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[19486] 【咲-Saki-】アカギ、傀、竜が清澄高校麻雀部に入部したそうです【多重クロス】
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2014/01/03 10:58
 

 【咲-Saki-】のifストーリーです。
 アカギ、傀、竜は清澄に入部し、一年です。
 咲、和、優希は風越に入学しました。
 『アカギ』『むこうぶち』『哭きの竜』の三作とクロスしています。
 また第二部以降は他の麻雀作品などともクロスしています。
 それぞれの作品の内容を知っている前提の展開が多数です。
 注意してください。
  
 やりたい展開を優先させたため、大会規定が原作と若干違い、特殊な規定を設けています。
・男女混合制。
・ノーテンリーチは流局時罰符
・小牌はアガリ放棄
などです。
 基本は、ダブル役満なし(重複もなし)、赤アリ、大明カンの責任払い、暗カンの牌が国士のあたり牌だったらあがれる等、原作の規定でいきます。




表記について

萬子 一~九
筒子 ①~⑨
索子 1~9
赤牌 [五][⑤][5]
字牌 東南西北白発中 





※この作品は『ハーメルン』様にも投稿しています。牌画像変換ツールを使用しているので、あちらの方が読みやすいかもです。



 



[19486] #1 プロローグ
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2013/03/27 02:47
 

 東西戦で東側で活躍したアカギ

 裏レートの怪物、傀

 やくざ抗争の中心に居た竜

 彼らはなぜ清澄高校麻雀部に入部したのか。
 その生活環境を変えてまで、何が彼らをそうさせたのか。
 
 学生生活の一つでしかない部活動。
 金のやり取りなどない。命を懸けることなどない。
 彼らが潜り抜けてきた世界、所謂、本当の勝負の世界などではない。
  

 それでも今、確かに彼らはそこに居る。
 





[19486] #2 県大会
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2013/04/24 04:21

―県予選 初日 会場内廊下―



 前年度県予選優勝校、龍門渕の四天王と呼ばれる四人が『それ』とすれ違った時に感じた感覚は『寒気』…少し遅れて『吐き気』だった。振り返り『それ』をもう一度見た。死体だった。死体にしか見えなかった。死体が歩いていた。

「あの白髪…」

 凍りついた空気をどうにかしようとしたのは井上純だった。だが口にできたのは『それ』の外見だけで、次の言葉が出なかった。

「何…あれ……」

 次に口を開けたのは国広一。しかし彼女はそれ以上何も言えなかった。彼女達は『天江衣』を知っている。しかし先ほどの『それ』は彼女を遥かに凌駕する何かを…持っているとしか思えなかった。







―観戦室―



「アカギ君遅―い。どこ行ってたのよ」

 清澄高校三年、主将の竹井久は、ポケットからメモを取り出し、今大会のオーダーを今にも発表する構えだった。その場には、アカギと呼ばれる白髪の男子生徒を含め、6人の生徒がいた。

「すみません。道に迷って」
「とか言って…どっかでケンカとかしてないよね?大会前に問題とかやめてよね」

 彼女から発表されたオーダーは、先鋒・傀、次鋒・染谷まこ、中堅・竹井久、副将・竜、大将・アカギ。大将が遅刻してきたアカギなのは、そっくりそのまま…そういう理由だ、と竹井は話した。メンバーに選ばれなかった須賀京太郎は「単純すぎないか」と質問を投げかけたが、竹井は「いいのよこれで」とだけ返した。しかし実際は、大将がアカギなのにはそれなりの理由がある。

「一回戦の相手は清澄・東福寺・千曲東だって」
「らくしょーじゃん。特に清澄なんて廃部寸前だったんだって」
「アハハ。何それだっさー」

 竹井達から少し離れた位置での他校の会話であったが、その声は竹井の耳に入るのに十分の大きさだった。彼女は傀の名を呼んだ。普段比較的明るい表情を振りまく彼女であったが、その時の彼女の表情にその明るさはかけらも無かった。氷のような表情から放たれた言葉は…



―――次鋒にまわさなくていいから……







「『御無礼』ツモりました。6000オールの13本場です。今宮、千曲東、東福寺のトビで終了ですね」

 三校をまとめて飛ばす、というケースはこれまで無かったわけではない。去年の龍門渕高校の天江衣は、全国大会の一回戦では二校、二回戦では三校飛ばす、という記録を残している。しかし、その『人鬼』はそれを10万点スタートの先鋒の前半戦でやってのけ、しかもその半荘に南場は存在しなかった。会場の殆どの者は、そんな光景などこれまで見たことも無かった。『わけのわからないなにか』がそこにあった。
『人鬼』は世に放ってはいけなかったのだ。

「傀の奴…最近裏でみねぇと思ってたら…こんなとこに居やがったか…」

 解説として呼ばれた安永萬は呟いた。

「彼をご存じで?」

 彼の呟きに反応したのは同じく解説に呼ばれたまくりの女王、藤田靖子。

「まあな。裏の人間だよ奴は。もっとも、人間なのかどうか最近疑問視されてるがな…だが……」
「だが?」
「奴の打ち方が引っかかる…。あんな開幕から爆発するケースは珍しい」
「彼の打ち方をご存じで?」
「状況によって打ち方を変化させる奴に『打ち方』なんてもんはあって無いようなもんだが…序盤は見にまわることが多いんだ。そして流れや相手の心理を支配して…後半は『御無礼』の嵐さ…」
「『御無礼』…聞いたことはあります。彼が『仕上がった時』に出る言葉ですね。それが出たら止めることは至難と…」
「なんだ、知ってるじゃねぇか」
「裏にはたまに私も行きますからね。しかし…確かに奇妙ですね」
「まぁ表に出てきてること事態十分奇妙なんだけどな。前半の爆発に関しては…事前にどこかで調整でもしてたのか……見ないうちに奴は変わっちまったのか…それともはじめっから奴にはそういうことも出来るのか……」
「しかし清澄のラインナップはすごいですね。副将に『竜』…対象に『赤木しげる』もいます」
「あー……あいつらもか…こりゃ対戦相手が可哀そうだな……」
「県で対抗できるのは、龍門渕の天江衣くらいですか」
「天江衣……確か『鷲巣巌』の孫娘か……。だが去年のままじゃ勝てんな……」
「ええ。しかし……可能性はあります」
「若し頃の『鷲巣巌』……その再来か……とんでもねぇ大会だな今年は」








「ツモ、タンヤオ、トイトイ、三暗刻、三カン子、嶺上開花…24000の責任払いです」

二回戦、風越高校は副将戦で寿台高校を飛ばし決勝へ進出した。副将、宮永咲の闘牌も常識外のものであったが、会場の者達は感覚が麻痺していたのか、驚きを表した者は僅かであった。
 龍門渕も同じく副将戦で篠ノ井西を飛ばして駒を進めたが、注目の的にはならず、龍門渕透華は控室にて不満をあらわにした。

「何なんですのこの状況!私があんなにも華麗に決めたというのに……原村和がいる風越でもなく……なんであんな無名校にスポットが当たらないといけないのですの?」
「しょーがないよ…とーか。あれをみせられちゃ…」
「はじめ!……」
「清澄の先鋒は二回戦でもまた三校まとめて飛ばしたみたいだしな」
「でも…まだあの白い髪の男子は出てきていない……やりたくない」
「ともきーまで!」
「ボクもあれとはやりたくないなぁ」
「大将なら衣が何とかしてくれる……かなぁ」
「みなさん!弱気になり過ぎですわ!それに貴女!先鋒で飛んだら承知しませんわよ!」
「オレだけに言われてもなぁ……。だけどアイツの麻雀、なんとなく俺の麻雀に似てる気がするんだよな」
「流れ…とかいうやつですの?」
「ああ…。それなら自信はある。流れの取り合い勝負なら…オレが勝つ」







 白糸台なら、先鋒は宮永さんだし、たぶん大将まで回ってくることも無いだろうし、こっちに来た。もし回ってきたら、和ちゃんに頼むことになるけど。
 あの人の麻雀は、直接『眼』で見たい。鷲巣巌のお孫さんの成長も気になるし。
 ここで勝ったチームの大将が…『オーバーワールド』に来る。
 赤木しげるも、天江衣も、鷲巣巌と関わりがあるのも、あの舞台の因果故、なのかも。
 色々と楽しみ。 








[19486] #3 県大会決勝 先鋒戦~中堅戦
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2014/02/18 11:58
 





決勝は風越、龍門渕、無名校の鶴賀、そして無名校『だった』清澄で行われることになった。

―県大会決勝―
先鋒戦 前半戦
風越・片岡(起家)
龍門渕・井上
清澄・傀
鶴賀・津山



 場にいる全員は傀が『どういうもの』かもう知っていた。恐怖を乗り越え戦わなくてはならなかった。
 風越のキャプテン、福路美穂子は後悔していた。片岡優希は東風においては無敵ともいえる強さを誇っている。セオリー通り先鋒に強い打ち手を持ってくる学校に対しては、うまく翻弄できれば有効だし、チームの勢いにも繋がる。しかし、この大会は『飛びアリ』なのだ。やはりセオリー通り自分が先鋒を勤め、あの『人鬼』を凌がなくてはならなかった。そう後悔した。
 
「リーチ!」

 3巡目…起家の片岡から放たれた声は、美穂子の不安を払いのけるかのような勢いだった。

片岡 手牌

二三四②③④[⑤]⑥⑦2223

(キャプテンは飛ばないことだけを考えて打ってって言ってたけど…そんなんじゃいけないじょ。それに…このワカメ……私と同じタイプ……東場に強い奴のようだじぇ。ならどっちが強いか決着をつけるじょ!)

「ポン」

 井上は同巡、鶴賀から切られた①筒を叩いた。

井上 手牌

六七八①④⑤77南南 ポン①①①

 暗刻から叩いた形であり一見不自然な鳴きである。しかし、この鳴きで片岡の和了牌である4索は傀に流れた。傀の手牌ではこの4索は不要牌の形を成しており、井上のこの鳴きは片岡のツモを封じ、傀の手を止めたことになる。
 次巡、片岡からツモ切られた⑥筒を井上はチーし、打①筒。鶴賀から切られた南で和了った。(南のみ)

(よし!…調子はいい。手応えアリだ…)

 以降前半戦の流れは井上を味方したかのように、彼女の独壇場になった。彼女には傀や片岡の流れ、勢いを止めている実感があった。


先鋒戦 前半戦終了

片岡   67900
井上   130400
傀    114800
津山   86900



―解説室―

「今度はえらく『らしい』ものだったな」
 基本、解説室は、実況と解説の二人組で構成されるのだが、本来の解説役であった、藤田に加えて、安永も解説室に来ていた。
 安永には、ある程度解説室を自由に回っていい権限があった。というのは、近年不可解な打ち回しをする生徒が増え続けており、表のプロでは解説しきれない状況が多々生まれるため、彼のような『裏を観てきた者』が助っ人として参加するのだ。
 勿論表向きには、熟練のプロ。大御所。という形ではあるが。
 
「主に『見』にまわっていましたね」
 藤田プロに関しては、安永のフォローは必要はない。
 安永がこの部屋に来たのは、清澄を見たいという個人的理由だった。

「てことは『次』あたりかな」
「あの龍門渕の子は、自分が流れを支配していると思っているでしょうね」






先鋒戦 後半戦

井上(起家)
津山

片岡


東一局 ドラ ⑦筒 親 井上

 前半戦、井上の麻雀に翻弄されていた片岡であったが、その心は折れてはおらず、勢いが完全に消えているわけでもなかった。6巡目で清一、または七対子ドラ2を臭わせる手牌。

片岡 手牌

一一三四五七七七八八九⑦⑦ ツモ [五]

(調子を崩されることくらいキャプテンで慣れてるじょ。いつまでもトップでいられると思うなよノッポ…。チートイドラドラもいいけど…ここはもっと高めだじょ!)

 6巡目、片岡はこの手から打⑦筒を選択し清一に向かった。
 7巡目、井上も聴牌した。

井上 手牌

七八九①②③⑧⑨⑨2378 ツモ 1

 ダマでも最低平和がついている手だが、脅しの意味を込めてリーチを選択した。捨て牌は

北南白西一③


 片岡にとっては切り遅れたドラが切りにくい捨て牌。事実、片岡は攻めるかどうかを悩んだ。
 しかし同巡、傀からその⑦筒が捨てられた。傀は微かに笑った。

(こいつ……!!どんな手でそんな牌を切った…)



 傀は孤立牌から切った。傀側の視点からでは、通る保障の無い牌である。
 だが、傀の観察は鶴賀にも向けられていた。理牌のクセ、視点移動、そして『流れ』から、鶴賀に最後の⑦筒があるのは『わかっていた』。
 確かに、鶴賀は風越とは色違いではあるが、染め手…ドラが浮いていた。




(オレは…しくじったのか?)

 片岡がドラを切って聴牌した同巡、井上はアタリ牌を掴み、16000を振り込んだ。
 東二局は傀が片岡に役牌を喰わせ、井上が片岡に振り込む形で終わった。

(自分が和了れないから、他家を利用してオレを落とす気か?だが…まだ負けたわけじゃない。奴に『流れ』の勝負で負けたわけじゃない…。現にオレに勝てないからこのちびをアシストしているんだ)

東三局 ドラ 五萬 親 傀

 井上は鶴賀の第一打②筒をポンし、5巡目⑥筒を暗カンした。嶺上牌は6索。新ドラは⑥筒。カンドラがごっそり乗った。次巡②筒をツモりそれを加カン。嶺上牌は8索。新ドラは6索。

井上 手牌

666888東北 カン ②②②② 暗カン ⑥⑥⑥⑥

彼女はこの形から東を切って聴牌した。トイトイ三暗刻ドラ7のトリプル確定の手に仕上がった。彼女は勝ちを確信した。

「カンです」

(え?)

 傀は彼女の切った東を大明カンし、打三萬。新ドラは東。ドラの乗せ合いだった。

傀 手牌

二2345789発発 カン 東東東東


 嶺上牌は8索で、2、5索を切っていれば聴牌であったはずだが、彼はそうしなかった。
 同巡井上は2索をツモる。当然無駄ヅモであり、彼女は切った。

(なんだ?この違和感…)

 次巡、傀は6索をツモり、打二萬で聴牌した。



―解説室―

「綺麗に喰われましたね」
 藤田が言った。
「ああ。東カンの嶺上は8索。その後のツモが6索。龍門渕の四カンツは見事に消え去った」
 安永は軽い笑いを交えて言った。
 安永には見えていた。この半荘、喰われるのは龍門渕の井上であることを。
「よかったな、ここが…」
「ここが?」
「え?あ、ここがオーラスでなくてよかったな。はは…」

 藤田は安永の次の言葉を予測して、釘を刺した。可能な限り自然な形で。

(ホント、ここが裏でなくて良かったな、嬢ちゃん。だが、ここからは地獄だぜ)

 一息ついて、彼はモニターに目を向け直した。彼女がこれをトラウマに感じて、麻雀をやめないことを、少しだけ祈って。 


―――――――――

 同巡、井上のツモは1索。

(このツモは…奴のアタリ牌か?何か……奪われた感触がした。いやだ……認めたくない。これを止めるってことは…奴に『流れ』で負けたっていう証明じゃないか。この牌を通してこそ……オレの勝ち……そうだろ?井上純……。行け!)



――― 御無礼   24000です



「あ…………ああ…………」

 始まった。止めようのない波が始まった。
 余りにも強大な土石流。経験したこともない災害。
 振り込む。振り込む。次も振り込む。ツモられる。ツモられる。次も。
 次も、次も、次も、次も。
 全てが操られるように、彼のアタリ牌を掴み、足掻いても足掻いても、逃げても、どこまで逃げても追いつかれる。
 

「御無礼、ツモりました」
「御無礼、ロンです」
「御無礼」「御無礼」「御無礼」

 井上は初めて経験した。これが本当の『流れ』だと。
 井上だけじゃない。
 片岡も、睦月も、その場の異常さを感じていた。
 一方的。あまりにも一方的だった。何一つ抗うことのできなかった。
 『理不尽』なんてものでは無い。これは夢ではないのか。そう錯覚してしまえるほどの、現実感のない状況、現象がそこにはあった。
 醒めてくれ、醒めてくれ、早く終わってくれ。三人が考えていることは同じだった。
 手を動かすことの恐怖。ツモることが、こんなにも嫌なものだっただろうか。

 

 そこには、人の姿をした鬼が居た。





 先鋒戦後半戦は終了し、幸いにも誰も飛ばずに次鋒戦を迎えることが出来たが、その結果は悲惨だった。


―先鋒戦終了―

清澄   262500
龍門渕  500
風越   72300
鶴賀   64700



―解説室―

「しかし、悲惨な試合ですね。龍門渕のあの子にとっては、寧ろ飛ばしてくれた方が楽になれたかもしれない」

 『御無礼』を聞いた者の末路を二人は何人も知っている。
 これは彼らにとって、よくみる一つの悲劇に過ぎない。
「傀がえげつねぇのはいつものことだが……やはり引っかかるな」

「ええ。南3局4本場、風越に『喰わせましたね』」
「あいつの意図は全く分からねぇが…龍門渕を飛ばしていたら、この試合も次鋒戦は無かった。それをしなかった」
「何か、あるのでしょうか」
「『そこまでして』な」


 傀は『何か』を見せたがっているのか。安永の関心は、被害者のこれからより、やはりそちらにあった。






―龍門渕控室―



 次鋒戦が始まって数分経つ。しかし、彼女たちはモニターには目を向けず、沈黙していた。

「ギーセンにいた頃以来だ…。もう、あんな経験はないだろうって思ってたんだけどなぁ…」

 彼女は両手で顔を覆って俯いていた。普段男らしく振る舞っていた彼女には考えられない姿。

「あ、あんなの、バカツキですわ!……あんな素人以下の打ち回し……負けても、気にする必要などありませんわ。あれくらいの点数、ワタクシが取り返して……」

 透華の声は届いていなかった。井上はピクリともしない。

「そ、そうだよ。大将には、衣もいるし……」

 国広が言った。しかし、それでも動かない。重い雰囲気が続く。
 『人鬼』の逆鱗に触れたの彼女に対する仕打ちは、あまりにも大きかった。

 しかし


―――おーっとここで龍門渕の沢村智紀選手、清澄から跳満の直撃!!

「ねぇ!ともきーが!」
「でかしましたわ!智紀はやればデキる子、やればデキる子ですわ!」


 井上は押さえていた手を下ろし、その顔をモニターに向けた。
 仲間が、まだ仲間が頑張っている。戦っている。自分だけ、何を腐っていたのだ。
 それに、まだ『あの白髪』が出てきていない。清澄の恐ろしさは、まだ終わっていない。仲間が、それに挑もうとしている。

(応援……しなきゃ…な………)

「ガンバレ…智紀……」

 その一言から、彼女はリスタートした。







 『しかし』続く次鋒戦、中堅戦は誰もが予測しない展開となった。
 清澄は先鋒戦で得た点数の殆どを、その二戦で吐き出したのだ。
 まるで、傀が持っていた『理解しがたい何か』が他の三校に乗り移ったかのようだった。
 役満、役満に近い点をあっさりと他校がツモる。まるで、自動卓に細工でもしてるのではないかと疑う程。
 一方、清澄の次鋒、中堅がふざけて打っているようにも見えない。ミスというミスもない。
 麻雀の理不尽さが、現象化しているだけ。

 表情に笑顔はなく、辛さがにじみ出ていた。



―中堅戦終了―

清澄  103000
風越  142800
龍門渕  59200
鶴賀   95000


―解説室―


 解説室の二人は顔を渋らせていた。
 傀の意図が読めないことは多々あったが、ここまで理解しがたいのも珍しい。
「安永プロ…これはいったいどういうことですかね」
「わからん…。あの二人の実力が圧倒的に傀に劣っているからこうなった…ってわけでもなさそうだし」
「考えられるのは……『天江衣』だけでしょうか」
 藤田はマイクのスイッチを切って、実況の方に向かって、黙っているように目で合図した。
「大将戦にまわすためだけに、これだけのことをしたとなっちゃあ、他が黙ってないな」
 安永も、その推理には納得した。

 赤木は天江と戦いたがっている…それを久……竹井が叶えようとしているのではないかという、その推理に。


 鷲巣巌と赤木しげるの因縁。


 『彼ら』はその終着点を見るつもりなのだ。





―――――――――


―清澄 控室―


「それにしても災難だったわね。まこ」

 控室には、彼女達二人しかいなかった。竜は試合会場へ。傀とアカギはどこにいるのかはわからない。

「ほんまじゃ。まさか傀の流れが次戦で他家に行くとは思っとらんかったからの」

 『意思』は伝えた。しかしどのようにしてくれるかは、彼らは教えてくれなかった。
 彼女達は不安のまま打った。しかし、最後まで信じて打ち続け、そしてそれを終えた。

「鶴賀の、役満の親かぶりも痛かったわね。ビギナーズラックってやつかしら。まこと相性も悪かったし。ま、何とか10万点代で止めれたからよかったけどね」

「それにしても風越は、もりかえしたのお」

「全中覇者の原村和と、部長さんの福路美穂子ね。確かに二人ともすごかったわね」

 風越の部長とはどこかで、あった気がする。そう竹井は思ったが、思い出すことが出来なかった。

「それにしても、龍門渕、ちょっと危ないかしらね。竜君トバさないかしら」

「竜なら心配いらん」

「あの子は誰にも従わないわよ」
 竹井は笑みを交え、からかう言った。

「心配いらんて言いよろおが…」
 染谷の頬が赤らみ始めた。
 面白がった竹井は、さらに付け加えた

「緑一色好き仲間だからかしら?」

「囃すな。ホンマに怒るぞ」




―――――――――












 

 コツコツと、廊下に音が響く。
 
 廊下の先に、光り輝く舞台があった。
 
 彼が生涯、経験することは無かったであろうその場所に、彼は向かう。

 廊下を抜け、光が照らされた。

 彼はサングラスを取り、静かに胸のポケットにしまった。

 舞台には、すでに三人が座っていた。

 龍門渕高校副将、龍門渕透華
 鶴賀学園副将、東横桃子
 風越女子副将、宮永咲



 その舞台を見て彼は……微かに笑った。


 














[19486] #4 副将戦 その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2012/09/16 03:11
―副将戦―

清澄・竜(西家)
風越・咲(北家)
龍門渕・透華(東家・親)
鶴賀・東横(南家)


龍門渕の副将は、静かだった。
俯いていて、震えていて、そして暗かった。
あの絶望的点数を考えれば、よくここまで来れた、と見ることもできるけど…。
次鋒戦では奇跡的アガリを連発出来ていた。でも中堅戦、せっかく稼いだ点数を風越に狙い撃ちされ、奪われてしまった。
結局その龍門渕は現在約六万。副将、大将での逆転は困難。あの清澄のことも考えれば、この回での終了もありえる。気持ちは分かる。
対面の風越はその逆。瞳に自信が満ち溢れていた。早く打ちたい、そう聞こえてきそうだった。
龍門渕もそうだったけど、風越の副将も前の試合で他校を飛ばしていた。しかも現在トップ。警戒しなくては。
そして、清澄の男子。彼も静かだった。しかしそれは暗いというわけではなく、冷たかった。
私ともどこか違う。そう、死体。肉としてそのままそこにある死体。そんな印象だった。怖かった。

「麻雀って…楽しいよね」

対面の風越が口を開いた。いきなり何をわけの分からないことを、と思ったが
あまりにも暗い気配を漂わせている、龍門渕と清澄を励まそうとしたのかもしれない。
よけいなお世話を、と思った。三着かラスならまだしも、圧倒的トップに立っている風越の発言だ。
腹立たしい。

「今日もいろんな人と打てて…ホントに楽しいよ」

風越は続けた。

「いっしょに楽しもうよ」

誰も返さなかった。当然だ。風越は少しおどおどしていた。

そして、試合は開始された。

「ツモ、嶺上開花。70符2ハンは1200・2300です」

東一局、八巡目の出来事である。嶺上開花。私もほとんど見たことのない役を、彼女は平然と上がった。
彼女が発声した瞬間、龍門渕がビクッと動くのが見えた。
まるで、死刑宣告を受け、今日が「その日」だと看守に背中を叩かれた死刑囚のようだった。

「ロン。110符1ハンは、3600です」

東二局、11巡目。龍門渕からの直撃だった。発、①筒を連カンして作った役なのだが、もっと高目を狙えたのではないのか。
遊んでいるのか。ますます、腹立たしくなった。龍門渕の瞳が見えた。涙を浮かべていた。

「カン、ツモ。門前清一、嶺上開花。4000・8000です」

東三局、13巡目、今度は倍満。三連続上がり。そのうち嶺上開花を二回。あまりにも異常だった。
龍門渕の瞳は、今度は焦点を無くしていた。

ー東三局終了時ー

清澄  93800
風越 167100
龍門渕 49300
鶴賀  89800

東三局の上がりは、決定打のように見えた。三着の私も、さすがに、風越は抜かせない。
せいぜい清澄を抜かして、少しでも点を稼ぎ、先輩に託すしかないと思っていた。
しかし、東四局から、変化が起こった。龍門渕が、豹変したのだ。私がその変化に気づけたのは、少し後になるが。

東四局、風越から、カンの声が聞こえなくなった。普通はそうそう出来るものではないが、東三局までに四回もカンしていたのだ。
私の常識的感覚は、たったの数分で乱されたということか。
十五巡になっても風越からカンの声は聞こえなかった。寧ろ、風越の表情は困惑していた。ありえない、なぜ。そんな表情だ。
場は静かだった。だれもポン、チーなどの発声無く、手も進んだり、進まなかったり、普通に麻雀していれば、よくあるようなこと。

「ツモ。300・500」

十七巡目。上がったのは龍門渕。この点差を考えても、あまりにも低いのではないか。
それとも、好調の風越の親は、少しでも早く流したかったのか。
変化は、ここからだったのだ。

「ツモ。1000オール」

また安い手を龍門渕は上がった。

「ツモ」「ツモ」「ツモ」

龍門渕の連荘が四本場に差し掛かる頃、さすがに私も異常性を感じた。
場は基本的静かではあるが、上がるのは彼女しかいなかった。
倍満、三倍満といった異常な上がりは無かったが、確実に龍門渕は点数を上げていた。
その場は、まるで静かな湖。それを支配する彼女は、どこか大人びいて見えた。

「全然カンできないよ〜」

風越がつぶやいた。やはり腹立たしかった。
その連荘は六本場まで続き、風越からも直撃を2回奪い、いつの間にか、龍門渕はトップに立っていた。


ー南一局六本場終了時ー

清澄   76500
風越  117500
龍門渕 133500
鶴賀   72500


「あンた・・・自分の麻雀打ちなよ」

七本場が始まる頃、清澄の男子が言った。龍門渕に対して言ったのだろう。
龍門渕はその声に耳を貸さず、静かに3索を切った。

「ポン」

清澄が、鳴いた。

鳴いた牌が、青白く光った。

静かに、その場の時が止まった様な、そんな感覚がした。

次巡、龍門渕は2索を切った。

「ポン」

清澄が、また鳴いた。また、また牌が光った。
その鳴きに、魂が持っていかれるようだった。美しかった。

その鳴き以降、龍門渕の捨て牌はチュンチャン牌が続いた。ど真ん中の赤五萬も、赤五筒も切っていた。
私は、国士かと思った。
一方清澄の捨て牌からは、索子の染め手を意識させるものだった。

「カン」

清澄が今度は3索を加カンした。そして、嶺上牌をツモ入れ

「カン」

また鳴いた。今度は2索。また、嶺上牌をツモ入れると
清澄は、1索を捨てた。

「ロ・・・」

「あンた・・・自分の『手』見なよ・・・」

清澄の声に、龍門渕は手を止めた。
大人のような顔立ちだった彼女はそこには無く、何か我に返ったような、そんな印象を受けた。
彼女は自分の手牌を、ありえないものを見るような目で、見た。

おそらく、やはり国士。
そう、上がれない。なぜなら同巡。私が1索を切っているから。
私はすでに『消えていた』のだ。
私はトントンと1索を叩き、牌の姿を見せた。
チョンボも悪くないけど、この局は私にも手は入っていた。止めてくれるならその方がいい。

「・・・は?・・・え、私・・・何・・・この・・・」

まるで、今までの自分は、自分ではなかったかのように。実際に

「こんなの、こんな捨て牌・・・私ではありませんわ!」

と叫んでいた。直ぐに、監視役に制され、彼女はしぶしぶ座った。

局は続行され、龍門渕の番がまわってきた。
半ば混乱状態の龍門渕は、ツモってきた8索を切った。

「その牌・・・」

「その牌?・・・ハッ・・・何を私・・・こんな牌を・・・」

「その牌は…あンたの親父が最期に…最期に哭かせてくれた牌」

「え・・・お父様?貴方、お父様を知って・・・」


清澄は8索を鳴いた。カンした。
そして空にかかげた嶺上牌を、そっと卓に離した。

「ツモ・・・緑一色・・・」


666発  カン2222 カン3333 カン8888 ツモ 発


それをアガリを観た者はすべて、そのアガリに魅せられた。

大会の規定により、大明槓からの嶺上開花によるアガリは、鳴かせた者の一人払い。責任払いを適用している。
よって、龍門渕は32000と7本場分(2100)を失った。
 

ー南一局7本場終了時ー

清澄  110600
風越  117500
龍門渕  99400
鶴賀   72500


南二局、龍門渕は先ほどの責任払いにより、三位まで落ちることになったが、その瞳には色が戻った。
十二巡目、龍門渕は叫んだ。

「リーチですわっ!!」

先ほどまで静かで大人な雰囲気を漂わせていた龍門渕は、そこにはなかった。

「いらっしゃいまし!ツモ!」

一発ツモ。

[五]五六六七七③④⑤⑥⑦88  ツモ⑧ ドラ ⑨ 裏ドラ ③

「4000・8000いただきますわ!」

ヤミで7700ある手をわざわざリーチ。確か龍門渕の副将はデジタル(南1の連荘はあきらかにそうではないが)。
違和感はあったが、やる気に満ち溢れている彼女を見ると、それが『彼女の麻雀』なのだろう。


南三局。ドラは南。局は6巡まで進み、清澄がまた動いた。
風越から発をポンし、白を切った。彼が鳴く牌は、鳴くたびに光った。
風越のツモがまたやってきて、風越は中をツモ切った。それを彼はポンし、また白を切った。
大三元に向かわないのか。そう思ったとき、またツモ番の来た風越が『また』つぶやいた。

「全然カンできない・・・」

この人は馬鹿なのか。それとも『この人にとって』この状況はおかしいのか。なんにせよ、こちらはいい気にはならない。
最初の『麻雀楽しみましょう』発言による相乗効果もあり、ますます腹立たしかった。

「あンた…口を閉じなよ…。『言葉』が…白けるぜ」

彼は、風越がツモ切った西をカンした。

そして、嶺上開花。

「それは・・・その嶺上牌はわたしの・・・」

「『見えていても』『わかっていても』負けることがある。それが・・・麻雀だ・・・」

清澄は牌を叩きつけ、言った。ツモったのは赤五萬。


五南南南  ポン発発発 ポン中中中 カン西西西西  ツモ[五]  ドラ南 新ドラ西

ホンイツ、トイトイ、南、発、中、ドラ7、赤1、嶺上開花
親の数え役満

風越の責任払いにより、清澄は首位になった。それも圧倒的な点差をつけて。


ー南三局終了時ー

清澄  154600
風越   65500
龍門渕 115400
鶴賀   64500


南三局一本場は、まるで嵐が過ぎ去ったかのように、場は、平らになり流局。
南四局流れ二本場。

「ロン」

「は?」

「メンタン。2600は3200っす」

龍門渕は驚いていた。それもそのはず、私のリーチが見えていなかったから。

「前半戦、終了っすね」


ー副将戦前半戦終了ー

清澄  154600
風越   65500
龍門渕 112200
鶴賀   67700



ーそういえば、カメラを通してなら、私もいろんな人に見てもらえるんだっけ。この試合も、すごく多くの人が見てるんだろうな。

ーでも、私を見てくれるのは一人でいい。

ーしっかり見ててくださいよ、先輩。


私は子供の頃から、影の薄い子だった。
だから私は、これまでコミュニケーションを放棄してきた。
辛くもなんとも無かった。それ故に、存在感の無さに拍車がかかるばかりだった。
だけどある日私を、そんな私を、誰からも見つからないそこにいないはずの私を
大勢の人の前で叫んで求めてくれた人がいた。
それが、先輩。目的はネット麻雀で知った私を部に勧誘することだったけど、それでも、うれしかった…。

…だから、がんばるっす
コミュニケーションのための時間も悪くない。
それを教えてくれた、先輩のために。


私は存在感ゼロどころではない。いわば「マイナスの気配」。そのマイナスは、捨て牌まで巻き込む。



ここからは『ステルスモモ』の独壇場っすよ!







[19486] #5 副将戦 その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2011/10/26 22:13
「お父様が今どこにいるのか教えてくださいまし!どうか今!」

副将戦前半が終了し、五分間の休憩の間、龍門渕の透華は、竜に問い続けた。
2ヶ月前に行方不明になった、父の行方を。

「勝負が終わったら、教えてやる。席に着きな」

「そんなこと言わずに・・・」

「龍門渕選手!席に着きなさい」

五分間の休憩が終わり、透華は仕方なく席に着いた。

「いいですか!終わったら絶対教えるのですよ!絶対ですわよ!」

竜は返さなかった。ただずっと、卓の真ん中を眺めていた。



ー副将戦後半戦開始ー


東家・咲 [風越]  (65500)
南家・竜 [清澄] (154600)
西家・桃子[鶴賀]  (67700)
北家・透華[龍門渕](112200)


東一局、親は風越。ドラは九萬。九巡目、透華に三面張の聴牌が入った。

八八九③④⑤⑦⑧⑨234[5] ツモ 6

この手から打、九萬。リーチを発声した。

「いいんすかそれ…ドラっすよ?ロン」

「え・・・!?」

「リーチ一発ドラ1―――5200(ごんにー)っす」

七八③④⑤⑦⑦⑦789南南  ロン 九  ドラ 九  裏ドラ 中

「あなた!ちゃんとリーチ宣言はいたしまして!?」

「したっすよ?」

桃子のステルスは、前半戦に続き、後半戦でも発揮した。

東二局 親は清澄。ドラは一萬。
八巡目、竜は風越が切った①筒をカンした。そしてツモってきた④筒をツモ切りした。
新ドラは8索。

竜 手牌  ②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨⑨  カン ①①①①

竜はアガっていた。それも九蓮を。しかも、嶺上牌の④筒でも上がっており
その異常性に気づけたのは、モニターで観ていた者たちだけだった。竜の狙い、思惑は、誰にも分からなかった。

ステルス状態の桃子は、すでにリーチをかけていた。
暗刻の8索がそのままドラになり、竜の鳴きに感謝した。
そして次巡、桃子はツモ上がった。

4567888⑥⑦⑧中中中  ツモ 3 ドラ 一 新ドラ 8 裏ドラ 西 カン裏 8

裏ドラまで乗り、倍満の手になった。

東三局、桃子の親番がまわって来た。
この回も竜は鳴き、桃子はツモる。またも新ドラは桃子の味方をし、8000オール。またも倍満。
桃子はこの時、鳴くたびに閃光を放つ竜の鳴きは、自分の味方なのではないかと思った。
たった二回の出来事ではあったが、その男の放つミステリアス性も相まって、桃子は竜が勝利の女神に近い者ではないかとさえ錯覚した。
不思議なことに「不用意な鳴きが、ただ相手を有利にしただけ」という考えが、起きなかったのだ。

しかし、それは違ったのだ。
東三局一本場、六巡目に竜が鳴いて以降、風越、清澄、龍門渕はすべてツモ切り、一向聴地獄になった。
一方、桃子の牌は縦に重なっていき、最終的に四暗刻を聴牌した。しかし、上がれずに流局。

「て・・・聴牌・・・」

桃子は嫌な気配を感じた。聴牌したのは桃子だけであり、倒した牌を全員が、注目した。
ノーテンと言えばよかったのか、しかし、トップまではまだ点差があり、大事な親を流したくなかった。

東三局一本場終了時

清澄 137600
風越  52500
龍門渕 94000
鶴賀 115900


東三局二本場、龍門渕からリーチが入る。同巡、同じく聴牌していた桃子は龍門渕に対しての危険牌を掴んだ。

(もしこれが当たり牌でも、あなたは見逃すっす)

桃子は切った。己がステルスを信じて。
しかしそれはロン。8000の二本場だった。

「私の捨て牌が見える?みえないんじゃ…」

桃子はつぶやいた。

「何を言っていますの?見えるとか見えないとか、そんなオカルトありえませんわ?」

運さえ味方をしていると思い込んだ桃子にとっては、信じがたい事実だった。
次局桃子は、龍門渕に親満を振り込んだ。
一度は十一万まで増え、トップも狙えた点棒が、九万程に戻ってしまった。

「あンた…『過去』は捨てな・・・」

清澄は自分のために鳴いていたのではない、曝すために、鳴いていたのだ。桃子は、そう確信した。

(あ~。じゃあこの人たち全員とガチ麻雀っすか)

だが、桃子は落ち込みもしなかったし、やけになることもなかった。

(でも…それはそれで  いつもより楽しめそうっすね!)

「ツモ!メンピン一発ツモ。1300・2600は1400・2700っす!」

東四局一本場。桃子はリーチの声も、ツモの声も、動きも、吹っ切れたように明るいものとなった。
桃子は『麻雀』を楽しんでいた。

一方、風越の咲は暗かった。副将戦開始時、自信に満ち溢れていた彼女は見る影も無かった。


「あンた…麻雀は楽しいものじゃなかったのか?」


咲は何かを思い出したかのようにハッとした。そう、自分でも思っていたことだし、言っていたことだった。
なぜ、自分は今そうでないのだろう。彼女は考えた。ツモれないから?負けているから?思うようにいかないから?
分からない。明確な答えを、彼女は出すことは出来なかった。
次に自分は楽しんでる時、自分は『どう』だったのか、それに思いを巡らした。
家族麻雀の時、風越の合宿の時、自分はどうだったのか。

合宿の時、風越女子の殆どは浴衣を着崩さず、足袋ソックスもしっかり履き、練習に打ち込んでいた。
自分は、それは苦手だった。帯を緩くし、靴下は・・・

(あ・・・)

そして、思い出した。

「あの・・・脱いでもいいですか?」

咲は靴と靴下のことを指した。監視役に許可をとり、それらを脱いだ。
まるで、飛ぶような感覚。自分の麻雀には、それが『まず』あった。勝ち負けは、その後だ。

(うんっ  おんなじかんじだよ!)

ー東四局終了時ー

清澄  136200
風越   51100
龍門渕 111900
鶴賀  100800



南一局、親は咲。

「ツモ。700オールです」

役はツモのみ。
龍門渕と鶴賀は思った。血迷ったのか、と。連荘を考えるにしても、安すぎる。

「ツモ。嶺上開花500オールの一本場です」

南一局一本場。ポンした六萬を加カンしての嶺上開花。符点も上がらない安アガリ。

南一局二本場 ドラは一萬

五巡目 咲 手牌  233334⑥⑥⑧⑧⑧⑧三

次巡、竜が捨てた⑥筒をポンし、打三萬。龍門渕と鶴賀は、食いタンの早アガリ。親の連荘を狙っていると思った。
しかし、実際は聴牌に取らないわけの分からない打ち回し。
そして鶴賀、ドラの一萬をツモ。打四萬で聴牌。高め純チャンリャンペーコー清一ピンフ、数え役満の形。
清澄から直撃を奪いたかったためリーチはしなかった。

桃子 手牌  一一二二三三七七八八九九九

龍門渕は①筒をツモった。

透華 手配 二三四五六七八九西西西南南 ツモ ①

咲の鳴きがなければ、透華は上がっていた。
さらに次巡⑥筒をツモった咲はそれを

「カン」

2索をツモ。

「カン」

⑧筒を暗カン。2索をツモ。

「もいっこ、カン」

3索を暗カン、そして

「ツモ。嶺上開花、タンヤオ、トイトイ、三暗刻、三槓子。8000オールの二本場です」

2224  カン⑥⑥⑥⑥ 暗カン⑧⑧⑧⑧ 暗カン3333  ツモ4

2000点の手が倍満に化けた。
自分には一生にあるかないかの数え役満を流された鶴賀は、さすがに悔しさをあらわにし、小さく卓を叩いた。

三本場、十巡目。このままではまずいと判断した透華は、聴牌気配のある鶴賀に差込を試みた。
差込は成就し、3900の三本場を鶴賀に差出し、風越の連荘を止めた。
しかし、咲の勢いはまだ止まらなかった。
南二局、親は清澄。
六巡目に対面の鶴賀から①筒をポンした咲は、13巡目

「カン」
「もいっこ、カン」
「カン」

またも三連続、連槓。
上がった役は、清一、トイトイ、三暗刻、三槓子、赤1、嶺上開花の数え役満だった。
このアガリで、咲はトップに立った。

ー南二局終了時ー

清澄  110700
風越  111600
龍門渕  89600
鶴賀   88100


南三局 親、鶴賀。ドラは1索。
後半戦、これまで、アガリも振り込みもしなかった竜が動いた。
風越、咲の捨てた一萬をチー。打4索。光を放つ鳴きは、健在だった。

竜 手牌  ?????????? チー 一二三

「それでも、もう私は止まらないよ」

咲 手牌 三⑧⑧⑧⑨⑨⑨223北北北 

咲は笑った。
鶴賀の番、桃子の切った2索を咲はポンし、3索を切った。
竜はその3索をポンし、打④筒。また光った。

??????? チー 一二三 ポン 333

そして咲は、また笑った。

「それでも、これでおしまいだよ。カン!」

咲は手持ちの⑧筒を暗カン。

三⑨⑨⑨北北北 ポン 222 カン ⑧⑧⑧⑧ リンシャンツモ ⑨ 

「もいっこ、カン」

さらに⑨筒を暗カン。

三北北北 ポン 222 カン ⑧⑧⑧⑧ カン ⑨⑨⑨⑨ リンシャンツモ 2

咲はその2索をさらにカンした。

「これで・・・」

咲は嶺上開花でアガリ牌の三萬をツモれる確信があった。

「甘いな」

だが

「え?」

先に倒したのは、竜。

「ロンだ」

1113①②③  チー 一二三 ポン 333 ロン 2 ドラ 1

チャン槓三色ドラ3、満貫。トップの順位はまた入れ替わった。

「そ、そんな・・・・」

「あンたにひとつだけ教えてやる。『そこ』は誰のモノでもない」

そしてオーラス。親は龍門渕。ドラは③筒。
竜は哭いた。鶴賀から7索を。そしてドラの③筒を落とした。聴牌したのだろうか。新ドラは③筒。
竜は哭いた。龍門渕から8索を。また、③筒を落とした。ドラのトイツ落とし。新ドラはまた、③筒。
竜は哭いた。風越から9索を。そして、③筒を河へ。竜の狙いは何だ?新ドラは・・・③筒・・・。
桃子は堪えれなくなり、ドラをチーし、清一へ向かった。

(少しでも多く・・・少しでも多く、先輩へ・・・!)

桃子は心の中で叫んだ。咲も、透華も叫んだ。
清澄、哭くな・・・、と。

竜が哭く・・・。


「ひとつ哭けば、またひとつ・・・」


――――己がなおも 哭きたがる


①  暗カン 白白白白  カン 7777  カン 8888  カン 9999  

ツモ ①



「終わったな・・・」




ー副将戦終了ー

清澄  150700
風越   95600
龍門渕  73600
鶴賀   80100




 








[19486] #6 大将戦 その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2011/10/26 22:13
「そうですか…やはり…」

竜は透華に父親のことを話した。
透華の父は、裏では雨宮賢という偽名を持った、関西共武会の代打だった。
極道のいざこざにより、桜道会の代打ちの扱いを受けた竜と勝負し、敗北した。
透華の父は、最終局、竜が大明カンをした瞬間に、その時桜道会のトップだった、三上信也に射殺される。
「もう勝負は終わった、と」
その時アガった竜の役は、偶然なのか、竜が透華からアガったのと同じ『緑一色』だった。

「あンたの親父は、俺が殺したも同然。恨むなら恨みな…」

「…いいえ。お父様を殺したのは…『極道』ですわ…。
 それにあなたも…極道が憎い…ですわよね?わかりますわ……私も極道が、憎いのですから…」

少しの間、廊下に沈黙が流れた。

「あンたの親父から伝言を預かっている。
『衣を外に出してやってくれ。自由にしてやってくれ』…それだけだ…」

真実は、透華の父親が最期に『竜に』頼んだことだった。しかし竜は、その願いを透華に託した。
竜は振り返り、控え室へ戻ろうとした。

「あの、まってくださいまし!」

竜は足を止め、首だけ少し透華の方に向けた。
透華の息は、少し荒かった。

「あの・・・あの・・・お名前を、あなたのお名前を教えてくださいまし!」

「名簿に書いてある。それを見な」

「わたくしは、あなたから・・・あなたから聞きたいのです!」

「・・・・・・竜・・・」

「竜…竜さん!・・・もしよろしかったら、あの、あの・・・」

「とーーーーかーーーー!」

走ってきた国広が、透華に後ろから抱きついた。

「いくよ!もう決勝はじまっちゃうよ!・・・あ!もしかしてとーか・・・」

透華の竜を見つめる瞳を見て、国広は察した。

「だめだよ!とーかは渡さないから!」

国広は竜を睨みつけた。

「とーか!彼氏なんて作っちゃ駄目だよ!とーかにはボクがいるんだから。ほら、行くよ」

「か、彼氏なんて・・・そんなこと・・・ちょっと一(はじめ)!離してくださいまし!」

国広は透華の腕を引っ張り、控え室の方へ引きずっていった。
それを見た竜は、かすかに笑った。


ー鶴賀ー

「すみません、先輩。私、全然先輩のお役に立てませんでした・・・」

試合会場に向かう加冶木に対し、桃は言った。声は震えており、目には涙を溜めていた。

「気にするな桃…。私が取り返す。そして、勝ってみんなで全国だ」

「でも先輩・・・あの点差・・・取り返せるんですか・・・?私・・・私・・・」

「『圧倒的点差にあぐらをかいている清澄を私が撃つ』どこかおかしいか?」

「・・・そう・・・そうっすね・・・うん、そうっすよ!
 先輩なら、先輩ならできるっす!」

桃の声は、すこし張りを戻した。

「そうだ、じゃあ行ってくる」

「あの、先輩…」

「なんだ?」

「あの・・・清澄の人に言われたんすけど・・・『過去を捨てろ』って・・・
 あの人が私のこと知るわけはないんすけど、私の過去って
 つまりは誰にも注目されてなかったってことっすよね。
 けど、先輩に出会って、みんなとおしゃべりして、コミュニケーションって悪くないって思って」

「・・・それで?」

「あの・・・『ステルス』・・・やめて…いいすか…?
 けどそれじゃ、もう先輩のお役に立てない、って思ったら・・・けど・・・けど・・・」

「桃」

加冶木の声は、優しさに満ち溢れていた。

「私がお前を求めたのは、お前のそういう能力じゃない。
 純粋にお前の打ち方が好きだったから、お前が欲しかった。
 後半戦、消えるのをやめてからのお前はいきいきしてたぞ
 私は、そっちのお前の方が・・・好きだ」

「先輩…」

桃は目に涙を溜めていた。しかしその涙は、嬉しさの涙だった。



ー風越ー


「泣くなって咲・・・」

「でも・・・・でも・・・ヒック・・・」

池田は涙と鼻水でくしゃくしゃな顔になっている咲の頭を撫でていた。

「全国に行く前に、良い勉強になったと思うし。なにごとも、前向きに、だし」

「でも、華菜先輩・・・」

「あんな点差、倍満二回で吹っ飛ぶじゃないか。
 それに、先鋒戦のこと考えれば、全然今の状況、なんてことないし」

「う・・・う・・・」

「あー。先輩!あとよろしくです」

そばにいた福路に泣きじゃくる咲を任し、試合会場へ向かった。
歩を数歩進めた池田は、何かを思い出したかのように足を止めた。

「咲!」

「はい・・・?」

「麻雀・・・楽しめたか?」

「・・・・楽しめ・・・楽しめました・・・けど・・・けど…悔しかったです!」

「なら!その無念!あたしが晴らしてやるし!」

池田は右こぶしを天に突き上げ、咲に、そしてキャプテンの福路に、宣言した。

(華菜・・・・)

実力では、池田と咲では、圧倒的に咲の方が、上である。
福路が、咲を大将とせず、池田を大将としたのかにはそれなりの理由があった。
表向きの理由は、龍門渕の大将、天江衣のへの警戒のためである。
圧倒的得点力のある咲には、恐らく対等である衣と大将戦で戦わせ
龍門渕とは一か八かの勝負に持ち込ませるより、副将戦で他校を飛ばしてくれる方が
風越の勝利を確実に近いものにできる、という考えである。
もう一つの理由は、池田と衣の因縁である。
去年の団体戦。池田は衣に倍満を振り込み、風越の連続優勝記録をストップさせた、という汚名がある。
その汚名を池田自身に払拭させたかった。その願いからである。
しかし、現実は福路の希望に反するものになっていた。
福路の希望は、清澄の点数と自分たちの点数が逆の状況である。
故に、福路は半ばあきらめていた。そのことは、池田も理解しているだろう。
しかし池田は、それでも池田は咲に対し、自分に対し、勝利を宣言した。
福路はその姿を見て、泣いた。咲と共に、泣いた。



ー龍門渕ー


「とーかったら、他校の男子に色目つかうんだよ!」

「いーじゃねぇか、透華も恋する乙女だってことだ」

「こ、恋なんて・・・そんなつもりはわたくしありませんわ!」

「透華、初恋は他校の男子・・・」

「ともきまで!・・・・もう!」

「それにしても・・・大将戦だな・・・」

「ええ・・・しかし、衣は勝てるでしょうか。あの白髪に・・・」

「オレさ・・・今回は、衣は負けてもいいんじゃないかって思ってるんだ」

「え?」

「そりゃ、みんなでまた東京に行きたいとは思ってる。衣もそれを望んでると思う。
 けど、衣が『いまのまま』だったら、たぶん駄目なんだ。勝てないって意味じゃない。
 その、なんて言ったら良いかわからないけど、衣は、変った方が良いと思う
 そうなれば、衣もきっと新しい、幸せな毎日っていうか・・・あーわかんねぇや!」

「わかりますわ・・・純・・・」

「ボクも、そう思うよ・・・」

衣は、あの白髪と戦えば、変れるかもしれない。
そうなればもっと、もっと良い毎日を、みんなと過ごせるかもしれない。
龍門渕の四人は、そう思った。



ー清澄ー


竹井は、試合会場の少し前まで、アカギについて行った。
その廊下には、二人しかいなかった。

「お望みどおり、大将までまわしたわよ。ま『対等』な点数とはいえないかもだけど」

「いや『対等』ですよ。いや、寧ろこっちがやばいかも」

「そう?」

「部長・・・今俺たちにとって点棒はなんですか?」

「え・・・?」

竹井は数秒考えた、唐突な問題で、頭が回らなかった。
そして、アカギがその答えを言おうとした時

「あ、ちょっとまって。あと五秒、いや、三秒」

竹井は答えたかった。答えることで、アカギに少しでも近づきたかった。

「……目盛り、そう目盛りよ!私たちは、まだ勝ってないわ!」

「その通り」

竹井は『正解』を引き当て、満たされた気分になった。
その気持ちは自然と表情に出た。

「俺たちにとって、点棒は目盛り。つまりなんら価値のないもの
 勝利という結果の前では。だから、今の点差もあまり勝利には意味をなさない。
 寧ろ向こうはその点差を意識して、死に物狂いでこちらを殺りにくる。
 必死さってのは時に王、時に魔を撃つ」

「けど・・・勝つんでしょ?」

「負ける気はないですよ」

「いってらっしゃい」

アカギは言葉で返さず、背を向け、右手をそっと上げ、振った。
竹井はその姿を、しばらく見つめた。



ー決勝戦前半戦ー

龍門渕 天江(起家)  73600
清澄  アカギ    150700
鶴賀  加冶木     80100
風越  池田      95600


天江衣は失望していた。
透華たちの言ってた『衣を楽しませる』とかいう白髪から、何も感じなかったのだ。

(透華のうそつき)

自分と同じ、異能者、魔物の類だったのは、すれ違った風越の副将だけだった。
この会場には、自分と、あの短髪しか、異能は感じなかった。

(こいつは、これまで衣が壊してきた玩具となんら変りはないではないか
 やはり衣は、一人のままなのだろうか)

「そうかな?」

「え・・・?」

「お前が思うほど、ヒトは生易しいものじゃないってこと」

アカギの唐突な発言に、加冶木と池田は困惑した。『こいつは何を言っている?』


(まぁ見てな・・・凍りつかせてやる)


その夜は、満月だった。







[19486] #7 大将戦 その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2012/09/16 03:17
大将戦 東一局 親 衣 ドラ9索

衣(東家)     73600   
アカギ(南家)   150700 
加治木(西家)   80100
池田(北家)    95600



南家、清澄のリーチに、会場は固まった。次に現れた現象は、怒りと呆れに分かれた。
 
清澄のリーチは西家、鶴賀のリーチに対する追っかけという形で行われた。
鶴賀の加冶木は赤二つの567三色、タンピンが付き、ダマで12000だった。

三四五六七[5]67[⑤]⑥⑦⑧⑧  ([]内は赤)

待ちは、二、五、八萬。ダマで確実に上がっておきたい手でもあったが、この手は4巡で張ったものである。
捨て牌は、北、①筒、発、7索、全て手出し。ツモれる流れを感じ、自信もあった。
他家が降りるならそれでもいいし、勝負してくれるなら尚よい。
清澄の追っかけリーチ後も、その勝負に勝つ自信はあった。しかし

「カン」

自信も勝気も、状況一つでひっくり返ることは、よくある話である。
清澄のアカギはドラの9索を暗カン。新ドラは9索となり、その状況は、加治木に若干の後悔を与えた。

(これが、『竜』…ね)

アカギが嶺上牌を手にした瞬間、加治木はツモられる感覚がした。
副将戦、竜に見せ付けられたイメージが、そうさせたのかもしれない。
だが、アカギはその牌を視た後、表情一つ変えず、それをそっと河に置いた。赤五萬。加治木のアタリ牌である。

「何をしている?清澄。アガリであろう」

「ああ。私も感じたぞ。アガリじゃないのか」

「え…何言ってるの君たち…そんな都合よく…」

二人とは違う意見を言ったものの、さすがの池田もアカギがツモるイメージを思い浮かべた。
竜が嶺上開花であがった回数は三回。常識的に考えれば多いが、実は風越の咲があがった回数よりかは少ない。
にも関わらず、池田さえ感じたのだ。竜が他者へ植え付けたものは、それほど大きかったのだ。

「どうもこうも無い。俺は五萬を河へ置いた。それ以外の事実がどこにある」

加治木の眼は鋭さを増し、アカギを睨みつけた。アカギのそのニヒルな返答から、あがっているとしか、思えなかった。
彼女の怒りは声にも、若干の動作にも表れた。発声も、倒した牌の僅かな乱れも、その静かな怒りの表れだった。

裏ドラ、カン裏が開かれた。その両方も、8索つまりドラは9索だった。

(ドラ16だと?ということは奴は、数え役満を棒にふったのか?)

怒りと共に、驚愕が加治木の心理に現れた。しかし、加治木はこう強く思えた。
奴は本当にあぐらをかいている、驕っている、勝てる、と。

一方、龍門渕の衣に表れたのは疑問と違和感だった。異能者でも、魔でも邪でもない者に何故あのような現象が訪れるのか。
明らかに偶然ではなく、必然と思わざるを得ないあのような現象は、あのようなただの人間に成せるものではないのだ。
衣は、足の爪先の方からなにか冷たいものがゆっくりと、這って上がってくる様な、そんな感覚がした。

 
東二局。ドラは南。8巡目のこと。アカギは七萬を暗カンをした。今度は新ドラの方だけ乗った。直後アカギはリーチ。親リーである。
同巡、加治木も張る。役牌、かつドラである南を抱えて聴牌。三暗刻も加え、またダマで12000の手。

一一一二三四444南南南北

アカギの現物、北の単騎で待ち、先ほどのこともあり、今度はリーチを自重した。
そして三巡後、ツモったもは加治木。アカギは親かぶりを受け、二位の加治木との点差は、役一万ほどとなった。


衣    70600
アカギ 126700
加治木 110100
池田   92600


「部…部長…。アカギの奴…いったい何をやってるんすか?」
 
清澄高校の控え室、京太郎のみ、アカギの意味不明の行為が理解できなかった。

「だぶん、アカギ君ならこう答えるかもね。これは魔を撃つ伏線、土台ってね…」

「俺には意味が分かりません…。か…勝つ気…あいつ勝つ気あるんですか?」

「勝つ気よ…。つまりそれ程、龍門渕の大将は、何かを持ってるってこと。そうよね竜君、傀君?」

彼らは言葉では返さなかったが、傀は微笑で、竜はサングラスに手を当てることで返した。


アカギのリーチに役など無かった。アカギの手は、バラバラだったのだから。


(人の身で有りながらのあれ程の流れ、然し二度もあがらないとは…)

「不愉快だ…」

衣は苛立ちを声にした。

「一度は、人の身でありながら、衣を楽しませるのではないかと思っていたが、
 いつまでもそうしているなら…そろそろ御戸開きといこうか」

殺気も交えたであろう声と視線を送った衣であったが、やはり、その時も微かな疑問と違和感を感じた。
アカギは、微動だにしないのだ。己が殺意に近い感情を、声にも視線にもし、視える形にしているにも関わらず。


東三局、衣の支配が始まった。アカギ、加治木、池田の手は14巡、15巡と動かず、一向聴のままだった。
16巡目に加治木はアカギから鳴きを入れ聴牌する。しかし17巡目、衣からリーチが入る。
そして衣は、ファイナルドローにおける役『海底撈月』を他家に見せ付けた。平和、純チャンも絡む倍満手となった。
衣の支配は、東四局になり強さを増した。衣以外の三人は、鳴くことも、国士以外では聴牌することも出来ないツモだった。
衣の二連続『海底撈月』は、池田にはかつての恐怖を、加治木には新しい恐怖を認識させるのに、十分であった。
ドラ、裏ドラ含めて6つのドラを載せた『海底撈月』はまたも倍満になり、最下位だった。衣は、早くも二着に浮上した。


なのに何故、清澄の男だけは動じないのだ。
『これ』を普通の麻雀としているような、まるでノーレートで打っているかのような、平然とした態度。
鶴賀や風越に見られる、絶望感など、微塵も感じられない。何故だ。


衣の爪先から進入した『なにか冷たいもの』は、脛の辺りまで来ていた。


衣   102600
アカギ 118700
加治木  98100
池田   80600








[19486] #8 大将戦 その3
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2011/10/26 22:13
(凄まじいな…『竜』って奴は)

東三、東四と引き続き、南一局も場は衣の支配下だった。
しかし、アカギは十三巡目に暗カンし、聴牌。打③筒。

123①②③⑤中中中  暗カン 4444

ドラ、新ドラこそ乗らなかったものの、聴牌することが困難である衣の支配下の中で、
その影響を受けない『竜』に、アカギはあらためて感服した。

アカギが今行っている事、それは『建設』である。
要塞、それも幻想の要塞を…。
後に来るであろう魔の大群、それに耐え、そして撃つための要塞。
傀が植え付けたイメージ、竜の強運、それらを使い、場に新たに自分のイメージを造り出す。

(嶺上開花からの手出し…張ったか?)

現に加治木は、今、場を支配している衣より、アカギを意識していた。
嶺上牌が有効牌、そのイメージが、加治木にアカギの聴牌を予感させた。
また、加治木は東三、東四と続いた衣の支配、衣が海底を引きあがることを、偶然と思わなかった。

(今トップのこいつに差し込むのは・・・だが・・・)

加治木は衣の支配が必然であると考え、故に親である衣の連荘は阻止しなくてはと判断した。
また、驕っている清澄ならいつでも抜かせる、その考えは加治木に差込を選択させた。

打⑤筒。加治木の差込は成功した。中のみ(60符)2000。

(雰囲気は漂わせたつもりだったが、こうも綺麗に一点読みができるもんかね)

アカギは、加治木の判断と、一点読みの感性に感心した。

南二局。加治木はこれまでの傾向から、普通に手を進めれば、一向聴地獄の袋小路になると考えた。

二三六七②②③⑨⑨1677西

この配牌より打③筒スタート。
そのセオリー外の打牌と加治木の感性は、七巡で七対子を聴牌させた。

三三②②⑨⑨1177北北西

そしてリーチ。衣の支配は、抗えるものであるということを場に示したかった。
アカギや衣に、見せ付けたかった。

(へぇ・・・)

『海が引いてる』とはいえ、その鋭い感性に、アカギはまたも感心した。

同巡、池田は一発を掴まされた。

二三三八八⑦⑦⑧⑧⑨234西

一向聴を捨て切れなかった彼女は、加治木に振り込んだ。
一発七対子、裏ドラが付き跳満。池田の点棒は約七万、トップのアカギとの差は五万となった。

そして南三局、池田はまたも振り込む。
今度は衣に跳満。差はさらに広がった。
足は震え、手も震え、今にも逃げ出したい。
咲には「前向きに」と言っても、自分は前向きになれない。
キャプテンには「楽しんで」と言われても、自分は楽しめない。
80人の青春を背負った大将戦は池田にはあまりにも重かった。

南三局、アガることの出来た衣であったが、その心境は、不安の混じるものとなっていた。
南二局と違い『海が引いている』わけでも無かった南一局に、何故アカギは聴牌することができたのだ。
この疑問が、衣の頭を過ぎった時、同時にこうも思った。
やはり奴は、人外なのではないか、と。それも自分の感じれぬ、次元の違う何かではないか、と。
その不安が南三局、アガリを『急がせた』のではないか。
実際、南三局は、衣は海底であがることが出来た。支配が十分だったからだ。
しかし、アカギは絶対の支配下であったはずの南一で聴牌した。
だから、『慌ててしまった』のではないか。
衣はこの考えをすぐさま否定をした。
自分の麻雀は海底だけではない。点数の殆どは、直撃を狙ったものだ。
自分の海底撈月を恐れ、飛び込んできたものを狩る。それが、天江衣の麻雀。
今回も、それが成功したに過ぎない。逃げたわけではないのだ。衣はそう信じた。

(然し・・・然し・・・)

アカギは聴牌をした。この事実は、消せないものであった。

南四局、加治木は気づく。
自分がアガれた南二局は『海が引いていた』ことに。
今度は対子もかぶらず、七対子にも向えない。自分は抗えていたわけではなかった。

だが、アカギは明らかに抗っていた。
四人の中で唯一、捨て牌に1、9字牌が存在しない。
さらに、4、5、2、3といったターツも捨て、赤も捨て、明らかに国士を臭わせるものだった。
そして十五巡目…。

「間にあった…」

アカギ、リーチ。

(ばかな!国士にしてもリーチだと?何の為に?)

加治木にも池田にもそのリーチの意味が理解できなかった。

(は・・・張った・・・ということか・・・)

衣の絶対なる支配の中、アカギは張った。その事実がリーチ。
衣にはリーチがその事実を示しているようにしか思えなかった。
十七巡目、衣は四枚目の白を掴まされる。

一二三六六56678④⑤⑥白

海底は自分。その牌は4索。アガリ牌。しかしこの白は、国士の、アタリ牌かもしれない。
衣が、自分の支配を信じることが出来れば、この白はあっさり切ることが出来ただろう。相手が聴牌などするわけが無いのだ。
しかし、アカギは、唯一アカギはあの南一局のようにその支配を上回るかもしれない。
それに、アカギは二連続、カンドラやカン裏を乗せる運も持っていた。ありえる…。
そう、衣は、『微かに』思ってしまった。
衣は点数を見た。自分は114600。相手は120700。
ここで役満に打ち込んでしまえば、82600と152700。
しかもそれはアカギが自分の支配を上回ったことの証明にもなる。
それも加えると、逆転は難しい。
そう、衣は思ってしまった。

衣、打六萬。降りる。
そして、流局。

「ククク…降りたな…天江衣…。もっと自分に自信を持てよ…」

「ま、まさか貴様…張ってないのか?」

「いや・・・自信を持ってくれれば、それを獲れた。まぁ今回は、その選択が正解だったってこと…」

一九19①⑨東南西北中発発

アカギは『その』白で待っていた。


『得体の知れない何か』は、もう衣の、腰のあたりまで来ていた。


ー前半戦終了ー

衣   113600
アカギ 122700
加治木 107100
池田   55600

供託は後半戦持ち越し









[19486] #9 大将戦-休憩-
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2011/10/26 22:14
 
 
 
―風越―


「華菜…来てしまったわ…」


休憩時間、一人卓に突っ伏している池田の傍に福路は来ていた。
福路は、池田から休憩時間には来ないようにと言われていた。
勝っていた場合は調子に乗り、負けていたら落ち込んでしまう、という理由だ。
しかし、福路は来ずにはいられなかった。
池田が心配でというのもあるが、具体的助言があったからでもある。

「華菜…」

「なんですか・・・キャプテン…」

「清澄の大将…どう思う?」

「え…?・・・」

予想外の質問に、池田は少し戸惑ったが、その質問に答えた。
池田は東一、東二局の連続カンドラ乗りリーチのこと、
衣の支配を逃れた南一、国士の南四の出来事を語った。
特に、東一のドラ16乗りに関しては異常だったことを福路に伝えた。

「たしかに、カンドラ乗りや、国士はすごかったけど、
 華菜が思っているほど、清澄の大将はすごくないわ…」

福路は、東一、東二の『真実』を池田に教えた。




―鶴賀―


試合会場から出た廊下を少し進むと階段がある。
その側にある休憩椅子で加治木は休んでいた。

「先輩。どうぞ」

加治木から見て、突如現れた桃は、加治木に買ってきたミネラルウォーターを渡した。

「ありがとう。桃…」

「先輩…勝ってください」

「ああ・・・勝つさ」

「先輩・・・あんなのに負けないでください・・・」

「あんなの?…とは、何だ?…清澄の大将か?
 負けないさ、驕っているトップなどいつだって抜かしてやる」

「違うんっす…驕っている、なんてものじゃないっす…
 東一、東二の清澄は先輩達から見逃しと指摘されったっすが…あれは見逃しじゃなかったんっす」

「リーチ後に、見逃しじゃない・・・。ノーテン…ノーテンでリーチしたということか…」

「そうっす…つまりはリーチという脅しで、先輩達を止めていたに過ぎない『ふざけた』奴なんっす」

「確かに・・・ふざけた奴だな。それをこの県大会決勝でやるなんてな・・・」

加治木はあらためて桃に勝利を約束し、会場へ向った。



―清澄―


「アカギ君が欲しいのってこれ?」

アカギが向った自販機前には、既に竹井が居り、栄養ドリンクらしきものをアカギに渡した。

「そういうのじゃないですけど、まぁ、ありがとうございます。それにしても懐かしいなこれ」

「アカギ君の東一、東二のノーテンリーチ、モニター越しじゃバレバレよ?
 もう他校の人たちはそれぞれの大将に伝えてるだろうし、後半戦からは、通用しないんじゃない?」

「ククク…無意味なこと…」

「どういうこと?」

アカギの『答え』を聞きたい竹井は、機嫌よさげな調子で、その言葉を返した。

「部長はもうわかってるんでしょ?…ククク…」

「まあね…フフフ…」

アカギは竹井から渡されたドリンクを一口したあと、言った。

「やはり『そんなことより』気を付けるべきは天江衣…」

「前半戦の印象じゃ、そろそろ『効いてくる』ころだと思うけど」

「俺は天江衣の祖父と、一度勝負したことがあります」

「鷲巣…鷲巣巌ね…」

「ええ…俺は幾度と無くアイツを追い詰めました。絶望を何度も見せました。
 だが、アイツはその度に、何度も何度も立ち上がり、復活。
 逆に俺を追い詰めもした。アイツの豪運が、アイツに敗北を許さなかったかのような、
 そんな『何か大きなものに愛された』奴でした。
 天江衣はその血を引いている。東三から始まった『支配』は、その片鱗に過ぎないであると同時に、
 アイツが鷲巣の血を引いてる証明でもある。
 なら・・・追い詰めたら追い詰めるほど『あの血』は天江衣に、敗北を許さない。
 『若い頃』のアイツがもしかしたら見れるかもしれない。
 俺はそれを見たくて、大将戦を希望したんです」

「『それでさ』アカギ君は、鷲巣に勝ったの?」

「さぁね・・・」

「・・・・・・『でも』…負けは許さないわよ。
 傀君や竜君、まこ、出れなかった須賀君、そして、私の青春をアカギ君は今背負ってるんだからね。
 特に私は三年、来年は無いの。重いわよ?
 まぁ、傀君を使って、たくさんの子の青春を踏みにじった私に言えた台詞じゃないけど…ね…。
 それでも…それでも…行けるとこまで行きたい…」

アカギは何かを言おうとした。だが竹井はそれを防ぐように続けた。

「でも、でもよ?…アカギ君がアカギ君の麻雀を打つ事が前提だし、アカギ君の青春でもあるから
 ・・・ね!」

「負けねぇよ」

「アカギ君・・・」

「本来、俺や傀、竜にとって、こんな、こんなあたり前で、そして貴重な青春とやらは、程遠いものだった。
 欲しいとは思ったことは無かったが、いざこうなってみると、悪くねぇ、そんなものです。
 部長はそれを作ってくれた。だから…勝つ・・・ということです」

言い終えたアカギは、会場へ向った。

「なら・・・もう一度・・・『いってらっしゃい』・・・」

竹井は、アカギの背中に、聴こえないようにそっと、囁いた。



―龍門渕―

「あー!もう衣はどこですの?衣は!」

「とーか、こっちにもいないよ。自販機前も、屋上もいない」

龍門渕の四人は、衣を探していた。目的は当然、アカギのノーテンリーチを教える為である。
しかし、どこを探してもいない。もしかして逃げたのか、と彼女たちの頭を過ぎったが、
すぐさまその考えは殺した。
執事のハギヨシも探したが、それでも見つからなかった。
最終的に、鉢合わせた透華と一は試合会場の扉の前で待ち伏せることにした。
しかし、来ない。残り一分、三十秒、来ない。そして…。

「最終戦、後半戦開始です」

突然、アナウンスが入った。まだ衣が来ていないのに、彼女達はそう思い、振り返り卓の方を見ると、
そこには衣が既に座っていた。
入る為にはその扉しかないにも関わらず、衣は中に入っていた。
彼女達は、衣とすれ違ったことに、気づかなかった。
座っている衣を見た彼女達は、納得した。
あの衣は『いままで見たことの無かった衣』だった。
自信に満ち溢れていた、他者に恐怖を植え付けるあの圧倒的な衣は、どこにもいなかった。
あそこに座っていたのは、小学生低学年にも間違われかねない、幼い、幼い娘だった。











[19486] #10 大将戦 その4
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2011/10/26 22:14
ー後半戦東一局ー

池田(東家・起家)  55600
衣(南家)     113600
アカギ(西家)   122700
加治木(北家)   107100

供託 一本



三巡目、四巡目と衣はドラでもある自風の南と、白を鳴いた。
早い段階で満貫確定の条件が揃っており、その状況だけなら好調にみえる。
しかし、何かに脅えているようなその表情からは、何かから逃げているようであった。
そもそも、支配が十分であるなら、南家である衣は、自分から動く必要などないのだ。

「リーチ…」

「ひっ…」

六巡目その『何か』は、背後からそっと衣の肩を叩いた。
衣は声を出さずにはいられなかった。

アカギ 捨て牌 ④⑥⑧②九南

同巡、池田の番がまわってきた。掴んだのは三萬。

三四五六④⑤⑥56888西西

三萬か六萬を切ればテンパイ維持。
去年を含めこれまで、衣の支配を受け続けた池田側からすれば、奇跡ともいえるテンパイである。
しかし、衣は満貫確定、アカギはリーチ。特にリーチの一発目にこの牌は切れるだろうか。
池田は福路から教えられた『アカギのリーチ』を意識した。
福路はほぼ完璧に近い形でアカギのノーテンリーチ、その真実を池田に教えた。
カンドラが乗ったことや嶺上開花でアガられるイメージは、あくまで副将の竜が造りだしたものであるということ。
あの二局がノーテンリーチだからと言って、次の局のリーチがノーテンとは限らないこと。
アカギのリーチは『本当のリーチ』として、いつも通り落ち着いて対処すべきだということ。
つまり、ここで、池田がすべきだったことは、降りることだったのかもしれない。
龍門渕と鶴賀に一枚ずつ切れている西を落として回すのも一つの道だったのかもしれない。

福路が計算に入れていなかったことは、池田の状況における心理である。
トップとはあと約七万差、残り二回しかない親番、奇跡といえるテンパイ、そして、天江衣の存在。
本来、そのことも含めてケアすべきであった。普段の福路なら当然していたことである。
つまり、福路も何かに乱されていたのかもしれない。

(残り二回の親、その内の一回、捨てたくない。天江はテンパイしてないかもだし、
 清澄はもしかしたらまたノーテンでリーチかもだし、早い巡目だし、トップ目が染め手の捨て牌でリーチは不自然。ありえるし…
 いける・・・いけるんだ!)

そして、打三萬。池田の焦燥感は、テンパイ維持の結論に至った。

「ロン」

その声は二つ、衣と、アカギのものだ。頭ハネで点棒は衣のもとへ向かった。

四[五]①②③99 ポン 南南南 ポン 白白白 ロン 三  ドラ 南 赤1の12000

(そ・・・・そんな・・・なんで!?)

衣に対してではなく、アカギ、アカギの手牌に、池田は驚愕した。

二二二三四五六七七七九九九

(三、六、一、四、七、二、五、八萬!?)

事実上、全ての萬子が当たり牌だった。
また、牌を自動卓に戻す際に、池田は『その』裏ドラの表示牌を見てしまった。
それは八萬だった。つまり九萬がドラ。
一発も加わっているので数え役満の形。衣の頭ハネがなければ32000の振り込みということになる。

(跳満振り込んだのに『助かった』って。どうかしてるし…この麻雀…)

(本当に『ふざけた奴』だ…)

同巡、加治木は萬子を止めていた。
テンパイまでは遠い形ではあったが、索子の染め手であったため、萬子はいずれは切られる牌であった。
さらに言えば、彼女はテンパイしていたとしても、現物しか切らなかっただろう。
それはやはり、アカギのリーチを警戒してのためだ。
過去にノーテンリーチをしたからといって、今回ノーテンでリーチをするとは限らない。
ノーテンかも、と思って攻めてしまうと、そこを撃たれるかもしれない。
めちゃくちゃな捨て牌でも、早い巡目でも、そのリーチは本物かもしれない。
現にアカギは、前半戦オーラス、国士をテンパイしているのだ。
今回は助かったことになるが、加治木はアカギのリーチに止められたのだ。

高校生の発想じゃない。
大人でもやらない、デメリットの方が多いことを、なぜ『この場所』で出来るのか。
だれもアガらなければ罰符、自分が振り込む可能性もある。それで買えるものといえば、相手の手を止める『かも』というレベルだ。
利点など無いに等しい。
しかし、現実に起きたことは、風越の判断を狂わせ、鶴賀の足を止め、衣に見てとれる恐怖を植え付けている。

そして衣は、アカギの手を見てとうとう、全身が冷たくなる感覚に襲われた。

『何か』に、包まれた。

衣は親である東二局、続く東三局、アカギに振り込んだ。
東二はチャンタドラ1、東三はタンヤオドラ1。
二局とも二翻程度の比較的安めではあったが、もう衣には聴牌気配すらも感じ取ることが出来なかった。
なぜ聴牌出来るのか、アガれるのか、自分に聴牌の気配を感じることが出来ないのか、などの疑問について、
衣は思考することが出来なかった。

それとは逆に、加治木は冷静に分析を試みた。
なぜアカギは『ある筈の』衣の支配を抜けることが出来るのか。
東二のアカギの手はチャンタ。
ヤオチュウ牌からのチーからスタートした手でもあるため、
前半戦の南二に自分がしたような『抗う』に近い行為が、衣の支配を脱する理由になったのではないか。
だが、東三はタンヤオ。食いタンの形であり、平凡な両面待ちで『よく見る形』。抗っているようには見えない。
そもそも、支配下の中では鳴くことすら困難だった筈である。
そこから加治木は、衣の支配は弱まっているのではないか、という推測を立てた。

そして、その推測は正しいと言いたいかのように、東三局一本場、加治木に聴牌が入る。

三四五六七56799 ポン 発発発

6巡で出来た形であり、役牌の発を鳴くことも出来た。
しかし次巡、親リーが入る。アカギのリーチである。
同巡加治木がツモった牌は中。二枚切れではあったが、アカギの現物というわけではなかった。
加治木は現物の9索を切り、降りた。
かなり弱気の打牌ではあるが、東一のアカギの手は、加治木に振込みのイメージを植え付けるのに十分であった。

さらに同巡、衣の番が来た。衣の手牌には安牌が存在しなかった。

一三八九②⑤18西北白白白中

もはやアカギの現物しか切れなくなっていた衣の手はボロボロだった。
現物の無くなった衣は、暗刻の白に手をつけた。一枚通れば三巡、その未来に賭けた。
『当然のように』未来など無かった。

五五九九[⑤]⑤1133北北白

一発、赤が付き親満の一本場。
さらに連荘。二本場。アカギは加速する。
たったの二巡、電光石火のリーチ。
ここまで来ると池田も確信せざるを得なかった。もはや衣の支配など無い。
寧ろ衣は、支配されている側に見えた。点数では自分よりはるかに上をいってはいるが、
この場の不幸を全て背負込んでいるかのような表情を見るに、今負けているのは誰なのか。
池田の感覚は麻痺しかけていた。

衣はとうとう目を瞑った。目を瞑った状態で、牌を選び、切り飛ばした。

「ククク…残念…ロン…メンタンピン一発…三色イーペーコー…裏一…倍満」

三三四四五五④⑤⑥⑥345  ロン ③  ドラ 九  裏ドラ 4

流れがあるとするなら、もはや止めようの無いものが、アカギにはある。
そうとしか思えない、そんなアガリを三人は見た。

(闇の…現…)

衣が見せようとしていたそれは、自分に見せられることになっていた。
何もかもが、吸い込まれるようにアカギのアタリ牌。そして、アカギは闇そのものだった。

潮の高さは月の陰りによって変化する。
それは重力が関わっているからだ。潮の高さは重力の奴隷に過ぎない。
衣の『支配』も、それに左右されるとすれば、衣もまた重力の奴隷に過ぎない。
そして、今衣と相対している者は、その重力の権化、ブラックホール。
勝てるわけが無い。
今、衣にとってアカギは神、神域の男だった。

後半戦、アカギは二つのルートを考えていた。
一つは、衣が前半戦の自分のノーテンリーチを仲間から教えてもらっている場合だ。
普通に考えれば、こちらになる可能性が高い。
100%ではないが、あのノーテンリーチは、何割かは衣に恐怖を植え付ける要因になっていた。
もし仲間から、その『ふざけた』戦法の事実を教えられれば、衣は『幾つかの疑惑を抱えたままではあるが』一度は自信を取り戻すだろう。
支配も再開されるだろう。
そこでアカギのする対処は、その支配の性質を利用した、国士による攻撃である。
衣の支配は、その支配が強力であればあるほど、国士を聴牌しやすい、という性質がある。弱点といっても良い。
つまり、前半戦南四における国士の聴牌は、アカギがその性質を見抜いた故に起きた結果ということになる。
後半戦、アカギが再度国士を聴牌すれば、衣は再度恐怖、そして混乱する。
その混乱の間に半荘は終わり、アカギは勝ち、清澄は優勝するだろう。

しかし現実は、もう一つのルートを、アカギに進ませた。
衣が仲間から何も教えられていない場合だ。
衣は今、アカギの全てを恐れている。
故にアカギのすることは、衣の恐怖をさらに増大させ、追い込むことである。
つまり、狙い撃ちによる心を削り取る麻雀。アカギの最も得意であろう分野によってだ。
仲間である透華達は衣に伝えようとしていたし、実際は衣は孤独ではないのだが、
衣の孤独の『血』は『敗北を許さない』ためか、アカギにこのルートを進ませた。
そしてこの道は、アカギの望んだ道だった。
まず間違いなく『奴』は現れるのだ。現れたのなら、まず間違いなく苦戦するであろう『奴』だ。
もしかしたら『何一つ出来ないかもしれない』。
その予感は、有った。


―東三局二本場終了時―

池田   43600
衣    85800
アカギ 163500
加治木 107100



三本場、アカギの更なる連荘。
東二から東三の二本場にかけて、早い巡目でリーチ、もしくはアガる印象を他に植え付けたアカギであったが、この局は比較的静かだった。
そもそも毎局毎局、速攻であがり続けることなど、そうは無いし、通常の対局でも無いはずの無いことではあるが。

(この局…行けるか…?しかし・・・いや、変えなくては…)

十四巡を過ぎても、アカギから鳴きの発声もなければ、リーチも無かった。聴牌の気配も感じられなかった。
聴牌した加治木は先制リーチをかけた。

加治木 二二三四四六六七七八⑧⑧4 ツモ 八萬 打 4索 間三萬待ち タンヤオリャンペーコーの形。ドラ ⑧筒

振込みを恐れ続けた、加治木のリーチ。利点のあまり無いリーチ。
待ちである三萬は、アカギの河に一枚あるので、残り二枚。ツモれる確立も少ない。
そのことは承知しているし、リスクも覚悟していた。
『変えなくては』という想いが、加治木に勝負をさせた。

『だが』アカギはその4索をポンした。
加治木は『当然のように』アガリ牌をツモれなかった。
鳴きが鳴ければその三萬は衣がツモっていた。
アカギの現物を真っ先に切る状態になっている衣なら、まずその三萬は切っていただろう。
だが『当然のように』その三萬は池田へ流れた。
そして衣の番。衣は安牌がなかったので、加治木が切っており、アカギがポンした4索を捨てた。

「これで五連続だな。天江衣・・・ロン・・・」

その、その4索がアタリだった。

八八②③④⑤⑥⑦23 ポン444 ロン 4 

またも、狙い撃ち。
そして衣を『支えていた何か』が崩壊した。

「あああああ!!!」

衣は卓に突っ伏した。その際牌山は派手に崩れ、いくつかの牌は卓の下に落ちた。
数秒、場の空気は固まった。会場も一旦静まり返り、そしてざわつき始めた。
アレが、かつての県大会覇者、天江衣なのか。まるで、別人を見ているようだった。

衣は震えたまま、顔を起そうとしなかった。
監視役が試合続行の催促をしようと、衣の傍へ歩み寄ろうとしたその時、会場の照明が全て、フッと消えた。
真っ暗になった瞬間、衣は顔を上げた。驚いたためである。
何が起こったのか、衣『も』そう思ったのである。

(来たか…)

暗闇の中、一人アカギは、静かに微笑んだ。
衣には自覚が有る様には見えない。しかし、間違いなく『あの血』は目覚めたのだと、確信した。


照明が復旧し、東三局、四本場。ドラは中。アカギの親は続く。

一三三七九2589南西白中

アカギの『予感』した局ではあるが、衣の配牌は比較的良いとは言えないものだった。
しかし『逃げる』衣にとっては、良い配牌であった。
衣のツモも含め、アカギの現物が多かったからである。
この局は、逃げれるかもしれない、そう衣は思った。
しかし、この局、確かに衣はアカギの現物を切りつつ逃げていたものの、
その手牌は、思いもしない方向へ向うことになる。

①東東南南南西西西北北北中

16巡で、この形になった。
場も、風牌が一枚も切れておらず、異様さを漂わせていた。

17巡目、アカギからリーチが入る。
捨て牌は、索子の染め手を臭わせるものだった。
真実を先に述べるなら、ここでアカギがリーチをしていなかったら、アガっていたのは加治木である。
14巡目、加治木はアカギからドラの中をポンしており、聴牌。

二三四[⑤]⑤⑤6788 ポン 中中中

だが、アカギのリーチ後にツモってきた牌は②筒、アカギには通ってない牌である。
風越が二枚切っているため、地獄待ちではあるが、アカギならこっそり持っているかもしれない。そういう牌。
ましてや『あの』アカギのリーチ。加治木は向えるはずもない。現物の二萬を切り降りる。
が、次巡のツモは8索。アガっていたのである。
アカギのリーチの目的はこの『ただ、一点のみ』である。
このことが、最終的に衣への『譲歩』になるからだ。
付け加えるなら、このときアカギは聴牌はしておらず、ノーテンでのリーチだった。

同巡、衣は東をツモり、中を切り聴牌。
①筒を切らなかったのは、アカギが捨てた牌ではないこともあるが、
まだ残っていた感覚が、海底の牌が①筒だということを告げていたためである。
海底は風越の池田。

(このまま、何も起きなければ、風越があの①筒をツモる。そして…ん、なんだ?)

海底をツモる池田の手牌の方に目を向けたとき、衣は自分の異変に気付いた。
これまでには無かった感覚である。
透けて視えるように、池田の手牌に①筒があることが、分かった。
他の牌は視えないが、①筒だけは視えた。海底の牌が分かるように。
それだけではない。もうひとつの、つまり最後の①筒が、王牌の、嶺上牌にも視えた。

(なんだ、この感覚は。こんなの…衣は知らない…知らないぞ!)

18巡目、アカギが河へ置いた牌は東、生牌の東。

(さあ、ここが『分かれ目』だぜ、天江衣…)

そう。衣も感じていた。
ここが大きな分かれ道だということを。
何もしなければ、加治木は降り、池田は①筒を握りつぶす。

(この感覚を、信じろと言うのか…)

感覚が正しいなら、ここで東を鳴けば、アガれる。
だが、未知なるものに、自分を委ねることができるのか。
これまで、自分の支配の及ばなかった、王牌。そこに委ねることが。
しかし衣は―――

(然し・・・・然し然し然し然し・・・然し・・・!)

加治木が山に手を伸ばそうとしたその時である。

「ま・・・・待て!」

―――衣は、生まれ変わりたかった。

「か・・・・・カン・・・・」



①南南南西西西北北北 カン 東東東東 ツモ ①


(これは・・・この感覚は・・・衣じゃない・・・誰・・・もしや・・・)


衣は、祖父のことを思い出した。


王であった、祖父。



―東三局四本場終了時―

池田   43600
衣   117600
アカギ 132700
加治木 106100








[19486] #11 大将戦 その5
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2011/10/26 22:14
現実世界にも言えることかもしれないが、麻雀は非情だ。残酷だ。
はなから勝つ者と負ける者が決められているようだ、ということを時たま思う。
運命なんて信じてる乙女ではないほうだが、時たま信じる。
けど、今みたいに負けがこんでいる時は必ずと言っていいほど、思うし、信じる。

今日だけで、役満を何度見ただろう。先鋒戦から数えると十回位だろうか二十回位だろうか。
常識的感覚はとっくに麻痺している。夢のようだ。悪い夢のようだ。覚めるなら、早く覚めてほしい。
東ラスにまた役満を見た。
酷い現実だ。
酷いというのは天江のツモアガった清老頭のことではない。
15巡、天江が清澄の現物しか捨てていないことだ。
さらに言うなら、その捨て牌から、四暗、緑一もあがることが可能だったことも、酷い現実だ。
あたしの点数を下回るほどではなかったが、追い込まれていた天江は、いつのまにかトップに立っていた。
あたしとの点差は十万程か。
周りはどう見てるんだろう。この状況を。
名門風越団体戦敗退決定、とかアナウンサーとかは言っているんだろうか。
それとも、もはや話題は天江や清澄のことで持ち切りになっていて、あたしのことはどうでもよくなっているんだろうか。

ごめん…みんな。
ごめん…咲。
ごめんなさい…キャプテン。

あたしは少しぼうっとして、場を眺めた。
そこは、戦場だった。
鶴賀は流れを変えようとしてたのかな。端の牌鳴いて、チャンタだったのかな、染め手だっのかな。
清澄はその鶴賀に対しての危険牌をばしばし切ってるな。ブラフだったのかな。
あたしの河を見た。手を見た。
あたしのやってたことと言えば、とりあえず高い手に向かって、やばかったら降りて、
高い手張ったら『理由をこじつけて』攻めて、振り込む。そんなところかな。
これが、名門風越の大将か。なんか中途半端っていうか、情けないっていうか…。

あれ・・・。

なんであたし戦ってないんだ。
ここは決勝だぞ。トップ率だとか、ラスはひかないようにだとか、そんな場所じゃないんだぞ。
80人の部員の青春背負ってんだぞ。

おい。

あたしは何をしている。
何を呆けている。
怖いのか、戦うのが。
違うだろ。
戦わずにおめおめ帰って、誰に顔向けできる。コーチにも咲にもキャプテンにも誰ひとり合わせる顔がない。
そっからの毎日が『もっとも怖いんじゃないか』。
去年身にしみてるだろ。知っているだろ。中途半端なあたしが、風越の泥を塗って、いろんな人から後ろ指刺されて、
あたしは堕落していった。
本当に怖いのはそれだろ。
バカかあたしは!

そう思っていたら、既にあたしは叫んでいた。
存在感だけでも、嵐の中に身を置きたかった。

南一局 ドラ ⑨
親 池田 配牌

六七七九③③⑥⑧888南西中

―なめるな

七巡目

六七七八九③③⑥⑦⑧888 ツモ 八 

―池田華菜を

打8

八巡目

六七七八八九③③⑥⑦⑧88 ツモ 九 

―天江…

打 六

九巡目

七七八八九九③③⑥⑦⑧88 ツモ ⑨

―清澄以外は眼中になしか…

打 ⑥

十巡目

七七八八九九③③⑦⑧⑨88 ツモ 7

―点差に胡坐をかいている君に

打 8

十一巡目

七七八八九九③③⑦⑧⑨78 ツモ 1

―目に物をみせてあげよう

打 ③

十二巡目

七七八八九九③⑦⑧⑨178 ツモ 1

「リーチせずにはいられないな・・・」

打 ③

バカなリーチだと思う。
バカな戦い方だと思う。
親なのだから、連荘を優先してさっさとあがってしまえばいいのだ。
それに、運命があるというのなら、それは天江に味方しているだろう。
天江はまた役満を張っているかもしれない。
せっかくあがれるのなら、あがってしまえばいい。
だが、それではだめなんだ。
それでは風越の大将として失格なんだ。
さらに付け加えるなら、この場にあたしを見せたかった。
あたしはずーずーしいんだ。ウザいんだ。その人間が、目立たなくてどうする。
リーチは、その気迫の、あたしのための証明だ。

次巡ツモッて来たのは字牌、北。生牌の北。
ツモ切るしかない。
だが、今度は堂々と切ってやる。

あたしにはわかってるんだ!

「ロ・・・ロン・・・」

西西西発発発白白白中中中北

わかってるんだ『そんなことは』!

あたしは込み上げてくる涙を殺した。
泣いてたまるものか、まだ、まだ負けてない。
終わってないんだ。

―南一局終了時―

衣    182600
アカギ  124700
加治木   90100
池田     2600


清々しくもあった。
ここまでやられると、もう、あたしのなかの何かが『切れた』。
目標は単純になった。
天江衣を倒す。シンプルな目標だけに。
その考えが、逆にあたしを冷静にした。
天江の河を見ると、やはり天江は清澄の現物を主に捨てている。
清澄を恐れ、逃げている。
方向が分かるなら、そこを撃てないかな。

南二局 親 衣 ドラ ⑧

十巡目

一一一⑦⑦33377白白北

もうひとつ見つけたことは、かつての天江の支配とは違い、こちらもあっさり聴牌できるということ。
誰もが高い手を張れる、そういう嵐にあるのかもしれない。
あたしはキャプテンのように一点読みなんて出来ないけど、うまくいくかな。
次巡、白をツモり、聴牌。
さらに次巡、7索をツモり、あがれば、四暗刻。
あたしは当たり前のように⑦筒を切った。
もうあたしの親はないんだ、ツモ上がりに、たとえ役満でも、衣が親でも、もう効果はさしてない。
あたしは直撃しか考えていなかった。

南が場に二枚切れている。
清澄の河と、天江の河だ。
今回は比較的字牌が河にあるから、天江の手に字一色はない。
さらに言うなら、天江は捨て牌で字一色を作る勢いだ。
理由は、清澄の捨て牌に字牌の種類が多いからである。
なら、南の『残り一枚』は天江から切られるんじゃあないか。
そうあたしは推測した。

「リーチ」

やはり、あたしは無意味なリーチをした。

こっちを向けよ。天江衣。
そういう理屈だ。

「ロン!32000!」

一一一333777白白白南 ロン 南

あーあ。ダブル扱いなら一気に差が縮まるのになぁ。
あ、けどそれならあたしはとっくに飛んでるか。

ハハ・・・ハハハ・・・アハハハハ・・・


南三局 親 アカギ


「つ・・・ツモ・・・地和・・・」




ホント・・・麻雀って非情だな…。

ため息を一つ吐いた。諦めではない。
清澄と鶴賀を見た。眼を見た。死んでない。
なら、あたしだって戦ってやる。
あたしは風越の大将なんだ。

南四局 親 加治木 ドラ 六萬

「ロン…11600…。一本場」

東東東六34[5] チー ①②③ チー ⑦⑧⑨ ロン 六 

恐らく『やり方』はあたしのと同じやり方だろう。きれいな一点読み。
キャプテンを彷彿させるアガリだった。やはり、死んでない。

―南四局終了時―

衣    171000
アカギ  108700
加治木   93700
池田    26600



あたしの出来ること・・・
ひたすらテンパイ。
さらに鶴賀のテンパイや衣からの直撃を祈る。
それを20回から30回位繰り返す。
そして天江から役満を直撃さえすれば、逆転だ。
まだだ。まだ終わらない!

なめるな、池田華菜を!











[19486] #12 大将戦 その6
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2011/10/26 22:14
―――衣は、生まれ変わりたかった。



衣の両親は共に国文学者であると同時に、裏の世界に通ずる者でもあった。
父は共生の跡取でもあり、関西共武会の代打ちでもあった。
代打ちとしての成績は三人兄弟の中で最も良く『竜に最も近い男』とまで言われたこともあった。
竜とも個人的にではあるが、一度戦ったことがあり、惜しくも敗れるも、その戦いは通り名に相応しいものだった。
しかし、その戦いを観戦していた彼の妻、衣の母は竜の『哭き』に魅せられてしまい、竜の下へ行ってしまう。
それから彼の運は落ち、代打ちとしても共生のトップとしても、相応しくない侠となってしまった。
共武会は代打ちの彼を解雇し、共生の会長の座からも引きずり降ろした。現在共生の会長は、共武会の幹部の人間が勤めている。
そして不要となった彼は、ヒットマンに追われる毎日を過ごすこととなった。
生活費が底を尽きかけた時、彼はコンビニ強盗をはたらいた。
盗んだ金を持って逃げた。
逃げて逃げて、逃げついた場所は、かつてよく利用していたマンション麻雀だった。
ちょうど卓が欠けていたので、朝まで打つことを条件に、匿ってもらうことになった。
運は落ちていても、経験と技術でカバーできると思っていた彼だったが、そこには『人鬼』がいた。
全てを失った彼は、最後の朝日を見て、銃声と共にその人生を終えた。

竜の下へ行った衣の母は、竜にその人生を尽くすことに決めた。
歳は離れていたが、母性のような感情もあったのかもしれない。過保護な保護者のように竜に付きまとった。
衣の父と同じく共武会の人間であった彼女が、一応は桜道会側の竜に付いたのに殺されなかったのは、
竜を共武会側へ引き入れようとする目論見があったためである。
しかし、最終的には桜道会の人間にばれてしまい、交通事故を装った形で、殺されてしまう。


衣へは、両親は事故死という形で告げられた。
しかし、真実は噂という形で広がりを見せた。
衣は学校で友達が出来なくなっていた。かつて友達であった者達も離れてしまった。
一時期は、衣に対して陰で暴力を振るう者さえ現れた。
いじめの殆どは、透華が止めに入ったり、最終的に透華による粛清という形で収拾がついた。
しかし、それでも全てのいじめが無くなったわけではなかった。
それは、衣が自分からいじめを受けにいっていたためである。
友達を無くした衣は、暴力を振るわれることで他者との繋がりを認識していた。
その不気味さから、いつしかいじめは無くなっていった。
透華、透華の集めた友人、執事のハギヨシ以外の者は、誰ひとり衣に、近づかなかった.
透華の父、雨宮が衣を屋敷に閉じ込めていたのは、そういう衣を想ってのことだったのかもしれない。
衣を、これ以上傷付けるわけにはいかない。兄に申し訳が立たない。そういうことだったのかもしれない。
しかし、当たり前の人生を味あわせたくもあった。だからこそ、竜に頼んだのかもしれない。


―――衣は、生まれ変わりたかった。



オーラス一本場。ドラは九萬。親は引き続き加治木。
その局も、もう十三巡を迎え、後半に差し掛かっていた。

衣 手牌  一一一二三四六七八九九九九 ツモ 四

この手を見て衣は感じる。これは、父が最期に張った手だ。
彼女は場を見渡した。

風越は二つ暗カンをしている。4索と6索。新ドラ表示牌は二枚とも八萬。つまり新ドラは九萬。
恐らくカンをした理由は、衣の海底と、あがったのは一度ではあるが『嶺上開花』を潰す為だろう。
他家の点数を上げる危険性があるが、今の彼女は、あがらせたら終わりなのだから、点数は関係ないのだろう。

鶴賀はヤオチュウ牌が主に見えていて、一見平凡な捨て牌だった。
門前の綺麗なタンピン系だろうか。

そして清澄は二巡前にリーチをかけている。
逆転には役満が条件であるが、衣は感じていた。
あれは、役満ではなく、満貫の形だ、この四萬はあたりだ、と。
しかし、ある条件が重なると、それはわからなくなる。そういう手だとも感じていた。

衣には三つの選択肢があった。
四萬を切りアカギに振り込むこと、九萬を暗カンして嶺上開花に賭けること、あるいはそれ以外の牌を切ることである。
三つ目は衣にとって論外だった。ハッキリしたものを、衣は欲していたのだから。
衣が欲していたのは、勝利ではなく、確認なのだから。
衣は感じていた。あの嶺上牌は、あがり牌の四萬であることを。
今の衣は海底牌と同じ牌の在りかを感じることができ、風越がカンをする前は、海底は四萬だった。
今、ツモも、海底も、嶺上も、自分の『血』の支配下だと、衣は思った。
だが、衣にはまだ、確認していない場所がある。
裏ドラ。
衣の『血』の支配が、そこにまで至るのなら、やはり衣は『このまま』なのである。
しかし、至らなければ、衣は、生まれ変わるのかもしれない。
そう衣は、信じていた。


真実を先に述べるなら、三人はある意味では衣の『血』の支配を超えていた。


池田 手牌 六六六1112 暗カン 4444 暗カン6666


池田はこの回であがることはまずない。
だが、海底を潰す暗カン、そして手牌の暗刻になっている六萬のうち二枚は嶺上牌から引いてきたものである。
六萬は、衣のもう一つのあがり牌である。


加治木 手牌 一①⑨19東東南西北白発中


加治木は、最も勝利に近い位置にいた。
もし衣が勝ち行き、九萬を暗カンしたのなら、それで鶴賀の逆転優勝が確定する。


しかし運命は、彼の手牌に全てを託した。


アカギ 手牌 ②②②⑨⑨⑨三三三五五五[五]

衣の九蓮の要である五を全て喰っている。
ただし、満貫の形。裏ドラが乗らなければ、逆転には至らない。




―――衣は、生まれ変わりたかった。


「ロン。リーチ三暗刻赤1・・・だが・・・俺の暗刻は…」


―――わかっておる!お前の暗刻は『そこ』にあるのだろう!?


衣はアカギに上回ってほしかった。自分の『呪われた血』の力を。


1枚目 ①


衣は、清めてもらいたかった。自分の支配を超えた彼になら、神域である彼になら、それが出来ると信じた。


2枚目 ①


衣は祈った。月(ほし)に願った。


(衣はもう我儘言わない!欲しい人形も我慢する!透華やハギヨシの言うことも聞く!だから・・・だから・・・)


3枚目 ・・・






衣の願いは、叶った。




衣の『魔』は、祓われた。




衣は大粒の涙を滝のように流した。生まれたての赤ん坊のように、大声で泣いた。











そして、清澄高校の優勝が決まった。






















[19486] #13 エピローグ 第一部終了 第二部開始
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2013/08/03 21:04
世界の麻雀競技人口は一億を超え、日本でも大規模な全国大会が毎年開催されます。
その話題は新聞の一面を飾ることもありますし、テレビ番組やネットでも大きく扱われる時もあります。
先日の県大会も地方紙だけではなく、各全国紙の一面にも載りました。
しかし、そこに載っていたのは、多くの人が注目するであろう白糸台高校の名ではなく、清澄高校の名でした。
決勝の前日に行われていた、一回戦、二回戦のことも併せて報道されていました。
一回戦、二回戦の内容も、一面を飾るにふさわしい話題性は持っていました。
しかし、その日は首相退陣の話題の方が大きかったみたいです。
清澄高校のことは各社の社説にも載りましたし、特集を組んだ所もありました。
右に倣う風習のある全国紙も、今回は意見が割れました。
清澄高校を賛美する所、批判する所、またはそのどちらでもなく過去からも比較し客観的に見ようとする所など、様々でした。
また、週刊誌では、暴力団が観戦していた、ということを書いている所もありました。
ネット上でも意見は割れました。若干批判の方が多かったです。暴力団の観戦も併せて、八百長ではないか、という意見が批判の大多数です。
しかし『彼ら』の闘牌に魅せられた者もいました。プロ雀士のブログ、直接彼らを見たフリーライターの記事等です。

良くも悪くも清澄高校は話題の的となり、校内に取材に来るテレビ局、記者は沢山いました。
部長である竹井久さんは、それらの全員からのインタビューに一人一人応えました。
全国大会を控えているので、全てを答えたわけではありませんでしたが、殆どの疑問点に答えました。
清澄に対するネガティブな印象を少しでも晴らしたかったからです。
久さんは、大会で見せた一見不可解な闘牌には意味があるということを、具体的例を挙げながら、記者たちに伝えました。
特にアカギさんの闘牌に関しては、彼女は饒舌でした。
彼女はここしばらく、一睡もしていませんでした。

後日、清澄高校は全国大会に向け合宿をすることになりました。
京太郎さんや、まこさんは、する必要はないのでは、という疑問を投げかけましたが、久さんは答えました。

「今回の『アカギ君の成績』不甲斐なかったでしょ?」

確かに、清澄高校は優勝できたものの、アカギさんの成績自体はマイナス約一万点でした。
アカギさんは、自分の運も衰えた、と言いましたが、久さんはそれを全否定し、あくまで実力不足を指摘しました。
それに対しまこさんは、自分の方が、と言いましたが、

「あれは私の責任だし、まこは傀君×3と戦っていたのよ?悪いのはアカギ君と私よ」

と答えました。
なら傀さんや竜さんを付き合わせる理由はないのでは、という問いに対しては、

「アカギ君を強くするには、強い人と戦わせるのが普通でしょ?なら傀君も竜君も連れて行くのも、やっぱり普通でしょ?」

と答えました。

合宿は藤田さんや久保さんの計らいもあり、最終的に四校合同合宿という形になりました。
藤田さんや久保さんの狙いは『選抜』に向けての優秀選手の確保のためです。
勝った側が負けた側を招待する形でしたが、各校の反応は好意的でした。
来年もある後輩のことを考える者もいれば、リベンジに燃える者、純粋に清澄高校の者に会いたいと思う者もいました。
例えば、原村和さんは、親友を泣かせた傀さんを倒したいと思っていますし、龍門渕透華さんは、周りには言っていませんが、竜さんに会いたいと思っています。
天江衣さんは早く『新しい自分』をアカギさんに見せたいとわくわくしています。
みんながみんな、その日を待ちわびていました。



そして、物語はその日へと続きます。




それではその日にまた、お会いしましょう。




そういえば、県大会優勝した記念に、清澄高校の六人は集合写真を撮ったのですが、彼らに写真は、まぁ、たまにはいいですね。





第一部 県大会編



 おしまい  




 






[19486] あとがき
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2012/12/29 17:01



第一部はおしまいです。
読んでくださった方、ありがとうございます。
第二部は合宿編です。


第二部の後半に国広一の回がありますが、『バード』関連のネタが入っています。『バード』終盤のネタバレが入っているので、注意してください。

















[19486] 第一部 まとめ
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2012/06/21 22:55
 
 だいぶ長くなってきたので、部ごと、話ごとのあらすじっぽい何かを書きました。




 #1 プロローグ


 東西戦にて、東側で活躍した、アカギ
 裏レートの暴虎、傀
 ヤクザ抗争の中心に居た竜

 青春、学生生活とは無縁であった彼らであったが
 清澄高校麻雀部に入部した
 


 #2 県大会


 龍門渕透華ら四人は、県大会会場内の廊下にて、アカギとすれ違う。
 彼の纏っていた空気は、彼女達がこれまでに感じたことのない、異質なものだった。

 清澄高校部長、竹井久はメンバーにオーダーを発表する際、偶然他校の陰口を聞いてしまう。
 部を侮辱された彼女は、先鋒の傀に対して言った。

 「次鋒にまわさなくていいから……」

 
 
 #3 県大会決勝 先鋒戦~中堅戦

   
 先鋒戦。前半は龍門渕高校、井上がうまく流れを掴み、優勢だったが
 後半、傀に翻弄され、そして流れを掴ませてしまう。
 そして、圧倒的『御無礼』の嵐で先鋒戦は決着する。

 しかし次鋒戦、中堅戦と、先鋒、傀が掴んだ流れは他校に流れてしまう。
 それは、傀の仕組んだことであった。
 県大会における彼らの最終目的は、アカギと、鷲巣巌の孫、天江衣の対決の行方を見届けることだった。


 
 #4 副将戦 その1

 
 副将戦。序盤、風越の宮永咲は得意の嶺上開花を駆使し、他校との点差を広げた。
 しかし、突如龍門渕透華は豹変。圧倒的支配力を見せる。
 そんな透華な対して竜は言う。「自分の麻雀を打て」と。
 透華は国士を聴牌し、竜からの1索であがろうとするが、あがれなかった。
 鶴賀副将、東横桃子『ステルスモモ』は同巡、1索を切っていた。
 我に返った透華は半ば混乱状態の中、8索を切ってしまう。
 その8索は、かつて透華の父が、竜に最後に哭かせた牌だった。
 そして『まったく同じ』緑一色を竜はあがる。
 前半戦終盤、竜は愚痴る咲から『哭き』、そして桃子は『消えた』。




 #5 副将戦 その2


 前半戦と後半戦の間のわずかの時間、透華は行方不明になっている父のことについて、竜に問い詰めた。竜は、勝負が終った後答えると言った。
 後半戦。ステルスモモの独壇場になるかと思われたが、竜の『哭き』によってその存在を晒された。だが、桃子はその状況さえも楽しんだ。
 一方、勝負の冒頭『麻雀を楽しもう』と言った咲は、麻雀を楽しめていなかった。
 しかし、竜の言葉によりかつての自分を取り戻した咲は覚醒する。
 だが、竜はその上をいった。

 

 #6 大将戦 その1

 
 竜は透華に真実を伝えた。
 透華の父は雨宮賢という偽名を持った、関西共武会の代打ちだった。
 彼は竜との対決中、竜に8索を哭かせた直後、三上信也に射殺された。
 竜は透華に、自分を恨むなら恨めと言ったが、透華は、父を殺したのは『極道』だと返した。
 透華にはわかっていた。竜も極道が憎いということを。
 竜は雨宮から伝言を預かっていた、とを透華に話した。
 透華の父が望んでいたことは、『天江衣』を『外』に出してやることだった。
 真実は、透華の父が最期に、竜に頼んだことだった。

 満月の夜、アカギと天江衣の対決の時が迫る。
 天江は失望した。
 アカギから何一つ異能の気配を感じることは無かったからだ。
 天江は思う。自分は、やはり孤独のままなのだろうか、と。



 #7 大将戦 その2

 
 大将戦前半戦はアカギの異端のノーテンリーチから幕を開ける。
 しかし、そのノーテンリーチはノーテンであることを他は知る由もない。
 リーチ後アカギはカンをし、嶺上牌をツモる。他はそれがあがり牌だと確信した。
 ドラ、裏ドラ、カンドラまで乗る圧倒的強運。
 しかし、それは傀、そして竜が作り上げた幻想にすぎなかった。
 あがらないアカギ。その捨て牌であがる鶴賀大将加治木ゆみ。
 加治木は思う。彼は驕っている、と。
 だが、天江衣はまったく違うことを考えていた。
 なぜ衣の支配の中で、あれだけのことが出来るのか、と。
 満月の夜。力は充盈しているはずなのに。
 アカギから異能の気配など、無かったはずなのに。

 『わけのわからない何か』が天江のつま先からゆっくりと這い上がっていた。



  
 #8 大将戦 その3


 天江の不安はさらに増大する。
 前半戦オーラス、完全なる支配の中、アカギからまたもリーチが入る。
 捨て牌から、完全に国士を臭わせるものだった。
 海底間際、天江は字牌、白を掴まされる。
 白を切れば、次巡、海底であがり牌をツモれる。しかし、天江は引いてしまった。
 アカギは言った。もっと自信を持て、と。
 その言葉を聞いて、一瞬、天江は安堵した。ブラフだったと。
 
 だが、真実はその白、国士でアカギは待っていた。

 天江はもうアカギは自分の支配を超えているとしか思えなかった。
 しかし、異能でもない者がそれを成すことにまったく理解できなかったと同時に、恐怖した。

 『わけのわからない何か』は、もう天江の腰のあたりまで来ていた。



 #9 大将戦‐休憩‐



 風越の池田、そして鶴賀の加治木は、アカギのふざけた戦術をメンバーに聞かされる。
 竹井からそのことを指摘されるが、アカギは気にもかけなかった。
 アカギはあくまで、気を付けるのは天江衣であることを言い、そして鷲巣巌について竹井に語った。
 そしてアカギは、この舞台を用意してくれた竹井に感謝し、勝負の舞台へ戻った。
 アカギは思う。あくまで自分の目的は鷲巣巌との因縁だが、しかし同時に、染谷や竹井の青春を背負って戦っているのだと。そして、同じように青春を賭けている者達と打つのだと。それはアカギにとって、悪くないものだった。

 一方、龍門渕のメンバーも天江に、アカギの戦術について教えようと天江を探したが、見つけることが出来なかった。
 舞台の前の扉の前で待っていても、見つけることが出来なかった。
 天江は、すでに卓に着いていた。
 透華たちは見つけれなかったことに納得した。
 そこに居たのは『いままで見たことのない衣』だった。
 そこに座っていたのは、他者に恐怖を植え付ける、自信に満ちた衣ではない。
 そこに座っていたのは、小学生低学年にも間違われかねない、ただの幼い娘だった。





 #10 大将戦 その4



 後半戦。
 不安、恐怖から逃げるように、天江は打つ。
 支配が十分であるなら、逃げる必要もないのに、鳴いて手を進める必要もないのに、天江は動いた。
 しかし、まるで先回りしているかのように、アカギからリーチが入る。
 天江は逃げる。しかしそれでも振り込んだ。2度も、3度も4度も。
 何故聴牌出来るのか、支配は有る筈じゃないのか。
 もうそれらのことについてなど、天江は思考することが出来なかった。

 『わけのわからない何か』に、天江は包まれた。
 
 加治木は気付く。最早天江衣の支配など無いことに。
 しかしその頃にはもうアカギは『仕上がっていた』。
 圧倒的早さにはついていくことが出来ない。
 ノーテンであったとしても、序盤に見せつけられた『強運』のイメージ。
 リーチの前には降りるしかなかった。
 
 吸い込まれるように振り込みを続ける天江衣。
 自分が他者に見せようとしていた、闇の現は、今、自分が見ていた。
 アカギは、闇そのものだった。

 
 だが、天江衣の血は、敗北を許さなかった。
 
 彼女に、止めようの無い豪運が訪れた。

 天江は祖父のことを思いだした。

 王であった、鷲巣巌のことを。



 #11 大将戦 その5


 


 凡人。池田華菜は足掻く。



 #12 大将戦 その6
 
 
 
 衣は、生まれ変わりたかった。

 竜に母を取られ、傀に父を喰われた。
 
 呪われた血。呪われた人生。それらを清めたかった。

 
 そして、アカギに、全てを託した。
 
 
 
 #13 エピローグ


 清澄高校の優勝は賛否両論のある形ではあるが、メディアに大きく取り扱われた。

 後日、清澄高校は全国大会に向け、合宿をすることを決めた。

 藤田靖子プロや、風越の久保コーチの計らいもあり、最終的に、県大会決勝で戦った、清澄、風越、龍門渕、鶴賀の四校合同合宿という形になった。







   



[19486] #14 須賀京太郎
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2013/04/25 18:54
―県大会決勝戦二週間後―
 

「メンドいなーこの仕事」

「でも他の人にまかせたくはないんでしょう」

「好きだしな。それで、そっちは大体決まったのか?」

「そうですね…。鶴賀の大将は清澄と当たった時の対応が良かったです。また、出場は個人戦だけですが、千曲東の巫藍子、もう少し見てみたいですね」

「おまえのとこのアレはいいの?」

「福路はその個人戦で優勝してますし、原村和も僅差で準優勝、メンバー入りは確実でしょう」

「あとは鶴賀の東横…『消える』そうだな」

「清澄の『竜』、原村には全て見えていたそうですし、咲はカン材だけは一瞬見えたそうです。D・Dや江崎あたりには通用しないかもしれませんが相手によってはあるいは…」

「んー。なんかもうさ、団体決勝の四校集めて合宿やらせよう」

「四校合同合宿?」

「そこでうちらが混ざって打てばいい。巫さんのとこには個別に出向こう」

「それはそうとして『彼ら』は来ますかね。個人戦には出てませんでしたが」

「清澄の三人か。そういえば…ああちょうどいい」

「?」

「今長野県で力の強い組といえば、桜道会、関西共武会、稲田組の三つだろ…」

「いきなりやくざの話ですか」

「縄張り争いということで抗争が絶えない」

「それが何か関係が?」

「抗争に消費される『弾丸』はどんどん警察に捕まって、組の消耗が無視できない状況まで来た、ということでもう抗争はやめて、縄張りをしっかり決めようということになった」

「その『決め』に麻雀でも?」

「そう…。でその代打ちに、桜道会には竜、共武会には白虎、稲田組にはアカギが選ばれた」

「もう一人は?たしか傀は…」

「参加するよ。実はこの『決め』を持ち出したのは清澄の竹井でな…竹井の要求は暴力団全員長野県から出てけ、ということで、清澄もその勝負の場につく。傀は清澄の代打ちだ」

「まさか…」

「話は長くなったが、合宿は『その宿』で行おう。竹井と話を合わせておく」

「ええ!?大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫」





◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 こいつらとはもう何回も打ったが、一度もラス以外をとったことがない。だが、今日は負けられない。なぜなら、今日は風越の超美人さんと、超巨乳さんがこの対局を見ているからだ。
 四校合同合宿、その初日。俺ら清澄は部長の用事もあり、宿に一番についた。部長たちの用事も終わり、合宿の集合時刻までまだ少し時間があったが、俺たちは卓を囲った。意外にもこの勝負を持ちかけたのはアカギだった(普段は俺が持ちかけてる)。場決めが終わり、賽が振られ、配牌が終わったあたりで、他の三校が部屋に入ってきた。部屋はギャラリーで埋め尽くされた。


東一局

東(親) 傀   25000
南   須賀  25000
西   アカギ 25000
北   竜   25000

ドラ  1索(表示牌9索)


須賀 配牌

二三七九⑨39東南北白発中


 いい女の前では負けられない。それもある。勝っていいところを見せてキャッキャウフフしたい。それもある。だが個人戦、俺が運だけで全国に駒を進めた、と同じく個人戦で全国行きを果たした二人には思われたくなかったからだ。こいつらには感謝している。毎回毎回ぶちのめされてるが、それでも俺は少しは強くなれている気がする。だからこそ個人戦勝ちすすめれたと思う。だからこそ、強くなっているからこそ、こいつらには勝ちたい。今度こそな。
 第一ツモは白。傀の第一打は白。流すか?この配牌。いや…『流れ』を見たい。流さない。なら何に向かう?何を切る?本当にこいつらだからだよな。こんなに第一打で考えるなんて。早くきらねーと竜から「早く打ちなよ、時の刻みは」うんたらかんたら言われちまう。だが、第一打ロンもあり得なくないからな…。ということで俺の第一打は現物の白。
 打、白は第一打ロン(人和は認めていないが)の警戒(普通ならバカバカしいな)もあるが、仮に後に国士に向かうとしたら、少しは迷彩になる、って理由だ。こいつらには大して意味はないが、食らいつくって点でもやはり前向きにいかなきゃな。
 次巡、今日は来てるのか?ツモは白。これなら、本当に東一局で国士?いい予感もするし、嫌な予感もする。国士に行くなら二、三、七、3の何れかに手をかけるが、俺はなるべくならこの3索は切りたくない。その理由は竜にちょっとしたトラウマがあるからだ。竜が3索を鳴く…。そしたら竜は必ず緑一色をあがっちまう。竜が3索鳴いたら、もうアカギも傀も止めれない。というかなぜか俺が振り込んじまう状況ができちまう。それだけは避けたい。俺は打七萬を選択した。捨て牌は、2巡連続傀と同じ。
 

3巡目 須賀手牌

二三九⑨39東南北白白発中 ツモ 発 打 三

4巡目 

二九⑨39東南北白白発発中 ツモ 北 打 ⑨


 4巡目、対子の重なりから、俺は国士を捨てた。しかしなんだ…これは。


傀 捨て牌


白七三⑨


アカギ 捨て牌


南西⑧⑨


竜 捨て牌

八八四[五]  ※[]内の牌は赤牌。


 4巡目にして嫌な気配…。筒子か索子の染めに向かっている竜はともかく、4巡連続傀と同じ牌を、俺が捨てていることだ。(マネ満は認めていない)これは弱気からくるものなのか?負ける?まさか一局で…。おいおい、らしくないぞ須賀京太郎、緊張しているのか?うしろに美少女がいるだけで。振り込んだらかっこ悪いって…。いや、そんなことはない。手なりで進めたら、偶然傀の現物を切っていた…それだけ……なわけないよな。
 つまり、一局目で仕掛けてきやがった、ってことか…。


5巡目 須賀 手牌


二九39東南北北白白発発中 ツモ 9 打 中


6巡目

二九399東南北北白白発発 ツモ 南 打 二



 無駄ヅモ無し。ホンローチートイが見えてきた。だが、相変わらず俺の捨て牌は傀と同じ。俺の心の弱さを、付け込まれている?だが、手がそうなっちまっている…。鳴くに鳴けない手牌…流れを変えようにも変えれない。この局は降りるか?いやダメだ。これだけの『もの』をもらっておきながら行かないなんて、それこそかっこわりい。まだ…。
 
「ポン…」

 同巡、傀が鳴いた。アカギが切ったドラの1索を鳴いた。打九萬。仕掛けてきた?何を?わからない。ツモ番が回ってきた。ツモは…西。アカギが二巡目に切っている西。今切り飛ばせる牌は、九萬、3索、東、西…。自然と九萬に手をかけてしまう自分がこえぇ…。いや傀が、か?なら流れを変えるためにそれ以外を切るか?3索は?ダメだ。


竜の捨て牌  八八四[五]④


 索子の染めが…臭う…。(普段はそんなこと思わないんだろうな)3索をポンなんて十分ありえる。東は?生牌だ。切りたくない。なら、アカギの現物の西なら…。俺は西に手をかけた…。


(『御無礼』


一一一①①①東東西西 ポン 111 )


 …!!?今のイメージ。あたりか?東、西…。嫌、考えすぎだ…と前の俺なら思ってた。だが、この『予感』は、個人戦で相当助けられた。今は、この『予感』を信じる。だが、結局切ることになるのか、この九萬…。
 同巡アカギは打二萬………。そして…。

「リーチ」

 相変わらずだ。こっちが傀や竜にばっかり気を取られてたら、いきなりきやがる。まったく気配がない。距離が離れてると思ったら、いきなり背後に居て、ポンと肩をたたいてくる。そういう寒気のする麻雀、相変わらずだ。しかし、まだ東一局なのに、なんだ?全員エンジン全開か?やくざの代打ち勝負、不完全燃焼だったのか?
 さらに同巡竜打⑧筒。やはり索子。というかこいつはど真ん中というか、生牌でもなんでも躊躇いもなく切って行く。だが、殆ど振り込まない。部長曰く、振り込む時は何らかの意図があって、つまりわざと、らしい、見えているのか?
 そして…。

「カン」

 鳴いた。傀がツモ切った⑦筒を鳴いた。索子じゃ、ない…。というか傀が鳴かせるなんて、傀は張っているのか?やはり。

「カン」

 今度は暗カン。②筒。

「カン」

 連カン…。⑤筒。そして打③筒。テンパイ…だよな。まだ10巡にもなってないのに、なぜそんなに牌が固まっている。相変わらずだ。相変わらずの、強運。


竜 手牌


???? カン ⑦⑦⑦⑦ 暗カン ②②②② 暗カン ⑤[⑤][⑤]⑤

捨て牌

八八四[五]④⑧③


新ドラ 3索 7索 9索  (表示牌 2索 6索 8索)

 クソ…。索子は王牌にでも固まってん…のか?
 傀の番。傀はツモった時、一瞬手を止めた。何かを言おうとしたように見えたが、それをやめ、ツモ切った。切った牌は一萬。まさかアガリ放棄?それとも暗カン?(俺の『予感』通りなら暗カンか?)

 

須賀 手牌


399東南南西北北白白発発 ツモ 西 


 打3か東でテンパイ・・・・。


須賀捨て牌


白七三⑨中二九


アカギ捨て牌


南西⑧⑨中1(東家ポン)二(リーチ)


竜捨て牌


八八四[五]④⑧③


傀捨て牌


白七三⑨中二九⑦(北家カン)一


 
 思い返してみるに、傀の打⑦筒、打一萬以外、全員全部手出し。やはり、エンジン全開、だったのだろうな。そして、全員テンパイ、か。思い返してみるに、やっぱり俺はビクついていたんだな。美少女が後ろにいるってだけで。まだ東一局だが、エンジン全開の三人に対し、俺は戦ってるって感じがしなかった。悪いな。アカギ、傀、竜。
 さあ、どっちを切る?3索か東。両方生牌だ。降りはしない。この一打くらいは勝負しないとな。かつての俺なら、竜は混一だから、待ちは字牌。3索は通る、って思うんだろうな。竜の待ちは3索だ。ヒントは俺の心。竜は相手の心の終着点を読む。なら東か?東は『予感』では傀のアタリ牌だった。だが、今その線は消えた。(東西のシャボの形は現在存在しない)なら、状況は予感を超えている、ということか。だとしたら、東切り…。


・・・・・・・・・・

 俺は3索を選択した。『予感』はあくまでも今の俺の力。上に進むなら、変わらなきゃならない。だからこそ、あえて俺は『予感』、つまり一秒前の俺を信じない。予感前提の推理を信用しない。あいつらに並び、いつか追い越すために。


・・・・・・・・・・


三つの声がそろった。


傀 手牌


一一一九九①①①12 ポン 111 ロン 3


アカギ 手牌


三四五六六六3777789 ロン 3


竜 手牌

③③③3  カン ⑦⑦⑦⑦ 暗カン ②②②② 暗カン ⑤[⑤][⑤]⑤ ロン 3





・・・・・・・


「三家和は流局だったよな。さあ東一局一本場、行こうぜ!」







第二部 合宿編



















[19486] #15 宮永咲 その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2011/10/26 22:15
 久しぶりに見た京ちゃんは、強くなっていた。結局、東三局で飛んじゃったけど、四連続三家和なんて初めて見た。私は清澄の副将、竜君の後ろから見ていたけど、もう四人が四人とも相手の手牌、そして山まで透けて見えているような、そんな対局だった。



 東一局、竜君の手牌は最終的に


③③③3 カン ⑦⑦⑦⑦ 暗カン ②②②② 暗カン ⑤[⑤][⑤]⑤


 だった。最後の手出しは③筒。つまりもう一回暗カンできて、四槓子を確定できた。でもしなかったのは、上家の3索単騎、下家の辺3索待ち、そして、京ちゃんの打3索を読んでのことだったんだと思う。次の嶺上牌は東だったし、待ちは変えれない。しかも、その東を切ってしまえば、京ちゃんは次巡東を切ってかわしてしまう。さらに最後の3索は………『次のドラ表示牌』に…(一瞬…【見え】た…?)。
 流局でも、三家和による流局と変わらないんだから、結局最後はカンしても良かったのかもしれない。しかし、流れというものがあるなら(そんなの私は見れないけど)あれが正解だったのかな…私にはわからない。本当の目的はもっと別にあるのかもしれない。
 少し前の私だったら、この場所で打ちたいって思っていたのかな。でもその時は、怖くて入りたくなかった。
 県大会団体戦後、私の調子はいいものとは言えなかった。部での成績も落ちた。ちょっと前までは『嶺上使い』って言われてたけど、その名は、今では竜君のもの、みたい…。あれ以来、カンをすることが怖くなった。
 チャンカンはこれまで、何回かされたことはあったし、だからと言ってカンが怖くなったことなんて無かった。そういうこともあるのが麻雀。でも…あれは違った。私が、牌が見えていることを、竜君は…利用…そう利用した。『嶺上開花』は私だけの世界、その私の唯一の自信を、竜君は粉々に破壊した。
 京ちゃんたちの対局が終了した途端、原村さんが飛び出した。清澄の先鋒、傀君に勝負を申し込んだ。原村さんは中学の時同級生だった優希ちゃんと仲良しで、その優希ちゃんは県大会で傀君に負けちゃって、その仇を討ちたいって。私も、申し込もうかな…竜君に。
 そう思っていたら、原村さんに感化されてか、竜君には龍門渕の副将さんが申し込んでた。次に龍門渕の大将が清澄の大将、アカギ君に、鶴賀の大将が傀君にと、私は完全に出遅れた感じがした。

「はーいそこまで」

 パンパンと手を叩いて騒ぐ場を制したのは清澄の中堅さんだった。

「みんな長旅の疲れもあるでしょうし、今日はここまでにして、温泉にでも行きましょう」

「い、いやです。今、今打たせてください!」

 反発したのは原村さんだった。

「安心して、傀君たちは逃げないわ、よね」

 清澄の中堅さんは彼らの方に笑顔を向けた。眼は、笑っていなかった。

「傀君たちは、さっきの対局の前にも打っていてね、疲れてもう今はベストコンディションじゃない『かも』しれないわ。どうせ戦うなら、最善の状態の方がいいでしょ?風越女子の原村さん」

 そう説得され、原村さんは引いた。原村さんは、傀君に対し「明日、絶対打ってもらいますからね!」と言って、傀君は「わかりました」とだけ言ってニヤリと微笑んだ。その眼は、ちょっと怖かった。
 場が解散され、みんなはそれぞれの行動をした。温泉に行く人、外で運動をする人、卓球を打ちにいく人、部屋でゆっくりする人と様々だった。私は温泉に行こうとしたけど、竜君が外に出るのを見て、その後を追った。竜君は宿から出た入口のそばで、煙草を吸っていた。

「あの…未成年…ですよね?タバコはやめた方が…」

 失礼かもと思ったけど、私は…話しかけてしまった。

「俺は誰の指図も受けない…」

「そう…ですか…」

 少し、子供っぽいって思って…私は心の中でクスっと笑った。けど、思ったよりも親しみやすいのかも、とも思えた。少し近づけた、気がした。

「あの…明日…」

「……」

 私は、何を言おうとしてるんだろう。

「明日、私と…私と打って…くれませんか?」

 なんで、こんなにドキドキしているんだろう。まるで、告白のような…。私は、何を血迷ったことを…しているんだろう。この人と打つのは、怖かったはずなのに、なんで…だろう…。でも…。

「席が空いていたのなら、勝手にすればいい」

 そういって竜君は、どこかに行ってしまった。OKってことかな今の返事。動機が治まらない。体が、胸の方が少し熱くなっているのを感じる。…温泉に行こう…。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 一人、温泉に浸かりながら私は考えた。この合宿の意義、それは何か…。清澄は全国に行く。その清澄の強化(そんな必要があるのか疑問だけど)、そして来年のある私たちのためのもの…。個人戦の全国出場を決めたキャプテンのためのもの(私や原村さんも行くけど)。清澄と打つことで、私は強くなるの?鶴賀や、龍門渕と打つことで、私は…克服できるのかな。怖いってこと。でも、私は申し込んでしまった。明日…私は竜君と打つ。

「宮永…さん?」

「原村さん」

 原村さんが入ってきた。やっぱり、凄い胸。私は目を自分の胸に下ろしたけど、少し虚しくなって、ため息をついた。

「どうしました?」

「ん!?…い、いやなんでもないよ。それにしても二人っきりって、久しぶりだね」

「そうですね」

「明日、傀君と打つの?」

「はい。絶対倒します」

「そう…。私もね、竜君に申し込んだんだ…」

「そうなんですか?でも…宮永さん…」

「うん。自分でもね、何してるんだろって思った。私全国に行くのに、このままじゃって…のあったのかな?」

「宮永さんは十分強いです」

「でも、ずっと私…カン、してない」

「あんなのはオカルトです。今の宮永さんの方が強いと思います」

「そう…かな」

「そうです」

 原村さんは、なんでもきっぱり言う。そう言われると、そうかなとも思ってしまうくらい、原村さんは強い。でも、私は…納得がしたい。自分のなりたい、ありたい自分でいたい。
 沈黙が数十秒続いた。温泉から見える景色は、山は、綺麗だった。

「嶺上、開花…」

「?どうかしましたか宮永さん」

「山の上で花が咲くって意味…森林限界を超えた高い山の上…そこに花が咲くこともある…おんなじ、私の名前と…。私はその花のように…花のように…つよ・・・く・・・」

「宮永さん?」

 なぜか、涙が出てきてしまった。どうしよう…止まらない…。

「宮永…さん」

 原村さんは、やさしく私を抱き寄せてくれた。頭を、撫でてくれた。原村さんの胸は、温かかった。

「明日、絶対勝ちましょう…」

「・・・うん・・・」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



 温泉から出たら、京ちゃんに会った。少し、背が伸びてた。

「久しぶり、京ちゃん…」

「お、咲か…」

 京ちゃんは私から少し目をそらした。意識、してるのかな。私の浴衣姿。

「私は、お邪魔でしょうか」

 そういって原村さんは行ってしまった。少し、怒っているような印象を、その声に受けた。勘違いしちゃったかな。私と京ちゃん。別に彼氏彼女じゃないのに。

「ああ!待って」

 ああなるほど、京ちゃんは私を意識して目をそらしたんじゃなくて、原村さんを見てたんだ。

「ふーん」

 私は京ちゃんに笑顔を送った。目は笑っていない。

「な、なんだよ咲」

「別に…」

 それから、少し京ちゃんと話した。そして色々なことを知った。竜君のこと、やくざのこと、そして、死んでいった人たち。私には想像も出来ない場所に、竜君はいた。竜君は悲しみの中戦っている。竜君の打つ麻雀は、私たちの打つ麻雀とは性質が違う。勝てなくて、怖くて当然、なのかもしれない。
 じゃあなんで、竜君は一高校にすぎない清澄で打って、大会にも出ているんだろう。なんでこんな合宿に参加しているんだろう。

「さぁな…あいつのことはよくわからねぇ。けどよ、べつにいいんじゃねぇか?あいつはやりたいことしかやらない。押し付けられて何かをすることを嫌う奴だ。でもここにいるってことは、あいつがここにいたいからいるってことで、とにかく俺たちがどうこう考える必要なんてねぇのさ」

「そう…なのかな。でも、ありがとう京ちゃん」

 少し楽になった。












[19486] #16 宮永咲 その2 
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2013/05/16 23:37
 その日、卓に付いたのは私と、上家に昨日申し込んでいた龍門渕の副将さん、下家に清澄の次鋒さん、そして対面に竜君。やっぱり緊張してきた。龍門渕の副将さん、たしか透華さんだっけ。透華さんも緊張しているのか、そわそわしていた。

「よ、よろしくお願いします…」

 声にもその緊張は出ている印象。大会の時は、うるさかったり、落ち込んでいたりとよくわからない人だったけど…そういえば、透華さんも二戦目なんだ。竜君と打つの。

「さぁて、はじめるかのう?竜と打つのはひさしぶりじゃのう」

 変なしゃべり方…。方言?たしか、染谷さん。この人は次鋒戦、散々だったな。でも、あれはこの人の所為って感じじゃなくて、だれが打ってもそうなっていたと思う。この人以外の三人が、三人とも何かおかしかった。あり得ない流れ、っていうのかな。ああいうの。その中でこの人は良く戦っていたと思う。特に終盤は生き生きしていて、自分の麻雀って感じだったし。
 山が上がり、賽が回る。鼓動のペースが速くなるのがわかる。団体戦とはまた違った緊張があって、私にとって…何か大切な一局になってしまうような、そんな予感がした。手が震える。手が冷たい。牌をこぼさないよう、私は慎重に牌を取った。



東一局  ドラ 北(表示牌 西)
東家 透華(親)  25000
南家 咲    25000
西家 染谷   25000
北家 竜    25000





咲 配牌

三七九④⑤1579南南西中


 役牌が対子…。くらいか…。この局もたぶん違う。そもそも、来るのかな。
 
1巡目 三七九④⑤1279南南西中 ツモ 西 打 三
2巡目 七九④⑤1578南南西西中 ツモ 中 打 七
3巡目 九④⑤1579南南西西中中 ツモ ⑨ 打 ⑨
4巡目 九④⑤1579南南西西中中 ツモ 白 打 白
5巡目 九④⑤1579南南西西中中 ツモ 九 打 9
6巡目 九九④⑤157南南西西中中 ツモ ④ 打 7

・・・・・・

 暗刻らない。調子が戻る感じがしない。そんな中

「リーチですわ!」

 上家からのリーチ、透華さんの甲高い声だった。この人はこっちの方が自分の麻雀らしいけど、明らかにあの暗くて静かな方が強かったと思う。本調子だったはずの私が、まったくカンが出来なかったあの支配は、もう経験したくない。


透華 捨て牌

⑨白97一北1(リーチ)


 私の第七ツモは⑤筒で、またも対子。原村さんにとってはこれはいい流れなのかな?けど私は、これは私の流れじゃない。ここずっと、こんな感じだ。上がれる気もしない。私は現物の1索を切った。

「チーじゃ」

 染谷さんが鳴いた。2、3索持ちの両面チー。そして次巡

「ツモ!300・500」


五六七八八45789 チー123 ツモ 6


「おっと…忘れとったわ…」

 そう言って染谷さんは眼鏡を外した。そう言えば大会の時は外してたっけ。それより、一般的に見れば勿体ないアガリ。しかも、3索の方を引いてきたら上がれない形。

「あなた!私の親リーをそんな手で!」

「いかんかのう?」

 少し、私に似ているのかもしれない。
 続く東二局。私の調子は相変わらずだったけど

「ツモ!メンホン中。満貫じゃ」

 4巡目でのツモ、染谷さんの調子は良かった。流れというのはよくわからないけど、そんなにも簡単に動かせるものなのかな。この流れは、さっきの両面チーの結果なのかな。でも

「ツモりましてよ。3000・6000ですわ!」

 透華さんは確かデジタル。次局、まるでそんなオカルトはあり得ないと言っているかのような、反逆の跳満を仕上げた。(オカルトチックだけど)

「これで逆転ですわ」

「まだ東三局じゃぞ?気が早よおて」

「わ…そんなことわかっていますわ!」

「ん?あんさどうしたん?」

 確かに、透華さんの様子は少しおかしい。呼吸が少し荒いような、そして顔も少し赤くなっていて…

「な…!……さあ!次ですわ次!」

 この取り乱し。この人もしかして。

「ほほう…もしやお前さん」

 染谷さんが煽った。この人…あまり性格が良くないのかな?
 
「あ!違いますわ!そんなことありませんわ!そんなこと!」

「わしはまだ何もいっちょらんぞ」

 やっぱり透華さんは、竜君を意識してる。竜君の前だから、こんなんなんだ。でも、染谷さんも、わざわざそんな反応を引っ張り出す必要もないのに…。

「それなら…わしも負けられんのう…」

「え?」

 染谷さんは小さくつぶやいた。その声は透華さんにははっきりとは届かなかったけど、私には聞こえた。この人も意識している。私は…すごい卓に付いてしまった。そして…。

「ツモ…」


一二①②③④④ チー 123 暗カン ⑤[⑤][⑤]⑤  ツモ 三

 
ドラ 西(表示牌 南) 新ドラ ⑤(表示牌 ④)


 東ラス、嶺上開花、三色ドラ4 赤2の倍ヅモ。竜君のアガリだ。変わらない。あの時と変わってない。まるで、時が止まっていて、竜君だけ自由に動いているような、まるで心が持って行かれてしまうような、そんな鳴き、そんなアガリ…。
鳴いたら上がる。京ちゃんはそう言っていた。一般的に、鳴き麻雀っていうのはデメリットが多いと言われている。でも、それでもアガって、竜君は勝ち続けてきた。竜君は自分の麻雀を信じているのだと思う。今の私とは、違う。私は自信が持てない。私の麻雀は…勝てない…竜君に勝てない。そんなの、そんな麻雀を信じることなんて…できないんだ。


東4局終了時

透華 25500
咲  9700
染谷 21100
竜(親) 43700


 竜君の親は続く。またも鳴き、またもアガり、またも魅せる。二度目の倍ヅモは私たち三人と竜君の差を具体的な光で照らした。私の点数は残り1600点。東場で、飛んでしまう。せっかくの竜君との対局を…こんな形で…。私は、まだ何もしていないのに。
 一本場、私は牌山に手を伸ばすことが出来なかった。手が固まって、動かなかった。
 
「どうしましたの?」

「どっか具合でも悪うなったか?」

「あの・・・・・その・・・・・私…」

 変わるんだと、思っていた。何か…何かが。竜君と戦うことで何かが。でも、変わらない。変わるどころか。裁判で判決を言い渡された被告のように、もう何もかもが、未来までもが黒い光に貫かれてしまって…私はもう……もう、麻雀が……麻雀が出来…。

「あンたに一つだけ教えてやる…。俺が哭くのは勝つからではない。勝負において、信じられるのは己だけ」

「え・・・?」

 聞こえた。確かに竜君の声が聞こえた。さっきまで固まってた手が、私の手が…動く。私は何か、何か勘違いをしていたのかもしれない。もう少しだけ…もう少しだけ、頑張ってみよう。負けてもいい。もう一度だけ…信じよう。


東4局一本場終了時

透華 17400
咲  1600
染谷 13000
竜(親) 68000



 東4局二本場、私の配牌、ツモは相変わらずの中途半端な対子系で、とても上がれそうにない。気分ひとつで麻雀が変われたらどれだけ楽だろうか。7巡目、染谷さんが透華さんから北をポンして、次に私から9索をチーした。奇妙なのは、染谷さんは北と9索は既に手出しで切っていた牌だったということ。透華さんや、私から出させるため?それにしても…

「ずいぶんと遠回りじゃったが…」


1334599 ポン 北北北 チー 789  ツモ 2 

ドラ無し。役牌、混一(食い下がり) 1000・2000の二本場


 北も9索は暗刻から落としている。

「お前からは喰えるとは思っとらんからのお」

 竜君のツモを喰いとるため…か。ずいぶんとシンプルなオカルトだと思う。それでも効果はあるのだろうか。けどやっぱり、それにしても報われない点数。そう何度も通用はしないだろうし、竜君相手に流れを維持できるとも思えない。その証拠か、次局も染谷さんは上がったけど、その点数は300・500。喰って喰っての単騎待ちの形で、苦しく、明らかに牌勢は落ちているのが目に見えた。
 私の点数はもう100点。自信は、一応は持っているつもり。だけど、それに牌が答えてくれない。そんなオカルトはやっぱり無いんだろうか。
 南二局、親は私。最後の親。相変わらずの対子止まり。場は染谷さんの足掻きもあってか、竜君の勢いも落ちている感じで平たい。何も起きなければ流局してしまうような空気があった。

咲 手牌

三三四四九②⑨7889西西

 もう14巡が過ぎていて、七対子でならリャンシャンテン。一般的には悪くはないけど、暗刻が…私には来てほしい。そんな中、竜君から西が切られた。

「え?」

 思わず声を出してしまった。あり得ない、と思った。竜君は私に鳴かせてくれるとは思ってなかったからだ。それともこれは竜君のミス?ますますあり得ない。何か、何かあるんだ。透華さんが牌山に手を伸ばす。

「まっ、待ってください!すみません、ポンします」

 でも、考えている暇はない。罠でも、鳴こう…。
 次巡ツモって来たのは三萬、さらに次巡四萬。

咲 手牌

三三三四四四九889  ポン 西西西

 罠かもしれないけど、それでも何かが変わってきた。最終的にはマイナスになるのかもしれない。でも、もし何もしないで死んだら、絶対後悔する。
 さらに次巡、西をツモった。嶺上牌は8索。いつもなら九萬や9索を重ねた後にカンをして嶺上開花に行くけど、今は、今カンしよう。
 私はその後現物だった9索の方を切った。結果は流局。テンパイしたのは、私と竜君。

咲 手牌

三三三四四四九888 カン 西西西西

竜 手牌

五五五五六七八九九九発発発


 上がり目は無し…でも、一歩前進ってことにしよう。


南二局終了時

透華   14200
咲(親)   1600
染谷   17200
竜    67000



「一本場です」
 


 私は大きく息を吸って、少しでも自分を鼓舞するように、言った
 









[19486] #17 宮永咲 その3
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2013/05/13 07:05
 強くなったのは自分を変えていったから。同じところに留まらないで前に進んだから。そんな感じのことを京ちゃんは言っていた。確かに京ちゃんは変わった(変わってないところもあるけど)。麻雀においては昔は猪突猛進って感じだったけど、あの対局では、止まるところではしっかり止まって場を冷静に見る力、そんな所が京ちゃんにはあった。
 私も、京ちゃんのように変わった方がいいのだろうか。でも変わるっていうのは、過去の自分を否定するってことだと思う。過去の自分を捨てることが、私にはできるのだろうか。はっきり言って怖い。
私はこれまで自分の麻雀に、戦い方に自信があった。でもそれは勝ち続けてきたから…。家族での麻雀でも、お年玉を巻き上げられるのが嫌だったから負けていただけで勝負とは程遠いものだったし、勝負に関してなら、私は負け知らずだった。つまり私の持っていた自信なんてものは、薄っぺらの、濡れたらすぐ破けてしまう紙、あっさり崩れてしまう豆腐のようなものだったってことなんだ。一回負けただけで、自分には上がいるって知っただけで崩壊してしまうんだから。そんな自信なら、捨ててしまった方がいいのかな。
 でも…竜君の言葉が、引っかかる…。

「竜君は負けたことはあるの?」

 昨日、私は京ちゃんにそう質問した。そしたら京ちゃんは

「竜に同じ質問をしてみな。『…勝てば生、負ければ死…。それだけのこと…』って返すからよ。何かっこつけてんだかな。あいつも」

 負けることを許されなかった。それが竜君…なんだ。京ちゃんの話では、竜君は部に入る前はずっと一人だった。勝つから自信を持つとか、負けるから過去の自分を捨てて新しい自分に変わるとか、そういう世界に竜君はいない。自分しかいないんだ。信じれるのが自分しかいない。どうしようもないから、そうしているだけなんだ。
 
「ツモ…500オールの一本場です」

咲 手牌 

四五六九九③④⑤12666 ツモ 3

ツモのみ 

 染谷さんのマネって感じなのかな。流れが移動したのか、あっさりツモれた。前の私なら、ここからスタートするんだっけ。山に登るように、少しずつ体を空気に慣らしていくように、手を少しずつ高くしていく。そして最後に山のてっぺんで、強く咲き誇る。それが、私の麻雀。それが私の歴史。
 これから、私は自信を持ってそれを敢行すればいいのか。でも、相手は私より遥か高みにいる、山よりも雲よりも高い所にいる竜君。思い返せば、竜君は大会で頂点に登った私に、青い雷(いかずち)を落とした。今回もそうなら、私は何のために登るの?負けるとわかっているのに私は登るの?ダメだ…。ドロドロした気色悪い何かが、私の頭の中でグルグルと回っていて、私の思考を犯している。感情の起伏も激しい。もう少ししたら、眩暈や吐き気に襲われるのかも…。
 
「ツモ。1000オールは1200オールです」

南二局二本場

咲 手牌

③④⑧⑧234678 カン(加カン)⑥⑥⑥⑥ ツモ [⑤] 

タンヤオ赤1


 それでも世界は廻っているし、それでも局は進む。私の歴史が引き起こした習性のようなものなのか、現出した結果は、私がまた一歩山頂に向けて歩を進めたという事実だった。私は、どうしたいの?納得できる自分でありたい?納得できる自分って何?どう戦えばいいの…。私は、私の戦い方しか知らない…出来ない。

「ポン」
南二局三本場 ドラ②筒(表示牌 ③筒)

咲 手牌

②②③[⑤]⑦⑧⑧⑧  ポン 三三三 ポン 発発発

 ここから何を切ろう。打③筒で⑥筒待ち、打⑦筒で④待ちになる。嶺上牌は⑧筒。二番目の嶺上牌は⑥筒。登るなら、打③筒…。発をツモって加カンすれば、そのまま発、嶺上開花、ドラ2赤1の満ヅモ。でも…。

染谷 捨て牌

⑤三二56三(上家ポン)
③79一⑤⑥(下家チー)
 
 一萬以降はツモ切り、国士を臭わせていた。まだ張ってる感じじゃないけど、発をツモってカンした時にはアタリ…。そんな感じがする…。その原因みたいなのが竜君の両面チー(④[⑤])と、2索の加カン。新ドラは⑦筒(表示牌⑥筒)だった。まるで私の流れを阻止するかのように、単なるたった一つの鳴きなのに、そう思えてしまう。登ると…いけない。そんな気が強まってきた。
 私の選択は

打赤⑤筒…。

 論理的に選択した牌じゃなかった。気が付いたら切っていた。示した結果は『一旦戻る』だった。登るのが怖かった。私の自信など、私の歴史など、恐怖の前ではちっぽけな存在なんだと思った。だけど…。

透華 打①筒

「!?…チー!」

 鳴いた。鳴けた。私は打②筒でテンパイした。そして次巡にはあっさりツモった。

咲 手牌

⑦⑧⑧⑧ チー①②③ ポン 三三三 ポン 発発発 ツモ ⑨

役牌ドラ2 2000オールの三本場


 この一連の流れに、少し私は拍子抜けした。牌が見えていたわけじゃないけど、流れが見える人は意図的にこういうことが出来るんだろうか。あっさりと、竜君が鳴いたのにアガってしまった。いや、冷静に見ればここは下がっていいんだ。下がったことで受けが広がったんだし…もしかして、答えはこんなにも単純なことなのかもしれない。
 

南二局三本場終了時

透華 10100
咲(親)13900
染谷 13100
竜  62900


 とどのつまり、私は山を見ていなかったんだ。見ていなかったから、山を恐れたりもしなかった。山の恐ろしさなんて、知らなかった。私も、昔の京ちゃんと同じだった。竜君はそれを私に見せくれた。竜君はたぶん、そんなこと意識なんてしてないだろうけど。でも、やっぱり竜君のおかげだ。
 私は登ることを辞めなくていい。山さえ見ていれば、信念を捨てなくても、前に進むことが出来る。自分を…信じれる。勝てる勝てないじゃない…。変わる変わらないじゃない…。こんな…こんなにも単純なことを実行すればいいだけだったんだ。山は動かず、あり続けるんだから。
 だから…。


「ツモ!嶺上開花!」


 私は咲き誇っていいんだ!

南4局 四本場

咲 手牌 

⑦⑧⑨⑨⑨99東東東 カン(加カン) ⑤[⑤][⑤]⑤  ツモ ⑨

役牌 嶺上開花  赤2 

4000オールの四本場

 少しずつ、少しずつ登ろう。そうすればいつかは着くんだから。

「ツモ…」


南二局五本場 ドラ7索(表示牌6索) 新ドラ3索(表示牌2索)

竜 手牌

2223477 ポン 七七七 暗カン ⑦⑦⑦⑦  ツモ 7

タンヤオ 三色同刻 嶺上開花 ドラ4

4000・8000の五本場


 さすが竜君。簡単には登らせてくれない。でも大丈夫。もう、私は折れない。


南二局五本場終了時

透華 1200
咲(親)18600
染谷 4200
竜  76000


「竜君…」

 南三局…。山が上がる。賽が回る。私の心臓の鼓動は、最初のころとは比べものにならないくらいゆったりとしていた。

「この対局が終わっても、また打とうよ…。私、もっともっと竜君と打ちたい…」

 私はまっすぐ竜君の瞳を見て、感謝の意をその言葉に込めた。届かなくてもいい。私が言いたかっただけなんだから。

「え?…。そんな…。竜さん…また、わたくしとも打ってくださいますよね?今回は、たまたま私、調子が悪かっただけですわ!」

 透華さんが私の後を追って言った。そっか、透華さんもそうだっけ…。

「もてもてじゃのぉ、竜」

 染谷さんも…。やっぱりすごい卓についちゃったな・・・。

「勝負はまだ終わっていない…。早くツモりな…」

 微かに、竜君が笑っているように見えた…。




南三局 親 染谷 ドラ 南(表示牌 東)

咲 配牌

一四①②②②③[⑤]39南発中

 なんだろう。大きく何かが変わる気がする。悪い予感はしない。何か…。

咲 手牌

1巡目 ツモ ② 打 一  四①②②②②③[⑤]39南発中
2巡目 ツモ ① 打 9  四①①②②②②③[⑤]3南発中
3巡目 ツモ ③ 打 3  四①①②②②②③③[⑤]南発中
4巡目 ツモ ③ 打 四  ①①②②②②③③③[⑤]南発中
5巡目 ツモ ① 打 発  ①①①②②②②③③③[⑤]南中
6巡目 ツモ ④ 打 中  ①①①②②②②③③③④[⑤]南
7巡目 ツモ ③ 打 南  ①①①②②②②③③③③④[⑤]


 ……来た。あと少しで…頂上。
 しかし、私は次の瞬間目を疑った。竜君の…打①筒だ。

「え・・・?」

 竜君が、私に振り込むなんて…そんなことがあるなんて…。いったい、どういう形で切ったのだろう…。それとも、これは罠?どういう。ただの振り込みに、どんな意図がある?
 仮にこのままアガった場合、12000点。点差は明らかに離れているし、逆転にはならない。また、嶺上牌は④筒…その次が⑦筒で連カン出来ないから、このままアガっても、カンしても同じ12000点。意図は、局を流すってことなのだろうか。

「鳴かないのか?」

「え…?」

 鳴くどころか、アタリ牌なのに。竜君にはもしかして見えていないの?私の手牌が。それとも…ここは哭くべきだと、竜君は言っているの?何かが、変わる感じがする…。鳴いても同じなら、哭こう…。

「カン!」

 嶺上牌は④筒。

「ツモりました…。12000の責任払いです」

「…カンドラをめくってくれ」

「あ・・・はい…」


 これまでカンドラが乗ったことなんて無かった。それが牌が見える代償だと思っていたから。それに、あまりの出来事だから忘れていた。
 ドラ表示牌は⑨筒…つまりドラは①筒だった。12000の手が、三倍満の24000点になった。

②②②②③③③③④[⑤] カン ①①①① ツモ ④ 

清一(食い下がりで5役) 嶺上開花 ドラ4 赤1 24000


「す・・・すみません…24000です…」

 少し、恥ずかしかった。でもカンドラが乗るなんて…。これが変化?そういえば、竜君は鳴けばよくカンドラが乗る。これは竜君に近づいてるってことなのだろうか。少しの戸惑いと、少しの嬉しさが、その時あった。私は、まだまだ強くなるんだ。そう思ったら、勇気というかやる気というか、そういうプラスの粒子のようなものが、胸の中心から体の隅々まで広がっていく、そういう感覚がした。


南三局終了時

透華  1200
咲   42600
染谷(親) 4200
竜   52000




近づいてきた。あれだけ絶望的点差だったのに、近づいた。点差も、力も…。そしてオーラス…。信じられない配牌が降りてきた。



咲 配牌


[⑤]3東東東南南南西西北北北


 初めて見る…こんなわけのわからない配牌。これが運というものなんだって、私は確信した。親の竜君から切られた第一打は西…。

「ポン!」
 私はノータイムで発声し、そして3索に手をかけた。だけど、その時ふと京ちゃんとの会話を思い出した。竜君が3索を鳴く…。そしたら必ず緑一色を竜君はアガる。そう、京ちゃんは言っていた。あまりにも信じがたい、オカルトどころではない話。
 その時私は四槓子をアガれる感じがしていた。その最後の嶺上牌は感覚では赤⑤筒で、それがそのまま3索を切る理由になっていた。切ったらアガる。怖いもの見たさというより、竜君への興味から、そのオカルト話の真実を見てみたい気もしていた。その魔性のような魅力が、竜君にはあった。
 もはやその時私自身に、成長や、変化や、勝利などといったキーワードは存在せず、あるのは好奇心だけとなってしまった。そしてその好奇心に、私は身を委ねた。

「ポン」

 竜君が・・・哭いた。
 牌が、青白く光って見えた。

 そして切られた牌は、北…。

「カン!」

 またもノータイムで発声した。その間におそらくコンマ1秒もなかったと思う。早く、早く結末を知りたかった。私と、竜君だけの世界の結末を。

「カン!!」

 嶺上牌は西…。見える、牌が見える。さらに次の牌は南、次は東…それも見える。私は哭いた。

「カン!!!」

「カン!!!!」

咲 手牌

[⑤] カン(加カン) 西西西西 カン 北北北北 暗カン 東東東東 暗カン 南南南南

 そして最後の嶺上牌に私は手を伸ばした。あれは…あれは[⑤]筒…。これで…ついに、やっとわたしは………。

 引いてきたのは・・・3索・・・。そんな…。
 いや…そっか…。そうだよね…。

「・・・まだ・・・まだ、か…」

 私は、一息ついて少し自分を落ち着かせた。竜君の魔性に、魅せられちゃってた。京ちゃんなら、止めていただろうな、この牌…。そして…アガっている。勝てたんだ…私、あっさりと。


「終わったな…」


竜 手牌

2222444466 ポン 333  ロン 3


緑一色 48000


南四局終了

透華 1200
咲  -5400
染谷 4200
竜  100000



 負けた―!!!!!!!!!!!!



「竜君!もう一回!!」







「ふっ…」





また、竜君が笑った。











[19486] #18 竹井久 その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2011/10/26 22:16
 やくざの縄張り争いに一段落したことに私は安心した。打った半荘は三回。結果は、関西共部会の代打ち、白虎の一人負けで、他の三人は同点となった。その闘牌を見た組長さんたちが感動して、関西共部会を除いて、二組で領土を二分する形で落ち着いた。もちろん、私たち清澄高校付近には入ることを禁止した形。正直言って長野県から出ていってほしかったけど、うまくいかないものね。でも、緊張から解き放たれた私は、心置きなく四校合同合宿を楽しめることになった。三人には感謝している。
 四校合同合宿の目的。それは、私たち清澄の強化が第一だけど、県大会決勝、共に戦った者同士の親交を深める意味もある。リベンジに燃える人も多いからか、勝った側の私たちが招待する形になったけど、快く承諾してくれて嬉しかった。また藤田プロや、風越のコーチも混じり、ある調査をする目的もある。
 合宿初日、長旅の疲れなどを理由に、全員を自由時間にして解散させたけど、正直な理由は私自身疲れていたのもあった。部屋に戻った私は倒れこむように寝た。まだ昼の三時だったけど、そのまま翌日の朝の六時、つまり現在に至った。誰かが毛布をかけてくれていた。まこだろうか。アカギ君なら嬉しいけど、それは無いだろうな。
 合宿のメニューは九時からで、それまで少し時間があって、とりあえず湯に浸かりたかったものだったから私は温泉に向かった。まだ早いにも関わらず、先客がいた。アカギ君だった。ちなみにここは混浴で、殆どの時間は女子の誰かがいるものだから、アカギ君は人のいない時間を狙ってきたのだと思う。つまり、私はついていた。
 アカギ君は奥の方の湯に浸かっていて、朝の山の景色を眺めていた。私はその隣まで行った。もちろん、タオルで隠すところは隠している。

「やっほー、アカギ君」

「あ…おはようございます。部長」

 びっくりした様子ではなくて少し残念だったけど、心の中ではどうなのか、やっぱり気になった。

「にしても早いね」

「部長こそ」

 会話はそこで止まった。その後は、私もアカギ君もぼーっと景色を眺めていた。とてつもなく静かで、とてつもなく幸せな思いに包まれた私は、自然を頬が緩んだ。しばらく時間が止まってくれたら…。そんなお姫様のような馬鹿げた妄想が自分にも訪れる日が来たことに、私は感謝した。しかしそんな幻想も数分で解体された。

「アカギー!」

 耳に障るサルのような声が背後からしたと思ったら、その音源はアカギ君の後ろから抱きついた。タオルで隠すべきところも隠さずに。もっとも、隠すほどの胸も無かった子供だったが。

「あ?なんだ?天江か…」

「アカギ!遊ぼう!」

 馴れ馴れしいわね。

「天江さん…どうしたのこんな時間に」

 なるべく笑顔を保つつもりで話しかけたが、たぶん笑っていなかったかもしれない。

「衣はアカギを探しに来た。部屋にいなかったからな」

「合宿のメニューは九時からよ?その時間になれば、嫌というほど打てるわよ」

 帰れ。

「衣は早くアカギと打ちたい!」

「ふー。やれやれ…。とりあえず離れろ…。打ってやるから…。今からな。部長、動かせる自動卓あります?」

「え…えぇ一応…でもアカギ君ちょっと待って面子はどうするの?」

「二人でも麻雀はできますよ。あの『二人麻雀』…」

「あ…そっか…。でも待って……。私も混ぜて」

 あれを、なぜか他の女の子とやってほしくなかった。

「別にいいですけど。部長どうかしました?」

「なんでもないわよ!」

 潰す。天江衣…。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 面子はなぜか四人になった。見かけた風越の部長さんが、私も入れさせてくださいって。その人は個人戦優勝者で全国に駒を進めた人で、アカギ君や天江(心の中ではもう呼び捨てにする)のような相手と打ちたいのはわかるけど、どうもそうには見えない。さっきから私の方をチラチラ見ているような…。でも、この子とももう一度打ってみたかったのもあったから、まあいいか。どこかで見覚えがあるような。でも思い出せない。
 計八つの自動卓のある広間にたったの四人。場は当然の如く静かで、わずかな音も広間に響いた。やけに緊張感のある空気で、まるで県大会の再現だった。誰か、2、3人でもいいからギャラリーが来てくれないだろうか。この重い空気…好きだけど、今は気分じゃない。

「アカギ、前の衣と思うなよ」

 賽のボタンを押した天江が切り出した。

「ほう…どう違うんだ?」

「衣の支配は、もっと広がったぞ」

「……広がった…か。あれから……。……楽しみだな」

 広がった?たしか彼女の支配は『海底撈月』。他者のテンパイ率を下げ、自分は海底であがる…。そういう力。でもそれは、満月の夜ほど高くなるもので、朝の現在ではその支配は格段に落ちるはず。それが、広がる?

「あの県大会決勝の後半みたいな感じかな?」

 一応、質問してみた。後半の天江の支配は『海底撈月』とは明らかに違う、『豪運』による圧倒的支配だった。その支配を『ものにした』としたら…。

「いや『アレ』はもう衣には無い。アカギに『打ちこんだ』からな…。それに『アレ』は衣のではない。だが『コレ』は衣のものだ」

 『打ち込んだ』…。オーラスのあれか。唯一支配の届かなかった裏ドラ。その直撃を受けて、天江の中で何かが変わったのだろうか。

「アレとかコレとかわかんないなぁ」

「打てばわかる」

 いちいちカンに障る。まあいいわ。『ソレ』もろ共叩き潰してやるわ。






[19486] #19 福路美穂子 その1 
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2011/10/26 22:16
東一局

東家 アカギ(親)  25000
南家 福路     25000
西家 竹井     25000
北家 天江     25000

(上埜さんを見かけたからついてきてしまってこうなってしまったけど、空気が重いというか、ピリピリする)

 竹井の表情は一応は笑顔だがその眼は笑ってなかった。一方天江の方は、竹井から発せられているプレッシャーを気にもかけておらず、アカギとすぐに打ちたい、そういう思いでいっぱいだった。

(それにしても、やっぱり上埜さんは私のことを覚えていない。個人戦では当たらなかったし、直接対決は県大会決勝以来になるけど。この合宿でも、上埜さんとは打てる回数は限られているし、少しでも多く打ちたい。三年前のインターミドルで私を苦しめたあの不思議な打ち回しを、もっと見たい)

 竹井久ともう一度打つ。福路の目的はそれもあったが、天江衣と打ちたい気持ちもあった。後世のために、天江の言う新しい支配の調査、そして後輩の池田華菜のために。

「ツモりました。700・1300です」

 5巡。早い段階で福路はアガった。今はまだ朝。夜でも満月でもない今、天江の支配は弱い。天江の新しい力についても、まだわかるわけもない。しかし福路には気になる点があった。それは彼女の視点移動。視えないはずの、相手の手牌を比較的よく視ていた。河よりも。海底よりも。そして次に山も視ていた。これも視えるはずのないものだった。


「リーチ」

 東二局、6巡目で天江からリーチが入る。これまで、彼女のリーチは海底一巡前が比較的に多かった。一発で確実にツモれるためである。

「ツモ…2000・4000」

 そのツモは一発。しかし、その形は不自然なものだった。


天江手牌

三四五六六六3566667 ツモ 3

リーチ一発ツモタンヤオ(40符)

2000・4000

捨て牌

南西⑧⑨中二(リーチ)


 最後の二萬を残しておけば、一、四、七、二、五萬待ちの多面張。それを捨てての3索単騎の不合理な待ち。海底一巡前なら理解は出来るが、今回はそうではない。

「あらー?アカギ君のまねかしら?」

 竹井が言った。表情は穏やかだったが、声からは嫌味のように聞こえる。あの形は合宿初日の、清澄男子四人の対局、その東一局のアカギの手牌、その形に似ていた。



◆ ◆ ◆



清澄男子戦東一局


アカギ手牌

二三四五六六六777789

捨て牌

南西⑧⑨中1(対面ポン)


 この形なら1索を切った時にリーチでも十分よかったのかもしれない。だが、次巡3索をツモってきており、1索をポンした対面の傀はその時には辺3索待ちになっていて、リーチをしていたら振り込んでいた。リーチ自重。アカギの後ろで見ていた福路は、そこまでは理解できた。
 しかし彼女は、3索単騎のリーチは意味が分からなかった。後の下家の竜君の3索切りを防ぐためなのか、それとも三家和に合わせるためなのか…、謎が多いリーチだった。


◆ ◆ ◆

(そういえば、アカギ君も悪待ちが多かったわね)

 そう福路は思い出した。

「『貴様』と同じにするな…」

 竹井の嫌味に対し、天江が返した。

「あら?何のことかしらね天江さん」

「ま……まぁまぁ、そこらへんで…」

 重い。ピリピリしている。そんな空気を、彼女は何とかなだめようとした。

「ククク…まぁ、違うだろうな…その待ちは…」

「ほう…もう分かったのかアカギ」

「まぁ、だいたいな…」

「えー教えてよー」

「なに、難しいものでもありません。部長もすぐにわかりますよ」

 アカギの発言から、今のアガリに、天江の新しい力が隠されている、ということらしい。だが、福路には見当もつかなかった。
 東3局、またも早い段階で結果が現れた。5巡目の竹井の振り込みである。相手は天江。

天江手牌

四③④[⑤]123456789 ロン 四

一通赤1 5200

天江捨て牌

⑨北南②


 またも不可解な単騎待ち。天江衣に関しては、不可解な待ち自体は珍しいものでもない。相手の心理を突いての変則待ち、直撃狙いは大会でもよく見られた。

(そう華菜に対してもしてきたように)

 この待ちはそうにも見えない。天江は竹井とはこれが初戦。心理を読むための基盤はまだ出来ていない。

(もしかしたら、心理ではないものが視えているのかもしれない。例えば、相手の手牌を全て透けて…。いや、早計すぎる…かな。そうミスリードさせる……アカギ君のような戦術の一つかもしれない。でも、天江さんがそうするようにも思えない。天江さんは純粋な印象を受けるし、これまで彼女は感覚で打ってきたのだから)

 福路は思考を巡らす。しかし、開始数分もたたない今の段階で、結論が出せるものでもなかった。


東三局終了時

アカギ  21700
福路   23700
竹井   17100
衣    37500


 東四局は流局した。

「残念だ…。この局でアカギに止めを刺せると思ったのに…」

衣手牌 

四四四五五五⑦⑦⑦333北


四暗刻単騎。県大会決勝、その後半の『豪運』がまだ残っているとも思わせるような形だった。

「そう…うまくいくもんじゃない、ってこと……ノーテンだ…」

「ノーテンだと?張っているだろう。もう衣にはそういうブラフは通じないぞ」

 アカギは福路の方に目だけを向けた。その目は、何を言おうとしているのかを、彼女は考えた。彼女の手もテンパイの形だった。


福路手牌

一二三四[五]六七八九南南北北

(普通なら、テンパイ宣言…。でも…行ってみよう…)

「ノーテンです…」

 福路は天江の反応を見た。特に、注目もしなかった。

(アカギ君のみを意識しているのかな…。それとも…アカギ君のは『視えていて』私のは『視えていない』?それに、さっきから気になるのは天江さんの視点移動。この四局とも、その焦点は、第一に相手の手牌、第二に山、第三に河だった。河に関しては殆ど見ていないに近い。そして…今の出来事…。勘ってのは当たるものなのかしら)

「ククク……天江……どうやら今回の俺の相手はお前じゃないみたいだ…」

「なんだと?どういうことだアカギ」


 この対局は自分とアカギだけのものであり、他はただのモブ。そう思っていた天江にとっては意外な一言だった。

「それは聞き捨てならないわねアカギ君」

 名前すら呼ばれなかった竹井にとっては、怒りの感情もその言葉に込めていた。


(これはかなり厄介…まるで傀と打っている気分だ……面白い…)

(風越の部長さんか・・・確か…)

「福路美穂子…さん、だったわよね?」

「え?…ええ」

 眼中には無かったが、アカギに『指名』されたのもあり、竹井は福路を意識した。

「どっかで、見たことあるんだけど…前、会ったかしら…」

 真実はそうであっても、竹井に声をかけられた福路にはそんなことは知る由もない。ただ、単純に嬉しかった。

「はい…インターミドルで…三年前の…」

「あれ…?ちょっと待って…。あ…もしよければ、その右目開けてもらえるかしら」

「え…?あ・・・はい…」

 左右非対称の色をした彼女は、その青い瞳を他人に見せるのは恥ずかしいのか、普段は閉じている。

「あー思い出したわ。なんで忘れていたのかしら。こんなに綺麗な瞳の子なのに」

「あ…ありがとうございます……」

「え?なぜお礼?」

「え?あ、いえ……その、思い出してくれて…」

 顔を赤らめた福路は急にもじもじし始めた。

「おい、次行くぞ。早く牌を卓に戻してくれ」

 不機嫌そうに天江が急かした。そのぷくっとした表情を見て、竹井は無言でニヤニヤした。



東四局一本場 親 天江

「リーチ…」

 9巡目にアカギからリーチが入った。問題はそこではなく、アカギのリーチ後、天江が現物オンリー、完全に降りにまわった、ということだった。福路は最初は天江にはまだ、アカギへのトラウマがあるのかと思った。だが、先の推理通り、相手の手牌が視えているのなら、あるいは山も見えているのならアカギのリーチは怖くないはずである。
 5巡後…

「ツモ」


アカギ手牌

 三四[五]七八九③③③456西 ツモ 西

リーチツモ赤1

1000・2000の一本場

捨て牌

南北⑧⑨13
西一二(リーチ)五⑤西



 単騎待ちに対してはもはや誰も驚かなかった。驚愕すべき点は、捨て牌に西が『2枚』ある点であり、フリテンの単騎待ちである点であった。しかも、二枚目の西はリーチ後である。
 その意味を理解できたのは、天江衣ただ一人であり、天江はまたもアカギに恐怖を覚えた。


東四局一本場終了時

アカギ  25000
福路   21600
竹井   15000
天江   38400








[19486] #20 福路美穂子 その2 
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2014/01/22 20:20
 最も最悪の待ちは何か。竹井久は時々考える。待ちが悪ければ悪いほど、彼女の和了率は上がる。非合理的だが、帰納的推論から彼女は『もうそういうものなんだ』と割り切ってしまっている。相手の心理を読み切って、結果的に悪待ちになるアカギや、最速のルートを辿った結果悪待ちになる天江とも違う。それらの目的のための過程をすっ飛ばして、ただ悪待ちに向かう。それが、竹井久の麻雀のメカニズム。

(だから…)

南一局 親 アカギ ドラ 三萬(表示牌二萬)

竹井手牌

②  チー 二三四 ポン ⑦⑦⑦ ポン 777 ポン 北北北

 このような、形になると竹井は安心する。悪待ちの一種と言える裸単騎。警戒が真っ先にされ、まず出アガリは厳しくなる。また、単騎待ちゆえに、待ちは少ない。しかも、この形の最も悲惨なところは、役が無いことである。それでも竹井は安心する。それでもアガってしまうのだ、と。

「カン」

 竹井は7索を加カンした。

(たとえば、こういうこととかね…)

「竜君じゃないけど…ごめんなさい、ツモっちゃったわ」


竹井手牌

②  チー 二三四 ポン ⑦⑦⑦ ポン 北北北 加カン 7777 ツモ ②

「あら…新ドラ乗っちゃった。3000・6000ね」

新ドラ 7索(表示牌6索)

嶺上開花ドラ5 3000・6000


南一局終了時

アカギ  19000
福路   18600
竹井   27000
天江   35400



(さすが、上埜さん…といったところね…。そしてこの局も天江さんの打ち方には違和感があった。上埜さんが裸単騎になったとたんに攻めっ気が無くなっていた。やはり、視えていた、っていうのは私の考えすぎで、実際は視えていないのかしら。あるいは『視えないことがわかっている』…とか。うん。そっちの方が筋が通るわね)

南二局 親 福路 ドラ 北(表示牌 東)

 福路は天江の視点移動に対し集中的に観察した。南二局が開始されたとたん、天江が他家の手牌を眺めているのを、福路は観た。まだ何も切られていないのになぜ視ているのか。それをもう少し詳しく観るため、彼女は理牌の速度を少し落とし、さらに天江の眼球の動きを観た。

(『視ている』時間が、一定じゃない。寧ろ、極端に…まるで『視ていない』ポイントがある。全ての牌が視えているなら、おそらくそれはない。ふふふ。わかってきたわ。天江さん…)

 福路の推理はこうである。天江は牌が透けて視えている。だが、全ての牌が視えているわけではない。天江の視点移動の観察の結果、同じ種類の牌の4枚中3枚が視えている。過去の観察記録も統合し、福路はそう結論付けた。

(ならここからは簡単ね)

「天江さん。ロンです…一盃口のみ。2000です」

「うっ…」


福路手牌

①①②②③③345789二 ロン 二

一盃口(40符) 2000


(視えていない牌でこっそり待てばいい)

 福路は天江の視点移動から、何が視えていないかがわかる。今回の場合。彼女の手牌では①筒、③筒、7索、9索、二萬が天江には視えていなかった。天江から福路の手牌を視れば

?①②②?③345?89?


 の形であり、テンパイしているかもわからない。今回天江からアガれたのは偶然だが、天江にとっては不規則な待ちでの直撃のため、衝撃は大きかった。

(この程度の能力を誇っていたなんて…天江さんも結構子供なのね。新しいおもちゃが手に入って、自慢している子供みたい。それにしても華菜…。華菜を苦しめたものが、こんな小物だったなんて…)

 表には出さなかったが、彼女の心中は落胆を含んだ怒りで満ち溢れていた。


南二局一本場、福路の観察は続く。

(今度は殆どが視えていない。なら…)

「リーチ」

(リー棒一本。もう11巡目で、天江さんの手も肥えている頃だろうけど、これで天江さんは降りるんじゃないかしら…ふふふ…)

 状況は福路の予想した通りになり、天江は降り、そして彼女は難なくタンピンの2600オール(一本場)をツモった。
 彼女の観察はさらに鋭さを増し、二本場に3900(4500)を、三本場に7700(8600)を天江から奪った。


南二局三本場終了時

アカギ  16300
福路   41800
竹井   24300
天江   17600



 不可解な待ちに3度振り込んだ衣は、その表情に自信を無くしていた。体格相応の年齢の子供のように、その状況に怯えていた。県大会決勝のアカギと戦っていた時のように。

(まだよ…まだよ天江さん…。私と華菜の無念は、そんなもので晴れるものではないわ。華菜は一年苦しんで、そしてまた一年苦しむのよ。一年、自分を責め続けてきた華菜が、またもう一年…。天江さん。あなたには、この合宿で、二度と私に挑めないよう、そのメンタルを再起不能にしてあげる)

 福路は次にアカギの方を見た。

(アカギ君…。天江さんの謎が解けたのはあなたのおかげでもあるけど、でも、あなたも華菜を苦しめた人の一人。まだ、動きを見せてこないけど、来ても返り討ちにしてあげるから…)




南二局四本場 ドラ 九萬(表示牌 八萬)

 既に天江の心は限界に来ており、かつ、この流れを何とかしなくてはと思っていた。そんな天江が選択した道は、差し込み。天江から視えているアカギの手牌は


アカギ手牌

二二三三四四①②③78北北


 という形であり、奇跡的にすべての牌が視えていた。天江はアカギの待ちである6、9索のうち9索を持っていた。役は一盃口のみの安手(北は自風のため平和はつかない)、差し込みには絶好の形だった。無人島でSOSの信号を空のヘリに送るように、助けを求めるように天江は9索を切った。しかし、アカギはスル―。見向きもしなかった。天江の表情はさらに絶望感を増した。
 その光景を、もちろん福路は見逃さなかった。

(あの9索…差し込みね。王子様に助けを求めた…か。残念だったわね天江さん。天江さんの視点移動から、アカギ君の手は全部視えている。9索は、間違いなくアタリ牌…)

 福路も手牌に余り牌という形で9索を所持していた。


福路 手牌

七七八八九九九九349西西


(アカギ君は今ラス…。直撃を奪いたいとしたら、当然私から。直撃狙いの麻雀は、彼もする。当然山越しだってする。天江さんの差し込みの見逃しは、私からの直撃狙いの布石、と言ったところかしら。私はそんな陳腐な作戦には引っかかりませんよ?)

 福路のこの考察は、次の瞬間に崩れ去った。
 天江からの差し込み拒否の同巡、アカギは9索をツモ切った。

「え?……」

 福路は思わず声を出してしまった。

「あ…その…すみません。なんでもありません……」

(どういうこと?その牌を切ったら…私からの直撃は出来ない。ツモアガリもしない…。狙いは一体何…?)

「通るのか?」

「え・・・えぇ…」

「なら…リーチだ…」

 ますます福路には理解できなかった。差し込みも、ツモアガリも拒否してのリーチ…。メリットなどどこにもない戦術…。
 福路は同巡2索をツモる。9索が安牌と知った今、躊躇わず打9索でテンパイにとった。しかし、リーチは自重した。

「ツモ…一発・・・裏は二つ…3000・6000の四本場…」


アカギ手牌

二二三三四四①②③78北北 ツモ 9索

裏ドラ 北(表示牌西) 

リーチ 一発 ツモ 一盃口 裏2 3000・6000の4本場


(これは…こんなことが・・・。偶然?それとも、彼も視えているの?)

「ふー。……やっぱり手ごわいなあんた…。まったく…堅い」

 アカギは福路を指した。

「あ・・・はい・・・?」

 若干混乱気味だった彼女の反応は鈍かった。

「こうでもしなきゃあんたは揺るがないからな…」

(まさか…私を動揺させる為『だけ』に今のリーチを…?もしかしてツモる確証なんて、無かったの?……。そんな、いやあり得るわ。彼は県大会決勝。負けられないはずの戦いでも、平然とノーテンリーチをした。しかも、その結果はまったく報われないものだった。でも華菜は、それに惑わされた…。鶴賀は、それで足を止められた…)



南三局 親 竹井 ドラ四萬(表示牌 三萬)


「リーチ」

アカギ捨て牌

北(リーチ)


 そのダブルリーチは福路を思考の迷宮に引きずり込んだ。

(ダブル…リーチ…。待ちは…まったくわからない。一応、手牌に北(現物)はあるけど
…。この局は降りれるだけ降りるわ…)

福路手牌

二三四①②③⑤347南西北 ツモ 2 打 北

(これだけの配牌をもらって降りないといけないなんて。でも『観察』は捨て牌が観えての観察…。ダブリ―はどうしようもないわ…)
「チー」

 次巡、天江が竹井から、2索を鳴いた。3、4索を持っての両面チーだった。

(天江さん…流れを変えようとしているの?)

「カン」

 ダブリ―をしたアカギが8索暗カンをした。新ドラ表示牌は7索…。つまり新ドラは8索。ドラ4が確定した。

(なんて…運…。いや…この光景…)

 福路は県大会決勝、大将戦を思い出した。その前半戦東一局、東二局とほぼ同じ光景だったからだ。アカギがリーチ後、暗カンをし、カンドラが乗る。その光景と。しかも、その時のアカギのリーチはノーテンだった。

(まさか、このリーチ……ノーテン?…じゃあなんで。あ・・・)

 暗カンが入ったことにより、その局の海底は天江…。つまり、自分が降りることで…天江が海底をツモるかもしれない。そう福路は思ってしまった。

(いや・・・それなら筋が通るわ。ダブリ―をしたのは、その時の海底が天江さんだから。暗カンをしたのは、天江さんがチーをして海底がずれたから(暗カンをすれば海底は天江さんに戻る)。天江さんにもう一度流れを掴まして、私を削るつもりね。確かに、自分の麻雀は比較的に堅いものだと思う。振り込みもほとんどしない。だけど、流れを掴んだ天江さんには、振り込むかもしれない。天江さんには牌が視えている。さっきのアカギ君のように、全ての牌が透けてしまう…そういうこともあるかも…)

 福路は降りず、最速でアガる道に切り替えた。

(ノーテンなら…攻めれる。上埜さんや、天江さんに今流れは無い。これだけの配牌をもらっている私には、まだ勢いがあるわ)

福路手牌

第二ツモ 6索 打 西 二三四①②③⑤23467南
第三ツモ 8索 打 南 二三四①②③⑤234678
第四ツモ ①筒

(4連続有効牌…流れはある。打⑤筒を切れば三色付きもある。ここはリーチもかけよう。今は、何を切っても通るのだから)

「リー……」



「通らないな…。…ロン」

「は・・・・・?」

(え?)

アカギ手牌

七八九[⑤][⑤]⑥⑦⑧東東 暗カン 8888 ロン ⑤

ダブリ―ドラ4赤2(裏ドラ無し)   16000



(…………やられた………完全に私…乱されてる……)

 彼女の敗因を述べるなら、考える必要もない部分まで思考を巡らしてしまった点である。アカギのダブリ―の意図など、あるいは天江の『海底撈月』など、考える必要など無かったのだ。そこまで考えてしまったのは、アカギのミステリアス性を含んだ戦術に、福路が呑まれてしまったからかもしれない。




南三局終了時

アカギ  45500
福路   19400
竹井   20900
天江   14200



南四局  親  天江 ドラ1索(表示牌9索)


 オーラス、天江に流れが訪れた。『海底撈月』の支配である。満月でない今…その支配は弱く、この半荘に訪れるかどうかもわからなかった支配だが、ようやく訪れた。

「衣は、やっぱりこっちの方がいい…」

 海底一巡前(海底はアカギ)天江は⑤筒を暗カン(海底は天江)し、そしてリーチした。当然のように、結果は一発ツモに終わった。

五六七九九九777① 暗カン 2222 ツモ ①

リーチ 一発ツモ 三暗刻 海底撈月



南四局終了時

アカギ 39500
福路  13400
竹井  14900
天江  32200


「満月だったら…これで衣がドラを乗せて勝っていたんだからなアカギ!」

「おいおいまだ勝負は終わってないぜ。お前親だろ。連荘しろよ」

「当然だ!」

(もう流れは来ない…かな…)

 福路は半ばあきらめていた。ずっと開いていた右目も、もう閉じていた。

「キャプテン!!!」

後ろから、後輩の声…。池田華菜が、そこにいた。

「華菜?どうしてここに?」

「どうしてって部屋にいなかったですから…探していたら、ここにキャプテンがいて…ってそれより、キャプテンあきらめないでください!」

「え?私…そんな」

「諦めてますよ!背中からそんな感じ、伝わってきます!」

「ククク…言われちまったな…」

「うるさいな、お前は黙ってろ。一年のくせにキャプテンに向かって…」

「いえ…いいのよ華菜…ありがとう…。でも私、諦めてたわ。風越のキャプテン、失格ね」

 その声は、半分涙声となっていた。

「そんなこと!無いですよキャプテン。情けないこと言わないでください」

「ええ。…だから、私は…もう一度頑張るわ。華菜が経験した絶望…それとは程遠い点差…まだ逆転もできるわ。私…あきらめないわ」

「キャプテン!」

「おい。話は終わったか?賽を回すぞ」

「ふん!天江衣!あれであたしに勝ったと思うなよ!この合宿で、お前をギッタンギッタンにしてやるんだからな!」

(合宿…そうね…合宿はまだ…始まったばかりだわ……)



南四局一本場 


「あのさぁ…」
 
 竹井が頭を掻きながら言った。

「上埜…さん?」

「あ、私の旧姓知ってるの?あ、そっか三年前は上埜だったわね。いやそれより、ちょっと私が空気かなーって思ってさ」

「それが…どうかしましたか?部長?」

「つまりさ、私が言いたいのは…あ、そこの風越の大将じゃないけど…」

 竹井は一度大きなため息をした。

「そろそろまぜろよ!ってことよ!」

「パクんなし!!」


四校合同合宿は、まだまだつづく













[19486] #21 天江衣
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2013/04/03 08:24
 県大会決勝を終えた天江衣は、その翌日、これまで一度も入らなかった今は亡き祖父の書斎に足を踏み入れた。祖父のことについては、幼いころの記憶では、天江にとっては畏怖の存在であったからか、近寄りがたく、記憶も殆ど無かった。その男は、怪物と言われていたからである。
 両親を失い、友人を失った頃、天江は祖父を意識し始めた。祖父も自分のように孤独だったのかと思うようになった。その頃に一度、天江は祖父の書斎の扉の前までには行った。しかし、その扉から発せられる邪気のような何かが、やはり彼女を怯えさせ、結局は入らず仕舞いだった。
 アカギと打ったことにより、天江はまたも祖父を思い出した。しかしそれはこれまでとは違い、より明確なヴィジョンとして彼女の意識の中に現れた。決勝戦後半、まるでその祖父の力が自分に宿ったかのような麻雀は、彼女の祖父に対する恐怖を興味という形に変貌させた。
 書斎の中は特に変わったものではなく、入ってみれば何ともない部屋だった。しばらく誰も入っていなかったものだからか、書物にせよ、机にせよ、椅子にせよ、殆どのものに埃がたまっており、1センチ以上も積っているところもあった。天江が動くたびに埃が舞い、彼女はむせながらも部屋の中を見回った。
 机の上には黒い長方形の箱があり、その中には麻雀牌があった。その麻雀牌は透明のガラスで出来ていた。そのシンプルなデザインと、発せられる冷たい空気に天江は魅せられた。彼女はその牌について、部屋の外に待機していた鈴木という黒服に聞いた。(書斎は黒服の許可を得て入室している)
 鷲巣麻雀のこと、アカギのことを知った天江は自分の部屋にそのガラス牌を持って帰り、部屋の中でそれをじっと何時間も何時間も見続けた。それは毎日続き、個人戦にも出ず、その日も部屋で一人その牌に触れていた。天江はその牌を見て、触れることでその牌の持つ歴史を感じていた。そしてある日、普通の透けてない牌がガラスのように透けて視えるようになった。彼女はそれを、運命と思った。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆



南四局一本場 親 天江 ドラ ①筒(表示牌⑨筒)

アカギ  39500
福路   13400
竹井   14900
天江   32200


天江 配牌


一三七①③1113東南北白発


 この局、天江は最速でアガれる確信があった。これから八巡、天江が取る7つのツモ牌は、2索、二萬、①筒、①筒、1索、『黒牌』、①筒。
 勢いは継続されており、テンパイだけなら1索ツモの時点でテンパイ。天江には嶺上牌も当然見えており、嶺上牌は発。四枚目の①筒をツモった後暗カンをし、嶺上開花でアガる。それが最速のルート。
 牌が透けて視える。最初はそれは海底牌だけであったが、後に海底と同じ牌、同じ種類牌の四枚中一枚、四枚中二枚、と視える範囲は次第に伸びてきた。現在は四枚中三枚の牌及び、海底牌と同じ種類の牌が透けて視えている。満月の夜ならば、全ての牌が視えるのかもしれない。
 しかし、福路は四局で、アカギは一局でその能力を看破した。合理性よりもむしろ、感覚を重点に置いて打ってきた天江にとって、嫌でも合理的に打つことを重んじられるこの一人鷲巣麻雀が慣れたものでは無かったのもあったが、アカギはともかく、福路美穂子の対応力に関しては完全にイレギュラーだった。
 異能が、またも凡能に苦しめられる。福路への連続の振り込み、そして彼女が弱まったのは、祖父もこうだったのか、と祖父の経験を追体験している思いになったからである。一人だった彼女も、そしてその祖父も異能であり、孤高の存在であった。
 彼女が望んだものは、奇幻な手合い、同じ異能の類だった。相手が異能なら、自分と同族であり、友人が出来るということであり、そして負けても納得もできるし、理解もできる。しかし、彼女を追い詰めたのは異能ではなく、凡能。納得も、理解も出来ない上に、まるで世界の理の外の現象のようで、それは彼女を凍えらせるものだった。
 
 局は進んだ。

「ふぅ…ようやくね………」

 六巡目、竹井からリーチが入る。イレギュラーはもう一人いた。イレギュラーはそのテンパイやリーチという行為ではなく、その待ちである。

竹井 捨て牌

西東⑦2④二(リーチ)

「止めたのはいいが、アガれるのか?そんな待ちで…」

 天江は言った。天江の目から竹井の待ちは一萬単騎。二、三、四、五萬を持っている形に一萬をツモり、二萬を切ってのリーチ。つまり悪待ちである。止めた、というのは同巡すでにアカギも張っており、その待ちが一四萬というのが、天江には視えていたからだ。

アカギ 手牌

一二三四②③④234中中中

捨て牌

北白八九8⑧


「あら?天江さんには次の私のツモ牌でも視えているのかしら?未来は誰にも見えないものよ?」

 天江は戦慄した。その言葉そのものではなく、その言葉が事実であったことに。竹井の次のツモ牌は、視えない牌、つまり『黒牌』だった。感覚よりも目で見える事実よりも正確な『予感』は、その牌が四枚目の一萬であることを示していた。

(このままでは…ツモられる…なら…)

「チー!」

天江 手牌

一二三①①①111123発 チー 二 打 発



二①①①111123 チー 一二三

捨て牌

北白七③東南発

(ずらさなくては。嶺上開花でのアガリはこれで無くなるが。これで奴のツモ、つまり一萬を喰いとれる。それに、このツモがずれたことで、その次の衣のツモは…三萬。純チャンドラ3で止め、衣の勝ちだ)

「ククク…だがな天江…、事はそう単純じゃないぜ…」

 イレギュラーはもう一人…。そしてもう一人…。

「ポンします」

 その声は対面、福路美穂子のものだった。天江の打、発を鳴いた。そして打8索

(しまっ……)

 天江の思惑は鳴かれないこと前提である。それにも関わらず『生牌』の発を切ってしまったのは、彼女の焦りもあるが、天江視点では福路の手牌の二枚の発の内一枚は『黒牌』だったこともある。

(私は、まだあきらめないわ。華菜)


福路 手牌

七八九九⑦⑧⑨999 ポン 発発発

捨て牌

②6白東南中


(待ちは六、九萬…。けど、逆転には三倍満のツモが必要。この面子にもう直撃が出来るとは思わない。高めでもまだ発、チャンタ…足りない。鳴くのは悪手…でも…相手は『視える』天江さん。視点移動から、彼女は恐らくこの局は最速ルートを通れる。普通に打ったら…間に合わない)


 竹井にツモ番が回った。全ての鳴きが無ければ、このツモは天江のツモ牌。天江視点では黒牌だった牌。それを手にした竹井は顔を歪ませた。

(リーチかけちゃってるから…切るしかないわよねぇ…)

 切った牌は9索。

「カンします」

 福路は9索を鳴き、嶺上牌をツモる。その牌は、天江の計画では天江がツモるはずだった発。当然のようにこれもカンした。そして二枚目の嶺上牌は⑨筒。福路は小考の末⑦筒を切り、テンパイを外した。

福路 手牌

七八九九⑧⑨⑨  加カン 発発発発  カン 9999


(この手…まだ終わらない…)


 福路の予感は的中した。開かれた二枚の新ドラ表示牌は二枚とも8索。つまりカンした9索がごっそりドラとなった。

(これでドラ8…もし、テンパイにとっていたら高めチャンタ、発、ドラ8で倍満止まり。逆転できないでいた)

 またも、竹井の番が回ってきた。通常ならこれはアカギのツモ牌。九萬。またもツモ切るしかなかった。

(裏目!?……いや違うわ!)

「ポンします!」

 間髪入れずの福路の鳴き。打⑧筒。

福路 手牌

七八⑨⑨ ポン 九九九 加カン 発発発発 カン 9999


 そして竹井のツモ…。本来なら福路のツモ。今度は⑨筒。

(まるで清澄の副将さんね)

「ポン!!!」

 福路はまたも鳴き、打八萬。もはや危険牌などの概念は彼女には無かった。
 彼女が待った牌は、天江には視えていない黒牌だった。

福路 手牌

七 ポン ⑨⑨⑨ ポン 九九九 加カン 発発発発  カン 9999


(これで、トイトイ三色同刻ついて数え役満確定!華菜……)



 だがこの行為は、竹井の和了に貢献するものでしかなかった。天江には竹井がツモる『黒牌』が解っており、竹井はもう和了ってしまうのだと知っていた。竹井の次のツモは、竹井がリーチした時点で竹井がツモるはずだった牌。天江の予感した牌だった。
 竹井はその牌の腹を指でなぞり、ニヤリと口を歪ませた。そして牌を右手の親指の爪の上に乗せ、コイントスの要領で牌を宙に飛ばした。

「ツモ!!!」

 手牌を倒し、落ちてくる牌を右手でキャッチし、卓に叩きつけた。

「リーチツモ三色同刻三暗刻ドラ4!」

竹井 手牌

一三四[五]五五五[⑤][⑤]⑤[5]55  ツモ 一

リーチ ツモ 三色同刻 三暗刻 赤4


「これではまだ倍満…だけど、裏が一個でも乗れば、私の勝ちよ…」

(アカギ君に、初めて勝つ……か)

 もはや竹井の二着以上は確定しており、勝負は、アカギと竹井のものとなった。


 緊張の中開かれた裏ドラ表示牌は、六萬…⑧筒…白…。ドラは乗らず、竹井の手は4000・8000の一本場で止まり、決着がついた。


南四局一本場終了

アカギ  35400
福路   9300
竹井   31200
天江   24100


「あーあ。一発ツモなら逆転だったか…。アカギ君。これも計算の内かしら?」

「ククク……さあな……」


(惜しかった…のかな…。負けちゃった…。でも…諦めなかった。それだけでも、その思いだけでも…)

「華菜…ありがとう」

「え?なんでですか?それより惜しかったですよキャプテン!気にしないでください。たまたまですって。実力なら、キャプテンの方が全然上でしたし!」

「ううん…。私もまだまだ、って思えたわ。この合宿に参加して…よかったわ。こういう経験が出来て…」

「どうしてですか?」

「伸びるってことよ。私もまだまだ…フフフ」


 竹井はアカギと、福路は池田と談笑する中、天江は考える。異能も凡能も、そんなものは本当は無いのではないか。境界などはなから存在しないのではないか。異能だから違う、凡能とは付き合えない。そんなものは……ただの思い込みだったのかもしれない。そのとき、天江は心の中の何かの枷が外れたような気がした。そして、その表情は自然と柔らかくなり、アカギや、福路たちの輪の中に入った。



―もう壁はない

―天に地に、希望があふれているみたいだ











[19486] #22 原村和
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2011/10/26 22:17
 

 合宿二日目。合宿のメニューはこの日から開始されたのだが、この日のメニューの内容は、打ちたい相手と打つ、というものでほぼ自由時間に近いものだった。各々が打ちたかった相手と打った。県大会で戦った相手とのリベンジ、戦えなかった相手への挑戦、動機は様々だった。
 原村和もその中の一人であり、彼女は清澄の先鋒、傀への復讐を目的としていた。しかし、合宿のメニューは午前から始まったのだが、傀が場に現れたのは昼を挟んでの午後二時を過ぎてからだった。
 
「ここ、一つ空いてますよ…」

 原村は空いている卓を探す傀を呼び止めた。視線は向けず、声だけを送った。その卓には自分の他には、鶴賀の生徒二人が既に座っていた。加治木ゆみと東横桃子である。傀は言われるまま卓に着いた。

「午前中…居ませんでしたね。どこに行っていたのですか?」

「プロの方に呼ばれていまして、その方達と打っていました」

 傀は答えた。丁寧な物腰、言動は原村を更にいらつかせるのに十分だった。

「昨日…約束しましたよね。私との約束より大切なことですか?」

「午後には帰られてしまうそうなので」

「そうですか。まあいいです。逃げたのだと思いましたが、そうではなかったんですね。では、始めましょう」

 会話中の彼女の表情は、氷と表現すればいいのか、微動だにしないものだった。彼女はただじっと卓を見つめながら冷たい音を発していた。
 席決めにより東家は傀、南家は原村、西家は加治木、北家は東横となった。



傀   25000
原村  25000
加治木 25000
東横  25000



(先輩は上家っすか…。出来れば頭跳ねのされない下家、差し込み確実の位置に居たかったっすね。でも、この位置なら確実に差し込まれれる位置…。安めの早めテンパイを目指して、先輩をこっそり全力でフォローするっす)

 東横桃子、彼女は午前中のすべての時間、金魚の糞の如く加治木に引っ付いていた。だが、彼女のフォローが成就したケースはこれまで一度もなく、彼女は今度こそはと意気込んでいた。
 闘牌が開始された。東場は原村の独壇場と言える時間だった。ミスなく最速ルートを通る彼女の麻雀は誰よりも早く、東横もフォローする隙も存在しなかった。彼女は東一局、そして親の東二局で三連続和了を見せた。加治木や東横も安手ではあるがアガり、彼女の連続和了を止めはしたが、次局ではアガリ返されてしまい、彼女の流れは止まらなかった。



東四局終了時


傀   14800
原村  48900
加治木 17700
東横  18600



「東場、ノー和了でしたね」

 原村が言った。

「そうですね」

 傀が返した。

「少しは悔しそうな顔でもしたらどうですか?」

 原村は少し声を荒げた。傀は悔しそうな表情をするどころか、不敵に微笑んでも見せた。彼女は左手で卓を叩いた。

「何がおかしいんですか!」

 原村はさらに声を荒げた。

「あなたは知らないでしょうが…」

 彼女は続けた。

「県大会決勝、あなたと戦った優希は……もう麻雀がまともに打てなくなってしまったんです。あなたとの戦いのトラウマで、麻雀が…怖い…って……」

 正確には、片岡優希は『自分の麻雀』が打てなくなってしまっていた。得意の東場でもリーチの前には必ず萎縮しベタ降りをするようになった。また、退路を狭くする、あるいは断つ『鳴き』や『リーチ』などは出来るはずもなく、勢いこそ売りだった彼女の麻雀はその影も形も無くなっていた。

「原村和さん…だったか?」

 加治木が、彼女の話を遮るように言った。

「話なら後にしてくれないか?今は対局中だ。雑談を交えた仲間内の対局ならともかく、少なくとも君はこの勝負を真剣勝負として受けているのだろう?それに…恨みを晴らしたいのは君だけではない。こちらも睦月をやられているのでな。君だけの話じゃない」

(先輩かっこいいっす)

 東横は目を輝かせて加治木を見つめた。

「……すみません。そうですね」

 原村は引き下がった。しかしその手は震えており、納得できないことを示していた。

「再開してよろしいですか?」

「はじめてください」

 原村は間髪入れずに返した。局は再開された。



「ロンです。4800」

 南一局、原村は傀に振り込んだ。原村はその局リーチをかけており、振り込み自体は彼女にとって珍しいことではない。問題は、彼女の待ちと、傀の手牌である。


原村 手牌


二三四五六⑧⑧345789

待ち 一、四、七萬 

傀 手牌

一一一四四四七七七⑧⑧78 ロン 9

三暗刻のみ 50符2飜 4800


 原村の待ちを止め、暗刻にした形である。県大会決勝先鋒戦、傀はこれとほぼ同じ形で龍門渕の井上からアガっていた。原村はその対局を思い出した。対戦相手を、麻雀の理を愚弄したその対局を。

(待ちが広くてもアガれなければ意味がない…。そう言いたいのですか?あなたは…)

 インターミドル全国覇者。人は彼女を天才といった。実際、彼女は天才なのかもしれないし、やはり運が味方していたから彼女は頂点に立てたのかもしれない。だが、彼女は自分が天才だとも、まして運が味方したから勝ってきたとも思ったことはない。努力に次ぐ努力、それが彼女を支えてきたのだから。
 だが目の前の男のアガリは、自分自身が積み重ねてきた努力、信念、哲学を根本から否定するようなアガリは、彼女にとって許しがたいものだった。先ほど加治木に制されたこともあり、声を荒げたりはしなかったが、点棒を払う手の僅かな震えが、彼女の怒りを表していた。
 彼女の怒りは闘牌にも表れた。


南一局一本場 ドラ③筒(表示牌②筒)


原村 手牌

四五七八九778899西西

待ち 三、六萬


 6巡、比較的序盤に張ったものであり、原村はノータイムでリーチした。デジタルの彼女らしいといえば彼女らしいのかもしれない。しかし、捨て牌の乱れがデジタルというより怒りの要素が多いリーチであることを証明していた。


「カン」

 次巡、傀は六萬を暗カンした。新ドラは7索(表示牌6索)。そして、嶺上牌をツモ入れた傀はまたも暗カンした。今度は三萬。新ドラは三萬(表示牌二萬)。

(そんな…私の待ちが……消えた…?)

 原村は傀を見た。彼は微かに笑っていた。

「リーチ」

 同巡、原村は掴んだ牌、四萬をツモ切るしかなかった。

「御無礼。ロンです」


傀 手牌


四四①②③西西  暗カン 三三三三 暗カン 六六六六 ロン 四

リーチ 一発 ドラ5 18000(18300)


「裏は乗りませんでした。18000の一本場です」


 原村は思った。自分は間違っているのだろうか。いかに正しい打ち方をしていても、勝てなければ意味がないのだろうか。この男の麻雀は異常。今のアガリに関して言えば、明らかにこちらのアガリ牌を知っていて行っているようなものだった。

(そんな…。相手の牌が透けて視えているなんて…そんなオカルト……)

 偶然。そう彼女は思いたかった。だが、傀の表情からは、明らかに意図的にやっているとしか思えなかった。

「い………イカ……」

 彼女はイカサマと言おうとした。しかし、その単語は言い切られなかった。その単語を言うことは、自分が物的証拠も存在しないのに言いがかりをつけるという麻雀の素人以下の行為だからである。原村に、そんな真似は出来なかった。


南一局二本場 ドラ 1索(表示牌9索)


 2巡目に傀からリーチが入った。

傀、捨て牌

46(リーチ)


原村 手牌


四四四③⑤⑦3347  ポン 六六六

捨て牌 

西九


 同巡、原村のこの形に入ってきた牌は西だった。早い巡目の親リーであり、一巡目に捨てている西が通る保証もない。通常の原村なら降りていたはずである。少なくとも現物の4索を切っていたであろう。しかし


「御無礼一発です。12000は12600」


傀 手牌

一一[⑤]⑤⑥⑥⑨⑨88北北西 ロン 西


リーチ 一発 七対子 赤1 12000の二本場(12600)


 原村の麻雀は崩壊していた。


南一局二本場終了時

傀   52500
原村  11200
加治木 17700
東横  18600



 そもそも、半荘一回で全てが分かるわけでも決まるわけでもない。手牌が透けて視えることも、待ちをすべて消されることも、本当はただの偶然であり、次局、また次局には普通の麻雀になっているかもしれない。


(でも……でも……)


 この半荘一回が原村にとっては青春だった。彼女は青春を賭けて戦っていた。彼女の脳は理よりも悔しさが優先された。頭が悔しさで埋め尽くされた。彼女は俯き、体を震わせた。


「原村さん頑張って!」

 背後から声がした。振り向くと、そこには宮永咲がいた。

「宮永……さん?」

「勝負はまだ終わってないよ、原村さん」

「でも……私…もう…」

 彼女は声も震えていた。

「原村さん……自分を信じて…」

「え?」

「今の打…西…原村さんの麻雀じゃないよ。原村さん、自分の麻雀に自信を無くしてる…」

「そう…かもしれません……。でも、私の麻雀は……この人に通じないんです…。だったら…」

「そうじゃないよ、原村さん。勝つから自分を信じれるとか負けるから信じれないとか、そういうんじゃないよ」

「よく…わかりません…」

「私ね、さっきまで竜君と打ってたの。5回打って5回とも負けちゃったけど、それでもね、自分の麻雀取り戻せた…。竜君と打って…私は私の麻雀を捨てなくていいって思えた。だから……嶺上開花………アガったよ。だから…原村さんも、原村さんの麻雀……信じて」

「宮永…さん…でも……」

「のどちゃん…。私はもうだいじょうぶだじぇ」

 宮永の後ろから片岡が現れた。

「優希?」

「優希ちゃんもね、竜君と打って取り戻せたの。自分の麻雀。だから、原村さん…。原村さんは自分のために打って」

「私の……麻雀……」

 原村和の麻雀。それは牌効率、打点を意識し、ミスをしない徹底したデジタル麻雀である。しかし、彼女の人格はそれだけではない。デジタル麻雀を徹底すると同時に、オカルトを徹底的に否定する。それも彼女の一面である。

「宮永さん……私……もう一度信じてみます……私の麻雀を」

「原村さん…」

(宮永さんが、自分を取り戻した…。なら…信じましょう。宮永さんの言葉を。そして、私の麻雀を…)


南一局三本場 ドラ六萬(表示牌五萬)


原村 配牌

一八⑦⑧⑨25688西白中

第一ツモ 中 打西  一八⑦⑧⑨25688白中中
第二ツモ 8 打一  八⑦⑧⑨256888白中中
第三ツモ ⑥ 打白  八⑥⑦⑧⑨256888中中
第四ツモ 7 打2  八⑥⑦⑧⑨567888中中
第五ツモ 4 打八  ⑥⑦⑧⑨4567888中中
第六ツモ 3 打⑨  ⑥⑦⑧34567888中中


傀 捨て牌 鳴き牌

中⑨④三⑧7   ポン 2索(対面より) ポン 5索(対面より)

加治木 捨て牌

12(対面ポン)3[5]四

東横 捨て牌

1⑨1


 2、5、8索、中待ちの多面張。だが原村は既に2索を切っておりフリテン。出アガリは不可である。多面張だけなら彼女はフリテンでもリーチしたであろう。しかし、残りのアガリ牌は8索と中の一枚ずつである。今の彼女はそんなリーチなどしない。
 同巡、傀は加治木の切った発をポンし、打8索。原村の待ちであるが、当然アガれない。彼女のアガリ牌の殆どを喰い、そして彼女を愚弄するかのような捨て牌。先刻の彼女には許しがたい行為だったであろう。しかし、現在の彼女はその状況を単なる一つの事象として観た。そして計算し、光よりも早く答えを導き出した。自分がどこに向かうべきかを。原村和の精神状態は氷そのものだった。
 

(さっきから何回も飛ばされるっすねー。でもいいっすよ。それで私のステルスは完成するッすから…)

 東横は原村や加治木に対しては消えれない(加治木に対しては消えたくない)ことを知っていたが、傀に対しては消えれると思っており、加治木への差し込みが不可なら傀からの直撃によって流れを断ち切ろうと考えていた。

「ポン」

 そんな東横の打中を原村は鳴いた。そして打3索。(結果的に傀のツモ番は飛ばされたことになる)

(やっぱり…視えているっすね)

 原村のこの鳴きによって彼女の待ちは、3、6,9、4,7索となる。またもフリテンであるが、その待ちは増えた。
 次巡、その理に応えるように、彼女はツモった。

原村 手牌

⑥⑦⑧4567888 ポン 中中中 ツモ 3索

中のみ 300.500の三本場(600.800)


「300.500は600.800です」

 その声はあまりにも冷たく透き通っていた。周りを気にせず自分の麻雀が打てた。彼女にとってこのアガリは、努力に対する褒美のようで、役満よりも勝利よりも貴重な、かつ愛おしい300.500となった。


南一局三本場終了時

傀   51700
原村  13200
加治木 17100
東横  18000












[19486] #23 加治木ゆみ
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2011/10/26 22:17
「ツモ。1000オールです」

 原村の好調は続いた。今のアガリは6巡。電光石火の疾さだった。

南二局終了時

傀   50700
原村  16200
加治木 16100
東横  17000


(調子いいっすねオッパイさん)


南二局一本場(親原村) ドラ 7索(表示牌6索)


八巡目 東横手牌


一三四六③④⑦⑧467西西  ツモ 北


(私の流れも悪い…。でも、早く流さなきゃまたオッパイさんの流れっす。でも…)



加治木 手牌


二三五六七23477788


(もう先輩とは付き合って10年(私時空換算で)…。先輩の手は透けて視えるっすよ。ドラ暗刻の高い手っすけど、今こそ差し込む時っす。下家の清澄はもう私は視えていない。対面のオッパイさんはまだ張ってなさそうだし、頭跳ねの心配は無いっす)


「御無礼。ロンです」

「え?」


傀手牌


一六六七七九九北北白白中中  ロン 一

混一色 七対子  8000(8300)


 東横の点数は10000を割った。

「視え……たんすっか?今の一萬……」

「ええ」

(清澄のサングラスに続いて、この人もっすか……。そろそろ……自信なくしそうっす…)

「もも…」

 加治木は肩を落とした東横の名を呼んだ。

「先輩?」

「大丈夫か?」

 その言葉は柔かな表情から放たれた。東横は一瞬涙ぐんだが、すぐにそれを払い、思いっきり返事をした。その後加治木は視点を傀に切り替え、言った。

「『敗者』を変えでもしたか?傀」

「先輩?どうしたんすか」

 加治木は続けた。

「久から聞いたぞ。卓に着いた時には敗者を見抜いているらしいな。ついさっきまでは明らかに敗者は原村和さんだった。だがそれは切り替わった。今度はもも。貴様の麻雀は、弱者を狩る…弱い者虐めのようなものだったのか?少し…がっかりだな」

「いいえ……。『敗者』は…あなたか…自分です…」

 傀は微笑み、答えた。

(『ヒサ』…って誰っすか?先輩)


南三局(親加治木)ドラ 2索(表示牌1索)

九巡目 加治木手牌

③④[⑤]⑥⑥⑥⑧⑧西西西白白  ツモ 西

(ふっ……あなたか自分か…か。ずいぶんと買い被ってくれるじゃないか。私を)

 加治木は西をツモ入れ暗カン。嶺上牌は⑥筒、それも続いてカンした。嶺上牌は発、新ドラは二枚とも発(表示牌白)となった。

「こういうことでいいかな?傀……」

 加治木は赤⑤筒を切った。

「!?先輩?」

 東横が驚いたのは、彼女がテンパイを外したことや、赤牌を落としたことではない。その赤⑤筒が、自分のアタリ牌であったことである。

東横手牌

一二三五六七③④66  ポン 発発発

 彼女は役牌を鳴いて早い段階で安いテンパイを取れた。加治木の親番ではあるが、彼女が望めばいつでも差し込まれる体制を作ってはいた。しかし、現在その手はカンドラが乗り役牌ドラ6の大物手となった。当然、もう東横にこの局アガる気などなかった。だが、加治木の打赤⑤筒は面子からの抜き打ち。自分への差し込みであることを東横も気づいていた。

「先輩……それって」

「アタリだったら…アガってくれるか?もも…」

 表情も、声もがあまりにも優しく、東横は応じるしかできなかった。赤牌を含み役牌ドラ7の倍満。加治木の点数は残り100となった。


南三局終了時

傀   59000
原村  16200
加治木  100
東横  24700


「これで…正真正銘…誰が見ても……『敗者』は目に見えたな。私か…貴様だ。傀」

「では、オーラスです」

 狂気。彼女の行為は狂気の沙汰だった。原村と傀を除き、その光景を見た東横、宮永、片岡は息を呑んだ。寒気もした。彼女の鋭い瞳は、獲物を射程内にとらえた肉食生物の何かであった。
 逆転には役満の直撃、あるいは自分と東横の連荘を数回経ての彼女のアガリしかなかった。彼女は後者の方を傀がさせてくれるとは思っていなかった。チャンスは一回。この一局のみだろうと予感していた。


南四局(親東横) ドラ六萬(表示牌赤五萬)

加治木配牌

一五八⑥⑦⑨459西北白発

(なかなか……いい配牌じゃないか)

 やけになったわけではなかった。そもそも、彼女の辞書に諦めるなどという字は無く概念すらなかった。この配牌は、くせ者、捻くれ者の類である彼女にとって都合のいい、自分が自分であると思える配牌だった。
 彼女の6回のツモは9索、一萬、白、中、発、発。打牌は⑥筒、⑦筒、⑨、5索、4索北。連続有効牌をツモり、捨て牌は萬子の混一を臭わせた。当然混一程度では逆転に至らない。

加治木手牌

一一五八99西白白発発発中

 だが手牌は大三元。役満を予感させるものとなっていた。
 しかし、次巡、そして次巡は4索ツモ、5索ツモと彼女は無駄ヅモを繰り返した。

(索子を持っていた方が早かったかな…。だが)

 九巡目から彼女は盛り返した。一萬、中、⑥筒、中。四枚中三枚の有効牌。そして四暗刻、大三元の形が完成した。

加治木手牌

一一一99白白発発発中中中

 次巡、傀は9索を捨てた。当然アガれない。トイトイ三暗刻混老頭小三元の倍満止まり。逆転には至らない。


加治木手牌

一一一99白白発発発中中中  ツモ 白

(役満の重複有りなら……アガってもいいんだがな)

加治木は9索を切った。大会のルールに則った対局であるため、当然役満の重複は認めてない。
 次巡、傀から白が切られる。

(さて……この白は鳴くべきだろうか。仮に嶺上牌が9索なら責任払い。まるで清澄の『竜』のようだが、それが私の麻雀に起きるだろうか。いや……どうも私とは思えないな)

 同巡加治木は中をツモった。

(さて……確認してやろうか)

 彼女は中を暗カンし、嶺上牌は二萬となった。新ドラは四萬(表示牌三萬)9索を切り、彼女は再びテンパイした。

(これが…奴のアタリ牌だとしたら…ずいぶんと舐めた『打白』じゃないか…傀。挑発しているのか?私はそんな軽い女ではないぞ)

傀手牌

一三四五六六六③④⑤34[5]

 傀は微かに笑った。
15巡目、傀は五萬をツモり打一萬。待ちを変えた。一、二萬待ちから、二、五、四、七萬待ちへ。当然のようにこの打一萬も加治木はスル―した。

「リーチ」

 同巡、意外な人物からのリーチがかかった。原村和である。

(邪魔を……するな。お前はもう取り戻したのだろう。その手も逆転手ではなく、自分の麻雀であるが故の手。そんな手で、私と傀の間に入るな……)

否。彼女の手はそんな手ではなく、逆転手であった。

原村手牌

七八九九南南南西西西北北北

 一発や裏が絡めば十分トップに返り咲ける形。彼女もまだ『勝利も』諦めていなかった。
そして同巡加治木のツモ番。まるで彼女を試しているかのように、彼女のツモ牌は発となった。

(観てやろうじゃないか)

 嶺上牌は四萬。新ドラはまたも四萬。

(奴のさっきの手出し。待ちを変えたか?)

 彼女は現物の一萬を切り、二、三萬待ちから、三萬待ちへと形を変えた。

加治木手牌

一一二四白白白 暗カン 発発発発 暗カン 中中中中

 16巡目、傀は六萬ツモる。そして打五萬。待ちは事実上三萬のみであり、原村のテンパイが傀の待ちを減らした形となった。


傀手牌

三四五六六六六③④⑤34[5]


 同巡加治木は四萬をツモり、打一萬。待ちは変わらず三萬待ち。表示牌に二枚使われているため。事実上一枚しかない三萬である。

加治木手牌

一二四四白白白 暗カン 発発発発 暗カン 中中中中


 17巡目、カンが二つ入っているため傀の最後のツモである。傀は『何か』をツモり、そっと四萬を河に置いた。また、微かに笑った。

(その牌が通れば助かる…まさかそうは思っていないよな?)

「ポン」

 加治木は初めて傀から鳴いた。そして加治木は白を切り大三元を捨てた。

加治木手牌

一二白白  ポン 四四四 暗カン 発発発発 暗カン 中中中中

(大三元は無いが、混一小三元ドラ6、それにホウテイで数え……)

 悪い予感はあった。だがこのポンは彼女の意地に近かった。ここで一萬や二萬を切らなかったのは、一萬待ちは当然フリテンであり、二萬の残りは東横の手牌にあることを感覚で知っていたためである。彼女視点で希望があるのは三萬のみであった。彼女は最後まで喰らいついた。






『御無礼』







傀手牌

三五六六六六七③④⑤34[5] ツモ 三

タンヤオ ツモ ハイテイ ドラ 4 赤1 4000.8000


南四局終了時

傀   75000
原村  12200
加治木 -3900
東横  16700



「終了(ラスト)ですね」


「まったく……つれないじゃないか、傀。挑発しておいて」

「そちらこそ」

 加治木はため息をつき手牌を手前に倒したが、その表情は穏やかだった。

「どうだ?もう一回戦…」

「私はもう結構です。ありがとうございました」

「あ…原村さん待って…」

原村は席を立ち、別の対局を観にいった。宮永や片岡もそれについて行った。

「わ……私は先輩の後ろでみてるっす…」

「まったく……貴様も嫌われたものだな」

「そのようですね」

「じゃ、私入っちゃおうかなー?」

 そこには浴衣の袖をまくった竹井がいた。

「久?」

(ヒサ…って…清澄の部長さんっすか?なんで先輩、名前で……)

「先輩……この人は…?」

「ああ…。久とは合宿前も結構会っていてな……今では……」

「へー」

 東横は遮るように声を漏らした。表情はひきつっている。

「なんだ?もも、なぜ目を細める」

(つぶすっす…)

「やぱり私も入るっす!」

「もも?」

「では…始めましょう」



賽がまた振られた。













[19486] #24 東横桃子
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2011/10/26 22:17
―――うわっ…びっくりしたぁ……いたんだ




―――こわ………



―――背後霊……




―――気持ち悪い………




 小学生の頃……言われていた。で、泣いていた。だから私は自分を消した。それらの言葉も言えないくらい、存在感を消し去った。認識すら出来ないのだから、怖がられることもない。
 でも、先輩に出会って変われた。たぶん今なら、誰に何を言われても平気。私には先輩がいる。先輩が私をみてくれる。世界が私を嫌っても、先輩だけは私を好きでいてくれる。だから私は先輩が好き………。でも…。




東四局 親 傀 ドラ ⑨筒(表示牌⑧筒)

「ツモ。裏なし……6000・12000…。傀、お前の親かぶりだな」

加治木手牌

①①⑨⑨東東南南白白中中発 ツモ 発

リーチ ツモ 七対子 混一色 混老頭 ドラ2 6000・12000

東四局終了時

竹井  15200
加治木 53200
東横  20900
傀   10700


「その手を鳴かずにアガれるとわねぇ……」

 なんだろう……。

「この面子で鳴いてアガれるとは思っていないさ」

これ……。

「私も頑張らなくちゃ…かな?」

「頑張ってくれないと困る。私たちを負かして、全国に行くのだからな」

 先輩は……笑っていた。とても自然に笑っていた。私に向ける笑顔と違って、すました笑顔って感じではなくて、とにかく自然、そんな感じの笑顔だった。

「それにしても傀…また東場はノー和了か?それともまた南場で爆発でもしてくれるのか?」

 よく……いつもよりよく喋っているように見えた。そして何より、楽しそうだった。どうしてだろうか。相手が強いからだろうか。清澄の部長さんとは合宿前も会っていたとさっき言っていた。それに…この男子に対してはさっきから呼び捨て…。


南一局 親 竹井 ドラ ⑧筒(表示牌⑦筒)

 7巡目、清澄の部長さんは上家(傀)から生牌の西(オタ風)を大明カンし、そしてドラの⑧筒を切った。カンドラ表示牌は南、西はごっそりドラに化けた。

竹井 捨て牌 晒し牌
九北三④白発
⑦⑧

チー 123 カン 西西西西

 ドラ入りの両面塔子(⑦、⑧筒)を手出ししている。混一だろうか。
 次巡、彼女は赤5索をツモ切った。イッツーなら456で赤5は残す。その時河に役牌はみえており、①筒は死んでいて三色も無かった。つまり、本筋は混一かチャンタ。赤5索を切ってるから両方かも。
 同巡先輩は5索をノータイムで合わせ打ちした。そして私の番。

東横 手牌

三三三五七②②②56789 ツモ [⑤]

 赤牌。でも混一でもチャンタでもこれは通る…。それに…この人には私は視えて無いはず…。

「モモちゃんそれロンよー。18000」

竹井 手牌

456789⑤ チー 123 カン 西西西西 ロン [⑤]

一気通貫 ドラ4 赤1 18000

 悪待ち……。そういえばこの人は悪待ちの人だった。それに『モモちゃん』?馴れ馴れしい。しかし、まだ消えれていなかった。調子が狂わされていた。この人や、そこの男子の所為だと思いたい。

「まさかモモちゃんから直撃取れるとはねー。ステルスってのは時間が掛かるのかしら」

 いちいちうるさいっす。

「さすがだな久」

「同巡止めているくせによく言うわねー」

 先輩は私には何も言ってくれなかった。それどころか、私を攻撃した者と楽しく談笑していた。まるで…私が居ないみたいに。
 思い返してみるに、先輩はさっきの半荘からおかしかった。ずっと、清澄の男子の方をみていた。
 先輩は…どう思っているのだろう。もしかして、そこの清澄の部長さんやそこの男子のことが好き?明らかに今の先輩はいつもと違う。楽しそう…。私と居る時よりも。私は先輩が好きだった。でもそれは私からの一方通行に過ぎなかったのだろうか。
 今、先輩は私をみていない。いつもなら真っ先に「もも大丈夫か」とか「ももはさっき傀にも振り込んでてな、調子が戻らないんだ」とか言ってフォローに入ってくれるはずだった。今そうでなってないということが、先輩が私を想ってくれていない証明としか思えなかった。
 所詮は私の想いは一方通行で、先輩が私をみてくれていたのは、先輩の矢印の先が他に無かったからで、他に出来てしまえば、私なんか要らないんだ。そうなんだ…きっと……。私はなんてバカなんだろう。




―――私って、ほんとバカ……





南一局終了時

竹井  33200
加治木 53200
東横  2900
傀   10700



 いや…元に戻るだけか。私を誰もみえなかった、あの頃に。
消えよう。もう、傷つくのはいや。だから消えよう。





―――消えろ


―――消えろ………東横桃子……


―――もっと……もっと……


―――もっと……………………




 誰の記憶にも残らない。記録にも残らない。それが私。


 それが私なんだ。







―――ロン……リーチ、七対子、3200は3500っす。


東横 手牌

①①③④④22西西北北発発 ロン ③

ドラ無し リーチ 七対子 3200の一本場(3500)

捨て牌

七④①北発西
④2①(リーチ)二

 対面(竹井)からの直撃。我ながら見事な和了形と捨て牌だと思う。もうこの『三人』には私はみえていない。居たという記憶すらない。振り込んだことにも気づいていない。全員の合計点にも違和感を抱いていない。だから後になっても、自分の点が減っていることへの疑問も起きない。その証拠に、一時的だけど点棒を支払ったこの人の目は虚ろだった。点棒を払う動作は機械的だった。そして、何事も無かったように次局へ。前以上に恐ろしく奇妙な現象だけど、それが今の現実。
 記憶までも支配する。これが……本当の私。だから……


―――ロン。24000っす。


 ①②③③③④④⑤⑤⑥⑥⑦⑧ ロン ⑨

リーチ 清一 一気通貫 一盃口 平和 ドラ無し 24000(子 三倍満)


 こんな高い手も作りやすい。危険牌は前以上に堂々と切れるのだから。
 私は三倍満を先輩から奪った。私は先輩の目をみた。虚ろだった。先輩にも…やはり……やはり今の私はみえていなかった。みえて……いなかった……。



―――これで……誰も私をみえなくなったんすね。本当に。



 私の声も、誰にも届かない。
 たぶん、涙くらいは流していたんだと思う。でも………もういい。



南二局終了時

竹井  29700
加治木 29200
東横  30400
傀   10700



 南三局、親は私。今三人にはどう認識されているのだろう。私が連荘していたら、いつの間にか点数がゼロになっていて、そしてゼロになっていることも気づかない。もう……勝負じゃないすね。これ……。ハハ……ハハハ………。アハハ……。




 ?




 清澄の男子……ツモらない?私はもう牌を切った。東。この牌は決してみえない。でも自分の番が来たことは分かっているはず。なのに…何故?
 この光景…前にどっかで……。いや……あり得ない。それはあり得ない。今の私は、あのおっぱいさんにもみることは決して出来ない。場に出た牌の記録さえも…残らないのだから。









―――『御無礼』  ロンです  32000  





  

―――東横さんのトビで終了ですね








 は………?




 傀 手牌

一九①⑨19東南西北白発中 ロン 東

国士無双十三面  32000 (ダブル役満は認めていない)



 私の第一打を……ロン(人和は認めていない)。国士無双……十三面……。ありえない……。こんな……。

南三局終了時

竹井  29700
加治木 29200
東横  -1600
傀   42700



「え?あれ?終わったの?」

 まるで今まで寝ていたかのような、そういった様子だった。

「も………も……?」

「どうしたんすか?先輩」

「……これ…は?」

「みえて……いなかったってことっすよ。先輩たちが」

「そんな…馬鹿な。私が、お前を視えなかったなんて…」

「気にしないでくださいっす。もう……いいっすから……」

 そんなことより、私には気になることがあった。

「傀さん……何者っすか?みえるはずのない私を、なんでみえたんすか?」

「視えるとか視えないとか…」

「そんなことを訊いているんじゃないっす!人間に!さっきの私がみえるはずはなかったんすよ!傀さん……。傀さんは……本当に人間っすか?」

 少し間を置いて、傀さんは言った。






―――自分は…『むこうぶち』ですから……














 むこうぶち……。傀さんも、私に似ているのかもしれない。いつの間にかそこに居て「なんで居るの?」「いつから居るの?」とか言われるタイプなのかもしれない。そういった雰囲気を、傀さんから感じた。



 後で、私はその言葉の意味を知った。そして、一つの疑問が上がった。



 なぜ傀さんは今………『そこ』に居るのだろう、と…。












[19486] #25 国広一
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2012/06/27 23:51




――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――















―――透華を取られる……透華が取られる………あの人に透華が……透華があの人に……いや……いやだ…………いやだそんなの…………勝たなきゃ……あの人に勝って……勝てば……きっと透華は………

―――……あの人を負かす……あの人が負ければ……透華はわかってくれるはず……透華には……あの人はいらない……透華の世界に、アイツはいちゃいけないんだ…………



「ふっ……」


―――笑った……またあの人が笑った……………






 合宿も残り二日となった。最後の一日は各校が帰宅となるため、事実上最後の一日である。
もうその頃には、国広一は確信せざるを得なかった。龍門渕透華の異変。最早彼女の目に映っているのは自分ではなく、清澄の竜であることに。このままでは透華を取られる。そう思った彼女は竜に挑んだ。しかし



「悪いナ……それロンだ………」
「ぐっ……」


 彼は牌を倒す。彼女の心を見透かしたように、嘲笑うかのように。はじめにはそうされているようにしか思えなかった。三戦連続で飛ばされ、もう彼女は震えを止めることが出来なかった。怒りなのか、悔しさなのか。それらに耐えることはもう出来なかった。

「透華、ごめん……」

 後ろで対局を観ていた透華に対し、はじめは言った。そして彼女は、自分を曲げた。

「はじめ!?」

 四回戦目冒頭、東一局、彼女はダブリ―をした。しかしその手牌は

四五九⑦⑦⑧⑨345699

 悪くない配牌だが、聴牌には程遠い形。彼女のした行為はノーテンリーチだった。しかし、透華は知っている。このリーチは脅しのためのものでは無く、和了るためのリーチであることを。国広一が『手品』をするということを。

「ツモ……ダブリ―ツモ平和、ドラ2……3000・6000」
「あわわ、親かぶりです……」

東一局終了時

妹尾   19000
竜    22000
咲    22000
はじめ  37000

 親かぶりを受け、困惑したようなそぶりをする妹尾を、はじめは一瞬睨み付けた。前三回戦のうち二回戦、はじめは彼女にも苦しめられたからである。

「はじめ……今………あなた……」
「だから……ごめん透華。でも……勝たなきゃ駄目なんだ……」
「でも!……」
「もう透華に嫌われてもいい……でも透華が、あの人の所に行くのは、ボクは耐えられないよ……」
「はじめ?な、何を言って……」

 『手品』を防ぐための拘束具は、もはや機能などしていなかった。彼女がその気になれば、拘束具など外さなくとも手品は出来る。彼女にとってツモは、不要牌を山に戻す作業と化している。今は、監視カメラなど無い。

「あンた、手品師かい?」

 対面の竜が、言った。

(!?……今のが……視えたの?たった一回で……いや、それでも)

「……何?何か言いたいことあるの?」

 竜は何も返さなかった。

(もし視えていても、カメラが無い以上現場を押さえなければ意味がない。ボクの早さに、あの人が追いつけるものか……)

 彼女のしたイカサマはいたってシンプル。ツモの際、不要牌を山に戻し、山から一牌抜く。誰にも気付かれず、静かに、そして早く。ダブリ―の状態でも手は変えることが出来、ツモは通常の二倍。
 彼女はそれだけでなく、カンをしての嶺上牌、裏ドラのすり替えなど、自動卓で出来る範囲の、かつ無難な技を駆使し、続く東2局、東3局、たった三局で彼女の点は6万弱まで伸ばした。
 しかし、竜は何もしなかった。そんな彼を見てはじめは、自分の早さに追いつけない、現場を押さえることなど出来ないと確信した。だが

「あ……ツモりました!………地和……でしょうか……和了ったの、初めてです!」

 それは、東4局で早くも崩壊した。妹尾の止めようの無い地和。つまり運の前には、早く和了る、あるいは手を高くするためのイカサマなど、何の意味も無い。彼女にとって不運なのは、彼女を囲った全員がそれを持っていたということだ。

全自動卓で天和を起こせでもしない限りは。

(でき……ないこともない……でも……)

 『道具』はある。『インビジブルスレッド』0.1ミクロン程度の太さしかないが、1㎏の荷重に耐えることのできる「魔法の糸」。
この自動卓の種類はアルティマ。この糸を利用したイカサマ、自動卓天和は存在する。
だが前提として『仕込む』ためには、ある程度局が進まなくては牌を集めることが出来ず、厳しい。一枚一枚、牌に糸をセットする必要があるからだ。
地和であがられたこの局がまさしくその例であり、牌に仕込む時間すらない。

「カン」
「うっ……」
 今度は、宮永咲のはじめからの大明カン。この局、王牌は咲の正面に配置されており、王牌をすり替える隙も無かった。そしてそのまま彼女は跳満をツモった。はじめの責任払いである。

(なんで……なんでこんな………嘘だ………嘘だ嘘だ嘘だ……)

 たったの二局。彼女は神を呪った。

 しかし、今回は仕込むことが出来た。天和のタネ。その13枚。

(これで…後は……)

「いけないナ……勝負に道具を持ちこんじゃ……」

(え!?)

 牌が卓に落とされ、スタートボタンを押し、手牌、山が上がったその時、竜は言った。
 はじめは、とっさに仕掛けを解いてしまった。

「あ……しまっ……」

(視えて……いたの?……肉眼で確認なんて出来るわけがないのに……そんな……)

明確な『証拠』が存在するこのイカサマは『物』を取られた時点でアウト。はじめはそれを重々承知の上で行っていた。しかし、それ故に、言葉一つで退いてしまった。

 そして、

「甘いな…」

 そしてまたも竜は牌を倒す。心無くした彼女の捨て牌が彼に喰われるのは必然であった。
 たった三局。彼女の目の焦点は平静を保っていなかった。それでも、手だけは技に向かっていった。

「はじめ!もうやめてくださいまし!…」

 透華ははじめの手を掴んだ。はじめは、1、2秒ほど掴まれたことに対し反応できなかった。放心状態に近かった。彼女はゆっくりと振り返り、透華の目を視た。
 透華ははじめのその瞳を見て、心が引き裂かれそうな思いになった。
怯えていた。明らかに彼女は怯えていた。何に対して怯えているのか分からない。人は死ぬ前、こんな表情をするのだろうか。絶望なのか、恐怖なのか。

「……とーか………だめだよ……今、対局中だよ………?」

 力無いその声は、ますます透華を引き裂こうとした。

「あの……大丈夫ですか?」

 はじめの異常は周りにもわかる程大きく、咲や妹尾は彼女を心配した。

「あの、少し中断しましょうか?国広さん…調子悪いみたいですし」
「わ、わたしもそうした方が良いと思い…ます」
「竜君も、いいよね?『まだ勝負は終わっていない』とか言わないでよ?」

 竜は俯いたままで応えはしなかったが、咲はそれを承諾と受け取った。咲ははじめの後ろで観ていた透華の方を向き、お願いします、とだけ言った。咲は竜の周りの人間関係に関心があり、かつ文学的想像力を持っていたのもあり、はじめの心理状態についてはある程度の理解があった。透華は咲に対し一礼だけし、はじめを手洗い場に向かわせ、自分も同行した。

「竜君……自覚ある?」

 彼女達が場を離れた後、咲は苦笑いを含めて竜に対しそう言ったが、竜は応えなかった。





「はじめ、言ってくださいまし。あなた一体……」

 彼女は俯いたまま黙っていた。透華に対し目を合わせようともしなかった。透華は同じ言葉を、今度は強く繰り返した。

「透華は!………」

 はじめは跳ねのけるように言い、そして続けた。

「透華は……あの人のこと……どう思ってるの……?」
「あの人って……」
「わかってるでしょ?清澄のあの人だよ」
「え?何を言って……」
「どう思ってるの?」
「どうって……な、何も思ってませんわ……」
「嘘……嘘だよ。わかるよ……透華のことなんて……………」
「はじめ……」
「ボクね……透華をあの人に取られるって思ったんだ…。……まあ、あの人もそんな悪い人じゃないよ。たぶん、カッコいいし。それにあの麻雀、ボクも少しだけど、見惚れちゃたくらいだし、透華の気持ちもわかるよ。でも、ボクはそれに耐えられない……だから」
「そんなことありませんわ!そんなこと……」
「あるよ!見ればわかるよ。ボク以外の人がわかるくらいなんだ。………だから、あの人を透華から消さなきゃ……勝って………勝てば………あの人は透華から消える………。そうしなきゃ、透華が……透華からボクが消えちゃうんじゃないか……って……」
「はじめ……」
「でも……ボクは透華との約束……繋がりを切っちゃた……。こんなこと、もうしないと思っていたのに……どっちみち……もう透華はボクのこと嫌いにな……」
「はじめ!」

 透華ははじめの頬を叩いた。

「はじめ……そんなことありませんわ………何で……そんな悲しいことを言うんですの?」

 声は震え、目には涙も溜めていた。

「はじめ……わたくしはあなたを嫌いになることなんてありえませんわ」
「でも……透華はあの人のこと……」
「あの人のことなど、あなたと比べたらちっぽけですわ!……あの人は、確かに魅力的な所があるのは…み……認めますわ…でも、それであなたがわたくしの前から去ってしまうのなら、耐えられませんわ。わたくしも………耐えられませんわ……」
「透華……」
「ですから……もう手品はおよし……。まっすぐなあなたが、わたくしは好きなのですから………」

 たったの一言。はじめが求めていたのはその一言だった。はじめは、繋がれている自分の鎖を見た。彼女は思った。この鎖がある限り、自分と透華は繋がっている。約束された繋がりなのだと。しかし心は、鎖から解き放たれたような、さわやかな気持ちに彼女はなれた。






卓に戻ったはじめに対し、咲は言った。

「竜君は何も言わないから、私が言うけど、私達はイカサマはしていないし、そもそも運なんてものはないよ。だから……」
「わかっている……。だから、ボクの本当の麻雀を、これから見せる……」

 局は南2局一本場から再開された。


南2局一本場 親 竜 ドラ六萬

妹尾   40000
竜    39000
咲    19000 
はじめ  2000


十二巡目 はじめ 手牌


五六②③④⑤⑦235567 ツモ 七


(まっすぐ……)


 三色を考えれば打5索を選択する場面だが、彼女は打⑦を選択。はじめは素直な両面を作る道を選んだ。
素直に…。それがはじめの選択。
 次巡彼女は8索をツモり、打②筒でリーチ。そしてその素直さが実ったのか、さらに次巡、1、4索待ちのうちの4索の方を引き、一発のツモ和了りを見せた。

「一発ツモタンピンドラ1。跳満です」

 実際は場に⑥筒が一枚切られていたので、はじめの選択が客観的に正解と言えるものだったのだが、はじめ自身は、そんな効率は何一つ考えていなかった。ただ純粋に、麻雀の基本「両面を作ってツモる」を実践しただけだったのだ。

(ん……)

 宮永咲はその和了に違和感を覚えた。何の変哲もない和了のはずだが、それは、龍門渕の天江衣や、彼女の姉、宮永照と同じ…異能性をその和了に感じた。
国広一は、今何かを支配しつつある、と。

(次局から……たぶんカンは出来ない…)

 咲はそう感じた。

南3局 親 咲 ドラ 6索


「ポン」

 7巡目、咲は、対面の妹尾から中を鳴いた。

咲 手牌


②②②2345666   ポン中中中


(これで…残りの②筒は妹尾さんに流れちゃうけど、それ以上に、竜君のツモを国広さんにまわしたかった。たぶん…竜君のツモと、国広さんのツモは…かみ合わない……。今の国広さんに、通常のツモをまわしちゃいけない……気がする)


 咲の観察、予測は概ね的中していた。はじめも既にイーシャンテンであり、萬子なら何をツモってきても聴牌になる形だった。しかし、咲の鳴きにより、はじめがツモったのは字牌となった。
 通常の流れだったら、はじめは萬子をツモったのだろうか。それが定かになる前に、その局は妹尾が咲に親満を振り込む形で終了した。

(確認…した方が良かったかな……)

 咲は竜の捨て牌を観た。筒子の染め手を臭わせる形で、仮に竜が萬子を掴んだとしたら、それを切ると思ったからだ。
 しかし、考察するまもなく状況は変化した。

(え……?何……コレ……)

 南3局一本場、違和感は明確な寒気へと変貌し、咲の周りを包んだ。
何かが……迫ってくる。


「リーチ」

(………!)

 それはダブリ―。何の変哲もないダブリ―。
 切ったのは白。咲は対子で持っていたので、間髪入れずに鳴いた。しかし

「リ…リーチします!」
「ごめん……それ……。7700は8000」

妹尾が切った牌で和了した。妹尾は咲の鳴きにより、第一ツモで聴牌することが出来たが、そっくりそのまま振り込んだ理由となってしまった。彼女にはまだ降りるという技術は持ち合わせていなかったからだ。
運の良さが仇となった
 否、今のはじめは、それさえも味方にしている状態だった。

次局。オーラス。親ははじめ。咲は鳴き、とにかくツモをずらした。だが

「ツモ。2600オール」

 一発が消えただけで、もはや彼女を止めることは出来なかった。
 ただ、まっすぐ進むだけなのに、両面を作り、ツモるための麻雀をしているだけなのに、彼女は誰よりも早かった。何かに愛されているかのように。





南4局一本場 親 はじめ ドラ 八萬

妹尾  14300
竜   30300
咲   25300
はじめ 30100


 オーラス一本場。竜とはじめの点差は200。はじめは一飜ででも和了れば逆転となる。
 流れは間違いなくはじめにある。配牌はそれを物語っていた。


はじめ 配牌

五六七八⑥⑦⑧23789東東

 またも配牌聴牌。今の彼女なら、ダブリ―をかければ間違いなく最も早く和了るだろう。しかし、はじめはそう思いきることが出来なかった。

(あの人が……このまますんなり行かしてくれるかな……)

 彼女は少考した。透華によって解放された彼女は、もはや勝敗など気にしていなかったはずである。ただ素直に打てばいい。それだけだった。だが、今彼女の前には、彼女が初期に描いていた願望、竜に勝つ、それが戻ってきていた。

(もう……勝つとか、負けるとか……どうだっていい。………でも、勝てるかも……しれない)

 それはほんの僅かだった。しかしその僅かが、彼女に思考という愚行を与えてしまった。

(リーチは、しなくていい。いや……したら駄目だ……あの人は、動けなくなったボクを狙い撃ちしてくる……)

 県大会決勝、そしてこの合宿、彼女は竜をみてきた。その打ち筋、強さを知っている。実際に相対して、それを実感もした。その過程が彼女に『選択』を与えてしまった。
 彼女は五萬を切り、リーチは自重。しかし聴牌は維持。678の三色を意識しているのか。無欲と欲の狭間から出た一打。混乱、濁り。彼女はそれらに包まれている自覚はまだない。正確に自分を認識できていない。

「ポン」

 鳴いた。彼は鳴いた。

竜 手牌 

?????????? ポン 五五五

(やっぱり…)

 はじめは、リーチ自重を正解と捉えた。たったの一鳴きだが、彼女には彼の鳴きが光って見えたからだ。
 竜から切り出された牌は、⑨筒。

「⑨筒だ。鳴かないのか?」

 その言葉は咲に対してだった。

(⑨筒は、鳴ける……。でも鳴いても…正直、勝てる…気がしない……。けど、竜君から話しかけてくれたのは、ちょっと嬉しいかな…)

 彼女は⑨筒をポンした。この鳴きは勝つ勝たないというより、竜に対しての微かな感謝であった。

咲は手牌から③筒を切った。今度は、妹尾が鳴いた。
妹尾からは西が切られ、今度は咲が大明カン、嶺上牌は⑨筒で、それをまたカンした。嶺上牌は⑦筒。

咲 手牌

④⑤⑥⑦⑧北北北 カン ⑨⑨⑨⑨ カン 西西西西

 新ドラは二枚とも西。咲は混一とドラ8の手を瞬時に手に入れた。
 咲の鳴きはあくまで、竜に対しての感謝である。しかし、完全に勝ちを諦めたわけではなかった。否、正確には諦めていたが、竜によって、もう一度彼女は歩を進めた。

(あまり信じたくないけど、妹尾さんのビギナーズラック…それは有るものだと仮定してやってみたけど……)
 咲の考えはこうである。妹尾の運が今、国広に負けているとしたら、配牌イーシャンテンからリャンシャンテン程度。妹尾の手牌にはカンの出来る③筒が三枚、咲がカン出来る北と、西を一枚ずつ持っている。
カン材のありかがわかる咲の感性は、この合宿でさらに強化され、相手がカン出来る牌までも知ることが出来るようになっていた。
以上のことから、彼女が推測した妹尾の手牌は

③③③????西北????

 という形であり、リャンシャンテンの妹尾が手を進めれば、必然的に西や北が溢れると読んだ。出来面子から③筒を切ったのはそのためである。

(カンされなくてよかったー。でも、この③筒はカンするより、ポンだよね。リャンシャンテンなら、きっと③筒は何かと連続している……と思う)

 そして咲は⑤筒を切った。理由はシンプル。次の嶺上牌は④筒。妹尾の番が来れば、まず間違いなく、妹尾は北を切る。そして嶺上開花。それが彼女の計画。

 そういった彼女の『勝ちに行く』ために放たれた⑤筒を……竜は哭いた。

(やっぱり……うまくいかないなぁ……)

 鳴かれた彼女はため息をついた。しかしその表情は柔らかく、落胆の印象は無かった。
悔しさ半分、嬉しさ4分の1、希望4分の1。

竜 手牌

??????? ポン 五五五 ポン ⑤⑤⑤

 切られた牌は白。

 咲の番が回ってきた。ツモってきたのは1索。彼女の最後の希望は、妹尾まで番が回ること。彼女は希望は捨てはしなかった。

(その牌は……!)

 1索。リーチをしていたらあがっていた。最も早くあがっていた。もはや異能の証明でしかなかった。彼女は、何ものかに愛されていた。言うなれば『麻雀の意思』に。
 そして彼女のツモ番。ツモったのは6索。

(どうしよう……『何を切る?』『どっちを切る?』『降りる?』『進む?』『リーチ?』『ダマ』?)

 言葉を知らなかった赤子が、急に沢山の言葉を与えられたかのように。はじめは自分が混乱しているのをようやく自覚した。

(何が……起こっているの?……何をすれば……大丈夫なのかな?ヒントが……無い…)

 河にある牌は、白と、1索のみ。豪運の彼女達故に起きてしまった現象。『運』が自分に対して牙を向いたのだ。


…………………………



―――考えろ…


―――考えろ考えろ……


―――あの人の『待ち』は……何?


 (ボクは……ずっとあの人の麻雀を見てきた。解る……解るはず。解るはずなんだ)

(…………三色………三色だ……間違いない……あの人の狙いは三色同刻……)

 (………そして……待ちは……9索……単騎……三色に向かったボクを……)


(いや……6索も……7、8索持ちのノベタン。どっちに行ってもアタリ……それがあの人の……)

(じゃあ……降りる?でも何を切れば……通る牌が………無い……)

(違う……降りたら……あの人に勝てないじゃないか……)

(それも違う!……そもそも……もう勝ち負けなんて………)

(あれ……?………ボクは………どうしたいんだっけ…………)



―――はじめ!


―――透華?…………透華の声………



「早く打ちなよ……時の刻みはあンただけの物じゃない」



………………………………



(はは……そうだね……ハヤク切らなきゃ……)

(もう駄目だ……。何を切ってもアタる……。あの人の麻雀はそうだ……)

(まるで後出しジャンケンのように……)

「はじめ!!」


―――違う!


(通る……何かは通る………。あの人が衣のように何かを持っていたとしても……心を読んでいたとしても……手牌が透けて視えていたとしても……『運』があったとしても……通る……通る未来は絶対にある……)

(それに……ボクに求められていることは『そんなこと』じゃない。透華が好きなボクでいたい……それだけなんだ………だから……)


「透華………ありがとう………」



 彼女はまっすぐ牌を切った。



「終わったナ………」




 それがアタリ牌だったことに、彼女は少しだけ安心した。















[19486] #26 竹井久 その2 第二部終了 第三部開始
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2013/08/03 21:04
「こんいちわー。きちゃいましたー」

 その日の午後、高遠原中学二年の、夢乃マホ、三年の室橋裕子が参加した。彼女達は原村和の後輩。竹井久がこの合宿に招待し、見学を許可した。

「せっかく来てくれたんですから、彼女達にも打たせてあげませんか?」

 その時、丁度対局を終えた福路美穂子が竹井に対して言った。竹井もそのつもりだったらしく、あっさり許可した。

「そうね…じゃあ、原村さんと…あと宮永さん、あなた達、マホちゃんと打ってくれるかしら。福路さんと一緒に」

 竹井は対局待ちをしていた和と、竜との対局を丁度終えたばかりの咲を呼んだ。夢乃と打つ相手は三人とも、個人戦で全国出場を決めた者たちだった。この合宿は彼女達のためのものでもあったため、竹井はどの道打たせるつもりではいた。

「まこー。始まるわよー」

 竹井は染谷も呼んだ。ただ打たせるためではなく、彼女にこの対局を見せるためである。


 開始された。

東家 咲(起親)
南家 原村
西家 福路
北家 夢乃

「何かあるんですよね。アイツ」
「衣も何か感じたぞ」
「あらアカギ君に天江さん。まぁ、そんなところよ」

 アカギや天江もその対局を観戦しに来ていた。

 「カン」「……ツモりました!」

 22678四六③④⑤ 暗カン 八八八八 ツモ [五](赤)

 東一局、6巡目という早い段階で、夢乃が嶺上開花をツモりあがった。

(今のアガリ……竜君?……いや、私……?)

咲 手牌

 白白⑤⑥⑦234六七西西西


 続く一本場

「リーチ」
「あっ…ポンします!」

 原村の先制リーチ、切った1索に対して夢乃が鳴いた。牌が微かに、青白く光った。

(今のは…竜君……もしかしてこの子……)

 二局目にして咲は気付き始めていた。その局も夢乃はあがった。和からの倍満。

(相変わらずですね、マホちゃん)

 東二局にして残り6000点を切った和だが、冷たい表情は変わらず、点棒を支払った。
 そして東三局

「…リーチ、します!」

 四四四②②②⑦⑦⑦88西西

 ツモり四暗刻の形でのリーチ。しかし、彼女は2巡後に咲から切られた西を見逃した。
 (いりません…ここであがるのは、違います)

 夢乃はそう思った。だが

「ロン。12000です」

 結果は和への振り込みで終わった。

「あ…あうぅ…」
「夢乃ちゃん、さっきの西であがれたよね?どうしてあがらなかったのかな?」

 しょげる夢乃に対して、福路が言った。

「ここであがるのは、違うって思ったのです」
「間違いではありません。マホちゃん。その形なら、あがれる時にあがるべきです」
「でも……そこの白髪の人なら…見逃していたと、思います」
「アカギ君よ」

 竹井が言った。

「はい。県予選で観たアカギ先輩がすごくて、マホもあーいう風に打てたらって思って…」
「アカギ君はどう?今の見逃してた?」
「ククク……見逃すも何も、まるで状況が違う……」
「それってどういう意味?」
「一局限りじゃないんだぞ。アカギの麻雀は」

 天江が言った。

(あーやっぱりわかっちゃったか。さすがアカギ君。早いなぁ。それに、天江さん、相変わらずアカギ君にべったりだなー)

 そうは思いつつも、今はもう天江に対しての敵意は無い。天江のアカギに対する感情は、自分のものとは種類が違うことを、前の対局で知ったからだ。

「仮に見逃したとしても、その見逃しは勝負の最後までを見通した上での見逃し。その局にアガれるアガれないは関係ない。振り込んだって構わないさ」
「オカルトですね」

 和が言った。

「マホちゃんはいつもそうでしたね。私や優希の打ち方を真似ても、うまくいくのは一日に一局、あるかないか…」
「あうぅ…」
「人のまねの前に自分自身の実力の底上げをした方が…」
「原村さん、ちょっと言い過ぎでは?」

 福路が言った。

「そうですね。言い過ぎました。……マホちゃん。あれから四ヵ月、どれだけ成長したか。これからですね」
「はい!」

 しかし、そこから半荘計3回行ったが、夢乃は結局4位に終わった。それは、彼女自身がビギナーだったのもあるが、咲達の合宿での成長も関係していた。
 夢乃は竜やアカギ、傀の模倣もしていた。合宿前の咲や和だったら、自分の麻雀を乱していたかもしれない。だが、この半荘3回、彼女達の麻雀に乱れは無かった。異能、自分を超える力に対しての免疫力。それがこの合宿で付いたと言える。そして

(これでマコのレパートリーの幅も広がったわ)

 染谷は紡錘状顔領域で、人の顔を覚えるように卓上全体をイメージとして記憶する。彼女に必要なのは全国レベルの牌符だけでは、不十分だということを、先の県大会で証明された。故に初心者、それも特殊な初心者も、彼女に見せる必要があった。
 これで、染谷まこも、この合宿で成長した。



―――じゃあ私は?

(私は……どう成長したかな?……もう合宿もあとわずか。私は……後、『誰と打てばいい?』……自分が強くなるために)


「宮永さん、天江さん。これからいいかしら?」

 竹井は、まず咲と衣を選んだ。彼女が欲していたのは、異能の類。全国には、当たり前のように居るであろう超人。現実離れした力を持つ者。彼女の頭に真っ先に浮かんだのは、この二人だった。風越に一人。龍門渕に一人。そして…

(鶴賀には……?ゆみ?……いや……)

「桃ちゃん……居るかな?」

 彼女は鶴賀の部屋に足を運び、桃子の名を呼んだ。彼女の姿は視えない。

「居るっすよ」

 彼女が姿を現した。

「これから、私と一回打たないかしら」
「いいっすよ」

 竹井が桃子を選んだ理由は、彼女の麻雀だけ『わからなかった』からだ。
 竹井は合宿中、他校の生徒、その全てと打ち、その牌符と打ち筋をノートに記録していた『にも拘らず』、桃子のページだけ何も記載されていなかった。白紙。確かに打った記憶はあるにも関わらず、彼女の牌符、打ち筋がまったく記憶にないのだ。
 これは、竹井が覚えていなかったからだろうか。忘れてしまったからだろうか。否。彼女はそう考えなかった。東横桃子は明らかな異能の類。咲や衣と並ぶ『わけのわからない何か』を持つ者。そう推測した。






 東一局 親 竹井

竹井 25000
衣  25000
      
咲  25000



 その日の夜は、満月で、衣にとっては最高のコンディションだった。
 
(力は充盈している……だが……なんだ?……これは)

 今の衣の調子なら、間違いなく全ての手牌、山は視えているはずである。だが

(全員の手牌は視える…間違いなく視えている………だが山に……黒牌があるのは何故だ?)

 山の四分の一の牌が黒牌。しかも一定に規則的にの並んでいるのだ。これまでの衣には『こんなことなど』なかった。衣にとって視えない黒牌があるとすれば、同じ牌、例えば四枚ある白のうち、2から3枚が黒牌、というケースである。故に山の黒牌の位置は必然的に不規則になる。
 ある意味『場の異常さ』に最も早く気付けたのは衣であった。しかし、その『答え』にはどうしてもたどり着けなかった。何かが『衣の思考』を邪魔をしている。

(風越か?それとも清澄……この『二人のうちのどっちか』が、衣の力を…。だが前、清澄のこいつと打ったときはこんなことなかった。ということは、この風越の……)

 だが、その局は『衣の支配』の局。手牌、山を見れば明確。衣以外の者はその局、聴牌にはたどり着けない。

「ツモ!20004000!」

 海底1巡前リーチからの一発ツモ。東一局は衣の満貫ツモからスタートした。

(衣…衣さん……県大会決勝でもそうだったけど……すごいなぁ…)

 合宿中、咲は殆ど竜と打っており、衣はアカギと打っていた。この対局は、彼女達にとって初対局である。

(でも……)

「ポン」「ポン」「ポン」

 東2局、咲は『下家』の竹井からチュンチャン牌を三副露した。

???? ポン 222 ポン 三三三 ポン ⑧⑧⑧

(な……なんだ、これは?)

 衣が驚愕したのは、咲が鳴くたびに、山の『黒牌』が増えていったことである。三副露した頃には、王牌以外の全ての牌が黒に染まった。

(これが風越の……あの者の力だというのか?)

 そして咲の手牌も、次巡、さらに次巡と黒に覆われていった。

「カン」

半ば混乱状態の中で切られた衣の8索を、咲は明カンした。そして嶺上牌の三萬を加カン。

「ツモ、嶺上開花。8000です」

 東2局は咲の満貫。衣の責任払いとなった。


―――
――――
―――――

 『続く』東3局『2本場』、またも衣の海底ツモ。3000・6000の二本場。衣はトップに躍り出た。

竹井 17800
衣  21300
      
咲  15800

(嶺上の花が咲き、海底の月が輝く、か…。花天月地ね……)

 面白い、楽しい、合宿最後の対局がこの子達とでよかった。竹井は笑みをこぼさずにはいられなかった。

「ツモ!2000、4000!」

 悪待ちのツモあがり。負けていない。自分の力は異能に負けていない。悪待ちなら『勝ってしまう』。それが竹井久。この力は、全国でも通用する。彼女はそう思った。

 そして南一局。

(何か……おかしい……)

 カンが出来ない。それだけなら、今の彼女は気にもしなかっただろう。だが、

(一枚も見えないなんて……あるの?)

 カン材の在りかが、東2局以降、そしてこの局、まったく見えない。疲れているのか。否。これは『天江衣』の力の一環だろうか。それとも清澄の『竹井久』。これが…全国区の力なのか。
 だがこの局は、衣の支配、その潮が引いている局だったため、咲は聴牌し、竹井から5200を奪うことが出来た。しかし、不本意なあがりであった。

(何かが引っかかる……でも、全国ではこんな思いの中で戦うんだろうな。その中で、勝つんだ)

 咲はそう思うことにした。

―――
――――
―――――

 『南3局』

(ん?なんだ?何で衣の前に点棒がある?)

 衣の前には、満貫分の点棒が置いてあった。
 衣は既に牌を倒していて、役はまたもリーチ一発ツモ海底のようだ。

(いつも間にか、あがっていたのか?何だ、これは……)

「風越の…これはお前か?それとも清澄か?」

 衣は訊かざるを得なかった。

「え?これって、今あがったのは衣ちゃ…衣さん、ですよね?」
「そんなことではないぞ……衣は……あがった気がしないんだ」
「え?」

 声が、震え始めていた。これはまるで県大会でアカギと打っていた時のような、何かが、『もう手遅れな何かが』近づいてくるような。
だが、この半荘もオーラス。現在トップは天江衣。その次に竹井久。そして宮永咲。

南4局 親 咲 ドラ ⑨筒

竹井 16600
衣  23300
      
咲  13000

(天江さんの言っていることがよくわからなかったけど、その天江さんとの点差は6700。3900の直撃でいいけど、ロン出来る気がしない。ツモなら、1600・3200…)

 衣の『完全なる支配』は連続しない。合宿中彼女と何度か打っていた竹井はそのことを知っている。故にこの局、聴牌出来ないことは無いし、必ず衣が海底であがるというわけでもない。
 そのことは衣自身も理解している。だからこそもう一つの力を使い、支配の無い局でも、山、手牌から以後の展開を予測ながら打っている。だが現在、山や手牌が完全に見えず、鳴きが入るたびに黒牌が増える。中途半端な予測は逆に自分に不利になることをアカギとの戦いで思い知らされた衣は、事実上かつての力だけで戦うしかなかった。

 その局、最速の手を欲していたのは咲だった。この面子の中、じっくりと高い手を簡単に作れるとは思っていない。故に鳴いた。衣から①筒、竹井から⑧筒。そして瞬く間に増える黒牌。

「リーチよ」

 そんな中、竹井から入ったリーチ。

222⑦⑦⑦四四四六六六六

四暗刻を捨てての嵌五萬の穴待ち。しかも五萬は河に二枚捨てられており、残り二枚。

(でも、こっちの方が『勝つ』わ…。それが私……)

 竹井は思った。
そして、次巡一発で和了牌の五萬。それも赤の方を引いてくる。

(ほら……これで勝ち……………)

(勝ち……よね?)

(リーチ、一発ツモ、タンヤオ、三暗刻、赤1の倍満確定。裏次第では3倍満にもなるわ。これで……)


―――勝ち?


(本当に、それで通用するの?)
(現に、アカギ君たちには負けているじゃない)
(駄目……。何か違う………。変えなきゃ)


 竹井の手が走った。気がついた時には、五萬を捨てていた。不合理、意味不明の行動。彼女はそれでも、この『何か』に身を委ねた。

(私は信じているの?それとも捨てているの?)

(あがりではないのか?では何待ちだ?)

 衣の視点から竹井の手牌がすべて見えているわけではないが、萬子の四萬と一枚六萬三枚が見えており、待ちは四萬と五萬であると推測は出来きていた。

(イヤ……視るな……相手の手牌を視てしまうと、またアカギの時のようになるぞ…)

 衣は感覚を優先し、思考を排除した。しかし、それ故に『咲の手牌をまったく視ていなかった』

 切られた西。

「カン」
「しまっ……」

 衣は言葉を漏らした。


―――――
――――――
――――――――




「もういっこ…カン……」

 咲は既に鳴いている①筒、⑧筒のうち①筒を加カンした。だが…。

(ツモれ……ない……?)

七七七八 ツモ 九

 正確にはツモりあがっている。しかし、咲の望んだ牌ではなかった。これでは、役は嶺上開花のみ。ツモを宣言し、新ドラが開かれ、もし乗れば逆転。乗らずとも連荘は確定し、決着次局以降に持ち込める。
 咲は一つの分岐点に居た。
 彼女自身、確実にわかっていることは、『感覚を乱されている』ということだった。ここで七萬をツモり、カン、そして九萬をツモり、単騎待ちを変える。トイトイ、三槓子の親萬。これであがれば、トップの衣を抜かし、トップで終了。その感覚が乱された。それは間違いないのだ。

(違う……)

 咲は八萬を切った。

(勝つなら……私は、私を信じた上で勝ちたい。竜君なら…こんなあがりはしない)

 彼女は新ドラの可能性を捨てた。信じることのできない自分に、自分を委ねることが出来なかった。
 新ドラは4索と8索。咲に新ドラが乗ることは無かった。

(残りの『七萬』は……いったいどこ?)


 そして……


―――ここっ!


 決着をつけたのは竹井久。最後の五萬をツモり、牌を倒した。

裏ドラ三枚のうち、最初の一枚は乗らなかったが、後の二枚は両方とも1索。ドラを対子で乗せた。

「リーチ、ツモ、タンヤオ、三暗刻…ドラ6で……6000と12000。終了ね」
「!?やっぱり、さっきの五萬であがっていたじゃないか!逆転も出来た。なぜ切った?」
 衣が言った。
「その……なんだろう……私でも……よくわからないのよ。ふざけているわけじゃないの。だけど、手がそう走ったのよ……」
「わかります」
 咲が言った。
「私もさっきツモってたんです。連荘も出来ました。でも、何か違うなって思って」
「二人の言っていることが衣にはわからないぞ」


「いや……いい勘してるっすよ」


 そこから声がした。


「え?」

 三人はそこを見た。そこには東横桃子が居た。

「はい、清澄の部長さん。私この局リーチしてたんで、リー棒も…。これで逆転っすね」



竹井 41600
衣  17300
桃子 40100
咲  1000


「何……?……え?」


「『だから』……私がみえなかったって事っすよ。でも、それでも勝った。すごいっす」

 彼女の表情に落胆の色は無かった。寧ろ、何かに納得していたような表情だった。

「私、なぜ傀さんに負けたのかどうしても理解できなかったんすよ」
「え?……ああ、あの時の?」
「はい。あの時の私は、負ける気がしなかったっす。今回もっすけど。でも負けた。傀さんも、清澄の部長さんも、私ではなく『勝ち』そのものをみていたんっすね」
「何を言っているかわからないぞ」
 衣が言った。
「点……みてください。卓も……もうみえるはずっすから」
「あ……」

 咲は気付いた。桃子の場を見ると、彼女は既に、暗カンをしており、リーチもしていた。

「だから、私は七萬をツモれなかったんだ」
「七萬っすか?私が嶺上でツモった牌っすね」

「わ……解ってきたぞ……黒牌が増えて行ったのも…、あがった記憶が曖昧だったのも……」

 衣の震えは明確だった。

「怖い……っすよね……」
「違うぞ!奇幻な手合いがまた増えて、衣はうれしい。もっと、もっと遊ぼう!」

 衣の震えは、歓喜の震えだった。何故、今までこの者を知らなかったのか。
 桃子にとって、意外な反応だった。だが、悪くはなかった。
 自分は、一人じゃない。



「よかった……間違ってなかった……間違って……なかった……」

 竹井も嬉しさを表情に出していた。
 最後に打ったのが彼女たちでよかった。
 全国で戦うために『変わって』、良かった。


「そうね……もう一局打ちましょ」

 竹井が言った。

「私も、負けたまま終わりたくないです」

 咲は靴下を脱いだ。

「夜はこれからだ。ここからが、衣の本調子だぞ」

 衣は己が高揚とともにスタートボタンを押した。

「怖いっすね。じゃあ私はまた『消える』っすね」

 桃子は、今度は、胸を張って『消えた』。






 その晩、彼女達は『仲良く』なった。








―――
―――――
―――――――



 合宿は終わり、そして……



 8月



 全国の猛者たちが一つ所に集う



 インターハイが始まろうとしていた





第二部 合宿編



 おしまい








[19486] あとがき その2 と異能解説
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2013/08/09 07:31
終わりましたその2です。

妄想をめいいっぱいつぎ込みました。



第三部は全国大会編です








・このssでの異能について


 このssでは咲-Saki-原作と能力が若干違ったり、想像で補っていたり、追加されていたりします。第二部までのもので、それらについて少し。




・龍門渕透華
【治水モード】
自分以外の三人が異能、あるいは異能クラスだった場合発動。
副将戦では、桃子、咲、竜が相手だったため発動。
能力は、フィールド関係の(山、王牌、手牌の偏り等に影響を及ぼす)異能を封じる。
しかし、桃子のステルスは捨て牌に影響を及ぼしはするが、その能力は彼女の存在感が元であるため完全に封じることはできなかった、とした。


・天江衣(県大会決勝以降)
【鷲巣麻雀】
牌が透けて視える。
視える牌の数はその日の調子次第。
最低でも海底牌と同じ牌は視える。


・宮永咲(合宿以降)
【嶺上マシーン】
竜、という人徳に触れた為、それに影響してたまにカンドラが乗るようになった。
自分のカン材だけでなく、他家のカン材まで知ることが出来るようになった。(これは原作でもそうかも)



・竹井久
【悪待ち】
彼女の悪待ちは結果的に和了れる。
相手が異能であっても、その舞台自体が彼女に味方する。
(原作通り?)


・国広一
【まっすぐ】
手なりに進めていき、聴牌即リーなら、結果的に最速で和了れる。
相手が豪運であっても、それよりも早い。
#25で、この状態後にも関わらず、南3局に咲があがれたのは完全じゃなかったため。
このssでは最強クラス。


・東横桃子(合宿以降)
【ステルス】

このss中もっとも難解な能力。
自分の存在を消すことを『主な目的』として、自動的に相手の記憶に介入し、書き換える。
また、ステルスモード時の自分の闘牌の記録は公式上も含めて存在しなくなる。
カメラにも映らない。正確には、彼女を認識するはずの全ての者の記憶に介入するため、カメラ越しでもステルスモード時の彼女を認識することが出来ない。
完全にコントロールできず、合宿後もオン、オフ程度の切り替えしか出来ない。
しかし、彼女が振り込んだ場合、ステルスが解除される。
そのゲームでは再起動は不可。



それによって起こる現象の例
・他家は、彼女が親番時の記憶がない。時間が飛んでいる。
・四人を合わせた点数が10万点ではなく、7万5千点。
・それらのことに違和感を持たない。
・彼女が和了った局の記憶は消去される。たとえ振り込んだとしても、その記憶は無い。


作中で起こった現象について

#24にて、傀はモモの捨て牌を視て倒したのではなく、チョンボ覚悟で牌を倒した。
既に仕上がっており、ロン出来る流れ、というわけのわからない理由。
モモの下家じゃなきゃ詰んでた。


#26にて天江衣の鷲頭麻雀は完全な状態であったはずだが、モモがツモる牌は視えなかった。
鳴きが入るたびに黒牌が増えたのはモモがツモる牌が変化したため。その際、鳴きが入る前、モモがツモるはずだった牌が視えるようになる、ということは起きなかった。


ステルス時のモモが振り込む条件の例

通常ではモモから直撃を奪うことは不可能。
モモが【親番】でリーチした後、結果的に和了る異能の持ち主
(結果的に和了る異能は無意識下でも和了ることが出来るため)
もしくは、無意識下でも和了れる者が相手の場合。
ss中では、第二部まででは、異能者では国広一と竹井久、無能力者では原村和のみ。








[19486] 第二部 まとめ
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2012/06/21 23:13


 第2部のあらすじっぽい何かです   



 #14 須賀京太郎


 長野県大会にて、決勝戦に残った四校、清澄、風越、龍門渕、鶴賀による『四校合同合宿』が開始される前、その旅館では、やくざの縄張り争いの『決め』となる麻雀が行われた。稲田組のアカギ、桜道会の竜、共武会の白虎、そして、その決めを持ち出した清澄の傀。その代打ちたちの勝負は白虎の一人負けで終了した。
 その後、他の学校の生徒が集まるまでの時間、彼らは京太郎を交えて打った。
 開始される丁度その時に、他校の生徒が到着し、彼女達はその勝負を観戦した。
 そこには、個人戦女子で、全国行きを決めた、風越の福路美穂子、原村和、宮永咲もいた。京太郎は、彼女達(咲は眼中に無いが)に良い所を見せたい、まぐれで自分も個人戦男子で全国行きを決めたわけではないと証明したい、そして彼らに勝ちたい、その思いと共に打った。



 #15 宮永咲 その1


 『彼ら』に負けた者達が、それぞれ彼らに勝負を申し込む中、咲もまた竜に勝負を申し込んだ。
 合宿のメニューは翌日からスタートすることとなっていたので、その日、各々は休むことになった。
 咲は温泉に行き、和に会う。
 彼女の想いを聞き、そして自分が自分らしく打てていないことを改めて和に語る。
 景色の先の山を見て、自分の名前の由来を思い出し、悔しさと惨めさとが込み上がったのか、彼女は泣いた。
 
 温泉からあがった後、咲は京太郎に会い、竜のことを訊く。彼の過去、戦ってきた理由を教えられた咲は、彼との世界の違いを知る。
 彼が『ここ』に居る理由に疑問を持ったが、京太郎の「居たいからいる」という言葉に何となくではあったが納得した咲の心は、少し楽になった。


 



 #16 宮永咲 その2


 その日、龍門渕の透華と、清澄の染谷まこを交えて、咲は竜と打った。
 その時、咲は透華とまこの竜に対する思いを感じる。
 
 今の自分を変えたかった咲は竜に挑む。
 竜は自分を信じて戦っている。咲は今、自分を信じることが出来ない。竜に勝てない自分の麻雀に、自信を持つことが出来なかった。
 そんな彼女に竜は言った。「勝つから信じるのではない」
 咲は、もう一度だけ、可能な限り自分を信じてみることにした。


 #17 宮永咲 その3


 咲は京太郎との会話を思い出す。強くなったのは、自分を変えていったからだと、京太郎は言っていた。自分も、そうあらなくてはならないのかと思うと同時に、過去の自分を捨てる、否定することに躊躇いがあった。
 迷いの中打つ咲であったが、一局の一つの状況が、一つの結論に行き着いた。
 山を『登り』、頂上で咲き誇るような彼女の麻雀は、『竜』を怖れ、一旦戻った。
 その状況は、あっさりと彼女のあがりに結びつき、彼女は知った。これまでの自分は、山の恐ろしさを知っていなかったことに。故に、信念を捨てることなど無い。山はそこにあり続けるのだから。

 自信を取り戻した彼女は咲き誇る。そして成長し、竜を追い詰める。だが、最後の最後、竜に、そして自分に惑わされ、敗北する。

 心に風が通ったような気持ちになった彼女は、もう一度竜に挑んだ。
 竜は微かに笑った。


 
 
 #18 竹井久


 朝、他に誰もいなかった温泉にて、アカギに会った竹井久は、暫くその時間を楽しんだが、天江衣の介入により打ち砕かれた。
 天江は早く彼と打ちたがっており、久、そしてそこに居合わせた福路も一緒に打つことになった。
 開始前、天江は自分の支配が広がったことを3人に言った。



 #19 福路美穂子 その1
 
 
 
 天江衣の変化に福路は気付く。その変化とは、天江はまるで、次にツモる牌や、相手の手牌がわかっているかのような打ち方になっている、ということだった。
 彼女は観察、調査を繰り返し、天江の異能への謎に近づいていく。
 一方天江は、最も早く自分の変化に気付き対応してきたアカギに、またも恐怖を覚えた。



 #20 福路美穂子 その2


 観察、調査を経て、天江の異能を正確に理解した福路は、その異能に対応し、復讐の心を込めて天江を追い詰める。
 福路は、池田を苦しめた相手としてアカギに対しても闘志を燃やしたが、アカギの不可解な戦術に惑わされ、振り込む。
 そしてオーラス、天江はかつての自分の能力、海底撈月を駆使し、あがりを決める。かつての能力こそ、自分に馴染んだものであることを彼女は再認識した。
 トップのアカギを抜かしていない天江は、連荘。オーラス一本場に向かう。

 そして、流れはもう来ないと落胆していた福路に、池田華菜が応援に来た。池田の声、言葉に励まされた福路は、最後まであきらめないことを誓う。

 若干空気になっていた竹井久は言った。
 「そろそろまぜろよ!」


 #21 天江衣


 県大会決勝を終え、その翌日天江は、祖父の書斎に入り、ガラス牌を見つけ、そして新たな異能に目覚めた。

 オーラス一本場。
 
 彼女が望んだものは、奇幻な手合い、同じ異能の類だった。相手が異能なら、自分と同族であり、友人が出来るということであり、そして負けても納得もできるし、理解もできる。しかし、彼女を追い詰めたのは異能ではなかった。

 イレギュラーは一人、また一人と現れ、天江を追い詰める。
 決着は竹井の和了で終了した。だが、僅かな運の差か、あるいはそれさえも計算に入れていたのか、アカギを抜かすには至らなかった。

 天江は、異能、あるいはそうで無い者とで、本当は差など無いことに気付く。
 天江の前に壁は無く、彼女は人の輪の中に入った。




 #22 原村和


 原村和は傀に挑む。東横桃子、加治木ゆみを交えて行われた対局は、東場、和の独壇場であったが、南一局、親の傀は、和の理をを愚弄するあがりを続け、彼女を追い詰める。
 半荘一回程度で強い弱いがわかるわけでは無い。麻雀の理を愚弄したようなあがりも、所詮は偶然でしかない。
 和はわかっていたはずだったが、この勝負は、彼女にとって単なる半荘一回では無かった。
 彼女の親友、片岡優希は、県大会決勝の先鋒戦以降、自分の麻雀が打てなくなっていた。親友の麻雀を破壊した傀を許せない。そのための勝負。絶対に負けたくない意思が、本来の彼女の思考、信念を崩壊させていた。

 振り込みを続ける彼女に、咲と片岡が駆け付けた。彼女達は言った。自分を取り戻して、と。
 片岡優希も咲と同様、竜と打って自分を取り戻したことを伝えた。
 原村和は咲の言葉を、優希の言葉を信じ、自分の信念を実行した。
 信念のもと和了した彼女の役は所謂『ゴミ手』だったが、彼女にとっては愛おしいものであった。


 #23 加治木ゆみ


 氷の意思を取り戻した和はあがり続ける。
 そんな中、東横桃子は消え、流れを断ち切ろうとするが、傀に振り込む。
 その光景を見た加治木は傀に言う。敗者を変えでもしたか、と。
 加治木は竹井から傀のことについて聞いており、曰く、傀は卓についた瞬間敗者を見抜いている。
 だが傀は否定し、敗者は自分か加治木であると答える。
 『指名』を受けた加治木は高揚し、狂気を持って傀に挑む。
 最後まで喰らいついたが、一手傀に及ばなかった。

 加治木はもう一戦、傀に勝負を申し込む。
 丁度、竹井久も現れ、彼女も交えて始めることになった。

 そして東横桃子は、親しそうにしている加治木たちをみて、加治木が他の者に取られてしまうのではないかと危惧した。


 #24 東横桃子


 対局の中、完全に加治木を取られてしまったと確信した桃子は、かつての自分に戻った。

 全ての人間の記憶、この世の記録から自分を抹消する。
 ひとりぼっちに戻る。もう誰もいらない。誰も必要ない。

 覚醒した桃子のステルスは、まさに彼女の独壇場を作り出した。
 
 しかしそれでも傀は桃子をとらえた。

 傀は自分に似ているのかもしれない。桃子はそう思って、彼を見た。



 #25 国広一


 透華を竜に取られる。そう思った一は竜に挑むが敗北を繰り返す。
 なんとしても勝たなくては、と追い詰められた彼女は禁じられていた『手品』を使う。だが、竜、咲、妹尾という『運』の前には通用しなかった。
 彼女は、全自動卓の天和を仕掛けるも、それさえも失敗に終わる。
 崩壊した彼女を見て咲は対局を中断するよう提案する。
 観戦していた透華に一は手洗い場に連れて行かれ、彼女達は、自分の想いを伝え合う。
 透華の想いを知った一は、自分たちの繋がりを再認識し、勝負の場に戻った。

 『まっすぐ』打つと決意した彼女に、運が味方するように状況は進行した。
 咲はその状況、空気から、一が異能に目覚めたと感じた。
 まっすぐ打てば、運が味方する。圧倒的力の前に妹尾も咲も、そして竜ですらなす術がなかった。
 はずだったが、一は『竜』がこのまま終わる筈がないと思ってしまったが故に手を曲げてしまい、僅かな隙を竜に突かれてしまう。



 #26 竹井久 その2



 合宿も終盤に差しかかるころ、原村和の後輩、夢乃マホが合宿に加わった。
 他者の打ち筋、異能をコピーする彼女であったが、成長した咲達はそれすらも超えた。
 染谷まこのレパートリーも増え、合宿の成果を実感した竹井久であったが、自分自身に成長はあったか不安に思う。
 自分は誰と打てばいい。

 彼女が選んだ相手は、異能者。風越から宮永咲、龍門渕から天江衣、鶴賀から東横桃子を選んだ。

 異能に挑み、そしてそれに負けていない自分に自信を持った久であったが、最後の最後、その自分さえ裏切った。
 自分を信じているのか、捨てているのか。それさえわからない1打。ただ、手が走った。
 
 だがそれ故に『消えていた』桃子の異能を超えた結果に終わり、そして四校合同合宿は終了した。



 
 














 
 



[19486] 前書き
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:f5e29a69
Date: 2016/03/24 15:29
第三部を始める前になんですが、全国大会編では、東東京代表の枠の所を、他の麻雀漫画の混成チームで行きたいと思います。
男性も混じっているので臨海高校と表記します。
明らかに高校生じゃない人もいますが高校生です。
総合力(戦略レベルを含めて)では清澄を超える超チートチームという印象です。

また、白糸台高校も、先鋒の宮永照以外、臨海と同様です。
なお、白糸台高校の大将のみ、麻雀漫画のキャラクターではありません。
【彼女】は麻雀のまの字も出ない作品の人物ですが、ストーリー上重要な位置にいます。
チームの総合力は臨海と同じくらい。

プロットは完成したので、完結すると思います。
全26話ですが、二回の半荘を複数の話に分けてやるところもあるので
実質は13話程度の長さです。
頑張ります。

※原作と違い五位決定戦はありません。すみません。考慮してませんでした。

追加クロス作品は

・兎―野性の闘牌
・ノーマーク爆牌党
・満潮ツモクラテス
・根こそぎフランケン
・凍牌
・serial experiments lain
・天-天和通りの快男児
・FATALIZER

と、あと一作品です。
その一作品のタイトルは伏せます。














[19486] #27 Episode of side A その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2013/04/14 19:20
「そういえば、東東京代表は臨海高校に決まったわけだが、あそこのオーダーは知っているか?」
 麻雀喫茶、roof-topの一卓にて、安永萬は打牌と共に対面の藤田靖子に言った。
「ええ。去年の個人戦、爆岡を降した鉄壁保は来るとは思っていましたが、驚いたのはそれ以外です」
 上家から切られた牌を藤田は鳴き、捨て牌と共に返した。
「D・Dが監督とか…どうなってるんだよこの大会」
 安永はその牌をポンした。
「それに先鋒にはあの娘を持ってきています」
「だろうな。まぁ白糸台のあれにぶつけようって魂胆だろうが…ポン」
 下家から鳴いた。
「安永プロにしては、よく鳴きますね」
「ああ…暫く裏で打ってはいないからな。たまにはこうしておかないと、勘が鈍っちまう…が」

「御無礼。ツモりました。4000・8000。須賀さんのトビで終了ですね」

「人鬼がいやがらぁ…」
大きなため息と共にそう呟いた。

(ってことは、傀もそいつと打つってことか…。もう十分荒れているが、全国でもそれは続きそうだな)

「だーッ!クソ!もう一局だ、傀!」

 安永は、その少年を見て「こいつはよくこれだけ傀と打ち続けていられるな」と思った。水原祐太の所在はわからないが、いつか彼に会わせてやりたい。そうも思った。





第三部  全国大会編








「和のいる風越女子は……県予選、敗退……?」

 新聞でそのことを知った高鴨穏乃は愕然とした。
 阿知賀女子は県予選を突破し、全国に駒を進めることが出来た。しかし、本来の目的である「原村和と全国の舞台で打つ」という本来の夢は、そこで潰えたのだ。
 暫くの放心状態。家を出る気にもなれず、その日は学校の授業を欠席した。
 授業が終わり、普段なら部室に行っている時間。普段なら元気に走って向かっている時間。穏乃は部室に足を運んだ。しかしその足は重い。

「遅い!」

 気力なくドアを開けた穏乃に浴びせられた、新子憧の恫喝。憧は、穏乃が「どうなっているか」など、見ないでもわかっていた。

「憧……和が…。和の高校が……」
 普段の彼女からは想像も出来ないほどの、弱い声。
「わかっているわよ。ネットで観た。知った。だから?」
「だから……って和の高校が負けたんだよ?和は…全国に来ない……だから…」
 憧は穏乃の頬をビンタした。言葉から間などなく、早かった。そして間髪入れず言った。
「その先の台詞を、ついてきてくれた灼先輩や宥先輩に言うの!?私達に負けたみんなに言える!?初瀬に言えるの?……そんなの私が許さないんだから!……」
「憧…そのへんで」
 憧を止めたのは赤土晴絵。彼女は続けた。
「確かに、風越女子は名門。インターミドルの優勝者である原村和がそこに入った。なのに和の高校が負けたのはショックだったかもしれないね」
 この言葉は嘘。赤土は知っていた。天江衣を。そして彼らを。風越女子が県予選を突破するのは、百分の1、否、万分の1の確率も無いことを。
「でも…」
 それでも彼女は言った。
「全国で勝とう。全国で勝てば、和ちゃんは穏乃たちのことを知ることが出来る。そして来年、きっと和ちゃんは必死で全国を目指すと思う。そこに穏乃たちも行けばいい」
「でも宥さんは……」
 彼女は三年。今年の大会がラスト。仮に来年勝ち上がることが出来たとしても、その舞台に彼女はいない。
「私は、大丈夫だよ。私は、十分に楽しめたし、これからも十分に楽しめるんだもん。来年、私は選手としてはいないけど、みんなの頑張っているところが見れれば、それでいいの」
 暖房をつけることが出来ない今。彼女は震えながらではあったが、精いっぱいの優しさが込められた言葉だった。
「それに、赤土先生を連れて行かないといけない…」
灼が言った。
「頑張ろう。穏乃ちゃん」
 玄が言った。

 穏乃は暫く俯いて、何も言わなかった。震えていた。
 そして
 叫んだ。
 何もかもを吹き飛ばすように、大きな声で、強い声で。
 自分の目標などわからない。どうすればいいかわからない。何もわからない。
 だが、この叫びに、勢いにすべてを委ねたかった。

「打とう!全国で!」

 言葉にした。本心ではない。まだ本心ではない。叫びの言葉、勢いの言葉。
 だけど、いつかこれが本当になってくれることを、彼女は祈った。




「各県の二位までとなら、戦っていいわけだ」

 阿知賀女子麻雀部のミーティング。全国に向けてのミーティング。晴絵は全国大会までの七回の土日を使って、対戦相手の候補を決めて、試合を申し込むことを提案した。

「風越女子とも戦うことは出来るけど…」
「いやです」
 穏乃が言った。憧はその後を続けた。
「結果…見ました。圧倒的でした。清澄。そして二位の龍門渕」
「まあ…点数だけならね」
「それに、あたしは感傷で和とは打ちたくない…」
「そう言うと思ったよ。じゃあ…長野の龍門渕でいいか?」
「はい!」

 龍門渕側の都合もあったため、龍門渕とは最後の週に打つことになった。
 
「よおし。今の所全勝か。あとは龍門渕だけだな」
 それまでの6週。阿知賀は、挑んだ全ての県の二位に全勝していた。

「でも、三筒牧のあの人には誰も勝てなかったです」
「荒川憩は去年の個人戦女子二位だからね。あれに勝てれば……」
 晴絵は言葉を止めた。
「先生?」
 玄が心配そうに聞いた。
「ごめん。なんでもない。……総合力。三筒牧が北大阪で二位なのは、総合力で千里山に劣るってことでしょう。なら、個人で勝てなくても、総合力で勝てばいい…」

 晴絵の頭によぎったのは、清澄、白糸台、そして臨海。その三つの学校の先鋒。
 傀、宮永照、そしてヴィヴィアン。彼らにかかれば、先鋒で試合が終了しかねない。事実、傀は県予選決勝以外、ヴィヴィアンは全ての試合で先鋒で決着をつけている。『カウントダウン』だけは、どうしようもない。出来るなら、決勝、準決勝まで当たりたくない学校である。彼らには、総合力など何の意味もないかもしれない。持ち点10万のデスマッチ。あるのはそれだけなのだから。

 そして七週目。龍門渕高校との試合の日が来た。
 そして……。
 
「勝てない」
 穏乃は呟いた。
 これまで戦ってきた所とは桁が違った。特に天江衣。まるで山が全て見えているかのような打ち回し、場の支配力、そして高確率の海底撈月。

(まずいな)
 晴絵は思った。
(このままでは、かつての私になる。だが、天江衣で躓いていたら、全国では危険なことになる。全国で戦うなら、ここは乗り越えてもらわないと……)

 しかしその心配はすぐに払拭された。
 穏乃は、すぐにまた衣に勝負を申し込んだ。
 そして、また一人、また一人と、阿知賀のメンバーは怪物に挑んだ。臆することも無く。

(私より強い部分、あるじゃない)

「清澄って、本当に天江さんに勝てたんですか?こんなに強いのに」
 穏乃が訊いた。
「ああ、そうだ。アカギ、赤木しげるが衣に土をつけた」
「やっぱり、すごいんですか」
「奴だけじゃない。傀や、竜も同じくらい強いぞ」

 彼らの名を聞いた時に晴絵にあったのは恐怖、不安。観るだけでも彼らの闘牌は怖ろしい。その魔に、彼女達は喰われるかもしれない。それが全国大会。
 だが、今の彼女達を見ると「何とかなってしまうんじゃないか」と思えた。期待、そして高揚。彼女達の表情にあるのはそれだ。天江衣も十分に全国区魔物だ。それに対して、臆せず向かえるのだ。希望はある。
 晴絵は祈った。阿知賀の、彼女達に良き青春があることを。






[19486] #28 Episode of side A その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e25b8c25
Date: 2014/03/31 22:34
 
 準決勝進出を決定した阿知賀女子だったが、二回戦、一位の千里山に圧倒的大差をつけられた結果となった。
 優勝するためには、もっともっと強くなくてはならない。千里山に負けているようでは、白糸台、そして、決勝まで上がってくるであろう清澄、臨海には太刀打ちできない。論外なのである。
 その日の夜、偶然、鶴賀学園の生徒である、東横桃子、蒲原智美と会った彼女達は、風越の原村和の友人ということがきっかけで、蒲原の祖母の家に招かれることになった。鶴賀のメンバーは、清澄の応援に来ていた。
 阿知賀の彼女達は望んだ。強さを。
 当然、一晩どころで強く慣れるはずもない。そう、加治木ゆみにも言われた。だが、それでも打ちたかった。劇的な変化が無くても、前には進むのだ。それをやめたくなかった。
 そして打つことになり、蒲原は風越の生徒もそれに誘った。
 そこに現れたのは、主将の福路美穂子、宮永咲だった。彼女達が東京に来ていたのは、清澄の応援もあるが、個人戦女子において二人は全国出場を決めていたからだ。
 
 卓を三つ用意し、準備も整って各々が席に着いた頃、穏乃は襖の方に目をやった。その襖はほんの少しだけ空いていた。気になった穏乃はそれを閉めようと襖の方へ足を運んだ。

「ひゃっ…」

 声がした。誰か居る。聞き覚えのある声。穏乃は伸ばした手を止めた。

「もしかして、の…和……?居るの?」

 そこから離れようとする足音。穏乃はすぐに襖を開けた。そこに居たのは、やはり和、原村和だった。

 阿知賀のメンバーは個人戦の結果については知らなかった。知らされていなかった。個人戦など眼中になかったのだ。そして、監督の赤土はそのことを知っていた。知ってはいたが、彼女達のことを気遣い、伝えなかった。個人戦に登録していなかった後悔によって、全国大会でのモチベーションの低下、それを怖れた。
 彼女達が麻雀部を作り、全国を目指してきた目的を聞いた加治木は、風越を呼ぶ際、原村和のことを伝えた。聞いた話から、彼女達は原村和が来ていることを知らないということが分かったからだ。
 一方、穏乃たちが来ていることを知った和は、彼女達に会いたかった。しかし、話を聞いた和は、穏乃たちのことを思って、こっそりと覗くだけにする、ということにした。

 だが、彼女達は対面した。

 最初は言葉が出なかった。
 だが、次の瞬間、穏乃は和に抱きついた。彼女の名を叫んだ。
 そして、憧、玄も駆け寄って来た。
 不安はあった。長い時間、住んでいた距離が彼女達の心の距離を離してしまうのではないかと。かつてあった距離はもうどこにもないのではないのかと。
 しかし、そんなものは無かった。
 どんな経緯であれ、和と再会できた。もともと掲げていたルートとは違ったが、そんなものは関係なかった。会って、抱き合えて、話せて、そして嬉しかったのだから。後悔なんて、あるわけない。故に、再会を喜び合う彼女達に、危惧されていたモチベーションの低下、というものは無かった。


 ここで強くなろうという理由は、ここまで勝ち進んできた責任と、赤土晴絵のためだったからである。最初は目標の先に和が居たが、今は違う。阿知賀の女子たちは、改めて修行のお願いを加治木たちにした。

「じゃあさっそく打つかー。最初はどういう面子でいこうかー」
 蒲原が言った。
「あの!」
 穏乃が言った。
「んー?どうしたー?」
「私…和とは打ちたくありません」
「あ、あたしも」
 憧も続いた。
「あの……どうして?」
 和は訊いた。
 憧は、自分たちが今ここに居る理由、麻雀部を作り、全国を目指し、駆け上がってきたその理由を改めて伝えた。

「だから、ここであたしや、穏乃が和と打つのは、なんか違うって感じがして…。あたしは……和とは全国の舞台で打ちたいかな…って」
「だから来年、絶対に『遊ぼう』!和!」
 和は安心したように「そうでしたか。わかりました」と返した。穏乃たちもホッとした。






 そして、修行が始まった。修行というにはあまりにも短い間ではあるが、それでも打つ。それが彼女達の選択だった。
 阿知賀のそれぞれのメンバーはなるべくばらけるように面子を組み、穏乃が最初に打つことになった相手は、宮永咲、加治木ゆみ、東横桃子となった。


「確かに」
 宮永咲が言った。
「確かに一日そこらでは変化はないかもしれないね。でも稀に、劇的な変化、考え方の変化が、たったの一局で訪れる時もある…。それを、私はあの合宿で知りました。竜君と打って」
「竜…?」
 穏乃が聞いた。
「清澄の副将。鳴けばあがる、嶺上使い。そう言われていると思います。私はその人にコテンパンにやられたんだけど、でも、自分の麻雀に大きな変化があったの」
「そうっすね…。私も傀さんと打って色々変わったッす」
 桃子が言った。
「モモ……あのときは」
「もう大丈夫っすよ先輩。私の勘違いでしたから。もう何度目っすか?」
 そう言いながら、桃子は加治木に抱きついた。
「こら、モモ…これから賽を回すんだから……」
 その光景を見て、阿知賀のメンバーの顔は赤くなった。それ以外のメンバーにとっては、もう見慣れた光景であった。
「モモと咲があの二人について言ってくれたなら。最後は私か」
 桃子をもとの位置に戻させ、賽子ボタンを押し、加治木は言った。
「あの決勝は、私にとって忘れることのできないものとなった。アカギと打った時だ。確かに、半荘一回、あるいは一局で変わってしまう時もあるかもしれないな」

 対局が開始された。

「あ……あれ?」

 半荘一回目が終了した。
 穏乃が驚いたのは、自分が思っていた点数と最終結果のまったく違ったことだった。
「オーラスがモモだったからな。仕方がないさ」
 加治木が言った。
「え?え?」
 混乱。理解しがたい現象。
「私、一位だと思っていたけど、なんでこんなに点が…」
「オーラス、私に振り込んだっすよ。親倍に。一位からラスに転落っす」
「これが……『ステルスモモ』…ですか?」
 穏乃は恐る恐る聞いた。
「だいぶバージョンアップしてるっすけどね。東4局の記憶だって、無いと思うっすよ」
 寒気。恐怖。これが全国区の領域。穏乃は思い知った。
「でも。これで驚いてたら、竜君たちにも、お姉ちゃんにもかなわないよ」
 咲が言った。
「お姉ちゃん……宮永……宮永照の妹、ですか?」
「うん。私もね、お姉ちゃんに会って、打つためにここに、東京に来たの」

 半荘二回目。今度は東場で穏乃は飛んだ。宮永咲の嶺上開花、その責任払いによって。

「東場だけで、嶺上開花二回って、すごい確率じゃないですか?」
「清澄の竜が現れる前までは、『嶺上使い』は咲の称号だったらしいな」
 加治木が言った。
「加治木さん、それちょっと恥ずかしいですよ。あくまで風越の中だけですし」

 結局、以後の対局でも穏乃が4着以外を取れることは無かった。
「あー勝てない。強すぎる。強すぎますよ!私、本当に天江さんよりも強い人がいるのか、正直信じることが出来なかったんですけど、本当なんですね……」
 彼女はだらけるように仰向けに倒れた。
「でも、さっきのオーラスの君の『北』二回の見逃し。あれは正直驚いたぞ」
「あれであがっても逆転できないですし、このメンバーで連荘出来るとも思わなかったし…」彼女は起き上がって、言った。
「だが、ドラをツモるまで待てる度胸と勘、そうは出来るものでは無い。現に海底でモモが最後の北を切っている。本来なら、それで逆転だ」
「でも、全国にはもっとすごい人がいるんですよね。てことは、東横さんの牌を視えていて、そしてロン出来ないと、駄目なんですよ」
 彼女は大きくため息をついた。
「私と同じ人はいないと思うっすよ。そして、ヒントを言うと、私を視えていなくても、勝つことは出来るっす」
 桃子は姿を現して、言った。そして、傀のことを思い出した。
(そう、傀さんは私を視えていなかった。ただ牌を倒しただけ。勝つ流れを作り、その流れに沿って、牌を倒した)
「え?そうなんですか?どうやって、教えてください!」
 勢いよくつめ寄られて、桃子は驚いたが、一呼吸おいて答えた。
「麻雀に真があればただ一つ。勝つことっすよ」
「あ、それ竜君が言ってたっけ」咲が思い出したように笑った。
 穏乃は理解できなかった。
「えっと……どういう意味?」
 頭の上ではてなが増加。パンクしそうになる前に、加治木が付け足した。
「ただ目の前の点棒を拾ったり、和了牌に飛びついたりするのではなく、完全なる勝利に的を絞る、と言えばいいかな。マネできるようなものでもないが、さっきの君の打ち方は、それに近い打ち方だと思う。だから、君の場合は自信を持てばいい。君は、狂気に身を委ねなくては出来ないはずのことを、普通の状態でやってのけてくれる、そんな気がする」
「そ、そうなんですか?…」

 彼女が、三人の言っていることを理解することは出来なかった。
 高鴨穏乃は、知る者ではなく、ただ先に進む者なのだから。




 その時、勢いよく一人の女子が部屋に入ってきた。
「私もまぜるし!」
 入ってきたのは池田華奈。久保コーチの手伝いの関係で福路たちと一緒に来ることは出来なかったが、用事に片がついたので、合流することが出来た。
 彼女は福路のいる卓につきたかったが、すでにその卓は埋まっていて、しぶしぶ空いている卓に座った。そこには、宥、灼が既に座っていた。席はもう一つ空いていた。それを見た蒲原が、自分が入ろうか、としようとしたその時、灼が口を開いた。
「あの、原村…和さん。入ってくれますか?」
「え?…でも」
 意外だった。まさか先ほどのやり取りの後で、自分が呼ばれるなど思いもよらなかった。
 確かに、和は灼や宥とは面識がない。和に会うために全国に来たのはあくまで穏乃や憧、そして玄だ。だが、同じ阿知賀のメンバーだということで、躊躇いがあった。
「あの…いいのですか?」
 和は恐る恐る訊いた。
「はい。原村さんに会うために全国に来たのは穏乃たちです。私や宥先輩はそれに乗っかっただけです」
 彼女の本当の目的である、赤土のことについては言わなかった。照れがあった。彼女は続けた。
「原村さんはインターミドルの優勝者だということは聞いています。なら、打つべきだと思いました。私達も、強くなるべきだと思うので」
 それを聞いた原村は、納得したように「わかりました」と言って、卓についた。
 別の卓で打っていた穏乃たちは、ちらっとだけ視線を向けたが、すぐに自分の卓に意識を戻した。彼女達も『わかっていた』のだ。自分達は打たない。でも、宥や灼は『打つべき』なのだ。原村和は強い。県大会決勝では、風越は負けたものの、原村和と福路美穂子だけは、圧倒的プラスを叩きだしていた。だから、灼達の行動に対してどうこう言うことも、考えることも無かった。

 「ツモ…1300・2600」

 最初の半荘を制したのは原村和だった。その和了は早く、なにより効率的であり、合理的だった。納得してしまう強さが、彼女にはあった。灼達は思った。『強い』と。『強い』とは『こういうもの』なんだと。

「あの…」
 オーラスが終わった直後、まだ、牌を卓に戻し始める前に、和が口を開いた。
「松実…宥さん。…手を見せてもらっていいでしょうか?」
「え?……あ、はい…」
 開かれた手を見て、和は納得したような表情に一旦なり、直ぐに目を細め、鋭い口調で言った。
「なんでこの時にこの牌を切らなかったんですか?」
 彼女の言っていることは、松実宥の奇妙な打ち筋についてだった。まるで、赤い牌に固執するような打ち回し。故に非効率的な打牌の箇所がいくつも見受けられた。和はそのことを指摘した。
「こ……これは……」
 宥は答えた。自分が赤い牌にこだわる理由、その打ち回しについて。それを聞いた和はため息と共に言った。
「姉妹そろって『そう』でしたか…」
「そんなオカモチっだっけ?」
 別の卓で打っていた憧が言った。
「オカルトだよ!」
 穏乃が合わせた。
「もう、穏乃も憧も!」
 それぞれの卓で、彼女達の笑い声。
 温かい空気。かつてあった、あの時のような。




「いい友達ですね」

 福路が言った。
「え?…ええ。まあ…。すみません。なんか、こっちだけで盛り上がってしまって」
 同卓している憧は、少し照れ気味に返した。
「ううん。いいのよ。それ、ロン…8000。ラストね」
「わっ、また…」
 連続三回の和了。さすがの憧も驚いた。
「福路さん…強い…」
 玄も同卓していたが、玄はその半荘一度もあがらせてもらうことが出来なかった。また、その卓には妹尾佳織もおり、役満の親かぶりも受けた。
「勝てない…」
 普段強気の憧であったが、弱気を漏らした。ベストは尽くしている。ミスは無かったはず、それでも、圧倒的点差をつけられて、負ける。ミスを連発していのが明らかにわかる妹尾にすら負けている。あまりにも理不尽。しかし、それが力の差というものなのだろうか。
「まだ、たったの半荘一回よ。あと、私が言っていいことじゃないけど、麻雀ってそういうものよ。大会だって、半荘は二回しかないの」
「でも!」
「でも、勝ちたい。その気持ちはわかるわ。でも、理不尽な結果になるのが、麻雀。それを、ここから先は痛いほど思い知ることになると思うわ」
「これから」
「決勝まで行けば、清澄や……臨海とあたるわね。間違いなくあの二校は決勝まで行くわ。あの人たちと打つと、思い知るわ。でも、決して自分を失わないで。自分のルールだけは曲げないで。私から言えることは、それだけ」
「自分のルール」
「強い人ってね。私の見る限るでは、自分だけの現実を持っているものなの。他人からみたら、ちょっとおかしい考え方でも、その人にとっては絶対、曲げられないもの。松実さん、あなたもそうよね?ドラを切れないんでしょ?」
「え?どうして、たったの半荘一回で……福路さんとは、あったこともなかったのに…」
「それも私のルール…この眼も…」
 彼女は閉じていた右目を、開いた。
「正念場の時は、開くことにしているわ。だからと言って、何かが変わるはずはないんだけど、場や、相手が良く観える気がする。あなたの場合は、そうするまでもなく、ドラを大切にしているのがわかったわ。そうすれば、ドラが集まってくれるんでしょ?なら、それがあなたのルール」
「あたしだけの…ルール」
「それがぶれてしまったら、そこを突いてくる天才が、清澄にはいるわ」
「それって」

 福路は微かに笑って、少し照れを含めて、その名を言った。








「試合終了―――!白糸台高校、新道寺女子、準決勝進出決定です!」
 実況席に福与恒子の声がこだまする。
 全国大会二回戦、圧倒的実力を見せつけた白糸台高校、そしてそれにくらいついた新道寺女子が準決勝に駒を進めた。
「しかし、圧倒的です!二軍でも県代表クラスと言われている白糸台ですが、このチーム『白虎』は別格の一軍!……ところで小鍛治プロ。このチーム白虎、去年は『虎姫』じゃありませんでした?」
「五人中三人が男子になったから『姫』から改名したってのもあるけど【副将】かつ部長を勤めている子の異名が白虎で、そこから…ってこれ前にも説明したよ!?」


―――
―――
―――


「お疲れ様です!!!」

 廊下の両サイドに整列し、準決勝進出を決定した後のインタビューを終えた宮永照と白虎を迎えたのは『白服』だった。
 『鷲巣』亡き後、共生は関西共武会に乗っ取られた。
 鷲巣の側近であった鈴木や岡本などを除き、殆どの者は関西共武会に吸収された。鈴木達は『白服』を脱ぎ、現在は『黒服』として天江衣に仕えている。
 白糸台高校のバックには、共生を乗っ取った関西共武会がいる。その代打ちであった白虎はそれ相応の地位を獲得したのだった。








[19486] #29 雨の日と その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2014/03/31 22:33
 
 その日は雨だった。
 一人の少女が、傘も差さず雨に打たれていた。
 会場を背にして、ただその場で、空を見上げていた。
 涙を、雨でごまかすように。



「ねぇ、どうしたの?」



 一人の少女が話しかけた。
 白糸台の制服を着た女子。
 彼女も、傘を差していなかった。



 ザザ……

 ザザザ……



 音…がする。


 雨の音。


 違う。



 この音は。



―――
―――
―――






 【プレゼント・デイ】







 【プレゼント・タイム】





―――
―――
―――












「先鋒戦で注意するんわ、清澄の傀です」
 姫松高校のミーティングにて、末原恭子は傀について説明を始めた。モニターには傀が映し出されていた。
「まあそうやろうなぁ」
 エースの愛宕洋榎は頷きながら言った。残念そうな表情も浮かべており、まるで傀と戦いたがっていたようである。それを見た末原は続けた。
「確かに、彼とまともに打ち合えるのは先輩くらいです。しかし残念なことにオーダーの変更は出来んことになってます」
「中堅にエースそえるんがうちの伝統になってますからね。もう仕様がないですよ」
 その傀と当たることになった、上重漫がため息交じりの声で言った。
「この化け物は地区大会で恐ろしい成績を残してます。県大会決勝以外、全ての先鋒戦で3校をまとめてトバしています」
「10万点持ちのスタートでそれをやるって、インターハイ史上最大の化け物じゃないですか…」
「最大ではあらへんで漫ちゃん」
 否定した、末原は、モニターの画像を切り替えた。映し出されたのは金髪の少女。
「臨海高校先鋒、ヴィヴィアン…。彼女は『全ての』先鋒でそれをやってます。それも激戦区の東東京で」
「は……?そんなん勝てるんですか?」
「初戦でヴィヴィアンの方と当たらなかったのは幸運です。清澄の傀の方は、普段は序盤は見にまわることが多いそうです。しかもその卓の『敗者』を見つけて、その者を狩るとか」
「えげつないですね」
「逆に言えば『敗者』にならなければいいんです」
 末原の狙いはこうである。先鋒戦に関しては、1位を目指さない。そもそも上重にトップを期待はしていない。トップと30000離されたら罰として、額に落書きをする、ということをするくらいである。
 先鋒戦では『敗者』にならない。これを意識することを、末原は上重に言った。
 末原は可能な限り、傀の対局、それも裏も含めて調べ上げた。そこから彼女は、対傀戦において『敗者』になる大半のケースが『調子に乗る奴』だということを見つけた。
「つまり、序盤活躍してしまう奴のことです。故に、2回戦先鋒戦にて『被害者』になる可能の一番高いのは永水女子の怪物、神代小時。そう読んでます」
 神代小時は、薄墨初美や石戸霞と違い、強さにブレがあるものの、それでも強者にかわりはない。内に化け物を潜めているのなら、人鬼はそれを狩るだろう。
 
 上重が爆発しない限り……



「ツ……ツモ…2000・4000です……」


(爆発してもうたー!)



「―――前半戦終了ーッ!姫松高校先鋒、上重漫、強豪、清澄と永水を相手に圧倒的リードを広げています!」


清澄(傀)     81200
姫松(上重)    146300
永水(神代)    84600
宮守(小瀬川)   87900


(漫ちゃん何してんのー!)



 上重漫は団体戦メンバーの中では最弱と言ってもいい実力であるどころか、そもそもメンバーに選ばれること自体疑問視されている。
 彼女をメンバーに入れたのは大将を勤めることになった末原であるが、彼女は上重のある傾向を掴んでいた。
 それは、順位点、オカを無視した単純収支の累計がプラスであること。相手が強いほど爆発するように点棒を稼ぐ所、である。
 個人的感情もあったであろうが、それらの要素は、団体戦のメンバーたる条件を十分にクリアするほどの力であると、末原は思っていたのだ。
 だがそれは『今ではない』。今ではいけなかったのだ。


「―――さて、後半戦が開始されました。逃げる姫松を他校は抜き返すことができるのか!」


(やばい。やばいで漫ちゃん、これはやばいでー…)


 人一倍傀について、調べ、知っている末原は冷や汗と震えを止めることが出来なかった。いつ『御無礼』が始まるのか、その恐怖だけが頭を埋め尽くした。

(末原先輩、『ツモるな』って言われてもあれはツモっちゃいますよ…)
 末原は先鋒戦前、そして前半戦終了後の休憩時間、上重に対して『言い聞かせた』。仮にバカツキが降りてきても、おとなしく、静かに、目立たず振る舞えと。『御無礼』の的になってしまったら、先鋒戦で飛んでしまう、と。
 しかし、上重には出来なかった。勿論、最初のうちは、序盤に張っても、アガリを拒否した。しかし、手を進めるごとに、手が高くなっていく。それでも何度もアガリを拒否しても、見逃しても、他家はリーチもかけてこない。張っている雰囲気もないまま海底まで進む。すると、海底直前、あるいは海底でツモってしまうのだ。
 上重は傀の試合を観たことが無かったわけではない。圧倒的ツキにはやはり驚愕はした。だが、所詮はバカツキの連続程度の考えでしかなかったのだ。末原の言っていることは荒唐無稽で、オカルトじみている。現に今の自分にわけのわからないバカツキが舞い降りている。麻雀では珍しいことではないのだ。なら、点は取れるうちに取った方がいい。思考の最後はその結論に落ち着き、『ツモ』るに行き着いた。



(めんどくさいのは清澄と永水かと思ってたけど、意外な所が来たなぁ…)

 前半戦、得点を稼いでいたのは上重であったが、他もされるがままというわけでは無かった。傀と小瀬川白望は、早あがり、差し込み等を駆使して上重の連荘を防いでいた。永水の神代はノーホーラだったが、振り込みは無く、牌を喰わせることで傀や小瀬川をサポートしていた。
 だが、それでも上重を完全に止めることは出来なかった。

 しかし


「ツモ、1000オールです」


 後半戦東一局。
 起家を引いた上重だったが、その開幕のあがりは安かった。

東一局終了時

上重(東家)  149300
傀(南家)   80200
神代(西家)  83600
小瀬川(北家) 86900



(ん?ずいぶんと低くなってるぁ…)


 正確にはこの兆候は前半戦の終盤にも見られた。上重は自分が二着との差を広げるにつれて、自分の流れ、勢いに確信を持つようになる一方で、不安もあった。
 あがれる時にはあがってしまおう。そう思うようになった。
 白糸台の宮永照のような一方的な連荘をしているわけでは無い。傀や小瀬川、神代に止められてしまう。勿論それは構わない。止められても、次局にはあっさりツモれてしまう。だが、確信は持てても安心が出来なかった。上重の意識は、高さより早さにシフトしていった。

「あ…」

 東一局一本場開始前、神代が

「ごめんなさい。少し寝ていました…」

 彼女は謝罪し、これからは全力以上であたらせてもらいます、と意気込んだ。


(はぁ…めんどくさいのが増えるのはやだなぁ…)

 小瀬川は上重の爆発に関してはさして脅威とも感じていなかった。彼女が警戒していたのは、神代と、傀。
 特に序盤は神代を注視していた。しかし、掴みどころの無い印象を受ける一方で、彼女からは攻撃の気配が全くなかった。そこから、小瀬川は意識を傀の方に向けた。石橋を叩くように慎重に打ち、そして観察をした。
 だが、掴めない。まだわからない。上重の爆発が観察にノイズを加えているのか、あるいは彼が隠しているのか、彼の奥底が見えない。起こっている状況は、爆発する上重に対抗して、早あがりや、差し込みを互いにしているだけ。しかし真意は違う。
 そんな中で、厄介、面倒なことが増えるのは小瀬川にとって、やはり面倒なことだった。

 が

(あれぇ…?)

 その局、神代は小瀬川に振り込んだ。
 小瀬川が手を『作り上げた』わけでは無い。その前に出来てしまった。とりあえず聴牌に、神代が振り込んだのだ。

(本気出すんじゃなかったのかな…)

(親番が……残り二回のうち一回の親番が流れてしもうた……)

 前半戦程の勢いがもう無くなって来ていることは上重も気づいていた。

(ここからは、流そう。少しでも早く局を消化せな……)

 だが、早あがりに向かう、彼女よりも先に、傀と小瀬川は早かった。
 その時にかぎって、安牌、現物がなく、降りれない。彼女は東二局から、東四局にかけて、彼らに振り込んだ。三連続の振り込み。
 そして


「やっとかぁ……」

 南一局、小瀬川に手が入り、彼女はツモる。倍満。上重の親かぶりである。


上重  124500
傀   89100
神代  74100
小瀬川 112300


 迫られる。近付いてくる。
 前半につけた差はもうなく、上重の手は汗で濡れていた。

「す、すんません…」

 急いでハンカチで手汗を拭く。

(まずい……あかん……先輩の言った通りになるんちゃうか、これ…)

 迫ってきているのは、宮守の小瀬川。だが、これは傀の仕組んだことなのでは。このまま行けば、最後には傀が全てを持っていくのではないか。次は南二局。傀の親番。死の宣告『御無礼』が始まるのではないか。上重は思考を巡らす。そして後悔する。
 このままでは、『敗者』は自分になってしまう。

(どうか……この局だけ…この局だけ!)

 上重は祈る。配牌に、手牌に、山に、流れに。
 そして、その祈りに応えるように、彼女には手が入った。まだ河の一段目の段階。彼女は運に感謝した。

七八九⑥⑦⑧⑨9西西 チー八七九 ツモ 9索

 ⑥筒を切れば聴牌。彼女は傀の捨て牌をみた。⑥筒を一巡前に捨てている。通る牌である。


「ポン…」

 静かに声がかかった。傀の声だ。その声は上重にとっては刃物に等しい鋭さのある声だった。

(来た!)

 既に切っている牌のポン。まず間違いのない『仕掛け』。上重は思わざるを得なかった。

 しかし同巡、神代からあたり牌が切られる。

(え?)

 一瞬、彼女は目を疑った。そして次の瞬間、彼女の脳内は安堵と歓喜で満たされた。

「ロン!ロンです!1000点!」

(やった、凌いだ、逃げ切った、傀の最後の親番を蹴った。これであの人に飛ばされることは無くなった!)

 一方、小瀬川にあったのは疑問だった。

(どんな手で鳴いたんだ?捨てた牌を鳴き返して……)

(先輩の思い過ごしや。毎回毎回あんな馬鹿ツキはあらへん、あったとしても…今回は違う……)

(姫松の焦るような安手あがり……傀の爆発の兆候の無い雰囲気……まさか……)


(傀は不調だ)


 安堵からの、そして疑問から始まった二人の思考の最終地点は一致した。
 でなければ、わけのわからない鳴きでプレッシャーなどかけてこない。しかも最後の親番である。仮に『仕掛け』、そして仕上げるのならもっと前である。
 傀のやろうとしていたことは、被害を最小限に食い止めることだった。そう結論付けた。

「ツモ…300・500です」

 南3局。これまでノーホーラだった今の神代にすらあがられる。傀には何かを起こす兆候すら見られない。

 そしてオーラス

上重(南)      126600
傀(西)       88800
神代(北)      72600
小瀬川(東 親)   112000


 ドラ9索(表示牌8索)

(なら…最終局)

 二人は最終局の指針を決める。

(突き放そう!もう振り込んでも、傀の連荘はあらへん!)
(これくらいでいいかなぁ……聴牌気配あったら差し込も……)

「リーチ!」

 上重は考えうる最高形でリーチした。

七七八八九九九九78999

(ダマじゃすまさない!ここまでおちょくられたんや。痛い目みせたる!)

(えー?高そうだなぁ……差し込むのやめようかなぁ……)

 攻める上重。
 小瀬川は降りた。



……
……

その時


(ん?)


 風。


次に寒気。


そして圧力。


(これは……)


 その先に居たのは、神代…


 神代小蒔……





「今更とは言っても怖いね…」

 宮守女子引率兼顧問、熊倉トシは語る。

「鹿児島の山中深く―――女仙だけが住む仙境がある…そんな御伽噺もあるけれど、彼女はそこから降りてきたようなモノかもねぇ」

 リーチをした上重はツモる。あがり牌ではない。引いてきたのは⑨筒。彼女も感じ取った。しかし、切るしかない。




「ロン」





 六女仙を従える―――


 霧島神境の姫…




①②③③③④④[⑤]⑤⑥⑥⑦⑧







「でも…」






 熊倉は続けた……






―――鬼は二人いた






『御無礼』






①①①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨⑨




「頭跳ねです。32000」










先鋒戦終了

姫松  93600
清澄  121800
永水  72600
宮守  112000





 そのあがりに、上重は言葉を失った。

(つまり…どういうことや?やばいモノの上にやばいモノがおった?違う、逆転されたんや……あかん。なんてヘマを……)

 後悔、罪悪感が上重に押し寄せてきた。

(あかん…あかん……先輩たちになんて言えば……)

 彼女はその場で金縛りにあったように動くことが出来なかった。
 傀が先に席を立った。そして言った。

「次は『強い方』で来てくれることを楽しみにしています」

 神代に対しての言葉だった。
 彼女は数秒呆けたようであったが、しかしその言葉を理解し、そして微笑み、返した。

「はい。私もそうなってくれることを祈っています」

 彼女も席を立つ。

(なるほどなぁ……端から眼中に無かった、と……)

 一息ついて、小瀬川も席を立った。そして、上重だけが舞台に残された。

(次の試合が始まる…はよ……どかな。でも、みんなに言うべき言葉が……。あんだけ先輩に言われたんに、何も考えずに突っ走って、一位通過も出来たのに……アホか私は……)

 彼女は動かない。動けない。
 そんな中


「漫ちゃん!」

 末原が舞台に来ていた。動けないでいる上重を見かねて、彼女は来た。

「せんぱ…」

 末原は、彼女の手を掴み、舞台から降ろした。引っ張って、廊下まで連れて行った。

「カメラあるけんな…」
「え?」

 末原は言った。
「漫ちゃん。点数覚えてる?」
「はい?」
「93600。で、トップの清澄の点数覚えてる?」
「え、あ……」
「121800。差は?計算してみ」
「二万……八千…二百、です……」
「なら、何を落ちこんどるん?十分やん。額の落書きもあらへん」
「でも……」
「でもやあらへん。漫ちゃんはよおやったんや。期待以上や。傀や神代相手にほぼプラスで帰って来とる。そうは出来へんで。傀相手に生きて帰ってくるんは」
 末原は上重の頭を撫でた。上重の目は潤み、声は震えて、次の言葉を言うに言えなかった。
「それにな、私は今怒っとる。漫ちゃんにやあらへん。傀に対してや。傀は漫ちゃんに御無礼言ったんやあらへん。神代に対してや。漫ちゃんは眼中に無かったっちゅうことや。漫ちゃんがあんなにすごいのに、それに見向きもせえへんかった。許せんなぁ。めっちゃゆるせんなぁ漫ちゃん」
「………夢……みたいですわ……」
「何言うとんの?」
「先輩がこんなに優しいなんて、夢みたいです……変な夢ですね……」
 末原は顔を真っ赤にして返した。
「そ、そんなことっ……。漫ちゃんが十分な仕事をしたから、私は……」
「それでも、ありがとうございます…」
 上重は一歩下がり、改まって一礼した。末原は顔を背けた。
「そ、それより、次や。次は手加減してやる必要はあらへんで。傀に対して、いやそれだけやない!ヴィヴィアンに対してもや。まとめてぶっ飛ばすんや。だから、めいいっぱい爆発してや、漫ちゃん」

「はい!」

 上重漫は、今日という日があったことに感謝した。










 とある雀荘にて



「あのさ、ほんとにあれ傀?調整する必要ないんじゃないの?」

「確かにそうかもねヴィヴィ。私も『アレ』があの『人鬼』には思えないね。だが、『あの通り』なら、だ。彼らはね、自分の本質すら上手に隠せるからね。だから、舐めてかかると痛い目をみるよ」

「ふん。この私をこんなちんけな大会に出して…本当は傀とかテルテルとかと戦わせるのが目的じゃないでしょ?本当の目的を教えなさいよ。どーせ、まだ顔も見せてない『大将』が関係してるんでしょ?」

「ふふ。隠しても無駄か。……その通りだよ」



「この大会でね、私は決めようと思っている」



―――私の【最高傑作】を




「だから、頑張るんだよ。ヴィヴィ。傀を『超えて』自分の価値を証明するんだね」


「は?何それ。ちょーやる気でないんですけど、それ」











 




「ここまでよく頑張ったな。臨海のD・D、そして、桜輪会高津組の信頼を得て、臨海高校の副将につけた。あとは本番だけだ」

「ええ。確かにここまで大変でした。D・Dの目的は先鋒戦と大将戦の結果しかありません。次鋒から副将はその繋ぎでしか無い。しかし、信頼できるレベルの能力は必要です。元々臨海高校の生徒で実力もある次鋒の鉄壁君以外、D・D軍…彼の子供たちで埋められる枠でしたが、なんとか入れました。また、僕と同じような目的で、中堅にイレギュラーが入ったせいで、結局『D・D軍』はヴィヴィアンだけとなりましたが…」

「まあ『そいつ』のことはいい。問題はアンタだ。助けたいんだろ?あの娘を」

「はい……。約束は守ってくれますよね。『白虎』さん」



「勿論だ、ケイ……いや……」






―――氷のK









[19486] #30 雨の日と その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2014/08/06 19:38
―――午後……5時……43分………『満潮』……



「満潮……満潮だから……リーチだッ!」

「それロンです当さん、24000」

 自信満々に切った彼の牌を玄はロンした。タンヤオドラ7の親倍。
 『満潮』という流れを掴んだと思い込んでいた彼、当大介(あたりだいすけ)であったが、もう『これ』は三度目である。

「何ぃぃー?何でそっちにそんなにドラが固まってるんだよ!?」

「それが玄さんだからね。それより、さっきから『満潮』って繰り返し言ってますけど、それ何かの呪文ですか?」


 鶴賀、風越との練習の際、個人戦に登録していない阿知賀の彼女達は、個人戦オンリーの者達とは練習することが出来る、ということを教えられた。
 その翌日、彼女達と繋がりのあった荒川憩の協力もあり、個人戦オンリーの者だけではなく、彼女の知り合い達とも練習することが出来た。当大介もその一人である。当大介は三箇牧の生徒であり、荒川憩と同じく、個人戦では全国出場を決めた者である。

「彼ねー。この前そこの雀荘で見かけた白糸台の子のマネしてるんよー」
「こら言うな!」

 荒川が言うに、その白糸台の生徒とは、団体戦で次鋒を勤めている積倉手数(つもくらてす)の打ち筋を、当が真似たそうだ。
 仕上がった彼は、決まってその時を『満潮』と言い、そこから津波のように大きな、かつ防ぎようのない和了を連続するそうだ。
 白糸台高校で恐ろしいのは、やはり先鋒の宮永照であるが、彼女が殺しきらなかった分を、彼がシャットアウトする。それが今年の白糸台高校である。中堅以降は、まだ公式戦に姿を現していない。

「あー思い出しました!確かその時決まって時計見ますよね、その人」

 白糸台の『顔』が宮永照だったのもあり、穏乃が思い出すのに少し時間はかかったが、しかし彼も驚異的であるのは確かだった。
 宮永照にも匹敵する驚異の連荘、高火力そして、圧倒的流れ。それが彼、積倉手数である。


「しかしそれにしても……あの失礼ですが、当さんは本当に個人戦で全国行き決めたんですか?」

 憧は引き笑いの表情を含めて聞いた。

「憧ちゃん、ちょっと失礼だよ」
「でも玄さん。さっきからずっとこの人ラスだよ」
「そうだぞ!失礼だぞ!」

「でも彼ねー、去年の個人戦男子で五位だったんよー」と荒川が言った。

「本当ですかー?」

 疑いの目を当に向ける憧。

「ふん!次から目に物を言わせてやらあ!」

「あ、副将戦始まる」

 話題を変えるように灼が言った。全国大会二回戦、第3試合、その副将戦が始まろうとしていた。皆は手を止め、モニターに目を向けた。

「ちょっ…おい!」
「ごめんなさい当さん、見させてください!」

 頭を下げる玄。誠実な彼女に魅かれたのか、見惚れたのか、当はしぶしぶ引き下がった。



(あの人は…)

 灼は清澄の副将を見た。

(やっぱり……どこかで見たことがある、ような)

 モニターに映る彼を見るのはこれで二度目。一度目は地区大会決勝の録画。

(あの後姿……)

 彼女は知っている。どこかで見た、彼の後姿。
 そしてその時

「チー…」

 彼は哭いた。モニター越しにも関わらず、その哭きは灼の心に響いた。
 彼は哭く、また哭く。そのたびに、灼は心を、トン、トン、トンと叩かれる。
 彼女は胸を押さえた。過去が、音を立てて近づいてくる。

「カン」

 そして、その哭きで、強くその心は叩かれた。

(そうだ……思い出した……あの背中……あの人は……)



 鷺森灼は幼いころ、玄の父親をはじめとする大人たちと打っていた。
 だがたまに、その旅館にいかにもやくざの風貌をした大人たちも打ちに来きていた。
 玄の父は灼に言い聞かせる。あの人たちとは打ってはいけない、と。
 灼は言い返す。あの子は打っている、と。
 彼女は、自分と歳が同じくらいの、その男の子を差して言った。
 大人たちは言う。あの人は特別だ、と。

 人。子ではない。大人たちは、その男の子を子供ではなく大人として扱っていた。
 
 灼は襖の隙間からその男の子を見る。見えたのは、その子の背中。
 その小さい背中は、冷たい色をしているのに、熱く、まるで青い焔だった。
 大人たち、それも怖い大人たちを前にして、その男の子は一歩も引かない。

 彼の『哭き』は、哭くたびに灼の心を刺激した。心臓が波打ち、焔の如く熱くなる。血液が熱湯にでも変質したのか、その熱は全身を巡り、そして彼女は高揚した。
 
 大人たちに対して彼は言う。



 ―――あンた、背中が煤けてるぜ……



 灼にその言葉の意味は解らなかった。だが、その言葉、彼の存在は、彼女の心に深く刻み込まれた。

 その男の子の名は…



(竜……竜司……竜司君だ………)


 灼は、思い出した。


 灼が、小学生になるころには、もう彼が旅館に来ることは無かった。
 大人たちに『飼われていた』彼は、自分の足で外に出た。
 
 玄の父は言う。
 彼は、誰のものでもない。


 灼はその言葉を思い出す。
 だが、何故彼はそこにいるのか。

 訊きたい。
 灼がここに居る理由。それは赤土晴絵のため。
 しかし今、新たな理由が生まれた。

 決勝の舞台で彼と打つ。
 偽りなき彼の麻雀。偽りなき彼の言葉。
 決勝の舞台へ上がらなくては、それらを知ることは出来ない。そう彼女は感じた。










副将戦

姫松  120700
清澄  119600
宮守  87000
永水  72700



 清澄の竜を塞いではならない。

 宮守女子の顧問、熊倉トシは副将の臼沢塞にそう言った。あくまで塞ぐのは永水の副将、薄墨初美の『裏鬼門』に対してのみである、と。
 どうしてと彼女は訊く。熊倉は答える。彼はあまりにも危険すぎる。塞ぎに行ってしまった場合、その力を喰われてしまう。
 信じがたい話であった。今まで自分は、様々な魔も怪も鬼も塞いできた。人外の力、恐ろしきものを経験してきた。塞げなかったものなど無かったのだ。
 だが、そうは思いながらも、前半戦、彼女は熊倉の言い伝えを守った。
 正確には、破る必要など無かった。
 前半戦、二回の『北家の薄墨』は二回とも彼女によって塞がれた。
 約9万点あった点数は11万点程までになり、一位との点差も縮まった。
 だが

(クソ……)

 彼女は廊下の壁を叩く。イラついていた。
 前半戦。和了を決めたのは彼女と姫松の愛宕絹恵のみだった。清澄の竜と永水の薄墨はノー和了の結果に終わった。

(『なのに』何故…)

 前半戦、一位で終了したのは清澄。竜。


前半戦終了時、各校の点数は以下の通りである。 

清澄  115600
姫松  113700
宮守  108700
永水  62000


 彼は和了するどころか鳴きすらしなかった。
 彼女をイラつかせる要因はそれだけではない。
 薄墨が『北家』の際、キー牌の東、北を鳴かせたのは全て竜だった。『裏鬼門』のことはもはや有名であり、知らぬ筈はないにも関わらず。
 彼女は無限に塞げるわけでは無い。塞ぐたびに、その力は消耗する一方である。

(まさか……それが狙い?)

 竜は、自分の異能のことまでも見抜いているのではないか。
 薄墨の火力を抑えると同時に、彼女の力を消耗させ、最後の最後で全てを持っていく。それが竜の狙いではないのか。
 まるで、長野地区大会決勝の先鋒戦での傀の打ち方のよう。彼は他を利用し、上の者を削り、そして流れを掴み、最後にすべてを持っていった。竜も、『そういう』打ち方をするのだろうか。
 臼沢は考える。考えれば考える程、怒りが積るばかりであった。『だとすれば』自分が掌で踊らされていたのだから。

「大丈夫?」

 そんな彼女に声をかけたのは小瀬川だった。彼女はトイレのついでと答えたが、臼沢は嬉しかった。めんどくさがり屋の彼女がどんな形であれ、ここまで来てくれた。

「先生、あの人と打ったことあるんだって…」
 舞台に戻ろうと歩を進めようとした彼女に、小瀬川は言った。
「え?」
「あの人だけじゃなくて、先鋒のあの人とも…」
(熊倉先生が…?)
「先生、一時期旅打ちをしていた時期があったって言っていたよね。その時に…」

 彼女が言うに、熊倉が彼らと打ったのは、彼らがまだ小学生の頃だそうだ。彼らはどこにも所属せず、自分と同じく旅打ちでもしているようであった。牌がある所、真剣勝負の開かれる場所に彼らは居た。
 『その』熊倉トシが、竜を塞ぐことを禁じている。
 彼女は思い直した。言い伝え通り、塞ぐのはあくまで薄墨のみ。そう心に決めた。

 後半戦、起親は絹恵、その下家に薄墨、対面に臼沢、上家に竜。
 東3局、南3局に薄墨が北家になる配置だ。
 
 東場、臼沢は言い伝えを守り、あくまでターゲットは薄墨に絞った。彼女が北家となる東3局でも、竜が『また』鳴かせたが、彼女は堪え、薄墨を塞いだ。

(キツイ……塞げるのは……あと一回くらいか……)

 視界が、ぼやけ始めた。だが残る彼女の『北家』は一回を残すこととなった。南3局の親は自分。連荘などしない。
 そしてその南3局が訪れた。


南3局流れ一本場 ドラ3索 親 臼沢

清澄  116600
宮守  113900
姫松  112500
永水  57000


 順位の変動はあったものの、結局また清澄が一位。点数のやり取りの殆どが、宮守、姫松、永水で行われていた。
 永水の薄墨はいまだノー和了であり、彼女は目に涙を溜めていた。

(最後の北家……あがれないなんて、ありえないですよー……)

 この局こそはあがるのだと、彼女は意気込んだ。だが


「チー」

 竜が、鳴いた。
 これまで、和了も、振り込みも、鳴くこともしなかった彼が、ついに動いた。

 その鳴きは一巡前に切った1索を臼沢から喰いとるというものであり、意図がまったく見えなかった。
 だが、次巡、そしてさらに次巡『姫松』の絹恵の表情が変化していった。ツモが『何か』に偏っていっている。まるで何か、大きな爆弾を抱えているような。そんな緊張を含んだものだった。
 だが、臼沢が警戒していたのはあくまで薄墨や竜であり、薄墨が警戒していたのは『塞いでくる』臼沢であった。薄墨は、臼沢の力に真っ向から挑んでいた。絹恵のことなど、眼中に無かった。


「カン」


 鳴いた。彼がまた鳴いた。絹恵から切り出された8索を鳴き、嶺上ツモへ。
 誰もがツモられると思った。
 だが、彼はその牌をそっと河に置いた。ツモ切り。
 置かれた牌は、東。

(また……)

 待ってましたと言わんばかりに、薄墨は鳴く。

(この局もやはり『塞』がなくてはならないか…)

 彼女が塞ぐタイミングは、次に北を薄墨が鳴いた瞬間である。
 彼女は身構えた。

 しかしその局、「ポン」という声がかかることは無かった。
 次巡、かかった声は「カン」
 薄墨の暗カンだった。

(まさか……暗カンでもいいのか……だが、それでも塞ぐまで!)

 彼女は薄墨を『視た』。『視る』ことによって、彼女の力を封じることが出来る。
 だが『その前』に一つの声がかかった。

 「ロ……ロン……です……32000は、32300……」

 自分でも信じられない。彼女の表情はまさにそれであった。
 倒した役は国士無双。薄墨が暗カンした北に対してのロン。

「な……なんで……?……こんなことって」

 声を出さずにはいられなかった。塞がれるだけでなく、まるで自分の行動を先読みしていたかのような国士。
 自分が臼沢に真っ向から挑んだ結果であるのか、自分の力を確信しすぎたからなのだろうか。
 この大会に、役満の重複、ダブル役満は無い。仮に役満を二度あがっても、逆転できない点差がついてしまった。自分の驕りが、取り返しのつかない事態を招いてしまった。

「あ……あ………」

 薄墨の頭の中は真っ白になった。そして、目に映る一つ一つの現実が、その景色を黒に染めていく。


(これは……竜だ……清澄がしたことだ……)

 思考を回転させることのできた絹恵と臼沢はそう結論付けた。
 彼の鳴きが、絹恵の国士を作りだし、薄墨を暗カンに誘い込んだ。
 そう思わざるを得なかった。

「彼が、あんな打ち方をするとはねぇ……」

 熊倉は言う。あれは竜の打ち方というより、傀に近い打ち方である。同じ学校で、共に打つことによって、彼ら自身の変化があったのだろうか。それとも、ただの偶然だろうか。

 
 そして……ここから、竜の親番が始まる。




姫松 144800
清澄 116600
宮守 113900
永水 24700



 逃げ切らなくては。そう絹恵は考えた。
 薄墨を守らなくては。臼沢はそう考えた。

 公式戦上での竜の記録は、長野地区大会決勝の副将戦における、半荘二回だけではあるが、その火力の高さを知るには十分な結果を、彼は残している。
 和了した役は、緑一色、数え役満、チャンカン、四カン子。チャンカン以外では全て役満。九蓮の見逃しも含めると、計4回の役満を半荘二回で出しているという驚異的記録である。
 永水の点数はもう24700。親の三倍満、役満一回の直撃で飛ぶ。そこにいるその男子は、それをやりかねない。

 考えたことは違ったが、両者がやろうとしていることは重なった。
 それは早あがり。竜よりも先にあがることであった。
 もちろん、絹恵にとっては今の段階で永水に飛んでもらい、自分が二着以上で終わるのが理想的であったが

「甘いな」

 絹恵は竜に親倍を振り込む。一瞬にして順位は逆転し、三位の宮守との点差は縮められた。永水が飛ぶ時に、宮守が二着で終わってしまう可能性も出てきた。
 三着覚悟でも、安手で流すか、永水に差し込むか。ここで、二人の考えまでもが同じになった。

 それでも、彼は哭き、そして彼女達は振り込む。
 振り込み続ける。
 薄墨が振り込む前に、ツモられる前に、自分たちが前に出なくてはならない。
 前に出なくてはならない必然を、竜が喰らう。


(この人、思っていた以上だ……止まりそうにない……このままでは……)

 彼女は熊倉の言葉を思い出す。小瀬川の言葉を思い出す。

(だけど……一局だけ……この一局だけを凌げば………)

 不安もある。恐怖もある。だが

(ごめん……先生………使います!)

 彼女は止まることが出来なかった。





 臼沢塞は竜を『視た』




 その時、彼女の右目にかけているモノクルが、カタカタと揺れ始めた。



(何……?コレ……)


 彼女は人を殺したことは無い。殺されそうになったこともない。だが、彼女の脳裏に浮かんだ言葉は

 殺気

 殺気が、自分の眼を圧している。
 それは一回、一瞬の出来事ではなく、断続的に、冷たさを交えた圧力が、彼女の眼を押していた。

 大きな、あまりにも大きな圧力が、大挙して向かってくる。

 津波、違う。
 台風、違う。
 猛獣、違う。
 魔物、違う。


 人類がこれまで、想像もしていなかった、言葉にすることが出来ない何か。

 向かってくる。

 向かってくる。

 くる。


 彼女は眼を閉じた。
 反射。
 思考よりも先に、体が動いた。



 割れた。彼女のモノクルは、その圧力に耐えることが出来なかった。

 割れるその瞬間、彼女はとっさに手でモノクルを払いのけ、破面が目に刺さることは無かった。
 

「だ、大丈夫です……」

 すぐに彼女は、モノクルを拾いに行き、割れたそれを台の上に置いた。
 監視役にも、大丈夫、と何度も言った。怪我をしている、続行不可能なのではないかということになったら、この時点で終わってしまう。それだけはあってはならない。

(先生の、言った通りだ。……危なかった……。あの人は、危険すぎる……)

「あンた……」

(え?)

 卓に戻った、臼沢に、竜は言った。

「自分の力で向かってきなよ…」

 一瞬、理解に遅れた。

「俺は、その力と、打ったことがある……」

(先生……先生のことを言っているの?)



 南4局3本場、彼は親倍をツモる。これで4連続目の倍満。
 永水の点棒は残り16400。彼女を守れるのも時間の問題となってきた。

(だめだ……終わってしまう……さすがに、もう振り込めない。そして、永水を守れる気がしない…。次のターゲットが永水だったら、その時点で終わる。私達は三位。この局で、終わってしまう……。ごめん、シロ、ごめん、豊音、ごめん、みんな……)

「リーチ!」

 姫松、絹恵は前に出る。

(姫松……まだ攻めるの?現在姫松は二位……もう永水が飛ぶのを待てばいいのに、それでは)

「ロン」

 振り込む。姫松はまたも振り込む。またも倍満。五連続。これで順位は変動し、宮守が二着へ。

 (これは……ラッキーだ。ツいている。あとは、永水が飛ぶのを待つだけ)

 姫松は、愛宕絹恵は焦ったから、リーチをかけたのだろうか。その時の彼女の手は、リーチをかけなくては役の無い形であった。一巡先を怖れた結果のリーチだったのだろうか。一巡先、あがり牌をきられることを怖れた結果だろうか。一巡先の、手替わりの可能性を待てなかった彼女の焦りの結果だろうか。
 違う。
 焦りでは無かった。
 彼女は、戦っていた。
 己の力で、竜に挑んでいた。
 何一つ異能を持たない、姉のようなセンスも持たない、からっきしの自分の力で。

 彼女は追いつきたかった。
 姉、愛宕洋夏に認められたかった。

 そのために、ここに居る。

 彼女はそれが、最善と判断したからリーチをかけたのだ。
 リーのみであるなら、薄墨から出れば、牌を倒せる。一発、裏ドラを含めても、跳満になることは、そうは無い。
 それに、姉の前で『逃げる』姿を見せたくなかった。

 一時は、逃げることを意識したが、竜に振り込み、竜の和了を見て、そして思い直した。




 自分は、何のためにここに居るのか。



 彼女は追いつきたかった。
 姉、愛宕洋夏に認められたいからここに居る。



 だからこそ、ここに居る。



 だからこそ

「もっぺんや!」

 彼女は自分の足で、前に進む。



(姫松……振り込み続けて『切れ』てしまったのか?)

 端から視れば、狂気の沙汰。
 
 故に彼女は安堵した。姫松が堕ちてくれる。自分は何もしなくていい

 そう思った。


 だが、



(安牌が……無い……)

 逃げているのに、降りているのに、彼女にはもう現物が、安牌が無くなっていた。

(何故だ……普通は、ツモ切りしか出来ないアイツが先に『そうなるだろ』!)

 否。これは【麻雀】である。
 あり得ることなのだ。
 通常の感覚が麻痺している彼女には、その理さえ麻痺していた。

 理不尽。これが麻雀の本質である。


 六連続目の倍満を振り込んだのはリーチをかけていない臼沢だった。




 馬鹿な…
 馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!

 そんなことがあるか!これは【麻雀】だぞ!



 否。これが【麻雀】だ。
 あり得ることだ。
 通常の感覚が麻痺しているお前には、その理さえ麻痺している。

 理不尽。これが麻雀の本質だ。

 六本場。絹恵はまたも攻める。

 そして竜は七連続目の倍満をツモった。



 永遠に思える地獄の連荘は続く。





清澄  293900
姫松  51100
宮守  47200
永水  7800




 これが【麻雀】だ。
 あり得ることなのだ。

 理不尽。これがこのゲームの本質なのだ。


 故に


 だからこそ



「ツモや!5001000は12001700!」



 【永遠】など存在しない。








 そして、全国大会二回戦第3試合は、大将戦を迎えることになった。



清澄  292200
姫松  55200
宮守  46000
永水  6600












【清澄高校控室】




「……喉乾いてきたわ。それにしても京太郎君遅いわねー……」

 副将戦が終了し、次の対局を控えるアカギがその部屋を出た後、彼女は買い出しに行っている須賀の帰りを待たず、自動販売機の所に足を運んだ。




・・・・・・




「・・・え?……もしかして、お兄ちゃん?……」

 自販機の横に、白糸台の制服を着た男子が居た。
 優等生が多いであろう白糸台高校であるが、彼の外見はその真逆、制服の前のボタンは全て外しており、煙草まで吸っており、そしてやさぐれた表情、いかにも不良な風貌だった。

「……久しぶりだな、久……。まさかこんな形で再開するとはな……。あとその言い方やめろ」


 『上埜』という苗字を捨て、彼女が得た新しい苗字『竹井』。

 それは『彼』のものであった。














[19486] #31 雨の日と岩倉玲音
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2014/04/01 09:43
 ―――記憶なんて、ただの記録



 ―――嫌な記録なんて、書き換えてしまえばいい












大将戦

清澄・アカギ  292200
姫松・末原   55200
宮守・姉帯   46000
永水・石戸   6600


 大将戦前半戦、起親はアカギから始まった。席順は反時計回りに、末原恭子、姉帯豊音、石戸霞。
 清澄を抜くことはほぼ不可能となったこの大将戦、他の三校の目的は二位抜けとなった。
 三校のうち、姫松、宮守にとっての理想的展開は、残り6600点の永水を飛ばし、自校が二着でラストを迎えることである。

「ロン!2600」

「ロン!3900!」

 末原は走った。手作りよりスピードを優先させ、宮守から二連続の直撃。ツモあがりで永水を削り、早々に決着を付けたい気持ちもあったが、宮守の姉帯、永水の石戸のデータは少なく、彼女達の特徴を掴めていない。
 で、あるならば、あがれるうちにあがり、二校との点差をつけて置く必要もある。そう彼女は考え、実行した。

「んー…。おっかけるけどー」

 異変、とまではいかないが、その前兆は早い段階で見え始めた。
 末原のリーチに対しての、姉帯の追っかけリーチである。
 4面待ちと辺張。待ちの数は圧倒的に多かった末原だが、掴んだのは彼女であった。それも一発を掴んでしまい、5200の一本場、5500とリーチ棒分を取られ、東1、そして親の東2局で稼いだ点数を姉帯吐き戻した。

(4面張が辺張に負けるかー…)

 麻雀ではよくあることである。彼女はそう割り切った。
だが、それは二度、そして三度起こった。

 異変。最早明らかに異変だった。

 先んずれば負ける・・・



 それが『先負』



(今の振り込みで三位……。さすがにこれ以上『リーチ』はできへん。宮守の大将は、リーチに対して必ず追っかけて、そして勝つ。それは間違いあらへん…ということにする。火力は高くあらへんが、これ以上はまずい…)

 三度の振り込みを経て、末原は結論付けた。追っかけリーチに負ける…。これが姉帯豊音の異能。ならば、リーチをかけず、ダマを突き通す。スピードには、彼女は自信があった。


 しかし


 【背向のトヨネ】

 彼女の技はそれだけでは無かった。
 
 姉帯は鳴く。
 豊音は鳴く。
 アネタイはまた鳴く。
 トヨネはまた鳴く。

 計4副露。裸単騎が出来上がった。

(なんや?清澄の副将のマネか?)

 否。

 彼女はすぐに否定した。
 あの鳴きは歪。
 清澄の副将、竜の鳴きはそうではない。彼の鳴き、その形は美しく、誰もが見惚れる和了形。それが姉帯の鳴きには無い。
 場を乱し、己が手を乱す。
 命を刻むのではなく、命を汚している。そんな鳴き。
 汚れたその命に、人は魅力を感じない。誰もが避ける。離れる。孤独になる。
 だが


「ぼっちじゃないよー」



 それは『友引』



 凶事に友を引くかのごとく・・・



 山奥の村から出ることなく、その命を廃れさせていた彼女。
 そのまま終わる筈だった命は、今、友を得て、そして祭りに参加している。
 その『友引』は、彼女を象徴しているようであった。
 終わらせたくない。
 終わらせたくない。
 もっともっと楽しみたい。
 祈りを込めて彼女は打つ。

 そのあがりは2600オールの二本場、2800オール。
 東3局2本場にして初のツモアガリ。永水の点棒も削られ、残り3800。
 祭りの次のステップ、準決勝が近づいてきた。

(さすがに……守りにも限界があるわね……リスクもあるけど、ここはもう攻める、しかないようね……)

 永水は現在最下位。あと一撃、少なくとも二撃受ければ終了してしまう大将戦。二回戦。インターハイ。石戸霞に、選択肢は無かった。
 本人が苦手とする『攻め』の状態。彼女はそれにならざるを得なかった。

(大丈夫だよ、初美ちゃん)

 石戸は副将戦、大量失点してしまった彼女を想った。
 彼女は控室で、ずっと泣いている。責任を感じている。自分の所為で、みんなに迷惑をかけてしまったと。ごめんなさい。ごめんさい、と。
 彼女のためにも、もう一度、清澄と戦える機会を作らなくては。それが、今の石戸霞の使命。

「ツモ……3300・6300です」

 筒子の染め手の形。その形なら、珍しいものでは無い。

「ツモ、トリプル、12000オールです」

 今度は索子の染め手。だが異常はそんなことではない。

 (なんや……これ……)

 ラスに転落した彼女は、その異常に戦慄した。それは手牌、そして河。
 永水がトリプルをあがった前局、永水の河には索子と字牌しか並ばなかった。なのに索子の染め手で和了している。
 そして、自分を含め他の三校の河には、索子が一枚も無い。正確には、索子を引けていない。

(これは、絶一門か)

 この状況の恐ろしい所は、永水は一色と字牌しかツモらず、高火力の手を高速で作ることが出来ること、そして、他家は彼女から直撃をほぼ奪えないことである。
 加えて、石戸から発せられる圧倒的気配。
 末原は萎縮し、手が震えだした。

(残り、27000……今度は私が飛んでしまう……側になって、いる……)


東4局終了時

清澄  274100
姫松  27000
宮守  46200
永水  52700

 思考すること。それが凡人に残された、ただ一つの道。

「ツモ…。6000は6100オールです」

 状況は悪化する一方。思考より先に、結論が先に現出してしまう。

(あかん……何もできん……)

 彼女は思考する。

(違う……めげるな……めげたらあかん…)

 それでも彼女は思考する。

(清澄……)

 彼女はアカギを見た。

(ええなぁ…)

 勝負のする必要のない点棒、その数。星の数ほどあると言っていい物量。完全なる安全圏。そこに居る清澄、大将アカギ。末原は彼と入れ替わりたかった。現実から逃げたかった。

 (ちゃう!そうやない!)

 だが堪えた。彼女が見なくてはならないのは、あくまで現実。リアル。
 脳だけの、妄想だけの世界にいつまでも居てはならない。
 その眼でもう一度アカギを見た。アカギの眼を見た。

 アカギの眼。
 それは勝負師の眼だった。安全圏に居る、胡坐をかいている者の眼では無かった。
 末原は思考を巡らした。何故。

(あれは、何かを狙っている…)

 何かを狙っている。そこまではわかる。だが何も見えてこない。意図が見えない。これ以上、清澄に何をする必要がある。
 そもそも、これまでアカギには攻めっ気や、守備、そんな気配が無かった。実際に攻めたり、守ったりしていない、ということではない。戦っていないというわけでは無い。
 気配を、断っている。息を潜めている。獲物を、一撃で仕留める猛獣のように。植物のように。

 気付くことが出来たのは、凡人故に思考を止めなかった末原のみ。姉帯や石戸は気付いていない。
 点差を付け過ぎた故に蚊帳の外に居る、アカギを意識していない。あくまで対戦相手は、姉帯にとっては石戸、石戸にとっては姉帯。そうなってしまっている。

 その呆け故に、気付かない。本当に恐ろしいものに。


「リーチ…」

 姫松では無い。宮守では無い。永水では無い。
 そのリー棒は清澄、アカギから投げられたものだった。

(何もしなくていいのに、何をしているのかしら)
(邪魔しないでほしいよー)

 呆け故に、的外れ。

(でも、リーチをしてくれたなら、こっちも追いつくよー)

『先負』

 先んずれば負ける。姉帯はそのリーチを、追っかけた。
 これで、掴む。
 呆け故に、そう考える。

 アカギのツモ。彼はツモ切る。その牌が当り牌。姉帯は身構えた。
 だが、切り出された牌は違った。和了牌では無い。

(え?……え?……)

 状況に疑問を持ったのは彼女だけではない。石戸も、末原も、頭の中は『何故』。



「ククク…」


 彼は笑う。



 圧力をかけられたわけでは無い。天江衣や、眠りに入った神代小蒔のような、異能者特有のオーラのようなものがあったわけでは無い。

 そこに居るのは純粋な人間。
 ただの人間。

 彼女達は引いた。怖れた。
 そして思い知らされた。
 異界のものは、やはり異界のものでしかない。現実では無いのだ。
 割り切れるのである。
 だが、そこにあるのは、現実。現実においての、恐怖の対象。
 暴力、殺人、差別、戦争、貧困、狂気。
 現実にある、負の要素。
 異界に身を置いていたが故に気付かなかった、目を逸らしていた、本来見るべきであった、見なくてはならなかった、本当の恐怖。


 それが、赤木しげる



 まぎれもない、現実の住民。現実の人間。



 姉帯は振り込む。
 アカギに対してではない。
 凡夫、末原に対してだった。

「ロン!12600!」

「え…?こっち?……え?」

 意図不明のリーチ。
 自分の『ルール』、法則を捻じ曲げたリーチ。
 その結果は、まったく関与していないはずだった、第三者への振り込み。

 そのリーチに気付けたのは、モニターで真実を知る者と、末原だった。



「先生!どういうことですか?『あのリーチなら』豊音の『先負』は発動しないはずでしょ?」

 宮守控室。臼沢は熊倉に訊いた。
 先負の発動、つまり相手のリーチに対して追いつく、という現象は、あくまで『本当のリーチ』を相手がかけなくてはならない。アカギの『ノーテンリーチ』の場合、発動などしないのだ。

「豊音が追いついたのは偶然だよ……。でも、豊音は先負を破られた、と思ってしまったようだねぇ……相変わらず、恐ろしい子だよ」

「偶然……?」

 先負は発動していない。姉帯の【力】により『追いつく』という現象は起こっていない。
 起こった現象は、単なる追いついてしまった、という偶然。そして、姉帯が混乱、恐怖したという結果が残った。

「先生…。あの人とも打ったことあるんですか?」
「対決、ではなかったわねぇ。一度、コンビを組んだことがあるだけだね」
「コンビ?」
「鷲巣巌の暴走を止めるためにね」
「鷲巣、巌?」
「そうだね。あんたたちには話してなかったね。また、ゆっくりした時に話すよ」


「でも、姫松のあの子はやるねぇ。最初から気付いていたようだね」

 恐怖はあった。しかしそれ以上に、末原には確信があった。アカギに異能は無い。傀や竜と同様に、これまでの彼の牌符を可能な限り研究していた彼女には自信があった。
 アカギが異能を破る時は、相手が破られてしまったと思い込んでしまった、というケースである。県大会決勝、天江衣もそうだった。

 つまりこの局はチャンスだった。
 姉帯はたとえ悪待ちででも、リーチをする。それは三度の振り込みを経て末原が見つけた傾向。今回も悪待ちの可能性が高い。故にツモアガリの確率も低い。
 そして、石戸霞。彼女はアカギのリーチはただただ不気味。異能を破ったリーチ。攻めるのは危険。降りる。
 この状況、堂々と攻めることの出来るのは、末原のみ。彼女は可能な限り手を進めて、運も味方し、そして成就した。
 それが、この局の『真実』である。


(凡人やからって蚊帳の外に置かんといてって話やん)



 南1局

 アカギの親が始まった。


 清澄  267000
 姫松  35500
 宮守  26500
 永水  71000


(清澄の大将、アカギのすることは『ブラフ』。そして混乱した対象を喰いとる。これが基本や。なら普通に手を進めたらええ。惑わされなければ、何の問題もあらへん。まだ、この南場と、後半戦がある。十分二着浮上も可能や。めげるな!末原恭子)


 末原はたった一つ見落としていたことがあった。
 それは、『彼ら』自身に変化があったことである。
 傀はまるで、アカギのように相手の力を引き出すように打ち、竜は傀のように、他者をコントロールした。
 そしてアカギは




「48000」

③④[⑤][⑤]⑤⑤⑧⑨白白 大明カン 北北北北(上家カン)  

ツモ ⑦筒

ドラ ⑤筒 北


 強運。規格外の強運。
 


(気配が……全く感じられなかった…)

 大明カンからの責任払い、振り込んだのは、永水、石戸。相手が神代や天江、宮永照のような異能者であるなら、あたり牌から気配を感じとり、降りていたであろう。だが、そこに居るのは気配も圧力も無い、ただの人間。





(信じられん……夢でも観てるんか?奴は竜やない。鷲巣巌やない。当大介でも、ZOOの園長でもあらへん。なんでアカギが、赤木しげるがあんな役をあがれるんや……)

 

 状況が変わった。規格外の異常者がそこに現れた。最早後半戦があるなど誰も思わなかった。この試合、この南場、アカギの親、南一局で終わる。

「一本場」

 違う。

 この一本場で終わる。この局で決着が付く。誰かが、飛んで終わる。ターゲットになった者、学校が終わる。選択権はこちらには無い。
 生殺与奪の権利は、清澄、大将、アカギにあった。

(気配を、断て……末原恭子。逃げる。逃げ切るで…)

 現在姫松の点数は35500。飛びの対象にならなければ、二位で抜けて、準決勝に進める。
 彼女にはそれしか今は考えることが出来なかった。
 準決勝、清澄に対して、臨海に対しての対策は、全て後回し。
 思考の全てを、この局に捧げた。


 南一局一本場 ドラ ②筒

 捧げたが。


 現物が消えた。


アカギ 捨て牌


9西東白8発
南2一中


 発と中以外全て手出し。

 二二四四四五五五1377北

 そこにツモって来たのは北

 アカギに限り、単騎待ちもありうる。
 他家の捨て牌を統合しても、通る保障のある牌は、一枚も無い。
 筒子だけを捨てベタ降りのできる永水を羨ましく思えた。

 だが、石戸も苦しい。この局、誰かが飛んだ場合。彼女は三着が確定してしまうからである。
 しかし、彼女は降りるしかできなかった。誰かが、安手で流す可能性に欠けるしかなかった。

 姉帯は動けなかった。先負を破ったアカギなら、他の六陽の支配も超えてくる。
 楽しみたい、もっと楽しみたい。なのに動けない。動いてしまったら、みんなの、宮守のみんなの祭りが終わってしまう。自分の所為で。
 それは出来ない。



 張っていない。
 数分前の末原ならそう思えた。
 あの局の化け物じみた役満はあくまで偶然であり、まだ張れていないことも十分ありうる。
 自分が手を進めて、この局を流すのがベストだったのだろうか。

 アカギの捨て牌を観る。

 字一色のような役満は無いように見える。なら通るのは北。一番安全なのは北だろうか。
 北は、宮守が一枚切っているので、あるとすれば、地獄単騎。なら、四や五萬も安全だろうか。
 アカギはリーチをかけていない。字牌単騎なら、せいぜい一盃口程度だろうか。二五萬、四七萬待ちなら、タンピン系だろうか。清一系だとしたら恐ろしい。
 末原の思考は、振り込んだとき、安いかどうか、というのにシフトしていった。

(安いなら、字牌……)


 数分前の末原なら、そんな考えには行き着かなかったであろう。
 アカギの傾向を知っているなら、最も安全な牌こそ一番危険。それを考慮すればよかったのだ。
 だが、前局の役満。アカギの変化。それは末原を混乱させるのに十分だった。


(字牌……字牌なら)



「ククク…目が曇ってるぜ……」



 受け入れたくなかった現実が、押し寄せてくる。






東東南南西西白白発発中中北  ロン 北





 二連続の役満。


 想定外。誰も想定しない。想像もしない災厄。




「終わったな」



清澄  363300
姫松  -12800
宮守  26500
永水  23000





 準決勝進出を決めたのは、清澄高校と、宮守女子となった。



「『マヨヒガ』に『六陽』に…まったくあのばあさんは、幾つ持ってんだ…」

「え?」

 席を立つ前に、彼は呟いた。

「『あと四つ』ってところか……。『次』は出し惜しみをするなよ。姉帯豊音さん」

「え……?あ、・・…はい!」



(何とか……生き残ることができたよー。もっと、もっと強くならなきゃなー…)

 アカギ、そして姉帯は舞台を降りる。
 少し遅れて、石戸も動いた。負けはしたが、穏やかな表情は崩さず、舞台に一礼して、そして歩を進めた。

(ごめんね。初美ちゃん。みんな。まだまだ、修業不足だったみたい……)





――――
――――――
――――――――















 その日は雨だった。
 一人の少女が、傘も差さずに雨に打たれていた。
 会場を背にして、ただその場で、空を見上げていた。
 涙を、雨でごまかすように。



「ねぇ、どうしたの?」



 一人の少女が話しかけた。
 白糸台の制服を着た女子。
 彼女も、傘を差していなかった。



「なんか、雨に打たれたい気分なんや……」

 末原は答えた。

「負けちゃったの?」

 その女子は訊いた。

「あんたストレートやな…そうや……。私の所為で、みんなの大会、終わってしまったわ……」

「悔しい?」
「悔しいな」
「悲しい?」
「悲しいな」
「忘れたい?」
「忘れれるものなら、忘れたいな」

「じゃあ、消しちゃおうか」

「え?」

「記憶なんて、ただの記録」

「嫌な記録なんて、書き換えてしまえばいい」

「あんた、何いうとるの?」

「もう一度聞くよ。もし、仮に記憶を書き換えることが出来て、あなたにとって都合のいい記憶にすることが出来るなら、あなたはそうしたい?」

「………そうやな………。いい話やけど……それは遠慮したいな」
「どうして?」
「それを、嫌な思い出を含めて、私やからな。それに、私には責任がある。責任を放棄するんは、私のプライドが許さへん。忘れることなんて、出来へん」

「そう…」
「そんなもんや、人生」
「ふふっ。そうだね」

「何か、ありがとな。本当のこと言うと、私、逃げたくなったんや。でも、あんたに言われて、なんかそれちゃうな、って思えた」

「お礼なんて、いいよ」

「だけど、なんであんた……傘忘れたん?」

「私も、雨に濡れたかったから」

「あんたも、もしかして」

「ううん。違うよ。気分……」

「そっか……まあそんな気分もあるわな…」

「うん」

「それにしても、あんた変わった髪形しとるな」
「そう?他にも変わった人、いるよ?」
「あんたも負けとらん」
「ふふっ。ありがとう」
「ははは…」


「ねぇ、友達にならない?」

「なんや急に。そんなこと、なろう言うてなるもんでもないと思うけど、まあええよ」

「ふふっ、そうだね。ねぇ、名前、教えて」

「恭子や。末原、恭子」

「キョウコ、ちゃん?懐かしい感じ……」

「同じ名前の友達がおったん?」

「昔ね。でも嫌われちゃった」

「そうか、嫌なこと思い出させて、悪かったな」

「ううん。気にしないで」

「で、あんたの名前は?」







「私は、玲音。岩倉、玲音……」






 雨があがった
















Lda1015



 白糸台高校の決勝進出が決まった。
 準決勝は、中堅の竹井さんが千里山の娘を飛ばしておしまい。
 いつもは最低でも次鋒で他校を飛ばしていたんだけど、積倉さん、ちょっと不調だったのかな。オーラスのツモ、ちょっと安かったし。
 
 千里山の娘、泣いていた。
 これが、インターハイなんだなぁって思った。
 それにしても、先鋒戦で倒れた娘、大丈夫かなぁ。
 命を削って、未来を観たあの娘。
 今度お見舞いに行こう。
 お見舞いってのはちょっと違うかな。
 こっそりと覗きに行く、かな。
 

 ……


 決勝。今度こそ、たぶん私まで回ってくる、と思う。

 そして、あの二人と打つ。
 楽しみ。

 ノイズが多くて、観ることが出来なかったこの時間の結末を、私は知りたい。
 だから私は、ここに居る。

 でも、おじさん…じゃないか。なんて呼ぼうかな。

 赤木しげるのことを。


















[19486] #32 serial experiments “Saki”
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2014/04/01 11:54




【鉄壁保】




 Bブロック準決勝、僕達臨海高校はまたも一位通過の結果を収めた。
そしてまたも先鋒戦での終了。
 先鋒のヴィヴィアンは、起家でスタートし、冒頭「この試合に東二局は来ない」と宣言したが、その通りになった。開幕から彼女は仕上がっていたそうで、『カウントダウン』よる七連続和了。
 これまでの傾向を観るに、あれの恐ろしいのは、開始した局から無条件で七連続和了が確定している、と言う点だ。打ち破る術も、まだわからない。あの傀ですら、何一つ対策出来ていなかった(ように見えた)。しかも、今回のあれは、打点の高さがこれまでと桁が違う。ゴミ手のように軽々と16000オールを連続であがっていく。やられた方はたまったものじゃない。
 『カウントダウン』が終了した次局である七本場、宮守女子が清澄に振り込んで飛び、準決勝は終了した。
いや、あれは振り込みじゃない。差し込み。手なりに手を進めた先の放銃にも見えるが、僕は感じた。あれは懇願。「どうかこの化け物を止めてくれ。決勝で倒してくれ」そんな意思を込めた打牌。
 宮守女子先鋒、小瀬川白望。これまで、表情に殆ど変化の無かった彼女が、微かに歪めていたのだ。

 だが

 僕たちの控室は荒れていた。モニター、ソファー、カーテン、窓。物という物が破壊されていた。
 破壊したのはヴィヴィアン。
 その理由は、D・Dが言うに『傀に笑われた』そうだ。
 直後、彼女は傀を殺そうとしたのだろう。その殺気は、モニター越しでもわかった。鬼のような形相をしていたわけでは無い。あれはまるで昆虫だった。獲物を捕らえる、昆虫。昆虫の持つ殺気が、その瞬間にはあった。
 だが、それは一瞬で消えた。彼女は止まった。そこから、傀が席を立つまでまるで金縛りにあっていたかのように、動かなかった。
 傀は、笑っていた。表情だけではない。声を出していた。気味が悪かった。彼女を見下し、まるで敗北していたのはヴィヴィアンであったかのようだった。
 D・Dは言った。「『あの』彼を見たのは久しぶりだ」と。
 加えてこうも言っていた。「『暴虎』が戻ってきた」と。

 この大会が普通じゃないのはさすがにわかる。
 臨海のメンバーが、僕とケイ君以外全員転校生、インターハイ直前に急に就任してきた顧問のD・D、そして、明らかに年齢を偽っているヴィヴィアン(彼女が日本生まれ日本育ちというのも驚いた)。
 裏に大きな組織があるような、そんな感じがする。
なんらかの実験が行われているような、そんな感じがする。

 その中で、僕は打つ。
 だけど正直、僕はそのことに対してあまり関心を持たなかった。
 仮に、大きな何かが大会の裏で進行していたとしても、僕の麻雀に変化があるわけでは無い。僕は僕の麻雀を打つだけだ。
 幸運なことに、決勝戦の白糸台高校の次鋒に、積倉がいる。団体戦で彼にリベンジを果たせる機会が来るとは思ってもみなかった(また先鋒戦で終了、ということが無ければだが)。彼は個人戦にエントリーしていなかった。
 まさか公式の場で彼と打てるとは。
 彼とは近所の雀荘に最近現れるようになり、僕とも何回か打った。そして全て完敗。
 爆岡の爆牌を破ってから、自分の麻雀に大分自信を持てるようになってきた後だったものだから、さすがにキツかった。
 そしてその後、ヴィヴィアン、D・D、そして清澄の三人のような化け物が次々と現れた。積倉以外にも、(団体戦以外では公式の場で打つこともないが)、宮永照、天江衣、神代小蒔だけでも、その麻雀の研究に追われていたという中だったから、頭がどうにかなりそうだった。
 僕の『支配色』、爆岡の『爆牌』のように、様々な信仰を持つ者は沢山いる。麻雀で勝つには、その信仰を分析、研究しなくてはならない。気が遠くなりそうだ。
 でも、僕はこの道を選んだ。
 後戻りは出来ない。したくない。
 僕は、今は目の前のことを考えることにした。
 相手は『満潮』積倉手数。









【熊倉トシ】




 重い空気。無理もないね。
 彼女達は泣いている。無理もないね。
 彼女達の祭りは終わってしまった。
 だけど、彼女達をこれで終わらせたりなんて絶対にしない。

 でも、彼女達が決勝に進まなくて良かったとも、私は思っている。
 この大会の裏で蠢く陰謀、計画、実験。仮に彼女達が決勝に行ったとしても、それに巻き込まれることはおそらく無い。
 残酷なことだが、彼女達の力ではまだ、臨海や白糸台と勝負にならないからだ。勝負にならない限りは、巻き込まれることは無い。
 だが、もしかしたら。
 そのことを考えたら、やはり進まなくて良かった。そう思うことにした。

 この大会の裏で行われているのは戦争。
 白糸台のバックに居る共武会。臨海高校のバックに居る桜輪会との戦争。桜輪会は桜道会と同盟を組んでいる。共武会の目的は、桜道会を潰すため、今回の大会で桜輪会を吸収すること。トーナメントの抽選など有って、無いようなものだね。
 このインターハイで優勝校に成れば、世間から注目されるだけでは無い。生徒のプロへの道が開かれるだけでは無い。金。マスコミ、CM、企業、麻雀プロ協会からの支援など、結果的に莫大な金がその学校に入ってくる。それが、組の資金、力に変わる。
 もちろん、負けたからといって、組が力を失うわけでは無い。だが、共武会の挑発に、桜輪会が乗ったということで、この戦争は始まった。
 負けたら、組は全てを失う。
 それがこの大会の裏。
 そしてD・Dは、その戦争を利用し、実験を行っている。
 それがこのインターハイ。

 赤木しげる。
 彼もこの大会に出ているとは。つくづく彼は、そういった星の下に生まれたのだと、思わざるを得なかった。
 彼とは『鷲巣麻雀』以来か。
 言葉通り、若者の生き血を吸う、暴走した怪物、鷲巣巌。
それを止めるため、私は赤木君のサポートを依頼された。
 鷲巣巌は、私の学生時代の先輩だった。堕落した彼を見るのは、そして打つのは辛かった。私のかつての生徒、隼君が対面に居たのも、その辛さを後押しした。
 勝負は赤木君と鷲巣…鷲巣先輩との差し勝負。赤木君は血を賭け、先輩は金を賭けた。
 勝負の前の決め、変わり果てた先輩の狂気に私は戦慄した。だけど、赤木君の狂気はそれ以上だった。対局中、衝撃を受けた場面はいくつもあったけど、思い返してみるに、あの彼の交渉が、最も彼、赤木しげるの狂気を象徴していた。
 彼と似た種類の者、傀君や竜君とは打ったことがあったけど、彼とは、今も打ちたくない。
 その彼らが、今同じ学校の生徒として、この大会に参加している。
 彼らは、この大会にいったい何を残していくのか。
 楽しみだね。









【宮永咲】




「お姉ちゃん!」

 買い出しを頼まれて、私はコンビニに行っていたんだけど、コンビニを出て、その先に見えた公園に、お姉ちゃんが居た。お姉ちゃんは一人、ブランコに座っていた。ギコギコと、小さく漕いでいた。私は走った。

「咲…」

 お姉ちゃんが私を見た。本来なら結構恥ずかしい場面を見られているはずだけど、お姉ちゃんは動じてなかった。まっすぐと、私を見上げた。

「お姉ちゃん…久しぶり………」

 うまい言葉が見つからない。あまりにも急だったから。

「お前は、私の妹ではない…」

 お姉ちゃんは、淡々と、静かにそう言う。表情も冷たいまま。何で?どうして?
 お姉ちゃんは、いつからそうなっちゃったの?

「そんなこと、言わないで…よ。お姉ちゃん…」

 何で、そんな冗談みたいなことを言うの?
 家を出る前も、お姉ちゃんは言った。お前は妹じゃない。

「お姉ちゃん…。私、もう、やめたんだよ?」

 プラマイゼロ。それが、お姉ちゃんを傷つけたんだよね?
 家族麻雀。勝ちも負けも嫌った私の麻雀。そのせいで、お姉ちゃんはいつもラスだった。私が『勝負』すればきっとお姉ちゃんはずっとラス、なんてことは無かった。

「この前ね、ヴィヴィアンって人と打ったんだよ。お姉ちゃんが決勝で戦う臨海の先鋒。私だけ飛んだんだ。『プラマイゼロ』をやれば、勝ちも負けもしなかったのに。『カウントダウン』だってきっと止まった。でもしなかったんだよ」

 私は、もうプラマイゼロをしない。勝つこと、負けることを怖がったりしない。
 竜君に出会って、私は変わった。変わったんだ。

「咲、お前は勘違いしている」

 やめて。

「私達家族が修復するなんてことは絶対に無い」

 やめて。

「咲…。お前が怖かったのは、負けることじゃない。勝つことでもないのは、お前もわかっているだろ?」

 それ以上言わないで…。

「私が『照魔鏡』に目覚めた理由くらい。お前は知っているはずだ」

「やめて!お姉ちゃんそれ以上言わないで!」

 知っている。解っている。でも認めたくない。そんなこと絶対に……。







「家族麻雀で負けていた私は、毎回お父さんに暴力を振るわれていたの。殴られていたの。蹴られていたの。『失敗作』『失敗作』って。私の『照魔鏡』はそんな偽りの家族生活の中で身につけたものよ」










「やめて!」





「咲、お前が怖かったのは、勝つことでも、負けることでもない。家族の【真実】をみるのが怖かったんだろ?」




「やめて!!!」



 もう……もう、やめて………


 ごめんなさい………


 ごめんなさい、お姉ちゃん……。


 でも、でも………



…・・・・・・・


・・・・・・・・・・




―――咲……。私は・・・


―――私は『失敗作』じゃないよな?


―――私は、ここまで来た。頂上まで…登りつめた……


―――お父さんは、もう私を失敗作なんて言わないよな?






 ―――咲………









【岩倉玲音】




「先生!」

 いけない、思わずびっくりして言っちゃった。
 でも、だってあまりにも先生なんだもん。
 原村先生、全然変わってない。
 原村先生、おじさんと同い年って言うものだから、嘘だって思ってたけど、本当なんだ。

「え?」

 びっくりされちゃった。そりゃそうだよね。

「この人、和の知り合い?」
「い…いえ……どちらさまですか?」

 隣にジャージを着たポニーテルの女の子が居た。先生の、この頃の友達かな。

「あ、いえ……すみません。人違いでした……」

 本当は違うんだけど、ここはこう言わないと、ね。
 初めまして、じゃないんだけど、ちょっとさみしい。

「その制服、白糸台!もしかして、選手の方ですか?」
「穏乃、指差したら失礼ですよ」

 ジャージの子が訊いてきた。

「あ、はい。大将を勤めています。岩倉、玲音です」
「大将……と言うことは、決勝で、私と打つ……」
「え?」

 てことは

「私、阿知賀女子の大将、高鴨穏乃です!」

 へえ。

「そっか…。じゃあ、よろしくお願いします、だね。高鴨さん」
「は、はい!よろしくお願いします!」

 元気があって、面白そうな子。



 楽しみが増えた。










 



[19486] #33 竜と虎 その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/10/07 10:43
………



「それ…ロンよ。…君…。三暗刻、ドラ8。24000で飛びね。…君」



……



「まだまだね…。…君……」



……先…生………




「もっともっと強くなって、私を楽しませて……」



……先生………




「私は、いつまでも待っているから……」




……松実先生………



―――そして、いつかみんなで……









 インターハイ最終日。全国大会決勝。
 様々な思惑が混在したその大会も今日、最後を迎えることになる。
 その舞台に、四校が集う。
 白糸台高校、臨海高校、阿知賀女子、そして、清澄高校。
 それぞれの先鋒が舞台に上がる。

 白糸台は副将以降、臨海は次鋒以降、これまでの試合に姿を現していない。激戦とされるインターハイの歴史において、類を見ない異常なる事実。誰もが注目した。
 これから始まる先鋒戦。現インターハイチャンピン、宮永照。不可思議な打ち回しと、圧倒的爆発力を見せつけた傀。そして、その彼を準決勝で下した、ヴィヴィアン。これまでの流れから、この先鋒戦で終わってしまうのではないか、と各所から期待、あるいは不安の声が上がった。
 その要因となったのが、阿知賀女子である。
 Aブロックの準決勝は、中堅戦、千里山のセーラが白糸台の竹井に振り込み続け、飛び、そして終了した。阿知賀女子のその時の点数が新道寺を上回っていた、ということで決勝に駒を進めた。
 圧倒的力量、記録を残している他の三校と比べて、彼女達は劣っている。そう見られている。
 この先鋒戦は、宮永照とヴィヴィアンの対決になるであろう、というのが、大多数の見解であった。予想された結末は、どちらが阿知賀女子を飛ばすか…。

 だが、彼女達は負けに来たわけでは無い。
 舞台に進めるその足に、恐怖はあれど、それに屈し、逃げる気配など無かった。
 彼女達は、志半ばで散った敗者の上に立っている。逃げることなど許されない。逃げる意思など毛頭ない。
 松実玄は思い出す。命を削ってチームのために打った、園城寺怜のことを。彼女の体を心配したあまり、自分の麻雀が打てなかった、江口セーラのことを。思うように追い上げることが出来ず、三着に終わってしまった新道寺のことを。
 ドラは、まだ来ない。準決勝の彼女の唯一の和了。その際に、彼女はドラを切った。彼女はわかっていた。それがどんな意味を持つのかと言うことを。もしかしたら、この二回の半荘でもドラは来ないかもしれない。
 それでも、進む。

 その舞台には、宮永照が居る。傀が居る。

「お久しぶりですね。玄さん」

 傀が、彼女に対して言った。思いもしなかった人物から、思いもしない一言だった。

「え?…すみません、どこかでお会いしたことがありましたか?」
 玄は返した。
「無理も、ありませんね…」
 わかっていたかのように、彼は微かに笑った。玄は首を傾げた。


「場決め、終わったー?」

 そして、ヴィヴィアンが最後に加わった。
 場決めが終了し、先鋒戦が始まる。
 前半戦の席順は、傀、ヴィヴィアン、照、玄となった。起家は傀。

「御所望通り、完全に『ゼロ』にして来てあげたわよ。『兎』が何の意味か全く分かんなかったけど、これで勝てば文句は無いわよね?」

 Bブロック準決勝、ヴィヴィアンは傀に言われた。「ゼロから仕上げていけないようでは『兎』にすら勝てない」と。彼女は試合前に調整し、完全なる状態で試合に臨んだ。その事を、傀は笑ったのだ。

 傀はただ微笑むだけで、言葉を返すことはしなかった。ヴィヴィアンは、フンと鼻を鳴らし、配牌を取った。

(ドラは、やっぱり来ない)

 配牌にドラが来ることなど当たり前だった玄だったが、その手牌にドラは無い。しかも5シャンテン。勝負できる手ではなく、滑り出しは好調、となる筈もなかった。

(わかっていた。こうなることは…)

 準決勝終了後、彼女は決勝のために、何度も仲間たちと打った。だが、ドラが来ることは一度もなく、周りの者にドラが拡散してしまう始末だった。

(でも、私は待っているから!)

 折れない。折れてはならない。この大会は、この半荘は、自分だけのものでは無いのだ。

「ツモ。500・1000」

 東一局、あがったのはヴィヴィアン。

七七七⑤⑥⑦⑦⑦23477 ツモ 7索 

 十五巡目と比較的後半の巡目でのあがりであり、彼女は何度もあがれる形を崩し、この形であがった。
 ヴィヴィアンは照を見た。
「東一局は、『見』なんだって?でも、あなたに観えるかしら?」
「……」

 相手の本質を見抜く『照魔鏡』。その発動のため、彼女は東一局は見にまわることが多い。彼女の爆発は、東二局から始まるはずだった。だが

「ツモ、2000オール」

 牌を倒したのはヴィヴィアン。赤牌含みのまたも『七並べ』。
 ヴィヴィアンには彼女にそれを発動させない自信があった。この卓には、禍々しい『本質』を持つ自分と、本質すら変幻自在な者がいる。
 宮永照は敵ではない。あくまで、敵は傀。準決勝、これっぽっちも何もしなかった傀。傀に本気を出させ、そして潰す。それが彼女の目的。
「見抜けるわけないよねー。失敗作に」
「……ッ」
 失敗作。その言葉に彼女は一瞬反応した。ヴィヴィアンは挑発を続けた。
「知ってるわよ。『あなた達姉妹のこと』は。前、妹の咲ちゃんとも打ったしね。中々凄かったわよ。『あなたと違って』」
「……」
「勝負途中です。お静かに」
 注意を入れたのは傀。ヴィヴィアンは舌打ちをし、賽のボタンを押した。


―――失敗作


「ロンです。2600は2900」

 傀に振り込む。見抜けない。読めない。


―――失敗作…


 声が聞こえる。

「ロン。5200ー」

 ヴィヴィアンに振り込む。見抜けない。読めない。



―――咲は…




「ツモりました。1000・2000です」

 傀にツモられる。支配できない。追いつけない。



―――母さんは…



「ロン、8000」

 ヴィヴィアンに振り込む。見抜けない。読めない。支配できない。追いつけない。


―――


 何故。


―――




 私は………。


 失敗作なの?




 デイヴィット・デイヴィス。彼は父のトラウマだった。
 大学時代、父は彼と同じ研究室にいた。運動神経、頭脳、カリスマ性、どの分野においても彼は群を抜いていた。女という女は彼の下についた。当時、父の片思いだった女性も彼の所へ行き、子供を作った。
 父は彼を超えたかった。しかし、何時しかそれも出来ないと悟った。
 自分では超えることは出来ない。なら、自分の息子、娘なら…。そう父は思った。そうして生まれてきたのが、私だった。
 だが、彼はその上を行った。彼が作った、あるいは見出した子供たちは、そのどれもが優秀だった。劣性の者ですら、某国の大統領や大物政治家になれるほどだった。私は、彼はおろかその子供たちにも劣る能力だということになる。
 咲は優秀だった。優性だった。6歳になるころには、その才能を開花させていた。母さんの血は、きっとあの子の方が濃いのかもしれない。
 ある日、鏡が視えるようになった。対局中、相手の背後に視える。それは相手の背中を映したものじゃなかった。相手の心の奥の底の、絵にし難い、言葉にし難い、『本質』というものだった。私はそれを言葉でなく心で理解した。
 私は父を観た。咲を観た。母を見た。
 







前半戦 南2局 親 ヴィヴィアン ドラ⑦


傀        103900
ヴィヴィアン   120200
照        80400
玄        95500



(ん…)

 ヴィヴィアンは空気の変化を感じ取った。流れが、通常のものでは無い。誰かが『風』を起こしている。
 照、宮永照だ。ヴィヴィアンは彼女を見た。そしてその視線を右手に下ろした。彼女の右手は小刻みに震えていた。『風』の発生源はそこだった。

(まさか…)

 流れに、淀みを感じる。嫌な予感はまず手牌に訪れ、そしてツモに、そして結果へと続いた。

「ツモ。1000・2000」


照         四[五]六八八八⑤⑥67888 ツモ ④

ヴィヴィアン    一一二三七七⑤⑥⑦⑦⑦77


(これは)

 玄は知っていた。この流れを知っていた。ここから、彼女の連荘が始まることを。


南3局 親 照 ドラ 7索


「ツモ、2600オール」


照         一二三七八九⑤⑥⑦⑧⑨西西 ツモ ⑦ (リーチ一発)

ヴィヴィアン    八七七九⑤⑦⑧167発発発    


 二連続。

(この流れ。まさか『照魔鏡』が発動した?私や、傀の『本質』をとらえることが出来たというの?それとも偶然?)


南3局一本場 親 照 ドラ 8


「ツモ。4100オール」

照         二二四四七七①⑦⑦7799 ツモ ① (リーチ一発)

ヴィヴィアン    五五七④⑤⑥4445688
        

 ヴィヴィアンは表情にこそ出さなかったが、その『異常事態』には驚いた。

 (【7】までも、吸い込まれている……不快ね……)


南3局二本場 親 照 ドラ ①


 照は拳を震わせた。彼女のツモ動作の様はまるで何かを殴るようで、その形相は一瞬鬼のように変わり、虎のように他を威圧した。


「ツモ。8200オール」


照         四四四四五六七七①①⑦⑦⑦ ツモ ① (リーチ一発)

ヴィヴィアン    七七⑦17777西北白発中
 

(『暴虎』……ね……。気に食わない……こいつも…)

 それはBブロック準決勝、ヴィヴィアンが経験したプレッシャーに近いものだった。傀から発せられた威圧。それをD・Dは暴虎と例えた。
 宮永照もまた、『暴虎』を纏いし者であった。


(でも……)



前半戦 南3局二本場終了


傀       88000
ヴィヴィアン  103300
照       129100
玄       79600



「ふーん……意外だわ。あなたがここまで出来るなんて」
「………」
 ヴィヴィアンは笑っていた。

「でもね。言ったわよね。『ゼロからでも仕上げる』って。あなたがどれだけ暴れても『スタート』させちゃうから。あたしは」



 照が賽のボタンを押す瞬間、彼女はそっと呟いた。





「カウントダウン」








[19486] #34 竜と虎 その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/10/07 10:55
南3局 二本場 親 照 ドラ 発


 『カウントダウン』…。
 
 私は照魔鏡でそれがどのような現象をもたらすのかを観ている。『直接』観れた、と言うわけではなかったため、完全な理解というものではないが。
 それは『七並べ』による運の圧迫、その反動を経て、ヴィヴィアンが完全に仕上がった状態で発動される現象。数字は和了巡を意味し、7からスタートし、カウントは0に向かっていく。これまでの彼女の試合の傾向から、その打点は高い。高火力のツモ和了を7、8連続もあがられた場合、半荘二回では逆転不能などころか、誰かが飛んでしまうケースも生まれる。そういう現象。


照 配牌(親)


一一二三九①29白白発発発中

 ドラ3…。この局はトリプル以上が『私の麻雀』。小三元、混一、チャンタを含んだ形か、大三元が最終形だろうか。
 だが、ヴィヴィアンのカウントダウンが他に和了を許したケースは一度もなく、『照魔鏡』もそう言っている。
 普通に打っていてはならない。第一打はドラの発を選択した。準決勝でも千里山対策としてやった、ツモをずらす為の伏線である。
 同巡、下家の阿知賀から出された一萬を叩いた。打2索。
正直叩きたい牌では無かった。門前は消え、トリプルの条件は厳しくなる上、発を切っている所為で最終的にフリテンになる可能性も出てくる。出来るなら、先に発を鳴きたかった。
 だが、これでヴィヴィアンのツモは傀に流れる。カウントダウン故、局の決着は早い巡目で訪れる。ずらせるうちにずらさなくては。
 ヴィヴィアンの第一打は西。手出し。
 私のツモは一萬。打①筒。 一二三九9白白発発中 ポン 一一一 
 ヴィヴィアン第二打、南。手出し。
 次のツモが中。打9索。  一二三九白白発発中中 ポン 一一一 
 ヴィヴィアン第三打、北。ツモ切り
 そして私は白をツモって九萬切り。張った。

一二三白白白発発中中 ポン 一一一

 ヴィヴィアンのカウントダウンの際、リー棒が出ることが多い。恐らく、ヴィヴィアンよりも先に張ったということになる。
 だが、発を切ってしまっており、フリテン。出アガリは出来ない。そもそも、これは倍満止まりであり、三倍満以上では無い。
 しかしそれでも、ツモをずらした効果はあるように見える。彼女の第三打はツモ切りで、『カウントダウン』なのに、手を進めれていない時を作った。
 照魔鏡は、彼女のカウントダウンよりも上なのだろうか。
 ヴィヴィアンの第四打もツモ切り。①筒。私は二萬をツモり三萬を切った。あとは発を叩ければトイトイを含めて三倍満。まさかこんなにもあっさり攻略できるものなのか。

 父を狂わせた男、デイヴィット・デイヴィスの娘。ヴィヴィアン。
 お前に勝てば証明できる。父に認めさせることが出来る。私は劣性じゃない。劣性はお前だ。お前こそ、失敗作なんだ…。


「リチ」


 彼女は『宣言通り』リーチをかけてきた。私がシャンテンを戻した同巡、そして次巡彼女は手出し、つまり手を進め、六枚目の牌を曲げた。リー棒が置かれた。まるでそれが当然かのように、動きに淀みは無く、表情は平然としている。
 だが

「ポン」

 対面の傀が発を切った。協力に感謝する。
 私は三倍満、もしくは大三元が確定した。彼女の一発ツモは阿知賀に流れ、私は元々のヴィヴィアンのツモを喰い取れもした。これなら…

「カウントダウンは決まっている。いくらあがいても、いくらずらしても無駄よ」
「…ッ!」

 淡々とした説明。まるで私がしたことが何のダメージにもなっていないかのように。

「ツモ…。1300・2600の三本付け」

三四五五六七⑤⑥⑦⑦567 ツモ ④ 裏無し

「テルテルタイム終了ね」

 彼女は微笑んだ。
 しかし、効果が無かったとは思えない。彼女の本質は『7』。彼女は⑦筒をツモりたかったはずだ。そうすれば、三色、一発も含めて跳満。最後の私の鳴きが、彼女の手を安くした、はずだ。
 形も、待ちの数が少ない。7の数が多ければ……例えば

 五六七⑤⑥⑦⑦⑦56777

 この形が彼女の『本質』のはずだ。最初の私の鳴きで、崩れたんだ…。
 そうだ。
 負けていない。
 次こそは


「『次こそは』なんて考えた?」
「え?」
 
 寒気。冷たい空気が、首筋の肌に刺さった。


………


「ツモ。赤三つとドラ3含めて8000・16000。…前半戦終了ね」

前半戦終了


傀      78400
ヴィヴィアン 141400
照      118200
玄      62000




 ずらしもした。抗いもした。打点の制限も無いから、前局よりも自由に動けた。なのに…何故?

 ただの一撃。
 だがその一撃が私の脳裏に二つの文字を焼き付けた。
 絶望…。
 焼印のように……消せない。剥がせない……。

 あ……あぁ……。 
 見たくない。
 知りたくない。

 信じたくない……。


 
 ………。

「ちょっと点棒!」

「あっ…」

 私は放心していた。






 私は対局室を最後に出た。立ち上がるのが、遅れたのだ。普段はこんなこと有る筈がない。あってはならない。
 私は廊下の長椅子に腰かけた。
 そしたら音がした。




 カタカタ…・・・


 なんだ。何の音だ。


 カタカタ…・・・


 震えている?


 この私が?

 私は……ここまで登りつめた。


 認めさせるために。
 

 だから努力してきた。自分の力を磨いてきた。自分を研究し、他人を研究し、そして勝ち続けてきた。
 そしてインターハイチャンピオンになった。それでも足りない。

 もっともっと、上に行かなくては。ヴィヴィアンなど、所詮は通過点に過ぎない。そのはずだ。そうなるはずだ。勝たなくては、ヴィヴィアンに勝たなくては。

 駄目だ……。勝てない……。震えている……。
 この手が、勝てないと私に語っている。
 
 勝てない。絶対に勝てない。逃げろ、逃げろ。
 お前はやっぱり失敗作だったんだよ。宮永照。
 劣性だ。クズだ。ゴミだ。掃溜めだ。
 これまでは運が良かっただけだ。ずっと弱い奴と戦っていただけだ。その弱い奴らにすら、運だけで勝っていたんだ。
 お前は偶然一位になったんだ。
 努力?
 技を磨く?
 何を馬鹿なことを言っている。
 麻雀は運のゲームだろ?
 運のゲームで一位になって王者?チャンピオン?笑わせるな。
 クズでも一位になってしまうのがこのゲームの面白い所じゃないか。
 良かったな。優越感に浸れて。
 チャンピオンごっこは楽しかったか?宮永照。


 私はその時何かを叫んでいたのかもしれない。

 私は壁を殴った。

 もう一度殴った。
 
 さらにもう一度殴った。血が出た。
 
 頭を叩きつけた。

 何度も何度も

 私は失敗作だ。死ね。

 血が、結構出てきた。壁を汚しちゃったな。でも構うもんか。

 繰り返していたら、ふっと意識が途絶えた。



・・・
・・・・

・・・


・・・

 そういえば、試合前に読んでいた本…。なんだっけ。
 まだ途中だっけ。

 そうだ…。次の人生はあの主人公のように生きよう。聾唖者のフリをして生きる。
 そうすれば、人が言うほど失敗作じゃないて、自分で確信できる。だって、フリをしているだけなんだから。
 私は出来る。出来ないフリをしているだけ。
 みんな私の本当の実力を見抜けないんだ。馬鹿どもが。
 私は見抜ける。私には照魔鏡があるからな…・・・。



 はは……

 違うか……


 全然違う。
 その照魔鏡は、お父さんや、お母さん、咲がくれたものだったけ。


―――


「お姉ちゃん!!」



・・・・・・・・




「お姉ちゃん!」



 ……誰だ?


「お姉ちゃん起きて!」


 目を、開きたくない。このまま、別の世界へ行きたい。




 でも、声が聴こえる……



「お姉ちゃん!」


 咲………


 そこに、咲がいた。
 私は長椅子に横になっていた。頭には、布。
 咲の上着が少し破れている。咲が、止血してくれたのか。

「お姉ちゃん!」
「咲……」
「良かった……。今お医者さん呼んだから……」
 彼女は泣いている。私の手を握ってくれているその手は、震えている。

「どうして……ここに」
「お姉ちゃんに、どうしても伝えたいことがあって……前半戦が終わった後、急いでここに来たけど、お姉ちゃんは……倒れてて……」
「そうか……」
「お姉ちゃん……大丈夫?」
「あ……ああ……何とか・・・・。だが、これじゃあ失格だな。私はみんなに酷いことをしてしまった……」
「でも、お姉ちゃんの命も大切だよ……」

「・・・・・・私の……命なんて……」


「……お姉ちゃん…なんであんなことしたの……?」

「みて、いたのか……」

「うん・・・。声が、聴こえて。お姉ちゃん壁に頭打ちつけて、そして倒れて……」

 咲の声は震えていて、ますます泣いていた。

「咲……。私は……失敗作だった。失敗作だったんだ……」
「……」
「強がっていただけだ。私は、ヴィヴィアンにも、お前にも劣る人間だった。共武会の力であの家を離れることは出来たけど……結局何一つ変えることが出来なかった」
「お姉ちゃん……」
「ん?」

 咲は涙を拭って、深く呼吸して、そしてまっすぐな眼を、私に向けた。その表情は、毅然としていた。

「私は、それを言いに来たの……」

 咲は続けた。


「お姉ちゃん……。いや……宮永照さん……。背中が煤けてるよ」
「咲…?」

「使い方、違うかな…?でも、その言葉がぴったりな感じがした。今のあなたには、一人の部員も背負えない……」
「………」

「私は、宮永照の妹でいることを、ここでやめる。いや……やめます」
「え?」
「お姉ちゃん、いや。宮永照さんの言う通り、私達家族の関係の修復は、もう出来ない…。私は、それから目を背けていた。真実から、目を背けていた」
「……」
「だから、宮永照さんを、家に戻ってきてもらうように言うことは、もうしませんし、望みもしません」
「咲……」
「ですが、それでも言わせてください!」
「………」

「私はあなたが……宮永照さんのことが、好きです。大好きです。インターハイチャンピオン。王者宮永照。私は、あなたのようになりたい」

 私は聞き入った。想像も、夢にも思わなかったことを、咲が言ったのだ。

 何故だろう。心臓が波打つ。鼓動が、早くなる。

 力が湧いてくる。高揚しているのか。私は。


 私は起きあがった。

「あ、お姉……ちが、照さん!安静にしていないと!」

 私は時計を見た。時間は、まだ間に合う。後……一分……。

「そうだね………私はチャンピオンだ……チャンピオンが、逃げるわけにはいかない……」

「でも……その血じゃ、行っても!」

「わかっている。それでも私は行く!止めないでくれ!咲……」


 私は歩を進めた。

 ポタポタと血が落ちる。でも、進む。


―――
――――

ザザザ……


ザザザ………


―――
――――



「そうだよ…。ここで終わっちゃ駄目だよ。宮永さん」





 私の進む先に、一人の女子が居た。白糸台の制服。
 大将の、岩倉玲音だ。

「玲音……何故ここに居る」

「安心して。救急車はまだ来ないし、失格にもならないから、舞台に上がって、そして打って。宮永さん」

「何を言っているかわからないが、どの道、私は行く。そこをどいてくれ」
「ちょっと待って」

 彼女の手が私の額に触れた。

「!?」

 血が、消えた?

「視えなくしただけだから。血が目に入ると面倒でしょ?怖いなら、この数分の出来事の記憶を消してもいいけど……」

 何を・・・・・・言っている?

「あ・・・私の記憶だけ消せばいいか。必死になれば、血のことも忘れるだろうし。あ、痛覚も切っちゃえばいいか。なんでもない。頑張って。終わったら、ふらふらになってるかもだけど、それに合わせて救急車呼んでおくから。じゃあね」

「おい玲音!」

 ・・・・・・

ザザ……

ザザザ……


 ・・・・・・


「お姉ちゃ……照さん……誰と、話していたの?」

「………いや………なんでもない……。でも、行くよ。咲……」

「わかった。もう止めない……。頑張ってください!宮永照さん!!」


 私は、会場に向かった。

 そうだ。私は進む。咲……。応援してくれている、お前のために。
 たとえ他の者に罵られようとも、お前が、お前だけは私を応援してくれるのだ。
 だから……頑張らないとな……。





 会場には一分ほど遅刻したが、大会の規定で、五分までの遅刻は失格にならないことになっている。
 場決めは既に終わっていた。私は空いた席に座った。
 起家だった。下家に傀、対面に阿知賀、上家にヴィヴィアン。


「逃げ出しだかと思っちゃったじゃん」

 ん?

「よろしくお願いします」

 阿知賀が頭を下げた。どういうことだ?

「ねえ……早くボタン押してよ」

 試合を、始めていいのか?
 私は手を額に当てた。

 血が……消えている。痛みも……ない……。
 さっきまでのことは、夢だったのか……?
 いや、違う。
 私はボタンを押した。賽が回る。

「ハチマキでもして、気合を入れてきたの?」

 この布は、咲がくれたものだ。現実。夢じゃない。
 わからない。解らないが……。続ける。続けることが出来る。
 なら、やるだけだ…。




後半戦 東一局 親 照 ドラ ⑤


「【5】……」

 カウントダウンは継続する。そのことは知っていたが…。どう防ぐ?どう凌ぐ?
 私は、もう父に認めてもらうために打つわけでは無い。咲の、応援してくれる咲のために打つ。勝つ。絶対に勝つ。

二三六①①⑨⑨13西北北白中

 この配牌…どう打つ?

「ポン」

 私はヴィヴィアンの第一打、①筒を鳴いた。何もしない場合負けるのが必然。何かはする。
 今思えば、阿知賀がドラを支配していないのが痛い。彼女の支配が生きていればヴィヴィアンの打点は少しは下がっただろう。カウントダウンを打ち切った後、七局以内に逆転する、というルートもあったかもしれない。後悔しても仕方のないことだが。

二三⑨⑨13北北白中 ポン ①①①

 同巡、傀が⑨筒を切った。私は叩いた。積倉なら、意味を持って鳴けるのだろう。私には出来ない。
 一瞬、ヴィヴィアンの方の空気が変わった気がした。
 対局中、歪むはずがないと思っていた彼女の表情が、ほんの一瞬歪んだ。
 ツモが戻ったのだから、ヴィヴィアン自身の手は変わらないはずだが。

二三1北北白中 ポン ①①① ポン ⑨⑨⑨


 とにかく動いて、その中で打開策を考えなくては。
 私に、竹井ほどの状況把握能力があれば、相手にわざと鳴かせる、と言うことも出来るのだが、局の序盤の段階では私にはそれは出来ない。だが、嘆いても仕方がない。

 ヴィヴィアン第一打、白。
 残り4。
 同巡、私は北をツモる。打白。形は見えてきたが、チャンタ。このままではスピード負けの予感しかしない。

二三1北北北中 ポン ①①① ポン ⑨⑨⑨

 ヴィヴィアン第二打、八萬。残り3。
 同巡、東をツモり、打1索。無駄ヅモがあってほしくない局面で、痛い。

二三東北北北中 ポン ①①① ポン ⑨⑨⑨

 ヴィヴィアン第三打、東。残り2。次にリーチが来る。
 一方私は②筒をツモ。打、東。

「リーチ」

 ヴィヴィアン。7索を切ってリーチ。

 ……7索を切って……?ヴィヴィアンが?
 本質と……違う……何か、変化が起きているのか?

 私は二萬をツモり打、中。

二二三②北北北 ポン ①①① ポン ⑨⑨⑨ 

 私の打牌後、またも空気の変化を感じた。下家、傀の方からだ。
 彼は、微かに笑った。
 切られた牌は二萬。私は鳴き、②筒を残し聴牌。追いついた。②筒を残した理由は、好みの問題だ。正確な打ち方以上に、私はこの牌を残したかった。

 そして傀のツモ番。
 切った牌は、北。手出し。

「カン!」

 思考より先に手が動いた。嶺上牌に手を伸ばした瞬間。私は感じた。

 これは……。


 咲だ。


 嶺上牌は①筒。

 「カン!」

 咲だ。咲の力だ。
 
 ……いや……違うな……

 ツモった牌は④筒。
 四つの団子……。お父さんと、お母さんと、私と、咲……。

 私は捨てた。もう、あの頃には戻れない。
 でも、咲は居てくれる。私も私として居ることが出来る。
 

「チー」

 傀が、鳴いた。ヴィヴィアンの表情が、また歪んだ。


「ツモ…」

2233444666発発発 ツモ 1索

 結局ヴィヴィアンのツモあがり。カンドラは九萬と中で乗っていない。しかし、裏ドラ、カン裏次第では十分数え役満もありうる手。だったが

 乗ってない。彼女のあがりは3000・6000で止まった。
 ヴィヴィアンが大きく表情を変えたわけでは無い。だが、違っていた。これまでとは明らかに違う。これは、彼女の想定外だ。
 傀…。ここで来るのか……。違う…偶然だ。聴牌に向けて手を進めただけだ。
 傀は何もしていない。出来ていない。間接的ではあるが、奴を『観て』はいる。
 彼独自の『不可解な動き』は一度もしていない。そう感じる。

 そして、咲…。お前は私のようになりたいと言ったが、私は、お前のようになれるだろうか。
 鳴きによってツモをずらすだけではヴィヴィアンには追いつけない。だが『大明カン』だけは違う。
 ヴィヴィアンのカウントダウンは通常の山の支配が前提だが、王牌は支配外かもしれない。これは、間接照魔鏡では知ることの出来なかったことだ。
 暗カン、加カンも効果が無いとは言えないが、ツモずらしと追加ドローを同時に行えるのは大明カンだけだ。嶺上牌が有効牌なら、ヴィヴィアンのカウントダウンの先を行けるかもしれない。

「確かに……咲ちゃんなら『それ』で追いつこうとしていたかもね。ま、どの道、追いつかなかったとは思うけど。まして、あなたは劣化品。あの子のようには出来るはずもないわ」


 喋り過ぎだな。ヴィヴィアン……。声に震えがあったわけじゃないが、解る。
 打開策は『これ』だ。


「【4】……」

 4…。7や6ならこれも出来たかもしれない……。
 彼女の言う通り。私は咲では無い。
 でも、他に選択肢は無い……。


「ツモ。……2000・4000」

 うまく……出来ない。

 ヴィヴィアンの打点が、低くなっているというのに。
 ヴィヴィアンの中の何かが、崩れ始めているというのに。

「【3】・・・・」

 全然、カン出来ない。
 いや、これが、麻雀というのもか……。


「ツモ・・・・・・。1300・2600………」


後半戦 東3局終了 


照      108900
傀      70100
玄      54400
ヴィヴィアン 166600




 だが、なんだ?この空気。『誰』が『何』をしている。

 まさか……


 東4局 親 ヴィヴィアン ドラ 四萬

 ヴィヴィアンが賽のボタンを押し、賽の目が出た。対7。


 その時、『彼』が口を開いた。








―――【御無礼】



















 





[19486] #35 竜と虎 その3
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/10/07 11:06
後半戦 東4局 親 ヴィヴィアン ドラ ⑦筒


照      108900
傀      70100
玄      54400
ヴィヴィアン 166600






(御無礼…?)



 次のカウントは【2】。
 ヴィヴィアンがそのカウントを宣言する前、傀は言った。
 御無礼。その言葉を聞いて生き延びたものはいない。そう言い伝えられている。それは麻雀と言うゲームの中で、という意味でもあれば、本当の命という意味の場合もある。
 ヴィヴィアンもそのことはD・Dから聞かされている。
 彼女は待っていた。その言葉を。その言葉の先に立ち、D・Dに自分を認めさせる。
 そのはずだった。
 今、彼女にはこれまでに感じたことの無い感情が訪れている。
 不安。
 カウントは進んでいる。だが、その手の形は彼女の望む形ではなくなっている。
 崩壊の兆し。それに合わせられたかの如くの、傀の言葉。
 そして、配牌。

 二三四①②③⑤⑥77789北


 平凡。貧弱。覇気も無い。
 手だけ見ればこの上ない高速配牌。北切りダブりーの手。次巡④、⑦筒のいずれかをツモり、上がる。カウント通りである。
 しかし、これは彼女の親番。本来なら、打点を含め、最高形の形が訪れたはずである。
 さらに加えて、この局のドラは⑦筒。そのドラが、配牌に一枚も無い。

(何……?コレ…・・・ナンナノ?……)

 対面の男の不敵な微笑み。それは強がり?ブラフ?信じがたい現象が起きている。この現象が偶然で、傀は偶然を利用して、プレッシャーをかけているにすぎないのか。ヴィヴィアンは思考を巡らす。

(ありえない…)

 ありえない、とは、彼女がこの状況に『押されている』ということである。彼女は否定した。それがどうした、と。
 これは、自分が望んだことである。傀が何かを仕掛けてきたというのなら、それを見てやってもいい。絶対の自信、カウントダウンを敗れるものか。せいぜい足掻くがいい。それが彼女の結論だった。

 第一打、北。彼女は堂々と生牌を切った。
 だが、切った瞬間、彼女の直感は、牌を曲げるのを躊躇った。

「ポン…」

 傀が鳴いた。

??????????  ポン 北北北 打 七萬

「カウントが戻りました。残り【2】です」

 嘲笑うかのような一言。しかも切った牌は【七】萬。明らかなる挑発だった。

「だからナンナノ?『その程度』のことは、宮永照も散々やった。そのどれもが失敗に終わった。無意味よ。カウントは止まらないわ」

 照も彼女と同様の考えだった。

(確かに、ヴィヴィアンの言う通りだ。鳴きが入ってもカウントは進む。私が出来たことは、彼女のツモ牌の種類を変えて、手を安く出来たり、出来なかったり、というだけ。まして今回のカウントは【2】だ。傀はそれをわかっているのか?)

 しかし、ヴィヴィアンは次のツモで言葉を失った。

 引いてきたのは、④筒でも⑦筒でもない。風牌の、東。

(え?……)

 彼女の思考は数秒停止した。目を疑った。現実を疑った。

(これは…何?……何故、⑦筒をツモら無いの?私のツモ山には『あったはず』なのに……)

 カウントダウンの性質上、鳴きが入ろうとも、彼女が有効牌を必ずツモるようになっている。ずらされて、⑦筒が他に行ったとしても、④筒の方をツモったであろう。
 だが、彼女がツモったのは東。字牌。まして、カウントは【2】なのだ。ここであがり牌をツモらないのは、彼女のカウントダウンの性質上『あり得ない』こと。

「どうしました?早く切ってもらえますか?時の刻みは貴女だけの物ではありません」

 『知っている』かのような、傀の挑発。
 ヴィヴィアンは牌を強打した。普段の彼女らしくもない行為。

「ポン」

 傀はまた鳴いた。

??????? ポン 東東東 ポン 北北北 打 七萬


「カウントが戻りました。残り【2】です」


 挑発は続く。またも切った牌は、七萬。
 次のヴィヴィアンのツモは、西。怒りと、混乱との狭間の彼女は、またもツモ切りを選択してしまう。

「カン」

 今度は大明槓。そしてまたも打 七萬。

???? カン 西西西西 ポン 東東東 ポン 北北北


「カウントが戻りました。残り【2】です」


(大明槓……私も試みたが……なぜ奴はこうも上手く……)

 彼が起こしている状況に、照は嫉妬した。だが次の瞬間、考えを訂正することになった。
 新ドラ表示牌、③筒。つまり、新ドラは④筒だった。
 彼女は気付く。

 (まさか……)

 彼女は、対面を見た。
 これまで、一度も和了を見せなかった、彼女を。

(戻ってきたの……阿知賀…『松実玄』!)

 照の推察はシンプルだった。
 松実玄のドラの支配は、カウントダウンよりも上。
 カウントが止まることは無いはずだが、ドラをツモることは無い。
 今回、④、⑦筒がドラになっている。
 玄は傀の下家。傀がヴィヴィアンから鳴けば、次のツモは玄。玄が、ヴィヴィアンの全ての有効牌を喰っている。
 全てのドラは、玄に集まる。
 それが今起きている現象。

(傀は、何もやっていなかった。ただ、阿知賀…松実玄の力が戻ってくるのを、ただ待っていただけだった…)


 ヴィヴィアンのツモ番。そのツモにより、彼女の中の不安は、怒りを呑みこんだ。
 引いてきたのは 南。四喜和の残りの牌。
 ここまで来ると、もうこれはあたり牌にしか見えない。

(切れない…)

 覇気、気迫、度胸。ヴィヴィアンにはそれらが不安により全て消え去っていた。
 残ったのは、仮初めのプライドと、逃げる足。それは『兎』のように野性の勘によるものでは無い。
 理。
 理による逃走。
 役満には振り込めない。
 直感により自分はリーチを自重できた。それが今生きた。
 彼女の思考に一瞬入り込んだ魔物。
 だが、その心の動きこそ、人鬼が最も欲しがる獲物。

 彼女の選択は9索

「カン」
 傀は9索を大明槓した。

「は?」

 そして

「もう一つ、カン」
 今度は北を加槓。

「御無礼ツモりました。24000。臨海高校の責任払いです」

1 ポン 東東東 カン 9999 カン 西西西西 カン 北北北北 ツモ 1索

混一色、混老頭、トイトイ、三槓子、東、西、嶺上開花


 カウントダウンは崩壊した。
(そんな……これが……傀……。デイヴにさえ『従わなかった』男……デイヴを『拒絶した』男……)

 彼女は今でも信じることが出来ていなかった。
 D・Dに優性と認められながらも、『最も優秀』と称されながらも、傀はD・Dにはつかなかった。彼女には信じられなかった。自分ですら、未だ『最高』とは言われていないのだ。
 そんな者に…自分が劣る…。認めたくなかった。
 彼女の中で、何かが折れる音がした。

「御無礼。嶺上開花。8000。臨海高校の責任払いです」

 そして、御無礼の嵐が始まる。

(『嶺上開花』……『この私の前』で……それは、『咲』のものだ……)

 二連続の嶺上開花。
 自分に出来なかったことを安々とこなすと同時に、彼女が最も愛した者を象徴する和了を見せつけたのだ。最後の親を流された以上に、それは許しがたいことだった。
 槓、嶺上ツモを含む和了は傀の親になっても続いた。三連続、四連続。

南2局一本場終了

照      102800
傀      132400
玄      48300
ヴィヴィアン 116500



(これは…もう『異能』の領域……)

 間接照魔鏡は相手の全てを観ることが出来るわけでは無い。
 擬似的に相手の異能を推し量り、場の支配に繋げる。直接照魔鏡と違い、その場の支配は比較的脆く、ヴィヴィアンのカウントダウンに支配を許してしまう結果となってしまった。
 今、この場にヴィヴィアンの支配は存在しないが、その代わりに傀の流れが支配している。今の照では、この流れを止めることは出来ないだろう。

(やはり、『使わなくてはならないのか』)

 彼女が直接照魔鏡を展開しなかったのは、それが通じない傀とヴィヴィアンが居たためである。照魔鏡は、場の全員に使用しなくてはその支配が発動することは無い。場を支配するためには、間接照魔鏡を使用するしかなかった。(そもそもこんな使い方はこれまでしたことがない)
 今、力を失っているヴィヴィアンに対しては使うことが出来た。
 今のヴィヴィアンには何もない『空』の状態。異能も、禍々しさも消え去っている。
 問題は、傀だ。傀を『観る』ことさえできれば、照魔鏡の支配は完成し、残りの局で逆転も可能かもしれない。

(でも……もし『割れてしまったら』……)

 彼女がこれまでに経験した照魔鏡が割れる条件は二通り。
 一つは、照魔鏡が捉えきることが出来ないほどの強大な異能、持っている者を観た場合。
 もう一つは、複数、それも数十の異能を持っている者を観た場合である。
 彼女はそれを、竜と、そして熊倉トシと打った時に経験した。

(傀は…熊倉さんと同じタイプ……。あるいは戒能さんに近い…。照魔鏡で観ることが出来ない…)

 割れてしまった場合。しかも傀が親のこの場面で割れてしまった場合。誰も何もすることが出来ない状況になる。そう照は思ったのだ。ヴィヴィアンは死んでいる。玄はドラが集まるようにはなっているが、この状況を打開するほどには至っていない。

「御無礼ツモりました。8200オール」

南2局二本場終了

照      94600
傀      157000
玄      40100
ヴィヴィアン 108300



 考えているうちに状況は進む。
 

(このままでは………)







 ドラは戻ってきてくれた。でも、それだけじゃ準決勝の時と変わらない。
 すごい人が、宮永さんから、清澄の男子、傀君になっただけ。
 
「カン」

 傀君が、またカンをした。
 違和感はあった。
 福路さんは、清澄の先鋒、傀君は自分の打ち方に近い時が多いって言っていた。勿論、打ち方はころころ変わるみたいだけど、他の人から聞いた話でも、過去の牌符でも、あんな打ち方はこれまでに無かった。臨海高校のヴィヴィアンさんからの三倍満くらい、かな。らしい打ち方と言えば。
 カンと言えば、清澄の副将、竜君とか、風越の宮永咲さんとかが思い浮かぶ。
 あんなに牌が集まるのはすごい。やっぱり、私のドラのように、それがあの人たちのルールなんだろう。
 傀君のも、傀君のルールなのかな。
 でも、そんな感じがしない。
 何かが違う。

 それに、さっきから胸が熱い。
 ドラが集まってから、というわけじゃなくて、傀君がカンをするたびに熱くなる。
 彼とは、初対面のはず。でも、対局前、彼は言った。「お久しぶりです」って。
 思い出せない。

 彼のカンには意味があるのか。
 私は考えた。
 カンをすれば、ドラが増える。私にドラが集まることを知っているなら、カンはしない方が良い。でも、する。私のこの胸の鼓動と何か関係があるの?それともそれは考えすぎ?わからない。
 変化があるとすればなんだろう。
 私は王牌を観た。熱気が、あそこに集まっている感じがする。
 これまでも、それは有った。でもそれ以上のが、あそこにはある。

 もしかして、裏ドラ?

 地の底の、竜…。

 私は裏ドラが乗ったことは無いし、裏ドラが集まる、なんてことも無かった。
 でも、お母さんは乗せていた。裏ドラ、槓裏を含めた牌も、お母さんに集まっていた。
 お母さん。
 傀君……。

 もしかして……傀君は。






南2局三本場 親 傀 ドラ 1索 新ドラ 四萬


「リーチ!」

(阿知賀が…張った?)

 これまで一度もあがることの出来なかった彼女からのリーチ。照は驚愕した。間接照魔鏡とはいえ、自分ですら聴牌も出来ない状況下で、玄は張ったのだから。

「ここまで…長かった…」
「え?」

 彼のその呟きは小さく、他はよく聞き取ることが出来なかった。

四五六⑤⑥⑦1114567

(お母さんなら、この形でリーチする……)

 玄はこれまで、この形でリーチすることは無かった。後に赤ドラをツモったり、新ドラが増えることによって切れない牌が増えることを怖れていたからだ。
 ドラを切ってしまうと、暫くドラが戻ってくることは無い。
 玄が意識したのは母。
 彼女の母はかつて麻雀教室を開いていた。その中の生徒の一人に、もしかしたら傀が居たかもしれない。

(傀君は、私の中のお母さんに会いに来たのかもしれない)

 そう考えてのリーチ。
 傀は玄に、母のように打ってほしいと思っているのだろうか。だから何度もカンをし、玄に裏ドラを意識させたのだろうか。

(お母さんは、ドラを『切ってしまう』なんてことは無かった。絶対に…)

 裏目を引くことは無い。リーチ後に和了牌以外のドラをツモることも無い。それが、彼女の母。母のように打つなら…。
 

「ツモ!一発です!」

四五六⑤⑥⑦1114567 ツモ 7索

(そんな……本当にツモるなんて……)



 彼女は裏ドラに手を近づけた。



 ドクン…

 その時、何かが強く胸を打った。

(やっぱり)

 地に眠っていた竜が動き出した。

(お母さんが…来てくれた……)

 裏ドラ表示牌一枚目。6索。ドラは7索。
 二枚目……。9索。つまりドラは1索。



 竜は、地を割った。


「リーチ、一発ツモ、ドラ9。6000・12000は、6300・12300です!」



南2局三本場終了

照       88300
傀       144700
玄       65000
ヴィヴィアン  102000


(何が……起きた……?彼女に何が起きた?)

 聴牌だけでは無い。和了も見せた。照の予想だにしない状況がそこにあった。

(これまでの松実玄じゃない…。そこに居るのは……いったい誰だ?)

 彼女は照魔鏡を再度展開しようかと考えたが、躊躇いがあった。
 仮に松実玄、彼女がこれまでの彼女のまま傀を超えたというのなら問題は無い。『観る』ことは出来るし、『観る』必要もない。
 だが、彼女がこれまでの彼女と違い、別人となっているなら、その別人は傀の異能、性質を超える別人となっているなら。
 そう考えた彼女は、照魔鏡の展開を保留した。

(後は、傀を『観る』だけでいいと思っていたのに……)



 南3局 親 玄  ドラ ⑤

 その局、玄は鳴いた。対面の照からオタ風の北をポン。

(この手…。お母さんなら、こう打つ)

 彼女の母は、基本、リーチよりも鳴くことの方が多かった。字牌が配牌で二つ以上あれば、オタ風でも鳴く。端から見れば素人。そういう印象を与える打ち手だった。
 これは、反面教師的意味合いもあり、生徒たちには、自分のように打たないように、と教えていた。

(でも、お母さんは勝っちゃうんだよね。それも麻雀って教えるために。結局、それをマネしちゃう子も沢山いたし)

 彼女の母は常に矛盾を含んでいた。
 自分は教師に向かない打ち方しかできないということを知りながら、教えたがる。
 ドラを大切に、と教えながらも、自分はドラを粗末にするような打ち方をする。
 彼女はドラを切ることが出来ない。それは娘の玄とは違い、切ったらドラが来なくなるというものでは無く、本当に切ることが出来ないのだ。肉体がいうことを聞かない。ドラを切ろうとすると、見えない何かに手を止められる。それが彼女だった。
 だから彼女は、ドラを切らざるを得ない状況に自分を追い込もうとする。
 手を狭くする鳴きや、ドラの裸単騎で受けることもあれば、悪形でリーチをかけたりする。
 だが、ドラを切ることになる前に局は彼女の和了で終了する。それが彼女、松実玄の母であった。


「チー」

 玄は今度は傀から⑧筒をチーした。


???????  チー ⑦⑧⑨ ポン 北北北


「ポン!」

 今度はヴィヴィアンから三萬を鳴いた。


????  チー ⑦⑧⑨ ポン 三三三 ポン 北北北


 見え見えの役無し。だが


「ツモ!嶺上開花ドラ5。6000オールです」

[⑤]234 チー ⑦⑧⑨ ポン 三三三 カン 北北北北 ツモ [⑤]

新ドラ⑨筒


(早い!……しかもなんだあの形は)

 その局は6巡も進まずに決着した。あまりの早さに、誰も追いつくことは出来なかった。
 前局とは打って変わって、手を狭める、松実玄らしくない打ち回し。



―――
――――

南3局一本場 親 玄 ドラ 五萬

「ツモ!4100オールです」


[五]  チー 二三四 チー 456 ポン 222  暗槓 ⑧⑧⑧⑧ ツモ 五萬
 
 新ドラ 6索
 タンヤオ ドラ4

 

 (やはり、別人…?)

 照には予感があった。このままでは、阿知賀の独壇場になってしまう。
 自分が、止めなくてはならない。
 そのためには、やはり照魔鏡を展開する必要がある。
 だが、傀や玄を『観る』ことが出来るのか、その不安のため、彼女は動けないでいた。

(え?)

 彼女は傀を見た。彼の表情に、変化があった。

(何であんな顔を…)

 その表情は、戦う者の顔では無かった。だが『空』になったヴィヴィアンとも違う。
 穏やかで、何かの目標をもう達成したかのような、あるいは何かを諦めたかのような、柔かな表情。
 気迫もない。圧力のかけらも無い。

 (思い返してみれば、阿知賀に牌を一番喰わせているのは彼。今なら……いける!)

 彼の背後に、鏡が現れる。そこに映るのは、彼の心の奥底。彼の過去。そして、彼の想い。
 全ては淀みなく行われ、照は傀を『観る』ことに成功した。

(何てこと……あの人は……勝つつもりなんて端から無い!)

 彼女は、傀の想いに触れた。
 傀は、松実玄に、彼女の母を見出していた。
 傀は、彼女から麻雀を教わったのだ。
 もう一度会いたい。その一心で臨んだのがこの試合だった。
 
(松実先生…?。『観る』のを躊躇う必要なんて無かった!)

 彼女は拳を震わせる。
 後、一人を観ることで状況は完成する。

 阿知賀。松実玄。








 さっきから体が重い。だるい。眩暈もする。
 それが何故なのか、わからない。
 頭を壁にぶつけて、血が出ていたはずなのに、血が無くなってて、痛みも無くなってて、さっきから、わけがわからない。
 これは、やっぱり夢なのか、それとも現実なのか。
 唯一の頼りが、咲がくれたこの布。
 鉢巻のようになっていて、『白虎』にふさわしいな。
 私は、今この時を現実と思いたい。
 咲が、私のことを好きと言ってくれたのだ。夢で終わらせたくない。
 仮に夢だとしても、まだ、醒めないでくれ。


 後は、阿知賀、松実玄を観るだけとなった。
 だが『今の彼女』を『観る』ことが出来るのか。『割れるかもしれない』。
 タイプとしては、清澄の竜に近い。
 私はかつて、彼と打ったことがある。

 中学二年の春。私は家を出た。もう、何もかもが嫌だったのだ。
 私は雀荘を渡り歩き、生活した。家族がくれた『照魔鏡』のおかげで、ずっと勝ち続けることが出来た。
 そして、やくざに目をつけられた。組の代打ちにならないか、と。
 声をかけた組は関西共武会。
 私は表では学生、裏では代打ちとして生きることになった。
 成績が他の代打ちより比較的良かったということで、家政婦、執事付きの立派な家も与えられた。
 代打ちとして一年が過ぎ、中三になる頃、一つの事件が起こった。
 本宮春樹の襲撃である。
 そもそも、本宮春樹は桜道会を裏切った『こちら側』の人間だったはずだったが、何を思ってか、単身で共武会の首領、海東武の屋敷に襲撃してきた。
 その時、海東は竜と卓を囲っていた。その場で行われていたのは勝負と言う物ではなく、単なる座興。曰く、竜はエサであり、彼を近くに置いていれば、敵は、雑魚は引きつけられるように集まってくるそうだ。私にはよくわからなかったが。
 私もその場にいた。私は竜の上家にいた。その対局で勝つ必要は無かったが、私はこれまでどの相手に対しても照魔鏡を使っていた。彼も例外では無かった。
 そして、照魔鏡は割れた。その対局中、私は一回も上がることは出来なかったどころか、心身にこれまで経験したことのない負荷が加わった。何とか対局を乗り越えることは出来たが、その後、三日ほど寝込んだ。初めての経験だった。
 だが、対局直後に倒れたのが良かったのか、私は本宮の銃口の的にならずにすんだ、と言うことを幹部の人から聞いた。
 竜が居てくれたから、私は助かった。
 海東も言っていたが、彼は運を授けてくれる者だったのだろうか。


―――
――――



 これから、私は玄に対して照魔鏡を使う。
 もう他に選択肢は無い。

 私は頭に巻いている布を巻きなおした。
 咲…私に力をくれ……。




―――背中が煤けているよ……


 私は咲の言葉を思い出した。

 確かこの言葉は、竜もあの時言っていた言葉だ。
 他人に授ける運など持たぬ。
 運も、力も、他人に授けるものでは無い。授かるものでもない。
 己は、悲しいまでに、己のために生きるもの。
 か……。

 何故、咲がその言葉を使ったのだろう。
 確か、咲は副将で竜と打っていたな。合宿もしていたそうだし。
 もしかしたら、その時…。
 これは、この勝負が終わったら訊かなきゃな…。

 お姉ちゃんとして…。


 咲…。
 確かにお前は私の敵だった。
 でも、それは仕方がなかったことなんだ。
 悲しいまでに、自分のために生きた。それだけなんだ。
 でも、私はお前が好きだ。
 お前が生まれた時から、ずっと。
 理由なんて無い。
 血筋だとか、家族だとか、そんなことはどうでもいい。
 やっぱり、私はお前のお姉ちゃんでいたい。


 さあ、行こうか。松実玄。









 彼女は照魔鏡を展開した。
 予想通り、いや、予想以上の圧力、熱気が彼女を襲った。

(これが……松実玄?準決勝の時とは、桁が違う!)

 照魔鏡が、焼かれる。
 その熱さ、痛さが照に返ってくる。
 圧倒的熱量。
 まるですべてを焼き尽くす、太陽のような。

(くっ……!)

 彼女は卓にしがみつき耐えた。堪えた。叫びたいであろう声も殺した。

(まるで……準決勝の千里山みたいだな…)

(だが……)

 意識も朦朧とする中、彼女には一つだけのプライドがあった。

(私は宮永『照』だ!あなた如きの炎に、負けるはずがない!)

 彼女は心の中で叫んだ。
 玄を睨み付けた。
 そして、観えた。
 たどり着いた。
 彼女の中の『竜』を……






―――
――――

「ツモ!8000オールは、8200オールです!」


南3局二本場終了


照       70000
傀       126400
玄       119900
ヴィヴィアン  83700





(観えた。……)

 彼女が観えたもの。それは『竜』。
 かつて彼女が観た『竜』と同じだった。

(なるほど……だとすれば、さっきからの『鳴き』にも納得いく……)


 松実玄。
 彼女は、清澄の『竜』の姉だった。


(松実……傀……竜……D・D………これで線が繋がった……。そして……)


 風。

 かつての風とは比べものにならない、疾く、強く、大きな風が、彼女の右腕で暴れていた。

(勝った……)

 彼女は確信した。
 力が漲る。
 さっきまでのだるさは消え、まるで生まれ変わったかのようであった。



南3局三本場 親 玄 ドラ  白


①②②②③⑤南発中39一四


(配牌は悪い。だが、この局は必ずあがる)

 松実玄は裏ドラ、槓裏を含むドラまで支配する。他家の手は必然的にめちゃくちゃになり、聴牌速度は下がる。加えて言うなら、今の玄は『鳴き』もするのだ。
 その状況下であがるためにはやはり、照魔鏡の支配しか無い。
 異能を解析し、その隙間を通ることの出来る照魔鏡しか。

 彼女の自信の通り、7巡目たっても誰も鳴きもしなければ、あがりも無かった。
 照魔鏡の効果はあった。
 準決勝と同様、玄からドラが消えるということは無いが、照のツモ牌、支配は正確だった。
 彼女の手牌は縦に、そして一色に伸びた。

①①①②②②②③③③③④⑤

 彼女がテンパイした同巡のこと、傀から和了牌の①筒が切られた。

(腑抜けた貴様なら、出ると思ったよ。だが、12000で終わらせるわけがない)

「カン」

 彼女は①筒を鳴いた。嶺上牌は④筒。当然の如く彼女はあがらない。

「カン」

 今度は②筒を暗槓。嶺上牌はまたも④筒。彼女は続ける。

「カン」

 ③筒の暗槓。

 巨大な嵐が、卓上に舞い降りた。

「ツモ……清一、トイトイ、三暗刻、三槓子、嶺上開花……24000は、24900……」


 その和了は三倍満。大明槓、連槓からの和了ため、傀の責任払いとなった。
 責任払いと言う形ではあるが、今大会初の、傀の振り込みともとれる。

(傀が…責任払い?)

 自分にすら振り込むことが無かった傀が、差し込みでもなく『劣性』に振り込む。それも三倍満という巨大な点数に対して。ヴィヴィアンは言葉を失った。

(『劣性』が……どいつもこいつも何で?何でこんなことが起きるの?)



南3局三本場終了


照      94900
傀      101500
玄      119900
ヴィヴァン  83700



(これじゃ……デイヴに・・…)


 震えた。初めて震えた。自分が、捨てられてしまうという恐怖が、彼女にはあった。


(このまま、オーラスも取る)

 一方、照は意気込んだ。


 その時




「『松実先生』の連荘を止めることが出来たのは、やはりあなたが先でしたか」




「え?」
 牌を卓に戻すその時、傀が口を開いた。
 彼女は、彼を見た。

(戻っている?)

 そこに居たのは、勝負師の表情。諦めも、達成感もその表情には無かった。
 ギラリと光る鋭い眼光。不敵に歪む口元。
 人鬼そのものだった。

(まさか……まさかまさかまさか・・・)


 『してやられた』

 照はそう思わざるを得なかった。

(まさか……彼は…『私すら』利用した?この私が、照魔鏡で玄を観ることを見越して、あえて自分をさらけ出した……というの?)
 積み上げてきた自信。確信。それらさえも、一瞬にして破壊する。
 それが、傀だった。





「では、オーラスを始めましょうか」





 人鬼が、笑う。









[19486] #36 竜と虎 その4 -子供達へ-
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/10/07 11:13
【竜について】


 清澄高校副将、竜。本名、松実竜司は、松実玄が生まれた翌年、彼女の母親と別の男との間に生まれた。
 その男は竜と呼ばれ、彼の麻雀を観た者は、必ず彼に魅了された。当時プロだった玄の母もその一人であった。
 彼女は小鍛治健冶が現れる前までは、歴代唯一の国内無敗雀士だった。彼女には自信があった。その自信がある日、彼女を『裏』に足を運ばせた。竜とは、そこで会った。
 彼女にはすでに夫がいる。だが、理性より感情が優先していた。ただそれだけのことである。
 竜司が生まれた翌年、竜は姿を消した。彼女の前から、というだけでなく、まるでこの世から姿を消したかのように、あらゆる所に彼の姿は無かった。
 桜道会甲斐組初代組長、甲斐正三は組の力の全力を注いで竜の捜索をしたが、それでも行方を知ることは出来なかった。
 甲斐正三は確信した。竜は、自分の分身、竜司を生み出したあと、その役目を終えたが故に、その姿を消したのだと。竜司は、竜の生まれ変わりだ、と。
 甲斐は彼女から竜司を引きはがした。
 竜司はその苗字を甲斐とされ、桜道会甲斐組の代打ちとして育てられた。
 彼女の旅館は、組同士の『決め』の麻雀によく使われ、竜司も大人たち相手に打つことがたびたびあった。だが、彼女が竜司に会うことは許されなかった。
 彼女には夫も、娘たちもいる。この上ない生活を、幸せを手に入れているはずである。家族との関係を考えれば、竜司は彼女の下を離れた方がいい。そのこともわかっている。だが、彼女は竜司のことを忘れることが出来なかった。
 彼女から竜司が去って6年が過ぎた。彼女の生活は幸せそのもののはずだった。
 プロを引退した後、麻雀教室を開いた。矛盾をはらむ彼女の麻雀故に、彼女は優秀な教師というわけでは無かったが、その人柄は生徒には人気だった。多くの生徒に愛され、娘達に愛され、夫に愛されていた。だが、彼女は満たされなかった。竜がどこにもいないのである。
 拭え切れない悲しみ、切なさは日に日に彼女の身体を蝕んでいった。体調を崩し、麻雀教室が休みになる日も少なくは無かった。
 そんなある日、彼女の下にデイヴィット・デイヴィスが、一人の男の子を連れて訪ねてきた。
 彼は言った。この子に麻雀を教えてやってほしい、と。





【傀について】



 彼がどこで、誰から生まれたのかは誰も知らない。
 とある国のとある貧民街で売り出されていた6歳の彼を、D・Dが引き取ったところから彼の物語がスタートする。
 一目で優性とわかる程の輝きを持っていたと、というのがD・Dが彼を買い取った理由である。
 彼に名前は無かった。上着の胸についていたロゴが【K】だったということで、D・Dは彼を『ケイ』と呼ぶことにした。
 他の優性の子供たちとは桁が違う優秀さを持っていたケイを、D・Dは自ら教育した。言語、計算、スポーツ、心理。あらゆるジャンルでケイは桁違いの成績を出した。
 そして、残されたカテゴリ、【運】という項目において彼を測るため、彼に様々なギャンブルを教えた。それらにおいても、ケイは問題なく合格点を叩きだした。
 D・Dは最後に、自分自身ですら攻略出来ていない分野、【麻雀】を彼に教えることにした。
 彼は、それだけは自分で教えることはしなかった。自分より強い雀士がいたからである。
 『松実露子』。
 D・Dに初めて『敗北』を教えた女性である。
 

 ―――
 ――――


 ケイは彼女の下で麻雀を教わることになった。
 彼女は、ケイに竜司の姿を重ねた。纏っている『もの』が、似ていたのだ。
 彼は竜でも竜司でもない。それはわかっていた。だが、彼女は実の息子に麻雀を教えるように彼に接した。竜司が自分の所にいたら、どう教えていたか。そう思ったら、彼女は踊る心を止めることが出来なかった。
 優しく教えてみた。厳しく教えてもみた。距離を置いていた他の生徒とは違う。その姿には、熱意があった。
 空洞が満たされていく。まるで水を得た魚のように、死んでいた彼女の心は蘇った。
 彼とだけは本気で打った。一度も勝たせなかった。彼に、竜のように強くなってほしかった。
 彼女には夢が出来た。
 いつか、自分と、竜と、竜司と、ケイの四人で打つ。
 そこが、自分の人生の完結なのだと、彼女は確信した。
 彼女は待った。竜と竜司の帰りを。
 いつか帰ってくる。そう彼女は信じた。


 彼女は、待った。


 その命が終わるまで。


 彼女の魂は一度再生した。だが崩れた身体は、元に戻ることが無かった。
 丁度その頃、道を失っていた赤土晴絵に、麻雀教室の後を頼み、彼女はこの世を去った。
 



 その後、D・Dはケイを連れて帰りに来た。だが、ケイはD・Dの下に行くことを拒み、行方を眩ました。
 以後、彼は様々な場所、特に高レートの雀荘に姿を現すようになった。
 彼の悪魔的な打ち筋を見たある老人は彼に対してこう言った。

「『ケイと呼ばれています』だ?…てめぇは傀だよ。人に鬼と書いて傀!……昔そう呼ばれていた奴がいたが、いつの間にか見なくなっちまった。てめぇはその再来だよ!畜生め!」




 それがいつしか、彼の『名前』となった。













先鋒戦 
後半 
オーラス 親 ヴィヴィアン ドラ ③筒


照        94900
傀        101500
玄        119900
ヴィヴィアン   83700




(これでは…デイヴに捨てられる……無能だって……失敗作だって……そんなの…)

 現在小学4年生。年齢に反して大人びていた彼女であったが、今、年相応の『怯え方』をしている。
 負けるのが怖い。負けたらヒドイ事が待っている。イジメが待っている。きっとみんなはイジメるだろう。これまでひどいことを言ってきたし、してきた。
 痛いのは嫌。熱いのは嫌。寒いのも嫌。捨てられるのは嫌。一人になるのは嫌。
 彼女の脳内で渦巻く負の思考。
 やがてそれは増大し、彼女の認識を黒で埋め尽くした。

(・・・ふざけるな……)

 しかし、その時。黒の中から声がした。
 その声は、自分であった。
 もう一人の自分。
 畏れによって閉じ込められていた、魔、そのものである自分。
 今の彼女を見て、その魔は怒りによって目覚めた。

(……殺してやる。その程度で怯える貴様など、『私』では無い!)

 その対象は、傀では無い。照でも無い。玄でも無い。
 その対象は、負抜けている自分自身。
 『彼女』は、彼女の首を絞めた。

(死ね。死ね!死ね!!死ね!!!)

 自分自身を殺し、乗っ取る。
 彼女は絞め続けた。

(嫌!痛いのは嫌!死ぬのは嫌!)

 彼女も『彼女』の首を絞めた。
 殺されたくないから、殺す。彼女の手はそう動いた。

 互いが互いの首を絞めた。
 殺し合った。
 続けた。
 どちらかが消えるまで、互いはそれをやめるようとはしなかった。



―――
――――


「あの……」

 松実玄が声をかけた。
 ヴィヴィアンは数十秒間、瞳を閉じていた。

「あの…臨海さん……」

 もう一度声をかけた。彼女は眼を開いた。そして言った。

「ごめん。寝てたわ」
「え?」

 邪気も、怯えも消えた表情。
 まるで対局開始時の彼女に戻ったかのようである。

(ヴィヴィアン……さっきまでと雰囲気が違う?)

 照にとって、ヴィヴィアンの変貌はただただ不気味だった。
 照魔鏡が完全に展開したとはいえ、オーラス前の傀の一言も合わせて、不安が募る一方だった。

(だが、問題は…無いはずだ……)


九⑤⑥⑧東東南西北北発発中


(四喜和……もしくは字一色…か。これなら、あがれる)

 前局三倍満をあがった。彼女がこの局あがる役は、もう役満しかない。
 配牌に固まる字牌。彼女はその手を見て安堵した。支配は継続している。

 だがその安心は一瞬で崩れ去った。

「【7】」

「は?」

 照は声を出さずにはいられなかった。
 あり得ないはずの者から、あり得ないはずの一言が発せられたのである。

(馬鹿な…。ヴィヴィアンは、『死んだはず』なのに…。復活なんて、あり得ない)

 照の推察は大方当っている。
 ヴィヴィアンの配牌は


三七七八九⑦112377東北

 という形であり、『この面子の中では』あがりには遠い。
 照魔鏡を発動させてる照は勿論、玄にすら追いつけないであろう。
 これは、これまで彼女がしてきた『仕上がった』カウントダウンでは無い。
 『魔』によるものでもない。
『今の彼女自身』の執念のカウントダウンである。
 必ずあがる。何が何でもあがる。そういう意思。

 だが、照を引かせるには十分すぎる執念であった。
 清んだ表情から放たれた宣言は、照にとっては『あの』カウントダウンの再来である。
 悪夢が、じわじわと蘇る。
 ヴィヴィアンはゆっくりとした動作で、この手牌から東を切った。

「…ッ!…ポンッ!」

九⑤⑥⑧南西北北発発中 ポン 東東東 打 九

 反射。
 反射だった。思考よりも先に口が、手が動いてしまった。

(しまっ……)

 牌をさらした後で、彼女は気付いた。
 照魔鏡展開中、『最もしてはいけない行為』をしてしまったのだ。
 傀も、ヴィヴィアンも玄も『解析』された。未来を予知し、改変する事の出来るものはここには居ない。
 故に、現在のこの面子で照魔鏡の支配を攻略することは不可能である。
 だが、それは『照が余計なことをしなかった場合だ』。
 照の『ツモ』は、傀に流れた。
 これは単なるツモの順番が変わった、というものでは無い。
 『支配』が移動したことを意味する。

「恐怖は、そう簡単に拭えるものではありません」

 傀が呟く。

(これも計算尽く!?)

 『心理』『流れ』。
 攻略不可能の異能の力は、人間の、シンプルな哲学によって攻略された。

(どこまで『悪魔』なの。これじゃ…奴が阿知賀より先に聴牌し、あがる…あがってしまう……)

 後悔する間もなく、状況は進む。
 次巡、そして次巡、彼女は無駄ヅモを繰り返す。
 彼女にはわかっていた。彼女の欲しい牌、南、と西は、傀に流れている。
 そしてさらに次巡、ようやく、彼女にとってようやく有効牌をツモる。中である。

 ⑤⑥⑧南西北北発発中 ポン 東東東 ツモ 中 打 ⑧

 同巡、傀から発が切られる。照は鳴く。打⑥筒。
 傀の番がまた来る。中が切られる。照は鳴く。打⑤筒。

 南西北北 ポン 東東東 ポン 発発発 ポン 中中中

(戻ってこい……戻ってこい!)

 彼女は念じた。
 だが、一度自分から手放したものが、そう簡単に帰ってくるはずも無かった。
 傀のツモはそれだけ増えている。

(くッ……身体の重さが……戻ってきた……さっき、回復したのに……)

 この時、彼女は南や西を落とす選択肢もあった。支配が移ったというのなら、縛りも、もう無いはずである。聴牌も出来る。だが、それでは8000点。上手くいって二着。それでは意味がない。この試合で、彼女が妥協する理由はどこにもないのだ。

(北は…北はどこ…。咲…)
 
 彼女の息は荒かった。意識も朦朧とし始めた。
 だが、北は死んでいる。ヴィヴィアンの執念が、彼女の最後の北を殺した。

ヴィヴィアン 手牌

七七⑦⑦1123377北北

 これまでの少ないツモで、彼女は七対子のキー牌、⑦筒、北、3索をピンポイントでツモった。彼女の執念がテンパイに実を結んだ。リーチをかけなかったのは、この手をこれで終わらせたくなかった彼女の意思があったからである。

(ちびちびの連荘で逆転なんてかっこ悪いじゃない。一撃で決めるわ。この手は四暗刻まで行かせる!残りは七萬、⑦筒、7索。【7】までの残りツモ3回。間に合う。)

 だが、


「リーチ」

 人鬼からの先制が入った。

(来た…)

 全員が身構えた。人鬼の待ちは…なんだ。


傀  手牌

④④④④⑤⑥4南南南西西西

捨て牌

8九八発中⑥(リーチ)

 

 打中の時点で、傀は聴牌していた。③、⑥筒待ち。
 南、西、混一、三暗刻、リーチを含めれば倍満もあり、逆転できる手であった。
 だが彼はそれを捨て、4索単騎のリーチをかけた。

 その理由は、阿知賀、松実玄の手牌にあった。

玄 手牌

①①②②③③③[⑤][⑤]4[5]55

 傀がリーチをかけた同巡、この形に彼女は 5索をツモってきていた。

 ドラは③筒。また現在の彼女は、裏ドラ、槓ドラ、槓裏を含む牌までも集める。
 彼女はそれを感覚で知っている。何が『潜在ドラ』なのかを。
 この手では、①筒、②筒、5索が潜在ドラであり、ドラで無いものは、4索のみである。
 傀の狙いは、その4索である。一発を含めての跳満の直撃。それによるまくり。
 彼女は4索に手をかけた。この時点で、照魔鏡の支配が玄の母の支配を超えたことが証明された。

(わかる……。4索を切って、次巡、①筒をツモって、5索を暗槓…。それから嶺上開花で②筒をツモって…決着……お母さんなら……こう打つ……)

 その時、何かが玄の手を止めた。

(え?)

 何者かの、『手』がそこにあった。
 細い、女性の手。玄の背後から伸びている。
 玄の視線はその手を辿り、その主を見つけた。
 玄は、母を見た。

(お母さん!?……なんで……、どうしてここに……?)

 幻影か、幻覚か、妄想か。真実はわからない。
 だが、母は玄に語りかけた。


―――もう……いいのよ。私の麻雀なんかしなくても。玄は、玄の麻雀をしなさい。


(え……?でも、清澄の子は、きっとお母さんに会いに来て……お母さんはすごく強くて………)


―――ケイ君は……もう私を超えていたのよ…とっくの昔にね……。

(ケイ、君……もしかしてあの子が?)

―――だからもういいの……。玄は……玄なら何を切る……?

(私は……)

 玄はあらためて手牌を見た。


①①②②③③③[⑤][⑤]4[5]555


 自分なら…何を切るか。


 玄は③筒に手をかけた。


―――玄なら…それを切るのね……


(うん…これが、前に向かう牌…。私は、もう自分から別れを決めることを…恐れない)


―――
――――


「リーチ!」


 松実玄のリーチ。

 その牌は、③筒。ドラ。


(そして……一点でも多く取る!…だって、団体戦だから!)



―――そう。それでいいのよ…。玄。そこに居るのは私じゃない。あなたなのだから。



 傀は目を見開いた。自分の予想を超えた牌が、そこにある。
 声を出したわけでは無い、表情を大きく変化させたわけでは無い。
 だが

(傀が…驚愕している?)

 照、そしてヴィヴィアンは気付いた。
 松実玄のドラ切り。
 この状況は、傀の想定外の事態。そうとしか思えなかった。

(まさか……この流れ…)


 全国大会決勝。先鋒戦。
 その場所を制したのは、ヴィヴィアンでも、宮永照でも、傀でもない。

 それは……



―――
――――


「ツモ…。3000・6000。終了ですね」

 ④④④④⑤⑥4南南南西西西 ツモ  4



 その声に、『御無礼』は無かった。
 

「裏ドラはめくらないの?」

 ヴィヴィアンが訊いた。

「どうぞ。ご確認したければ」
「嫌よ、めんどくさい。玄ちゃん。めくってくれる?」
「あ……はい……」

 その牌は⑨筒。つまり、ドラは①筒。ドラは乗らず、点数の変動は無かった。





先鋒戦終了



照      91900
傀      114500
玄      115900
ヴィヴィアン 77700






「ありがとうございました!」

 まず最初に席を立ち、礼をしたのは玄だった。

「あの……こんなこと言ってはいけないかもなんですが、あの……楽しかったです…。あの、ありがとうございました!」

「そりゃ、一位なら楽しいわよ。私はラスよ?ふざけないで」
(それにしても、77700点…。こんな【スリーセブン】があるなんてね)

「あ…あうぅ……ご、ごめんなさい……」

「いえ……こちらこそ、ありがとうございました。楽しい対局でした」

(え?)

 ヴィヴィアンは彼の表情を見て、引いた。
 一瞬ではあったが、それは普段見せているニヒルな、不敵な微笑みというものではなかった。純粋で、無垢で、穏やかな笑顔がそこにあった。

(傀が…あんな顔をするの?)

「あの……清澄さん…もしかして、ケイ……君、ですか?」

「昔……そう呼ばれていましたね」

(デイヴが付けた名前ね)

「あ、やっぱり……登録の名前と違ってて、それに全然変わっていましたから気付きませんでした。すみませんでした」

「いいえ。お気になさらずに。では、また機会があれば」

 そう言って、傀は席を立った。その時、彼は視線を宮永照の方に落とした。

「白糸台さん?」

 傀の声に、照は反応が無かった。
 照は、ゆっくりと横に傾いて、そして倒れた。
 彼女は、頭から大量の血を流していた。
 先ほどまで、綺麗そのものだった卓も、血で汚れていた。

「これは…」
「ちょっとなにこれ!?何が起きてるの?」
「救急車!誰か救急車を!」

 玄が叫ぶ。

 数秒もしないうちに、救急隊が舞台に駆けつけてきた。

「え?早ッ!」

「倒れてどれくらいになります?」
 救急隊の一人が訊いた。
「え?……ついさっきですが……」
 玄が返した。
「『さっき』とは時間的にどれくらいですか?」
「え?」
「彼女が倒れて現在29秒です」
 テンパる彼女に代わって傀が答えた。
「どういうことだ?連絡があったのは10分前だぞ」
「だが、出血量がひどい。早く処置をしないと」

 救急隊は、彼女の頭に巻かれていた布を取り、新しい止血に取り掛かろうとした。
 その時。

「この布は……捨てないでくれ」

 照の意識が回復した。彼女は布を外した救急隊の腕を掴んで、そう言った。
 止血処置後、救急隊はその布を彼女に返し、ストレッチャーに乗せた。

「お姉ちゃん!」

 その時、咲が駆け付けていた。
 ストレッチャーで運ばれる照に、咲は走ってついて行った。

「咲……お前には……色々と話したいことが……」
 寄り添う咲に対し、照が言った。
「お姉ちゃん、今は喋ったらダメ!」
「そうだ……咲……。私は、お前のお姉ちゃん……が…・・いい……」
「うん!……うん!……」
 照の傍で、ただただ咲は涙を流し、頷く。
「お姉ちゃんで……いさせてくれ……」
「わかった……わかったから……お姉ちゃんもう…喋らないで……」
「お前が……大好きだ………」

 その言葉を聞いた瞬間、咲はその場に立ちつくした。
 初めに訪れたのは衝撃。
 言ってくれるはずもない者から、言ってくれるはずもない言葉。
 大好き。
 次に訪れたのは、止めようのない涙。
 既に流れている古い涙を、後ろから押し出すように、滝のように流れた。
 彼女はその場に座り込み。廊下には彼女の嗚咽が響いた。



「お姉ちゃん……ありがとう………」












【臨海高校控室】


「とんだ災難に巻き込まれたなヴィヴィ」
「うん…。ちょっとびっくりしちゃった。辺りの景色が一気に変わるんだもん」
「確かにそう……」

――
―――

ザザ……


ザザザ……

―――
――――

「ん……(今の感覚…書き換えられたかな…)」
「どうしたのデイヴ」
「いや、なんでもない……」
「で、結局私は失敗作ってことかしら。あの四人の中でラスだったしね」
「いや、どうやら私の誤算だった。『マツミ』の娘があそこまでとは思わなかった」
「でも、傀にもテルテルにも負けたわ」
「点数だけならな。だが、内容は負けていない。宮永照も傀も、最後の最後でミスをしたしね。対してお前はオーラス、自力であそこまで仕上げた。立派だよ」
「あら優しいこと。結果こそ全て、だと思っていたわ」
「私はそんなに小さい人間かね」
「でも、大将はどうかしらね。たぶん私よりいい成績を残すんじゃないの?」
「実はね。その大将についてなんだが、私は彼を息子に加えるつもりはないんだよ」
「え?」
「お前を煽るために彼を使わせてもらったが、彼は誰にも従わない。傀のようにね。今回の大会に参加してくれたのも、赤木しげると打つことを餌にしてようやく、といったところだ。全てが終われば、彼は私の下を去るだろうね」
「デイヴでも止めることは出来ないの」
「止めるという話以前に、彼は私より強い」
「!?」
「私に初めて『絶望』を教えてくれたよ。麻雀でね」








帰りの廊下。傀は次鋒の染谷とすれ違った。

「トップで渡せずにすみませんでした」
「そう思うならもうちょいしんみりな顔せえよ。そんな満足したような顔で言うとったら……いや……まあ気にしなさんな。そうゆうこともあるもんじゃけ」
 彼女は彼の方をポンと叩いた。
「染谷先輩」
「なんじゃ?」
「『松実宥』は手強いですよ。気を付けてください」
「めずらしいのぉ。お前さんが助言するなんて。まあ……任せときんさい!」

 染谷は先に進み、傀も歩を進めた。
 その先に、竜が居た。

「珍しいですね。あなたもここに来るとは」

「あンたに一つだけ言っておく。あそこに居たのは俺のおふくろでは無い。松実玄だ。あンたの敗因はそれをはき違えたことだ」

「ふっ……そのようですね」

「………楽しめたか?」

「…ええ……」

 二人はそれ以上言葉を交わさなかった。
 だが、二人とも、笑っていた。









 舞台の清掃と、卓の不調により試合時間は30分ほど繰り下がることになった。
 だが、その原因については、当事者以外、誰も思い出すことが出来なかった。











 目を覚ましたとき、そこは病室だった。
 隣のベッドから、聞き覚えのある声がする。
 カーテンをめくると、そこには、千里山の園城寺怜が寝ていた。大将だった清水谷竜華もいた。

「お、目が覚めたかぁ新人さん」
 怜が、気の抜けた声で、茶化すように言ってきた。

「あなたは、千里山の…」
「準決勝では先を取られたが、ここではうちが先輩やでぇ。覚悟しいやぁ」
「ちょっと怜…あかんて。病人やで」
「うちだって病人やん」
「すみません。こんな変な子で」
「竜華、変な子ってなんや」
「あの…大丈夫ですので…そんな、気を使われなくても…」
「あれ、結構イメージと違うな…どういうことや竜華…」
「うちに聞かんといてぇな」
「あの……えっと……どんなイメージを…」
「もっとなぁ、がーっていう感じの期待していたんよ。で、それに負けんようにとうちも…」
「ふふふっ……あははっ…・」
「なんや、壊れたんか?」
「いや、ごめんなさい。私、そんな風に見られてたんだ…」
「あ、気に障ったら、ごめんな」
「ううん。いいの」
「ところで、その握りしめてる布なんなん?血がべったり染み込んでるけど、なんか喧嘩でもしたんか?」
「……うん……これはね………」






 私の、大切な宝物。




 その後、私は途中だったあの本を最後まで読んだ。
 あの少年も、妹のことが好きだった。
 読み終えて、私は救われた気持ちになった。

















[19486] #37 DUVET その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/06/17 02:12
―――落ちていく 消えていく 溺れていく



―――助けて 息が出来ない










「ねぇデイヴ。一つ聞いていい?」
「なんだい?」
「華菜ちゃんの家族を『保護』していた理由、そろそろ教えてもらっていい?」
「なんだ気付いていたのか」
「気付くわよ」
「ある男に、依頼されてね。まぁ利用させてもらったが、第一の目的は確かに君の言う通り保護だ」
「ある男って?」
「名を言っても君は知らないだろうが、平成のフィクサー、銀王、などと呼ばれている。まあ君には関係のない世界だよ。それより、君にはもう一回打ってもらうことになるかもしれない」
「卓が用意されているから、まさかとは思っていたけど。やっぱり?」
「たぶん大将戦が終わった後『来る』と思うから、それまで仮眠をとっておきなさい」






【解説室】


「いやー、しかしすごい試合だったねー。すこやんと安永プロの二人合わせても解説が追いつかなかったなんて、今までにあったけ?」
「え?いや、無いと思うけど…」

 卓の不調により、試合は三十分繰り下がって、次の試合は11時からのスタート、ということになった。時間があいて暇になったはずなんだけど、こーこちゃんが隣だと、それも無いか。
 マイクも切ってるし、こーこちゃんも普段の話し方になってる。

「安永プロ、帰っちゃったね」
「傀選手がトップをまくれなかったのがショックだったんだと思う」

 先鋒戦が終わった直後、安永プロは何秒か言葉を失っていた。かと思ったら急に立ち上がって、あんなのは傀では無いと怒鳴り散らして、部屋を出て行った。落ち着くまで、少し時間が掛かりそう。

「あそこで4索切っていれば逆転したんじゃないの?」
「あれは準決勝の宮永選手と同じケースだよ。松実玄からは、ドラは切られないと決めつけての4索単騎」
「でも、単騎じゃ待ちは悪すぎじゃない?準決の宮永選手は、一応は多面張だったわけだし」
「潜在ドラのことは話したよね」
「松実選手の手牌には、新ドラになる牌も集まってくる、というのだったけ」
「そう。恐らく、4索以外が潜在ドラだったんだと思う。だから切られるのは4索と読み、待ちをその通りにした」
「でも、ツモってきた4索を残してのリーチだよね。読んでの待ち変更には思えないけど」
「傀選手は『流れ』レベルで状況を読んでいる、ってこと」
「え?ちょっと何言ってるかわからない」
「えっとね。例えば千里山の園城寺選手の未来予知のことは知っているよね?傀選手は、自分の勝つ未来、流れを作っている、言えばいいかな」
「そんなオカルトありえないよ」
「今更!?」

 安永プロ程では無かったけど、私にも彼の『敗北』は衝撃的だった。
 あれは彼の完全な読み間違え。あの人にそんなことが起こりえるなんて、思いもしなかった。
 あり得ない。確かに、あそこにいるのは『あの』人鬼じゃない。
 ひとでなしの世界に住む、あの人鬼じゃない。

―――死んだ金は卓に戻って来ない

 弱き者の最期に行き着く所、それがあの人。あの鬼。
 最期に残された衣さえも剥ぐように、あの人は全てを奪っていく。
 私は『あの人の隣』で、そうなっていく人を何人も見てきた。


―――
――――


 私が三連覇を果たしたその年、劉という人物から話が入った。
 内容は見物麻雀の依頼。とある高レートの卓で、振り込みもアガりも最小限の麻雀をするというものだった。
 自分はただ見ているだけでいいと、あの老人は言った。負け分も払う必要は無いと。
 そして、あの人と同卓した。
 その卓に入ってきたのは、ある不動産屋の課長、江崎という男性だった。
 
 恐ろしい麻雀だった。
 頭がどうにかなりそうな額のレートのことだけじゃない。
 決定されている勝者と、決定されている敗者のロン合戦という異常事態。
 もはや麻雀じゃない。勝負と言えるものじゃない。
 敗者がもがき、苦しみ、失っていく。
 敗者には、そのことがわかっていない。次こそはいける。次こそは勝てる。そう思いながら、振り込み、ラスを続ける。
 その姿は滑稽で、惨めで、不様だった。
 劉は江崎に対して言う。
 ここにいるのは弱者の一生に一度の不様が見たいだけのひとでなしなんです。
 違う。私は違う。私は心の中で否定した。
 だけど、私は……笑っていた。
 鬼の棲む荒野。私も、鬼の一人だった。

 それから私は何人も見てきた。
 落ちていく、消えていく、溺れていく。
 助けを求めるその人の手を、私はただ見ているだけだった。手を伸ばして掴むことを、私はすることが出来なかった。
 怖かった。敗者になるのが怖かった。人鬼が、怖かった。

 でも、今なら助けることが出来るかもしれない。
 今のあの人は、『ぬるい』。



――
―――


「小鍛治プロ?」
「え?」
「どうしたのぼーっとして」
「あ…別に、何でもないよ」
「あ、もしかしてすこやんも傀選手応援してて、負けたからショックだった?駄目だよ15歳とアラフォーは歳離れ過ぎだから」
「アラサ―だよ!……って何言ってるの!?」
「ははは、冗談だよー。」
「もう…」
「ところで小鍛治プロ、次鋒戦、注目選手は誰ですかねー?」
「何急にあらたまって」
「いやいや、もう始まってますよ?」
「え!?うそ?」
「うん嘘」
「ちょっとこーこちゃんそういうのやめてよー」
「で、注目選手は?」
「あ、結局答えるのね」
「やっぱり白糸台の積倉選手?」
「うん。爆発力は全国でもトップクラスだから、彼はすごいと思う。でも、私は臨海の鉄壁選手かな…」
「確かに、去年の個人戦全国一位だったけど、結構地味じゃない?私は爆岡選手の方が好きだなー」
「え?」
「いや、麻雀の話だよ?何想像してるのすこやん?」
「あ…。違うよ!そんなこと考えてないよ!」
「どんなことー?」
「そっちに広げないで!……えっと、鉄壁選手に注目してるのは、やっぱりその分析能力がすごいこと。爆岡選手の『爆牌』の攻略も、彼の分析あってのものだったから、今回の積倉選手の『満潮』にも何らかの対策は打ってくると思う」
「ほうほう」
「あとは、阿知賀の松実宥選手だね」
「あー、だよねー。……妹の玄選手もすごかったよね。最後の追い上げ。あの麻雀って…」
「こーこちゃんも気付いた?」
「そりゃ…あの麻雀は……ね」

 松実姉妹。
 あの『氷のK』こと松実景(景は本名でなく芸名のようなもの。本名は露子)の娘なのだ。最初は注目されていた。だが、その試合で彼女達の闘牌を観た者達の殆どは、その目をすぐに白糸台の宮永照などに戻した。
 彼女達の闘牌は、松実景の要素は少しはあっても、力の差は歴然だった。
 あの人が『氷』と言われていたのは、冷静な判断力とか、揺らがない精神とか、そういう意味じゃなかった。
 あの人の『氷』は、この世の現実そのものだった。
 この世の全ては必ず死に、固まり、そして冷たくなる。あの人の麻雀にはそういったテーマがあった。
 松実景と相対した者は、彼女に勝てるとは絶対に思えない。敗北のさだめを悟る。勝負の熱を、奪われる。
 ドラの来ないその手は動かない。
 まるで氷河期が訪れたかのように。

 あの人がプロを辞めてしまって、私はあの人と打つことは無かったけど、もしあの人と打ったらと思うと、ぞっとする。






【阿知賀】


「玄さんおかえりー!」
「すごかったよ玄さん」
「よく頑張ったね、玄」

 穏乃達や晴絵は、帰ってきた玄に対しねぎらいの言葉を贈った。
 あのメンバーの中でのトップ通過。奇跡に近い偉業を成し遂げたのだ。高揚し、盛り上がるのは当然であった。
 姉、松実宥を除いて。
 彼女は唯一表情を曇らせていた。

「玄ちゃん……」
 宥が言った。
「あ……」

 その表情、言葉を聞き、玄ははっとした。

「そう……だよね」
「うん。……もう、あんな打ち方は、しないで…」
「…どうしたんですか?」
 
 思わしげな会話をする二人に対し、穏乃は訊ねた。

「あのね、穏乃ちゃん……」

 玄は、宥のことについて皆に話し始めた。
 寒がり屋の松実宥、そのルーツについて。







 麻雀の一番強い奴はどうやって決めるか。
 それはノーレートの公式試合しかない。そこは言い訳のきかない場所。
 高校生最強を決めるなら、インターハイ個人戦。
 ある日、積倉はとある雀荘にて、富良という中学生に対して、そう言った。その場には、鉄壁もいた。鉄壁も彼の意見に同意だった。
 だが、彼はその『個人戦』に出場していない。鉄壁はそのことに疑問を持った。
 訊こう。前半戦が終わってから、もしくは、試合が終った後。鉄壁はそう思った。

 午前11時00分。次鋒戦が開始された。
 
前半戦 東1局 親(起家 宥) ドラ 白

三年・阿知賀・宥(東家)  115900
三年・臨海・鉄壁(南家)  77700
二年・清澄・染谷(西家)  114500
一年・白糸台・積倉(北家) 91900

北家 積倉 配牌

三四八九②④⑧⑧112南北

(干潮スタート……望むところです)

 積倉の麻雀には大きく分けて、満潮と干潮がある。簡単に言えば、満潮はツいている。干潮はツいていない。満潮時のツモった手は形も良く打点もついてくる。逆に干潮時のツモった手は形も悪く打点も小さい。

第一ツモ 一萬

 両面ターツの三、四萬に対して裏スジの一萬。干潮時ならではの不ヅキのツモである。
 この状況においての積倉の選択は『諦め』である。干潮時は、様々なことを諦め、欲や焦りを消し、気持ちに余裕を持つことを基本とする。

九巡目、松実宥からの親リーが入る。
捨て牌
九南⑦北四⑤
⑨一8(リーチ)

積倉 手牌

九九②④⑧⑧1112西北北 ツモ ⑤

 諦め、欲を捨てた積倉の手牌は、ベタ降りの準備が出来ていた。当り牌を絶対に打たない心の余裕があった。
 2巡後、松実宥は6000オールをツモる。

宥手牌 34555②②[⑤]⑥⑦[五]六七 ツモ 赤 5

宥  133900(+18000)
鉄壁 71700(-6000)
染谷 108500(-6000)
積倉 85900(-6000)

(赤い牌……)
 鉄壁はその手を見て再認識する。松実宥には『赤い牌』が集まる。その牌を基本彼女に流れていくとするなら、彼自身の『支配色』の規則も、若干の変更が必要となってくる。
 支配色とは、現実におけるモザイク現象をヒントに鉄壁自身が見つけ出した法則である。
 好調者の好む色は山の近くに比較的多く固まっている傾向があり、逆に、不調者の欲しい牌の色は、山の深い所に固まり安い、というものだ。
 だが、現在トップの松実宥には『赤い牌』が集まる傾向があり、その法則は鉄壁の支配色の理論を超えたものだった。つまり、好調者である彼女ツモはその局彼女が好む色、つまり支配色と赤い牌の二種類であり、故に支配色が読みにくいのである。


東1局一本場 親 宥 ドラ 東

積倉 手牌

五七七③⑥12266白発発


 6巡目、下家の宥から発が切られる。積倉はそれを叩いた。
 干潮時は、諦めを基本とするが、動ける状況では動くことも選択肢の一つである。動きの基本は、いいとこ鳴きのダメスル―。それは手牌の形のことではなく、人のことである。点数の一番高い所から鳴き、点数の一番少ない所からはスル―する。
 流れ論の基本のようなもの。
 次巡、積倉は六萬をツモり、そしてさらに②筒、6索とキー牌をツモっていった。
 しかし、次巡、上家の染谷からリーチが入る。

染谷 捨て牌

①②七九北⑧
⑥三白(リーチ)

 同巡、積倉は一萬をツモった。

(ちょっと危険だけど、これくらいは行ってみる)

 彼の捨て牌は通った。
 当り牌を掴んだのは彼の下家の宥。

「ロンじゃ。一発で12300」

染谷 手牌

23456789東東南南南 ロン 4索

宥  121600(-12300)
鉄壁 71700
染谷 120800(+12300)
積倉 85900


(うん……当り牌を掴まなかったのと、ツモられたら倍満の失点が、横移動の無失点で終わった。やや上げ潮ですね)

 そのように『諦め』と『動き』をバランスよく繰り返しながら、徐々に上げ潮に導いていく。
 満潮に近付いていけば、自然に前に進むことが出来る。リーチがかかっても現物があったり、他家が開発してくれたりする。また、両面ターツも作りやすくなり、イーシャンテンは両面両面の形になり、先手を取りやすくなる。仮に、先制を取られても、押すことも出来るようになる。

「ツモ、2600オール」
「ツモ。6100オール」

 積倉はその親番、二連続ツモあがりをみせた。

(満潮の潮の香りが出てきました)

東4局一本場終了

宥(南家)    107900
鉄壁(西家)   67000
染谷(北家)   116100
積倉(東家)・親 109000


 続く東4局二本場、ドラ 3索。積倉の好調は続く。5巡目にして好形イーシャンテン。
 
積倉 手牌

三四五六七②③④⑤⑦233 ツモ 3索 打 ⑦筒

(ほぼ満潮状態ですね…)

 しかし

「ポン!」

 同巡、宥の切ったオタ風の南を、染谷が鳴いた。

(ん………これはまずい……)

 好調者のツモの移動を気にするなど、現在では完全なオカルトである。だが、麻雀が運のゲームであると信じるなら、それは当然のことなのだ。
 次巡、そしてさらに次巡、その理の通り積倉は無駄ヅモを繰り返す。

(溺れヅモか…そして、対面の鉄壁さん…僕のほぼ満潮を引き入れての…)

「リーチ」

 が入った。
 そして

「ツモ。8200・16200!」

鉄壁手牌

一一八八八⑥⑥⑥88白白白 ツモ 8

(ここまで高いのがツモれるなんて……)
 彼はその手の高さ以上に、積倉の仕上がりっぷりに戦慄した。
(状況があと少し遅ければ、とんでも無いことになってるぞ……)

宥   99700(-8200)
鉄壁  99600(+32600)
染谷  107900(-8200)
積倉  92800(-16200)

(さすが…全国、といったところですね……すんなり行かせてくれない)
 親かぶりを受けた積倉であったが、その表情は満足げであった。

(まさか、役満をツモられるとはのう…。だが、今のは普通にいっとたらもっと恐ろしいことが起きた気がする……)

 鉄壁はその染谷を見た。

(清澄の次鋒…染谷まこさん。彼女もまたオカルト。でも、僕達とは違う…)

 ツモの喰い取りによる流れ変化などの、オカルト的麻雀は鉄壁や積倉同様、彼女もする。だが、彼女は彼等とは違い、感覚的オカルトである。
 彼女は過去の記憶から類似状況を引出し、その状況に対応する。しかしそれは、細かい計算のもと行われるものでは無く、漠然とした感覚のもと行われる。理論と哲学をもとに行われる鉄壁や積倉とは違う。

(故に、局所的対処になりやすい。……勿論それはそれでいい面もあるけど…それだけでは『彼』は止められない)

 積倉の麻雀の恐ろしさはその柔軟性にある。干潮時なら干潮時の打ち回しがあり、満潮時には満潮時の打ち回しがある。それぞれの状況に置かれた手の役割を全うさえできれば、流れは彼に味方し、彼は満潮に歩を進め、最終的勝利を収める。
 たとえ勢いや流れを崩されても、それに対する対応術を彼はいくらでも持っている。難しい手をクリアし続け、次第に彼の手は軽くなっていく。それが、積倉手数の強さ。

 局は進み、そして前半戦オーラス…

 彼は左手にしている腕時計を確認し、宣言した。


「午前、11時38分……満潮………」





 



[19486] #38 DUVET その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/05/16 13:08

 麻雀で一番強い者を決めるにはどうしたらいいか。
 それは、ノーレートの公式試合。万人が観る大会。言い訳のきかない場所で打つ。それが最も近い回答だと思う。
 そう信じている一方で、僕はこうも思う。そもそも一番強い者、最強ってなんだ、と。
 少なくとも、結果を残した者はそれに近いはずだ。強者と打ち、対策をし、そして、ちょっとばかし運が味方し、勝利した者が、強い。弱いわけはないはずだ。
 だけど麻雀は基本四人、あるいは三人で打つ競技だ。少なくとも公式試合で一対一、というのはそうは見かけない。去年の個人戦だってそうだった。爆岡がいて、八崎さんがいて、茶柱さんがいて、そして、僕が居た。その対局の勝者は、僕だった。でも、八崎さんや茶柱さんがいなかったら、おそらく僕が爆岡に勝つことはなかっただろう。
 
 そして今、僕は積倉に挑んでいる。彼の打ち筋は、分析できるだけ分析はした。だけど、直接的対策が、結局は見つからなかった。
 僕が見つけたのは、彼が阿知賀次鋒、松実宥の特性をまだ見抜けていない、という点だけだった。Aブロック準決勝においての違和感。僕はそれを見逃さなかった。おそらく、彼はぶっつけ本番で対戦相手に臨みたかったのだろう。
 僕は、阿知賀、松実宥の特性を知っている。これは、麻雀打ちとしての強さになるのだろうか。先鋒戦、清澄の傀もそうだった。他の三人の特性を理解し、利用していた。それが強いと言えるのだろうか。
 それが麻雀の魅力なのか。僕は、その魅力にとりつかれたから、今も麻雀を打っているのだろうか。

南4局 親 積倉 ドラ 7索

宥(南家)      95700
鉄壁(西家)     96600
染谷(北家)     94900
積倉(東家・親)   112800

 

「ツモ…4000オール…」

 予想通り、彼はツモあがりを見せた。だが、その形は彼が望んだ形であっただろうか。

積倉 手牌

三四五③④⑤3467888 ツモ 2索

 一発も無く、赤牌も三色も無い。これが満潮のツモあがりか?違う。これは、満潮の読み間違えだ。
 阿知賀、松実宥。赤い牌が集まるという彼女の特性はもはや異能と言っていい。妹の松実玄程の絶対性はないけど、その力は場全体に影響を及ぼしている。少なくとも、僕の支配色の定義をある程度は捻じ曲げている。
 であるなら、積倉の満潮の哲学にも歪みを生じさせるはずだ。
 読み間違えが発生した場合、打ち方自体ににも間違いが出てくるはずだ。積倉は潮の状態に合った打ち方をする。逆に間違った打ち方をすれば、流れは変わる。
 積倉は崩れ、そして流れを掴めれば……。

 だけど、そんなことをして勝ったって言えるのか。まるで不確定要素の大介を現場に置いているかのようだ。今回だって、たまたま阿知賀、松実宥がそこに居たから起きた現象じゃないのか。
 馬鹿な…。自分が納得できる場ならいいのか?
 だめだ、今は考えることが出来ない。今は、この状況で一応はチームに貢献するように打つしかない。僕だけの試合では無いのだ。
 これが、麻雀だっていうのか。




南4局一本場 親 積倉 ドラ 八萬

宥(南家)  91700
鉄壁(西家) 92600
染谷(北家) 90900
積倉(東家) 124800


9巡目 鉄壁 手牌

 三三三六八④⑤678発発発 ツモ ⑥

(役牌暗刻にドラ1……。やはり、満潮の読み間違えはあったと言っていいだろう。だが、完全に流れが消えたわけでも、その流れがごっそりこっちへ来てくれたとも思えない。ここは)

 鉄壁 打 発

(三萬切りの七萬待ちでも、六萬切りのドラ単騎でもない。ここは、まだ受ける)

10巡目 宥 手牌

四[五]③④[⑤]⑧⑧44[5]566 ツモ 七萬 

(赤土先生の言っていた『満潮』……。でも先生の言った通り、手は来てくれた。【読み間違い】はあったんだ)

 打 七萬

「チー」

 鉄壁は宥から切り出された七萬を鳴き、打発。次巡二萬をツモり、残りの発を河に置いた。

西家 鉄壁 手牌

二三三三④⑤⑥678 チー 七六八

 河に連続で並んだ三つの発を見て、宥はまた晴絵の言葉を思い出した。

(先生の言っていた【爆守備】……先生は、彼の打ち方を良く観ておくようにって言ってたけど…)

 同巡、染谷から一萬が切られ、そして積倉から四萬が切られた。

(ん…同巡でアタれない…。嫌な所で一萬を切ったな清澄)

 次巡、鉄壁は五萬をツモり、打二萬。
 だがさらに次巡、鉄壁のツモは六萬。彼は手を止め、小考した。

西家 鉄壁 手牌

三三三五④⑤⑥678 チー 七六八 ツモ 六萬

(現在支配色は萬子…。好調者の和了牌も萬子になる筈だ。この六萬は、阿知賀のアタり。僕の予測なら、流れは、満潮を止めた原因である阿知賀に行くはずだ。この牌は先ほどの鳴きで喰いとった結果だ。なら…)

 彼はその六萬で待つことを選択し、全ては彼の理論通りに運んだ。

「ツモ!600・1100!」

鉄壁 手牌

三三三六④⑤⑥678 チー 七六八 ツモ 六萬

(私の和了り牌が、止められている…)
 宥の三、六萬待ち…それらをかわした上での和了という結果。彼女は身震いした。

(なんちゅー受けじゃ…)

 一方、染谷はそのアガりに感嘆した。結果として現れたのは不可解な受け、和了であり、形だけなら彼女が時として行う非論理的な打ち回しに近いが、実際はそうでは無い。感性、感覚では無く、思考に思考を重ね、己が掲げる論理を信じる、哲学の麻雀である。

前半戦終了

宥   91100
鉄壁  94900
染谷  90300
積倉  123700

「なるほど、赤い牌ですか……。てっきり萬子と中だけかと思っていました…」

 積倉が呟いた。

(気付いて、しまったか……。いや、半荘三回も打っていれば、さすがに彼なら気付くだろう。でも出来るなら、後半戦の最中に気付いてほしかった。それなら、体制を立て直す前に……)

 そう鉄壁は思ったが、すぐさまその考えを否定した。そんな積倉に勝っても勝ったと言えるのか。再度その考えが過ったからだ。

(それより…)

 彼には気になることがあった。積倉の個人戦への不参加。その理由を彼に訊こうと席を立った。

「積倉君、一つ訊きたいことが…」
 鉄壁の言葉を遮るように、積倉は言葉を挟んだ。
「すまない。あなたの言いたいことはわかります。ですが、その質問には、今は答えたくありません。今は、この試合を楽しみたいのです……」
「僕が何を訊くのか、わかったのか?」
「表情を見れば、おおよそは」

 鉄壁はそれ以上踏み込むことはしなかった。自分が臨海の人間であり、積倉が白糸台の人間。答えたくない、の一言でおおよその察しがついたからである。彼はそうか、とだけ言い残し、舞台を降りた。
 試合が終われば、積倉は答えてはくれるだろうが、しかし、この大会は何かがおかしい。彼はそう思う。だが、同時にこうも思っていた。自分達のような人間は、ただ打つことしか出来ないし、そうしたい。余計なことに関与せず、考えもせず、ただ純粋に打つ。それでいいはずなのだ。
 彼は廊下で宥を迎えた阿知賀のメンバー達に目をやった。『ああいった温かさ』が普通なのだ。自分達にはそれが無い。誰もかれもが自分の目的だけで打っている。これは、団体戦だというのに。

(出来るなら、ああいったメンバーと一緒に大会に参加したかった。ここは…冷たすぎる……)





「前半戦、お疲れ、宥」
 赤土晴絵は、労いの言葉と共に自販で購入したホットのココアを渡した。
「あ、ありがとうございます」
 宥は、晴絵の予想通り、積倉の満潮の読み間違いがあったことを話した。
「うん。そのようだね…。臨海にあがりを喰われちゃったけどね」
「後半は、準決の時のように白糸台は崩れてくれるでしょうか?」
「いや…気付いたみたいだからそれは無いと思う。出来れば後半戦に気付いてくれればよかったんだけど、そこらへんがさすが、と言ったところだろうね。……このまま行くと、私の予想は当りそうだね」
 晴絵は軽い笑いを交えて言った。しかし、その表情は晴れやかなものでは無かった。
「温かい牌が……消えてしまうこと、ですか…」
 宥は恐る恐る確認した。
「白糸台……積倉手数が宥の特性に気付くのが後半戦だったら、それも無かっただろうけど、もう彼は間違いなく、正確に宥の特性を理解しているだろうね。正確に理解さえすれば、正確な満潮打法を駆使して、確実な満潮を造る。それが彼だよ」
「よく…知っているんですね」
「あんた達の対戦するであろう相手は、ちゃんと隅々まで調べているよ。先生だからね。あと、飲みなよ。あったかいうちに」
 晴絵は、渡したホットココアを、まだ宥が口をつけていないことを見て、言った。
「あ……ありがとう…ございます……」
 宥は一口だけそれを啜った。
「………前にも言ったけど、この決勝は、臨海の鉄壁保のする麻雀をよく観察して」
「はい……」
 積倉の完全な満潮が始まれば、宥は【赤い牌】を失う。それは、積倉の麻雀が、かつて赤土晴絵が対戦した小鍛治健夜のものと同質のものであることから導き出した結論である。
 これまで築き上げてきた経験、努力、自信、熱意。ありとあらゆるものを剥いでいく麻雀がそれである。建てた家を破壊されるように。着ている衣を剥がされるように。残るのは、ただただ冷たさだけ。松実宥は、そういったものと戦わなくてはならない。
「先生は、一度だけ小鍛治プロから直撃を取ったことがあるんですよね。それと同じことは、私には出来ないんですか?」
 宥は数日前、晴絵にそう質問した。赤土は否定した。
「あれは対策と呼べるものじゃ無いよ。ペテンに次ぐペテン。異能者の思い込みや絶対性の隙を突いただけのもの。一回しか使えないし、何より意味がない。宥には出来ないし、してほしくない。それにそもそも、積倉は小鍛治プロや宥達のような異能によってあの流れを造り出しているわけじゃないから、たぶん通用しないだろうし」
 しかし、晴絵が宥に示した対策というものも、対策と呼べるほどのものでは無く、論理性の無いものであった。
 結局の所、晴絵は積倉に対する直接的対応策を見つけることが出来なかった。
 晴絵は、宥が決勝で同卓するであろう相手に目を光らせた。少なくとも臨海が勝ちあがってくることは想像に容易く、その次鋒、鉄壁保の麻雀を調査し、そこに打開策を見出した。
 晴絵は、この決勝が始まる何日も前から、宥に、臨海の鉄壁保の対局の映像、牌符をいくつも見せた。鉄壁の麻雀の根幹には、例え不ヅキがあっても、それを真正面から受け止める、というのがある。それが、宥に訪れるであろう『寒さ』を克服する後押しになる。晴絵はその一点に可能性を見出した。
 赤い牌を失う。晴絵はそのことを宥に告げることに躊躇いがあった。その言葉を聞いた後の彼女の不安げな表情がその理由の解答であった。しかし、彼女には知っておく必要がある。たったの一半荘。それが、きっと彼女にとって大切な半荘。
 彼女の母がどのような麻雀をしていたのかは当然晴絵も知っている。彼女がその血を受け継いでいるというのなら、『赤い牌』の彼女の麻雀には先がある。そう晴絵は読んだ。
 そして、宥自身予感はあった。もし赤土の言うように赤い牌が消失するとしたら、どのような手牌が自分に降りてくるのかということを。
 それは、かつて彼女が恐怖した、母の最期の手牌。

「お姉ちゃん」
 晴絵との話を終えた宥に、玄が話しかけた。
「お母さんの手は、冷たくなんか……なかったよ」
「……でも……玄ちゃん…」
 宥は否定した。自分がかつて見たもの、触れたもの、あれは紛れもない氷だったのだ。
「ううん…」
 それでも玄は続けた。母の手は、冷たくなんかなかった。
「もし、お姉ちゃんの言う通り冷たかったとしても、たぶんその冷たさには先がある…」
「冷たさの…先?」
「そう……うまく言えないけど、お姉ちゃんにもしそれが訪れたら、きっとわかる…」

 宥は、わかった。とだけ言って、一口しか口をつけなかったココアを玄に渡し、舞台の方に歩を進めた。
 
 玄に渡されたそれは、もう冷たくなっていた。

 



後半戦

積倉(白井台)   123700
染谷(清澄)    90300
鉄壁(臨海)    94900
宥(阿知賀)    91100


東1局 親 積倉 ドラ ⑦筒

積倉(東家・親)
染谷(南家)
鉄壁(西家)
宥(北家)


 後半戦が開始された。
 前半戦、トップで抜けることが出来た積倉であったが、その起家、手牌には覇気が無かった。

8巡目 積倉 手牌

四五五六七七1234567 ツモ 五萬

 1、4、7索のいずれかを切れば聴牌。しかし、その形は五、七萬の悪形のシャボ待ちである。満潮の香りのかけらも無く、典型的干潮の形。
 付け加えると、もうその段階で他家の三人はそれぞれ一鳴きをしており、既に聴牌気配を放っていた。三人は三人とも、積倉の満潮が途切れたのを察し、攻めに転じていた。

(さすがに、干潮スタートに戻ってしまいますか…。ですが、完全な干潮と言うわけでもないですね)

 そんな状況に置いて、積倉は微笑む。満足である、と。

(親リーチが打てる贅沢!)

 彼は1索を切り、リーチを選択した。ブラフぎみのリーチ。
 対して、三人の攻めは優秀だった。

南家 染谷 手牌

一二三②③789北北 ポン 発発発

西家 鉄壁 手牌

二三四六八⑥⑦⑧22 チー 768

北家 宥 手牌

一一③④[⑤]4[5]中中中 九九九


 同巡、染谷は七萬をツモる。満潮が過ぎ去ったとはいえ、トップ親のリーチ。彼女は積倉の捨て牌を観た。

積倉 捨て牌

北一2①中二
⑤1(リーチ)

(さすがにこれは打てんのう…)

 彼女は現物の北を選択。
 同巡、鉄壁の番。ツモって来たのは6索。

(打てない…。少なくとも、僕が攻めれる局では無い)

 彼も降りる。現物の打2索。
 そして同巡、宥にはドラの⑦筒が訪れた。

(ドラ…。清澄も臨海も降りたから、本来なら私が行くべき、なのかな…。でも、一発目にこれは切れない…)

 宥も降りる。現物の一萬を河に置いた。
 そう。三人の攻めは優秀だった。だがそれは、現物を抱えた攻め、いつでも降りることが出来る、と言う意味での優秀さだった。
 故に、積倉に一人旅の機会を与えてしまった。それが彼の狙い。
 結果は流局に終わった。
 鉄壁は倒された手を見て、戦慄した。

(効果的だ…。間違いなくその戦術は効果的だ。今のは、哲学的には攻めるべきだったんだ。だけど、数学的には、というか常識的には攻めてはいけない。攻めることが出来ない場面を作り出してきた…このままでは)

 状況は彼の危惧した通りになった。次局も彼はまたも先制の親リーをかける。手の形は先ほどと同じように悪形。だが、またも彼は満足する。親リーそのものが贅沢、と。
 鉄壁の考えている通り、哲学的には攻めていい。しかし、常識的には攻めることが出来ない。
 哲学と常識の狭間にある者は、現在の状況でどちらかを選択する。三人にとって不運だったのは、確実なる逃げ道が存在してしまっていたことである。負けられない戦い。三人が安全を優先してしまうのは必然であった。

(だが……【手】をクリアされてしまう…。このままでは、また彼に流れが…)

「ツモ。2000オールは2100オール」

 積倉手数の【哲学】は、次第に、そして確実に三人の足元を浸し始めて行った。

東1局 一本場 親 積倉 (リー棒一本)

積倉  133000(+6300+1000)
染谷  87200(-2100)
鉄壁  91800(-2100)
宥   88000(-2100)


(さすがにこの局で何とかしなくては)

 東2局 二本場 ドラ 7索
 西家、鉄壁は宥から西を叩き、動いた。

 鉄壁 手牌

 11157888発発 西西西

 5巡という早い段階で張ることが出来たが、表示牌の6索待ち。捨て牌にも染めを臭わせている分出あがりは期待できない。満潮を作りつつある積倉に抵抗できる待ちだろうか。鉄壁にとってそれは自信のある待ちでは無かった。

6巡目 積倉 手牌

七八①②③⑦⑨2228発中 ツモ ⑧筒

(嵌⑧筒のツモ…。また満ちてきました。ですが、対面の鉄壁さんが押し気味……イーシャンテンか、もしくは聴牌。飜牌を鳴かれては太刀打ち出来ない。だから一呼吸遅らせる)

 打、2索。彼は役牌に手をかけなかった。7、9索、もしくは九萬のいずれかを引き、2索が頭になった形が、飜牌を押せるタイミングと読んだ。
 しかし、次巡引いてきたのは赤の⑤筒。意外な牌であった。

(面白い。こっちを引いてきますか。と言うことは、彼女の【赤い牌】も引き始めていると読んでもいいかもしれませんね)

 基本方針に変更はないが、彼は先に飜牌の『中』に手をかけた。
 反応無し。状況が自分に味方し始めていることを彼は感じ取った。
 そして次巡7索ツモ。打赤⑤筒。

(支配色通りなら、和了牌は索子になるのですかね。鉄壁さん)

 積倉はトドメの九萬をツモり、予定通りの打発で、さらにリーチをかけた。
 鉄壁はその牌に反応する。
(間に合わないかもしれないけど)
 そう鉄壁は思った。

「ツモ。2800オール」

積倉 手牌

七八九①②③⑦⑧⑨2278 ツモ 6索

 結果は鉄壁の予想通り積倉のツモあがりで終わった。
 もし、発を先に打って鳴かれていたらもう中では勝負が出来ない。発か中、どちらが先かは不確定。その不確定要素が自分に傾き始めたら、それは満潮の兆し。

(何か…胸が苦しくなってきた感じが……)

 最初に変化を感じ取ったのは松実宥だった。準決勝の時や、前半戦の時に感じた満潮宣言前の感覚は違っていた。真の満潮は、徐々に彼女達を包みつあった。

 3本場 ドラ 五萬

 7巡目 積倉手牌

 二三四六七八九③④2388 ツモ 1索

 兆しは手にも表れてきた。満潮気味の形。だが、彼は即リーを自重した。

(おそらく、普段ならこの局で訪れていたんだろうね。でも、今は阿知賀がいる。松実宥によってもたらされた状況。それが今)

 次巡彼は②筒をツモってくる。リーチをかけていれば一発であった。

(でも、それは【間違った打法】。準決勝の時や、前半戦の時のように、満潮打法は崩壊してしまいます…。ここはツモらない。うつぼ打ちです)

 打 1索 

 海の穴の中に潜むうつぼのように、目の前の気に入った餌だけを目的とする。宥によってもたらされた『満潮のズレ』の状況に対する彼の修正策が、そのうつぼ打ちであった。
 次巡ドラの五萬をツモってきた彼は、八萬を河に置き、またダマを継続した。
(満潮は、完成前が肝心。ここは慎重に行きます)

「リーチ」
(ほら来た…)

 鉄壁からのリーチが入った。

鉄壁 手牌

三四五①②③⑥⑦⑧⑨⑨56

捨て牌

九北発89七
西①5(リーチ)

(もし危険牌をツモったら、あっさり現物の8索を落として穴から出ない)
 そう彼は考えた。

 宥は鉄壁の捨て牌を見て、ツモらずに小考した。

宥 手牌

⑤⑥⑦⑧⑧⑧1234679

(手が……冷たくなってきている……。先生の言った通り。ここで、ここで何とかしなくちゃ…)

 有はその5索をチーした。このまま【それ】が訪れてしまったら、本当に手は凍りついてしまう。
 恐怖が、彼女を走らせた。
 だが、その『鳴き』を見て積倉は微笑む。
(まわりの動きが自分に利すれば…)

「ツモッ!6300オール!」

二三四五六七②③④2388 ツモ 4索

(あっ……)

 宥は声を出しそうになった。
 今のは鳴いてはいけなかった。
 取り返しのつかないことをしてしまった。
 彼女は震えた。



東1局三本場 

積倉   161300(+18900+1000)
染谷   78100(-6300)
鉄壁   81700(-6300-1000)
宥    78900(-6300)

(まずいのぉ・・これはもう……)

 その局、染谷は自分の手を見て確信した。

染谷 手牌

二二四六六七八④⑤⑥456 五萬待ち

(あの手出しの八萬の時、恐らく六、七、八萬の形に五萬をツモっての打八萬じゃの。捨て牌を見るにフリテンリーチも拒否っとる。フリテンリーチならわしがあがっとった。さすがに『つかまれた』かのぉ…)

 圧倒的質量と、冷たさが迫ってくる。地の底から、それは這い上がってくる。

(何も……出来なかった…)

 唇を噛みしめ、鉄壁は目を閉じた。

(寒い…)

 宥の震えは強くなった。そして彼女は感じる。訪れてしまったと。


 その時、積倉は本日二度目となる『確認』をした。

「12時、14分……【満潮】…」


 四本場、その言葉と共に、彼は牌を曲げた。

「ツモ。16400オール」

三四五五③③④④[⑤][⑤]34[5] ツモ 赤五萬 ドラ 五萬 裏ドラ ④筒



東1局四本場 

積倉   210500(+49200)
染谷   61700(-16400)
鉄壁   65300(-16400)
宥    62500(-16400)


 後半戦、東1局にして、勝敗は誰の目にも明らかだった。





【解説室】


「決まったーーーッ!積倉選手、爆発の16400オーーールッ!これはもう他校は絶望かー!?」
 こーこちゃんの割れそうな声が部屋に響く。相変わらず、こーこちゃんの実況は抑揚が無いというか、ずっと上がりっぱなしで、聞いてるだけで疲れる。
「これはもう白糸台の優勝で決まりでしょうか?小鍛治プロ」
「あ、はい。さすがに今の役満は大きいですね。彼の言う、満潮の完成でしょう」
「でも、前半戦では宣言してもあっさり終わっちゃいましたよね?」
「あ、それは前半戦の時も言ったけど、松実宥選手の特性が彼の満潮打法にノイズを加えていたから。今はそれを考慮して打っているからそれもないです」
「てことは、結局小鍛治プロの期待していた鉄壁選手も、もう駄目な感じでしょうか?」
「彼も彼なりに抵抗はしていたようですが、さすがにここまでの流れを造られてしまうと、さすがに厳しいですね」
「おーと!ここに来てついに小鍛治プロの予想が外れてしまったー!意気消沈の残念顔をお見せ出来ないのが残念です!」
「ちょ、ちょっと予想って、あの時オンエアしてなかったよね!?それと、残念顔なんて言うのやめてー!」

 似ている。卓を包んでいる空気、雰囲気が、あの鬼の巣に。
 狩る者と狩られる者、奪う者と、奪われる者。
 今、積倉手数の造り出した流れは、他の三人を呑みこんだ。状況は、傀君や松実さんの生み出す状況に近い。対峙している三人は今、冷たさの中にいるはず。
 もしかしたら、松実宥がそれをすると思ったけど、どうやらそれもなさそう。妹の方が、母の血が濃かったのだろうか。

 私はいつか、あの状況に立ち向かわないといけない。
 あの人に勝って、これまで助けることが出来なかった人たちに対する罪悪感が祓われるとも思えない。でも、前に進むためには、そうするしかない。そんな気がする。
 
 局は進む。
 このまま、白糸台の優勝でこの大会は終わりを迎えるのかと思ったその時、状況は意外な方向に進んだ。





 もう、松実宥の『赤い牌』は無い。
 積倉が役満をあがり、5本場、6本場と連続で和了した頃には、もうその場の誰もが確信していた。勿論、彼女自身もである。
 赤い牌とは、単に赤色を含む牌が彼女に集まりやすい、というだけのものでは無い。彼女自身の手は勢い、覇気、そういった類のものは既に無く、凍りついていた。イーシャンテンどころか、リャンシャンテンになることも困難。そういう状況。
 彼女には触れる牌すらも冷たく思えた。触れた指さえ凍るような感覚。その冷たさは、腕、肩、首、胸と広がって行き、吐く息どころか内臓さえも凍る思いが、彼女を包んだ。

(寒い…)

 彼女の心の声すらも震えていた。
 赤土晴絵の予言は、訪れてしまった。

 二位との差ですら約20万の点差がある。まだ東場、南場と残っており、そもそもまだ次鋒であるが、積倉が見せつける流れは、他を絶望させるに十分であった。
 はずだった。

 積倉はその者の表情を見て疑問に思う。何故だ、と。
 松実宥では無い。彼女は震えている。
 鉄壁保では無い。彼の表情は硬い。
 染谷まこである。彼女だけ、この状況下において平然としている。表情にも、動きにも淀みは無い。

 何故だ。
 そう思いながら積倉は微笑む。興味深い、と。
 何故彼女だけ違うのか。それが知りたかった。
 これから彼女は何をするのか。それを見たかった。
 彼は期待を胸に、リーチ棒を場に出した。
(さあ。僕のこの満潮を、どうするんだい?清澄…)
 そのリー棒に対する染谷の答えは、鳴きでも、不可解な打ち回しでも無かった。
「リーチじゃ」
 追っかけリーチであった。

(リーチ……?張れる、というのですか?この状況で)

 次巡。ツモ和了をみせたのは積倉では無かった。
「ツモじゃ。4700・8700」
(な……に…?)

 あっさりと倒されたその手を見て積倉の表情は一瞬固まった。その手は、自分の手と殆ど変らない、満潮の形であった。
 偏りのない、純粋な両面の平和の形。
(偶然か?それとも…)
 彼はそれが偶然では無いことを、次局彼女に親倍を振った時に知る。
 その局も彼の勢いが落ちたというわけでは無かった。先制リーチも打つことが出来、待ちの形、手役の大きさ、共に異常は無かった。だが、ツモ和了ること無く、振り込んだ。不可解でも不自然な形でもなく、自然な形への振り込み。
(何が、起きている?)
 染谷まこの自然な和了。しかし、彼の哲学には無い不自然な状況。これはなんだ。彼は思考する。

 彼が思考するとほぼ同じころ、鉄壁はすでに答えを出しつつあった。
 鉄壁は、彼女の過去の試合を思い出す。その中で、この状況に近い対局を検索し、そしてヒットした。
 それは、長野県大会決勝の次鋒戦である。
 その次鋒戦は、先鋒戦、傀が作り出した圧倒的流れが、他校に移ってしまった対局であった。その対局では、染谷まこは20万点以上点数を吐き出した。
 彼女は、現在の卓上と似た過去の対局を引き出すことが出来る。そして、その状況に感性で対応できる。
 これは『既に経験した対局』。『つまりはそういうこと』。
 そう鉄壁は結論付けた。

(あの時に比べれば、今回は大したことはないのぉ。)
 鉄壁の推察は半分以上的中していた。だが
(あの時は『傀が三人おった』からのぉ…)
 染谷が経験していた『流れ』は、その三倍であった。
 満潮を作る『過程』は染谷はまだ経験していなかったが、満潮が生み出す結果は、既に彼女は経験していたのだ。

(この『流れ』は、場をかき混ぜて歪ませてっちゅうのは効かん。じゃが、自分もその『流れ』に同化できりゃあ……)

「ロンじゃ!36300!」

 海の底に根を張る生物のように、彼女に『満潮』は意味を成さなかった。

(これが……全国区ですか…・・・面白いです……本当に、実に興味深い……)

「ここに来て……良かった……」
 積倉は笑みをこぼし、小さく呟いた。


東2局 2本場 終了時

積倉(北家)   190800
染谷(東家)   125000
鉄壁(南家)   43500
宥(西家)    40700


(何てことだ……完全に見落としていた……)

 異能に偶然など無い。

(十分予期できた状況じゃないか……何故見落としていた…。ちょっと考えれば、満潮において起きる状況と、傀が造り出す状況は似ていることくらい分かるじゃないか。なら……何で『染谷まこが【傀】に負けた試合』にもっと注目しなかったんだ…)
 彼は積倉の弱点、穴ばかりに注視していた。そして【松実宥】という答えを見つけてしまった。見つけることが出来てしまったが故に、もう一つの答えを見つけることが出来なかった。
 彼は自嘲する。
 爆岡を攻略できたと天狗になっていた自分を。
 答えを見つけることが出来た自分を。
 だが、本当は自分はまだ何も見つけていない。
 自分は麻雀の二割どころか、一割も理解できていない。
 
「何が、『麻雀で一番強い奴』だ!」

 彼は心の中でそう叫んだ。
 彼は瞳を閉じ、ゆっくりと、深く呼吸した。
 その後、両頬を力強く叩き、開いた。

(………でも、今、何が大事なのかはわかっている。これから僕がどう打つか、それが大事なんだ)

 自分がこれからどう打つか、彼は既に答えを出している。
 その彼の目を、積倉は見た。

(雰囲気が……いや、空気が変わりましたね…。それも、彼の周りだけじゃない。場、全体の空気を変えました。これが……去年個人戦優勝者ですか……)

 東2局2本場。積倉と染谷の配牌は満潮のそれを表していた。
(これまで経験したことの無い現象ですが、どうやら満潮は二人居る、と思っていた方が良いようですね)
 積倉は打ち方を変えるということはしなかった。
 積倉は満潮後、染谷が和了した局を思い出した。染谷の待ちはどれも、自分が待っていた色と同じであった。彼は、鉄壁の支配色の定義から、自分も染谷も『好調者』であると結論付けた。
(つまり、僕の満潮は消えていない)
 二人の満潮において起きる現象は未知数だが、彼はシンプルに和了するものは、二人に一人、二分の一と推測した。
(点差は十分あるし。このまま進み、この推測を確かめに行くことにしましょう。してはいけないことは、自分から満潮を崩してしまうことです)
 その局も、二人は牌を曲げた。
 
(来た……。でもこの局、僕のすることは一つだ)

 そして鉄壁は、それを受けた。
 一枚、二枚、三枚と、彼は『壁』を河に造った。
 彼の河に並ぶのは『壁』『壁』『壁』。
 絶対に振り込まないという意思が、そこにあった。

 当然、ツモ和了を主流とする満潮打法に対してはまったくの意味の無い行為である。
 壁を造り、振り込まない意思を見せようとも、積倉や染谷はただツモるだけである。
 はずなのだ。

 だが、鉄壁の河には壁が並ぶ。
 次巡も、そしてさらに次巡も。
 積倉も、染谷もツモ和了を見せず、河には彼の壁が次々に並ぶ。
 まるで押し寄せてくる波を、防波堤が塞き止めているかのように。

(なんじゃあ……こりゃあ……)
(これは…面白い……)

 オカルトを超えたオカルトに、二人は驚愕した。

(意思……ですか……)

 積倉は、八崎真悟が去年、県予選個人戦にて優勝した際、WEEKLY麻雀TODAYのインタビューにて言った言葉を思い出した。

―――麻雀にあるのは流れなどではなく、意思だけだ。

 その言葉が意味している状況と、今の状況が同じものである、と言うわけでは無いが、意思の力は時として、麻雀の理を捻じ曲げることもある。そう、積倉は思っている。偶然などとは考えない。

(そう考える方が面白いですし、なにより楽しいですからね)

 流局。
 誰もが予想もしなかった結果が、そこにあった。

(助かった…。満潮が二人の状況下で起きる現象はまったく予想がつかない。なら、ここは…耐えるしかなかった。少なくとも、一人の独壇場は無くなったし、流れも完全と言うわけでは無いようだ…)

 彼はホッと一息付き、牌を手前に倒し、ノーテンを宣言した。

(今のは……【爆守備】……)

 凍りついた手を手前に伏せ、同じくノーテン宣言をした宥は、晴絵の言葉を思い出した。
(爆守備。それは吹雪を真正面から受け止め、それでもいつか過ぎ去るのを待つ、雪原に一人立つ針葉樹のようなもの。そう先生は言っていた)

 その局、血の出るような気持ちで打ち出された一つ一つのその牌は、切られたたびに宥の胸を叩いた。

(寒さの中を生きる……生きている……)

―――お母さんの手は、冷たくなんか、なかったよ……

―――その冷たさには、先がある……

(玄ちゃん……)

 頭に妹の声が過る。
 彼女の全身は氷のように冷たい。まるでかつての、そして『あの時』の母のように。
 だが今、胸の奥に、微かな温かさを感じ始めていた。

 冷たかった母。でも優しかった母。
 冷たい手。でも温かい言葉。
 冷たい風。でも、生きている命。

 冷たい麻雀。でも……母は……





 東2局 流れ3本場 ドラ 中 親 染谷

4巡目 南家 鉄壁 手牌

 ②②⑥⑦12567899 ツモ 3索

北家 積倉 捨て牌

⑧七六

東家 染谷 捨て牌

(積倉は索子に寄せている。清澄は、筒子…。僕のツモが索子……支配色は索子。二人満潮現象に歪みが生じている……)

 鉄壁 打 ⑥筒

 同巡 積倉 手牌

二四③④234[5]568中中 ツモ 7索

(さすがに、ちょっと潮が引き始めましたね)

 積倉 打 四萬


 鉄壁も、積倉も手牌を索子に伸ばし始めた。
 8巡目、先に聴牌したのは鉄壁だった。

112334567899② ツモ 2索 打 ②

(流れは、来ている……)
 3、6、9索の聴牌。手替わりもある手であり、当然リーチはかけなかった。
 次巡、彼は1索をツモり、選択を迫られた。
 2索を切り、九蓮を含む待ちにするか、待ちの数の多い9索切りを選択するか。
(清澄が9索を一枚切っている。積倉は持っているだろうか。どの道、アガリにかけるなら9索切りだけど……)

 彼は打2索を選択した。

(やはり、ここは32000が欲しい。ここは、チャンスな気がする……)

 1巡遅れて、染谷も聴牌した。

③④[⑤]⑤⑧⑧⑧白白白発発中 ツモ 赤 ⑤筒 打 中

積倉 手牌

2344[5]567788中中

 染谷から切り出されたドラ。鳴けば聴牌だが、彼はこれをスル―した。
(歪みのある状況では鳴きません。この手は門前で仕上げます)
 目的通り、彼は門前のまま手を完成させた。
 11巡目、彼は6索をツモり、打2索 聴牌。

344[5]5667788中中 

(う…打9索ならその2索を…)

 鉄壁に後悔の時間も与えず、染谷は④筒をツモり、打③筒で、さらにリーチをかけた。

④④[⑤][⑤]⑤⑧⑧⑧白白白発発

(これは攻めれる流れじゃ。臨海や阿知賀からは出んじゃろうし、ここはツモか、攻めてくる白糸台からの出アガリじゃろう)

 そして、鉄壁のツモ番。
 ツモって来た牌は、3索。
(まずい……。打ち取っていた2索……ツモっていた3索……清澄のリーチ……一度あがりを逃した上に、この3索はおそらく積倉のあがり牌……)

 彼は2索に手をかけた。

(後手を踏んだ。ここは、九蓮を崩す!)

 そもそも、この局にもう自分の和了は無い。そう鉄壁は受け入れた。
 しかし、次巡、染谷から5索が切り出される。

(ん…、まだ手はあるか…)

「チー」

鉄壁 打 8索

1113356799 チー534

 あがるための鳴きでは無かった。あくまで目的は積倉のツモをずらす。それだけであった。

(今の鳴きは…おそらく正解ですね)

 その通りであり、次巡に本来なら彼はツモ和了を決めていた。
 掴んだのは染谷まこ。9索。
(流れを、信じすぎとったかのぉ)
 悪寒はあったが、彼女は切るしかなかった。

「ロン。8900……」
 あがったのは鉄壁。

(頭跳ね、ですから倒せませんか……。これは、取られましたね……)


東2局 流れ三本場

積倉(北家)    191300
染谷(東家)    116600(-8900)
鉄壁(南家)    52900(+8900+1000+1000)
宥(西家)     39200


 その和了は、彼女…松実宥にとって決定打だった。
 たとえ不運に見舞われても、自分のミスによって流れを失っても、折れない。
 その闘牌は、強く彼女の胸を打った。
 ドクン。
 大きな音が、胸の奥で鳴った。そんな気がした。
 殻が今、破れた。
 奥から溢れてくる温かさの潮流が、彼女の全身に広がって行く。
 その熱と共に、彼女の頭の中にあった、キーワードが一つずつ、繋がっていった。

 冷たさ。
 温かさ。
 母。
 生命。
 麻雀。
 そして……


 東3局、流れを掴んだ鉄壁は連続で和了を見せた。
 積倉からも二度直撃を成功させ、その点を10万まで戻した。
 そんな中、宥はじっと耐えていた。凍ったままの手牌を抱えて。
 そして待っていた。
 だが、それは鉄壁のように寒さが過ぎ去るのを待つ、と言うだけものでは無かった。
 
 命を刻む時。
 その時を、静かに、ただじっと待っていた。

 そして、東3局三本場、『その牌』がついに、河に置かれた。


「ポン!」


 彼女は………哭いた。



 牌が、青白く閃光った。



 染谷まこは、目を見開き、彼女を見た。



 それは、まぎれもない『竜』だった。




 哭きの竜が、そこにいた。










[19486] #39 DUVET その3 -Gold Experience-
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/04/25 18:56



 宥へ…



 あなたがいつの日か訪れるこの『手』に、真実を記しておきます。
 私は、最低の母親です。
 私は、弱い女です。
 私は、卑怯な人間です。
 
 私は、あなたが生まれるずっと前から、お父さんと出会うずっと前から、裏の世界で生きていました。
 父も、母も殺されて、残ったのは私の命だけ。
 私は、私の運だけで生きるしかありませんでした。
 運以外の全てを失った私は、その世界では何一つ語りませんでした。
 ただ、打つ。ただ、勝つ。それしか、道は無かったのです。
 その世界の人たちは、何一つ語らず、ただ勝ち続ける私を『男』として見ました。
 ドラに愛される私のことを『竜』と呼び、誰もかれもがその幻想に振り回されました。
 そこに居たのは、竜と言う男の幻想だけだったのです。

 その世界が、嫌でした。
 誰もかれもが下らない幻想に振り回されて、命を奪う。命を落とす。命を賭ける。
 誰もかれもが『男』を売り、『男』に憧れ、『男』に生きる。
 それが、極道でした。
 そんな世界で、唯一私を女として見てくれた男性がいました。
 あなたのお父さんです。
 あの人は私に表の道を与えてくれました。私は、プロ雀士になりました。

 裏の世界が私を手放す、ということにはなりませんでした。裏の世界は、私ではなく、『竜』という幻想しか見えていなかった。
 ですが、裏とは違った表の世界は、私には新鮮でした。
 私は、表と裏の顔を持つようになりました。
 表の世界でも、私は勝ち続けました。
 最初は良かったのです。充実感もありました。大きな大会にも出て、色々な方にも出会って、様々なことを学びました。
 そしてあなたが生まれ、思ってもみなかった家庭的幸福が、私に訪れたのです。
 ですが、そんな日々もいつしか崩れていきました。誰もかれもが、私を怖れるようになったのです。
 人は私を『氷のK』と呼び、避けるようになりました。
 あなたも、私が抱くたびに泣いていました。
 そして玄が生まれ、私の生活はますます多忙になりました。出産してから数日もしないうちに裏で打ち、表では記者たちの取材。
 そんな私に、そんな私に対して、あの人は、「今日も頑張れよ」って。
 私の中の、何もかもが凍りつきました。
 あの人の優しさは、見せかけだけのものだった。
 使える『道具』としてしか見ていなかった。
 あの人が幻想に惑わされなかった理由がそこでわかりました。
 あの人は氷だったのです。完璧なる現実主義者。自己の利を考え、冷徹に他者を利用する。それが、あの人だったのです。
 私が傷つくことを言われても、それが重要なことだったとしても、あの人は何も感じない。
 私は、全てを失いました。

 『私』には自信がありました。歴代唯一の国内無敗雀士だったのです。その自信が、私を『裏』に足を運ばせました。
 そこに居たのは『竜』だったのです。
 『私』は『竜』に会ったのです。
 
 ですが、それは真実ではないのです。
 私は、私の中で『竜』を作りました。
 『竜』を想い、生きるようになったのです。それしかなかったのです。
 そして、最悪のことを私はしました。
 私が表と裏を作ったように、あの人を、夫を、二つに分けたのです。
 私を傷つけた、氷のあの人と、理想の夫『竜』の二つに。
 そして生まれたのが、竜司です。あなたの弟です。あなたには、弟がいます。
 そして、『竜』は消えました。
 裏の人たちは竜司を『竜』の生まれ変わりと思い込み、私から引きはがしました。
 
 私は、自分で作りだしたものさえ失い、生んだものさえ奪われました。
 私は最低です。
 夫もいる。あなた達もいる。なのに、私は自分には何もないと独りよがりの絶望に浸っていました。
 私は、欲しいものしか見えなかった、自分勝手な人間です。
 それが、その凍りついた『手』が、『本当』の私なのです。






 伝わってくる。
 お母さんの声、悲しい声が、『手』から伝わってくる。
 こんな不思議なことが、この世にあるなんて。
 この『手』は、母が最期に打った対局の、オーラスに訪れた配牌。
 その日風邪で学校をお休みしていた私は、その対局を後ろで観ていた。
 
 私はお母さんが好きだった。でも、怖かった。
 違う。私はお母さんが怖かった。でも、失えなかった。失うことは、もっと怖ろしいから。嫌いになることが、出来なかった。
 だけど、優しかったし、言葉は、温かかった。
 やっぱり、私はお母さんのことが、好き?
 私も、お母さんと同じ。自分がどっちなのか、わからない。

 お父さんは、お母さんが死んでから、変わった。
 あんなにも冷たかったお父さんだけど、変わった。
 まるで、光は影と共にあるように、お父さんの冷たさには、お母さんが必要だったのかもしれない。
 好きにはなれないけど、今は嫌いでもない。
 
 清澄高校副将、甲斐竜司君。その子が、私の弟。
 同名というのもあるけど、長野の方達と打った時に教えられたし、赤土先生にもビデオを観せてもらったから、すぐにわかった。
 前々から予感はあったけど、今、繋がった。
 あの人は、お母さんの子。まぎれもない、大切な。
 あの人も哭いていた。

 今ならわかる。
 お母さんは、冷たくなんか無い。
 寒さの中を必死に生きる、温かい…違う、熱い命だった。
 お母さんも、哭いていたから。

 先生の言った通りだった。
 臨海の、鉄壁さんの麻雀を観ていたから、気付けた。繋げれた。
 原村和さんと打った時や、爆岡さんの麻雀を観た時、私は震えた。あの人たちは、まるで機械のような麻雀を打つ。
 でも、鉄壁さんは、その寒さにじっと耐える人。先生の言葉を借りるなら、まるで針葉樹。
 植物。お母さんも、花が好きだった。
 今、花が咲こうとしている。


 本当に温かいものは何か、それがわかった。




 私は、哭いた。

 私も、哭く。

 この冷たい『手』に、命を刻むために。







 牌が、青白く閃光った。









 お母さん。ごめんなさい。



 お母さん。ありがとう。




 お母さん。さようなら。



















――― ツモ   嶺上開花   緑一色  












































































 次鋒戦が終わってから暫くして、一つだけ、気になることがあった。



 次鋒戦終盤、私は母の最期の対局を思い出した。
 それは麻雀教室での対局。
 その時、母の対面にいた女の子。




 あれから、もう何年も経っている。
 


 普通なら、そんなことは無いはず。



 でも、その子は今……白糸台の大将……。



 岩倉 玲音 




 あの子は、いったい……


 








[19486] #40 『インターハイ』 その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/07/24 05:27
 私の両親は、私が幼いころ既に亡くなっていて、私の面倒は祖父がみていた。
 祖父は代打ちとしてかなり有名な人で、東と西に分かれての裏の大会、東西戦の東側の主将でもあった。
 私が竹ちゃんを知ったのは3年前の春、その東西戦で。竹ちゃんも東側だった。
 そしてアカギ君のことも、あの時初めて知った。
 東西戦の最終戦は、インハイの団体戦に近いルールで行われて、二対二の半荘5回形式。祖父が先鋒、竹ちゃんとアカギ君は大将。
 結果は東側の勝利。かなり一方的な内容だった。私は見ているだけだったけど、仮に私が入るというハンデを加えたとしても、たぶん勝っていた。それくらい。
 その時のアカギ君の打ち回しはとても印象的で、その『悪待ち』を真似してみたら、とても自分に馴染んだ。その打ち方は、インターミドル個人戦で結構良い効果が出て、地区大会ではあったけど、このまま全国に行ける感触はあった。
 でも三回戦の途中、祖父の死の知らせが入った。今思えば、美穂子には悪かったとも思う。けど、私にとって祖父はそれ程の存在だった。私の唯一の育て親だったから。
 祖父は関西共武会によって殺された。当時の首領は、海東武。
 祖父は遺言を残していた。その遺言の中に、私のことが含まれていた。竹ちゃんに、私の面倒を見るようにという内容。
 私の性は竹井に変わり、それまでの私の経歴は全て書き換えられ、上埜久という人間はその身体と名前だけを残して、死んだ。通っていた中学校に関しては転校ということになっている。上埜という性はそれほどまでに大きい。
 
 普段そんな面倒は引き受けないであろう性格の竹ちゃんだったけど、祖父の存在が大きかったのか、それとも死んだ人間の願いだったからなのか、私を傍に置いてくれた。形としては、妹の私が勝手について来ているというもので、周りにもそう言っていた。私はそれで構わなかったから否定しなかった。
 竹ちゃんの生活は基本ホテルを転々とする生活。生活費は雀荘で稼ぐ。勝ち過ぎず、致命傷を与える前に逃がしてやって、回復を待ってまた少し勝つ。私は竹ちゃんのようには勝てなかったけど、近くのカプセルホテルに泊まる程度の稼ぎは出来た。負けが込んだ時は、竹ちゃんが貸してくれた。ちゃんと返した。
 そういった生活に慣れてきた頃、フランケンに出会った。その日から、たぶん私の人生は加速したんだと思う。行った雀荘という雀荘から尽く出禁を喰らって、街に留まれる期間は格段に短くなった。日本中を旅することになって、それはまさに旅打ちだった。
 その旅打ちの中で色んな人に出会い、色んな事が起こった。ワニ蔵やエトちゃん、靖子に安永さんらのような裏にも通じてるプロ雀士、そして、傀君や竜君と知り合いになったのもちょうどその頃。

 レネゲの麻雀大会を終えた後、私達は別れた。あのまま引退した竹ちゃんについていくことも出来たけど、私も私の道を歩みたいとその時思った。
 きっかけは街頭ディスプレイに映った麻雀の試合。春季大会。『団体戦』。裏ではなく表。多くの人の目に映り、ノーレート、言い訳の訊かない場所。私は、その場所で全国を目指したい。三年前、私は東西戦に参加できなかった。もしあの時私も参加していたら、一体どんな感動が待っているんだろう。そう思ったらもう足が動いていた。
 私は故郷の長野に帰り、全てをそこから始めた。レネゲの件で沢山の金は手に入ったけど、竹ちゃん達程ではなかったし、新しい部屋やら家具やらで殆ど吹っ飛んだ。風越や龍門渕に行く資金も無くて、選択したのは清澄。
 約一年間学生生活を送っていなかったからの反動なのか、学生生活が物凄く楽しかった。人との繋がりを楽しんでいたら、いつの間にか学生議会長になっていた。それくらいに。
 でも麻雀部の方はからっきしで、もともと廃部寸前だったのもあるし、県内には風越をはじめとする強豪校の存在もあって、入りたがる人も少なかった。仮に入っても長続きする人は少なかった。まこが入って来てくれた時は、本当に嬉しかった。
 私は学生生活を送りながら、休日、空いた時間を見つけては日本中の多くの雀荘を巡った。校内に居ないなら、校外。勿論無謀なことはわかっていた。雀荘に姿を見せる学生は昔に比べたら増えたにはしても、その比率が高い訳では無いし、高校生となるとさらに幅が狭くなる。加えて、転入手続やら何やらの面倒を越えなくてはならない。でも私は、やれるだけのことをやりたかった。
 三年の春、最後の年。傀君と竜君が来てくれた。誘ってはみたけど、一番来ないと思っていた二人。次に京太郎君。これは風越の原村さんの存在が大きかったかも。街頭ディスプレイに映るインターミドルチャンピオン、彼女に一目惚れして麻雀を始めたって言っていたし。
 そしてアカギ君。京太郎君がカモ仲間に出来ないかと勘違いしての勧誘、という形だったけど、彼とは三年ぶり、東西戦以来だった。全国の雀荘、多くの賭場を廻っても、彼と会うことは無かった。清澄に入学していることも気付かなくて、もしかしたら普段は鶴賀のモモちゃんに近い存在なのかも。
 
 私の目的は、三年目にしてようやくスタートラインに立てた。
 そこからは、何もかもが楽しい、幸せの日々だった。この大会が終わったら、もう死んでもいいって思えるくらいに。
 でも今ここに、私の想像を超える、夢にも思わなかった状況が存在した。
 インターハイ決勝、中堅戦…。
 竹ちゃんと、フランケンと打つ…。


次鋒戦終了

阿知賀 143000
白糸台 109300
清澄  75200
臨海  72500





 次鋒戦を終えた後、僕と積倉は控室に戻らず、喫茶店に足を運んだ。彼からはいくつか訊きたいことがあったからだ。彼もそれに応じてくれた。

「まぁ…とにかくお疲れ様ですね…」
「ええ…まぁ…」

 悪夢は後半戦、東三局3本場から東四局1本場まで。その全ての局で松実宥は緑一色を和了った。
 僕は昔テレビで見た『氷のK』の対局を思い出した。彼女の作りだした状況は、彼女達の母『氷のK』の作りだしていた『それ』そのものだった。
 彼女が役満を和了する一方で、こちらの手は凍り付いていた。積倉が言うには、白糸台のレギュラー候補に大星淡という一年がいるのだが、彼女の『絶対安全圏』に近い支配だったそうだ。
 東四局、そんな支配の中でも僕らは鳴かせまいと牌を絞っていた。しかし彼女は暗槓から手を進め、今度は四暗刻、四槓子含みの緑一色。
 そして一本場、全てが凍りついた天和含みの緑一色。役満の重複有りだったらとっくに勝負は決まっていた。
 おそらく、僕の人生が仮に100倍に増えたって、訪れることのない経験だ。積倉だってそうだろう。それほどまでに、あの半荘は僕らにとって忘れられないものとなった。
 力が尽きた、という考え方はオカルトだろうけど、松実宥が三度目の役満を和了った次局以降、場は平らになり、彼女は一度も和了らなかった。残りの局は僕と清澄の和了り合いという形で、彼女からも直撃は奪えた。
 でも、あの時は恐ろしかった…。とにかく恐ろしかった…。

「でもまぁ…中堅戦に関しては、あまり点差は関係ないんですけどね」
 僕はその言葉の意味を訊ねた。
「そうですね…。でもそのためには、まずこの『大会』のことについて話さなくてはなりません…」

 彼は語りだした。この大会の『裏』の姿…その知りえる限りを。
 そして僕はその話の全てを聞いた後、頭の中で整理した。
 重要なことは、3点。
 ・この大会において『個人戦』と『団体戦』では大きく違う。
 ・この大会で大きな『賭け』が行われている。
 ・この大会は『実験場』である。

 まず、麻雀界において個人戦と団体戦では注目度が天と地ほどの差がある。積倉が言うには、個人戦はおまけ程度のイベントで、団体戦こそ真の個人戦であるそうだ。
 団体戦に関しては様々な現象が発生する。学年による平均聴牌速度の違い、新道寺の鶴姫コンビのような団体戦専用異能者の現出など、注目度の高さは、そういった例も存在することが大きい。また、個人戦に比べ圧倒的に試合数が少ないのも、異能者を排出するシステムの一環だそうだ。
 
 異能者排出システムという大きな意味を持つ団体戦は、大きな意味を持つ故に、賭けの対象にもされる。野球賭博などが問題視された事件が昔あったが、それとは額の桁が違う。決勝の舞台で交わされる金額が億単位などざらだ。
 組同士の『決め』というのを麻雀でする場合、『代打ち』を立てて行われるのが殆どだそうだ。しかし、年々代打ちは減っていく傾向にあり、その『決め』を麻雀で行うことが困難になって来ていた、というのがこの麻雀賭博の背景にあるらしい。
 そのシステムを作ったのが、江藤という人物。江藤曰く、インターハイは日本で一番の高レート雀荘だそうだ。
 狂っている。そうでなくても、この大会には『触れたくもないゴチャゴチャでややこしいもの』が渦巻いているというのに…。

 この大会には異能者探し以外の『実験』の要素も存在する。この大会には未知の領域というものがあり、積倉が個人戦に出ない理由にも繋がっていた。
 彼が個人戦に出ないのは、『個人戦に出なかった選手は団体戦においての高成績繋がるのではないか』という推論の検証対象に彼が選ばれたためだ。個人戦に出たい気持ちもあったが、興味深い内容でもあったため、彼は応じたそうだ。具体的にわかっていたわけじゃないけど、そういったようなことが行われているのではないか、とは僕も思っていた。こっちのD・Dも『同じようなこと』をしている様子だったし。
 しかし、実際それを証明したのは阿知賀女子だったように思える。彼女達は一人も個人戦に出ていない。
 これから中堅戦が始まるが、次鋒戦の段階で、もうそう思えてしまうくらい、あの松実姉妹は異常だったのだ。
 
 その中堅戦、積倉は点差は関係ないと言っていたが、それには二つの意味がある。
 一つは、白糸台の中堅、竹井の実力がそれほどまでに高いという意味。
 もう一つは、その竹井と、こっちの中堅、フランケンにとってこの中堅戦が、完全なる個人戦になっているという意味である。

 本当に…触れたくもないゴチャゴチャで、ややこしい…
 






 引退していた竹井が勝負の舞台に戻って来ていた。
 レネゲでの勝つと負けるの狭間から生還した彼にとって、全ての日常は退屈でしかなかったのかもしれない。
 江藤の松坂潰し。竹井はその勝負に江藤の敵側、松坂側の代打ちとして参加した。
 松坂は莫大な資産を持つ一方でギャンブル狂である。その松坂の資産を根こそぎ奪う、というのが江藤の目的。
 名義上ではあるが松坂には千夏という娘がいる。彼女は旅打ちをしていたフランケンに出会い、彼の麻雀の強さを知る。そして千夏は、家族をかえりみない松坂を破滅させることを決心する。江藤と利害が一致した千夏は、フランケンを代打ちとして、江藤サイドで勝負に参加した。
 各々が50億を賭けた勝負。東風で一位だった者に1億を与えるという試合をひたすら繰り返す。そして誰かがパンクするまで続けるという内容。
 圧倒的強運、そして天性の感覚を持つフランケンであったが、竹井は他の二つの勢力を既に味方につけており、彼を包囲することで追い詰めた。一位を取らなくては金を得ることは出来ず、失っていく一方となってしまう勝負内容。1位を逃し続けたフランケンサイドは、全ての金を失った。
 しかし、千夏は自分の命を1億で売り、勝負の続行を申し出た。松坂サイドはそれを呑もうとはしなかったが、最終的にその勝負を受けることになった。D・Dの介入によって。
 松坂が千夏を名義上の娘、としているのには理由がある。それは血統の優秀さ故である。正確には彼女の実の父、現在議員である門脇大作の優秀さを買った。松坂は既に結婚していた門脇を選挙に当選させるために離婚させ、由緒正しい家柄の女性と結婚させた。一方松坂は、彼の妻を騒がせないために、その彼女と結婚をし、その娘、千夏と共に引き取った。
 D・Dから見れば門脇など劣性に過ぎない。しかし、千夏は紛うこと無き優性だった。優性が殻に閉じ込められていることを良しとしなかったD・Dは、その最後の1億勝負を買い、そしてインハイの決勝、その中堅戦をその舞台とした。関西共武会、白糸台サイドにも話をつけ、竹井を白糸台に潜り込ませたのは、彼の力であった。
 最後の1億勝負。フランケンが負ければ千夏は松坂、門脇の元に戻り、自由を失う。しかし勝てば、自由なれるということをD・Dに約束された。
 フランケンは受けざるを得なかった。竹井も不本意ながら受けざるを得なかった。D・Dの持つ『権力』に関しては、それだけ絶大なものだったのだ。
 
 照と積倉の活躍もあって、地区大会終了まで退屈の日々を過ごしていた竹井だったが、新聞で清澄の全国出場を決めたことを知り、驚愕した。その主将が久であり、アカギと、傀と、竜をメンバーに加えていたのだ。
 トーナメントのオーダーが発表され、清澄とは逆サイドであることを知ったが、彼は清澄が決勝まで来る確信があった。偶然にも、久は中堅。フランケンに勝つためには、三人で囲むしかない。一人では勝算が皆無であることを知っていた竹井であったが、『そこ』に活路を見出した。
 準決勝、インハイで初めて彼に出番が回ってきた。彼にとって『最後の一人』を選ぶチャンスはここしかなかった。千里山では無い。新道寺でも無い。『最後の一人』は阿知賀、新子憧だった。彼女が、もっとも利用しやすい打ち手だった。
『松実姉妹』の潜在能力、恐ろしさは当然竹井も知っており、阿知賀を残すのにはリスクがあったが、まず第一に、新子憧がフランケン攻略には不可欠だった。
 条件を確定するために、彼は点数を調整し、そして千里山の江口セーラを飛ばし、阿知賀を決勝の舞台に進めた。

 そして、舞台は彼の望む通りに完成した。




 メンバーの元に戻った宥であったが、その表情は固かった。
 自分はやれるだけのことをした。納得もした。その実感はあるが、他のメンバーのことを想うと、晴れ晴れとした気持にはなれなかった。みんなは、『アレをどう思ったのか』。その不安があった。
 メンバーの前に立つ。メンバーの目を見る。怖いと思われているだろうか。恐ろしいと思われているのだろうか。自分は、化け物と思われているかもしれない。その恐怖があった。
 しかし
「宥姉おつかれーッ!大トップじゃん!」
 真っ先に抱きついてきたのは憧、そして玄、そしてみんな。
 誰も、自分のことを化け物だなんて言わない。賞賛の言葉、温かい言葉が聴こえてくる。
 一生懸命打つ者を、誰が蔑むだろうか、怖れるだろうか。
 松実宥はただただ真剣に打った。彼女達は、しっかりとその姿が見えていたのだ。
 そう…
 ここが、これが阿知賀女子なのだ。彼女はそう実感した。
 そしてその実感と共に、涙が溢れてきた。

 




「安永プロ!?帰ったんじゃ?」
 解説室に再び姿を現した彼に、恒子は驚きの声をあげた。
「誰が帰るかよ。一人で先鋒戦の牌譜を検討していただけだ」
「仕事中ですよ~」
 彼女はからかう。
「うるせえ。ちゃんと次鋒戦は見ていたからな」
「いや、解説に来てくださいよそこは」
「それで…納得はしたのですか?」
 健夜が訊いた。
「まぁな…」
 安永は健夜の目を見た。その目は、何かが違っていた。
「まさかお前…」
「はい?」
「いや…なんでもない…」
 安永は追及を止めたが、健夜の目は、明らかに違っていた。
 その目には、何か目的があった。普段の、比較的力が無いように見える彼女の目では無く、意思を宿していた。
(まさか…しかしもうこいつは劉の所を離れたはず……)
 安永の不安は、こうである。

―――小鍛治健夜は傀と打ちたがっている

 もしそうなら、止めるべきだろうか。
 しかし、彼女の『事情』を知る彼は、あえて『そうだったとしても』止めるべきではないのかもしれないとも思っていた。
 小鍛治健夜は…知る必要があるのだ。
 いつかは『それ』を。




―――
――――
―――――

 中堅戦試合直前、健夜は一人化粧室に来ていた。



「あの…久しぶりです…健夜です……」




「すみません……劉さん……今晩、打てる人を一人用意できますか……」




「はい……。今晩、私は傀君と打ちます……」












[19486] #41 『インターハイ』 その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2014/01/27 14:56
 今日…たぶんフランケンが負ける…



 私は…どうしたい?



 私だって……フランケンが負けるのは見てみたい…
 麻雀の神様が本当にいるのかを知りたい。



 けど…ここはインハイ…
 一生に一度のお祭り……
 私だけの勝負じゃない…
 清澄のみんな…戦ってくれたみんな…
 みんなの気持ちを背負った勝負…



 でも……それでも私は……



 私にとってフランケンは…あまりにも大きすぎる……







「久ちゃんですか!?お久しぶりです!」

 フランケンは、対戦相手校をわざわざチェックする人間では無いため、久がその舞台に来ていることを、その時に知った。レネゲでの麻雀大会以来であり、役二年半ぶり。彼はそれを懐かしもうとしたが

「久しぶりね、フランケン」
 彼女の返答は淡白であった。
「え…」
 あまりにもあっさりした返答に彼は困惑した。
「ど…どうしたですか久ちゃん…。すごく、変わってしまったです」
 彼にとって久の態度は考えられないものだった。普段から明るく、そして気さくに振る舞っていた彼女はそこにはいなかった。
「今日は『敵』なのよ?馴れ馴れしくは出来ないわ。それに、そんな余裕、フランケンには無いんじゃないの?」
「うっ…」
 彼は言葉を返すことが出来なかった。
 それが事実であるのもあったが、それ以上に、彼女が冷たかったからである。彼女が纏っている空気は、何者も寄せ付けないかのような圧力と、冷たさがあった。

 これから行われる半荘二回。各々が座る場所は既に確定していた。
 インハイにおける場決めは、あらかじめ卓に置かれた四枚の風牌を各々が引き、そして債で決められる。フランケンは高確率で…というよりほぼ確実に起家を引く。起家自体を決めるのは座った後ではあるのだが、フランケンにとって東が起家を示しているかのごとく、彼は東を引いてしまうのだ。後は久が南を引き、竹井が西を引けば確定である。フランケンが場にいる以上、債はあってないようなもの。
 阿知賀女子に関しては、メンバーとの会話等の後に対局室に来るため、彼女より早く舞台に来ることは容易い。
 場決め用の牌は、舞台設置の準備をする人間が行う。竹井は既にその者を買い取っており、竹井、及び久は、場決め用の牌の並びを事前に知っている。
 東…タチ親のフランケンから、久、竹井、憧の順。久が竹井に喰わせやすく、竹井が憧に喰わせやすい。この並びは、竹井にとってベストの配置であり、これにより、フランケンに対する包囲網に近い状態を完成させることが出来る。

 場決めを終えた対局者は、既に卓に着いていた。

「おれが起家です」

 フランケンが起家マークを設置する。
 その卓には重々しい空気と…インハイに似つかわしくない『違和感』が流れていた。

(何?この空気…)

 阿知賀女子中堅…新子憧。唯一の『部外者』である彼女は、席に着いた時からその空気を感じ取っていた。

「本当にいいのかフランケン」

 竹井がフランケンに対して語りかけた。

「別におれは千夏の命が欲しいわけじゃない…ただおまえに『まいった』と言わせたいだけだ。ただし勝負を始めれば、おまえ達がどうなっても、そんなことは知らないぜ…」
「竹ちゃん…おれは情けないです…ちーちゃんを救う方法がわからんですよ…麻雀以外は…」
 彼は続ける。
「おれは今まで麻雀で勝つことによって生きてきたです…そしてこれからもそれ以外の生き方はできんです…おれには他のことはできんです……おれには麻雀しかないですから……だから……やるしかないです……」

 憧は彼らが何の話をしているのか全く分からなかった。
 彼らには彼らの何らかの因縁があるのかだろうか。しかし、彼女は切り替えた。彼らがどんな関係だろうと…自分のやることはたった一つ。『チームに貢献する』。ただそれだけである。
(玄と宥姉がくれたこの点棒…。大事にしたい…そして、灼さんとしずに繋げる)

 松実宥の麻雀は、憧にとっても怖ろしいものであった。というより、あれに恐怖しなかったものは、阿知賀の中にはいなかった。
 だが同時に憧はこうも思った。宥は自分達以上に、あの現象に恐怖しているのではないか。宥を温かく迎えた背景には、彼女のそういった考えがあった。
 彼女は真っ先に宥に抱きついた。
 準決勝の時も、次鋒戦を終えた宥に対し彼女は抱きついた。頑張った宥に対する賞賛と、抱きつくことで運が貰えるという、オカルト。だが、今回はもう一つ意味がある。宥がどんな存在になっても、自分達だけは味方…という意味が込められていた。
 
 彼女にとって、この中堅戦は負けたくないものであった。
 勿論、チームの意思を背負った試合であるというのが第一ではあるが、準決勝の中堅戦、その試合が彼女にとって屈辱的であったからだ。
 江口セーラに対する直撃の連続、という一方的な半荘の中、自分は何もやらせてもらえなかった。自動的に決勝進出が決まり、まるでそれは…『自分達はいつでも倒せる』と言われていたかのように、彼女は感じたのだ。


 この中堅戦においては、団体戦であると同時に、完全なる個人戦が展開される。
 半荘二回通しで、フランケンは区間一位を取らなくてはならない。逆に竹井は、その区間においてフランケンに一位を取らせなければ勝ちである。フランケンが敗北すれば、千夏は松岡、門脇の元に帰ることになるが、それは死を意味する。千夏の実の父、門脇が『千夏の自殺』をこの勝負を受ける条件にしたのからだ。
 千夏が戻ったとしても、松坂の家から逃げ出さないという保証はなく、また、門脇にとって千夏は邪魔な存在でしかなく、死んでくれることが最も望ましかった。殺すわけにはいかないので、千夏には遺書を書かせ、敗北したら薬を飲んで自殺することを約束させた。
 フランケンにとって、この半荘二回は、絶対に負けることが許されないものだった。

 そしてその勝負が、これから始まる。

中堅戦開始

フランケン(タチ親)・(臨海 三年)  72500  (0)
久・(清澄 三年)          75200  (0)
竹井・(白糸台 三年)        109300  (0)
憧・(阿知賀 一年)         143000  (0)

※()内は区間における収支




「ダブルリーチです!!」

 中堅戦前半戦。
 その始まりはフランケンのダブリ―からスタートした。

(は…早っ!)
 大きなモーションから、力強く牌を叩きつけたリーチでもあり、そもそもダブルリーチでもあり、その時憧は声をあげそうになった。

「ツモです!…ダブリ―ツモタンヤオ、オモウラ…」
「6000オールだろ」
 フランケンが指折りしながら点数計算をしている中、竹井はその解答を先に言った。
「まだ東1局だ。要するにトップを取らせなければいいんだろ」
 表情一つ変えず語る竹井を見て、憧はさらに場の異常さを感じた。しかし、その異常さは次局以降、さらに加速する。

東1局(親 フランケン)終了時

フランケン  90500  (18000)
久      69200  (-6000)
竹井     103300  (-6000)
憧      137000  (-6000)


東1局一本場 親 フランケン ドラ ⑨筒


「リーチです!」

 二連続ダブリ―は無いまでも、6巡目での早い段階でのリーチ。

東家 フランケン 手牌

一二三四五六七八北北北発発

「相変わらずねフランケン。聴牌したらリーチ…リー棒が無駄になるわよ」
「一発でツモってみせるです…」

南家 久 手牌

二三四六①②③⑦⑧⑨69中 ツモ 中

 久は手を進めようとせず、中をツモ切った。勿論、降りではない。

「ポン」

 鳴いたのは竹井。

西家 竹井 手牌

一一二三四⑦⑧666 ポン 中中中(上家ポン)

 次巡。フランケンは和了れず、ツモ切り。
 久の番が回ってきた。ツモって来たのは 九萬。
(これがアタリね。相変わらず、本当に一発で…しかも『高め』をツモるんだから…)
 彼女はその手から⑨筒を落とした。

「ロン。2000は2300」

 牌を倒したのは竹井。行われたのは、完全な差し込みである。

「こ…これはーっ!?清澄の竹井選手!面子から落として振り込んだぞー!これはいったいどういうことだーっ!?」
 実況の恒子も『分かっている』が、一応わからないフリをし、その答えを解説に求めた。
「ここまであらかさまですと、さすがに差し込みと思われますね」
 健夜はそのこと自体には大して驚かず、淡々と返した。
「え?小鍛治プロ…そういうこと言っちゃっていいの?」
「いや…さすがにここでプロがすっとぼけるわけにもいかねぇだろ」
 同じく解説の安永が答えた。
「今、イカサマの解析班が動いているはずです。通しのサインがわかれば、清澄と白糸台は失格になるでしょう」
 だが、試合を止めることは出来ないし、イカサマを解読できない以上は、清澄も白糸台も失格にすることは出来ない。
「まぁ問題は、そのサインが解析できるかどうかだが…」
「無理でしょうね。純粋な『読み』による差し込みという結論になると思います」
 健夜は即答した。
 三人とも白糸台の竹井のことは知っているし、清澄の久のことも知っている。二人の間で交わされるサインを解析することは、ほぼ不可能であることも当然知っていた。
 通しのサインは言葉に出したり、音を出したり、指で示し合ったりしなくても可能である。視線、ツモ牌の置く位置、打牌テンポ、飲み物の配置、それらを複合させるだけでも相当の数のサインを送ることが出来る。それらの動きは、麻雀を打つうえで『無くてはならない動き』であり、カメラを前にしても堂々と出来るものである。しかも彼らは局ごとに暗号のタイプを切り替えるため、ますます解析は困難なものになる。
 繰り広げられるサインの内容は、待ちの牌や欲しい牌だけではない。他家の手牌状況から、自分達が行おうとする内容など、細かい意思も伝えられる。
 旅打ちの中、フランケンがスタンドプレーで動くため、竹井と久にとっては、それらのサインは必要なものであった。
 そしてそのサインが今、フランケンに牙を向いている。

東2局、ドラは1索。5巡。フランケンはまたもリーチをかける。

北家 フランケン 手牌

111344[5]688中中中

しかし、竹井が憧から3900の直撃を奪うという形で終了する。
「リーチです!」
 東3局も同様。彼はまたもリーチをかける。4巡目。

西家 フランケン 手牌

二三四②③③④④⑧⑧234 ドラ ④筒

(ちょっとどういうこと?なんでそんなに毎局毎局、しかもそんなに早い訳?)
 フランケンの異常な聴牌速度の早さに憧は驚愕した。だが、異常事態はやはりそれだけではない。
「ポン」
 竹井は久からオタ風の西を鳴く。それ以降、憧は有効牌を引き続け、3巡のうちにイーシャンテン。決め手は竹井の打七萬。聴牌を手にした。

南家 憧 手牌

三四[五]②②⑥⑦⑧67 チー 七六八

「つ…ツモ…」

 まるで魔法にでもかかったかのように、次巡にはツモ和了。1000・2000。
(やはり…『分かりやすい』)
 彼女の麻雀は竹井でなくても、その性質を掴むのは容易い。アガリへの最速を基本とする、現代的な麻雀。喰い三色、喰い一通も早あがりの手段とした打ち回し。
『利用方法』はとてつもなくシンプル。欲しい牌を喰わせればいい。そうすれば勝手にアガリに向かってくれる。まっすぐ向かってくれるものだから、その手牌構成、行動パターンは竹井には透けて見えるに等しかった。
 東4局も『同様』。

南家 フランケン 手牌

一二三七八九①②③1299

 フランケンがリーチをかけるも、竹井も久も憧が欲しい牌を喰わせる。彼女は鳴く。彼女が新子憧であるが故に、鳴くしかない。
「ロ…ロン……11600」
 フランケンからの直撃。

④[⑤]⑥3477 チー 三二四 ポン ⑧⑧⑧(対面ポン) ロン 2

ドラ 7索

東4局(親 憧)終了時

フランケン   73900(1400)
久       65900(-9300)
竹井      109500(200)
憧       150700(7700)


(何…なんなの?これ…)
 不気味でしかなかった。異様でしかなかった。現在自分達はトップ。この和了で二位との差は約4万。なのに平然としている白糸台と清澄。自分達などいつでも抜かせると思っているのか。それとも、まったく別の意図があるのか。憧にはわからなかった。

「これって阿知賀も協力してるのでしょうか」
 恒子が解説に質問を投げかけ、そして健夜が答えた。
「違うでしょうね。純粋にあがりに向かう彼女を、白糸台と清澄が利用しているように感じます」
「だが、これであの二校を失格にするのが困難になったな。阿知賀とあいつらの間にはサインが存在しない。『通し』というイカサマの存在を立証することが不可能に近くなった」
「阿知賀との間で差し込み的行為がされた以上、阿知賀との間でのサインの存在も明らかにしなくてはなりませんからね」

東4局1本場 親 憧 ドラ 一萬

5巡目 西家 久 手牌

五④④④⑤⑥⑦⑧38999 ツモ 三

捨て牌

北発①二

 言うまでも無く、その局もフランケンは既にリーチをかけおり、言うまでも無く、竹井は喰いずらしをしている。

南家 フランケン 手牌

六六八八東東東発発発白白白

 4巡目、彼女がドラそば二萬を切っているのは、竹井の指示によるものである。
(これじゃ一萬を引いてきたら裏目じゃない。でも、今の竹ちゃんの集中力なら、たぶんこれは正しい。『流れ』通りならきっと、次巡私は一萬を引く)
 全てはその通りであり、次巡彼女は一萬を引き、裏目。さらに次巡に四萬を引き、久は打⑧筒でリーチを選択。『全て』竹井の指示によるものである。
(この捨て牌なら、阿知賀が一発で振り込む。竹ちゃんにはそこまで読めている)

7巡目 東家 憧 手牌

一二二二六七八⑥⑦5678 ツモ [5]

(『また』…聴牌させられた…って感じ。それにしても何なの?この人たち聴牌早すぎでしょ!)

 インハイ団体戦の性質上、三年の平均聴牌速度は一年と比べると早い、ということは赤土から聞かされてはいたが、彼らの速度は想定以上の早さだった。さらに、もし彼女が『フランケンの手牌』を毎局見ていたら、さらに戦慄していたであろう。
 憧の視点では、久の捨て牌を含めると二萬が四枚見えており、一萬が竹井の捨て牌に二枚見えている。前に進むために切る彼女の一萬は、比較的安全な部類に入る牌である。
 彼女は、彼女であるが故に一萬を切った。
「リー…」
「通らないな」
 遮ったのは久。一発。裏ドラも一萬だったため、その手は12300となった。
「うっ…」
 憧は表情を歪ませる。
(悪いな阿知賀…。今のお前は、『銀行』としては優秀すぎる)
 圧倒的トップなら、基本的には降りも選択に入れるべきである。しかし、他家の圧倒的聴牌速度の早さが、彼女の選択を制限している。今あがらなくては、今前に進まなくては、次はもう聴牌すら出来ないかもしれない。その不安が彼女の足を前に進ませる。
 南1、南2において彼女の混乱は加速し、フランケンのリーチよりも早く竹井に振り込む。竹井の手は、久と『憧』の協力によって最速のルートを通っていた。

「今度こそアガるです!リーチ!」

西家 フランケン手牌

一二三三三四四[五]五六七八九 ドラ 五萬

 何度も、何度も彼はリーチをかける。
「フランケン。毎局かけていたらリー棒勿体ないわよ。どうせ、役あるんでしょ?」
 久が言う。
「そんな事はわかっとるですよ久ちゃん。だけどおれはリーチする以外は麻雀では勝てんです。そんな事をしたら麻雀の神様に怒られるです」
(麻雀の…神様…。それが本当にいるのか、それに人が抗うことが出来るのか。それを知りたいから、私は竹ちゃんに協力している…。私の…そしてみんなの青春を犠牲にしてでも…。チャンスはきっと…この時にしか無いのだから)
 その局、憧が久に満貫を振り込む形で彼のリーチは不発に終わった。
 そして前半戦オーラス。親は憧。ドラは三萬。

8巡目 北家 竹井 手牌

三三四五五①②②③③444 ツモ ①

(ドラが来ているってことは、フランケンは『それ以上』の手か。この4索は当りだが、残念だったなフランケン)

南家 フランケン 手牌

4[5]55666南南南発発発 (リーチ済み)

「リーチ」
 竹井はドラの三萬を切り、リーチ宣言をした。
「ち…チー…」
 下家の憧は反応した。

東家 憧 手牌

一二四五六八九⑦⑦⑧白中中
 ↓
四五六八九⑦⑦⑧中中 チー 三一二 打 白

(二軒リーチ…普通なら降り…。でも、聴牌の可能性があるうちは攻めないと、いつ聴牌できなくなるかわからない)

「ポン」
 憧の打、白を叩いたのは久。
(阿知賀から白をあふれさせる為のドラ切り。二盃口の手だったのに。まぁ、向かってたらフランケンに当たりだけど)

西家 久 手牌

一二三四②③④④⑤⑥⑦ ポン 白白白(対面ポン)

(そしてこのポン『も』無かったらきっとフランケンはツモる。残りのあがり牌、3索4枚、5索1枚、6索1枚…固まってる。だから)
 彼女は手牌から二萬を選択した。
(これでシャットアウト)
「ロン…5200。前半戦終了だな」

北家 竹井 手牌

三四五五①①②②③③444 ロン 2


前半戦終了

フランケン(臨海)  70900(-1600)
久(清澄)      83000(7800)
竹井(白糸台)    123100(13800)
憧(阿知賀)     123000(-20000)







「どういうこと?何で三人でフランケンを囲めるの?これは、インハイでしょ?」
 臨海高校控室。千夏は疑問を投げかけた。
 松坂の麻雀ルームで行われた50億の対局では、竹井の戦略によって3対1の状況を作りだされていた。故にフランケンは思うように和了ることが出来なかった。だが、このインハイが単なる高校麻雀選手権であるなら、あそこまであからさまな3対1になることはめったにない。インハイ王者宮永照ならともかく、フランケンは初出場であり、中堅戦開始時ではトップは阿知賀だったのだ。
「もう既に、清澄も阿知賀も、竹井の駒なのだろうね。彼にはそれを出来る。しかし『Level7』があそこまで追い詰められるのが見れるとはね」
 疑問に答えたのはD・D。
 50億の勝負において、もともと包囲されるのは竹井側だった。それが、松坂を貶めるための江藤の戦略だったからだ。しかし、竹井の能力の優秀さは、その状況をひっくり返した。鳳龍会磯野のエゴ、レネゲの一件で江藤に恨みを持っていた増本興業を利用し、包囲網のキーとなる打ち手の田村とスポンサーの江藤を勝負の場から降ろした。今現在、フランケンたちにスポンサーは存在しない。
 竹井は、勝てる舞台を作る天才だった。
「しかし、本当にこのまま我々が勝ってしまっていいんですか?この後に大勝負が控えているのでしょう?」
 D・Dに問いを投げ変えたのは松坂。その後ろには門脇、そして鳳龍会の磯野もいる。
「構わないよ。それより、君たちは白糸台側の方の人間だけど、こっちに居てもいいのかね?」
「我々の勝負はインハイとは関係ありませんから。それより、千夏が逃げ出さないか、それの方が心配なのです。あなたを信用していないわけではないのですがね」
 門脇がそう言った。
 彼らが口にした大勝負。それは、桜輪会と共武会の戦争。極道の縄張り争いに関連する対局。
 だが、松坂、門脇、磯野の三人はその勝負の真の目的を知らない。『名簿』のことを知ったのなら、彼らは『こんなこと』などしていなかっただろう。桜輪会・高津組組長、高津は無知なる彼らを見て、静かに笑った。
 この部屋に漂う空気は、本来あるべき空気では無い。鉄壁保はこの空気が嫌だった。嫌だったからこそ、彼はこの場所に留まらず、積倉と共に会場を出たのは、そういう理由だ。


 控室に戻った憧に、阿知賀のメンバーは労いの言葉をかけるも、憧は俯いたままだった。ここまでの彼女の失点は前半戦だけで20000点。リードを作ってくれた玄と宥に、そして控えている灼や穏乃に会わせる顔がなかった。
「まだまだ大丈夫だよ」
 そう言葉をかけられても、そうだね、頑張ろうとは返せない。通常の対局における失点20000点ならそうも返せたであろう。だが、この前半戦、彼女には自分が操り人形になっているのではないかという自覚があった。そのことをメンバーに語ると共にこうも言った。
「どうしていいかわからない」
 彼女の不安はメンバーに伝わっている。彼女以上に、あの場の異常さにはメンバーも気付いていたからだ。だが、返す言葉が見つからなかった。
「このままじゃ、9割9分このままだろうね」
 晴絵が口を開いた。この中堅戦、事前に取れる対策は清澄の『悪待ち』のみである。(憧のミスによって東4局1本場に刺さってはいたが)。臨海のフランケンに関しては公式データがまったく存在せず、白糸台の竹井に関してはAブロック準決勝のみ。
 晴絵もフランケンと竹井については、直接対決は無いがその存在は知っていた。しかし竹井に関しては特徴的な異能を所持してるわけでもなく、フランケンに関しては一人ではどうしようもなく戦術的対策の取りようも無かったため、憧には特に指示はしなかった。しかも、竹井が清澄と組むことなんて考えもしなかった。
「でも…このままでもいい」
「え?」
 晴絵は竹井達の目的について憧に話した。その真意まではわからないが、少なくとも臨海のフランケンを三人で抑え込もうとしているということを。そして、抑えられたフランケンの手牌は、毎局毎局化け物じみていたことを。
「確かにそんな感じはしていたけど、このままって…」
「悔しいかもしれないけど、向こうの目的が臨海を抑えるということである以上、うちが中堅戦後ラスになるってことはまず無い。憧はいつも通り打って、灼に繋ぐ。おそらく、それがベストのルートになる」
 人形のまま終わってくれ。
 憧には晴絵の言葉はそうとしか聞えなかった。団体戦決勝。その最後の舞台で自分がする麻雀が、人形のような麻雀。憧には、それは耐え難いことだった。
「ごめん…ハルエ……それ、出来ない……」
 震える声で、憧は返答した。
「……うん。その通り。そんなことは、出来るわけがない」
 晴絵はその解答を予想していた。
「なら…やることは一つ。なんでもいいから違うことをする。同じことをしていたら同じようにやられる。それしかない」
 彼女は心の中で自嘲した。この土壇場でこの程度のことしか言えない自分は、教育者失格だ、と。
「違うこと……うん……やってみる!」
 決意を固め、彼女は控室を後にした。

 控室を出て対局室に向かう憧の前に、江口セーラがいた。
(江口さん…準決勝、白糸台に飛ばされた…)
「その…なんていうか……」
 何かを言いたげにしていたが、はっきりとしない彼女に、憧は言った。
「江口さんのかたき……とってくるから…」
 その言葉にはっとした彼女は、固まった。その横を憧は通る。
 セーラは振り返り、彼女の背中に向かって、言った。
「勝ってくれ!…お…応援してるから…」
 震える身体を抑えて、声を張った。その言葉は彼女に届き、憧は半分だけ振り返り、親指を立てて応えた。


 対局室を出てすぐの廊下。久を待っていたのはまこ一人であった。
「まこ…」
「わしは…お前さんについてきただけじゃ。今更お前さんがどうしようと、わしは構わん」
 久は言葉を返せなかった。
「じゃが、わしらをここまで連れてきてくれたもんたちの想い…それよりも大切なものじゃろうか…」
 久はまこに目を合わせることが出来なかった。
「なにより……お前はそれで後悔は無いんか?」
 久は沈黙を続ける。
 彼女は俯いたまま、数分が過ぎた。
 そして、久は口をやっと開いた。
「まこ……ごめん」
 彼女は反転し、対局室に戻った。
「馬鹿…。こんな時まで、悪い方にとらんでもええじゃろ…」
 まこはその背中に、小さく囁いた。

(それでも…それでも私は、神様が負けるのが見たい……)

 それが彼女の選択だった。
 




後半戦も席順は変わらず。起家も変わらずフランケンとなった。

後半戦

タチ親・フランケン(臨海)  70900(-1600)
久(清澄)          83000(7800)
竹井(白糸台)        123100(13800)
憧(阿知賀)         123000(-20000)

東1局 親 フランケン ドラ 9索

東家 フランケン 配牌

1122357789999中

 これが配牌。フランケンに押し寄せてくる流れ。和了れ、和了れと何ものかが語りかけてくるかのよう。
(だが…俺はそれを超える…。どんな手段を使ってでも)
 フランケン、打、中。
「ポン」
 竹井はフランケンの牌を鳴いた
(この勝負は今までの…これまでフランケンのして来ていた勝負とは違う。お前は今、自分の命よりも大切なものを賭けてしまった。今までは負けても金で済んだ。だが今度はそれでは済まない。そんな中、自分のフォームを崩さずに打つことが出来るか…)

 次巡、東家フランケン 手牌

1122357789999 ツモ 8

「リーチです!」

 彼は5索を強く叩きつけた。
(もう喰いとっても有効牌をツモってくるか…恐れ入ったよ…だが)
「へえ…それが通るんだ、フランケン」
 同巡、久は手牌から赤5索を切った。
「チー」
 竹井はそれを鳴く。

西家 竹井 手牌

??????? ポン 中中中(対面ポン) チー [5]46 

 さらに同巡、憧の切ったオタ風の北を久は鳴いた。フランケンにツモらせまいとするかの如く。フランケンは嗚咽を漏らす。
(ただ、退屈だっただけかもしれない…。だが、引退していたあの頃、俺はあの浜辺の町でお前を負かすと決めた。金を巻き上げるってことじゃない…お前の麻雀を負かすって事だ)

 次巡も同様。久はフランケンの番を飛ばすために、同時に竹井のツモを増やすために今度は竹井から鳴く。
 そして、ようやくフランケンの番が回ってくる。フランケンのツモは、1索。だが
「追いついたぜフランケン。ロンだ」

西家 竹井 手牌

三四[五]1333 ポン 中中中(対面ポン) チー [5]46 ロン 1索

「3900」

 フランケンの残りの親番二回のうち、その一回が終わった。

東2局 親 久 ドラ 東

8巡目 北家 フランケン手牌

③④[⑤]⑥東東東南南西北北北 ツモ 南

 手が落ちる気配無く、またも役満の聴牌。しかし、フランケンは③、⑥筒切り聴牌を躊躇した。小考の末、打、西。しかもリーチをかけなかった。
「それが通るのかフランケン。助かったよ」
 同巡、竹井は西を切り、聴牌。竹井は久にサインを送る。この局はもう喰う必要はない、と。
 竹井の予言通り、次巡にフランケンは西をツモっていた。小四喜に受けていれば一発でのツモ上がりであった。その局は久が竹井のタンピンの2000点に差し込み、終了。
「なぜリーチをしなかった。麻雀の神様に怒られるんじゃなかったのか。西単騎リーチなら、少なくとも俺は降りてアガれなかった」
「どうしてもアガらねばならんです…アガらなければちーちゃんが死んでしまうです…」
 フランケンが震えている。これほどまでに怯えている彼を、竹井も久も見たことが無かった程、今の彼は小さかった。
(人は対戦相手に負けるのではない。様々な状況の中で自分のフォームを崩して負けてゆくのだ)
 フランケンのフォームはここに来て崩れた。竹井はそれを確信した。

南2局終了時

フランケン     66000(-6500)
久         81000(5800)
竹井        130000(20700)
憧         123000(-20000)


東3局 親 竹井 ドラ 南

西家 フランケン 配牌

一三六①③⑨59西北北発中

(そして敗者とは、自分のフォームを崩し、クズ配牌とダメヅモの中で、何のチャンスもないまま、ただ絶望のままに負けていく者のことだ)
 フォームを崩したフランケンに待っていた配牌の有様は、竹井の哲学においては必然だった。
(フランケン…俺から言わせればお前こそ麻雀の神様そのものだよ…麻雀打ちとして完璧だ…)
 竹井はただ退屈だった。彼はあの退屈な日々の中で、麻雀の神様にケンカを売りたくなった。ただそれだけだった。
 フランケンの第一ツモは三萬。そして打5索。
「麻雀は配牌だけではないです…あきらめんです」
(国士ね…)
(ついに配牌が腐ったか…。だがまだ勝つことを諦めない。さすがだよフランケン…)

東家 竹井 手牌

[五]六八①①②③③④2348

(だが前局手を曲げたことが響いたな。その分俺の手が軽くなったぜ)

 フランケンの捨て牌に中張牌が並ぶ。
 6索、⑤筒、八萬、五萬…全てツモ切り。

「フランケン…あなた国士なんか狙ったことあった?」
 久が言った。

5巡目 北家 久 手牌

五六七七③④⑤⑥⑥⑦⑧56 ツモ 7 打 ③筒

「一度は経験してみてもいいかもね…国士の配牌に中張牌のツモ…どうやってもアガれない局があるってことを…」
 久、聴牌。四、七萬待ち。その牌はまだ竹井には無い。

南家 憧 手牌

二二三⑥⑧[5]5667788

(急に、手が軽くなった。何かが起きた?)

 フランケンの中張牌切りは続く。打3索。ツモ切り。
 さらに次巡、フランケンのツモは4索。またも中張牌。
「もう諦めろフランケン。お前の負けだ。もうツキも失った。こういう状態からトップを取った奴を俺は見たことがない」
(それに、これで良かったんだ。フランケンが勝っても、誰も幸せにはならない)
 仮にフランケンが勝って、松坂を破滅させたとしても、そのサポートをしていた鳳龍会が黙っていない。また、逃げ出したとしても、千夏の実の親、門脇は地の果てまで彼らを追うだろう。それに、現在のトップは竹井。竹井がトップを取れば、彼は千夏の書いた遺書など破り捨てるようD・Dに依頼している。遺書が無くなれば、自殺に見せかけた殺人は出来ない。千夏の死など、門脇以外は望んでいないからだ。
(世の中にはな、理不尽な事の方が正しい事もある。勝つことがいつも正しいとは限らないんだ)
「ただ俺は、『まいった』という言葉を聞きたいだけだ…」
 フランケンに対する竹井の勧告宣言。だがフランケンは
「まだ…あきらめんです…」
 断る。彼は勝負を続行する。打4索。
「おれはちーちゃんと約束したです。『勝って』この街から出ると」
「お…おいフランケン。お前俺の言ったことを聞いていたのか?」
「竹ちゃんにはわからんです…」
 フランケンにとって、竹井は常に正しかった。故に、竹井にはわからなかった。フランケンや千夏のような

「バカな人間の気持ちなど竹ちゃんにはわからんです」

 フランケンは続ける。
「神様はいるです。ツキとか流れとかおれにはわからんです。だから、最後まで神様を信じるです」
 フランケンは、正しさを跳ね除けた。
「そうかよフランケン…」
(馬鹿野郎が…)

8巡目 東家 竹井 手牌

[五]五六①②③③④22348 ツモ 2

(阿知賀にこの8索を喰わせて、阿知賀は聴牌。嵌⑦筒待ちだ。後は久が差し込めばこの局は流せる)

南家 憧 手牌

二二三⑥⑧[5]5667788

 しかし、憧はその竹井の打8索をスル―。ツモ山に手を伸ばす。
(!?鳴かないのか?読みが外れた?違う…そんなはずは…)
 竹井にはわからなかった。バカな人間の気持ちなどわからなかった。
(『違うことをする』……普段なら…鳴いてたんだろうな…あの8索。この面子、聴牌早すぎなんだもん。腰を下ろした麻雀なんて、怖くて出来なかった。でも…あの人なら…)
 憧は、江口のことを考えた。彼女なら、どう打つか。
(あの人ならきっとこう打ちたいはず…。『3900三回刻むより…12000をアガる方が好き』…ってね)

憧 ツモ 三萬 打⑧筒

二二三三⑥[5]5667788

 その同時に、フランケンの方から熱気が発せられた。錯覚なのか、幻覚なのか、竹井にも、久にも、憧その気迫が、実質的熱をもっているように感じた。
(雰囲気が…変わった?でも…負けられない!)
 次巡憧は四萬をツモり、打⑥筒。そして
「リーチ!」

二二三三四[5]5667788

(なんだ…結構、こういう麻雀も気持ちいいじゃない)
 その時、妙な達成感のようなものが憧にはあった。江口セーラのしていたであろう麻雀に魅力を感じることが出来た。
 だが
(まずい…)
 竹井と久には焦りがあった。

東家 フランケン 手牌

一三三六①③⑨9西北北発中 ツモ 九萬 打六萬
一三三九①③⑨9西北北発中 ツモ 1索 打③筒
一三三九①⑨19西北北発中 ツモ 白  打三萬

 フランケンは次々に有効牌を引き、前に進む。一方、竹井と久の手が止まる。
(どういうことだ?何でこの流れでフランケンの手が進むんだ?さっき、阿知賀が鳴かなかったからか?そのことさえも…麻雀の神の意志とでもいうのか?)
 竹井の混乱の中、ついにフランケンは…
「テンパったです」

東家 フランケン 手牌

一三九①⑨19西北北白発中 ツモ 南

「もう逃げも隠れもせんです」
 彼は三萬を強く叩きつけ、宣言。

「国士リーチです」

「なん…だと…」
 驚愕。三人に同時に訪れたまったく同じ感情。今…たった一人に、三人が追い詰められている。
(どうしよ…私…リーチしちゃってる……。やばい、やばいよこれー)
 フランケンが手を進めたのは憧がリーチした後ではあったのだが、逃げ道を無くしたリーチという行為に、憧は若干の後悔があった。しかし、直ぐに切り替えた。
(でも…後悔してどうすんの!新子憧!自分の選択の結果なんだから、どんと構えなさい)
 フランケンの国士リーチの同巡、久はアタリ牌の東を掴む。
(掴んじゃった…)

北家 久 手牌

五六七七④⑤⑥⑥⑦⑧567 ツモ 東

 彼女の手はここで停止した。
 久は小考する。
(久…何をツモった?)
 竹井は久にサインを求める。だが、彼女は応えなかった。彼女は考えていた。フランケンが手を進めることの出来た理由を。阿知賀が竹井の牌を喰わなかった理由を。

(まさか…)
 久がサインを返さない。この時、自分の積み上げてきた戦略が、完全に崩れたことを竹井は悟った。
 久はその手牌から六萬を切る。竹井の喰うことの出来ない牌。フランケンの流れをずらすことの出来ない牌。それが解答だった。
 そして久と同様、竹井も東を掴む。

東家 竹井 手牌

[五]五六①②③③④22234 ツモ 東

(鳴いていたらこの東は阿知賀に行っていたか…)

 これでドラ表示牌を含めて、東は三枚。
(だが…)
 最後の一枚をフランケンはツモる。そのことを竹井は感じていた。
(これが…麻雀の神様…か…)

 阿知賀の心も、久の心も竹井には読むことが出来なかった。だがこれだけはわかった。麻雀の神様とは、そういった領域に存在しているということを。

そして


「ツモったですー!!!」

一九①⑨19南西北北白発中 ツモ 東

東3局終了時

フランケン    99000(26500)
久        73000(-2200)
竹井       114000(4700)
憧        114000(-29000)

 この国士の和了りで、彼は区間においてトップにたった。
(直撃じゃなくて良かったー…)
 憧は胸を撫で下ろした。
(和了れちゃったけど、白糸台の親かぶりのおかげで、同着の一着。リー棒出してなかったら一位だったけど、でもこっから!)
 そして東4局、ドラは⑤筒。憧の親番が始まる。しかしその結果は

「これ…久しぶりかも」
 『彼女』は十八番のコイントスツモと共に『帰ってきた』
「ツモ!4000・8000!」

西家 久 手牌

三三三③③③⑥⑥⑧⑨333 ツモ ⑦ (リーチ一発ツモ 裏ドラ ③筒)

西家 久 捨て牌

91九⑦南北
白⑧(リーチ)

南家 フランケン 手牌

①②③④[⑤][⑤]⑤⑥⑦⑧発発発 (リーチ)

 フランケンのリーチを躱した『悪待ち』を決めたのは、清澄、竹井久だった。
「やっと…久ちゃんらしい麻雀が来てくれたです」
「ごめんね。待たせて」
(そしてごめんね…竹ちゃん)
 


 私は『インハイ』を捨てることが出来なかった。東3局でやった阿知賀の打ち回し、あれは千里山の江口セーラの影響を受けてのものと、直ぐにわかった。彼女は、多くの人の意思を受け継いでいた。
 ここはインハイ、それは絶対に変わらないもの。多くの陰謀が渦巻いていようと、目的や実験が存在しようと、ここは…やっぱりインハイだ。
 確かに、竹ちゃんが用意したこの舞台でないと、麻雀の神様を倒すチャンスはもう来ないかもしれない。でも、それは幻想。私は幻想に振り回されていた。私に夢をくれたのは、それじゃない。

 やっぱり…やっぱりそうなんだよね


 私をこの場所に戻してくれた、阿知賀の子…ありがとう…。
 まこの言葉で気付けなかったのが悔しい。ごめん…まこ。後で謝らなきゃ。
 でも、それは私がとことん麻雀バカだからかしら。麻雀で打たないと、気付けない。言葉以上に打牌で意思を伝える世界。そこだからこそ、気付けたのかも。
 でも…やっぱりごめん。まこ…。それに、みんな…。





東4局終了時

フランケン    94000(21500)
久        90000(14800)
竹井       110000(700)
憧        106000(-37000)




(まったく…)
 竹井は椅子の背に大きくもたれ掛り、そして大きくため息をついた。
 東4局の久の和了を見て、彼女が今麻雀を楽しんでいることを知った。そして、彼女の想いを感じた。

―――バクチは地獄だ。楽しい事など何もない

 久の思っている通り、確かにここはインハイであることに代わりは無い。だが、同時にバクチの世界でもあることにも代わりは無いのだ。それを知らない上に無関係な阿知賀にとってならこの対局は純粋なインハイだろう。だが、久にとってはそうでは無いのだ。
 しかし久は、それを踏まえた上で楽しんでいる。

(何やってんだろうな…俺…)
 彼は自分がしていることがアホらしく思えてきた。
 金だとか命だとか神への挑戦だとか、それらのことがどうだってよくなってきていた。
(計画がめちゃくちゃになって、やけになってるのかな…俺…)
 彼は自嘲を含めた微かな笑いを見せた。
「竹ちゃん?どうしたですか?急に笑って」
 フランケンが訊く。そして竹井が答える。
「いいだろう。純粋な『インターハイ』……受けてやるよ」
 その言葉を聞き、久は胸の奥が熱くなるのを感じた。その熱は、自然と表情にも表れ、彼女らしい、ニヒルな笑みを浮かべた。
「だが覚悟しろよ。俺とフランケンが暴れたらなら、気ィ抜いていたら10万点持ちだろうが東風分の局数だろうが関係なく飛ぶんだからな」
「望むところよ」
 憧が応えた。
「竹ちゃんの気迫を感じるです。でも、負けないです!」
 フランケンが意気込んだ。
「じゃあ始めましょうか。南1局」
 久が笑う。

 そして、南場が始まった。

 それは、彼らにとってあまりにも短い『インターハイ』の始まりだった。














[19486] #42 『インターハイ』 その3 -会話-
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/04/18 00:08


 本来なら、その場所には似つかわしくない空気が流れていたのだろう。現に、先刻までそうであった。戦争、地獄、修羅、そういった言葉の似合う空気。だが、今は違う。どんな言葉が適切だろう。
 その空気を言語化することは出来なかったが、久はその空気を経験している。彼女にとって前回の試合、二回戦の中堅戦。序盤、がらにもなく緊張し、自分の麻雀が出来なかった試合。その有様を姫松の愛宕洋榎に指摘され、彼女はようやく自分の麻雀を取り戻した。それ以降にあった、間違いなくあったその空気。
 それが、今ここにもある。それだけは分かった。
 彼女は『インターハイ』に感謝した。この場所が無ければ、自分の人生はきっと、つまらないものになっていた。





中堅戦 後半戦 東4局終了時

フランケン(臨海)   94000(21500)
久(清澄)       90000(14800)
竹井(白糸台)     110000(700)
憧(阿知賀)      106000(-37000)



 千夏に関連するゴタゴタが解消されたわけでは無い。フランケンが敗北すれば、竹井の手回しによって死なないまでも、千夏は自由を奪われることに代わりはない。
 だのに、彼らはその場を楽しんでいる。それは狂気を宿したギャンブラーだからか。違う。どこまでも相手を破壊しようという連帯感があったからか。それも違う。
 竹井は懐かしんでいた。この空気は、かつてフランケンと久と共に多くの雀荘で暴れていた、あの時の感覚に近かった。
(思い返せば…あの時は、楽しかったのかもな…。フランケンや久に振り回されて、まったく…俺がいなかったらどうなっていたんだよ、あの頃は…)

南1局 親 フランケン

「リーチです」

東家 フランケン 手牌

二三三四四五七八中中中西西

 フランケンの先制親リー。しかし同巡
「通ればこっちもリーチだ」
 竹井からのリーチが入る。だが、河に置かれた牌は六萬。フランケンのアタリ牌だった。
「ロ…ロンです…。えっと、リーチ一発メンホン…」
 そのあっけの無さと意外さにフランケンは戸惑いつつ、指折りで点数を計算しだした。
「18000だ」
 竹井は荒げる様子も無く、静かに点棒を支払った。彼の振り込みには、久も憧も驚きをみせた。
(竹ちゃんが一発で振り込むなんて)
(意外…。この人そんなに温い打ち手じゃないと思ってたけど…)
(ほんのあいさつ代わりだよ)
 通常なら、この現象は奇妙と呼ばれるものなのだろうか。しかし彼らには違和感は無かった。とても馴染のある当たり前のことだった。

 振り込んだ竹井に動揺は無かった。寧ろ、まっすぐ打てている実感があった。包囲無くしてフランケンと戦う場合、アガリに向かわない喰いずらしは通用しない。あるのは正攻法…まっすぐ打つだけだったからだ。アガれる最高の形を作り、きっちりアガリきって流れを持ってくる。それしかない。

東1局1本場 親 フランケン ドラ5索

8巡目 西家 竹井 手牌

五六七八九①②③⑦4467 ツモ 七

(前回まっすぐ打てたからツモは悪くない…だが…)

 彼は⑦筒を止め、打7索。
 次巡、フランケンからリーチが入る。そして同巡竹井が引いてきたのは⑦筒。竹井は⑦筒がフランケンのマチである確信があり、それは事実であった。

東家 フランケン 手牌

六七八[⑤]⑥22[5]55678

 竹井は4索を河に置き、嵌5索聴牌。

(今の竹ちゃんは気合が違うです)
 鋭く、そして冷たい何かに刺されるような感覚。フランケンはそれが心地よかった。今、竹井が全力になってくれている。これほど嬉しいことは彼には無かった。
 
(最初に会ったあの時からだ…)
 竹井も心の底で思っていたことだった。いつかこういう舞台で、フランケンと打ちたかったということを。

 次巡、そしてさらに次巡と竹井はツモってきた九萬、七萬をツモ切る。

(ちょっと強すぎるんじゃないの?)
 憧なら切ることを躊躇う牌。だが、竹井は応える。
(当り牌以外は何を打っても強くないんだよ)
 彼の打牌は、そう物語っていた。
 言葉は不要だった。

 フランケンの待ちは使い切っている。だが、竹井はこの形では無いとも思っている。その形に、2索をツモってくる。

西家 竹井 手牌

五六六七七八①②③⑦⑦46 ツモ 2

(これだ)
 竹井は打6索…。そしてリーチ。
 次巡、彼は静かに宣言する。
「ツモ…2100・4100」

西家 竹井 手牌

五六六七七八①②③⑦⑦24 ツモ 3

一発ツモ 裏ドラ ⑦筒

(もろひっかけ?この人そんな麻雀するの?)
(たまたまひっかけになっただけだ。ツモ山に少ない2索、5索、8索の2索を引いたから勝てると思ってリーチに行っただけだ)

 フランケンは彼のツモに感嘆し、そして言った。
「あなたは本当に竹ちゃんです。強い竹ちゃんがおれの前に戻ってきたです」
「お前を負かすためにな」
 奇妙な充実感がそこにはあった。生きている実感と言うものは、こんな形でも手に入るものなのか。勝つことで生き、相手を殺すことでまた生きる。そういった勝負師としての生き方をしていた彼にとって、それは新しい道だった。

「ツモ。4000・8000」

 南2局も彼はフランケンのリーチ後にツモあがる。

南家 竹井 手牌

三四五五六七八八③④345 ツモ [⑤]

 一発ツモの形であり、高めの倍満。その形に、久は軽く首を傾げる。同巡に彼女がアタリ牌の②筒を切っていたからだ。
(私の②筒は?)
(お前のとこの傀ならこう言うんだろうな。『ツモれる流れでしたので』ってな)
 彼らの会話は、牌で成立していた。

「ツモ。6000オール」
 南3局に関しては、フランケンのリーチよりも早かった。これが流れか、とでも言うかのごとく、竹井の連続和了。

南3局終了時

フランケン    95900(23400)
久        73900(-1300)
竹井       136300(27000)
憧        93900(-49100)


(この人強すぎっ!)
 打ち方を変える前なら、ここまでの脅威は無かったかもしれない。今の彼の流れは、憧に若干の後悔を与える程のものだった。
(もしかして、私の所為?逆を…江口さんの打ち方をして……。さっきまでの方が、もしかして良かった…かなぁ…)
 確信というほどでは無かったが、おぼろげながらそうではないかと憧は思い始めた。

(その通りだよ阿知賀…。お前と、久のせいでこうなっちまった。ましな麻雀しねぇと、いつ卓割れ起こるかわからねぇぞ)
 竹井は僅かな笑みをこぼした。


南3局1本場 親 竹井 ドラ ④

9巡目 北家 久 手牌

二[五]七七③④⑤345567 ツモ 中

(フランケンからのリーチが来ない…。流れは今、竹ちゃんが掴んでいる。この流れ、竹ちゃんはそうそう手放したりは、しないよね)
 彼女は、中をツモ切るのを躊躇った。竹井に対して、これはそう簡単には打てない。
 久は打二萬を選択。しかし次巡、彼女のツモは三萬。

北家 久 手牌

[五]七七③④⑤345567中 ツモ 三

(裏目…)
 中を手放していれば、一、四萬待ちの聴牌。彼女は表情を引きつらせた。だが次の瞬間、表情は一転、悪鬼の微笑とでも言うかのごとく、その表情は他者を戦慄させるに十分だった。
 彼女は普段通りこう思考する。
(『意味があると考えましょう』)
 彼女は中を切り、そしてリーチを宣言する。

「ポン」

 その打、中を叩いたのは竹井。
(やば…)
 次巡久が引いてきた牌は、六萬…

「ロン…1800…」

東家 竹井 手牌

四五八八122334 ポン 中中中(上家ポン) ロン 六 

(防がれた…。さすが竹ちゃんね)
 久は竹井の技術に感嘆するが、一方の竹井は逆だった。
(まずい…今のはおれのミスだ…。久のプレッシャーに押されたのか。今の中は鳴くべきじゃなった。アガれたのは結果論だが、間違いない…『流れ』を手放した…)

 大物手をさばかれると誰でも嫌な気分になる。だが、さばかれたから手が落ちるわけでは無い。寧ろ嫌な気分になって弱気になり、ミスをしてフォームを崩すから手が落ちるのだ。そして、小手先でさばく者の手は落ち、正しい手順で打つ者はさばかれても手が上がる。竹井は経験上、そのことを知っていた。
 補足を加えると、一人一人が持っている『正しい手順』は、一人一人が違う。フランケンにはフランケンの正しい手順が存在し、竹井には竹井の、久には久の正しい手順が存在する。
 ひねくれ者の悪待ち使い。彼女はこの局『まっすぐ』打てたということであり、竹井の哲学上、次局流れを掴むのは、彼女以外にはいない。

「ツモ!4200!8200!」

 久の倍満のツモアガリ。
 残りは南4を残すのみ。
(逆転には役満ツモでも駄目。三倍満の直撃か。遠いなー。直撃を竹ちゃんがさせてくれると思わないし…。でも…だからこそ面白い!この舞台なら、この舞台だからこそ出来る、そんな感じがする)

南3局2本場終了時点

フランケン(臨海)   91700(19200)
久(清澄)       87700(12500)
竹井(白糸台)     130900(21600)
憧(阿知賀)      89700(-53300)


南4局 親 憧 ドラ 9索


7巡目 西家 久 手牌

②②②⑧⑧⑧777999北 ツモ 9

 流れは依然久。6巡の段階で四暗刻聴牌。だが、ツモって来た9索を見て、彼女は役満を蹴る。

(やっぱり、この形かしらねー…)

「リーチ!」
 選択は打、北。三暗刻ドラ4にランクダウンさせた。
(裏ドラ頼み。悪待ちも良い所ね)
 しかし、次巡の彼女のツモは②筒、暗槓。嶺上ツモとはならなかったが(そもそもなったら逆転にならない)新ドラは9索。ドラ8含みの三倍満の手に化けた。

西家 久 手牌

⑧⑧⑧7779999 暗カン ②②②②

ドラ 9索 新 ドラ 9索


(これで条件はそろったわ。もし、ドラを乗せてからのリーチだったら、竹ちゃんは絶対に出さない。でも、リーチをした段階で逆転状況がそろっていると推理したなら、あるいは…)
 彼女が槓を待たずにリーチをかけたのは、こう言った理由からである。

 このオーラス。竹井にとってベストなのは、自分が和了ることは勿論だが、この段階で久の流れに勝てるとは思っていない。また同時に、フランケンにアガリを許してはならない。フランケンとの個人戦が消えているわけでは無いからだ。
 なお、久が竹井以外から直撃を奪う以外のことはしない。この時点で、久が竹井の順位を上回ることも無い。竹井が久に振り込まない限りは、千夏の死は存在しない。
(もっとも、俺がトップを取らなくてもD・Dが千夏を守ってはくれるだろうがな…。千夏は優性だ。それを劣性の…しかも自分が優性だと思い込んでいる門脇に殺させたりするものか…)
 だが、それらの事象を省いても、竹井は勝ちたかった。なら何をするか…
(ねばるしか…無いか…)


東家 憧 手牌

二四五八③[⑤]⑤⑨⑨⑨13[5]

 赤牌二つ。しかし手が他家に比べ圧倒的に遅い。
(どうにかして、前に進みたい!)
 そう思っていた矢先、竹井から④筒が切り出される。

「っ!チー!!」

東家 憧 手牌

二四五八⑨⑨⑨13[5] チー ④③[⑤] 打 ⑤


(やっぱり、最後は自分の信じれる麻雀で行きたい!)




(阿知賀…前に出てくるのか)
 サポートのために切った④筒では無い。フランケンが索子の染め手のため、索子を抑えていたがために出された一打である。
 さらに次巡、憧は竹井から三萬を鳴く。前に進む。
(このフランケンと久の流れに小手先で対応するつもりか?)

「リーチです!」

 フランケンの宣言と共に、河に⑧筒が叩きつけられた。

「ロン!5800!」

34[5]⑧⑨⑨⑨ チー ④③[⑤] チー 三四五 ロン ⑧

(なん…だと……?)

 その和了は竹井の哲学には無かった。
 勝負には流れがあり、流れには法則がある。どんな人間もその法則には従えない。
 少なくとも彼は、それを嗅ぎ分けてこれまでバクチの世界でしのいできた。


(この手…流されちゃうかー…)
 逆転の手を流され、久は手牌を手前に倒し、ため息を零した。しかし、その表情に落胆の色など無かった。
(調子が戻って来ても、流れが来ていても、それでも思うようにいかない…こんなことがあるなんて…)

―――やっばい!

―――楽しい…っ!!

 楽しさと共に笑みが込み上げてくる。
 彼女は感謝した。この場所を作ってくれた、そして連れてきてくれた全てのものに。
(いろいろ…待った甲斐があった……。じゃあ、今度はどこで待とうかしら)
 彼女は一呼吸置き、無為に終わった三倍満を卓に返した。


南4局一本場 親 憧

「リーチです!」
「ロン!1800!」

一一一②②45679 チー 312 ロン 8

 フランケンのリーチはまたも通らず。憧の和了は続いた。
 小手先でさばく者の手は落ち、正しい手順で打つ者の手は上がる。竹井には、憧がフランケンに勝っていることが信じられなかった。
(何故だ…まさか、これが奴の『正しい手順』とでも言うのか)


 否


 もしここに風越の原村和がいたら、竹井の疑問にこう答えるであろう。


―――そんなオカルト、あり得ません


 憧は、仲間と共に打っている。勿論その中に、原村和も存在する。
 ここは、『インターハイ』なのだから。






「ツモ!3900オールは4100オール!!」




東家 憧 手牌

4567888⑥⑦⑧ ポン 中中中(下家ポン) ツモ 3 ドラ 8索


南4局2本場終了時

フランケン(臨海)   80000(7500)
久(清澄)       82600(7400)
竹井(白糸台)     126800(17500)
憧(阿知賀)      110600(-32400)






 言葉なんて必要なかった。
 互いが『手』や『流れ』、そして思考を読みあい、ただ牌に没頭する。
 全ての会話は、牌で成立していた。
 彼らはただ、そういう会話が好きだった。


「ツモ。役満です」


一一一二三四五六七八九九九 ツモ [五]


 豪快さが売りであったであろう彼は、静かに手牌を倒し、宣言した。
 何かに、感謝するように。




 その時、憧は涙を堪えていた。だが数秒もしないうちに、決壊。声を出し泣いた。
 久もその泣きに触発されてか、静かに涙を流した。この舞台で打てた嬉しさも、負けてしまった悔しさも、そして終わってしまった悲しさもが混ざった、不思議な涙。
 その二人を見てあたふたするフランケン。面倒くさそうに頭を掻く竹井。
 彼らの『インターハイ』は、これで終わった。



「負けちゃったね、竹ちゃん」

 涙声を交えて、久が言った。

「今日はショートピースもモカも無かった……ハンデ戦だったんだよ…」

 竹井は目を逸らし、言った。
 久は笑った。

「そんなことないです!竹ちゃんは勝ったじゃないですか!?」
「あ?区間ではお前の勝ちだろ」
「そうじゃないです!こっちです!」

 フランケンは点数を指差す。

中堅戦終了



臨海・フランケン    112900(40400)
清澄・久        74300(-900)
白糸台・竹井      118500(9200)
阿知賀・憧       94300(-48700)






「ああ……そりゃあ……団体戦だからな……」
 




 竹井は照れくさそうに、小さく呟いた。













 




[19486] #43 Dragon’s Dream その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/06/25 12:46
 

 中堅戦において行われた、清澄と白糸台の『通し』のイカサマについての調査は継続されることは無く、小鍛治健夜の予想通り『純粋な読みによる差し込み』という結論に落ち着いた。

 千夏の解放についてはD・Dの存在もあってか、速やかに行われた。松坂らは、D・Dに背いて無理に千夏を連れ戻すことは出来なかった。
「君たちの存在を抹消しても良いんだよ」
 刃向おうとした門脇に放たれたD・Dのこの一言で、千夏の件に関しては決着が付いた。松坂、門脇、磯野の三名は控室から退室した。
 現在部屋に残っているのは、D・D、ヴィヴィアン(仮眠中)、高津、ケイ、千夏のみ。千夏も、フランケンが戻り次第、共に部屋を出る構えだ。

「それでは、行ってきます」
 ケイは静かに立ち上がり、そして部屋を後にした。

「確認しますがデイヴィットさん…。『副将戦まで』で良いんですよね」
 高津が言った。D・Dは答える。
「大丈夫だよ。大将戦は関係ない。共武会の方に関しては『そういう風』に記録の書き換えはしてあるみたいだからね。記憶、の方が正しいと思うけど、まぁ彼女が『記録』と言うのなら、そうなんだろうね」
「私どもとしては約束さえ守ってくださればそれで構わないのですが…しかし、信じがたい話ですね」
「『オーバーワールド』に行ってからは、何が来ても驚かなくなったよ。私はね」
「彼女もその住人なんでしょうか」
「違うそうだよ。彼女はこの世界の人間じゃ無い。まぁ、人間なのかも疑問だけどね」
 D・Dは軽く笑いを交えて言った。

 関西共武会と桜輪会(及び桜道会)との抗争。その決着は、暴力によってではなく、麻雀でつけられる。
 本来なら、大将戦までの結果で勝敗が決められるはずだが、D・Dの計らいで副将戦までの結果が勝敗を決めるものとなった。なお、清澄や阿知賀が副将戦終了時トップだった場合、白糸台と臨海の順位が上だった側が勝利となる。それでも同点の場合は、インハイのルールに合わせ、上家取りとなる。
 だが、ここでケイはトップで終了しなくてはならない。
 高津の目的は、抗争の決着だけでは無い。寧ろ『こちら』が本命である。
 高津の目的は【名簿】。
 【名簿】とは、政治家と企業の癒着の証拠、その記録である。
 大規模な金融危機の際、国は倒産させてはならない企業を指摘するが、当然企業側としては選ばれる側になりたい。故に発生する賄賂をはじめとする不正行為。世に出てはならないスキャンダル。【名簿】はそれらを全て記している。
 そして今、その【名簿】を所持しているのはD・D。圭がトップで副将戦を終えた場合、D・Dと【名簿】を賭けた勝負を挑む権利が与えられる。
 
 元々、D・Dは【名簿】などには興味など無かったが、名簿を作成した政治家、羽鳥の息子が【名簿】を賭けて勝負を持ちかけてきた。あらゆるギャンブルに飽き、飢えていた彼故の行動であったが、相手はD・D、勝てるはずも無かったのだ。
 【名簿】などD・Dにとって不要のものであったはずだが、そこに記されていた一人の人物を目にすると、その考えを改めた。
 『鷲巣巌』の名である。
 D・Dが名簿を入手したのは一年前。しかし鷲巣はその一年前に亡くなっている、と言われていた。だが、D・Dには確信があった。
 鷲巣巌は生きている。あの男は、あの程度では死なない、と。
 そして【名簿】を手に入れた翌月、彼は『オーバーワールド』にて、この世の節理に関しての考え方を改めることになる。






 インターハイ決勝戦の前日のこと。

「それじゃあ、当日の『条件』の確認をしておこうか」
 その部屋には、白糸台副将の白根虎之助…通称、『白虎』と、臨海副将のケイだけがいる。白虎は続ける。
「まず一つ、前半戦を終了した時点で白糸台のポイントが臨海を上回っていること。もう一つは、1回、君がオレの指定の聴牌に振り込むこと…以上2点…OK?」
「はい」
「あまり露骨すぎると高津の野郎にばれるからな」
 もともと、ケイは関西共武会…白糸台側の人間である。さらに言うと、白虎の味方であった。
 ケイはかつて、オフ会という形で騙され、高レート雀荘の卓に着いてしまったことがある。だが、その際に発揮した実力を白虎に認められ、以後彼の依頼を受けると言う形で、ギャンブルの世界に足を踏み入れた。
 ケイが白虎と出会った最初の『ギャンブル』の場所は、人身売買を行う者達のもぐりの場所でもあり、圭はそこでアミナという少女と出会い、そして彼女を『買った』。アミナは、対局で三対一という形で『包囲』されていたケイに対し、助けになる行為をしてくれていた少女だった。
 しかしケイが彼女を買った理由は、その感謝では無い。理屈など無かった。『反射』だった。落としたナイフを、とっさに拾いに出す手のような、危険な『反射』。
 アミナは不法入国者である。ケイは彼女と共に生活しているが、それもいつまで続くかわからない。入国管理局に見つかれば、その時点で終わる。
 白虎は、このインハイにおける戦争にて、ケイをスパイとして桜輪会に送り込んだ。アミナの偽造の『家族ビザ』を報酬とし、協力を条件とした。
「お前は、やるしかないんだよ」
「はい」
 ケイは静かに返答した。






 控室に戻った久であったが、その部屋には染谷以外は誰もいなかった。
「あら、まこだけ?」
 久は訊く。
「京太郎は買い出し…。他も、ついさっき出て行ったわ」
(買い出しなんて頼んでないけど、気を使ってくれたのかな、みんな)
 久は染谷が座っているソファの隣に腰かけ、大きく伸びをし、そして言った。
「終わっちゃったわ。私の舞台」
 彼女の視線は天井だった。これから自分の瞳がどうなってしまうのかを、予見していたかのように。
「そうじゃの…」
 そう染谷は合わせた。
 彼女の言葉と共に、久の瞳から止めようの無いものが溢れてきた。
 嬉しさや感謝、負けてしまった悔しさ、そして終わってしまった悲しさの涙は、既に流した。
 今彼女が流している涙は、後悔。
 抑えていた感情は決壊し、彼女は声を上げ、泣いた。子供のようで、幼さがあった。
 染谷は、その彼女を自分の胸に抱き寄せ、優しく頭を撫でた。






 憧が帰ってきて、次は私の番。
 ハルちゃんが越えられなかった準決勝。私達は、それを不戦勝みたいな形で越えてしまった。でも…違う。こんなのは越えたにはならない。この決勝に勝ってこそ初めて、ハルちゃんが越えられなかった『準決勝』を越えたことになる。
 だから絶対負けられない。これが私にとっての、十年越しのリベンジだから。
 
 憧は悔しさで泣いていた。ごめん。ごめんって。
 でも、そんなことないって、私達は返した。それは励ましたり慰めたりとかそういうのじゃなくて、事実だったことも付け加えた。あんな異常な打ち手がいる中で、あの程度の失点で終えることが出来たのは、寧ろプラス以上の価値があった。
 だから、私はその勢いを引き継ぐ。玄、宥さん、憧…。みんなの頑張り、無駄にはしない。

 そして、この決勝の舞台…あの子と打つ。清澄の副将、竜司君と。
 彼を見たのは10年前。姿は変わっているけど、でも変わっていない。あの子はあの時から今日までずっと、竜司君だ。
 何故、竜司君がここに居るのか。それを訊きたかったけど、今、彼と相対して、その気持ちは吹っ飛んだ。ただ純粋に、彼と打ちたい。そうなった。
 彼はもう既に場決めの牌を引いていて座っていた。私も引いた。対面。私は座り、一息ついた。
「10年ぶりだな」
 思いもしなかった。竜司君は、覚えていた。私を。私は、襖の隙間からずっと見ていただけなのに。
「覚えて…いたんだ」
 戸惑った。何を返していいかがわからなくて、それ以上言えなかった。
 暫く沈黙は続いたけど、何故か落ち着けた。豪勢な作りのステージで、圧倒されないか不安だったけど、竜司君がそこに居るからか、懐かしい気持ちになれた。

 でも、もしこの空気の通りに、全てが動いていたとしたら…もしその通りなら、私は嫌な思いをするかもしれない。

 それから少しして、白糸台と臨海の人も来た。白糸台の人は上家に、臨海の人は下家に座った。
「よお…一か月半ぶりか?竜さん」
 白糸台の人が竜司君に声をかけた。確か、白根虎之助。竜司君は見向きもしなかった。
「竜さんよ、オレを忘れたなんて言わせない…白虎だ。あんたらが合宿していたその初日、あんたらに負けて頭を丸めさせられた」
 ハンチング帽を被っているその人は、右人差し指で、少しだけ帽子のつばを持ち上げ、そのスキンヘッドの一部を見せた。
「今日あんたに勝って、また髪を伸ばしてぇなぁ…」
 あまり、良い人じゃなさそう。たぶん私の、嫌いなタイプ。
「…あんたの母親……」
 そうその人が言った時、微かに竜司君が反応したように感じた。
「死んだ親父が死ぬ前に教えてくれたんですが、あんたの母親…俺の姉だそうですよ。歳はかなり離れてますけどね…。だが信じられますか?オレがあの伝説の『哭きの竜』の弟だなんて…。なあ、あんたは何か知ってないんですか?」
 その人は、竜司君の母親について話し出した。竜司君は返さず、ただじっと卓を見つめていた。
 竜司君の家族…。玄達のお父さん曰く、誰のものでも無かった竜司君にだって、親はいる。私はそのことについては全く知らないけど、気にならないわけじゃない。どちらかと言えば知りたい。
 でも、到達する結論は決まっている。彼は、誰のものでも無い。おそらく、彼のお母さんだって、きっと誰のものでも無かったはず。彼の麻雀は、いつもそう語っていたから。

「まあ…いいや。それより…あんたもわかっているでしょうけどこのインハイ、ただの学生の祭りじゃない…。あまり余計なことをしないでもらえると助かるんですけどね」
 やっぱり、この空気だ…。竜司君の周りには…こういう空気がまとわりついている。昔の、玄達の旅館にあった…あの空気。きっとこのインハイの裏には…あるんだ…。
 嫌だな…。せっかく、ハルちゃんのリベンジが…したかったのに…。こんなことが…この舞台で行われるなんて…。悔しい。でも、どうしようもない…。

「ふっ」
 その時、竜司君が…笑った。
「何か異存でもあるンですか…竜さん」
「勝負とは、あンたが思っている以上に純粋なものだ……」

 その言葉を聞いて、心の中で落ち続けていたそれは、そこで止まった。
 そうだ…その通りだと、私は心の中で頷いた。ここで行われるのは『勝負』以外の何ものでもない。ただ打ち、勝者と敗者が生まれる、そういう競技…麻雀。
 私は、私の信じる全てを、この舞台で出し尽くす。
 心の奥底に沈みかけていたそれに、私は火を灯した。













[19486] #44 Dragon’s Dream その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/09/09 04:59
 



 戦後、日本の裏社会には二人のフィクサーがいた。東に鷲巣巌。西に白根獅子丸。
 白根獅子丸には、二人の子供がいた。白根虎之助…通称白虎はそのうちの一人である。
 彼は死ぬ前に、自分の意思を受け継ぐものに会いたかった。虎之助では無い。彼にその器は無い。獅子丸が合いたかったのは、もう一人の方。先に生まれた、露子の方であった。
 露子が幼い頃、獅子丸はこの世の表舞台から消え、死んだとされていた。しかしそれは日本の半分を手中に取るためのものだったのだが、故に露子と離れることになってしまった。
 もっとも、露子自身既に他界している。そのことは獅子丸もわかっていた。わかってはいても、やはり欲していたのだ。『竜』…。竜しか、己を受け継げる者はいない。彼は最期の最期まで、竜を欲した。

―――でも、それって本当のことなのかな?

―――あなたが、そう思い込んでいるだけかもしれないよ?

 獅子丸は最期の瞬間、何者かの声を聴いた。彼は問う。何者かと。
 彼女は己の名を答え、加えてこう言った。

「露子さんは、誰のものでも無いよ。あの人の命は、あの人だけのもの」

 彼には、彼女が何を言っているのかが分からなかった。

「本当に、露子さんはあなたから生まれたと思っているの?」

 彼はその言葉を否定した。露子は自分の娘だと、彼は答えた。

「【あなたも】…夢を見ていたんだね……」

 彼女のその言葉と共に、彼の意識は消えた。






「もうすぐ副将戦だね、お姉ちゃん」
「うん」
 お姉ちゃんの具合もだいぶ良くなって、ベッドから体を起こしてモニターに目を向けている。
「惜しかったなぁ阿知賀…」
「せやな。最後のラス親で盛り返せそうやったのにな」
 同室してる園城寺さんと、清水谷さん。二人は阿知賀を応援していたみたい。
 そして今、この部屋には私達四人以外にもう一人いる。アミナちゃんって娘。お姉ちゃんのベッドで横になっている。
 アミナちゃんは腎臓の手術でこの病院に来ていた。もうその手術は終わっていたんだけど、個室で一人っきりだったのが辛かったのか、病院の中を歩き回っていたみたい。
 次鋒戦の後半戦の時間、私達はモニターで試合を観戦しながら、一つのベッドの上で、小さい麻雀牌で打っていたんだけど、その音に誘われてか、アミナちゃんはこの部屋に来た。彼女も打てるみたいで、途中から混ざった。素直な麻雀を打つ娘だった。
 今は疲れてか寝ている。可愛い。
「アミナちゃん。副将戦始まっちゃうよ」
 私は彼女の肩をポンポンと叩いた。彼女はぱちりと目を開けて
「ケイの番か?」
 そう言った。
 アミナちゃんが言うに、彼女は臨海高校の副将、ケイという子と一緒に住んでいるみたい。家族ではないみたいだけど。
 ただ、お姉ちゃんのアミナちゃんに向ける目…何か、哀れんでいるような、そんな感じの目を見ると、きっとお姉ちゃんは何か知っているし…きっと重い事情があるのだと、そう思った。






副将戦 前半戦

ケイ (臨海 一年)  112900
竜  (清澄 一年)  74300
白虎 (白糸台 三年) 118500
灼  (阿知賀 二年) 94300

席順はタチ親の圭から、竜、白虎、灼の順。

東1局 親 ケイ ドラ 4索

「ツモ!3000・6000!」

北家 灼 手牌

六七八[⑤]⑤⑤⑥⑦⑧⑨345 ツモ ④ 

リーチ 裏無し

 その始まりは阿知賀、鷺森灼の跳ツモからスタートした。

(グリークチャーチ…)
 その和了形を見たケイは、鉄壁から聞かされた話を思い出した。阿知賀の副将、鷺森灼の打ち筋についてだ。
 鉄壁の分析によると、灼は筒子の多面張で和了するケースが多く、その待ちは、ボーリングの特殊なピンの残り方に似ている、と言うものだ。今回は4、6、7、9、10のピンが残るグリークチャーチの形通りの待ち(麻雀に10ピンは存在しないが)。
(オカルトどころの話じゃないな…。だが、鉄壁さんの分析だ。信じていいだろう)

東2局  親 竜 ドラ ①筒

「ツモ!2000・4000!」
 東2局も、彼女は和了る。

西家 灼 手牌

二三四②③③③④[⑤]⑥234 ツモ ①筒 

リーチ 裏無し

(①、②、④、⑦…。今度はワッシャー…さすが鉄壁さんだな。分析通りだ)

東2局終了時

ケイ(臨海)    104900
竜(清澄)     67300
白虎(白糸台)   113500
灼(阿知賀)    114300

 そして続く東3局、またも彼女は先制リーチをかける。

東3局 親 白虎 ドラ ③ 

南家 灼 捨て牌

東二一中南西
3⑥(リーチ)

(逆に言うと、阿知賀には筒子以外は通る…。鉄壁さんの分析の通りなら)
 そうケイは思った。
「…なんて、今頃向こうさんは思ってるかもしれないけど、そう思う打つ手が出てくるここらが見せ時…」
 阿知賀女子監督、赤土晴絵はほくそ笑む。

南家 灼 手牌

七七七九①②③[⑤]⑤⑤567

 ④、⑥、⑦筒待ちのビッグフォーもどきを捨てての八、九萬待ち。相手の分析の裏をかいた、赤土晴絵の戦術。だが…

「ツモ。500・1000」

 2巡後、牌を倒したのは臨海のケイだった。

西家 ケイ 手牌

八八八九②③④234567 ツモ 九

西家 ケイ 捨て牌

南東九⑧西9
中1④

(フリテンの九萬待ち?1索が手出しで、④筒がツモ切りだから…1、4、7索待ちも捨てている…抑えられた?)
 晴絵の戦術は看破されていた。そしてその灼の若干の動揺は、直ぐにケイに察知された。
(やっぱりか。彼女達の後ろにいるのは、あの赤土晴絵だ。『そういうこと』は当然してくる)

「ククク…」
 突然、白虎が笑い出した。
「どうしたんですか…白糸台さん」
 灼が訊く。
「今の…⑥筒持っとけば、④、⑥、⑦待ちだったろ?」
「……仮にそうだったとして、それがなんですか?」
 灼は手牌を手前に伏せて、不機嫌そうに返した。
「良いよあんた。そういうの、嫌いじゃない」
 白虎は上機嫌そうに答えた。

東4局 親 灼 ドラ ⑧筒

東4局が開始されたとたん、白虎は不可解な行動に出た。
「阿知賀さん…好きな数字三つ言ってくれますか?」
 彼女は無視した。
「あらら。怒らせちゃった?じゃあ臨海さん、好きな数字三ついいかい?」
 ケイは若干間を置いたが、答えた。
「3、6、9…意味はありません」
「はいはい。3、6、9ね…」
 そう言うと白虎は、理牌前の手牌の左から、3番目、6番目、9番目の牌を手前に倒し、残りの牌を全て晒した。

北家 白虎 手牌

一六七①③236南西???

「何をしてるんです?」
 灼が訊いた。
「余興だよ。勝負はまだ始まったばかりだ。…竜さんもちっとも哭く気配も無いしな」
 インハイのルールでは【見せ牌】におけるペナルティは存在しない。そもそも見せ牌自体、晒した側が不利になるものである。
 白虎は伏せた三牌には手を付けずに、手を進めた。それ以外の牌は、ツモ牌を含めて全て晒している。その晒された手牌は、次第に索子に染まっていった。

11巡目 北家 白虎 手牌

223346888西??? ツモ 4

 この形から、彼は西を切って、リーチを宣言した。
(なんか…調子狂う)
 微かに眉を顰めた灼に対して、白虎は言った。
「そちらのお得意の『ハメ手』も、逆にされる側になるとどうなるかな?」
「何?」
 まるで、晴絵を侮辱されたかのような感覚を受けた彼女は、一瞬声を荒げた。

東家 灼 手牌

三四五六七八八③③③⑤⑥⑦ ツモ ④筒

 白虎からリーチがかかった同巡、彼女に分岐点が訪れた。④、⑦筒を払い、二、五、八萬待ちを継続するか、八萬を払い②、⑤、⑧、④、⑦筒待ちの多面張…パケットに受けるか。自分の性質を逆手に取った攻めを展開するのか、まっすぐ攻めるのか。
「さぁどうします?また姑息なハメ手で来ますか?」
 彼は煽る。

(ハルちゃんは…姑息なんかじゃない…)
 荒ぶる気持ちを抑えていた彼女だったが、その選択は冷静な判断には程遠かった。
 彼女は八萬を河に叩きつける。『ハメ手』と言われた手で、向かうことが出来なかった。
(怖いのは索子と字牌。ハルちゃんの『打ち方』を、あんな人との勝負に持ち込む必要なんて無い!)
 だが
「ドカン」
 白虎は残りの三枚の牌を晒した。
7索、六萬、七萬。

北家 白虎 手牌

2233446888 六七7 ロン 八

「8000」
「うっ…」

 灼の麻雀に、綻びが生じ始めていた。

東4局終了時

ケイ(臨海)   107900
竜(清澄)    66800
白虎(白糸台)  120500
灼(阿知賀)   104800




【阿知賀女子控室】

「ちょっとあの人卑怯じゃないの!?」
 憧が言った。白虎の、見せ牌による攪乱と挑発に対してである。他のメンバーも憧の意見に同意した。しかし、晴絵は否定した。
「いや…【見せ牌】は自分に不利にしかならない。冷静に場を見ていれば、見せ牌が『ハメ手』になることは無いんだよ。…ただ、灼の真面目さを突かれたのが痛かった」
「でも…それじゃあ…」
「この面子で『あの手』はそう長くは使えないから大して気にする必要は無い。それより気を付けないといけないのは清澄と臨海」
「臨海…さっき灼さんの待ちを躱した」
「小細工なしの正面からね。さすが…『二代目 氷のK』と言ったところか」
「『氷のK』って…」
 それは、宥達にとって…聞き覚えのあるワードだった。
「うん。宥達のお母さん、露子さん…『景』さんの、かつての二つ名…。本質は違うけど。でも、今はそれより、灼の強さを信じよう」
 そう言いながら、晴絵は卓を準備を完了させ、穏乃を呼びつけた。
「シズ、出番前に軽く打って、1速上げとくよ」
「はい!」
「それなら2速まで上げとこうか」
 そう言って、憧もその卓に着いた。そして残りの席の一つには宥が座る。ドラを切ったことでドラが来なくなっている玄よりも、自分が穏乃の助けになるとの判断だ。
「いやよくわかんないけど、10速でお願いします!」
 意味不明の意気込みと共に穏乃も席に着いた。

「シズ…」
「はい?」
「大将戦の卓。私が知っている打ち手は清澄の赤木しげるだけだ。だから、戦術面においての対策が無いに等しい。監督として情けないことだけど…」
「でも、それは仕方のないことだと思います。白糸台に関しても、臨海に関しても、公式戦のデータがまったく無いですし」
「裏も含めて無かったんだけどね…。まぁそれは置いといて、私が言えることは一つだけ…これは、赤木しげると打つことを踏まえてのものでもあるんだけど」
「それは…」
「シズは、山の中でも、山と一緒になっても自分自身を認識出来るんだよね?」
「は…はい」
「それを忘れないこと。自分を見失わないこと。これだけ。後は、思いっきり打ちな」
「よくわからないですけど…わかりました!」
「どっちだよ」
 穏乃の天然さにたくましさを感じつつ、晴絵はその頬を緩めた。



 南1局 親 ケイ ドラ ④筒

 白虎の不可解な行為は続く。今度は手牌の左端の1牌だけを晒した。

西家 白虎 手牌

④????????????

 そして彼は言った。
「竜さん、あんたが哭きもしないで黙りこくってるから、また遊ばせてもらうよ」
 竜は返さない。ただじっと、卓を見つめている。
「竜さん、あんたに宣言だ。10巡目、オレはリーチ、即、ロンだ」
(この人…本当に理解できない…こんなのに負けられない…)
 灼は拳を握りしめた。
 白虎は1巡ごとに手牌を1枚ずつ晒していった。2巡目、3巡目と、次第に彼の手牌が晒されていく。

西家 白虎 手牌

④4???????????

④④4??????????

 4巡目、これまで動かなかった竜が、ついに哭いた。
 ケイの打七萬を、チー。

南家 竜 手牌 

????????? チー 七八九

(竜司君が…哭いた…)
 灼には、その哭きが閃光って見えた。あの時と、10年前のあの哭きと同じ…光を放つ哭きだった。
(変わらない…。何もかもが変わらない)
 まるで昔に戻ったかのような、そんな感覚。彼の背中を見ていた、あの時の記憶が蘇る。

「は!ようやく哭きましたね竜さん!」
 まるでその時を楽しみにしていたかのように、彼は言った。
 巡は進む。

9巡目 北家 灼 手牌

 三三三五七11555666 ツモ 1

(筒子が来ない…。でも、竜司君の哭きから牌が縦に重なって…手が高くなった。知っていたけど…これが竜司君の…哭き…)
 灼は白虎の手牌に目をやった。

西家 白虎 手牌

八④④223344????

(もうあんなに見えて…。残り四枚は…何?…萬子?…一枚だけの八萬が気になる…。でも、この手…降りられない…)
 灼の選択は打、七萬。彼女は嵌六萬の形から、四、五萬待ちの形に変えた。高め四暗刻。

「ポン」

 竜が、その七萬を哭き、そして言った。

「白虎、約束の10巡目だ」

南家 竜 手牌

??????? チー 七八九 ポン 七七七(対面ポン)

(竜司君が…また哭いた…)

 そして10巡目、白虎は手牌をまた1枚晒してから⑤筒を切り、宣言。
「竜さん、リーチしちゃっていいスか?」
 彼は牌を曲げた。

西家 白虎 手牌

八④④④223344???

 白虎が牌を曲げた同巡、灼のツモは八萬。

北家 灼 手牌

三三三五111555666 ツモ 八

(八萬…萬子だけど、七萬は既に4枚見えている。六七八萬…七八九萬の面子は無い…白糸台の隠れている3枚のうち1枚はきっと八萬。残り2枚は何かの両面待ち…)
「阿知賀さん。早く捨てなよ」
 白虎はからかい気味に彼女を急かした。
(それなら…八萬は無い…通る!)
 灼は若干強打気味に八萬を河に置いた。
 それとほぼ同じタイミングで、白虎は待ってましたと言わんばかりに、ドンと卓を叩いた。そして、隠していた3枚を開いた。その3枚は、九萬の暗刻だった。

西家 白虎 手牌

八④④④223344 九九九 ロン 八

「リーチ一発イーペー…」

 だが、その宣言の途中、卓にはもう一人、手を動かすものがいた。
 竜である。
 彼は鳴いていた牌を右手でそっと中央に寄せ、そして残りの手牌を倒した。

南家 竜 手牌

八⑦⑦⑦777 チー 七八九 ポン 七七七(対面ポン) ロン 八

「頭ハネだ…」

(竜司君も…八萬単騎…。私の動きを読んで?それとも、白糸台の動きを読んで?違う…そういう意味の和了じゃない…)
 竜の哭きは単に和了るためだけのものでは無い。竜の哭きは『言葉』。何かを語る時、彼は哭く。灼は竜が何を語っているのか、それを考えた。
「やっと来てくれましたね竜さん。でも随分と安いものですね。あの時は、もっと豪快なものだったじゃないですか」
 白虎は、合同合宿前の対局の時のことを持ち出した。
「まだまだ本気じゃないってことですかね?」
 そう言って、彼は南2局でも見せ牌を繰り出した。今度は5枚を晒し、固定。

南2局 親 竜 ドラ 南

9巡目 南家 白虎 手牌

②③④東東????????

南家 白虎 捨て牌

①西九発⑦二
3中

 そして、彼は二枚目の中を河に置いた。
(白糸台の狙いは…竜司君の言いたいことは…)
 灼の思考は卓上から離れていた。

「ポン…」

 その灼の思考を遮るように、竜はまた、哭いた。

東家 竜 手牌

????????? ポン 中中中(下家ポン)

(また…また竜司君が哭いた…)

 叩く。叩く。
 竜が哭くたびに、その哭きは灼の胸を叩く。火打石で火を起こすように、何度も。あの時のように。

 竜は哭いた後、手牌から南…ドラを切った。
(南…竜がドラを捨てた。竜に、読まれている)
 白虎は手牌に南を対子で持っていた。形はメンホンチートイの形。
(そろそろ…お遊びはおしまいかな…)

 2巡後、白虎は灼が切った⑥筒に対して手牌を倒した。

南家 白虎 手牌

②③④東東②③④南南白白⑥ ロン ⑥

 しかし、またも竜の頭ハネに終わる。

東家 竜 手牌

⑥112233567 中中中(下家ポン) ロン ⑥

「また頭ハネですか竜さん。しかも、中のみ。それって完全に嫌味ですよね」

(違う…何もかもが違う…)
 真っ暗な部屋に、ちかちかと小さな光が点滅している。それが今の灼の見えている景色だった。その光は、次第に大きくなっている。

「ポン」

 次局も、竜は哭く。

 南2局1本場 親 竜 ドラ 白

東家 竜 手牌

??????? ポン ①①①(下家ポン) ポン一一一(下家ポン)

「竜さん。あんたの哭きは正解だぜ。面白いように牌が流れてくる」

南家 白虎 手牌

2345666東東東白白白

 白虎はこの局から見せ牌をやめていた。竜が勝負に出てきたことを感じ取ったからだ。
「親父が生きていれば、オレはこの勝負、必ず勝たないといけなかっただろうな。今度こそあんたに勝たなければ、死…。それが親父、白根獅子丸の教えだからな」

「白虎…」

 竜が口を開いた。

「勝負を語るには軽すぎる」

 そして彼はまた、哭いた。1索。閃光る。

東家 竜 手牌

???? ポン ①①①(下家ポン) ポン 一一一(下家ポン) 暗カン 1111

新ドラ 1索

「あンた…背中が煤けてるぜ」

 嶺上牌を手中に入れ、彼の哭きは続く。①筒。また閃光る。

「カン」

???? 加カン ①①①①(下家ポン→加カン) ポン 一一一(下家ポン) 暗カン 1111

 そして…灼の視界、その暗闇に見えた小さかった光が、今…赫灼たる明光と化し、彼女の眼を灼いた。

「ツモ」

東家 竜 手牌

2223 加カン ①①①①(下家ポン→加カン) ポン 一一一 暗カン 1111 ツモ 4

新 ドラ 1索 ①筒 

ケイ(臨海)   95800(-12100)
竜(清澄)    108200(+36300)
白虎(白糸台)  107400(-12100)
灼(阿知賀)   88600(-12100)




―――鷺森灼…何を惑っている…




(そうだ…)
 これは、灼が望んでいたことだった。
 赤土晴絵の10年越しのリベンジ。そして竜司と打つ。彼女が望んだ舞台が、既に整っている。望んだものが、全てそこにある。迷う要素などどこにもない。己を信じて、メンバーを信じて、そして恩師を信じて打つ。それだけなのだ。
(楽しまなきゃ…損だ)
 心の中で滾るそれに身を委ねる。竜が何を語っているのかなど、そんなことは考える必要なんて無い。ただ打ち、ただ楽しむだけ。素直に。灼の結論は、それに到った。

(私は今…『勝負』をしているんだから)

南2局2本場 親 竜 ドラ 七萬

9巡目 西家 灼 手牌

①①①⑥⑦⑨⑨123567 ツモ ①

(私も、哭こうかな)

「カン!」
 灼はツモってきた①筒を手牌に入れ、暗カン。新ドラは白。
(ドラが乗るとは思っていない。ただ、やってみたかっただけ)
 嶺上牌は⑦筒。彼女は⑥筒を河に置き、曲げた。
「リーチ」

西家 灼 手牌

⑦⑦⑨⑨123567 暗カン ①①①①

(⑦、⑨筒待ち…【シンシナティ】)

 そして同巡

「ロン!」

「何?」
 放銃したのは白虎。一般的には読みの困難なシャボ待ち故、その振り込み自体には彼は驚かなかった。

西家 灼 手牌

⑦⑦⑨⑨123567 暗カン ①①①① ロン ⑨

裏ドラ 中 ①筒

ケイ(臨海)    95800
竜(清澄)     108200
白虎(白糸台)   94800(-12600)
灼(阿知賀)    101200(+12600)

(裏4だと!?大星でもあるまいし…)
 彼が一瞬驚きを見せたのは、レギュラー落ちした大星淡が頭に過ったからだ。ダブリ―を含んだものでは無いが、『カン裏』も彼女の印象を強くする要素であった。
(まあ偶然だろうが、そろそろ本当に遊んでる場合じゃ無くなったな)
 彼は対面のケイの眼を見た。
(ここらへんで始めようか…『氷のK』…)
 静かで、そして冷たい彼の瞳は、まっすぐと卓に向けられていた。

南3局 親 白虎 ドラ 発

11巡目 南家 灼 手牌

②③[⑤]⑤⑦⑦南南南中中12 ツモ ④ 

 彼女は2索を河に置き、イーシャンテン。混一に向かった。
 しかし同巡、ケイからリーチが入る。

西家 ケイ 捨て牌

②二四七北⑤
北9⑥5九(リーチ)

(不要牌の1索…たぶん危ない)

 灼の推測の通り、ケイの待ちは1、4索待ち。

西家 ケイ 手牌

二三四六七八⑦⑦23678

 次巡、灼のツモは中。1索を切れば⑤、⑦筒待ち。リリー。だが
(切れない…)
 河に置かれたのは南。一旦下がる。

南家 灼 手牌

13巡目

②③④[⑤]⑤⑦⑦南南中中中1 ツモ ⑥ 打 ⑤

14巡目

②③④[⑤]⑥⑦⑦南南中中中1 ツモ 2 打 ⑦

(なんとか張り直したけど…これ…たぶんきつい)

 15巡目、今度は白虎からリーチが入る。曲げられた牌は赤⑤筒。

(【リリー】なら打ち取ってた…。正確には…臨海のリーチが無ければ…かな)

 そして

「一発ツモ…4000オール」

 ツモ和了を見せたのは白虎。

東家 白虎 手牌

三四五①②③1133445 ツモ 5

裏無し

ケイ(臨海)    91800(-4000 -1000)
竜(清澄)     104200(-4000)
白虎(白糸台)   106800(+12000 +1000)
灼(阿知賀)    97200(-4000)

「ロン…2000は2300」

「ロン。1300。前半戦終了だな」

 南3局1本場は白虎がケイに、オーラスはケイが白虎に放銃する形で、前半戦は終了した。

前半戦終了

ケイ(臨海)    92800
竜(清澄)     104200
白虎(白糸台)   105800
灼(阿知賀)    97200






「前半戦終了ーッ!!大きな一撃を見せた清澄でしたが、白糸台が紙一重でトップをキープ!王者白糸台!このまま逃げ切れるかー!?」
 実況、解説ルーム。まだ大将戦を残しているにも関わらず、常にクライマックスを意識させるような叫びを繰り出す実況の恒子であったが、解説の健夜と安永は表情を渋らせていた。
「上手く、やっていますね」
「ああ…」
 マイク切って、二人は話し出した。
「臨海のケイ選手のこと?」
 恒子が割り込んだ。健夜が返す。
「うん。さっきの半荘、彼は白糸台をサポートしてた」
 中堅戦時に行われていたような露骨な差し込み、通し等のイカサマが行われていたわけでは無い。他者に悟られないよう、自然を装ったコンビプレー。相当の技量が無くては行えない技術。
「何かあるな」
 安永が言った。
 白糸台と臨海、本来対立関係にある二校。事情を知っている者にとっては、誰もがそう思っている。共同戦線を組むわけがない。
「まさかスパイ大作戦!…みたいな?」
 冗談交じりの恒子の発言であったが
「その線もあるかも…」
「マジ?」
「穏やかじゃねぇな」
 悪い予感しかなかった。
 この大会は、本来、血の流れるような祭りでは無い。流れるとしても裏。表舞台でそのような状況が生まれることなど有る筈がなく、そしてあってはならない。
「打っているのは子供だぞ」
 安永はため息交じりにそう言った。

「それにしても」
 健夜が話題を変えた。
「阿知賀の鷺森選手…似てますね」
「監督の赤土晴絵…にか?」
「ええ。10年前、私と打ったあの人と。打ち筋もそうですが、何よりモニター越しでも伝わってくるあの気迫…」

―――人鬼を感じます






 前半戦が終わり、対局室の扉が開く。竜を除く各々が舞台を降り、部屋を出ようと扉の方へ向かう。
「高津…さん?」
 その先でケイを待ち構えていたのは、黒いスーツ姿の男、高津。
 その男は、対局室を出たケイに突然銃を向けた。その場の空気が凍り始め、彼が引き金を引くと共に完全に停止した。

 カチリ
 
 大きな音では無かった。空気は止まったまま。だが、何かが破裂することも無く、ただ時間だけが過ぎた。

(不発?)

 万に一つも無いと言われてる現象。ケイはただじっと銃口を見つめている。

「お…おいおいおっさん、何してるんだよ」
 数秒後、その空気を動かしたのは白虎。
「【ここ】は【そっち】の世界じゃないですよ。荒事は止めましょうよ」
 高津は白虎の言葉など聞いていなかったが、その銃を一旦下げた。

(何かが…こいつを生かそうとしているのか?柳…お前か?)

 高津の脳裏に浮かんだのは、臨海の代表戦にて凶弾に倒れた、部下の柳だった。ケイがここに居るのは、彼がいたからである。
 ケイが何かを隠していることを感じていた高津は、ケイを代表から降ろした。だが、柳は高津を説得しようとした。必死で代表の座を掴もうとしたケイが、十分な能力を持っているケイが、何故降ろされなくてはならないのか。だが、高津はその説得に応じなかった。
 しかしその日、共武会の銃弾が、ケイを襲った。ケイが代表になっているだろうと勘違いしての攻撃であった。柳は、その銃弾からケイを庇って、そして息を引き取った。
 柳は、死ぬその寸前まで高津を説得しようとした。仁なる意思。命を賭した説得。高津はついに折れた。
 

 だがケイは、その柳の意思さえも裏切ろうとしている。高津の行為は必然だった。

「ケイ」
 高津が口を開いた。
「次、白糸台に振ったら殺す」
 そう続けた。ケイは頷きもせず、返答もしなかった。
 
 その時、阿知賀のメンバーはその光景を見ていた。その時の灼を見ていた。彼女達は、灼のもとに駆け寄ることが出来なかった。赤土晴絵さえも。
 灼はその状況に何一つ動じてていなかった。その瞳はまるで氷のよう。彼女から発せられる『人鬼』の圧力。それに彼女達は近付くことが出来なかった。
 灼自身もそのことを感じ取っており、阿知賀のメンバーのもとには向かわなかった。

 それから少しして、対局室に一人残った竜の所に、アカギが姿を見せた。
「ずいぶんと物騒なことに巻き込まれちまったな」
 若干軽い調子で、アカギが言った。
「慣れたことだ」
 彼の方は向かず、俯いたまま彼は返した。
「それで…お前はどうするんだ?あのままだと、ケイってやつもアミナってやつも死んじまうぜ?」
「勝てば生。負ければ死…それだけのこと」
「その通りだ。だが…『この場所』は違うだろ?…竜……」
 そう言い残して、彼は対局室を出た。
 竜は、ただじっと卓を見つめていた。






 後半戦が開始された。
 席順はタチ親の竜から始まり、ケイ、白虎 灼の順となった。


竜(清澄)     104200
ケイ(臨海)    92800
白虎(白糸台)   105800
灼(阿知賀)    97200

(竜はともかく、こいつは何なんだ?)
 白虎が妙に感じたのは、阿知賀の鷺森灼のことだ。『あの後』のことにも関わらず、彼女動じもせず、怯えもせず、澄み切った目と共にこの卓に着いている。まるで、こういったことに慣れているかのように。
(だが、今はまず【条件】だな…)

 ケイがすべき【条件】のうちの一つはクリアした。残りの【条件】は『指定の聴牌への振り込み』。これをクリアすれば、約束の偽造ビザ…アミナの自由が手に入る。ケイにとって、守るべき存在。アミナの。

「ロン…2600」

 東1局はケイの和了でスタートした。振り込んだのは灼。

南家 ケイ 手牌

二二二[五]六七八八⑥⑦⑧68 ロン 7

 5巡の形でリーチも無し、三色に育てもしない速攻。

東2局 親 ケイ ドラ ⑨筒

「ロン。9600」

 振り込んだのはまたも灼。

東家 ケイ 手牌

一一一1114 ポン ①①①(対面ポン) チー ⑧⑦⑨ ロン 4


東2局終了時

竜(清澄)     104200
ケイ(臨海)    105000
白虎(白糸台)   105800
灼(阿知賀)    85000


(また早和了。勿体なくも思うけど…でもこの子…)
 二連続振り込んだ灼であったが、その二度の早和了から、ケイの必死さを感じ取った。彼は何か、大きなものを背負っていると。
(さっきの件が大きかったようにも見えるけど…違う。団体戦だから…って感じでもない。もっと別の、何か)

(なるほどな)
 『振り込ませる権利』が白虎にはある。当然、白虎としては大きな手に振り込ませたい。大物手を作らせまいとする早和了が、今、ケイのしていること。そう白虎は読んだ。
(加えて臨海に勝利をプレゼントして、俺との約束もクリアして…随分と贅沢だな、ケイ…。だが…)
 

東2局1本場 親 ケイ ドラ 4索

南家 白虎 配牌

六②1123444578発

(こういうこともあるのが麻雀だ。無理な早和了などするから、ツキが偏る)

1巡目

六②1123444578発 ツモ 2 打 ②

2巡目

六11223444578発 ツモ 3 打 六

3巡目

112233444578発 ツモ 3 打 発

「リーチ…」

 その打発で、白虎は牌を曲げた。牌の曲げにワンテンポ置いた。
(6、9索…持っているよな?)
 彼は人差し指でハンチング帽の唾を若干持ち上げた。先ほどの牌の置き方と加えて、その仕草が振り込み指示のサインとなっていた。
 彼の予想通り、ケイは6索を3枚、9索を1枚所持していた。サインが行われた時、指定の牌を所持していた場合、次の番には必ず切らなくてはならない。それが【条件】。
 灼と竜の打牌が終了し、ケイの番が回ってきた。鳴きも無く、ケイは牌をツモる。
 対局室の外で、高津は対局の様子をチェックしている。もし、ここでケイが振った場合、高津はマスターキーで扉を開け、ケイを撃つ。
 ツモった後、ケイはその手の動きを止めた。静寂と共に緊張感漂う空気が、場を包んだ。
「おいおいケイ、ビビってるのか?あのおっさんに『振り込んだら撃つ』なんて言われたからか?」
 白虎は続ける。
「冷静に考えてもみろよ。こんなリーチ読めるわけも無い。当たったら事故だ。加えてここはインハイだ。ただの高校生の祭りごと。そこにあんな世界を持ち込むことなど出来るわけがない。やったらアイツは即、終わりだ」
「いえ。あの人は確実に撃ちますよ」
 ケイは即答した。
「なぜならボクは裏切り者だから」
 そう言って、彼は立ち上がった。
「あなたと裏で組んでいるボクを許したりはしない」
「おいおい何を言って…」
「あなたの待ちは6、9索…今からそれにボクは振り込まなくてはならない。それがあなたとの約束」

「おいアイツ…何をしているんだ?」
 実況・解説ルームの安永達だけじゃない。全国の各テレビ局、各校控室、視聴者、各々がざわつき始めた。

「だけどボクは今、ここで殺されるわけにはいかないんです」
 彼は胸のポケットに手を突っ込んだ。
「…【けじめ】は自分でつけます」
 取り出したのは、刃渡り10センチ程度のナイフだった。



 ケイはそれを自分の胴に深く刺し、そして横に流した。















[19486] #45 Dragon’s Dream その3 -仁-
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2014/01/08 19:43
 






【松実露子】


「ねぇ…玲音ちゃん…。私の麻雀って、やっぱり冷たいのかな?」

「ごめんなさい。私にはわからない」

「そう…だよね……」

「でも、あなたと同じになれば、わかるかもね」

「同じになんて…そんなのは出来ない…。私は他の誰でも無いし、誰も私になるなんて出来ない」

「そう、かな」

「だって…私は私だから」

「…大丈夫だよ。後ろの娘が大きくなる頃、きっとその娘は理解する…あなたを」

「宥が?…どうして……」

「露子さんのその『手』…未来の宥ちゃんに送ってあげる…」

「送る?」

「うん…メッセージ……」







 アミナちゃんは病室を飛び出した。
 彼が、何故あんなことをしたのかが私には理解できなかった。私はお姉ちゃんに訊いた。お姉ちゃんなら、何かを知っていると思ったから。
 お姉ちゃんは、知る限りの全てを答えてくれた。この大会の裏で行われている抗争、そして彼の裏切りついて。裏切りに関しては白糸台の副将、白根(白虎)という人を鏡で見た時に知ったみたい。それから、お姉ちゃんはそのことから推測できることを私達に話してくれた。
「彼の裏切りは、アミナちゃんのためだと思う。鏡で、あの娘が不法入国者ということを知ったけど、きっとそれ関連。白根はそれを何とか出来る力を持っている。仮にも、白根獅子丸も息子だし」
 白根獅子丸。もう亡くなられているけど、生前、裏社会でとにかくすごかった人の一人ってお姉ちゃんは言っていた。お姉ちゃんは裏で打つことも結構あったから、そう言ったことを聞くこともあったみたい。
 そして、あの子があんなことをした理由。それは、全ての約束を守るため、とお姉ちゃんは推測した。裏切りをあれで許してもらいたい。そういう意味の行為。
「なんか…極道のドラマみたいやな…」
 園城寺さんが言った。
「怜、そんな他人事みたいに…」
 文学は現実を模倣する。ならその逆もある。彼の行為は虚のようでもあって、実を持っているようにも思えた。
「あの子は…結局殺されちゃうの?」
 私は訊いた。桜輪会、共武会、そのどちらの約束も守るなんて、出来るわけがない。どちらかを勝たせたら、どちらかを負けさせないといけない。
「私の知る限りだと、彼はそういう人間じゃ無い。氷のように現実的な子。鏡で白根を観た時、彼は完全な勝利は確信してはいなかった。たぶん共武会にはある程度の協力はしているけど、完全に勝たせる約束まではしていないと思う」
 つまり、あの子は『あそこ』から臨海…桜輪会を勝たせようとしている。そうお姉ちゃんは言った。
「いやいや、どう見ても中断やないんか?というか、なんで誰も止めに入らへんの?」
「さっきも話したけど、この大会の『裏』がそれを許さないんだと思う。警備員に関しても、メディアに関しても、たぶん抑えられている。映像が止められていないことが疑問だけど…」
「本当に【副将戦】までなんですか?大将戦も考えれば、『あの点差』…まだ希望はあると思いますが」
 清水谷さんが訊いた。
「【副将戦】までらしい。白根が副将なのもそれが理由だし。共武会の幹部たちも、何故かそれで納得している。おそらくD・Dの計らいだと思うけど」
 D・D…臨海高校の監督さん。日本国内の抗争なんて、彼にとっては座興に過ぎないとお姉ちゃんは言った。それほどの力を持っていると。そして、加えてこう言った。
「【大将戦】…何かある」
「お姉ちゃんの所の大将って…」
「【岩倉玲音】…。今年転校してきたばかりの娘だけど、強い。今年の白糸台の大将は、大星淡という一年だと思っていたけど、その彼女が一回も和了ることが出来なかった」
 お姉ちゃん曰く、大星さんという方の支配は相当強力なものであったみたい。配牌5~6シャンテン、ダブリー、槓裏。そういった現象を毎局繰り出す。確かに強い。でも、岩倉さんという方は、それよりも強い。想像が出来ない。
「でも、お姉ちゃんはその娘も観たんだよね?」
「観た。でも…わからなかった」
「え?」
「観た、ということは覚えているんだけど、それがどういったものだったのかが…何故か思い出せない」
 お姉ちゃんは、きっとそれが彼女の力なのかもしれない、と言った。『記憶の支配』それが【岩倉玲音】の力…。
「大将戦が裏の抗争と【別物】として扱われている理由。それはきっと、彼女と、まだ姿を見せていない臨海の【大将】が大きく関わっていると思う」



「ところで咲」
 お姉ちゃんは、唐突に話題を変えた。
「何?」
「咲は、清澄の竜の事どう思ってる?」
「え?」
 いきなり何を言い出すのか、私には理解できなかった。
「何や何や?恋バナか?」
「ちょっと怜、アカンってそんな」
「あの、お姉ちゃん、何でそんなこと訊くの?」
 今それどころの状況じゃないと思うし、本当に唐突過ぎて頭が上手く回らなかった。
「いや、何か気になって。今副将戦だし」
 いきなり過ぎる。確かに竜君は副将で、今打ってるけど関係ないよね?
「ご…ごめん。……私……アミナちゃんの様子見てくるね!」
 私はそう理由を付けて病室を飛び出した。顔は、たぶん真っ赤。あれ以上は恥ずかしくて、あの場所にいられなかった。

 会場に着く頃には、副将戦は終わっているかな。







 対局ステージの扉の前に立っていた高津の隣に、白糸台大将、岩倉玲音がいた。
 彼女の手には買い物袋。重そうに両手で持っている。コンビニの帰りに、彼女はここに立ち寄った。
「こうなることを、あんたは知っていたのか」
 高津は彼女に訊いた。
「うん」
「なら…一つ頼まれてくれるか?」
「何?」
「あんたが本当に世界の記録に干渉出来るというのなら…書き換えるということが出来るのなら…この対局を『公開したまま』にしてくれないか」
「どうして?」
「この対局を…そしてあのケイという『雀士』(おとこ)を、全国の極道たちに見せてやりたい」
「私が訊いているのは、公開したままだと誰かが止めに来る、ってことなんだけど」
「それも何とかしてくれ」
「それじゃあ二つだよ?」
「頼む」
 彼は頭を下げた。桜輪会高津組組長の彼が、成人にも満たないただの女の子を前に、膝を突き、頭を地につけた。
「そんな、いいよおじさん。意地悪言ってごめんなさい。大丈夫、何とかするから」
 彼女は少しテンパり気味に返した。
「すまない…」
 そう言って彼は立ち上がり、そしてカードキーで扉を開けようとした。
「待って」
 彼女は彼を引き止め、買い物袋から酒の入った一升瓶と、ホッチキスを取り出した。
「これ、いるよね?」
「おいおい。あんた本当にカタギかよ」
 笑顔と共にそれを渡された高津は、その表情を若干引きつらせた。
「それに…もう一つ必要な事、あるでしょ?」
「ん?」
「そのままだと手術…一人じゃ出来ないじゃん」
「……あんたには頭が上がらないよ……岩倉玲音さん……」






「どういうことだおい…なんで対局が中断されないんだ!?警備は何をしている?」
 実況・解説ルームも、もう仕事どころでは無かった。対局が中断されるどころか、中継すら中断されない異常事態。
「あれ…ヤバいよね。救急車ってもう誰か手配したよね…?」
 恒子ですら、もうその高いテンションを維持することは出来ず、声を震わせていた。
「こんなことが、この舞台で起きるなんて」
 健夜達が抱いていた悪い予感は、その予想を遥かに超える形でそこにあった。
「止めてくる」
 安永は立ち上がった。彼らのいる実況・解説ルームは、会場内に設置されている。数分も掛からず彼は現場に向かえるはず、だった。
「何…だと?」
 安永は部屋の扉の前で固まった。
「これは…何?」
 目を疑った。扉を開けたその先の空間が、黒一色だったのだ。その【黒色】はまるで壁のようになっていて、安永はその先に行くことが、外に出ることが出来なかった。
「夢でも…見ているのか……」
 この世の理を超えたような現象は卓上で幾度となく見てきた。だがこの現象は、もはやそれらの次元を遥かに超えている。
「電話は、どうですか?」
 健夜が言った。しかし、携帯も圏外。安永達は、その対局の行方を、ただ見守るしか出来なかった。



「ただいま帰りましたーってあれ…?何か増えてません?」
 買い出しから帰ってきた京太郎は、その部屋の人数が増えていたことに関して疑問を投げかけた。
 その部屋には、帰って来ていた傀とアカギに加え、白糸台高校の竹井と、臨海高校のフランケンと千夏もいた。彼等3人がここに来たのは、フランケンが清澄を応援したかったという理由。他に行くところも無かった竹井はそれについてきた。D・Dの計らいで、この会場内に警備員がいないことがこのことを可能にした。
 だが状況は、それどころでは無かった。室内の空気は重い。
 モニターに目を向けた京太郎は、固まった。
「これ…なんで…なんで、そのままなんですか?誰も、止めないんですか?」
 京太郎は恐る恐る訊いた。
「止めたくても止められないんだろうな。扉開けてみろ」
 竹井が答えた。京太郎はその通りに、自分が今閉めたドアを開いた。その先にあったのは【黒色の壁】。
「ということだ。入ることは出来ても、出ることが出来ない。おそらく会場内のどこもそんな感じなんだろ。どうしようもない」
「まぁ安心しろ京太郎。たぶん副将戦終了までだ」
 アカギが言った。京太郎はその理由を訊く。
「この事態を作っている者の意図について考えれば簡単さ。そいつの目的は対局の継続。あの対局が終わるまで、誰にも介入させないつもりなんだろうぜ」
「……まったく、どういう神経してるんだよお前は」
 京太郎は背負っていた買い出し用のリュックを降ろし、大きなため息をついた。この状況に平然としているアカギ達を見て、事態にパニック気味になっている自分が少々馬鹿らしく思えた。



 阿知賀女子控室も同様だった。外に出ることが出来ない。
「灼ちゃん…」
 玄を始めに、異常事態の中心ともいえるあの場にいる灼の事を、メンバーは案じた。
 しかし同時に、やはり恐れもした。あの異常事態の中でさえ動じず、淡々と打っている灼を…そして彼女の氷のような瞳を。
 幼い頃から大人と打ち、大人の対局を見てきた灼。彼女にそう言った側面があるのではと薄々感じていた。そして、今彼女が纏っている空気を晴絵は知っている。
(小鍛治…健夜さん……)
 晴絵の頭に過ったのは10年前、小鍛治健夜との対局のことだった。今の灼は、健夜が纏っていたものと似ている。
 それは…裏の世界を経験してきた者が纏う独特の空気。人鬼のそれであった。
(なんであの時、私の足は止まってしまったんだろう…)
 彼女は、前半戦終了時、灼の傍に行けなかったことを後悔した。
(私も……10年前……『そうなっていた』のに……)



 会場外の者に対しては位置情報の消去。会場内の者に対しては閉鎖空間の形成。大まかに言えば、この2点が玲音の行った『書き換え』である。
 位置情報の消去とは、単にネットにおけるものだけでは無い。人々の記憶からも、会場の位置を一時的に消去した。仮に目の前に会場が存在したとしても、その者の眼には映らない。認識されない。
 会場内に置いては、各校控室、実況・解説ルームの空間を閉鎖し、中から出ることが出来ないようにした。正確には、扉の先に【黒色の壁】が存在するという記憶を各々に形成させている。
 対局室に関しては閉鎖する必要が無い。対局室はカードキーが無くては入ることが出来ず、その持ち主である各校代表選手や安永などは部屋を出ることが出来ない。

 書き換え対象にならなかった者は、対局者の4人と高津、事情を知っているD・D、そして、会場に向かっているアミナと宮永咲のみ。

「こんな感じで良いかな?」
 現在、臨海高校控室には3人しかいない。D・D、ヴィヴィアン(仮眠中)、そして玲音。
「何故アミナと宮永咲を?」
 D・Dは彼女に訊いた。
「うーん…。何となく?」
「嘘が下手だね。明確な理由があるんだよね?」
「うん。でも、そんなのどうだっていいよ。あなたにとっては」
 そう言って、彼女は姿を消した。
「まぁ…愛、と言ったところかな」
 D・Dはクスリと笑い。その視線をモニターに戻した。






 ポタリ…ポタリ…

「白虎さん……はい……約束の……6索…」
 『その後』、彼は6索を河に置いた。
「…これで……残る約束は……や……柳さんとの…約束……桜輪会を…勝たせる……」
 彼は続ける。
「ボクは全ての約束を守る!」
 彼の胴からは、血が滴り落ちる。割れたその隙間から、微かにはらわたがはみ出している。
「一つ言っていいかケイ」
 白虎が口を開いた。
「まず、そんなことをしたらもう試合は中止だ。数分もしないうちに、警備が、そして救急車が来る。何もかも終わりじゃないか。そうなったら勝負は、こっちの勝ちで良いよな?ハハッ」
 軽く笑いを交えて白虎がそう言った直後、ケイはナイフを卓に刺した。
「まだ…だ…。ボクは……生きている……勝負は……これからだ」
 朦朧とする意識の中彼は、一つ一つの言葉を絞るように声にした。その覇気に、白虎は若干押された。
「…あぁそうかい。『二代目 氷のK』も女のためには熱くなるもんなんだな…。いいだろう。中断が入るまでなら続行してやる」
 彼は手牌を倒した。

南家 白虎 手牌

1122333444578 ロン 6 

リーチ一発 ドラ 4索 一本場

竜(清澄)     104200
ケイ(臨海)    72700(-32300)
白虎(白糸台)   138100(+32300)
灼(阿知賀)    85000

「跳満だと思ったのか?倍満だと思ったのか?残念…役満だ」
 その時、扉が開く音がした。
「ということだ。どの道、お前が勝つということは無かったって事。お疲れさん」
 だが、対局室に入ってきたのは警備員でも、救急隊員でも無かった。黒いスーツを着たヤクザ、高津だった。
「はっ!裏切り者を直接処刑に来たってか。随分とぶっ飛んでますね、あんた」
 否。高津は舞台に上がった後、ケイを押し倒し、自分の腕と、彼の胴に酒をぶっかけた。
「あんた何を!?」
 そして、はみ出しかけていたはらわたを中へ戻し、ホッチキスで蓋をした。
(痛みが…無い?)
 本来なら絶叫と共に、体は暴れ、他の誰かに体を押さえてもらわなくては、その手術もどきをやることは困難であった。だが、まるで麻酔をかけられていたように、その際のケイに痛みは無く、滞りなくそれは終了した。
(岩倉玲音……痛覚の遮断までしてくれた。まったく、神様だよ。あんたは)

「おいおいおいおい…随分とクレイジーなことしますねあんた達…」
「『ということだ』……続行だ…白虎…」
 高津は微笑みを交え、そう言って白虎を見た。
(これで…まだ、戦える…)
 彼は立ち上がり、椅子に着いた。
「ケイ、お前は桜輪会の一軍だ。死ぬなら雀卓で死ね」
「はい…高津さん……」
 彼の肌は血が抜けたように青白く、まさに死人のように冷たかった。
(はは……なるほど…竜も、いつもこんな感じなのかな…)
 ケイは、同じように青白い肌を持つ竜を見て、そう思った。
 その卓には、生者と死者の間にいる者が、二人いた。






 私は、きっと残酷だ。

「ツモ。3000・6000」

東3局 白虎

竜(清澄)    101200(-3000)
ケイ(臨海)   69700(-3000)
白虎(白糸台)  132100(-6000)
灼(阿知賀)   97000(+12000)


 臨海の彼は、負けたら確実に殺される。それでも私は和了った。なんの躊躇いも無く。私は残酷だ。

「ツモ……2000・4000……」

東4局 親 灼 

西家 ケイ 手牌

三⑤三⑤七七⑧⑧7白④④7 ツモ 白

一発 ドラ 無し

竜(清澄)    99200(-2000)
ケイ(臨海)   77700(+8000)
白虎(白糸台)  130100(-2000)
灼(阿知賀)   93000(-4000)

 理牌されていないその手牌が彼の疲労を物語っていた。
 タンヤオを捨て白単騎に受けたのに一瞬疑問を持ったけど、直ぐに答えが出た。血が付いている。警備も来ないし、牌の交換も無い。
 でも、卑怯だとは思わない。それほど彼は必死なんだから。
 それに

「ツモ。1300・2600」
 私は冷酷だ。卑劣だ。鬼畜だ。彼を非難出来る人間じゃ無い。

南1局 親 竜

竜(清澄)    96600(-2600)
ケイ(臨海)   76400(-1300)
白虎(白糸台)  128800(-1300)
灼(阿知賀)   98200(+5200)

 私は阿知賀女子の部長。鷺森灼。多くの人の意思を背負って、今ここに居る。
 でも、私がこうなっているのは、たぶんそういうことじゃない。私は、私だけのためにこうなっている。
 きっと私の背中は、煤けている。
 私は灼かれている。臨海の彼も、竜司君も、勝負の焔に灼かれている。子供の頃から見てきた世界。私はその世界に憧れていたのかもしれない。だから今、こんなにも私に馴染んでいる。
 阿知賀の皆は、応援してくれている皆は、私を冷たい人間と思うんだろうな。私はこんなにも、燃えているのに。


 ごめん…みんな…


 私はもう…止まらない…









「違う…」
 宥は否定した。鷺森灼は、冷たい人間なんかじゃない。
「灼ちゃんは今…燃えている……お母さんみたいに…」
「お姉ちゃん?」
 玄が訊いた。
「お母さんは…冷たくなんか無かった。次鋒戦終盤の時…私…お母さんを感じたの」
 宥は、場の全てを凍りつかせた『緑一色』の事を話した。
「あの時…私は燃えていた。きっと、灼ちゃんもそう…だから…」

「当たり前じゃない!仲間なんだから!」
 一番に応えたのは憧。
「灼さんは私達の部長です!」
 次に穏乃。
「そうだね。応援しなくちゃ」
 そして玄。

「『ということだ』、宥。心配不要だったね」
 晴絵は思った。みんな同じだった。露子も、宥も、竜も、健夜も、そして自分も。誰一人、本当に冷たい人間なんていない。誰も彼もが勝負の焔に灼かれて、誰も彼もが燃えていた。それだけなのだ。







南2局 親 ケイ ドラ 1

 ケイの状況は厳しい。最後のこの親番で稼がなくては、逆転は困難である。

「ポン」

 その局終盤、竜が前に出てきた。

北家 竜 手牌

?????????? ポン 一一一(上家ポン)

打 六萬

 竜だけでは無い。灼も攻める。萬子の染め手気配のある竜に対し、二萬を切る。

「チー」
 
 彼はまた哭く。

北家 竜 手牌

??????? ポン 一一一(上家ポン) チー 二一三

打 八萬

西家 灼 手牌

①①①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨⑨

 ここに来て灼は9面待ちの九蓮を張る。
(【ストライク】。10年ぶりに張った)

 二人だけでは無い。白虎も聴牌していた。

南家 白虎 手牌

1123344667788

(慈悲などかけるかよ。ここまで来たら完全に勝つのも悪くないしな)

 しかし、彼らの手が成就することは無かった。

「ノーテンです…」
 ケイは手牌を伏せ、宣言。その局は流局に終わった。


南家 白虎 手牌

1123344667788

西家 灼 手牌

①①①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨⑨

北家 竜 手牌

二四四四九九九 ポン 一一一(上家ポン) チー 二一三

東家 ケイ 手牌

三⑤二5⑦⑧三62279発

竜(清澄)    97600(+1000)
ケイ(臨海)   73400(-3000)
白虎(白糸台)  129800(+1000)
灼(阿知賀)   99200(+1000)


(ガンが付いている局とはいえ…よく…抑えた。だが、やはり生半可な雀士じゃないな…彼らも)
 高津はケイの驚くべき集中力と、他の三人の力に戦慄した。
(特に阿知賀…。ここは、ただの女の子なら逃げ出したくなるであろう修羅の世界。にも関わらず、平然としてやがる…。『このインターハイ』で決勝まで来るだけのことはあるか…)

南3局流れ1本場 親 白虎 ドラ 7

(まったく…どいつもこいつも…すんなり行かせてもらえないもんだな)
 8巡目、白虎は灼が切った8索をポンした。
(特にこいつだ。何もんか知らないが、こいつはただもんじゃない。少なくとも狂人の領域。この状況下で、眉一つ動かしていないなんてな)
 彼は思考すると同時に、竜の動きを見逃さなかった。
(今、竜の右手が微かに動いた…)

西家 竜 手牌

?????????? チー 七八九

 白虎は灼から8索を鳴いた後、ドラの7索を河に置いた。

「ポン」

(竜が…哭いた)

??????? チー 七八九 ポン 777(対面ポン)

 竜は7索を鳴き、打9索。

2巡後 白虎 手牌

南南南白白発発発中中 ポン 888(下家ポン) ツモ 南

「カン」
 白虎はツモってきた南を暗槓。新ドラは7索。
(竜にドラ6を与えちまったか…)
 嶺上牌は8索。
(下家からポンした8索…。オレが8索をポンした時、竜の右手が微かに動いた。竜は8索をチーしようとした。間違いねぇ)
 彼は竜の捨て牌を見た。竜が9索を河に置いた次巡、竜は西を手出ししていた。また、一萬が四枚見えている状況であり、一通は存在しない。
(779索以外の形はありえない。七八九萬チーと777索ポン…役は、役牌のみしかない。キー牌の白も中も、オレがツモれば和了で終わりだ)
「カン」
 彼はその8索を加槓。

「ふっ」
 竜が、笑った。

「何笑ってんすか竜さん。あんたの手はもう死んでる。この局はオレの…」
「それ、ロンだ…」
「は?」
 白虎の表情に緊張が走った。


西家 竜 手牌

⑦⑧⑨7999 チー 七八九 ポン 777(対面ポン) ロン 8

竜(清澄)    113900(+16300)
ケイ(臨海)   73400
白虎(白糸台)  113500(-16300)
灼(阿知賀)   99200


(馬鹿な…)

「ロン!12000!」

(馬鹿な……)

 オーラス、今度は親の灼に振り込む。

竜(清澄)    113900
ケイ(臨海)   73400
白虎(白糸台)  101500(-12000)
灼(阿知賀)   111200(+12000)

「1本場です」
 灼の親は続行される。

南4局1本場 親 灼 ドラ 南

(まさかの3着…。だが、ケイとの点差は28100。倍満の直撃でなければ逆転にはならない。最低限の仕事は達成できる)
 同時に白虎は、出来るならこの局で決めたいとも思っていた。
(ケイが腹を切ったあの局、卓に残っていた牌のいくつかに、奴はガンを付けていた。東4の白単騎ツモ。南2の振り込み回避。南4は阿知賀に振り込みはしたが、ガン付きの牌の時だったのは逆にラッキーだった)

「ポン」

 ケイは灼の第1打、⑧筒を叩いた。

西家 ケイ 手牌

?????????? ポン ⑧⑧⑧(対面ポン)

 白虎はケイのその動きに思考を巡らせる。
(早い手か…。さすがにこの面子で逆転手をのんびりと作ることは困難と思ったか…。混一や対々含みか?倍満なら、役牌やドラも絡めてくるはず…。あるいは清一…)
 そして彼は阿知賀も意識した。
(その特性から筒子の集まりやすい阿知賀が、第1打に筒子…。こっちも早いか…。だが)

北家 白虎

二五六七七八2369南北北 ツモ 4

打 二

(こっちの手も早い)

2巡目、灼の打西をケイは鳴いた。

西家 ケイ 手牌

??????? ポン ⑧⑧⑧(対面ポン) ポン 西西西(対面ポン)

(これで清一は消えたか)

北家 白虎 手牌

2巡目

五六七七八23469南北北 ツモ 5 打 9

3巡目 

五六七七八23456南北北 ツモ 一 打 一

4巡目 

五六七七八23456南北北 ツモ 二 打 二

5巡目

五六七七八23456南北北 ツモ 三 打 三

 この土壇場で、3巡連続の無駄ヅモ。しかも面子の形。彼は舌打ちする。
 そして6巡目、ケイの河に南、ドラが切られる。
(ドラ?…もうドラがいらなくなったってわけか…?西、混一、対々…赤⑤筒が二枚・・発か中が暗刻の形…これか)
 思考だけでなく、彼の表情に焦りが見え始めていた。しかしようやく、彼は最後の有効牌をツモる。

6巡目 北家 白虎 手牌

五六七七八23456南北北 ツモ 九 

 彼は小考した。
風牌の北が雀頭のため平和が付かない。リーチをかけなかった場合、1索では出あがり出来ない。

西家 ケイ 捨て牌

二[五]9白6南

(張っているか?…いや……違う)
 白虎は否定した。
(ケイのドラ切り…ブラフだ。この局…オレ以外で和了りの気配のある奴は第1打に筒子を払っている阿知賀。今の奴の流れなら連荘出来ると読んでいる。そして次局、ガンの付いている局での逆転に賭ける気…)

「早く切りなよ。時の刻みはあンただけのものじゃない」
 対面の竜が言った。
(たく、いちいちうるせぇな…)
「はいよ!切ってやったぜ」
 彼は打牌に苛立ちを混ぜ、そして宣言。
「リーチだ」
 河に曲げられた牌は、南。
(これで決着だ)
 そう彼が確信したその瞬間


「ポン」


 その声はケイ。


「ポン?」
 白虎は目を疑った。耳を疑った。想定しない未来の形がそこにあった。

西家 ケイ 手牌

???? ポン ⑧⑧⑧(対面ポン) ポン 西西西(対面ポン) ポン 南南南(下家ポン)

(何故、奴はドラを切った!?暗刻だったドラを何故!?)
 結論は、7巡目の彼のツモによって直ぐに出た。白虎がツモったのは⑨筒。

「ポン」

西家 ケイ 手牌

? ポン ⑧⑧⑧(対面ポン) ポン 西西西(対面ポン) ポン 南南南(下家ポン) ポン ⑨⑨⑨(下家ポン)

(リーチか…。リーチでオレの手を塞いで、『お前のツモ』を増やす為か!)
 白虎がリーチをかけた以上、彼のツモは事実上ケイのツモでもある。
「だが、同時にオレのツモだって増えている。貴様がオレのアタリ牌を掴めば、その時点で終了だ。そっちは裸単騎、こっちは3面張…勝つのは当然こっちだ!」

「白虎さん…」

 ケイが口を開いた。


「震えてるよ」




 リーチで白虎の手を塞ぎ、デスマッチに持ち込む。
 『それもある』
 だが、ケイの目的は他にもあった。寧ろ彼にとっては、こちらの方が重要である。
 それは、白虎から出された【リーチ棒】である。今のケイにとって、その1000点は何よりも大きい。
 この戦争は、臨海高校と白糸台高校、及び、そのバックにある、桜輪会と共武会の戦争である。ケイの目的が戦争の決着のみであるなら、白虎から倍満の直撃を奪えばいい。暗刻のドラを切るという罠も、絶対的に必要な戦術では無い。
 だが、彼にはもう一つの目的がある。それは【名簿】。【名簿】を賭けた勝負に挑むためには、この副将戦で臨海が一位で終了しなくてはならない。
 南4局1本場開始時の点数は以下の通りである。

竜(清澄)    113900
ケイ(臨海)   73400
白虎(白糸台)  101500
灼(阿知賀)   111200

 仮にここでケイが役満をツモった場合、こうなる。

竜(清澄)    105800(-8100)
ケイ(臨海)   105700(+32300)
白虎(白糸台)  93400(-8100)
灼(阿知賀)   95100(-16100)

 この場合、100点足らず二着で終了してしまう。
 ケイが欲しかったのは、このための1000点である。

 ケイがこれほどまでに【名簿】を求める理由、それはアミナのためであった。
 ケイが代表に選ばれて二か月後、アミナの腎芽腫が発覚した。進行はもはや緊急手術を要するほどであった。ケイは高津に頼むも、一旦は拒まれる。
 高津は条件を持ち出した。【名簿】を手にしたら助ける、と。高津は【名簿】獲得のために、アミナを餌にケイを動かしたのだ。
 アミナの手術は先に行われた。そのままだった場合、大会終了前にアミナが死んでしまうためだ。だが、まだアミナは本当に助かってはいない。ケイがもし【名簿】獲得に失敗した場合、アミナは手術の前の状態にされる。つまり、アミナは殺される。
 ケイは、絶対に勝たなくてはならない。

 次巡、そしてさらに次巡と状況は拮抗する。
 ケイと白虎、互いが無駄ヅモを繰り返し、互いが相手のアタリ牌を引かない。

 13巡目に差し掛かる頃、ケイの体力は限界に近づいてきた。呼吸も荒くなっている。だが、気迫と集中力だけは、維持されるどころか研ぎ澄まされていた。
 白虎は彼の眼を見ることが出来なかった。見てはならないと、直感がそうさせていた。身体がそう動いていた。

 13巡目、ケイは西を引いてくる。和了牌の【⑤筒】よりも『前』に引きたかった牌。これをケイは加槓した。

西家 ケイ 手牌 

⑤ ポン ⑧⑧⑧(対面ポン) 加カン 西西西西(対面ポン→加カン) ポン 南南南(下家ポン) ポン ⑨⑨⑨(下家ポン)

 嶺上牌は④筒。和了牌では無かった。阿知賀に危険である筒子だが、切るしかない。
 反応は無く、次に新ドラ。ケイが欲しかったのは、新ドラだった。白虎にとってはどちらでも変わらないが、ケイにとってはこの新ドラは数え役満のための必須条件。
 しかし

 新ドラは8索。

(まだ…まだ終わっていない…)
 新ドラは乗らず。
 それでも彼は、まだ諦めなかった。

 だが、終局は近付いていた。
 その場の誰もが、後1~2巡で全てが終わると、そう感じていた。

 同巡、白虎が引いてきたのは8索。それに触れた瞬間。彼は感じた。これが、この【8索】が結着の牌だと。
 8索は静かに河に置かれた。
 静かだった。何もかもが静かだった。

西家 ケイ 手牌

⑤ ポン ⑧⑧⑧(対面ポン) 加カン 西西西西(対面ポン→加カン) ポン 南南南(下家ポン) ポン ⑨⑨⑨(下家ポン) 

北家 白家 手牌

五六七七八九23456北北

東家 灼 手牌

[⑤]⑤⑦⑦白白白発発発中中中

 ⑤、⑦筒待ちの【リリー】…大三元を張っていた彼女も、その時感じた。結着の瞬間を。

南家 竜 手牌

3334446777888




 己は他人のためには生きられない。悲しいほどに、己のために生きるもの。

 これまで竜は、ずっとそうやって生きてきた。
 己のために哭き、己のために勝つ。それが彼の人生だった。

 しかし今、ケイは他人のために生きている。自分の身を灼いてでも、悲しいほどに、他人のために生きている。

 

 竜は、その『哭き』に問う。
 己は、他人のために生きることが出来るのか。
 その答えを。




 竜は8索を哭き、嶺上牌をツモった時、微かに笑った。



 彼は3索を河にそっと置いた。
 新ドラは南。
 ケイにドラ6が乗った。



 渡された。
 そうケイ感じだ。
 運命を。そして結着を。



「ツモ……。8100・16100……」



西家 ケイ 手牌

⑤ ポン ⑧⑧⑧(対面ポン) 加カン 西西西西(対面ポン→加カン) ポン 南南南(下家ポン) ポン ⑨⑨⑨(下家ポン) 

ツモ [⑤]


 そして竜は、手牌をそっと手前に倒した。


南家 竜 手牌

334446777[5]  大明カン 8888(対面カン)


竜(清澄)    105800(-8100)
ケイ(臨海)   106700(+32300 +1000)
白虎(白糸台)  92400(-8100 -1000)
灼(阿知賀)   95100(-16100)










「竜さん、一つ訊いていいですか?」
 ケイが言った。
「何故【8索】を見逃したんですか?」

 竜は答えた。

「【8索】など見逃していない…。見逃したのは、あンたの命…」

 竜は続けた。

「重い命…。大事にしなよ」


「そう…ですか……」
 張りつめた線がぷっつりと切れたように、ケイはその場に崩れ落ちた。
「緊張の線が切れたみたいだな。安心しろケイ、病院には連れて行ってやる」
 そう言って高津はケイを背負って、加えてこう言った。
「よくやったな…」

「はー…負けちまったな。これからオレ、どうなるんだろうなぁ…」
 ため息と共に、白虎は言葉を漏らした。
「知らん。貴様自身で何とかしろ」
 そう高津は言い放った。
「はっ!厳しいもんですねぇこの世界って」
 と言いながらも、その声に震えは無く、若干の余裕さえ見受けられた。高津は、何だかんだでこいつは生きていくんだろうな、と思った。
「あ、ケイが起きたら伝えておいてください。【約束】は守るって。オレ、結構こう見えて義理深い人間なんですよ」
「ああ…伝えておく」
 高津はステージの階段前で一旦止まり、そう返した。

「あと竜さん」
 白虎は、今度は竜に声をかけた。
「あんたの母親…露子さん。本当に親父の娘だと思うか?」
(露子さん?)
 聞き覚えのある名前に、灼は一瞬反応した。
「俺のおふくろは、誰のものでも無い。知っているのはそれだけだ」
 とだけ竜は答え、ステージの階段を降りた。



 高津が対局室の扉を開いた。その先にいたのは、アミナだった。
 眼からは涙が溢れており、血で汚れたその手は、何度もこの扉を叩いていたことを物語っていた。
 高津は微笑み
「二人そろって病院行きか…」
 と呟いた。



 灼が対局室を出たのは最後だった。
 彼女の足は重かった。阿知賀のメンバーは、そして晴絵は、自分をどう思うのか。それが怖かった。
 だが彼女を待っていたのは、晴絵の抱擁だった。晴絵は何も言わず、灼を強く抱きしめた。他のメンバーも、何も言わなかった。ただそこには温かい空気があるだけ。
 灼は静かに、晴絵の胸の中で泣いた。




「おつかれ。竜」
 清澄高校控室前の廊下。竜を待っていたのは大将のアカギ。彼はこれから対局室に向かう。
「すまなかったな」

「まあ気にするな」
 彼は竜の肩をポンと叩き、先に進んだ。


「アカギ」


 アカギが先に進んで数歩したところ、竜が引き止め、そして言った。

「後は任せた」



 声は小さく、若干の照れあるように、アカギは感じた。

「ククク…任せとけ」
 そう返し、彼は前に進んだ。



「竜君!」
 そしてその竜の前に居たのは、咲。
 ここまで走って来ていたのか、息を切らしていた。
 彼女は呼吸を整え、可能な限りの笑顔と共に、こう言った。
「お疲れ様!」

 竜は笑った。
 その笑顔はこれまでしてきた相手を刺す様な微笑では無かった。
 それは穏やかで、温かみと安らぎのある、少年の笑顔だった。

「まるで、夢を見ているようだな…」
 それは、誰にも聴こえなかった、彼の小さな呟きだった。











 ケイが目を覚ますと、そこは病室だった。
「ケイ、起きたか!」
 視界に、アミナがひょっこり入ってきた。
 張りつめていた全てから解放されたような気持ちになった彼は、その目に若干の涙を溜めた。
「泣いているのか?」
 アミナが訊く。
「あ…ち、違う…これは、あくびだ…」
 彼の顔は少し赤くなった。

「よお新入り。目を覚ましたか」
 声をかけたのは、同室している園城寺怜。彼女達と同じ部屋だった。
「あ…あなた達は」
 彼は目を擦り、訊いた。
「もし手が動くなら打たない?三麻が続いて退屈していた所だったし」
「白糸台の宮永…照さん…」
「せやでー、三麻やとチャンピオンの打点がとんでもなく上がるから止めようがないんよ」
「まぁあんたもあんたで、3巡先どころか10巡先は見えるようになっとるやん」
「千里山の園城寺怜さんに、清水谷竜華さん…」

「打てるか?ケイ。アミナ、ケイが打っている所、見たい!」
 アミナ。
(生きている。ボクも、アミナも)
 彼は、両手を数度グーパーさせ、そして言った。
「打てます」

 生きている。そしてまた、戦える。

 彼はまた、戦場に向かった。
























[19486] #46 オーバーワールド その1
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/04/24 19:04

 






【岩倉玲音について】




 岩倉玲音。
 彼女はこの世界の人間では無い。【隣の世界】からこの世界に来た少女である。無数に存在する【隣の世界】の中の一つ、そこから彼女は、【青山和】と共に次元を越えてこの世界に来た。『彼ら』と打つために。
 彼女は赤木しげるから麻雀を学んだ。彼女の世界での赤木しげるは50を超える中年。時代も、この時代より未来である。
 
 玲音の父親は、ギャンブルに足を運んでいる間の面倒見として、彼女を赤木の所に行かせた。それが二人の出会いだった。
 幻視、幻聴等、その頃精神的に不安定だった彼女であったが、赤木との交流を深めるうちに、その幻と向き合うようになる。そしていつしかその幻は、真実となって彼女と共に生きることになった。それがもう一つの人格…【lain】である。
 赤木しげるの死を看取った三年後、高2のインターハイを終えた後、彼女『達』は玲音の創造主と名乗る英利政美という男と接触し、彼女の正体が、世界の記録を書き換えることの出来るプログラムであることを知らされる。英利は玲音を使って、世界の意思を一つにしようと試みたが、彼女達はそれを拒絶し、英利政美の記録を書き換え、その存在を抹消した。
 
 彼女が高3に進級した春、【麻雀の意思】に接触した翌週のこと。
 彼女達は【Time Wanderer】青山和と出会う。彼女から【隣の世界】の存在を知らされた玲音は、その好奇心から、彼女と共に旅をすることにした。
 青山和と共に【隣の世界】を渡り歩く中、彼女達はノイズが異常に多い世界を発見する。その世界では、青山和でさえ介入出来ない時間帯が多数存在する。その内の一つが【第71回全国高等学校麻雀選手権大会】…『インターハイ』の決勝、その大将戦である。
 その舞台に集まる『二人』を玲音が知った時、この時間に和が介入出来ないことに納得した。それ程までに、この『二人』の存在は強過ぎる。その存在は、時空すら歪ませていた。
 
『彼らと打ちたい』

 【松実露子】と打った時と同様、玲音はそう思った。
 だから彼女は、ここに居る。


「そろそろ出番ですね…玲音さん」
 白糸台高校控室、そこに居るのはもう二人だけになっていた。
「うん。それにしても和ちゃん一人で寂しくない?」
「…はい…ちょっとさみしいかもです…」
「清澄高校の控室が大分賑やかだから、そこに行くと良いよ。ここと同じように、視界からは消しておくから」
「…そうですね。そうさせてもらいます」
「うん」
「では、行ってらっしゃい。『二人とも』頑張ってくださいね」

「「うん」」

 部屋を出る直前、彼女は足を止め振り返った。
「ねぇ和ちゃん…ぎゅってしていい?」
「え?どうして…」
 玲音は和の答えを待たずに彼女に抱きついた。
「これから2時間くらい、和ちゃん分が吸収できないからー」
 彼女はそう言いながら和の大きな胸に頭を擦り付けた。
「ちょ…ちょっと玲音さん…」
「胸も吸収出来たらいいのになー…」
「そんなオカルト…ありえませんっ!」
((ちょっと玲音!いつまでやっているの?行くよ!))
 彼女の中に存在するもう一つの人格、【lain】が彼女を引き止めた。
「lainも感じてるんだからいいじゃん~」
((あんたと同じにしないで!まったく、いつからこんな性格になったのかしら))
「私は昔からこうだよー」
((絶対に違う!和に会ってからだわ。胸なんてあっても仕方ないじゃない))
(相変わらず、ややこしい性格ですね)
 とりあえずは抱いている玲音の頭を撫でながらも、和はそう思った。







 副将戦の時に起きた事件については、それを目撃した全ての者の記憶には灼きついた。しかし、その全ての【記録】は消去され、存在していたのは別の記録であった。独自に録画している者の記録でさえ、別のものになっている。
 結局、その事件が起きた証拠を、誰一人として提示することが出来なかった。また、会場の位置情報は依然書き換えられたままであり、外から大会を中止させられることも無かった。
「夢でも、見ていたみてぇだ…」
 安永はぼそっと言葉を漏らした。
「そうですね…」
「まぁ気にしていても仕方ないですよ。切り替えようよっ」
 恒子はそう言いながら、携帯を取り出した。
「電波は止まっているよ?こーこちゃん」
 健夜が言った。
「あ、えっとね、大将戦の面子についてですよ」
「ん?どういうことだ?」
 安永が訊いた。
「臨海高校の大将だけ、発表が無いんですよ」
 恒子が答える。
「…は?臨海の大将は【武田俊】じゃないのか?」
「それは表向きの情報です。実況もそっちの名前でやることになりますけど、大将戦の前に、局の方からメールで、本当の方を教えてもらうことになってるんです。ちょっと、意味が解らないですけど」
「でも、今は通信が…」
 健夜がそう言った瞬間、携帯に目をやっていた恒子の表情が、固まった。
「それが…来ているんですよ……」
 彼女は、まるで信じられないものを目にしているような雰囲気を漂わせた。
「ちょっと見せてみろ」
 安永は恒子から携帯を取り上げた。
「それ…同姓同名な…だけでしょうか…」
 恒子は恐る恐る訊いた。

 そしてモニターに『その人物』が映った。









 アカギが対局室に入った頃、既にステージには先客が一人いた。玲音である。
 玲音は振り返り、ステージの階段を登るアカギを見た。
 アカギは階段を登る途中足を止め
「あんた、どこかで会わなかったか?」
 と言った。
「初めまして…だよ?」
 玲音は微かに笑い、そう答えた。

 続いて阿知賀女子大将、高鴨穏乃が入ってきた。
「今日は、ジャージじゃないんだね」
 玲音は訊いた。穏乃の服装は普段のジャージでは無く、制服だった。
「えっと、メンバーの憧に言われて、阿知賀の代表なんだから、代表らしく制服で…って感じです!」
「良い、心構えだね」
「でもこの制服、憧に借りたんですけどね」
 照れ含みの微笑を零し、彼女は場決めの牌を裏返した。





「ん…起きたのかヴィヴィ」
 仮眠を取っていたヴィヴィアンはソファーから体を起こし、モニターに目を向けた。
「大将戦だよね。面子だけでも知りたいし」
「まぁそうだろうね」
「ところで誰よ。【武田俊】なんて嘘までついて、なんで隠す必要があったの?」
「いや、実際隠す必要は無かったんだけどね。ただ、ちょっと驚かせたかったって所かな」
「はぁ?…まったく、おっさんの考えることは理解できないわ」
「そうだね。驚く人間は、数えるくらいしかいないだろうし」











 最後に、『その男』が対局室に入ってきた。






「揃っておるようだな…」








 ガン、ガンと音をたて、力強くその男は階段を一段一段登る。

(うっ…)
 その禍々しい圧力に、穏乃は気圧され、口を押えた。
 一歩一歩近付いてくるたびに、彼女の寒気と吐き気は加速した。
(堪えろ…。ここで負けちゃ…駄目だ)
 彼女は耐えようとした。だが、足の震えは止まらない。肉体が恐怖から逃れられない。
 
 逃げろ。

 逃げろ。

 逃げろ。

 彼女の直感はそう訴えている。
 
 だが、彼女は逃げなかった。
 自分は今、一人でここに立っているわけでは無いからだ。
 仲間の想いと共に、ここに居る。

(震えてもいい…怯えてもいい……でも、逃げちゃだめだ!)

 それが、今の彼女を支えていた。








 アカギは振り返り、対局室に入ってきたその男を見、そして言った。








「やはり……生きていたか……。ククク…随分と若返ったもんだな」











「地獄から舞い戻って来てやったぞ…ッ!……赤木しげる……ッ!!!」












 そこに居たのは、闇の帝王【鷲巣巌】……その若かりし姿であった。























































[19486] #47 オーバーワールド その2
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/09/21 08:26




 鷲巣巌。
 彼がこの世に戻ってきた経緯を語るには、まずD・Dのことについて語らなくてはならない。
 D・D…デイヴィット・デイヴィスは病に倒れ、既に一度この世を去っている。彼が夢見た【楽園】…それを叶えることもなく、その生を終えたはずであった。
 彼は【名簿】を手にした日から、病に侵されながらも鷲巣の行方を捜した。世界中のありとあらゆるところを巡った。そして彼は確信した。鷲巣巌がいる場所は【オーバーワールド】であるということを。
 【オーバーワールド】…それは太平洋に作られた、異能者が集められていると言われている【島】。鷲巣巌はそこに居る。御伽噺の領域を出ないであろうこの説をD・Dが信じたのは、彼の命がもう残り少なかったことが大きい。
「根拠なんて無かったよ。妄信に近かったね。焦ってたのかな」
 後にD・Dは、当時の自分をそう自嘲する。
 家族を皆陸に置き、己は一人で海に出た。そして2週間後の太平洋上…D・Dの時間はそこで停止した。

 彼が目を覚ますと、そこには赤と黒を主とした背景。焦げたような臭いと蒸されているかのような熱気。聴こえてくるのは誰かの叫び声と、何かが砕けるような音や、切られたような音、裂かれたような音、弾けたような音。
 辺りを見回すと、阿鼻叫喚の世界が広がる。自分よりも何十倍も大きい者が、自分と同じ小さいものを殺している、道具にしている、食べている。その光景を見て、D・Dは笑った。
「まさか、これが【地獄】なんて言わないよな?」
 なんと生易しいものか。彼がこれまで見てきた世界の方が、よっぽどの地獄であった。そこらにいる【鬼】など、彼にとっては赤子以下であった。
 芸術的ともいえる彼の人体破壊能力を前にして、サイズなど何の関係も無い。そして彼は感じた。体力が回復しているということを。加えてその体力は全盛期のものであった。
 鬼達は慌てふためく。『ここにも居た』と。なんとD・D以外にも、この鬼達に立ち向かい、勝利し、駆逐している者がいるのだ。
 彼は先に進み、そして『彼』を発見した。
 鷲巣巌。彼がその『もう一人』であった。彼もまた、鬼に反逆する一人であった。
 そこが、彼等二人の出会いだった。

 鷲巣はD・Dに自分のことを訊いた。彼には、自分がここに居る理由がわからなかったからだ。D・Dは答える。鷲巣が赤木しげると対決し、敗北したということを。
 訊いた鷲巣は、俯き、そして黙った。続いて体を震わせ嗚咽を漏らし始めた。D・Dは黙っておくべきだったかと一瞬思ったが、次の瞬間、鷲巣の身体に変化が始まった。
 鷲巣の身体が見る見るうちに若返っていく。老体だったそれが、肌の張りを戻し、筋肉は膨れ上がり、髪は黒に戻っている。そして彼は声を震わせた。

「思い出したわ…赤木しげる……ッ!」
 
 鷲巣巌。彼の時間は、6回戦の南4局を残して停止した。1900CCの出血に、彼の身体は耐えることが出来なかった。

「それで…どうするんだい?」

「戻る…ッ!!戻ってやるぞッ!あの世界に。この世界が仮に地獄だったとしても関係ない…何としてでも戻る……ッ!!!」

「ふっ…乗ったよ。私もまだ死にたくないんでね」

 そして二人の旅は始まった。

 その世界は塔のようになっていて、地獄はその第一階層に過ぎなかった。彼らは第二、第三と進み続けた。階を進むごとに、敵は強大にそして禍々しく、この世のものからかけ離れていく。空間の有り様も、過酷なものとなっていく。

「まるでゲームのようだね」

「つまらん。これを考えた神がいるとしたら、そいつは相当の暇人で、マヌケに違いないな」

 第六階層からは悪鬼、魑魅魍魎の類のものは居らず、存在していたのは街、という空間であった。空も、太陽も存在する。一つの世界がその空間にはあった。しかし、現代的な街とはかけ離れていて、中世欧州の雰囲気を漂わせていた。大きな壁に囲まれた、巨大な街。中央には大きな教会のようなものが建てられている。
 そこの住民は好戦的な様子は無く、会話することが出来た。D・D達は訊いた。ここが何処なのかと。どういう所なのかと。
 壁の扉から来た者ということで一旦怯えはしたものの、D・Dが宥め、その住民は答えた。ここが【オーバーワールド】であるということを。

 【オーバーワールド】の正体。それは所謂『あの世』であり、その世界に行くためには、死を経験しなくてはならない。
 死んだ者の殆どはこの第六階層に来ることになり、ここで数年間『勤め』を果たした後、現世に転生する。だが、鷲巣達は当然『勤め』などするつもりは無い。
 『勤め』をせずに現世に戻るための方法は一つしかない。次元を越える権利を所持しているのは異能者達の巣窟、第七階層の王のみである。その王と『交渉』しなくてはならない。

 ワシズ達は王と面談し、『交渉』という名のギャンブルが始まった。
 行われた競技は、麻雀。
 卓に着いたのはワシズ達と、【れいん】と名乗るオーバーワールドの王と【松実露子】であった。
 そして、D・Dは知ることになる。『絶望』の意味を。鷲巣巌の、その全盛期の力を。







「似ているな…貴様」
 席に着いたワシズが声をかけた対象は玲音だった。
「誰に?」
 訊き返す。
「【オーバーワールド】の王…奴も名を【れいん】と言っていたな」
「そこにも…いたんだ、私を名乗る人…」
「【松実露子】共々、捻り潰してやったがな」
「大丈夫、安心して。私は他の誰でも無い…私は私、玲音だから」
「その言葉は、自分は【オーバーワールド】の王よりも『強い』ということにしておこう」
「察してくれて嬉しい。ありがとうワシズ『君』」

(今…玄さん達のお母さんの名前…言った?)
 それ以外、穏乃には何を言っているのか訳が分からなかった。ただ、この男にこれっぽっちも臆することも無く、しかも笑顔まで見せて受け答えするこの女の子は、只者では無いと感じた。

決勝 大将戦 前半戦

赤木しげる(清澄  1年)     105800
高鴨穏乃 (阿知賀 1年)     95100
鷲巣巌  (臨海  1年)     106700
岩倉玲音 (白糸台 1年)     92400

 席順はアカギ、穏乃、ワシズ、玲音の順となった。なお玲音の本当の学年は3年だが、学年ブーストによる有利さを得たくなかった玲音は、その記録を書き換えこの対局に臨んだ。
(もっとも、この人達相手じゃ、学年ブーストなんて意味ないかもだけど)


「それじゃあ始めようぜ鷲巣…『あの日』の続きだ」
 起家はアカギ。賽は振られ、

「あの時と同じと思うなよ…赤木しげる…」

「そりゃあ楽しみだ…。見せてもらうぜ、全盛期のお前を」

 闘牌は開始された。


 開始された。


 開始された瞬間、穏乃の手が止まった。

「え?」

 穏乃の目の前に、あり得ないものがあった。あり得ない現象があった。
 彼女は龍門渕との練習試合を思い出した。彼女達と打った天江衣を思い出した。彼女は言っていた。自分は牌が透けて視えると。彼女の言う通り、天江衣の麻雀はそれが出来なくては成立していなかった。
 現在、穏乃に訪れている現象はまさしく『それ』。山の牌…そして全員の手牌が全て、ガラスのように透けている。
(どうして?私に…何かがあったの?赤土先生達とのウォーミングアップの時?それとも、他に何か?)
 一つ一つが冷たい妖気さを漂わせているそれを見た穏乃は、その迫力にゾッとした。

「勘違いしているようだから教えてやる」
 明らかな混乱を見せていた穏乃に対してのワシズの言葉。
「貴様が今見えているものは、この4人…全員が同じように見えている」
「それが、ワシズ君の力だよ。彼の力は他者の認識にまで及ぶの。阿知賀の大将さん」
 玲音が補足した。
 
 穏乃は愕然とした。
 こんなに、こんなにもつまらないことがあったのか。

 山。

 彼女にとって麻雀の楽しさは、全てそこにあった。
 これから駆け巡る山が、毎回違う山が立ち上がることに彼女は楽しみを覚えた。
 しかし今その山は、初めからその解答を見せている。これからの一歩一歩、その先に見える未来、その結末…全て。

「ツモ。8000・16000」

 全て。

アカギ(清澄)     89800(-16000)
穏乃 (阿知賀)    87100(-8000)
ワシズ(臨海)     138700(+32000)
玲音 (白糸台)    84400(-8000)

 東1局は4巡で決着がついた。

(喰いずらしも出来ない上にプラスその豪運…。学年ブースト使っておけば良かったかな)
 玲音は自嘲気味に軽く笑った。

 ワシズの支配。それは卓に着いた者全員に、ガラスのように透けた牌を認識させる。しかしその本質は、ただ牌が透けて見えるというものでは無い。
【鷲巣麻雀】…それは彼が絶対に和了する麻雀。確定したその未来、その絶望を突きつけるという所に、この支配の本質がある。


「何それ?そんなの反則じゃん!」
 ヴィヴィアンにそのことを教えたD・Dは続けた。
「【レベル7】…最高ランクの中でも群を抜いた支配だね。実際に【オーバーワールド】では、同じくレベル7の松実露子を完全に上回っていたし」
「その【オーバーワールド】って本当にあるの?」
「ヴィヴィもいっぺん死んでみるかい?」
「いやよ」


 【オーバーワールド】…それは異能者の棲む異界を意味する言葉だが、異能者達を研究する【組織】の名称でもある。
 【オーバーワールド】という異能者の集まる世界に行くためには、肉体を捨て、魂の存在にならなくてはならない。そこで組織の者達は、現世に【オーバーワールド】を現出させ、そして研究することを目論んだ。
 この『インターハイ』の会場は、現世に現出した【オーバーワールド】の一つである。
 D・Dが運を計るために麻雀を利用したように、組織の者達は異能を計るために麻雀を利用した。異能者を集めるかのようなルールを作成したのは、彼らであった。
 彼らの目論見通り異能者達は『インターハイ』に集結し、年々その数は上昇の傾向にある。そのために、年々ルールの調整はされている。
 だが何よりも重要なのは【オーバーワールド】に異能者が集まるのと同時に、異能者一人一人が【オーバーワールド】を形成させているということである。


 そして…決勝……その大将戦こそ【オーバーワールド】の中枢であり、特異点とも言える。





「【オーバーワールド】…まさか本当にあるとわね。びっくりだよ」
 かつての先輩の姿を見た熊倉トシは、啜っていたラーメンの箸を止めた。
 宮守女子のメンバーは、同じく準決勝で敗退した有珠山高校のメンバーと共に海に来ていた。海には永水女子も来ていた。
 しかし決勝の大将戦ともなると、海の家のテレビの前にはその全員が集まっている状態で、席は満席。賑やかなものとなっていた。

「おーっと!!臨海のワシ……武田選手!二連続の役満ツモー!しかもまだ3巡ッ!!まさに超運!超超超超運ですッ!!!」
 テレビ画面からアナウンサー、福与恒子の実況がけたたましく響く。
(あのアナウンサー…どうやら『知っている』ようだね)

「あれが先生の学生時代の先輩、ですか?」
 宮守、臼沢塞が訊いた。
「そうだね。アナウンサーが本名言いかけてたけど、鷲巣巌…。私の先輩だよ」
 トシはワシズの事を語るとともに【オーバーワールド】のことについても彼女に説明した。
「【オーバーワールド】ってうちにたまに来る人達もそんな名前でしたよー」
 トシの傍でその話を聞いていた永水の薄墨初美は、同じく永水の石戸霞に確認した。
「ええ。そうですけど…何か関連が?」
 トシは答える。
「組織の名称だね。彼らの目的は異能者の研究。そして、異界に有る筈の【オーバーワールド】をこの世に現出させること」

「コワイ…」
 エイスリン・ウィッシュアートも同じく、その組織を知っていた。彼女は震えだした。
「そうだね。『あの場所』では何が起こるかがまったくわからない。現に、副将戦では血を見ることになった。もしかしたら、それ以外の区間でも複雑な事情と、事態が入り乱れているかもしれないしね」
 そう言って、トシは残りのラーメンを啜り終えた。後半の方は大分冷めてしまっていて、彼女はもう一杯ラーメンを注文した。

(赤木君…君は『あの』鷲巣先輩に、どう戦うんだい?)

 楽しみでもあったが、同時に…怖ろしくもあった。あの現象を打ち破る現象がこの世にあるとしたら…それこそまさに、間違いなく怖ろしいものであるからだ。





東2局終了時

アカギ(清澄)     81800
穏乃 (阿知賀)    71100
ワシズ(臨海)     170700
玲音 (白糸台)    76400


東3局 親 ワシズ ドラ 中 賽の目 3

「リーチ」

 今度はダブリー。まるでヴィヴィアンのカウントダウンのように、その速度は加速していく。

東家 ワシズ 手牌

一二三四[五]六七八中中中発発

 裏ドラも中で確定してのダブリー。次巡の彼のツモは九萬。問答無用の数え役満が成立していた。加えてこの巡での、喰いずらしが出来ない。そのように各々の手が構成されている。
(このままじゃ…また役満をツモられる…)
 高鴨穏乃に見えた未来。それは誰もがそう思うであろう未来。変えようのない運命。許されたのは、絶望だけとなった。
(これじゃ…何のためにここに居るの!?)
 彼女は心の中で叫んだ。この場に存在する圧倒的理不尽を呪った。
(でも…)
 叫んだところで何も変わらない。呪ったところで相手が変わるわけでもない。祈ったところで誰かが助けてくれるわけも無し。誰もが目を背けたくなる状況。



 だが…



 アカギは違った。

 彼は真っ直ぐと卓を、そして山を見ている。確定されているであろう未来を前にして、これっぽっちの絶望の色も見せない。

「ふんっ」
 ワシズは笑った。かつての自分なら、ここで憤怒したであろう。焦燥を見せていたであろう。何故怯えん。何故震えんと。
 だが、それが赤木しげるなのだ。赤木しげるが、この程度で折れるはずがない。そのことをワシズは理解していた。
 いつでも来い、赤木しげる。とでも言わんばかりに、彼はどっしりと構え、
深く背もたれに腰掛けた。

南家 玲音 手牌

一三八九③⑨1259東西北 ツモ 白

 国士を目指した方が早いようにも見える配牌。

(9種9牌…。でも『本場を増やすだけ』の流しは意味ないし、アカギ君や阿知賀に喰わせることも出来ないし…でも…そろそろアカギ君、動くんじゃない?)

 彼女は打③筒。外から見れば、国士を見つつ、萬子か索子の重なりを期待するような手。勿論玲音はそんなことは考えていない。

「どうした…ツモらんのか」

 アカギはツモ山に手を伸ばさず、手牌に手をかけた。切った牌は北。だが打牌の内容など些細なことであった。アカギは、ツモっていないのだ。

「オーッと!?清澄の赤木しげる選手!なんと小牌ッ!この大将戦、決勝ともなるとさすがの彼も緊張したかーッ!?」
「小牌は和了放棄になりますが、意図してやりましたよね」
 健夜は安永に訊ねた。
「あ…あぁ…流れ論を基盤とする麻雀なら、喰えない状況下でのワザ小牌はテクニックの一つだが…」
 安永の脳裏に過ったのは、かつてのワシズ、その全盛期の麻雀である。
(あのワシズの支配があそこでも発揮されているというのなら…確かにその方法は『効く』…だが、これは一位を取らなくては意味の無い大会だぞ…。奴の支配は一局限りじゃない…)

 安永の予想通り、ワシズのツモは南。この牌は、本来なら穏乃のツモ牌。そして玲音のツモは九萬。元々のワシズのツモ牌であり、そして和了牌の九萬である。
(うん…。でもこれじゃあ私がアガちゃうよ?それでいいのかな?)
 玲音のツモは三連続九萬。彼女はその九萬を暗槓し、嶺上牌は白。新ドラは九萬。彼女にはひたすらワシズのツモが連続で流れていく。さらに三萬2枚。六萬3枚。

10巡目 南家 玲音 手牌

一三三三六六六八白白 暗カン 九九九九 ツモ 一 打 八

「リーチ」
 彼女は牌を曲げた。和了れる確信があったからである。それは、卓に着く全員が知っていたことである。彼女の和了牌の白は、ワシズの次巡のツモ牌であった。

「ロン。裏無しで32000」

アカギ(清澄)     81800
穏乃 (阿知賀)    71100
ワシズ(臨海)     137700(-32000 -1000)
玲音 (白糸台)    109400(+32000 +1000)

「アカギ…『そんなのに』何の意味がある。あまり失望させてくれるなよ。それとも貴様、あの日から弱くなったのか?」
「それはこっちの台詞だ。お前こそ、あの日より弱くなったんじゃないのか?ククク…」
「挑発のつもりなら言っておくが…ワシは『この支配』を解く気など無い…」
「ワシって歳でも無いだろ、鷲巣」
 ワシズの言う通りであり、この戦術を使用しても、得をするのはワシズの下家。アカギに利点など無い。
(小牌…確かにそれでツモはずれてくれるけど、それをした人は和了れない…。でも…誰かがしないと臨海が和了ってしまう……これって…こんなの麻雀じゃないよッ!)
 穏乃の頭に過ったのは、三人で協力して臨海を抑えるというもの。先鋒~副将戦までであったなら意味があった。二着までなら勝ち上がれる2回戦や準決勝なら意味があったであろう。しかしこれは決勝…しかも大将戦。それはまったく意味が無い。

 そして…ワシズにとって意味が無いとは、そういったことでは無い。
 
 根本的に違う。


「ツモ。地和」

東4局 親 玲音 ドラ ①筒
北家 ワシズ 手牌

一九①⑨19東南西北白発中 ツモ 北

アカギ(清澄)    73800(-8000)
穏乃 (阿知賀)   63100(-8000)
ワシズ(臨海)    169700(+32000)
玲音 (白糸台)   93400(-16000)

 国士無双十三面。喰いずらしも、ワザ小牌も意味を成さない圧倒的運量と支配力。それこそが全盛期のワシズの真骨頂である。

 帝王は笑う。

『それがどうした』と。

 小細工程度でどうこう出来る次元にもはや彼はいない。
 心・技・運。全てが揃っているからこその鷲巣巌。相手の心の隙を突く程度の麻雀では、彼に勝つことなど不可能である。

(それでも)
 玲音は知っている。それでもアカギは何かをしてくる。異能を持たなくとも、異能と同等の、あるいはそれ以上のことを成す赤木しげるなら、必ず。


南1局 親 アカギ ドラ 二萬 賽の目 6

 全ては静かに行われ、その異常は卓の人間にしかわからなかった。

(え?…ど…どうして…)

 異常に最も遅く気付いた穏乃が見たのは、アカギの配牌である。

東家 アカギ 配牌

一⑧38東東南南西西西北白白

(これって…臨海の人だけが良い手になる支配じゃないの?)

 たったの4局。だがその圧倒的力は、疑いようも無く穏乃の脳裏に焼き付いた。ワシズが和了してしまう異能状況。それが今なのだと。
 故にアカギの手に異常性を感じた。その高さではなく、その手が彼に入っていることである。
 穏乃は今度はワシズの手を見る。

西家 ワシズ 手牌

三五九①④47北北南白発中

 先程とはまるで状況が逆転している。ワシズの流れが、ごっそりアカギに渡ってしまったかのように。

(なるほど。賽の目は6。ベスト、なのかな)

 流れでは無い。ましてや支配でも無い。アカギのその技術を肉眼で認識出来たのは、かつて『その技術』を見たことのある玲音のみ。一方ワシズは、状況からアカギのした行為を理解した。
 この卓はマーテル。アルティマのように配牌も一緒に上がってくるタイプでは無く、山が上がった後、賽を振り、そして牌を2トンずつ取っていき配牌を作る。
 賽の目は右6今回の取り出しは穏乃の前の山からになる。
 アカギがした技術はすり替え。通常の麻雀なら意味の無いすり替えである。積み込みや、山牌にガンでも貼ってない限り、効果など無い。
 だが、この状況なら違う。ワシズの支配によって全ての山が視えているこの状況なら。
 アカギはこの局の配牌時、2トン取る際自分の手が山の上を通過する。そして、彼は手に持っている2トンと山の2トンを、前から後ろへ弾く要領ですり替えた。
 加えて、そのすり替えた2トンはワシズが取る筈の2トン。今回、ワシズはアカギの前の山から計4トン取ることになっており、アカギは穏乃の前の山からとった計4トンをそれらとすり替える。これにより、最低、4トン分の8牌は、入れ替わることになり、アカギとワシズの手牌はその分だけ逆転する。
 さらにアカギは、最後の2牌もすり替えている。ワシズのツモ牌はアカギのツモ山の隣。アカギのツモ牌を横に流し、ワシズのツモ牌を拾えば完了。
 その結果が、この状況である。

(そっか…ワザ小牌の時は確か取り出し位置がアカギ君の前。それにしても…やっぱり)
 速い。そして何よりも静かだった。カメラで捉えることなど当然不可能である。
 玲音は知っている。彼の『究静極技』…その最たる姿がそこにあった。

(ということだワシズ…。わざわざ山を公開していたら、拾ってくださいと言っているようなもの)

「ツモ…16000オール」

東家 アカギ 手牌

東東南南南西西西北北白白白 ツモ 東

アカギ(清澄)     121800(+48000)
穏乃 (阿知賀)    47100(-16000)
ワシズ(臨海)     153700(-16000)
玲音 (白糸台)    77400(-16000)

 半分より手前はアカギのテリトリー。その範囲内においてはワシズに手を掴まれることなく、全てのツモを、その上下、及び隣とすり替えることが出来る。
 今回。アカギが欲しかった残りの牌は全て、ワシズのツモ山、つまりアカギのツモ山の隣にあった牌。決着はワシズの前の山に差し掛かる前、玲音の前の山の段階でついた。

「ふんっ」
 ワシズは軽く鼻を鳴らした。
「下らん。所詮は賽の目頼りではないか」
「だが、賽の目だけは支配できないようだな。ワシズ」

 続く南1局1本場。賽の目は10。
「ということだアカギ。その程度のことでワシを揺さぶろうなど甘いわ」
 ワシズが読んだアカギの目論見は、支配の解除。すり替えをさせまいとガラス牌状態を解除し、通常の麻雀に誘い込むというもの。
 ワシズのガラス牌モードは絶対和了支配と連動している。ガラス牌モードを解除した場合、同時にワシズの絶対和了支配も解除される。
 無論、ワシズは地力でも十分にアカギに勝つ自信はあるが、彼は自分から支配を解除することは決してしない。それ程までに、アカギの力を信頼しているからである。

 故にしない。
 
 軽率な緩みなど、今の彼には存在しない。

 だが…

「私も出来るよ…『それ』…」

「あ?…」

 白糸台大将、岩倉玲音。
 
「ツモ。8100・16100」

アカギ(清澄)     105700(-16100)
穏乃 (阿知賀)    39000(-8100)
ワシズ(臨海)     145600(-8100)
玲音 (白糸台)    109700(+32300)

 玲音の居た世界で、彼女は何度も赤木しげるの技を見てきた。そして彼女の才能は、それらを使いこなすことも容易であった。
 玲音はかつて、東西戦で東側に勝利を収め、インハイ個人戦で優勝し、世界ジュニア、国民麻雀大会を制覇し、世界ランク8位の称号を手にしている。彼女の力は、この世界でも、裏を含めても上位に位置する。
 何より彼女の麻雀には、老いてはいたものの、熟練された赤木しげるの麻雀が存在している。それが彼女の異常な力量と、自信に繋がっている。

 南1局1本場、この局の賽の目は10だった。彼女にとって8牌ワシズとの『配牌交換』が出来るポイント。しかしその方法はアカギが行ったもの以上に凄まじい。
 取り出し位置は穏乃の前の山。玲音は最初の2トンと2回目の2トンを取る際にアクションを起こした。それは『アカギの前にある山の』ワシズの取る筈の4トン…計8牌とのすり替えである。
 手を一瞬横にスライドさせ牌を弾く。当然カメラに映る速度では無いが、アカギの目の前の山で行う彼女の技術は、もはや神技の領域、この世のものでは無い。

「やるなあんた。2回もアクションをしたのに、まったく見えなかった」
「アカギ君にそう言ってもらえると、嬉しいよ」
(でも…二回目は厳しいかなぁ…。アカギ君の目も慣れただろうし)

「貴様…ホラを吹くだけのことはある様だな」
「有難うワシズ君。でも、そろそろ厳しくなってきたんじゃない?」
「笑わせるな。2対1だろうが3対1だろうが結果は変わらんわ」
「何か…勘違いしているみたいだね」
 玲音はじっとワシズの眼を見て言った。
 その眼に圧力があるわけでは無い。冷たさや鋭さがあったわけでもない。外から見れば、無垢な瞳。だが、ワシズにはわかった。その女も、相当の修羅場を潜り抜けていることに。
「私はこの対局を見に来ただけじゃないよ。あなた達と打って、勝つために来たんだもん」
「いいだろう。精々楽しませてみろ。この鷲巣巌を」
 ワシズは、圧力と鋭さを持ったガンを玲音に飛ばした。

(でも…きっとあなたはもう一つ勘違いしている。この卓には、『もう一人』いるんだよ…)
 彼女は対面に座っている、俯いたその娘を見た。





 麻雀ってこんなにもつまらなかったかな…。冷たかったかな…。
 ガラスのように透き通った牌は、氷のように冷たい。その冷たさは、こっちの身体までも冷やして、心までも冷やされるように感じる。
 私は、今ここで何をしているんだろう。麻雀のはず。大会のはず。阿知賀のメンバーや、応援してくれるみんなの意思を背負って、ここに居るはず。
 でも何?これは…。
 これって、麻雀?
 私は知らない。こんな遊び知らない。

 私は知らない。

 風越の池田さんの話を思い出した。
 長野の地区大会の決勝、大将戦。役満ばかりの異常な大将戦だったって聞いたし、その記録も、映像も見た。でも、やっぱりあれは麻雀だって思えた。すごいって思えた。
 ここは違う。
 ここだけじゃない。先鋒戦の時からおかしいと思ってた。何かがおかしい。確信は持てなかったけど、おかしいと思ってた。

 私は知らない。

 こんな遊び知らない。

 こんな…つまらない…







南2局 親 穏乃 ドラ 九萬 賽の目 9

(賽の目9かぁ…さっきと同じ感じ。私が『さっきと同じ』ことしたら、きっと掴まっちゃう。でも…)
((『あたし』の動きはどうかな))
 彼女にはもう一つの人格【lain】がいる。
(この局…お願いしていい?lain…)
((お願いされなくても打ったわよ))

 賽の目は9。取り出し位置は前局とほぼ同じで、穏乃の前の山からである。ワシズの配牌時に取る6トンの内、4トンはアカギの前の山にある。
 lainは最初の2トンを取る際、先ほどと同様、アカギの前の山のワシズの2トンとすり替えようとした。

「ッ!」

 アカギは反応した。彼女がすり替えに来ることは読んでいた。だが、その手を捉えることは出来なかった。速さが違うだけでは無い。動きのリズムがまるで別人、故にであった。

「あー、危なかった」
 言葉ではそう言っているものの、態度では余裕そのものを見せつけ、不敵に微笑んでも見せた。
「まるで別人じゃねぇか…。面白いな、あんた」
 アカギの言う通り、彼女は先程までとは纏っている空気が違う。態度が違う。足を組み、腕を組み、眼は先程の無垢なものとは一転し、鋭く、切れ味の良いものとなっていた。
「早く取りなよ『清澄』。残り『2トン』はあんたにあげるよ」
 そして口調までもが違う。

「多重人格か」
 ワシズが訊いた。
「そんなの、どうだっていいじゃない。勝負には関係ないでしょ」
「その傲慢な態度。気に入らんな」
 ワシズはこめかみに力をいれた。
「どういたしまして。『おっさん』」
(ちょっとlain!私が出辛くなっちゃうじゃん。あんまり挑発しないで)
((これくらいあたしの好きにさせてよ))

 ワシズが本来入るはずの配牌は三つに分裂した。誰かが好配牌に恵まれるということは無く、拮抗していた。

南家 ワシズ 配牌

二[五]八②④7899東西北白

西家 lain 配牌

七九九九①⑥⑧[5]7東南発中

北家 アカギ 配牌

一二②③⑦⑨⑨139西発中


(純チャン三色、ドラ3と言ったところかな。トータルすれば。あたしにドラが来たのは席順のおかげ、かな)

 だが、その局の勝負は、lainとアカギの勝負となった。二人は問答無用のすり替えも加えて手を進めた。

「おっさんは良いの?いいようにやられちゃってさ」
「このワシが小手先の勝負に付き合うわけが無かろう。勝手にしろ」
「ふーん。じゃあお言葉に甘えてっと」

5巡目

西家 lain 手牌

七七八八九九九①⑥⑦⑧[5]7 ツモ 6 打 ①

(リーチはかけないの?ツモれるでしょ?)
 玲音が訊いた。
((うん。あのおっさんの言うことも一理あってさ、せっかくのオーバーワールド中枢なのに、小手先でチョロチョロしてるのもね。ツモじゃ効果はないよ。ここはドカッと直撃で、眼を覚まさせなきゃね))
(誰から?)
((そりゃ当然……))

 同巡、アカギも聴牌する。

北家 アカギ 手牌

一二三②③⑦⑦⑨⑨⑨139 ツモ 2 打 9

「リーチ」

 アカギは牌を曲げる。勿論一発ツモの公算があってのリーチである。

 次巡、lainはすり替えを行わず、そのまま牌ツモる。二萬、和了牌では無く、彼女はそのままツモ切った。そして彼女も宣言する。

「リーチっ」

 彼女の河は荒い。玲音と違って丁寧に牌を置かず、河の姿はだらしの無いものとなっている。リーチ棒も同様。置かずに、投げる。

 そして同巡、アカギのツモ番。アカギは山に手を伸ばす。
 本来ならアカギのツモ山に和了牌の①、④筒は無い。彼が欲しい①筒は隣の上山、本来なら穏乃のツモ牌である。アカギはその牌とすり替え、一発でツモる…

 はずが…

 ドン!

 その時、卓が下から突き上げられるような衝撃。
 アカギが奪おうとした①筒は裏側のまま、上山から落ちていた。

「あら、ごめんなさい。緊張しちゃって、膝が卓に当たっちゃった」
 卓に衝撃を加えたのはlainだった。
(痛いよー…なんてことしてくれるのよlain、痣になったらどうするのよー…)
「でも、いいよね。表になってるわけでもないし、あんたは『今手にしている』その牌をツモればいいだけなんだから」
 彼女自身、かなりのやせ我慢をしており、表情は引きつらせている。
 アカギは既にリーチをかけている。アカギはその牌をツモり、切るのか、和了るのかの二択のみ。
「ククク…やってくれるじゃねえか」
 彼はそれを表にして、河に
(何?)
 それは、彼の予想しなかった牌だった。

「どうしたの?アガらないの?」

(これは…)

「ならアガらせてもらうわ」

 lainは牌を倒す。

西家 lain 手牌

七七八八九九九⑥⑦⑧[5]67 ロン 九 

「裏無し。16000」

アカギ(清澄)     88700(-16000 -1000)
穏乃 (阿知賀)    39000
ワシズ(臨海)     145600
玲音 (白糸台)    126700(+16000 +1000)

(まさか…ここまで『静か』だったとは…)
 アカギが切った九萬は、先程まで彼に視えていた牌とは違う。アカギがツモる前、その牌は一萬。lainの当り牌では無かった。だからこそアカギはリーチをかけたのだ。
 視界に、微かに霧がかかり始めていた。

(だから…『もう一人』居るんだって。ここには…)
 『その力』は、もう直ぐ傍まで来ていた。



 会場には、映画館のような巨大スクリーンが設置されているルームがあり、その数百はあろう席も、一般や、学生、一部の記者の者達で埋め尽くされている。
 副将戦時にあった混乱も、今は終息に向かいつつある。後半戦途中、腹を切った臨海の副将だったケイが、終了後直ぐに病院に運ばれ一命を取り留めたことが先程発表されたことが大きい。
 だが一方、記者の方は慌しかった。外の人間と連絡が取れず、外に出た人間が会場に戻って来ないからだ。


 長野地区大会決勝で、清澄と対戦した3校もそれぞれ応援に来ており、試合の行方を見守っている。

「和ちゃん、咲ちゃんはどうしてるんだじぇ?」
 大将戦が始まる頃、和は咲から電話を受け取っていた。姉の件もあり、病院に居た彼女であったが、今会場内で、清澄の控室に居るという連絡だ。
「はぁ?何で?っていうか警備とか居るんじゃないのか?」
 池田が訊いた。
「咲さんが言うに、この会場に警備員はいないそうです。白糸台の方や、臨海の方も一緒に居るそうです」
「それ大丈夫なのかよ…」
「大丈夫かどうかは解りませんが…」
「でも、それで副将戦のあの時に、誰も止めなかったのには説明がつきますね」
 3年。福路美穂子もそこに居た。
「それで…今どうなっていますか?」
 和は大将戦の状況を訊いた。
「もう南1が終わって、臨海が圧勝だじぇ」
 優希からの返答に、和は耳を疑った。和が電話で席を外してから、まだそう時間は経っていなかったからだ。
「殆どの局が5巡程度で決着が付いていたからな」
 池田が補足する。
「役満のオンパレード…まるであの決勝の時みたいだし…」
 彼女は思い出した。地区大会決勝の大将戦、その後半戦のことを。
(いや…どう見てもあの時以上…か……)


「それにしてもやっぱり似てるっす」
 桃子は相変わらず加治木にもたれ掛かっている
「誰にだ?」
「白糸台の大将っす。あの娘、私にちょっと似てる」
「ちょっと変わった髪形をしている娘だな。似てるようには思えないが」
「雰囲気が、ステルスの時の私にちょっと似てるんっすよ。もしかしたらあの娘も『消えれる』のかも」
「ん?だが、今卓を蹴ったくったぞ」
「あれ?…じゃあ、気のせい……っすかね。ちょっと変わった人っすね」
「お前が言うか」


「やっぱり…爺やだ」
 これまでは独自にホテルを取り、そこで試合を鑑賞していた龍門渕も、その日は会場に来ていた。
「ですわね…。それも若い頃の…間違いありませんわ」
 衣と透華は写真でワシズの姿を知っている。
「でもあり得ないよ。人間が蘇るなんて…」
 はじめは否定しつつも、その声には若干の震えがあった。
「オカルトですわね。でも、衣がそう言うのでしたら、きっとそうなのですわ。あの方は、きっと復活したのですわ」
「そんな…」
「鈴木とやらに爺やの話を訊くに、爺やの力なら冥府魔道から戻って来てもおかしくないと思うぞ」
「地獄に行っている前提なんだね…」

「しかし、爺やの力も凄まじいが、そろそろ…奴が来る頃だな…」
「奴って赤木しげるのこと?」
 地区大会、そして合同合宿で衣と打った男、赤木しげる。その人なのかとはじめは訊いた。だが

「違う。阿知賀の大将……高鴨穏乃だ」






南3局 親 ワシズ ドラ 六萬


 その局の賽の目は4。取り出し位置は穏乃の前の山。だがこの局、アカギも玲音(lain)もサマをするつもりは無かった。
 空気が明らかに違っていた。視界の霧が、段々と濃くなっていく。山に深く深く入り込んでいくような、五感が次第に狂っていくような、そして侵されているような感覚。
 二人は動かなかったというより、動けなかったのだ。二人にとって、まずはこの状況を分析することが先決だった。
 ワシズも気配は感じていた。そして、配牌を取った瞬間、その異常さの解答を認識した。

 これまで、山に視えている牌は全てガラスのように透けていた。今も霧が掛ってはいるものの、その牌はガラスのままである。

 しかし手に取った牌は、視えていた牌と全く違う。別の牌がそこにある。

(まさか…正面からワシズの支配をぶち破る奴がいたとは……)

 アカギの推察通り、もはやワシズの支配はそこには無い。全ての感覚が『何もの』かによって乱されている。

(そっか…そうだよね……)
 玲音は答えを見つけた。この世界の、この場所、この時に何故これほどまでに強大な『ノイズ』があったのかを。
 アカギやワシズでは無かった。彼らは確かに強大ではある。だが、決定的解答では無かったのだ。
 その解答は、対面に居た。


「リーチ」

 ワシズのダブリー。
 『それがどうした』というがの如く、それは繰り出された。

東家 ワシズ 手牌

一二三九九①①①⑦⑦⑧⑧⑨

 『ガラス牌通り』なら一発ツモに終わっていたその手だが
 
 ツモれず。
  
 次巡もツモれず。
 
 そしてさらに次巡も無駄ヅモを繰り返す。
 
 河の二段目に牌が並んだのは、アカギのワザ小牌が行われた東3局以来である。

 12巡目、ワシズは①筒をツモる。彼はノータイムで暗槓した。嶺上牌に視える牌は⑨筒。新ドラ、裏ドラは九萬。槓裏のドラは⑧筒。数え確定和了になる。

 

 赤⑤筒。今ワシズが手にしている牌はそれ。⑨筒でも、⑥筒でもない。




「ふんっ。面妖な…」

 彼は鼻を鳴らし、牌を叩きつけた。



「ロン……8000です……」


 パタリと牌は静かに倒された。倒したのはアカギでも、玲音でも無い。
 阿知賀女子大将、高鴨穏乃。

北家 穏乃 手牌

二三四[五]六七②②⑥⑦234 ロン [⑤]

アカギ(清澄)     88700
穏乃 (阿知賀)    48000(+8000 +1000)
ワシズ(臨海)     128600(-8000 -1000)
玲音 (白糸台)    110700

 ここはオーバーワールドの中枢…特異点。

 そこに選ばれる者は、選ばれるべくして選ばれるのだ。

 穏乃もまたその一人。彼女も、選ばれるべくしてそこに居る。
 
 天賦の才を持つ狂人、赤木しげる。
 力を取り戻した闇の帝王、鷲巣巌。
 神域を受け継ぎし者、岩倉玲音。

 彼女は、彼等と打つに値する運命を持つからこそ、ここに居る。



「ツモ。8000・16000」




南4局 親 玲音 ドラ 1索
西家 穏乃 手牌

1115577799中中中 ツモ [5]

アカギ(清澄)     80700(-8000)
穏乃 (阿知賀)    80000(+32000)
ワシズ(臨海)     128600(-8000)
玲音 (白糸台)    110700(-16000)






 その局、ガラス牌は全て霧に覆われ、認識することが出来なくなっていた。




 その霧の先に聳え立つものは 






―――深山幽谷の化身 高鴨穏乃








 オーバーワールドは今、完成した。













































[19486] #48 オーバーワールド その3
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/12/16 00:18






「末原先輩、起きてください。…テレビも点けないで…決勝くらい見ましょうよ」
 姫松高校、上重漫はベッドで寝ている末原恭子を揺する。
 末原はBブロック2回戦で姫松高校が敗退して以降、熱を出して寝込んでいた。雨に打たれていたせいだ、と周りから言われた。漫は末原の看病のためにこの部屋に来ていた。
 末原はテレビを背にして横になっている。あの日、玲音に対して強がってはいたが、やはり彼女は後悔していたし、その心は折れていた。
「点けますよ先輩。もう大将戦ですよ」
 漫は返答を待たずにテレビのスイッチを点けた。

「おーっと!なんと白糸台高校岩倉玲音選手!臨海高校のワシ…武田選手から役満の直撃ーッ!!武田選手の二連続の役満から前半戦にして早くも勝敗が決したと思われた矢先!これは解らなくなってきたぞーッ!」

 テレビから、聞き覚えのある名前が聴こえた。末原はガバッとベッドから身を起こした。
「今…れいん…とか言ったか?漫ちゃん…」
「言いましたよ。白糸台高校大将の岩倉玲音…」
「玲音…」
 あの雨の日。雨に打たれている彼女に話しかけてきた、奇妙な女の子。
「決勝に…来てたんか…あの娘…」
「そりゃあ白糸台ですよ。もしかして先輩、準決勝も見てなかったんですか?清澄も、決勝に来てますよ」
 清澄。2回戦で姫松高校を飛ばして駒を進めた、元無名校。
「でも…やっぱり臨海が圧倒的ですね…。ほら、また役満ツモりましたよ…。異常ですよこの麻雀……」
 テレビの向こうではワシズの3度目の役満。しかし今、末原の関心は別にあった。
「応援…しようかな…あの娘…」
「あの娘…って誰です?」

「白糸台の…玲音って娘…。友達やからな」







 前半戦終了。半荘1回で役満が計7度も発生するという超異常事態であったが、その割には各校の差は少ない結果となった。

アカギ(清澄)      80700
穏乃(阿知賀)      80000
ワシズ(臨海)      128600
玲音(白糸台)      110700

 とは言っても、1位と4位の差は58600。
 だが、ステージに一人残る穏乃の表情はその差を感じさせない穏やかな表情をしていた。しかし見方を変えれば、その表情は冷たい。普段の彼女らしさは無かった。
「シズ…」
 座っている彼女の後ろに居たのは、憧。
「糖分補給」
 彼女は穏乃にスポーツドリンクを渡し、言った。
「ハルエが、このままでイイってさ」
「うん。そんな感じしてた」
 その返事は、憧には淡白に聞こえた。

 少しの沈黙。

「憧…一人で来たんだ」
 穏乃が訊いた。
「うん…みんなが、気を利かせてくれたみたい」
 穏乃の状態が明らかにおかしい。彼女のその状態を最も案じていたのは、憧だった。憧の穏乃に対する想いは、メンバーは解っていた。
 憧は穏乃を後ろからそっと抱きしめた。
「ッ!?憧!?」
 穏乃は飛びあがるように反応した。
「カメラ、映っちゃってるよ?」
「今は中継止まってるから…大丈夫…」
「そ…そう…」

 少しの沈黙。

「私…怖いの…」
 憧は穏乃の耳元でそっと囁いた。
「え?」
「確かにさ…さっきの半荘…おかしかった。悪い夢みたいで、でも現実で…怖かった」
「そう…だったね」
「でもさっきのシズは、それ以上に怖かった…」
「そう…かな」
「シズ…。シズは…一人じゃない…。私達がついてる。だがらシズは…シズはおかしくならないで…。いつものシズでいて……」
 ポロポロと、憧の瞳からは涙がしたたり落ちていた。
「憧…」
 穏乃は振り返ろうとしたが、憧は止めた。
「駄目…、今、私の顔…ぐしゃぐしゃだから」
 その涙声の震えは大きくなり、彼女は穏乃の左肩に顔を埋めた。
「憧…」
 穏乃は後ろから回されている彼女の腕にそっと触れた。
「有難う、憧……。私…忘れていた。私は、みんなと打っているんだね。…一人でここに居るわけじゃないんだね…。ありがとう…」







「お前さん…行かんでええのか?」
 染谷は隣で何やらもじもじしている久に対して言った。
「え?…いいよ…。私、行く資格なんて…きっと無いし」
「行って来いよ久。それはオレのせいでもあるんだ…」
 竹井がボソっと言った。
「でも…選んだのは私で…」
「行かないと…また後悔することになるぞ」
 久の言葉に竹井は重ねた。
「部長、行ってきてください!あいつの背中を押してやってください!」
 京太郎が続く。
「わ、私も…その方が良いと思います」
 そして咲。
「頑張ってねっ!」
 フランケンの隣にいる千夏も。
「ということじゃ…行ってきんさい!」
 染谷が久の背中をポンと叩いた。押し出されるように、彼女は立ち上がった。

「あ…」

 立ち上がってしまった。久は、もう後戻りのできない空気の中に居た。
 だが、彼女はこの空気に感謝した。自分を押し出してくれた、この空気に。

(良い…空気ですね…)
 そこの誰にも認識されない青山和であったが、彼女もその空気の居心地の良さを感じた。

「わかったわ」
 彼女は決心した。

「みんな、何か伝えておくことある?傀君や竜君も」








 対局室を出たすぐの廊下、アカギとワシズの二人はそこで横に並んで一服していた。
 アカギは煙草。ワシズは葉巻。

「考えてみれば当然のことだが…『俺達』だけの戦いじゃ無かったな。ワシズ…」
 アカギが先に口を開いた。
「ふんっ。ここは【オーバーワールド】だ。この程度のことは起きる」
「【オーバーワールド】ね…。ところで、あの世はどうだった?」
「随分と退屈だったわ。戻る気にはなれん」
「だろうな…」

「あー」
 彼等二人の前に居たのは、玲音だった。彼女は二人が吸っているものを指差した。
「未成年」
 からかうように、彼女は彼らを笑った。
「どーせここには警備員もいないんだろ?ならいいじゃねえか」
 そうアカギが言った。
「どっちの貴様だ」
 ワシズが訊き、玲音は答えた。
「私は私だよ。他の誰でも無い」
「ふんっ…ややこしい答え方をする小娘だな」
「今は、あなたより年上だよ。ワシズ君」
「どうやら貴様と話していると気が削がれるようだな。落ち着いて一服も出来んわ」
 そう言って、彼は場所を移す為その場を離れた。

「私も、ここを離れよっかな」
 彼女は廊下の向こうからやって来ている久を見ながらそう言って、その場所から消えた。
(竹井先生…この世界でも【赤木しげる】を意識してるんだね)


「アカギ君」
 久は手を振り、彼の名を呼んだ。
「部長」
 彼女の手には、いつぞやの栄養ドリンク。久はアカギにそれを投げた。
「みんなからの伝言」
 アカギがそれをキャッチするタイミングに久は被せるように言った。
「赤木しげるとして打って、そして赤木しげるとして勝ってきて!以上!」

「ククク…。了解です。俺は俺として打ち、俺として勝ってきますよ」







 【第71回全国高等学校麻雀選手権大会】…『インターハイ』団体戦決勝、大将後半戦。最後の対局が、今始まろうとしている。
 
 白糸台高校一年、岩倉玲音。
 臨海高校一年、鷲巣巌。
 阿知賀女子学院一年、高鴨穏乃。
 清澄高校一年、赤木しげる。

 長かったこの戦いの結末は、その四人に託された。

 最終戦。その起家に選ばれたのは玲音。座順は、玲音、ワシズ、穏乃、アカギとなった。

大将戦 後半戦

玲音(白糸台)     110700
ワシズ(臨海)     128600
穏乃(阿知賀)     80000
アカギ(清澄)     80700


「リーチ」
 東1局、先制のリーチをかけたのはワシズ。しかし、そのリーチは7巡目。河の2段目に差し掛かった所で行われた。

東1局 親 玲音 ドラ 6索

南家 ワシズ 手牌

①①①②③白白発発発中中中

 役満の形を成してはいるが、ワシズにしては遅い。あまりにも遅い聴牌。しかも、やはりその局も、ガラス牌は霧に覆われ、事実上【黒牌】と化しており、そしてワシズの絶対和了支配も消えている。
 次巡も、そして次巡もワシズは和了牌の①筒、④筒、白のいずれも引かない。巡は進んでいく一方となった。
 12巡目、河の2段目が最後を迎えるその巡、ワシズは⑦筒をツモる。当然ツモ切らざるを得ない。

(阿知賀め…。許しておけんな…)
 彼は穏乃を睨み付けた。しかしそのガンも、最早穏乃には通じない。
 彼女は臆しない。引かない。仰け反らない。
 真っ直ぐとその牌を見て、そして宣言。

「ロン」

 ワシズには見えた。
 火が。
 彼女の背後に複数の鬼火のようなものが円形に並び、彼女を照らしている。
 そしてその光は、真っ直ぐとワシズの身体を貫いた。

「12000」


西家 穏乃 手牌

五六七⑤⑥45566777 ロン ⑦

玲音(白糸台)     110700
ワシズ(臨海)     115600(-12000 -1000)
穏乃(阿知賀)     93000(+12000 +1000)
アカギ(清澄)     80700

(またか…)

 彼がその光景を見るの三度目。一度目は前半戦の南3局。穏乃に満貫を振り込んだ時、二度目はオーラスの彼女の役満ツモの時。

(『それ』が…貴様の味方か)

 蔵王権現。
 過去、現在、未来の衆生の救済を誓願して出現した存在。ワシズが見たものはそれに近いものであった。

(その力が…ワシの力を抑え込んでいるというのか。しかもその支配は、山の深い所ほど強いと見た。なれば必然的に配牌にも影響し、そしてツモにも影響することになる。その力…いったいどこで身につけた)

(異能を乱し…感覚を惑わし…己の存在までも不確かなものにする。うん…すごい力…。でも)
 玲音は穏乃の表情を見た。
(さっきまでと、ちょっと違うね)
 何かに取りつかれたような、冷たいものでは無かった。自我の存在する表情。今の彼女には、確かな意思が存在している。
(さっきお友達が来ていたけど…何か言われたかな。ということは、今のあなたは神様でも仏様でも無く、人間…。ちゃんとした人間なら、そしてワシズ君の支配の無いこの状況なら…)

東2局 親 ワシズ ドラ 白

「ポン」

 玲音は下家、ワシズの第一打、中を鳴き、打4索。

「チー」

 次巡。今度はアカギの打三萬をチー。三一二 打⑥筒。

(早いっ)
 たったの二鳴きで場が沸騰していた。穏乃は感じた。その早さだけが場を沸騰させている要因では無い。彼女から溢れる独特の熱気が、フィールドまでもを熱くしているのだと。

(『どっち』だ?あの生意気な方か?)

 否。ワシズの推察は外れている。一見攻撃的かつ荒い麻雀の印象を受けるこの仕掛けだが、この打ち方こそ玲音の普段の打ち方。彼女の世界の【赤木しげる】の打ち方である。

 巡は進む。

北家 玲音 捨て牌

4⑥1③

「ロン」
「え?」

 玲音は穏乃の打①筒で牌を倒した。

北家 玲音 手牌

九九九①①⑨⑨ ポン 中中中(下家ポン) チー 三一二 ロン ①

玲音(白糸台)     113300(+2600)
ワシズ(臨海)     115600
穏乃(阿知賀)     90400(-2600)
アカギ(清澄)     80700

(チャンタ…。たったの4巡でその形?)

 穏乃は玲音の技量に驚愕したが

(たったの4巡…それは違うよ。あなた達が捨てた牌が全部で12牌。自分のツモが2回。その合計、私は14回ツモった気分なんだから…。鳴くっていうのはそういうことだよ)
((そんなオカルトが実現できるのはあんたとアイツだけだよ))
(そうだね。私と【しげるおじさん】だけだね)

「ツモ。400・700」

西家 玲音 手牌

九九九13南南 チー 九七八 ポン 北北北(対面ポン) ツモ 2

ドラ無し

玲音(白糸台)     114800(+1500)
ワシズ(臨海)     115200(-400)
穏乃(阿知賀)     89700(-700)
アカギ(清澄)     80300(-400)

 東3局、穏乃の親も玲音のチャンタで流された。しかしその局は先程と違って早い巡で決着がついたわけでは無く、11巡目。比較的遅い段階だった。

(早和了が目的なら…チャンタよりもっといい道があると思うのに…何で作りにくい、しかも安いチャンタに固執して…)
 そう穏乃は思った。
(答えはね高鴨さん…。あなたがそう思ってくれるからだよ…)
 チャンタという役は待ちの数はタンヤオと比べても圧倒的に少なくなるケースが多く、しかも作るのには時間が掛かりやすく、さらに安い。得の殆ど少ない役である。
 だが、利用できる牌の数は多い。タンヤオは計84、チャンタは計100。しかもその100は、切り出されやすい牌。玲音に麻雀を教えた赤木しげるは、その性質をフルに活用し、相手の心理をコントロールしていた。
(今流れがあるのは高鴨さん…そしてその高鴨さんは…どう『思ってくれる』かな)


「白糸台…かなり勿体ないことしていますね」
 清澄高校控室。玲音の打ち方に疑問を持った京太郎はその疑問を投げかけた。
「竹ちゃん的にはあれは悪手だよね。自分の流れを殺しちゃってる」
 小手先で捌く者の手は落ち、正しい手順で打つ者の手は高くなる。その哲学を知っている久は竹井に確認した。
「確かにそうだ。だが…そこの傀は違うだろ」
「そうなの傀君」
 そう質問を投げかけられた傀は口を開いた。
「鳴きには、流れを作るための鳴き、というのも存在します。白糸台の鳴きは、そのタイプでしょう」

 その通りであり、玲音がチャンタ打ちに用いた鳴きは、その性質も持ち合わせていた。この『流れ』の麻雀は、【lain】の方の麻雀である。二人の共同作業による合作。
 その解答が東4局であり、その局、流れは玲音にあった。

東4局 親 アカギ ドラ ④筒

 この局の『流れ』は玲音の高速聴牌、高速和了、と言うものでは無かった。
 アカギとワシズの手が死んでおり、二人は聴牌が困難な状況。
 手を進めたのは、玲音と穏乃。

「リーチ」

 玲音のリーチは10巡目。

南家 玲音 捨て牌

④7四②五9
八九東中(リーチ)

(また…チャンタくさい捨て牌…。ドラ切りスタートをしてまでの…。下の…1、4索の筋…かな)


 否。

「まったくえげつない待ちだな…」
 解説、安永は彼女の打ち筋に戦慄した。

南家 玲音 手牌

四五④⑤⑥45566788

「はい。急所の牌をピンポイントで外して」
 健夜も同様、彼女の麻雀に感嘆した。

 玲音の配牌は

四五五八九②④6789東中

 であり、『この形』から『あの切り方』で『あの形』に持って行ったのである。

「おーっとここで高鴨選手も追いついた!さあどうなる!?」

 玲音のリーチの2巡後、彼女も聴牌した。

北家 穏乃 手牌

一三四五六六七八九④④⑤⑥ ツモ 二

南家 玲音 捨て牌

④7四②五9
八九東中(リーチ)九四

 加えられたヒントは九萬と四萬。

「これは振ったな…」
「でしょうね」
 玲音達が作りだした『流れ』は、ここで穏乃が彼女に振り込むことで完成する。【傀】の【御無礼】同様、止めようのない流れが彼女に訪れる。
 安永も健夜も、そして観ている殆どの者は穏乃が六萬を切って振り込むのだと思った。

 だが

 切られたのはドラ。④筒。

(④筒?ドラ?)
 玲音達の読みと違う事態がそこにあった。

「ツモ。700・1300」

 次巡手を倒したのは穏乃。

北家 穏乃 手牌

一二三四五六六七八九④⑤⑥ ツモ 三

玲音(白糸台)     113100(-700 -1000)
ワシズ(臨海)     114500(-700)
穏乃(阿知賀)     93400(+2700 +1000)
アカギ(清澄)     79000(-1300)

(一通ドラ2確定の手を崩して…)
 玲音は確信した。
(この娘…思考以上に自分の『直感』に身を委ねることが出来るのね)

南1局 親 玲音 ドラ 九萬

「ツモ。2000・4000!」

西家 穏乃 手牌

五六七七七⑤⑥⑦[5]6777 ツモ 7

玲音(白糸台)     109100(-4000)
ワシズ(臨海)     112500(-2000)
穏乃(阿知賀)     101400(+8000)
アカギ(清澄)     77000(-2000)

 玲音達の『流れ』が穏乃に移ったことが、この和了で確定した。
(やっばいなー…)
((どうするの?この『流れ』は止めようがないわよ?))
(はぁー…原村先生みたいにオカルトキャンセラーとかないもんね、私達)
((それこそ『そんなオカルトありえません』よ))

 穏乃が現在所持した『流れ』。これは止めようの無い『流れ』である。傀が作りだした【御無礼】の流れを止めることが困難のように、彼女の今の流れを止めることは、不可能に近い。




 だがしかし、その場には一人居た。





 鷲巣巌である。




 
―――神?

―――仏?

―――流れ?



一九東南

 鷲巣、配牌2トン分、計4牌。


 鷲巣には無かった。彼の始まりは荒野から始まった。神も、仏も、流れも、全ては後からついてきたもの。
 彼は元々独り。全ては独りで始めた。
 今は…ただ戻っただけなのだ。その時に。


一東南九 南九発中

 配牌4トン分、計8牌。

 故にいらない。

 神などいらない。仏などいらない。流れなどいらない。

 『そんなもの』達より、ワシズは上。格上なのだ。

一東南九 南九発中 一東中発

 6トン分、計12牌。


 全くの『ゼロ』。無の状態から力を生み出し、奇跡を創りあげる存在。


【ホワイトホール】


 それが、鷲巣巌なのだ。



 だが……


 しかし………


 その手には白……


 そして…



 その手には西………



 後一歩、後一牌が足りない。
 最後の最後。天和に到る最後のキー牌が訪れない。


南2局 親 ワシズ ドラ 一萬

東家 ワシズ 配牌

一一九九東東南南白発発中中西


(やはりか…)

 ワシズは知っていた。この自分から発せられる解析不能の光、それを吸い込む存在の事を。
 彼は対面のそれを睨み付けた。

【ブラックホール】

 赤木しげる。



 その存在が、ワシズ行く手を阻んでいる。


 ワシズはそう感じていた。
 この西は、アカギが喰らっていると。三枚全て。
 
 彼は西を河に叩きつけ、重量感を感じさせる声で、宣言した。


「リーチ」



 しかし同巡、ワシズは…

 この現世に訪れて初めて、驚愕という感情を経験する。

(なんだと!?)

 河に置かれたのは西。


 しかしその牌を置いたものはアカギでは無い。

 阿知賀、高鴨穏乃である。




「ロン。1000点です」


南家 穏乃 手牌

 二三四④⑤⑥23789西西 ロン 1

玲音(白糸台)     109100
ワシズ(臨海)     110500(-1000 -1000)
穏乃(阿知賀)     103400(+1000 +1000)
アカギ(清澄)     77000



 ワシズの感覚は、完全に乱されていた。
 西を三枚所持していたのは穏乃。そして、白は三枚アカギが持っていた。
 確信といえるはずの彼の感覚が、感性が…深い山でコンパスが狂ってしまうように…何もかもがずれている。
 支配を乱されるのはオーバーワールドで経験している。だが、彼自身…鷲巣巌の『コア』が乱されたのはこれまで経験したことが無かった。

(かつて海の上で海賊共と打った時、五感を狂わす【海賊潮流】を経験したが…。こやつ…『何も無い』この空間にそれに似た空間を創りだすというのか)
 ワシズが【海賊潮流】を経験した時は、彼は自分の三半規管の内、二つを壊すことで対応したが、この空間にそれが通じるとは思えなかった。
(これは物理的空間では無い。肉体を壊した程度では、防ぐことは出来ないだろうな)
 彼が所持している常識を超えた常識を、さらに…かつ遥かに超える現象が目の前にある。アカギや玲音といった狂人では無く。ただの普通の人間が、それを引き起こしている。


(掴んだ!)

 穏乃はここに居たり、ついに確信を得た。

 勝つのは阿知賀女子だ、ということを。


「リーチ!」

 後半戦南3局。ここに到り彼女はこの大将戦にて初めて牌を曲げた。
 『流れ』を持っていた白糸台。『力』を持っていた臨海。それらを越えた自分に、自分達に敵はいない。だからこその確信。そして解答である。

「ツモ!8000オール!」

東家 穏乃 手牌

一二二三三①②③11123 ツモ 一

一発ツモ。ドラ無し。

玲音(白糸台)     101100(-8000)
ワシズ(臨海)     102500(-8000)
穏乃(阿知賀)     127400(+24000)
アカギ(清澄)     69000(-8000)

 結着を見せつけるかのような親倍満。もし仮にここに傀がいれば【御無礼】の言葉が掛かり、積倉が居たのなら【満潮】の宣告がされていたであろう。

(もうすぐ…もうすぐだよ憧…。みんな…!このままこの流れを維持できれば、私達阿知賀の優勝だ!)

 南3局1本場も彼女はリーチを宣言する。4巡。かつてのワシズの支配が逆転したかの如く超高速聴牌。

南3局1本場 親 穏乃 ドラ ⑤筒

東家 穏乃 手牌

三四[五]③④④[⑤][⑤]⑤⑤34[5]


「あれ…リーチかけなくても良いですよね」
 清澄高校控室。咲が訊いた。
「でもフランケン的にはリーチでしょ?」
 竹井の時と同様、久はフランケンに確認した。
「はいです!あそこでリーチをかけなくては、麻雀の神様に怒られてしまうです!」
 フランケンは目を瞑りしみじみと頷きながら自信たっぷりにそう答えた。

「だが…あそこにはワシズと…アカギがいる」
 これまで黙りこくっていた竜が、口を開いた。
「そうね。あの二人は…『例外』だからね」
 久はまるで自分の事のように、嬉しそうにそう言った。


 そう。

 そこにはワシズがいる。

 アカギがいる。


「高鴨穏乃」
 アカギが彼女の名前を呼んだ。

「え?」

「あんたは一つだけ見誤った」

 見誤った。何を。彼女は思考をフル回転させる。しかし結論に到達せず、混乱。彼女の頭はショート寸前だった。

「な…なんで…しょうか…」
 穏乃は恐る恐る質問した。

「あんたは…ワシズの底力を見誤った」

(ワシズ?…臨海の?武田さんなのか、ワシズさんなのかよくわからないけど…でも、この人はさっき『越えた』……だからもう…)
 アカギは彼女の思考にかぶせるように言った。
「アイツは…何度でも『再生』する。蘇ってくる。戻ってくる。それが鷲巣巌だ」

「え…?」

「ふんっ…貴様に言われるまでもないわ…赤木しげる」

 穏乃がワシズの河を見た時には既に、彼の牌は曲げられていた。
「リーチ」

 鷲巣 打8索。

(!?なんで!?なんで聴牌出来るの!?どうして!?)

 一転。
 状況は一転した。

 圧倒的、絶対的流れを所持していたのは彼女だったはず。なのに、今、銃口を突きつけられているのは、彼女。
 天国から地獄。
 日常から非日常。
 白から、黒。

 暗転。

 前触れもなく明かりをぱっと消されたように、何が何やらわからない。
 彼女の視界は、一瞬にして黒と化した。

 そして次第に訪れたのは、寒気と、説明不能の恐怖。
 一瞬にして敗北の淵。
 委ねている。自分以外の誰かに、勝敗を。

(だ…大丈夫…ツモるのは……私…)

 だが、彼女はツモ山に手を伸ばすのをためらった。

(でも、ここで掴んだら…)
 鷲巣が張っている手は役満。そうとしか思えない感覚。これまで彼女に植え付けられた印象。脳裏に焼き付いている。これまでの異常な光景がフラッシュバックして、彼女の脳内を埋め尽くした。

「ポン」

 それらを断ち切るような、アカギの発声。
 アカギはワシズの打8索を鳴いた。

「ま…ここでワシズに和了られるのも、俺としても簡便だからな」

 4巡後

「ツモ。1100・2100」

 和了ったのはアカギ。後半戦。ここに来ての初めての和了。

南家 アカギ 手牌

12356789北北 ポン 888(対面ポン) ツモ 4

玲音(白糸台)     100000(-1100)
ワシズ(臨海)     100400(-1100 -1000)
穏乃(阿知賀)     124300(-2100 -1000)
アカギ(清澄)     75300(+4300 +1000 +1000)

北家 ワシズ 手牌

一一一①①①1114477

 ワシズの和了牌を喰いとったシンプルな和了。
 本来ならこの程度の仕掛けでワシズの和了は止めることは出来なかったであろう。だが今、阿知賀とワシズの力は拮抗している。故に可能だったルート。アカギが見出した道。細い糸のような、微かな道。それを彼は手繰り寄せた。
 そして呼び起こした。『人間』である穏乃から、恐れを。
 穏乃は恐れた。憧のため、そして仲間のために人間性を取り戻したが故に、『人間』であるが故に。

 恐れれば…

 時は止まる。

 穏乃が時を止めれば、その分進む。

 アカギが

 ワシズが

 玲音が

 前へ。



南4局 親 アカギ ドラ 4索

玲音(白糸台)     100000
ワシズ(臨海)     100400
穏乃(阿知賀)     124300
アカギ(清澄)     75300

 オーラス。穏乃は逃げ切らなくてはならない。少なくとも、玲音やワシズには振れないし、またツモられてもならない。
 アカギは3倍満を穏乃から直撃するか、役満をツモることで結着をつけることが出来る。

 だが状況は、穏乃の望まない形で進む。
 牌は縦に、縦に重なっていく。

 状況は対子場であった。

8巡目 南家 玲音 手牌

①①①③③③999西白白白

 最速で聴牌していたのは彼女であった。西待ちの四暗刻単騎。和了れば問答無用の結着。しかし、この形にツモって来たのは4枚目の③筒だった。

((さて…何を切ろうかしら…))
 lainは訊く。
(しげるおじさんなら、西を切る)
((②筒の穴待ちね。でも…玲音は違うんでしょ?))
(うん。私は、『何も切りたくない』)

 一緒。

 みんな一緒。

 彼女のかつての願望を現すかのように、玲音はツモった③筒をまとめた。

「カン」

 新ドラはまたも4索。嶺上牌は①筒。

「もう一個…カン。なんてね」

 彼女はまた鳴く。

 また嶺上開花。新ドラは4索。表示牌3索が、連続で並んだ。

(消えたか…)

西家 鷲巣 手牌

22344666888発発

 玲音と同巡、二番目に聴牌していたワシズの和了牌、3索は全てドラ表示牌に消えた。

 玲音は次に9索を、そして次に白をツモり、最後に西での結着の未来を見据えていた。

 だが彼女の手にあったのは、北…。この牌は

東家 アカギ 手牌

二二二四四四④④④⑧⑧⑧北

 同じく同巡、三番目に聴牌していたアカギの和了牌。その気配を感じ取った玲音にこの牌は切れなかった。

((というか…これ…))
(うん……ここまで『強力』だなんて…)

 かつて彼女と対峙した【麻雀の意思】でさえ破ることの出来なかった玲音の『願望』…それさえも封じられていた。

 同巡、ワシズのツモは発。止められた3索を河に置き。四暗刻含みの役満に昇格させた。
(この力…『どこまで』存在する…)
 限界点の見えない穏乃の支配を前にワシズは前巡に引き続きまたもリーチを自重した。

西家 ワシズ 手牌

2244666888発発発

 そして次巡、アカギは四暗刻単騎の形に、四萬をツモってくる。

東家 アカギ 手牌

二二二四四四④④④⑧⑧⑧北 ツモ 四

 この形、長野地区大会のオーラス、龍門渕の天江衣から直撃を奪った形に近く、そして赤木しげるを象徴するかのような形でもある。
 玲音の予想した通り…赤木しげるはこの形から北を河に置き、そして曲げた。

「リーチ」

 リー棒が卓に投げ入れられる。

(やはり…しげるおじさんは、そうだよね)

 玲音にはその形がわかっていた。懐かしさも感じ、そして嬉しくもあった彼女は、自然とその頬を緩めた。

 2巡後。穏乃に分岐点が訪れる。

北家 穏乃 手牌

三三三②②⑤2255577 ツモ 三

 四枚目の三萬。四暗刻単騎が最も怖い状況での四枚目。まさに地獄にたれた蜘蛛の糸にも思える三萬。
 だが穏乃の直感は、この牌は先程リーチをかけたアカギの和了牌であると教えている。感じている。
(この牌は…間違いなく清澄のアタリ牌…。でもこの状況…)
 穏乃は追い詰められている。
 敵は清澄だけでは無い。臨海も、白糸台も迫ってきている状況。そして己が和了することが困難であるという予感。彼女は追い詰められている。

(負けられない…。みんなのためにも、絶対に…)

 彼女は『確実』を選択した。

「ロン」

 その声は清澄…赤木しげるのもの。

東家 アカギ 手牌

二二二四四四四④④④⑧⑧⑧ ロン 三

(やっぱり…。アカギ君も…しげるおじさんと同じ。『その牌』で待っていた)
 玲音は知っていた。そして彼は…彼なら裏ドラを暗刻で乗せるだろうということ。それが、赤木しげるの力…【赤木しげるの四暗刻地獄待ち】なのだから。

 裏ドラ表示牌1枚目。

 ⑦筒。つまりドラは⑧筒。ドラ3が追加し、これで満貫は跳萬に。

 しかし

 しかし二枚目

 4索。ドラは5索。

 三枚目

 4索。またもドラは5索。

 赤木しげるの裏ドラ暗刻乗せ……成就…成らずの結末に終わった。

 穏乃は『確実』を選択した。



「残念だけど、アカギさん…。そこはもうあなたのテリトリーじゃない」





玲音(白糸台)     100000
ワシズ(臨海)     100400
穏乃(阿知賀)     106300(-18000)
アカギ(清澄)     93300(+18000)



 だが、アカギは不敵に微笑んでいる。


「確かに…あんたの直感は正確だ。裏ドラが乗らないことを読んでの打三萬。いつ他の二人が和了るかわからないこの状況、それは最も確実な選択だ。だが…」

 アカギは続ける。

「あんたは引いた。見通す力があったが故に、最も確実な答えに逃げた」

「うっ…」

 挑発。これは挑発に過ぎない。彼女は何度も自分にそう言い聞かせた。
 しかし…同時に不安が押し寄せてきていた。
 彼女は堪える。自分のことを想ってくれている憧の事を、みんなの事を、応援してくれている者達のことを思い、その不安に耐えようとした。
(私には…みんながいる。清澄が何をしても、白糸台や臨海が何をしてきても、私にはみんながいる…それは…間違いのない確かな事……)

「連荘。1本場…」


 だが目の前には




「果たしてその状態で…あんたは逃げ切ることが出来るかな……高鴨穏乃……」




 




 悪魔








 




 紛う無き悪魔がいた














 

 





[19486] #49 オーバーワールド その4 -Ego-
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/07/25 17:26
 
 私はワイヤードに繋がっていると、その意識は次第にワイヤード全体に広がっていって、ワイヤードの全てと一体化しているような気分になる。
 そこでは、私がいったいどこにいるのかが分からなくなる時がある。リアルワールドとワイヤードが一緒になっていたあの時は辛かった。自分はどこにでも存在していて、そしてどこにも存在しない。私はいったい誰なのかさえも分からくなりそうで、怖かった。
 だからこそ、しげるおじさんの存在は大きかった。私の心に生きているしげるおじさんが、私を保つ唯一だった。

 高鴨穏乃さんも、たぶん私に近い。高鴨さんの記憶では、彼女は山の中で一人でいることが多かった。そして彼女の意識は次第に自然の中に溶け込んで、深い山の全てと一体化しているような感覚を持つようになった。
 それでも彼女は、自分という存在をはっきりと認識していた。私のように、どこにいるのか分からなくなってしまうということも無く。だがら、高鴨さんはすごい。

 でも高鴨さん。

 今もそう?

 今も自分をはっきり認識できる?

 今のあなたの視界は、良好?







「これは……そんな……」
 オーラス一本場。配牌を取り終えた穏乃の目の前には、信じがたい光景。
「何で……牌が……」
 透けている。前半戦の時のように、牌がガラスのように透けている。
 しかし、全てというわけでは無い。透けているのは各々の手牌で、一部は黒牌のままである。
「この状況について説明してやろう」
 口を開いたのはワシズ。
「三透牌…。手牌、ドラ表示牌においてのみ、同種牌4牌の内3牌がガラス牌。それが今の状況だ」
「三透牌…」
「阿知賀…貴様の中途半端な支配が巻き起こした現象だ。アカギの小賢しい小細工に惑わされた貴様は、その力を弱め、ワシの力が入り込む隙を与えてしまった。故に起きた現象だ…。しかし、懐かしくもあるな…アカギ…」
 その状況は、かつてアカギとワシズの間で行われた、金と血液を賭ける麻雀…【鷲巣麻雀】のそれとほぼ同じであった。牌は触れた瞬間、それが黒牌ならそのまま、ガラス牌ならガラス牌へと変化する。


 ワシズの支配が穏乃の支配を飲み込みつつあるこの事実は、このオーラスを2本場にまわしてはならないことを示していた。
 次局が存在したのなら、その局はワシズが必ずあがる局であるということを場の全員が感じていた。当然、小細工の入り込む余地など無い。
 他の3人にとってこの局が最後。この局で結着をつけなくてはならない。

「さて…新たな状況、現状を飲み込めたようだし…そろそろ始めるか」
 南4局1本場…その親、赤木しげるの一言から、局は再開された。

南4局1本場 親 アカギ ドラ ⑨筒 表示牌 ⑧筒(ガラス牌)

玲音(白糸台)     100000
ワシズ(臨海)     100400
穏乃(阿知賀)     106300
アカギ(清澄)     93300

東家 アカギ 配牌

二七七④⑤1358東東南白発
■■七④⑤1358■東■白発 (他家視点)

※ ■は黒牌

 前局に運を使い切ったとでも言うがの如く、その配牌はボロボロだった。
 ドラも存在しない。唯一の希望が、自風牌の東が対子である程度。

(清澄の配牌…悪い)
 そのことが、穏乃の今の状況においての救いだった。

北家 穏乃 配牌

二三六六七九14南南西西西
二三六六七九■4南南西西西 (他家視点)

 一方彼女は好配牌。高速配牌。そして

西家 鷲巣 配牌

三①③④⑤⑧⑧2449北白
三①③■■⑧⑧2449北白 (他家視点)

 ワシズも悪い。その事実が一先ずは彼女を安心させた。
 

 1巡目、アカギ第1打8索。この局、アカギはツモなら満貫。出アガリなら、穏乃から40符3飜以上、ワシズや玲音からなら跳満以上でなくては逆転にならない。
 アカギは厳しい。この面子の中でその条件をクリアすることの困難さは彼が一番理解している。
(なのに…なんで…)
 今の穏乃には理解が出来ない。何故彼がその手牌を…まるでいとおしいモノを見るような目で見ているのか。
(アカギさんだって…チームの想いを背負ってここにいる…はず…。それなら…その状況…楽しめるはずが…)
 
 否。穏乃にも出来るはずだった。劣勢の状況下でも、誰もが目を覆いたくなるような事態が起きても、彼女は楽しめるはずであった。彼女にとっての前回の試合…窮地に追い込まれていた2回戦の時もそうであったように。
 だが今の彼女にはそれが出来ない。乱されている。
 彼女の力が支配や感覚を乱すなら、アカギの麻雀は心を乱す。穏乃の心は、アカギによって狂わされている。

西家 鷲巣 手牌

三①③④⑤⑧⑧2449北白 ツモ ②(ガラス牌) 打 三

①②③④⑤⑧⑧2449北白
①②③■■⑧⑧2449北白 (他家視点)


 彼は前局、リーチすべき手でリーチを自重し、己の流れを止めた。本来なら、例えアガリの目が無くとも、リーチをすべきであったのだ。
 彼は無から有を生み出す。流れが無くともその法則を無視して異常な好配牌、高速配牌を手にしたであろう。だが、自分から流れを断ち切ってしまった場合は別である。
 しかし、ワシズはそのことは重々承知でリーチを自重したのだ。それ程までに、高鴨穏乃の力は脅威であった。
(だがその脅威も今、底が知れたわ)
 落胆など有るわけがない。彼は暗闇の荒野でも、進むべき道を切り開ける者なのだから。

 そして穏乃のツモ番。

二三六六七九14南南西西西 ツモ ①(黒牌) 打 ①(黒牌)

二三六六七九14南南西西西
二三六六七九■4南南西西西 (他家視点)

(なんで…こんな時に限って…)
 1巡目のツモが無駄ツモになることなど珍しいことでは無い。ましてや好配牌なら尚更である。だが今の彼女の精神状態では、それは受け入れがたい事だった。
 しかし
 2巡目に7索
 3巡目に8索
 4巡目に9索と全てガラス牌ではあるが、連続で有効牌をツモる。

4巡目 北家 穏乃 手牌

二三六六七九78南南西西西 ツモ 9(ガラス牌)


 南を直ぐに叩けるのならば、ここで打九萬、そして南をポンした後に打七萬で聴牌。
 しかしこの三透牌の性質故に、直撃や鳴きは困難であるのは明らかである。
 穏乃は打六萬を選択。九萬を残し、チャンタの可能性を残した。

二三六七九789南南西西西
二三六七九789南南西西西 (他家視点)

 だがその巡に、アカギから南(黒牌)が河に置かれた。
(裏目?…違う…。私の打六萬を見計らって落としただけ…。裏目なんかじゃない)
 彼女はそう自分に言い聞かせる。
 その彼女の選択は次巡、あっさりと実を結んだ。

5巡目 穏乃 手牌

二三六七九789南南西西西 ツモ 八(ガラス牌)

二三七八九789南南西西西
二三七八九789南南西西西 (他家視点)

 リーチは当然かけない。ツモって結着。ツモるだけで良い。

 次巡、風牌の東をツモった彼女は、他家の状況を確認した。

東家 アカギ 手牌

■■■■七④⑤■■東白■発 (他家視点)

東家 アカギ 捨て牌

8531南(黒)9

西家 ワシズ 手牌

①②③■■⑥⑦⑧⑧4北北白 (他家視点)

西家 ワシズ 捨て牌

三92864


 アカギは黒牌が増え、河からは染め手の臭い。
 ワシズは筒子の染めが進んでいる。

(近付いてきている。一萬か、四萬をツモるだけの結着。最速の聴牌を手にしたはずなのに、この焦燥感は何?)
 この東を切るべきでは無い。切ったら鳴かれる。そう彼女の直感は告げている。しかし、この聴牌を崩してしまうと、上家の臨海との差が縮まってしまう。それが『見えてしまっている』。
 見えてしまっているものが、理が、彼女の嗅覚を狂わせている。

 彼女は震える手で、東をそっと河に置いた。

「ポン」

 その声はドクンと彼女の胸を打った。
 全ては直感の通り。アカギからの声。彼は鳴いた後、④筒を河に置いた。

東家 アカギ 手牌

■■■■七⑤■白■発 ポン 東東東(上家ポン) (他家視点)


 同巡。ワシズはガラス牌の中を手牌に入れ、打4索。

西家 ワシズ 手牌

①②③■■⑥⑦⑧⑧北北白中 (他家視点)

 その鷲巣の手が見えている穏乃は、同巡にツモって来た発も止めることが出来なかった。

「ポン」

 またもアカギからの声。彼は鳴き、⑤を河に置いた。

東家 アカギ 手牌

■■■■七■白 ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) (他家視点)

 その同巡、穏乃はガラス牌の二萬をツモってくる。
(こっちじゃない!)
 彼女は嘆く。この二萬。アカギに対して切れる牌では無い。
 もし仮に、アカギの手が

三四五六七七白白 ポン 東東東 ポン 発発発

 だった場合、この二萬はアタり。東、発、混一の問答無用の逆転。阿知賀の敗北がそこで決定する。

 見えているもの。
 見えていないもの。

 直感が教えてくれるもの。
 理が選んでしまうもの。

 様々な要素が、彼女の身体と心に混在し、それぞれは最早原型を留めていない。

 ワシズの河を見る。

西家 ワシズ 捨て牌

三92864
43

 同巡、ワシズは打3索。ツモ切りであり、手を進めていない。
 その一打が、ワシズの勢いは止まったと、そう錯覚するかのような一打に穏乃は思えてしまっていた。
 彼女の選択は南。アカギの現物。今なら回れる。逃げながら手を進める。穏乃の心の奥底で示されたベクトル。

北家 穏乃 手牌

二二三七八九789南西西西

 だが直後、アカギは黒牌の何かを手牌に加え、河にガラス牌の白を置いた。

東家 アカギ 手牌

■■■■七■■ ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) (他家視点)

東家 アカギ 捨て牌

8531南(黒)9
④⑤白

(手替わり…手替わりしたってことは…)

 ノーテン。アカギは張っていなかった。

(分からない…もう…感じない……何も……)

 最早穏乃には力が殆ど残っていない。辛うじて、この三透牌の状況を維持しているのみ。今の彼女はガラスのように脆く、そして空であった。

 そして同巡、ワシズはガラス牌の⑨筒…ドラを手牌に加え、打白。

西家 ワシズ 手牌

①②③④⑤⑥⑦⑧⑧⑨北北中
①②③■■⑥⑦⑧⑧⑨北北中 (他家視点)

西家 ワシズ 捨て牌

三92864
43白

 ワシズも手を進める。一歩一歩、確実に近付いてきている。それが見える。

 同巡。穏乃のツモは五萬。ガラス牌。

北家 穏乃 手牌

二二三七八九789南西西西 ツモ 五(ガラス牌)

 黒に染まっていくアカギとは対照的に、穏乃やワシズの手牌は明らか。真逆。

(この五萬も…)

 危険牌。アカギが手替わりをしたとはいえ、二、五萬…萬子が危険牌なのは変わらないどころか、寧ろその危険度は増している。
 彼女は前巡同様、現物の南を河に置く。

(いつまで…いつまでこんな……)

 彼女は嘆き続ける。その彼女の次巡のツモは、またも五萬…ガラス牌だった。

北家 穏乃 手牌 

二二三五七八九789西西西 ツモ 五(ガラス牌)

 同巡のアカギとワシズの捨て牌は二人とも1索。ツモ切り、手を進めているわけでは無い。
 だが、アカギは張っているかもしれない。今の穏乃にはそうとしか思えない。萬子が通せるはずも無い。
 穏乃の震えは加速する。その手は自然と索子にかかっていた。
(索子しか…切れる牌が無い…)
 穏乃が河に置いたのは索子の9索。アカギに対しても、ワシズに対しても現物の9索。聴牌を崩した。

(赤土先生……ごめんなさい…)
 赤土晴絵からのアドバイス、自分を見失わないこと。今の彼女に、それを実行できるわけも無かった。

(憧……みんな……助けて………)




 あれほど弱々しい穏乃は見たことがなかった。どんな逆境にもめげず、立ち向かい、そして楽しむことの出来る彼女は、もうあそこにはいない。
「シズ…」
 阿知賀女子控室。穏乃の苦しさ、辛さは彼女達にも伝わっていた。
「悔しい…」
 憧は思った。仲間が苦しんでいるのをここで見ているだけ。見えているのに、分かっているのに何も出来ないこの世の節理を呪った。
「憧ちゃん…」
 宥が、そっと憧の手に触れた。
「あるよ…。私達にも出来ること…」
「出来ること…」
「祈ろう…」
 祈る。想いの力を、穏乃に届ける。そう宥は言った。
「でもそんなことしたって…届かないよ…」

「届くよ」
 宥は自信を持ってそう言った。
「きっとお母さんも、天国で見ているから…」
 玄も宥と同じように、その言葉には力があった。
「宥姉…玄…」
「だから…手を繋ご…。みんなの想いを、力を…穏乃ちゃんに」
 玄と宥は、憧の両手をそれぞれ掴んだ。
「え?ちょっと…何か恥ずかしいよ…これ」
 憧は照れる。その手を振りほどかれないようにと、宥も玄もしっかりと憧の手を握った。
「するのです!」

「まったく、和がここにいたら言われてるよ。そんなオカルトあり得ませんって」
 晴絵がそう言いながらも、玄の手と手を繋いだ。
「ほら、灼も」
 晴絵は灼も呼び、自分のもう片方の手と繋ぐように促した。
「う…うん」
 頬を赤らめながら、彼女も手を繋ぐ。

 手を繋いだ全員は瞳を閉じ、祈った。想いが…そして力があの場所に届くようにと。



 そして、その想いが届いたのか、11巡目…、『アカギに』最悪のツモが訪れる。

東家 アカギ 手牌

二三四七七⑦⑧ ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) ツモ ⑥(ガラス牌)

 ガラス牌の⑥筒。
 既にアカギは張っていた。しかし、この⑥筒は最悪の安め和了牌。ツモ和了っても1100オール。逆転には至らない。
 ワシズが居るのだ。もう連荘は出来ない状況でのこのツモはあってはならない。和了ってはならない。
 アカギはガラス牌の七萬を河に置いた。

東家 アカギ 手牌

■■■■⑥■■ ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) (他家視点)

(手替わり!?打七萬?…混一じゃなかったの?)
 穏乃の混乱は必然だった。だが同時に希望も見えてきた。混一では無いということは、まだアカギは和了れる形では無いかもしれない。

 同巡のワシズも同様。ガラス牌の2索ツモ。二連続の無駄ヅモ。
(この感覚…)
 ワシズはこのツモの感覚を経験している。
【オーバーワールド】にて、【松実露子】と打った時である。相手の手を凍らせる、彼女の力…彼はあの時の感覚を思い出した。
(奴の力が…なぜ今…この場に)

 松実露子の力が、宥や玄を通して、そして阿知賀全員の想いと共に、今…この場に訪れていた。
(感じる…。皆の…阿知賀の皆の想いを感じる)
 凍りつきかけていた穏乃の胸が、次第に熱を帯びていく。
(温かい…)
 
 流れも手牌も熱を取り戻すかの如く、赤い牌が彼女に流れ込んでいく。
 アカギとワシズのこの1巡の停滞が、穏乃に前に進むチャンスを与えた。

北家 穏乃 手牌

11巡目 

二二三五五七八九78西西西 ツモ 九(ガラス牌) 打 8

二二三五五七八九九7西西西
二二三五五七八九九7西西西 (他家視点)

12巡目

二二三五五七八九九7西西西 ツモ 八(ガラス牌)

 アカギの河を見ると、その巡にアカギは黒牌の七萬を捨てている。

東家 アカギ 手牌

■■■⑥■■■ ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発 (上家ポン) (他家視点)

 七萬は何かの黒牌と交換する形で押し出されていた。

 ワシズの方は、河に中。①筒(ガラス牌)を手中に加え、手を進めている。

(迫ってきている…。でも…)
 胸に宿る熱が冷める気配は無い。穏乃は攻める。

-――攻め?

 七対子に向かうため

―――守りを意識してない?

彼女は打…

―――だってこれは…私だけの勝負じゃ…


 西を選択した。


 しかしその西…

東家 アカギ 手牌

二三四⑥⑦⑧西 ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) 
■■■⑥■■■ ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) (他家視点)

 アカギのアタリ牌である。
 
 だがそれでもアカギは微動だにしない。和了しての連荘に臨まない。彼には2本場など、端からやる気など無かった。
 この局での結着、故の見逃しという暴挙。狂気の選択。

 その博徒の血が選んだ道は、彼に、またも闇を掴ませた。
 アカギはその闇を手牌に加え、ガラス牌の⑥筒を捨てた。

 
 そしてアカギの手牌はついに、闇に飲まれた。

 ガラス牌という光を全て消し去り、今、完全なる黒がそこにある。


東家 アカギ 手牌

■■■■■■■ ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) (他家視点)


 その暗黒は、蘇りつつあった穏乃の心を次第に圧していく。

「あの…同じ牌で黒牌は一つだけなんですよね…」
 穏乃はワシズに訊いた。
「そうだ。この状況において、黒牌で対子は存在しない」

 そのワシズは13巡目。アカギの手が黒に染まった同巡、さらに前に進む。

西家 ワシズ 手牌

①①②③④⑤⑥⑦⑧⑧⑨北北 ツモ ⑨(ガラス牌)  打 北

①①②③④⑤⑥⑦⑧⑧⑨⑨北
①①②③■■⑥⑦⑧⑧⑨⑨北 (他家視点)

 アカギの『闇』とは対照的といえるワシズの『光』。その光も、アカギの闇と同様、穏乃の心を圧していく。

 その穏乃のツモは九萬。ガラス牌

北家 穏乃 手牌

二二三五五七八八九九7西西 ツモ 九(ガラス牌)

(うっ…)
 七対子イーシャンテンを維持するならこのまま打、九萬。しかし混一の目が再生したアカギの闇を前にして、彼女はこの九萬を切るのを躊躇った。
 かといって7索や西も切れない。

四[五]六⑦⑧⑨7 ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) 
四[五]六⑦⑧⑨西 ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン)
 
 例えばこういったケースも存在する。
 東、西 ドラ2の満貫。逆転の形。

 唯一切れるのが、現物の七萬のみ。

 彼女は今揺らいでいる。仲間によって支えられている心が、闇と光によって惑いつつある。
 仲間たちが自分と共に居る。それは確かである。だが、選択するのはやはり自分しかいない。
 正しい選択とは何か。
 直感を失った彼女が選ぶものは…もう利しか残っていない。
 唯一の現物、七萬…それしか。

 だが…

 だがしかし、アカギは張っていない。

東家 アカギ 手牌

二三四六⑦⑧西 ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン)

 アカギは黒牌の六萬をツモり、ガラス牌の⑥筒を切り、聴牌を崩していた。
 目の前の、今見えていること。とりあえず手にしている聴牌。そんな利、既得権益にアカギは拘らない。
 アカギは欲した。聴牌崩しという暴挙を冒してでも彼は、闇を欲したのだ。再生しつつある穏乃の心を再び停滞させるために。
 だからこそ打った。身を削るようなアカギのブラフは、再生間近の穏乃の心を惑わし、そして止めた。

 故に

14巡目 

アカギ 手牌

二三四六⑦⑧西 ポン 東東東(上家ポン) ポン 発発発(上家ポン) 

ツモ ⑨(ガラス牌)

 このツモは必然である。

 彼の直感、博才、博運が導き出した未来。必定のドラツモ。3飜確定必須牌。

(え?)
 河に黒牌の六萬が置かれる。穏乃は状況を整理しようと脳をフル回転させた。
(まず…混一じゃない…そして…3飜…5800の一本場、6100は確定?)

 彼女が思考を巡らせている間に、ワシズから一萬、黒牌の一萬が切られた。
(一萬…もうこれでかなり手が狭まった…)

同巡

北家 穏乃 手牌

二二三五五八八九九九7西西 ツモ [五](ガラス牌)

(赤牌…。これでアカギさんの手に赤五萬が無いことが確定した)
 穏乃は二枚目の西を切った。
(仮にこれがアタリ牌でも…アカギさんはアガらない)
 彼女はアカギの…アカギの感性を信頼した。信頼しての打、西。

―――信頼?

―――…一枚通れば三枚通る

―――少しでも直撃を恐れたんじゃ

―――違う…違う…


 …その西はアカギのアタリ牌。当然彼はスルー。
 だがその直後、15巡目、事態は一変する。

「カン」

 アカギの手にある爆薬、その導火線に火が灯った。

東家 アカギ 手牌

二三四⑦⑧⑨西 ポン 東東東(上家ポン) 加カン 発発発発(上家ポン→加カン)

(カン!?)
 確かにアカギの役は3飜。しかし、槓をすれば別である。
(嶺上開花…前局までなら大丈夫だった…でも今は…)
 穏乃の支配が弱まっている今ならあり得るかもしれない。そう穏乃は思った。

アカギ 打 白(ガラス牌) 新ドラ ①筒。(表示牌⑨筒(黒牌))

 嶺上開花も無く、槓ドラも乗らなかった。
 だが、やはり槓をすれば別なのは変わりがない。この加槓で、アカギの手は符点、40点以上が確定し、7700の一本場8000点以上が確定した。
 
 穏乃の手牌の全ての牌が、またも全て危険牌へと変貌した。



 同巡ワシズ。
 ワシズもここでツモりたい。力が拮抗していて、誰の支配の上に成り立っているのか分からない…異能者にとっては異常な卓。凡人にとっては当たり前の卓。
 だがその巡もワシズはツモれない。彼の手にある牌は黒牌の白。
(松実露子だけでは無い…。『もう一つ』ある)
 『もう一つの異常』の存在。それが存在していることだけは分かる。しかし、その解答が何処に存在しているのか…『何か』が彼の思考を邪魔している。


 同巡穏乃。
 無駄ヅモを繰り返すワシズを見て彼女は確信する。仲間の力が、彼の手を止めていると。仲間の力がワシズを止めてくれるというのなら…次局に持ち越せる。2本場における、ワシズの問答無用無慈悲の和了は存在しない。
 だからこそ彼女はここでツモりたい。完全安牌を。
 感性の失った彼女にとって『選択』という道はまさに修羅の道。だからこそ、安牌の消えた今だからこそ、彼女は引かなくてはならない。

 来い。


 来い。


 来い。


 来い。


 彼女は念じる。願う。祈る。

 仲間の意思と共に。

 その想いは次第に強さを増し、傲慢たるものへと変貌していく。
 まるで神から、何かを奪い取るように、彼女は…彼女達はその牌をツモった。

 その牌は…五萬。黒牌の五萬。アカギに対して、絶対に通る牌が、ここに来て彼女の手に渡った。
 黒牌の⑨筒が表示牌にある以上、ドラの対子持ちというのはあり得ない。故に

三四234⑨⑨

 などの形は存在しない。張っているなら、⑨筒は横の牌と繋がりがある。
 なれば必然的に待ちは単騎待ち。この五萬は絶対に通る牌であり、かつ一つ通せば4巡凌げ、流局に持ち込める牌。

(助かった…)

 長かった。
 この南4局1本場は長かった。
 不安によって感性を失い、直感に身を委ねることの出来ない中、引いてくる牌は危険牌ばかり。
 楽しいものでは無かった。辛かった。苦しかった。息も出来ないような空気の中、何とか仲間たちの力によって支えられていた。そういう南4局1本場。

 それも…もう終わる。


 彼女はそっと五萬を手に取り、ゆっくりと河に手を進める。



 そして、その牌が地に着こうとする…







 瞬間……






 刹那………





 悪寒。違和感。
 揺るぎ無い絶対安全な大地に立っていたはずが、今はまるで


 一転。



 薄氷の上に立っているような感覚。




 そう




 穏乃はこの感覚を知っている。



 準決勝進出を決定したその晩に打った…鶴賀、風越との練習試合。
 穏乃は…『この状況を生み出すことの出来る者』と打っている。



(東横……桃子さん……)


 鶴賀学園一年、東横桃子…。他者の記憶に介入できる異能者。穏乃は彼女と打っている。
 だからこそ気付いた。
 この土壇場に、この異常を作りだす存在……


 白糸台高校……岩倉玲音に……






南家 玲音 手牌


四四四六①②③④[⑤]⑥中中中
四四四六①■■④[⑤]■■中中 (他家視点)


(見えた!)
 穏乃は彼女の存在に気付く。
 黒牌はあるが、彼女のその感覚は、五萬がアタリ牌だということを告げている。
(この牌は…切っちゃ駄目だ……絶対に…駄目……)
 これは自分自身の感覚では無い。桃子との対局によって得た感覚、桃子によって授けられた感覚。今の穏乃にとって『信頼出来る』感覚。





(上手く…いくかな)
 『この状況』は玲音が作りだしている。【ノイズ】が強かった前局以前とは違い、この局のノイズは弱い。故に彼女の力が介入する隙が出来た。
 だがこれは記憶…記録改変という彼女の【異能】では無い。玲音は麻雀の試合においてこの力を使うつもりは無い。彼女にとって『この程度』のことは、力を使わずとも『技術』で出来る。技術が生み出した異能的状況が…それが今。
(消えるまでには時間が掛かったけど)
 彼女の使用した【異能】は【神超え殺し】。
 【麻雀の意思】によって決定された未来を知り…そして『それを超えた者』の屠る力である。かつて【麻雀の意思】を倒した彼女ならではのもの。

 この局…南4局1本場の結末は、穏乃が西を切り、アカギに振り込むと言うもの。それが【麻雀の意思】。だが、穏乃は、穏乃達はその意思を超え、四枚目の五萬をツモった。玲音の【異能】は、その五萬を撃つ。
 通常の麻雀ではまったく意味の無い力。だが玲音はこの【オーバーワールド】にて見たかった。『神を超える者』を。そしてその者を屠る。それが彼女の願望。
 つまりこの【異能】は、岩倉玲音の『実験』なのである。




(あなたは神を超える?それとも…意思のままに負ける?)

((まったくえげつないわね。どっちにしてもあの娘、負けちゃうじゃない))

(ううん。…まだ……まだあの娘は終わっていないかもしれないよ。現に高鴨さん…『気付いた』みたいだしね)




北家 穏乃 手牌

二二三[五]五五五八八九九九7西

(この五萬は切れない…切れないとしたら……何を切る?…どうする?)

 ここが死線。

 彼女には牌を切る以外にもう一つ選択肢が存在する。
 五萬の暗槓。嶺上牌に、その未来に賭けるという道である。
 だが、山の怖さは穏乃が一番よく知っている。安牌を引けない、アカギにドラを乗せてしまうかもしれないというリスク。特にドラに関しては最も許してはならない事態であり、一つでも乗せてしまえば、アカギはツモ和了でも逆転条件クリアの可能性が発生してしまう。
 そして何より穏乃は今、山を感じることが出来ない。

 彼女は眼を閉じた。





―――シズ…



 暗闇から声が聴こえる。憧のものだ。


―――穏乃ちゃん…………穏乃……しず…

 宥……玄………灼……晴絵……

 聴こえる。みんなの声が聴こえる。



―――山は怖い……


―――でも……



―――みんなと一緒なら!



「カン!」



 嶺上開花。



 それが神を超えた、そしてそれすらも超えた玲音をさらに超えた、彼女の…彼女達の選択。



 嶺上牌はガラス牌…二萬。新ドラは7索。表示牌はガラス牌の6索となった。


 彼女は三萬に手をかけ、躊躇いも無く切った。
 安牌、危険牌の概念はもう存在しない。不要牌だから切ったのだ。
 今の彼女の目的は、和了ることのみであった。

(みんなの力を感じる。この手を和了に導いてくれる!)

 同巡、アカギはガラス牌の一萬をツモ切る。

 そして玲音、彼女は黒牌の九萬をツモ切った。

「カン!」

「!?」

 穏乃の大明槓。玲音は驚きを露わにした。
(感じているだけじゃない…はっきりと見えているんだ!)

 岩倉玲音…彼女の姿がこの場に現出した。
 アカギとワシズの二人が、彼女を認識した。





 穏乃の嶺上牌はガラス牌の7索。


北家 穏乃 手牌


二二二八八77西 暗カン [五]五五五 大明カン 九九九九(対面カン)




 そして穏乃は…阿知賀女子は和了に向かう。






 想いと共に前に走る。
 





 だからこそ







 だからこそ『その牌』は切られた。








 逃げに逃げ回ってようやくたどり着いた、激しさや強さとは無縁の…消費しきった心の打牌であった先程の五萬とはわけが違う。









 熱量を帯びた、血と魂が込められた、命の打牌。








・・・

・・・・・・






「高鴨穏乃…」



 彼は静かにその両手を手牌の両端に沿え



「あんたは………」



 そして




「強かった…!!」



 言葉と共に前に突き出した。




「ロン…!!東、発、ドラ1…。50符3飜……9600の1本場は…9900!」


東家 アカギ 手牌

二三四⑦⑧⑨西 ポン 東東東(上家ポン) 加カン 発発発発(上家ポン→加カン)

ロン 西






玲音(白糸台)     100000
ワシズ(臨海)     100400
穏乃(阿知賀)     96400(-9900)
アカギ(清澄)     103200(+9900)







 【第71回全国高等学校麻雀選手権大会】…『インターハイ』団体戦決勝…その頂点は、清澄高校で完結した。
















 それぞれがまるで放心状態にあったかのように、暫くの間、静かな沈黙が続いた。



「さて…帰るとするか……」
 最初に席を立ったのはワシズ。

「意外だな。悔しがると思ってた。あの時のように」
 アカギが声をかけた。
「ふんっ…麻雀とはこういうものだろう…。所詮は娯楽にすぎん」
「随分と丸くなったなったものだな…ワシズ」
「貴様も歳を取ればわかる…」
「ふーん…。で、ところでお前に帰る所があるのか?」
「無ければ自分で創るだけだが……どうやらあるようだな」

「爺や!」

 開いた扉の先には、龍門渕の天江衣がいた。他のメンバーもいる。衣はここまで、純に肩車をしてもらってここまで来た。純をはじめとする龍門渕のメンバーは息を切らしている。

「ククク…爺やって歳でもねぇのにな」

「随分と奇妙な関係になりそうだわ。あの孫とは」

 自分より1歳年上の孫を見るその彼の表情には穏やかさがあった。

「お前、そんな笑い方するんだな」
 意外な表情を見れたアカギは、囃すように言った。

「年相応だ。何も可笑しくは無い」
 照れる様子も無く堂々たるその様子は、どこか爽やかさを感じさせるものだった。







「さーて…私も帰るかなっと」
 大きく伸びをして、次に席を立ったのは玲音。
「随分と満足げだな」
 アカギが訊く。
「だって…区間じゃ私1位だよ?」
 前後半戦合わせてプラス7600。区間では文句なしの1位通過である。
「ククク…確かにな。あんたも強かったぜ」

((しかし意外ね。てっきり【麻雀の意思】通りの展開で、落胆するかと思ってた))
(結果だけはね。でも過程が違うし、仮に意思通りの展開でも、私1位だし…それに…)

「アカギ君。あなたはまだまだ強くなるよ」
「……だと良いな…」

(ってこと。今アカギ君が【麻雀の意思】を超えた存在でないというのなら、つまりアカギ君の麻雀には先がある。しげるおじさんは、とっくに【麻雀の意思】なんて超えてたんだから)
((なるほどね。楽しみが増える…か))
(そういうこと)


「それじゃ、またどこかの卓で」









 そして、卓にはアカギと穏乃だけが残った。

「あの…」
 先に切り出したのは穏乃。
「一つ訊いていいですか?」
「なんだ?」
「私とアカギさん……何が違ったと思います?」
「何が……。全部じゃねえぇか?同じところを探すことの方が難しい」
「あ…えっと……私は、阿知賀のために打ちました。それが…力になってくれたんです。でも…それでも負けた……」
「ふーん…そう言うことね」
「アカギさんも、メンバーのために打っていたと思うんです。勿論、麻雀の結果が意思の差で決定するとは思っていないんですけど、でもさっきの対局に関しては…そう思えてしまって…」

「もしあんたが、孤高だったなら…俺達はあんたに敗北していたかもしれないな…」
「え?」
「孤高であるからこそ直感に身を委ねることが出来る。狂気の、悪く言えば無責任な一打が放てるってこと。チーム戦はあんたには向かない。あんた打ちにくそうだったからな…終盤」
「…でも……これはインハイで、一人で打つなんてこと…ないですよ…」
「『赤木しげるとして打ち、赤木しげるとして勝ってこい』って言われたんだ。メンバーから…」
「赤木しげるとして……」



「アカギくーん!!!」

「シズー!!!」


 対局室に、清澄、そして阿知賀のメンバーが入ってきた。




「つまり…俺のエゴを通させてくれた仲間がいたってこと…かな…」

 アカギはそう言って席を立った。




「なるほど………完敗です…」


 穏乃は瞳を閉じ、そっと呟いた。しかしその表情は、悔しさや後悔のそれではなく、清々しく、そして穏やかなものであった。









 






 








[19486] #50 咲-Saki-
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/10/07 10:23
オーラス 1本場 



北家 咲 手牌



一九①⑨19東南西北白発中



 プラスマイナスゼロの世界……



 虚無の中で咲く花…










「自分のマイナスをゼロに戻したい」

 最近読んだ本の主人公の台詞。すごく印象に残った。
 その物語にはある聖人の遺体が登場し、誰もがそれを求め奪い合うというストーリーで、主人公もまたその遺体を求めた。その主人公には辛い過去があって、常に自分をマイナス側の人間だと思っていた。だから彼は求めた。自分をゼロに戻してくれるかもしれない聖人の遺体を。
 竜君も、きっと私にとってそういう存在。竜君のおかげで、私はお姉ちゃんと仲直りで来て、プラスマイナスゼロに戻ることが出来た。竜君と出会えたから、私の未来は変わったんだ。

 だから、私は竜君が欲しい。
 竜君の存在は、人を幸せにする。
 私は、この幸せを永遠のものにしたい。







 決勝が終った後、監督等を除く各々の選手はそれぞれのホテルに歩を進めたが、咲は決勝戦の間トイレを我慢していたため、終了後直ぐにトイレに走った。
 迷いながらもなんとか発見し、用を済ませることは出来た。しかし、たどり着いた手洗い場は会場内でも奥側に位置する所で、咲はどのように進めば外に出られるのかが分からなかった。
(どうしよ…)
 彼女は仲間に連絡しようと携帯を取り出そうとするが、その視界に竜が映った。廊下のつき当たり、一瞬。横切る彼が見えた。
 彼女は走り、そして確認したが、やはり竜の背中だった。どこかに向かっている。
(竜君が、なんでここに?)
 疑問に思ったが、道に迷っている自分にとっては助け舟ではあった。ついていけば、どこかには着けるだろう。そう思って咲は物陰に隠れながら彼をつけた。
(私…何しているんだろ。声をかけて、道を聞けばそれでいいのに…)
 そうは思いながらも、彼女は竜に声をかけることは出来なかった。

 竜がたどり着いたところは、どこかの部屋だった。彼はその部屋に入った。
 彼が部屋に入るのを確認し、咲はその部屋の扉の前まで行き、部屋の名前を見た。
(臨海…高校?)
 そこは臨海高校の控室だった。
(何故…竜君がここに?)
 咲は扉を開けるのを躊躇った。中から声が聴こえる。彼女は扉に耳をつけ、その会話を聞いた。




「やはり来てくれたね」
 既に卓は用意されており、D・D、ヴィヴィアン、そして高津が席に着いていた。彼らは竜がここに来た理由を知っている。
「一応、確認しておこうかな。君は何故ここに来たのかを」
 D・Dが訊く。訊かれた竜は
「ケイとアミナの自由を貰いに来た」と言った。
 その答えは彼らの予想の通りだった。
 ケイは現在病院に居るが、彼にはもう一つ大きな仕事が残っている。それは【名簿】を手にいるためにD・Dと打ち、そして勝つことである。勝つことでようやくアミナの自由は約束され、アミナはケイと共に生きていくことが出来る。
 だが、今のケイの力ではD・Dには勝てない。インターハイでの彼の奮闘も、血も、何もかもが無駄に終わってしまうことは目に見えていた。
 
 竜は、彼の代打ちとしてここに来た。

「まさか君が、他人のために打つとはね」
 D・Dは軽く笑いを零す。
(『もう一回』って、こいつと打つことだったなんて…。ずいぶんと人使い荒いじゃないの、デイヴ…)
 ヴィヴィアンはため息を漏らした。
「だが、条件がある」
 高津が言った。
「竜、お前にはうちの代打ちになってもらう。それがこの勝負を受ける条件だ」
 たとえ竜の力がケイより上であることが明らかだとしても、無条件で勝負を受けられるはずも無い。これは竜にとっては無関係の勝負。他人が勝手に割り込んで、勝負を請け負うという話が通るはずも無い。
「少なくとも『ケイが勝つかもしれない』という可能性を、お前は潰すのだからな」
 高津のその言葉に、竜は少し間を置き
「好きにするがいい」と返し、そして卓についた。

 その時、ガラっと扉が開いた。
 そこに居たのは、宮永咲だった。

 咲は自分で何をしているのかが分からなかった。しかしもう既に言葉を発していた。
「待ってください」と。
「君は」
「咲ちゃん?」
 岩倉玲音が会場に【許可】した人物の一人である宮永咲。D・Dには彼女がここに来る予感が微かにあった。だが、それでも若干の驚きを見せた。ヴィヴィアンと高津にとっては全くの予想外。二人は目を丸くした。
「あの…」
 思考よりも言葉が先に溢れてくる。咲は、自分でそれを止めることが出来なかった。
「私を、その勝負に加えてください」
「あ?」
「咲ちゃん何を言ってるの?」
 理解不可能の申し出。何故、竜以上にこのことに無関係の宮永咲が。ヴィヴィアンと高津にはわからなかった。
「どういうことか、聞かせてくれるかね?」とD・Dが言った。

「竜君は、渡せません」

 それが咲の返答だった。

(なるほどね)
 D・Dはその意味を理解し、彼女の言葉に補足した。
「つまり君は、誰もが【竜】を求めるように、彼を求めたのだね」
「…かどうかはわかりませんが…たぶん…そうかもしれません」
 若干我に戻りつつあった咲は、微かに照れを見せ始めた。
「でも、竜が打たなくては困る人間がいるし、竜が打つためには、彼は桜輪会高津組の代打ちにならなくてはならない。それを君はどうするつもりだね?」
 咲は脳をフル回転させる。考えながら言葉を発していく。自分の中の【確かなもの】だけを頼りにしながら。
「事情は、分かっています……。竜君は、あなたに勝たなくてはなりません。それは、絶対です。竜君は打って、あなたに勝つ……それで、ケイ君も、アミナちゃんも助かる…」
「それで?」
「それで私は、あなたに勝った竜君に……勝ちます……」
「竜に、勝つ…か。フフッ」
 D・Dは笑った。
「それ、本気で言ってるの?」
 それはヴィヴィアンにすら不可能に近い偉業である。彼女には咲の言葉が冗談にしか聞えなかった。
「確認するが、それはこっちの勝負と並行して行うものだよね?竜がこの勝負を請け負う前提条件を潰す程のものであるなら」とD・Dは聞く。
「はい。竜君があなたに勝った次の半荘に私が加わって、打つ、などのものではありません。勝負には、私は最初から加わります…。竜君はそういう人では無いはずですが、あなたとの勝負の後の私との勝負で、竜君が私を勝たせる、というのは理論的には可能です。それはフェアではありません」
「高津君…。と言っているが、どうする?」
 高津は咲を睨み付け
「もし君が負けたらどうする?いや、君だけが負けるならいい。仮に君が入ったせいで、竜がD・Dに負けることになったら、どう落とし前をつけてくれるんだ?」
 咲はその迫力に息を呑んだ。そして震えながら答える。
「もしこの勝負に参加させてくれるなら、そちらにお任せします」
 高津は大きくため息をつき、若干の間を置いた。
「命を賭けるなら…君の要求を受けてやろう」
 彼はその言葉に重さを加えた。
「命…」
「そうだ。仮に君の希望通りの展開…竜がD・Dに勝ち、君が竜に勝ったのなら、竜は君にやろう。こちらはケイと竜を失う結果になるが【名簿】を手にすることが出来るなら良しとしよう」
 高津は続ける。
「だが、それはうちから竜という貴重な代打ちを奪うという行為だ。つまりこれは【竜】を賭けたうちと君の勝負でもあるということ。その勝負に釣り合う代償は、本来なら君一人の命でも安いくらいだ。【竜】という男は、それほどまでに重い存在だ」
「わかります」
「君が竜に負けた場合、ここで俺が君を殺す」
 高津は銃を取り出し、咲に見せた。彼はその眼にさらに力を込め
「そして、もし竜がD・Dに負け、我々が【名簿】を獲得できないことになったのなら、その責任を君に背負わせる」と付け加えた。
(ちょっとそれ条件厳しくない?)
 ヴィヴィアンの思う通り、この条件は厳しいものである。咲は事実上、竜をD・Dに勝たせ、加えてその竜に順位で上回るしか生きる道が無い。高津が持ち出した責任の内容は、殺された方がマシであると思えるものであるということは、ヴィヴィアンも、咲にもわかっている。
 咲は震えながらも、その条件を呑もうと「受けます」と返そうとした。だがその時
「咲も、一時的に君の所の代打ちにすることを許可しても良いよ」とD・Dが挟んだ。
 これなら、竜か咲のどちらかがD・Dに勝てば名簿を獲得できる。咲は順位状況を気にせずにトップを狙うことが出来る。
「いいでしょう」
 高津は応じた。
「これでいいかね?」
「……はい…」
 咲は頷いた。
 D・Dの問いは竜に対しても向けられたものだったが、竜は何も返さない。

 そう

 いつもそうだった。

 なんでもかんでも勝手に決められる。それが竜の人生であり、宿命のようであるかのように。

 だが、竜はもうそのことに対して何も言えない。
 自分も、同じことをしているのだから。
 他人が自分の人生をいじるように、自分はケイとアミナの人生に介入している。

 どうして、こうなってしまったのか。
 もう分からない。

 ただ、自分の心に沿って生きているだけなのに。

 誰も彼もが勝手に。

 何もかも








 座順は咲、D・D、竜、ヴィヴィアン。
 ルールはインターハイ団体戦と同じ。10万点持ちの前、後半戦の二回の半荘。

「ねぇ。私は自由に打っていいのよね?」
 ヴィヴィアンの確認。
「良いよ。ヴィヴィの順位はこの勝負の結果に何の影響もないからね。好きに打ちなさい」
「当然トップを狙うわよ。全員飛ばすかも。それでも?」
「構わない。この卓が、君自身のスキルアップに繋がるとも思っているから、この卓に君を呼んだんだからね」
「ふーん。あっそ…」
 若干の不満はありつつも、彼女は卓に目を降ろした。

 対局は開始された。

「7」

 配牌が終わるとともに、ヴィヴィアンは宣言した。
【カウントダウン】
(前回の対局が、結果的に良い調整になったってことみたいね)

「ツモ。3000・6000」

咲       94000(-6000)
D・D      97000(-3000)
竜       97000(-3000)
ヴィヴィアン  112000(+12000)

(お姉ちゃんを苦しめた…【カウントダウン】…)

 驚異的な支配。驚異的な力であるはずだが、奇妙なことに咲の心拍は穏やかであった。卓に着いた時から。
 心を決めたからだろうか。それとも自分は狂ってしまったのだろうか。
 でも、悪くない。咲はそう思えた。今の自分はおそらく、これまでにない最高の状態。咲はそう感じた。

「6」

「ツモ。4000・8000」

「5」

「ツモ。6000・12000」

咲       84000(-6000)
D・D      83000(-6000)
竜       81000(-12000)
ヴィヴィアン  152000(+24000)

 カウントはゼロに向かっていく。
 だが、誰一人として動じる者はいない。
(いい気はしないわね…)
 東ラスの親を向かえ圧倒的点差を手にしたヴィヴィアンであったが、その表情を渋らせている。
(竜だけでなく…この子もか…)
 D・Dは確信する。宮永咲をこの卓に入れて良かったと。
(玲音に感謝しなくてはね。全く、この私が一人の女の子にいくつも借りを作ってしまうとは)

東4局 親 ヴィヴィアン ドラ ⑦筒

「4」

 その局もヴィヴィアンによるカウントダウンの宣言からスタートした。

東家 ヴィヴィアン 配牌

九①①②③④[⑤][⑤]⑥⑥⑦⑧東北

打 九

2巡目 東家 ヴィヴィアン 手牌

①①②③④[⑤][⑤]⑥⑥⑦⑧東北 ツモ ⑦ 

 カウントは順調。ヴィヴィアンは手牌から北を河に置いた。

「ポン」
「ッ!」

 声は南家の咲のもの。北を叩いたのは彼女。
(何?…今の感じ…。この私が……この娘に対して、戦慄?……まさか)
 単なるオタ風のポン。その程度だけでは、ヴィヴィアンのカウントが崩れることは無い。
 次巡の彼女のツモは⑤筒。打東で手を進める。カウント通りなら、次巡にリーチをかけ、そして一発ツモ。しかし

「カン」

 咲、東を大明槓。

「もう一個、カン」
 北を加槓。
「もう一個…カン」
 ⑨筒を、暗槓。澄んだ声で、淀みなく行われたその流れは、彼女による場の支配を体現しているかのようであった。

 咲 打 西

(でも…頑張ったみたいだけど、追いつけなかったってところね)

 嶺上であがれなかった彼女を見て、ヴィヴィアンは自分の支配が彼女の支配の上を行っていることを実感した。

 そして次巡

東家 ヴィヴィアン 手牌

①①②③④[⑤][⑤]⑤⑥⑥⑦⑦⑧ ツモ ⑥

 咲の鳴きがあったが、カウントは順調に見える。
 どれほど周りが前に進もうと、カウントダウンは止まらない。
 ここには、松実玄はいないのだから。

 そう確信を持つ彼女は⑧筒を曲げた。


「ロン。16000です」

南家 咲 手牌

南南南⑧ 加カン 北北北北(上家ポン→加カン) 大明カン 東東東東(上家カン) 暗カン ⑨⑨⑨⑨ ロン ⑧

新ドラ 7索 6索

咲       100000(+16000)
D・D      830000
竜       81000
ヴィヴィアン  136000(-16000)

 ヴィヴィアンのカウントは途絶えた。
(小四喜を捨てている?私の⑧筒を…狙って?)
(これは…大明槓のドローブーストを使って、ヴィヴィのカウントの一歩先を行ったのか…しかし…)
 ここまでとは。そうD・Dは感嘆した。
(これが…【嶺上使い】の力…いや…それ以上だな…)
 その力は以前までの咲とは次元が違う。この命を賭ける卓にて、咲はその異能のさらに高いクラスへ進化させたのでは、そう彼は推察した。
(朝打ったテルとは…全然違う)
 調査によれば、咲は父親に失敗作と言われていた宮永照とは違い、優性と称されていた。彼女はそのことを思い出した。


南1局 親 咲 ドラ 七萬

4巡目

「ツモ。6000・12000」

南家 D・D 手牌

23999白白発発発中中中  ツモ 1

咲       88000(-12000)
D・D      107000(+24000)
竜       75000(-6000)
ヴィヴィアン  130000(-6000)


 南1局。息を吐くようにその豪運で3倍満をあっさり和了したD・Dだったが
(ヴィヴィのゾーンが終了して、ようやく私に手が入ったが…)
 手応えを感じない。まるで凪を押しているかのよう。
(カウント中のヴィヴィも、こう感じていたのか…。確かにこれは、いい気がしないな…。それに、そろそろ彼も…)

「カン」

 南2局。D・Dの予感は竜の哭きによって確定されたものとして現出した。

「ツモ」

南家 竜 手牌

発 チー 一二三 加カン 白白白白(下家ポン→加カン) ポン 888(対面ポン) 大明カン 中中中中(下家カン) ツモ 発

ドラ 7索 新ドラ 中 新ドラ 中

咲       88000
D・D      107000
竜       107000(+32000)
ヴィヴィアン  98000(-32000)

 嶺上牌を含む全ての牌を利用した【ショートカット】。それは竜も使うことが出来る。そしてその火力は、宮永咲のそれとは桁が違う。

(これ程までに戦いにくいとは…)

 生牌が切れない。
 そういう場であることはもう間違いない。それ程までに、二人の力は強大だった。【オーバーワールド】を経験したD・Dでさえ、そう思わざるを得なかった。
(露子…。君を超えた逸材がここにも居たよ…。君の息子と、その息子を愛した者だ…)
 D・Dは瞳を閉じ、あの世で生きている露子に対し届くはずも無い言葉を送った。

「ツモ。嶺上開花」

南3局 親 竜

咲       104000(+16000)
D・D      107000
竜       107000
ヴィヴィアン  82000(-16000)

 感慨にふける間も無く状況は進む。

(あのヴィヴィアンが…いや…D・Dもか?……)
 竜と咲は高津の予想以上の成果をあげている。圧倒的力を所持していた怪物であるヴィヴィアンとD・Dが、相手になっていないように見える。



 そして



南4局が開始されるその瞬間



(ッ!…)

 D・Dに訪れた胴震い。一瞬ではあったが、それは確かに訪れていた。
(今のは…)
 彼を刺したのは咲。D・Dだけでは無い。ヴィヴァンも、高津もその鋭い刃を感じた。
 咲から発せられる、これまでにない何か。
(これは…これが【恐怖】という感情なのか…)
 D・Dにこれまで訪れなかった感覚。それが今、咲によってもたらされている。

「カン」

 ヴィヴィアンからの大明槓。
 ④筒。

(ヴィヴィ…止めることは出来ないか…)
(この私が…押されているなんて…ありえない……)
 前に進むのなら、当然切らなくてはならない生牌。当然ヴィヴィアンに後退の二文字は無い。認められない。

「ツモ。1000点です」

南家 咲 手牌

一二三45678西西 大明カン④④④④(上家カン) ツモ 3

ドラ 六萬 新ドラ ③筒

咲       105000(+1000)
D・D      107000
竜       107000
ヴィヴィアン  81000(-1000)

(え?)
 先ほどのプレッシャーが嘘だったかのように、怖ろしく安い手を咲は和了った。加えてヴィヴィアンの疑問は咲の捨て牌にあった。

南家 咲 捨て牌

九西西②発

 槓の出来る西を対子で落としている。
(下げた…っていうの?)
 としか思えなかった。
 何故。思考を巡らせどもその解答には到達しなかった。

(プラス…マイナス…ゼロ)
 一方D・Dはその正解に近付きつつあった。この半荘を25000点持ち30000点返しとして見た場合、宮永咲のポイントはプラスマイナスゼロ。それは先ほどの圧力と何か関係がある。そう彼は推察した。
(調査では、一時期あの娘はプラスマイナスゼロで打っていたそうだな…)








「ツモ。8000・16000」

オーラス 北家 照 手牌

一九①⑨19東南西北白発中 ツモ ①

 もう夜遅くになっているが、病室の彼女達は飽きもせず対局を続けていた。
「あーまた宮永さんのトップかー…やってられんわー」
「そう言いながらも怜、何度も打っとるやん」
 愚痴をこぼす怜。ツッコミをいれる竜華。
「こんなん100巡先を読んでも同じやわ」
 未来予知の感覚を広げることの出来た怜であったが、未だに照には勝てず仕舞いだった。
「でも、今の半荘、ちょっとおかしかったですよね」
 同卓しているケイが言った。
「やっぱり、気付いた?」と照は返す。
「確かになー。南場から宮永さんやけにおとなしくなってたやん」
「体温も、オーラスだけ急に上がって」
「うん。これは、ちょっと試してみたから」
「何を、です?」
「鏡のちょっとした応用。相手に向けた鏡を自分に使ってみた」
「鏡って、プロの間とかで照魔鏡と呼ばれているものですか?」
「うん。相手の力を計って、支配に繋げるんだけど、その力を自分に向けたら、こうなるみたい。まだうまく使いこなせる自信が無いから、公式戦ではまだ使わないかもだけど。照魔鏡・改…って所かな」
(宮永さんって結構中二病な所あるんかな…。それとも天然…)
 竜華は若干引きつった。

 国士無双十三面が約束された支配。
 結果だけを述べるならそういう現象。それは、照が鏡を自分に対して使用し、自分の本質を知ることによって発揮される。
 ライジングサン。それは照の名を示すが如く。
 しかし彼女が言った通りこれにはリスクが存在する。
 まず使用した半荘では、以後照魔鏡及び、その支配が発揮されない。また、これは直ぐに使えるものでは無く、4~5局程度は自分を見る時間が必要であり、その間も相手に照魔鏡は使用できないし、支配も発揮されない。
 だが確実に役満を和了できるメリットが存在し、相手を見る必要もないため、後半の捲り用に使ったり、照魔鏡が通用しない可能性のある相手との対局では効果的である。

 これは、この大会にて彼女が自分を見つめることによって見出した力であった。

「てことはあれかー?今の半荘は舐めプやったんかぁー?」
 怜は照の肩に掴みかかり、グラグラ揺らした。竜華がまあまあと言いながら止める。
「そう言えば、妹さん、遅いですね」
 ケイが話題を変えた。
「うん…。もうそろそろ帰って来ても良い頃だと思うけど…」
 照は、もうとっくに暗くなっていた窓を見てそう言った。






 暫くやめていた麻雀を、また始めた。
 きっかけは同じクラスの優希ちゃん。
 数学の教科書を忘れて、隣の席の私が見せてあげた時、優希ちゃんのノートには麻雀牌の落書きがしてあった。業後聞いたら、彼女は麻雀部に入っているって言って、それから私に聞き返した。咲ちゃんも麻雀好きなのかって。
 私は、昔は好きだったと返した。でも今は、と続けるその前に優希ちゃんは私の手を思いっきり掴んで、引っ張った。それじゃあ来るじぇって言って。私は部室に連れてかれた。
 そこには沢山の麻雀部員がいた。皆一生懸命に、時に楽しそうに、時に辛そうに打っていた。その時、何かが私の胸を叩いた。
 優希ちゃんに卓に座らされて、私は打つことになった。懐かしさが蘇ってきて、断るつもりが、勝手に手が動いてしまった。その時同卓したのが、優希ちゃんと、池田先輩と、和ちゃん。
 それから色々あった。キャプテンの福路先輩にアドバイスを受けての、プラマイゼロ打ちからの脱却、和ちゃんとのケンカ、仲直り、合宿、レギュラー決めのランキング戦。家族以外と麻雀をすることが、こんなにも楽しいんだってことを知ることが出来た。

 そして、竜君と出会った。

 地区大会で打ちのめされて、合同合宿でまた打ちのめされて、でもそれでも前に進めて、近付けた。私の麻雀の世界が一気に広がった。
 だから思えた。今ならお姉ちゃんに近付けるかもって。でも違った。公園でお姉ちゃんに会った時、思い知らされた。私は真実を知ることを怖れていた。麻雀を打ち、のめり込んで、楽しむことで…楽しんだ振りをして、真実から目を逸らしていた。
 だから私は諦めた。家族を元通りにすることを。だけど、お姉ちゃんのことは嫌いになれない、忘れられない。私はお姉ちゃんに告白した。告白することで、全てに区切りを付けて、新しい一歩を踏み出そう。そう思った。
 でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんのまま戻って来てくれた。こんなの、奇跡以外の何ものでもない。
 何が私とお姉ちゃんを繋げたのか。頭に浮かんだのが、竜君だった。はっきりとした根拠なんて無い。でも、何故かそうとしか思えなかった。
 竜君のその哭きは、その生き方は他人のため。竜君は自分のため、他人のためには生きられないって言っているけど、やっぱり違う。だって今、竜君は間違いなく他人のために打っている。

 私は今、その竜君と命を賭けた勝負をしている。

 何故だろう。こんなに素敵なことは無いって思えてる。感覚がこれ以上なく研ぎ澄まされて、最高の状態。命を賭けて必死になっているからなのか、それとも命を賭けることを心の底では望んでいたのか、分からない。
 前半戦終了。結果はプラスマイナスゼロ。家族麻雀のあの時のように私は打っていた。もしかしたら、あの時に近いのかも。和ちゃん達がここにいたら、怒られちゃうかな。



 私は今、あの時の真実に近付こうとしている。







 後半戦。座順は竜、D・D、咲、ヴィヴィアン。

「ツモ。嶺上開花」

竜       101000(-6000)
D・D      104000(-3000)
咲       117000(+12000)
ヴィヴィアン  78000(-3000)

 悪くなかった。D・Dにとってこの状況は悪くなかった。
(この歳になって挑戦者とはね…。悪くない。まるで悪くない…)
 松実露子と打ち思い知らされ、【オーバーワールド】で思い知らされ、そしてここでもまた思い知らされた。自分よりも強い者がいるということを。
 そして何よりこのことを思い知らされる。
 
 麻雀は楽しい。

 このままならない遊戯が、自分をどこまでも高揚させる。
 退屈だった人生を、ここまで劇的に変えてくれた麻雀。彼は相手に感謝し、そして麻雀という遊戯に感謝する。感謝し、そして打つ。
 
東2局 親 D・D ドラ 6索

3巡目 南家 咲 手牌

四五六六②③④⑨⑨2西西西 ツモ 六 打 2 

「ポン」

 鳴いたのはD・D。

東家 D・D 手牌

五七22345666789

↓ 2索ポン 打 9索

五七34566678 ポン 222(下家ポン)

 鳴きが無ければ次巡の咲のツモは六萬であり、咲はそれを暗槓、嶺上牌は三萬でツモ和了る。それをD・Dは第六感で察知し、動いた。
(【ショートカット】…君たちが見せてくれたから、私にも応用出来る)
 咲のツモるはずだった六萬は、D・Dが喰いとる

 はずだったが

「カン」

 咲のツモ切った1索を竜が哭いた。竜は咲が掴むはずだった嶺上牌の三萬を手中に加え、打四萬。新ドラは1索。
(当然のようにカンドラが乗るか。だがこれで六萬は…)
 ヴィヴィアンに流れることになり
「ロン」
 D・Dは彼女からの六萬で牌を倒した。
(すまない。君からあがらせてもらうよ)

東家 D・D 手牌

五七34566678 ポン 222(下家ポン) ロン 六

 しかし

「頭跳ねだ」

 竜も倒す。

北家 竜 手牌

三三[五]七[⑤]⑥⑦[5]67 大明カン 1111(対面カン) ロン 六

竜       117000(+16000)
D・D      104000
咲       117000
ヴィヴィアン  62000(-16000)

(鳴きでは、まだ一歩届かずか…)

 嬉しさが込み上げてくる。楽しさが込み上げてくる。負ければ負ける程、自分にはまだ先があり、世界にはまだ上があるのだということを実感できるのだから。
 そして何よりも

―――滾る

 この充実感は、何ものにも代えがたい。

(これが…この時間こそが)

 【ゴールデンタイム】というものか。
 そうD・Dは燃えていた。

(感謝するよ。竜…。これで、胸を張って俊を迎え入れることが出来る)



東3局 親 咲 ドラ 五萬


 閃光る。

 また閃光る。


西家 竜 手牌

??????? 暗カン 九九九九 チー④③[⑤]

新ドラ 発

西家 竜 捨て牌

八西1南①六
北6

南家 ヴィヴィアン 手牌

四五五七七⑦⑦577発発中 ツモ 四

(三色同刻の9索は咲ちゃんが二枚切ってる…345の三色の四萬もデイヴが一枚切っていて、これで四枚目…)
 彼女の麻雀は乱れている。
(待ちは…役牌くらい?……というか何?なんで私がこんなこと考えなきゃならないの?こんなの……あり得ないじゃない!『この私』が!)

「あンた、早く打ちなよ」
 竜は続ける。
「時の刻みは、あンただけのものじゃない」
(こいつ!)
 彼女は乱されていた。

 ヴィヴィアン、打5索。叩きつける。

(私は何をしているの?いつもの私はどこに行ったの?)

「カン」

 5索。

「カン」

 ⑧筒。

 そして、一萬が卓に叩きつけられた。

「ツモ」

西家 竜 手牌

一 暗カン 九九九九 チー ④③[⑤] 大明カン [5]555(上家カン) 暗カン ⑧⑧⑧⑧ ツモ 一

ドラ 五萬 新ドラ 発 ⑧筒 ⑦筒

竜       133000(+16000)
D・D      104000
咲       117000
ヴィヴィアン  46000(-16000)

 D・Dにはこの状況を楽しめるであろう。だが、ヴィヴィアンにはそれが出来ない。出来るはずも無い。

「ツモ」

東4局 親 ヴィヴィアン

竜       157000(+24000)
D・D      98000(-6000)
咲       111000(-6000)
ヴィヴィアン  34000(-12000)

 ヴィヴァンは屈辱を胸に刻んだ。
 そしてその屈辱は怒りへと変貌していく。
 徐々に臨界へと近づいていくその様は、周りから見ても明らかだった。

(これは、まずいかな…)
 最早いつ爆発してもおかしくない状態のヴィヴィアン。
(だが、投げ出したりはするなよ。あくまで勝負は麻雀の中で)
 そうD・Dはヴィヴィアンに視線を送る。
(当然じゃない!誰に向かって言ってるの!?)
 ヴィヴィアンはそう睨み返した。


南1局 親 竜 ドラ 7索


7巡目 北家 ヴィヴィアン 手牌

七七③③③④④④⑤7789 ツモ 七 打 9

 気迫や怒りで手が良くなるなどオカルトであるが、だがそのオカルトを証明するかのようなヴィヴィアンの手。

「ポン」
 咲が9索を叩き、打⑨筒。
(それが何?それがどうしたっていうの?)
 咲が鳴いたことで直ぐにヴィヴィアンのツモ番が回ってくる。

北家 ヴィヴィアン 手牌

七七七③③③④④④⑤778 ツモ ⑥ 

 彼女は8索を曲げる。
(私が世界の中心にいるのだということを、思い知らしてやる!)

「ロン」

 しかし通らず。

西家 咲 手牌

⑨⑨12345679 ポン 999(下家ポン) ロン 8

竜       157000
D・D      98000
咲       112000(+1000)
ヴィヴィアン  33000(-1000)

(え?さっきのポン…【カン】できたんじゃないの?)

 相手は嶺上使いの宮永咲。彼女の行動パターンは、ヴィヴィアンにはそう刻まれている。
 しかし、咲には見えている。この局の嶺上牌は違う。【そこ】は、自分だけのものでは無いことを知っている。
(この局は、嶺上開花では和了れない…。1枚目が⑨筒で暗槓出来るけど、次の牌は三萬…。竜君の牌。だがら出来ない)

東家 竜 手牌

一三三三九九九⑦⑦⑦ ポン 北北北(下家ポン)

嶺上牌 ⑨筒 三萬 北 ⑦筒 一萬

 嶺上開花だけが咲にとっての【ショートカット】では無い。
 咲にとってはそれ以外の道…たとえ『遠回り』に見える道でも【ショートカット】となる。
(この遠回りも…竜君が教えてくれた)
 彼女は合同合宿の時の竜との対局を思い出した。

南2局 親 D・D ドラ 9索

「カン」

 その局の二人の勝負は竜の⑧筒暗槓から始まった。新ドラは9索。

(見える…)
 咲には竜の動きが見えていた。

7巡目 南家 咲 手牌 

⑨114[5]6678中中中北 ツモ 1

(先に取られた)
 咲が欲しかった⑨筒。嶺上牌1枚目にあった⑨筒は、今、竜の手中にある。
 咲は⑨筒を河に置く。
(……でも、きっと竜君は動く。私が⑨筒を切ったから)

 咲の読み通り、同巡竜はヴィヴィアンから一萬をチーした。
(三色狙いじゃない。竜君の狙いは…)
 次巡、咲は⑨筒をツモる。
(これ…この⑨筒…)

北家 竜 手牌

②②②⑨999 暗カン ⑧⑧⑧⑧ チー 一二三

(竜君だって私のことは分かっている。私がこの⑨筒がアタリ牌だって察知して、止めることも読んでいる。次の嶺上牌は9索。加えて、次巡竜君は②筒をツモり、暗カンする)
 そして9索をさらに暗槓し、3枚目の嶺上牌、⑨筒でツモあがる。咲が停滞すれば、竜は和了ってしまう。そういう結末。
 だがそれでも咲は⑨筒を止めざるを得ない。切ればそれまで、やはり竜が和了ってしまうからだ。彼女は北を河に置いた。

南家 咲 手牌

⑨1114[5]6678中中中

(でも)
 同巡、ヴィヴァンから中が切られる。しかしこれを大明槓しても、嶺上牌は9索。そして前に進めば⑨筒が溢れる。だから彼女は

「ポン」

南家 咲 手牌

⑨1114[5]6678中中中

↓ 中ポン 打 6索

⑨1114[5]678中 ポン 中中中(下家ポン)

 一歩下がった。

 だが一歩下がった故に、竜がツモるはずだった②筒はヴィヴィアンに流れ、ヴィヴィアンはその②筒を握りつぶした。
 そして竜のツモは北。ツモ切る。
 その巡、竜は停滞した。咲によって停滞させられた。

 そして

南家 咲 手牌

⑨1114[5]678中 ポン 中中中(下家ポン)

ツモ 1索

 彼女のツモは1索。槓在の1索。後退によって得た牌。

「カン」

 中を加カン。嶺上牌は9索。

「もういっこ、カン!」

 1索を暗カン。新ドラは北と⑧筒。

 嶺上牌は⑨筒。
 遠回りによって得た⑨筒。

 彼女の成長の証。

「ツモ。中、赤1、嶺上開花。2000・4000です」

南家 咲 手牌

⑨4[5]6789 加カン 中中中中(下家ポン→加カン) 暗カン 1111 ツモ ⑨

竜       155000(-2000)
D・D      94000(-4000)
咲       120000(+8000)
ヴィヴィアン  31000(-2000)



(でも…これだけじゃ届かない…。竜君の居る高みには…全然……)

 勝たなくてはならない。
 勝たなくては死ぬ。
 命を賭けた真剣勝負。成長した、成長できたというだけでは意味が無い。
 残り南3局と南4局で、竜を超えなくてはならない。
 だが、それでも咲の心拍は穏やかだった。

(ゼロに向かっていきたい)

 彼女の身体はそう動いていた。
 これは、人としての意思なのか、それとも人以外の何かの意思なのか。彼女にはそれを知る術は無い
 ただ確かなのは、ゼロに向かうことで、彼女は彼女と向き合うことになり、そして真実を知るということ。

(お姉ちゃん…)

 ふと彼女の脳裏に、昔の光景が浮かんだ。
 家族で麻雀を打っていた、あの時。



―――私は…






南3局 親 咲 ドラ 1索



5巡目 南家 ヴィヴィアン 手牌

一[五]六七七七⑤⑥⑦⑦⑦7発 ツモ 7

打 発

(7が集まってきた…。まだ親は残っている。このまま仕上がらせる)

6巡目 南家 ヴィヴィアン 手牌

一[五]六七七七⑤⑥⑦⑦⑦77 ツモ 七

「リーチ」
 一萬は生牌。たとえ槓されようが関係ない。小手先の小細工や、押し引きで相手に勝とうなど、ヴィヴィアンはしない。
 力と力のぶつかり合いで、そして上回る。完膚なきまでに、二度と自分に挑みたいなど思えないほどに。

「カン」

 やはりというべきか、その牌は鳴かれる。鳴いたのは咲。

「いっ!…」
 ヴィヴィアンは左目を押えた。
(今の…何?)
 一瞬、まるで左目を刺されたかのような感覚。咲の槓は、これまでの槓とは何かが違っていた。

咲 打 6索

(ツモ切り?)

 ノータイムのツモ切り。その牌に発声も掛からない。意図が存在しない打牌。
 新ドラは七萬。
(乗った…)
 狙いは読めない。だがヴィヴィアンのドラ4が追加された事実。この事実を彼女が快く思うはずがない。
(私のドラを乗せて、私にツモを回して…舐めるのもいい加減にしろ!)

「ツモ!4000・8000!」

南家 ヴィヴィアン 手牌

[五]六七七七七⑤⑥⑦⑦⑦77 ツモ ⑦

裏ドラ 東 槓裏 西

竜       151000(-4000)
D・D      90000(-4000)
咲       112000(-8000)
ヴィヴィアン  47000(+16000)

(後悔させてやる。この私を怒らせたことを…)
 ヴィヴィアンは咲を睨み付けた。しかし、彼女は意に介さない。
(ヴィヴィは気付いていないか…。この異常事態に)
 前半戦終了時にも感じた圧力、その正体の恐ろしさに、ようやくD・Dは気付いた。

(この世に……このような現象が存在するとは)

南4局 親 ヴィヴィアン ドラ 中

5巡目 東家 ヴィヴィアン 手牌

五六七七七⑤⑥⑦56779 ツモ 7

打 9索

 当然彼女は牌を曲げる。だがその瞬間、また先程と同じ感覚が彼女を襲った。
(つっ……!また!?)

「ポン」
 鳴いたのはまた同じ、宮永咲。

(ヴィヴィ、認められないのか…彼女から発せられる『禍々しさ』を…)
 黒と表現すればいいのか。
 否。黒などよりも、黒い。咲の周りに存在する色は、この世のどの黒よりも黒く、他を侵食する。

(くっ…)

 ヴィヴィアンがツモって来たのは4索。安目。

(4…訃音……)
 アガルものか。
 彼女はその牌を河に叩きつけようと、その牌を掴む。
 しかしもう、認識せざるを得なかった。

 宮永咲を。


「つ……ツモ……2000……オール」

五六七七七⑤⑥⑦56777 ツモ 4

竜       149000(-2000)
D・D      880000(-2000)
咲       110000(-2000)
ヴィヴィアン  53000(+6000)


(今……威された……。こいつに……こんな奴に……)



―――殺す



―――アガらなければ殺す



 ヴィヴィアンが感じた、宮永咲からの脅迫。



(こ……こんな……)


 カタカタと、足が震えだす。
(止まれ……止まれ……トマレ……トマレトマレ……とまれ……とまって……)
 その逆に震えは加速する。
 これは個人が怯えるという次元のものでは無い。

 仮に自分だけが殺されるなら現象なら、まだ立ち向かえる。
 だが、仮に世界を滅ぼされるのなら、立ち向かいようが無い。

(ヴィヴィ…その震えは自然だ…。恥じることは無い。『生きている』のなら、必ず震える。恐怖する。絶望する。これは……そう言う現象だ)





 今、全て【ゼロ】に向かい、そして虚無が完成した。












 お姉ちゃんが鏡で相手を知るように、私は今、自分自身の本質を知った。

 私の力は…

 私の血は…















 咲のたどり着いた真理には、先が存在していた。
 先が存在していたが故に、これは真理たり得たのである。

 ヒントはヴィヴィアンの【カウントダウン】。

 彼女の圧倒的支配は、不合理な打ち回しの反動のようなものが作用して発揮される。
 咲のプラマイゼロ打ちもそれと同じ性質があった。

 この世の全てが消滅した瞬間に発生するエネルギー。
 宇宙の再誕であるかのような現象。



 それはまさしく、虚無に咲く花であった。




南4局 1本場 親 ヴィヴィアン ドラ ⑦筒

北家 咲 配牌

一九①⑨19東南西北白発中




東家 ヴィヴィアン 配牌

一九②②④⑤⑤⑦⑧3東東南北

西家 D・D 配牌

二二三三六六79東南西西北

(これはもう…我々の出番は無い…かな)

 配牌の状態だけでは無い。この空間に存在する異常。それがD・Dの予感を後押しした。
 状態だけで言うなら全てを凍らせる、松実露子の支配に近い。
 だがこの空間を凍りつかせている要因は【寒さ】では無い。
 全てが存在しないが故に凍り付いている。虚無の空間である。

(これ…何を切れば良いの?…)

 配牌を受け取ったままヴィヴィアンの手は動かなかった。
 そこにある色は、萬子、筒子、索子、字牌という色のはずである。だが、彼女の眼には、それらが全て黒を超える黒一色に見える。
 その黒は徐々に視界に侵食し、彼女の世界までも暗黒に染めようとしている。


(早く…切らないと……切らないと……『アイツ』が……)

 彼女は竜を意識した。
 竜に言われる言葉を意識した。この自分に対してこけにしたような口を、生意気な口をきく許しておけない存在。
 だがその瞬間、彼を意識した瞬間、一つの牌が微かに閃光ったように見えた。
 暗い暗い空間の中で、一瞬、しかし確かにその牌は閃光った。

 彼女は何かに導かれるように、気が付いたらその牌に触れていた。

 その牌は


「ポン」




 3索



 哭いた。
 
 竜が3索を哭いた。




 暗い暗い世界。

 冷たい冷たい世界。

 そんな世界の唯一の光、唯一の熱。


 河に置かれた一枚の牌は4索。



 竜の哭きにより、ヴィヴィアンにも、D・Dににも微かな希望が開かれたように感じた。
 黒だった視界が、僅かに光を戻しつつあった。

(これは…戦えるのか…いや…。この状況で動けるのは…竜しかいない……。生きながらにして『死体』である彼しか……)
 D・Dのツモは1索。視界は戻りつつあるが、はっきりと見える牌は…その1索のみ。
 彼も導かれるようにその牌を切る。

 その1索は、咲の和了牌だった。

 だが咲は、微動だにしない。

 咲の逆転条件は、役満ツモ、もしくは竜からの3倍満以上の直撃のみ。
 しかしそう言った理で咲は動いていなかった。
 
 竜からしかあがらない。咲が見ていたのは、竜だけだった。

 咲のツモは2索。
 これがどんな牌なのか咲はとっくに理解している。
 理解している上で、咲はその牌を河に置いた。

「ポン」

 一つ晒せば自分を晒す。

 二つ晒せば全てを晒す。


 竜の狙いは緑一色。


 咲には見えていた。



南家 竜 手牌

123666発 ポン 333(上家ポン) ポン 222(対面ポン) 

南家 竜 捨て牌

44

 D・Dに番が回ってきた。
 ツモは4索。
 これで河に3枚目の4索が並び

 咲が4枚目を置いた。

 そしてヴィヴィアンの番。

 彼女は1索をツモ切った。

 咲は動かない。視線すら送らない。

 竜からしかあがらない。

 咲には竜の1索が見えている。
 竜が必ず1索を切ることを、咲は解っている。


「咲」




(え?……)



 竜が、咲の名前を呼んだ。






「今のが4枚目の1索だ」




―――4枚目



 竜のツモは8索。

「カン」

 3索

 8索。

「カン」

 2索

 8索。

南家 竜 手牌

1666888発 加カン 3333(上家ポン→加カン) 加カン 2222(対面ポン→加カン)

新ドラ 8索 ①筒 
 
 そして河に、そっと1索が置かれた。





 同巡、和了れず。







 D・Dの河に⑨筒が置かれ、咲の番。



 咲が手にしていたのは、8索。












(私に……幸せになる資格なんて無かったのかもしれない……)

 8索を手にして咲はそう思った。

 終わったのだ。

(不思議……)

 何もかもが真白く見える。


(竜君……)



―――私の……



―――
――――
―――――



 トン




 静かに


 その牌は静かに置かれた




 静かだった。
 何もかもが静かだった。


 それは全ての終わりを告げるからなのだと、咲は思った。






 終わったのだ。


 今。








―――
――――
―――――




(あれ?…)




 声がかからない。


 何故。


 もう自分は、殺されてしまったからなのか。



 人は死ぬ時、こんなにもあっさりと終わるのだろうか。

 死ぬ瞬間さえ分からずに。



 だが静かに意識だけが継続している。




 これは





 終わっていなかった。


 咲が河に置いていたのは8索では無かった。

 ⑨筒。



 何が自分をそう動かしたのか。

 答えは決まっている。

 生きたいからだ。




―――勝負はまだ、終わっていない。


 咲は『この麻雀』を知っている。

 『この生き方』を知っている。


 これは、竜の麻雀だ。
 生きるために打つ、竜の麻雀。竜の生き方。
 その魂が、今咲に宿っている。






 そして、世界が開かれた。





(竜……君……)





―――
――――
―――――


東家 ヴィヴィアン 手牌


一九②②④⑤⑤⑦⑧東東南北 ツモ ⑧

(今、終わったと思ったのに…)
 その手は牌をツモっていた。そして
(見える…牌が)
 その視界は回復していた。

(まだ……戦えるなら!)
 ヴィヴィアン、打九萬。
 勝負は再開された。

南家 竜 手牌

666888発 加カン 3333(上家ポン→加カン) 加カン 2222(対面ポン→加カン)

ツモ 九

打 九

(そう…勝負はまだ終わっていない)
 咲は可能な限り状況を分析する。
(まず、竜君の手は私の8索に依存している。その理由が、嶺上牌にある発。逆に言うなら、竜君が和了するためには…)

 竜が和了する条件は3つ。
 一つ、咲が8索をきる。
 二つ、竜が6索を哭く。
 三つ、竜が発をツモる。

 条件1は咲が握りつぶした。となれば竜が和了るための条件は残り二つであり、つまり、6索か発が竜の手に渡る前に決着をつける、という未来が咲にはある。

(とは言っても遠い)

 逆転の条件が変わったわけでは無い。咲は三倍満を竜から直撃するか、役満をツモるしかない。
(ヴィヴィアンさんに和了ってもらうルートもあるけど…さすがに集中力が限界、この局で結着にする。竜君がヴィヴィアンさんに役満をふるとも思えないし…それにしても)



―――遠いなぁ…



 遠い。

 遠い。

 なんて遠い廻り道。



 咲は微かに、その柔らかな表情を取り戻していた。



西家 D・D 手牌

二二三三六六79東南西西北 ツモ 西 

(視界が回復した。宮永咲……壁を越えたか…)

打 7索

 その牌に、咲は反応した。


「チー」


 ここに来てついに



 咲の鳴きに閃光が宿り、彼女の鳴きは真の『哭き』となった。



北家 咲 手牌

一九①1東南西北白発中 チー 789 打 九


(今……牌が青白く……竜君のように)


 閃光った。
 場にいる全員がそう見えた。

 宮永咲が、竜の哭きをした。


東家 ヴィヴィアン 手牌

一②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南北 ツモ 南 打 一 

南家 竜 

ツモ 一萬
打  一萬

西家 D・D 手牌

二二三三六六9東南西西西北 ツモ 6

打 東

(これは、私らしからぬミスかな。それとも、咲の『哭き』か。魔術の如き『哭き』が、私の手を殺した…そして…)

 竜が和了る条件の残り二つの内、一つを殺した。
 これで、彼の和了る条件は、発をツモるのみとなった。

(ん…今…)

 咲は見逃さなかった。

 その時竜が微かに笑ったことを。


北家 咲 手牌

一①1東南西北白発中 チー 789 ツモ 白

 一歩前進。
 打一萬。

東家 ヴィヴィアン 手牌

②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北 ツモ 一

打 一

南家 竜

ツモ 白

打 白

「ポン」
 咲はまた進んだ。

北家 咲 手牌

①1東南西北発中 チー 789 ポン 白白白(対面ポン) 

打 1

東家 ヴィヴィアン 手牌

②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北 ツモ 九

打 九

南家 竜 

ツモ ⑨筒

打  ⑨筒

西家 D・D 手牌

二二三三六六69南西西西北 ツモ 二

(これは…まだ行けるかもしれないね…。とは言っても、条件は厳しいが…6索…落ちてくれるかな?)
 D・Dの逆転条件は咲以上に厳しい。役満を竜から直撃する。これのみである。

打 9索

北家 咲 手牌

①東南西北発中 チー 789 ポン 白白白(対面ポン) ツモ ①

(ドラの①筒。思えば…これが希望だったのかもしれない。竜君のカンによって開かれた新ドラ…)

打 東

東家 ヴィヴィアン 手牌

②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北 ツモ 四

 七対子。現在最も和了に近いであろう彼女であるが、聴牌までの一歩が遠い。

打 四萬

南家 竜 手牌

666888発 加カン 3333(上家ポン→加カン) 加カン 2222(対面ポン→加カン)

ツモ 7

 竜が笑った。
 微かであったが、また。
 咲は知っている。あの笑いは『勝つ気でいる』笑い。

 竜は発を河に置いた。

(そう…それでこそ、竜君だよね)

 この打発は当然諦めでは無い。勝つために放たれた一打。
 咲には解った。
 竜が竜であり続けていることに、咲は嬉しかった。

西家 D・D 手牌

二二二三三六六6南西西西北 ツモ 三


打 北

 

北家 咲 手牌

①①南西北発中 チー 789 ポン 白白白(対面ポン) ツモ 中

打 南

東家 ヴィヴィアン 手牌

②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北 ツモ 北

(入った!)

 ここに来て彼女は聴牌した。

 打④筒。七対子、⑦筒待ち。当然逆転に到る手では無いが、連荘、次局に繋げるために彼女は前に進む。

南家 竜 手牌


6667888 加カン 3333(上家ポン→加カン) 加カン 2222(対面ポン→加カン)

ツモ 白

打  白

西家 D・D 手牌 

二二二三三三六六6南西西西 ツモ 六 

(遠かったか…)

 南を河に置き聴牌したD・Dは、勝負の終焉が近付いており、ここでこの手は終わるのだということを感じた。

(まったく【高み】はいったいどこまであるんだろうね)

 彼はこれからの人生が楽しみで仕方が無かった。
 未来に思いを馳せるその表情は穏やかであり、どこか少年じみていた。

北家 咲 手牌

①①西北発中中 チー 789 ポン 白白白(対面ポン) ツモ ①

打 西

(ここまで…遠かった…)



 ゴールが、もう見えるところに。


東家 ヴィヴィアン 手牌

②②⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北北 ツモ 中

(認めろ…って言うの?……私がまだまだだってことを……)

 認められない。
 彼女は中を切った。

「ポン」


 咲が哭いた。

 打 北

 咲、聴牌。

北家 咲 手牌

①①①発 チー 789 ポン 白白白(対面ポン) ポン 中中中(下家ポン) 



 咲の打牌が終了し、ヴィヴィアンがツモった牌は



 7索

 
 表示牌に一枚、咲の手に一枚、竜の手に一枚
 これは、4枚目の7索。


 竜の和了牌は、咲の哭きのよってヴィヴィアンに流れ、そして潰された。


(流石に、これがその牌…よね。ここで私が【7】を…手放せるわけないじゃない……)

 ここに来てようやく思い知らされた。
 世界にはまだ高みが存在し、自分がまだまだなのだということを。

 彼女は北を切った。



 そして、結着の時が来た。





 ①筒。



 竜がツモり、そしてそっと河に置かれた牌。







(竜君……)




―――ありがとう



―――ありがとう…それしか言う言葉が見つからない……







「ツモ……」




―――嶺上開花




北家 咲 手牌

発 チー 789 ポン 白白白(対面ポン) ポン 中中中(下家ポン) 大明カン ①①①①(対面カン) 

ツモ 発

ドラ ⑦筒 新ドラ 8索 ①筒 



 そして、最後のドラ表示牌が開かれる。



 発







 終局










竜       116700(-32300)
D・D      88000
咲       142300(+32300)
ヴィヴィアン  53000











―――
――――
―――――



「こんなことがあるなんてね」
 最早ヴィヴィアンの怒りはどこかに消えていた。ただただ、脱力。それが今の彼女の状態だった。
「いやいや…長生きはしてみるものだな」
 D・Dは笑う。
「ということだ。高津。この一件は咲の希望通りに…」
 そうD・Dが高津に対して言った瞬間、高津は立ち上がり、咲に対して銃を向けた。

「え?」

 咲は目を点にした。
 自分は、竜に勝ったはず。
 なのに、何故。

「悪いな。これが大人のやり方だ」
 そう言って彼は躊躇いも無く引き金を引いた。




 
 咲の意識はそこで途絶えた。

















―――
――――
―――――



 引き金は確かに引かれた。
 だが弾丸が発射されたわけでは無かった。高津は弾をあらかじめ抜いていた。
 
 咲は気を失っただけであり、その場に倒れただけだった。


「すみません。驚かせて。でも今の彼女に対してなら、この脅しだけで十分【線】を切れると思いました。気絶しなかったら、他の方法で気絶させるつもりでした」と高津が言った。
「初めから決まっていたからね。全部」
「はい」
 咲が竜に勝つことは想定外だったが、仮に勝ったとしても、高津は初めからこうする気でいた。
 【竜】という存在は重い。一人の女の子が所持していいものでは無い。仮にここで手に入れたとしても、直ぐに他の者達が取りに来る。そして抗争が始まり、彼女は巻き込まれることになる。それだけはしてはならない。
 【名簿】についても話は既についていた。ワシズと再開できたD・Dにとってもう【名簿】は不要のもの。【名簿】の勝負は、あくまで本気の…それも『他人のために打つ』竜と打つための餌に過ぎなかった。

「しかし、いいものを見せてもらいました。ありがとうございます」
 高津はD・Dに頭を下げた。
「感謝なら、咲にするべきだね」とD・Dは返す。
「したいですが、それも出来そうにないですね。ですが、病院には私が連れて行きます。償いというほどのものではありませんが」
 これで一段落着いたことを確信して、高津はようやくその頬を緩めた。




















 気が付いたら、私は病院のベッドの上にいた。

 見覚えのある天井。ここは、お姉ちゃんがいた部屋だ。

「咲!」

 その視界に、お姉ちゃんが入ってきた。
 どれだけ心配していたか、その眼にいっぱいに溜めた涙を見てわかった。
 ごめんなさい、お姉ちゃん。

 私はもう一つお姉ちゃんに謝った。
 家族麻雀のこと。
 たとえお姉ちゃんに嫌われても、これだけは言わないといけない。
 でもお姉ちゃんは、許してくれた。
 誰も彼も自分のために生きている。それが普通。仕方が無いんだって。

 その言葉はあまりにも優しくて、もうどうしようもなくなって、私はお姉ちゃんの胸で泣いた。
 








 事情は全部お姉ちゃんが教えてくれた。
 でも、その時の私には頭に入らなかった。

 ただただぼーっとして。





 竜君にはもう…会えないのかもしれない。




 でも、不思議と寂しくは無かった。



 竜君が私の中に生きている。
 そんな感じがする。



 さすがに全部じゃないけど、その欠片が、私の中に。





 これまでの全てが



 夢のようで




 でも夢じゃなくて





 確かに竜君は存在した





 生きていたんだ

















 





















[19486] #51 人鬼の世界
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2016/01/26 06:57
―――自分は…【むこうぶち】ですから



 合同合宿の時、東横桃子に対して彼はそう言った。

 松実露子が亡くなって以降、D・Dの下からも離れ、一匹狼のギャンブラーとして闇に生きてきた。
 その彼が、何故一高校生として、何故一麻雀部員として打つようになったのか。
 

 裏では無く、表の世界へ

 非日常では無く、日常の世界へ












 灼達をホテルに帰して、瑞原プロからの誘いを受けて私は銀座のユーティライズビルに向かった。瑞原プロ独特の絵文字ばかりのメールで解読には少し骨を折ったけど、何とか辿り着くことが出来た。
 麻雀バー【Blitz storm】には懐かしのメンバーが揃っていた。瑞原プロ、野依プロ、戒能プロ、そして、小鍛治プロ。戒能プロ以外の3人は、10年前のインターハイ、その準決勝で同卓したメンバー。同窓会のような集まりだった。
 その時の小鍛治プロの服装は印象に残った。黒一色のワンピース。少し大人の雰囲気を醸し出していた。そのことを彼女に言ったら「もう私大人だよ」と返されて、なんだか申し訳なかった。
 かつてを懐かしみがてら、私達はあの時のように卓を囲った。緊張した。少し手も震えていたけど、それでも打てて、なんとか戦えたと思う。その半荘は小鍛治プロが一位の結果。私は二位。
「はるえちゃんまた強くなったね」「成長!」
 瑞原プロや野依プロからの言葉。正直に嬉しかったけど、まだまだ小鍛治プロには追いつけてない感じがしていた。それに、小鍛治さんの麻雀が『あの時』のものとはちょっと違っていた。私はもう一度打ちたかった。でも小鍛治さんは「ごめん。ちょっと、これから用事があって」と言って席を立った。
 気になった。その内容が普通に気になった、というのもあるけど、席を立った瞬間、小鍛治さんの雰囲気がガラっと変わったのも大きかった。一瞬、別人に見えた。その身体全体が、ワンピースの色と同じ黒に染まったような。
 私も席を立った。生徒たちの様子が気になるとか適当なことを言って、小鍛治さんの後を追った。瑞原プロたちには申し訳なく思いつつも、その直感には従わないといけない気がしていた。

 ストーカーのように私は小鍛治さんの後をつけた。タクシーを使われたらアウトだったけど、あの人はひたすら歩いていた。時間にして40分程。タクシーを使わずに徒歩だったのが疑問に思ったし、ブツブツと独り言を言っているみたいで、ちょっと怖かった。
 着いた先はマンション。部屋番前には黒服の男性がいて、彼女はその人に話しかけた。
 まさか彼氏?
 そう思って身を乗り出したら、自動ドアが反応してしまって、気付かれてしまった。
「赤土さん!?」と小鍛治さんが振り返った。
「あ…その…すみません…」
 失礼なことをした。私は直ぐに頭を下げて、その場を去ろうとした。が
「そこに【赤土晴絵】がいるのですか?」
 部屋番のスピーカーから声がした。声からして、年配の男性の印象。
「え…あ…」
 小鍛治さんはテンパり気味で上手く返せずにいると
「いるのですね?連れてきなさい」
 先ほどより少し強めのトーンで言葉が返ってきた。
「え…でも…」
 彼女は断ろうとしたのだと思う。しかし
「わ…わかりました……」
 訂正した。相手は、それだけ強い権力を持っているのだろうか。あまり良い予感がしない。
「赤土さん…ごめんなさい…」と小鍛治さんは頭を下げた。
「いえ…こちらこそ…すみません。後なんか、つけて…」
 悪いのは、私の方なのに。
「こちらです」
 黒服の方がエレベーターの方に案内した。
 エレベーターが昇る。行先は最上階。その間も、小鍛治さんは先程のように独り言をブツブツとしていて、触れがたい空気を纏っていた。
「奥の部屋が対局室です」と案内係の黒服が言った。
 対局室。これから小鍛治さんは、誰かと打つ予定だったということをこの時知った。もしかして小鍛治さんは、それに備えてのイメージを作るために、わざわざ時間をかけて歩きでここまで来ていたのかもしれない。
 

 木製の観音開きからは禍々しい気配が発せられていた。まるでそれを開いてしまうと、その中の魔が外に漏れ出してしまうかのような。
 小鍛治さんの眼は、先程の対局の時とは違い、黒く燃えている。その眼は、これから始まる勝負の重さを物語っているかのようだった。
 小鍛治さんから発せられる雰囲気は、『あの時』のものに近付いているのだと感じた。


 そして扉が、今、ゆっくりと開かれた。










「劉さん。何故、赤土さんを…」
 健夜が話しかけた相手は、劉と呼ばれる老人。卓には着いておらず、奥に椅子を構え、そこに座っている。
(劉…って…この人…)
 晴絵は彼と面識があるわけでは無いが、名前だけは知っていた。華僑の大物であり、裏社会の住人の中でも、相当の危険人物。
 劉は今回のインターハイで行われた、関西共武会と桜輪会の争いの立会人としても呼ばれていた。
「もう、揃っているじゃないですか」と健夜は続けた。
 卓は既に二人が座っていた。健夜が劉に依頼したのは一人。しかしその卓には依頼した人数より一人多い。
「やあ小鍛治さん、お久しぶりですねー」
 陽気に話しかけてきたのは江崎という男性。健夜が【ここ】で初めて打った時に犠牲になった者の一人であったが、劉の下…海の上の密入国船で三年働き、陸に戻って来ていた。陸に戻って以降、彼はここの住人となり、弱者を狩る者の一人となった。
「江崎さん。打てる人はあなただと思っていましたが、その隣の方は」
 健夜は江崎の上家に座る眼鏡をかけた男性を指した。
「この方は後堂という方で、中々の腕をお持ちでしたので、連れてきました」
 後堂。彼は一月程前まで成金の月島社長の秘書をしていた。
 数千万の金が動く高レートのマンション麻雀で、月島は傀と同卓し、そして傀の力により一欠けし、後堂が入ることになった。
 後堂はその技量で傀に喰らい付くも、月島が足を引っ張り、一方月島は自分が負けていることを後堂のせいにしたことからトラブルが発生し、結果的に後堂はクビとなる。
 しかし、フリーとなった後堂は縛り無く傀と打てるようになり、そしてその対局を江崎が観戦していた。ハイレベルな勝負はハイレベルの卓で。江崎は後堂を劉の卓に誘った。
 だが、傀は断った。「明日学校があるので」と言って、彼は打てる日を指定しその場を去った。江崎は確実に打てる日があり、その指定を傀がしたという貴重さもあってか、それを良しとした。江崎はひたすら腹を抱えて笑った。
 後堂は無職となるはずだったが、以後は劉の下で、江崎と共に働くことになった。
 そして今日を迎えたのである。つまり健夜が劉に依頼する前に、既にメンバーは決まっていたのである。
(しかし小鍛治プロがこの卓の住人だったとは…これは予想外でした…)

「それなら、赤土さんを連れてくる理由は無いじゃないですか」と健夜は言った。
「十年前、あなたから跳満の直撃を奪ったのは誰です?」と劉が言った。年相応の、しかし厚みと湿り気のある声だった。
「え…」
「十分な理由ですよねぇ?新米の後堂さんがこの卓に相応しいかまだ分からないじゃないですか」
「まさか…赤土さんをこの卓に!?」
「もし、後堂さんが使えなかったら、ですよ?」
「聞き捨てなりませんね、劉さん…」と、後堂は眼鏡のブリッジを軽く押さえて言った。
「力を証明すれば良いだけですよ、後堂さん」
 江崎はそう言って彼の背中をポンと叩いた。
「劉さんは、打たれないのですか」と健夜が聞いた。
「今回は見物させてもらいますよ。見物麻雀ならぬ、正真正銘の見物ですネ。ほほほ」
「そうですか。…ところで傀君は?」
「丁度今、来られたようですねぇ」
 劉がそう言った直後、扉が開かれ、傀が入ってきた。


「打てますか」


(清澄の…傀?彼も…ここの住人?)
 彼の纏いし空気なのか、部屋の緊張感がさらに増したように晴絵は感じた。
 傀が入った後、黒服達が段ボール二つほどが乗った台車を十数台程引いてきた。
 段ボールが開かれ、そこには大量の札束が入っていた。
「小鍛治氏、傀氏共に10億あります」
 黒服達が確認を取ると、大き目のサイドテーブルの位置にそれぞれ10億ずつ配置した。テーブルに乗せれない大半は横に置かれる形になった。
「小鍛治さん…これ……」
 晴絵は恐る恐る聞いた。裏をある程度は知っている彼女であったが、これほどの額が動く勝負は見たことが無い。その勝負に、健夜は関わっている。
「はい。私はここで打つと、持ち帰れない程の額が手に入るので、ここに置いたままにしているんです。使わないですし」
 彼女は淡々と返す。晴絵の嫌な予感は強まっていく。
「レートは千点10万のウマ100万・300万、ビンタが5000万の東風戦でよろしいですね」
 黒服が確認を取った。
「構いません」
 傀、健夜が即答する。
「ホホホホッ、熱い熱い夜になりますな」
 そして劉は笑う。
「劉さんもほんとは打ちたいんじゃないですか?」と江崎が聞いた。
「お気になさらずに、あなたがお先でよろしいですよ」
(先…)
 その言葉に後堂はピクリと反応した。まるで自分が負けた後の対局があるかのような口ぶりであったからだ。

 これは超高レートの勝負ではあるが、金額はあくまでメモリであり、目的は金銭そのものでは無い。果たしてこの勝負が、弱者を狩るだけのものとなるのか、強者同士の凌ぎ合いとなるのか、それを見るためにこの魔の卓は開かれた。

 座順は健夜、後堂、江崎、傀。赤無し。

東1局 親 健夜 ドラ 2索

10巡目 南家 後堂 手牌

五六六七八④⑤⑤⑥⑥345 ツモ ③

(先月打った面子とは雰囲気が違う。小鍛治プロの纏っている空気も、テレビで見るものとは違いますね…)
 後堂は⑤筒を曲げリーチを宣言。
(不発でもいい。実力をはかっておかねばなりませんね)

同巡 西家 江崎 手牌

四六八②③④⑤⑥44567 ツモ 七 打 4

同巡 北家 傀 手牌

三四四⑥⑦⑧5667788 ツモ 5 打 8

11巡目 東家 健夜 手牌

三三四②③123東東東南南 ツモ 三 打 ②

同巡 南家 後堂

ツモ 7 打 7

(少なくともリーチは成功…ですかね…。一巡遅れていたら死命は逆かも…でした)

同巡 西家 江崎 手牌

四六七八②③④⑤⑥4567 ツモ 七 打 7

同巡 北家 傀 手牌

三四四⑥⑦⑧5566778 ツモ ⑤ 打 8

12巡目 東家 健夜 手牌

三三三四③123東東東南南 ツモ 2 打 1

同巡 南家 後堂

ツモ 3 打 3

(どうやらこの手…不発に終わりそうですね)

同巡 西家 江崎 手牌

四六七七八②③④⑤⑥456 ツモ ③ 打 ②

同巡 北家 傀 手牌

三四四⑤⑥⑦⑧556677 ツモ 六 打 ⑧

13巡目 東家 健夜 手牌

三三三四③223東東東南南 ツモ 2 打 3

同巡 後堂 

ツモ 東

(こんな卓で打ってみたかった)
 学校を出てから社長秘書として20年。家族が代々月島商店に勤めていただけであり、自分で選んだ仕事では無かった。しかし今、彼は自分で人生を選んでいる実感がある。
「フ…。リーチ牌を晒しものにされてこんなに心地いいとは」
 そう呟いて彼は東をツモ切った。

 その時

「後堂さん…」
 と健夜が

「何でそんなに気を抜いて打っているんですか?」
「え?」
「カン」

東家 健夜 手牌

三三三四③222南南 大明カン 東東東東(下家カン) 嶺上ツモ 2

「カン」

三三三四③南南 大明カン 東東東東(下家カン) 暗カン 2222 嶺上ツモ 南

「『様子見』なんて出来る余裕、あると思っているんですか?」

打 ③筒 新ドラ 2索 2索

(ド…ドラ12!?)

 同巡、後堂が掴んでいた牌は、南。間髪入れず健夜は鳴いた。

「ツモ」

三三三四 大明カン 東東東東(下家カン) 暗カン 2222 大明カン 南南南南(下家カン)

ツモ 五 新ドラ 東

「責任払いはありません。16000オールです」

健夜 74000(+48000 +1000)
後堂 8000(-16000 -1000)
江崎 9000(-16000)
傀  9000(-16000)

「あったら死んでましたね。後堂さん」

(小鍛治さん…)
 違う。先ほど打っていた彼女とは明らかに違う。雰囲気だけでは無い。力が、次元が違う。彼女の言った通り、様子見などの余裕など無い。開幕から殺しに来ている。

「全く衰えていませんね。小鍛治さん。いや…衰えるどころか強くなっていらっしゃる」
「江崎さん?」
「ええそのようですねぇ。小鍛治さんが【ここ】を離れて三年ぶりでしたが、決心してくれたということでしょう」
「決心?劉さん、どういうことですか?」
 劉は何故そのようなことを質問するのかと言うがの如く
「何を言っているのです?『戻る』気になったから、今ここで打っているのでしょう?」と返した。
 健夜には彼が何を言っているのかが分からず、また聞く。
「『戻る』ってなんですか?私は、傀君と打つために…勝つためにここに…」
「傀サンに『勝つ』?」
 江崎には健夜の言っていることこそ分からなかった。
「ホホホッ。『勝つ』と、今あなたは傀さんに『勝つ』と言ったんですか?」と劉は笑いを交えて、そして

「小鍛治さん。あなたは、傀サンに一度も負けたことが無いじゃないですか」

「え………?」


―――そんな…



 そんなことはありえない。健夜がここに来た理由は、傀に勝ち、これまで自分が救えなかった者達への少しでもの償いのため。そして、前に進むため。今の傀になら、勝てると思ってここに来たはずだった。
 だが、劉や江崎から来る言葉は彼女の思っていることとは全く違う。違うどころか逆。
 小鍛治健夜は、一度たりとも傀に敗北していない。
 彼女にとって信じがたい事実。信じたくない真実。


―――違う!


 彼女は否定した。声にして否定した。

 私は、私は


 否定し続ける。

(小鍛治さん…?)
 健夜が苦しんでいる。晴絵にもそれは分かる。
 出来ることなら、助けてあげたい。しかしどうやって。彼女には、彼女が苦しんでいる理由すら分からないのに。動けない自分がもどかしかった。



「もしかして、忘れたのですか?それとも、認めたくないのですか?」
 劉の声。否定したい。しかし彼は続ける。

「あなたが【人鬼】だということを」


「違う!」

 怒鳴る。


「いいえ小鍛治さん。あなたは、人鬼です。あなたがここを離れていた間、傀サンが人鬼を演じていただけです」
 そう江崎が付け加える。
(この人が…小鍛治プロが…人鬼?)
 後堂はまったく話についていけていなかった。
「証拠を見せましょうか?」

―――やめて

「1本場、ここの局で私はダブリー一発ツモ裏4で和了ります」

 江崎の言う通り、その局は彼の倍満ツモ。

東1局1本場 ドラ 中

西家 江崎 手牌

一二三④④④⑤333345 ツモ ⑥

裏ドラ 3索

健夜 65900(-8100)
後堂 3900(-4100)
江崎 25300(+16300)
傀  4900(-4100)

―――やめて…

 江崎は続ける。
「そして東2局、あなたは傀サンに差し込みます。傀サンも和了ざるを得ません。クビを確保するためにもね」

――やめて……

否定しつつも、手がそう動いてしまう。何ものかに操られているかのように

西家 傀 手牌

①②③⑨⑨⑨白白白発発発中 ロン 中

ドラ 無し


東2局 親 後堂

健夜 41900(-24000)
後堂 3900
江崎 25300
傀  28900(+24000)

「三倍満の差し込み…ククク…」
 と言いつつも、江崎も内心その現象には戦慄していた。それは、かつて自分を殺した現象と同じだったからだ。そして、自分はその現象に抗うことがまだ出来ないでいる。

 
「そして…東3局。後堂さん。あなたは小鍛治さんに役満を振ります」
「は?」
 後堂には未体験の現象。理解しがたい内容。
「第一打で」
 さらに理解しがたい一言。

東3局 親 傀 ドラ 九

西家 後堂 手牌

一九①⑨23589東南北白 ツモ 1 

 傀の河には白。健夜の河には三萬、手出し。

(第一打で?役満を?私が?)
「役満の重複は有りですから、気をつけないといけませんねぇ」
 思考を遮るように、背後に座っている劉からの付け足しが入った。
(ばかばかしい。そんなオカルトあり得るわけが…)
 と考えながらも、彼は役満の可能性を考慮し始めた。

「そう、それであなたの【一人沈み】が確定するんですよ」
(かつての私のようにね)
「どれかは通るんです。そもそも、まだ聴牌してるとは…」
「限らないと?先程の現象を見てまだそのようなことがほざけるのですか?ホホホ」と劉がまた笑う。
(ここは…この【卓】は一体何なのです!?)
 後堂の混乱は加速し続ける。
(落ち着け…。東3局。もう親の無いこの状況で逆転は困難。首を確保するのも骨が折れます。この手はメンホンに育てて、最低でも満貫は欲しい)
「もう一度言いますよ。あなたは確実に役満に振ります」と江崎は念を押した。

(確実に振るなど…そんな…いや…ちょい待ち!)
 後堂の脳裏に過ったのは、国士。自分の手がそれに近いのもあるが、健夜の手もそうではないかと推察した。仮に国士なら、それも最悪十三面なら、混一どころか前に向かった場合振り込むことになる。
(それなら…)
 後堂の選択は打5索。チャンタ、国士を見つつのルート。ヒントが増えれば、上手く立ち回ることも出来るのではないか。そう睨んだ。
 が

「ど…どうしたんです?江崎さん。あなたの番です…よ…?」
 江崎はピクリとも動かない。
(ま…まさか……そんな……しかし、小鍛治プロも動いていない……。躱した…躱したはずです!)
 躱した。もうその思考自体がこの現象に侵されているとも知らず、彼は選択の正解を信じた。

「どうされました?小鍛治さん。和了らないんですか?」と劉は立ち上がって、健夜の横に立ち、その手を見た。そしてその口端を吊りあげた。
 ドクンと大きな音が、後堂の胸で鳴った。

「……ってません」
 ぼそりと健夜は音を出すが

「和了っているじゃあないですか。ホホホホホッ!」
「和了ってません!」と健夜は声を荒げるが
 劉はその言葉を無視し、彼女の手をパタパタと倒した。

南家 健夜 手牌

5東東東南南南西西西北北北 ロン 5

「人和はありませんが四暗刻単騎はダブル扱いですので、トリプル役満ですねぇ。ホホホッ!」

東3局

健夜 137900(+96000)
後堂 -92100(-96000)
江崎 25300
傀  28900

「ほら。言ったじゃないですか」
 江崎が後堂の肩をポンと叩く。
「触るなッ!」
 彼はそれを払いのけた。
「何が第一打ですか!5索以外は全部通ったじゃないですか!」

「と…思いますよね…でも」
 江崎は続けた。
「もしあなたが、その手から仮に2索辺りでも切ったとしたら、小鍛治さんは緑一色をあがっていたでしょうね」
「何を言っているんですか?そんな、未来が改変されるとでも!?」
「そう思いたくなるくらい、必ず当たるんですよ。怖ろしいことにね」
 未来は分かれているようで、その実は一本道。小鍛治健夜の起こす現象を確実なものとして証明する術は存在しない。だが、一晩打てば理解せざるを得ない。小鍛治健夜が人鬼そのものであり、魔界の頂点に君臨しているということを。

1回戦終了。


健夜 11億6580万(+1億6580万)
後堂 6億8480万(-3億1520万)
江崎 9億9850万(-150万)
傀  11億5090万(+1億5090万)

(ビンタの額が大きいから、点差において出来た差額が比較的小さいですが…しかしこれでは…)
 たった1回の東風戦で見せつけられた圧倒的差。

「どうやら、早くも『敗者』が決まってしまったみたいですね」
 江崎のその言葉に後堂は反応した。
「ま…まだ…勝負は終わっていません……」
 と返した彼に対し「続けるのですか?」と江崎は聞いた。
(あの時の私のように…)
「ま……まだ…始まった…ばかりです……」と後堂は返す。

 認める認めないという段階に彼はいなかった。彼にあったのはただただ混乱。まだ1回戦ということ、まだ6億あるということが彼の思考を麻痺させている。
 人鬼の世界は、まだ始まったばかりだというのに。

 二回戦の起親も健夜。
 そして


「ろ……ロン……」

東家 健夜 手牌

一一一①①①⑨111999 ロン ⑨

 またも一瞬で飛び。三億を失う。

(私の時はオーラスまで『待って』くれていましたが、その隙すらありませんね…)
 江崎はかつて【人鬼】と打った時の対局を思い出していた。
 東1から東3までのロン合戦。その間、脇の二人は和了りもせず振り込みもしない異常事態。そしてオーラスで江崎が人鬼に振るという結末。彼はそれで一人沈みを続け、破滅した。
 江崎が振っていた相手は傀では無い。小鍛治健夜であった。

 健夜は認めたくなかった。
 あの時、相手を地獄に落としていたのは、自分だったということを。
 傀がそうしているのだと自分に言い聞かせて、思い込んで思い込んで、記憶が書き換わる程に思い込んで。
 しかしそれでも周りは覚えている。卓の住人は勿論、地獄に落とされた者は決して忘れない。
 彼女が、紛う無き【人鬼】であったということを。

 彼女がかつて【傀】と呼ばれていたことを。



 彼女は笑っていた。
 鬼の棲む荒野。
 彼女は…彼女こそ人鬼だった。
 落ちていく、消えていく、溺れていく。
 助けを求めるその手を、彼女は踏みつけた。そして蹴落とした。奈落に落ちる者たちを見て、彼女は笑っていた。
 彼女は人鬼が怖かった。
 人鬼である自分が、怖かった。
 そして、3年前に彼女は逃げた。

―――
――――
―――――


 3回戦。またも彼女は起親。そして


東家 健夜 手牌

222444666888発 ロン 発

 またも後堂は3億を失う。



「も……もう……勝てる気がしません……。元の10億どころか、半分の5億に戻すことも無理だ……。わ…私の負けです……」

 残り1億を切り、3回戦終了時にて、とうとう後堂は折れた。
 それを見て江崎はホッと一息ついた。
(良かったですね後堂さん。止まることが出来たのは立派です。あの時の私のように、止まる所を見失って破滅に向かってしまったのなら、それこそあなたは終わってしまうでしょう。あなたに海の上の仕事は出来そうにないですからね)
 江崎は肩を落とす彼の肩に手を置いた。その手が払われることは無く
「ま…これから頑張りましょう。お互いね」と言って、にかっと笑った。









「小鍛治……さん」
 私は彼女の背中に声をかけた。その背中は、あまりにも弱々しかった。
 彼女は、ゆっくりと振り返って
「赤土……さん……」とだけ

 その声は震えていた。

 その眼には一杯の涙を溜めていたけど、その口端は吊りあがっていた。


 小鍛治さんは壊れかけている。
 いや、もう壊れているのかもしれない。
 でも、私に何が出来るだろうか。彼女が戦っている間、声をかけるチャンスは何度もあった。それでも何も出来なかった。あの人の居る世界が…あまりにも『あの時』に似ていたから。私をを停止させた、『あの時』に。



 違う。



 そうじゃないだろ赤土晴絵。



 私は阿知賀から、あの娘達から何を学んだ?

 乗り越えるんじゃなかったのか。

 このインターハイ、あの娘達はめいっぱい戦った。

 今度は私が戦う時じゃないのか?




 小鍛治さんのため?




 違う。



 これは、私に架せられた試練。




 だからこそ私は





「小鍛治さん……」




 こう言うんだろ?





「私、プロになります」




 小鍛治さんはきょとんとした。
「そ…れは、この前、聞いた……よね?」

 そう。それは一昨日、決勝ステージの下見に行った時に言った。でも、それとはちょっと違う。
「『目指す』ではありません。『なる』んです」

「え?」






「『今日、ここであなたを倒して』……私はプロになります!」

























 







[19486] #52 人鬼の世界-OUTRO 第三部終了 第四部開始
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/08/05 10:29
 
 
 
 退屈だった。

 傀だけじゃない。
 アカギも、竜も退屈だった。

 多くの者にとっては非日常の世界でも、彼らにとっては同じことの繰り返し。
 金を賭けようが、命を賭けようが、それが日常となってしまえば世界はそこで広がりを失う。

 狭い世界の中で全てが完結する。
 それではあまりにも退屈な人生じゃないのか。

 裏を知り尽くし、裏を渡り尽くし、それでも世界は広がらない。
 諦めかけたその時、一人の少女が声をかけた。
 これまで誰も、その世界に手を引っ張ってくれるものはいなかった。誰も彼もが己の欲のために、裏へ裏へと引っ張っていく。だがその少女は、その逆の世界に彼らを連れて行こうとした。
 決して歩くことの無かったであろう、表の道に。

 気が付いたらそこに居た。
 そこが居場所になっていた。


 清澄高校麻雀部。



 確かに彼らは、そこに居た。














 私はあの場所を経験している。10年前のインターハイ団体戦。その準決勝。私は牌に触れることすらも怖れるようになって、そして停滞した。でも経験したからこそ、もう一度戦える。挑める。
 その壁を越えるために、私は何もしていなかったわけでも、考えていなかったわけでもない。



「おや…もういいのですか?」
 劉は席を立っている江崎さんに対してそう聞いた。聞かれた彼は
「どうやら、私はまだまだ修行不足のようです。劉さん、どうです?」
 と言って彼はその席を劉に差し出した。
「どうです、と言われても、これでは座るしかありませんねぇ」
 ニコニコと歩み寄り、そして座った。その席に座ることに、恐れも躊躇いも無い様子だった。
 私は空いた席、後堂さんが座っていた席に着いた。
「よろしいのですか?冷え切ってますよ、その席」と江崎さんが話しかけてきた。私はこう返した。
「私の生徒の友人に、そういったことに対して口癖のようにこう返す子がいるんです」
「と言いますと?」
「『そんなオカルト、あり得ません』」
 言われた江崎さんはハッと笑って
「面白いことを言う子ですね。一度お手合わせ願いたいものだ」と言った。
「表に来れば、いつでも打てますよ」
「ふっ。それは難しいですねぇ。私は表では指名手配されていまして、いやはや残念」
 そう。裏の世界は深いが狭い。裏に生きるということは、それだけ表での可能性を消し去ってしまうということ。勿論、可能性を失ったからこそ裏に生きざるを得なくなる者もいるし、寧ろそちらの方が多い。江崎さんも、おそらくそちら側だと思う。
「ところで、レートはどうなさいますか?赤土さん」
 劉が聞いてきた。
「ノーレートでお願いします」私は即答した。
「ホホホッ!『この卓』でノーレートですか!それは前代未聞ですねぇ」
「未聞でも、お願いします。というより、レートがあっても意味は無いと思います」
「ほう?」
「ギャンブルとは、破滅を背にしてようやくギャンブルと言えるものです。仮に私が全財産や命を賭けたとしても、それを遥かに超える額をあなた方は所持しています。あなた方が破滅する可能性が存在しない賭けは、賭けとは言わないと思います」
「少し違いますかねぇ…赤土さん。この卓は喰う者と喰われる者が住みつく所です。破滅するしないは関係ありません。私が言っているのは、今あなたは『お金がいるのかどうか』です。後堂さんが10億という大金を賭けていたのは、それ相応のものを欲したからです。あなたは、どうなのですか?」
「そうですか。でしたら私はいりませんと答えます。私は、小鍛治さんと打ちたいだけなのですから」
「ほほほ。よろしい。でしたら受けましょう。ノーレートで」
「それと、もう一つお願いしていいですか?これは可能ならで構いません」
 とは言ったものの、出来ればこの案も通ってほしいと思っていた。
「何でしょう?」
「ルールを、10年前のインターハイ団体戦のものと同じにしてもらえますか?」
 10年前のインターハイ団体戦でのルール。10万点持ち、前、後半戦なのは今年と同じだが、赤は無く、一発も裏も無いもの。小鍛治さんの火力を下げ、飛び終了の可能性を少しでも減らせる、という要素があるように見えるけど、そうでは無い。そんなのは小鍛治さんには何の意味も無い。
 私はあの時のルールの上で小鍛治さんと打ちたいと思った。だたそれだけ。
「『インターハイ』ですか…」
 そう言うと劉は少し考えた素振りを見せた。それから少し置いて
「良いでしょう」と回答した。
 意外だった。
「ほ…本当に良いんですか?かなり、我儘な提案…だとは思っていましたが」
 と私は確認を取った。
「『鷲巣君』を見て、私も打ちたくなったんですよ。『インターハイ』でね」
「鷲巣巌を、ご存じで?」
「知っているも何も、彼とは同期で、よく打ちましたよ」
「これは初耳ですね。まさか昭和の怪物鷲巣巌と知り合いとは…」
 江崎さんが驚きを交え言った。
「彼との対局で一度も飛んだことが無いのが、私の数少ない自慢の一つですねぇ。ですから、この面子でも足を引っ張るということは無いのでご安心を」
「あなたの実力に納得しましたよ、劉さん。いや…逆にそうでなくては人鬼相手に見物麻雀を続けることなどできませんか」
 正直驚いた。全盛期の鷲巣巌相手に飛んだことが無いというのは、もはや超人の領域。
「と…話を進めていますが、小鍛治さん。よろしいですか?」
 劉は小鍛治さんに確認した。
「は……はい……」
 と彼女は弱々しく返答する。
 声も身体も震えている。

 何か、どうしようもない感情が湧き上がってくる。

「あの…」
 その彼女を見ていたら、私はいてもたってもいられなかった。


「あの…小鍛治さん……私と、差し勝負しませんか?」
「え?」
 小鍛治さんはきょとんとした。
「えっと…お金も命も賭けないんですけど…その……罰ゲーム的な…」
 こうでもして、少しでも小鍛治さんの辛さを和らげたかった。
「な…何でしょう」

 少し恥ずかしいけど…


 でも十年前から、ずっと彼女のことは意識していた。



「私が勝ったら……私と……結婚してくれますか?」



「け…結婚!?え?」


 小鍛治さんの雰囲気が、少し戻って来てくれた気がする。
 周りのことなど知ったことか。とにもかくにも、小鍛治さんを救わないとって思ったら、もうどうしようも無かった。

「わ…私達女の子同士だよ?」
 私はその言葉に聞く耳も持たずに続けた。
「小鍛治さんが勝ったら、私は小鍛治さんの言うことなんでもしますから」
「え……その…ちょっと……」
「受けたらいいじゃないですか」
 江崎さんが言った。
「ま……まあ、iPS細胞と言うもので同性の間でも子供が出来るというのは聞きますしね」
 と言いながらも、後堂さんは照れているのか、眼鏡のブリッジを押えて少し俯いている。
「ホホホッ、良いですね。まだまだ二人ともお若い」
 劉が手を叩いて笑っている。
 魔の卓であったはずの場所が、いつの間にかそれとはまったく違うものになっていた。
 
 これから私はこの場所で、小鍛治さんと打つ。









ルール

10万点持ち

前・後半戦

一発、裏ドラ、赤牌無し

ダブル役満、役満の重複無し

座順

健夜→晴絵→劉→傀

健夜  100000
晴絵  100000
劉   100000
傀   100000



東1局 親 健夜 ドラ ⑤筒

6巡目 南家 晴絵 手牌

三五六七④⑤⑤⑥78899 ツモ 四

「何を切ります?」
 晴絵の後ろでその手を見ている江崎が、同じくその場にいた後堂に対して話しかけた。
「何です?あなたは向こうに行けばいいでしょう。その方が、より人鬼の研究が出来るのでは?」
「いやいや。私もまだまだ挑戦者側です。それに、こちらの方が面白そうですし。で、何を切ります?」
 ベタベタと近付いてくる江崎から、後堂は一歩横にずれて、そして他家の河を確認した。

東家 健夜 捨て牌

発7白一32

南家 晴絵 捨て牌

⑨西南①1

西家 劉 捨て牌

⑧北③南白

北家 傀 捨て牌

白西北東中

「8索…ですかね…」
 と後堂が答えると同じくして、晴絵は打牌を完了していた。
 晴絵の選択は、打9索。
「さすがにあれでは遅すぎでは…」
「まあ相手が【人鬼】でなければ、私も速攻を意識しますね」
 と言いながら江崎はすたすたと健夜の手を見に行き、そしてニヤニヤとしながら戻ってきた。
「後堂さん…」
「何ですか…近いですよ…」
「当たってますよ」
「え?」
 江崎が言うに健夜の手牌は

東家 健夜

2223334448発発発

 となっており、後堂の打8索では緑一色、四暗刻単騎への直撃となっていた。
「そんなまさか」と言って後堂も確認に行くが、その通りであった。
(第一打の発と、5巡目の3索、6巡目の打2索は四枚目から切っていたのですか!これでは…簡単に正解不正解を判断することは出来ません…。というか小鍛治プロは何であんな非常識な手を何度も張れるのです?)

7巡目

東家 健夜

打 8索

同巡 晴絵 手牌

三四五六七④⑤⑤⑥7889 ツモ ③ 打 9

「では、それをチーさせてもらいましょ」
 劉がその打9索に反応し、打八萬。振らぬ和了らぬの見物麻雀の劉が動いた。
 
8巡目 東家 健夜 

打 白

同巡 南家 晴絵 手牌

三四五六七③④⑤⑤⑥788 ツモ ⑦

(このツモは鳴きが入る前は小鍛治プロのツモ)
 後堂は健夜の手牌を見る。

東家 健夜 手牌

⑦222333444発発発

(⑦筒単騎…。ツモりあがっている…。それを劉にずらされた)

 晴絵は打7索で聴牌。
(でも…この手はここで終わる)
 彼女は曲げずにそのまま切った。

「ツモ。1000・2000です」

西家 劉 手牌

七八九九九⑦⑧東東東 チー 789 ツモ ⑨

健夜  98000(-2000)
晴絵  99000(-1000)
劉   104000(+4000)
傀   99000(-1000)

「ほほほ。ノーレートでも、面子さえ揃えば中々の緊張感で打てるものですねえ」
 東1局、先制したのは劉。彼は東2局も、ゴミ手ではあるものの和了を見せる。

健夜  97700(-300)
晴絵  98500(-500)
劉   105100(+1100)
傀   98700(-300)

(確かにこの緊張感…、外から見ても伝わってくる。しかし…)
 後堂は晴絵の戦い方を見る。
(彼女はやはり遅い…というより、打ち方が古い。それで結果的には躱せてはいますが、和了れなくては意味がありません)
(果たして、偶然なのか…意図して躱しているのか)
 江崎も彼女の戦い方にますます興味を持った。

東3局 親 劉 ドラ 5索

4巡目 東家 劉 手牌

六七②③⑤⑥33555北北 ツモ ②

東家 劉 捨て牌

⑨中南

(連続で和了れ、今回も和了る分では良さげな手ですが…)
 この局は自分の和了る番では無いと彼は感じていた。しかし
(誰かさんがアガリを逃したなら別ですがね…。赤土さん、あなたはどうですか?)
 劉はその手から3索を河に置いた。

5巡目 北家 晴絵 手牌

二三四八八③④2467発発 ツモ 発

 晴絵は下家の劉の河を見た。

東家 劉 捨て牌

⑨中南33

(3索の対子落とし…)
 打7索で両面嵌張を残すか、2、4索を落としての5、8索、②、⑤筒の両面両面の受けを作るか。彼女は殆ど少考せず、打7索を選択した。

6巡目 北家 晴絵 手牌

二三四八八③④246発発発 ツモ 3 打 6

 そして次巡、難なく聴牌。ダマ。

7巡目 東家 劉 手牌

五六七②②③⑤⑥555北北 ツモ ④

(罠にはかかりませんでしたか…。そしてどうやら今度は私が追い詰められてしまいましたね)
 だか彼はニタリと笑う。
(私も、熱くなってしまったようですね)

劉・打 5

 彼はドラの5索を選択した。
(ここでの打②筒は赤土さんへのアタリ。かといって北や⑥筒も切れない。何故なら)

西家 健夜 手牌

①①①①②③⑥⑥⑧⑧⑧北北

(その時点で『敗者』が決定してしまいますからねぇ)
 二連続で和了を防がれた彼女の手は下がりつつあった。
 しかし
(手の高さは関係ない。寧ろそれに惑わされて本質を見失うことの方が危険)
 晴絵は知っていた。小鍛治健夜の麻雀の恐ろしさは、その馬鹿げた運量では無い。

同巡 西家 健夜 手牌

①①①①②③⑥⑥⑧⑧⑧北北 ツモ ④

「カン」

②③④⑥⑥⑧⑧⑧北北 暗カン ①①①① 嶺上ツモ ② 打 北

新ドラ ①

同巡 北家 晴絵 手牌

二三四八八③④234発発発 ツモ 発 

(取られた…)
 本来なら、ここで彼女は暗槓し、嶺上牌の②筒でツモ和了っている。

晴絵・打 発

8巡目 東家 劉 手牌

五六七②②③④⑤⑥55北北 ツモ ④ 

(打、②筒が通せたのならツモアガリでしたねぇ…)

打 5

 劉はもうこの局和了る気は無い。完全なベタ降りに移行した。

同巡 西家 健夜 手牌

②②③④⑥⑥⑧⑧⑧北 暗カン ①①①① ツモ ⑤ 打 北

同巡 北家 晴絵 手牌

二三四八八③④234発発発 ツモ ⑧ 

 そして彼女の手も停止した。
 その局の結果は健夜の一人聴牌となった。

健夜  100700(+3000)
晴絵  97500(-1000)
劉   104100(-1000)
傀   97700(-1000)

(さて…これでは防戦一方ですねぇ。どうするんです?阿知賀の監督さん)
 江崎の見ている通り、防戦一方の状況。どこかでは必ず攻めなくてはならない。その攻め時を見極めることが果たして晴絵に出来るのか。江崎は期待の眼差しを彼女に向けた。

東4局 親 傀 ドラ ⑧筒

5巡目 西家 晴絵 手牌

二二八⑤⑥⑥⑦⑦⑧579東 ツモ ⑧

(しかし手が落ちているわけではありませんね。ここで私なら…)
 東は生牌。ここで確定一盃口ドラ2に受けての打⑤筒か、それとも東をここで手放すか。後堂は、自分ならここで自分なら何を切るかを考えた。
(私の場合は)
 後堂は心の中で打八萬を選択した。筒子の伸びに期待して三色の目を捨てる。
 晴絵もそれと同じ選択をした。
(しかし、果たしてあの場所で私はその思考に到れるのか…。集中力を保てるのか…)
 彼は先程の対局を思い出した。異常に次ぐ異常の連続の中で、普段通りの自分の麻雀が打てるのかどうか。彼には自信が無かった。
(ですが赤土さんは打てている。彼女の集中力は凄まじいものがあります…。あれほどのメンタルがあって初めて、あの卓には座れるのかもしれません…)

同巡 北家 劉

打 八

北家 劉 捨て牌

81九①八

6巡目 南家 健夜

打 六

南家 健夜 捨て牌

①北1西南六

7巡目 南家 健夜

打 七

(八萬が立て続けに切られたから六、七萬の手出し?塔子の見切りが早いのは三、四萬を持っているから…ですかね)
 今回後堂は健夜の手牌を見には行かなかった。この局は、晴絵と同じように健夜に挑んでる気持ちになって観戦した。

同巡 西家 晴絵 手牌

二二⑤⑥⑥⑦⑦⑧⑧579東 ツモ 東

(さて…何を切ります?私なら…)

 晴絵の選択は打⑤筒。ここも後堂と同じ。

次巡 西家 晴絵 手牌

二二⑥⑥⑦⑦⑧⑧579東東 ツモ 5 打 7

(9索単騎…。9索はまだ場に一枚も出ていない…。小鍛治プロでも掴めば出す…か?)

9巡目 南家 健夜 

打 7

南家 健夜 捨て牌

①北1西南六
七白7

(7索単騎なら打ち取りでしたか…いや…今のは合わせ打ち?)
 後堂が思考を巡らすうちに状況は次巡に進む。

10巡目 南家 健夜

打 8

 手出し。7索、8索と二連続の両面塔子落とし。

南家 健夜 捨て牌

①北1西南六
七白78

西家 晴絵 捨て牌

①西南②八白
⑤7南

北家 劉 捨て牌

81九①八⑨
西1一

(場に9索が一枚も切れていないのに…7、8索落とし…。と言うことは小鍛治プロは4、5索を持っていて…下の三色狙い……。いや……小鍛治プロにしては安い…か?これは……)
 後堂に焼付いた役満ラッシュが、彼の思考を鈍らせている。

同巡 西家 晴絵 手牌

二二⑥⑥⑦⑦⑧⑧559東東 ツモ 発

(生牌…でも『ここ』じゃない…)
 彼女は発をツモ切った。
(そして…次巡に『来る』)

 晴絵の予想通り、11巡目…



 【人鬼】が前に出てきた。



「リーチ」



南家 健夜 捨て牌

①北1西南六
七白78④(リーチ)

(小鍛治さんのリーチ。ここが…ここが正念場…)

同巡 西家 晴絵 手牌

二二⑥⑥⑦⑦⑧⑧559東東 ツモ 二

「小鍛治プロが…リーチ?」
 これまでリーチなど不要と言える超高火力を喰らい続けていた後堂にとっては予想外の一打。彼は思わず声を出した。
「あれが【人鬼】ですよ」
 江崎が言った。
「攻撃スタイルは形の無いのが極意…。成功した戦術でさえ繰り返さず敵に応じて無限に変化させる。後堂さん。あなたが味わったのは【人鬼】のほんの一部だったんですよ」
「一…部……」
 後堂は恐怖した。自分が戦っていた相手の底知れなさに。
「それに……人間が勝てるんですか…?」と後堂は江崎に聞いた。
「私は、いつか勝つつもりでいますよ…」

 そして今、その怪物に晴絵は挑んでいる。

(何を…選択するのですか?その手から…)
 後堂はもう答えを出すことが出来なかった。【人鬼】の待ちは、読めない。

(【ライン】は…見切っているよ。小鍛治さん)

 晴絵は、生牌の東を河に置き、聴牌を崩した。

(ふむ…【人鬼】との戦い方を心得ているようですね。赤土さん)
 劉は晴絵の力に感心し、そして

「ツモ。700・1300です」

北家 劉 手牌

二三三四四③④⑤発発発中中 ツモ 五

 ツモ和了った。

健夜  99000(-700 -1000)
晴絵  96800(-700)
劉   107800(+2700 +1000)
傀   96400(-1300)

「え?」
 後堂はそのあまりにのあっけなさに、数秒思考することが出来なかった。
「まず、状況を整理してみましょうか」と固まった彼に対し江崎が声をかけた。

南家 健夜 手牌

三四五五五③④⑤34599

「小鍛治さんは赤土さんの9索単騎を見抜いて変則三面張に受けた。もうこの段階で赤土さんに和了は有りません」
「そんな…ここまで来て二萬も9索も切れないなんて…」
「それが【人鬼】の追い込み方です。まぁ二萬を切れば劉さんの頭跳ねで終わって出費は2600でしたが。ですが彼女には劉さんが同巡にツモ和了る流れが見えていたから、降りたのですね。それなら出費は700です。東は生牌ですが、それも安牌ということを感じて、ですかね」

「違いますよ」
 晴絵は江崎の推理を否定した。
「ほう、ではどのようなお考えで」
「私は…【ライン】を見切っただけです」
「【ライン】?」
 江崎も後堂も知らない言葉。これは晴絵が勝手に作った定義であるため、当然と言えば当然なのだが、彼女はそれ以上説明をしなかった。

 『勝者』は勝者となり、『敗者』は敗者となる。それが決定された時、【人鬼】の支配は起動する。
 後堂の対局においては、彼の最初のリーチという行為で全てが決定した。その瞬間に彼は『敗者』となり、人鬼の支配が発動。健夜の絶対勝利が確定した。
 また、今回の対局においては、東1で晴絵が打8索を切っていたら、東3局で劉が振り込んでいたら、東4局で晴絵が9索で振っていたら、後の局の全てが決定される。
 【人鬼】の支配は、『敗者』が発生する対局においては絶対勝利が約束されている。絶対和了支配のワシズがここにいようと、深山幽谷の化身、高鴨穏乃がいようと、その対局において【人鬼】に『喰われる』者が一人でもいるのなら、【人鬼】は必ず勝利する。
(逆に言えば、ラインさえ越えなければ『敗者』になることは無い)
 支配が起動するラインは、状況によって様々である。心理、流れ、異能状況、それらを総合してそのラインは決定される。振り込みだけではなく、リーチや鳴き、時として仕草だけでもそのラインに引っかかるケースも存在する。
 晴絵も、そして劉もそのラインを己の感性と状況分析、異能分析によって見切っている。
 『流れ』を見抜く、待ちをベタ読みする程度では、人鬼の世界では生きることは出来ない。

南1局 親 健夜 ドラ 北

6巡目 南家 晴絵 手牌

二四五五六③④123456 ツモ ② 打 1

(遅い…ですか?)
 後堂は直ぐにその考えを訂正した。
(いいえ。4、7索を引けば打六萬で、今度は三色の聴牌に取ります。先に三萬を引いてしまってもフリテンで三面張…三色含み。直撃の望めない面子では…アリです)

7巡目 東家 健夜 手牌

234568999北北北南 ツモ 7 打 南

(加えて、結果的に躱した形になっていますね)

同巡 南家 晴絵 手牌

二四五五六②③④23456 ツモ 2 打 二萬

(三色は消えましたが)

次巡 南家 晴絵 手牌

四五五六②③④223456 ツモ 5

(なんと腰の据わった麻雀…。これが阿知賀女子監督…赤土晴絵の強さですか)

 しかし晴絵は、後堂にも江崎にも予想外の行動に出る。

「リーチ」
 五萬を、曲げた。

(馬鹿な!確かに常識的には正解でしょう…しかし、小鍛治健夜のいる卓で…リーチなど…)
 変幻自在の怪物手を常時所持している健夜のいる場所で、自分の手を塞ぐリーチなど、愚策以外の何ものでも無い。後ろの二人はそう思っている。
 だが…

「ツモ!1300・2600!」

 ラインを見切れば別である。

南家 晴絵 手牌

四五六②③④2234556 ツモ 7

健夜  96400(-2600)
晴絵  102000(+5200)
劉   106500(-1300)
傀   95100(-1300)

(そういうことも…あるというのですか?)
 これは江崎がまた見たことの無い現象。
(リーチで和了ること自体は私も経験しています。しかしそれは【人鬼】が遊んでいたからです。しかし今のは…間違いなく赤土さんの力で和了っていました…これは…)

(赤土さん…変わっていない…)
 彼女は10年前より成長している。しかし、その根幹は変わらずにいるということに、健夜は嬉しく思えた。
(私はその麻雀が…赤土さんのような麻雀が好きだった。まるで、祖父と打っているかのような気持ちになれる…ゆったりとした麻雀。局を潰しに行く現代的な麻雀と違って、赤土さんは、一局一局を、噛みしめるように打っている)
 健夜はあらためて思う。
(赤土さんは、麻雀が好きなんだ)

南2局 親 晴絵 ドラ 発

東家 晴絵 配牌

一二三七八九⑦⑧⑨458発発

 まるで天からの褒美とも言えなくもない配牌が彼女に訪れた。

(これは…まるで仕上がった【人鬼】のようですね…。ダブリーツモドラ2の満貫。一発と裏の無いルールなのが悔やまれますね)
 そうなると読んだ江崎であったが、またも彼女は予想外の一打を繰り出した。
 打、4索。聴牌を崩した。
(何?まさか、8索が【人鬼】のアタリとでも?)
 そう思い彼は、健夜の手を見るが、

北家 健夜 手牌

一二四五六七八579③南白

(通る!?いや、それだけでは無い。【人鬼】の牌勢が…落ちている。流れが、移ったのか?)

次巡 東家 晴絵 手牌

一二三七八九⑦⑧⑨58発発 ツモ 9 打 5

 またも彼女は曲げた。

(冷静だ。【人鬼】相手にツモ和了を見せれば、通常なら勝ちを確信し、目に見える流れを妄信してしまいます。しかし、それは本当の流れではありません)
 気を緩めることなく、己の麻雀を維持できている晴絵を見て江崎は、この者は自分よりワンランク上で打っているのだということを確信した。

「ツモ!8000オール!」

東家 晴絵 手牌

一二三七八九⑦⑧⑨89発発 ツモ 7

健夜  88400(-8000)
晴絵  126000(+24000)
劉   98500(-8000)
傀   87100(-8000)

(どうやら…赤土晴絵は【人鬼の世界】に入門していたみたいですねぇ)
 江崎と同じくして劉も確信する。赤土晴絵は【人鬼】の領域で打っている。【人鬼】の支配に対抗できるのは、同じく人鬼の領域に足を踏み入れた者のみである。

(赤土さん…)
 健夜は10年前の対局を思い出した。その対局は、晴絵が【人鬼の世界】に入った初めての対局でもあった。
 【人鬼】の支配を受け、彼女は健夜に振り込み続け、大量失点した。しかし彼女は一度だけ、その支配から抜け出せたのである。
 【人鬼の麻雀】とは、晴絵の麻雀の真逆の性質を持つ。彼女の麻雀は【表舞台】の麻雀。【人鬼の麻雀】は【裏舞台】の麻雀。彼女はその局、己の麻雀の【真逆】を打った。しっかりと土台を作り、悟られぬように己の麻雀を装い、そして、【人鬼の麻雀】を持って健夜から直撃を奪った。
 もし仮に、あの時【ライン】が見切れていたのなら、『敗者』となることは無く、失点も最小限。勝っていたのは彼女であった。

 そして今、彼女は己の麻雀と【人鬼の麻雀】を自在にコントロールできる。

 その彼女は次局も、またもリーチをかけた。

南2局1本場 ドラ ⑨筒

9巡目 東家 晴絵 捨て牌

発一中①6七
五⑥1(リーチ)

同巡 北家 健夜 手牌

二二三四五六③④⑤⑤234 ツモ ②


(赤土さんの河は全部手出し…)
 健夜の牌勢は前局同様落ちている。
 とは言っても、三、六萬切りなら二萬、⑤筒のシャボ待ち聴牌。二萬切りなら三色含みの三面張聴牌である。
(従来の赤土さんなら…)
 彼女は思考する。
(最後の1索は4索との入れ替え、五、七萬を見切っての234の三色含みの両面の形。待ちは…②、⑤筒…)
 聴牌に進むなら、二萬切りが最も安全でかつ待ちが多く打点も高い。普段の晴絵相手であるなら、ノータイムで二萬切りで正解。
(でも…)
 【人鬼の麻雀】なら別である。

東家 晴絵 手牌

一一一三①②③123789

 四枚からの一萬落とし、①筒の早切り、最後の1索切りも全てフェイク。全て手出しとカラ切りで造った捨て牌。そしてこの【リーチ】こそ、晴絵が作りだした【ライン】。これを健夜が越えてしまったのなら、晴絵の勝利が確定する。
 しかし、
(赤土さん…『二度目』は通じないよ)
 その『形』こそ、10年前に健夜が振り込んだ『形』であった。当時は晴絵がその麻雀をコントロール出来ていなかったから『敗者』にはなることは無かった。
そしてだからこそ彼女は今、晴絵の一撃を躱せる。

 健夜は、六萬を曲げた。

北家 健夜 手牌

二二三四五②③④⑤⑤234

 しかし、彼女は願った。
 それでも晴絵が自分を越えてくれることを。
 もし彼女が越えてくれるのなら、自分は【人鬼】の呪縛から解放される。そんな気がしていたからだ。



 だが、




 直後の10巡目、晴絵のそのツモは⑤筒だった。
 彼女は大きくため息をつき、そして言った。
「まだ…あなたには追いつけないみたいですね」
 それを聞いた健夜は震えだし、目に涙を溜めた。自分は、【人鬼】の宿命からは逃れられない運命なのだと、その時悟った。
 

 しかし、晴絵はこう付け加えた。


「小鍛治さん…。気付いています?」

「え?」

「この卓には…【もう一人】いるんですよ」

「【もう一人】?」












―――御無礼












 そう。この卓にはもう一人いる。





 清澄高校麻雀部一年。





 傀。








西家 傀 手牌

①①②②③③④⑥⑦⑧⑨⑨⑨ ロン ⑤

西家 傀 捨て牌

⑦⑥発南白中
⑥⑦⑨(リーチ)

「頭跳ねです」

健夜  87400(-1000)
晴絵  92700(-32300 -1000)
劉   98500
傀   121400(+32300 +1000 +1000)

「まさか…リーチまでかけていたなんて。本当に『消えて』しまうもんなんだね。役満は思ったより痛いなー」
 晴絵が言った。
「どこまで見えていましたか?」
 傀が聞く。
「いや。『消えている奴がいる』ってのが解っていただけで、それが『誰か』ってのは何故かわからなかったし、実際何も見えなかった。まるで認識の法則が書き換わっているみたいで不思議だったよ。今のも、私が消えれるとしたら、仕掛けるのはここだろうなって思っただけだし、でもそれを信じて、保健付きのリーチをかけた。役満より【ライン】の方が怖いからね」
 と彼女は笑顔を交えて答えた。
「驚きですねぇ傀サン。『表』で身につけたのですか?それは」
 劉が言った。彼も笑っている。
 江崎と後堂に関しては、まったく状況を掴めていなかった。



 【消える者】がいる。
 それを晴絵が意識出来ていたのは、彼女の生徒、高鴨穏乃のおかげである。
 穏乃はインターハイ決勝にて【消える者】と打ったことを晴絵に話した。穏乃はそれを見抜けたのは、インターハイAブロック二回戦の晩、鶴賀、風越との練習試合にて、東横桃子と打ったからだと言った。その際、桃子は、『完全に』消える自分から、初見で直撃を奪った者が一人だけいることを穏乃に話している。その【一人】は、穏乃を通して晴絵に伝えられていた。
 その【一人】が、傀であったということを。
 晴絵は、傀が何故東横桃子から直撃を奪えたのかを彼女なりに推察していた。出した結論は、【同じ領域】に立つこと、であった。消える者を撃つためには、消える者との戦いを経験しているか、同じく消えることが出来るかの二つであると考え、傀も同様に消えることが出来るのではないかと読んだ
 真実は違い、傀は『流れ』によって桃子を撃ったのだが、今回の推察が結果的に、傀は消えることが出来るのだという認識を、晴絵に与えたことになった。
 対局時、傀が消えた際、晴絵の記憶から傀が消去されていたが、『誰かが消えている』ということは覚えたままであり、そして現在に至ったのである。



「では傀サン…『よろしいのですね』?」
 劉は彼に聞いた。彼は
「ええ」と返す。
 他の者にとって、その会話が何を意味するのか、その時は解らなかった。

 劉には解っていた。傀が何故『表』で身につけた力を、この場で使ったのかを。
 『表』の力を使ったのは、傀にとってそれが『表の世界』にいた証だったからだ。


 南3局開始時、傀が口を開いた。



「【人鬼】は、自分です」



 そしてこう付け加えた。



「これからは、私の独壇場です」





















 それ以降、傀君は和了り続けて、私と赤土さんが飛んで対局は終了した。後半戦に入ることも無く。
 卓が開かれてそう時間も経たずに終わったから、朝を迎える前に私達は帰ることが出来た。
 今、私と赤土さんはその帰り道、一緒に歩いている。
 最初、タクシーを捕まえようかと赤土さんが提案したけど、でも赤土さんとの時間が減ってしまうのは、何故か嫌で、それが出来なかった。赤土さんには、ダイエット中だとか適当なことを言って、歩きを選択した。
 結構気まずくて、沈黙が数分続いた。




「その…すみません。大見得切った割に、情けない結果になってしまって…」と赤土さんが切り出した。
「そんなことありません。私も、飛んでしまいましたし…」
 それで会話はストップ。また沈黙が始まった。

「あの…そう言えば、後堂さんは何のために10億と言う大金を賭けていたんですか?」
 また赤土さんの方から話しかけてくれた。
「あ…えっと、実はあれは金そのものが目的では無くて、来月末辺りに開催予定の洋上麻雀の参加費が高くて、そのための…」
「あ…あぁ、あの…。確か20億必要でしたね。今年は。去年の倍だとか…。インハイ、インカレの個人戦優勝者は無料で参加できる見たいですけど」
「は…はい…。今年は例年とは違って桜輪会が主催するそうで…」
「毎年関西共武会が主催していたんですよね。何か、あったんですかね…」
「たぶん【名簿】が関わっているんだと思いますけど…詳しくは」
「そうですか…」
 洋上麻雀には、傀君が出ることになった。10億を賭けた勝負の時は、私が勝っていたけど、その後の勝負で傀君が勝ったわけだし、あの場所に行くのは彼がふさわしいと思う。
 
―――【人鬼】は、自分です。

 彼はそう言った。
 【人鬼】とは世界の理の一つ。光がある世界に影があるように、【人鬼】は必ず存在する。誰かは必ず【人鬼】の宿命を背負い、そして生きていくことになる。私が産まれる前にも【人鬼】はいたし、私が死んだ後も【人鬼】はこの世に生きていると思う。
 彼が、代わってくれた。
 私はそれに甘えて…
 傀君は、まだ高校生なのに…

「小鍛治さん」
 俯く私に、赤土さんが話しかけた。
「傀君のことは…きっと大丈夫だと思います」
「え?」
「私はこのインターハイで、多くの可能性を見た気がします。【人鬼】というシステムを壊せる者だって、彼の前に現れるかもしれません」
「そう…でしょうか」
「その日は、案外近いかもしれませんよ」
 赤土さんは笑った。その日が訪れるのが当然であるかのように。でも、その笑顔は、私の胸に風を運んできてくれた気がする。

「あと…その……」
「なんでしょうか?」
「罰ゲーム…について……ですけど」
 そう言えば、そうだった。
「えっと…その……引き分けですから……友達から……で、良いですか?」と私は答えた。
「そう…ですか……」
 彼女が少し肩を落としたように見えた。
「でも、あの…結婚が嫌とか、そう言うのではなくて…寧ろしたいというか、もう、私そろそろ大人だし…」
「そろそろ?」
「とにかく…今はもっと赤土さんを知りたい、というか…その……」
「………」
 また、沈黙が始まってしまった。




「あの……小鍛治さん?」
 数分して、また、先制は赤土さん。
「手…繋いでいいですか?」
「え?」
「人通りも少なくなってきましたし…その……良ければ……」
 嫌じゃなかった。仮に人が多くても、私は赤土さんと手を繋いでみたかった。
 私は「はい」とだけ言って、彼女と手を繋いだ。

 赤土さんの手は震えていた。
 
 私の手も震えていた。

 でもそれも次第に落ちついていった。
 心拍は穏やかに、そして身体は温かくなって、いつの間にか、私は赤土さんに寄り添っていた。
















 結局、閉会式にも三人は姿を見せなかった。
 個人戦男子、優勝してやったってのに。
 とは言っても、男子は女子と比べて全体のレベルは低いから、肩透かしなものではあった。強かったのは臨海の鉄壁さんくらいで、他は思った程では無かっし。それだけ俺が強くなったってのなら、それはそれで嬉しいが。
 個人戦女子で優勝したのは咲。姉妹揃っての表彰台で、嬉しそうだった。

 
 終わってしまったものだからどうしようもないが、出来ることなら、決勝の舞台であいつ等と、もう一回打ちたかった。




――――
―――――
――――――




 あいつ等が部室に来なくなってもう一か月。
 元部長や染谷先輩は何かを悟っている様子で、あいつ等を探したりはしなかった。
 その元部長は受験のため引退。染谷先輩は手伝っている雀荘が忙しくなって来られる日がかなり減った。部長は消去法で俺になり、事実上この部室は、俺一人が独占する形になった。
 元部長のおかげで、一人でも何とか廃部にならずに済んでいるが、ネット麻雀で打つか、牌を並べているかの毎日。退屈で仕方がない。
 勧誘もしてはみたが、半荘どころか東風打っただけで相手が折れてしまう。かなり手を抜いて打っているにも関わらずだ。風越や龍門渕なら、こんなことも無かったのかもしれない。

 がらんとした部室に一人いると、まるでこれまでの事が夢だったように思えてくる時がある。本当はあいつ等なんていなくて、大会にだって出ていなくて、合宿だって無くて、何も無くて、全部夢だったんだって。
 だが、そうじゃない。俺は地区大会優勝時に撮った集合写真を見て思う。
 あいつ等は確かにいた。
 あいつ等の麻雀は、俺の中で生きている。
 

 確かにあいつ等はここにいたんだ。




 清澄高校麻雀部に。
















第三部 全国大会編





 おしまい









































 その日、京太郎は家を出る前に郵便のポストをチェックしたら、一通の手紙が入っていた。彼宛てだった。



 それは、【洋上麻雀大会】への誘いの手紙だった。



















 











[19486] 後書き 人鬼について
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:44c4781d
Date: 2013/08/10 04:04
第三部はこれでおしまいです。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。


第四部開始と、続きがあるっぽい締め方で、実際続きの案はあるのですが、原作(咲-Saki-)に依存する形で、最低準決勝が終ったあたりか、宮永姉妹のの過去が明らかになるあたりでないと進めれないので、事実上の最終回かもしれません。
念のため完結はつけませんが、暫く修正以外では放置という感じになります。




人鬼について


人鬼の現象については、作中ではかなりぼかして書きましたが、わかる分だけここに。

人鬼の麻雀、現象、及びそれに近いことが出来る(出来た)者は第三部まででは以下の通り

・小鍛治健夜
・傀

・松実露子
・松実宥
・松実玄

※松実家は【近い現象】であって同じものではない。

・赤土晴絵
・積倉手数
・高鴨穏乃
・岩倉玲音

※この四人は別の方法から人鬼の現象に到達出来た。

人鬼の麻雀は#52でも記している通り、晴絵の、一局一局をかみしめる麻雀の真逆の性質で、局を潰しに行く麻雀の到達点のようなもの。
人鬼の麻雀は局どころか相手の心を潰しに行く。それは待ちを潰し続けるというものであったり、一方的に和了り続けたり、予想外の待ちでとんでもない高い手に振り込ませたりで、傀で言えば、御無礼が発動すれば基本的には完成、決着となる。

松実家もそれに近い。
他家の手を凍らせ、対局を一方的なものにする。
露子の異能は、玄と宥(氷モード)を足したようなもので、完全にオーバーキルの火力を持つ。青天井でその本領を発揮する。
ちなみに竜も露子の異能を受け継いではいるが、彼はその力の全てに従って打つことなく、オリジナルなものに昇華している。

積倉、赤土、穏乃、玲音は、独自の哲学で人鬼の麻雀が起こす結果に到達した。
過程が違うため、完全な支配とはならないが、十分強力。









[19486] 前書き
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e82a8780
Date: 2016/01/21 12:35
第四部、洋上麻雀大会編に入ります。
主人公は京太郎で、咲-Saki-成分も少なく、おまけ的な話です。
追加クロス作品は以下の通り。


・銀と金
・カイジ
・ジョジョの奇妙な冒険
・シノハユ

追加作品が増える場合、追記していきます。

前と比べ、一話一話短めですが、更新ペースは遅いかもしれません。



[19486] #53 部室
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e82a8780
Date: 2013/12/13 20:00


 業後、これまでの習慣を継続しているかのように足は部室に向かう。少し前まで暑苦しかったと思ったら一転、冷える時期が来た。吐いた息が見える。今年の秋は短いのかもしれない。そろそろ部室に暖房を入れないと、手が凍って牌にも触れない。もっとも、触れたところで相手はいない。今日も、明日も、明後日も一人だろう。
 学祭の時期も近付いてきて、校舎の方は騒がしい。その音はこの旧校舎には届かない。時間は先に進んでいるはずなのに、この場所だけ時間が止まっているかのような、凍りついているかのような感覚になる。
 部室に入ったら、鞄をベッドの方に放り投げて、いつものように卓に着く。今日もあいつ等はいない。誰もいない。小さなため息の音が部屋に響く。卓に散らかりっぱなしの牌を見ていると、あいつ等がいた頃を思い出す。それで時間が過ぎていく。こんな毎日が、いったい後どれだけ続くのだろうか。

 あいつ等とはクラスが一緒だった。傀は授業に毎回出席し、成績もトップ。向こうの採点ミス以外では減点の無い訳のわからない優秀さを発揮していた。奇妙なのが、授業が終わった後の休憩時間、奴は必ず教室を出るのだが、出た後姿を消し、次の授業が始まるまで誰にも見つからない。授業が始まったら、いつの間にか席に着いている。いつしか学校では七不思議の一つとなっていた。鶴賀の東横さんもそれに近いようで、二人は似たような人種なのかもしれない。
 竜は殆ど出席をしない。たまに来た時は教室がざわつく程だ。出席したのは現代文と古典のみ。それ以外の授業で奴を見たことは無い。テストも当然受けることは無く、成績や出席数がどう考えても留年直行コースだった。
 アカギは来たり来なかったりバラバラ。規則性が無い。真面目にノートを取っているような時もあったり、寝ている時もある。成績は俺と同じ位。真ん中より上。
 そんなあいつ等も業後、必ず部室に来ていた。必ず打っていた。必ず俺は負けていた。負けた数なら、全国、いや世界一の自信がある。今あいつ等は、学校にも来ていない。
 あの頃は熱かった。気温のせいもあるが、それ以上に鉄火場だったからだ。金を賭けているわけでも命を賭けているわけでもない。なのにそれ以上のものでも賭けているかのような奇妙な緊張感があった。
 ほのぼの、和やか、和気藹々とはかけ離れていた空間。対局中の会話など殆ど無い。口を開くのは俺と、たまにアカギくらいで、他は発声と牌の音、そして外の音。そこに先輩たちの音が混ざる。それが部室の音だった。



 ここは、そんな部屋だった。



 それら全てが過去形であるという事実が目の前にあり、俺だけがこの部屋に一人残された。
 これからあの部屋がもう戻って来ないのなら、あの時に戻りたい。何度繰り返すことになっても構わない。時計の針が止まることになったって、永遠に閉じ込められることになったって良い。あの部屋に戻ることが出来るのなら、




「どんなことになったって良いんだ!」







 声に出ていた。
 卓を叩いていた。
 俯いた視界に筒子が映る。
 ふと、あの時を思い出した。






 そう言えば、一度だけあった。
 勝ちもせず、負けもしなかった勝負。
 珍しく、傀も竜も遅れた日。来るまでの時間、アカギと二人でした勝負。

【ナイン】

 一回しかやらなかったが、結果は引き分け。互いが全ての回で同じ牌を出したものだから、強く記憶に残っている。その牌の順番までも。確率としては中々低く、珍しくアカギも驚いていた。
 だが俺は、勝ちたかった。引き分けまで行ったんだ。今度は、勝てるかもしれない。

 その『今度』が…欲しい。
 一度でいい。今は、その『今度』を何が何でも取り戻したい。



 その時、ドアが開く音がした。バンッという勢いの良い音から、元部長だと分かった。

「やっほー。久しぶりっ」
 元部長は特に落ち込んでいる様子を見せることは無かった。三人がここを去った理由を、悟っているような、納得しているような印象。
 だが俺は、悟れもしなければ納得も出来ていない。
「須賀君、洋上麻雀大会に出るんだって?」
「あぁ…はい…」
 洋上麻雀大会。今週の土日の二日間に太平洋上の船の上で行われる大会だが、情報量が少なすぎて、何が何やらという感じだ。個人戦優勝者ということで参加資格が与えられたらしく、女子個人戦優勝者の咲も参加する。
「その大会なんですけど、検索しても出てくるのが漫画に出てくる大会しか無くて、本当に実際あるのか分からなくて…」
「あるわよ。プロの間では有名よ」
 元部長は即答した。先輩はプロとの繋がりもあるから、そこから情報を得ているのだろう。
「じゃあ何でネットには何もないんですか。テレビでも新聞でも見たことが無いですし」
 質問しながらも、俺もおぼろげながらその理由は解りかけていた。
「そりゃもちろん、裏の大会だからよ」
 やっぱり。
「須賀君や風越の宮永さんみたいに、インハイ、インカレ個人戦優勝者は『タダ』で参加できるけど、実際は、例年通りなら参加費に10億…今年はその倍で20億必要みたい」
 その額を聞いて、ドクンと俺の胸が鳴った。
「血なまぐさい臭いを感じるでしょ?」
 止まっていた針が、カチリと動いた。
「そう…ですね…」
「嬉しそうね」
 当たり前だ。大金のかかった勝負に心が躍ったわけじゃない。
 
 あいつ等は、そういう所にこそいるからだ。

 間違いない。あいつ等はそこに来る。
 俺の直感がそう言っている。

「となれば…忙しくなりますね…。調整を始めねぇと…」
 どうにかなりそうなテンションを押えてはいたが、顔の方はどうしようも無かった。
「本当に…嬉しそうね…」
 先輩は若干引き気味だった。でも仕方がないだろ。




 もうこれだけは、どうしようも無いんだから。





【第四部】 洋上麻雀大会編








[19486] #54 姉妹
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e82a8780
Date: 2016/10/07 10:35



「お姉ちゃん、まだ悩んでるの?もうお昼すぎちゃうよ」
 スイーツ選びに時間がかかっていたから、私は本屋の方に行っていたんだけど、お姉ちゃんはまだ悩んでいた。
「三種類とも買ったら?」と私は言った。
「予算が…。それにもうだいぶ重くなってきたし」
 既にお菓子は買い物袋一杯に近いほど入っている。
「私も出すよ。半分持つし」
「いや、私の奢りだから…」
 お姉ちゃんは妙に頑固で、割り勘で良いのに。お姉ちゃんらしい所、見せたいのかな。
「じゃあ私、これが良い」
「これ?…これかぁ…うーん…」
「形が一番シンプル。今日はそれが食べたい気分、かなぁ」
 本当は結構適当に選んだけど、お姉ちゃんには拘りがあるから、理由を付けた。
「うん…そうかな……うん、そうだね。そうしよっか」
 やっと選んでくれた。
「ところで咲は何の本を買ってきたの?」
「この前ニュースにも出てたこれと、ちょっと恐そうだけどこれ」
 買ったのは三冊。賞を貰って話題になっているのと、ホラーもの上、下巻。
「ドグラ・マグラかぁ…。結構難しいよ、それ」
「うん。そんな感じっぽいけど、読んでみる」
「読み終わったら、感想聞かせてね」
「うん」

 大会以降、週末の殆どはお姉ちゃんの所に行っている。
 遊園地に行ったり、映画を観たり、お菓子を買ってお姉ちゃんの部屋で一緒に食べる。お茶する。色々お話をする。お腹が膨れたら眠くなって、一緒に寝る。そんな幸せの時間を過ごす。
 ただ、お姉ちゃんがこっちに来るのにはまだ時間が掛かりそう。過去の傷の深さを考えれば…。それに、私達家族の問題は…『それだけじゃない』。

 お姉ちゃんと一緒に街に出てると、たまに記者の人に取材を受ける。姉妹揃って女子個人戦一位と二位。それなりに話題になったからだと思う。取材は長野の方でも何回か受けて、苦手でしか無かったかけど、お姉ちゃんと一緒ならそうでは無くて、寧ろ嬉しい。
 今日も掴まった。お姉ちゃんとの二人の時間が減ってしまうのは嫌だけど、こればかりは仕方がない。お姉ちゃんは取材慣れしていて、凛としている。今は、お姉ちゃんに頼りっぱなしな感じだけど、いつか私もああなれたらと思っている。
 ただ一つ疑問に思ったのは、取材の質問の中に【洋上麻雀大会】の件が無かったこと。私は女子個人戦一位と言うことで参加資格を与えられて、それも一週間後に控えているはずなのに、そのことに関する質問があってもおかしくは無い、と思う。

 部屋に戻ると、部屋にはこたつが出されていた。確かに、例年より寒い時期が来るのが早い気がするし、もうそんな時期かと思った。私達は足を入れ、凍えた手も少しの間入れた。温まったら、お菓子の封を開けこたつの上に広げた。お姉ちゃんは紅茶の準備をして、その時に、私はお姉ちゃんに先程の疑問を聞いてみた。
「それは咲、その大会が裏の大会だからだと思うよ」とお姉ちゃんは紅茶を淹れながらあっさりと返した。
「あ…そっか」
 良い香りと共に腑に落ちた。
 洋上麻雀大会自体のことは、葉書が来た時にお姉ちゃんに聞いていた。個人戦優勝者はその時点で参加資格を与えられるけど、他の人は億って額が必要な、血が混じってそうな大会。
「毎回聞いているけど咲、本当に参加するの?」
 と、お姉ちゃんは心配してくれる。参加者が危険にさらされたケースは今まで無いそうだし、お姉ちゃんの時も問題が発生したとかは無かったけど、それでもその額からは危険な臭いしかしない。
 それでも私は参加してみたかった。何よりお姉ちゃんが見てきた景色を見たかったのがあるし、もしかしたら、もう一度竜君にも会えるかもしれないって思ったから。
「意思は揺るがないみたいだね。咲」
 お姉ちゃんは私の目を見て言った。
「まるで鉄壁君みたいだ」
「鉄壁君?…あぁ臨海の次鋒だった…」
 お姉ちゃんの口から出た男子の名、夏の大会で臨海高校の次鋒だった人。鉄壁保君。彼も去年個人戦男子の部で優勝して、洋上麻雀大会にも出たんだっけ。
「うん。彼の意思も固かった。裏の勝負の場、と言うものはそれまでも何度も経験したけど、あの大会は別次元だった。そこに集まる金額の力のせいもあると思うけど、何よりあの空間が特殊だったからね。でもその場でも、彼は自分の麻雀、意思を崩さずに打っていた。そこに、少しだけ勇気のようなものを貰ったよ」
 ふーん。初めて聞いた。
「か…勘違いするなよ…。特に、何もないからなっ…」
 私の目を見て察したのか、お姉ちゃんは慌ててそう付け加えた。深くは突っ込まないようにした。それに確かにあの人は凄い。夏の大会での決勝(団体戦では、決勝でしか打ってない)や、個人戦。火力の面で京ちゃんに分があったけど、去年のルールだったらどうなってたか分からない。去年の録画も観たけど、あの爆岡さん相手の立ち回り方は見事としか言いようが無かった。

 お菓子も食べ終える頃、部屋のチャイムが鳴った。
「ん、時間だったか」
 お姉ちゃんが玄関のドアを開けると、そこには弘世さんが居た。
「時間通りに来たつもりだが、もうちょっと遅れた方が良かったか?」と弘世さんは、こたつの上のまだ片付けていないスイーツの殻やらを見て言った。
「いや、大丈夫。直ぐ片付けるから、ちょっと待ってて。というか入っていいよ」
 そう言うとお姉ちゃんは急いで片付けに取り掛かった。私も手伝った。
「では上がらせて貰うが、今日は自動卓でやるか?やるならそっちの部屋に行っておくが」
「いや、今日も平台でやる。寒いし。だからこっちの部屋にいて」
 こたつのテーブルは裏返すと雀卓になるタイプで、とにかく上の物を片さないといけない。
「了解だ。おい、淡達も入れ」
 弘世さんの後ろには大星さん、亦野さん、渋谷さんがいた。
「あ、はい失礼しまーす」
 亦野さんが入って、それから渋谷さんも一礼して入ってきた。それから大星さんも入って来たけど、やっぱり今日も不機嫌そう。大星さんとは、もう何度も打っているけど、彼女にはあまり好かれていないみたい。
「咲!今日こそは倒すんだからね!」
 ほら。こんな感じ。いつも睨まれている。大星さんはお姉ちゃんのことが好きで、私が睨まれるのは、それはそれで仕方の無い事なんだけど、いつか大星さんとも仲良くなりたいと思っている。
 そして今からする対局は、洋上麻雀大会に向けての、私のためのもの。
 お姉ちゃん曰く、あの船の上は特殊な空間で、思ったように力が発揮出来ないらしい。お姉ちゃんの場合、鏡が使えなかったり、私の場合だと、嶺上牌が見えなくなる。そういう空間なんだって。
 そういうこともあってか、お姉ちゃんは去年、優勝どころか上位入賞も出来なかったって言っていた。ちなみに優勝したのは、現在、裏の高校生代打ち集団【ZOO】を仕切っている『園長』、風間巌さん。
 だから、私は今、『嶺上開花』を封じた特訓のようなものをやっている。
 卓には私の代わりに亦野さんが入って、彼女に牌を持ってもらう。私が入るとカン材が集まってきてしまったりと、とても『力』無しという感じにはならない。それでも嶺上牌は見えてしまうけど、嶺上開花はしないという縛りをする。
 亦野さんは三副露すると和了率が上がる傾向があるけど、逆に言うとそれさえしなければ普通の麻雀に近くなる。
 渋谷さんは交代で入って来る。
 これはお姉ちゃんが私のために組んでくれたもので、集まったメンバーは弘世さん以外現在チーム虎姫の一軍。このチーム名、夏の大会では【白虎】だったけど、部長の白根さんらが去って以降、元の名だった【虎姫】に戻った。そもそも基本的には男子と女子には力の差があって、白糸台の一軍組に男子が三人もいたこと自体が異常だった。
 できれば、私の代わりに卓につくのは完全に力を持たない子が良いのだけど、わざわざそれをお願いできる相手はいなくて、来てくれたのはお姉ちゃんに近しい方達だけだった。だから弘世さん達には、本当に感謝している。

 一軍と言えば、夏の大会で大将だった岩倉さんも、それ以降姿を見せていないらしい。
 いったい今、どこで何をしているんだろう。
 ふと、気になった。








[19486] #55 墓場
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e82a8780
Date: 2014/10/08 13:25





「ケイー、起きろー」
 アミナの声と共に始まる朝。新しい『日常』が始まってから、もう何度目の朝だろう。
「ん…重い…」
 いつも乗っかかってくる彼女の体重は、以前より重くなっている気がする。健康で、しっかりと成長してくれているのだろう。そう思うと安心する。前の彼女の体重は、あまりにも軽すぎた。
「コラー、ケイ、女の子にそんなこと言っちゃ駄目じゃないか。アミナちゃん傷ついちゃうぞ?」
 台所の方からは、味噌汁の匂いと共に桂木さんの声。この日常が始まってから、彼女も朝と晩来るようになった。いいよって言っても、強引に来る。アミナにろくな飯も食べさせていないんだろって。確かにそれを言われると返す言葉も無いし、実際に助かっている。
「そうだな…すまないアミナ。だけど、上に乗らなくても、声で起きれるよ」
「チガウ。起きないから乗ってる」
「そうか?」
「そうだよケイ。ここ最近寝坊助状態で、アミナちゃん苦労してるんだぞ?」
 そう言いながら、桂木さんは朝飯の乗ったお盆をテーブルに乗せて、座った。僕も身体を起こした。
 アミナ、桂木さん、そして僕。食卓を三人が囲む朝。外の音や食器の音、一言二言の何気ない会話。静かに時は流れていく。こんな朝が訪れるなんて、以前には想像も出来なかった。
「そろそろ時間じゃない?」
 桂木さんがそう言うと、確かにそうで、僕とアミナは学校に行く準備を始めた。
「ちょっ…ここじゃなくて向こうで着替えてよ!」
 これまでの慣れで、ここで服を脱ぎ始めた僕に対して桂木さんは言った。
「あ…ご、ごめん」と僕は謝る。
「アンタ…ワザとやってるでしょ…」
「そ…そんなこと」
 そんな問答をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「あ…もう来てしまった。ごめん。もうここで着替える」
 と言って僕は早々に着替え終えた。
「バカ……」
 と彼女はそっぽを向いて、アミナの着替えやら準備やらを手伝った。
 準備を終え、玄関に向かいドアを開けると、辻垣内先輩が待っていた。
「すみません。お待たせしました」と僕は謝罪をいれた。
「構わないが…随分と騒がしいな。外まで聴こえていたぞ」
 先輩は飽きれたように微かに笑って僕達を見る。
「ちょ…先輩っ、何を言ってるんですか!」
 桂木さんは慌てたように、何かを否定するようにそう返した。
「顔が赤いぞ桂木」
「………。さあ!行きますよ、もう!」
 桂木さんは顔を伏せ、僕とアミナの背中を押して玄関から出した。
「まったく…羨ましいものだな」と、そう先輩がボソッと呟いたのが聴こえた。

 アミナには学校に行ってほしいと前から思っていたが、それが実現できるのは遠い話だと思っていた。しかし、事情を知っていた辻垣内先輩が力を貸してくれて、手続きやら何やらを済ませてくれて、アミナは学校に通うことが出来るようになった。学費も、彼女の家が受け持ってくれている。アミナの送り迎えは、先輩の家の者が行ってくれている。何から何まで、先輩と、先輩の家の方には頭が上がらない。
 彼女の家は、複雑な事情によって学校に通えない子供や、親の居ない子供を預かったりしている。アミナだけが特別というわけでは無い。先輩はたまにその子供たちと麻雀を打ったりしていて『先生』『師匠』などと呼ばれている。
「毎回、家まで来てくれてありがとうございます。しかし、先輩までいつも来てくれるなんて…」と僕が聞くと
「通学路が重なっているからな。ついでだ」と彼女は返す。
 実際、送迎の車は二台以上持っており、途中からの徒歩も考えれば若干の遠回りになっている。ただ彼女自身、アミナが気になっているのかもしれない。これまでの人生の過酷さで言えば、アミナは正真正銘の地獄を生きてきた子だ。誰だって心配になる。
 アミナの通っている小学校では留学生だけでなく、特殊な事情を持つ子供も珍しくは無く、特に変わって見られるということも無く、友達も出来、楽しくやっているそうだ。

「いってきまーす!」
 車に乗るアミナを見送る。学校はアミナの方が先に終わるから、僕が帰ったら、今度は「おかえり」と言ってくれるのだろう。そして僕は「ただいま」と返す。それが今の日常。もしかしたら、これが『完成』なのかもしれない。幸せと言う名の完成。人生の墓場。終着点。
 
 これは、この日常は、竜さんが僕の代わりになってくれたことで成り立っている。
 病院でその話を聞いた時は、嫌だった。竜さんには感謝している。あの決勝だけでなく、僕とアミナのために打ってくれた。ただ、僕の手の届かない所で僕のことを勝手に決められたことには納得がいかなかった。あの場所は地獄ではあったけど、でも僕が自ら選らんで居た場所でもあった。
 けど、アミナのことを想うと、今のアミナの笑顔、偽りの無い笑顔を見ると、これで良かったのだと思うしかなかった。アミナは、僕が勝負の場に居ることを、地獄に居ることを望んではいなかった。そこには居てはいけない、命が大事、普通が一番と何度も言っていた。

 その通りだ。
 そうであるべきなんだ。
 何度も自分に言い聞かせた。
 これ以上ないものを手にした。これはもう、失ってはいけない。失いたくない。
 

 なのに……



 何故だ……



 ボクはおかしいのか?
 狂っているのか?
 狂気の世界にいないと落ち着けないのか?
 普通の世界の何がいけない。これで良いじゃないか。
 人は必ず死ぬ。ならその墓場は、より良い方が良いに決まっている。
 ボクのいるこの墓場は、最高のものである筈なんだ。
 


 だけどなんで……





 こんなに苦しいんだ………










―――
――――
―――――




「ロン…12000だ」


 あ……


「ぬるいぞ…ケイ」
 部活。
 まだ続けている部活。
 鉄壁先輩に、振り込んでいた。
「珍しいな。お前がこんなにもあっさりと振り込むなんて」
 同卓している辻垣内先輩が言った。
「いや、最近はこんな調子だ。夏の大会以降、だんだんと集中力が下がって来ている」
 確かに鉄壁先輩の言う通りだ。感覚が、前には確かにあった感覚が、無くなっている。
「そんなんじゃ、清澄の須賀君にはとうてい及ばないな」
 鉄壁先輩の口から出た名前、学校…清澄…。
「須賀クンと言えば、確か個人戦男子の部で優勝した方でしタネ」
 同じく同卓していたダヴァンさんが言った。
 僕以外の三人はもう三年。麻雀そのものを引退するわけでは無く、雀士としての未来は普通に存在はするのだが、それでも来年の夏が存在するわけでは無い。こんな僕と打ってくれていることに、僕は情けない気持ちになる。申し訳なく思う。
「ああ。彼は強かった」
「決勝は赤有りのルールがかなり彼を味方した展開になっていたな。去年のルールだったら鉄壁が勝っていただろうが」と辻垣内先輩は言うが
「いや。去年のルールでも僕が負けていたと思う」と鉄壁先輩は否定した。
「彼の麻雀にはスタイルが存在しない。局面に応じて戦い方を変えることが出来る。清澄で言うなら、傀のように流れを掴んだかと思えば、竜のように流れ無視の鳴きからの和了も見せるし、アカギのように予想外の一打をすることもある」
「それは手ごわいでスネ。私も戦ってみたかったデス」
「メグ、彼は団体戦に出ていないから、メグが団体戦に出ていたとしてもどの道当たることは無かったぞ」
 そう。清澄の須賀京太郎は団体戦には出ていなかったが、個人戦で恐ろしい力を発揮していた。団体戦に彼がいれば、清澄にとってはかなり楽な展開になっていただろう。向こうにも向こうの事情があるのだとは思うが、奇妙には思えた。
「個人戦と言うと、そろそろあの大会の時期も近付いてきたな」
 辻垣内先輩が言った。あの大会?
「ああ、そうだな。もしかしたら彼なら、参加したとしたら優勝も出来るかもな」
「あの…あの大会…って」
 僕は聞いた。
「ん?今年は桜輪会主催だから、君は聞かされていると思っていたが…」と辻垣内先輩は言ったが、すぐに訂正した。
「いや…君はもう関係ないんだったな……すまない」
「いえ…。お気になさらずに。それより、大会とは…」
「【洋上麻雀大会】だ」
 鉄壁先輩が説明してくれた。
 無法地帯、異常地帯で行われる、億という額が飛び交う裏の大会。インハイ、インカレ個人戦優勝者のみ無条件で参加できる。よってインハイ個人戦優勝者の須賀京太郎、宮永咲には参加資格が与えられている。
「そんな大会に、何故一般の人間が参加できるのですか?」と僕は聞いた。
「これは僕も夏の大会で知ったんだけど、団体戦決勝まで勝ち残ったメンバーや、個人戦優勝者ともなるともう…『普通の人間』として見られないらしい」
 鉄壁先輩が言うに、洋上麻雀大会は『単なる裏の大会』では無く、【ある組織】の『実験』も関わっているらしい。だからこそ、力のある個人戦優勝者は無条件で参加させている、らしい。ただ、それなら団体戦優勝校のメンバーも参加資格が与えられるかと思うと、そうでも無く、謎の多い大会だ。



 部活が終わり、気が付いたら僕は職員室に向かっていた。
 職員室に入ると、視線の先にはD・D。僕は、何をしているんだろう。
 D・Dの隣には女性の外国人教師が居た。確か名前は、アレクサンドラ・ヴィンドハイム。アレックス先生、サーニャ先生と生徒からは呼ばれている。今年度から物理を教えている。彼女は今、D・Dと何やら話している。
「それじゃ、よろしく頼むよ」とD・Dは話を切り上げ、アレックス先生は席を立った。
 彼女は僕の横を通り、ちらとだけ僕を見、そして職員室を後にした。

「そして…君は来ると思っていたよ。そろそろね」
 D・Dは僕に向けて言った。彼には、何もかもわかっているようだった。
「先ほどは?」
 ただその前に、アレックス先生と話していた内容が、少し気になった。
「ああ。少し先のことになるけど、長野の清澄の方でちょっとしたイベントがあってね、私は他に予定が入ってるから、彼女に代わりに行ってもらうことになった、という話だよ」
「清澄で?」
「それよりも…【洋上麻雀大会】、出たいんじゃないのかね?」
 核心だD・Dが言ってくれたそれは、今の僕の中の核心だ。
「はい…」
 と僕は答えた。答えはそれしかなかった。
 



 アミナと桂木さんと、そして僕がいる部屋。
 三人は食卓を囲み、たまには雀卓も囲んでいる。
 そこにある、アミナと桂木さんの、偽りのない笑顔。

 この日常は、竜さんの犠牲によって手に入った日常。

 ボクは…

「一つ言っておくよ。今の君は、間違いなく幸せだ。たとえそれが他人から与えられたものだとしても、それは変わることは無い。君の行為は…間違った行為だ」
「はい…しかし…」
「『納得』したいんだね?」
 
 そう……


 ボクはまだ……その結末に『納得』していない。

 墓に入るというのなら…もし許されるのなら、自分の意思で納得して入りたい。
 たとえ納得できなかったとしても、納得出来るかもしれないチャンスがあるというのなら、それに飛び込みたい。

「…わかった。君が望んだ結末になるのかは保障しないが…、大会日までに参加費の20億を稼げるアルバイトを教えよう」
「アルバイト?」
 僕が来ることは予想していたにしても、20億と言う無理難題の解答がアルバイトだったのは意外で、正直驚いた。
「私はそんなに金を『持っている』わけでは無いからね。資金は自分で集めなさい」
「そんなバイトが…あるんですか?」
「鷲巣が今週末、誠京を殺りにいくから、その手伝いをすると良い。鷲巣は私に『あの世』…【オーバーワールド】で借りがあるし、まぁ私の方から話はつけておくよ」
「借り…【オーバーワールド】?」
「話せば長くなるけど、一言で言ってしまえば、今の若い彼がこの世で生きているのは、私のお陰だからね。



 D・Dから聞かされた話は御伽噺にしか聞こえないと思われてもおかしくない内容だったが、鷲巣巌が異常な強さを持っており、彼の力なら大金などあっさりと手に入れるだろうというのは間違いなく、僕は彼の『手伝い』をすることに決めた。
 アミナと桂木さんには、近付いている学祭での麻雀部の発表の準備のため、学校に泊まっていく、という嘘をついて、僕は鷲巣巌と共に、誠京に行く。
 辻垣内先輩には話を合わせてもらうことにした。
「気持ちは分からないでもないが、君は間違いなく、間違っている」
 彼女にも言われた。
「わかっています…。ただ僕は『納得』出来るかもしれないチャンスに、飛び込みたいだけです…。これ一回きりです。もし海の上で納得が出来なかったとしても、もう後悔はありません。僕は今の、この『墓場』を受け入れます」
「そうか…。止めはしないが、だが、アミナはお前の嘘を近いうちに見抜くだろうな。今回はともかく、海の上に行く前には、彼女と一回、話しておく必要が出てくるはずだ」
「嫌われるかも…いや…捨てられるかもしれませんね……僕が彼女に……」
「そう悲観的になるな。もうアミナは、お前を損得のみの対象とは見ていない。悔しいことだがな…」
 先輩の表情は柔らかかった。ただ、それはどこか儚さをも含んでいるように見えた。













[19486] #56 胎内
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e82a8780
Date: 2014/01/08 19:45


 アミナにばれないように、向かえの車の場所はアパートから少し離れた場所にお願いしておいた。
 車の外で僕を待っていたのは、リーゼントの頭をした男だった。彼が鷲巣巌の部下らしい。「お前がケイだな。乗りな」と彼は言って、僕を後部座席に乗せ、自分は運転席に座った。
 運転中、僕の視線が気になったのか、彼は口を開いた。
「この髪はな。ちょっと前までは違っていたっていうか…元々がこうだったんだ」
 彼が鷲巣と出会い、そして部下になった頃は、彼は隼と言う名を名乗っていた。髪形もリーゼントで、かなり特徴的な風貌だった。
「だが鷲巣様がおかしくなってからな、『普通の格好』にして…名前も『鈴木』ってどこにでもありそうな名前にして…」
 衰え、そして死を迎えようとしている鷲巣が、部下よりも『下』になっているかもしれないと思っているかもしれない。そう思った彼らは、少なくとも外見だけでも、鷲巣の『下』であろうと、自発的に行ったらしい。
「でもな…鷲巣様が戻ってきて…『もうそんなのはやめろ』って…言ってくれてな……」
 声は少し震えているようにも聴こえた。何か込み上げるものがあったのかもしれない。
「だから…俺は『俺』に戻した。この髪も、『隼』って名前も、全部な」
 他人であるはずの僕に、よく話してくれる。たぶん彼は知ってもらいたかったんだろうと思う。鷲巣巌という人間を、僕に。
 僕は裏にいながら裏の世界については詳しい方では無かった。ただ仕事に意識を向けていたばかりで、鷲巣巌についても、大会の時に高津さんに聞いた程度だった。姿も写真と、大会の録画を見たが、『蘇った』と言われても、そんなのは『嘘』にしか聞こえなかった。『異世界』なんて、本当にあるのだろうか。
 しかし隼さんは言う。
「あの方は正真正銘、『鷲巣様』だ」と。
 単なる信仰なのか、彼らにしか分からない感覚なのか、そんなことは僕には関係ないが、それでも、これから僕は彼に会う。その『鷲巣巌』に。

「これから殺りにいく誠京についてだが…」
 隼さんは話題を変えた。
 現金を持たず、借金をし、不動産を買いまくる。バブル崩壊まで続いた錬金術をなりふりかまわず行い巨大化した企業、【誠京】。巨大化の過程で行った投資に次ぐ投資は、土地や物だけでなく、人間にも及んだ。若手議員をギャンブルに誘い、負けさせ、低金利かつほぼ支払要求の無い借用書によって【誠京】と繋げる。
「問題は、その【借用書】によって縛られている議員を目的として【誠京】の蔵前を潰しに来る者が近々出てくることだ」
 蔵前とは【誠京】のトップの老人であり、彼自身ギャンブルに狂った人間で、高額の借用書を書いた者とのみとならサシ勝負を受ける。その彼を潰しにかかる人間が
「平井銀二だ」と隼さんは言った。
 奇妙な言い方にはなるが、裏で『有名』なフィクサーが鷲巣巌と白根獅子丸だったのなら、裏の世界でですら『裏』のフィクサーだったのが平井銀二。鷲巣と白根の死亡後にその姿が徐々に見え始め、その恐ろしさを発揮し始めたらしい。
「今、鷲巣様は『ある目的』のために金が必要で、殺れる所からはとことん殺っている時期なんだ。だから今回も、平井が蔵前を殺る前に、【誠京】から根こそぎ奪おうって話だ」
 大企業を潰すとなると、億という次元では無い。兆という額が絡んでくる世界。果たしてそんなことが可能なのだろうか。
「可能だ。鷲巣様ならな」
 隼さんは間も置かずにそう返した。
 そして丁度その頃に、車は目的地に着いた。【誠京】の会長宅。
 僕が車を降りる頃、もう一台の車が停まった。そこから、鷲巣巌と、部下らしき者が一人降りてきた。車の中には運転手と、かなり高齢に見える老人が一人いたが、彼等は降りなかった。
「連れてきましたよ。鷲巣様」とそう隼さんが鷲巣に言うと
「御苦労」とだけ言って、彼は会長宅の前まで行き、チャイムを鳴らした。
 それから間もなく扉は開き、執事らしき人物が出迎えた。
「『タケダ』様ですね?どうぞお入りください」
 鷲巣はあの大会と同じ名をまだ使用している。そもそも鷲巣巌の復活を信じる者も殆どおらず、同時に『あの大会』も信憑性の低いもの、所謂『やらせ』として多くの者は捉えていた。それを鷲巣達は利用しているようだ。隼さん達の格好がラフなのも彼等の目的の遂行の後押しになっている。
 つまり向こうは、こちらをギャンブルに夢見た『小物』と思っている。
 
 僕達は会長宅の地下に案内された。その地下の広さは、表の会長宅の何十倍もあり、ギャンブル施設となっていた。現金をそのまま賭けている非合法カジノには多くの人が賑わっていた。しかし、僕達の勝負はその部屋とは別の部屋で行われる。
 その部屋には先客、僕達よりも先に会長とサシ勝負をしている者がいた。行われている勝負は、麻雀。
 卓の下にはガラスのケースがあり、その中には数千万、いや数億もの札束が入っていた。プレイヤーはツモるごとに札束をケースの中に投げ入れている。これはこの後、僕達もやる特殊ルールの麻雀、【誠京麻雀】独特の光景だ。【誠京麻雀】とは一牌ツモるごとに金を出し、最終的にトップをとった者が総取りをするという、ようは金がものをいうルール。
 今、蔵前と相対しているのは西条という20代の男性。その彼は、そのルールの魔力に押しつぶされようとしている。彼はこの勝負に10億を用意し、その半分以上を既に溶かしている。
 勝負は終盤。南三局。南家の西条は28000。北家の蔵前は35000。1ツモ300万で、供託は8億程溜まっていた。

南家 西条 手牌

一一三四六七七八八九九南白 ツモ 六

 7巡と序盤の段階でこの形。彼の心理からすれば、何としてもあがりたい手ではある。彼は打白で前に出た。しかしその白を蔵前に鳴かれ、直後の東家からの打発をも鳴いた。
「うっ…」
 一瞬もしないうちに現れた役満濃厚の気配。彼は声を漏らす。
「勝負の前にも言ったことだが、西条君…」
 蔵前が喋り出した。
「役満を振り込んだ場合は、本来の点棒の他に、役満祝儀を払ってもらう」
 【誠京麻雀】においてその役満祝儀は変動相場制をとっており、一1ツモ300万、供託金計約8億のこの状況なら、0.3×8億という計算になり、計…
「約2億4千万…これだけの金を振り込んだと同時に払ってもらう。まぁせいぜい注意することじゃ」
 蔵前は彼に囁くようにそう言った。
 そして、彼が次に手にしていた牌は、その中だった。大三元の最後のキー牌。彼は頭を抱え、とりあえずの打、南。
 これはもう、あがれる者の手では無い。それを証明するかのように、次巡の彼のツモは五萬。打中で聴牌という状況。しかし、その状況こそ彼の不運の証明でもある。
「終わったな」
 僕の後ろにいた鷲巣が呟いた。
 西条に冷静な思考が出来ていれば、その声も聞き取れていたであろうし、そもそもここで中を切ることなどしなかったと思う。点差などたったの7000程度。ラス親も残っているこの状況なら、無理して攻める必要も無い。
 だが彼にはもうそれは出来ない。追い詰められていた彼は、地獄を見つめて生きるより、希望を追って死にたい、そう望んでいるかのように、中を切った。

北家 蔵前 手牌

⑥⑦⑧33中中 ポン 白白白(対面ポン) ポン 発発発(下家ポン) 

ロン 中

 それが人間の末期。

「西条君…。これも勝負の前に言っていたが」
 牌を倒した蔵前は、付け加えるようにまた話し出した。
「この誠京ルールの麻雀では『ダブロン』も認めている」
「え…?」
 既に青ざめていた彼の顔は、さらにその冷たさを加速させた。
「仮に『二つの役満』に振り込んだ場合…当然祝儀は倍になる…」

東家 蔵前の部下 手牌

五五五②②②⑨⑨⑨南南南中 

ロン 中

「加えて…四暗刻単騎はダブル扱い…。祝儀はさらに倍だ…」
「あ…あ…」
 西条は崩れ落ちた。その様を、彼と同じように崩壊を迎えた者を、僕はこれまで何度も見てきた。僕はその時、『この世界』に帰ってきたのだと実感した。しかし、やはり鈍感になっている。本来なら、この場所に入る前にこの感覚は起きてないといけない。
 随分と長い期間、僕はぬるま湯の中に居た。

 もう一人で動くことすら出来ない西条を、蔵前の部下は部屋の外に運び出した。
 それをよそに蔵前は自分の血圧を測りだした。
「うん…まだ大分安定しているな…かなりあっけなく終わってしまったからなぁ…」
 と彼はどこか不満気であった。
「では…タケダ君だっけ?このままではわしも不完全燃焼だ。もう初めてしまおうか…君の後にも、客人を控えておるのでな。何、君の提案した追加ルール通りなら、そう時間もかからんだろ」
 既に鷲巣が提案していた追加ルールは、飛び無し、半荘1回勝負。
「だが、気を付けることだね。どこで用意したかは知らんが、10億程度なら、半荘一回でも、場合によっては一瞬で溶ける。それが誠京のルールだ」
 鷲巣がこの勝負に用意した額は10億。蔵前からしたら、闇金をかき集めたか、親の金か程度のものとしか見られていない。先ほどの西条と同じように。
「始めよう」と鷲巣は先程まで西条が座っていた席にどっしりと構えた。僕はその下家に着く。
 鷲巣のその落ち着いた風貌から、蔵前サイドの表情は若干の動揺の色を見せていた。
 
 賽が振られ、起家も決まった。タチ親は鷲巣となった。
 配牌が配られ終わる頃、鷲巣が口を開いた。
「確認するがこの勝負、仮にこちらが勝ったとしても、その勝負を反故にする真似は、しないだろうな?」
 それはあまりにも唐突で、蔵前からしたら想像にもしなかった発言だったからか、彼は困惑の色を見せつつも返答した。
「それは当然だが…。何故このタイミングでそんなことを訊く?」
「わからんか?この誠京ルールに、たとえ半荘一回であろうと、『飛び無し』のルールを挟んだとしたら、無限に貴様等から奪えるではないか」
 蔵前サイドからすれば、ますます意味不明の回答。彼らの目はまるで、頭のいかれた人間を見るようだった。
「ま…まぁ…それはそうだが……そんなことは」
 彼が「ありえない」と続けようとしたであろう瞬間、この部屋のドアが開いた。
「あ…あなたは…」
 と蔵前が見た相手は、先程僕も車で見た老人。その老人は、鷲巣の部下らしき者一名と一緒にこの部屋に入ってきた。
「劉だ。このタイミングでこの部屋にこいつを入れたのは、こいつの姿を見た瞬間、ワシとの勝負を取り消される可能性があったからな」
 その老人の名は劉。僕も名前だけは聞いたことがある。華僑の大物で、高津さんも怖れる程の力を持っている。少なくとも、彼がこの部屋に来るまで、誰も止めていないということからも、彼に逆らえる者は少ないのだろう。
 その彼が、この勝負の立会人として呼ばれた。
「ええ。私は今、はっきりと聞きましたヨ。この勝負は反故しない…とネ」
「お…お前は一体……何者だ…、何故、その方と繋がりがある!?」
 蔵前の声は震え始めた。やはり、劉という人間はそれ程なのだ。
「繋がりも何も、『鷲巣君』は私の同期でしてネ」と劉は答えた。
「『同期』?鷲巣…?」
 彼の混乱は理解できる。正直僕にも理解しがたい内容。やはり鷲巣巌は、『蘇った』というのか。
「まさか…そんなはずはない!死者が…蘇るなどと!」
 蔵前は椅子から立ち上がり、声を荒げた。
「信じる必要は無いぞ。貴様の前に居るのがタケダであろうと、鷲巣であろうと、勝負の内容が変わるわけでは無い。座れ。蔵前」
 対して鷲巣は落ち着きを払い、葉巻を取り出し、一服した。

 処刑が始まった。
 蔵前サイドに、そこに座る人間が正真正銘の鷲巣巌であるかどうかを知る術は無い。しかし、劉という強力過ぎる立会人を呼べる事実と、鷲巣自身から放たれている圧力は、彼らを不安にさせるには十分すぎた。
 この卓に座って、彼らの心理がひしひしと伝わってくる。感じることが出来る。牌をツモる毎に、河に牌が置かれる毎に、この感覚は、あの時のものに戻ってきている。相手の心、これからの動き、手牌までもが透けて見えてくるようで、研ぎ澄まされていく。
「り…リーチ」
 蔵前が5巡目でリーチをかけた。それは焦りによるものだということがはっきりと分かった。役は無いが、早い段階で張れたという事実が彼を焦らせた。簡単に読み取れた。何もかもが懐かしく思え、不思議と心地が良い。
「アップ。3200」
 6巡目、鷲巣はまた場代を引き上げた。
 誠京のルールでは1ツモごとに金を払っていく。最初は100万からスタートし、親はツモの毎にその場代を倍に上げる権利を持つ。この6巡目が終わる頃には、供託金は早くも2億5200万。鷲巣サイドは10億スタートのため、既に1億以上をつぎ込んだことになる。
「アップ。6400」
 場代アップにより当然リスクも跳ね上がる。しかし鷲巣は何の躊躇いも無く場代を引き上げる。
「……二度ヅモだ…」
 ツモれない蔵前はさらに焦りを見せた。金がものを言うこのルール。場代の倍の額を払えばツモるはずの牌を次に回し、次の牌をツモることが出来る。
 しかし彼はツモることは出来ない。8巡目、9巡目も同様。場代は引き上げられ、蔵前は二度ヅモのため金をつぎ込む。その段階で、場代は2億5600万、供託金の合計は25億を超える。
 そして、蔵前は河に北を叩きつけた。
「まぁここだろうな。倒すとしたら」と鷲巣は呟く。
「は?…」
 北を切った蔵前の困惑の理由は、この北は前巡も、そしてさらにその前の巡にも切った牌、つまり3枚目の牌であるということと、その間鷲巣は全てツモ切りであるということから来ている。
「和了ることなどいつでも出来る。問題は、『いつ』和了るかだ」
 と言って鷲巣は牌を倒す。

東家 鷲巣 手牌

東東東南南南西西西北中中中

ロン 北

「役満の重複は有りだったな」
 非常識な手をさも当たり前のように和了る彼は、まさしく鷲巣巌なのだろう。あの夏の大会の大将戦は、真実だったのだ。
「あの時のアカギのようで、あまり良い気分でもないがな…」
 そう言って鷲巣は葉巻に火を点け、また一服した。
「な……何故……」
 蔵前は、何故前巡の北でも、その前の巡の北でも和了らなかった、と言いたいのだろう。だが、その答えは既に鷲巣は言っている。問題は、いつ倒すのか、だ。
 この誠京のルールのでなら、額はめい一杯に引き上げた後の方が当然報酬もでかい。蔵前程度の相手なら、和了ることなどいつでも出来るのだから。


だから



「ダブロンも……有りでしたよね?」



 僕もこのタイミングまで待った。


南家 ケイ 手牌

一一九①⑨19東南西白発中

ロン 北




「な……そんな……馬鹿な……」
 役満祝儀の合計は、5000億を超える。
 たったの一局でここまでされることは、彼も予想は出来なかったであろう。


 最早崩壊寸前の彼に対して僕は言った。




 「どうしたんですか?震えてるよ?」




 帰ってきたんだ。


 

 僕はこの場所に、帰ってきたんだ。














 それ以降は対局というより作業に近かった。10億スタートだったため最初の局は5000億程度しか奪えなかったが、投資できる額が跳ね上がった一本場以降は、報酬額の桁も文字通り上がる。それが誠京麻雀の性質。蔵前は、己が作りだしたルールの上で死んだのだ。搾取する側だったからこそ気付けなかった爆薬の存在が、彼を焼いた。
 東1局は終わることなく、全ては終わった。額が額だったため一本場以降は、実際の金は使うことなく、計算式のみで施行された。時間的には半荘一回程度。隼さんの言った通り、鷲巣はあっさりと大企業を支配下に置いた。
 

「今日はご苦労だった。劉」
 事後処理を部下に任せ、鷲巣は部屋を立ち去る際に言った。彼の力も凄まじいが、その力を発揮できる環境が出来たのは、他でもない劉という裏社会の怪物が居たからだ。
「君からそんな言葉を貰える日が来るとは、長生きはしてみるものですネ。それに、面白い子もいるようですし、これからが楽しみだヨ…ほほほ…」
 と言った彼も、鷲巣の後に部屋を出ようとした。
 その時、部屋のドアが開いた。

「遅かったな」
 と鷲巣が言った先に居たのは、白髪のオールバックの中年、と数名の部下らしき人間。
「のようだな」とその白髪は返した。
「そう言えば、この後の客人とは、あなたのことでしたネ…。平井銀二……」と劉が言った。
 平井銀二。隼さんが車の中で言っていた、蔵前を殺ろうとしていた人物。その彼が、今ここに来ていた。
「貴様の目的の【借用書】分はやる。既にそのように話は進めておいた」
「ほう…そりゃあ有り難い。…てことは、その代わりに俺に協力しろと…。潰すつもりだな?『あれ』を」
「当たり前だ。あんなものをのさばらせるつもりは無い」
「銀さん……これはいったい……」
 彼の部下らしき人間が話しかけた。
「森田。お前はやはり強運だ。ここで使うはずだった『運』を『後』にまわせる」
「え?…」
 鷲巣巌、劉、平井銀二。彼らのいる世界はおそらく、僕のいた世界よりも遥か上にあるのだろう。そしてその世界は、高津さんの目指していた世界。僕のいた世界を創っている存在。




 全てが終わった後、僕は隼さんにアパートの近くまで送って貰った。
「ケイ。一つ程言っておくことがある」
 車から降りた僕に対して、隼さんは言った。
「お前をこのバイトに採用したのは、本当はD・Dに借りがあるからだけじゃ無いんだ」
「え?」
「【洋上麻雀大会】には鷲巣様のお孫様、衣様も参加される。だが、衣様一人では心配で、お前に衣様を任せたいから、ケイ、鷲巣様はお前をお選びになったんだ」
 話が急で、僕は反応に遅れた。衣…。天江衣。確か、龍門渕高校の高確率で海底で和了する女の子。去年は全国でも活躍していて、高火力の選手だった。ただ今年は、地区予選で清澄に敗退し、全国には姿を見せなかった。
「『場所が場所で』ハギヨシをやることも出来ないから、他に適任がいない」
 鷲巣巌という男も、孫の事を心配する人間、と言うことなのだろうか。今の僕にはその話の殆どを理解できていない。鷲巣が天江衣を【洋上麻雀大会】に参加させた本当の理由を知るのは、まだ先のことになる。










「ただいま」
 僕の声に返答が無い。普段通りなら「おかえり」という言葉が返ってくるはずだ。どこかに出かけているのだろうかと思ったが、それも無い。彼女の靴はここにある。
 となると、寝ているのかと思い、彼女の寝床である押し入れをそっと開けた。彼女はそこで奥側を向いて横になっていた。
「寝ているのか…」
 僕は少し安心して戸を閉めようとした。その時
「ケイ…」
 アミナの声。寝言だろうか。しかし彼女は続けた。
「『シゴト』……行ってきたのか……」
 彼女は動かず、向こうを向いたまま言った。
 彼女は、気付いていた。いや、気付かないわけがないんだ。彼女の嗅覚を、感性を欺けるはずなどなかった。
「うん……」
 僕はそう答えるしかなかった。もう彼女に、嘘など通じない。



「どうして…」



 震えた彼女の声が、胸に突き刺さる。




 苦しい。



 これまでの何よりも苦しかった。



 彼女の声は、実際の刃物よりも遥かに鋭かった。





 これまで、僕は『震えた』人間をいくつも見てきた。そしてその時に溢れた感情は常に、高揚だった。狂気の世界にいることこそ、己を狂わせることこそ、己のアイデンティティーであるかのように。
 あの世界こそ僕の居場所だと思っていた。心地良かったからだ。あの温度が、自分自身の温度だったからだ。あの場所こそ……僕の『母』だった。
 
 でも……違う。
 もう……違うんだ。
 アミナの声を聴いて、はっきりわかった。








 僕は【洋上麻雀大会】に参加する。これを変えることはしなかった。

 しかし、その目的を大きく変更した。

















[19486] #57 死海
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:e82a8780
Date: 2014/01/24 01:13









「断る」
 ホテルのロビーで新聞を読んでいた竹井は、その視線を変えずにそう返答した。
「さすがにそう返しますかね…」
 誘いを持ち出した江藤自身、断られるのも仕方ないと感じていた。竹井が、自分の誘いを受けて良い思いをしたことは皆無であり、何よりその内容が【洋上麻雀大会】となれば尚更であった。
「ワニ蔵にでも頼めばいいだろ」
「断られました。彼もあの大会のことは『知って』いたみたいです」
「フランケンは」
「声をかけませんでした。彼らの幸せを邪魔する気にはなりません」
「俺の幸せは邪魔するのか」
「あなたにとっては、それが幸せなんですか」
「そうだ」
「牌にも触らず、ホテルでなまけているその姿、私には幸せには見えませんね」
「お前がどう見ようとお前の勝手だ。そもそも俺は、なまけものだ」
「まぁ…大会が大会と言うのもありますか」
「二度と出るか。あんな大会」
「実験対象になったことが、そんなに嫌だったんですか?」
「わかってんなら、何故俺に声をかける」
「今回の大会で、『結論』が出ます」
「ほう…あのカルト集団が『結論』なんて大層なものを出せると」
「気になりませんか?」
「何度でも言うが、断る。あの場所にいるだけで吐き気が止まらないんでな」
「はぁ…そうですか…」
「そんなに行きたいなら、あいつはどうだ。よく傀に間違わられる…。傀と打てるかもとか言っておけば釣れるだろ」
「あれですか…。神出鬼没っぷりも傀に似てきていて、探すの苦労するんですよね…」












「駄目だ」
 喫茶店にて、ネリーの要求に対してアレクサンドラはそう返答した。
「ネリーが奢るのに?」
「君はそのために私をここに連れてきたのか」
 ネリーの要求は、自分を【洋上麻雀大会】に出させてほしい、と言うものだった。
「というか君はどこでそれを知ったんだ」
「サトハ達の会話を聞いて」
「なるほど。しかし参加費の段階で君の欲しい額を遥かに超えるんじゃないのか?」
「そうだけど…そこで勝てば、もっとお金が貰えるし、ネリーにお金を出してくれる人も増える。この学校にだって悪い話じゃないと思うよ。ネリーに先行投資してくれれば…」
「ということは、あの大会を『知らない』ということだな。君は」
「え?」
 注文していたパフェが届き、アレクサンドラはそれを一口した後、答えた。
「真実を言おう。今回のあの大会で金は一銭も出ない」
「そうなの?じゃあなんでケイや、他の人はその大会に参加するの?」
「彼には彼の事情がある。少なくとも金は目的では無い。他の参加者も、金のために打つわけでは無い」
「金のためじゃないなら…何のために?」
「ネリー…君は神を信じるか?」
「え…?」
「それが重要だ。神を信じるのなら、あの大会で得られるものに価値を見い出せるのだろう。だが信じないのなら、あの大会の頂点には何の意味も存在しない。そしてネリー、このパフェの代金は私が払う。こんなことに君が金を使う必要は無い」
 そう言うと彼女は殆ど口をつけなかったパフェをネリーの方にやった。
「もう食べないの?」
「残りは君が食べると良い」
「ミョンファに太るタイプって言われたの、まだ気にしてるの?」
「まぁね」








 出航は金曜の夕方。その日、及び次週の月曜の授業は特別に休みを貰うことが出来た。それは風越の咲も同様で、俺達は同じ新幹線に乗って東京入りした。インハイ以来の東京だ。
 新幹線内にて俺と咲は情報を共有した。と言っても、互いが持っていた情報は殆ど同じだった。俺が知らなかったのは、咲の姉が大会にて殆ど活躍できなかった、と言う程度。一方咲が知らなかったのは、夏の大会にて白糸台の中堅を勤めた竹井さんが、大会経験者であること。大したことでは無かった。
 大会はエスポワールという豪華客船の中で行われる。その船の向かう先は、太平洋上のどこか。元部長曰く、衛星からも観測が出来ないポイントだそうで、その異空間性が異能持ちの対局者を乱す。その場では咲も牌が見えなくなり、故に咲はこれまでにそうなってもいいように、白糸台のメンバーに調整してもらっていたらしい。
 一方俺に関しては、特に異能の類などは持ち合わせていない点、そこらへんにおいては考慮する必要が無かった。
 面倒事の多いこの大会に咲がわざわざ準備までして参加する理由は、咲は「強い人と打ちたいから」と答えていたが、相変わらず嘘が下手だった。咲も、竜がこの大会に出ると確信しているからだろう。咲があいつを意識している程度のことは、誰にでも分かる。
 咲も俺に大会に参加する理由を聞いてきたが、俺は正直に答えた。アカギも、傀も、竜も、全員そこにいる。あいつ等と打って、部室に帰って来させる。元部長は、あいつ等は望んで清澄を出たと思っているが、俺にはそうは思えない。あいつ等が今いる場所は、あいつ等が望んだ場所じゃない。何故かそうとしか思えない。
 俺が納得出来ないのもある。だがそれ以上に、違和感が消えないからだ。あいつ等は望んで清澄に来た。そして大会に出た。しかし、まだ『打ち切っていない』はずだ。『表』の世界には、まだまだ上の世界は存在する。なのにその世界を放棄して、中途半端のまま『裏』に帰る。そんなこと、あいつ等がするだろうか。

 しない。

 俺の知っているあの三人は、そんな奴らじゃない。







「何、読んでんだ?咲」
 隣に座っている咲に、なんとなく聞いた。
「ん、ドグラ・マグラっていう…ちょっと変な本」
「面白いのか?」
「んー…今の所面白い、という感じとは違うかな。少し怖めで、京ちゃんには、ちょっと難しいと思う」
 なんだかほんのちょっぴり馬鹿にされた感じがした。
「あ?馬鹿にすんなよ咲。ちょっと貸してみろ。俺だってそれくらい読めるからな」
 と言って、俺は咲からその本を取り上げ、最初のページに目をやった。
「京ちゃん?」
「何々?…胎児よ…胎児よ…」
「ちょっと音読しないでっ」
「……。……すまん咲。これ……なんて読むんだ?」
「『おどる』……。京ちゃん……本当に高校生?」


















 出航した夜、船内の広間ではパーティが開かれていた。裏の大会ではあるが、表向きには政財界の親睦会であり、明日明後日に行われる麻雀大会も座興に過ぎない。
 広間には豪勢な料理達が並び、政財界の有名どころが数十、代打ちらしき者十数名が入り乱れている。ここには居ないが高津さんや…竜さんもこの船のどこかにはいるはずだ。
「おっ、向こうにも中々良さげかつ珍妙なものが!」
 天江衣はパーティに出された数々の料理達に興味心身で、広間を駆け回っている。一応はお目付け役として彼女についてきたとなっているわけだから、彼女から目を離すわけにはいかない。僕は彼女に振り回されていた。
「天江ちゃ…」
「ちゃんではなく!」
 彼女は僕よりも年上のはず…だが、どうもその体系からそうは見えず、「ちゃん」をつけてしまう。しかし彼女はそれを好ましく思わないようで、直ぐに訂正を求める。
「ごめん。天江さん。そんなにあっちに行ったりこっちに行ったりしていると、迷子に…」
「ならない!衣は子供じゃない!衣を子供扱いするな!」
 録画で見た彼女とは、雰囲気が全然違う。どうも調子が狂う。僕は彼女に振り回されていた。

「衣ちゃん!」
「だからちゃんではなく!…って咲!?」
 天江の前には個人戦優勝者の二人、須賀京太郎と宮永咲がいた。天江を呼び止めたのは、宮永咲の方。天江は彼女に抱きついた。
「衣ちゃ…衣さん!?」
「まさか咲も来てるとは」
「う…うん。私も驚いている…。でもこの大会って」
 彼女の困惑に、僕は答えることにした。
「えっと、あの…まぁ参加費は、天江ちゃ…さんの祖父が払って…」
「衣はアカギに会いに来た!」
 僕の説明の途中に天江は割り込んだ。彼女の言う通り、彼女の目的は赤木しげるに会うためである。夏の大会以降、清澄から消えたのは竜さんだけでは無く、傀も赤木しげるも同じく行方を眩ました。赤木しげるに会えなくなったことで落胆していた彼女を見て、鷲巣は彼女をこの大会に参加させた。だが、それはやはり真の理由では無く、それを知るのは、大会二日目…最終日の事にはなるのだが。
「それより今は咲、こっちに来い。向こうにも何やら面白いのがあるぞ!」
 と言って、天江は宮永の手を引っ張ってまた新しい珍味を求めて走って行った。僕にはもう追う気力は無かったが、一人になるわけでは無いのなら、まぁいいかと思い、その場に留まった。
「あの…どうも……京太郎です…」
 その場に残ったのは僕と、須賀京太郎。彼から声をかけてきた。
「どうも…ケイです…。天江さんの付き添いという形ですが、この大会に参加します」
「参加……されるんですか?」
「楽しんで来い…と、天江さんの祖父から参加費まで出してもらって」
「衣ちゃんの祖父って…鷲巣巌ですよね。さすがというか、ほんとにすごいなーあの人」
「知っているんですか?鷲巣巌を」
 仮にも赤木しげると同じ高校。鷲巣に関しては僕より詳しいとは思っていたが、一応聞いた。
「ええ、まぁ。そこら辺の世界に詳しい人も部にはいますし。それより、お腹…もう大丈夫ですか?」
 彼は夏の大会で僕が切った腹の事を気にかけてくれた。
「…。はい。何とかもう不自由なく動くことが出来ます。気にかけてくれて、ありがとう」
「そっちの世界も、大変ですね…」
 悪い人では、なさそうだ。
「それより大丈夫かなあいつ等」
「あいつ等?」
「いや、咲ってよく迷子になるから…」

「え?……」



 どれだけ動き回っても広間から出ることが無ければ何とかなるだろうと高を括っていた僕が間違いだった。二人のどちらかがトイレにでも足を運ぶ等のケースを考慮していなかった。
 やはりぬるま湯の世界にいた僕の思考は、衰えているのかもしれない。
 それから僕と須賀君は、彼女達を見つけるのに2時間かかった。その間に、僕と須賀君の間に敬語は消えていた。










「あーまったくだ!」
 部屋に戻った京太郎は、咲にそう言いながら、背中からベッドに飛び込んだ。
「だからごめん、って言ってるじゃん…もう……」
 大会では無く、あくまで親睦会という体を取っていることからか、参加者の部屋がバラバラに分けられるということは無く、男女個人戦優勝者の二人は、同じ部屋で寝ることになった。また、ケイの方も衣と同じ部屋を取ることが出来た。
「全く、ミョンファさんが見つけてくれなかったら、どうなってたことやら…」
 咲と衣を見つけたのは雀明華。屋内でも傘をさす不思議な少女だが、ケイと同じく臨海高校の人間だった。走り回る京太郎とケイを見た彼女は、彼らに咲達のいる場所を教えた。
 彼女もこの大会に参加していることをケイは驚いたが、明華は自分が所属している組織のことをケイに話すと、彼も納得した。
「落ち着きが無いんだよお前らは。それと比べてあの人はおっとりとしていて、少しは見習ったらどうだ」
 比べられた咲はぷくっと膨れ
「はいはいどーせ私はおっちょこちょいですよーだ!」
 と京太郎に投げ、自分はベッドに包まった。
 京太郎も目を瞑り、数秒後には、その意識は明日に向けられていた。



 大会は、明日の朝から始まる。















[19486] #58 聖母
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:ee71b5db
Date: 2014/07/19 17:19
質問者 須賀京太郎

回答者 赤木しげる




―――最も手強い相手って誰だ?

「そうだな……。これまで打った中でなら…風越の原村和…。あいつが一番厄介だな」

―――原村さん?傀でも、竜でもなくか?

「確かにあの二人も強いが…原村だけは次元が違う。あいつは合宿中に、化けた」

―――四校合同合宿の時か?

「そうだ。傀と打った後辺りから迷いが消えた。もう卓上でブレさせることは簡単じゃないだろうな」

―――てっきりお前にとって戦いやすい相手だと思っていたが。

「確率を重視する人間の事なら確かにそうだが…」

―――だが?

「数ゲームを経て最終的に勝つのか、それとも毎ゲーム勝つのか、それは勝負の内容によって変わるが、基本的に俺の打つ麻雀は、『百戦して百勝する麻雀』だ」

―――って言っても、結構負けてもいるよな。

「そうだな。地区大会では衣に負けていたし、傀や竜となら勝ったり負けたりだな。まぁ戦い方の問題だ。俺は、ツいたか、ツかないか、という麻雀はしないってこと。だから効率を重視するタイプの打ち手に対しては、心を崩していく。だが、ブレることの無い原村が相手の場合、完全に運のゲームになる」

―――麻雀は運のゲームだろ。

「勝てたら生きて、負けたら死ぬ。前までいた世界では、そんな言い訳は出来なかったからな」

―――そういうものか。だが、効率を重視するってことは、決まったルートを通るって事だろ?なら…

「俺を超能力者と勘違いしてないか?」

―――お前はそう言うことをあっさりしそうだが…。余剰牌の打ち取りとか…

「そう見えるように打っているだけだ。真実には程遠い。そんなことが出来るのは、異能者の類……。俺にそんな力は無い」

―――信じられねぇ…

「そう思っているうちは、お前はまだまだ俺達には勝てないだろうな」

―――てことは、俺も確率重視で打てばお前達に勝てるって?

「無理だろうな。お前は人間だ」

―――は?

「確率、効率を重視する相手、というだけなら、普通に原村以外にも居るだろ。原村は、そう言った奴らとは全く違う性質を持っている」

―――完璧な牌効率、ってことか?

「違う。人間であるか、機械であるか…だ」

―――原村さんは人間だろ。

「卓の外ではな。だが、卓上においては別だ。あれは人でも、魔物でも、神でもない。心を持たない存在」

―――随分と酷い言い方だな。

「本人の前では言えないな。まぁ相手が確率信者だろうが、異能を持とうが、強運を持とうが、その使い手の心を崩すことが出来ればどうにかなる。だが、それが出来ない相手との勝負となると、さっきも言ったが、それこそ運のみのゲームになる。原村和は、そういう相手だ」

―――だが、合宿中も何回か打っただろ?勝ってたじゃないか。

「順位ではな。他家を利用して点棒の数で上をいったに過ぎない。原村和個人に勝った、とは思っていない」

―――俺には理解できねぇな。点数で勝てば勝ちだろ?

「それを勝ちと思えるなら、それでもいい。だが、あいつの心を喰えない以上、俺は勝ったとは思えない。それだけだ」




 彼はその後、アカギに携帯麻雀ゲームをプレイさせた。
 アカギの負ける姿が見たいがために、鬼畜難易度を設定したが、彼はあっさりとクリア。
 京太郎は、やはりアカギの言うことは信用ならない。そう確信した。



「ヒトが生み出した機械と、この世の真理が生み出した機械の差だな」

「え?」

「一種のイレギュラーさ。神とやらにとってのな」

















 音。
 嫌な音が聴こえる。
 壁や、床から聴こえる音。部屋全体が蠢いているような。気が狂いそうになるほど大きく、ずっと続いている。
 汗が止まらない程部屋は暑く、湿っているように感じる。
 電気が消されているのが咲にとって救いであり、黒の先にあるもの全てを彼女はまだ見ていない。彼女は眼をつむり、耳を塞いでいた。しかしそれも長くは続かなかった。
 音は次第に大きくなり、誰かの叫び声のように聴こえ始めた。部屋全体は大きく揺れ始めた。
(こんなの…聞いていない…。お姉ちゃんは言っていなかった……)
 悲鳴を上げたくなる感情はとっくに殺されていた。声をあげると、その壁や、床に敷き詰められた『何か』に獲り込まれるかもしれない。



(ココハ………ドコ………?)



(フネノ……ナカ………ジャ…………ナイノ……?)



 手を貫いて聴こえてくる音が、彼女の身体の隅々まで浸していく。
 震えは止まらず、吐き気や寒気が襲ってくる。一方で皮膚の表面にはぎっしりと汗が滴り、息が詰まる程の蒸し暑さがある。
 
 これは夢の中なのか。
 ここは船の中では無いのか。
 ここはどこなのか。
 ここにあるものは何。
 聴こえてくる音は何。
 




 さっき見えたのは……何。




 一瞬だけは見えた。



 アレハ…………コノヨノモノデハナイ…………




 自分はキチガイになってしまったのだろうか。
 あの本の人間のようにおかしくなってしまったのだろうか。
 違う。そんなはずはない。
 このままでは、この部屋に取り込まれてしまう。そう彼女が感じた時、彼女は京太郎の方のベッドに移ろうと、勇気を振り絞り身体を起こし、そして目を開いた。
 そして、壁や床に敷き詰められたそれをもう一度見た。眼が慣れてしまい、今度ははっきりと『それ』が視界に映った。
 彼女は、悲鳴をあげた。

「わっ!?何だ!?」
 京太郎が飛び起きた。声の方を向くと、目にいっぱいの涙を溜め、怯えるように身体を震わせていた咲がいた。
「咲?どうしたんだ…こんな時間に」
 時計を見ると、深夜二時をまわっていた。
「京…ちゃ……ん……」
 彼女は一音一音、区切るように彼を呼んだ。
「だからどうしたんだって聞いているんだ…」
 ただ事ではないことは彼も感じていた。しかし、その状況を彼は知る術も、感じる術も持たない。
「そっちに……行って……いい……?」
 咲は震えながら、しかしはっきりとそう言った。
「え?」
 その内容が内容であり京太郎は一瞬固まった。
 しかし、その眼に偽りは無かった。
「変な夢でも見たのか?まさかお前その歳になってお化けが怖いなんて……」
 茶化すように言い始めたが、次第に冗談ごとではないと彼も感じ始め、そのトーンを落としていった。
 彼女の震えは、怖い夢を見た後だとか、明日の試合が緊張するだとか、そんな次元のものでは無く現在進行形のものであると京太郎に教えていた。
 そして京太郎は思い出した。
 この船は異能者を乱す船。それが、もう始まっているのではないか。
「これが…そうなのか?」
 彼は聞く。しかし咲は首を振った。
「わから……ない……。お姉ちゃんも……こんなの……言ってなかった……」
「こんなの…って何のことだ?」
「京ちゃんには……見え……ない…?」
「見えない、って何を?」
「この……部屋………全部……」
「……さっぱりだ……。おかしい所でもあるのか?」
 彼は電気のスイッチを入れようとした。
「やめて!」
 彼女は叫んだ。京太郎は手を止めた。
「『何か』が…お前だけに見えて、俺には見えないのか……それも……言葉にするのも怖ろしいほどの……『何か』……」
 かつての彼であったなら、この状況を飲み込むのに時間がかかったであろう。しかし、今の彼になら咲の言葉を信じることが出来た。全国大会決勝…隔離された空間と同じような、狂った世界。それが現実に存在することを。

 この時京太郎は、自分が何をすべきなのかを、彼自身不思議に感じたが、その答えを直ぐに出すことが出来た。

 彼は、彼女に背を向けて横になった。

「京ちゃん?」
 咲は聞く。

「俺は何も見ていない。ずっと寝ていた」
 京太郎は振り返ることなく、声だけを咲に送った。そして「ずっと寝ていたんだからな。何も見ていないし、何も知らねー」と彼は続けた。

 咲がその言葉の意味を理解すると、彼女はその言葉に甘え、彼のベッドに移った。
「ごめんね」
 京太郎は返さない。
 彼女は京太郎の背中に手を置き、その体温によって、現実に意識を留めることが出来た。









 朝。
 奇妙なことだが、咲は寝ることが出来ていた。現象に対する慣れなのか、それとも京太郎の、人の温度を感じることが出来ていたからなのか。
 しかし目を覚ましても視界が変わることは無かった。以前狂気の世界のまま。ただ、もう彼女は眼を塞いだり、悲鳴を上げたりはしなかった。彼女は、これを乗り越えなくてはならないと思った。
 その先の世界に、きっと竜が居るからだ。
 竜も、この世界を見ているのだろうか。

 彼女はベッドから降りた。床もそれで敷き詰められており、その弾力は粘り気のある肉を踏んでいるかのよう。靴越しではあったが、その温度と感触はまさしく生きている何かではあった。
「京ちゃん…。私、先に行くね」と彼女は、支給されていたリストバンドを左手首に巻き、言った。
 京太郎はまだ横になっており、彼女に背を向けている。
「ありがとう。京ちゃん」
 咲は部屋を出ようとドアノブに手を触れようとした時
「一人で大丈夫か?」と後ろから声がした。
 咲は振り返り、返した。
「どの道、一人になるし…私はもう、大丈夫…」
「そうか…」
 もう彼女にしてやれることは何も無いことを彼には解っていた。同時に、彼女が嘘を言っていることも解っていた。異能者と、そうで無い者の境界線を越えることが出来ない以上、どうしようもないことだった。
 咲は部屋を出た。

 支給されたリストバンドの液晶には対局室の部屋番号と、開始時間が表示されている。GPS(厳密には別種)も内蔵されており、歩くべき方向に矢印も表示され、道に弱い彼女でも何とか迷うことなく目的地に着くことが出来きる。
 しかし、咲の見ている世界、感じている世界は彼女の足を重くしている。床とは言えない床。壁とは言えない壁。聴こえるはずの無い音と声。息が詰まる程の熱さ。それは容赦なく彼女から平静を奪っていき視界と意識までもを歪ませてくる。
 ただ、初戦の対局室までの距離が短かったのが幸いし、何とか彼女はたどり着くことは出来た。
 彼女は扉を開け、部屋に入ると既に一人の女の子がそこに居た。視界は歪んでいたが、その者が室内であるのに傘を差していたのはわかった。咲は彼女を知っていた。
「ミョンファ…さん?」
 直接的面識は無いものの、彼女は麻雀プレイヤーとしては有名であるし、間接的にではあるが昨晩、咲達を迷子から助けたのは彼女である。
 ただ普段と様子が違っていた。ミョンファは眼鏡をかけていた。
「はい」
 彼女は応じ、咲の方を向いた。
 空調の完備されているはずのこの部屋で、異常な量の汗をかいて明らかに疲弊している咲を見て、ミョンファは彼女の状況を察し、彼女の方に歩み寄った。
「え?」
 咲はミョンファが自分の前に出した眼鏡ケースを見て困惑した。
「予備の眼鏡です。使ってください。度は入っていません」
 言われた通り、彼女は恐る恐るその眼鏡をかけた。
「……これは………?」
 眼鏡を通して見える景色は、狂気のものではなく、現実のものであり、音も消え、物体の感触も戻っていた。
「そういう眼鏡です」とミョンファは答えた。
 
 竜を求めて来た場所ではあったが、ここは彼女が想像している以上に、大きなものが蠢いているのではないか。混乱の中、そう彼女は思った。







 対面が9索を叩き、打九萬。牌を喰われた沖田には一瞬、その鳴きが光っていたように思えた。
 相手の癖、卓の性質を見抜く才能のあった彼は、その力でインカレ個人戦男子の部において優勝することが出来た。だが出来はしたものの、その内容は退屈極まるものであり、相変わらず全体レベルにおいて男子と女子の差があまりにも大きいことを実感した。
 彼の地元の大学には珍しく麻雀部員は少なく、団体戦に出場出来る程の人数にも至っていなかった。しかし、単に学内の麻雀の人口が少なかったわけでは無い。部の外では麻雀をするものは多い。彼の風貌、声、発せられる気配に、殆どの者は近付きたくなかったのである。
 女子と打つ機会も少なく、これまで打った相手に異能者は数えるほどしかいなかった。また、公式の大会でも男女混合のものは少なく、仮にこのままプロになっても、この退屈は続くのではないのか、沖田はそう思った。
 その退屈さから脱しようと彼は裏にも足を運んだ。裏には人鬼やフランケンを始めとする【例外】がいるからだ。
 最終的に彼は共武会に飼われることになったが、組の者は彼のことを【デビル】と呼んだ。

 勝負がしたい。全身の血がはじけるような勝負。彼が望んだ世界。
 【洋上麻雀大会】はまさしくその場所と言えるにふさわしかった。
 そして何より、ここには【伝説】が来る。
 哭けば勝つ。組の者は今もその者を最強と呼び、生ける伝説としている存在。

 竜。
 
 竜がここに来ることを、共武会の人間から知らされ、未だに真実を知らぬ沖田は高揚した。
 【伝説】を破壊したい。
 それが彼の望んだことだった。

 しかし
(何だ?…今のは)
 沖田の目に映った光、それはまさしく【伝説】と言われていた『哭き』そのものではないのか。その魔性を、なぜこの『対面』が持っているのか。沖田には理解できなかった。
(こいつは…確か…)
 インハイ個人戦男子優勝者、須賀京太郎。
 

(9索ポンして…打九萬)
 沖田の思考に「三色」のワードが過った。状況は河二段を越え、捨て牌から役牌の線は消え、混一の気配もない。とすればトイトイかチャンタ。三色は消えた。そう彼は考えた。
(何を考えている?)
 何かが乱されている。

沖田 手牌

二四四五六六⑦⑧⑧⑧222 ツモ 四

 ドラは⑧筒。
 そこにあるのはただのドラ3の四暗刻イーシャンテンの手牌。それだけのはずである。なのに、
(何故高揚している?目の前に居るのは…【伝説】では無いはずだ…)
 戸惑いながら彼は二萬を河に置く。

「カン」
 次巡、京太郎は鳴いた。沖田にはまたそれが光って見えた。京太郎は嶺上牌の6索をツモ切った。新ドラは四萬。沖田の高鳴りは加速した。
(ドラ6…。これが『運』…まるで【伝説】通りじゃ…)

沖田 手牌

四四四五六六⑦⑧⑧⑧222 ツモ 六

 打五萬、もしくは打⑦筒で聴牌。四暗刻単騎。そうで無くてもドラ6以上の怪物手。京太郎の手をチャンタ手と読むなら、打五萬が安牌。しかし、ドラ表示に⑦筒が一枚、京太郎の手に一枚以上はあり、四単の目はほぼ存在しない。あがるのなら、打⑦筒の方が圧倒的に多い。
(あがりたい…可能なら…四単で…)
 だが「こう考えていること自体…これはもう【伝説】の魔性なのでは」と沖田は考え
(もしかして俺は……【伝説】と打っているんじゃ…)
 と錯覚するまでに至った。

(奴の待ちは)
 そして次の沖田の思考は、伝説にしろ伝説でないにしろ「ここで必ず勝つ」というものだった。伝説でないなら当然勝ち、伝説であれば勝てば至福。であるなら必ず勝たなくてはならない。
(⑦⑦⑧⑨⑨の形の嵌⑧筒待ち…)
 それが彼の全神経を用いて導き出した解答であった。
(俺からドラの⑧筒が溢れることは無い。⑦筒は通る!)

 強打。それが勝負の打牌であることを、京太郎も理解した。
 
そして、彼は口を開く。

「ロン」

京太郎 手牌

九九九⑦⑦⑧⑨⑨⑨⑨ カン 9999 ロン ⑦

「読みは正しかったですが、ちょっと惜しかったですね」と彼は言った。
 沖田は眼を点にし
「もしかして君、僕の思考が読めていたの?」と訊いた。
「前の局までは、分かりませんでしたが、この局ははっきりとわかりました。竜と打っている人間特有の思考です」
「竜…」
「あなたも、竜と打つためにここに来たんですよね。俺もです。あと、俺の鳴きが光って見えたのなら、それはあなた自身が生み出した幻覚です。牌は光ったりしません。」

 洋上麻雀大会初戦、京太郎はその対局の残りの局、沖田が飛ぶまで和了り続けた。
 癖を見抜くことも出来ず、沖田には何が何やら理解が出来なかった。対局を終えた後暫く、まるで魂を抜かれたかのように彼は動かなくなっていた。







 参加費20億。本来なら賞金クラスの大金であり、それだけのものを投資して得られるものとは一体何なのか。藤沢組の代打ちとして参加した浦部には知る由も無かった。
 組長の藤沢の視線が代打ちの浦部の背中に突き刺さる。いつになく空気が重い。数千、高い時は数億の勝負もこなしている彼ではあったが、今回は異常…何より、それだけの額を賭けているにも関わらず、リターンの内容が彼に知らされていないこと、それが彼への重圧になっていた。
 ただ勝て。それだけの指令。平静を保って打つことなど困難である。
 加えて、現在対面にいる天江衣のような存在も、彼の平静を乱す要素になっていた。
 この大会においては、インハイ、インカレ個人戦優勝者の学生も参加しており、また金額さえ支払われていれば一般の人間も参加できるという裏の大会でも異例中の異例の大会。
(天江衣…確かあの鷲巣巌の孫娘…。こん大会に来とるっちゅうことは、20億を払ったということ……。まだこんなことに使える資産でもあったっていうんか……)
 自分にとっては真剣勝負そのものの場に割り込んでくる不純物。彼にとって衣を始めとする、一般の人間は不快以外の何ものでも無い。
(だが…組長はんの言っとった通り、去年や今年の大会の時のような異常さはないみたいやな)
 異能者である者、そうで無い者。浦部は後者であり、それ故に参加できる大会にも制限があった。少なくとも、異能者で囲まれる危険性のある勝負には参加出来ない。しかし今回の大会は異能者殺しの大会の一つであり、こういった場にこそ彼は呼び出される。
 
 洋上麻雀大会は二日間。一日目は半荘9回行い、点数上位(と予想されているが正確な情報は存在しない)16名が二日目のトーナメントに参加できる。奇妙なのが、本来なら試合ごとに公開されるであろう順位が非公開であるという点。故に現在自分がどの位置にいることを知ることも、トーナメントに勝ち進むであろう候補も予想することも出来ず、この上ない選手に対するストレスとなっている。
(しかし何なんやこの大会…。とにかく勝つ…より多く点を取らなアカンとか……これも【オーバーワールド】の意思…ちゅうことなんか……)

 オーラス。ドラは六萬。親は衣であり、現在トップの浦部とは22500、親満直撃分の差。現在の衣にとっては通常なら二の矢、三の矢は必要であろう状況。難なく流せれば、このゲームはトップで終了する。

西家 浦部 配牌

[五]六②②④④[⑤]⑥12[5]6西

(赤三枚…悪くない…。ここはスピードのみを意識出来れば良いと思っとったが、これなら火力も期待できる。初戦をまずまずの結果で終われる)

5巡目

[五]六②②③④④[⑤]⑥4[5]6西 ツモ 七

 西を切り、浦部は聴牌。②、⑤筒待ち。早い段階での決着を予感させる流れから、彼は安堵の息を零した。

「カン」
 しかし数秒後、状況はひっくり返る。衣の暗槓のみの事では無い。暗槓した7索が、新ドラによりごっそりドラに化けたことである。
(ドラ4…?ここに来て?)
 浦部は一瞬衣の異能を意識した。
(いや違う。天江衣の麻雀は海底までのイーシャンテン地獄と、高確率の海底ツモ。あるいは今年の地区予選で見せた鷲巣巌を思わせる馬鹿げた豪運…。今回その気配は無い…)
 だが
(だがなんや……。この感覚……覚えがある…)
 彼は対面の幼子を見る。その外見からは何らプレッシャーも発せられていない。ただ目の前の麻雀を楽しんでいる女の子にしか見えない。
 浦部が感じたのは、その背後にある気配である。



「二の矢はいらない。一本目で仕留める」



(え?)

 今の声は誰だ。浦部は耳を疑った。今の声は明らかに、対面の天江衣の声では無かった。下家でも上家でも、藤沢ら見物人の声でも無い。

(今のは……)

 覚えがある。彼はその人物を、その狂気を。
 忘れもしない忌々しい存在であると同時に、恐怖した存在を。

 同巡の浦部のツモは中。
(本線はタンヤオ。しかし役牌も同様に可能性が高い)

東家 衣 捨て牌

1一⑨東①④

(南と発は2枚既に出とるから…残りは白と中だけ…しかし……)

 しかし何故、と彼はこの状況に恐怖し始めた。

(いくら何でも、これは切れん…)
 浦部は②筒を切る。

(何故…何故わいは『ここでも』②筒を切るんや…)

 次巡、衣、打中。

 同巡、浦部、白ツモ、打中。

 8巡目、衣、二萬チー、打六萬。

(『役はタンヤオか?役牌か?』)

 南家合わせ打ち。二枚目の六萬が見える。

 同巡、浦部、四枚目の六萬をツモる。

(『四枚目…ちゅーことは奴は手牌に一枚しかないドラを切ってきたんか』)

 浦部、打六萬。
 そして次巡、浦部は赤⑤筒をツモり

西家 浦部 手牌

[五]六七②③④④[⑤]⑥4[5]6白 ツモ [⑤]

(『怖いのは直撃の満貫だけ…』)

 浦部、衣の現物、④筒を河に置く。

 浦部の震えは止まらない。
 何が起きているのかが全く理解できない。
 

 何故自分は今、『あの時』と同じことをしているのか、考えてしまっているのか。

 身体だけでなく、思考までもが何かに侵食されている。
 海底に近付くにつれ、その名の如く海の底に引きずられる感覚。

 17巡目。衣は南家から⑦筒をポン。

東家 衣 手牌

???? 暗槓 7777 チー二三四 ポン ⑦⑦⑦(下家ポン)

(『三色同刻?奴の待ちは単騎待ちっちゅうことも考えられる。安牌だったヤオチュウ牌もノキナミホショウヲウシナイ…アンパイゼロ……』)

西家 浦部 手牌

四四[五]七②[⑤][⑤]⑥469北発

 しかし同巡、浦部、三色同刻に必要な七萬をツモる。
 これで七萬を切らない限り三色同刻は無い。
 そして

 浦部、打……北。

(『アタレヘンヤロ…コノペーハ……』)



『コノキョクハワイノニゲキリ』



―――そうかな?




―――まだ、わからない。




「ポン!」



 衣、浦部から切られた北をポン。




「ペーポン、ペーポン」




 衣、裸単騎。





 海底は、浦部に。




 浸食は進む。



 (『ナンヤ………コレハ………………』)









―――あの裸単騎には魔法がかけてある。












 アレハ……






 ソンナコトハ……





 ココハ………イツダ……?








 ココハ…………ドコダ………?









―――
――――
――――――






「浦部!おい浦部!」

 藤沢は声を荒げ、浦部の身体を揺する。しかし彼の眼は虚ろのままで、同じ言葉を呟き続けているだけだった。




 アカギ……シゲル



 アカギ……シゲル



 アカギ…………


 後に部屋に黒服が入り、彼は運び出された。その後の彼の行方を知る者はいない。




















「出迎え大儀!」
 対局室の外で衣を待っていたのはケイだった。彼は息を切らし、横っ腹を押さえている。その理由は
「間に合った………」
 その原因は先日の迷子事件。
 リストバンドの液晶によるナビはあっても、衣がそれを正確に読み取れるとケイには思えず、彼はとにかく彼女より対局を早く終わらせ、彼女を次の対局室に連れて行くしかないと、そう彼が判断したからである。
 彼の判断は適切ではあるが、彼への対局中、そして対局外の負担は相当であるが、衣にはそんなことを気にもせず、
「どうした?昨日の食事が腹に悪かったのか?」
 とケイに声をかける。
「いえ…それより、どうだったんですか?牌は見えましたか?」
 ケイはこの船の現象のことを聞いた。
「完全に見えなくなったわけでは無いようだ。『隙間』がある。それより…」
「それより?」
「ケイは大丈夫なのか?」
「何をです?」
 ケイは今も自分が息を切らしている原因のことを訊かれたと思ったが

「身の周りのことだ」

 違うようだ。

「周り?」

「ということは、ケイには見えないんだな。この世界」


「世界?」



「この船はどうやら母体らしい」



「母体?」




「不思議なことだが、この景色は衣を落ち着かせてくれる。母親の胎内にいる胎児は、このような気持ちなのか」



「天江さん……さっきから何を」



「何かが…生まれようとしている」




















[19486] #59 実力
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:68ad28fc
Date: 2014/08/23 20:58





―――預言を実行せよ。







―――預言を実行せよ。預言を実行せよ。







―――預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。







―――預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。預言を実行せよ。







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 make me sad.














 make me mad.














 make me feei alright?























 インターハイ個人戦が終わった翌週のこと。
「何を読んでるんだ?」
 職員室。アレクサンドラはD・Dの席の後ろを通りかかった時、彼が読んでいた資料に目がいった。テストの答案でも無ければ、授業に使うであろう資料でも無い。
「英利政美の研究レポート。玲音から貰った」とD・Dは答える。
「英利政美…橘のか。もう亡くなっているが」
「それが、死んでないんだよ。このレポート通りならね」
「生きている?」
 と言いながらも、彼女の表情に変化は無く、大して動じている様子は見せていない。彼女は彼の空いている隣の席に腰かけた。
 D・Dはまずこのレポートがこの世界のものでは無いことから説明した。岩倉玲音から提供されたこの資料は、彼女の世界のものであり、彼女の世界の【ワイヤード】のことについて記されていた。
「【ワイヤード】…初めて聞くけど、こっちの世界の【オーバーワールド】に近いのかな?」と彼女は聞いた。
「この世界の上位階層、と英利政美に『定義された』という点なら近いだろうね。実際は違うけど」
 彼はレポートの内容を引き続き説明した。
 玲音の世界の英利政美の研究とは、【リアルワールド】と【ワイヤード】を繋げ、人間を次の段階へと進化させる、というものであった。そしてその実行プログラムとして【lain】を造り、彼女にその使命を果たさせようとした。だが、彼女達の意思はそれを拒絶し、英利政美の記録は彼女達に書き換えられ事態は収束した。
「それが岩倉玲音のいた世界の英利政美か。となると、こっちの世界の英利政美の研究…偶然じゃないね」
「玲音の世界の彼も既に死んでいた、とされていた。つまり彼の目的はこの世とあの世を『完全に』繋げること…」
「あの世はどんな所だった?」
「少なくとも、こっちの世界に混ぜ込んでいいものでは無いよ。この星と人類を永遠に残したいのだろうけど、永遠ほど退屈なものは無い」
「なら止めないといけないな」
「鷲巣には私から連絡を入れておく。場所はまず間違いなくあの『船』になるだろうから、【帝愛】も絡んでくるだろう」
「問題は実行プログラムだが…」
「選ばれるのは間違いなく『彼』だろうね」
「あれの意思と力を抑えない限り、世界は繋がってしまうな」
「その件なら、彼が何とかしてくれるだろうからあまり気にしていないよ」
「彼?」

 D・Dは彼女を視聴覚室に連れて行き、今年行われたインハイ男子個人戦の記録ビデオを見せた。
「見せたいのは、彼のことか?」と彼女は聞く。
 そこに映し出されたのは、清澄高校一年、須賀京太郎。今年度の優勝者である。
「十分欲しい人材でだけど、インハイチャンピオン…ましてや男子程度のレベルの者が『彼』を止めることは出来ないと思うよ」彼女は再度聞く。
「彼の麻雀歴は半年にも満たないそうだ」
 D・Dは答える。
「言いたいことはそうでは無いよね?麻雀歴など何の意味も無い」
「その通りだ。問題はその麻雀歴の中で、彼が誰と打っていたかだね」
「清澄高校…。『あの三人』とか」
「『あの三人』と打ったことのある者の殆どは地獄に落ちている。所謂人生のどん底という意味もあれば、言葉通り死んだ者もね。そんな存在…それも『三人』全員と毎日打ち続けていればどんな現象が起きると思う?」
「ヴィヴィアンの【カウントダウン】…宮永家の【ゼロ】…」
「そう…。その『反動』が今年のインハイ個人戦で発現したんだろうね。その規模は、君が挙げた二つの例のものとは桁が違う」
「なるほど。だが、いつかは収縮に向かっていくんじゃないか?」
「どうだろうね…。まぁ、保険は用意しておく。力を抑えることは出来ても、意思を捻じ曲げることは…寧ろそっちの方が困難だからね」
「その保険もどうだかね。『彼』が神にさえ従うかどうか…」


「さて」
 決勝戦の映像も終わり、D・Dはビデオを止め、立ち上がる。
「我が息子に、父親として小遣いをやらないとな」
「20億は小遣いのレベルでは無いと思うが」
「子供の成長には必要さ」
「彼は『ハーフ』だよね?しかもレベルは6未満。あの船にやって大丈夫なのか?」
「異能者程の影響は受けないにしても、『兎』は封じられるかもね。まあしかし、やはり成長にはうってつけの場だ。ZOOに居る故にずっと『裏』いて、『表』に揉まれなかった彼にとってはね」










 英利政美は『代理の神様』だったわけだけど、こっちの世界の英利政美は、いったい誰の代理なんだろうね。













 船には主要各国からの研究員も数名参加している。
 【橘総研】代表の積倉手数もその一人であり、彼もこの大会に参加している。
 例年と違うのは、目的は調査では無く、大会で優勝し、リターンを持ち帰ること。【橘総研】に入社してまだ1年にも満たない彼がこの大会に出場できたのはそういった理由である。
 異能現象を研究し、それに近い現象…【満潮】を起こすことの出来る彼ではあるが、異能者ではないため、彼自身に異変は起きていない。
 

「予想はしていましたが、やはり来ましたね」
 二回戦。対局室に入った積倉の前には二人の男女がいた。一人はソフィア・アンティポリス出身の研究員であると同時に世界ランカー…【風神】雀明華。そしてもう一人は、
「爆岡さん」
 1年前の個人戦決勝を境に日本から姿を消した【爆牌】の使い手、爆岡弾十郎。彼もこの船に来ていた。
 そして、4人目の対局者が部屋に入ってきた。
「打て……ますね……?」
 4人目は京太郎。
 場決めも終わり、開始時間と共に彼らは二回戦を始めた。





 
 人間の麻雀の限界。
 異能者として生まれず、しかしそれでも麻雀を続けている多くの者にとってのテーマの一つである。
 男性と女性の平均雀力の差は年々広がる一方であり、異能者数も女性が圧倒している。それでも麻雀人口においては男性の方が多いのは、異能者が少ない故に男性同士での差は生まれにくいためである。プロ麻雀は基本的に男と女に分けられ、女性に勝てないからと言ってプロとして生活していけないわけでは無い。
 爆岡にはそれが許せたであろうか。男であるとか女であるとか異能者であるとか無いとか、生まれで一生を決められることが許せたであろうか。同じ麻雀をやっているのに、本当の一番になれない。そんなことが許せたであろうか。
 【爆牌】…対局者全ての牌を完全に読み、余剰牌を打ち取るという光景はまるで異能者の如き。爆岡がその感覚をものにするまでに3年を費やした。彼はその【爆牌】を駆使しインターミドル三連覇を成し、そしてインターハイにおいて優勝した。
 しかし一年前のインハイ、彼の前に立ちふさがったのは、中学時代からインターミドルでも何度も打った相手、鉄壁保。【支配色】と【爆守備】の『技術』を駆使し、そしてその観察力と成長は爆岡をチャンピオンの座から引きずり下ろした。
 これまで積み上げてきた。
 トッププロへの道も見え、これから、何もかもがこれからだった矢先、それが崩れ落ちた。彼はその後、日本を離れた。
 後に鉄壁は彼の事をやはり天才だったと評した。彼は天才であるが故に完璧でありたいと願い、全ては順調であった。だが、その期間が続けば続く程それが崩れる時の恐怖は倍増していたであろう。これまで積み上げてきたものが何もかも無意味だった。そう何者かから告げられているかのようで。

 しかし、彼は麻雀を諦めなかった。

 船については裏では世界的に有名であり、半年ほど前、彼がイタリアにいたころに耳に入った話だった。代打ちをやっていたわけでは無いが、彼の実力を見たギャング、パッショーネのボスは、彼に船への参加費を渡した。
 ただ奇妙なことに、他の組の者なら言うであろう「勝て」という言葉を彼にはやらなかった。ただ船で体験したことを報告してもらえればそれでいい、と。
 だが、勿論彼は勝つためにここにおり、優勝するためにここに来た。

「リーチ」

 彼のリーチはその性質が特殊なものであると同時に、その大きなフォームから繰り出される強打はその独特さを際立たせている。その迫力は、まるでその打牌がそのまま爆発そのものであるかのようで、視界は煙で覆われ、火薬の臭いにむせる程の錯覚が現れる。

座順 積倉→京太郎→爆岡→ミョンファ

(まずはランダムから…ですかね…)
 東1局、9巡目に放たれたドラ切りリーチを見て、積倉は思考する。

ドラ 5索

東家 積倉 手牌

二三四五六七八⑤⑥⑥688

西家 爆岡 捨て牌

⑨西九一七1
発中5(リーチ)

 爆牌とは、ピントを合わせる打牌である。
 相手の手牌を全て読み、余剰牌を狙い撃つ。しかしそのためには局が進み、読みの基盤が出来てからでないと放たれることは無い。
 だがこの東1局の、まだ読みが進んでいないはずの段階で打たれたものは何か。
 ランダム爆牌。
 これは非合理的手順により放たれる爆牌であり、相手の余剰牌を狙い撃つものでは無い。
 彼はピントを合わせるため、一旦フォーカスをずらし、それから絞り込む。そのためにランダム爆牌が使用される。そして完全に絞り込むために2局使い、本爆牌が放たれる仕組みとなっている。
 余剰牌を狙い撃つ打ち回し自体非合理的なものであり、このことから通常の爆牌との区別をつけることが出来たのは、インターミドル時代、彼の麻雀を見た者の中では僅かであった。
(実際に読み切っている局とそうで無い局が存在することで、爆牌のメカニズムを解析することは困難を極めました。単なる余剰牌の打ち取り以上に、ランダム爆牌の存在は脅威でした)
 
10巡目 積倉 手牌 

二三四[五]六七八[⑤]⑥⑥688 ツモ 7

(ランダムである以上、余剰牌を意識して打つより、こちらの都合で打つのがベター…ですかね。満潮寄りのこの形なら、一通を見据えての打8索…)
 だが彼は手を止め、その手を左に流した。
(しかし去年までと同じなら、彼はここには居ないでしょう。ここは干潮に進んだとしても、ここはこの一打)
 打二萬。三色や一通は消えるが、シャンテン数は進む。彼はこの爆牌が本爆牌であることを想定して打った。

 4巡後。

「ロン」
 ミョンファからの9索で爆岡は和了った。

西家 爆岡 手牌

4445677899南南南 ロン 9

積倉     25000
京太郎    25000
爆岡     33000(+8000)
ミョンファ  17000(-8000)

(ドラを切って5、8、3、6索待ちを拒否してまで『僕の』6、8索を狙い撃っていますね…。これは偶然狙い撃ちの形になったランダム爆牌でしょうか…)

 いや

(僕はそうは見ません…。そして…)
 続いてその視線を上家のミョンファの河に向けた。爆岡の和了牌であった9索の前に彼女の自風である北が3つ並んでいる。
(爆守備…いえ【風神】の力ですか…しかし…)
 ミョンファ自身、この船において風が集まっているのには疑問を感じていた。
(1回戦もそうでしたが…去年の船と違いますね…)
 異能者殺しで有る筈の船であるにも関わらず彼女に風が集まっている。それは1回戦の時も同様で、全局とはいかないまでも、半荘の半分以上の局は彼女に自風は集まり、南場には場風も来ていた。
(レベル6未満は統一化されるはずですし、例年通りなら風は集まって来ないはず…。はっきりと世界が分断されているわけでは無く、混ざり合いつつある…ということでしょうか…)
 彼女の目的は積倉とは違い、リターンを持ち帰ることは指示されていない。今年も例年通り目的は調査、ということでここにいる。
(いつも思いますが…たったこれだけのために大金をつぎ込めるものなのですね…。ネリーに分けてあげたいです……)
 と、彼女自身研究所に対する疑問を持ちながらも、しかしやれるだけのことはやろうとも思っている。
(1回戦の時はしませんでしたが…)
 ミョンファは牌を卓に戻す前に「失礼」と言った直後、大きく息を吸った。

「うわっ」
 京太郎は彼女の歌を聴くのは初めてであり、あまりの唐突さに声を出した。
 積倉と爆岡に関しては、特に驚く様子も無くその歌を聴いていた。
 これは世界的には珍しいものでもない。多くの公式大会では対局中歌うことは禁止されているが、欧州選手権では認められている。
 なお日本はプロでは禁止されているが、インターハイやこの船などにおいては対戦相手の思考の妨げにならない対局の区切りなどのタイミングでなら歌ってもいいことになっている。
「すみません。驚きましたか?」
 短い時間ではあったが、歌い終えたミョンファは京太郎に言った。
「え…あ、まぁ…。しかし、良い歌でしたよ。いつか、ゆっくり聴きたいです」と彼は返した。
 ミョンファは少しだけ顔を赤らめ
「でしたら、今晩、あなたの部屋に伺ってもよろしいでしょうか。そこでお聴かせします」
「え?良いんですか?その…すみません。ありがとうございます…」と彼も照れ気味に返答した。
「対局中だぞ…お前ら…」
 爆岡が不機嫌そうに割って入った。眉間に力が入っている。
「…すみません……」
 京太郎とミョンファの声は揃い、その様を見て彼は大きくため息を零しながら牌を卓に戻した。
 一方積倉は笑いを堪えており
(別にこの船は対局中の私語は禁止されていないのに…爆岡さんまだ子供っぽい所あるんですね…)と思っていた。

 局は再開された。
 東2局も同様、彼女は配牌の段階で自風の西が暗刻で集まっていた。
 また風牌以外の形も悪くなく、歌の効果はあるように見える。理論上では東1局の段階で東2局の牌山の形は出来ているものだが、歌の前には意味を成さない。

ドラ 1索

西家 ミョンファ 配牌

一四六③⑧⑧⑨35東西西西

 この形に最初のツモが赤五萬。
(少しは牌もノってますかね…。やはりここはまだ『こっちの世界』寄りなのかもですね)
 その彼女を後押しするように、早々に積倉から⑧筒が切られ、そして嵌4索をツモり、彼女は聴牌した。

西家 ミョンファ 手牌

四[五]六345東西西西 ポン ⑧⑧⑧(下家ポン) 

 だが聴牌した次巡、爆岡の牌が曲げられた。

南家 爆岡 捨て牌

8北6白中[⑤]
2(リーチ)

 そのリーチ直後の彼女の手にあったのは七萬。
(危なげ…。せっかく攻めたのにまた降りるのはあまりいい気はしませんが、序盤に二連続の振り込みはしたくありませんし…。なるべく長い間打って状況を見ていきたいです)
 彼女には風を防御に使う手段がある。前局は風を使い切った後に振り込んでしまったが、基本的には、いつでも3巡の防御が出来ることは彼女にとってのアドバンテージである。
 しかし

「ロン」

南家 爆岡 手牌

七七八八九九⑨⑨1133西 ロン 西

積倉    25000
京太郎   25000
爆岡    45000(+12000)
ミョンファ 5000(-12000)

(純チャンリャンペーコーを捨てて?先程の和了の形もそうですが、奇妙な方です。ですが眼鏡はしていませんし、『こちら側』な印象もありません)
 彼女は眼鏡を少しだけずらし、彼女にとって本来見える景色を少しだけ見た。
(この景色を見て平静でいられるとも思いませんし、世界にはまだまだ変わったお方がいるのですね…)
 そして積倉も彼の和了に感心していた。
(異能者を想定した【爆牌】…。彼は本当に『技術』でこの世界の一番を目指しているのですね…)
 と、彼は『同類』がいることを実感し、それだけでもここに来る意味はあったと確信した。

 続く東3局も爆岡は曲げる。
(また?)
 三連続のリーチ自体は大して珍しくも無いが、一般の人間が、不合理な打ち回しをしてのリーチとなると話は別であり、そのことにミョンファは、彼が本当に『こちら側』では無いことに疑問を持ち始めた。

ドラ 2索

東家 爆岡 捨て牌

中⑧九①2(リーチ)

(そう…。彼の異常さは『狙い撃ち』だけではありません。寧ろ脅威なのは、怖ろしい程の聴牌率と、爆牌が決まった後の『流れ』です)
 麻雀に流れなど無い。原村和同様、彼もインタビューではこう答える。しかし彼の【爆牌】が決まった直後に訪れる一方的な展開はオカルト的現象そのものにしか見えない。
(まるで僕の【満潮】や【人鬼】のシステムのように……ですが……)

西家 積倉 手牌

六八⑥⑦⑦⑧⑧⑨[5]5679 ツモ 七

(この【爆牌】はどうも違いますね。やはり【ランダム爆牌】の存在は、フォーカスをずらす以外にもあったのかもしれません)
 満潮寄りの己の手牌を見て、流れが移っていないことから彼はそう推理すると同時に
(白糸台にもそれに似たタイプはいましたしね)
 腕時計に視線を降ろし、『時刻』が近付いていることを感じた。
(戦い方は心得ていますよ)

 彼は余剰牌の9索に手を付けず、5索に、そしてさらに次巡に8索をツモると赤5索に手をかけた。

「ツモ」

六七八⑥⑦⑦⑧⑧⑨6789 ツモ 9

積倉    30000(+4000+1000)
京太郎   24000(-1000)
爆岡    42000(-1000)
ミョンファ 4000(-1000)

東家 爆岡 手牌

五六七⑤⑥⑦2245678

 躱された爆岡であったが、特に動じる様子も無く、その手を卓に戻した。
 そして次局の東4局、またも積倉に躱され、8000を振り込んだ時も同様、表情に変化は無く、苛立ちの素振りは見られなかった。

積倉     39000(+8000+1000)
京太郎    24000
爆岡     33000(-8000-1000)
ミョンファ  4000

(となれば、一概に強くなったとは言えないはずです)
 爆岡はその爆牌の制度を上げ、ランダムを使用せずとも正確に相手の手を読んでくる。しかし、毎局正確に読んでくると想定出来れば、そして、リーチで手を塞いでくれるなら尚更対応は、以前と比べれば容易にはなる。加えて、積倉の推察通りであるなら、ランダムが無い故の爆発後の一方的な流れも発生しない。
(それは、爆岡さんも分かってはいるはずです…)
 積倉はこう思った。
 爆岡は、流れなど求めていない。
 ランダムなど爆牌の制度を高めるための手段に過ぎず、必要と無くなったら、たとえそれが流れを掴むための必要材料だったとしても、それを認めない。それが彼の哲学である、と。
(爆岡さん…あなたがそう思うのは自由です。ですが…それでは僕には勝てませんし、その上にもいけないでしょう)

 南1局。
 親番の、それも最高の状態で回ってきたと確信した彼は、視線を腕時計に降ろし、『宣告』しようとした。
 その時

「違いますよ。積倉さん」
 想定外の人物からの声。彼はその視線を下家の方向に向けた。
 発信源は、須賀京太郎。
「【満潮】の時刻ではありません」と彼はそう続けた。
「興味深いですね。……何故…そう思うのですか?」
 鉄壁保を退けての個人戦優勝者。勿論積倉も彼の試合を観ており、その力を知っている。その性質は、スタイルの存在しない多様に変化する麻雀に運が乗っている、というもの。積倉や爆岡らの麻雀とは違う世界のもの。そちら側の存在が、哲学の麻雀に口を挟む。彼にとって、これほど興味深いものは無い。
「積倉さん。あなたが大きな読み違いをしているからです」
「読み違い。どのような」
「流れについてと、俺の下家の、爆岡さん……でしたよね。爆岡さん側の事情についてです」
「おい。そこまでにしておけ」
 爆岡が止めに入った。
「言葉は不要だろ。麻雀は」
「確かに、そうですね。続けましょう」
 聞きたいことではあったが、爆岡の言うことにも一理ある。積倉も京太郎もそれ以上は言葉を交えなかった。
 
ドラ 東

東家 積倉 配牌

一一一②②②④[⑤]⑦289東東

 積倉が2索を切りスタート。
(須賀さんの麻雀は、言ってしまえば『反動』の麻雀でしょう。清澄高校のあの三人と打ち続けて、圧倒的『擬似不運』を経験した反動。それがインハイで爆発した。ですが)
 そのインハイからこの船までにどれだけの時間が経っているか。清澄の『三人』が大会後に表舞台から姿を消し、清澄からも去っていることを積倉も知っている。つまりこれまで、京太郎はあの『三人』とは打っていない可能性が高く故に『反動』も存在しない。
(仮に『反動』が存在していれば、これまでの局でそれが直ぐに分かるはずです。超高速聴牌、超高速和了、止めようの無い流れ、それらは開幕から発生しているはず…)
 なのに
(なのに…この静かさに意味が無いとも思えない。楽しみです。彼がどんな存在なのか…)

 次巡に⑥筒をツモり前進するも、次は1索、次は西、さらに次はまた1索と無駄ヅモを繰り返し、確かに京太郎の言っていたことは事実であったことを確認した。
 巡は進み

南家 京太郎 捨て牌

白白白五二②
7七

 河に三つ並べられた白は三枚ともツモ切り、その河を見て積倉は
(確かに、僕は勘違いしていたのかもしれません)
 ランダムが無くとも爆岡は相手の手牌の全てを読めている。この仮説に誤りがある可能性があることに気付き始めた。
(爆岡さんは、須賀さんの手牌をまだ読めていない…。【爆牌】は『全てがピタリとハマった時に打ち出される牌』…。つまり真の【爆牌】…爆発的流れを生み出す【爆牌】はまだ打たれていない……)
 彼は、去年のインハイ…そしてさらに前のインターミドルの、爆岡と打っていたあるプレイヤーの存在を頭に浮かべた。
(当…大介さん……)
 爆岡の爆牌は基本的には、全員がセオリック(異能性や打ち手の性格も想定して)…に打つことで成立する。しかし、異能性も哲学性も存在せず、不規則な手順で進められる形に対しては、爆岡の予測も外れることは多い。特に、素人同然の打ち手であった当大介に対しては、大きな手を振り込むことも少なくは無かった。
 今、京太郎もそれに近い打ち方をしていると積倉は推理した。京太郎は素人では無い。だが、スタイルが存在しない以上、素人打法をあえてすることも出来る、と。
(相手に合わせてスタイルを変えれるのは…脅威ですが…問題はそこに運……実力がついてくるか…)

 そして

「リーチ…」

 京太郎は牌を曲げた。

南家 京太郎

白白白五二②
7七九(リーチ)

 最後の九萬はツモ切り。
 番はミョンファに回ってきた。

北家 ミョンファ 手牌

2345678南南南北北北 ツモ 西

(4枚目…)
 自分の河に1枚。そして彼女は下家の積倉の河に目をやり、その最後の牌が3枚目の西であることを確認した。
(ツモられても飛んでしまいますし、どの道ここは進むしかありませんね)
 と彼女はその西を河に置いた。



 
 まるでそのことが予測されていたかの如く、京太郎の倒牌には間が殆ど無かった。


「ロン。ミョンファさんの飛びで終了です」


南家 京太郎 手牌

一九九①⑨19東南北発中白 ロン 西

積倉     39000
京太郎    56000(+32000)
爆岡     33000
ミョンファ  -28000(-32000)


 二回戦終了。
 ミョンファは振り込んだその瞬間はドキりとしたものの、その和了が十分に理解できるものであったのもあり、直ぐに平静を取り戻し席を立った。
 彼女は一礼と共に「ありがとうございました。では、今晩」とだけ残し、1番目に退室した。

(あの白の位置…最初の白三枚は四枚の中から…というものでは無く、その後から引いてきたもの…確かにこれは読めないですね)
 と考えていた積倉に対し
「あなたの西で和了らなかった理由、言った方が良いですか?」と京太郎が声をかけてきた。
「いえ、大丈夫です。これも麻雀。立派に麻雀としての出来事です」と彼は返し、京太郎は「わかりました。では、また」と彼もミョンファの後を追って部屋を出た。

(天才は初太刀で殺す…。僕も天才と思ってくれてるんですね…。僕にしても爆岡さんにしても、そしてミョンファさんにしても、長期戦になればなるほど、こちらが有利になる。【満潮】が来る前に、爆岡さんが完全に手を読む前にの決着…ですか。そして…)

 積倉は京太郎の麻雀について一つの確信を得た。

(あの役満。確かにこちらに流れがあったわけではありませんでしたが、彼に流れが移るのはあまりにも唐突です。となれば考えられるのは一つ…)



―――須賀京太郎は運気をコントロール出来る。




 積倉はそれとほぼ同じことが出来る打ち手と打っていたこともあり、そのことに気付くことが出来た。
(それに加えて、最後の西の在りかに気付ける嗅覚、変幻自在のスタイル、躊躇いも無く勝ちに向かえるスタンス……伊達にあの『三人』と打ち続けていたわけではありませんね……)
 納得と共に彼も席を立ち、部屋に残ったのは爆岡のみとなった。




 彼は俯き、一人呟く。



「俺様は……天才なんかじゃ………」







 何年も前の話になる。

 街中のインタビューに対し、珍しくも麻雀に対して否定的な意見を言っている者がいた。
 女性であった。
 付近を通っていた、当時まだ少年だった彼には、その言葉に我慢がならなかった。
 

 彼は助走をつけて、その女性の顔面にめがけて拳を振るった。
 カメラの前であろうが、関係なかった。

 彼はカメラに向かってこう言った。


「麻雀の悪口をいうやつは、この俺様が許さねぇ」




 誰よりも麻雀が好き。
 これは今も変わらない。
 変わらないからこそ、立ち上がれなくなるほどの挫折を味わっても、彼が麻雀を諦めるはずがない。



 だから今も彼は、ここにいる。






「俺様は……天才だ……」





 そう言い直した彼に見えていた景色は、





























[19486] #60 対話
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:68ad28fc
Date: 2014/10/22 21:25
 






 合同合宿中とて四六時中麻雀を打っていたわけじゃない。
 風呂上りに丁度いい場所にそこそこ広めの卓球ルームもあって、そこでは池田さんと井上さんが打っていた。それを見ていた東横さんと加治木さんがやり始め、それからどんどんと人口が増えていって卓球大会、という流れだ。俺とアカギも参戦した。
 中学の時ハンドをやっていたし体力には自信があったが、二回戦目でアカギに負けたのは屈辱だった。これくらいは勝ちたかったが、あいつは何でも出来るようだ。アカギは決勝までいって龍門渕さんと打っていた。
 暇になった時間、俺は壁際の長椅子に座ってカツンカツンとやかましい卓球台の方をぼうと眺めていた。そうして暫くしていたら、隣に原村さんが座った。どきっとしたが、俺が麻雀を始めたきっかけの人であり、何より綺麗で浴衣で胸が大きい。緊張したのは当然だった。なるべく平静を装って、俺は彼女にどうもと頭を下げる。原村さんも応じてくれた。
 彼女は一息ついて、「卓球って、疲れますよね」と言ってきた。「そりゃスポーツですから」と俺は返した。視線は自然と胸の方にいったが、直ぐに前に戻した。心臓に悪い。その挙動が急すぎたか「どうかされましたか」と気を遣わせてしまった。しかし心配してもらったのは悪くなかった。アカギに感謝。
 めったに訪れない機会だったから、俺は原村さんに言った。自分が麻雀を始めたきっかけはあなたにあった、と言うことを。さすがに街頭ディスプレイに映った原村さんに一目惚れ、とまでは言えなかったため若干嘘が混じっていたが。そしたら彼女は目を細めた。「本当ですか?」と疑いの目。確かに、俺の麻雀は彼女とはかけ離れている。だけど、環境が環境だった。清澄高校のメンバーは、みんなおかしな麻雀を打つ。影響を受けない方が無理ってもんだ。
 彼女は「確かに、みなさん変な麻雀を打ちますね」と言った。でも俺は、それでも原村さんの麻雀には憧れがある。風越の麻雀部にいたら、進んで原村さんに麻雀を教わりにいっていただろう。と言ったら、少し彼女は赤くなった。
 「でしたら…」と彼女が言ってから、自然と会話は麻雀にシフトしていった。合宿中のあの時のあの打牌はどうしてそう打ったのか、とか、こうこうこういうケースだとこう打てば受けがどれだけ広がる、とか、和了率だけでなく打点、鳴きのタイミング、リーチに入る基準、期待値の話。
 「須賀さん!?」と彼女は驚いた表情でこっちを見た。太ももに落ちた滴で、自分がその時泣いているのを知った。あまりにも感心してしまっていたからだろう。こんなにも麻雀の話をしたことなど無かったからだ。あいつ等は殆ど喋らない。理論など知ったことかとめちゃくちゃな麻雀を打つ。そんな中での牌だけが数少ない対話の手段であって、麻雀の話を、声を、会話を通してすることが、これほど良いものだったなんて知らなかった。
 俺は原村さんが好きだったし今でも好きだ。だけど、麻雀の事がここまで好きになっていたなんて、自分でも驚いた。俺は卓球大会が終わるまで、試合そっちのけで原村さんと話した。好きな男性のタイプだとか、麻雀以外の趣味だとか、もっと色々聞くべきことがあったのだろうが、全部、全部麻雀の話だった。











 龍門渕高校麻雀部の部室とて、常に麻雀が行われているわけでは無い。寧ろそうで無い時間帯の方が長く、土曜の朝など、各々が別々の事をしている光景が基本である。純は新聞を広げ、智紀はノートPCをいじり、透華は落ち着かない様子で部屋を歩き回っている。
 彼女達は朝食も部室で取り、この部室は彼女達の家の如くである。その朝食を運んでくるのが、メイドのはじめと歩、そして執事のハギヨシである。
「とーか、気持ちは分かるけど」とはじめはテーブルに彼女の分の朝食を乗せる。
 この部屋には、普段いるはずのもう一人がいない。
「衣なら大丈夫だって。不安になるくらいなら行けばよかったじゃん」と純はパンを頬張りながら言った。
「20億なんて大金を私個人が使えると思って?」と彼女は返す。
「何とかなるんじゃねーの?ここお金持ちだろ?あるいは権力とか」
「限度ってものがありますわ!そもそも、ハギヨシが行ければこんなことには!」
「透華お嬢様、前も言いましたが、私はあの場所に行くことが出来ません。取り込まれてしまい、逆に衣様に迷惑がかかってしまいます」
「そんなオカルト信じることができまして?」

「しかし純君、新聞読む様がますますお父さんだね」とはじめが言った。
「朝刊読んでるだけで何でお父さんなんだよ。それに、普段はよまねーよ」
「え?お父さんっぽくなりたくて、そうしてたんじゃないんだ」
「これは違う、あの船の大会が本当に記事に載ってないかどうかって」
「あーなるほど。それで、載ってた?」
「いや…」
「こっちにも載ってない」と智紀も答える。
「週刊誌の方も読んでみたが、最近ジャーナリズムが信用ならなくなってきたなー」
 と、純が言うのは、船の件のみでは無く、夏のインハイにおいて発生した、通常なら間違いなく発信されるべきであろうニュースをどのメディアも取り扱わなかったからだ。
「記憶にはあるのに、記録には残らなかったアレですわね」
 副将戦に起きた切腹事件、同時に発生した会場隔離現象。非現実的な後者は100歩譲って公的記事に出来なかったとしても、前者の事件は一般的に取り扱われる内容である。それが、ネットを含めてどこも記事にしていないどころか、SMS、匿名掲示板等でもそれについて書かれることが無い。
「正確には、投稿出来ない」と、智紀は実践していた。書かれた内用が検閲を受けて削除される、と言うものでは無く、投稿が反映されない。夏以降そのことをメンバーは知っていたが、それを言われるたびに彼女達の空気は一瞬固まる。直感で、それ以上踏み込んではいけないと連帯感が生まれるのだ。
 その空気を壊すように部屋の扉が開かれた。入ってきたのは鷲巣巌の部下、隼。
「あまり入り込まない方が良いぜ」と彼は言った。
「どういうことですの?」透華が聞く。
「その前に、衣様は無事、船に乗れたぜ」
 彼の目的はその報告を彼女達にするということがその一つだった。
「ケイも付いているから心配はするな」と隼は付け加えるが
「そのケイ君だから心配なんだよ」と純が言った。
「あの事件のことを言うのなら、逆だ。つまりあいつは約束を何が何でも守る男ってことだ。衣様の事は死んでも守ってくれる」
「そう言うもんなのか?男って」
「純君がそれ言う?」はじめはくすりと笑う。
「俺は女だって」

 透華は一息つき
「わかりましたわ。信じましょう。衣は彼にお任せしますわ。それと『入り込まない方が良い』とは?」
「そうだな。沢村さん。ちょっとパソコンかしてくれるか?」
「壊さないでくださいよ」
「わかってる。【lain】…コネクト・ワイヤード」と彼が言った瞬間、パソコンが独りでに動き始めた。
 真っ黒な画面に高速でコードが打ちこまれていく。1分もしないうちに、智紀のものではない大量のフォルダたちが現れた。
「何なんですの!?これは」
「玲音に【オーバーワールド】…組織の方な、のデータベースにハッキングしてもらっている。リアルタイムで閲覧しているにも関わらず、足跡が残らない上にチェックに引っかからない」
「れいん?白糸台の大将の?オーバーワールド?ハッキング?やばいんじゃないの?」
 人を不安にさせる用語の連発にメンバー全員の心拍数は上がる。
「まぁ、驚くだろうな。玲音は…といっても彼女が作ったプログラムの【lain】だが、遍在しててな、いつでも呼び出せるんだ。鷲巣様とその部下、銀さん達とか、まぁ呼び出せる人間は限られてるが」
 彼はそう言いながら、フォルダをカチカチと開いていき、更新日の近いファイルを開いた。メディアプレイヤーが開き、音声データのようだ。



―――
―――
―――



「9月23日、女子高生による中年銃殺事件の目撃者証言C、四回目…」



「牧野さん、御無沙汰ですね。あなたはこれから話されることに責任を持てますか……あ…牧野さん!」



―――このところ、眠れないんだ。デスクトップを見ていると、落ち着くんだ…。



「ここはほんとは禁煙ですが、落ち着くんであれば、構いませんよ…。さっそく始めますが、今日おいでいただいたのは……」



―――俺にはもうわからないんだよ!……なあ刑事さん!精神科の先生呼んでくれよ!







―――俺、もう駄目だ。死にたくなんか無いのに、つい死のうとしてるんだよ!








―――見てくれよこの傷!もう、切るとこ無いよ!!!









「第七取り調べ室だが、ドクターを連れて直ぐきてくれ。こいつも駄目だ」






―――……………





「……あーもうドクターはいい。……掃除屋を呼んどいてくれ。あと、コーヒーを一杯…」







――――
――――
――――





「名は牧野慎二。29歳。会社員。家電メーカー勤務が表向きだが、裏ではハッカーやっててな、『この件』について深く入り込み過ぎて、こうなった…っておい」

 周りを見渡すと、メンバーは言葉を失っており、微かに震えていた。

「隼様、子供には刺激が強すぎたのでは」
 ハギヨシが言った。
「…だな……。すまなかった。子供らしからぬ子供ばかり見過ぎてたせいで、どうやら感覚が麻痺ってたみたいだ」
(龍門渕家2代目当主が【オーバーワールド】から連れてきたハギヨシの事も、今は話さない方が良いかもな)









 三回戦目が終了し、1時間半程の休憩時間が与えられた。試合は半荘途中でも時間で区切られ、この時間がずれるということは無い。非公式戦であり、表向きには(どの道公表はされないが)単なる政財界の交流イベントであるが故である。休憩時間中は自室に戻って食事を頼んでも良いし、バイキングや売店を構えている広間もある。
 京太郎は売店に立ち寄り、適当にサンドイッチやらコーヒーやらを手に取り、レジに並んだ。
(やたら金の掛かった船だが、売店の飯の内容は値段が倍以上の割にはコンビニと大して変わらないな…というか完全にコンビニ。大手企業のお偉いさんもここに来てるし、その関係なのかもな。代打ちなんて雇わず、自分で打てばいいのに)
 と考えていると、彼の前には制服を着た女子咲が並んでいた。
「咲!」
「京ちゃん?」
 振り返った彼女は姿の一部は、京太郎の見慣れないものだった。
「眼鏡?」と聞くと
「あ、ごめん…」
 その時レジが空き、先にそっちを済ませた。

 甲板がそう遠くない場所だったため、二人はそこに向かうことにした。
 外に出てみると雲一つない空と、暑くも無く寒くも無い程良い澄んだ空気。衛星で確認できない場所、と言われていたが、嵐があるわけでもなく、灰色の世界と言うわけでもなかった。
 京太郎は大きく伸びと共にいっぱいに息を吸い、吐いた。甲板には人も多くなく、静かで落ち着くことも出来た。
「で、その眼鏡は?…あと大丈夫か?…色々」
 売店で買ったツナのサンドイッチを開けつつ、京太郎は聞く。昨晩のこともありやはり心配ではある。
「これは…」と言いながら、咲はその眼鏡は少しだけずらし、そしてぱっと直ぐに戻した。フレームの外側に見えると言うものでは無く、眼鏡をかけていること自体に効果があるようだ。
(外も……同じ……いや……もっとひどい……本の中の世界よりも……ずっと)
 ずらした瞬間に見えた海と空は赤と黒を主としたものであり、地獄と言うのがあるのならこうなのかもしれないと咲は感じた。海と空には、少なくとも地球上の生物の形をしていない禍々しいかつとてつもなく巨大な『何か』が、視界の7割を埋め尽くす程度の数がいたが、彼女は深く考えるのをやめた。それに近いものが出てくる海外の本を咲は読んだことがあるが、その引き出しを記憶の奥底に沈めた。入り込んではならない。
「衣さん!?」
 視界を戻した直後、京太郎の先に二人の男女を発見した。衣とケイ。咲は声をかけた。
「何?」
 京太郎も振り返ると、確かにそこに二人を見つけた。二人の手には売店で打っていた飲み物がある。すれ違いだったようだ。
「須賀君」
 ケイも気付いた。
「咲!」
 約半日振りの再開。心細い、という程でもないが、周りの殆どが大人で構成されている環境もあって、やはり同じ年代の者といると安心するものであるのか、ほっとした空気がそこに生まれた。
「衣さん、大丈夫なの?」と聞くのは咲。
「大丈夫?…とは?……まぁ衣は大丈夫だが」
「え…あ、えっと(てっきり衣ちゃんもだと思ってたけど、私やミョンファさんだけなのかな?)」
「その眼鏡は何だ?雰囲気が違うな」
「あ、そうそう。俺もさっき聞きそびれてたな」
「これは……何から言えばいいかな」
「昨日のと何か関係があるのか?『見えるもの』がどうのこうのって」
 サンドイッチを食べながらの質問。行儀が悪いと咲は思いながらも、分かっていることを話し始めた。

(ミョンファさんか…。あの子も眼鏡かけてたな。昨日はかけて無かったのに。今晩部屋に来るが、咲には、まぁ後で良いか)
 と京太郎が思ってる時
「それなら衣も見えるぞ」
 衣は大して驚く様子も見せずに言った。
(あぁ…たしかそんなこと言ってたな。『世界』…『母体』……)
 ケイは一回戦目が終了した後に衣が言っていたことを思い出した。
「え?」
 で、あるにも関わらず平然と出来ていることに咲は驚いた。彼女は質問した。大丈夫なのか、と。
「大丈夫も何も、衣にとっては心地よい。音も、空気も、脈動も。これはきっと、母親の身体の中なのだろう」
 胎内。見ようによってはそうも見えるかもしれないと一瞬咲は思ったが
(いやいやいや、やっぱり無理だよ…)
 きっと感性が違うのだろう。少なくとも自分には耐えることは出来ない。衣と自分は違う。そもそも人と人は違うものなのだ、と彼女は割り切ることにした。
「そっか。でも、私には、ちょっと無理…かな」と答えた。
「まぁそう言うものだろう。確かにこれは普通の世界では無いからな」
 衣は笑っている。不気味さは無い。純粋な少女のものだ、

「見えるか?」
 京太郎は隣のケイに聞く。
「全く。青い海と青い空。波の音。船の音。それだけだよ」
「だよなぁ…。ま、世界の形がおかしくなっていたのは、今に始まったものじゃないか」
「世界の形がこうであると決めつけられる程、僕達はそんなに歳を取っていないよ」
 その時、リストバンド液晶が3回ほど点滅し、情報の更新が通知された。
「まだ1時間はあるが、まぁ早いに越したことは無いか」
 京太郎と咲は表示された部屋番を確認しその数字を読んだら
「同じだ」「衣もだ」
「どっちと」
「宮永さんと」「咲とだ」
 となった。
 

 京太郎と別れ、三人は指定された対局室の方に向かうことにした。衣の件もあり、対局を早く終わらせることを意識しなくていいという点のみであるならケイにとっての一休みの回とも考えることが出来るが、
(この二人か…)
 やはり相手が相手である。ケイもただ遊びでこの大会に参加しているわけでは無く、目的のためには、やはり勝たなくてはならず、少なくとも前半戦である1日目は、なるべく強い相手とは当りたくは無かった。



 そして


「え?」






 扉を開けた先には、さらに追い打ちをかけるような相手が待っていた。




 見慣れた学生服の少女。
 だが彼女は普段の姿をしていなかった。
 髪を束ね、眼鏡を装着し、
 その姿は大事な試合の時には必ずなっている。
 この姿の彼女と打つのは、ケイにとっても初めてである。





「辻垣内……先輩……」





 辻垣内智葉。
 この大会に参加しているなど、ケイに予想できるはずも無い。
 しかしその刺さるような視線は、質問させることを許さなかった。言葉を放った瞬間に、刀で一閃されるかのような圧力。
 
 故に卓に着き、打つしかない。ケイにも、そして同卓する咲と衣もそのことを承知していた。



 言葉無く場決めも終わり、座る。



 座っている。ただそれだけで凍りつくような世界。ケイはこの世界を嫌と言うほど体験してきた。
 衣や咲に見えている世界は彼には見えない。やはり、一人一人見えている世界は違うのだと彼はあらためて実感する。
 衣は見えている世界の事を胎内と例えた。ケイにとってはこの氷の世界こそ、彼にとっての胎内なのである。




















座順

咲→ケイ→衣→智葉

東1局 親 咲 ドラ 南 

(どうしてこれたんだろ)
 智葉の個人戦の成績は三位。決勝で咲とも打っている。
(まさか参加費を払って…。すごいお金持ちなのかな…でも…)
 決勝では勝てはしたものの、その差は殆ど無かったに等しく、次打てば勝てたかどうかが分からない。神代小蒔や藤原利仙などの打ち手とは別種の強さ。純粋に強いという以上に、常に神経をすり減らすことを要求される麻雀が展開され、竜との対局に備え、体力と集中力を温存しておきたかった彼女にとって、あまり打ちたい相手では無かった。加えてその場には天江衣とケイもいる。考慮しなくてはならない要素が多く、気が滅入る。
(『この』大会以外でなら、沢山打ちたい人達なんだけど…)


4巡目

東家 咲 手牌

二三八九⑧⑧22南西北北北 ツモ 一 打 南

(配牌もツモも良い。聴牌しそう…。昼なのもあるかもだけど、この場所だと衣ちゃんの力も弱まるのかな)

 同巡、対面の衣から2索が切られ、咲は反応した。

東家 咲 手牌

一二三八九⑧⑧西北北北 ポン 222(対面ポン) 打 西

(これで2索『も』喰い取れた。嶺上は七萬…。この局は見える……)
 毎局という程ではないが、姉が言っていたように全局見えなくなる、ということは彼女には起きていない。
 しかし、ひりつく。
 次巡の咲のツモは『喰い取れた』2索。刃を常に首にそっと当てられているような感覚。それが、
(こっちからも来ている…)
 この2索を槓すれば嶺上開花で和了できるが。この2索を槓していいものだろうかと躊躇いが咲にはある。

南家 ケイ 捨て牌

①西白9南

(自風のドラの南が手出し。私も南を持っていたし、暗刻で持っていた中からだったなら分かるから…まず暗刻…今は対子、ということは無いはず…。感覚が正常だったらの話だけど)
 咲は一歩踏み込むことを選択。ケイは牌を倒し、咲はその形に納得した。

南家 ケイ 手牌

七七七⑥⑦⑧134[5]6南南 ロン 2

咲    17000(-8000)
ケイ   33000(+8000)
衣    25000
智葉   25000

(南が対子…暗刻だったのを感じることが出来なかったわけじゃない)
 咲はその南の位置を見て確信した。
(私が南を切った同巡に南を暗刻にして、1索単騎の聴牌。その次巡に6索をツモ。南を切り形役無し。槍槓のみの手にした。私への狙い撃ちのみの目的。でもそれで結構…)
 一撃で殺されなかった。それだけでも咲にとっては収穫であり、8000の出費は安いものであった。咲は間合いを測る上で、引いて観察のみで測るか、自ら踏み込んで測るかの二択において、後者を選択した。リスクはあるが、半荘一回の短期決戦においては十分リターンもある。
(でも…やっぱり戦いにくいなぁ…。お姉ちゃんの鏡が羨ましい)
 やはり咲は、この大会以外で彼と打ちたかった。


東2局 親 ケイ ドラ 東

(異様…)
 二つの世界が混在している。衣に見える世界は熱のあるものであるはずなのだが、この卓上だけは違う。凍り付いている。ここだけ細胞が死滅しているように感じる。死と生の混在。
(以前までの衣なら、この感覚は不快だったのだろうな…)
 全身に纏わりつく冷たさ。吐く息どころか内臓さえも凍る空間。地区大会決勝、あの時のように。
(今では心地よく思える。アカギ…。アカギは、この船に居るのだろうな…。衣はお前に早く会いたい…)

15巡目

東家 ケイ 手牌

四四四七八①③⑤東東東中中 ツモ 3

(この局は天江さんの支配が強い。聴牌までは行きそうにないな。彼女曰く、普段よりも牌が見えなくて、ガラス牌も無い…だったか。時間も昼だし、無理をする必要も無い)

南家 衣 捨て牌

①発中⑥二9
2七二⑤⑧西
七一

(何もしなければ海底でツモ。だがそれよりも索子の直撃の方が怖いな)
 ケイは現物の⑤筒を河に置き、3索を抱えての降りの動きを見せるが、同巡衣から四萬が切られる。
(海底だけでもずらすか)
 彼は四萬をポン。海底は彼に。

東家 ケイ 手牌

四七八①③3東東東中中 ポン 四四四(下家ポン) 打 中

 次巡。九萬をツモった彼は、衣の支配の一つの習性を思い出し、
(天江さんの支配は、王牌には及ばない…。なら)
「カン」
 四萬を加槓し、嶺上をツモる。嶺上牌は有効牌の②筒だった。


北家 咲 手牌

①①②④④④⑥⑦⑦⑦777

(ん…どの道王牌にある④筒や衣ちゃんの手にある7索は槓できないだろうけど、あの人が『性質を理解した上で』槓したとしたら、あの②筒で面子が出来たかな)
 との咲の推察通り、ケイは手を進める。

東家 ケイ 手牌

七八九①②③3東東東 カン 四四四四(下家ポン→加槓) 打 中

新ドラ ③筒

 ケイの加槓により海底は咲へ。
 そして同巡の咲のツモはドラ表示牌の北。それをツモ切った咲には予感があった。
(この巡り……また……)
 視線を下家に送る。

「ポン」

 衣が鳴き、海底へコースイン

 するも……、そこで彼女の手は一旦止まる。

南家 衣 手牌

③③③23344567 ポン 北北北(対面ポン)

(海底は4索…打2索でも3索でも結果は同じだが、通常なら待ちの広い3索を切る…だが…)
 通常とは違う巡りを衣も感じていた。平時とは感覚が違う中ではあるが、このまま行けば刺されるという予感…この予感は狂っているだろうか。狂っているのであれば、刺さる予感は稀有であり、そのまま3索を切れば良い。だが予感を信じるのであれば、通常とは違う選択をする必要がある。

(己の感覚さえ疑わなくてはならないこの場で、アカギならどう打つ……)
 アカギならどう打つか。そう思ってしまうということは、やはり彼女はアカギを意識しているのであろう。彼女にとってそう思考が働くことは悪くは無かった。

(アカギなら…!)

 彼女は7索を切る。強打。通常の打3索でも、保留の2索でもない。直感の、勝負の打牌。アカギのように、己の感性を信じての一打。
 そしてそれはケイの待ちと…『智葉の手』を躱すことに繋がった。

西家 智葉 手牌

一一三九九13888西西西

(2索なら『斬って』いたが、去年までの彼女とは違うらしいな…)

南家 衣 手牌

③③③2334456 ポン 北北北(対面ポン)


 海底の4索での和了という利を捨て、直感で選んだ打7索は対面の咲の槓材であった。


「カン」

 7索を倒し、

「もう一個、カン」

 嶺上で引いてきた④筒を倒す。そうして引いてきた牌は①筒。

北家 咲 手牌

①①①⑥⑦⑦⑦ カン ④④④④(暗槓) カン 7777(対面大明槓) 打 ②

新ドラ 9索 新ドラ 発

 咲の鳴きによりまたも海底は衣へ。
(最後の嶺上は⑥筒。和了るから流れない。問題は最後の⑦筒…)
 その⑦筒を

東家 ケイ 手牌

七八九①②③3東東東 カン 四四四四(下家ポン→加槓) ツモ ⑦

(生牌の⑦筒。宮永さんが攻めてきたということは、聴牌料だけでは無く、和了る算段もあるということ。責任払いがある以上、これは切れない。全く…怖ろしい麻雀だ)
 前に進めば咲への事実上の振り込み、下がれば衣に海底が回る。
(カンが計三度も入ったことにより海底牌が天江さんの想定していた牌とは変わっている……しかし、あの7索切り…まさか)

 ケイが選んだ牌は⑦筒でも、聴牌維持の3索でも無かった。

 九萬。単なる降りであろうか。

 否。

「ポン」

 鳴いたのは対面の智葉。

西家 智葉 手牌

一一三13888西西西 ポン 九九九(対面ポン) 打 三

 ケイも、そして彼女も海底で衣がツモると確信した。たとえカン複数回が入っていたとしても、衣はツモるのだと。

(ずらされた…)
 二人の予測通り、衣の海底は6索だった。だが、衣は知っていたから7索を切って咲に鳴かせたわけでは無く、そもそも7索が咲の槓材だとは読めていない。海底の6索を知ったのは咲が鳴いた後。衣の打牌は、あくまで直感とアカギへの意識から来るものであった。
 海底の6索は咲へ。
(衣ちゃんの…か…。カンが入ってずれているから安心…なんてわけない。勿論切らないよ)


 咲の打⑥筒で結果は流局に終わった。聴牌は咲と衣、そして智葉の三人。







咲    18000(+1000)
ケイ   30000(-3000)
衣    26000(+1000)
智葉   26000(+1000)



(強い)

 場の全員が感じていた。
 本来であれば、衣の海底ツモで終わるはずの巡りが、上級者同士で打てばここまで変わるものなのか。互いが互いを牽制し、思い通りにさせない、ならない麻雀。まだ東2局であるにも関わらず、既に半荘1回分は打ったであろう疲弊感があった。

(やはり、脅威だな)
 智葉が意識したのはケイ。彼の麻雀は、対イカサマ、対異能と歪んだ麻雀の中で真価を発揮しているかのように見える。イカサマや異能の性質を見抜き、その裏、虚を突くことで勝ち続けてきた。
(だが、本来見抜くだけでは勝つことは出来ない)
 彼の麻雀には運が背中を押しているようにしか見えない。そう彼女は感じている。たとえイカサマや異能を見抜いたとしても、『手』がそれに応えていなくては成立しない。
 例えばこの半荘にしても東1局、咲の加槓のタイミングで聴牌していなくては当然和了れず、咲の打南のタイミングで暗刻であった、もしくはドラの処理のタイミングが前後していたのなら咲の選択も変わっていた。東2局にしても最初に彼が3索をツモったからこそ事が通常とは別の巡りを見せた。

(これで異能でないというのだから恐れ入る)
 異能者殺しのこの船において、彼の視界はいたって正常であることは彼が裸眼であることからも証明されている。
(つまりこの現象は【オーバーワールド】からの『リターン』では無い…。まるで、人類が【オーバーワールド】に対抗して生み出した戦力の一つのようにも思える。勿論、ケイは造られた人間ではないが…)



東3局流れ1本場 親 衣  ドラ ⑦筒


一巡目

北家 ケイ 手牌

一二五①③123567西発 ツモ 発 打 西

(流れが来ていると錯覚するほど手は良いが、この面子では素直に喜べない。落とし穴にも思える…)
 彼の推察を後押しするように、対面の智葉は次巡に仕掛けた。晒された牌は、暗槓の三萬。新ドラは⑦筒。
(三色が消えた。すんなり行かせてくれない人だ)

次巡

北家 ケイ 手牌

一二五①③123567発発 ツモ 六

南家 智葉 手牌

一一二二⑦⑦⑦中中中 暗槓 三三三三

 あまりにも異様な流れは、ここまで場を乱すものなのか。
 だが、智葉はこの異常さに乱されたりはしない。偶然に踊らされることなく、彼女はただ静かに構える。

(…半歩踏み込めば死ぬ……)

 聴牌気配程度など消されている。この場にあるのは、常に死と隣り合わせの間合いの測り合いであり、論理的推理のみで事を選択してはならない。それはケイも承知している。
 故にこの場ではケイは躱す。打③筒。浮いた一、二萬には決して手をかけない。これでケイの和了りの道はほぼ無くなったと同時に、智葉の和了りの目も減った。
 この硬直状態の隙に、脇の二人が前に出る。

「ツモ。2100・4100」
 東3局は咲の和了で終わる。
(東1の振り込みがプラスに働いたか…。個人戦の時よりもさらに強くなっているな…宮永咲……この大会以外でなら、もっと君と打ちたいものだな…)

 この場に智葉が求めていたのは勝利では無い。戦いでも殺し合いでも無ければ、スリルでも無い。
 それは普段の彼女らしからぬ、感傷的なものであった。










 孤独という程では無かった。友人もいる。後輩もいる。妹分もいる。会話する相手もいる。当然、麻雀を打ってくれる仲間もいる。幸せか不幸かといったら、どう考えても幸せ側の人間なのだろう。
 ただ私には、近しい者がいない。付き合う人間が少なくても、たった一人でも傍にいてくれるような近しい相手がいれば、その者はきっと満たされるのだろう。私には、どこかそういったことに憧れがあるのかもしれない。
 嫌われているわけでは無いと思うが、それでも距離は感じる。私の性格とか、見た目からだろうか。普段は眼鏡はしないし、生真面目に髪を束ねたりはしない。気さくに振る舞っているつもりだが。それとも、私が距離を取っているのだろうか。だとしたら、随分と臆病な人間なのだろうな。私は。
 
 ケイを初めて見た時、近い臭いを感じた。少なくとも、血を見てきている。彼は他人と距離を取る人間だった。幼馴染の桂木でさえだ。私のところに入ってきた情報では、彼にとっての唯一はアミナであった。そう遠くない『場所』に住んでいることもあって、彼のことを知ることはそう難くなかったどころか、彼自身が力と影響力を拡大させていっていたため、向こうから情報が入ってきた。
 知れば知る程、彼は私に近い存在なのだと思えて、どこか親近感まで湧いて来ていた。地獄でもがく彼に手を差し伸べてやりたいほどには。結局私程度が出来たのは、事が済んだ後のアミナについてくらいだが、私自身、少しでも彼の力になれたことには嬉しさを感じることが出来た。
 
 正直、ケイとはもっと話したい。だが彼が他人に心を開かない以上、彼に近付くには牌しかない。それも、同じ土俵に上がった上で。私がこの船に来たのはそのためだった。
 インカレ女子優勝者が私の知人であり、彼女自身この船のことも知っていたため、私に参加権を譲ってもらった。船のルール上、参加権の譲渡は可能だがその場合たとえ優勝しても何を得ることも出来ない。私はそうであってもここに来たかった。ここに来れば、彼と同じ土俵に立てると思ったから。牌を通して、彼を感じることが出来ると思ったから。

 だが

オーラス 智葉 ドラ 白

東家 智葉 手牌

三四四四五六七⑤⑥⑦567

南家 ケイ 捨て牌

2⑨③南①2
9⑦九東

 ケイが六萬を河に置いた時、さすがに私も折れた。
 そして次巡、彼は七萬を手出し。
 
 彼の麻雀は、氷だ。
 ここまで冷たくされると、感じることも出来ない。
 牌の対話など、出来るはずも無い。
 


 本当に…私は何をしているんだろうな。



「ツモ」

南家 ケイ 手牌

二二三三五六七⑤⑥⑦567 ツモ 三








 三萬の位置を見るに、智葉が張った直後にツモって来た三萬二枚を抱え、六、七萬と落としたということを彼女は知った。三萬を三連続でツモる。歪みに歪んだ流れを正確に読み、躱したのだと。



 だが



 この半荘は結局、誰も30000点を超えることなく僅差で幕を閉じた。
 しかし、オーラスでケイがリーチをかけていれば別である。
 彼は何故かけなかった。智葉にはそれが解らなかった。故に彼女は何を得ることも無く終わったのだということを思い知らされた。

「リーチをかけるのが怖かったのが正直な気持ちです」
 ケイが口を開いた。智葉には思いもしなかった、彼からの言葉。
「流れは読んでいたと思っていたが」
 智葉は彼に言葉を投げる。
「いえ。あまりにも歪み過ぎていて、確信に到れなかったですね。皆火力が高くて、下手すれば最後の最後で僕だけ飛び、そんな結末もあるかもって。後の試合のことも考えると、僕の選択は『ここはこれしか無い』です。堂嶋さんやフランケンさん辺りが見たら、流れを殺してる、牌の神様に嫌われるって言われそうですが」
 意外だった。
「意外だ…」
 口にも出した。
「そうですか?」
「あ…いや、何でもない」
 彼がここまで自分のことを話してくれるなど想像もしておらず、不意を突かれたのもあるが、何より、悪くなかった。牌では無く、普通に言葉を交えることが、酸素を身体に取り入れているようにごく自然で、その自然さが彼女を少しずつ満たしていく。
「衣は楽しかったぞ」
「私は、ちょっと疲れた…かな」
 深い海からようやく地上に戻れた時の解放感。言葉が、声がその時に得る新鮮な空気のように感じる。
「ところで先輩、何でここに?」
 場の緊張が緩んだためか、その質問もあっさりと投げられた。
「えっとだな……なんというか……」
 何のためにここに来たのか。それが揺らぐ程度には、彼女自身の緊張も緩んでいた。


「………」

 考える。


「……………」

 なんと言ったらいいものか。


「…………………」

 よく考えたら、ものすごく恥ずかしい事ではないのかと彼女が思った瞬間。

「辻垣内さん……顔が」
「赤いぞ」
 脇からの指摘であり、事実。

「あ……まぁ、言えないなら……良いです」
 踏み込んではならない領域に入った気配を感じ、ケイは少し慌てた様子で席を立った。
「あっ……待てっ」
 智葉が止める。
「逆に、お前は何でここに来た?」
 質問を質問で返すなど無礼も承知であったが、ここは勢いで行くしかなかった。
「え?それは天江さんの」
「そうでは無い。そうでは無いだろ?……答えられないなら…答えなくていいが……」
「まぁ……先輩になら。天江さんと咲さんにも聞かれても良い内容ですし、ここで言いましょう……実際思ったより早く終わりましたし、時間には余裕もあります」
 あっさりと返された。彼女にとって意外な状況が続く。

 牌でないと話せないと思っていた相手が、思っていた以上に近い位置にいた。
 今話してる相手は、紛れも無いケイだ。偽りなく自分の目的と想いを話している。距離は、少なくとも遠くは無い。彼女はその時、自分が遠回りをしていたのだということに気付いた。

































(咲……大丈夫かな)
 土曜の朝。結局妹のことが心配で一睡も出来なかった彼女であったが、不思議とまだ眠くない。休みと言うこともあり、ある程度不規則な生活をしても構わないが、普段なら数時間後には妹に会っているのだろうな、と彼女は思っていた。
 そうして窓の外の景色を見ていると、電話。取るのが面倒であったため、留守電まで待った。しかし、留守電から発せられた声を聴き、彼女は飛びあがるように電話に走った。
 受話器を取る。心拍は破裂するほど激しい。

「風間……さん………」


 電話の主は風間巌。ZOOの園長。東京に出てきて以降、彼女は何度も彼に世話になった。金の事、麻雀の事、生活の事。しかしその彼から電話が来ることなど、めったにない。彼女は心拍と呼吸を落ち着かせようとするが、出来るはずも無かった。


「照……落ち着いて聞け……というのも無理かもしれんが、伝えておく」


 その声から感じることはまず間違いなく、悪い情報だということ。
 照は息を呑んだ。



 そして、一音一音はっきりと、『そのこと』が彼女に伝えられた。



 彼女は受話器を落とす。
 彼女からその時全身の力が抜ける。



 夢であったのならどれだけ良かったか。




 新庄直樹が一人で、山城麻雀に挑戦した。




 これは同時に、彼の死を示す知らせである。





 照の鏡は、鏡だけではその支配を発揮出来ない。彼女の麻雀の根幹は、彼が築いたものであり、彼女にとって新庄直樹は師匠であり、父であった。




















[19486] #61 黄金
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:52b7c6e4
Date: 2016/03/28 15:21
――― 背中 押してやろうか



 あの言葉の直後なら、この船には来てなかったのだろうか。嫌な感じがして、別の階段を使ったあの時なら。ここは、間違いなく俺を殺す場所だ。雨なんて降っていない。だけど俺の全身は濡れている。逃げてさえいれば、こんな思いを味わうことも無かった。このまま俺は、最後まで負け続けるのだろうか。







 昨晩のパーティ会場であった広間は観戦室となっていた。数十のテーブルが並び、奥の中央には巨大なスクリーン。その画面も9つに分割され、9つの対局を同時に流している。観戦者たちのテーブルやその横、サイドテーブルや台車には札束や宝石等の高価なもの。黒服達はそれらの取り扱いに動いている。ここで行われているやり取りは賭け。無法地帯である船上を良いことに、度を超えた賭けが行われていた。
 現在9回戦目。初日の最終戦を迎えており、賭博場においての決着も見え始めた。勝った者と負けた者、それがはっきりと。テーブルの横に据えられた台車達に40億程積み上げていた銀髪のオールバック…平井銀二は、勝者側の一人であった。
 その男と相席しているのは、頭にコロネを三つほど乗せたような特徴的な髪形をした金髪の少年…ジョルノ・ジョバーナ。彼の横にも相対する銀の王と同じほどの山が聳えていた。またテーブルには、甲羅に鍵の付いた亀が一匹居座っている。ジョルノの所有物らしい。二人はこの9回戦目、もう賭けに参戦する必要は無く、観戦に集中できる形になった。
「9連勝目、いけますかね」
 金髪はイタリア人であるが、その日本語は流暢であった。彼が見ているのは、9つのうちの一つに映る、黒の長髪を後ろで束ねている青年、銀王の部下、森田鉄雄。彼はこの船で8連勝。銀髪は、煙草に火をつけて一服した。
「ここまではくじ運や引きに救われていたに過ぎない。だが、ここから先はあいつ自身の人間が問われる」
「相手に須賀とイーヴリンがいますからね。二人も8連勝」
 画面に一組の男女が映る。一人は京太郎。無敗、かつ獲得点数も上位であり、ここまでに8人飛ばしている。夏の個人戦での彼の活躍は有名であり、意外という程でも無い。
 ショートボブの眼鏡をかけた女性の方はイーヴリン。彼女も無敗だが京太郎とは対照的で、殆どの試合がギリギリのトップ、獲得点数は高い方では無い。こちらは【魔女】ニーマンに近しい人間であり、『こちら』の世界では有名。この成績も意外では無い。
「ニーマンは高みの見物か。別室か、もしくは別空間からか」
「D・Dや鷲巣が情報を流していますし、何よりあの人はこの船で打つことを嫌がっているとは聞いています」
「よく知っているな。ディアボロを潰しただけのことはある」
「ポルナレフさんが、奴について調査をしていたついでに、彼女達の情報も入って来ていたようです」
『おい、ジョルノ。情報を出し過ぎだ』
 ジョルノに語りかけたのは、亀の中のポルナレフであった。銀二には彼の姿は見えない。そもそも霊体であることもあるが、亀の持つスタンドが作りだす固有空間の中にいるからでもある。
『この人には隠しても無駄です。ポルナレフさんが命懸けで得た情報も既に知っている。その情報が、彼経由の可能性だってある。スタンドを持ってはいないが、ディアボロ以上に怖ろしい存在だ』
 銀二はスタンドの会話を聞くことは出来ないが、その視線を亀に向けた。あまりにも場に不自然であるが、隠す必要などやはりない。そして、知っていることを詮索する必要も無い。両者の間で、ギャング【パッショーネ】に関する会話はこれ以上されなかった。
「そして、全敗者か…」
 彼等の眼はモニターの方に戻る。最後に部屋に入ってきたのは金髪の、肌の白い少年。高校生くらいだろうか。表情は険しく、彼の現状を物語っている。
「武田俊…。『影響』は、彼にもあったようですね。D・Dの血を引いていても…いや、引いているからこその苦戦か」
「『あの女』の息子でもある。果たしてこのまま終わると思うか?【オーバーワールド】の力と【スタンド】が別物であるように、D・Dの『血』とあの女の『血』は別種だ」

 場決めも終わり、時間がきた。

座順

森田→イーヴリン→京太郎→俊

 桁が違う。森田は二人を観た瞬間、それを肌で感じていた。以前戦った西条…あの『負けてこなかった』者とは。纏っている空気が違う。

「ツモ。300・500」

東1局

森田    24500(-500)
イーヴリン 26100(+1100)
京太郎   24700(-300)
俊     24700(-300)

東家 森田 手牌

11234[5]6789白白白

(隙が見えない)
 即リーをかけても良い手だが、彼は様子を見た。イーヴリンのツモ和了はその直後である。鳴きによって喰いとったわけでも無く、不規則な打ち回しも無くのツモ。ただ、森田の聴牌は5巡目と河の一段目の段階であり、つまり彼女の聴牌はそれより早かった事を意味する。
 通常の麻雀では、そんなことは大したことでは無い。そもそもまだ1局目。であるにも関わらず森田が神経をすり減らしているのは、その場の空気である。彼は鉄仮面に視線を向ける。
(冷てぇ…。だが、それはやはり『ランク』が違うからだ…。恐らく…あの人のクラスではこの空気は通常。俺が異常と感じているこの空気を、普段の空気であるかのように。だからこその、冷たい程の落ち着き……そして)
 次に対面の学生。その表情は熱いとも冷たいとも言い難いが、彼女同様落ち着いているのは明らかだった。彼はただ静かに卓を見つめている。
(『あの三人』のことは銀さんから聞いている。その三人と、毎日のように打っていた…か)
 この船では今のところ連勝しており、この9回戦目もトップであるなら、森田は初日全勝ということになる。だが、それはくじ運に恵まれていたからなのだと再認識した。

東2局 親 イーヴリン ドラ ③

北家 森田 配牌

一四六九①⑥⑧14南西中北

 まだ東2。そこまで悲観するほどでは無い配牌だが、彼が感じたのは『枯れた』ということ。1局にして、一瞬にしてこれまでの流れを。男子のプロの一人が、似たような事をするのを昔テレビで見たことがあったが、それが今、目の前に。圧倒的な力によって。

―――俺が牙…。お前の強運が翼…。

 ふと銀二の言葉が過った。お前は強運だ。その偶然が欲しい。しかし森田は思う。自分の力とは、果たしてそんなものだろうか。それがあれば、銀さんに追いつき、そして越えることが出来るのだろうか。
 イーヴリンの河の二段目に5索。そして次巡には6索が並ぶ。そこに「ポン」と声がかかった。

南家 京太郎

ポン 666(上家ポン) 打 [⑤]

 次巡。
「ツモ。1300・2600」

南家 京太郎 手牌

一二三③777南南南 ポン 666(上家ポン) ツモ ③

東2局

森田    23200(-1300)
イーヴリン 23500(-2600)
京太郎   29900(+5200)
俊     23400(-1300)

 嵌④筒の待ちを捨ててのドラの単騎待ち。しかし前巡に赤を切っている。この違和感、銀二に会う前の森田だったらイカサマを疑っていただろう。
(高校生の麻雀大会なんて…気にもしてなかった。だが違った。世の中には、俺の常識を遥かに越えた世界がある)
 銀二との5億の勝負に負けた後、森田は一人で活動していた。その偽札を本物に替えろと書かれていた手紙にはこうも書かれていた。

―――インハイはお前の世界を広げる。

(最初は何を馬鹿な、と思ったさ…。だが…)
 そうでは無かった。表とか裏とか、深いとか浅いとか、濃いとか薄いとか、そんなのは世界を縮めるワード。森田はあのインハイに思い知らされた。自分はまだ何一つ、世界を知ってはいない。
 故に、今目の前にある違和感。その正体、そこで行われている攻防は森田の想像を遥かに超えている。そのことを、森田自身が解っている。

東家 イーヴリン 手牌

二三四七八九①②⑥⑥⑦⑧⑨

 ①、②筒を落とさず、5、6索を落としての③筒待ち。京太郎の動きはそれを受けてのものであった。彼女はそっと手牌を伏せ、卓に戻す。そこに動揺の色は無い。

「ところで、『彼』のことは森田さんには?」
 観戦室、ジョルノは銀二に聞いた。
「いや…教えていない。しかしだからこそ、ここで森田の力を計れる。果たして気付けるか」

 森田はその『彼』に視線を向けた。
(こと麻雀に関しては、この二人には到底及ばない。少なくとも、この短い半荘の中で上回るなど…。だが…)

東3局 親 京太郎 ドラ 中

西家 森田 配牌

三八①①③⑦⑧1279北中

(突破口はある…!)
 最初のツモは8索。手が進む。この部分だけなら、完全には枯れていないと思えるが、森田はそうは思わない。
(銀さんはあんな事を言っていたが…この世界で…俺個人の『運』なんて通じやしない)
 第一打は、三萬。絶一門かつチャンタを意識した打牌。しかしその次巡の彼のツモは四萬。裏目る。
(単なる裏目…とは今は考えない方が良い…。今は…ただ待て…)
 だがその次巡のツモは五萬と、字牌でも1、2索辺りでも切り飛ばしておけば早い聴牌に近付けたであろう。でもそれは罠。森田の直感はそう告げている。彼はこの場において、全く別のものを見ていた。
 対面から①筒が切られる。森田は反応した。これだ。

西家 森田 

ポン ①①①(対面ポン) 打 ③

 結果としてチャンタ方面に一歩近付きはしたが、森田の目的はそうでは無い。正確に言えば、彼は対面、もしくは下家から鳴けること自体を待っていた。つまり、中張牌だろうがオタ風だろうが鳴けたのなら鳴いていたのだ。
(この場で一番強くて…力のある者は、対面と下家のどちらか…。まずここから崩していかないとならない)
 対面と下家のどちらかから鳴ければ、ツモを喰いとることが出来る。そして…『彼』のツモをどちらかに回すことが出来る。これまで和了も振り込みも無い、彼のツモを。
(あの二人の力が一目でやばいと感じたように…あいつについても一目でわかった…。あの二人の逆……つまり……この場で一番のマイナス)
 相手のツモを取るだけでなく、不調者のツモを相手に被せる。それが森田の目的。
 無論、『この程度』の哲学で敵う相手では無い可能性が高いのは森田自身重々承知している。だが、意思を持って動かない限り、道は開かれない。そのことも森田は解っている。だからこそこれまで、何度も修羅場を潜ってきた。

「そうだ森田…それだ」
 銀二の言う森田の『強運』とは、世間一般で言われている『運』などとは別種。

 次巡にドラの中、そしてさらに次巡には⑨筒。二連続有効牌をツモり聴牌。

西家 森田 手牌

⑦⑧⑨12789中中 ポン ①①①(対面ポン)

 京太郎やイーヴリン相手に、本来ならこの程度の動きなどほぼ無意味だ。100回中99回は弾かれるだろう。だが今回は、その100回中の1回であった。偶然、森田の行為が成立する『流れ』という哲学がその場に存在し、偶然、森田の行為を防ぐことの出来ない二人の手牌であったのだ。
 つまり森田の『強運』とは、森田の意思と行為を『後押し』する『運』なのである。
 そして彼の『強運』はここでは留まらない。
 森田は、聴牌した次巡に上家から切られた3索で牌を倒した。『喰い取り』…そして『悪運の押しつけ』が成功したのだ。であるなら、森田の手はさらに高くなるのが必然。森田自身、それは感じていた。だがそれを彼は捨てた。ここで倒すべきと判断したのだ。

北家 イーヴリン 手牌

一九①⑨⑨19東南西北白発

 悪運を押し付けられた彼女は国士に向かい、森田の『後の』中の暗槓を打ち取れる準備が既に出来ていた。彼が流れに身を任せ、そのまま進んでいたら、そこで勝負は終了。それを森田は回避した。
 これこそが、森田の『強運』。銀二の求めていたもの。

東3局

森田    27100(+3900)
イーヴリン 23500
京太郎   29900
俊     19500(-3900)

(今回も…解らない……)
 『兎』が正常に機能しないことはこれまでに何度かは経験している。それはどれも対戦相手や、自分自身のコンディションに起因していた。だが、この船…【エスポワール】でのこの状況は、過去のどのケースにも該当しない。全くの別物。
 つまり原因は人では無く、場所。俊はそれを肌で感じていた。空間が彼を圧している。感覚を乱している。
(この半荘も…負けるのか…)
 彼がここにいるのは裏の高校生代打ち集団【ZOO】の仕事としてであるが、聞いていた情報とは全く違う。依頼主の代わりに政財界の素人相手と遊んで、金を稼いでくると言うもので、難易度は低い。新庄、仙道、柏木らとの勝負を越え、俊は力を付けていた。一人での仕事も増え、今回もその一つに過ぎないと思っていた。だが、現実は違った。
 変化を感じたのは日付が変わってから。深夜。視界の状況に変化は無いが、明らかに普段の空気とは違うのを感じた。蒸されているような暑さが全身を覆う。エアコンを入れて部屋を冷やしても、奇妙なことに、その感覚が拭えることは無かった。まるで感覚器官が増え、それが同時に機能しているかのよう。
 次第に現実感が消え、ここは異世界ではないのかとまで思い始めた俊は、その晩一睡も出来ずに朝を迎えた。
 連敗はその体調故もある。しかし何より、これまで彼を支えてきた危険牌察知能力…『兎』が正常に機能しないのが最大の原因だ。であるにも関わらず、危険牌の方は不運にもどんどんと彼に押し寄せられていく。
 加えて、森田とは対照的に彼はくじ運にも見放されていた。インハイの団体戦、個人戦で活躍した者、裏プロ、元裏プロらが彼に牙を向いた。狩られる側に回ったのだ。彼は混乱のまま8つの敗北を重ねた。

「ツモ。1000・2000」

東4局

森田    26100(-1000)
イーヴリン 27500(+4000)
京太郎   28900(-1000)
俊     17500(-2000)

 一回目の親番があっさりと流された。
 目の前の戦いがハイレベルであることは彼も感じている。『兎』が機能し、万全の状態でも勝てるかどうかわからない。そんな相手を前にして、今、勝てるわけが無い。このままではまた狩られる。
 俊は思った。
 自分は、何でここにいる。
 話が違う。こんな場所だなんて知らなかった。騙された。依頼主に騙されたから。
 じゃあ、知っていれば来なかったのか。
 逃げていたのか。

 自分は、何故【ZOO】に入った。

 己にとって【ZOO】とは、何だ。

 彼は俯いた。


 その時…


「背中が煤けてるよ」


 言葉が挟まれた。

「え?」
 発信源の方を向くと、そこには自分と同い年の、金髪がいた。
(煤けている…?)
 その言葉の意味を聞こうとした瞬間、彼の脳裏に電流が走った。

―――俺の背には【ZOO】が乗っかってんだよっ

 山城対ZOO。その決勝戦。あの時が。

(今の俺に…【ZOO】を背負えるか?リーダーが誰かだとか、そんなのは関係ない。俺は【ZOO】の一員としてここにいる…。経過はどうあれ、俺は今打っているんだ。だったら…)

「言い訳なんてしてる場合じゃない」
 彼の瞳に、火が宿った。

(俺は何を言ったんだ…)
 一方京太郎は、己が何故ああ言ったのかが解らなかった。下家の男子の体調があまりにも悪そうに見えて、何か言葉をかけようとは思っていた。大丈夫ですか、と言うのが自然な形だっただろう。
(すすけてるって…どういう意味だ?)
 意味などわからない。彼はこの言葉を聞いたことも無いのだ。『竜』がこの言葉を放ったのは、インハイ決勝の副将戦。その時、京太郎は買い出しに行っていて席を丁度外していた。仮に聞いていたとしても、この言葉を理解はしていなかっただろう。
(だけど妙だ…)
 この言葉が、今の彼に対して適切な言葉だったと思える。理由などわからない。ただ何となくであり、その何となくが、最も正しい。今の彼を見て不思議とそう感じた。先程までの影の強い表情を一変させ、勝負師の顔となった、彼を見て。

 そして、南場が始まる。場には、ぴりぴりとした空気が、僅かに混じり始めていた。

南1局 親 森田 ドラ ⑦

北家 俊 配牌

一三三④⑨44569東西北

(手牌は相変わらず…。だが、さっきまでとは違う…)

東家 森田 配牌

四五六①②④⑤⑤⑥⑥⑦1南南

打 1

(たった『一言』で…こうも変わるのか)
 ここに来て圧倒的好配牌に恵まれた森田であったが、ダブリーの選択は取らなかった。上家の雰囲気が、先程までとは明らかに違う。東場のたった4局でも相当の神経をすり減らした彼であったが、南場はそれ以上なのだろうと覚悟した。
 戦場に加わったその彼の最初のツモは5索。まず最初に切り出したのは、西。
「ポン」
 上家からの声。俊を目覚めさせた者の声だ。
 俊はその鳴きに、稲妻を見た。
(そう……電気だ……)
 その手には③筒。鳴きが無ければ、森田のツモ和了牌。彼は残る東と北も切り飛ばした。そして閃光る。そしてまた閃光る。
(おいおいおい…)
 森田はツモれぬまま、その3副露を眺めるしか出来なかった。

西家 京太郎

ポン 西西西(下家ポン) ポン 東東東(下家ポン) ポン 北北北(下家ポン)



④②中白

北家 俊 手牌

一三三③④⑨4455669

ツモ 三 打 9

「ポン」
 今度は対面。イーヴリンが鳴いた。京太郎とは対照的で、機械的。静かな鳴きだった。その彼女から切られた牌は三萬。俊は手の三萬を三枚倒し、嶺上に手を伸ばす。掴んだのは、②筒。新ドラは4索。
(『兎』は相変わらずだ…。牌から来る情報はめちゃくちゃだ…。だが…)
 打⑨筒。イーヴリンに『渡す』牌だ。受けた彼女は俊に6索を渡した。

南家 イーヴリン

ポン 999(対面ポン) ポン ⑨⑨⑨(対面ポン)





北家 俊 手牌

②③④4455 カン 三三三三(対面 大明槓) ポン 666(対面ポン)

 そして、ようやく森田に番が回ってきた。
(四喜和に…清老頭?…)
 京太郎の方はともかく、イーヴリン方の情報はまだそこまで明らかになってはいないが、この場の沸騰感、彼には役満を想起させた。
 その彼のツモは先程切った1索。
(ぐっ…)
 手に嫌な汗が出始めた。このまま続ければ、いつか牌を取りこぼすかもしれない。
(切れる牌じゃない)
 選択は打②筒。聴牌を崩した。

南家 イーヴリン 手牌

九九①①①11 ポン 999(対面ポン) ポン ⑨⑨⑨(対面ポン)

 その選択は正解だった。それは振り込み回避と言う側面だけでなく。5索を彼女に掴ませるという点でも正解。上級者ともなれば、ここで、対面の和了牌を握りつぶすことは、下家の役満ツモを発生させてしまう程度のことは解っている。

西家 京太郎 手牌

発発南南 ポン 西西西(下家ポン) ポン 東東東(下家ポン) ポン 北北北(下家ポン)

 故に彼女は5索を切って局を終わらせる。

 俊も、それを解っていた。

「ロン」

北家 俊 手牌

②③④4455 カン 三三三三(対面 大明槓) ポン 666(対面ポン)

ロン 5

南1局

森田    26100
イーヴリン 22300(-5200)
京太郎   28900
俊     22700(+5200)

(牌からの情報じゃない…これは人間だ…。人の持つ鼓動…脈動……電気……)

「モニター越しでも解るんですね。特殊なモニターなのだろうか」
 ジョルノが言った。しかし銀二には見えない。
「【スタンド使い】には見えるんだな」
「かなり力は小さいですが、微弱な電気を放っています。サバイバーに近いのかも」
「同質のものだったら大変なことになるな」
「知識はあるんですね。でも、今の動きを観るに、相手の動きを感知することに特化したタイプのように見えます」
「スタンドなのか」
「ヴィジョンが見えないので違う可能性が高いですが、リョウさんのを受け継いでいるのなら、やはりスタンドとは別物ですね。概念が近いだけで」
「なるほど。何はともあれ、目覚めた、ということだな…」
 銀二は近くにいた黒服を呼び、何かを告げた。

 その俊を、穴として、突破口として見ていた森田には苦しい展開となった。彼は、また新しい道を見つけなくてはならない。
(まるで…暗闇の荒野だ……)
 先程まで存在していた光はもうどこにもない。彼の周りはただただ漆黒。闇ばかり。
(ここは…諦めるのも一つの選択肢か?)
 ここまで、彼は8連勝。決勝トーナメント進出の条件は不明だが、ここまで勝ってきたのだ。高い確率で駒を進めることが出来るだろう。残りの局を、守備に徹してさえいれば、仮にラスになっても、致命的な点数にはならないだろう。
(だが…それで良いのか?)
 彼も考える。自分が、何故そこに居るのかを。
(俺は…あの人を越すんじゃないのか……?)
 ここは金を賭ける場では無い。命を賭ける場では無い。だが、そうでは無い。あくまで問題は…核心は……生き方なのだ。森田は両手で頬を叩いた。
(可能性がある限りトップを目指す。無論…もしかしたら飛ぶかもしれない。明日の試合に進むことも出来なくなるかもしれない。銀さんに見切りをつけられるかもしれない。だが…)
 端から負ける気で勝負するやつがあるか。覚悟を決めろ。森田鉄雄。彼はそう自分に言い聞かせた。

南2局 親 イーヴリン ドラ 6

北家 森田 配牌

二四六八⑨⑨239東西北北

ツモ 北 打 9

(しかし奇妙だ。さっきの局のもあるが、この第一打でも安心できない。ヒリつく…)

ツモ 七 打 西

(それはやはり…この『刃』は……殺意に近いからなんだろうな…)
 それはこの部屋にて、彼らと相対した時から突きつけられていた…『刃』。この『刃』は、かつて森田が戦った殺人鬼の発していたものよりも、遥かに鋭かった。
(銀さんが俺をここにやった理由が、解りかけてきたよ)
 目の前の三人の次元には、やはりまだ届くことは無いのだろう。目の前の三人が何かをやっていたとしても、己にはそれを感じる力など無い。しかし森田は折れない。
(麻雀と言うルールの上で、そして同じ卓に居るんだ。恐れるな)
 上家から三萬が切られる。

北家 森田 

チー 三二四 打 東

 鳴いて少し手が進んだ。もしかしたらこの三萬は、高次元での攻防のために、鳴かせてくれたものなのかもしれない。しかし森田にはそんなことは知りようも無い。知りようも無いことに、足を獲られるな。

東家 イーヴリン 手牌

二三四②②③③④④2388

南家 京太郎

11123456789白白

西家 俊 手牌

23456789発発発中中

北家 森田 手牌

六七八⑨⑨23北北北 チー 三二四

ツモ 北

(相手の手の形なんぞわからねぇ…。この『刃』…。暗槓すれば刺さるかもしれねぇ…。だが…)
 森田はその北を倒す。声はかからない。新ドラは1索。彼の手を伸ばした先には、嶺上。その『山』は…地の『動物』の生きることを許さない遥か高い『山』……。森田は『偶然』、その『山』に手を伸ばすことが出来た。
 そして掴んだのは、天の『鳥』。

「ツモ!」

北家 森田 手牌

六七八⑨⑨23 チー 三二四 暗カン 北北北北

ツモ 1

「60符3飜は、2000・3900!」

南2局

森田    34000(+7900)
イーヴリン 18400(-3900)
京太郎   26900(-2000)
俊     20700(-2000)

 これまで小場で進んでいたこの半荘であったが、ここに来て、ついに30000のラインを越える者が現れた。
(よし…っ!このまま…)
 だが、「このまま」と行かせないのが強者の世界。甘くは無い。

「ロン。8000」

南3局

森田    26000(-8000)
イーヴリン 26400(+8000)
京太郎   26900
俊     20700

 出る杭は打たれる。森田のトップは一瞬で終わった。

(なんて人達だ…)
 振り込んだ森田だけでは無い。俊も苦境に立たされていた。
 兎は使えないが、彼から発せられている電気は、相手の手を正確に伝えている。であるにも関わらず、安々とは行かせてくれない。
 半荘は、早くもオーラスを迎えた。

(必要なのは…運(じつりょく)だ……)
 俊がいる場所。それは強者の最低ライン。少なくとも、対面と上家はその領域に間違いない。牌や人の動きを感知するメカニズムは違えど、自分はようやくこの人たちの領域に踏み込んだに過ぎないのだと、彼は感じていた。
 そして、その運(じつりょく)という側面においては、恐らく自分はこの中で最も下である、ということも。

南4局 親 俊 ドラ 七

東家 俊 配牌

二三三四四四[五]五六六七九1西

(この配牌を喜べるメンバーじゃない…)

南家 森田 配牌

一二三⑥⑥⑥⑧⑧⑧2399

 配牌聴牌の森田も同様のことを考えていた。この面子で、この手が果たして和了れるのかどうか。

西家 イーヴリン 配牌

七七八八八⑦⑦⑦779西西

北家 京太郎 配牌

一九①⑨9東東南西北白発中

 俊は気付いている。
(この土壇場で…全員仕上げてる…。やはりこの人たちは凄い…)
 この1索は切れない。かといって西を切っていいものだろうか。イーヴリンの聴牌を許してしまう。それなら、誰もアクションを起こさない九萬辺りを切り飛ばすか?
(違うだろ…。武田俊…)
 彼はユキヒョウ…山口愛から言われた言葉を思い出す。
(危険を感じとって…その上で躱しながら一歩前に踏み込む。でなきゃ…)

 一生勝てない。

 打 西

「ポン」
 紅一点の声が卓上に響く。彼女は100人中99人が取るであろう選択をした。

西家 イーヴリン

ポン 西西西(対面ポン) 打 9

「ポン!」
 青い声が卓上に響く。彼は100人中99人が取らないであろう選択をした。

ポン 999(下家ポン) 打 ⑧

 イーヴリンの手にあるのは、⑥筒。打7索。
 男の理外の行動は、女の手を止めた。この⑥筒を切れば、男はまた羽ばたくだろう。
 そして京太郎の手には⑦筒。これで彼の手は死ぬ。
(やはり強いのはイーヴリンさんだ。『様子見』で来てる彼女でここまで強いんだ…。【魔女】…ニーマンさんはそれよりも強い。『あいつ等』は、この人たちと打ったことがあるのか?打ってないってんなら、勿体ねぇぞ)
 ここで⑦筒を切れば彼女はポンの後、打7索。⑤、⑧筒待ちに切り替える。そうなれば、次は京太郎が⑧筒を掴む展開。その予感は当たるだろう。彼は運(じつりょく)の違いを思い知らされた。

 森田の理外の行動によって発生した状況。三人が三人の手を殺す。
 故に、生き残った彼に道が開かれた。始まりであった、彼に。

東家 俊 手牌

二三三四四四[五]五六六七九1 ツモ 八

「リーチ」

 鳥は、河へと羽ばたいた。

「ツモ!」

東家 俊 手牌

二三三四四四五五六六七八九 ツモ 九

裏ドラ 四

「16000オール!」

森田    10000(-16000)
イーヴリン 10400(-16000)
京太郎   10900(-16000)
俊     68700(+48000)

(浅はかだった…)
 森田の理外の行動…直感。それは二人の手を止めはしたが、彼自身はそれを失敗と認定した。この場において、己の浅はかな直感が通じるわけが無い、と。結果、上家の役満を生んでしまった。
(結果最下位…。ラス…。最悪の結末…)
 悔やみ俯く森田。彼は、ここで終わったのだと思っていた。
 だが顔を上げると、彼らの表情は違う。集中を切らしていない。まだ…終わっていない。

「一本場」

 連荘。
 彼の熱は冷めていない。

(これは…まずいな)
 京太郎には経験がある。『止めようのないもの』を、『彼』が掴んだことを。

 つまり

「ツモ」

 結着は一瞬だった。

東家 俊 手牌

一一四五六④④④333555

「16100オール…!全員飛びで終了です…」

 天和。
 奔流に乗った猛獣を、もう誰も止めることは出来なかった。



―――
―――
―――



 初日の最終戦が終わりを迎えたが、俊はまだ対局室からまだ動いていなかった。勝負の興奮と熱が冷めていないこともあるが、考えることが多かったのもある。『兎』不調、電気、そしてこれからの事。分からないことだらけだ。
(最後の一戦では大勝出来たけど、明日のトーナメントに行ける程、トータルでは優秀な成績とも思えない。どこかで降ろされるんだろうか。それとも部屋で観戦という形になるのだろうか…)
 などと考えていたら、ドアが開き、一人の黒服が入ってきた。
「あ、すみませんっ。もう退きます」
 と彼は慌てて席を立ったが、黒服は予想外のことを言いだした。
「武田様ですね。これから…山城邸…『地下』にご案内いたします」
「え?これから?」
 どういうことか理解が追いつかなかった。船が一旦陸に戻って、それからということなのかと尋ねると、そうではないと黒服は返す。
「霧島神境と同じシステムです」
 ますます何を言っているのか、全く解らなかった。







 新庄さんと出会ったのは、中三の夏。その日は、福永遼一というクレバー(?)で売出し中だった同僚のアシストという形で卓についていた。アシストは私の他にもう一人いて、事実上3対1。その1に、新庄さんはいた。
「自信5割。不安5割。合わせて俺だ」
 こちらの要求通り、一人で来たあの人はそう言った。鏡で観たところ、それは言葉の通りで、温かい印象を受けた。この人が父だったら、と今でも思う。
 5回戦勝負。4回戦までは、あの人が見に回っていたのは解った。だけど福永さんらはそれに気付かない。そして5回戦開始時、起家だったあの人の爆発を止めることは出来なかった。
「俺は起家でラス親だ」
 の言に偽りは無かった。1000オールからスタートした打点は、局を重ねる毎に上がっていき、誰も手の届かない所まで行った。
 終盤、彼の娘の人質やら何やら騒がしいことがあったけど、仙道さんが介入して事態は収拾した。
 新庄さんは私に対し「共武会に腐らせておくには惜しい人材だな」と声をかけた。この世界で『家』をころころと変えることなど出来ない。結局スカウトは断るしかなかったけど、彼等との繋がりが消えることは無かったどころか、広がりを見せた。娘の香那ちゃんや、風間さん、馬券さん、仙道さん。
 鏡の事を教えると、あの人はより良い使い方を教えてくれた。それが今の私の戦術の基本になっている。
 あの人は優しかった。大きかった。あの人がお父さんだったなら…どれだけ良かっただろう。

 その人が…死んだ。

 山城に殺された。

 許せるわけが無い。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。誰だろう。
 ドアの向こうには、香那ちゃんがいた。
 その横には、有珠山の獅子原さんと……初代【サル】の、高鴨さん。







「そっか残念だなぁ…」
「月曜までには帰ってくるかもとは言ってましたが」
「それまでこの旅館で泊まっとこうかなぁ…」
 水原祐太は松実の宿に来ており、知人の赤土晴絵と卓を囲っていた。両脇には松実姉妹もいる。
「では、私達仕事に戻りますね」
 玄が立ち上がり、宥もそれに続いた。二人は東風一回だけ付き合っていた。
「あの娘達ともゆっくり打ちたいし」
「打つのは結構ですが、手は出さないでくださいよ」
 立ち去る美人姉妹に目を細め見惚れる祐太に対し、晴絵は忠告した。
「あいよ」
「それにしても、宥達相手に、上手く立ち回れましたね」
 東風一回ではあったが、祐太のまくりトップという形で終了していた。
「テレビは見ましたからね。相手をしたらどう打とうか、前から考えていました。上手くハマった、と言ったところかね」
「これも旅打ちの成果ってところですか。対応力の幅が広がったのも」
「北海道のパウチカムイはさすがに堪えたけどね。肉体への直接攻撃は反則だよ」
「ああ、有珠山のですか。そう言えば戒能プロも似たようなことが出来るみたいですよ」
「マジかっ…。あーあ。やっぱプロ辞めるべきじゃかったかなぁ…」
 彼は大きな溜息をついて、天を仰いだ。
「でも、辞めたからこそ、今のあなたがある、ですよね」
「まあね。でも当時の俺は、『表』を知らな過ぎた。舐めていたよ。当時は」
「テレビの映像からだけではわからないことも多いですからね。それに男子の方では、目だった打ち手は少なかったですし」
「目立たないからこそ怖ろしい。そういう打ち手がいることも、『こっち』に来て知りましたよ。Bリーグの『あの人』とかね」
「それが解るようでしたら、もう一回挑戦してみてはどうですか?私も来年度からプロに行くつもりです」
「もう少し『こっち』で修業してみたい気持ちもあるけど、どうかな。考えておきますかね」







「で、断られたと」
「他人の金では打たないそうです」
 『振られた』江藤はホテルに帰って来ていた。
「竹井さん。知っていましたね」
 竹井は今日もロビーの椅子に越し掛け、新聞を広げ、視線を文字から離さない。
「そんなのはどっちでもいいだろ。お前が口説けなかっただけだ。それと妙に諦めが良いな。他人の金が無理なら、あいつ自身に何らかの勝負の話を持ちかけて、稼がせるくらいの事は、お前はしそうなものだが」
 江藤は、彼の横の椅子に座った。
「『神殿』の建造に携わるより、完成した後、奪い取る方が楽しそうだと思いましてね」
「……『横浜』の…『あれ』の再現をまだ夢見てるのか?」
「白築さんの麻雀は確かに魅力的でした。ですが、あなたが思っているようなことはありません。『あれ』は、金になるんですよ」
「いや、お前はそういう奴だと思ってたが。『心酔』ってタマじゃねぇえだろ」

 日経平均の下落が、少し大きな記事になっていた。


















[19486] #62 混沌
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:52b7c6e4
Date: 2016/06/15 10:18


 銀二から呼び出しを受けた森田は、船内に設けられているバーに向かった。貸し切られているのか、マスターさえいない薄暗いカウンターには確かに銀二の背中を見つけたのだが、その隣にはストレートの黒髪をした女の子が座っていた。制服姿であり、女子高生。それを見た森田は一瞬足を止める。彼女は席を立ち、銀二に対して一礼した後、森田の横を通り過ぎ、バーを後にした。
「……銀さん?」
 彼は良からぬことを頭に浮かべつつ声をかけた。
「よお。今日はご苦労だったな。最終戦、大変だっただろ」
 銀二は振り返り、労いの言葉をかけるが森田の頭には入って来ない。
「あの…さっきの女の子は…」
 まさか自分の尊敬する人が、いや、悪党であることに違いは無いし愛人の五人や六人いてもおかしくは無いかもしれないが、いやまさかと森田は思っていたが、それは直ぐに否定された。
「辻垣内智葉。『こっち』の世界じゃ有名人だぞ。日本の大手の組の殆どは、元を辿れば火消しの辻垣内組に行き着く。あいつはその血を受け継いでいる。で、今回そこの嬢さんから直々に依頼が来たってだけさ」
「え…」
 呆けた森田に銀二は続けた。
「何か勘違いでもしたか?」
 言われた彼はハッとして、
「そ…そんなこと無いですよ。はは……」
 頭を掻いて誤魔化し、先程まで智葉が座っていた席に着いた。前にはウィスキーの瓶と氷の入ったコップが構えられている。
「まぁいい。ところで森田。明日の試合には出るか?」
 森田のコップに酒を注ぎながら、銀二は話題を変える。
「あ…すみません…って明日?トーナメントの事ですか?」
 反応が鈍いのは、彼はまだそのトーナメントに出場できるかどうかさえ知っていないからである。
「そうだ。お前はその枠に入った。後で通達されるが、その際に棄権を申し出ることも出来る」
 彼も自分のコップに酒を注いだ。智葉と居た時は手を付けていなかったようだ。
「棄権?」
 考えもしなかったことだ。勝ち進めたのなら、そのまま進めばいい。棄権する理由は森田自身には無い。
「俺が知っているだけでも既に三人棄権している」
 コップを揺らし、中の酒を軽く回しながら銀二は言った。名前を上げはしなかったが、棄権したのは、爆岡と積倉、そして雀明華である。
 船内調査も充分と判断したジョルノは、爆岡を『危険区域』から下がらせた。また、彼には来年度から日本のプロ雀士として働いてもらう予定もあり、彼に万が一があってはならない事も理由としている。
 研究員として参加しており、かつ決勝に駒を進めた積倉、ミョンファに対しては銀二の方から警告、棄権の運びとなった。『関係者』に近ければ近い程、この船でこれ以上『深く』入り込むのは危険であり、また、『事』が済んだあとの情勢を考慮に入れても、彼らの組織に『観測』させることは避けたかった。
 ミョンファについてはすんなりと言ったが、こういったことに関心を持つ積倉を説得するには『真実』が必要であった。銀二は彼に、彼が所属している橘総研の機密資料を証拠として、船で得られる『リターン』の正体を伝えた。
 酒を一口した後、銀二は森田に言った。
「お前達プレイヤーだけでなく、裏でも勝負があったんだ。明日の試合の観戦権を賭けたな」
「観戦権?」
 森田は酒には手を付けず、聞くことに集中していた。
「明日の対局室にはカメラは設置されない。観戦するためには、直接行くしかない。そういう場所だ。だから、何が何でも優勝し、『リターン』を得たい者共は、『壁役』として試合に参加するわけだ」
 もっとも、その『壁役』の全てを銀二とジョルノは蹴散らしたわけだが。
 彼は続ける。
「この船での俺の目的の成就のためには、俺かお前、どちらかが試合会場に入れば良かった。今回お前は予選を突破してくれたが、俺の方も『予選』を突破した。つまり、お前は棄権して、俺が行くだけでも良いんだ」
 何が何だかわからない。森田は聞いた。
「その前に銀さん…。『リターン』ってなんですか…」
 銀二は答える。
「その前に森田…。お前は神を信じるか?」
 一時の沈黙の中、カランと氷の音が部屋に響いた。







 本日の試合の全てを終え、寝室に戻った咲はドアの前で足が止まった。外国語の声が中から聞えたからだ。誰か居る。
(歌…?)
 恐る恐るドアを開けた彼女は目を疑い、ミョンファから借りた眼鏡を外し、その光景を見た。混沌は二つ存在した。一つは眼鏡をかけ直せば消えた。しかしもう一つは消えることなくその場にあり続けた。
 具体的に言うと、咲に特殊眼鏡を貸してくれた恩人がそこには居た。彼女はベッドに腰を下ろしている。そこまでは良い。まあ何かあるのだろう。眼鏡についてだとか船についてだとかの説明とかをするためにこの部屋に来てくれていたのかもしれない。何故鍵を開けて入って来れたのかは多少の疑問だがそんなことは大したことでは無い。
 問題は、その膝に一人の、金髪の、見覚えのある男子高校生の頭が横たわっていることである。膝枕。そう言えば千里山の園城寺怜が、病院のベッドの上で、竜華の膝枕がどうのこうのと言っていたことを咲は思い出した。
 というか鍵を開けたはこいつだ。須賀京太郎だ。当の本人は向こう側、ミョンファの腹の方に頭を向けている。寝ているのだろうか。それとも起きているのだろうか。咲は目の合った方に声をかけた。
「えっと…これは……」
「あ…えっと……その……」
 どこから説明したものか。数秒程沈黙があった。空気は固まり、咲は一歩も前に進むことが出来なかった。
「な…何か…京ちゃん…、あ、そこの男子が何かしてしまいました…?」
 その時の彼女には普段の文学的想像力は吹っ飛んでおり、目の前の二人に何があったのかがイメージできなかった。
「そ……そうでは無くて、えっと……う……歌です……」
「…歌?」
 キーワードを何とか脳から拾えたミョンファは、なんとかそこから繋げることが出来た。
「欧州選手権とか、ご覧になったことはありますか?」
「…たまに…テレビで見たことは有りますけど…」
 話が飛んだ印象を受けたが、咲は質問に答えた。
「…そこでは…対局中歌うことは禁止されていないんです」
「え?…あ…。あぁ……え?」
 確かに、歌っている選手を、咲は何人かはテレビで見たことはあったが、どうもキーワードが繋がりそうで、中々繋げられないでいた。
「ここは非公式の大会ですので、歌うことは許されたんです…それで…、この方と打った時も…」
 ミョンファは軽く膝の上に乗る金髪を撫でようとした。
「ストップ!」
 反射的に咲は声をあげた。
「あ…すみませんっ……」
 彼女はビクッとして手を止めた。
「せ…説明の続きを…」
「あ…はい。……それで、この方が、後でまたゆっくり聴きたいと申していたので、今日の試合が終った後でなら、ということで、ここに来たんです」
「そ…そう……」
 これで状況の半分は理解できた。この子は咲に用があってきたわけでは無く、そこの金髪に用があって来たわけだ。
「これで…よろしいでしょうか…」
 よろしくないです。まだ半分です。
「いや…この部屋に来た理由の方はわかりましたけど、その…なんで…そこの男子は、そこで寝ているのか…」
 ミョンファは視線を金髪に下ろした。
「ああ。疲れていたのか。部屋に入ったらすぐに寝てしまってしまって。どうしたものかと思って。ネリー…あ、同じ留学生のネリーがサトハのお腹に寝っころがっていたことを思い出して、その真似みたいなことをしてみたんです。さすがにこの方の身体は大きいので、頭を膝に乗せるくらいしか出来ませんでしたが」
「あぁ……えぇ……」
(サトハ?辻垣内さんの事かな…)
 理解できたような出来ないような。
「これで…よろしいでしょうか…」
 まぁいいでしょう。
「とりあえず、その頭、降ろしてもらっていいですか」
「あ、はい」
 彼女は横にずれ、京太郎の頭をベッドに下ろした。その後、横にあった枕を拾って、彼の頭をそこに乗せた。
「あ、わざわざどうも」
 その頭が、その時微かに動いたのを咲は見逃さなかった。だがその前にミョンファの方から一言が挟まれた。
「あ…そうでした…」
「え?」
 一件が終わりかけたと思ったら、まだ何かあるのか。もうあまりこっち方面では突っ込みたくない心境ではあったのだが。
「明日の試合。あなたはどうしますか?」
 別方面であったが、この方面でも若干の混乱を彼女に与えた。
「明日の?…出るって…?」
 ミョンファは答える。
「私の方は先程、母の友人から棄権するよう言われまして、ここから先は進まない方が良いそうです」
 再び、若干の沈黙が訪れた。しかし先程とは違い、彼女が何を言っているのかが、咲には大体理解出来た。一呼吸し、咲は返答する。
「私は行きます。そこの京ちゃんもそうだと思う。私達には、どれだけ危険でも行く理由があるので」
 さっきまでのおどおどした雰囲気とは一転し、真っ直ぐとした瞳がミョンファを貫いた。もうこれ以上の言葉は不要だった。
「そうですか…。まぁあなたは研究員では無いですし、大丈夫かもしれませんが、どうかお気をつけて。眼鏡の方はあなたにそのまま差し上げます」
「はい。ありがとうございます…」
 ミョンファは立ち上がり、部屋を後にした。

 バタンとドアが閉まると、咲は金髪の寝るベッドの方に歩を進め、そして金髪の頭に鉄槌を下した。
「いてぇ!」
 京太郎は飛びあがるように身体を起こした。「何しやがる」と文句の一つでも言いかけたが先制は咲だった。
「起きてたでしょ…」
「うっ…」
 彼は「何の事だ」と反論出来ない自分の弱さを呪った。目の前の圧倒的力は、彼に有無を言わす隙を与えなかった。
 咲の二度目の鉄槌は、姉から受け継いだコークスクリューであった。







 高鴨穏乃が園長…風間巌らと行動していた期間は3ヵ月と短い。それは原村和が引っ越した翌月からであり、巌がチームを立ち上げた時期と重なる。その頃は、まだ【ZOO】という名前も持っていなかった。
 巌がまず声をかけようと思っていたのは少年時代世話になった穏乃の祖父であった。かつての恩人への挨拶、組織を立ち上げたことの報告程度のつもりであったが、既に他界していた。彼は孫の穏乃と日本各地の山を渡り歩いており、巌は彼女の幼い頃の姿を知っている。彼はせめて成長した穏乃の顔だけでも見ようと、彼女に会いに行った。
 会いには行ったものの家には居なかった。母親に聞くと、山に行ったと返ってきた。彼女の行動力を考えると、本来ならこの時点で諦めるところであったが、彼は試しに穏乃の祖父と一番よく歩いた道を行ってみることにした。チャレンジは成功。深い所に、穏乃はいた。
 当時の穏乃は中学二年。表面上は小さな女の子だ。しかしその彼女の纏っていた気は巌を圧した。巌は「これだ」と確信した。この力は、成熟したものでは無く、これから伸びる力であることを、当時の巌には疑いようも無かった。つまり、求めていた『若さ』がそこにはあったのだと、その時の彼には思えたのだ。
 和と離れ、孤立していた当時の穏乃の選んだ道は、牌のある道だった。
 後の【チャップマン】、馬場券悟も加わった彼らは無敵だった。だがそれも長くは続かなかった。勝負は卓上だけが全てでは無かったことを、馬券の実家を燃やされることで彼らは知った。命知らずの男二人はともかく、穏乃をこのままチームには居させることは出来ない。少なくとも、自分自身がリーダーとして未熟なうちは。
 別れ際、穏乃にはチームにいた名残としてコードネームが与えられた。このコードネームは、メンバーの素性を隠す方法の一つとして、後の【ZOO】にも受け継がれている。
 彼女に与えられたコードネームは、【サル】。その初代【サル】が今、夕暮れの山城邸前にて、かつての仲間と再会した。しかし【ZOO】のリーダー…園長の第一声は
「何故お前等がここに!?」
 であった。
 新庄の死を知らされた園長と仙道は行動を開始した。しかし、彼女達を巻き込む気は無かった。香那も、照も、穏乃も。
「まさかカナちゃんも山城麻雀を?」
 仙道の問いに、コクリと香那は頷く。
「お前ら、自分達が何をしようとしてるのか解っているのか?」
「解っているよ。風間さん…いえ、今は【園長】ですね」
 園長の問いに、穏乃は答えた。
「香那のお父さんの仇…」
 照も続く。二人は香那が選別し、ここに来た。照は親友であり、穏乃はインハイの『あの大将戦』に出て唯一連絡を取れた者(風間巌の元同僚であることは後で知った)。
「後ろにいる奴は誰だ…」
 仙道は彼女達の後ろにいた、赤い髪のサイドテールの女子を指して言った。
「こんにちは。こんばんはかな?」
 ペコリと頭を下げたのは有珠山高校の獅子原爽。香那が説明するに、北海道で知り合った友人であり、彼女も戦力になるとのこと。だが、園長は緊張感の無い爽の表情を見て言った。
「もう一度言う。お前ら、自分達が何をしようとしてるのか解っているのか?」
「命の遣り取り…いや、一方的な狩りの場へのダイブ…かなぁ…」
 爽の返答には間が無かった。
「っ!」
 その一瞬、園長と仙道は強い圧力を感じた。発生源は、彼女の背後。眼には見えないが…しかしあまりにも巨大な存在が、そこにはある。それも『複数』。5~6はいるだろうか。もし実体化したのなら、広大な山城邸を破壊し尽くせるのではと錯覚させられるほどの。
「昔、何度も死にそうになった時はあったし、その度に『こいつら』に助けてもらってたからか…感覚が麻痺してるのかも」
 園長は、『あの時の』穏乃を見た時と同じ感覚に襲われた。だが、あの時の感覚は正確では無かったことを知った。これは『若さ』では無い。『神々』の力だ。
「これる奴は全部連れてきた。麻雀以外でも戦力にはなると思うよ。カナの事も、私が守るから」
 丁度その時、一台の中型トラックがその場に着いた。
「騒がしいな」
 助手席から降りてきたのはワシズ。彼は辺りを見渡ながらそう言った。
「……この娘らも山城麻雀に参加すると言って…」
 仙道が説明したと同じくして、荷台の扉が開かれた。
 そこからはD・Dとネリーが降りてきた。その奥には、札束の壁が見える。200億…いや300億か。
「参加人数が増えたのかい?」とD・Dが言うと、
「5人でも十分だと思うけど。取り分はそっちの方が多いし、ネリーはこのままでも良い」とサカルトヴェロの少女が続いた。

 日が沈みかけようとしたその時、
「ククク…」
 冷たい風と共に、小さな笑い声が場に響いた。
 影は、笑い声の主の顔を冷血な獣の顔へと変貌させた。
「毒が抜けきってなかったなぁ…」
 ここにまた一人、眠っていた野性を呼び戻した者がいた。











[19486] #63 神威
Name: 叶芽◆8aff19b3 ID:52b7c6e4
Date: 2016/06/17 04:28
#63 神威


 共武会、桜道会、桜輪会。これら三つの勢力に比べ、山城連合の支配地域は狭い。しかしその会長、山城雷蔵は警察、消防委員長のポストも持ち、与党の支持母体である宗教法人を隠然たる力で牛耳っている。つまり公権力への影響力は三大勢力よりも上である。
 何故か。その秘密は山城邸の土地そのものに隠されている。

「それでは会場にご案内いたしますのでついてきてください」
 案内人に従い、ワシズ達が向かった先は裏庭に設置された茶室だった。案内人が壁に設置されたコンセントに手を添えると、コンセントは下にスライドする仕掛けになっており、元の位置には小さな穴があった。彼は持っていた柄杓の切止をその穴に挿し込んだ。すると襖の向こうからガゴンと大きな音が鳴り、襖が開いた。
「わお」
 爽、穏乃はその仕掛けに声を揃えて驚いた。照は声こそは出さなかったがその表情は二人と同じだ。

「どうぞ、何人にも邪魔されない世界へ」

 そこには地下へと続く階段が出現していた。ネリーはそれを見て目を細めた。
「どうでもいいことにお金を使うんだね」
「金持ちの道楽か…下らん」
 ワシズは小さく鼻を鳴らした。
(吸血麻雀をしていたあんたが言うか…)
 園長と仙道は同じことを考え小さく驚きの色を見せると、それを見たD・Dはくすりと笑った。
 そして香那は関心を示すことなく、その表情は石のままだ。

「打っていない方々はこちらの部屋でお寛ぎください」
 階段を降り切った先の部屋…待機室で、案内人が口を開いた。広大な待機室には、観戦用モニター、テーブル、ソファだけでなく、シャワールームや手洗い場、台所、寝室も完備しており、数週間程度であれば住むことも出来るようになっている。お泊り会であればワクワクも出来ただろうなと、穏乃と爽は思った。
「それでは、山城麻雀のシステムについてご説明します」
 五人以上での参加の場合、各関門毎に二人まで打つことが出来ること、一度打ち終わった者の再戦、及び途中での交代は不可であること。各関門突破には『クリア条件』があること。クリア出来なかった時点で敗北であること。それが山城麻雀におけるルールであった。
「全ての関門を突破出来なければあなた方の敗北です。一度始めたら途中での棄権は認めません。それでもよろしいですか?」
 案内人はその顔に絶対の自信を込めて言ったが、
「それはこちらの台詞だ」
 ワシズの一言により一瞬で覆った。
「掛け金は3000億。100倍返しのこの山城麻雀において、貴様らは30兆をこのワシに支払う。その覚悟があるか」
 案内人はそのプレッシャーに後退りし、閉口した。屋敷の前に停めた300億を入れたトラックは、後9台は来るのだ。
「で…ではエレベーターでお待ちしておりますので…準備が出来ましたら…」
 そう言って彼はそそくさと待機室を後にした。
「そう言えば関門は幾つあるんだろう…」
 穏乃の疑問にはD・Dが答えた。
「5つだよ。元々は5人で攻略するつもりだったからね」
 つまり、各関門一人だけで突破するつもりであった。故に、
(ほんとメンバー増えて良かったー…)
 というのが仙道の気持であった。遥か年下の小娘、ネリーに対して見栄を張ったがために5人の段階でGOサインを出してしまい、正直な話後悔していたのである。
「それで、緒戦は誰が」
 照が聞いた。
「今9人いるから、5つの内一つは一人で行かないといけないのか…」
 連れてきた【カムイ】を全てフル稼働させれば一人でも行けるだろうかと爽は一瞬思ったが、絶対の自身の方は無く、我先にと名乗り上げることは出来なかった。
「ワシが行く。一人で十分だ」
「ネリーが行っても良いよ」
「私が行こうか?」
「俺が行く」
「え…」
 仙道は一瞬目が皿になり、小さく声を漏らしてしまった。
 立候補者は4名。ワシズ、ネリー、D・D、園長。本来ならこの『一人』で突破する関門がネックで有るはずなのだ。この山城麻雀、各関門のクリア条件は向こうが一方的に提示し、しかも相手の戦力は不明、加えて1対3。普通なら不可能と言う文字が真っ先に出てくる。しかしこの4名は、端から『一人』で関門を突破する気でいた者達だ。
「貴様等は下がっておれ。ワシはガキのお守りをするつもりは無い」
 ワシズはそう三人に言い放った。
「何?」
「ガキって言った?」
 園長とネリーらがワシズとの間に火花を散らし始めた。それを見たD・Dは、
「まぁまぁ、ワシズはきっとコンビ打ちはもうこりごりなんだと思うよ」
 と二人を宥めに入った。ワシズはそのD・Dを睨み付ける。アカギと熊倉に敗北したあの忌まわしい過去を思い出させたからだ。
「揉め事は止めて…」
 彼らの睨み合いの拮抗を解いたのは香那だった。表面上は覇気の無い声であったが、その内から強大なプレッシャーが発せられたことは、場の全員が感じた。
 彼女に言われたら園長は引かざるを得ない。D・Dは元より引く気であったし、ネリーはその流れから自分も引いた。結局、緒戦はワシズが行くことになった。
(おいおい大丈夫なのかよ…)
 端から見た仙道にとっては不安しかない。チームとしては歪。ソロ攻略をワシズが請け負ってくれたものだから、後は必然的にタッグ戦。故にこのメンバーの誰かとは組まなくてはならない。
(カナちゃんか照しかいないぞ…組めるの…)
 仙道の意識はもう第二関門以降に向けられており、本来なら難関であった『ソロ攻略』のことなど眼中に無かった。
 それもそのはず。

「ツモ。32000オール」

 クリア条件は『山城側を3人同時にトバす』こと。ワシズにはその程度、障害ですらないのだ。彼は東1局、天和大三元により関門を突破した。

「貴様等、何をしている」
 緒戦を文字通り秒殺でクリアし、待機室に戻ってきた彼が見たものは、8人の大人子供らが揃ってジャンケンをしている様であった。対局内容を中継しているテレビには目もくれずに。
「あ、お疲れ様です!」
ワシズの声に反応し振り返ったのは穏乃だった。
「今グッパで4組の振り分けをしてるんですけど…中々決まらなくて…てかこれ決まらないなぁ」
 そう言って頭を掻いた彼女に対し、
「言いだしたのはお前だろ」
「これアミダの方が良かったんじゃ」
 と園長と照からダメ出しが入る。
「じゃ次で決まらなかったらアミダにしません?」
 爽が提案すると残りは同意したが、その次であっさりと決まった。順番の方は爽の提案したアミダで決めることになり、作成は爽が担当した。
 振り分けと順番は以下の通り。

第二関門 仙道・爽ペア
第三関門 園長・穏乃ペア
第四関門 照・香那ペア
第五関門 D・D・ネリーペア

「それじゃあちょっと行ってくる」
「頑張って」
 エレベーターに歩を進めた爽に対し、香那は小さく手を振った。
「頑張って下さい!」
「落ち着いて」
「負けないでよー」
 穏乃と照、ネリーもそれに続いた。
「どうした仙道、行かんのか」
 園長はポカンとその場に立ちつくしていた仙道に声をかけた。
「あ、いや、行くが…」
(何だこの緊張感の無さは…いや、この方が寧ろ良いのか?)
 D・Dやネリー辺りと組むことが無かった点では安堵したが、こいつはこいつで調子が狂う。読めない。やはり照か香那と組めたらなと彼は思いながら、爽の後に続いてエレベーターに向かった。

「その、なんだ…大丈夫なのか?」
 下るエレベーターの中、仙道は爽に声をかけた。
「緊張してないわけじゃないんですけど」
「カナちゃんの友人って言っていたな」
「うん。カナが北海道に家族旅行で来た時に知り合った。お父さん…直樹さんにも会ったよ。優しくて良い人だった」
 エレベーターが止まり、扉が開くと先に前に出たのは爽だった。立ち止まり彼女は続ける。
「いつもは『こいつ等』に助けてもらっていたんだけど、あの時私を見つけたのは、あの人だった。まぁ偶然なんだろうけど」
 仙道は彼女の背中とそしてその周りに『何か』がいるのを感じた。何かは見えない。しかし確かに『何か』はいる。
「そうか…」
「死ぬつもりは無いですよ。チカ達も心配するだろうし、早めに終わらせて、家に帰るつもりです」
「なら…死なせるわけにはいかねぇな」
 彼は大きく踏み出し、彼女の左手に並んだ。先程までの不安は吹き飛び、そして確信できた。自分のパートナーが彼女で良かったと。
「安心しろ。俺様の『豪運』に任せておけ!」
「ゴウウン?」
「圧倒的かつ図太い運だ。夏の大会、インハイにフランケンが出てきただろ?比較対象はワシズや傀、竜でも良い。俺様はあいつ等より上もだ。遥かにな!」
 実際の所は不明だが、この際は嘘でも言ってしまった方が良い。
「そっか。なら、もしピンチになったらお願いしますね」
 二人は表情を引き締めらせ、対局室までの廊下を進んだ。

「遅い!」
 卓の手前側に座っていたスモーカーの黒髪オールバックが、対局室に入ってきた二人に対して怒鳴りたてた。
「落ち着けよ。女の子もいるんだ。優しく行こうぜ」
 その彼を宥めたのはその対面に座る、茶髪での短髪の男。
「ゴンとイチロー!?」
 仙道はその二人を見て思わず声をあげた。
「何?知り合い?」
 と爽が聞くと
「いや、知り合いでは無いが会長の懐刀だ…。特にあの黒髪の方…ゴンは、全ての局で役満手が入る奴だ。序盤から来るとは…」
 と仙道は声に緊張を交え答えた。
「なら…早い段階で強い人を潰せるんだね。あ、座る場所の指定はあります?」
 彼女は案内人に質問すると、どちらでもと返されたので、黒髪オールバック…ゴンの上家にすっと座った。
「随分と肝が据わってるじゃねえか」
「ハッハッ。楽しみだ」
 険しい表情を崩さないゴン、爽やかな笑顔を見せるイチロー。二人は対照的だ。
「馬鹿って思ってもらって結構ですよ。友人からは、聖書の引用文の間違いを指摘されたりするし」
「クリスチャンかい?」
「ミッション系の学校なんです」
 飄々とした態度で返す爽であったが、彼女の目には覚悟があった。その姿を見て、仙道はあらためて気を引き締めた。
(俺が臆してどうする!)
 一息ついた後、彼は爽の対面にどしりと座り、腕を組んだ。

 四人が席に着いたことを確認した後、案内人からルール説明がされた。
・東南戦
・25000点持ち30000点返し
・赤無し。ダブル役満、役満の重複有り。
・ワシズ側(代表者はワシズ)でトビが出た時点で終了
・リーチ無し
・通過条件[10万点以上のトップ]
・条件を満たさずに半荘終了、もしくは山城側でトビが出た時に条件を満たしていない場合は同条件で半荘を繰り返す

(えぐいなー)
(この二人相手だと、持久戦になるか…)
 爽、仙道、二人の表情は険しさを増す。25000点持ちとなると10万点の条件とはつまり全員から点棒をかき集めなくてはならない。条件は厳しい。だが、二人は引くことは許されない。辞退も当然、イコール死なのだから。

座順

ゴン→爽→イチロー→仙道

東1局 親 ゴン ドラ ⑥

南家 爽 配牌

一一四七八②④⑨2西白中中

(全局役満手かぁ…。こりゃ短期決戦だな)
 爽の考えは仙道とは真逆であった。つまり、初手から彼女は攻める。

(【アッコロ】と【ホヤウ】!!)

(むっ…)
 ゴン、そして仙道は爽の方向から強大な何かが現れたのを感じた。巨大なタコのようなもの、羽の生えた蛇のようなもの…彼らにその姿など見えはしないが、確かにいる。そして変化は場の空気だけでは無く、ツモにも。

東家 ゴン 手牌

四九①②⑧⑨289東南北中

 この形に2巡目は④筒。3巡目は7索。4巡目は3索。ゴンは全てツモ切ったが、彼にとってのこの『異常』は6巡目以降も続いた。

「何だこれは…偶然か?」
 待機室で観戦していた園長が呟いた。テーブル周りに椅子が4つ設置されており、内3つに園長、D・D、照が座り、ソファには、香那、穏乃、ネリーの三名が座っている。ワシズは寝室で寝ており、第四関門になったら起こせとの事。
「有効牌をツモ切っていることですか?」
 園長の呟きに対して反応した穏乃が言った。
「いや、その有効牌をツモっていることだ」
「どういうこと?」
 ネリーが聞いた。
「あの黒髪…ゴンは全ての局で役満手が入る男なんだ。今回の場合は国士。つまり高い確率でヤオチュウ牌を引いてくるはずなんだが…」
「たぶん爽の【ホヤウ】だと思う」
 そう答えたのは香那。
「私も個人戦で当たった時【鏡】で観たことあるけど、香那の言う通り【カムイ】の一つだと思う。暫くは他の力の干渉から爽を守ってくれている。そのゴンさんが思うように力が発揮できていないとすれば、もしかしたらゴンさんの力は全体効果系の要素も強いのかも」
「役満手をツモるということは、役満に不要な牌を相手に押し付けるとも考えられる…か」
(この子達、役満自体には大して関心が無いんだね)
 D・Dはそう思いながら、彼らの会話を聞いていた。
「加えて、もう一つ使っている」
 8巡目に入った爽の手を見て照は言った。

南家 爽 手牌

一一一四五七八八八④中中中 ツモ 一

「カン」

 嶺上から持ってきた牌は六萬、捲られた表示牌は七萬、つまり新ドラは八萬。そして打④筒により聴牌。

(【アッコロ】の怖いところは山も赤く染まること。出来ることならリーチもしたかったけど、出来ないルールなのが辛いな)
 そして次巡…

「ツモ」

南家 爽 手牌

四五六七八八八中中中 暗槓 一一一一 ツモ 九

「4000・8000」

東1局

ゴン    17000(-8000)
爽     41000(+16000)
イチロー  21000(-4000)
仙道    21000(-4000)

 仙道は対面の爽を見た。
(あいつ…何かやったのか…)

北家 仙道 手牌

三九④④⑤⑤⑥⑥23444

 4巡目まではその豪運で手を順調に進めて聴牌していた彼であったが、5巡目以降に引いてくる牌は萬子と中であった。7巡目、そして爽が聴牌した8巡目にツモって来た三萬と九萬には嫌な気配を感じ、彼はテンパイを崩した。

(強いな…)
 まだ東1局。しかしこの時点でゴンは彼女の力を認めた。己の力に干渉してくる魔の存在、それを複数使役する彼女の力を。腰を据えて打たなくてはならない相手。新庄直樹に続き、それがまたも現れた。
(ゴンのあの目…この女の子はそれ程か…)
 そのゴンの様子を見てイチローもまた気を引き締めた。彼には異能を感知する力は無い。だが何よりも仲間のゴンを信じ、そして信じているからこそ、彼もまた彼女の強さを認めた。
 だが二人に共通する意思はこうだ。それでも俺達が勝つ。その二人の目が爽に向けられる。

東2局 親 爽 ドラ 西

(こりゃやっぱりのんびりとは行けないか…。【ホヤウ】がいるうちに畳み掛ける!白いの!)

 東2局の配牌前、爽から気配が変わったのを仙道とゴンは感じた。今度は生物的なプレッシャーでは無く、掴むことの出来ない、気体のようなもの。

東家 爽 配牌

二⑧12224457899南

「今度は【五色の雲】…白い雲かな」
「解説してくれ、照」
 もうこの時点で園長は爽の力について考えることを放棄していた。
「【雲】を掛けた対象には索子が集まる。この【雲】は自分だけじゃなくて相手にも掛けれるから、相手に掛けたら相手に索子が集まる性質があるみたい。今回は自分に掛けたようだけど」

 照の推察通り、次巡そしてまた次巡と爽の手には索子が生えてきていた。

東家 爽 手牌

2224445678999

河 

南⑧二1

 染めかどうかさえ分からぬ高速聴牌。これなら振り込みも期待できるだろうか。否。彼女はそうは考えない。

(ここは確実にキメに行く!【パコロカムイ】!)

南家 イチロー 手牌

三四五六六六七①②③④⑤⑥ ツモ 9

 掛けた対象は下家。髪の長い女性のような姿をした何かが彼に忍び寄る。その力故に、爽が聴牌した同巡、和了牌の9索を掴んだ。これが【寿命の支配者】(パコロカムイ)の力。彼はこの手を降りるだろうか。否。相手の力が何であろうと、彼の麻雀哲学に、ここで降りるという選択肢は無い。

「ロン!18000!」

東家 爽 手牌

2224445678999 ロン 9

東2局

ゴン    17000
爽     59000(+18000)
イチロー  3000(-18000)
仙道    21000

 インパチを直撃したイチローであったが、そこに動揺の色は無い。クリア条件は10万点。それに達しない段階で飛んだ場合は半荘のリセット。寧ろこの点数は、向こうのツモ和了を封じたことになる。
 逆に困惑を見せたのは仙道であった。
(今度は索子?一体何なんだこいつの力は。俺や風間のような豪運タイプじゃない。ゴンの役満、会長の【花】とも違う。これは、『表』の戒能辺りと近いやつか…)
 仙道は爽と事前に打ち合わせをしていなかったことを後悔した。勢いで歩を進めてしまったばかりに、最も大事な情報戦を見落としていた。

 東2局1本場、ドラは南。爽は畳み掛ける。

東家 爽 配牌

二四八九①③⑦⑦157南西北

(ここは【フリ】で行く)

 巨鳥…【フリカムイ】は手牌のオタ風を呼び込む。今回の場合、南、西、北とオタ風が三種ある配牌であったため、彼女は【フリ】を呼んだ。
(どうやら、今回この俺はサポート役のようだな。参加できないわけでは無いが、10万点がクリア条件である以上、二人が同じ半荘で前に出ることは出来ん)
 仙道は爽の筒子の染めを臭わす河を見た。

東家 爽 河

1九八二四7

副露

チー ②①③ ポン 西西西(下家ポン)

仙道

二二二⑥⑦666888白白 ツモ ⑦

(普段の俺ならここで打⑥筒だが…)
 彼が手をかけたのは⑦筒。ツモ切り。爽に筒子を渡すことを意識しつつ、手の広さを維持した。

「ポン」
(ありがとおじさんっ)
 彼女は心の中で感謝しつつその⑦筒を叩いた。

東家 爽 手牌

南南北北 チー ②①③ ポン ⑦⑦⑦(対面ポン) ポン 西西西(下家ポン)

 爽が聴牌した同巡、上家から和了牌の北が切られた。上家ならこのルールではデバサイ。和了らない理由は無かった。

東2局1本場

ゴン   4700(-12300)
爽    59000(+12300)
イチロー 3000
仙道   21000

(ラッキーだ。【パコロ】が帰ってしまった今、もしかしたらこの手は死ぬかもとも思ってたけど、一番良いところから出てくれた)
 彼女はその表情に若干の安堵を見せた。

北家 ゴン 手牌

一一一一二三999東東東南

 一方ゴンの表情は険しいままだ。だが、親満を振り込んでショックを受けたわけじゃ無い。その手から、己の力が帰ってき始めている。
(あと3局か…2局か…)
 【ホヤウ】の力がもう長くないことを爽も感じていた。しかしこの状況は彼女にとってベスト。次の局でトリプル以上を仕上げて決着。彼女は【黒】と【青】、二つの【雲】を出現させた。
(来るか…)
 残り3局か2局凌げば己の力が戻ってくる。だがそれは凌げればの話だ。相手は力の使い方に関しては素人では無い。修羅場も潜っているのも分かる。ここで勝負に来るのは必然。彼らは今、追い詰められている。
(イチロー…)
 ゴンは対面の仲間を睨み付ける。仲間のその瞳には鋭さと真剣さがあり、対局前にはあった余裕の色がもう疾うに消えている。挑戦者と違い、彼らは負けたら死と言うわけでは無い。寧ろ死よりも屈辱的なことが待っている。負けるわけにはいかない。勝つことが、彼らの義務だからだ。

―――人間の線引きはどこから、誰が決める。

 廊下には肌の白い少年たちがいた。彼らはあまりにも白く、その白さは廊下全体をも染め上げているようだったと、当時の二人には見えた。
 白い廊下を抜けた先もまた白だった。その部屋には白い仮面をつけた大人たちが座っていた。素性を隠すためのものなのだろう。だが、一人だけ仮面を付けずに厳めしく品定めをする男がいた。山城雷蔵である。
 年に一度開かれる身寄りのない児童のオークション。田中権左ェ門、鈴木一郎、二人は買われたのだ。色小姓として。

「え?」
 爽と仙道はぎょっとした。茶髪の男がおもむろに口紅を取り出し、それを己の口に塗り始めたのだ。男は答える。
「気分転換だ」
(本気か、イチロー…)
 これまで岩のようだったゴンの表情が、微かに柔らかさを見せた。

「リーチ」
 東2局2本場、7巡目、男のその行為はさらに二人をぎょっとさせる。
「あれ?リーチって」
「無しのルールだっただろ」
 男は答える。
「その通りだ。だからこれはただのポーズだ。役にリーチはつかないし、一発は無い。裏ドラも捲らない」
 彼の麻雀はデジタル。そして彼が何より大事にしているのは、そのスタイルを崩さないことだ。リーチの動機はいたってシンプル。彼にとってこの手は、リーチをする手だからだ。

南家 イチロー 手牌

六七八⑥⑦⑧2234778 ツモ 8

打 2

 5索が上家と下家に1枚ずつ落ちている状況から、彼は三色の目も平和の目も捨てた。待ちの数が変わらないなら、聴牌の早さを優先する。それが彼のスタイルだった。

「ツモ。500・1000は700・1200」

東2局2本場

ゴン    4000(-700)
爽     70100(-1200)
イチロー  5600(+2600)
仙道    20300(-700)

 東3局にはさらに加速、爽が仕掛ける前に2000オールをツモ和了る。

東3局

ゴン    2000(-2000)
爽    68100(-2000)
イチロー 11600(+6000)
仙道   18300(-2000)

 つまりスピード。このスピードが結果的に、髙めの一撃を狙う爽の【カムイ】と【雲】の一手先を行き、攻略する形となったのだ。
(打点は高くない…。通常の麻雀なら大したことは無いけど…でも今は違う)
 今の爽にとってはこのスピードこそ天敵と言っても良い。【カムイ】も【雲】も消費型。そして高火力を求められるこのルール。彼女に長期戦が出来ない以上、早い手で流されるのは痛い。

 イチローにはゴンや会長、風間達のような特殊な力も豪運も無い。山城の中では、才能の無い人間と言ってもいい。故に、麻雀を覚えたての頃は勝率は高くはなく、上を見上げるだけの日々が続いた。
 そんな彼に希望を与えたのは、ネット麻雀と、外の世界だった。デジタルでも勝つ者がいるという事実が、この世界にはあったからだ。ネット麻雀界の【のどっち】だけでは無い。表のトッププロや世界に目を向ければ、魑魅魍魎の魔界において、通常の麻雀で勝つ者もいる。
 麻雀に甘美な夢も情熱も要らない。当たり前の打牌を繰り返していれば勝利はついてくる。彼はそう信じたのだ。そしてその意思は今、神の存在に楔を打ち込んだ。

(まいったな…。チャンスが無いまま【ホヤウ】が、帰ってしまった……)
 それは同時に、役満の担い手、ゴンの力の解放を意味する。彼はサイドテーブルの灰皿に今吸っていた煙草の火を押し付け、新しい煙草を取り出し、咥え、火をつけた。
「やっと来たのか…ゴン」

「待たせたな」

(後一歩の所で…!ゴンの野郎が来るのか…!)
 これまで静かだったのが仙道にとっては違和感であったが、寧ろそれはチャンスと判断し、これまで勢いのあった爽をサポートしてきた。だが今のゴンの『宣言』。ブラフとも思えない。次の局から、自分の知っている『ゴン』が来る。彼は対面の爽を見た。
(どうしたんだ…?お前のあの意味不明な力は、もう打ち止めなのか!?)
 爽の方から、『気配』の数が減っている。そう感じた仙道は戦術を変えざるを得なかった。
(やはり俺の最初に想定した通り、この戦い…長期戦になるかもしれんな…)

東3局1本場 親 イチロー ドラ ④

南家 仙道 手牌

四五六六六④⑤⑥⑥⑥456 ツモ ④

 爽とは対照的に、仙道の豪運は翳りを見せない。
(普段の俺なら打⑥筒で、嵌⑤筒をツモ和了る。だが…)
 下家からの気配。彼は逡巡する。

西家 ゴン 手牌

22334466788発発

(ツモ和了ってこの半荘をリセットするべきなのか。そうすれば、作戦会議も出来る。しかし、あいつの力の性質が局ごとに違うということは、戒能のような打ち手と同じように、消費型の可能性もある。となれば、半荘のリセットは悪手…)
 彼の選択はドラのツモ切り。爽から和了ることも選択肢に入れ、彼女の残った力に期待しつつの折衷案。
 そして同巡、ゴンの河に7索が置かれた。仙道の心拍が早まった。

西家 ゴン 河

三②五六④白


(索子での役満となると九蓮か緑一色…7索が溢れたということは緑一色か)
 その直後、対面の爽の河には⑥筒が置かれ、彼は小さく歯ぎしりをした。
(ここは…致し方ないかっ)

南家 仙道 手牌

四五六六六④⑤⑥⑥⑥456 ロン ⑥

東3局1本場

ゴン    2000
爽     62600(-5500)
イチロー  11600
仙道    23800(+5500)

 しかしこの折衷案が、二人を窮地に追い込むことになる。

 つまり…

「ツモ。8000・16000!」

東4局 親 仙道

ゴン 手牌

②③西西白白白発発発中中中 ツモ ①

東4局

ゴン    34000(+32000)
爽     54600(-8000)
イチロー  3600(-8000)
仙道    7800(-16000)

 王手がかかった。

(字一色まで育てていない。育てていたら俺が先に和了ったというのに…)
 役満手が入るからと言って、必ずしも高速で和了るとは限らない。高め髙めに手を進めれば、それだけ巡を回すことになる。仙道はその隙を突けないかと考えたが、彼等もプロであり、慢心するどころか相手の慢心を、その魂ごと介錯する。そういう者達であるということを再認識させられた。
(チャンスは…もう無いのか…!)
 仙道は微かに俯きかけた。だが対面の子供に、そんな弱みを見せるわけにもいかない。顔を上げ、彼は彼女を見た。

(さすがにこの半荘はもうきついかもしれないな)
 彼女にも死が近付いている。
(ここは【カムイ】は温存してあの人に任せつつ、もし可能だったら、早和了で下家を飛ばす、で良しとするか)
 しかしその澄み切った瞳に絶望は無かった。それは死を受け入れているというものでは無い。
(こいつ…楽しんでるんじゃないのか?)
 その彼女を見て仙道はあらためて思った。
(まったく最近の若いのは、怖いもの知らずだな)
 この山城麻雀で、自分のパートナーが彼女で良かったと。
 そして、己の内側から何か熱いものが奮い立つのを感じ、自然とその口角が上がっていた。

南1局 親 ゴン ドラ ⑤

(赤いの!)

 南場に移り、爽は戦術の変更から【カムイ】は呼ばず、【雲】の方を使用した。呼び出したのは【赤】。この【赤い雲】は掛けた対象に数牌を集める効果がある。スピードを意識したが故の選択である。

南家 爽 配牌

三四六七②④⑤⑦⑦3557

(うん…いい感じ。タンピンドラ1を張って、下家から和了れればチャンスを次の半荘に持ってける。でも問題は…)

東家 ゴン 配牌

一一二四五七九九九①③⑨18

西家 イチロー 配牌

四四①③④⑥⑥156679

 相手も早いということ。先に爽か仙道が和了れれば問題ないが、そうさせてくれない力を持つのがゴンであり、イチローなのだ。彼らは強い。その能力や戦術スタイル以上に、その飢えた意志に牌が呼応している。
 あと何年、あと何年こんな場所にいればいいのだと、その心は自由を求めてもがき続けている。
 南一局、両者の第一打は1索であった。手牌という籠から飛び立つように、二人の願望をその鳥が体現しているかのようだった。
 二人の手は無駄なく育ち、僅か4巡でイチローは聴牌。

西家 イチロー 手牌

四四②③④⑥⑥⑦45667 ツモ ⑤

 だがこの時彼には違和感があった。それは河である。

東家 ゴン 河

18⑨①

南家 爽 河

②78⑨

西家 イチロー 河

19①

北家 仙道 河

九三9

(まだ4巡。この程度なら河に字牌が無いことなど珍しい事では無い)
 その時、一瞬寒気がした。しかし彼はそれを振り払った。
「リーチ!」
 スタイルを守るためのリーチ。彼は⑥筒を曲げた。
(直感などには俺は従わない。字牌は、字一色のゴンが集めている。だから河に字牌が無いのだ!)
 彼が信じたものは理と、そして仲間であった。

 そのリーチの同巡に、結着はついた。
 【赤い雲】を掛けた対象には数牌が集まることになるが、この【雲】の力は他の【雲】と同様、相手にも掛けることが可能であり、もし4人の中の3人に掛けたとしたら、『字牌』はいったいどこに行くのだろうか。
 答えは王牌か、山の深い所か、もしくは『残りの一人』かである。
 無論この戦術にはリスクが大きい。イチローには早さを提供し、ゴンには役満の完成を早め、まさしく敵に塩を送る行為と言える。字牌が王牌や山の深い位置に固まればまず間違いなく彼女達は敗北していたであろう。
 だが爽は、この半荘でのクリアは困難であると感じながらも、捨てるという選択は取らなかった。つまり…



「ツモ!24000・48000!」

北家 仙道 手牌

東東東南南南西西北北発発発 ツモ 北

 仙道の『豪運』に託したのである。

南1局

ゴン    -14000(-48000)
爽     30600(-24000)
イチロー  -20400(-24000)
仙道    103800(+96000)

 爽の【雲】と、仙道の【豪運】のツープラトンは、クリア条件『10万点』の壁を一撃で粉砕した。














 エスポワール船内。
 銀二と話を終えた森田は寝室に戻り、ベッドに腰をかけ一人頭を悩ませていた。

(頭がパンクしそうだ…)

 銀二曰く、この船で行われるイベントは麻雀大会だけでは無い。明日の決勝トーナメントが始まる前座として、【神威家】家長の襲名式が行われるそうだ。
 神威家の現家長、神威秀峰は日本で三指に入る家電メーカー【カムイ】の会長である。では何故その【神威】がこの船に関わってくるのか。それは【神威】が、【オーバーワールド】に近い存在の一つだからだ。
 異界であり、異能者の巣窟【オーバーワールド】と深く繋がっている『組織』は日本国内では二つ。【山城】と【神威】である。【山城】は『土地』を所持していることで、【神威】は『道具』を所持していることで【オーバーワールド】と協力関係にある。つまり【オーバーワールド】が関わっているこの船のイベントには、【山城】と【神威】も芋づる式に絡んでくることになるのだ。
 その中で行われる【神威家】の【襲名式】では、神威秀峰が所持している家長権と『道具』を五人いる息子のいずれかに継承させることになるのだが…

(血を見ることになるぞ)

 華麗なる一族による、骨肉の争いが行われようとしていた。










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