕刻、キャスターの提案にした返事について尋ねた。

「なあ、草壁。どうしてもキャスターと同盟を組めないのか?」


◇◇◇


「何だ、まだ昨日の事怒ってんのか? いい加減機嫌直せよ坊ちゃん」

「お前はしばらく黙ってろ」

 ぴこぴことドット絵が動くテレビの画面から左目を動かさずに言い捨てる主の姿にキャスターは軽く肩を竦めた。
 昨日の夕方、キャスターが聖杯戦争に干渉した事が、駆には相当に気に入らないようである。
 しかし、それもある意味で当然。彼は何の能力も持たない少年であり、学園都市へもその右目にある生まれつきの虹彩異色症(ヘテロクロミア)を治療できるのではないかと思ってやってきただけに過ぎない。その治療にしたっても分かった事は『現代医学では原因不明』というお墨付きだけ。
 科学技術の最先端である学園都市でそうなのだから、実質彼の目を医学的に治療できる手段はこの地球上に存在しない事になる。その事で割合荒れた時期もあったが彼と一緒に学園都市にやってきて『幻影投射(グラデーション)』の能力を身に着けた幼馴染の少女や他の学友たちのお陰でなんとか平凡な生活を送る事ができていた。
 その平々凡々な生活を破壊したのは誰でもなくキャスターの存在である。
 聖杯に認められ、サーヴァントを召喚してしまった以上、皐月駆は否が応でも戦いの渦中へと引きずり込まれていく。平和と退屈に鬱屈しながらも青春を謳歌していた彼は問答無用で殺し殺される世界に突き落とされたのだ。
 むしろ、怒りをキャスター本人ではなくゲームにぶつけているだけ大人の対応を取れていると言えなくもない。
 それが分かっているキャスターだからこそこれまで数時間ぶっ通しで無視されても気にはしなかったのだが……事は彼らの命にも直結する問題であり、彼もこの交渉を譲る気はないらしい。

「坊ちゃん、もう一度ライダーのマスターと話し合うべきだ。現状、あのお嬢ちゃん以外に手を組める奴はいない」

「盾代わりにするために、か」

 そうだ、と魔術師は頷く。
 昨日の交渉時、同盟拒絶の声は草壁と駆双方の口から同時に出された。その理由は両者共に同じ。
 すなわち――彼(彼女)を巻き込むわけにはいかないという事。
 皐月駆にとって、草壁美鈴というのは凄腕の魔術師ではなく可憐な外見をした少女である。キャスターはそんな彼女を盾として、駆には安全な場所で避難させると宣言した。その事に男の性(さが)が刺激された駆は容易にその同盟を受け入れる事ができなかったのだ。
 草壁美鈴にとって、皐月駆というのは完全な被害者である。どういう理屈、原理かは知らないが一般人である彼がサーヴァントを召喚し、こんな血生臭い儀式へと足を踏み込ませてしまった。
 本来力ないものを護る事こそを目的とする彼女は駆が万が一にも巻き込まれかねないキャスターの篭城戦略(キャスターが魔術的な要塞を形成し、ライダーが宝具で暴れまわって危なくなったら帰還するというのを繰り返す戦術を彼は提案していた)を受け入れる事ができなかった。
 キャスターとしてはライダー組が他の聖杯戦争参加者の打倒を願う以上、彼に出来る最大限の助力を行う事でマスターの身の安全を計ろうとしていたのだが、それが完全に裏目に出る形になっていた。
 少女の背中に守られることを忌諱する駆とそんな彼を前に出させたがらない草壁。
 両者の交渉が平行線に辿り着くのはそれほど大した時間は掛からなかった。

「まったく……無駄なところで意地を張る。あの嬢ちゃんは坊ちゃんが思っているようなもんじゃないんだぞ? 正直、人間の形をした化け物だ」

「そんなの知るか。魔術とかそんなの関係なく、女の子に守られるだけなんて……」

「んじゃどうすんだ? 坊ちゃんが自分で出張ってバーサーカーとかを倒すのか? 言っておくが、俺の性能じゃ無理だし坊ちゃんの命も保障できないぜ?」

「……」

 無言。
 しかし、テレビのモニターを睨む目つきはいつになく険しいものになっている。その原因がなんであるか、ある程度駆の記憶を『夢』と言う形で見ることが出来るキャスターには理解できた。

(あれと自殺した姉を重ねてるのか……女に守られる、てことにトラウマを抱えてやがる)

 駆の頑ななは反応にキャスターは疲れたようなため息を吐く。

「まったく、変なところで頑固だよな。まあ、だから『坊ちゃん』なんだが」

「うるさい。そもそも、なんで俺が"坊ちゃん"なんだよ」

「夏目漱石読みな。坊ちゃん」

 この決裂がせめて致命的なモノになりませんように。
 そう祈るキャスターの耳に

 轟云!!!!

 開戦二日目の朝を震わせる轟音が鳴り響いた。



[21470] 第十一話 集結
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/28 23:34

「……少し、寝すぎたか」

 衛宮士郎が目を覚ますと、そこは見慣れた部屋だった。四方壁全てが潔癖な白に包まれたその部屋は警備員(アンチスキル)たちが常日頃から世話になっている学園都市随一の名医がいる病院の個室だった。士郎はベッドから体を起こすと枕元にあったデジタル式の時計に目をやる。
 視界の端に入るデジタル式の時計には『AM4:12』とある。
 まだ日も昇りきっていないその時間は、しかし、確かに衛宮士郎が普段起床している時間よりも十分ほど遅い。その事について責める者など誰もいないというのに彼の表情は険しさを強めた。彼が予想していた以上に昨夜の戦闘は消耗を強いていたようだ。

(残存魔力は四割……これでは回復するまで<創造>は使えんか)

 左手を握っては開く。鍛え抜かれたその掌は無骨だが、しかしその芯とでも表現すべきものが抜け落ちているのを感じる。創造位階の発動に逃走のために使用した固有結界は衛宮士郎の魔力を容赦なく食い潰していた。現状の彼が使用できるのは元から得意としていた『投影』の魔術くらいのものだろう。
 現状、彼が立ち向かわねばならない相手の事を考えればなんとも心許ない事実だが、無いものねだりは意味がないと思考を区切る。元々、対して魔力が多いほうではないのだから、足りないモノをやり繰りするのは得意分野でもある。
 そうやって自分の手札を確認している士郎は、ふと顔を上げて部屋の入り口を見る。そこにはカエルによく似た白衣の男が驚いた表情で立っていた。

「おや、もう起きたのかい?」

「昔からの習慣で、早く起きないと負けかなと思っているんですよ。ドクター」

 こちらの了解もなく勝手に開いた病室の入り口からの言葉に驚く事も無く答える。
 足音は消していたが気配の方はそうもいかない。人外ばかりを相手にしてきた士郎の知覚を掻い潜るなら、それは彼と同等の人間を捨てた存在でなければならないだろう。無論、一介の医者であるその人物にそんな芸当が出来るはずもない。
 それでも多少は思うところがあったのか、カエル似のその医者は「ふむ」と顎先に手を当てた。

「そうかい。でもおかしいな。君には一週間くらいは目を覚まさない薬を打ったつもりだったんだけど」

「それは既に毒というのでは?」

「効かなきゃどっちだって大差は無いさ。それにしても、君は頑丈だね? 確か裂傷・骨折・打撲を総合したら三桁に届くような重傷だったはずなのに」

「……体質です」

「いやはや、医者泣かせな体質もあったものだね? そうそう、他に運び込まれてきた隊員たちは全員無事だよ。ただ、今川君や高町君含めて昨夜の戦闘に加わった全員に入院してもらう事になるけれどね」

「ありがとうございます。ドクター」

 ベッドから抜け出し、しっかりと頭を下げる。日頃から無茶を重ねる事が多い警備員の隊員の中でも群を抜いて負傷率の激しい部隊を預かる士郎としては、彼は足を向けて眠れない人間筆頭だった。

「ところでドクター。何処かで着替えを調達してきたいのだが」

「着替えって、どこかに出かけるつもりかい?」

 ええ、と頷きながら士郎は自分の服装を見下ろした。
 服装はある意味で着慣れている入院患者用の服だったが、すぐ傍に襤褸布と化した警備員の防護服もハンガーにかけてあった。損傷の具合から修繕は不可能であると読み取り、ため息混じりに着替えをどうするかを考える。
 この病院では下の売店でシャツやズボンくらいは買えるだろうが、こんな時間に開いてる訳もない。病院が動き出せば売店も開くだろうが、それまで待つと言う選択肢を取れる余裕は士郎にも学園都市にも存在しなかった。
 ならば、何処かで調達してくる必要がある。投影で出す事も可能だが、出来る節約は極力しておくべきだと判断した。
 しかし、そんな士郎の様子に医師は一度肩をすくめると、

「僕は『全員に入院してもらう』と言ったんだけれどね? 君は警備員を退職したのかい? それとも昨日は戦わなかったと?」

「分かっていますよ。けれど、我々には余裕が無い。いかに『冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)』の貴方でもこの世界が地獄と化してはどうにもならないでしょう」

「……なるのかい?」

「なりませんよ。そのために私たちは給料をもらっている」

 断言する士郎の瞳を覗き込むように数秒凝視する医師。
 しかし、すぐになにかを諦めたようで、

「服なら職員の予備があるだろう。案内しよう」

「お手数をおかけします」

「まったくだ。僕に地獄の道案内をさせるのは君くらいだよ」

 そう、本当に諦めた様子でため息を吐いた。


◇◇◇


 遊佐司狼が目を覚ました時、何故か隣に全裸の金髪幼女が白く濁った粘液に塗れた状態で伸びていた。

「……修正液か」

「ち~が~う~わ~……この、鬼畜、悪魔」

 地獄の底から響くような声。明らかに犯罪被害者といった感じの茶々丸はもぞもぞと緩慢に蠢きながら顔を上げると光沢の失われた瞳で司狼を睨みつけた。

「ロリコン、変態、リアル強姦魔、ドサド、アナル大帝……あ、あてもうお嫁にいけない」

「まあ野良狼に噛まれたと思えや。喉笛辺り」

「それは死んだと思えってことですね分かります……」

 もはや何を言っても無駄と悟ったのか。茶々丸はそれ以上は何も言わずに突っ伏した。枕でくぐもった声で聞こえにくいが『こんなのあのなんちゃってドジっ娘妖刀にやらせれば良い』とかなんとか漏らしているようだ。
 そんな被害者を放って置いて、加害者の司狼はコキコキと体を鳴らしながらベッドから起き上がった。吸えた匂いが充満しているその部屋はここ半年ほど暮らした自室だった。オーナーが変態科学者である事を除けば快適な我が家である。

「あー……そいや、帰ってきてから速攻落ちたんだったか」

 意識が残っているまでの記憶を掘り起こして現状把握。
 ここは司狼が寝起きをしているマンションの一室。元々は何処かの学校の学生寮か何かだったのからしいが所々現在のオーナーが手を入れているせいで素敵な魔空間が形成されていた。かつての名残が見れるのは共用の大浴場と一階にある食堂くらいのものだろう。
 ちなみに司狼が暮らしているこの部屋は二階。三階には家主であるドクター・ウェストの助手とその彼女が暮らしていた。あまり接点が多くはないため、司狼は上の階の住人とは顔見知り程度の付き合いしかしていないが。

「ま、とりあえずシャワーでも行くか……茶々も行くか?」

「襲われるからヤダ」

 殺意交じりの低い声に肩をすくめながら、寝汗やら正体不明の液体やらで汚れた体を洗うために向かうのは部屋を出てすぐのところにある共用のシャワー室へ向かうことに。住み慣れているという気安さから着替えの下着とタオルだけを持ってシャワー室へと突撃すると――そこに裸の女が立っていた。

「なっ!?」

「ほほう……」

 身長はそれなり。スタイルは抜群と言っていいだろう。黒い髪を腰の辺りまで伸ばしているその女はその肢体に水滴を滴らせながら見事な大きさの胸にさらしを巻こうとしているところだったらしい。まずは下からだろう、と突っ込む事もせずにとりあえず上から下まできっちりと眺めた司狼は最後にポツリと呟いた。

「やっぱ勃たないか……まったく、なにがどうしたらこんな変態になるんだか」

「……遺言はそれで良いわね」

 自分の股間に呆れきった様子の司狼に裸を見られた結標淡希は純度100%の殺意を叩き込むために脳裏に計算式を走らせた。壁の中へと転移させられた彼が救出されるのは騒ぎを聞いてやって来た藤井連と浜面仕上が発見してからであった。


◇◇◇


 浜面仕上は一人でキッチン兼リビングになっている部屋にいた。

「くあ……っつ、眠っ……」

 盛大に欠伸をしながらちらりと時計を見る。現在午前五時を僅かに回ったところ。朝食の用意があるため早めに起きだしたというのに、そのアドバンテージは突如として行われた救出作業によってすり潰されることになってしまった。

「ったく、遊佐のせいで時間がなくなっちまったな……まあ、ドクターが起き出さなかったのは不幸中の幸いか」

 独り言を呟きながら巨大な冷蔵庫を開く。
 業務用の冷蔵庫をさらにドクターが魔改造した結果、某青タヌキのポケットみたいな収納力を誇る冷蔵庫の中には、しかし、あまり食材が入っていなかった。
 浜面の料理スキルとこれらの残存物資から製造できるのはトースト、目玉焼き、サラダで終了といった感じだ。コンソメの元があったので辛うじてスープが用意できるだけまだマシだろう。
 しかし、量が非常に微妙だ。想定以上に今朝の朝食を摂る人間が増えてしまったのがその原因だった。
 基本的にはドクターと浜面自身、半年前に突如として同居する事になった遊佐司狼と茶々丸に浜面の恋人である滝壺。あとは月一で泊りがけの診察を受けに来る『打ち止め(ラストオーダー)』と呼ばれる少女の分くらいしか食材を用意していなかったのだ。

「こりゃ朝一で買い足しといた方がいいか」

 昨夜からラボに転がり込んできた『泊り客』は全部で五人。
 現状では一食分をなんとか賄える程度の量しかないので、これはまずいと唸り声が漏れる。まあ、まだ一食分でも賄えるだけマシと考えてあれこれと支度を開始する。そうこうしていると『泊り客』の一人、土御門元春がやって来た。色グラサンの大男は浜面の肩越しに冷蔵庫を覗き込むとその惨状を理解したらしい。

「もしかして、飯が足りないのかにゃ~?」

「いまは平気だけど昼には無くなる」

「確かに……なら、補給を頼んでみるぜよ」

「誰に頼むんだ?」

「えみやん。またの名をブラウニー=衛宮士郎」

「……ああ、あのドクターと知り合いの警備員か。オッケー頼めるなら頼んでくれ」

「了解」

 土御門の問いに簡潔に応えながら浜面は自分に出来る範囲で上手い朝食を作ろうと四苦八苦。幸い、滝壺の健康のためと野菜は色々と買い置きをしてあるのでサラダに関しては量が足りなくなる事はないだろう。肉が足りないと言う奴がいたら司狼提供の『謎の肉』でも食わせよう。
 そんな風に考えつつガスコンロに火をつける。
 その背後でなにやら携帯を弄っていた土御門はパタンとそれを折り畳むと浜面の背中に声をかけた。

「あとちょっとでこっちに来るらしい。飯もついでに色々作ってくれるらしいぜい」

「あいつ料理できたのか?」

 浜面の知る衛宮士郎というのはドクターが開発した『真打』と呼ばれるタイプの釼冑を実戦で使用する試験運用部隊の責任者である。彼自身、ドクター曰く最高傑作とされる『正宗』を託されているのだから戦闘能力はとんでもないんだろうな、位に思っていただけに土御門のもたらした情報は意外に思えたのだ。

「知らんかにゃ? あいつ、世界史の他に家庭科も教えているんだぜい?」

「それはもしかしてギャグなのか?」

 2メートル近い長身の男がエプロンとお玉を持つ光景を不覚にも想像した浜面は朝からSAN値をガリガリ削られるのだった。
 ……慣れていたが。


◇◇◇


 藤井蓮がキッチンにやってくるとそこには既に八人もの人間が集まっていた。
 全員昨日の晩に初めて顔を合わせた面子であり、大半が蓮とそう変わらない年齢の少年少女たちだ。唯一『菌糸類』と毛筆で書かれた外人が好んで買いそうなエプロンをつけた白髪の男だけ一回り近く年齢が上である。その男に対して蓮は一瞬だけ躊躇をしながらも、しっかりとした口調で問いを投げつけた。

「あんた、そのセンスは正直どうなんだ」

「黙れ。これしかこのラボには無かったのだ……それより、早く席に着け。食事が冷める」

 士郎に促され、蓮は司狼の隣に空いていた席に着いた。
 そこには既に煙を立ち上らせる暖かい食事が準備万端に整えられていた。
 こんがりと狐色に焼かれたトーストに半熟のベーコンエッグ。瑞々しい野菜のサラダはきゅうり、コーン、レタス、トマトが盛り付けられ、更にその皿の前には三種類のドレッシングが用意されていた。
 スープはコーンポタージュがマグカップに用意されており、それとは別に香ばしい匂いの紅茶が衛宮の手で全員に配られていた。

「……なんだか凄いな」

「負けたort」

「私ははまづらの料理がすきだよ」

 蓮の言葉にその場にいた一人――当然浜面だが――ががっくりと項垂れた。それを慰めているのは滝壺理后。可愛い彼女に慰められるという、彼女がいない人間から呪詛を撃たれても仕方ないその行状を無視しながら、士郎は手を合わせた。

「えみやん、変態博士と一方通行(アクセラレータ)がまだぜよ」

「声をかけて起きん輩は知らん」

「ドクターはいつも昼ごろ起きるから放っておいて良いと思う。むしろ起こすとキレてここを自爆させかねない」

「一方通行さんはどうやら音を『反射』させているようですね」

「それじゃあ起きないか……なら仕方ないぜよ」

 それでは気を取り直して、頂きます。
 全員がトーストを齧りだすのを見届けてから士郎は自分のトーストにマーガリンを塗りながら口を開いた。

「さて、本来食事時に話をするのは無作法なのだが状況が状況だ。昨夜の報告を聞きたい」

「報告も何も。そこに全員いるだろ?」

 応えたのは司狼。彼が顎で指し示した先には一方通行を除いたグループの三人が揃っていた。その中で唯一衛宮と顔見知りの土御門が代表する形で口を開く。

「こっちの損害はほとんど0。もっとも、一方通行(アクセラレータ)の様子がいまいち分からんぜよ」

「後は、貴様自身も使えんな。概念武装を起動させるのに魔力を使った弊害か」

「まあな」

 士郎の言葉に土御門が苦笑を漏らす。
 昨夜の戦いで黒円卓の魔人に有効打を打てると判明した概念武装による攻撃には、しかし、学園都市の開発を受けた土御門には致命的な欠点が存在している。
 つまり、概念武装を発動させるために魔力を消費するため、能力者である土御門の体はそのたびに崩壊していくのである。彼の能力により再生能力を高める事が可能なため、一撃で戦闘不能になるという事はないがそれでも戦闘が長引けばそれだけ危険が増すという事態に陥る。
 昨夜の戦いでエツァリが虎の子の『原典』を使用しなかったのは万が一土御門も一方通行も戦闘不能になった場合に殿を受け持つため、余力を持っておく必要があったからだ。
 そういう意味で、司狼たちの救援は切り札を温存できたという意味でも彼らにはありがたい事であった。

「そういえば、昨日は助かったぜい。正直あんなの相手にガチで激突するのはもうこりごりだにゃ~」

「別に。そこのブラウニーから貰うもん貰ってるし? お陰で面白そうな連中を見つけることも出来たしな」

 土御門の礼に司狼は軽く応えるとまだ湯気の立つコーンポタージュを一気飲みした。体に悪そうなその食べ方に蓮が眉を顰めていると、士郎も眉間を険しくさせて言葉を繋いだ。

「そういうわけにもいかん……オフレコだが、統括理事とのホットラインが物理的に寸断された。状況は最悪を通り越していると判断した方が良い」

「まさか。あのビルが占拠されたとでも?」

 信じられないと言う表情の結標に士郎は頷きだけを返す。
 士郎の言葉には学園都市の最高責任者にして、恐らくはこの街にいる唯一黒円卓やブラックロッジに対抗できるであろう存在が消滅した事を意味している。それを理解できただけに土御門の表情はかなり険しいものになる。

「……それはまた、へヴィーな話ぜよ」

 米神に冷たい汗を流す土御門にそれ以上は声をかけず、今度は蓮の方に話が向けられた。

「藤井。初歩の『活動』は扱えたと聞いたが実際のところどうだ」

「……一応、狙ったところには撃てた。けど、あっさりと防がれたぞ?」

 突然話を振られて一瞬口ごもりながらも、蓮は昨日の夜を思い出す。生まれて初めて使うことになった『異能』の手応えは確かにその右腕に残っているが、それと同時にその一撃があっさりと防がれた事も思い出される。
 しかし、そんな風に考える蓮に士郎は逆に呆れた様子だった。

「当然だ。相手と貴様の間には隔絶した実力差が存在する。むしろ多少なりともダメージが与えられたのならむしろ誇れる程だ」

「そんなもんか?」

「ああ。倫敦の時計塔なら、封印指定(最高位)に分類されるレベルだ」

 どこか皮肉げな士郎の言葉に蓮の視線が自然と赤い襤褸布で巻かれた自分の右腕に下がる。
 そこに宿る聖遺物の力は非常に強力なのは宿主である彼が一番理解できるのだが、刃物恐怖症な上に生まれてこれまで『普通』に生きていた蓮にはエイヴィヒカイトなどというオカルトを自分が使いこなせていたというのがあまりに現実離れして感じられているのだ。
 しかし、相手はそんなことをお構いなしに襲い掛かってくる。
 なら、戦うしかない。そう覚悟していながら、どこかで力を使う事を躊躇う自分がいることに蓮は戸惑っていた。

「なあ。アンタの聖遺物にも魂って言うか……夢の中で会話が出来るような相手っているのか?」

「ああ。元々、私の聖遺物はそれ自体が特殊だからな。毎晩眠るとこれと殺し合いをしているよ」

 冗談めかした口調で士郎は自分の左腕を摩る。その目に宿る敵意が本物であると感じられるだけに、食卓を囲むメンバーも若干気おされてしまった。

「しかも、負けると死ぬと言う特典がついているからな」

「……滅茶苦茶物騒だな。呪われてんのか」

「呪われていない聖遺物などありはしない。それより、そんなことを聞くということは貴様の聖遺物にもかなり強力な霊魂が宿っているのだろう? 夢の中で会話くらいはしたかね」

「まあ、な……あの子は、ずっと歌ってるだけだけど」

 士郎の問いに思わず言葉を濁す。
 確かに、蓮の夢には右腕に宿る少女が現われた。正確には蓮の腕に宿るギロチンに憑いた少女の霊、と言うべきなのだろう。
 黄昏の海で一人、血と死を望む呪歌を唄い続ける断頭台の姫君。
 ただ触れるだけで首を飛ばす、断頭台の化身と言うべき彼女はどこまでも純粋であり、カリオストロと名乗る正体不明の男に言われるまま蓮を待ち続けていたと言う。
 何も知らぬまま。
 何も教えられぬまま。
 本当に自分は、彼女を血塗れの戦争に使って良いのだろうか?
 そんな疑問が顔に出ていたのか、士郎は一つ頷くと、

「ふむ……悩むのは分かるが、当面は嫌でも戦ってもらう。貴様の力はこちらとしても手放しがたいものだからな。それと、聖遺物の中にある魂との同調は高めておけ。それだけでも性能が段違いになる。手に入る力なら、手に入れておけ。無駄にはなるまいよ」

「より深めるって……」

「差し当たり、距離を縮めてみる事だ。私のように殺し合いをするにしろ、貴様のように会話をするにしろ、相手との距離が離れていては出来ないだろう? 相手が異性なら、そのまま押し倒してしまうのも一つの手段には違いない」

「おしたっ……アンタそれでも教育者か!?」

 あまりの士郎の言葉に蓮は思わず赤面する。彼の脳裏には先程夢の中に現われた少女の姿がありありと浮かんでいた。
 元々襤褸布みたいな物しか身につけていなかった少女だったが、さっきの夢ではそれも無くなっていた。代わりに何故か蓮がいま腕に巻いているのと同じ赤い襤褸布を巻いていると言うとんでもない格好だったのだ。
 イメージ的にはクリスマスだのバレンタインだのでエロ漫画などのネタに出てくる『私がプレゼント』的な絵面を想像すると正しい。
 そんな格好を金髪巨乳の美少女がしていたのだ。
 いかに学校ではムッツリで通っている連とはいえ、動揺は隠せるものではない。
 士郎と司狼はにやにやとした笑みを浮かべると、

「……なるほど。同調はしやすいようで何よりだ」

「お前の好みを考えるとその子も結構な巨乳か……ちぃっと微妙な感じだが、良かったじゃねえかよ。蓮」

「うるせえ。それとそっちのあんたらもその生暖かい目でこっちみんな」

 土御門たちに牽制の睨みを利かせるが、そんなものでひるんでくれる相手はこの場にはいない。それを理解すると、蓮はやけ食いのような勢いで食事を胃袋へ押し込む作業に没頭する事にした。

 そんな様子を見ていた士郎は、しかし、すぐにまた険しい表情を作り出す。

「正直、いまはどんな小さな戦力でも必要だ。私の仲間と部下はその大半が棺桶に下半身を入れている状態だからな。あいつらが復帰するまでの間だけ、貴様たちには彼らの代わりに私の指揮下に入り、連中を食い止めるため働いてもらうことになっている」

「何処からの命令だ」

「統括理事会から。あとは日本国政府からもてこ入れが入っている。遊佐童心の名前は知っているか?」

「野党の大物議員がこんな話に関わってくるんですか?」

「来るんだ。奴は学園都市設立時に多額の寄付を行っているからな。それに、黒円卓の連中は米国大統領専用機(エアフォース1)を奪取して不法入国してきた。なんとしても奴らの首をあちらに送らんと、最悪第二次太平洋戦争になりかねんらしい」

 エツァリの疑問にあっさりと応える衛宮だが、その言葉に含まれる不吉さは尋常ではない。
 それをまったく気にしていないのは土御門と司狼くらいのものである。その二人ほど事情に明るくない蓮は当然の如く顔をしかめ、

「っていうか、そもそも連中は一体何なんだ?」

「……昨日、貴様らが戦ったのはルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム。第二次大戦中にナチスドイツで結成された聖槍十三騎士団黒円卓の一員で、首を取れば三代先まで遊んで暮らせる金がはいる。目的は、非常に子供じみた代物だがな」
 
 永劫続く戦争を起こす事。
 そんな馬鹿げた理想を実現するために彼らは戦うのだと衛宮は説明する。


 その直後――


 大気を引き裂く爆発音が世界を震わせた。
 世界を壊す救世の一矢が隔絶された異界の壁を撃つその音が、聖杯戦争二日目の開戦を告げる鐘楼となった。



[21470] 第十二話 白の救世主
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:34

 逆さに浮かぶ男(ハングドマン)は哄笑する。

「クククッ……ハハッ……よもやこのような結末があろうとはな」

 老人のような青年のような、子供のような大人のような掴みないその男の胸には向こう側が見える程大きな穴が開いてた。

「いやはや、それにしてもまさかそんなモノを救うために私を殺すのかね?」

 明らかな致命傷。たとえかつては『世界最強』と呼ばれる魔術師であってもそれは同じである。心の臓を完膚なきまでに破壊し尽くされ、生存していられる道理はない。

「私の眼も大概に節穴だが、貴女のそれは格が違う。やれやれ、いまわの際になってなお頂点に至れぬか……エイワズの予言も此処まで来ると呪いであろうに……」

 しかし、そんな状態であってなお男は愉快げな笑みが浮かび続けている。
 その表情はこれ以上ないほど愉快げで、だからこそ、見るものの心を凍てつかせる。
 これ以上、聞いてはいけない。
 魔術師の口にする言葉には力がある。
 だからこそ、聞いてはいけない。聞くべきではない言葉が、紡がれようとしている。
 故、いまこそ肉片一つ残さず消滅させんと魔力の稲妻を集束させ、

「それが娘? 貴女は”深きものども(インスマス)”の種でも孕んだのかね」

 紫電の魔力に焼かれながら、魔術師は大笑する。
 愛すべき我が娘の姿を、化け物と叫びながら。


◇◇◇


 クラウディウスが目を覚ますと、何故かこちらを覗き込むようにして弓兵の英霊――アーチャーがいた。

「……何をしているの。アーチャー」

「あ、起きた」

 主に半眼で睨みつけられたアーチャーは、しかし、あまり気にした様子もなく大きな黒真珠みたいな瞳をぱちぱちと瞬かせるとにこりと微笑んだ。

「えっとね、マスターの呼吸が途絶えていたから死んでいるのかなって思って」

「無呼吸症は元からよ。さっさと退きなさい」

 心底邪魔臭そうにアーチャーを手で避けながら、寝床代わりにしていた椅子から身を起こす。頭には寝不足を訴えるような鈍痛が響いていたが、むしろ目覚ましに丁度良いと無視して自分たちの『拠点』を見回した。

「それにしても、此処には何もないわね」

「そう? まあ、ビーカーから出てくる事無かったみたいだから要らなかったんじゃないかな?」

 クラウディウスの独り言にアーチャーが律儀に応える。
 彼女たちの言うとおり、この部屋には人が生活するうえで必要になりそうなものが何一つ存在しない。机や椅子は勿論、食べ物や食料の類もまったく備蓄されていない。そもそもからして、出入り口さえこの建物には存在していない。
 あるのは壁一面を覆うケーブルの群れと、それを収束させている化け物みたいな巨大なコンピューターが一基。クラウディウスはこの場での寝床を自力で作る羽目になった昨夜の出来事を思い出しながら本当に此処を根城とするか、一瞬だけ迷ってしまう。
 しかし、それは本当に一瞬。
 この建物――つい昨日までは学園都市統括理事が存在していたこの場所は魔力溜まりが発生しており、時空管理局の区分においてSランクに相当するクラウディウス=プレシア・テスタロッサにとっては絶好の拠点である事は間違いないのだから。

(ブラックロッジの中でウェスパシアヌスを除いた実力で言えば間違いなく私が最下位……この程度の有利で覆る差ではないけれど、ないよりはマシね)

 ゆっくりと回り始めた思考が彼女に告げる。
 あの化け物達を殺すにはこれでもまだ足りないと。
 アーチャーのスペックは既に完全に把握しているが、彼女の宝具はどちらかと言えば乱戦にこそ真価を発揮する。複数の勢力が争っている状況に柔かな脇腹から鏖殺(おうさつ)の一撃を叩き込み、その空間ごと吹き飛ばす。それこそが黒髪の弓兵にとって必勝の戦法であり、その一撃の威力に関しては疑う余地もない。
 しかし、これが真正面からの激突となると難しくなってくる。特に接近戦を得意とするであろうセイバーやバーサーカーといった存在には押し負ける恐れがあった。
 なにより、彼女の宝具は威力がありすぎて聖杯ごとこの街を破壊してしまいかねない。最大の景品を吹き飛ばしてしまう恐れがある以上、アーチャーの力はきちんと制限して使わなくてはならない。自力で劣るプレシアにとって、その足枷は非常に重く、頭を悩ませていたのだが一つだけそれを打開する手段が見つかった。
 この街には現在、アンチクロス級の魔人が複数潜伏し、彼らの首魁を呼び戻すために戦場を形成しようとしている。その儀式を行っている存在……黒円卓の騎士達ならばサーヴァントに匹敵する戦力を持つという。彼らとの共闘を結ぶ事が出来たならこの闘いで勝利を得る事も難しくはないだろう。
 しかし、

「問題はその話を当の黒円卓側から申し入れらたと言う一点……こちらを利用しようという魂胆は透けて見えるけれど、どう利用するつもりかが見えない」

「マスターってば、あんな三下みたいな人の提案を受けるの? 止めた方がいいと思うけどなぁ」

 なんだか昔に似たような雰囲気を持った先生がいた気がするー、と言うアーチャーを無視してプレシアは思考に没頭する。
 昨夜……とってもつい数時間前の事だが、そう提案してきた痩せすぎの男の言葉をどうするか。プレシアは眉間に深い渓谷を作りながら険しい表情をしていると、アーチャーは「う~ん」と軽く考えた様子で口にした。

「どうしてもあの人たちと一緒に戦うんなら、あちらの大切なモノを奪えばいいんじゃないかな」

「大切なモノ?」

「そう。私達にとっての聖杯(ネロ)にあたる女の子がいるみたい」

 ね? とアーチャーが虚空に確認を取る。
 すると、そこには突如として鍛え抜かれた鋼の巨漢が現れた。見上げるほどの巨躯の男はその背中に彼の体以上の大きな太刀を背負っている。その体から噴出す威圧感は並みのものではない。眼下が窪み、瞳に生気が欠片もない状態であっても、その男は生粋の殺戮者であろうとプレシアに直感させるだけのものがそれには備わっていた。

「……それが貴女の能力なのね。こうして目の当たりにすると、流石は『救世主』と呼ばれるだけのことはあると納得できるわ」

「どうもありがとう。それでムドウ、言っておいたモノは見つかったかしら?」

『……』

 アーチャーの言葉にムドウと呼ばれた大男は無言で頷く。プレシアはその人形めいた動作に薄ら寒いものを感じながら、同時に頼もしさも感じ取る事ができた。
 とある世界において、世界を救う存在を生み出すために行われる壮絶な殺し合い。
 その覇者である黒髪の弓兵は彼女が下した他の『救世主候補』を従える権能があるという。ムドウと呼ばれたその男にしても元は凄まじい強さを誇る戦士だったのだろうが、こうなってしまえば単なる駒でしかない。そして、この傀儡たちの力でさえ、プレシアを凌駕していると言う事実が彼女にこれほどの冷静さを与える要因となっていた。
 本来の彼女ならば聖杯戦争開始直後に他の参加者に襲い掛かり、あっさりと返り討ちに遭っていた事だろう。
 それを留めたアーチャーは、いまもにこやかな表情のままムドウの報告を受け取っていた。

「ふむふむ……それじゃあそのテレジアちゃん? を拉致しちゃうえれば相手も言う事を聞いてくれるかな。その首領代行って人は随分とその子のこと可愛がっているみたいだし」

「待ちなさいアーチャー。それでは彼らもまた私達の敵になる可能性が高い……この場合はもっと上手いやり方があるでしょう。幸い、私達はバーサーカーの特性について知っているのだから」

 思案顔のままうんうんと唸っていたアーチャーの言葉をプレシアが遮ると、うっすらと笑みを浮かべた。
 余りにも酷薄なその笑みは、紛れもなく御伽噺の魔女のそれだった。


◇◇◇


 ブラックロッジ最高幹部が一人、ティトゥス=リーゼロッテ・ヴェルグマイスターは世界を震動させる衝撃に目を覚ました。

「お、ようやくお目覚めか。眠り姫を気取るのは構わんが、攻め込まれているというのにその体たらくではおれの主としてどうかと思うぞ」

「……この程度の攻めで壊れる壁など意味がなかろう。しかし、乱暴なノックもあったものだ」

 リーゼロッテは水晶の玉座に肘掛ながら、目覚めた姿勢のまま現状を把握する。
 とはいえ、分かっている事と言えば何者かが彼女の結界に対して凄まじい火力でもって攻撃を仕掛けているらしいと言う事くらいだ。しかし、それだけでも相手を把握するのは難しい事ではない。

「これだけの出力となると……サーヴァントか。キャスターではこれほどの連射無理だろうし……となれば、相手はアーチャー。あの小娘(クラウディウス)か」

 呟き、リーゼロッテに薄い笑みが浮かぶ。圧倒的強者が挑戦者の無様な足掻きを見下すような、絶対の自信が零れでたような表情だ。第二魔法に匹敵する域にある彼女の結界を揺るがすほどの砲撃は、成程確かに凄まじいとしか表せない。しかし、それをもってしても護りを抜けない事実を見れば、リーゼロッテの余裕も頷けるというものだった。
 結論、火力が『弱すぎる』のだ。
 それこそ話にならないほどに。

「がっつんがっつん騒がしくてかなわんな。いっそこちらから討って出るのはどうだ」

「貴女の常時発動(パッシブ)スキルが抑えられるなら良いわ」

「それは無理な話だな」

「なら、大人しくしていなさい」

 名案を思いついた、と言わんばかりのバーサーカー=湊斗光にリーゼロッテはあっさりと却下を告げる。
 光の常時発動スキルには『呪歌』という。
 能力は『あらゆるモノを闘争へと駆り立てる』という代物で、ある程度の魔術的な防御を施してあれば防げるが、逆にそうでもなければありとあらゆる人間を洗脳する。
 それだけならば大したことが無いように思うが、問題はその効果範囲にある。既に英霊として存在している彼女の力はこの星全てを覆う。ひとたび彼女が現世に出現したなら、あらゆる人々は己の命を賭けて誰彼構わず殺し、戦い、殺して、戦う修羅となるだろう。
 別段、そうなったらそうなったで構わないとリーゼロッテは思っているがいまは時が悪い。

「聖槍十三騎士団黒円卓第一位と第十三位。この二人が同時に戻ってくると如何に私であっても手に負えん。そして、貴様のスキルは奴らを呼び戻すには都合が良すぎる」

「ほう、それほどか」

「直に見れば、お前でも理解するだろう。あれは根源から人間とは別のナニカだ」

 興味深そうに闘志を滾らせる光にリーゼロッテは深く息をつく。彼女は第二次大戦中のベルリンで辛うじてまだ『人間』だった頃の黒円卓の第一位と遭った事がある。
 その時の感想は『自分の千年がなんだったのか』と言うほどの無力感だった。

(あの化け物を呼び戻させるわけにはいかない。出て来てしまえば止められる事など出来はしないだろうからな)

 彼の騎士団がベルリンを生贄に捧げて行った大儀式。その最終目的を知っているリーゼロッテとしては、とても許容できないモノだった。

(永劫続く戦争? そんな修羅の世界、決して赦さん。この世界は滅びるべきなのだから)

 彼女には世界を滅ぼすと言う誓いがある。
 そのためにいままでの千年を歩み続け、あの金色の獣に膝を折り、こうして最後にして最大の好機を手にする事ができたのだから。
 これを逃す事など、どうして出来ようか。

「そのためにも、あの二人を舞台に上げる訳にはいかない。黄金も水銀も、この夜には必要ない」

 この闇に一欠けらの光も要らぬ。
 輝きを放つ一切は遠のけばよい。
 祈りにも似た意思に湊斗光も主の意を汲んだ。

「ならば、仕方ない。今しばらくは篭城と洒落込むか」

「ええ。悪いけれどそうして頂戴」

 聞き分けの良い狂戦士という矛盾した自分の使い魔に僅かに満足した表情を作る黒衣の魔女。彼女自身、知らずに疲れを溜め込んでいたのだろう。
 黒円卓の双首領とその近衛たる三人の大隊長を呼び戻すには修羅の戦場を現世に形成する必要がある。そして、光はそこにあるだけで戦場を形成してしまう。儀式に幾つの戦場が必要かなどは知らないが、そんなものは関係なくなるだろう。なにせ、世界全てが戦場となるのだから。
 だからこそ、リーゼロッテは自身の結界を展開して『待ち』の戦術を取らざるを得なくなる。星すら滅ぼす最強を引いたと言うのに、だからこそ討って出られないというジレンマは少なくないストレスを彼女に与えているのだろう。
 眉間に刻まれた深い渓谷を指で解しながら、いまもまだ続く衝撃の方へ視線を向ける。

「これだけ派手にやっているのだから、他の連中が始末をするでしょう。もうしばらくすれば静かになる」

「おれ達以外の全員が結託して攻めて来ているのかも知れんぞ?」

「それで私一人の結界すら抜けない相手に後れを取るほど無能なのか? お前は」

「確かにそれならわざわざ出向くまでも……む?」

 言い合う二人は同時にその人影に気がついた。
 先程まで世界を揺るがしていた衝撃の中心。その虚空に一人の女が浮かんでいた。短い赤毛の、妙齢の美女。その手に大きな宝石が嵌めこまれた手袋をしたその女は強大な魔力を収束させていた。

「ほう、何者か知らんが多少はやりそうだな。単身乗り込んできた蛮勇は買ってやろう。バーサーカー、相手をしろ」

「ふむ、そうしたいのは山々だが……どうやらあれは爆弾みたいだぞ?」

 何? とリーゼロッテが疑問を漏らすと同時。


 爆!!!!


 凄まじい爆発と同時に女を中心とした空が『砕け』た。

「多次元干渉……第二魔法に匹敵する大魔術を用いた自爆技か」

 既に塵一つ残さず消滅した女のいた空間に夜明け前の空が見える。それは常時深紅に覆われているはずの『幻燈結界』が内側から抜かれた何よりの証拠となっていた。
 次元に干渉するほどの魔術の達人が行う捨て身の自爆術。
 適切な場面で使えばサーヴァントにも重傷を負わせられそうなほどの一撃を、その敵はリーゼロッテの殻を破るためだけに使ったのだ。
 その大胆と言うよりもむしろ無計画に近い攻撃に、しかし、最も面倒な展開へと舞台は流れていこうとしていた。

「バーサーカー!」

「ああ、悪いが無理だ。令呪でもこれは抑えられん」

 世界を滅ぼす呪歌(毒)が溢れる。
 さながら、バジリスクの卵が割れたかの如く。
 視認出来る呪詛をただ眺めながらリーゼロッテはこれからの即時決戦を心に決め、




 そこで、世界が隔絶した。




「? 何事だ」

「世界を”ずらされた”な。主の結界ではないのか」

 光の問いに首を横に振って答えるリーゼロッテ。立て続けに変化する状況の中、その応えは天空から降りてきた。

「次元犯罪組織『ブラックロッジ』幹部・アンチクロスのティトゥス。貴女を特定遺失物窃盗の容疑で逮捕します」

 声は鮮烈に。
 意思は苛烈に。
 黄金の槍杖(デバイス)を持つ純白の最強(エース)がそこには在る。

「私は時空管理局『脅威対策室』特務六課所属、高町なのは一等空尉。貴女たちには公正な裁判を受ける権利があります。抵抗しなければ、悪いようにはしません。決して」

「ほう、随分と面白い事を囀る。公正? 裁判? 私が知っているその言葉は『虐殺』を装飾するための言葉だったはずだがな……まあいい。貴様らにしては上手い対処だ」

 黒衣の魔女は天空の白い魔導師を睨みつける。
 恐らく、世界をずらしたのは彼女の仲間である『魔導師』の仕業だろう。時空管理局が主に使用するミッドチルダ式、あるいは近代ベルカ式と呼ばれる術式は出力、威力共にリーゼロッテにとっては児戯に等しいレベルの物だったが、事空間を対象とした結界術に関してだけは驚嘆すべき性能を誇る。
 特に、転移を封じるために使われるこの『封時結界』の強固さは凄まじい。
 それこそ、バーサーカーの呪歌を内側から流れ出すのを阻止するほどに。

「褒美だ。刹那で殺してやる。管理局の雌犬」

「抵抗するなら、こちらも武力行使を行います……レイジングハート!!」

<All right."DDM mode" set up>

 リーゼロッテの殺意になのはが反応する。
 それに呼応して、彼女の愛機が最初から『切り札』を起動させた。
 しかし、それが終わるよりも早く、なのはを襲う影がある。

「何をするか知らんが術者がこの距離まで来るとは些か無謀な事だな!」

 嬉々として襲撃する光。
 自身を弾丸とするような吶喊はなのはの如何なる動作よりも速い。そのまま無防備な肉体をあっさりと貫かれるかと思われたその瞬間、動いたのは彼女が持つ『魔導師の杖』レイジングハートだった。
 黄金の槍にも見える杖はその核たる先端から真紅の閃光を迸らせる。その光量はいままさに拳を繰り出そうとしていた光の目を僅かに晦ませるほど。
 しかし、それで必殺の一撃を躊躇うほどサーヴァントとは生易しい存在ではない。

「捉えているぞ!」

 繰り出されるのは大地さえ割る正拳の一撃。
 かするだけで人間の体など吹き飛ばすその拳を――高町なのはは右腕で受け止めた。
 真紅の装甲に覆われた、右腕で。

「なっ!?」

「頑丈さには自身があるの。少し痛いけど、我慢してね」

 言うや、今度は左腕を光に突きつける。
 そこにあるのは砲身。無骨な孤狼の顎(アギト)は光の額に擬され、そこから鉛色の閃光が放たれる!

「あだ」

 顔面に直撃を受けた光の額は若干赤くなっていた。
 損害はその程度。
 その程度には損害を”与えられている”と言う事実。
 その事態が何を意味するか、瞬時に把握したリーゼロッテは驚愕の声を上げた。

「どうして貴様程度の使い手でサーヴァントに手傷を負わせられる……!!」

 光となのはの交戦を離れたところから見ていたリーゼロッテだから分かる。
 なのはが纏っている鎧……学園都市がその技術の粋を結集して創った『釼冑』にも似た鋼の装甲には確かに魔術的な防護が施されている。それを纏っている魔導師の出力を更に増幅・強化しているのだろう。
 しかし、言ってしまえばそれだけのはずなのに、どうしてサーヴァントという格上の神秘に通じる一撃が撃てるのか!!
 いや、そもそも、先の一撃は『純粋な物理攻撃』だったではないか!?

「それは一体……なんだ……」

 真紅の装甲は重く厚く、両の肩は特別巨大だ。背中には推力を増幅させるためと思しき合当理に似た推進器(ブースター)が備わっている。
 左腕の砲身はいまだ燻る煙が昇り、右の腕には冗談じみた極太の鉄杭(パイル)が装着されている。
 西洋騎士の兜に似た顔面の装甲。その額からは鬼神じみた角が伸びていた。
 その姿、正しく鬼械(奇怪)な神。

「最新武装装甲DDMシリーズ。型式番号『DDM-003-SP1』アルトアイゼン・リーゼ。
 貴方達ブラックロッジの鬼械神に対抗するために管理局の中に封じられていた『本物』を解析して開発された私達にとっての『ご都合主義の具現(デウス・マキナ)』……もう一度言います、抵抗をやめて直ちに投降して下さい。さもなければ……」

 ただ撃ち貫くだけ。
 空間を歪ませるほどの魔力をその鉄杭に滾らせて、高町なのはは静かに宣告した。



[21470] 第十三話 偽りの神
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/06 01:34
 地球における拠点として使用していた月村邸の地下にあるラボ。
 そこで、高町なのはを含めた元機動六課メンバーはその知らせを聞くことになった。

「ぜん、めつ……?」

「そや。ブラックロッジ月面基地を包囲しとった艦隊に参加しとった人間はその全員が殉職を確認された。うちも、シグナムの消滅を、感知しとる」

 血を吐き出すように言葉を紡ぐ友人を、しかし、高町なのはも冷静さを保つ事で精一杯だった。大切な家族を失い、倒れてしまいそうな友達を支える事もできず、ただ呆然と受け入れがたい報告を聞き入れることしか出来なかった。

「そんな……シグナムさんが」

 蒼白な顔でそう呟いたのはエリオ・モンディアルだ。騎士として尊敬し、槍術の手解きを受けてもいた彼にとって、あまりにも唐突な師との別れであった。その場にいるスバル・ナカジマとヴィータも、それは変わらない。

「あいつが……あいつらが勝手に死ぬわけがねえ! そうだろはやて!? 嘘だよなぁっ!!」

「事実や。プログラムの蘇生も出来へん……奴らが扱う魔術は魂諸共破壊する術があるらしいから、おそらくはそれで倒されたんやと」

「嘘だ! あたしは信じねえ。いまから行ってシグナムを助けに……」

「それは駄目や。うちらが此処におる理由、忘れとらんやろ。こういう状況が考えられたからこそ、クロノ君はうちらをこっちに残したんやから」

 いまにも飛び出そうとするヴィータの肩をはやてが抑える。
 そう、彼女達がこの星にいるのは唯の偶然などではない。つい先日完成したばかりの新装備『DDM』の試験運用の目的として、地球にある同系統の武装『釼冑』との模擬戦を行うため、と言う名目で彼女達はいまここにいる。
 しかし、その裏にはきちんと目的が存在している。次元航行艦隊が万に一つ、ブラックロッジの幹部を地球へと逃してしまった場合、いち早く捜査を行い、確実に捕らえる為に、あるいは……艦隊が万に一つ敗れた場合の、切り札として。
 万全と呼べるほどの戦力を用意し、それでもなお悲劇を予期したクロノ・ハラオウンが張った苦肉の策は、誰もが望まぬ形で成果を発揮した。

「うちらは、あいつらを倒さなあかん。本局はブラックロッジに対する動きが鈍化しとる。総力戦を仕掛けて負けたんやからそれは仕方ないかも知れんけど、いま私らが地球から帰還すれば、戻ってくることはできんやろ」

 そうなれば、地球がどうなるかなど、考えるまでも無い。ヴィータを抑えながら諭すようにそう言うはやてだが、しかし、彼女のその手はかすかに震えていた。本当なら自分こそが駆け出したいと言う思いをジッと我慢しているようだった。
 その様子を見て、なのはも思考が回転し始める。
 呆然としているだけでは駄目だ。この一瞬は月で散った人々が稼いだ時間なのだから、それを無駄にすることなんて何があろうと赦されるはずが無い。

「はやてちゃん。現状は」

「なのはさん……」

「スバル、いまは何も言わないで。悲しむのも、落ち込むのも、全部後で、沢山しよう。いまは、動かなくちゃいけない時間だから。みんなの命を無駄にしないためにも」

 何かを言おうとした昴を制して、改めてはやてへ目を向ける。
 なのはの意思を読み取り、はやては一度だけ深く呼吸をして、つとめて低いトーンで語り始めた。

「月面基地を攻撃されたブラックロッジの幹部達は地上に降りてきとる。目的な何らかの魔術的な儀式を行うため。その戦場として選ばれたんが西東京にある学園都市いう街や。そこで、奴らは戦争を起こしとる」

「戦争?」

「せや。クロスミラージュ……ティアナから送られてきた最期の報告に記されとった情報から、その儀式名は『聖杯戦争』と呼ばれとるらしい」

 はやての告げた名前に、なのはの胸は確かに貫かれた。


◇◇◇


 真紅の戦鬼が弾丸の如く疾走する。
 右腕に鋼の鉄杭。左腕に五つの銃口を持つ機関砲。その両肩には巨大な装甲があり、中にはたっぷりと爆薬を蓄えた、歩く武器庫と呼ぶに十分な威容を誇るその騎体。

 『DDM-003-SP1 アルトアイゼン・リーゼ』

 巨人(リーゼ)の異名に負けぬ巨躯の刃金を駆る高町なのははその細身の体を襲う強烈なGを無視しながら狂乱の英霊へと肉薄する。その威容を前に、バーサーカー=湊斗光はしかし戦意を迸らせ、

「面白い。異界の釼冑の切れ味、見てやろう」

 己から虚空へと跳躍し、なのはを迎え撃つ。繰り出される拳は大地を割り、蹴りは海を裂く光の一撃は、しかし、巨人の重装甲を抜くには至らない。腕で、肩の装甲で、通常技が必殺となるサーヴァントの一撃を防ぎながらなのはも反撃を行う。
 しかし、体術ではそもそも技量が違う。防御力に特化した反面、小回りが絶望的ないまの彼女が選んだのは肉を切らせて骨を絶つ戦法。
 即ち、

「額の角は飾りじゃないの!」

<Heat Horn set up>

「笑止!」

 防御を捨てた特攻攻撃。額から伸びる実体刃は交わすまでも無く光の素手に掴まれる。
 しかし、それで十分。

「止まった。これなら」

「!? それが狙いか!」

 なのはの手に笑みすら浮かべる光。彼女の顔面に繰り出されるのは左の銃口。
 五つの銃口は出番に歓喜を叫ぶように甲高い回転音をかき鳴らす。

「弾種・術式封入弾」

<Burst Shoot>

竜の雄叫びめいた甲高い機械音を響かせながら鋼鉄の弾丸が音を置き去りにして吐き出される。コンクリートのビルさえ紙くずのように引き裂く弾丸は、しかし、光の影を捉える事さえ出来ない。

「遅い!」

 ほぼ零距離といえる距離から放たれた音速を軽々避ける。そもそも、音速程度の速度が出せずにどうして英霊と呼べるのか、そう言わんばかりの高速体術を駆使して何もない空中で全弾を回避してみせた。

「はっ! 二度も三度も同じ業を食らあたっ!?」

「ただの弾丸だと思うと酷い目に遭うよ」

 しかし、一度は回避した弾丸が今度は桜色の光を纏ってUターンする。そんな非常識極まりない銃撃に不意を突かれた光は二度目の被弾を許してしまう。直撃した後頭部をさする光の様子では大したダメージを与えられていないというのは間違いないだろうが、なのはにとっては別段それでも構わない。

「こんな風に!」

<Booster on>

 背部に装備されている大型ブースターから紅蓮の炎が吹き上がる。
 直後、残像が発生するほどの加速を成功させると今度は右の腕を振り上げた。人間の頭など貫くどころか粉砕しかねないほど巨大な鉄杭が桜色の魔力光に包まれるのと、それが光のほっそりとした胸を貫くのはほぼ同時!

「ディバイィィィィィンンン――」

<"Divine Buster Extension">

「バスタァァァァァァァァ!!」

 ガッゴン! ガッコン!! ガッコン!!! ガッコン!!!! ガッコン!!!!! ガッコン!!!!!!

「ッ!?」

 右腕の杭撃ち機(パイル・バンカー)の内部で装填された全てのカートリッジが炸裂する。それによって供給された膨大な魔力を集束させて放たれるのは高町なのはの代名詞とも呼べる必殺の砲撃魔法。回避するどころか零距離でその直撃を受けた光は突風に吹かれた木の葉のように吹き飛ばされ、地上へと叩きつけられる。
 しかし、それで終わりではない。

「お願い!」

<Claymore Avalanche>

 がごん、と音をさせて両の肩が開放される。咆哮を向けられたのは光が叩きつけられた地点。そこに、火薬を大量に使用したチタン弾がその銘が示すとおり、雪崩の如く放たれる。
 点ではなく面で放たれるそれを、光はあろうことかその両腕で全て捌く。化け物じみたというにはあまりにも荒唐無稽なその現実は、なのはにこの攻勢で押し切る事を決意させる。
 マルチタスクを起動。
 術式選択――集束砲撃魔法。
 自身最大最強の奥儀をもって速攻を決める!

<master>

 魔導師の杖が術者への過負荷を警告する。
 しかし、それを聞き入れるほど『不屈の心』は素直な人物ではなかった。

「力を、貸して!!」

<All,right.my master> 

 右腕に装備された杭撃ち機から空薬莢が排出。それと同時に自動で再装填が行われ、完了と同時に全弾使用。世界に満ちる吐き気がするほどの魔力を一点に集め、足を止めている光へと照準を合わせ、

「全力全開!!」

<"Star Light Breaker">

「それは、やばそうだな」

 現界してから初めて、光に戦慄が走る。
 その一撃、恐らくは宝具に匹敵すると本能が告げていた。
 しかし、いまの彼女にそれを避ける暇はない。雪崩となって降る弾雨もまた光を殺傷する性能を持っているのだから!!
 瀑布の如き砲撃は放たれた!
 ありえぬはずの状況のまま、光は桜色の極光に呑みこまれた。


◇◇◇


「はぁ……ふぅ……レイジングハート……」

<All reload>

 主の意思を汲み取り、右腕の薬室(チェンバー)を開放。空薬莢を排出するとストックしてあるカートリッジを補充し、砲身として使用したため歪んでしまった杭も新しい物へと交換する。鈍い音をさせて薬室が右腕に納まると、そこには戦闘前同様の威容を誇る赤い鬼神だけが残っていた。

「リーゼロット・ヴェルグマイスター……これで最後です。どうか投降を」

「DDM……偽りの鬼械神(デミ・デウス・マキナ)か。なるほど、大きな口を叩くだけの事はある。いや、正直に賞賛しよう。それを創った者は天才だ。紛れもない、な」

 自身に比べて圧倒的に巨大なアルトアイゼン・リーゼを前にして、しかし、リーゼロッテはむしろ面白い物を見つけたといわんばかりに目を細めた。そこに宿っているのは純粋な興味と好奇。余にも珍しい一品に予想だにせず遭遇した時に見せる人間の反応がそこに在った。
 その中に脅威を前にした時に現われる恐怖や焦りは皆無であり、だからこそなのはも油断なく構える。
 黒衣の少女が持つ余裕が何の根拠がない訳ではない事はよく理解しているのだから。

「鬼械神を召喚するには魔導書というロストロギアが必要な事はわかっています。取り出せば、容赦なく実体弾を打ち込みます」

「これはこれは。優しすぎで欠伸が出るな管理局の犬」

 大口径の五連チェーンガンが擬される。
 しかし、それでもリーゼロッテの表情は微塵も変わらない。
 何故なら理解しているからだ。大した神秘も篭っていない鉛弾が何故サーヴァントに通用したのかを。そして、その理屈で言えばその銃口がまるで意味を成していないという事を。

「無駄だ。私の護りを抜きたいなら、最低でもそちらの右腕を使え」

「……貴女に指示される理由はありません」

「ふん。折角忠告してやったものを……まあ、例えそちらの鉄杭であろうと私に傷を負わせるなど不可能だろうがな」

「やってみなくては」

「分かるさ。これでも貴様の何十倍かは生きているからな。貴様のそれは神秘を積み重ねた”重さ”で潰しているのではなく、進化の速度を利用した”鋭さ”で断ち切っているんだ。
 なら、より切れ味が鋭くなるのは切っ先の方……貴様の騎体が持つ切り札でなければ意味が無い」

「なにを言っているんです」

「少しは自分で考えろ。まあ、そんな知恵があるなら、管理局などにはいないだろうがなぁ」

 上空のなのはと地上のリーゼロッテ。
 その位置関係でありながら見下しているのは完全にリーゼロッテだ。何故なら、彼女はなのはの一撃が何故光に有効なのか把握する事に成功したのに対して、当人であるなのはがまったくそれを理解していない様子だったからだ。
 なのはたちが行った戦果。それは本来ならばありえないといえるレベルのものであった。
 基本が霊体であるサーヴァントは物理攻撃に対して『霊体化』という反則的な回避手段を保有している。それでなくても実体化している状態であっても並外れた耐久力を持つ英霊は通常の火器では倒せない。
 神秘の塊である彼らを殺すにはそれを護る神秘を上回る神秘をぶつけなくてはならない。
 それがリーゼロッテたち魔術師の常識である。
 神秘はより年月を積み重ね『重さ』を増したものによって圧殺される。それ以外に神秘を殺す手段は存在しないと、魔術師達は言うだろう。
 しかし、それは果たして本当だろうか?
 夜の闇を払ったのは。
 疫病の正体を暴いたのは。
 幻想を追い出し、人間という種族をこれほど栄えさせたのは果たしてなんであったか。

(科学は魔術を殺す。理解していると思っていてもこうして規格外を目の当たりにすると流石に信じがたいものがある)

 リーゼロッテは戦慄する。
 そも、科学と魔術は向かっている方向が違うだけで同じモノだと、彼女の師は語っていた。過ぎた科学は魔術と同意であり、過ぎた魔術は科学に相似する。両者は表裏一体の関係であると彼は言っていた。
 そして、ミッドチルダ式に代表される時空管理局の『魔法』は科学側のベクトルで発達、進化していた。霊魂の存在や呪いと言った概念を迷信と斬り捨て、0と1で構築され、電脳(作り物)にすら代替が可能なその術式はむしろ『行き過ぎた超科学』といった方がこの星の魔術師達には分かりやすい。
 だからこそ見下し、油断する。
 積み重ねた実績も無い、新しいという事しか意味の無い蟷螂の斧などに何が出来ようか、と。
 しかし、忘れてはならない。
 科学と魔術とはベクトルが違うだけで同じモノだと。
 そして、神秘がより大きな神秘で殺されるならば、未来へと疾走するその最先端であれば神秘を切り裂き、幻想を殺せるのはむしろ当然のことであると。
 夜の闇が電灯によって掃われたように。
 疫病を克服する薬が作られるように。
 他のどんな生命体も手にしなかった科学の火が、人類を霊長の座へと導いたように。
 高町なのはが纏うのはその果て。
 いま、黒衣の魔女が目の当たりにしているのはまさにその『過ぎた科学』の具現。人類では決して到達出来ぬ域にまで高められた技術の結集が形を持ってそこに立つ。

(まったく。偽りの神(デミ・デウス・マキナ)とは良くいったものだ。しかし――)

 自分の手札をきちんと把握出来ていない使い手など、リーゼロッテから見れば玩具を振り回す幼子に等しい。
 なにより――

「そうそう、最期に一つサービスしてやろう」

 相手の息の根を絶ったと確かめもしない半端者など、どうして脅威とみなせようか。

「右なら、腕一本で済むかも知れんぞ?」

<master! 12 o'clock!!>

「!?」

 脳が判断を下すより早く、無数の戦場を潜り抜けた直感が肉体を動かした。直後、天上から堕ちた白い閃光がなのはの左腕を掠め……酷くあっさりと、彼女の腕を装甲ごと切断した。
 肩の装甲ごと。
 それこそ枯れ木をへし折るような気安さで。
 空を舞う自分の左腕をただ見つめるなのはの耳にその声は響いた。

「見事なり。誇るが良い。峰撃ちでありながら、それでも貴様の業はおれに釼冑を抜かせたのだ」

 声の発生源は下方。
 先の流星が堕ちた場所から少し篭った光の声が聞こえてくる。


 見てはいけない。


 本能が絶叫を上げる。
 体が悲鳴を上げる。
 心が罅割れる音がする。


 見てはいけない。目を合わせてもいけない。それと遭遇しては生き残れない。


 聞こえるはずもない、だが、確かに聞こえる嘆きの言葉を飲み込んで、不屈の心を誇る魔導師はそれを直視した。
 黒衣の少女の傍らに現われた白銀の凶星。
 流線型のフォルムは女性的な柔らかさよりも刀の鋭さを連想させる。
 何よりもそれが孕む血風が立ち会う相手に理解させる。
 それは殺戮者。
 ただ只管に殺し、壊し、侵して奪って蹂躙する。
 血の赤を死の白で覆ってしまった悪鬼の姿が其処には在った。

「……それは」

「これこそが我が宝具『勢洲右衛門尉村正二世(銀星号)』――天下に武を布く釼冑なり」

 壊れた蛇口のように吹き出す血のことも忘れ、なのはは光の釼冑を凝視した。
 サーヴァントや聖杯戦争に関する詳しい情報を持たないないなのはにとって、光がいう『宝具』という言葉の意味を知ることは出来なかった。しかし、それでも其処に宿る必殺の意思を嗅ぎ取る事はできる。歴戦の経験が、自分の死が形を成して其処に立っているとがなりたてる。

(これは……まずい、かな)

 急速に薄れる意識をなんとか繋ぎ止めているのは皮肉な事に左腕を失ったことによる激痛。
 『DDM』には装備者を護るための緩和装置が無数に積まれているが慣れないサーヴァントの攻撃や急加速、質量兵器の反動、魔力の強制的な増幅……なにより、無茶を通り越した魔法行使は彼女の身体をズタズタにしていた。再生機能が働いているため、このまま安静にしていられれば遠からず回復する事もできるだろうが、そんなことを赦してくれる相手でもない。
 なにより、此処で自分が倒れてしまえば仲間達を更なる窮地へ立たせてしまうという事実が、なのはを安らかな眠りから遠ざける。

(はやてちゃんたちだって向こうで戦っている……なら、私がここでこの人たちを抑えておかないと。こんな人たちに挟撃されたら逃げる事もできなくなる)

 思うのは仲間の事。はやてが指揮を取る本隊とも呼べる戦力はいまは別の場所で戦闘を行っていた。リーゼロッテたちに攻撃を仕掛けていた勢力の方へと。
 それを行っていた術者を調べたところ、管理局でSランクとアンチクロスの中では『弱い』方であったために、なのはは此処で一人戦う事になったのだ。
 アンチクロスの中でも最強とされるティトゥス=リーゼロッテをなのは単騎が此処で足止めし、その間に総戦力でアンチクロスの一角を崩す。漁夫の利を狙うことも考えられたが、共闘されては勝ち目が零になる可能性が高いがための、苦渋の決断であった。
 その選択を押し付けてしまったはやてに対して、これ以上の重荷を背負わせないためにも、高町なのはは倒れない。

「こんなところで、終わるわけにはいかない……」

 だから、愚痴るのも諦めるのも全て後回し。
 いまこの瞬間に出来る全力を。

(温存なんて考えたら、死ぬ!)

<master!>

「レイジングハート……ごめんね。私の我儘につき合わせて。でも、これが多分最期だから……」

<……Don't worry.I defend you>

 唯一つ残った右腕に持てる魔力の全てを注ぎ込む。それでも足りない分を大気中にある全ての魔力をかき集め、ただ一点に――右腕の鉄杭へと集束させていく。
 ごく短い時間で放たれようとする最強の砲撃。
 常人ならば吐き気を覚えるほどに圧縮・集束された魔力に、しかし、リーゼロッテも光もただ面白い見世物を見るように眺めていた。
 数多の次元犯罪者達にとって悪夢の具現とされる管理局の『白い悪魔』高町なのはの窮極魔法『スターライトブレイカー』の発射体勢に入る合間にも、地上の魔女達は悠然と構え続けていた。
 むしろ、その姿にふと思い出したように口を開く。

「ああ、その術式。どこかで見たと思ったのが漸く思い出した。貴様、あの二挺拳銃を使う執務官の師匠だな? しぶとさだけは凄まじかったが……ティベリウスに腹から下を喰われた末にそれで自爆したんだった。冥土で逢ったなら、精々褒めてやるがいい。アレが一番、我らの基地に損害を与えたのだからな」

「……そう、ティアを――そんな風に!!」

 何かが頭の奥で引き裂かれた音を発射音に、最強の一撃は放たれた。
 それは狙い違わずリーゼロッテとバーサーカーを直撃し、

「種の割れた手品など、面白くも無いな」

 黒衣の魔女が展開した防御結界によって、その威力を完全に防がれてた。

「そんな……」

「技量も武器も悪くなかったが……感情を爆発させてはそれは使いこなせまい。頭を冷やして、死ね」

 それが彼女達の間にある絶望的な格差。
 魔力を失い、命すら秒単位で失っていくなのはは空にいることも出来ずに墜落する。その無様を嘲りながら見つめるリーゼロッテの危機感はほぼ皆無といって良いほどに薄れていた。
 それこそ、格下の存在など一顧だにしないほどに。

「北帝勅吾―――千鳥や千鳥、伊勢の赤松を忘れたか―――」

 陰陽師の少女によって唱えられる口訣によって疾走する呪符。紙の式神はなのはとリーゼロッテたちを分断するように飛び回り、光の釼冑や黒衣の魔女に次々と張り付いていく。

「これはあの時の!?」

 異変に気がついたリーゼロッテが動くよりも早く、魔術師の英霊(キャスター)は破邪の呪法を完成させた。

「五雷神君奉勅――― 五雷神君の天心下り、十五雷の正法を生ず。邪怪禁呪(じゅかいごんじゅ)、悪業を成す精魅(せいみ)―――天地万物の理をもちて微塵と成す! 十五雷正法、十二散―――禁!! 」

 直後、呪符が一斉に起動し、それによって発生した雷鳴によって全員がその視覚を完全に奪われた。
 しかし、それ『以外の被害は皆無』だった。
 高町なのはの最強の一撃を防いだ防御はいまだ健在。凄まじい威力を発揮する雷撃は目晦まし以上の効果は果たせず、リーゼロットの身体には毛ほどの傷も負わせられない。
 そう、雷は。

「……は?」

 リーゼロッテは理解できない。
 自分の頬に感じる拳を認識できない。
 彼女は常に絶対の護りを張っていた。それこそ忌避すべき『虚無の魔石』の力を使い、大導師以外の魔術師では決して抜けないほどに強力無比な結界を。
 しかし、そんな物が存在しないかのように、ツンツン頭の少年が繰り出された唯の拳は的確にリーゼロッテの顔面を貫き、振りぬかれ、あと追うように灼熱の痛みが頬に広がり――

「っ!! 貴様ァアアア!!」

 リーゼロッテが放ったのは霊魂諸共全てを焼き尽くす黒い炎。
 巻き込まれたなら一切の護りも意味なく灰燼に帰す煉獄の欠片は、しかし――硝子の如く砕かれた。

「なんだと!?」

「しまった!?」

 必殺の魔術が砕かれ、一瞬放心するリーゼロッテ。
 しかし、少年の方にしてもその動作は致命的だ。
 コンマの時間でも経過してしまえば敵は奇襲から立ち直り、

「昨日の少年か。しかし、今度は外さんぞ?」

 銀色の悪鬼がその背後に立つ。
 構えは昨日の夕方、彼の腹を貫通せんと繰り出したのと同じ正拳。
 まるで焼き回しのように動き出すバーサーカーの拳は今度こそ逃げようのない少年の体を捉えており、

「南無三!」

「ッ!?」

 自明、軌道の先読みは英霊にとって容易な事だった。

「いまのを避けるかよ!? でも!」

 少年を貫こうと伸びた光の腕を切り飛ばそうと走る刃金の槍。
 その仕手の姿を確認するより疾く次の斬撃が繰り出される。下段からの切り上げ、首を狙った水平の薙ぎ、石突によるかちあげは顎を砕こうと振るわれ、短く柄を掴むと機関砲の如く刺突の雨が悪鬼に降り注ぐ。それら全ての速度は光よりもやや遅い。しかし、足りぬ速度を埋める技量がその仕手には備わっていた。

「足元がお留守だぜ」

 上半身に集中していた刺突の雨を突如として軌道を変化させ、下段の払いに移行する。
 それらの動作全てが高速で行われ、常人は愚かサーヴァントであっても片足は犠牲にする覚悟を強いる。それほどの一撃を、しかし光は自身の性能を十全に発揮させて回避した。

「これはうっかり。だが、その程度の足捌きではおれを満足させられんぞ? 僧兵」

 まったく予備動作なしで繰り出されるのは虚空を軸に縦に回転して繰り出される浴びせ蹴り。如何に常識外れのサーヴァントといえど物理法則を此処まで無視するのも珍しい。そこに必殺の威力がこもっているならなおの事。しかし、槍の仕手はそんな『奇々怪々』との戦いこそ本領としている。人の形をしているから人の常識に当てはまってくれるなど、そもそも期待していないのだ。

「女の癖に足癖の悪い奴だ」

 光の浴びせ蹴りを余裕を持って回避すると、仕手は少年の襟首を掴んで退避する。それを追撃しようとする光の眼前に彼女の主の物とは別の炎が遮った。込められた魔力と術式の精密さは間違いなくキャスターの一撃。不用意に食らう事を嫌った光は無理せず構えを取り直し、リーゼロットを庇うように構えを取った。

「やれやれ……昨日は術を使って逃げ回っていたというのに、随分と勇ましいな? ライダー。よもや、実はランサーだった、という事か?」

「いいや? 俺は別に嘘なんかついてない」

 釼冑の中で篭った光の言葉には、しかし、好敵手に見える事ができた喜びが浮かんでいる。
 ライダーと名乗った槍の仕手は一見すると唯の学生のように見える。黒い詰襟とズボンは中々様になっていた。
 しかし、光の知るライダーとは若干違う点があった。
 一つは得物。
 昨日のライダーは錫杖を使い、魔術を使って戦っていた。いまのように槍を持ち、光に接近戦を挑んでくる事もなかった。
 二つは負傷。
 ライダー主従は無用心にリーゼロットの異界に入り込み、手痛い打撃を受けていたはず。しかし、いまのライダーにその傷は見当たらない。サーヴァントを殺しきれる黒衣の魔女から受けた傷がこの短時間で治るとはとても思えなかった。
 そして最後の疑問。

「貴様、昨日は短髪ではなかったか?」

「槍を使うとこうなるのさ。俺の宝具『獣の槍』を使うとな」

 長く、艶やかな黒髪を尻尾のように靡かせ、ライダーは構えた。

「俺の名前は潮。ただの潮だ。昨日はあんただけ名乗ってたから、これでお相子ってことで良いか」

「勿論。口も聞けん状態からよくぞ回復した。快気祝いだ。今度こそおれの本気を受けていけ」

 拳と槍。
 殺意と殺意が激突する虚空を漆黒の杭が分断した。

「まったく、今日は千客万来か」

 光が呆れながら向けた視界には一人の男が立っていた。
 黒い軍装と赤い腕章。
 リーゼロッテ二とってはある意味で見慣れたナチスドイツの軍装。
 日の光を忌み嫌うような白い顔を持つ男は殺意を全方位に撒き散らしながらその場の全てに対して告げた。

「人が寝てりゃあ派手にドンパチ始めやがって……誘ってのか? 売女ども。いまの俺は豚だろうが犬だろうが猿だろうが穴があるならどうでも良い気分なんだ。犯して破って吸い殺してやるから……そこ動くんじゃねえぞ。テメエら」

 鏖殺の宣言は、戦場を混沌の坩堝へと落とす。
 白貌の吸血鬼の出現は誰にとっての凶兆となるのか。



[21470] 挿話 『Gespenst Jäger』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:32

 橋の上で混沌とした戦場が形成されているのと同時刻。
 学園都市統括理事が在った『窓の無い建物』もまた勢力入り乱れた混戦が巻き起こっていた。

「……ホリン。貴方はどう見る?」

「そうだな、とりあえずサンドリオンだったか? 良い腕をしてるじゃねえか。弓の英霊(アーチャー)に弓で挑んで互角とか常識的に考えればありえねえ。それに、他にも何か手を隠してる。それがどれほどかはわからねえが……サーヴァントを殺すには十分な代物なのは間違いねえだろ。勝ちの手札を持たないで戦場に出てくる奴には見えない」

 櫻井螢は激しい射撃戦が繰り広げられているその空間を見つめながら隣に居る自身のサーヴァント・ランサーに尋ねると、彼女自身が思っているのとほぼ同じ感想が返された。
 そう、その光景はまともに考えればありえないモノ。
 人間の身でありながら英霊に、しかもソレが最も得意とする分野で互角に渡り合う事などできるはずが無いのである。
 アーチャーが用いる弓と矢は恐らくは第一級の宝具なのは遠目から見ても明らか。聖遺物をその身に宿している螢にはその一撃に込められる威力の程が肌で感じ取る事ができるため、疑いようが無い。その一撃は例えるなら大砲。それに対してサンドリオン――衛宮士郎は拳銃程度の脆い矢を用いて拮抗している。
 その不条理は、即ち事弓に関する技量において、衛宮士郎が今回のアーチャーを大きく上回っている事を示している。
 しかし、

「そんなことが可能なの?」

「さあな。現実として奴はそれを可能にしてんだから、疑ったところで意味が無いだろ。それより、どうする」

「どうするもなにも……」

 ランサーに尋ねられた螢は一瞬思考する。
 彼女達がこの戦場へと現れたのはなにも偶然などではない。この街が何らかの結界魔術に包まれたのと同時に下された指令を遂行するため、彼女達はこの場所に現れた。
 螢としては士郎個人に対して聞きたい事もあったため、これを好機と見ることも出来るがいまは彼女達を統括する聖餐杯からの命令を遂行する方が重要である。むしろ、それが無かったならとっくの昔に衛宮へと襲い掛かっていた事だろう。
 それをよく理解しているランサーは軽く息を吐きながら、

「嬢ちゃん、あいつとなんか因縁があるのは分かるが」

「大丈夫よ。自分が何を為すべきか、分からないほど子供じゃない」

「そう思うんなら、いい加減力を抜けや。そのうち床が割れるぞ?」

 ちらりと見た螢の手元には鉄製の手摺が無惨にひしゃげ、その破壊は床にまで至っている。魔人の膂力を持つ彼女がその気になれば古ぼけた建物の屋上を抜くことなど容易に出来てしまうのだから、力は制御していなくてはならない。
 しかし、本当ならば今すぐにでも衛宮に問い詰めたい事がある螢にはそれが出来ていなかった。表面上は大人びているこの少女が中身はまるっきり子供である事をランサーは召喚されてからのこれまでの時間で把握していたが、今回は輪をかけて酷い状態といえる。

「ヴァルキュリア、ね。お前の家族って所か」

「……貴方には関係ないでしょ。それより、動きがあったみたい」

 目を凝らして遠い戦場を観察していた螢の視界に天空から三つの光点が落下してくる様子が映った。恐らくはこの結界を展開した存在であろうと当たりをつける。
 ルーンの魔術に秀でたランサーも知らぬ術式で構築された結界術が衛宮士郎に扱えるとも思えなかったし、かといってこれから戦闘を行おうとするアーチャー陣営が余計な魔力を浪費するとも思えなかったのがその理由。
 そして、螢たちを混戦に挑ませないで観察を強いていた大きな要因でもある。

「未知の第四勢力……上手く利用できれば楽なのだけど」

「そういうこと言ってっとあの変態神父みたいになるぞ?」

 ランサーの突っ込みにウッと唸りながら櫻井螢は参戦の時期を計る。
 それはもうすぐであると、彼女の勘が告げていた。


◇◇◇


 『DDM-007 ゲシュペンストMrkⅡ』を纏ったスバル・ナカジマは地上で繰り広げられる激しい戦闘に目を丸くした。機械的な補助と強化された視力で観察した両者の魔力量の差はランク換算で三段階。SS+と表示される黒髪の少女に対してAA+ランク相当と表示される灰色の髪をした男性が凄まじい速度で矢を射掛けている。
 その連射速度はとても古色蒼然とした弓という武装が出せるモノではない。さながら機関砲かなにかだと思ったほうが良い。単発の低威力を発射速度と精密射撃によって覆している。黒髪の少女が大砲を放とうと、その寸前で目や手元に矢が迫れば冷静ではいられない。
 微かな動揺、僅かな回避、針の穴じみたその隙間を縫って男性は少女と拮抗していた。
 しかし、それも恐らくは永くは持たない。何故なら、少女の背後にはまだSランクの魔導師が控えているのだから。

「はやてからの確認が来た。男の方はこの都市にある警備組織の奴らしい。どうして結界に巻き込まれたのかはわかんねえみたいだけど、態々敵対する必要も無い。あっちに攻撃は仕掛けるなよ。流れ弾にも注意しろ」

 結界維持と指揮を行うため、結界外に居る八神はやてと通信していたヴィータがスバルと同じく『DDM』を纏っているエリオ・モンディアルに注意を促す。予測していなかった勢力の存在に作戦をどうするか話し合っていたようだが、どうやらこのまま決行するようだ。
 
(なのはさん……)

 一人でアンチクロスの足止めを行っている尊敬する女性のことを思う。
 彼女の負担を少しでも軽くするためにも、一秒でも疾く目の前の敵と倒さなくてはならない。敵がまったく別の敵と戦っているというこの好機に乗じる事ができれば、あるいはそれは存外に簡単に行くかも知れない。

(最初の一撃で、決める)

 引き絞られた矢をイメージ。
 番えられるのは自分自身。
 一切何者であろうとも貫く意志をもって両の腕に力を込める。
 そのスバルの様子にヴィータは何事か言おうとしたが、彼女もまた内心では同じ気持ちであったため、言葉を飲み込んで必要な事を伝えた。

「あの黒髪は基本あたしが抑える。エリオとスバルは魔導師――通称クラウディウスと呼ばれているアンチクロスを逮捕しろ。この武装は非殺傷が使えないから、気をつけろよ」

「大丈夫です。騎士の剣は確かに命を奪いもするけれど、使い方次第で誰かを守ることもきちんとできるんだって、シグナム副隊長にはしっかりと教え込まれていますから」

 ヴィータに返事を返したのはスバルと同型だが、濃紫の塗装がされたゲシュペンストを纏ったエリオ。その腰には本来『ゲシュペンスト』には搭載されていない日本刀に似た武装が下げられている。本来はシグナム用にと開発された『DDM』に採用されていた液状金属を使用した『斬艦刀』がそこにある。
 その銘は伊達ではなく、仕手によっては次元航行艦すら一撃で断ち切る威力を発揮するその剣は特に手加減というものからは遠い。しかし、それもきっと使いようであるとエリオは信じている。

(シグナムさん、貴方が教えてくれた剣で、僕はきっとみんなを守り抜きます)

 なにより、今は亡き師の力をこの剣から借りる事ができるように感じられるからこそ、エリオはその武装を選択したのだ。そんな彼にこれ以上の忠告は無意味だろうと察したヴィータは自身もまた『DDM』を纏う。
 形状は二人のそれと対して変わらない。
 しかし、細部では色々と差異があった。
 それも当然。それは最初期に作られ、全ての『DDM』シリーズの根幹となった機体なのだから。

『DDM-002 ゲシュペンスト・S型』

 カラーリングこそ元の黒からヴィータのイメージカラーともいえる真紅に変更されているが、最古の『偽神』は他の二機を圧倒する威容をもってこの場に顕現する。

「それじゃあ行くぞお前ら! 『亡霊部隊(ゲシュペンスト・イェーガー)』の恐ろしさ、ブラックロッジの連中に叩き込んでやる。月で散った、仲間達の分もな!」

「ガイスト02、エリオ・モンディアル。了解」

「03、スバル・ナカジマ。行きます!」

「あたしに続け!」

 叫ぶヴィータの両足が赫光に包まれる。膨大な魔力が何倍にも増幅され、一つの機関を起動させた。次元航行艦隊の推進器にも応用されている空間歪曲機構。それを両足の装甲に仕込み、攻撃時の反動も余さず全て的に叩き込むという必殺の名を持つに十分な一撃。
 正式名称――近接粉砕呪法『アトランティス・ストライク』
 しかし、ヴィータたちは彼女の主・八神はやてが名付けたその銘を叫んだ。

「ゲシュペンスト、キィィィィィィイイイイッッック!!」

 赤い流星が戦場に落ちる。
 浅からぬ因縁ある相手と彼女達が遭遇するまで、あと一刹那。
 戦場は更なる混沌へと沈降していく。



[21470] 第十四話 亡霊たちの宴
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/10 00:27
 上条当麻が同居人のシスター・インデックス共々草壁美鈴お手製の朝食を済ませてまったりとしていると、その音は突如として聞こえてきた。

「爆発!?」

 立て続けに数度。
 更には寸前のそれらを上回る、世界全体を震わせるような爆発が起きるのと同時に、咄嗟に立ち上がった上条はベランダに飛び出した。
 脳裏に浮かぶはいま、この街で巻き起こっている『聖杯戦争』絡みではないかという危惧。即ち、それ単体でもとんでもない力を持つサーヴァント対サーヴァントによる激突がこんな早朝から繰り広げられているのではないかという予感が上条にその行動を取らせた。
 もしもその予感が正しかった場合、巻き起こす余波がどれほどの物になるか。
 魔術に疎い上条には想像もできないが何も知らない一般人が巻き込まれて無事に済むような代物ではない事は分かりきっている。だからこそ、いち早く何が起きたのか把握しようとしたのだが、その目論見は突如として鳴り響いた『呪歌』によって妨げられた。

「なんだっ!?」

 一瞬、理由も分からず胃袋の中身をぶちまけたくなる衝動に駆られる。
 その原因が聞こえてきた『歌』によるものだと理解するより早く、右手に硝子が砕けるような手応えを感じる。感覚的にはかつて錬金術師によるとある魔術を打ち消した時に似ている。
 ならば、いまのも同一の術理によるものと考えるのは扱く当然の事。

「いまのは……魔術、か?」

 自分の右手を見下ろして思考を原因究明に向けようとするが……

「と、とうま……」

「えっ?」

 力ない声で名前を呼ばれて振り返ると、上条の部屋に同居しているイギリスのシスター……インデックスが顔色を真っ青にしていた。今にも倒れこみそうな彼女を近くにいた草壁が咄嗟に支えてくれていたが、それでもインデックスは激しい頭痛を我慢するように眉間を深く歪めていた。

「とうま……ここ、危ない……」

「インデックス!?」

「待て、上条君。君は近寄るな」

 上条も慌てて駆け寄るがそれより早く草壁は自分の懐から一枚の呪符を取り出してインデックスと自分の額に貼り付けた。

「聖なる五芒は破邪を顕す。邪悪と怪異はこれに触れる事あたわず――禁」

 細い人差し指で虚空に描かれる五芒星は真紅の光で形作られると、すぐに効果を発揮したらしい。ぐったりとした様子のインデックスはそのまま気を失ったようだが呼吸は安らかな物になっている。草壁は脱力したインデックスを抱き上げると、昨夜も使っていたベッドに優しく運んで横にさせた。
 インデックスの容態が安定していると確認すると草壁は上条へと視線を向けると、少しだけ驚いたような表情をした。

「君は大丈夫……のようだな」

「え、ああ。それよりインデックスは」

「大丈夫。精神を冒す呪いのようなものを浴びたせいで心に過負荷が掛かったらしい。いまは私の呪符で防御を張っているから安心してくれ」

 上条を安心させるためか、草壁の表情は少しだけ柔らかいものになる。それにつられて、という訳でもないが上条も一つだけ深呼吸をして冷静さを取り戻そうと試みた。

「ありがとう、草壁。……にしても、精神を冒すって一体何なんだ」

「言葉の通りだよ。こんな物を使って何がしたいのか分からないけれど、先程の『歌』は”闘争を強要する”類の物らしい。私も、ライダーが咄嗟に警告を発してくれなければまともに浴びてしまっていたかもしれない。そうなっていたらどうなっていたか……自分を優先させてしまったせいで、彼女には苦しい思いをさせてしまった」

 直接それを浴びたからこそ分かるのだろう。草壁は自分を抱きしめるように両腕を胸の前で交差させると少しだけ俯いた。その弱々しさはとても昨日、上条と一緒に闇精霊と呼ばれる怪物を多数斬り伏せた凄腕の剣士には見えず、上条はなんと声をかけたらいいのか一瞬だけ迷う。
 もっとも、迷う意味もないほど告げる言葉は明白だったが。

「草壁が気にする事じゃないだろ。むしろ、あんたがいなかったらどうしたらいいのか分からなくておたおたしてた筈だ」

「どうかな。むしろ、余計なお世話だったかもしれない」

 草壁の視線は上条の右手に注がれる。
 彼女には『幻想殺し』の性能について簡単に説明をしているし、土御門経由で多少は情報が流れていたらしいのだが、こうして目の前で強力無比な『呪い』を打ち消して見せた事で彼女の自信を揺らがせてしまったのかもしれない。しかし、そんな草壁に上条はあくまでも真剣な眼差しで首を横に振った。

「そんなこと、あるわけ無いだろ。そりゃ、インデックスだけを守るんなら、それでも良いかも知れないけれど、それしか出来ないところだったんだ」

 上条は再びベランダへ視線を向ける。
 そこから見ることは出来ないが、世界が変貌してしまったことを悟るのは容易かった。
 朝の静寂を打ち壊す悲鳴と怒声が学園都市のあちらこちらで響いている。
 硝子が砕けるような音、重たいものが落ちるような音、何かが爆発するような音……その全てが上条に告げている。
 『呪歌』は学園都市を修羅の巷へと変貌させようとしている、と。

「それじゃあ駄目だ。これを止めなくちゃ、何の解決にもならない」

「ああ、その通りだな。私も全力で協力しよう」

 振り返って見つめた草壁からはすでに『弱さ』など微塵も無くなっていた。
 それを悟った上条は何か口にしようと開きかけ、

「フラグ立ての最中で悪いが、俺たちにもその話、一枚噛ませてくれ」

「あんたは……」

 突然の声はベランダから。
 そこには右目に眼帯を巻いた一つ目の少年を小脇に抱えた白衣の魔術師が立っていた。
 時空管理局の結界によって世界が『隔離』されたのはその直後だった。


◇◇◇


 皐月駆は恐怖で指一本動かせないでいた。

「なんだって、こんなところにいるんだろ。俺……」

 呼吸の仕方が分からない。
 見える世界が信じられない。
 あまりもかけ離れてしまった現実に思考が置いてきぼりを食らっている。
 しかし、それでも何処かで理解した事もある。
 即ち――戦場とはただ在るだけで命をすり潰す空間であるということを。

「坊ちゃん、もうちょい近くにいてくれ。いまはむしろ離れてる方がやばい」

 こちらは息をするのも一苦労だというのに、白衣の魔術師は気軽に手を振ってこちらを招きよせる。
 ライダーのマスターでもある少女――草壁美鈴とその仲間らしき少年達と合流してからこっち、なんだか映画を見ているような現実感が欠如してたような感覚に囚われていた駆には、その気軽な手招きがかえって不吉な物のように見えた。しかし、だからといって迷っていられる状況でもないという事だけは分かっていた。

「キャ、キャスター……」

「そうびびらなくても平気だよ。ちょっとばっかり絶体絶命になってるだけだ」

「全然駄目だろ……」

 キャスターの言葉に一層体が固くなるのを感じるが、それでも声を出した事が良かったのか、辛うじて手足は動いてくれる。おっかなびっくり、駆は味方の方へと近寄っていった。

(一体全体どうなってんだ。この世界は……)

 絶望的な心境でキャスターの背後まで進む。
 いま、駆たちは見たこともないほど高い塔の前に立っていた。天を突くような巨大な塔は、しかし、学園都市で暮らしていた駆は見たことがない物だった。キャスターの説明ではバーサーカーの主が魔術的に建設した代物らしい。魔術という物が如何に理不尽なものなのか、それだけでも理解できてしまう。
 その摩訶不思議な技術を扱っているのがどうみても同年代に見える異国の少女であろうと、先程までの攻防を見ていた駆にはもはや同じ人類であるという認識は持てなかった。

「さっきの女の人……腕が」

「綺麗に落とされてる。放って置いたら出血で死ぬか……最後に大技かましたのが仇になってるな」

「死ぬって……」

 思わず凝視してしまった先にあるのは左の腕を肩口から削ぎ落とされた真紅の鉄鬼――正確にはそれに包まれているはずの女性だ。
 駆たちがこの場に辿り着いた時、先にバーサーカーたちへと攻撃を仕掛けていた彼女を囮とすることで本命の一撃を正確に叩き込む。言葉にしてしまえば非常に単純で外道な作戦は、しかし、失敗に終わった。
 その中核を担っていたツンツン頭の少年――確か、上条と名乗っていた――はいまも悔しそうな表情のまま見上げるようにして宙を浮いている少女達を睨みつけている。
 作戦では彼の右手に宿っている能力で『令呪』と呼ばれるサーヴァントを従える上で重要な核みたいなものを破壊するはずだったのだが、彼の拳は少女の顔面を捉えはしても、令呪を破壊することは出来なかった。
 キャスターは苛々したようすで上条に言う。

「だから股から腕を突っ込めって言ったんだが……まったく、こんなところで童貞が仇になるとは」

「あれってマジなアドバイスだったのかよ」

「当然だ。命張る場所で冗談が出るほど明るい性格してねえよ。生きてた頃に友達なんていなかったくらいだしな」

 キャスターが上条と軽口を交わしているが、駆の内心では焦りだけが募っていく。その原因は此処に突如乱入してきたその男にあった。

「なあ、キャスター。あいつも聖杯戦争の参加者なのか?」

「さあね。どっちにしてもまともな人間じゃなさそうだ」

 振り向きもせずに返ってくる言葉に、駆は唾を飲み込みながら戦場を見回した。
 一番に目が行くのはやはり撃墜された鋼の鬼。それを挟んで対峙しているのが黒い塔を背に負う魔術師の少女と白銀の鎧を纏ったバーサーカー。彼女たちに最も近いところで武具を構えるライダー。そのすぐ傍に上条がおり、草壁とキャスター、そして最後尾に駆けるという布陣になっている。
 そして、それらの一団とある程度距離をとって、その男は屹立していた。
 黒い軍装に赤の腕章。
 あまり物騒な事柄について詳しく知らない駆にも、その服装が軍人のそれであろうと推理する事はできた。同時に最もそんな服装をしていそうな可能性が高い警備員(アンチスキル)でもないということも。
 何故なら、男が放つ雰囲気がバーサーカーの持つそれと酷く似ていたからだった。
 即ち、血と闘争を望む狂人であると。
 あれは秩序を護るのではなく破壊するもの。
 絶対的な捕食者が目の前に現われたのだとこの場で最も常識に身を置く駆だからこそ正確に悟る事ができた。

「まともじゃないって」

「ま、いままで裏の世界に関わった事がない坊ちゃんは知らないかもしれないけど、世の中石を投げたら割と化け物に当たるもんなんだよ」

 そういうキャスターからは寒気を感じるほどの殺意が立ち上る。このどこか飄々としたこの男にさえ臨戦態勢を取らせた白髪の軍人はつまらなそうにその場の面子を眺めた。

「……ちっ。こっちは外れか。サンドリオンは……ああ、向こうの方に居やがるのか」

「貴様……確か、ハイドリヒの犬だったか」

 不機嫌そうに一人ごちる軍装の男に声をかけたのは宙を舞う黒衣の少女。
 彼女はどうやら男を知っているらしく、その口調には知人に対する気安さと家畜にかけるような侮蔑が交じり合っていた。駆にも分かるほどはっきりとしたものだったのだ、それを向けられた男も即座に感じ取り、サングラス越しでも分かるほどはっきりとした怒気を視線に乗せて小柄な少女を睨みつけた。

「誰だ。てめえ」

「ふん。私の名前を知らんか? カール・クラフトは弟子の教育に随分と手を抜いていたのだな」

「弟子? おいおいよしてくれよ。あいつが吐く言葉が毒以外のなんになるってんだ。あいつの言葉なんざ聞いてたら耳が腐っちまう」

「それは貴様が低脳だからだろ? ヴィルヘルムSS中尉。貴様、姉(母)の胎に知恵も教養も忘れてきたか? いまからでも遅くないから取りに行ってはどうだ? なに、畜生が墓場を漁ったところで誰も咎めはせぬだろうよ」

「――お前、面白い言うじゃねえか」

 瞬間、世界が悲鳴を上げる。
 両者がぶつけ合う殺意が空間の許容量を超えようとしているのだ。
 コンマ数秒。
 ギシギシと軋む音はやがて現界を突破して――

「ああ、確かに名案かも知れねえ。なんせ、糞溜めで生まれた身なんでね。その後も学校なんて上等なもんには行ってなかった。知恵だの教養だのをどっかに忘れてきたとしたら、その辺りにあるんだろうよ」

 男から闘志が消える。
 この空間全てを殺し尽くそうとするかの如く発せられていた気配が消える。
 しかし、それが津波の前にある凪であると、真っ先に感じ取った駆は――

「でもよ、わざわざそんなところに行く必要はねえよな? なんせ、テメエの脳味噌はメルクリウスとビーチク喋れるほど出来がいいんだろ? なら……そいつを余さず吸い尽くしてこの腐った脳味噌と取り替えてやルァァァァアアアアア!!!」

 動くなら、この瞬間以外にはないと理解した。

(正気か!? 俺は!!)

 駆は胸の中で悲鳴を挙げながら、それでも身体は勝手に動き出す。
 自問すること。
 駆け出すこと。
 そして、男が全方位に漆黒の杭を弾丸として発射するのは全て同時に起きた。


◇◇◇


「バーサーカー、適当に相手をしてやれ。たらふく霊魂を溜め込んでいるから、良かったら食って構わんぞ」

「ゲテモノ食いは趣味ではないが……まあ良い。ライダーの前座くらいにはなってくれよ」

「上等じゃねえか糞猿がぁぁぁあああああ」

 少女の命令に白銀の悪鬼が動く。それに呼応して、男の弾幕は更にその密度を濃密にし始めた。
 バーサーカーたちどこか、視界に入る敵全てに攻撃し始めた男にキャスター、ライダーたちも行動を開始する。上条は異能を打ち消せるという右手で直撃しそうなものを防ぎ、草壁もいつの間にか手にした刀で彼が討ち漏らした弾丸を切り払っている。
 全員が持ち場から動けない状態の中、男に『敵』として認識されていなかった、されるだけの力もなかった駆だけは辛うじて弾幕の隙間を縫って動くことが出来ていた。

「くそったれ!!」

「ちょっ! 坊ちゃん!?」

 キャスターが叫ぶ声を背中に受けながら駆は疾走する。
 その向かう先は倒れ伏した鋼の鬼。
 無茶苦茶な弾幕を張りながらバーサーカーと格闘戦を開始した男に注意が行っている間に、囮に使ってしまった女性を救出する。
 そのために駆け出したはずの駆だったが、誰よりも自分自信がその行動に驚いて頭を真っ白にしてしまった。

(なにやってんだよ、俺は!!)

 こんな事をするつもりはなかった。
 そもそも戦場に来る事自体嫌だったのだ。
 しかし、今回だけは戦わなければならなかった。戦わなければ、守れない人たちが居るのだから。

(ゆか、匡、奈月……みんな!)

 脳裏に浮かぶのは学校で会うクラスメイト達。姉を失い、右目がない事で屈折する自分を迎え入れてくれる人々の顔が鮮明に浮かび上がる。
 彼らは善良な、ただ平凡に、平和に暮らしている人々なのだ。
 何の因果か変な事柄に巻き込まれる事が多い自分とは違い、ただいつものように退屈で平凡な世界を行き続ける事が出来る人たちなのだ。
 そんな人たちを、その『歌』は、血みどろの世界に引きずり込むという。
 それを、止められる力があって、どうして何もしないなんて選択が出来るだろうか?
 既に一度『なにもしないでいて失った』ことがあるというのに。

(あんなのはもう二度とごめんだ。だけど!)

 人を狂わせる『呪い』を停止させるためにはキャスターが戦う必要があり、それをより安全なものにするためにはライダー達の協力は必要だった。その結果として、ライダーの主である少女を戦場に連れ出してしまう以上、能力を持たなかろうと男の駆は自分だけが安全な場所にいるという事を良しとは出来なかった。
 その提案にキャスターも賛同していた。
 下手にマスターとサーヴァントが離れるよりは近くにいた方が護りやすいというのがその理由。ライダーのマスターたちもその理由ならと納得したからこそ、駆はこの戦場に立つ事になったのだ。
 しかし、あくまでも駆が足を踏み入れるのはそこまで。
 一瞬の迷いや誤りが命を奪う最前線に立つ事など、駆本人すら了承していないことである。

(あそこにいるのは赤の他人だろ。ゆかじゃない。匡じゃない。奈月でもない! なのにどうして命張ってんだよ)

 自分を叱り飛ばしながらよろけた体を立て直す。ほとんど面となって襲い掛かってくる漆喰の弾幕はキャスターの手によって作られた結界を次々に殴り飛ばし、既に皹が無数に入っている。あと数秒も持たないというのが知識のない駆の目にもはっきりと分かるほどに結界は壊れていた。
 それでも、駆は地を蹴り飛ばす。

「赤の他人でも、見殺しに出来るかよ……手が届くのに、諦めるかよ」

 脳裏にあるのは赤い記憶。
 誰よりも近くにいた『姉』を失った時の記憶。
 傍にいながら、いつでも手が届くところにいたはずの物がある日突然、理由も分からずに零れ落ちたときの悪寒が駆を後押しする。
 いまの『彼女』の姿が『姉』に重なる。いや、寧ろこちらの方がひどい。人間は手首を剃刀で切りつけるだけで十分に死ぬのだ。なら、腕を失って生きていられるわけが無い。
 しかし、キャスターは『放って置いたら死ぬ』といったのだ。
 なら、まだ死んではいない。
 さっさと連れて逃げ出せばまだ助けられるかもしれない。

「かも知れない、じゃない。”助かるんだ”」

 ズキン、と右目が疼く。
 切迫した状況が脳内麻薬を大量に精製し、痛みは感じないが熱量だけは上限知らずにあがっていく。まるで目玉が溶岩か何かになったかのよう。溶けて目玉が飛び出そうになる中で、駆の体を辛うじて弾幕から守っていたキャスターの防御魔術が粉砕される音が聞こえた。
 丸裸になった状態で、絶命の弾雨が横殴りに降り注ぐ。
 視えもしない。
 視えたところで反応できない。
 それは圧倒的な面攻撃。防御は出来ず、回避などもっての他の状態で――

「邪魔すんじゃねえ!!」

 ――気がつけば抜けていた。
 駆自身、なにをどう避けたのか分からない状況で、しかし、自分が立つ場所だけは理解できた。
 目的地=鋼の鬼の傍らだと。
 そして、

「……って、俺はどうやってこの人を連れて行くつもりだったんだ?」

 致命的な作戦ミスも。

「貴様、いま、なにをした?」

「いっ」

 天上から聞こえてきた怜悧な声。
 確認するまでもなく、バーサーカーの主であろうと理解する。理解すると同時に体が勝手に横へ跳んだ。直後、駆の体が寸前まであった空間を黒い閃光が貫く。倒れこむようにして避けた駆の視界が上空へ向くと、そこには人差し指をこちらに向けて嗜虐的な笑みを浮かべた魔女がいた。

「直感はそれなりか。ならば、精々踊って見せろ小僧。哂えるダンスなら、その間は生かしてやる」

 突き出された指先に必殺の暗黒が灯り、それは刹那で駆の心臓を貫かんと放たれて、

「悪趣味な事すんなやババァ」

 白く輝く五芒星によって防がれた。
 直後、駆の襟首がぐいっと引っ張られる。突然の引力に目を白黒させる駆に気楽そうな声がかけられた。

「無茶するね、兄ちゃん"も"」

「ライダー! 皐月君はこっちに寄越せ。お前はその人を!!」

「分かってる」

 ぐるんと急回転する体。
 脳味噌を直接かき混ぜられるような気持ち悪さは、しかし、ほんの数秒で終了する。どすんと尻から落ちた駆は涙目になるが、ぐいっと力ずくで立ち上がらされた。

「大丈夫か? 皐月君」

「え? あ……平気です。草壁……さん」

「敬語は要らないよ。それより、上条君もきつそうだ。ライダーの先導で我々は後退する」

「わかりました……キャスターは?」

 立ち上がらせてくれた相手――草壁の思いのほか柔らかな手に思考が勝手に熱くなるのを感じながら、すぐにそんな場合ではないと切り替える。
 駆たちがこうしていられるのは少年……上条当麻が必死になって流れ弾を右手で打ち消してくれていたからだ。駆が命を賭けて助けようとした女性はライダーが軽々と担いでおり、撤退の準備は既に出来上がっているといえる。
 バーサーカーのマスターが殺意を向き出しにして屹立している事を除けば。
 ゾッとするほど強烈な殺意を眼前で受けているキャスターは駆の声に反応して、振り向くことなく軽く手を振った。

「俺は殿。本来はライダーにやってもらいたかったんだが……安心しな。すぐに追いつく」

「……たかだか魔術師(キャスター)風情がよくも言う。それに……貴様がサーヴァント? ハッ、笑わせる。六十年前に私に殺された分際で英霊だとよくも名乗れたものだ」

「へえ。やっぱり『こっち』でも俺はお前と戦ったのか」

「ああ。いまから六十年ほど前に。滑稽だったぞ? 頼みの『虹』があそこの狂犬を含めた蛇の眷属に潰され、単独でこの私に挑んできた挙句無様に地を這い命乞いをした貴様の姿はな……草壁遼一」

 黒衣の少女から最大の侮蔑を込めてその名を紡がれる。
 それに反応を示したのは同じ『草壁』の名を持つ少女と、あとは当の本人くらいだった。前者は驚愕に、後者は自嘲に近い色がその表情に浮かぶ。二人の間にどんな繋がりがあるのか、反射的に尋ねそうになった駆の言葉を遼一が遮った。

「それはそれは……俺が知ってるお前の末期は俺に殺されてるんだがな」

「……哂えぬ冗談だ」

「冗談言えるほど明るい性格じゃないんだよ。基本、根暗でね」

「キャスター……」

 わざとらしく肩をすくめて見せる遼一の行動は魔女の視線を完全に自分へと向けることに成功していた。つまりは、彼を置いていけば逃げ切るのは難しくはないという事。
 しかし、ここで彼を見捨てれば、駆にとっては本末転倒になってしまう。ほんの数日の付き合いだとはいえ、遼一は既に駆にとっては日常の一部になりつつある存在なのだから。
 そんな心配する駆を安心させるため、キャスターは己の宝具を顕現させた。

「安心しなよ坊ちゃん。なんせ俺には窮極の魔導書が憑いてるんでね」

 それは一冊の古びた本。
 見た事もない文字で記されたその本の銘を、何故か駆の眼は理解する事ができた。


 『冥王の鍵』――――ネクロノミコン・アル・アジフ


 窮極無比の魔導書を顕現させたキャスターの魔力は火山の噴火の如くその真価を発揮する。その圧力はこの場にいる全ての存在――黒衣の魔女すら圧倒しうる程の力を感じさせるものだった。
 それを見た魔女の表情が初めて蒼白になる。

「馬鹿な……それはヴァルターの!? 何故貴様がそれを持っている!!」

「そいつは企業秘密だ。ところで、お前は『翠玉碑』が誰の手によって砕かれたかは知ってるよな? 貴様の胎に納まった『虚無(クリフォトの)の魔石』の、大本になった魔導具の末路を」

「っ!!」

 息を呑む魔女に魔導書の持つのとは別の手に一振りの偃月刀を顕現させ、白衣の魔術師は地を蹴る。刃には血のも似た魔術文字で『女王ニトクリス』に関する記述が刹那で書き上げられ――

「終わりの時間だ。冥土(ビュトス)には独りで逝け」

 不死身の身体に終末の刃が振り下ろされた。



[21470] 第十五話 傲慢
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/13 22:31
 振り下ろされる刃の銘は『バルザイの偃月刀』――剣として用いれば一切を断ち切る刃となり、杖として用いれば邪神を招聘する事も可能にする桁違いの魔導具は閃光となってリーゼロッテ・ヴェルグマイスターの細首へと疾走する。一切の防御を切り裂く魔剣の一撃はバビロンの大淫婦の護りを紙の様に切り裂くだろう。それを理解しているからこそ、リーゼロッテは『反撃』を放つために眉間に意識を集束させた。

「殺せるものなら殺して見せろ、陰陽師!」

 己の不死を識るが故に致命傷をあえて受け、返す刃で滅殺の一撃を叩き込む。
 その反則があるからこそ、黒衣の魔女はこれまで『最強』の一角に座していた。
 しかし、

「これでもそんな暢気な台詞が吐けるかよ!」

 キャスター……草壁遼一が振り上げた刀身に真紅の魔術文字が描き出される。それに描かれているのは『屍喰鬼の女王』についての記述。古代エジプトにおいて詐術と謀略を駆使して数多の人間を殺した恐怖の女王――ニトクリスを記したそれには彼女が破壊したとる宝物の事が記されている。

(馬鹿な!?)

 リーゼロッテはあまりの事実に思考も動きも静止する。
 其処に記されている宝物の銘は『翠玉碑』という。かつて存在し、持ち主に無限の魔力と生命を与えたという窮極の魔導具。そして、黒衣の魔女に不滅の呪いを与えた『虚無(クリフォト)の魔石』の原型とも呼べる存在であり、すなわち――

「破壊できる、とでも言うつもりか!?」

「"出来た"のさ。俺が俺に成ったときにはな!!」

 リーゼロッテの表情が強張る。
 しかし、少しでも魔道を識るならそれは驚愕に値しない。
 魔術の基本は原典に似せる事で奇跡を起こすというもの。積み重ねた過去を踏襲する事で『現実』を塗り替える。その理屈で言うならば、永劫不滅であったはずの『翠玉碑』を十二に砕き、散逸させた女王ニトクリスの記述を持つ窮極の魔導書『冥王の鍵』には当然のように”『翠玉碑』を砕いた時”の記述も存在している。
 それを応用すれば、不滅の魔石を破壊する術を行使できるのは当然の事である。
 故に、リーゼロッテは反則を使う事ができない。
 遼一の一刀は彼女を不死たらしめる魔石ごとその肉体を両断するだろう。そして、その傷は二度と癒える事はない。それを可能にしている魔石をも彼の刃は切り裂くのだから。
 だからこそ、彼女に残されていたのは回避のみ。
 しかし、それも手遅れ。
 如何に肉弾戦を得意としていないとはいえ、遼一の一刀は既にリーゼロッテの首を捉えており、

「――我が刃に触れるもの、死すらも死せん。終わりにしろ。リーゼロッテ」

 敗北者を決定する斬首は決行される。
 魔女を救うモノが現われなければ。
 不滅を破壊するほどの一撃を、受け止めるほどの存在が現れなければ。
 そう、例えば……彼のような。

「ああ、いけませんね。女性に対してそのような物騒なものを振るわれるなんて」

 戦場に似合わぬ穏やかな声。
 しかし、それが引き起こした現象にその場の一堂は度肝を抜かれる。不滅を破壊するはずの斬撃が酷くあっさりとその男によって防がれたのだからそれも当然の事と言える。しかも、その防ぎ方が指一本で受け止める、などという常識外れにも程があるやり方であれば、なおさらだ。
 一瞬の忘我がリーゼロッテ、草壁遼一の両者に訪れ、しかし、それはすぐに破られる。

「キャスター! バーサーカーが!!」

「ちっ……『ニトクリスの鏡』よ!」

 叫んだのはこの場から離脱しようとしていた皐月駆。彼の警告と生存本能が死の接近に悲鳴をあげ、即座に離脱を敢行する。同時に幻術を展開し、自分と全く同じ分身を五つ展開する。少しでも生還率を高めるために行使した術は成功したようだ。咄嗟に作り出した分身のひとつが天空から降下してきたバーサーカーに頭から粉砕されるのを見ながら一足で後退する。
 駆たちのいる場所まで下がると、遼一はばつの悪い表情で頭の後ろを軽く掻いた。

「悪い、坊ちゃん。格好つけてたら仕留め損ねた」

「……別に良い。それより、あいつ誰だ?」

 駆が漏らした疑問はむしろ穏やかに微笑み続ける僧衣を纏った金髪の異人を除いた全員が共通して感じていることだった。リーゼロッテもバーサーカーも突然の乱入者である神父に困惑した様子を浮かべる。しかし、当の本人は特別気にした様子もなく、奇異の目を向ける面々を穏やかに見つめ返しながらあさっての方へと視線を向けた。
 つれて駆がその視線を追うとそこはさながら爆撃でも起こったのではないか? と思うほどの破壊の限りが尽くされた戦場が広がっていた。
 さほど離れてもいない場所で行われたというのにまるっきり気がつかなかった事に背筋を冷たくさせていると、その中心に姿を見失っていた白髪の軍人=ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイが地面に仰向けになりながらも不機嫌を隠す事なく全員を睨みつけているのに気がついた。
 神父はその男に対して、やや困ったような表情を作ると友人に話しかけるような気安さで口を開く。

「おや、ベイ中尉。そんなところで寝ていては体に悪いですよ」

「……うるせえ。それより、テメエがなんでこんなところにいやがる。クリストフ」

「それがですね……どうにも此度の聖杯戦争では一般の方の都合も考えずに暴れまわる方々があまりに多いようなので、致し方なく少々介入することになりまして。いやはや、達人(アデプト)級と呼ばれる魔道の使い手ならば、相応に年月を重ねておられるでしょうに。もう少し年相応に自重していただければ良いのですが。
 ねえ、ベギール卿?」

「クリストフ……『聖餐杯』のクリストフ・ローエングリン。黒円卓の首領代行か」

「ええ。最後にご尊顔を拝謁したのは貴女がこの国へ向かわれる前でしたか。ご無沙汰しております。マレウスからはご壮健であると聞いておりましたが、お変わりないようで何より」

 リーゼロッテの確認にヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリンは丁寧な一礼を返した。
 60年前、戦火に燃えるベルリンを生贄にする事で展開された『城』に登っていったのは双首領と三人の大隊長で計五名。『城』を永続展開させる核となっている『太陽の子(ゾーネンキント)』を除いた七人の魔人は地上に残り、それを束ねている者こそ目の前にいる神父だと知り、リーゼロッテは警戒心を最大にした。

「それで、貴様が何故私を護る。よもや、この私に獣の幕下に入れ、とでも言いに来たか」

「いえいえ。偉大なる先達であらせられるベギール卿に対してそのような事を、どうして私如きが言えましょうか。此度推参致しましたのは、かつては共に手を取り合った同志のよしみで一つお願い事をさせて頂きたいと」

「言わなくても大方の予想はつく。しかし……貴様がローマ正教の退魔師(エクソシスト)を代行するつもりか? 笑い話なら貴様の主にでも聞かせてやればいいだろうに」

「ええ。私としてもこのような役目、まっとうできるなどとても思えないのですが……いやはや、こんな事になるならヴァチカンの禁書目録聖省を演習代わりに潰してしまったのはまずかった。自分の臆病さが招いた事とはいえ、早まった事をしたものです。とはいえ、彼らが本来勤めるはずだった『聖杯戦争』の監督と言う役目を遅まきながら勤めさせて頂こうかと思いましてね。
 私がそうする事で、先にヴァルハラへと逝かれたナイド卿へのせめてもの罪滅ぼしとなれば良いのですが」

「……嫉妬(ナイド)のソフィアか。あの女、禁書目録聖省などにいったのか」

「経緯は不明ですが。地獄がお好きと聞き及んでおりますから、存外元気でいらっしゃるかもしれませんねぇ」

 そう言って話は一区切りしたのか、ヴァレリアは次に駆達へと視線を向けた。

「と、言うわけでして。この場はお互いに剣を収めていただきたい。戦争様式をある程度整える必要があるようですし……。そちらも無駄な犠牲を出す事は本意ではないはず」

「……こちらとしてはそちらが街中にばら撒いた『呪い』をどうにかするまでは退く訳には行かない」

 神父の問いに答えたのは草壁美鈴だ。毅然とした様子で言い返した彼女だったが、本能的に悟ったのだろう。ヴァレリアと自身の間に存在する埋めがたい隔絶を。
 しかし、だからと言っておめおめ退く訳には行かないという意地だけで彼女は聖餐杯へと戦意を燃やす。その姿にヴァレリアは眩しいものを見るように目を細めると、

「それについてはご心配なく。……ベギール卿、貴女には戦いの時までご自分の結界の中にて待機して頂きたいのですが宜しいですね?」

「誰も、貴様の調停に乗るとは言っていないが?」

 神父の問いかけに魔女は敵意で答える。
 しかし『最強』の称号を持つ魔女に睨みつけられてなお神父の表情は微笑から変わることはない。まるで聞き分けのない幼子に言い聞かせるような口調のまま、ヴァレリアは続けた。

「そのような事は仰らずに。私如きの頭でよければ何度でも下げさせて頂きますので」

「貴様の顔でそんな真似をされても不快なだけだ」

「でしたらどうかこの場は年長の威厳をもってお聞き届け下さい。私としても貴女を斃すのは忍びない。始末するにしても、此処はスワスチカの上でもありますか。ゆえ、他の場所へと運ばねば成りませんしね」

「そう簡単に何もかも思い通りにいくと、本気で思っているのか。貴様」

 心底本意ではないと言いたげなヴァレリアにリーゼロッテは殺意を叩きつける。
 しかし、両者の間には如何ともしがたいほどの相性が存在する。全てを焼き尽くす黒い炎を操るリーゼロッテだが、副首領によって完全な防御を施された聖餐杯の肉体や霊魂を破壊することは出来ない。
 逆に神父の奥義は彼女の肉体に宿る『虚無の魔石』を取り除く事が可能である。破壊には至らなくとも、そうなってしまえばリーゼロッテの不死性はやはり消滅する。
 そんな状態に陥れば、黒円卓の魔人を殺す事など不可能な事は自明の理。例えバーサーカーがいるとはいえ、いまこの場所でヴァレリアと戦うのは不味いと言う判断に至るのは当然のことであった。

「……先に私を狙った勢力がある。そちらへの対処は貴様らがするのだろうな」

「無論。そちらにも既に騎士を派遣しております。ご心配には及びませんよ」

「バーサーカー。退くぞ」

「諒解。そちらの白いの。また逢おうぞ」

「そんな野良犬に構うな。莫迦者」

 ふん、と鼻を鳴らしてリーゼロッテは軽く腕を振る。
 すると、世界に割れた硝子のような皹が奔り、直後に魔女とその使い魔である白銀の悪鬼が消えうせた。その姿も気配も完全に消滅した事を感じると、駆と上条の二人に安堵の息が漏れ、それを見ていたヴァレリアも一つ深呼吸を行った。

「やれやれ。あれでも私よりも八倍近くは生きておられるだろうに困ったお人だ……そちらも、出来るならば聞き届けては頂けまいか。これより後、無辜の人々をこんな儀式に巻き込みたくないという意味では我々の目的は合致するはずだ」

「その言葉、本当に信用して良いのか」

「勿論ですとも。私もこれで神に仕えていた身だ。誓いましょう。これより以降、無関係の人間を巻き込む事は私がさせぬと」

 草壁の視線にヴァレリアは敬虔な信徒がするように胸の前で十字を切る。
 その真摯さに彼女も手にした剣を消し、ライダー=蒼月潮に武器を仕舞うように告げる。その様子を嬉しそうに眺めながら、何かを思い出したようにヴィルヘルムへ顔を向ける。

「そうそう、ベイ中尉にはこのあとすぐに一仕事していただくのでそのおつもりで。というかですね、貴方はどうしてこんな所に一人でいるのです? レオンハルトやホリン卿と一緒に「あちら」の戦闘を調停しているのではないのですか?」

「そんなこたぁどーでもいいだろ。それよりも、だ。……テメエ、どういうつもりだ」

「良くはないのですがねぇ。それで、どういうつもりとは?」

「わからねえ訳ねェよな? それとも何か。テメエがあの猿の変わりに俺を愉しませてくれんのかよ」

 瞬間、ヴィルヘルムから怒気が篭った殺意が神父へと殺到する。
 しかし、それを柳に風と受け流しながらヴァレリアは初めてその顔から笑みを消した。

「そう熱くなるものではないですよ、ベイ中尉。貴方には今宵、サンドリオンを誅殺して頂かなければなりません。いまは牙を研ぎ澄ませる事にこそ専念すべきでしょう。そういう意味では、この場で遭遇できたのは僥倖だった」

「……奴の居場所が分かったのか」

「ええ。いま、マレウスに確認がてら餌に使えるモノを漁って来るようにと。今夜は貴方がスワスチカを開かれるがよろしかろう。その為にも、この場は押さえなさい」

「ちっ」

 舌打ちを一つして、しかし、ヴィルヘルムの身体から戦意が霧のように霧散する。
 それを見届けたヴァレリアはようやく一安心といった風情で駆たちを眺め、

「それでは、そちらのお嬢さんの治療を行いますか。此処で死なれるのだけは避けたいのでね」



◇◇◇


 夜明け早々に引き起こった混戦は黒円卓という調停者の介入によって一端の終息を迎えようとしていた。
 しかし、サーヴァントが入り乱れ、魔導師が介入し、能力者が踏み入ったことで混沌の坩堝と化した戦場の裏舞台にて暗躍するモノは黒円卓だけではない。聖杯戦争に参加するマスターの中には当然の如く、この坩堝に戦機を見出す者が当然の如く現れる。
 暗き闇を蠢く存在の一方、アウグストゥスは一つの建物を前に暗く笑みを漏らした。

「ここで間違いはないか。セイバー」

「ああ。此処からでも極上の魂を感じ取る事ができる。随分と永く生きて来たと自負しているが、これほど芳しい香りは初めてだ」

「当然だ。黒円卓の狩人が並大抵であるはずがない」

 一見するとただのアパートにしか見えないその建物に、この学園都市にて戦場を形成しようとする黒円卓の『狩人役』がいるという情報は信じるに値する精度をもってアウグストゥスに齎(もたら)されていた。
 そして、いま此処には彼を殺しえる位階の魔術師が存在しない事も。
 これを好機と言わずしてどう言うべきか。
 アウグストゥスは肩を震わせて暗い喜びを胸に蓄える。抑えておかなければ、今すぐにでも噴出してしまいかねないほど、それは強く激しいものだった。

「スワスチカを抉じ開けるためにあのメルクリウスが用意した駒……その性能は疑うべくもない。身体を乗っ取ることができれば、確実にいまの俺よりも強くなれる。……いや、メルクリウスがそんな半端なモノで代替をするはずがない。上手く行けば奴すら上回る事ができるかもしれん」

 もしもそうならば、今度こそ俺は最強になれる。
 確信にも似た予測は、彼の身体を震えさせるには十分だった。
 生まれてより一世紀近く。至高と断言できる歓喜の波は魂の底から彼を猛らせた。

「待っていろ。大導師、リーゼロッテ……高みの見物をしているハイドリヒもメルクリウスも、すぐに俺の膝下に組み敷いてくれる。他の誰でもなく、この『傲慢(ホッファート)』のヴァルター・ディートリヒがな」

 アウグストゥス=ヴァルターの目に歪んだ炎が灯る。
 過剰なまでに力を求めるその狂想こそ、かつてうち捨てられた孤児だった彼を魔術結社『トゥーレ』の幹部にまで押し上げ、果てには『傲慢(ホッファート)』の魔名を会得するまでに至らしめた原動力である。その渇望、癒えぬ力への探究心に引かれた剣士の英霊(セイバー)は主の愉悦に歪む顔を頼もしいものと見た。

「そのためにあんな小物と盟約を結んだか」

「当然。むしろ、今回のケースならばアサシンこそが脅威だ。転生をした直後は流石に無防備になるからな。お前と言う守護があっても危険は極力潰しておきたい」

 セイバーが言ったのはつい先程結ばれた同盟の約定について。
 アサシンのマスターである間桐臓硯と不戦の約定を結んだのは何も本気でバーサーカーに対して共闘するためのものではない。真正面からの戦闘では万全の守護を期待できるセイバーの裏をかき、全魔力を持って転生の秘術を行ったヴァルターの無防備な瞬間を奇襲できるアサシンの動きを可能な限り抑制するために結んだのだ。
 他のマスターなど、新しい身体を馴染ませてからゆっくりと殺していけば良い。
 それだけの性能は十二分にあるはずなのだから。
 魔人を殺す力が、いまでは手に届くその場所に。

「さて、新たなる身体(ツァラトゥストラ)の品定めといくか」

「ふむ、漸くか。敵を前にして、随分と遅い出陣だな」

 ヴァルターとセイバーの視線の先。
 アパートメントの二階から窓硝子を突き破りながら二つの影が飛び出した。
 一人は金髪に赤いコートを纏い、右手に鋼の十字架を持った少年。
 いま一人は黒髪に白の制服、その右手には赤い襤褸布が巻かれており――

「行け!」

<活動>

 ――不可視の刃が放たれる。
 己が持つ最強の一撃を迷いもなく繰り出した少年こそ、聖槍十三騎士団黒円卓第十三位『副首領』カール・クラフト=メルクリウスの代替。
 黒円卓と血塗れた戦争を宿命付けられた存在。
 水銀の王が作り出した魔人殺しの刃。

「儚い刃だ。貴様にその器は勿体無い」

 斬首の刃を片手で粉砕すると同時、ヴァルターは聖杯戦争における初陣を疾走した。

「この俺が、十全に使いこなしてやろう。ツァラトゥストラ!!」



[21470] 第十六話 狩人二人
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/18 17:29
 気がついたら戦場に立っていた。
 何を言っているか分からないだろうが――

「ポルナレフとはまた随分と余裕だにゃ~。でも目を逸らさない方がいいと思うぜい。結構絶体絶命の状態な訳だし」

「うるせえ! 現実逃避でもしなくちゃやってられるか!!」

 ネタを最後まで言い切るより前に金髪色黒グラサン男によって浜面仕上の思考は強引に現実へと引き戻された。しかし、誰がそんな彼を責められるだろうか? 朝食を済ませてまったりしていたらいつの間にかそこが戦場になっているなど、時間停止などよりも更にたちが悪い。

(何なんだ何だよ何なんだよ! 今日は厄日か!? 天中殺なのか!?)

 涙目になるというより寧ろ泣きながら浜面は考える。
 朝も早くから何処かでドンパチを始めた馬鹿野郎どもに対処するために衛宮士郎が単独で出撃して行ったのが三十分ほど前のこと。浜面含めて他の人間たちは食後の時間をまったりとしていた……はずだった。
 土御門元春がその二人組を見つけるまでは。

「おい、グラサン。ありゃなんだかわんのか?」

「ああ。第二次大戦の折、ナチスドイツが秘密裏に創設した魔術結社『トゥーレ』の大幹部ぜよ。名前はヴァルター・ディートリヒ。百年近く生きているのは伊達じゃなく、並大抵の魔術師じゃ何人束になっても相手にならないにゃー」

「具体的には?」

「あれ一人で警備員の釼冑部隊を壊滅できたとしても驚かん。衛宮がいなければ、な」

「つまり、衛宮程度のがいればオッケーと。――なんだ、唯の雑魚じゃん」

「ああ。あのミスター凡才と同格なんだ、なんとでもなるぜよ」

 HAHAHA! と外人笑いする金髪二人。窓越しに招かれざる客を見下ろしていた遊佐司狼が何か知っていそうな土御門に尋ねると、にゃーにゃーと怪しい口調で説明してくれる。
 そのノリがあまりにも軽いので勘違いしそうになるが、浜面は二人の米神に流れる大粒の汗に状況の厳しさを嗅ぎ取った。そもそも、二人の前提条件には非常に見逃しがたいものがある。

「それで、此処に衛宮級の奴って誰かいるのか?」

「既知外度でドクターを推薦していおくぜい」

「つまりは役に立たないんじゃねえか」

 一人悶絶しそうになる浜面を滝壺や結標の女性陣が哀れっぽい視線を向けてくる。もっとも、それ以上に構ってくれる優しいヒトはこの場にいなかった。

「――もう一人は誰だ。あれ」

 頭を抱える浜面を無視して、司狼たちと並んで窓の外を覗いていた藤井蓮が呟いた。
 招かれざる客は二人いる。一人は土御門にヴァルターと呼ばれた銀髪の青年。そして、いま一人は巨大な黒い大剣を担いだ筋骨隆々の偉丈夫。時代錯誤なその姿がただのコスプレで在って欲しいと願う浜面だったが、土御門に危険人物と知らされた青年以上に『危険』な空気を撒き散らしている男が唯の変態である可能性などあるはずが無い。
 それを肯定するように土御門が呻く。

「顔に見覚えは無いが、あの手の雰囲気を撒き散らしてる手合いはやばい奴が多い。藤井、その辺りの感覚はお前の方が鋭くなってはずだぜ?」

「……やっぱりそうなのか。俺の感じた限りじゃ、あのコスプレ野郎のがヤバイ」

 蓮が黒の剣士を見据える。秘術の一端に触れたいまの彼は事『魂』に対する嗅覚が鋭くなっている。その感覚が囁くのだ。その存在が内包する魂の質も量も、現状の彼を押しつぶして余りあると。
 隣に立つ銀髪の青年が霞んでしまうほどに。

「つまり、纏めるとあそこには衛宮が二人いるのと同じって訳だ……詰んだな。逃げよう」

 浜面が知る限り、この街でそんな戦力に対抗するにはそれこそ当の本人かドクターのとんでも発明に期待するしか手段は無い。浜面としては司狼たちの実力自体には信頼を置くところではあったが、それでも反則(チート)と呼ぶべき衛宮と同等とは彼にはとても思えなかったのだ。
 なら、被害がでるよりも早くこの場を逃げ出さなくてはならない。此処には彼にとって何よりも大事なヒトがいるのだから。
 そして、それに頷いたのは土御門だ。

「この場は退いた方が良いか。戦力が足りないってこともあるがここを戦場にした場合、一方通行やドクターを失いかねない。結標に非戦闘員を逃がさせる時間を稼いでとんずらを決めるぜよ」

「オレは良いぜ。ってか、グラサンも逃げる準備手伝えや。抑えは俺と蓮でやる」

「そいつは……」

 司狼の提案に土御門は僅かに考える。
 しかし、土御門はまだ昨夜の戦闘で負った傷が癒えていない。それに加えて真正面からの戦闘力では結標に劣る彼は正直に言えば足手まといであると言えた。その辺りを理解している訳ではないだろうが、蓮も司狼の提案に同意した。

「下手な連携じゃ生き残れないだろ。仲間で揃っていた方が生き残りやすい」

「了解。なら、お言葉に甘えさせてもらうぜい」

「なら、僕と土御門さんで結標さんを手伝ってきますか。万が一、ドクターを狙っての襲撃だった場合は護衛が必要でしょうから」

「その方がいいだろ。エツァリの魔術は乱戦じゃ危なっかしいからにゃ~」

 司狼と蓮、そして会話の最中も敵を観察し続けていたエツァリが頷き、土御門が目を向けると脱出の要となる結標淡希も首肯を返す。滝壺も同様。一時部屋から出ていた茶々丸は巨大な鋼の十字架を持って現れると、それを司狼に手渡した。

「兄ちゃん。あてを使うかい?」

「いや、今回は良い。敵だけがいるわけじゃないからな。お前は地下行って使えそうなもん拾って来い。あのゴキブリもどきも忘れんな。浜面も下に行って、こいつの手伝いとオレたちの”足”を用意しとけ」

「分かった。準備が出来たら速攻で逃げるからな」

 それだけ言い残し、浜面は一瞬だけ滝壺へ視線を向けた。
 しかし、それは本当に一瞬だけ。
 これから先、動作一つを如何に早くするかで生存率が激変する。また逢って言葉を交わしたいのなら、いまは行動すべき時間だと分かっているから、滝壺も何も言わない。しかし、三度だけ動かされたその唇は確かにこう言っていた。

 生きて、と。

(生き残るさ。絶対に!)

 背後で戦火が燃え上がる破壊の音を聞きながら、浜面は駆ける。
 天才の名前を欲しい侭にしているドクターウェストが作った『最高の発明品』へと。


◇◇◇


 戦闘開始から三秒。
 蓮が勝てないと確信するまでに必要だったのはたったそれだけの時間だった。

「どうしたツァラトゥストラ。貴様の性能はそんな物か」

「クソッ」

 反射的に不可視の刃を放つ。
 ヴァルターは動かない。
 襤褸布を取り払った右手から放たれる断頭台の刃は狙い違わずヴァルターの細い首を襲う。回避も防御も取らないため、刃は確かに敵の首へと食い込み――

 ――そして砕け散った。

「なんで」

「当然だろう。そんなナマクラで獲れるほど、安い首ではないのだよ」

 無傷のヴァルターは焦燥を顔に浮かべる蓮を嗤う。攻撃はこれで五度。その悉くが完全に無効化させられ、敵には傷一つ与える事ができていない。こちらの攻めは完全に無意味。
 そして、敵もただ攻撃を受けるだけの案山子ではない。

「全くもって話にならんな。致し方ない。俺が攻撃というものを教えてやろう」

 ヴァルターは漆黒の稲妻を手に集めると容赦なくそれを放ってきた。
 直感的に横へと跳躍。それと同時に刃を放つが、黒雷はそれをあっさりと飲み込む。邪魔するものが無くなった稲妻が狙い違わずに心臓を喰い破らんと牙を突き立てた。

「ぐおがぁぁぁあああああ!!」

「ハッハッハッ!! いい声で泣くじゃないか」

 悲鳴を上げてのた打ち回る。
 全身の血液が沸騰し、筋肉が焦げてぶつりと千切れる。その痛みでまた絶叫を上げ、更に体中が痛みに塗れていく。半端とはいえ、聖遺物を取り込んでいなければこれだけで十分に致命傷だっただろう。しかし、逆に言えばそれだけ。ヴァルターの一撃はそれだけで蓮の命を刈り取るには不足だが、確実に体力と気力を削ぎ落としていた。
 まるで、それが目的であるかのように。

「て、めぇ……」

「ほう、まだ戦う意思が残っているのか。存外好戦的な性質らしいな……なら、これならどうだ?」

 這い蹲るような姿勢から睨みつける蓮を愉快げに見つめながらヴァルターは更なる攻撃を放つ。 放たれたのはまたも黒雷。
 咄嗟に地面を両腕で突き飛ばして跳躍しようと試みて、しかし、結果は当然の如く失敗に終わる。

「ぐぎぃっっづぁっ」

 再び口から漏れる苦悶の声。
 いかに常人を遥かに超えた身体能力を手に入れることが出来た蓮であっても光の速度で迫る雷撃を回避できる道理など存在しない。手首を砕いて得た成果は二度目の感電による全身を包む鈍い麻痺。肉体ではなくそれを動かす神経を寸断されたせいで力は入らず、あえなく地面に倒れ伏すしかできなかった。

「こんな所か。あまり壊しても意味が無いからな」

「ちく、しょ……」

 指先一つ動かせない状態で、蓮はヴァルターを見上げる。
 ありとあらゆる面において、敵は彼を凌駕していた。手札の数、質、経験。そういった戦闘における勝ち負けを左右する要素全てが蓮には絶望的に足りていない。付け焼刃の<活動>など、仮にもアンチクロスに列される魔人にとって何ほどの物でもない。
 勝機は、無い。
 時間を稼ぐ――その勝利条件を満たす事もできずに藤井蓮は此処で殺される。

(こんなところで、終わるのかよ……)

 ゆっくりと歩み寄るヴァルターの姿を眺めながら歯を食いしばる。
 始まりは大切な幼馴染を救うためだった。聖遺物なんていう訳の分からない物に操られて幾人もの人を惨殺した彼女を陽だまりの日常に留めて置く為、いつかその場所に帰ってこれる事を願いながら血塗れたギロチンをこの身に受け入れた。
 次は喧嘩別れした友人との共闘だった。イベント総当りなんて訳の分からない理由で殺し合いをした奴と街を護るために闇に紛れて駆け回るのはまだこんなに自分達が捻くれる前の子供時代を思い出した。
 そして、この右腕に宿る少女の魂との対話。黄昏に響く呪い歌を聞くか、首を断頭台で刎ね飛ばされるかしかなかったのに、曲がりなりにも<活動>を扱えるようになったお陰か、今朝は少しだけ話、彼女の事を知ることが出来た。
 生まれた時からギロチンと共にあり、その存在自体が断頭台と化してしまった少女。そのあまりに無垢な在り方に、彼女を戦場に引きずり出して良いのか迷い、それはいまも晴れることがない。

(ああ、そんなだからこんな奴にも勝てないのか)

 彼に秘術の理を伝えた魔術師は言った。
 自身に宿る聖遺物と交わるべきだと。
 それなのに今の彼は『彼女』を血生臭い戦場へ連れ出すことを良しとはしなかった。
 そんなことで力だけ貸してほしいとは虫が良いにも程がある。

(でも……それでも!)

 負ける訳には行かないと。
 ここで死ぬ訳には行かないと。
 そんな『結末は知らない』と四肢に力を込める。

「こっちは女待たせてんだ。こんなところで、寝ぼけてられるかよ!!」

 ずっと続いて欲しいと希った日常から離れて僅か数日。
 あまりにも密度の濃いそれらの記憶を呼び起こし、四肢へと注ぎ込む。
 帰ると誓った。
 戻ると願った。
 あの陽だまりに。
 退屈で平凡で、愛すべき日常に。
 なら、此処で膝を付ける筈がな――

「いいから寝ていろ。貴様の身体は俺が有意義に使いこなしてやる」

 魔人の右手が容赦も遠慮も猶予も無く、藤井蓮の意識を握りつぶした。


◇◇◇


 鋼の十字架がマズルフラッシュを放ちながら無数の弾丸を吐き出した。
 狙いは黒い剣士の正中線。弾丸による斬撃は、しかし、剣士の持つ大剣によってあっさりと防がれる。概念が宿っている訳ではなく、かといって特別な加工処理のされていない通常弾頭では何の通用もないらしいと司狼が悟るよりも早く、剣士の反撃が放たれた。

「ぬるいわ小僧ぉ!」

「身軽な筋肉達磨だなオイッ」

 その巨躯、大剣の重量からは想像もつかないほどの速度をもって剣士が肉薄した。振り下ろされる大剣に戦慄を覚えながら右へと転がり込んで回避を成功させる。司狼の残像を断ち切った刃はそのまま地面を溶けたバターのように切り裂くと、あろうことか邪魔するものなど無いかのように”地面を斬りながら”軌道を変更させ、司狼を追尾する。

「こっちくん……ナッ!!」

 咄嗟に司狼は無防備となっている剣士の顔面に向けて鋼の十字架を薙ぎ払う。重量がtを超える化け物武装はただ殴りつけるだけでも十分すぎる殺傷力を発揮する。それを防御するなり回避するなりしてくれたなら間合いを取って仕切りなおす事も出来ると踏んでの一撃だった。
 しかし、司狼が放った打撃は剣士の鼻先数センチのところで制止する。
 まるで、見えない壁に激突したかのように。

「バリア!? テメエはロボかよ」

「空間に壁を作っているだけに過ぎん。我が『無我』の護りを貫くなら、せめて空間を破壊する一撃をもって来い!!」

 気合一閃。
 不可避の刃が司狼の身体を上下に分断する。

「しまっ……」

「終わりだ。小僧」

 虚空にあるままに三度大剣は振るわれ、地面に落ちた時、司狼だった肉塊は完全に切断にされていた。剣士は自分が斬り殺した相手を見下ろしながら、心の底から退屈そうに息を吐く。

「つまらんな。とんだ期待外れもあったものだ……我が渇望はこんなぬるい闘争では全く満たされん」

 大剣を肩に担ぎ上げながら、剣士は自身の主に目を向けた。あちらも既に勝敗は決したようで、いまは最後の詰めを行っていると見て取れる。あと少しすれば、主は新たなる身体を手に入れ、今度こそは名立たる強敵と剣を交える事ができるようになるだろう。
 それを心待ちにする事で無聊を慰めよう。
 そう考えている剣士の耳に、ありえない声が響いた。

「退屈なら、ダンスの相手をしてやろうか? クソ達磨」

「むっ!?」

 言葉と同時に剣士の肉体を無数の弾丸が襲う。
 それ自体は蚊に刺された程度の痛痒しか与えなかったがそれを為した者の声こそが剣士の心を揺さぶった。
 振り返ったその先にはつい先程斬り殺したはずの遊佐司狼が何事も無かったかのように鋼の十字架を擬し、にやりと獰猛な笑みを浮かべていた。

「……貴様、死んだはず!?」

「ああ。元々は無能力(レベル0)だったんだがよ、どっかの変態ドクターのお陰でいまじゃこんな屑でも学園都市で『八人目』の超能力者(レベル5)だ。オレを殺したけりゃ気合入れて掛かった来いや『超速再生(アンデッド)』が伊達じゃねえってところを教えてやるよ」

「笑止! しぶといだけで何が出来る」

 剣士が再び大剣を振り上げる。死に難いというのなら、今度こそ再生など出来ないようにしてくれるとその形相が叫ぶ。それに対する司狼は、しかし、余裕の笑みを掻き消す事も無く、ぐるんと十字架を反転させた。
 機関銃の砲口とは真逆の方を向けて引き金を引くと、ガゴン! と派手な音をさせて『砲身』を隠していた擬装が弾け飛んだ。

「いまさらそんなモノで何が出来る!!」

 それを見て、剣士は内心で落胆と嘲笑を浮かべる。
 司狼の攻撃はその全てが通常の物理攻撃。例えそれが大砲であろうと、いざとなれば霊体化という反則が使える彼にとって、その一撃は全く脅威とならなかった。相手が一撃を入れると同時に再び四肢を割断する。そこに必殺の意思を込める剣士を、しかし、司狼もまた哂う。

「何が出来るって? ああ、こんな手品(マジック)位しか出来ないんだがよ。ま、楽しんでくれや」

 言い放つ司狼の身体を『とある回路』が疾走する。それは砲身へと接続され、狼の顎を模した砲口に黄金に輝く光が集う。それは紛れも無く『魔力』であり、そこから解き放たれようとしているのは鋼の十字架――”バニッシャー”に搭載されている唯一の術式兵装にして最強の一撃。

「我、埋葬にあたわず(Dig Me No Grave)!!」

「馬鹿な!? 魔術だと!?」

 剣士の目が驚愕に剥いた。
 サーヴァントである彼には当代の常識というモノが自動的に知らされる。その中には裏の社会における常識も多少なりと含まれており、そこには確かにこう知らされていたのだ。

 <超能力者に魔術は使う事ができない>と。

 司狼が戦闘開始からずっと通常弾頭を使っていた事もその誤解を助長させていた。なまじ常識を知っていたからこその油断。知っていたからこそ警戒もせずに無防備で敵の一撃を受ける事を良しとしてしまった。
 結果、鬼械神の装甲さえ穿つ閃光は黒の剣士を司狼の目論見通りに吹き飛ばされた。難攻不落の城砦めいた剣士はまるで濁流に流される木の葉のように空を舞い、近くの建物へと頭から突っ込んでいた。
 その無様さは体中の欠陥を破裂させて血塗れになった司狼が大笑してしまうほど。

「馬鹿な!? ってそりゃ雑魚の台詞だぜ? 肉達磨。言っただろ『超速再生』だって。ちっと痛いのを我慢すればこれくらい訳ないんだよ」

「……この程度の一撃をくわえた程度で勝ったつもりか。どうやら、貴様もあちらの小僧と同じく徹底的に叩きのめさねば自分の分と言う物を理解出来んらしい」

 どす黒い血を撒き散らしながら笑い転げる司狼に瓦礫の中から無傷のまま姿を現した剣士が憤怒の目を向ける。しかし、向けられるだけで心臓さえ止まりそうな殺意を向けられてなお司狼は相手を笑う事をやめない。
 止める理由がないのだから。

「あっちの小僧?」

「現実を直視できんのか? あちらで我が主によって殺された輩の事よ」

「へぇ~殺された輩、ね。そりゃ、お前の仲間のほうじゃねえか?」

「なに?」

 剣士の疑問は、しかし、すぐに答を知る事になる。

「がぁあっぁぁああああああああ!!!!!」

 彼の主であるヴァルターがその左腕を失ったことによる絶叫と――

「形成――Yetzirah――」

 それを行った、右腕から断頭台の刃を<形成>させた藤井蓮の戦意によって。



[21470] 挿話 『Nine Bullet Revolver』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/18 17:25
 天上から墜ちる真紅の流星を衛宮士郎は確かに視た。

「なんだ。あれは……」

 元から良い視力を魔力で水増しする事で得た『鷹の目』とも呼べそうな視界には確かにその騎影を捉えていた。見たこともない上に各所には何処か釼冑と似通った技術が用いられているそれを纏った鎧士は突如として戦場に介入し始めると、そのままアーチャーと戦い始めた。
 先行する真紅の一騎がアーチャーを一撃。後続する濃紺と濃紫の同型騎がそのマスターと思しき女を攻撃している。釼冑と違うところは武装に重火器が多く、また『陰義(しのぎ)』のような理不尽な威力の一撃はまだ使用されていない。
 それを未使用のままと取るか、あるいは――

「戦場で考え事とは、随分と余裕なのね」

「別にそういう訳ではない。私には私の相手がいるようなので、一時的にあちらを置いてあるにすぎんよ。お嬢さん」

 思考を中断し、背後に立つ気配へと意識を集束させた。
 右肩に擬された刃の冷たさがその人物の放つ殺意が本物であると告げる。一瞬でも他所へと気を取られたなら、それこそ気づいた時には首を刎ねられてしまいそうなほどに。

「それで私に何か用かね? 黒円卓第五位レオンハルト?」

「いまは何も。ただこのまま戦闘を止めて頂ければ結構」

「ほう。それはまた随分と……停戦の使者ならばもうすこし殺気を抑えたらどうかね」

 背後から幽鬼の如く絡みつく殺意を揶揄するように笑う。その行為が更にレオンハルト・アウグスト―=櫻井螢の闘志を滾らせる結果になるが、行動に移ることはない。
 その自制心は鋼と呼ぶには十分なものだろう。しかし、士郎から視ればその奥にある本意が透けている。それが分かるだけに逆に動けない。これ以上の刺激は爆弾に爆竹を投げるような行為だろう。現状、余計な消耗を引き起こすだけのその行為は無駄でしかない。

「戦いを止めろと言うなら、私に異存はない。だがあちらは君達の差し金かね」

「いいえ。ですが、なんであれ関係はないでしょう。あそこで散られてはこちらとしては迷惑ですので、この場は私達が治めます」

「この街を乱す君達が? 冗句にしてはけれんみが効き過ぎて笑えんな」

「……別段、貴方に笑って頂かなくて結構。それよりも……」

 言葉を詰まらせた螢の視線が士郎の手にある黒い弓へと注がれた。何か興味を引くようなことがあったかと一瞬疑問を覚えたが、すぐに納得する。

「これは私の聖遺物ではない。魔術によって作り出した代物だよ。貴様達の仲間にも一人、同じ芸当が出来る者がいるのだろ」

「ルサルカの影と同じだと? アレだけの命中率と威力のある矢を連射していて?」

「ああ。それに関しては単純な技量だよ。エイヴィヒカイトや魔術に比べれば、余技のようなものだ」

「アレが余技?」

 英霊と互角に渡り合う弓撃を余技と言い放つ衛宮の言には、しかし、言葉通り以上の何者も含まれてはいない。心底からそう思っていると悟り、螢は変態を見つけたような目をして彼から半歩後ずさった。
 その反応に士郎は好機を見たが、行動には移さなかった。
 正確には移せなかったのだ。

「なんだ。あれは?」

 二人の魔人が見つめる先。
 滞っていた戦場に禍々しい凶鳥が具現化した。

◇◇◇


 ランサー=クー・フーリンは全身を駆けめぐる歓喜に促されるまま真紅の魔槍を繰り出す。狙うのは真紅の鎧士とアーチャーの二人とも。鎧士は右手に持ったハンマーのようなもので辛うじて頭と心臓を守り、アーチャーに関しては髪を一房切り落とされるだけで殺界から離脱する。その返しで三発。純白の弓から閃光が放たれるがその全てをランサーは見切って躱す。

「な、なんだテメエ!!」

「邪魔モンだよ。見りゃ分かるだろ!」

 右肩や両の腿を貫かれた真紅の鎧士――ヴィータがあげる声にランサーが刺突の弾雨を持って応える。今度こそ避けきれぬとヴィータが防御魔法を展開するが急場凌ぎの護りなど英霊の鋭鋒を受けるにはあまりにも脆い。薄氷が割れるような音をさせて赤い護りが砕け散り――彼女を射殺そうとする白い魔弾を全て貫いた。
 必殺の一撃を防がれたアーチャーが般若の形相でランサーを睨みつけて叫ぶ。

「なんで邪魔するのっっっ!!」

「主命なんでな。悪く思うなよ」

 魔槍が踊る。虚空に刻まれる魔術文字(ルーン)は『エイワズ』……アルファベッドの”E”の原型となったその文字が持つ意味は『防御』の呪い。この空間におけるあらゆる災厄は誰にも災いをたどり着かせることが出来ない。
 即ち――

「オレがこの場にいる限り相手を攻撃する事はできないぜ。とりあえず、双方矛を収めな。教会の神父が以降の聖杯戦争を統括するらしい。この場でこれ以上戦うならあとで罰だペナルティだと騒がれるぜ?」

「……ランサー? サーヴァントであるお前がどうしてその事を知っている」

 アーチャーの主=プレシア・テスタロッサが射殺さんとばかりにランサーを睨みつける。殺意が凝固したその視線を浴びながら、しかし、槍の英霊は軽く肩を竦めて見せた。

「どうしてもなにも。うちのマスターはその監督官に協力しているってだけの話だ。何もおかしいところはないだろ」

「それはつまり、間接的にお前達の下に付けと言う事よね? ……そんなことを了承するとでも」

「別に承諾してもらう必要はないな。これは提案じゃなくて強制なんだからよ。嫌だと言おうが断ると言おうが無理矢理言う事を聞いてもらうぜ」

「なるほど……男の言い草ね」

「褒めるなよ」

 笑うランサーにプレシアも微笑を浮かべ、

「吼えるな駄犬。お前はいまここで死ね」

 狂相へと変貌させた瞬間、プレシアの頭上に禍々しい紫紺の魔法陣が形成される。
 次元間転移。
 Sランクオーバーの転移魔法が恐るべき速度で発動し、彼女の『切り札』をその場に顕現させた。
 それは空色の装甲をした『DDM(偽りの鬼械神)』。
 開発段階で起きた事故により、頓挫した存在しないはずの鎧。
 ブラックホールをその身に宿した禍つ鵬!!

「来なさい――『HÜCKEBEIN』」

「そんな……あれは実験中に吹き飛んだはずの!?」

 驚愕はヴィータの口から漏れ、ランサーは魔法陣から放たれる異様なまでの瘴気に身構える。そんな彼らも、自身を包囲するように立つ鎧士二人も無視して、プレシアは自身の『鎧』を顕現させた。

「他の逆十字を殺すための切り札として用意したものだけれど、お前達でその切れ味を試すのも悪くない」

 不吉を告げる凶鳥が颶風を孕んでプレシアを包み、空色から闇色へと装甲が変化する。右手に顕現された鋼の大魔砲と合わさり、その威容、英霊であるランサーをして脅威と肌で感じさせるには十分なモノだった。彼は隣に立ち、呆然としているヴィータへと問う。

「アレが何か、知ってるのか」

「あたしたちが開発していた武装だ。でも、実験途中で爆発事故が起きてテスターごと粉微塵になったって聞いた」

「その通り。でも不思議には思わなかったの? 確かにこれには『ゲシュペンスト』シリーズとは別の新型動力を積んでいるけれど、言ってしまえばそれだけ。あの科学の狂児たちがその程度の設計で使えもしないガラクタを作ると、本当に思っていたのかしら? もしも本当にそんな的外れな事を考えていたとしたら、あの二人も報われないわね」

 愉悦に塗れた声でプレシアが言う。
 それが意味しているのは、

「お前が、奪ったのか! その騎体も……ヒトの命も!」

「五月蝿いわよ。びーちく喚かないで。でもまあ、遺言と思えば可愛らしいものだろうけれど」

 嘲笑うプレシアの声。
 人を不快にしかさせない言霊を吐きながら魔女は魔砲の杖を虚空に向ける。
 直後、空間が悲鳴をあげ始めた。

「ブラックホールクラスター・セット――術式編成――コード『ン・カイの闇』」

 本人の性能だけでも十二分に強力な魔導師であるプレシアが機械的な補助を受けることで更に魔力を増幅させて構築された術式は『世界を飲み込む闇』を形成する秘術。

「来たりて貪れ。この世全てを」

 大導師マスターテリオンが奥儀のひとつ。
 あらゆる存在を飲み込む暗黒が形成されようとして――


<投影(トレース)・大英雄(ヘラクレス)――射殺す百頭(ナインライブズ)!!>


 幻想殺しの閃光が無窮の闇を撃ち抜いた。

「なっ……」

 その場にいた全員が驚愕する。
 術式を阻害されたプレシアが驚くのは触れた全てを飲み込む闇が発動前の状態とはいえ吹き飛ばされた事。
 ヴィータたちが目を見張ったのは射手が放った九つ矢に篭った魔力がSSS……測定不能と表示されたため。
 そして、ランサーは……

「宝具を使い捨てにするか。一体どんな奴なのやら」

 遙か遠く、ここからでは姿を捉えるのも難しい魔弾の射手を見据えながら更なるルーンを刻む。
 この戦場を治めるための魔術文字を。


◇◇◇


「やれやれ。こちらも失敗……予想以上に上手くはいかないものですねぇ」

 朝焼けの光も届かぬ路地から一連の戦闘を眺めていた針金めいた男が呟く。
 病的に白く痩せこけた姿の男は、しかし、残念そうな言葉とは裏腹に口元を愉悦に歪めていた。
 それも当然。
 この失敗もまた彼には織り込み済みなのだから。

「さてと、私も少しは働きますかね。ヴァルターが余計な真似をしてくれたお陰で狩人も目覚めてしまった様子……このまま順当にことが運ばれては敵わない。翁には少々急いで頂くとしましょうか」

 呟きながら彼は闇の中に沈んでいく。
 最後の呟きを妖艶な女の声で漏らしながら。



[21470] 第十七話 罪姫・正義の柱
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/19 22:32

 ――記憶が映画のように巻き戻される。
 最初に映ったのは幼馴染――綾瀬香澄の寝顔。非日常に巻き込まれ、自分の為に血塗れになってしまった少女の事。気を失うように眠りに付いた後、それが覚めるまで一緒に居る事ができなかったがあの後大丈夫だっただろうか? 記憶はなくなっているとあいつは言っていたが、何かの拍子に思い出して意味も無く罪悪感に囚われていないだろうか。
 次に映ったのは運命の夜――連続殺人犯との遭遇。戦いへと身を投じる事になったあの日の事。聖遺物に振り回され、暴走する香澄を必要なら殺すという警備員の男――衛宮士郎と交渉を行い、あの愛すべき日常と別れると決めた。

 戻ってくる為に。

 取り戻す為に。

 更に昔の記憶が蘇り続ける。
 半年前にあった盛大な喧嘩を皮切りに香澄や司狼の奴と馬鹿をやらかした懐かしくも恥ずかしい記憶の数々。小学校以前の記憶なんて埋めておきたい黒歴史が多すぎて視線を外したいと切実に願った。

(なんだってこんなモン見てるんだ。俺……)

 思考が声になって響く。
 自分――藤井蓮は非日常な戦場で戦っていたはずだ。ヴァルターと呼ばれる銀髪の魔人と。
 圧倒的な力量差に翻弄され、あっという間に劣勢に追いやられて……

(ああ、つまり――これがあの”走馬灯”か)

 人間が死ぬ直前に見るという回顧録。
 幕が下りるその刹那に上演される喜悲劇(コメディ)。
 なんとなく、これがそうなのだろうという理解は出来た。
 既知感。
 自分は一度ないし『これ』に似たモノを見たことがあるという感覚。
 それが告げている。
 もう終わりなのだと。

<その通り。そして貴様の肉体はこの俺が存分に使いこなしてやろう>

 何処からか声が聞こえてくる。
 他人を見下しきったようなその声は先程まで戦っていたヴァルターのモノだろう。どうして聞こえてくるのかと考えるよりも早く不快感が胸の底から噴火するように湧き上がってくる。

(使いこなす? 何を言ってやがる)

<折角これだけの性能が眠っているのだ。有効に使ってやらねば勿体無かろう? 喜べよ劣等。貴様の血肉を俺の魂を入れる器にしてやるのだからな。この世で最強の存在になる、この俺の>

 瞬間。
 世界が変質する。

「……っつ。ここ、は?」

 気がつけばそこは処刑場。
 咄嗟に身体を起こそうとしたが、四肢を拘束する鉛によって防がれた。

「これは夢の中のギロチンか?」

 見渡す群集。
 幾度となく経験した悪夢がその予想を肯定する。
 そして同時に思い出す。
 あの呪われた少女を斬首したのもまた、この断頭台であると。

「貴様の聖遺物。これならば、霊魂を完膚なきまでに斬殺できるだろう。良かったなぁ劣等。これは、世界で最も人道的な殺人器具だ」

 死角から見下すような声が聞こえる。
 見なくても、そこ――本来ならば執行者が立つべき位置にヴァルターがいるのだと理解した。
 銀髪赤眼の魔人は刃を宙に留めている縄を弄びながらこちらを嘲笑う。

「テメエっ」

「喚くなよ。耳が穢れる」

 侮蔑の言葉と軍靴の底が同時に蓮を襲う。態々目の前に回りこんで来たヴァルターの踏みつけは磔にされている彼に避ける手段は無い。容赦も加減も存在しない軍靴は額を削り、頬を潰し、口から赤い鉛を吐き出してもなお続けられる。

「はっはっ。なんだその顔は。見れば見るほど奴に似ているな貴様は。愉快過ぎて止められんぞ」

「がっ、ごっぐぎぅ……」

 哄笑をあげるヴァルターの赤眼には狂想のみが浮かぶ。このまま踏み殺されるかと真剣に危惧し始めた頃になって、ようやく軍靴の雨は止む。熱と共に狭まった視界に肩で息をするヴァルターの姿が映った。どうやら、あまりにも嗤いすぎて酸欠になっていたらしい。

「そのまま死んでろよ。若作り」

「ああ、それも良いかもしれんがな。先に貴様を始末してからだ」

 口角で歪んだ三日月を形成するヴァルターはそう言うと後ろに下がっていく。そこには有象無象の群集が群がり、これから始まる歌劇をいまや遅しと待ち構えている。その最前列には妊婦とその夫らしき男。何度も見たし何度も見かけた彼らの顔を眺めながらこれから自分の身に起こることを理解する。
 即ち斬首。
 刑具に掛けられている以上、当然至極の帰結として藤井蓮は殺される。
 この世界でも最も慈悲深いとされる処刑具で。
 しかし、ヴァルター以外に執行者の姿はない。そも、この男が自らの手で獲物を殺す愉悦を放棄するなど、僅かなりとも関わった蓮には理解できなかった。
 そして、その予想は正鵠を射ている。

「貴様の処刑人には相応の人物を用意してある。安心しろ」

 歪んだ笑みを浮かべたままヴァルターがそう告げると群衆の中に動きがある。例の処刑人が現れようとしているのだと悟り、では一体誰が来るのかと思考を巡らせた。香澄の手によって殺された人か、学校の同級生でも引っ張ってきたか。あるいは、あの砂浜で唄う少女か。
 雑踏を踏み分けて現れたのは、思い浮かんだどの顔とも違い、しかし、よく見知った相手だった。
 衣装は普通の、現代の物。
 クリーム色のトレーナーにシャツを着込み、七三に分けられた髪型は古い日本のサラリーマンを連想させた。顔つきは穏やかで、家では良き父であるのだろうと伺わせた。いや、実際その人は良い人だった。親もいない孤児を自分の子供同様に扱ってくれたのだから。
 そう、まったく同じ。
 まるで実験動物を飼育するかのような丁寧さで接してくれた、人。

「綾瀬の、おじさん……」

 首から血を垂れ流し続ける男は蓮の声に微笑みで答える。そのおぞましさに吐き気がする。
 頭蓋を粉砕するような頭痛が内側から起こる。
 もしも断頭台に抑え付けられていなければ、いますぐに自分の目玉を抉り出していたかもしれない。それほどの不快感を与える男はゆっくりと、だが確実に蓮の傍らへとやってくる。

「どうした人形(ツァラトゥストラ)。自分の罪を直視できんか。なんとも無様なモノだ。その脆弱な精神、此処で屠られるのはむしろ貴様にとっては僥倖だったかも知れんな」

 ヴァルターが何かを言うがそんな台詞は一句たりとも蓮の耳には届かない。
 気持ち悪い。
 吐き気がする。
 眩暈で視界が潰れて本当に死んでしまいそうだ。

「ヴァルター。テメエの仕業かよ」

「ああ。貴様の記憶の中で最も深い罪をもってきてやったんだ。感謝しろよ」

 確かに。そこに立つ男は藤井蓮の罪だ。
 遊佐司狼と共にそれを殺したのは彼だ。
 首にナイフを突き立てられ、血を流して死んだ彼を見つからぬようにと地下に放り込んだのは彼だ。
 殺したから殺され返す。
 それは原初から繰り返される懲罰の仕組み(ルール)であり、それに当てはめるならなるほど、これ以上に相応しいモノなどいな――

「ふざけんな。キモいんだよネクロ野郎。俺の首を獲るなら香澄にでもやらせろ。そんなゾンビ持ち出して何が面白いんだ。お前」

「……なに?」

 理解できないといった顔でヴァルターの眉間が歪む。
 しかし、蓮はさも当然の如く言い放った。

「過去の罪? やられたからやり返す? どこの餓鬼だお前。そんな仕組みがきっちり適用されてんだったら世の中もっと平和に出来上がってんだろうが。
 そもそも、昔を振り返って悔やんだり懐かしんだりって事ならまだ分かる。俺の刃物嫌いだって根っこはあの事件が原因だ。けどよ、それでどうして生きてる俺がそんな過去(モノ)に殺されなくちゃならないんだよ。マジうぜえ。懐古厨は縁側で茶でも飲みながらふがふが言ってろ」

「何を言っているんだ。貴様」

「わかんないか? とっくの昔に退場した役者なんか舞台に上げんじゃねえっていってんだよ。過去の罪? 俺を殺すに相応しい人間? おいおい勘弁しろよ。そいつじゃまるで役不足だ。俺の死場(クライマックス)にそんなのが釣り合うと思ってるのかよ。そんなことも分からないならその腐った目玉交換した方がいいぜ? マジで」

 蓮は完全にヴァルターを見下して言い放つ。
 そう、此処は既に舞台。
 死刑執行人とは主役である『蓮を殺す』という一幕を飾る上で重要な存在なのだ。
 筋書きは単純。
 舞台は至高。
 だと言うのに役者が悪すぎる。ヴァルターの眼を蓮が疑うのは至極当然だ。

「演目のイロハが分かってないみたいだな。なら、そこで指咥えてずっと呆けてろ」

 壇上で観客の視線を一身に浴びる彼は紛れもない役者であり、観客に墜ちたヴァルターを物理的にも精神的にも見下ろした。
 圧倒的な格下を見つめるその眼差しにヴァルターは激昂し、再び舞台に上がろうとするがそうはさせぬと群集がそれを止める。

「なんだこいつらは!?」

「お客さん、役者へのお触りは禁止だよ」

 狼狽するヴァルターを蓮が嘲笑う。
 当然。
 何度でも言うがその断頭台の上は既に舞台。
 人が文字通り、一世一大の大芝居を演じる聖域。
 其処に立つというなら相応の格が求められるという物だろう。

「マリィ――どうかお願いだ。俺の首を斬るのはあいつらを除けば君にしか頼めないんだ」

 真正面に立つ妊婦の腹。
 自分の断末魔を福音として生まれるだろう呪われた歌姫に問いかける。
 どうか自分を主役にさせて欲しいと。

<――>

 返事は静かに。
 どこからとも無くその歌は響く。


 Je veux le sang, sang, sang, et sang.

 Donnons le sang de guillotine.

 Pour guerir la secheresse de la guillotine.

 Je veux le sang, sang, sang, et sang.


 初めは静かに。
 やがて荘厳に。
 群集を巻き込んで唄われるそれは呪い歌。
 ギロチンという処刑機具である彼女に捧げられる賛美の歌。
 コミュニケーション手段として斬首を行う彼女が唯一紡ぐ事ができる言葉でもって蓮の願いに答えてくれる。

 
「血 血 血 血が欲しい ギロチンに注ごう、飲み物を」


 少女の意思に感謝を込めて歌を口ずさむ。
 それと同時に願う。
 こんな最低の自分と踊ってくれるのかと。
 あんな無粋な輩に君を奪わせないために力を貸してくれないかと。
 無垢なる君にいまも血を見せる事を躊躇する本心を押しつぶし、自分の勝手で君を戦場に連れ出す屑野郎を、君は赦してくれるのかと。
 どうか教えて欲しい。
 蓮の懇願は、たった一言によって答えられた。


<愛しい人(モン・シェリ)>


「ギロチンの渇きを癒すため 欲しいのは 血 血 血」


 ありがとう。
 二度目の感謝と共に歌いきる。
 それと同時。
 執行者が触れるまでもなく、断頭台の刃は落下した。
 斬首が執行された刹那。
 宙を舞う視界で見た世界は今まで見たどんなモノよりも綺麗だった。


 ――どうか時よ、止まれ――


◇◇◇


 ヴァルターは困惑していた。
 何が起こっているのか。
 自分の身に何が起ころうとしているのか。
 まるで理解できないが故に。
 ただ、宙を舞う自分の左腕を目で追いながら原因だけを求め続けていた。

「なにが……」

「言ったろうが。役者が違うってな」

 ヴァルターの眼前には斬首痕を首に浮かべた藤井蓮が立っている。
 その立ち姿には何一つ変わった様子がない。しかし、だというのに寸前までとは別人というしかない変貌をそれは遂げていた。
 蓮は首の斬首痕に一度、まるで愛しい女性の手を取るかのようにそっと触れ、右手を大きく振りぬいた。
 聖句を紡ぐ。
 藤井蓮のだけの言葉。
 殺意を形成すための祝詞を。

「形成(Yetzirah)」


 ――時よ止まれ。お前は美しい(Verweile doch, du bist so schoen ! )――


 この世界にある何者よりも純粋な殺意が形と成る。
 それは断頭台の刃。
 首を落とし、人を殺すためだけに創られた殺人器具。
 それを右腕に融合させた姿こそ、魔人殺しの狩人としての姿。
 何者も、その刃を受けて無事である事など赦されぬ。
 その事実を本能で悟ったヴァルターは咄嗟に後ろへと跳躍し――

「セイバー! こいつを殺せ!!」

 号令一下。
 秒にも満たぬ時間で黒い剣士は蓮へと迫り、その刃を薙ぎ払う。
 空間を断ち切るその切れ味は例え聖遺物であろうとまともに受けては無事ではすまない。
 故、蓮がとったのは非常に単純。

「避けた、だと!?」

「それ、雑魚の台詞だぜ?」

 加減抜き。
 音すら置き去りにした斬撃をその場でしゃがむ事で容易く掻い潜られた剣士から驚愕の声が漏れた。それを下から睨み上げながら言う。

「速かろうが防御不可だろうか要はどう動くかだろ? 秒で足りないならそれを切り刻んで考える時間を作れば良い。ある程度どんな攻撃が来るのかは見れば分かるんだから避けれて当然だろうが」

 言葉より疾く斬首の執行は行われる。
 空間の隔絶という絶対の防御を紙のように切り裂き、絶死の颶風が剣士の首を切り裂いた。
 直後、蓮の背筋に絶対零度の戦慄が走る。
 何かを考えるよりも疾く横へ跳び、がむしゃらに右腕を振り回す。
 火花は三度。
 その全てが剣の腹に刃を当てるという幸運を鷲掴みに、辛うじて無傷の後退を成功させた。
 死地から生還した彼の目に映るのは首筋に薄っすらと赤い筋を帯びた黒い剣士。歴戦の古強者を思わせる剣士は自分の首を一撫ですると獰猛な笑みで剣を構えた。

「良いぞ貴様ら。実に良い。正直に見くびっていた事を詫びねばなるまい。貴様も、少々癪に障るがあちらの小僧も。想像以上だと言わざるを得ぬ。まさか神剣も持たぬ相手に『現界突破』を発動させられるとは思いもよらなんだわぁ」

「……だから、それがやられキャラの台詞だって」

「ま、いいんじゃね? 実際やられ役なんだしよ」

 剣士の台詞に恐怖よりも別の何かを感じる蓮に鋼の十字架=パニッシャーを携えた司狼が隣に並び立ちながら答える。
 状況的に言えば二対一。
 左腕を斬り飛ばされたヴァルターは三人から距離をとり、切断された腕を拾って何とかつなげようとしているようだ。しかし、まともな術ではエイヴィヒカイトによってつけられた傷を上手く癒せないのだろう。その表情に焦りは色濃く、とてもすぐに戦闘できるようには見えない。
 そんな主の状態を眼も向けずに感じ取ったセイバーはむしろ高揚した様子で口端を歪める。

(この状況を如何にするか。黒髪の小僧は俺やマスターを殺しうる以上、放置は出来ん。が、あの金髪の大砲も現状の主には少々手痛い武装ではある)

 数的に押されているとはいえ、サーヴァントである剣士にとって相手が人間である以上は問題にもならない戦力差ではあるが、どちらも並大抵の事では倒せないというのでは話が違ってくる。宝具を使えば問題ないのだろうが、彼の宝具を本格的に解放すれば星が耐えられない恐れがあるため全力使用できない。

(どうしたものか……後ろの主が何かつまらぬ真似をするより早く決着としたい所だが)

 武人として、強者との対決に胸を躍らせるセイバーのその願いは、しかし、あっさりと潰える事になる。

「はいはーい、そこまでにしておきなさいな。アウグストゥス」

 その場に乱入したルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルムによって。



[21470] 第十八話 勝利するもの
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/24 03:15
(さーってと、これ如何すれば良いのかしら)

 ルサルカが見下ろす戦場では覚醒したツァラトゥストラ=藤井蓮とその相棒と思しき青年が対峙するように立つ巨躯の剣士と銀髪の魔人――ヴァルターと睨みあいを続けている。その空気は一触即発。ちょっとした刺激で爆発してしまいそうな緊張感が漂っていた。
 ほんの数秒前まではありえない拮抗。
 ただの人間だった彼らはいま秒単位で成長し、すでにヴァルター単独では抗えない域へその戦力を増幅させていた。聖遺物を形成して武装するに至ったツァラトゥストラだけではない。自分の肉体が破壊されるのも厭わずに魔力を精製している金髪の青年が放つ威圧感はルサルカの肌をじりじりと焦がすほどに凄まじい。最も死体じみた姿をしてる青年が最も生を謳歌しているように感じるのは何も錯覚などではないだろう。
 実際、その異形とも呼べる姿に気づいたヴァルターは彼自身、知らずにほんの半歩ほど足を引いている。実力でいえばいまだ圧倒的に凌駕しているのに、気概の部分で負けているのが俯瞰しているルサルカにははっきりと見て取れた。

(んー。このまま手を出さないでいたらどれだけ上がるかしら?)

 蓮はいま急速に力をつけている。これを利用する事で彼を黒円卓の首領に捧げる贄として十分な質へと高める事が出来るかも知れない。ならばここは手出しをせずに傍観を決め込むのも悪手ではないように思えた。
 しかし、それでは彼女の目的を達成する事ができなくなってしまう。ルサルカがこの戦場へと現れたのは彼らとはまったく別の用件――サンドリオン=衛宮士郎を誘き寄せるための人質を確保するため、彼がアジトとしている場所を襲撃するためだったのだが……状況的に考えて、蓮と衛宮士郎は繋がっていると見るのが妥当である。
 ならば、そのアジトを強襲しようとすればどうなるか。

(地力も数的にもツァラトゥストラたちの圧倒的な不利になる……あの子を此処で始末するっていうんならそれで良いけど、スワスチカでもないし何より後でベイが五月蝿そうなのよねぇ)

 この都市で行われるはずだった闘争を誰よりも何よりも焦がれていた白髪の戦鬼が脳裏で癇癪を起こす様を思い浮かべる。……正直に言えばあまり想像したくない絵面だったので即座に方針を翻す。

「ま、此処はあんまり欲張らないで行きますか」

 目的は蓮の確保。
 黒円卓の首領ラインハルト・ハイドリヒを現世に呼び戻す一大儀式『黄金練成』の中核を担う彼を万に一つでも失う訳にはいかない。ヴァルタークラスの魔人が冷静に彼我の戦力差を認識し、彼の手駒であるセイバーを有効に使われ始めたらいかにエイヴィヒカイトの駆り手といえども危険なのだから。
 衛宮士郎の餌になりそうな人材を捕らえるのは第二目標としていまは考えないで置く。上手く行けば蓮がそのまま餌としての役目も果たせるかも知れないので、ルサルカにはあまり気にする必要が感じられなかった。
 むしろ、いまはそれよりも抑えるべき事がある。

「さてと、私もパーティーに混じるとしますか。5Pなんて久しぶりだから間違って殺しちゃわないように気をつけなくちゃ」

 水底の魔性。
 そう呼ばれる魔女の殺意が凍える戦場を満たし、更なる混沌へと沈めていく。


◇◇◇


「はいはーい、そこまでにしておきなさいな。アウグストゥス」

「……カリグラか。貴様、どうして此処にいる」

 突如として響く可憐な少女の声に藤井蓮が反応するより早く、アウグストゥスと呼ばれたヴァルターが反応する。左腕を失い、眼を血走らせた狂相を一瞬だけこちらから外して脇に並ぶ建物を見上げた。蓮の位置からその場所を見ることは出来ない上に、僅かでも眼前の敵から眼を離せば死を免れないと言う状況のため、声の主を確認する事ができなかったが、代わりに隣に立つ遊佐司狼が闖入者を見つけたようだ。全身血塗れな上に現在進行形で景気良く体中から出血している状態だと言うのに、司狼は酷く愉快げに口笛を一つ吹くと、

「おい蓮、お前にお客さんだ。昨日のキズモノにしたから責任取れ、とか言い出すんじゃねえか? あれ」

「昨日?」

 一瞬、何のことか素で分からなかった蓮だったがすぐに思い出した。
 昨日の夜……というよりかは数時間前といったほうが正解だが、とにかくそこに立っているのは恐らく『グループ』と戦っていた少女の姿をした魔人なのだろうとあたりをつける。
 それを肯定するかのように、少女の声が今度は蓮へと降り注いだ。

「別に責任なんて言い出さないわよ? あ、でもちょーっとでも罪悪感持ってくれるって言うならお姉さんの言う事聞いてくれると嬉しいなー」

「断る」

「なんと!? 即答なんてひどいじゃない。あの時はあんなに情熱的に私を見つめてくれていたのに。だから私、初対面だったけど受け入れてあげたのに……貴方の、結構痛かったのよ? とっても乱暴にするから……私の大事なあそこ、ちょっと血が出ちゃったし」

 死角にいるはずなのに何故かもじもじと身体をくねらせる少女の幻視を見ながらも無視を貫く。反応すればするほど底なし沼のようにペースを持っていかれるとなんとなく悟ったからだ。
 そんな場の空気を無視しまくった会話を聞き流していたヴァルターが再度口を開く。

「貴様、どういうつもりだ。よもや、俺の助太刀に駆けつけた、などという理由ではあるまい。今はこの通り忙しいのだ。要件だけ手短に言ってさっさと消えろ」

「私の代わりにトゥーレに入れた補欠君が随分な口を叩くようになったのね。ブラックロッジの本部じゃあまり声も掛けてくれないから、てっきり部屋の隅でがたがた震えているだけしか出来ない根暗だと思っていたのに」

 ヴァルターの怒気が篭った声に、少女の殺意が返される。
 直接向けられているわけでもないのに、その場にいた連を含めた他の三人も身動きが封じられたような錯覚に捕らえられたまま、少女は告げた。

「ヴァルター、かつての同僚としてせめてもの慈悲で選ばせてあげる。この場は退いてくれないかしら? それとも……私の影に溺れるのがお望み?」

「……いつまでも自分が上だと思っていたら大間違いだぞ」

 もはや蓮や司狼すら眼中から外し、魔女を見上げるヴァルターはその怒気に押されるがままに術を編み上げようとする。
 しかし、口訣を編もうとする唇は開かない。

「!?」

「あーあ。ここまで綺麗に嵌ってくれると逆に笑いも起きないわね。貴方、私の術がどんなものか知らないで大口叩いていたの?」

 くすくすと嘲笑が響く。
 何が起こったのか分からず慌てだすヴァルターの姿はあまりにも滑稽で、しかし、蓮には彼を笑う気にはなれなかった。

「うご、け、ない……!?」

「……流石はメルクリウスが代替に用意しただけはあるのね。私の影(ナハツェーラー)に捕らえられてまだ動けるなんて」

 反射的に自分の足元へと視線を向ける蓮。
 そこにはどこから伸びてきていたのか、明らかに自分のものではない『影』が伸びてきていた。形成位階に到達した蓮にはそれが尋常な代物ではないと即座に見切ることが出来たが、この状態では全く意味がない。何とか視線を這わせると隣の司狼も身動きが取れない様子だ。
 目下一番の懸念でもある巨躯の剣士にも影の呪縛は有効だったらしく、蓮同様に抵抗は出来ているらしく僅かに身動ぎをしているがそれで限界らしい。そのことが多少の安堵を齎してくれたが、状況的には最悪といって良い。なにせ、彼らの身動きを封じているのは明らかにこちらへ敵意を向けてきているのだから。
 なんとか身体の自由を奪い返そうと動いてみるが、それを嗤う少女の声だけが響く。

「いまのところは貴方達に出番はないの。邪魔にならなければ何もしないから安心しなさいな。それで、ヴァルター? 貴方の返答はきちんと受け取ったから。セイバーは私が代わりに勝たせてあげるから、安心して私に溺れなさい」

「だ、れが……」

 魔女の宣言と共にヴァルターの影が足元から身体を這い登る。
 それが一体どういった術なのか、視た程度では理解できないが術を受けている魔人が見せる焦燥はそれだけで十分に『影』の危険性を物語っていた。ほんの少し前まで自分を圧倒していたヴァルターがこうもあっさりと窮地に立たされた事に、蓮の背中があわ立つ。
 ほんの数秒と経たずに『影』はするすると侵食して行き、ついにはヴァルターの首元までそれが侵攻してきた時、彼は何かを決心したように剣士へと視線を向けた。

「セイバー、一瞬隙を作る。それであの忌々しい魔女の首を獲れ!!」

「作れるならば、我が剣に賭けて全うしよう。しかし主よ。そんなことが可能なのかな? この影は実に強力だ。虚数の属性を持っているが故に我々のような亡霊の類には抗い難い」

「出来んことは言わん。……やるぞ」

 宣言の直後、ヴァルターの肉体から爆発的な魔力を放出し始めた。赤黒い魔力の光は、しかし、影が底なしに取り込んでいくためほとんど『影』を祓うことが出来ないでいる。だが、そんなことを気にもせずに魔力を高め続けるヴァルターは血色の眼で蓮に斬り飛ばされた自分の左腕を睨みつけると世界中に響かせるように声を張り上げた。

「邪神よ。我が肉の一部を供物として捧げる。我に力を――いあ いあ ふんぐるい むぐるうなふ」

 呪文と共に魔力の質が変化する。
 それまではまだ『理解できる』範疇であったそれが一句ごとに『形容しがたいナニカ』へと変貌していく。視ているだけで吐き気がするような、生理的に目を背きたくなるような、そういう生物の根源から来る嫌悪感を滾らせながら魔人が邪悪なる神へと捧げる祝詞をあげる。

「ちょっ正気!? あんたの左腕、魂から根こそぎ失くすことに」

「死ぬよりは安い。なにより……俺を見下す奴は悉く殺す。貴様も獣も蛇も大導師も全て全て殺し尽くす! 一人残らず、全て!!」

 狂気と凶気が交じり合い、邪神召喚の大魔術は完成する。

「いあ ――『レガシーオブゴールド』!!」

 虚空に浮かんだ左腕がぶくぶくと膨れ上がり、血飛沫を撒き散らしながら炸裂する。血霧は即座に流動し、陣を完成させた。その上でいつの間にか現れた十三冊の魔本が独りでに開かれ、陣の中へと黄金の枝を伸ばしていく。
 それは異界への門。
 それは外なる宇宙へと繋がる穴。
 この世界を司るモノが敷いた壁に穿たれた極小の陥穽を貫いて鬼械神……正確にはその左腕が”こちら”の世界へ現出する。

「黄金よ! その輝きで薄汚い影を散らせぇっ」

 カッと放たれた閃光は魔的な『影』を一掃する。
 急に拘束が解けたことで蹈鞴を踏みかけた蓮だが、体勢を整えるのも兼ねて思い切り地面を蹴りつけた。アスファルトの地面を踏み抜く勢いで下ろした足で跳躍する。向かうのはいままさに飛び上がろうとする剣士。彼我の実力差を考えれば、この機会を逃して後があるとは思えなかったからこその選択だった。

(もういないっ!?)

 しかし、薙ぎ払った断頭台の刃は空を斬るのみ。意識を加速させた蓮の動体視力をもってしても剣士の動きは霞んでみるほどの神速であり、即ち剣士を阻む者が誰もいないと言う事でもある。

「なっ……」

「御首級、頂戴」

 一転して窮地に陥った魔女を救うものはない。
 斬首の刃を振り下ろす剣士を阻むものはない。
 そう、邪心が顕れたこの戦場に救いなどない。
 故、少女のほっそりとした胴体をがっしりと掴んで上空高くへ放り投げるその蛮行を咄嗟に止められた者は誰もいなかった。

「って、ほんとに何事ぉぉぉぉ!?」

 コメディの演出のように星になった魔女。
 それに唖然とする蓮と何事かを察したらしくにやにやと哂う司狼。突如標的を失った剣士も行き成り顕れたそれをただ呆然と見上げるしか出来なかった。別段それで彼を責めるのは酷と言うものだろう。
 何故なら、そこに現われたのは巨大なドリルを頭に生やしたドラム缶だったのだから。

『こういう場合、ヒーローなら名乗りの一つもあげるんだろうけどな……』

 響く声は蓮にも聞き覚えのなる、浜面仕上のそれ。
 声の調子からかなりノリノリである事が分かるが……蓮としてはヴァルターが呼び出した邪神の左腕異常にSAN値を削られる気がして、直視したくないのに観察してしまうと言う矛盾した思いに囚われていた。
 全体のシルエットは先も行ったように頭頂部からドリルを生やしたドラム缶の様。足は四つで腕は二本。そのどれもが胴体の大きさに比して細く、動いていると折れてしまいそうだ。

「なあ、司狼。あれなんだ?」

「うん? HENTAIが創った巨大ロボだよ。マッドサイエンティストって言ったらやっぱロボは欠かせないよな」

「……何年前の漫画だよその定番(セオリー)」

 こんな状況だというのに頭を抱えたくなる蓮。
 しかし、そんな彼を見捨てるように物事は進行していく。驚愕から立ち直りかけたヴァルターと彼が召喚した邪神の左腕が動くよりも早く巨大ロボの胴体から砲身が無数に突き出される。それを見た司狼がぽつりと……

「超電磁砲か……効くのか?」

「俺たちには致命傷だろうが!!」

「あ、オレ粉々になってからでも蘇られるから」

「俺だけかよ!?」

 蓮が悲鳴を挙げるのと同時。
 学園都市第三位『超電磁砲(レールガン)』を解析して作られた武装が音速の三倍という速度で雨のように放たれ、ヴァルターと剣士を飲み込んでいった。寸前、結標の能力でロボ内部へと転移させられた蓮と司狼の残像を粉々に吹き飛ばしながら。


◇◇◇


 早朝の争い最後の一組の闘争が終わりを告げる。
 管理局の魔法により無人となっていた街の一区画を廃墟にしながら撤退戦をしかけた巨大ロボは無傷での逃走を成功させ、セイバー主従は何一つ得るものはなく、失うだけの戦果となった。
 しかし、それを見て、敗北者と哂うものは少ない。
 バーサーカーの主従は聖餐杯に。
 アーチャーの主たちは秩序の守護者達に。
 ライダー、キャスターは逃亡。ランサーはアーチャーを抑えているが故に戦いらしい戦いとは言い難い。
 故に一人のみ。
 このたび騒ぎの影にあり、己の本懐を遂げた妖怪翁のみが敗者たちを笑う。

「若者達は実に騒がしいのう。朝はゆったりと、静かに始めねばならん。お主もそうは思わぬか? バビロン・マグダレナ」

 窓から外を眺めていたティベリウス=間桐臓硯はゆっくりと振り返る。
 そこはどこかにでもありそうなアパートの空き部屋。広くもなく、狭くもないその空間の片隅にその女は転がっていた。四肢を断ち切られ、常人ならばとうに死に絶えている量の血を流しながらも彼女はいまだに呼吸をしていた。
 聖槍十三騎士団黒円卓第十一位リザ・ブレンナー=バビロン・マグダレナ。
 彼女もまたエイヴィヒカイトを駆る魔人であるからこそ、その重傷を受けてなお生きていられるのだろう。しかし、それもあまり永くはない。彼女の傷口には蠢く妖蟲が無数に集り、血を、肉を、ごりごりと音をさせながら貪っていた。
 その激痛、如何ほどのものかは筆舌に尽くしがたい。
 しかし、それを受けている彼女の表情に苦痛は浮かばず、ただ諦念だけが仮面の如く張り付いている。その死に顔めいた白貌は動かず、光沢を失った瞳が茫洋と翁へ向けられるだけだった。
 もっとも、臓硯にはそれだけで十分だったようだ。翁は皺で埋め尽くされた顔を歪めると数度頷き、

「それほど奇怪か? これを奪われたのが」

 臓硯が言いながら視線を横へとずらす。
 そこにはリザの四肢を切り落とした魔人が立っている。仮面を被せられた巨躯の異形はその手に偽りの聖槍を持ち、主の命令を待つ人形のように立ち尽くしていた。その姿をカカッと嗤いながら眺め、

「単純な話よ。我らの魔術もお主らが操る秘術もより質と量が上のモノが優先されるのは変わらぬ。聖遺物という絶大な底上げがあるからこそ、魔術を凌駕しうるというだけの話。ならば、地力で凌駕しているなら貴様の拙い術を破れるのは道理であろう」

 もとより間桐の魔術は支配を得意とする。
 英霊という規格外の霊魂に対してさえ隷属を強制する令呪を作り上げた妖怪翁にとって、その魔人――聖槍十三騎士団第二位トバルカインは絶好の手駒であるといえるのだった。
 そしていまひとつ。
 間桐臓硯がリザを狙う理由が存在する。

「さて、では最後の問いじゃが……儂が聖遺物を得たなら、その力はどれほどになるかお主には分かるかのう」



[21470] 第十九話 謀略錯綜
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/27 00:43
 氷室玲愛が目を覚ました場所は見たこともない石造りの部屋だった。
 出口らしい閉ざされた鉄の扉が一つ。
 それ以外には何一つない。
 窓も、明かりを作れそうなものも、何一つ。
 少女の身体はいっそ無造作と呼べる適当さで冷たく湿った石の床に投げ出されていた。それが一体何時からなのか、玲愛自体にも分からなかったが、身体の冷え方からして一時間や二時間程度ではないように思えた。

(……寒い)

 芯が凍りついたような寒気に身体震える。冷え切った身体の調子は最悪を通り越していて、胸から喉が焼かれたように痛い。酸味の強い唾を飲み込みながら吸い込んでしまった空気は腐った泥のような臭いがして反射的に咳き込む。爛れて炎症を起こしているらしい喉がそれで更にひどい状態になるのも構わず、彼女はげほげほとのたうった。その時に自分が後ろでに両手を紐のようなもので縛られていることに気がつき、混乱に拍車が掛かる。

「どうして……」

 自分はこんなところにいるのだろうか? その疑問は唇から漏れるより早く解決を見つけ出す。正確には”思い出してしまった”と言うべきなのだろう。人間が生きたまま解体される光景など、覚えていて良い事などあるはずがない。その被害者が自分の家族と呼ぶべき女性ならば、尚のこと。

「リザ」

 玲愛にとってはついさっきまで一緒に、日常の中で暮らしていた母であり姉であり……その実、曾祖母に当たる女性の名を口にする。その声が予想以上に震えていないことに知らずに気持ちが落ち着くのを感じながら、玲愛は何とか身体を起こそうとした。
 重い音をさせながら鉄扉が開いたのはその時だ。

「漸くのお目覚めか。眠り姫の起こし方、というのはあまり知らんでな。もう少しして起きぬようなら柄にないやり方を試すところであったわ」

「……」

 暗闇に包まれた部屋に光が差し込み、視界が遮られる。しかし、聞こえてきた枯れた嗤い声には聞き覚えがあった。恐らくは一生忘れる事がないであろうその声の主こそ、リザ・ブレンナーを殺した張本人なのだから。
 その男――間桐臓硯=ティベリウスは倒れたまま眼を細める玲愛の顔を見ると落ち窪んだ眼窩を歪ませた。それが老人の笑顔なのだと気がつけたのは単純に口から漏れでる愉悦が抑えられていないため。
 妖怪の微笑みに玲愛は無感情の視線を向け、純粋な疑問から尋ねた。

「私も殺すの?」

「そうさのぉ。お主を殺せば少なくともあの怪物どもは呼び出されぬ。黒円卓の双首領と三人の大隊長……噂に聞くほどの凄まじさならばあまり関わりたくないと言うのが正直な感想じゃ。彼奴らのことはお主の方が知っていることも多かろう? その辺りの真偽を教えてはくれんか」

「知らない。けど、あなたじゃあの人たちには勝てない。絶対に」

 視る者に嫌悪しか抱かせない妖怪の貌を見つめたまま玲愛は即答した。臓硯はその言葉に怒る訳ではなく、寧ろ正鵠を射ていると頷いて見せた。

「さもあろう。バビロン・マグダレナは騎士という性質ではない。第二位を我が傀儡に為せたとは言え、彼奴らの陣営にはカズィクル・ベイやクリストフ・ローエングリンが居る。あの二人はどうやったところで儂には勝てぬ」

「なら、やっぱり……」

「じゃが、それならそれでやりようはある。新たな力も手に入れたことだしのう」

 そういうと、妖怪翁は懐から一つの仮面を取り出した。
 赤子の皮を重ねて作られた仮面(デスマスク)の銘は『蒼褪めた死面』と言う、リザ・ブレンナーがその身に宿していた聖遺物。それを自分の顔に貼り付けた臓硯は厳かに聖句を唱えた。


 Yetzirah――
 形成


 仮面が、変わる。
 嗤う道化師(ピエロ)の死面(デスマスク)を被った老人の身体が内側から爆発的に膨れ上がった。全身の肉が蠢動させ、瘴気を撒き散らしながらの変貌は、しかし、実際には一瞬とも呼べるうちに完了する。

「カカカッッッ!! 素晴らしい。実に素晴らしいぞ。よもや此処まで『理想通り』に渇望を具現化できるとはな!!」

 仮面を被った臓硯の声は寸前までの枯れたものではない。瑞々しいまでの生気に満ち溢れた力強い声には魔的な引力が孕み、目の前で変貌を見つめていた玲愛でさえそれが同一人物だとは信じられないほどなのだから。
 しかし、そんな変貌などより更に驚くべき事がある。

「どうして……」

「儂に<形成>が使えるのが不思議か? 五百年を魔道の研鑽に費やした儂にエイヴィヒカイト如きが使えぬと、そう思っていたのかな?」

 愉快そうな、しかし、根底に隠しきれない不快感を滲ませながらいまや青年と呼んで差し支えのない若さを取り戻した臓硯はパチンと一つ指を鳴らす。直後、枯れの衣装が道化師めいたものに変化した。
 死と亡骸を冒涜する道化師はゆっくりと玲愛に近づいていき、その細く白い顎を掴んで顔をあげさせると澱んだ魔眼で覗き込む。

「まあこれでもまだ彼奴らには届くまい。それは儂も理解しているでな。むしろ、だからこそ貴様が必要なのよ。『太陽の子(ゾーネンキント)』……獣の産道たる貴様の胎がな」

 自身の勝利を磐石にするため、絶対の安全を手に入れるために此処にいるのだと告げられた玲愛の意識はそこで泥に沈むように消え失せた。
 二度と目を覚ますことはないのだろう。
 そんな確信を抱きながら。


◇◇◇


「もう昼か……」

「なんだか随分と時間の経過が早いよな」

 携帯電話で時刻を確かめた上条当麻に並んで立つ皐月駆が零す。その事に同意だったのか、駆を挟んで向こう側に立つ草壁美鈴も小さく頷いて見せた。
 上条たちが怪しげな神父に連れられてこの場所――科学の最先端都市である学園都市にはあまり似つかわしくない教会と言う場所に訪れてから、もう結構な時間がたっている。しかし、それまでの展開が極度の緊張を強いる事の連続だったためか、そこまで経ったという感じがしないのだろう。
 駆に関しては教会自体が珍しいのか、しげしげと眺めていたので余計にそう感じていたのかもしれない。

「そんなに珍しいか?」

「そりゃそうだろ。学園都市に着てからこういう宗教関係の建物なんて見たことないし」

「うーん……まあ、確かに普通この街じゃ関わらないか」

 同居人がシスターと言う事を差し引いてもこういう宗教がらみの場所には縁があるというか、引き寄せられた上でトラブルに巻き込まれるのがこの半年のデフォとなっている上条がぼやく。そんな彼に言わせれば、宗教と言うのはそもそもそういう『本来ない場所』に広がってこそという部分がある。
 その事を『使徒十字』を使おうとしたオリアナ・トムソンたちとの騒動を経験した上条は特に違和感無くその建物を見ることが出来たが、他の面々は多少なりとも違っているようだ。
 片目を眼帯で封じた駆は場違いな物を見るような目でしげしげと教会の外観を眺め続けている。それに良く似た反応を彼を挟んで立つ草壁美鈴もしていた。彼女からすれば敵対勢力の中に自分たち側の拠点があるのと同じに見えるのだからそれは無理のない事かも知れない。
 なので、とりあえず上条はそのあたりのことは気にせずに別のことを口にした。

「そいや、キャスターと草壁って何か関係があるのか?」

「え?」

 唐突な問いかけに草壁は一瞬詰まるが、それでもすぐに整理は付いたのだろう。彼女は若干話しづらそうに駆をちらちらと盗み見ながら説明し始めた。

「……彼が私の知る草壁遼一と同一人物であるのなら、私とは遠縁の親戚、と言う事になるな。正確には曽祖父の兄に当たる」

「その本人ってのは……」

「もう随分と昔に他界されたと聞かされているよ。我が草壁一族の中では傑出した天才であり、それ故に里から追放されたと父から教えられていたけれど……英霊に至るほどの功績を挙げられていたとは夢にも思っていなかった」

 苦笑いじみた表情を浮かべながらも草壁の表情は何処か誇らしげだ。自分の親類から『本物の英雄』が出たとなれば嬉しいと感じるのは多少なりとも理解できる上条と駆だったが、教会の壁を透視してキャスターの姿を追っているかのような熱い視線を向ける彼女の様子は憧れていたアイドルを見つめる乙女のようにも見える。
 若干上気した頬も相俟って、駆は思わず口走った。

「あの、なんだったらあいつ引き取ってもらえたりしませんか? ライダーと交換とかならお互いに負担も少ないんじゃ」

「そ、そんなことできるはずないだろう!? ――それに、そんな真似は私が召喚したライダーに対して失礼と言うものだよ」

「でも……」

「まあまあ。えっと、皐月でいいのか?」

 尚も何か言おうとする駆と草壁の間に上条が滑り込む。この二人、自分の意思を曲げるのが極端に下手なのだと言うのは鈍感王とも揶揄される事がある上条当麻にも割合あっさりと把握する事ができたので、これ以上は口論に発展しかねないと踏んでの行動だった。
 そして、その行為は珍しく功を奏する。
 割って入られた駆は特段顔を顰める事もなく上条を見ると、

「苗字じゃなくて名前で良いよ。タメだろ確か」

「オッケー。じゃあ駆で」

「こっちも当麻で良いか?」

 勿論、と答ながらなんとなく下の名前を男に呼ばれるのは珍しいかな? と考える上条である。
 そんな二人のやり取りを見ていた草壁も何かを思いついたように口を開いた。

「ならば、私も美鈴と。草壁では被ってしまうからな。ついでに、私も君たちを下の名前で呼ぶ事にしようか」

「そ、それは、まずいんじゃ」

「おう。そんじゃこれからは美鈴って呼ぶな」

 草壁――美鈴の発言に二の足を踏む様子の駆と気楽に応じる上条。瞬間野郎どもの視線が交錯し、上条は不思議そうな、駆は越えられない壁を見つけ出してしまったような反応を見せた。そんな二人の差に美鈴は僅かにきょとんとなり、すぐに微笑を浮かべる。何か非常に見透かされてはいけないものを看破された気分になる駆。跪いて「の」の字を書きたくなる衝動と戦う彼を二人はただ見つめるだけだった。
 しかし、緩んだ空気は美鈴の表情が戦士のそれへと変貌すると同時に引き締められる。
 教会の中からいままで中で神父との話し合いをしていたサーヴァントの二人が木製の扉を押し開いて現れたからだ。美鈴はいち早く彼らの姿を見つけるとその柳眉を僅かに歪める。
 彼らが運び込んだ名も知れない女性がいなくなっていたからだ。

「ライダー。彼女は?」

「一応腕の方は神父とキャスターが繋いでくれたよ。あとであっちから病院に連絡を入れて救急車を呼ぶらしい」

「気を失った女性をあんな危険な奴がいる場所に置いてきたのか」

 凛とした声に僅かな怒気が篭る。
 しかし、それを遮ったのはライダー=蒼月潮の隣に立つ白衣の魔術師だ。

「落ち着け猪娘。とりあえず、お前の言う危険人物は地下に行って寝てる。神父の話を信じるなら彼女の安全は保障されるらしい。それに、いまこの街で起きてる乱戦の情報と引き換えにこの場は引き取れといわれた以上は従うしかないだろ? 情報の真贋を見定めるにしろ、分析するにしろ、あそこじゃ集中できやしねえ」

 キャスター=草壁遼一が言いながら手にしたプリントのようなものを揺らす。
 それを差し出された駆はざっとその内容に眼を通し――顔をしかめた。

「なあ。これ本当に起こったのか?」

「恐らくな。裏付けのついでに式神をばら撒いてみたが確かに俺たちのほかに最低二箇所で激しい魔術戦闘が行われていたらしい。あと、奴らの仲間の一人が殺されたとも言っていた。俺とライダーが引っ込んだのはそういう理由も込みだ」

「その証拠は?」

「壁一面に血で文字が書かれてた。独逸語らしくて読めなかったけど神父が言うには挑戦状みたいなものだって」

 美鈴の質問に答えたのは潮。
 その顰められた表情からは教会内部が相当な惨状であったのだろうと推察できる。英霊として数々の戦場を渡り歩いてきた彼らをして嫌悪感を強く抱かせるような光景だったのかと駆は内心で室内に入らなくて良かったと安堵を覚え、そんな自分に嫌気が差す。
 そんな惨状を作り出すほどに血を流した人間が生きていられる訳がないと知っていたのにそんな思いを抱いた自分が赦せなかったのだ。そんな彼の肩をキャスターが乱暴な手付きで叩く。

「そう顰め面するもんじゃないぞ? 坊ちゃん。少なくとも、あんたは人一人の命を救ったんだからな」

「……俺は結局何にも出来てなかっただろ」

 致死の弾雨を潜り抜けたまでは良かったがそこから先が全くの足手まといにしかなっていなかった。結果を見れば無謀な突撃を敢行した駆を助けるついでにその女性もまた助け出されたのだが、それを誇れといわれたところで難しい所だろう。
 しかし、それに異を唱えたのは上条だった。

「いや、あの時の普通に凄かったぞ? こうひょいひょいってあの杭を全部避けきってたんだし」

「……それについては私も少し気になっていたんだ。駆君、君は最後の一撃を避けるときに何かの魔術を使わなかったか?」

「魔術? 俺が?」

 上条と美鈴の二人から掛けられた自分の様子に、しかし、駆は首をかしげることしか出来なかった。あの瞬間は余分な思考を全て切り落としていたので、自分がどんな行動を取ったのか詳しく思い出すことが出来ていないのだろう。少しだけ不安げな視線を自分のサーヴァントであり、魔術に関しては恐らくこの場で最も詳しいであろう遼一へと向けると、白衣の魔術師は軽く肩を竦めるだけだ。

「ま、坊ちゃんには魔術向きの資質はあるのは間違いない。なんせサーヴァントを召喚・維持していられるだけの魔力を絶えず精製しているんだからな。いっその事、そこの猪娘に習ってみるのも面白いかもしれないぞ」

「……キャスター、冗談も休み休みに言ったらどうだ。魔術がそんなに容易く収得出来る訳がない」

 一瞬何かを迷う様子を見せる美鈴だったが、切り替えした言葉はそれまで同様の若干棘のある声音。そのことに上条と駆は内心で(これが世に言うツンデレですねわかります)と同時に思ったりしたのだが、当の遼一は美鈴の反応を軽く流してから話を続けた。

「そうそう。今後の聖杯戦争には一つだけルールが付け足された。とはいえ、俺たちとしては寧ろメリットの方が大きいだろうな」

「戦場はあいつらが用意するからそこでドンパチするならしろってさ」

 遼一の説明を潮が引き継ぐ。
 彼らの説明によれば、今後は黒円卓が聖杯戦争の戦場を設定するという。そこには人払いの結界が張られ、一般人を遠ざける仕掛けを施される。その場所以外での戦闘は原則黒円卓の騎士たちによって妨げられるという事になるらしいのだが……

「そんな事できるのか? サーヴァントって言うのは過去に実在した英雄で、人間じゃ勝てないんだろ?」

「人間ならな。あの連中は人間辞めて化け物になってるから平気だろ。正直、あの神父と戦えといわれたら逃げ出すね。俺だったら」

 冗談めかしに言う遼一だが、その言葉には十分な説得力が込められていた。必殺を期して放った一撃を指先一本で防がれてはそう思うのも無理はない。少なくとも、あの神父が取り締まりに打って出るならばサーヴァントの暴発で無関係の人間を巻き込む事は心配しなくても済みそうだ。

「なら、ひとまずは安心してもいいのか?」

「いや、どうもそこまで上手くはいかないらしい。あの神父にこの情報はあの場から引き下がるために貰ったもんだが、俺たちの情報を他所に流させないために一つ依頼された事がある」

 上条の問いに対して遼一が首を横に振ると、懐から複数の写真を取り出した。

「こいつらを見つけ出して捕獲して欲しいとさ。戦場に介入してくる可能性が高いらしい」

「こいつは……」

「当麻、知ってるのか?」

 駆の問いかけに首肯で返す。写真を覗き込みながらその中央に映し出された人物を見つめる。
 白衣を着た緑色の髪をした変人は間違いなく、昨日の夕方に上条を追い掛け回した人物だったのだから。


◇◇◇


 ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリンは客人が帰ったドアを見つめながら我知らずに嘆息を一つ吐き出した。普段は崩れる事のない表情が、いまは少しだけ疲労が浮かんでいる。それを近しいものを殺されたが故の苦痛と取るか、あるいはただ厄介事を嘆いていると取るかは判断の難しい所だろう。
 何しろ、自分自身にすらそれがどちらなのか分かっていないのだから。

「やれやれ、リザを殺されてしまうのは三割程と踏んでいたのですが……いやはや。ご老体も中々に侮れませんね。亀の甲より年の功――百やそこらの若造が拵えた策略など容易く破って下さる」

 元より、隙を見せれば誰かしらがそこを突いて来るだろうと言うのは予測できていた。むしろ、一時的に玲愛を黒円卓から手放させるために此処をあえて手薄にしたと言っても良い。
 そもそも、万全の防備を期するならヴァレリアが教会から動くのは不自然なのだから。サーヴァントによる汚染など、ある程度はルサルカの結界でも対処は出来たのだから。それをしなかったと言う時点で、彼に玲愛を死守する意思がなかったのは明らかである。

「問題はその辺りをご老人が見抜いているか否か……いや、まあこんな物を残すくらいですから存外何も気づいておられないかもしれませんがねぇ」

 いいながら見つめる先にあるのは壁一面に描かれた血文字。
 達筆な筆致で描かれたそれにはこう書かれていた。

<Eine Tasse giftig für Ein Löwe(獣に毒の杯を)>

「聖杯を満たし、それをもってハイドリヒ卿を討つ……中々に無茶な事を仰るお方だ。しかし、ある意味で合理的でもある。如何なる望みも叶えると言う聖杯の権能が真実であれば不可能ではありますまい。
 ですが……それで彼は如何するつもりなのでしょうね。まさか、ハイドリヒ卿を殺せば自身が最強だ、なとどヴァルターのような事を言い出すほど若気を保たれているようには思えないのですが」

 血文字で記されている内容は正しくそれ。
 七騎のサーヴァントを生贄に捧げ、それをもって恐らくは現界するであろうラインハルト・ハイドリヒを殺す。
 玲愛の命が惜しければその手助けをしろと、要約すればそういった内容がそこには記されていた。
 それを視認した直後に下手人を殺しに行こうとするベイを何とか押し留め、より詳しく読み解こうとしたヴァレリアだったが、肝心の真意を掴むには至らなかった。わざわざあの破壊の君を殺そうとするなど、ヴァレリアに言わせれば無駄な努力以外の何者にも感じられない。
 しかし、

「まあ、良いでしょう。
 テレジアを手中に収めた程度で我々を抑えることが出来る、などと考えておられるなら可愛いものです。それよりも、ここまではまず計画通り。ハイドリヒ卿を呼び戻すことも目的としている彼にテレジアをどうこうする事はできないでしょう。ならば、いくらでも立ち回りようはある。さあさあ、これからいよいよ慌しくなります。忙しくなります。急ぎましょう。早く早く、『太陽の子(ゾーネンキント)』の代替を用意せねばなりません」

 邪なる聖人――かつて師にそう祝福(のろ)われた魔人が笑う。
 盤上はひとまず彼の絵図の通りに進んでいる。
 彼にとって娘にも等しい玲愛は敵の手に落ち、自軍の戦力も奪われた。サーヴァントは全騎が無傷で現存。その上で不確定要素まで存在し、かき乱す。そんな状態でありながら現状にたどり着けたのはある種の奇跡と呼べるかもしれない。
 だからこそ、彼は笑う。
 この世に都合の良い、待っていて起こる奇跡など存在しないと知っているが故に。
 この幸運を、掴んだ女神の前髪を離しはしないと手を握る。

「さて、ではご老体の意向に沿うためにも行動を起こしますか。第二、第三を連続して開ける事になりますが……それもこの一件が済めば解決される。ならば、私が行うべきは一つだけという事になる」

 胸の前で一度十字を切る。

「あのお嬢さんには非常に申し訳ありませんが、これもご自身に流れる血の宿命。我らの渇望を満たす杯になって頂きましょう。イザークも弟の末を邪険にはしますまい」

 今夜午後七時。
 二日目第二ラウンドの開戦時刻を設定すると、彼は参加するサーヴァント全てに通達するため術式を起動させた。



[21470] 第二十話 観客席
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/11/02 23:28
 地上にて混沌の戦争が引き起こされている最中、その魔城にも稀なる来訪者を迎えていた。
 城壁に突き立てられる無数の爪牙と無限の敵兵。
 形容する事も憚れる恐るべき異形の者ども――旧支配者と呼ばれる存在の眷属たちが攻め寄せる様を玉座にて睥睨する黄金の獣は、しかし、常になく上機嫌の様子であった。
 それも当然。
 その眼前にて繰り広げられている神話の如き英雄の戦闘は彼の無聊を慰めるには十分なものであるのだから。

「っテェ!!」

 猛火の如き赤髪を風に靡かせ、号令と共に鉛の雨を降らせる。
 聖槍十三騎士団・黒円卓第九位『魔操砲兵(ザミエル・ツェンタウァ)』――エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ。
 三騎士の一――赤騎士の称号を負う彼女は自身の聖遺物の火力を遺憾なく発揮して『深きものども』を灼き掃う。雲霞の如き敵軍をその砲火が吹き飛ばし、進軍ルートを構築する。その敵軍の海を白と黒の魔人が楔となって進撃する。

「潰れろ潰れろ潰れろっっっ! 全部ボクの轍になりなっ!!」

「――――」

 狂気の喊声と沈黙の蹂躙が不死であるはずの怪物たちを一方的に虐殺していく。
 聖槍十三騎士団・黒円卓第七位『鋼鉄の腕(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)』――マキナと黒円卓第十二位『悪名高き狼(フローズヴィトニル)』――ウォルフガング・シュライバー。
 三騎士の黒騎士と白騎士はその異名に負けぬ戦果を飾る。
 既に屠った『深きものども』は万を超え、それにはダゴンとヒュドラと言う紛れもない邪神も含まれている。ヒトなど一踏みで蹴散らす巨大を誇る巨獣たちはマキナが放つ終焉の一撃で砕かれ、エレオノーレの放つ必滅の砲撃が焼滅させた。シュライバーなどは立ちはだかる全てを引き千切り、聖遺物でもある鋼の凶獣で轍を刻み付けている。
 その様、正しく英雄と呼ぶに相応しい。
 戦場に紡がれる幻想の具現となって、彼らは各々の舞台で邪悪の魂を華々しく蹂躙していく。
 その様子に光景に。
 己が爪牙の強壮さを善しと笑みを濃くする獣の傍らにいつの間にか一人の影法師が現れた。
 聖槍十三騎士団黒円卓第十三位カール・クラフト=メルクリウスは音もなく黄金の獣に傅くと、深く頭を垂れた。

「親愛なる獣殿。此度の不手際、誠に弁解のしようもなく……」

「かまんよカール。むしろ、手慰みには丁度良い。この戦場さえも未だ既知(ゲットー)の中ではあるが……この滾り、中々に甘美なものだ」

 影法師の謝罪を受けながらも獣はそれを流す。
 そも、黄金の獣――ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒの渇望は正しくそれ。自身の全力を存分に発揮するという唯一つの願いを叶える為に作り上げたのがこの魔城と総軍である。ならば、その敵として無限に溢れ続ける邪神の群れは格好の『練習相手』と言えるだろう。
 この影法師が創造する黒円卓の敵手と対峙するその前に己の頂点にまで高めるために。
 邪神とは言えども神と呼ばれる魂さえも糧としながら彼らは更に強くなる。
 その傲慢を見据え、メルクリウスも目を細め、口元に薄っすらと笑みを浮かべる。それでこそ我が友と、流れ出ぬ言葉で語りながら不意に視線を虚空へと向けた。その視線には寸前までの親愛はなく、しかし、永く遭わなかった知人に向けるような、そんな低音の温もりが込められていた。
 それを悟ったラインハルトは僅かに驚く。彼が知る限り、カール・クラフトという存在が他者に意識を向けるという事柄は非常に稀有な事だ。
 だからこそ、彼もまたその虚空へと眼を向ける。
 そこに現われた魔術師へと。

「初め御目に掛かる、破壊の君。我が師、ご無沙汰振りでございます」

 滲んだ絵の具のように朧な輪郭が瞬き一つの間にはっきりとした人形になる。
 それは男のような女のような。老人のような若者のようなその人物は本来ならばこの場所――至高天(グラムズヘイム)に辿り着けないはずの人物。しかし、あるいは納得を持って受け入れられるだろう。地上で最強の魔術師と呼ばれたその男ならば、逆に此処に至れぬ道理がないと、彼を識る者は口を揃えることだろう。

「これはこれは。科学の最精鋭たる学園都市の長ともなられたお方が私如きに頭を垂れるべきではありませんよ。シモン殿……いや、いまはアレイスター・クロウリー殿とお呼びするべきか。最後に見えてより半世紀。互いに変わらぬ様子でなにより」

「師も変わられぬご様子でなにより」

 師弟の会話には、しかし、その奥に宿る意思が強く篭る。それに触発された、と言う訳でもないだろうがラインハルトは興味深げに傍らの影法師に尋ねる。

「卿に我ら以外の弟子がいるとはな。聞くのは初めてか」

「その通り。順を追えば、彼は私の一番弟子ということになりましょう。魔術科学の両山を制覇し、科学宗教とも呼べる術式系統を完成させたお方――既に私如きはとうに越えておられるやも知れませぬ」

「ご冗談を。頂点に至れぬ、と私を祝(呪)われたのは貴方だ。我が師」

「然り。故に解せぬ。貴方の命脈は英霊が放った矢にて肉体を貫かれた時点で潰えたはず。それを覆し、この場に現れるとは如何なる奇跡を為したのか。実に興味深い」

 メルクリウスの台詞にアレイスターは薄く笑む。
 種明かしは彼が掲げた右の掌に浮かび上がった。

「昔取った杵柄と申せば良いのか。肉体と魂魄を割断するなど私には刹那あれば足りる事ゆえ」

 かつてローマ正教が神の右席と同じく奥の手として組織された実戦部隊『禁書目録聖省』の最強が誇っていた最後の切り札。その性質から『虹』と呼ばれる奥儀を模倣とはいえ、使いこなせている時点で彼の異質さを証明している。そして、どうやってこの場所まで至る事ができたのかも。

「霊魂だけであればスワスチカを辿り、この城へと至る事ができる。道理としては叶うが生半な手管ではない。陣を構築する折に細工を混ぜられたかな」

「保険程度の物も、時には予想だにしない成果を発揮してくれるのですよ。もっとも、スワスチカが完全に開かぬように通り抜けるのは想像以上に骨が折れましたが」

 会話を打ち切るとアレイスターはハイドリヒへと視線を合わせ、膝を着いた。

「黒円卓首領殿。貴方の御前に辿り着いたならば願いを一つ叶えていただける。風の噂に聞き及びましたが、これに相違はございますかな?」

「ふむ。本来ならば我が近衛の守りを潜り抜けた勇士のみに授ける祝福であるが……よかろう。スワスチカを抜け、この場に辿り着いたその手腕。私の趣味とは些か離れるが、その隠行もまた賞賛に値する。ゆえ、望みがあるなら言うが良い。私は約束は破らぬ男だよ」

「ならば」

 アレイスターの眼の奥にギラリと光る殺意を灯し、

「どうか。私が生み出した貴方と並ぶもう一つの金色を――」

 ――殺して頂きたい――


◇◇◇


「随分と、面白い事になっているようだ」

 虚空を視ながら金色の獣が愉悦に口を吊り上げる。
 その視線の先には遙か遠く、あるいは極近くに存在する至高天の内部にて繰り広げられている密談を細大漏らさず観察する。そこには彼――マスターテリオンと互角の力を持つ破壊の獣と影法師、そして……

「あっさりと致死の矢を受け入れたと思っていたが……裏でこのような真似をしているとは。我が父とはいえ、これはどうにも――」

 アレイスター・クロウリー。
 旧約聖書にその名を記されていてもおかしくはないほどの偉大なる魔術師はどこまでも冷淡な表情のまま己が息子を殺してくれと獣に懇願していた。その姿、あまりにも惨めであり、哀愁を誘う。父と呼ぶべき存在たる彼の醜態にマスターテリオンとて、その姿を見ては胸の内から沸くものがある。
 即ち――歓喜である。

「くっくっ……ははは、ハハハッッッ。どうにもこれは。本当に面白い。余に捧げる供物を用意するため、身命を賭したか。これが父の愛と。なるほど、これは絆される者も多かろう」

 マスターテリオンはアレイスターを見つめる。
 自分のために。
 自分を滅ぼすために。
 我が怨敵を作り上げようと躍起になって動いている。
 その行動、その全てがマスターテリオンをより高みへと押し上げるための供物を練成しているとも知らずに。

「ああ、良かろう父よ。此処に誓う。その男を連れてこの場に至ったならば、余もまた全能を持って応えよう」

 魔眼をすがめ、人生初の満悦を浮かべる大導師。
 そんな彼の耳に一つの足音が届く。この場に現れる資格を持つ魔人・アンチクロスはただ一人を除いて地上の戦地に赴いている以上、その主を識るのは容易だった。予感を外さず、大導師が僅かに逸らした視線の先には白衣を纏った枯れ木じみた老人が現れていた。
 ウェスパシアヌス=木原幻生はマスターテリオンと勝るとも劣らぬ上機嫌で謁見の場に進み出ると膝を着いて口を開いた。

「大導師、お愉しみの所申し訳ない。実は……」

「兼ねてからの事であろう。全て赦す。汝が望むことを為せ」

 恭しく頷く幻生を見もせず、マスターテリオンは裁可を下した。常にないその反応に木原も目を丸くするが、すぐに相好を崩す。
 全て赦す。
 ブラックロッジの首領たる大導師は発言を翻す事はない。ならば、木原はその言葉の通り、此処に在る全てを注いで彼の望みを『完成』させることが出来る。ならば、それで十分と言うものだ。

「ではそのように。サイクラノーシュが完成次第、夢幻心母を地球へ向けて出撃します」

 この決定が、学園都市を更なる混沌へと誘うことになる。
 ありえぬ二条の『愛すべき光』が入り乱れ、交錯する戦場へと。


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