※微グロ注意?
第一章 帯刀ノ儀
(失敗か……)
男、ジャン・コルベールは禿頭に手をやり、残り少なくなった頭髪をいたわるようになでつける。そして周りに気取られぬよう小さくため息をついた。
眼前では生徒の一人、ルイズがサモン・サーヴァントの詠唱を終えたところだった。
しかし、何も起こらない。完膚なきまでに失敗である。
ルイズは、自分の知る限り最も勤勉な生徒である。
先ほどの呪文の詠唱も完璧なものだった。
恐らく幾度となく練習を重ねたのだろう。目元に色濃く残るくまを見るに多分昨夜も。
だというのに一向に使い魔の現れる気配はない。
知らず天を仰ぐ。今の心持とは裏腹に抜けるような青空がどこまでも広がっていた。そんなところにまで何者かの悪意が絡んでいるような気がしてならない。いや、これは考えすぎか。とにかく、今は
教師の責務を果たさねばならない。
視線を空から地面へと戻す。そこにはルイズがぼんやりと佇んでいる。
(彼女に告げなければならない)
そう、次の講義の時間が押している。他の生徒たちはみな召喚を済ましている。彼女一人のために時間を引き延ばすのはもう限界なのだ。
(私は告げねばならない)
この誰よりも勤勉な生徒に無情な宣告を突き付けねばならない。
ふっと自分がひどく醜い生き物のように思えてくる。しかし、この場にいる教師が自分である以上やるべきことは果たさねばならない。喉から出かける溜息を押し込みながら、彼女にどう切り出したものかと思いを巡らせる。
(悩んだところで仕方ないか……)
結局のところいくら言葉を重ねたところで現実が変わるわけでもない。ならばいっそ不遜な態度で事を切り出し、憎まれ役になることで彼女の心労を和らげるというのはどうだろう。我ながら悪くない考えだと思えた。それで行こう。
いざ声をかけようと思ったところで、その件の彼女がやおら背筋を伸ばし呪文を唱え出した。
先ほどまでとは打って変わった音階も韻もバラバラな呪文、勤勉なルイズらしからぬ乱暴な詠唱であった。だがその詠唱はなぜだか、ひどく心に響いた。見ればあれだけ騒がしかった他の生徒たちも一様に静まり返っている。呑まれているのだ。彼女に、この空気に。
予感があったのだ。今度の召喚は何かが違う、と。
「宇宙の果てのどこかにいる、わたしの僕よ! 神聖で美しく、そして強力な使い魔よ! わたしは心より求め訴えるわ! 我が導きに答えなさいッ!!!」
―――だから、ひと際大きな爆発が起こっても誰も驚かなかった。ただ一人、コルベールを除いては。
爆発に乗って流れてきた砂煙に嗅ぎ慣れた臭いがあることに気づきコルベールは愕然とした。焼ける肉の臭い、喉奥に張り付くような油の気配……ヒトの焼かれた臭い。慌てて生徒の数を確認する。
「みなさん!怪我はありませんか!」
「ありませ~ん」「このマント買ったばかりなのに~」「なんか臭くない?」
どうやら全員無事のようでほっと胸をなでおろす。失敗魔法で誰かが焼かれた、という訳ではないようだ。では、この臭いは一体何なのか?幸い臭いの元があるであろう辺りは未だ砂煙で覆われている。予想通りの代物であるなら生徒たちには刺激が強すぎるだろう。ここはひとまず、召喚者であるルイズを残して他の生徒は返すべきだろう。そう考えたところで、
「ゲホッゲホッ!ちょっと何よコレ!まったくルイズったら・・・タバサ!あんたの魔法でこの砂煙何とかしてよ!」
「自分でやればいい」
「いまの爆発で杖がどこかに行っちゃったのよ!ゲホッねぇお願いだから!」
「……」
赤髪の生徒にせかされて青髪の生徒が気だるげに杖を振るう。
「!待っ」
待て、と言い切る前に魔法によって辺りを覆っていた砂煙がはらわれる。
そうして現れたのは――――全身が焼け爛れた無惨なヒトガタだった。
一瞬の静寂。
ああ・・・今日は厄日だな、と何処か他人事のように思った。
「キャアアアアアアアアァァァァァァッッッ!!!」
「ひっ…ひひひとっ! …人がっしっ死んで…!」
「ウッ……おえええええぇぇぇぇ~」
悲鳴を上げる者、嘔吐する者、失神する者。阿鼻叫喚であった。
温室育ちの貴族の子弟である。人の死体などこれまでまともに見たことなどあるはずも無いのに、それをいきなり眼前に突き付けられたのだ。この混乱ぶりも無理からぬことだろう。増してそれが焼死体ともなればなおさらだ。
(こうならないように先に他の生徒達は帰すつもりだったんですがね……)
一人心の中で嘆息すると、まずは一番ショックが大きいだろう生徒のほうへと向かった。
「ミス・ヴァリエール」
「ミスタ・コルベール……」
ルイズは件の焼死体の傍に佇んでいた。声は震え、顔面は蒼白で今にも倒れそうなのに、それでも倒れまいと踏ん張っていた。気丈な子だ、そう思わずにはいられなかった。
「ミス・ヴァリエール、気を落とさないでください。 今回はこんなことになってしまいましたが、それでも召喚は成功しているのです。
ですから特例ではありますが後日また 「先生、違うんです!」 ……何がですか?」
口下手な自分なりに、死体を召喚して落ち込んでいるだろう生徒を精一杯励まそうとしていたのだが、それを途中で遮られて怪訝な顔をする。
「違うんです先生! この子はまだ死んでない! ほら見て! また胸のあたりが動いた!」
「何ですと!」
一気にまくし立てられて、死体のほうに目をやると、確かに言葉の通り胸のあたりがかすかに上下しているのが分かる。
「! ッこれは……! 誰か! すぐに保健の先生に連絡を! ……っ!」
言って振り返ったところで思い出す。生徒達は未だパニックの真っただ中であることを。仕方がない、この場を収める人間がいなくなってしまう事になるが人命には代えられまい。そう考えて飛び立とうとしたところ、
「私が行く」
「はっ?」
ややもすれば聞き逃しそうな小さな、しかしはっきりした声。彼を呼びとめたのは先ほどの青髪の少女。小柄な体躯に不釣り合いな大きな杖を持っている。確かガリアからの留学生で名前は――
「タバサ」
こちらの逡巡を遮ってあちらから名前を告げられる。そう姓も何も無しに、ただ"タバサ"。貴族の名前としてはあまりに不釣り合いである。それに殆どの生徒がうろたえている中でこの落ち着き様。異様というほかない。
ただ大なり小なり貴族とは裏に何かしらの事情を抱えているもの。興味は惹かれるが、自分は明らかに蛇がいるとわかっている藪をつつく程酔狂ではなかった。増して今は緊急事態である。
「失礼。ミス・タバサ、確かあなたは風系統のメイジでしたな。
保健の先生を呼びに行くついでにこの方の搬送もお願いしたのですが……やっていただけますかな?」
「分かった」
言い終わると彼女はレビテーションを唱えて焼死体……いや、まだ辛うじて死んでいないか。とにかくそれを慎重に浮かせて、使い魔を呼び寄せた。
(風竜、ですか……。メイジの実力を見るには使い魔を見よ、と言いますが……)
空がそのまま抜け落ちたような美しい青色の、全長6メイル程の風竜の幼生。それが彼女の使い魔だった。風系統のメイジの使い魔としては最上の部類である。それだけとっても彼女の実力の高さが窺える。加えて先ほどのフライの制御の緻密さ。彼女に任せておけば安心だろう。
「待って!私も行きます!」
「ミス・ヴァリエール……そうですね、そうしたほうが良いでしょう。 ミス・タバサ、お願いできますか?」
「構わない。乗って」
「ありがとう……ミス・タバサ……」
「…………」
タバサは黙って首を横に振って応えた。そのまま手に持つ杖で使い魔の頭を軽くたたく。
「学園まで。急いで。でも慎重に」
「きゅいきゅい」
そうして一気に、だけど静かに学園に向かって飛び去って行った。ともかくこれで一安心である。
――――本当に?
自分の中のあまり思い出したくない部分が告げてくる。あそこまで焼けた人間の救命など不可能だ、と。そう、自分は散々見てきたではないか。よく知っている。老人が、子供が、男が、女が、平民が、貴族が――――炎にまかれて悶える様を、絶叫を上げる様を、息が続かず痙攣する様を、すべて!全て!スベテ!自分は知って――――
(……いけないッ)
続く思考を強引に断ち切る。もう昔の話だ。今の自分には関係ない。
今は自分の教師としての責務を果たさなくてはならない。さしあたっては未だパニックの只中にある生徒たちをどうにかしなくては……。
※
「はい、じゃあそこに降ろして~……静かにね……」
「…………」
先生の指示に従ってタバサが私の使い魔(仮)をベッドの上に降ろす。自分の使い魔(仮)の事だというのに何もできない自分が恨めしい。本当になぜ私は魔法が使えないのだろうか。
「うひゃ~……何やったのこれ。 皮がほとんど焼けちゃって脂肪が見えてるよ~……うわっグロっ」
「「………………」」
患者に対してその態度は無いと思う。
「あれ?ゴメンゴメン。今のはちょっとした冗談よ。怒らない怒らない」
「冗談って……不謹慎です!人が死にかけてるんですよ!?」
「ん~……」
ふぅ、とため息をひとつつくと、先生は一転して真面目な顔をして話し出した。
「でもね、この保健室ではやれることに限界があるってのは覚えておいて。
いい?ここまでひどい火傷だと助かる目なんて殆どない。
備蓄の秘薬を片っ端から突っ込んでも助かるかどうか……だから私としては苦痛を和らげる「先生ッ」……なんだい?」
限界だった。そんな話は聞きたくなかった。眼前、先生のメイジらしからぬ白い服に縋りつく。
「秘薬のお金ならいくらでも払いますから……助けて……お願い……先生……助けてっ……~ッ!」
――後は、もう、言葉にならない。
「……あ~、分かった分かった! やれるだけやってみるから!」
わしわしと、乱暴に髪をかきまわされる。
「え?」
思わず顔を上げた。
「まったく、ひどい顔だねぇ……美人が台無しだよ?」
不器用に笑いながらこちらの目元を指でやさしく拭う。先生はよしっ、と一声気合を入れると奥の戸棚から秘薬を取り出し始めた。
「さぁさぁ出てった出てった! 悪いんだけど治療に集中したいからね! ここにいられても迷惑なだけ!」
空いた手を猫でも追い払うように、しっしっと振りながら、背を向けたままで先生は言った。
「あの……表で待っててもいいですか?」
「ん?ああ、そんくらいなら構わないけど、静かにね~」
「は、はい!……あの先生ッ!」
「な~に~?」
いつもと変わらない気だるげな返事。将来ああはなるまいと密かに思っていた女性――
「ありがとうございます!」
「ん」
面倒そうに背中を向けたまま振られる手、その姿が、何故だろう。今日はとても頼もしく見えた。
※
保健室を出て静かに扉を閉めたところで、唐突に何者かに袖をひかれる。驚いて振り向くと、そこにいたのは、
「ミス・タバサ……」
「……」
ここまで使い魔(仮)を運んでくれたタバサだった。保健室では一言も喋らなかった為、彼女もいたのをすっかり忘れていた。こちらが急に振り向いた事に驚いたのか眼鏡の奥で目を大きく見開いたまま固まっている。
「ええっと……」
「……」
まさかあなたが居たのを忘れていたため驚いたのだ、と正直に言う訳にもいかない。どうしたものかと迷っていると、彼女は無言で廊下の奥を指差した。
「講義」
「あ……」
そう今はもう次の講義の時間である。わざわざそれを言うために待っていてくれたのだろうか?無口で根暗だと思っていたが、意外と優しい子なのかもしれない。でも――
「ごめんなさい。今日は私お休みするわ」
今は何よりもあの使い魔(仮)の安否が気になる。こんな状態でまともに講義が受けられるとは思えない。
彼女は一言「そう」とだけ言うと廊下の奥へと去って行った。
彼女が去ってしばらくしてから、不意に気づく。
「あ」
そう言えば私は彼女にちゃんとお礼を言っていない。先ほどの驚愕が抜けきっていないのか、それともまだ動転しているのか……。どちらにせよ失態である。
独りになった私はため息をひとつついて壁にもたれかかり、そのままずるずると床にへたり込んだ。
思い返すのは召喚の時のあの興奮。予感が、いや確信があったのだ。あの召喚を経て現れた何者かは、きっと自身の最良のパートナーとなると。ドラゴンが欲しいとは言わない。マンティコアが欲しいとも言わない。それが、鳥でも、ネズミでも、ミジンコだって構わなかった……流石に構うか。
しかし、召喚されたのは人間(?)の焼死体だった。なんという皮肉だろう。世界はどこまで私に冷たいのか、と悲嘆にくれ絶望しかけた時、ふと、その死体がまだ死体になっていないことに気付いた。
まだ私の道は途絶えていない。この子はまだ生きている。だから―――
(どうか生きて……お願いッ……話したいことがいっぱいあるの……やりたいことも……きっと、あなたが居れば魔法だって使えるようになるはず……そんな気がするの……)
※
彼女は祈る神を持たない。彼女が信じていた神は彼女を救ってくれなかったから。
だから彼女が祈るとすれば、それは自分自身か、今も病床で戦っている使い魔か、あるいはそれを助けようと奮闘する何者かになのだろう。
※
ふっと、自分の周りが急に暗くなった気がしたので顔を上げる。
「ミス・タバサ……」
「……」
目の前には先ほど講義に向かったはずのタバサが立っている。彼女が立っているせいで影になっている辺りにちょうど私が収まっていた。
彼女の傍らにはなぜか椅子が2脚浮いていた。それを音もなく廊下に着地させるとそのうちの一つに座って読書を始めた。
「……」
わけもわからずそちらを見つめていると、顔をこちらに向けないまま、こちらの座っている床の方を指差す。
「はしたない」
指差された方に目をやれば、なるほど何時の間にやらスカートがめくり上がり下着が……って!
「ななななななななななな 「静かに」 ……」
クールビューティーってのはこういうものなのだろう。羞恥のあまり立ち上がって辺り構わず喚き散らそうとした私を絶対零度の声と視線で黙らせると、そのまま読書に戻った。
……格好いい。私が男なら惚れているか、一生舎弟になっているところだ。
冗談は置いておいて本当に彼女は何をしに来たのか。
「……あの、講義は?」
「休んだ」
「ア、ソウデスカ……」
思わず敬語になってしまう。
「……」 「……」
「…………」 「…………」
会話が無い。いい加減にこの沈黙を何とかしたいと思っていると
「座って」
彼女が座っていないもう一方の椅子を示された。そう言えば私は先ほどから立ちっぱなしだ。
「えと、いいの?」
「……」
無言で頷かれる。
「じゃあ、座るね……」
「……」
また無言で頷く。
「……この椅子ってどこから持ってきたの?」
「空いてる教室」
その教室があると思しき方向を指で示しつつ彼女は答えた。
――――先ほどからまさか違うだろうと思いつつ否定できないことがある。いっそ思い切って彼女に確認してみようか。
「……ねぇ、ひょっとして私を心配して来てくれたの?」
「……」
返事は無い。返事はないが、彼女の二つ名のように白い首筋がほのかに赤く染まっていた。
分かった事がある。この寡黙なクラスメートは、意外に優しく、そして照れ屋だと。分かってしまえば先ほどまでつらく感じていたこの沈黙も、心地良いように思えてきた。今なら、気負わず心の底から言える気がする。
「ねぇミス・タバサ」
「……タバサでいい」
「そう、じゃあ私もルイズでいいわ。……それでね、タバサ」
「?」
「今日はありがとう……本当に」
「……どういたしまして」
※
「…………うら若き乙女が何やってるんだか……」
処置を終えて保健室から出てみると、そこではルイズとタバサが肩を寄せ合って眠っていた。やれやれ、と嘆息しつつ彼女らが風邪をひかないように保健室から毛布を持ち出しかけてやった。
(人が苦労している間にいい気なもんだねぇ、まったく)
見れば二人して手なんてつないでいる。いったい何があったのやら……。
「……て……」
「ん?」
何やらルイズが寝言をこぼしているので、そちらの方に耳を傾ける。
「……生きて……」
「…………」
よく見れば目元にも涙が流れた跡があった。さぞかし歯痒かったに違いない。自分の使い魔が危篤だというのに何もできないというのは。
「大丈夫だよ。あんたの使い魔はもう大丈夫だ。2、3日中には歩けるようになるだろうさ」
そう言って頭を撫でてやると、心持ち寝顔が穏やかになった気がした。
「さっっっってとっ!やー久しぶりにまともに働いちまったなー……あ~疲れた……一服してこよーっと……」
肩をぐるぐる回してコリをほぐしながら、保健室に戻って机から紙巻きタバコを取り出す。いつもなら窓を開け、ウィンドを唱えて煙がこもらないようにして保健室で吸うのだが、重症患者が居る横でタバコをふかすのはさすがに不謹慎に思えた。
(仕方ない……中庭辺りまで足を延ばすかね……)
保健室から出て行く前、ちらりと件の"重症患者"を見やる。金、というにはやや茶色がかった髪に、切れ長の目。体つきも小柄ながらあの年頃の娘にしては考えられないほどしっかりと筋肉が付いており、それでいて体のラインを崩すほどは付いていない。絶妙なしなやかを保ったその肢体は可愛らしさよりも、何処か機能美を感じさせた。例えるなら虎のようなネコ科の動物、その野性的美しさを感じさせる少女だった。
「まぁ、これから色々あるだろうけどさ。チビ助の事をよろしく頼むよ」
一声かけて保健室から出て、中庭へ向かう。
私はあのチビ助(ルイズ)の事を、他の教師より幾分良く知っていた。よく実技に失敗して怪我をする度にここにきて治療を受けていたからだ。だからあの子の頑固さもよく知っているし、負けず嫌いなのもよく知っている。誰よりも努力家なのも、それでも耐えきれずに涙をこぼしてしまう事があるのもよく知っている(そうして彼女が保健室のベッドで声を殺して泣いているとき私は決まってタバコをふかして知らんぷりをする)。だから本当によかった。彼女が使い魔を召喚できて。その使い魔を助けることが出来て。
(まぁ、使い魔が人間だなんて聞いてなかったんだけどねぇ……)
いつの間にやら中庭についたので、煙草を1本取り出して口にくわえる。杖を煙草の先に近付けて、
「うる・あーの」
気の抜けた声で発火の呪文を唱えて火をつけた(これをチビ助の前でやると、貴族の誇りがなんだとうるさい)。そこから一気に深く息を吸い込んで肺を紫煙で満たし、そしてゆっくりと息を吐いた。煙がゆっくりと天に昇っていく様はいつ見ても何処か物悲しさを覚える。呆けたように口を開けてそれを眺めながらあの使い魔の事を思い返す。
(使い魔は人間、か……それもそれで前代未聞だけど、本当に人間なのかねぇ……?)
思い出すのは、治療の事。秘薬も残り半分を切ったところでそれは起こった。これまで何をやっても反応の無かった体が、唐突に治癒し出したのだ。秘薬を使えば使っただけ治癒呪文の効果が上がり、皮膚が再生し、眼球が復元され、髪が生えそろった。結局、秘薬を使いきるまでもなく治療は終わった。
(あたしゃ、失われた眼球が魔法で治ったなんて話は聞いたことが無いんだがねぇ……)
そう、魔法にも限界がある。失われた腕や足を補う方法は魔法にも存在する。しかしそれはマジックアイテムで補うと言うだけで、そのまま以前の腕や脚を再生するということではない。まして今回は複雑で補填の難しい眼球である。大体全身があんなに早く回復することなんてあり得るのだろうか。
(私の魔法の腕が急に伸びたところでそんな事が出来るとも思えないしなぁ……)
問題はまだある。復元された時にちらっと見た彼女の耳。
(……とがってたような気がするな~……)
耳がとがった種族と言えば、ここハルケギニアにおいて真っ先に思い浮かぶのはエルフである。曰く、人類の敵。曰く、人を食う。曰く、メイジ100人分の脅威の戦闘力。要するに超危険なのだ。
(あ~早まったかな~でもチビ助の使い魔だしな~助けないわけにも行かないしな~うお~)
ガシガシと頭をかきむしってもいい考えはさっぱり浮かばなかった。
(あ~いいや!なるようになるだろ!)
結局考えを保留して、煙草を楽しむ。今日もまた旨かった。
「おや、ミナト先生。休憩中ですかな」
「ありゃ、コルベール先生。いやなに仕事納めの一服ですよ」
通りがかったハゲが声をかけてきた。手には木箱を持っており、中にはよくわからないガラクタが詰まっている。
「ああ、それはお疲れ様です。それで、その、ミス・ヴァリエールの件ですが……」
「え?ああ召喚の儀の監督はコルベール先生でしたか。大丈夫、今頃廊下で寝てますよ」
「廊下で……?いや、とにかく私の方から学園長には掛け合って、何とか再召喚が出来るよう取り計らいますので……ミナト先生、彼女のメンタル面のケアはどうかよろしくお願いします……」
ん?ひょっとして彼は使い魔が死んだと思っているのか?
「いやいや先生。使い魔さんはピンピンしてますよ。もう2、3日もすれば立って歩けるようになると思います。まぁおかげで水の秘薬のストックはすっからかんですがね」
「……え?」
―――妙な反応だ、顔を真っ青にして。まるで太陽がいきなり西から上ってきたみたいな驚き様だ……
「コルベール先生?」
「え?あ、いや、それは目出度いですな!あっはっはっで、では使い魔さんが回復したら私に知らせてください。その時にコントラクトサーヴァントを済ませてしまいましょう!ミス・ヴァリエールにも伝えておいてください!それでは!」
「あ……」
言いたいことだけ言って去って行ってしまった。何だと言うのだろうか。
まぁいい。今夜は二つの月が特に奇麗だ。こんな日は格別にタバコが旨い。とはいえいつまでも廊下にあの二人を放置しておくわけにも行くまい。名残惜しいがこれを吸い終わったら、さっさと戻って二人を寮に返さなくては……。
※
夢うつつに、声を聞いた気がする。
確か「イキテ」だったか……生きて?一体自分に生きてほしいなぞと望む者がいただろうか?
ああ、何故だろうとても静かだ。あれほど喧しかったアイツの声も今は聞こえない。
ここは地獄?それとも天国?
考えるまでもない。これまでの行いを振り返ってみれば前者に決まっている。
しかしそれにしても体中が痛い。痛くはあるが地獄の責苦と言うほどではなく、極楽の心地と言うには程遠い。なんとも中途半端な痛み。これは現世の苦しみだろう。
――――どうやら私はまだ死んでいないらしい。
試しに動こうとしてみると体を動かす事が出来た。大変な苦痛を伴ったが。そこで大変な労力を使って瞼を動かしてみる。
最初に目に入ったのは白い天井。
そして、鼻をつく独特の薬の臭い。体の方に目をやれば包帯で全身ぐるぐる巻きにされた己の体。治療が行われた跡が窺える。
どうやら私は何処かの医務室に寝かされているらしい。
失敗した私を結社の連中が助けるとも思えないし、どこぞの酔狂な輩が自分をあの場所から連れ出したということか。目的は不明だがこんなに丁寧な治療を施すぐらいだ。目覚めて早々に殺されると言ったことは無いだろう。
次いで自己診断をしてみる……どうやら私の機能のほとんどは手痛い打撃を受けて沈黙しているようだ。流石に第七地獄の炎は伊達では無かったらしい。
それで"耳"も麻痺した為この静かさなのだ。
という事は、いずれ機能が回復したら自分はまたあの騒音に悩まされるということだ。それまでせいぜいこの静けさを楽しませてもらうとしよう。
それにしても何という皮肉か。夢破れて初めて自分の願いがかなうとは。だがもうそんなことも今はもうどうでもいい、体の痛みも気にならない。とにかく今はこの静けさの中で泥のように眠りたい……嗚呼……なんて……静か……
※
その晩、本当に久方ぶりに彼女は夢を見た。誰もいない草原で横になって流れる雲を追う夢を。現実の彼女の頬に伝う涙を、ただ二つの月だけが見ていた。
・あとがき
軽く改訂。見栄えを良くするにはどうしたらいいのやら。
とりあえず・・・を三点リーダーに変換。