その日、イスカリオテ機関本部は激震した。
最高司令官であるえるしおんは血相を変えた部下からその報告を受けると、最低限の指示を残してその場から消えた。
次に№2である金髪聖人ことアーチェスは現場指揮官として混乱の収拾に努めた。
そして№3、蛇目シャギーことエスティは日本にいながら素早くこの事態を察知、早速今後に向けて準備をし始めた。
神殿教団付属大病院
ズドゴンッ!!!!
そのとある入院室の扉が勢いよく開けられた。
…何気に扉だけでなく、壁にまで罅が入っていたが、それを気にする者はいなかった。
「マリーチ!無事か!?」
「そう慌てなくても私なら無事よ。」
額の深く長い縦皺を普段よりも深くさせながら現れたえるしおんに対し、病室の主たる女性マリーチは慌てず騒がずに彼を宥めた。
「…君が急に倒れたと聞いて、心配した。」
「ごめんなさいね。今はもう落ち付いてるのだけど。」
2人の関係は夫婦、それもつい3年前結婚したばかりだ。
しかもこの2人、凄まじい経緯の末に結ばれた事から、2人揃うと直ぐにいちゃつき始める程の熱愛ぶりだったりする。
「…原因は何だったんだ?葉月の雫が来ていたようだが…。」
「うん、それがね……落ち付いて聞いてほしいの。」
所変わって日本、伊織邸
そこに併設されているゼピルム本部にて
「副長、どうしたんですか?菓子折りなんて用意して?」
「ん?あぁ、これかい?」
そこで副長を務めている蛇目シャギーことエスティが何故か菓子折りを詰めていた。
「今人気の洋菓子店のものでね。なんなら割引券を分けてあげようか?」
「え!ホントですか!?…じゃなくて!理由を聞いているんです!」
「その割に割引券は受け取るんだね…。」
そんな彼に疑問をぶつけるのはゼピルム本部でオペレーター兼技術顧問を務めるラトゼリカ。
2人とも元々はイスカリオテ機関から諜報活動の一環としてゼピルム内部に潜入していたのだが、今は正式に移籍している。
「んー、つい数時間前マリーチ様がお倒れになったという知らせが入ったろう?」
「あぁ、あれですね。ドクターが診察に出かけたそうですけど、何か解ったんですか?」
マリーチが執務中に倒れたというのは、関係各位に一時間と経たずに伝わった。
そして、正解随一の医療知識を持つ葉月の雫ことドクターが日本から各神聖教団支部を経由して転移、素早くマリーチの元へと駆けつけた。
この素早い動きには勿論イスカリオテ機関の協力があったからこそだ。
…まぁ、あのドクターの研究室に踏み逝った全身タイツ戦闘員という貴い犠牲もあったが。
「まぁ、解ったと言えば解ったんだけどね…。」
「えぇぇ!?何ですかそれ!?教えて下さいよ!」
既に何かを掴んでいる様子のエスティに、ラトゼリカは詰め寄った。
他にも周囲にいる魔人達も興味津々といった様子で聞き耳を立てている。
「まぁ、その…御馳走様というかおめでとうございますと言うべきか……。」
「へ?何ですか、それ?」
遠くを見ながら、エスティは疲れた様な顔で、それこそ好きでも無い甘味を腹いっぱい詰め込まれた様な顔をして告げた。
「マリーチ様、妊娠してるらしいよ。」
「妊娠、してるみたいなの。」
マリーチのその言葉を聞いて、えるしおんは一瞬外国語で話しかけられた日本人の様に、何を言っているのか解らない、きょとんとした表情を見せた。
次いで、最愛の妻の言葉が脳にまで届くと、並列思考を全開にして一人問答を始めた。
『妊娠』…哺乳類などの胎生の動物で、雌の体内(胎内)における受精卵の着床から出産もしくは流産するまでの経過及び状態を指す。By,Mr.w○ki
いや、それは解る。
『ニシン』…ニシン目ニシン科の海水魚。別名、春告げ魚。回遊魚で北太平洋に分布、春に産卵のために北海道沿岸に現れる。嘗てはその利益から「ニシン御殿」が立ち並んだとも言われるが、現在は漁獲高が激減、稚魚を放流している。
いや、そっちのニシンじゃなくて妊娠だって。
…問題はそれが自分の妻(新婚で熱愛中)が告げたと言う事。
「…何カ月だ?」
「大体3ヵ月半って所かしら?」
マリーチが言うには、何か身体の魔導力に違和感があったらしい。
最初は本当に小さなものだったのだが、日増しに違和感は増していき、何処か不安を覚える様になっていった。
そして遂にその原因を視た所、自身の胎内の新しい命に気付いたのだが……初めての事態に混乱してしまったのだ。
そしてまぁ、妊娠してから知らず積み重なっていたストレスや気付いた事によるショックで卒倒してしまったとの事だった。
「先ずは葉月の雫を呼んで検査してもらい、それから今後のスケジュールを変更してそれからそれから」
「シオー?何だか考え事が口から出てるわよ。」
結構混乱の極みにあるえるしおんだった。
…まぁ、いきなり「できちゃったの♪」と言われたら世の男性達は凍りつく事間違いないだろうが。
「それから、身内で懐妊祝いの準備を「その前に、一言言うべきじゃない?」む?」
それでも必死に今後の予定を考えるえるしおんに、マリーチが普段のからかう様な笑みを浮かべながら尋ねてきた。
はて、何かあったろうか?と一瞬思考し……次いで、えるしおんは自分が大事な事を言い忘れていたのを自覚した。
「すまない、言い忘れていた。」
「ほんと、慌てん坊のお父さんね♪」
くすくすと微笑む母となった妻に、えるしおんは敵わないなぁと相好を崩した。
「おめでとう、マリー。丈夫な子を産んでほしい。」
「えぇ、きっといい子よ。何せ私とあなたの子供だもの。」
「懐妊おめでとうございます、マリーチ。」
小一時間後、天界から赤い髪の天使こと聖四天の長マリアクレセルが病室に降り立った。
目的は勿論見舞い兼お祝いである。
「くすくす♪あなたからそんな言葉を言われる日が来るとは思わなかったわ♪」
「私も、あなたにこんな言葉を言う日が来るとは思いもしませんでした。」
相変わらずの女子高の制服姿の天使は、生真面目な顔を崩さずに祝いの言葉を述べた。
…微妙に目の下に化粧では隠しきれぬクマがあるが、黙っておく方が賢明だろう。
「どうぞ。」
「ありがとう、飾っておく。」
そつなく持ってきた花束をえるしおんに渡すマリアクレセル。
ここら辺が他の人格破綻連中とは最大の違いだろうな。
部屋にあった花瓶に水を入れ、花を飾りつつえるしおんは思った。
「喜ばしい事とは言え、まさかこの様な事になるとは思いもしませんでした。」
「それはオレもだ。正直、その辺りは諦めてもいた。」
片や立派な仏教のカミ様である摩利支天、片や魔族の王族。
人間と魔族のハーフである魔人ならまだしも、正反対の属性である魔と神のハーフなどそれこそ例が無いだろう。
「しかし、生まれはどうあれ、天界は新しく生まれ来る全ての生命を祝福します。どうか幸あれ。」
「ありがとう。懐妊祝いのパーティーには呼ばせてもらう。」
「楽しみにしています。マリーチも、どうかご自愛を。」
「えぇ、ありがとう。」
そう言って存在を消すマリアクレセル。
現在天界の修復と新人の研修やらで死ぬほど多忙な彼女が態々来てくれた事に、2人はとても感謝していた。
『エルシオン様、大変です!』
「……どうした。」
しかし、平穏は続かないと相場が決まっている。
部下からの切羽詰まった報告に、えるしおんはずしりとした疲れを両肩に感じながら通信に応じた。
『マリーチ様のご懐妊が知られた様で、一部の者が業務放棄ならび暴動を起こしました!既に神殿教団の方でも一部勢力が呼応して大混乱です!』
ちなみに皆独身者ないし恋人無しの者達である。
なお、最初に事を開始したのは「預言者様を守り隊」のメンバーだったりする。
「連中の装備は?」
『は、ショック弾頭をメインとしていますので、殺傷の意志は無いかと。』
「なら、こちらもショック弾頭を使用、多少手荒になっても良いから速やかに鎮圧しろ。」
『は、了解しました!』
通信が切れたと同時、溜息をつく。
何だかとっても頭が痛い、今すぐベッドにダイブした気分のえるしおんだった。
「くすくす♪相変わらずね皆♪」
「うちの連中らしいと言えばらしいが、もう少し穏便に騒いでほしいものだ…。」
相変わらず視ているのか、マリーチは実に愉快そうにころころと笑う。
昔から何かあると直ぐ騒ぐ面々ばかりだが、本当にもう少し静かにしてもらいたいものである。
えるしおんは常々そう思っている。
「でも、もう少しすればもっと楽しくなるわよ♪」
「………………………え?」
奥さん(結婚5年目、現在妊娠3カ月)の言葉に、凍りつくえるしおん。
今や未来視をほぼ無くしたとはいえ、突発的に発揮されるその『目』の的中率はほぼ100%、必ず当たると言ってよい。
「司令部、司令部!早急に第1級警戒態勢に!司令b『うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!い、妹様が、妹様が来たぞーーーーーーーーッ!!!!』
『こちら南4番ゲート!現在ゲートから1kmの地点にエルシア様を確認!至急全障壁を緊急展開!付近の者は早急に避難せよ!繰り返す!現在南4番ゲートに…!』
『こちら正面ゲート!魔殺商会武装メイドならび全身タイツ部隊の攻撃を受けている!指揮官は聖魔王猊下!他準アウター級戦力を複数確認!早急に増援を寄越してくれ!』
『西1番ゲート付近のヘリポートに学術都市所属輸送ヘリの接近を確認!内部に多数の機械化歩兵が搭乗している模様!これより迎撃を開始する!』
『きき、北2番ゲートからへ、変態が!全裸で全身てかってる変態がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!』
遅かった。
えるしおんの行動は、遅かった
既に、事態は手遅れだった。
「うふふふ、くすくす♪皆はしゃいでるわね♪」
「ものには限度というものがあるだろうがッ!?」
妻と視界を共有して状況を把握しつつ、後始末と修繕費どうしようと頭を抱えるえるしおんだった。
なお、懐妊知らせを知り合い全員に送ったのは他ならぬマリーチだったりする。
「きっとこれさえも、掛け替えの無い日常なのであります♪」
ゲートを守備する隊員達を薙ぎ払いながら、眼帯メイド少女が呟いたとさ。
ARCADAよ……私は、帰ってきた!!
ども、VISPです。
…きっと、忘れてしまった人もいるんでしょうね。
いや、またこうしてSSを書けるとは思ってませんでした。
今回の地震の被災地真っ只中でSS書いてるのなんて自分くらいですかねww
本当に電気水道が止まって日々水汲みと配給とガソリンスタンドに並んでると、毎日が凄い早く流れていくんですよ(汗
暗いニュースばかりが流れる中、少しでも明るいお話を、という事で今回のお話です。
皆さんもどうか暗い世相に負けず、辛くてもどうか生きてください。
本当に、身内や知り合いを亡くす事は残された側からすれば辛い事ですので。