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[18799] 【ネタ】DQ5異伝~極悪ノ花嫁~【北斗の拳×DQ5・転生】
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:f83c4595
Date: 2010/05/14 16:57
前書き、及び注意書き

久しぶりに始めたドラクエ5で主人公名をジャギにしたら
ムラムラ来て書き始めた。今は反省している。
頑張って完結させたい。

・北斗の拳というより極悪ノ華準拠
・作者によるジャギ様脳内美化が著しい
・北斗神拳が出てこない(多分)
・当初はジャギ成分が薄い
・世紀末らない
・設定に捏造が見られます
・作者はこざかな

以上をご了承ください。



[18799] 第一話:If you don’t know, you can behave like Buddha.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:f83c4595
Date: 2010/05/12 23:50
第一話:If you don’t know, you can behave like Buddha.
    (知らぬが仏)       


どこかのお城の夢を、見ていた。
僕が生まれて喜ぶ父さんと母さんの姿。
二人とも、とても嬉しそうな笑顔を見せていて、
見てるこっちまで嬉しくなってしまうようだ。
けれど、母さんはいやな咳をしている。
赤ん坊のぼくは泣いている。ぼくは、その咳を知っている気がしたから。
あの咳は、《  》がしていた咳に似ていると思った。
とても、いやな病気のせいで起こる、咳。
あれ? 《  》って、誰だったっけ……?
そう思ったぼくの目に映る光景が、がらりと変わった。
渇いた世界と、積み重なるドクロと、灰色のビル。
《ぼく》のまえに、たつ、《ケ……シ…………》


「うわあッ!」
自分で上げた声にびっくりして、僕はベッドから転がり落ちた。
思い切り床にぶつけた頭を、ターバンの上から撫でる。
ちょっとコブになってるかも。
「む? どうした、嫌な夢でも見たのか?」
側に駆け寄ってきた父さんが、優しく頭を撫でながら、ホイミを唱えてくれる。
頭の痛みがすっと楽になった。いつもの頭痛も、こうやって治ればいいのに。
「ん、えっとね、お、お城の夢を見たんだ!
 そこで、父さんは王様だったの!」
嘘は言ってない。最初は、確かにその夢だったんだから。
ただ、途中で切り替わった光景が、悪夢だっただけ。
「わっはっは。父さんが王様なら、お前は王子様だな。
 こほん、しかし『ジャギ』王子、いつまでもおねしょをされていては困りますぞ」
「も、もうしてないよ!」
一瞬だけ口を尖らせるけど、父さんが笑ってるのを見て、気分が楽になった。
あの夢のことは、今はもうただの『夢』なんだって、思えて。
『ジャギ』 それが、ぼくの名前。ずっと、昔からの。
ぼくには、『ぼく』として生まれる前の思い出がある。
けどそれは、深い霧の向こう側にある山みたいに、ひどくぼんやりとしている。
その思い出の中でも、ぼくは《ジャギ》って名前だった。
本当の父さんと母さんは火事で死んじゃって、ひとりぼっちになったのを、
《リュウケン》父さんが、助けてくれたんだ。
街の子たちは、《ぼく》をもらわれっこだってからかって、
そりゃあ、まあ、ちょっとは悔しかったけど、
世界で一番大好きな父さんと一緒だったから、大丈夫だった。
なのに、そんな大好きだった《父さん》のことを思い出すと、
いっつも、頭がズキズキするんだ。さっき出来たコブよりも、もっと痛い。
《父さん》のゴツゴツした大きな手が、温かかったことも、
大事な息子だって言ってくれたことも、全部本当のはずなのに、
何だか、それがとっても遠くに思えてしまう。
一度、死んじゃったから、なのかな?
そもそも、《ぼく》はどうやって死んじゃったんだろうか。
ちっとも、思い出せない。
死んだ時に、凄く痛かったのかな、凄く悲しかったのかな、
だから、ぼくは《ジャギ》だった頃のこと、あんまり思い出せないのかな。
「ジャギ、顔色が悪いぞ。 船に酔ったんじゃないか?
 少し、外の空気でも吸ってきたらどうだ」
「あ、うん!」
いけないいけない。こんなこと考えて、暗い顔してたら『父さん』に心配かけちゃう。
ぼくは出来るだけめいっぱい、元気な返事をして、部屋から外に飛び出した。


海の風が気持ちいい。《ぼく》の住んでたとこは、海から遠かったから、
こっちに来てから始めて見たんだよなあ、海。
どこまでも続く青い空は眩しくて、すっごくいい気分になる。
「ふー……はー……」
思いっきり、息を深く吸い込んでから、大きく吐き出した。
そしたら、くう、って小さくお腹がなった。
そういえば、朝ごはん食べてからしばらく経つもんなあ。
確か、今日中には船が港についちゃうって父さん言ってたよね。
お別れの挨拶ついでに、台所に行って何か分けてもらおーっと。
木で出来た階段を、リズムよくたんたんと駆け下りていけば、
顔なじみになった船乗りさんたちが、よお、と声をかけてくる。
ぼくはそれに、にっこりと笑顔を返して、台所へ向かった。
この船、結構広いから大変なんだ。


「パパスさんも大変だねえ、こんな小さな子供を連れて何年も旅をして」
「何でも、何かとんでもないものを探しているという話だよ」
バターをたっぷり塗った熱々のパンを一切れ、もぐもぐと食べながら、
ぼくは船乗りさんたちの話に耳を傾けた。
父さんの探しもの、かあ。一体なんなんだろ。
たまに、なんで旅をしてるのか聞いても、はぐらかすばっかりで、
中々本当のこと教えてくれないんだよなー。
ぼくは、家族なんだから、きちんとそーだんしてくれたって

《聞いてないよ! 何で僕に相談もなしに……!》》

ドクン、と頭と胸が急に痛んで、食べかけのパンをテーブルに落っことした。
今の声、誰だっけ。今の言葉、いつ、なんで、どうしてだっけ。
「はは。坊やはまだまだ子供だねえ」
「お父さんに迷惑をかけないようにしなくっちゃあいけないよ」
船乗りさんたちがゲラゲラ笑う声に、ぼくはハッと正気に戻った。
ううん、どうして、ぼくに《ジャギ》の記憶が残ってるのかなあ。
頭は痛くなるし、失敗して笑われちゃうし、散々だよ……。
「おおい! 港が見えたぞー!!」
見張りの人の声が外からしてきて、俄かに台所が慌しくなった。
「おう、坊や。お父さんの所に行ってもうすぐ着くって教えてあげな!」
「うん!」
テーブルに落ちたパンをひょいと拾って口に入れて、ぼくは走り出した。
お行儀は悪いけど捨てちゃうよりは、もったいなくないもんね。
食べ物とかお水って、すっごく大事だし。
……そういえば、この考え方も《ジャギ》の考え、かもなあ。


港に着くと、この船の持ち主だっていうおじさんが居た。
それから、おじさんの娘だっていう二人の女の子も。
二人とも、凄く可愛かったんだけど、おじさんは言った。
「いやあ、フローラに比べてデボラは少々ワガママでしてなあ」
「元気のいいお嬢さんでよろしいではないですか」
ふうん、デボラとフローラっていうんだ、あの二人。
……おじさんと父さんは、まだなんのかんのと話しこんでるみたいだし、
ちょっと、声なんかかけてみようかな。
船の中で一番きれいな部屋に、二人とも居た。
「ちょっと、アンタだれよ。ここは、わたしたちのおへやなのよ」
「あなた、さっきわたしをたすけれくれたおじさまのむすこさんね?
 おじさまに、ありがとう、ってつたえてくださいな」
「フローラはあまいわねえ。あのひとがあんたをさらってにげたら、
 どうするつもりだったのよ」
「まあ、ねえさんったらかんがえすぎです。こんなにやさしいめをした、
 おとこのこのおとうさんが、そんなことするはずないです」
青い髪の子がフローラで、黒い髪の子がデボラで、お姉ちゃん、なのかな。
「なにじろじろみてるのよ。さては、わたしにみとれてるのね」
うーん、確かに、このデボラって子のほうがワガママかもしれない。
「それにしてもおそいなあ、おとうさま。わたし、みてきますね」
フローラはそう言って、部屋を出て行った。
後に残ったのは、ぼくとデボラだけ。
デボラの視線が痛いから、ぼくもすぐに部屋を出ようと思ったんだけど。
「……ねえ、悔しくないの?」
気づいたら、ぼくはデボラに尋ねていた。
「妹と、比べられてさ」
何でこんなことを、ぼくは聞いたんだろうか。
分からなかったけど、デボラは何でもないようにこたえた。
「いいたいやつには、いわせておけばいいのよ。
 わたしとフローラは、べつべつのにんげんなんだもの。
 しまいだから、ってくらべられても、きにしてもしょうがないわ」
小さな胸を張ってそう答える彼女が、とても輝いて見えた。
「そう、なんだ。……じゃあね、デボラ。バイバイ」
「デボラさま、とよびなさいよ」
ちょっと不満そうに口を尖らせた彼女に手を振って、僕は父さんの所へ向かった。
彼女のことを、覚えて置こうと思った。
きょうだいと比べられても、妬みもひがみもしない彼女が、
何だか、とても凄い人なように思えたから。

父さんに手をひかれて、港に降りる。去っていく船に手を振った。
港をうろちょろするのに飽きて、ちょっと外に出たら
ぶよぶよしたモンスター:スライムに襲われて大変だったけど、
すぐに父さんが助けてくれた。
次の目的地は、サンタローズってところ。
なんでも、ぼくがもっと小さかった頃に住んでた場所なんだってさ。
うーん、全然覚えてないや。
父さんに手を引かれて歩きながら、ぼくはデボラのことを考える。
どうして、きょうだいのことなんか、尋ねたんだろう。
ぼくは今のところ一人っ子だし、母さんは生まれてすぐ死んじゃってるから、
これからも、多分一人っ子だから、あんなことを考える理由はない。
だったら、《ジャギ》の思い出が、あんな質問をさせたの、かな?

でも……《ジャギ》に、きょうだいなんて……

……………………………………………《いない》はず、だよね。

居たら、覚えてる、はずだよ。

だってきょうだいってのは、大切な、家族なんだから。

《父さん》を覚えていて、《きょうだい》を覚えてないなんて、

そんなこと、あるわけない、よね。





[18799] 第二話:CONSTANT Dropping wears Aways A stone.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:35c60152
Date: 2010/05/13 18:41
第二話:CONSTANT Dropping wears Aways A stone.
   (雨だれ石を穿つ)



サンタローズについたぼくたちを、村の人は喜んで出迎えてくれた。
こっちが覚えてないのに、向こうが覚えてるっていうのは、なんだかムズムズする。
でも、嫌な気分じゃない。
ぼくたちの家に向かうと、おじさんが一人、ぼくらを待っていた。
「ジャギぼっちゃんもこんなに大きくなられて……」
そう言って喜ぶおじさんの名前は、サンチョ、っていうらしい。
父さんとは違う意味で穏やかな雰囲気のサンチョのことは、
何となく覚えているような気がしないでもない。
「そうそう、お客様が来ているんですよ」
サンチョに先導されて家に入る。なんだか、懐かしい匂いがした。
ああ、ぼくはここに住んでたんだなあ。
そういえば、お客様って誰だろう?
辺りを見渡せば、テーブルに二つの人影が見えた。
元気そうなおばさんと、金の髪をした、女の子。
「……《アン……》?」
ぼくの口から、自然と漏れていた名前。
「あら、覚えてたのねジャギ。そうよ、『ビアンカ』よ」
その子は、椅子から降りるとニコニコ笑いながらぼくに手を差し延べてきた。
「あ、ああ、うん。『ビアンカ』、ビアンカ、ね」
本当は、頭に浮かんだのは別の名前だったんだけど、
その名前が何だったのか思い出せないから、ぼくは彼女に話を合わせた。
「おじさまたちのお話はつまんないから、上でご本でも読みましょう。
わたし、あなたより二つ年上なんだから、もう文字が分かるのよ」
そう言って胸を張るビアンカだったけど、いざ手に取った本が難しかったらしくて、
眉をしかめながら、たどたどしく読んでいる。
意味が繋がらないのは、難しい部分を跳ばしながら呼んでるからかなあ。
ぼくも、そろそろ文字を教えてもらわなくっちゃ。
この世界が、《ジャギ》の居た世界と全然違うのかどうか、知りたいしね。
多分、全然違う世界だとは思う。《ジャギ》の世界には、
『スライム』とかのモンスターは居なかったもの。
なんか、化け物みたいに強い人とか大きな馬とかは、居た気がするけど。
……黒くて、大きい、あの馬に、乗ってたのは、誰、だったかなあ?
また、ズキズキと頭が痛み出す。いつもみたいに、左側だけが。
「あら? どうしたの、どこか痛いの? おじさまを呼んで……」
「呼ば、ないで、いいよ。ちょっと、疲れちゃっただけ、だから」
頭を押さえて、フラフラとベッドに向かう。
きっと、長旅の疲れってやつが出たんだ。そうだ、そうに決まってる。
「そう?」
ビアンカは、素直にぼくの言うことを信じてくれたみたいだった。
下から、ビアンカのお母さんが彼女を呼ぶ声がする。
「あ、ママが呼んでる。パパのおクスリを取りにきたんだけど、
ちょっと時間がかかりそうだから、何日かは宿屋に居ると思うわ。
ジャギが元気になったら、また遊んであげる」
そう言い残して、彼女が軽やかに階段を降りていくのを、遠くに聞いていた。
痛い、頭が痛い、胸が痛い。なんで、どうして。
《ジャギ》は、街の子と話が合わなくて、友達なんか居なかったはず。
《金の髪をした女の子》なんて知らないはず。
《黒くて大きな馬に乗った人》なんてちっとも覚えてない。
「なんで、こんなに、痛いんだよう……」
布団を被ったまま、ぼくはギュッと目を閉じていた。
早く痛みが去るように、早く忘れてしまえるように。
そうやってると、しばらくして父さんが上がってきたのが分かる。
「おや、ジャギはもう眠ってしまったようだな」
ベッドの端に腰かけた父さんの手が、布団の上からぼくを撫でる。
布団越しに伝わる温かさと優しさに、スッと痛みが遠のく。
やっぱり、父さんの手は、すごい。
「……こんな小さな子に、私は苦労をかけてばかりだ……」
「旦那様……、大丈夫ですよ。
ぼっちゃんは、旦那さまに似てお強くていらっしゃいますから」
サンチョの言葉に、うんうんと心の中でうなずいた。
今さら起き上がるのも恥ずかしくって、ぼくは頭の中でこっそり呟く。
大丈夫だよ、父さん。ぼくは平気。だって、父さんの子だもの。
このくらいで、弱音なんか吐かないよ。
だから、……だから、なん、だっけ……。
ダメだ、眠くなっちゃって、考え、られ、ない……。


夢も見ずにぐっすりと眠った次の日の朝。
朝ごはんを食べた後、父さんはどこかへ出かけていった。
留守番してなさいって言われたけど、置いてかれるのが嫌で、
こっそり後を付けて行ったんだけど。
「坊や。坊やはいいこじゃから、お父さんの邪魔をしてはいかんぞ」
おじいさんに、そう言って止められてしまった。
邪魔をするつもりなんてないのに、と口を尖らせ、
禿げ上がった頭に向かって、こっそりアカンベーをしてやった。
父さんに隠しごとされるのは、やっぱりあんまり好きじゃないなあ。
でも、隠しごとを無理に聞いて父さんを困らせるのもいやだし、
だったら、自分で何とか探ってみるしかないよね。
父さんが入った洞窟には、川を挟んで反対側にも入り口がある。
ぼくは、そっちの方から入ってみることにした。
洞窟、と言っても宝石を採るために彫られた場所だから、
人に踏み馴らされてて、足元のデコボコはそんなになくて歩きやすい。
それでも、スライムとかサボテンこぞうとかセミもぐらとか、
モンスターは出てくるから油断出来ない。
一日目は、下り階段まで辿り着いた辺りでクタクタになってしまって、
フラフラしながら家に帰って、ベッドに潜り込んだ。
次の日も、父さんが出かけたのを見てから、洞窟の入り口に足を向けて。
「おっと、その前に」
くるりと方向転換をして、ぼくは武器を売ってるお店へ向かう。
モンスターを倒すと、お金が貰える。そのお金で装備を整えれば、
もっと楽に戦うことが出来る。
敵に勝つためには、どんな手段だってとらなきゃならない。
相手はモンスターなんだから、卑怯だなんだと言われるわけでもないし。
……とは言っても、スライムの群れにすら苦戦するぼくには、
あまり手持ちがなかったわけで。
「……またきます、多分」
武器の値段を教えてもらったあと、ぼくはひのきの棒を手にして再度洞窟へ向かう。
ぼくにはまだ、高すぎた。
ホイミも覚えたし、昨日よりは長く戦えるだろう。
やっぱり、武器に頼らずに地道に力を上げていく方が、良いんだ。多分。
そうやって自分を納得させながら、歩いていたら、行き止まりに差し掛かった。
「あ、宝箱みっけた」
開くと、中から出てきたのは今使ってるのよりも頑丈そうな皮の盾だ。
洞窟の中の宝物なんかは、基本的に見つけた人のものになるのは、この世界の常識である。
食べたら力が上がった気がする種とか、
皮の帽子なんかをタンスや壷からもらっていっても誰も文句は言わない。
でも泥棒は捕まるらしい。何でだろう?
「さて、と。今日はここまでかなあ」
もう少し探検したかったけど、魔力切れを起こしそうなので、やめた。
スライムなんかも、割りと簡単にやっつけられるようになってきたし、
明日にはもっと深く潜れるかも。
父さん、どこに居るのかなあ。きっと、ぼくが奥まで行ったら、
ここまで一人で来たのかって、びっくりするんだろうな。
楽しみだなあ、父さんの驚く顔。そのためにも、もっと強くなんなくっちゃ。


さらに、その次の日。
「ヒャッハー!!」
スライムやドラキーなんかじゃ、ぼくを止められないぞー!
こんなに上機嫌なのにも、ちゃんと理由がある。
敵を一撃で撲殺……もとい、倒せるようになったからだ。
お金は貯めておくにこしたことはないだろうし、
ぼくは出来るだけ体力を温存しつつ、どんどんと先へ進む。
途中に看板があったけど、あいにくと読めなかったので無視無視。
そうこうする内に、ぼくはとんでもないものを見つけてしまった。
「……えーっと……」
岩の下敷きになった、おじさんがいた。
最初は心配したけど、息をしている……というか、
いびきをかいて思いっきり眠っていた。
なんというか、のんきな人だなあ。
あ、そういえば薬屋さんが戻って来ないってビアンカが言ってたっけ。
ひょっとして、このおじさんがそうなのかな。とりあえず声をかけてみようっと。
「あのー、大丈夫、ですか?」
「ぐーぐー……」
腹が立ったので、ひのきの棒で軽く頭を叩く。
岩の下敷きになっても平気な人だから、多分大丈夫だよね。
「はっ! いかんいかん、動けなくなったから眠っていた!
 あともう少しで岩が動きそうなんだ、坊や、ちょっと押してみてくれないか」
「わかったー」
おじさんの上にあった岩に体重をかけると、どうにか動いた。
その拍子に、ぽろりと転げ落ちた欠片を拾いあげる。
なんかピカピカしてて綺麗だな、持って帰って宝物にしちゃえ。
「やれやれ助かったよ坊や。後でお礼をするから、店に来ておくれね」
体の土をパンパンと払うと、おじさんはあっという間に居なくなってしまった。
……今更だけど、父さんはこっちに来なかったみたいだ。
だって、父さんが来てたら、あのおじさんもっと早くに助かってたものね。
「ということは、やっぱり、あそこかなあ……」
洞窟に入ってすぐ、川沿いに遡ると中州らしき場所がある。
そこにも、降りる階段があるんだけど、結構深いし、
ぼくは泳げないしで、行けそうにない。
階段を降りていけば、何処かであっちと同じ場所に出ると思ったんだけど、
どうやら見当違いだったみたいで、がっかりだ。
「でも、特訓にはなったから、いい、かな?」
力が強くなったから、少しは戦いで父さんの役に立てるようになったかもしれない。
そう考えると、ぼくは嬉しくなる。ああ、この力を父さんに見せてあげたい。
でも、そうなると後を着けてたのがバレちゃうし、
第一、父さんの用事を邪魔することになっちゃうなあ。
うーん、見てもらいたいけど、迷惑はかけたくない。どうしたらいいんだろう?
悩みながらも、とりあえず家に戻って、眠ることにした。
それにしたって、疲れちゃった。
ほとんど歩くだけだった今までの旅でも十分疲れたけど、
戦いながらだとその比にならないくらい疲れる。
父さんは凄い。ぼくの分も戦いながら、ちっとも疲れてなかったんだもの。
いつかは、ぼくも誰かを守りながら、旅を出来るようになるかな。
そう思いながら眠ったら、夢を見た。
父さんと同じくらいに大きくなったぼくが、
小さな子供達と、綺麗な女の人と一緒に旅をしている夢。
とても楽しい夢だったけど、そこに、父さんが居ないことが、
何だか、とても悲しかったんだ。


次の日の朝。ぼくが眠い目をこすって降りていくと、父さんが出かける準備をしていた。
「おお、起きたかジャギ。薬が手に入ったので、おかみさんとビアンカは
 今日帰ってしまうらしい。しかし、女二人では何かと危ない。
 二人をアルカパまで送っていこうと思うのだが、お前もついてくるか?」
「あ、う、うん!」
「わっはっは、どうやらまだまだビアンカと一緒に居たいらしいな」
くしゃくしゃと頭を撫でられながら、えへへ、と笑う。
父さんと一緒に冒険に出かけられる。それは、ぼくが成長したってのを、
父さんに見せられるってことだ!
薬屋さんに寄って、お礼にって手織りのケープをもらって、
神様にきちんとお祈りしてから、ぼくは父さん達と一緒に村を出た。
そして、少し歩くと。目の前にモンスターの群れが現れる。
「下がっていてください」
父さんが、おばさんとビアンカを後ろへ下げたのを確認してから、
ぼくはモンスターの前に躍り出た。今まで見たことない大きなネズミだけど、
多分、どうにかなるはずだ。
「ええい!」
勢いよく振りかぶって、ネズミに突進する。
引っかかれて、ちょっとだけ傷が出来たけど痛くは無い。
「やあ!」
ごん、と棒を振り下ろすと、いつもより手ごたえがあった。
うん今までの中で一番上手く攻撃出来た感じ。会心の一撃、ってやつかな。
ネズミは、あっという間に倒れてしまった。
「ほお……ジャギ、お前随分とたくましくなったものだな」
「えへへ、父さんの子供だからね!」
ニコニコと笑うぼくの頭を、父さんが撫でてくれる。
「だが、無理をしてはいかんぞ」
父さんが、擦り傷にホイミをかけてくれる。
嬉しいけど、ちょっと過保護じゃないかな?
「このくらい平気だよ、父さんったら」
でも、その過保護さすら、ぼくを愛してくれている証拠のようで、
どうしようもないくらい嬉しいんだ。
ニコニコと笑顔のまま歩くぼくの目の前には、
いつの間にやら、目的地のアルカパの村が近づいていた。





[18799] 第三話:Charity is not for OTHERS.(but for yourself)
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:c19e95c4
Date: 2010/05/14 17:02
第三話:Charity is not for OTHERS(but for yourself)
   (情けは人のためならず:しかし、あなたのためになる)


おおネズミと戦った後は、特にモンスターにも襲われずに、
ぼくたちはビアンカの住むアルカパの町にたどり着いた。
父さんは、ダンカンさんのお見舞いに忙しいので、
ぼくは新しく来たこの町をちょっと散歩してみることにした。
「さあ、行きましょう! ジャギが道に迷わないように案内してあげる」
ビアンカがぼくの後ろに一緒についてきてくれた。
宿屋の中をあちこち見て回る。ここによく泊まってたらしいんだけど、
正直、あんまり覚えてないんだよね。
見晴らしのいい部屋を見せてもらったり、ブドウ棚を見せてもらったり、
詩人のお兄さんから、幽霊のお城の話を聞かせてもらったり、
宿屋の中だけであれこれ忙しくって目が回りそう。
「あっ、ジャギ。もしかして今の話怖かったりした?」
「こ、怖くなんかないよ。ぼくは父さんの息子だもん」
怖くなんてないやい。……ちょっとだけしか。
宿屋から出て、サンタローズに比べたら、ずっと賑やかな町の中を、
ビアンカに色々と案内してもらいながら歩く。
村のとは違う立派な教会や、たくさんのお店。
酒場に入ろうとしたらビアンカに怒られちゃった。
《アイツ》の家は酒場だったから、つい懐かしい雰囲気を感じて、
ちょっと入って見たかっただけなのにな。
……《アイツ》? ぼく今、誰のこと、考えたんだろ。
「あ! ちょっと何してるのよ!」
立ち止まったぼくの後ろから、ビアンカが突然声を上げて駆け出した。
揺れる金色の髪。走る女の子。揺れる金色の髪。
揺れる。揺れる。世界が、揺れる。
ぼくの目は、いつの間にかアルカパじゃない場所を見ていた。
その頃、空はまだ青くて、大地は涸れていなくって
それでも渇いてた道を、《アイツ》と一緒に。
「こら! ちょっとやめなさいよ!!」
遠ざかっていた意識は、ビアンカの叫び声で、こちらに引き戻された。
慌ててて声のする方へ駆け寄れば、そこに男の子が二人居る。
ぼくと、そんなに変わらないくらいかなあ。
「ネコさんをいじめるのはやめなさいよ!」
「なんだよー、お前には関係ないだろー」
「ネコさんがかわいそうじゃない!」
「変な声で鳴くから面白いんだよー」
確かに、男の子達の前にはネコが一匹居る。
ちょっと変わった毛色と毛並みの、ネコ……ネコ?
あれ、ネコかなあ。なんかちょっと違う気がするんだけど。
鳴き声は、確かに変わっている。鳴き声っていうか、うなり声?
なんとなく、ネコじゃないような気がするんだけど、
この世界にはあんなネコも居るのかもしれない。
「じゃあさ、お前たちがお城のお化けを退治してきたら、
 コイツを苛めるのをやめてやるよ」
「お化け退治? わ、分かったわ! その代わり、
 退治してきたら、絶対にネコちゃんをいじめるのをやめるのよ!」
ビアンカが、威勢よく返事をした。ん? 今、お前たち、って。
「こうなったら、お化け退治をするしかないわね、
 ジャギも、手伝ってくれるでしょう?」
「え、えっと、ぼくは」
「私がついてるから大丈夫! ねっ、一緒に行きましょう!」
両手をしっかと握ってそう宣言されたら、何だか、逆らえない。
ううん……父さんにバレたら、怒られちゃいそうだなあ。
あ、でも、モンスターをやっつけられるんだし、
お化けだって、案外簡単にやっつけられちゃう……かも?
その夜から、ぼくたちはお化け退治に取り掛かった。
でも、目的のお城までは随分遠くって、モンスターもたくさん出る。
とてもじゃないけど、今のぼくたちの力じゃたどり着けそうになかった。
だから、結局何日か経ってしまうことになったんだ。
「ねえ、ビアンカ」
「何?」
お化け退治を志して五度目の夜。ぼくは意を決して問いかけた。
「今の内に、あの、ネコをさらってきたらどうかな。
 そうしたら、もういじめられないんじゃない」
「何言ってるのよ、ジャギ。一度約束したことなんだから、
 それを破るなんてダメに決まってるわ」
いい考えだと思ったんだけどなあ、と俯いてため息をこぼす。
父さんも風邪をひいて寝込んでるし、本当ならお化け退治なんかいかないで、
付きっ切りで看病してたいんだけど、うつるといけないから、
寝る時以外は外に居なさいって追い出されちゃってるんだ。
こうやって、お化け退治のために少しずつ体を鍛えたり、
お金を貯めたりするくらいしか暇つぶしがないのも事実なんだけどさ。
「それより、ジャギ、そろそろお金溜まったんじゃない」
「あ、そうだ、そうだった!」
ビアンカに言われて、ぼくはパッと顔を上げた。
目標は、武器のお店だ。この間から欲しかったものが、ついに買える。
「おじさん、ブーメランください!」
「はいはい、それじゃあ坊や、どうぞ」
「……ッ!」
嬉しさの余り、感極まって言葉も出ないぼくに、
ビアンカが冷たい眼差しを向けてる気がするけど、気にしない。
ひのきの棒よりもずっと強力で、たくさんの相手を攻撃出来る、ブーメラン。
正直、これが欲しくてモンスターをやっつけていたようなものだ。
「これで、もっとずっと楽に旅が出来るから、
 今日こそ、お化けを退治しようね!」
「ジャギったら、そうこなくっちゃ!」
ぼくの言葉で、ようやくビアンカも納得してくれたらしい。
意気揚々と、ぼくたちは村をこっそり出て行った。
目標は、ここから北、森と山に囲まれたお城、レヌール城だ。


お城では、雨も降らないのに雷が鳴っていて、不気味だった。
ビアンカもやっぱり怖いらしい。正面の扉からは入れなかったから、
後ろに回って、階段を昇って、中に入って。

そこで、事件は起きた。

「あ……、あ……」
棺桶の中から現れたガイコツお化けに、ビアンカが、連れ去られた。
さっきまで、一緒に居たはずの、ビアンカは、
ぼくの目の前が真っ暗になった瞬間に、居なくなってしまった。
どうして、何で、何で何で何で何で何で!!
全身から、嫌な汗が噴き出して体温を奪っていく。
ずきりずきりと頭の左側が、今までに無いくらい痛くなって、呻きながら顔を覆う。
痛みに耐えようと目を閉じているはずなのに、何処かの光景が見える。
古びた長い長い石段。その中に、誰かが倒れている。
《金の髪をした誰か》が倒れている。
「やだ、やだ、やだああああああああ!!」
ぼくの悲鳴が、古いお城の中に響き渡った。
「やだ、……アン……、やだ、やだ、どこ、ビアンカっ、どこぉおおおお!!」
階段を駆け下りて、廊下を駆け抜けて、ぼくはビアンカを探した。
間に合わないなんてこと、ないよね、まだ、間に合うんだよね、
誰か答えて、誰か、誰か誰か誰か誰かダレカダレカダレカ。
体をぶつけるような憩いで開いた扉の先には、お墓が二つ、並んでいた。
頭が痛い、めまいがする、まさか、間に合わなかった、なんて、ことは。
その内の一つが、ガタガタと揺れている音が聞こえた。。
「うーん……」
聞こえてきた声。ぼくは、もつれる足でそっちに駆け寄って、墓石を動かす。
「ああ苦しかった! ジャギったら、今まで何してたのよ?」
眉を吊り上げて、ビアンカが姿を現した。
ちょっと埃とか土はついてるけど、傷はなさそうだ。
「……アン……、ビアンカ、よかった、無事、で、よかっ、たぁ……」
ぺたり、と座り込んで、ぼくはぼろぼろと涙を流した。
男の子がそんなに簡単に泣いちゃいけないんだろうけど、
だって、凄く怖くて、凄くほっとしたのだ。
間に合った、『今度』は間に合った。

……『今度』? 前にも、こんなこと、あった、んだっけ?

誰かが、さらわれて、間に合わなかったことが?

間に合わない、って、そもそも、何に?

ぼくなんでさっきまで、あんなに怖かったんだっけ?

分からない。思い出せない。思い出したくない。

「ほら、いつまでも泣いてないで、早くお化け退治に行くわよ。
 まったく、男の子のくせに、泣き虫なのねジャギは」
「な、泣き虫っていうなぁ」
ごしごしと目元をこすって、ぼくはビアンカの手をしっかりと握る。
「え?」
ビアンカがびっくりしてるけど知るもんか。
こうやって、手を握っておけば、もう離れないで済むんだ。
とりあえず、こんな目に遭わせてくれやがったこの城のお化けとやらには、
痛い目見てもらうしかねえ! ……あれ、今なんかぼく、ちょっと変だった?
進んだ先に居る幽霊の王妃様の話だと、どうやらビアンカをさらったのは、
悪い魔界の幽霊らしい。幽霊にも区別があるんだなあ。
王様や王妃様のお願いを聞く、というよりも、
ぼくはただ、ぼくを嫌な気分にさせたお化けが許せなくって、
ガイコツ蛇とか動くロウソクとかを、次から次にやっつけて、
ついでにもらえるものはもらっておこうと、
銀色のティーセットを揃えて、ここを取り仕切るお化けをやっつけた。
「たっ、助けてくれー! この城からは出て行くからー!」
許さない、という前に、そいつはあっという間に姿を消した。
殴り足りなかったんだけど、居なくなったものは仕方ない。
「……本当にありがとう、勇敢な子供達。
 あなたたちのおかげで、ゆっくり眠れそうです」
「さあ、行こうか、お前」
「はい、あなた。……さようなら、あなたたちのことは忘れません」
旅立っていった王様と王妃様を見て、ビアンカも嬉しそうだった。
目の前に落ちてきた宝石を、はい、とぼくに渡す。
「いいことをすると気持ちがいいわね。ジャギも、そう思わない?」
「……よく、わかんない」
だって、ぼくは、ぼくに嫌なことをした奴らを、やっつけただけだもん。
別に、誰かのために、やったわけじゃない。
「気持ちがいいのよ。きれいな宝石ももらえたし、
 これでネコちゃんも助けられるしね!」
ビアンカが、本当に楽しそうな笑顔で言うものだから、
そういうものなのかな、ってなんとなく思える気がした。
でも、心の何処かで、そんなことない、って思ってしまうのは、
《ジャギ》がそんなこと、しなかったからなのかな。
そう思って、ぼくは首を横に振った。
誰かのために何かをしたことがない、なんて、
それじゃあ、とてもワガママな人か、とても悪い人じゃないか。
《父さん》に愛されてた《ジャギ》が、そんな風に育つわけないもの。
父さん、か。……ぼくが、頑張ったら、父さんは、喜んでくれるんだろうな。
誰かのために頑張ったら、父さんがぼくを褒めてくれる。
だったら、誰かのために、頑張ってみるのも、いいのかもしれない。
そう考えながら、ぼくは町に戻った。
その夜のうちにお化けを退治したってウワサは広まって、
次の日の朝、元気になった父さんがぼくを褒めてくれた。
「しかし、お前はまだ子供。あまり無理をするなよ」
「えー。でも、頑張ったら父さん、褒めてくれるじゃないか!」
「……すっかり英雄気取りだな。まあ、それもよかろう」
「フニャー、ゴロゴロ」
上機嫌なぼくは、ビアンカからもらったあのネコと一緒に、父さんの後を歩き出した。
ビアンカの家ではネコが飼えないから、ぼくたちと行くことになったんだ。
名前は、ビアンカが一生懸命考えてくれた、『ゲレゲレ』だ。
……うん、一生懸命考えてくれたんだってば。
「それにしても、ゲレゲレか……変わった名前だな」
「父さん、それは言わないであげて」
ぼくだって、言いたいのを必死にこらえたんだから。


サンタローズに帰ってから、父さんは何処からか届いた手紙と、
本棚の本と、ずっとにらめっこしている。
調べものをしてるらしいから、お手伝いしてあげたいんだけど、
ぼくは、まだ文字があんまり読めないから出来ない。
「つまんないなあ」
ゲレゲレと一緒に、村の中をブラブラしていると、
この村には珍しい旅人がやってきた、という話題で持ち切りだった。
どんな人なのかよく分からないし、なんだかすれ違ってばっかりで会えない。
教会のシスターなら何か知ってるかも、って思って話に行ってみた。
「顔はよく見えないけど、素敵な人よ」
うーん、顔がよく見えないってどういうことだろう。
そもそも、顔がよく見えないのに素敵、って、シスターそれはどうなの。
どうも、このシスターはかっこいい人に弱いみたいなんだよなあ。
「あっ」
教会から出たぼくは、この村では見かけない人を見つけた。
あの人が、噂になってる旅人なのかな。
変わった格好をした人だった。
紫のマントに白い服に木の杖っていう旅人らしい格好なのに、
頭には、何故か鉄で出来た仮面を被っているんだ。
……これを見て素敵、って言えるシスター、凄い。
ぼくがそんな風にちょっぴり彼女への評価を高めていると、
その人が、ぼくに話しかけてきた。
「あー、坊主、ちょっといいか?」
「え、あ、な、なに?」
「テメエが、レヌール城のお化けを退治したんだってな」
「う、うん」
「テメエみたいなガキが居たら、親父さんもさぞ鼻高々に違いねえ」
「! ねえ、本当? 本当にそう思う?」
「おう、思う思う。いやあ、いい親父さんだ」
なんだ、この人変な格好はしてるけど、いい人じゃないか。
ぼくのことを、父さんのことを、褒めてくれるなんて。
「そういやあ、その時に妙な宝石を拾ったらしいが、
 それを、ちぃと見せてくんねえか?」
「うん、いいよ、おじさんになら見せてあげる」
ぼくは、袋の中からきれいな宝石、ゴールドオーブを取り出して手渡した。
「ねっ、凄く綺麗な宝石でしょ?」
「ああ。……ほら、ありがとうよ」
おじさんはその宝石を撫でたりさすったりした後で、すぐに返してくれた。
それからすぐに、歩き出そうとして、足を止めた。
「……なあ、坊主」
「なあに?」
「……親父さん、大切にしてやれよ」
声は、何だか寂しそうだった。
このおじさんのお父さんは、もう居ないんだな、って
何となく伝わって、悲しくなる。
「うん」
「それと、な。どんなツライことがあっても、負けんじゃねえぞ。
 人生ってのは、後悔してもしきれねえことが、たくさんある。
 でもな、後悔してばっかじゃ、先へは進めねえ。
 もし、そんな事態にぶち当たったら、
 テメエは一人じゃねえってことを、忘れんな」
鉄仮面越しに見えるおじさんの目は、凄く悲しくて、
凄く優しくて、凄く懐かしくて、凄く、見覚えがある気がした。
「おじさん、ぼく、何処かでおじさんと会ったことがある?」
「……気のせいだろ。じゃあな、坊主」
おじさんはそう言って、村の出口へと足を向ける。
「おじさん、ぼく、絶対に負けないよ!」
そう返事をすると、おじさんの背中がびくりと震えた。
しばらく、小さく震えてたけど、首を横に振って、また歩き出した。
そうだ、負けるもんか。どんな辛いことがあったって、
ぼくは、父さんの息子なんだ。父さんと一緒だから、大丈夫なんだ。






[18799] 第四話:It is no use crying over spilt milk.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:159fe62e
Date: 2010/05/15 16:41
第四話:It is no use crying over spilt milk.
   (覆水盆に返らず)



「なんか、夢みたいだったね、ゲレゲレ」
「ガウ」
家の地下室で、ぼくは壁を見つめていた。
さっきまで、ここに光の階段があったのも、そこから妖精の国へ行って、
妖精と一緒に大冒険をしてきたのも、まるで夢みたいな話だ。
「でも、夢じゃないんだよね」
ぼくの手には、一緒に冒険した妖精の少女、ベラからもらった
綺麗なサクラの枝がしっかりと握られている。
父さんに、この大冒険の話を聞かせたくってうずうずしたぼくは、
ポケットに突っ込んで、階段を駆け上がった。
「や、坊ちゃん今までどこにっ?!」
サンチョったら、何を驚いてるんだろう、と思って話を聞いたら、
何と、父さんはラインハットというお城に呼ばれてたらしい。
そして、ぼくも連れてくつもりだったけど、見つからなかったから、
今さっき、出かけてしまったところだという。
「すぐに追いかければ、まだ間に合うかもしれません。さあ、坊ちゃん!」
サンチョの言葉を聞くまでもない。ぼくは慌てて家から飛び出そうとした。
その拍子に、ポケットからサクラの枝が転がり落ちる。
「おや、見事な枝ですな。坊ちゃんたちの部屋に飾っておきますね」
「好きにして!」
おざなりな返事をして、一直線に門まで向かった。
門番の横をすり抜けようとしたら、ひょいと捕まっちゃった。
「これこれ、落ち着きなさい坊や。一人で外に出ちゃ危ないよ」
「で、でも、父さんが」
「ん? パパスさんなら、まだ通っていないよ。村の何処かにいるんじゃないかな」
「え」
……サンチョったら、あんなに急かして。おかげで、ぼくも焦っちゃったじゃないか。
ごまかすように頭をかいて笑って、村の中を探し回る。
とは言っても、父さんの行き先には、大体見当がついてんだけどね。
「おうジャギか! 今まで何処にいたんだ? 随分探したぞ」
ほらね、やっぱり教会に居た。旅に出る前には、神様にお祈りを欠かさない、というのは、
この世界での常識なんだもん、当たり前だよね。
「お前も祈っておくといいだろう。父さんは、村の入り口で待っているからな」
「はーい」
正直言うと、ぼくはあんまり神様、ってものを信じてない。
これも多分、《ジャギ》の影響なんだろう、ってのは分かる。
でも、何でだろう。《ジャギ》の世界には、神様、居なかったのかなあ。
神様が居るんなら起こらないような、酷いことがあったのかな。
霞がかった記憶の向こうで、何があったのか、ぼくはまだ、思い出せない。


船旅とは違ってそんなに長くない、とは言っても、やっぱり何日もかかる。
ラインハットへ通じる関所が見えた時には、ようやくこれで半分くらいか、と
ちょっとだけげんなりしてしまった。
「よいしょ、っと。ほら、ジャギ、良い眺めだろう?」
でも、父さんが肩車してくれて、綺麗な景色を見せてくれたら、
それまでの疲れなんか、全部吹っ飛んじゃったんだ。
「うん、すっごくいい眺め。えへへ、これからは、遊んでくれるんだよね」
今度の旅の始まりに、父さんは言ってくれた。
ラインハットのお城についてからは、少し落ち着くつもりだって。
ぼくとも、たくさん遊んでくれるんだって。嬉しいなあ。
どうせなら、剣を教えてくれたらいいな、父さんみたいに強くなって、
父さんの探し物を手伝えるようになるんだ。
そう考えたら、この旅も全然辛くなくなっちゃう。
ただちょっと心配なのは、川を見ていたおじいさんが言ってた、
この国の行く末を案じている、っていう言葉。
ラインハットのお城って、あんまり、よくない場所なのかなあ……。
不安になって、ちょっとだけ強く、父さんの頭に抱きつく。
「はは、どうしたジャギ。高いのは怖かったか?」
父さんが、ニコニコと笑って、頭を撫でてくれる。
何でだろう。この笑顔を、絶対に忘れないようにしよう、
この温かさを、絶対に忘れないようにしよう、って思ってしまったのは。
頭の中に、この間会った旅人さんの悲しい目が、浮かんで消えた。


「うわあ……」
ラインハットについたぼくは、驚いて声を上げてしまった。
アルカパも大きい町だったけど、こことは全然比べ物にならない。
ちょっと通っただけでも、人がたくさん居て、
はぐれないように父さんの手を一生懸命握っていた。
お城の中で、父さんは何やら王様とひそひそ話をしてる。
折角だから見せてもらいなさい、と体よく追い出されて、
ぼくはお城の中をブラブラしながら、色んな話を聞いた。
どうやら、このお城には二人の王子様が居るらしい。
お兄さんのヘンリーと、弟のデール。
誰に聞いても、兄のヘンリー王子よりも、弟のデール王子が、
王様になった方がいいんじゃないか、って言ってる。
おかしなことを言う人たちしか、居ないお城だなとぼくは思った。
兄がいるのに、弟の方を推し進めるなんて、そんなのありえない。

《兄より優れた弟》なんて、居るわけないのに。

弟王子だって、王様になんかなりたくないって言ってるんだから、
普通にヘンリー王子を王様にするのが当然だよ。
《兄より認められる弟》が存在していいわけない。
ぼく、このお城、嫌いだ、って思ったら、今までにないくらいムカムカする。
また、頭が痛くなった。ズギリズギリと、この間とは違って、
酷く熱を持って痛む。浮かんでくるのは、《男の子》の顔。
誰だから分からないのに、その顔が憎くて憎くてたまらない。
「《ケ……シ……ウ》……ッ……!」
頭に浮かんだ、その野郎の名前を、ありったけの憎悪をこめて、呻く。
《テメエ》さえいなけりゃ、《俺》を、《俺》は、《俺》が。
「おい、お前、誰だ?」
ひどく暗い場所に遠のいていた意識は、かけられた声でこちらに引き戻される。
目の前に立っていたのは、緑の髪をした男の子だ。
着てるものからすると、凄く良い身分なんだろう。
あ、もしかして、この子がヘンリー王子、かな?
「ははん。さてはお前が、親父に呼ばれて城に来た、パパスとかいう奴の息子だな。
 オレはこの国の王子。王様の次にえらいんだ。
 おいお前、オレの子分にしてやる」
「え……」
この子、いきなり何を言い出すんだろう。
ぼくが断る暇もなく、ヘンリー王子はぼくの手を引っ張って、部屋に入る。
広くて綺麗な部屋。そこにある椅子に、王子は腰掛けた。
「隣の部屋の宝箱に、子分のしるしがあるから、それを取ってこい!
 そうしたら、お前を子分と認めるぞ!」
「あ、あの、ぼくは……」
「ほら、早く取ってこいよ! このお城には、同じ年頃の子供はいないからな。
 オレの子分にならないと、遊び相手もいなくて寂しいぞ!」
戸惑っていたぼくは、その言葉にハッとした。
……なんだ、要はこの子が、寂しいんじゃないか。
そうだよなあ。この子の父さんは王様で忙しいし、
本当の母さんは居ないし、城の人たちは弟を構うし。
「……うん、取ってくる」
取ってきたら、言ってやろう。子分じゃなくて、友達になろう、って。
……先にそう言って、父さんの目のあるところで、一緒に遊ぶべきだったと、
ぼくが後悔することになるのは、このすぐ後だった。


ぼくの目の前で、ヘンリー王子がさらわれてから、今日で一週間。
騒ぎにならないよう黙っていたけど、流石に一週間も経てば、
お城の中も外もざわざわと騒がしくなってくる。
中には、父さんがヘンリー王子を誘拐したんだ、なんて言う人も居る。
違う。父さんは、ぼくの言葉を聞いて、王子を助けに行ったんだ。
だから、絶対に帰ってくるはずなんだ、と信じていたけど、
父さんは、まだ帰って来ない。
「……行こう、ゲレゲレ」
「フニャ?」
町の中に居辛かったぼくは、外の草原で父さん達を待っていた。
時々現れるモンスターを倒しながら、だったので、前より少しは強くなった。
だから、きっと父さんの後を追いかけても、大丈夫なんだ。
手にしっかりとブーメランを握りしめて、ぼくは歩き出した。
目指す先は、山に囲まれた古い遺跡。子供の足じゃ、ちょっとかかるけど、
ここで待ってるよりは、よっぽどマシだと思った。
けれど、それは大きな間違いだった。あともう少しで遺跡に着く、という時に
ぼくの目の前に大量のモンスターが現れた。
特に厄介だったのは、一体のスライムナイト。
与えたダメージを、あっという間に回復して、ぼくに切りかかってくる。
「フニャー!」
「ゲレゲレ!」
ぼくをかばったゲレゲレが、切り伏せられて地面に叩きつけられる。
地面に横たわったゲレゲレに視線をやった瞬間、
ぼくの体に鈍い痛みが走って、意識が遠くなった。
「父、さ、ん……」
小さく呟いて、意識を失った。悔しい、ぼくにはまだ、力が足りない。
落ちていく意識の中でそう思った。スライムナイトが、こちらを見つめてる気がした。

夢を見た。木に向かって、ずっと指を突き続けてる夢。
痛くても、苦しくても、耐えようと思った。
そうしなきゃ、《父さん》に、認めてもらえないから。
夢はかちゃかちゃと鳴る鎧の音のせいで、唐突に終わった。
「だれ……?」
うっすらと目をあけても、誰なのか分からない。
足元には、地面とは違った、ぶにょぶにょとした柔らかい感触がある。
これ、なんだっけ。どっかで、感じた気がする。
考える前に、体全体を包む疲労感から、また眠りに落ちていった。


次に目を覚ましたのは、ラインハットの教会。
何でも、ぼくとゲレゲレは町の外に倒れていたらしい。
誰が運んでくれたんだろ? 父さん、じゃ、ないよね。
だって、お城ではまだ、王子が帰ってこないと大騒ぎだ。
城の兵士達に、まるでさも、ぼくのせいだといわんばかりの視線を浴びせられて、
どうしようもなく苦しくなって、ぼくはお城を飛び出した。
今度こそ、父さんを助けに行くんだ。ありったけのお金で、
鎧と兜、それに薬草を買って、ぼくは突き進んだ。
道が分かっていたから、この間よりずっと早く目的の場所にたどり着く。
古びた遺跡の中に入ると、父さんが戦っているのが見えた。
「父さん!」
ぼくが声をかけても、父さんは気づかない。そこへ行くために、
遺跡の中をあちこち駆けずり回る。
あんな奴らに負ける父さんじゃない、とは思っていたけど、
ここに来てから、なんだか凄く嫌な予感がしているんだ。
背中がゾクゾクする、頭がズキズキする。
神様。今まで本気で祈ったことがない神様。
今度からは、ちゃんとお祈りしますから、どうか、ぼくが行くまで、
父さんを守ってください。ぼくに、父さんを守る力をください。
……その願いは、どうにか無事に聞き届けられたらしかった。
ぼくがたどり着いた頃には、父さんはモンスターを全部やっつけてた。
「おお、ジャギか。城ではぐれたからどうしていたかと思ったぞ。
 こんなに傷だらけで……」
モンスターと戦いながら、ここまで走ってきたぼくの体に、父さんがホイミをかけてくれる。
「父さん、も、帰ろう? ここ、凄く嫌な予感がするんだ。 ね?」
「何を言ってるんだ。ヘンリー王子を助けねばなるまい」
「でも……っ、でもっ」
他人なんかどうでもいい、ぼくはとにかく、父さんと一緒に、
ここから帰りたくって仕方なかった。
何で、こんなに胸がざわつくんだろう。
「大丈夫だ、ジャギ。父さんは強いからな」
父さんが頭を撫でてくれても、いつもの笑顔を見せてくれても、
今回ばかりは、ちっとも心が晴れないし、頭痛も飛んでいかない。
でも、父さんの言うことには、逆らえない。
あんまりワガママ言って、見捨てれちゃうのも、嫌だから。
「うん……、分かっ、たよ、父さん。王子を、見つけて、
 そしたら、すぐに帰ろう。ね? 約束だよ」
「ああ。……なあ、ジャギ、お前、村に旅人が来ていたのを知っているか?」
ああ、どうしてよりによって、今、あの人のことを思い出させるんだろう。
「彼は予言者らしくてな。私に、ラインハットへ行かないように、と忠告したよ。
 今、急にそのことを思い出したんだ」
……あの人は、知ってたの? こんなに、嫌な予感がする理由を。
あの人は、知っていて、父さんを、止めてはくれなかったの?
何で、どうして、とぼくの中にイライラと不安が募るばかりだった。


囚われていた王子は、自分の居所のなさに悩んで、帰りたくない、と言った。
父さんは王子を叩いて、王様の気持ちを考えてみなさい、と言った。
ああ、そっか。ぼくが、父さんをなくしたくないみたいに、
王様だって、王子をなくしたくないに決まってる。
そんなことにさえ思い至らなかった自分が、なんだか恥ずかしくなった。
それからすぐ、モンスターが現れて、父さんは、ぼくに王子を連れて逃げるように言った。
「こいつらを足止めしてから行く! お前達は早く逃げろ!」
父さんが、あんな奴らに負けるわけないんだ、大丈夫なんだ、
ぼくは、父さんの言うことを聞かなきゃいけないんだ、って
必死に自分に言い聞かせて、王子の手をひいて逃げた。
でも、もうすぐで出口だ、っていう所で、王子は立ち止まった。
「何してるの、早く、逃げなきゃ」
「でも……、でも、パパスが」
「父さんなら、大丈夫だよ、早く、早く!」
「でも」
「でも何!」
「……オレ、お城に帰ったって、仕方ない、じゃないか。
 王様になるのは、オレじゃない、弟、なんだ。
 こんな、こんな迷惑かける、役立たずの兄貴なんか要らないだろ?!
 親父だって、そう思ってるに決まってるんだ!!」
パン、と渇いた音が遺跡に響いた。
「何を、何を諦める必要があるんだよ!」
ぼくは、どうしても王子の、ヘンリーの言葉が許せなくて、頬を叩いた。
「ジャギ……?」

「《兄より優れた弟》なんて、存在しねえ!」

どんなに迷惑かけてても、ヘンリーは兄なんだだ。
それだけで、弟よりも、認められなくっちゃおかしいんだ。
「もっと、堂々としてればいいんだよ、ヘンリーはお兄さんだろ?!」
兄より弟が認められるなんて、そんなバカなことがあるもんか!
「っ、ジャギに何が分かるんだよ、兄弟も居ないクセに!」
「分かるよ、だって、《俺》は……、《俺》、は?」
《俺》……? 今、『ぼく』は、誰、だ?
今の言葉は、『ぼく』の言葉なの? ううん、違う。
今のは、《俺》の……《ジャギ》の、言葉、だよな。
あれ、おかしいな、でも、《ジャギ》に、《兄弟》、なんか。
「……ジャギ、どうしたんだ、大丈夫か、おい、ジャギ、ジャギ!」
ヘンリーが、がくがくと『ぼく』の体を揺する。
混乱した頭と体が、まともに動いてくれない。
ぼくの記憶の中から、凄く嫌なことが浮かび上がってくる気がする。
いやだ、思い出したくない、思い出したくない!
「うわあああああああ!!」
思わず、悲鳴を上げてしまった。その声を聞きつけたのか、
不気味な格好をした奴が、ぼく達の目の前に現れる。
今までのモンスターとは、迫力が、全然、違う。
その気配に、浮かびあがりそうになった嫌な思い出が再び沈む。
そうだ。ぼくは何を考えてたんだろう。過去なんて、今は後回しにしなきゃ。
「王子、下がってて」
大分使いこなせるようになった、相棒とも呼べるブーメランを固く握り締める。
父さんと約束したんだ。王子を守るんだ、って。
父さんのためにも、ぼくは、戦わなきゃいけないんだ。
大丈夫。今まで、一生懸命頑張ってきたんだ。きっと、勝てる。



声が聞こえた。
《俺は、まだ弱い》
苦しみと一緒に吐き出した言葉。それを自覚していればいい、と
兄のように思っていた奴に言われて、安堵した。
《俺は、強くなっている》
惚れた女を救い出した喜びから、呟いた言葉。
そんなはずは、無かったんだ。
凄く嫌な臭いが、鼻をつく。この臭いを、知っている。
人の焼ける臭い。
フラッシュバックするのは、《あの日》の光景。
閃光と、空を覆った不気味な雲と、焼け焦げた、人だったもの。
力のあるものだけが生き残る、《俺》のような強者に相応しい世界になったのだと、
何も知らないままに、笑っていた。
何より愛しかったものが、破滅を迎えていたことなど、ちっとも知らなかった。

『ぼく』が、薄らに開けた目には、石の床が映っている。
一箇所だけひどく焦げ付いたそこに、見覚えのある剣が燃え残っている。
あれは、なんだ。あれは、あれは、あれは……『父さん』だ。
そうだ。『ぼく』を人質に取られて、手出しが出来ずに、
モンスターに嬲り殺された、『父さん』だ。
『ぼく』に、母さんが生きている、と、必ず探し出してくれ、と、
遺して……、焼き殺され、た、『父さん』だ。
ああ、痛い。今ぼくを抱えている、こいつに付けられた傷のせいだけじゃなく、痛い。
体中が痛い。頭が痛い。胸が痛い。全身が痛い。
闇に落ちていく意識の中で、記憶の底から《ジャギ》が甦ってくる。

《父さん》が相談もなしに、《兄さん》と《弟》を連れてきた。
辛く苦しい修行の日々は、全部、《父さん》に認めて欲しかったから。
けど、《父さん》は、とっくに《ぼく》を見捨てていた。
《ぼく》に、《父さんの全て》を、継がせるつもりなんて、なかった。
どうして? 《ぼく》は、強くなったよ。
《兄さん》たちには、敵わなかったけど、ねえ、《ケンシロウ》には、勝ってたよ。
何で、《ケンシロウ》を選んだの? ねえ、何で?
《ぼく》は……《俺》は、何処で、間違えたんだよ?
答えてくれてよ、なあ、何で、何で……っ、
何で、《親父》にも選んでもらえねえで、《アンナ》に、死なれなきゃ、ならなかったんだよ!
なあ、《俺》は、何処で間違ったんだよ!!
どうして、《ケンシロウ》に、殺されるようなことになったんだよ!!

ああそうだ、今になって、今になって全部思い出した!
でも、もう遅えよ、遅すぎるじゃねえかよ……。
もっと早くよ、間違ってたってことに、気づいてたら。
『ゲマ』って名乗った奴に、立ち向かいなんか、しねえで、
ヘンリー連れて逃げてた。
そうすりゃあ、『父さん』が死ぬことはなかった。
また、間違えた。また、自分の、力を過信して、大事なもん、亡くした。
ああ……ちきしょう、ちきしょう、ちきしょうちきしょうちきしょう!!

俺は、いつか必ず、テメエをブッ殺すぞ、『ゲマ』。

そのためだったら、どんな手だって、使ってやる。

泥水を啜ったって、生き延びてやる。

誰に手を出したのか、解らせてやる。

誰の大切なもんを奪ったのか、解らせてやる。

『ゲマ』……ッ、俺は



『パパスの息子 ジャギ』だッ………!!








[18799] 第五話:TO sit on the stone for 『TEN』 LONG years.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:67e1ccff
Date: 2010/05/16 22:52
第五話:TO sit on the stone for 『TEN』 LONG years.
    (石の上にも『十』年)


夢を、見ていた。
まだ、『ぼく』で居られた頃の夢。
父さんと一緒の旅は、大変だったけど、辛くはなかった。
あの暖かな手は、もう無い。あの優しい声は、もう聞けない。
『父さん』を殺した魔物、『ゲマ』への憎悪で心が染まってから、
『ぼく』は、《俺》の記憶を取り戻して、『俺』になった。
……もう、十年は前の、話、か。
開いた目に映るのは、石を切り出して作られた洞窟の天井と、
ボロボロの服をまとった、緑の髪の男だった。
「よっ、ジャギ。やっと目が覚めたようだな。
 随分うなされてたようだけど、またムチで打たれる夢でも見たんだろ」
「そんなんじゃねえよ」
右手を軽く上げて、覗きこむ顔に軽く一発。
「っつー、お前、相変わらず手が出るのが早えなあ。
 十年前の、おどおどしてた頃とは大違いじゃねえか」
ヘンリーが、額をさすりながら文句を言ってくるが、その口元は笑っている。
ここじゃあ、俺と話す以外の娯楽なんて、あとはメシと寝るくらいしかねえからな。
「そんなんだから、反抗的で奴隷になりきれないヤツだーって、言われて、
 毎日毎日ムチで打たれちまうんだよ。
 その点、俺なんか素直になったと自分でも思うよ、わっはっはっ」
あっけらかんと、笑ってのけるコイツは、確かに十年前の
ワガママ王子っぷりはすっかり鳴りを潜めている。
「……もっとも、オレが素直になったのは、
 お前の親父さんの死がこたえたのもあるけどさ……」
「その話は止めろつってんだろ。俺達が馬鹿だっただけの話だ。
 ……この傷のことも、含めてよ」
身を起こすと、俺はしっかりと顔のボロ布の結び目を固く結び直す。
ここに来てしばらくした頃に、俺は看守に逆らって、ムチ打たれた。
日常茶飯事だったが、たまたま当たり所が悪かったらしい。
よろめいた俺の左の顔には、切り出された石材の角が迫っていた。
……で、そこでぐっさりやっちまって、二度と見られない顔になった、ってわけだ。
ったく。まさか、見せられない顔になるとこまで、《俺》と同じなるなんて、な。
「悪ぃ……でも、その傷は……」
「うっせえなあ、寝起きの大声は傷に響くんだから、静かにしてくれよ」
まだ何か言いたげなヘンリーを残して、俺は外に出た。
看守共がじろじろとこちらを睨んでくるのも、仕方ねえ話だ。
何しろ俺は、奴隷共の中じゃあ、一番、いや、唯一反抗的な存在だ。
「……《拳》さえ使えりゃあ、テメエらなんかブチのめして、
 こんなとことは、とっととおさらばすんのによぉ……」
口の中で小さく、聞こえないように呟く。
《俺》の記憶を取り戻した俺が、真っ先に行ったのは、
《北斗神拳》を使いこなそうとすることだった。
……結論からいやあ、使えなかったんだがな。
体に刻んでいたはずの型も、秘孔の位置も、何一つ、
《俺》の記憶の中からは、出てきてはくれなかった。
「くそったれ……」
その理由なんぞ、ちいとも解りゃしねえ。一度死んだはずの《俺》が、
『俺』として、この世界に存在してる理由と同じくらいに。
俺に文字を教えてくれた、学者下がりのジジイに、こっそりそういう奴が
他にも居やしねえか、ついでに理由を知らないか聞いた。
ジジイは、そういう奴が居るとは聞いたことがあるが、
理由については、『神のお導き』だと抜かしやがった。
つまり、よくわかんねえってことじゃねえか。
階段を昇って外に出れば、空気が薄い。見下ろす眼下に雲があるからには、
ここは相当高いどっかの山の上なんだろうな。
……こりゃ、脱出するにしたって一苦労だな、と何度目だか知らないが考える。
「よっ、と」
切り出された岩を、いつものように運び上げる。
朝から晩まで強制的に肉体労働させられてりゃあ、
自然、ある程度の筋力はつくし、一日の終わりに毎度毎度ベホイミかけりゃ、
体を壊しちまうこともねえしな。北斗神拳は使えねえが、
こっちの世界での呪文が覚えておけて何よりだったぜ。
こうやって、体を作っていきゃ、いつかこっから出る機会も来るだろ。
……ゲマの野郎をぶちのめすまで、死ぬわけにゃいかねえんだ、
賭けに出るには、俺は手札が少なすぎる。
水や食料がないわけじゃねえしな、ここでの暮らしも、
慣れちまえば、下手な世紀末よりよっぽどマシだ。


「なんだぁ? 随分騒がしいな」
岩を運んで何往復かした時。俺の耳にざわめきが届いていた。
なんだなんだと様子を見に行きゃあ、女が一人、ムチ打たれてた。
あー、ありゃあいつだな。確かヘンリーが熱を上げてる、マリア、つったか、
教祖の皿を割ったとかって理由で、信者から奴隷に格下げされた奴だ。
けっ。どうせなら、教祖の膝の皿でも割ってやりゃあよかったのによ。
「おい、ジャギ、俺はもう我慢できねえッ!」
「あ? ヘンリー、お前いつの間に俺の横に……」
「お前も手を貸せ!」
ヘンリーの野郎、看守をぶん殴りに行きやがった。
ったく、これだから惚れた腫れたは厄介なんだ。
ほら見ろ。思い切り殴り返されてんじゃねえか。
……惚れた女を守るため、か。
「ああちきしょう、本当に馬鹿馬鹿しい!」
ヘンリーにもう一撃くわえられる直前に、俺は看守の野郎の顔を思い切りぶん殴ってやった。
「あべしっ」
「なんだ! お前も歯向かう気だなっ!? よーし、思い知らせてやる!」
「助かったぜ、ジャギ」
「礼は良いからとっとと立て。最初に手を出したのはテメエだからな」
馬鹿馬鹿しい。そんなヘンリーに手を貸す、俺が。
「うおりゃっ」
「げぶっ」
北斗神拳こそ使えねえが、体重を乗せて殴りかかれば、
ぶよぶよと醜い豚みてえな体をしたコイツらなんぞ、屁でもねえ。
いつぞやのスライムナイトの方が、もっと歯ごたえがあんじゃねえか?
「なんだなんだこの騒ぎはッ!?」
ちっ、タイミングが悪ィ。兵士共が聞きつけやがった。
看守の奴らをこてんぱんにのして、後は適当に山肌に投げ捨てりゃ、
事件のこともバレねえだろ、と思ってたんだが。
「こ、この二人が突然歯向かってきて……」
「余計なこと言ってんじゃねえぞ、豚!」
地面に倒れたソイツを、げしりと蹴り飛ばす。
「おおふ」
「何をするんだ……! ……、その二人は牢屋にぶちこんでおけ!
 それから、その女は手当てを!」
「はっ! さあ、来るんだ!」
ここで兵士共に逆らっても仕方ねえな。
俺は舌打ち一つこぼして、後ろ手に縛られるのを享受した。


「いやー、まさか牢屋にぶち込まれるとはなあ。
 しかし、ムチで打たれるよりマシかな。あっはっは」
「ま、黙ってりゃその内出してもらえるしな」
牢屋の中で、俺とヘンリーはごろりと転がっていた。
足枷なんざついちゃいるが、俺からしたら軽いもんだ。
仕事をしねえで言い分、楽だな。
「そうそう。せっかくだから、のんびりしようぜ」
「おうよ」
転がったまま目を閉じようとして、ふっと、自分の手を見つめた。
俺の手。久しぶりに、人を殴った手。でも、全然足りねえ。
この世界じゃ、やっぱ素手で誰かを倒すのは正直難しいもんがある。
こっから出られたら、まず武器を調達しなきゃなんねえな。
「しっかし、いつまでここに入れておく気かなあ……」
「! ちょっと黙れ!」
俺の耳に響いてくる足音。男が一人と、女が一人、か?
「……二人とも、こちらへ来てくれ」
牢の入り口に立った兵士が、辺りをはばかるように、小さな声で俺たちを呼んだ。
その後ろに居んのは……さっき助けたマリアだな。
「おいジャギ、行ってみようぜ」
俺の意見なぞ聞かず、ヘンリーはとっとと先に男の方へ近づいている。
「妹のマリアを助けてくれたそうで、本当に感謝している。
 私は兄のヨシュアだ。前々から思っていたのだが、
 お前達はどうも他の奴隷とは違う、生きた目をしている!」
生きた目、なあ。俺の目は、相当澱んだ目をしてると思うんだが、
こいつ何処に目をつけてやがんだ?
「そのお前達を見込んで頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「ああ、勿論だ。で、頼みってのは?」
おい、今のは明らかに俺に聞いてただろ。何でテメエが答えんだよヘンリー。
で、このヨシュアって野郎も勝手に話し出すし。
こいつが聞いた話じゃ、このままじゃ奴隷は全員殺されちまうそうだ。
そんでもって、マリアを連れて逃げてくれ、だとよ。
こいつを連れて行くことはともかく、こっから逃げられるんなら願ったり叶ったりだ。
「俺は賛成だが、ジャギもそうだよな?」
「ああ、まあな」
「そうか。……それでは、こちらへ来てくれ」
かちゃり、と牢の鍵が開けられ、俺たちは牢の一角にある水場へ連れていかれた。
「ここは、奴隷の死体を樽に入れて流す場所なのだ。
 気味が悪いかもしれないが、その樽に入っていけば、きっと脱出出来るはずだ」
え?
「さあ、早くその樽の中へ!」
「あ、ああ、行くぞジャギ!」
いやいや待て待て。樽って、樽ってお前。しかもそんなにデカくもねえぞ。
戸惑う俺の手がぐいと引かれて、樽の中に入り込む。
やっぱり、狭いんだが。いやどう考えても無謀だろこれ。
樽の蓋が閉められる。かちゃり、と鎖が外れる音がする。
どん、と揺れて、樽が流れに乗ってゆっくりと動き出した。
「……やっぱ、狭いな……」
「ちょっと考えれば解るだろ! せめて三人別の樽に、し、て……」
おいおい、なんだこの、爆音は。
ん……、ああそういや、《俺》、この音を聞いたことがあったな。
道場の近くに、川と池があって、そこで、聞いた。
「この音、何かしら……」
マリアがぼそりと呟くが、その答えはすぐにこいつらも理解した。
ぐいん、という凄まじい落下感が俺たちを襲ったからだ。
「滝だあああああああ?!」
ヘンリーが叫ぶ。うるさい、黙れ。
考えて見ればそうだよな、あんな高い所にあったんだもな、
水の流れも滝になってる可能性が高いに決まってらあ。
数分だか数秒だか落ちる感覚があって、激しく水面に叩きつけられる。
その拍子に、しこたま頭をぶつけた。
「いてえ……」
「あ、あの、ジャギさん、大丈夫ですか?」
「心配ねえってマリアさん。こいつ、頑丈なのだけが取り得だからよ」
「よしヘンリーお前、こっから出られたらぶん殴る」
暴れて樽が壊れたら、間違いなく人生が終わるからな、
今は殴らないでおいてやるぜ。
「ふふ」
あ? 何笑ってんだこの女。
「お二人とも、何だか兄弟みたいですね」
「勘弁してくれよ、マリアさん。オレ、ジャギみてえな弟いらねえよ」
俺だって、兄弟なんざ金輪際、要らねえ。
「……弟、か。オレな、デールっていう弟が居るんだ」
「まあ……」
「もう十年会ってねえけど、元気にしてるかな……」
ヘンリーの野郎の顔が、寂しげなのを見て、俺は舌打ちをする。
兄弟を懐かしむ気持ちなんざ、俺には到底解らねえ。
そもそも、その弟が居たせいでテメエはこんな目に遭ってんだろ、
何で、それでも弟のことを心配なんざ出来るんだ。
「……勝手に話してろ、俺は寝るからな」
ああもう、さっぱり解らねえ、と俺は目を閉じた。
弟のせいで何もかも奪われたってのに、それでも弟を心配する兄貴も、
妹のためなら、自分はどうなってもいいなんて思う兄貴も。
何だよ、普通のきょうだいってのは、そういうもんなのかよ。
『俺』には、解らねえ。
《俺》の兄弟は、たった一人しか手に入れられねえものを巡って争う、
《敵》でしか、なかったから。


夢を見た。
《俺》が、《兄者》や《ケンシロウ》と一緒に、戦う夢だった。
文句を言い合いながらも、《俺》が《ケンシロウ》に手柄を譲ったり、
《兄者》達の指示を聞いたりしながら、一緒に戦ってた。
こんなもん、一発で夢だって解る。
だってそうじゃねえか。
俺達の関係をくだらぬ家族ごっこだって、言い切ったのは《ラオウ》で、
《トキ》は《ケンシロウ》には優しかったが、《俺》のことなんか、蔑んでて、
第一、《俺》が《ケンシロウ》に、優しくなんてするわけねえだろ。

ああ、何て馬鹿馬鹿しい夢だ。

馬鹿馬鹿しすぎて、涙が、出てきやがる。

有り得ねえんだよ、こんなことは、絶対に。

くだらない幻の闘いにうなされる俺を乗せたまま、
樽は何処とも知れぬ海を流れて行った。


―――――――――――――――――――――――――



※作者のどうでもいい呟き※
CDシアター版のキャスティングをチェックしたら、
パパスの声がアニメ版ケンシロウの声で、
ジャミの声が北斗無双版のジャギの声だった。
つらい。
そういえば、ジャギとジャミは一文字違いだ。
つらい。



[18799] 第六話:The die is cast.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:708baef2
Date: 2010/05/17 23:27
第六話:The die is cast.
    (賽は投げられた)


「ん……」
小さく呻いて、目を開ける。
いつもより広い視界には、見慣れぬ天井が映った。
「あ、よかった、目を覚まされたのですね?」
声のする方に顔を向ければ、シスターが一人こっちを見ていた。
「もう五日も眠ってらしたんですよ、流れ着いた樽から、
 人が出てきた時は、驚きましたわ……」
「ここは、何処、だ?」
喉から出た声が嗄れていると見るや、シスターが水差しを差し出してくれた。
渇いた喉に染み渡る水が、美味い。
「ここは、名もない海辺の修道院。
 どうか、元気になるまでゆっくりしていってくださいね」
やれやれ、どうやら助かったみてえだな。体を起こすと、バキバキと骨が鳴った。
何日も樽の中に居て、五日も眠りっぱなしじゃ、こうもなるわな。
「それと、その服はあなたが持っていた荷物に入っていたものです。
 前の服はあまりにボロボロでしたから、着替えさせてもらいました」
ふい、とシスターが視線をそらす。視界が広い理由がようやく解った。
ヨシュアがいつの間にか突っ込んでおいてくれたらしい、ガキの頃使ってた袋を漁る。
運よく出てきた一枚の布切れを、顔の左半分をを覆い隠すように結びつける。
驚いた顔でこっちを見てるが、構いやしねえさ。醜い傷跡を晒すよりゃマシだ。
……しかし、ガキの時分に使ってた服が入るってどういうことだ。
そりゃあまあ、確かに少し大きめのサイズではあったがよ。
「そういやあ、一緒に流れ着いた奴らは?」
「ヘンリーさんもマリアさんも、ご無事ですわ」
そこへ、ノックの音がした。どうぞ、ってシスターの返事に、
扉を開けて入ってきたのは、ヘンリーだった。
「よお、ジャギ! やっと気がついたなっ」
「ああ、今、な。……しっかしテメエ、何だぁ、その格好は?」
コイツは、何でか知らねえが、奴隷時代の服のままだった。
「お前と違って、オレの服は処分されちまってたんだよ。
 ここは女の人しか居ねえから着替えも無いし、しょうがないだろ」
そりゃそうかもしれねえが、しかし、何というか相当みっともない。
「ちょっと待ってろ……ああ、あった。ほらよ」
袋の中を漁れば、旅人用の服が一着出てきた。
ガキの頃でも少しデカかったくらいだから、今のコイツにゃ丁度良いだろ。
「おっ、サンキュー、ジャギ」
「きゃっ。そ、外に出てますわね」
目の前で着替え始めたヘンリーを見て、シスターは小さく悲鳴を上げて、
ぱたぱたと、慌てて部屋を出てった。
……俺の服は着替えさせられたクセに、ヘンリーはダメってどういうことだ。
やっぱ顔か。顔なのか。
「おいおい、何睨んでんだよ、ジャギ」
む。どうやら気づかね内に睨んでたらしいな。
「それはそうと、マリアさんがこの修道院の洗礼式を受けるらしいぞ。
 お前は目が覚めたばかりで、いまいちピンとこないだろうけど、
 まあ、とにかく出席しようぜ」
洗礼? あー、確か、神にお仕えするために身を清める儀式、だったか?
その辺りの知識は、とんと記憶の彼方だぜ。
第一、見ても面白いもんじゃねえだろうに。


洗礼式とやらは、俺にはちっとも面白く無かったが、ヘンリーの奴は見惚れてやがった。
あのマリアって女、顔は悪くねえからな。絵にはなる。
「ああ、ヘンリーさん、ジャギさん!」
式を終えたマリアは、俺たちに気づいて駆け寄ってきた。
「やっと気が付かれましたのねっ、本当によかったですわ。
 兄の願いを聞き入れ、私を連れて逃げてくださってありがとうございました」
「俺が逃げるついでだついで。ったく、テメエの兄貴も考えなしだな。
 危うく、海の藻屑になるとこだったじゃねえか」
「おいジャギ、そういう言い方はよせよ」
そりゃそうかもしれないけどさ、って小さく呟いたのは、
俺には聞こえてるぞ、ヘンリー。
「……それでも、こうして神のお導きで、逃げられただけ幸せですわ。
 まだあそこにいる兄や、多くの奴隷の皆さんのことを思うと、
 心から喜べないのですが……」
そう言って祈りの印を切った。けっ、他人のことまで心配するとは、
本当、随分と心が清らかでいらっしゃるようだ。
「それと、ジャギさん。これは兄から預かったものですが、
 どうぞお役に立ててください」
マリアが、俺の手にじゃらりと音を立てて袋を渡した。
ずしりと重い中身を覗けば、金貨だ。1000ゴールドはあるだろう。
「いやー、あんたの兄貴、いい奴だな」
「お前、現金すぎるだろ」
うるせー。もらうもんもらって、喜んで、何が悪い。
「ふふ。元気な方ですね、ジャギさんは」
いつの間に近づいてたんだか知らねえが、さっきのシスターが後ろでクスクス笑ってた。
「さあ、そろそろご飯にしましょう。
 余り多くは出せませんが、客人の分もご用意してありますわ」
その言葉を聞いた途端、俺の腹がバイクのエンジン音みてえにけたたましく鳴った。
「まあ、急がないといけませんね」
「そっか、お前ここ来てから寝っ放しだったもんな。
 そりゃあ、腹も鳴るよな」
ヘンリーの生温い視線と微笑みが、ムカつく。
「そういや、樽から出られたら殴るって言ってたよな」
パキポキと、俺は指を鳴らした。
「え、あ、いや、ジャギ、その、怒るな、って。な?」
じりじりと後ろへ下がっていく。馬鹿め。後ろは壁だ。
「ヘーンーリーィー……」
ごつん、と鈍い音が、修道院の中に鳴り響いた。


それから、大体一週間くらいはそこに居た。
辺りの魔物なんかをちょこちょこ退治しながら、体の調子を取り戻す。
いつもみたいに、狭いながらもきちんと整えられたベッドから目覚める。
横で寝てるヘンリーを起こさねえように、俺はそっと修道院の外へ出た。
扉を静かに閉めて、思い切り深呼吸する。
海に近いからか、懐かしい潮の香りがする。やっぱ、この匂いは好きだな。
「さて、と」
型に袋を担いで、俺はここを後にすることにした。
女ばっかのトコは、さすがにそろそろ居心地が悪い。
目的は、『父さん』の、『親父』の遺言に決められている。
『母さん』を、探さなきゃ、ならねえ。
優しかった目元と微笑みくらいしか覚えてねえ、『母さん』。
《ジャギ》の記憶に全くない、母親ってやつが、どんなもんか知りてえんだ。
魔族にさらわれたって話だから、俺が探し続けてりゃ、
いずれ邪魔に思う何者かが、俺に刺客を送ってくるだろ。
そいつらブットバしてりゃあ、その内、あの『ゲマ』のヤローも来るに違いねえ。
……俺の力で、敵うかどうかは、解らない、けどな。
「何処行くんだ、ジャギ?」
一歩踏み出した俺に、背後から声がかけられる。
「あ?」
振り向いたソコには、ヘンリーが立っていた。
「旅に出るのか?」
「まあな。テメエにゃ関係ねえが」
「待てよ、ジャギ。お前、母親を探すんだったよな」
「……何で知ってんだ」
そう聞いたら、ヘンリーの野郎、随分と真剣な目でこっちを見てやがった。
「俺も、あの時、お前の親父さんの遺言を、聞いてた」
「……そうか。で?」
「その旅に、俺も付き合わせてくれねえか」
「ハァ?!」
俺は思わず、ヘンリーの胸倉を掴んでいた。
「誰のせいで、親父が死んだと思ってんだ。
 テメエになんか助けてもらわなくってもなあ、
 俺一人で、どうにかなんだよ!」
怒りを露わにした俺に、しかしヘンリーはひるまない。
真っ直ぐに、俺を見つめ返してくる。
「……オレに、お前の親父さんへの、罪滅ぼしをさせてくれ」
そんなヘンリーの顔に、思わず舌打ちして、掴んでいた手を離す。
俺も、随分甘くなっちまったモンだ、と心中で呟いた。
「勝手にしやがれ」
「ヘヘッ、ジャギならそう言ってくれると思ったぜ。
 こっから北に行けば、オラクルベリーって賑やかな町があるらしい。
 まずは、そこから当たってみようぜ」
人が多く集まるところには、その分情報も多く集まる。
成る程、目の付け所は悪くねえな。
「あと、カジノ行こうぜカジノ!」
目を輝かせながら、意気揚々と歩き出したヘンリーの頭を、とりあえずどついた。

俺の旅はこうして始まった。

目標は、『母親』を探すことと、

『親父』を殺した『ゲマ』をブットバすこと

……正直、先行きは不安だが、始めちまったもんは、仕方ねえ。





[18799] 第七話:Facts are stubborn things.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:5b14b239
Date: 2010/05/18 23:31
第七話:Facts are stubborn things.
   (事実は曲げられないものである)



修道院を出て、北へ向かって、途中で休みながら一日半。
俺達は賑やかな町にたどり着いた。
門を入った正面にギラギラ輝くネオンが眩しい。
とてもじゃねえが、日がとっぷり暮れた夜中だとは思えねえ。
「ここがオラクルベリーの町かぁーで、あれがカジノだな?」
建物を見上げながら、ヘンリーの目も同じくらいに輝いてる。
ご丁寧に、『CASINO』と書かれてるからな、
見ただけで解るってもんだ。
しかし、ルーン文字もアルファベットも使うって、この世界の
文字体系はどうなってやがんだ。俺が覚えるのにどんだけ苦労したことか。
「おい、ジャギ。何ボーッとしてんだよ、早く行こうぜ!」
「待て」
走り出したヘンリーの首の後ろを、ひょいと摘む。
「俺達の目的はカジノじゃねえだろ」
「なんだよつれねえなー。いいじゃねえか、人なら集まってるぜ」
「……その前に、やることがあるだろ」
ぎろり、と睨んでやれば、見る間に表情が暗くなっていく。
「そうだよ、な。悪ィ。オレ達は遊んでるわけじゃないんだった」
解ったらいいんだ、解ったら。
ヘンリーを掴んで、そのままズルズルと歩き出した。
幸い、目的の場所が門から入ったすぐ側で助かったぜ。。
「いらっしゃいませ、夜道を歩いてお疲れでしょう」
「ああ、男二人、ベッドは二つで頼む」
「宿屋かよ!」
ヘンリーが声を荒げるが、気にしてられるか。
「ヘンリー。道中、わらいぶくろにメダパニくらって、
 モンスターに説教しようとして殴られたのは、何処のどいつだ?」
「……オレです」
「そんなことしてたせいで、攻撃避け損ねたお前の体力を回復するのに、
 魔力を消費したのは?」
「……ジャギです」
「文句は?」
「……ない……」
うむ、こいつも大分物分りがよくなったな。
子供時代のワガママ王子っぷりがすっかりナリを潜めてやがるぜ。
「この町にゃ、情報収集のために何日かは居る予定だからよ、
 ま、その内カジノに行く機会もあるだろ」
「本当か?!」
おーおー、まるでガキみてえにはしゃぎやがって。
って、そりゃそうか。ガキの時分から、十年も世間と隔離されてきたんだ、
まだガキっぽい部分があって当然に決まってらあな。
元は、所謂箱入り息子って奴だったし、こういうとこに来て浮かれるのも解らんでもない。


オラクルベリーに滞在してから一週間経った頃、
俺とヘンリーは一路北に向かって旅を進めていた。
占い師のババアは俺の顔を見て、何やらとてつもない運命だとかってのを見出したらしく、
タダで占ってくれた。その結果が、北へ行け、だ。
北、と言われて地図を開けば、そこに懐かしい地名を見つけて、
俺たちは当初の目標をそこに据えることにした。
「なあ、サンタローズってお前の故郷なんだろ? どんな村なんだ?」
安く買い叩いた馬車と歩きながら、ヘンリーが問う。
「どんな、ってなあ。何にもねえ、普通の村だよ。
 ラインハットと比べりゃ、田舎だ」
「……ラインハット、か」
ヘンリーの顔が曇る。オラクルベリーで聞いた噂の中に、
とある王国が兵を集めて戦争を起こそうとしている、ってのがあった。
そのために、国の奴らが大勢苦しんでいる、とも。
コイツは、その国がラインハットではないか、と悩んでやがんだ。
けっ。そんなに気になるんだったら、とっとと様子見に行きゃいいもんをよ、
『今さら俺が現れても迷惑なだけだろ』なんて抜かして、
行くつもりはさらさらねえらしい。
「さあてと、確かこの辺りのはずだがな」
目を凝らせば、山と森に囲まれた、小さな村が見えてきた。
けど、なんか様子がおかしいような気がする。
遠目に見ても解るくらいに、建物の数が随分減ってねえ、か?
妙な予感がして、俺は足を早めた。
「あ、おいジャギ待てよ、どうしたんだ」
「村の様子が変だ! 十年で、あんなにボロくなるとは思えねえ!」
近づけば近づく程、その村の様子がおかしいのが解る。
そうして、村の入り口についた時。俺は我が目を疑った。
「何だ、こりゃあ……」
村は、焼け落ちていた。それもつい最近のことじゃねえ。
入り口近くの丘に立てられた墓は、何年か経った後だ。
何だ。俺達がこの村を出てから、一体、何があったってんだよ!
「どうして、こんなことに」
隣で、言葉を失うヘンリー。その姿を見て、俺は、思い出しちまった。
ヘンリーが誘拐された直後、城の奴らは、何て言ってた?
『パパスは、誘拐犯の一味』と、そう言って、なかったか?
王子がさらわれたのと時を同じくして、お守りを命じられた男も、行方知れず。
城の奴らがそう考えるのだって、当然じゃねえか。
「旅の方、どうかなさいましたか?」
愕然としてる俺に、声がかけられた。
「そんな所では体が冷えますわ。教会へどうぞ。
 ……今、この村にあるのは教会と、洞窟を使った宿だけですけれど……」
悲しげにそう呟いたシスターの顔に、俺は見覚えがあった。
老けてるけど、間違いなく、あの頃村に居たシスターだ。
俺は、未だ何を言うべきかも解らず、とりあえずシスターに付いて教会に入った。
ここだけは、あの頃と変わらない。神の居場所、って奴だからか。
神を焼かねえで、人を、家を焼いた、のか。
……ここは、随分と穏やかな世界だと思ってたんだが、
根本は、あの《世紀末》と変わらないのかも、しれねえな。
そう思って、ついため息をこぼした。
「驚かれたでしょう、こんな村で……」
ため息を勘違いしたのか、シスターが訥々と語りだす。
「その昔、ここはとても美しい村でしたのよ。
 しかし、ある日ラインハットの兵士達が、村を焼き払いに来て……」
「ラインハット、が?」
ヘンリーの顔が、さあっと青ざめる。シスターは、気づかぬまま語り続ける。
「ひどい! ひどいわ! パパスさんのせいで、王子が行方不明になったなんて!
 そのパパスさんを匿っているんだろう、って、兵士が言って……、
 村の誰もが否定したのに、兵士達は、火を……」
急に取り乱して、シスターが頭を振った。
それから、ハッと頬を朱に染めて、申し訳なさそうに告げる。
「あら、ごめんなさい。見ず知らずの人に、パパスさんの話をしても、
 仕方なかったですわね……」
「……知ってるぜ、そいつのことは」
俺がそう切り出すと、弾かれたようにこちらを見返してきた。
「え? パパスさんを、ご存知なのですか?」
「ああ。……俺の、父親だよ」
「そんな、それじゃあ、ジャギ! あの小さかったジャギなのね!?」
シスターは、わなわなと震えて、顔を両手で覆った。
多分、泣いてるんだろう。
「こんなことって……、こんなことって……、ああ、神様!」
俺が生きていてくれたのを、泣いて、喜んでくれた。
運命は残酷だ、と泣きながら、それでも喜んでくれた。
ただ、そんなシスターと俺を見ながら、ヘンリーは黙り込んだままだった。
当然だろうな。コイツにしてみりゃ、予想だにしなかったんだろう。
自分のせいで、村一つ焼かれて、人が死んだ、なんてことは。
「ジャギ」
「何だよ」
宿屋で横になっても眠れず、ぼーっとしていた俺に、ヘンリーが声をかけた。
「悪ィな、ここのこと」
「寄せ。テメエに謝られても、どうにかなるもんじゃねえ」
「でも……」
「いいから、黙って寝ろ。起きたら、親父が洞窟の奥に隠してた、
 なんかを探しに行かなきゃなんねえんだ」
何だか息苦しい。俺は、ヘンリーの方とは逆へと寝返りを打った。
「いいや、謝らせてくれよ。でないと、俺の気がすまねえ」
だって、とヘンリーが続ける。
「お前、この村についてから、凄え泣きそうな顔してんじゃねえか」
「……言いてえことはそれだけか。とっとと、寝ろ」
泣きそうな顔、だ? 俺が、そんな顔するわけねえだろ。
故郷が焼かれた、くらいで、泣くわけねえじゃねえか。
《俺》の世界だって、焼かれたんだぞ。
あれに比べりゃあ、こっちの、焼かれたの、なんて、よっぽど、マシ、だ。
そう思ってる、はずなのに。何で、こんなに胸が痛えんだ。
あれだな。洞窟の中で酸素が薄いんだな。ちょっと、外の空気を吸って来っか。
ごそりとベッドから起き上がると、俺は宿を出た。
そういやあ、ここに居た道具屋のオッサンは、どうなったかな。
岩に潰されたのは平気だったが、流石に焼かれちまったら、お陀仏か。
そんなことを考えながら、俺の足は自然とある場所へ向かっていた。
一番酷く焼かれた場所――俺たちの家――へと。
あの騒ぎの中で、サンチョも行方知れずになっちまったらしい。
死体が見つからなかったってことは、多分生きてんだろうけどな、
あ、それとも油ぎった体だったから、綺麗に焼けちまったか?
口元を歪めながら、俺は焼け跡を歩いた。
「ん……?」
ガレキを蹴飛ばせば、そこに階段が現れた。
ああ、そういやあ、地下室があったっけか。
何の気もなしに、そこに降りてみる。
「あ……?」
色のない地下室の中で、鮮烈に色を放つものがあった。
俺は、それを覚えていた。
妖精の村で手に入れた、サクラの花だ。
妖精の世界のもんだからか、今になっても、枯れていない。
恐る恐る手に取ってみりゃ、ふわり、といい匂いがした。
『お部屋に飾っておきますね、ぼっちゃん』
そんな、サンチョの声が聞こえてきた。
『この旅が終わったら、遊んでやろう』
親父の声が、聞こえてきた。
『行ってらっしゃい、パパスさん!』
『また戻ってきてくださいね!』
『いつまでも、ここは貴方の第二の故郷ですよ!』
親父を見送る、村の人たちの声が、聞こえてきた。
……もう二度と、聞けねえ、優しい、声だ。
「あ……、う……」
膝から崩れ落ちた。地下室の床が、冷たい。
「うわああああ、うっ、ぐっ、ああああああああ」
地下室に響き渡るような声で、俺は、泣いた。
解ってる。人を殺しまくってた、《ジャギ》が、
人が死んだことで泣くなんて、間違ってる、ってのは。
それでも、どうしても、涙は止まらなかった。
好きだった、『俺』は、『ぼく』は、この村が、大好きだった。
好きだったのに、守れなくて、失って、しまった。
みっともねえくらいに泣いてる俺の頭を、誰かが小さな手で撫でてくれた気がしたが、
涙で歪む視界には、そいつの姿を捉えることは出来なかった。


翌朝。目元が腫れ上がらなかったことに、一息ついた。
ヘンリーに泣いてたのがバレたら、情けねえからな。
くっそ、いい年こいてあんなに泣いちまうなんて、
どうも感傷的になっちまっていけねえ。
とりあえず、親父が残したっていうもん探しに、洞窟に入るかな。
入り口のジジイに声をかけたら、筏を使わせてくれた。
「で、意気揚々と入り込んだのはいいもんの」
はあ、と息を吐きながら、俺は手元からブーメランを振りかぶって投げる。
ガキの頃使ってたのとは違って、金属で出来てて、縁が刃になってるやつだ。
慣れるまでに二日かかったが、使いこなせりゃ、使い勝手はいい。
スパスパと、眠りの魔法を使ってくる角のある兎やら、
腐った死体やらを切り裂いていく。
……切り裂くのは、南斗の方の十八番だがなーと、
ぼんやりと考えちまったのは、寝不足だったせいだろうか。
「はぁー、何だココ、魔物の巣じゃねえか」
横で鉄の鎖を振るってるヘンリーの息は荒い。
ま、奴隷やってたとは言え、あくまで一般人にゃ、ちぃとキツいか。
それに、前に来た時より、モンスターが格段に強くなってやがる。
あの頃と変わらねえのは、スライムとブラウニーくれえ、か?
「十年の間に、一体何があったんだか……」
再び目の前に現れたスライムの群れに向けて、ブーメランを投げた。
このくらいだったら、一撃で倒せるから楽だ。
「さってと、とっとと奥へ……」
「っ、気をつけろ、ジャギ!」
ヘンリーの緊張し切った声に、俺は後ろを振り向いた。
さっき倒したはずのスライムが一匹、起き上がっている。
「っと、トドメを刺し損なったか……」
再度得物を構える。
「ひぃっ、ま、待ってえ」
「……あ? ……ヘンリー、テメエ今何か言ったか?」
「い、いや。どうしたんだ、ジャギ?」
ヘンリーじゃねえなら、今の声は一体誰だ、ってんだよ。
「ボクだよボク。目の前にいるボク」
ぴょんぴょん、とスライムが跳ねている。
いやいや、スライムが人間の言葉喋るとか、ありえねえだろ。
「あ! やっぱり聞こえてるんだね! 
 お兄さん、モンスターの声が分かる人なんだ!」
落ち着いて考えれば、魔法がある世界なんだから、
人じゃねえ生き物が喋ったところで、珍しくもない、のか?
そういや、オラクルベリーで会ったジジイが言ってたっけか、
俺には不思議な力があるとかなんとか。
「お兄さん強いねー、ボク感心しちゃった。
 ね、お兄さん、この洞窟の奥に行きたいんでしょー、案内してあげるよ!」
「ほお? テメエがか?」
「うん! あ、ボクスラリン! よろしくね」
受け入れちまえば、モンスターが手下になるってのも、悪くねえもんだ。
「よし、じゃ、早速案内しやがれ」
「……ジャギ、お前やっぱり一度帰って休んだ方がいいんじゃねえか?」
ヘンリー、その生温い視線は止めろ。事情があるんだ事情が。
とりあえず、ヘンリーの頭を一発殴った後、
スラリンに案内されつつ、説明しながら、洞窟の奥へと進んだ。


辿りついたそこに在ったのは、一振りの剣と、懐かしい筆跡の手紙。
ああ、親父の字だ。忘れてると思ったんだが、案外覚えてるもんだな。
何処で見たかも、全然思い出せやしねえのに、はっきりと親父のだって分かる。
俺は、その手紙を読み進めた。
『伝説の勇者』に、『魔界』か。
《俺》の世界からすりゃ、ここだって随分御伽噺みてえな世界だが、
そんなここでも、また更に夢物語みてえな話だ。
そんなもんが、親父の仇を討ち、母さんを見つけ出す、手がかり、か。
はは、何つうか、道は遠いな、としか言い様がねえ。
微妙な笑みを浮かべながら、俺は地面に刺さった剣を見やった。
「ジャギ、抜いてみろよ」
「言われなくても」
手紙を袋にしまいこむと、俺はその剣の柄を掴んだ。
そして、グッ、と引き抜こうとした。……した、が。
「何だ、これっ……、めちゃくちゃ重ぇぞ……ッ!」
びきり、と腕に痛みが走る。とてもじゃねえが、持ち上げられねえ。
「ふっ、うおおおおおおおッ!」
どうにか、両手で勢いをつけて、引き抜いた。勢い余って、地面に転ぶ。
引き抜いたその剣は、伝説の通りなら相当古いもんなはずだが、
刃はちっとも錆びてねえし、それどころか輝いてさえ居た。
「俺、実はひょっとしたら、お前なら、って思ってたんだけどな……」
ヘンリーが残念そうに呟いた。
……俺だって、そう思ってた。伝説の勇者なんて、御伽噺みてえなもんだ。
だから、『ずっと探してた勇者が自分の息子』なんて、
そんな嘘みてえな話がありえてもいいじゃねえかと思ってた。
そう上手く行く程、世界は甘くはないらしい。

俺じゃあ、無かった。

ああ、また、ダメなのか、とぼんやり思った。

『俺』じゃあ、救世主(ゆうしゃ)には、なれねえのか。

『俺』は、また、選ばれなかった。

どん底まで落ち込みそうになって、目を閉じた。
その目蓋の裏に、ふっ、と金の髪をした女のガキが映った。
ああ、そうだ。あいつ、どうしてんだ。
「ヘンリー、次の目的地は決まったぞ」
天空の剣を袋に入れながら、俺は呟く。
「え、何処だ?」
「……アルカパに、会いてえ奴が居るんだ」
そう言って立ち上がろうとして、俺はバランスを崩した。
ん? そういや、この地面随分と柔らかくねえか?
「……どーいーてー……」
「あ」
立ち上がったそこには、ぺたりと潰れたスラリンが居た。
「……すまん……」





[18799] 第八話:Old sins breed new shame.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:1831b1bc
Date: 2010/05/20 18:00
第八話:Old sins breed new shame.
   (古傷は痛みやすい)


サンタローズから西へ。小さな森に囲まれたアルカパの村は、
あの頃と変わらぬ穏やかさだった。
入ってすぐ正面にある宿屋が、ビアンカの家だったよな。
「な、行かないのか?」
「あー、その、まあな」
会いたくなって来てみたものの、いざとなると何だか気恥ずかしい。
十年、か。年頃のいい女に育ってんだろーなー。
髪の毛も伸びてんだろうか。
結構活発な娘だったから、肩くらいで切り揃えてると似合うかもしんねえ。
……違う。落ち着け、俺。
《ガキの頃世話になった》《金の髪を肩まで切り揃えた女》は、もう、いねえだろ。
ああいけねえ、どうも、《あいつ》を重ねちまう。
「どしたんだよジャギ。……ははーん、照れてんな」
ヘンリーがニヤニヤと口元に笑みを浮かべている。
「ジャギったら、そのビアンカって女の子のこと好きなのー?」
スラリンも、何のためらいもなくそう聞いてくる。
「テメエら黙れ」
とりあえず、ヘンリーは殴って、スラリンは踏みつけた。
「げふっ」
「ぴきっ」
「……行くぞ」
何処かしら緊張感を持ったまま、俺は宿へと向かった。
庭を見れば、あの頃植えられたばかりだったブドウ棚には、たわわに実がなっている。
こういうとこ見ると、十年という年月の重さを、改めて思い知らされるな。
さて、いよいよご対面、になるかな。扉に、恐る恐る手をかけて、開く。
「いらっしゃい」
「……あ?」
受付に座っていたのは、全く見覚えのないおっさんだった。
ダンカンだかっていう、ビアンカの親父じゃねえ。
「あー、ちょっと聞きたいんだけどよ」
「はい?」
「ここに、ビアンカって娘はいねえか? 俺と同じくらいの……」
受付の男は、首を傾げている。じわり、と背に嫌な汗がつたった。
「あー、そういやあ、ここの前の持ち主の娘さんが、
 そんな名前だったよなあ、お前」
「そうだったかねえ」
男は、部屋の奥に居るらしい嫁にそう問いかけていた。
「前の持ち主、だぁ?」
「そうだよ。七年くらい前だったかねえ、ここの奥さんが急に倒れて亡くなって、
 旦那さんも病気になっちまって、海の向こうの山奥の村へ引越しちまったんだ」
その答えに、俺はほっと息を吐いた。
会えなかったのは残念だが、死んじまったわけじゃねえ。
どうせ、世界を回んなきゃなんねえだ、縁がありゃまた会えるだろ。
「そうか。ああ、じゃあとりあえず一晩頼む」
「はい、承りました」
「……モンスター付きだけどいいか?」
思い出したように問いかけると、男は少し目を丸くしたようだったが、
すぐにニコリと笑みを見せた。
「こいつは珍しい。魔物使いかね」
「ああ、まあ、そんなとこだ」
まだ一匹だけど、その内増える、のか?
……モンスター共を従えた自分の姿を想像してみた。
ぎんぎら輝くドラゴン共を従えた俺。うむ、悪くねえな。
「ジャギー、顔がにやけてるよー?」
声をかけられて、足元を見て、ため息一つ。今はまだ、コイツだけか。
正直、頼りねえにも程がある。ブーメラン使いこなせる分マシだが。
「……お前、頑張れよ」
「何で今急に応援したの? 頑張るけど? 頑張るけどね?」
「おーがんばれがんばれ」
ぴょんぴょんと跳ねるスラリンに適当に言葉をかけた。


町であれこれ話を聞いた後、宿で一番いい部屋に泊まった、その夜。
ふと、俺は夜中に目を覚ました。人の気配に目をやれば、
ヘンリーがベッドに座ってぼけーっとした面をさらしてやがった。
「何してやがんだ」
「あ、起きたのか、ジャギ。いや、ちょっと城のことを思い出しててな……」
「……死んでたんだってな、テメエの親父」
この町で聞いたラインハットの評判は、正直悪い。
それもこれも、王子が行方不明になった心労から、王が死んで、
その後をまだ若い弟王子が継いで、太后が後見したことによるもんらしい。
「ちょっとだけ、帰ってみるかな……、ラインハットは、こっから東、だよな」
ちらりとこっちを見て来る。
「ヘンリー、俺はあの国が大嫌いだ」
俺がそう言うと、酷く暗い目で、こっちを見てきた。
「ああ、そうだよな。……お前の故郷も、親父さんも」
ラインハットが、と続ける声を遮った。
「それもある。それもあるが、一番気にくわねえのは、な」
ギィ、とベッドを軋ませて、勢いよく立ち上がった。
ずかずかとヘンリーの前に立ち、指を突きつける。
「弟に王位を奪われて、のうのうとしてるマヌケな王子だ」
「う、奪われて、って、俺は別に王位が欲しくて言ってるわけじゃ……」
うろたえてるコイツに構わず、言葉を続ける。
「テメエには、執念が足りねえ」
「ジャギ、お前何を……」
「テメエが言ったんだぞ。『オレは王様の次に偉い』んだ、って。
 その王様がもう居ねえ。なら、話は簡単じゃねえか。
 あの国はテメエのもんだ。何故諦める必要がある?」
本当にイライラする。諦めちまうなんて、どうかしてる。
国だぞ、国。そんなドデケエもんを、『弟』に奪われて、
めちゃくちゃにされちまって、まだ、動けないなんて。
「テメエのもんくらい、テメエで取り返しやがれ!!
 ちょっとだけ帰ってみる、どころか、あのババアと
 あのガキ殴り飛ばして、テメエのもんにしてみろ!!」
ガッと胸倉を掴んで、その目玉を覗き込む。
未だ困惑に揺れているヘンリーの目に、俺が映る。

《弟》に何もかも奪われて、芯まで壊れた、馬鹿な男が。

あの頃の《俺》に良く似た『俺』が映る。

ああ、ちきしょう。らしくねえ。他人に手を貸すなんざ、俺の流儀じゃねえんだがな。
「第一、あの国がマトモにならねえと、他の大陸への船も出ねえんだよ。
 いいか? 俺はテメエに手を貸して、国をマトモにする。
 テメエは、俺に手を貸して、船を出すようにする。
 それだけだ。分かったら、とっとと寝ろ。明日は、早いぞ」
どん、とベッドへ突き飛ばして、俺もベッドに戻る。
「……ありがとな、ジャギ。俺、頑張ってみるよ」
「けっ」
ここまで言わなきゃ動けねえなんて、とんだグズだ。
明日っからもあのグズと一緒かと思うと、ため息が出るぜ。
ぼすり、と顔を枕に埋めると、ちょっといい匂いがした。
あ、こりゃあれか。ビアンカのお袋が植えたブドウの匂いか、悪くねえ。
その匂いは、俺を夢の中へと運ぶ。激昂した頭に浮かんだ、
憎い面影さえも、消し去って、心を落ち着かせてくれた。


数日かけて向かった川辺に立ってた関所には、一人の見張りの兵士が居た。
「ここから先はラインハットの国だ。
 太后さまの命令で、許可証のないよそ者は通すわけにいかぬぞ!」
……川に流しちまえば、死体の処分には困らねえか。
そう思った俺が、得物を構える前に、ヘンリーが飛び蹴りを食らわせていた。
「よくやったヘンリー! 今のウチに行くぞ!
「いやいや待て待て」
パトリシア――馬車をひいてる馬だ――の手綱を引いて、
強行突破しようとした俺を、ヘンリーが引き止める。
「あいたた、タンコブが……。無礼な奴、何者だっ!?」
「おい、ちゃんとトドメはさせよ」
「ジャギ、黙ってろ」
口を尖らせる俺を黙らせて、ヘンリーは兵士に向き直った。
「随分と偉そうだなあ、トム! 相変わらずカエルは苦手なのか?」
兵士の顔が、硬直した。
「ベッドにカエルを入れておいた時の顔が、一番傑作だったよな」
「……! そ、そんな……まさか!」
「そ、オレだよ、トム」
兵士は、わなわなと震えて、片膝を突く。
その目からは、涙が溢れていた。
「ヘンリー王子様! ま、まさか生きておられたとは……。
 おなつかしゅうございます!」
「悪いな、色々あってよ」
ヘンリーも、ちょっと懐かしんでるらしい。隠してるつもりだろうが、
声が震えてるからバレバレだぞ。
「思えば、あの頃が楽しかった。今の我が国は……」
「言うなよ。兵士のお前が悪口を言ったら、コレもんだろ?」
スッと首を切る動作をすれば、兵士は俯いた。
「通してくれるな、トム?」
「はい! 喜んで!」
コネってのは、作っておくもんだな。
一緒にさらわれたのが、その辺のガキじゃなくて、王子で良かったぜ。
……違うか。王子だから大問題になったのか。
いや、今考えるのはやめとこう。
「よし、ってことだから、行こうぜジャギ……」
こっちを見たヘンリーが、目を丸くしてる。何だよ、どうしたんだよ。
「ジャギ、お前、その手……」
「へ? 何がだよ」
「あ! ジャギ、どうしたの? 手から血が出てるよ!」
スラリンの言葉にぎょっとして、俺は自分の手を見た。
刃のブーメランを握り締めたせいか、ボタボタと、血が流れている。
指摘されるまで、気づかなかった事実に、身震いがした。
「うおおお、いってええええええ?!」
わざと大げさなくらい驚いた声を上げて、ホイミを唱える。
傷が見る間に埋まっていくが、俺の心の中では、まだ血が流れている気がした。
「ったく、お前ってへんなとこヌケてるよなー、さ、行こうぜ」
笑いながら、ヘンリーが歩き出したのに、慌てて追いついて、追い越す。
今の俺の顔を、見られるワケには行かなかった。
多分、今の俺は、傷が原因じゃなくて、ひでえ顔をしている。
ヘンリーに対して、俺は、『執念が足りない』と言った。
確かに、何事にも執着せず、諦めちまうよりは、執念を抱いている方がマシだろう。
けど、俺は、少々その『執念』って奴が強すぎる気がする。
『執念』よりも、『憎悪』と呼ぶのが相応しいその感情は、
常にじくじくと俺の中で燻っていて、思ったよりも簡単なきっかけで、
俺の中で燃え広がっていく。
そうして、全部燃やし尽くして灰にしちまいそうになるのを、
ただ、『親父』の記憶と言葉だけが、押し留めている。
「『俺』は」
《俺》のようにはならねえぞ、と誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。

仇をとるためなら、大事なもん取り戻すためなら、どんな汚い手も使うさ。

だが、最後の最後の、根っこんところで、『俺』は、《俺》とは、違う。

愛してくれた『親父』が居て、そいつに、恥じるようなことはしたくねえ。

大丈夫だ、『俺』はまだ、全部を、無くしちゃいねえ。

『親父』が、《親父》とは違うから、『俺』で、居られる。

大丈夫だ、大丈夫だ、と心の内で呟き続けたのは、
あるいは、俺自身に言い聞かせるためだったのかもしれない。


関所を抜けて数日。目の前に、見覚えのある城が見えてきた。
「ラインハット、だよな」
「なんだわかんねえのか?」
問いかけると、困ったような顔で笑う。
「俺、中からしか見たことなかったから」
懐かしさと寂しさの混じった声だった。
「そーかよ。……ん、おいヘンリー、構えろ!」
一息ついたところで、俺達の前にモンスターが現れた。
現れたのは、スライムナイトとアウルベアの混じった群れだ。
……そういや、前にスライムナイトと戦った時は、手ひどい目に遭わせられたな。
「丁度いい。十年前の借りを返してやるぜ!」
「十年前と同じ奴ってわけでもねえだろうに……」
ヘンリーが呆れたように笑った。うるせえ。
「どうせ、もうすぐ町なんだからガンガン行け!」
俺も釣られて口元に笑みを浮かべながら、得物を投げた。
俺の投げたのに続いて、スラリンもブーメランをぶち当て、
トドメとばかりにヘンリーがイオの呪文を唱える。
「いよっし、やったか?!」
「……いや、まだだ!」
爆煙の向こうに目を凝らす。まだ一体、影が残っていた。
ちっ、そういや、スライムナイトには爆破呪文は聞きにくいんだったか。
最後の一匹から来るであろう攻撃に対して身構えるが、
そのスライムナイトは予想だにしねえ行動を取りやがった。
構えていた剣を、地面に下ろしたのだ。
「どうやら、賞賛に値する相手、とお見受けした」
「はぁ?」
流暢に喋るそいつを、不信感のこもった目で見つめる。
「我が名はピエール。あなた方さえよろしければ、共に行きたい」
「お、何だ何だ。スラリンと似たような状況か?」
「ああ、まあ、そんなとこだ」
スライムナイトにゃ、あんまりいい思い出はねえんだよな。
と、思ってひょいと俺は聞いてみる。
「ちなみに、テメエ特技は?」
「ホイミとマホトラだ」
「よし、採用」
「ちょっと待て説明してくれジャギ」
ああ、そういやコイツには何言ってるのかわかんねえんだっけか。
「コイツ、ホイミが使えるらしいんだ。正直、俺だけじゃ回復追いつかねえから助かる」
「おおっ、そりゃあいいな、じゃ、今日からお前も仲間か。
 よろしくな、えーっと」
「ピエール、だとよ」
なんか、マヌケな響きだよな、ピエール。
「ピエールか、かっこいいなあ! よろしく頼むぜ、ピエール!」
そう言って、ヘンリーはがっしりと握手をしていた。
……あれか。《俺》の世界とここのネーミングセンスってかけ離れてんのか?
親父も俺に『トンヌラ』とか付けようとしてたような記憶がある。
ジャギも大概だが、トンヌラは、ない。あと、ゲレゲレも、ない。
「さて、あなたはジャギ、ということでいいのか?」
ピエールがくるりと俺の方を振り向く。
「ん? ああ」
仮面で隠された顔が何処を見てるのか良く分からないが、
首が上を向いてるから、多分俺を見上げてるんだろう。
「……やはり、優しい目をしている。私の目に狂いはなかった」
うむうむ、と一人合点をしている。何の話だ。
「もう随分と昔の話だがな、まだ若かった私は、ある人間の子供を襲った。
 その子供は変わっていてな、キラーパンサーの子供を連れていたよ」
ん? どっかで聞いたような話だな。
「私がキラーパンサーの子供を倒すと、人間の子供は自分の身の守りよりも、
 そのキラーパンサーの子供の安否を心配した。
 ……変わった奴だと思い、興味深かった」
やっぱ、どっかで覚えがあるぞ。
「その子供を殺すには忍びなかったが仲間達の手前、切らぬわけにもいかなかった。
 でな、とりあえず峰打ちで気絶させ、あの城まで運んだのだよ」
くい、と親指を曲げて、ピエールはラインハットを指差す。
俺は、十年前のことを思い出していた。スライムナイトに負けた自分。
運んでくれた誰かの鎧の音と、ぶよぶよとした感触。
それと、目の前のこいつの言葉がぴたりと繋がった。
「思い出したかな、坊や?」
「……坊や言うな」
刃のブーメランの刃がついてない金属部分で、ガン、と頭を殴った。
「何してんだ?!」
「十年前に俺をボコッたスライムナイトだったらしいから、
 とりあえず十年前の借りを返してる」
「い、痛い痛い、ちょ、す、すまない、すまなかったってば」
ピエールがうろたえて逃げ惑うが、俺は後を追っかけ回した。
「何だか楽しそうだねージャギ」
くすくすと笑うスラリンも、とりあえず蹴飛ばした。
多分、今の俺の顔は真っ赤だ。色んな理由で。


──────────────────────────────


※作者のどうでもいい呟き※

イオナズンコピペを思い出したら負け。



[18799] 第九話:Blood is thicker than water.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:712eeee8
Date: 2010/05/22 21:49
第九話:Blood is thicker than water.
   (血は水よりも濃い)


ラインハットの城は、建物こそあの頃とそう変わらないが、
人が、随分とくたびれ果ててやがる。
物乞いをする親子を見た。税金を払うために、他の場所まで、
モンスターが出る中を働きに出たという娘の話を聞いた。
一々聞く度に、ヘンリーの顔色は悪くなって、今にも倒れそうだったから、
とりあえず、宿を取ることにした。
宿の主人は、モンスター連れの俺を見ても何も言わない。
城の中にも、魔物が入り込んでいたからだろうな。諦めてんのか。
「……こんなに、悪くなってると思わなかった」
覚悟を決めてきたらしいが、あんまり予想外だったみてえで、
ヘンリーはぐったりとベッドに沈んでいる。
俺は、何とも思わなかった。これよりも、酷い世界を、知ってたから。
『魔王』だとか、明確な敵が居たわけじゃなかったのに、滅びかけて、
今日を生きるのも馬鹿馬鹿しくなっちまってた。
そんな《世界》を、知っている。
強者だけが生き残り、弱者はただ怯え惑い、強者に従うしかない世界。
そんな場所でも、人間は生きていた。だから、ここはまだ恵まれていると思う。
「城に入って、直接あのガキとババアをぶっトバさなきゃなんねえな」
ベッドに腰掛けたままそう呟くと、ぎょっとした目を向けられた。
今更、話し合いでどうにかなると思ってたのか、コイツは。
「……デールに会えりゃ、まだどうにかなると思う。
 あいつ、気が弱いからきっと太后の言いなりになってるだけだよ」
「違ったら、どうすんだ」
そう問いかければ、視線を反らして、押し黙る。
「ジャギ、そんなに酷なことを言うものではない」
「ピエールは黙ってろよ」
部屋の壁にもたれかかったまま、ピエールが俺を諌める。
けっ。スライム野郎に何が分かるってんだ。
「人間にとって、きょうだいの絆とは、切っても切れぬものだ。
 それを、いきなり切れというのは、彼には酷だろう」
「ッ、黙れ!」
その言葉に、俺の頭にさっと血が上った。
兄弟の絆、なんて、そんなもん幻想に決まってんじゃねえか!
「人は、いざとなりゃあ兄だろうが弟だろうが、殺せるんだッ!
 絆なんて、そんなもん、あるわけねえだろ!」
「……絆を否定して、良いのか?」
ピエールの声は、やけに冷たい。
「何言って……」
「ジャギ、きょうだいの絆を否定することは、血の繋がりを否定すること。
 血の繋がりを否定することは……『親子』の絆を、否定することだと、私は思う」
仮面の下、あるのかないのかも分からない目が、
じっと、こっちを睨みつけているような気がした。
「十年前、傷つけられながらも、父親を呼んだ君が、
 親子の絆を、否定できるのかね?」
言葉が、出ない。体の内から浮かびあがる感情は、
怒りと、悔しさと、悲しみとが混ざった、形容しがたいもの。
「黙れ……ッ、黙れ!」
何も言えずに、俺は日の暮れた町中へと、飛び出した。
ちきしょう、何なんだ。あいつ、何で分かったような口を聞きやがるんだ。


夜の町では、城だけが松明の炎で明るかった。
おそらく、町の奴らには松明に回す金も無いのだろう。
娯楽もないここじゃ、今日を生き延びられた、と安堵して、
とっとと寝ちまうのが、一番幸せな時間に違いねえ。
「何やってんだかな、俺は」
城の正面を見据えて、堀の石垣に腰掛ける。
カッとなったとは言え、スライムナイトと本気で口喧嘩して、
言い返せなくなっちまうとは、情けねえ。
「はぁ……」
ため息をついて、水面を見下ろした。顔に巻いた布が、少し緩んでやがるな。
巻きなおすか、と一旦解いた。
「っと」
その途端に、びゅうと風が吹いて、布が堀に落ちる。
ついてねえことは、とことん続くもんだ、とため息が出る。
「あー、拾うのもめんどくせえな……」
風に流されて、水面をたゆたう布切れを、何とはなしに見つめる。
どうせ、町には人影がないから、見られやしねえし、宿に帰れば、替えの布はあるしな。
その布が流された先は、城の真下。
そこから、すい、と石垣の中へ消えていく。
……いや、違う。石垣のその部分にだけ、穴が空いているのだ。
それも、人が何人も通れそうな、ドデカい穴が。
そういやあ、ヘンリーが言ってたっけか、城には、外から入る抜け道があるって。
「あそこ、か?」
戻って聞いてみるか、と立ち上がりかけて、俺は動きを止めた。
何だかまだ、宿に帰って、あいつらと顔を合わせるのは、
気まずいような気がしたのだ。
「……どうすりゃいいんだよ、俺は」
親子の絆を、否定したいわけじゃない。
『父さん』は、『俺』を愛してくれた。『俺』を守って、死んだ。
けれど、だからってピエールが言うみてえに、兄弟の絆を、信じられるワケじゃない。
信じるには……《俺》と《兄弟》の間の溝は、深すぎた。
そう思うとまた気分が落ち込んじまって、ふい、と視線を水に落とした。
揺れる水面には、男の顔が映っている。
左半分は、とても他人にゃ見せられねえ、醜い傷跡が残っている。
でも、右半分は、あの頃に比べりゃ随分綺麗なもんで、
『俺』はそこに、《俺》じゃなくて、『父さん』の面影を見つけた。
宿に入っても、鏡なんか見やしなかったから、
自分の顔を見るのは、随分と久しぶりで、その面影に、今まで気づかなかった。
ああ、そうだ、落ち着こう、『俺』。
ここで、ババアとあのガキをぶっトバした所で、『父さん』はきっと、喜ばない。
まずは、ヘンリーを、会わせてみたって、悪くはねえ、よな。
顔の左半分を手で覆って、右半分しか見えないようにして、水面に呟いた。
「ありがとよ、『親父』。あんたからもらったもんのおかげで、
 俺は……、踏み留まれる」
ここは、あの《世界》じゃねえから、きっと、ひょっとしたら、
万に一つの可能性かもしれないが、話し合いで解決できるかも、しれない。


宿に戻って翌朝、俺達は城の片隅に打ち捨てられてたイカダを使って、
石垣に空いてた穴から中へ入り込んだ。
そこは、魔物の巣窟になっていたがなんとか凌いで、奥へと進んだ。
……まさか、あのババアが牢屋にいるとは、思わなかったけどな。
上で、国を操ってるのは偽者だ、とババアは言ってた。
早く出してたもれ、とぎゃあぎゃあわめくババアが、牢屋の中に居てよかった。
鉄格子がなけりゃ、俺は間違いなく、殺っちまってた。
王になってたあのガキ、デールは、ヘンリーのことを覚えていた。
偽者の太后をぶっ潰して、国を戻したいというヘンリーの言葉に、
諸手を挙げて賛成した。うむ、物分りが良い奴は嫌いじゃねえぞ。
城の地下で、『真実を映す鏡』の情報と、遠くの場所へ行けるらしい、
旅の扉とやらを見つけた。とりあえず、スラリンを投げ込んで確認したら、
移動した先は安全な場所みてえだったから、飛び込んだ。
たどり着いた先は、どっかの森の中。
「向こうに見えるアレ、マリアさんたちと居た修道院だよな」
「だな」
ガキの頃親父からもらった地図を見る限り、その位置取りであってるらしい。
そっちとは丁度反対側に、古ぼけた塔が見えた。
「あれが、神の塔、ってやつか」
「修道僧がいないと開かない、みたいなこと書いてあったよなー。
 ……とりあえず、シスター達に話でも聞いてみようぜ?」
弟が元気だったのと、国が壊れたのが人の手によるものじゃなく、
モンスターのせいだったのが分かって安心したのか、
ヘンリーは随分と表情が柔らかくなっている。
まあ、もっとも、顔がにやけてる理由は、それだけじゃねえんだろうが。
「テメエ、単にマリアに会いたいだけだろ?」
「うっ」
図星を突かれて、ヘンリーの顔がさっと赤く染まる。
「ばっ、馬鹿、違え! お、俺はただ国のことを思ってだなあ」
「へえへえ、そういうことにしといてやるよ。
 おら、とっとと行くぞ」
「……ジャギ、アルカパでのこと根に持ってるんだね……」
「おや、何やら面白そうな話だね、詳しく聞かせてもらおうか」
ぼそりと呟いたスラリンを蹴飛ばし、ピエールの頭を小突く。
根に持ってなんかねえよ、馬鹿。持ってねえってば。
ニヤニヤ笑いを貼り付けたモンスター二体と、顔を赤く染めた人間二人。
そんな一団に、近づかない程度の分別は、モンスターにも有ったらしい。
しばらく、襲われることはなかった。
襲ってくれてたら、この胸の中の妙なモヤモヤをぶつけられたんだが、と
舌打ちをした。顔は、多分まだ赤い。


「これが、ラーの鏡……真実を映す、鏡なのですね」
塔の最上階に置かれてた鏡を見て、マリアがうっとりと呟いてるようだ。
ようだ、っつーのは、俺がそっちを見ずに、声の調子で判断したからだ。
「見た目は、ただの古ぼけた鏡みたいだけどなー」
「ま、本物かどうかは試してみりゃあ分かるだろ。
 おら、とっととラインハットに戻んぞ。ああテメエが持ってろ」
ヘンリーにそう告げる時も、俺は後ろを振り向かない。
……もし、だ。あの鏡を覗いて、そこに《俺》の顔があったら、
俺はあいつらに何て説明をすりゃあいいか、分からねえからな。
そもそも、マリアなんか、あの顔を見たら気絶しちまうんじゃねえか?
俺の手下で、繊細さとは無縁だった無法者さえ、
《俺》の素顔を見て、吐いたんだぞ。
「……こっからなら、飛び降りりゃ早いな」
吹き抜けを見下ろせば、下が見えた。
「え、おい待てってお前!」
ヘンリーが止めるが、知ったこっちゃねえ。どうせ、神の加護だか何だか知らないが、
この塔はどんな高さから飛び降りても、ゆっくりと着地出来るんだ。
だったら、飛び降りた方が階段より楽に決まってんだろ、モンスターも出ないし。
吹き抜けへ突き出た部分がら、勢い良く、身を翻した。
そのまま落ちるのもつまらない。俺は空中で体を動かして、空を見上げた。
この世界の空は、青い。空だけ見ていれば、世界が闇に覆われる、なんて、
信じられない程だ。そういえば、しばらくぶりに空を見た気がする。
奴隷時代は、足元ばかり見ていた。旅に出てからは、前ばかり見ていた。
空を見上げたのなんて、本当に久しぶりだな。
ヘンリーとマリアは戸惑っていたようだったが、結局アイツが彼女を抱えて、
飛び降りることにしたようだった。
ラーの鏡は、マリアが胸に抱えてんな、よし、落とすなよ。
そうやって空ばかり仰いでいた俺は、地面が思ったよりも近づいてるのに、気づかなかった。
どすん、と音を立てて、大の字になって叩きつけられた。
「ここは、中庭、か」
塔の中央の、花の咲く庭。この塔に入った時、俺はここで、
『父さん』と『母さん』の幻を見た。
魂の記憶が宿る場所、ここはそうも言われているらしい。
あれが、『母さん』か、と思ってうっかり鼻にツンと来たのをこらえてたら、
ヘンリーにからかわれたので、とりあえず殴った。
「ジャギさんは、勇気があるのですね」
「勇気じゃなくて無謀っつーんだよ」
遅れて降りてきたヘンリーが、口を尖らせながらもマリアを下ろす。
「きゃっ」
足元がすくんだままだったのか、マリアがこけて、その拍子に、鏡が俺の方へ転がってくる。
「……おいおい、割れてねえだろうな」
覗きたくはねえが、まあ持って袋に入れるくらいなら大丈夫だろう。
あいつらのとこからは遠いし、何が映っても見えるまい。
俺は、その鏡を手にとって、袋に入れようとした。
その手が、凍りついたように動かない。
鏡に映ったのは、《俺》だった。それは、想像の範囲内。
ただそれは、ヘルメットを被る前、醜い顔になる前の《俺》だ。
ガキの《俺》が、呆然とした目で、こっちを見ている。
花の匂いがした。いつか、森の中で嗅いだ匂い。
《アイツ》と一緒に、夢を語り合ったあの場所で、嗅いだ。
背筋が震える。俺は、ヘンリー達とは反対のほうを振り向いた。
色とりどりの花が咲いた庭園の中、金の髪の面影が揺れた。
その幻の顔は、見えない。俺は口の中で、小さく、名前を呟いた。
その女は、小さく手を振って、微笑んだ。
立ち上がって、手を伸ばして、触れる直前で、その姿は消えた。
後に残ったのは、愕然と立ち尽くすばかりの俺。
「どうしたんだ、ジャギ?」
ヘンリーが、心配そうに声をかけてくる。
「……《昔》の、知り合いが、見えた」
胸の内だけに留めておくにはなんだか苦しくて、俺は、それだけ吐き出した。
「『昔』の……、そっか」
ヘンリーが分かったような声で返事をするが、俺が思い出してる《昔》と、
あいつが考えている『昔』は、違う。
それをあえて否定する気にも、ならない。
「『俺』は」
《お前》を、忘れないぞ、と消えた面影に向けて呟いた。
忘れたくないのに、顔が浮かんでこない、《アイツ》に向けて。


旅の扉を使い、ラインハットへ戻った俺達は、デールのとこへ急ぐ。
「ヘンリーさんが、こんなに大きなお城の王子様だなんて……」
マリアは、辺りをきょろきょろと眺めている。
「しかし、何か上の方が騒がしいぞ? 何があったんだ?」
確かに、王座の間がある辺りが、妙にウルセエな。
俺達は階上へと足を早めた。
王座に人影はない。横で泡食ってる大臣に話を聞いた。
「なんと驚くなかれ! 王様が何処からか太后様をお連れして、
 太后様が二人になってしまったんじゃ!」
「は?」
どうやら、あの馬鹿、俺達が帰ってくるまでに何とかしようと、
ババアを勝手に牢屋から連れ出したらしいな。
「……ヘンリー、お前の弟、馬鹿だろ」
「言わないでくれ、俺が今一番頭を抱えたいんだ」
ヘンリーも眉を顰めている。
上の部屋では、衣装がズタボロになったババアが二人居た。
しょんぼりした様子のデールは頭を抱え、見張りらしい兵士がおろおろしていた。
「あ! 兄上! 実は母上を連れ出したら、偽者と取っ組み合いの喧嘩になっちゃって……。
 ボクにも見分けがつかないんです」
「お前馬鹿だろ」
「そんなひどい」
「ジャギ、言いすぎ。否定しないけど」
「そんなひどい」
……って、三人で漫談やってても仕方ねえな。
ババアは二人。一人は、少し薄汚れた感じで、デールに対して
「この母が分からぬのですか?」
なんて抜かしてやがる。
もう一人は、キィキィわめいてる。ああ、多分、こっちがニセモンだな。
仮にニセモンじゃなくても、うるせえから、殴る。
「おい、ババア」
とりあえず、俺はそっちの奴を鏡に映してみた。
鏡には、バケモノが映っている。
「……テメエのようなババアが居るかよ!」
「そ、その鏡は! ええい! 正体がバレては仕方ない!」
ババアが叫ぶと、鏡に映ったのと同じモンスターの姿に一瞬で変わる。
「こうなったら、皆殺しにしてくれるわ!」
ヒィ、と悲鳴をあげて本物のババアがデールの方へ逃げた。
「ヘンリー! ルカナンをかけろ! 全力でぶん殴る!」
「ああ、分かった! マリアさんたちは下がってて!」
さあて、落とし前はきっちり付けてやるからな、覚悟しやがれ、ババアの偽者!
ルカナンの呪文が、奴の身の守りを弱らせたとこに、刃のブーメランを投げる。
一体相手だったら、剣の方が攻撃力は高かったんだが、
多くの敵対策のために、こっちのままだったのは少々いてえか。
それなりに攻撃は出来るが、敵の急所が狙えねえ。
その代わり、スラリンとピエールは俺より良い武器を持ってる。
たまたま入ったカジノで、たまたまやったスロットで、
たまたま大当たりしてジャラジャラ出てきたコインと交換した、
世界で一二を争う程固いモンスターに匹敵する硬度の大剣。
『メタルキングの剣』だ。
「ぶちのめすぞ!」
「応!」
「うん!」
しかし、相手も馬鹿じゃねえ。ま、馬鹿だったら何年も国を操ったりは出来ねえか。
何処からともなくモンスター共を呼び寄せたり、
力をためて、思い切りぶん殴ってきたりと、中々やる。
力押しだけの馬鹿相手なら、搦め手を使うに限る。
「ヘンリー、奴にマヌーサをかけろ」
「分かった!」
ヘンリーが呪文を呟けば、奴の周りに魔法の霧が現れる。
「マヌーサだとっ、くっ、ええい、何処だ!」
奴の拳は、ぶんぶんと宙を切るばかり。
敵を幻で包み込む幻影の呪文は、奴にはよく効いたようだ。
うろたえる奴の拳を交わしながら、どんどん切りつけていく。
見る間に、奴はズタボロになっていく。
「これで……トドメだぁあああああ!!」
俺が勢いよく投げつけた得物が、そいつを切り裂いた。
どう、と倒れるそいつに、口元が歪む。
とりあえずこれで、サンタローズの奴らの仇は、討てたってわけだ。
「……馬鹿な奴らだ。このまま俺に任せておけば、この国の王は、
 世界の覇者にもなれたものを……」
吐き捨てるそいつの頭を、俺は思い切り踏みつけた。
「ふざけたことぬかしてんじゃねえぞ、バケモノ。
 ……兄を差し置いて、弟がそんなもんになっていいわけねえだろうがよ!」
もう一度、だん、と足を下ろせば悲鳴を上げてその死体は灰になった。
世界の覇者、か。あー、どこぞのヤローを思い出す、嫌な言葉だ。


ババアが偽者だったのは、その日の内に知れ渡った。
その夜は『ヘンリー王子の帰還』と『救国の英雄達を讃える』宴が行われて、
まあ飲めや歌えの大騒ぎ。悪くねえな、こういうのは。
いつだったか、ビアンカが言っていたことを思い出す。
人助けは、周り回って、自分のためになるんだ、っつーよーなことを、
城の幽霊退治の時に言ってたはずだ。
そんでもって、その翌朝。
救国の英雄と讃えられようが、モンスターに操られてようが、
この国は、やっぱり親父を殺した国だ。
だから、どうしても長居したい気分にはなれなくて、早々に出てくことにした。
「ジャギさんからも頼んでくれませんか? 兄上が王になるように、と」
その前に、と挨拶に寄ったら、デールがそう話を振ってきた。
「王様、その話はお断りしたはずですが」
「は? テメエ何で断ってんだよ。もらえるもんはもらっとけ」
俺の言葉に、ヘンリーはちょっと困ったように笑った。
くそ、腹の立つニヤニヤ笑いだ、十年前から変わりゃしねえ。
「しかし、王様。子分は親分の言うことを聞くものですぞ。
 第一、俺は王様ってガラじゃねえんだよ。めんどくせえし」
あー、確かにめんどくせえだろうな、王様ってのは。
どこぞの奴みてえに、力だけ示しゃ人民が付いてくるわけでもねえだろうし。
俺はふと、《俺》の知る二人の《王》について思い出して、
ヘンリーがああいう風に振舞うのを想像してみた。
具体的に言うと、《KING》と《拳王》だ。
「……ないな、確かにテメエは王ってガラじゃねえ」
「だろ? ま、兄として、口出しはさせてもらうけど、王様はお前だ」
ばしばしと、デールの肩を叩く。その光景を、ババアが、じっと見ていた。
ああそうだ、このババアにも、落とし前を付けてもらっちゃいねえ。
あの牢屋で、コイツは言った。ヘンリーをさらわせたのは自分だ、と。
つまり、コイツのせいで、親父は、あの遺跡に行って、殺されたってことだ。
「おい、ババア。とりあえず、一発殴らせろ」
「ジャギ?!」
「ジャギさん?!」
俺がそう声をかけると、ヘンリーとデールが驚きの声を上げた。
「……一発で済むなら、安いものじゃ。殴るがよい。
 お主の父の死も、その後の辛い日々も、わらわが原因じゃからな」
「度胸があるようで何よりだ」
そうして、俺は勢いよく拳を振りかぶった。
どすり、と鈍い音がして、俺の拳は頬にぶち当たった。

ただし、ババアのじゃなく、デールの頬に。

「あいたたた」
「デール!」
痛むのか、デールは腫れ上がった頬を押さえてやがる。
くそっ、何してんだ、こいつは。
「ジャギさん。あなたが、殴りたいのも、仕方ないでしょう」
デールの目が、じっとこっちを見ている。
俺も、負けずに睨み返す。
「でも、私の、母親なんです。ですから、殴らせるわけには、いきません」
眼差しからは、ついさっきまでのぼんやりとした部分は感じられない。
ババアは、と来たらその言葉に泣き崩れている。
「……今は、これで許してくんねえか、ジャギ。
 目の前で子供を傷つけられんのが、この人には、一番こたえただろうからさ」
「チッ」
舌打ちを溢すと、俺は奴らに背を向けた。
「もう、殴る価値もねえぞ、そのババア」
「ジャギよ、許しておくれ、とは言わぬ」
後ろで、立ち上がったらしいババアが俺に呼びかけた。
「全ては、デールを王にしたい、というわらわの思い上がりから出たことじゃ。
 ……償いにはならぬかも知れぬが、わらわは、そなたの旅の無事を、祈ろう」
それには、応えなかった。答えられなかった。


足早に城と町を出た俺は、振り返る。
あのババアは、子供に全てを与えようとして、そこをバケモノに付けこまれた。
馬鹿だよな。ガキの手に、余るモン与えてどうしようってんだ。
ガキにとっちゃ、ただ、親が自分を見てくれる、守ってくれる、
大事にしてくれる、それだけで、何をもらうよりも幸せなのに。
……与えるばかりが、幸せじゃないのか、と思ったら、
何故だか急に、《親父》の顔が浮かんできた。
不愉快さに、眉を顰め、何考えてんだ、と首を横に振った。
ここからの旅路は、随分遠くなる。
港で船に乗って、次の大陸を目指すからな。
「さて、行くぞ、ピエール、スラリン」
一人居なくなった旅路は、ちょいとばかり物足りもの足りねえ気もするが、
ま、その内なんか適当なモンスターが仲間になんだろ、と
俺はゴトゴトと馬車を揺らしながら歩き始めた。

ひょっとしたら、《親父》は俺を愛していたから、
《北斗神拳》を継がせようとしなかったんじゃないか、なんて

馬鹿な考えを打ち消すように見上げた空は、何処までも真っ青で、

なんだか、泣きたくなった。





[18799] 第十話:He thinks that roasted larks will fall into his mouth.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:712eeee8
Date: 2010/05/26 23:56
第十話:He thinks that roasted larks will fall into his mouth.
   (棚から牡丹餅)


 俺達は、船に揺られている。鼻をくすぐる潮風が心地いい。
やっぱ、海の匂いは好きだ。何処か懐かしく感じられるのは、
親父との旅を思いだすからだろうか。あるいはひょっとしたら、
まだ見ぬ故郷は海に近いから、かもしれねな。
 懐かしい港から出たこの船は、そろそろ西の大陸にある港町に着く頃だ。
その先は、見たことも聞いたこともない場所で、多分、俺の本当の旅は
そこから始まるんだろう。
「伝説の勇者、か」
 担いだ袋の中に入ってる『天空の剣』と同じ、勇者が使ったっつー武具。
それを集めて行く内に、勇者の手がかりが得られるか、勇者本人と会える。
そう思う俺の心は晴れない。空を海を見つめながら、ため息をついた。
「何で、俺じゃねえんだろうなあ……」
 呟きは、波間に飲まれて消える。自分の大切なもん取り戻すのに、
他人の力を借りなきゃなんねえ。それが、酷く、辛い。
俺の手で仇を討って、俺の手で、『母さん』を取り戻したい。
「何を考えているんだ、ジャギ?」
「ピエールか。別に、何でもねえよ」
 声をかけてきたソイツをちらりと見やって、俺はまた視線を海原へと戻す
モンスター連れの旅は、奇異の目でこそ見られるが、攻撃されるようなことはない。
この世界の奴らは、なんだかんだでまだ平和ボケしてるらしいな。
「なら良いが。……そういえば、ジャギの旅の目的は、勇者探しと、
 父上の仇討ちだったな?」
「あァ、まァな」
 コイツの喋り方は、微妙に上から目線な気がして気にいらねえ。
俺より年上なのは確かだけど、腹が立つ。
「何、先程あまりに辛そうな顔をしていたからな」
「何でもねえ、って」
 あっちいけ、とばかりにシッシッと掌を動かすが、ピエールは動かない。
俺の隣で、船壁に寄りかかったまま、語りかけてくる。
「そうか? 私には、自分が勇者じゃないから、とスネてるように見えたぞ」
「スネて……、んなんじゃねえよ」
 それじゃあ、俺があんまりガキみてえだろ。
……いや、実際、まだガキか。『俺』はまだ十六だ。あと、二、三年は、
親のトコで暮らしてたっていい年頃だ。我ながら、とんでもねえ人生だな。
「ジャギ、君が勇者でないことを気に病むことはないさ。
 ……相手の居場所も分からぬ仇討ち、というのは
 一人で歩むには、酷く困難な道のりだからね」
「あ? 俺にゃあ出来ねえってのかよ!」
 言い聞かせるような物言いに、かっとなって反論した。
ピエールは、騎士の部分の首を横に振って、また穏やかに語りかけてくる。
くそっ、こいつ長く生きてるだけはあんのか、どうも人に
物を言うことが得意な気がすんぜ……。
「一人では、と言っただろう。私もスラリンも居る。
 そして、勇者もきっと、君の力になってくる。
 君の力なら、どう使おうと、君の勝手だ」
 モンスター流の、少々荒っぽい考えだがね、と苦笑を含めた声でピエールは締めた。
その言葉は、不思議とストン、と俺の心に入ってくる。
あぁ、そうか。俺は決めたじゃないか。勝つためなら、どんな手段も使う、って。
勇者も、その手段の一つでしかない、そう思えばいいのか、と。
 まだ納得できないけど、そう考えると随分気は楽になった。

《勝てばいい。それが、全てだ》

船は、もうすぐ港に入ろうとしていた。


 ポートセルミ、という名前らしい港に降り立つ。町には、海水を使った水路が
張り巡らされ、町が海の上にあるみてえだ。
とりあえず、しばらくはこの町を中心に情報収集だな。まずは、とりあえず宿を取るか。
店の看板は世界中で同じだから、分かりやすくて助かるぜ。
「広ェ……」
 外から見ても随分デカい建物だったが、中もそれ相応だった。
入った正面にはステージがある。店内に貼られたチラシを見る限りじゃ、
夜になるとここで踊り子が踊るみてえだな。
宿泊施設はどうやら二階らしい。もうざわざわと騒がしいな、
早くチェックインしねえと、部屋が無くなるかもしれねえ。
「おい、まだ部屋空いてるか?」
 受付に座っていた女に声をかけると、丁度ラスト一室だったという。
ふう、危ねえ危ねえ。金を払いながら、幾らか世間話をしてみる。
どうも、ここから別の町までは、どちらも歩きなら数日かかるらしい。
特に、南にあるカボチという村は早馬を飛ばして丸一日もかかる上に、
何もないど田舎で、知り合いでもいない限り訪れる必要はないらしい。
ってことは、そっちへは行かねえでいいか。
まさか、そんなど田舎に勇者が引っ込んでるわきゃねえだろうし。
とりあえず、日暮れまでは町を見て回ることにするか。
ん、そういやあピエールとスラリンはどうすっかな。
「で、お前らはどうする?」
「ボクも行くよー、人間の町見るのって好きなんだ」
「私も行こう。一人でも退屈だ」
 こいつらと居ると悪目立ちすんだが、いいか。
どうせ、顔を半分覆った男って時点で、人の目は引き付けるんだ、
今更、モンスターの一体や二体、どうってこともねえだろ。
「うっし、じゃあ行くか。まずは防具屋だな、あと道具屋」
「武器屋はー?」
「テメエらの得物よりいいモンはねえだろ」
 何しろ、コイン5万枚だ。ゴールドに換算すりゃ、250万。
それより良い武器は、多分無いだろうな。宿を出て歩き出す。
「しかし、君の分も買えばよかったのに」
「それにゃコインが足りなかっただろ」
 潮風のする町の中を歩きながら、ピエールが問いかける。
良いんだよ俺は、あんまり剣使うのも得意じゃねえし、
本当、つくづく《拳》が使えりゃあな、と思っちまう。
しかし、モンスター相手に効くんだろうか、あの《拳》は。
チラリとスラリンに目をやってみる。……効きそうにねえな。
というか、コイツなんか普通に殴っただけで弾け飛びそうだぞ。
「ジャギ、なんか今すげえ怖いこと考えてない?」
「気のせい気のせい」
ピョンピョンと跳ねて移動しながらこちらを睨むスラリンを、
また適当に誤魔化しつつ、道具屋に入る。
商品を眺めてみると、ラインハット辺りに比べると、値段が高いようだった。
その分、効果も良さそうなものばっかりだ。
とりあえず、この魔法の盾一個あるだけで、大分楽そうだな。
「おいおっさん、とりあえずこれと、あと薬草を三つ包んでくれ」
「承知しました。ああ、お客様、これをどうぞ」
 店のおっさんが差し出したのは、何だかよく分からない一枚の紙きれだ。
俺が首を傾げていると、おっさんが勝手に説明し出した。
「この町の宿屋の地下には、『福引所』というのがありましてね。
 そこで福引を行うための券なんですよ。特等のゴールカードを当てれば、
 普通の店での買い物が、なんと二割り引き!」
 勢いよく二本指を立てて熱弁するおっさん。ま、やってみるのも悪くなさそうだな。
世紀末とは違って、金はあるに越したこたぁねえし、二割引きでも大分得だ。
俺はおっさんからもらった紙を、指で受け取って、その場を後にした。


宿に戻ると、受付のすぐ横に下りる階段があった。
下では、ババアが一人、ちょこんと座っている。
「いらっしゃい。福引をやりに来たのかね」
「ああ。……で、福引ってどうやんだ」
「そのガラポンの取っ手を持って、何度か回すだけさ」
 単純な上に、これじゃあ運以外の要素が入り込まねえ、ってわけか。
じっと見てると、ババアが何を勘違いしてきたのか、笑いかけてきた。
「ほっほっほ。安心しなされ、ちゃんと当たりは入っておるでな」
「疑ってたんじゃねえよ別に」
 その可能性も考えてなかったわけじゃねえけどな。とりあえず、やってみるか。
取っ手を持って、回してみる。思ったよりもずっしりと重みがある。
がらり、がらり、と音を立てて回る中から、からん、と軽い音がして、
白い玉が金属製の受け皿の上へ飛び出た。
「五等は福引券だね、もう一度やれるよ」
「ああ」
 ……ちょっと楽しい。もう一度、出て来い、出て来い、と念じて、回す。
ちかり、と目にランプの光が反射した。あ、と思う間もない。
受け皿に飛び出したのは、金色の玉だった。
「……おや驚いた」
 ババアは、傍らにあった何かのスイッチを押す。けたたましいファンファーレが、
福引所中に響き渡った。うるせえ。けど、こんな音が鳴る、ってことは。
「おめでとう。特等のゴールドカードだよ」
 ババアの手から渡された、金メッキをされたカード。それには確かに、
『ゴールドカード』と記されている。
「ヒャッハー!」
 それを片手に持って、思わずガッツポーズ。二割り引きだ二割り引き。
しかも、二度しか回してねえのに特等なんて、ツイてんじゃねえか?
俺がそれを見つめてニヤニヤと笑っていると、横でピエールが呟く。
「こんなに運がいいと……、なんだか嫌な予感がするな」
「んなわけねえ、って。よし、そういや防具屋見てなかったからな、
 これ持って、早速見に行こうぜ!」
 勢いよく階段を駆け上がる。後ろで、ピエールが肩をすくめたようだったが、気にするか。
階段を上がると、何やら向こうの方が騒がしい。今は構ってる暇はねえ。
そう思って、俺は騒ぎを無視しようとした。
「ひぃいい、そこのアンタぁあああ、助けて欲しいだああ!」
「……あ?」
 随分と田舎くせえ格好をした奴が、俺に声をかけてきた。
ったく、何なんだ、折角人の機嫌がいいときに。
「今忙しいんだ、他の奴に頼……」
「おうおう兄ちゃん、その金とっとと渡せよ」
 明らかにガラの悪い奴らだ。何処にでもこういう奴らは居るもんだな。
面倒ごとに巻き込まれたか、と俺は男を睨みつける。
「私の言った通りのようだな」
 遅れて階段を上がってきたピエールが、そう呟いた。
ああもう、めんどくせえけど、あちらさんはやる気満々みてえだし、
仕方ねえ。とっととノして、買い物に行くか。


「いやあ、助かっただぁ、兄さん、強ぇだなあ」
 ガラの悪い奴らをとっととぶちのめした俺に、男は声をかけてきた。
「あー、終わったんならいいだろ。離せ」
「いいや、頼みてえことがあるだ!」
 面倒だな、こいつもノしちまうかと思わないでもないが、
ゴールドカードを入れて気分がいい。話だけでも聞いてやろう。
「実は、オラの住む村に、最近バケモノが出て、畑を荒らしてるだよ!
 このままじゃ、オラたち飢え死にしちまうだ!」
「人を襲ってるわけじゃねえんだから、いいじゃねえか」
 畑が作れるような場所があんなら、最低でも水はあるんだろ。
人間、やろうと思えば水が飲めりゃ、後はその辺の葉っぱ食って生き延びられるぞ。
世紀末と違って、まともに植物が育つ世界なんだから、
畑荒らされたくらいで飢える、なんざ贅沢言いやがって。
「でも、いつ人を襲うか分からなくて、オラ達の村では、
 金を集めてバケモノ退治を依頼することにしただよ!」
 じゃらり、と音を立てて、俺の手にボロ袋が乗せられる。中身は、金貨だ。
「これで半分の千五百ゴールド、バケモノを退治してくれたら、同じだけ出すだ!
 な、頼むでよ、兄さん! バケモノを退治してくんろ!」
 こんだけありゃ、スラリンに道具屋で見た頑丈そうな亀の甲羅買ってやれるな。
柔らかいせいか傷が致命傷になりやすいあいつの身の守りが堅いに越したことはねえ。
いや待てよ。合計で三千ゴールド買えるのと、ゴールドカード合わせりゃ、
あの魔法の盾がもう一個買えるんじゃねえか。
「……よし、いいぜ。引き受けてやる。金はちゃんと払うんだろうな」
「も、勿論だでよ! オラの村は、こっから南の、カボチ村だ!
 それじゃあ、オラは一足先に行って待ってるでな!」
 男は、あっという間に店を出ていった。……気の早い奴だ。
「へー、なんか意外だねー、ジャギが人助けするなんて」
「意外ってなんだ意外って。情けは人のためならず、って言葉知らねえのか」
「しらなーい」
 スライムに知識を求めた俺が馬鹿だった。
「だが、とりあえず今夜は休むのだろう?」
ピエールが、質問してくる声は、いささか上ずっている。
「あ? まあな。どうしたんだ」
「……この町の踊り子は可愛いらしいと、さっき街中で聞いてな」
 兜で見えない目が、期待で爛々と輝いてるような錯覚。
とりあえず、その頭を一発ぶん殴ってやった。
……そういや、こいつの本体って、どっちなんだろうな。
分かんねえから、とりあえずスライム部分にも、蹴りを入れておいた。


────────────────────

※作者のどうでもいい話※

福引所での出来事は作者の実体験。
マジで二回目で金の玉が出た時は己の目を疑いました。



[18799] 第十一話:Avoid even the appearance of evil.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:712eeee8
Date: 2010/05/28 22:24
第十一話:Avoid even the appearance of evil.
    (李下に冠を正さず)



俺達がカボチの村へたどり着いたのは、真夜中と言って差し支えない頃だった。
「あー、とりあえず、今夜は宿でもとっかな……」
「あるかなあ、宿屋」
「あるんじゃねえのかー?」
そう言い交わしながら、村へ踏み入って、その気配に気がつく。
「ッ!」
とっさに周囲を見回した。
辺りには藁と木で作られたような家と畑しか見えない。
畑の一角に、その獣は居た。がつがつと畑の作物を貪るそいつは、
俺達の気配に気づいたのか、爛々と輝く瞳でこちらを睨みつける。
「ガルル……」
低い唸り声を上げる。そいつが四肢に力を込めるのが気配で分かる。
咄嗟に、刃のブーメランを強く握り締めた。
獣が、地面を蹴る。速い。投げたブーメランがかわされる。
こちらへ突っ込んでくるかと身構えたが、
そいつは、俺達の脇をすり抜け、走り去った。
「あれが、件のバケモノでしょうか」
後ろで剣を構えていたピエールが、緊張から解放されて、
ホッと一息吐きながら尋ねる。
「多分、な」
だが、俺は考えこんでしまう。あいつを、何処かで見たような気がした。
あいつも、俺を見て、少し考えこむような顔をした気がする。
……あくまで、気がする、だ。一瞬のことだったから分からない。
「ねー、今日は休むんじゃなかったのー?
 オイラもうクタクタだよー」
「あー、そうだな……」
今から事情を聞こうにも、村の奴らは多分寝てるだろう。
田舎の奴は朝は早く起きて夜は早く寝ると相場が決まってるからな。
話を聞くのは朝起きてからの方が良いだろ。
こんな田舎村の宿屋にはあんまり期待できねえが、
奴隷だった頃みてえに、地面に直接寝る、なんてことはねえだろうし、
あれに比べりゃ、ベッドがあればマシだ。


「へー、バケモノ退治にわざわざねえ、助かるよ」
翌朝、宿の女将に話をすると目を丸くして驚いた。
「話し合いなら、村長の家出行われてるはずだから、
 そこに行けば良いんでねえかな」
「村長んとこ、っつわれても分かんねえんだが」
「庭に馬を放してる家だでよ。ほんと、頼むでな」
その様子では、どうやら村の奴らは相当参ってるらしい。
木戸を開け、外に出る。日に照らされた中で見ると、
バケモノのことが無い限り、全く事件なんぞ起こらなさそうな、
平穏、あるいは退屈を絵にしたような村だ。
「じゃ、行ってくるから、お前ら馬車に居ろよ」
「了解した。ほら、行くぞスラリン」
「ぶー。何でさー」
頬を尖らせたスラリンを引きずりながら、ピエールが肩をすくめる。
モンスター退治の依頼受けてんのに、モンスター連れでいけるわけねえだろ。
ったく、スライムの奴ら頭に何が詰まってんだ?
……何も詰まってなさそうだな。どうなってんだ、コイツら。
いやよそう。モンスターの生態なんぞ、考えるだけ無駄だ。
聞こえて来る馬のいななきを頼りに、俺は村長の家へ向かう。
「お、あんたは! やっぱり来てくれただな!」
中に入ると、ポートセルミで会った男が俺を見つけて目を輝かせた。
「ほう、こんたびはどんも、オラたちの頼みを引き受けてくれたそんで……。
 まことに、すまんこってすだ」
訛りのひどい村長の言葉に曰く、バケモノは狼のような虎のような奴らしい。
何処に住んでるからは分からねえが、西の方から来てるのは確かなんだと。
で、魔物のすみかを見つけて、退治して欲しい、と。
「バケモノを退治してくれたら、残りの金を払うだよ」
「1500ゴールドだったな。ビタ一文間違うなよ?」
「勿論だで」
田舎者ってのは正直なのだけが取り得だな。
じゃ、とっととバケモノを退治してくるか。


西に連なる山脈の麓。そこにぽっかりと口を空けた洞窟。
多分そこだろう、と当たりをつける。
「どうやらここみてえだな」
一歩足を踏み入れたソコには、あちこちに人の骨が散らばっている。
ただ、どれも苔が生えていたり欠けていたり、とここ最近のものではなさそうだ。
『とつげきへい』や『まほうつかい』のものである可能性も否めねえ。
「ま、どうでもいいけどな」
次々と現れる泥の塊やら人魂やらを、片付けて行きながら、
俺達はどんどんと洞窟の奥へ進んで行く。
じめじめと湿っていて、滑らないように注意を払う。
考えるのは、あの夜出会ったバケモノのことだ。
どうも、何か引っかかる。何故アイツは人間を襲わないのか。
人間に慣れているのか、と思ったが俺以外の魔物連れには会ったことがない。
だったら、一体何故人間に慣れてやがんだ。
モンスターと人間ってのは相容れないもののはずじゃねえのか。
その疑問は、そいつと相対した時に解決した。
「グルルルル……」
「くっ、気をつけろ、地獄の殺し屋、キラーパンサーだ」
ピエールが得物を構え、スラリンも身震いをしながらも睨みつける。
俺は、そいつをじっと見つめた。
黄色と黒の斑点を持つ毛皮。尾の生え際までびっしり生えた赤い鬣。
俺は、そいつに良く似た奴を知っていた。
「グル……」
そいつも、俺を見て唸り声を上げながらも、戸惑っているようだ。
何かを思い出そうとしている、そんな顔。
「何ボーッとしているんだ、ジャギ!」
剣を上段に構えたピエールが突っ込んでいく。
止めなきゃやべえ、と足を踏み出す。ぬるり、と湿った地面に足をとられた。
「ってぇ」
こけた拍子に、腰につけていた袋から、何かが飛び出した。
黄色い、古びたリボン。確か、ビアンカが『あいつ』に着けてやったやつだ。
何で俺の袋に、と思う間も無く、キラーパンサーが俺に向かって突っ込んでくる。
「ジャギ!」
横を擦り抜けられて、ピエールが叫ぶ。
キラーパンサーは、俺を襲わずそのリボンの匂いを嗅いでいる。
思い出した、とキラーパンサーがそんな顔をしたような気がした。
そいつは、心底懐かしそうに喉を鳴らして、俺の顔を舐める。
「はは、やっぱそうか」
俺も立ち上がると、その頭を抱えて撫でてやった。
「久しぶりじゃねえか、生きてたんだな、ゲレゲレ」
人に慣れていたのは、俺や親父と一緒に居た記憶があったから、か。
抱えた体は、少し痩せている。本来なら肉を食うはずの種族だもんな。
野菜食ってたんじゃ、こんな風になるのも当たり前か。
「……そうか。あの時のキラーパンサーか……」
ピエールも思い出したのか、剣を下ろしている。
「フニャー」
ゲレゲレは一声鳴いて、するりと腕の中から抜け出した。
枯れ草を積み上げて住処の奥から、ずるずると何かを引きずってくる。
黒い鞘に収まった一振りの、剣。俺は、それを覚えている。
「これ……、親父の」
親父の、剣。鳥の形の紋章にも見覚えがある。間違いない。
「……お前、ずっと、これを守って……」
ゲレゲレがこくりと頷いた。剣を抜いてみる。
あの頃と変わらない、輝く細身の刃。
ただ、鞘の一部は焼け焦げ、取っ手には血が付いている。
脳裏に浮かぶ、親父の最期。耳に響く、アイツの嘲笑。
アイツの、ゲマの息の根を止める時は、この剣を使おうと決めた。
「ゲレゲレ、お前も来るだろう? ……アイツを、殺すために」
強く剣を握り締めながら、ゲレゲレを見つめる。
「ガル」
一声唸って、ゲレゲレは俺の側にぴったりと寄ってきた。
「それはいいんだが、ゲレゲレのことは何と説明する気だ?」
ピエールに言われて、立ち上がりかけていた俺は、はたと動きを止める。
「あー……、ま、戻ってから考えよう」
今までもどうにかなったし、これからも、多分どうにかなるだろ。
「見ててくれよな、親父」
形見になった剣を背負って、出口へと歩き出した。
何だか、背中がほんのりと温かい、なんてのは、ちぃとばかし感傷的過ぎるか。


「おめえさんを信じたオラ達が馬鹿だっただ」
「まさか、バケモノとグルだったなんてな」
「金ならやるだ。またけしかけられちゃたまんねえでな」
ゲレゲレを連れて戻った俺に、村の奴らは口々に不平を言った。
どうやら、奴らの空っぽの脳みその中じゃ、俺はゲレゲレとグルで、
金をせしめるために村を襲わせた、ってことになってるらしい。
「……慣れないことはするもんじゃねえな」
危機に陥った村を助ける、なんてのはガラじゃなかったってことだ。
ポートセルミへの帰路、思わず自嘲の笑みを浮かべる。
「ジャギ、あまり気に病むなよ」
「いや、気にしちゃいねえって」
「……ごめんね、ボクたちが付いてちゃったから」
「ガウ……」
しょんぼりしてるこいつらに、呆れ返る。
村を襲った悪人だと思われることなんざ、俺にゃ屁でもねえっつうの。
《俺》だった頃にゃ、日常茶飯事だったしよ。
つうか、金が欲しくて襲うんなら、もっと別のとこ狙うだろ。
あんな田舎村じゃ、そんなに稼げねえしな。
「金は手に入ったし、ゲレゲレともまた旅が出来んだ。
 もう二度と行く可能性がねえとこの奴に嫌われよーがしったこっちゃねえよ」
笑いながらそう言ってやると、少し安心したような顔になる。
あー、何でモンスター相手にいちいち説明してやんなきゃいけねえかな。
ま、これもモンスター使いの宿命、って奴か。
「ならいいんだが……」
「でもあれだな。次に金欠になったらその手を使うのも悪くねえか」
「やめろ」
ごん、と頭がメタルキングの剣で殴られる。
ピエールめ、さては殴られてんのを根に持ってやがったな。
「……本気にとるこたねえだろ、本気にとるこたあ。
 八割くらいは冗談だぞ」
「二割は本気なのか?! 余計タチが悪い!!」
その後のピエールの説教は、聞き流した。
ポートセルミで休んだら、次はルラフェンって町に行ってみっか。



[18799] 第十二話:Genius is only one remove from insanity.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:712eeee8
Date: 2010/05/29 22:38
第十二話:Genius is only one remove from insanity.
    (天才と馬鹿は紙一重)


「うわっ、めんどくせえ」
ルラフェンの町を見た瞬間、俺はつい呟いていた。
見ただけで入り組んでいるのが分かる町並みだ。
そこらに居た町の奴に話を聞けば、敵の襲撃に備えてのことらしい。
確かに人間相手なら、被害は減りそうだが、
モンスターの中には空が飛べる奴らも居るんだから無駄じゃなかろうか。
「けほけほ」
「あ? どうした、ピエール」
モンスターも咳き込んだりするんだな。
「この町、少々煙たくてな」
「そういやあ……ああ、原因はあれか」
明らかに異様な色をした煙を出す家が一軒。町の奴らは誰か止めねえのかよ。
睨みつけてる俺の視線に気づいたのか、町の奴がため息をついた。
「いやあー俺達も困ってるんだ。ったく、ベネット爺さんときたら、
 古代の呪文を研究してるらしいんだが、煙たくって困る」
どうやら、言っても聞かないタイプらしい。
しかし、古代の呪文か。興味はあるな、その内に行ってみっか。
宿を取って、街中を見て回る。確かに、攻め込むのは容易じゃなさそうだが、
この位の段差なら余裕で飛び降りられると思う。
んー、正直、この迷路みたいな町の作り、本当に意味あんのか?
作った奴の趣味じゃないのか? と思わざるを得ねえ。
町の一番高いとこに出る。中々気持ちの良い眺めだな。
テーブルで茶を飲んでくつろいでるおっさんとババアの話が聞こえてくる。
「何でも、ラインハットで大層豪華な結婚式があったらしいよ」
「へえー、そうかい。そんなに派手な結婚式だったのかい?」
「ああ、何でも王兄のヘンリー様だそうだ」
「はッ?!」
今、何て言った? ヘンリーが結婚した、だぁ?
おいおい、俺とアイツが別れてから、えーっと、一月ちょっとくらいだぞ。
その間にとっとと結婚決めちまうとか……無駄な行動力はありやがんな、あいつ。
「機会があればお祝いを言いに行かないとな」
「えーもーメンドクセエからいいだろ」
「……お前の友達だろうに」
ピエールが肩をすくめる。友達、か。……そう言っていいもんだろうか。
生憎、《俺》だった頃に、友人と呼べた存在は、
《アイツ》と《ボス》以外にゃ、ほとんど居なかった。
ま、協力者というか共犯者なら一人心当たりがあるけどよ。
「そうか、友達、なんだな」
気がついたら、口元が少しだけ緩んでいた。
って、いけねえ。こんな顔をピエールに見られたら、ニヤニヤされる。
慌てて、いつもの仏頂面に戻して町の探索を続けた。
広いし迷いやすいしで、街中を歩くだけであっという間に日が暮れる。
「うー、ここめんどくさいよー」
歩くのを放棄したスラリンが、俺の頭にぴょんと飛び乗る。
「重いから降りろ」
むんずと掴んで、地面に下ろす。口を尖らせたが、知るか。
「そういやさー、なんでジャギっていっつも顔に布巻いてんの?」
おい、何でそこで俺の聞かれたくねえとこに突っ込んでくるんだよ。
「……テメエらにはわかんねえだろうが、俺の顔は、
 とても他人に見せられるようなもんじゃねえんだよ」
「おや、兄さん顔を隠したいのかい?」
耳聡く聞きつけた、防具屋の店員が俺に声をかけてくる。
商人って奴は、商売のタネだけは逃さねえもんらしいな。
「だったら、コイツを買いなよ」
そう言って男が取り出したものに、目を見開いた。
それは、白いフェイスガードのついた兜だった。
全体は緑で、頭部についた房が青く揺れている。
「……いいな、幾らだ」
わざわざ布を巻きなおさずとも済みそうだし、
ついでに首筋を狙われることも避けられそうだ。買ってもいいだろう。
「3500ゴールドになります」
……払えねえ額じゃねえな。こないだの村でもらった分が、まだ余ってる。
それに、俺には『コレ』がある。
「じゃあ、ソレを、『コレ』で」
指に挟んで、金色に輝くカードを見せ付ける。
「そ、それはゴールドカード! 分かりました、定価の二割り引きですから、
 2800ゴールドになります」
金と交換で、店主から鉄仮面を受け取る。
頭と顔に巻いていた布を外して、被る。狭い視界だが、こんなもん慣れっこだ。
《俺》が被ってたヘルメットと、そんなに変わらねえ。
むしろ、ちょっと落ち着くくらいだぜ。
買い物もしたし、宿に戻るか。
ん、あ、いやまだだ。この町で一番気になる場所に行ってねえ。
そこに行ってからでも良いだろ。帰りは迷わねえはずだ、多分。


「ここだな」
煙を上げている家のドアを、俺は乱暴に開ける。
「傍から見たらどう見ても強盗か何かだな」
うるせえモンスターは黙ってろ。
家の中は、確かに妙な匂いがプンプンしてきやがった。
ゲレゲレなんざ、中に入るのも嫌がって、ドアの外で待機してる。
「ん~? なんじゃ、お前さんは?」
この格好を見てビビらねえとか、ジジイ只者じゃねえな。
「お前さんも、煙たいとか文句を言いに来たのか?」
「あー、違え違え。俺は、爺さんが研究してるって呪文について聞きに」
来たんだ、という前にジジイは目を爛々と輝かせ始めた。
「そうか! このワシの研究について知りたいとな!
 もし研究が成功すれば、古代の呪文が一つ復活するのじゃ!」
それにしてもこのジジイ、ノリノリである。
「それは知った場所なら何処へでも飛んで行ける呪文なのじゃ」
「ほお、そいつは便利な呪文だな」
「それがあれば、ラインハットへも戻れますね」
そういや、定期船はまたしばらく出ねえんだったな。
覚えられたら、ラインハットへ行ってやんのも悪くねえか。
「どうじゃ? この研究を手伝ってみたいとは思わぬか?」
「って、完成してねえのかよ」
「仕方ないじゃろ。わしには、強い男が必要だったんじゃ。
 助手として、わしの手伝いをしてくれる、な」
にやり、とジジイが笑った。まさか拒まないだろう、という顔。
くっそ、こっちが呪文を必要としてることを理解してやがんな。
「あーはいはい、で何すりゃいいんだよ」
「うむ、そうか手伝ってくれるか」
手伝わざるを得ない状況だろうが。したたかなジジイだぜ。
ジジイについて二階に上がると、そこで地図を示された。
こっからさらに西へ向かった辺りに生えてる草を持ってくりゃいいらしい。
と、簡単に言うが、途中の川には橋がかかっておらず、
わざわざ上流まで回り道してかなきゃならんそうだ。
「では、わしは寝て待つからの。しっかり頼んだぞい」
ジジイは、とっとと布団に潜り込んだ。
「夜になるとその草はぼんやり光るそうじゃぞ、むにゃむにゃ」
「……なんつー身勝手なジジイだ」
「身勝手さなら、君もそう変わらんだろ」
一言多いピエールの頭をどついておく。
「少なくとも俺は、自分で出来そうなことを他人に任せねえよ」
例えば、勇者探し、だとかな。


道中の勝手に動く木人形だの、化けキノコだのは、俺達の進路の妨げにはならねえ。
親父の剣は、俺の手にしっくりと馴染んで体の一部みてえだ。
なんだか、それが嬉しくて、ついつい握る手に力が籠っちまう。
「さーてと、目的地はこの辺りだったな」
「確か、夜になると光るってあのお爺さん言ってたよね!」
「だな。しばらく待つか」
丁度いい具合に、時間は夕暮れ時。もうちょい待てば夜だ。
空は既に暗く染まりつつある。見上げた空には既に一番星が輝いている。
「……ねえ、か……」
そこに、《俺》が見覚えがある星は、一切無い。
具体的にいうと、《北斗七星》と《輔星》が。
やっぱり、ここは《俺》の居た世界とは、違うんだよな。
分かってたことなのに、何でだか知らんが、ちょっと寂しい。
ホームシックになるような場所じゃあ、ねえはずなのにな、あの世界は。
「ジャギー、見て見てー! 綺麗だよー」
「ん? ……おお」
スラリンの声に視線を下ろせば、確かに草むらが光っていた。
どうやら、ルラムーン草の群生地に当たったらしい。
「とりあえず、何本が持っていくか」
根っこから、ぶちりと引き出して袋に突っ込む。
何故か、ピエールが不満そうな顔をしている。
「君には、もう少し情緒というものはないのかね」
「すげえなーとは思ったさ。けど、そうそう立ち止まってもらんねえだろ」
じゃ、とっとと戻るぞ、と俺は袋の中から一枚の羽を取り出した。
最後に立ち寄った町に使い手を運ぶという、『キメラの翼』だ。
「もう少し見てたかったのにー」
「ガル」
スラリンとゲレゲレが文句言ってっけど、知ったこっちゃねー。
ぶん、と放り投げながら見上げた空の星の、輝きだけは、
あっちと変わらねえんだな、……ってのは、俺らしくなさすぎるか。
そう思った瞬間には、もう町に着いてる。
相変わらず、この辺りの論理はさっぱり分からねえが、
そうなるもんはそうなるんだ、と割り切るに限る。


ジジイの家に入って、寝てたとこを叩き起こしてルラムーン草を渡した。
「これがルラムーン草か! よし、早速実験再開じゃ!」
俺の手から、それを引っつかむと、ジジイとは思えねえ脚力で、
勢い良く階段を駆け下りていく。
「で、その呪文はどうやったら完成すんだ?」
追って下に下りて聞いてみる。
「ええい! 話しかけるでない! 心配するな、わしは天才じゃ!」
……自称天才にロクな奴はいねえんだが、大丈夫か。
《俺》の知り合いのことを思い出して、ちょっと頭が痛くなる。
「よーし 今じゃ! ここでルラムーン草を!」
ジジイは、勢いよく変な煙を出す鍋の中にルラムーン草を投げ込んだ。
……素人目にも分かるくらい、何か妙なんだが。
鍋の中身が一気に燃え上がり、火の粉のようなものが溢れ出す。
煙も、さっきまでより明らかに多い。
やっぱり、俺は人に手を貸すのなんて向いてねえんだ、と悟った瞬間に、
鍋の中身が、盛大に爆発した。
吹き飛ばされて、俺達は壁に叩きつけられる。
「うえっ、おほっ、げほっ」
鉄仮面の中に煙が籠ってキツい。慌てて、仮面部分を外して、
ぜえぜえと荒く息をした。ジジイは、こっちを見て、驚いたような顔をした。
そんで、立ち上がって鍋を見ながら、首を傾げている。
「んー、間違ったかな?」
「間違ったかな、じゃねえよ! 人を殺す気かこのクソジジイ!」
いきり立って襲いかかりそうになったが、ピエール達に羽交い絞めにされた。
「ま、天才の研究には犠牲がつきものじゃよ。
 と、それはともかく。わしの考えでは、今のでルーラ、という
 古代の呪文が甦るはずじゃ」
このジジイ、マジで人の話聞いてねえ。
「試しに、お前さんが行きたい場所を想像して、ルーラ、と唱えて見るがよい。
 ああ、一緒に行く相手を想像すれば、そいつらも連れてけるからのう」
「誰がテメエのことなんか信じるかぁあああ!」
「お、落ち着け、ジャギ! 試してみてからでも遅くないだろう!」
ピエールが、がちゃがちゃと鎧を揺らしながら必死に抑えている。
「ちっ、仕方ねえなあ、言って見ればいいんだろ」
頭の中に思い浮かべるのは、行き先。とりあえず、ラインハットでいいだろ。
一緒に行く相手……ピエールとスラリンとゲレゲレと……パトリシアもだな。
「『ルーラ』」
唱えた瞬間、俺達の周りを魔力が覆ったのが何となく分かった。
そのまま、一気に体が宙に浮かび上がって行く。
おお、何だこれ、すげえ。ジジイやるじゃねえか。
「おお! おお! やった! やったぞ!
 やっぱり、わしは天才じゃあああああ!!」
ジジイの声を足元に聞きながら、俺達の体は猛スピードで海を越えて、
見覚えのある城の前へと、着地した。
「……驚いたな……」
「わっ! 本当だ、ラインハットの匂いがする!」
「ガル」
モンスター共も、驚いて辺りを見回している。
俺は、ラインハットへと足を踏み入れた。
『友達』に、結婚祝いを述べるために。
……何か、《俺》からしたら、考えられねえよな。
でも悪くは無いか、と鉄仮面の下で、微笑んだ。
あ、これ外さねえと、城に入れてもらえねえな。
やっぱり、まだ買わなくも良かったか? でも、この視界の狭さが、落ち着く。
理由は、《俺》の頃と、似たような視界だからだろう。

俺は、『俺』として生きてるけど、まだ、《俺》に引きずられてる。

そればかりは、どうしようもない事実だった。




[18799] 第十三話:Condemn the offense,but pity the offender.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:712eeee8
Date: 2010/06/10 20:29
第十三話:Condemn the offense,but pity the offender.
    (罪を憎んで、人を憎まず)


「じゃ、早速ヘンリーに会いに……ん?」
ラインハットへ入ろうとした俺の服の裾が、引っ張られる。
振り向けば、ゲレゲレがそこに牙を立てていた。
「どうした、ゲレゲレ」
「……ガル……」
こいつの言葉だけは、人間の言葉に聞こねえんだよな。
まあ、なんとなく言いたいことは雰囲気で察せるんだけどよ。
「入りたくない、ってか」
そりゃあまあ、そうだろう。こいつからすりゃ、この城に来てから、
強い奴にこてんぱんにのされちまうし、俺とは離れ離れになっちまうし、
ここには余り良い感情を抱いてないんだろう。
俺だって、ヘンリーが居なけりゃ、こんなとこ来るつもりはなかった。
「とっとと切り上げて帰って来るからよ。馬車で待ってろ」
「ガル……」
わしゃわしゃと頭を撫でてやっても、まだ不満、いや、不安そうだ。
青い瞳がじっとこちらを見上げてくる。
こういう視線は苦手なんだ、こっち見んな。
「……心配すんな、ってちゃんと戻って来るから」
「そうだよ、ゲレゲレ。ボクたちも付いてるんだからね!」
スラリンが自信満々、と行った様子で跳ねる。
「心配するな。ジャギももう子供ではないのだから」
その言葉に、どうにか納得してくれたらしく、馬車の中に入る。
やれやれ、図体はデカいのに、子猫だった頃と変わらない寂しがり屋だぜ。
ゲレゲレをもう一撫でして、今度こそ俺はラインハットの街に入る。
一歩足を踏み入れただけで判る程、がらりと雰囲気が変わっていた。
街の奴らの顔からは、こないだ来た時に有った陰鬱な影は、
きれいさっぱり消えていて、あちこちに飾られた花みてえな朗らかな表情をしている。
この花は、結婚式の祝いの跡だ、と街の奴が嬉しそうに教えてくれた。
「ようこそ、ここはラインハットのお城です!」
王城に入ると、兵士の声も明るい。前来た時とは大違いだ。
「あー、あれだ。ヘンリーの知り合いのもんなんだけどよ……」
って、この格好じゃ判らねえか、と鉄仮面に手をかける。
こんなことなら、入る前に仮面を脱いで、布巻いておくんだったぜ。
他人に見せてえような傷跡じゃねえしな。俺だって、未だ直視出来ない。
「ヘンリー様の……? ああ! この国の大恩人、ジャギ様ですね!」
「へ?」
鉄仮面に手をかけたまま、俺は思わず聞き返した。
声の調子からするに、多分、相当間抜けな顔をしているはずだ。
顔を隠してるってのは便利だな、そういうのが見えない。
「ヘンリー様がお待ちです! さあ、どうぞ奥へ!」
にこにこと笑顔を見せるそいつに、促されるまま、俺は足を進めた。
「正直今、ほっとしただろう?」
「あ?」
ピエールの言葉に首を傾げた。
「仮面を外さずにすんで、だ」
あー、そうか。今の俺がぼけーっとしてるのは、安心してるからなのか。
……ホント、見せられた顔じゃねえからな、この顔は。
ぐちゃぐちゃのひでえ有様で、《俺》が負った傷と、さして変わらないくらいだ。
こんなもん、見せられるわけがねえし、
誰かの眼の中に映るであろうソレを、俺は見たくもねえ。
「あの兵士も、街の人も、ヘンリーが結婚したこと、随分嬉しそうだったね?」
「それだけ、ヘンリーが慕われている、ということだろう。なあ、ジャギ?」
「そうなんだろうけどよ、実感湧かねえなあ」
十年間、泥と汗と血に塗れて、俺と話しながらニヤニヤ笑いを浮かべていた、
あのヘンリーが国民から慕われる王族だなんて、想像できん。
階段を昇っていきながら、俺はそんなことを考える。
とりあえず、ヘンリーの弟に会って、あいつが何処に居るか聞こう。
謁見の間に入った途端、そいつは俺を見つけて叫んだ。
「やや、あなたは! お久しぶりですね、ジャギさん!」
「……仮面越しで何で判るんだよ」
やっぱりおかしいだろ。何処で見分けてんだ俺を。
「モンスター使いは少ないですからね、すぐに判りましたよ。
 それに、鉄仮面以外はそのままの格好じゃないですか」
どつきたい感じのニヤニヤ笑いは、ヘンリーの笑顔と良く似ている。
血の繋がった兄弟ってのは、似るもんなんだな。
……俺の知ってる《血の繋がった兄弟》なんざ、似てるとこを
探す方が難しかったような気もするが、深くは考えまい。
拳法の才能くらいしか似てなかったんじゃねえか、マジで。
「あー、ヘンリーが結婚したって聞いたんだが」
「ご存じでしたか! 兄は随分貴方を探していましたよ。
 どうぞ、会っていってあげてください」
「元よりそのつもりだ」
俺が話してる間中、視線が痛い。出所は王座の隣に立ってる大臣だ。
ため口で何か悪いのか、っつーんだよ。俺はこの国の『大恩人様』だぞ。


ヘンリー達の部屋は、王座の後ろの階段を上がった先、
本来なら王の居室に当たる場所らしいが、今は二人で使っているらしい。
見張りの兵士は、俺だと気づくとすぐにどいた。
部屋の前に見張りの兵士がいると、うっかりサカった日には聞かれちまいそうだ。
王族ってのも楽なもんじゃなさそうだな。
がちゃり、とドアを開いて、思わず息を飲んだ。
こないだの戦いで汚れたせいか、部屋の家具なんかは全部新しいモンに変わっている。
一言でいや、豪華絢爛。ガキの頃や、こないだ来た時は気づかなかったが、
まさに王族が過ごすのに相応しい煌びやかな部屋だ。
こんな格好でモンスター連れで入るにゃ、ちょっとアレじゃなかろうか。
「こいつは驚いた、ジャギじゃないか!」
執務机に座っていた男が、こっちを見て歓声を上げた。
「ヘンリー、か?」
「ヘンリーか? ってひどいなあ。俺は仮面越しでもお前が判ったってのに、
 服替えたくらいで判らなくなるなんて、ひでえ奴だ」
浮かべるニヤニヤ笑いに見覚えがあって、どうやら本人らしい、と
安堵して、とりあえず一発小突いておいた。
「いたた、出会い頭にそれかよ。お前は変わらないなー」
「うっせえ」
判らなかったわけじゃない。ただ、驚いただけだ。
王族のもんらしい高そうな衣装に身を包んだこいつは、
どっからどうみても『王子様』って奴で、薄汚れた旅装束の俺とは雲泥の差がある。
……他のとこで、俺は王族と知り合いだ、なんつっても、
絶対に信じてもらえねえな、こりゃ。
「元気そうで何よりだ。随分、お前のこと探したんだぜ?」
「あちこち回ってたもんでな。その途中でお前の噂を聞いて、
 古代の移動呪文でここまでひとっとびだよ」
どっかとソファに腰を下ろす。身分差で物怖じするような俺じゃねえ。
「はーっ。古代呪文なー。色々大変なんだな、お前も」
相槌を打った後で、何かを言いだしにくそうに、視線を彷徨わせている。
天井とか床とか、隣の部屋へ繋がる扉なんかを見やりつつ、
あー、とかうー、とか意味の無い言葉を口にしている。
それでもどうにか、顔を真っ赤にしながら言葉を続けた。
「その……式に来てもらおうと思って探してたんだ。
 実は俺、結婚したんだよ。マリア、珍しい客だぞ」
呼びかける声が、上ずっているのが丸わかりだ、馬鹿。
「はい、ヘンリー様、今参ります」
隣の部屋から、くすくす笑いながら姿を見せたのは、マリアだった。
どうやら、俺らの会話を聞いていたらしい。
修道院に居た頃より、ずっと豪華なドレスを着て、
しかもそれが似合っている。やっぱ顔はいいんだよな、コイツ。
「ジャギさん、お久しぶりです」
笑顔が、前より少し穏やかになったな、と思うのは錯覚だろうか。
「わははは! とまあ、そういうわけなんだ!」
照れくさいのか、ばしばしと俺の肩を叩いてくる。
「痛えよ、この馬鹿」
俺も叩き返す。無論、軽く。今本気で殴ったら、スイカみたいになりかねない。
結構腕の力ついてるからな。加減が難しい。
何も考えずに殴れていた頃はは、楽だった。
「悪い悪い。とにかく、ジャギに会えてよかったよ。
 式には呼べなかったけど、せめて記念品を持ってってくれよな。
 昔のオレの部屋。あそこに置いてあるから」
ひいひいと笑いつつ零れた涙を拭いながら、ヘンリーはそう言った。
「めんどくせえなー。普通に渡せよ」
「いいじゃないか、な?」
これ以上口論しても埒があかねえしな。さっさと取って来るか。
「じゃ、こいつら置いて取って来る」
「スラリンとピエールかー、なんか久しぶりだなー」
「うむ、久しぶりだな、ヘンリー」
「久しぶりー」
再会が嬉しかったらしく、ぴょんぴょんと跳ね回る。
「そいつらも久しぶり、だとよ」
「おー、そーかそーかー」
にしたって、俺が一々訳さなきゃいけねえのはちょっとめんどくせえなあ。


あいつの部屋の場所は覚えてる。忘れようとしたって、忘れらんねえ。
多分、あそこから、俺の歯車は狂い出したのだから。
「ここは今は太后様のお部屋。くれぐれも失礼なきように」
「げっ」
よりにもよって、あのババアの部屋なのかよ……。
ヘンリーの奴、殴られたこと根に持ってやがんな。
「おお、そなたは……」
部屋に入ると、ババアが目を丸くした。扇子を握る手に、力が入っている。
「あ、あの、あの時は……すまぬことを」
「謝るんじゃねえ。謝られたところで、何も戻らねえだろ」
ババアの言葉を無視して、俺はその奥の部屋へと向かう。
一枚扉を開けた先に、あの頃と変わらない古びた宝箱。
屈み込んで、開く。
「……オイ」
って、何も入ってねえじゃねえか! ああちきしょう騙された!
あいつ、根本の部分が何も変わってねえ。これで部屋に戻って、
どっかに隠れてたらザオラルが必要な状態にしてやんぞ。
「……ん?」
何だ、これ、箱の中に何か書いてあんな。

"ジャギ。お前に直接話すのは照れくさいから、ここに書き残しておく。
 お前の親父さんのことは 今でも一日だって忘れたことはない。
 あの奴隷の日々にオレが生き残れたのは いつかお前に借りを返さなくてはと……
 そのために頑張れたからだと思っている。
 伝説の勇者を探すというお前の目的は オレの力などとても役に立ちそうにないものだが……
 この国を守り人々を見守ってくことが やがてお前の助けになるんじゃないかと思う。
 ジャギ。 お前はいつまでもオレの子分……じゃなかった友達だぜ。
                             ヘンリー“

何も言えなくて、俺はその場にしばらく立ち尽くした。
というか、言いたいことが多すぎる。あいつに面と向かって、言ってやらなきゃ、
気がすまねえようなことばっかりだ。
ああもう、馬鹿じゃねえのか、あいつ。
足を早めて部屋を出ようとする俺に、ババアが声をかけた。
「そなたの旅の無事を、祈っておる」
「そいつぁーどーも」
ババアの戯言なんか聞いてる暇じゃねえ。とりあえず、一発ぶん殴ってやろう。
ちきしょう、さっきから顔が熱くてたまらねえ。


バタン、と勢いよく扉を開けるとヘンリーはスラリンを突いているところだった。
「ジャギ、また騙されたな?」
ニヤニヤ笑うそいつの頭を、盛大に叩いた。
ごん、と鈍い音が部屋中に響き渡る。
「てめえこそ、相変わらずくだらねえイタズラ仕掛けやがって」
はん、と呆れたように息を吐いて、言ってやる。
「てめえみてえなのと友達になるような奇特な奴が、
 俺以外に居るとは到底思えねえぜ、ったくよー」
「……はは、そうかもな」
笑った顔を見る限り、こっちの真意には気づいたみてえだ。
ああちきしょう、友達だってのを改めて示されて、
なんかこっ恥ずかしくなっちまったじゃねえか。
「じゃあ、今度こそ本当に渡すよ。このオルゴールだ」
ヘンリーが手渡してきたのは、二人を象った人形の乗ったオルゴールだった。
中々恥ずかしいもんを作るな、コイツら。
こっちの世界のセンスは、《俺》の世界とは根本的にかけ離れてる気がする。
「ま、くれるっていうんならもらっておくぜ」
「お前は変わらないなあ、ジャギ。なんか、安心したよ。
 十年前とは随分、変わってるけどな」
そりゃそうだ。十年前の俺は、《俺》の記憶を中途半端にしか、取り戻してなかった。
あの頃の、『ぼく』のままなら、それなり幸せで、
ひょっとしたら、こいつみたいに誰かと結婚してたんだろうか、と
考えてみて、その考えを打ち払うように首を横に振る。
「でも、色々と苦労してるみたいだな。その苦労を共にする女性が欲しいとは思わないのか?」
「まさか、んなわきゃねえだろ」
ヘンリーの問いかけを、即座に否定する。
「母親を助け出すのが先、ってか。でもなあ、可愛い嫁さんでももらって、
 お前が幸せになりゃあ、お前の母親もきっと喜ぶぜ」
「……こんな顔の男に嫁ぐ物好きなんざ、居ねえよ。
 大体、居たところで旅の邪魔にしかならねえだろ」
そう答えたら、ヘンリーの顔はどっか寂しそうだった。
「なあ、ジャギ、その傷……」
「あーあー、だからテメエが気にすることじゃねえつってんだろ」
けっ。顔のことに関しちゃ、もう諦めてるっつーの。
こいつ、いつも傷のことを話題に出そうとすんだよな。
さっきの手紙に有ったみてえに、これにも責任を感じてんだろうか。
他人がヘマして負った傷に、責任を感じるなんざ、馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいといやあ、俺に結婚を勧めることだってそうだ。
女を抱きたきゃ、それなりの街に行けば、そのテの仕事をしてる奴がいる。
わざわざ、生涯誰かただ一人を愛するって誓うなんざ、面倒だし、俺の柄じゃねえ。
そんなもん、何処ぞの《殉星》にでも任せておきゃいい。
「ま……決めるのは、お前だから、いいよ。
 それよりさ、いつでもこっちに来られるんだろ?
 時々、顔見せてくれよな。書類の山とのにらめっこはうんざりなんだ」
いつものニヤニヤ笑いにヘンリーは顔を戻した。
切り替えの早いとこは、こいつの長所だよな。
「来るかもしんねえけど、新婚を邪魔する程ヤボじゃねえぜ?」
俺も笑いながら返してやったら、二人揃って顔を真っ赤にしてる。
やることやってんだろーに、初々しいこって。
「んじゃ、邪魔したな」
「あ、ジャギ! デールが天空の武具について、何か分かったって言ってたぜ。
 話を聞いていってくれ」
「へーい」
ひらひらと手を振って、俺は部屋を出た。
……あの空間に漂う穏やかさを、なんかあれ以上感じてられる気がしなかったから。
「あの二人ねー、ボクたちが見てる前でもずーっとべったりだったんだよー」
「正直、独身ものには辛い光景だった……砂糖菓子のようだった」
スラリンとピエールが言うように、あの空間はちょっと甘すぎて、
俺が入り込むことの違和感が、物凄かった。
「……間違っても、夜中に来ねえようにしねえとな」
「なんで?」
「……スラリンは知らずともよい」
ピエールにも言われて、スラリンはとりあえず口を噤んだ。
ヘンリーの弟から聞いた話によれば、サラボナって街に住む富豪が、
伝説の勇者が使ってた盾を持ってるらしい。
城の外へ出る時、兵士はニコニコとお気を付けて、なんて声をかけてきた。
明るい街。まるで、今まで沈んでいた分を、取り戻すかのように。
馬車に戻って、そっとゲレゲレの頭を撫でる。
「ゲレゲレ、俺、ここのこと、ちょっとは好きになれそうだ」
この国の奴が犯した罪のせいで、『俺』の運命は大きく狂った。
それでも、ここは俺の一番の友人が住む国だ、その国民を恨んでも、多分、仕方ない。
この国の奴らだって、ある意味では、被害者なのだ。
「今度は、お前も一緒に見て回ろうな」
「……ガル」
ゲレゲレが、掌に頭を擦りつけてきたので、俺は目いっぱい撫でてやった。


サラボナは、ルラフェンから南下して、山脈を越えた先にある。
ルーラが行ったこと無い場所にもいける呪文なら便利なのによ。
そういうことが出来ないかと思って、ベネットのジジイに聞きに言ったら、
「無理いうな」
と一言でばっさり切って捨てられた。
「天才なんだからなんとかできねえのかよ」
「天才にだってできんことくらいあるわい。若いんじゃから歩け歩け」
よしジジイふざけんな、と殴りかかりかけた所で、
ピエールとゲレゲレに強制的に引きずり出されて、それから野宿しつつ歩き続けている。
何日か歩いてようやく、山脈の麓に立つ宿屋にたどり着いた。
「人間一人と魔物三匹ー、部屋空いてるかー」
「大丈夫ですよー」
人の良さそうな主人は、モンスター連れでも特に驚かない。
何処の宿屋でもビビられたことはねえんだよな。
珍しい、レベルで実は結構居たりすんのか、モンスター使い?
宿の外の井戸で水を汲み、喉を潤しながら一息入れる。
水が美味いってのは良いな。泥水だろうが油が浮いてようが、
生きるために啜るくらいは造作もねえが、水が美味いに超したことはない。
山で溜まった地下水を、ここで汲みあげているのだろうか、特にひんやりとして気持ちいい。
……水大好きなのは《俺》の趣向か。《あっち》じゃ、水のある場所は貴重だったからな。
何しろ海は一部を除いて涸れ上がっちまってたから、必然的に雨も減って、
一杯の水を飲むのにも遠くまで出向く必要があった。
ケツ拭く紙にもなりゃしねえ金よりも、水の方が貴重で、
水を求めて立ち寄っただけの旅人が泥棒扱いされた、なんて話も聞いたくらいだ。
「お主、サラボナへ向かわれるのかの?」
椅子に座って、水の美味さを噛みしめていた俺に、そこに居たジジイが声をかけてくる。
「あー? ああ、まあな」
「ほお、そうか。実は、こちらのシスターはサラボナへ、
 どこぞのお嬢様を送り届けてきた帰りなんじゃと」
「へー、あの山を越えたのか?」
水の美味さに機嫌がよくて、ついつい話に乗っかる。
「いえ。麓に、山の反対側へ抜ける洞窟があるので、そこを通って」
お、山越えはしねえでいいのか。
「フローラさんは、私達の暮らす海辺の修道院で花嫁修業をしていたのですが、
 このたび、花婿を募集するというので、お家に戻られたのです」
そういや、あそこのシスターがそんなこと言ってたな。
この間まで花嫁修業をしていた女が居るとかなんとか。
「あんた、あの修道院のシスターか」
「ご存じなので?」
「ちょっと助けてもらってな。あそこの飯は美味かった、って伝えておいてくれや」
実際、飢えた俺の腹には質素とは言え無茶苦茶美味かった。
水と飯がねえと、人間ダメになるな、としみじみ思ったもんだ。
それでも、奴隷時代はまだ毎日飯が出るだけマシだった。
《あの頃》は、他人から奪いでもしなきゃ、飯にありつけないこともあった。
飢えて死んでくやつらが、ごまんといた。
あれに比べりゃあ、本当、こっちの世界は恵まれてるぜ。
「ええ、判りましたわ。あの洞窟には、魔物も出ますから、お気を付けて」
「下手なモンスターにゃ遅れはとらねえよ」
親父の剣もあるし、ここに来るまででも経験は積んで、体は鍛えてある。
多分、割と簡単に抜けられるだろう。
……しっかしなあ、どうやって盾をもらったもんか。
金を払え、っつわれても手持ちがそこまであるわけじゃねえし、
話してみてはいそうですか、と渡してくれるわけもねえ。
警備がザルだったら、いっそ盗むってのも手だな。
この世界の防犯対策はザルどころかワクレベルだ。いける。
「ところで、ジャギ」
「あ?」
「……何杯飲むつもりだ」
ピエールの言葉に、俺は手元においた木桶を見やる。
それに並々と汲まれていた水は、今や半分以下だ。
手に持った木製のコップに汲んで、ぐびぐびやってたせい、だろう。
「……いや、飲みためしておこうと思って」
「ジャギ、君がどんな人生を送ってきたのか私は知らないが、
 少なくとも、ここでは水の飲みためはしなくていいから、大丈夫だから」
何でだか知らないが、慰められた。
……習慣って、怖えなあ。




[18799] 第十四話:Even a chance acquaintance is decreed by destiny.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:712eeee8
Date: 2010/06/11 16:35
第十四話:Even a chance acquaintance is decreed by destiny.
    (躓く石も縁の端)


宿に一泊して、薄暗くてカビ臭い洞窟を、出てくるモンスターをなぎ倒しながら抜けて。
川の向こうに、ようやく目的の場所が見えてきた。
「あれが、サラボナだな」
手元の地図と示し合わせて、一息付く。
「隣に立ってる塔はなんなんだろうねー、お家かなー」
「塔の上に住むなんざ、めんどくせえだけだろ。
 うっかり足を滑らせたりしたら洒落にならねえし」
「となると、モンスターの襲撃を見張るもの、か?」
ちらり、とピエールがこちらに目配せをしてくる。
言いたいことは、判っている。
「かもな。つーわけで、モンスター連れだと警戒されるかもしんねえから、
 お前ら馬車ん中に引っ込んでてくれ」
「了解した」
「はーい」
「ガル」
うむ、いい返事だ。素直な奴は嫌いじゃない。
はぁー、しっかしあれだよなあ。モンスターだから警戒して、
人間だから警戒する度合いが低い、ってのもおかしな話だ。
人間に化けるモンスターなんざいくらでもいるだろうし、
モンスターより性質の悪い人間だってごろごろしてそうなもんだが。
「わんわんわん」
「あ?」
こっちに向かって突っ込んでくる、犬。
俺の足元までくると、いきなり唸り声を上げだした。
「ああ?」
モンスターの臭いがするからか、警戒してるらしい。、
唸られっぱなしじゃナメられてるみてえで気にくわねえ。
ぎろり、と睨みつけてやると、顔こそ見えねえが気配を察したのか、
きゃいん、と小さく鳴き声をあげて、その場に硬直した。
「リリアン!」
飼い主らしい、金持ちそうな女が一人こっちに走り寄ってくる。
そいつに抱きかかえられて正気を取り戻したらしい犬コロは、
再び俺に向かって警戒心を露わにした。
「テメエの犬か?」
「え、あ、はい。すいません、リリアンは私以外に懐かなくて」
「気にしちゃいねえよ。こんな格好だからな」
鉄仮面にボロい旅装束の男を警戒しない犬の方が、むしろ不自然だろ。
「本当にすいません……」
ぺこぺこと頭を下げて、怯えるみてえに走り去る女。
あの青い髪、どっかで見たような気もすんだけど、思い出せねえ。
《俺》じゃなくて、『俺』の記憶の中にあるような気がするんだけどな。
「あーあ、兄さん、今の様子じゃ結婚は無理そうだねえ」
「は?」
通りすがりのババアにそう声をかけられた。何故そうなる。
唖然としている俺を見て、ババアは首を傾げた。
「おや、兄さんは知らないのかい?
 今のは、世界に名だたる富豪、ルドマンさんのお嬢さんのフローラさんだよ。
 今日は、あのフローラさんの婿を決めるってんで、近隣の町からも
 人が大勢集まって来てるんだ」
兄さんもその類だと思ったんだけどねえ、という声は、遠い。
ルドマン、フローラ、と名前を聞いて思い出した。
まだ、『ぼく』だった頃に乗った、あの船に、居た。
親父に抱きかかえられて船に乗った、あの子供がそんな名前だった。
話題に出なかった、ということはあの時の姉の方、
そう、確か『デボラ』、あいつは、もう結婚しちまったんだろうか。
……なんか、それを考えると、すげえもやもやする。
ん? なんで俺がもやもやしなきゃなんねえんだ。
「で、お婿さんには家宝の盾を与えるって話だよ。
 なんでも、世界を救った勇者様が使ってたものらしいねえ」
「はあっ?!」
おいおいおい、ここまで来て、何処の馬の骨とも知らねえ男に、
伝説の盾が渡っちまうなんて、冗談じゃねえぞ。
とりあえず、盾の話だけでも聞きに行かなきゃなんねえ!
俺は、その町で一番デカくて、騒がしい建物へと足を向けた。
おそらく、それがルドマンの屋敷だろうと見切りをつけて。


屋敷に入ると、人でごった返していた。
ざわめきを聞く限り、全員フローラと結婚したい奴ららしい。
俺はただ、盾の話が聞きたいだけだってのに、そいつらと一緒に部屋に押し込められた。
やがて、部屋の奥の階段から、のっそりと一人のおっさんが現れた。
微かに見覚えがある。あれが、確かルドマンのはずだ。
「皆さん、ようこそ。私がこの家の主人、ルドマンです」
ルドマンは、集まった奴らにフローラとの結婚には条件があると言い出した。
条件を述べ始めようとした、その時。
かつかつ、と耳にハイヒールの音が聞こえてくる。上階から降りてきた、一人の、女。
「うるさいわねー、何の騒ぎ?」
黒い髪を、アップにして整えて。
「また、私と付き合いたいって男が来てるわけ?」
薄手で短い、ピンクのハデな服を着て。
「悪いけど、私は今の生活がいいの。結婚なんてしないわよ」
キツめの目元に、泣きボクロのある、女が、そこに立った。
「『デボラ』! お前には関係ない! 彼らはフローラの結婚相手だ」
ルドマンが叫ぶ。女は、肩をすくめて、再び階段を上がっていった。
随分とイイ女になってたが、傲慢さは、相変わらず、か。
脳裏に過るのは、『自分と妹は別の人間』『比べられても気にしない』と、
胸を張っていた、ガキの頃のアイツの姿。
あの時は、何であんな質問をしたのか解らなかったが、今なら解る。
自分より年下の『きょうだい』と比べられてたアイツを、《俺》と重ねちまってたんだ。
でも、《俺》と違って、きっぱりと気にしない、と言ってのけたから、
アイツが、眩しく思えたんだったな……って、何思い出してんだ、俺は。
ぶんぶんと頭を振って、ルドマンの話に耳を傾ける。
何でも、炎のリングと水のリング、両方を持ってきた奴に、フローラを嫁にやるらしい。
途中でフローラが姿を見せて一悶着あったが、集まった奴らの中に、
幼馴染だっつーアンディとかって奴を見つけて、顔を赤く染めてすごすごと引き下がった。
……あの女、解りやすいなあ。
炎のリングが、こっから南にある活火山にある、と知らされてからは、
一目散に飛び出して行く奴、危険を冒すだけのリスクはあるか、と
周りの奴らとひそひそ話をする奴、諦めてすごすご帰る奴、とまた騒がしくなった。
試しにルドマンに話しかけてみるか……? いや、よそう。
この状況で盾を寄越せ、なんつったら、娘は盾のオマケじゃない、って
ブチキレた揚句に話も聞いてもらえなさそうだ。
……とりあえず、リングを集めりゃ、話を聞いてもらえる、か?
一旦屋敷を出て、俺は町の奴らにあれこれ話を聞いてみることにした。
「なあ、あのデボラって娘の方は、結婚しないのか?」
一番気になってるのは、このことなんだよな。
普通、年上の娘の方から結婚させるもんだろ。
噴水の周りにいたババア共に聞いたら、物凄く怪訝な顔をされた。
ナ、何だよ。俺なんか悪いこと聞いたか?
「デボラと結婚しようなんて物好きは居ないだろうよ」
「あんなのと結婚したら人生の終わりだよ」
「蛇みたいな女だよあの娘は」
町の住人らしい奴らは、男も女も、その意見には納得してうんうん頷いている。
くそっ、何でか知らねえが凄え気分が悪い。
確かに、こう、ちょっと性格悪そうだってのはさっきの一瞬でも解ったが、
何もそこまで言うこたあねえんじゃねえか?
ああちきしょう、何だかさっきから胸の辺りが落ち着かねえ。
ずかずかと、大股で歩いて、入口に止めておいた馬車へ向かう。
「おい、出かけるぞ」
「何処へだ?」
「こっから南の活火山。そこに、炎のリングってのを取りに行く」
「あ、それを伝説の盾と交換してもらうんだね?」
「……まあ、そんな感じだ」
言葉を濁らせると、ピエールだけが何やら聞きたげだったが、
俺が睨み返せば、質問をするのを諦めたらしく、肩をすくめる。
「せめて、一泊しないと、私達の体力的には辛いぞ」
「あ、うん。そうだよー、ボクたちくたびれちゃった」
「ガル」
そう言われてようやく、俺は自分が何だかどっと疲れていることに気がついた。
こんな状況で、火山なんかに突っ込んだら自滅しちまう。
「……だな。今日は宿に泊まるか」
目の前に、親父が探してた伝説の盾があるのに、それが簡単には手に入らないから、
どうも焦っちまってんだろう。
親父もな、船で会った時に、伝説の武具を探してる、の一つも言っておけば、
今頃ほいほい譲ってもらえてたかもしんねえっつうのに。
めんどくさいことに巻き込まれたもんだぜ、全くよう。


宿に泊まったのはいいが、寝付けない。一杯やるか、と酒場へと足を運んだ。
そこでの話題も、フローラの心を誰が射止めるか、ってのばかりだ。
あの場に居たんなら、あいつの心はもうとっくに決ってるって、
解りそうなもんだけどな。馬鹿だな、こいつら。
酒を飲むのに邪魔だから、鉄仮面を外して顔に布を巻いた俺は、
安酒をちびちびと呷りながら、そいつらの話を聞いていた。
「ひっく。でもよぉ、デボラもあれだよなぁ。
 ワガママ放題でさぁ、おかげで、婿も探してもらえねえ」
「顔が良いのは確かだけどよ、あの性格じゃあ、なあ」
まあ確かに傲慢っつーか高飛車で、結婚に向いてなさそうなのは確かだが、
それって振り向いてもらえねえひがみじゃねえのか。
「いやあ、それに比べてフローラさんと来たら、おしとやかで清楚で、
 いい奥さんになると思うぜえ?」
「フローラさんに比べりゃ、デボラなんて月とスッポン、
 財産がもらえるって言われたって、あんなの嫁さんにしたくはねえよ」
「違いねえや」
ゲラゲラと笑う、酔っ払い共の声が耳障りだ。
「おい、うっせえぞ」
「あー? んだよ、人が楽しく飲んでるってのに」
酔っ払い共の内の一人が、イライラしたような声をあげる。
機嫌が悪いのは、こっちも同じだ。
「要は、テメエらのはただの僻みじゃねえのか? ああ?
 あんだけイイ女だ。手ぇ出そうとしてこっぴどくやられたんだろ?」
「んだとコラァ、よそもんのクセに適当言いやがって!」
その反応は、図星だって言ってるようなもんだぞ。
酒の勢いで、俺の口からぽんぽんと言葉が飛び出す。
「大体、何が気に食わねえってなあ、妹と比べるこたねえだろうが。
 デボラって奴と、フローラって奴は、姉妹だが別の人間だ」
「はぁ? 何言ってんだテメエ。同じ家で育った姉妹だぞ。
 比べて見たら、どう考えたって妹が優れてんだろ」
「そーだそーだ。フローラさんの方が、デボラよりもずっといいって!」
ぶちり、と俺の中で何かがキレた。

ああ、気にくわねえ気にくわねえ気にくわねえ気にくわねえ!!!

きょうだいを比べて、下の奴が優れてるなんて、

そんなこと、他人ごととはいえ、聞きたくなんてねえ!!

「テメエら表出ろ、ぶん殴ってやる!」
「喧嘩か? 面白え! ノってやるぜ兄さんよ!」
酔っ払い共の中でも、一番骨のありそうな奴が立ちあがった。
酒場の店主とバニーは、うろたえながらも外へ出る俺たちを見やるばかりだ。
バルコニーへ出た途端に、男が後ろから殴りかかってくる。
「へへっ、先手必勝だぜ、うぉらぁ!」
ぶん、と何のひねりもない一撃。こんなもん、モンスターに比べりゃ屁でもねえ。
振り向いて、がしり、と片手でそれを掴んでやる。
《あの頃》程じゃねえが、それなりに筋肉はついてんだ。
それも、実戦の中でついた、無駄のない筋肉。
やたら鍛えただけの馬鹿に、負けるような俺じゃねえ。
「おらぁ!」
片手で掴まれて、うろたえたままのガラ空きの腹に、思いっきり拳をぶつける。
「ぐっ……この野郎、調子に乗りやがって!」
そのまま、しばらく拳の応酬が続く。やろうと思えば一撃でノせるんだろうが、
別に殺したいわけじゃねえし、体を動かしたかった、ってのもある、か。
第一、俺が一方的にボコったら、下手すりゃとっ捕まる。
あくまで、喧嘩両成敗、という体を装わねえと、盾を手に入れるのに、
ややっこしいことになっちまうかもしれねからな。
そんなことを考えながら殴りあってた俺の耳は、微かに、ヒールの音をとらえた。
バニーが様子でも見に来たのか?
「……男って馬鹿ね」
聞こえてきた、凜とした声。男の攻撃を避けながら、ちらりと、出所に目をやった。
闇の中でも見まごうことのない、あいつの姿がそこにあった。
「私を出汁にして暴れるなんて、正直迷惑なんだけど」
キラキラと飾られた爪のついた指を、こっちへ向けた。
「ラリホー」
「へ……?」
眠りの呪文が耳に届いた途端、俺の体がぐらりと傾ぎ、意識が遠くなる。
「もう夜なんだから、とっとと寝てなさい」
そう吐き捨てられたのを最後に聞いて、俺の意識は闇に落ちていった。


翌朝。体のあちこちがまだ痛む。
宿の主人に聞いた所、俺達の喧嘩はデボラが唱えたラリホーで、
共に眠らされて終わり。特におとがめもなく、俺はベッドに放り込まれたそうだ。
「まさか、君が女性関係で喧嘩をするとは思わなかったよ」
ピエールが、笑いをこらえた様子で声をかけてくる。
「うるせえ、酔ってたんだよ」
そうだ、酔ってたんだ。でなきゃ、ガキの頃に一度会ったっきりで、
それ以外会ってねえ女のために、喧嘩なんざするわけがねえ。
いや違う、そもそも、べ、別にあいつのためじゃねえよ。
ただ、年下のきょうだいと比べられるってのが気に食わなかっただけだ。
……って、俺は誰に言い訳をしてんだちきしょう。
「まだ体は痛いんだろう? もう一泊するか?」
「……いや、とりあえず火山に行こう」
何しろ、町に一歩出た瞬間、『デボラに一目惚れして殴り合いをした男』っつー、
根も葉もない噂を立てられてるのを、うっかり聞いちまったからだ。
このまま、ここに居るのは正直めんどくせえ。行って戻って来る頃には、
噂も多少は風化してるだろう。っていうかしてろ。
「……火山で怪我を負って休みたくなったら、別の町へ行こうか」
「だな、ルーラもあるし」
こんなに居たたまれない気分で町を出るのは、多分初めてだ。
頼むから、戻って来る頃には噂消えててくれ。
「はぁああああ」
鉄仮面の下で大きく息を吐いて、俺はがたごとと揺れる馬車を曳いて歩き出した。



[18799] 第十五話:Sweet after bitter.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:e88aa88f
Date: 2010/06/14 22:39
第十五話:Sweet after bitter.
    (苦あれば楽あり)


「うげえ……」
目の前で煙を上げる山を見上げて、肩を落とした。
『死の火山』って名前だから、文字通り死火山かと思ってたが、
どうやら活火山らしい。いつ噴火するのか解んねえようなとこに、
婿候補をやるなんざ、あのジジイ、実は娘を結婚させたくねえんじゃねえのか?
一応、入口と思しき場所にはぽっかりと大穴が開いているのだが、
ここに突っ込んで行くような無謀な奴はそう多くはないらしい。
互いに監視し合うようにして、目配せをしている奴らが入口にたむろしている。
体中に火傷を負った奴らが運び出されるたびに、駆け寄っていくのは、
あわよくば、『炎のリング』をせしめたいから、だろう。
「あーそうか、その手があるんだよな」
ぽん、と俺は両手を打った。
「その手ってー?」
「炎のリングを持って出てきた奴を闇討ちしてだな」
「ジャギ」
スラリンに対して、意気揚々と語りかけていた俺に、冷たい声がかけられる。
「あ?」
振り向けば、ピエールが不満そうだった。というか、怒ってる?
「君がどんな人生を送ってきたのか知らないが、そんな山賊や、
 夜盗のような所業を、君の父上が許すと思うのかね」
「大丈夫だって、きっと天空の武具のためなら許してくれる!」
ぐっ、と親指を立てた俺の頭に、鞘に入ったままのメタルキングの剣がぶち当てられた。
かぁーん、という衝撃と共に、鉄仮面が揺れて、頭にぐわんぐわん響く。
「ぐぉおおお、うるせえええ、いてえええ」
地面に転がって悶える俺を、ピエールは未だ怒りも露わに睨んでいる。多分。
多分、がつくのはこいつの本体がどっちで、視線がどちらから向けられているか、
未だに解らないからだ。本当どうなってんだスライムナイト。
「ピエールったらー、きっとジャギも冗談で言ったんだってばー」
いや、ちょっと本気だったぞ、スラリン。
「……ならいいが、今度からはもう少し考えて発言したまえ」
ピエールも俺がやや本気だったのは解っているようだが、これ以上話しても
無駄だと理解したのか、剣を背中に背負い直す。
こいつは、ナイトを種族名に冠してるのは伊達じゃないらしく、
いわゆる『騎士道精神』って奴に溢れている。
人として間違ってる行動には、文句を言わずにはおれないらしい。
まず騎士道の根本にある忠誠心、という点においてもう少し俺を尊重しても
いいもんだと思うんだが、と前にそう言ったら、
ダメな主に苦言を呈するのも忠臣の務めだ、と実にあっさりとした答えが返ってきた。
「おーいてえ……」
仮面の上から頭をさすって意味があるのかは解らないが、慣れで、ついついその動作を行う。
「じゃ、冗談はこのくらいにして、とっとと行くか。
 水の量もまだ大丈夫そうだしな」
馬車の中には、途中の川で汲んだ水が樽に二つ程積んである。
火山ってのは相当暑いらしいからな、水分補給は欠かせない。
ピエールがまだ何か物言いたげにしていたので、視線をそちらに向ける。
また小言かと思ってんだが、出てきたのは予想外の言葉だった。
「……相変わらず好きなんだな、水」
「好き嫌いの問題じゃねえだろ」
好きか嫌いかで言やあ、下手な茶とかよりは余程好きだけどな、水。


今この瞬間程、俺は仮面を被っていたことを後悔することはないだろう。
後にも先にも、《俺》だった時代さえ、含めて。
「熱ィ……」
気温だったら、『暑い』というべきなのだろうが、そんなレベルじゃねえ。
あちらこちらで、ぐらぐらと溶岩が煮えたぎる洞窟の中の温度は、
最早気温と呼ぶのもおこがましい何か、と形容したい。
「火山ってこんなに熱ぃもんだったのかよ……」
仮面の下では、だらだらと汗が噴き出ている。
なまじ湿度があるからか、生温くなって肌にまとわりついて気持ち悪い。
「せめて、前の部分を開けたらどうだ」
「誰かに顔見られたらどうすんだよ」
「大抵の人間は、ここへ来るまでに離脱している。
 私たちの目しかないのだ。気にすることもあるまい」
それもそうだな、と鉄仮面の前の部分を上げてみた。
むわっとした空気は、仮面を上げる前も後もさして変わらないが、
熱が籠らない分、少しだけ楽な気がする。
帰りは、リレミトとルーラで戻らねえと、干からびちまいそうだ。
大目に水を持ってきておいてよかったぜ。温くなっても飲めないわけじゃねえしな。
「っつーか、テメエらは熱くねえのかよ」
俺より平然としてるように見えて、ついじと目で睨む。
「暑いさ。ただ、人間よりは温度の上下に耐えられるのでね」
淡々と答えるピエールに、つい舌打ちする。ここら辺が、モンスターと人間の差か。
「なんでこんな所に炎のリングなんてあるんだろうね?」
スラリンが、そんなことを尋ねてきた。確かに、ちょっと妙だな、とは思う。
あの話しぶりだと、ジジイが隠したんじゃねえだろうし、
じゃあ一体誰がそんなもんを隠したのか、っつー話だ。
長いこと変わってないとはいえ、今でも使える金貨や、敵の魔法を封じる杖なんかが
ここに置かれていた宝箱にはご丁寧に入ってた。
ありゃあ多分、宝を探して入って来た奴らへの、目くらましだろう。
普通はこんだけの宝が見つかったら、もっと奥になんて進もうとも思わねえ。
そんだけのもんを、目くらましに使わなきゃいけない理由があるはずだ。
「炎のリングは、ただ、珍しいだけじゃねえってことか?」
可能なら、盾だけじゃなくて、リングも盗んで逃げよう、と
一人で算段を立てていると、ゲレゲレが唸った。
「お、どうした?」
「がるる」
二つの分かれ道の先、片方を鼻先で示す。
「どうやら、あちらから水の匂いがするそうだ」
「そうか……、よし、んじゃそこでちょっと休憩するぞ。
 パトリシアも、しんどそうだしな」
よしよしと白い毛並みを撫でてやる。どんだけモンスターと出会おうが暴れねえし、
どんなキツい場所だろうが付いてくるこいつは、中々根性のある奴だ。
それでも、焼けた岩の上を歩くのは少々辛かったらしい。
そういや聞いた話だと、パトリシアってのはその昔、勇者と共に
世界を股にかけた馬車馬の名前らしい。
賢く勇敢な馬になるように、あやかって名前をつける奴は少なくないんだとか。


「ぷはー、水うめえー」
ゲレゲレの鼻に感謝、だな。火山の中だっつーのに、この場所は
やけにひんやりとしていて、今まで火照っていた体が随分と落ち着く。
泉の水は新鮮で、温泉になるでもなく不思議と冷たい。
「やはり、炎のリングには何か秘密があるようだな」
「あ?」
辺りを調べていたピエールが、納得したように呟いた。
「この場所は、聖なる魔法で守られている。
 邪悪なものが入ってこないように。こんな場所を作った、ということは、
 正しい心を持った者が、炎のリングを手に入れられるよう細工してある、
 ということではないかな」
顎に手をあてて、うむうむ、と頷いているのを軽く聞き流す。
本当に邪悪なものが入って来られねえんだったら、俺も弾かれてるだろ。
テキトーにそれっぽいこと言ってるだけだな、きっと。
ああそれにしたって冷たい水が美味い。
ここに仕掛けをした奴がいるのかいないのか、なんてのはどうだっていい。
俺は炎のリングを手に入れるし、あとどっかにある水のリングも手に入れて、
天空の盾を手に入れるチャンスを作るだけだ。
「そろそろ行こうと思うが、お前ら大丈夫か」
「うん、大丈夫!」
手桶の中で、全身を水に浸していたスラリンが、ぶるりと身震いして水滴を飛ばす。
スライムは、水を飲むよりもこうやった方が水分を効率的に摂取できるんだそうだ。
「がう」
「ひひーん」
水面を舐めていたゲレゲレも、任せておけ、とばかりに一声あげる。
それに続いて、パトリシアも嘶いた。
「私の方も問題ない」
「うっし、じゃあ行くぞ」
丁度十杯目のコップの水を飲み干して、立ち上がる。
階段を登れば、またむわりとした熱気が襲ってきたが、
休憩を終えた直後なので、先程よりは楽に感じられる。
分かれ道のもう片方。その先にも下り階段があった。
多分この先にあるな、という予感は的中した。
降りた先は、左右を溶岩に囲まれた一本道で、道の向こう側でキラキラと何かが輝いている。
足を速めて向かったそこには、身の丈程もある岩。
その中央に、小さな指輪が輝きを放っている。
オレンジ色の宝石の中で、同じ色の炎がメラメラと燃えている。
「これが、炎のリングか……」
すげえ、と思わず息を飲んだ。《俺》だった頃は、美術品にはさして興味もなかったから、
こういった目利きは対して出来ねえねだが、これが凄いってのは解る。
恐る恐る手を伸ばして、手にした瞬間、だった。
ぶわり、と嫌な気配が体中を包み込む。咄嗟に袋に放り込んでから、剣を構えた。
ごぼごぼと湧きあがる溶岩の一部が、あからさまな敵意を持って、俺たちに襲いかかってきた。
「くっ、溶岩原人か」
ピエールも剣を抜いて構える。
囲まれちまって、逃げられねえ。戦うしかないみてえだな。
「お前ら、こないだ買ってやった盾を離すなよ!」
指示を与えながら、俺も腰に手をやって盾を構える。
炎のダメージを減らす魔法のかかった盾だ。多分、あるに越したことはねえだろう。
「ぬおおお」
一声不気味な咆哮をあげて、溶岩は三体の魔物になる。
その口にあたる部分から吐き出された炎は、盾の魔力で緩和される。
買っておいてよかった。ゴールドカードがあってよかった。
「がうっ」
「ゲレゲレ!」
しまった、ゲレゲレはあの盾がねえから、もろにくらっちまうのか。
毛皮に炎が燃え移ったのを、慌てて地面になすりつけて消している。
「スラリンはスクルトかけろ! 利きそうならルカナンもだ!」
「解った!」
「私が前に出るから、ジャギは援護を頼む! 幸い炎には強い!」
「うし、一体一体、ぶちのめすぞ!」
体力は回復しているとはいえ、熱気は確実に体力を消耗させる。
こっちは、あんまり長丁場では戦えそうにねえ。
即座にぶちのめしちまわねえと、やばい。
ピエールが、手近な一体に切りかかったのを見て、俺もそいつに切りかかる。
相手の数が多いなら、まずは数が減らすことを考えなきゃならねえ。
あーめんどくせえ。《北斗神拳》なら、大抵の奴はすぐに弾き飛ばせたんだが。
そう考えた途端、ずきり、と頭が痛む。バランスを崩しかけて、踏みとどまった。
くそっ。あんまり昔のこと考えると、頭が痛え。戦いの邪魔だ。
ぶんぶんと被りを振って、溶岩原人共を見据えた。
集中しろ、俺。こいつらを、ぶちのめすことに。


今までの戦闘の経験が生きたのか、思ったよりも早く、溶岩原人共は倒せた。
スラリンが全身に負った火傷をベホイミで回復させ、俺はリレミトを唱える。
地上に出ると、他の候補共が俺を見ている。
「なあ、君、そのリングを……」
「ルーラ」
どこぞの貴族のボンボンらしい奴が声をかけてくるのなんざ、無視してルーラを唱える。
今サラボナへ行っても、似たような奴が宿に押し掛けてきて、
おちおち休めもしないような気がしたので、行き先は別の町にした。
「っと、ここは……」
一瞬でたどり着いたそこは、アルカパだった。
何処でもいいと思って来たのが、ここ、か。
「がう」
ゲレゲレは、微かに見覚えのある場所に来て嬉しそうだった。
期待するように、こっちを見て来る頭を撫でる。
「悪いな。ビアンカは、こっから別の場所に行っちまってんだよ
「がう……」
残念そうな声を上げていたが、ふと何かの匂いをかぎ取って視線を動かした。
見つめる先は、入ってすぐの池に浮かぶ小島だ。
そこで立ち話をしている男たちを、じっと見ている。
ああ、そういやあ、と思った俺はふっと思いついて耳元で囁いた。
「ゲレゲレ。こっそり近づいて、怪我しない程度にじゃれついてやれ」
「……がう」
にやり、とゲレゲレが笑ったような気がした。
『殺し屋(キラー)』と名の付く通り、キラーパンサーは足音を抑えて、
獲物に近付くことが得意なモンスターだから、その程度わけない。
射程距離にそいつらを捉えて、飛びかかった。
「ぐおおおおお!」
「うわっ?!」
「ひゃああああ!」
ご丁寧に唸り声まで上げて飛びかかれば、男たちは腰を抜かしてへたりこんだ。
「う、わ、うわわ、キラーパンサーだー!」
「助けてー、食われるー!」
ビビりきったそいつらの足元で、ゲレゲレは愉快そうにごろごろと喉を鳴らしている。
「あーいやー、悪い悪い。そいつ、人懐っこくてなー」
俺は、そしらぬフリでそいつらへと近づく。
「ひ、人懐っこ、い?」
「な、なんだ、そうなのか、あはは」
俺の言葉に、ようやくゲレゲレが危害を加えるつもりは無い、と悟ったのか、
男たちは声を上げて生温く笑った。
「ま、こんなサイズでも人懐っこいから、言うなれば。
 ……『おかしな声で鳴く子猫』みてえなもんだ」
「あはは、は?」
「は?」
ふっと笑い声を止めて、男たちは互いに顔を見合わせ、
それから、改めてゲレゲレを見やった。
「ふぎゃーお」
とびっきりの歯を剥いた笑顔で、ゲレゲレが子猫時代のように一鳴きする。
「ひえええええ! あの時のおお!」
「ごごご、ごめんなさあああい!」
男たちは、脱兎のごとく走り去っていった。
「すっきりしたか、ゲレゲレ」
「がう!」
「そーか、そりゃよかった」
わしわしと頭を撫でてやると、何事かと見守っていた村人たちも、
どうやら人懐っこいキラーパンサーに、さっきの奴らが驚いただけだ、と察したらしい。
「……何をやってるんだ、君達は」
「いじめられた仕返しと、夜中にお化け退治にいかされた仕返しだよなー?」
「がーう!」
ゲレゲレと合わせてニコニコ笑ってやれば、ピエールがこめかみを押さえる。
だが、こいつが人間に苛められていたのは知っていたらしい。
それ以上、特に何かを言っては来ない。
「じゃ、宿へ行こうぜ。ここの宿が素晴らしい場所だってのは、俺が保証してやる」
持ち主は変わったが、十年前からずっと、ここの宿が一番好きだ。
不意に、傍らを金の髪の女のガキと、黒髪のガキが走り抜けたような気がして、振り向く。
だが、錯覚だったらしく、何処にもない。
……やっぱ、ここの宿は、ちぃとばかし、思い入れが強すぎるかもな。
この間、昔の知り合い、つってもちょっと話をしたくらいの相手と、
十年ぶりに再開したばっかりで、ついつい昔のことを考えちまう。
ビアンカ、今頃何処で、何、やってんだろうなあ。



────────────────────────────────


作者のどうでもいい呟き
「だよなー?」
「がーう!」
のところは、北斗無双のジャギ幻闘編での、
「「ねー?」」の部分みたいな感じで想像してください。



[18799] 第十六話:THE Beast That Goes Always NEVER Wants BLOWS.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:f0d509cb
Date: 2010/07/05 22:40
第十六話:THE Beast That Goes Always NEVER Wants BLOWS.
    (犬も歩けば棒に当たる)


ほとぼりが冷めるまで、俺たちは三日アルカパに逗留した。
死の火山までの片道と大体同じだけの日にちだ。
呪文で瞬時に好きな場所へ飛んでいける、なんてのがバレるのが嫌だったしな。
こんな便利なもん、他の奴になんか絶対教えてやんねえ。
「あ」
別に、そのまま戻ってもよかったのか。帰り道だけなら、
キメラの翼を使った、ってことにすりゃ誰も不思議がらねえんだから。
むしろ、とっとと戻った方が、俺が炎のリングを手に入れたって
知る奴もいなくて、騒ぎにならなかったんじゃないだろうか。
「……なんで、アルカパに戻って来ちまったんだろうな?」
ベッドに寝転がった俺は、視線をゲレゲレに向ける。
ゲレゲレは、鼻を一つ鳴らして『そんなことも解らないのか』と言いたげだった。
どういうことだよ、と思いながら天井をぼんやりと見上げる。
ふっと、そこに金色の髪をした女の姿が、浮かんで消えて、自分でも驚いた。
多分、結婚しなきゃいけないかもしれない、って人生の岐路に立たされて、
俺が、今までで唯一、まあ、その、好意を、抱いた?女のことを、
ついつい、思い出して、その、面影を、探して、来ちまった、ってことか?
「だあああああああ! ビアンカに会いたくて、かよぉおおおお!
 馬鹿じゃねえのか、俺ええええ!」
何恥ずかしいこと考えてんだ俺は! もうとっととリング渡して、
天空の盾だけもらってとんずらしよう、そうしよう。
俺が結婚するなんて、そんなこと有るわきゃねえんだから!
そうと決めたら、早速ここを起とう、うん。
がばり、とベッドから起き上がって、俺は気がついた。
この部屋に泊っていたのが、自分だけじゃなかったことに。
「そろそろ、ぷふっ、行くのかね、ぶふぅ、ジャギ」
ピエールが、あからさまに笑いをこらえていた。
「どっから見てた?」
「どこからも、何もっ、私達はずっとここに居たよ……ぷーっ」
こらえきれずに噴き出した、ピエール。
仮面の下の顔が、かぁっと熱くなるのが解る。
「……そっ、そこになおりやがれええええ!!」
思わず親父の剣をとって、ピエールに向かって勢いよく打ち込む。
「はっ、ははは、すまない、ジャギ
 ただ、君もちゃんと年頃の男なんだな、と、ぶふーっ、思っただけで」
「黙れええええ!」
一々笑いながら逃げるピエールを、追いかける俺。
スラリンが首を傾げ、ゲレゲレはやれやれ、といった調子で鼻を鳴らした。
結局、俺たちの出発は、このくだらねえ鬼ごっこが終わってからのことになるのだった。


サラボナへ戻ると、町の奴らがじろじろとこっちを見てくる。
どうやら、俺がリングを手に入れたことは既に知れ渡っているらしい。
ま、だったら俺からリングを奪おうとする奴もいねえだろ。
とりあえず炎のリングを渡して、水のリングのありかについて話を聞くか。
知らねえ、って言われるこたねえだろ、多分。
特に誰に話すでもなし、真っ直ぐにルドマンの屋敷を目指した。
中に入ると、噂を既に聞いていたらしいジジイが、俺を見て嬉しそうに笑った。
「おお、ジャギとやら、炎のリングを無事に手に入れたらしいな」
「ああ、まあな」
「それでは、炎のリングは私が預かっておこう。よいな?」
自分で持ってた方がとんずらしやすいんだが、騙すためには、
ここで渡しておいた方がいいだろうな。後で盗めば済む話だ。
俺は、袋から取り出したリングをジジイに手渡した。
「ふむ、残りは水のリングだが、水のリングというからには、
 水に囲まれた場所にあるのかもしれんな」
ちょっと待て、なんだその適当な説明は。知らないのかよ、場所。
それなのに探しに行かせるなんて、やっぱこのジジイ、娘を結婚させたくねえに違いない。
「よし、町の外に私の船を泊めておくから、自由に使うがいい」
「は? ……今、なんて?」
「私の船を自由に使えばいい、と。炎のリングをとってきたのだから、
 君には見どころがある! 悪いことには使わないだろう!」
わっはっは、と笑いながら、ジジイはばしばしと親しげに俺の体を叩く。
……あー、このジジイ、度量が広いのかタダの馬鹿なのか想像がつかねえ。
「あら、あんた」
俺が戸惑っている間に、笑い声を聞きつけたのか、あいつが降りてきた。
「げ……」
「何よ、マヌケな声ね。私の美貌に見とれるのはいいけど、
 そんなマヌケな声、出さないでもらえないかしら」
見とれてねえよ、確かに美人だけど! って、何考えてんだ俺は!
「なんだデボラか。失礼なことを言うんじゃない。
 彼は、お前の義弟(おとうと)になるのかもしれないんだぞ」
このジジイ、やっぱり馬鹿だ。いや、事情を知らねえから、仕方ないかもしれないが、
俺の前で、『おとうと』なんて言葉、出すんじゃねえよ。
心臓が、嫌な感じに重くなって、頭が割れるように痛む。
その場に膝をついて、痛みをやり過ごそうを意識を集中させる。
落ち着け、考えるな、思い出すな。忘れろ、忘れちまえ、いや、忘れられるわけがねえ。
今までは、こんな、単語一つで、気分悪くなっちまう程じゃ、なかっただろう。
ああ、何で、急に。固く瞑った瞼の下に、金の髪をした女の姿が映る。
小さな子供と、亡骸とが、ぐるぐると闇の中で回る。
「ねえ、ちょっとあんた、大丈夫?」
遠のきかけていた意識が声をかけられてこちらに戻ってくる。
目をこじ開けて、仮面の下から見やれば、
思ってもみなかった程優しげな目で、デボラが、俺の方を見ている。
「あんたもアンディみたいに火傷でもしたんじゃないでしょうね?」
飾り立てられた爪を持つ白い指が、仮面に這わされた。
その手は、仮面を外そうとしている。
「さ、触るなっ!」
背中をぞくりとしたものが走って、振り払った。
「きゃっ。な、何よ、このアタシが折角心配してやったってのに」
形のいい唇を尖らせるデボラ。目に浮かんでいた心配は不満に摩り替っている。
「うるせえ……ちょっと、放っておいてくれ」
そのやりとりで、少しは頭痛が緩和した。俺はふらふらと立ちあがる。
ジジイは、俺が膝をついた時からおろおろとしているばかりで、
俺達の会話には入って来なかった。何も聞かれずに済んで、都合がいい。
「船は、外、だったな。借り、てくぞ」
水のリングを手に入れて、こんな奴らとは早く縁を切っちまおう。
おとうとだとか、そういうことを、考えたくない。
デボラが、まだ何か言いたそうだったが、俺はその視線を無視した。


客船程ではないが、馬車が載るには十分なだけの船。
それに乗った俺は、町の傍らに流れる川を遡るよう指示を出した後、
船室に備え付けられたベッドに寝転がっていた。ピエール達は別の部屋だ。
どうにか、頭痛は和らいでいる。
何で、急に単語一つであそこまで過敏に反応しちまったのか。
何度考えても分からないから、俺はもう考えるのをやめた。
ひょっとしたら、疲れてたのかもしれない。
疲れてると、嫌なことを考えちまうもんだからな。
そりゃあ所々で休んでるとはいえ、ほとんど当ても無い旅だ。
ここらで疲れちまったとしても、何にもおかしいことはねえ。
「今そんなこと考えてもしょうがねえか……」
先のことを考えるなんざ、俺がこの世界に慣れた証拠だろうな、と思う。
《あの頃》は、明日のことなんざ考えられなかった。
明日のことを考えるより、今日を生き延びることで手一杯。
これからのことを、考えられるってのは、ここがなんだかんだで平和だからだ。
「で、肝心のこれから、だが」
水のリングを見つけたとして、だ。まさかその日に式ってことはないだろう。
金持ちというのは、得てして見栄っ張りだ。客を呼んだり、
式場の準備をしたり、と二、三日は忙しくなるに違いねえ。
だったら、その間に娘婿候補が家に来て、家宝を手にして行方をくらましても、
上手くいけば、誰にも見とがめられずに済む。
多少の追手なら、最悪、殺せばいいだけだ。
世界を救うための尊い犠牲になってもらおう。
あー、でもお尋ね者扱いされちまったら、海を越えてもちょっとヤバいかもな。
金品を目的にした奴らに、一々襲われるのも鬱陶しい。
「かといっても、結婚する気はさらさらねえしな」
結婚ってのがどんなものなのか、想像できやしねえ。
ヘンリーはまあ、幸せそうだったけど、《俺》の周りじゃ、
結婚してた奴なんて居なかったからな……。
一応、《あいつ》と《あの女》は、婚約してたようだが、世界が焼かれたのと、
《あの男》が《あの女》をさらったせいで、うやむやになっちまったし。
……浚わせたのは《俺》だから、他人事みたいに言うことじゃねえんだろうけど仕方ない。
《あの男》のことを考えると、尋常じゃない程頭が痛む。
今にも、弾けちまいそうな錯覚がする。だから、名指しさえ出来ない。


「おーい、兄さん、すまねぇがちょいと来てくれ」
「あ?」
ベッドに横になっていたら、いつの間にか眠っちまってたらしい。
船員の声に起こされて、不承不承部屋から出る。
湖の上、行く手を遮るように水門が設置されたいた。
「何だぁ、こりゃあ」
「どうやら、水が溢れないよう調整する水門らしいんだが……」
眉を顰めて黙りこむ船員。いくら俺でも、これは壊せねえしなあ
「ジャギ、あそこに看板が立っているようだ」
くいくいと服の裾を引いて、ピエールが水門のすぐ脇を示す。
開き方が書いてあるだろうか、と俺は船員に板をかけてもらって船から降りる。
降りた先の看板を読む。えー、なになに?
『無用の者 水門をあけるべからず。
 用のある者はここより北東 山奥の村まで』
北東、なあ。目をこらせば、確かにそっちの山間に、ぽつんと村が見える。
船員をやればいいのかもしれないが、船に居るのは船を動かすのに
最低でも必要な人員ギリギリだ。途中でモンスターに襲われて、欠けたら船が動かせなくなる。
「仕方ねえか」
一旦船に戻って、ピエール達を乗せた馬車ごと、もう一度降ろす。
「戻ってくるまでここで待っててくれ」
「了解しました!」
船を任された奴は、威勢良く返事をした。
案の定、山道ではベロゴンやヘビコウモリなんぞのモンスターが、
群れをなして襲いかかってきたが、特に苦戦する相手じゃない。
ただ数が多くて鬱陶しく、村へついたのは結局日が少し傾き出してからになった。
村は、カボチとそう変わらないくらい田舎のようだが、
あの村のような何処かピリピリとした感じはしない。
「ここは名もない山奥の村だ、兄さん、何しに来なさっただかね」
「ん? ああ、ちょっと水門を開けたくてな」
そう答えると、声をかけてきたいかにも農民、という感じのおっさんは目を丸くした。
「へー、水門を。てっきり温泉に入りに来たのかと思った」
「……ああ、これは温泉の匂いか」
村に入った時からわずかに鼻をついた異臭。これは硫黄の匂いだったみてえだ。
「あー、水門のカギは今年の担当は誰だったかなー、悪いが、他の人に聞いてくんろ」
どうやら、カギは村の奴らが持ち回りで管理してるみてえだな。
絵に描いたような長閑な風景に目をやりながら、石段を上がる。
温泉宿の前に立っていた男に声をかけて、水門のことを聞いた。
「えーっと、今年は、村の一番奥の家の人が管理してるよ」
「そうかい。言えば、貸してもらえんのか?」
「多分ね。ダンカンさんは、人当たりがいいから」
……なんつった。今、こいつ、何て。
「七年前に、奥さんを亡くしてからこの村に引っ越してきたんだよ」
『七年前に、奥さんを亡くしてねえ』
アルカパの宿屋で、そう言っていた。
「ほら、今あそこでお墓参りをしてるのが、ダンカンさんの娘さんで、名前は」
その答えは、言われずとも解った。
墓の前で、金の髪が揺れている。金の髪の女が、そこに居る。
周りの音が聞こえない。俺は駆け出していた。
ゲレゲレも一緒になって、その人影へと向かった。
「……アン……っ、ビアンカッ!」
俺が声をかけると、そいつはこちらを振り向く。
青い瞳が、俺を捉えて首を傾げる。
「あの……、あなたは……」
「あ……」
困惑しきった声に、頭から冷や水を浴びせられたような気分になった。
そりゃそうか。十年も会ってねえ奴のことなんか、忘れちまうよな。
「がう!」
落ち込む俺の横をすり抜けて、ゲレゲレがビアンカにすり寄りながら喉を鳴らす。
「え……あ、ゲレゲレ、ゲレゲレなの?」
「がう」
「それじゃあ……ジャギ! あなた、ジャギなの?!」
驚いた様子で、ビアンカが俺を見上げて問いかける。
見上げて、だ。俺は、いつの間にかビアンカよりデカくなってたらしい。
あの頃は俺の方がビアンカよりも小さかったのに。
「あー、お、おう」
「良かった、心配してたのよ。んもう、そんな仮面被ってるから、解らなかったじゃない」
くすくすと笑う笑顔は、あの頃と変わらなくて、ほっとした。
……そうか、なんだ、仮面のせいか。
「会いたかったわ、ジャギ」
「あー……」
こういう時、何を言えばいいのか、さっぱり解りゃしねえ。
気のきいた台詞でも言えればいいのかもしれないが、俺にそんな語彙はない。
だから、思ったことだけを、言うことにした。
「俺も、その、会いたかった」
被ってたせいで、気づかれるのを遅くした仮面だが、良い点もある。
顔を真っ赤にしていても、気づかれない、ってとこだ。


───────────────────────────


※作者からのお詫び※

タイトルがネタ切れを起こしました。
なので今回は無題です。すいません。

※追記※
7月5日
kyoko様のご意見により『犬も歩けば棒に当たる』とした上で、
極悪ノ華のサブタイトルより、
『THE Beast That Goes Always NEVER Wants BLOWS.』
とさせていただきました。



[18799] 第十七話:Nurture is above Nature.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:439c5fcb
Date: 2010/07/05 22:40
第十七話:Nurture is above Nature.
    (氏より育ち)



「ね、今日はウチで休んでいってよ、色々と話も聞きたいもの」
ビアンカが笑いながら、俺の手を握る。伝わってくる温もり。
そういや、こんな風に誰かに触られるのなんて、どれくらいぶりだろう。
最近の他の人間との接触なんて、殴るか殴られるかくらいだった。
「え、あ。ご、ごめん、急に手なんか握ったりして」
ぼんやりとしていたのを、手を取られて困ってると考えたらしい。
顔を真っ赤にして、首をぶんぶんと振った。
「き、気にすんなよ。その申し出は、ありがたく受けるぜ」
声がうっかり上ずる。くそっ、さっきまで気にならなかったのに、
一瞬目を丸くした彼女は、またすぐに笑った。
「そ、よかった。そっちの、変わったお友達も一緒ね?」
「あ」
そういや、スラリンとピエールも連れて来てたんだった。
また会えた衝撃で、すっかり忘れてちまってた。
「ああ、この娘が例の」
「あー、こないだ話してた」
スラリンとピエールは、うんうんと頷いている。
向ける眼差しが、例によって例の如く生温い。
「うっせえ、ちょっと黙ってろ」
小声で呟いて、ごん、とそれぞれを軽く蹴り飛ばす。
「ジャギって、昔からなんか不思議な感じがしたけど、魔物使いになってるなんてね。
 ……これも、私がゲレゲレを譲ってあげたおかげかしら」
鈴を転がした時のような、耳に心地の良い笑い声。
その笑顔が、あの頃と変わっていないように見えて、ほっとする。
『俺』が変わってしまった。サンタローズが、変わってしまっていた。
あの頃を思わせるものは、今まで全部、変わってしまっていた。
だから、ビアンカが変わっていなくて、凄く、嬉しい。
「さ、行きましょ」
そう告げてから、ちょっとはにかんだ顔で、また俺の手をとった。
訂正。全然変わってないわけじゃねえ。
指先は、少し荒れてるが、女らしいほっそりとした指になっている。
意識して見れば、体つきも、すらりとして、なおかつ出るとこは出てる。
『女の子』じゃなくて、『女』になってるのだ、と思うと、
驚くような、寂しいような、釈然としない心持ちだ。
俺の戸惑いも知らずに、ビアンカは手を引いて村の一番奥に立つ家に向かう。
高床式になってるその家の下から、のっそりと姿を見せた男が一人。
ビアンカを見つけて笑みを見せたそいつは、俺を認めた途端に、顔を強張らせた。
「び、ビアンカさん、そいつは?」
「あ、カイトさん。ほら、ジャギよ。よく話してたでしょ、幼馴染の!」
視線が険しいことにも気づかぬまま、ビアンカは俺を紹介する。
俺を引き寄せた拍子に、腕を組むような形になってるんだが。
具体的に言うと、当たってるんだが。仮面のせいで、俺の困惑は判ってもらえない。
男の口元がひくひくと引きつる。
「そうか、あんたがっ、ビアンカさんの『幼馴染』のっ、『友達』っ、だなっ!」
「お、おう」
念を押すような声を出されるのも、致し方あるまい。
そんなことより腕に当たる柔らかな感触の方が気になって、答えは曖昧になる。
「今日はウチに泊ってもらおうと思ってるの。色々と募る話もあるしね。
 それじゃあね、カイトさん。いつもありがとう」
俺を引きずるようにして、ビアンカは階段を昇っていく。
どうやら、あれだけ判りやすい感情を向けられていて、気づいてないらしい。
妙なところで鈍感なんだな、ビアンカ。


「ただいまー!」
喜びを隠しきれない声を上げながら、扉を開ける。
「どうしたんだね、ビアンカ。そんなに嬉しそうな声で」
咳き込みながら姿を現したおっさんは、ビアンカの父親だろう。
あの頃は風邪をひいてたから、中々顔を会わせなかったので覚えてねえし、
それより小さい頃の記憶なんて、もっと無い。
「お父さん、ジャギよ! パパスおじさまの息子のジャギが生きてたのよ!」
「え? 何だって、パパスの息子の、あのジャギかい?」
おっさんは、訝しげな顔でこっちを見て来る。
当然だろう。何しろ、十年も会っていないし、第一、俺はまだ仮面を着けたままだ。
「仮面とりてえから、ちょっとこっち見ないでもらえるか?」
「あら、どうして?」
何も知らないビアンカの言葉に胸が痛む。
「その、ちょっと、した、事故、でな。顔に、傷、残っちまってて」
「え……」
顔色が青ざめる。悪いことを聞いてしまった、とバツの悪そうな顔だ。
ビアンカにそんな顔させたいわけじゃないんだが、仕方ない。
説明なしに、顔を隠しておくわけにもいかないからな。
「テメエが、あ、いや、ビアンカがそんな顔しなくてもいいんだ。
 悪いのは、ちょっとドジっちまった俺なんだから」
部屋の隅を向いて仮面を外し、手早く布を巻きつける。
今度からは、仮面の下に巻いたままにしておいた方が楽かもな。
「うし、と」
くるりと振り向く。おっさんは、俺が顔を隠してるのを見て、痛ましい表情をし、
ついで、どうやら『俺』と、『ジャギ』が繋がったらしく微笑む。
「驚いたよ、ジャギ、生きとったのか。いやぁ、大きくなったなあ」
近寄ってきて、ぽんぽん、と俺の腕を叩く。
「あの頃は、まだほんの子供でビアンカとよく遊んでたのに。
 それで……、パパスは、元気かい?」
今度は、俺が表情を強張らせる番だった。何と言おう。何が言える。
まさか、俺をかばって魔物に殺された、など、言えない。言えるわけがない。
そんなショッキングなことを、こいつらに教える義理はない。
「そうか……、パパスは、もう……」
「そんな、おじさまが……」
俺の表情を見て、二人とも察してくれたようだ。
事情を聞きたそうな顔を一瞬見せたが、すぐにそれは消えた。
余り、深くは聞かない方がいいと思ってくれたのだろう。正直、ありがたい。
「ジャギも、随分苦労しただろう。たった一人で、よく頑張ったな」
「うちも……、母さんが亡くなってね。それから、父さんが体壊しちゃって」
「アルカパに寄った時に、そんな話を町の奴から聞いた」
何でもからからと笑い飛ばしちまいそうな、あの豪快なお袋さんは、嫌いじゃなかった。
「……暗い顔してたって仕方ないわ。とりあえず座って。夕飯作るから」
ぱんぱん、と手を叩いて、ビアンカが重くなった空気を払う。
「色々積もる話を聞きたいわ。十年ぶりだもの。ゆっくりしていってね」
その言葉に甘えたいところだったが、俺には、やるべきことがある。
だから、泊れてせいぜい一晩、だ。はっきりと、伝えておかなきゃいけない。
「いや、そうゆっくりもしてられねえんだ」
「え?」
「……結婚するために、水のリング、ってのを、探してる」
油断させて盗んで逃げるため、というのは黙っておこう。
……ビアンカに、幻滅されたくない。


ビアンカが作った夕飯は、美味かった。思えば、宿以外のとこで、
きちんとした飯を食うのなんて、子供の頃以来だ。
食事の間の話題は、ほとんどビアンカがこの村に来てからのことだった。
カイト、という男が色々と雑用をこなしてくれること。
おかげで、凄く楽に暮らせていること。
この村へは、ダンカンの病気に温泉が効くと聞いてやってきたこと。
あの墓には、お袋さんの遺骨が埋められていること。
家の片隅に猫が住み着いていること。そんな、何気ない日常の話。
俺が、決して得ることのなかった時間の話。
「十年間、何を、してたの?」
食後にちょっと酒を飲んでる最中になってようやく、そう尋ねられた。
奴隷をやってた、なんて言えねえよな。
「……あちこち、旅暮らしをな。ガキ一人じゃ関所も通れなかったし」
「まあ、無茶なことするのね、ジャギったら」
微笑みは、ふと悲しげな表情に入れ替わる。
「アルカパへ行ったってことは、サンタローズへも、行ったんでしょう?」
「……ああ」
「私達もびっくりしたよ。サンタローズが滅んだと聞いてね」
おっさんたちは、その一報を聞いて慌ててサンタローズを訪れたらしい。
そこにあったのは焼け落ちた村で、ビアンカなどショックで熱を出したそうだ。
「母さんが亡くなるまでの三年間、私、毎日村の入り口を見てた。
 いつか、ジャギが戻ってくるんじゃないか、って」
「ビアンカは、ずっとジャギが生きてると信じてたからねえ」
「……色々あって、戻れなかった、すまん」
視線を合わせられない。嘘を見抜かれてしまいそうで。
奴隷にさせられてた、なんてことを言えば、その顔はますます曇るだろう。
想像しただけで酷く嫌な気分になるので、嘘を突き通すことにした。
「ううん、いいの。こうやって、生きてまた会えたんだもの」
約束したものね、とビアンカが告げる。
「約束?」
「あらひどい。忘れちゃったの? また一緒に冒険しよう、って、
 そう約束したわよねー、ゲレゲレちゃん」
ゲレゲレは『その通り』とでも言いたげに、ゴロゴロとビアンカの足元で喉を鳴らす。
その頭を、よしよし、と撫でている。
そんな約束も、したな。……正直、今の今まで忘れたんだが。
「でもそっかー、ジャギ、結婚しちゃうのね」
不意に呟かれたその言葉が、妙に寂しげで、俺の胸がどくり、と高鳴る。
「あ、ああ。天空の盾を、手に入れなきゃなんねえからな」
そう答えると、眉を顰められた。
「ちょっと、それじゃフローラさんが可哀想だわ!
 結婚っていうのは、そんな簡単なものじゃないのよ!」
物凄い剣幕でまくし立てられて、仰け反る。
「……ジャギったら、昔っからちょっとズレてたけど、変わらないわね」
呆れたようにため息をついて、座りなおす。
「ビアンカに強く言われると逆らえないのも、変わらないな」
おっさんが、はっはっはと声を上げて笑う。
……お化け退治以前にも、あいつの言葉に逆らえなかったりしたんだろうか。
四歳前後のことなんざ、正直覚えてないぞ。何だこれ恥ずかしい。
ま、そんなことよりも、俺に衝撃的だったのは。
「昔と変わらない、って言ってくれたのは、ビアンカが初めてだよ」
「え……」
「……昔を知ってる奴も、そんなに居ないんだけどな」
サンチョは行方不明。シスターも、最初は俺だと判らなかった。村は焼かれた。
他に、俺を知る知り合いなんぞ、居ない。
「ジャギ……」
「あー、悪い。ちょっと酔っちまったみてえだ。もう休ませてもらえねえか?」
「え、ええ」
悲しみを、否、憐れみを浮かべたビアンカの顔を見ていられずに、俺はもう寝ることにした。
「毛布と布団さえもらえりゃ床でいいんだけどな」
「大丈夫よ、予備のベッドがあるわ」
「二人暮らしなのにか?」
「有るにこしたことはないってカイトさんが作ってくれたの」
あわよくば、自分用のベッドにするつもりだったのだろうが、
この調子ではもうしばらく客用ベッドのままに違いない。
今頃は宿にあるという酒場で飲んだくれてそうな男に、心の中で合掌した。


「……あー」
しばらくぶりに穏やかな時間を過ごしたというのに、夢見が最悪だった。
最悪だった、という感覚だけが残っていて、どんな夢だったのかは覚えていない。
のそのそと食卓の方へ向かうと、ビアンカは起きていた。
「おはよう、ジャギ。今朝食の支度をしてるとこよ」
台所に向かい、こちらに背を向けたままビアンカはそう告げる。
パンとか卵とかの焼けるいい匂いが、辺りには漂っている。
「あー」
「どうしたの、変な声出して」
「いや、幸せって、こういうこと、言うの、かも、な、って」
語尾が消える。いやいやいやいや、俺、何恥ずかしいこと言っちまってんだ。
「あ、はは、あはははは、寝ぼけてたみてえだな」
「そ、そう寝ぼけてたのね。うふ、うふふふふ」
互いに向き合って、苦笑い。そして、沈黙。
おいおいやめてくれよ、こういう雰囲気、どう対処していいか解んねえぞ。
「あー、えーっと、ジャギ、父さん起こしてきてくれないかしら」
ビアンカがそう言ってくれたので、これ幸いとばかりに彼女から離れる。
おっさんの部屋に入るまえにちらり、とそちらを向けば。
……俺より早く起きて、テーブルの影に居たピエールがニヤニヤしていた。
厳密に言えば口元は見えないので、ニヤニヤしてる雰囲気なだけなんだが。
何にしろ、後でぶん殴るか蹴飛ばすかしておこう。
「おーい、飯だってよー」
ベッドで眠ったままのおっさんを、ゆさゆさと起こす。
目を開けたおっさんの顔は、やはり記憶にあるより弱々しいし、白髪も皺も増えている。
十年経った重みを、なんだか急に感じちまった。
「ああ、今起きるよ」
のそり、と身を起こしたおっさんは、俺をじっと見つめる。
「なあ、ジャギ。少し聞いてもらいたい話があるんだが、いいかね?」
潜められた声。どうやら、ビアンカには言えない話らしい。
「ん?」
「……実はね、まだあの子には言っていないんだが……、ビアンカは、
 私達夫婦の本当の娘じゃないんだよ」

は?

「それなのに、年頃になっても家に縛り付けておくのが不憫でね……。
 私は、こんな体だからこの先どうなるか解らないし……」

血の、繋がらない、親子か。
はは、なんだよ、俺はそういう巡り合わせの元で生きてんのか。

「ジャギが、ビアンカと一緒に暮らしてくれたら安心なんだがなあ」

安心? 俺と一緒に暮らして? んなわけ、ねえだろ。

「それはねえよ」
「……そうだね、ジャギにはジャギの人生が」
「最初に、母親が行方知れずになった。次には、父親が殺された。故郷の村が焼かれた。
 そんな人生送ってきた奴に、娘を託そうとすんじゃねえ」
言葉を遮り、睨みつけながら、問いかける。
「それとも、何か。血の繋がらない娘だから、何処へでもやれるのか」
「ち、違う! 大切な娘だから、信頼できる相手に託したいんだ!」
……血の繋がらない親なんてもんは、つくづく、身勝手だ。
「血が繋がらなくても、大切な子供なんだろうが。
 誰かに託さずに、テメエできちんと幸せにしてやれ。
 子供が好きにやれるように、支えてやれ」
運命なんてもんは、他人の言葉で決めるもんじゃねえが、
親にあれこれ言われちまったら、揺らいじまうのも確かだ。
ビアンカはきっと、運命を変えたいと思ったら、自分から行動する。
あいつがここに残ってるのは、それがあいつの望みだから、だろう。
「……そうだね。はは、年をとるとつい弱気になってしまうよ。
 じゃあ、とりあえず朝食にするとしようか」
「ん。……安心しろ、秘密を本人にバラすほど、俺は人でなしじゃねえつもりだ」

血の繋がらない親子。出来るなら、幸せになって欲しいと思ったのは。

《俺》が、そうはなれなかったせいなのだろう。



「ね、ジャギ。昨日あれから考えたんだけどね」
もしゃもしゃとパンを齧っていた俺に、ビアンカが呼びかける。
「私、ジャギに幸せになって欲しいの。だから、水のリングを探すの手伝ってあげる!」
齧っていたパンが気道に入って盛大にむせた。慌てて、水で押し流す。
うん、山の奥地な上に、温泉地だからかやっぱり水が美味い。じゃなくて。
「び、ビアンカ今なんて」
「だから、私も水のリング探しに一緒に冒険する、って言ってるの。」
「ダメに決まってんだろ! どんなモンスターが出るかも解らねえのに」
「あら、大丈夫よ。お化け退治とそんな変わらないでしょ」
それに、とイタズラっぽく笑った。
「私が行かないと、水門のカギ、開けられないわよ」
……十年ぶりに会おうが、成長していようが、変わらない。
俺は、なんだかんだで、ビアンカの決定には、逆らえないのだ。
盛大にため息をつきながら、頭を抱えた。
「やれやれ、そういう強引な所は、母さん似だねえ」
おっさんは、ニコニコ笑っている。止めろよ、と言いたいところだが、
子供の好きにさせてやれ、と言ったのは俺なので、何とも言えなかった。




[18799] 第十八話:What is learned in the cradle is carried to the grave.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:6bb7d26c
Date: 2010/07/10 21:49
第十八話:What is learned in the cradle is carried to the grave.
    (三つ子の魂百まで)


食事と旅の準備を終えたビアンカは、意気揚々と俺を連れて家から出た。
出た途端に、昨日の大工――確かカイトといったか――と遭遇する。
「ビアンカさん! 出かけるのかい?」
「ええ、ジャギと一緒にね!」
ニコニコと笑みを浮かべながら告げる。カイトの顔が途端に険しくなる。
あからさまに敵意を向けられても、俺だって困っているのだから反応に困る。
「あんまり遠出をして、お父さんに迷惑かけねえようにな?」
「も~、心配性なんだから。大丈夫よ、ジャギが居るんだから!」
「がう」
ビアンカの足元で、ゲレゲレが不満そうに鼻を鳴らす。
「あー、ごめん。ゲレゲレちゃんも居たわね」
よしよし、と頭を撫でれば、満足そうだ。
「もちろん、ピエールちゃんもスラリンちゃんもね。頼りにしてるわよ」
そのまま流れで、ピエールとスラリンの頭も撫でる。
……スラリンはともかく、ピエールにまで『ちゃん』を付けて呼ぶのは、どうなんだ。
「……怪我なんかさせたら、お……、あー、村の人らが、黙ってねえからな」
「分かってる分かってる」
なお一層表情を険しくするそいつの言葉を、右から左に流す。
ビアンカに怪我をさせたくないのは、俺も同じだ。
「さ、早く行きましょ、ジャギ! きっと、お化け退治より簡単よ」
そんなわけはないが、笑いながら言われると逆らえない。
十年以上前から、体に染みついちまってるらしい。
やれやれ、とため息を一つ溢して、俺達は足早に村を出た。
旅のための保存食なんかは、船にたっぷりと積まれているからわざわざ買う必要もない。
「再会して早々にジャギと旅が出来るなんて」
ビアンカはさくさくと山道を歩いていく。
馬車に乗るか、と聞いてみたが、このくらいは平気だ、と言われた。
子供の頃は、旅慣れた俺と違って、平坦な野原でも、歩くのがしんどそうだったのにな。
「ジャギも、随分成長したみたいだし、今度はどんな冒険が出来るか楽しみね」
「成長したのは、俺だけじゃねえさ。昔は、山道なんざ歩けなかっただろ」
「うふふ、まあね。七年もあの村に住んでたら、山歩きも得意になるわよ」
それから、少しばかり顔色が沈む。……なんか、マズいことでも言ったか?
「昨日、さ。ジャギのお母さんが生きてる、って話、聞いたじゃない」
「ああ……、多分、だけどな」
「お母さん、っていいわよ。優しくて、暖かくって、……思い出しちゃって、さ」
目元で光った何かを、ビアンカが慌てて拭う。
……俺は覚えてないが、母親、というのはそういうものなのだろうか。
『ぼく』は覚えてないし、《俺》なんか、もっとそうだ。
確かに、何時か夢に見た、『俺』を抱いてた『母さん』が、そんな感じだった気はする。
けれど、実感は、湧かない。だからこそ、会ってみたい。
そのために、俺は伝説の勇者が使った武具を探しているのだ。
「大変な旅だけど、寂しくはない?」
「いいや、別に」
「そうよね。ゲレゲレちゃんもスラリンちゃんもピエールちゃんも居るものね」
傍らのゲレゲレと、先頭にたって辺りを警戒しているピエールを見て笑う。
「あのよ、ビアンカ」
「なあに?」
「……ピエール、俺より年上だからな」
そう告げると、目を丸くして驚いた。
「そうなの?」
「だから、ちゃん付けは正直、ない」
「いやいや。私としては、ビアンカさんのような美しい女性にお呼びいただけるなら、
 ちゃん付けだろうがなんだろうが、ご自由に、とお伝えください」
こちらの話を聞いていたらしいピエールが、慌てて否定する。
その声はすっかりのぼせあがっている。この女好きめ。
「……と、思ってたが、ピエールとしてはちゃん付けでも構わんそうだ」
「あらよかった。うふふ、よろしくねピエールちゃん」
「こちらこそ、ビアンカさん」
鼻の下を伸ばしたような声をしていることは、せめてもの情けで黙っておいてやろう。


「ここをこうして、っと」
船に乗った俺達は、ビアンカの指示の下で水門へと近づく。
ビアンカが船から身を乗り出して、水門の鍵を開けた。
「よいしょ、っと。ふぅ。ここから先は、私にもどうなってるか分からないわよ」
「こっから先に行った奴は居ないのか?」
俺の問いかけに、ビアンカが何かを思い出すように首を傾げた。
「ああ、そういえば。よろず屋のおじさんが、湖の先の滝の裏に、
 洞窟を見つけたことがある、って言ってたわ」
「洞窟の先の滝……、あー、そういや、ルラフェンの先に滝があったな」
ばさり、と地図を広げてチェックする。ルラムーン草を取るために昇った崖。
あそこんとこに、確かにデカい滝があった。
「んじゃ、とりあえずはそこを目指すよう船長に行ってくれ」
「アイアイサー!」
船員は、その指示を伝えるべく船長の元まですっとんでいく。
「……なんか、凄いね、ジャギ」
「あ?」
「昨日はさ、変わってない、って言ったでしょ?」
風に金の髪を揺らしながら、ビアンカが呟く。
ゆっくりと動き出した船が、波を切る音が聞こえる。
「ちょっと言葉づかいは乱暴になってたけど、それだけだと、思ってた」
「……十年だ、変わるさ」
「うん。……ジャギ、もうすっかり一人前の男の人だ」
「え」
俺はてっきり、幻滅されたのかと思ったが、そういうことじゃ、ねえらしい。
「自分の目標のために、どんな困難にも立ち向かえる、素敵な男の人だよ」
「……そんなんじゃ、ねえよ」
「謙遜なんてしなくって良いってば」
ビアンカは笑いながらそう告げると、船の舳先から湖を眺め始める。
俺は、そんなビアンカの姿を見るのが嫌で、船室へと戻った。
ベッドの上に、どさり、と体を投げ出す。
「ビアンカが思ってるような男じゃねえよ、俺は」
誰にも聞かれてないのを確認してから、独りごちる。
リング探しだって、結婚目的じゃあない。油断させて、盾をかっぱらって逃げるためのもんだ


それなのに、ビアンカは俺を凄い、と言う。いたたまれない。
ビアンカが知ってる『ぼく』も、確かに『俺』なのだけれど、
《俺》としての記憶が、今の『俺』の大半を形作っている。
目を閉じる。暗闇に、金の髪の少女が浮かぶ。彼女は、ジャギ、と俺の名前を呼ぶ。
「ジャギ」
目を開いて、呟いてみる。
「ジャギ。俺は、ジャギ」
仮面越しに見る手が、真っ赤に染まっているような錯覚。
これが、俺の手。《俺》を背負って生きる、『俺』の手。
こんな手で、あいつの傍に居て、良いんだろうか。
ずぎりずぎりと頭が痛む。ついでに、無いはずの胸の傷が痛む。
それから逃れるように固く目を閉じた。寝て起きたら、痛みもひいてるだろう。


滝へ着いた頃には夕方になっていた。近くに船を泊めて、滝を確認してみる。
確かに、船で入り込めそうな洞窟があるのが見えた。
「あそこにあるといいね、水のリング」
「ああ……」
ビアンカの言葉に頷く。船長に相談すると、恐らく入っても問題ない、とのことだった。
それでも、大事をとって一泊して、翌朝。
「うおおおおおおおお!」
今まで見たこともないような光景に、俺は思わず声を上げる。
滝の裏にあるだけあって、洞窟の中は水で満たされていた。
「こんな広い空洞があるなんて! 岩の割れ目から明かりが漏れて暗くないし……。
 レヌール城の時とは大違いね、うふふ」
俺と同じように歓声をあげながら、ビアンカが降りてくる。……ん?
「えーっと、何でビアンカが馬車ひいてんだ?」
「あら。まさかここまでの案内で冒険を終わらせるつもりだったの?」
……どうやら、洞窟の奥まで一緒に着いてくるつもり満々らしい。
「しゃあねえなあ。スラリンかゲレゲレ、ちょっと留守番しててくれ」
「がうるるる」
「ゲレゲレが毛皮濡れるの嫌だから留守番するってー」
「ん、じゃゲレゲレが留守番な」
ぴょんぴょんと跳ねるスラリンを殿に据える。
「あら、ゲレゲレちゃんお留守番なの」
ビアンカはちょっと名残惜しげに、その頭を撫でていた。
この冒険が終われば、また離れ離れになっちまうから、寂しいんだろう。
とにかく、俺を先頭にしてピエール、ビアンカ、スラリンの順で慎重に奥へと進む。
道が整備されているのは助かるが、何のためにそうなってんだろうな。
だが、それより目を引くのは何といっても豊満に湛えられた水だろう。
ここから溢れた水が湖になっているのか、それとも湖から流れ込んでいるのか分からねえが、
道じゃないところはほとんど水、それも飲んでも大丈夫そうな綺麗な水だ。
それが日光を反射してきらきらと輝き、揺れる水面は美しい、と柄にもないことを思う。
「うふふ」
そんなことを考えていた俺の耳に、突然ビアンカの笑い声が聞こえてきた。
「な、何だぁ? 何笑ってんだよ」
「だって、ジャギ、さっきっから水にばっかり目が行ってるんだもの」
「う」
つい水を贔屓してしまうのは、《あの世界》の記憶によるものだから、
仕方ねえだろ、と思うがまさかビアンカにそうも言えまい。
押し黙った俺に気づかず、ビアンカが語り出す。
「ジャギってね、昔っから水辺が好きだったのよ」
「そう……だったか?」
「ええ。サンタローズでは川を眺めてるうちに落っこちたり、井戸に潜ったりしてたわ。
 アルカパでは、宿の池を覗いてるうちに落っこちたり、宿でのかくれんぼでは、
 いっつもお風呂場に隠れてたり……」
……覚えてねえけど、ガキの頃から水がそんなに好きだったのか、俺。
思わず頭を抱えてしまう。ビアンカはそんな俺を見てまたくすくすと笑う。
「ほんと、凄く懐かしい。うん、やっぱりジャギは、私の知ってるジャギだ」
「……ちっ」
妙に気恥かしくて、ビアンカから意識をそらす。
と、ゴーッという音が聞こえてきた。
「あら、何かしらこの音」
ビアンカも気づいたらしい。その音は、ほぼ一本道になっている道の先から聞こえてきた。
「うわぁ……」
開けた空間に出ると、その音の正体が分かった。
天井近くから下まで流れ落ちる、巨大な滝だった。
「綺麗……こんな風に、景色に見とれるなんて何年ぶりかしら」
そんなことを呟くビアンカの姿は、寂しげだった。
「ね、ジャギ。人の未来なんて、分からないことばかりだね」
全くだ。《ぼく》だった頃には、《俺》になっちまう未来なんて、知らなかった。
それから、『ぼく』になっちまうことも、『俺』になっちまうことも。
何一つ分からなかった。……分からなくて、よかったと思う。
《父さん》に見捨てられる未来を知っていたら、きっと、もっと早く、壊れていた。
「……ごめんなさい、ジャギ」
「何謝ってんだよ」
「なんか、辛そう、だったから……顔は見えないけど、何となく分かるの」
ビアンカのその気遣いが、痛い。
「いつまでも景色にみとれてねえぜ、行くぞ」
だから、つい、少しぶっきらぼうな言葉遣いになってしまった。
「ええ。落ちないように、気を付けて……」
「ジャギ、敵だ! 上から来るぞ、気をつけろ!」
ピエールが叫ぶ。俺は咄嗟に見上げた。反射する光に紛れて、
蛇と蝙蝠の合成獣がこっちへ突っ込んでくる。
モンスターの中には、自然に生まれたものじゃねえ、上位種によって
合成させられた奴らってのが居る。このヘビコウモリもその一体だ。
「シャアアアアア!」
「うおりゃ!」
最初の一体を切りつけるが、致命傷には至らない。
「えいっ!」
だが、ビアンカの放った茨の鞭に絡めとられて、地面に落ちる。
そこを再度切りつけてやれば、今度こそ完全に息絶えた。
「やったわね!」
「キシャアアア!」
ビアンカの喜びも束の間。さらに三体がこちら目がけて飛んでくる。
その内の一体が、こちらへ向かって息を吐きかけた。
「……ッ?!」
なんだ、こりゃあ。全身が灼けつくように痛む。体が、上手く動かない。
くそっ、神経性の麻痺毒か! 動けねえ!
「ジャギ!」
俺の異変に気づいたビアンカが、俺の方に視線を向ける。
馬鹿野郎! 俺は良いから、敵を見てろ、という言葉が喉から出ることはない。
その隙を狙って、ヘビコウモリは、ビアンカに向かって飛びかかる。
「っ、きゃあ! この、離れ、なさい!」
ビアンカの体に取りつき、カギ爪を突きたてるヘビコウモリ。
それをどうにか引き剥がそうと、身を捩っている。
足元は、湿った、地面。嫌な汗が背中を伝う。
ずるり、とビアンカが足元の水たまりで足を滑らせた。
「え……」

その拍子に、ビアンカの体が滝の方へと傾ぐのを、

俺はただ、動けぬまま、眺めることしかできなかった。




[18799] 第十九話:All that is alike is not the same.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:dc26e6bc
Date: 2010/08/01 22:21
第十九話:All that is alike is not the same.
    (瑠璃も玻璃も照らせば光る)



金の髪が揺れる。柔らかな金色が、俺の目の前から、消える。
手の届く距離なのに。体が、動かなくて、救えない。
目がかすむ。頭が痛む。自分が何処に立っているのか分からなくなる。
「キアリク!」
ピエールが唱えた麻痺の治癒呪文に意識が引き戻された。
瞬間、目に入る、道の端にしがみつく、細い指先。
「……アン……っ、ビアンカッ!」
足、動け、動けっ、もつれるんじゃねえ!
叱咤しながら、駆け寄る。ビアンカは、崖の縁にぶら下がっていた。
「ジャギ……ッ」
細い片手で、己の体を必死に支えている。
あぁ、よかった。俺はてっきり、また、守れなかったのかと、思った。
「待ってろ、今引き上げる!」
地面に膝を突き、腕を伸ばす。二の腕に触れ、その柔らかさに一瞬戸惑いながらも、掴む。
そうして、ぐいと力を込めて引き上げようとして。
「ジャギ、後ろ!」
ビアンカの青い瞳が、俺の背後に何かを捉えて悲鳴を上げた。
「がっ」
途端、背中に走る鋭い痛み。聞こえてくるヘビコウモリの声。
けど、今はそんなもんになんか、構ってられねえ。
今、手を離したら、こいつが落ちちまう。そんなことは、出来ない。
きっと、《俺》だったら、離してたんだろうが。
今は、『俺』だから、この手を離さない。
「ぬ、お、りゃあああ!」
一気に力を込めて引っ張り上げ、反対側へすっ飛んでいかないよう、
勢いを殺すために、胸の中に抱きとめた。
「……アン……、ビアンカ、無事で、よかった」
「ジャ、ジャギ」
腕の中でビアンカは震えている。やっぱ、怖かったんだろうな。
こんな所から落ちたら、絶対に命は無い、はずだ。
……俺だったら助かるかもしれねえけど、ビアンカは無理だろう。
そう思うと、ホント、助けられて、よかった。
「何時までもぼーっとしていてはいい的だぞ」
ざしゅり、と肉を断つような音と、呆れたような声が耳に届く。
「のわっ!?」
って、今の俺の状況無茶苦茶恥ずかしいじゃねえか!
飛び退くようにして、ビアンカを胸の中から解放する。
腕は、落ちないように掴んだままだが。
恥ずかしくて顔を見られなくて、ふい、とそらした視線の先では、
ピエールが剣から血を拭いとっていた。足元に転がるヘビコウモリ共のもんだろう。
「……間に合ってよかったよ」
そのピエールは、こちらを見てホッと一息吐いた。
「ボク達じゃ、手、掴めないからねー」
剣ではなくブーメランで応戦していたスラリンも、ピョンピョン跳ねて
ビアンカの無事を喜んでいる。
あぁ、全くだ。間に合って、本当に、良かったぜ。
「え、と、あの、ジャギ」
「ん?」
ビアンカが、困ったような声を上げる。何だ?
「う、腕が痛いんだけど」
「あ、悪ィ」
確かに、少々強く握り過ぎてたかもしんねえな。アザとか残らないといいが。
腕を離せば、そこに感じていた体温が、なくなる。
……名残惜しい、な。って、何を考えてんだか、俺は。
打ち消すように首を横に振る。
「さ、先を急ぎましょうか。ここじゃ、足場が不安定で危ないわね」
「お、おう。ほら、真ん中歩け。落ちたら危ないだろ」
ビアンカに真ん中を歩かせながら、先程抱きしめた体の、その柔らかさを思い出す。
柔らかくて、細くて、あっという間に、壊れちまいそうな体だった。
思わず、最悪の想像が脳裏に浮かんで、身震いがする。
ぐしゃりと弾けた人間の体に、なまじ見覚えがあるせいで、ありありと浮かんでしまう。
「ジャギ、どうかしたか」
ピエールが、ビアンカに聞こえぬよう小声で尋ねる。
「何でもねえ、よ」
返す声は、明らかに震えていた。くそ、分かりやすい反応しやがって、俺の体。
「余り強がるなよ。考えすぎると、動けなくなるぞ」
何処か諭すようなピエールの声。俺の恐怖を見透かし、宥めるような、声音。
反論しようか、と考えたが、やめた。
『次は守れるか分からない』だなんてこと、口に出すのも嫌だ。
……にしても、コイツのことだから、ビアンカを抱きしめたことに関して、
からかってくるかと思ったんだがな。存外、空気は読めるらしい。
「ところで、ジャギ。ビアンカさんの胸は柔らかかったか?」
前言撤回。やっぱコイツは馬鹿だ。ごん、と鈍い音一つ響かせる。
「……やはり、こうでなくてはジャギらしくない」
兜越しに頭を抑えながら漏らしているのは、笑いを隠しきれない声。
癪なので、聞かなかったことにする。


少し進むと、また岩の中を進むような構造になっていた。
滝の水が流れ込んでるのか、水浸しだ。
ま、深いとこを良ければ普通に通れそうではあるな。
「ん? あんたらもここにあるっていうお宝を探しに来たのか?」
「うおっ?!」
岩の陰から声をかけられて、つい変な声が出る。
顔を角の付いた頭巾で覆い、口元にマスクをはめた、荒くれ者だ。
このスタイルがこの世界で流行りらしい。
《あちら》での、モヒカンのようなもんだろうか。
……今思うと、何でモヒカンだったんだ?
「へへ、だが残念だったな。女連れの奴には見つかりっこねえよ」
ぐふぐふと笑いながら、男は俺達の傍へ近づいてくる。
「きゃっ」
ビアンカが、小さく悲鳴を上げた。両手を背中の方へ回している。
顔は、あからさまに不機嫌で、男を睨みつけている。
「人の連れに手ぇ出してんじゃねえ!」
カッ、となって俺は男に殴りかかった。
まさか殴られるとは思って居なかったらしい男の頬に、拳がめり込む。
よろめいた隙に、今度は鳩尾へ一撃。ついでに、足払いをかけてスッ転ばせる。
ふごふごと豚みてえな声を上げている。
そのまま、腹を踏みつけ……ようとして、やめた。
こんな奴に構ってる暇なんかねえんだった。
「じゃ、行くか」
「……ちょっとやり過ぎじゃないかしら」
「手加減したんだけどな」
しまった。舌打ちを溢す。俺としては十分に手心を加えたつもりだったが、
ビアンカから見たらやり過ぎだったかもしれねえ。
くそっ。こっちに来てからロクに人間とやり合ってねえから加減がさっぱりだ。
「でも……ちょっとだけ嬉しかったわ」
口元に小さく笑みを浮かべている。どうやら、幻滅はされなかったらしい。
ピエールが、後ろで男にホイミをかけていた。
「そんな奴放っておけって」
俺が声をかけると、くつくつと笑う。
「ベホイミじゃないと治らない痛みだが、ホイミをかけておいた。
 中途半端に苦痛が残って、辛いだろうな」
成程、確かに男はうごおおお、と醜いうめき声を上げていた。
どうやら、ピエールにしても腹にすえかねていたらしい。
「私だって触ってないのに、ビアンカさんの尻に触るとは!」
怒る方向性が違うだろ、とは口には出さずに、その頭をど突いた。


水に浸かった足はそう簡単に乾かない。慎重に足を運ぶ。
俺としては、ビアンカが足を滑らせないかヒヤヒヤしたが、
山歩きで足腰が鍛えられていたのと、先程の件で危機感を持ったからか、
もう彼女が足を滑らせるようなことはなかった。
リングがありそうな場所を巡ってあちこち探し回る。
先にこっちから、と思って調べた場所がどれもこれもハズレで、
己の運の無さに呆れた。……多分、ゴールドカードで使い果たしたな。
最後に入ったのは、ここの入り口と同じように滝の裏側に隠された空間。
明らかに人の手が入ってる。やっぱ、この指輪にはなんか意味があるのかもしれんな。
でなけりゃ、火山の時と同じように、他の宝が置かれているとは思えない。
「綺麗な指輪ね……」
俺が手に取ったそれを見て、ビアンカが呟く。
「これで、フローラさんと結婚出来るんはずよ」
「あー、ああ」
「ね、式には私も呼んでね?」
「はっ?」
何のためらいもない笑顔。俺は言葉に詰まる。
「……折角の友達の結婚式なんだもの、いいでしょ?」
式を挙げる前に逃げ出すつもりだ、なんて言えねえ。
かといって、言い誤魔化しの言葉も浮かんでこない。
「そんなに、困らないでよ」
不意に、声の雰囲気が、変わる。何かを耐えるような声。
本当に言いたいことを、飲み込んだ声。
俺は、そんな声を何処かで聞いたような気がする。

《でさ、結局お前の夢ってなんなんだよ?》

《もう、言わないって言ってるじゃない》

《でもよぉ》

《言わないってば。秘密の場所教えてあげたんだから、それでガマンしてよ》

《うー》

《それに……、言っても、きっと》

《え?》

《な、なんでもないよ。ほら、早く帰ろっ》

そうだ。あの時、あの森からの帰り道。
《あいつ》は、そんな声をしていた。
頭が痛い。吐き気がする。だけどビアンカに心配をかけたくない。
説明が出来ない。誰にも言えない。苦しい。苦しい。苦しい。
ああ、ちきしょう。体に、力が入らねえ。
「……ジャギ、どうしたの?」
女の声。仮面の中で響いて、何重にも聞こえる。
「ジャギ、ねえ、ジャギ、ジャギってば!」
顔を上げる。視界がかすんで、相手の顔がよく見えない。
見えるのは、金の髪。金の髪が、揺れている。
「……アン……」
震える喉から、声を絞り出して、その柔らかな体を抱き締めて。
俺の意識は、暗転した。


俺の手の中に居るのは、誰、だろう。



───────────────────────────

※作者からのお詫び※
私事が立て込みまして投稿が遅れました。
エターナらないように頑張ります。





[18799] 第二十話:Engage in futile regrets.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:644bf558
Date: 2010/08/12 21:03
第二十話:Engage in futile regrets.
(死んだ子の歳を数える)



ずっと昔に、泣いていた俺に、声をかけてくれた奴がいた。
金の髪をした、そう変わらぬ年頃の女。
そいつのおかげで、俺は救われたのだ。それを、覚えている。
それは、覚えているけれど、そいつの顔が、思い出せない。
一緒に笑った。大事だと思っていた。
何で思い出せねえんだ。……そいつは今、俺の隣に居るのに。
《ジャギ》
隣のそいつが、俺の顔を見上げてくる。顔は、影になっていてよく見えない。
金の髪だけが、揺れている。
……ここは、何処だ?
俺は、何をしてたんだ?
思い出そうとするたびに、頭が痛む。
まるで、思い出すな、って警告してるみてえに。
《ねえ、ジャギったら、返事してよ》
ぼうっとしている俺が不満らしく、口を尖らせてそいつが抗議している。
顔は見えないが、何故かそうだと分かる。
「ああ、悪い悪い、そんなに、拗ねるなよ、……アン……」
笑みを浮かべて、そいつの名前を、呼んだ。
「ッ、ガッ」
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
頭が痛んで、何も考えられなくなっちまいそうだ。
しゃがみこんだ俺の前で、景色が、一変していく。
今まで歩いてた、渇いた、しかし明るい風景が闇に飲まれていく。
真っ暗になった中に浮かび上がるのは、長い長い古びた石段。
その途中に、女が倒れている。傷だらけで、ぼろぼろで。
悲鳴だかなんだかよくわかんねえ声が喉を突く。
震える手足に鞭打って、女の元へ駆け寄る。
確かに叫んだはずの名前を、認識出来ないが、そんなことがどうだっていい。
妙に歪んだ視界の中に映る、そいつ顔は、
《俺》の知った顔じゃなくて、『俺』の知った顔だった。


「アアアアアアアッ!」
自分で出した声に、意識が急速に引き上げられた。
ばちり、と音を立てて、瞼を開く。
急に入ってきた光に目が眩んだ。何度か瞬きをして、ようやくまともに目が動き出す。
俺の両の眼に映ったのは、それなりに年月を重ねてるらしい木製の天井だった。
酷く、嫌な夢を見ていた気がする。どんな夢だったかは、さっぱりだ。
ただ、前にも見たような気がする。昔の、夢だったような気がする。
気がする、ばかりで何一つとしてはっきりしたことが分かんねえ。
「……ジャギ、大丈夫?」
女の顔が、俺の顔と天井の間にぬっと現われる。
金の髪が、揺れている。
「……アン……、ビ……アン、カ?」
名を呼んでから、げほげほとせき込む。どうやら、随分長いこと寝てたらしい。
喉がカラカラだ。それに気付いたビアンカが、水差しを渡してくれる。
面倒なので、蓋を開けて、一気に喉奥へ流し込んだ。
少し温い水で喉を潤してから、俺は言葉を続けた。
「ここは、何処だ?」
「サラボナよ。ジャギったら、三日も眠ってたんだからね」
「サラボナ……? いや、それより、そうだ。そもそも、俺は、何で」
何かがあって、意識を失ったのは、覚えてる。
でも、その原因がちっとも思い出せやしねえ。
くそっ、自分のことが分かんねえってのが、こんなに不愉快だとはな。
「覚えてないの?」
何故か、一瞬顔を赤らめてから、ビアンカが説明してくれた。
滝の洞窟で、指輪を手に入れた後、俺は急に気絶したそうだ。
で、スラリンがリレミトを唱え、入口に戻った後も、俺が全く目を覚まさなかったので、
これはまずいかもしれない、と船でサラボナへ運んだらしい。
山道を進んであの村へ行くより、船で下った方が俺を動かさずに済むから。
そして、俺は町についてからもずっと眠っていたそうだ。
「その間に、ちょーっとややこしいことになったのよ」
「あ?」
話の合間に腹が減ったという俺のために、ビアンカが剥いたリンゴをもしゃもしゃと
食しながら、俺は眉をしかめた。
「……ジャギ、あなたフローラさんのお姉さんに一目惚れしてたんですって?」
「ぶっ」
口から、りんごだったものが布団の上に散らばる。
勿体ない。って、そうじゃない。現実逃避すんな。
「な、何のことだぁ?」
「とぼけないでよ。彼女の名誉のために、喧嘩したって聞いたわよ」
誰だよビアンカに話した奴は。
「それは、その、あれだ。ちょっとした、売り言葉に買い言葉で、
 町の奴らが勝手に言ってるだけだ」
「でも、その噂、ルドマンさんの耳にもばっちり届いてたみたいよ」
ビアンカも、額に手を宛てて、心底困った、という顔をする。
「それなのに、フローラさんとの結婚条件も満たしちゃうし、
 加えて、その……、女性と一緒に、旅をしてるし、で、
 ジャギは一体何を考えてるんだ、って話になっちゃって」
「げ」
それはまずい。心象が悪くなっちまったのか。
油断させて家宝の盾盗んでトンズラするっつう、
俺の華麗な計画が水の泡になっちまったってことか……。
そうなったなら、もう強硬手段を取るしかねえ。
強硬手段つったって、《昔》はよくやってたことだ。
何を迷う必要がある。奪い盗れ、俺。
「えーっと、言いにくいんだけどね」
何処か照れたような声に、意識を引き戻す。
「その……えっとね」
モジモジと何かを言いにくそうにしている。一体、何なんだ?
……どうも嫌な予感しかしねえんだが。
「ジャギが目を覚ましたら、その、えっと、お姉さんか、フローラさんか、その、私、か。
 誰と結婚するのか、ジャギに、選んでもらう、ってルドマンさんが」

は?

「はあああああッ?!」
多分、人生で一番素っ頓狂な声を出した。
「も、もう。そんなに驚かないでよ。ルドマンさんったら、ジャギが気に入ったみたいで、
 誰と結婚しても式は挙げるぞーなんて言ってるのよ」
「待て待て待て。おかしいだろそれ。今からでも断ってくる!」
倒れたのは、体に問題があってのことじゃない。
喉も潤い、腹も膨れた俺の体は、三日寝てたとはいえそこそこスムーズに動く。
ルドマンのとこへ向かおうとしてベッドから降りる。
立ちあがって、歩き出そうとした途端、ベッド脇に置かれていた何かに足を取られる。
「のわっ!」
ああくそみっともねえ。つうか、一体何にぶつかったんだ。
足元に目をやる。息が、止まった。
そこに転がっていたのは、鉄仮面だった。

そうだ。どうして、気づかなかったんだ。

水を飲む時も、リンゴを食うときも、何も、邪魔にならなかった。


「見たのか?」
「え……」
馬鹿な質問をしてる。今この瞬間も、俺は顔を晒しているのに。
「傷」
「……うん」
「悪かったな、気持ち悪いもん見せちまって」
鉄仮面を、被る。何故か知らんが、かちゃかちゃと、五月蠅い。
上手く、被れない。……俺の手が、震えてんのか。
「あの、ジャギ、その、傷……」
「……同情しねえでくれ」
どうにかこうにか、被る。暗くて狭い視界は、落ち着く。
どんな目をして、ビアンカは俺を見ているのか。
それを考えると、頭が痛い。弾けそうな、割れそうな、そんな痛みだ。
ここでその痛みに屈しちまったら、また二の舞になる。
「とにかく、一度あのおっさんと話をしてくる」
場合によっては、盾をかっぱらって、そのまま逃げる。
「指輪は、どうした?」
「ルドマンさんに、渡したわ」
「……そうか」
ついでに、指輪もだ。盗品を買う場所は、この世界探せばあるに違いねえ。
そこで売って、旅費にして、こっから逃げよう。
「ねえ、ジャギ、私も一緒に」
「一人でいい」
俺は、あいつを亡くした時から、ずっと独りだったじゃねえか。
こっちの世界じゃ、上手くやれると思ったが、やはり無理だ。
こんな傷を抱えて、誰か人間と一緒に旅なんざ出来るわけがねえんだ。
困惑するビアンカを宿に置き去りにして、俺は宿を出る。
街の奴らは、好奇心いっぱいに俺に語りかけようとするが、
殺気を返して、そいつらを追い払う。俺に、構うんじゃねえ。
宿を出て真っ直ぐに、ルドマンの屋敷へ向かう。
殺さないまでも、殴ってでも、盾を奪って、逃げよう。
……盾を奪ってどうする。誰と旅をすることも出来ないのに、
こんな傷跡を晒せる奴は誰もいないのに、母親を取り戻す手掛かりなんざ集めてどうする。
分からない。俺は、何がしたいんだ。何をするんだ。
肩を落とし、俯いたまま、駆け出さない程度に動かしていた足を、止める寸前、
柔らかい何かに当たって、俺の歩みは止まった。
「……あ?」
何に当たったのか、と視線を上げると、まず目に入ったのは桃色の服。
ああ、そりゃ柔らかいわけだ。
俺を不機嫌そうに見つめていたのは、デボラだった。


「ちょっと、人の家に殺気塗れで入らないでくれる?」
家へ渡る石橋の上で、デボラは仁王立ちしていた。
「……テメエにゃ関係ないだろ」
「あるわよ!」
叫んだ声が、仮面の中に響いて頭が痛い。
「大方、パパが決めたことに文句でも言いに来たんでしょうけど、
 あんたね、少しは自分の立場ってもんをわきまえてよね」
「立場、だぁ?」
「そうよ! フローラとの結婚条件を満たすのに女連れなんて、どういうつもりなの!」
目を吊り上げて、怒鳴る目の前の奴に、俺はぽつりと答える。
「女連れ、ったって、ビアンカは昔の友人だし……」
「それはビアンカから聞いてるわよ。良い子だものね、あの子。放っておけなかった、って」
……何時の間にビアンカと話したんだこいつ。
そんな疑問を口にする前に、どんどんと捲し立てられる。
「あんた、フローラとビアンカ、どっちと結婚するのかはっきりなさいよ!」
「それは……、その」
どっちとも結婚する気なんざねえ、っつうんだよ。
ああもう、良いから早くここをどかねえだろうか。
「まったく、あんたどんだけ優柔不断でノロマなのよ!」
だが、こいつはどくつもりは無いらしい。何が気に食わないんだ。
つううか、どっちも選ばないってことを決めてんだから、
優柔不断でもノロマでもねえよ。
「ほら、来なさい! 明日まで猶予を与えるよう、私がパパに頼んであげるから!」
ぐい、と手が掴まれ、そのまま引きずられていく。
いやいやいや、どうしてそうなった?! 後、何で俺はこの手を振り払えねえんだ?!
「パパ! ジャギが目を覚ましたわよ!」
結局、引きずられるままに家の中に連れ込まれる。
「おお、ジャギ、心配していたんだよ」
「……人が寝てる間に、勝手に話を進めておいてか?」
「? それがどうかしたのかね」
ああ、ダメだ。話が通じる人種じゃなかった。
こういう、善意で物事をやってる奴ってのは相手が困惑してるのを読み取らない。
そうだよなあ、このオッサン、見ず知らずの男に船を貸すような奴だもんな。
「はっはっは。まあ、話はビアンカさんから聞いたようだね。
 決めるのは早い内が言いだろう。で、誰にするかね?」
……マジでこっちのことなんざ考えちゃいねえ。逆に怒る気がなくなった。
なんか、あんだけ殺気立ってたのがバカみてえだ。
「ちょっとパパ。いきなりは無理でしょ。明日まで待ちましょうよ」
「おお、そうだな。ではビアンカさんには、我が家の別邸に泊ってもらおう」
話がどんどん進んでいく。もうそれを敢えて聞かないことにした。
明日まで、ってことは今夜一日猶予があるってことだ。
……まあ、どう考えたって、昼間よりは夜の方が盗みには入りやすいな。
よし、決行は今日の夜。夜陰に紛れてトンズラすりゃいい。
「それでは、明日の朝までよく考えて決めてくれたまえ。明日の朝、宿に人をやろう」
計画がまとまったらしく、おっさんが声をかけてくる。
「あ、ああ。あー、あれだ。ちょっと、馬車の奴らに声を」
「そういえば、あんたモンスター連れて旅してるんだってね。ちょっと見せてよ」
それは困る。今から盗んで逃げる相談をすんだから。
「あー、暴れるといけねえから駄目だ。その、なんだ」
こういう時、何て言やあ良いんだ。あんまり多くない他人との接した記憶をほじくり返す。
そういや、確かヘンリーがマリアに対して言ってたことがあったな。
あれを応用すりゃあいいか。
「よ、嫁入り前の体に、傷でも付いたら大変だからな」
よし、これで誤魔化せただろう。何故か顔を真っ赤にしたデボラを置いて、
俺はそそくさと家を出て行った。
いつの間にか、頭痛は止まっていた。


「爆発しろ」
「なんだ急に」
馬車へ戻って、俺の容体を心配してた奴らに事情を説明してたら、
ピエールが何の脈絡もなくそんなことを言った。
「爆発しろ、とはスライムナイト一族に伝わる言い回しで、
 『モテてる奴死ね』の意だ」
わなわなと震えるピエールが、手にメタルキングの剣を持っている。
どうやら、割と本気で言ってるらしい。
「ピエール落ち着いて。ちょっとジャギの話を聞こうよ」
スラリンとゲレゲレに抑え込まれて、未だ不満そうながら、とりあえず剣を下ろす。
俺がいつ誰にモテた、っつうんだか。
ビアンカは俺に同情してるだけだし、フローラは俺以外に好きな奴がいる。
デボラは……何だろうな、よくわからん。
「ま、とにかく結婚なんざするつもりはないし、俺は盗んで逃げるぞ。
 盾と、指輪と、あと船もな」
「船も、か?」
ピエールの問いに頷く。
「こっちの大陸で行けるとこは大体行ったしな。
 となると、後は南の方と西の方へ行くしかないだろう」
手元の地図を広げて示す。どっちに行くにしたって、船は必要だ。
恐らく、定期船は南へは行かないだろうし、と説明していく。
「あれ?」
頭突き合わせて地図を見てたら、スラリンが何か言いたげな声を出した。
「どした?」
「ここんとこ、なんか印がついてるけど、ジャギ、行ったことあるの?」
スラリンが示したのは、南東にある大陸の真ん中辺りだ。
「いや、ねえな。親父がつけた印か?」
この地図は元々親父がもらったもんだ。その可能性は高いだろう。
しかし、なんだってこんな場所に印がついてんだか。
「そこに、勇者の手掛かりがあるのかもしれんな」
「かもな。……じゃ、なんだって親父は行かなかったんだ?」
「子供連れでは厳しい場所なのかもしれん」
ああ、成程。親父は俺を連れて旅をしてたから、行けなかったのか。
……もし、俺が今くらい大きくて、強かったら、親父は死ななかっただろうか。
勇者の手掛かりを見つけて、『母さん』を取り戻せたんだろうか。
そんなことを考えて首を振る。考えても、どうしようもねえだろ。
「よし、んじゃ今日の夜中には出発するぞ」
「ああ、分かった」
「がう」
ピエールとゲレゲレが頷く。ただ、スラリンはまだ何か言いたいらしい。
「いつもだったら、ピエール、泥棒は駄目ーっていうのに今日は言わないんだね」
その問いかけに、ピエールは少し戸惑い、やがて呆れたような声で答える。
「ジャギなんかと結婚したら、相手のご婦人が不幸になりそうだからね」
「うっせえよ」
んなもん、俺が一番よく分かってるっつーんだよ、バーカ。



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※作者からの謝罪※
更新遅れてすいません。
ジャギの精神が何か不安定ですいません。

8月12日
致命的な誤字を発見したので訂正。
グランバニアは南東の大陸じゃあああorz



[18799] 第二十一話:Marriage is made in heaven.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:6d242b0a
Date: 2010/08/12 20:39
第二十一話:Marriage is made in heaven.
     (縁は異なもの味なもの)



夜が更けるまで、俺は宿で時間を潰すことにした。
厳密に言えば、宿以外で時間が潰せない。
一歩街の外に出れば、街の奴らがジロジロと俺を見ちゃ、
ヒソヒソ話をするんで、鬱陶しくてしょうがねえからな。
流石に部屋の中に入ってきて、どっちを選ぶのか、と、
聞いてくるような不躾な奴は居ねえ。
「つっても、やることもないんだがな」
ベッドにゴロリと転がったまま、息を吐く。
一応、誰かが来る可能性を考えて、顔は布で覆ったままだ。
《昔》は、暇つぶしに何をやってたか。そう考えて苦笑する。
食料を奪う、女を攫う、その女を抱く、訳もなく誰かを殺す。
それくらいしか、して来なかった。
そういうことを知る前のことは……、考えるのをやめとこう。
《昔》のこと、特に、ガキの頃のことを考えたり思い出したりすると、気分が悪くなる。
気分だけなら良いんだが、頭痛だとか、足がすくんだりとか、ロクなことにならねえ。
盗みに入るのに、体調が整ってないのは致命的だからな。
「……酒でも飲みに行くか」
目を覚ましたのは昼過ぎで、夕飯が終わって、少し腹も減った。
酒場は、丁度宿の上にあるし、景気付けだ。
しばらく酒場なんぞに行く余裕もなくなりそうだしよ。
「よっ、と」
ベッドから身を起こす。ここの酒場は武器持ち込みが禁止らしいので、
荷物は部屋に置いていく。ま、金の入った袋だけありゃいいだろ。
武器が必要になるような事態にはならねえだろうしな、多分。
……またこないだみてえな喧嘩になったら、アイツが止めに来るんだろうか。
って、何考えてんだか、俺は。
がちゃり、と部屋を出る。宿から直接酒場に繋がってりゃいいんだが、
あいにくそうはなっておらず、一旦外に出る必要がある。
「兄さん、眠れないのかい?」
「おう、まあ、そんなとこだ」
宿の親父が声をかけてくる。
「ま、そりゃそうだわな。散歩して、教会でお祈りでもして、ゆっくり決めなよ」
どうやら、親父は俺が誰を選ぶかで悩んでると思ってるらしい。
違うんだが、否定すると怪しまれるから、何も言わずに外に出る。
人影はまばらだが、全く無い、ってわけじゃねえ。
俺が姿を見せた途端、予想通りヒソヒソと話し出す。
話の中身に興味はないので、無視して、とっとと酒場へ向かう。


……しかし、少し考えりゃ分かりそうなもんだったな。
三日も寝てたせいで頭が役立たずだったらしい。
酒場に入った途端、俺に向かって話しかけてくる酔っ払い共に、
頭を抱えながら俺はそんなことを思った。
「結婚したら盾がもらえるし、ゆくゆくはあの家の財産もものに出来るからフローラだ」
という奴もいれば、
「だが、あのビアンカという女性も優しそうな人だしなあ」
と、唸っている奴もいる。娯楽に飢えてんのか。勝手なことばっか言いやがって。
俺に話しかけてきたのは最初だけで、後は客共が好き勝手言い放題だ。
まあ、おかげでそれなりに静かに飲めるわけだが。
「お客さんも大変ですねえ」
酒場の店主の苦笑いに、俺も苦笑いを返す。
こいつら、俺が盾盗んで逃げたらどんな顔をするんだろうか。
それを考えると、ちぃと楽しいかもしれんな。
他の奴だったら、ここまでお膳立てされたらどっちかを選ぶんだろうが、俺は違う。
「大変ですね、あなたも」
空いていた隣の席に座った奴が声をかけてきて、俺の思考は中断させられる。
「あ?」
「まだお若いのに、こんな形で結婚の相手を決めるなんて」
俺が怪訝な声を上げたのを、男は気にしない。
俺が置いてたグラスに、男が自分の瓶から酒を注ぐ。
もらえるんならもらっておこう。
「貴方も、旅の方のようですな。私も子供を連れて旅をしているものです」
子連れで旅。そう聞いたら、話を聞きたくなった。
どうせ、暇つぶしに酒を飲みに来たんだ。
「ほお?」
「本当は、数年前までは一人で旅をしていたんですがね」
「んじゃ、何で今は子連れなんだ? 女房に逃げられたか?」
からかい混じりに問う。男は、寂しげな顔で首を振った。
「……旅をしている間に、妻は、魔物に襲われたのです」
その言葉に、酒を飲んでいた手を止める。
「あんなことになるんだったら、一緒に、旅をすればよかった。
 傍に居て、守ってやればよかった」
「傍に居たって、守れるかどうかなんて、わかんねえぞ」
目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、あの洞窟でのことだ。
あれだけ傍に居たのに、俺は、あいつを死なせるところだった。
傍に居たって、守れるとは限らねえだろ。
「傍に居ないよりは、守れるでしょう」
湿っぽい話になりました、すいません、と男が酒を煽る気配。
目を閉じたまま、考えちまう。ああ、そうだ。
《あの時》に、《アイツ》の傍に居たら、きっと、守れた。
あの後、殺して回れたような奴らだ。俺が居たら、きっと。
……俺は、何をしていた。死に損ない共を嘲って、調子に乗って、
力だけが求められる世界になった、と笑っていた。
結果、どうなった。《アイツ》は、どうなっちまった。
「クソッ」
がしゃん、と音がした。握りしめたグラスが割れていた。
一気に、辺りがしんとなる。どうやら、騒いでることに対して、
俺が怒ったと勘違いしたらしい。酔っ払い共が恐る恐るこっちを見ている。
ああもう、これじゃロクに酒も飲めやしねえ。
「親父、勘定だ」
袋から金貨を取り出し、カウンターの上に置いて椅子から立ち上がる。
手から流れてる血は、ホイミを唱えて止める。
傷は塞がり、痛みはなくなる。魔法ってのはつくづく便利だ。
北斗神拳も相当便利だったが、これも大概だ。
「……チッ」
顔の左側がずきり、と痛むのは、思い出すな、という警告か。
思い出すな、なんて無理に決まってんだろうが。
『俺』は、《俺》なんだから。


予定より少し早いが、俺はルドマンの家へ行くことにした。
宿に預けてある荷物は、ルーラの時に意識すりゃ持ってこられるだろ。
最悪、ピエールにでも取りにやらせればいい。
石橋を渡った先を見上げる。本宅の方は、家の灯りは消えている。
ついてたとしても、せいぜいベッドランプくらいだから、
盗みに入る分には問題なさそうだ。
「問題は、あっちだな」
地面に、俺の影を映し出す光。その出所は、別宅の方だ。
窓のところに、見慣れた人影がある。……あいつをどうにかしねえと、
盗みに入った後、逃げ出すのが難しくなりそうだ。
追いかけてこられちゃ、かなわねえしな。
……それに、きっとこれが最後になる。俺はお尋ね者になって、
こっちの大陸には戻って来ないだろう。だから、これで最後だ。
俺は、別宅へと向かう。窓から外を眺めているあいつはぼんやりしてて、気づいてないらしい。
ドアの側へと回り込み、開ける。ノックをするような躾けは生憎受けてない。
開けた途端、微妙に乱れたベッドが目に入る。
眠れなくて、何度も寝がえりを打つと丁度こういう感じになるか。
くそっ、なんか見てらんねえ。
「……ジャギ?」
流石に気付いたのか、階段の上からビアンカが声をかけてきた。
「おう」
とんとん、と階段を上がって、隣に行く。
見慣れた旅装束じゃなくて、寝間着姿だ。……微妙に目のやりどころに困る。
「大変なことになっちゃったわね」
窓の外を見たまま、こっちを見ずにビアンカは笑った。
「ったく、とんでもねえ話だ。あのおっさん人の言うこと聞きゃしねえ」
俺が考えてることは、もっととんでもねえけどな。
「でも悩むことないわ。フローラさんかデボラさん、好きな方を選べばいいじゃない」
その声が震えてるような気がするのは、気のせいだと思わせてもらおう。
「私なら大丈夫よ、今までだって、一人でやってこられたんだし」
一人じゃねえだろ、とは言わない。それは、俺が言うべきことじゃねえからだ。
「それにね、ジャギ」
突然、ビアンカが俺を見上げてきた。
「な、何、だよ」
真っ直ぐに、それでも寂しそうに、ビアンカが俺を見つめる。
「私、気づいてた」
気づいてた?
「何に、だ?」
「……ジャギが見てるの、『私』じゃない、よね?」
「ッ!?」
うろたえて後じさる俺に、やっぱり寂しそうに笑いかけながら、ビアンカは、言葉を続ける。
「ジャギ、さ。私を呼ぶ時に、よく、一瞬、別の人を呼ぼうとしてるんだもん」
「そう、だったか?」
「やだ、ジャギったら、自分で分かってなかったの?」
言われるまで、気が付かなかった。
ビアンカは、目を丸くした後で、細めて、語りかける。
「その人が誰で、どうなったのかは、聞かないよ」
そうしてもらえると助かる。聞かれても、答えられない。
「だって、ジャギ、そういう時、今みたいに、凄く悲しそうな顔をするもの」
だから聞かない、とビアンカは言って、笑う。
「……寂しいな。なんかジャギ、私の知らない所で、色んなことがあったんだもの。
 弟が成長して、手が離れちゃったような気分だよ」
「……悪ぃ、ビアンカ」
「謝らないでいいよ。ほら、ジャギはまだ疲れてるんだから、もう寝ないと」
ビアンカの笑顔が、痛い。ああ、ちきしょう。そうだよ。
どうせ俺は、金の髪をしてて、幼馴染だって、ただそれだけで、
お前にあいつを重ねちまうような、どうしようもねえ男だよ。
「ビアンカも、体が冷える前に、寝ろよ」
窓を閉める。今から俺がやることを、見られたくなくて。
ビアンカが知る、子供だったジャギのイメージを、台無しにしたくなくて。
《ジャギ》だったことを思い出す前の、『ジャギ』のことを、
ビアンカには、覚えていて欲しくて。
「うん……、おやすみ、ジャギ、また明日」
「……おやすみ」

また明日、は、ねえけど。


ビアンカとの別れは、済んだ。最後にビアンカが笑っていたから、少し救われた。
とにかく、これで後は、盗るもん盗ってとんずらこくだけだ。
それで、この一連の訳の分からない騒動は終わりだ。
ルドマンの家の扉は、あっけなく開いた。
いっそ閉まってて欲しかったなんて、考えるのは、どうかしてる。
目当てのものは、自分がこれから盗まれるなんてことも知らずに、
堂々と応接室に鎮座している。
ご丁寧に、指輪はテーブルの上に二つ並んで置かれている。
これを盗って、玄関へ出て、ルーラ。それで、終わりだ。
宝箱に、そろそろと、手を伸ばした。
「何やってんのよ」
心臓が喉から飛び出かけた。
何時の間にか、階段のすぐ隣に、デボラが立っている。
「何、って……盾盗んで逃げようとしてるんだが」
何故か、ぽろりと口から漏れた。
「……何でよ」
室内用の小さなランプを手に、つかつかと歩み寄ってくる。
ランプはテーブルの上に置かれ、部屋の中を照らす。
暗闇に、ゆらゆらと揺れる、二つの影。
「こうでもしねえと、盾が手に入らねえだろ。
 これは、俺の探しもんの、手掛かりなんだ」
「結婚したらアンタのもんだ、ってパパ言ってたじゃない」
デボラが渋い表情を見せる。
「結婚なんざ、めんどくせえこと出来るかよ」
ゆらり、とランプの中の炎が揺れた拍子に、デボラの顔が影になった。
その一瞬に、辛い顔をしていたように見えた。
「ちょ、ちょっと、私の顔に泥を塗るつもりなの?
 婚約者候補に逃げられた、なんて冗談じゃないわよ!」
だが、その陰はすぐに消えて、声を荒げて、睨みつけてくる。
その目尻で何かが光っているが、化粧だろうか。
「ああもう、うっせえな! こんな顔の相手と、結婚出来るっていうのかよ!」
こうなりゃヤケだ。顔に巻いていた布を取って、傷跡を晒す。
照らし出された俺の顔を見て、デボラが息を飲むのが分かる。
「その、傷、なによ」
分かりやすい反応だ。そりゃあそうだよな。
「ハッ。ビビったか? ビビったよなあ。こんな、二目と見られない傷!
 この傷を見て、吐いたりわめいたりする奴が、今までに大勢居た!」
《あの頃》も、それが嫌で、寝る時は顔に布をかけていた。
ぎゃあぎゃあわめいた奴は、不快だったから、殺した。
きっと、こいつも悲鳴を上げるだろう。そう思っていたが。
「え……?」
返ってきた声に含まれるのは、明らかに、恐怖じゃなくて、困惑だった。
その反応に、逆に俺が戸惑う。
「言う程、ひどい傷には思えないわ」
「ッ、んなわけねえだろ!」
どんだけ世間知らずなんだこいつは!
「何処に目ェつけてんだ! 調子に乗って、親死なせて、
 その挙句、こんな醜い顔になってんだぞ!? そんな俺と、結婚したい奴なんざ」
「ジャギ、私の目を見なさい」
居るわけねえ、という言葉が、遮られる。
デボラの、白魚みてえな細い指が、がっちりと俺の顔を捉えている。
「何しやがんだ」
「目を見なさい、って言ってんのよ」
その指が、左の眼の横を、つ、となぞる。
「ここに、一本傷があるだけ」
「……は?」
何を言われているのか、理解できず、間抜けな声が出た。
「あんたには、あんたが思ってる程、醜い傷なんて、無い」
「んなワケ、ねえだろ。だって、いつも、醜い顔が、水とか、鏡に、映って、見えて」
「あんたの顔を見て、醜い、って言った奴が本当に居た?」
デボラの言葉に、雷に打たれたような、衝撃を受けた。

「……居な、い」

ヘンリーも、ビアンカも、傷が、としか言わなかった。

その傷が醜いとか、酷いとか、そんなことは、言わなかった。

「私の目に映ってる顔を見なさい。ただの、小魚みたいな顔よ」

ちらちらと揺れる火影に照らされた、青い瞳の中。

そこに居たのは、『父さん』によく似た、傷が一本あるだけの、男だった。

「……はは、なんだ、そりゃ」
体から力が抜ける。立ってられなくて、テーブルに寄りかかる。
「幻、だったってのかよ、あの顔は」
俺が馬鹿だから、俺のせいで、『父さん』が死んだから。
だから、俺は傷を負ってなきゃいけなかった。醜い顔をしてなきゃいけなかった。
罰を、背負ってなきゃいけなかった。
そう思いこんで、俺は、自分で醜い顔を作り出していたってのかよ。
「馬鹿みてえ……、いや、馬鹿そのものじゃねえか」
肩を落として呟くと、デボラからため息が聞こえた。
「黙っておいてあげるから、今日はもう宿に帰りなさいよ」
ぺしぺし、と俺の頬を軽く叩く。
「明日まで考えて、結婚が嫌だってんなら、私からもパパに頼んであげるから」
でも、と言葉が続く。
「あのビアンカって子、あんたのこと好きよ。もう傷のことは気にしなくていいんだから、
 明日、はっきりあんたの答えを出した方がいいと思うけどね」
それだけ告げて、背を向けるデボラ。
まるで、俺がもう盗んで逃げたりはしないと、信じているかのように。
「なあ、テメエは、結婚する気はねえのか?」
「……相手がいたら考えるわよ」
階段を上がる背中から、そんな声が返った。
「……そっか」
小さく呟く。左の顔に手を這わす。この間まで感じていた、デコボコした傷跡の感覚がない。
あれすら、錯覚だったのだろう。あるのは本当に、ただ一筋の跡だけ。
「……そっか……」

外に出る。空を見上げる。見慣れた星はないが、星は輝いていた。

それを確認して、俺は、宿へと戻った。

部屋に戻って、鏡を確認する。あの醜い顔が、一瞬だけ浮かんで、消えた。

大丈夫だ、と思う。あれはきっと、悪い、夢だったのだ。

そうして、俺を悪夢から引き揚げてくれた奴が、居る。



翌朝。荷物を持って、宿を出る。布は、まだ巻いている。
「答えは決まったかい?」
「ああ」
常にない晴れやかな気分で、答えて、宿を出た。
昨日とは違った、後ろめたさも、イライラもない足取りで、ルドマンの家へ向かう。
街の奴らの声も耳には入らない。視線も気にならない。答えは、決めている。
メイドに案内され、応接間へ通される。
階段の所に立つ、デボラ。テーブルの右側にビアンカ、左側にフローラ。
そして、中央に座っているルドマンの前に、俺は立った。
「さて、ジャギ。よく考えたかね」
「ああ」
「それでは、答えを教えてもらおうか」
昨日の夜から考えたことを、俺は吐き出す。
「正直に言う。俺は、盾が欲しいだけ。結婚なんて、する気はない」
部屋の中で、全員がぎょっと目を剥いたのが分かる。
それでも構わずに、俺は話し続ける。
「……って、思ってたんだけどよ」
しゅるり、と音を立て布を解く。
「こうやって、俺が傷を晒しても、平気だ、と思わせてくれた奴がいた。
 晒せるような傷だ、と教えてくれた奴が居た」
話しながら、俺は階段の方へ足を進める。
寂しげな顔をされたのは、見ないふりだ。
「俺は、そいつと以外、結婚しよう、なんて思わない」
歩みを止めて、目の前にある青い瞳を見つめた。
「俺と結婚してくれ、デボラ」
パチパチ、と長いまつげの生えた目が、二、三度瞬く。
それから、ニヤリ、と口元に笑みが浮かんだ。
「……ふつつかっぽいけど、ま、いいわよ。ちゃんと面倒見てあげるわ」
了解ってことだよな、それは?
「なんと! デボラと結婚しようとは、正気かね!?」
「それは自分の娘に対して酷くねえか?!」
一世一代の告白を終えて気が緩んだのか、即座に突っ込みを返しちまった。
「むむむ、ジャギよ、見込んだ以上に勇気のある男だったようだな!
 よろしい、デボラとの結婚を認めよう!」
ルドマンの声に、俺は今度こそ緊張の糸が切れて、力なく笑った。
「おめでとうございます、デボラお姉さん」
フローラが、何故かにこり、と意味ありげな視線を俺に送る。
何故か顔を真っ赤にしたデボラが、ばしばしとフローラを叩く。何だってんだ?
「……おめでとう、ジャギ」
声をかけられて、振り向く。そこに、一瞬《アイツ》が見えた気がした。
でも、錯覚だ。目の前にいるのは、《アイツ》じゃなくて、『ビアンカ』だ。
「ありがとよ、ビアンカ」
「幸せにしてあげるのよ?」
「おう。式には出てくれよな。友達なんだから」
「……ええ」
「さあて、それでは早速結婚式の準備だ! 忙しくなるぞー!」
はしゃいだ、ルドマンの声が、屋敷中に響き渡った。



──────────────────────────────


※作者からの一言二言※

なんかもう各所から「それはねーわ」って声が来そうだ。
だが、私は謝らない(キリッ
嘘ですすいませんスライディング土下座です。
というわけで、これのジャギ様は顔に傷が(ほとんど)ありません。
無茶な設定ですいません。あとビアンカ派の方ハーレム派の方すいません。
うちではこの設定で押し通させていただきます。



[18799] 第二十二話:The devil is sicked.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:4efffde9
Date: 2010/09/01 14:28
第二十二話:The devil is sicked.
     (鬼の霍乱)



「さて、ジャギ。君は式に呼びたい相手はおるかな?」
「あー……」
結婚します、はい終わり、じゃねえんだよな。
このまま連れて出てってもよさそうなもんだが、まあ金持ちなりの
見栄とかがあるだろうし、そういうわけにもいかねえんだろ。
で、呼びたい奴、なあ。知り合いなんてほとんど居ねえし……あいつくらいか。
「まあ、一応」
「では、早速招待状を出そう。何処の誰かね」
「ラインハットの、ヘンリー」
「ほお! 君はラインハットの王兄と知り合いなのかね!
 デボラを選んだ時点で只者ではないと思っていたが!」
ルドマンが目を丸くする。名前聞いただけで誰か解るこいつも凄えな。
「あら、あんた王族と知り合いなんだ。ふーん」
デボラも驚いたらしい。
「ま、色々あってな」
手持無沙汰だったので、その頭をぽんぽん軽く叩いてみる。
手の位置が丁度良かったんだが、気に食わなかったのか。足を踏まれた。
何も顔を真っ赤にする程怒らなくてもいいだろうがよ。
「ふむ。しかしラインハットの相手を呼ぶとなると、十日はかかりそうだな。
 何しろ今は定期船も出ておらんから、手紙を出すだけで一苦労だし」
むむむ、と頭を抱えている。
「だったら、ジャギが届けに行ったらいいんじゃないかしら。ほら、あの呪文で」
ビアンカがルドマンに助け舟を出した。って、人を頼りにすんなよ。
この場合はむしろ『便り』か? ……くだらねえこと考えた、忘れよう。
「呪文とな?」
「ええ。一度行った場所へ行ける呪文だそうです」
ルーラのこと話しておくんじゃなかったな……。
「ほお! それは素晴らしい! では早速招待状を書くから待っていてくれたまえ!」
「いや、俺が直接言って伝えりゃいいんじゃねえのか?」
首を傾げると、デボラが呆れたようにため息をつく。
「あのねえ、ウチみたいなお金持ちや、王族っていうのは、
 きちんとした招待状ありきじゃないと、なかなか動けないもんなのよ」
「知るかよんなこと。俺は金持ちでもねえし、ましてや王族でもねえんだから」
「何言ってんだか」
またデボラがため息をつく。それから、ふ、と俺を見上げた顔は、満面の笑みだった。
「この私の夫になるんだから、あんたも金持ちになるのよ」
「あー……、お、おう」
とん、と胸元を指先で突かれて、言葉に詰まる。
ああ、そっか、そうだよな。プロポーズしたんだもんな、こいつが、俺の家族に、なるんだよな。
そんで、こいつらの家族も、俺の家族に、なんのか。駄目だ、全然想像つかねえ。
「ふふっ、ジャギったら、早速尻に敷かれてるのね」
ビアンカがくすくすと笑っている。
「ビアンカさんも、式には出るんですよね?」
「ええ。ジャギの……、可愛い弟分の結婚式だもの」
フローラの問いかけに、ビアンカが答える。
その声が、ちょっと寂しそうなのは、聞かなかったことにしよう。
「でも、一度村へ帰るわ。父さん達も心配してるだろうし……、良い服着たいもの」
旅の中で汚れてしまった服の裾を摘まんで、苦笑いをしている。
「お洋服でしたら、私のをお貸しいたしますのに」
「やだ、そこまでフローラさんたちに面倒かけられないわよ」
しかしまあ、何時の間にそこまで仲良くなったんだか。
俺が寝てた三日の間に、どんな話したんだろうな、こいつら。
「じゃ、あれだな。招待状届けた後、俺が村まで送ってく」
「そうね。女一人で山道歩かせるのは危ないものね。
 良いわよ、送ってくることを許可してあげるわ」
いやいや待て待て。
「何で俺の行動にお前の許可がいるんだよ?」
「あら。私の夫になるんだから、私の言うこと聞くのは当然でしょ?」
「当然、ってこたぁねえだろ」
「当然よ?」
何も間違ってない、と書かれた顔で事もなげにそう告げられる。
ふざけんな、と言おうとしたが何か逆らうのも馬鹿らしい。
やっぱ、少し早まったかもしんねえ。俺は肩を落とした。


 ルドマンが書いた招待状を受け取ると、俺は一度町の外へ出た。
ピエール達に、事情を説明しなきゃならないからだ。
一応、昨日の夜の内に、盗むのは取りやめたことと、結婚相手を決めたことは知らせてある。
馬車の扉を開けて、声をかけると、全員が待ってましたとばかりに振り向いた。
「ジャギ、その顔では上手くいったようだな。爆発しろ」
「またそれか」
俺の晴れやかな顔を見たピエールの第一声がこれである。
つうか、爆発しろ、なんて簡単に言うんじゃねえっつうの。
体が内部から弾けるのは、比喩じゃなく死ぬ程痛えんだぞ。
「……がる……」
ゲレゲレも不満らしく、さっきから俺に緩やかに体当たりをしてくる。
「ゲレゲレは、ビアンカとまだ旅がしたかったんだってさー」
スラリンの解説に、眉をひそめた。
俺が言葉に詰まったことで、ゲレゲレは俺の意志を何となく汲み取ってくれたようだ。
また小さく一声鳴いて、体当たりを止めた。
「さ、んじゃ、これからヘンリーに招待状を届けに行く」
「主役が直接招待状を届けに行くのかね?」
「それが一番手っ取り早いんだよ」
ルーラを唱えれば、文字通り一瞬でラインハットの城の前につく。
「……ジャギ?」
「どした」
がさごそと袋から鉄仮面を取り出し、それを被った俺に、
ピエールが何か言いたげに声をかけてくる。
「何故、また仮面を?」
「こっちじゃ、この格好の方が通りがいいからな」
「そう、か?」
首を傾げてるピエールを無視して、俺は城の中へ入る。
既に勝手知ったる城だ。今回は特に寄り道もせずに、真っ直ぐヘンリー達の部屋へ向かう。
「おや、ジャギさんじゃありませんか。また、兄上に会いに?」
「まあな。しばらくヘンリーを借りることになると思うぞ」
「? はぁ」
ぽかん、と間抜けな面を晒してるデールに適当に返事をして、俺は階段を昇る。
玉座の間を通らずにあいつらの部屋に行ける道を考えるべきだ。
元は王の自室なんだろうから、実際は無理だろうけどよ。
王に用がねえ俺としては一々顔を会わせるのが面倒なので何とかしてもらいてえもんだ。
いっそ、今度から城のてっぺんに来られないかルーラを調整してみるか?
でも、失敗して、壁の中とかに出ちまっても困るしな……。
その内、ベネットの爺にでも相談してみるか。
そんなことをつらつらと考えながら、気が付けば部屋の前だ。
兵士は、俺を見た途端脇にどいている。
袋から、手紙を取り出そうとして、手が滑った。
む、まさか秘孔でも突かれたか。
「ジャギ、緊張しているのか? 手が汗で湿っているぞ」
「ぬ」
そんなわけは、なかった。慌てて服の裾で手を拭い、今度こそ手紙をしっかりと取り出す。
こんこん、と軽く扉をノックした。つもりだった。つもりだったんだが。
ばきぃ、と音を立てて、向こう側へ貫通する木の扉。
思ったよりも力付いてたんだな俺。横の兵士が目を丸くしている。
「……何してんだよジャギ」
そろそろと手を抜いて、ぽっかりと空いた穴から部屋の中が見える。
こちらを覗きこんだヘンリーの顔は、呆れと怒りがごちゃ混ぜだ。
「こっから手紙だけ渡して帰ったら駄目か?」
「修理費を請求しないでおいてやるから、大人しく事情を説明しろ」
ため息一つ溢して、俺はドアノブを捻った。


「で? 手紙ってなんだ手紙って」
執務机に寄りかかっているヘンリーに、ずい、と手紙を差し出す。
封を開け、中身に目を通していくその顔に、隠しきれない驚きが浮かんでくのが解る。
何事か、と横から手紙を覗きこんだマリアも同じだ。
「ほ、本当かよ、お前、これ」
「……本当だよ。で、来て、くれるか?」
俺の問いかけに、一瞬きょとん、として、それから思い切り笑顔を見せた。
「当たり前じゃねえか! 子分、じゃなかった、友達の結婚式だぜ!
 俺が行かないわけがないだろなあ、マリア!」
「ええ、ジャギさん、おめでとうございます!」
ヘンリーとマリアが、まるで我がことのように喜んでくれてる。
それを認識した途端、じわり、と目の奥が熱くなった。
「ちきしょう、柄じゃねえんだけどな」
鉄仮面をとって、ごしごしと目元を擦った。
途端に、二人とも動きを止める。何だってんだ?
「ッ、ジャギ、お前!」
次の瞬間、ばねが弾むように動き出して、ヘンリーが肩を掴んだ。
「な、なんだよ」
「ジャギ、お前、顔隠すのやめたのか?!」
ああ、そのことか。
「……昨日からな」
ふ、と自然、口元に笑みが浮かんだ。
「しかし、テメエも傷なんてほとんどねえって、言ってくれりゃよかったのに」
「馬鹿野郎!」
思いがけない大声に、びくり、と身じろいだ。
ヘンリーがこちらを睨みつけている。
「何度、俺がそう言おうとしたと思ってる」
すう、と一旦息継ぎをして、また叫ぶ。
「けど、お前が聞かなかったんだろ!」
ヘンリーが、怒っている。それも、当然、か。
十年近くも、俺は傷のことに関してこいつの話を無視し続けてたんだからよ。
「悪ィな」
「……はぁ、ま、分かってんならいいけどさぁ」
大声を出して少し落ち着いたのか、ヘンリーがため息を吐いて俺の肩から手をどかす。
それから、ふと思いついたように、ニヤリと笑った。
こいつがこの笑顔をする時は、ロクなことにならない。
「ん、もしかして、アレか? お前、このデボラさんって人に、
 素顔見られて、傷はないって言われて、ようやく納得したのか?」
びしり、と今度は俺が固まる番だった。
「あーはいはい、そっかそういうことか。いやあ、成程ねえ」
ニヤニヤと笑いながら、ちらりと扉を一瞥し、また俺に視線を戻す。
「あれだな。お前が扉叩き割ったのも、結婚報告に緊張して、手が滑ったんだな?」
この野郎、俺が考えないようにしてた事実を指摘しやがって……。
「ん? どぉした、ジャギ? 俺は間違ったかな?」
正解が解りきった上で聞いてくるんじゃねえ。
顔が火照る。ぷるぷると拳が震える。よし、やっちまおう。
「うるせええええ、その通りだよちきしょおおおおお!」
ごづん、という鈍い音が執務室に響いた。
扉に空いた穴から、兵士が何事か、と覗きこんでいる。
待て、なんだその生温かい視線は。
「ジャギ。多分、今の会話彼にも聞かれていたのだと思うぞ」
くつくつと、傍らでピエールが笑う。
そっちも殴り飛ばす。金属製の兜なので、流石に手がじんじん痛んだ。
「ったた、はは、まあ、何にしろ、おめでとう、ジャギ。
 一週間もあれば、海を通ればサラボナまでは着くはずだからな」
式、楽しみにしてるぜ、という言葉を後ろに聞きながら、
バン、と勢いよく扉を開けて外へ出た。
「おい、テメエ。この部屋でのこと、他言したら承知しねえぞ」
ぎろり、と兵士に睨みを利かせておくのも忘れない。
「ひぃっ、も、勿論です!」
兵士がびしりと背筋を正すのを確認すると、俺は足早に城を駆け抜けた。
「照れてるんだ……結構年相応の人なんだな」
とか兵士が呟いたのは聞こえてない。聞こえてないと言ったら聞こえてない。
仮面の下が真っ赤に染まってるだとか、そんなことは断じてない。


何だか、どっと疲れた。
サラボナに戻り、招待状を届けたことを報告した後、
俺はルドマンの家のソファにどっかりと座りこんだ。
結婚するっつうのは、こんな面倒くせえもんなのか……。
「あら、あんたなんか疲れてない?」
「……旧友に結婚をいじられた」
「あら、そうなの? ふぅん」
くすくすとデボラが笑う。
また、だ。何でだか、こいつの前では、言わなくてもいいことが
ついポロっと口から出ちまう。
「ま、こんなイイ女と結婚出来るんだから、それくらいは我慢しなさいよ」
「へえへえ。そういや、ビアンカは?」
「別荘で帰る準備してるわよ」
適当にあしらったのが気に食わないのか、口を尖らせる。
女の扱いは正直よく解らん。
「そっか。んじゃ、とっとと送ってくる」
ソファから立ち上がる。あの村へは何故かルーラで行けない。
送り届けるには、一々船に乗って川を遡る必要があるからな。
「ね、ジャギ」
「んだよ?」
「ビアンカを選ばなかったこと、後悔してない?」
突然何を言い出すんだ、こいつは。
「するわけねえ、だろ」
多分、ビアンカと一緒じゃ、俺は駄目だ。
俺はいつまでも、《アイツ》の面影をビアンカに見続ける。
《アイツ》にちっとも似てなくて、『俺』の中で凝り固まってたもんを、
あっという間に吹き飛ばしてくれた、こいつでなきゃ、
多分、これから一生連れ添っていくことなんざ、出来やしねえ。
……これを口に出すのは、アレだから、肝心要の部分だけを答える。
「俺は、お前が良いんだ」
デボラの顔に、一瞬にして血が昇る。やべ、怒らせたか?
「そ、そんなの解ってるわよ! ちょっと聞いてみただけじゃない!
 ほ、ほら、早いとこビアンカを送ってきなさいよね!!」
怒りで舌が回らないのか、ぐいぐいと背中を押されて部屋から追い出された。
やはり女の扱いはよくわからん。こういうのは、何処ぞの《殉星》でも
見習ってみるべきだろうか。……いや駄目だ、あいつじゃ参考にならんな。
女に嫌われた挙句、身投げまでさせたような男だからな。
別荘へ向かって、扉をノックする。もう壊すようなことはない。
「はーい、あ、ジャギ」
ビアンカの顔には、昨日の夜のような寂しさはもう見られない。
隠してるのかも知れないが、俺には解らん。
だから、寂しくなんて無いんだと思うことにする。
……ズルいことやってる自覚はあるが、仕方ねえよな。
「準備は出来たのか?」
「ええ、父さん達に買ってくお土産くらいだけどね」
確かに、あの小さい村に比べたら、ここは商品の流通が盛んだ。
色々と珍しいものも手に入るのだろう。
「ビアンカは、これからもあの村で暮らすんだよな」
ふと口を出た問いかけに、一瞬驚いた顔をして、微笑んだ。
「ええ。あそこが父さんの病気には一番いいしね。
 あ、でもジャギがここに住むんだったら、時々遊びに来てもいいかな」
目を伏せ、首を横に振った。
「ここが帰る場所になるか、俺には解らんから、期待はするな」
「え?」
「……結婚はする。でも、目的を諦めたわけじゃねえ」
ハッとして、ビアンカも目を伏せる。
「そっか。ジャギ、お母さんを探してる途中なんだものね」
「そうだ」
結婚はする。旅も続ける。俺は最初からそう決めている。
それが、『父さん』との約束だから。
「けど、ルドマンさんが許すかしらね?」
「駄目って言われても連れていく」
俺の手や、目の届かない所で、あいつが傷つくのは、嫌だ。
「……そっか。ジャギったら、本当にデボラさんが大好きなんだね」
「いいいいい、いきなり何を言い出すんだっ」
予想だにしなかったビアンカの言葉に、鉄仮面の中に熱が籠る。
「良いじゃない。好きだから結婚するんでしょ」
ニコニコと笑うビアンカ。……駄目だな、俺。
やっぱり、こいつのこの笑顔には、逆らえない。
「ほら、じゃあ行きましょう。あんまり長く旦那様借りてるのも悪いから、ね」
ウインクを一つして、荷物を肩に持ち、俺を引きずるようにして別荘から出る。
情けねえ話、この時分になって俺はふっと、気づいた。
《アイツ》のことがなくても、多分、少しはこいつのことが、好きだったんだ。
でも、それはあくまで過去の話だ。俺はもう、一緒に歩く相手を、決めた。
そして、それはこいつじゃない。それは、変えられない事実なのだ。


船の上では、疲れてるから、と言って俺は早々に部屋に籠った。
変えられない事実だ、なんて思ったくせに、ビアンカと顔を会わせてたら、
決意が鈍っちまいそうなのだ。どうしようもねえ。
いっそ、本当に爆発しちまった方がいいんじゃないだろうか。
「……比喩だから、イオを唱えようと指先をこっち向けんな」
壁際から明らかに爆発魔法を唱えようとしているピエールを牽制する。
「ははは、さて何のことかな」
誤魔化すように手を後ろに回す。バレバレだっつうの。
「がう……」
ベッドのすぐ脇では、呆れたようにゲレゲレが一声鳴いた。
「ゲレゲレ。お前、ビアンカのとこに行っててもいいんだぞ」
名残を惜しみたいだろう、と声をかけてみる。
「がる」
ゲレゲレは、少し悩んだようだったが、首を横に振った。
「な、ゲレゲレ。何だったら、お前、あの村に残ってもいいぞ」
のそり、と立ち上がったゲレゲレが、どういうことだ、と言わんばかりにこちらを見やる。
「お前もビアンカに懐いてたみてえだし。俺達だけでもやってけんことはないぞ。
 あの村だったら、カボチとは違ってテメエも受け入れてくれるだろうよ」
それを告げると、ぼふり、と何か柔らかいもので視界をふさがれた。
「がる。がるる」
ゲレゲレの手か。なんだ、これはどういう意図だ。
「えっとね、ビアンカに会えなくなるのは寂しいけど、
 それ以上にジャギと離れるのが嫌なんだって!」
「……そうか」
未だ視界がふさがれた中、手探りで見当をつけて頭を撫でる。
……提案はしてみたものの、本当は俺だって、ゲレゲレを置いてくのは嫌だった、
という言葉は、柄でもないので俺の中にしまい込んだままにしよう。そうしよう。
「そういえば、ジャギ。山奥の村ではもう一つやらねばならんことがあるのだろう?」
ピエールの言葉に、俺は一つの頼まれごとを思い出す。
花嫁用のベールを山奥の村の職人に頼んで来い、というものだ。
「忘れるとこだった。ありがとよ、ピエール」
「いえいえ、爆発しろ」
「お前そろそろ本気で怒るぞ」


再び訪れた山奥の村。前に来た時は気づかなかったが、硫黄の匂いだけじゃなく、
村のあちこちに植えられた果物の匂いも村を包んでいる。
本当に、何て穏やかな場所だろう、ここは。
……俺には、酷く場違いだ。
「お父さんには会っていくんでしょ?」
「まあな。具合さえ悪くなきゃ、来てもらうんだが」
「そうね、ちょっと厳しいかも」
二人並んで村を歩けば、村の奴らが次々にビアンカに声をかけてくる。
何しろ何日も留守にしていたのだ、心配で、気が気じゃなかったんだろう。
「ビアンカさん!」
村の一番奥にあるビアンカの家、その床下から、カイトが突っ走ってくるのが解る。
「よかった、無事だったんだな! 何日も帰らなかったから、心配してたんだ!」
横に立つ俺をキッ、と睨みつけて、その肩を抱いて揺さぶる。
「やだもう、心配性なんだから、カイトさんったら。
 とにかく、早く父さんに声をかけたいのよ」
「あ、わ、悪い」
自分の行動の恥ずかしさに、改めて気付いたらしく、照れで顔を赤くして手を離す。
「行きましょう、ジャギ」
ビアンカが俺を呼ぶ。カイトの視線は険しい。
「……安心しろ、とりゃしねえよ」
ぼそり、と呟くと、予想外の反応だったのか、目を点にした。
こいつには話しておきてえこともあるが、ま、今言うことじゃねえよな。
家に戻る前に、と母親の墓を参ってるビアンカを横目で見る。
小さく何事かを呟いているようだが、何を言ってるのかまでは聞き取れない。
多分、俺が聞かない方がいいことのような気はする。
「お待たせ」
墓の前で一瞬見せた寂しげな表情を瞬時に消して、また笑った。
こいつの笑顔は、明るくて綺麗で、《アイツ》に似てる。
『俺』の心を、支える、その要素の一つだったんだろうな。
こいつとは結婚しない。でも、こいつの笑顔を好きでいることは、許されるだろう。


「そうかい、ジャギは結婚するのかい」
「ああ」
「そうかい。いや、私は……おっと」
余計なことを言いそうだったので、仮面の下から厳しい視線を送る。
こちらの意図を察したのか、ビアンカの親父は口をつぐんだ。
「でよ、この村に腕のいいベールの職人が居るらしいんだが。
 そいつに花嫁のベールを頼んでこいって、言われてよ」
「ああ、きっとよろず屋のおじさんね。案内するわ」
椅子から立ち上がりかけたビアンカを、制する。
「いやいい。ビアンカも疲れてんだろ、今日はゆっくり休んでろよ」
「そうだそうだ。モンスターとも戦ったんだろ?」
横で相槌を打つカイト。実際のところは、これ以上俺と一緒に居て欲しくないのだろう。
「カイト、つったか。よろず屋まで案内してくんねえか」
ちらり、と視線を送る。仮面ごしだが、通じたらしい。
「解った。ビアンカちゃんは休んでてな」
男二人で、連れだって家を出る。
「……結婚すんのかビアンカさん以外と」
家を出た途端、カイトは小声で語りかけてきた。
「ああ」
答えが不満なのか、カイトはジッと俺を睨みつける。
その拳が、わなわなと震えている。
「ビアンカさんは、あんたのこと」
「テメエは……、ビアンカの何処が好きだ」
「なっ」
質問を返されるとは思っていなかったのか、面喰っている。
しばらくの沈黙の後、ぽつり、と答えが返ってきた。
「笑った、顔が、可愛いんだ。昔、親父の仕事継いだ後も、
 上手くいかねえで怒鳴られてばっかりだった」
親の仕事が継げるなんて羨ましい、などという脳に浮かんだくだらないノイズを振り払う。
「でも、引っ越してきた、ビアンカの笑顔が、とても、可愛くて。
 ああ、俺、この子のためなら頑張ろうって、自然と思えた」
一目惚れだったのか。
「ビアンカの笑顔は、いいよな。俺も、好きだ」
「ッ、じゃあ、なんでビアンカさんを選ばなかった!」
周りに聞こえぬように声量を抑え、それでも強い感情を込めて、カイトが問うた。
「俺じゃあ、ビアンカを幸せに出来ねえからだよ。
 あいつの幸せは、多分、この穏やかな場所にある」
俺に似合わない、この場所に。
「俺の隣には、ない」
それだけは、はっきりと言える。
「じゃあ……、今度もらうっていう嫁さんは。そっちなら、不幸にしてもいいのか」
「まさか」
首を横に振ると狐につままれたような顔をしている。
「あいつは、デボラの場合は、俺程度じゃ不幸になんか出来ねえよ」
芯の強い女だ、と直感している。だから、きっと俺と一緒に歩いていけるはずだ。
そうじゃなかったら、プロポーズは断ってただろう、多分。
「それに、な」
にやり、と仮面で顔を隠したまま、笑ってやった。
「あいつと居ると、俺が幸せになれる。そんな予感がするんだ」
言葉の調子から、笑っていることを感じ取ったのか、カイトは茫然としている。
「……そ、うか」
「そ。だから、……俺が言えた義理じゃねえけど、ビアンカのことは、お前に頼む」
きっと、こいつだったら、ビアンカを幸せにするはずだ。
「まだ告白もしてねえんだが」
「聞いた話によるとだな、他人の結婚式を見た女ってのは、自分も結婚したくなるらしいぞ」
「本当か?!」
「とにかく、結婚式の後にでも、声をかけてみろって、お前への心証は悪くねえぞ」
「そ、そうか。そうかなあ。よし、俺頑張るよ!」
ばしん、とカイトが俺の背中を叩く。
「おかしな格好してるけど、中々いい奴だな、ジャギ」
「格好のことは放っておけよ」
とにかく、ビアンカのことは、これで決着がついた、はずだ。
男相手に適当なことを言ってたぶらかすのなら、得意だ。
具体的に言うと、女一人攫わせる程度には。
「よろず屋はそこの洞窟の中だからな。結婚おめでとうよ!」
ぶんぶんと手を振り、満面の笑みで帰っていくカイト。
さて、と。そんじゃ俺も、やること済ませて、こことはおさらばするか。



────────────────────────



ジャギ様のスーパーデレタイム。

9月1日:指摘のあった誤字を修正しました。指摘感謝。



[18799] 第二十三話:A chance acquintance is a divine ordinance.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:468bc6ed
Date: 2010/09/01 21:24
第二十三話:A chance acquintance is a divine ordinance.
(袖すり合うも他生の縁)

    


「式はここから南の海上にあるカジノ船で行おうと思っておる」
地図を片手に、ルドマンは俺に言った。
「無理じゃねえか? 今は海上にもモンスターが出るんだろ?」
疑問を返すと、にまり、と笑みを見せた。
俺の直感が、多分これからロクでもないことを言われると告げている。
「なあに、君の呪文さえあれば、どうということはないさ。
 私の記憶を辿れば、カジノ船までは一直線だろう」
……多人数を運ぶのは正直キツい。
けど、ここで機嫌を損ねて盾をもらえなかったらマズいから、
コキ使われるのもやむなし、だな。
「俺が主役なんじゃねえのかよ」
ため息をついた俺の肩に、ばしりと、ふくよかな手が叩きつけられる。
「わっはっは。これが他人ならそんなことは頼まんよ」
大声で笑いながら、何度も何度も、ばしばしと背中を叩かれる。
「『息子』だから、図々しく物が頼めるのだ!」
「……息子?」
間抜けな声で、オウム返ししちまった。
「そうとも! デボラの夫になるのだからね、君は私の息子だよ!」
『息子』、か。……俺をそう呼ぶ奴が増えるなんて、思いもよらなかった。
まあ、このオッサンなら殺しても死ななさそうだし、別に構わねえかもな。
「へえへえ、そりゃあありがたいこって」
だからって、こき使われるのが面倒なことには、変わりないんだけどよ……。
「それでは、早速カジノ船まで飛んで、式の打ち合わせだ!
 さあ運んでくれたまえそれ運んでくれたまえやれ運んでくれたまえ」
「あー、ちょっと待て。他人の記憶読んで移動ってのは、
 出来るかどうか解んねえよ」
浮足立つオッサンに、俺は当面の問題を伝える。
「む、そうなのかね。魔法だから出来ると思ったんだが」
「魔法だからって、何でもありじゃねえよ。とりあえず専門家に聞いてくる」
屋敷の外へ出ると、俺はルーラを唱える。
ピエール達を連れて行くか? ……いや、やめとこう。
俺を見るたびに爆破させようとしてくるからな……。
ほとぼりが冷めるまで放っておいた方が良いだろ。


ルラフェンへ入る。もののついでに、目的の施設の前まで移動出来るようにならねえかも、
聞いてみることにしよう。こういう入り組んだ町だと面倒で仕方ない。
まだ研究を続けているのか、家からはモクモクと煙が上がり続けている。
「おーい、ジジイ入るぞー」
がちゃりと扉を開ける。一々ノックすることもないだろう。
「ん……なんだジャギか、どうした。新しい呪文ならまだだが」
ベネットのジジイは、相変わらず魔法の研究に忙しいらしい。
鍋からは得体のしれない匂いが漂ってくるし、床にはうず高く本が積まれている。
「んにゃ、ちょっとルーラについて聞きたいことがあってな」
「ルーラに? 解った。話を聞こう。茶は出んが」
「端っから期待なんざしてねえよ」
埃まみれの椅子にどっかりと座りこむ。
「ルーラで、他人の記憶を辿って移動ってのは出来るのか?」
「ふむ、出来んことはないと思う」
棚から本を一冊取り出すと、埃まみれのテーブルを適当に払って、その上に開く。
「ルーラの移動に必要なのは、その場所へ繋がる縁だ」
「縁?」
「まあ、目に見えない細い糸のようなものだと思え。
 その糸を手繰って、空間転移する魔法、それがルーラだ」
そう言いながら本に描かれた図を示す。解説はよくわからん文字で書かれているが、
その図にはこのジジイが説明した通りのことが描かれているみてえだった。
「他人の記憶を使う時には、他人がその行き先をイメージした上で、
 その場所に伸びてる細い糸を追うイメージを術者がすれば、おそらく可能だ」
「成程な。……にしても、案外解りやすい説明をすんだな」
魔術の研究してるんだから、さぞや難しい用語が飛び交う、
そりゃあもう面倒な説明を予想してただけに、拍子抜けだ。
「ひっひ。天才だぞ? 凡人にも解りやすく物事を説明出来て当然だろ」
ニヤリ、とジジイが笑う。……しかし、何だ、この違和感は。
「所で、ジャギ。そんな多人数を何故運ぶのだ?」
「んーあー、俺の結婚式でな」
隠しても仕方ねえよな。
「結婚?! ジャギがか!」
「なんだよ、何か文句でも……」
……あ? 待て、いやいや待て待て待て。
おかしいだろ。今のは、どうだって、どう考えたっておかしい。
そうだ、さっき感じた違和感の正体は。
「おい」
「ん?」
「俺ぁ、テメエに名前を教えた記憶はねえぞ」
仮面の下から、睨みつける。そうだ、コイツには俺の名前を知る機会なんざねえはずだ。
俺はコイツに名乗ってねえ。他の奴が呼んでるのを聞いたのか、と思ったが
モンスターの声を聞ける奴は、そう滅多に居ねえ。
だったら、何でコイツは、俺の名前を知ってるんだ。
「答えろ、ジジイ!」
左手で胸倉に掴みかかり、右手は剣を抜く。
喋り方も、こないだ来た時とは全く違っている。
ひょっとしたら、魔物が化けてる可能性だってある。
「フフ……、ハハハハハハ!」
「ッ!」
突然、ジジイが声を上げて笑い出した。
「くそっ、やっぱモンスターが化けてやがったか!」
「?! そ、そうではない! 事情を話すから剣をしまえ!」
首元に剣を宛がうと、ワタワタと慌てる。
……何でだかわからねえが、その言葉を信じてみる気になった。
剣を下ろすと、ジジイは二三度げほごほ咳き込んで、椅子に座る。
「ったく、二度目の人生が終わるところだった……」
ジジイが、ベネットが、俺を見上げる。
その目を、俺は何処かで知ってる気がした。


「ワシ、俺が……、ああ、やっぱ普段使い慣れておる言葉の方がええわい」
ゴキゴキと肩を鳴らしながら、ジジイが前の喋り方に戻る。
「お前相手じゃと、つい若い頃の言葉遣いになってしもうたな」
「いいからとっとと、説明しろ!」
「長い話になる、座れ」
はぐらかされてるようでイライラする。
不機嫌さを隠さずに、どかり、と椅子に座る。
「さて、何でワシがお前さんの名前を知っておるかじゃが、なあに、簡単な話じゃ」
にたり、と口角を上げる。
「ワシが天才だからじゃ」
「説明になってねえよ!」
べしん、と禿げ上がった頭を叩く。手心を加えて、殴りはしなかった。
「冗談はこのくらいにして」
スッ、とジジイの雰囲気が変わった。つうか冗談だったのかよ。
「……煙を吸ったお前さんが、その仮面を脱いで、素顔を見せた時、
 ワシの目には、もう一つの顔が、重なって見えた」
もう一つの、顔、だあ?
「顔の半分が醜く腫れあがり、その傷跡を矯正具で抑えた男の顔が、な」
「待て、よ。嘘、だろ」
その顔は、この世界には存在しねえはずだろ。
だって、その顔は。
「……そう、《お前》の顔だ」
そうだ。それは、前世の《俺》の顔。《あの男》に負わされた傷のせいで、
二目と見られねえ程、醜くなっちまった、顔。
ここでは、誰も知らないはずの、顔。
「ワシは、いや、《俺》は、その顔に覚えがあった。
 そうして、気が付いた。『俺』と同じように、転生したのだ、と」
ふう、とジジイが息を吐く。俺は、衝撃の余り、何も言えない。
確かに、他にも転生者が居るという話は聞いていた。
だが、まさか、《俺》を知っている奴が生まれ変わってるなんて、想像もしなかった。
「テメエは、《誰》、だ?」
だからこそ、問う。
「……ヒントは、十分に与えたと思ったんじゃがな。それでも解らんあたり、
 天才であるワシとは違って、お前さんは凡人でしかないらしい」
「何だと……ッ!」
とことん呆れたように肩を竦めるジジイ。
耐えきれず殴りかかろうとして、その腕を、止めた。
「天、才……」
思い出した。俺は、ここに来て、このジジイが『天才だ』と自称した時、
何処の誰を、想像して、ロクな奴じゃねえって、言ったのか。
俺は、半信半疑のまま、その名を呼んだ。
「……《アミバ》……?」
ジジイの口元が、緩んだ。
「フフフ……お前の言う通り。俺は、《アミバ》だ」
「マジかよ……」
全身から力が抜ける。いつの間にか秘孔を突かれてたとかではなく、単に驚いたからだ。
「……アミバ、と看破されて、この言葉を言うのも二度目、か」
「あ?」
ぼそりと呟いた中身に、首を傾げる。
「気にするでない。ただワシも、前の世界では《あの男》に殺されたという話じゃ」
「だろう、な」
《コイツ》は、自分の失敗を《とある男》に咎められて、頬を打たれた、
ただそれだけの八つ当たりのために、自分の顔を変え、背中に傷を負って。
そいつを騙って、そいつの評判を落としたがった。
その気持ちは、《俺》にはよく解った。解っちまってた。だから、協力した。
問題は、その《とある男》ってのが、《あの男》の命の恩人で……、
《俺》なんかより、ずっと慕ってた、兄だった、ってことだろう。
「そりゃあ、《あの男》の逆鱗に触れるのも無理はねえだろ」
「全く。テメエの……、いや、《あの男》には情けってもんはないのかの」
「ねえよ」
「じゃろうな」
うんうん、と頷く。まさかこれに共感を持てる奴と、こっちで会うなんざ思わなかった。
「にしても、テメエはこっちで何やってたんだ、アミバ」
「……ベネット、と呼んでくれんかの。そう呼ばれとる時間の方が長くて、
 今じゃ、こっちの方がしっくりくるんじゃ」
そうか、俺と違って、こいつはこっちで生きてた時間の方が長いのか。
「解ったぜ、ベネット」
「何をしておったか、と言えば、研究、かの。魔術や、世界の成り立ちについてを」
「一人でか?」
ベネットが首を振る。
「いいや。十何年か前までは、師が、おった」
何処か遠い目をした。何かを、いや、誰かを懐かしんでいるのだろう。
「どうせなら、聞いてくれんか。話相手もロクにおらん、年寄りの昔語りを」


//////////////////////////////////////////////////////


ワシの両親は、モンスターに襲われて死んで、ワシは孤児院を兼ねた教会に預けられておった。
物心付いた時には、既に《アミバ》としての記憶があってのう。
孤児院にあったアルファベットで書かれた本なら、読むことが出来たんじゃ。
最初は、シスター達も大層驚いて、ワシを天才だ、と褒めちぎった。
周りには他に天才と呼ばれる者はおらん。ここならば、自分を認めてもらえる。
そう思って、他の子供と遊ぶこともせんで、毎日毎日、本を読み、知識を蓄えた。
それが、いかんかった。気づいた時には、孤立しておった。
付き合いが悪いから、と子供から距離を置かれ、
子供が読むレベルではない本を読んでいて気味が悪いから、と大人から距離を置かれた。
結局、周りはワシを遠ざけるばかりで、誰も、ワシを認めなんだ。
それがショックでな、十の年に、教会を飛び出した。
アテなんぞ無かった。何処をどう移動したかも覚えておらん。
気が付けば森の中で、モンスターに襲われていた。
ここで死ぬのか、と思った。死にたくない、と思った。
じゃが、せっかく覚えた拳法が、これっぽっちも思い出せんかった。
……そんなワシを救ってくれたのが、師匠(せんせい)じゃった。
世界を旅して回っておるという師匠に、ワシは弟子にしてくれるよう言った。
帰る場所もなく、戦う術もないワシが生きるには、それしかない、との。
師匠は少し困ったようじゃったが、結局折れて、ワシを弟子にしてくれた。
世界中を歩き回り、古代の呪文や遺跡などをあちこち調べて回った。
その合間合間に、ワシは師匠から魔法や、野山での過ごし方など、生きる術を学んだ。
何より……、命の、大切さを。
『不必要な命は奪うな』と、師匠は常々言っておった。
《あちら》での記憶があるワシには、相当耳の痛い言葉だったがの、
……ワシが魔法を一つ覚えるたびに褒めてくれた師匠の言葉を、
どうして、無視することの出来ようものか。
生まれ変わって、ようやく、俺は認められたんだ。他の誰でもない、俺が。
……話がズレたの。
とにかく、そういう風に、何十年も旅を続けておったが、十数年前に、師匠は病に倒れた。
自分が長くないと知ってようやく、旅の理由を教えてくれた。
『帰りたかった』んじゃと。師匠も、《あちら》の記憶を、持っていたんじゃ。
薄々は勘付いておったが、やはり衝撃的じゃったよ。
旅の中で、わしは自分に前世の記憶があることを伝えた時、
文献にはそう言った存在が見られる、とは言われたが、
他に、そういった記憶を持つ奴に直接会ったことはなかったでな。
師匠は、どう調べても、元の世界への戻り方は無さそうで、
戻ることは少し前に諦めた、と言っておったよ。
『その代わり、いい弟子を持てたことに感謝する』とも。
……師匠が、ワシらの知っておる奴か、と聞きたそうな顔じゃな。
それに関しては、教えてくれんかったでな、わからん。
わからん、が、ま、少なくとも北斗神拳の伝承者じゃなさそうだったぞ。
まあ、それで、じゃ。何で今になって教えたのか、と聞いたらの。
これが驚いたことに、夢を見たから、と言うんじゃ。
その夢も詳しいことは教えてもらえんかったが、とにかく、
ワシが研究を続ければ、それは世界に平和をもたらす助けになる、ということじゃった。
……お前さんと世界平和が結びつかんが、ま、師匠の最期の願いじゃったからな、
それを信じて、ワシは魔法の研究を続け……ジャギと、会ったというわけじゃよ。


//////////////////////////////////////////////////////


話を終えたジジイが、流石に疲れたのか、自分で茶を淹れて飲んでいる。
「テメエにも、色々あったんだな……」
俺はただ、呆気にとられてそんな言葉しか出なかった。
「なあに、色々あったのは、お前さんも一緒じゃろうて」
茶を啜りながら、ジジイはそう返す。
「ま、な」
「そういや、結婚するとか言っておったの」
「あー……、そうだな、それが一番の、『色々』か」
いくらなんでも、馴れ初めを話す気はない。適当に受け流す。
《俺》を知ってるコイツに、馴れ初めなんざ話したら、腹を抱えて盛大に笑うのが目に見えるからだ。
俺の惚れた腫れたなんざ、当人だってまだ信じられないくらい、柄じゃねえ。
「よーし、ちょっと待っておれ」
椅子から立ち上がると、ジジイはがさごそと埃だらけの部屋の隅を漁っている。
「おお、あったあった。これじゃこれじゃ」
そこから、古びた壺を取り出して、ぱんぱんと埃を払う。
「これは、この町名産の酒、その名も『人生のオマケ』じゃ」
ずい、と押しつけられた壺を手に取る。微かに酒の匂いがした。
「今では誰も作るものがおらんでな。幻の酒と呼ばれておるんじゃ」
「くれんのか?」
俺が問うと、ジジイは今日一番の笑顔を見せた。
「おう。《古い友人》の門出じゃ。祝ってやらんとな」
友人、か。
「……ありがとよ、アミバ」
「ベネットと呼べ、と言ったじゃろうが」
そう言いながらも、別段嫌そうではない。
けれど、ふっとその顔に影が差す。
「ジャギ……、魔王が復活する、なんざ言われておるが、ここは良い世界じゃの」
「何だよ、突然」
俺の疑問を無視して、なおも言葉は続く。
「……血に塗れて、汚れきったワシやお前を、受け入れてくれた、優しい、場所じゃな」
「……それなりに、な」
『俺』は、家族を奪われたけど、それでも、《俺》だった頃に比べたら、
ここは、随分楽に生きられる、場所だ。それは間違いない。
「嫁さん、幸せにするんじゃぞ」
「解ってるよ。何だったら、式に来るか?」
「説明するわけにもいかんじゃろ。余計な気を遣うでない」
「へえへえ。っと、随分長居しちまったな」
よいせ、と椅子から立ち上がって、扉へと向かう。
こうなると、誰もここに連れて来なくてよかったな、と今更思った。
「じゃあな、アミバ。また気が向いたら来るぜ」
振り返って、呼びかける。小さく片手を挙げた姿に、かつてのアミバの姿が重なって見えた。
ああ、成程。あいつが言ってたのは、こういうことか。
家を出て、ルーラの呪文を唱えながら思う。
ルーラは、縁を手繰る呪文だと聞いた。

だったら、この呪文が、俺とあいつの縁を、繋いでくれたのかもな。



────────────────────────────


※作者からのあれこれ※


おかしいな、この話ではデボラとのイチャイチャを書くつもりだったし、
この設定はもっと後(具体的に言うとパルプンテ覚える時)に
明らかにするつもりだったんだけどな……。
まあ、いっか。イチャイチャなら後から幾らでも書ける。
『師匠』が何者か、についてですがとりあえずジャギ達と同年代の人ではありません。
その荼毘に伏された灰の中から、一羽の鳥が舞い上がって、
天高く何処までも何処までも飛んで行ったとか、そういう設定が
こっそりあったりなかったりします。それを見たアミバが彼の正体を察してるとか、
そういう設定もあったりなかったりします。
多分、本編ではこれ以上彼について語ることはない、はずです。


それはそれとして、皆様毎回毎回コメントありがとうございます。
個別の返信はしませんが、間違いなく更新の励みになってます。
ちなみに、当方アナザールート等の予定は一切ありませんので、
ビアンカやフローラが好きな人は残念ですが妄想で済ませてください。

※タイトルの誤字修正しました。



[18799] 第二十四話:Walls have ears.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:438debd1
Date: 2010/09/04 15:38
第二十四話:Walls have ears.
     (壁に耳あり障子に目あり)



「ん……あぁ……」
ベッドの上で身を起こし、背筋を伸ばす。ばきばき、と体の節々が鳴る。
結婚が決まってからは、この別邸で飯食ったり寝たりしている。
ルドマンとしては、一緒に食べたいらしいが、俺はまだあくまでも婚約者で、
あいつらの本当の家族になった訳じゃないから、とテキトーこいて遠慮している。
実際は、食事のマナーなんざこれっぽっちも知らねえし、
これから先覚える気もさらさらねえから、それについてとやかく言われるのが面倒なだけだ。
旅に出ちまえば、マナーについてなんざ言われないだろう、多分。
……どうだかな。あいつのことだから、恥をかかせるな、って
一々教え込んできそうな予感がするが、ま、考えるのはやめておこう。
こうやって先延ばしに出来るのも、後三日のことだがな。
後三日で、俺は結婚する。我がことながら未だに信じられん。
俺に、家族が出来る。《俺》が捨てたもの、『俺』が無くして、探し続けてるもの。
ああ、何か実感が湧かない。
「夢、見てるみてえだ」
「なら永眠させてやろうか」
感傷に浸る余裕さえ与えず、俺の傍らから不機嫌な声がした。
「へえへえ」
指に魔力を込めるピエールの言葉を、適当に聞き流す。
ようやく理解したが、別に何も本気で俺を爆殺したいわけではないらしい。
ピエールなりの、ウィットに富んだジョークだ、と、スラリンが言っていた。
「あー、そうだ。テメエら今日はちょっと馬車の方で待機してろ」
傍らに置かれたポットから水をグラスに注いで呷る。
「なになにー? ジャギ、デボラと子供作るのー?」
「ぶーっ」
盛大に水を噴き出した。勿体ない、などと思う余地もない。
「ななななっ、何言ってやがんだスラリンテメエエエエエ!!」
体が勝手に動いていた。足元で跳ねていたスラリンを掴み、思い切り壁に叩きつける。
「わわっ、どうして怒るんだよぉ、ジャギ」
受け身を取り、くるりと一回転したスラリンが不思議そうな声を出す。
「……おいピエール、テメエスラリンに何教えてんだ」
ぼきぼきと指を鳴らし、がしり、と元凶に相違ない奴の兜を鷲掴みにする。
掴んだ兜はみしみし音を立てる。
「わ、私はただ、結婚とは何か、と聞かれたから答えただけだ?」
「ほぉ? 何て言ったのか言ってみろ」
「に、人間のオスとメスが番になる儀式だ、と」
「……成程、間違っちゃねえな」
再び足元に寄ってきたスラリンが、ピョコピョコ跳ねながら主張する。
「番になるってことは、子供作るってことでしょー。それくらい、僕も知ってるんだからね」
人間だったら、多分胸を張ってんだろうな。
「成程、よぉく、解った」
窓へ近づき、開ける。吹いてくる風が爽やかな良い朝だ。
俺は、にこり、と笑みを保ったまま、スラリンとピエールを掴んだ。
「だが許さん」
大きく振りかぶり、勢いをつけて、全力で、窓の外まで投げ飛ばした。
ぼちゃん、ぼちゃん、と二つの水音を聞きながら、ふう、と息を吐く。
傍らでじっと黙っていたゲレゲレの頭を撫でる。
「結婚式でいる衣装の採寸をしに仕立屋が来るそうだ。
 魔物に慣れてないといけないからな、テメエらは外。そう伝えておけ」
俺だって、流石にいつもの旅装で式を挙げないくらいの常識はある。
つうか、どう考えたってこんなボロ服じゃ駄目だろう。
これで結婚式を挙げる奴は、相当時間が無いか相当阿呆だ。
「がる」
扉に手をかけて、のそりと外へ出ていく。
ばたりと閉めた窓の向こうには、池から這い上がるピエールの姿が見えた。
スラリンは……まあ、スライムは元々水棲生物だというし、大丈夫だろう。


少し遅い朝飯をとった後で、仕立屋は来た。……何故かデボラも一緒だ。
「何でテメエが居んだよ」
「あら、小魚がどんな風になるか見ものじゃない。昔から言うでしょ馬子にも衣装って」
椅子に座り込んで、じっとこちらを見上げるデボラ。
反論しようと思ったが、別に見られて困るもんでもねえだろ。
《俺》だった頃はむしろ積極的に見せてたしな胸。
……今、俺は何も考えなかった。なんか馬鹿げたこととか考えなかったぞ、うん。
「それでは、とりあえず上を脱いでください」
「おう」
普段着ている服を脱ぐ。恥ずかしがるような柄じゃねえ。
「……ちょっと、あんた何よそれ」
「あ?」
声に振り向くと、デボラが目を丸くしている。
「それ、ってどれだよ」
「その体の、傷」
「……ああ」
そういやすっかり忘れてた。俺の体中には、奴隷時代に鞭打たれたり、
蹴り飛ばされたりした傷が、所狭しと残ってるんだったな。
流石に、こっちは幻だった、ってわけにもいかないか。
「色々、あったんだよ」
「……後で聞かせなさいよ。これは命令だからね」
「へえへえ」
会話の最中も、淡々と採寸する仕立屋。
こういう言い争いとかには慣れてんだろうか。手早く済ませていく。
その間、俺はさてどう説明したもんか、としばし無言だった。
「終わりました。少々大き目ですが、これくらいなら既製品の手直しで十分です」
手元の帳面に、カリカリと寸法を書きつける。
それを覗き込みながら、デボラは残念そうにため息をついた。
「もう少し時間があったら既製品じゃなくて、私がデザインした
 オリジナルの服を着せてやったのに。残念ね」
「遠慮する」
こいつがデザインしたら、恐らく部屋にあるような羽やら小さい宝石やらが
ごちゃごちゃ付いたとんでもない服になるに違いない。
そんな服を着る趣味は生憎俺にはない。何処ぞの妖星やら殉星やらなら着るかもしれないが。
「それでは、式には間に合わせますので」
ぺこり、と一礼して出て行く仕立屋。
「で、聞かせなさいよ、傷のこと」
「あんまり、楽しい話じゃねえぞ」
ベッドに座った俺の前まで歩み寄ってくる。
何をするつもりだ?
「馬鹿ね」
ぴん、と額が指で弾かれる。
「んだと?」
「夫婦なんだから、隠しごとはなしに決まってるじゃない。だって、家族なのよ」
「いや、それは無理だろ」
家族の間に隠し事はない、なんて馬鹿げた考えだ。

《親父》は、北斗神拳伝承者なことを、養子をもらうことを隠していた。

『父さん』だって、母さんが生きていて、勇者を探すことを隠していた。

『俺』だって、《俺》の記憶があることを、父さんに隠していた。


「そんなの、無理に決まってる」
それだけ告げて、俯いた。
「そうね、無理かもね。でも、傷のことは話しなさい」
顎をぐい、と掴まれて、無理やり上を向かされる。
「傷のことだけじゃないわ。あんたのこと、全部話しなさい」
少し動けばぶつかってしまいそうな程に近づけられる顔。
こちらを覗き込む。青い瞳から、目をそらせない。
「親を死なせたってことも、そんな傷を負った理由も、全部受け止めてあげるわ」
「何、で」
「私が、あんたの妻になるからよ」
はっきりきっぱりと言われた言葉に、胸がざわつく。
心臓が早鐘を鳴らす。顔に熱が集まる。
「私は器が大きいからね。あんたの抱えてるもん、一緒に抱えてあげるわよ」
「あ……」
その言葉に、ふっと合点が行く。
こいつの前で、言わなくても良いことを言っちまうのは、
俺が……こいつになら、全てを話せる、そう、思ってるから、だ。
「ほら、話しなさい」
真剣な眼差し。しかし、口元はニヤリと吊り上がっている。
この自信満々な態度に、俺はどうも弱い。
「少し、長くなるかもしれない」
「良いわよ」
捕らえていた手を離して、俺の隣に座る。ぎぃ、とベッドが軋んだ。
青い瞳は、じっ、と俺から逸らされることはない。
「……俺は、ガキの頃から、親父に連れられて、旅をしてた」
だから、吐き出した。
『親父』と一緒に旅をしていたこと。親父に認めて欲しくて、
洞窟を探検したり、オバケ退治に行ったり、妖精の国を救ったこと。
その親父は、俺が油断してたせいで、力が足りなかったせいで、
俺をかばって、モンスターに殺されてしまったこと。
それから、ヘンリーと一緒に掴まって、奴隷にされたこと。
背中の傷と、顔の傷はその時に鞭打たれたりして出来た傷であること。
十年経ってようやく、その場所から逃げ出したこと。
故郷が滅ぼされていて、悲しかったこと。
親父の遺志を知って、母親を取り戻すために勇者を探す決意をしたこと。
兄より優れた弟は居ないのに、うじうじしてるヘンリーの尻を蹴飛ばして、
ラインハットを取り戻す手伝いをしたこと。
巡った町、出会った奴ら、今までの『俺』の人生を、一気に吐き出した。


「……大変だったのね、あんたも」
思った以上の話だったのか、少し疲れた様子でデボラが息を吐く。
「でも、中々面白かったわ。私、旅をしたことはないから」
「面白い、で済まされる話でもないがな」
「本当、大変だったのね」
不意に、デボラの手が、俺の頭をわしわしと撫でる。
「な、何してやがんだ」
「今まで頑張ってきたあんたを、労ってやってんのよ」
デボラの微笑みは、優しかった。
「大変だったし、これからも大変だけど、私が傍に居てあげるわ」
「あ……」
じん、と目の奥が熱くなる。こうやって、自分がやってきたことを、
誰かに認めてもらったのは……、そういえば、どんだけけぶりだ?
『父さん』が死んでからは、そんなことは、全く無かった、はずだよな。
「その、なんだ、」
柄にも無く、感謝の言葉を述べようとして。
「だから、隠し事は、なしにしなさいよ」
その言葉に、凍りついた。
「何、言ってんだ。俺は、全部話したぞ」
『俺』のこと、は。
「女の勘舐めないでよね。あんた、まだ隠し事してるんでしょ?」
中身までは、知らないが、デボラは気づいている。
俺が、まだ言えなかった話が存在することに。
背筋を、じっとりと嫌な汗が伝った。
「……悪ぃ、言えない……」
《俺》のことなんざ、聞かせられる、わけがない。
だから、話さない。
「そう……」
デボラの表情が曇る。それでも、前世の記憶が存在していることも、
どうしようもねえクズだったことも、言いたくなかった。
話しちまったら、きっと、こいつに嫌われる。
それは、嫌だ。
「でも、そう言ってくれんのは、凄く、ありがてえ」
聞きたい、と、受け止める、と言ってくれたことが、嬉しいのは、確かだ。
「俺、本当、お前を選んでよかった」
ぽろり、と口から漏れた。……待て。今のこれ、凄く恥ずかしい。
「あ、いや、その、なんだ」
なんとか今の台詞を無かったことにしてもらわなきゃなんねえ。
カッと熱くなった顔を、デボラに向ける。
デボラも、俺と同じくらい、真っ赤だった。
「なななななっ、何当たり前のこと言ってるのよ。
 とっ、とーぜんじゃない! 私を選んでよかったのなんて!!」
怒ったデボラが、ポカポカと殴りつけてくる。別に痛くはない。
ただ、妙な考えが頭に浮かぶ。今のデボラが、とてつもなく、……可愛い。
「デボラ」
思わず両手を捕らえた。ちょっと手に力をこめれば、折れそうな細い腕。
「な、何よ」
見上げてくるその顔、頬が少し赤く染まっているのが、可愛い。
衝動に突き動かされて、そのまま、顔を近づけ……
「姉さん! ジャギさん! お昼の用意が」
「あ」
「あ」
「あ」
ばん、と扉が開き、威勢のいいフローラの声が聞こえてきた。
途端、三者三様に間抜けな声を上げ、ヒャドの呪文でもかけられたかのように、凍りつく。
「……だ、駄目ですよ、ジャギさん! 結婚前にそういう行為は!
 い、いえ、愛し合う二人にとっては当然の営みですけど!」
フローラの顔が湯でダコみたいになる。
「ちょっ、待て、そこまで考えてねえ!」
流石に真昼間からやらかす程じゃねえぞ!
「も、もう離しなさいよジャギ!」
体から力が抜けた隙をついて、デボラが腕を引き抜く。
「この馬鹿ッ!」
「ぎゃあ!」
ガリッ、と付け爪で思い切り頬を引っ掻かれ、悶絶。
そんな俺を放置して、デボラはフローラの手を引っ張って屋敷へと戻っていく。
「いやあ、いい雰囲気だったのに残念だったな」
入れ違いに入ってきたピエールが、床に転がる俺の肩を叩く。
「何で知ってんだ」
「ドア、ちょっと開いてたよ?」
スラリンが素直に答える。
ひっかき傷の残る頬を抑えながら、俺はちらりと扉に目をやる。
扉は、未だに開け放たれたままだ。
「見てたのか、ピエール達は」
「見てたし声も聞こえていた」
「どの辺りからだ?」
「途中からだ。仕立て屋が来た辺りから」
それは、最初から、というんだ。
「……バギマ」
呪文一つで完成した竜巻が、出歯亀共を外へ吹き飛ばした。



──────────────────────────────

※作者からの差し入れ※

とりあえずここに塩置いておきますね。




[18799] 第二十五話:Love is the star to every wandering bark.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2010/09/11 13:31
第二十五話:Love is the star to every wandering bark.
(愛は全ての船を導く星である)



 結婚式、前夜。
今夜で俺の独身生活に終止符が打たれる。
明日の朝には、山奥の村までベールを取りに行かねばならない。
「よし、全員寝たみてえだな」
本邸の灯りが消えたのを確認し、呟き、手早くカーテンを閉めた。
「ジャギ、この期に及んで逃げるつもりではないだろうな?」
「んなわけねえだろ。ただ、ちょっと行きたいとこがあるだけだ」
「ビアンカさんのところか?」
「アホか。それこそねえよ」
訝しげなピエールの頭を軽く叩く。
「ちょいとばかし、出かけてくる。安心しろ、式の前には戻る」
誰を連れてもいかず、俺ただ一人で、出かけたい場所に、今から向かう。
別邸の近くにある出入り口から、町の外へ向かう。
止めてある馬車の所へ向かい、声をかけた。
「おい、パトリシア」
馬小屋の中で眠っていたパトリシアは、俺の声に気づくと重そうな目を二三度瞬かせた。
「テメエ、人を乗せて走れるか?」
問いかけると、こくこく頷く。旅をしていて解ったが、こいつは相当頭の良い馬だ。
ひょっとしたら、かつて世界を救った奴と共に世界を翔けたという、
天馬の生まれ変わりかもしれない、なんてピエールは言ってた。
「じゃあ、ちょっと頼むぜ」
馬に乗ったことはないが、頭が良いらしいからどうとでもなるだろう。
馬小屋からパトリシアを出し、手綱を持ったままルーラを唱える。
行き先は、ラインハット。もっと言えば、その北東。
……あの、遺跡だ。
城の前に付くと、パトリシアを一旦しゃがませる。
「よし、立てるか?」
「ひひん」
任せておけ、と言わんばかりに立ちあがる。
馬の上ってのは、思ってたよりも高いもんだな。
服越しに、馬の温もりがしっかり伝わってきて、バイクとは全然違う。
ぱしん、と手綱を鳴らすとそれを合図にしてパトリシアは走り出した。
「うおっ」
思ったよりも早えし、揺れが厳しい。
鞍もないから、足でしっかりと馬の体を挟みこまないと、即座に落ちちまいそうだ。
それでも、夜風を切り裂いていく感覚が心地いい。
こんな風に、長い距離を高速で移動するのは、久しぶりだ。
《俺》だった頃に、よくバイクに乗っていた時のことを思い出す。
そうして、必然的に一緒に居た、《アイツ》のことも。
情けねえ、と声に出さずに呟く。口を開けば舌を噛みそうだったから。
明日には他の女と結婚するってのに、なんて女々しさだ、俺は。
でも、きっと俺は、《アイツ》のことを、忘れられない。


「着いたな……、ここで少し待ってろ」
張った足にホイミをかけて痛みを和らげ、パトリシアの頭を撫でる。
ここから先へは、一人で向かう。
道端にいたスライムを蹴り殺すくらいのことは出来るのは確認済みだ、
モンスターが襲ってきたとしてもどうにかなるだろ。
そうして、遺跡の入り口を見上げる。夜の闇の中に大きく口を開けるそこは、
十年前と変わらず、何処か異様な雰囲気を醸し出していた。
数百年はありそうな遺跡だ、十年程度では、変わらんのだろう。
袋の中から松明を取り出し、遺跡の中へ歩みを進める。
ほんの僅かだけ歩き、思ったより早く聞こえた水音に、足を止めた。
「なんでえ、こんなに、近かったのか」
あの時、あともう少しだけ、走ることが出来ていたら。
頭に浮かんだ考えを一旦振り払って、俺はその場に胡坐を組む。
背負っていた形見の剣を、目の前の床に置いた。
激しい、何かが焼け焦げた跡が残る、そこに。
「『親父』……いや、『父さん』」
目の前の焦げ跡に、剣に、向けて、呟く。
「俺、結婚するんだ。とびっきりの、イイ女と」
こんな寂しい所に、親父がまだ居るなんざ考えてもねえし、考えたくもねえが、
それでも、最後に、俺が親父を見たのはこの場所だ。
だから、ここに、報告しておきたかった。
「少しばかり気位が高いが、なあに、あのくらい気が強い方が良い。
 俺と一緒に、旅を続けてもらうつもりだしな」
あいつは、待ってる、とは言わないだろう。仮に、言われても、連れて行く。
手の届かない所に、置いておきたくない。
俺は、もう、大事なモンを失くしたくねえ。奪われたくねえ。
《あっち》でも、『こっち』でも、俺は、大事なモンを失くしてる。
同じ目に遭うのは、もう、嫌だ。あいつが、大事だ。だって、あいつは。
「父さん。あいつは、俺の、家族になるんだ。家族、家族だよ。
 俺が、ずっと前に失くしちまって、二度と失くしたくねえ、大切なモンだ」
《あっち》では、裏切られて。『こっち』では、力が足りなくて。
「父さん……、俺、凄え嬉しいんだよ。柄じゃなくて、あんた以外に言えねえけど、
 俺、あいつと結婚出来るのが嬉しい。家族が出来るのが、嬉しい」
一瞬緩めた口元を、すぐに引き締める。仮面の下で、顔が強張る。
「でも、怖い。あんたは裏切らなかったけど、《親父》は裏切った」
《俺》に内緒で、勝手に家族を増やした。《俺》を選んでくれなかった。
血の繋がりはなくても、《家族》だと、《子供》だと、言ってくれたのに。
……父でも子でもなくていい、拳を教えてくれ、と迫ったのは、《俺》だから、
ひょっとしたら間違ってるんじゃないか、……一瞬浮かんだそんな考えは、
今考えることじゃない、と振り払う。
「父さん、俺は、あんたに誓いに来た。式じゃ、神に誓うらしいが、
 そんな見たことも会ったこともねえ奴になんざ、誓わない」
式の段取りで説明されたが、納得がいかなかった。
居るか居ないかもわからんもんに誓って、何の意味があるんだ。
だから、俺が、心から信頼する親父に、誓いに来た。
「俺は……、絶対に、俺の家族を、幸せにする。そんで、俺も幸せになる。
 誰にも奪わせない。絶対に失くさない」
ふう、と息を吐いて立ち上がり、剣を手にとって、
思い立ち、辺りをぐるりと見渡す。
全然違わない、と言ったがあの頃に比べたら小さく見えたし、
焼け焦げた跡さえも、僅かに薄くなっているように感じる。
加えて、あんまり殺風景で、寂しくなった。
「悪ぃ、今度は、花でも持って来る」
やることはやった。もうここに居る意味はない。とっとと退散しよう。
正直、ここに来るのは、まだキツい。
今だって、頭が割れるように痛む。それでも、ここできちんと、誓いたかった。
今度こそ、大切な人を守る、と。守れなかった、『俺』の大事な人に。
ぎゅ、と親父の剣を握る手に力が籠る。
「じゃあ、な」
くるりと向けた背中に、優しい声がかけられたような錯覚。
咄嗟に振り向くが、その気配も声も、既に何処にも無かった。


その後、すぐにルーラでサラボナに戻ったら、
何故かとっくに眠ってたはずのデボラに、出かけたことがバレた。
ぎゃんぎゃんわめいてるのを、眠気に負けて右から左へ聞き流す。
馬に乗るってのは、案外体力を使うもんだな。一つ勉強になった。
「逃げたかと思ったじゃない、ばか」
「惚れた相手との式の前に逃げる奴が居るわけねえだろ、ばか。
 つうわけで、明日は早いから寝る。テメエもとっとと寝ろ」
それだけ言って、さっさとベッドの中に潜りこんだ。
デボラも呆れたのか、それ以上何も言わずに、部屋へ戻ったようだ。
足音が、いつもより早かったような気がしたが、知らん。
疲れた体に、布団の柔らかさと温もりが心地良く、
すぐさま訪れた眠りに抗うことなく、俺の意識は沈んでいった。
夢も見ない程ぐっすり眠ったようで、ピエールに起こされた時には既に朝だった。
眠い目をこすって、鉄仮面を被る。朝食は途中で食べられる軽いものが用意されていた。
それを渡したデボラは、今からドレスの着付けに向かう、と言ったが。
「あ? なんだテメエ、その指は」
「な、何でもないわよ」
昨日の夜は確かになかったはずだが、何時の間にやら指先に包帯が巻かれている。
「ったく、式当日に怪我なんかしてんじゃねえよ。ホイミ」
ぽぅ、と淡い光が指先を包んだのを確認した後で、しゅるりと解く。
「よし、傷は残ってねえな。折角綺麗な指してんだから勿体ねえだろ」
手にとってしっかり確かめる。白魚のような、ほっそりして綺麗な指だ。
多分、重労働とかしたことなさそうだ。家柄が家柄だし。
こいつが料理してる光景を思い浮かべてみる。……ねえな。
「は、早く行きなさいよ、ばか! あと、そのお弁当ちゃんと食べるのよ」
「へえへえ、解りました解りました」
何故か俺をぐいぐいと押す。何か気に障るようなこと言ったか?
式の朝からこれで、大丈夫なんだろうか、と思わんでもないが、どうってこともねえだろ。
「……ジャギ、君は鈍感だな」
「は?」
ピエールがため息をついた。意味が解らねえ。首を傾げると、またため息をついた。
「いや、もういい。こういう男なんだ、諦めよう」
「何を勝手に自己完結してんだか知らんが、行くぞ」
その後、ヴェールを取って戻ってくるまでは、珍しいことにモンスターも出ず、
楽な移動が出来た。預かった弁当は、何故か鉄臭いし所々赤かったが、まあ不味くはなかった。


サラボナに戻ると、何やら派手な一団が居た。
その中に、見慣れた髪色を見つけて、ひょい、と眉をあげた。
「おーい、ジャギ!」
相手も俺に気づいたらしい。片手を挙げて声を上げ、駆け寄る。
「おう、間に合ったか、ヘンリー」
「ああ、なんとかな。いやあ、良い式になりそうじゃねえか」
広場に集う客を見ながら、ヘンリーは感心しきりだ。
俺は、こいつら全員を運ばなきゃなんねえのか、とげんなりするが。
「それにしても……」
ヘンリーはきょろきょろと辺りを見回し、こそこそと耳打ちする。
「お前の嫁さん、すっげえセクシーだな」
「テメエ……」
黙れ、と言わんばかりに俺が殴りつけるより早く、ぱしん、と軽い音がした。
「ヘンリー様、馬鹿なことおっしゃらないでください」
「う……わ、悪かったよ、マリア」
何時の間にか、隣に立っていたマリアが平手で頭を叩いたらしかった。
叩かれた場所を押さえて、眉をひそめている。
「ジャギさん、結婚おめでとうございます。とても素敵な奥様ですね」
「あー、ああ、ありがと、よ……くっ」
礼を返す声が、震える。
「くっ、くくっ、ははっ、ヘンリー、テメエ尻に敷かれてんのかよ」
「んだとコラ。尻に敷かれてんじゃねえよ、マリアを立ててんだよ」
「ヒャハハ、そういうことにしておいてやんぜ」
女の尻に敷かれるヘンリーなんざ、予想だにしてなかった。
いやあ、いいもん見た。笑いが止まらん。
「ジャギだってなあ、あの気が強そうな嫁さん相手じゃ、
 尻に敷かれるに決まってらぁ……」
ぼそり、とヘンリーが呟く。へっ、負け惜しみを。
俺が尻になんざ敷かれるわけねだろ。
「ちょっと、ジャギ! 帰ってきたならボケッとするんじゃないの!」
俺が帰ってきたのに気づいたらしいデボラが、つかつかと歩み寄ってくる。
派手なのは派手だが、いつもと違って露出が少ない。
そうやって黙ってると、金持ちの娘だけあって、高貴、っつーか、清楚っつーか、
なんかそういった感じの雰囲気を醸し出している。
「みんな待ってるんだからね、早く会場へ連れてきなさい」
口を開けば台無しな、いつものこいつだけどな。
「おー、おう、わ、解ってる解ってるって」
ぐい、と手をひかれて、ルドマンの前まで連れていかれる。
何故だか知らんが、後ろでヘンリーが腹を抱えていた。
ピエールが両肩をすくめていた。
なんか腹が立つ。後で殴ろう。


「ジャギ……ちょっとジャギったら……」
「ん……、なんだよ……」
あれだけの人数を一度に運ぶと、思ったよりも気力を使うようだ。
移動した後、その場に倒れこんだ。
今の状況を鑑みるに、どうやらベッドに運ばれていたらしい。
ぼんやりとした視界に、不機嫌そうな顔のデボラが映る。
「もう、やっとお目覚め? 今回は大目にみてあげるけど、式ではシャッキリしてよね」
「おう……」
「段取りは解ってるんでしょ?」
「まあな。説明は受けてる」
ベッドから起き上がる。真っ白なタキシードを着た自分の姿が、傍に立てられた鏡に映る。
「似合わねえな」
「ま、確かに服に着られてる、って感じね」
俺にタキシードが似合わないのと対照的に、
デボラはスタイルが良いからか、ドレスがしっかりと似合っている。
「いいけどな、どうせ一回しか着ねえだろうし」
撫でつけられた髪にも違和感を覚える。
こういう礼服は、俺にはとことん似合わないらしい。
親父似だから、顔は悪くねえんだけど、にじみ出る雰囲気がいかんのだろう。
「……っと」
頬の横にかかった髪を、耳にかける。そこに、露わになる傷跡。
髪を下ろしたままなら隠れているであろうそれを、敢えて晒す。
「傷、隠さないの?」
「隠さねえ。この傷があったから、俺はお前を選んだんだ」
この傷しかない、と言ってくれた。この傷を、受け入れてくれた。
「そう。じゃいいわよ別に」
「……な、デボラ」
扉に手をかけて、ふ、と思いついたことを口に出しておく。
「何よ」
「ドレス、似合ってるぞ」
「……は、早く行きなさいよ、ばか!」
てしん、と後頭部に枕が当たった。何で褒めて怒られにゃならんのだ?
式が終わったら、誰かに聞いてみよう。
女心は、さっぱり解らん。


一歩外に出ると、視線が一気にこちらに向けられるのが解った。
その目には、一切の悪辣さはない。皆、俺を祝福している。
……こんな風な視線を、《俺》は知らない。
これは、『俺』だからこそ、向けられている視線だ。
俺は、幸せになっても、いいんだ。
ふつふつと、胸の奥に温かいものが湧き上がる。
何だかそれが妙に照れ臭くて、少し速足で神父の前まで進む。
到着したのとほぼ同時に、ばん、と大きな音がして、思わず身が竦む。
連続して鳴る音。あ、これはあれか。ただの花火か。
ほっと息を吐いて振り向くと、デボラがルドマンに連れられて、こちらへ歩いてきていた。
真っ赤な絨毯の上を、静々と、しかししっかりと前を向いて、歩いてくる。
「手」
俺の数歩前で立ち止まり、こちらに手を差し伸べる。
「ああ」
絹の手袋に包まれた手をしっかと握って、神父の前まで歩き、並び立つ。
「汝、ジャギはデボラを妻とし……、健やかなる時も、病める時も、
 その身を共にすることを誓いますか?」
「はい」
これはあくまで儀礼。本当に誓うべき相手には、とうに誓ってきた。
「汝、デボラはジャギを夫とし……、健やかなる時も、病める時も、
 その身を共にすることを誓いますか?」
「え? 何で、あなたにそんなことを誓わなきゃいけないわけ?」
「……は?」
おい、待て、それは、どういうことだ。
嫌なのか? 俺との結婚は、ナシってことか?
さっ、と顔が青ざめ、体中に冷や汗が流れる。
「私のことは私が決めるわよ。無論、ジャギとは結婚するけどね」
「……っは」
続けて出てきた言葉に、全身の力が抜ける。
傍若無人だとは思ってたが、ここまでとはな。
「いいから、先に進めなさいよ」
「あわわ。で、では、指輪の交換、そして誓いの口付けを」
面喰った神父の顔が愉快だった。
「……驚かせんな、頼むから。断られるかと思った」
「ここまで来て断るわけないでしょ、ばか」
互いの指に指輪をはめながら、言葉を交わす。
見下ろした顔は、ほんのり赤いように見えた。
「いいこと、ジャギ。私に恥をかかせないでよね」
「上手くやれる自信はねえから、諦めてくれ」

デボラが目を閉じる。汗ばんだ手で、その肩に手を置いた。

ゆっくりと顔を近づけていく。とてもじゃないが、顔を見られない。

頬が熱くなっているのを感じながら、目を閉じた。

自分の心臓の音が五月蠅過ぎて、周りの音はよく聞こえない。

ゆっくりと重ねた唇が、温かくて、涙が出た。




────────────────────────────────


今回のタイトルはシェイクスピアのソネット116の一節の改変です。




[18799] 第二十六話:The Past stands besides happiness forever.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2010/09/23 19:43
第二十六話:The Past stands besides happiness forever.
     (幸せの傍らに、過去は永久に佇む)



 唇を離し、一息ついた途端に、遠のいていた周りの音が戻ってくる。
何一つ遮るものがない顔が、酷く熱を持ち、それが瞬時に全身に回った。
儀礼とはいえ、人前で口付けした、という事実に、
今までに感じたことのないような気恥かしさを感じる。
「あら、照れてんの?」
「だ、黙ってろ」
くすくすと笑われても、否定の言葉を吐くことが出来ない。
こんなに居たたまれない気分になったのは、初めてで、気分が悪くなりそうだったが。
「ジャギー! おめでとー!」
ヘンリーの声の後に、ぴぃ、と甲高い口笛が続く。からかいのつもりだろう。
「ジャギー! おめでとーう!」
ビアンカの、明るい声が聞こえる。
「ジャギさん、デボラお姉さん、おめでとうございます!」
フローラの、心の底からの祝いの声が聞こえる。
俺の耳に届く、声、声、声。
どれもこれも、俺と、デボラのことを祝福するものばかりだ。
「……デボラ」
「何?」
「幸せに、なろうな」
じん、と熱くなった目で、デボラを見下ろす。額をつん、と突かれた。
「あんたが私を幸せにするのよ。そうしたら、私はあんたを幸せにしてあげるわ」
満面の笑み。幸せに、出来るだろうか。
俺はこれからも旅暮らしで、こいつが望むような贅沢はさせてやれないだろう。
「努力は、する」
そう言ったら、ぺしり、と額を軽く叩かれた。
「好きな相手と一緒に居られるのよ、幸せじゃないわけないじゃない。
 全く……察しなさいよ、この、ばか」
小さくなっていく語尾。その頬は、ほんのりと赤い。
……確かに、女心なんか解らないが、流石にこれは解る。
「なんだ、照れてんのか?」
「だ、黙りなさいよ」
にやり、と笑ったのが気に入らなかったらしい。足を思い切り踏みつけられた。
「こほん、ジャギ。デボラとじゃれあっているところすまないんだがね」
「のわぁ!」
「きゃあ?!」
いつの間にか隣に立ってたんだおっさん! 二人揃って変な声出しちまったじゃねえか。
「宴会はサラボナだ。早速送り返してくれたまえ」
……面倒くせえ。けどまあ、朝からあの鉄の味がする弁当しか食ってねえし、
豪勢なメシのためだと思えば、面倒くささも半減する。
「じゃ、全員正面に集めてくれ」
精神力使うが、今の俺は酷く満ち足りた気分だ。倒れるようなことには、ならんだろう。


 サラボナへ帰ってすぐ、飲めや歌えやの大宴会が始まった。
街の奴らが次々に祝いの言葉をかけてくる中、妙な奴らがいた。
本当に、本当に心底気の毒そうに、俺に励ましの言葉をかけてくる奴らだ。
どうも、そいつらはデボラの性格について心配してるらしい。
けっ。我が強ぇのも、ワガママなのも、この何日かで十分把握してる。
オドオドしてるよりは、ずっと良い。
「と、俺は思うんだがテメエはどう思う、ヘンリー?」
十杯から先は数えるのを忘れた杯を呷りながら、隣のヘンリーに問う。
「んー、確かにま、ちょっと気が強そうだよな、お前の嫁さん」
「だーかーら、その物怖じしねえ性格が良いんだっつってんだよ。
 ったく、人の嫁にイチイチ文句つけるんじゃねえっての」
酒に浮かされた頭と舌が、軽い。
ぷっ、とヘンリーが噴き出した。
「んだよ、何笑ってんだ?」
「いやあまあ、何、おかしくってさ」
肩を震わせて堪えていたようだったが、とうとう抑え切れなくなったらしい。
バシバシと俺の方を叩きながら、大声で笑った。
「また随分、嫁さんにベタ惚れだなぁジャギ! おアツいことで何よりだぜ!」
……さっき、俺が言った言葉。あれは、あれか。世間でいう、『ノロケ』か。
「全く、見事なノロケだったぞ、ジャギ」
心を読んだかのようなタイミングで、ピエールがうんうんと頷いている。
足元のスライムの頬がほんのり赤いのは、酔ってるからだろう。
「テメエら、学習能力ってもんはねえのか!」
ごづん、と鈍い音が二つ響いた。酒に酔ったせいで手加減を忘れたが、
まあこの程度で死ぬような奴らじゃねえから大丈夫だろう。


 結局、宴会が終わったのは日もとっぷりと暮れてから。
「……疲れた……」
どう、とベッドに倒れ込む。流石に、半日も飲みっ放しは体がもたなかった。
ただでさえあの人数をルーラで運んで気力を大幅に使ってたもんだから、
抗い難い眠気が、体を襲っている。
「くぁ……」
欠伸が出る。倒れ込んだ布団の柔らかさが気持ち良い。
このまま寝ちまうには、服が堅っ苦しくて邪魔だ。
脱ぐか……、ボタンが上手くとれねえ、飲み過ぎたか?
でも、破く、わけにも、いかねえしな……、よし、脱げた。
脱いだ服は、とりあえず床に放っておきゃあいいだろ。
もぞもぞ足を動かして、靴も脱ぐとベッドに潜りこむ。
サラサラし、ヒンヤリとした布団が、火照った肌に直接触れて心地よい。
あぁ、実に良い気分だ。腹はいっぱいだし、喉も渇いてねぇし、
柔らかい布団で眠れて、他の奴から祝ってもらえる、幸せを願ってもらえる。
天国、なんてもんが万に一つもあるんなら、きっとこんな感じに違いねぇ。
そんなことを考える内に、瞼はとうに落ちている。
眠気でボヤけた頭で、それでも、誰かがドアを開けたのは分かった。
入ってきた奴は、俺の頭上で何かぶつぶつ言ってるが、霞んだ頭では、聞き取れない。
眠いんだから、静かにしろ、という言葉を口に出すのさえ億劫だ。
俺が喋らないことで、そいつは諦めたらしく、押し黙る。
シュルリ、と何か布が落ちるような音が聞こえる。
酔ってると、普段は気にしてもないような音に注意が向くらしい。
ややあって、布団が捲られた。ベッドマットのスプリングが、軋む。
「む……?」
捲られた布団を取り返そうと、適当に手を伸ばす。
ふにょん、と何かが手に当たった。布団とは違った、柔らかい何かだ。
「やわ、ら、かい……」
抱き枕に、丁度よさそうだな。当初の目的だった布団を被り直す。
柔らかいそれを引き寄せ、両腕で抱え込んだ。
「ん……、イイ……、ニオイ……だ」
鼻の頭をそれに埋め、ニオイを嗅ぐ。花のような香りがした。
すべすべで、しっとりで、良い匂いがするそれを、しっかと抱いたまま、
俺は訪れた誘惑に抗うことなく、眠りに落ちていった。


目を焼いた光に、瞼を開く。目に飛び込んできたのは、赤く染まった部屋。
二、三度瞬くと、霞んだ視界がはっきりしてきた。
何度か見慣れた炎に照らされた赤ではないことに、安堵の息を吐く。
これはそう、単に夕日に照らされてるだけの、赤だ。
「って、夕日だァ?!」
がばり、と身を起こしつつ叫んだ声は、ガラガラに嗄れていた。
「がっ、げっ、げほっ、げほっ」
「起き抜けに大声なんて出すから、はい、水」
差し出されたグラスになみなみと注がれた水を、一息に飲み干す。
「遅いお目覚めね、ジャギ」
手渡した本人、デボラは口を尖らせている。
「もう夕方よ。あんたって、寝たら中々起きないのね」
これはまあ、奴隷時代のクセだろうなあ。とにかく一分一秒でも長く寝て、
体力を回復しないと、次の日に差し支えちまうからな。
「息してなかったら、死んでると思ったに違いないわ」
言葉の端々がなんだか刺々しい。
「俺だって、こんな時間まで眠っちまうとは思わなかったっつーの。
 ただ、あんまり、あんまり、気持ち良かったもんだからよ」
昨日は、今まで感じたことが無いくらい幸せで、心地よくて、
あんなに安らかに眠れたのなんて、初めてじゃなかろうか。
特に、あの柔らかいなんかが最高に気持ち良かった。
ちらり、とそこらに視線を送ってみるがそれらしいものはない。
どうやら、片づけられちまったらしい。
「まあ、結婚式の後休む間もなく皆を連れ帰ったし、それからあの大宴会だったものね。
 今日のところは許してあげるわよ」
腕を組んだまま、デボラがキッと険しい視線を向ける。
「ただ、これからは私より早く起きること。あと、私より先に寝るのも禁止」
「へーへー、分かった分かった。それより食うモンねえか?」
きるきる、と腹が鳴る。朝も昼も飯抜きだし、仕方ないことだ。
「まったく、どうしようもないわね、この寝とぼけ小魚は」
「おい、何かいつもより手厳しくねえか?」
「知らないわよ。あと、食事ならそこのテーブルの上」
視線で示す先を見れば、ベッドサイドのテーブルに、食事が並んでいた。
サンドイッチとゆで卵と、果物が幾つか。
物足りない気もするが、寝起きの腹には丁度良いくらいか。
ひょい、と手を伸ばしてサンドイッチを掴み、そのまま一口齧る。
昨日の弁当と同じように、鉄の味がした。
「あら、何よその不満そうな顔は」
「いや、別に不味くはねえんだけどな、なんか、こう」
妙な味に首を傾げる。
「ブランチ用に作ったのにこんな時間まで放置されてたら、
 味が悪くなるのも当然じゃない」
作った? ああ、それで、さっきから腕組みしてんのに、
指先は両方とも二の腕の下に隠してるのか。
「デボラ、手」
「な、何よ」
「いいから、見せろ」
少しきつめの声を出す。そろり、とデボラがバツの悪そうな顔で、指先をこちらに向けた。
「鉄くさいと思ったら、やはりそうか。ホイミ」
包帯の巻かれた指へ向けて、治癒呪文を唱える。
「旅に出たら、飯は俺が作るから、テメエは無理すんな。
 こんな鉄臭いもん食わされちゃかなわねえ」
「何よ。だったら食べなきゃいいじゃない」
手にしたサンドイッチ取り上げようとするのを、ひょいとかわして口に放り込み、飲み込む。
「うるせえな。食えないわけじゃねえんだからいいんだよ。残したら勿体ねえだろ」
水と食料の重要性は、身に染みついている。
飯を粗末にするような奴は、馬か白鷺にでも蹴られてしねばいい。
「……いいわよ、もう」
諦めたのか、ベッドに腰掛ける。
「それで、これからのことだけど。私も旅についていくわよ」
「最初から連れてくつもりだ」
ゆで卵を齧り、咀嚼する。もう少し柔らかい方が好みだな。
「そう、よかったわ。家で待ってても退屈なだけだもの」
二口目で、卵は俺の腹へ完全に消えた。む、塩かけるの忘れた。
次に、とりあえずミカンっぽいものを手に取る。
皮を剥くと、良い匂いが鼻をつく。房を一つ一つ取るのも面倒で、そのまま齧る。
表面の白い部分には栄養があるから剥かずに食え、と
教えてくれたのはそういや、誰だったかな。
「ね、ジャギ」
「おう?」
「一生、私に尽くしてくれなくちゃ、いやよ」
「俺は、俺がやりたいことをやるだけだ」
ミカンも二口で飲み込む。少し険しい目をするデボラに、きっぱり答えた。
「惚れた女を幸せにする、ってのはそのやりたいことの中に入ってる」
ベッドから立ち上がると、クローゼットを開く。
中にしまわれていた、着なれた旅装束に袖を通す。
やっぱり、こっちの方がしっくり来るな。
「んじゃ、行くか?」
デボラに向かって、手を差し出す。
「……一応、パパに話しておいた方がいいわよね」
「俺の嫁なんだから、どうしようと勝手だと思うんだが」
「あら。あんたの嫁でもあるけど、パパの娘でもあるんだもの。
 子供の心配しない親なんか、いやしないんだからね」
そう、なんだろうか。心配、するもんなんだろうか。
《親》は、《子供》を、心配するもんなんだろうか。
ずきり、と頭が痛む。くそっ、こんなに幸せだってのに、
この頭痛は消えてはくれないらしい。
「ほら、むくれてないで行くわよ」
デボラが俺の手をしっかりと握って引っ張る。
「だな」
この手に伝わる温もりを、俺は今度こそ、守ろう。
そう思えば、頭痛など何処へともなく飛んでいった。


「やっとおでましか。心配したが、こうして見ると中々似合いの夫婦だぞ」
本宅を訪れると、ルドマンは満足そうにニコニコと笑っていた。
「ヘンリーさん達は、今朝早くお帰りになったよ」
もう少し話したかったが、残念だ。まあ、会いたきゃルーラでいつでも飛んでいけるけどな。
「で、帰って行く前にと話を聞かせてもらったよ。
 母親を救うために、伝説の勇者を探す旅をしているそうだね」
リビングに置かれていた宝箱へ、ルドマンが近づく。
その内一つから取り出されたものに、俺は目を奪われた。
「これが、我が家に代々伝わる、天空の盾だ。翼を閉じた竜神を象った、とされておるよ」
「これが、天空の、盾」
渡されたそれを、まじまじと見つめる。
神々しい輝きを放つそれは、確かに伝説の一品であるに違いない。
腰につけた袋の中で、カタカタと何かが揺れるような感覚。
咄嗟に盾をデボラに押し付け、袋の中から天空の剣を取り出した。
共鳴するように、二つの武具は強く光を放つ。
あまりの眩しさに、咄嗟に目を閉じる。
瞼を焼く白い光。その中に、おぼろげに浮かび上がる、光景。

『これを、預かっていて欲しい』
髭を蓄えた、小太りのオッサンに手渡される、天空の盾。
『いつまで、ですかな』
何処となくルドマンに似たオッサンは、それを受け取りながら尋ねる。
『いずれ……、彼女の予言の通り、この盾を必要とする勇者が現れるまで』
手渡したのは、緑の髪を持つ青年。顔は、見えない。
『……城で、預かってもらっていた方がいいのでは』
『いや。彼女の言葉によれば、それでは駄目だそうだ。
 必ず、この地上に置かれていなければならない、と』
男はそう言って首を振る。この男が、伝説に残る、勇者、か?
かつて、地獄の帝王を討ち倒したという。
『出来れば、そんな勇者など、必要のない世界なら良い』
『……そうですねえ。私も、私達が守ったこの世界が、
 いつまでも平和なら良いと、本当に思いますよ、勇者殿』
オッサンがそう呼ぶと、男は困ったように告げた。
『もう、勇者と呼ばなくて良い。普通に、名前で呼んでくれ』
『ええ、解りましたよ、』
オッサンは、確かに勇者の、男の名前を呼んだはずなのに。
その名前が、まるで切り取られたように聞こえなかった。


「どうしたの、ジャギ。クックルーが爆弾石くらったような顔をして」
デボラの声に、こちらに引き戻される。
「そりゃ、いきなりピカーッと光ってびっくりしたけど、それだけじゃない」
どうも、あれは俺だけに見えたらしい。
「何でも、ねえよ。とにかく、受け取って良いんだな?」
「うむ。それで、デボラ。ジャギが旅に出ている間だが……」
「ああ、そのことなんだけど、パパ。私、ジャギについてくことに決めたから」
そう言い放つと、ルドマンが眉をひそめた。
「むむむ、お前のことだからそういうのではと思っていたのだが、
 やはり、旅は危険すぎる。お前は大人しく、家で待っていなさい」
「心配すんな。女一人くらい守るから」
剣と盾を袋にしまいこみ、デボラの肩を抱き寄せながら告げる。
「むう、そうかね。しかし、足手まといになってもいかんしなあ……。
 よし! ではこうしよう!」
ルドマンは、デボラの旅立ちにある条件をつけた。
それは、こいつが足手まといにならないことを証明するために、
ある場所まで冒険して、戻ってくる、というものだ。
地図で示された場所は、水門を挟んで山奥の村の反対側にある、一つの祠だった。
「この祠の中の壺の色を、見て来て欲しいのだ。鍵はデボラに預けよう」
移動の大半が船だ。これでデボラが足手まといになるかどうかなんざ、
解りゃしねえと思うんだがな。
「そうと決まったら、早速行くわよ、ジャギ」
俺の懸念も知らずに、早々に鍵を受け取ったデボラが、俺の腕を掴んで歩き出す。
外に出たら、馬車の中で大人しくしてて欲しいが、多分無理なんだろうな。

それにしても、あの幻は、何だったんだ。

どうして、俺にだけ、見えたんだ。

勇者の姿を見た途端に訪れた、心臓の裏がざらつくような、

首の後ろがじくりと焼けるような、あの不快感は、何だったんだ。

どうして俺は、あの勇者を、《知っている》、と思ったんだ。

解らないことだらけのまま、俺はずるずると引きずられていった。



────────────────────────


※作者からのお知らせ※

タイトルのことわざ縛り、やめました。

『天空御塩(てんからおしお)』

お世話になったあの人に、塩。

この話を読んでくださった皆様に、塩。




[18799] 第二十七話:Sorrow and Joy are today and tomorrow.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2010/10/14 21:33
第二十七話:Sorrow and Joy are today and tomorrow.
     (人間万事塞翁が馬)



 出発したのは夕焼けが空を赤く染めていた頃で、幾らも行かぬ内に日が沈んだ。
船乗り達は慣れたもので、真っ暗な湖の上をすいすい進んでいったが、
上陸するのは、明日にした方が良いだろうという結論になった。
あいにくと、今日の月は余り明るくない。目的の祠に、夜道を歩いて辿り着ける自信はなかった。
「……っはぁー」
甲板に出て、夜空を見上げながら思わず息を吐いた。
いつ見上げても、綺麗な空には、数えきれぬ程の星が瞬いていた。
「でも……、ねえんだよな」
手すりに寄りかかって、呟く。
船乗りに教えてもらった、ほとんど動かない北の星――北極星――の周りに、
見慣れた星が、一つも存在しない。
貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍、そして輔星。
そのどれ一つとして、今見えてる空には存在していない。
いやまぁ、輔星は見えない方が都合がいいんだけどよ。
あれは、見た奴に死を告げる星だからな。今見えても困る。
とにかく、それらがない、ということは、それらを繋いで象られる、
柄杓が存在しない、ということだ。
ついでにいうと、南の空には六つ星も、十字の星も、ない。
それを思うと、何度目かになるか解らないため息が口から零れた。
とっくの昔に理解しているはずなのに、何度夜空を見上げても、
俺はあの星を……、《北斗七星》を探しちまう。
あんな場所に、未練なんざ微塵もないはずなのに、な。
「あんた、まだ起きてるの?」
声をかけられて、そちらを向く。寝間着にカーディガンを一枚羽織った姿で、
デボラがそこに立っていた。
「……旅に寝間着持って来てんのかよ」
「野宿じゃないんだからいいでしょう。で、何してたの?」
「別に。ちょっと星を見てただけだ」
「星、ねぇ」
俺の隣に立ったデボラが、同じように夜空を見上げる。
「……町の中よりは、確かに多く見える気がするわ」
「ま、灯りが少ないからな」
「そっか。小さな星だと、灯りに消されて見えなくなっちゃうのね」
「……光の、強いもんばっかり、目に入るってことだ」
《誰か》と比べられては、劣っているとされた《俺》のように。
そんな考えが過った頭を、横に振る。
「私、そんなことにも気付かなかったわ」
「あ?」
手すりに頬杖をついて、視線を空へ向けたまま、デボラが呟く。
「パパの監視なしで旅をするのって、これが初めてなの。
 子供の頃に、何度か旅行したことはあるんだけどね」
デボラの口元が、楽しげに歪む。
「大変な旅だってのは、分かってる。でもね、私楽しくてたまらないのよ。
 例えば、たくさんの星が見える夜空とか、水の匂いとか」
ひゅう、と水辺独特の少し冷たい風が吹いてきて、デボラが身震いする。
「こういう、風とか、今まで感じたことがなかったもの」
松明で照らされた、デボラの笑顔は、本当に楽しげで、
俺は自分の心臓が、跳ね上がるのを確かに感じた。
「ね、ジャギ」
「な、なんだよ」
「少し寒いわ」
「……そんな薄着じゃ当然だろ」
風は冷たいし、大体こいつの服は少々薄過ぎる上に、今は寝間着だ。
「もう、気が効かないわね。ほら、こっちに来なさいよ」
そう言ったかと思うと、ぐい、と手を引いて、デボラが腕に抱きついた。
「なっ」
「……こうすると、暖かいわね」
デボラは、俺の体に縋って満足そうな笑みを見せる。
いやまぁ、確かに、一人で居るよりは二人でくっついてる方が暖かいだろう。
暖かい、ってのは十分承知してる。分かってる。だが、それより問題が。
「あー、デボラ」
「何?」
見上げてくる顔。その口元は、悪戯っぽく歪んでいた。
もしかしてわざとか、わざとなのか。
「……当たってるんだが……」
何を、なんざ言わせねえでくれよ、頼むから。
「当ててんのよ?」
くすくす声を立てて笑う。その視線は、俺を見上げたままだ。
「何照れてるのよ。私達、夫婦なんだからいいじゃない……ね?」
頬が、薄ら赤く染まっている。ああ、そういやあ、昨日は寝過ごした。
つまり、その、そういう、こと、か?
「あああああ、明日は、明日は早いから、ももも、もう寝るぞっ」
その意図を意識すると、体全体が熱を持つ。
この程度でうろたえる程初心でもねえし、向こうじゃ、それなりの経験もある。
ある、はずなのだが、どうしても心臓の鼓動は穏やかになってくれねえし、
顔は熱が籠り過ぎて今にも倒れちまいそうだ。
今日は無理だ、つうか、まだ無理だ。
折角のお誘いは、また後日、にしてもらおう。
逃げるようにして背を向けて、速足で部屋へと戻っていた。


余り眠れなかったせいでロクに動かぬ頭と体を叱咤しながら、パトリシアの手綱を引く。
デボラは、馬車の中に待機してもらっている。
こないだまで箱入りのお嬢様だった奴が、いきなりモンスターを相手に戦える訳が無いんでな。
「やってやれないことは無いと思うんだけどねー」
馬車からひょっこり顔を出して、不満げに口を尖らせる。
「頼むからそういうのはせめて武器を持ってから言ってくれ」
こいつが普段付けている爪。どうもそれを武器にしているらしい。
あんな細くて柔らかい体で、武器も使わずに戦うなんざ自殺行為じゃなかろうか。
これなら、ビアンカのように茨の鞭でも持っていてもらった方がマシだ。
「ま、戦いに関しちゃあんたの方が上だし、言うことを聞いてやらないでもないわ」
「へいへい」
「パパが昔は冒険家だったからねー、護衛用に体術とちょっとした魔法くらいは、
 習ったんだけど、駄目かしら」
「駄目だつってんだろ」
「あーあ。私もフローラみたいに、モーニングスターくらいは、
 使えるようになってたらよかったかしら」
箱入りお嬢様が学んだ護身術なんか、たかが知れてる、と言おうとして、
予想外の言葉が聞こえてきて耳を疑った。寝ぼけて聞き間違えたか。
「おい、今なんて」
「ん? ああ、あの子ね、力はあんまりないけど、結構武器使えるのよ?
 剣に、杖に、鞭。重いのは持てないけど。魔法の覚えもあの子の方がよかったわー」
馬車の中で、家から持ってきたお気に入りのクッションを背もたれにしつつ、
デボラが心底つまらなさそうに愚痴る。
「私は体術の方が好きだけどね。相手の懐に潜り込んで戦える爪とか、
 一撃で相手を押しつぶせる槌とか。剣も鞭も嫌いじゃないけど、
 杖とかの長ものはあんまり使えないのよね」
「……お前の親父は何でそんなもん教えてんだ」
使ったことはないが、モーニングスターがどんな武器かくらいは知っている。
戒律で刃物が使えない聖職者や非力な奴のために作られた武具らしいが、
実際は、杖の先に鎖で繋いだ鉄球をぶん回すだけの代物である。
どう考えたって、聖職者や、非力な女子供の武器ではない。
明らかに、モヒカン共が持っていた方が似合う。
「つうか、槌、っておかしいだろ。そんなもん女子供に護身のために教えるか?」
「何でも、パパのご先祖様は、色んな武器を使いこなす武器商人だったらしくって、
 その人の教えらしいわよ。剣とか斧とか棒とか算盤とか、何でも武器にしてたって」
嘘くせえ。絶対、どっかで誰かが吹いた法螺が混ざってる。
が、待てよ。昨日、盾を受け取った時に見えた、幻。
あれが本当なら、あのおっさんの先祖は勇者と共に旅をしてたみてえだから、
そんな風に、色んな武器が使えたっておかしくねえのかもしれない。
「そんなもんか」
驚きこそしたが、もう少しおとなしい武器を使え、なんざ言うつもりはない。
勝つためにはどんな武器を使おうが、別に構わねえもんな。
にしても、あの小太りがよくもまあそんだけ使いこなせたもんだ。
「ジャギ、目的の場所はあれではないのかね?」
ピエールが剣で示す先に視線を送る。
確かにそこには、古びた祠が一つ、姿を見せていた。


蔦や苔で覆われた祠。その扉に、デボラが鍵を差し込む。
ぎぃぎぃ軋んだ音を立てて、扉がゆっくりと開いた。
下へと下へと伸びる長い螺旋階段を見下ろしながら、デボラがふぅと息を吐いた。
「こんな場所のこと、初めて聞いたわ」
「当主以外には代々秘密、とかそんなんじゃねえのか?」
何気なく口に出した途端に、ずきり、と頭が痛む。
ああ、まったく、どうしようもねえな、俺は。
『父親』に、『教えてもらえてなかった』ってだけで、《昔》のこと思い出すなんざ。
「……大丈夫? 顔色が悪いけど」
「ちょっと高くて、めまいがしただけだ」
「確かにこの深さじゃねえ。ま、ここで見てたって仕方ないから行きましょ」
デボラがつかつかと歩み出す。俺とスラリン、ゲレゲレも、その後に続く。
「……ん? どした、ピエール」
ただ、ピエールだけが馬車の傍から動こうとしない。
「ああ、いや、その、私はここで敵が来ないか警戒していよう」
上ずった声。もしや、と声をかける。
「テメエ、ひょっとして高い所が苦手なのか?」
ぎくり、と解りやすく背を揺らしてピエールが沈黙する。
ニヤニヤ笑いながら見つめてやる。普段の意趣返しだ。
そんな視線に観念したのか、小さく息を溢した。
「……高い所が苦手なわけじゃあ、ない」
「ほぉ? じゃあ、何だってんだよ」
「……階段が、苦手なんだ」
「階段?」
高いとこが苦手、なら解るが階段が苦手ってどういうこった。
「……酔う」
ピエールの指先が、幾度か上下に動く。
「ああ」
納得して頷く。普段、平原を歩く時さえスライムに乗ったピエールの体は、
かちゃかちゃと上下に動いている。それが階段ともなれば、
上下運動はさぞ激しいことになるだろう。
「……降りたらいいんじゃねえか?」
「んもー、何言ってるのさジャギ。スライムナイトは、あんまり長いこと
 スライムから離れられないんだよ?」
スラリンが、呆れたような声を出す。いや、知らんぞ、そんなことは。
「スラリンの言うとおりなんだ、ジャギ。
 普通、スライムと騎士は一心同体。故に、離れては動けない」
開き直ったピエールは、本気で階段を下るつもりはなさそうだった。
前から気になってたスライムナイトの生態について、解決したようなややこしくなったような。
「あーまあ、いいさ。俺達だけで行ってくるから、馬車の警護頼む」
「御意」
そんなわけで、ピエールを残して俺達は階段を下る。
ぐるぐると渦を巻いた形に作られている階段は、ピエールじゃなくて酔いそうだ。
「あーもう、魔法で上と下を行き来できたらいいのに」
ヒールの高い靴を履いているデボラは、歩きにくそうで、そんな文句を言っている。
「同感だ。落ちるなよ」
落ちないようにその手をとりつつ、下へ下へと歩いていく。
「っ、と見えてきたな、あれか」
祠の底に、ぼうっと青い光が見えてきた。
「あれ、下まで降りないと駄目かしら」
「壺の様子を見て来い、って言われてんだから駄目だろ」
「頑張れー二人ともー、あとちょっとだー」
スラリンが声をかける。
「がう」
ズルしてる奴は黙れ、とでもいうようにゲレゲレが一声吼えた。
階段移動が大変なので、スラリンはゲレゲレの背中に陣取ってるから、そう言いたくもなるわな。
そうして下りた先には、妙な壺があった。
犬とも猫とも何ともつかないような、間抜けそうな顔の獣を模した壺。
それが、どういう理由か青い光を放っている。
だが、それを前にすると背筋がぞくり、と震えた。
「ね、ジャギ、あっちの、あれ」
デボラが、服の裾をひく。何故か小声だ。
「何だァ?」
デボラの指差す先。そこにあったのは……骨、だった。
頭蓋骨や肋骨、それに手足の形状を遠目に見る限りでは、
人間のものに、間違いない、だろう。
「マヌケな盗賊が、足でも滑らせたんだろ。気にすることじゃねえ」
「そ、そう、よね」
デボラの体が、ほんの僅かに震えている。
気丈なこいつでも、流石に人の死体は堪えたか。
「……一歩間違えたら、私達もああなってたのかしら」
「馬鹿かテメエは。俺がそんな失敗するわけねえだろ」
かたかた震える体を、少々強引に抱き寄せた。
「絶対に、落ちねえし、落とさねえ。ほら、帰るぞ。リレミトも使えねえからまた階段だ」
「……歩くのが面倒だわ」
照れ隠しなのか傲慢なのかよく解らない声で、デボラが呟く。
「んじゃ、こうすりゃいいだろ」
そのまま、デボラを横抱きに抱える。
「しっかり掴まってろよ」
面食らっていたデボラは、俺がそのまま歩き出したのに慌てて、腕を首に回した。
「落とさないでよね」
「落とさねえつってんだろ」
そのまま、一歩一歩慎重に階段を上っていく。
……ピエールを連れて来なくて、良かったかもしれない。
多分、あいつは今のこの格好を見たら、またいつものニヤニヤ笑いをしていた。


階段の上り下りに随分時間がかかった気がしたが、
実際はそんなに長いこと中に居たわけではないらしかった。
「おかえり。どうだった」
「お前は来なくてよかったよ」
色んな意味でな。
「あのねー、ジャギったらねー」
「はいはい、余計なこと言わねえでとっととサラボナへ戻るぞ」
喋り出したスラリンを摘まんで、馬車へ投げ込む。
もそもそと草を食べていたパトリシアが、顔を上げて鼻を鳴らした。
「ルーラは使わないの?」
「船の人員まで一斉に動かすとなると、精神力と魔力を使い過ぎるんでな」
結婚式のときでようく解った。あれはあんまり大人数を動かすのには向かない。
動かせて、精々、八人と言ったところか。……人じゃない奴らと一緒に移動する方が多いから、
八人、という言い方は間違ってるような気がするが、構わんか。
「で、サラボナに戻ってからの話だが」
「ああ、パパはね、旅用に船を一つ譲るって言ってたわ」
「……は?」
突然言われたそんな話に、つい間抜けな声を上げる。
「古い船でね、昔はよく旅行に使ってたわ。それを、譲るって。
 ラインハットの方の大陸と、こっちの方の大陸は大体回ったんでしょ?」
手にしていた地図を、ひょいとデボラが覗きこむ。
とん、とん、と地図の上に幾度か指先を置いた。
「だから、このテルパドールって国とか、こっちの大陸とかに行くしかない。
 で、そういうとこへ行くのに船は必要じゃない」
「そう、だな」
「でも、今定期船は出てないのよね、魔物が多過ぎて」
そういえば、ラインハットへ戻る船もない。近海で漁をするのさえ、
危うくなっている、という話を聞いている。
確かにそうやすやすと他の大陸へ渡る船は出せないだろう。
「だから、船と乗組員が、まるまる一つ私達のもの、ってわけ」
「それはまた……豪快な」
呆気にとられていると、デボラが笑った。
「当然じゃない。私のパパよ」
「……ああ」
妙に納得してしまった。確かに、そういう勢いで物事を決める辺り、
間違いなく、こいつとルドマンのおっさんは親子だ。


二、三度遭った魔物の襲撃は何なく退け、船に戻る。
それから寄り道せずにサラボナに戻る頃には、すっかり日が暮れていた。
「そうか……、壺の色は青だったか」
うむうむ、とルドマンは頷く。
「それで……、デボラは足手まといにならなかったかね?」
足手まといになるも何も、船と馬車に乗ってただけなんだが、と
俺が言う前に、デボラが口出しする。
「怪我もなく帰って来たのよ。足手まといだったわけないじゃない。
 大体、パパは心配性過ぎるんだわ。そんな風だから頭が寂しいのよ」
「ぶふっ」
不意打ちだ。反則だ。卑怯だ。噴き出さずにはいられない。
お前、そういうこというなよ。そりゃそうかもしれないけどさ。
「とにかく、私はジャギと旅に出るわよ。文句は言わせないからね」
「ああ……、解ったよ。お前は、昔から言っても聞かない子だったからなぁ」
困ったような口ぶりのくせに、ルドマンの声音は優しい。
これには、覚えがある。『父さん』がこんな感じの声で、よく話しかけた。
「二人とも、旅に疲れたら、いつでもここへ帰ってきなさい。
 ここが、お前達の家なのだからね」
「解ってるわよ、パパ。ここは、私の家で、ジャギの家」
デボラがいつものように笑って答える。
「うむ。さて、今日はもう休むと良い。別邸も、寝られるようにしてあるよ」
「そうねえ……、私の部屋だと、ちょっとベッド狭いわね」
思い立ったように、デボラが俺を見上げて首を傾げる。
「私の部屋だったら、あんたが床に寝ることになるんだけど」
「……あっちで、休む」
ふと浮かんだ考えで頭がいっぱいで、俺の声はぼそぼそしたものになってしまっていた。
「そうか、それでは、夕食は、あちらへ運ばせよう。ゆっくり、休むとよい」」


「……はぁ」
ベッドの上に、ごろりと転がってもう既に見慣れた天井を眺める。
見慣れた天井。何度も眠ったベッド。また、息を吐く。
ピエール達は居ない。新婚の邪魔をする程野暮じゃない、と言って、
馬車の中で眠っている。改心したとはいえモンスターなので、
人工の建物の中より外に居る方が寝やすいんだとよ。
「なぁに、しけた顔してるのよ」
ベッド脇に腰掛けていたデボラが、額を小さく弾く。
「何でもねえさ……ただ、なぁ」
「ただ?」
「……家族が、出来たんだな、って……」
ルドマンの、あの優しい声は、デボラだけに向けられていたものじゃない。
俺にも、きちんと向けられていた声だ。親が、子供に向ける声。
そんな声を、もう一度聞けるなんて、信じられなかった。
「なんか、よ。俺ぁ、まだ夢を見てるような気分だ」
デボラが、黙っているのを良い事に、俺は言葉を続ける。
「周りで起きてることが、信じらんねえ。十年奴隷やらされて、
 逃げ出して、この街に来て、一月も経たん内に、
 テメエと出会って、結婚して、家族が出来た、なんて」
瞼を閉じ、顔に腕を乗せる。真っ暗な、闇。
「今、この腕をどけたら、あの岩天井が見えても、俺は驚かねえ。
 ああ、夢だったんだな、って納得するだけだ」
これは、奴隷の俺が、見ている幻なのかも、しれない。
あるいは……、《俺》が死に際に見ている、幻かもしれない。
そうだと言われても、多分、俺は受け入れるだろう。
「だって、あんまり幸せ過ぎる」
《いつか》、そんな《夢》を見た気がする。
《俺》と、《あいつら》が、きちんと《家族(きょうだい)》で居られた《夢》を。
いつ見たのかも思い出せない、ただの夢想。
だけどあれは、ひょっとしたら、もしかしたら、万に一つの可能性だが、
《俺》が、本当に望んでいた光景だったのかも、しれねえ。
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ」
飛んでいた思考は、腕がぐいと掴まれ、動かされたことでこちらへ戻ってくる。
瞼ごしに光が入ってくる。思ってたより、眩しくねえ、な。
目を開けると、デボラが不機嫌そうに俺を見つめていた。
その両手で、しっかりと俺の片腕を掴んでいる。
「あんたは、ここに居るわ」
その腕を、何を考えたのかデボラが胸に導いた。
「私も、ここに居る」
胸の中央から、やや左。そこに宛がわれた俺の掌に伝わる、少し早いくらいの、鼓動。
「……馬鹿なこと、考えた……、すまん」
この温もりや、鼓動が、幻や夢だなんて、んなこと、あるわきゃねえんだ。
「いいわよ、別に。この私と結婚出来たんだもの。夢みたいに幸せで当然じゃない。
 今までは不幸だったかもしれないけど、これからは、幸せよ」
笑うデボラの、少し赤く染まった頬から、目が離せない。
少し歪んだ口元から覗く白い歯が、眩しい。
「なあ……」
「何?」
「……灯り、消しても、いいか」
「……いいわよ」
ベッドサイドのランプを吹き消す。
それから、ゆっくりと、掴まれているのとは反対の腕を
デボラの背中に回して、抱きしめる。
この柔らかさには、覚えがあって、苦笑する。
一昨日目を覚ました時に、こいつの機嫌が悪かったのは、そういうことか。



────────────────────────

※作者からの一言※

自分で書いておきながら甘過ぎて生きるのが辛い。

次回からはもう少し起動修正しないと糖尿で死ぬ。




[18799] 第二十八話:The life needs a rest.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:1203e4d1
Date: 2010/11/22 23:29
第二十八話:The life needs a rest.
     (人生には休息が必要である)


体中に心地いい倦怠感が満ちている。目を開けるのが勿体無い。
「いつまで寝てんのよ」
ぐいと頬を抓られた。どうやらこのまま眠らせてはもらえないらしい。
「……おひゃよう」
「私より先に起きなさい、って言ったじゃない」
尖った口も膨らんだ頬も、ほんの少し顔を傾ければくっつきそうなくらいに近い。
そんな位置から覗きこむ目に浮かぶ怒りの色は、ほんのわずか。
「うるせぇ」
デボラの枕になっていた腕を引き抜いて、背中へ回す。
「キャッ」
「テメエがもっぺん寝るような目に遭わせてやりゃあいいんだな?」
そういうと俺はニヤリと口元を歪めて、
「デボラお姉さん、ジャギさん、お父様がお呼びで」
ばん、と勢いよく開かれた扉。感じる既視感。
問題は、あの時とは違って本当にその手のアレの直前だったことだ。
その場で起こったことをこれ以上詳しく述べるのは、
俺の世間体とかそういうもんに関わる。
とりあえず、茹蛸が三つ出来上がり、その内の一つは頬にデカい紅葉模様をこさえた。


「船が出せない、だ?」
頬を氷で冷やしながら俺はルドマンに問う。
「どういうことだよ」
「うむ。お前たちにやろうと思っていた船だが、長距離航行が久しぶりでな。
 色々と点検や整備が必要なのだよ」
ルドマンは説明を続ける。川や湖の奴より強いモンスターに対抗するために、
船には武器や防御壁なんかを積む必要があること。
それだけではなく、海水で腐蝕しないための対策が必要なこと。
旅程がどれだけかかるか解らないから、水や食料も万全に準備せねばならないこと。
「というわけで、早くとも一ヶ月はかかりそうだ」
「チッ」
一ヶ月もここで足止めを食え、ってことかよ。
ただでさえ、随分長いことこの町に留まっているのに、と焦りが湧いてくる。
それなりに旅人の行き来が多いこの町においても、勇者に関する情報は、未だ無い。
早く、お袋を助け出さなきゃいけねえっつうのに。
バカみてえな話だが、俺は嫁が、家族が出来てからなおのこと、
顔も覚えていない母親に会いたくてしょうがねえ。
俺が幸せなのに、俺の『家族』が不幸でいいわけがねえんだ。
それは、《あの頃》には絶対に抱かなかったであろう、感情だ。
「そう。じゃあ行きましょうか、ジャギ」
「は?」
……コイツ、話聞いてなかったのか?
「だから、船は出ねえんだろ? 何処行くんだよ」
「あんたが今まで回ってきたとこよ」
何言ってんだ、コイツ。
「折角旅に出られるのに、一ヶ月も家にいなきゃいけないなんてゴメンだわ。
 どうせだったら、その間に今まで行ったとこでも回ってた方がマシよ」
デボラは俺を見上げるときっぱりそう告げた。
その目を見る限り、反論を聞く気はなさそうだ。
「ほら、決まり決まり。それじゃあとっとと行くわよ。
 まずはオラクルベリーへ飛んでちょうだい。カジノよカジノ」
「……へぇへぇ」
逆らっても無駄な労力だ。そう言い聞かせて腕を引くデボラの後についていく。
デボラの提案は悪くなさそうで、のっかることにした。
今まで行ったとこなら、どんなモンスターが出るか、どうやりゃあ倒せるか、
そういった知識が俺の頭の中に入っている。
今までまともな戦闘をしたことが無いデボラに場数を踏ませるには、好都合だ。
そう、だから俺は、断じて、断じて尻にしかれてるわけじゃあねえ。


そうして一ヶ月と少しの間、俺達は見慣れた町をあちこち見て回ったが、
勇者やお袋に関する手がかりはこれと言って得られなかった。
オラクルベリーでデボラが大勝したり、ラインハットでヘンリーと酒を酌み交わしたり、
サンタローズでシスターに結婚を報告したり、
ルラフェンでア……ベネットにデボラを見せたらニヤニヤされたので殴ったり。
そんな何でもねえ日々を過ごしていた。
ようやく船に乗ってからも、南の大陸に着くまでは結構暇だった。
最初は海の広さに圧倒されたものの、一週間も乗ればなれちまったしな。
ま、途中で見つけた城やら豪華な建物やらであれこれはあったが、大したことでもなく。
辺り一面砂漠な南野に上陸するまでは、旅の途中とは思えないくらい穏やかな毎日だった。
「何やってんだか、俺」
砂漠の夜。身を切る寒さに耐えるように枯れ草や獣の骨を燃やして暖をとる。
寝ずの番をしている俺の口からは自然、そんな言葉が漏れていた。
「ここの大陸にある城にゃ、勇者の関係者の子孫が居るらしいっつう噂はあったが、
 結局、手に入った手がかりなんざそんなもんだ」
余りに手に入らない情報に、俺は焦りを覚えていた。
こんなにのんびりしていて、本当にお袋は救えんのか?
「……この日々が無駄だったとは、私は思わないよ」
声が返ってきてから、寝ずの番が俺だけじゃなかったことを思い出す。
「どういうことだ、ピエール」
パチリと獣の骨が爆ぜる。緑に燃える火を見つめながら、
ピエールはどこか感慨深げに呟いた。
「君の人生は……少し酷過ぎた。穏やかな時間があっても、悪くはない」
ふう、とピエールが仮面の下で深く息を吐く。
「ジャギ。この一ヶ月、君と出会った人々がどんな表情をしていたか覚えているかね?」
言われて、ハッとした。
カウンターの上にコインを山積みにして、デボラは笑っていた。
お互いの嫁について語りながら、酔いで顔を赤く染めてヘンリーはニヤけていた。
どうか幸せになってね、と涙を流してシスターは微笑んでいた。
ア……ベネットは、殴られた頬を抑えながら、幸せそうで何よりだ、と口元を緩めていた。
「……笑って、たな」
「そうだ。無論、彼らに相対していた、君も」
笑っていた、か。
「決して無駄じゃなかったさ」
「だな」
ピエールの言葉を受けて、口元が自然と緩む。
確かに、何か情報が得られたわけじゃあない。それでも、この旅が楽しい、と思えた。
大事な『父さん』が殺され、『母さん』のことを託され、
復讐だけを願って旅をしていた、デボラと出会う前よりは、ずっと楽しい。
比べるのも馬鹿馬鹿しいが――、あのフザけた世界で、
殺し、奪い、憎み、妬み、嫉み、怒り、していた頃よりも、ずっと。
また、パチリと獣の骨が爆ぜた。


……とはいうものの、砂漠の旅はそう楽観出来るものではない。
真っ直ぐな地平線が、大地と空を二等分していた。
からりと晴れ渡った空の青さが恨めしい。
灼熱の陽光を反射して、大地を厚く覆った砂は白い。
砂。砂。砂。一面どこもかしこも砂しかない。
《あの世界》の砂漠と読んでいた場所が、荒野でしかなかったことを思い知る。
「熱ィ……」
この暑さ、もとい熱さの中じゃ仮面なんざ被っていられねえ、と
早々と脱いで袋の中に放り込んでいるが、それでも熱い。
ジリジリと肌を焼く日の光の辛さは、火山の中のむわりとした熱気よりも辛い気がした。
熱でほてった体は、鉛のように重い。
「ちょっとジャギー、まだつかないのー?」
「うっせえな、ちょっと待ってろよ」
馬車の中から顔を出したデボラに、眉をひそめて答える。
袋から取り出した地図を見る。そこに記された羽ペン型のマークが
俺達の居所を示していると気がついたのは、つい先日だ。
「あー……、あのジジイが居たオアシスがここだろ?
 んで、城がここだから……、まあ今日の夜までにゃ着けばいいか」
今こそ晴れているが、これが砂嵐となると大変だ。
この間は幸い近くにオアシスがありそこに避難出来たからよかったものの、
こんな遮蔽物のないとこでアレに遭遇したくはない。
「やだもう。お肌が荒れちゃうじゃない。この所あんまり体調もよくないのに」
「だあもう、いいからお前は馬車の中にいろ」
今馬車の外に出ているのは俺だけだ。
この砂漠の熱は毛皮をまとっているゲレゲレや、体内の大半は水分がスライム族には厳しい。
結果として、消耗を防ぐために手綱を引く俺だけが外に居る。
戦闘の効率を考えるとこれが一番良い。
「ジャギー? 大丈夫なのー? ホイミいるのー?」
赤いゼリーがふよふよと視界に入る。いや違った。ゼリーじゃなかった。
「問題ねえ。ベホマン、テメエも中で待機してろ」
「わかったのー」
うねうねと触手を動かしながら、宙に浮かんだ赤ゼリーも馬車へと戻っていった。
ベホマンは、小さなメダルを集めているおっさんの城の近くで、
『デボラさんのお手伝いがしたいのー』などとぬかして仲間に加わった。
戦闘能力はあまりないが、何しろ治癒呪文のエキスパートだ。
こいつが居るおかげで、今まで回復担当だった俺とピエールが攻撃に専念できるようになった。
「! ジャギ、後ろ!」
「ちぃっ!」
デボラが叫ぶ。咄嗟に腰の剣を抜き、背中に感じた気配を振り返り様に斬り付けた。
「くきぇえええ!」
青白い肌と燃え盛る頭部を持つモンスターが、悲鳴を上げて消えていく。
だがそれが呼び声となったように、同じ姿をした奴らが、
二体、三体と嫌な笑顔をこびりつかせ現れた。
「またこいつらか!」
炎の戦士、と呼ばれるこいつらとの戦いは面倒だ。
ただでさえ暑い戦場が熱くなるんだ、たまったもんじゃあねえ。
「ジャギ、出るか?!」
ピエールが馬車を飛び出るより早く、デボラが飛び出した。
砂漠に降り立ったデボラの足元の砂が舞う。
足場にするにはいさかか不安定だが、気にも留めない。
腰にさしていた柄を掴み、抜き放つ。
ヒュン、と空気を切る音。デボラの手に握られていたのは、一振りのムチだった。
三本のムチが柄で一本に束ねられたソレの先端には、それぞれ刃物が付けられている。
「一箇所に固まってんじゃないわよ、バカね!」
女一人と油断したのか、一斉にデボラに襲い掛かったモンスター共。
一振りし、そいつらを打つ。二振りし、そいつらを縛る。後はもう逃げられない。
蛇の頭のように動き、先端の刃物がそいつらの額に突き刺さった。
「……いっちょあがり、っと」
「こえー」
カジノの景品として手に入れた最強のムチ。名を、『グリンガムのムチ』
そいつは誰も予想しなかったほど、デボラの手にフィットした。
「こいつらも、もう私の敵じゃあないわね」
砂に消えていく死体を二三度ヒールで蹴りながら、デボラが笑う。
俺としては、アレが夫婦喧嘩で使われることがないことを祈る。
「あら……?」
ふ、とデボラの視線が止まった。
「ジャギ、あれじゃない、その城って」
指差す先には、少し遠いが確かに城が見えていた。
「む、意外と近かったみたいだな」
「じゃ、とっとと行くわよ」
デボラが手綱を手にして歩き始める。
「っておい、肌が荒れるから嫌なんじゃなかったのかよ」
「あんた一人だと警戒できないとこもあるでしょ。真後ろに来る前に気づきなさいよ」
そういわれてはぐうの音も出ない。
「それに……、どうせならあんたと並んで……」
「あ? なんか言ったか?」
「な、何でもないわよ!」
おかしな奴だ。何にしろ、早くあの城へ行った方がいいだろ。
地図に記された名は、『テルパドール』
勇者の仲間の子孫が住むという、城だ。



────────────────────────

※作者からの一言※

お待たせしました。私事が立て込んでおりましてようやく投稿と相成りました。

ジャギ様とデボラのイチャイチャ新婚旅行編は私が糖死するのでカットです。




[18799] 第二十九話:The traveler in the dark thanks for the tiny spark.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2011/01/17 22:02
第二十九話:The traveler in the dark thanks for the tiny spark.
     (闇の中の旅人は小さな輝きをありがたがる)


砂漠の砂が橙色に染まる頃、ようやく目的のテルパドールへ辿りついた。
街ではあるものの、地面も舗装されていなければ、塀なんかもない。
塀があると、街が砂に埋もれてしまうのだろう。
モンスターに襲われた時の防護のためには必要そうなもんだが……
ああいや、こんなに見通しがよかったら近づく前にどうにでも出来るか。
「んじゃ、ここの王族に勇者の話を聞きに行くぞ」
歩きだそうとした俺の服の裾が、くいと引きとめられる。
「ちょっと、私いやよ、こんな格好で行くの」
「こんな格好って、ラインハットの城でもその服だっただろ?」
首を傾げると、呆れたといわんばかりの目で睨まれた。
「あんたどこに目ぇ付けてんのよ。髪はボサボサ、肌はガサガサ、
 おまけに、服の中は砂だらけよ。ほら」
胸元を広げんな。 見せんな。 周りを歩く奴らが、目を剥いてんぞ。
「見ればわかるように、汗もかいてるんだからね。ちゃんと宿に泊ってお風呂に入ってから…」
「わかった。宿は取ってやるから、な」
自分の見た目を気にするくらいだったら、そういう行動は差し控えてくれ。頼むから。
マントで隠すために抱きしめる。辺りを見渡せば、ちょうどいい具合に宿屋の看板があった。
「ほら、あそこでいいだろ、行くぞ」
「……うん」
「デボラ?」
返事に、さっきまでの覇気がない。そういや、最近具合悪いとか言ってたな。
旅の疲れが出ちまったか? 割と強行軍だったしな。こりゃ早く休ませた方がいいか。
「……あんた、先にお風呂はいんなさい……」
「……すまん……」
道理で、最近ゲレゲレが距離をとると思ったんだ。


俺が水に執着し過ぎることに関して小一時間叱った後。
「なんか疲れた」
との一言だけ残して、デボラは早々にベッドに潜りこんだ。
そのまますぐに寝息を立て始める。いつもならもう少し寝付きが悪いんだがな。
覗きこんでみる。顔色が少し青白いな。本当に具合がよくないらしい。
明日にでも教会でシスターに診てもらった方がよさそうだ。
今更だが、こっちではシスターや神父が医者の代わりをしている。
ホイミやらベホイミやらがあれば必要なさそうだが、あれはあくまで傷を治すモンであって、
重度の病気を治すにはそれ相応の手段が必要になるそうだ。
んで、そういう知識があるのは大体が神職者に限られる。
病気とは縁遠かった俺には、あんま関係ない話だがな。
「……少し外の風でも吸ってくるか」
隣の部屋のピエール達の様子を見に行こうかとも思ったが、今は独りになりたかった。
音を立てないようにそろそろと階段を上がる。
壁によりかかって、砂漠を見つめた。砂漠の日暮れはけして遅くない。
既に暗くなってはいるが、月と星の輝きでそんなに暗くはない。
白い砂が、何処までも続く世界。頬を撫でる渇いた風が、懐かしい。
生きるものも何一つないような、死の世界。
ずきりずきりとまたいつもの痛みが俺を襲う。
デボラは聞いた。
『奴隷時代だって、水には困ってなかったんでしょ?』
デボラは言った。
『なのに、あんたは水を大事にしすぎるわよ』
頭痛が止まらない。このまま頭が爆ぜそうだ。
脂汗で濡れた体から、砂まじりの風が体温を奪う。
言えるわけがねえ。水や食料を得るために人が殺し合ってたような世界にいたなんざ。
八つ当たりみてぇな理由で、まるで兎狩りみてぇに人を殺していたなんざ。

そんなことを知られたくない。

デボラに、嫌われたくない。

そんなガキみてぇな感情でいっぱいの俺を声を上げて笑おうとしても、
口から漏れたのは苦悶の呻きだった。
「はっ、どうして、こうなっちまったんだか」
幾らなんだって、今の『俺』は卑屈過ぎる。
「心当たりがないわけじゃないんだがな」
自分に言い聞かせるように、声に出してみた。強く吹く風がその音を攫っていって、
俺以外の誰の耳にも届いていないのを解った上で。
……弱いと知ってたはずだった。だのに、忘れて。強いと思い込んで。
その結果、俺は捨てちゃならねえもんを捨てた。
俺の慢心が、《アイツ》を殺したようなもんだ。
《世界(すべて)》への恨みを、《あの男》への恨みを吐きながら、
肉体が消滅するその瞬間に、《俺》は確かにそのことを後悔した。
だから、『ジャギ』として生まれてからも、守れないのが、力が足りないのが、怖かった。
それでも……俺はまた、慢心して今度も、大事な奴を殺した。『父さん』を亡くした。
その結果、俺は《あの頃》からはとても考えられねぇくらい、卑屈になっちまってる。
『父さん』が生きてたら、と何度浮かんだか解らない考えがまた過った。
《親父》とは、あのジジイとは違って、俺を本当に愛してくれていた父さん。
何だかわかんねえがよ、俺は今、どうしようもなく、あんたに会いたい。
顔を上げて空を見る。もう見慣れてもいいはずの星空は、やはりまだ見慣れない。


「さぁ、その兜を被ってみてください」
荘厳な廟の中で、女王がそう勧める。
被れねえのは百も承知だが、盾の時みてぇに昔の勇者が見えるかもしれない。
あの光景が、今の勇者を探す手掛かりにならないとは、限らない。
剣と盾の入った袋をかついだまま、触れる。
それぞれの存在に反応するように、三つの武具が光って。
その白い光の中に、また俺だけに見えるのだろう幻が浮かんだ。

『これを、アタシが?』
栗色の髪をした女が、首を傾げる。着てるもんは高価そうだが、
その服の下の肉体は女にしてはしっかりと鍛えられている。格闘家の体だ。
『ああ』
『よろしいのですか、天空の城で保管しなくて』
女の傍らに控えた、気弱そうな神官が勇者に問う。
今度もまた、勇者の顔は見えない。
『……が、見た未来ではな、これは地上になければならないんだそうだ』
『そっか。……さんも、未来が見えるんだっけ』
勇者と女が口にした、誰かの名前が抜け落ちたかのように聞こえない。
『も?』
『うん。うちの家系も見える人は見えるらしいんだ。アタシはそういうの全然ないけど』
だから、ちょっとだけ羨ましいな、と続ける女。
勇者はその言葉を受けて、しばらく黙って、ゆっくりと首を振った。
『……は、未来なんて見えない方が幸せかもしれない、と言っていたよ』
不意に、頭に過ったのは遠い子供時代、村にやってきた旅人の姿。
父さんは、あの旅人にラインハットへ行かないように、と言われたんだっけな。
あいつにゃ、あの後の未来が見えてたんだろうか。父さんの死も、俺の十年も。
俺の未来を知っていて、あんな言葉を向けたんだろうか。
『そっか。ま、それじゃあ兜のことは任せてよ!』
女が、胸を叩く。
『このサントハイム王家が、責任を持ってお預かりするわ!』
にっこりと女は笑った。
『どんな未来が見えたのか知らないけど、大丈夫だよ。あなたが守った世界だもの、』
また、勇者の名前が呼ばれたのだろうが、俺には聞こえなかった。
光が消えた後。ふと見ると女王が何か言いたげな顔をしている。
「何だぁ、その目は」
「……失礼ですが、ジャギ殿」
女王が真黒な瞳でこちらを見つめてくる。心を読まれそうで、ひどく不快な目だ。
「あなたのご親族に、『パパス』、という方は」
え。
「っ、なんで、テメェ親父の名前を!!」
「ちょ、ちょっとジャギ落ち着きなさいよ」
声を荒げた俺を、デボラが諌める。
「やはり。貴方の心に、強く勇者を求める思いがありました」
……こいつ、本当に心が読めるってのか。
「少しですが。そして私は、同じ思いを十数年前に見たことがあるのです」
そう、と呟いて、小さく息を吐いて、吸って、こちらを見据える。
「海を越えた遥か東の大陸、山と森と海に囲まれた大国グランバニアの王に、
 ……パパス王の、その心中に」
なん、だって?
「パパス、王?」
「ええ」
女王の話に曰く、パパス王は十数年前にこの地を訪れてやはりこの兜に触れたらしい。
自分が使えないことを大層悔しく思っていたので、事情を聞いたそうだ。
その事情とは、妻を魔界へと攫われ、助けるために勇者を探しているということ。
旅の供はサンチョという従者が一人と、まだ幼い息子だけ。
息子は、本来城においてくるつもりだったが、パパスから離れると火が点いたように泣くので
仕方なく、過酷な旅だが共に連れてきていたそうだ。
一息に語られたそれを聞いた。思考がついていかない。


宿に戻ってベッドに腰掛けるまでの、記憶は曖昧だ。
「女王の言うことが本当なら、アンタがそのグランバニアって国の王子ってことよねぇ」
気が付いたら、デボラが隣に座って俺の顔をまじまじと見ていた。
「……ないない。こぉーんな、小魚顔した王子なんてありえないわっ」
ぺしり、と額に指が跳んでくる。俺はまだ、動けなかった。
「何がそんなにショックなのよ?」
一言も発しない俺を不審がったのか、デボラが顔を覗き込んでくる。
「……笑わないで、聞いてくれるか?」
「安心なさい。どんな理由だって軽快に笑い飛ばしてあげるわ」
それじゃ駄目だろ、と思ったが気が抜けてつい理由を口にした。
「親父が、父さんが、俺に隠し事してたこと」
色んなことを隠している俺のことを棚に上げて、俺はそう思った。
家族だから全てを話して欲しかった。家族なのに全てを話してくれなかった。
それはまるで、『父さん』と《父さん》が同じでしかないような錯覚。
吐き気がする。めまいがする。頭痛がする。体が爆ぜそうだ。
「どうして……っ」
胸の中一杯に広がっていく苦しみから逃げるように、デボラに縋りついた。
「どうして、いってくれなかったの、どうして」
タイミングが悪かった。前の夜に『父さん』を思い出していたタイミングで、
俺が《父さん》に最初に小さく憎悪を感じた時のことを思い出させる事態になった。
解って嬉しいはずの真実なのに、父親に真実を隠されていたという、
その一点が俺の意識を《俺》だった頃に引き戻していく。
「かぞくなのに、どうして、どうしてだよぉ」
両の眼から、堪え切れずに落ちる涙がデボラの服に染みを作る。
いつもなら文句の一つ二つも言われそうだが、デボラは黙って聞いてくれていた。
「……大丈夫……」
とんとん、と宥めるように背中を叩く手が一定のリズムを刻む。
「何の理由もなしに、隠し事をする親なんて居ないわ」
「でも……」
「大丈夫よ。親が、子供を嫌いになったりするもんですか」
抱きしめられると心臓の音がした。
とくん、とくん、とくん。小さく、大きく、小さく。
「あんたの父親は、そんな人じゃ、ないでしょ?」
そうだ。『父さん』はそんな人じゃない。《父さん》とは違う。
きっと、何か優しい理由で、俺に黙ってたんだ。
「そう、だよな……すまん、うろたえた」
顔を上げようとしたが、デボラの胸の中は心地よくてまだ離れられなかった。
また心臓の音が聞こえた。小さく、大きく、小さく。俺の家族の音だ。
大丈夫。この音があるから、俺は壊れないで居られる。
「少し落ち着いたら、グランバニアへ行くわよ」
「何?」
「あんたが本当に王子かどうか、確かめに行きましょ」
違ったら、また旅を続ければいいだけじゃないと笑った顔に、
俺の中に籠っていた闇が退いていくようだった。




────────────────────────

※作者からの一言※

うちのジャギ様メンタル超弱ぇ。

こんなのジャギ様じゃねぇって思う方すいません。

あと更新が遅くなってすいません。




[18799] 第三十話:Experience teaches.
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2011/06/14 20:49
第三十話:Experience teaches.
(亀の甲より年の功)



 険しい山脈の合間を縫うように走る参道の麓で、休息をとる。
「宿の奴らの話じゃ、この山を越えた向こうがグランバニアって国らしいな」
「ええ」
答えるデボラの声がいつもより弱々しく聞こえる。顔もどこか青白い。
テルパドールからこっち、どうにも体の具合がよくないらしい。
「本当に大丈夫なんだな?」
「大丈夫だ、って言ってるでしょ」
それでも、こいつは問えば笑みを返してくる。
「家に居た頃より運動量が増えたのに、体が付いてこないだけよ」
「そうか……ま、じゃあしばらく馬車の中にでもすっこんでな」
疲れが溜まって来てんのかもしれねえが、歩みを止めるわけには行かなかった。
「グランバニアって、本当にジャギの故郷なのかなあ?」
ぴょんと肩に飛び乗ったスラリンが、じっと地図を見つめる。
「それを確かめに行くんだよ」
つっても、俺はそこが故郷だとは今一つピンと来ない。
『こちら』での俺の故郷は、あくまでもサンタローズだ。
物心ついてから滞在した時間は一月にも満たないが、そう思っている。
旅暮らしだった俺に向けて『おかえり』という言葉をあの村はくれた。
当たり前のように存在を肯定してくれた。
例えボロボロになっちまってても、それは変わらない。
どんなに酷い場所でも、あの場所が俺の故郷だ。
「しかもジャギの父上が王ということは、ジャギは王子なのだな」
ピエールが顎に指をあてマジマジとこちらを見る。
「ないわー」
「うるせえ」
ごん、と既に何度鳴らしたか解らない音。
「すぐ殴るのはやめてくれないか」
「殴られるようなこと言うテメエが悪い」
剣の束できらりと鳥の紋章が輝いた。


 山道は一応舗装こそされているものの、かなり荒れている。
多分、ここに巣食うモンスターのせいだろう。
先程から姿を見せる青い体躯のドラゴンは、その間抜け面に反して中々手ごわい。
水の洞窟に居たのに似た赤いトカゲ野郎は、山風を利用して上空から奇襲をかけてくる。
相当旅慣れた奴らじゃないと、こんな山道を通って無事じゃ居られねえだろうな。
「あー、やっと半分、ってとこか」
「高低差が激しかったから、倍近くは歩いたような気がするな」
ピエールが麓へ視線を向ける。野営した場所が大分下に見えた。
「倍以上、かもな。大丈夫かパトリシア」
やや力無いいななきが返る。どうやらそろそろ辛いらしい。
距離的にも辛いが、何より負担がかかるのは高低差だ。
高所になれば空気が薄くなり、ともすれば高山病にすらなりかねん。
「どっかで休みたいとこだな……ちっ霧まで出てきやがった」
おまけに視界まで悪くなるなんざ冗談じゃねえ。
せめて少しでも平地じゃねえと馬車を止めておけねえし、踏んだり蹴ったりだ。
「……お前さんら」
「ぎゃああああ!?」
ななななななっ、何だ何だ!?
「おやおや、そんなに驚かんでもよかろうにのう」
霧の中から杖の音と共に現れたのは、一人のババアだった。
「イッヒッヒ。ワシはこの近くの洞窟に住んでおるんじゃが、よかったら休んでいかんか?」
怪しい。物凄い怪しい。この霧もババアの仕業じゃないのかってくらいに怪しい。
「イッヒッヒ。そんな怖い顔をせんでもよいじゃろう。馬を止める場所もあるでな」
あっという間に俺の手からパトリシアの手綱をすり取る。
今や馬車を人質に取られたようなもんだ。こうなっちゃ仕方ねえな。
大人しくババアの後ろについて行くと、岩肌に、洞窟が開いていた。
確かに馬を休ませる空間はあるが、俺達が休める場所はなさそうに見える。
「どこを見ておる、こっちじゃ」
ババアが壁からひょいと首を出して声を上げる。うっかり心臓が止まりそうになった。
「この横穴の先に広い空間があってな、そこに住んでおるんじゃよ」
「いちいち人を驚かせんじゃねえよババア」
「イッヒッヒ。こればっかりが楽しみでのう」
このババア性格がねじ曲がってる。
「なんかあんまり長居はしたくないけど、仕方ないわね」
馬車から下りたデボラもため息をついた。
「注意だけは、怠らぬようにしよう、ジャギ」
「分かってる」
良い奴のフリして他人を騙すような奴には覚えがある。
――《あっち》ではそういう人間が、けっして少なくなかった。
「そういう物騒なもんは、出来れば馬車に置いてってくれるとありがたいんじゃがな」
前を歩いていたババアが、ぐるり、と振り向いた。
「ッ」
「安心せい。ここには外のモンスターは入って来んわい」
「(確かに、入口に邪悪な魔物避けの結界はあった)」
ひそり、とピエールが告げてくる間もババアはこちらか視線をそらさない。
だが外の、というだけだ。中に居る可能性だってあるだろう。
「あの剣、コイツの親の形見だから持たせといてやってくんない?」
「おや、そうじゃったか。なら仕方あるまいな」
ババアは視線を戻し、突き当たりにあった木戸を開ける。
「助かった、デボラ」
「何かあったら、真っ先に私を守るのよ、いいわね?」
「言われなくても当然だろうが」
機転に感謝し、ひそひそと声を交わす。なんかまたデボラの顔が赤い。
熱でも出たんだろうか。グランバニアについたら一度教会に具合を見せに行こう。


「この山は万年雪でな。湿度が高くてよく霧が出るんじゃよ」
「ほぉ……ほら飲め、ピエール」
ババアが差し出した体が温まる薬湯を、まずはピエールに飲ませる。
「……ふむ。体が温まり、少し落ち着いたな。悪い人というのは疑いすぎただろうか」
考え込むピエール。うむ、即効性のもんは入ってないらしいな。
「待てジャギ。今お前、私を毒見薬にしなかったか?」
「さて何のことやら」
肩を竦めて口に入れる。確かに体が芯から温まるようだ。
この少々の苦みも悪くないが、何より違うのは。
「良い水使ってんなババア」
「万年雪の雪解け水は美味いんじゃよ。しかしお前さんそれを飲んでよく水の味が解ったの」
俺の隣でデボラも湯のみに口をつけている。一口飲んでほっとした様子だ。
これで少しは具合もよくなりゃいいんだが。
「お前さんたち、目的地はチゾットかね、それともグランバニアかね」
「一応グランバニア、だな。チゾットってのはこの山の上にある村だったか」
「そうじゃよ。ほら、お前さんらも食べな」
ババアは台所をごそごそ漁ると干し肉をゲレゲレ達の方に差し出した。
チラリと視線を向けてくる。
「もらっとけもらっとけ」
そう答えると嬉しそうにがつがつ食い始めた。
――スライムって肉も食えるんだな。あんまり見たくない感じの光景だ。
オタマジャクシの腹の渦巻き模様が腸なのを思い出す系の。
「しかし珍しいねえ、魔物使いとは」
ババアが自分も椅子に座りながら自分の分も急須から湯のみについでいる。
「しかも女連れとは、お前さん方訳ありかい?」
「人の事情に首突っ込むと長生きしねえぞ、ババア」
「イッヒッヒ、違いないねえ」
ババアが笑う。それに合わせたかのように、カタカタと部屋の片隅のツボが鳴った。
「ひっ」
デボラが俺の腕に抱きついてくる。
「ああ、驚かせてすまんね。ワシのペットじゃ」
「あ、あら、そうなの。やあねびっくりするじゃない」
おほほ、と誤魔化してるがテーブルの下でしっかと俺の手を握っている。
「あのツボに入るサイズってことはネズミかしら?」
「いやいや違う違う」
ババアは壺を持って来ると、それをテーブルに置いた。
「ワシのペットで『あくまのツボ』のツボひこじゃ」
ツボの中で、ケケケとモンスターが笑った。
「そんなペットが居るかぁ!」
ってやべえ! ピエール殴る時の条件反射で剣を!
「イッヒッヒ、魔物使いに言われてものぉ」
だがババアは慌てず騒がず、その剣を受け止めた。
しかも、片手に悪魔のツボを抱えたまま、で。
「ババア、テメエ一体何者だ」
「ただの隠居ババアじゃよ」
ババアはそう言いながら鞘ごと剣を手元に引きこむ。
「にしてもまぁ、この剣をよくもここまで使いこんだもんじゃ」
鞘から抜いた剣をマジマジと眺める様が、あんまり愉快そうでどうすればいいか解らなくなる。
かたり、とテーブルに置くとまた部屋の隅から何かをごそごそと取り出している。
「どれ、少し研いでやろうかね」
持ってきたのは研ぎ石らしい。
「……ちょっと、任せちゃっていいの、剣」
デボラが耳打ちする。
「あー、多分」
さっき剣を見ていた目を見て、何かこのババアは悪い奴じゃない気がしてきた。
「ワシが研いでおくでな、お前さん方はもう寝ると良い」
ババアがニヤリ、と笑う。視界が歪む。
「先程の薬湯に眠りを誘う薬を入れておいたでな、朝までぐっすりじゃ」
「バ、ババア、テメ、エ」
信じた俺が馬鹿だった、とよろめく。
丁度背後にあったベッドに、どう、と倒れ込んで、俺の意識は途切れた。


そして目覚めたら特に何事も無く朝だった。
「……あんたと旅してきて色々予想外のことはあったけど」
寝起きの不機嫌そうな顔で、デボラがため息をこぼした。
「多分、今回のコレが一番だわ」
「……俺だって予想出来るかこんなこと……」
薬で寝たせいか少々頭は重いが体の疲れはきれいさっぱりとれていた。
「やあおはようジャギ。なんだかよく眠れた気がするよ」
一服盛られていたことも気付いていないらしいピエールはニコニコしている。
ゲレゲレも朝食として宛がわれたらしい干し肉をむしゃむしゃしている。
お前ら野生の勘とかそういうものを何処に忘れてきた。
「剣は研いでおいたから見てみな。朝飯も出来てるよ」
そう促され、俺は岩壁に立てかけてあった剣を手にとった。
「うぉ……」
思わず呻く。昔親父が振るっていたのと同じか、あるいはそれ以上に
切れ味鋭そうに光っている。
「あなた、本当に一体何者なのよ」
既にテーブルに座ったデボラが、果物の皮を剥きながら問うている。
「私はね、これでも名のある鍛冶屋だったんだよ」
「何っ」
驚いて声を上げると、ババアは楽しげに笑った。
「イッヒッヒ。自分の鍛えた剣を振るうのが楽しくてあちこち旅してたもんさ」
今のあんたらみたいにね、と口元を歪める。
「年をとって隠居でもするかって時に、一人の子供が来てワシに剣を一振り作って欲しいと言った」
「その子供の、名は」
「パパス。グランバニアに住んでるってその時は言ってた」
この剣を作ったのは、このババアってことか。
「条件としてワシはその子供が、ワシに剣で勝てたらと条件を付けた」
「それで、そいつはこの剣を作ってもらったのか」
「そうだね。そいつがここに会いに来てから五年経ってようやく勝ったのさ」
「五年!?」
当時はガキだったとは言え、このババア親父に五年も勝ち続けてたのか。
そりゃ俺が敵わないわけだ。
「途中で諦めるかと思ったけど、粘り強いガキだったねえ、まったく」
うんざりしてるように見せてるが、その口調は――弟子の自慢をする師のようだった。
「あいつに何があったか、なんてワシは聞かんがの」
一度に話して喉が渇いたのだろうか、ババアは湯呑の中の液体をすすった。
「その剣を持ってるからには、その剣に相応しい男でありな」
――難しいことを言う。俺は親父みたいに、まっすぐ、ひたむき、なんてのとは縁遠い。
誰かに尊敬されるような人間じゃねえし、誰かを守るために死ねもしないだろう。
そうあるには、《俺》の記憶が、心が、邪魔だ。
でも《俺》なくして『俺』は存在しないのだから。
「……イッヒッヒ。そんな難しい顔をするでないよ。冷める前に食いな」
うっせえババア。



────────────────────────


※作者からの一言※

大絶賛スランプ中→上手く話が進められない→話を進めたくなるイベントねつ造しよう
→強いババアって……いいよね←今ココ

実際問題あの山に独り暮らしのババア凄くね?

ババアに特にモデルは居ないです。転生者とかではないです。

更新は気長にお待ちください。

マサカ イチネン イジョウ カカッテ マダ セイネンキ ゼンハン トハ……orz



[18799] 第三十一話:NAMELESS LOVE STORY
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2011/11/28 23:24
第三十一話:NAMELESS LOVE STORY
  (作者ですがもう面倒なのでサブタイつけるのやめます)


 ババアに送り出され外に出ようとすると、
俺達と入れ違いに中に入ろうとする人影があった。
「あら、あんた確かパパの部下よね?」
「ああ! お嬢様! それにジャギ殿も!」
こちらの顔を認めて、何やら心底ホッとしてるみてえだ。
「私、お二人にルドマン様から荷物を預かってまして」
「荷物?」
「高名な仕立屋に作らせた特別な服です」
服、と聞いてデボラの目が輝く。
自分の身を飾り立てるのがこいつの趣味だから、当然のことだろう。
隣に居る女が美人なのに悪い気がするはずもなく、俺は特に文句も言わねえ。
荷物が増えるのに唯一不満を漏らしそうなのはパトリシアくらいだが、
軽いものだと言わんばかりに、歩みが遅くなることはない。
「これが、『雨露の糸』と呼ばれる不思議な糸で織られた『水の羽衣』です」
箱から取り出されたのは、水をそのまま織ったかのような不思議な服だった。
「うぉっ、なんだこれ、水?」
デボラを押しのけるようにしてそれを手に取る。
一見透明だが、服の表面に立ち上る水煙がそれを防いでいる。
ふと気になって指先を這わせてみりゃ、縫い目も見つからねえ。
何をどうすりゃこんなもんが織れるんだ。
「あんた、水関係に反応しすぎ」
俺の手からひょい、と水の羽衣が取り上げられる。
しばらく手触りを確かめた後、デボラは箱に戻した。
「悪くはないけど、体が冷えそうね」
「すいません、テルパドール辺りで追いつく予定だったのですが……」
男は申し訳なさそうにしている。
確かに、この服があればあの砂漠も大分楽だったろう。
「いいのよ、寄り道したのはジャギだもの。あんたは悪くないわ」
俺のせいかよ。
「それじゃ、パパに私達は元気だって伝えてね」
「はい……とは言っても、しばらく休んでからですが」
「ふむ、ならウチで休みなさるかね?」
「ひっ」
「ぎゃっ」
「きゃっ」
背後から聞こえたおどろおどろしい声。。
「イッヒッヒ。そんなにわしは怖いかのう?」
「こ、怖くなんかねぇ、驚いただけだ!」
「ジャギ、震えているぞ」
そういうテメエも震えてんだろうが、ピエール。



 標高が上がるにつれて、気温は下がり酸素は薄くなる。
だから、いっぺんに進み過ぎれば体調を崩してしまう。
そうならねえよう、少しずつ体を慣らしながら山を昇っていく。
道が途中から山肌ではなく内部の洞窟へと続いていたのは正直ありがたい。
気温や気圧の差から生まれる山独特の強い風を避けられるからだ。
「寒い……」
ぶるり、と身を震わせてデボラは馬車の中でゲレゲレに抱き着いている。
その顔がいつもより青白い。早いとこ次に休めるとこを探さなきゃならんか。
振るった剣は青い竜のウロコをあっさりと裂く。
研いでもらったからか、切れ味は格段に上がっている。
「ジャギ、風が強くなった。出口が近いのかもしれない」
剣の血を拭いながらピエールが視線を巡らせている。
俺も辺りを見渡す。傾斜の向こうに明らかに人工物らしい橋が見えた。
その先の穴からは外の明かりが差し込んでいる。
「うっし、一本道みてえだし少し急ぐぞ」
「わかったなのー」
ゲレゲレに代わり、馬車の外に出ていたベホマンの気の抜けた声に
なんだかこっちまで気が抜ける。こいつは何で声までふわふわしてやがるんだ?
「……む。何やら人の声も聞こえてきたが……」
「あ?」
ピエールに言われ、耳を澄ます。確かに人の声がする。
だがこりゃあ、洞窟の外からのもんじゃねえな。
「! ジャギ、誰かが襲われているようだ!」
ピエールはすぐさま駆け出した。俺も慌てて後を追う。
他人に構ってるヒマじゃねえんだが、どうせこの先は一本道みてえだし、仕方ねえ。
「少し速足になるぞ、しっかり掴まっておけ!」
「はー……い……」
ぐったりとした返事。ああもう、本当に他人に構ってる暇なんざねえ。
一刻も早く先に行って、こいつを休ませたい。



 誰かが襲われていたのは、出口にほど近い橋の手前だった。
襲われている男の防寒服の裾から覗く衣の色は青。
あのタイプの色は神父や僧侶の着物の色だ。
その周りには何匹かの死神兵の死体が転がっている。
「ハァッ!」
ピエールが最後の一匹に切りかかる。手にした槍ごとメタルキングの剣に両断された。
だがその向こうにデッドエンペラーが杖を構えているのが見えた。
ここに昇ってくるまでにあの動作は何度も見た。
杖の先の宝玉がバヂリと稲妻を光らせる。
「バギマッ!」
魔法が形を成す前にこちらも呪文を唱え対抗する。
出来あがった竜巻に切り裂かれ、杖がバラリと地面に落ちた。
「やれ、ピエール!」
「ウリャァッ!」
ピエールの剣に両断され、デッドエンペラーは再び物言わぬ死体に戻った。
「……おお、ありがとうございました」
その光景を眺めてた男はしばらく呆けていたが、どうやら自分が救われたらしい、と
気が付いて礼を言ってきた。
「俺達もこの先に用があってな。邪魔な奴を切っただけだ」
別にこいつらを助けたわけじゃない。少なくとも、俺は。
「すっごーい! おじさん魔物使いなんだね!」
男の防寒着の中から、ひょっこりとガキが顔を出す。
「あのモンスターを使って、ボクたちを助けてくれたんだろ!?」
「いいや。あいつが勝手にテメエらを助けただけだ」
こちらを見上げてくる視線から目をそらす。
よしてくれ、誰が好んで人助けなんざしてるもんか。
俺はそんな善人じゃねえ。
「もっとすごいや! おじさんモンスターの言葉がわかるんだ!」
……そういや、モンスターと話せるのは珍しいんだったか。
いつも話してるからすっかり忘れてたぜ。
つうか、おじさんって言うな。俺はまだ十代だ。
「いやあ、実にお強いですな旅の方」
ガキの肩に手を置いて、人の良さそうな顔をした男が話しかけてくる。
「私は一人旅の身の上ですが、自分の身を守るので手いっぱいですよ」
「? そのガキはテメエの子じゃねえのか」
「ぼくはそこを出たとこにあるチベットに住んでるんだ!」
ガキは風の吹いてくる方を指差した。
「こんなとこまでモンスター来ないと思ってたんだけど、何でか登ってきてて」
「追われていたところを私が保護したのですが、何しろ一対多数だったもので……」
「そうか」
こいつらの事情に興味はない。
「下であれだけジャギたちが暴れてたらー上に逃げるのも当たり前ー」
ふわふわ浮かびながらベホマンがそう言った。
「ねえねえ、この赤いのは何て言ってるの?」
ガキは恐れるでもなくベホマンの触手をふにふにと触っている。
「それより、あすこを出れば宿とかあるんだよな?」
「うん。一通りのお店はそろってるよ!」
それを聞いたなら、このガキと話すことはもうない。
パトリシアの手綱を引いて、足を速めた。



 暗い洞窟から一歩抜け出ると、外は夕暮れ時。
夕日の赤が白く積もった雪に反射している。思わず眩しさに目を細めた。
「とりあえず村についたみたいね」
ひょい、と馬車から下りてデボラが辺りを見回す。
「大丈夫なのか、おい」
俺の声に、そこらを通りかかった女がこちらを見る。
そいつの心配そうな視線がデボラに向かっている。
「あの……お連れの方、あまり顔色がよくないようですが……」
「失礼ね、私の顔色はいつも……バラ色……」
女に言い返す言葉の語尾が消える。
「れ……? なんか……世界が、私を中心に、くるくる、回って……」
ぐらり、と傾ぐ体。ぱたり、と倒れ込む体。
「デボラッ!?」
駆け寄る。抱き上げる。
「デボラ、おい、デボラ、デボラッ!」
揺さぶっても、返事がない。
顔色は地面に積もった雪と同じように白い。

《   》

そうだ。あいつも、こんな風に。

揺さぶっても、返事しなくて。冷たくて。白くて。

ずぎり、と殊更酷い頭痛が襲った。

意識が保てない程の苦痛。

思い出すな、と考えるな、と言うように。

俺の意識はそのまま暗闇に飲まれた。




「いつまで寝てるのよ、ジャギ」
布団を引き剥がされる。ん、布団? 俺は何時の間に宿に来たんだ?
「私、夢を見たの。夫をとびっきりの笑顔で起こしてあげる良妻の夢!」
俺から剥がした布団を持ったまま、デボラは眉をひそめている。
「まさに悪夢ね! 寝覚めが悪いったらありゃしない」
「だろう、な」
「ちょっと、否定しなさいよ」
口を尖らせたデボラの表情に、なんだか妙にほっとした。
「それで、あんたの方は具合はどうなの?」
「あ? 何のことだ?」
首を傾げると、また不機嫌そうに口がへの字に曲がった。
「倒れたのよ、私達」
「あ、あー、ああ、そう、だったな」
意識が暗闇に落ちた、って感じたのは気を失ったっつーことか。
「二人してタンカで宿に運んでもらったのよ。全く、しっかりしなさいよね」
「悪い」
未だ俺の顔を指差してる手をとって、握り締めた。
昨日とは違ってちゃんと温かい。手首からはきちんと脈が伝わってくる。
大丈夫、生きてる。こいつは大丈夫だ。だから――止まれ、俺の震え。
「大丈夫なんだよな、お前は」
「大丈夫じゃなかったら、こんな田舎まであんたについてこないわよ」
空いてる方の手でぺしぺしと頭を叩かれる。
「もう二日三日くらい、休むか?」
「今日は仕方ないとしても……」
顎に指を当てて、何か考えている。
「どうせ休むならここじゃなくてグランバニアの方がいいわ」
ここ寒いし、と笑う顔にまた安堵する。大丈夫。大丈夫だ、こいつは。
《アイツ》みたいに、あっさり居なくなっちまったりしねえ。
こいつを捨てちまうような事態には、絶対ならないし、しない。
「あ、おじさん、起きてる!」
開いた扉の向こうから無遠慮な声が響いた。
見られるのが気恥かしくて、慌てて握った手を離す。
「神父様、おじさんもお姉さんも大丈夫みたいだよ!」
「おお、そのようですね。お二人とも無事で何よりです」
昨日のガキと神父が俺達を見て笑みを浮かべた。
その笑みに他意はないはずだ、多分。
「ちゃんと礼を言うんだぞ、ジャギ」
傍らから聞こえてきた声にそちらを見る。
ピエールが腕を組んだまま壁に寄りかかっていた。
「君達を心配して馬車から下りたものの、モンスターだからと警戒された私達を」
「二人が『自分達を助けてくれた人だから』って説得してくれたんだ!」
「ありがとう、って言わないとだめなのー」
「お前らいつから居た?」
「倒れた友を放っておくほど、私は外道ではないつもりだよ」
成程。つまり昨日からずっとここに居たのか。
そんで、見てたのか、さっきのあれ。
「相変わらず睦まじいな君達は」
「うるせぇ」
ごん、と金属音が響いた。



 ガキと神父、それに俺達を宿まで運んでくれた奴らに礼を言いながら村を回る。
この村は一応グランバニアの領地のようで、『パパス王』や『マーサ王妃』について耳に入ってきた。
「魔物にさらわれた王妃を探して王は旅に出た」
「王妃は魔界と通じる不思議な力を持っていたらしい」
「それが原因でさらわれてしまったそうだ」
そんな風に二人について話した奴らは、最後に口を揃えた。
不思議そうに俺を見ながら「そういえば、」と。
「『似てる』か」
吊り橋の上からグランバニアの城を見下ろしながら独りごちた。
一泊した翌朝。馬車を一度向こうへ渡して、わざわざ戻ってきてまで城を眺めている。
そういう行動をとっちまうくらい、眼下に広がる森の中に建つ城に惹かれている。
視線を城から向こうへやれば、そんなに遠くない場所に海が広がっている。
いつだったか、潮の香りを『懐かしい』と感じたことがあった気がする。
海から吹く風に乗って、森を抜けて、潮の香りはきっとあの城へ届くだろう。
未だ遠くにありながら、漠然と感じていた。
多分、グランバニアは俺の故郷だ。
あそこへ行けば、誰か俺を知ってる奴がいるんだろうか。
「そんなとこでボサーっとしてないで、とっとと行くわよー!」
橋の向こうからデボラの呼ぶ声がする。
「おーう!」
応えて渡ろう足を進めようとして。
「おぅわっ!?」
誰かにぐい、とマントの裾をひかれた。咄嗟に綱に掴まって事なきを得る。
「だ、誰だ!?」
振り向くと、ババアが一人、しっかとマントの裾を握っていた。
「おい、よめっこ倒れさせて自分も倒れたバカモノ」
「あぁっ?!」
見ず知らずのババアにいきなり喧嘩売られる覚えはねえぞ。多分。
「ムダに山道歩きまわっからそんなことになるんだ」
「うっ」
山道のババアに道を教えてもらったもんの結局よくわかんなくなって、
あちこち迷っちまった俺の耳に痛い。
「これ、持ってけや」
ババアが押し付けてきたもんは、どうやら方位磁石らしい。
ああ、そういやここで作られる方位磁石は山道で役立つとかなんとか聞いたな。
「くれるっつーんならもらうけどよ……」
「それ、すっごく珍しくて普通の人なら一年は待たないと手に入らないんだからね!」
ひょっこりと顔を見せたのは、既に見慣れた顔のガキだ。
「ヨメっこさ、大切にしろよ」
言われなくても、俺なりに目いっぱい、大切にしてるつもりだ。
ただ、誰かを大切にするってことに慣れてなくてどうもまだ手が及ばない部分もあるが。
「ジャーギー! 早くしなさーい!!」
とりあえず、機嫌が悪くなる前にあいつのとこに行かねえとな。
「話は最後まで聞かねえか」
「おわっ」
またぐい、とマントをひかれた。
「孫を助けてくれた礼だ。下まで案内してやるでな」
「そりゃありがてえが」
……この方位磁石、どこで使えばいいんだよ。



 「ここらの山道は、そりゃあ面倒な道での」
洞窟の中は不思議と明るい。
「魔物に襲われる旅人が後を絶えずに、そりゃあ困っておったんじゃが」
ババアが壁に煌々と光る松明を示す。
「マーサ様がお作りになった、この聖なる松明のおかげでの、
 これに照らされた場所に悪いモンスターどもは近づけんのじゃ」
マーサ。パパス王の妻。グランバニアの王妃。
「へぇー」
デボラが青白い炎に物珍しげに視線を送る。
そういやあ、ガキの頃に潜りこんだレヌール城で使ったのも、
確かこんな色の炎を出す妙な松明だったか。
どっかの王妃からもらったって、あの幽霊が言ってたな。
ババアの言う通りなら、あれはグランバニアのもんだったんだろう。
「そんで十年程前になるか。今までの危険な道じゃのうて、こっちの道が掘られたんじゃ」
「あ、ぼく知ってるよ!」
一緒についてきたガキが胸を張る。
「王様と王子様が戻って来るときのために、なんとかって人が、
 今の王様にお願いして、この道を作ったんだよね!」
「そうじゃ。あっちの道は一旦降りてからまた登らねばならんかったでのう」
それに比べれば、今通ってる道は距離こそ長いが下るだけでよさそうだ。
馬車が通るだけの大きさもあるし、具合の悪いデボラを連れてる俺には助かる。
「なんでも子連れではさぞかし大変だから、と頼み込んでのう」
「……でも、まだ帰ってこないんだよね、王様も王子様も」
「案外、ひょっこり戻ってくるかもしれないわよ」
「そうかなあ」
首を傾げたガキの頭を、デボラが優しく撫でる。
その視線がなんだか優しい気もする。気味が悪い。
「ちょっとジャギ、今なんか失礼なこと考えなかった?」
「いーや、別に」
「そんだけ仲が良いなら、何で気付かないかねえ」
ババアがふと立ち止まり、俺達を見て呆れたような声を上げる。
「こいつの具合が悪いってことにかよ。……まあ、そりゃ悪かったと」
「そっちじゃのうて……」
「あー! ねえおばあさん、こんな立派な道だもの、なんか名前とかないのかしら?」
きぃん、と耳に響く。わざわざ大声を上げてまで聞くことか?
「名前? あるさね。王様の名前をとって『パパス山道』というんじゃ」
「……そうか」
王様と王子が戻るために作られた道。
そこを、到底自分を王子だとは思えない俺が行く。
立派な王様だったという『親父』を失った、情けない俺が行く。
随分と皮肉な話に思えた。



────────────────────────

Q.またババアか。

A.またババアだ。

ババア使いやすいよババア。
でも次回からはオッサンのターン。
あと妊婦に崖を飛び降りさせるなんてとんでもねえ!
何度プレイしてもハラハラするので山道改変しました。

※感想の指摘で名前ミス&トリップミスに気がついて修正しました。
 見なかったことにしてくれると嬉しいです。※



[18799] 第三十二話:再会
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2012/01/25 15:59
第三十二話:再会

 洞窟を抜けた先、足元は土ではなく石畳が敷き詰められている。
両脇に並ぶ彫像に、なんとなく見覚えがあるような気がした。
「それに、こりゃあ」
地面に刻まれた鳥の印を、俺はよく知っていた。
背負った剣の柄に刻まれたのと同じ印だ。
「おんや、それはグランバニアの印でねえか。おめさ、その剣どうしただ?」
ここまで道案内をしたババアはめざとくそれを見つけて問うてくる。
「……親父の形見だ」
「そっだか。あの国はいい国だでな。そこにいたんなら、おめさの親父さんもいい人だ」
そんなことは。
「言われねえでも、わかってる」
『俺』の親父には勿体ないくらい、いい人だった。
 「へー、おじさんのお父さんあの国の兵士だったの?」
ガキが首を傾げる。
「それがわかんないから、今からグランバニアに行くのよ」
デボラがガキの頭を撫でる。
……こいつはこんなに子供に優しかったか?
「ふーん。気をつけてね、おじさんときれいなおねえちゃん」
「おじさんじゃねえつってんだろ」
『俺』はまだ十代だと言うに。
「だって最初に会ったとき仮面被ってたでしょ?」
「それが何だってんだ」
チゾットで倒れて以降、俺は鉄仮面を外している。
こんだけ高い山であの仮面を被っていると酸素不足に陥りやすいらしい。
あの時倒れたのはどうやら高山病の症状でもあったそうだ。
「顔見えないから、おじさんだと思ったんだ。まるで何十年も生きてたみたいだったもん」
「なに?」
「この子は、ちぃとばっかし見えすぎる子での」
ババアがガキを抱き寄せてこちらを見上げてくる。
「そんな怖い顔すんでねえ」
「え?」
ババアの言葉にデボラが視線をガキから俺に移し、口をへの字に曲げる。
ぐに、と頬に指が押し当てられた。
「何怖い顔してんのよ、小魚のクセに」
「……すまん」
 どんな顔になっちまってたのかはわからんが、
ガキの言葉に《俺》の存在を見透かされたように思えて、きっとひでえ顔をしていんだろう。


 ババアとガキとは山道で別れ、森の中の道を行く。
しばらく人が通ってはいないようだが、それでも均された道は随分通りやすい。
山の上とは温度やら何やらが違うのだろう、雪が少ないのも手伝ってマシに歩ける。
「しかし、なんというか、この辺りは心地いいな」
何の脈絡もなくピエールが突然そんなことを言う。
「あらそうかしら? 寒いしだるいしやんなっちゃうけど」
馬車の中からデボラがそう返事を返す。
「うんとね、ここなんていうのかな、あったかいのー」
「うんうん。他のとこはね、ちょっとだけ『ココニいちゃダメ』って空気があるんだ!」
ベホマンとスラリンがピエールに続く。
「がう」
ゲレゲレも同意……してるんだろう、恐らく。
「先ほどの洞窟から感じていたがな、この国の空気は、とても、あーとても、だな」
ピエールは相応しい言葉を捜すように宙空を見つめる。
「あー、うん。私達のように、邪心の抜けたモンスターには心地いいんだ」
「邪心、ねえ。そんなもんがあったのか?」
「ジャシン? ってなんなのーピエールー」
ふよふよと触手をうごめかしながらベホマンが問う。
「誰かを傷つけたい気持ち、だ。ジャギの仲間になる前にはあっただろう?」
「あ、わかるわかる! ボクもジャギの目を見るまでそんな気持ちになってた!」
ぴょんぴょんとスラリンが跳ねる。
「へぇー。目、ねえ」
ちょいちょいとデボラが手招きする。
「なんだよ」
「そんなに変わった目かしら?」
両の手を俺の頬に当て、目をデボラがじっと目を覗き込む。
「う、あ……」
あんま見るんじゃねえ、こっ恥ずかしい。
頬に熱が集まっていく。静まれ俺の鼓動。
「な、何照れてんのよっ、こっちまで恥ずかしくなるでしょ!」
そのまま思い切り頬を打たれた。理不尽だ。


 かくてたどりついた城の前で俺たちは呆然としていた。
「城、だよな」
「城だな」
「お城ねえ」
目の前にそびえ立つ城は石壁に囲まれ、街のようなものは一切見当たらない。
「城下町とかはないのかしら……流石にいきなりお城に入るのはちょっとねえ」
「だが他に道はねえぞ?」
どうしたものか、と途方に暮れているとくい、と服の裾が引かれた。
「がう」
「ゲレゲレ? どうしたんだ?」
「がうがう」
くいくいとゲレゲレが裾を引っ張る。こいつの鼻に何か引っかかったようだ。
「ついてってみましょうか」
「そうだな」
「がう」
城の裏手へと続いているらしい道を、ゲレゲレに続いて歩く。
角を曲がるとそこに一軒の家が見えた。
「まさかあそこにしか人がいない、ってことはないわよね?」
「さあな」
煙突からは煙が出てるから、誰かが居るのは間違いねえだろうが。
「おっ、言った傍から誰かが出て来」
俺の言葉はそこで止まった。
 あのずんぐりむっくりな体にも、憔悴しきった顔にも覚えがある。
前はもう少し若かったし、もっと元気そうだったが。
そいつもこっちの気配に気が付いたのか、ぼんやり顔をこちらに向ける。
足元のゲレゲレに警戒するような素振りを見せながらも、こちらへと歩み寄ってくる。
「旅の方ですかな?」
近づいてくる姿は記憶にあるものより小さい。
俺がデカくなったのか、こいつが縮んだのか。
――多分、両方、なんだろう。
「ええ。ここ、グランバニアよね?」
「はい。ああ……初めていらしたんですか? それではさぞかし驚かれたでしょう」
口元に浮かべた笑みはあの頃と違って少し寂しげで。
「サン、チョ?」
喉から出た声は、震えていた。
 「え……あ、ああ、まさか!」
そいつは俺の顔を見ると驚きに目を丸くした。
「ぼっちゃん!」
「ぶふー」
隣でデボラが噴き出したが、それを気にかけようとは思えなかった。
「サンチョ……、サンチョ、アンタ、生きてたんだな、サンチョ……」
『ぼく』だった頃、『俺』が《俺》を思い出して染まりきる前の穏やかで温かな時間。
無くしちまったその時間の欠片の一つが、目の前のコイツだ。
「ぼっちゃん、よかったご無事で……」
「サンチョ……、サンチョぉ……」
体の力が抜ける。地面に膝をつくようにしてサンチョに寄りかかった。
「はい、はい。サンチョはここにおりますよ」
 歪む視界の中で、サンチョはあの頃と同じ穏やかな笑みのまま、
泣きじゃくる俺を優しく撫でていた。



 ――と、いうのが昨日の話だ。


 「ジャギ、恥ずかしかったのは解るがそろそろ布団から出てはどうかね」
「……バギ」
肩をすくめたピエールを竜巻で部屋の外に追い出す。
 散々泣きじゃくった俺はそのまま疲れて眠ってしまったため、
サンチョの家で一晩世話になったそうだ。
本人にそれを聞かされて、今は布団を被っている。
いくら懐かしくて嬉しかったからって、泣き疲れて寝るなんざ、ガキの所業だ。
「うごぉおおお」
「いつまでうめいてんのよ」
ベッド脇に来たデボラが呆れを隠さずに声をかけてくる。
「うるせぇ……」
「……じゃあ、サンチョさんが作った朝ごはん、あんたの分まで食べちゃおうかしら」
「っ、させるかっ!」
昨日もサンチョの飯食えてねえんだぞ。
 「ふふっ。改めておはようございます、ぼっちゃん」
「あー、うん。おはよう、サンチョ」
椅子から立ち上がり、俺に挨拶をかけてくるサンチョの姿にほっとした。
目が覚めたら、また居なくなってるんじゃねえかと思ったのは杞憂で済んだらしい。
「それにしても、ぼっちゃんがこんな綺麗なお嫁さんを連れていらっしゃるなんて……」
俺の隣に座ったデボラを見ながら、ほう、と息を吐く。
「そんな本当のこと言われても何も出ないわよ」
とは言ってるが、こいつ喜んでやがる。
「……本当に、パパス様にもマーサ様にも、お見せしとうございました」
「サンチョ」
「あっ、すいませんぼっちゃん。出過ぎたことを」
「親父……、父さんには無理だけどよ。母さんにはまだ見せられるだろうが」
「は?」
「母さんは死んでない。今もどっかで生きてる」
ニッ、と歯を剥いて笑った。
「必ず助け出して、こいつの顔を見てもらう」
「……はい、そうですね、ぼっ」
サンチョがふ、と何かに思い当ったかのように言葉を中途で止める。
前掛けを外して改めて俺に向き直り、床に膝を突く。
「いえ。――グランバニア王太子、ジャギ様」
「ん、やっぱそっか」
 騎士の礼と思しき動作でそう告げるサンチョに、考えが当たっていたようだ、とため息が出た。
「俺が王子ねえ。想像もつきゃしねえ」
「そうねえ。ガサツだし、口悪いし、王子様って感じじゃないわ」
「おい」
「あら、本当のことじゃない」
それはそうだが、言い方ってもんがあるんじゃねえのか。
野性的だとか、庶民的だとか。偉ぶってない、は微妙なトコだが。
「……本当に、デボラさんがぼっちゃんの隣に居てくださってよかった」
「? なんか言ったかサンチョ」
「いいえ。さあ、まずは朝ごはんにしましょうか」
「やったー! サンチョのごはんおいしいんだよね!」
スラリンが喜びも露わに跳ねる。
「昨日もたっぷり食べてたものねスラリン。私も食べすぎちゃいそう」
デボラも椅子に座りなおす。
「なんだか安心したら凄くお腹空いちゃったし」
腹に手を宛てて不思議そうに首を傾げる。
「いいじゃねえか。めーし、めーし、サンチョのごっはんー」
「マナーがなってないわよ」
ぺしり、と頭を叩かれた。


――? なんか、おかしくなかったか?





────────────────────────

サブタイトルは今度から漢字二文字縛りにする。

かもしれない。予定は未定。

当初の予定じゃ半年くらいで終わらせるはずだったんや……。







[18799] 第三十三話:家族
Name: 鳥巣 千香◆0940e8db ID:bdb2158c
Date: 2012/05/04 21:11
第三十三話:家族

 サンチョに案内され扉をくぐる。中には街が広がっていた。
「おお」
話には聞いてたが実際見ると面白いもんだ。
こういう時、ピエールやスラリンが居ると相当やかましかったろう。
俺は奴らも城の中へ連れて来るつもりだった。
だが、ピエールが
「王への報告より早くこの国の王子らしい、とバレるのはまずいんじゃないか?」
と主張したので魔物使いの証であるあいつらは置いてきている。
ついでに、顔が見えないように鉄仮面を被ったままだ。
「変わった作りだよなあ」
「思ったより暗くないのね」
二人できょろきょろしているとサンチョが笑いながら説明してくれた。
「高い所に灯り取りの窓を付け、さらに聖なる松明で照らしていますからね」
「ほぉ……魔物の侵入を防ぐための親父の提案、だったか」
今朝の飯の時に聞いた、城の造りについての話を思い出す。
「ええ。おかげでこの二十年ほど魔物の被害はほとんどないのです」
サンチョの顔が僅かに曇る。
『ほとんどない』は『全くない』と等しくはない。
その例外に含まれるものが何か解っていて、敢えて問う。
「ただ一人が奪われた他には、か?」
俺の言葉に目を見開き、一瞬の後にうなずく。
「はい」
それが誰なのかは口にするまでもなかった。
頑強な城壁。民を守るために作った城壁。
それに囲まれながら、一番大事なものを親父は奪われたのだ。
「……ジャギ、ちょっと、痛いんだけど」
「へ?」
間抜けな声を出した俺の前に、デボラの白い手が晒される。
いつもよりももっと白くなった手。それをしっかと握りしめる俺の手。
「い・た・い・ん・だ・け・ど?」
一字一句力をこめて声を上げ、睨みつけてくる。
……俺は一体、どれだけ力を入れていたというのか。
「お、おう、悪い」
力は緩めるが離しはしない。
俺よりずっとずっとずっと強かった親父ですら、守れないものがあった。
その事実が妙に空恐ろしくて、コイツの手を離せる気がしない。


階段を昇り、上へ。
ラインハットと同じように一番テッペンが王族の居所なんだろうな。
やがて開けたところに出る。屋上が中庭みてえになってるのか。
豪勢な扉の前へと進む。その隣に入っていた兵士が、こっちを見て目を丸くした。
「これはこれはサンチョ殿! 久しぶりですな」
「うむ、パピンよ久しいな」
「して、今日は見知らぬお方を連れて……何用ですか?」
パピン、というらしい兵士が俺達の方に視線を向ける。
「王へ申し上げたいことがあって参った! 至急謁見を!」
「……承りました。少々お待ちください」
何かを言おうとしたらしいが、サンチョの迫力に気圧されたらしい。
扉の中へと消える。
「少々お待ちください、ジャギ様。今、あの者が謁見の許可をとって参りますので」
「面倒な手続きが必要なんだな」
今まで行った城は、ほとんど素通り出来たんだが。
「……警戒を怠れないのですよ。現国王陛下と王女殿下以外、王族はおりませんので」
小さく、マーサ様とジャギ様は行方知れずでしたし、と続けた。
「今の王様ってどんな人なの?」
「オジロン様はパパス様の弟君であらせれます」
「……弟?」
ずきり、と。また頭痛がした。
親父がいるべき地位に、弟がいる。
いるべき奴がいるべき場所に弟がいる。
「そーだよっ。伯父上と比べものにならないボンクラのね!」
その頭痛を弾き飛ばすような叫び。
「のわっ!? だ、誰だテメエは!?」
後ろからいきなり声をかけてきやがって。
「アタシはドリス。そのボンクラの娘だよ」
「お、王女殿下! 自分の父親をそのようにおっしゃっては」
「何よ事実じゃない」
ドリス、と名乗った女は肩をすくめた。
「済し崩しに王位についちゃって、おかげで私は籠の鳥」
女はやれやれ、と中庭らしき場所の石垣に寄りかかる。
「気晴らしといえば、マーサ様がお作りになったこの庭くらい」
「庭、ねえ」
ひょい、と視線を向けてみるが、その良し悪しは全く解らん。
確かに色んな種類の草が植えられちゃいるが、花の名なんざ知らねえ。
「あら、素敵な庭じゃない。うちのと同じくらいかしら」
「お、姐さん解るクチだね?」
「ええ。特にあの端に生えてるの。あれリリの花でしょう?」
「そうさ。上手く世話しないと何年も花が咲かないっつー……」
花の話題で盛り上がり始めた。女ってのは花が好きなもんらしい。
ああ、そういやこいつ、親父の弟の娘ってことは俺のイトコか。
実感なんぞ到底わかねえ。わかねえが、こいつの笑顔は嫌いじゃない。
ビアンカ、デボラに続いて、三人目だな。
デボラの笑顔に感じるものより、ビアンカのものに近いような気がする。
ただ、あくまで近い、であってあいつへ向けていた感情とは違う。
なんなんだろうかこりゃ。
「失礼します。サンチョ様、謁見の許可がとれました。そちらのお二人も、ご一緒に」
「うむ。それでは参りましょう、お二人共」
「お、おう」
二人が盛り上がってるのを見ている間に、頭痛は消えていた。


 謁見の間へ入る。仮面をとらない俺に兵士たちが訝しげな目を向けている。
不満があるなら、とれ、って一言言やあいいことだろうが。
逆に睨み返してやるか。
「サンチョ、今日は具合がよさそうではないか」
……?
おい、この声は。何処だ。どっから出てる。
辺りを見回す。
「至急の用というのは、その者たち関することか?」
「はい、そうですオジロン様!」
サンチョが声の主をそう呼んだ。オジロン。確か今の王。
視線を玉座に向ける。息が、止まるかと思った。
「あい、わかった」
男が喋るたびに心臓が跳ねる。
玉座を降りたそいつが、ぼてぼてのっそりと俺の近くまで歩いてくる。
「仮面を、とってはくれぬか?」
「あ、ああ」
手が震えた。近くで見る顔が、近くで聞く声が、俺のどっかを揺さぶる。
「……ふむ」
そいつは納得したらしく、二度三度頷く。
「大きくなったの、ジャギ。会えて嬉しいわい」
微笑んだその顔に見覚えがありすぎて、心臓が壊れちまいそうだった。
「瞳は義姉上によう似ておる。そして、顔立ちは兄上に」
「……あん、た、は」
「ワシはオジロン。現グランバニア王にして」
ぽんぽん、と労う様に肩が叩かれる。
「全グランバニア王パパスの――お前の父パパスの、出来の悪い弟じゃよ」
親父程の覇気はなく、体格的にもガッチリしていた親父に遥かに劣る。
けれど。
「その、顔と、声が、親父に、よく似て」
間違いない。親父の家族だ。
「あんたにも似てるわよ」
デボラが笑う。
「よかったわね。やっと血の繋がった家族に会えて」
「待っておったぞ、よう帰って来たな」
優しい声に覚えがある。《俺》を完全に自覚する前の『俺』が一番好きだった声。
記憶の中に置いてきちまった、二度と聞けないはずの声だ。
――正直。血の繋がった家族の存在なんか期待しちゃいなかった。
居たところで、厄介者として扱われるとばかり思っていた。
「お……」
だから、自然と言葉が出た。
「俺も、嬉、しい」
今解った。さっきドリスに感じたのは、血の繋がりを感じた喜びだ。
「大変であったのだろうな。その姿を見れば解るぞ」
「あら、私が一緒だったから大変でも平気だったわよね?」
デボラが胸を張る。否定はしないが、今言うことか?
「ほお。ジャギ、紹介してくれんか。こちらの美しいお嬢さんはどなたかね?」
「私はデボラ。このジャギのつ……」

滲んだ視界の端で、何かが傾いだ。

「あ、ら?」
フラリと倒れる姿を、とっさに抱き止めた。
「……デボラ……?」
息を乱したまま、腕の中でぐったりしているデボラと、
突然の展開に頭のついていかない俺と、どちらの顔が蒼白だっただろう。



 謁見の間が一気に騒がしくなる。
誰かがデボラを王族の寝室へ運ぶように叫んだ。
誰かが城で医者代わりをつとめるシスターを呼びに慌てて階下へ向かった。
シスターが来るまでの間、俺はベッドに横になったデボラをじっと見つめていた。
顔色が悪い。砂漠や、チゾットの時よりも。
握りしめた手の冷たさにゾッとする。こいつはこんなにも儚い存在だっただろうか。
「……ママ……」
小さな声で、デボラが小さく呟く。
さっき、俺に家族が出来たことを喜んでくれたデボラ。
それがどうして、こんなに消えちまいそうに見えるんだ。
おかしいだろ。何でだ。何でこいつがこんなことにならなきゃいけねえ。
「……旦那さん、少し席を外していただけますか?」
揺さぶられ、俺は声の主に視線を向ける。
どうやら呼ばれてきたシスターのようだが、その顔が強張っている。
こいつの具合はそんなに悪いのか?
「だ、大丈夫ですよジャギ様。彼女は腕が良いのです」
その後ろから、おろおろとサンチョが声をかける。
「ですから、どうぞそんな怖い顔をなさらず、彼女に任せてください」
「……ああ……」
言われて気付く。またとんでもねえ顔になっちまってたみてえだ。
「心配、しないで、いいわよ」
ゆるりと立ちあがった俺の背中に、デボラが声をかける。
その声に常の強さがない。それが恐ろしい。
「……待ってろ、特効薬を用意して来る」
背中越しにそう告げて寝室を出た。
「サンチョ」
「はい、ジャギ様」
「少し出て来る。急に消えたことの説明は任せた」
「え、あの、ぼっちゃん!?」
困惑したサンチョを置き去りに、ルーラを唱えた。


 見覚えのある町。俺の存在を覚えてるらしい奴らがざわついている。
噴水の横を通り、橋を渡り、不用心な扉を開く。
「む。誰かと思えばジャギか。どうしたのかね?」
「あら、ジャギさん。お久しぶりですわね。デボラも来てるの?」
居間には茶を飲んでいるルドマンと、――ここへ来た目的であるデボラの母親が居た。
「デボラは、ここにはいない」
そう告げると二人の顔が強張る。
「旅先で倒れた」
「なんと! あの風邪一つひいたことのないデボラが!」
驚愕した様子のルドマン。
母親の方は顔を青ざめさせている。
「それで、ジャギさんはどうしてここへ?」
「デボラがあんたを呼んだ。だから、デボラのとこにあんたを連れて行きたい」
旅の間中、俺と一緒に居る時には一度も聞いたことのない声で、
デボラは母親を呼んだ。
俺が傍に居るのに俺じゃなくて母親を呼んだ。
なら、今あいつの傍に必要なのは、この女なんだろう。
「参りましょう」
俺の言葉を聞いて、椅子から立ち上がる。
「お、おい、お前。出かけるにしたって準備をせねば」
身一つで行こうとする姿にルドマンがうろたえる。
「そんな時間はありません」
きっぱりと睨み返す姿に、どっかで覚えがある。
「デボラが。私の娘が母である私を呼んでいるのですから」
スカートの裾を持つと玄関へと足を向けた。
「さあ、参りましょう、ジャギさん」
声をかけるや否や、つかつかと外へ向かう。
「あ、ああ」
その背中に重なる黒髪の面影。
この行動力――成程、デボラの母親だ。


 デボラの母親を連れて戻る。サンチョが間抜け面でこっちを見た。
「えー、えーっとぼっちゃま、そちらの方は?」
どっから連れてきたんだと、未だ気の抜けた顔をしている。
「デボラの母です」
それだけ告げる。確かに今の状況にそれ以上の説明は必要ない。
「デボラはさっきの部屋から動かしてねえな?」
「は、はい」
おろおろしているサンチョを横目に、さっきの部屋に戻る。
ルドマンの家のものと負けず劣らずの豪奢な造りだというのに、
デボラの母親はそのことを一切気にしていない様子だ。
ここはどこか、何故こんなところにいるのか、と問うこともしない。
デボラの肝の座り具合は母親に似たらしい。
扉の前につくと、ちょうどシスターが顔を出した所だった。
開いた扉の中、デボラは先程よりマシな顔色をしている。
「ママ!?」
声も随分いつもの調子に戻っている。やれやれ。
「デボラ! ああ、デボラ! 大丈夫なの!?」
部屋に駆け込むのを確認して、俺は扉を閉じる。
「……んで、デボラの具合はどうなんだ」
安堵のため息を一つこぼすと、振り向いてシスターに尋ねた。
「あんな体で旅をするなんて、無茶をさせないでください」
「……ああ、俺の落ち度だ」
故郷かもしれない、と言われて浮足立ってたんだろう。
砂漠でも具合が悪そうだったのに、強行軍を続けた俺のせいだ。
「とにかく、しばらくゆっくりと休養させてください」
「それで治るのか?」
聞き返す。シスターは何故かびっくりした顔をしている。
「本当に鈍感なんですね……」
「あ?」
何故呆れ切った顔をしているのか。
「少なくとも旅はしばらく諦めなければいけませんよ」
「そんなに悪ィのか?」
「良い悪いではなくてですね……」
シスターがアホを見るような目をしている。何だその目は。
「なんですって、デボラ!」
おい、なんだ今の声は。
俺は即座に部屋の中へと飛び込んだ。


「どうした、そんなに悪ィ病気なのか、デボラ?」
一足跳びでベッドサイドに詰め寄る。
いつの間に着替えたんだか知らないが、デボラは温かな寝間着を着ていた。
「そんな顔しないの。あと、ママもそんなにびっくりしないで」
やれやれ、という風にデボラは首を横に振り
――愛しそうに、自分の腹を撫でた。
「ここに、赤ちゃんが入ってるってだけの話よ」
は?
今なんつったこいつ? アカチャン? アカチャンってなんだ?
「マヌケな顔すんじゃないのジャギ。子供が生まれる、って言ってんのよ」
え?
「まあ、まあ! おめでとうジャギさん! あなた、お父さんになるのよ!」
「俺が? 俺が、父親?」
「そうよ」
――そういやあ、そうか。ヤるってのは、快楽を求めたりとか、
心を埋めるためだけの行為じゃなかったんだ。
あれは子供を作るためにやるもんだったんだ。
そんなこと、今の今まで考えたこともなかった。
「俺が父親」
口に出して見ても未だにしっくりこない。
俺が人の親になる。その光景が一瞬たりとて浮かばない。
「なんだったら、ママにはこっちに居てもらって孫の面倒見てもらおうかしら」
デボラがくすくす笑う。
「まあ、テメエが子育てしてるのもあんま想像つかねえしなあ」
「ちょっとジャギ、それどういう意味よ」
「言ったまんまの意味だよ」
俺も想像出来ないがこいつが親になるのも想像出来ねえよ。
子守唄歌って赤ん坊寝かしつけたり、乳をやったり、おむつ換えたりしそうには見えねえ。
もしやるとしたら、いつも着てるような服じゃなく、もう少し大人しめの服を着るだろう。
それから、やたら滅多付けてる付け爪も減らすだろうし、
装飾品の類も減らしてもっとシンプルな姿になるだろうな。
大体こいつ、化粧したり飾り立てたりしなくても十二分に美人だ。
派手な格好やめて赤ん坊抱いてる姿なんざ、絵の中から飛び出してきたみたいになるんじゃねえか。


「全く……。いっそ、ママにしばらくこっちに居て一緒に育ててもらおうかしら」
デボラが口を尖らせる。少し言い過ぎたか。
「お前を産んで育てたんだ、ま、お前よりはマシに子育て出来るだろう」
しん、と突然部屋が静まり返る。
? 俺はなんかおかしなことを言ったか?
「……ええ、そうね。私にとって、ママは世界一の母親よ」
デボラがそう口に出すと、デボラの母親がびくりと顔を上げた。
「私が、まだ三歳になるかどうかの頃の話だけどね」
手を膝の上で組んだまま、ぽつぽつと突然語り始める。
「私は山の中に居た。腕にはまだ赤ん坊のフローラを抱えてね」
子供の頃から随分破天荒だったんだな、と言おうとしたが
何故か喉から出ない。
「日も暮れかけてて、暗くて、寒くて、ひもじくて、怖かった」
「デボラ……、あなた……」
母親の声が震えている。
「その内、腕に抱いてるフローラもぐったりし始めた」
ざわざわと俺の何処かが嫌に騒ぐ。
この話をこのまま聞いてちゃいけない気がする。
「どうしていいか解らなくなって、私は泣いた。声を上げて泣いた」
なのに、動けない。
「あなた、覚えて……」
母親の顔は青ざめている。
「うん、覚えてる。ママが、私を、私とフローラを見つけてくれたあの時のこと」
赤ん坊だった妹を連れだして迷子になった、とかそんな話じゃないらしい。
ならどんな話か、と考えるのすら嫌だ。
「綺麗なドレスが汚れるのもかまわないで、ママは私を抱きしめてくれた」
組んでいた手が開かれ、母親の手をしっかと握った。
「何処の誰かも知らない私を助けてくれたあの日から、私のママは世界一のママよ!」
デボラが笑っている。先程死にそうだったデボラ。俺に血の繋がった家族がいたのを喜んでくれたデボラ。
俺の子供を腹に宿したデボラ。俺の『家族』が笑っている。
「愛してるわ、ママ」
「デボラ……おお、デボラ……ええ、ええ、あなたは私の大事な娘ですとも」
感極まって、母親が泣いている。

『血の繋がらない親子』が、互いに愛してる、と泣いている。

「……外に、出てる」

耐えられない。あんなものを一瞬たりとて見ていられない。

気を抜けば喉から言っちゃならん言葉が出そうで、口元を押さえて部屋を飛び出す。

何処でもいい。人の居ない場所に行きたい。

頭が痛い。心臓が痛い。体中が痛い。弾けちまいそうだ。

これが肉体の痛みなら、ベホイミで治るのに。

――魂からふつふつと湧き上がる黒い感情が呼び起こす、

この痛みをどうしようもなくて俺は廊下をひた走った。

どうして俺は――俺の愛してる女を『  』と思った?

血の繋がらない親子が幸せそうだから、ってただそれだけで。

やっぱり俺はどっかがおかしいんだ。俺は壊れてるんだ。

きっと、まともな奴はこんな考えはしないはずなんだ。

誰の顔も見たくない、誰のことも考えたくない。

だから、俺の頭に浮かんでくるんじゃねえ、《   》 !



────────────────────────

別に好きなキャラの顔曇らせたいわけじゃないんだけどな。

だけどな。



[18799] 第三十四話:過去
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bdb2158c
Date: 2012/05/18 15:11
第三十四話:過去


「……っ、ぅ、あっ」
叫んでいるつもりだが、まともな言葉にはなっていない。
俺の肚の中で、どろどろぐるぐると渦を巻いてるコレを、
言葉として口に出す方法が解らない。
仮に理解できたとして、声に出すのは酷くおぞましい。
考えたくもないし、叫びたくもないというのに、
吐き出さずに要られる程、この感情は軽くはなく。
「っ、ぐっ、がぁあああああ!」
こうしてみっともなく、獣染みた悲鳴を喉から漏らすはめに陥っている。
ガリガリと服の上から爪を立て、胸を掻き毟る。
頭痛はこれまでにないくらい重い。
《いつか》と同じように、頭蓋骨が割れ、脳弾け跳びそうな痛みだ。
かといって思考が止まるわけでもなく、少しずつ少しずつ、
苦痛の原因を言葉へと変換していく。
言葉へと変換された感情はますます重くなる。
どうして、こうなった。
デボラが倒れるまで、俺はあんなにも幸福だった。
違う。過去形で語ることじゃない。
俺は幸福だ。故郷を知れて、昔馴染みに会えて、
血の繋がった家族に会えて、子供が出来た。
自分の素性を知らなかったガキの頃より、奴隷だった十年より、
ふらふらと彷徨っていたあの頃よりも!
ああ、そうさ。俺は幸せだ! 《あの頃》よりも、ずっと!!
なのに。俺の中にあるぐちゃぐちゃしたモンは、喉からこぼれ出る感情は、
――デボラが『憎い』なんて、そんな汚えモンなんだよ?!
おかしいだろ! 惚れた女相手に、そんなこと考えるなんて!
どう考えたって幸福な俺が、どうして誰かを憎まなきゃならねえんだ!
「……俺、が幸福?」
目を固くつむったまま、口に出してみた言葉には拭いきれない違和感がある。
俺が幸福。そんなことが有り得るだろうか。
『俺』が幸福。《俺》が幸福。――ない。有り得ない。
『親父』を見殺しにしたガキが、幸福になんざ慣れるわけがない。
ああ、そうか。これは夢だ。目を覚ませば、あの奴隷蔵だ。
いいや違う。そもそも俺にはあんなまともな『親父』なんていなかった。
いたのは、《俺》を騙したただのウソツキのジジイだけだ。
きっとこのまぶたを上げれば、真っ赤な視界に星が映るに違いない。
俺に死を告げた《アイツ》と何処かイメージが被る、あの死の兆しの星が。
今のこの状況は幸せな夢に偽装した悪夢だ。
だから終わりにしよう。目を開けて、星を見る。それでおしまいだ。


 貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍、そして輔星。
見上げた空にはどれ一つとして輝いていなかった。

「なに間抜け面してんのよ、アンタは」

縋った星のない空へ向けた視線を遮るように、デボラがそこに現れた。


寝間着にもう一枚羽織って、デボラが俺を見下ろしている。
「いくら子供が出来たのが嬉しいからって、あんな声上げて……」
あの声を聞かれたのか、と思った瞬間鳥肌が立つ。
「俺、俺は……」
「はいはい、聞いてあげるから落ち着いて」
デボラが袖を差し出して俺の目元をぐいぐいと拭う。
泣いてたのか、俺は。
「ほら、いつまでも地面に座ってたら体冷えるわよ」
あっちに座りましょ、と示されたのは小さな池を囲むように並べられた石だ。
どうやら俺が逃げ込んだ先は庭だったらしい。
のそりと俺は立ちあがる。デボラの顔を見た時から、あれだけ酷かった痛みは大分和らいでいた。
こいつをきっかけに生まれた痛みだというのに。
「それで、あんた、泣く程嬉しかった……ってわけでもないわよね」
デボラが眉をひそめながら先に腰掛けた。俺もその隣に続く。
「子供、のことは――多分嬉しい、んじゃねえかな」
「あー、男親には実感が湧かないって聞くわね」
女親、デボラはそうでもないらしい。自分の腹を愛しげに撫でている。
「私だって、まさか二人入ってるとは思わなかったけど」
二人?
「双子、なのか?」
「ええ。命が二つ入ってるのがわかる、ってシスターがおっしゃってたわ」
二人。双子。生まれた時から兄弟がいる、俺の子供。
『兄弟』がいる。《兄弟》がいる。《兄》《弟》が。
「あに、と、おとうと」
「姉と妹かもしれないわよ?」
そうだったら、きっと私に似て美人よ、とデボラが笑う。
本当の親を知らず、義理の親に育てられ、きょうだいと比べられても気にしないと言い放ち、
心底幸福そうに、笑っている。
「うらやま、しい」
ぽろり、とカサブタが剥がれるように言葉が口をついた。
「あんた一人っ子だものね」
デボラの言葉に、俺は狂ったように首を振る。
「違う! そうじゃねえ! 俺は、兄弟なんて要らない!
 《父さん》の子供は《僕》だけでいい! 《僕》以外に兄弟なんて要らない!」
堰をきったように次から次へと言葉が溢れだす。
「俺が羨ましいのは! 羨ましすぎて、憎いのはテメエだよ! 血の繋がらない親子なのに、
 そっくりで、愛し合ってて、笑ってられて……」
寝間着に縋りつくように俺は自分の中にあったもんをぶち撒ける。
「おかしいよなあ! 俺、幸せだろう? どう考えたって今は幸せだろう?
 けどよぉ、テメエが羨ましくて、どうしようもねえんだ。俺、どっかおかしいんだ……」
そうして、自分が汚いモンをぶち撒けたことに気付いて、慌てて離れようとした。
だが、その前に温かい手が俺の頬に添えられる。
「おかしくなんか、無いわよ」
痛んでいるのを知ってか知らずか、優しく俺の顔の左半分を撫でる。
「……どんなに幸せでもね、他人のことを羨ましく思わない人なんていないのよ」
「そう、なのか?」
「そうよ。だって、私もそうだったもの」
「え?」
「……血は繋がってなくても、愛してくれるパパとママと妹と旦那がいて。
 ワガママ放題で、おまけにこの美貌よ。かなり幸せな部類に入るわ」
でもね、とデボラは続ける。
「それでも時々、誰かが羨ましかった」
遠い目をしてなおも言葉を紡ぐ。
「その誰かは、自分と両親に血の繋がりがないことを知らないフローラだったこともあったし、
 世界の色んな場所を知ってるパパだったこともあったし、
 色んな人に求婚されたけれど、自分の意志でパパを選んだママだったこともあった」
視線が再度俺を捉える。
「こんなに恵まれた私ですら誰かを羨ましく思うの。だから、あんたはおかしくなんて無い」
笑った顔が綺麗だった。天女だとか、天使だとかが居たらこんな顔をするんだろう。
「っていうか、どうしてそんな馬鹿なこと考えたのよ」
ぐに、と引っ張られる感触と共に頬に軽い痛みが走った。
ああ、そういやあ言われるまで、どうして他人を羨むことがおかしいと考えていたのか、
という理由すら考えなかった。こんな考えは一体、どっから引っ張り出してきたんだ。
目を閉じる。頬に伝わる温もりを一旦置いといて、深く潜る。
いつもなら好んで思い出しはしない《昔》へと意識を飛ばす。

まず最初に声が聞えた。

《「憎しみ」》《「恨み」》《「妬み」》《「嫉み」》

目の前に立つ誰か。

《「其の全てを捨てたものだけが……」》

古びた、懐かしい場所。

《「お主のいう運命とやらを、変えられるやもしれぬ……」》

目の前のそいつの姿がはっきりとまぶたの裏に甦った。


「っく、くくく、ははは、はははははははは!」
アレか! あんな大ボラに、俺は引きずられてたのか!
情けねえ! くだらねえ! アレはただの嘘だ!
《あの男》は嘘吐きだなんて解ってたっつーのに!
今の今まで、馬鹿みてえに信じてたのかよ、俺は!
「ジャギ?」
「ずっとずっと前に、《俺》は騙されたんだ!」
胸のつかえが取れた。思わず叫ぶ。
「誰かを、憎んだり恨んだり妬んだりしなけりゃ、《俺》は《俺》の欲しいものを手に入れられるって!」
何一つ叶わなかったじゃねえか! 何一つ手に入れられなかったじゃねえか!
「馬鹿みてえだろ、笑えよ! 一度死んで、また生まれた!
 でも、今の今まで、ずっと、ずっとその言葉に引きずられてたんだ! は、はは、ひゃははは……」
笑いが止まらねえ。《あのジジイ》の言葉を信じたせいで、ようやく手に入れた『幸福』を
俺は手放しちまうところだった。やっぱり、あの男は信用ならねえ!
「……笑えないわよ、ジャギ」
「あぁ?」
傾げた首ごと胸に掻き抱かれた。
「あんた、泣いてる」
押し当てられた寝間着が湿っていく。
「途方もなく寂しそうな顔して、泣いてるわ」
指摘されて初めて、両の眼から涙が出ていることに気が付いた。
「なんで泣いてんだ、俺?」
さっぱり解らない。
「あんたの言う《騙された》ってのは……」
一瞬息を止めてから、問いかけた。
「あんたが前に『言えなかった』話のこと、よね?」
「……ああ」
結婚前に『俺』の過去は話した。でも《俺》のことは言えなかった。
クズ以下のクズだった《俺》のことを知られ、嫌われるのが怖くて。
「チゾットで一緒に倒れた時や、それ以外にも具合が悪そうな時、あったわよね」
頭痛のこと、見抜かれていたのか。
「それもやっぱり、同じ理由からなんでしょう?」
デボラが腕に強く力を込めてきた。
――今だ。話すんなら、今しかない。
今、《あの頃》のことを話さなければいけないという予感がする。
「どうしようもねえくらい、汚くて、最低な男の話だ」
前置きして、問う。
「それでも、聞いてくれるか? 聞いた上で、言ってくれるか?」
怖い。嫌われるのが怖い。次の問いかけを否定されるのが怖い。
だが、今言わなければならない。
「幸福でいい、と。人の親になって、いいんだ、と言ってくれるか?」
見上げたデボラの顔は見えない。が、声だけははっきりと聞えた。
「ええ。あんたが何を背負ってても、背負ったものごとあんたを受け入れる」
話が終わった後でも同じだ、ときっぱりとデボラは言った。
「私は、あんたの……ジャギの妻なんだから」


そしてその宣言に偽りはなく。
全てを語り切った俺を、デボラはまだ抱きしめ続けてくれた。
耳に届く心臓の音。小さく、大きく、小さく。
砂漠で聞いた時には気が付かなかった。けど今なら解る。
この音は三人分。三人分の――俺の家族の音なのだ。


─────────────────────────────────

ジャギ様ついに過去をブッパの巻。

作者にとってデボラ様はご主人様兼聖女です(キリッ)



[18799] 第三十五話:憧憬
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:3a5af662
Date: 2012/12/03 20:38
第三十五話:憧憬

 グランバニアの城の人々に伝えられて曰く。
『パパス前国王の忠臣であったサンチョの知人夫婦』
『夫のほうは偶然、たまたま、不思議なことに、王子と同じ名前』
『王に謁見していたところ、夫人が倒れ、ついでに妊娠が発覚』
『人の良い王様は彼女の体調を考えて、居室を一つ貸し出した』
――よくもまあ、こんな話をこの城の奴らは信じたものだ。

「ちぃと腑抜けというか間抜けというか……」

ため息を一つこぼして、俺はブチブチと雑草を引き抜いていく。

「ジャギー」
「なんだードリスー」

城に来てから既に一月。最初の頃は遠慮や警戒もあったドリスだが、
今はピエール達とどっこいどっこいくらいに気軽に対応出来る。

「アンタさー、本当に街の人たちがその話を信じてると思ってんの?」

同じようにしゃがみこんで雑草を抜いているので顔は見えないが、
なんだか呆れたような声音なのは俺の気のせいだろうか?

「信じるも何も事実じゃねーか」

この一月のことを思い出す。
ピエール達にデボラの妊娠とここへ滞在する旨を伝えに行ったところを、
ガキんちょが一人、見ていたんだそうだ。
そのガキんちょがたまたま宿屋の息子で、しかもとんだお喋りだったもんだから、
俺が『魔物使い』であることが一気に広まり、街の奴らは何かと話しかけてくるようになった。

「毎日毎日、『マーサ様はどんな人だった』『パパス様はこんな人だった』
 『王子様が帰ってきたら、とても嬉しい』ってことを聞かされまくったっつーの」
「聞かされるのが面倒になって、ここに逃げてきてんだもんね?」
「そりゃあよぉ、母さんがガキに優しかったとか、父さんがどんだけ強かったとか、
 そーいう話聞いて嫌な気はしないけど、毎日聞かされっとな……」
「そうだね。毎日毎日、誰も彼もがアンタにパパス様とマーサ様の思い出を教えてくれたね?」
「ああ。ったく、見ず知らずの人間に前国王夫妻の自慢話なんざ、
 この城の奴らはどんだけ暇でお人よしなんだよ……」

偶然、俺がその前国王夫妻の息子だから喜んで聞いたが、他の奴らだったら
この城の奴らは頭おかしいと思うんじゃねえだろうか。

「……うん、ジャギがそう思ってんだったら、アタシはもう何も言わないよ、うん」

呆れを通り越して悟りの境地にいるような声に聞こえる。
今の俺の言葉の中に、そんな声になるような要素は見当たらないはずだが。

「じャ、ぎー」
「ん?」

妙に甲高い声を出して、後ろから迫ってくる気配。
青い体をぷるぷると揺らしながら、いつも以上に満面の笑みを浮かべているのはスラリンだ。

「おっ、スラぼう、お前ようやく喋れるようになったのか」

ドリスは草をむしる手を止め、俺の足元に寄って来たスラリンを撫でる。

「やった! ボク今、ちゃんとジャギの名前呼べてたんだ!?」

スラリンは俺に向き直ると、嬉しさを隠し切れない様子で体を弾ませる。

「はは、また鳴き声に戻ってるぞ」
「アレレ……?」

無い首を傾げるスラリンを抱えて、ドリスはケタケタと笑っている。
こいつは最近、人間の言葉を覚えることにお熱だ。
この城には母さんの友達だったという、一匹のスライムが居り、
そいつは訓練の末に人間の言葉を習得したのだそうだ。
で、それを聞いたスラリンも『ジャギの子供とお喋りしたい!』からと、
意気揚々とそいつに人間の言葉を習っているらしい。
こいつが喋れるようになったら、余計なことしか言わなそうだが、
本スライムがやる気なので、俺が止めるわけにもいかない。

「ジャギ、デボラについていなくていいのかい?」
「……役に立たねえ男は邪魔なんだそーだ」

最初の三日は、日がな一日デボラの傍についていた。
が、あいつが少しでも具合悪そうな顔をするたび、
「何かしてやれることはねぇか」、とうろたえてばかり居たのが良くなかったらしい。
「大丈夫だから、街にも出てろ」とケツを蹴り飛ばされ、街に出たら出たで
しつこい自慢話を聞かされて、流れ流れて俺はここにいる。

「しかしまぁ……似合わないなぁ、その格好」
「うるせえ、自覚はしてる」

今の俺は旅装束ではなく、ごく普通の布の服を着ている。
その上からさらに絹製なんぞではない安物のエプロンをつけ、手には雑草。
ヘンリーが見たら、腹を抱えて三日三晩は笑い転げる。間違いなく。

「草むしってる間は何も考えないでいいけどよー、土いじりって楽しいか?」
「ん? 楽しいわよ。でなきゃやってないし」

一しきりスラリンを撫で、というかこねくり回して満足したのか
ドリスは如雨露から水を撒いている。

「それにこの花。これがこの一月で急に元気になってきてんのよねー」
「あー、確かデボラが言ってたな。なんつー名前だったか」
「リリの花。成長させるの、割と大変なんだけどね」

ドリスの視線がこちらに向く。口ぶりから感じ取れるのは不満と喜びという相反する感情。

「やっぱり、ちゃんとご主人様がわかってんのかしら」
「んだそりゃ」

突然何を言い出すんだ、こいつは。

「……この花はね、マーサ様が、ジャギの妊娠が解った時に植えた花なの」
「そうなのか」
「そうなのよ。この花は、あなたを迎えるための花。だからきっと今、咲こうとしてるんだわ」
「……信じらんねぇな」

花に意志がある、とでも言うんだろうか。大体俺は、花自体そんなに好きではない。
《あの世界》には花を愛でる余裕なんざ……

《ここ、私のお気に入りの場所なんだ》

――なくはなかったが、あまり思い出したいもんでも、ない。

「信じられないついでに、私の乳母から聞いた話でもさせてもらうわね」

拒否権すらもらえなかった。女ってのはどうしてこんなお喋りが好きなのか。

「乳母はマーサ様のお世話係もやってた人でね。妊娠が解ったばかりのマーサ様は、
 こんな夢の話をしたんだそうよ」


/////////////////////////////////////////////////////////////////

どことも知れぬ、暗いような明るいような不思議な空間。
マーサ様はそこに一人佇んでいた。
何かないか、と辺りを見回すと、一頭の巨大なドラゴンが倒れていたんだそうよ。
紫色をした巨大なドラゴン。翼も体もボロボロで、今にも死んでしまいそう。
マーサ様は勿論ドラゴンに呼びかけたわ。
「どうしたのですか、そんなに酷い怪我をして」と。
ドラゴンはマーサ様の呼びかけに、薄く目を見開いたわ。
そうして、腕の中に抱えていた、小さな光る塊をマーサ様に押し付けたそうなの。
「頼む」とドラゴンは息も絶え絶えに告げた。
マーサ様が腕に抱えた塊を見ると、いつの間にかそれは
小さな子供の姿に変わっていたそうよ。
マーサ様は、その子供のことも、ドラゴンのことも何一つ聞かなかった。
ただ、この子供を守らなくてはいけない、と思った。
「解りました。お預かりします」と、答えたら、ドラゴンは安心したように笑って、
一人のお爺さんの姿になって――

/////////////////////////////////////////////////////////////////


「……くだらねぇ! そんな御伽噺信じられるかよ!」

口から出た声は意図していたよりも遥かに大きくて、我がことながらぎょっとする。

「いいじゃない。ひょっとしたら、マスタードラゴンかもしれないし?
 ロマンチックだわ。竜に託された子供だなんて、さ」
「馬鹿馬鹿しい……そーいうののご加護があるような人生送ってねえよ」

地面に叩きつけるようにエプロンを脱ぎ捨てる。
足早に庭を抜け出し、石畳、絨毯、と変遷していく足元だけを眺めていく。

「夢だ。母さんが見た、ただの夢だ」

そう思いながらも、まるで《実際に体験したかのように』脳裏に浮かぶ光景がある。


//////////////////////////////////////////////////////////////////////////

どことも知れぬ、暗黒の闇の中。泥水の中に浮かんでいたような感覚。
けれどその感覚はひどく曖昧で、肉体の存在を確認できない。
ただ、このまま沈んでしまうのだ、とばかり思っていたその身を、掬い上げた巨大な爪。
紫色のでっかいトカゲは、俺を抱えて空へ飛び上がった。
けれど長くは飛べず、力尽きて落ちたそこで、一人の女に出会った。
そのトカゲは俺をその女に渡す。女は俺を抱き締めた。
そうして、安心しきった顔でトカゲは――見慣れた《ジジイ》の姿に戻って、闇に溶けた。

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////


「馬鹿馬鹿しい」

母さんが見た夢が本当なら、俺の脳裏に浮かんだ光景が真実なら。
《あのジジイ》が俺を、暗くて冷たいところから、助け出したことになるではないか。
俺に何も与えず、騙し、死なせた男が、そんなことをするはずがない。
だからそれはきっと母さんの見た夢で、浮かんだ光景は――



 きぃ、と音を立てて扉を開く。嫌なことがあると、結局ここへ来ちまう。

「なーに辛気臭い面してんの?」
「ちょっと考え事をな。具合は大丈夫か?」
「平気よ。食欲も戻ったしね。ちょっと好き嫌いは増えたけど」
「まぁ、こればかりは仕方ないらしいですわ」

随分と顔色がよくなったデボラの隣、その母親もコロコロと笑っている。
最初は冗談だったはずの、デボラの母親が滞在するというプランは
本人の初孫フィーバーにより継続中だ。
妻に置いていかれて、ルドマンが涙目になった、とはデボラの談。

「それにしても長いわねぇ……、あとひーふー……」

出産までの日にちを指折り数える姿は、本当に幸せそうだ。

「まだそんなにかかんのか」
「まだそんなにかかるのよ。早く会いたいわ」

大変じゃないのか、と聞こうとしたがデボラの微笑みはとろけきっている。
普段のツンケンした部分は、一体何処にやった。

「あっ!」
「!? ど、どどどどどうした!?」
「今、お腹蹴ったわ」
「な、何がだ!?」
「馬鹿ね、赤ちゃんに決まってるじゃない。ほら、こっち来なさいよ」

手招きされるまま、デボラのすぐ側へふらふらと歩み寄る。

「ほら、お腹に手をあててみなさい」
「お、おう?」

腹を締め付けない、緩い寝間着。
身を屈めて、その上から恐る恐る手を乗せてみる。
柔らかな腹からは、トン、と軽い振動が伝わってきた。

「の、のわッ!?」
「そんなに驚くこと?」
「い、いや、本当に腹に入ってんだなって……」

腹越しとはいえ、そこに確かに命を感じて、何とも言い難い感覚が胸に広がる。
困惑と喜びを鍋にぶち込んで煮詰めたら、この感覚に似た何かが出来あがるだろう。
確かに衝撃を感じた右手は、腹から手を離してなお、緩やかに温かい。

「しっかりしてよね、お父さん」
「……『お父さん』」

口に出してみる。やっぱり違和感が拭えないが、生まれて来るまでに
『父親の自覚』っつーもんはちゃんと俺に芽生えるんだろうか。不安だ。

「はいはい、眉間に皺作ってんじゃないの」
「むぅ……」

そう言われて、逆に眉間の皺を深めていた俺の耳に、
ノックの音と聞き慣れた声が聞こえていた。

「おう、誰だー」
「サンチョです、入ってよろしいですか、ぼっちゃん」
「……構わんが、ぼっちゃんはやめろ」

横でデボラの母親が笑いをこらえてるだろうが。
もう、ぼっちゃんっていう見た目じゃねえ。

「コホン、失礼しました。ジャギ様。王様がお呼びです」
「おっさんがか? 解った、すぐ行く」

まだ日も暮れねえうちから、呼び出すとは珍しい。
夜になってからは何かと呼び出してきて、酒に付き合わされたりするけどな。



 玉座の間ではなく、会議室のほうでおっさんは待ってた。

「よー、おっさん何か用か」
「せめて伯父上、とお呼びください!」
「げっ……」

おっさんだけかと思ったら大臣の野郎も居やがった。
この野郎、なんとなく俺を目の仇にしてるみてぇで正直気に食わん。

「ほっほ、よいよい。あー、実はなジャギ。大事な話があるんじゃ」
「――母さんの手掛かりでも、見つかったのか?」

俺がそう聞き返すと、おっさんは残念そうに眉を顰める。

「いいや、すまんがマーサ殿についてはまだ……」
「そうか……んじゃ、話ってなんだよ」

デボラは大丈夫そうだし、母さんについての目新しい情報もない。
それ以外に、大事な話なんかあんのだろうか。

「実はな、王位をジャギに譲ろうと思うんじゃ」
「なんだ、王位を俺に譲……あぁ?」

今うっかり流すところだったが、さらりと何言ってんだこのジジイ。

「元々、ワシは兄上とジャギが居なくなったから、王になっただけ。
 ジャギが戻ってきたのなら、ワシが王である理由などあるまい」
「えー、あー、いや、うん。くれるっつーんならもらうが」
「お、王位はそんな簡単なものではありませんぞ!」

大臣が青筋を立てる。んだよ、くれるつってんだからいいじゃねえか。

「うむ。まあ大臣の言うことにも一理あっての。幾らワシがお人よしとて、
 ほいほい王位を明け渡しては国民に示しがつかん、と大臣は言うんじゃ」

いやー、どうだろうな。この国の奴らだったら、『オジロン様らしい』で受け入れそうだが。
人が良いのは国民も国王も似た者同士だし。

「それで、の。実は我が国には王位を継ぐ者に、ある試練を与えることになっておっての」
「つまり、その試練って奴をクリアすりゃあ、俺が王様ってわけか」
「そう。兄上の、そなたの父の後を継いで、な」

その一言で背筋がぞくぞくと震える。この国の王。実際にその仕事をやれるかどうかは別として、
今度こそ、『父さん』の後継者に、なれる。俺が。他の誰でもない、俺が。
父親を継げる。他に誰が選ばれることもない。俺が。俺が父親を継げる。



どうしようもなく喜びで溢れる心中に、ちらり、と浮かんだ【父親】が、
誰の姿をしているのかを、考えることもなかった。





─────────────────────────────────

実験的に台詞前後に改行を付け足してみたり。
ご意見お待ちしてます。
続きは気長にお待ちください。




[18799] 第三十六話:紋章
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:bbd60a42
Date: 2013/02/24 20:27

第三十六話:紋章


 王家の試練。そいつは『試練の洞窟』と呼ばれる場所から
紋章を一つ取ってくるだけのことだった。口から言葉が滑り出る。

「それだけで、いいのか」
「はて、それだけとは?」
「他に、王様に、相応しい奴が居たりとかは、しない、のか?」
「ほっほっほ。そんな者がおれば、ワシが王などやっとらんわ」

おっさんは俺の心配を笑い飛ばす。そりゃそうだ。
王家の血を継ぐ奴は目の前のこいつとその娘以外には、
後は俺しか居ないんだ。何を心配する必要もない。
選ばれたのは、俺だ。

「本当か? 本当の本当に、俺で、俺でいいんだな?」
「……ジャギ?」

止まらない。まるで俺じゃない誰かが俺の口を借りてるみたいに。
嬉しくて嬉しくてしょうがないはずなのに、――また、あの頭痛がする。
全部吐き出して、もう何を恐れる必要もねえのに。

「例えば、親父の跡を継ぐのを、邪魔する奴を、殺す、必要は」
「な、何を物騒なことをおっしゃってるんですか、ジャギ様!」

隣に立つサンチョに揺すぶられ、俺はようやく自分が何を言ったのか理解した。
視線を動かせば大臣は顔を青くし、兵士は槍を持つ手に力を込めている。

「……ほっほっほ。やれやれ、ジャギは顔に似合わず心配性じゃな?」

張りつめた空気を打ち破ったのは、おっさんの笑い声だった。

「確かジャギはラインハットの王位継承のゴタゴタに巻き込まれたそうじゃな?」

ヘンリーがダチだってことはおっさんとサンチョには話していた。
親父の失踪に関して、サンチョがあの国に抱いていた恨みを和らげるためだ。
……二人揃って奴隷だったことは、言っちゃいないが、
ラインハットの王位継承問題で迷惑を被ったことは変えようもない事実なので
そこまで含めて話しておいたんだが、おっさんはその話を持ち出してきた。

「あ、ああ……」
「ならば、心配するのも仕方あるまい。大臣もそう思うじゃろ?」
「……」
「……大臣?」
「! は、はい」

俺の言葉に呆然としてたらしい大臣の反応が遅れる。
……今更ながら、とんでもねえことを言ったんだな、俺。

「他に王家に連なるものはおらぬ。安心して、この国の王になると良い」

おっさんはそう言ってまた笑った。

「こほん。まあ、作法などの勉強は、していただきますぞ」

自分の失態を取り繕うためか、大臣も偉そうにそんなことをぬかす。

「……ああ」

憑き物が落ちたかのように脱力しつつ、そう返事をした。


「へえ。あんたが王様にねえ」

その日の夜。昼間会ったことを話したが、デボラの反応はそんなものだった。

「あら、何その顔?」
「……喜ばねえんだな、と思って」
「喜ぶ? ……ああそうね」

満面に笑みを浮かべる。ああちきしょうやっぱこいつ美人だな。

「あんたが王様になるなんて、あんたを選んだ私の目に狂いはなかった」
「おい」
「あはは、半分は冗談よ」

半分は本気かよ、と言い返す前に抱き寄せられた。

「おめでとうジャギ」
「……おう」
「ま。アタシを選ぶ男がただものじゃないとは思ってたわ」

そう言いながら俺の頭を撫でる。子を成す仲になって、少しはこいつのことが
理解できてきた。さっきの言葉はデボラ自身じゃなく俺への褒め言葉だ。
どうも少し回りくどい言い方がクセになってるらしい。

「それで、即位式はいつ?」
「試練が終わって……あと作法だかなんだかの勉強をしてから、だそうだ」
「あら。じゃあとっととその試練とやらを受けなさいよ」

耳元を笑い声がくすぐる。

「この子達が生まれる前には、王様になっててもらわなきゃ」
「……そうだな」

もぞもぞと手を動かして、デボラの腹に触る。その中に脈打つ命を感じた。
俺が父さんから継ぐものがある。そしてそれはいつか、こいつらに継がせるものだ。
父さんがそうしてきたように、代々継いできたものを次の代に託す。
それがこんなにも胸の内を温かくさせるものだなんて、
きっと、こいつが居なければ知らなかった。

「デボラ」
「なに?」
「……なんでもねえ。おやすみ」

ここで礼を言うなんざ、俺のキャラじゃねえ。抱きしめ返して、目を閉じる。
腕の中のデボラがいつもより温かい気がした。


 余裕を見て往復で七日の計画を立て、話が出た翌々日の早朝、俺達は城を出た。
聖域までの行き帰りに護衛が着いたりするもんかと思ったが、
オジロン曰く『行って帰るまでの道筋も試練』だそうだ。
そもそも、やべえ魔物の気配は感じられないし、必要ねえさ。

「魔物が居ないわけではないが、襲おう、という気は無いらしい」

ピエールの視線の先は森。釣られて目をやれば、茂み一つ隔てた先を
パオームの群れが移動していた。こいつら、山の向こう側じゃこっちを見つけるなり
襲いかかってきてたっつーのに。不思議なもんだ。

「なんかほわほわした感じが、グランバニアの国ぜーんぶ包んでるみたい」
「そんなもんか?」

スラリンはそう言うが、解るような解らんような感じしかしねえ。

「まあ、油断はしないでおこうか。ベホマンは留守番で、
 私とジャギではベホイミまでしか使えないからな」
「がう」

ピエールの言葉にゲレゲレが一吼え返す。
ベホマンはデボラの体調を気にして、今回の旅にはついて来ていない。
ベホイミまで、とは言うが今の俺達ならそれで事足りる。

「アキーラに聞いたんだけどね、このほわほわって、
 ジャギのおかあさんのおかげなんだって!」
「そういや街の奴らも言ってたな。母さんがまじないをかけたとかなんとか」
「本当に凄い方のようだな、ジャギの母上は」

アキーラ、母さんの友達だったスライムがそう言うならそうなんだろうがビビる。
魔物と心を通じ合わせる、っつーのは俺にも出来ることだ。
だが魔物を大人しくさせる力をこれだけ広範囲に残すなんざ無理だ。
一体どんな人なんだろうか、俺の母さんは。

「あ、そうだ! ねえねえジャギ! 王様になったらずっとお城にいるんだよね?」
「……」

スラリンの問いかけに、足が止まった。
俺が割り切れないでいるとこに、的確に突き刺さること聞きやがって。

「ジャギ? どうかしたのか?」
「……正直、ちょっとだけ迷った」

王様にはなる。親父の後は継ぐ。これに関しちゃ問題はない。
ただ問題は、王様って奴がほいほい出歩ける立場にねえってことだ。

「王になったら、母さんを見つけるのが遅くなっちまう」

俺が生まれてすぐさらわれた。四捨五入すれば二十年近く昔のことだ。
生きてるのか、死んでるのか、それさえも解らない。
王になんざなってる暇があったら、探し回ったほうがいいんじゃねえのか。
父さんの後を継ぐ、母さんを探す。その二つを両天秤にかけて、
今の俺は父さんを選んだ。選んじまった。

「でもジャギのおとうさんだって、王様だけどあちこち探し回ったじゃん」
「む」
「グランバニアにずーっと居られないのは残念だけどさ」

スラリンがぴょん、と一跳ねして俺の頭に乗っかる。

「王様でいることと、おかあさんを探すことは、両方やれると思うよ?」
「あー、ああ、そうか。それもそうだな」

スライムに真理を突かれるなんざ、情けねえ。

「ところでスラリン。何故城にいるかどうか聞いたのかね?」
「えっとねー、アキーラと約束したんだ。……えへへ」
「約束?」
「うん! ジャギが王様になったらね、アキーラ、ボクのお嫁さんになってくれるんだ!」
「!?」

そもそもメスだったのか、アキーラ。

「よし、爆発しろ」
「えーなんでさー。いいじゃんねー、ジャギ。年上のお嫁さんって素敵じゃん?」
「落ち着けピエール。つうかまたそれか。あとスラリン。否定はしねえ」
「……ガウ」



 そんなこんなで三日程後。辿りついた『試練の洞窟』の中は不思議と明るい。
光源である蛍のような光に手を伸ばしてみたが、指をすり抜けていった。
どうやら実体がないらしい。

「恐らくなんらかの魔法だろうな。私には想像もつかんが」
「だな」

石畳の敷かれた通路は、ところどころ木の根に侵食されている。
王家の聖域だっつーのに随分乱雑な扱いだ。
さて、通路の先は……妙な石碑が一つ、それに扉が四つか。

「とりあえず、総当たりだな」

一番右。妙な鳥の像があるだけ。はずれ。
次。妙な鳥の像があるだけ。はずれ。
次。妙な鳥の像があるだけ。はずれ。
最後。……妙な鳥の像があるだけ。

「よーし解った。どうやらここは俺に喧嘩を売ってるらしいな」

袋の中から、大金槌を取り出す。こんなこともあろうかと、
グランバニアで買ってきていた一振りだ。
壁を壊しゃあ、道が見つかるだろ。

「待て、ジャギ。この石板に手掛かりがあるのではないか?」
「あ?」

大金槌を担いだ俺の背中に、ピエールが声をかける。

「確かになんか書いてあるな」
「というか、王家の聖域に乱雑な扱いをするんじゃないよ全く……」

『王たるべき者、けして争いを許すべからず』
『互いに背を向ける者あらば 王自ら出向きて 正しく向かい合わせるべし』
『すべては紋章の導くままに……』

「喧嘩してる奴らがタイマン張ってるところを横から殴れ?」
「そういう解釈ではないと思う。絶対に」

争う原因が無くなりゃいいんだから、両方ぶっ潰しゃいいだけの話じゃねえのか?

「紋章ってこれじゃないのー?」

扉の前でスラリンが跳ねる。そこには確かにグランバニアの紋章が刻まれていた。

「とりあえずあの扉か……しかしなんもなかったぞ?」

最初に覗いた一番右の部屋へもう一度入る。中には鳥の像があるだけだ。

「ん?」

部屋の奥をよく見れば、何やら妙な出っ張りがある。
こいつと似たようなもんをどこだったかで見たな。

「ラインハットの地下に、こういうスイッチが無かったか?」
「おお、あれか。じゃ、押せば正解ってことだな」

かちりと踏み込むと背後の石像が動いた。
隠し扉の類は見当たらない。

「……よーし、この遺跡は俺に喧嘩売って」
「待て待て。先程の石碑にあっただろう、正しく向かい合わせろ、と」
「それがどうした」
「恐らく、あの石像を向かい合わせればいいんじゃないのか?」

そういうことか。くっそ面倒な仕掛けを作ったもんだぜ。
これならまだ魔物を連続で退治しろって言われるほうが楽だ。
結局、次の階層に進むまでに同じことを別の部屋でもやるはめになった。


次の階は次の階で、スイッチを押すだけだと油断したら、
激流に流されるハメになった。作った奴はどうかしてる。
さらにどっから入り込んだのか魔物まで出て来た。
赤いぶよぶよしたそいつは呪文一つでピエールそっくりに化けやがった。
ためらわず斬れ、とピエールが叫んだ。んなこたぁ言われるまでも無く。
ばっさり斬り捨ててやったら、ピエールは床に渦巻きを書き始めた。
罠だけじゃなくてこいつもめんどくせえ。

「さて、ここがゴールか?」

目の前に現れたのは頑丈そうな扉だ。
取っ手に手をかけてみるがそのままでは開きそうにない。

「スイッチの類はないようだな」
「ああ。だがご丁寧に妙な鍵がかかってる」

取っ手の傍に、なにやらよくわからん文字が刻まれている。
その隣にはダイアルが並んでいた。

「さて、ここも謎解きか。魔法の気配はないようだがな」
「魔法の気配はない、んだな?」
「? あ、ああ」

これがただの鍵だ、っつーんなら話は簡単だ。
指先に魔力を集中させ、ダイアルに宛がった。

「『解錠(アバカム)』っと」

指から出た魔力がダイアルに伝わり、かしゃかしゃと音を立てる。
かちり、と小気味いい音がして扉が開いた。

「うっし、鈍ってなかったか」
「じゃ、ジャギ、今のは一体?」
「ガキの頃にドワーフのジジイに習った技だ」

あのジジイは確か、『鍵の技法』って呼んでたか。
魔力を帯びてなけりゃ、大体どんな錠も開けられる優れモンよ。
使うのは十年ちょっとぶりだが、使えて何よりだ。
そういやジジイ、呪文を復活させたのはよかったが、
うっかり人間に教えちまったせいで追放されたとか言ってたっけな。


「妖精族の呪文か……しかしなんかズルいような」
「目的は持って帰ることだ。いいんじゃねえか?」

一つくらいズルをしたところで、誰が知るわけでもねえし。


扉を抜ける。背後でがちゃん、と扉の閉まる音がした。
……帰るまでが、ってのはそういうことか。またもう一度開かねばならんようだ。
ため息をついた俺の眼前。立派な台座の上に鎮座するのは一枚のメダルだ。
重々しく光を放つそれには、グランバニア王家の紋章が刻まれている。

「これが王家の証で間違いなさそうだな」
「そうだな。そういえば、何故紋章は鳥なのだろうね?」
「あー。なんか、ご先祖が鳥に乗って来たからとか聞いたぜ」

宿屋のガキに聞いたが、グランバニア人なら誰でも知ってる御伽噺だそうだ。
遠い遠い昔。遠い遠い国からやってきた男が、グランバニアの始まり。
そいつは眩く輝く鳥に乗ってやってきたっつー眉つばものの話だ。
天空の、とはまた違う勇者だって話もあるらしい。

「鳥……ふむ。よもや伝説の不死鳥か何かか……?」
「どーでもいいじゃねえか。とっとと帰ろうぜ」

そう言って踵を返して――その気配に気付いた。

「ジャギ!」
「解ってる!」

再び鍵がかかった扉から、かしゃかしゃかちり、と音が鳴った。



─────────────────────────────────

ジャギ様、謎解きってあんまり好きじゃなさそうな気がした。
今回と次回は風呂敷広げ回。
果たして作者は畳めるのか。
そしてもうちょっと更新の頻度を上げられるのか。
自分でハードルを上げた作者の明日はどっちだ。




[18799] 第三十七話:盗賊
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:f9743b57
Date: 2013/04/12 21:08

第三十七話:盗賊


 がちゃん。
乱暴に開かれた扉から、幾つかの影が部屋へと滑りこんでくる。
ひの、ふの……十人ちょっと、か。

「ふははははは! 大盗賊カンダタ様、参上!」

頭巾で顔を隠し、巨大な斧を担いだ男が高らかに名乗りを上げた。

「ここにお宝があると聞いてきたぞ! 御同類、俺に寄越せ!」
「……誰が御同類だ誰が」
「なんだ違うのか? 顔を隠しているから俺様のように盗賊だとばかり」

不思議そうに首を傾げている。顔の表情を読み取ることは出来ないが、
嘘をついているようには思えない。ただの間抜けか。

「まあどうでもいい! とにかくその金ピカのメダルを寄越しな!」

そう、間抜けだ。こいつは自分が俺の地雷を踏んでいることに気づいちゃいねえ。
誰が渡すか。これは俺が父さんを継ぐために必要なもんだ。
誰に渡すか。誰にも渡せるか。テメエみてえな、間抜けなんぞに。

「……バギマ」
「なにっ!?」

まだ剣の射程には入っていない相手に、先制で竜巻をぶちかます。
聖域だなんだ知ったことか。俺はこれを奪わせるわけにはいかねえ。

「バギマ。バギマ。バギマ」
「っ、がぁ! ちきしょう!」

男とその手下共は頭巾以外は大した防具もつけていないようだ。
身にまとった薄汚れた布の上にじんわりと血がにじみ出している。
このまま唱え続けていれば、そう遠くない内に動けなくなるだろう。
そうしたら――

「ぬおおおおおっ!」

思考を打ち切るような、おたけび。出所はカンダタと名乗った男の後ろ。
鉄の甲冑を身にまとった巨体が、俺のほうへと突進してくる。
反応できない速度じゃねえ。避けちまえば、それで……

「っ! やべえ!」

バギマを連呼したせいで、部屋の中には竜巻が未だ消えることなく猛威をふるっている。
避けるスペースがない!

「おおおおおおお!」
「ぐぁっ!」

ごきり、と久しぶりに聞いた鈍い音が腹の辺りから聞こえた。
男の突進を喰らった俺は、そのまま後ろの壁へと吹き飛ばされ、背中を強かに打ち付ける。

「かはっ……!」
「ジャギ!」
「くそっ、こいつー!」
「がうっ!」

スラリンとゲレゲレの体当たりで、甲冑男は数歩後退する。
そのままもう一度竜巻に巻き込まれて欲しかったが、
さっきまであれほど暴れていた竜巻は、せいぜいつむじ風程度にまで治まっていた。

「大丈夫だな、野郎ども!?」
「へい親分!」
「よし!」

あんだけ痛めつけてやったっつーのに、盗人共は折れねえ。
そんなにか。そんなに俺を邪魔したいのか。
そこまでして、『俺』の『継承』を邪魔するのか。《俺》の《継承》を。
こんな、ポッと出の、奴らに。俺の夢が奪われるのか。

「っざけんじゃねえええええ!」

得物を片手に、立ち上がる。

「テメーら、そっちのデカブツを足止めしろ!」
「ほぉ、やるかい、御同類!」

男が斧を振り上げるのが見える。遅い。
止まってるのも同然の動きだ。振り下ろすまでの瞬間で、こいつの心臓くらい突き殺せる。
殺す。こいつは殺す。俺の邪魔をする奴は殺す。
俺が父さんの後を継ぐのは邪魔する奴は殺す。
俺の機嫌を損ねる奴は殺す。何をためらうこともない。
今までだって、ずっと、そうして――

「っぐぁっ!?」

じかり、と。左手が燃えるように痛んだ。
その痛みにバランスを崩し、剣は男の心臓の上、薄皮一枚を切ったに留まる。

「な、ななな、なんだなんだ!?」

何が起きやがった。魔法を使われた気配なんざねえぞ。
左手に、何があるわけでも。

「――あ?」

左手は赤く光っていた。光源の一つは薬指にはめた、ほのおのリング。
内部の炎は普段より激しく燃え盛り、今にも俺の手を焼き尽くすかのような感覚を覚える。
もう一つの光源は王家の証。中央の宝玉が、リングの炎と共鳴するかのように
赤々と輝いている。まるで、俺の行いを、咎めるかのように。



「ま、ままま、参った! 参ったから魔法はやめてくれよ御同類!」

心臓の真上に剣を宛がわれた男は、へなへなと座り込む。
威勢がいい割りに、案外諦めも早い。

「お前も動くんじゃねえシーカウ! 降参だ降参!」

呼びかけに、スラリン達からの攻撃を防いでいたらしい男が、両腕を下ろす音が聞えた。

「……ジャギ」
「……抵抗しねえってんだ。命までとることは、ねえな」

さっきまでの気の高ぶりは、左手の熱で焼き尽くされちまったみてえだ。
そうだ。何も殺すことなんざねえさ。こいつらは何も知らねえ盗人なんだ。

「おい、テメェら。ここのことは、誰に聞きやがった?」
「……あれ? そういや誰だっけ」
「お前じゃなかったか?」
「いや俺じゃねえぞ?」

手下共がざわざわと揉め合う。また随分と大雑把な奴らだ。

「おいおい。不確かな情報で突っ込んでくるんじゃねえよ」
「面目ねえ。何しろ最近ここらに来たばかりで、身入りがなくてな」

カンダタがへこへこと頭を下げている。盗賊の頭とは到底思えん。

「いやあ、しかしまさかこんな強い御同類が居るとは! こりゃまた河岸を変えねぇと……」
「……ここはこの国の王家の聖所で、基本的にゃ王族以外の立ち入りは禁止だ」
「へ? ……ひぇーっ! ってことはあんたは王族かい! あわわ、許してくれ!」

座ったまま後退ったかと思えば、見事な土下座を見せた。
こいつプライドとかは無ぇのか。

「ん?」

土下座した拍子に、カンダタの懐から何かが滑り落ちる。

「なんだこりゃ」
「っ! 触るな!」

拾い上げようとした途端、血相を変えてカンダタが吼える。

「あー、すいませんねえ。これ、親分の生き別れた嫁さんと揃いのアクセサリーらしくて」
「さっきの竜巻で、紐が切れてたんすかねえ」

手下共が口々にフォローする。存外慕われているようだ。

「嫁ぇ? テメェみてえな間抜けにか?」
「間抜けだろうが悪党だろうが嫁は来るんだよ!」
「……お、おう」
「スラリン見てみるがいい。ああいうのを、言葉のブーメランと言うんだ」
「へー」

ピエール後で殴る。っと、んなこたぁどうでもいい。
ちらっと見えたその意匠に、覚えがある。あれは、どこでだったか。

「まあ、俺らも夢じゃないかと疑ってるんすけどね」
「何しろ、親分ったら、『妖精の国』でその嫁さんと出会ったらしいっすから」
「黙りやがれぇ! 夢なんかじゃねえ! 『妖精の国』は確かにあったんだ!」

カンダタが怒鳴る。妖精の国……妖精の国か。
ああ、成程。確かに知らない奴らにとっちゃあ、御伽噺だろうなあ。

「いや、あるぜ、妖精の国は」
「へ?」
「おぉ! 信じてくれるのか、御同類!」
「ああ。俺もガキの頃に行ったことがある」

そう。そこで俺は、こいつが持っているのと同じものを目にした。

「俺はそこで一人のドワーフに出会った。どんな鍵でも開けちまう呪文を復活させたっつーおっさんだった」
「!」

カンダタがハッと顔を上げる。どうやら、俺の予想は当たったらしい。

「そ、そのおっさんに、家族は!?」
「……娘が一人いたが……妖精の里を追われてすぐ、死んだそうだ」
「お、追われたって、なんで……!」
「おっさんが、『人間に解錠の呪文を教えたから』だ、そうだ」
「……うそ、だろ……」

握りしめていた手の中から、からん、と音を立てて何かが落ちる。
石畳の上に転がったそれは、木彫りの鍵だった。

「うそだ……俺の、俺の、せいで……」
「嘘じゃねえ。俺はそれをドワーフのおっさん達から聞いた」

記憶の中。木彫りの鍵をぎゅっと掴んでいた奴の姿が、
目の前で意気消沈する男と重なる。

「ドワーフのおっさんと、その孫からな」
「……ま、ご?」
「死んだ娘が、命と引き換えに産んだガキだ。名は、ザイル」
「あ……」

妖精の女王に母を奪われた。その怨みつらみがザイルの心のどこかにヒビを入れた。
そのヒビを雪の女王につけ込まれて、あいつはもう少しで
とんでもねえ自体を引き起こすところだった。よく覚えてる。

「その、まご、ってのは」
「死んでなきゃ今でも元気だろうよ」

俺はあいつを殺さなかった。俺がまだ甘ちゃんだったってのもあったし、
『親を奪われる』苦しみをなんだか理解出来たからな。

「そ、っかあ。孫、かぁ。俺の、子供、かぁ……」

表情は見えないが、声の調子からすると泣き笑いをしているのだろう。
同じような頭巾を被った手下共なんぞ、おいおいと声を上げて泣いている。
こいつら盗賊向いてねえんじゃないのか。

「すまねえ、御同類、いいや、旦那! 俺は間違ってた!」
「あ?」
「ガキが居るって解ったんだ! 俺ぁ、今日を限りに盗賊を止める! 真っ当に生きる!」

……ガキが居る、ってことはそんだけ重いか。自分の道を変えちまうくらいに。
気の高ぶりに任せて、殺しちまわねえでよかった。



「というわけで野郎共引き上げるぞ!」
「へい、親分! お前も遅れるなよ、シーカウ!」
「…………」

しかし引き上げた所で、こいつら真っ当に生きられるんだろうか。

「やれやれ……どうにか一安心、と言ったと」

ごづん。

「こりょっ……何故殴る」
「自分の胸に手をあてて考えてみるんだな」
「ん? なんだ旦那、魔物使いなのかい」

物音を聞き付け、カンダタが振り返る。

「ああ、まあな」
「ほへー。まあ、今時魔物と人間が一緒にいるってのも珍しくねえな、何しろうちの」

言葉の続きが聞えない。びしゃり、と床にこぼれ落ちる赤。

「しー、か、う?」

甲冑の男の盾が床に落ちている。装備していた手はカンダタの胸を貫いていた。
その手が赤いのは、血の色じゃない。腕、そのものの、色だ。

「シーカウ! テメェー! 親分に何しやがる!」
「……ジャミ様の、命令に、従った、までよ。」

兜を取ったその下にあった顔は、人間のものではなかった。
違う。今はそんなことどうでもいい。誰つった。今誰つった、こいつ。

「ジャミ……それは、ゲマの手下の、ジャミか」
「そうだ。人間共を使って、グランバニアの王族を殺す。それが、ジャミ様の計画だ」
「テメェ! 親分や俺達を利用しやがったのか!」
「……そうだ。だが役に立たなかった。だから、殺す」

ジャミ。知ってる。覚えてる。忘れるわけねえ……!

「がぁあああああああ!」

ゲレゲレが甲冑男――カバのバケモノ――へと突っ込んでいく。
当然だ。こいつも覚えてる。こいつもあの場所にいた。
『父さん』が魔物になぶり殺しにされた場所に!
ジャミ。ゴンズ。それと、ゲマ。 あいつらだけは許さねえし、その部下だって同罪だ!

「ピエール、証をしまっとけ!」

メダルをピエールに任せ、俺も続く。
甲冑の隙間から無防備にはみ出た腕に、ゲレゲレが牙を立てる。

「くたばりやがれぇえええ!」

反応しないままのカバ野郎の首を刎ねるように、横なぎにはらった。
手ごたえは十分。ずるり、と音を立てて首が床に落ちる。

「……あ?」

その首は、にぃ、と笑っていた。
バカめ、死ぬってのに最後まで余裕面を……

「っ! その死体から離れろ!」
「何?」
「がう?」

ピエールのつんざくような叫び声。後ろへ引きずられる衝撃。
反動で前に出る小さな甲冑姿。
それが――閃光と爆音の中に消える。

「ぎゃあああああああ!」

同じく爆発に飲まれたらしい手下共の悲鳴が上がった。


「……っ、くそ、なんだってんだ、おい、どうしたピエール、なにが……」

あった、と続くはずの言葉が喉の奥で詰まる。
砕け散った薄赤い死体。その周りに円を描くように散らばる、ボロ布に包まれた死体。
倒れ伏す、白い甲冑。弾け散っている緑色のどろりとした、何か。
あれはなんだ。いいや、解ってる。あれが何かなんて。
だって、あれはずっと、いつだって、俺の傍に。
考えるな。そんなわけがない。有り得ない。有り得ちゃならない。

「うわああああ、ピエールーーーーー!」

スラリンの悲鳴が、俺を認識したくもない現実へと、引き戻す。



─────────────────────────────────


ザイルとカンダタって、似てるよね。
なんで人間の盗賊が魔物と一緒におんねん。
そういう疑問を組み合わせた結果がこちらとなります。
いきあたりばったりな作者の明日はどっちだ。

ネクスト作者ズヒーント:これはドラクエ二次。



[18799] 第三十八話:穿孔
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:e2718365
Date: 2013/07/07 20:42

「ピエー、ル?」

白い甲冑に向かって呼びかける。へんじはない。

「ピエール、おい、ピエール」

うごかない。へんじはない。へんじはない。

「ジャギ、早くベホイミを!」
「……ベホイ、ミ」

震え声で唱えたベホイミの魔力が霧散する。
十分に魔力は足りているのに、効果がない。

「そんな、どうして! なんでベホイミが効かないんだよぉ!」
「きく、わけ、ねえ、だろ……」

視界が床に近づく。膝を突いたと認識するまでしばらくかかった。

「へんじがない、ただの、しかばねに」

また間違えた。また失敗した。また俺は、亡くした。
俺はどこで間違えた?
甲冑の魔物の魂胆に気付けなかったところか?
下手な同情なんざしたところか?
ここへピエールたちを連れてきたところか?
違う。どこで間違ったかなんて、問題じゃない。
目の前にあるのは変えられなかった事実だけ。
ピエールと、有象無象の死体だけだ。

「ああああああああああああ!!」

頭が痛い。割れるように痛い。いいや、割れちまえばいい。
子供が生まれるって、調子に乗って、
大事な仲間死なせちまうような男は、ここで死んじまえば

『――いけません。気をしっかり持つのです』

……なんだ、この、声は。



『ジャギ。彼の運命はまだ終わっていません。今ならまだ、呼び戻せます』

呼び戻せる? ピエールを? 俺の間違いをなかったことに出来るってのか?

『間違いをなかったことには出来ません。ですが、彼を甦らせることは、できます』

あんたが、それをやってくれるのか?

『いいえ。私に出来るのは、その手段を与えることだけ。今から言う呪文を、覚えなさい』

呪文――そういやあ、旅の途中で聞いたことがある。死者を甦らせる呪文がある、と。
だが、その呪文は代償として術者の命を削る、とも。

『そうです。それでも、その呪文を知りたいですか?』

命を削る。命を削ってまで助けるに、ピエールは値するだろうか。
俺に小言は言うし、からかうし、口うるさいかと思えば、ふざけている。
そんなうるさい、ただの一匹のスライムナイトのために、命を削れるか?

『――それが、あなたの答えですね?』

ああ。

『解りました』

女の声が消える。ふらり、と俺は立ちあがる。



「スラリン、ゲレゲレ」
「ジャギ……?」
「がう?」

立ちあがって、ピエールの死体まで歩を進めた。

「俺がブッ倒れたら、城まで運べ」

魔力を、片方の手のひらに集中させる。
基本の要領はベホイミと同じ。
全身を流れる生命力、これをさらに魔力に上乗せする。

「ぐっ……!」

がり、と命が削れる音が聞こえた気がして、体が揺らぐ。
けどこの程度で倒れるはずもないし、倒れない。
多少俺の寿命が縮まるくらい、なんだ。
俺は、俺の仲間を助けるためなら、命くらい削ってやる。
そもそもこの命は、本来なら十年前に魔物にやられた時点で
奪われていてもおかしくなかったモンだ。
そうならなかった理由を、俺は知ってる。

『……変わった奴だと思い、興味深かった』

たったそれだけの理由で、

『その子供を殺すには忍びなかった』

そう選択して、俺を活かしてくれた、バカがいた。
俺はデボラに出会えたし、故郷に帰れたし、父親になれるんだ。
だから俺の答えなんざ決まってる。

「ザオ、ラルっ」

青い光が手から溢れ、ピエールの体に吸い込まれる――直前で、掻き消えた。
俺の答えを聞いて、あの不思議な優しい声は俺に呪文と、その使い方を教えてくれた。
この土壇場で新しい力が目覚めるなんざ、三流の物語みてえだが構わん。

「ザオラル」

しゃぼんが割れるように、再び魔力は霧散した。
もう一度魔力と生命力を集中させる。
連続詠唱が体に響いたのか、立っていられずに膝をつく
このバカが甦るっつーんなら、俺は馬鹿げた力でもなんでも、利用してやるだけだ。

「だから、いい加減、目を覚ませ、このバカ……!」

手のひらから遠いと、魔力が消えちまうみてえだ。じゃあ、その前にぶちこめばいい。

「ザオラル……ッ!!」

甲冑に拳を叩きつけるようにして、魔力と生命力を注ぎ込む。
それは今度こそピエールの体に沁み渡っていった。
俺の見る前で、かちゃり、と甲冑が鳴る。

「ぐっ……」

聞き慣れた声が、さっきまで死体だった奴の喉から漏れた。

「……遅ぇ、ん、だよ、この、バカ……」

確率は、二分の一、だった、はずじゃ、ねえか。
全身から力が抜けて、床に倒れ伏す。
視線の先に、煤けた木製の鍵が見えた。
――アイツを救うほどの、力は、俺には、もう



夢を見た。夜とは違う暗黒の空に覆われた、どこかの岩山。
そこに置かれた祭壇で、女が一人祈りを捧げている。

『……伝えられたか?』

その女へ向けて、語りかける声。どこから出ているのか解らない。

『まさか、解らないとでも思っていたのか。ここは××の支配する世界だ』

背筋が粟立つ。この声を聞いてると、気が狂いそうだ。

『貴様の祈りは、確かに向こうに届いた。だがそれは』

夢なら覚めろ、と願うが聞き届けられはしないらしい。

『この世界と向こうの世界を繋げた。それがどういう意味か、解らん貴様ではあるまい?』

隠しきれない嘲笑が声に滲む。

『それでも、私はジャギを救わねばならなかったのです。何故なら――』

女が何と言ったかは、聞こえなかった。

『くくく、そうか。まったく、貴様らは本当に、愚かだな』

ただ妙に泣きたい気持ちになって、それと同時に俺の意識がそこから遠ざかる。

『……ジャギ……』

最後に聞こえた女の声は、優しくてかなしかった。


「このバカ! しもべ! 小魚!」

目を覚まして最初に聞こえた女の声は、俺のそんな感傷を吹き飛ばした。

「自分が死んだらどうするつもりだったのよ、バカ!」

「まったくですぞ、ジャギさま! あまりハラハラさせないでください!」

「アンタが死んだらどんだけの人が辛い思いをするか解ってんのか!」

ベッドから起き上がれない俺への説教三重奏。寝起きにきつい。
ちらりと横目で見やれば、ピエールはすまなそうにしていた。
しおらしい姿は意外だが、それ以外はいつものピエールだ。
あれが見られるなら、俺は説教も甘んじて受けるし命くらい懸けよう。
と、思ったことをうっかり口に出したら『お人よし』という文言が追加されて、
説教が更に伸びた。
そしてこの一件からしばらく、王位継承の準備が整うまで、
俺は王族専用の最上階から出ることを禁じられた。

「せめて城の中うろつくくらいはいいだろ」

「おやめください。育ち盛りの息子がいるのに私がクビになります」

「ちっ」

舌打ちをしながら駒を動かす。暇潰しに、と用意されたのは
兵士どもの間で流行してるというモンスター型の駒を使ったチェスだ。
なんでも大臣が宝物庫から見つけてきたらしい。

「お腹にお子がいる奥方様に心配をかけるなど、父親失格ですよ」

俺の見張り兼遊び相手をやらされている、城の兵士が呟いた。
こいつの連れ合いは下の宿屋の女将だそうだ。

「んじゃ、テメエは心配かけなかったってのかよ」

「旅の踊り子に夢中になって殴られました」

「……テメエの息子、テメエのそういうとこが似ないといいな、パピン」

ため息一つついて、キングスライムの駒を動かした。

「ほい、チェックメイト」


─────────────────────────────────

久しぶりの更新すぎて、文章の書き方を忘れておる……

せんこう【穿孔】[名・ス自]
穴をあけること。また、そのあけた穴。
(岩波国語辞典第七版より)



[18799] 第三十九話:来福
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:4d86647c
Date: 2013/12/05 19:40
 山ほどの作法や国家経営にまつわるあれやこれやを学ばされる中、
一息ついたときに見える窓の向こうで季節はいつの間にやら変わっていた。
この国を訪れて数ヶ月。長かったような、短かったような。
少なくとも、『俺』の、あるいは《俺》の人生の中で一番楽しい時間だった。

「……いよいよ、明日か」

寝室から外に出て夜空を見上げる。今日俺は眠れるだろうか。

「へぇ、珍しい。あんたでも眠れないことがあるんだ」
「ッ! おい、体が冷えたらどうすんだ!」

月のように丸い腹を抱えて、いつの間にかデボラが隣に立ってやがった。

「少しくらい平気よ。このところ一日寝てばかりで、少し退屈だったもの」
「……少しだけだぞ」

この数日中、いつ生まれるかわからない、というのがシスターの診立てだ。
タイミングの問題で即位式にはデボラは出られそうにもない。

「でも確かに少し寒いわね。……もうちょっと、こっち寄りなさいよ」

するりと腕を組まれて、抱きつかれる。

「よし。それで、あんたは何を悩んでるのかしら?」
「……相変わらず鋭いな……」

いともあっさり見抜かれた。苦い笑いしか出ねえ。

「あんた、悩み事があるとすぐ夜空を見るもの」
「う……」
「で、どしたの。今更王様になることに怖気づいた?」

癖まで把握されている。このままの力関係が続けば、
俺は一生こいつの尻に敷かれるんじゃあなかろうか。

「それもあるな。……俺ぁ、《継げなかった》から、なあ」
「……うん」

昔の話だと察したようで、ただ頷く。

「第一、人の上に立つような人間だとは思えん」
「あら、そんなことないわ」
「何?」
「あんた、ピエールたちには慕われてるじゃない」

モンスターに慕われてるのと人間に慕われるのじゃあ、話が違わねえか?

「大丈夫よ。私が王妃として支えて上げるから、自信持ちなさい」

ぎゅ、と組んだ腕に力がこめられた。
自然、口元が緩む。

「俺ぁ、いい女房もらったなぁ……」
「今更気付く辺り、あんたやっぱり鈍……」

呆れたような声が突然途切れる。

「っ、たっ、あいたたたたっ!」
「!? おい、デボラどうした、おい!」
「た、多分、陣痛、よ」

その言葉の意味を知っていた。デボラを抱え、寝室への扉を蹴り開く。
三人分の重さを腕に感じてよろめきながらも、ベッドの上に横たえた。
ぐっしょりと冷や汗で濡れた額を掌で拭う。

「デボラ……」
「……こざかな、みたいな、かお、してないで……シスター、と、ママ、を」

ぺちり、と顔が叩かれる。ええい、落ち着け、うろたえるな。
こういうときは深呼吸だ深呼吸。

「ヒッヒッフー」
「あんたがその呼吸してどうすんのよ、バカ!」

もう一度叩かれてようやく、俺は指示された奴らを呼ぶべく部屋を飛び出した。


 かち、こち。かち、こち。時計の振子の音がやかましいくらい耳に響く。
道に迷った犬のようにうろうろと忙しなく玉座の間を歩む。
大丈夫か。どれだけ経った。まだ生まれないのか。
なにか難しいことでも起きてんじゃないか。頼む。無事に生まれてくれ。

「……懐かしいですなあ」
「あ?」
「ぼっちゃまが生まれた時のパパス様も、こうやってそわそわしておられました」

俺の記憶にある限り、大体いつも落ち着いていた親父も、この瞬間は緊張してたのか。
そう思うと少し楽になった気がする。

「こういう時、男はうろたえるしかできんのう」

おっさんもしみじみと言っている。そういえばこいつも人の親か。
それにしたってまだか。やはり二人入ってるから時間や辛さも二倍なのか?
ちきしょう、あんまり待たせんじゃねえよ。嫌なことばっか考えちまうだろうが。
腹の中から赤ん坊をひり出すってのは、女にとって相当キツいことらしい。
産み落とす女も、出て来る赤ん坊も、命がけだと聞いた。
もしも。もしも、どっちかが……ええい、考えるな、落ち着け。
あいつが死ぬわけねえし、ガキは輪をかけて死ぬはずもない。
なにしろ、生まれて来るガキは、あいつとこの俺の子だ。
死ぬもんか。絶対に。死ぬわけがない。だから落ち着け俺、止まれ、心臓。
いや違う落ち着け止まっちまったら死ぬだろ。静まれだ静まれ。
耳に響くのは振り子の音と今までにないくらい早い鼓動。
……ん? 今、何か別の音が聞こえた、か?

「おぎゃあ」
「あ……」

赤ん坊の、泣き声。

「ジャギさま! 産まれました!」

デボラ付きの女が叫びながら駆け下りてくるその横を通り抜けるように、
階段を二段飛ばしに駆けあがる。
見慣れた寝室の扉を開ける。ランプで照らされた室内。
ベッドに横たわるデボラは部屋を追い出された時より顔色はよさそうだ。

「……なぁに、ジャギ。よくやった、とでも、言う、つもり?」

いつも通りの口調。少々疲れは見えるがそれだけのようにしか思えない。

「デボ、ラ……」
「ぼーっとしてないで、こっち来なさいよ」

その両腕の中で、白い塊がうごうごとうごめいている。
震える足を動かして、そろそろと近づく。
真っ赤な顔をした、小さな小さな人間がそこにいた。

「こっちが、男の子で、こっちが、女の子」

しわくちゃの顔。うっすらと生えた黒く柔らかな毛。

「抱いてあげてください、ジャギ。あなたたちの子ですよ」

デボラの母親の言葉に、差し出した腕は震えている。
高級で柔らかな布越しに感じたのは、ぬくもりと重み。

「俺の……子」
「あたし『たち』の、子よ」

受け取るために屈みこんだ俺の頬を、ベッドから伸ばした手が撫でる。

「しっかり抱きなさい。あんたの、血の繋がった家族よ」

視界が滲む。喉から堪え切れずに嗚咽が漏れる。
俺の家族。血の繋がった家族。《俺》が無くしたもの。《俺》が手にしえなかったもの。

「デボラ……ッ」
「何?」
「あり、が、とう……ッ」

こいつが居てくれたから。こいつが全てを受け入れてくれたから。
だから『俺』は今、幸福で居られて、どうしようもなく泣けてくる。
嬉しい時も泣けるのだと、こいつが教えてくれた。

「まったく……赤ん坊より泣いてどうすんのよ、あんた」

内容とは違って優しい声音で俺に語りかけながら、デボラは頬を撫で続けている。
シスターと手伝いの人間は、デボラの母親含めて部屋を出て行ったようだ。

「それで、この子たちの名前、考えてある?」
「……ああ」

腕の中の小さな双子を見やる。俺に抱かれて眠る子供たち。
俺の血を分けた家族。

「俺はな、人の親になった」
「うん」
「だから、な……、俺は……俺は」
「あんたは?」

大きく息を吸い、吐く。これがさっき言えなかった悩み事の一つ。
この間聞いた、『母さん』が見たという夢を思い出す。
《俺》と『俺』の間の、遠い遠い曖昧な記憶を思い出す。
人の親になったということを、考える。

「女が生まれたらな、お前が御執心の、花の名前にしようと決めていた」
「リリ、ってことね? それじゃあ、男の子は?」
「男は……」

リリの花は、『母さん』が残したもの。王位は、『父さん』から受け継ぐもの。
親が残したもの、伝えたものを、子に伝える。それがきっと、普通の『親』だ。
だから、俺は

「『ラカン』」
「え?」
「こいつの名前は、『ラカン』だ」

《親》から伝えられたものを、もう一度受け入れるために、
子供にこの名前をつけてみることにしたのだ。


「《昔》の言葉でな。今の言葉でいやあ、聖人とか、聖者とか、そういう感じだ」
「……ふうん」

デボラがベッドの上で身を起こす。屈みこんでいた俺と、目が合う。

「少し変わってるけど、まあいい名前なんじゃない?」

腕の中の赤ん坊を一人ずつ抱き留めて、デボラが名前を呼ぶ。

「あなたはラカン。ジャギとあたしの息子で、ちいさなおにいちゃん」

双子はどうやら男のほうが先に生まれたらしい。
……ひょっとしたら逆で、こいつが俺から『弟』を遠ざけるために、
順番をごまかした、という可能性はないと信じよう。

「あなたはリリ。ジャギとあたしの娘で、ちいさないもうと」

抱きしめるその姿は顔色も悪く、服も乱れているというのに、輝いてるようだ。

「こいつらが、大きくなるまで、何もなきゃ、いいなぁ……」
「何もないようにするのが、あんたの仕事でしょ、王様?」
「違ぇねぇ」

どちらからとも無く笑い合い、赤ん坊の顔を見つめた。
赤ん坊はすやすやと寝息を立てている。小さくてふにゃふにゃした体は
正直抱きしめるのも怖かった。だが俺の悩みなんざ知らん、とばかりに
特に暴れたりするでもなく、黙って抱かれていた。
胸に湧き上がるこの感情を、多分、愛しい、って呼ぶんだろう。

「待ってろ。ちゃんと、お前らが王子と王女って名乗れるように、するからな」

いつの間にか部屋が明るくなり始めている。
夜が明けた。今日から俺は、この国の王になる。
誰にも邪魔されずに、父親の後継になる。
ああ――どうしようもなく、幸せだ。

─────────────────────────────────

【来福】
らいふく、と読むと辞書には載ってない。
読むなら【福、来タル】だと思う。



[18799] 第四十話:来復
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:4d86647c
Date: 2013/12/05 19:41
 見慣れたはずのそこが妙に厳かに見えた。
もう二度と着ないだろうと思っていた礼服に袖を通して、石畳に敷かれた絨毯を歩く。
一歩、また一歩。これが夢ではなく現実なのだ、と認識するために。
いつもなら玉座に座っているおっさん……オジロン王は、今日はその傍らに立っている。
大勢の兵士たちを始め、城の人間が固唾を飲んでこちらを見ていた。
そうして、おっさんの隣に立つ。

「……皆のもの!」

張り上げた声はやはり父さんに似ていた。

「既に告げた通り、ここにいるジャギは前王パパスの息子である!」

兵士たちは黙って聞いている。大臣の姿は見えない。
確か、この後の宴の準備に奔走しているのだと聞いた。
へっ。あいつなんだかんだ言って、長いもんには巻かれるタイプのようだな。

「故に! ワシはこのジャギに王位を譲ることを、神に誓おう!」

ここからの手順は解っている。膝をつき、目を閉じた俺の頭に感じる重み。
今の今までおっさんが被っていた王冠。ちょっと生温かい。
次に肩に巻かれるマント。これもおっさんが着てたから生温けえ。
それはともかく、王冠とマント。グランバニアにおける、王位の象徴。
ゆっくりと目を開いて、立ち上がり、玉座の前へ。
これからこの椅子は、俺のものだ。父さんから、受け継いだもの、だ。

「それでは、新たなる王ジャギよ! 宣言を!」

それを合図に向き直り、声を張り上げる。
本当は難しい文言を並べていたらしいが、親父の代からは簡略化された、
王位継承の誓いを叫ぶ。

「グランバニアの民と国に、栄光あれ!」
「「「栄光あれ!」」」

兵士たちの唱和に続き、鳴り始める交響曲。
それを背に俺はゆっくりと歩き出す。これから街へ出て、民へ顔見せだ。
お人よしな国民共はきっと俺がこの国の王子だったこと、
王になったことに、驚くに違いない。


しばらく後。
俺は宴の席で「皆、気が付いてたけど黙ってた」と知らされてテーブルに突っ伏していた。

「むしろ信じ切っていたあんたのほうが凄いよ……」
「うるせー……」

ぐい、と杯を煽る。どこで見つけてきたのか、随分と飲みやすい酒だ。
何処で飲んでるんだか姿が見えねえが、後で大臣を褒めてやらんとな。

「にしても、そろそろだと思うんだがねえ」
「あん?」

産後すぐで起き上がれないデボラの代わりに、俺と呑んでいたドリスが
何かを探すように辺りをきょろきょろと見回していた。
その口元に笑みが浮かんでるのは、どういうこった?

「ラインハット宰相閣下ヘンリー様御夫婦、御到着です!」
「サラボナのルドマン様も御到着です!」
「げふッ!?」

兵士の声に飲んでた酒を盛大に噴き出す。

「王位継承ってのは一大行事だぜー? そりゃ客人くらい呼ぶさー」
「そ、そういうことはもっと早く言いやがれ!」
「わはは、そう言うなってジャギ! 俺が黙ってて欲しいつったんだからな!」

見慣れたニヤニヤ笑いを張り付けた男には、
宰相閣下なんて肩書きが微塵も似合ってねえ。

「テメエ、ヘンリー! まだそのイタズラ癖治んねえのか!」
「うるせえなあ! こんな大事なことを黙ってるなんて、それでも友達かよ!」
「友達に決まってんだろうが!?」

ごん、と久しぶりの感触を拳に感じる。

「まあまあ、相変わらずですわね、ジャギ様」
「ったた……はは、いやしっかし驚いたあな、マジでお前が王様かよ」

ヘンリーは笑って俺を見ていた。……考えてみりゃ、妙な話だ。
いつか、俺はこいつを見て『住む世界が違う』と考えたことがあった。
それがどうだ。今もこうやって、あの頃みてえにバカやって笑えてる。

「お前が王様、ってことは……そういうことだよな、うん」
「ん?」
「……ジャギ様、この方は」

俺とは離れたところで呑んでいたはずのサンチョが
いつの間にか俺のすぐ側に来ていた。
いや、すぐ側と言うよりは……俺とヘンリーの間に入るように、か?

「前に話したろ? ラインハットの、」

言葉が喉奥で詰まる。ぞくぞくと背筋が震えた。
出所は……サンチョ?いや、違う。サンチョからも感じるが
この酷く冷たい気配はどこから出てる。こんな気を出せる奴が、どこにいる?

「ラインハットの、王子。ジャギと一緒にさらわれた方、じゃな?」
「おっ、さん?」

振り向いた先。今までに見たことのないような険しい形相のおっさんが、いた。

「わしはグランバニア前王、オジロン。……パパスの弟と、言えば良いか」
「っ……」

ヘンリーの顔が強張る。今更、気が付いた。
俺は十年も一緒に居たから納得できた事実を、
おっさんとサンチョは受け入れがたかったのだ。

「……謝罪させて、ください」

ヘンリーが礼装の帽子をとり、頭を下げる。
そして、ぐるりと国民に向き直った。

「グランバニアの民よ! 真に申し訳ない!」

深く頭を下げる姿に国民がざわついている。

「貴君らの偉大な王、パパス王は……ラインハットの内紛に巻き込まれ、亡くなった」

ざわめきはさらに大きくなる。

「内紛の原因は私にもあり、私が、貴君らから彼を奪ったようなものだ」

ヘンリーの声は震えている。

「だが、今の俺があるのは、パパスさんのおかげで……そうしてまた、ジャギのおかげだ!」

目に涙を浮かべたまま、ヘンリーは震える手を伸ばす。

「ジャギ王。ラインハットはこれから永遠に、貴国に手を貸すと誓おう」

握手してはいおしまい、めでたしめでたし、かよ。
馬鹿馬鹿しい。

「……アホかてめえは」

その一言に呆然としたヘンリーの肩を、思い切り掴む。

「友達に、んな小難しい誓いなんざ、必要ねえ! 俺は赦した! 王が赦したから国も赦せ!」
「……無茶を言うなあ、お前……」

呆れたヘンリーの声に続くように、どっと笑いが湧き上がる。

「パパス様の取り持った二人の、そして二国の友情に乾杯ッ!」

そう叫んだ声に釣られるようにして、宴は元の騒がしさを取り戻し始めた。

「そういうことだから、よ」
「……ジャギ様が、そうおっしゃるなら」

サンチョは未だ納得しきれぬものを抱えているような顔だが、
とりあえず引き下がる。

「……いつか、そういう風に命を落とすと、思っておったよ、兄上は……」
「……すみません」
「いや、よい。……今からは、新しいものの時代じゃ」

張りつめていた空気がふ、と和らぐ。
おっさんはそれでもどこか寂しそうな顔で笑った。

「兄上が守った命と国、大事にしてくだされ、宰相閣下」
「……はい、必ず!」

それだけ告げて、おっさんは俺たちから離れる。
ドリスは心配そうにそれに付き添っていた。

「悪いなジャギ。即位式だってのに雰囲気悪くしちまって」
「……気にすんな。うちの国民はお人よしだ。明日にゃ納得してるさ」
「あ、あのところでジャギさん。デボラさんのお姿が見えないのですが?」

マリアが少し裏返った声で尋ねてくる。
気まずげな雰囲気を断ち切るつもりらしい。

「あー、あれだ。昨日赤ん坊産んだばっかでな、今日は出られん」
「え、ええ!? 生まれそうとは聞いてたが、もう!?」
「ま、まあまあ、それはおめでとうございますジャギさん」
「な、何ーっ! もう産まれておったのか!?」

いつの間にか俺の傍に来ていたハゲ……もといルドマンが素っ頓狂な声を出す。

「まあな。ああ、それより……さっきは助かったぜ」

さっき乾杯の音頭を取ったのは間違いなくこのジジイだ。
あれがなけりゃ正直まだ妙な雰囲気のままだったかもしれん。

「うむ。それはともかく、孫かー。そうかー、わしもおじいちゃんかー」

ああ、そうか。ジジイが本当にジジイになったんだな。
うん、そうだ。ここはめでたい席だ。ちょっと不安になったがなんてことはない。
呑んで、騒ごう。俺は幸せだ。今までで一番、幸福なんだ。


闇の中。声がする。その声に覚えがある。

『幸せになれると思ったのか』

思ってもみなかったが、なれた。

『幸せが続くと思っているのか』

どういう、ことだ。

『ジャギに幸せが訪れるはずはない』

黙れ。俺は幸せだ。親父から受け継いで、嫁がいて、子供までいる。
これを幸せと言わずに、何と言うんだ。

『そうか。それがお前の幸せか』

おい、何を笑ってやがる。姿を見せやがれ。

『……幸せになれるもんか。《ジャギ》なんだから』

ずぎり。ずぐり。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!
なんで、今、頭痛が。ありえねえ、ありえねえだろ!
何も辛いことなんざねえのに、俺は幸せなのに、どうして、頭が痛むッ!?

『だって、《ジャギ》が幸せだと思っていたとき、《アイツ》は』

うるさいうるさいうるさいうるさい。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。


「ぐぅああああああああああッ!!」

喉をついて出た悲鳴に目を覚ます。
ちきしょう、なんだったんだあの胸糞悪ィ夢は。

「……あー、ちきしょう。頭痛ぇ……」

飲みやすいからって呑み過ぎたのがいけねえ。おかげで妙な夢なんざ見ちまう。
いつの間にか城は薄暗くなっていた。
朝早い時間から日暮れまで飲んじまうなんて、少々はしゃぎすぎちまったか。

「……は?」

待て。おかしいだろ。薄暗いってレベルじゃねえ。灯ってる明かりが足りん。
恐る恐る天井を見上げる。オレンジの光がぽつぽつと灯っている。
――聖なる松明の光が、一つも、見当たらん。

「ぐごぉ……すぴぃ……」

俺の隣ではヘンリーがいびきをかいている。ヘンリーだけじゃあない。
目に付く奴らは、机に突っ伏すか床に寝ころぶかの体勢で、どいつもこいつも眠りこんでる。

「な、んだ、こりゃ」

おかしい。幾らはしゃいだからって、全員眠りこむなんざ、
そんなこと普通なら、ありえねえ。

「あ、あああああああああッ!?」

絶叫が城に響き渡る。二度めの叫びに何人かが身じろぎするのを
横目に見ながら、俺の脚は自然、寝室へと向かう。
ここは平和なグランバニアだ。俺は酔っておかしな夢を見ただけだ。
こいつらも呑み過ぎて酔っ払ってるだけだ。
魔物を避ける聖なる松明が灯ってないだなんて、目の錯覚だ。
そうさ。だからこの俺を突き動かす焦燥感も馬鹿げてる。
ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえちゃならねえ。
なんでだよ。俺は幸せなんだぞ。幸せだったはずだぞ。
もう一回手に入れた幸せはそんな簡単に壊れるもんじゃねえ。
だから、な? ほら、俺の手の震え止まれよ。
落ち着いて、ゆっくり扉を開けるんだ。
そしたらそこにデボラがいて、赤ん坊も隣にいる。
「またこざかなみたいな顔でどうしたの?」ってそう聞いてくるに決まってる。
ああそうだよそのはずだろそうでなきゃいけないだろ。

「なん、で……」

だからほら、このぐちゃぐちゃに荒らされて、あちこち焼け焦げた後があって、
血とかで汚れてる寝室はきっと、俺の見間違いだ。
真っ暗な部屋の中に誰もいないなんて。そんな、ことが、あるわけが。
止まれ。頭痛止まれ。変な幻を見せるな。止まれ、止まれ。

「い、あ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

喉から出てくる、この引きつれた声も、止まれ。

これはきっとまだ、悪い夢だ。






───────────────────────────────────────

らいふく【来復】
一度去ったものがまた戻ってくること。







[18799] 第四十一話:祈誓
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:0eccf49e
Date: 2014/03/26 20:24
「おぎゃあ」

今聞こえるこれはなんだ?
――声だ。赤ん坊の泣き声だ。

「おぎゃあ」「おぎゃあ」

二重に聞こえる声の出所を探して、俺は首をゆっくりと巡らせる。
ベッドの脇で顔を青ざめさせている女。その腕に抱かれた、二つの固まり。

「……ラ、カン、と、リ、リ……?」

思考がようやく動き始める。

「……ギ様、ジャギ様ッ!」
「ジャギ、おい、大丈夫か、ジャギッ!」

途端に耳に響いてくる声。サンチョとピエールが肩を掴んで叫んでいた。
部屋の中にはいつの間にか明かりが灯され、惨劇をまざまざと照らし出している。

「……どん、くらい、だ?」
「ジャギ、やっと気付……」
「ピエール。俺がここにきてから、どんくらい経った?」
「ま、まだそんなに経っていないがそれがどうしたと」
「どうしたもこうしたもあるかァッ!」

しん、と部屋が水を打ったように静まりかえる中、俺はふらふらと立ち上がった。
幽鬼じみた足取りで女――デボラの母親へと近寄る。

「ここで、なにが、あった。デボラは、何処へ、行った」
「あ……あの、子は、部屋の明かりが消えたと、同時に、私とこの子たちを、寝台の下へ押し込んでっ」

曰く。その直後に扉を破壊して魔物がやってきた。
曰く。デボラは即座に戦闘に移り、二、三の魔物を倒したが何やら呪文をかけられ意識を失った。
曰く。そんなあいつを連れて、魔物たちは去っていった。
そうしてそれは、俺が目を覚ますほんの少し前の出来事だったという。

「……俺は、また」

間に合わなかった。あと少し早く目を覚ましていれば。そうすれば、こんなことには。

「ああ!何ということだ、これでは『あの時』と同じではないか!」

そうだ。《あの時》と同じだ。俺がいい気分出いる間に《アイツ》は。
ただの冷たい肉塊に成り果て、て、

「おぎゃあ」「おぎゃあ」
「ッ!」

沈みそうになった意識は赤子の泣き声で引き戻される。

「……大丈夫。大丈夫だ」

泣きじゃくる赤ん坊の頬に触れる。
ぴたりと泣きやんだ二人の青い瞳がじっとこちらを見上げてくる。
ああ、こんなちっこいのに俺が、父親が判るのか。よくできてる。

「お前たちはきっと、デボラに似たんだな」
「ジャギ殿……」

心配そうに呟く女の前で俺は呟く。

「心配すんな。すぐ、連れて帰ってきてやる」
「そ、そうですとも! あの時の二の舞にしてはなりません! すぐに対策を!」

サンチョがバタバタと部屋を出ていく。
俺もすぐにそれを追った。
後悔させてやる。今の俺からよりにもよってデボラを奪ったことを。
思い知らせてやる。それがどれだけ罪深いことか、死を以て味あわせてやる。

「……やはりな」

主立った奴らが集まったはずの会議場。そこに大臣の姿がない。

「ジャギ、やはり、とはどういうことじゃ?」
「あのクソッタレの大臣は今回の件で、糸引いてやがったんだよ」
「な、なんですとー!?」

驚くサンチョや居並ぶ奴ら。ああちきしょう。この国の奴らは本当にお人好しだ。
――急に態度が変わった大臣を疑いもしなかった、俺含めて。

「あの野郎、酒に薬仕込んだんだろうよ。でなけりゃ、あんな一斉に寝入るもんか」
「そ、それは確かに……」
「誰でもいい。あのクソ野郎が何か怪しい動きを見せたのを見た奴ァ居ねぇか?」

全員が顔を見合わせ、不安げにひそひそと言葉を交わしている。

「あるんなら言え!俺ァ気が立ってるんだッ!」

勢いよく降りおろした拳が鈍い音を立てる。木製のテーブルは一部がえぐれ、ヒビが広がった。

「……大臣が北の方へ飛んでいくのを見たよ」
「北へ飛んだぁ?」
「ああ。見間違いだと思ったんだけど、どうやらそうじゃあなかったらしい」

腰掛けていた椅子から立ち上がると、ドリスは俺を手招いた。

「普通の人間が空を飛べるわけもない。ガサ入れと行こうか」
「……おう」

俺も続けて腰を上げるとサンチョが慌てて立ちふさがった。

「お、お待ちください、ジャギ様ッ! よもや、デボラ様を探しに行かれるおつもりかッ!?」
「当たり前だ。テメェの女房をテメェで探しに行ってなにが」
「な、なりませぬ!」

裏がえらんばかりの勢いでサンチョが叫ぶ。

「ラカン様とリリ様をどうなさるおつもりですか!」
「ちょっと行って、ぶん殴って取り戻してくるだけだ。そんな時間はかからん」
「ですが……ですが……ッ」

言葉に詰まるなら、止めるな。

「……兵は出す。それではいかんかのう、ジャギ」
「あ?」

オジロンのおっさんが腰掛けたまま問う。

「のお、ジャギ。ワシらはさっき、真の王を取り戻したばかりじゃ」
「それが、なんだって」
「……兄上と同じように、また戻って来なかったらと考えると、誰もが、恐ろしいのじゃよ」
「……そんだけか?」

たったそれだけのことで、俺を足止めしようというのか。
ふざけるんじゃねえ。俺は一瞬だって早く、アイツを助けに行かなきゃなんねえんだ。

「俺ぁな、結婚する前に親父に誓いを立てた」

手元に引き寄せるのは、いつでも出立できるように準備した道具袋。
そこから取り出すのは親父の剣。

「親父とこの剣に誓った。俺は幸福になると。惚れた女を幸福にすると」

親父から継いだものも、俺が手に入れたものを両天秤にかけるようなことはしない。
それは両方俺のモノだ。

「だから俺は行くぞ。俺の幸福には、アイツがいなけりゃ意味がねえんだッ!」

轟、と吠えれば会議場が静まり返る。
ああ腹が立つ。どうしてどいつもこいつも俺を死地へ送るような顔をするんだ。
俺は死なずに、必ずここへ帰ってくるつもりだと言うのに。
腹を立てたまま背中を向けて、足が止まる。
腰に結びつけた道具袋がざわめいていた。
袋の口を開けば、中からゆったりと浮かび上がってくるものがある。

「こ、これは……」

サンチョには見覚えがあるらしく、光を放ち浮かび上がるそれを見て狼狽えていた。

「……ああ……」

星のように光輝く天空の剣が、ぼんやりと宙に鎮座する。
よもや、と思って手を伸ばす。いつものように一瞬の幻。
目覚めても、その重さは前と変わりはない。

「……俺に持つ資格はねえが、どうやらこいつが、ここを守ってくれるみてえだ」

眉をしかめ、舌打ちをする。ああ、なんて腹が立つ剣だ。
父さんが見つけたモンでなきゃ、叩き折ってやりてえ。

「サンチョ。俺が帰るまで、こいつは預けた」
「は、はい、ジャギ様ッ!」

サンチョは俺の前にひざまずき、頭を垂れる。
宙に浮いた剣をひっ掴み、サンチョへと手渡すと再び背を向けた。
大臣の部屋に何かしらの手がかりがあるに、違いない。
すぐに行って帰る。それだけだ。それだけでいいのだ。
それだけを考えよう。だから、さっき触れたときに見えたものは、忘れろ。忘れてしまえ。


『この剣はここに置く。それが、正しいのだな?」

緑の髪をした男が問えば、桃色の髪をした女がうなずく。

『ええ。いつかふさわしいものの手に渡るはずです』
『わかった』

男は納得したらしく剣をそこ――巨大な樹の枝へと突き刺した。

『いずれまた、世界は闇に覆われるというのか』

悔しげに呟く男の声に酷く頭が痛む。
やはり俺は、こいつを知っている。

『人ならざる者がすむ世界故、仕方のないことでしょう』

女の耳は常人とは違い尖っている。こいつもまた、人ならざる者ということなのだろう。

『それでもいつか、あなたのように勇者が……救世主が、現れるはずです」

ああ、腹の立つ。救世主。俺の大嫌いな言葉だ。

それが俺が見つけ出さねばならぬ勇者と同一であることは、どうしても腹立たしい。

『未来の勇者も、俺と同じ悲しみを背負うのだろうか』
『……かも、しれませんね』
『ならば俺はこの剣に祈ろう。どうか、俺と同じ愛する者を奪われる悲しみが一つでも減るように、と』

男が女を抱き寄せる。
女は男の名を呼ぶ。いつもなら聞こえないはずのその名が、今日に限って聞こえた。

『ええ、『ケン』――あなたの祈りが通じることを、私も祈りましょう』


酷く痛む頭を振って、脳裏からその記憶を追い出す。

デボラ。今の俺に必要なのはアイツだ。そのことだけ考えればいい。

アイツを守るという誓いについてだけ、考えろ。

だから忘れてしまえ。あんなふざけた名前。

《ジャギ》が世界中で誰よりも、怒り、憎しみ、嫉み、妬んだ男の名前など。

ましてやその男の願いが、俺の帰る場所を守っている事実など、忘れてしまえばいい。

俺はただ、力を利用するだけだ。

頭痛はまた酷くなるばかりで、嘲るような幻聴さえ聞こえて来る程だった。


─────────────────────────────────────

この回書くために調べたら4勇者のCDシアター版の名前がレイでむせたけど
私は元気です。



[18799] 第四十二話:魔塔
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:720a9551
Date: 2019/06/07 04:47
第四十二話:魔塔

上へ、上へ、上へ。
塔の上から漂う悪鬼の気配を追うように。
石畳の床を駆け抜け、苔むした階段を二段跳ばし。
悪魔の塔(デモンズタワー)とか呼ばれている高い塔をひたすら昇る。
その高さを以って俺の道行きを妨げることが腹立たしい。

「ジャギ、待て、ジャギ! 少しペースをっ」

追走してくるピエールの声が遠い。待っていられるか。ぐずぐずしていられるか。
スライムの身では進みにくかろうという事実に構ってはいられない。
一刻も早く、辿りつかねばならんのだ。

「ジャギ……ッ、下だ!」

聞き流していた声が不意に耳に飛び込んできた。そこに滲む警戒心を感じ取ったせいか。
咄嗟に止めた爪先。かすめて突き出したのは身の丈を超す程の大杭。
床から伸びて道を阻むそれは、俺を嘲笑うかのようだ。
その様に、遠い日の既視感。

「これは……どうやら特定のルートを通らねば階段まで辿りつけ無さそうだな」

杭の向こう、上階へと繋がる階段を見やってピエールが呟く。

「慎重に行こう。急がば回れ、という言葉もある」

だから少し落ち着け、というその言葉に――反吐が出る。

「何故、俺があいつらの罠にかかってやらねばならん」

むんずと掴んだ大杭は、錆びた色合いをしているのに酷く頑丈だ。
力を込めても、表面に僅かにヒビが入るばかり。

「……言いたいことはわかる。だが、この槍を全て壊しながら進むのは、現実的とは言えん」

ピエールが賢しらぶる。何を勘違いしているのだ、こいつは。
俺はただこれの丈夫さを確認しただけだ。
見上げた天井は俺の身長の倍以上。これなら問題あるまい。
記憶の彼方から引きずり出すのは、二つのコツ。

「テメエらは後から来い。ここらのやつに負ける程柔じゃねえだろ」

魔力を一か所に集める術を、ザオリクの時に会得した。それを使う。

「俺は、勝手に行く。――スカラ」

身の守りを高める魔力を、両足へ。ただの石畳と罠を見分けんと睨みつける。
ここだ、と予測した床へ駆ける。読み通り、足元から突き上げる感触。
その穂先は魔力に阻まれて俺の足を貫きはしない。

「な、なんて無茶を!」

ピエールたちを悲鳴ごと置き去りにしていく。
次から次へと突き出る杭を爪先で、踵で、トンと踏みつけ跳ねる。
それを繰り返せば、最短距離で階段まで辿り着く。
記憶の彼方から引き出したのは、《鍛錬》の一つ。
指先だけで針山を登ったことがあった。それに比べれば余程容易い!



火を噴く竜の石像が道を阻む。これを蹴り砕く。
跳ね橋の向こうに倒れた人影。デボラではないので近寄ることもせず。
召喚陣から現れた多腕の獅子を切り飛ばす。
蛇腹の怪鳥と二足歩行の大猪が何やら騒ぎ立てる。
耳など傾けない。追いついてきたピエールたちと共に、切り伏せ捻じ伏せる。
構っている暇はない。屋上に辿り付いた俺の目が捉えたのは二つの影だったのだから。
一つは薄い光の檻の向こうの姿。俺がここへ来た意味。
一つは怪物。二足で立つ大馬。こちらを見てニヤニヤと笑っている。
覚えがある。覚えている。忘れてはならなかった。
薄暗い遺跡の光景が甦る。あの声が嘲ったのは、あの頃の俺の一番大切なもの
『僕』から、奪っていったやつ。


「返せ」

俺の喉が搾り出せた意味のある言葉は、それだけだった。
デボラが俺を見て何か叫んでいる。怪我はなさそうで安堵する心が酷く遠い。

「アアアアアァッ!」

怒声と共に振りかぶった剣は、しかし妙な手応えしかない。
まるで巨大な壁をぶっ叩いたような違和感。

「わっはっは! オレは不死身だ! 誰もこのオレ様をキズつけることはできまい!」

高笑う馬頭の化け物。俺は知っている。こいつの名を知っている。
あの古びた遺跡の中で聞いた、不快な名だ。

「グルゥ……ガァ!」

吼え立てて跳びかかるゲレゲレ。その体も弾き飛ばされる。
身軽く一回転して着地し、警戒心と憎悪を露わに唸る。
こいつも覚えている。俺の記憶違いではないらしい。

「む? ははは、そうか貴様らあの時のガキとキラーパンサーか!
 野たれ死んでおれば、よかったものを! 無駄に生き永らえたな!」

怒りで顔が熱くなるのが解る。いや、顔だけではない、全身だ。
全身が憤怒のあまりに震えている。

「ここで死ねぇいっ!」
「っ、スカラっ!」

見た目からは想像できない俊敏さで、蹄が俺の腹へ打ちこまれてくる。
咄嗟に防護の術を唱えるも衝撃までは無くせない。

「ぐがっ」

いとも簡単に床に転がされちまう。スカラがなきゃ肋が折れていたかもしれない。

「バカ! なんで助けに来たのよ、コイツらの目的は、アンタを亡きものにすることで……」
「惚れた女ぁ助けるのに理由なんざ要るかぁ!」

薄光の檻に囚われたままのデボラが悲鳴を上げたのへ、声を張る。
……そして寸の間を経て、この化け物の目的に気付く。
問いかけるような独りごとは、冷たい声をしていた。

「奪う、気か。また。俺から、俺のものを」
「ははは、その通り! 貴様を亡きものにした後はオレがあの国の王よ!」

ぶつり。何かが切れる音。虎の尾を踏んだ。逆鱗に触れた。

「『父さん》を、『父さんから継いだもの》を、『惚れた女》を、『俺から奪う》、だと?」

頭痛がする。視界が赤く染まる。殴られた拍子に血でも出たのか。
開けた空の下。灯台の炎がじかじかと眩しい。
誰の声も遠くなる。握る得物に力が入る。

「殺す。テメエは殺す。絶対に、確実に、殺す、殺してやらぁあああ!」

胸の内から湧き出るのは汚泥じみた熱。
それに突き動かされて、俺はがむしゃらに剣を振り上げた。
先程と同じように、不可視の壁に阻まれて届かない。はずだった。

――ぴしり。

何かがひび割れる音。焦る声。

「ば、バカな、無敵のバリアが! ミルドラース様に授かった不死身の力が!?」

ぴしり、ぴしり、ぱりん。

「や、奴を覆っていた見えない壁が消えた!……イオっ!」

ピエールが後方から爆発呪文を唱える。

「ぐわぁ!」

顔面に爆破をぶち当てられて馬頭は仰け反った。

「ジャギ!」

呼びかけられ視線を向ける。すぐ傍に、デボラが居た。

「デボ、ラ」

その全身が淡く光を放っている。その光を、俺はつい最近どこかで見た。

「お、おのれぇ! まさか、貴様、天空の末裔か!」
「私が、天空の末裔……?」

顔面を焼け爛れさせたまま、その巨大な腕を振りかぶるのを黙って見てはいない。

「グルゥウウ!」

ここにいるのは俺だけではない。ゲレゲレがその大腕に牙を立てる。

「ぎゃあっ! お、おのれキラーパンサー風情が……!」
「おっと、私を忘れてはいないかい? イオ!」

ゲレゲレを引き剥がそうとした腕に、再び爆発が叩き込まれる。

「下がってろ、デボラ、こいつは、俺がやる。俺が倒す。――父さんの、仇なんだ」
「! 解ったわ、やっちゃいなさい、ジャギ!」

デボラの声を背負って、俺は剣を振りかぶる。ふと思う。
俺はこの剣筋を何処で覚えたんだろう。
無意識のうちに瞬き一つ。目蓋の裏に浮かぶ日に焼けた大きな背中。

「アアアアアアっ!」

裂帛。一閃。袈裟掛けに切り裂いた怪物が、どう、と背中から倒れ伏す。
この太刀筋を知っている。覚えている。思い出した。

「……父さん……」

俺が知っている、世界で一番強い剣使いの、技だ。

「ジャギ!」

とん、と背中に感触。温かで、柔らかい。

「……服、汚れんぞ」
「帰ったら着替えるわよ。バカ、助けに来るとは思ってたけど、バカ」
「……遅くなって、悪かったな」

けど、今度は、

「間に合ったわよ、バカ」
「っ、デボラ!」

こいつはどうして俺が欲しかった言葉をくれるんだろう。
間に合った。今度は間に合った。今度は大丈夫だ。今度こそは。
『父さん』から継いだ『技』で、俺は『大事なもの』を守れた。
それを教えてくれる言葉と、温もりだ。
ああ、こんなとこにもう一分一秒とていたくはない。
帰ろう。俺たちの家に。あいつらも、待ってる。
そう告げようとした俺の喉が引きつった。

「ほっほっほっほっ。まさかこんなところに天空の末裔がいるとは」

視界の端でぐにゃりと空間が歪む。そこに現れた姿に、
消えたはずの憤怒と憎悪が再び湧き上がっていく。

「ゲ、マぁあああああああ!」

ローブを纏った不気味なこの男もまた、怨敵。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



劇場版とネタが被る前に完結させちゃわないと。




[18799] 第四十三話:悪夢
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:720a9551
Date: 2019/07/05 01:37
第四十三話:悪夢


眼前の魔物は何か言っている。天空の末裔がどうのこうの、
勇者は高貴な血筋に生まれるどうのこうの。
芝居がかった口調だということまではわかる。だが、それがなんだ。
そんなことを気にしていてはいけない。だというのに、どうして俺は動けないでいる?
腸が煮えくり返る。火で焼かれるようにじかじかと顔が熱い。
今すぐ突っ込んでいって、八つ裂きにしてやらなきゃならん。
それなのに――デボラが、俺の服の裾を掴んで離さない。
赤子を二人も産み落とした直後だ。立っているのとて辛かろうに。
赤子。ああ、そうだ。あいつらのためにも、逃がさねばならん。
いいや、逃がすだなんて腑抜けたことを考えるな。今すぐ、殺せばいいだけの。
脳裏をよぎる、炭色の床。一箇所だけ焼け焦げたそこに何があったかを覚えている。
アレの下手人は、目の前の魔物で。俺は立ち向かわなくてはならない。
倒して、帰る。デボラと帰る。あいつらのところへ帰るんだ。

――ああ、俺は死にたくないのか。

《身の焼ける苦痛》を二度と味わいたくないのだ、という考えが心の何処かにストンとはまった。
この逡巡でだいぶ時間を無駄にしたことに、けたたましい笑い声に気付かされる。

「さあ、ミルドラース様より授かりしの魔力を受け、石となって世界の終末を見届けなさい!」
「ッ!」

正気に戻ったのが遅すぎた。俺の両手両足はゲマの放った光の当たった場所から、徐々に動きを止めていく。
まるで体が石の塊に置き換えられていくみてえに。

「ジャギ!」

デボラはいつの間にか俺の前に出ていた。あの障壁を割った力で、俺を庇おうとしたのか。

「ッ、ふざけるな、俺ァ、こんなの認めねえッ」

あいつらを逃がしたい。あの野郎を殺したい。どちらもできない。
俺が弱かったから。俺が弱いから。俺は判断を間違えたんだ。
『父さん』を奪われたときに、もう二度と、間違わねえと誓ったはずなのに!

「ッ、ガアアアアアアッ!」

獣じみた咆哮と、妙にどろりとした魔力を放ったところまではまともに意識があった。
荒れ狂う力の奔流だか、爆発だかが発生して、視界が白く染まる。
ゴウゴウと耳元で鳴るやかましい音の向こうにゲレゲレの鳴き声と、
ピエールの「帰ってこい」という叫びが遠ざかっていったような気もする。
そして最後に見えたデボラの顔は、笑っていた。
何故だ? どうして、そんな顔ができる。笑えるようなことなんざ、何もないはずなのに。
ああでも、こいつの笑顔が見られて、よかった。それだけを最後に認識して、俺の意識は沈む。
ひどく耳障りな幻聴は《ジャギ』が幸せになれるはずもないと嘲笑う。
だが、それにむきになって反論する気も起きなかった。
俺の内から響く幻聴が泣いてるガキの声にしか、聞こえなかったせいだと思う。



次に意識を取り戻したのは、セメント樽にでも突っ込まれたような不快感によってだ。
動けない身体と、ぐちゃぐちゃとやかましく声が響く頭。
俺の心に直接恨みつらみの叫びを叩き込まれている。
天や運命を、あるいは有象無象へ向けられたものではない。

《「どうして殺した」》《「死にたくなかった」》《「憎い」》《「お前が憎い」》
《「俺たちの痛みや苦しみをあじわえ」》《「幸福になどさせてなるものか」》

《「ああ、お前(ジャギ)が憎い!」》

石像となって眠ることもない意識の中でぶつけられ続ける怨嗟は、全て《ジャギ》へ、
前世の俺へと向けられたもの。老いも若きも男も女もあらゆる声が俺を呪う。

「(……飽きねえな、こいつらも)」

最初はうろたえた。肉体があれば反吐を吐きのたうち回るような苦痛に感じていたときもあった。
けれど、どれだけ時が経ったのかすっかり慣れちまった。
考えてみりゃ、恨み言をぶつけられて当然のことをしている。
だから、こんなもんで俺の精神がどうにかなるわけなんざないんだ。
《俺》に殺された程度の輩が、『俺』を壊せるとでも思ったのか。

「(舐めやがって。ふざけんじゃねえ。殺す。体が動くようになったら、殺してやる)」

この怨嗟が虚空から突如湧いて出たわけじゃねえくらいわかっている。
これはゲマのクソ野郎か、魔王だかって野郎にかけられた呪いなんだろう。
俺から自由を奪い、幸福を失わせようとする奴らへの怒りが募るばかり。
その怒りが動けはずの身体にまで影響を及ぼし、ありありと憤怒を浮かべた相へと
変形させたのは、あいつらにも想定外だったに違いない。少なくとも俺には想定外だった。
ついでに言えば、おぞましい顔を恐れて庭の片隅へと追いやられたことも。
薄暗く湿った木陰では、せいぜい冬がきたかどうかくらいしか周囲を認識できやしない。
あいつらは無事なのか。世界の滅びが遠いのはどうしてだろうか。
憎悪と憤怒と苦痛の海の合間で、息を継ぐようにそんなことを考えたりもする。
そう考え出す時にはいつだってデボラの顔が浮かぶ。
あの笑顔と、はめたままだった火のリングの優しい温かさが、俺の心を壊れぬよう繋ぎ留めている。
これを覚えている限り、俺は人でいられるに違いない。
でなければきっと、壊れていた。


時を、日を、月を数えることを投げ捨てどれだけの時が経ったのか。
耳に馴染んだ怨嗟の合間に、聞きなれない声が混ざる。
甲高い声は柔らかくて、温かくて、今までにないほど胸が痛い。
その声の主が杖を掲げる。青い宝玉が光り、水のような魔力が俺の身体を包んでいく。

「かっ、はっ」

急に喉奥に吸い込んだ久方ぶりの空気でむせ込む。
重力を思い出した体は上手く対応できず、地面へとへたり込む。

「ジャギ様! ああよかった! わかりますか、ジャギ様!」
「大丈夫かジャギ、痛いところは? 私たちの声が聞こえるか?!」

未だぐらぐら揺れる頭を抱えたまま、乾ききった目を潤すように二度三度瞬く。

「……サン、チョに、ピエール、か?」
「ジャギ様!」「ジャギ!」
「あ、れから、どう、なった、何年、経ったっ、デボラ、はっ」

かひゅかひゅと鳴る喉を叱咤しながら、尋ねる。

「……申し訳ありません。デボラ様の行方は、未だ掴めておらず」
「すまない、解呪方法と君を見つけ出すので八年もかかってしまった」
「そ、うかよ。それじゃ、さっさと」
「ま、待って!」

さっきも聞いた声が俺たちの会話に割って入る。視線を向けて、俺は息を飲んだ。
子供がいる。黒い髪をした子供が二人、俺を見ている。
まだ、十にもなっていなかろう男と女の子供が一人ずつ。
声は上げたものの次が続かないらしい男の方の手を、女の方がしっかと握る。
それで腹が据わったらしい。こっちを見る目に、覚えがあった。

「お父、さん、なんだよね? 本物の、ボクたちの」
「わたしたち、探しました。ずっと、色んなとこ、だって、会いたくて」

舌より早く、体が動いた。両の腕でそれぞれを抱きしめる。
この暖かな温もりを、覚えている。

「ラ、カン、と、リリ」
「!そうだよ! お父さん! ボクは、ラカン! それに、リリ!」
「わたしたちの名前、お父さんがつけてくれたんですよね!」

かき抱いたまま二人の髪を撫でる。綺麗な黒髪だ。

「この髪が、俺たちに似ている」

デボラにも、俺にも。よく顔を見れば、きっと他にも似てる場所はあるに違いない。
俺とデボラの子だ。俺の、血の繋がった、息子と娘だ。
さあ、何処が似て……待て。なんだ。これは。そんな、わけが。

「お父さん、どうしたの?」
「きっと疲れちゃったのよ。ずっと、立ったままだったんですもの」
「ラ、カン」

なあに、と無邪気に聞いてくる子供の背中に古びた剣。
俺が初めて見たときよりも不思議と輝きを増している。
正しい担い手と共にあるからだとでも言うように。

「ラカン、これは。この剣は」
「!あのね、お父さん聞いて、ボクね!」

褒められたい子供にはきっと俺の顔は見えていない。

「おじいちゃんが見つけて、お父さんが残した天空の剣が使えるんだよ!」

声が。ぐるぐると回る。ゲマは言っていなかったか。勇者は天空の末裔の、高貴な血筋に生まれると。
天空の末裔――ゲマはデボラをそう呼んだはずだ。
高貴な血筋――

「ジャギ王、やはりまだ体調がよろしくないのですか?!」

俺が、グランバニアの王だ。

「お父さん、お母さんもおばあちゃんも助けに行こうよ!」

屈託もなく笑うこの子供が? 俺たちの子供が?

「ボクは勇者だから、ボクたちが世界を救うんだ」

仇討ちのための手段としてしか考えていなかった、『救世主(ゆうしゃ)』……?

『ずっと探してた勇者が自分の息子』なんて、そんな嘘みてえな話がありえるのかよ。

『俺』は選ばれなかった。選ばれたのは、『俺の家族』。

やっと見つけたという安堵と、苦難を背負わせる恐怖と、

俺ではなかったという羨望と苦痛で、心が軋んで目が回る。

視界が暗転する。どよめきが遠ざかっていく。

何年も味わい続けた怨嗟と苦痛よりも、ずっとおぞましい悪夢のように思えた。


――――――――――――――――――――――――――――

果たして映画までに完結できるのか。頑張れ自分。



[18799] 第四十四話:幻夢
Name: 鳥巣 千香◆754b057a ID:899c035a
Date: 2022/04/10 04:30

夢を見ている、と思った。薄汚れた石造りの部屋は
見覚えがない場所だったから。
だがこの感覚には覚えがあった。勇者の武具に触れたときの
白昼夢。あれによく似ている。
髭のを長く垂らしたジジイがこれを、と差し出す杖の中央で
海を固めたような宝石がキラキラと輝いている。


「わしの魔力を使って作り上げたこの杖を、
どうか大事に、大事にしまっておいてほしい」
渡された男の声は聞こえないが、戸惑っている気配が伝わる。
ジジイはその反応を見て、訥々と語り始めた。

「兄上の悪夢の中で殺されていたのは、わしではなかった。
あれは兄上が忘れていた、前の生の記憶だ」
男は何かに気付いたのか、びくりと身を震わせる。

「母を、兄を、弟を、恋した女を失い続ける幻に、兄上は屈しなかった。
そうして前の生を思い出した兄上から、託されたものがあるだろう?」
身なりのいい男は袋からそうっと何かを取り出した。
心の臓に似た形をした小瓶の中、銀色に輝く石が一つ。
魔力がぐるぐると終わらぬ螺旋を巻いていた。ジジイは目を細める。

「……あぁ。兄上は、そういうものを、見たのか」
「いつか。おれたちは亡く、世界の形も変わった未来に、必要なのだと聞かされた。
絡まった因縁を解きほぐすため、時を戻す秘宝だと。
何もかも無くすある男たちを、魂を分かたれた女たちを、救ってほしいと」
秘するようにと言われたが、あなたにならと大丈夫だろうと告げる男。

「あの人には、古い借りがあるし……おれもあいつの助けになりたい」
穏やかに呟きながら、時を戻す秘宝とやらをしまい込む。
俺も、それが欲しい。やり直せたら、今度は失敗しないから。
奪われねえように頑張るから。だから、それを、俺に。

「先読みの力も、創り上げるものも、心の強さも、
きっとわしは何一つとして兄上には及ばない」
ジジイが声を漏らす。悲しみと、怒りと、悔しさが滲んだそれに、
俺の思考は一旦断ち切られる。

「それでもわしは、兄上が取りこぼしたものに、手を伸ばすのだ」
「……あなたも、あの幻を、知っているのか」
「あぁ」
ぎゅっと眉をひそめ、顔を俯かせた。
「覚えがあった。転がる首にではなく、残された胴に、その傷跡に」
きずあと、と男は声を強張らせた。

「兄上が見た幻の、あの涸れた大地の上に、渇いた空の下に、いた。
泣いてるあいつを拾った、あいつと一緒に笑った、
ただ父親が……なだけの、どこにでもいる、はみ出し物のガキだった」
ジジイは杖を抱えて泣き出した。そこに、重なる面影がある。
涸れた大地を、渇いた空を知っている。耳奥にバイクのエンジン音。

「時代が、イカれてやがった。ガキ二人、幸せにしちゃくれなかった。
おれの妹を失って、壊れて、忘れていった、あいつの胸に――七つの、傷」
見てたのか、あんた、《俺》のこと。《俺》は忘れてたのに。

「悪逆の道に堕ちたあいつは、兄上の傷に、悪夢に、ならない。
当然の因果だ。それだけの外道だった。あいつが悪くなかったとは言えねえ」
幾筋も幾筋も、老いた男の頬を涙が伝っていき、杖に落ちる。

「しかし、おれは、わしは夢を見た。あいつがまた無くす夢だ」
首を横に振ったジジイは、『俺』の辿る道筋を見たらしい。

「兄上のように、時間を巻き戻してはやれねえ。
だが、取り戻すために、力を貸してやりてえんだ。
頼む、どうか、遠い未来まで、こいつを預かってくれ、王子」
再び差し出される杖。男はそれを受け取りかねているようだった。
わなわなと体を震わせている。握りしめた拳から、血が流れる。

「あの人の悪夢の中で、首を落とされていたのではない、胸に七つの傷を持つ男を、
あの人の、悪鬼に堕ちた血の繋がらない弟を、ただの子供だったなどと言うのか!」
激昂し、声を張り上げる男の顔は見えない。

「よりにもよって、おれにそいつを救えと言うのか、賢者クリムト!」
どこの誰だかはわからんが、おそらくこいつは、
《俺》が奪った誰か、その縁者なのだろう。……心当たりが、多すぎるな。
ゆらり、と景色が滲んでいく。言い争いはしばらく続くようだが
遠ざかっていき、最早聞き取れない。
結局、その男は杖を受け取り保管してはくれたようだ。
薄い青色の、まるで水のような髪をした男は、きっといつかの『救世主(ゆうしゃ)』だ。


ひどい喉の渇きと共に目が覚めた。薄暗い部屋には、見覚えがある。
紫の小さな炎で照らし出された、グランバニア城の一室。
その寝台の上。『俺』が、ずっと帰りたかった場所。
深く、息を吐く。手の中に何かを握りしめていることに気付いた。
しばらくぶりに動けるようになったばかりの指先で摘み上げる。
きら、と輝いた海色の石。あの杖についていた、リリによって振るわれて、
俺を救ってくれた宝石。そこにもう魔力が残っていないのを感じる。
きっとこいつが、俺にあの夢を見せた。

「……ちゃんと、《俺』を救おうとしてくれたんだな」
サラサラキラキラと夜闇に宝石が消えていく。
気を失う前の胸の痛みを、持っていくみてえだった。
『救世主(ゆうしゃ)』である前に、ラカンは俺とデボラの子供じゃねえか。
ろくに覚えてもねえ俺(ちちおや)を慕ってくれてるらしいし、
俺がそれに応えてやらねえでどうするんだ。
父親に蚊帳の外にされる辛さを、俺は解ってる。
一緒に旅をして、デボラを探して、そんで母さんを取り戻そう。
あの頃の『父さん』みたいに、頑張ってみよう。

「……ありがとよ、ボス」
海色の宝石の最後の輝きの中で、覚えのある顔が笑った気がした



――――――――――――――――――――――――――――

久々に書いたら文章の癖とか全部忘れてますわ。

幻夢:夢まぼろし。
――あるいは、幻の大地を知る人の夢


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