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[20854] 【短編】鴛鴦夫婦が産まれた日
Name: しゃれこうべ◆d75dae92 ID:d72ed1d6
Date: 2010/08/06 19:32

「ふぁ~~~~~~……」

間抜けな大欠伸と共に彼女は目を覚ました。
手足をうーんと伸ばしながら上体を起こして、寝起きの顔をごしごしこする。


「あー、よく寝たな。っていうか凄い寝た気がするよ。今何時かなぁ」

丁度枕元に時計があったので目をやる。


「えーっと、なんだ、まだ6時じゃん。起床ラッパまでまだ時間があるよ」

よかったよかったと安堵するや、彼女…鑑純夏は、その時計に妙な違和感を覚えた。


「え?2004年2月3日?」

何度もチェックするが、時計は確かにその日付を告げている。


「やだなぁ。今年は2001年…いや、もう2002年になったんだったかな。
とにかく2年以上も狂ってるなんて」

と、正しい日付に戻そうとするが、今日が何月何日なのか把握できない。
ついでに、自分が何時眠りについたのかも思い出せない。

「あれ?」

そこでしばし思考。
こう見えても量子伝導脳は伊達じゃないのだ。
人類英知の粋を結集した、とてもすごいこんぴーたーで、今起こってる現象を
論理的に導き………出せない???


「あれれれ?なんだか考えが纏まらないよ?タケルちゃんが叩くからバカになったかな…」
「お前は元からバカだろ」
「なんだと~!!私に謝れ!!」

反射的なノリツッコミ。
彼が其処に居ることに気がついたのはその直後だった。

「え…!?」

ベッドの隣で、見慣れた、とても愛しい笑顔が純夏を見ていた。



「おはよう、純夏…」

彼は興奮を堪えながらそう言った。
目の中にありったけの涙を溜めながら、まるで純夏が起きたことが奇跡でもあるかのように、
純夏を…そして彼女と再会出来た自分を、祝福している。

「タ、タケルちゃん……!?」

純夏は目の前の事象に、困惑していた。

――何故、彼がここにいるのか。
――何故、私がここにいるのか。
――私は死んだはずではなかったか。
――彼は帰したはずではなかったか。

寝ぼけた頭の中を様々な疑問がぐるぐる回るが、それらは全部次の瞬間に押し流された。


「純夏あああああああああ!!」

純夏の考えが纏まらない内に、白銀武は純夏に飛び掛ると、めいっぱいの愛情を込めて
彼女を抱き締めた。

「え?ええ?えええええ?」

こうなると先ほどまでの疑問よりも、何故武がこんなことをしているのかに、頭が行く。
しかし考えて分かるものでもなく、純夏に出来ることは空気を読んで、
武の背中に黙って手を回すくらいである。

「うああああ……純夏ぁ、純夏ああああ………」

武から溢れ出る涙が純夏のパジャマを濡らして行く。
純夏は黙って、武の想いを受け止めた。


そして数分経過。
ようやく落ち着いた武は純夏を離した。

「ごめんな純夏。お前には何がなんだかよく分からないよな。あんまり嬉しかったからさ…」
「う、うん。タケルちゃんが嬉しいのは私も嬉しいからいいんだけど。一体どういう…」


ロック解除の音がしてドアが開いたのはその時。

今度は、見慣れたドレスっぽい改造軍服を着た一匹のウサギが勢い良く飛び込んできた。
よっぽど急いで来たのか、ひどく息を切らして、据わった目つきで純夏を方を凝視している。
そして目の前の人物が本当に起きていると認識するや、その表情は一気にひしゃげた。

「か、霞ちゃんっ!?」
「純夏さんッ!!」

ドレスの裾を持ち上げ、ダダダダダッと勢い良くダッシュした霞はそのままジャンプ。
靴も脱がずにそのまま純夏の胸元へと飛び込んだ!!
純夏が上体を起こした状態のまま彼女の華奢な身体を受け止めると、
二人はやはり武と同じように抱き合った。

「よかった…!!目が覚めたんですね!!」
「え?う、うん、おはよう霞ちゃん
「うわあああああああああん!!すみかさああああああん!!」

先程までの武同様泣きじゃくる霞。
純夏のパジャマはもうぐちゃぐちゃだ。本人は気にしてないけど。

「よ、よしよし。いい子だから泣かないでね。っていうか背伸びた?タケルちゃんは老けた?」
「老けたは余計だッ!!」
「ぶーっ、本当のことじゃん」
「何をっ!!」


―ぱんぱん。
ドアが開いた際入ってきたのは霞だけではなかった。


「はいはい、病室でそれ以上騒がない」
「香月先生ッ!?」
「おはよう鑑。随分お寝坊さんね」
「はぁ……す、すみません?」

未だ自分の立場が分からない純夏だったが、この雰囲気からなんとなく
自分は周りの人たちに心配かけたんだろうということは想像できたので、とりあえず謝った。
内容までははっきりしないので返事も曖昧ではあったが。

とりあえず落ち着いた霞を床に降ろして、夕呼に問う。

「あのー、先生?これはどういう…」
「おめでとう鑑。あんたはこの瞬間、BETAの捕虜になって生還した唯一の人間から、
BETAの捕虜になって五体満足で生還した唯一の人間になったわ」
「!!??」

それが何を意味するか。
それだけは現状が把握できない純夏にも理解出来た。

「まさかっ!?」

急いでパジャマを脱ぎ、自分の首元を見る。

「!!!」


道理で、一気に思考力が鈍ったはずだ。
無い。
00ユニットの外見上の象徴とも言える、首元のパテーションが無くなっている。


「香月先生!?」
「感謝しなさい。白銀にも。社にも。他の連中にもね」
「…!?」

そこでふと気配がしたのでドアの方を見ると、聞きなれた騒がしい声が廊下から漏れて来ていた。


――ちょっと、押さないでよ!!中じゃまだ白銀達が話している最中でしょう!?
――私は押してない。
――いやあ、純夏さんの手術が成功したって、良かったなあ。
――本当ですねー。
――まったくだ。鑑には桜花作戦での礼を述べさせて貰っておらぬからな。


「皆……!?」
「あいつら、お前が元に戻るのにめちゃくちゃ協力してくれたんだぜ」

この2年で何回ハイヴに突入したか、と言う武。
人類はこの2年で地球中のハイヴを攻略し、その技術をふんだくっていた。


「それじゃあ…!?」
「BETAに人体改造の技術があることは分かっていましたから、それの確保に尽力してくれました。
私と香月博士は、得られた技術から純夏さんの肉体を再現する作業を行いました」

続けざまに武が「そうだぞ。ちゃんと皆にお礼を言えよ」と言おうとした時。


「あ…ああああ………ッ!!」

純夏が急に頭を抱え、苦しみ始めた。


「純夏ッ!?」
「純夏さん!?」
「記憶が蘇ってきているのね」

夕呼の言う通り、2年間のこん睡状態からはっきりしなかった意識と記憶が、
元に戻ろうとしている。
純夏の脳裏に、かつての記憶が鮮明に蘇る。


―武と過ごした平和な十数年が。

―BETAへの恐怖心が。

―愛する者を失った悲しみが。

―ヒトとしての尊厳を失ったあの屈辱が。

―許されざる罪が。

―そして、贖罪の為の戦いが。


「あ、あああ、あああああ……!!」

ベッドの上で純夏は震える。
自分の身体を抱えて、何かに怯えるように小さくなって震える。
恐怖。
自分の罪を知って尚受け入れてもらえるのか分からぬ恐怖感。
拒絶されるのではないかと怯えた瞳で、武と霞と夕呼を見る純夏。

しかし、そんなものは無用だった。
誰よりも重い苦しみを背負って戦った純夏を責める者など、この基地にはいない。



「バカ…」

穏やかな口調で武はそう言うと、優しく純夏を抱きしめる。

「タケルちゃん…!?」
「気にすんなよ。お前は悪くなんかない。むしろお前が世界を救ったんだぞ?
胸張ってりゃいいんだよ。お前には元気な姿が一番似合うんだしさ」
「タケルちゃんッ……!!あ、ありがとおおおおおおお……!!」


その言葉で純夏はどれほど救われただろうか。
今度は純夏が大粒の涙を浮かべて武の胸に顔を埋めた。
そして霞と夕呼の方を見ると、二人にも頭を下げた。

「か、霞ちゃんも香月先生も、ありがとう……!!」


「純夏さんが喜んでくれれば私も嬉しいです」

霞はそう言うと、2年前からは想像もつかない、ニッコリとした笑顔を見せた。


「私は研究の合間の暇潰しで付き合っただけよ。感謝されることじゃないわ」

そう言う夕呼が誰よりも苦心したことは、目の下のクマが物語っていた。
脳髄状態の純夏に手を下したことを後悔してはいないが、
元に戻してあげなければという使命感は本物だった。本人は認めてないが。



「さて、そろそろ他の連中にも会ってあげなさい。面会はまだかまだかって煩くてね」

純夏に断る理由などない。喜んで、会わせて下さいと頭を下げた。

「ただし、連中には00ユニットとか因果の秘密はバラしちゃダメよ。
あの娘達にはあくまで、あんたの持病を治したとしか伝えてないからね」

夕呼が「社」と呼ぶと、霞はてくてくてくとドアまで歩いていって、ロックを解除した。
次の瞬間、霞を押しのけて雪崩れ込む5人の女性達。
すなわちオリジナルハイヴ突入組…旧207B分隊の面々である。

「鑑!!」
「鑑ッ!!」
「鑑…!!」
「鑑さん!!」
「純夏さん!!」

冥夜、千鶴、慧、壬姫、美琴。
『元の世界』でも大切な友人であった、『この世界』の戦友達。
純夏が自分の命と引き換えにしてでも守りたかった大事な人たちは、
全員無事に生還していた。その事実を直に目の当たりにして、純夏はまた涙を浮かべた。

そして真っ先に突っ込んできた冥夜と、熱い抱擁を交わす。

「冥夜ぁ…!!」

ついつい嬉しさの余りそう叫んでしまった純夏だが、言ってから気付いてしまった。
その呼称は『元の世界』のものだと。
『こっちの世界』では皆と知り合って日も浅いまま、桜花作戦を迎えてしまった。
なので向こうは武経由で純夏の人となりを知っているが、直接会話したことは少ない。

――ちょっと馴れ馴れしい奴だと思われちゃったかなぁ…?

不安げに冥夜を見ると、彼女もまた泣いていた。おもいっきりの笑みを浮かべて。


「…え?」
「そなたは……そなたは私を冥夜と呼んでくれるのか!?友として認めてくれるのだな!?」

そう叫ぶと冥夜は抱擁を解いて、今度は熱い握手を交わしてきた。

「いや、すまぬ!!このようなことを確認するまでもなく我らは戦友(とも)だったな!!
許すが良い、これからは私もそなたを純夏と呼ぶぞ!!」
「冥夜…!!」

すると他の4人も「千鶴でいいわ」とか「慧って呼びたい?」とか
「壬姫って呼んでください」とか「美琴って呼んでよー」とか言ってきた。
別に差をつけるつもりは無いのだが、純夏なりにしっくり来るのはやはり『元の世界』の
呼称だったので、千鶴は「榊さん」、慧は「彩峰さん」、壬姫は「壬姫ちゃん」、
美琴は「鎧衣さん」と呼ぶことに決めた。

若干の不満も出たが、最終的に「鑑が呼びやすいならそれで良いか」ということで
決着してくれる辺り、皆話の分かる良い人たちである。
純夏は5人に感謝の意を示し、5人も桜花作戦で純夏に守ってもらったことに感謝した。
そこから交わされる友情、盛り上がる談笑を純夏は心から楽しんでいた。


「よかったな、純夏…」
「よかったですね、純夏さん…」
同い年の女の子同士の会話を邪魔するような無粋な真似は、武も霞もしない。
二人は一歩退いたところで、楽しそうな純夏を見守っていた。





冥夜たち5人が去った後、残されたのは最初の4人。
つまり武、純夏、霞、夕呼。
本当は武だけが残りたかったのだが、他の二人も残ったのは、答え合わせの為である。

まず因果導体でなくなった武が消えていない理由。
次に『向こうの世界』の安否。

いずれも純夏の中に情報が流れ込んできており、それは夕呼の仮説とも一致した。

桜花作戦終了時、武の身体が青白く光った瞬間に並行世界は再構成され、
武を構成していた大勢の武達は元いた世界へと帰っていった。
この武は、武自身が「残りたい」と強く願ったがために、『この世界』の武の因子をベースに
再構成された存在。
記憶は一応引き継いで入るものの、因果量子論的には『この世界の武』で正解らしい。

答え合わせが終わると「それが分かればいいのよ」と夕呼はあっさり退散。
霞も空気を読んで、「ごゆっくり」と病室を出た。


「…意外でした」
「何がよ」
「香月博士は、火星攻略まで純夏さんを00ユニットから解放する気は無いと思っていました」


霞にとって、今回の夕呼の行動はトロピカルジュースに砂糖と蜂蜜を大量に
ぶち込んだものより甘い処置だった。
香月夕呼は必要とあれば親友の死さえ厭わず計画を練る女である。
よもや温い仲間意識に触発されることなどあり得ない。
00ユニットと凄乃皇があるのと無いのとでは今後の対BETA戦略が大きく変わるというのに。
この件に関しては、自分が物凄く甘い判断をしたことを夕呼は認めている。


何故そんなことになったかと言えば、やはりらしくないが「感謝」の気持ち故であった。
純夏が行った人類への貢献で主に記録に残るのは、桜花作戦と後の月面オリジナルハイヴ攻略戦の
2つくらいなのだが、水面下では多大な戦果を挙げている。
BETAの情報を得たこと。白銀武を召喚したこと。そして因果律を捻じ曲げたこと。


夕呼の因果量子論においては、意思の力が世界に及ぼす影響は大きいとされている。
では、この世で最も大きく強い意志と言えば、なんだろうか?

それはやはり世界の意思、大宇宙の摂理…言い換えれば歴史の力と言われるものであろう。
気の遠くなるくらいのサイクルで万物が死と転生を繰り返す大宇宙の歴史の中で、
太陽系の第三惑星なんてド田舎に住むたかが10億にも満たないちっぽけな生命体が
ある日突然息絶えようと、それは不思議でもなんでもない。
歴史上確かに人類は、200X年にBETAによって駆逐されると決まっていたのだ。

しかし純夏はそれを認めなかった。
動機はまったく違うところにあったものの、彼女は確かに宇宙の意思、歴史の力に抗った。
200X年に確かにBETAに滅ぼされた人類を、時間を戻すことで再生させた。
この時点で一度、人類は宇宙の意思から逃げ延びることに成功している。
しかし宇宙の意思は強大だ。
いくら時間を戻しても、正史…「正しい歴史の流れ」をなぞるように、死の運命を運んでくる。
だが彼女は、何度も何度も時間を巻き戻し人類を再生させ続けた。

大宇宙の意思と恋する乙女。2勢力による、時空を超えた綱引き合戦。

無限とも言える回数行われたその戦いは、とうとう大宇宙の意思を敗北せしめる。
武の言う『2度目の世界』において、人類は歴史の流れを屈服させたのだ。
それは人類全員で掴み取った尊い勝利なのだけれど、
その導き手となった勝利の女神が鑑純夏であることは疑いようのない事実である。

因果量子論の科学者として純夏の功績のスゴさを理解しているが故に。
また、純夏の回し続ける世界で人類に突破口を作り上げた白銀武に敬意を表し。
夕呼は純夏を人間に戻し、前線から身を引くことを許したのだ。


「まぁ、たまにはいいでしょ。その分白銀とあんたにはみっちり働いて貰うわよ」
「はい…!!」





夕呼と霞が退散した後、純夏の病室に残されたのは二人だけとなった。


「タケルちゃ…ああっ!?」
「純夏ッ!?」

今度は立って抱きつこうとベッドから起き上がろうとした純夏のバランスが崩れる。
ベッドから落っこちそうなところを武が「大丈夫か」と腕で支え、ベッドに戻す。


「純夏は新しい身体な上に2年間寝てたからな。まともに歩くにはリハビリが必要なんだ」
「そ、そうなんだ…」
「あと気付いてると思うけど」
「うん…」

少し複雑そうな面持ちで頷く純夏。
武の言いたいことは既に分かっている。
純夏は確かに生身の肉体を取り戻すことに成功したが、
00ユニット時代の特性が全て消滅した訳ではないということに。

ハッキング能力は流石に無いが、リーディングとプロジェクションのスキルは
量子伝導脳から生身の脳に意識が戻された際に、丸ごと移ってしまった。


「お前は自分の能力嫌ってたのにな…」

ごめんなと謝る武。
しかし純夏が武に向けたのは、笑顔だった。


「それって…私にはまだ出来ることが残されてるってことだよね!?」
「…!?」


00ユニットでなくなったとは言え、人類最高のESP能力者は言うまでもなく純夏だ。
彼女が月面の前線に出れば、再び人類の対BETA戦略に大いに貢献するだろう。
しかし武はあくまで反対だ。
せっかく生き返った純夏には、後方で自分達を支えて欲しいという思いがある。
しかしその感情を、次の純夏の言葉が吹き飛ばした。


「私も、まだ皆と…ヴァルキリーズとして戦えるんだよね!?」
「純夏……!!」

なんて強い奴なんだ、と武は自らの幼馴染に感銘を受けた。
純夏は忌むべきものと考えている自分の力を、皆の為に役立てようと…
それが大勢の人々の為になると信じて、恐れず使うことを決めたのだ。
その決意の瞳は強く輝いていて、覗き込んでいる武は吸い込まれそうになるくらい、
その光に焦がれていた。


「私頑張るよ。凄乃皇が操れなくてもちゃんと皆の役に立てるように、、
頑張ってリハビリと訓練を重ねるんだ!!」

後の話になるが、純夏は霞との猛特訓によりコンピューターを上手く扱えるようになり、
前線では武の機体の副座に座り、月のBETA情報を整理して夕呼に送り続けた。
子供ができた関係で、純夏の参加は月面オリジナルハイヴ攻略戦に留まったが、
そこで得た莫大なBETA情報は間違いなく人類のその後の戦略を左右したのだった。



「ね?タケルちゃん!!」
「おう、俺も頑張るぞ!一緒に頑張ろうな!!」

そうして3度目の抱擁と熱いキス。
その後武から純夏にプラチナの婚約指輪が手渡され、純夏は喜んでそれを受け取った。


この2004年2月3日。
白銀武と鑑純夏は晴れて婚約者となった。
以後二人は人生のパートナーとして、支えあって生きていく。



…と、ここで幕が降りれば、この物語は綺麗な恋愛談として終わるのだろう。
しかし彼らは、二人の人生のスタートラインに立ったばかりなのである。
まだまだ幕は降りはしない。
二人の人生にはこれからも様々なトラブルが待ち受けているはずなのである。

これは白銀武と鑑純夏という、世界を救った二人の救世主が、その生涯において
体験した大小様々なトラブル……その1つを、取り上げたものである。






マブラヴオルタネイティヴ短編SS
====鴛鴦夫婦が産まれた日====







「タケルちゃん…。さよなら、しよう」



2004年12月31日、横浜基地PX。
全員の注目を浴びる中、コート姿でスーツケースを持った純夏はそう切り出した。
武に手渡される、婚約指輪とサンタウサギ。



「えっ…?」

武の思考が一瞬停止する。


――何を言ってるんだお前は。

――お前は俺の恋人じゃないか。

――俺のこと、好きなんだろ?

――そのお前が俺を…振るっていうのか?

――そんなことが起こるのか?

――起こりえるのか…?

――お前は俺の半身だろ?

――なぁ、純夏……?


「すみ……か……?」

呆然となったまま、武は恋人の女性を見る。
いつも太陽のように笑っているその顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
それを見て、「ああ、本気なんだ」と思った。
しかし不思議と実感が沸かない。
自分が純夏に嫌われるということが実感できない。


――だって、あり得ないことだろ?

――鑑純夏が白銀武を本気で袖にするなんてある訳ない。

――ああ、きっといつかの演技なんだ。


必死でそう自分に言い聞かせる武。
しかし純夏はそんな武の脇を通り抜け、一人駆け出した。


「おい、純夏……」

武は唖然となって彼女の名を呼ぶが、純夏はそのまま走り去っていく。
そこへ来てようやく、武は、自分達が破局の危機を迎えていることを実感した。
急いで自分も踵を返し、必死で名を呼びながら追いかける。

「待てよ、純夏ッ、純夏ッ!!」
「ごめん…ッ!!私もう、タケルちゃんの彼女じゃいられないよッ!!」
「純夏ッ!!」


全力で走るまでも無く、武の体力なら純夏に追いつける。
しかしそれを許さない力が武の腕を掴み、後ろへと引き戻した。


「何するんだ、お前ら!!」

「追ってどうするつもりだ?」
「少しは鑑のこと考えたら?」

冥夜と千鶴は口々にそう言う。
彩峰は武が逃げないようにしっかりホールド。
壬姫と美琴はコメントし辛そうに後ろで見ている。


「どうするって…話をするに決まってるだろう!?いきなりあんな…!!」
「今のあなたに彼女を引き止められるだけのものがあるの?」

千鶴の武を見る目は白い。
いやよく見ると、PXにいる誰もがじと~~っと、武の方を見ていたのだ。


「な…なんだよ。純夏がいきなりあんな風になったのが俺のせいだっていうのかよ」
「心当たりが無いとは言わせん」
「”あれ”はもう、純夏との間で決着をつけて…!!あいつは許してくれた!!」
「………呆れた。これでは純夏が駆け出したくなるのも道理か」

冥夜に合わせて周囲もやれやれとリアクションを取る。
白銀武は完全に孤立していた。



「くそっ、お前らと話してても埒があかねぇッ…!!」

まだ間に合う。
彩峰を振り払い、冥夜と千鶴の追撃をかわして、廊下を疾走する。
小さくなっていた赤毛はみるみる大きくなっていく。
息を切らしたダッシュの甲斐あって、彼女が基地を出る前にその肩を捕まえる
ことができた。

「待てよ、純夏ッ!!お前どこ行くつもりだよ!?」
「どこでもいいでしょ…?」

純夏は顔を向けてくれない。
恐らくまだ泣いているらしく、声は震えていた。


「”あの事”でまだ俺を怒ってるのか!?
あれは俺が悪かった、本当だ!! 
信じられないかもしれないけど今度で最後だ!! 
信じてくれ、純夏!!」
「……分かってないよ」
「え?」
「だからタケルちゃんとは一緒になれないんだよッ!!」


途端に踵を返すと、その手を振り上げる純夏。

(どりるみるきぃぱんちッ!?)

武はとっさに身構えた。
しかしその手で拳が作られることはなく。
振り下ろされた彼女は、その手のひらで武の頬に軽く当たった。


―ぱちん。


どりるみるきぃに比べれば威力など皆無に等しい、弱弱しい一撃。
まったく痛くないはずなのに。
心へのダメージは、どりるみるきぃ100発と比しても、遥かに大きい。

少し赤くなった頬に無意識に手を当てる武。


(ビンタ…?あの、純夏が……?)


またも呆然。
純夏はまだ泣いている。涙を見せまいと顔を俯かせているけど、
泣き声が漏れてるし肩も震えている。
そしてビンタ。
それが何を意味しているのかくらい、武にも分かった。


「ごめんね……。さよならっ…!!」


だから去り行く純夏をそれ以上追うことなど出来なかった。
幼馴染に打つパンチなどとは格が違う…
一人の女性として、一人の男性を拒絶したのだという意思の表れ。


「…………」

武はすごすごと、来た道を戻り始めた。
こうなったらあの人に頼るしかない。

武は基地のエレベーターのボタンを押した。





「先生ッ!!」

”困った時の先生頼み”は最早白銀武の癖であった。
地下19階に降りた武は副司令執務室のドアを開け、夕呼に言い寄る。


「純夏が出て行きましたよ!?止めなくていいんですか!?」

純夏復活から1年弱。
まだ人類は月面オリジナルハイヴを叩く準備が出来ていない。
桜花作戦から2年かけて地球中のハイヴを潰したは良いものの、
人類は保有する戦力の大半を失った。
この1年は人類にとって、月を落とし得る兵力の増強に苦心した年だった。
この間武達は月攻略の戦略を練ったり、専用の訓練を重ねていた。

夕呼は元々純夏をそこに加えるつもりはなかったのだが、本人がやりたいと言うなら
止める理由は無い。
となると対BETA諜報員の彼女は非常に重要なポジションを担ってくるので、
易々と計画から降ろす訳にはいかないはずなのだが。


「いいわよ。私が許可したんだし」
「ええっ!?」
「勘違いしないで。1週間冬休みをあげたのよ。あの娘の仕事は神経使うから、
月の前線に行ったけど頭が疲れててリーディングできませんでしたじゃ済まないの。
誰かさんのせいで余計な負荷かかってるみたいだったし。
東北あたりでゆっくりして、気持ちの整理つけたら戻って来いって言ってあるわ」
「………!!」

そうですか、などと頷ける武ではない。
整理をつけるとはつまり、武との関係に自分なりにケリをつけると言うことだ。
1週間後横浜に戻って来る時は、恋人でも幼馴染でもない、仕事の同僚として
割り切った彼女を見ることになるのだろう。


「そ…そんなこと、許せるかよッ…!!」

他の事ならともかく、白銀武にとってそれだけは絶対に譲れない一線だった。
自身の半身とすら言える彼女の存在が、ただの仕事仲間になるなど、
許されることではない。
ふと脳裏に過ぎるのは、修正される前の『向こうの世界』の記憶。


――おはよー、白銀君。


幼馴染でも恋人でもなく、ただのクラスメートとして自分を見る彼女。
思い出しただけでもゾッとする。
まぁ、あそこまで他人面する訳ないだろうが、武にとっては同じことだ。
彼女の中で自分が特別なものでなくなるという事実に、武は耐えられない。

(なんとかそれまでに純夏を引き止めて、話をしねぇとッ…!!)

しかし彼女は既に基地を出た。
今から追ってもすぐには追いつけまい。


「東北の何処行ったか分かりませんか!?」
「それを聞いてどうするの?」
「追うに決まってるじゃないですか!!俺は、純夏を手放したくない!!
あいつが俺じゃない、他の男と結ばれるかも知れないなんて、考えたくもない!!」
「あらっ」

武の熱弁などどうでもいいと言わんばかりに声を挙げた夕呼の視線は床に行く。
そこには、同じタイミングで机の上からひらりと舞った1枚の切符。
武はそれを拾い上げる。
なんと今日発車する、上野発の夜行列車の切符である。
東北にあるどこぞの温泉地の駅名が書かれていた。

「えっ…?温泉!?」
「鑑が行きたいとか言ってたから用意してあげたのよ」

ちなみにそっちは自分の為に買ったんだけど、
めんどくさくて行きたくなくなったのよね…と夕呼は漏らした。
なんだか話が上手過ぎる気がしないでもなかったが、武はその切符を握り締めた。
それが最後の可能性なんだと己に言い聞かせて。


「夕呼先生!!これ、ください!!」
「あんたにも冬休みをあげることくらいは出来るわ。その切符もね。
けど、今のあんたに鑑を繋ぎ止められるのかしら?
あの娘の気持ちも理解しないままに追っても、逆効果よ」
「それでも…何もしないよりマシですッ!!」

それだけ叫ぶと武は切符を持ったまま夕呼の執務室を後にした。
顔には明らかに焦りの色が見え、まともな思考が出来ているようには見えなかった。
まずは、何故彼女が怒っているのかを冷静に考え、落ち着いて対策を練ってから
純夏に話を持ちかけるべきであろうに。

成長したかに見えても相変わらずな猪突猛進ぶりに、
”先生”としては頭を痛めずにはいられない。

「はぁ……。あれから3年も経つって言うのに相変わらずガキよねぇ」
「白銀さんは、純夏さんの気持ちに気付いてません…」

何処からとも無く現れた霞の手にはコーヒーモドキの乗ったお盆。
夕呼は「ありがと」とそれを受け取ると口へと運ぶ。

「このまま行くとどうなると思う?社」
「………」

霞には答えられない。というか、口にしたくなかった。
霞にだって信じられないのだ。
あれほど強固な絆で結ばれたあの二人が、結ばれて僅か3年……
実際には1年弱しか経たずに、破局の危機を迎えるなんて。


「あれだけの試練を乗り越えたお二人は、何があっても大丈夫…。
お二人ともそう信じていましたし、私もそう思っていました…」

本当に、何故…?と、霞は呟く。


「姉の受け売りだけど、大丈夫と思ってるものほど案外脆いものなのよ。
強い絆で結ばれた恋人同士が、ある日突然別れたなんてよくある話。
分かったつもりになってて分かってないってのが一番怖いのよ。
あいつらは幼馴染だけど、恋人としては1年も付き合ってないんだから」

まぁ、もし来るべき時が来てしまった時はしょうがないわよね、と夕呼は付け足す。
しかし霞は絶対にそんな結末を見たくは無かった。


”白銀武は鑑純夏と居て初めて白銀武である。”

”鑑純夏は白銀武と居て初めて鑑純夏である。”

互いを半身と称する二人の絆を、霞は信じているから。
例え「そんなものはおとぎばなしだ」と言われたとしても、尚それを信じ通す。
だってあの二人は、そんなおとぎばなしのような愛情パワーで、世界を救ったのだから。


(白銀さん…。純夏さん…。どうか、仲直りしてください。
お二人が仲良くしてい所に、また私を混ぜて欲しいです…)

霞は黙ったまま天井を見上げ、そう願った。
ちなみにその後ろでは、夕呼が受話器を取って、何やら怪しげな笑みを浮かべていた。





「待ちなさい白銀」
「タケル。話がある」
「悪いがお前らと話してる場合じゃないんだよッ!!」

武は本当に焦っていた。
それは、自分に心当たりがあるから。
純夏が自分に愛想尽かして出て行ってしまうような心当たりが、武にはあったのだ。



――”あれ”
――”あの事”

先ほどから話題に挙がるこのキーワード。武はそれこそが原因と考えていた。
事が起こったのは今年の7月7日。
よりにもよって、純夏の誕生日である。

すっかりリハビリを終えた純夏も加え、武達は訓練に明け暮れた日々を送っていた。
他にも部下の訓練やら事務仕事やら夕呼の雑用やらにも駆り出され、武は疲れていた。
なのでその日は一緒に寝る約束をしていたにも関わらず、「疲れてるので簡便して欲しい」
と純夏に頭を下げた。
当然、そこでゴネるような真似は純夏はしない。


――しょうがないよ。タケルちゃん頑張ってるもん。ゆっくり休んでね。

純夏はいつもの笑顔で武の体調を気遣ってくれたのだ。
しかし問題なのは、そう言って純夏を追い返したはずの武の部屋から、
見知らぬ女性の喘ぎ声が聞こえてきたことである。

流石に武や純夏と親しい関係にある女性に限ってそういうことはないのだが、
名前も知らない基地の女性兵士の中にも武を慕う者は大勢いる。
その内の一人が「明日危険な任務に出ます。この世の名残に一晩だけお願いします」と
忍び込んできたのを、武は受け流せなかった。
そして、その事はあっさりとバレた。

武はどりるみるきぃぱんち100発分は覚悟したが、純夏は一切怒らなかった。
ショックと、嫉妬と、悲しみを全部無理やり押さえ込んで作ったぼろぼろの笑顔で、
純夏は武を許した。


「良いのか純夏!?そなたはタケルの…!!」
「しょうがないよ…。今私が生きていられるのはタケルちゃんのお陰…。
タケルちゃんがそうしたいなら、このくらいのことは、我慢してあげなくちゃ…」


冥夜とそんな会話を交わす純夏を見ていると罪悪感に苛まれて
どうしようもなくなって、武は床に頭をこすり付ける程に謝った。
純夏は相変わらず無理に作った笑顔で許してくれた。

以降その話題が蒸し返されることはなく、武も純夏も何時も通りの日常を送って現在に至る。
だが、心の中で燻っていないはずはないのだ。
鑑純夏が白銀武をどれほど愛しているのか、知らない武ではないのだから。


(やっぱり、あの時は許してくれたけど、あれが尾を引いていたに違いない…!!
あんなことがありゃ、信用出来なくなるもの当然だけど!!
けど、もう一度だけ、もう一度だけ信じてくれよおおおおおお!!)

急ぎ部屋に戻り、適当に荷造りをして、コートを羽織って外に出る。
手には例の切符。

(まだ時間はあるが…。念を入れて、帝都には早めに着いておいた方がいいな!!)

武はそう考えると勢い良く基地を飛び出した。
途中で千鶴や冥夜に呼び止められたが知ったこっちゃない。
武の視界には純夏しか入っていなかった。


自分達の制止も聞かず基地を飛び出していく武を見て、
冥夜を始めとする旧207B分隊の面々は溜息を漏らす。

「そなたら、どう思う?」
「タケルさんの考えていることは、多分間違っていると思います」
「そうだね」
「まったく、少しくらい話を聞きなさいよあの男は!!」
「頭に血が上ってるから無理…」

口々にそう言う、旧207B分隊の面々。
彼女達は、純夏が不機嫌になった理由を知っていた。
実は彼女達はその兆候にはかなり前から気がついていたのだが、
純夏からは「自分達で解決しなきゃいけないから」と口出しを止められていた。

それでも見かねた時には武にそれとなく忠告をしていたのだが、
鈍感なあの男に遠まわしなフォローがどこまで効果があったか。
そして更に事態が悪化した現在、もうダイレクトに伝えてやろうと引きとめようと
したのだが、頭に血が上った武は彼女達の言葉に耳を貸さず突っ走って行ってしまった。

全員が溜息を付き、「後は天に任せるしかないか」と武の後姿を不安げに見送った。
しかしそんな中、すれ違いざまに1手打てた慧は流石と言うべきなのだろう。


「彩峰。そなた、すれ違い様に、タケルの鞄に何を入れた?」
「鑑が鎧衣のお父さんからお土産に貰った奴。鑑の机の上に置いてあったから」
「あれ……ですか?」
「タケルがあれを見て気付くのを祈るしかないのかぁ」
「そう…。まあ、あれを見て気付かないようなら、それまでだものね」


千鶴は再度溜息をつき、鈍感な婚約者を持ってしまった純夏に同情した。





上野駅に早めに到着した武は、駅の周辺で時間を潰しながら夜まで待った。
切符に書かれた時刻は着々と迫ってくる。

(…あれか)

時間通りに改札をくぐると、東北方面行きの列車がホームに滑り込んできた。
と同時に、視界に入ってきた茶色のコートの女性。
どれだけの人ごみだろうと、あの長い赤毛と巨大な黄色いリボンは特徴的過ぎる。


(いたっ、純夏だ!!)

純夏は暗い面持ちのまま、そのまま列車に乗り込んでいった。
そのドアが閉まる直前に、武も後に続く。
そしてあたかも偶然乗り合わせたかのような口調で、背後から声をかけた。


「よう。純夏じゃねーか」
「ッ!?」

純夏の一房浮いた前髪が直立した。
予想以上に驚いた時の純夏の反応である。


「タ、タケルちゃんッ!?」
「お前もこいつに乗ってたのか。へぇ~」
「どどどどどどうして!?」
「とりあえず座ろう。ここに立ってちゃ迷惑だ」

不満そうな純夏の腕を強引に引っ張って車内へ。
純夏は別々に座りたかったらしいが、偶然にも車両の真ん中の席しか空いてなかったので、
そこに向かい合わせに座ることになった。


がたん、ごとん。

やがて車両は振動と共に上野を出る。
もう逃げられる心配の無くなった武は、座ってから一言も口を利かない純夏に頭を下げた。

「悪かったッ!!俺が悪かったッ!!」
「タケルちゃん…」
「お前の誕生日に浮気したこと、まだ怒ってるんだろ!?あれは――」
「いいよ。あの事は別に…」

――違う……のか!?


武にとっちゃそれ以外考えられないのだが、純夏の素振りからするとそのことは
もうどうでも良いらしい。


(じゃあ何だ!?何が純夏をこんなに追いやってしまったんだ!?)


武は必死に、2月3日から今日までに至るまでの純夏との思い出をひっくり返す。

色々忙しい一年ではあったが、仕事でもプライベートでも、
武と純夏の関係は決して悪いものではなかったはずだ。
時々デート…と言っても裏山で語るくらいだが…はしたし、純夏が京塚曹長に
習って頑張って覚えた合成ご飯を二人で食べたり、夜もやる時はやったのだ。

はっきり言って、武には、7月7日のあの件を除いて、純夏に嫌われるような
真似をした記憶は一切無い。
それだけ頭の中を探しても思い浮かんでは来ない。


「分からないんだね…」

武の頭がオーバーヒート寸前なのを見かねて、純夏は冷たい声でそう言った。


「じゃあ、やっぱりダメだよ。私達、もう…」
「なんだよ。一人で分かった気になるなよ!!」

俯く純夏の手を、武は握って叫ぶ。


「言ってくれよ純夏!!言ってくれなきゃ分かんねぇよ!!
俺に悪いところがあれば直す!!だから―――」
「同じだと思う…」
「!?」
「私がここで答えを言っても、また同じ繰り返しになっちゃうだけだと思う…」


純夏の目に浮かぶ涙は何を意味しているのだろうか。
武は訳が分からなくて、大いに苛立ち始めていた。


「タケルちゃん……、時々冥夜や榊さん達にも何か言われてたでしょ。
それで気付かないなら、もうダメだよ……」
「お、俺があいつらに何言われたってんだよ」
「そんな事も覚えてないなんて…!!」

顔を手で覆い泣き出す純夏に武は何も出来なかった。
いや実際、意味不明なのだ。
仲良く暮らしていたらいきなり振られて、泣かれた。
武としては何をどうして良いのかサッパリなのだ。


(くそっ…!!全然分かんねぇ…!!)

頭を掻き毟って考えるが全然それっぽい答えは出て来ない。


「なぁ純夏…!!このままでいいのかよ!?
このままだと本当に俺達終わっちまうんだぞ!!お前はそれでいいのかよ!?
あんだけ苦労して、ようやく俺達は結ばれたんだぞ!!なのに!!」
「いい訳無いよッ…!!でも、しょうがないじゃん!!
私は…私はタケルちゃんにとって、本当はどうでもいい女なんだから!!
なのに、一緒になれる訳ないじゃないッ…!!」



――は?

――何それ。

――どうでもいい?



「な、何言ってんだ純夏…?」
「もういいでしょ…!!ほっといてよ!!」
「ほっとける訳無いだろ!!どういうことだよ!!
お前が俺にとって魅力的じゃなけりゃ、どんな女なら魅力的だって言うんだよ!!」
「知らないよ!!冥夜でも榊さんでも、スタイル良くて頭が良い人なら沢山いるじゃん!!」
「なんであいつ等の名前が出てくるんだよッ!!」


ぎゃあぎゃあ続く醜い言葉の応酬。
その果てに――


「ねぇ…。タケルちゃんは優しいから、”幼馴染の私”を助けてくれたんだよね…?」
「愛しているからだ!!好きな女だから助けたんだ!!」
「それは、誤魔化してるだけなんだよ…。本当は、私のこと好きでもなんでもなかった」
「それを、俺の気持ちをお前が決めるのか!?」
「じゃあ答えてよッ!!私のッ!!」


1つの問いが、投げかけられた。


――私の大好物を、答えて見せてよッ!!





…はい?


武の表情は固まっていた。
訳が分からなかった。
いきなり恋人に振られたと思っていたら、それは自分が彼女を好きじゃなかったせいだと
彼女に言われ、違うなら大好物を当ててみせろと言ってきた。


(訳分かんねー…けど、随分アホな問題出すな、こいつ)

それは本来、問題にすらならない。
何しろ武と純夏は物心ついた頃から幼馴染という間柄。
互いの家でご飯を食べた回数は数知れず。
学校では毎日一緒にお弁当を食べたし。
食生活については知り尽くしていると言っても過言ではない。


「よく分かんねーけど、お前が一番好きな食べ物を言えば機嫌直してくれんのか?」
「まぁ、ね」
「それじゃあ…」


えーっと、と記憶のオモチャ箱をひっくり返す。
この瞬間、武の脳裏には純夏と過ごした幾つもの食事シーンが浮かび上がってきていた。
外食の究極牛丼やハンバーガーを抜きにしてもそのメニュー数は膨大だ。
その中には絶対純夏の好物も混ざっているはず。
1つ1つ探っていくとしよう。


―え~っと、お好み焼き?
(…っと、これは俺の大好物だな)

―ロールキャベツ!!
(これも俺の大好物だ)

―たこ焼きか!?
(って、これも俺の好物じゃねーか)

―四川風麻婆豆腐!!
(また俺の好物だよ)

―餃子?ラーメン?鮭おにぎり?
(はいはい、全部俺の好物ですよ)



と、次々にメニューを記憶から漁る中で、気付いたことがある。
それは今更と言うには今更過ぎる、恋人を名乗る男性としては
あまりにお粗末な事実なので目を背けたくなることなのだが……。


(あれ?純夏の好物が思い出せないぞ!?)


この件に関しての記憶は失われた感じがしない。
最初から情報が無かったとしか思えない。
そこで「はっ」と顔を上げると、純夏の白けた視線が向けられていた。


――思い出せないんじゃないよね?

――最初から知らなかったんだよね?

――だってタケルちゃん、そんなこと全然興味無かったもんね。


暗にそう言っている目だった。


(まさか、それが言いたかったのか!?)


今明かされる驚愕の事実!!

白銀武は、十数年間共に暮らしてきた幼馴染兼恋人の好物を知らない!!

普通、一回目のデートで知るようなことを何故知らないのか。
武は自分が情けなくなった。



「あ、ああ、あああああ……!!」
「食べ物が思いつかないなら、好きだったJポップのユニットか、好きな小説家か、
映画の名前とかでもいいよ」
(ちょっと待てよ…!!)

あの目。純夏は絶対に確信して物を言っている。
武としては、ここで純夏の思い通りになる訳にはいかなかった。
これは彼女の問がどうとかいう以前に、メンツの問題でもある。
鑑純夏の恋人を名乗っておきながら、彼女のことは何も知りませんでしたなんて、
それこそ、”どうでもいい女だった説”を肯定することになる。


(くっ…!なんてことだ!!)


しかし思い出せない。
それは『元の世界』の記憶がごっそり消えてしまっているからという訳ではない。
実際、自分が好きだったユニットの曲なんかはけっこう覚えているのだ。
厄介なのは、純夏と一緒にいる時も聴いていたのは自分の好きな曲だったなぁと
いう記憶まであることである。


思えば、純夏はいつもそうだった。
武が新しい戦隊物を見始めたと聞けばそれを勉強し、ごっこ遊びに付き合ってくれる。
新しい音楽にハマったと聞けば、そのユニットの曲を借りてきて一緒に聴く。
休みになればゲームセンターでバルジャーノン。
プールや遊園地に行った日も無い訳ではないが、ほぼ武の好みで遊んでいた。

純夏は武の好みにならなんだって合わせて、付き合ってくれる。
けれど武から純夏の好みを聞いて、合わせようとしたことは一度も無い。
十数年間ずっと、そんなお付き合いが続いていたのだ。

つまり白銀武のデータベースには、鑑純夏の人間性は色々と蓄積されているのだが、
何が好きでどのような趣味を持っていたかについての情報は、皆無。
つまり客観的に見て、白銀武は鑑純夏のことを何も知らないのである…!!


(う、嘘だあああああああああああああ!!)


認めたくは無い。
しかしそれが現実。
今思えば、なんというアンバランス…というか相手に甘えっぱなしな人生を
歩んできたのかがよく分かる。純夏の好意に寄りかかってきただけである。
武は心の中で絶叫した。
だってこんなんじゃ、付き合えないと言われても無理ないじゃん。



がたんっ!!

その時列車がカーブに差し掛かったため、車内が大きく揺れた。


「えっ?」

武の鞄が床に落ちて、カラリと黒い筒のようなものが転げ落ちた。
こんなもの入ってたか?と拾い上げ、まじまじと眺める。

(こりゃ……口紅じゃないか?)

黒に装飾が施され、金字で英語が彫られた高そうなシロモノ。
国内で売られている安物ではなく、見るからにアメリカ産のブランド物である。
それを目にした瞬間、対面の純夏の目の色が変わった。

「そ、それっ!!」
「え?お前のっ?」

それが何故自分の鞄に入っていたのかは分からないし、
相手もそれを気にしている様子は無かった。
純夏はただ黙って武からルージュをひったくると、自分の鞄へとしまった。


(あんなもん…持ってたんだな、あいつ)

出張前の珠瀬事務次官か鎧衣課長辺りに頼んでおけば手に入りそうではあるが。
武の興味は純夏が何処で手に入れたかよりも、何時使っていたのかに移っていた。
ちなみに今はつけてない。

(そう言えば、こいつ宛に小さい包みが送られて来て、すげー嬉しそうにしてたことが
あったけど…これだったのか)


ん?と、そこで武は違和感を覚えた。
そう言えばその後千鶴に”今日は鑑さんの様子に注意しなさい”とこっそり
言われたことを思い出す。

(何時不機嫌になるか分からないから気をつけろ的な意味かと思ったが、そうか。
恋人の前でおしゃれをしてるんだから褒めてやれと言っていたのか………ん?)


その瞬間、武はまたもや、自らの鈍感さを嘆いた。

(って、ええええええええええええええええええええええ!?
あの後、純夏口紅つけてたのか!?俺気付かなかったぞ!?
じゃああれも、これも、そういう類のアイテムだったのか!?)

1つ思い出すと出るわ出るわ、その類のエピソード。
どういうルートか知らないが、小さな包みは幾つか純夏の手元に届いている。
もしそれらが、香水とかマニキュアとか、武の気を引くためのおしゃれアイテム
だったとしたらどうだろう。
武は、純夏がそういうのをつけてるなと気付いたことは一度も無い。
つまり純夏の女性としてのプライドをけちょんけちょんにし続けたことになるのだ。

我ながら、これには愕然となった。

「すみか……。あの、そのー…」

武の想像が図星であったことは、純夏の表情から簡単に伺えた。
純夏は今になって、心の内に溜め込んできたこの1年間の泥を、
搾り出すように語り始めた。


「私ね、これでも頑張ったんだよ…。
タケルちゃんには昔から女の子らしさが似合わないって言われてきたから。
でも彼女にして貰った以上は、絶対タケルちゃんに相応しい女性になろうって思った。
鎧衣さんや壬姫ちゃんのお父さんにも協力して貰ったし、皆にもおしゃれとかについて
教えて貰ったし、京塚曹長に特訓して貰ってタケルちゃんの好物を全部、
合成食材で美味しく再現出来るようにもなったの…。
任務との掛け持ち大変だったけど、それでも将来タケルちゃんのお嫁さんになりたいから、
たくさん頑張ったよ…。けど……」

私は結局、どれだけやってもタケルちゃんには、女の子として見て貰えないんだね…と、
吐露した。
そして、そんなんじゃ生涯を共にする関係にはなれないと、付け加えた。


「もういいよタケルちゃん。タケルちゃんは私を愛してくれてるって言うけど、
本当は興味無いんだよ。優しいから、それに気付かないまま付き合ってくれてたんだ…。
あんな辛い目に遭った幼馴染の女の子をほっとけなかった。
でも、それでタケルちゃんの人生を縛りたくないから、私…!!」

ここで違うと叫べる資格を、武は持っていなかった。
彼女が本当に自分の興味がある女性ならば。
食べ物や趣味の好みくらい知ってるはずだし、化粧してるかどうかくらい気にするはずなのだ。
「知りませんでした」で済ませることなどできようはずもない。
だから武には黙って、純夏の言葉を受け止めることしかできなかった。


「だからお別れしよう。お互い1週間休んで、きちっと心の整理をつけて…。
お仕事のパートナーとして、一緒にBETAをやっつけようよ…!!」

純夏はまだ泣いていた。
武にはそれが彼女の本心でないことは痛い程分かるのに。
絶対に、別れなくなんかないと思ってるはずなのに。
そう言わなければ自身を許せない状況に、武は彼女を追い込んでしまっている。
それが武には、たまらなく辛い。と言うか、武はそんな自分を許せなかった。


(俺のせいだ……。また俺のこいつへの甘えが、こいつを傷つけちまったんだ…)

かと言ってどうすることも出来ない。
唇をかみ締めながら、ただ黙って、席を立つ。


(俺はもう……駄目だ)

武の心持ちは純夏のそれとは違った。
気持ちにケリを付けてBETAと共に戦おうと言う純夏とは対照的に、
武はこの時、万事がどうでもよくなっていた。
白銀武という人間の強さを支えていた立脚点を、自分で知らず知らずの内に、
無残に潰していたという事実に、武の心は壊れかけていた。

自分のスーツケースを手に取る。
次の駅で降りるのか、窓から飛び降りて自殺するのか、そこまでは考えてない。
ただ今は…というか、これから武は純夏の傍に居ることは出来ない。
しかしそれが不本意なものであることは言うに及ばず。
この時武は、削れる程に上下の歯を強く食いしばっていた。


――くそっ…!!

――別れたくねぇよ…!!

――俺はお前が大好きなんだよ!!

――この気持ちが嘘だなんて言われるのが、どれ程辛いか分かるか!?



しかしどのような言葉も説得力が無ければただの戯言。
武の今までの行動は、その心の声に真実味を帯びさせるには至っていない。



――くそっ!!これで終わっちまうのかよ!!

――俺があれほど走り続けて、こいつがあれほど待ち続けて、
 その果て待ってたのがこんな結末なのか!?

――俺が…俺がもう少し、もう少しちゃんと、恋人としての自覚を持ってりゃ、
 こんなことにはならなかったんじゃないのか!?

――どうして俺はこうなんだよッ……!!


泣きながら「畜生ッ!!」と窓ガラスを叩く。
しかしどうにもならない。
武は、先ほどの純夏の問いにすらまともな答えを返せていない。
恋人のことを何も知らないなど、付き合う以前の問題ではないか。


(…けどしょうがないんだ。俺は本当に、純夏の好物なんて知らない。
くそっ…!!なんか情報源とか無いのかよ!?情報ソースがあれば…!!)

そのようなものがあろうはずも無く。
次の瞬間には武は現実に打ちひしがれ、天井を仰いだ。



「はぁ…。ソースか…」


あるわけねぇよな、と吐露し、そのまま列車の中を行く。
少しでも早く純夏から離れようとする。


しかしそれこそがその瞬間。


誰も予期せぬ奇跡の瞬間。


恋愛成就の神が舞い降りた瞬間であった。





「今、なんて言ったの…!?」


えっ?と振り向く武の目に映るのは、席を立ち、驚愕の表情を浮かべる純夏。
信じられぬと言いたげに武の方を凝視していた。

「す…純夏?」
「今、ソースカツって言った!?」
「へ?」
「どうして私の大好物がソースカツ丼だって知ってるの!?」


この瞬間、戸惑いながらも武は確信した。
この世に神はいる。
善人が困った時に手を差し伸べてくれる神様という存在は、確かにいる。
でなきゃこのタイミングでチャンスが転がり込んでくることはあり得ない。

その、神から突如差し伸べられた手を振り払うような真似、武はしない。
たとえ道徳にもとる行為であろうとも、それは真実の否定にはならない。
この場における真実とは、純夏との愛を貫き通すこと。それ以外にあるはずがない。
その為には、嘘も方便である。
武はハッタリを思い切り利かせて、勢い良く言い切った。


「ああ、お前の好物はソースカツ丼だよな!!」


「あ…ああ、ああ………」

今度狼狽したのは純夏の方だ。
まさか当てられるとは思っていなかったらしい。
なまじ思い出の細かいところまでちゃんと覚えている分、
こういうアクシデントには弱いのだろう。

「う、嘘だよ。タケルちゃんが私の好物知ってるはずないよ。
だって、教えたことないもん!!ちゃんと覚えてるんだからね!!」
「『元の世界』でおばさんに聞いたんだよ」
「お母さんに!?」
「お前の好物を作ってやりたいですって言ったら、ソースカツ丼だってな」


勿論、嘘である。
今、彼女の髪を束ねるリボンを取られれば120%の確率でバレる嘘。

そもそも醤油派の武にとってカツ丼とは、カツオで取ったダシ汁に
醤油砂糖を加え味を調えたものにカツを浮かべ、卵で綴じたものに他ならない。
和食の味付けを踏まえながら、並の和食を遥かに凌駕する圧倒的ボリューム。
ちょこんと乗った三つ葉が彩りを演出し、全体の香りを引き締めている。
この昭和の時代が生んだ傑作料理を、武はこよなく愛している。

そんな武が、純夏の為とは言えソースカツ丼を作るなどあり得ない。
あんな、丼ご飯の上にカツを並べてソースをぐちゃぐちゃに塗りたくった
だけの粗雑な物体にカツ丼を名乗って欲しくない。
というか、あれを料理だと認めることすら嫌だった。

ただし、背に腹を変えられぬこの状況で自分の好みに寄るなど愚の骨頂。
ここはソースカツ丼の猛プッシュで行くしかねぇ。


ちなみに鑑のおばさんに聞いたというのは、武も我ながら卑怯な嘘だと思った。
だってもう確認のしようの無いこと。死人に口無しを地で行く鬼畜戦法だ。
だが手段を選んでいられない武は、「ここで寄りを戻すにはこうするしかないんです」
と、心の中で天国にいる鑑のおばさんに手を合わせた。
娘が幸せになるなら、おばさんだってこの方便を認めてくれるはずだ。


「分かったか?」
「うう~、でも作ってくれたことないじゃん!」
「つい、また今度また今度って先送りになっちまってな。ごめん」

ぽたり。
呆然となった再び席に着いた純夏の顔から、また涙が零れた。


「純夏…?」

武は来た道を戻って、純夏の前に中腰になって、彼女の顔を覗き込んだ。


「悪かったよ。俺がもっと早く作ってりゃ…」
「うう……。どうして、なんでタケルちゃんが謝るのさ…うわああああん!!」

純夏は大声で泣き叫び始めた。
その純夏の華奢な身体を、武はぎゅっと抱きしめる。

「私バカだったよぅ…!!タケルちゃんを試すような真似をして、
信じてなかったのは私の方じゃん…!!
タケルちゃんが私のこと興味無いって決め付けて…!!
タケルちゃんは私のこと、ちゃんと見てくれていたのにぃ……!!」


びええええ、とその場に泣き崩れてしまった純夏の肩を、武は優しく抱いた。

「泣くなよ純夏。他のお客さんに迷惑だぞ。それに、済んだことだ。
互いに知らなかったことは、これから一緒に知っていけばいいじゃねぇか。
俺もお前に相応しい旦那さんになれるように頑張るから…まだ、俺を捨てないでくれ。
俺と一緒に生きてくれよ、純夏」
「タケルちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」


そこからはもう、なし崩しだった。
まず二人は抱き合った。キスした。

そしてここが列車の中じゃなければ、夜の合体くらいまで行っちゃいそうな勢いで
イチャつき始めた。
武は純夏を隣に座らせて、背中に手を回して抱き寄せる。
純夏は武の胸元に顔を埋めて、両手はやはり武を抱きかかえる形。

いちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃ。

夜汽車に揺られ、車窓に映る夜景を背にし、二人は互いの温もりを共有した。

「タケルちゃん…。あったかいよ。凄くぽかぽかする」
「純夏が俺の心をあたためてくれるからだ」
「大好きだよ。タケルちゃん…」
「俺もだ、純夏…」


そして思い出したかのように、武はそれを取り出す。
今朝方はずされた、プラチナの婚約指輪だ。

「もう一度、これつけてくれるか?」
「うん。待ってた」

言われるがままに左の薬指を差し出す純夏。
武は指輪を持った右手を近づけ……直前でその動きを止めた。


「………」
「どうしたの?はめてよ」

純夏の左の薬指はとっくにその瞬間を待っている。
ところが指輪を持つ武の手は目前に近づきながらもその場所で震えていた。

ぶり返し、だった。

武は、ここで本当にはめても良いのかという罪悪感に苛まれ始めた。
その理由は言わずもがな。


「タケルちゃん?」
「ごめん純夏っ!!さっきのは…!!」

武は頭を下げた。
結局、武は嘘を突き通せるような器用な人間ではなかった。
騙し続ける自信も無いし、そのまま純夏をモノにするのは納得いかなかった。
武は純夏に、洗いざらい話してしまった。

武は、純夏の好物がソースカツ丼だということなど知らなかったと。
どうしても別れたくなかったので偶然に乗じて嘘をついたと。
本当は、彼女のことなど何一つ知らなかったのだと。


「ごめんっ…!! でも、俺…!! 俺……!!」


しかし自分が彼女を騙したことを懺悔しても尚、武は別れたくなかった。
今手の中にある温もり。
無限のループを走り続けた武が求め、ようやく手に入れた安息の地。
それはもう、絶対に手放したくない。
鑑純夏以外に白銀武の居場所などあり得ない。

確かに自分は、自分が思っていた程に彼女をよく知らないかもしれない。
でもそれならそれで、これから知っていきたいと思った。
一生かけて、白銀武は鑑純夏の全てを知っていきたい。共に生きていきたい。
その気持ちは、絶対に嘘なんかじゃないから。


「俺は好きなんだ、純夏が!!俺は純夏を愛してるんだ!!
でなきゃ誰がこんなに苦しい気持ちになんかなるかよ…!!
俺は純夏じゃなきゃ駄目なんだよ!!
純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏!!」


項垂れて涙を流す武。
連呼される想い人の名前。
その頭を、純夏は優しく撫でた。


「純夏…!?」
「もう……。済んだことなんでしょ?」

彼女の優しい瞳が囁いてくれている。
トンカツ云々は本当はどうでも良かったのだと。
互いのことを支えあおうという信念を持ってくれることが、答えだったと。
次の瞬間に流れた武の涙は、悲しみの涙ではない。


「ずっと一緒にいよう。タケルちゃん」


――なんて、眩しい。
――愛しい人の笑顔って、こんなに眩しいものだったんだ…!!


鑑純夏こそ、白銀武にとって唯一無二の女神様だ。


「純夏あッ!!」
「タケルちゃん!!」
「純夏ああああああああああああ!!」

またまた抱き合ってのキス。
そして一度は返された白金の指輪が、再び純夏の薬指に通される。
指に再度通された白金の輝きを、純夏は嬉しそうに見つめた。


「あれ、そう言えばサンタウサギは?」
「あれは持ってきたら壊れそうだから基地に置いてきた。いいだろ?」
「うんっ。タケルちゃんがいるから寂しくないよ」
「ははは、こいつめ。ほれ、むにゅむにゅ~」
「やだぁ、何処触ってるのさぁ~♪」

セクハラまがい…というか完全にセクハラな行為も笑ってスルー。
今二人にブレーキは無かった。


「ところで純夏」
「何?」
「これから俺ら、温泉行くだろ?」
「うん。また露天風呂に入ろうよ」

二人で行く予定では決してなかったはずなのだが、いつの間にか脳内で
そういうことにしてしまうのはこのカップルの恐ろしいところである。


「露天風呂か…。そうだなぁ、前は二人きりではゆっくり入れなかったもんなぁ」
「だってあの時はタケルちゃんが…」
「はいはい、どうせ俺は鈍感ですよ。でもいいのか?
俺は鈍感でお前のこと知らないから、よく知る為に身体の隅々まで眺めちゃうぞ?」
「もう~、タケルちゃんのエッチ!」

盛りのついたケダモノのような武と、批判しながらも満更じゃない純夏。
ツッコミ役がいない限り、二人の色ボケは脱線を重ねながらどこまでも続くのだ。
ただ今回は言いだしっぺの武が、ちゃんと自分で話を戻した。


「話戻すけどさ、この温泉旅行を俺達の新婚旅行にしようぜ。新しい門出にするんだ」
「それって…!?」

純夏の顔が輝く。それの意味するところは1つしかなかった。


「結婚だ!!帰ったら役所に届出出して、式挙げるぞ!!白銀純夏の誕生だ!!」
「タケルちゃんっ…!!私、幸せぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「俺だって幸せだああああ!!」


――だはははははは!!
――きゃははははは!!

列車の中に木霊する二人の笑い。


武は今度は純夏を両手で抱きかかえて、座ったままお姫様抱っこみたいな形でキスした。
二人とも、もう気分は新婚さんである。

二人のテンションはこの上無いところまで上がりきっちゃってて、
周囲の目などお構い無しだった。
だから、二人の映像を車両の入り口で捉えているビデオカメラや、
なにやら解説しているキャスターさんの姿に気付くはずもなかったのだ。
二人がそれに気付いたのは、空気を読まない喝采が周囲に響いてからである。


パチパチパチパチパチ!!

拍手と共に、口笛やら祝福の掛け声が周囲から響いてきた。

「おめでとうございます白銀少佐!!」
「鑑大尉おめでとうございます!!」

パチパチパチパチパチパチ!!


「え!?」
「タケルちゃん、これって…!?」

ふと正気に返って周囲を見渡すと、乗客が全員立ち上がって二人を囲んでいた。
よく見ると全員私服になっていたものの、その体つきは民間人のものではない。
キャスターさんとカメラマンの人だけ民間TV局の本物だった。
残りは全部……。


「軍人ばっかりじゃねーかッ!?」
「どういうこと!?」
「香月副司令の気まぐれよ」


そう言って軍人の群れの中から一歩歩み出たのは…。


「涼宮ッ!?」

ニットの帽子とサングラスで分からなかったが、それは間違いなく涼宮茜。
茜は二人に歩み寄ると、花束を差し出しておめでとうと言ってくれた。
よく見たら人ごみの後ろの方で宗像と風間も拍手してるし。
横浜から転属した3人とこんな形で会うとは思ってもみなかった武と純夏は
目を丸くしていた。
尤も、驚いているのは向こうの3人も同じである。


「驚いたわよ。今夜白銀と鑑の運命が決まるって、今朝連絡が入るんだもん」
「それとこれとどういう関係があるんだよ?」

ずい、と茜に詰め寄る武。
”これ”とは無論、武と純夏を祝福している同業者さん達のことである。


「大晦日の特番のネタにちょうどいいって、副司令が言うもんだからさ…。
それならなるべく大勢でお祝いしに行こうって」

夕呼はなるべく盛大に盛り上げる為に、この時間手が空いていた帝都及び
その近辺に勤務する国連軍人達に声をかけていた。茜達はそれに乗った形である。


白銀武と鑑純夏は言うまでもなく有名人である。
武はエースパイロットとして名を馳せると同時にMX3の発案者として。
純夏は病身の身ながら凄乃皇を操り桜花作戦の中核を成した人物として。
そして何よりこの英雄二人が幼馴染であるというのが話題性バツグンなのだ。

夕呼は今回の二人の喧嘩は、どちらに転ぶにせよ”最終決戦”だと予想していた。
別れるのならキッパリと別れ、別れないとなれば即ゴールインだろうと。
これほど生中継で楽しめるネタは無いのだから、というだけでこの大掛かりな
仕込みを用意したのである。
ネタをTV局に渡したからと言って、べつにギャラが欲しかった訳ではない。
たまには派手な遊びでストレスを発散したかった…つまり、単なる趣味である。

それを知った武と純夏は、オモチャとして扱われたにも関わらず
怒る気にすらならず、唖然とするのみであった。
二人の意識は既に別のところに行ってしまっている。



「タ…タケルちゃん。今までの、全部TVで流れちゃったって…」
「言うなよ純夏…。今必死で現実逃避してんだからさ…」

何しろ、二人の修羅場から、見てる方が恥ずかしくなるほどのイチャつきっぷりまで
全て生中継でオンエアーされていたのだ。
大晦日の夜、ご家族でTVを囲んでいる国民の皆様もさぞ楽しんでくれたことだろう。
本人達にとっては恥ずかしいことこの上無いが。

まぁしかし、仲直りの方が全国中継されたのはまだ幸いだったのではないだろうか。
これが悲劇の別れの方だったとしたら、色々と後味が悪過ぎる。


顔を真っ赤にした二人にマイクが突きつけられたのはその直後だった。

「お二人ともおめでとうございます!! 
ここで、お二人を応援してくださっている全国の皆様に何か一言!!」
「え、ええええ!?」
「ひ、一言って言っても…!!」

何を言えば良いのやら。
二人の頭はパニクっていた。
周囲から飛んでくる絶え間ない拍手と喝采が余計二人を混乱させた。


「え、え~~~っと…」
「よ、よし、私が言いますッ!!」
「純夏ッ!?」

混乱を通り越して、純夏はとっくに振り切れていた。
今なら何でも言えると言う勢いのままに、マイクをひったくると、
思いっきりカメラ目線で、シャウトッ!
それは純夏、魂の雄叫びだった。


「皆さんッ!!私、鑑純夏はこの大晦日の夜、白銀純夏になりましたッ!!
今、私はとっても幸せです!! 
この幸せを守るために、私は月のBETAと戦います!!
大好きなタケルちゃんとBETAなんかやっつけちゃいます!!
来年も皆さん、応援よろしくうッ!!」


直後、場が大いに盛り上がったのは言うまでもない。
更に拍手と喝采を浴びた純夏は、にへら~と笑って、
その赤い顔をぺこぺこ下げて、祝福してくれた皆に感謝した。
武もそれに合わせるように、「ありがとうございます」と皆に頭を下げた。


「ありがとうございます! それでは今度は、お二人が先生と呼び慕う上司、
国連軍横浜基地の香月夕呼副司令にお言葉を……」
「ええええ!?香月先生も見てるの!?」
「まぁ、夕呼先生が企画したんだから見てるわなぁ…」


いつの間にか用意されていた通信モニターは、既に横浜基地と繋がっていた。
モニターには夕呼の顔が映る。後ろには霞とか、旧207B分隊の面々が見えた。

夕呼のあいさつは実に淡白なもので、

――はいはいおめでとう。

――こっちで籍は入れとくし式の準備くらいはしておいてあげるわ。

――休み明けは遅れずに出て来んのよ。

という3言だけだった。
内心では本当に祝福してくれているのだが、それを察することができたのは
武と純夏と、霞だけである。

続いてモニター越しに、霞と旧207B分隊組にも祝福された。
武も純夏も彼女達には大いに感謝の言葉を述べた。
その後帝都城とも中継が繋がった気がしたが、武も純夏も緊張してて覚えていない。


それらのイベントが全て終了する頃には、列車は途中の停車駅に到着していた。

「それでは、白銀少佐と鑑大尉にはここからはお二人きりで、
新婚旅行を楽しんでいただくとしましょう。ありがとうございました!!」

特番における武と純夏の出番はそれで終了である。
キャスターのその声でここからの中継は終わった。


「それじゃあまたね。新婚旅行楽しんできてね」
「いい子作りなよ?」
「おめでとう。それでは良いお年を」

茜、宗像、風間を始め、乗り組んでいた”乗客”全員がそこで降りる。
残されたのは武と純夏だけ。
発車した列車の後姿が見えなくなるまで、皆手を振って見送ってくれた。
大晦日返上で祝ってくれるなんて、なんて良い人達なんだ、と武と純夏は感謝した。



「これだけいろんな人が協力してくれて、祝福してくれてるんだぜ…。純夏」
「絶対無駄になんか出来ないよね」
「ああ。皆の気持ちに応える為にも絶対にBETAに勝とう。
そして、誰もが俺達と同じような幸せを得られるような時代を作るんだ!!」
「うんっ!!」

そして二人はまた抱き合って、食事をした後寝台車で眠りについた。
初日の出を拝む頃には列車は目的地に到着しているだろう。

温泉地でお正月をゆっくり過ごして。
横浜に帰って式を挙げて。
もっと訓練して、各方面の準備が整い次第、月面戦役は始まる。


武と純夏の人生というものがたりは、まだまだ続いていくのだった。










あとがき


初めての投稿になります。

最近サプリをプレイしたのですが、純夏が将来を考えて恋愛をしてるのに驚きました。
「タケルちゃんとイチャつければいい!」ってだけの娘じゃなかったのね。
恋愛はいかにくっつくかより、いかに続けていくかが大切なんですよね。
で、オルタ世界でサプリ話的なものを書いてみたくなりましたとさ。
では。



[20854] 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝 おとうさんといっしょ!!
Name: しゃれこうべ◆d75dae92 ID:d72ed1d6
Date: 2010/10/07 07:29
2024年4月1日月曜日。新横浜市、新柊町。


麗らかな春の日差しの中を、俺は空っぽの学生鞄を片手にぶらついていた。

目に映る風景は、見慣れた何時もの光景だ。
今日もこの町は平穏そのものと言って良い。


――踏みなれたアスファルトの道。

――公園から聞こえてくる子供達の声。

――閑静な住宅地。

――町中に植えられた桜の木。


何処の町にでもありそうな、一見何の変哲の無い町の風景。
しかしこうやって町を歩く度に、俺は人の想いの力というものを
実感せざるを得ない。

『人の精神力は無限である』…なんてことは流石に思っちゃいない。
囚われのお姫様が想いの力で白馬の王子様を呼び寄せて、
そのまま二人で世界を救っちゃう、なんてマジカルな奇跡は起こりえない。

けれど人の意思が世界に及ぼす影響というものは、
やはり大きいのではないだろうか。


何しろ、ここは俺が物心ついた頃には荒野だった。

旧横浜市がBETAとかいう宇宙人に占領された上に
アメリカの新兵器で焼かれたのは、親父とオカンがまだ中学生の時。
俺が生まれた頃にはもう地球はBETAの占領下ではなくなってたのに。
ほんの13年ほど前までこの土地はほったらかしにされて、
瓦礫の転がる茶色い大地がパノラマいっぱいに広がっていたのだ。
壊れた戦術機に潰された瓦礫が、オカンの実家と聞かされた時は驚いた。


――ここはお母さんとお父さんの故郷だからね。
 お父さんが帰ってこられるようににないといけないでしょ?

そう言ったオカン達は、徐々にここを町へと戻していった。
偉い学者先生や政治家の人と毎日遅くまで会議を重ねて頑張る姿は
未だ俺の心に焼きついて離れない。

少しずつ少しずつ頑張った皆のお陰で、最初はバラックしか無かった町には
徐々に人と物が集まり、10年かけて賑やかさを取り戻していった。

あの時頑張ったひとりひとりの想いの力が、今の俺達の生活を
支えてくれている。


――そうだね。でも、お母さん達だけの力じゃないんだよ。
 それを忘れて欲しくないから、皆でたくさん桜の木を植えたんだよ。

オカンはそう言った。
町中に植えられた桜の木は、町の大人たちにとって聖なる植物だ。

この町に昔住んでいた人。
この町をBETAから守ろうとした人。
この町を必死で取り戻そうとした人。

桜の木は、亡くなった人々の魂が宿る、この町の神様なのだという。

本当に大勢の人々の犠牲があって、その想いは受け継がれていく。
人の想いの力のなんと大きく、強いことだろうか。
そう解釈すると、『精神力は無限』というのは間違いでないかもしれない。



…さて、どうして俺が始業式を終えた後も家に真っ直ぐ帰らず、
こんなことをぶつくさ呟きながら町をぶらついているのかと言えば。



「今日帰ってくる親父さんに会いたくなくて現実逃避してるだけだろ。
いい加減現実受け入れろよ、まりもちゃん」
「うっせーよ、シンタロー」

隣を行く男の名は平慎太郎。
向かいの家に住んでいる、同い年の幼馴染だ。
長く付き合ってるだけあって、俺の考えていることをいちいち当ててくる。

――うんうん。それが幼馴染の楽しいところだよね!

なんてオカンはのたまってくれるが、あんたらみたいなバカップルと
一緒にしないで貰いたい。こっちは男友達なんですよ。



「なんで嫌がってんだよ。お前親父さんのこと好きだろ?」

いちいち図星を突いてくるのが鬱陶しい。

ああ、そうだよ。
俺は親父を誰よりも尊敬している。
俺の親父、白銀武は人類の英雄。
戦術機軌道の概念を覆したという天才。
地球と月面のハイヴを誰よりも多く攻略した最高の戦術機乗り。
衛士を引退してからは火星戦役に司令官として参加。
そしてつい数ヶ月前、火星を完全に征服してしまった。
昨日地球に戻ってきて、帝都で凱旋パレードに参加したはずだ。
男として、こんなすげー親父を、尊敬してないわけないだろが!

けど、俺は周囲から『英雄の息子』として扱われるのが嫌で、
人前では悪口を言ったりして仲悪い風を装っていたんだが…
やっぱこいつにはバレているのか。やりにくいことこの上無い。


「お前に俺の気持ちは分かんねえよ」
「なんだよ。まだ名前のことで恨んでるのか?まりもちゃん」

白銀まりも。自己紹介が遅れたが、これが俺の名前である。
確かに、どうしてこんな名前にしたのかと両親を恨んだこともある。
親父もオカンも本当に尊敬しているのだが、俺が学校でいじめられる
原因を作ってくれたのも、また両親なのだ。

家庭内でしか通用しない変な略語を刷り込まれたり、
合成シメジを天然マツタケと思い込まされたり、
こんな女みたいな名前をくれたり。

小学生ってのはしょうもないことで大騒ぎしてイジメの材料にしちまうので、
こういった細々したことで何度揶揄されたか。
まぁしかし、その都度フォローを入れてくれる友人に恵まれたのは幸いだろう。
「女の名前だと思ったら…なんだ男か」とからかってきたクラスメートの
山丘君と殴り合いになりかけた時、仲裁に入った慎太郎君は見事に仲を取り持ってくれた。
お陰で山丘君と仲良くなった俺は、彼の実家の高級料亭で
念願の天然マツタケをご馳走になれたのだ。…まぁこれは余談であるが。


「うちの親父も言ってたぞ?
お前の名前は優しさと厳しさを併せ持った良い名前だって」

慎太郎の親父さんも昔は衛士だったと聞いている。
慎太郎の親父さんと俺の親父が初めて会ったのはこの町のお向かいさんに
なってかららしいが、人の縁とは奇妙なもので、
実は同じ部隊の先輩後輩の関係だったりする。

慎太郎の親父さんは99年の横浜奪還戦に参加して負傷、引退したらしいが、
その2年後に同じ部隊に入ったのが、俺の親父なんだとか。
まりもというのはその部隊に関係する人間にとっては恩人の名前らしい。

だから親父の同期のおばさん連中にも、この名前は非常に受けが良い。
そう考えると、名前の件で両親を恨めない。
いろいろな人の願いが篭められて付けられた名前だろうから…。


「別に、名前のことで恨んでるとかそんなんじゃねーよ。
けど色々あるんだよ。お前には分からねぇ」
「ふーん」

その話題はそこで打ち切りとなり、桜吹雪の舞う町内を、
特に目的も無くぶらぶらぶらぶら。
しかし3時間ほど過ぎた頃、辛抱強く付き合ってくれた我が友は
とうとう痺れを切らした。

「さて。俺そろそろ行くわ」

そう言うと家と反対方向に歩き始めた。


「何処行くんだよ?」
「本屋。俺、高校出たら士官学校に入ろうと思ってるからさ」
「ええっ!?」

驚いた。
まだ2年生が始まったばかりだというのに、もう進路決めてるのか。


「俺の親父は、お前の親父さんみたいなすげぇ英雄じゃないけどさ。
それでもこの町を取り返す為に、頑張ったと思うんだよ…」

こいつの家に遊びに行った時に見た、古い写真を思い出す。
若い男女が四人写っている写真。
親父さんと、親父さんの親友だったという男と、女の人が二人。
時期の違いはあるが、親父さん以外の三人は全員横浜で死んでいるらしい。
慎太郎の親父さんは、戦えなくなった身体で、友人達が死んでいくのを
黙ってみているしか出来なかったことを悔しそうに語っていた。


「だったら、俺が親父達の分まで頑張らなきゃと思ってさ。
火星まではお前の親父さんがやっつけてくれたけど、まだまだ
宇宙はBETAで溢れてるって言うじゃないか。
この町が二度と焼かれないように頑張らなきゃ…って、
かっこつけ過ぎだな、こりゃ」

それまで真面目に喋っていた慎太郎の顔が少し緩むと、
「俺らしくもない」と溢し、足を向けた方向へと去っていく。

「じゃな」
「ああ」


短い挨拶を交わして別れる。

――かっこつけ過ぎなんじゃねぇ。お前はかっこいいよ。

去り行く幼馴染を心の中でだけそう褒めてやった。


(…そっか。あいつが分かってなかったんじゃない。
あいつが向き合えていたことに、俺が向き合えていなかっただけなんだ)

その時、将来あいつとは背中を預ける関係になるかもしれないと思った。


「さて、俺も帰るかな!」

長い寄り道を終え、俺も帰路についた。





マブラヴオルタネイティヴ短編SS 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝
===おとうさんといっしょ!!===





家の傍まで来た時、親父が帰っていることはすぐに分かった。
ガレージ車があったから…等というチャチな理由じゃない。
家が視界に入る遥か前より、俺にはそれが察知できた。


――タッケルちゃ~~ん!!トンカツ揚がったよぉ~~!!


能天気で馬鹿っぽい大声が、家の方角から聞こえてきたのである。



――おお、美味そうだな。今日は醤油にしようぜ!!

――えっ…?順番じゃ今日はソースだよ?

――いいじゃねぇか。主役は俺なんだろ?

――うーん…

――あんまり戦場帰りの俺をイライラさせない方がいいぜ?
 さもないと…

――さもないと?

――飯を食う前に純夏を喰っちまうぞ~~~~っ!!

――きゃはぁん♪ タケルちゃんのえっち~~!!




死 ね ! !

真昼間から何やってんだあの二人!!

ご近所さんに丸聞こえじゃねーかッ!!

あんたらが平気でも俺が困るんだよッ!!

分かるか!?

このクスクスクスって周囲から聞こえる声、全部俺に向けられてるんですよ!?

クラスでもなんやかんや言われるし!!

もう40超えてるって自覚、いい加減持ってよ!!



「あんのアホ親~~~~ッ!!」


アスファルトを蹴る。
Bダッシュという親父流の疾走法だ。

ダダダダダダダダッ。駆けて、駆けて、駆ける。

家の前に到着する。
 
門を通る。

勢い良くドアを開ける。



「親父ッ!!オカンッ!!」

靴を脱ぎ、鞄を放り投げ、声の方へ…台所へ急ぐ。


――ちょ、ちょっと!まだお日様も高いよぉ~!!

――飯の前にこんなメロンを2つも用意するお前が悪いッ!

――やだぁ…あっ、あっ、あんっ♪らめぇ~♪


「何やってんだッ!!」

がらがらがら。
俺は台所のドアを空け、勢い良く飛び込んだッ。


「あ、おかえりまりもちゃん」
「おう、おかえりまりも」

服を肌蹴させたまましれっと挨拶する鴛鴦夫婦。
こんな行為から生まれたと思うと自分の身が、少し恥ずかしい。
俺は二人に怒鳴り散らした。

「何してんだよ、こんな昼間っから!!ご近所さんに丸聞こえじゃねーか!!」
「…」


オカンは神妙そうな顔をすると親父から距離を取って、俯いた。

「ごめんね、まりもちゃん…」
「オカン…」

その時俺は、少し言い過ぎたと思った。

そうだ。
オカンは俺を産んでからの10数年、ほとんど親父とは会ってない。
月や火星といった遠い場所に行った親父を、何時失うか分からない恐怖に
ずっと怯えていたんだ。
けれどその感情を必死に隠して、今日の日まで強い母として、
町の復興を頑張りながら、俺を育ててきてくれたんじゃないか。

漸く、大事な親父が火星の戦いを終えて帰ってきた。
それを喜ぶのに、喜びすぎるというものはない。
野暮なこと、しちまったな…。


「いや…。その、謝ることじゃねぇよ…。
オカンだって今日まで頑張ってきたんだしさ。喜ぶのは当然だよ。
けど、ちょっと昼間は自重して欲しいかな、なんて…」

少し気まずそうにそういう俺。
しかしその俺に返ってきたのは、予想外の言葉だった。


「ごめんね、まりもちゃん。
本当はまりもちゃんが一番最初に、お父さんに甘えたかったんだよね?」

……は?

「まりもちゃんはお父さんが大好きだもんね。
でもごめんね。お父さんはお母さんが大好きだから……。
お帰りって抱きしめて欲しいって言って、聞いてくれないの。
こんなお父さんでごめんね」

……はい?
何を言ってるんだ、この人は?

リアクションに困って親父を見ると、親父も神妙そうに謝った。

「すまん、まりも。お前は母さんっ子だから、母さんに甘えたかったんだろ?
けど母さんは父さんのことが大好きだからな……。
父さんにただいまのキスをしてくれしてくれって、聞いてくれなくてな。
こんな母さんでごめんな」

こっちも訳が分からない。
俺は無言で立ち尽くすしかなかった。
そんな俺を尻目に、二人は怒鳴りあいを始めやがった。


「なんだよ~!お帰りって抱きついて欲しいって言ったの、タケルちゃんじゃんかーっ!!」
「ただいまのキスが欲しいって言ったのは純夏だろ!!」
「えーっ!嘘だ嘘だ嘘だ!!何時、そんなこと言ったのさ!!」
「こうして欲しいって言っただろ!?」

ちゅっ、ちゅっ☆

「きゃはん♪やだぁ、いきなり2連発なんて反則だよぅ~」
「ははは、照れた純夏も可愛いなぁ♪」


「………」

殴っていいですか!?
人の話全然聞いてないよこの人たち!!
一人ずつだとけっこう落ち着いてるのに、なんで二人揃うとこうなんだよ!!
以前霞姉も「あのお二人なんで、しょうがないです」って呆れてたよ!!
それでいいのかよ!!
親だろうが英雄だろうが、殴る時は殴るぞ!!

俺が下で握った拳が、ふるふると震え始めた。


「…さて。冗談はさて置き、飯だ飯」
「そうだね。まりもちゃん、お手手洗っておいで」

そういうとあっさり距離を置き衣服を整え始める馬鹿夫婦。
親父は食卓へ。オカンは料理を並べ始めた。
お陰で俺は、振り上げた拳を何処へもやることが出来なくなってしまった。

俺の怒りが頂点に達しようとする時、あっさりそれを流してしまうのは
狙っているのだろうか?天然なのだろうか?

ともかく俺は水道の蛇口をひねって、怒りに燃える拳を水で冷やす他無かった。
とても尊敬しているはずなのに。
付き合っているととても疲れて思わず溜息が漏れるのが、うちの両親なのである…。





俺が始業式帰りに現実逃避をしたくなった理由。
それを思い出したのは、久々に一家揃って昼食を取り始めた時だった。

四角いテーブルに椅子4つ。
親父とオカンが並んで座り、親父の向かいに俺が座る。
霞姉が来た時は俺の隣の席も埋まるのだが、今日は空いている。
俺は向かいに座る親父を見て思った。


(……また、でかくなってやがる)


これだから会いたくなかった。
向かいでオカンに「はい、あーん♪」とご飯を食べさせてもらっている
間抜け面のおっさんの秘められた凄さが、俺には分かるのだ。
親父と最後に会ったのは親父が火星に出立する前だったが、
あの頃に比べて親父は格段に強くなっている。

体力は30代のピーク時に比べれば落ちているのに、その存在感と言うか、
人間の器……そう言った意味での大きさが、圧倒的なまでに大きくなっている。
また、相当の修羅場を潜ってきたに違いない。

産まれた時から感じていた強大な親父の存在感は、親父が家を空ける度に大きくなって、
とっくに俺の手が届きそうにないところにまで行ってしまっている。
はっきり言って、どれだけ年齢を重ねても親父に追いつける予感がしない。


オカン。霞姉。冥夜おばさん。千鶴おばさん。美琴おばさん。お慧おばさん。壬姫おばさん。
幼少の時から色々な人に聞かされた親父の武勇伝は、俺にとって最高の英雄譚だった。
親父はいつも俺にとってはヒーローであり、親父のようになりたいと思い続けた。

幼い頃から冥夜おばさんや真那おばさん、お慧おばさんに稽古をつけて貰って来たのは、
一刻も早く親父に追いつきたかったからだ。
親父は18歳で訓練学校に入った時点で、既に体力も知力も技術もズバ抜けていて、
XM3なんていう、戦術機戦闘の歴史を変える程のOSまで発案している。

俺はもう16歳だ。
昔から剣術を続けてるだけあって、体力と剣術と体術にはそこそこ自信が出てきたけど、
今から2年で狙撃や銃の勉強、果てはOSの研究なんて、出来る自信は無い。
俺だって、5歳の頃から、出来るだけのことはやってきたつもりなのに。

その親父への劣等感を、帰って来る親父と出会う度に、感じてしまう…。


「…くそっ!!」

「どうした、まりも?」
「まりもちゃん?」

不思議な物を見るような目で、毒づく俺を見る両親。
俺は一気に飯をかっこむと、立てかけてあった木刀二振りを取って、片方を親父に渡した。


「親父…!!」
「おっ、やるか。ちょっと待ってろよ」

親父も飯をさっさとたいらげると、そのままオカンにキスした。

「ちょっと、土手でまりもと遊んで来るな」
「いってらっしゃい。二人とも車に気をつけてね」
「遊びじゃねぇよ!!真剣勝負だよ!!」
「分かった分かった。じゃあ土手まで競争なっ!」
「待て、親父!!」




「いってらっしゃ~い」と手を振るオカンに見送られ、男二人は町はずれの土手まで走った。
そして到着するや否や、たちまち周囲にギャラリーが沸いた。

「おい、白銀少将だぞ…!!」
「閣下だ!!」
「お、白銀親子の決闘か!」
「まりも兄ちゃんだ、頑張れー!!」

親父が有名人なのは言わずもがな。
そして俺も一応、剣術の世界ではちょこっと名を知られ始めている。
不本意ではあるが、白銀少将の息子で、将軍家の縁者を師と仰ぐと来れば話題性もある。

俺は器用な人間じゃないから、一気に全ての面で親父を抜くことは出来ねぇ。
だからまずは、剣術で親父を抜く…!!
訓練学校に入った時点で冥夜おばさんを圧倒したというこの大物の剣を、まずは超える!!


「行くぜぇ、親父!!」
「よし、来い!!」

俺達は互いに木刀を中段に構えた。



「む…」

行くぜ、と威勢よく言った割にはなかなか踏み出せない俺。
じりじりとにじり寄る毎に、親父からかかる重圧は重くなる。
相手はただ中段に構えているだけなのに。
体力的にはピークを過ぎているおっさんなのに。

抗いようの無い遥か高みから見下ろされているようなプレッシャーに、脂汗が垂れた。


(く…くそっ、バケモンかよッ!!)


昼飯時に感じたのは所詮、平時のオーラ。
こうして真剣に相対した時、あの強大なオーラが全て、俺の心を抉る槍となって
突き刺さってくる。


(ぐっ…!!これ以上足が動かねぇ…!!)


強い剣士、と言う意味では冥夜おばさんや真那おばさんも最強クラスの使い手だ。
恐らく技量や才能では、親父はあの二人に及ばない。
けれど場を支配する存在感が、親父の場合圧倒的。
最強の剣士ですら放ち得無いこれほどの気迫…一体何年戦い続ければ体得できるのだろう?
親父は18の頃から戦い続けているから24年近くBETAと戦ってる計算になるけど、
たった24年でこれほどの気が纏えるものだろうか。

まるで100年か1000年か……そのくらい永く戦い続けているような貫禄を、
感じずにはいられない。


「どうした?まりも。震えてんぞ」
「う、うるさい。これは武者震いだ!!」
「おいおい、こんな遊びで震えてたら試合の時とかどうするんだよ」


(親父に比べたら同学年の対戦相手なんかヘでも無ぇよッ…!!くそっ!!)

そう心の中で叫びながら必死で振るえを押さえ込み…。


「くそっ、食らえ、親父ィィィィィィィィィ!!」


半ば冷静さを失ったままに大地を蹴って、大上段から振り上げた木刀を一気に降ろす。
これでも、親父を倒す為に11年間鍛錬を重ねてきた剣だ。
その切っ先は疾風の如く、親父の額に襲いかかって…!!

ひょい、と避けられた。


「えっ…?」

ふと、間抜けな声が漏れる。
親父は一歩として動いていない。半身になっただけである。
お前の剣は読みきっていると言わんばかりの行動だった。


「何ッ…!?」

標的を失った俺の剣は虚しく空を切り、
同時に横からは、親父の容赦ない一撃が降りかかっていた。

避ける?ご冗談を。そんなの無理だから。



――すみません冥夜おばさん。真那おばさん。俺の剣はまだ未熟なようです。
 
――すみませんお慧おばさん。体術、もっと鍛えます。未熟な俺を許してください。


心の中で師匠たちに詫びる俺。
その瞬間には俺は意識を失って、気がついたら土手に寝かされていた。
親父が川の水で冷やしてくれたタオルが、心地良い。


「親父…」
「すまんすまん。ちょっと強く叩き過ぎたかな」
「いいって。それよりもう一度だ」
「無理すんなよ」
「もう一度ッ!!」


その「もう一度」が何度繰り返されたかは自分でも定かではない。
分かっていることは、何度挑もうと白銀まりもは白銀武に及ばなかったということだ。
親父を超える為に5歳の頃から11年間磨き上げてきた剣は、
この英雄にまるで歯が立たなかったのだ。


夕日に影を落としながら、木刀担いで親子で歩く。

「それにしても強くなったなぁ。これならよっぽどの相手じゃない限り負けないだろう。
剣術の試合があったら見に行きたいな」

俺の肩を軽く叩き、頭をぐりぐりして、成長ぶりを褒めてくれる親父。
しかし親父は分かっていない。
俺は別に、試合の対戦相手に勝ちたい訳じゃない。
言っちゃなんだけど、師匠を超えたいとも思っていない。
俺は一人の男として、アンタを超えたいのだ……!!

恥ずかしくてそんな気持ちを吐露できるはずもなく、俺は無言で、
親父と肩を並べて歩いていた。





意外なことに、この夜親父とオカンが布団でハッスルすることはなかった。
やはり疲れが溜まっていたのか、11時前には親父は寝床に入った。
オカンは何時も通り、この時間は居間で繕い物をしている。
ちなみに、千鶴おばさんから繕い物用に貰ったというぐるぐる眼鏡は、
全然似合っていない。

「オカン、ちょっといいかな」

居間に入った俺を、オカンはきょとんとした目で見ている。


「どうしたの?改まって」
「いや…、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

俺の気持ちが真剣なのを察してか、オカンは手に持っていた針を針山に差し、
眼鏡と待ち針の刺さった品物を脇に置いて、茶器を持って食卓のテーブルに着いた。
俺はその向かいに座る。
オカンは俺にお茶を淹れてくれた後、「どうしたの」と聞いてきた。


「あのさ。オカンって、親父とは幼馴染なんだよな?」
「そうだよ?」

これは親父とオカンを知ってる人間なら誰もが知ってる情報だ。
俺が住んでいるこの家は、元々隣り合わせに建っていた二人の実家の跡地を、
繋いで1つの家にしたものだ。
元々家が隣同士ということで、幼い頃からずっと一緒に育ったとも聞いている。


「じゃあ、教えてくれよ。16歳の頃、親父が何してたのか」
「えっ……?」

オカンの顔色が変わる。
実はこの質問、白銀武という人間を研究するに当たって非常に重要なテーマなのだ。
結論を言ってしまえば、後世の歴史家すら、その正確な実態に迫れなかった。

親父…白銀武が18歳になってからの証言は記述は、めちゃくちゃ多い。
訓練学校に入ったのが18歳の時で、その頃には既に正規兵並の技量と知識を持っており、
歴代最高の戦術機適正を有し、おまけにXM3を発案した。
衛士任官後は国連軍のエースとして前線で戦い続けた。
その華々しい活躍は、当時の国連軍横浜基地を知る誰もが、雄弁に語る。

では、今の俺と同じ歳の頃の……16歳の頃の親父は何をしていたのだろう?

こうなると、実は一切の証言、記述が存在しない。
俺にはじいさんもばあさんもいない。他の親類縁者も誰もいない。
17歳以下の親父の実像を知る者は、幼馴染であったオカンだけ。
それ以外に手掛かりは何も無く、親父の過去は謎のベールに包まれている。
そのオカンにしても天涯孤独の身で、18歳の頃には極秘作戦に関わっていたというのだから、
同様に全てが謎の人物ということになる。

そう。俺は超がつくほどの不審人物の子供なのだ。
尤も、俺は別に不審人物の謎解きに興味がある訳じゃない。オカンの過去にも興味は無い。


重要なのは、どうして、オヤジが、僅か18歳でそんなタマになれたのかってことである!


冥夜おばさんは、親父は独学で学んだと言っていたが、そんなん嘘に決まってる。
壬姫おばさんは、たけるさんは天才だからと言っていたが、それもない。

息子だから分かるのだが、親父は天才とか鬼才などの類ではない、紛れもない凡人だ。
たった1つの事を飽きるほどに繰り返す中で体得していく、俺と同じタイプの人間。
それには良い師匠と、長い時間が必要になる。

だから気になる。
剣術。狙撃。戦術機の技術と知識。どれをとっても付け焼刃では得られないものなのに、
親父は18歳の頃には全てを体得していた。
一体どのような人生を送ればそのようなことが出来るのか。
親父は18歳の誕生日を迎えるまで、どんな生活をしていたのか。
あの修羅のような覇気を体得していることも合わせて、めちゃくちゃ気になる。


俺は小さい時から、親父に憧れてた。
どうすれば親父のようになれるのかずっと考えて、聞けるだけの情報を集めて、
それを真似て来たつもりだ。おばさん達に弟子入りしたのもその一環だ。
なのに、俺は親父のようになれない。
あと2年で俺は18歳を迎える。
物心ついた時から、必死で親父みたいになれるよう頑張ってきたけど、それでも後2年で、
話に聞く18歳の親父に追いつける気がしない。

俺の人生と親父の人生、何が違うんだ…?
実戦なら、親父だって18歳になるまで経験しなかったのに。
一体、何が……。

その答えが、親父が16歳の時……今の俺と同い年の時に何をしていたのか、その問いの先に
あるような気がしたから。



「どうなんだよ、オカン…!!」
「どうって……聞いてなかった?お母さんは15歳の頃にはお父さんとは生き別れて…」
「嘘だな」
「!!」

オカンはこう見えて、めちゃくちゃ勘の良い人間だ。
超能力者なんじゃないかと疑いたくなる程に、俺の考えていることを当ててくる。

けど、その勘の良さが今回は裏目に出たな。
そのオカンの勘は俺にも少しは受け継がれてるんだよ。
だからなんとなく分かるんだわ、人が嘘ついてるかどうかくらいは。
会話してて分かるんだが、冥夜おばさん達が真実だと教え込まれてることと、
親父やオカンの知っている真実は、大きく違う。それは1つや2つじゃなかった。
何処の誰かさんの手によって、事実が大きく捻じ曲げられて伝えられているのだ。

誰か…と言えば検討はつく。大方、夕呼先生辺りなんだろうな。怖いからつつかないけど。



「…分かるんだね、まりもちゃん」
「まぁな」
「嘘…言ってる訳じゃないんだよ?」
「けど正確じゃない。生き別れたのは本当ぽいけど、何をしてたのか知らないってのは嘘だ」
「………」
「………」

暫く静寂の時が過ぎる。やがて観念したかのように溜息をついて、オカンは口を開いた。


「バルジャーノンだよ」
「はぁ!?」
「お父さんは16歳の頃平凡な学生で、勉強は適当でずっとバルジャーノンしてた。嘘じゃないよ」

確かに、嘘をついてる気配が無い。
しかし。しかしである。それはおかしい。


「ちょっと待てよ。変だろ。バルジャーノンが作られたのは20年前じゃないか!!」


バルジャーノンとは、親父が月面戦役後に結成したプロジェクトチームが開発した、
子供の衛士適正検査を気軽に行う為の簡易シミュレーターである。
全国に設けられた”げーせん”なる施設で、遊びながら適性値を計ることができる。

それが、親父が16歳の頃にあるはずないじゃないか!
そりゃあずっとバルジャーノンしてたんだとしたら、戦術機の名人になってもおかしくないけど、
それが事実ならタイムスリップとか、訳の分からん話に突入してしまう!!
そもそも15歳で生き別れたオカンが16歳の親父を知っているというのも、訳分からん!!
何より腹立たしいのは、俺自身、オカンが嘘を言っていないことを認めなきゃならないことだ!!
俺の勘は確かに、オカンの心の中に、”嘘の色”は無いと言っている…。


「くそーっ、全然分かんねぇ…!!」
「あのねまりもちゃん。その辺色々あったんだけど、とりあえずまりもちゃんが焦る必要は…」
「うっせー!!俺はオヤジを超えるんだ!!その為にはこのままじゃいけないんだよ!!」


くそっ、埒があかねぇ!!


「まりもちゃん、待って…!!」
「畜生ッ!!」

俺は高ぶる感情をどうにもできないまま立ち上がると、オカンの静止も振り切って、
そんまま家を飛び出した。





――うっ…、ううっ……


息子が去った居間に、純夏は一人泣き崩れた。


――あの子の悩みは、自分が一番よく分かっているのに。


けれどどうにも出来ない。
あの子が気付いている通り、武は凡人。
ただ武の場合、鍛錬に使われた時間が無尽蔵だった。
気が遠くなるほどの時間、訓練とBETAとの戦いを繰り返した、白銀武。
記憶を純夏が濾過したとしても、その戦歴は武の身体に本能として刻み込まれている。

同じ凡人で人並みの時間しか持ち得無いまりもが、その域に達するのは無理なのだ。
まりもが武道を習いたいと言い始めた時から、分かっていたことだ。

しかし、母として、「どうせお父さんは超えられないよ」などと言えるはずもない。
父の立つ高みを目指す愛息子にしてやれることは、黙ってその背中を押してやることだけ。
冥夜や真那、彩峰といった旧友達に、手ほどきを頼むくらいしか出来なかった。
絶対に届かないと分かっているのに…、その理由を知らされることを許されない身が恨めしい。

結果、息子は歳を重ねるに連れ、父との差にコンプレックスを抱き、悩むようになった。
それを払拭できないことに、純夏は己が無力さを痛感していた。


「どうしたらいいの、タケルちゃん……!!分からないよぅ……!!」


日頃、純夏は泣くことを許されない。
父のいない家庭を守る母として、強くあらねばならないと、
どのような時も涙を見せずに息子を育ててきた純夏。

しかし愛する夫が帰ってきた反動か。
それともさっきの会話でとうとう関を切ってしまったのか。
ともかく、純夏は泣いたのだ。


「バカ。一人で悩むなよ」
「え………?」

突然の声に振り返ると、そこに愛する夫がいた。


「タケルちゃん…!?」
「純夏…」

武はそのまま背後から優しく純夏を抱きしめる。
純夏は武の胸に顔を埋めると、涙で武のパジャマを濡らした。


「ごめんなさい…!!私、どうしたらいいか…!!親としてダメダメだよ、私…!!」
「純夏はよくやってくれてる。だから泣くな」
「でも…!!」
「こいつは難しい問題だ。まさかあいつにまで無限ループさせる訳にもいかんからなぁ」


武は純夏を離すと、玄関に向かった。
パジャマ姿のままサンダルを履く。

「タケルちゃん!?」
「探し出して、男同士で語り合ってくる。待っててくれ」

頷く純夏と軽い口付けを交わし、武は外へ。純夏は中で見送った。





「分かんねーよ…」
「………」

「俺だって5歳の頃から剣術を習ってたんだ。けど、剣術だけで終わるつもりじゃなかった。
壬姫おばさんに狙撃を習うつもりだったし、戦術機の勉強もするつもりだった。
けど16歳の今かろうじて覚えたのは剣だけで、他の事には手をつけてすらいない。
親父は、18歳の頃には全部マスターしてた…」
「………」

「俺は本当に、親父に及ばないんだな…。霞姉…」
「まりもさんはお父さんとは違います。けれど、まりもさんは頑張っています」


土手では俺が一人いじけてたはずなのに、気がつけば隣に銀色のウサギがいた。

――霞姉(かすみねぇ)。

オカンの義理の妹。
一応俺の叔母さんに当たるんだけど、俺にとっちゃ姉みたいな存在だ。
ぶっちゃけ、初恋の相手だった。小学生の頃だけど。
出るとこは出て引っ込むとこは引っ込んでる良い体つきに、
30代後半という実年齢を感じさせない、張りのある肌と幼い顔立ちは正直そそる。

けっこう神出鬼没な人で、基本的には基地の中で夕呼先生を手伝ってるはずなんだけど、
気がつけば無言で隣にいたりする。

オカン始め、俺の知り合いの大人達はぶっとんでる人たちばっかりだが、
霞姉だけは静かに包み込むような、月の光のような笑顔を向けてくれる貴重な存在。
霞姉がいてくれると、和む。俺のオアシスと言って良い。
霞姉の優しい笑顔を見ていると、愚痴を零している俺の顔が、少しほころんだ。


「ありがとう霞姉…。でも頑張ってるだけじゃ親父には勝てないよ…」
「18歳の時点で比べて勝たなくても良いと思います。
まりもさんは着実に強くなっていますから、このまま伸び続ければ、
いずれはお父さんを超えることは出来ると思います」
「霞姉…」

だから諦めないでください、と微笑む霞姉の顔つきが、とても穏やかで綺麗だ。
月明かりに照らされた銀髪が風に揺らいできらきら光って、女神様みたいだった。

その幻想的な女性に俺は見とれるしかなかった。
これが我が叔母でなければ、押し倒していたかもしれない。
歳の差なんて関係無い。
結ばれることはないけど、間違いなく霞姉は俺にとってサイコーの女だと思う。


「おい、霞に欲情してんじゃないぞ」


そんな野暮は声が投げかけられたのはその直後。


「ぶっ…! お、親父!?」
「な、何を言うんですか白銀さん」
「そいつ霞の事好きだからな。今も襲おうとしてなかったか?」
「襲ってたまるか!!」
「え………」
「何故そこで残念そうにする、霞」


霞姉、ひょっとして俺が小学生の頃言った、
「俺が大きくなったら霞姉と結婚する」って言葉を覚えてる…?
そして、けっこう本気にしてた…? まさかな。うん、あり得ん。



「んな事より親父は何しに来たんだよ!パジャマのままで!!」
「夜の散歩だなぁ。まりもに会えたらいいかな、とは思ってたけど」

嘘だ。
この目は最初から俺を探しに来たことを隠している目だ。
霞姉は何か察したのか、一礼するとそそくさと去ってしまった。
嗚呼、俺の癒しの女神様が…。


「さて、よっこらせ」

霞姉の座っていた俺の隣に親父は腰を下ろした。
昼間決闘した土手で、男二人並ぶ。
先ほどまでのおどけた雰囲気から一転し、シリアス全開な表情になって、
親父は口を開いた。


「まりも。お前が父さんに憧れてくれているのは知ってる。正直嬉しいよ」
「―――!!」

バレてる!?
本当のことだから嘘だとは言わないけど、面と向かって言われると恥ずかしいな!?


「けど、お前に、父さんが歩んだ人生をなぞる事は出来ない。
お前も気付いているだろうが、父さんと母さんの人生は軍事機密の塊だ。
言えない秘密はいっぱいあるし、辛いこともいっぱいあった。
父さんが柄にも合わない能力を、不相応の年齢で手に入れていたのもそのせいだ。
お前はそれをトレースする必要は無いんだよ。
あんな目にお前を遭わせる訳にはいかねぇし。
それに俺に言わせりゃ、5歳の頃から今まで、一本芯の通った生き方してるお前の方が
俺よりずっとすげぇよ。成り行きで生きてた父さんとは比べ物にならない」

さっきの霞姉の話と一緒だ。
俺と親父の人生は違うから、別の形で抜けというのだ。


「俺はMX3を作り、火星まで取り戻した。
けどBETAは太陽系だけでもまだ大勢いる。
俺には火星までしか届かなかった手を、お前は更に伸ばせるんじゃないのか?」

――なんだよ。結局、俺には親父は超えられないって言いたいのかよ。

「まだその時じゃないってことだ。
そりゃ、鍛錬を続けるに越したことはないさ。
けど人間ってのはどうしても、その状況に置かれて初めて得られる能力ってのがある。
俺の場合は、偶然それが18歳の時だった。
お前だってこれから一歩一歩歩んでいけば、相応の試練にぶつかる。
幾つもの試練を越えた先に、俺を超える物を得られるんじゃないか」

――根拠は、何だよ…?

「俺だ。俺だって、18歳の頃は逆上せ上がってた、ただのガキだった。
けど何人もの先輩達や仲間のお陰で、ここまで来れた。
凡人の俺がご大層に英雄なんて呼ばれるようになったんだ。お前だって出来るさ」

――親父

「焦るな。お前はお前に出来ることをやってる。今のまま、進めばいい」


少し考えてから「ああ」、と頷いて、俺達は帰路についた。


「なぁ。親父、何時まで家にいるんだ?」
「1ヶ月くらいはいられるかな。その後は講演やら何やらで世界中を飛び回ることになる」
「その間でいいからさ、学校終わったらまた相手してくれよ」
「いいぞ。剣術だけでいいのか?」
「バルジャーノンも」
「バルジャーノン。やってるのか?」

時々だけど、と頷く俺。
どういう訳か美琴おばさんがやたら上手くて、時間が空いてる時は相手してくれる。
鍛えられたお陰でご町内には敵無しという状況だが、美琴おばさんには一度も勝てない。


「へぇ~…。美琴がバルジャーノンなぁ…」

何かを懐かしむような遠い目で、彼方を眺める親父。
オカンも時々こんな顔をするんだが、こういう時の二人は何を見ているのだろうか?
ふと故郷を想う異邦人のような、そんな仕草に見える。
って、あんたらの故郷はここだろ。新柊町。そんな顔すんなや。


親父は暫く感慨に耽った後で気を取り直すと、
「よし!じゃあ明日の夕方はゲーセン行くか!!」と叫んだ。
「おう!!」と応じる俺。


正直、踏ん切りがついたと言えば嘘になる。
俺が18歳になるまでに18歳の親父を一刻も早く超えたいという野望は、本物だ。
こんな一晩の説得で「はい、そうですか」と言う訳にはいかねぇ。
幾ら親父やオカンや霞姉が無理と言っても、俺は目指したいものを目指すだけだ。

その為には当の親父だって積極的に利用してやるさ。
美琴おばさんに鍛えられたバルジャーノンの腕を、親父との戦いで更に高める…!
18歳になるまでに戦術機適正をぐんと上げてやる。
その後は狙撃と銃の勉強だ。

まだ2年。2年ある。
親父に言われた通り、今出来ることを出来るだけやる。その上で高みを目指す。

俺はまだ諦めねぇぞ…!!



今日まではコンプレックスから、
あえて親父とは仲悪いイメージを周囲に刷り込もうとしていた俺。
しかし次の日から、開き直ったように俺と親父は連日ゲーセンに通った。
負けても負けてもコンティニューし続けた。
日曜など朝から閉店までどっぷりだった。

ゲーセンだけじゃなく、その一ヶ月間、俺は何処に行くにも親父と一緒だった。
お陰で今までのイメージ付けが台無しだ。
カルガモの親子みたい、とはご町内で微笑ましく広がった比喩表現である。


「やっぱり仲いいじゃん」

道端ですれ違った慎太郎が親父に挨拶した後、笑って俺にそう言った。


「べ、別に仲良くねぇ…!!俺は親父を超える為に親父を利用してるだけだ…!!」
「はいはい」

信用してねぇなコイツ!!


…まぁいいさ。
親父と一緒にいられる時間は少ないんだ。
俺は時間の許す限り親父といるぞ。

親父から学び得るものを、全て学び切って、俺は親父を超えてやる…!!



そして意気込みあってか、18歳の衛士訓練学校入りまでには剣術、体術、戦術機運用、
狙撃を、一通りマスターするに至ったりするのだがそれは別の話である。



マブラヴオルタネイティヴ短編SS 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝
おとうさんといっしょ!!
~完~



あとがき

白銀武の娘さんが出てくるSSはちょこちょこ見かけるのに
息子さんが出てくる作品がないので、
息子がいたらどうなるのかと思って書いてみました。




登場人物まとめ


・白銀まりも(オリキャラ)

外伝主人公。16歳。女っぽい名前だが男。
父は白銀武。母は白銀純夏。
偉大な親父を超える為に幼少期から鍛錬を重ねる努力家。
挿しあたっての目標は、知り合いのおばさん達から聞かされている
18歳の頃の白銀武を超えること。
出来るだけのことはしてきたつもりなのに、
後2年で追いつける気がしなくて大いに悩んでいる。

母親譲りのリーディング、プロジェクション能力を持つが、
本人は勘が良い程度にしか考えていない。
任官後はESP能力が完全に覚醒。
鍛え上げた技量にニュー○イプ染みた最強の先読み能力が追加され、
誰も手がつけられない有様に。

異界の常識・非常識が両親によってところどころに刷り込まれており、
時折予期せぬトラブルを巻き起こす。

「シメジ!?これ、天然のマツタケじゃないのかよ!?」



・平慎太郎(オリキャラ)

まりもの幼馴染で親友。16歳。
人の良い男で、まりもが起こす数々のトラブルをフォロー、収拾してくれる。
また本当は親父のことが大好きなのに、素直になれないまりもの心境を常に案じている。
根っからの女房肌である。

99年の明星作戦に参加した元A-01部隊の衛士を父親に持つ。
横浜奪還は成功するも親友を失い、自らも負傷して引退したらしい。
衛士になって、町を取り返そうと頑張った親父の分も頑張ろうと意気込んでいる。

「おいまりも。普通、鍋にソースは入れねぇぞ。っていうか、鍋とコンロは普通、
弁当には持って来ない」



・白銀武

言わずと知れた元戦術機乗り。国連軍少将。42歳。
月面戦役までは戦術機で戦うが、火星戦役後は司令官として前線に赴く。
なかなか家族に会えない生活を送っていたが、火星を征服し終えたので帰ってきた。
『この世界』のバルジャーノンは、彼が月面戦役と火星戦役の間に作った品物。
英雄。救世主。愛妻家。親バカ。
まりもの持つ異界の常識・非常識の出典その1。

「純夏、ちょっとまりもとゲーセン行ってくるな」


・白銀純夏

元決戦兵器の主婦。国連軍退役時の階級は少佐。42歳。
人間に戻ってもリーディング、プロジェクション能力は健在。
月面オリジナルハイヴ戦での諜報活動を最後に前線を退く。
以後の月面戦役と火星戦役を見守りながら、地上でまりもを育てていた。
と同時に、故郷横浜の復興活動を行っていた。
まりもの持つ異界の常識・非常識の出典その2。

「二人とも、あんまり遅くなっちゃダメだよ。夕飯までには帰ってきてね」


・霞

純夏の義妹。まりもの叔母。30代後半。
外見年齢は20代半ばくらいに見えるらしい。
まりもは小学生の頃、霞姉に惚れてしまった。初恋だった。
(今でも惚れてることは惚れている)

普段は香月夕呼副司令の下で助手をしているはずだが、神出鬼没で
突然新柊町に現れることがある。
白銀家の食卓は椅子が4つあるが、まりもの隣は彼女の席である。

濃い知り合いが多い中、場を穏やかな雰囲気に変えてくれる彼女の存在は
まりもにとって貴重であり、まりもは密かに「癒しの女神様」と呼ぶ。

「まりもさん。焦らなくても、一生懸命頑張れば大丈夫ですよ」


・知り合いのおばさん達

武、純夏の古い友人達。
まりもが物心ついた頃には周囲にいた人々。
親父がいなくて寂しいまりもに少なからず元気をくれる素晴らしい人たち。

夕呼先生、冥夜おばさん、千鶴おばさん、壬姫おばさん、慧おばさん、
美琴おばさん、真那おばさんの7名。

霞も含め、誰が誰と結婚してるとか、どういう仕事をしているかは
まったく考え付いていないので苗字すら設定していない。
作者の計画性の低さを露呈していると言えよう。

冥夜おばさんと真那おばさんは、まりもに剣術を教えている。
お慧おばさんは、まりもに体術を教えている。
美琴おばさんは、まりもとバルジャーノンをしている。
壬姫おばさんは、今後まりもに狙撃を教える予定。
千鶴おばさんは、視力が悪くなった純夏に裁縫用のぐるぐる眼鏡をくれた。
夕呼先生は、まりもの名前がつけられた時とても嬉しそうだった。
…というぐらいしか決まっていない。



[20854] 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝② いっしょにおふろ!!
Name: しゃれこうべ◆d75dae92 ID:d72ed1d6
Date: 2010/10/03 03:00

「彼女出来ないのか?」

親父はそう聞いてきた。


「…いねぇよ」

俺はそう答えるしかなかった。
そして、あんたと一緒にするなと言いたかった。


聞くところによると、親父は18歳のある日を境にモテモテロードを歩み始めたのだという。
”モテモテ”というのは、異性に人気がある”モテる”が2つ重なって、
凄く異性に人気があるという意味だそうだ。

それは見てれば分かることだ。
今でこそ親父はオカン一択の道を歩んでいるが、二人の友人というおばさん連中……
元は全員、親父のことが好きだったんだと思われる。
まぁ無理の無い話だわな。
訓練学校に入りたての時点で正規兵以上の実力を持っていたなんて、超一流の証。
女性にとっちゃ魅力的に見えるだろう。
親父にしちゃ、選り取り緑だったはずだ。

将軍の妹。元首相の娘。将軍の娘。元国連事務官の娘。元帝国諜報員の娘。
若い頃の写真を見たが皆綺麗で、出自もすげぇのばかりだ。超豪華メンバーだ。
なんでこのメンバーの中で、親父がド庶民のオカンを選んだのかは、
正直俺の理解の範疇を超えるところである。白銀家永遠の謎である。
まぁ、それはさて置くとしよう。話に関係無いから。



「俺はまだ、ただの学生だぞ。親父みたいにモテる訳ないだろ」
「別に何人にもモテる必要はないだろう。本当に大事な人が一人いれば、
恋人は二人も三人もいらないさ」
「だーかーらー、その一人が見つからないって言ってんだよ!!」

親父とは裏腹に、俺、白銀まりもは彼女いない歴がそのまま実年齢に等しい。
普通彼女と言えば一人なんであって、それを探すのが難しいのに。
あっさり二人、三人と言ってしまう親父のセンスはやはり狂ってると
言わざるを得ない。


「作ろうとはしないのか?」
「俺は学校と修行で忙しいんだよ」
「けど衛士目指して勉強してる慎太郎君には、彼女がいるそうじゃないか」
「ああ…。あの裏切り者め……」


そうなのだ。
衛士を目指す為に勉強し、空いた時間はほぼ全て俺とのだべりに当てていて、
彼女作る時間なんて無いはずの親友、平慎太郎にはきっちり彼女がいる。

確か苗字は月詠。
真那さんの親戚筋の娘と聞いている。歳は慎太郎の1つ下。
なんでも、その娘が町で暴漢に襲われた際、慎太郎は助けに入ろうとしたが
逆にボコボコにされて、けど何度殴られても諦めなくて。
結局その月詠という娘が自力で暴漢五人をボコボコにして警察に突き出したのだが、
その後で「力及ばずとも立ち向かう姿勢は天晴れです」と褒めてくれたらしい。

慎太郎がお礼にと誘った喫茶店で、親父が横浜奪還戦に参加し、その跡を継ぎたいと
いう夢を話すと、それに共感してくれて。
「素晴らしいことです。殿方とはかくあるべきです」と言われて、
結局二人は交際を始めたとかなんとか。
向こうは帝都住まいだからあんまり会えてないっぽいけど、ずっと文通はしてるようだ。
俺はちょっと見ただけだが、真那さんを若くしたような感じの、緑色のサラリとした長髪が
素敵な凛々しいお嬢様である。いいなー。ちくしょう。


「世の中、何処に出会いの形が落ちてるのかは分からない。
だが気をつけていないと拾い損ねちまうぞ。
父さんも、母さんの気持ちに気付くことが出来ずにすげー大回りしちまったんだ。
あー、人生何回やり直したかなぁ…」

また遠い目をする親父。
だからその目で何を見てるんだよ。
っていうか、人生何回もやり直したって、比喩にしても大げさ過ぎだろ。
100年や200年、オカンの気持ちに気付かなかったとでも言うのか?
…まさかな。んなことある訳ないじゃん。

その時脳裏に、永久の時間を戦い続ける親父の姿が過ぎってしまった。
あと青白く光る変な脳髄。


(ダメだダメだ…。近頃親父との稽古で殴られ過ぎて頭おかしくなってんのかな。
 こんな幻想が見えるなんて)


頭を振って立ち上がる。

ざぱーっと、湯が音を立てた。


「さて、身体洗おっと。親父、背中流してやるよ」
「そうか。すまんな」


以上、銭湯『すさのゆ』における、湯船の中での会話でした。






マブラヴオルタネイティヴ短編SS 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝②
====いっしょにおふろ!!====





銭湯。

それは人類の生み出した文化の極みである。

気持ちの良いでかい湯船。

思わず吸い込まれそうになりそうな見事なペンキ絵。

お風呂から上がった後に買ってもらう、
フルーツ牛乳やラムネの美味さ。

ああ、銭湯は良い。

銭湯 for ever である。



昔、新柊町の上下水道が完備されていなかった頃は、
皆近所の銭湯に足を運んでいたものだ。
親父が普段家にいなかった俺は、オカンに手を引かれて、二人で
ゲタの音をかっぽかっぽと鳴らしながら、毎日湯と書かれたの暖簾をくぐった。


「おばあちゃーん。大人一人に子供一人ね!!」
「いらっしゃい、白銀の奥さん」


番台のおばあちゃんに入浴券を渡すと、
ゲタを預けてオカンは女湯へ入る。俺も当然、付いていく。
小学校低学年くらいまでは、俺も女湯に入っていた記憶がある。

正確には小学2年からは恥ずかしくて男湯に入りたいとせがんだのだが、
オカンが俺と一緒に入りたいと言って離してくれなかった。

「まりもちゃんはお母さんとお風呂に入るのと、一人で入るの、どっちが楽しいのさ!?」

…そんなこと大声で言わないで欲しい、とは言えなかった。
まぁ機嫌を損ねると湯上りのジュースを買ってもらえないし、
日頃世話になっている大切な母親なので、仕方が無く付き合ったのである。3年までは。
そっからは同級生の目も厳しくなるので、ちゃんと男湯に入ったよ。

壁の向こうから「まりもちゃーん、そろそろ上がるよ~?」と時間調整してくる
オカンの声が響いた時は、相変わらず恥ずかしかったけど。


で、俺が中学に入る頃から各民家に上下水道が完全に行き渡るようになって、
民家にも備え付けのお風呂が増えた。
ついでにトイレも、汲み取り型から水洗へと移行して行った。
こうなると一度の風呂代が高く見えてきて、町民の銭湯への足は遠のいた。
町に何軒もあった銭湯は急速に姿を消して行き、銭湯は庶民のお風呂から娯楽の対象へと移行した。
銭湯は、家のお風呂に窮屈間を感じた人がたま~に行く程度の頻度で、使われるだけになった。
もう、新柊町で営業している銭湯は2軒しか残っていない。


「今日の鍛錬は汗びっしょりだからな。たまには銭湯で汗を流そうか!!」

との親父の提案で、俺にとっては昔馴染みの銭湯『すさのゆ』に行くこととなった。


「純夏は行かないのか?」
「私はいいよ。行くなら二人で行っておいで」
「分かった」
「銭湯って、もうタケルちゃんやまりもちゃんとは入れないからねぇ…」
「そりゃ当たり前だ。何時か家族温泉行った時にしろよ」

うん、と頷くオカン。
その時横から声がかかった。

「純夏さん、お一人が寂しいというのでしたら、私も行きます」

さっきまでいなかったはずの人物が、ちゃっかり居間にいる。


「霞!?」
「霞ちゃん!!」

…霞姉、いつも突然だよな。
しかもその井出達は、オカンがプレゼントした兎模様の浴衣姿。
何時ものウサミミ髪もいいけど、飾りをはずしてロングにした姿も美しい。
手の桶には兎模様の手ぬぐいと、バスタオルと石鹸ケースとシャンプーとクシが見える。

「社少尉、銭湯(戦闘に非ず)準備完了です!!」って言いたそうな雰囲気だった。


(それにしても、何処で情報を聞きつけて、何時準備したのだろう?)

そんな俺達3人の疑問をスルーし、霞姉はオカンに詰め寄った。

「純夏さん」
「は、はい。なにかな霞ちゃん」
「銭湯、行きたいです」
「うーん。そう言えばここ数年行ってないなぁ」


霞姉はこう見えて銭湯好き。
最初は人前で裸を晒すことに躊躇してたっぽいけど、
でかい風呂からラムネのコンボにやられたらしい。
暇があれば全国の有名銭湯を行脚したいと言っている。

昔はたまに、俺とオカンと一緒に三人で銭湯に通ってたっけ。


(………って、待て。何を考えてる、俺)

ダメだ。
ふと思い出してしまった。
小学2年の頃、霞姉と一緒に銭湯に行った時のことを。

思えば、霞姉のあのすらりとしたボディラインを、何の妨害も受けることなく
間近で見ることが出来たのは、あれが最初ではないだろうか。
ギリシャ像もかくやというような美しさは芸術級で…幼心ながらに、見とれてしまった。
当然、それは抱きたいとかそういう俗な欲求を持つ前の話。
ただ単純に、あの彫像のような霞姉の裸体のところどころが
湯煙に隠れている絶妙な光景が、とても美しいと……感じてしまった。
そして、間違いなくその時、俺は初めて霞姉に恋心を抱いたのではなかったか。


(ああ~、何を考えてるんだ俺は!こんな時にこんな事を考えるなんて!!)

頭を振って妄想…というか、邪な思い出を消す。消す。消す…!!
早く消さないとバレてしまう…!!


「……ふふ。まりもさんはえっちですね」
「もう~。幾ら霞ちゃんが美人さんでもそれはダメだよ~。
叔母さんとは結婚できないんだからね」


ああっ…!!
遅かった!!
この二人の勘は超能力級!!まるでエスパー!!
俺の考えてることなんて丸分かりなのだ!!


「お、親父……」

どうなるものでも無いと思うが、なんとなく親父に救いの目を向けてみる。
すると、ぽん、と肩に優しく手を置かれた。


「まりも、男はな。
子供の頃から慣れ親しんだ女性とお風呂に入るといろいろ意識しちゃうんだ。
しょうがない。父さんにだって、同じような経験はあるさ…」
「親父ッ…!!」

理解のある親父で助かったぜ。
親父も若い頃オカンとお風呂に入って興奮したことがあるんだな。


「父さんと違うところは、お前には霞を口説くことが許されない事だが」
「うごぉっ…!!」

現実は非情である。
結局、自分が霞姉に抱いていた恋心を悪い形で暴露した上に
トドメを刺されただけだった。
俺は、死んだ。


「さ、何時までもおバカな話してないで、行くなら行こう!!」

オカンも準備が早い。
服装はそのままだが、既にお風呂セット一式を人数分、風呂敷に包み終えている。

「よし、行くか」
「行きましょう」
「………そうだな」


40代、30代の中に一人に混じる10代の自分は、
大人たちのペースに巻き込まれっぱなしだった。





「それじゃあ後でね」
「行ってきます」

オカンと霞姉は女風呂へ。

「ああ。それじゃあまたな」
「後でな」

俺と親父は男風呂へ。

ああ……。この壁の向こうじゃ霞姉が服脱いでるんだな…。
もう一度、あの楽園を見たい見たい見たい見たい見た――


「馬鹿なこと考えてないで早く来い」
「お、親父まで心が読めるのか!?」
「何考えてるか顔見れば分かるっての」

服を脱がされロッカーに鍵をかけ、いざ浴場へ。

かけ湯をし、湯船に入った直後の親父の質問が、冒頭のアレだった。
俺がいつまでも歳の離れた叔母に執着していることが、
親父なりに心配らしかった。

歳相応の健全な恋をして欲しいというのが、親父の願いなんだな、多分。



湯から上がって、椅子を用意。
洗面台の前に座った親父の背中を流す。


「相変わらずでけぇな…」


何が…と言えばナニではなく、勿論背中の話である。
ガキの頃に何度か親父と風呂に入ったが、その時も背中はでかかった。
今日は前よりも一層強く、親父の背中の大きさを感じる。

適当に石鹸をつけて手ぬぐいでこする。


「どうよ、親父」
「おう、もっと気入れて擦ってくれよ」
「人遣い荒いなッ!!」
「お前がやるって言ったんだろ」


ごっしごっしごっしごっし。


「ところで、まりも」


親父が口を開く。
手ぬぐいを動かしながら俺は聞く。


話題は、さっきの続きだった。

「まりも。恋はいいぞ。こいつの為なら俺は命を捨てられるって、
本気で思えてくる。いや、実際に行動出来るんだ。
乗り越えられない壁も乗り越えて、自分を更に高めてくれる」


彼女がいないことを突かれるのにウンザリしてきていたので
いい加減話題を変えて欲しかったが、
この話を聞いた時、俺は自分で目の色が変わったと思った。


「お前は自分に出来ることをやってる。
けどもし自分に足りないものがあるとすれば、それかもしれない。
俺を超えるという目標があるのは良い。
お前の信念の強さはよく分かってる。
けど、そこに恋人って事情を絡めると、更に強くなれるんだ。
俺も、愛しい恋人の為だったから強くなれた」


親父にとっての大切な人。
親父が最強の衛士に成長するきっかけを作った、親父の恋人。
信念の源。
それって。
決まってるけど…。


「本当に好きなんだな、オカンの事」
「ああ。父さんは母さんを愛してる。因果率を捻じ曲げて、運命に抗って、
次元の壁を貫いて、世界の理さえぶっ壊せる程に、俺は純夏を愛してるさ。
俺は今でも、あいつに恋をしてるんだぞ」

そう言って振り返った親父の顔はとてもキラキラ輝いていた。

――恋、か。

思わずそんな親父に見とれてしまった。
恋をしている人の顔って、こんなに綺麗なんだ。


…けど、俺もすぐに冷静に戻る。
よく考えると、今かなりぶっ飛んだこと言ったぞ、この男。


「素面でよく、そんなこっ恥ずかしい台詞吐けるな…」
「本当の事なんだからしょうがない。
父さんと母さんの愛は世界を救うレベルだからな!!」

ははははは、と恥ずかしげもなく親父は笑った。
常識で考えれば親父の言は比喩というか冗談というか、誇張なのは明らかなんだが、
俺の勘では、それが真実に感じられてならなかった。
親父はありのままを伝えているようにしか思えなかった。

…俺の勘、鈍ってるのかな。
最近、親父やオカンのあり得ない話が本当のように感じる。
因果とか。タイムスリップとか。愛の力とか。





真っ赤になっていた。
食べ物に例えるなら茹蛸状態。
ただしお風呂だからといって、逆上せた訳ではない。


「タ…タケルちゃん……」


白銀純夏の全身は上から下まで真っ赤に染まっている。
一緒に入っている客はご近所の人が2、3人くらいだが、
それでもギャラリーはギャラリー。
その観衆の前で、あんな惚気台詞を吐かれたら、純夏と言えども
恥ずかしくなってしまう。

直接言われる分には良いのだ。
何時ものように、武が直接純夏に言う分なら、どんな大声でも、
どれだけの人数の人に聞かれても全然オーケー。
かの大晦日のプロポーズ作戦に比べれば大したことはない。

しかし、それが息子とは言え、愛する人間が他の人に、
自分への気持ちを語っているというのは、とてもむずむずする。



――ああ。父さんは母さんを愛してる。

――因果率を捻じ曲げて、運命に抗って。

――次元の壁を貫いて、世界の理さえぶっ壊せる程に。

――俺は、純夏を愛しているさ。

――俺は今でも、あいつに恋をしてるんだぞ。


これが、浴場の床に反響して、コーラス会場のように響き渡っている。
もう爆発ものである。
もしかして、武は自分のいない時、他の誰かにこんなことを
触れ回っているのかと思うと恥ずかしくて死にそう。


「タ、タケルちゃん!嘘は言ってないけど絶対変な人に思われるよ~!!」
「今更という気もしますけど」

純夏の背中を手ぬぐいで擦りながら霞は冷静に零した。
霞にしてみれば普段の二人のイチャつきも、今の武の発言も、大した違いは無い。
第三者にしてみればちょっぴり微笑ましく、けっこう鬱陶しいことこの上無い惚気発言。
例外は霞だけで、彼女だけは100%の祝福を示してくれている…はずである。多分…。

「う~。こう、言われっぱなしっていうのはもやもやするよね」
「やめて下さい純夏さん。ここで対抗しても余計恥ずかしくなるだけです」
「だって…!!私だってタケルちゃんのこと好きなのに!!
言われっぱなしってのは嫌だよ! こうなったら私は歌っちゃうぞ!!」
「やめて下さい純夏さん…」


霞はぎりぎりまで止めようとしたのだ。
自分の為でもなく。純夏の為でもなく。武の為でもない。
この噂が広まれば、また恥ずかしい思いをするであろう、大事な甥っ子の為に。



―――1万回と2千回前から愛してる~ッ!!

テンションMAXで歌い始める純夏。
こちらも声がよく響いた。


ああ、始まってしまったと、霞は溜息をついた。
こうなってしまうと、手がつけられない。
武と純夏の愛を阻むものは、例え因果の壁であろうとブチ抜かれる。
なのにこの身に何が出来るであろうか。


「…ごめんなさい。まりもさん」

もう、霞は止めなかった。
どうにでもなーれ。
そう言いたげに、熱唱する姉の石鹸を洗い流すと、
霞は一人湯船へと戻っていった。





――8千回過ぎた頃から…


オカンの意味不明な歌声が聞こえてきた。
とりあえず親父への想いを込めて歌っているようだが…。
オカンは歌は下手ではないが、この歌は歌詞がよく分からんぞ…?
そもそも回って何だよ、回って。
何が八千回過ぎたんだよ。


「何の回数だってんだよ、なぁ?親父」


そう思って親父に同意を求めると、親父は…

…泣いている!?


「うう、純夏……。分かるぞ、お前が毎周、どんな気持ちで俺を
待ち続けてきたかがありありと分かるぞ…。
本当に待たせたんだなぁ…。
ああ、もう20年も昔のことなのになぁ…。
あの時の事はまだ、俺達の中から消えちゃいないんだなぁ……」


…もう付いていけない。
親父とオカンの絆の強さは分かってるけど、二人の絆が強過ぎる分、
他の人は置いてけぼり感が物凄いのだ。

それに歌とは、その時間を共有した人同士でなければ伝わらない部分もある。
俺に付いていけないこの歌に、親父とオカンを結ぶ何かがあるのだろう。
だが俺にそれが分かるはずも無い。

俺はこのおっさんとおばさんを放って、一人で上がる決意をした。
気が済むまでやってろよ。





「お待たせしました」
「いや、待たせてるのはあの二人だろう」

受付の前で合流した俺と霞姉は一緒にラムネを買って飲んだ。

ちらり、と霞姉の方を見る。

浴衣から露出した肌は、白の上にほのかに赤みがかかってて、
上がる湯気が色香を演出し、そこにカラリとビーダマの涼しい音が
被さると……もう、最高。と言うしかない。
エロい、エロいよ霞姉。


(…って、ダメだ!!あーもう、今日は本当に霞姉のことしか考えてねぇ…!!
どうしちまったんだよ、俺!!ただのスケベ野郎になっちまったのか!?)

頭をかきむしる俺。
そんな俺に霞姉は優しく言った。

「それは、まりもさんの年齢の男性の誰もが体験することです。
恥ずかしいことではありません。スケベな事を考えるようになっても、
ただのスケベ野郎になった訳ではありません。仕方が無いことなんです」
「ありがとう……けどなんか、霞姉にそういう言葉使われるのやだなぁ」

何かイメージに合わないというか。
霞姉にはもう少し上品な言葉遣いが似合うと思うんだけど。


「とりあえず、恥ずかしがる必要はないってこと?」
「恥ずかしいのはお風呂の中で叫んだり歌ったりしている方々かと」

それは同感。まぁ、こういう件で学校でいろいろ言われるのは俺なんだけど。

「気苦労お察しします」
「ありがとう、霞姉…」

優しい霞姉の気遣いに俺は頭を下げた。



「けどこんなんじゃ、今日の商売上がったりなんじゃないかなぁ」

お風呂場からあんな歌が聞こえてきたんじゃ、客も来ないんじゃないか?
店の人に悪いことしたなぁ、と思った。



その時である。

俺の予想に反してぞろぞろぞろと、暖簾を潜る数多のお客の姿が視界に入ったのは。
無言だが、霞姉も面食らっているようだった。

「え!?」

「おや、白銀の坊ちゃん。久しぶりだね」
「お、まりも君じゃないか。霞ちゃんも一緒かい」


皆俺達に挨拶をしては、戸を開けて中へと入っていくお客さん。
その数、二組や三組じゃない。
中には、俺達にもう一度入らないかと誘ってくる人もいる。


「…なぁ、何でオカンが歌い始めた途端お客の入りが増えだしたんだ?」
「分かりません。が、何やら様子がおかしいです」

耳を澄ませると、オカンだけじゃなくて、親父の歌声も聞こえてきた。
ついでに中に入ったお客さん達の声まで聞こえてきた。
歌も、恋愛とか関係無い、ちょいレトロな皆で盛り上がれる感じの
曲に変わって、大合唱が巻き起こってる。



「あっ!!」


俺は思い出した。
まだこの町が荒野に、粗末な家しか建ってなかった頃。
皆が必死で町を再興しようと歯を食いしばっていた10年前。

辛いことがある度に、大人達は皆で歌ってた。
何時かはこの町を人が安心して住める日にしようと、互いを励まし合って。
その音頭を取ってたのは、他ならぬオカンではなかったか。


そして、風呂。
銭湯がまだ庶民の風呂だった時、そこは何と呼ばれていたか。

――まりもちゃん知ってる? 銭湯はね、浮世の社交場っていうんだよっ!

辛いことがあった時は、誰でもいい。
隣にいる人と背中を流し合う。
同じ、町の復興に取り組んでいる仲間なんだから気兼ねする必要は無い。
そこは文字通り、裸のお付き合いで親睦を深める場だった。



「あの時代の再現なんだ!」


当時、銭湯で歌うことなんかなかったけど。
歌で自分達を元気付けた人々と、銭湯で汗を流した人々は、同じ。
それは10年経ってこの町がすっかり近代ナイズされた後も同じ。
新柊町に住んでる人は変わらないんだから。

今回はそれが融合したケース?
オカンの繕わない歌声が懐かしくなって、我も我もと集まってるんだな。
それは、何故か。
何故このタイミングでこんな現象が…。


「白銀さんが、帰ってきたから…?」
「それだ、霞姉!!」



新柊町の復興は一見とっくに終わってる。
しかし、まだ完全に完成しちゃいなかった。
数日前までは、親父が帰って来ていなかったのだ。

町は、人がいて初めて町たり得る。

故郷の英雄で、復興の音頭を取ってたオカンの夫である親父が帰って来ないことには、
町が本当に元に戻ったことにはならないと、町の人々は判断してたんじゃないか?
親父が火星を征服して帰って来るのを待ってたのは、この町でオカンだけじゃないはずだ。
火星のBETAを倒して、親父が帰って来て、
ようやくこの町の人々は呪縛から解き放たれたという実感を持ったのではないだろうか。

夫婦の景気の良い歌声が聞こえてきたし…。
こうなりゃ全員でお帰りパーティとかそういうノリかっ!!


その答えは、浴場の方から聞こえてきた誰かの声で明らかになった。



――それじゃあ、故郷の英雄、白銀武少将の凱旋を祝して、万歳三唱ーっ!!

――”バンザーイッ!!”


――いやあ、この感じ懐かしいなぁ

――祝いだ祝い、酒頼め、酒!!

――まさかBETAが駆逐される日が来るとはなぁ…!!

――いやあ、皆で頑張った甲斐あったねぇ


がやがやがやがやがやがやがや。


壁を挟んだ夫婦の場は、いつの間にかご町内の寄り合い所となっていた。
笑い声の耐えぬ場には、次から次へと町民が集まる。
手拍子と歌の止まぬ馬鹿騒ぎの中核には、親父とオカンの声がある。


「親父とオカンって、あれでけっこうカリスマ性あるんだよなぁ」

なんか、この銭湯から感じる気持ちの色?…すげー明るい。表現し辛いんだけど。
そう言うと霞姉も笑って頷いた。


「まりもさんも混ざりますか?」
「俺は明日学校あるんで、早めに帰って宿題して寝るよ。
ここにいたら何時間でも拘束されそうだし」
「分かりました。では先に行きましょうか」


番台のおばあちゃんに先に帰るという言伝を頼み、俺と霞姉は家路に着いた。
湯で火照っていた身体はすっかり冷めてしまったが、
春なんで風邪引くことはないだろう。





家と、横浜基地への分かれ道に出る。
霞姉とは今夜はここまでだ。

「…なあ、霞姉にちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」

俺は霞姉に、今日風呂で親父に言われたことを言った。


「霞姉は…恋とかしないのか?した方がいいって、親父は言うんだけどさ」

親父みたく鈍感じゃない俺は、霞姉に既に想い人がいることを知っている。
けれどそれは絶対に手に入らないものだということも知っているから。
それは多分、初恋の人が手に入らない俺の心境と同じなはずだ。
俺が聞いたのは、そういうことだった。


「しますよ。今もしていますが…。新しい恋も、探しています」

霞姉はあっさりそう言った。


「マジで!?」
「お見合い写真、見ますか?基地の中にありますけど」
「いや、それはいいんだけど…」

意外だった。
世間知らずな霞姉だから、ずっと親父一托だと思ってた。
流石に若作りしてても、30云歳だとそろそろ危機感を抱いているのかな。
もう恋する乙女じゃいられないもんな。


「…今、とても失礼なことを考えましたね」
「げっ!か、考えてないよ!!」
「まりもさんはひどい上に嘘つきです」
「霞姉ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


ぷん、と拗ねる霞姉。
例えそれが俺をちょっとからかう為のお茶目だと分かっていても、
本気で狼狽してしまう。

「冗談です」

そんな俺にくるりともう一度向けられた表情は、いつもの優しい霞姉だった。
その表情を見て、俺は初めて安堵出来る。


「まりもさん、お互い頑張って、良い人を探しましょう」
「あ、ああ。そうだな」

俺は霞姉から卒業しなきゃなんないし。
霞姉だって、親父から卒業しなきゃなんないはずだ。
霞姉がこういうこというのは、自ら範を示して俺に言い聞かせる為なのかな。


「という訳で競争です」
「ああ…!!言っとくが負けねーぞ、霞姉!!」
「ええ。私も負けるつもりはありません」


交わす笑みは互いへの誓いであると同時に、自分への誓い。
「またね」と握手を交わすと、俺は霞姉と別れた。



今日は多分、親父とオカンは遅くなる。
ひょっとしたら銭湯での馬鹿騒ぎを切り上げた後、
どっかの飲み屋ででかい宴会になるかも知れない。
っていうか、絶対そうなる。

俺はスーパーで俺の食う分だけ買って、食って寝よう。


(彼女がいたら、こういう時ご飯作ってくれるのかな)


――まりも君っ、今日はまりも君の好きなものばかり作ったよっ♪
…なんて言ってくれる乙女を想像する。

うーん、いいかも。
美女なら尚いいかも。
鍛錬が終わった時にタオル持ってきてくれて

――まりも君、お疲れ様っ♪
…なんて言ってくれると最高かも。


「彼女か…。恋かぁ………。よし、作るぞ、彼女ッ!!
その娘を守るためなら、俺はもっと強くなれるんだろッ!!」


俺は握った拳を星空に掲げ、誓いを立てた。




まぁ、そんな簡単に理想の彼女が出来るはずもなく、
結局俺は2年後の18歳の春を待たねばならなかった訳だが。
それはまた別の話。








マブラヴオルタネイティヴ短編SS 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝②
====いっしょにおふろ!!====
~完~






あとがき

銭湯って狭い町内だと見知った顔ばかりで楽しいですよね。
近頃行ってませんが、行きたくなったのでネタにしてみました。
それでは。




登場人物



・白銀まりも(オリキャラ)

彼女いない暦=年齢な16歳。
父親の恋愛原子核は遺伝しなかったのか、それとも
まだ発動していないだけなのかは不明。
父親の覚醒は18歳の頃なので、彼もこれからの可能性がある。

思春期なので、親父超え以外にも色々抱え込みたい年頃。
特に異性に関しては。



・白銀武&純夏

まりもの両親。
鴛鴦夫婦で、町の人気者。
彼らのいる所に人は集まる。
二人ともカリスマ持ち。


・社霞

未婚という設定が出来たので苗字変わらず。

銭湯好きという設定も追加。
銭湯は誰もがリラックスしているので、
リーディング持ちの彼女にも優しい場所らしい。
もう基地のシャワーじゃ満足出来ない体になったとか。
文化としてのお風呂をこよなく愛するようになってしまった。



・平慎太郎(オリキャラ)

今回は名前だけ登場なまりもの親友。
彼女がいるという設定になった。

彼女の月詠さんは真那の親戚筋の娘(15歳)という設定。
本編の真那を、そのまま15歳に退行させた感じをイメージ。
名前は考えてない。



[20854] 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝③ いっしょにおるすばん!!
Name: しゃれこうべ◆d75dae92 ID:3509043c
Date: 2010/10/07 11:28
2024年4月26日金曜日。新横浜市、新柊町。



間もなく時計の針は夜12時を刺そうとしている。
夫も息子も寝静まった自宅の居間で、白銀純夏は一人、何時もの日課を行っていた。

千鶴に貰ったぐるぐる眼鏡で落ちた視力を補う。
テーブルの上には男二人の衣類と、愛用の裁縫箱を置く。
準備が整うと作業開始。
純夏は糸の通った縫い針を、待ち針を刺した洋服へと通し始めた。
思わず笑みが零れる。

――今日も随分痛んでるなあ。

そう思いながら、愛する夫と息子の洋服を丁寧に繕っていく。



夫、武が帰ってきてから、この繕い物は多くなった。
何しろ毎日、男二人で連れ立って何処かへ出かけては泥だらけ、傷だらけになって帰って来るのだ。
夫から詳しくは聞いていないが、息子まりもを鍛える為の特訓なのだろう。
恐らくチャンバラをしたり、格闘技の練習をしたり、走りこみをしたりしていると思われる。
当然、そういうことをしていては洋服の痛みは自然と激しくなる訳で。
その後片付けは全部、母親である自分に回ってくるのだった。

まあしかし、純夏にとってこれは負担でもなんでもなかったりする。
実際、繕い物をする彼女の表情は、とても和やかで楽しそうだった。


――いいなあ、こういう生活。

時計の音だけを聞きながら黙々と針を動かしているこの時間、純夏はいつもそんなことを考えている。
本当に夢みたいな話だと、純夏は思うのだった。

自分も家族も健康で。
家族は皆、仲が良くて。
自分は毎日愛する夫と息子のご飯を作って、服を整えて…。

昔は”あんな状態”だった自分が今、こんな普通の生活を営めていることがどれほどの奇跡なのか。
火星なんて遠い場所で戦い続けていた夫が、五体満足で帰ってきたことがどれほどの幸運なのか。
それを思えば不満など出ようはずもない。

今の生活は、白銀純夏が鑑純夏だった昔から、どんな世界においても夢見ていた将来像そのもの。
過酷な運命を与えられながらもそれを得られたことに…そして、得ることを許してくれた人々に感謝しながら、
純夏は一人の静かな時間を過ごしていく。



――けど、なぁ。

けれどこの日ばかりは、穏やかだった純夏の顔が急にむくれた。
その視線は手にしている品物からすいーーっと泳ぎ、壁にかけてあるカレンダーへと移った。
4月を告げるカレンダーはその大半がバツ印が埋め尽くされている。
その中で、まだバツのつけられていない最も新しい数字が目に留まった。


――4月26日。

今日の日付である。…いや、つい先ほど27日の土曜日を迎えた。
あと4日過ぎればもう5月。
つまり武に与えられていた1ヶ月の休暇は、残り4日しか残っていない計算になるではないか。
それが終われば夫は家を発ち、任務に戻る。
今度のは講演やら何やらで世界中を堂々巡りするという、英雄様専用任務らしい。
命の心配をするような任務ではない分、不安は以前とは比べ物にならない程少ないが、
それでも家を空けられると寂しいことに違いは無い。

まあ、その事自体に愚痴は言うまい。しょうがないよ。お仕事だから。


――けど、なぁ…!!

思わず拳に力が入る。
生まれる葛藤に、全身がぶるぶると震え始めた。
その時ふいに、握り締めた裁縫針が彼女の指に刺さり、小さな赤い膨らみを作ってしまった。


「痛っ…!」

すぐに針を手放し、血を舐めとって絆創膏を巻く。
幸い、衣類に血が付いた様子は無くて安堵する。


「あう……、あたた………。ふぅ…」

溜息をつき、純夏は一人項垂れる。



――そりゃあ、嬉しいよ。幸せだよ。これ以上幸せを望んだら罰が当たっちゃうよ。けど、けどさ…。 

強く閉じた瞳に、じわりと雫が浮かんだ。



――たった一回もデートせずにこのままお別れって、あんまりじゃない!?

それが口に出せない女としての本音。
一度別れれば何年も会わない…もしかしたら二度と会えなくなるかもしれない夫婦生活をずっと続けてきたのだ。
そこへようやく、夫が無事に帰ってきた。
また出て行くのなら、その前に二人で…せめて1日でも、二人きりでゆっくりしたいじゃないか。
そんな願望が純夏の心を縛り付けていたのだ。

けれど純夏は思わず声にして吐き出してしまいそうになるのをグっと堪える。


――この感情は、夫と息子に悟られたくは無い。


…そりゃあ、あの夫と息子のことだから、ある程度の我侭は聞いてくれるだろう。
デートしようよと言えば、武と二人きりになれる時間を作ってくれることは間違いない。
けれどこの1ヶ月は、息子にとっては父に教えを請える貴重な時間でもある。
夫も出来るだけ、息子に付き合えるだけ付き合ってやりたいと考えているはず。

ぶっちゃけ武が退役すればデートなんて幾らでも出来る訳で、この休暇中のデートが
息子の貴重な時間を削ってまでする程のことかと考えれば、ここで女の我を張るのは罰が悪かった。


「……ダメだなぁ。私、弱くなっちゃったのかなぁ」

涙を浮かべたままぽつりと呟く。

「ちょっと前までは、何年会わなくても大丈夫だったのになぁ…」


少なくとも2ヶ月前までの純夏は、この程度のことで涙を見せる女ではなかった。
火星戦線は苛烈を極め、何時突然夫の訃報が届くかも知れぬ恐怖の中で、純夏は強く我が子を育てていた。
それが久々に夫に会ったらこの体たらくだ。

以前なら武が命の危険性が無い任務に就くというだけで、純夏には何も望む物は無かったはずなのに。
今は「おはよう」から「おやすみ」まで一緒にいられる環境にありながら、尚二人きりの逢瀬の時間を望むなんて。
人はつくづく、何処までも貪欲に出来ている生き物だと実感させられる。
我ながら…情けないと思った。


「はぁ……」

大きく溜息をつく。
自責の念にかけれてる内に身体が脱力しきって、もう縫い物をする集中力すら無くなってしまった。


「もう寝よ」

任務を放棄したまま敵前逃亡……家事の鬼らしからぬ行動だと思いつつも、
これ以上ここに居てもやる気が起きないので、品物を放り出したまま片付けもせずに席を立ってしまった。





洗面所で顔を洗った。
涙の跡を消し「いつも通りの自分」を作ってから、夫婦の寝室の襖を開ける。

照明の消えた畳部屋の中には横に並んだ布団が2つ。
手前の布団では夫が寝息を立てているので、起こさないようにそろりそろりとその枕元を迂回し、
純夏は自分の布団へと滑り込む。



(タケルちゃん…)

隣の布団に目をやると、向こうを向いたまま寝息を立てている武の後ろ姿がある。
こんな近くにいるのに何故か遠く感じてしまう夫を想い、純夏も瞳を閉じた。

と、その時。
暗闇の中、純夏は自身に迫る何かの気配を感じ取った。
咄嗟に目を開け、即座に確認しようとする。
しかし、それは純夏にその間を与えはしなかった。
2つの布団の境界線を破ってきたそれは、純夏に覆いかぶさるように急速接近。
そして…たちまち純夏の布団を剥ぎ取るや、寝転んだまま純夏を後ろから抱きしめた。


「タ、タケルちゃん…!?」

純夏はびっくりして、思わず声を上げる。
それは「起きてたの!?」と問うように発せられた。
さっき見た限りでは、武は襖の方を向いて爆睡していたはずなのだが。

…ぎゅっ。

答えは無言の抱擁で返された。
力の入れ具合は、離さず、されどきつ過ぎず……優しく包み込むようにして、後ろから純夏を優しく抱きしめる。
それで、寝ぼけての行為ではないと純夏は知った。
突然のことに戸惑いつつも、前を向いたまま純夏は口を開いた。


「ど、どうしたの。いきなりこんな…」
「元気、無いな」

純夏を後ろから抱きしめたまま、純夏の耳元に口を当て、低めのトーンで武は言った。
純夏はそのままの態勢で「そんなことないよ」と返す。
にっこり、穏やかに、何時もの口調でそう言ったのは純夏流の強がりだ。

「どうしていきなりそんな事。変だよタケルちゃん。私は何時だって元気元気だよ?」
「悪かったな。俺のせいだろ」
「っ!!」

だがそんな純夏の小細工を物ともせずに…、武は的確に突いて来る。
日頃女心に鈍感なこの男は、こういう時だけ、極たまに鋭い洞察力を発揮した。
すると、純夏の先ほどまでの作り笑顔が嘘のように崩れ始めた。


「なんで、そんな……」

このモードを使われると純夏は脆かった。
いかに強さを装ったとしても、この武の前でだけは本意を表してしまう。
せっかく顔を洗って作ったいつもの顔は、また涙で濡れてしまった。

それでもなお我を張ろうとする純夏の頬を伝う雫を、武はそっと拭った。
そして手を下に降ろすと、優しく純夏の右手を取る。
そのまま確かめるように純夏の手の平まで伸びて、更に先へ……やがて、指に巻かれたそれに届いた。
その感触を確かめながら、「やっぱり」と零す武。

「これ、何だよ」
「何って…絆創膏だよ。さっき縫い物に失敗しちゃって」
「お前らしくないミスだよな」
「誰だって失敗くらいするよ。そのくらいで元気が無いとか言ったら、元気が取り得の私に失礼だよ?」
「もういいから。俺が悪かった」

妻の指を取っていた手を離すと、またぎゅむっ、と彼女の身体を抱きなおした。


「考えてみれば、まりもにかまけてばかりで、お前とは全然出かけたりしてなかったな。気遣ってたんだろ」
「…何時から?」

そう問う妻の声は少し震えていた。
それに武は、少し気まずそうに「今」と答えた。


我ながら情けない、と武は思う。
武が彼女の異変を感じ取ったのは本当に今しがたなのだ。


――妻が枕元を通り過ぎる足音が、いつもより少し軽かった…気がした。

――妻が布団に入る動作に、ほんの少しだけ焦りを感じた…気がした。

――妻が横になった時、掛け布団の上がり下がりが、いつもより少し早かった…気がした。


いつもは彼女が何時布団に入ったかも分からないほど深く寝入っているというのに。
今夜ばかりは武は本能的に「何時もと違う何か」を察知し、それが真夜中の覚醒へと導いた。
そして咄嗟に何かあると……その理由、凱旋してから1度もデートをしていないことを思い出した訳だ。


「ごめんな」
「い、いいよそんなの。今はまりもちゃんの面倒見てあげてよ。あの子、毎日タケルちゃんに
特訓して貰うのが生き甲斐みたいになってるし」
「そうはいかない」

武は純夏の身体を自分の方へと向かせる。
自然と彼女と顔を付き合わせる形になり、そのまま武は強引に純夏の唇を奪った。

(えええ!?ちょっと、待っ…!!んんん…!!)

抵抗は許さない。
一方的に武の舌が純夏の口内につっ込まれる。
戸惑う純夏は身体を揺らすが、がっしり抱かれた今の状態では何の抵抗にもならない。

(タケルちゃん…、どうして………あっ……)

次第にそんな疑問がどうでもよくなっていく。
夫が、必死で自分を求めている。応じてくれと言っている。


――いいよ。分かった…。

答えはすぐに出た。
武の舌の動きに合わせ自分の舌も動かし、絡めていく。


――んんっ……。

武のキスは、はっきり言って上手くは無い。
が、その強引さと愚直な舌使いが、純夏はむしろ好きだった。

艶やかな喘ぎ声の後に続き、唾液の混じる水音が聞こえてきた。
暗く静かな寝室に、欲望のままに互いを貪る激しいキスだけが響いた。





――こいつを選んで良かった。

そんなことは武にとっては今更過ぎることではあるのだが、ここ1ヶ月家にいることで改めてそう思った。
こういうのを惚れ直した、と言うのだろうか。


振り返ってみると、武が家にこれほど長く滞在していた時期は、かつて無い。
何年にも及ぶ地獄のような火星戦役を戦い抜いたことで、ようやく得られた安息であった。
で、武にとっては初めて家の様子をゆっくり見られる日々が訪れたのだが、
小まめに手入れの行き届いた家や庭先の節々から、「いつ武が帰ってきても大丈夫なように」という、
純夏の強い愛が伺えた。
死線を潜り抜けて帰って来る価値があったと思わされる場所なのだ。

何より嬉しかったのは、息子のまりもが真っ直ぐに成長してくれていることだった。
息子は不器用ながらもしっかりと自分の中に芯を持って、目的に向かってひたむきに生きている。
よく女手でここまで育ててくれたと…こればっかりは本当に、純夏にいくら感謝してもし足りない程だ。

息子は、出征の度に大きくなって帰ってくる父にコンプレックスを持っていたが、
久々に会った時に相手の成長を実感するのは、父である自分にとっても同じこと。
手合わせする際に着実に成長している息子を見て、「何時抜かれるかな~」なんて、
内心冷や冷やしつつも楽しみに思うこともあった。


ただそこで、「そっち」に暴走してしまうのが武の地と言うか…ハメをはずし過ぎてしまうのが悪い癖である。
師匠達に教えられた基礎訓練を飽きるほどに繰り返している息子は、自分が更に鍛えれば目に見える程の速度で伸びた。
実際、この一ヶ月でも見違えるようになっている。
それが父親として楽しいやら嬉しいやらで、ついつい息子との鍛錬に時間を使いすぎてしまった。

今までの妻にかけた苦労、心労を鑑みれば、せめて4月の半ばくらいまでには言っておくべきだった。
食事でもなんでもいいから、「二人でどっか行こう」…と。
その程度のサービスを妻に提供するのは当然のはずなのに、思い至ったのがつい先ほど…というのは、
昔の武よりはマシにせよマヌケな話である。


――ごめんな、純夏。

長く激しいキスの最中、武は愛しい妻を抱きかかえながら、もう一度心の中で謝った。





「明日、っていうか今日から3日、どっか行こう。二人っきりで」

長いキスを終えた後、暗闇の中で妻をじっと見つめた武は、ハッキリとした口調でそう言った。

暗闇の中でも、純夏にはその武の表情がよく見えた。
少し謝罪の念を含んだ優しい瞳で、誠意を込めて、自分を誘ってくれていることが分かる。
しかし、躊躇無く首を立てに振りたい……そんな自分を、純夏はぎりぎりで押し留めていた。


「タケルちゃん…、私の方こそごめん。毎日一緒にいられるだけで幸せなのに。私、贅沢になってる」
「謝るのはこっちだ。お前には心配と苦労かけてるってのに」
「で、でも、まりもちゃんは…」
「アイツだってもう子供じゃないんだ。お前の…っていうか俺たちの事くらい察してくれるだろう。
俺だってたまには、お前と二人きりでのんびり遊びに行きたいしさ…」

「な?」と覗き込むように自分を見入ってくる武に…純夏は、瞳を潤ませると、
先ほどされたのと同じくらい熱いキスをお返しした。

「おい、すみ………んっ…」

暖かい褥が重なる。そして積極的に迫ってくる純夏の舌。
それに武も全力で応える。
自分の舌を思い切り絡ませて。
ちゅぱちゅぱと、わざと大きい音を鳴らして。
彼女の望み通り、思い切り純夏を貪り返してやった。


(あん……タケルちゃん…、タケルちゃんっ…!!)

すぐ近くにある純夏の瞳が、とろけ切っていくのが分かる。
多分自分も同じような顔をしているだろうな、と武は思いつつ、
邪魔の入らぬ二人の時間を存分に堪能した。


――んっ…んんん……。あっ…はふぅ……。


長いキスを終えた二人はゆっくりと唇を離していく。
互いの顔がはっきり見えるようになるに従い、二人の間にかかっていた唾液の橋が
だんだん細くなっていって、やがて名残惜しげにぷつりと切れた。

二人は身体は密着させたままで、先ほど剥がれた純夏の掛け布団を二人で被った。
狭い布団の中で温もりを共有しながら…今度は純夏から武に抱きついた。
逞しい胸板に顔を埋める純夏を、武は優しく抱き返す。
愛しい夫の胸の中に抱かれて眠る……そんな、これ以上無い程の幸せの海に沈んでいく純夏。
しかし、そんな時だった。


「え?タ、タケルちゃん…?」

ふいに武の手が胸まで伸びてきた。
わざわざ純夏のパジャマの前ボタンまで解いて、弄る様に中へ…。

「ちょ、ちょっと、やだよ…」

せっかくの興が削がれ、不機嫌になる純夏。
いやいやと抵抗し、武の腕を追い出そうとする。
が、武も諦めが悪い。

「いいだろー別に」
「だって、恥ずかしいよ…。私の身体だって、もう若くないんだし……こんな…」
「どんな風になっても純夏は純夏だろー。今更言わせんなよな。俺は純夏の胸を直揉みしたいんだよ」
「やぁだぁっ…!!」
「おい、布団の中で暴れんなっ!!」

じたばたする純夏の身体をなんとか押さえ込もうとする武。
しかしその武の身体に、零距離からのどりるみるきぃぱんちが叩き込まれた!


「ぐおおおおおおおおおっ!?」

布団から勢い良く吹っ飛ばされた武の身体は、立てかけてある卓袱台にぶつかった。
足のカドの部分がちょうど頭に当たって痛い。凄く。


「い、痛え…!! 純夏、てめぇ…!!」
「タケルちゃんがえっちなのがいけないんだよ!!もう!!」

そう言って肌蹴たパジャマのボタンを丁寧に綴じていく純夏。
なんだか知らないがその態度が武の本能に火をつける。

「うがーっ、そんなこと言うと今夜は寝かさねぇぞ、俺はえっちだぞ、朝までやっちゃうぞ、
まりもの弟が出来ても知らないぞ、名前考えとけよ、覚悟しろよてめぇ!!」
「うわぁ最低! 人のお布団に勝手に入ってきた上に何言ってんのさ!! このえろおやじ!!」

「むきーっ」と声を挙げ、追撃とばかりに武に向けて枕を投げる純夏。
それを「へん」、と鼻で笑いながら受け止めて純夏に投げ返す武。
顔に直撃され「ぎゃふん!」と声を挙げる純夏。
それを見て「ざまみろ」と笑う武。
今度は枕を2つ同時に持って、「ふんぬーっ!」と投げる純夏。
枕はどちらも当たることなく、武は「下手くそ」と揶揄する。

息子や霞が見たら呆れるに違いないであろう、大人気ないことこの上無い枕投げ大会が
本人たちの意識もしない内に勃発し、それは十分くらい続いた後急速に収束していった。



「はぁ……はぁ…」
「ぜー…ぜー…」

戦場の跡地には、せっかくお風呂に入ったのに汗だくになってしまったおバカな夫婦が、
息を切らしながら立っている。

「なんか、無駄に疲れたよね…」
「ああ…」
「おとなしく寝よっか…」
「そうだな…」

昔は毎日こんなバカ騒ぎをしても、汗ひとつかかなかったのに。
時間の経過を実感しつつ、二人は元の鞘に……身体をくっついて、一緒にお布団を被った状態に戻っていく。


「…ふふっ」
「何が可笑しいんだよ、純夏」
「今の、懐かしくて。学生時代はよくああいう馬鹿なことやったよね」
「ああ…『元の世界』じゃな」
「けど、凄くない? 『この世界』でこんな馬鹿やれる余裕が出来るなんて、昔は思いもしなかったもん」
「皆のお陰だな…。数え切れないくらい大勢の人々のお陰だよ」
「タケルちゃんもその一人だよね」
「お前もな」

互いに微笑み、ぎゅっと相手の手を握る。
そうやって互いの存在を確認する。
そして「タケルちゃん」、「純夏」と名を呼び合うと、狭い布団の中二人は抱き合った。



「…で、話戻すけどさ、純夏は何処行きたい?」

純夏を抱き入れた時、武はようやく話の本筋を思い出した。
デートに行く話は持ち出したが、具体案が何も決まっていないのだ。


「うーん…2泊3日なら温泉に行きたい……かな」

自分がやっぱり贅沢なことを言っている、と考えているらしい純夏は少し気まずそうに本音を言った。
ここで嘘をつくのは武に失礼だし…けれど、やっぱり少し後ろめたい。複雑な心境だった。

それに対して、「ほう」と頷く武。
振り返ってみると、武と純夏は温泉に縁深い付き合いをしているなあと思った。
『元の世界』で結ばれたのは温泉だった。
『こちらの世界』で行った新婚旅行先も温泉だった。

特に今となっては、新婚旅行を含めたあの2004年から2005年の年末年始の日々が良い思い出だ。
あの時はTV中継を通して日本中の人達に送り出して貰って、温泉宿のスタッフの人たちにも祝って貰った。
滞在していた一週間、旅館と周辺の観光地でずっと二人でイチャイチャ過ごし。
横浜基地に戻ったら、愉快な仲間達からこれまたご大層な出迎えと祝辞を受けて。
ラダビノット司令と夕呼先生の指揮の下、基地メンバー総出で結婚式の段取りが終えられてて……
二人は桜の木に眠る先輩や同僚達に新年の挨拶をした後、そのままなし崩し的に結婚式を挙げてしまった。


お年始会と披露宴がごっちゃになった凄まじいパーティはその日一日横浜基地の機能を停止させるに至ったが、
これ以上無いくらい楽しく幸せな年末年始だったと記憶している。

実を言うと一度は破局寸前まで行ってしまった、非常に危険な年末でもあったのだが…まあ結果オーライ。
あの時掴んだ幸せは、まだこうして腕の中にある。
その有難さを再確認する為にも、夫婦の絆を深める為にも、日頃の妻の頑張りに応える為にも。
ここはリクエストに全力で応えるべきだと武は判断した。


「じゃあ、新婚旅行で行った東北の温泉行くか?」

武は純夏の頭を優しく愛でながら言った。
純夏は思わずきょとん、とした表情を浮かべて、「…いいの?」と問い直す。


「どうなんだよ」

そう押されたら純夏に断る理由などあろうはずも無く。 

――うんっ。

武の魅力的な提案に純夏は笑顔で頷いた。
二人のデート先はこれにて決定。
そうと決まれば、二人とも明日は早く起きねばなるまい。
旅行に行く準備は出来ていないし、
純夏は居間に残してきてしまった仕事を片付けてしまわなければならないし。


「じゃあ、そろそろ寝ようか純夏」
「うん。おやすみ、タケルちゃん」
「おやすみ純夏。愛してるぞ」
「私も。大好きだよ、タケルちゃんっ」

今宵最後のキスを軽く堪能し。
二人はそのまま仲良く寄り添いあって、1つの布団で穏やかな寝息を立て始めた。








マブラヴオルタネイティヴ短編SS 『鴛鴦夫婦が産まれた日』外伝③
====いっしょにおるすばん!!====








夜が明けた2024年4月27日土曜日。新横浜市、新柊町。白銀家居間。

時計の針は午前11時を刺していた。



「…という訳で親父とオカンが朝から出かけちゃったらしくてさ。今は誰もいないんだよな」
『随分長い前置きでしたね…』


俺…白銀まりもが9時頃に目を覚まして居間に降りた時、居間に両親の姿は無かった。
紙切れに「29日まで温泉に行ってきます♪」と可愛い字で書置きを残し、ドロンしていたのである。

その時俺は親父とオカンの意図に気付いた。

――親父を超えたくて焦ってたせいか、ここ暫く自分のことばっかだったなあ。

とりあえず心の中でオカンに詫びた。
そして、思い切り楽しんで来て欲しいと空を見上げた。
とりあえず霞姉にも知らせておこうと思って、横浜基地に電話をかけてみたのはその後のこと。


霞姉は夕呼先生の実験の手伝いが忙しいらしくて、ここ暫く街には降りてきてはいない。
電話に出て貰えるかの確証は無かったが、運よく繋いでもらえた。

俺が親父とオカンが二人で温泉に言ったことを知らせると、霞姉もほっと胸を撫で下ろした感じだった。
霞姉も、内心オカンの様子を心配していたようである。

『純夏さんも息抜きができたようで安心しました』
「そうだなあ…。よく考えたらこの一ヶ月、俺が親父を独占しっぱなしだったんだなぁ」

自分のことばかりでオカンの気持ちに気付いていなかったことを、反省する。


『今後はまりもさんも、少し気を配ってくださいね。純夏さんはああ見えて抱え込む方ですから』
「うす。反省してます」

そこで、この話は終わり。
俺は話題を切り替える。


「ところで霞姉、今日とか街まで出て来られない? 一人じゃ寂しいからさ、一緒に昼か夕飯でもどうよ」
『すみません。実験の方があと数日かかりそうなので…』
「そっか。忙しいところごめん」
『いえ、それでは』

またね、と挨拶して電話を切る。
夕呼先生にコキ使われている時の霞姉に、まともな暇は与えられない…。気の毒な話だ。
今の電話の分の時間だって、夕呼先生がくれたにしては珍しい方だろう。
あのオバサンもそろそろ歳の癖に元気なもんだ、と思う。

ともかく一緒に飯時を過ごしたい候補No1が消えてしまったので、次の人材を探さねばならない。



「仕方がねえ。という訳で、お前で我慢するとしよう」

数分後には、俺は向かいの幼馴染宅の玄関前にいた。
ドアを開けた平慎太郎君は呆れ顔でこちらを見ている。

「…いきなり訪ねて来たと思ったら随分なご挨拶だな、まりもちゃん。どうしたんだ?」
「実は今日からうち親がいなくてさぁ。霞姉も来られないってんで、一緒に飯食う奴がいなくてよ。
どっか食いに行かねぇか?」
「そういう事か。俺も用事があるんだ。悪いな」

慎太郎はこの男らしからぬあっさりとした断り方で、俺を振りやがった。


「何ぃ!?何の用事があるってんだよ!?」

こいつも軍人を目指してるだけあって、日頃からコツコツ勉強をしている口だが、
まさか飯すら抜いて勉強している訳ではあるまい。
今こうして家にいるこいつが、俺の誘いを断るというのが、気に食わなかった。

「いやあ、すまねぇな。せっかくの三連休だから、俺も出かけようとおもってさ」

確かによく見ると、今日のこいつの服装は滅多に着ないブランド物のTシャツだ。
お出かけする、というのは間違いないようである。

「何処へだよ!?」
「申し訳ありません白銀殿。私が先約で御座いますので、ご容赦下さいませ」

高貴な女性のお声が伝わってきたのはそんな時だった。


――えっ!?

俺は声のする方…背後を振り向くと、一人の品の良いお嬢さんが丁寧に頭を下げていた。
身に着けているのは薄い朱の和服。帯の膨らみは武門の証の短刀か。
腰まで降りたサラリとした緑髪に、引き締まった顔つきの凛々しい少女だった。
何処と無く真那おばさんに雰囲気が似てて……。
その人は俺に一礼すると隣を通り過ぎ、慎太郎に歩み寄ってまた頭を下げた。

「ご無沙汰しております慎太郎様」
「やあ真愉ちゃん久しぶり。元気だった?」
「はい、お陰様で。お忙しい中、楽しいお手紙を何通も頂きありがとうございます」
「いやいや~。真愉ちゃんと文通するの楽しくて。つい何通も出しちゃうんだよね」
「まあ、慎太郎様ったら」

口元に軽く手をあててくすくす、と品良く笑う少女。
……ってこの人、例の慎太郎の彼女じゃん。帝都住まいの月詠さん。真那おばさんの親戚筋の女の子だ。
真愉って言うんだ。


(…それにしても)

親友の彼女と知りつつその綺麗な顔と引き締まったボディラインには、思わず目が行く。
本当にこの娘は15歳なのだろうか?
その美しい姿に逆上せてしまった俺は、頭をぽりぽり掻きながら「あ、どうも」とぎこちなく挨拶した。

「ちゃんと話するのは初めてですよね。真那おばさんには剣術でお世話になってます。白銀まりもです」
「月詠真愉と申します。こちらこそ、白銀殿のお父君には叔母がよくお世話になったと申しておりました。
白銀殿は今はお父君から稽古をつけられている故、再開した時どれ程胆力がついているか楽しみだとも…」
「いやあ、まだまだ若造ですよ、はっはっは」

初対面の挨拶なので、当たり障りの無い軽い会話で俺達の話は終わった。
月詠さんは俺と話し終えると慎太郎に向き合って外出を促す。

「それでは慎太郎様。表通りに車を待たせております故、参りましょう」
「ああ…。そういう訳でまりも。俺はこれから月曜まで帝都行ってくるからさ。じゃな」

出かける準備はとっくに終わっていたらしく、慎太郎はショルダーバッグを下げると月詠さんの手を取った。
「帝都土産買ってきてやるよ」と友は言い、その彼女は「失礼致します」と頭を下げる。
我が親友は五摂家分家のご令嬢の手を引いたまま、住宅地の角を曲がり…表通りの方へ消えていった。


「…って、待てよおい」

それは呼び止める一言ではなく、落ち着くための独り言だ。

月曜までって…ひょっとして泊まり?
月詠さんのご実家に挨拶とかすんの?
玉の輿?
確かに軍人目指すならそっち方面のコネあった方がやりやすいかもだけど……。
色々な疑問が頭の中を巡る。

「…まぁけど、それは俺が知ったこっちゃない」

平慎太郎君が将来に備えて帝国軍にコネを持つかどうかなんて話は、今はどうでもいい。
重要なのは、我が親友は彼女とイチャイチャ連休を過ごすのに、俺はロンリーだということである。


――うがー、腹立つ。

腹が減っている上に腹が立つとは二重の苦しみ。
ややブルーになってしまった俺は、すごすごと向かいの自宅に引っ込んだ。





「うげっ。何も無いじゃん」

外食に行く気の失せた俺は家の冷蔵庫を探してみるが、生憎、碌な物が見つからなかった。
小麦粉、卵、とろろいも……どれも合成品の安物である。

俺のオカンは、かの伝説の料理人と呼ばれた京塚曹長の弟子だった。
扱いが難しいと言われる合成食材を駆使し親父の好物を全て作れるオカンの腕は、日本でも有数と言って良い。
幼い日よりオカンの隣で手伝いをしていた俺もその技術の片鱗くらいは習得しているつもりだが、
材料がこれだけでは腕の振るいようも無い。

「んー、スーパーまで行って弁当でも買って来るかなあ」
「確かに材料がこれだけでは心もとない」
「そう思うでしょ。朝食ってなくて腹減ってるのに」
「こういう時、何を作るべきかは相場が決まってる」
「言わなくていいですよ、あれでしょ、ヤキソバ」
「ほう、その答えに行き着くとは。まりもも少しは成長した」

…成長も何も。
あんたは食べ物の事で口を開けばそればっかりでしょう。
普通にお腹が減っている時はヤキソバ。
運動で疲れた後もヤキソバ。
お客さんが来た時に振舞うのもヤキソバ。
親父に、この人はヤキソバさえあればこの世を天国と思える人だと聞いたことがある。

「まったく…ヤキソバヤキソバって…」

ん?

そう呟いたところで、冷蔵庫を漁る俺の腕が止まった。
俺は今、誰かと話をしていたような気がする。
だが今この家に親父とオカンはいない。
ということは、二人以外の何者かが俺に語りかけてきたことになる。
俺の知り合いで…ヤキソバと言えば……。

「まさかッ!?」

驚愕の瞳で俺は声の方を向く。
そこにいたのは…。


「やっ」

黒のショートカットのおばちゃんが、目を棒のようにしてやる気の無い挨拶をしてきた。

――お慧おばさん。
親父とオカンの旧友の一人である。





「で、何しに来たんですか?」

食卓に向かい合って座り、お茶を煎れてそんなことを問う。
お慧おばさんは一口お茶を啜ると、投げやり気味に

――道に迷った。

と返してきた。


「それ嘘ですよね」
「どうかな」

無駄にニヤニヤしながらお慧おばさんはそう返してくる。
この人はどうしてすぐに嘘だと分かる嘘をつくのだろう?
この人とは俺が生まれた時から…つまり16年来の付き合いな訳だが、未だにこの人のつく
意味の無い嘘のような冗談のような戯言が理解できない。

まあ、そのことで今まで何度もつっ込んだがまともな答えを返した貰ったことが無い以上、
ここでもう一度それを聞いたところで無意味であろうことは予測できるので、そこはスルーすることにした。


お慧おばさん、冥夜おばさんを始めとする両親の親友達は、俺にとっちゃ第二の母親みたいな存在だ。
昔は暇さえあればやってきてオカンを助けて、俺の面倒を見てくれた。

けど俺が小学生に上がる頃から頻繁には来なくなって、たまに剣術や体術で教えを受ける以外には
会うことは少なくなっていった。
結婚する人もいたし、軍に復隊する人や外交官や政治家になる人もいたりして、
俺にかかりっきりという訳にはいかなくなっていたのである。

お慧おばさんは30代に帝都住まいの軍人さんと結婚して、今じゃ主婦になっている。
息子の翔(カケル)君は今年で6歳……つまりこの6年間のお慧おばさんは出産と育児に手一杯だった為、
話す機会はそれこそお正月やお盆くらいしかなかった。
それが今日、翔君も連れずいきなり現れたというのは、ちょっとしたサプライズである。


「本当に何の用ですか?」
「子供を旦那に任せて、たまにはまりもを揉んでやろうかと思った」
「え?」
「師匠としてちゃんと伸びているか確かめてやる」
「ええ!?」


不満という訳ではない。
師匠が自分の成長具合を見る為にわざわざ時間を作ってきてくれた、というのはとても嬉しい。
が、ノリ気がしないのも事実である。

「…嫌なの?」
「いやぁ…だってお慧おばさん、ここ数年まったくやってないんでしょう。怪我でもしたら大変ですよ」

ただでさえ大変な時期なのに、下手なことになったらおじさん(お慧おばさんの旦那さん)や翔君に
面倒かけることになるじゃん。
俺は親父には及ばないまでも、自分で分かるくらいには伸びてる訳で。
天性の技量ではお慧おばさんに及ばないとは分かってるけど、おばさんだってピークは過ぎてるはずだし、
5年以上もやってなければ体力も勘も鈍ってるはずだ。
心遣いはありがたく頂くも、組み手のお誘いは丁重に断った。

…が。
それがスイッチを入れてしまったようだった。


――まりもは、私が年寄りだから相手が出来ないと言ったのか?


そう言ったお慧おばさんの全身から凄まじい闘気を感じる。
ギロリと鈍く光る眼光は、得物を見つけた鷹のそれと同じだった。
泣く子も黙ったという言い伝えられる国連の鬼戦隊、伊隅ヴァルキリーズ。
その中でも白兵戦最強を誇ったバケモノが、現役時代のオーラを纏ってそこにいた。
俺は今の一言が余計な火をつけてしまったようだと直感し、必死で火消しに回ろうと思ったが遅く…。


「ち、違いますよ!別にそういう訳じゃなくってですねぇ」
「まりも、お前死刑」

据わった目つきでバッサリ斬られた。


「ちょっ…話聞いてくださいよ!!」

聞いてくれる訳が無かった。
お慧おばさんは黙って席を立つと俺の腕を掴み、椅子から引きずり降ろし、
そのまま関節技をキメて来た…!!


――痛い、痛い、痛いですって!!

流石というかなんというか…。
体力では俺が圧倒的に上になっているのに、見事にその差を殺すような見事な技を披露される。
俺はまったく身動きが取れないまま、まな板の上の鯉のごとく、身体を揺することしかできなかった。
その俺に向けて、お慧おばさんの厳しいお言葉が突き立てられていく。



――覚えておけまりも!!

――BETAにとってはこっちが子供だろうと年寄りだろうと関係無い!!

――敵はこちらが何をしていようが構わず襲ってくる!!

――お前に名前をくれた人もそれで死んだ!!

――やるかやられるかが、戦場の掟…!!  

――軍人を志すお前にそれを叩き込む!!




「わ、分かった、分かりましたから! やります、組み手やります!」


――だからギブ、ギブ…!!

そう言って床を叩く俺。
しかし鷹の瞳に揺るぎは無い。


「BETAとの戦いにギブアップは無い!! 諦めた時は死あるのみ!! 戦いを舐めるなっ!!」

――うぎゃああああああああああああ!!


その時の俺の悲鳴は、住宅地中に響き渡っていたと、後日お隣のおばさんが教えてくれた。





「いやー、40過ぎると流石にもう無理だね。参った参った」

身体から湯気を立たせながら、お慧おばさんはそう言った。
汗まみれの服は洗濯機の中。今のおばさんはオカンの薄着を拝借している。


あの後、俺達は土手まで行って組み手を行った。
お慧おばさんの天性のセンスと経験に基づいた見事な技は相変わらず目を見張るものがあったが、
ブランクと、ピークを過ぎた体ではやはり体力的に限界があり、技術を支えきることが出来なかったようだ。
かくして何度も立ち会った結果、俺が勝つことがほとんどだったのだ。
まぁ…これは仕方が無い。誰もがいつか経験することだろう。

お慧おばさんもこの結果は予想していたらしく、
終わった後には珍しく「よくここまで伸びた」と褒めてくれた。

その後帰ってシャワーで汗を流して、現在に至る。
俺達はまた食卓で向かい合い…冷蔵庫に入っていたラムネを片手に適当に会話していた。



「白銀はまだまりもと張り合える体力あるんだね。オッサンの癖に元気な奴」
「そりゃ親父は、俺が抜く前に勝手に弱られたら困りますよ」
「それでもかなり無理はしてると思う。白銀は負けず嫌いだから」
「そんなもんですかね」

確かにもうピークを過ぎてるのは分かるが、
そんな簡単に抜けるとは思わない…というのは俺の過大評価なのだろうか。

「思えば、今までそういうのは考えたことはなかったな…」

剣でも体術でも、親父からかかる超重圧的なプレッシャーにいっぱいいっぱいで、
親父から俺がどう見えているか、についてはあまり考えはしなかった。
だって親父はけっこう、余裕綽綽で俺を叩きのめしてくれるし。
「まだまだヒヨッコだ」と思われていると…壁はまだ高いんだと思っていた。


「まりもも下に誰かつければ分かる。成長の早い弟子はプレッシャーになるよ」
「俺はまだ早いですよ、弟子なんて」
「弟子はいなくとも、もうすぐ弟弟子は出来る」

――えっ?

ぴく、と俺の肩が震えた。
俺は思わず、お慧おばさんが言った言葉を復唱していた。

「…弟弟子?」
「まりもは兄弟子」

お慧おばさんは表情を崩さない。
「当然でしょ?何を今更…」というようなあっさりした表情を見せてきた。


「それは、どういう」

その内容に気付いてはいたのだが、あえて聞きなおしたのは、
それが自分にはまだ早く…認めたくなかったという意思の現れに他ならない。
当然の如く、お慧おばさんは今までの態度のまま、より具体的に伝えてきた。

「そろそろ翔にも体術を教える」と。
そして「お前は私に代わり指導をしろ」と。


「今の私には長時間教え続けられる体力は無い。基礎は私が教えるけどかかり稽古は兄弟子の仕事」
「ちょっと待ってくださいよ。俺は自分の修行でいっぱいいっぱいなんですよ?
人に教えられるだけの準備は出来て無いっていうか…」
「人間は一生、勉強。自分が全てを学び終えてから他人に教えられることなど一つも無い。
先生は自分も学びながら下を教えるのが仕事。後輩を教えるのは先輩の義務」
「………」

ぐうの字も出ない正論だった。
普段訳分かんないこと言う癖に、こういう時のお慧おばさんは物事の真理のようなものを鋭く突いてくる。

確かに、お慧おばさんが学んで身につけた技術を俺に教えてくれたように、
俺がお慧おばさんに教えを受けた以上、今度はその技を他の誰かに受け継がせる義務がある訳だ。
ついでに物を教える立場の人間が勉強をしない、なんて話も聞いたことが無い。
どんな分野の先生であれ、勉強をしながら人に教えているのである。
俺はそれに納得せざるを得ない。


「…そうですね。ここで俺が弟弟子を持つのも、何らおかしな事では無いんですよね…」
「翔もまりもに教えて欲しいと言っている。週に一度で良い。忙しいと思うけど見てやって欲しい」

つまり今日のこれは、翔君に教えるだけの腕が俺についているかを見るためのテストのようなものだった訳だ。
今になって、ようやくお慧おばさん来訪の意図が分かった。


「分かりました。それは受けます。けど、それなら前もって電話くらいくれても良かったのに」

それならそうで、前もって予定を入れてくれていたら、親父とオカンの外出と被ることも無かったのに。
お慧おばさんも久々に親父の顔が見たくて来た…というのもあったんじゃないだろうか。
その事を指摘すると、お慧おばさんの顔が少し陰った。


「いきなり顔を出して白銀や鑑の驚く顔を見たかったんだけど残念。一緒にお昼を食べようと思ったのに」

お慧おばさんの視線がキッチンに向けられる。
流し台の傍に置かれたスーパーの袋…は、お慧おばさんの持ち込みらしい。
キャベツや中華麺といった食材が顔を覗かせており、遠目に見てもそれが何の材料なのかは明らかだった。
ちなみに、土手の組み手諸々に時間がかかったので現在時計の針は昼の1時を過ぎている。
道理で腹が減っているはずだ。そう言えば、飯食おうとしてたところにお慧おばさんが来たんだっけ。


「…まあ、今日はまりもの顔が見れただけで良しとする。お昼は二人で食べよう」
「ヤキソバですか?」

あの材料から分かり切ってはいたことだが一応聞いてみる。
すると、何故かしたり顔になるお慧おばさん。

――まぁ、素人の発想ではそれが限界。くすっ。

なんて抜かしてくれた。


「違うんですか? どうせヤキソバに関係する何かでしょ。例えば…」

そう、ヤキソバパンとか。
その品目を口にした途端、お慧おばさんの目が棒状になって、遠くを眺め始めた。

「図星なんですね」
「ヤキソバも良いけどヤキソバパンはもっと素晴らしい。
まりもにも聞かせてやろう。この世にヤキソバパンの生まれた瞬間の話を。あの感動は…」
「いいですよ…。ガキの頃から嫌と言う程聞かされましたから…」



――ヤキソバパン。

お馴染みの、ヤキソバをコッペパンに挟んだだけという単純な料理だ。
しかしその手軽さとボリュームから、知る者はいない世界的な人気メニューとなっている。
これが広まったきっかけは、その発明者があまりにも有名人だったからに他ならない。

何を隠そう、ヤキソバパンの発明者は俺の親父なのだ。
国連軍横浜基地で訓練兵時代を過ごしていた白銀武が、同じく訓練兵だった頃の
お慧おばさんを元気付ける為にプレゼントしたのがヤキソバパンの始まりだと言われている。
お慧おばさんにとっては好みの味であると同時に、思い出の一品という訳だ。
この話は小さい頃からヤキソバパンを食わされる口実に何度も聞かされたので、
すっかり覚えこんでしまった。
 
――「えーっ、またヤキソバぁ!?」
――「まりも。ヤキソバパンはお前のお父さんの味。
 今も月で宇宙人と戦っているお父さんを、お前はヤキソバパンを食べて応援しないと」

…10年程前に家で交わしていた、俺とお慧おばさんの会話である。
こういう感じで、お慧おばさんが家に来た時はけっこうな確率でヤキソバパンを食べさせられた。

ちなみに、「白銀少将直属の衛士隊の生還率が高いのは日頃からヤキソバパンを食べているから」とか
「白銀少将配下の参謀達はヤキソバパンを片手に休まず作戦を練っている」とかいう噂もあるが、
そこまで行くとあからさまなパンメーカーの策略にしか思えない。
実際親父に聞いたところ「そんなことあるはずないだろ」と笑っていた。




「…あれでしょ?親父がお慧おばさんが凹んでる時にヤキソバパンをプレゼントしたって話」
「人の話を聞かない人間は大きくなれない。だからまりもは彼女が出来ない」
「な―――っ!?」
「白銀ならここで話を聞いてくれた」

――器の差、なのかな。
そう言ってニヤリと向けられる視線が俺のハートをぶすりと貫いて、抉った!


「い、言いたい放題ですね…」
「女の話は遮るもんじゃない。何度目でもしっかりと受け止めるもの。解かれ若造」
「うう……精進します」
「よし、許す」

何も悪いことをしてないのに何故”許す”なのか…。
この程度のことが俺が彼女出来ない理由にされてしまうのか…。
テーブルにうつ伏した俺を尻目にお慧おばさんは席を立つと、キッチンに向かった。


「最高のヤキソバパンを作ってやる。そこで見ていろ」

お慧おばさんはそう言うと換気扇のスイッチを入れ、かけてあったエプロンを身に着けた。






「…失敗」

情け無い声がキッチンから漏れる。
充満する煙の中で、お慧おばさんが言った台詞だった。
ヤキソバ作りに失敗した訳ではない。
お慧おばさんが、ヤキソバ作りに失敗することなどあるはずがない。

失敗したのは、土台…つまり、コッペパンだ。

お慧おばさんは日頃ヤキソバは自分で作り、それを市販の合成コッペパンの中でも
一番ヤキソバに合うものに乗せてヤキソバパンを作っているのだが、
今日ばかりは張り切ってコッペパンの部分も自分で作ろうとしたらしい。
自分でコッペパンを焼き上げ、その後にヤキソバを作る予定だった。

…しかし合成食材の扱いは、天然食材以上に経験が物を言う。
例えヤキソバのプロフェッショナルで、理想的なコッペパンがどういうものなのかを把握していても、
それを自分で形にするのはなかなか困難なのである。
初めての試みは失敗し…オーブンの中には黒コゲの物体が完成し、キッチン中が煙で充満する、
という結果を招いてしまった。


「ごめん」

家中の窓を全開した後、居間のソファで膝を抱えるお慧おばさん。
この人がここまで落ち込むのは、正直珍しいと言わざるを得ない。
俺はお慧おばさんに歩み寄ると声をかけた。


「謝るほどのことじゃないですよ。パンが無くても、ヤキソバだけ作ればいいじゃないですか」

お慧おばさんのヤキソバは単体でも美味しいし。俺はそうフォローする。
しかいお慧おばさんの顔色は晴れない。


――ごめん。お前を完成に導いてやることができなかった…。

暗い表情のままでそう言ったのである。
俺の表情が少し引きつった。


「…もしかして失敗したヤキソバパンに謝ってたんですか?」
「他に謝るべきものがあるの?」
「いえ、もういいです」
「後はお前に頼む…。お前が作れ」

どうやらお慧おばさんはもう料理が出来るテンションじゃないらしく、
そのままエプロンをはずして俺に手渡した。
俺は黙って受け取ったエプロンを装備し、煙が全て抜けきったキッチンに立つ。
一方お慧おばさんは、ソファから降りる様子を見せないものの、じとーっとした視線を
キッチンに送り続けていた。


「あの……そんな睨まれてるとやり辛いんですけど」
「睨んでない。師匠として見守っているだけ」
「お慧おばさんは料理の師匠じゃないでしょ…」

けどまぁ、いいか。
まさかこっち見るなとも言えないし。
俺はまな板と包丁を取り出すと、洗ったキャベツにリズム良く刃を入れ始めた。

「うん…。流石は鑑。よく仕込んでる。包丁捌きはまずまず」
「はっはっは。まぁこの扱いくらいは余裕ですよ」

それからも手際よく準備を進めていく俺。
野菜の次に豚肉をスライス。
下ごしらえに関しては、何も言われることなく完璧に終えていく。
しかし、それは突然やってきた。
ただならぬ殺気が流れてくるのだ。
そう…居間の方のソファ上から。


「何を…している!?」


その怒気と殺気は本物だ。
元気さえあれば、すぐに飛んできて止めさせんばかりの凄まじい気。
そういう意味では今はお慧おばさんの悪状態に助けられているのかもしれない。

「黙って見てて下さいよ。少しは弟子を信用してください」
「でも……!!」

お慧おばさんが怒っている理由は分かっている。
まぁ、普通この程度でそこまで怒るかと言いたくはなるが、それでも理解は出来るのだ…
今、俺がやっていることを思えば。


(一見すれば、これはヤキソバ党のお慧おばさんの弟子として、裏切り行為に見えないこともないからな…)

カシャカシャとボウルに入った下地……小麦粉ととろろ芋を水で解いたものに
キャベツや紅生姜を入れて掻き混ぜる俺は、そんなことを考えていた。
そう、これは一見…


「それは、お好み焼きの準備…!!」





怒り。恨み。憎しみ。殺意。
様々な感情が入り混じり、視線に込められて飛んで来る。
クールなお慧おばさんがこれほど感情を露にするのは、正直言って珍しい。
これは全て俺が起こしたたった1つの事柄に対して、向けられたものだ。


――お好み焼きの準備をしている。


お慧おばさんが今怒っている、ただ一つの理由だった。


「まりも…。ヤキソバの材料を前にお好み焼きを作るその行為。師への裏切り。許さない…」
「まぁまぁ。黙って見ててください」
「まりもは後でもう一度死刑」
「やめてください。お慧おばさんに無理させたらおじさんに申し訳無いでしょう」

俺はおばさんの視線と怒声に内心怯えながら平静を装って、フライパンをコンロに乗せた。
そして取り出すのは、トドメの中華麺。

――えっ?

お慧おばさんからの視線が急に緩んだのはその瞬間だった。
やっぱり、と思いながら俺は袋から取り出した合成中華麺を水洗いし、水気を切って脇に置いた。
次にお慧おばさんが口を開いた時…先ほどまでの勢いは完全に無くなっていた。
少し戸惑いを含んだ声で、おばさんは言った。

「……まりも。お好み焼きに麺は使わない」
「だからお好み焼きを作るんじゃありません。俺のオリジナル料理ですよ」
「オリジナル…?」

はい、と頷く俺。



突然だが、うちの家は、親父が家にいると極たまに変な料理が登場することがある。

――じゃーん!『タケルちゃんスペシャル』だよっ!!

ある日そう言ってオカンが食卓に置いたのは、激辛の四川風麻婆豆腐に中華麺と餃子とたこ焼きと
お好み焼きが浮かんでいるという、実に奇奇怪怪な…例えるなら地獄の釜のような料理だった。
ただ親父の好物をごっちゃにしただけという、味も発想も量もめちゃくちゃな料理だが、
それを親父は「懐かしい、懐かしいなあ」と涙を流しながら食う。
親父とオカンの過去が謎なのは今更だ。そこには美味さ不味さを超えた何かがあるのだと、俺は知っている。
しかし同時に、もう少し削るところを削ればまともな味の料理になるのではないか、とも思った。

――例えば、これでお好み焼きと餃子とたこ焼きがなければどうだろう。
汁が麻婆豆腐になったラーメン。
これはけっこう美味いのではないだろうか。
そんな調子で、2品の料理を組み合わせる、ということを考えたことは何度かある。
親父の作ったヤキソバパンだってそれじゃん。

今回はお慧おばさんがヤキソバの材料を全部持ってきてくれた。
そして家には小麦粉ととろろ芋と卵…お好み焼きの下地を作る材料があった。

――ヤキソバとお好み焼きを合体させてはどうか?
そんな考えに至ったのである。




「行きますよ」

俺はフライパンに油を引くと、お好み焼きの下地を広げる。
ジュワア、という音を立てて、小麦粉の焼ける香ばしい匂いが部屋中に充満し始めた。

「…」

ぴく、とお慧おばさんの鼻が反応する。
確かにヤキソバ党には違い無いだろうが、他に美味しいものがあることも知ってるはずだ。
いざ美味しそうな匂いを嗅いでしまえば、いかに憎いお好み焼きのそれであろうとも
思わず反応してしまうのが生物の性である。

俺は下地に火が通り始めて固まってきたのを確認すると、その上に中華麺と豚肉を乗せて、
引っくり返した!


――!!??

その時おばさんはカッと目を見開いた。
ついでに、思わず全身が跳ねそうになった。
この人らしからぬ興奮状態にあるようだ。

「ま、まりも、それはっ…!?」
「さっき思いついたんですよ。お好み焼きとヤキソバを合体させれば面白いんじゃないかなって」
「なんと…」

そこでお慧おばさんは言葉を失ってしまったようだった。
付き合い長いから分かるのだが、あれは「早く食べたい」と言う表情だ。
未知の味に踏み込みたいという、お慧おばさんのフロンティアスピリットに火を付けたようである…。


「さて…よっと」

もう一度引っくり返す。
こんがり焼けたお好み焼きとそれに乗っかる中華麺は、共に食べごろだと言っている様子だった。
いっそう香ばしくなった香りが、こちらの食欲もそそってくれる。

フライパンいっぱいに作ったそいつを大皿に盛り、ソースとマヨネーズを塗った後、
青海苔と鰹節を振りかけ……その創作料理はこの世に生を受けた!!


――名付けて『まりも焼き(仮)』!!



「出来ましたよ、お慧おばさんっ」
「………」

お慧おばさんは答えない。
正確には声が出ないのだ。
親父にも聞いたことがあるが、お慧おばさんは美味そうな物を前にすると
それに集中してしまって、言葉が出なくなるんだとか。
お慧おばさんは黙ってソファから降り、ゆっくり食卓に歩み寄って席に着くと、燃える視線を向けてきた。
その瞳は真剣そのもので、「早く持って来い」と訴えている。

俺は料理の乗った大皿と小皿2つを用意して食卓に着くや、それぞれの小皿に取った。
お慧おばさんは無言のまま小皿を受け取ると、黙々と箸を動かし始めた。

「…!………!!」

もくもくもく。
一口食べる毎に表情を微妙に変えるお慧おばさんを見るのはけっこう楽しい。
味、歯応え、香りなどを一口毎に堪能しながら食べているに違いない。

しかしそれは、作った側としてはプレッシャーになる。
こっちとしては何となく思いつきで作った料理だ。
不味いはずは無いと思うが、そこまで細かい所に意識を向けた訳でもなし。
「ここの焼き加減が~」等と言われてもどうしようもない。
黙って俺の創作料理を食べるお慧おばさんを前に、俺は箸を進めることが出来ず…
ただお慧おばさんを眺めていた。


「…おかわり」
「は、はい」

フライパンいっぱいに作ったそれはまだたくさんある。
俺は無愛想に突きつけられた空の皿に新しく盛ると、お慧おばさんはそれもあっさり平らげてしまった。
3回おかわりをしたお慧おばさんは、ようやく”おかわり”以外のことを口にした。


――お前はやっぱり白銀の子。師として、嬉しい…。


立派に成長して…と涙を流すお慧おばさんに、思わず言葉を失う。


(おいおい…)

いや、褒めてくれるのは嬉しいけど、ちょっとオーバーじゃないか…?

(ひょっとするとヤキソバパンを振舞った時の親父ともこんなやり取りをしたんだろうか…?)

そんな疑問が浮かんだ。


「まりも…」
「はい」
「正直、お前の麺の使い方はまだ甘い。焼き加減もムラがある。ヤキソバ師としてまだまだ未熟。
だが今、ヤキソバの歴史は確かに一歩進んだ。よくやった。私は師としてお前を誇りに思う」
「はあ……ありがとうございます」



――ぶっちゃけヤキソバで誇られるってどうなの。

とは思っていても言い出せない俺の本音。
まあ、おばさんが嬉しいなら俺も嬉しいからいいんだけど…。



「…さて、いい時間だし私はそろそろ帰る」

締めのお茶を啜った後、そう言ってお慧おばさんは席を立った。


「もう帰るんですか? まだ3時過ぎですよ」
「今から帝都に戻れば4時半。買い物してご飯の準備しないと、旦那と息子が飢え死にする」
「そっか…主婦も大変なんですね」
「そう、主婦は大変。だからまりもも、母さんにあまり迷惑かけるな」

はい、と頷いてお慧おばさんを門の前までお見送りする。
お慧おばさんは電車で来ていたらしく、新柊町駅の方へ向けて歩を進め始めた。

「じゃね」

振り向き様にシュタっと掌を見せるお慧おばさん。
これで挨拶終了なところはクールなこの人らしい。
その後ろ姿が見えなくなるまで、俺は門の前で見送った。






「…なんか、疲れたな」

まだ昼下がりだと言うのに、居間のソファでうな垂れる。
振り返ってみると嬉し楽しの半日だったのに、それを差し引いて余りある疲れが
ドっと押し寄せてきた。

尤も、これはお慧おばさんと一緒の時だけ…という訳ではない。
冥夜おばさん、千鶴おばさん、壬姫おばさん、美琴おばさんらと一緒にいる時も
だいたいこういう心境になる。
癒しの女神たる霞姉が一緒にいてくれればその限りではないのだが、今霞姉は忙しくて
街に降りてこられる状態じゃないし。


「…まあいいか。時間はあるし。とりあえずゆっくりしよう」

そう呟いてソファにごろりと横になる。
思えば学校以外は親父にべったりくっついて鍛錬鍛錬鍛錬だったし、たまには休むのもいいかもしれない。


(親父とオカンは今頃、観光地かどっかでいちゃいちゃして、周りの人間ドン引きさせてんのかなー)

なんて想像しつつ、なら自分もこの3日くらいはゆっくり過ごそうと思った。
朝には一人で飯は寂しいなんて思っていたが、今は別にそうでもない。
むしろ、一人でのんびりしたい心境なのだった。


ピンポーン。

と、軽快なチャイムが鳴ったのはそんな時。


「――!?」

俺の肌にゾクゾクッと寒気が走る。
予兆だ。
トラブルの予兆。


「そう言えば、一人来たかと思えばまた一人来るのが、あの人達の…!!」

そう。
どういう訳か知らないが、知り合いのおばさん達はうちに来るタイミングがけっこう被る。
オカンはそれが楽しいと言うのだが、それは同年代の友人だから出る言葉であって、
ナウなヤングの俺にとっちゃいくら親密でも年上のおばさんが何人も立て続けに来る…
というのは割としんどいのである。やっぱ今じゃそこそこ気を遣うし。
無邪気に甘えていた子供の頃とは、こっちも違うのだ。


「…ど、どうしよう。出ようか、それとも出ないでおこうか…?」

正直、今の俺にあの人たちのノリに付いていける自信はない。
そもそも人と話したい心境でもない。
居留守を使うか?そんな考えが脳裏を過ぎった。

「……そうだ!それでいいんだ!」


ふと、以前夕呼先生に教えて貰った理論…『シュなんとかの猫』を思い出した。
細かいことは覚えていないが、とりあえず箱に猫が入っていたとしても、
開けて確認するまでは本当に入っているかいないかは分からないという話だった…と思う。

つまり、俺がドアを開けて表の客人が知り合いのおばさんか新聞の勧誘かを確認するまで、
表にいる人は『誰でもない誰か』に過ぎないのだ。


「そうだ!『誰でもない誰か』に義理立てする意味は無い!!」

自己完結した俺は拳を握り締めてそう叫ぶ。


「そうだ、よし決定!」
「誰でもない誰かとは失敬な。そなたを師を軽んじるような人間に育てた覚えは無いがな」
「す、すみません!」
「うむ。素直なところは両親譲りのそなたの美点だ。大事にするが良い」

――はい、ありがとうございます。

そう言ったところで、自分以外の誰かが既に隣に座っていることにようやく気付いた。
トレードマークの青いちょんまげが、ふぁさふぁさ動いている。


「タケルが帰って来ていると聞いてな。せっかくだから、そなたら一家が揃っているところに
遊びに来ようと思ったのだが。見たところ、そなた一人か?」


驚愕の悲鳴が上がるまで後5秒。

ちなみに、そんなことはこの連休中、合計5回行われた。
よって3連休は常に「誰か」と一緒にお留守番をすることになるのだが。

天は親父とオカンに休みは与えても、俺に休む時間を与える気はないらしい、と思った。











あとがき

彩峰さんの誕生日過ぎた辺りになんとなく思いついたネタを書いてみました。
今までのタイトルからすると親父と一緒にお留守番する話かと想像されたかと思いますが、
違うんですねごめんなさい。







登場人物



・白銀まりも(オリキャラ)

白銀武と純夏の息子。
今回、4月末の三連休を留守番することになった主人公。
知り合いのおばさん達に可愛がられている。
ちなみに彼のオリジナル料理『まりも焼き(仮)』の正体が、『元の世界』で言う『モダン焼き』だったと、
調理過程で気付いた読者様はどれほどおられるでしょうか。…え?みんな?



・お慧おばさん

知り合いのおばさんの一人。旧姓彩峰。
既婚&子持ち設定追加。
旦那さんは帝都の軍人さんで、息子の名前は翔(カケル)。6歳。
まりもの体術の師匠だが、出産とか育児で忙しい日々を送っている間になまってしまったらしい。
以前まで「慧おばさん」と表記していたが、こっちの方が語呂が良いと思ったので変えてみた。



・白銀武&純夏

まりもの両親。
霞姉の言う『随分長い前振り』が内容の1/3を占めているのは作者の趣味によるものである。



・霞姉

夕呼先生の実験につき合わされているためここ暫く外出していなかった。



・冥夜おばさん/千鶴おばさん/壬姫おばさん/美琴おばさん

連休中一緒にお留守番してくれた人々。




・平慎太郎(オリキャラ)

元Aー01部隊衛士の息子。
まりものお向かいの幼馴染。。


・月詠真愉(オリキャラ)

読みは「つくよみ まゆ」。
慎太郎君の彼女。真那さんの親戚筋の女の子。名前を思いついたので出してみた。




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