俺、神凪刀悟(かんなぎとうご)は転生者である。
いきなり何を言ってるんだと思うだろうが、俺には前世の記憶――というか知識があった。
妄想や狂言の類いではなく、奇妙な真実味のある知識や記憶。
俺には二十七まで生きていたという変な感覚があった。
何で死んだか、どんな人間だったのか、家族構成はどんなだったかといった記憶は無い。
まあ、こんな死亡率の高い家に産まれてしまってはそんな事を気にしてもいられないんだがな。
神凪一族。
世界を統べる炎の精霊王に神凪の始祖が賜った浄化の炎を用いて、歴史の闇で人や世界に仇為す存在を討滅してきた一族。
そのせいか、ほとんどの連中が選民思想に凝り固まった奴らばかりで、本当に息苦しい。
唯一例外なのが、俺の親父で歴代でも上位に入る炎術の技量を持った神凪重悟。
そして、その従兄弟で義弟の神凪厳馬。現神凪での最高戦力と言われる無口無愛想無表情と三拍子揃った堅物である。
しかしその実、遠回りで判り難い愛情を長男に注ぐ情の深いオッサンだったりするから驚きだ。
まあ、当の本人が態と見せないようにしているから、判らなくても仕方無い。
俺が気付けたのは、この世界をライトノベルの登場人物として知っていた前世の知識があったからだ。
とは言っても、その情報は単語の羅列でしかなく、本人を見て照らし合わせて何とか気付けただけなんだがな。
それとなく親父殿にも確認を取ってみると、事実だと教えられてまた驚いた。
まあ、お陰で『前世の知識』はそれなりに有効に使えるんだと判ったんだよな。
さて、そうなると……我が妹である綾乃はどうかと言えば、とてもイノシシ娘となる要素が見受けられない。
多少お転婆だが、とてもいい娘だ。
まだまだ幼いのに、きちんとした態度で人に接する事が出来る良く出来た妹。
俺のある点を気にしてはいるが、それ以外では好成績を残している事が理由らしく、尊敬の対象として見てくれてもいる。
猪突猛進娘だと俺の知識にはあったので、どうなるものかと思っていたが、この分ならそうはならないだろう。
他の分家や本家の連中から悪影響を受けなければ、多分大丈夫……な筈だ。
伝統やら格式やらのある家であっても、普通に悪い事をしたら叱るのは当たり前なのだが……こんな環境じゃ叱ってくれる奴なんてのは限られてくる。
多分だけど、イノシシとか呼ばれるような人柄になった要因の一つに神凪の連中の影響があったんだと俺は思っている。
褒めるだけの奴が大半で、叱る奴なんて一親等二親等含めても片手で足りるってのはどういう事なのかと小一時間問い質したいくらいだ。
きちんと叱るのは親父殿と母さんと俺、そんで厳馬叔父貴ぐらいだもんな。……ああ、後は大神の所の雅人のオッサンもか。
他はどんな年齢の奴だろうが、褒めるだけ。
それじゃあ綾乃が成長出来る筈がないって。
だから俺は、綾乃に接する時に普通の兄妹として接し、良いことをしたら褒めて、悪いことをしたら叱った。
幼さ故の純粋さが幸いし、綾乃は一般的な価値観の大切さに気付いてくれた――と思う。
常人が敵わない化物を討滅する更なる化物が炎術師だ。
理性的な行動が取れなければ、精霊王の代行者を名乗る資格無し。
上に立つ人間は、感情をきちんとコントロール出来ないといけない。
そう俺は綾乃に教え込んだ。
まあ、そんな事しなくても母さんがきちんと教育しているんだが。
だが親父殿は……まあ、綾乃に甘い。
多分、男親だからだろうな。あんなに可愛い娘がいたんじゃ仕方無いんだろう。
さて、ここまで語れば普通に気付いただろうが、炎術師というビックリ人間集団の宗家に産まれた俺だが……俺には致命的な欠陥があった。
炎術が使えないという致命的な欠陥。
お陰で俺は宗家の面汚しともっぱらの評判だったりする。
まあ、苛められてる和麻よりかはマシかな。
そいつらが俺の背後に親父殿や綾乃を見ているから攻撃を受けないのだとしても。
和麻よりは……マシだ。
――ソレデ良イノカ?
俺の中で嘲笑する声が聴こえてくる。
――少ナクトモ、アノ小僧ハ炎術ヲ扱ウ者共ニ膝ヲ折ッテオラン。
綾乃が産まれて、他の人間の意識があの子に向いていた時期。
誰にも気付かれずに俺を喰おうと手を伸ばしてきた『蛇のような何か』。
――貴様トハ大違イダナ。
黙れよ。俺に『喰われた』分際で。
――カカカ。ソレガドウシタ? 我ヲ完全ニ消滅出来ヌ半端者風情ニ、カノ小僧ノヨウニ理不尽ヘ立チ向カエルトデモ?
五月蝿い。
――ソレニ貴様ニ喰ワレタオ陰デ、我ハ知ッタゾ? 貴様ガアノ男ヲ救イタクナイ理由ヲ。貴様ガ気付カセテヤレバ、アノ小僧ハ強クナレルトイウノニナァ?
黙れ。
――滑稽ヨナァ。貴様モアノ小僧モ炎術ヲ扱エヌ理由ガアリ、ソレヲ誰モ理解シテハクレヌノダカラ。貴様ニハ我ガ、小僧ニハカノ精霊王ノ加護ガアルセイダト、誰ガ気付ケヨウ。カカッ、マサシク滑稽。
同情すんな。
それに、テメェを消せば俺だって炎術が使えるかもしれねぇんだ。
――カカカカッ! 本気デ思ウテオルカ!? 既ニ我ヲ喰ライ『力』ヲ得タ癖ニマダ精霊術ヲ求メルカ!? 滑稽ニモ程ガアロウ!?
「だから五月蝿ぇつってんだろ!?」
激昂し、そう叫ぶ。
脳裏にあるのは、幼い自分を抱き上げて炎術を見せてくれた親父殿の姿。
かつての幼い自分は、その炎に魅せられた。
だから必死になって火の精霊に語りかけた。
力を貸してくれ、と。
だが、火の精霊を使役出来ない。
意識を集中しても、その向こうに『八ツ首の化物蛇』がいる事しか感じられない。
そして、ソレに近付き過ぎた俺はソレと殺し合いをする事となり、その日始めて大蛇に喰われて死ぬという経験をしたのだった。
それから何度も俺は喰われた。
現実では痛め付けられ、夢では喰い殺され、本当にどうしようもなかった。
だが、ある日を境に、蛇を撃退できるようになったのだ。
そして遂に、現実で本格的な鍛錬が開始され、筋が良いと親父殿に褒められたその日から徐々に俺が蛇を殺し返していく回数が死亡した回数を上回っていった。
その度に、喰われた『俺』が見つかり、回収していく。
これは、喰われた俺の『魂の欠片』だろう。
俺はそう思って、多少の違和感を感じながらも見つける度に回収していく。
それがどんな意味を持つのかなど、深く考えもせずに。
話は変わるが、昔ならいざ知らず綾乃に掛かりきりで忙しい宗主である親父殿に代わってこんな無能の鍛錬を見る事になったのは厳馬の叔父貴。
まあ、その鍛錬の厳しいこと厳しいこと。俺の親父殿の見立てでは、和麻が無能と嘲られる現状を払拭させようとしているが故の厳しさ――らしい。
よくこれを今まで続けたな和麻、と思っていると横にいる本人と視線が交差する。
そこには、同情と憐憫に満ちた視線があった。
俺と同じような眼を向ける和麻。
「「……」」
お互いに何も言わない。
震える膝を叱咤し、立ち上がる。
恐らく、思っている事は一つだろう。
((コイツより先に、潰れて堪るか……!))
神凪の炎に勝てない。
これは紛れもない事実。
和麻に至っては、何度もソレを骨身に刻まれている。
多分和麻はこう思っているだろう。
俺と同じ場所にいながら、何でお前は同じじゃない。
子供故に、その理不尽さが許せなかったんだろう。
同じ無能で何故こうも待遇が違うのか、と。
何で判るかなんて、考える迄もない。
俺がアイツの立場で何も知らなかったらそう思ったからだ。
そして、俺だって和麻を羨んでいる。
コイツは俺の知識が正しければ、巨大で強大な『力』を持ってるんだ。
俺はもう、精霊術を使えない。
俺とチャンネルが繋がっているあの蛇のせいで。
決して芽が出ないとお互いに判るから、お互いに無駄な事をしているようで許せないんだ。
「……和麻」
「……なんだ、刀悟」
お互いに疲労困憊。
明日は筋肉痛で地獄を見るだろう。
だが、それでも――
「俺はお前が気に入らない」
「奇遇だなぁ……俺もだ」
気が爆発する。
お互いに十一歳。
明らかに同年代の神凪の連中が束になっても圧倒出来る気の総量。
僅差で和麻が上だが、練度に関しては負けていないと思う。
無理矢理気を使って、身体を動かせるようにする。
無理をしているせいで、身体が物凄く痛いが、無視だ。
「「お前の態度が気に入らない」」
こればかりはどうしようもない。
「「力を持ってる癖に、それを使おうとしねぇのが気に食わねぇ」」
そして何より――
「「俺より強いのが認められねぇ!!」」
まるで双子のように異口同音に喋る俺たち。
つまり結局はそういう事。
お互いの秘密を何となく理解していた。
ただの同族嫌悪、それに尽きる。
だから、後は何も言わずに俺たちは駆け出した。
頭蓋など容易く砕ける程に強化された和麻の拳が俺の左側頭部に向かってくる。
向かってくる拳の軌道を見切り、最小限の動きで伸び切った和麻の腕を掴み、投げ飛ばす。
俺は体術は合気道や柔術といった掴んで、極め、投げ、締め落とす技や内部に衝撃が通るような打撃技を重点的に教わった。
和麻はオールラウンドにあらゆる種類の技を全般に厳馬の叔父貴から教わっていた。
まあ、叔父貴に鍛錬を見られる以上、俺もこれからそうなるかもしれないが。
空中に投げ飛ばされる和麻に追撃を加えようと逆さになったヤツの頭に蹴りを放つ。
当たればサッカーボールのように頭部が吹き飛ぶ一撃。
だが、それをかわした和麻は今度は俺の蹴った脚に手を当てて基点とし、蹴りを垂直に俺の頭へと放ってくる。
「ハッ、甘ぇ!!」
勿論それはガード。威力が強くて腕が痺れてるが、絶対に気取られるな。
そんな俺を逆さに見ながら和麻はニヤリとムカつく面で嘲笑する。
「テメェがな」
「なっ――」
脚に触れている和麻の手が強く握られる。
握力でそのもので俺の脚の骨を折ろうと――いや、砕こうとしてやがる。
俺の腕で止められている和麻の脚もヤバい。
もし、俺の脚を砕こうとしている和麻をどうにかしようとすれば腕のガードが若干弱まるだろう。
そうなりゃ、和麻がその隙を突いて蹴りを再度放つに決まっている。
だから――態とガードを緩める。
握力を一気に強めるのと同タイミングで蹴りが降ってくる。
その瞬間、軸足を蹴り上げて蹴り脚の上にある和麻の腕を狙う。
ゴキィ、という鈍い音が二つ。
俺の肩と和麻の腕。
完璧に俺の左肩は壊された。
和麻の右腕を折りはしたが、所詮それは腕。
気で強化してしまえば痛みはあるだろうが使える。
だが俺は肩の骨を砕かれた。恐らく強化しても通常の一割しか動かせないだろう。
脚だって、化物じみた握力で握られたせいでヒビが入っているのが判った。
俺の負傷箇所は二つ。
だが和麻は一つ。
肩と脚の負傷と、腕だけの負傷。
たったこれだけの攻防で、今の俺では和麻に純粋な体術では敵わないことが判った。
だが、だからと言って負けてやるつもりは毛頭無い。
案の定和麻は砕けた腕に余剰分の気のほとんどを集める。
これで和麻は激痛に顔をしかめながらも五体満足に戻った。
襲い掛かってくる和麻。
無事な右腕一本で、その拳や脚をいなし、逸らし、受け流しながら後退する俺。
俺は、左肩が上がらないし、右脚の骨にはヒビが入っている。我慢出来ない痛みじゃないが、あと一発でも食らえば完全に折れるだろうな。
しかし、負けるワケじゃあない。
俺には前世の知識がある。
この世界には無い漫画や小説の技が出来やしないかと考えてもいたんだ。
肉体の強度を上げる気が使える上に、基礎的な身体能力だって化物のレベルだからな。
やってやれない事はないだろう。
出来るかどうかじゃない、やらなきゃ惨めに負けるだけだ。
だから俺は一旦距離を取った。
右手の人差し指と中指を伸ばし、そこに気を集中させる。
ただ堅く。ただ鋭く。ただ疾く。
そしてもう一つ、脚部に気を集め瞬発力を爆発的に高めていく。
狙うは――和麻の四肢の関節。そのどれか。
見様見真似の技だが、関節に対してどう当てれば効果的なのかは自分の身体で知っている。
関節の嵌め方や外し方は既に叔父貴に習ったからな。
後は……
「なあ、和麻」
「……なんだよ」
息が荒い和麻に提案する。
よし、これでチャンスは出来た。
辛抱強く護りに徹して正解だったな。
「いい加減、終わりにしよう。次で――決着つけるぞ」
「ああ、いいぜ」
和麻も理解していたんだろう。
俺が自分を疲れさせるつもりだったって事くらい。
和麻の右脚に気が集束していく。
恐らくは蹴り。
なら――それに合わせる。
「……ふう…………往くぞ」
「来い」
それだけを言って、和麻が消える。
いや、視認するのが難しい速度でこちらに迫っているだけだ。
ちゃんと意識を集中して見れば相手は見える。
ほら、目の前に。
「「――っ!!」」
引き延ばされていく体感時間。
和麻の蹴りが、俺の頭を狙うのが判った。
そして向こうにも、俺の狙いが判っただろう。
俺の狙いは、和麻の両肩と両膝の関節。
着弾は、和麻が先だった。
千切れそうになる意識、それを繋ぎ止めて俺は目標四つの内、両膝と左肩の関節を打撃にて外す事に成功した。
右肩だけは距離があったからただの打撃となってしまい、指がイッてしまった。
そして、俺は意識を失った。
薄れゆく視界に写ったのは、同じように崩れ落ちる和麻の姿。
「「ザマぁ、見やがれ……」」
そう言い合って、俺たちは気絶した。
ご丁寧に、お互い無事な方の手の中指を突き立てた状態で。
この時より、俺たちの決闘だか殺し合いだか判らないくらいに派手な『喧嘩』は、結構な頻度で繰り返される事となる。
負けたヤツが勝ったヤツの言う事を一回聞くというルールが追加されてからは更に『喧嘩』は激しくなった。
時には道場の壁を突き破って、そのまま喧嘩を続けた事もあった。
時には食い物に下剤を仕込んだり、寝込みを襲ったり、どんな時でも関係無く、俺たちは喧嘩した。
そして、初めて喧嘩した日より数えて三年。
喧嘩を売られたらどんな状況だろうとそれを買って殴り合うのが当たり前になってきたある日。
和麻が竜巻を召喚して、俺を天高くへ放り投げやがった。
(あとがき)
前の文がくどいとのお声を受けたので、全改定致しました。
少し焦っていたのかもしれません。